煮込んでふわり、とろけるように (かがりびのねこ)
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煮込んでふわり、とろけるように

—や、やめ…

—はーい。逃げちゃだめですよ〜 

—うわぁぁぁぁぁ!!

 

***

 

穏やかな春の日…今日はレース日和です

 

ガチャ「おは…おお、早速ママやってるね」

「あらトレーナーさん」

 

この方は私のトレーナーさん。

できればお茶をご用意したいのですが、あいにく両膝が埋まっているんです。

 

「すやすや…ふふっ…ままぁ」

「あらあらタマちゃん寝言でちゅか〜」

 

膝の上ですやすや眠るのは同期のタマちゃんこと、タマモクロス。

 

「ははは。もう満更でもないんだね」

「はい。ここ最近、練習とレースが続いたせいで目元が酷い有様でしたから」

 

彼女は普段はすっごく元気な子。

でも、今朝会った時にはあっちにふらふら〜、こっちにふらふら〜と、立つのがやっとなぐらい疲れきっていたので、とっ捕まえてお膝で寝てもらうことにしました。

 

本来は彼女のトレーナーさんが気づくことだと思うんですが…どうやら急用で不在だったので、ナイスタイミングでしたね。

 

「んんぅ…ハッ!!ナンヤコレ-!!」

「あら、起きちゃいました」

「オキチャイマシタチャウワ-!!ア-ダコ-ダ!!」

 

跳ね起きたタマちゃんはこの状況が恥ずかしかったようで、顔を真っ赤にしながら抵抗しています。しかし、先程の通り疲れのせいで力が入ってません…ここは『ママ』としてキチンとお話しないと!

 

「タマちゃん」キッ

ビクッ「…なんや」

「クリーク?」

 

私の雰囲気が変わったことを察したのでしょう。私のトレーナーさんと一緒に固まってしまいました。

 

「練習を追い込んだり、レースに続けて参加するのは良いと思います。ただ、自分の身体は自分のものだから、嫌な時はちゃんと嫌って言わないとだめですよ?」

 

タマちゃんの瞳が見開かれてだんだん潤んでいく。この様子だと、トレーナーさんの心配を無下にして頑張ったようですね…

 

「あんな?ウチなぁ?トレーナーが大っ好きなんや。だから…ウチが勝って、トレーナーが喜んでるとこ見たくてなぁ」

 

俯き、嗚咽を堪えながらポロポロと涙を流して白状するタマちゃん。そのまま私は黙って話を聞き続けました。

 

そういえば、最近のレースはオグリちゃんに負け続けていて、タマちゃんのトレーナーさんがずっと悩んでいる。ということをトレーナーさんが言っていたことを思い出します。

 

すすり泣くタマちゃんに対してどう声をかければいいかわからなかったのですが、今まで沈黙していたトレーナーさんが口を開きました。

 

「あー。あのさ、あの人タマに好かれてるのわかってるよ…多分」

「なんやて!?」

 

トレーナーさんからの爆弾発言に、タマちゃんの目がさっきとは別の意味で見開かれていきます。驚きのあまりだとは思いますが、もう涙は止まったみたいですね。

 

「飲み会で酔ってた時にずっとタマのこと言ってたし、『あと1年の辛抱!!』なんて言ってたんだよ?」

「はぁ!?どーゆうことや…それ」

 

あらあら。タマちゃんも声が震えてます

 

「あと1年ってちょうど卒業の年ですね」

「なん…なんや…それ」

「お、今トレセンに着いたみたい」

「あ、あんのバカトレーナーぁぁぁ!!」

 

タマちゃんが叫び、私の膝から飛び出して出て行ってしまいました。

 

「行っちゃったな」

「はい…」

 

しばらくの間、あまりの展開の速さに私たちは動けませんでした。

 

「さて、クリーク」

「あ!」

「おいで」

 

トレーナーさんが私を呼んで、両手を広げました。もちろん、私は躊躇うことなくその胸に飛び込みます。

 

「はぁぁトレーナーさぁん」

「よしよし、お疲れ様」

 

トレーナーさんが頭を撫でてくれる…胸に顔を埋め、男性らしからぬ花のような芳香を放つトレーナーさんの匂いを堪能する。

 

最初にハグをしてくれたのは菊花賞の時でしたか…トレーナーさん曰く『妹が体操の大会で優勝した時もハグしてたから』と、同じ感覚でハグしてきたらしいです。あと、その時はハグをしながらお互い感極まって泣いてしまったのも微笑ましい思い出です。

 

「あ、そうだクリーク。ご飯食べに来る?」

「えぇ!?良いんですか?」

 

よだれが垂れてないか慌てて確認。

トレセン界で1番料理上手と噂されていたヒシアマゾンのトレーナーさん。私のトレーナーさんはその彼女が認めるほどの腕前らしいです…こくり

 

「あ、外泊届け出しといてね?」

「はぅえ!?」

 

変な声でちゃいました。外泊届けって…

 

「まさか、えっちな事する気ですか!?」

「はぇ!?しないよ!!」

「…そうですか」

 

即答されてしまいました。どうやら真のママになれるのはもう少し後のようです。

 

「クリークを甘やかすだけだから」

 

「…はい?」

「なんでもないよ?」

 

ボソッと何か言ったようですが、私のウマ耳を持ってしても聞き取れず、トレーナーさんが料理をするために早く帰ったので今日は軽いトレーニングメニューとなったのでした。

 

***

 

カチャ「お、お邪魔します」

「おかえり、クリーク」

「えっ?」

 

玄関で待っていたのはエプロン姿のトレーナーさん。…おかえりって言いましたよね?

 

「どうしたのぼーっとして」

「はっ!ごめんなさい」

 

どうぞ、とリビングに案内される。

なにを作るのかは教えてくれませんでしたが、この匂いはビーフシチューですね。

 

「その感じだとバレちゃったかな」

「ビーフシチューですか?」

「うん。あと少しでできるから待っててね」

 

返事をして、ソファに腰掛ける。

トレーナーさんの家は物が少なく、まるでモデルルームのように綺麗に整理されてます。それなのに大きく息を吸えばトレーナーさんの濃密な匂いがしてきて、顔が熱を帯びてきてしまいます。

 

テーブルには食器やスプーンなどが既に用意されていて、私が手伝おうとするのを見透かされているみたいで気恥ずかしい。

 

「ん、完成。クリーク、座ってまっててね」

「はい!」

 

運ばれてきたビーフシチューはブラウンの丸深皿に入っていて、一目でわかるほど濃厚そうな見た目と美味しそうな香り…さながら洋食店のようですね。

 

「このお皿はお爺ちゃんから貰ったんだ」

「お爺ちゃんですか?」

 

どうやらトレーナーさんの祖父が洋食店を経営しているらしい。店の名前を尋ねたら、私が人生で一度は行きたいと思っていた有名店の名前が出てきてびっくりしました

 

「なんか身内が有名だと実感がないんだよ」

「トレーナーさんの料理上手はお爺さんの血が流れているからなんですね」

「そうだね。さ、食べようか」

 

促されて、ビーフシチューを口に含む。

大きなお肉が滑らかに舌の上でとろけて、濃厚な風味と旨味が口を幸せで染めていく…

 

「おいしい…美味しいです!」

「あーよかったぁ〜」

 

私も何回かお弁当を作ったことがありますが、やはり自分の作ったものを美味しそうに食べてもらえるのは気持ちがいい。

 

ビーフシチューの他にも、にんじんサラダや小さなミートスパゲッティ。

どれもこれも美味しい

 

「あ、そうだ」

 

トレーナーさんが思い出したように席を立って、赤いボトルを持ってきました。

そういえばとテーブルにある磨かれたグラスを見やる。そのグラスが特別な雰囲気を出していると、この時確信しました。

トレーナーさんがボトルを開けて、私のグラスに少しずつ注いでいきます…あれ?

 

「トレーナーさん!これワインですよね?」

「そうだよ」

「そうだよって、私未成年ですよ!?」

 

トレーナーさんの顔を見ると、いたずらっ子のような顔をして口に人差し指を立てていました。いわゆる「しー」の形。

 

「みんなは内緒ね。こんな美味しくてお洒落な料理ができたのに飲まないのはもったいないし…まぁ、これもお試しだね」

 

本当にこの人はずるい。ずるすぎます…

 

私のグラスにはこの歳で飲むことがないはずの赤ワインが注がれていて、グラスを持てば私の鼓動がどんどん早くなっていきます

 

「ワインというか…お酒は喉を潤すとかじゃなくて、味や風味を楽しむんだよ」

 

言われたように少し口に含む…美味しい。

果実の甘酸っぱい香りと経験するとは思わなかったつんと来るアルコールに戸惑いつつも、頬が緩んでしまいます。

 

「どう?」

「美味しい…です」

「よかった」

 

微笑むトレーナーさんがやけにキラキラして見えてどきりと胸が跳ねる。

今まで担当トレーナーとして見ていた人とは思えないほど、彼がかっこよく見えました。

 

***

 

「ごちそうさまでした!」

「よろしゅうおあがり」

「え?お粗末さまじゃないんですか?」

「学生の頃、京都育ちのお婆ちゃんに料理を振る舞った時に『粗末なものを食べさせた訳じゃないのでしょう?』ってすっごく怖い顔で言われてさ」

「そうなんですね」

 

にこにこ顔のトレーナーさんは、酔いが回ったのかほんのり赤くなっていました。

 

「さて、お風呂入ってきな」

「え?…あ、そうでした」

 

そういえば外泊届けを出していましたね…

寮長のフジキセキさんからは「あまり盛り上がるとテイオーあたりが騒ぐからね」と釘を刺されていたのも同時に思いだします。

 

身体を流して湯船に浸かる。トレーナーさんと同じ香りのするシャンプーを使ったためか、彼と一緒に入っているような気がしてまた胸が跳ねてしまう。

 

「上がりました〜」

「さっぱりできたみたいだね。じゃあ俺も入ってこよう」

 

トレーナーさんが浴室へ行った後、お皿を洗おうと思ったらシンクは空っぽ。

どうやら全部洗い終えたみたいです…

私の性格上、何か尽くさないと気が済まないので、軽く掃除をすることにしました。

 

 

 

そしたらあったんです…はれんちな本。

携帯やパソコンにあるだろうと思ったのにまさか…本でしてるとは思いませんでした。

 

そしてタイミングとは悪いもので、

 

「あがったよー…あ」

 

トレーナーさんが来てしまいました。

 

「あの、トレーナーさん?…これ」

「……ごめん」

「いや、怒ってないんです」

 

そう、怒ってはいません。このやけに胸の大きなヒト娘が表紙にいたって。

 

「え?」

 

すっごく家庭的な雰囲気を持っているヒト娘が表紙にいたって…

 

「どうして私じゃないんですかー!」

「そっちかー!」

「好意を寄せている相手にはれんちでも意識してもらえるなんて最高じゃないですか!」

 

もはや掛かり気味とも、暴走とも言える私の発言に目を丸くしているトレーナーさん…その、かわいいです。

 

「あ、あのなクリーク…少なくとも君をそんな目で見たことないぞ?」

「…たま〜に私の胸に視線が当たることがあるんですけど〜?」

「スミマセン嘘つきました」

 

なんて痴話喧嘩?のようなやりとりをしながらソファに2人で座る

 

「トレーナーさん…その、ほんとにしないんですか?」

「何を?」

「…えっち」

 

実を言うと、お酒を飲んだあたりから淡い期待を持っていました。あのはれんちな本の流れもあったので…

 

「しないよ」

 

私の淡い期待は、真っ直ぐな目で砕かれてしまいました

 

「どうしてですか?」

「これは俺のわがままなんだけどさ、俺は君の活躍を最後まで『担当トレーナー』として支えたい。ま、深い関係を持った所でこの学園は許してくれるだろうけどね」

「じゃあどうして!」

「…爺ちゃんはそれで苦労したんだ」

「お爺さんが?」

 

トレーナーさんのお爺さんは昔、地方のトレーナーだったそう。

そして、担当ウマ娘(トレーナーさんの祖母)と恋仲になったんですが、そのせいで他のチームの子とトラブルもあって彼女は大幅に成績を落とし、2人揃って辞めざるを得なくなってしまった…

 

その後、2人がよく通っていた洋食店のマスターに雇って貰えたことで最悪の事態を防げたそうなんです。

 

「だからクリークとはそんな関係になるつもりはないんだ」

「…そうなんですね」

 

高等部になってから、社会活動やG1勝利の食事会などで様々な男性と触れ合ってきました。それでも、私の中ではトレーナーさんしかいません。

 

しかし、彼から断られてしまった。私の恋はたった今、終わってしまいました…

 

「だけど、」

 

…え?

 

「だけど、卒業まで待ってくれるのなら」

 

まさか

 

「君を迎えに行くよ…絶対に」

 

冷めたはずの心が、彼の覚悟を持った視線に当てられて熱を帯びる。その熱は私には刺激が強すぎたのか目から涙が出てしまう

 

「心配させてごめんねクリーク」

「ほんとですよばかぁ!!」

 

嬉しさと恥ずかしさで、今にも爆発しそうな私をトレーナーさんが抱きしめる

 

「んっ…トレーナーさん」

「はいはい。いいこ、いいこ」

 

トレーナーさんの手で頭を撫でられるたびにふるりと身体が震える。

 

「クリークなら頂点を目指せるよ。なんたって、君のそばには僕がいるから」

「とれーなーさん…」

 

少しずつ瞼が重くなっていく…

心と身体がトレーナーさんの体温で温められて、幸せで満ちている。

 

「クリーク、もう寝る?」

「うん」

 

トレーナーさんの手を繋いだまま寝室に入った私は、彼の香りで満ちているベットに飛び込んでしまう

 

「クリーク?」

「えへへ、トレーナーさんの匂い…」

 

普段はママなんて言われている私も、トレーナーさんに甘やかされて蕩けてしまう

 

「じゃあ、僕は布団を敷いて寝るから」

「え?」

「え?」

 

流れる沈黙…どうしてこの人は

 

「クリーク、一緒に寝て欲しいの?」

「…はい」

「わかった」

 

トレーナーさんが敷きかけていた布団を戻して、ベットに入ってくる。

私は迷わず、彼に抱きつく…あぁ暖かい

 

「私、決めました」

「クリーク?」

「来年のURAファイナルズで絶対に初代チャンピオンになります」

「じゃあ、僕はそこでプロポーズしよう」

「約束ですよ?」

「わかった」

 

ゆびきりげんまんの代わりにトレーナーさんに密着する。そして、そのまま私は愛しい彼の胸の中で眠りに落ちていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから数年後、とある一軒家。

 

そこには初代URAチャンピオンのトロフィーが飾られていた。

 

その隣には、笑顔溢れる父と娘…それを愛おしく見つめる母の家族写真が並べてあった。



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