ウマ娘の頭悪いサイド (パクパクですわ!)
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パクパクですわ!

おれはトレーナーだ。名前はまだない。

 

「ありますわよ。何を言っているのかしら」

 

ない。

 

「……。夏目漱石でしょう? 急に影響されたのかしら……」

 

そうだ。おれはトレーナーだが、頭がいいので文学にも目覚めたのだ。かしこい。

 

「もう。バカ言ってないでトレーニングを始めますわよ、それにかしこい人は自分で自分のことをかしこいなどとは言わないのです。わたくしのように」

 

……なんてことだ、そうだったのか。マックイーンはかしこいな。

 

「ふふ、当然ですわ。メジロ家足るもの、速くてかしこいのは当然ですもの」

 

おれは読みかけのぼっちゃんに栞を挟んで立ち上がった。正直そろそろ頭が痛くなってきたので、マックイーンが来てくれて助かった。このままだとおれの頭は爆発していたかもしれなかった。

 

さて、やるか──そうだ、せっかくだしおれも体を動かすぞ! 勝負だマックイーン、トレーナーは強いのだ。

 

「あら。理解(わか)らせをご希望であれば、最初からそのように仰って下さればよかったですのに」

 

くくく。おれには秘策があるのだ──おれが勝ったら、おれの機嫌が良くなってスイーツ食べ放題券をあげるかもしれないな?

 

「……ッ! ひ、卑怯ですわ! クズですわ! 最低ですわ! このわたくしを、メジロの誇りを侮辱していますわ! 物で釣ろうなんて、やっぱりトレーナーさんは最低最悪の人ですわ!」

 

ははは。しっぽの動きで丸わかりだぜ、物に釣られるバカはどっちかな。

 

がちゃ。ドアが開いてナイスネイチャが入ってきた。放課後なので来たのだ。

 

「バカ言ってないでやるよー」

 

誰がバカか。おれはかしこいトレーナーなんだぞ。すごく偉いんだぞ。

 

「はいはい。チョコあげるからちゃんとやりなさい」

 

わーいチョコだー。

 

「ほら、マックイーンにもあげる。新発売のイチゴ味、結構美味しいのよ」

「いいんですの!? やりましたわ、これで気分爆上げですわ! 優勝ですわ!」

「はいはい優勝優勝。さ、今日も張り切っていくわよ!」

 

気分ぶち上がりだ。これはもうやるしかない……。

 

「……チョロいねー。こんなのばっかりで本当に大丈夫なのかしらね」

 

おい、おれは天才なんだが。

 

「はいはい天才天才。すごいねー」

 

むふふ。もっと褒めてくれ。

 

「ちょっとネイチャさん、わたくしの方がすごいですわ!」

「うんうん最強最強。いつも頑張ってて偉いねー、かしこいよーマックイーン。さすがメジロの天皇賞ウマ娘ね、憧れちゃうねー。可愛くてかっこよくてかしこい!」

「かしこいですわ! どすこいですわー!」

 

マックイーンのやる気が上がった!

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おれはトレーナーだ。名前はまだない。

 

「お兄さまは、お兄さま……だよ?」

 

お兄さまと呼ぶなクソガキ!

 

「ら、ライスのこと……嫌いになっちゃったの……?」

 

黙れ! おれはおまえの本性なんて見抜いているんだ、その小動物ムーブさえ保てばあとは周りが味方になってくれると思っているんだろうが、大間違いだ!

 

おれが対策を用意していないとでも思ったか。スカーレット! 分かっているな!?

 

「残念だけど、ここにあんたの味方はいないわよ。全く……こんな可愛い子を捕まえてクソガキだなんて、ほんとにそろそろぶちのめしてやろうかしら……」

 

裏切り、だと……?

 

「お、お兄さまは悪くないよ……! ライスが、ライスが悪いの……」

「ん〜もう! トレーナー! 何言わせてんの、さっさとクソガキって言ったことを謝りなさい!」

 

そういうとこだぞ! ライス! スカーレットに隠れてほくそ笑ん出るんじゃない! おまえの狙い通りだと思うなよ……!

 

「す、スカーレットさん……っ、ライス、そんなことしてないよ……!」

「このクズトレーナー! 今日という今日はわからせてやるわ、このねじ曲がったロリコン! 変態! ターフに埋めてやるわ……! こっちは重機引っ張ってきてるんだから!」

 

ふざけんな! 大体重機よりおまえの方が馬力あるだろうが!

 

「だ、大丈夫だよお兄さまっ! ちゃんと、きちんとしたところに……首から上は、地面から出してあげるからね……っ!」

 

なんにも大丈夫じゃねーよ! 埋めるって本気か!? おれを誰だと思っている! おれは天才トレーナーだぞ、おれが埋まって困るのはおまえらなんだぞ!

 

「大丈夫よ。首から上が動くじゃない。ほいほいどっか行っちゃうことも無くなるんだから、お得なことしかないわね」

「だ、大丈夫……だよ。ちゃんと、トレーニングが終わったら出してあげるから……ね?」

 

とか言いながらライスはぬっと巨大な麻袋を取り出した。嬉しそうである。

 

……麻袋、だと? バカな……ゴルシが黙っちゃいないぞ!? あいつがこんな暴挙を許すはずが──!

 

「ゴルシからは免許皆伝を受けているの。私は成長したわ。一年前とは違うってところを見せてあげる。その成長を一番近くで見せてあげるんだから、ちょっとは嬉しそうにしなさいよね」

 

成長はレースで見せろよ! 麻袋なんて誰でも使えるだろうが!

 

「本当にそう思ってる? だとしたら、あんたの目も曇ったわね」

 

なんだと……!?

 

「気付いてる? ライスが今、どこにいるのか」

 

ライスが、なんだ──いや、待て。

 

おかしい。おかしいぞ。ライスが視界から消えている。スカーレットとの会話に気が取られて……違う、意識を誘導された。これは……ミスディレクション……!?

 

ライス、どこだ! どこに消えた!

 

「後ろ……ガラ空き、だよ?」

 

はっ!?

 

ごわごわした布が頭からかぶさった。は、離せ! 話せば分かる(激ウマギャグ)! お、降ろせ! おれをどこに連れて行く気だ!

 

「べっつにー。さっきから言ってるでしょ、あんたがサボらないように、きっちりコートに埋めるんだって。そ、れ、とー……食べ物の恨みもあるしね」

「秋華賞、来週だよね? ライス、スカーレットさんには頑張って欲しいから……」

「そういうこと。きっちり見ておくことね、あたしの一番の走りを!」

 

おれは埋まった(ウマだけに。激ウマギャグ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え。え、え、え、……ええええええ!? トレーナーが埋まってる、なんでぇー!?」

 

埋まっている。ウマだけに──おれのダジャレブックがまた厚くなるな……。

 

「す、すごいねー、これ。頭だけ飛び出してる……気がつかずに踏むところだったよー。あっちのドリルを使ったの?」

 

ああ。岩盤を砕くために使ったらしい。いいかテイオー、人を入れるくらいの穴を掘るには岩盤があって邪魔だから、ちゃんと砕かないといけないんだ。これはレースに活かせる。

 

「い、いやいやそんなわけないでしょ。レースとドリルに一体何の関係があるのさー、もう……」

 

よく考えてもみろ、バ群の中から抜け出すパワーはドリルとよく似ているだろ。何かしらの参考になる部分はある。パワーが上がるぞ。ついでにおれを地面から引っこ抜いてくれ。

 

「え、でも……引っこ抜くって言ったって、無理に引っこ抜いたらトレーナーの首が千切れちゃうよ。にんじんを収穫するのとは訳が違うんだから」

 

ばかな。

 

「まあいい薬なんじゃない? サボってばっかりのトレーナーなんだから、ちょっとは真面目に見てなよ。ボク着替えてくるね!」

 

テイオーは着替えてきた。

 

ところでだが、部室からなんか飲み物を取ってきてくれないか? おれは喉が乾いている。

 

「うん、分かった。でもやったのってライスとスカーレットでしょ? 放置されてるの?」

 

そうだ。おれは反省しないといけないらしいのだが、なぜおれが反省しなければならないのかが分からん。おれは何も省みないし、そうする必要もないのだ。

 

「でもこの前の夏合宿のとき、似たような感じで砂浜に埋まってたよね。同じ理由なんじゃないの?」

 

ああ。昼休憩の時にうっかり寝落ちしてしまって、起きたら埋まっていた(ウマだけに)。おれも本意ではなかったのだ、貴重な時間を消費してしまったのは反省している。だが今回のはわからん。おれは勝手に人のプリンは食べない人種なのだ、自分のウマ娘に恨まれる要素なんて一つもないはずだ。

 

「ぷ、プリンって言ったって! フタに自分の名前を書いておかないのが悪いと思うなー! ボク!!」

 

なんの話をしているんだ。おれはちゃんと書いているぞ、一つ一つ。

 

「あ、じゃあ違うや……。え? じゃああのプリンは誰のだったんだろう」

 

む。おい、聞き捨てならないぞ。スカーレットは怒っていたんだ、プリンの恨みとも言っていた。おれはさっぱり分からなかったが、もしかしておれは勘違いで埋まっているのか?

 

「い、いや。違うよ! ボクは悪くない! だいたい、冷蔵庫にぽいって捨ててあったんだ! 捨ててあったものをもらって何が悪いのさ! リサイクルと一緒だよ!」

 

ふざけんなおめー! そんな理屈が通るんなら警察なんていらねーじゃねーか! おれに謝れ! おまえの盗み食いのせいでおれは埋まってんだよ! こんなことばっかりしてるからおれはいっつも怒られてんだ!

 

「うるさいうるさい! そもそもトレーナーが全部悪いんじゃないか! 食事制限なんて、ボクに出来るわけないじゃないかー! そんな無理を押し付けてきたのはトレーナーなんだから、責任はトレーナーにあるに決まってる!」

 

黙りやがれ! 暴飲暴食をしたのはお前だろうがー! 何責任転嫁してんだ、お前が一人で痩せられねーからおれが管理してやったってのに逆ギレかー!?

 

「だってトレーナーが教えたんじゃないか! コンビニスイーツの美味しさなんて知らない方がよかったのに、どうしてボクに食べさせたんだよ! トレーナーが遊んでるから、ボク達まで緩んでるんじゃないかー!」

 

黙らんかい! 過程なんてどうでもいいんじゃ、勝てばいいんじゃぁ! さっさと走ってこんかい!

 

「このバカトレーナー! 絶対プレミアムスイーツ食べ放題奢りだからね! じゃないと一週間くらい埋めたままにしてやるんだから!」

 

やってみろやぁ〜! そんなことしてみろ、おれは泣くぞ! ギャン泣きするぞ! そのまま死ぬぞ!

 

「は、反省すればいいんだ! もっとボクに優しくしておけば、もっと真面目にしておけばーって反省しなよ!」

 

おれは日に日にやつれていくんだ……。お腹が減っても何も食べられず、トイレにも行けないし、睡眠だってままならない……。かゆいところがあっても掻けないんだ、おれはそんなの耐えられない!

 

「じ、自業自得だよ!」

 

くっ……。トウカイテイオーっ!

 

「なにさ!」

 

頼む、一生のお願いだ! 穴から出してくれ!

 

「自分で頑張って出ればいいじゃん。もうボク知らない!」

 

出られたらとっくに出てるだろうが! 土が重くて体が動かせないんだよ、念入りに埋められたからな! ビーチの砂場とは訳が違うんだよ!

 

「ふんっ! 指一本も動かせないならちょうどいいよ! ボクの走りを見てたらいいさ!」

 

なにを言うか。おれはいつも見ているだろう。

 

「うそつき。ふん!」

 

不機嫌に鼻を鳴らしてテイオーは走っていった。

 

おれの首から下は入念に埋まっていて(ウマだけに)、腕すらも持ち上がらないのである。おれの鍛え方がきっと足りないのだ。今度からは土に埋められても大丈夫なように鍛えておかなければならない。

 

ということで、おれは誰かに助けてもらわなければ動けない。

 

……あれ? もしかしておれ、ピンチじゃないか? もしかしなくても、テイオーに助けてもらわなきゃいけなかったんじゃ……?

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

夕焼けの光が両眼に焼き付いて、とてもまぶしい。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ──!」

「距離2000もう一本! 顔が俯いてるわよ、姿勢上げなさい! そんなんじゃ勝てないわよ!」

「──ッ、う、ぉ、ぉぉぉぉぉぉぉッ!」

 

シルエットで判別するに、最後の追い込みをやっているのだ。スタミナを限界まで追い込んでいる。スカーレットがストップウォッチ片手に喝を飛ばしていた。

 

テイオーが必死に走っている。よくやるものだ、トレーニングで疲れ切ったところから更に全力を出すのはきつい。その中でタイムと戦うのだ。

 

それにしてもトレーナーの面目が立たない。おれ、別に要らなくね? 今日なんておれ、一つも指示出してないんだが。おれの作ったメニューとかガンガン勝手に改造してやってるし。おれが今日やったことって埋まることぐらいだぞ。どうなってんだ。

 

沈みゆく太陽を背景にして、みんな頑張っている。実に青春的な光景だ。

 

「ひ、ひぃ!? 首、生首が埋まってますわ!? だ、誰ですの!? 事件ですの!? サスペンスですの!?」

 

おれだよ。

 

「あぁ、何ですの……トレーナーさんでしたか。驚かせないでくださいまし」

 

うむ。階段ダッシュやってたのか?

 

「ええ。偶然他の方たちもやっていらしたので、混ぜてもらいましたわ。やはり、誰かと競い合いながらのトレーニングは有効ですわね」

 

あの神社ダッシュはなかなかきつい。おれもやったことがあるが、半分行く前に疲れて登れなくなった。

 

「それで、どうして埋まっているのかしら。ちょっと驚いてしまいましたわ」

 

ちょっとではないだろ。

 

「ちょっとだけですわ。わたくしは悲鳴なんてあげませんもの」

 

そうかな? 本当にそうだったかな?

 

「ねじきりますわよ」

 

そうだね、マックイーンは可愛くてかっこいいから悲鳴なんてあげないね。

 

「ええ、ええ! 当然ですわ! メジロに名を連ねる者の一人として……。ところでトレーナーさん、もう一度言ってくださる?」

 

マックイーンは悲鳴なんてあげないね。

 

「違いますわよ。可愛くてかっこいいの部分ですわ。もっとわたくしを褒めなさい」

 

うむ。褒めたら助けてくれる?

 

「ええ、まあ……。ちょっとしたホラーですし、躓きそうで危ないですから」

 

おまえが居てくれてよかったよ。マックイーンは可愛くてかしこいな。

 

「ふふふ。当然ですわ」

 

えっへんとばかりに、マックイーンは得意げに胸を張った。控えめな口調とは全く逆のポーズ。とてもかしこそうである。

 

「じゃあ、引っ張り上げますわね。少々失礼します──……」

 

マックイーンはおれの顎と首の境目くらいを両手で掴んだ。

 

……おい、待て。

 

「なんですの?」

 

おまえまさか、"おおきなカブ"みたいな感じで引っこ抜く気じゃないだろうな。

 

「ええ、そうするつもりですけれど」

 

やめろ! おれはカブじゃないんだぞ! そんなことしたら首が千切れる!

 

「え、ええ? ではどうすればいいんですの?」

 

それはほら、地道に穴を掘って……。

 

「面倒ですわ!」

 

やめろ、殺す気か!

 

「大丈夫です、トレーナーさんはそんな柔な方ではありません。さあ、気張りなさい!」

 

ひぃぃ! おれを殺す気だ! くそ、正気じゃない! スカーレット、スカーレット! おーい、おーい! このバカ娘を止めてくれ、おーい!

 

「だぁ──れがバカ娘ですの!? もうカチンと来ましたわ、思いっきり引っこ抜いて差し上げますから、どうか千切れないでくださいまし!」

 

むぐっ!?

 

本当にカブを掴んで引っこ抜くような調子だ。すでにその怪力により顎へと力が掛かっている。

 

む、むぐぐー! むごーッ!

 

「ふんっ、はぁぁぁぁ!」

 

ぎゃああああああああああああ!

 

内心での恐怖は声にならなかった。首の骨が折れると思ったが、強烈な地面の抵抗を突破しておれの体は土を崩しながら上がっていく。

 

「ぶっこ抜き、ですわぁぁぁぁぁぁ!」

 

ちょ、待て待て待て待て! おまえ力入れすぎだしぶっこ抜きは麻雀用語──

 

勢い余って、というべきか。

 

おれはまだ、ウマ娘という存在の力を甘く見ていたのかもしれない。

 

まるで海から飛び出すトビウオの如く、あるいはまるでペットボトルロケットの如く。おれは地面から打ち上がった。

 

──夕焼け色に染まるグラウンド。新緑の芝が照らされて眩しい。速度がゼロになった時、おれの視界はまるで止まっているようだった。

 

なんだあれ、とスカーレットが呆れまじりに見上げていた。

 

楽しそう、とライスがぱぁっと笑った。

 

絶句と言った様子で、テイオーが間抜けにおれを見上げていた。

 

冗談ではなかった。ギャグみたいな状況だったが、おれにとっては全く笑えなかった。首は千切れなかったが、これではまるで紐なしバンジー。着地点はターフではなくあの世である。

 

ぎゃあああああああああああああああ!?

 

次々と巡ってくる走馬灯の中の記憶と、真っ赤に染まったトレーニング場がごちゃ混ぜになってぐるぐるしている。

 

いつもよりもちょっとだけ空に近い場所で、おれの絶叫が響き渡っていた。

 




マックイーンのチラシのコラ画像見て一生笑ってる
※続きません。



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もぐもぐですわ!

おれのチームはアルファードという名前がある。

 

アルファードという星は、うみへび座の一点を構成する恒星(激ウマギャグ)だ。発音によってはアルファルド(Alphard)となるし、事実wikipediaにはアルファルドと書いてあるのだが、まあ大した違いはあるまい。

 

なんでも星言葉というやつがあるらしいのだ。今ググったのだが、例えばスピカだったら「抜群のセンスと直感力」。リギルなら「聞く耳をもつ包容力」。

 

そしてわがアルファードの星言葉は「孤独なもの」。

 

おれがこのチーム名を決めたのは、ズバリこの言葉のカッコよさである。孤独なもの……カッコいいではないか。おれは天才ゆえに孤独なのだ……。

 

「え? お菓子のアルファードからじゃないの?」

 

それはアルフォートだ! うっかり"ファ"と"フォ"を間違えるな、甘くなっちゃうだろうが!

 

「ふーん。でもいつも部室にはアルフォート置いてあるよね。だからてっきり、アルフォートが好き過ぎてもじったのかと思ったよ」

 

否定はしない。おれは正直、アルフォートはミルクチョコレート味だけでいいんじゃないかと思う。

 

「何言ってんの、二種類入ってるからいいんじゃん。トレーナーってば、お菓子ばっかり食べてると太っちゃうよ?」

 

おっ、自己紹介か?

 

「ねえ、まだそのこと擦るの? ボクが太ってるように見えるの?」

 

ふむ。骨折直後は酷かったな。

 

「いや、そんなでもなかったでしょ」

 

いいか。おれは自暴自棄になり、栄養バランスが偏るのも気にせずに好きなものばかりを食べるその精神をデブだと表現したのだ。そしてこの調整段階において、おまえは二週間で一キロ太った。

 

「……もう戻ったよ」

 

おまえ、あれからもコンビニに入り浸っていたそうじゃないか。コンビニスイーツを制覇すると意気込んでいたと、おれのところに報告があったのだ。

 

「え、うそぉ! 誰から聞いたの!?」

 

ああ、嘘だ。だが間抜けは見つかったようだな……。

 

「ハッ! し、しまった! トレーナー、鎌掛けたんだ! ずるい!」

 

はっはっは。大人はずるいのだ。

 

「……ボクと3歳しか変わらない癖に」

 

でもおれ二十歳だから大人なのだ。大人はコーヒーをブラックで飲めるんだよ。ほれほれ。

 

「その判断基準は明らかに大人じゃないでしょ。それにボクもコーヒーくらいブラックで飲めるもんね〜だ!」

 

クソガキはさっと手を伸ばしておれの飲みかけをさらって飲んだ。

 

「うえ、にが……く、ない。甘い……トレーナー! これゲロ甘じゃん! ブラックじゃないじゃん! 見栄張ってる!」

 

コーヒーというのはミルクを混ぜた瞬間にブラックでは無くなるのだ。つまり、その逆もありえる。

 

「砂糖いっぱい入れたってことじゃん!」

 

うむ、まあそういうことになるな。

 

「うえー。大人って汚いねー……」

 

そう、汚い。大人になるに従って、だんだん汚れていくものだよ。

 

「で、トレーナーは何やってるの?」

 

ふむ。今は昼休みだ。

 

「そうだね。トレーナーの生態がどうなってるか気になって来てみたんだけど、何これ。トレーナー英語出来るの?」

 

おれは天才だからな。英語なんてペラペラなのだ。

 

実際のところ、モニター前のスペースに散らばった無数の英語の論文とか、積み上がった何ヶ国語かの本の山は一見してとても頭が良さそうである。そして右手にコーヒーで完璧だ。頭がよさそうである。

 

「……ホントに? カッコつけてるだけじゃないの?」

 

いきなり来たと思ったら失礼なクソガキだ。今一度、トレーナーというものの偉大さを教えてくれるわ。

 

「でもトレーナーってば、ほんとに遊んでるだけじゃん。また反省文書かされたんでしょ?」

 

今年に入ってもう8回目だ。おれ、トレセンに来るまで反省文なんて書いたことなかったんだからな。めちゃくちゃ怒られたんだ。特に芝のところに穴を開けたのがダメだったみたいでな。

 

「え、でも翌日には元通りになってたよね?」

 

そうだよ、おれが徹夜で張り替えたんだ。あの部分だけ……。

 

「ええ? トレーナーってばそんなこと出来るの!?」

 

おれはトレーナーだぞ。ネットで調べながら頑張ったんだ。おれの自費で元通りにして、それプラス反省文5枚と説教一時間でようやく許してもらえたんだ。もうしません、許してくださいって……。

 

「……すごいね、トレーナー」

 

おい。別の意味のすごい、だろう。全然分かってないからな。

 

「いやいやすごいって。だってスカーレットにもライスにも怒ってないじゃん。トレーナーってすぐ怒るけど、一日経ったら完全に忘れてるもんね」

 

おれの長所だな。器がでかいのだ。

 

「鳥頭だね!」

 

ぶっ殺すぞクソガキが! 誰が鳥頭だ! おれはアメリカの大学を主席で卒業した超天才だぞ! 最年少トレーナーなんだぞ!

 

「まったまた〜。……え? 最年少なの?」

 

そうだが。

 

「……まあ確かに、ぶっちゃけボクとあんまり変わらないなーとは思ってたけどさ」

 

3歳も年上だっつってんだろうが!

 

「何にも知らない人に聞いてみたらいいじゃん。トレーナーってば背が低いし童顔だから、ボクの方が年上に見えるんじゃない?」

 

……。おれ、やっぱりそう見えてるのかなぁー。

 

「あ、傷ついちゃった?」

 

おれ、セノビックとセノビーとミロ混ぜて飲んでたんだよ。理想の配合とか考えてたし。

 

「な、なんかごめん……」

 

うむ。実際のところ、カルシウムだけを取ったところで大して意味はないのだ。よく食べてよく寝る、これに勝るものは特にない。それで伸びなきゃそういう運命なのだ。

 

──と、凡人なら諦めるところだが、おれは違う。おれは天才なので、自分の身長程度は自由に操るのだ。そしてその秘策は大体固まってきている。

 

「え? ホントに? 身長を伸ばせる方法ならボクも知りたい!」

 

いいだろう、伝授してくれるわ。

 

身長が伸びるということは、骨が伸びるということだ。そして骨が伸びる時期は限られている。つまり普通は成長期に限られるというわけだ。

 

おれが目をつけたのは成長ホルモンだ。骨が伸びる時期にはこいつがたくさん出る。つまりなんとかして成長ホルモンを出せばいいのだな。

 

「おお、それっぽいねー」

 

ではどうやってホルモンを出すのか……。それはズバリ。

 

「ごくり……」

 

よく寝て、よく食べて、よく運動することだな!

 

「……」

 

……。

 

「……普通じゃない?」

 

うむ。ちゃんと実行すれば、伸びる。来世の成長期でなら、必ず。

 

「ダメじゃん! 来世とか言ってる時点でダメじゃん!」

 

ダメなんだよ! くそーッ! そんなもんで背が伸びるかよーッ!

 

おれは夜更かしぎみの子供だったのだ……。ちゃんと夜には寝なきゃダメだったんだ……。ダメだったのに……。

 

というわけで、夜更かしには気をつけねばならんのだ。分かったな。絶対夜更かし気味とかなるなよ。絶対だからな。

 

「はーい! ……あれ? なんか忘れているような……」

 

ははは。鳥頭はどっちかな。

 

「こんのー! もう一回埋めてやる!」

 

麻袋を持たぬウマ娘など恐るに足らず! 貴様におれは捕まえられんわ!

 

「ボクに扱えないとでも……!?」

 

ハッ!? そ──それは、麻袋ッ! バカな、なぜおまえが──!

 

「免許皆伝だよ! ついでに麻縄も追加してやるーっ! 二度とボクに向かって舐めた口利けないようにしてやるからねー!」

 

ぎゃああああああ!

 

コースの上ならばともかく、ここは狭い部室内だ。ウマ娘としての身体能力は高かろうが、この場所ではおれの方が上!

 

逃げるんだよぉ──!

 

「くそっ、チビだからすばしっこい!」

 

チビにチビって言われたくねーよ!

 

ドアが目の前だ。テイオーよりも、おれがドアノブを開く方が早い。勝ったながはは、おれは扉の光の先へ突っ走って──その先にいたスカーレットに衝突した。あれ。え? なんでスカーレットいるの?

 

「え? ちょっ、きゃあっ!?」

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

結局埋められた。うまぴょい(物理)である。

 

だが今度はおれ一人ではない。

 

「……なんでボクまで」

 

テイオーも有無を言わさず埋められていた。地面から二人分の生首が生えているわけで、相当にシュールである。

 

同罪らしい。納得がいかん、テイオーだけウマぽいされればよかったのに。

 

「もう散々だよぉ。ちょっと遊びに来ただけで、どうしてボクまで埋められなきゃいけないのさー……。制服が土まみれになっちゃうじゃん、洗うの大変なんだから」

 

おれはスーツだぞ。高い金出して買った一張羅なんだぞ。

 

「いーじゃん、どうせテキトーに着崩してるんだし、大して似合ってないんだし。どーせいいスーツが欲しかったんじゃなくて、高いスーツならなんでも良かったんでしょ?」

 

おまえ、そんなことばっかり言ってたらおれが傷つくぞ。事実を言うことで傷つく心もあるんだぞ。おれはもうボロクソに言われて泣きそうだよ。

 

「はいはい分かったって。じゃあ今度、ボクがスーツを選んであげるよ。絶対前よりマシにしてあげるからさー」

 

マシって何だ。そこはカッコよくしてやる、だろ。

 

「いーじゃん別に。っていうか、トレーナーの仕事はボクをカッコよく育てることなんだけどね」

 

今でも十分カッコいいよ、おまえは。

 

「え? そう? ……にへへー」

 

ちょろ。ちょろQですわ。もうひもQですわー。

 

「……ねえ。あたしが居るってことを忘れて、ずいぶん仲が良さそうじゃない?」

 

おう。実は真後ろに立たれると、首が回らなくて顔が見えん。ついでに視線の高さも合わせてくれ。

 

「反省してないのね。次はコンクリに埋めるわよ」

 

まったまた〜。そんなことしたら死んじゃうだろ〜? ヤクザじゃないんだしさ〜。

 

「持ち運びも楽になるし、あたしは結構本気で考えてるけどね。普段は部室に飾っておけばいいし」

 

「それいいね! ボクたちだったら持ち運びもできるし!」

 

昼下がりのがらんとしたコースを前に、スカーレットはパイプ椅子を持ってきてどかっと不機嫌そうに座った。

 

「あんたたち、なんで埋められてるか、分かってる?」

 

ぶつかったのは悪かったよ。だがおれも痛かった。そしておまえも痛かった。引き分けってことにしようぜ。

 

「……。トレーナーバッチ、千切られたいのかしら」

 

「ねえスカーレット、その位置だと多分、トレーナーからパンツ見えてるよ。足閉じた方がいいんじゃない?」

 

こいつ言いやがった。

 

スカーレットが青筋を立てている。耳もぴくぴくしている……。

 

>白色か……。

>見てないよ。

 

おもむろに浮かんできた二択。まさか、これは脳内選択肢……!

 

>白色か……。

 

「あんた殺してやるッ! 今、この場所でッ!」

 

やべえ押し間違えた! 選択肢で押し間違えること、あると思います。あるわけねえだろバカか。

 

ちょ、ちょっと待て! おれがおまえなんぞに発情するか! パンツなんて単なる布だ! 落ち着け!

 

顔色を名前の通り緋色(スカーレット)に染め上げて、パイプ椅子を振り下ろさんばかりのスカーレットに叫んだ。

 

「それはそれでムカつくッ!」

 

落ち着け、死ぬぞ!? まじでスイカ割りみたいな感じで死ぬぞ! 絶対夢に出てやる、一生付き纏う悪夢になってやるからな! おれを殺したら末代まで呪ってやる!

 

「そんなの知ったもんですか、このクズ野郎──っ!」

 

顔の真横をパイプ椅子が掠めていった。正直股間がキュッと小さくなるくらいには怖かった。真夜中にクマと遭遇したときだってこんな恐怖感はなかった。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ! だめよスカーレット、こんなのでも殺したらダメ、殺したらダメよ、私はダイワスカーレットなんだからッ、落ち着くのよ……ッ!」

 

必死に自分に言い聞かせてるようだ。その段階まで興奮している。まるで親の仇のように睨みつけていた。殺気が漏れていて相当怖い。

 

地面に打ちつけたパイプ椅子がちょっと変形していて、地面にめり込んでいた。こんなので叩かれたらスイカ割りじゃ済まない。スイカ砕きだ。もう砕くことが目的になってる。

 

スカーレットは殺意の波動を制御することで手一杯だ。黒い波動が漏れ出している。

 

おれもここまできてふざけている余裕はない。選択肢一つ間違えただけで死ぬとかfateかよ。バッドエンドだけで40個ぐらいあるとか命の価値どうなってんだ。

 

>ごめん。お詫びに、今度二人でデートに行こう。

>もう少し派手なやつの方が好みだな。

 

終わったわ。さっきからおれの脳内選択肢どうなってんの?

 

どっちだ……?

 

少しクールダウンをしたらしいスカーレットが顔を赤くしたままスカートを抑えておれを睨んでいる。ちょっとは殺気が収まってきた。

 

>もう少し派手なやつの方が好みだな。

 

「────やっぱり殺そう。ここで」

 

違う違う違う違う間違えた間違えた間違えた間違えた!

 

どうなってんだ! さっきから押し間違いしかしてないが!? おれの脳内タッチセンサーガバガバじゃねえか!

 

「へー、もっと派手なのが好みなんだ……。もっと、派手なの……うええええ!? ちょ、トレーナー! 何考えてんのさ!」

 

テイオーが勝手に顔を赤くしている。勝手にやってろ。

 

なりふり構ってられない。もうスカーレットはパイプ椅子を振り上げているのだ。

 

スカーレット!

 

「何。遺言なら、聞いてあげるわ」

 

──言葉を間違えてはならない。

 

何だ。何を言う。何を言わなければならない。考えろ、このIQ300の、灰色の脳細胞(当社比)で──。

 

おれは、夕食にカレーが食いたいッ!

 

「……? あんた、何言ってんの……?」

 

──選ばれたのは綾鷹でした。

 

おれの狙い通り、突然こんなことを言われたらわけが分からないだろう。おれだって分からん。だがそれこそがおれの狙い。必ず生まれる、意識の空白──それが、スカーレットを冷静にさせるはずだ。

 

「……もしかして、作って欲しいの?」

 

いや、別に。そう言いたくなる気持ちをグッと堪えた。

 

「あたしの作ったカレーが食べたい……ってこと!?」

 

……そうだ。

 

「あ、あたしの作るご飯が食べたいってこと!?」

 

ああ。

 

「朝も夜も、お味噌汁からおかずまで……ってこと!? そういう、こと……!?」

 

うん?

 

「何よもう! しょうがないわね、そうならそうって最初から言いなさいよ、勘違いしちゃったじゃない!」

 

ふむ。何言ってんだこいつ。

 

「え、ええ? なんで?」

 

心の声をテイオーが代弁してくれた。

 

「だってそういうことじゃないの? 命が懸かってる状況なんだから、あたしに許されようとするのが普通じゃない。そこでカレーが食べたいって、つまりあたしに作って欲しいってことよね」

 

なんでそんな深読みするんだ? こいつ、もしかしてアホなのか。そんなカイジばりの深読みするか普通? ライアーゲームかよ。

 

「だって、あたしの得意料理がカレーって知ってて言ってるのよね」

 

「え? そうなの、トレーナー?」

 

こいつの得意料理なんておれが知っているわけがない。おれは堂々と、正直に答えた。

 

うむ。そうだ。

 

おれは涼しい顔をして頷くほかなかった。

 

「全くお騒がせなんだから。ほら、昼休み終わっちゃうわよ」

 

「えー!? ウソ、もうそんな時間!?」

 

とか言いながらテイオーはぬるっと地面から両手を出して穴から脱出した。は? おまえ自力で出れるの? おれは出れないんだが? ウマ娘との根本的なスペックの差が存在してるが?

 

「仕方ないわね。でも今日はトレーニングがあるから、週末にでも作ってあげる。ちゃんと予定空けときなさいよね」

 

「じゃあねー! トレーナー! スーツ見にいく約束、今週の日曜日でいいよね!」

 

よくないが。おれ、日曜ぐらいゆっくりしたい。クソガキの相手とか絶対いやでござる。

 

「来なかったらまた埋めるからねー!」

 

おっけい、きっちり空けとくぜベイビーどもよ。

 

とか言いつつ、校舎へ戻っていく二人を見送った──いや、見送らざるを得なかったのである。下手な言葉をかけたらまためんどくさいことになるのだ。

 

二人の影が見えなくなって、やっと一息ついて気がついた。

 

あ、ちょ……脱出! 出られないが! 出られないんだが! だ、誰か助けてー!

 

 




・トレーナー
IQ5。

・トウカイテイオー
IQ13

・ダイワスカーレット
IQ11

本日の合計IQ:29


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ぺろぺろですわ!

おれはアウトドア派である。インドアもいけるので、おれは実質的にどこにでも存在していることになる。

 

「……トレーナーさ。ファッション、ちゃんと考えた方がいいよ」

 

なんだと。

 

「顔、そんな悪くないんだからさ。だから……そんな、10年前のロックバンドみたいなファッション、しない方がいいよ。まず革ジャンを脱ごう。ボク、隣にこんな人連れて歩くの恥ずかしい。っていうか存在から恥ずかしい。こんな恥ずかしい人がボクのトレーナーだなんて信じたくないよ」

 

ばかな。

 

おれのアウトドアスタイルがボロカスに言われている。

 

「なんで意外そうなの? 鏡とか、出る前に見ないの?」

 

おい。失望した顔やめろ、かなりグサッと来る。かなり刺さる。

 

「大体アウトドアっていうか、スーツ見にいくのになんでそんなの来てくるの? 今更トレーナーにおしゃれとか求めてないけどさー……。せめてダサいくらいで留めておいて欲しかったよ。っていうか自転車で登場って何? 車くらい持ってきてよ」

 

ふむ。おれは金欠なので、車など持ってない。この自転車もゴミ捨て場から拾ってきて直して使っているのだ。

 

「……トレーナーって、結構高給取りじゃなかった? トレーナー、寮住みでしょ? 何に使ってるの、給料」

 

大人の男には秘密があるのだよ、テイオー。

 

「まさか、パチンコとか、キャバクラとかじゃないよね?」

 

そんなわけがあるまい。おれがそのような愚民に見えるのか。

 

「じゃあ何? トレーナー独身じゃん。彼女もいないんだから、使い道なんてないでしょ」

 

やれやれ。少しはおまえのトレーナーを信じろ。おれはおまえたちウマ娘のためを思って行動しているのだ。

 

「嘘ばっかり。トレーナー、部室に入った時は大体寝てるじゃん。10回あったら7回は机で寝てるよ。なんのためにあんな甘ったるいコーヒー飲んでるのさ、寝ちゃってるじゃん」

 

眠い時は寝るに限るだろう。訂正するが、ちゃんと部室には仮眠用のベッドも置いてあるので机で寝ているわけではないのだ。ベッドはいつでも使っていいぞ。

 

「使わないよ……え、待って。トレーナーは使ってるの?」

 

うむ。学園に寄ってトレーナー用のシャワー浴びれば、寮に帰る必要もないので楽でいい。おれは結構部室で寝泊まりしてる。

 

「……。ふーん、へー。そっかー、ボクもお昼寝したくなったら使っていい?」

 

好きにしたまえ。昼寝だけね。

 

で、今日はどこに行くんだ。

 

「……そうだった! トレーナーのセンスが壊滅的すぎて、思わず一瞬忘れちゃったじゃん!」

 

ははは。おれのセンスは死んでない……はずだ……。

 

「さて、じゃあ行こー! まずはどこから回ろっかなー! とりあえず電車に乗って──」

 

おい、洋服の青山じゃないのか。

 

「トレーナー何言ってんの。リクルートスーツ買いに来たんじゃないんだよ」

 

洋服の青山さんを侮辱したな、法廷で会おう。

 

「ああもう、いいから行くよ!」

 

大型のトレーラーに引きずられるような形でおれは引っ張られていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

誰が見てもデートなのだが、正直に言っておれは帰りたかった。

 

「ねえねえ見てよトレーナー! この首飾り、かわいいよね! ボクに似合うかな〜!」

 

本格的にこいつが楽しみだしているのである。

 

うむ、似合う似合う(5回目)。

 

「えへへへへ。よーし、これも買おー!」

 

おれのスーツは? とたまに聞くのだが、その時だけ都合よくクソガキは耳が聞こえなくなる症状に襲われている。きっと明日には治っている病気なのだろう。謎が深い。

 

だいたい、何が悲しくてこんなクソガキとショッピングモールを歩き回らねばならんのだ。おれは研究者気質なので、歩き回ったりするのは本当は面倒なのだ。ウマ娘の体力に合わせていたらそのうちにぶっ倒れても知らんぞ。

 

「どう? トレーナー! ボクかわいいでしょ!」

 

うむ。かわいいぞ(8回目)。

 

もはやおれはbotだ。さっきから似合ってるぞとかわいいぞしか言ってない。

 

やはりテイオーに遊びを覚えさせたのは失敗だったかもしれん。もともと有り余る体力をトレーニングで発散させていたのだ。クソガキ特有の元気が遊びに向いてみろ、もうどうなるかも分からんではないか。おれももう若くないのだ……。

 

「何ぼやいてんのさー。もう、デートなんだからそう言うのは禁止!」

 

ふむ。お出かけと言い直せ。

 

「なんで? 一緒じゃん」

 

コンプラだからだ。あー、さっさとおまえの足完治しねーかなー。

 

「むぅ、ボクとは出かけたくないってこと?」

 

うむ。そうだ。

 

「ふーん。また埋まりたいんだ」

 

うむ。今のはウソだ。

 

「えへへ。トレーナーは優しいね」

 

うむ。そうだろうそうだろう。

 

テイオーの足が治り切って、また全力で走れるようになるまでもう少しだ。メンタルの方もこの調子では問題なさそうなので、ようやくスピカに復帰できるだろう。

 

おまえの次のレース、なんだっけ?

 

「トレーナーってばさー……。トレーナーって、トレーナーでしょ?」

 

呆れたようにそう言うが、それもまた仕方ないことなのである。

 

テイオーはもともとスピカだし、アルファードにはあくまで一時的に所属しているのみなのである。沖野さんに頼まれて預かっているのだ。

 

スピカには顔出してるんだろう?

 

「そりゃあそうだよ。ボクも適当なトレーナーの下になんていつまでも居たくないもんねーだ」

 

おれはリハビリ専門のトレーナーだからな。勝つためのトレーニングは出来んでもないが、専門ではないのだ。

 

大量の紙袋を抱えて適当なカフェに入ったテイオーが、どさっと荷物を置いた。

 

「すっごい今更なんだけどさ。トレーナーってもしかして普通のトレーナーじゃないの?」

 

チームアルファードは特殊な経緯を辿っている。

 

おれがトレセンに来たのは去年のことだ。中央トレーナー資格を取る連中は、その頃には確実に最低で20歳以上になってるからな。当時19だったおれが最年少ということになったらしい。

 

「それってつまり、飛び級ってこと?」

 

うむ。天才というのは普通の枠に留めておけんのだ。

 

「でもアメリカの大学? 行ってたんでしょ?」

 

ふむ。話すと長いから話さないが、いろいろあったのだよ。

 

アルファードはトレセン内で唯一リハビリ専門のチームである。本格的な医療設備もあったりする。扱う範囲がとても広く、体のケアも心のケアもお任せだ。

 

「心のケアはないでしょ」

 

何を言うか。今してるだろう。

 

本当はそれぞれのチームのトレーナーがそういう面倒を見てやればいいのだが、そこはトレセン学院。人がいないためにトレーナーは多忙であり、そしてフィジカルやメンタルの管理はより複雑で大変だ。怪我をしているなら尚更そうだ。そこで白羽の矢が立ったのがおれである。

 

「こんなちゃらんぽらんのトレーナーに任せていいのかなー……」

 

さっきからひどい言い草である。おれ一応M.D.(Medical Doctorのこと。医学の学位)持ってんだけどなー。医者なんだけどなー。

 

「……冗談、だよね?」

 

テイオーは本当に信じられないものを見るような目でおれを見ている。

 

まあ、医者として働くには実務経験が必要なので、おれは厳密には医者ではないんだがな。これでも向こうじゃ超天才で通ってるんだからな。医学部飛び級ってちょーすげーんだからな。

 

「信じられない……。こんなボクより頭悪そうなトレーナーが……」

 

おれはおまえがおれより頭いいと思っていたことが信じられん。おれはとてもかしこそうなのだが。

 

「まあ、確かにアルファードにはメンバーが多いけどさ……」

 

ウマ娘改めケガ娘の駆け込み院と呼ばれているのだ。実質的に学園内の病院なのだ。よってメンバーの入れ替わりが激しい……というか、治ったら元のチームに戻っていく。今おれが面倒を見ている連中は大体そんな感じなのだ。

 

「いや、面倒は見てないでしょ……」

 

ふむ、好きに言いたまえよ。実際、おまえのケガの治りは予定より早くなってるのだし、復帰してった連中は調子がいい。

 

ふむ、やはりおれは天才……。

 

「もう! 絶対ボクの方が天才なんだから!」

 

ははは。よしよし、いい子いい子。

 

「にへへへ……って、頭を撫でるなー! ダートに埋められたいの!?」

 

ダートはまだ未経験だ。ちょっと興味が湧いた……はっ、閃いた!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……。反省の意思は、ありますね?」

 

はい。

 

「前にも同じことを聞きました。もうしません、と。私は確かに聞きました」

 

はい。

 

「釈明を聞きます。言葉は選んでくださいね?」

 

確かにおれは、同じことはしないと言いました。

 

「続けてください」

 

同じことはしていません。

 

「同じことは……ですか。では、以前ターフに穴を開けた件と、今回の……理事長落とし穴事件は別種類、であると。そう言いたいわけですね」

 

以前の一件はおれが埋められていただけですが、今回は、その……事故であったと、その……。

 

「言いたいことは、以上ですか?」

 

その……おれは、理事長を狙ったわけじゃないんです。おれ、うちの連中にいたずらされて……。

 

「それは、マジックで顔にヒゲを描かれた件ですね?」

 

はい。全然落ちません。油性です。

 

昼寝から起きたら描かれてたのだ。かなり強いマジックを使ったらしい。こんなザマでは、おれはもう人前に出れない。ヒゲと言ってもネコのヒゲの方で、かなりコメディチックになってしまっている。

 

だから、その……犯人の目星は、ついてたから……落とし穴、作っておいて、仕返ししてやろうと……だから、その、理事長を狙ったわけじゃ、なくてですね……。

 

「ですが、まるで誘導したようであったと、そう聞いています。」

 

いや、理事長がわざわざ部室に来ることなんて、珍しかったから……その、落とし穴の存在を忘れてて……。

 

「ではなぜ、あなたが引っ掛からなかったのですか?」

 

それは、その……直前で思い出して、気がついた時には遅かったっというか、その……わざとじゃないんです、おれに悪気は……。

 

「なかった、と。ですが担当のウマ娘を落とし穴に嵌めようとした事実に変わりはありません。怪我の可能性がありますよね」

 

それは……ありません。現代身体論の観点からして、怪我をしないような設計の落とし穴を作成した、です。理事長も、びっくりしただけ、ですね。

 

「ですね、じゃないですね」

 

怒っていますか?

 

「はい。私は怒っています。なぜ、真面目にやらないのか……」

 

>おれは真剣です。

>どすこい山です。

 

──。

 

>どすこい山です。

 

「はい。はい?」

 

間違えました。

 

これは、その……おれなりの、コミュニケーションなんだ、です。やはり……ウマ娘のメンタルをケアするには、正攻法だけでは通じない時もあります。

 

「一理あることは認めます。確かにあなたは、多くのウマ娘を立ち直らせてきました。学園側が取りこぼしてしまいそうなケースを補い、たとえ選手生命を絶たれてしまった場合でも新たな人生の目標を与えるなど、単なるメンタルケアに留まらない素晴らしい仕事ぶりを発揮してきました。それは評価しています、ですが」

 

たづなさんは静かに台パンした。

 

「もう少し、おとなしく出来ないものでしょうか?」

 

不可能です。

 

「言い切らないでください。せめて他の人を巻き込んだり、学校の一部を破損させるようなことはやめてください。理事長は優しい方ですから笑って許されたのであって、冗談では済まないこともあります。それは分かっていますよね?」

 

はい。

 

「……いいでしょう。次も同じことが起きたのなら、覚悟の準備をして頂くことになります」

 

もしかしてオラオラですか? きっとそうなのだろう。

 

おれはそっと退出していった。今月二回目の説教とか一体どうなってんだ。もうそろそろ減給されるかも、とは常々思っている。

 

本格的に、おれも懲りねばならんということか。落とし穴なんて子供っぽいことはもうやめて、いい加減大人になろう……。

 

「あ、トレーナー! ねえねえ、あの落とし穴ってどうやって作ったの!? 気になるー!」

 

よくぞ聞いてくれたな、テイオー! あれは実は秘密があってな、ただの落とし穴じゃないんだよ! いやぁ苦労したんだ、その甲斐あって本当にいい穴が掘れた! せっかくだし教えてやろうじゃないか、シャベルを持ってこい!

 

「分かった!」

 

「……トレーナーさ〜ん?」

 

ひぃっ! 違います違います! 行くぞテイオー!

 

「わ、分かった! たづなさん、じゃあねーっ!」

 

バカのせいでまた怒られるところだった。おれは扉から顔を出したたづな大明神の前からそそくさと逃げるのであった。ちゃんちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昼休みが終わって、作業をしていたときのことだったか。

 

結構な頻度で使われている部室のドアが開いて、一人のウマ娘が入ってきた。

 

……おいおい、またサボりか?

 

呆れを混ぜてそう聞くと、そいつはへらっと笑い返した。

 

「やだなぁーもう、人聞き悪いんだから。違いますよー」

 

ふむ。ウソだな。

 

おれはそいつの適当な性格を知っていたのでそう言った。

 

「違いますってー。今日はあいさつをしに来たんですよー」

 

……。ふむ、あいさつ。

 

「はい」

 

へらへらしてる表情に、なんとなく別のものを感じ取って察した。

 

「私、辞めることにしました」

 

のんびりした声だが、決意を感じる。

 

「先生にはお世話になったから、ちゃんとあいさつしとこうと思って」

 

先生と呼ぶな。

 

「やでーす。どーせトレーナー業は大抵サボってるんだし」

 

一部の連中から、どうやらおれは先生と呼ばれている。ほとんどリハビリを専門にしているためだろう。

 

前のレース見たよ。三着とはなかなかやるじゃないか。

 

「あははっ、プレオープンですよ? 死ぬほど頑張って、それで三着。これまでで一番いい成績だってんだから、もう笑うしかないっていうか。諦めもつくっていうか」

 

ふむ。もういいのか?

 

「じゃなきゃ来てませんよー、やだなーもう」

 

へらへらと笑っているそいつは、いつもよりちょっとカラッとした笑顔を浮かべた。

 

「怠け者で不真面目で、怪我するくらいのトレーニングを努力と勘違いしてた私でしたけどもね。先生にしこたま怒られて、周りにも心配かけて、それでも全然結果出なかったし、腐ってさぼってばっかで、本気で頑張ってもこのザマでしたんでね。もうここらですっぱり諦めることにしました」

 

きっと本気で努力するのが遅すぎたのだ、とそいつは言った。

 

「才能っていう言葉で言い訳して、最低限の格好をつけようとしてただけだったんだなーって。でも本気で頑張ってみて分かりました。私、レースの才能なかったんだなって」

 

レースの才能というのは、本人のセンスや運動神経もそうだが、生まれや育った環境による体の作りが最も重要だ。そしてそれは後天的にどうにかなるものではない。

 

そうだな。おまえは死ぬほど頑張っても、せいぜい掲示板に入るのが限界だ。腐ったり、怪我してなくても、G3で5着がいいとこだな。

 

「もっと早く言ってくださいよー、もう。貴重な青春消費しちゃったじゃないですかー」

 

ふむ。だが才能のない連中にいちいち言ってまわっていたら、おれは学園にいるほとんどの連中にそれを言わなきゃいけなくなるぞ。

 

「ひっどーい。トレーナーのセリフじゃないですよー。全員を敵に回しますよ?」

 

本当のことだ。日本最高峰の才能が集うといえば聞こえはいいけど、格差があるのは事実だろ。それも時々バカらしくなるくらいの天才や化け物が現れる。誰もがそうなりたいと願ってトレセンに来る。そして百人いたら、そのうちの九十人はそうはなれない。そして残った十人のうち九人も、頂点の一人にはなれない。

 

おれは元々はウマ娘に魅せられてトレーナーになった側の人間()()()()から、正直ちょっと受け入れ難いところはある。

 

おまえのようなやつをたくさん見てきたよ。

 

怪我、故障、敗北、挫折。

 

レースの世界は厳しい。

 

だけど前のレース。おまえの走る姿、眩しかったよ。

 

「……はい。先生のおかげです」

 

いいや、おまえの努力だ。……これからどうするんだ?

 

「とりあえず、地元に帰ろっかなって。その後は、まあその後で考えようと」

 

つまり何も考えてないということらしい。

 

「むぅ、なんですかその目。私だって、新しくやりたいことが出来たんですからね」

 

ふむ。言ってみるがいい。

 

「音楽ですよ。私、ロックスターを目指します!」

 

ふむ。正気か?

 

「本気ですぅー。私、今度の今度は本気なんですからね。アルバム出したら送ってあげます」

 

……そうか。

 

相変わらずへらへらした言葉だが、どこか晴れ晴れとしていた。吹っ切れたのだろう。以前からこいつは音楽が趣味で、楽器の腕はそれなりに良かった。

 

楽しみにしておいてやろう。

 

「上から目線! すっごい上から目線だ!」

 

うむ、当然だ。おれはトレーナーだからな。

 

適当に机の上をがさごそと探した結果、特にめぼしいものはなかったので──。

 

ほれ、餞別だ。飴玉をやる。

 

「……もう少し、他になんかないもんですかね? 私の新しい旅立ちなんですけども」

 

ふむ。少し待ってろ。

 

がさごそとダンボールをひっくり返すと、何かの記念メダルが出てきた。なんだっけこれ……。なんかの観光地のメダル? それともなんかの賞のやつだっけ……。

 

「……そのメダル、いいですね。それ下さいよ」

 

む。これでいいのか?

 

「はい。なんか高そうなんで。金ピカだし」

 

……。売るなよ。

 

「売りませんよー! もう、信用なさすぎー……」

 

日頃の行いだ。……わかった。この変なメダルをおまえにやる。

 

トロフィーがわりと言っては変ではあるのだが、まあ欲しいのならこれでいいか。おれはちょっと姿勢を正してメダルを渡した。

 

二年間、よく頑張った。

 

地方からやってきたウマ娘は、大抵の場合は大成しない。夢破れて散っていくのが常識のようなものだった。一握りのスターとその他大勢の凡人たち──こいつは例外にはなれなかった。オグリキャップにはなれなかったのだ。だが。

 

元気でやれよ。

 

世間にその名前を知らしめることが出来なかったそいつは、無数にいる夢破れたモブのうちの一人だ。

 

「……もう、ずるいなぁ。こんな時、だけ……っ、真面目になったって、騙されませんから……」

 

だがモブにも人生がある。意思がある。夢破れたって、残りの人生、いやウマ生は長い。別の夢を追いかけるには十分だし、諦めきれずにしつこく走り続けるのもいい。

 

「わ、私っ……! がんばります、がんばりますよ……っ! ここで負けたって、レースの才能はなくても別のところで、頑張って……やってみせますから……っ!」

 

逃げてもいい。諦めてもいい。レースに負けたからって、それが全てではないのだ。

 

最後の最後に笑っていれば、それまでの全てが肯定されるだろう。それは単なる勝ち負けではない。敗北も挫折も、また別の土壌になり、新しい芽を出すだろう。そうなるように手助けするのがおれの仕事だ。そしてそれが新しい花を咲かせるかは、そいつ次第だ。

 

「絶対、泣かない……つもりで、来たのに……っ! 最後は笑って、旅立とうって……決めてたのにっ!」

 

泣くのは本気で頑張ったからだ。だからって、おれは別に涙などを肯定するつもりはない。

 

けどまあ──。

 

「……私、行きます」

 

しばらくして泣き止んだそいつはそう言った。

 

今から出るのか?

 

「手続きは全部終わって、寮の荷物も全部送りました。先生のところに来るのは、最後にしようって思って」

 

そうか。見送ってやる。

 

「いらないですよー。大丈夫ですぅー」

 

そうか。

 

人生楽しめよ、最後に笑えばそれでハッピーだ。

 

「その言葉、覚えておいてあげます」

 

上から目線だな……。

 

「先生に見習ったんです。……それじゃ、この辺で」

 

ああ。何かあれば連絡しろ。また遊びに来てもいいからな。

 

「いいえ、甘えになりそうだから……もう二度と、ここへは来ません。次会う時は、日本武道館で」

 

ふざけた言葉が飛び出したものだが、それくらい目標はでっかく。夢は大きく──夢破れたそいつが言うと、妙な説得力があった。

 

ふむ。わかった、チケットは送れ。

 

「そこはちゃんと、お金出して買ってくださいよ……」

 

仕方ない。まあ、頑張れよ。

 

「はい、全力でやったりますよ。ばいばい、先生」

 

うむ。じゃあな、──────(名もなきウマ娘よ)

 

最後にそいつはへらっとした表情で手を振って、それから扉が閉まった。

 

今日また一人、夢破れてこの地を去り、新天地へと歩いて行った。

 

トレセン学院では、よくある話だ。

 

「おいーっす! 授業終わったよー! トレーナー、今日のトレーニングはー!?」

 

クソガキが来た。

 

うるせーぞ、校庭1000周だ。

 

「えー!? ついにバカになっちゃったのー!? あ、元からトレーナーはバカだったね、ごめーん!」

 

このクソガキ。いいだろう、今日という今日はダートに埋めてくれる。

 

「はっ、その袋は──!?」

 

おれが黙って埋まるだけかと思ったか。このずた袋を食らえ──!

 

「ボクだってタダでやられると思ったら大間違いだよ! 特注のカーボンナノファイバーで出来たこの袋の力、見せてやるー!」

 

は? ちょ、なにそれ!? 最先端素材をどんな使い方してんだおまえ! ついにバカになったな!?

 

「生首にしてダートに埋めてやるー! この前の落とし穴の恨み、忘れてないんだからねーっ!」

 

ぎゃあああああああああ!

 

 

 

 

夢追う者、諦める者。

 

ウマ娘たちは大いなる自由と現実を前にして、どのように立ち向かっていくのか。

 

全てのウマ娘はいずれ引退する。違うのは、それが早いか遅いかだけだ。そしてその後も人生、いやウマ生は続く。

 

去っていったあいつが、今度は音楽という厳しい世界で、いつか世の中をびっくりさせるような音楽を作ってくれる日を待っていよう。

 

ひんやりとしていて心地いい、土の温度を感じ、首から下を埋められたおれはそんなことを思ったのだった。

 




・トレーナー
IQ2

・トウカイテイオー
IQ20

・モブのウマ娘
IQ74

IQ合計:22
※モブウマ娘は引退したのでノーカン


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ぶちころですわ!

減量だ。

 

おれははっきりと、マックイーンにそう言った。

 

「……へ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おいデブ。計量だ。

 

「ひぃっ、イヤですわ、乗りたくありませんわーっ!」

 

だまれ。乗れ。

 

「イヤです! 絶対に乗りませんわ! っていうか誰がデブですの、ぶち殺しますわよ!?」

 

ふむ。どいつもこいつも……。

 

おれはおまえに言うことを聞かせるための二つの手段を持っている。アメかムチ、好きな方を選べ、デブクイーン。

 

「デブっていうのを止めなさい! このメジロマックイーンに向かって! クズトレーナーさんなんて八千回くらい地獄に落ちなさい!」

 

分かった。ではムチで行こう……。

 

おまえの月別体重推移をエクセルで作ったが、体重計に乗らなかったらこれをURA公式ホームページに貼るぞ。公式Twitterにも上げるぞ。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃ! な、なんて恐ろしいことを思いつくんですの!? 鬼ですわ! 悪魔ですわ! ちひろですわ!」

 

なんとでも言うがいい。それで、どうする?

 

「アメの方にしてくださいまし! 優しい心で接してくださらないとひどいですわよ!」

 

ふむ。おれも最初はそういう感じで行こうと思っていたんだが、おまえがあまりにも食べてばっかりだからしょうがないのだ。

 

「トレーナーさんが連れ回すからいけないんでしょう!? わたくしは悪くありませんわ! 管理責任を問いますわ!」

 

ふむ。どうやらデブクイーンの闇は深い……。

 

仕方がない。おれも妥協するよ。

 

「な、なんですの?」

 

そう警戒するな。1人で減量といってもさびしいだろう。だから、他の連中も一緒にやらせてやろうというのだ。

 

「……。た、確かに……他の方が目の前で美味しそうなものを召し上がっているのに、わたくしだけプロテインで済ませるのはつらいし、寂しいものがありますわ! けど……」

 

みんな一緒ならこわくない。1人で抜け駆けもできない。そんなことをしたら、他の連中に申し訳ないだろう? おまえは。

 

「けど、他の人たちに迷惑をかけたくはありませんわ……」

 

ふむ。できればおれにも迷惑はかけないでほしいね。デッブクイーンをどうやって寸胴クイーンに戻すか、おれは寝ずに考えていたのだ。

 

「わたくし、最近プロレスにハマっておりますの」

 

うむ。冗談だ。

 

安心するがいい。あのデッブクイーンを助けるためならば、とみんな協力してくれるそうだ。それにデッブなのはおまえだけではない。おれもだ。

 

「よくわたくしのことを言えましたわね、あなた。じゃああなたも減量するんですの?」

 

ああ。おれはこれからそうめんだけで生存する。おまえもそうしろ、そうめんデッブクイーン。

 

「キレましたわ。今からトレーナーさんをコンクリに埋めます」

 

冗談だ、落ち着くがいい。ほれ、飴ちゃんをやる。カロリーゼロだからどれだけ舐めても太らないんだ。

 

「それは飴ちゃんではありませんの。ただの石ころですわ」

 

…………。

 

た、確かに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、ドラム缶に詰められてコンクリに埋まったおれである。

 

「よう先生、……。何があったんだ?」

 

沖野Tが来た。

 

待っていたぞ、沖野さん。

 

「コンクリに埋まったままそんな堂々と言われてもな……。まあいい、テイオーの調子はどうだ」

 

ふむ。予定より一ヶ月早く復帰できるだろうな。

 

「そ……それは本当か? 一体どんなマジックを使ったんだ?」

 

マジックの種は明かさないものだぜ。一つ言えることがあるとするならば、精神は肉体を超越する。

 

「そんな言葉で怪我が治るんなら誰も苦労しねぇよ……」

 

ドラム缶に入ったまま動けないおれの横に沖野さんが座った。

 

それで、何か用事があるのか?

 

「ああ。たまには一緒に酒でも飲まないか、と思ってな」

 

……困った。酒はハイカロリーなのだ。

 

「? ああ、そうだな。けど苦手じゃないだろう?」

 

うむ。だがおれは今、減量中なのだ。

 

「……糖尿にでもなったか? そんな太ってるようには──」

 

と、おれの体を観察しようとした沖野さんは、おれがドラム缶に埋まっていることに気がつくとそっと口を閉じた。

 

いや……。実は、マックイーンの減量に付き合ってやろうと思っていてな。

 

「なるほど、一緒にやることでモチベーションを上げる作戦か……」

 

おれもちょっと腹に肉がついてきた気がするから、いい機会だと思う。酒は無理だけど、麦茶でいいなら付き合うぞ。

 

「しゃあねえな。8時にいつものとこで」

 

うむ。

 

……。トレーナー同士の交流は不可欠。ゆえにこれは仕方ないのだ。そう、仕方がないことなのだ……。

 

 

 

 

 

 

というわけで、そろそろ出してほしいのだが。

 

「……?」

 

よくわからない顔をされた。

 

「行きたいところがあるなら、ライスが運んでくよ……?」

 

ふむ。そういう問題ではない。

 

ライスシャワーは大体、もうアルファードのメンバーじゃない。不調だった時期に多少の面倒は見てやったが、それだけだ。

 

だがメンバーの入れ替わりの激しさは、そのまま曖昧さに繋がる。出たり入ったりしやすいので、不調が終わっても素知らぬ顔でアルファードに来ていることもある。

 

だいたい、このクソガキも分かってやっているのだ。誰にでもお兄さまとか言ってるのだ。じゃなきゃ気が狂ってる。

 

「お兄さまったら、またそんなこと言って……。ライス、ちゃんと覚えてるもん」

 

どうすっかな。誰かにコンクリを砕いてもらわないと飲みに行けない。トレーナー仲間との飲みはおれの数少ない楽しみなのだ。

 

「お酒はダメだよ。健康に悪いんだって、お兄さまが前言ってたことだよ?」

 

……誤解するな。飲みに行くとは言葉の綾だ。おれはノンアルで済ませるつもりだ。

 

「も〜っ! お兄さまのうそつき! 前もそんなこと言って、べべれけになってたんだもん」

 

なってない。

 

「なってた!」

 

そうかな? 本当にそうかな? きみがその目で見たのかな?

 

「ライス見たもん! お兄さまが道端で寝てたの見たもん!」

 

うそだろ。なんで知ってるの……。

 

「見たもん!」

 

……。誰にも言ってないな?

 

「ライスね、本当にお兄さまかどうか自信なかったから、みんなに言うのはやめておいたんだ。けどこれからも言わないかは、お兄さまの態度次第かなって」

 

ううむ……。

 

「ライスね、お兄さまのことが心配なの。危ない人に襲われたりしないかなって……」

 

まずいな。この醜態が世間にバレたらとてもまずい……。今度は反省文だけじゃ済まない。今度という今度は本当にやばいかもしれない。

 

今思い出すと、よく誰にも通報されなかったよな。朝日の日光が直撃して起きた時はかなりゾッとした。血の気が引いたわ。

 

しかし、こんなちっこいガキにまで心配されるようになっていたとは。おれも反省せねばならんということだろう……。次はない。流石に次はない。天才は同じことを二度も間違えない。ライスシャワーの言う通り、今度はやんちゃな連中に身ぐるみを剥がされないとも限らん。

 

分かった。観念する。おれも反省するよ。

 

「本当?」

 

うむ。本当だ。

 

「誓う?」

 

うむ。誓う。

 

「今日は大人しくする?」

 

……それとこれとは話が別じゃない?

 

「も〜! お兄さまのうそつき! ライス、もうお兄さまのことなんて知らないんだからね!」

 

待って待って待って。

 

ステイクール。ステイクールだ。冷静になれ。おまえだけが頼りなんだ。

 

「調子のいいことばっかり言ったって、ライスの気持ちは変わらないんだから!」

 

たのむ。いや、これは飲みに行くとか行かないとかの話じゃなくて、シンプルに生きるか死ぬかの問題なんだ。おれを助けてくれ。

 

「……。テイオーさんと、デートしてきたんでしょ?」

 

デートではない。お出かけと言い直せ。

 

「ライスも、お兄さまと一緒にお出かけに行きたいの」

 

うむ。いいだろう。

 

「ほんと!? じゃあ今から行こう?」

 

今からか……。

 

時刻は午後7時。アルファードのトレーニングは終わっている。

 

……はっ! 脳内選択肢が……!

 

>いいよ。晩御飯でも食べてこようか。

>全力でお兄ちゃんを遂行する。

 

……もう一声!

 

>明日にしてくれたら、素敵な場所へ連れて行ってあげる。

 

……。素敵な場所ってなんだ? こんな選択肢はゴミ箱行きだ、バカらしい。

 

>明日にしてくれたら、素敵な場所へ連れて行ってあげる。

 

「え……ほ、本当!? ライス、聞いたからね!」

 

押し間違えた。もはやおれ以外の何者かの強い意志を感じる。

 

吐いた唾は飲めない。根拠はなくとも、何事も堂々とすることが大切だ。言い放ってやるほかあるまい。

 

うむ。楽しみにしておけ。

 

「聞いたからね、ちゃんと録音もしたからね! 絶対だよお兄さまっ、約束を守ってくれなかったらひどいことするからね!」

 

はっはっは。どすこい山だ。座して待て。

 

……録音はやり過ぎではないだろうか。

 

ビリビリに破かれたドラム缶と、部室にコンクリートの破片が散らばっていくのを見ながらおれはそう思った。

 




・トレーナー
脳内選択肢は別にそういう特殊能力ではなく、無自覚でセルフ
個人的な印象では、うむ。って言ってる時が一番バカっぽい

・マックイーン
言うほど太ってない

・ライスシャワー
か わ い い 。

合計IQ:だいたい40

次回:マックイーン、地獄のリバウンド。ライスシャワーの花嫁修行。トレーナー、真理の扉を開くの三本立てでお送りしますうそです


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モニョモニョですわ!/ 秋、嵐の前に

なんかめっちゃ伸びてると思ったらランキング載っててびびった
誤字報告助かります 感想は全部読んでます 嬉しいです


力なき正義は無力であり、正義なき力は圧政である。

 

そう言ったのはフレーゼ・パスカルというおっさんだ。まさしく金言。人生、いやウマ生を導いてくれる素晴らしい言葉だ。

 

ふむ。そうは思わんか。

 

「……当てつけですの?」

 

それ以外に何かあるものかね。北海道フェアに行くなとあれほど言ったにも関わらず、おまえはじっとしていられなかった。いっそおれはおまえの通帳と財布でも預かっていた方がいいのかね。

 

「トレーナーさんだって顔を出していたでしょう。同じ穴の狢にとやかく言われたくなどありませんわ」

 

見張りだよ、見張り。おまえが来た時に、尻尾を引っ張ってでも止めるためにおれは休日返上で張り込んでいたのだ。

 

「その割には、ずいぶんお腹が膨らんでいたようですけれど」

 

おのれのボテ腹に比べれば、膨らんでいたとは言えんな。

「……。そもそもの話をしましょう。トレーナーさんが口うるさくカニフェアだとかチーズフェアだとかミルクケーキフェアだとか口にしなければ、きっと私はその存在すら知らなかったのです」

 

おっと。今度は言い訳か。いいだろう、言いたいだけ言いまえよ。だが忘れてはいけない。パスカル曰く、人間にとって苦悩に負けることは恥ではない。快楽に負けることこそ恥である──だ。

 

「人間にとっては、ですわ。わたくし、ウマ娘ですので」

 

少しは最もらしい言い訳をしたまえ。名言とは霊長類ヒト科だけに向けたものではない。心ある生き物への言葉だ。

 

「では聞きますが、あなたのBMIはどれだけ増えましたか?」

 

くだらんな。BMI指数なぞなんの医学的根拠もない。あんなもので本質は測れんよ。

 

「言い訳は結構です。増えたのでしょう?」

 

……。おれが多少重くなろうと、おまえには影響がない。

 

「では約束通り、ペナルティを執行します」

 

そういう態度を取るのなら、おれにも考えがある。確認するが、あくまでおれが悪いというつもりなんだな?

 

「ええ。わたくしはミスをしませんでした。だとするならば、トレーナーさんに原因があるのは一目瞭然です」

 

言いたいことは全て言え。おれはトレーナーだからな、不満は全て受け止めてやろうではないか。

 

「ではお言葉に甘えますが、この二週間であなたがわたくしを連れ回した回数は二桁を超えます。食べ放題、スペシャルフェス、フレンチ、そして屋台。はっきりと言わせていただきます。あなたはこのわたくしのトレーナー失格です。今日限りでトレーナー契約を解除させて頂きますわ。追放系ですわ」

 

何言ってんだか。おれの写真フォルダ見るか? どこを探してもおまえの笑顔しか映ってないが。ほれ、秋祭りの写真だ。浴衣にお面つけて林檎飴、ニッコニコじゃねえか。どうなってんだ。楽しそうだな、おまえ。

 

「……。それは、その。だって……トレーナーさんがあまりにもはしゃぐから、わたくしもつい……」

 

……。

 

話変えようぜ。お互いのために、それがいいと思う。

 

「ええ、そうしましょう。では……食事制限に関してのわたくしの意見と要望を」

 

ああ。建設的な意見を期待する。

 

「わたくしはある程度の我慢をしなければなりません。それは自分でも分かっていますわ、けれどそれには周囲の協力が不可欠です。そして最も重要である、食事メニューに関して……わたくしは、言いたいことがあります」

 

続けろ。

 

「ダイエット食品を食べ過ぎる、という本末転倒なことは、そう珍しくないようですわ。カロリー控え目と言っても、それを食べ過ぎてしまったらなんの意味もありません」

 

ふむ。確かにおれは、おはようからおやすみまでの食事プランを食堂のおばちゃんに提出した。食生活とは生活そのものだからな。だがおかしい点が一つ。おかわりは禁止──おばちゃんには、そう頼んであったはずだ。

 

太るはずがない。なぜなら、おまえは太るほど食べられるはずがないのだ。おれのプランに穴はなかった。確実に⭐︎ダイエット大作戦⭐︎は成功するはずだったのだ。なぜ失敗した……?

 

「……。だって……美味しかった、から……つい……」

 

そうだ。量で満足できるないのなら、質でカバーしようとおれは考えた。メジロの良い教育を受けてきたのなら、質で満足できる気質が育っているはずだと考えて、な。だが結果はどうだ。おまえは秋天前日にしてこの有様だ。もうどうしたらいいのか分からん……。

 

「あまり自分を責めないでください、トレーナーさん。あなたは十分に使命を果たしましたわ。わたくしが勝てば、何の問題もありません。わたくしを信じてくださいまし」

 

……いや、良い話風にされてもな。

 

「問題ありません。やる気十分、勝って参ります」

 

全て計画通りだ。言ったろう、量より質……おまえの消費カロリーを計算に入れれば、十分な減量が達成できるはずだった。おまえがこっそり隠れ食いをしないように、しっかりと満足させてやる計画だった。

 

なのになぜ北海道フェアに行った。何がおまえをそうさせたのだ……。

 

「……トレーナーさんが悪いのですわ」

 

なんだと。

 

「わたくし、見てしまったのです。机のメモ……カニ、カニ、カニ……甲羅酒、カニ味噌、カニ鍋、カニごはん……」

 

……。

 

「思わずお腹が鳴りましたわ。調べてみたら、出るわ出るわのカニの山……。わたくしというものがありながら、トレーナーさんは一人でこっそり楽しもうとしていたのでしょう? 到底許せるものではない……と」

 

なんということだ。

 

……。聞け、マックイーン。

 

「はい、なんですの?」

 

おれはな、何も自分のためにカニを買い込みに行ったわけじゃない。理由がある……。質のいいカニが売られていると、その筋から情報があったのでな。

 

「どの筋ですの……?」

 

おれは、おまえの一着祝いのために行ってきたのだよ……。あのメモは料理の候補だ。

 

「……本当ですの? 甲羅酒とか書いてありましたけど」

 

気のせいだろう……たぶん……。

 

とにかく、おまえが勝った時のためにおれは色々と買い込んでいたのだ。決して私利私欲のためではない。

 

「……では、わたくしが勝てば、トレーナーさんはご馳走を振る舞ってくださるのですね?」

 

まあ、そういうわけだ。

 

にしても、こいつは少々頭が悪い。春秋天皇賞制覇とかいう偉業を成し遂げたのなら、メジロ家でバカみたいに祝ってもらえるだろうに。それこそカニとか目じゃないくらいの──おれもそこにお呼ばれしないかな。

 

「……。お祝い、してくださらないんですの?」

 

ふむ。結果を出したまえ。

 

「当然です。我がメジロの栄光、そして支えてくださった友人たち、切磋琢磨し合うライバルの皆様に、我が威風を示すため──。わたくしを導いてくださった沖野トレーナー、そして……えっと、一緒に遊んでくださったトレーナーのために」

 

おいおいおいおい。なんだ一緒に遊んでくださったトレーナーって。どんな扱いだ。遊び仲間みたいになってるじゃねえか。小学生じゃないんだぞ。

 

「多少体重が増えようと、所詮は誤差です。わたくしの前には、道があるばかり──道の上に転がっている石ころ一つなど、蹴り飛ばして差し上げますわ! おーっほっほっほっほ!」

 

笑い方……。

 

ダメなやつだ。負けるやつの笑い方だ……。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライスシャワーは、じっと物陰から彼らを見ていた。

 

息を殺して、じっと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天皇賞(秋)が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ま」

 

ま?

 

「負"け"ま"し"た"わ"ぁ〜〜〜っ!!!」

 

うん。そうだね、負けたね。

 

「な"ん"で"で"す"の"ぉ"〜〜〜っ!!!」

 

……。

 

もはや、掛ける言葉はない。負け犬(負けウマ)にアンコールなどないのだ。勝てないのなら、黙って涙を呑むほかない……。それが勝負の世界……。

 

マックイーンはざめざめと泣いている。

 

天皇賞(秋)。

 

ライスシャワー、一着。

 

メジロマックイーン……二着。二着!

 

「お、お兄さま……ライス、ライスやったよ! ライス、勝ったよ!」

 

ぴょんぴょんと飛び跳ねて嬉しそうなライスがはしゃいでいる。

 

うめぼしみたいな泣き顔のマックイーンと、晴れやかな笑顔を浮かべるライスシャワー。これが、勝負の世界……!

 

それにしても容赦がないクソガキである。敗北者の隣で、傷口に塩を塗りたくっているのだ。末恐ろしい話である。

 

仕方ない……。おれは口を開いた。

 

マックイーン。天皇賞(秋)の敗北者よ……。

 

「ぐ"や"し"い"で"す"わ"ぁ"〜〜〜っ!!!」

 

おまえは、もう帰れ。

 

「ど"う"じ"で"ぞ"ん"な"い"じ"わ"る"を"い"う"ん"で"す"の"〜〜〜っ!?」

 

いじわるではない。おれはこれからライスを盛大に祝ってやらねばならん。"マックイーン"は所詮……天皇賞(秋)の……"敗北者"じゃけェ……!

 

「ハァ、ハァ……ッ、取り消せよ……! ハァ……今の言葉……!!」

 

……。

 

だが仕方があるまい。トロフィーは勝者1人だけの手に収まる。カニ鍋は勝者だけが味わえる。そうでなくては、なんのために戦ったか分からんだろう。

 

1人だけ……カニ鍋を味わえるのは……っ! 勝者のみ……っ! 敗者は去れ……っ! それが道理……っ!

 

「……カニ鍋、食べたかった……ですわ……」

 

「お兄さま……ライス、賑やかな方がいいな」

 

……。あ、そう?

 

じゃあ……スピカも呼ぶか……。ほれマック、準備を手伝え。

 

「も……もちろんですわ! なんでも任せてくださいまし!」

 

秋。

 

食欲の秋……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライスシャワーは覚えている。

 

素敵な場所──そう言って、連れて行ってくれた場所。

 

「ほれ……どうだ。素敵だろう。たぶん……」

 

紅葉が散る代々木公園、ピクニック用のシートを広げて周りを見渡せば、視界いっぱいに飛び込んでくる朱、朱、朱──。色鮮やかな秋の色。

 

「……まあ、何……おれは金がないのでな。あまり豪華なことはできんが……」

 

そう言いながら、バックから弁当箱を広げていくトレーナー。思わずライスは喜びと驚きの声を漏らした。

 

「秋といえばピクニック……紅葉……! 定番……っ! 皿と箸……っ! タコさんウィンナー……!」

 

この紅葉に負けず劣らず、彩り豊かな重箱だ。おそらくトレーナーのことだから、手作りしてきたのだろう。ちょっと信じられない。お店で買ってきたと言われても信じてしまいそうだ。

 

「では、手を合わせて……いただきます。あ、これお茶ね。熱いぞ」

 

水筒に用意してきたお茶、持ち運びの簡単なタイプのカップ。トレーナーは自身を天才だと公言して憚らないが、こういったところで非常に庶民的であり、天才らしからぬ生活感にあふれている。いい意味での安っぽさとも言うべきか。

 

「好きなだけ食べたまえ。信じられんことに、おれは今減量中だからあまり食べん。だからたくさん食え」

 

ダイエットなど必要ないだろう。むしろ細いくらいだ──トレーナーのことだから、ダイエットなど口実に過ぎないのだろう。メジロマックイーンのモチベーションを上げたり、あるいは自分がこの豪勢な料理を遠慮しないための口実……いや、やはり何も考えていないような気もする。

 

でも、いいのだろうか。独り占めするのも、なんだか他の人に悪い気がする。

 

「うむ。おれもそう思ったので、今からでも暇なヤツを呼ぶか?」

 

……。それも嫌だ。だって二人きりなのだ。アルファードには常に誰かしらが居るので、二人きりの時間など滅多にない。

 

「ふむ。まあ、いい機会だろう。おまえ、秋天に出るんだってな。聞いたぞ」

 

……。

 

「走れるのか?」

 

トレーナーはそう聞いた。

 

その疑問も尤もだ。自分が一番分かっている。だけど前に踏み出さなくては。恐れながらでも一歩目を歩かなくては。

 

「うむ。ならばいい。おまえのやりたいようにやるのが一番だ」

 

そんな他人事みたいにいうが、散々世話を焼いてくれたのはこの人だ。

 

「だがマックイーンが出る。勝つのは容易じゃないな」

 

大丈夫。ライスは勝つ。

 

「……ふむ。何か根拠でもあるのか」

 

その目で見て欲しい。

 

「自信がついたな。成長した」

 

……顔が赤くなっていないだろうか。大丈夫かな。

 

「楽しみにしている」

 

……大丈夫。ライスは勝つ。

 

ライスが勝つところを、あの子たちに見せてあげるからね。お兄さま。

 

「おれはお兄さまではない。トレーナーと呼べ」

 

やだ。

 

「やだって言わない」

 

やだもん。ライスのお兄さまはお兄さまだもん。

 

「違う。それは存在しない記憶……」

 

お兄さまはそんなこと言わない!

 

「脹相じゃないんだぞ。っていうか今週のジャンプ読んだ? やばくない?」

 

うん。すごかったね────。

 

とか話しながら、楽しいひとときが過ぎていく。

 

 

 

 

 

秋天が来る。すぐそこにやってくる。

 

ライスは勝つ。

 

必ず、勝ってみせる。

 

 




・ライス
半年早くマックイーンをたおした
かわいい

・マックイーン
敗北……っ! 地下労働5千年……っ!

・トレーナー
ダイエットの結果、500g体重が減った


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ナリタタイシンの憂鬱:エンドレスディセンバー 前編

ふむ。忘年会……。

 

「ああ。実はさっき決まった話でな。色々忙しい中、他の連中と予定が合えばってことで、今から」

 

随分急な話……というか、もう明日には年が変わってると言うのに、またなんとも慌ただしい。店の予約も出来んだろうに。

 

「なに、食材を買い込んでくればいいさ。職場でやる忘年会もあったっていいだろ?」

 

うむ……いいだろう、おれも付き合うよ。

 

「心強いな! 美味い飯、任せてもいいか?」

 

この天才にすべて任せるがいい。あ、沖野さんは手伝えよ。

 

「分かってるって。で、担当のウマ娘たちなんだが──」

 

うむ。それが問題だ……。

 

あのガキ共がいると酒が飲めん。これが何よりの問題──おれはいやだぞ、ガキどもとコーラで年を明かすのなんて。サッポロがいいんだ。

 

「まあ、部分的に同感だ。アルファードのメンバーは? 帰ってるのか?」

 

まあ大体はな。ただ年越し前だってのにボッチでフラフラしてるのが1人いる。面倒だが面倒を見てやらんといかんかもしれん。

 

「1人だけか?」

 

うむ。それぞれで年明かしをするって連中は、寮で騒ぐつもりだろうし、そういうのを除いてこの部室にふらっと来そうなクソガキが1人。

 

放っておくわけにもいかんが、放っておきたい。だが放っておけん。

 

「んー、どうするか。あのおハナさんも参加するって話だし、他にも5、6人来るそうだ。こんな機会は滅多にないが、ウマ娘が優先だし……。だがお前の料理の腕は欠かせない。どうにか出来ないか?」

 

おれを誰だと思っている。天才だぞ。間に合わせて見せよう。

 

「オーケーだ。信じるぞ、先生」

 

 

 

 

 

 

 

 

──と。

 

安請け合いだったかもしれない。

 

「……ねえ。ちょっと付き合いなよ」

 

なんだ。

 

「いいから付いて来て。たまにはいいでしょ」

 

ふむ、よかろう。

 

おれは最近ギシギシ音が鳴るようになってきた回るタイプの椅子から立ち上がって、年末ぼっちを体現しているクソガキ4号の後を付いていった。

 

どうやらこのクソ寒い中、このぬくぬくとした部室を出るつもりらしい。突然やって来てなんだと言うのか。

 

ターフに積もった雪に反射した日光。まるで日光に焼かれるゾンビが如く、おれの両眼に突き刺さってクソ眩しい。除雪してほしい……。

 

今年は少しだけ、雪が積もった。

 

どうせ東京の雪なんぞ積もったって大したことはあるまい。すぐに溶けるか除雪されてしまいだ──そう考えると、ターフの雪もちょっと可愛く思えてくるような気がする。冬にしか生きられぬ、儚き存在……。

 

クソガキは階段に雪の足跡を残しながら登っていく。おれは黙ってついていくが、そのうちに数台ほど並んだ自販機が目に入る。

 

「奢って」

 

おれも無粋な言葉は言うまい。コインを突っ込んで暖かいやつのボタンをポチっと。

 

ほれ、お汁粉缶をくれてやる。

 

黙ったままクソガキ4号は受け取った。おれは自分用のコーンポタージュ缶を買うと、近くのベンチに腰を下ろす──てか熱い。あったかい缶って超熱いな。湯たんぽにするにも熱い。

 

で、なんだ。

 

「……」

 

奢ってもらったくせに、プルタブを開けもしない。両手で缶を包んで黙ったままだ。

 

実家には帰らんのか。

 

「……いい」

 

ふむ。ではぼっちだな。BNWの他2人がいなければ随分静かになるものだろう。

 

それにしてもテイオーは速かったな。流石と言うべきか……。

 

「……」

 

先日の有馬記念。一着はトウカイテイオーだった。あいつは完全に復活を果たし、その存在を再び世間に思い出させた。まあ天才たるおれが面倒を見てやったのだから当然だな。クソガキとはいえ、この世に天才は存在していたらしい。

 

タイシン。おまえ、見事に負けたな。勝負もできなかった。

 

「……うっさい。黙れし……」

 

うむ。

 

今年の冬は冷えるな──。

 

結果だけがすべてを肯定する。その過程など、敗者からすれば慰みにもならんのだ。レースに頑張ったで賞なんてないからな。

 

だがおれはあってもいいと思うよ、頑張ったで賞。

 

「……黙れっつってんじゃん。そんなの、レースに出てる全員をバカにしてる……!」

 

ふむ、やはりそう思うか。

 

こればっかりは誰に話しても納得されたことはない。一着だけが勝者で、あとは二着、三着と並べば残りは横並びでみんな負け犬だ。犬と言ってもウマなんだがな、ははは。

 

「……」

 

やれやれ、まだだんまりか。おまえがなにも話さんのなら、おれが勝手に話していくほかあるまい。

 

タイシン、おまえは他の誰に肯定されても大した価値を感じない。おまえを肯定するのは、おまえを納得させうる"結果"だけだ。

 

そう珍しいことじゃない。結果は嘘をつかないし、はっきりしているからな。だが頑張ったで賞がないのなら、結果を得るのは一人だけしかいない。

 

十何人いる中で、一人だけしか結果を得られんのなら、それを得るのは難しい。

 

だから、勝てない凡人はどうにか折り合いをつけていくものさ。自分を肯定するための材料は、はっきりとした結果から、曖昧な過程へと移っていく。勝てなかったけど、自分は頑張ったんだって。

 

それを逃げと呼ぶヤツもいる。だがおれはそうは思わない。

 

おまえはどう思う、タイシン。

 

「……そんなの、弱いやつの言い訳だ。勝てなかったヤツがうだうだ言ってるだけだ……!」

 

おまえはそう言うと思ったよ。

 

コーンポタージュの優しい味と温かさが染み渡る。外が冷たいだけに、暖かいものは格別の味がする気がする。

 

過程を認められんのなら、結論など最初から分かっているだろう。次こそ勝てるように努力する。それだけのことである。

 

「分かってる……」

 

とか口ではいうが、本当に分かっているやつの表情ではない。

 

クソガキの相手というのは難しい。単に納得させればいいというものではなく、相手がなにを求めているのか知る必要がある。ひどい時はなにも求めてない可能性もある。

 

……。

 

どうしよ。こいつだけ忘年会に連れていくことも考えたが、どう考えたって逆効果だ。正直こいつのケアは明日にでも回して、今日だけは酒が飲みたい。もう二ヶ月も飲んでいないのだ。そろそろ中毒症状が現れても不思議はない。

 

ただその場合、初詣に誘ってくる連中が山ほどいるだろう。手が回らん。

 

「……あのさ」

 

なんだ。

 

「……今日、部室に居てもいい?」

 

だめだ。

 

「だめっていうの禁止。なんか美味いご飯作ってよ。あんた得意でしょ、そういうの。大晦日なんだから、どうせなんか作るつもりなんでしょ」

 

ふむ。

 

「カフェテリアは閉まってるの知ってるでしょ。朝から何も食べてなくて腹減ってる」

 

めんどくせー……。

 

「……今日くらい、いいじゃん。作ってよ、お昼ご飯」

 

甘え下手か。もっと素直に甘えられんものかね。

 

「……黙れし。どうせ今更でしょ」

 

分かった分かった。少し早いが年越しそばでも作ってやる。

 

「昼から? そばはいいけど、普通夜じゃないの? あんた、そういうところは細かいヤツだと思ってたんだけど」

 

ぎくっ。

 

……夜は忘年会だ。正直今年はクソ忙しく、今日も仕事漬けになることを覚悟していたおれたちトレーナーにとって、この忘年会は降って沸いた僥倖……。幸運……っ! 後回しにできる作業ばかりだったのが幸運であった。火急の用件がある時はこうは行かない……。

 

実は、そばの仕込みは済んである。沖野さんに誘われなければ、このクソガキでも誘ってエビ天そばでも作って食おうと思っていた。

 

そう、本来であればそうするつもりだった……。

 

「……。もしかして、なんか予定でもあんの?」

 

言いづらい。とても言いづらい。有馬でボロ負けして落ち込んでるナリタタイシン(年越しぼっち)を放って忘年会に行くなんてとても言えない。

 

ないよ。やっぱり昼は別のものにして、夜にそばを食べようか。

ところでシャンプー変えた?

 

いや二つ目。そうなの? シャンプー変えたの? ほらもう一個くらいあるだろう、選択肢。出せや。

 

実はかくかくしかじかでな。すまんがぼっちで過ごせ。

 

鬼か。

 

……どうしよ。まあ実際のところ選択肢はこのくらいである。

 

タイシンはツンデレでシャイのくせに臆病なところがある。拒否られるのが怖いので、そうなる前に身を引く。おれに予定があると知った時、こいつは表面上は何も思ってない顔をするだろうが、内心はちょっとしょんぼりするであろう。

 

ないよ。やっぱり昼は別のものにして、夜にそばを食べようか。

 

「……あっそ。じゃあ早く作ってよ、腹減ってるっつってんじゃん」

 

か……可愛くねぇ〜! このガキ、ちょっと下手に出りゃあこれだ!

 

こらえろ。こらえろおれ、おれは大人だ。おれは大人、おれは優しい、おれはつよい、おれは器が大きい男……! 怒らない怒らない、怒るなよ……! 忍耐力のスキルを発動して持ち直し、おれはベンチから立ち上がる。

 

ついて来い、買い出し行くぞ。

 

「は? 何の?」

 

メシを食いたいのなら働け。荷物持ちくらいできるだろ、皐月賞ウマ娘。

 

「……。なんか、気に食わない……このっ!」

 

ぐあああああ! 痛ってぇ! てめえこのクソガキ、何しやがる!

 

「あんたがあたしを顎で使おうなんて二千年早いっての。買い出し行くんでしょ、さっさとすれば?」

 

こ、このガキ……!

 

カッとなって麻袋を振り下ろすが、クソガキはヒョイっと避けた。おちょくるような駆け足だ。

 

「お〜にさんこちらっ、てーのなっるほうへっ」

 

手拍子しながら歌っている。おれの堪忍袋(容量200mL)が破裂した。

 

てめえこのクソガキ、待ちやがれやぁ〜!

 

「あっはは、遅い遅い! どうしたのトレーナー、天才なんじゃなかったの〜!?」

 

人間を無礼(ナメ)るなよ……!

 

とっ捕まえて泣いて謝るまで説教を食らわせてやる。捕まえられなかったら今日の昼飯にハバネロぶち込んで泣かせてやる。

 

「ほらほら遅い遅いっ! そんなんじゃ百年かかっても捕まらないんだけど!?」

 

……。くらえ。

 

油断して振り向いたクソガキへと投げる秘中の策……!

 

「わぶっ!? つ、冷たっ!?」

 

雪玉……。それは日本が産んだ戦争兵器……!

 

「あんた、やったね……っ!? だったらこっちだって!」

 

薄く積もったとはいえ、年末年始で人のいないトレセン学院の雪は未だ手付かず。つまり雪は豊富に存在する……!

 

片方が投げれば始まる……戦争……っ! 終わりの見えない雪合戦……!

 

ほれほれどうしたさっきまでの威勢は!? 口だけか、ぉおん!?

 

「このっ、この……! ウマ娘舐めんな、人間風情が!」

 

口が悪いどころじゃない。ここがウマッターなら大炎上する発言だ。

 

が、無駄……! どれだけ足が速かろうと、筋力があろうと……! 雪玉の軽さでは、スピードの限界がある……! 必然……! 命中など論外……! 当たるはずがない……っ!

 

「これでも食らってろ!」

 

ぼへっ!?

 

鼻面にもろに命中した。とても痛くて冷たい……。冷たく凍える怒りが湧き上がる。ふつふつと……!

 

てめえやりやがったな、戦争じゃあ〜ッ!

 

「ははっ、いい機会じゃん! どっちが上か教えてやるよ。もう二度とあたしにデカい口なんて利けないようにしてやる!」

 

上等じゃクソガキが〜! トレーナー様にかかってこいやぁ〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……おれの勝ち。

 

「……絶対あたしの勝ちだし」

 

おれだろ……。

 

結局雪でびしょびしょになった。シャワーを浴びたおれと、替えのジャージに着替えてきたタイシンは不毛な争いをしていた。

 

いや、争いというのは正確ではない。なぜなら争うほどの体力が、もう残っていないから。

 

「……あのさ。あんたよく子供っぽいって言われない?」

 

言われたことがない。

 

「じゃあバカっぽい……いや、バカってよく言われるでしょ。つかあんたバカ」

 

アスカかな?

 

クソガキはこたつに引きこもったままうだうだと続けている。

 

「てか余計に腹減ったじゃん……。なんか買ってきてよ、もう限界……」

 

ぐぎゅるるるるって聞こえた。腹の虫が鳴いている。おれも泣きたい。なんだって大晦日にこんなガキみたいにはしゃぎ回らなきゃけないんだ。仕事もあるんだぞ……。

 

「ご飯……もうなんでもいいから……」

 

くそ。カップ麺しかない。こんなモンをウマ娘に食わすのはおれの面目が立たん……が、まあ別にクソガキだしいいか。ほれ、どっちがいい。カレー味とシーフード味、あとは辛さ百倍アンパンマンマックスロード〜お前をあの世でまた殺す〜味ぐらいしかない。

 

「最後の以外ならどれでもいい……」

 

完全に気力を失っている。こたつに吸い込まれたままテーブルに突っ伏しているので、そう遠くないうちに気絶するだろう。冗談じゃない……。

 

ヤカンのお湯を沸かしてカップに注ぐ。そのあとに冬の乾燥対策でヤカンをストーブの上に戻しておく。この光景は嫌に庶民的だ……。

 

起きろ。食え。食ってから寝ろ。

 

「ん……」

 

激戦の雪合戦を経てへろへろになって、こたつの攻撃力が加わったために今にもダウン寸前だ。半分目を閉じたままカップ麺を食べ切ると、そのまま後ろに倒れて目を閉じた。

 

……ええ。マジでここで寝るの? 帰れよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、沖野さんには断りのメッセージを送った。

 

大晦日くらい酒が飲みたかった。もうどれだけ長い間飲んでいなかったか……。

 

キーボードを叩いて考えて、プリントアウトしたデータと睨めっこして(紙と睨めっこして負けたことは一度もない)、メール来て、メール送って、メール来て、電話来て、電話かけて──とか何とかやってたら、もう時計の針の大きい方が10を指していたことに気がついた。夜飯を食べてないことに今更ながら気がつく。

 

「……ん、あれ……あたし……寝てた。え、寝てたっ!?」

 

今更ながら飛び起きやがった。えー、昼ごろからだから……大体9時間近いお昼寝である。もう今日は寝なくていいね、よかったね。

 

「……マジ? え、ちょっと……ねえ、アタシなんか寝言とか言ってなかったよね!?」

 

あ? 知るか。

 

「は? ちょっとは気にしとけっての」

 

いびきかいてたぜ。

 

「いッ、嘘でしょ!?」

 

うむ。嘘だ。

 

「………………こ、殺す」

 

どうどう。どうどう。落ち着きなさい、タイシンさん。冗談です。可愛らしい寝息でしたわよ。

 

「か、かわっ!? つかきもっ、その喋り方やめろっ!」

 

大声を出すな。もう夜です。

 

新年まであと2時間くらいだってのに、どうにも騒がしいやつだ。ちょっとからかっただけだというのに……。

 

腹減ったろ。そば食うぞ、そば。

 

「え。マジで作ったんだ……」

 

そりゃあ作るだろ。年越しなんだし、日本人だし。

 

つかあれだな、おまえ今日おれの邪魔しかしてないし……準備手伝え。

 

「だるい。パス」

 

おれは未だにこたつから出れない怠け者の後ろに回って、ガシッと掴んで引き摺り出そうとし──ぱしっと手を払われた。

 

……意思は硬いようだ。

 

おれは今日一日で何度仕方ないといえばいいのか……。ああ、今頃はもう忘年会始まってるんだろうなぁ……。魔王とか獺祭とか買ってきてるって話だったし、美味い酒飲んでるんだろうなぁ……。

 

はあ、蕎麦食って年越すか……。

 

おれはとぼとぼとキッチンの方へ歩き──どうして部室にキッチンがあるのだろう──湯に火を沸かし、揚げ物の準備をする。やはりそばはえび天に限る……。

 

「で、なにやればいいの」

 

……お。やる気になったか。

 

「っさい。なんか、してもらってばっかだと気持ち悪いじゃん……」

 

ツンデレが。最初からそうしとけばただの萌えキャラなのに。

 

「このっ!」

 

ぐあっ! ちょ、キッチンで暴れんな!

 

「……次同じこと言ったら、殺すから」

 

分かった分かった……。じゃあお湯沸いたらそば茹でとけ。出来ンだろ。

 

「分かった」

 

油があったまってきた。えびを衣から出して突っ込んで出汁を火にかけてうんたらかんたらとかやってれば──。

 

「……おお、美味しそう」

 

うむ。そうだろうそうだろう。あー腹減った、いただきまーす。なんか面白い大晦日スペシャルやってるチャンネルあったかなー。

 

「……ねえ、もしかしてなんだけどさ」

 

なんだ。

 

「その……えっと、もしかして……」

 

あ? 歯切れ悪りぃな。いつものタイシンちゃんはどこへ行ったのだろうか。

 

「……あたしが起きるまで、年越しそば作るの待っててくれたの?」

 

……。そんな訳がないだろう。たまたま思い出しただけだ。

 

「どっちがツンデレなんだか……」

 

っせーな。さっと食え。

 

「いただきます。……え。うま」

 

天才だからな。

 

……。あー、なんだろう。暖かい部屋、暖かいこたつ、そして年越しそばとテレビ……実家を思い出すような気がする。

 

あ、タイシン。

 

「なに?」

 

いい時間だからそれ食ったら帰って寝ろ。

 

「は? なんで? すっごい寝たし、年越しまでは起きてるに決まってるじゃん」

 

おまえな。おれが寝れないだろうが。

 

「寝ればいいんじゃない。電気は消しとくから」

 

うむ……。

 

「いいじゃん。どーせ帰ったって、クリーク先輩は実家帰ってて誰もいないんだし。どこでも一緒だよ」

 

これだからぼっちは……。ため息をグッと堪えてやった。

 

こたつで寝るなよ。風邪引くから。

 

「分かってる。寝るときはちゃんと帰るに決まってんじゃん」

 

どうだかねぇ……。

 

──とか。

 

なんとかやりながら、おれは結局クソガキに付き合わされて、オセロだのソシャゲだの音ゲーだのをやりながら年越しまで起きる羽目になった。

 

「あ、年変わった」

 

お。やっと新年が来た。おせーぞ。

 

「……その、あけおめ。……ことよろ」

 

はい、あけおめことよろー。じゃ、寝るわ。おやすみ。

 

「……もうちょっと付き合えし」

 

おれは明日も仕事なんだよ……。元旦だぞ……元旦から仕事っておまえ、普通に絶望するが。

 

「どうせサボってるだけじゃん……。いいから起きてろ、あたしは全然眠くないんだよ!」

 

うぅん……。ええ……眠い……。寝たいいい……。

 

結局2時くらいまで付き合わされて、おれは途中で寝落ちして寝た。

 

ああ……なんで有馬でぶっちぎっちゃったんだ、テイオー……。おまえがぶっちぎっちゃったせいでおれはひどい年越しになったよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#01

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!』

 

…………。

 

『ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!』

 

っせーな、元旦くらい寝させろよ……。

 

寝ぼけた手つきで時計をぶっ叩いて黙らせて、のそのそとスマホに手を伸ばし、なんとなく通知を確認する。

 

……あれ。元旦なんだから、あけおめのラインくらい来てると思ったが、誰一人として送ってきていない。なんということだ、おれの人徳はあけおめラインにも届いていなかったというのか……(高度なギャグ)。

 

仕方ない、こっちから行くか……。この時間から起きてるのは……マックイーンは多分起きてるだろ。

 

『あけおめ。今年もよろしく(スタンプ)』

 

ラインを送った。すぐに既読が付く。早いな……。

 

『トレーナーさん、ついにバカになりましたの?』

 

……あ?

 

『今日はまだ大晦日ですわ。日付も分からなくなりましたか?』

 

………………え?

 

待て。待て待て。なぜだか分からないが、背筋がゾッとした。意識が急激に覚醒していく。

 

スマホの日付は12月31日を表示している

 

数時間前の、ナリタタイシンとの年越しの記憶が蘇る。夢か? 夢オチなのか? まさかの夢オチなのか……?

 

スマホが振動する。電話がかかってきたのだ。通知には"ナリタタイシン"。

 

『もしもしトレーナー!? 起きてる!?』

 

……どうした、朝っぱらから。

 

『ねえ、昨日あたしと一緒に年越ししたよね!?』

 

………………おい。おいおいおい。

 

『なんとか言ってよ、それとも夢だって言うの!?』

 

冗談だろ。冗談だろ。冗談だろ……?

 

まさか、おまえもか……?

 

『どういうこと!? ちょっとだけ眠って起きたら、なんかおかしなことになってるし、もう訳わかんないんだけど……ッ!』

 

か、仮説その1……。

 

おれたち二人は、偶然同じような夢を見た……説。

 

『夢なんかじゃないでしょ!? 確かにあたし、日付が変わるところを見た!!』

 

仮説その2……。

 

何者かにいたずらされている。あるいは、幻覚を見せられている……説。

 

『誰に!?』

 

おれが知るか……。だがこの説は有力じゃない……。

 

今テレビを付けたが、昨日と全く同じニュースが流れている。これはいたずらじゃなさそうだ……。幻覚の方も、あまり現実的じゃない……。

 

『じゃあ、何……?」

 

……仮説その3。

 

おれたちは、タイムリープしている説。

 

『……え? うそ、でしょ……?』

 

………………。

 

いやいやいや、そんなバカなことが有り得るものか。どうせ夢だよ、つか今見てる現実の方が夢だ。全く勘弁してほしいね、こんなのが初夢とか。一富士二鷹三ニンジンくらい見せて欲しかったよ。

 

『……夢なら、どうすれば覚めるの?』

 

もう一度寝ればいいさ。おれは二度寝しまーす。おやすみ。

 

『ちょ、トレ』

 

ぶちっ。おやすみなさーい。二度寝サイコー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#02

 

 

 

 

 

 

 

 

『ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!』

 

っせーなー……寝かせろよ……元旦だぞ……。

 

『ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!』

 

うっせぇ! ポンコツ時計の頭を殴って黙らせた。

 

あー、なんか変な夢見たな。なんだったんだろうあれ。タイムリープ? かなり怖い話だった。夢ながらゾッとしたわ。

 

──ちゃららちゃららちゃららちゃらちゃららん(LINEの電話の音)

 

んだよ新年の朝っぱらから。6時だぞ……。

 

『トレーナーッ!』

 

……。なんだよ。

 

『ねえ、覚えてんでしょ』

 

な、なんの話だよ……。

 

『……何回寝ても、新年が来ない。全部なかったことになってる。寝るたびにリセットされてる。窓を割っても、雪だるまを作っても、その辺にいたウマ娘の尻尾を引っ張って逃げても……寝るたびに、全部元通りになってる。何も覚えてない……。ねえトレーナー、あんたは今──』

 

何回目?

 

 





※この作品はコメディです

・ナリタタイシン
ツ ン デ レ 。か わ い い 。

・トレーナー
特殊スキル:自分含む周囲の人間のIQを100下げる(パッシブ)。



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ナリタタイシンの憂鬱:エンドレスディセンバー 後編

『おはようございます、トレーナーさん。どうしたんですか、こんな朝から』『え? えっと……今からお出かけ、ですか?』『……はい、わかりました。じゃあお昼ご飯、いつもの場所でどうですか?』

 

『おはようございます。トレーナーさん。どうしたんですか、こんな朝から』『……え? 昨日、一緒にラーメンを食べた……? いえ、昨日は一日中調整作業をしていましたけど……』『そんなはずはない? えっと……その、トレーナーさん。ついに頭が……おかしくなっちゃった、とか?』

 

『はいはーい、無敵のテイオー様だぞー! どうしたの突然電話なんて、珍しいんじゃない?』『え?今から? まあいいけどさー、ちゃんと迎えに来てよね。自転車で来られても困るよー』『お、お父さんたちに挨拶!? ちょ、トレーナー! それはちょっと心の準備とか、家の掃除とかあるし、ちょっと早いんじゃないかなって思うんだけど!』『い、今すぐ行く!? と、トレーナーったら強引だよ〜! ……ちゃんと、しっかりした格好で来てよね。その、た……大切な、挨拶……なんでしょ?』

 

『はいはーい、無敵のテイオー様だぞー! え、ちょっとどうしたの。大声出さないでよ、びっくりするじゃん』『……え? 挨拶をした!? い、いつの間に!? もう済ませたってこと!?』『ボ、ボクの意見とか、気持ちとかそういうの抜きでってこと!? もう、トレーナー! ちゃんと相談してよ、そしたらちゃんと協力するし、色々準備とかしたのにさー!』『……え? 違う? まだ? 昨日? ……トレーナーさー、どうしちゃったの? ついに頭おかしくなった?』

 

『お電話代わりましたわ。どうなさいました? 新年の挨拶なら、明後日ほどにいらっしゃいませ。メジロ家一同、お待ちしておりますわ』『……え、これからですの? それは……まあ、構わないことには、構いませんけれど。何かありましたの?』『有馬? いえ……わたくしは出ていませんし、そもそも一緒に見に行ったではありませんの』『とにかく来る? ……へ? 年越しタコパ? 腕を振るう? ……すぐに準備致します。はい、家の者にも、すぐに』

 

『お電話代わりましたわ。どうなさいました……なんだか、元気がありませんわね』『こ、声が聞きたかった!? ちょ、いきなり何を言い出すんですの! 誰かに聞かれたらどうするおつもりで……え? タコパ? 年越し? ファイアーエムブレムはエンブレムじゃなくてエムブレム? ……その、何を言っているのかさっぱり……』『助けてくれ? 助けるって、その……とりあえず、何があったのか教えてくださらないとなんとも……』『なんでもするから助けて? ん? 今なんでもするって言いましたの?』『……その、トレーナーさん。お話はわかりましたけど、一つだけ言わせてください。ついに頭がおかしくなってしまったのですね。主治医を向かわせます。その場を動かないように』

 

『おいっすー。ネイチャでーす。どしたの急に』『え? 家? まあ、今は大掃除してるけど……来る? いや来い? カニ? ……せんせー。ネイチャさんがついていけてないみたいでーす』『有馬? ねえせんせー、ネイチャさんが有馬で三着取ったこと知ってます? ご存知ないカンジ? 見に来てたよね』『……え? デート? 暁の水平線の向こうへ行く? クルーザー?』『えっと、デート……や、アフガンに行くのはデートには入らないんじゃないかなーって、ネイチャさんは思うわけなんですけれども……』『とにかくついて来い? ……とりあえず、待ってますね』

 

『おいっすー。ネイチャでーす。どしたの、……どしたの?』『え? タリバン政権転覆? 石油王? アラビア危機? 第三次オイルショック? えっと、ちょぉーっと何言ってるか分かんないってカンジですかねー……』『ぷ、プロポーズした!? アタシに!? 知らない間に!? 薬指に指輪!? え、何それ訳わかんない、訳わかんないんですけど!?』『……せんせー、ちょっと落ち着いて。もうツッコミが追っつかないと言いますかなんと言いますか……せんせーは疲れてるんだよ。とりあえず、病院行ってきたら?』

 

 

 

 

焦点が定まらない。

 

ふらふらする。

 

ああ、世界が揺れている。

 

エデンが見える。きっと、おれは────魂だけになって、どこかへ飛んでいくのだろう。

 

ほら、

 

声が聞こえる。

 

ああ──────やめ

 

 

 

 

あんた、これで何回目?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#08

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……。相当やられてるし。大丈夫?」

 

カニ……カニ……。

 

「お手上げ、か。なんかもう訳わかんない。どうすればいいの、こんなの」

 

カニ……カニ……。

 

「何してもダメ、目覚まし時計を壊しても意味がない、アタシたち以外に覚えている人はいなくて、眠らないようにしても結局意識を手放した瞬間戻ってくる。疲労も全部残ってない、記憶だけがそのままそっくり戻ってくる……」

 

カニ……カニ……カニ……。

 

うどん……。うどん……。うどん県……。うどん県……。

 

「ダメ。完ッ全にダメじゃん。秘密道具のないドラえもんくらいに役に立たない……。さっきから食べ物の名前しか言ってない。つかどんだけカニ食べたいの、前札幌行った時に一緒に食べに行ったでしょ。ってかうどん県のこと香川県っていうのやめてよ、弱い者いじめみたいでダサいじゃん」

 

カニ……。ジンギスカン……。ジンギスカン……。

 

「それも北海道行った時に山ほど食べたじゃん。記憶がめちゃくちゃになってる。ハァ、どうしよ。こいつも役に立たないし、本格的に覚悟を決めないといけないってわけ……?」

 

しゃけ……。

 

「しゃけ……? 狗巻先輩の真似はやめてよ、キャラが汚れるじゃん……」

 

カニ……カニ……。

 

「いや、分かんないし。日本語で喋って」

 

うん……。

 

「……出来んじゃん。で、ちょっとは落ち着いた?」

 

ああ……。

 

どうやら、本当にループしてるみたいだ。おれの視点だと、今が八回目だ……。

 

「そ。アタシは7回。……てか、なんかズレてる? もしかしてって思ったけど……」

 

ああ……。おれ、前回のループでおまえと会って話したんだ。朝ぐらいだったかな……。

 

「うそ、アタシ知らないんだけど」

 

えっ。じゃああれは誰だったの?

 

「え?」

 

え?

 

「……え?」

 

待って。ちょっとタンマ、まじで、だって──じゃあ。

 

────あれは、誰だったんだ。あれはタイシンだったはずだ。あれは、じゃあ────けど、記憶、ないって、ないって

 

やだもう怖い無理考えたくない無理無理無理無理────────あ、び

 

──。

 

カニ……カニ……。

 

「ダメか。許容値をオーバーするとカニしか言えないってどういうこと……? てか怖っ、マジで怖いやつじゃん。……ひっ、怖ッ! それ誰!? 本当にそれアタシだったの!?」

 

カニ……カニ……。

「こ、答えてよ! そいつ本当にアタシだったの!? ドッペルゲンガーとかじゃなくて!?」

 

カニ……カニ……。

 

「壊れないで喋って! っていうか待って、八回目!? ってことは一回分ズレる、その分違うアタシがいるってことになる……! でもその記憶はない、これから起きる未来ってこと? アタシの次のループの時間軸ってこと? でもそれだと変だし……ああ怖んだけど!? くそ、なんでチケットはこんな時にいないんだよ! あいつの大声聞いたらちょっとは安心できるかもしれなかったのに……ッ!」

 

……。カニ……いや、うん……まあ、考えないようにしよう。考えると怖いし……。

 

「考えなくても怖いじゃんっ! アタシの知らないアタシがいるんだよ!? あんただってそう、今ここにいるあんたは本当のあんたなの!?」

 

本当の、おれ?

 

本当のおれ──は、本当にここにいるおれは、オレなのか、あ。

 

ほんとうの、オレ、ホントウ、の。? え、──ぃ、あ

 

 

カニ……カニ……カニ……。

 

「……考えないようにしよう。そのうちアタシもこうなるかもしれない……。本当にこうなっても、全然おかしくない。精神が崩壊しそう……」

 

カニ…………。

 

「てか復活して……もう世界中全部怖いんだけど……」

 

……。

 

……あ、あれ。おれは一体何を……。

 

「思い出さないで」

 

え。

 

「……思い出さないほうがいい」

 

……うむ。

 

深淵とは、覗き込んだ時点でアウトであり、それだけでもう後戻りはできない。覗き込もうとする行為はもはや限りなくグレーに近い黒。つまりアウト……。

 

「……検証が必要ね。アタシとあんたの世界線が同じかどうか、それともパラレルワールドみたいなのが重なり合っているとか……そういう漫画チックなことが、今起きてる」

 

確認していこう。一回目の時、おれはすぐに二度寝した。その後おまえは何をしていたんだ?

 

「えっと、まずあんたが寝てた部室に行った。でもあんた、どんだけ揺さぶっても起きなくて……。しばらくしたら、なんかすごい眠くなって、それで寝て、二回目」

 

二回目は?

 

「あんたがいろんなヤツの家に突撃していくのを見送って、色々試してた。窓割ったり、穴掘ったりして……まあ、全部元に戻ったんだけどさ」

 

……ん?

 

「え。どうかした?」

 

いや……たぶん、なんでもない。うん……。

 

「何。何かあるなら言えっての、些細なことが手がかりになるかもしれないじゃん」

 

いや……えっと、なんだっけ。何か……違和感があったような気がするけど……分からない。忘れてしまった。

 

「……そう? まあ、それならいいんだけどさ。で、えっと……その後、なんで回数が合わないの……って、そうだ。この話題はまずいんだった。なんでもない、忘れて」

 

回数が合わない?

 

「聞かないで。2D10/1D100のSANチェックはしたくないでしょ」

 

……うん。したくない。そんなダイス振ったら一発で正気度飛ぶわ……。

 

分からないことは、一旦分からないままにしておこう。今の状況は、常識が通じそうにない……。

 

「アタシも同感。で、これからの方針なんだけど……」

 

それは決まってるだろう。

 

「うん。……このループから抜け出して、新年を迎える。そうでしょ」

 

ああ。これ以上こんなことが続いたら、おれは発狂して正気に戻れる自信がない……。

 

「……うん、アタシも。それで、どうやって抜け出すの? ちょっとでも意識を手放したら終わりの状況で……手がかりもなんにもないのに」

 

ああ……。うん、どうしようね……。

 

「……」

 

手詰まった。

 

……ふむ、そうだな。見方を変えよう。

 

「見方?」

 

そうだ。一つ質問をする。

 

どのように捉えれば、このループ現象が常識の状態と比べて良いと思える?

 

「……えっと、怪我をしても治ってる」

 

ああ。次は?

 

「……悪いことをしても、忘れられてる」

 

なんか人間性が透けて見えるな。次。

 

「っさい。えっと……どれだけお金を使っても、元に戻る……とか?」

 

……それだ。素晴らしいアイデアだ……。

 

「え?」

 

提案がある。これから毎日、いろんなところに旅行に行くぞ。

 

「旅行? っても……」

 

金ならどれだけ使ったっていい。次の日にはどうせ戻ってるんだからな。味わい尽くしてやればいいさ。

 

「……そっか、確かに……言われて見れば、そうだけど……」

 

つーわけで寝るぞ。

 

「え。……うん、わかった」

 

 

 

 

 

 

 

#28

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おれは遊び尽くしていた。

 

もうどれだけの一日旅行を繰り返したか分からない。どうせ預金残高など、寝て起きれば回復しているのだ。

 

津々浦々の温泉旅行など何度繰り返したか分からない。

 

そのうちに温泉に飽きていた。豪華な夕食にも慣れてしまう。人間とは愚かだ……。

 

そのうちに段々と、繰り返される毎日がおれの大切な何かを疲れさせ、失わせていった……。

 

シャンパンタワーを積み上げた。キャバクラでドンペリ百連打をした。

 

札束をビルの屋上からばら撒いて下民どもの反応を楽しんだ……。

 

おれの中に保たれていた、モラルと呼ぶべき何かが崩壊していった……。

 

「だんだん腐っていってる……」

 

タイシンも、最初の頃は抵抗していたが、何度でも繰り返される12月31日が正気を奪っていく。

 

何をしても、誰もそのことを覚えていない。正直、とても気持ち悪い。まるでNPCを相手にしているようだ。

 

「……っははは! サイコーじゃん、もっとやれ!」

 

警察とカーチェイスをして遊んでいた時のタイシンの叫び……。まるっきりGTOで犯罪行為を繰り返す中学生が如く……。

 

確実に、心を腐らせていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#36

 

 

 

 

 

 

 

トレーニングを見てやっていた。

 

筋トレをしても、翌日には体は元に戻っている。だが経験は役に立つ。

 

「……!」

 

タイムは……まあ、そこそこと言ったところか。

 

おれがちゃんと担当のトレーニングを見るのは珍しいと思う。基本的には怪我のケアをしていたので、メニューを渡して後は好きなようにさせていた。それで良いのだ。おれは真っ当なトレーナーじゃない。

 

「……ねえ、今なら……体を壊すぐらいの走りをしてみてもいい?」

 

おれは許可した。

 

……どうせ、寝て起きれば治っているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

#52

 

 

 

 

 

 

 

おれは疲れていたのだろうか。

 

きっと疲れていたとしても、自分では気が付かないだろう。そう思う。もはや常識という名の定規は役に立たない。繰り返される31日の中で、もはやおれの中に一体どれほど最初の自分が残っているのだろうか。

 

タイシン以外の連中に会うと、驚かれる。

 

「……先生、何があった。その顔……やべぇぞ。自分がどんな目をしてるか、自分で分かってるのか」

 

……沖野さんに、そう言われた。

 

「気にしなくて良いんじゃない。アタシから見れば……普通だよ」

 

──爛々と輝くタイシンの瞳を見ても何も思わない。

 

だってそうだろう。昨日と特に変わっていないし、何か問題があるのだろうか。

 

……少しずつ違う。少しずつ変わっていく。

 

親戚のおっちゃんと久しぶりに会って、背が伸びたな、なんて言われた経験があるだろう。だけど毎日会ってる両親はそうは思わない。だって毎日ちょっとずつ伸びる身長には、むしろ気が付かない。親戚のおっちゃんはしばらく会っていなかったからその変化がわかる。

 

おれはタイシンがこの日常の中で変わっていったとしても、その何かに気がつくものだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#88

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ。

 

そういえば、人を殺したり、自殺したりしたらどうなるんだろう。まだ試してなかったな。

 

タイシン、どう思う?

 

「……まあ、今度試してみれば良いんじゃない? 今はもう少しぐーたらしてたいし」

 

ああ、そうだな。

 

びっしりと体に張り付いたままうとうとするタイシンと、こたつに入ったまま動かないおれ

 

こたつの温もりとタイシンの体温が混ざって何か気持ち悪い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#99

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……トレーナー、だよね?」

 

……。

 

あ。えっと……えーっと……。

 

誰だろうか。

 

「……トレーナー? どう……しちゃったの? ボクだよ、■■■■■■■■。沖野トレーナーから連絡があったんだ。何かやばいことになってるって、すごい剣幕で怒鳴られて……」

 

……。

 

何か言っている。

 

「タイシンも……どうしたの。そんなにトレーナーにくっついて……大晦日だからってだらけ過ぎじゃない? ボクに負けたのがそんなに悔しいからって、トレーナーに引っ付いたって仕方ないと思うなー、ボク……あ、あははははは……」

 

……。

 

頭がぼんやりする

 

「……どうしちゃったの。そんな顔で……やめてよ。怖いよ、トレーナー……」

 

 

て、お

 

「……そんな目で、ボクを見ないでよ……」

 

 

 

 

 

────────────────────。

 

 

すけ

 

 

 

たすけて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#113

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は、はは。うまくいった。うまくいった、上手くいった、上手くいった、上手くいった、上手くいった、上手くいった、上手くいった……! やった、やった、やった……!」

 

 

「アタシが分かる? アタシを認識出来る? 出来ないでしょ、出来ないようにした……!」

 

 

「アタシのものだ、アタシのものだ、アタシのものだ、アタシのものだ、アタシのものだ。あんたはアタシのものだ。ずっとずっとアタシのものだ。ずっとアタシのものだ」

 

 

・。

 

「……ふ、ふふ、あ、はは」

 

 

「あははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 

「アタシのものだ! ■■■■のじゃない、アタシだけのトレーナーだ! このアタシのッ!」

 

 

「……じゃあ、いただきます」

 

#324

 

 

#402

 

 

#605

 

 

#90■

 

 

#■■■

 

 

#■■■■

 

 

 

 

 

 

 

タイシン、タイシン。

 

「…………え」

 

重いぞ、降りろ……。

 

「……なんで」

 

……ほら、降りろ。ずっとそうしているつもりか?

 

「……嫌だ」

 

降りろったら。

 

「嫌だ……」

 

しょうがないヤツだな……。

 

「やだ。やだ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ」

 

よしよし。いい子いい子。

 

「アタシを見てよ。アタシだけを見てよ。他の何にも見ないで、アタシだけを見てよ」

 

わかったわかった。見てる見てる。

 

「嫌だ、捨てないで。捨てないでよ、あんただけはアタシを捨てないで……」

 

捨てない捨てない。だいじょぶだいじょぶ。

 

「……うそつき」

 

おれ、嘘言わない。

 

「嘘つき……ッ! あんたが見てたのはテイオーだ、アタシを見てなかった……!」

 

そうだっけ?

 

「あんたはアタシのトレーナーだ。アタシだけのトレーナーだ、だからアタシを見ろ、アタシを見ろ……!」

 

ふむ。

 

おれが見たいのは、ターフを走るお前だ。ナリタタイシン。

 

「……うそ、つき」

 

 

 

 

 

『ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

#0

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

タイシンー。タイシンー。

 

「……何、こんな超真夜中に。寮まで来るとかどうしたの」

 

そば食おうぜー。

 

「は? あんた、忘年会とか言ってなかった?」

 

うむ。やっぱやめた。

 

「なんで」

 

おれはおまえのトレーナーだからな。忘年会しようぜ、忘年会。あと、有馬の反省会。

 

「何、二回目やるの? 6着のアタシを弄ってそんなに楽しい?」

 

うむ。おれは今後一生擦るぞ、有馬6着。十年後でも蒸し返すからな。

 

「十年後って……。十年後も、あんたはアタシと居るつもりなわけ?」

 

なんだ、不満か。

 

「……はぁ。バカには何言っても無駄だった」

 

部室来いよ。一人で年越しは寂しいだろ。おれもだ。

 

「じゃあ忘年会行ってくればよかったのに……」

 

おいおい、二度も言わせるなよ。おれはおまえのトレーナーなんだ。おまえをほっといてどっかいくわけないだろう。

 

「……はいはい、わかった。行けばいいんでしょ、行けば……」

 

うむ、それでいいのだ。

 

「で、忘年会って何やるつもり? 他に誰か来んの?」

 

ぼっちが好きなおまえのために、残念ながら誰も呼ばなかった。感謝せよ。

 

「……なんかムカつく」

 

可愛くねーヤツ。

 

「アタシに可愛さとか求めんな。うざい」

 

はっはっは。おまえは本当に可愛いやつだな。

 

「かわっ……可愛くないし」

 

可愛い可愛い。

 

おれは気がついたよ。おまえほど可愛いやつはなかなか居ない。有馬は6着だったが、一番可愛いかったよ。有馬は6着だったけど。

 

「う、うっさい黙れ! 6着を蒸し返すな! てか可愛いって言うな!」

 

はいはい、可愛い可愛い。

 

おまえは本当に弄りがいのあるヤツだ。こんな逸材はなかなかいない。

 

「決めた。一年後の有馬で1着取って、インタビューの時にあんたのことボロクソに言ってやる。社会的に殺してやる。トレーナーで居られないようにしてやる」

 

おっと、やれるものならやってみるがいい。

 

でもトレーナーじゃなくなるのは勘弁願いたい。おれはまだトレーナーをやめるつもりはないのだ。

 

「何勘違いしてんの?」

 

ふむ。ふむ?

 

「他のやつのトレーナーには、絶対なれないようにするってだけ。だからあんたは……アタシみたいな可愛くないやつのトレーナー、一生続けるしかないんだよ」

 

……おまえ。

 

「は? 何? 言っとくけど文句とか受け付けないから」

 

おまえは本当に可愛いやつだな〜! このっ、この〜!

 

「ちょ、やめろ! 抱きついてくんなこの変態! 離れろ!」

 

とか言っちゃって、満更でもないんだろうこの可愛いやつめ〜!

 

「ふ、ふざけんな! このクソトレーナー! いいから離れろっ!」

 

ばきっ。

 

ぐああああああああああああああああ!

 

薄く積もった雪の上に吹っ飛んだ。新年迎える前に死にそう。

 

────あれ。

 

ゴーン、ゴーン……と。響き渡る鐘の音が聞こえる。

 

あれ。まさか……。

 

「……除夜の鐘? え、どこから?」

 

思わず学校の上の方を見上げると、屋上で酔っ払いたちが鐘を慣らしているのが見えた。何してんだあの人たち。反省文じゃ済まないぞ……。

 

「……何してんの、あの人たち」

 

あれは……忘年会に参加してるはずの連中だ。遠目だが沖野さんの姿も見える。

 

あ、あぶねー……。あれに参加してたら今年の反省文トータルがまた増えるところだった……。

 

助かったぜタイシン、おまえのおかげで怒られる回数が一回減った……。

 

「あ、アタシのおかげで……って、ふ、ふふ」

 

 

「ぶっ、ふふ……あっははははは! 何それバカじゃない!?」

 

バカじゃないし。

 

「バカでしょ! あんたってほんとバカだよね、前々から思ってたけど本当にバカじゃん! あはははは! 悩んでたのがバカらしくなってきた……っ!」

 

はいはい、おれのおかげで悩みが解決したな。

 

鐘がまだ響いている。

 

……待てよ、除夜の鐘ということは……。

 

「てか、もしかして新年明けた……?」

 

どうやらそういうことらしい。

 

ふむ……。おれは起き上がって、タイシンへとビシッと姿勢を正して右手を出す。

 

明けましておめでとう、タイシン。今年もよろしくな。

 

「はいはい、今年もよろしく。バカトレーナー?」

 

うむ。

 

さ、そば食うそー。

 

「てか、越した後に食べたら意味なくない?」

 

いいだろ細かいことは。年越したそばだ。一文字増えたところでそう違いはあるまい。

 

「年越したそばって何? そばまで年越してんじゃん」

 

味は変わらんぞ。

 

「はいはい。あんたの料理の腕"だけ"は認めてるから、アタシ」

 

だけってなんだ。おまえ、もしかしておれを舐めているな。

 

「有馬6着はあんたのせいだし」

 

ふむ。そこまで言われては仕方ない……。おれも本気を出そう。

 

今年は勝つぞ、有馬。

 

「ったり前じゃん、何言ってんの。ほら、さっさと行くよ。そば食べるんでしょ」

 

わかったわかった、えび天そばだ。楽しみにしとけ、おまえの人生観を覆してくれるわ。

 

「口だけは立派だわ、あんた──」

 

尽きない軽口だけが静かな夜に消えていった。

 

冬の月の下、足跡だけがおれたちがそこに居たことを証明している。だがそのうちに溶けて消える。

 

さて、今年はターフにどんな足跡を残してくれようか。おれはそばを啜りながら、そんなことを考えていた。

 

 




※この作品はコメディです。

・トレーナー
選択肢の一つ、
>実はかくかくしかじかでな。すまんがぼっちで過ごせ。
が正解だったというオチ。目覚まし時計がなかったら死んでた。

・ナリタタイシン
この世でいちばんかわいい存在




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勝ちですわ!

 

「……出来たよ、ドクター」

 

そいつが扉を開いて、そう言い放った。

 

春の風に吹かれて、爽やかな風が吹き込んでくる。だというのに部室は重厚な重苦しさに満ちていた。それもそのはず……。

 

……本当なんだな。本当に、完成したというのか……。

 

「ああ、私も同感だよ。正直、信じられないさ」

 

……医学はまた一歩進化した。だがこれは、新しい争いの火種になるだろう……。

 

「それは学問の常じゃないか、ドクター。ノーベルやベクレルに限らず、あまねく科学者の歴史は血で汚れている。生臭くない純粋な科学など、紀元前を遡ったって存在しないよ。悲しいことに、ね」

 

……そうだったな。

 

それよりさあ、早く見せてくれ。おれは正直、今でも疑っているぞ……。実物が見たい、実験がしたい。早くおれに、それが本物なのかどうかを確かめさせてくれ。

 

「もっともだね。それで、本日のモルモットくんはどちらに?」

 

くくく……。いるじゃあないか、君のすぐ横に……。

 

「なんだって? ふむ……おや? おやおやおや?」

 

そいつはゆっくりと横に振り向いた。薄暗い部室の隅に、麻縄で簀巻きにされた一匹の哀れな実験動物が転がっている……。

 

「むぐーッ、むぐぐーッ、むぐううううッ!」

 

「おやおや、実験動物(モルモット)にしては随分とまぁ……高貴なお方を連れてきたものだねぇ。こんな贅沢な実験があっていいものだろうか、不安になってしまいそうだよ」

 

ふっ……。われわれの実験にふさわしい被験体を連れてきただけのこと……。

 

「むぐっ、むぐぐぐごぐぐっ、むごごーッ!」

 

「そう怯えないでくれよ……。ドクター、猿轡を外しても?」

 

ああ、構わない。

 

「ありがとう。さあ、じっとしてくれるかな? ……そう、いい子だ」

 

「ぶはっ、あなたたち……一体なんなんですの!? わたくしをメジロマックイーンだと分かっていての狼藉ですの!? いますぐ縄を解きなさい、そうすれば半殺しで済ませて差し上げますわッ!」

 

「そう怒らないでくれたまえよ。危害を加える気はない……」

 

「そんな言葉が信じられるとでもお思いで!? トレーナーさん、いえトレーナー! 見損ないましたわ! まさかこんな真似をする方だとは思いませんでした。軽蔑しますわよ……ッ!」

 

存分に軽蔑していたまえ。今にきみは、紅茶の飲み方も忘れることになるのだ……。

 

「な、なんですって……!? 意味がわかりませんわッ! 一体何をするつもりですの!」

 

くくく……。アグネスタキオン、地獄の研究者よ。説明をしていただけますかな?

 

「私は地獄の研究者ではないんだが……まあ、了解したよ。ふふふ……しかし困ったな。これの説明とは、そっくりそのまま私の自慢話になってしまうが、構わないかな?」

 

ああ、是非とも……聞かせて欲しい。それが聞きたいんだよ、おれは……!

 

「なんですの!?(一回目) なんですの!!??(二回目) なんですの!!!???(三回目) 意味がわかりませんわ!!! どうしてわたくしがこんな目に遭わなければならないのですか!? もはや神など居ないのですわ!!!!!!!!! もう救いなどどこにもないのですわーっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!(クソデカボイス)」

 

「静かに──────…………」

 

アグネスタキオン、地獄から蘇った悪魔の研究者は人差し指をそっとマックイーンの唇に当てて、深海のような色に染まった瞳で怯えるマックイーンを覗き込んだ。邪神さながらだ……。

 

「して……くれるかな?」

 

ゾッとするような静寂を纏って、そう言った。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ…………!」

 

尋常ならざる雰囲気に当てられ、恐怖に顔を引き攣らせるマックイーン。一気に気力が削がれたようだ。

 

「うん。いい子だ、これで静かになった……。メジロマックイーン、メジロの最高傑作。僭越ながら、私から説明をして差し上げようじゃないか」

 

「な、なんですの…………?」

 

「うんうんいい表情だ、そそるなぁ……ああ、違う違う。今は私個人の短絡的な欲望は必要ないんだ」

 

口ではそう言いながらも、口元の笑みは全く抑えきれていない地獄の研究者。懐から取り出したのは──錠剤の入った小さなビンと、糸を結んである五円玉。

 

「これを見てほしい。これは、私とドクターで開発したある薬剤だ。そしてこっちはなんの変哲もない五円玉……。今朝方、コンビニに寄った時のお釣りでね。つまり、本当にただの硬貨だ」

 

「そ……それが、一体……なんだというん……ですの……?」

 

「ああ、いい質問だ。実にいい、簡潔で本質的で、美しい質問だ……」

 

いや……別に、普通の質問なんじゃないかな。おれはそう思ったが口には出さない。

 

「お答えしよう。これはね」

 

催眠薬さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春が来た。

 

春が来たということは、新入生が入ってきたということだ。卒業してく連中もいた。一ヶ月ほど前のことだ。これは当然のサイクル……。春夏秋冬、変わる環境……。

 

新入生が入ってきたということは?

 

「……ああ。スカウトだ」

 

当然の帰結である。

 

「それで、どうするつもりなんだ。先生」

 

どうするもこうするも、やるしかない。沖野さんだってそうだろ、後がないのはお互い様なんだ。

 

「……ああ。酔った勢いとはいえ、自分で蒔いた種だ。自分で始末をつける。……チームを解散させるわけにはいかない。確実に2人以上はスカウトする」

 

──だいぶ前の話だ。おれが勝手にあけおめ事件と呼んでいる出来事があった。酔っ払ったトレーナーたちが普段の仕事の忙しさを発散させるために、校内に保管してあった結構大切な鐘を屋上に持ち出して叩きまくった。

 

まあ近所迷惑にはならなかったそうだ。除夜の鐘に文句を言う近隣住民はいなかった、が。

 

熟睡していたたづな大明神様がそれで起きて、ブチギレた。年末だというのに家に帰らず職場で寝ているあたりにトレセン学園の闇が垣間見えるが、それは一旦置いておく。トレセン学園の闇など数えていけばキリがない。

 

で、新年度からペナルティが課された。わざわざ新年度になるまで待つ辺り、逆に相当なお冠であることが窺える。

ペナルティは単純だ。担当するウマ娘をもっと増やせ──と、そういうもの。ちくわ大明神はその慧眼を持ってして、トレーナーたちの能力、担当の数の限界値を見抜き、余力を残しているトレーナーにその分の数だけ担当の数を増やさせた。すでに限界まで仕事してるトレーナーは反省文とトイレ掃除一ヶ月で済んだそうだ。

 

直接的な罰ではなく、より多くのウマ娘たちのためになるようなペナルティを選ぶあたりちくわ大明神の優しさが窺える。

 

で、おれだ。

 

……とんだとばっちりだ。なんでおれまで……。

 

「そりゃあ先生は去年散々怒られてきたからだろ? 当然としか言えないな」

 

ついでに一年間の決算とばかりに今までの罪状を読み上げられ、元旦から正座させられたのだ。信じられなかった。

 

で、言われた。ちゃんと自分でスカウトしろって。

 

おれが唯一スカウトした……というか、拾ってきたのはタイシンだけだ。道端に転がってたタイシンを拾ってきて以来、他のトレーナーやウマ娘に頼まれてケアをする以外にアルファードのメンバーは増えない。

 

ほぼ保健室兼ウマ娘の溜まり場と化しているアルファードは、チームというよりクラスのような有様だ。メンバーの数で言えば、一時期20人を越したこともある。怪我が治ったのですぐ減ったけど。

 

おれももうトレセンに来て三年目だ。確かにいつまでもこのままじゃいられんとは思う。だがそうなると、今までのように他のウマ娘たちの面倒は見れない──と、言った。だがちくわ大明神は優しい笑顔で封じ込めた。

 

天才なのですから、これまで通りのリハビリ業務とトレーナー業、両立できますよね? (訳:ごちゃごちゃうるさい。黙ってやれ)

 

月に一回は説教を食らっていたおれである。流石に発言権など残っているはずもなく……。

 

「まあ、先生にはうちの連中も随分世話になったし助けられた。サポートできる部分は俺にも手伝わせてくれ」

 

ありがたい話である。

 

……春。

 

沖野さん、もうすぐだっけ?

 

「ああ! もうすぐ始まるぞ、模擬レースが!」

 

──模擬レース。或いは彼女たちの新しい人生の始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

よォ──ッてらッしゃい見てらっしゃァ──い! こちとらチームアルファード、有マ6着でお馴染みのアルファードだよぉ──ッ!

 

「黙れこのクソバカトレーナーッ! こんなところでなにやってんの!?」

 

ぐあッ!

 

「あんたねぇ、あんたねぇ……ッ! 今日という今日はぶっ殺してやるッ! 誰が有マ6着だ、大声で叫びやがってッ!」

 

死ぬ死ぬ死ぬ。締まってる締まってる……ッ! 悪かった、すまん、でもいい宣伝材料なんだよ……。有マに出るって十分すごいことだからさぁ……。

 

「……。てか、なに? チーム? スカウト? 新しく採るとか聞いてないんだけど……!」

 

ふむ、当然だ。言ってないからな。

 

「そんな大事なことはちゃんと言えよッ、このッ!」

 

痛い!

 

「なんでなにも言わなかったんだよ!」

 

だってタイシン怒るじゃん! 今も怒ってるじゃん!

 

「ッざけんな! このッ、くそッ、くそッ!」

 

ちょ、待て、やめろ! 新入生が見てるんだぞ! 暴力チームだと思われたらどうする!

 

「んなことアタシが知るか!」

 

ちょちょちょちょ、この暴れん坊は全くもう、仕方がな、痛い! ちょ、喋ってる途中に蹴るのやめろ!

 

「アタシ、認めないから」

 

おれを蹴り飛ばしてタイシンは去っていった。尻尾や耳の動き具合から察するに、かなり怒っている。

 

やばい。想像以上に怒ってる……。どうしよ。

 

「……ねえ、そこの倒れてるトレーナー!」

 

はいなんでございましょう!

 

おれは飛び起きた。間違いない、新入生の気配……!

 

「正式メンバー募集ってことはさ、ボクが入ってもいいってこと!?」

 

だめです。

 

──トウカイテイオー。有マの王が得意げに胸を張っていた。

 

「なんでだよ〜! ボクは無敗の二冠ウマ娘なんだぞ〜!?」

 

沖野さんへの不義理になるからだ。

 

「……え、そのへんはちゃんとしてるんだ」

 

うむ。おれはあの人とこれからも仲良くやっていきたいんだ。酒飲み仲間を失うのはつらいし、おれがスカウトするのはジュニア級の連中に限ってる。

 

「ふーん。で、本当は?」

 

おまえのようなクソガキの面倒など見たくもない。

 

「ふーーーーん、本音が出たねー」

 

はっ、しまった。つい口が滑った。

 

まあまあ。だがアルファードの宣伝は歓迎だ。ここで叫んでくれればアイスを買ってやろう。

 

「やだよ。なんでボクがそんなことしなきゃいけないわけ」

 

だよなー……。

 

はぁ。ずっと未来の三冠ウマ娘に声をかけ続けているんだが、どうにもおれには悪い噂でも流れているらしい。

 

「悪い噂?」

 

ああ。サボってばっかで面倒見の悪いトレーナーなんだとさ。根も葉もない中傷だよ。

 

「事実じゃん……あー、最近はそうでもないんだっけ?」

 

ああ。タイシンのやつに限るが、きっちり見てやってるよ。まあ毎日とはいかないが……おれも反省したんだよ。ほったらかし気味だったのは、悪かったと思ってさ。

 

「へー。なんか意外ー。ボクに負けたの、そんなに悔しかったんだ?」

 

うむ。というか、誰だって悔しいだろう。こんなクソガキに負ければ……。

 

「あー、この最強無敵のテイオー様にクソガキとか言っちゃうんだー。へー、ほー、ふーん」

 

あ。嫌な予感する。

 

「新入生のみんなー! アルファードのトレーナーは変態でチビで性格最悪だから絶対入らないほうがいいよーっ!」

 

ざわ……ざわ……!

 

は!? おま、お前! ちょ、おまえ!? て、テイオーくん!? テイオーくん!!?? テイオーくん!!!???

 

ざわめきが広がっていくのが肌でわかる。

 

新環境に胸を躍らせているはずの新入生たちが、おれを引いたような、怯えたような視線で見ている……! まずい、こんなはずでは……!

 

「トウカイテイオーさんが言ってるんだし、絶対そうだよ……」「た、確かに……背が小さいし、なんなら同世代くらいに見える……」「本当にトレーナーなの……?」「アルファードなんて聞いたことないし、本当に有マに出たのかも怪しいかも……」

 

はー!? ふ、ふざけんな! 誰がチビだって!? おいクソガキども、そこに直れや! ぶっ殺してやる!

 

「さ、叫んでる……早く行こ? ぶっ殺してやるとか言ってるよ……」「やばい人だ……絶対頭おかしい人だ……」

 

はっ!? し、しまった。ついカッとなって叫んでしまった……いや、まさか……。

 

「へへーん。計画通りー! トレーナーのことなんて、ボクはなんでもお見通しなのだー!」

 

……やられた。

 

それと一つ訂正するが、おれはもうお前のトレーナーではない。

 

「え。じゃあなんて呼べばいいのさ」

 

先生(ドクター)と……そう呼ぶがいい。ふっ。

 

「え。やだ」

 

だがトレーナーってお前、固有代名詞じゃないじゃん。いっぱいいるぜ、トレーナーなんて。

 

「だって今更呼び方なんて変えるのめんどくさいじゃん」

 

沖野さんは。

 

「沖野T」

 

……まあ、トレーナーをどう呼ぶかはそれぞれだ。お兄さまと呼ぶクソガキもいるし、姉御とかマスターとか呼ぶヤツもいる。苗字で呼ぶのは多分、わりかし普通の感覚なのだろう。

 

「っていうか、ボクは知ってるんだよー。たづなさんに怒られて、ちゃんとしたチームを作らなきゃいけないんでしょ? ボクをチームに入れれば解決じゃん! ほらほら、今ならはちみーも一緒についてくるよー?」

 

飲みかけじゃねえか。こんなもので釣れるようなバカだと思われているのか、おれ。

 

はぁ、もうアホらしくなってきた。今日は撤収するわ……。

 

「ちょっと、ボクのはちみーを受け取らないっていうの? このボクのだよ?」

 

んなもんで釣れるやつがいるなら見てみたいところだ。食べ物で釣られる奴なんて、小学生の中から探したって見つからないだろう。

 

「……あ、あの……その、は、はちみー……頂けませんこと? 今……もう、なんでもいいから……甘いものが食べたいんですの……」

 

……見つかっちゃったよ……飲みかけのはちみーに釣られるメジロの令嬢……。

 

「……ふーん? ふーーーーーん????? マックイーンじゃん、偶然だねー! こんなところでなにしてるの?」

 

「テイオー、あなた分かってやっているでしょう……!?」

 

「なんのことかなぁー? ボク、全然わかんないやー!」

 

何かしているようだ。でも何かあったっけ……。また減量してるのか?

 

「あっ、トレーナーにも伝えておかなくちゃ! マックイーンね、重度の砂糖中毒って言われたんだって。それで一ヶ月くらい甘味断ちしろって言われたって」

 

砂糖中毒? ……あっ、ふーん。

 

あまり知られていないが、砂糖にもニコチンみたいな中毒症状はある。というか現代人は大なり小なり砂糖に脳みそを侵されてる。急に甘いものが食べたくなるアレは、もしかしたらそういうことかもしれませんよ……?

 

というか、重度だと診断されたのか? 素晴らしい食い意地だ……。

 

「うぅぅ……。どうしてわたくしだけですの……? それこそ、オグリキャップさんはあんなに食べても全く太らないのにぃ……」

 

小動物のようにぷるぷる震えている……。

 

ふむ……。こんなに惨めなマックイーンを見ているのは、一人のトレーナーとして忍びない。どれ、力を貸してやろう。

 

「な、なにをするつもりですの……?」

 

テイオー。

 

「なに?」

 

ひっ捕らえろ!

 

「分かった!」

 

「分からないでくださいまし! ひっ、なにをするつもりですの!? わたくしに乱暴するつもりですの!? わたくしに乱暴するつもりなのでしょう!? エロ同人みたいに、エロ同人みたいに!」

 

やめろ、卑猥な言葉を叫ぶな。だいたい、公式からエロが禁止されてるんだから、エロ同人なんて出ているわけがないだろう。誤解を招く言葉は慎め……。

 

どこからともなく出現した人一人をすっぽりと覆えるズタ袋がマックイーンを襲う。テイオーは熟練しているのだ。逃げられるはずもない──。

 

で、冒頭に戻るというわけだ。

 

そう、催眠──呪われた単語。エロ同人における必要悪である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ! 飲みたまえ!」

 

「嫌ですわ! 嫌ですわ!! 嫌ですわぁーっ!!! なにをするつもりですの!!??」

 

さっきから言ってるだろう。お前に催眠をかけて、甘いものが嫌いになるようにするのだよ。

 

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!! 鬼! 悪魔!! たづな!!! なんて残酷なんですの!? 人の心がありませんわ! あなたたちは自分がなにをしているのか分かっていませんわーっ!」

 

だが考えてもみろ。もし甘いものが嫌いになれば、おまえが抱えている全ての問題は解決するのだ。これほどいいものはあるまい。

 

「それはもうわたくしではありません!!」

 

うそだろ。お前のアイデンティティーは食べ物に依存してんの?

 

「そうですわ!!」

 

堂々としている。とても縛られているとは思えないほどはっきりとした言葉だった。

 

「困ったねぇ、これほど協力的でないとは……。ドクター、なんとかしてくれたまえ。とにかく薬を飲まないことには始まらないんだ」

 

分かってるさ。対策は用意してある……。

 

テイオー!

 

「はーい、待ってましたー!」

 

ドアが開いてテイオーが入ってくる。引っ提げたビニール袋には大きめの箱。

 

「マックイーン? ケーキ、食べたくない? モンブラン、シフォン、マフィン……え、マカロンまであるの? ……あ、シュークリームもあるじゃん。セブンセレクトは外れないよねー。作った人はまさに悪魔の頭脳の持ち主だよー。まあとりあえず、紅茶と一緒にどう? ボク、淹れてあげるよ?」

 

「なにを企んでいますの……!?」

 

マックイーンに戦慄が走っている。どことなく血走った眼差しをしている。よだれが止まらないだけかもしれないが。

 

「あのさ、あのさ? やっぱり最後に踏ん切りをつけることが大切だと思うんだよねー、ボク。いっぱい食べて、それでいっぱい我慢すればいいんだよ! 今日だけは許してあげるよ、チートデイだって。ねえ、タキオンもそう思うでしょ?」

 

うんうん、と頷くタキオン。芝居がかった動作だ。

 

「……っ! チートデイは月一限定ですわ! わたくしをバカにしていますの!?」

 

「してないよぉー……? ねえマックイーン、好きなものから離れるのは辛いけど、やらなきゃいけないこともあるって思うんだ。大丈夫、しばらく砂糖断ちできたら、ちゃんと元に戻してあげるからさ」

 

魅惑のささやき(Lv.5)が発動している。メフィストフェレスもびっくりの甘言だ。

 

「だから、これを最期にするんだよ」

 

「最後の漢字が違うような気がしますわ……」

 

少しでも自らの意識をスイーツから離そうとしているらしい。口ではそんなことを言いながらも、視線はテーブルに並べられていく数々の糖分の結晶体に釘付けになっている。

 

「……あなたが食べればいいじゃありませんか、テイオー。いえ、そうしてくださいまし。こんなものは全て……ゴミです。わたくしはこんなもの、全然好きでもなんでもありません!」

 

もう催眠に掛かってんのか? そう思ったが違う。耳がずっとぴこぴこ動いてるし、かなりの葛藤が生まれているようだ。

 

「強情だなぁ、もう……。ねえ、ボクを信じてよマックイーン。ずっと一緒に戦ってきたライバルを信じてほしい。一年前の天皇賞、ボクは絶対に忘れてなんてないよ。マックイーンもそうだよね」

 

テイオーが差しに掛かった。

 

「……ええ。忘れようと思っても、忘れられません。全身が煮えたぎるような熱さと、声援も聞こえないような光の世界。今も、心に刻まれています」

 

マックイーン、これは決まったか?

 

「……だけど、それとこれとは話が別です!」

 

決まらない。粘る。

 

「え、じゃあ食べないの?」

 

「………………」

 

「そっかー。マックイーンのためを思ってのことだったけど、どうしても嫌だって言うのなら仕方ないよね。トレーナー、やっぱりやめよ?」

 

仕方あるまい。タキオン、すまんがまたの機会に。

 

「お気になさらず。被験体の感情を無視した実験は、私だって気乗りしないさ」

 

やれやれと苦笑いしながら、タキオンは撤収の準備を始めた。

 

「じゃあマックイーン、このスイーツたちは食べちゃってよ。別に催眠に掛けようってわけじゃないよ、ボクはお昼ご飯いっぱい食べたからお腹いっぱいだし、そもそもマックイーンのために買ってきたものだからさ」

 

「……チートデイ、ありですの?」

 

「もちろん! アリ寄りのアリだよ!」

 

あまりにもコロッと転がったな。やはり怪しい実験に対する警戒度が高かったのだろう。正解だ。

 

テイオーはマックイーンの縄を解いて、テキパキと紅茶の準備を始めた。

 

ふぅ、と一息ついて、何かへの覚悟を決めたマックイーンはまずシュークリームを選んだようだ。箱から取り出して、ガブっと一口──。

 

かぶりついた。

 

タキオンがそれを後ろから眺めて、ニヤリと口を歪めた。テイオーもニヤリと口を歪めた。おれもニヤリと笑った。

 

「ん〜! 素晴らしいですわ! でも……ちょっと変な味がしますわね。苦いような……あれ、なんだか…………眠く…………なっ……て……………………」

 

ふにゃふにゃとした遺言を残して、マックイーンはゆっくりと目を閉じた。それが永眠になることも知らずに……くくく、バカなやつだ。よもや敵の出した食べ物に手をつけるとはな……。

 

タキオン。

 

「もちろんだよ。さあ、実験を始めようか」

 

「へぇー、本当に眠っちゃった。でもさ、目を閉じてるんなら五円玉とか意味なくない?」

 

「それは言わないお約束、だよ。雰囲気が欲しいじゃあないか……。さて、今ならば刷り込み同然だ。純粋無垢な無意識を、好きなように弄りたまえよ」

 

「ねえ、なんでもいいのー?」

 

「もちろんだよ。雛鳥は親の後ろをついていくものさ。たとえ親鳥の行先が断崖絶壁であろうとも、ね。催眠とはそういうものなのだよ、たぶん」

 

正直催眠なんて代物が成功とは思っていない。だがタキオン……こいつは天才だ。やりかねない怖さがあった。だから協力したのだ……。

 

「じゃあ、命令! マックイーン、目が覚めたらボクの命令には絶対従うこと!」

 

初手から鬼が来たな。

 

「トレーナーは?」

 

ふむ。

 

メジロマックイーン。おまえはだんだんスイーツが怖くなる、怖くなる……。

 

「うわぁー、ひっどいことするねー」

 

なに、すぐに解いてやるさ。まあ上手く行く保証もないんだ、ちょっとした悪戯みたいなものだよ。

 

あ、そうだ。もう一つ催眠掛けとこ。後で新入生スカウトを手伝え、マックイーン。

 

「むー。絶対新入生なんて入れたらダメだからね、マックイーン!」

 

「むにゃむにゃ……もう食べられませんわぁ……」

 

さて、タキオン。起こしていいのか?

 

「そうだねぇ……。初験だし、様子を見たいところではあるかな。すぐに自然と目が覚めるはずだよ──ほら、見たまえ」

 

「うぅん……こ、ここは一体……わたくし、眠っていましたの……?」

 

唸りながら目を開けた。眼前にはテーブルに展開されているスイーツの数々を見て……さあ、どうなる?

 

「……へ? え、えええ? スイー、ツ……ひっ、ひぃぃっ! なんですの、怖いですわ!?」

 

がたっと音を立てて、椅子ごと後ずさった。おいおいマジ? 演技だとしても自然な感じがする。嘘だろ、本当に……?

 

「こ、怖いですわぁぁぁ〜!」

 

置いてけぼりになったおれたちを放って、マックイーンは薄暗い部室から逃げ去っていった。

 

……こマ?

 

「成功……した、らしいね? まさか、本当に上手く行くとは……」

 

「えー……。すご、すごい。え、もしかしてすごいことなんじゃない!? これでやりたい放題できるよ、トレーナー! その辺を歩いてるウマ娘に、片っ端から仕込みスイーツを食べさせて行かない!?」

 

ド畜生かな? 落ち着け、モラルを取り戻せ……。

 

……まいった。まさか本当に上手く行くなんて思ってなかったのだ。軽いジョークのつもりだったのに……。おいタキオン。

 

「言いたいことは分かっているとも。危険性に間して聞きたいんだろう? 安心したまえ、私もさっぱりわからない」

 

「えー!? じゃあ一生マックイーンはあのままってこと!?」

 

「一生ってことはないだろうさ。どの程度続くかまでは分からないけど、そのうち解けるんじゃないかな? データが揃ってなくてね、今はとにかくサンプルの数を増やしたいところだ。なあドクター、君は顔が広いだろう? いろんなところに差し入れに行ってきてくれないかな?」

 

やだよ。また怒られるじゃん。おれ、こんなことばっかりしてるから真面目にチーム作れって言われてるのに……。

 

「はぁ、仕方ない。じゃあ彼女のデータの計測は任せたよ、ドクター。私はこれからやることができた」

 

分かったよ。一応念のため、今ある薬だけもらっておくぞ。

 

「念のためって、一体なんのためなの?」

 

なに、防御用だ。いざとなったらこれで全部有耶無耶にする。

 

……そう考えていたのが全ての過ちだった。おれは見誤っていたのだ。エロ同人界のマスターソードとも呼ぶべき催眠というものを……!

 

終わりの始まりが終わろうとしていた。これは崩壊への序曲……。

 

この時はまだ、誰も知らない……。

 

「トレーナーってば、うるさいよー」

 

……。まだ、誰も知らない……。

 




(エロ展開は)ないです


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敗北ですわ〜!

 はいはーい! どうもー、こちらは新進気鋭のアルファードでございますよォー!

 

 今ならにんじんも安いよォー! 洗剤も付いてくるよォー!

 

「安いですわよー!」

 

 そうですわよー!

 

「真似しないでくださる!?」

 

 いいだろ。おれもたまにはお嬢様みたいな感じでいきたいんだ。

 

「五千兆回生まれ変わっても無理ですわね」

 

 キィーッ! なんだと! 言い過ぎだぞ!

 

「いえ、トレーナーさんの性別が変わるのは、ちょっと……なんというか、その」

 

 あ!? なんだ! はっきり言えよ!

 

「無理というか、生理的に、その、あり得ないというか、吐きそうになるというか」

 

 ぶっ殺すぞガキが! メジロの最高傑作だからって調子乗りやがって! 

 

 もうこれはスカウトどころじゃない。マックイーンとは心ゆくまで話をつける必要がある。

 

 おい座れ。おまえとは、じっくりと話をする必要があるようだな。

 

「いいでしょう。少し待ってくださる? 紅茶を淹れますわ」

 

 え、いいの? ちょうど喉乾いてたんだよね。助かるわー。

 

「いいんですのよ。あなたはわたくしの大切な……大切な、えっと、遊び友達的な、うーん。知人? ようなものですから」

 

 先生と呼ぶがいい。

 

「せめてトレーナーではなくて?」

 

 おれはおまえのトレーナーじゃないだろ。

 

「元トレーナーでしょう。多少の恩義は感じていますわよ? ほら、どうぞ」

 

 かちゃん。どこからともなく出てきたティーカップから湯気がのぼっている。スカウトのために出してきたテーブル以外には何もなかったはずなんだけど、どっから取り出したんだ? おれは不思議で仕方なかった。

 

 まあいいや。喉乾いてたし。ごくごく……あっつ!

 

「勢いよく飲むからですわ」

 

 猫舌なんだよ……。あーあっつ。火傷したかな……。

 

「まったく。紳士たるもの、味の感想でも述べて欲しいものですわね」

 

 ふむ。おれは紅茶の味なぞ分からん。こんなもん色ついたお湯だろ。

 

「喧嘩を売られましたわ! 決闘ですわ! ボコボコにして差し上げますわ!」

 

 瞬間湯沸かし器が。少しは慎みを覚えたらどうかね。おれを見習え、この優雅な姿……。

 

「軽そうな頭ですわね。カラッポなのではなくて?」

 

 決闘だ! 決闘だ!! 発言を後悔させてやる!

 

「瞬間湯沸かし器ですわね」

 

 くっ……。

 

 おれはなんとか自制して、落ち着くために紅茶を啜った──あれ。なんか苦い気がするけどまあいいや。熱くてなんも分からんし。紅茶って全部こんな感じだろ。

 

「……かかりましたわね」

 

 マックイーンがニヤリと笑った。

 

 おれはそれを見て、なんだか意識が遠のいていくのを他人事みたいに感じていた……。

 

 あれ。なんだか、意識が、眠く……かゆ、うま……。

 

 ………………。

 

 …………。

 

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー

 

 

 

 

 

 

 はっ!

 

「! 目が覚めたようですわね、トレーナーさん」

 

 おれは……。ここは、ベッド……部室か? おれはいったい……。

 

「心配しましたわよ。急に倒れるものだから……」

 

 マックイーン……。それに……ネイチャ? なぜおまえまで。

 

「もー。せんせーってば、アレですよ? 日頃の疲れが溜まってたんだろうって。怪我とか病気とかじゃなかったから良かったんですがね、あんまり心配させないで欲しいって感じで、現場からはそんな感じでーす」

 

 おれが……倒れた、のか? えーっと、確かおれは、新入生スカウトをしていたはず……。

 

「え。せんせーってば、なに? もしかしてスカウトしてるの?」

 

 ああ。ひよっ子を2人以上入れないとちくわ大明神に殺される。死活問題だ。

 

「ちくわ大明神……? よく分かんないけど、メンバーを募集してるってこと?」

 

 うむ……まあ、そうだ。

 

「うひょ〜! アレだねー、せんせーにはあんまり似合わないね〜!」

 

 あまり言ってくれるな。自覚はあるさ。

 

 まったく、おれとしたことが情けない。スカウトの時期もそう長いもんじゃないってのに……。

 

「大事を取って、今日はやめておいた方がいいのではなくて?」

 

「そーそー。また倒れたら大変だよー?」

 

 医者の不摂生と笑うがいいさ。しかし……ネイチャ。なぜおまえまでここにいる?

 

「えっ。あー、うん。えーっとですね。まあ、なんといいますか。たまたま、そう。たまたま暇だったもんで、たまにはせんせーのツラでも拝んでやるかって感じで、まあ」

 

 おれに会いにきたと。

 

「はぁっ!? あっ、いや、違いますけどねー! せんせーってばなーに言ってんですかねー! こんなうら若き乙女がせんせーみたいなだらしない人にわざわざトレーニングサボって会いにくるとかあり得ないと思うんですけどねー! ねー!!!」

 

 それもそうか。そうだな。

 

「いや納得するの!? あー、もう。それはそれでもにょるといいますか……っていうかさ、せんせーはチームに何人か入れなきゃいけないんだよね」

 

 嫌なことを思い出させてくれるなよ。まさに悩みの種だ。それはいずれ雨を浴びて育ち、おれの心の中でゆっくりと成長していく……。厄介ごとという大木にな……。

 

「ちょっと何言ってるか分かんないでーす……じゃなくってさ。それってその、つまりなんだろ。これは例え話なんですがね、例えばその、アタシとかが入ってもいいの?」

 

 えー。マジでぇー。

 

「嫌そう! なんで!? アタシじゃダメなの!? 所詮アタシは3番目の女ってことなの!?」

 

 知らん。なんだ3番目の女って、昭和かよ。今は平成通り越して令和の時代だぞ……。

 

「やだやだやだやだ! アタシのトレーナーになってよせんせー! 一生のお願いだから〜!」

 

「ネイチャさん。駄々をこねるものではありませんよ。それにこの男はだらしないのです。わたくしがアルファードの内側から、責任を持ってトレーナーさんを変えていきますので、安心なさってください」

 

 いや、おまえもスピカに居ろよ。アルファードはおまえらのようなモンをホイホイ拾えるほど広くねーし。

 

「嫌ですわ〜!! な"ん"で"で"す"の"〜!!!??? びゃぁぁぁぁぁぁ……」

 

「う"わ"あ"あ"あ"〜ん"!!!」

 

 うるせーな……。

 

 だいたい、おまえらはもう結構レースやってんじゃねーか。おれが入れなきゃいけないのはひよっ子なんだよ。ただの移籍じゃちくわ大明神が納得しない。

 

「そんな〜……。もうやだ、せんせー頭撫でてよ〜」

 

 

 なんでだよ。

 

 なでなで……あれ? こんなガキの頼みを聞くはずもないおれだったが、意志に反しておれの手は優しくネイチャの頭を撫でていた。

 

 なんだこれ。

 

「……、ふ、ふふ、えへへ。ホントに聞いてくれた……せんせーってば優しいですね〜……」

 

 え、なにこれ。

 

 おれの意志と無関係に体が動いてる。何これこわ。自分の体じゃないみたいだ。

 

「むぅ……。トレーナーさん。わたくしには何もないのですか?」

 

 あるわけねーだろ。それよりなんだこれ、おれの体がリモコンロボットみたいになってるんだけど。なんか知ってる?

 

「知りませんわ」

 

「分かんないかなー」

 

ううむ。どういうことだ……。

 

「それよりさ、スカウトの途中だったんだよね?」

 

 うむ……。倒れたとはいえ、今は貴重な時期だ。寝っ転がってはいられん。

 

 体調はすこぶるいい。なぜ倒れたのかさっぱり分からん……。とにかくおれは体を起こすと、保健室を出た。出たのだが……。

 

 なんかついてくる。

 

「あなたを自由にしていたら、どんなことをやらかすか分かりませんもの」

 

「せんせーは病み上がりだしさ、やっぱり助手? みたいなの。いりませんか〜? いりますよね、ネイチャさんとかちょうどいいと思うんですけどね〜、あっちょうど暇なネイチャさんがここにいますね〜」

 

 やれやれ……。おれの邪魔はするなよ。

 

「いやいやそんな! せんせーの邪魔をしてやろうなんて! これっぽっちも!! するつもりなんて!!」

 

 ふむ。では大丈夫だな。行くぞ……。

 

 

 

 

 

「へー……。リハビリ専門、なんですね」

 

 そうだ。だがトレーナーでもある。怪我のケアはバッチリだ、実績多数。どうだ? ウチに来ないか?

 

「わ、私……昔から、体が弱くて……お医者さんに止められながらも走ってきたんです。私なんかを担当すると、色々面倒なんじゃないかって……」

 

 ばっちこいだ。むしろ、そういうのこそおれの専門でもある。

 

 ヌルくやるってことじゃない。限界ギリギリのトレーニングであなたの夢をサポート、アルファードは歓迎する。君の夢は?

 

「……! わ、私の夢は……」

 

 いける。この小娘の心の天秤が傾いていく……。

 

「でもせんせーさ、この前怪しいクスリを作ってたよね。あれなに?」

 

 おいおいおいおいおいおいおいおいおい。

 

「あやしい、クスリ……?」

 

 小娘の天秤が元に戻っていく。

 

「そういえば、保健所の立ち入りがあったと聞きましたが……」

 

 違う違う違う違う違う違う違う。あれはべつに、おれにやましいところがあるとかじゃなくて、事故でな。事故だったんだよ、マジで。

 

「ほ、保健所……!? それ……ど、どういうことですか!?」

 

「せんせーはね、時々アタシたちのことをモルモットみたいに扱うんだよ」

 

 してないしてないしてないしてない!! や、やめろお前ら! 一体なんなんだ!!

 

「事実ですわ。わたくしも、いろんなことに巻き込まれたことがありますの」

 

「め、メジロマックイーンさんが……! あ、あのっ、ありがたいお話でしたが、私はやっぱりアルファードは遠慮しておきます! ごめんなさい!」

 

 あっ、ちょ……! 

 

 止める間もなく走り去っていった。去り際の瞳はどこか怯えているようだった……。

 

「ふいー。こうして魔の手から一人、ウマ娘を救ってしまいましたなー」

 

 どういうつもりだ! お、おれのスカウトを邪魔するのか……!

 

「まさかー。ご縁がなかったんですよ。それに、ウソはいっこもついてないですよー?」

 

 ぐ、ぐぐ……! な……何が望みだ……!

 

「話が早くて助かりますよ〜……。あのさ、アタシ、一つ悩みがありまして〜……」

 

 ええい、能書きはいらん! 要求を言え!

 

「デートして!」

 

 お出かけと言え! くそっ、どこにだ!

 

「新しいパフェが出たって聞くじゃん? 行くしかないよね〜って。せんせーの奢りね!」

 

 ……もうスカウトの邪魔はするなよ?

 

「しませんって〜。っていうか最初からしてないって言ってるじゃないですか〜」

 

「……あの、わたくしには? わたくしには何かありませんの?」

 

 ぐ、ぐぐ……! ど、どいつも、こいつもぉ……! 

 

 ええい! 春のヤマザキスイーツ祭りじゃぁ〜!!

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 がやがやがや……。

 

 ウマ耳たちが目を輝かせていた。それも無理はない。なにせ連中は今や、財宝を前にしたヴァイキングと同じ。

 

 え〜、ようこそ諸君。春のヤマザキスイーツ祭りの会場へようこそ……。諸君らの入学と進級を祝い、勝手ながらひと席設けさせてもらった。

 

 今日は存分に楽しんでくれたまえ!

 

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!! やったーーー!!!」

 

「食べ放題ですの!? 食べ放題ですの!? 食べ放題ですのよね!?」

 

「こんなにたくさんのスイーツ……! 生きててよかった〜!!」

 

 欲望に抗うことはできない。なればこそ、適切な対処が必要というものだ。おれは貸し切った体育館にパーティー会場を作り上げていた……。

 

 生クリームの海に飛び込んでいくウマ耳どもを見下ろしながら、おれは口元がニヤつくのを抑えきれなかった。

 

「……ねーせんせー。今度はなに企んでるの? っていうか今更だけどこれ、許可取ってるの?」

 

 おれの実績を考えてみろ、取れるわけないだろう。

 

「え? じゃあこれ、怒られるやつじゃないの?」

 

 ふん。おれがそこまで考えていないとでも思ったか。いいか? あと数十分もしないうちに生徒会とかちくわ大明神とかがやってくるだろう。ヤツらはなにを見る?

 

「何ってそりゃ、このウエディングケーキみたいなヤツとか、シャンパンタワーみたいになってるシュークリームの山とか?」

 

 ああ。そしておれは連中に向かってこう言い放つわけだ。おひとついかがですかってな。これで堕ちるさ。

 

「いや普通に怒られるでしょ。許可取ってないのは事実だし」

 

 パクパクの海に沈んでいくマックイーンを眺めながらネイチャが言った。まあ普通ならコイツの言うようになるだろう。そしておれはまた今月の説教ノルマをクリアすることになる……って待て。

 

 パクパクの海に沈んでいるマックイーン……?

 

 あれ、なんであいつ普通に食ってんの、スイーツ。

 

「……え〜? どーいうこと?」

 

 いやいや、あいつは今スイーツが怖くなる魔法にかかっているはず。本来ならばここから真っ先に逃げ出す……いや、スイーツという言葉を聞いただけで怖くて夜も眠れなくなるはずだ! なのに、なぜ……!?

 

「怖いですわ〜!! 怖いですわ〜!!」

 

 叫びながらパクパクしているマックイーンを、おれはただ見つめることしかできない。まんじゅうこわいじゃねえんだぞ、あれは一体何が起こっている?

 

 タキオンは錠剤の効果について全く分からないと言っていた。持続時間も……。いや、それにしても短すぎる。まだ半日も経ってないんだぞ……。

 

 タキオン、タキオンはどこだ!?

 

「お呼びかな? ドクター……」

 

 なんで居るんだ? まあいいや、タキオンあれなに? なんであんなんなってんの?

 

「ふむ……。時にドクター、私もこのマカロンをひとつ頂いてもいいかな?」

 

 いいけど。

 

「では遠慮なく。……うん、いいね。粉砂糖の繊細な甘みが引き立っている……ドクターの手作りかい?」

 

 まあな。おれスイーツ作るの趣味なんだよね。

 

「作るの早すぎじゃない?」

 

「作るのが早すぎるねぇ。まあそれはいいとして……ドクター、君……私のラボに入ったね?」

 

 入ったけど。

 

「ふむ、やはりか……。となるとドクター、君……まさか、この全てにアレを仕込んだのかい?」

 

「アレ? アレって?」

 

 タキオンの目(舌)は誤魔化せそうにない。まあコイツには誤魔化す理由も、その必要もない……。

 

 そうだ、タキオン。おまえの言う通り……このスイーツの山には全て催眠薬が仕込んである。

 

「えーっ! せ、せんせーなにやってんの!?」

 

 ええい騒ぐな。

 

「こ、こんなにいっぱいの女の子たちを眠らせて……い、いったいなにするつもりなの!? ま、ま、まさか……その、え、えっちなこと、とか……」

 

 知れたこと! いいか、おれには後がないんだ! スカウトしなきゃちくわ大明神に殺されるんだよ!

 

「え、そっち? いや、それにしたってこの人数をアルファードに入れるの?」

 

 いや、数人選んであとはリリースする。そしておれの優秀な手駒になってもらう……。

 

「さ……サイッテー! せんせーサイテーだよ! なに考えてるの!? せんせーにはアタシがいるじゃん!」

 

 うるせー万年ブロンズ娘が! お呼びじゃねーんだよ! もっと若いヤツを連れてこい!

 

「い、言いましたね〜!? アタシは、そりゃ新入生でもないけど! せんせーが勝てって言うなら、G1だって取る気でいるのに!」

 

 いるかそんなもん! そんなもんよりちくわ大明神をなんとかしろや!

 

「あー知らない! もー知らない! せんせーのこととか、もうアタシ知らないからね〜!? もうどーなっても助けてあげないから! せんせーが泣いて土下座しながら、頼むからアルファードに入ってくださいって言うまで、アタシもう知りませんからね〜!」

 

 言ってろ小娘! 今に見てろ、そろそろ薬の効果が出始める頃だ! そうなればおれの勝ちよ! ちくわ大明神がなんぼももんじゃい!

 

「あー……ドクター。非常に言いづらいんだが……」

 

 なんじゃい!

 

「件の錠剤。メジロのお嬢様に試したあの薬なんだが……アレ、実はただのラムネなんだ」

 

 ……。

 

 …………。

 

 ………………なんて?

 

「いや……プラシーボ効果について調べる傍ら思いついた実験でね。正直軽いイタズラだったんだよ」

 

 いやいやいや! ちょ、ちょちょちょちょーい! 通るか……通るかそんなもん! じゃあアレはなんだったんだ? マックイーンのアレは?

 

「まあ、思い込みが激しかったというか……いや、しかし興味深いサンプルだった。シチュエーションを整えれば、人は本当に思い込んでしまうんだね」

 

 え? じゃあなに? アレただのラムネだったの?

 

「プライムデーで安かったから大量に買っておいたのさ。ブドウ糖は吸収率も良くて、優秀な糖分だからねぇ」

 

 ふむ。じゃあ……えーっと。まあ……うーん。えー……とりあえず逃げるか。

 

「逃しませんよ?」

 

 ……スゥ──……。あ、こんちわ。

 

「はい、こんにちは。まずは言い訳を伺いましょうか」

 

 あー……。えーっと、なんすかね。あの、日頃頑張ってる小娘ども、じゃない……えっと、ウマ娘たちに、喜んで欲しいな〜って……。

 

「よからぬことを企んでいたと、聞こえましたが……私の聞き間違いですか?」

 

 ……全部タキオンが計画したことだ! おれはなにも知らなかったんだ!!

 

「ちょ、ドクター! 私のイタズラのことは謝るから、巻き込むのはやめてくれたまえ!」

 

 ちくしょー! おれだってやりたくてやったわけじゃねーんだよ! 大変だったんだからな、こんだけいっぱいスイーツ作ると材料費もバカにならねーしよー! おかげでウチの予算は4月にしてもうピンチだ!

 

「部費の予算はレースに関連する物品の購入や、遠征費を支給する目的で組まれています。予算の個人的な目的の仕様は、予算を横領したと解釈することも可能です──ここから先は、言葉を選んだ方が良さそうですね?」

 

 ……ちくしょう……おれだって……ガキどもに邪魔されなきゃ、こんなことをする必要も……。

 

「……仕方ありませんね。あなたに課していた新入生のウマ娘を3人以上スカウトするという宿題は、他チームからの移籍でも認めることとしましょう」

 

 マジで!? あ、いや……マジ、ですか?

 

「ただし、最低1人は新入生をスカウトすること。そして今回の無許可での体育館の貸し切りと、未遂に終わったあなたの企みに関しての処罰は、また後日のお楽しみにしておきましょう」

 

 ……あっ、はい。あの……ホント、すんませんっした。もうしません、マジで。心……入れ替えます。あの、今回は、マジで……あの……。

 

「はいはい。後片付けはきちんとするようにしてくださいね──私も忙しいですし、今日はこの辺りにしておきます。それでは」

 

 ちくわ大明神は去り際にスイーツの山からひとつ摘んで歩いて行った。危機は去った……いや、全然去ってない。

 

 ……散々だ、全く。タキオン、いつか仕返ししてやるからな。覚えとけよ。

 

「ドクター、八つ当たりも良いところだよ! 騙したのは悪かったが、まさかこんな大規模なことをしでかすとは予想出来ないじゃないか!」

 

 くっそぉ……! また説教だ。今度は何を言われるかわかったもんじゃない。次はエリクサーでも開発しろとか言われるんじゃないか。

 

「はいはい、せんせーのことだからこんなことだと思ったよ。ところでせんせー? アタシに何か言わなきゃいけないことがあるんじゃないかなーって、ネイチャさんはそう思うんだけど〜……せんせーはどう思う?」

 

 ナイスネイチャがニヤニヤしながらおれを見ている。おれに後がないからって調子に乗りやがって……。こいつには前々からちゃんと立場ってものを分からせてやる必要があると思っていたのだ。おれは言ってやった。

 

 マジすんませんっしたネイチャさん……あの、マジお願いするんで、一生のお願いなんで、ウチに入ってもらうことって出来ますかね……?

 

「う〜ん、ちょっと頭が高いかなー。ほらほら、もっと跪いて〜」

 

 とりあえずおれは土下座した。

 

 頼む、後生だ。ウチに……アルファードに入ってくれ、ネイチャ。お願いします。

 

「え〜? なぁに〜? さっきアタシのことお呼びじゃないとか言ってなかったっけ〜?」

 

 さっきのはごめんなさい。ほら、ネイチャはアレだよ、いい意味で遠慮しなくていいっていうか、おれもポロッと思ってもないことが出ちゃうっていうか。

 

「う〜ん、でもな〜。アタシもほら、結構いいセン行ってるウマ娘っていうか。前線で戦っちゃう系っていうか? ほら、結構強豪っていうの? 引く手数多だしさ〜」

 

 頼むよ〜頼むよ〜。おれにはお前が必要なんだよ〜。お前しか頼れるヤツがいないんだよぉ〜。

 

「え〜? う〜ん、そこまでいうなら、まあ移籍してあげなくもないかな〜? ってカンジではあるんだけど〜。どうしよっかな〜でもな〜」

 

 ネイチャがチラチラとおれを見下ろしている……。勝負を決めよう。

 

 頼むよ〜。なんでも言うこと聞くからさ〜。

 

「ん? 今なんでもするって言った?」

 

 なんでもするとは言ってない。

 

「よっし! 言質取ったからね! じゃあ毎週日曜日はデートってことで!」

 

 待て待て待て。少し話そうぜ。

 

「ダーメ! せんせーが言ったんだからね、なんでもするって!」

 

 なんでもするとは言ってない(2回目)。

 

 まあいいや。ネイチャは都合のいい女なので、あとでどうにでもなるだろ。とりあえず1人確保したし、これでちくわ大明神にも多少の言い訳が立ちそうだ。

 

「はいじゃあ決定! これからよろしくね、せんせ〜?」

 

 はいはい。ところでタキオン、ウチとかどう?

 

「絶対に遠慮しておくよ。可愛いらしい狂犬も見えていることだしね」

 

 え? どういうこっちゃ。

 

「後ろを見ることが出来ないのは不便だねぇ。巻き込まれないように、私はこれで失礼するよ」

 

 タキオンはスイーツを一つ摘んで帰って行った。意味深な言葉に首を傾げていると……。

 

「……ねえ。マジ、さぁ……いい加減に、して欲しいんだけど……」

 

 ……あっ、やべ。

 

「聞いてないって言ったよね。アタシ……絶対認めないって言ったよね」

 

 ゲェーッ! タイシンだ、逃げろ!

 

「今日という今日はブッ殺してやる! アタシに説明もなしにまたなんかやらかして……! いい加減、こっちにも堪忍袋ってのがあるってこと、きっちり教えてやる!!」

 

 おまえに我慢袋なんかないだろ! ちょ、ちょっと待とうぜ! おれだってやりたくてこんなことやってるわけじゃ……そうだネイチャ! ヘルプミー!

 

「……まあ、アタシが口出すことじゃないよね。頑張って、せんせ」

 

 ウッソだろおまえ!? 裏切るまでが早すぎるだろ!?

 

「だってさ。じゃあ……歯ぁ、食いしばれッ!」

 

 くそぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!! 

 

 なんだってこんなんばっかりなんだ。トホホ〜! もうスカウトはこりごりだよ〜!



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勝利が全てではありませんわ!

 はい、とりあえず応急処置な。とりま保冷だけちゃんとしとけ。筋まではいってないから、2日ほどじっとしてれば大丈夫だろ。ま、朝練もほどほどにな。

 

「うぅ、ありがとうございます……」

 

 はいお大事にー。次の方ー。

 

「いた、いたた〜……」

 

 今日はどうされましたかー。

 

「ち、ちょっとぉ、お腹がペコペコで……もう全然動けなくってェ……」

 

 食堂へどうぞー。次の方ー。

 

「ちょっとぉ! 楽しい楽しいランチのお誘いだってのに、その態度はなんなのさー!?」

 

 ランチっておまえ、時計みろよ。朝9時だよ。授業出ろよ。

 

「だから仮病なんだって。サボってお出かけしようと思って来たんじゃん」

 

 ばっかおまえ、もう3回目だぞ。バレたら怒られるのおれだからね。もう2回怒られてるからね。バッチリ闇鍋先生に見つかってるからね。

 

「ボクが怒られなくて済むから誘ってるんじゃん。っていうかなんでたづなさんのこと闇鍋先生って呼んでるの?」

 

 だいたいなあ、おまえ制服じゃん。ポリボックスさんの目とかあるわけよ。補導入ったらおれ反省文じゃ済まねーよ。

 

 だいたいおれだって忙しいのだ。なんで朝っぱらからクソガキの相手しなきゃいけないんだ。そもそもおれが闇鍋先生に怒られるとき、だいたいこのクソガキが絡んでるのに……。関わるとロクなことにならん。あっちいけ。

 

「え〜。行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ〜!」

 

 うるせーな!

 

「あ、そういえばさ。あれどうなったの? スカウト」

 

 成功したに決まってるだろう。ネイチャと、温情で入ってくれたベガちゃんと、あとひよっこ1人。

 

「ベガちゃん?」

 

 ああ。ベガっちだ。

 

「ベガっちって誰? そんな名前の子とかいたかなー」

 

 ベガっちを知らんのか。アドマイヤ先生だぞ。

 

「………………え? うそでしょ?」

 

 思わずいちご大福みたいになってしまったテイオーの表情とて無理のない話だ。おれだってそう思うもん。

 

「あの? あのアドマイヤベガ先輩? トレーナーとって……ジャンル違くない? サマソニと男子200m自由形くらいジャンル違うよ? ホントに何繋がり?」

 

 ……まあ、語れば長くなるがな。

 

 小学校一緒だったんだよ、おれとベガっち。

 

「いやいやいやいやいやいやいやいやいや。ないないないないないないない。トレーナー……まず言っていい冗談ってのがあってね? ということは言っちゃダメな冗談もあるワケなんだけど……」

 

 おれ21だからね。えっと……3年間重なってる計算になるはず。

 

 いろいろあったんだよ。2クール分ぐらいのドラマがな……。ともかく、事情を話したら加入してくれるって言ってくれたわけだ。

 

「……まあ、一旦置いとくけどさ。なんでアヤベ先輩なの? っていうか同じ時空で話せるの?」

 

 本当に失礼だな、おまえ。おれだってその気になればシリアス時空でいけるからね。銀魂みたいな感じなんだよ。

 

「え、ちょっとやってみてよ」

 

 キツいノリやめろ。ちょっと英語話してみてよとかじゃねーんだぞ。この空気でどうやってシリアスに持ってけってんだよ。

 

 ガラガラ。

 

「失礼するわ」

 

 えっ、ベガっち来ちゃったよ。

 

 

 

 

 

 はあ。授業の先生が急な風邪ひいて、1時間目がお亡くなりになって。そんで空いた時間に鬱陶しいのに絡まれるから逃げてきたと。

 

「概ねその通りよ。次の授業が始まるまでここで読書させてもらうから、私のことは気にしないでいいわ」

 

 まあ本人がそう言ってるなら気にしないでいいか。

 

 ところでよー、テイオーよー、おれ結構ガチの悩みあるんだけどさー。

 

「いや、トレーナーに悩みなんてないでしょ」

 

 カチンと来た。だいたい前から思っていたが、このクソガキはおれのことを舐めすぎている。年上に対する態度ってもんを教えてやる必要があるようだな。

 

 おい座れ。おまえとは、じっくりと話をする必要があるようだな……。

 

「落ち着いたらどうかしら。真剣な悩みを聞いてもらうのでしょう? 相応の態度で話すべきよ」

 

 あっ、すんません……。

 

「えっ、あっ……その、ごめんなさい……」

 

 マイナスイオンが溢れ出ているかのようだった。テイオーまで大人しくなっている。

 

「あっ……えっと、うん。話、聞くよ? 悩みー……あるんでしょ?」

 

 うん、ある……。き、聞いてくれる……?

 

「え、あ……う、うん。き、聞いちゃおっかなぁ〜……」

 

 ページをめくる作業に戻ったアドマイヤ先生を横目におれたちは恐る恐る話し始めた。

 

 あ、あのぉ〜……ウチに、ナリタタイシンなるウマ娘が、おるじゃないですか。ほら、あの……女の子の……。

 

「ウマ娘は女性しかありえないでしょう」

 

 あっ、はい……あの〜、まあなんというか、タイシンちゃんね、最近口効いてくれないのよ。

 

「そりゃそうでしょ。トレーナーふざけてばっかだもん」

 

 なにを言う。おれはいつだって真面目だろうが。言っておくが、おれがウケ狙いで何かしたこととか1回もないからな。

 

「いやいや、トレーナーってば、ちょっと目を離すとロクなことしないじゃん。しばらく声が1オクターブ高くなる薬とか作ってるし、真面目にやってるんならそれはそれでヤバいけどね」

 

 別にいいだろ。おれだってカラオケで椎名林檎歌いたいんだよ。

 

「宮本パートでも無理でしょ。素直に諦めてキー変えればいいじゃん。地面がひっくり返ったって無理なんだから」

 

 なんだと! 言い過ぎだぞ!

 

「脱線しているわ。話を元に戻した方がいいんじゃないかしら」

 

 あっ……はい。ごめんなさい。

 

 やりづらい。が……まともに話が進んでいくこの感じは、紛れもなくおれが必要としていたものだ。テイオーとかの会話で話がどっか行かなかったこととかないからな。ともかく話を元に戻す。

 

 うちのタイシンが反抗期なんだよ。

 

「心あたりとかないの?」

 

 ううん……そう言われても、チーム作るのをおれが黙って進めてたこととか、特に説明とかしてないことぐらいしか思い浮かばん……。

 

「めちゃくちゃあるじゃん。絶対それだよ。っていうかチーム作るの嫌がってたって話聞いたことあるもん」

 

 やはりか……。とはいえ、おれもやらんわけには行かなかったのだ。闇鍋先生に闇鍋を作らせるわけにはいかなかったからな……。

 

「ちゃんと納得するまで話し合わなきゃダメなヤツだよ。っていうかその闇鍋先生ってホントに何?」

 

 闇鍋先生は闇鍋先生だ。鍋やってたら電気落とされて……あぁ思い出したくもない。おれもう熱いの嫌なんだよ……。

 

「そんな呼び方してたらまた怒られるんじゃないの?」

 

 逆だ。名前を呼んではいけないあの人みたいになってるから、おれだって極道カップ麺とか窓ガラス割りとか色々工夫して呼んでるんだよ。

 

「絶対怒られるって。普通に名前で呼びなよ、いい人なんだからさ」

 

 おまえにとってはな。おれにとっちゃ初登場シーンの悲鳴嶼さんだからな。絶対勝てない人なんだからな。

 

「絶対勝てないじゃん。だいたいなんでトレーナーは反省しないの?」

 

 おまえみたいなのがこうやってサボりに来た結果、最終的にいつもおれが怒られるハメになってんだよ。マジで怖いんだからなあの人。

 

「──話が脱線しているわ」

 

 あっ、すみません……ほら見ろまた怒られた。

 

「だいたいトレーナーが悪いよ。いい大人のくせに真面目に仕事しないから」

 

 まさに今、クソガキの相手という仕事をしているんだよ。言っとくが、忙しい中相手してやってんだからな。感謝しろよな。

 

「はいはい、ありがとありがと」

 

 クソガキにいなされている。生意気なやつめ……。

 

 だいたいな、おまえもちょっと悪いからな。いいか? ウチのタイシンちゃんは潜在的に構ってちゃんなんだよ。めんどくさいタイプのツンデレなわけ。構いすぎるぐらいが丁度いいってのに、おまえらみたいなのがおれに絡んでくるから……。

 

「えー。トレーナーがそんなこと言い出すなら、ボクにだって言い分はあると思うけどなー。大体ボクとかがトレーナーに絡んでるって言ってるけどさ、逆だよ。逆」

 

 なんだと。

 

「トレーナーが絡んでくるんだよ。可愛い可愛いテイオー様ー、一緒にイタズラしようよーって」

 

 適当抜かすな。

 

「いやホントに。トレーナーってばボクのこと暇人みたいに言ってるけどさ、ボクだって忙しいんだよ? トレーニングに授業にインタビューに、もういろいろ。遊んでる暇なんてないんだからね?」

 

 よく回る口だこと。遊んでばっかだぞおまえ。

 

「そのセリフ、そのままそっくり返すけど」

 

 やれやれ。そういやテイオー、おまえ次のレースなんだっけ。

 

「え、知らないの? トレーナーってばニュース見てないの?」

 

 テレビニュースなどくだらん。おれが見るのはディスカバリーチャンネルだけだ。

 

「いや見なよ。タイシン先輩がメディア露出少ない理由が今分かったよ」

 

 いや、あれはタイシンが嫌がってるんだよ。だから記者さんが来ても、おれは申し訳なさそうな顔しながら、本人がそういうの苦手なので……って言わなきゃいけないわけだ。

 

「はぁ……。だいたいさあ、トレーナーはこの機会にタイシン先輩との接し方を改めた方がいいよ」

 

 なんだと。

 

「つまりほったらかしてるってことじゃん。ちゃんとトレーニング見てあげてるの?」

 

 口を効いてくれないのに出来るわけないだろう。最近じゃまともに部室に来やしない。どこで何してるんだか。

 

「え、連絡は?」

 

 しようしようと思って忘れてた。

 

「トレーナーさぁ……。いや、こればっかりは本気でトレーナーが悪いね。ちゃんと誠心誠意謝るべきだよ」

 

 やっぱりおれが悪いのかなぁ。はぁ……なんて謝ればいいと思う?

 

「自分で考えなよ」

 

 ふんだ、と鼻を鳴らしてテイオーがそっぽを向いた。タイシンに同情しているらしく、おれをみる目は厳しい。

 

 ふむ……アドマイヤ先生はどう思う。

 

「……?」

 

 聞いてなかったみたいだ。普通に読書に集中してたみたいだ。すみません。

 

「……そういえば忘れていたのだけど、アルファードはお茶も出ないのかしら」

 

「あ、そうだよ! 何かジュースとか出しなよ! お客様だぞ〜!?」

 

 心なしか棘がある。どうやらおれはかなり劣勢のようだ。しかしお徳用1Lコーヒーぐらいしか冷蔵庫には入っていない……。

 

「え〜。ボクが来るんなら最低限ジュース各種ぐらい揃えといてよ。トレーナーさ、もう新入りじゃないんだよ〜?」

 

 クソ生意気なガキにいろいろ好き勝手なことを言われている。仕方ない……買い出し行くから付き合え。暇だろ。

 

「……仕方ないわね。次の授業までには終わらせて欲しいのだけど」

 

 えっ、マイペース先輩も行くんですか。

 

 

 

 

 -

 

 

 

 

 とりあえずタイシンに謝ってみた。

 

 すまんご。

 

「………………」

 

 ……ごめんなさい。いや……ごめん。

 

「は? 何が?」

 

 おれはめんどくせえという感情を押し殺した。思春期の女の子は複雑なのだ。

 

「ごめんって何? 悪いと思ってたってこと? そう思ってたんならなんで今まで何も言わなかったの?」

 

 め……めんどくさい……。

 

「答えてって。ほら、早く」

 

 ……まあ、なんすかね。あのォ〜……いや、おれも悪かったと思っちゃいるんだ。チームのこと、黙ってたのは……。

 

「はい。そんで」

 

 タイシン怒るかなって……まあ実際怒ったし……ほら、タイシンコミュ障だしさ、1人がいいかな〜とは思ってたんだけど、って痛い! 蹴るな、って痛い! 蹴らないで!

 

「誰がコミュ障だこのクソトレーナー! 聞けばずっと前からチーム作るのは決まってたんだって!? 何ヶ月黙ってたんだよ! そんで! スカウトの時からあんたがアタシをどんだけほったらかしてたか教えてやろうか!?」

 

 ううん……。

 

「1ヶ月だ、1ヶ月っ!! この1ヶ月、アタシが一体どんな気持ちで……!」

 

 どうどうどう。どうどうどう、ほら落ち着いてタイシンちゃん。ほらにんじんジュースでも飲んで……。

 

「飲むかクソバカ野郎!」

 

 手がつけられん。めちゃくちゃ怒ってるよ。

 

 いや、おれにも多少の言い訳はないではない。トレーナーの仕事量は担当してるウマっ子の数に左右されるし、そうじゃなくても4月ってのはいろいろ事務的な仕事が重なる時期なのだ。一応おれは医者なわけだし、医療関係の付き合いやら仕事ってのも少なくないわけで。

 

 忙しかったのだ。いや……本当に忙しかったんだよ。なんだったら現在進行形で忙しい。

 

「アタシの知ったことか! アンタ──本当はもう、アタシのことなんてどうでも良くなったんじゃないの? こんなめんどくさい担当より、新しく入ってきた連中みたいな、明るくて扱いやすいウマ娘の方が良くなったんでしょ!?」

 

 ふむ、自覚があるようで何よりだが……やれやれ。よく聞けタイシン、おまえはおれの大切な担当ウマ娘だ。多少素直じゃなかったり、怒ると蹴ってきたり、ちょっとほったらかすとめちゃくちゃ面倒くさくなる程度では揺らがん絆が、ちょ、痛い! だから蹴るのをやめろって!

 

「んの、クソトレーナーっ!」

 

 ぐあああああああ!

 

 蹴っ飛ばされた。めちゃくちゃ痛い……。

 

「……もういい。もう……知らない。あんたのことなんて知らないから!」

 

 言うだけ言うとタイシンが出てった。

 

 やれやれ……。どうやら本気で怒らせてしまったらしい。

 

「……派手にやられたようね」

 

 入れ替わりでアドマイヤ先生が入ってきた。冷たい瞳でおれを見下ろしている……。

 

「さっきすれ違ったけど、かなり怒っているように見えたわ、彼女。……立てる?」

 

 アドマイヤ先生が手を差し伸べてくれた。悪いな。

 

「……」

 

 そんな目でみてくれるな。おれだって分かっちゃいるさ。

 

「分かっているのなら──追いかけるべきよ。伝えるべき言葉は伝えられる時に……そうでしょう? 時間も、その機会も……無限に見えるけど、有限なのよ」

 

 正直に言うが、アドマイヤ先生にはおれの渾身のギャグが通じないし、正論しか言わないから苦手だ。

 

「あなたが分かっていないフリを続けるからよ。たまにはあなたも、思っていることを素直に伝えてもいいんじゃないかしら」

 

 なんと言うべきか。ジト目でジッと見てくるからやりづらい……。

 

 仕方ない。追いかけるとするか……。いつも悪いな、アドマイヤ先生。

 

「その妙な呼び方だけはどうにかして欲しいけれど……別に、昔のように呼んでくれても構わないのよ」

 

 とりあえずおれは部室を出た。

 

 

 

 

 タイシンー、タイシン出てこーい。タイシンどこだー。

 

 練り歩いてると見つけた。校舎裏で黄昏てやんの。

 

 おーい、タイシン、ごめんって。

 

「……」

 

 まあ悪かったよ。ほら、なんかゲーム機とか買ってあげるから許してくれよ。

 

「ガキじゃあるまいし……大体そんなの欲しいと思ってんの? あんたがやりたいだけだろ」

 

 まあな。ウマ娘の私物ってことにしないとまた闇鍋先生に怒られるだろ。なあタイシン、おまえんとこのトレーナー怒られてばっかだぜ。ついにクソガキにも怒られたからな。それで見ろ、おまえも怒ってるだろ。

 

「……いや、普通にアンタが悪いだろ」

 

 そうだ、おれが悪い。だから謝りに来たんだろうが。

 

 なあタイシン。おれはなかなか学ばないことで有名だ。というより、人類はなかなか学ばないことで有名なんだよ。だからおれは何回でも同じことをするだろう。これからもおまえのことをほったらかしたりすることがあるだろうな。

 

 だが別におまえのことを忘れてるわけじゃない。おれはおまえのトレーナーなんだよ、タイシン。だから別に何回蹴られようとおまえのことが嫌になったり、嫌いになったりしない。そういうもんなんだ。

 

 だから、まあ……今回の件は、水に流すということで!

 

「流すかッ! この、クソトレーナーッ!!」

 

 おれは蹴っ飛ばされて校舎の壁にめり込んだ。普通に死にそう。

 

「……今の一発で、今回は許してやる。だけど、次は……マジで、殺すからね」

 

 ……普通に、今……死にそうだけどね……ぐはっ……。

 

 背を向けて去っていくタイシンに手を伸ばした。

 

 あの、とりあえず……救、急車…………

 

 普通に死ぬかも、と思いながらおれはそう呟いて、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 と、いうことで……全治5ヶ月です。マンマミーヤって感じだ。

 

「……まあ、アタシもできる限りのサポートはするよ。利き手が使えないんじゃいろいろ不便でしょうし〜……ご飯とか食べさせてあげよっか?」

 

 いらん。

 

「……その体では、これまでの仕事に支障があるわね。見た感じ、キーボードも打てないでしょう。手伝ってあげてもいいわ」

 

 間に合ってます。

 

「あ──あのっ! トレーナーさんがお困りでしたら、あたしに任せてください! お助けキタちゃん、ですから!」

 

 いらん! なんなんだおまえら!

 

「……その、ごめん。普通にギャグ時空だと思ったから、次週には治ってると思って……」

 

 おれもそう思ってた。くそ、中途半端なシリアスはやるもんじゃない。スケットダンスにこんな回あったぞ。

 

 まったく。まさかアルファードの正式メンバーが初めて揃う場所が病室とはな。ドクターの異名を持つおれらしいと言うべきか……。

 

「そうかなぁ……?」

 

 とりあえず今年一年、頑張ってくぞってことで。おー。

 

「おー」

 

「おー!」

 

「……仕方ないわね」

 

「はいはい……」

 

 そういうわけでアルファード始動編が始まった。無事に一年を終えることができればいいのだが、ウマ娘より前におれが入院することになるとは思わないだろ。

 

 このままじゃ本当にやれやれ系になっちまう。冗談じゃないぜ。



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戦いですわ!

 

 夏だ! 海だ! 全治5ヶ月だーー!

 

「……マジでごめんって言ってるじゃん」

 

「せんせーってば、そろそろ引っ張りすぎですよ〜。楽しい楽しい夏合宿なんですから〜、楽しんでいきましょ?」

 

 いいだろ。タイシンをからかう材料はいくらあっても足りないからな。

 

「……もう2ヶ月ぐらい増やしてやってもいいんだけど?」

 

 ふむ。普通に死ぬからやめてくれ。

 

 関節に傷を追うと後がキツい。おれの体もうボロボロだからね。昨日ぐらいにやっと退院できたんだ。なんだかんだ1ヶ月ぐらい入院してたからな。

 

「退院早くない?」

 

 頑丈なのが取り柄だ。天才の体は凡百とは違うからな。

 

「……本当に、この男を病院から出して良かったのかしら」

 

 まあおれ天才だし医者だし。自分の体の治療ぐらい朝飯前だ。それにハードロック大権蔵にも言われたよ。夏合宿場にも医療部は必要ですからさっさと退院してくださいって。あの人ほんと人の心ないって。いっそおれ可哀想じゃない?

 

「だっ、大丈夫ですトレーナーさん! あたしがついてますよっ!」

 

 ありがたくて涙が出るぜ。今年の夏は包帯グルグル巻きゾンビスタイルだ。こんな暑さじゃお化け役も必要なことだろう。夜になったらお楽しみだ。

 

 夏になると昔のことを思い出す。

 

 あのバカみたいに暑かった夏のことを。

 

「何をぼぅっとしているの。早く行きましょう」

 

 ……はい。すんません。

 

 

 

 

 

 -

 

 

 

 

 

「よう先生、やっと退院したんだってな」

 

 昼飯を食ってると沖野さんが来た。久しぶりだ。

 

「いや、先生も災難だったな。蹴っ飛ばされたんだって?」

 

 聞いてくれ沖野さん。おれのケガ、労災降りたよ。笑い話だと思うか?

 

「いや、なかなか笑えないな……。ともかく元気そうで何よりだ」

 

 ふむ、元気そうに見えるか。これが……。

 

「……悪い。言葉の綾だ」

 

 上から下まで包帯グルグルだ。松葉杖と三角巾がなきゃ痛くて動けん。車椅子でもいいぐらいだが、格好がつかないので我慢している。

 

 まあ幸い右手の方は動くようになったんでな。ある程度の仕事はできるってわけよ。音声入力とかもあるしな。

 

「大丈夫なのか? 正直、まだ入院しててもいいように見えるが……」

 

 アルファードはもうただの保健室じゃない、チームだ。その大黒柱が呑気に入院はできん。沖野さんならわかるだろ?

 

「……こう言っちゃ悪いが、先生にも責任感とかあったんだな」

 

 おれだって、前みたいな気楽な立場の方が楽だったんだけどなぁ……。今からでも戻りたいくらいだ。やれやれ、沖野さんよ。こりゃ恨むぜ。

 

「まぁ、悪かったとは思っちゃいる。だが……正直、遅かれ早かれこうなってたと思うぞ? たづなさんは先生のことを結構評価しているからな」

 

 うっそだぁ。ロック御仁、おれのことナメクジかなんかだと思ってんだぜ?

 

「先生の立場は唯一無二だからな。トレーナーの経歴ってのも案外色々あるもんだけど、医療方面から移ってきたのは先生だけだ。当時未成年だろ? トレーナー間じゃ噂になってたよ。天才少年がやってくるってな」

 

 天才少年ね。まあ未成年なら妥当だろうが、おれを表すには幼い表現だな。

 

「同感だ。まともにトレーナーを目指すなら、何年も養成校で勉強しなきゃいけないんだがな。トレーナー試験の対策、どれぐらいやったんだっけ?」

 

 半年ないぐらいだったな。結構急いでやったんだが、ペーパーテストなんざちょろいもんよ。

 

「大したもんだ、全く。そういや聞いたことがなかったんだが……先生は、どうしてトレーナーになろうと思ったんだ?」

 

 よく聞かれる。その度におれはこう答えるのだ。

 

 暇になったから、とな。

 

 

 

 

 

 ぴっぴー! そこ、手を抜くなー! 

 

「はーい! せんせー、あと何セットー!?」

 

 あと3千回ー。

 

「あ、ウソ吐くの禁止で」

 

 あと3セットだぞー。

 

「いよっし、いっくぞー……!」

 

 バッとネイチャが走り出していくのを見送った。若いってのはいいな。

 

「あなたもさして変わらないわ」

 

 歳はな。あーあ、おれも海で遊びたかったなー。

 

「遊びに来ているわけではないのよ。それに……あなた、カナヅチでしょう?」

 

 ポセイドンがおれを受け入れてくれなかっただけだ。言葉は選んでもらいたい。

 

 それにしてもクソ暑い。なあ、ビーチ仕様の椅子に座ってるとおれ、メカ丸本体みたいにならないか? そっくりだろ見た目。自力で歩けないところまで含めて同一じゃねーか。

 

「……まったく。その怪我でよくやるものね」

 

 おれはドクターなのでな。いざとなれば自分の手術でもやってやる自信がある。正直あと2ヶ月はベッドでねっころがっていたかったが……まさかおれに責任感なんてもんが芽生えるとはな。

 

「……反省しているの? あなたが?」

 

 チームを作れなんて言われたせいだ。なぁベガちー、やっぱり勝ちたいもんなのか?

 

「私はそれほど拘っていないわ。けど……あの子、キタサンブラックさんのことは、きちんと見てあげなさい。それと……ナリタタイシンさんのことも、もちろん」

 

 正直に言うが、おれはトレーナーの資格こそ持っているものの、やはりそいつを一心に磨いてきた連中と比べれば劣るものがあるだろう。まあおれは天才なので、ちょいと努力すればその差は簡単に埋めることができる。

 

 だが、連中にあっておれにないものがある。レースへの情熱だ。

 

 おれは医者なのだ。おれもそうでありたいと願ってきたし、週に2、3回は病院へと赴いて研修したりしている。このトレセンでのお医者さんごっこも大概グレーだからな。

 

「ごっこ遊びの範疇で済むものではないでしょう? そう卑下する必要は……」

 

 医師免許を取るには、どうしたって数年は必要なんだ──凡人の場合はな。おれは天才なので多少は縮められるとしても、トレーナーとドクターの二の草鞋はどうしたって限界はある。アークナイツとウマ娘プリティーダービーを同時は結構重たいしな。端末的にも。

 

 実際サウロン様がチームとか言い出さなきゃ、おれは一年ほどトレーナーを休職するつもりだったんだ。なぁベガち、おれはドクターじゃなく、トレーナーになるべきだと思うか?

 

「私には何も言えないわ。私のように移籍してきたウマ娘は、トレーニングにしたってあなたがそれほど面倒を見る必要はない、だけど──あの子は違う。あの子にとっては、あなただけがトレーナーなのよ」

 

 十分言ってる。

 

 キタっちはヒヨコもヒヨコ、雛鳥だ。柄にもなく真剣なことを考え始めている。おれがケガをしているせいだろう、いつも鬱陶しく絡んでくる連中がおれを砂やコンクリに埋めたりしなくて平和なせいだ。

 

 余計なことを考え始めている自覚はある。

 

「トレーナーさんっ! 終わりました、次の指示をお願いしますっ!」

 

 ヒヨコがおれを見ていた。信頼のこもった瞳だ。

 

 よーし、じゃあぶっ倒れるまで走ってこい──とは言えなかった。本当にやりかねないからだ。

 

 チワワみたいなキレイな瞳で見られるのは苦手だ。

 

 うむ……よし、じゃあぶっ倒れるまで走ってこい!

 

「えっ、あっ……はい! トレーナーさんの指示なら、あたし……限界を超えますっ!」

 

 アドマイヤ先生に頭を叩かれた。はい、すんません。

 

「本気にしないで頂戴。キタサンブラックさん、あまり真に受けてはいけないわよ。私が先導するから着いてきて」

 

 アドマイヤ先生は後輩を連れて走って行った。

 

 もしかしたらおれは、ずっと後回しにしてきたことと向き合わなきゃいけない時が来たのかもしれない。

 

 

 

 

-

 

 

 

 ということで肝試しをすることにした。

 

「この辺りはぁ〜、とても穏やかな地域なんですな〜。青い海に、振り返れば遠くに見える鮮やかな山影……しかし、それは見せかけのものだった──界隈では有名な話があるんだけど、この近くには誰も寄りつかない、古びた墓地があって……出るんだって」

 

 ネイチャがなんか言ってる。

 

「で、出る……って?」

 

「そりゃぁ〜決まってますよ。現世(うつしよ)に消せども消えぬ未練を残した、亡霊が……どろりどろりと、復讐を願っては訪れる人たちを襲って来るとか、来ないとか……きゃぁ〜〜〜っ!!!」

 

「うわーーーーーーっ!!!」

 

 おわーーーーっ!! おいキタっち! でかい声を出すな! 

 

「ごっ、ごめんなさいトレーナーさん! で、でも……」

 

 合宿を挙げての肝試しなので、夜の砂浜にはたくさんのガキどもが怯えるような、かつワクワクしているような落ち着きのなさを放っていた……。

 

「はいはい、怖がるのはこれからですよ〜。ということでルール説明! ここに集まっていただいた皆さんには、今からペアになって、あっちにある墓場を回ってきてもらいまーす。もしかしたらそこが皆さんの墓場になるかもしれないですけどー、まあそうなったらご愁傷ってことで」

 

 やばいこと言ってる。

 

「お墓の前にはハンコが置いてありまーす。証拠としてこの紙にハンコを押してきて帰ってこれたらクリア!」

 

 しつもーん。クリアしたら何くれるんですかー。

 

「おーいお茶いっこあげまーす」

 

 知ってた。おれも買い出し行ってきたし。

 

「と、トレーナーさん……絶対クリアしましょうね! もしトレーナーさんが連れてかれそうになっても、絶対助けて見せますから!」

 

 相棒のキタサンが意気込んでいる。

 

 っていうかなんでおれ参加者側なんだよ。普通にお化け役やらせろよ。この包帯ぐるぐる巻きが見えてないのか。

 

「頑張りましょうトレーナーさん! お化けなんて……へ、へっちゃらですッ!!」

 

 うおあーーーーーーっ!!

 

「きゃぁーーーーーーっ!! な、なななななんですかトレーナーさん! 驚かせないでくださいっ!」

 

 おれの脅かしに素直に驚いてくれたのはおまえが初めてだ、キタサンブラック。ありがとな。

 

「……うわーーーーーーっ!!」

 

 おわーーーーーーーっ! な、なんだいきなり叫ぶな! びっくりするだろうが!

 

「お返しです! フン!」

 

 ……墓地に入ったら覚えてろよ。

 

「こっちのセリフです! こうなったら、トレーナーさんの喉がなくなるくらいびっくりさせますからっ!」

 

 大いなる戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 懐中電灯ひとつ。夜の森を渡るには心許ない装備だということは、決して否定できない。

 

 キタっちの先導で前へ進んでいく。ところでおれ、一応重症患者なのだが、その辺りのことは忘れられがちだ。おれが頑丈でよかったな。

 

「……トレーナーさんって、実は意地悪さんなんですか?」

 

 くだらんことを聞くな。そんな訳ないだろう。仮にそうだとしたら、おまえをここから生きては返さんからな。感謝しろ、まったく……。

 

「……うわっ!!」

 

 ほわァっ!?

 

「引っかかりましたね……フン!」

 

 くそ、ただの脅かしだった。こんな小娘一人に、おれがいいようにされている……。

 

「……さっきのこと謝るまで許しませんから!」

 

 おいおい、あまりワクワクさせるなよ。そう言われるともっと脅かしてやりたくなる。

 

 電灯の光が薄暗く森を照らしていた。僅かに流れる風が黒い影を揺らす……。森に住む生命たちの気配が不気味に漂っていた。

 

 ククク……。簡単な話だ、怖がるから脅かされる……そこから抜け出すのは簡単だ。怖がる側じゃなく、怖がらせる側に回ればいい。そうすりゃ少なくともおれは怖くないわけで。

 

 ギャァーーーー!!

 

「……その手には乗りませんから」

 

 ちっ、やるじゃん。

 

 歩いてると暗闇のシルエットに変化が訪れた。墓地についたのだ……。

 

 ……結構、その……あれだな。雰囲気あるな。別に怖くねぇけど。

 

「そうですね。結構その、雰囲気ありますね。別に怖くありませんけど」

 

 ま、ままままああれだ、さっさとハンコ打って終わらせてしまおう。な?

 

「こ、こここえ震えてますよ? あ、あたしは平気ですけど、ここここ、怖がってるんですか?」

 

 ばばばばっかお前これは武者震い通り越して大名巡りだお前、いいからさっさといくぞ、こんなとこに長居したら連中の仲間入りしちまう。

 

「れれれれ連中って誰ですかッ!?」

 

 ホワァーーーーッ!? でっかい声を出すな! びっくりするだろうが!

 

「おおおおおおおおばけなんているわけないんですから! もしいたとしても、とッ──友達になりましょう!」

 

 なるかぁ! いいから落ち着いて周りをよく見ろ! ただの夜中の墓場だ!

 

「ふー……は、はい。平気です……平気ですから!」

 

 震える身を寄せ合いながらおれたちは前へ進んだ。真夏だってのに寒気が止まらん。おそらくは風邪の一種である可能性が非常に高い。

 

 キタっちが押し黙ったために、先ほどの騒がしさが嘘のようだ──森の気配がうごめくのを感じる。だがそれだけだ。

 

 脳核の中に(ゴースト)はあれど、魂は肉体から出られはしない。外に飛び出したとしても、空気に溶けて存在などできない。

 

「……あっ、ありました……ハンコ。押しますね」

 

 ぺたん。あっけなく目標はクリアされた。

 

 よし。じゃあ後は帰るだけだな。まったく、ビビり散らかしてたのがアホらしくなってくる。

 

「……帰りはさっきみたいにおっきな声、出したりしないでくださいね」

 

 おまえこそ。

 

 来た道を戻るだけだ。なんか疲れたしおれもさっさと帰りたい──なんてな。ここ1番のタイミングでビビらせてやる。おれが昼間のうちにここらに何も仕込まなかったわけがないだろう。

 

 ヒュゥ、と夜風が吹いた。

 

「……今、なにか動きませんでしたか?」

 

 ははは、その手には乗らんぞ。おれはしらばっくれた。跳ね上げ式の案山子を草むらに隠してある。おれの好きなタイミングでそいつが跳ね上がり、この暗闇の中では墓場から蘇ったゾンビに見えることだろう。

 

「っ──だれ……? います、だれか……」

 

 ここだな。おれは地面に仕込んだワイヤーを蹴っ飛ばした。仕込んだバネが案山子くんを幽霊にしてくれる──って、あれ? 確かここらへんにあるはずなんだが……感触がない。

 

 えっ、なんでないの?

 

 視界の端に影のようなヒトガタが見えた気がした──動揺するな。幽霊の正体は枯れ尾花だと言われたのは、もう何百年も前のことだ。人類はもう学んでいる。

 

 がさっ。

 

 はっきりと聞こえた。おれの真後ろから──おいキタっち、妙な真似はやめてもらおうか。そんな子供騙しじゃおれはびびらんぞ。

 

「……トレーナーさんこそ。どうせ変な仕掛けでもしてたんじゃないですか?」

 

 鋭いな。だが……って、なんだよ?

 

「? な、なんですか?」

 

 いや、今おれの肩に手を置いただろ?

 

「えっ? いえ……あたしじゃないですよ?」

 

 えっ?

 

 咄嗟に周りを見渡した。誰もいない。

 

 おい、行くぞ。こんな気味悪いとこ、さっさとおさらばしちまおう。

 

「あっ、トレーナーさん、待ってください……」

 

 逃げ出そうとしたおれの手をキタサンが掴んだ。

 

 ……なんだよ? 震えが伝わってきてるぜ?

 

「……トレーナーさん、今……あたしの前を歩いてますよね?」

 

 ……。

 

「今、あたし……右の肩に、誰かが手を置いてるんです」

 

 笑えないジョークは嫌いだぜ。

 

「あたしもです。だから……お願いです、トレーナーさん。後ろに振り返って、確認してくれませんか? 誰かいるのか……っ、ちょ、ちょぉーっと! は、な、しぃっ〜、ませんよぉ〜!」

 

 はッ──放しやがれ! おれぁこんな見た目だが人間の側でな! まだそっち側に行くつもりはないんでな!

 

「どんなことがあってもあたしを助けてくれるってスカウトのとき言ってたじゃないですかぁーっ! ただでは済ませませんよ、トレーナーとウマ娘は一蓮托生──ですからっ!」

 

 力が強すぎる! くそったれ、道連れにされてたまるか! こ、この……うぐ! 傷跡が痛むぜ……! だがおれの墓場はアイダホに作るって決めてんだ!

 

「一緒のお墓に入りましょう! 大丈夫です、あたしが一緒ですからぁ!!」

 

 はーなーせぇーーー!!

 

 渾身の力で抗う。が、勝てない。フィジカルが強すぎる。

 

 ……やってやる! 反攻作戦だ、こうなりゃ手段は選ばん!

 

 覚悟を決めたおれの体を、誰かがつついた感触。つんつん。

 

「あの〜、盛り上がってるところ悪いんですけども〜……。次詰まってるんで、そろそろ帰ってもらってもいいですよ〜って、まぁ幽霊役のネイチャさんですけども〜」

 

 ……。

 

「……え? えぇ〜……」

 

 おれたちはへなへなと腰を下ろした。まだ心臓がバクバク言ってる。

 

 ……ネイチャ。おまえ明日倒れるまでランニング。

 

「えぇ〜? それはヒドいと思いますけどね〜。せっかくのイベントを盛り上げようっていう心遣いのつもりだったんですけどね。ふふっ、それにしてもせんせーの怯えっぷりと来たら、まさかウマ娘を放り出して自分だけ助かろうとするなんてぇ〜……。たづなさんに伝えたら、今度はどーなると思います?」

 

 ……分かった。交渉だ。口止め料を聞こうか、ナイスネイチャ。

 

「え〜? いやいやそんな、また怒られるって分かってるのにチクったりしませんよ〜。あんまり怒られてばっかだとせんせーが可哀想だし? まあ? 今度なにかお願いでも聞いてもらったら、アタシもこのことは忘れるかもしれないですね〜?」

 

 口ばっかり達者になりやがって。

 

「せんせーといっしょ、で・す・よっと。あ〜面白かった! キタサンもごめんね〜、まさかこんなにびっくりしてくれるとは思わなくってさ」

 

「い、いえ……肝試しですから。あたしの心が弱かっただけです、鍛え直します!」

 

「えっ……気合い入ってるねぇ……」

 

「……それと! あたしを見捨てようとしたトレーナーさんにはまた今度すんごい仕返しをしますから! 覚悟の準備をしておいてくださいね!!」

 

 ふむ。おれも道連れにされかけた腹いせに、すんごい落とし穴とか仕掛けといてやろう。

 

「ささ、帰りますよ〜。明日もきつ〜い夏合宿なんですからね〜」

 

 肝試し終了。珍しくおれがヒドい目に合わされずに終わるケースだった。

 

 

 

 

 が、話はここで終わらないのがおれのクオリティーと言えるだろう。言えるかぁ。

 

「トレーナーさんの腐った根性を叩き直します!!」

 

 おまえそんな性格だったっけ。思わずそう口にしたおれを誰が責められよう。

 

 夏はまだまだ続くらしい。

 



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優勝ですわ!

 おれの話をしよう──天才は生まれた時から天才だ。この国じゃ出る杭は打たれるなんてくだらん諺もあるようだが、突き抜ければ本物だ。おれがカリフォルニアに飛んだのは高校に入って1年経たないうちの頃だった。

 

 約2年間で大学課程をすっ飛ばし、メディカルスクールの門を叩いたおれにとって、最も難しかったのは進学資金の調達だった。平凡な家に生まれたおれにとって、それはバカみたいな金額だった。医者になるには金がかかる。

 

 それはつまり、人を救うには金がかかるということだった。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

「もっと……えっと、そう! ちゃんとしてもらいますからね! トレーナーさんには!!」

 

 ふむ。無茶を言う。

 

「あたしがついてる以上、もう好き勝手なことはさせませんから! 見張ります! 責任を持って!」

 

 遠慮します。

 

「……いい機会ね。正式なチームになった以上、メディアへの露出も避けては通れないもの。私も協力させてもらおうかしら」

 

 大丈夫です。

 

「ふーん、確かに一理あるね。まぁいい薬か、アタシもやるよ。また変なことしたら蹴っ飛ばしてやる」

 

 やめてください。

 

「来るべき時が来たって感じかぁ〜。アタシは別にこのままでもいいと思うけど、せんせーがちゃんとするようになったらどうなるのか見てみたい気もするかなぁ〜」

 

 冗談ではありません。

 

 アメリカザリガニは清流では生きられない。つまり人には適した環境ってもんがあるわけだが、と言うことはその逆もあり得るってことだ。おれはこの環境に適応した結果こうなったわけで……。

 

「それで、具体的にどうするのかしら?」

 

「まずは一日、トレーナーさんの生活を追いかけて問題点を探ります。その上で、それを解決していこうかと思っています!」

 

「……悪くないわね」

 

 おいおいおいおい。ちょっと待ってくれ、ネコの1日を追いかけようじゃないんだ。小娘に一日中引っ付き回されてたまるか。

 

「やましいことでも?」

 

 あるから言ってんだろ。あっ違う。別にないけどね。ないけど……。

 

「それで──誰がやんの?」

 

 タイシンの言葉で場に緊張が生まれた。

 

「言い出しっぺとして、ここはあたしが!」

 

「面倒を押し付ける気はないわ。私に任せて頂戴」

 

「それ言ったら一応アタシ、元々アルファードに居たし。コイツのことも結構分かってるから、やるけど」

 

「いやいや〜、このナイスネイチャ、汚れ仕事ならお任せとのもっぱらの評判だよ? せんせーとの付き合いも古いしね〜」

 

 誰が汚れ仕事だ。誰が……おれ泣いていいか? ぐすん……。

 

「……」

 

 沈黙が続いた。

 

 場を伺うような小娘どもの視線はやがておれへと向けられる。ぐすん……えっ、なんだよ。

 

「トレーナさんはどう思いますか!?」

 

 えっ、普通に誰でも嫌だけど。遊んでないで走ってこいよ。

 

「その言葉、そのままそっくり返そうかしら──遊んでないで仕事をしなさい」

 

 ……おまえは正論しか言わないから苦手だ。

 

 冷ややかな目で見られると言葉に詰まる。おれもどうやら年貢の納め時らしい……。

 

 分かったよ。分かった……キタっち! いいだろう……おれの粗探しをするとか言ってたな、見つけられるもんなら見つけてみやがれ。

 

「……トレーナーさんのこと、絶対真人間にして見せますから!」

 

 おれの評価が留まることなく下がり続けている。

 

「ねーせんせー、キタサンにしたのは騙しやすそうだからとか思ってないよね?」

 

 よく分かってるじゃないか。そうだよ。

 

「……!! 後悔したってもう遅いですからね!!!」

 

 小娘がキレた。

 

 ふむ──ラウンド2と行こう。この機会だ、どっちが上かを教えといてやらないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 ────プロフェッショナル────

 

  ────仕事の流儀────

 

 

 

『追いつけもしないのに、追いかける──』

 

 トレーナーってのは教える者──まぁ教えるとは言うが、おれたちトレーナーは人間の場合が多い。あんな速度で走れるわけじゃないってのに、何を教えられるんだとは思う。だから、そうだな。ウマ娘にとって必要なことを、必要なだけ行う者。おそらく、だけどな。

 

『レースとは?』

 

 競争──そりゃもう、どこまで行っても……競争だ。あらゆるスポーツの中で、最も単純で……陸上競技と似ているけど、決定的に違う点がある。レースは興行だという点が、個人的に1番大きなポイントだと考えている。年齢層の若さはフィギュアスケートとかとも似てるが、それと比べてもやっぱり異質なスポーツだとは思うよ。

 

『夢のために、ただ夢のために』

 

 まぁ……なんのために、と言われれば、それのため……ってことになるんだろうな。勝つために、勝つためにって……なんとしてでも。それこそ、前に潰れていく背中を踏んづけてでも。ただただ勝つために、勝つために。 

 

(音楽が流れ出す)

 

 僕らは位置について〜……チャチャチャ〜。

 

 んよこ一列でスタートを切ったぁ〜……チャチャチャ〜。

 

「えっと……何してるんですか?」

 

 見て分からんか。そろそろNHKからの取材が来ると思って予行練習してたんだろうが。

 

「マイクまで用意してる……。トレーナーさんは朝からこんなことしてるんですか?」

 

 ふむ。おれの名が轟けば取材もそう遠くはない。おれテレビとか出たことないからな、結構緊張してるんだ。

 

「来ないから大丈夫ですっ!」

 

 あっ、何をする! おれの原稿を返せ!

 

「こんなものォ!」

 

 原稿は破られて捨てられた。

 

 おいひどいぞ! どんなのがかっこいいか、ずっと考えてたのに! このために早起きして準備してたんだ!

 

「トレーニングの準備をしてください! それにもうラジオ体操の時間です! 行きますよ!」

 

 くそっ。力で勝てない以上逆らっても無駄だ……大人しくおれはラジオ体操に行った。

 

 なーキタっち。おれの人生には余白が必要なんだ。かっかするなって。

 

「あたしの人生にはいらないです。はぁ……こんなので次のレース勝てるのかなぁ」

 

 こんなのって言うな。それに安心しろ、おれがつくからには半端な結果は出さん。

 

「ほんとに大丈夫なのかなぁ……はぁ。トレーナー選び、間違えたかも」

 

 おいそこぉ! 聞こえてるぞ!

 

 

 

 

 

 それからというもの、ヤツは暇さえあればおれに付きまとい、邪魔をしてきたわけだ。

 

「おはようございます!!!! いつまで寝てるつもりですか!!!」

 

 ……今日はオフの日だろ。勘弁してください……。

 

「ダメです。真人間になる道は規則正しい生活から! っていうかまたカップ麺食べてましたね!? 私たちにはダメって言うくせに!」

 

 おれはいいんだよ……。おれが日々進化するように、カップ麺も日々進化してんだから……気になったんだよ……。

 

「適当言って。というか、トレーナーさんは机で寝るのが趣味なんですか?」

 

 んなわけあるかい。体が痛い……寝落ちしたらしい。あー……昨日もお仕事頑張ってた証拠だぜ? 定時って概念ないの普通に問題だろ。

 

「……ほんとですか?」

 

 疑いの目が晴れない。

 

 純真で優しかったあの頃のキタサンブラックは、この数ヶ月ですっかりと姿を変えてしまった。月日は人を変えるとは言うが、悲しいもんだぜ。親御さんにも申し訳が立たんな。

 

「誰のせいだと……」

 

 おれへの悪態が板についてきた。随分アルファードに馴染んだらしい。

 

「……なんですか? その机の上の……紙束?」

 

 資料だよ、資料。技術は日々進化するからな。置いてけぼりにならないためには、こっちも成長しないといけない。

 

「珍しくトレーナーさんがまともなことを言ってる……って、その割には関係ない雑誌とか混ざってますけど。これなんですか? 音楽誌とか絶対関係ないじゃないですか」

 

 うるへーな。文字ばっか読んでると疲れるんだよ。

 

「あれ……プラモデルとかまである! やっぱり遊んでるんじゃないですか!」

 

 い……いいだろうが! おれにだって趣味くらいあるわ! 見ろこのハングドマン、完全再現と言ってもいい! ゴツい二脚は男のロマンなんだよ!

 

「え、ええ……なにこれ、もしかして一から切り出して作ってるんですか……? な、なにこれ……な、なんでそんな器用なんですか……?」

 

 ACのプラモはかっこいいんだが値段が高いのでこうやってる。結局道具代が高くついたことは内緒だ。

 

「……じゃなくて! もしかしてその資料とか、トレーニングと全然関係ないことなんじゃないですよね?」

 

 どんだけ疑われてるんだよ。

 

「なになに……ウマ娘の身体能力に関する基礎研究……? うわ、すっごい文字数……」

 

 まーな。おまえらの身体能力にはまだ謎が多い。クマとかシカとか、そう言われたほうがまだ納得できる。そうだな……フォルムはこう、四足歩行で、かなりの筋肉質で……持久性から考えて、おそらくは草食……。

 

「なぜだかよく分からないんですが、余計なことを考えてる気がします……っていうか誰がクマですか! 締め落としますよ!?」

 

 ええい、どうどう。どうどう。怒りっぽさには甘いのが効くぞ。チョコをやろう。

 

「だらしなさにはムチが効きそうですねッ!」

 

 マジで勘弁してくれ。

 

 分かった分かった、おまえのおれに対する不信感はどうにかしなきゃいけないらしい。決闘(デュエル)でケリをつけよう。

 

 

 

 

 

 

「ということで始まりました、査問会・オブ・アルファード、イン夏合宿〜!」

 

 なにが査問会だよ。決闘(デュエル)させろよ。

 

「この査問会ではここ数日のトレーナーさんの罪を並べ、精算していただきまーす。それじゃあキタサン?」

 

「はい! じゃあ早速報告していきますね。トレーナーさんの悪行、ロクでもないのばっかりなんですから! まず夜更かし、それに夜食──ひどいんですよ!? 夜な夜なキッチンに忍び込んでは冷蔵庫を漁って……やたらといい手際で、すぐにいい匂いがしてきて……ッ」

 

 キタサンが机をぶっ叩いた。

 

「私の目の前で美味しそうに食べるんですよッ! これ見よがしに……わ、私が一体、どんな気持ちで、それを見ていたか……!」

 

 食いたきゃ食えば良かったんだ。別に独り占めしようとしたわけじゃない。ただそいつがおれに頭を下げたくなかっただけだ。

 

「……っ! これだけじゃありませんよ!? トレーナーさんがあたしに何をしたか──自分の口から話してもらいます……」

 

 別にいいけどさ、この縄解いてくんない? 痛いんだけど。

 

「嫌ですよ。反省してくれないんですもん」

 

 とりあえずおれは周りの連中に助けを求める視線を送ってみた。

 

「あーあ、新人にも嫌われちゃいましたね〜?」

 

 この調子だ。面白いものを見る目で見たり、指で突かれたりしている。くだらん……この程度の縄、おれにかかれば脱出など容易い。しかし思ったよりしっかり縛られていたので脱出はできなかった。

 

 まあ大目に見てくれよ。別に人様に迷惑かけてるわけじゃないんだ。遊んでるように見えて、実は仕事してましたってパターンも残ってるぜ。

 

「え……うそっ! そ、そうだったんですか!? 全然分からなかった……ごめんなさい、あたし疑っちゃいました!」

 

 分かってくれたならいいんだ。まあ仕事はしてなかったんだけどさ。

 

 スパーン! ハリセンで叩かれた。

 

 ……冗談だ。今日のトレーニングとて、おれが一生懸命考えてたんだぞ。 

 

「……ホントに?」

 

 そーだよ。体力に体調、ローテに得手不得手……おまえにだって、気づいてないだけで苦手な部分がある。そういうのを全て見抜いた上で、最適なトレーニングを考えているんだ。

 

「ウソだったらどつきますよ」

 

 ウマ娘にどつかれたらおれ死んじゃうよ。貧弱だからね。謝るからやめてね。

 

「……ねぇ。コイツにも運動させればいいんじゃない? フラフラになれば、余計なことする気も起きなくなるでしょ」

 

「いいアイデアね──採用」

 

 意義あり!

 

「却下〜。それじゃ、トレーナーさんも明日から夏合宿ってことで」

 

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 ということで砂浜を走る羽目になった。太陽が眩しい。

 

「いっちに、いっちにー! ファイトー!」

 

 おー! ……じゃない。思わず乗ってしまった。

 

「いやー、トレーナーさんと一緒にトレーニングってのも新鮮ですね〜。ほらほら、ペース落ちてません?」

 

 ぜえっ、ぜえっ……おまえが……ぜえっ、おれの……ぜえっ、ぜえっ……ペースに……ぜえっ……合わせたら……ぜえっ……。

 

「え? なんて? 全然聞き取れないでーす。さ、張り切ってこー!」

 

 言いたいことも言えない。おれのペースとか、ネイチャにとっては早歩きぐらいだろう。楽しそうに走っている。

 

 ぜぇっ、ぜえっ……ムリぃ〜……ぜえっ……。

 

「おやおやぁ? 普段偉そうにトレーニングの指示出してるくせに、随分辛そうですね〜? 口だけなんですかぁ〜?」

 

 最アンド悪だ。くそったれ、日頃の不摂生が祟ったか。散々バカにされながら、言い返す気力もない。これ以上醜態を晒すわけにはいかないが、途中で諦めればそれこそ示しがつかない。おれは走るしかなかった。

 

「ふふん。いい気分〜。それじゃ、お先に失礼〜! 頑張って〜」

 

 ビューンってネイチャが走り去っていった。おれの30倍くらい速かった。

 

 最アンド悪だったのは、汗水ダラダラで走っているおれに絡んでくる連中が大量にいたってことだ。

 

「あれ? あれあれあれあれあれあれ〜? ねえねえねえねえねえねえ、もしかしてトレーナー? トレーナーじゃない? あれあれあれ? なにやってるのォ〜?」

 

 クソガキにマークされた。

 

「もしかしてもしかしてェ〜……トレーニング!? トレーナーってば、貧弱なフィジカル引きずって柄にもなくトレーニングしてるのォ〜?」 

 

 黄猿みたいな喋り方しやがって。おれはなにか言い返してやりたかったが、肺は息をするので精一杯だったので力一杯睨んでやった。

 

「へ〜……どうせ普段の行いが悪いからって、根性叩き直すために走らされてるんでしょ? 妥当な判断だと思うなぁ〜。いいじゃんいいじゃん、トレーナーも一緒に走ろうよ!」

 

 もう走ってる。

 

「まあトレーナーが全力で走っても、ボクにとってはお散歩ぐらいのスピードだけどね! でもこういうのなんか新鮮でいいかも。そうだ! ボクがトレーナーのトレーナーになるって言うのはどう!? ぴっぴー! そこのトレーナー、手を抜かなーい! どう? どう? 今なら付きっきりで指導してあげるけど?」

 

 答える気力もない。

 

「あはは! まあ真剣にやってるっぽいし、邪魔するのはこのぐらいにしとこうかな〜。頑張ってねー!」 

 

 その後もガキどもが来るわ来るわで、ノロノロ走ってるおれの後ろに列が形成されていた。揃いも揃っておれをバカに出来る数少ない機会に浮かれているらしい。おれが朦朧としながら走っている横で、連中は言いたい放題だった。

 

「お兄さまっ、お兄さまっ! ついにお兄さまも更生する気になったんだねっ! ライス、お兄さまがちゃんとしたお兄さまになろうとしてくれて、すっごく嬉しいっ! そうだ、これから毎日、ライスと一緒にランニングしよ? 起きてすぐ走ると、朝日がすっごく綺麗なのっ! ライス、お兄さまと一緒に見たいなっ!」

 

 ついに更生とか言い出した。このクソガキとは一度腹を割って話す必要があるようだ。

 

「トレーナーさんっ! おいたわしや、そんなヒョロヒョロになって……! このマックイーン、トレーナーさんがどうしてこんな面白……大変なことをなさっているのか、ええ! 手に取るように分かりますわ! ダイエットですのね? 大丈夫ですわ、わたくしもその苦しさを知る一人──わたくしがついていますわ! しっかりと脂肪を落として、秋に備えるとしましょう!」

 

 パクパク饅頭の頭にはスイーツとダイエットの二文字しかないらしい。何を隠そう妖怪スイーツ祭りはまたリバウンドしたのだ。今度こっそりお菓子を盗み食いしたら海水を飲ませると伝えたのだが、どうやら近いうち現実になりそうだ。

 

 その後もトレーナーとか先生とか言いながらダル絡みしてくる連中を引き連れて、おれはゴールまで辿り着いたのだった……。

 

 

 

 

 

 

「……お疲れ様。アルファードのトレーニングは予定通り終了したわ。特にケガや不調もなし……起きてる?」

 

 死んでる。

 

「はぁ……どうせこれっきりだと思ってるんでしょうけど。これから毎日、あなたも走るのよ」

 

 【悲報】アドマイヤ先生、冗談が下手【無表情】

 

「私が冗談を言うように見えるのかしら。それに……賑やかそうで良かったじゃない」

 

 いい訳あるか。おれを走らせてどうするんだよ。おまえらの夏合宿だろ。

 

「あなたを放っておくわけにはいかないわ。明日は私があなたを見張るから。よろしく」

 

 【悲報】アドマイヤ先生、実は乗り気【僅かな微笑、おれじゃなきゃ見逃しちゃうね】

 

 疲労が限界だ。もう歩けない。運んでくれ〜……。

 

 アドマイヤさんはおれに近づいた。ダメ元で頼んだのだが、どうやら本当に運んでくれる……と思ったら……ぐえっ。背中に先生は腰を下ろした。

 

 おい乗るな、重──

 

「……」

 

 ……すんません。

 

「はぁ……ちゃんとしなさい。あなたは──トレーナー、なのでしょう?」

 

 砂がジャリジャリする。太陽が赤く染まって水平線へと消えていくのだ。海辺で見ると青春って感じがして非常に眩しい。

 

 そこでは飽きもせず小娘たちが走っていた。

 

 ……気づいたんだが──おれが毎日走るのは、トレーナーであることとは別に関係なくない?

 

「……」

 

 ぐえっ!

 

 



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諦めませんわ!

 

 視察ゥ──……ですか。

 

『ええ。理事長はいつでもウマ娘たちのことを考えておられます。本当なら毎日でも見守っていたいそうなのですが、あまりトレセンを離れるわけにはいかないので』

 

 ……。

 

『そういうことなので、明日あたりに。周知と準備をしておいてください。とは言っても、普段のトレーニングの様子などを見るのが目的ですので、あまり大したことではありません』

 

 おれはここ2年でファイアー大魔神の声を聞くと反射的に背筋が伸びるようになっている。電話越しでもそれは変わらない。世のサラリーマンも似たようなものだろう。

 

『言葉にするまでのことではないですが、万が一理事長、あるいはウマ娘たちに"何か"あったなら──今度は反省文では済ましませんよ』

 

 何か起きたら全部おれの責任になるらしい。横暴だと叫びたい。権力者によるパワハラを許すなと叫びたい。

 

『最も、私も同行するので、大したことは起こらないとは思いますが。それでは明日、よろしくお願いしますね?』

 

 だいたいなんで話を持ってくるのがおれなんだ。もっと年長者のおっさんに持っていけよ。おれなんてまだトレーナー3年目の若造だぞ、と言いたい。言いたいがダメだ。なぜならおれには前科が多すぎる。大魔王への奏上など畏れ多いわけだ。

 

 要約する。まずいことになった。

 

 

 

 -

 

 

 

「え、理事長来るの? たづなさんも?」

 

 ……いいか、ガキども。今日は真剣にやる。

 

「視察って……見るだけでしょう? 何をそんなに……」

 

 よく聞け。おれは大魔王閣下との相性が非常に悪い。あのお方の前に立つと、おれはふざけずにはいられないんだ。

 

「縛って海に流しとく?」

 

「……そうね。海に流しましょう。それなら問題も起こらないわ」

 

 担当に殺害計画を立てられている。死んだら海の一部になるというのは、考えようによってはそこまで悪くない話だ……じゃなくてやめてくれ。

 

「えっと、普段のトレーニング風景を見ていくだけなんですよね? 別に何も問題ないと思いますけど……」

 

 問題ないわけないだろ。おれが合宿所の裏で猫飼ってるのがバレるだろうが!!

 

「えっ! せんせー猫飼ってるの!? ちょ、写真──いや、見に行こ。今から!!」

 

「……見るだけ。いや、触るだけだから……ちょっとくらい撫でるくらい、別に……」

 

「その子の名前は? まだ無いなら──私が名前をつけても構わないのよね?」

 

「勝手に生き物を拾ってくるなんて、普通なら怒らないといけないですが……見逃します!! 今回だけは!!」

 

 幸いにもみんな猫大好きだった。

 

 呼び止める暇もなくガキどもが歩き出した。場所は言うまでもない。ミーティングそっちのけだ。おれは慌てて後を追った。にゃんこを取られてたまるか。

 

 ということで合宿所裏にやってきたアルファード一同が目にしたものとは……。

 

「……! め、目つきがすっごく悪い……!」

 

「か、かわ……かわ、かわぁ……」

 

 にゃんこはダンボールハウスで寝っ転がっているところだった。さっき朝飯をやったところだったが、不機嫌そうにおれを睨んでいる。

 

「……触っても?」

 

 どうぞ。

 

 アドマイヤ先生がゆっくりと猫に手を伸ばすと、特に嫌がる様子もなく撫でられるままだ。あれ……おれが触ろうとすると抵抗するんだが、そいつ。おれは不可解な思いを抱えつつ、猫に群がる小娘どもを見守っていた。

 

「せんせー、この子って野良なの?」

 

 まあ間違い無いだろう。保護した当時はかなり痩せてたし小汚かった。警戒心も強かったしな。なんだったらおれはいまだに噛まれる。食いもんやってる恩人には心は開かないくせに、ぽっと出のガキどもにはされるままだ。

 

「……まだ少し汚れてるわね。お風呂には入れているの?」

 

 無理に決まってんだろ。流石にバレるわ。

 

「そう──じゃあ、私が引き取るわ」

 

 アドマイヤ先生にはふわふわしたものを見ると思考までふわふわしてくる数少ない弱点がある。決意は固いらしいが、それはダメだ。ゴローはおれが飼う。だいたい学生寮でペットが飼えるか。

 

「トレーナー寮もペットは禁止ですよ。犬や猫を飼おうとした方はこれまでにもいらっしゃいましたが、問題に発展するケースが多かったために禁止になりました。一度説明したと思うのですが、もう一度必要でしょうか?」

 

 ……分かってる。だからバレないように……あれ? あずきバー師匠の声が聞こえたような。

 

「ふふ。可愛らしい猫ちゃんですね。それと……おはようございます、トレーナーさん。予定通り到着しました。本日はよろしくお願いしますね?」

 

 怖気の走る営業用の笑顔で、あずきバー師匠がそこにいた。

 

 は……早くないですか、その……あ、いえ……到着時刻はその、伺っておりませんでしたが。

 

「スケジュールはメールでお送りしておいたはずですが?」

 

 うそん。そんなわけがない。慌ててスマホを開いて確認してみたら書いてあった。"理事長の早起き具合によってスケジュールが前倒しになる可能性があります"…………。

 

 は、嵌めやがったな!?

 

「人聞きの悪いことを言わないでください。理事長がお待ちです──案内をお願いできますか、トレーナーさん?」

 

 おれは連行されていった。

 

 

 

 

 

 ……午前は主には基礎トレが中心っす。いつもみたいに授業やらがなくて、一日中フルに時間を使えるんで……走り込みや遠泳とかやってます。

 

「安全管理については?」

 

 もちろん、細心の注意を……あれ見えます? 救助用のボートとか、いろいろ置いてあります……。水分補給の呼びかけとかも、はい……。

 

「結構。安全管理責任者としての務めはきちんとされているようですね」

 

 おれにこれ以上責任とか背負わせると潰れちゃいますよ。轢かれたカエルみたいに……。責任ばっかじゃなくて、もっとこう……権力とかも欲しいなーとか思ったり、思わなかったり……。

 

「何か言いましたか?」

 

 いーえ、なんにも。

 

 満足そうにトレーニングの風景を眺める理事長の後ろでゴッド神は満足そうだった。

 

 ……。

 

「合宿も中盤に差し掛かっています。何か問題等があれば、すぐに報告してくださいね」

 

 トレーナーの労働環境は大いなる問題です。おれも夏休みが欲しいです。

 

「今はまさに夏休みだと思いますよ? 野良猫まで拾ってきて……ふふ、可愛いらしい猫ちゃんでしたね?」

 

 やばい。人質ならぬ猫質だ。だからバレるわけにはいかなかったのに……。

 

「安心してください。トレーナーさんが真面目に仕事をしている限り、どうこうすることもありませんよ」

 

 それなら安心だ。ところでバーン様、一つ伺いたいのだが、ゴローのことは……。

 

「トレーナー寮で飼って頂いても構いませんよ? もちろん、きちんと責任を持っていただけるなら、の話ですが」

 

 えっ。でもさっき、トレーナー寮はペット禁止だ、って……。

 

「ええ。ですがトレーナーさんのトレセンに対する大きな貢献を鑑みて、特例として認めてもいいでしょう──ただし、一つ条件があります」

 

 出たよ。こうやって面倒ごとを押し付けるのがバーン様のやり方なのだ。おれも学んでいる──今度はおれにレースに出ろとか言い出すんじゃないかと戦々恐々としていると。

 

「──本当の意味でのトレーナーになって頂きます」

 

 どういうこっちゃ。

 

「意味が分からないほど鈍くはないでしょう。それに、優秀な人材に成果を期待するのは当然ですから」

 

 ……仕方ない。おれも真面目に答えますが、仕事の量がほんとに終わってるんできついっす。普通にどっかの病院とかと提携した方がいいと思うっす。一人で出来ることには限界があるます。

 

「なるほど。そうでしょうね、一人なら──ですが、トレーナーさんは一人ではありません」

 

 冗談じゃない。ガキどもを頼れっていうのか。そんなことをしたら見返りに何を要求されるか分かったもんじゃない。最悪の場合ゴローを持っていかれる。ゴローだけは守らないといけない。おれは猫を守らないといけないんだ……。

 

「猫より先に守るものがあるでしょう。海に叩き込みますよ」

 

 やめてください、しんでしまいます。

 

「まったく……。ふざけていないと死ぬんですか?」 

 

 よくご存知で。

 

 おれは真面目なのは嫌いだ。人生は余白ばっかりでいい。それに特にふざけているつもりはない……猫は守らないといけない。わかるでしょう、バーン様。

 

「確かに、猫ちゃんは可愛いですけど……あと、誰がバーン様ですか? 言っておきますが、トレーナーさんにやってもらいたい仕事なんて山ほどあるんですからね?」

 

 新手の脅しが過ぎる。もうやだ。休暇とって北海道に行きたい……。

 

「……はぁ、そんなの私もですよ。今度私の仕事を増やしたら東京湾に沈めますからね。くれぐれも、よろしくお願いします」

 

 新年も働いていたお方が言うと重みが違う。秘書もいろいろ大変なのだろう。おれは少し同情した。走ることばっかり考えてるガキどもと違って、大人は大変なのだ。やっぱつれえわ。

 

 

 

 

 

 ということでおれの生活に猫が加わることが認められたわけだ。猫の名前はゴローという。

 

「いやいや、ここは一つミケで行きましょう。ね? ミケ」

 

「あたしは、その! アマギがいいと思うんです!」

 

「……ポラリス。決めたわ、この子の名前はポラリスよ」

 

 うそだろ。ゴローだって言っているのが聞こえていないのか? タイシンだけは唯一それに構わずにゴローを撫でている。

 

 ぬぉ〜ん……

 

 わかりにくいと思うがゴローの鳴き声だ。この猫はぬぉーんって鳴く。ゴローは目つきも悪いし態度も悪い。なんだったら少しブサイクな猫だ。しかしそんなことはまったく問題にはならない。おれはゴローが可愛くて仕方なかった。

 

「「「……!」」」

 

 なんか睨み合ってる。おいおい勘弁してくれよ。言っとくがゴローに出会ったのは1週間くらい前だからな。その頃からもうゴローはゴローなんだよ、なんで後から名前変えられなきゃいけないんだよ。

 

「──黙って。大切なことよ」

 

 こんな真剣なアドマイヤ先生見たことない。おれはもう口を挟めそうになかった。

 

 ぬぉ〜ん……。

 

 なんでもいいよと言いたげなゴローの鳴き声が響いた。まったくその通りだ。もう好きにしてくれ、なぁゴロー……伸ばしたおれの手は普通に噛まれて血が出た。おれは泣いた。

 

 

 

 そしてゴローは夏合宿所に住み着くことになった──当初は当然、飼い主であるおれの部屋に住み着くもんだと思っていたが、猫を制御することはできない。いつの間にかガキどもやトレーナーたちを骨抜きにしていたのである。末恐ろしい存在だ。おれでさえゴローの足取りは追えない。

 

「にゃーこ、こっちだよ〜! ほ〜らきたきた、かわいいね〜」

 

「あっ、ザブトン! かにかまあるよ〜、食べる?」

 

「ぼたん、おはよ〜。今日は一緒に走る? なんてね〜」

 

 そしてなんと名前が統一されていないので、各々が好きな名前で呼ぶことになっている。ゴローは無愛想な猫だが、撫でられてもさして抵抗しない。おれが撫でると全力で噛んだりひっ掻いたりするのに……。

 

「おいでー。猫じゃらしで遊ぼ、みずなー!」

 

「サドンデスは今日も可愛いね! 癒されるー……」

 

 もうだめだ。こんな癖の強い名前を付ける連中にゴローを任せてられるか。猫はおれが守る。ゴロー、散歩に行こう。ここは危険だ……いてっ!

 

「せんせーだけだよ、ミケに噛まれるの。逆に特別なんじゃない?」

 

 おかしいな。エサやったり世話してるのおれのはずなのに、懐かれる気配がない。心が折れそうだ。つらいよ……。

 

「うーん、よしよし。せんせーは頑張ってますよ〜? アタシは分かってるからね〜」

 

 うぅ……おまえだけだ、おれを分かってくれるのは……。

 

 フリッツ王家のおっさんみたいな感じでネイチャに縋り付くおれをゴローが無愛想な目つきで眺めていた。ちらっと目があった。

 

 可愛い〜! 猫可愛い〜! 最高〜!!

 

「……泥棒猫め。おりゃ」

 

 あっ! 待てネイチャ、ゴローをどこに連れて行く! っていうかおれもまだ抱っこは許されていないのに……ずるい。ずるいぞ……! 

 

 ネイチャが猫を連れて行くのをおれは黙って見ていることしかできなかったのだ。ぬぉ〜ん……。

 

「お昼休みに何をしてるんですか? いい加減、アマギのことは諦めればいいのに」

 

 キタサンは日に日におれへの当たりが強くなっていく。どうやら今のトレーニング体制に不満があるらしい。

 

「……トレーナーさん。最近のトレーニングですけど、正直少し足りてないと思います」

 

 珍しく真面目な話が始まりそうだ。

 

 ふむ……。

 

「あの大きなタイヤを引きずるヤツ、あたしもやりたいです」

 

 ダメだ。

 

「どうしてですか?」

 

 おまえがあんなのやったら膝が壊れちゃうよ。

 

 人間がやるんなら別にいい。どうせ動かせないからな。ただおまえの場合動かせちゃうからな。

 

「……レースの予定を教えてください。あたしのメイクデビューは……いつになるんですか?」

 

 そう焦るなよ、ひよっこ。おまえの体はまだ戦えるようにはなっていない。走り込みで十分効果はあるさ。ちゃんとトレーニングして、メシ食って寝てりゃ、いつの間にか身体が出来上がってるってもんよ。

 

「珍しくトレーナーさんがそれっぽいことを言ってる……じゃなくて、本当なんですね?」

 

 曲で例えるなら、今はまだ前奏(イントロ)だ。それが短いやつもいれば、長いやつもいる。それだけの話だ。

 

「……イントロ?」

 

 そう──おまえは強くなるよ。目標が明確で、モチベーションもあり、毎日コツコツ努力できる。だからまだイントロだ。Aメロは少し我慢しろ。大丈夫だ、問題ないさ。

 

「えっ、急に真面目になった……い、違和感が……違和感がすごい……」

 

 おまえほんと失礼だな! 人が真面目にやってるってのによ!

 

「ご、ごめんなさい。なんかトレーナーさんがトレーナーっぽいことをしていると、違和感でゾワってしちゃいます」

 

 これも日頃の行いか。

 

「……普段から真面目にしてればいいのに」

 

 おれはいつも真面目にやってるんだがな。なかなか信じてもらえないんだ、これが……。ま、話は分かったろ。余白はあるうちに楽しんでおくもんだ。無くなってからじゃ遅いんでな。

 

 ということで落とし穴を作る。おまえも手伝うがいい。

 

「はぁ……そのままお墓にしましょうか? トレーナーさんの」

 

 やめろ!

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 まあ遊んでばっかと思われがちなおれではあるが、あくまでそれは一側面に過ぎない。

 

「あ、先生ー。ちょっといいですか?」

 

 なんだ。

 

「これ、午後のトレーニング表なんですけど……」

 

 見せてみるがいい。どれどれ……そうだな。このぐらいなら問題ないだろう。明日あたりに近場の病院に行って検査だな。結果次第じゃ復帰も見えてくるだろう。

 

「! ほ、本当ですか?」

 

 おれは嘘は吐かん。ただ、午後のトレーニングには十分な注意をしとけよ。メニュー見た感じ、軽く流す程度だが……些細なことで悪化する場合もある。

 

 病院の予約はこっちで入れておく。細かいとこはおまえんとこのトレーナーと話しておくんで……まぁ行ってこい。

 

「は、はい。その……ありがとうございます」

 

 いいってことよ。なに、もう少しの辛抱だ。ちゃんとやれば、すぐに走れるようになるさ。おれが保証する。

 

 安心した表情でそいつは頭を下げて去っていった。

 

 実際のとこ、アルファードの保健室は接骨院みたいなもんだ。おれの専門は小児科なんですと八千回くらい魔王様に言ったのだが、関係ありませんやれって感じでやっている。

 

 まあ怪我なり病気なりになれば病院へ行けばいいのだ。しかし学内にそういう保健室があるってのは手軽さが違うし、サポートの幅もかなり違うわけだ。事実こうやって夏合宿に出張して様子を見るってのもできる。普通の治療機関ではここまで手厚いケアは難しい。トレーナーの資格まで持ってる医者ってのは、実際かなり贅沢なんじゃないかと思ったりもする。

 

 ──現代医学には明確な限界が存在する。

 

 それはサイエンスの限界であったり、制度的な問題であったり、あるいは医師たちの過密な労働環境によるものであったりする。

 

 おれが抱えているウマ娘の数はおよそ15名ほどになる──その一人一人に事情があり、生来の体質的な特徴なり問題なりがあり……とかやっているとどうなるか。答えは簡単で、おれの負担が天元突破する。

 

 だからチームなんて作りたくなかったのに……おれじゃなきゃとっくに倒れてるぞ、ほんとに。入院中も働いてたからね。どうなってんだよ。

 

 海を眺めていると足音が近づいてきた。

 

「っ、はぁ……っ、はぁ……っ……、ふぅ──」

 

 タイシンちゃんである。小さくてかわいいね。

 

「水」

 

 はいよ。

 

 アクエリアスを放り投げてやると、タイシンはそれを一息で飲み干した。ワイルド……。

 

「っ、ぷー……ねぇ、暑すぎ。どうにかして」

 

 そこに海があるだろ?

 

「ベタつくから嫌だ。他のやつはないの?」

 

 落とし穴の中は案外ひんやりしてるぜ。

 

「ざけんな」

 

 空のペットボトルをおれに放り投げて、タイシンはビーチパラソルの日陰に座り込んだ。

 

「……あんたさ。マジでチームとしてやってくの?」

 

 仕方ねーだろ。大人ってのはな、上司には逆らえないんだよ。

 

「本気で断ればいいじゃん。嫌なんでしょ?」

 

 本気で断ったらおれほんとに殺されるよ。それに……まあ正直言うと迷ってたんだよ。このままでいいのかって。おれはもう少しレースってもんに踏み込むべきなんじゃないかってな。

 

「……相談してくれれば、アタシだって」

 

 おまえはおれにワガママ言ってるぐらいがちょうどいいんだっての。

 

「気ぃ遣うな。ウザい」

 

 はいはいウザくないウザくない。今度一緒にゲゲゲの謎見に行こうな。

 

「一人で行ってろ! だいたい、しばらくアタシを放っといたの、まだ忘れてないから」

 

 悪かったよ。ま、チームも出来たことだし、ひとりぼっちはおしまいってこった。猫もいるしな。

 

「……あんたの家で飼うの?」

 

 上司のお許しが出たんでね。おれもようやく猫のいる生活を迎えられる。部室で寝落ちする日々にはサヨナラ、帰って猫と寝る生活にこんにちは。待ち遠しいぜ。

 

「あんた一人に任せとけない。アタシも世話するから」

 

 猫と一緒に過ごしたい気持ちは理解できる。しかしおれにもプライベートってもんがある。猫の顔見たら帰れよ。

 

「は? ふざけんな」

 

 ぬぉ〜ん……。

 




トレーナーが怪我してる設定は次週になったので治ったんだよ
普通に忘れてた


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