D4DJ〜Uniquee Mix!!〜 (熊0803)
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First Unique



前々からちょっと書きたかったので、息抜き期間のこの時期に。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 特別ってなんだろう。

 

 特別になるとはどういうことだろう? 特別な人とはどんな人間のことだろう? 

 

 例えば、特別容姿が整っている。

 

 例えば、特別勉学や運動ができる。

 

 例えば、自分だけの()()を内に秘めている。

 

 数え上げればきりがなく、そして数え始めると案外簡単に想像できてしまう。

 

 

 

 

 じゃあ、普通ってなんだろう。

 

 普通であるとはどんなことだろう。普通な人とはどんな人間のことだろう? 

 

 この答えはけっこう簡単だ。

 

 だって僕自身がそうなのだから、わからないはずがない。

 

 

 

 

 そう、僕はどこにでもいる普通のやつ。

 

 水瀬彩音(いろね)、美月高校一年生の15歳。

 

 中肉中背の身長166cm。B型。誕生日は9月20日。

 

 趣味は音楽や映画鑑賞、ゲーム。特技は特に無し、突出した得手も不得手も見当たらず。

 

 彼女も生まれてこの方なし。友達はそこそこ。

 

 パッと思い浮かぶプロフィールだけでも、実に平凡。

 

 普通っていうのは、他の人と共通項が多くて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことだ。

 

 

 

 

 

 どうしてこんなことを往来の中で考えているのかって? 

 

 その理由も普通。

 

 思春期の男子特有の、ふと自分の存在を定義したくなるってやつだ。

 

 あるいはヘッドホンから流れてくる、君だけが特別だのなんだのという歌詞につられたのかも。

 

「〜♪」

 

 周囲の人に変な目で見られないよう、小さな声で歌詞を口ずさんだりしながら歩く。

 

 放課後のショッピングモールっていうのは、案外混んでいる。

 

 遊びに来た学生や、デート中らしきカップルなんてのがそこかしこにいる。

 

 僕もその一人で、CDショップに向かって進行中というわけだ。

 

「ねえ、この服超可愛くない?」

「超ヤバい!」

「フードコート行ってみようか?」

「ちょっと早くなーい?」

「いらっしゃいませー」

 

 音楽を聴いていても、人の声というのは案外入ってくる。

 

 爆音にして周囲をシャットダウンしようなんて、そんなスカした真似をする勇気もない。

 

 だから決まった音楽とまばらな喧騒が入り混じり、ちょっと面白かった。

 

 

 

 

 そのCDショップはいつも使ってる。

 

 どれだけ歩けば着き、どのタイミングでヘッドホンを外すのかもわかってる。

 

 途端に喧騒が大きくなったことを感じながら、僕は店頭に並ぶ華々しいアルバム達を眺めた。

 

「お、これ良さそう。しかもラスト一枚だ」

 

 しばらく吟味して、気になる一枚を見つけ出す。

 

 明るめな表紙に店員さんのポップがデコレートされたそれに手を伸ばす。

 

 いざ取ろうとしたその瞬間、横から出てきた誰かの手が重なった。

 

「「あっ」」

 

 女の子の声だった。

 

 びっくりしながら手を引き戻せば、隣にいる誰かさんも同じように引っ込める。

 

 偶然にも手に触れてしまった相手に申し訳なく思いながら、横を見て。

 

「…………明石?」

「水瀬、なの?」

 

 互いに顔を見て、目を見開く。

 

 金色のメッシュを入れたショートヘアに、愛嬌のある可愛らしい顔立ち。

 

 ここいらではDJ活動で有名な陽葉学園の制服に身を包み、白いヘッドホンを首から下げ。

 

 いかにも「特別」って感じの、その可愛らしい女の子を、僕は知っている。

 

 

 

 

 明石真秀(あかしまほ)

 

 中学時代、一番仲の良かった友達で、進学を機に交流を無くしてしまったやつ。

 

 そんで、普通な僕にとって色々な意味で……唯一「特別」だった、そんなやつ。

 

「……久しぶり」

「あ、ええと、うん。久しぶりー……」

「元気そうだな」

「そ、そうだね。水谷も」

「…………」

「…………」

 

 それきり会話が途絶える。

 

 気まずい。お互いそっぽを向いて、下手っぴな笑いを浮かべるくらいには気まずい。

 

 いかにもな反応をした僕は、なんだか居心地が悪くなって踵を返した。

 

「じゃあ、僕はこれで」

「えっ、このCDは? 欲しいんじゃないの?」

「お前も欲しいんだろ。ラスイチだし、譲るよ」

「……いいの?」

 

 やや遠慮がちな問いかけ。

 

 ちらりとその表情を見れば、いくらか僕より背の低い彼女は上目遣い気味に見てきた。

 

 その仕草、表情に、記憶の中の明石が重なって、なぜか胸がキュッとなる。

 

「いいよ。昔もそうだったろ」

「そう、だね。昔も……ね」

 

 あ、やべ。言い方ミスった。

 

 余計に気まずくしてどうするってんだ僕は。普通に考えてわかるだろ。

 

 ちょっとシュンとしたような明石の顔にテンパってた僕は、ついこんなことを口走った。

 

「あーっと、じゃあ飲み物」

「……え?」

「譲る代わりに、なんか飲み物一本奢ってくれ。今小銭切らしててさ」

 

 僕は何をまくしたててるんだろうか。

 

 これも中学の時とおんなじじゃないか。学習能力ないのか馬鹿。

 

 ほら、明石だってぽかんとしてる。ええはいそうです、僕は間抜けです。

 

「……ぷっ」

「んぐっ」

「あっ、ごめんごめん。でもおかしくてさ、ふっ、ふふふっ」

 

 緩く握った拳を口元に、明石がくすくすと可笑しそうに笑った。

 

 気恥ずかしさが一瞬で上限を飛び越えそうになる。

 

 でも……その笑い方が、なんだか懐かしい。

 

「水瀬、全然変わってないね、ふふふっ」

「……背もあんま伸びてないしな」

「中学卒業してまだ数ヶ月じゃん、これからだよ」

「そういうお前も変わってなくない?」

「むっ、私は色々成長してるよ」

「へえ、どこが?」

「トラックメイキングの技術、とか?」

「相変わらず好きなんだな。そういうの」

「うん、勿論」

 

 ニカッと笑う明石。

 

 その笑い方に、昔のように引きつけられてしまう。

 

「……やっぱり変わってないな」

「変わったって〜!」

 

 あ、口に出てた。

 

 変わってないってのは()()()()()()だったんだけど。

 

 ……まあ、いっか。

 

「ほら、買ってきたら?」

「あ、そうだね。ありがたく持っていかせてもらうよ」

 

 アルバムを手に、明石は店に入っていく。

 

 それから2分もしないうちに会計を済ませ、袋を持った彼女は戻ってくる。

 

「じゃあ、行こっか」

「うん。自販機ってこのモールのどこに……」

「もー、相変わらずだなぁ水谷。どうせならフードコート行こっ」

「え、ちょ」

 

 また手が! 

 

 引かれた腕につられて、反射的に足が前へと走り出す。

 

 ひどく懐かしいその感覚は、たった数ヶ月前までは当たり前だった。

 

 当然モール内なので多くの人にすれ違い、驚かれたり、微笑ましそうに見られたりする。

 

 それが恥ずかしくて、でも。

 

 あの頃の「特別」な時間に戻った気がした。

 

 

 

 

「はいこれ」

「さんきゅ」

 

 何やらゴテゴテした名前がついてそうな飲み物を受け取る。

 

 5時を回ろうかという時刻、フードコートはそれなりに賑わいを見せはじめている。

 

 その一角、二人用の座席を僕は確保した。

 

「席取りありがとね」

「ん、一緒に行ってもよくわかんなかっただろうし」

「あはは、確かに難しい顔をしてたかも」

 

 どうして女の子は呪文のような商品名をすらすら言えるのだろう。

 

 あれか、男がロボットアニメの機体の名前を暗記しているようなものか。

 

「あ、その顔くだらないこと考えてるでしょ」

「明石もあれか、魔法使いなのか」

「なにそれ?」

「あー、なんでもない」

 

 変なの、と笑う明石。

 

 自省しつつ、選んできてもらった飲み物を飲んだ。

 

「あ、これ甘い」

「水瀬、甘いもの好きだったでしょ。今は変わっちゃった?」

「んや、友達に男にしては甘党だなってよく言われる」

「中学の時も言われてたねー」

「それは……」

「良い映画を見ると集中して頭を使うから。だったっけ?」

「その通りだ」

 

 前にちょっと話しただけなんだけど、明石が覚えてたとは。

 

「今でも冷蔵庫のお菓子の山はあるの?」

「聞いて驚け、つい先日一部を占有地として勝ち取った」

「あはははっ、ついに独立しちゃったんだ!」

 

 見せつけたピースサインは、どうやら滑らなかったみたいだ。

 

 表情が乏しいからそれやるとちょっと不気味、というのが学友達からの評価。

 

 だけど、明石は笑ってくれた。

 

「明石はどうだ? DJのこと、やってるのか?」

「色々ね。機材の操作練習したり、セトリの作り方勉強したり……ってまあ、今のところ、肝心のパフォーマンスはやれてないんだけとね」

 

 準備期間中ってところかな、と恥ずかしそうに人差し指で頬をかく。

 

 はにかむような笑い方からは、十分楽しんでいることが一目瞭然だ。

 

「……なんか、よかった」

「へ? よかった?」

「陽葉での学校生活、楽しんでるんだなって。中学の時は……あんな感じだったから」

「……そうだね」

 

 明るかった明石の笑顔が、段々と暗いものになってしまった。

 

 きっと僕も似たような顔だろう。

 

 

 

 今でも時々思う。

 

 

 

 中学の時、僕はどうして()()()()()をしてしまったのだろうと。

 

 あの頃、もっと上手くできていたら、大人だったら。

 

 もしかしたら、今も明石と……

 

「……水瀬はどうなの?」

「普通だよ。勉強して、バイトして、友達と遊んで。明石みたいに、何か特別打ち込んでるわけじゃないけど」

「あはは。水瀬らしいや」

 

 さっきまでより、少しだけ落ち着いた風に笑う明石。

 

 一息つくようにストローを咥え、みるみるうちに中身が目減りしていく。

 

「でも、そっか」

「明石?」

「たった数ヶ月だけどさ。互いに知らないこと、たくさん増えてたよね」

「……そうだな」

 

 でも、それは高校生になってからだけじゃない。

 

 あの頃も僕は、僕達は、多分互いのことを知り尽くしてはいなかった。

 

 それは感情とか心とか想いとか、多くが不明瞭なもの。

 

 本人でないと知り得ない、特別なもの。

 

 

 

 

 自分以外の誰かを完全に知ることはできない。

 

 普通に考えて、そんなのできっこない。 

 

 完全に、完璧に理解しようなんてのは、誰もがすぐに諦める。

 

「……なあ、明石」

「ん? なに?」

 

 でも。

 

「僕、高校入学の時に携帯変えて、アドレスとか番号とか変えたんだけどさ」

「あー、そういえば私もそうだ。トークアプリの方もアップデートで一回消えちゃってさ」

 

 いや、だからこそ。

 

「だから、その」

「……?」

 

 怖気付く。

 

 その言葉を形にすることが何故か恐ろしくて、とんでもない難行のように思えてしまう。

 

 そんな風にビビる臆病な自分を、なんとか押しのけて。

 

「今日再会したのも何かの縁ってことで。もう一回、交換しないか?」

「え……」

 

 

 

 

 

 もう一度知りたいって、そう思うことも普通なはずだ。

 

 

 

 

 

「あ、嫌ならもちろん断ってくれていいぞ。中学時代の付き合いとかリセットしたいっていうやつもいるし」

「い、嫌じゃないっ!」

 

 うわびっくりした! 

 

 叩きつけるように勢いよくテーブルに置かれたプラスチックカップに肩が跳ねる。

 

 それに、何より驚いたのは明石の必死なような、ちょっと怒ったような顔だった。

 

「嫌じゃないに決まってるじゃん!」

「ちょ、明石声がでかい……」 

 

 これ、結構本気で怒ってるな。

 

 前はどうやって宥めてたっけ……

 

「それとも何? 水瀬は私のこと、そんな風に思ってたの?」

 

 む、それは聞き捨てならない。

 

「それこそ違うに決まってるって。僕から言い出したんだぞ?」

「じゃあ、どう思ってるのさ」

 

 どうって聞かれても……

 

 流石に正直には言えないし、誤魔化すしかない。

 

「とにかく、僕はできればまた明石と話したい。そう思ってる」

「む、なんだかはぐらかされた気がするけど……まあいいよ。はい」

「ん、さんきゅ」

 

 互いに情報を伝え合いながら、携帯を操作する。

 

 数分後、僕の携帯には明石の新しい連絡先が追加されていた。

 

「ん、できた」

「私も」

 

 そこで次に何を言おうか迷ってしまった。

 

 画面の中にある文字列を見つめているのが妙に恥ずかしくなって、視線を上げる。

 

 すると、不思議と同じようにしていた明石と目線がかち合って、今度は心臓が跳ねた。

 

「じゃあ……また、よろしく」

「う、うん、よろしく」

 

 ……なんだ、このやり取り。

 

「じゃっ。じゃあ私、そろそろ行こうかな〜、なんてっ」

「え、あ、おう」

「ま、またね!」

 

 ああ、という返事は待つことなく、席を立った彼女は足早に去っていった。

 

 そのままフードコートから出ていく……かと思ったら、直前で立ち止まる。

 

 不思議に思っていると、明石はこっちに振り返った。

 

「……今度、連絡するね」

「あ、うん」

 

 それしか言えなかった。

 

 妙に赤い明石の顔をぼけっと見ているうちに、彼女は行ってしまう。

 

 後ろ姿を目で追って、見えなくなったところでようやく緊張が途切れた。

 

「ふぅ……なんで変に緊張してるんだ僕は」

 

 こんなのは久しぶりだ。

 

 妙な気疲れを感じながらも、携帯の中にあるものを見つめて。

 

 

 

 

 

「……また、特別になるのかな」

 

 

 

 

 

 そんな独り言が、周りのざわめきにかき消された。

 

 

 

 

 

 

 





読んでいただき、ありがとうございます。

作者は真秀ちゃんが推しです。


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Second Unique



ちょっと時間がかかりましたが、二話です。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 

 

 夏の、とある日の朝だった。

 

 

 

 

 

 誰もいない教室。

 

 朝礼の40分も前なのだから、特におかしなことでもない。

 

「…………」

 

 僕はつい先日席替えしたばかりの、窓際で後ろから三番目の席でぼうっとしていた。

 

 机の上に置いたスマホからはイヤホンのコードが伸び、音楽が小さな寂しさを紛らわす。

 

 その音に心を委ねながら、じわじわとセミの鳴き声が響く窓の外を眺めていた。

 

「……暇」

 

 別に、普段から顔を見たらすぐに声をかけにいく程の友達はいない。

 

 クラスメイトと普通に仲は良い。でもそれだけ。

 

 なのに、家でそうしている時と学校の教室で一人きりの時というのはちょっと違う。

 

 

 

 妙な孤独感と疎外感。

 

 

 

 自分一人だけが取り残されて、時間が止まってしまったような不安が胸に渦巻く。

 

 まあ、目が覚めたからと早く登校してしまった僕が悪いのだけど。

 

「うわー、やっぱり誰もいないよな……」

 

 不意に、戸の開く音がした。

 

 両耳を塞いでいても不思議と大きく響くもので、すぐに気がつく。

 

 

 

(って、いるじゃん。あれ、そういえば確かこの前の席替えで……)

 

 

 

 先に来ている教師か、僕のように早く登校してきた誰かだろう。

 

 後者だったらちょっと親近感が湧くな。

 

 なんてことを頭の隅で考えながらも、早く退屈な学校生活が始まらないかと外を眺める。

 

 

 

 

 やがて、泡のように軽いその思考が消えようかという時、椅子を引く音がした。

 

 今度は、もっと近くで。

 

「……?」

 

 隣を見る。

 

 すると、そこには見覚えのあるクラスメイトの女子が座っていた。

 

 名前は確か──明石さん、だっけ。

 

 こちらを伺っていたのか、ばっちり目があった彼女は曖昧に笑う。

 

「お、おはよー」

「……おう、おはよ」

 

 挨拶された。

 

 失礼かなとイヤホンを片方外し、ぎこちのない会釈を一つ。

 

 すると、明石さんはほっと安堵したようだった。

 

 無視されるかと危惧していたのだろう。そこまで無愛想だろうか? 

 

「水瀬くんも早く来ちゃった感じ?」

 

 む、会話を続けてくるとは。

 

 てっきり挨拶で終了かと思っていたのだが、話しかけられたなら続けた方がいいか。

 

「そんなとこ。昨日映画見てる間に寝落ちして、それだから少し早く目が覚めたっぽい」

「あー、あるあるそういう時。いつもより早く寝ると、なんでか早く起きちゃうんだよね」

「んで、家にいても何したらいいのか分かんなくて、こうしてる訳だ」

「分かる〜。数十分くらいだと持て余して、どうせならってなっちゃうよね」

 

 まさにその通りだ。

 

 朝のニュース番組なんて、家族の誰かが付けたら見るだけで、ずっと見続けはしない。

 

 加えて、どうせなら誰もいない教室ってのを見てみたくなったのだ。

 

「最初は教室を独占したみたいな気持ちになるけど、思ったよりすぐ飽きるのな」

「ふふっ」

「ん、面白かったか?」

「ううん」

 

 面白くなかったのか。ちょっとショック。

 

「でも、思ってたより話しやすいなって」

「……やっぱ無愛想って思われてる?」

「あははー……」

 

 すーっと目を逸らされた。だいたい理解した。

 

 むう。家族にも表情筋がやや死に気味と言われるが、そこまでか。

 

 自分では普通のつもりなんだが。

 

 

 

 

 

 なんて考えていた、その時だ。

 

 突然スマホが振動した。机が震え、肘の位置が少しだけずれる。

 

 その拍子に、トークアプリの通知を僕に知らせるため画面がオンになった。

 

「あれ……」

「ん、誰だろ」

 

 手に取って開いてみる。

 

 表示されたのは、兄貴から送られてきた一枚の写真だった。

 

 段ボール箱に入った子猫の画像と、一緒に一言、〝拾った〟と。

 

 ついでに箱を持っている女の人も写ってる。

 

 ……これを僕に送ってどうするんだ、兄よ。

 

「父さん達に、相談して、と」

「…………」

「? どうかしたか?」

「今聴いてるその曲ってさ、好きなの?」

「まあ、普通に」

 

 この前動画アプリ漁ってたら、たまたまハマっってダウンロードしたやつだ。

 

 どうしてそんなことを、と聞こうとした時にはすでに明石さんは自分のスマホを弄っていた。

 

 首を傾げていると、彼女はちらちらとこちらを横目で伺ってから、遠慮がちにスマホの画面を見せてくる。

 

「じゃあ、これは?」

「あ、知ってる。関連動画で見た。それもいいよな」

「こっちは?」

「聴いた聴いた。サビのメロディーで足踏みしちゃったよ」

 

 僕は気に入ったやつをテキトーに聴くタイプの人間だ。

 

 このユニットのはどれも良い感じで、何曲か既に聴いていた。

 

「ていうかこれ、もしかしてアルバムごと買ってるのか?」

「うん。どれも凄い良くて、さ」

 

 へえ、とか、ほぉ、とか感心して、僕はアルバムを眺める。

 

 その間、小さな薄い板の向こう側に隠れた明石さんの顔がどんなだったのか、僕は知らなかった。

 

 彼女が、少しだけ親しげに笑っていたことを。

 

「明石さんってさ、音楽聴くの好きなんだな」

「うん。水瀬くんもでしょ?」

「それなりにね。何かおおすすめのとかある? よかったら僕も教えるけど」

「じゃあこの──」

 

 

 

 

 

「とうちゃーく! 一番!」

「じゃないみたいよ」

 

 

 

 

 

 揃って椅子から尻が浮き上がった。

 

 二人きりだといつしか疑わなくなっていた教室に、新たなクラスメイトがやってくる。

 

 ふと、窓の外からまばらな喧騒と足音が聞こえてくることに気がつく。

 

 

 

 いつの間にか、皆がやってくるような時刻になっていたのだ。

 

 

 

「あれー? 明石さんと水瀬くんだ」

「二人とも早いわね」

「なになに? もしかして……」

「ち、違うよ! たまたま早く来て、教室で会っただけだって!」

 

 ニヤリと意地の悪い笑顔で弄るクラスメイトに、慌てて明石さんは弁明する。

 

 男である僕はなんとも言えなくなって、すると徐々に元の孤独感が戻ってくる。

 

 まあ、こんなものか。

 

 そう思いながらイヤホンを耳に戻そうとした、その時。

 

 

 

「また後で話そうね、水瀬くん」

 

 

 

 内緒話をするように、耳元で囁かれた言葉。

 

 暖かい吐息がくすぐったくて、僕は驚き振り返る。

 

 すると、片目を瞑った明石さんが人差し指を唇に当て、微笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 中学2年の夏。隣の席の女の子と話すようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 しっとりとした髪をタオルで拭きながら、ベッドに腰掛ける。

 

 風呂上がりの体はまだ熱っていて、ジャージのチャックは全開。

 

 エアコンをつけてようやく一息ついた。

 

「あぁ〜、涼しい〜」

 

 風呂上がりのこの瞬間が一番いいんだよね〜。

 

 ……さて。

 

 普段は体が冷めるのを待ってから、良さげな曲を探したり編曲したりするんだけど。 

 

 私は枕元に置きっぱなしにしていたスマホを手に取って、トークアプリを開いた。

 

 そして、友達欄の一番上……最新のところにある名前を見る。

 

 表示されている名前は、「水瀬彩音」。

 

 特にもじったりあだ名風にしていない、彼らしい普通の名前。

 

「ふふっ」

 

 その名前を見るだけで、どうしてか笑みがこぼれる。

 

 

 

 

 水瀬。中学で一番仲の良かった男の子。

 

 色々あって疎遠になっちゃったけど、つい数日前に偶然再会して、連絡先を交換した。

 

 その経緯はまあ、今思い出すと恥ずかしかったけど。

 

「でも、嬉しかったなぁ」

 

 また話したいって言ってくれた。

 

 あんな縁の切れ方をしてしまったからこそ、その言葉がとても心に響いた。

 

 進学を機に疎遠に。全然珍しいことじゃないし、仕方がないと私も思う。

 

 でも、彼だけはそうなってほしくなかった。

 

「大切なものは失って初めて気付く。なんて、漫画の中だけの話かと思ってたのになぁ」

 

 あれは仕方がないと割り切るには、納得できない出来事で。

 

 どちらが悪いかと言われたら、きっと私も水瀬も悪かったし、悪くなかった。

 

 互いに未成熟だった、心のすれ違いが原因だ。

 

 

 

 

 けれど今、ここには新しい繋がりがある。だったらそれを有効に活用しないと。

 

 しないと、いけないのだけど。

 

「なーんて思いながら、もう何日も経ってるんだよね〜……」 

 

 空いた片手を額にあてがい、ため息を吐いて自分の臆病さを呪う。

 

 本当は社交辞令だったんじゃ? とか、もう心変わりしてしまったんじゃ? とか。

 

 そんなことばかりがぐるぐる頭の中を巡って、もう三日目だ。

 

 時間が経てば経つほど、興味を失われる可能性だって高くなるのに。

 

「でも、恥ずかしいし……」

 

 怖い、と言い換えてもいい。

 

 私ってこんなに臆病だったかな。もう少し決断力があると自負してたんだけど。

 

 もしかして相手が水瀬だから、こんなに頭を悩ませて……? 

 

「って、ないないない! そんなの水瀬も迷惑だろうし!」

 

 初恋の相手への接し方に悩む乙女かっ。

 

 …………あながち間違いでもないか。

 

「うう、いっそのこと水瀬の方から何か送ってくれればいいのに」

 

 最終的に出てくるのが、そんな八つ当たりのような文句だ。

 

 我ながら恥ずかしくて、両足を抱え込むようにしてベッドにころんと寝転がる。

 

 私の方から連絡するって宣言した以上、それを求めるのは水瀬に失礼だ。

 

 失礼だってわかってるけど……

 

「……水瀬の嘘つき。ヘタレ」

 

 話したいって言ったくせに、なんて彼の顔を思い浮かべて拗ねるふりをする。

 

 どうやら明石真秀は、私が知ってるより面倒くさい女の子らしい。

 

「水瀬からの連絡、来いっ」

 

 ぴこんっ。

 

「嘘っ!?」

 

 ほ、本当に来た!? 

 

 跳ねるように起き上がって画面を見ると──放送部の友達だった。

 

 なんでも、昼の放送の担当が体調不良で休むので、代わりにやってくれないかというもの。

 

「だよねー。そんな都合いいこと起きないよねー……」

 

 はあ、期待してバカみたいだ。

 

 がっくりと肩を落としていると、またも通知音。

 

「はいはい、次は一体なんの連絡……」

 

 

 

 

 

 水瀬彩音:夜遅くにごめん、水瀬だけど。明石で合ってる? 

 

 

 

 

 

 き、来たっ! 今度こそ! 

 

「わっ、わっ、水瀬からだっ」

 

 自分でもおかしなくらい、声と肩が弾む。

 

 その拍子に落としかけた携帯を、なんとか手の中に引き戻した。

 

 慎重にトークルームを開く。

 

「本当に水瀬だ……」

 

 一目瞭然ではあるけれど、それでも何故か感動する。

 

 っと、そうじゃなくて。

 

 結局、水瀬の方がしびれを切らすまで待たせてしまったのだ。

 

 ちょっと申し訳なくなりながら返信を打つ。

 

「合ってるよ。数日ぶり、と」

 

 一言一句間違えのないことを確認、覚悟を決めての送信。

 

 メッセージにはすぐに既読マークがついた。どうやらルームは開きっぱなしだったらしい。

 

 

 

 水瀬彩音:良かった。こんな時間に迷惑かと思ったんだけど、一応こっちからも連絡しとこうと思って

 

 

 

「律儀だなぁ」

 

 なんて完璧なタイミングだろう。

 

 スマホを持つ手から、内心が読み取られてしまったのかなんて妄想をする。

 

 

 

 まほ:そうなんだ、ありがとう。私こそごめん、連絡するって言ってたのに

 水瀬彩音:あー、まあそういう事もあるって。気にしないで

 まほ:言っておくけど、忘れてたわけじゃないからね

 

 

 

 そこは勘違いされたくない。

 

 色々と心構えとか覚悟とか、そう、準備をしていたんだ。

 

 自分の臆病さにそんなラベルを貼り付ける。

 

 水瀬からの印象が悪くなったらどうしようと、一抹の不安がよぎった。

 

 

 

 水瀬彩音:別にそれでも文句言わないって(笑) 

 絶対すぐに連絡取らなきゃいけないってわけでもないんだし

 

 

 

「む……」

 

 どういう意味で言ってるんだろう。

 

 いや、きっと私の罪悪感を無くそうとしてくれているんだ。水瀬はそういうやつだ。

 

 でも、「連絡してもしなくてもどっちでもいい」とも捉えてしまう私がいる。

 

 

 

 水瀬彩音:でもまあ、返信してくれてよかった。気を遣わせたかなって思ってたからさ

 

 

 

「あ……」

 

 同じこと考えてたんだ。

 

 そう思った途端、胸の中にあるモヤモヤとした何かが消えていった。

 

 それどころか、頬まで緩んでくる。

 

 

 

 まほ:言ったでしょ、水瀬とまた話すようになるの嫌なわけないって

 水瀬彩音:ん、さんきゅ

 まほ:どういたしまして

 

 

 

 

 ふふん、と胸を張るデフォルメされた動物のスタンプを送る。

 

 本当に、これっぽっちも嫌じゃない。

 

 昔の蟠りがあっても、それでもこうして話せることに楽しさと嬉しさだけを感じている。

 

 やっぱり私は、まだ水瀬のことが……

 

「……ま、まあ、そこまで考えるのはいきすぎだよねっ」

 

 誰にしてるのかわからない言い訳をしているうちに、新しく返信が返ってきた。

 

 その内容に目を通して、また少し頬を緩ませながら返信する。

 

 するとまた返答が来て、その繰り返し。

 

 徐々にそのスピードは速くなってき、けれど私はこの時間がゆっくり流れていように感じる。

 

 

 

 

 

 そうしてやりとりをするうち、夜は更けていった。

 

 

 

 

 





次回は彩音の学校生活。

読んでいただき、ありがとうございます。


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Third Unique


今回はオリキャラが沢山。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 甲高いアラーム音が部屋に響く。

 

 

 

「んぐ……」

 

 頭の奥まで揺らすようなけたたましい音に、僕は目覚めた。

 

 夢の世界から引っ張りあげるにはてきめんなそれを、手で探って止める。

 

 ゆっくりとうつ伏せになっていた顔を上げ、瞼を上げた。

 

 瞬間、カーテン越しの陽光に目を焼かれる。

 

「ふぁ……」

 

 もう朝か……

 

 ホーム画面を緩慢に見下ろすと、表示されている時刻は7時を過ぎた頃だった。

 

「……なんでこんな姿勢?」

 

 いつも仰向けで寝るのに。

 

 ええと、昨晩は確か……勇気を振り絞って、明石に連絡をして。

 

「あー、途中で寝落ちしたのか」

 

 確かめるためにスマホのロックを解除すると、トーク画面が表示された。

 

「ぷっ、変なとこで止まってるわ」

 

 昨晩の僕は何を打とうとしたのか、よくわからない文字の羅列が並んでる。

 

 送られたなかったそのメッセージの代わりに、最後は明石の「おやすみ」の言葉があった。

 

「彩音ー? 起きたなら準備しなさーい」

「うーい」

 

 さて、本格的に起きるか。

 

 

 

 一念発起して布団から這い出る。

 

 洗面所に行って顔を洗い、寝癖を整えて、部屋に戻り美月高校の制服に袖を通す。

 

「今日は……これかな」

 

 クローゼットの中からパーカーを選定し、学校指定のシャツの上から羽織った。

 

 その上にブレザーを着て完了。手ぶらで一階に降りていく。

 

「はよー」

「おはよう。すぐできるからお皿出しちゃってー」

「ほいほい」

「はいは一回」

「だからほいって答えたのに……」

「同じよ」

「へーい」

 

 もう、と文句のように嘆息する母の背後に立ち、棚から食器を揃える。

 

「父さんは?」

「もう会社行ったわ」

「兄貴は」

「眠気覚ましに走ってくるって。おにぎり自分で握ってったみたいよ」

「相変わらずだね」

 

 精力的な家族に感心しつつ、テキパキと朝飯の準備を整える。

 

 ほどなくしてザ・日本食といったメニューがお盆の上に揃った。

 

「はいはい、テーブルに行った行った」

「はい二回言ってるじゃん」

「お母さんはいーの」

 

 なんだそりゃ。まあ見た目若いからそんなに違和感ないけど。

 

 しぶしぶ、ってほどでもない気分で食卓につき、いざ朝の栄養摂取。

 

「んー、やっぱ朝は米だなー」

「それ毎朝言ってるわね」

「腹持ちが違うんだよ、腹持ちが」

「居眠りしないようにしなさいよ」

「へい」

 

 僕は朝からちゃんと食うタイプだ。

 

 熱心に勉強に打ち込んでるわけじゃないけど、しっかり食わんと普通に集中力が切れる。

 

 そこらへん、明石はどうなんだろ? 

 

「んー……今度聞いてみよ」

「何が?」

「なんでもない」

 

 独り言はシャケと一緒に飲み込んどこう。

 

 

 

 

 15分くらいで食べ終わると、食器を片付けて自室に戻る。

 

 歯磨きを済ませ、今日の授業の教科書やノートがバッグに入ってることを確認。

 

 それからちょっと音楽を聴いて時間を潰し、ヘッドホンを首にかけて再び部屋を出た。

 

「んじゃ、いってきまーす」

「いってらっしゃーい。気をつけるのよー」

 

 扉越しにリビングから帰ってきた返事とテレビの音にはいはい、と小さく返事を呟く。

 

 玄関でローファーを履き、いざ登校というところで外から扉が開けられた。

 

「ん、彩音。もう学校行くのか?」

「ああ。兄貴は……朝から暑苦しいな」

「ひどいな弟よ」

 

 や、そんな汗だくで言われても。

 

 顔はイケメンなんだけどなぁ……なんか、雰囲気ってか顔ってか、もう存在が暑苦しい。

 

 そのくせ鈍いとこあるし。松山さん相変わらず苦労してそう。

 

「んじゃ、ちゃんとシャワー浴びなよ」

「おう、いってらっしゃい」

「んー」

 

 兄貴とすれ違うように家を出る。

 

 

 

 

 外は快晴だった。

 

 気持ち良い青空に白雲が点在し、風もそこそこ気持ちいい。

 

 ちょっと気分が良くなりつつ、スマホに繋げたヘッドホンを耳につけて歩き出した。

 

「〜♪」

 

 流れるメロディーに合わせて鼻歌を口ずさむのは、もはや完全に癖になっている。

 

 それ以外はぼんやりとした気持ちで、住宅街の景色とかすれ違う人とかを適当に眺める。

 

 あ、野良猫が生垣から出てきた。あのおっさんは焦ってる。あっちは集団登校の小学生か? 

 

 そういや明石ってもう起きて──

 

「なーにぼうっとしちゃってんのさ」

「うおっふ」

 

 背中にダイレクトアタック。変な声が漏れた。

 

 ヘッドホンを外しながら、隣に並んできた下手人の顔を見る。

 

「おはよ、彩音」

「おはよう通り魔」

「言い方酷くね?」

「じゃあど突き魔?」

「嫌な通り魔だな」

「最終形態、張り手魔」

「おい、一気にショボくなった気がするぞ。てかよくスラスラ出てくるな」

「ノリだよ、ノリ」

 

 なんなら脊髄反射で答えてる。

 

 そんな、普通の男子高校生っぽい馬鹿なやりとりをしたのは僕のクラスメートで学友。

 

 新星輝(にいぼしあきら)

 

 高身長、高スペック、高顔面偏差値と3K(?)揃った、どこぞの主人公みたいな男だ。

 

 幼少から天才ピアニスト少年として世界的に有名、かつ性格もいい。当然学校の人気者である。

 

「で、なんだか今日は機嫌良さそうじゃん? いいことあった?」

「そういうとこよ、お前」

「何が」

「なんでもない。機嫌良さそうに見える?」

「うん。モアイ像からシーサーくらいには見違えた」

「凄まじい例え方だな」

 

 そんなに僕の顔は無か。無なのか。

 

「んー、まあちょっとね」

「そっかー。ここ数日そんな感じだし……はっ、まさか彩音にも春が!」

「いつでも満開のやつが何を言うか」

 

 嫌味かこのやろう、と肘で脇腹を抉る。

 

 痛い痛い、と笑う顔さえも爽やかだった。やっぱり人間調整ミスってると思う。

 

「ほら、俺はあの方に心を捧げてるから。深窓の女神の敬虔な信者だから」

「朝から目がキラッキラだな。自分の名前に合わせてるのか?」

 

 金色に近い茶髪でその目だと、輝きすぎてちょっと鬱陶しい。

 

 何でも輝のやつは、小さい頃に参加したコンクールで見た女の子のピアニストに心酔してるらしい。

 

 完璧なんだけど、唯一この一点だけが残念極まりないんだよなぁ……

 

「で、結局どうなんだよ」

「んー、気が向いたらな」

「それじゃあ気が向くのを待ってるよ」

 

 でも、そうか。

 

 少し明石と連絡したくらいで、輝に言われるほど浮き足立ってるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱり、「特別」なんだろうな。

 

 

 

 

 輝と与太話をしているうちに、学校に着く。

 

 美月学校高等部。

 

 大学までのエスカレーターも存在する、私立学校。偏差値は割と普通くらい。

 

 創造性を育むってのがポリシーで、服装に関しての校則がわりかし緩め。

 

 僕や輝が、こんな格好で学校に通えてる理由でもある。

 

「うおっ」

「どした。って、聞くまでもないか」

「ああ、そのようだ」

 

 下駄箱から輝が取り出したるは、上履きでなく一通の便箋。

 

 可愛らしくハートのシールで封をされたそれは、どっからどう見てもラブ的なレター。

 

「リア充め」

「いてっ、今日はエルボーが冴えてるな」

「で、どうすんの」

「まあ、行くだけ行くよ。でも俺は」

「はいはい、女神様の敬虔な信徒ね」

「ちょーい、流すなよ」

 

 そりゃ毎朝のように聞いてるからね。

 

 さっさと靴を履き替えて歩き出すと、「待て待て」と輝が追いかけてくる。

 

 かかとを踏みつぶした上履きで駆けてきた輝が再び隣に並んだ。

 

「にしても、絶えないな。今月で何通目?」

「二通目。入学して数ヶ月しか経ってないのにな」

「それだけ女子から魅力的に見えるってことだろ」

「っ、まさか彩音がそんなこと言ってくれるなんて……っ!」

「まあ変態度でプラマイゼロだけど」

「上げて落とすんかーい!」

 

 ベシッ、と胸に突っ込み一発。

 

「いい力加減だ」

「ええ〜、褒めてくれるのそこなの?」

「まあね」

 

 がっくりと肩を落とす輝にちょっと笑いながら、到着した教室のドアを開けた。

 

「はよーっす」

「おはよう」

「あ、水瀬くんと新星くんだ」

「おはよー」

「水瀬、あの曲聞いたぞー」

「おー、良かったでしょ?」

「おう、マジでマジで」

「新星、今日も輝いてるな」

「はは、そうかな」

 

 クラスメイトと雑談しつつ、席に荷物を置く。

 

 ふう、と息をひとつ。ここまで来てようやく登校終了って感じだ。

 

「あの、水瀬くん」

 

 後ろからの声に振り替える。

 

 そこでは男にしてはやや髪が長めのやつが曖昧に笑っていた。

 

「ミナ、おはよ」

「おはよう。今日もいい天気だね」

「だな。今日はメガネを猫に破壊されなかったか?」

「いや、いつもされてないから……」

 

 だよな、と答えるとミナも苦笑いする。

 

 基好(もとよし)みなも。クラスメートで普段からよくつるんでいる。

 

 普段は物静かなやつだけど、見かけによらず運動が得意だったりする学友だ。

 

 ちなみに眼鏡を取るとすごいらしい。何がかは知らないけど。

 

「おはよっすミナ。今日も眼鏡してるね!」

「いや新星くん、眼鏡してるって何よ」

「それはほら、今日も眼鏡が凄みを放ってるね、的な?」

「僕の眼鏡はスパイ仕様か何かなのかな?」

 

 あと、結構いいツッコミをする。

 

「それより聞いてくれよミナ、なんか彩音がいいことあったんだってさ」

「え、そうなの? それは良かったね」

「なのに教えてくれないんだぞ? 薄情じゃないか?」

「うーん、人に話すのは恥ずかしいことってあるしね」

「それってやっぱり、恋愛系?」

「揃ってこっちを見ないで」

 

 輝は鬱陶しいからそのキラキラを納めてくれ。ミナも眼鏡を光らせてるんじゃない。

 

「えっ、水瀬くんが恋愛!?」

「あの『一年B組のモアイ像』こと水瀬が恋愛?」

「何それ、気になるんですけどー」

「ちょっと待てクラスメート一同、そのあだ名はなんだ」

 

 そんなに僕をモアイ像にしたいのか? 表情筋が神秘の石像レベルなのか? 

 

 あはは、と軽く笑うクラスメート達を恨めしげに見ていると、輝が自分の顔を指差した。

 

「ちなみに命名したの、俺な」

「ようし輝、そこを動くな。ちょっと教科書をテープでまとめて補強するから」

「鈍器にするつもりか!?」

 

 一発KOしてやるこのエセ王子め。

 

 いざバックの中身を取り出そうというその瞬間、ガラリと扉を開ける音がした。

 

 普通に開けるよりも大きいその音に、僕も他の教室内の面々もそちらを見る。

 

 

 

 

 そこにいたのは、一言で言うとイケメン。

 

 片膝を若干立て、扉に伸ばした右腕をかけながら、なぜか絵画のように体を横向きにしている。

 

 そして、閉じていた目を見開くと、無駄にいい横顔で一言。

 

「ふっ……私が登校した」

 

 甘いマスクから放たれたそのセリフに、僕達は──

 

「あ、残念な人が来た」

「残念イケメン代表が来た」

「よっ、千条! 今日も残念さが引き立ってるな!」

「酷くないかな!?」

 

 一瞬でイケメンはどこかへと消えた。

 

 全身でオーバーリアクションをするも、皆おかしそうに笑っている。

 

 その生暖かい反応にがっくりと肩も頭も落とし、彼は僕達のところへとやってきた。

 

「何故だ……何故いつもこのような反応をされるのだ。私は完璧だというのに」

「そういう残念なところだと思うよ」

「いじられキャラの宿命を背負ってるからじゃね?」

「あ、あはは……」

「君達までもっ!」

 

 オーマイガー! などと頭を振り上げる。相変わらず面白いやつだ。

 

 千条光(せんじょうみつる)。見ての通りの輝とは別ベクトルの残念イケメン。

 

 中性的に整った顔立ちと、身長の割にすらりとしたシルエットだけを見れば優良物件。

 

 その実、自信過剰と芸人のごときオーバーリアクションを兼ね備えたギャグキャラのような男だ。

 

 ナルシスト残念芸人イケメンとか、僕の友達の中でも群を抜いてキャラが濃い。

 

「まあ、元気出せって。お前は十分魅力的だ」

「ほ、本当かい輝?」

「ああ、僕もそう思う」

「そう、だね。クラスのみんな、千条くんのこと好いてると思うよ」

「ふっ! やはり私は完璧で素晴らしい──」

「「「ネタキャラとして」」」

「上げて落とすな貴様らァっ!」

 

 そういう煽りやすいとこが一番の原因だと思う。

 

 とまあ、学友達は普通な僕に比べて、なんとも個性派なわけだ。

 

「なあ、あの顔何考えてると思う?」

「自分は普通だな、とかじゃない? いつも通り」

「ふっ、自覚がないとは甚だ悲しいやつだな」

 

 普段からこの四人でつるんでいるけど、僕だけ没個性だよなぁ。

 

 なんて、そんなわりと失礼なことを学友達に思いながらもHR開始まで雑談する。

 

 

 

 

 

 

 

 さて。今日も一日頑張ろう。

 

 

 

 

 





次回はこの四人組から始まります。

読んでいただき、ありがとうございます。


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Fourth Unique

引き続き友人達との場面から。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 ちょっとやる気のある一時間目、若干だるい二時間目。

 

 

 

 億劫な三時間目、ついに腹が空き始める四時間目を乗り越えて、ようやく昼休み。

 

 

 

 僕達は昼休憩時にだけ解放されている屋上で、いつも飯を食べていた。

 

 

 

「ミナ、今日も自作か?」

「うん。自信作だよ」

「確かに美味そうだな」

「ふっ、中々素晴らしい出来ではないか。どうだ、私の貴重な食料をそれと交換して──」

「カ◯リーメイト飽きたからちょっとくれってよ」

「うん、いいよ」

「せめて最後まで言わせてくれないかなぁ!?」

 

 相変わらず騒がしいなこいつら。まあ嫌いじゃないけど。

 

 目の前でコントをやってる三人を見つつ、僕も弁当を広げて手を合わせる。

 

「ていうか、光はせめて購買のパンにしろよ。それじゃあ午後腹が減るんじゃない?」

「わかってないな彩音。そんなものを勝ち取りに行く気力が、今の私にあると思うかい?」

「さてはまた徹夜したな」

 

 そういや授業中爆睡してたし。またアニメーション動画の作成にでも励んでいたのだろう。

 

 それでいてテストの点数だけは死に物狂いで高く取るのが、残念なのに好かれる所以の一つだが。

 

「で、睡眠時間を捧げて作ったものの出来はどうなんだ?」

「当然、完璧な仕上がりさ。私の5万人のファンも見た途端、感激に打ち震えることだろう」

「ミナ、どう翻訳する?」

「ええと、疲れてるし眠いし、あと、ちょっと不安だからまだ見てなかった……?」

「正解!」

「勝手に翻訳にかけるな!」

 

 実際ナルシストのくせに変なとこでチキンだけどね、こいつ。

 

 

 

 

 だが、そこまで言われてやらいでかと思ったのか、茶色い栄養バーを咥えた光はスマホを取り出す。

 

 そして某有名動画配信サイトを立ち上げ、自分の投稿した作品の評価を見ている。

 

 三人で横から画面を覗き込んだ。

 

「ちょ、暑苦しいな君達」

「おお、すげえいいね押されてんじゃん」

「低評価もついてるけど、雲泥の差だね」

「よかったな光、パンを犠牲にしただけはあるじゃん」

「ふっ、流石は私といったところだな!」

 

 今回はデフォルメされた動物をコンセプトにしたショートアニメーションのようだ。

 

 スマホの中で動く、可愛らしくもコミカルなイッヌやネッコに輝達とほんわかする。

 

「コメント欄は?」

「いい出来だし、絶賛されてそうじゃない?」

「千条くん、見てみたら?」

「言われずとも」

 

 コメント欄が光の手で開かれる。

 

 

 

 

 予想通りと言うべきか、ほとんどの人が賞賛の言葉を書き込んでいた。

 

 時折心無いコメントも見えるが、光は平然とした顔でスルーする。

 

 いじられるのには反応するのに、こういうのは響かないらしい。芸人魂が発揮されるポイントがわからん。

 

「あ、この人」

「知ってるのかミナ?」

「うん。この前の千条くんの動画にもコメントくれてた人。ちょっと辛口だけど、千条くんのこと高評価してるんだ」

「その前の動画もさ。ふん、私のファンであれば素直に言えばいいものを」

「むにむにおんりー、ねぇ」

 

 どれだけ唯一さを主張したいのかというユーザーネームだ。

 

 あと文面がこう……あれだ、前にミナに聞いたツンデレってやつっぽい。

 

 でも、光の横顔はまんざらでもなさそうだった。

 

「あ」

「どうしたの新星くん」

「そういや忘れかけてたけど、昨日何かあったっぽいやつがもう一人いたわ」

 

 輝がこちらに目線を定めてくる。

 

 つられてミナと光も顔ごとこちらに振り向き、僕は三つの視線の集中砲火にあった。

 

「なんだ、そんなに見つめても僕のモアイ顔は変わらないぞ」

「「ぶふっ」」

「ははっ、それ根に持ってたのかよ」

「まあね」

 

 少しやり返せてスッキリ。

 

 みみっちい? 知ったことか。

 

「くっ、ふはっ」

「ふっ、ふひ、はははっ」

「めっちゃウケてるじゃん」

「で? 本当は?」

「……誤魔化せなかったか」

「当たり前だろ」

 

 んー、どうするかな。

 

 なんでもない風を装ってシラを切ってもいいけど、そうなるとしつこそうだ。

 

 いや朝言ってたようなことじゃないけど、異性との話題だからなんとなく話しにくい。

 

 

 

 

 輝はすぐに引くが、光がわりと引っ張る。それは普通に面倒くさい。

 

 仕方がない、サラッと軽く話そう。あくまで話題の一つって感じで。

 

「何日か前に、ショッピングモールでたまたま中学の同級生と再会してさ。また連絡先交換して、話すようになった。そんだけ」

「へえ、偶然だね」

「なるほどな。とすると、よほど親交のある相手だったのかい? 察するにこの学校の生徒ではないのか?」

「まあ、そんなとこ」

 

 へえ、と感心したミナと光。見た限りそこまで大袈裟に捉えてはいない。

 

 こんなもんかと思った矢先、輝が複雑なようななんとも言えない顔をしていることに気がつく。

 

「彩音」

「何?」

「その同級生ってもしかして、明石さんじゃないのか?」

「そうだけど?」

「ん? その明石とやらに何かあるのか?」

「まさか、悪い人とか……?」

 

 ミナの一言で光の顔が剣呑となる。

 

「彩音、どうなんだい? もしそういう相手で、私達に遠慮をしているようならばその必要はない。ちゃんと話せ」

「そうだよ。これでも僕達、仲良しでしょ?」

 

 真剣に怒ってる、というのを感じられて少し嬉しくなった。

 

 高校からの付き合いでまだ数ヶ月だが、それでもちゃんと「友達」と思える奴らだ。

 

 まあ、ぶっちゃけ今の状況だと気まずいだけだけど。

 

「心配しなくても、普通に仲良かったやつだよ。女子だし」

「えっ、女子?」

「ほう! じゃあ何か、朝の話はあながち間違いではなかったのか!」

「変わり身早いなお前ら」

 

 そしてキラキラを目に宿すな、好奇心をフルスロットルにするんじゃない。

 

 ぐいぐいと詰め寄ってくる二人を、輝が後ろから肩を掴んで引き戻してくれる。

 

「はいはい、そこまでだ二人とも。彩音が困ってるだろ?」

「む、それもそうか。すまない」

「ご、ごめんね水瀬くん」

「んや、まあ変に濁した僕も悪いし」

「けど、俺も気になるな」

 

 弁当箱の上に置いた箸を手に取りながらも、輝はこちらを真剣な目で見てくる。

 

 それはあの頃──僕が明石と疎遠になってしまった時にも似た目の色。

 

 中学時代から、明石以外に唯一僕の親友でいてくれている男の目だった。

 

「彩音、大丈夫なのか? ()()()()()ことにならないか?」

「……平気だ。今度は僕から関わることを望んだから」

 

 同じ轍を踏むつもりはない。

 

 今度はちゃんと、明石と向き合っていこうと思っている。

 

 そう意思を込めて見返すと、輝は「そっか」と呟いた。

 

「? これはどういうことだ?」

「さ、さあ?」

「どういうことでもいいよ。そら、カロ◯ーメイトもらい」

「ああっ、私の貴重な栄養源を!」

「千条くん、僕の卵焼き一つあげようか?」

 

 

 

 

 

 

 

 ……ま、のんびりやるさ。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

「んー、すっきりした」

 

 やっぱり一日頑張った後の風呂は気持ちが良い。

 

 部屋の入り口すぐにある機器でクーラーを付け、リクライニングチェアに体を投げた。

 

「ふぃー。さて、予習復習も終えたことだし。何か配信サイトで映画でも……」

 

 見ようか、とパソコンに繋いだワイヤレスマウスに手をかける。

 

 そこで、机の上に置いてあったスマホの画面が振動と共に点灯した。

 

「ん? メッセ?」

 

 輝達の誰かだろうか。

 

 手に取ると、そこに表示されたユーザーネームは「まほ」だった。

 

 なんだかデジャヴを感じながらも、ロックを解除してトークルームを開く。

 

 

 

 まほ:こんばんは水瀬。今大丈夫? 

 

 

 

 こんなとこまで昨日の僕と似てるし。

 

 

 

 水瀬彩音:平気。どうかした? 

 まほ:昨日は水瀬から連絡してくれたしさ、今日は私からしようと思って

 

 

 

 十秒ほど経って返ってきた返信に、思わず口元が緩む。

 

 神秘の石像だのなんだのと言われる僕の表情筋、案外簡単に動くじゃないか。

 

「普通にチョロいな、僕」

 

 自分で言うのもあれだけど、単純すぎるだろう。

 

 

 

 水瀬彩音:そっか。

 それで、何話す? 昨日の続きで、おすすめの曲レビュー? 

 まほ:いいね

 

 

 

 お、これは昨日みたいに長話になりそうな予感。

 

 前のめりになっていた体を背もたれに預け、僕は両手でスマホを持った。

 

 

 

 

 しばらくの間、部屋の中にタップ音が断続的に響く。

 

 一度連絡を取り合ってしまうと、昨日の妙な緊張感は嘘のように無くなっていた。

 

 ふと気がつくと、画面内の時計は一時間の経過を示していたのだ。

 

 

 

 まほ:そういえば今日、すごい子に会ったよ

 

 

 

 すごい子? 

 

 

 

 水瀬彩音:へえ、それってどんな風に? 

 

 

 

 既読マークがつき、その後しばしの沈黙。

 

 すごい子とやらについて、どう伝えようか迷ったのが十分わかる程の間を置いてから返信が来た。

 

 

 

 曰く、今日から陽葉にやってきた転校生。

 

 

 

 曰く、明石がかけていた曲を聴いて放送室に突撃してきた。

 

 

 

 曰く、弁当が猿に取られると言って走り去っていった。

 

 

 

 曰く、島のジャングルの中で研究者の親と一緒に長年生活していた。

 

 

 

 その他にもetcetc……スポンスポンスポンと音を立てて列挙される数々の情報。

 

 はて。その転校生とやらは未開の地の民族か何かだろうか。

 

「明石も大変だな……」

 

 労う旨のメッセージを送ると、やれやれと肩を竦める動物のスタンプが返ってきた。

 

 

 

 

 その後の話によると、どうやら話すうちにDJ活動のことを知ったらしい。

 

 ちょうど良いという事で、校内で有名なユニットのパフォーマンスを見せた結果大絶賛。

 

 現在、DJについて教えてくれとせがまれている状況なのだとか。

 

「なんだかんだで面倒見が良いの、あいつらしいな」

 

 

 

 

 まほ:なんか、教えてくれるならって貝殻もらった

 

 

 

「……どゆ事?」

 

 やっぱりジャングル住まいの民族の風習的なあれだろうか。日本人っぽいらしいけど。

 

 

 

 水瀬彩音:明石はどうしたいんだ? 

 まほ:うーん、迷ってるかな。いきなりパフォーマンスやりたいって言われても

 

 

 

 確か、中学の時に聞いた話だとパフォーマンスにも色々あるんだっけ。

 

 DJ一人で曲を流し、繋いで盛り上げていったり、ボーカルと組んだり、ダンスをやったり。

 

 話に聞いただけなので想像の範疇を出ないが、それでも豊富なバラエティだと思う。

 

「でも……」

 

 その話をした時、確か明石は。

 

 一緒に思い出したおぼろげな記憶に、僕は画面に指を走らせる。

 

 

 

 水瀬彩音:明石、いつかパフォーマンスをやりたいって昔言ってなかったっけ

 

 

 

 それを送り、既読がつくと、また先ほどのようにしばらく沈黙が訪れた。

 

 心なしか前回よりも長い時間の末、ぽこんと受信音とともにトークルームが更新される。

 

 

 

 まほ:したいよ、今も

 

 

 

 やはり。

 

 僕の知る限り、明石は熱心に、そして真剣にDJ活動について組んでいた。

 

 それは人生を通してその心を捧げるといっていいほどで、眩しいばかりの熱意。

 

 いつかうまくいきますようになんて、心の中で密かにかつての僕は祈った。

 

 

 

 水瀬彩音:もしその子が真剣にDJ活動に興味があるなら、明石はどうするんだ? 

 

 

 

 そんな明石が、今も変わってないことをこの前知った。

 

 だからなんてことない、第三者の平凡な考えだけど……これはチャンスのような気がした。

 

 

 

 まほ:どうだろう

 

 

 

 数分待って、返ってきたのは曖昧な返事。

 

 流石に突っ込みすぎたかと肝が冷えた時、立て続けに「でも」と書かれた。

 

 

 

 まほ:もし、あの子が本当にやりたいっていうのなら……教えるかもしれない

 

 

 

 どうやら、思っていたよりもその突撃女子は悪印象ではないらしい。

 

 明石が優しい部類の女子であるとしても、それでもちょっと心が動くほどらしい。

 

「……もしかしたら、その子は明石の「特別」になるのかもな」

 

 ふと、そんな独り言が口から漏れるのだった。

 

 

 

 まほ:とりあえず、しばらくは様子見かな

 水瀬彩音:初めてすぐ飽きましたって言われても困るしね

 まほ:そういうこと

 

 

 

 明石はあれで結構慎重さもあるし、そこらへんは大丈夫だろう。

 

 

 

 

 ……今更ながら、ちょっと僕馴れ馴れしすぎないか? 

 

 奇跡的にまた親交を持つことはできたけど、ちょっと連絡を取り合ったくらいで友達ヅラしてる。

 

 あの時のことを思い返すと、僕こそもっと慎重に、謙虚に接するべきでは? 

 

 それが、普通のことでは? 

 

「……輝が言ってたのはこういうことかな?」

 

 

 

 

 

 だとしたら、やっぱりあいつは凄いな。

 

 

 




読んでいただき、ありがとうございます。


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Fifth Unique


しばらく執筆に時間がかかりました。

楽しんでいただけると嬉しいです。


【挿絵表示】


彩音くん描いてみたり



 

 

 

 

「でさ! そのライブがもうすっごい良くて! こう、お腹の底まで響く感じでさ!」

「おう、めっちゃ楽しんだんだな」

「うん! くぅ〜、あの臨場感はたまらないよ!」

 

 まさに溜まらないというように、両手を握って笑う明石。

 

 僕ら以外に誰もいない教室の中で、その声はやけに大きく響いていく。

 

 

 

 

 今日も普通の一日だった。

 

 普通に登校して、勉強して、飯を食って、また勉強して。

 

 そして放課後、陽が傾くまで明石とこうして話す。誰の目も気にする事なく。

 

 それは二ヶ月前から新たに僕の普通に加わって、もう最近ではさん付けしなくても自然に呼べるくらいだ。

 

「熱が上がりすぎて酔うって人もいるみたいだけど」

「あはは、雰囲気に呑まれちゃう人もいるね。でも小まめな水分補給と休憩をすれば、そこらへんは問題ないよ」

「スポーツと同じってことか」

「似てはいるかな〜」

 

 何事もほどほどに、ってことか。

 

「水瀬はライブに興味はあったりするの?」

「ん、あるけど……チケットとか高いだろ?」

「あー、人気のDJユニットとかだと特にね〜」

 

 ウン千円、高ければ一万のチケット代は中学生の懐にはかなり痛い。

 

 ましてや親からお小遣いをもらってやりくりしている僕には、割と遠い世界である。

 

「明石はそのあたり、どうしてるんだ?」

「色々かなぁ。一週間ずっと家事当番をやって親からちょっともらったり、週末だけ短期でバイト、とかね」

「なるほど」

 

 ていうか明石、家事できるんだな。女子力あるってのは知ってたけど新発見だ。

 

 あとはバイトか……前からちょっと興味はあるんだよな。

 

「そういえば」

「ん? 何?」

「明石はそういうの、やりたいと思わないのか?」

 

 そう聞くと、明石は少し言葉に詰まった。

 

 ちょっと驚いたような顔で、予想外って風に目を見開いて。

 

 しまった、変な質問をしたのかと危惧した時──彼女は今日一番の笑顔になった。

 

「やりたいよ! 昔から、ずっと!」

「…………」

「それを目標に色々やってきたっていうかさ、それがあってこそっていうか……あれ? 水瀬?」

「っ、あ、ああ、ごめん。聞いてるよ」

 

 なんだろ、今の。

 

 

 

 胸の真ん中が、すごい跳ねた。

 

 

 

 明石の笑い顔に見惚れてた、なんていうのは普通に恥ずかしくて、だから俺はそんな風に言葉を繋いだ。

 

「それで……って、やばっ。今日家事当番だったっ」

「もう帰るのか?」

「うん! それじゃ水瀬、また明日ね!」

「おう、また明日」

 

 鞄片手に教室から駆け出してく明石を見送る。

 

「さってと。僕も帰ろうかな」

 

 明石が行ってしまった以上、ここにいる意味もないのだし。

 

 

 

 

 あまり重くな通学鞄を肩に引っ掛け、椅子を戻して教室を後に。

 

 ずらりと並ぶ窓からは、オレンジの光がこれでもかと廊下に溢れ込んでいた。

 

 そのジリジリとした暑さにちょっと辟易しながら、下階への階段に向け歩き出す。

 

「あっちー……」

 

 こりゃ、帰ったらまずシャワー浴びなきゃかな。

 

 自然と丸まっていく背筋。

 

 それを強制的に正したのは、後ろからのタックルじみた衝撃だった。

 

「っとと」

「すまんっ、ぶつかっちまった!」

 

 ぶつかってきたやつが、律儀に立ち止まって振り返る。

 

 中学性らしからぬイケメンだった。僕より頭半分は背が高いし。

 

「おー、気にしないで」

「ありがとうっ!」

 

 早口に礼を言って、片手にクシャクシャのプリントを携えたそいつは走っていった。

 

 何か急いでいたのだろう。察するに提出物でも出し忘れたのだろうか? 

 

「ん?」

 

 ふと視線を床に落とすと、そこにはさっきまでなかったものがあった。

 

 

 

 

 拾い上げると、それはこの中学の生徒が持ち歩く学生手帳。

 

 失礼だがちょっと中身を拝見すると、顔写真入りの学生証が。

 

 それはさっきのイケメン君のものだった。

 

「んー、どうしよ」

 

 拾ってしまった以上、ほっとくのも後味が悪い。

 

 とりあえず職員室に持って行こう。走っていった方向的にも鉢合わせするかも。

 

 そんな風に考えた僕は、学生手帳をポケットにねじ込んでまた歩き出した。

 

 

 

 

 

 この学校の職員室は、一階の端っこに位置している。

 

 玄関を挟んで左側の教室の列にあるのだが、階段は右側ときた。

 

 そのまま帰りたい衝動を抑えながら下駄箱を通過して、僕は廊下の最奥まで辿り着く。

 

「失礼しました」

 

 いざ職員室の扉をノックしようとした時、向こう側から開かれた。

 

 当然出てきた人物と鉢合わせして、僕に気がついて見下ろしてきたそいつはきょとんとする。

 

 タイミングがいいと言うべきか、件のイケメンだった。

 

「お前さっきの……あ、すまん。職員室に用があるんだよな」 

「あーいや、いい。どっちかっていうと君に用があった」

「俺に?」

「はいこれ。落としてたよ」

 

 学生手帳を胸のあたりに掲げて示すと、そいつは驚いた表情で尻のポケットに手を当てた。

 

「あー、さっきので落ちたのか……わざわざ届けてくれてありがとな」

「いいって。ぶつかった仲だろ」

 

 そう言うと、イケメンはまたきょとんとする。

 

 一拍の後、小さく吹き出した。

 

「ぶつかった仲って、ふはっ。そんなの初めて聞いたぞ」

「普通に他の言い方が思いつかなかったんだよ。ほら」

「おう。お前、いいやつだな」

「こんなの普通でしょ」

 

 胸に押し付けるように手帳を渡せば、イケメンは笑いながら受け取った。

 

 

 

 

 じゃ、と踵を返そうとすると、そいつは空いた手で僕の肩を掴む。

 

 はて何かまだ用かと整った顔を見上げれば、イケメンは親しげに笑う。

 

「なんかお礼させてくれ」

「いいって、拾っただけだし」

「これさ、帰りの分の切符も入れてたんだ。それがなかったらまた買い直す羽目になってたから。な?」

「……まあ、そういうことなら」

 

 たかが手帳で、という認識に切符という要素が付け加えられて、僕の遠慮も緩む。

 

 これ幸いと、職員室から完全に出てきたイケメンは爽やかな笑顔で手を差し出してきた。

 

「俺、新星輝(にいぼしあきら)。よろしく」

水瀬彩音(みなせあやね)。んじゃ、近くのコンビニでアイス一本で」

「お安い御用さ」

 

 握手を交わした僕達は、そうして歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 結局、あれから明石は転校生にDJ活動のレクチャーをすることにしたらしい。

 

 

 

 連日の押せ押せ姿勢に根負けしたと聞いた時は、らしいなとまた思ったものだ。

 

 で、今はパフォーマンスをやるために、リミコン? とかいうものに応募したとか。

 

 かなり乗り気のようだし、ぜひとも成功してほしい。

 

「おーい、そっちボールいったぞ!」

「ん」

 

 と、余所事を考えるのはこの辺りにしといて。

 

 響く声に視線を巡らせ、すぐそばに来たバスケットボールを捉える。

 

 こちらに必死な顔で突進してくる相手チームの男子どもから、掠め取るようにキャッチ。

 

「おい、水瀬にボール渡ったぞ!」

「ブロックしろブロック!」

「ふっ」

 

 複数人で囲ってくる彼らが陣形を完成させる前に、間を潜るように突破。

 

 そのまま沈み込むような姿勢で前へと進み、すると前方に新たな男子が現れる。

 

「今日こそっ」

「よ、っと」

「ウェっ!?」

 

 前へと押し出すようにボールをドリブル。

 

 親切に大股を開けてくれてた、そいつの足の間を通り抜けたボールを捕捉。

 

 再びゴム質の感触が手に戻った時、そこには僕以上にブロックされてる輝が待ち構えていた。

 

「彩音っ!」

「はい、よっ!」

 

 一球入魂、ってわけでもなく普通にボールをパス。

 

 

 

 ボールの放物線は少々高め。

 

 

 

 しかし、一瞬屈んだ輝は長く強靭な両足のバネを使って跳躍し、見事に受け取った。

 

 そのまま着地と同時に、ジャンプの際に崩れた包囲網を抜け出す。

 

 そして一瞬で相手チームの少ないポイントに移動すると──

 

「よっ!」

 

 スリーポイントシュート。

 

 まるでカマキリのように曲げた両手から放たれたボールは、美しい軌跡を描いて飛んでいき。

 

 そのまま、何にも邪魔されることなくすっぽりとゴールの輪っかをくぐり抜けた。

 

 

 

 

 わっと歓声が上がる。

 

 広大な体育館のもう半分、そこでバスケをしている女子のうち休憩中の半分の声だった。

 

 コートの中にも、半分は歓声、半分は諦めと残念さの入り混じったため息が充満した。

 

 その中心で、いつものように一躍スターになった輝は汗をぬぐい、爽やかに笑っている。

 

 勿論、パスしただけの僕は普通に突っ立ってるだけだ。

 

「やっぱ新星反則だわ……」

「人間性能やべえって」

「今日は新星が同じチームでよかったー」

 

 そんなクラスメイトのぼやきを聞きつつ、息を整えて輝に歩み寄る。

 

 あいつはすぐに気がついて、ちょっと小走りにやってくると肩を組んできた。

 

「今日もナイスパスだよ、相棒」

「まあ、輝に渡せば勝ち確だからね」

「いやいや、ここまで完璧なタイミングでくれるのは彩音だけだって」

「そりゃどうも」

 

 ピピッ、と交代のホイッスルを聞きながら、輝とコートから出る。

 

 入れ替わりに、光とミナがコートに出た。

 

「二人ともお疲れ様」

「ふっ、では私達も活躍してこよう」

「おー、頑張れ」

「コケるなよミッチ」

 

 二人して壁に背中を預けて腰を下ろし、また額の汗を拭った。

 

 特に僕は、若干息が上がり気味だ。

 

「あー……」

「ははっ、変な声」

「僕の体力は普通だからね。急に激しく動くとこの程度だよ」

「そうか?」

 

 自他共に認める平凡スペックだ、バスケでも他のスポーツでも並の活躍しかできない。

 

 なので、輝と同じチームに入った時は徹底的にこいつをサポートするようにしてる。

 

「むしろ、輝はなんでそんなに動けるのさ」

「ピアニストつっても、ずっと座りっぱなしで練習してたら体が悪くなるからな。自主的に健康維持してるんだよ」

「イケメンかよ」

 

 見てくれがいいだけじゃないのがモテる秘訣ってことか。

 

 なんてことを考えていると、輝が不意に悪戯げに笑う。

 

「さっき別のこと考えてたろ。ぼーっとしてたぞ?」

「ん、まあね」

「さてはまた明石さんのことか?」

「輝、ひょっとしてエスパー能力も持ってるのか?」

 

 まさか、と輝は否定する。

 

「だってお前、最近誰かとのトーク履歴見て笑ってたり、いきなり新しい曲聴いてたりするだろ? んで、中学の時に似たような顔を誰かさんと話してる時にしてたなってさ」

「将来はピアニストになれなかったら、刑事をお勧めするよ」

 

 さながらミステリー映画の探偵のような観察眼だ。月高の王子は伊達じゃない。

 

 ここまでズバリ言い当てられると……いや、僕と明石の関係性を知ってるからこそ、すぐにわかったって考える方が普通かな。

 

「順調に関係は修復されてるみたいだな」

「……んー、そうだといいけど」

「なんだ、何か心配事でもあるのか? 話聞くぞ?」

「ありがと。でも平気だよ」

 

 特に明石と何かあったわけじゃないし。

 

 

 

 

 むしろ、一番関係が良好だった頃に近いくらい、頻繁に連絡を取り合ってる。

 

 確かにあの時のことは互いに意識して話さないけれど、それは必要がないからで。

 

 変に気にかけるよりは、また改めて関係を構築した方がよっぽどいい。

 

「ただ、さ」

「ん?」

 

 そう、その方がいいのはわかってるけど。

 

「どーしても気にしちゃうんだよね。本当はどう思ってるのか、さ」

「あー……まあ、相手の心が読めるわけじゃないしなぁ」

「明石は陽葉だからさ、余計にわかんなくて……ちょっと気になるっていうか」

 

 同じ学校に通っているならば、少なからずそういう情報は手に入る。

 

 誰が誰をどう言っていたとか、どう思ってるとか、割と学校の一学年ってのは狭い世界だ。

 

 

 

 実際……それで拗れたわけだしね。

 

 

 

 でも別の学校となると、そういう情報は極端に手に入らなくなる。

 

 本人との接触だけが、唯一その方法になるわけだ。

 

「彩音の方はどうなんだ? 明石さんに悪い意味で思うこととか、ないのか?」

「まさか、何にも。むしろこうして話してくれてることに感謝感激してるくらいだよ」

「だよな。じゃなきゃ髪を()()()()()()()()()()()()なんてことしないし」

「うっせ」

 

 わしゃわしゃと前髪をかき乱してくる輝の手を軽く払った。

 

 汗で濡れた前髪は、いつもよりゆっくりと落ちてくる。

 

 視界に写り込むのは、入学前に散髪も兼ねてメッシュにした金色の髪。

 

 当時、明石の顔が思い浮かんだのは……否定しきれないけども。

 

「ま、しばらくは彩音のしたいようにやってみなよ。今度こそ明石さんと、しっかり仲良くなりたいんだろ?」 

「そうだな。考えても仕方ないか」

「そういうことだ」

 

 笑いながら、軽く背中を叩く輝の手。

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくは、気長にやるか。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ──なんてことを、考えていたような気がするのだけど。

 

「………………どうしよ、これ」

 

 机の上で鳴り響く、軽快なコール音。

 

 僕はその発生源に目を向けて、なんとも戸惑った表情を形作る。

 

 

 

 

 いつも通りの日だった。

 

 帰ってきて晩飯を食べて、授業の予習と復習を済ませ、風呂に入った。

 

 そんで、動画配信サイトのお気に入りリストを消化しようとした時だ。

 

 明石から、電話がかかってきたのは。

 

「え、マジでどうしようこれ。出ていいの?」

 

 いずれ通話もしてみようと思ってはいた。

 

 普通に会話の流れでっていうのをイメージしてて、まさかこんなに突然タイミングが来るとは。

 

 流石にちょっとテンパる。

 

 けどこのままシカトするのも悪いし、僕は恐る恐るスマホを手に取った。

 

「……よし」

 

 決意を固め、いざコールボタンをオン。そして端末を耳へと当てる。

 

「もしもし、明石──」

 

 

 

『やったよ水瀬、大成功だったよっ!!』

 

 

 

 鼓膜が吹っ飛んだ。

 

 そう錯覚するような大声で耳を貫かれ、キーンと頭蓋骨の中に高い音が響く。 

 

 ぐらぐらと揺れる平衡感覚に、思わずその場でうずくまってしまった。

 

「うぐぉお……」

『あれ? 水瀬? 聞こえてる?』

「ちょ、ちょっと待って……マジで、あと10秒タンマ」

『あ、うん』

 

 5、4、3…………ふう、よし。

 

「あーびっくりした。いきなり大音声だな、明石」

『わわっ、ごめんっ! 耳痛かったよね!?』

「いや、別にいいよ。それで何が大成功だって?」

 

 そうだった、と明石は呟く。

 

 そして堪えきれないという雰囲気を、電話の向こうで醸し出しながら、次の言葉を告げてきた。

 

『パフォーマンス、成功したんだ! それもお客さんがいっぱい入って、大盛況でね!』

「おおっ、それはよかったな」

 

 普段は平坦だと自覚してる声音が、かなり弾むことがわかった。

 

 それは、旧友がずっと追いかけてきた夢の第一歩を踏み出すことに成功したことへの喜び。

 

 そしてあの日の、溌剌な笑顔を思い出したが故のものだ。

 

『うんっ! これもりんくと水瀬のおかげだよ!』

「りんく? ああ、例の転入生ね。でも僕のおかげって?」

『何とぼけてるのさ。水瀬が背中を押してくれたのも、私がりんくと一緒にパフォーマンスをやろうって思ったきっかけの一つだったんだよ?』

「……え、あ、そう」

 

 あ、えっと、なんだこれ。

 

 胸がポカポカするっていうか、顔が自分じゃどうしようもないほどニヤけるっていうか。

 

 

 

 

 何故だろう。

 

 明石のしたいことに関われたことが、他のどんなことより嬉しい。

 

 そんな風に、心の底から思えた。

 

『改めてありがとね、水瀬。おかげでこんなに楽しい気持ちになれた』

「……大したことじゃないって。それより、りんくさん? とは、今後もパフォーマンスやるのか?」

『そのつもり。今度打ち上げやる時に、2回目のパフォーマンスの相談もするつもりなんだ』

「そりゃ順調だ」

『あはは…………あ』

「? どうかしたの?」

『いやー、えっとさ……今更ながら、連絡先交換し直してから初めて電話したなって』

 

 …………本当に今更だよ。

 

「本当はそのうち、僕からかけようと思ってたんだけどね」

『いやいや、最初に連絡取ってくれたのは水瀬だったし。いい機会、だったんじゃないかな』

「そう? んじゃ、そう思っとく」

『うん……その、迷惑じゃなかった?』

「何が?」

『ほら、時間とか……気持ち的にとか』

 

 ……明石は何を言ってるんだろうか? 

 

 もごもごと聞こえてくる呟きのようなセリフに、僕は首をかしげる。

 

 

 

「僕が明石と話して迷惑だなんて、嬉しいと思いこそすれ、絶対ありえないよ」

 

 

 

 まったく何を気にしてるんだか。

 

 なんなら輝に突っ込まれるくらい、明石との連絡を楽しみにしてるのに。

 

 あ、これちょっとキモいだろうか。たった一ヶ月少し連絡取り合ったくらいで馴れ馴れしい? 

 

『………………』

「あれ? 明石?」

 

 急に黙り込んで、どうしt

 

 

 

 

 

『ば、馬鹿っ! 水瀬のばかぁ──っ!』

 

 

 

 

 

 おうふっ!? さっきよりデカいっ!? 

 

「おぐぅう…………」

『おやすみっ!!』

 

 またしてもうずくまってるうちに、通話は切られていた。

 

 さっきよりも酷い頭痛にゴロゴロと悶えてると、部屋のドアが開いて兄貴が顔を出す。

 

「おい、なんかすごい大声がしたけど平気か?」

「だ、だいじょぶ……」

「……お前、なんでうずくまってるんだ?」

「気にしないで……」

 

 

 

 なんで僕、怒られたのだろうか……全然わかんない。

 

 

 





読んでいただき、ありがとうございます。


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Sixth Unique

お久しぶりにこちらも更新。

アニメ見ながら書いたので時間かかりましたとさ。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 趣味ってのは、種類によってはお金がかかる。

 

 

 

 例えばスポーツの類なら、専用の道具や衣服などに多額のお金がかかる。

 

 ゲームの類でも購入にお金がかかるし、追加コンテンツなんてものにもお金がかかるだろう。

 

 それらと同様、僕もそれなりに金のかかる趣味がある。

 

 

 

 

 アルバムはそれなりの値段がするし、動画配信サイトの月額払いもあれば、輝達と遊びにもいく。

 

 すると必然的に稼ぐ必要があるわけだが、学生なら主に親からのお小遣いか、バイトをするかだろう。

 

 そして僕は、後者の人間である。

 

「はよーございまーす」

 

 ヘッドホンを外しながら、その店の扉を開ける。

 

 ドアに取り付けられたベルがからんと小気味良い音を立て、カウンターの中にいた人物が振り向いた。

 

「おや彩音くん、おはよう。今日も元気そうだね」

「うす。柳人(りゅうじん)さんも普段通りっぽいっすね」

「はは、おかげさまでね」

 

 柔和な笑みを浮かべる、温和そうな雰囲気の男性。

 

 小舟(こふね) 柳人(りゅうじん)。この喫茶店「バイナル」のマスターであり、僕の雇用主。

 

 最初に面接に来た時から変わらない、人好きのする雰囲気に、年上にも関わらず僕も自然と会話できる。

 

愛莉(あいり)さんは?」

「今は休憩中だよ。更衣室は空いてるから、着替えてきてね」

「わかりました」

 

 カウンターの中に入ると、奥の扉から更衣室に向かう。

 

 

 

 個人営業であるこの店の更衣室は、それなりの私物に溢れている。

 

 店長のコレクションであるレコード盤のアルバムの一部や、貴重らしいコーヒー豆入りの瓶。

 

 はたまた、僕の他にもう一人いる従業員(彼女は正式に雇用されてる人)の私物だったり。

 

 そんな温かみのある部屋の一角、映画グッズのマグネット式シールがいくつか貼られたロッカーが僕のものだ。

 

「うぇ、さむっ」

 

 服を脱いだ途端、肌を撫でる部屋の温度に体を震わせる。

 

 そろそろ六月末になろうかという時期だけど、まだ服が鬱陶しくなるほど暑いわけでもない。

 

 

 

 

 手早くマスターとよく似た格好に着替えると、ロッカーに入れてあるワックスで髪型を整える。

 

 長い前髪を上げ、ワックスと一緒に荷物をロッカーに押し込んで更衣室を出た。

 

 カウンターに出ると、店内に流れるレトロな旋律がするりと耳に入り込んできた。

 

「来たね。出勤のチェックは済ませたかい?」

「はい。それで、今どうなってます?」

「一番テーブルと四番テーブルからご注文がきてるよ。早速だが手を洗ってから調理をしてくれ」

「了解です」

 

 情報をもらって早々、意識を仕事に切り替えて動き出す。

 

 よく手を清潔にすると袖をまくり、注文票を確認するとフライパンを手に取った。

 

「オムライス二つと……こっちはハンバーグセットね。よし」

 

 卵料理は店のメニューでも得意な方だ。頑張ろうじゃないか。

 

 気合一発、普段よりもやる気を十分に卵を割った。

 

 

 

 自慢じゃないけど、僕はバイト先のメニューにある料理ならそれなりの腕前だと思う。

 

 他人に出すものなのだから一定以上の出来じゃないといけないのだけど、結構頑張った。

 

 バイナルで働き出してから一年と数ヶ月、今では普通に調理を任せてもらえるようにもなっている。

 

「…………」

 

 慎重に目を凝らし、フライパンの上にかき混ぜた卵を広げていく。

 

 肉が焼けるのとは違う音。それをよく聞きつつ、焦げないように注意しながら手首を動かす。

 

 全体の厚みを均一に。かつフライパンに面している側が固まらないように。

 

 程よく全体が固形化してきたところで、火の上からフライパンを退けた。

 

 あらかじめ皿の上にセットしておいたライスの上に、布団を被せるように乗せる。

 

 破れたり、穴が開いたりしないよう細心の注意を払って、端までゆっくり被せた。

 

 安堵しつつも手を動かし、ケチャップをかけて野菜を盛りつければ完成。

 

 同じ工程をもう一度繰り返す。

 

「よし。次はこっちだ」

「あ、タネは作っておいたよ。いつもの所」

「ありがとうございます」

 

 冷蔵庫からいくつかストックしているタネを取り出し、そちらも調理する。

 

 フライパンの上で音を立てながら肉汁を寝させる肉塊は、人気メニューだけあって非常に美味しそうだ。

 

 

 

 

 数分ほどでハンバーグも完成。

 

 オムライスが冷める前に素早くハンバーグセットを作り上げ、トレイに乗せる。

 

「一番と四番上がりました。あとコーヒーお願いします」

「はい。よし、これで完成。大丈夫だからそのまま持って行ってくれ」

「うす」

 

 チェックを済ませてもらうと、それぞれの料理を注文主の元へと運んだ。

 

「それでさー」

「えーホントぉ?」

「お待たせしました。オムライスがお二つでございます」

 

 なにやら話し込んでいる女性客二人へ、大きすぎず小さすぎずの声を意識し声を掛ける。

 

 ほぼ同時に反応した二人は、僕のことを見上げて何故か少しぽかんとした。

 

「お料理、失礼します」

「あ、はい」

「ありがとう、ございます」

「ごゆっくりどうぞ」

 

 なにやらポケーッとしているお客に軽く頭を下げ、もう一つのテーブルにも料理を運ぶ。

 

 それが終わると店内を見渡し、片付ける場所や会計待ちのお客がいないか確認してからカウンターに戻った。

 

「ふぅ。今日は比較的空いてるな」

「お疲れ様。入ってすぐに調理だったけど、相変わらず手際がいいね」

「マスターや愛莉さんほどじゃないっすよ」

 

 まだ美味しいコーヒーは作れないしね。

 

 まだまだ勉強中です、なんて話しつつ、ふと出入り口のドアの向こうを見る。

 

「雨、強いねえ」

「っすね」

 

 帰り際に降ってきたけど、この調子だとまだまだ止まなそうだ。

 

 天気予報もバカにならない。今日は少し厚手のパーカーにして正解だった。

 

「帰りは平気なのかい? 傘は持ってなかったけど」

「折り畳み傘持ってきてるんで」

「あら。流石に用意がいいわね」

 

 む、この声は。

 

 振り返ると、そこには暗めの赤色に髪を染めた美人さんが。

 

 

 

 

 天野(あまの) 愛莉(あいり)さん。気さくで頼りがいのある素敵な先輩。

 

 マスターと同じくらいに色々と教えてくれたその人は、僕に向かってにこりと笑う。

 

「こんにちは彩音くん。今日も絶好調みたいね」

「まだ三品作っただけですよ」

 

 こっから学校や会社帰りの客が増えてきて、緩やかに忙しくなっていくのだ。

 

 まあ、今日に限っては雨だから客入りも少ないだろうけど。

 

 そんなことを考えていた矢先、新たに来店を告げるベルの音に三人で振り返る。

 

「お、学生さんのようだね」

「私が厨房を見ておくから、彩音くんお願い」

「うっす」

 

 念の為タオルを持ちつつ、カウンターを出る。

 

 その小柄な客に近付くと、陽葉の制服を着ていることがわかった。

 

 ああ、あの子か。

 

 小さく喉を鳴らして声を整え、僕はツインテールで吊り目なその客に話しかける。

 

「いらっしゃいませ、お客様。お洋服がお濡れでしたら、こちらのタオルをどうぞ」

 

 傘立てに傘を置いていたその子は、少し驚いたのか肩を跳ねさせる。

 

 それからちょっと警戒心強めの目で見てきて、僕の顔を見ると寄った眉根を緩めた。

 

「平気よ。ありがと」

「そうですか。では、お好きなテーブルへどうぞ。後ほどお飲み物をお持ちします」

 

 小さく頷き、彼女は逃げるようにして近くの席へ行ってしまう。

 

 タオルをたたみ直しつつ、マスター達のところへ戻った。

 

「タオル要らなかったみたいっす」

「あらそう。……最近来る子ね、彼女」

「ですね。あっちも僕の顔少し見慣れたみたいっす」

 

 最初の頃より警戒されてないっぽい。まあ、別に親しいわけでもないけれども。

 

 ただ、明石と同じ学校という点で少し気にかかる彼女に、僕はいつものように手拭いと水を運んだ。

 

 

 

 

 それから一時間ほど、まばらに出ては入る客の為に黙々と料理を作る。

 

 時にはミックス系のジュースを作ったり、僕でも出来る簡単なコーヒーを淹れてみたり。

 

 マスターの選んだレコードが静かに流れ、それが良い具合に集中できて耳に心地良い。

 

「結構上手くなってきたんじゃない、コーヒー淹れるの?」

「そうですかね? マスターとかに比べるとまだまだな気がするんですけど」

「ふふ、若者にはまだまだ負けないよ」

 

 得意げな顔をするマスターに、愛莉さんと二人でくすりと笑う。

 

 そんな時、また来店の音がした。今日は丁度良いくらいのペースで客が来るな。

 

 

 

「あちゃー、急に降ってきたね」

「本当だねー」

 

 

 

 ……ん? あれ? 

 

「あの子達少し濡れてるみたい。ちょっと行ってくるわ」

「あ、はい」

 

 タオルを手に去る愛莉さんに、感じた疑問を飲み込みつつコーヒーを淹れる。

 

 ただ、意識の一部は今しがたやってきた客へと向けられていた。

 

「いらっしゃい。大変だったわね、タオル使う?」

「あ、いえ、大丈夫です」

「滑り込みセーフでしたから!」

「ふふ、そう」

 

 どうやら今度の客は二人組らしい。

 

 入り口から距離があるけど、そのうちの一人の声にとても聞き覚えがあるような気がした。

 

 さっきよりも意識の傾きが大きくなりつつも、手元が狂わないよう目だけは離さない。

 

「じゃ、お好きな席にどうぞ」

「わあ……いい雰囲気のお店だね!」

「うん。これまで前を通っただけで入らなかったんだけどね」

 

 よし、淹れられた。これはちょっといい出来かもしれない。

 

 マスターに確かめてもらい、オーケーをもらうとソーサーに乗せ、スプーンを付けて運ぶ。

 

「お待たせしました、ブレンドコーヒーです」

「ありがとう」

 

 スーツ姿の中年男性に軽く会釈し、また戻る。

 

 その道すがら、なんとなしに先程の二人組が座った入り口近くの席を見て──

 

 

 

 明るい髪色の女の子と一緒にいる明石を見つけたぁっ!? 

 

 

 

「っだ!?」

 

 い、いってぇ……! よそ見してたら机の角に太ももぶつかった……! 

 

 割と大きな音が立って、けれど太ももを抉るように突き刺さった痛みに僕はその場で悶える。

 

 周囲から目線が集まってくるのが分かった。

 

 これはまずいとぶつけた部分を緩く握った拳で叩き、背筋を正すと無理矢理笑う。

 

「し、失礼しました〜」

 

 愛想笑いをしつつ、僕はまたその席を見てみる。

 

 明石とガッツリ目があった。めっちゃ驚いた顔で僕のことを凝視してた。

 

 いやはっず。よりによって今の見られてたとか、はっっっず!! 

 

 

 

 

 やべえ、軽く死にたい気分になった。

 

 とはいえ見られてしまった以上、もう仕方がないので足早に近づいていく。

 

 何故か隣の席で頭を隠してるツインテールの横を通り過ぎ、明石達の前に立った。

 

「……よっす」

「み、水瀬!? ここでバイトしてるの!?」

「まあな」

 

 妙なむず痒さが背中を這い回る。

 

 知り合いにバイト中の姿を見られるって、なんだか恥ずかしい。

 

「そっかー。そういえば前に喫茶店で働こうか迷ってる、みたいな話してたよね」

「喫茶店ってのは、店内用のBGMに良い音楽が揃ってるからね。ここのマスターはセンス良くてさ」

「なるほどね。水瀬らしいや。結構印象違うね?」

「まあ、流石にバイト中はね」

 

 接客業である以上はモアイ像じゃいられない。営業用の態度も身につくというものだ。

 

 なにそれ、柔らかく笑う明石。実際に顔を合わせたのは久しぶりだけど、相変わらず良い笑顔だ。

 

「真秀ちゃん、真秀ちゃん」

「ん?」

 

 そこでもう一人の方が声を上げる。

 

 そちらを見ると、明石に負けず劣らずのどえらい美少女がいた。

 

 鮮やかな金髪に赤い瞳、透き通るような白い肌。二次元的な可愛さだ。

 

 そんな彼女は、親しげに話す僕と明石を交互に見て首を傾げる。

 

「この人、誰? 真秀ちゃんのお友達?」

「うん、そう。中学の時のクラスメイトでね、水瀬っていうの。あ、水瀬、こっちは愛本りんく。ほら、前に話したDJの……」

「ああ、押しの強い転校生」

「えーっ、そんな紹介してたの?」

「ごめんごめん、あの時はりんくの勢いに気圧されてたからさ」

「もー……でもそうだよね、まずは自己紹介から!」

 

 椅子の上でこちらに体ごと向き直り、その子は溌剌とした表情でこちらを見上げる。

 

「愛本りんくです! 真秀ちゃんと一緒にDJをやり始めました! よろしくね、水瀬くん!」

「僕は水瀬彩音。美月高校に通ってて、ここの従業員。マスターのコーヒーはかなり美味しいから、今後ともよろしく」

「うん! あっ、じゃあじゃあ早速注文いいですか!」

「喜んで」

 

 明るい子だな。いかにも元気一直線って感じで、面倒見の良い明石は放っておけなさそう。

 

 そんなことを考えながら二人から飲み物の注文を取り、僕は今度こそカウンターに戻る。

 

「ミックスジュースとオレンジジュース一つずつです」

「了解。あの子達と知り合いだったのかい?」

「随分親しげだったわね」

「ていうか、片っぽですね。ほらあの、後ろ髪メッシュの子」

 

 明石を目線で示せば、ほうほうと頷く柳人さんと愛莉さん。

 

 それから二人は、何故かニヤリと僕に向けて笑ってきた。

 

「なるほどねー。前に話してた、中学時代仲良かった子っていうのはあの子か」

「え……あー、そういや昔言いましたっけ」

「ああ、中々可愛らしい子じゃないか」

「まあ、そうっすね」

 

 なんなら学年一可愛かったまである、なんてことは心の中でだけ言っておく。

 

 

 

 

 

 しかし、僕の内心を見透かしたように微笑ましく笑う二人に、なんともむず痒くなった。

 

 

 

 

 




読んでいただき、ありがとうございます。

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Seventh Unique



超絶久しぶりに更新です。

他の作品が落ち着いたので、夏期休暇中にこちらも進めます。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 

 

 ありふれた一日が、ふとしたきっかけで色鮮やかなものになる。

 

 

 

 

 

 恋愛映画とかでよく見る、ありきたりな展開。

 

 僕も何度か、そういう経験がある。

 

 例えば輝と出会った時とか、初めて明石と話した時とか。

 

 けれど、もしかしたら──今日が一番そういう日かもしれない。

 

「パスタセット、上がりました」

「オッケー……ふふっ」

「? 愛莉さん、どうしました?」

「ううん。今日、調子良さげだなって」

 

 ニコニコと微笑む愛莉さんに、はてと首を傾げる。

 

 確かに、普段より早く料理は仕上がっているような気がするけれども。

 

「あの子がいるからかな?」

「……もしかして明石のこと言ってます?」

「へえ〜、明石ちゃんって言うんだー。そっかぁ」

 

 ふふふ、と楽しげに笑いながら、彼女は料理が乗ったトレイを手に離れていった。

 

 妙に上機嫌だな。そんなに今の僕はいつもと違うのか? 

 

「…………」

 

 調理器具を片付けながら、ふと視線を投げる。

 

 

 

 

 

 

 窓際の席に、明石が座っている。

 

 愛本さんと名乗った友達とはどうやら相性がいいようで、語らう姿は楽しげだ。

 

 それが、なんだか中学時代の彼女と重なる気がして。

 

「……確かに、ちょっと違うかも」

 

 普段から雰囲気の良い店内が、より一層華やかになったような気がした。

 

 とはいえ、今はバイト中。火なども使うのだから、気を引き締めておかなくては。

 

 

 

 

 

「ぜんっぜんっ! いい感じじゃなぁぁあああいっ!!」

 

 

 

 

 

 そう思った矢先のこと、店内中に響き渡る絶叫に心臓が飛び跳ねた。

 

 同時に、シンクの中で洗っていたフライパンの持ち手がズルリと手中から抜ける。

 

 裏側を洗っていたもう一方の手に直撃し、僕はまたしても悶絶した。

 

「〜〜〜っ!」

 

 いっっったい!? スポンジ挟んでなかったらヤバかったぞこれ!? 

 

 幸いにも、僕の手が犠牲になったことで騒音は極小のものだったけど……! 

 

「い、いったい、誰だ……?」

 

 僕の手を恐怖のサンドイッチにしてくれた元凶を探す。

 

 妙に聞き覚えのある声だったような気がしたが、果たして犯人は……

 

 

 

 

 

 しばらく見渡し、やがて店内のお客さん達の視線を集める方向があることに気付く。

 

 そちらに視線を向ければ……明石達と、そのすぐ隣にいたツインテール娘だった。

 

 ああ、さっきのはツインテール娘の声か。けど、いい感じってなんだ……? 

 

「もしかして、むにちゃん……?」

「っ……!」

 

 僕の疑問に答えるように、愛本さんが恐る恐るといった様子で話しかけた。

 

 背を向けたまま、肩を小さく跳ねさせたツインテール娘。

 

「むにちゃんだよね……?」

 

 立ち上がった愛本さんに覗き込まれて、やや緩慢な動きで振り向く。

 

 やってしまったという言葉が直筆された表情は、完全に犯人だと確信させる。

 

 またそれは、愛本さんにも何かしらの確信を与えるもののようだった。

 

「やっぱり! むにちゃんだ〜!」

「わわっ」

「久しぶり〜! 感動の再会だよ〜!」

 

 バックハグ、からの頬ずり。

 

 ややアメリカンな感情表現に、ツインテール娘……むにちゃんとやらはたじたじだった。

 

 どうやらあの二人、昔馴染みか何かのようだ。

 

「おっ」

 

 そんなことを考えていると、柳人さんが何やら得心のいった声を上げる。

 

 ふとそちらに振り向けば、彼は一つのアルバムを棚から取り出し、レコードを機会に置いた。

 

 針が落とされ、有名な曲が流れ始める。

 

 ややセンチメンタルな気持ちにさせる序奏は、件の二人の劇的な再会を彩るようで──

 

「そういう気遣い、いらないから」

「あっ、はい……」

 

 当の本人に拒否られていた。

 

 こういう茶目っ気があるんだよな、柳人さん。

 

 

 

 

 

 その後、愛本さんの手から逃れられなかったむにちゃんは彼女達の席に移動した。

 

「んふふ〜♪」

「…………」

 

 隣にはニコニコする愛本さん。そして対面には仏頂面の明石。

 

 なんとも気まずそうな顔をしており、逃げ出したいと雰囲気が言っている。

 

「彩音くん、オーダー入ったわよ」

「うす」

 

 事の成り行きを見守っていたいけれど、仕事中だ。

 

 愛莉さんから受け取った伝票に目を通し、冷蔵庫の方へと向かう。

 

「彩音くん」

 

 必要な食品を取り出していると、柳人さんが隣に来た。

 

「ん、何か追加の注文っすか?」

「いやいや。これ」

 

 冷蔵庫から視線を移せば、柳人さんは片手にトレイを持っている。

 

 紅茶のカップが三つ乗っており、それを僕へと差し出してきた。

 

「あそこのお嬢さん達に持っていってあげて。サービスだから」

「……突然どうして?」

「あの子のおかげで、今日の彩音くんは絶好調で店もよく回っているからね」

 

 パチン、とウィンクする彼に、見抜かれていることへの気恥ずかしさを感じた。

 

「……あざっす」

「うん。料理は僕がやるから」

 

 とはいえ、厚意は素直に受け取っておくに限る。

 

 手の中の食品とトレイを交換し、若干熱くなった頬を誤魔化すように早足で厨房を出た。

 

 

 

 

 

 

 和やか、とは一概に言えない雰囲気でいる三人組に近づいていく。

 

 雨音で外の喧騒が薄れて、やけに自分の靴音が大きく聞こえた。

 

 それは彼女達にも同じだったのか、あと二メートルというところで愛本さんがこっちに気がつく。

 

「あれ、真秀ちゃんのお友達さん」

「えっ、水瀬?」

「よっす。これ、サービスな」

 

 言いながらトレイを強調すれば、明石と愛本さんは少し驚きつつもお礼を言ってきた。

 

 彼女と、何やらパッドを手に集中しているむにちゃんの前にカップやシロップを置く。

 

 空になったグラスを回収し、柳人さんは絶妙なタイミングを選んだのだなと気がついた。

 

「で、なんで明石はしかめっ面してたわけ?」

「あっ、あれはなんていうかっ、その……!」

「真秀ちゃんが描いたフライヤーがダメ出しされちゃってね。今、むにちゃんに描いてもらってるところなの」

「り、りんく!」

「フライヤーって……ああ、宣伝広告みたいなものだっけ。そんなにだったの?」

 

 明石を見ると、恥ずかしそうにした彼女はそっぽを向いた。

 

 両手で抱えたパッドを胸に押し付けて、僕に見せまいとしているようだ。

 

「……み、水瀬には見せたくない」

「なんで」

「なんでも!」

「別に、ちょっと明石の絵のセンスがアレなことくらい知ってるぞ?」

「んなっ……!」

 

 実際、中学時代に美術の授業で互いの似顔絵を描いた時はなぁ。

 

 中々におどろおどろしいキャンパス上の自分を思い返していると、やや赤い顔をした明石がこちらを睨んできた。

 

「……水瀬の意地悪」

「ごめん。でも、変に意地張らなくてもいいのに」

「だって……」

 

 

 

(水瀬にあんまり変だって、思われたくないし……)

 

 

 

 だって、なんだろう。

 

 

 

 

 

 続きが気になっていると、不意に明石がこちらを見上げた。

 

 いわゆる上目遣いのポーズになって、綺麗な青い瞳にどきりとする。

 

「……本当に幻滅しない?」

「しないしない」

「笑わない?」

「ごめん、それはちょっと自信ないかも」

「むぅ……」

「分かった、なるべく笑わないようにするよ」

「……それなら」

 

 ようやく納得した明石が、固く握っていた両手から脱力する。

 

 パッドを操作して立ち上げ、その後一回僕の顔を見てきた。

 

「…………これ、なんだけど」

 

 少し躊躇しがちに、画面を見せてくれる。

 

 表示された画面に目を向け、そこにあるフライヤーを見れば……。

 

「…………ブフッ」

「っ! やっぱり笑った!」

「い、いや、ごめ、プフっ……ちょ、ツボに入っちゃって……くふっ」

「もぉ〜……だから見せたくなかったのにぃ〜……」

 

 恥じ入るように、明石はパッドで顔を隠す。

 

 画面いっぱいに映し出された、近所にあったら怖い張り紙のような絵にまた吹き出した。

 

 や、やばい。中学の時からあんまり変わってないのが妙にジワジワ効いてくる……! 

 

「水瀬の馬鹿ぁ……」

「ごめんって……ふはっ」

「反省してないだろ!」

「ねえねえ。真秀ちゃんと水瀬くん、すごく仲良いんだね」

 

 明石とじゃれ合いのような会話をしていた時だ。

 

 差し込まれた愛本さんの言葉に振り向くと、彼女は僕と明石を交互に見る。

 

「まあ、輝ってやつを除けば一番の友達だった、かな」

「……私も、男子の中では断トツに話してたけど」

「ふ〜ん。あっ! もしかして、付き合ってたとか!」

 

 

 

 ガンッ!! 

 

 

 

 大きな音がした。多分、明石が膝を机の裏にぶつけたものだろう。

 

 かくいう僕も、危うくひっくり返しそうになったトレイを慌てて引き戻すのに苦労した。

 

「ちょ、な、何よ。何なのよ」

 

 突然机が震え、むにちゃんが狼狽えた様子で僕らを見る。

 

 けれど、僕も明石もその質問に答えられるような余裕はなかった。

 

「あれ? 二人とも大丈夫?」

「………………なんでもない」

「…………りんく。水瀬とは友達だって言ったろ?」

「え〜? でも……」

「い、い、な?」

 

 身を乗り出した明石が、ドスの効いた声で詰め寄る。

 

 自分の口を両手で塞いだ愛本さんは、無言で首を縦に振るのだった。

 

「じゃあ、僕はこのあたりで」

「……うん」

 

 うまく目を合わせられず、逃げるようにしてその場を後にした。

 

 ……顔、あっつ。

 

 

 

 

 

 厨房に戻ってから、僕は自分の中にあるごちゃごちゃとしたものを押し込めるように仕事に没頭した。

 

 心の全てをバイト用のスイッチに切り替えて、黙々と調理や細々とした作業に熱中する。

 

 そうしているうちに、どんどん時間は過ぎて。

 

 ふと気がついて時計を見ると、数時間が経過していた。

 

「彩音くん、お会計行ってくれるかな」

「わかりました」

 

 ちょうど手が空いていたところだったので、指示に従いレジに直行する。

 

 そして、伝票を渡してもらおうとお客さんを見て……

 

「……明石」

「水瀬。お会計、お願いできる?」

「……勿論」

 

 やや苦笑気味の彼女から、そっと伝票の挟まれたプレートを受け取った。

 

 それから、ふと二人の後ろに隠れるようにしている女の子に気がつく。

 

「あれ。そっちも一緒か?」

「……私は後でいいわよ」

「分かった。えっと、1220円になります」

「わっ、本当に紅茶はサービスなんだ」

「そりゃ勿論」

 

 ミックスジュースとオレンジジュースの代金だけを受け取り、レジに通す。

 

 レシートを明石に渡したところで、妙な沈黙が生まれた。

 

「…………えっと。ご馳走様でした」

「……こちらこそ、ありがとうございます」

「うん」

 

 ……まずい。さっきのがまだ尾を引いている。

 

 愛本さん、不思議そうな顔してるけど八割くらい君が原因だからね。

 

 どうしたものかと迷っていると「それじゃ」と小さく呟いた明石が踵を返してしまった。

 

 やばっ。いや、何がやばいのかわかんないけど、このまま別れたら変なことになる! 

 

「明石!」

 

 思わず、名前を呼んでしまった。

 

 扉に手をかけていた彼女と、一緒にいた愛本さんがこちらに振り向く。

 

 目線を受けて、何を言えばいいのかと遅ればせながら悩んだ。

 

 とりあえず、何か適当なことを……! 

 

「……こ、珈琲」

「…………珈琲?」

「最近、練習してて……店長にも、その、少し上手くなったって言われて、だから…………」

 

 言葉はたどたどしく、態度はしどろもどろ。

 

 なんとも情けなくて、羞恥心がこみ上げてくる。

 

 だけど、それならいっそのこと最後まで言った方が、まだ男らしいのではないだろうか。

 

「…………また、来てくれたら。一杯、奢るよ」

「…………!」

 

 ああくそ、僕の馬鹿。せめて顔を見て言えよ。

 

 こんなんじゃ、明石も気まずくて二度とこの店には……

 

「……分かった」

「えっ……」

 

 驚いて、顔を上げる。

 

 すると、ちょっと頬を赤くしたまま視線を横にずらして、明石は小さな声で呟いた。

 

「また、来るから」

「っ……あ、ああ。またのご来店を、お待ちしてます」

「何それ。ちょっとかしこまった感じ」

「いいだろ、別に」

 

 ぷっと吹き出して、彼女はその笑顔のまま店を出て行くのだった。

 

 愛本さんもこちらに手を振って、その後を追いかける。

 

 ……また来るから、か。

 

「珈琲、練習しないとな」

「…………ねえ。会計待ってるんだけど」

「あっ、ごめん」

 

 

 

 

 

 やや不機嫌そうなむにちゃんの声に、僕は慌てて伝票を受け取った。

 

 

 

 

 

 





呼んでいただき、ありがとうございます。

感想などいただければ幸いです。


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Eighth Uniqe

 

 

 

 

 

 

「それで弟が、どうしてもカレーがいい! って意地になっちゃってさ」

「あー、わかる。唐突に食べたくなるんだよな」

 

 放課後。

 

 いつもみたいに、明石とたわいもない話をしていた。

 

 窓の外から蝉の声だけが響く教室の中は、ジリジリとした熱気に包まれている。

 

 普段は鬱陶しいそれが、不思議と今は気にならない。

 

「それにしても、明石は料理も得意なんだな」

「下の子が多いと、自然とね」

 

 なるほど、だから面倒見がいいのか。

 

 普段の様子を見ていても、世話焼き癖があることは分かっていたけど。

 

 長女は責任感が強くなるというのは、明石も該当しているらしい。

 

「そう言う水瀬は?」

「僕はそこそこ。洗濯とか掃除はできるけど……」

「料理は苦手?」

「というより、あんまりしないかな。時々、兄貴と一緒に作るけど」

 

 母さんが家にいない時は、兄さんとドカ盛りチャーハンを拵えたりする。

 

 腹は膨れるけれど、お世辞にもあれを料理とは言えまい。

 

「あれは男飯だろうね。料理系の映画とか観てると、ちょっと気になるけど」

「ふぅん……料理本貸そうか?」

「気が向いたら頼む」

「オッケー」

 

 明石が答えたところで、ガラリと戸を開く音がした。

 

 彼女と同時に、反射的にそちらを振り向く。

 

 こんな時間に、一体誰だろうか。

 

 忘れ物をしたクラスメイトか、はたまた見回りの警備員さん……

 

「おっ、いたいた」

「新星」

 

 現れたのはイケメンだった。

 

 最近友達になった同級生が、僕の姿を視線の内に捉えて笑う。

 

 人懐こいその笑顔は、端的に新星の性格を表していた。

 

「よっ、水瀬。待たせたな」

「別にいいよ。ピアノの練習はもういいの?」

「ああ。今日も好調……っと」

 

 会話を続けようとした新星は、そこで言葉を止める。

 

 

 

 

 

 はて、何事だろうかと首を傾げた。

 

 そして新星の視線を追うと……ちょっと気まずそうにしている明石がいた。

 

「ごめん明石、置いてけぼりで話し始めて」

「ううん、それはいいけど……待ってた友達って、新星君?」

 

 名前は知っていたらしい。まあ、有名人だしね。

 

「うん。一応紹介するよ。新星輝、最近仲良くなったんだ」

 

 な? とアイコンタクトを送る。

 

 空気を察して押し黙っていた新星は、すぐに気付いて気さくに笑った。

 

「よっす。近頃、水瀬と友達になった新星だ」

「あ、うん。よろしく。私は明石真秀」

「明石さんね。よろしく」

 

 一通り自己紹介をし合い、それから新星はこちらに目を向けた。

 

 言わんとするところを察した。傍らに置いていたリュックサックを手に取り、立ち上がる。

 

「じゃあ、僕はこれで。明石は帰る?」

「うん、もう少ししたら。またね、水瀬」

「また明日」

 

 別れの挨拶を済ませて、僕は新星の方へ行った。

 

 彼も明石へにこやかに手を振り、そうして二人で教室を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 廊下に出た途端、一層蒸し暑さが増して辟易とした。

 

 さっきまで全然意識してなかったのに、いきなりムワッときたなぁ。

 

「水瀬、よかったのか?」

「何が?」

「明石さんだよ。俺との寄り道なんて、今度でよかったのに」

「最近コンクールに向けての練習で、根を詰めてるから気晴らししたいって自分で言ったじゃないか」

 

 だから今日も、こんな時間まで学校で練習をしていたんだし。

 

 それに、前に普段から人に囲まれていて少し大変だと言っていた。

 

 そりゃ明石のと話すのは楽しいけど、大事な約束をすっぽかしはしない。

 

「まぁ、気分転換に付き合うくらいさせてよ」

「……なんていうか、お前って凄いな」

「何が?」

「誰にでも分け隔てないっていうかさ」

「普通のことでしょ」

 

 先約してたのに、それを破るのは最低だろう。

 

 人より優しいつもりはないけれど、かといって特別なことだとは思わない。

 

 せっかく仲良くしてくれようとしているんだから、僕も相応の態度を取らなくては。

 

「そんなこと聞くってことは、昔何かあったのか?」

「あー、うん……ちょっとな」

「そっか。とりあえず、今日は楽しもう」

「……おう!」

 

 なんだか少し呆気に取られたような顔をしていた新星は、快活に笑った。

 

 うむ、イケメンの屈託ない笑顔ほど眩しいものはない。目が潰れそう。

 

 

 

 

 

 益体もないことを考えながら歩いていると、不意に新星がニヤリとした。

 

「それはそうと、水瀬も隅に置けないな」

「何のことだよ」

「決まってるだろ、明石さんだよ。あんなに可愛い子を彼女にするなんてやるじゃないか」

 

 ほれほれ、と肘で軽く脇腹を突いてくる。

 

 こいつ、なにやらとても素晴らしい勘違いをしているようだ。

 

「違うよ。ただの友達。僕みたいな普通のやつ、明石と釣り合うわけないだろ」

「そうかあ? 俺にはお似合いに見えたけどなぁ」

「何かの贔屓目入ってない?」

「いやいや、正直な気持ちだよ。ていうか、結構噂になってるぞ?」

「は?」

 

 噂? 誰が誰に? え、僕? 

 

 あまりに信じ難い話に唖然としていると、新星は楽しそうに微笑んだ。

 

 それから新星は、あることを僕に教えてくる。

 

「水瀬は知らないみたいだけどさ、明石って結構人気あるんだ。可愛いし、文武両道だし、何より男女分け隔てなく優しいからね」

「……言われてみれば」

 

 確かに、あんなに色々と優れている明石が好かれていない訳がない。

 

 僕みたいな普通のやつにも、あんな風に接してくれるんだ。そりゃ人気だよな。

 

「……最近、クラスメイトの目が若干尖ってる理由がやっとわかったよ」

「ははっ、頑張れよ」

 

 軽く肩を叩かれて、僕は自分の顔がやや苦笑気味になるのを実感した。

 

 

 

 

 

 

 

 …………なんだろう。少し、胸がもやっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 今日も今日とて、バイトに勤しむ。

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は七時半過ぎ。あと一時間もすれば今日のシフトは終わりだ。

 

 金曜日ということもあり、今日は中々忙しかった。

 

 既にピークは過ぎて、ようやく一息つけたところだ。

 

「ふぅ……」

「お疲れ様、彩音君。今週も盛況だったわね」

「っすね。愛莉さんもお疲れ様です」

「ありがと♪」

 

 今日が終われば週末、もうひと頑張りだ。

 

 そう思った矢先、ドアのベルが鳴る音が新たな来客を告げる。

 

 反射的に振り向いて、入ってきた人物の顔を見た途端に僕は脱力した。

 

「よっ、彩音。お疲れさん」

「輝。久しぶり、そっちこそお疲れ様」

 

 相変わらずの笑顔で挨拶をした親友は、そのままカウンター席までやってくる。

 

 僕の眼前の席に腰を落ち着けると、ふぅと珍しく深いため息をついた。

 

 ピアノ関係の公欠で数日ぶりに顔を見たけれど、お疲れのようだ。

 

「コンクールの結果は?」

「一位だったよ。あ、コーヒーを一杯」

「はいよ」

 

 何でもないように凄い結果を口にした彼に、返事を一つ。

 

 手早くコーヒーを作る準備を整え、豆に熱湯を垂らしてていく。

 

 のを描くように、タイミングと速度に気をつけて……よし。

 

 慎重に作り上げたそれを、今度はカップ一杯に満たして、いよいよ完成だ。

 

「はい、出来立て。シロップとミルクは一つずつでよかったよね」

「サンキュー」

 

 ……さて。緊張の瞬間である。

 

 輝がカップを手に取り、口に運ぶまで一時も見逃さないかのように注視する。

 

 ドキドキと少し早まる鼓動の音を聞きながら、その光景を見つめて──

 

「……ん、美味い。前より上手になってるな」

「……そっか」

 

 笑顔での感想に、ほっとする。

 

 こういう時の輝は割と遠慮なく言ってくれるから、その分真実性が高い。

 

 まあ、常連で親友だからと毎度味見をしてもらっているのも何だけれど。

 

「やけに気合入ってるじゃん。なんかあったか?」

「別に。お客様に不味いものを出すわけにもいかないだろ」

「本当にそれだけか〜?」

 

 ええい、ニヤニヤしやがって。

 

 まるで先日のことを見透かされているかのようなニヤケ面に、僕は目を逸らす。

 

 それがより一層何かを感じさせたようで、輝の楽しげな顔は変わらない。

 

 むう、失敗したか。

 

「んんっ。それよりも、今回は見つかったのか? 例の女神様」

 

 我ながら若干わざとらしいが、話題を逸らしてみる。

 

「いや、今回もいなかった。女子の部にも総合にも出てなかったな」

「結構規模が大きいコンクールって言ってたよね。それも出ないとなると、引退したのかな?」

「しばらく噂も聞かないし、休養しているのかもなぁ」

 

 珍しく表情を曇らせて、輝は不安げに声を落とす。

 

 こいつも一途だなぁ。

 

 普段は冗談で言っているように見せかけてるけれど、並大抵の熱意じゃない。

 

 かといって、何かしたいのかと訊けば、そういうわけじゃないらしいのだが。

 

「あの人の演奏を聞けなくて、テンション下がったぜ」

「それでも総合一位なんだから、ライバル達は涙目だろうね」

「まっ、男としちゃトップは目指さなきゃな」

「はいはい、かっこいいかっこいい」

 

 本当、鎬を削ったはずの参加者達には同情する。

 

 それでも憎めないのは、さっぱりとした性格が影響しているのだろう。

 

「で。彩音くんは誰かさんの一番になれそうなのかな?」

 

 だが、間髪入れず差し込まれた揶揄いの言葉に動きを止めてしまった。

 

「…………何の話?」

「おいおい、人に聞いておいてそれはフェアじゃないぜ?」

「大人しく誤魔化されてればいいものを……」

 

 ただでは転ばない男め。

 

 

 

 

 

 どう答えようかと逡巡していた時、ベルの音が鳴った。

 

 どうやら来客のようだ。

 

 これ幸いとそちらに意識を向けて──僕は硬直した。

 

「あら、いらっしゃい」

「こ、こんばんは〜……」

 

 にこやかに声をかけた愛莉さんに向けて、彼女は少しよそよそしく返事をする。

 

 ………………なんで、こんな時間に明石がバイナルに。

 

「噂をすれば、お姫様の登場か」

「……輝、うるさい」

「おっと、失礼」

 

 若干腹立たしいが、今は気にしないことにする。

 

 それよりも明石に意識を向けていると、勘付いたのかこっちを見た。

 

 一瞬動きを止めたが、その後に少しぎこちない笑顔で手を振ってくる。

 

「……っ」

「うわ、分かりやすい顔」

「何がだよ」

 

 別に、と言いながらコーヒーを啜る輝。

 

 

 

(こいつ、ちょっとニヤついてるの自覚してないのな)

 

 

 

 何のことだかと思っているうちに、明石がカウンターの方に来た。

 

 少しして輝に気がつき、驚いた顔をする。

 

 それで足を止めかけたけれど、結局場所を変えることはなく、一つ席を開けて座った。

 

「やっほ、水瀬」

「明石。こんな時間にどうしたの? まだ制服だけど」

「実は今日もパフォーマンスやってさ。反省会した後に次のセトリ考えてたら、こんな時間になっちゃって」

「ああ、そういうことね」

 

 家に帰るよりも、バイナル(ここ)で済ませた方が早いって考えたのね。

 

 そのうちまたとは言っていたけど……こんなに早いとは。

 

「それに……」

「それに?」

「コーヒー。奢ってくれるんでしょ?」

 

 ちょっと悪戯げに笑った明石に、僕はちょっと心臓が跳ねて。

 

 けれど、覚えていてくれたことが少し嬉しかった。

 

「そうだね。約束だから、僕にできるとびきりのを作るよ」

「お願いね」

「ブラックで平気?」

「あ、ちょっと甘めでお願い」

「了解」

 

 さっきの残りは他の席のオーダーに持って行ったみたいだし、作り直すとしよう。

 

「少し待ってて」

「うん」

 

 一言断って、僕は豆を取りに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 ……気合入れよ。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 水瀬が奥に行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 遠ざかるその背中を、じっと見つめる。

 

 バイトをしている時の水瀬は、私の知るどの彼とも違っていた。

 

 キリッとしていて、それなのに普段はちょっと気だるげな雰囲気も柔らかい。

 

 準備室でパソコンと睨めっこしていた時、ふとあの姿が脳裏に浮かんで……

 

「もしかして、あいつに見惚れてる?」

「っ!? あっ、いや、違くて!」

「ははっ、冗談だよ」

 

 慌てて否定すると、小さな笑い声が返ってきた。

 

 隣を見れば、顔見知りの男の子が悪戯げな顔をしている。

 

「新星君……だよね?」

「ああ。久しぶり、明石さん」

 

 やっぱり、新星君だ。

 

 中学の時、水瀬と一番仲が良かったように見えた男の子。

 

 かなり女子に人気があって、前から名前は知っていた。

 

 けど、話すようになったのは水瀬と知り合ってからだった。

 

「この店にいるってことは、今も水瀬とは仲良いんだ?」

「俺も月高だしな。あいつとは変わらずだ。そう言う明石さんこそ、ドラマみたいな再会したって聞いたよ?」

「ど、ドラマみたいって……そこまでじゃないよ」

 

 確かに、劇的な再会って言えばそれっぽかったけどさ。

 

「でも、話したんだ。あの時のこと。水瀬って結構恥ずかしがり屋なのに」

「詳しいことは、多少誘導尋問してな。いきなり様子が変わったから、気が付いたのはすぐだったけど」

「へえ……」

 

 ……水瀬、私と再会してそんなに普段と違う感じだったんだ。

 

 ふーん、へー、ほぉん。

 

 まあ、だからと言って、別に何もないけど? 

 

「……ふふっ」

 

 

 

(あいつと似たような顔してやんの。あーあ、まだシロップ入れてないのにコーヒーが甘い)

 

 

 

 って、いけない。

 

 特に変わったことはないはずなのに、ちょっと緩んだ口元を直す。

 

「で、どうよ。彩音と交流を再会して。上手くやれてる?」

「多分、大丈夫だと思う。水瀬も、昔みたいに接してくれてるし……」

「昔みたいにねぇ」

 

 そう。まるで中学時代、毎日笑顔を交わしたあの時と同じように。

 

 

 

 

 

 

 学校が違うから、滅多に会うことはできない。

 

 けれど、電話越しに声を聞いたり、こうして時折顔を合わせると、そう思える。

 

「まあ、ああやってコーヒー準備してるのを見ると、問題ないってのは分かるよ」

「水瀬、昔よりも色々できるようになってるんだね」

「ああ」

 

 頷いた新星くんは、そこで何かを思いついたような顔をする。

 

 手招きされて体を傾けると、小声であることを教えてくれた。

 

「実はここだけの話、さっき俺がコーヒー美味いって言ったらホッとしたんだよ。多分、明石さんと約束したから練習したんじゃないかと思ってる」

「っ!? そ、そんなこと……ある、かな?」

「さあな。だけど、きっと今本気でやってるぜ」

 

 そう言われて、また水瀬のことを見てしまった。

 

 確かに、準備をしている彼の横顔は真剣で。

 

 どこか、グッと引き寄せられるものに胸の辺りが──

 

「明石さん?」

「っ、えっ、な、何? どうかした?」

「……いや、なんでも」

 

 一瞬、何かを考えるような顔をした新星君はすぐに目を伏せさせた。

 

 そして、またコーヒーを一口啜ってから、私に視線を戻す。

 

「明石さん。君も知っていると思うけど、水瀬はいいやつだ」

「っ……」

 

 

 

 ──その時の彼の顔は、これまでになく真剣なものだった。

 

 

 

「でも、不器用なところがあって、表に出せなくて誤解されることもある」

 

 それは……確かにそうかもしれない。

 

 中学の時、二人きりの時だけではなく、普段も話すようになってからの頃を思い出す。

 

 男女問わず、クラスメイトからは少し嫌な勘ぐりもされていたんだ。

 

 

 

 

 

 暗いやつだとか、変なことはされていないのかとか。

 

 水瀬は結構鉄面皮だし、誰もが親しく接するのは少し難しい……それは分かってても少し悲しかった。

 

 だけど……そんな元同級生達に何か言う資格は、()()()()()()()

 

「だから、明石さんもちょっと嫌なふうに思う事があるかもしれない」

「そっ、そんなことないよ! さっきも言ったけど、前みたいに仲良いし!」

「──本当に?」

 

 間髪入れず聞き返してきた新星君に、何故か言葉が詰まった。

 

 彼の目には、少し複雑で、冷たい色がある。

 

 親友として水瀬のことを心配しているのか、はたまた私の心配をしてくれているのか。

 

 どちらかは分からないし、もしかしたら全然検討外れかもしれないけど……誤魔化しの効く雰囲気じゃなくて。

 

「…………大丈夫だよ、新星君」

 

 だから私は、自然とそう答えていた。

 

 深呼吸を一つ。

 

 それで引き腰になる心を落ち着けて、私は新星君を見る。

 

「水瀬がどういうやつかは、私もよく知ってるし。それに、もう二度と()()()()は繰り返したくない」

「……関わることで、また別の嫌なことが起こるかもしれないよ?」

「だとしても……私は水瀬との繋がりを、切ったりしない」

 

 我ながら、何の確証もない言葉。

 

 だけど、心からの自分への約束であるとそう言い切れる自信がある。

 

 その思いを込めて、試すような新星君の目を見返した。

 

「……そっか! ならいいんだけどさ」

 

 意外にもあっさりと、新星君はそう言ってパッと笑顔を浮かべた。

 

 それは拍子抜けしてしまうほどで、私は呆気にとられる。

 

「いや、ごめんごめん。思わず余計な口出ししちゃったよ」

「は、はぁ……」

「試すような真似をして悪かった。お詫びに夕飯代、俺が出すから好きなの頼みなよ」

「そ、そんな。別に怒ってるわけじゃないし」

「まあまあ、俺からの謝罪の気持ちってことで」

 

 な? と片目を瞑る新星君に、確かにこれはモテるなぁ、なんて思ってしまった。

 

 

 

 

 

「じゃあ、今日だけお言葉に甘えさせてもらおうかな」

「オッケー」

「二人して、何話してるんだ?」

 

 タイミングを見計らったように、水瀬が戻ってきていた。

 

 私は慌てて首を横に振り、不思議そうな顔をした彼は新星君を見る。

 

「再開を祝して、今日は俺が明石さんに晩飯奢るって話をな」

「いいのか?」

「モチ。その代わり、とびきり美味しいのを作ってあげろよ?」

「善処するよ……明石。お待たせ」

 

 目の前にそっとコーヒーが置かれる。

 

 そこでふと、新星君と話していたのがたったの数分であったことを自覚した。

 

 ミルク付きのそれは良い香りがしていて、まるでプロの人が作ったみたい。

 

「味は、美味しいとは保証しきれないけど。とりあえず、頑張ってみた」

「ありがとう、水瀬。じゃあ……いただきます」

 

 カップに手を伸ばして、少し緊張しながら持ち上げる。

 

 ブラックはあんまり得意じゃないけれど、なんとなく一口目はそのままで。

 

 妙に水瀬の存在が気になりながら、口元に持っていき……

 

「……あ、美味しい」

「……! そ、そっか。なら、良かった」

「うん。本当に美味しいよ、これ」

 

 前に他の喫茶店で飲んだコーヒーと比べても、全然劣っていない。

 

 水瀬が、本当に沢山練習したんだなと分かる……ような味だ。

 

「ありがとね、水瀬。あの時わざわざ誘ってくれて」

「いや。まあ、な」

 

 ちょっと照れくさそうに視線を逸らす水瀬は、表情とは裏腹にわかりやすかった。

 

 ……やっぱり、心地がいいなぁ。

 

 

 

 

 

 今度こそ。水瀬と、もっと仲良くなりたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 




 
読んでいただき、ありがとうございます。


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Nineth Unique


ほぼ一年ぶりですね。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 

 その日、基好みなもは外出していた。

 

 

 

(漫画買えたし、そろそろ帰ろう。お昼は何を食べようかな)

 

 

 

 週末で人気の多い街中。

 

 意気揚々と歩く彼を通行人が時折見ては、すぐに逸らす。

 

 

 

 向けられる視線を気に留めず、駅前まで来たみなもは……ふと立ち止まった。

 

「なあなあ、いいじゃん。ちょっとだけだからさ」

「お茶するだけ! ね?」

「あはは〜……」

 

 一人の少女が、男達に絡まれている。

 

 彼らは見るからに垢抜けた大学生といった出で立ちで、柱の前に立つ少女を囲うようにして誘っていた。

 

 

(うわぁ……露骨なナンパだ)

 

 

 対して少女はと見れば、日本人離れした鮮やかな金髪に端正な顔立ちをしていて、服装も華やか。

 

 なるほど、目をつけるのも頷ける。

 しかし明らかに困った表情をしており、ナンパを歓迎しているようには見えない。

 

 それでも動かないところを見るに、誰か待っているのだろうか。

 

 

 

(周りはみんな気にしてないし、助けそうもない、か……仕方がない)

 

 

 

 みなもは困っていそうな人間を見て見ぬふりができない性質だった。

 

 

 

 かつかつと足音を響かせて、少女らの元へ向かう。

 

 他の人間が通り過ぎ、スルーしていた現場に入り込み……そして少女と男達の間に入った。

 

「え?」

「はぁ?」

 

 突然視界を覆った黒い背中に驚く少女と、虚をつかれた反応を見せる男達。

 

 そんな彼らに、みなもは言った。

 

「僕の連れに、何か用?」

「いきなりなんだ、お前?」

 

 横槍を入れられ不機嫌そうに男の一人が睨み据える。

 

「おい、やめとけって……」

 

 しかし、もう一方が肩を引いて諌める。

 

 少し前まで乗り気だった仲間の言葉に、男は不思議そうにする。そして友人の目に浮かぶわずかな怯えに気付いた。

 

 

 

 そんな彼の目に映るのは、他ならぬみなもの姿。

 

 耳を覆うように連なる、銀や黒のピアス。

 下唇の左端にもリングが光り、耳たぶにチェーンで繋がっている。

 

 長い黒髪はゴムで纏め上げられ、黒を基調としたコーディネイトがワイルドな魅力を見事に引き出す。

 

 

 

 何より、その鋭く尖った三白眼が得体の知れない圧を孕んでいた。

 

「ねえ。質問してるんだけど」

 

 重ねて問いかけ、目を細めれば、男達は見るからに一歩後ずさった。

 

「もう行こうぜ」

「チッ。んだよ」

 

 程なく、みなもの威容に男達はすごすごと引き下がり、立ち去っていくのだった。

 

 

 

 ふっ、と息をつく。

()()で無意識に尖っていた目元を戻し、何事もなかったことに安堵するみなもだった。

 

「あ……大丈夫ですか?」

 

 それから後ろにいたはずの少女に振り向くと、彼女は呆気にとられた顔でみなもを見上げる。

 

 しまった、と彼はショルダーポーチから眼鏡を取り出すと付けた。途端に目元が和らいでいくらか恐ろしさが減る。

 

「すみません。勝手なことしちゃって」

「……ううん! 助けてくれてありがとうございます!」

 

 パッと笑顔を咲かせた少女は勢いよく頭を下げてきた。

 

 その勢いに少し驚きながらも、「それなら良かった」とみなもが言えば彼女は顔を上げる。

 

 

 

(うわ、近くで見ると本当に可愛い。赤い瞳が輝いてるみたいだ)

 

 

 

 思わずまじまじと見てしまうと、少女は不思議そうに首をかしげる。

 

「私の顔、何かついてますか?」

「あ、いえ。なんでもないです。それじゃあこれで」

「あ! 待ってください!」

 

 退散しようとした時、手首を掴まれ慌てて止まる。

 

 少女に向き直ると、みなもから手を離した彼女はポーチの中を慌ただしく探り、パッと表情を明るくした。

 

「はいこれ! お礼に!」

「え」

 

 そうして差し出されたのは、貝殻だった。

 

 

 

(え、貝殻? なんで? いや別にお礼が欲しくてやったわけじゃないけど、え?)

 

 

 

 みなもは困惑した。

 

 貝殻などプレゼントされたのは人生で初めてである。しかし少女は満面の笑みであり、いらないとは言いずらい。

 

「……あ、ありがとう?」

「うん!」

 

 結局、受け取ってしまうのだった。

 

 少女もそれで満足したようで、今度こそ別れを告げると改札を通って電車に乗る。

 

 

 

 ドアの近くに寄りかかったみなもは、ぼんやりと流れていく外の景色を眺める。

 

 しばらくして、ふと手を持ち上げると開く。そうすると中に握ったままだった〝お礼〟に目を落とした。

 

 

 

(なんか、不思議な子だったな)

 

 

 

 右に左にと傾ければ、貝殻は傷一つなく美しい色をしている。

 

 まるで少女の笑顔を思い起こさせる不思議なお礼に、みなもは少し微笑んだ。

 

 

 

 

 

 ●◯● 

 

 

 

 

 

「お。これか」

 

 休日。

 

 いつものショッピングモールのCDショップに足を運び、一つのアルバムを手に取る。

 

 

 

 明石がお勧めだと話していた曲だ。

 

 最近DJ活動を活発に行っているためか、以前に増して色々なものを教えてくれるようになった。

 

 中でもこれは個人的に気に入ったやつ。

 

「あ、視聴できるんだ」

 

 パッケージの裏にあったQRコードをスマホで読み取り、ヘッドホンをはめてショートverを流す。

 

 頭に流れ込んでくる軽快なメロディ。

 自然と肩が揺れるような旋律が心地良くて、半ば目を閉じ集中する。

 

 

 

 三分くらいで、二曲が流れ終わる。

 満足してヘッドホンを外した。さすがは明石のチョイス、大当たりだ。

 

 これは買いだなと思いつつ振り向いて──

 

「…………」

「うわっ」

 

 すぐ真横にあった眼差しに思わず声を上げた。

 

 いつの間にやら隣に人が……ていうか見知らぬ女の子が立っていて、僕の顔を覗き込んでいたのだ。

 

 

 

 白のような銀のような、本当に地毛かと疑いたくなる髪色をした子だ。しかも明石とか愛本さんレベルに可愛い。

 

 最近こんな感じの子に遭遇する確率高くない? 

 

「えっと……なんか用すか」

「……宇宙」

「は?」

「あなたから、金色の宇宙が見えた。さっきまで何もなかったのに、活発で、空を舞う流星みたいな」

「え────っと。ごめん、わかんない」

 

 残念ながら独特な言い回しすぎて、普通の僕じゃ理解が難しかった。

 

 あれだろうか、勧誘的な。

 

 正体不明すぎてつい失礼な考えが浮かんでしまう。

 

「それ」

「え? それって、このアルバム?」

「聞いても、いい?」

「いやまあ、まだ買ってないし。ご自由にどうぞ?」

 

 アルバムを差し出せば、謎の女の子は受け取って僕と同じように視聴する。

 

 シャカシャカと片方が垂れ下がったイヤホンから漏れる、聞いたばかりの音楽。

 どうしよう、今のうちに離れてしまおうか。

 

「……いい曲」

 

 でも、その子が零した笑いに一瞬目を惹かれた。

 

「……だよな」

「うん。まるで、軽やかに駆けぬける風みたい」

「言い得て妙だな」

 

 いちいち表現が詩的だ。

 

 けれど曲を楽しむ表情はとても純粋で、だんだん恐怖がほどけていく。

 なんか印象が意味不明から、ミステリアスに置き換わってきた。

 

「……ありがとう」

 

 数分後、イヤホンを外して女の子は言った。

 

 

 

 アルバムを受け取ると、そこで何かに気がついたようにハッとする。

 

「あ。その、ごめんなさい。いきなり色々言って」

「うん、まあ今更だな」

「私……人の声とか、感情が、色に見えて」

「え? あー、ね。そういうこと」

 

 そういやなんか聞いたことあるな。感受性が強い人間は、物事が特別な形で感じ取れるとかなんとか。

 

「なんだっけ? 強感覚?」

「……何か、違う気がする」

「え、そうなの? まあ、それは置いとくとして……君には僕が金色に見えたと」

「正しくは、曲を聴いてる最中。すごく楽しそうな色だった」

「ふうん」

 

 まあ、楽しんでたのは間違いないしな。

 

「でも聞いた後の一瞬、もっと強くなった」

「え、そうなの?」

 

 こくりと頷く女の子。

 

「まるでもっと幸せなことを思い浮かべた、みたいで。その理由が知りたくて、思わず話しかけてしまって」

「…………ふうん」

 

 超心当たりあるんだけど。

 

 

 

 え待って、クッソ恥ずい。帰ってベッドの上でもんどり打ちたい。

 いやしかし、初対面の人の前で表に出すのは憚られるので必死に抑え込むことにする。

 

「……」

「や、そんな好奇心マックスな目向けられても」

「あ。また、ごめんなさい」

「いいけど……ごめん、ちょっと教えられない」

「それは、残念です」

 

 しゅんとする女の子。

 

 なんで謝ってるのかよくわかんないけど、落ち込み様がすごいので思わず口にしてしまった。

 

「あー。それじゃあ、僕はこの辺で」

「……はい」

 

 どうやら本当にそれだけが気にかかっていたようで、何事もなくその場を後にレジへ向かう。

 

「お待たせ咲姫……って、どうしたの?」

「衣舞紀さん。ううん、なんでもないです」

「そう? じゃあいきましょうか」

 

 

 

 ひとまず、アルバム買って今日は帰ろう。

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

『──ってことがあってさ』

「へえ」

 

 夜の8時頃、部屋に響く自分の相槌。

 

 スマホに表示されているのは明石の名前。ここ最近、ちょくちょくこうして話していた。

 

「じゃあ、愛本さんはその〝ちょっと怖いけどメガネつけると優しそうだった人〟に助けられたわけだ」

『そうそう。結構しつこい相手だったみたいでさー。助かったって言ってたよ』

「今どきそんなテンプレがあるとはな」

『私もまさか、遊ぶのに待ち合わせしたらそんなことになってたなんてビックリだったよ』

 

 何はともあれ、愛本さんが無事でよかったと言うべきか。明石も気が気じゃなかっただろう。

 

「そういえば、あの子……むにちゃん? も、一緒にDJ活動やるようになったって言ってたっけ」

『うん、VJとしてね。演出とか担当してくれてる』

「へえ。なかなかチームっぽくなってきたんだな」

『うん。DJmash&りんくwithVJ Only、って感じでね』

 

 シンプルに長い。

 

 まんますぎたが、活動を続けていくならそのうちユニット名も決まってくだろう……決まってくよね? 

 

 そういやむに、おんりーって組み合わせどっかで聞いたような……気のせいか。

 

「個性派揃いのメンバーだし、人気が出てくことを願うよ」

『ありがと。とりあえずしばらくはパフォーマンスの練習と場慣れかなー。改善点は多いし』

「明石は努力家だし、あまり根を詰めすぎないようにな」

 

 そこまで言って、ぐっと詰まる。

 

 ちょっと恥ずかしいが、思い切って電話の向こう側に言葉を続けた。

 

「その、(バイナル)でコーヒーを出すことくらいは、僕にだってできるから」

『……水瀬』

「あ、いや宣伝とかじゃなくって。他意はないというか、言ったまんまというかさ」

『う、うん。じゃあ、またお店に行くね』

 

 少したどたどしいが、嫌がる様子は声から見受けられない。

 

 あー、ビビった。

 今のって普通に友達相手に言っても平気なセリフだったよね? キモくなってなかった? 

 

「な、何か目標とか立ててるのか?」

『そう、だね』

 

 ちょっとおかしくなった空気を変えるためにも質問すると、少し無音になった後に答えてくれる。

 

『オリジナル曲を作る、かな』

「おお、それはまた大きく出たな」

『これまでは既存の曲だったり、リミックスしたやつをやってたりしてた。でもこれからのことを考えると、成長のためにも必要かなって』

 

 僕は率直に感心した。

 

 

 

 素人考えでも、作曲というのが非常に難しい作業であることはわかる。

 

 メロディにリズム、果ては歌詞まで全て自分で考え、組み合わせて、一つの形にするのだから。

 

 しかも、たとえ完成までこぎつけたとしてもお客さんに受けるとは限らない。

 

 既に世の中に評価されているものを使うのとオリジナルの曲を披露するのとじゃ、プレッシャーのレベルが違うはずだ。

 

 

 

 それなのに挑戦しようとする明石には、きっと人一倍の勇気がある。

 

「凄いよ明石。心の底からそう思う」

『そ、そうかな? えへへ』

「うん、いいと思う。成功したら間違いなく一皮剥けるんじゃないかな」

『だよね! だから、やってみたいんだ』

 

 明るく弾むその声。

 

 〝やってみたい〟──その言葉を使うときの明石は、いつだって特別に輝いてる。

 

 だから応援したくなるんだ。

 

「楽しみにしてるよ。明石が愛本さん達と一緒に作る、新しい世界を」

『うん! その時は水瀬にも聞いてほしい!』

「もちろん」

 

 

 

 それから少し話をして、今日の通話は終了した。

 

 

 

 

 

 そういえば、と考える。

 

 今まで、明石の話では聞いてたけど実際のパフォーマンスは見たことなかった。

 

 確か陽葉のホームページに今ホットなユニットのアーカイブとか出てたから、探してみよう。

 

 

 

 





読んでいただき、ありがとうございます。


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Tenth Unique



深夜に失礼、更新です。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

『Hey DJ! かませYeah Yeah Yeah! 気分上々↑↑の針落とせ 音鳴らせパーリナイ!』

 

 

 

 イヤホンから流れるポップな音楽に耳を傾け、スマホの画面を眺める。

 

 

 

 軽やかに歌い踊り舞う女の子は、熱狂する観客へと笑顔を振りまいていた。

 

 更に隣でもう一人の小柄な女の子がステップを合わせ、サイリウムを回しながらキュートなウサ耳を揺らせば黄色い声が飛ぶ。

 

 そして、燦然とステージの上で輝く彼女らに鮮やかな音色を与えているのは──

 

「いーろね」

 

 軽く頭に乗せられた固い感触に、顔を上げる。

 

 するとテーブルに軽く腰掛けた輝が王子様スマイルで笑いかけてきた。

 

「休んでた間のノート見せてくれてサンキュ。助かった」

「ん。おお」

 

 ノートを受け取る。輝はふと僕が手に持つスマホへと目線を移した。

 

「また明石さん達見てたのか?」

「そんなとこ」

「熱心だね。最近ずっとじゃない?」

「まあね」

 

 頷いて、画面に目を戻す。

 

 

 

 以前、明石と電話した際のことだ。

 

 陽葉のHPを探った結果、人気急上昇中の新ユニットとして明石達のアーカイブ映像を見つけた。

 

 

 

 それを見た途端──有り体に言えば、彼女達に一目惚れした。

 

 

 

 無論恋愛的な意味ではなくて、あの三人の作り出す世界観に、と言うべきか。

 

 吹き抜ける風のように軽快な歌声を愛本さんが披露したかと思えば、度肝を抜くような演出を繰り出すむにちゃん。

 

 その後ろでDJとして、彼女ら二人が最大限輝けるよう場を繋ぎ、回し、盛り立てていく明石。

 

 

 

 まさに驚愕。大いなる衝撃。

 

 舞台の上の明石達は何より輝いていて、心が沸騰したのではないかという興奮を今でも覚えている。

 

 すっかり魅入られた結果、ここ一ヶ月ほどアーカイブが更新されてはその度に彼女達の世界に没頭し続けていた。

 

「近頃じゃステージ衣装も揃えて、ますます頑張ってるみたいでさ」

「彩音がそこまで夢中になるなんて珍しい。そんなにいいんだ、えーっと……」

「DJmash&りんくwithVJ Only、だ。正直もっと早く見ておけばよかったと今でも思ってる」

「名前長くない?」

「改名を目下検討中らしい」

 

 本当に素晴らしい、明石達のユニットは。

 

 

 

 それぞれが全力で楽しんで、楽しませて。まるで太陽のような存在感を作り出し、見るものを惹きつける。

 

 これからどこまで成長し、大きくなるのだろう──自然とそう思わせてくれる。

 

「正直、陽葉の箱が一般開放されてたら通い詰めてたまである」

「ガチじゃん。箱とか言ってるし」

「これが〝推し〟という概念か……」

「まるで初めて感情を知ったロボットみたいだね」

「情動を得たモアイ像という意味では当たらずも遠からず」

「ぶふっ」

「二人とも、楽しそうだね」

 

 肩を震わせる輝にしてやったりと思ったところで、ミナがやってきた。

 

「おかえりミナ。光は?」

「まだトイレで格闘中。それで、なんで盛り上がってたの?」

「今、ちょうど僕が笑うモアイ像になったって話をしててさ」

「あー……ナイ◯ミュー◯ア◯的な?」

「的な。あ、ガム持ってる?」

「持ってないね」

「ふはっ! ちょ、タンマタンマ! 脇腹痛いって!」

 

 輝が更に轟沈した。途中から結託してたミナと拳を合わせる。

 

 こいつの王子顔が崩れることは珍しいので、ついついやっちゃうんだよな。なお改める気は今の所ない。

 

「あ、なんか連絡来てる」

「その貝殻の飾り。また付けてるのか」

「うん。貰い物なんだけど、気に入ってさ」

「ふーん。それって最近よく遭遇するっていう?」

「あはは、そうそう。この前で三回目なんだけどね、商店街のお店の限定メニュー食べようとしたらばったり」

「春が来たのか」

「そんなんじゃないって。むしろそれは水瀬くんじゃない?」

「こいつ、言いよる」

 

 別に明石とはそういう意味で進展してないし……ないし。

 

 というか、毎回パフォーマンスの度にメッセや電話でついつい褒めちぎってしまうせいで怒られた。

 

「でもガチで怒ってはないんだよな……なんでだろ」

「え、何が?」

「あー、笑った笑った」

「復活したな」

「したよ。なんにせよ、日々に彩りが加わったのはいいことだよね」

「うん。いつか実際に目の前で見たいよ」

 

 

 

 機会があれば、ぜひお目に掛かりたいものだ。

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 さて、そんな風に明石達のファンとなった僕だが。

 

 

 

 とても嬉しいことに、彼女達はバイナルを溜まり場にしてくれている。

 

 三人で、あるいは明石一人でよく訪れるため、前にも増してバイト中の僕のやる気も上々だ。

 

「彩音くん、これあそこのテーブル席に持っていってもらえる?」

「了解です」

 

 トレイを片手に、カウンターを出る。

 

 

 

 心なしか歩く姿勢も我ながら洗練されてきてる。

 

 逸ることのないよう足取りを調節しながら指定された席に行けば、本日も来店した明石達がいた。

 

「さんせっとすてーじ? 何それ?」

「学園祭で開催されるパフォーマンスコンテストなんだけど……」

 

 談笑している彼女らに、ひとつ咳払いをしてから近づく。

 

 まず初めに気付いたのはむにちゃんだった。明石は愛本さんに何かしら説明するのに熱中している。

 

「ご歓談中失礼します。ご注文の飲み物です」

「あ! 水瀬君!」

「やあ愛本さん。今日も元気だね」

「うん! だって昨日のステージも最高だったからね!」

「アーカイブ見たよ。素人意見だけど、どんどん上達してると思う」

「えへへ、ありがと〜」

 

 嬉しそうに笑う子だ。変に謙遜されるより素直な反応なのは性格が出てると思う。

 

 順に飲み物を置いていき、空いたグラスを回収していたら、愛本さんの隣からじとっとした目線を感じる。

 

「どうかした?」

「……なんでもないわよ」

「あ、そっか。むにちゃんさんも愛本さんとすごく息が合ってると思うよ。パフォーマンス始めたばっかなんて信じられないくらいだ」

「あっ……そ、そう。ちょっと違うけど……でも、ありがとう」

 

 肩を跳ねさせたむにちゃんはボソボソと返事してくれた。

 

 うん、やっぱり一人だけ褒めるのも違うよな。

 

「ていうかあんた、いつもあたし達に付きっきりじゃない? 平気なの?」

「今はお客の入りも少ないし、マスターが気を回してくれてさ。そうだ、明石も……え、なんで身構えてんの」

「最近の水瀬、何言ってくるか分かんないだろ」

「そんな警戒せんでも。ただ明石達を応援してるってだけだよ」

「なぁに真秀。あんた照れてるわけ?」

「照れてない!」

 

 明石の様子に苦笑してしまう。やっぱやりすぎてたかなぁ。

 

 でも頬を赤らめた明石はちょっと新鮮だ。や、輝と違ってわざとからかうようなことはしないけど。

 

「そうだな、じゃあ一言だけ。今回も最高のDJだった」

「……ありがと」

「あー、真秀ちゃん嬉しそう! 可愛いー!」

「ちょ、ひっつくなりんく!」

「推し箱の仲良さに感無量」

「あんた何言ってんの?」

 

 しまったつい本音が。

 

「んんっ。で、ステージがどうって話してたけど。次の話?」

「そうそう! 真秀ちゃんがね、学園祭のさんせっとすてーじ? に立てるかもって!」

「へえ、学園祭か。そのサンなんとかっていうのは?」

「サンセット、ステージね!」

 

 愛本さんを押し戻した明石は、姿勢を正すと説明してくれた。

 

「陽葉学園で人気の上位八ユニットが参加できる特別なステージなんだ。夕暮れの光に照らされて学園祭を締めくくる、最高の舞台なんだ」

「つまり、普段にはない特別なチャンスってことなんだね」

「そういうこと。ステージに立つのはパフォーマンス、集客力、人気、技術、全てがトップクラスの猛者達! そこに加わることができればアガること間違いなしだよ!」

 

 よほどそのサンセットステージに熱を上げているらしく、瞳がどこか遠くを見つめている。

 

 

 

 ステージに立つ自分を想像しているのだろうか。

 

 夢想に耽る表情はどれほどの期待なのかを感じさせ、見ているこちらも今からドキドキしてくる。

 

「ねえねえ、むにちゃん」

「何よりんく」

「真秀ちゃんと水瀬君ってさー、やっぱり……」

「しっ。野暮なこと言わないの」

 

 ああ、僕も生でそのステージを見られたらな。

 

 陽葉の学園祭は一般開放するのだろうか。

 だとしたらなんとしても……っと。まだ〝かもしれない〟の状態で期待しすぎてもプレッシャーになってしまうか。

 

「じゃあ、その夢が叶うことを祈ってるよ」

「うん、頑張る! そのためにはもっとユニットの人気を獲得していかないとなー」

「またリミックスコンテストに応募してみる?」

「いやー次のリミコンはまた先だし」

「だったら、こっちに応募してみるのはどう?」

 

 おっ、むにちゃんからの提案があるようだ。

 

 そういえばこの子、上の名前なんていうんだろ。今更だけど知らないや。

 

 

 

 タブレットがテーブルに置かれ、明石達と共に画面を覗き込むのだった。

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 流れ始めたのは、いわゆる告知動画。

 

 厳かなメロディを携えて動き出した画面には、独特な衣装を纏った女の子達が現れる。

 

 

 

『私達は新しい才能を求めています。応募規定は、〝Photon Maiden〟をイメージしたオリジナル曲であることのみ。採用された楽曲はフォトンメイデンの新曲として──』

 

 

 

 綴られる言葉が意味するのは、楽曲のオーディション。

 

 しっかりと作り込まれた世界観と映像。かなりお金をかけていることがわかり、個人が作ったものでないことが察せられた。

 

「これって、フォトンメイデンの?」

「真秀ちゃん知ってるの?」

「大手プロダクションのオーデションで選ばれた子達のユニットで、最近デビューしたんだ。期待のニューカマーだよ」

「つまりプロってわけだ」

 

 そういうこと、と頷く明石。

 

 なるほど。同世代くらいに見えるけど、明石達とは違うこういう形での活動をしてる人間もいるのか……

 

「……ん? あれ?」

「どうしたの?」

「いや……」

 

 動画に写ってる四人の女の子達。

 

 

 

 選び抜かれたというだけあって見目の良さだけじゃなく、一種のオーラのようなものを感じさせる。

 

 うちの一人、長い髪の女の子がどっか見覚えがあるような……。

 

「……まあ、気のせいか。うん、なんでもない」

「そう?」

「それで、これに応募するってこと?」

「そ! 話題作りにはもってこいでしょ? ついでにあたし達の知名度もあげちゃおうって作戦よ!」

「でも、オーディションに受かればってことだろ? これ、プロモ応募するようなものだし。とても私達じゃ……」

「いいえ、真秀。あなたなら出来るわ?」

 

 むにちゃん、自信たっぷりに言い切った。

 

 でもこの口ぶりだと、なんだか明石に全振りしているようにも思えるのだが……

 

「ええっ、まさか私に丸投げ!?」

「そんなことないよー! 一緒にやろうよ! みんなで曲作るなんてワクワクするよ!」

「いや、まだ作るとは……」

「僕もやってみたらいいと思う」

「水瀬まで!?」

 

 裏切ったの!? と言わんばかりのリアクションをされてしまうが、あえて僕は冷静に答える。

 

「明石、前にオリジナル曲作りたいって言ってたろ。一皮剥けたいって。これがいいチャンスじゃないか?」

「でも、流石に規模が……」

「気後れする気持ちは、あると思う。でも逆に、だからこそ限界を超えられるんじゃない?」

「うう……」

「真秀ちゃん……」

「ううっ!」

 

 僕の言葉と愛本さんの眼差しに挟まれて、明石が声を上げた。

 

 その横で優雅に紅茶を嗜むむにちゃん。わりと図太いなこの子、やりきったと言わんばかりの態度だ。

 

「か、仮にやるとしてもだよ? 私ビートは作れるけど、メロが……」

「メロって、曲の流れ自体の話?」

「そう。最低でもギターか鍵盤に長けてる人を頼らないとな……」

 

 ああ、そういうことね。

 

 中々踏み切れないとは連絡を取り合う中で一度言ってたことがあるが、技術的な問題もあったんだ。

 

「はい! じゃあじゃあ、私ピアノできるようになるっ!」

「はぁ!? 今からか!?」

「うん! だってそうしないと曲が出来ないんでしょ?」

「て言っても、一日二日で出来るものじゃ……」

「やってみなくちゃわからないよ!」

「そんな無茶な!」

 

 ふむ……ギターか、あるいはピアノができる人間か。

 

 愛本さんの溢れ出すやる気に任せてみるのも手だ。そもそも彼女達のユニットの問題、僕は部外者だし。

 

 でも、どうせなら何か手助けしたい。友達に対してそう思うのは、果たして僕が欲張りなのだろうか? 

 

「よかったら、知り合いを一人紹介できるかもだけど」

「え? 本当!? だれだれ!?」

「友達なんだけどね。ことピアノに関しては誰より腕が確かだと思うよ」

「水瀬、それって……」

 

 明石に頷く。そっち方面でも輝の勇名は中学時代から轟いてたからな。

 

「忙しいやつだし、暇があるかどうか確認してからになるけど。ちょっと話を通してみるよ」

「本当にいいの?」

「まあ、首突っ込んで話聞いた以上はね」

「案外やるじゃない、あんた」

「ありがとう水瀬くん!」

「でもほんと、あんまり期待しないでね」

 

 キラッキラな目をしてる愛本さんに、一応一言断りを入れて。

 

 そうと決まれば、後で輝に連絡を……いや。事が事だし、学校で直接顔を合わせて頼んでみるか。

 

 

 

 これで彼女達の活動がますます盛んになれば、ファンとしても嬉しいところだ。

 

 

 

 

 

 





読んでいただき、ありがとうございます。

次回、あの子も登場です。


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Eleventh Unique


お久しぶりです。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

「またね、水瀬」

「じゃあ後でな、明石」

 

 手を振る明石を見納めて、教室から出る。

 

 途端にふっと気が抜けたように思いながら、購買を目指して廊下を進んだ。

 

 

 

 近頃は周りに人がいても、普通に明石と話せるようになってきた。

 

 別に誰が駄目と言ってもないんだけど、前にも新星が話してた通り、明石は可愛い上に人当たりがいいから、当然クラスでも人気者。

 

 対して特別人付き合いが上手じゃない僕は、少し気後れする訳で。

 

 

 

 だがどうにも、明石との会話が学校にいる中で一番楽しい時間になりつつあるのが悩ましい。

 

「なあいいだろー新星? 頼むよー」

「一回だけ! 一回だけでいいからさ!」

「ええ? そんなこと言われてもな」

 

 と、噂をすれば。

 

 前方の窓際で、クラスメイトらしき男子数人に拝み倒されている新星の姿が見えた。

 

「お前が今日来てくれたら絶対ウケるんだって! それに新星も気にいる子がいるかもしれないし!」

「助けると思ってさ! な!」

「うーん、助けるかぁ」

 

 何を話してるのか、なんて疑問に思うまでもない。

 

 昼休みの喧騒。

 その一片として聞こえてきた言葉を思えば、大体は察しがつく。新星の合コン勧誘はうちの学年じゃ有名だ。

 

 

 

 あいつ自身慣れているのか、人当たりの良さげな態度でのらりくらりとかわしているようで。

 

 ただ相手もなかなか粘り強いらしく、しつこく引き止められてるみたいだ。

 

「おーい、新星」

「ん? 水瀬?」

 

 ゆるく腕を振り上げ、その場に近づく。

 

 新星を誘っていた二人も、新星自身も怪訝そうな顔で僕の方に振り向いてくれた。

 

「ごめん、遅れた。購買行こうぜ。30個限定メロンパン、手に入れるんだろ」

「え? ……あ。うん、そうだったね」

 

 目の中に疑問符を浮かべた新星だが、すぐに頷いた。理解が早くて助かる。

 

「てことだから、新星借りてっていい?」

「い、いいけど」

「考えといてくれよな、新星」

「あー、それのことだけど」

 

 なおも言い募る同級生。

 

 離れていこうとするそいつらに、僕は新星の肩に軽く手を置いて言う。

 

「新星、今日は僕と遊ぶ約束してるんだ。また今度でいい?」

「へ?」

「な、新星」

 

 すかさずアイコンタクト。それだけで頭の回る王子様はまた察しの良さを発揮してくれたようだ。

 

「実はそうなんだ。先約してて」

「そ、そっか。先に言ってくれたらよかったのに」

「中々切り出せなくて悪いね」

「こっちもしつこくて悪かったな。いこうぜ」

「ああ」

 

 どこか残念そうに去っていく同級生達。

 

 その視線が切れたのを見計らって、パッと新星の肩から手をどかす。

 

「よし。じゃあメロンパン買いに行こう」

「え? あれ方便じゃなかったのか?」

「何言ってるんだ。今日こそは絶対買ってやるよ」

 

 ちょっと早足に歩き出すと、少ししてふっと破顔する声が聞こえ、隣に新星が続いた。

 

「毎度のことだけど、大変だね」

「まあ、もう慣れたよ。俺自身が積み上げてきたものの結果だからね、不満には思ってない」

「ふーん」

 

 そりゃあ立派な心構えだ。やっぱり人に注目される頻度というのが違うのだろう。

 

「というか、どうして水瀬は助け舟を出してくれたんだい?」

「え、あの仏頂面見たら普通そうしない?」

「ぶ、仏頂面? 俺が?」

「してなかったっけ。ほら、こんな感じで」

 

 さっきの新星の表情を真似て、どこかアンニュイな笑いを作ってみる。斜めに伏せた目には、「めんどくせーなー」的な感情を。

 

 

 

 きょとんとする新星。

 

 次の瞬間、ぶっと吹き出した口元を手で押さえてそっぽを向いた。

 

「くッ。くっ、くくくっ」

「おい、めっちゃ笑うじゃん。そんな似てなかった?」

「だ、だって。水瀬、口だけ笑ってて、あと、超真顔……ぶふっ」

「お気に召して何よりだよ」

「わ、悪かったって。でも、あんまりにもアンバランスで」

「小学校時代、にらめっこして付いたあだ名が石仮面だった話する?」

「くっ、ははははっ!」

 

 ついに脇腹を押さえ始めた。

 

 まあ、爽やかイケメンの珍しい表情を見られたので良しとしよう。

 

「まあ、新星のそういうとこは尊敬するけどさ。別に難しく考えなくても、気が乗らなきゃ乗らないで断っても良いんじゃない」

「……そっか」

「ん?」

「いや。ありがとな、水瀬」

「ん。あ、もし新星だけメロンパン買えたら、僕がもらおう」

「ちょ、おい。そりゃないでしょ」

 

 今度は慌てる新星。

 

 普段は付け入る隙がなさそうな完璧超人のそんな姿が、ちょっと面白かった。

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

「明石さん達のユニットの楽曲作成にアドバイス?」

「うん」

 

 昼休み。

 

 弁当に舌鼓を打つ最中、持ちかけた話に輝は眉を片方上げる。

 

「なんか、曲のメロディを作る技術がないらしくてさ。手助けしてあげられないかな」

「ふむ」

「あ、もちろん輝が無理のない範囲でいいんだけど」

「んー、作曲ねえ」

「やっぱ難しい?」

 

 僕の問いかけに、箸を弁当箱の縁に乗せた輝は顎に指を置く。

 

 雑談から一転、僕なりに真面目にしたつもりの相談に、親友は真剣な横顔で考えてくれていた。

 

 屋上のベンチに腰掛ける輝はそれだけで様になって、周囲にいた女子がキャッと声をあげる。

 

「一応、できないことはないよ」

「おっ」

 

 やがて、返ってきた言葉は期待のできるものだった。

 

「でも俺も作曲法を勉強してるわけじゃないし、知ってる曲のメロディから彼女達の希望に沿ったものを紹介するくらいになるけど、それでもいい?」

「確認してみるよ」

 

 スマホを出して明石に連絡を取ってみる。

 

 

 

 水瀬:突然ごめん、水瀬だけど。この前の作曲のことで少し進展があった

 

 

 

 メッセージを送って、弁当を食べながら返信を待つ。

 

 数分後、気づいてくれたのかトーク画面に返信が表示された。

 

 

 

 明石:今確認した! 連絡ありがと。それで進展って? 

 

 

 

 輝の言葉をなるべく簡潔かつ要点を押さえて打ち込み、送信する。

 

 既読マークがついてからしばらく。次の返信は了承の言葉が送られてきたの、でほっとした。

 

「いいってさ」

「じゃ、引き受けるよ」

「突然だったのに、ありがとね」

「いや。この前のコンクール以来、特に次の予定も入ってなかったから。最近はただ弾くだけじゃマンネリ化してきたし、俺にとってもいい刺激になるかもと思って」

「さすが。月高の王子は頼もしいな」

 

 よかった。これで明石達の手助けをすることができそうだ。

 

 さて、後は。

 

「それで、お返しは何にしたらいい?」

「ん? あー、特に考えてなかったけど。他ならぬ彩音の頼みだったし」

「そういうわけにもいかないだろ、わざわざ時間を割いてもらうのに。僕にできる範囲でお返しはするよ」

 

 自分ができないことを人に任せようっていうんだから、無償労働なんてありえない。

 

 

 

 輝は「本当によかったんだけどなあ」などと、何故か微妙に笑いながら言った。マジの王子様かこいつは。

 

「彩音は変わらないね」

「突然どうした?」

「なんでも。うーん、そうだなあ。明石さん達の曲が完成するまで、バイナルでの飲食を彩音の奢りでとか?」

「……来店頻度とメニューの相談をさせてもらっていい?」

 

 バイト代の半分は貯金に回してるけど、流石に毎日こられるとキツいし。いやしかし、大変なことを頼んでる手前……。

 

「冗談だよ冗談。流石に人の懐を圧迫するようなことを見返りにしないって」

「じゃあ、別に欲しいものがあるってこと?」

「ああ。一つ思いついたよ」

 

 ぴっと輝が人差し指を立てた。

 

 そうして満を辞したような雰囲気を作って、本当の対価を要求してくる。

 

「これから先、何か明石さんのことで困ったことだったり、悩み事があったら、真っ先に俺に相談すること」

「……それ、お礼にならなくない? 既にやってるし」

 

 今でさえあれやこれやとアドバイスされているのに、これじゃあ何もしないのと同じだ。

 

「いいんだよ。俺がそうしたいんだから」

「……わかった。じゃあそれで」

「なんというか無欲だな、輝は」

「さあ、どうだろうね」

「?」

 

 曖昧な答えに首を傾げても、輝は肩を竦めるだけだった。

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 で。

 

 

 

 早速その日の放課後、輝も明石達も予定が空いていたので、バイナルに集合する運びとなった。

 

「と、いうわけで。アドバイザーとして連れてきた友達の……」

「新星輝です。よろしくね」

「大鳴門むによ。よろしく」

「新星くん、今回はありがとう。改めてよろしくね」

「大鳴門さんは初めまして。明石さんも、こちらこそだよ」

 

 気さくに挨拶をする輝。

 明石は親しげに、今日ようやく苗字を知れた大鳴門さんは少し警戒した感じだ。

 

「あれ? 愛本さんは?」

「それが、やっぱり自分でもピアノ練習しておく! って聞かなくて。まだ学校」

「ああ、そういう」

「ごめんね。あとで今日話したことは伝えておくから」

 

 ユニットのリーダーがそれでいいのか感は若干あるけど、奔放そうな愛本さんらしいといえばらしいか。

 

「そうしたら、自己紹介も済んだし本題に入っていいかな? オリジナルの曲を作成するんだよね?」

「うん。それなんだけど、今回は私たちのユニットの、ってわけじゃないんだ」

「というと?」

「実は……」

 

 簡潔に例のユニットの応募コンテストの説明がされる。

 

 最後まで静かに聴いていた輝は、理解したようにひとつ頷くと顎に指を当て、考える姿勢に入った。

 

「……なるほど。つまり、そのユニットの世界観に沿った曲を作る必要があるわけだ」

「うん」

「何か、そのユニットの曲とかはある?」

「もちろん。これまでリリースされた曲は用意してあるよ」

「じゃあ、聴かせてもらうね」

 

 明石の差し出すタブレットとイヤホンを受け取って、輝はフォトンメイデンの曲を聴き始める。

 

 

 

 その間、僕らは手持ち無沙汰になってしまう。

 

 どうしようかと視線を彷徨わせ、ふと対面に座っている明石と目が合ってしまった。

 

「「あっ」」

 

 意識していたわけでもないのに、それがあまりに同時で、どちらからともなく逸らしてしまう。

 

「なーに仲良くしちゃってんのよ」

「べ、別にしてないよ」

「どうだか。ていうか、あんた」

「ん? なに大鳴門さん」

 

 大鳴門さんが少しびっくりした顔をする。どうしたんだろうか。

 

「大丈夫?」

「へ、平気よ。ん、んんっ! それよりこの人、本当に頼りになるんでしょうね?」

「ちょっと、むに」

「あーまあ、不安になる気持ちもわかるよ」

 

 僕や明石は輝の人となり、そしてピアノの腕前を知ってるけど、大鳴門さんからすれば初代面の男子。

 

 

 

 密やかに囁かれた彼女の懸念はもっともだと思う。なにせ初めての作曲活動なのだ。

 

 短い付き合いだが、大胆なようでいて基本的に慎重なタイプのようだし。確実性を知っておきたいのだろう。

 

「でもこれに関して、僕は万全のイエスを返せるよ。プロの演奏の補助にお呼ばれすることもある、って言えばわかるかな」

「ふうん? まあ、お手並み拝見ってところかしら」

「まったく、この子は……」

 

 ツンと澄ました態度はなんとも大鳴門さんらしいではないか。

 

 なんとなくだけど、光のことも思い起こさせるな。

 

「……なるほど。こういう感じか」

 

 そうやって言葉を交わしていると、輝が曲を聴き終えたのかイヤホンを外す。

 

「ありがとう、明石さん」

「う、うん。でも、もういいの……?」

「大丈夫。大体わかったから」

 

 はっきりと頷いた輝が、スッと表情を引き締めた。

 

 

 その瞬間、僕を含めて全員が彼の雰囲気が変わったことに気がついただろう。

 

 

 

「じゃあ、本格的に曲の方向性を決めていこうか」

 

 

 

 その輝は、僕の友人ではなく。一人の音楽家としての顔だった。

 

 

 





読んでいただきありがとうございます。


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Twelveth Unique



お待たせしました。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

「じゃあって、あんた本当に平気なの?」

「概ね特徴を掴むことはできたよ。参考になりそうな楽曲もいくつか目星はついてる」

 

 なおも疑わしそうな大鳴門さんへ、輝は頷く。

 

 柔和な声音はそのままなのに、凛々しい雰囲気を纏い直したその様子にはどこか説得力があった。

 

「その上で一つ、確かめておきたいんだけど。明石さん達はどんな曲を作りたいのかな?」

「どんな曲? いや、それはフォトンメイデンをイメージした曲を……」

「もちろん、コンセプトはそうだ。俺が言いたいのは、どこまで()()()()()()()()を出すかってこと」

 

 ピン、と親指を立てた輝の言葉に、明石が何かを気づいたようでハッとする。

 

 けれど僕の方はよく理解できてなかった。

 

「輝、それってどういうこと?」

「つまりはね。フォトンメイデンというテーマをベースに、どう自分達の音楽というものを表現したいのかを聞きたいんだよ」

「明石達のユニット特有の持ち味、ってやつ?」

「持ち味、そうだね。そうとも言える」

 

 正解だったようだ。

 

 同じく首を傾げていた大鳴門さんも、腕の中のぬいぐるみと一緒にハッとする。うん? 目の錯覚かな? 

 

「このオーディションは大手プロダクションの公募。名のあるプロも応募すると思う。実績も個性も持つ彼らに対して、明石さん達はこれからそれを作っていく状態で挑むことになる。どういうことかわかるかい、彩音?」

「えーと……めちゃくちゃ強い軍の教官に訓練初日の新兵が立ち向かうみたいな?」

「悪くない例えだね。最近ミリタリーものでも観た?」

「うん」

 

 嫌味だと思ってた教官と様々な出来事を通じて絆が芽生えていくみたいなやつで、意外と面白かった。

 

 とまあ、それはともかく。

 

「音楽は一種の自己表現だ。歌詞、曲調、良い曲であればあるほど、作曲したのがどんな人物で、何を伝えたいのかが随所に現れる」

「何を、伝えたいのか……」

「明石さん達は、世に出るならばどんな曲を作りたい? 何を込める? そして、()()()()()()()()()()()()?」

 

 重ねて投げかけられる質問は、まるで覚悟を問いかけているかのよう。

 

 ユニットという名の未だ真っ新なキャンバスをいかにして彩り、自分達だけの色をつけようとしているのか。

 

 明石達が真剣に考えているのかを知りたがっているようにも思えた。

 

「これが定まっていないと、正直受かる可能性はゼロだ。並み居る熟達者達を押しのけて、〝我こそは〟と思わせる一曲でなければ、残念ながら無駄になる」

「ちょ、ちょっと。いくらなんでも言い過ぎじゃない!?」

「ううん、むに。新星くんの言う通りだよ」

 

 大鳴門さんを諌め、かぶりを振った明石が答える。

 

「確かに、私達にはまだ世間で認められてる人達を上回れるほどの武器がない。すごく難しい挑戦になる」

「……」

「でも、やってみたい」

 

 はっきりとした、一言だった。

 

 くっと俯いていた顔を上げた明石の、一点も曇りのない眼差しに、僕は目を奪われる。

 

「これで納得する曲を作ることができたら、りんくとむにと一緒に、どんなユニットを作っていけばいいのかわかると思うんだ。それを確かめるためにも、ちゃんとした曲を作りたい」

「真秀……」

「だから、新星くん。どうか力を貸してください、お願いします」

「……うん、いい返事だね。勿論お手伝いするよ」

 

 ふと、輝が笑った。

 

 明石の覚悟を受け止め、認めだのだと理解する。

 

「その……あたしからもお願いするわ。あと、急に大きな声出して悪かったわね」

「気にしてないよ。俺もあえて厳しい言い方をしたから」

 

 そこに何を感じたか、大鳴門さんも素直な態度を見せていた。

 

「…………」

「彩音?」

「っ、ご、ごめん。ぼーっとしてた」

「水瀬、大丈夫?」

「うん……」

 

 心配そうにする明石から、思わず顔を背ける。

 

 ……やば。真剣に音楽と向き合う明石の表情があまりに綺麗で、見惚れてた。

 

「それに、これを込めたいっていうのはぼんやりと決まってるんだよね」

「おっ、いいね。差し支えなければ聞かせてくれるかな?」

「勿論……一度聞いたら、その人を笑顔にできるような曲。心の中が明るくなるような、そんな曲を作りたい」

「なんというか、明石らしいね。いや、明石達、って言った方がいいのかな」

「えへへ、そうかな」

 

 彼女達のユニットのイメージにぴったりだ。

 

 

 

 ライブもとびきりに楽しくて、びっくり箱みたいに驚かせ、楽しい気持ちにさせてくれる。

 

 うん。最初のオリジナル曲も、きっとそういうのがいい。

 

「なるほど。じゃあ課題は、クール系のフォトンメイデンとのギャップをどう擦り合わせるかだ」

「できるかな?」

「むしろ、聞いたおかげでより絞り込めたよ。だいたい予想通りだったしね」

「予想通り?」

「うん。この場に来る前に、彼女達のライブ映像は一通り見ておいたから。これまでの選曲からこういう方向だろうなとは考えてた」

「え」

 

 唖然とした声を漏らしたのは、明石か、それとも大鳴門さんか。

 

「今日は珍しく、よくスマホ見てると思ったら。そんなことしてたんだ」

「当然。相談を受ける身なんだからね」

 

 涼しげな顔で、偉ぶるでもなくこういうの言うよなぁ。

 

 

 

(いろんな意味で凄いわね、こいつ)

(水瀬もだけど、新星くんも昔のままだなぁ)

 

 

 

 どこか緊張の高まっていた空気が緩んだところで、一つ輝が咳払いをする。

 

「よし。明石さんのそのイメージも取り入れて、色々と曲を教えるよ」

「ありがとう!」

「彩音も手伝ってくれるかい?」

「僕も?」

 

 また唐突な指名だった。

 

 輝を紹介したところで、ひとまず仕事は終えたつもりだったのだけど。

 

「彩音は明石さんと音楽の好みが似通ってるからね。それに、ポップミュージックはお前の方が詳しいだろ?」

「僕が……」

「私と……」

 

 同時に、明石と互いを見る。

 

 確かにそこらへんの趣向は近い、のかな。最初に話し始めたきっかけも音楽だったし。

 

「水瀬も、手伝ってくれる?」

「まあ、ちょっとでも僕の知識で役に立てるなら」

「よかった。えへへ」

「……それは反則じゃないですかね……」

「?」

 

 柔らかなその笑顔に、また目が潰されて。

 

 そんな僕の耳を、輝の笑い声と大鳴門さんの呆れたようなため息が撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 明石達の曲作りが始まり、数日が経過した。

 

 

 

 

 

 どうやらとても順調なようで、輝や僕の勧めた曲を参考にしつつインスピレーションを形にしているらしい。

 

 〝改めてありがとう〟と連絡が来た時はほっとして、また嬉しくもなった。

 

 

 

 さて、どんなものが出来上がるかと楽しみにしていたのだけど。

 

「え? 愛本さんが同級生をピアノの師匠に?」

『そうなんだ。紆余曲折あって、その子に本格的にメロを作ってもらうことになってさ』

「ほーん……そりゃまた、驚きの展開だね」

 

 電話越しに伝えられた話に、僕はそう答える。

 

 我ながら声こそ平坦なものの、口にした通り結構びっくりしてた。

 

『ちょうど新星くんにアドバイスをもらった日に音楽室で知り合ったみたいで。今は私の作ったビートに合う感じのを頼んでる』

「そっか。問題はなさそう?」

『全然、むしろすごく助かってる。いきなりなのに手伝ってくれたし。でも……』

「でも?」

『やっぱり、新星くんに悪いかな? って』

「あー。まあ、あいつは〝俺はあくまでアドバイスまでで、あとは明石さん達が決めることだよ〟って言ってたし」

 

 色々と自分達の手でやる方がいいと思ってるのか、輝の方からあれ以上の口出しはする気がないみたいだ。

 

「あ、でも〝完成したら一度聞かせてね〟とは伝言頼まれた」

『それは勿論! 水瀬も期待しといてよね、渾身の出来のを持ってくから』

「正直、ここ数日ソワソワしっぱなしで気を紛らわせるのにずっと映画見まくってる」

『き、気が早いよ!?』

 

 そりゃ気も逸るさ。

 

 中学の時からずっと音楽をやる事を夢見て、毎日のようにそんな未来を嬉々として語っているのを聞いてたんだ。

 

 楽しみじゃないわけがない。

 

『ていうか、ちゃんと寝てる?』

「必要最低限は」

『もう! そんなんじゃ心配してこっちが手につかないって!』

「そう? じゃあ、一日に二本に抑えとく」

『そこは一本にしてほしいなぁ……』

「まあ、それくらい僕も楽しみなんだよ。明石は明石らしく、楽しんで作って」

『……うん』

 

 あ、やっぱこういうのって言ったら負担かけるかな。

 返事が心なしか弱々しい気がした。

 

『水瀬』

「ん?」

『その、さ……私達って、どういう友達…………?』

「え」

 

 スマホを持ったまま固まった。

 

 

 

 え待って。これどんな意図の質問? 

 

 友達って、普通一種類じゃないの? それとも僕が知らないだけで細かい種別的なのがある? 

 

『ご、ごめん! 変な言い方した!』

「あ、お、うん」

『うわめっちゃやらかした……そうじゃないだろ私……そ、そのさ! 水瀬、今回すごい色々助けてくれたじゃん!』

「そう、だな? 協力はしたね?」

 

 一応、最後まで聞いてみるか。じゃなきゃ全然わかりそうにない。

 

『でも、話を聞くだけじゃなくて、ここまでやってくれる人って中々いないから。なんでこんなに良くしてくれるのか、ちょっと気になって』

「なんでって言われてもな。たまたま友達を手助けできる方法があったから?」

『……仲が良かったら、誰でも?』

「えーと。つまり、明石とは特別付き合いが長いから手を貸したのかって事?」

 

 自分なりに噛み砕いてみると、やや間を置いて『……うん』と言われた。

 

 

 

(じゃなきゃ、ここまで色々されて、楽しみだなんて言って。なんか、なんか……期待しちゃうじゃん)

 

 

 

 なるほど。少しだけど理解したので考えてみる。

 

 明石だから手を貸したのか……多分そういう部分は、ある。

 

「はいかいいえで答えるなら、イエスかな」

『そ、そっか』

 

 あいにくと輝ほど人が出来てないので、より仲の良い相手には多くのことをしてあげたいと思うたちだ。

 

『ごめん、変な事聞いた』

「別にいいよ。……けどそうだなぁ。明石が相手なら、知り合ったのがつい最近でも同じようにしたと思う」

『っ──』

 

 それくらい、自分の「特別」を追いかける明石には強い魅力がある。

 

 多分友達になってからの長さじゃない。

 

 その輝きがある限り、僕は必ず何かをしてあげたくなってしまうのだろう。

 

「ってなんか、おかしな言い回しだったか。とにかく、明石は僕にとって大事な友達ってこと」

『……そっか。ありがと』

「うん」

『水瀬ってさ。案外自覚ないよね』

「うん?」

『なんでもない。あ、もうそろそろ切るね。おやすみ』

「ん、おやすみ」

 

 挨拶を交わし、通話終了。

 

「……自覚?」

 

 スマホを耳から離して、ちょっと首を傾げる。

 

 最後のはよくわからなかったけど、まあいいか。明石が楽しそうでなによりだ。

 

 

 

 

 さてと。

 

 

 

 寝る前にもう1本短編映画観るか。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 それからまたしばらく。

 

 

 

 話が持ち上がってから二週間以上が経過し、そろそろではないかと思い始めていた時だった。

 

 明石からついに曲が完成し、オーディションにも応募が完了したとの連絡が。

 

 

 

 なのでそのお披露目、ついでにお疲れ様会って事で予定を合わせてバイナルに集まる運びとなった。

 

「どんな風になったんだろうね」

「彩音、朝からずっとそわそわしてたからな。見てて面白かったよ」

「おかげさまでな」

 

 商店街をゆく足取りが、いつもバイトに向かう時より軽い。

 

 隣の輝を置いてけぼりにしないよう必死に先走る気持ちを抑えつつ、それでもギリギリ早歩きのラインだった。

 

「今日は俺の後任さんも来てるんだっけ?」

「ああ、実際にメロディを担当した人な。お前に引けを取らないくらいのピアニストだってさ」

「ほほう、それは会うのが楽しみだ」

 

 ちょくちょく単独でバイナルに来る愛本さんや大鳴門さんも太鼓判を押してたので、さぞ実力があるんだろう。

 

「俺達と同い年の凄腕女性ピアニストねえ」

「気になるのか? 珍しいな」

「んや。まあ、希望的観測ってやつ?」

「あー。女神様ね、女神様」

「ちょーい、そのなおざりなリアクションどうよ」

 

 まあ、明石達が作曲を手伝ってもらった相手が偶然こいつの女神様って可能性はそう高くないでしょ。

 

 もしそうなら、親友が憧れの人に会えて喜ばしいけどね。

 

 

 

 ぼちぼち会話をしつつ、バイナルに到着する。

 

 既にあちらは先に着いてるらしい。見慣れた店のドアが、やけに重厚に見えた。

 

「ふぅ……よし」

「覚悟は完了?」

「準備オッケー。いこうか」

 

 ベルの音と共に入店する。

 

 近くにいた愛莉さんが振り向いて、僕達だと気付き柔和に微笑んだ。

 

「二人ともいらっしゃい」

「うす、愛莉さん」

「こんにちは天野さん」

「あの子達、いつもの席にいるわよ」

 

 わざわざ知らせてくれた事にお礼を言って、明石達の元へ向かった。

 

 あと少し、あと少しで。

 どんどん大きくなる自分の鼓動に背中を押されながら、やっとテーブルが見えてきた。

 

「あっ、来たよ! おーい!」

 

 真っ先に気づいたのは愛本さん。

 

 立ち上がって元気よく手を振る彼女に、テーブルについていた他の面々もこちらに振り向く。

 

 明石と大鳴門さん。それに一人、初めて見る女の子。

 

 

 

 片手を挙げ、彼女達に挨拶をしようとして──ドサッ、と音が響いた。

 

「……?」

 

 すぐ近くからの音に振り向く。

 

 そしたら、何故か輝が鞄を床に取り落としたまま固まっていた。

 

「おい、平気か?」

「──」

「輝? おーい?」

 

 眼前で手を振ってみる。

 

 反応なし、電源が落ちてるようだ。仕方ないので鞄を拾う。

 

「ほらこれ。落として──」

 

 差し出した鞄は受け取られなかった。

 

 ほんの一瞬前に再起動した輝が僕の横をスタスタと通り過ぎていってしまったのだ。

 

 驚いて元見ていた方を向けば、一直線にテーブルへ行った輝はそこで立ち止まる。

 

「に、新星くん?」

「ちょ、ちょっとあんた、どうしたのよ?」

「? ??」

 

 明石達も困惑する中で、じっとある人物を見つめている。

 

 まだ名も知らない、お淑やかな印象を受ける長い髪の女の子は、自分に向けられる目線に不思議そうな顔をした。

 

「あの、何か……?」

「──っ!!」

 

 女の子が声を発した瞬間、雷に打たれたみたいに震える背中。

 

 鞄を拾った位置に立ったままの僕は、何がどうしたのかと親友の様子を伺い──。

 

 

 

 

 

「──ああ、女神様。ようやく出逢えた」

 

 

 

 

 

 ……………………はい? 

 

 

 

 次の瞬間、輝はとんでもない行動に出た。

 

 仰け反らせていた背筋をしゃんと正したかと思えば、女の子に向かいその場で跪いたのだ。

 

 

 

 僕は唖然と、明石達はぎょっと。

 

 そして何より、女の子が両手で口を隠して驚きを露わにする。

 

「え? え、え?」

「──名前を。貴女の名前をお聞かせ願えますか、レディ」

 

 

 

(((レディ!!?)))

 

 

 

「わ、私ですか?」

「他に誰がいましょう。どうか、この俺に教えてはくださいませんか」

「えと……と、渡月麗(とげつれい)と申します」

「渡月、麗……素晴らしい。月のように麗しい貴女に、これほどぴったりな名前もない」

「うるっ!?」

 

 噛み締めるように反芻し、輝は顔を綻ばせた。

 

 甘いマスクから繰り出される、歯の浮くようなセリフは女の子──渡月さんの頬を赤く染めさせる。

 

「失礼。突然で色々と驚かせてしまいましたね。申し遅れました、新星輝と申します」

「新星さん……えっ、あの〝壇上の貴公子〟の!?」

「お恥ずかしながら、そのようにも呼ばれております。しかし幼少の折、とあるジュニアコンクールで聴いた貴女の壮麗な演奏に比べればまだまだというところでして」

 

 そこで、さっと胸に添えていた左手がブレザーの内ポケットへと伸ばされる。

 

「そして、いつか貴女と言葉を交わす機会が巡ってきたなら、どうしても叶えたいと望んでいる事がありました」

 

 いっそ流麗な動きで引き抜かれ、渡月さんへ輝が差し出したものは──真っ白な一枚の色紙。

 

 

 

「どうか、サインを一筆いただけますか?」

 

 

 

 これでもかと言葉を積み重ねた上で繰り出された、その一言。

 

 これまでの付き合いで一番に生き生きとしている親友を、誰もが呆然と見ていて。

 

「……あ」

 

 

 

 輝がバグった──っ!!? 

 

 

 

 





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Thirteenth Unique


楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 待って待って、本当に待ってくれ。

 

 何を、僕の親友は今、目の前で何をやってるんだ!? 理解が追いつかない!? 

 

「サイン、ですか?」

「はい。それ以外には何も望みません」

 

 僕が混乱に陥っている間にも、輝の奇行はとどまることを知らない。

 

「そんな。新星さんほどの人が、私のサインをだなんて……」

「ご謙遜なさらずに。あの日の貴女が奏でた繊細にして大胆な旋律。他の追随を許さぬ美技。どれほど心が打ち震えたか。いつか同じほどにという気持ちで、俺は頑張ってこれたのです」

「きょ、恐縮です」

 

 危うく目が眩みそうになるほどの王子様オーラを全開で向けられ、渡月さんは目を白黒させていた。

 

 しかし、少し何かを考えた後、おずおずと恥ずかしげに言う。

 

「……そこまで言っていただけて嬉しいです。その、私でよろしければ」

「! ありがとうございます!」

 

 いいんだ!? 

 

 

 

 かくして、驚いたことに輝が渡月さんをその気にさせた。

 

 今度は右の胸ポケットから取り出されたペンと共に受け取った色紙に、彼女はサラサラと印していく。

 

「これでよろしいでしょうか?」

「はい……!」

 

 恭しく、返された色紙を輝は受け取る。

 

 自分の手の中に収まったそれを見下ろし、女の子だったら思わず見惚れそうな表情を浮かべた。

 

「ああ、今日はなんて良い日だ……」

「…………」

「ん? 彩音、そんなところで何してるんだい? こっちに来なよ」

「だっ……」

 

 れのせいだと、と喉から飛び出した言葉を食い止める。

 

 落ち着け、僕。

 ここでツッコんでも何かに負けたような気がする。あくまで、あくまで冷静に…………よし落ち着いた。

 

「「!?」」

「お前、はしゃぐのはわかるけど荷物落としちゃいかんでしょ」

「ああ、そうか。拾ってくれたんだな、ありがとう」

「まったく、気をつけなよ」

 

 スタスタと近づいて、立ち上がってる輝に鞄を返す。

 

「ねえ、今一瞬で表情消えたわよ……」

「水瀬、昔から切り替え早いから……」

「ん?」

「な、なんでもない!」

 

 明石と大鳴門さん、いま内緒話してたような。

 

 まあ、おおかた輝の行動についてだろうけど。きっと本人に聞こえないようにしたんだろう。

 

 

 

 そんなこんなで席に着き、ようやくお疲れ様会のメンバーが揃った。

 

 僕と輝が頼んだ飲み物が来るまでの時間で、輝とは初顔合わせの愛本さんや、改めて渡月さんと自己紹介をする。

 

 その間に、おかしかった空気も少し落ち着いた気がした。

 

「さてと。お騒がせしたね」

「すごいすごい! 二人とも、映画みたいだったよ!」

「愛本さん、そんな、大げさです」

「いえ。俺としては、まさしく人生最大の好機と言えました。こちらは額縁に入れて大切に保管させていただきます」

「そ、そこまでしていただくほどの価値は!」

「何を仰います。俺にとっては至宝ですよ」

 

 どうやらまだバグってるみたいだ。再起動させたいけどスイッチどこだろう。

 

「新星くんって、こんな一面もあったんだ……」

「なんか最近のあんたに似てるわよね。類は友をってやつかしら」

「大鳴門さん、それどういう意味?」

 

 流石にここまでブレーキ自分でへし折ってないんだけど。

 

 ちょっと明石さん? なんで若干目ぇ逸らすの? え、嘘でしょ普段こんなになってる? 

 

「こほん。なにはともあれ、今日は水瀬も新星くんも来てくれてありがとう!」

「こちらこそ、呼んでくれてありがとう」

我が女神(マイレディ)の携わった曲を拝聴できる機会をくれたこと、改めて感謝するよ」

「あはは……えー、完成にこぎつけたのは、ここにいるみんなの力があったからです。特に、いきなりだったにも関わらず頑張ってくれた麗には本当に感謝してる」

「いえ。こちらこそ初めての挑戦で、とても楽しかったです」

「うん。あとはオーディションの結果を待つばかりだけど、ひとまずはってことで……」

 

 おもむろに明石が持ち上げたグラスに、察して自分の飲み物を手に取る。

 

 他の面々も同じようにして、それを確認した彼女が一際笑顔で言った。

 

「お疲れ様! かんぱーい!」

「「「「「乾杯ー!」」」」」

 

 重なる声と、ぶつかるコップの音。

 

 周りのお客さんの迷惑にならないくらいで取り交すと、いきなり愛本さんが身を乗り出した。

 

「真秀ちゃん真秀ちゃん! 早く二人にも聞かせてあげようよ!」

「わかってるって」

 

 こちらを見た明石が、仕方なさそうに笑う。

 

 それは愛本さんの押しが強いからか、それとも僕が彼女と同じ待ち切れない顔をしていたせいか。

 

「早速なんだけど、いいかな?」

「いよいよ、だね」

「待ちに待ったよ」

 

 

 頷き、自らのスマホを取り出す明石。

 

 その指が画面をスワイプスするのさえドキドキしながら、差し出されたそれとイヤホンを受け取る。

 

「はいこれ」

「サンキュ」

 

 片耳ずつはめ込み、画面に表示された音声ファイルの再生ボタンを……クリックした。

 

 

 

 

 

 瞬間──音楽が弾ける。

 

 

 

 

 

 まさしく飛び出すように始まったイントロに、ハッと喉が震えた。

 

 圧倒される暇もなく、怒涛のごとく音の調べは軽やかに音階を次から次へと飛び移り、頭へ流れ込んできた。

 

 

 

 パレードのように賑やかな序盤が終われば、一気に曲調は静かなものへと。

 

 伸びやかに、それでいて嫋やかに、耳朶を打つビート。

 

 少しずつこちらをそこから先へ誘っていると予感させる溜めを段階的に経て。

 

 

 

 そしてまた、爆発する。

 

 再び心の中に広がる音という名の鮮やかな色彩が、体の全てを内側から満たして。

 

 

 

 気がつけば、足踏みをしてた。

 

 その曲が内包する世界に支配されてしまったのか、僕の意思に関わらず肩が小刻みに揺れる。

 

 ただ没頭していたくて、いつの間にか目を閉じ、残りのほんの数十秒を聞き届けるのに注力し。

 

 

 

 そうして、終わる。

 

 名残惜しさを残させない、最後の最後まで楽しげなリズムのままに、一分半が過ぎ去った。

 

「…………ふぅ」

 

 ゆっくりと、息を吸い、吐く。

 

 すっかりと浸ってしまった意識を、体を慎重に現実へと引き戻し、余韻から醒める。

 

 

 

 イヤホンを外す。

 右端まで画面上のバーが到達したスマホを、そっとテーブルに置いた。

 

「どう……かな?」

 

 顔を上げれば、どこか不安そうな明石が。

 

 彼女だけじゃなく、愛本さんも、大鳴門さんや渡月さんも同じ眼差しを送ってきて。

 

 そんな四人に、僕は天井を仰ぎ見、万感の思いを込めて呟く。

 

 

 

「────宇宙(ユニバース)

 

 

 

 全てが収束された答えだった。

 

 何がとか、どこがどんな風にとか。

 伝えたいことが頭の中を埋め尽くして逆に語彙力が死んだ結果、唯一溢れ出た言葉がそれだった。

 

「最高だった……もう、自分の中の何かが弾け飛んだ気分だよ……」

「えーと。良かったってことでいい?」

「至上」

「さらにランクが上がった!?」

 

 感極まった。ここまで心を揺さぶられたのは久しぶりだ。

 

 前にCDショップで遭遇した女の子の言ってた意味が、ちょとわかったかも。 

 まさに宇宙を見たような感覚だった。

 

「もう、なんていうか……この曲を生み出してくれてありがとうって言葉しか出てこない」

「わー! 気に入ってくれて良かった!」

「大げさなリアクションねえ。まあ、悪い気はしないけど」

「良かった……あの、新星さんはどうでしたか?」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、渡月さんが不安げに僕の隣を見る。

 

 イヤホンを取って、輝はいつもの3割増しで良い笑顔を浮かべた。

 

「見事な一曲でした。しっかりと明石さん達のイメージを確立しつつ、メッセージ性もある。偉そうな口ぶりになってしまいますが、文句の付け所がないです」

「そ、そうですか。よかった……」

「ありがとう、新星くん」

 

 さすがは輝。僕が言語化できなったことを全て言ってくれた。

 

 音楽の先輩からのお墨付きをもらってはにかんでいる明石へ、気を取り直し改めて言葉を贈る。

 

「やったな。ちゃんと感じられたよ、明石達だけの特別な色(ミックス)

「! うん!」

「まっ、これなら採用間違いなしよね」 

「さて、どうだろうね。あとはオーデションの審査をする人たちの采配次第だよ」

 

 得意げだった大鳴門さん、冷静な一言を浴びせられてガクッと肩を落とした。

 

「あんた、相変わらずしっかりしてるところはしてるわね……」

「はは。多少は不安も持っておかないとね。自分が最高のパフォーマンスを発揮できたと感じても、評価をする側の感性と必ず合致するとは限らない」

「評価され慣れてる輝らしい意見だな」

「もちろん、これを聞けば僕も明石さん達や我が女神(マイレディ)の努力が無駄になるとは思わないけど」

 

 それも確かに。

 この曲にはいろんなものが詰まっていた。音の一つ一つに至るまで、丹精こめているのがわかる。

 

「その辺り、どう感じているかな?」

「……うん。今回の作曲を通して、どうすれば聴く人を楽しませられるのかとか、自分の理想を実現できるのかとか。いっぱい考えて、勉強になった。たとえオーディションの結果がどうなっても、絶対に後悔はしないよ」

 

 自分の胸に手を当てて、回顧した明石は頷いた。

 

 多くのものを発見して、身に付けることができたのだろう。とても晴れやかな表情だ。

 

「えー! そこは絶対受かってるって思っとこうよー!」

「そうよ。確かに期待しすぎは良くないけど、このむにちゃんが認めた曲なんだから。自信持ちなさい」

「良い結果を信じましょう、真秀さん」

「みんな……うん! そうだな!」

「上手くまとまったみたいだね。じゃあ、堅苦しいのはこの辺りでやめておいて。お祝いをしようじゃないか」

「賛成。今日は楽しもう」

 

 元々はそれが目的だったわけだし。

 それに、オーディションがどうあれ……少なくとも僕は、完全にあの曲の虜になっていた。

 

「はいはーい! 私、ピザ食べたーい!」

「この時間に重いの食べるわね!?」

「だってお腹ペコペコなんだもーん」

「りんくさん、凄い……」

「はいはい、じゃあご飯も頼もうか」

 

 

 

 そうして、僕達は日が暮れるまでその場を楽しんだ。

 

 

 





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Fourteenth Unique

 

 

 

 

 

 ピコン、と通知音が鳴る。

 

 

 

 パソコンで観ていた映画を止め、机の上に置いたスマホを見ると連絡が入っていた。

 

「ん、明石からか」

 

 ロックを解除して、トークアプリを開く。

 

 

 

 まほ:今いいかな? 

 水瀬彩音:大丈夫

 まほ:よかった。

 オーディションのことなんだけど、結果が返ってきたから伝えておきたくて

 

 

「おっ、ついにか」

 

 だいたい今週くらいには応募先から連絡が来るとは聞いてたけど、今日だったみたいだ。

 

 合否がわかったら教えてくれるというから楽しみにしてたので、嬉々として返事する。

 

 

 

 水瀬彩音:わかった、聞くよ

 まほ:できれば口で伝えたいんだけど、電話しても平気? 

 水瀬彩音:構わないよ

 

 

 

 既読がついてから少し間を置いて、画面が明石からの着信に切り替わった。

 

 応答して耳に当てる。

 

「もしもし、明石?」

『あ、水瀬? 突然ごめん、大丈夫だった?』

「ちょうど家で暇してたよ。いつも通り映画見てた」

『そっか。今日はどんなの?』

「ホラー。ちょっと古いやつ。そっちは?」

『さっきまでりんく達とバイナルにいたよ。解散したとこ』

「へえ、店に来てたんだ」

 

 ということは、四人でオーディション結果を確認したのかな。今日に限ってシフトが入ってなくて惜しい。

 

 けどまあ、こういうって最初は作った当人達だけの方がいいか。

 

「今週のスペシャルメニューを食べてくれたか聞きたいけど、先に本題からいこうかな」

『うん。その……』

 

 ん、何やら歯切れが悪そうだ。

 

 今回の挑戦にどんな成果を得られたのかドキドキしつつも、明石が続きを言うまで待つ。

 

『…………ごめん! あの曲、落ちちゃった!』

「あー……そうだったんだ」

 

 受け入れるのに一瞬、時間を要する。

 

 そっか。落選しちゃったのか。個人的にはすごくいい曲だと思ったんだけど。

 

『水瀬や新星くんにも沢山協力してもらったのに、ホントごめん!』

「や、なんで明石が謝ってるの。別に大丈夫だよ」

 

 自分の方がダメージあるだろうに、いい子だな。

 

 通話の向こうから漂ってくる空気は申し訳なさげで、どう言葉をかけたものかと逡巡する。

 

 

 

 残念だったね? それとも、今回はしょうがないよ? 

 

 うーん、ありきたりだ。それになんだかちょっと淡白な気もする。もう少し頭を捻って……。

 

「改めて、お疲れ様。すごく頑張ったね」

『……ありがと』

 

 不甲斐ないことに、これもありきたり。

 

 しかし明石のこれまでの労力を思えば、かける言葉はこれしかない。

 

『うー、悔しいなぁ。むにじゃないけど、結構自信あったのに』

「同感。愛本さん達はなんて?」

『残念がってた。あはは、最初から全部上手くいくことなんてないよな』

 

 今までの活動は順調そうだったし、これがユニットとしての初の挫折なんじゃなかろうか。

 

 でも、思ったより明石の声音は暗くない。

 悲しいっていうよりは、言った通り悔しい気持ちが大きいようだ。

 

『これを糧に、また次頑張ってみるよ』

「良かった。落ち込んでなさそうで」

『このくらいでへこたれてられないって。それに結果的には落選だったけど、得られたものは大きかったから』

「僕も今後、さらにパワーアップした曲が作られるのを楽しみにしてようかな」

『もー、また映画三昧にならないでよ?』

「それはもう日課だからなぁ」

 

 なんとなくそうなると思ってたけど、あまり心配する必要はないみたい。

 僕が勝手に気を揉むまでもなく、普通にいつもと変わらず前向きな明石だった。

 

『まあでも、終わったと思ったら結構気が抜けちゃってさ』

「燃え尽きた?」

『ってほどじゃないけど。今日はもうユニットのことは休憩の気分』

「じゃ、軽く雑談でもしようか」

『うん、そうしたい』

 

 とりとめのない会話が始まる。

 

 明石は普段の二割増しにテンションが高いような気がした。ずっと気を張り詰めさせていた反動かな。

 

 僕の方からも積極的に話題を提供して、楽しませることに努めた。

 

「で、その時ちょうど先生がポインターで黒板叩いたのと、光の頬杖がずれて起きたのが同時でさ。みんな笑ってた」

『なにそれ、凄いタイミング。え、その後はどうなったの?』

「先生が「そこまで強くやったか……?」とかぼやいて、見事に全員死んだ」

『あっ、あはははっ! それは反則でしょ!』

 

 誰が一番不憫だったかって、額を机に打った上に叱られた光だろう。しばらくしょげてたし。

 

 お気に召したらしい明石は、しばらく笑った後にはあと一息ついた。

 

『あー、お腹痛い。ほんと、笑わせるの上手いよね』

「どうかな。喋り慣れてる明石だからかも」

『そっか。……ねえ、水瀬』

「ん?」

 

 ふと、明るげな声の裏に何かを含ませた明石は。

 

『ありがとう』

「あ、うん。どうも。……えっとこれ、何に対してのお礼?」

『色々、かな。うん、色々』

 

 

 

(曲作りを手伝ってくれたし。こうして元気付けてくれることも。それに……頑張ったねって、言ってくれたから)

 

 

 

 交流を再開してから何度か聞いたその言葉。

 

 なのに、これまでのどれより深い意味があるように聞こえたのは、僕の気のせいか。

 

『前に水瀬、大事な友達って言ってくれただろ? 私も、また友達になれてよかったって思ってるっていうか』

「それならよかった」

 

 少しホッとした。

 

 まだ心のどこかで、どこまで元通りになれたのか、近づいていいのかとか考えていたから。

 

『だから、さ。大事な友達、なんだから……」

「うん?」

『……名前で呼んでも…………いい?』

「…………………………………………はい?」

 

 

 

 そうやって、気が緩んでいた僕にとって。

 

 

 

 躊躇いがちに、か細い声で通話越しに告げられたものは、一瞬で意識を吹き飛ばすだけの力があったのだ。

 

 

 

『ほ、ほら! 中学の時を足せばもう一年以上の付き合いだし!? これを機に、そろそろいいかな〜って思うんだけど!』

「お…………あ……うん…………?」

『だ、駄目……かな?』

 

 長く。

 

 オーディションの結果を聞いた時とは比べ物にならない時間が、かかった。

 

 音が言葉として脳に染み込み、意味を分析して、認識するまでに体感で何分も費やした末に──。

 

「い……いんじゃ、ないです、かね……」

『っ! ほ、本当にいいの!?』

 

 や、あの。今冗談とか嘘とか言える余裕、マジ無いから。

 

 部屋の中の微かな音さえ入ってこない。比喩なしに全神経がスマホへ……明石の方へ集中しているのがわかる。

 

『へ、へへ。やった』

「……明石?」

『あっ、なんでもない。と、とにかく! そういうことなら、次会った時からはいろ……し、下の方で呼ぶからな!』

「お、お好きにどうぞ?」

『じゃあ、また今度ね! お、おやすみっ!』

 

 始めた時とは正反対のかなり上擦った声を残して、通話は切られた。

 

 ツー、ツー。

 無機質な音を繰り返しているスマホを耳から離して──直後、ウォータースライダーさながらに椅子を滑り落ちる。

 

「っはぁあぁあぁぁ…………」

 

 びっっっっくりしたぁ!!!?? 

 

 は? は? なに、えぇ? さっきの何? 何だったのマジで? 不意打ちすぎてヤバすぎたんだが? 

 

「なんなの? 一日一回可愛いことしないと気が済まんの?」

 

 アホなセリフが口から飛び出す始末。

 だって仕方がないだろう、一歩踏み込めたと思ったら五歩くらいぶっ込まれたんだ。

 

 

 

 ああ。これ、次会う時どうしたらいいわけ。

 

 どんな顔で、どういう感情を抱けばいいの? 頼むから、誰か教えてほしい。

 

 沸騰した顔に手を当てて、誰も見てないのに隠そうと躍起になりながら思った。

 

 

 

 

 

 僕も今日はギブアップだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 駅前に広がる広場

 

 その一角にあるベンチで、みなもは読書に耽っていた。

 

 授業の合間にあと少しで読み終わる所まで進め、家まで待ちきれずにここで落ち着いた。

 

 その指はまさに今、最後の一ページを繰らんとしている。

 

「……ふぅ」

 

 

 

(うん、面白かった。周りから怖がられて、人を信じられなかった男がある出会いをきっかけに大切な人達を作っていく話。最後はきっかけをくれた女の子と結ばれてハッピーエンド。すごくよかった)

 

 

 

 本を閉じ、前髪の下にある眼鏡のさらに奥で目を輝かせた。

 

 そうして顔を上げたところ、少し離れた場所に見覚えのある人物が歩いているのが見える。

 

 

 

(あれって……)

 

 

 

 近隣でも有名な陽葉学園の制服。鮮やかに揺れる金髪は見間違えるはずもない。

 

 肩を落としており、どこか気落ちしている様子にどうしたのかと思わず注視してしまう。

 

「?」

「あっ」

 

 それに気がついたのだろうか。不意にこちらへ振り向いたことで目が合う。

 

 みなもは曖昧な笑いを浮かべ手を振った。

 

 

 

 が、すぐに焦る。

 

 今の自分は学校に行くモードだ。彼女と遭遇する時は決まってオフなので、誰なのか認識できない可能性がある。

 

 そんな予想に反し、少しの間だけ首を傾げていた少女は表情をぱっと明るくさせて近づいてきた。

 

「もしかして、みなもくん……だよね?」

「そうだよ。奇遇だね、愛本さん」

 

 りんくはやっぱり! と言わんばかりに笑顔を浮かべた。

 

「わー、凄い! また会っちゃった!」

「この間ぶり。あ、どうぞ」

「ありがとう!」

 

 自分ばかり座っているのも気が引け、端に寄るとりんくが横に腰を下ろした。

 

「よく僕だってわかったね? いつもと結構違うんだけど」

「あ、確かに制服だ! うーん、なんていうかビビッ! ときたんだよね。あ、みなもくんだ! って」

「び、びびっときたんだ?」

「うん!」

 

 そっか、と納得を返す。

 数度目の遭遇ともなれば慣れるもので、自信満々に直感的な根拠を誇る様にもあまり驚かない。

 

「愛本さんも制服だけど、学校の帰り?」

「うん。さっきまで友達といたの。商店街にあるお店でね」

「へえ。良いお店?」

「うん! いっつもみんなで行ってるんだ」

 

 興味を唆られた。

 街中の至る場所で出会す活発的なりんくが常連にしているとは、よほど気に入っているのだろう。

 

 しかし詳しく聞こうとする前に表情がみるみると暗くなっていき、大きくため息をついた。

 

「ど、どうしたの?」

「実は今日、残念なことがあって……」

「残念な……」

「友達がすっごく頑張って作ったものが採用されなかったんだ。それがちょっぴり悲しい? 悔しい、みたいな?」

「なるほど。それは惜しかったね」

「みんなですっごく楽しみにしてたのにな〜……こんなことざらだよ、って言ってたけど、私にも何かできたんじゃないかなーって考えちゃって。そのせいでお腹も空いてくるし」

「えっ、お腹が空くの?」

 

 採用、と言うからには何かしらの応募だったのだろう。

 二度目のため息がこぼれ落ちるのを見て、随分期待していたのだと確信を深める。

 

 みなもは困った。というのも、異性から悩み事を聞くという経験には乏しい。

 ガラの悪い連中をひと睨みして退けるのとはわけが違う。上手くやる方法というのがよく分からない。

 

 どうしたものかと思案した時、ふと膝の上にある本が目に入る。

 

「って、ごめんね! いきなりこんな話」

「そんなことないよ。……その、僕は詳しく知ってるわけじゃないから、下手に何か言えないけど。でも、〝落ち込んだ時こそ、自分らしく〟でいいんじゃないかな」

 

 思い切って、そう言ってみる。

 りんくを見ると、ぱちくりと目を瞬かせてはいるが、みなもの発言に引いている様子ではない。

 

 これならと、もう少し勇気を出して続かせる。

 

「この本にあったセリフなんだけどね。何かが上手くいかなくて落ち込んだ時って、いつもの自分を忘れがちになると思うんだ。やり方が間違ってたんじゃないか、もっと良い方法があったかも、って」

「それって、今の私みたいに?」

「うん。だけど結局、終わったことは終わったこと。飲み込んで、自分なりに次に活かす方法を考えた方がずっと良い。そんな考え方に共感してさ」

 

 そういう経験ならみなもにもあった。

 コンプレックスだったこの目つき。隠すことしかできず、昔はそこからずっと進めなかった。

 

 でも、今は別の考え方ができている。不安と失敗を恐れて俯くばかりではない。

 おかげでこうして、顔を合わせては言葉を交わす知人も一人できた。

 

「愛本さんもそのことを、ずっと引きずりたいわけじゃないでしょ?」

「ううん、全然違うよ!」

「ならやっぱり、愛本さんは愛本さんらしく、前向きに明るくいればいいと僕は思う。そのお友達も、元気な愛本さんが見たいだろうし」

 

 勝手な想像になるが、りんくの友達だ。自分のせいで天真爛漫な彼女が落ち込むのを喜ぶとは思えない。

 

 

 

(うう、差し出がましい意見だったかな。名前さえ前に会った時にお互い知ったばかりのやつから説教じみたことを言われて、怒ってないといいけど)

 

 

 

 最後まで話し切って一種のテンションが下がったのか、不安がよぎる。

 

 自分の考えも混ぜてはいたものの、七割方が本からの受け売り。時間が経つにつれ、どんどん膨れ上がり──。

 

「自分らしく……私達のっぽく……うん、うん! それ! それだよ!」

「あ、愛本さん?」

「みなもくん!」

「は、はい!」

 

 思わず背筋を伸ばして返事をする。

 

 次の瞬間、ひと一人は空いていた距離をぐっと詰めてきたりんくにぎょっとさせられた。

 視界を埋め尽くさんばかりの綺麗な顔とキラキラ輝く瞳は、眼鏡というフィルターがなければとても直視できない。

 

「ありがとう! おかげで私、やりたいことが分かった気がする!」

「そっ、それは良かった。ちょ、ちょっとは役に立てたみたいで」

「すっごく立ったよ! 私、絶対にチャンスにしてみせるからね!」

「が、頑張ってね?」

 

 どうやら思いついたことがあるらしく、居ても立ってもいられない様子で立ち上がったりんく。

 

 そのまま行くかと思われたが、何歩か進んだところでみなもに振り向いた。

 

「みなもくん! いつも助けてくれてありがと! またお話しようねー!」

「うん。僕でよければ、いつでも」

 

 満足げに頷き、またね! と手を振って走り去っていく。

 

 見送って、しばらくしてからほっと安心した。初めてのことだったが何とかできたようだ。

 

「助けられたな……」

 

 アドバイスのヒントをくれた本をまた見下ろす。

 

 なんとなくそれが先ほどまでよりもさらに良いものに思えて、読み返してみようという気になる。

 

 願わくばりんくの試みが成功するようにと思いながら、みなもはまた一からページをめくり出すのだった。

 

 

 

 

 

 





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Fifteenth Unique


今回と次回、前後編でお送りします。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 

 雨音が、その場のほとんどを支配していた。

 

 

 

 

 

 ざあざあ、ざあざあと。

 

 強く、時々、我に返るよう弱く見慣れない室内に存在する他の音をかき消し、自分で埋め尽くしている。

 エアコンの駆動音も、洗面所から届く洗濯機の回転音も。微かな床の軋みさえ。

 

 その全てを覆って、包んで……だというのに。

 

 

 

 

 

 ズキズキと痛むように激しいこの心臓の鼓動と、目の前の彼女の息遣いだけは、どうして隠してくれないのだろう? 

 

 

 

 

 

 薄暗い、無人のリビング。

 

 まるでここだけが切り離されたような空間の中で、ソファに寝そべる明石の存在だけを強く感じる。

 窓の外で降り頻る、分厚い無色透明のカーテンがそう思わせるのだろうか? 

 

 覆い被さるような姿勢でいる自分との間には、精一杯伸ばした両腕ぶんの距離しかない。

 

 

 

 僕は、彼女の青空色の瞳から目を離せないでいた。

 

 いつだって溌剌なはずのそれには、驚きと、少しの怯えとが浮かび、潤んでいる。それだけでも意識を捉えてやまないのに、か細い吐息や、甘い匂いや、視界の端で震えた指先が、さらに思考の歯車を堰き止めていた。

 

 彼女は今、僕と同じ疑問を抱いているのだろうか? 

 

 

 

 代わりに何か胸を満たすのは、戸惑いのような、怯えのような。或いはもっと強く激しい何か。

 

 自分のことなのにわからない。僕は今、何を考えて──。

 

 

 

「いろ、ね……?」

「っ」

 

 

 

 はっと、元から開きっぱなしでいた目をさらに大きくした。熱に浮かされた意識がほんの少しまともになる。

 

 すると途端に、あり得ない現実を改めて認識した。借り物のYシャツの下で、シャワーを浴びたことでの上気とは別の汗が滲んでくる。

 

 

 

 ようやく脳裏に浮かぶのは、至極ありきたりで、きっと一番最初に考えなければならなかったこと。

 

 どうして、こんなことになっているんだろう? 

 

 こんなことをするつもりなんて、全然なかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ僕は、明石の家で、明石とこんなふうに見つめ合っているんだっけ────? 

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

「……わーお。すっごいな」

 

 

 

 ざあざあ、と反響する雨音に呆れとも感心ともつかない言葉が漏れる。

 

 大粒の雫が地面に打ち付けられ、飛び跳ねては色の変わったローファーのつま先をさらに濡らした。

 

 それはじっとりとした五月後半特有の空気を伴っていて、梅雨を色濃く匂わせる。

 

 

 

 まさかここまでの夕立に見舞われるとは。

 朝の天気予報じゃ降らないはずだったんだけど。降水確率30%って言っても油断ならないな。

 しかもこういう日に限って傘持ってないんだよ。

 

「水も滴る、ってレベルじゃないでしょ。これ」

 

 つむじから靴下までぐっしょり。濡れ鼠だ。

 

 近くにあった公園の東屋に逃げ込んだはいいけど、手遅れ感しかない。自然乾燥でどうにかなる段階余裕で超えてる。

 

 いや、この湿気じゃそもそも乾かないな。おのれ梅雨め。

 

「うっ、っくしゅ。さぶっ」

 

 外気と肌に張り付く服の冷たさの落差がヤバいので、仕方なしにバッグをベンチに下ろしてジャケットごとパーカーを脱いだ。

 

 おお、開放感がすごい。

 重りみたいになってたフードが無くなったことで、首の後ろがすっと軽くなった。

 絞ってみると蛇口を捻ったみたいに出てくる出てくる。

 

 もう一度、東屋の外に目をやる。

 

「しばらく待つかぁ」

 

 こんなのにもう一度飛び込んでくのは普通にごめんだ。雨が止むか、あるいはせめて、帰れるくらいに弱まるまで。

 

 スマホは……結構充電残ってる。これならしばらくは時間を潰せるだろう。

 

 ベンチに腰を落ち着け、今日はバッグに突っ込みっぱなしだったので無事だったヘッドホンを取り出すと接続して耳に嵌めた。

 

 

 

 滅入った気分を上げるために、ある音声ファイルを再生する。

 一秒にも満たないラグを挟み、楽しげなイントロがヘッドホンから流れてきた。

 

 走り出しは軽やかに。

 階段を駆け上がっていくみたいに華やかな旋律が、鬱屈とした気分を払拭してくれる。

 

 

 

(なんに)も、予定はないけど〜♪ 何だか、ワクワクするの♪』

 

 

 

 始まる曲の名前は、『Make My Style』。

 

 いつかのオーデション用に作った曲が、リメイクを経て明石達のオリジナル曲となったもの。近頃のお気に入りだ。

 

「お、輝達だ」

 

 いつもの四人のグループにいくつか連絡が入ってる。

 

 

 

 輝:お前ら、雨大丈夫か? 

 光:どうにかな。コンビニの側だったのが幸いした

 みなも:一応、傘持ってたから平気だよ。輝くんこそ大丈夫? 

 輝:俺も念のため、折り畳み入れてたからな。つっても、これだと穴空きそうな勢いだが

 

 

 

 うわ、僕以外みんな無事じゃん。ちょっと悔しい。

 

 彩音は? という最新のメッセージに、絶賛雨宿り中と書き込んで返信しといた。南無やら気をつけてやら、すぐに反応される。

 

 

 

 なんか、どことなく疎外感を覚えた。

 きっと、ほとんどが音楽で打ち消された、センチメンタルな気分の欠片から発したものだろう。

 

 ヘッドホンからの歌声だけが、繋がりみたいなのを感じさせてくれた。

 

「……明石はどうしてるかな」

 

 輝達と同じく、無事に帰れただろうか。

 それとも僕みたいに困って、どこかで雨の終わりを待ってるのかな。

 

「…………()()()も、こうして降ってたっけ」

 

 

 

 ちょうど、今日と同じくらい激しかった。

 

 

 

 教室の引き戸を開けたその先で、曇天を背景に明石は強張った顔をしていた。

 

 

 

 周りには二人のクラスメイトがいて、彼女達の顔つきもどこか気まずそう。

 

 

 

 それを見つめる僕は空虚な気持ちを有り余らせ、どうしたらいいのかわからないまま──。

 

 

 

「──彩音?」

 

 

 

 曲が、止まった。 

 

 ファイルに収録された音声が終了し、雨音が戻ってくる。

 いつしか昔の記憶に飛んでいた意識も一緒に戻ってくると、目の前には明石がいた。

 

 

 その姿があまりにあの日と重なっていて、現実とわかるまでに少し時間がかかった。

 

「……え? 明石? なんでここに?」

「いや、彩音こそこんなところでどうし……って、うわっ! ずぶ濡れじゃん!?」

「あ、うん。前に見た映画のパッケージ再現しようと思って」

「そういう冗談はいいから! タオルとか持ってないの?」

「あったら良かったんだけどね」

「そっか。分かった」

 

 明石が東屋に入ってくる。

 

 傘を閉じて柱に立てかけた彼女は、徐にバッグを開けると中を探った。

 そうして取り出したタオルを、差し出してくる。

 

「これ、よければ使って」

「いいの? 助かるよ」

 

 せっかくだ、ありがたく使わせてもらおう。

 

 受け取って髪を拭いたら、すごい勢いで水を吸った。我ながら吸水性抜群の毛髪だな。

 

「ふう。本当にありがと。洗って返すね」

「いいよこれくらい。えっと……傘は持ってないんだよね」

「うん。でも無理やり家まで突っ走る気にもなれなくてさ」

「ここからだと遠いの?」

「それなりかな。一応聞くんだけど、明石は予備の傘とか持ってたりしない?」

「ごめん、今は持ってない。あったら貸せたんだけど」

 

 残念。もし借りられたら、お返しにまた店でコーヒーでも奢ろうと思ったんだけど。

 

「そうだ、家族に持ってきてもらうとかは?」

「親は仕事だし、兄貴も今日は夕方まで大学だと思う。つまり、ここにいるのが一番無難なわけでして」

「なるほどね。でも、こんな中で濡れたまま待ってたら風邪引いちゃわない……?」

「まあ、そうなるかも」

 

 別に体が強いわけでもないし。その確率は高そうだ。

 そうなると目下の課題は明日の授業のことだな。

 今から輝あたりにノートを取っといてもらうよう頼んでおこうかと考えてたら、明石が心配そうな顔をしていた。

 

「まあ、なんとかなるよ。明石は気にしないで」

「そんなの、するに決まってるじゃん」

「じゃ、明石の傘に入れてってもらおうかな? なんて……」

 

 ほんの軽い、冗談のつもりだった。

 

 こう言えば明石が「流石にそれはね」とか、そう返事をするものだと思っていたから。

 

「……別に、それでもいいけど」

「え? マジ?」

 

 だからこそ。少し驚いた後にそう言った彼女にぽかんとしてしまった。

 

「な、なんで驚いてんの。彩音が言ったんじゃん」

「や、言ったけど……それだと、明石が遠回りになっちゃうから申し訳ないよ」

「じゃあ、うちまで来てもらって傘を貸すっていうのはどう? 今思いついたんだけどさ。ここからすぐだし、多分、彩音の家に行くよりも早いと思うんだけど」

「あ、その手があったか。でもいいの?」

「うん、予備のビニール傘があったはずだから。逆に、うちに寄り道することにはなっちゃうけど」

「それは全然構わないよ」

 

 ふむ。

 確かにそれなら、明石は普通に自分の家へ帰るだけだな。

 

「彩音さえよければだけど……うちに来る?」

「えっーと……」

 

 これって結局、明石家までは傘に入れてもらうことには変わりないよな。

 

 相合傘、と呼ぶとやけにラブコメチックだけど。

 

 本当にそんな大それたことやっていいの? ていうか、できるの僕? 最近ようやく、名前呼びされても変なリアクションしないようになってきたレベルなのに。

 

 

 

 いや、でもこのまま雨が収まるまで待ってたら本当に体調崩しそうだ。

 

 それに、明石の好意を無碍にもしづらかった。

 こちらを見る表情には決して余裕があるわけではなくて、結構勇気を出してくれてる……気がする。

 

 こうして僕が悩めば悩むほど体は冷えていくし、明石を待たせ続けるわけで……。

 

「……じゃあ、今回はお言葉に甘えさせてもらおうかな」

「うん。よかった」

 

 そんなこんなで、明石にお世話になることにした。

 

 荷物をまとめ、15分も座ってなかったベンチを立つ。

 

 前を見ると、ひと足先に東屋から出ていった明石が広げた傘の下でこちらに振り向いた。

 

「えっと、どうぞ」

「お邪魔します」

 

 やや大きな一歩で傘の中に入った。

 

 途端、ボツボツボツッ! と傘が雨を弾く強い音に思わず肩が跳ねる。

 

「行こっか」

「傘、僕が持つよ。ちょっと背高いし」

「ありがと」

 

 狭い空間の中、手渡された傘の柄をしっかり握る。

 

 その時一瞬目が合い、湧き出した恥ずかしさからどちらからともわからず視線を外して。

 

 

 

 僕達は、公園を後にした。

 

 

 





呼んでいただき、ありがとうございます。


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Sixteenth Unique


お久しぶりもお久しぶりです。

学業の方がほぼ落ち着いたので、なんとか書けました。

楽しんでいただけると嬉しいです。


 

 

 

 

 歩くたび、湿った靴下が靴底に引っ付く感触が心地悪い。

 

 それでも歩幅を合わせれば、あまり傘の幅がないせいで明石の肩と自分のが触れ合いそうになった。

 

「そっちの肩濡れてない?」

「大丈夫。ていうか、彩音が肩出てるじゃん」

「まあ、既にダメージ受けてるからノーカンみたいな」

「いやいや……ほら、もう少しこっち」

「うおっ」

 

 ちょ、近っ。

 

「これくらいなら、平気でしょ」

「そう、だね」

 

 やばい、緊張で声が固くなってる。

 それを気づかれないよう、ただ正面ばかりを見ることで歩き続けた。

 

 

 

 明石の家は言った通り本当にすぐで、十分もしないうちに到着してしまった。

 

 玄関先までお邪魔して、扉を開けるのを後ろから見守る。

 

「ただいまー。って、誰もいないか。ちょっと待ってて。確かここに入れて……あ、あれ?」

「どうしたの?」

 

 明石がこっちに引きつった顔を振り返らせる。

 なんだかちょっと嫌な予感が。

 

「……予備の傘がない。誰か持ってっちゃったみたい」

「あー……ドンマイ?」

「もー、こういう時ばっかり……ごめんね」

「や、仕方ないよ」

 

 ないもんはしょうがないね。

 だがどうしたものか。正直他にあてがない。

 最悪、公園まで戻ってしのぐという手もあるが……

 

 

 

 考えていたが、突然強い風が吹いてじっとりした冷たい空気に撫でられた。

 

「っくしゅ!?」

「わっ! だ、大丈夫?」

「へ、平気」

 

 すごいのが出た。緊張で麻痺しかけてた寒気が戻ってきたみたいだ。

 鼻を啜って、ふとそこで思いつく。

 

「これだと、街の方に出てコンビニでも探すのが良さげかな」

「でも、やっぱりそれじゃ……」

「心配してくれてありがと。今度こそこれで──」

「まっ、待って!」

 

 踵を返し、背を向ける寸前で腕を掴まれる。

 

 さっきより強い声に驚くと、明石自身も無意識だったのか目を見開いていた。

 

「……明石? どうしたの?」

「あ……えっと……」

 

 僕の声で気を取り戻したように、明石が慌てた様子で口ごもった。

 

 それから数秒が経つ。

 

 

 

 視線を彷徨わせた果てに、少しだけ俯く明石。

 

 次の瞬間、雨にかき消されてしまいそうな声量で、ぽそりと呟いた。

 

「……わー」

「へ?」

「シャワーだけ……浴びていったら?」

「な──」

「ほら。服も洗濯機使っていいから、さ。乾かしてる間に、誰か帰ってくると思うし。そしたら今度こそ、傘……貸せるから」

 

 固まっている間に、辿々しく最後まで言い切られてしまった。

 

 

 

 正気を取り戻すにつれ、徐々にその意味を理解して──カッ! と頭が奥から熱くなる。

 

 

 

 いや。いやいやいやいや。流石にこれは迷う余地なくアウトでしょ。

 相合傘でここまで来たのだってわりとギリギリだったのに、そんなのもたないって。ましてや誰もいない家にとか普通に死ぬ! 

 

「や、これ以上は駄目だよ」

「な、なんで?」

「なんでってそりゃ……」

 

 常識とか節度とか、僕の気持ちにとか、色々とあるけども。

 口にすれば全部がそれらしくなる気がするし、同時に不適格な気もして、うまく一つにまとまらない。

 

 考えて、ようやく出たのは平凡な言葉。

 

「そこまで明石に迷惑かけられないよ」

「全然迷惑なんかじゃない。友達なんだから」

「いや、友達だからというか……」

 

 ぶっちゃけ、それやったら女友達に対して引いとくべきライン超えない? 明石以外に仲のいい子がいないから、これが普通のことなのか僕にはわからないけども。

 

 万が一下手をして、結果的に()()明石と友達でいられなくなる可能性は避けたい。

 

 

 

 なのに、袖をつまむ指のせいでそこから動けなかった。

 

「別に平気だよ。だって、何か友達がしないようなこととか……するわけじゃないでしょ?」

「や、それはそうだけど」

「じゃあいいじゃん。私は彩音のこと、信じてるし」

 

 その台詞はけっこうずるくないですかね。

 変に遠慮しすぎたら逆に下心があるみたいになるじゃん。

 

 どうしよう。退路を塞がれた感がすごい。

 

「けどなあ……」

「……どうしても、駄目か?」

「っ」

 

 上目遣いに、もう一度袖を引かれた。

 

 明石は知っているんだろうか。近頃の僕が、君のこういう表情に弱くなっていることを。

 だとしたら策士だし……効果抜群。

 さっきと同じだ。僕が悩むほどにどちらも状況が悪くなる。

 

 ……覚悟を決めるしかない、か。

 

「……重ね重ねになるけど。お世話になってもいい?」

「! う、うん!」

 

 ほっとしたような顔をされてしまった。ああ、これほんと弱いなぁ。

 

 ゆっくりと引かれた指が離れていく。

 

「ほら、そんなところにいつまでもいたら駄目だよ」

「う、うん」

 

 緊張から、ごくりと喉が鳴る。

 

 玄関を前に竦みそうになる足を叱咤し、先に入った明石の方へ踏み出す。

 

 

 

 あっけない程にあっさりと、僕は家の中にいた。

 

 いきなり寒さが遠ざかったように感じる。ポタリ、と服から床石に落ちた水滴の音がやけに大きかった。

 

「大丈夫?」

「あ。えっと、お、お邪魔しました?」

「ぷっ。それだと帰る感じになってるじゃん」

「だ、だよね」

「えっと、洗面所はこっち。ついてきて」

 

 靴を脱いで手招く明石の後についていく。

 

「ここだよ。って、あっ!」

 

 一階の奥にある風呂場まで通され、ドアを開きかけたところでいきなり大声が上がった。

 

「ど、どうかした?」

「ちょ、ちょっと待ってて!」

「う、うん?」

 

 何やら慌てた様子で、素早く中へ入っていってしまった。

 

 どうしたんだろう。何かまずいものでも……って。

 

「あー……そっか」

 

 洗面所ってことは、脱衣所でもあるわけで。そりゃ見せられないものもあるかもしれないよね。

 

 大人しく待ってると、ガチャ、と三度開かれたドアの向こうから顔が出される。

 

「大丈夫。入って」

「わかった」

 

 洗面所に入る。中は特に変なところはない、いたって普通の様子。

 強いて目についたものといえば、カゴや洗濯機などが一回り大きいことだろう。三人姉弟って言ってたからかな。

 

「服は洗濯機に入れちゃって。バスタオルはそっち。ドライヤーはあそこにかけてあるから。左の棚にシャンプーとかあって、見ればわかると思う」

「了解」

「あっ、シャワーは出してからしばらく冷たいから気をつけて。あとは……えっと、これくらい、かな」

「わかった。ありが……」

「あっ、後で代わりの服持ってくから!」

「あ、ちょ」

 

 ……急いで出ていってしまった。

 

 あっちもそれなりにテンパってるのかもしれない。

 とりあえず、いつ服を持ってきてくれるかわからないし。早いところ浴室に入ろう。

 

 

 

 ううむ。バイト先で着替える時もだけど、人の家で裸って恥ずかしい。

 てか、これはこれでめっちゃ寒っ。

 

「っくしゅ! やばっ」

 

 むず痒い気持ちもそこそこに、浴室へ飛び込んだ。

 

 幸いシャワーのコックはうちと似通ってて、操作に苦することはなかった。

 忠告通り温まるのにちょっとかかる。十分な温度になるのを持ち、頭から浴びるとすっかり冷え切った体が驚く。

 

「っはー……生き返る」

 

 一時はどうなることかと思ったけど。……いや、こうなるとも思ってなかったけどね。

 ほんと、明石には頭が上がらない。

 

 だから、恩を仇で返すようなことはしないよう、気をつけないと。

 

「……絶対、気をつけよう」

 

 熱いシャワーで包み隠すように、自分へと言い聞かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ジジ、とコーヒーメーカーが音を立てる。

 

 

 

 毎朝のように聞く音。メイキングやパフォーマンスのセトリの編集で夜が遅くなる度、お世話になっている。

 買ってからもう2年だろうか。家族みんなで愛用していて、インスタントの味が舌に馴染んでる。

 

 でも困ったことに、近頃物足りなくなってきてしまった。

 理由は学校帰りにあの店で飲む、あるコーヒーのせい。 

 初めて淹れてもらった日からすっかり気に入っちゃって、最近では行くたびに頼んでいる。

 

 

 

 そして私の手元には今、二つのカップがある。

 一つは自分ので、もう一つは来客用。

 

 もう直ぐ風呂から上がってくる彩音のために、いつも彼がそうしてくれる、ようなもの……を…………。

 

「うわぁあああっ」

 

 耐えきれず、小さく叫んだ。

 

 やっちゃったっ、やっちゃったよっ! 男友達をうちに上げて、しかもお風呂に入らせるなんて! 

 

 いくら昔とちょっとだけ重なって見えてからって、こんなっ、こんなこと!! 

 

 ていうか何、「友達がしないようなことするの?」って! なんで私、あんなこと聞いた!? 

 

「ううっ、彩音に引かれたかな……」

 

 変な子とか、軽いとか思われてないよね。それに最後まで遠慮してたし、嫌な思いさせてたら……。

 ああもうどうしよう。不安ですっごくドキドキする。

 

 この後どうすればいいの? とりあえずコーヒー用意してるけど、勢い任せで何も考えてなかった。

 

 猪突猛進はりんくの専売特許のはずだったんだけどな。

 

「……でも、本当に似てた」

 

 仕方がなさそうな笑い方や離れてく背中がそっくりで、気がついたら引き留めてた。

 なんか、ここで帰らせちゃったら逆戻りする気がして。

 ようやく彩音って呼べるようになったのに、なんて。そんなことあるはずないのに。

 

 というか私だって、家に招待するならもっとちゃんと──

 

 

 ピーッ! ピーッ! 

 

 

「ひゃっ!? な、なに!? って、なんだ。コーヒーができて……」

「明石、シャワーいただい……」

「わぁっ!?」

「た……よ?」

 

 扉の開く音に肩が跳ねた。

 振り向くと、お父さんの部屋着を着た彩音がぽかんとしてる。

 

「あーっと……まずかった?」

「ぜ、全然! それより、サイズ大丈夫だった?」

「なんとかね。それと、洗濯機も回してくれたみたいでありがとう」

「よかった。その、コーヒーできたけどいる?」

「もらえるなら是非」

 

 ソファーで待ってて、と促してコーヒーを注ぐ。

 

 ……変な声聞かれちゃったなぁ。恥ずかしい。

 

 

 

「はい、どうぞ」

「ありがと」

 

 湯気立つカップの片方を手渡し、空いた手を自分のに添えて腰を下ろした。

 

 少し冷まして口をつける。広がるほんのり苦くて暖かな味に、息が漏れた。

 

 そっと横を見ると、柔らかい表情の彩音がいる。

 風呂上がりだからか、ほっこりした雰囲気は普段の落ち着いた感じとかバイト中のキリッとしてる感じと違ってて、なんか新鮮──

 

「「っ!」」

 

 やばっ。いきなりこっちを見たから、思わず逸らしちゃった。

 

「あっ、あー。そういえば、ご家族はどのくらいで帰ってきそう?」

「! そ、そうだな。下の子達がもう少しで帰ってくると思う。いつもは友達と遊んでくるけど、ほら、今日はこんなだし」

「そか。確かにね」

「…………」

「…………」

 

 どうしよう。会話終わっちゃったよ。

 

 何か、別のものに意識を向けることさえできれば──そう考えた時、テレビの下で半開きになったDVDのパッケージが目に入った。

 

「そうだ!」

「ど、どうした?」

「あっ、ごめん。えっと、この前おすすめしてくれた映画、そういえば観たなぁって」

 

 思い切って切り出す。お願い、上手くいって。

 そしたら、彩音の表情が和らいだ。

 

「ああ、そういうことね。楽しんでもらえた?」

「うん、面白かった。主題歌もいい感じにハマったよ。さすが彩音」

「だったら、同じグループで良さげなのがあるよ。もし気に入ってもらえたら紹介しようと思ってたやつ」

「ほんと? なら教えてもらおうかな」

「おっけ」

 

 よ、よし。なんとかいい感じにできた。

 

 これで後は繋いでいけば……いける! 

 

「準備できた。もうちょっとそっち寄ってもいい? 雨で聞き取りづらそうだから」

「へあっ?」

「あっ、URLだけ送るとかの方が良かった?」

「い、いや! 大丈夫!」

「そう? じゃ」

 

 ち、近いっ! 彩音からうちのシャンプーの匂いがするっ! 

 

「流すよ」

「うん」

 

 

 

 ──あ。これ、いいかも。

 

 

 

 再生されたイントロがすっと耳に馴染む。

 これまで何度も経験したことある、好みにはまる曲を見つけた時の感覚。

 

 静かな曲調に乗せられた歌詞は、まるでこのコーヒーのように暖かい気持ちにさせる。

 

「こんな感じだけど」

「いいな。あの歌にはない、ゆっくりめのテンポが落ち着く」

「だよね。あっちは映画合わせて勢いがあったけど、これはじっくり聞かせてくるっていうか」

「あー、わかる」

 

 数分の傾聴。

 メロディに心を委ねる心地よさを味わううち、強張った肩の力が抜けていった。

 

「あ」

「ん?」

「このサビの前の転調、けっこう好きだ」

「やっぱり。明石ならそう言うと思った」

「彩音はここの最後のフレーズ強調してるとこもでしょ」

「お見通しか」

「ふふん、まあね」

 

 伊達に一年くらい友達付き合いしてない。まだまだ知らないことだらけだけど、こういうのはよく知ってる自信がある。

 

 それから、あれもここもと曲の中で見つけた魅力を語り合う。

 一緒だったり、全然違ったり。

 共感したり、予想外で驚いたり。

 でも結局、最後にいいなって思うようになって、ますますいいものに思える。

 

 自分の中に楽しいが増えていく感覚。彩音といると感じるそれが、私は好きだ。

 それに、この時が特に知れている気がするから。

 

「見てここ。ドラム凄いんだよ」

「へえ、どれどれ? うわっ、本当にすごい! どんな技術してんの!?」

「もはや変態だこれ」

「あはは、ほんとそれ──」

 

 返事のはずみで振り向いて、固まった。

 ち、かい。いつの間にか、目と鼻の先まで近づいてた。

 

「ん、どうかして……あ。ごめん」

「う、ううん。こっちこそ」

 

 前のめりの体を元に戻す。

 熱中しすぎて気づかないなんて。浮かれすぎは良くないぞ、私。

 

 これじゃ元の木阿弥だ。とりあえず、一旦コーヒーを……って、ほとんど残ってないじゃん。

 

「い、淹れ直してくるね」

「おっけー。いってらっしゃい」

 

 二重に気づいてなかった恥ずかしさで、立ち上がるのに勢いがつく。

 

 その矢先だった。

 

 つるっと音がして、視界がブレた。

 

「あわっ!?」

「ちょ、明石!?」

 

 やばっ、濡れた靴下が床に滑ってっ。ていうかこれ、後頭部からこけるっ……! 

 

「あっ、ぶないって!」

 

 ぎゅっと体を縮こまらせた時、強い力で肩を引き寄せられた。

 

 目まぐるしく変わる景色。

 程なくして軽い衝撃と一緒に、柔らかいもので体が受け止められる。

 

 その後、すぐ近くでかしゃんと何かが落ちた。

 

 

 

「「…………」」

 

 

 

 真上から視界いっぱいに飛び込んできたその顔に、目が釘付けられる。

 焦ったように引き攣った表情と、少しだけ乱れた息で、彩音は私のことを見下ろしてた。

 肩を掴んでいる右手は思ってたよりずっと大きくて。そこだけが、じんと強く熱を持っている。

 

 バクバクと、耳元で自分の心臓の音がうるさい。押し付けたコップ越しに胸が上下してるのがわかる。

 

 しんとした部屋が、痛いくらいにその全部を教えてきた。

 

 

 

 静けさを受け入れるがまま、十秒、二十秒と、考えもしなかった見つめ合いが続く。

 変わらずドキドキは収まらなくて、肩越しに伝わってしまうんじゃないかと不安がよぎった。

 

「いろ、ね……?」

「っ」

 

 そんな心持ちからか、何か込めたわけでもなくただこぼれ落ちたように名前を呼ぶ。

 すると、ようやく我に返ったようにハッとした彩音を見たことで、私もぼんやりしてる頭がはっきりした。

 

 

 

 そうして、最初に考えたのは一つ。

 

 

 

 ああ、もう。本当に全然上手くいかない。

 

 

 

 

 一体、どうして──

 

 

 

 

 

 

 

 ●◯●

 

 

 

 

 

 

 

 ──どうして、こんなことに? 

 

 

 

 えっ、と……あ、そうだ。明石が足を滑らせて、助けようとした。でも自分の体で受け止めようとしたら、途端に恥ずかしくなったんだ。

 

 それで軌道修正したのが……こうなったのか。

 そっか。なるほど。

 うん、うん。

 

 

 

 ……いや、こっちのほうが圧倒的にやばくない? 

 

 

 

 度合いで言えば一発でレッドカード三枚喰らうレベル。

 何してんの僕? ほんと何してんの? ベタなラブコメじゃないんだぞ? 

 

 って違う。そんなことより、明石の様子を確かめないと。

 

「大丈夫? 怪我してない?」

「へ、平気……」

「ならよかった」

 

 駄目だこれ。完全に怖がらせちゃってる反応だ。

 早くこの姿勢をなんとかしないと。

 まずは明石の肩に回した方の手を抜いて──ッ。

 

「っつ」

「ど、どうしたの?」

「や、平気」

 

 誤魔化し笑いをして、刺すような痛みを発した右手を離す。

 流石に人ひとり片手でどうにかするのは無茶だった。別に明石があれとかじゃなくて、普通に筋力不足。

 

 肘置きに置いてた手も引いて腰を下ろす。

 少しして、明石が体を起こした。当然ながら距離はひとり分以上空いてる。

 

「その……ありがと」

「なんともなくて良かったよ」

「うん……」

 

 ………………気まずっ。

 何も起こすまいと誓ったのに。不可抗力とは言え、やらかした。

 これじゃあ音楽を聴いて時間潰すのも続けられない。

 

 

 

 てか、今のでスマホがどっかいった。

 それとなく床を探して……あ、あった。ちょうど明石との中間あたりに落ちてる。

 部屋の空気は重くなる一方。身動き取れなくなる前にさっさと取っちゃおう。

 

「ちょっとごめん」

「彩音、これ落ちて」

 

 あ。

 取ろうとしたら、横から伸びてきた手とがっつり触れてしまった。

 

「ごっ、ごめん!」

「こ、こっちこそ悪い」

「ど、どうぞ」

「あ、はい」

 

 ぽつねんと床に横たわった……僕が咄嗟に放り投げたんだけど……スマホを取る。

 そのまま持ち上げ、ッ、手首が。

 曲げた途端、再び主張したそれに指から力が抜ける。

 

 あわや滑り落ちるかという寸前、突然何かが僕の手ごと包んだ。

 

「っと」

「あ……明石」

「ねえ……もしかして手首痛めた?」

 

 どきっとした。なんでバレた? 

 

「や。ただ寒くて悴んだだけっていうか」

「はいはい。もう今日は彩音の冗談は真に受けないことにしたから」

「そんな、僕のアイデンティティが」

「安心しな、それはない」

 

 解せぬ。

 ハンバーガーみたいにされた僕の手とスマホが、膝の上まで運搬される。

 

「さっきのあれの……せいだよね」

「僕が勝手にしたことだし。気にしないで」

「そういうわけには。あ、湿布があるよ。待ってて」

 

 止める間も無く明石が立ち上がり、ゆっくりとした足取りでソファの対面にあるテレビの方へ行く。

 収納棚を探り、少しして戻ってきた。

 

「はい、右手出して。貼ってあげるから」

「そこまでのもんじゃ」

「いいから。さっさと出す」

「はい」

 

 有無を言わせない口調だった。おとなしく右手を差し出す。

 ぺりりとフィルムの剥がされた湿布がそこに巻かれてた。ちょっと冷たい。

 

「なんか、姉力が前より増してない?」

「そう? りんく達とユニットやりだしたからかな。ていうか姉力って」

「あー、三人ともキャラ濃いもんね」

 

 一度決めたら猪突猛進な愛本さん、こだわりの強い大鳴門さん、お嬢様っぽくてちょっと天然な渡月さん。

 明石は彼女達を上手くまとめてると思う。リーダーってよりは、やっぱりお姉さん的な意味で。

 

「ふふっ、彩音が弟だったら大変そうだなあ。夜更かししそうだもん」

「耳が痛いね。でもお互い様じゃない?」

「それもそうだね。よし、これで終わり」

「ありがとう」

 

 湿布をつけた手が解放され……され……されない。

 何故だか明石が僕の右手を握ったまま、離そうとしてくれないんですけど。

 

「えっと……まだ何かある?」

「あっ、ごめん。さっき弟がーって言ったじゃん。それで、やっぱりうちの子とは違うなって」

「高校生だしね。一応は」

 

 明石の弟さんって、前に聞いた話じゃ結構歳が離れてたよな。同じくらいに見られてないのは喜ぶべきか。

 照れ隠しをするように答えれば、明石は柔和な笑みを浮かべた。

 

「うん。男の子っていうより、ちゃんと男って感じ。しっかりしてる」

「っ」

 

 何か。心の中で、一瞬強い衝動が生まれた。

 さっき思考停止していた時、曖昧に感じていた謎の感情。

 

 自覚すると目の前の存在に手を伸ばしたくなるような、危なくて、でも無視できないもの。

 それが、口を突いて出る。

 

「彩音?」

「あか──」

「「ただいまー!」」

 

 っ!!? 

 

 びっくりした! 何!? 

 

 ソファの上で尻が跳ねて、弾かれたようにリビングの扉の方を振り返る。

 

「あ、お姉ちゃんの靴がある。あれ? こっちのは……」

「お姉ちゃーん! タオルー!」

「二人の声だ。帰ってきたみたい」

「そう、みたいだね」

「ごめん、ちょっと行ってくる」

「うん、お気になさらず」

 

 さっきと同じ、姉の顔になった明石は急ぎ足でリビングを出ていった。

 

 

 

 取り残された僕は、ぼんやりとその場で固まっている。

 が、ほんの束の間のこと。背もたれに頭を横から押し付けた。

 

「…………あっぶなかった…………」

 

 危うく、何か飛び出るとこだった。

 普段は意識もしない、普通じゃない感覚だった。

 

 どんなことを口にしようとしていたのか。それは今や僕自身でさえわからない。

 けど、もしあのままだったら……取り返しのつかないことを口走ってたに違いないという確信がある。

 

「自制しろよ、僕」

 

 今度は友達でいたいんだろ。

 だったらこの特別は……留めとくべきだ。深く、心の一番下あたりに。

 

 

 

 その後、明石の妹さんや弟さんと初顔合わせなどをした。

 男友達ってことでびっくりされたり、ちょっと勘ぐられたりされたけど、そこは割愛ってことで。

 

 弟さんとスマ○ラとかしてる間に服も乾いたので、明石家からお暇することとなった。

 

「よっと。じゃあ、色々と厄介になりました」

「全然。帰り、気をつけてね」

「雨もだいぶ弱まってるし、大丈夫」

 

 幸いにも少し強め程度に収まりつつあるし、これなら借りた傘で帰れる。

 

 靴だけは洗濯機に放り込めなかったのでグズグズのままだが、気にするほどのことでもない感じだ。

 

「今度、何か改めてお礼をするよ。できることがあったら言って」

「わかった。考えとくね」

「ん。さて、弟さんに再戦を申し込まれる前に退散するとしますか」

 

 めっちゃ盛り上がったからな。やはりゲ○ム&○ォッチは優秀。

 

 どこか名残惜しさを感じつつも踵を返し、玄関扉に手をかけ──不意に、左手が引っ張られる。

 

 後ろを振り向くと、一歩明石が踏み出していた。伸ばされた指の先には、まだ暖かい袖口が。

 

「その……また来てよ。いつか、もっとちゃんとさ」

「……いいの、それ?」

「だって、友達だろ」

「そっか。そしたら……いつかね」

「うん」

 

 満足したように口角を上げ、袖が自由にされる。

 

 そうして元の場所に戻った明石と、最後の言葉を交わした。

 

「またね。彩音」

「また今度な、明石」

 

 そうして僕は、明石家を後にした。

 

 

 

 勢いが減じたとはいえ、まだまだ雨の調子はすこぶる良い。

 

 今度は極力濡らさないよう、歩幅を小振りに歩いていった。

 

 その最中、ふと肩に芯を置いた傘を握る右手が映る。

 

「……またな、か」

 

 いつも繰り返す一言。ありふれた、普通の言葉。

 しかしあれ以来、僕らの間から失われたものでもあって。そして今日はまた繰り返すことができた。

 

 それはつまり、最終的にはなんとか乗り切れたってことになるんだろうか。

 

 あるいは、今日の出来事でまた何かが……

 

 湧いては消える、まるで地面に当たって砕けるこの雨粒みたいな思考。

 

 

 

 

「……とりあえず、輝に筋トレでも教わっとこうかな」

 

 

 

 やがて僕は、そんなことを呟いたのだった。

 

 

 

 





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