その姿、白き稲妻の如く (囃子米)
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トレーナー
なるたけ史実に従おうと思いますが競馬の方はミーハーなため詳しくないところもあると思います。ご容赦ください。
ウマ娘。異世界の馬の魂を宿した特殊なヒトであり、その身体能力は通常のヒトを軽く凌駕する。その力強さにヒトは大いに魅せられ、夢を馳せる。
そして、彼女らは多くの期待を背負い、自身の背負う宿命を乗り越え、新たな頂へと上り詰める。レースで勝つことだけが幸福であり、最上の名誉だ。
夢を追うその熱量が、その迫力が、そのスピードが、全てを熱狂させる。
これは、そんなウマ娘の一人。小さい体躯に白い髪。決して強くはなれないと一度は烙印を押されたウマ娘が、稲妻の如く幾千ものターフを駆け抜ける話。
***
桜色の実りを満開に見せる校門前。俺は今春から始まる希望の予感に、とにかく胸を震わせた。
『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』通称『トレセン学園』。多くの夢見るウマ娘がここに集まり、努力を重ね己の才能を研鑽し、唯一無二の頂を目指す。その栄光を掴み取るために、ウマ娘は自身をサポートするトレーナーを、そして、トレーナーは自身に夢を見させてくれるウマ娘を、お互いに求め合う。
そうして惹きつけられた者の一人が俺だ。
「あ、あなたが新人トレーナーの方ですか?」
緑色のスーツにハットの女性がそう尋ねてきた。明らかにこの学園の関係者の方だろうと思い、軽く会釈をした。
「そうでしたか! ではお名前を聞いてもよろしいでしょうか」
「はい、菅原千智と申します。千に難しい方の智で"ちさと"です」
空に指で文字を書いてそう教える。女の子らしい名前だとは言われるが、案外嫌いではない。
「了解しました! では早速、理事長の元へ向かいましょう。菅原さん。いらっしゃったらすぐに話がしたいとのことです」
「あの、あなたは」
「あぁ! 申し遅れました。駿川たづなといいます。なにかと一緒となる機会も多くなるかと思いますので、以後よろしくお願いします」
たづなさんはそう言って腰を綺麗に曲げた。畏まった挨拶に、こちらも恐縮してしまう。ひとしきりに挨拶を終えると、理事長室へと向けて歩き出した。
その間、後について行きながら学園内の生徒たちや、整った設備を眺める。ここが自分の職場になるのかと思うと、今からワクワクしてしまう。
「菅原トレーナーはどちらから?」
「俺は滋賀県から来ました。あと、まだトレーナーの経験もないのに、少し歯痒いですね」
「そんなことないですよ! 中央のトレーナーライセンスを取得して、この学園に籍を置く以上は、あなたも『トレーナー』の一人です」
中央、というのはトレーナーライセンスの仕組みに深く関わる。簡潔に言えばウマ娘専用のトレーナー資格というものがあり、それが中央と地方とで分かれている。語感でもわかるだろうが中央は何かと融通のきく、それなりに取得難易度の高いライセンスだ。対して地方は、その権限を各地方でしか発揮できず、中央での指導権限もない。ただ、取得難易度も低い。
「それにしても滋賀県ですか、良いところなんでしょうね」
「はい、故郷だからっていうのもあるんですけど、それなりに自然があって良いですよ」
「そうですか。トレーナーさんに担当ウマ娘が出来たら、ぜひ連れて行ってあげて欲しいです」
「ははっ、田舎なんで今の子は好きじゃないかもしれませんよ」
「栗東のトレセンは有名ですから夏休みに訪れようとする娘も多いですよ」
「へぇ……そうなんですね」
そんな雑談をしながら、校舎内へと入った。どうやら二足制ではないようで、靴箱などはない。そのまま大きな正面玄関を通り抜ける。
左右前後どこを向いてもウマ娘か、関係者のトレーナーがいる。栗東のトレセンを訪れることは多々あったが、やはり中央は規模が違った。
「ん、見慣れない顔だね」
「あ、シンボリルドルフさん」
たづなさんがそう言うので、ギョッとして前を見る。
余所見をしていたときに先の角から曲がってきたのは"あの"伝説"のシンボリルドルフだった。
いざ目の前にしてみると、そのオーラにやはり圧倒される。
「はじめまして。今日からここのトレーナーになります。菅原千智です。よそ見をしていたもので。すみません」
「いや、慣れない環境に適応しようとしている証拠なのでしょう。こちらこそ、よろしくお願いします、菅原トレーナー。ようこそ、トレセン学園へ」
彼女から手を差し出され、少し手汗を拭ってからこちらもその手を握る。ハンドシェイクといえば軽々しくなるが、気軽な社交辞令は必要だ。
それにしても、かつて絶対を謳われたウマ娘はやはり格が違う。握手だけでそれがわかる。
地に根を張るような体幹、練り上げられた闘志を包み込む、百戦錬磨の身体。威風堂々たるその眼差しと姿勢。歳は俺の方が上なはずだが、どうも気を抜くと縮こまってしまいそうだ。
「それでは挨拶もほどほどにして参りましょうか。理事長室はすぐそこですから」
たづなさんのその言葉で、握手していたのを離した。知らぬうちに強く握られていたのか、手が少し軽くなったように感じる。
「あぁ、すまなかったね、引き止めてしまって」
「いえ、ありがとうございます。"絶対"のあなたを追いかけていた一人だったので、光栄この上ない」
「そこまで言われると照れてしまうよ。ではまた、後に」
そう言って皇帝・シンボリルドルフとのファーストコンタクトは終わった。
「どうでしたか、シンボリルドルフさんは」
たづなさんは俺にそう尋ねた。正直、緊張の糸がぷつりと切れたように、全身の筋肉が弛緩した。手は軽くなったようなままで、なんだか現実に地を踏みしめているような感覚がない。
そんな様子を見て、彼女も察したようだった。
「さて、ここが理事長室です。中にいらっしゃるので、好きなタイミングでお入りください」
厳格に構える扉。理事長、秋川やよいさんのお顔はパンフレットで拝見したことがあるが、どこからどう見ても幼女。しかしながらこの学園の統括をしているというのだから、見た目とは裏腹な手腕には驚かされるばかり。
ノックは四回。返事がないのでたづなさんの方を見ると、ただ黙って頷いていた。入って良いということだろう。
「失礼します」
その中にいるのはやはり見た通りの方だった。
彼女は俺の目の前で仁王立ちをして、大きくを空気を吸う。
「歓迎ッ! ようこそトレセン学園へ!」
ここに来ては驚いてばかりだが、これにはあまりにも驚いた。
「疑問! 何故ここに来た!」
面を食らってのけぞる俺のことなど気にもせず、さっそく本題に切り込んできたようだ。どうやら、意思を試されているらしい。頗る気合が出るものだ。
右手の親指をぎゅっと握り込んで、いつも手放さず心に刻んできた覚悟を伝える。
「私は、いえ、俺は、最強のウマ娘をこの手で育て上げ、そしてその娘と共に栄光を掴み取りたい。シンボリルドルフでもミスターシービーでもない。新たな伝説を描き、掴み取る。そのために、ここへやって来ました」
「承認! 改めて歓迎しよう! 菅原トレーナー!」
「以上です」
「え!? たづなさん、え?」
「以上です」
そんなにっこりとして言われても、なんだかことの運びがあまりにも急すぎてついていけてない。
「理事長は貴方を認めました。真に、今からトレーナー生活が始まります。わからないことがあればサポートしますし、都度お尋ねください」
「じゃあ、早速ですが。担当ウマ娘を決めるのは僕からのスカウト、ということでいいんですよね。それは今からでも?」
「はい。今からです。貴方のトレーナー人生は全て、今を以て始まります。応援していますよ」
「精進! 頑張ってくれたまえ!」
秋川理事長がそう言って俺を激励した。嬉しいことこの上なし。俺は胸を張って理事長室を後にしたのだった。
今から、全てが始まる。この日のために俺は努力を積んできた。その成果を存分に発揮できる。やはり今日という日は感動の連続である。
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