膝の上のタイシン (感満)
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1話

「どうだ?これからこの娘たちが走るんだよ」

 

 連れてきてもらったお爺さんの職場。

 大きなトラックに芝がいっぱいあるのを取り囲むたくさんの人。

 一人一人出てきては歓声を浴びるウマ娘たちを、お爺さんが説明してくれている。

 札幌への旅行と、お爺さんの仕事のレースがたまたま重なったためにやってきたのだ。

 

「ほら、あれが私と一緒に頑張っているウマ娘だよ。今日は残念ながら2番人気だが、うまく走れれば一着を狙えるだろう……。その次に出てきたのが今日の一番人気の娘だ」

 

 お爺さんのウマ娘がこちらに手を振ってくれたのに合わせて少年も手を振り返す。

 小走りで他のウマ娘に合流した次に、悠々と一番人気のウマ娘が姿を現した。

 

「あの子が一番人気なの?」

「そうだよ。この中で一番早いんじゃないかって言われてる娘だ。実際に今から走って一番を決めるんだよ」

「怪我してる子が一番早いの?」

 

 お爺さんがウマ娘に向けていた視線を少年に移した。

 その時、なぜお爺さんがそんな表情をしたのかもわからなかった。

 

「どうしてそう思うんだい?」

「何が?」

「あの娘が怪我をしていると、どう思ったんだい?」

 

 顔を近づけて目線を合わせるお爺さん。

 

「だって、あの子右足痛そうだよ?引きずって歩いてるし」

 

 悠々とパドックに向かう姿に違和感はない。確かに言われれば少し左右で歩き方が違うが、勝負服の意匠の関係と言われれば納得する程度の差でしかなった。

 少なくともお爺さんは、気が付かなかった。

 この日のレース、お爺さんのウマ娘が1位になった。

 1番人気のウマ娘は6着。後に足関節骨折が発覚し戦線を離脱することとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日本ウマ娘トレーニングセンター学園。

 全国から有数のウマ娘達が集まり、鎬を削っている。

 国民的スポーツ・エンターテイメントとして位置付けられているトゥインクル・シリーズでの活躍を目指すウマ娘が集まる全寮制の中高一貫校である。

日夜彼女たちは勉学に加え、レースに勝つために練習をしている。

 選手になる以外にも、サポートスタッフとしての知識を学べる研修コースも存在している。文武両道を掲げており、座学や学力考査に苦しめられる生徒も多い。

トレーニング用のレーストラックや体育館、スポーツジム、レッスン用のダンススタジオ、飛び込み台付きの室内プールなどがある。

 基本的には、授業が終わると各々のチームで各自トレーニングを行う。

 しかし、中には決められた時間に練習の出来ない生徒もいる。

 補修、生徒会、取材やその他課外活動。

 その場合、彼女たちは練習ができない……というわけにもいかない。

 一時的なら、数日なら影響は最小限になる。しかし恒常的にとなるとそうはいかない。

 影響を最小限に抑えるために、トレセン学園は夜間練習場を用意している。

 

「やぁ、今日もすまないね」

 

 宿直用の部屋のドアを叩き、一人のウマ娘が入ってきた。

 シンボリルドルフ。トレセン内には、競バ関係者には知らないものはいないであろうウマ娘だ。

 周囲から“皇帝”と呼ばれ、数々のGIレースを制覇した生ける伝説。

 そしてトレセン学園の生徒会長である。

 

「お疲れ様。今日も生徒会の仕事?」

「あぁ、ここで練習できる日も限られてるからね。他の日の仕事を回しているというのもあるが」

 

 そういうとシンボリルドルフは更衣室へと入っていく。

 シンボリルドルフがいうように夜間練習ができるのは毎日ではない。自主練習とは違い、トレセン学園が練習する場を用意するとなれば責任が生じる。

 事故や怪我の可能性を考慮すると、責任者が必要になる。それも、ある程度ウマ娘に。また、練習内容に精通しているものでなければならない。

 昼はトレーナーが見ている。自主練習でも必ずスタッフや別のチームのトレーナーがいるため問題は起きにくい。

 しかし、夜間だとそうはいかない。

 だからといってトレーナーを常駐させることもできない。

 日々の授業に自分のチームのトレーニング。それが終わっても自分のチームのウマ娘のために練習メニューを考え、レースに勝つために他のウマ娘の研究をしながらも、次の日の授業の準備をしなければならない。

 そんな中夜間練習の宿直は非常に負荷がかかる。

 今も、外のトラックでは様々なウマ娘達がターフを走っている。

 室内のモニターからそれを眺めつつ、中身の無くなったマグカップを流し台へと持って行った。

 一度マグカップを洗いながら、備品として置かれているティーパックやインスタントコーヒーから飲みたいものを選ぶ。

 結局シンプルな緑茶に決めポッドからお湯を注いでいると、着替え終わった体操服姿のシンボリルドルフが戻ってきた。

 

「何か飲んでから行く?」

 

 自分のマグカップを指さしながら聞く。

 

「いや、喉は乾いていない。それより、今日のみんなの様子はどうだい?」

「大体みんな問題ないけど……、この子とこの子が頑張りすぎかもね」

 

 モニターの中にいるウマ娘を何人か指さし、ルドルフに伝える

 

「あぁ、その子たちはメイクデビューが来週なんだ。追い込みなんだろう。危険かい?」

「いや、今週だけなら大丈夫だと思う。けど、この子だけは……」

 

 右回りにコーナーを曲がるウマ娘の足元を指さして、2回コンコン、と足元を叩く。

 

「おそらく今まで左回りで走っていたのか、右に曲がるときに無理して体を傾けてるのかな?足首に負担が強くかかってるように見える。注意したほうがいいかもしれない」

 

 指摘されたウマ娘をジッと見つめるルドルフ。

 

「ふむ、注意しておこう。しかし、いつもながらよくわかるものだな」

「まぁ、だからここでバイトできてるんだろうけどね」

 

 大した仕事もないのに給料もいいし。そういいながらお茶を一口飲む。

 煎れたばかりなので少し舌を刺激する熱さのそれをチビチビと含みながら席に戻る。

 

「本当の責任者は他にいて、とりあえずここにいれば大学の課題をやっていてもゲームをしていても大丈夫。備品は使いたい放題で至れり尽くせりだよ本当に」

「けれど、それだけのことはあると思っているよ。君が来てから怪我の類が減ったのは紛れもない効果だと思っている。君のその目のおかげでね」

「そう言ってくれるのは嬉しいかな。けどオグ――

「あれは病気だ。怪我ではないし君のせいではない」

「あ、うん」

 

 その後、一言二言話した後にルドルフはターフへと向かっていった。

 先ほど指摘したウマ娘と少し話した後に奇麗なフォームで周回を始める。

 それをある程度見届けた後、彼は夜間練習でお腹を空かせているであろうウマ娘のために宿直室内で簡単な夜食を作り始めた。のんびりと過ごしながらウマ娘の練習を見て、彼女たちのために軽食を作るこの仕事が彼は気に入っていた。

 

 業務用の炊飯器に無洗米と水を入れる。

 今いるウマ娘の数を数えて量を整えてスイッチを押す。

 あとは業務用冷蔵庫から味噌といくつかの野菜を多めの人参と一緒に取りだす。粒状の出汁を用意して大きな鍋に水を入れ温めながら用意した野菜を切っていく。

 切った野菜を入れて煮込みながら、もう一度冷蔵庫へ向かい昆布・梅干・おかかとスライスパックの豚肉を取り出して持ってくる。

 

「入るよ」

 

 肉を入れ、灰汁を取っているとドアの方から声が聞こえる。

 聞きなれた声に顔を向けずに返事をした。

 

「また作ってるの?適当に用意すればいいんだから作る必要ないのに」

「そうは言っても、一回買って済ませたら物凄い顔をしたのが何人かいたから」

 

 お玉に味噌を適量取り、溶かして味を調える。

 

「特に味噌汁とかさ、そこにパックのもあるけど減りが遅いんだよね。年始に置かれたの賞味期限キレそうだよ?」

「それはあんたが毎回作ってるから。去年までは結構減り早かったしそもそも作る人なんて極一部自分のチームのウマ娘の食事のついでとかなんだから」

 

 少し深めの小皿に味噌汁を入れて渡す。渡された側は一瞬嫌な顔をするが受け取って飲んだ。

 

「まぁ、いいんじゃない?」

 

 味付けを失敗していればまずいと言われるので、今日のは合格点らしい。

 火を止めて蓋をする。ご飯が炊けるまではまだ時間がかかる。

 門限まではまだ時間があるし、この時間ならまだ夕飯も間に合うのでこちらを急ぐ必要はない。

 

「今日はどうしたの?練習?」

「練習は昼もうやった。こっち」

 

 スマホを見せながら出た答えに、彼は手を洗って机に戻る。

 一緒に移動しながらスマホを取り出すとアプリを起動した。

 

「今日イベントあったっけ?」

「新しいマルチが出たじゃん。やってないの?」

「武器集めてはいるけど、課金武器持ってる人はいらないんじゃないのかな」

 

 ついでに課題用に開けていたパソコンを引き寄せて検索を掛ける。

 二人の起動しているゲームアプリの攻略wikiを呼び出した。

 

「だから、課金はそんなしてないって言ってんじゃん」

「あんだけレースしてんなら金持ってそうなのに…痛いな!ウマ娘の足で踏むなって!」

 

 器用に座りながら足を踏んづけたのに抗議をする彼。

 止めに軽く脛を蹴られたのに悶えながら耐える。

 それを尻目にパソコンと彼のスマホを奪い取ってパスコードが入力される。

 

「あ!まだこれ待ち受けにしてんの?やめてって言ったじゃん」

 

 画面にはウイニングライブでのアップの写真が写っていた。

 悶えているのを無視してさらに足をふらつかせながら彼の腿に足をぶつけていく。

 彼はついに我慢できずに立ち上がろうとするが、そこに膝裏を狙って足が入り座りなおしてしまう。

 

「やめてよ。こういうの……あ、やっぱ集めてんじゃんこれ。編成どうなってんの?」

 

 足をさすりながら突き出されたスマホを受け取り、専用の編成を見せながら相手のスマホを受け取って武器を確認していく。

 自分の編成より多くのガチャ武器があるそれを若干羨みながらも最適な編成にして返した。

 

「これくらいなら連絡くれれば教えるのに」

「別にいいじゃん。こっちに来るのわかってんだから会ったほうが早いでしょ」

「まぁ、実際に触ったほうが早かったりするもんなぁ」

 

 二人で同じゲームの敵を選んで倒していく。

 

「次ってレース決まってるの?」

「まだ決まってない。もう出るレースも減ってきちゃってるからGⅠの出走が決まったら調整の重賞に出るかもしれないけど……来るの?」

「わかんないなぁ。ここで走ってるのは見てるから土日にわざわざレース場にまで見に行く必要ないし」

「フーン。それなら待ち受けになんであんな写真があるのさ」

「ほら、レースの練習は見てるけどウイニングライブの練習は見てないから」

 

 

 他愛のない話をしながら、ゲームを続ける。

 時々モニターに目を移し走っているウマ娘の調子を見る。今日はルドルフも走っているから彼が注意しなくても無茶をするウマ娘は止められるだろう。怪我明けの娘や危険な娘がいれば練習をやめさせなければいけないが、今のところ心配するような状況ではなさそうだった。

 炊飯器から炊き上がりを知らせる音が鳴る。

 片や混ぜるために立ち上がり、片やそれを一瞥しながらアプリを続ける。

 

「今日食べてく?」

「いらない。ってか、練習してる人用じゃんそれ」

「少しくらい問題ないよ。一応あれらが来ていいように多めに炊いてあるし、今日は来ないみたいだから」

 

 一応大きな札で『おにぎり一人5個まで!!軽食です!!』と書かれたものを用意して横に『どんぶり禁止!!』と書かれたものを用意する。特定のウマ娘用の対策だ。

 走りに来たのに太って帰られてはたまったものではない。

 蒸らした白米を少し冷まして握れるくらいになったものから順におにぎりを握っていく。

 他のものより少し小さめのおにぎりを二つ作って、味噌汁と一緒に渡す。

 

「いらないって言ったじゃん」

「どうせこの時間だと戻っても食堂行かないんでしょ?おばちゃんからも頼まれてるからね。小さめに作ったから食べていきなよ。要らなかったらおいておけば俺が食べるよ」

 

 なんどか軽食と彼を見比べてから、小さくため息を吐いてスマホを置き手を洗いに行く。

 戻ってきて小さな手に合わせたようなおにぎりを、小さな口に運んだ。

 

「いつも少し多いんだけど」

「お腹壊す程度じゃないでしょ?学園祭のクリークやタマモみたいに食べろとは言わないけど、無茶じゃない範囲でしっかりと食べないと」

「あんなお腹になるまでは食べないし……」

 

 具を多めに入れた味噌汁を食べ終わり、少しお腹をさすっているのを横目におにぎりをすべて作り終え、テーブルに並べる。

 二人がゲームをしたり、おにぎりを作っている間にも練習を始めるウマ娘。練習を終わらせたウマ娘が更衣室に立ち代わり入っている。

 食事の準備ができたことは自然と外に伝わるだろう。

 中にはそれを狙ってギリギリの時間に来るウマ娘もいる。

 

「こんにちはトレーナーさん!練習しに来ました!」

「お腹出た状態では走らせないからな。夕飯食べ過ぎてないだろうな」

「大丈夫です我慢してきました!」

「じゃあ行ってきな。それと、なんども言うが俺はトレーナーではないからな」

 

「お疲れ様です。ありがとうございました」

「お疲れ様。大丈夫だった?」

「ハイ!私も気づいてなかったんですけど生徒会長に言われて意識したら少し走りやすくなりました!」

 

「すまない。食……練習しに来たんだが」

「そんな腹でどう走るのさ。ダメだよ」

「そんな。せめておにぎりを」

「何が君をそこまでさせるの!?」

 

「ハウディ!元気にしてましたか?」

「こんばんわタイキ。今日も元気だね」

「今日も走り足りないからお邪魔しマース!ライスボール残しておいてくださいネ」

「わかったよ。行ってらっしゃい」

 

 時間の節目になってくると、部屋が騒がしくなる。

 中等部の門限に近くなり、高等部の時間が空いたものが集まり始める。

 狭くなって居心地が悪くなったのか、食器を洗った後スマホを手に取り彼の方へ向かう。

 

「じゃあ、帰るから」

 

 この空気を好まないのを彼は知っていたため、急な申し出に疑問を抱かずに返事をする。

 

「うん、おつかれ。土日はどうするの。ゲーセン行く?」

「まだ決めてない。決めたら連絡する。じゃあね」

「バイバイ、タイシン」

「何すんのさ……もう。バイバイ、シュウ」

 

 帰りざまに頭を撫でようとしたが、手で払われてそのままタイシンは帰っていった。

 

 

 

 



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2話

「腹が減った」

 

 現在時刻15:00過ぎ。大学の講義も終わり、バイトに向かう時間をどうしようかと思った俺。

 いつもならゲームセンターに行って時間を潰すか、早めにトレセン学園に行ってスマホをいじるかしているが、今日は我慢できそうになかった。

 一旦家に帰ろうかとも思ったが、それも面倒になり周囲の店を探す。

 ちらりと横目に見えるのはもやしとかニンニクとかがたっぷり入ってそうなラーメン屋だが、さすがにそこまで腹は減っていない。それに、これから年頃の女の子に会うのにさすがにそんな匂いはさせていけない。

 葦毛のウマ娘が見えた気がするが、それを無視して他の店を探す。

 大学生の男が空腹なのだから、そこら辺のカフェで済ますには足りない。

 

「おぉ、秋やないか。どないしたんこんなところで」

 

 後ろから声を掛けられたので振り向くと、そこにはよく知った顔がいた。

 

「タマモじゃないか。どうしたんだ?こんな時間に。授業は?」

「うちらはもう出るレース少ないから毎日練習って訳でもないねん。それに毎度毎度呼び出されてはやっぱり出走者決まった言われたらもうやる気も落ちるわ。んで、オグリが居なくなっとったってオグリんとこのトレーナーが言うから探しとったんや。レース近いから減量始めなあかんねんあいつ」

 

 もうダメかもしれない。そう思いながらも先ほどのラーメン屋の方に向き指をさす。タマモもそれを追って視線を送ると行列の先、両隣の大柄な男性よりかなり大きめに盛られたもやしとアブラとニンニクの山が見えた。

 表情を変えないままスマホを取り出してどこかへとかけるタマモ。

 

「もしもし、見つけたでオグリ……あかんかった。手遅れや。帰ってから走らせるしかあらへんやろ……。んなこと知るかい!別にあんたのおかんでもオグリのおかんでもないねんで!」

 

 少し荒く電話を切ったタマモ。

 オグリにいつも振り回されているのだろう。トレーナーへの連絡を入れ終わったタマモはため息を吐く。

 食事中のオグリを見なかったことにして二人で逆方向へ歩いていく。

 

「まったく……秋はこれからトレセンに行くんか?目的もある意味終わったし一緒に帰ろか?」

「いいのか?それで……。いや、少し腹減ってるからどこかで食ってから行こうと思ったんだけど、一緒に行くなら買って行くか」

「そうなると、いくつか買って行かへんと怒るやつおるで」

「なんでさ、俺の飯なんだから関係ないだろ。スぺちゃんなんかは確かに何か言ってきそうだけど」

 

 まったくもって、理不尽なものである。

 

 そう言いながら周りを見回すが、あまりこれといったものが見つからない。

 昔にここにあったというホワイトたい焼きの店はやっておらず跡地になっており、地元に昔からある団子屋は定休日。

屋は定休日。

 唐揚げだけ買って行くのもトレセンの門をくぐるのには合わないだろうし、あとはタピオカ屋くらいしかなかった。時々ケバブの販売者が来ているところに今日は姿が見えない。

 

 

「うちらウマ娘は鼻のいい奴も多いからな。あの部屋で食べとったら匂い残るやん?自分の言うても年頃のお腹空かせたウマ娘には通じんて。食い意地張ってなくても練習前にうまそうな匂いさせてたら敵わんわ」

「そうなると、あれはダメか」

 

 そう言いながら秋は目の前の店を指さした。

 外は油多めに焼いてカリっと、中はふわっとが特徴のたこ焼き屋である。

 タマモの話し方で何となく粉ものを連想していた秋はそれを選択肢から外そうとした。

 それを見たタマモは、なぜか一瞬顔を歪めた後に目を光らせた。

 

「なんや秋、あんなもん食いたいんか?そないなまがいもん食うくらいならうちが本当のたこ焼き食わせたるわ」

 

 謎の闘志を燃やせたタマモを見て、俺は買い食いを早々に諦めて早々にトレセン学園に向かった。

 

 

 

 

 

 トレセン学園についてからタマモは自分の部屋からタコ焼き器を、食堂から頼みこんでタコと紅しょうがを持ってきた。ついでにクリークとタイシンも持ってきた。

 

「何してんの?シュウ」

「いや、たまたま会って腹減ったからたこ焼きでも食おうかって言ったらこんなことに」

「あぁ、なるほどね。タマモさんにそんな話したらどうなるかわかんなかったの?」

「さすがにいきなり作り始めようと言うとは思わなかった」

 

 タイシンと話している間にも、タマモはタコ焼き器の準備をクリークは食材の準備を始めている。

 どんどんと山積みにされていく小麦粉、卵、タコ諸々。

 

「いや、いいんだけどどんだけ作るの?それ」

 

 見るからに4人で食べきれない量を準備しているクリークに声をかける。

 

「ついでなんで今日の夜食はこれにしちゃえって調理師さんがいっぱいくれたんですよ。いつもうちのタイシンちゃんが作ってもらってるようですからこれくらいはさせてください」

 

 確かに半ば無理やり夕飯を食べさせたりはしているが。

 タイシンを見ながらクリークが返事をする。

 

「いえいえ、オタクのタイシンちゃんにはこちらもいつもお世話になっております」

「ちょっと二人とも何言ってんのさ」

 

 タイシンへの呼び方を真似ながら軽くクリークに頭を下げると、タイシンが間に割り込んでくる。

 秋とクリークがアイコンタクトをしながら軽く笑っているのが見え、揶揄われているのが分かったタイシンは拗ねて席へと向かって行ってしまった。

 しかし、いつものことなのでそんなことで抑えることはしない。クリークも慣れているようだ。

 

「タイシンって部屋でもあんなんなんです?」

「静かに何かしてることが多いわねぇ……。雑誌読んだりケータイ電話を触ったり。この間なんて――」

「ちょっと!クリークさん部屋のことは言わないでもらっていいかな!」

「あらあら」

 

 クリークと話を続けたのだが、向こうへ向かって行ったタイシンが踵を返してスタスタと歩み寄ってきてクリークを攫ってしまった。解せぬ。

 仕方がないので順調に準備が進んでいるタコ焼き器とタマモの側へ行く。

 

「秋はご飯の準備しといてくれへんか?」

「いいけど、お好み焼きとか焼きそばにご飯は聞くけどタコ焼きにご飯は聞かないよ?」

「そんなん似非関西人の東京かぶれが東京の番組で言うとるだけや!お好み焼きでご飯食べてタコ焼きで食べへん理由はありえん!全員とは言わんがそんなん家庭と地域によって違うわ!」

 

 その地域の人がいなければ結局余るのでは。

 そう思ったが、タマモは譲ることはないだろうと反論せずに炊飯器へと向かう。

 そうなると味噌汁を作る必要もあるわけで、今日は主食と主食があるのでシンプルにワカメのみ。好みでたこ焼きに使うあげ玉を入れてもらおう。

 

「そんじゃ、とりあえず試し焼きいくでー」

 

 油引きをタコ焼き機に押し付けていく。少し底が浸るくらいだが、跳ねるような量ではない。

 タマモが時々家電量販店で見るより少し大玉の器に出汁と小麦粉を混ぜた元を入れる。

 少し収まっていた空腹の波が戻ってきて、小さくお腹が鳴った。

 それを鋭敏な耳で聴きとったタイシンが小さく笑う。

 

「何?そんなにお腹空いてたの?」

「昼にゼミが押し込まれて食べれなかったから朝から何も食べてないんだよ」

「やめなよ。ここのバイトない時に次の朝食抜くの」

 

 軽食がある日は余ったものを持って帰っている(たづなさん許可済み)ので、大体朝食はそれにしているが、そうでもなければちょうどいいものでもない限りは朝食を抜いている。一人暮らしの大学生なんてこんなもんで構わないと思ってるし、最悪なぜかトレセンに大量に渡されているプロテインでも飲んでいれば腹は膨れるので問題はないと思っている。

 

「けど、太ったらなぜかみんな一緒に走らせたりマシン室放り込むじゃん」

「そりゃぶくぶく太った姿なんて見たくないし」

 

 タイシンが脇腹をつねってくる。

 

「それでも少し太ってるね。走る?」

「やだよ。ウマ娘と走るなんて死ぬしかないじゃん」

 

 みんな走らせてくるもんな。なぜか水着も用意されてて水泳までやらされるし。

 しかもシフトない日に連行されるから途中で抜け出せないし。

 いつも来てないのにこういう時はくるやつが必ずいて、無茶ぶりしてきたりするんだよ。

 

「ゲーセンで適当にダンスゲームしてれば痩せるから大丈夫だって」

「いつも始めてすぐへばるじゃん」

「ウマ娘の体力と一緒にしないでくれ。普通は5ゲームやれば汗はかくし、体力もなくなる。だからすぐそばにでかい扇風機置いてあるだろ?」

「あれ、そういう目的だったんだ……」

 

 そりゃ、中長距離走るウマ娘がダンスゲームくらいで疲れないだろうさ。

 前も理事長代理がチームの子と一緒にやって介抱されてたし、普通の人とウマ娘の体力の差を考えて欲しい。理事長代理のエピソードを話すと、何とも煮え切らない表情をしていた。

 

「いや、それは違うんやないか。代理だけやろそんなん」

「ごめんタマモ、俺もやっぱそう思う。けど、体力差があるのはホントじゃん?」

 

 タイシンとあれやこれやと話していると、一回目が焼けたのか皿を持ってタマモがやってきた。

 鰹節と青のり、ソースを塗ったド定番の味付けだ。

 

「マヨネーズはうちはあんま好かんから自由にかけてや」

「ありがとう。タイシンも一つ二つは食べるでしょ?」

 

 

 たこ焼きをタイシンとの間に置いて、一個に二つ並べて刺さってた爪楊枝を一つ別のたこ焼きに刺す。

 多分タイシンは一皿食べられないだろうしこれくらいでちょうどいいだろう。

 

 

「じゃあ一個だけもらう。今日は走るから前にそんな食べれないし」

「そのセリフ、オグリに言ってほしいなぁ……」

「けどタマちゃん、オグリさんが似たようなこと言ったら大騒ぎして、オグリさんのトレーナーさんと病院担ぎ込もうとしたじゃない」

 

 第2陣のたこ焼きも焼けたのか、二つ皿を持ってきたクリーク。タマモの前とクリークの前にもたこ焼きが置かれ、皆が席に座る。二人の皿は俺の皿よりいくつかたこ焼きが少なかった。やはり俺の方はタイシンが食べるようにいくつか多めに乗せたのだろう。

 

「気持ちの問題や。実際そうなったら怖くてかなわんわ。まぁ、習慣的に量減らして行ってほしいもんやけどな。最近やとレースもオープンが多くてドリームシリーズに乗り込むにはもうちょっと先やから食事量が運動量に勝ってしもうてん」

 

 シニアを終わらせたら大体のウマ娘は引退する。年齢無差別の上位リーグではGⅠレースを勝利した猛者たちがひしめき合う魔境だ。重賞をいくつか取っていても、肝心なGⅠで勝利できていなければこのグレードでは生き残ることは厳しいだろう。

 オグリもそのような場に行くために準備を始めているのだろうが、トゥインクルシリーズを引退してひと段落ついている段階だし羽目を外しているんだろう。

 

「それでもオグリのこと気にしてあげてるんだね」

「一応付き合い長いから気にもなるわ。目を離すとすぐ腹膨らませるんや……」

「タマのたこ焼きの匂いがする」

 

 ドアが開き、件のウマ娘が入ってきた。

 先ほどの食事のせいかお腹がポッコリ膨らんでいる。

 

「こないな話ししてるときにそんな腹で飯たかりにくるなや!」

「何を怒っているんだタマ。ところで、タコ焼きはまだあるのか?」

「残しといたるからせめてそのポッコリとしたのへこまして来ぃや!」

 

 耳をぺたんと落としたオグリがお腹をへこませるために運動着を取りに自室へ戻った。そして、終わった後またあの膨らんだお腹が復活するのだろう。ご飯が大量に余る心配はなくなった。

 その間に俺たちはタコ焼きを食べ終わり、クリークとタイシンは運動着に着替えて走る準備をする。

 タマモはたこ焼きの種をかき回してダマにならないようにしていた。

 もうそろそろ、通常の練習を終えて帰るウマ娘と夜間練習をするためのウマ娘が出入りするだろう。

 いつも俺が作るときは夜食限定にしているが、タマモはそんなつもりはないようで、紙皿を用意してすぐに出せるようにしている。

 ここにいては邪魔になるだろうと、荷物をまとめて端に置いて外に出る。

 そこにはいくつかのチームと、ウマ娘が練習をしていた。

 何人かはこちらに気づいて手を振ってきたので振り返す。

 ミニハードルで腿上げをする娘。並走をして張り合っている娘。ターフの上で将棋盤を置き指しているゴールドシップ。

 活気あふれる光景が広がっていた。

 ちょうど第4コーナーでウオッカとダイワスカーレットに入ってきた。あの距離で競り合っているということは、今日はウォッカが差し切るだろう。

 

「よう、白川。今日は早いな」

「沖野トレーナー。お疲れ様です」

 

 こちらを見つけた沖野トレーナーが歩み寄ってきた。

 

「どうだ?うちのウマ娘達は怪我してないか?」

「いや、医者でもないし超能力者でもないから見た瞬間わかるもんじゃないですって。知ってるでしょう?」

「けど、お前さんのこと知ってるとそうとしか思えないこともあるからなぁ」

 

 沖野トレーナーには何回か進言したことがある。最近はマックイーンだったか。

 たまたま練習してるのを見たら足首と膝に負荷がかかっていたようなので聞いてみると、沖野トレーナーに渡されたらしいいつもより重い蹄鉄を渡された。ゴールドシップを跳び箱代わりにして飛び越えたり踏んづけたりしていたらしい。

 飛び越えるのはともかく、ウマを飛び越えようとして踏んづければ足首の負担がかかるだろう。

 それに慣れない状態で続ければしっかりと見てなければフォームがずれてどちらかに重心が偏ることもあるだろう。気になったので見せてもらったが、右膝に負荷が強くかかっていたようなので膝のあげ方を何回か変えてもらう。着地に少し足を前にしてかかと寄りに居りてもらって足首の付け根と膝の角度を鈍角にして負担を散らした。

 沖野トレーナーがいるときに練習するように言って別れたが、その日の夜主治医に見てもらったら怪我になる前兆が見られたと報告を受けた。ついでに感謝のしるしとして高そうなティーセットを渡された。似合わないのでタイシンに渡してあって今度お茶菓子を用意して一緒に飲もうということになっている。

 

「沖野さんのとこが特別なんですよ。サイレンススズカもトウカイテイオーも蓄積された爆弾抱えて走ってたんだから見てて怖かったですよ」

「普通は走ってるの見てもわからないからな?」

「足怪我して引きずってる人がいたらわかるでしょ?サッカー詳しい人は試合中怪我してそうな人もわかるし、それがちょっと得意なだけですよ」

「得意なだけって言ってもそれができる人がいないから貴重なんだけどなぁ」

 

 けれど別に万能なわけでなく、怪我を治せるわけでもない。

 サイレンススズカは結局蓄積されていたものは少しずつ改善できたが、レースの負荷に耐え切れず怪我をしてしまった。

 沖野トレーナーもそれをわかってるはずだけど、極端に沖野トレーナーのウマ娘って疲労溜まってたり、怪我しそうだったりするんだよなぁ。その分速く走れるようになってるのか1着とることが多いんだけど。

 

「あ、スペシャルウィークのあれは太り気味です。もうすぐ太りすぎですよ」

「それは俺もわかる。さすがに多めに走らせて減らしてるが、先週オグリキャップと一緒に遠くの食べ放題に行ったらしくすごい腹で帰ってきたんだ。そこで皿を山のように積むまでは気が付かれなかったらしくてな」

「まぁ、皆がレースを見るわけじゃないから仕方がないんだが……来週レースなんだよ」

「今日部屋にたこ焼き機をタマモが用意してまして、夜食代わりに皆に振舞うんですがもう準備ができています」

「嘘だろ……」

 

 確実に未来が見えたのか項垂れる沖野トレーナーを見ながらスぺの来週のレースの結果に思いをはせた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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3話

 俺がバイトを始める前からいつも用意する軽食なのに、なぜ元から食堂が用意しないのだろう。

 そう思ってた時期が私にもありました。今ではむしろ尊敬しております。

 一回タイシンに連れられて食堂行ったけど、あそこ戦場だわ。大量のウマ娘が昼食にティータイムに夕飯にやってきて皆美味しそうに食べるんだけど、奥見るとずっと忙しそうに動き回ってた。前ちょっとやったオフィス街と学生街のど真ん中にあるラーメン屋でバイトしたことあるけど、なんかあれと雰囲気似てるしこれが毎日フルタイムだったらただの地獄じゃない?しかも人増やしてそれらしいよ。

 そんなことを思ってはいるが、今日は食堂の人に負担をかけることになる。てなことで、

 

「今日はチーム丸ごと夜間練習だから軽食はないので練習後に食堂に行くように」

 

 チーム一つ丸ごと増えること確定してるのにその分の食事なんて増やされたくないのだ。

 今日は沖野トレーナーに頼まれて、スピカを丸ごと見ることになっている。その間沖野トレーナーは休憩できるかというと、そんなことはなく相手の研究やら練習の見直しやらをしている。時々同僚と飲みに行くらしいが、トレーナーは基本残業あり休みなしのブラックな職業なのだ。土日はレースだし、絶対就職したくない。もう去年地方トレーナー資格の受講すらしてないから取るとしたら毎日缶詰になって短期で地方とってさらに中央の資格目指さなくちゃいけないからもう絶対に無縁だが。

 

「えー!何でですか?用意してくれないんですか?」

「お前らの分まで作ってたら時間が足りないだろ。いつもみたいに見てるだけでいいんだったら構わないかもしれないけど、沖野トレーナーに何か指示受けてるんじゃないのか?」

 

 おそらく沖野トレーナーに指示された紙を渡されているであろうマックイーンとスカーレットへと目線を寄せて手を出して催促をする。全員分の指示だとメールでもらうより個別に書かれた紙を確認したほうがやりやすくて助かる。

 やはりマックイーンが持っていたようで人数分の紙を渡された。一通り見るとマックイーンとテイオーは調整。スぺはひたすらターフを走らせて練習というよりダイエット。スカーレットは長めの2,000をセットで走らせてウオッカはタイヤ引き。ゴルシはいるなら放牧……。まぁいいんだがそれでいいのかゴールドシップ。

 既に文句を言ってきてるスぺの横で明らかに家庭用の範囲を超えてるホットプレートを奥から引っ張り出し用意し始めて、業務用の冷蔵庫から大量のやさいと焼きそばの麺を用意し始めている。

 このチームを見る以上、軽食は今日は適当なフレークかフルーツとヨーグルトと牛乳を用意してあるのでそれを自由にかけて食べてもらうつもりだったから焼きそばを作る分には問題ないのだが。

 沖野トレーナーが指示して手伝わせてるのか。自分の好きなようにやった結果焼きそばを作ってるのか。

 以前、タマモがたこ焼き作りまくって少し噂になったのに対抗しているのかもしれない。

 調理師さん、今日は何とかなりそうです。むしろスぺいない分楽になるかもしれません。あと、それで食材余るんなら下さい。

 それにしても、ゴルシのやることって無茶苦茶なこと多いけどプラスに働くこと多いよな。

 やることが奇抜だったり派手だったりするけど、明確に被害者って呼べるのトーセンジョーダンぐらいなんじゃないか?

 まぁ、ゴルシは勝手にやらせておいて他のウマ娘達の練習を見ないと。

 俺は別にトレーナーでもないので練習を見ると言っても本当に眺めてるくらいと補助をちょっとといったことしかできない。

 スぺはエンドレスでトラック外枠で1周2:45ペースを保って走るように言ってスタートさせる。

 つけている腕時計が10秒前から反応するらしいので明らかにおかしいペースじゃない限りは声を掛けなくていいだろう。あの子は基本は体に余計な負担をかけるような走り方をしないので俺の出番はない。

 次はスカーレットにスぺが戻ってきてから第一コーナーまで差し掛かったら追走で差すように指示を出す。スカーレットに差しさせるのか?沖野トレーナーは。彼女も普通に練習してくれてれば出番はないので指示だけ出して放置。ただ、エンドレスのスぺと違って自分でタイミングをみてしっかりと走るように指示を出す。なんかやってることがトレーナーっぽい。俺なんも考えてないけど。

 次にウオッカはタイヤ引き。いや、その大きさのタイヤは俺のほうに持ってくるな。潰れでもしたら死ぬぞ。

 ウオッカに括り付けた着装具が変になってないか確認して、少しタイヤを引いてもらう。

 少し負荷が右に多くかかっていたので左をもうちょっと踏み込むように言う。左に、右に指示を出して負荷が均等に無茶なくできたところで少し何も言わずに見る。

 

「いつもよりキツイんだけど気のせいか?」

「いつもは楽な方に傾けたり、無理できる足で踏みこんだりしてるんじゃないのか?誤魔化してるところの筋肉も使ってるからそう思うんだよ多分」

「多分なのかよ!」

 

 そりゃそうだ、受け売りなだけで俺が知識として知っているわけではないし。

 詳しくは自分でトレーナーに聞いてほしい。沖野トレーナーは原理を知ってるし説明もできるけど実践はさせれないって言ってたなぁ。本当は施設で計器つかいながらやってることらしいけどよくわからん。

 うめき声をあげながらタイヤを引いているウオッカを置いて最後はテイオーとマックイーンだ。

 照明が極力明るい場所を選ぶ。

 チームスピカ以外もいるので邪魔にならないように二人が走れる場所を探す。

 ほかの面々が興味津々で見ているが、そっちに気をやってると見逃してしまう。

 奥の方で二人が準備できたようなので、右手を挙げる。

 最初はテイオーが構え、こちらに走ってくる。

 曰く、しなやかで柔軟な走り。他のウマ娘より蹴り足が強く、そして足の先までしっかりと伸びる走り。

 手の振り、肩の動き、足首、膝、股関節を注意深く見ながら俺の横をテイオーが走り抜けたのを確認する。

 それが終わったら次はマックイーンだ。マックイーンもテイオーと同じように走ってくる様子を見逃さないように注意して、わずかな違和感も取りこぼさないように気を付ける。

 それにしても二人とも早いよなぁ。真正面から見てるといつも眺めているより臨場感があるというか、迫ってくる感じが凄い。以前本気で怒らせたタイシンが走ってきたときと変わらない迫力を感じた。

 

「とりあえずマックイーンの方かな?マックイーン、ちょっと仰向けに寝っ転がって」

「えっとこうでよろしいんですの?」

 

 マックイーンに指示をしてターフの端の方で横になってもらう。

 

「うん、それで大丈夫。テイオーは悪いんだけどマックイーンの右足首と膝を持ってもらえる?」

「わかったよ!マックイーン、持ち上げるよ~」

 

 テイオーに頼んでマックイーンの右足を股関節から90度、膝、足首も90度の直角になるように固定してもらう。うーん……この時点で膝が若干怪しいんだけど大丈夫か?

 

「マックイーンって最近負荷強いことやったり追い込んだりした?」

「レースが近いので練習の量は増えておりますわ。現在は特に負荷をかけるような訓練は致しておりません」

 

 そうか。練習量が増えたせいで膝に負担がかかってんのか……。

 怪我しやすくなっちゃったのかなぁ。

 とりあえずテイオーにゆっくりと膝を奥に手前に移動してもらって、お腹へ近づけたり膝を伸ばしたりしてもらう。

 特に異常はなさそうなので、次は足首へと移る。

 伸ばしたり、曲げたり、少し横に向けたりしてみる。足首の負担も少し残ってるようなのでそこも注意して柔軟の時間を延ばすように伝える。マックイーンは家にもストレッチや整体関連のトレーナーがいるだろうし何とかしてもらえるだろう。

 右足が終わったら次は左足も同じようにする。こちらも同じような症状だった。

 

「前みたいに負荷が強くかかってるって訳じゃないから気を付けてやれば大丈夫だと思うけど、プロにちゃんと聞きながらやってね」

「わかりましたわ。もうそろそろレースですので調整しながらやります」

「そうだね。癖になってるわけじゃないんだけど前より負担かかってるのが不思議なんだけど、まあ何とかなると思うよ。これがスぺやオグリなら”太り気味の自重”で何時ものように走って足への負荷が強くなったとかなんだろうけど、本当になんでなんだろう?」

「な、何なんでしょうね?皆目見当もつきませんわ!」

 

 なんか慌ててるけどもしかしてマックイーン食べ過ぎたりしてる?まさかな。

 上半身は異常なさそうだったから次はテイオー。こいつは寝っ転がる必要もなく、いつものことなので座らせていったん靴を脱がせて足首を触る。

 

「もうちょっと気を付けて走れよー。またちょっと痛めてるんじゃないのか?」

「ボクは全然わかんないよ。トレーナーもカイチョーもなんも言わないし」

「誰もなんも言わないんなら大丈夫って訳じゃないだろ。疲労骨折一歩手前だったの忘れたのか?」

 

 スズカのケアをしても怪我をしてしまった。特にアドレナリンが出てるレース中となるといつもと違う部分が出てくる。それはしょうがないことではある。

 けどそれを最小限に抑えることはできて、怪我をしやすいウマ娘はずっと注意していかなければいけない。

 これでもスピカは沖野トレーナーから頼まれて他のチームより多く見る機会があるし、他のチームやウマ娘より怪我一歩手前の状態が多いので個人的にもつい気にしてしまう。それでも

 

「自分の体なんだから自分が気を付けないといけないんだからな?ちゃんとしてれば3冠目のレースにも出れたかもしれないんだし、怪我しなければチャンスは出てくるんだから」

「わかってるよー!走れなくなるのは嫌だもん!けど、秋が見てくれれば大丈夫でしょ?」

「お前なぁ……。俺がバイト辞めたらどうするんだよ」

「えー?辞めるの?辞めないでしょ?」

「とりあえず今やめる気はないけどさぁ……」

 

 こいつはどっかで大怪我しないといいんだが……。

 グリグリと足首を回して違和感がないか探る。とりあえずは問題ないようだけど、やっぱり他のウマ娘より前傾姿勢で走れるせいかちょっと前の方の付け根が疲れ溜まってるみたいなんだよなぁ。

 

「とりあえず今は大丈夫だけど、本当に気を付けて違和感あったらプールとかの練習に変えなよ?」

「わかったわかった。さ、マックイーン走ろう!」

 

 靴を履きなおしてしっかりと靴紐を締め直したテイオーがマックイーンを連れてターフを走っていく。

 その奥には行列が連なった先で、ついに夜店用の鉄板を持ち出して外で焼きそばを作り始めてるゴルシが見えた。なんだあれ、どっから持ってきたのか横に鍋置いてぼっかけ作ってぼっかけ焼きそば作ってやがる。しかも目玉乗せじゃねえか、俺も食いてぇ。

 



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4話

「秋!おはよー!」

 

 日が昇り切り、むしろ隠れ始めてるこの時間にも元気な声がかけられる。

 ウイニングチケットは目の前にいる俺に対して、トラックの端にいる相手に呼びかけるような声量で声をかけてきた。

 

「こんばんはチケット。今日は練習?」

「トレーナーとのミーティングがあったからタイシンとハヤヒデも来るよ!」

 

 3人ともということは出るレースでも決めてたのかな?けど大体お前ら重賞同じレース出るじゃん。

 チケットしか来てないってことは、先に走ってきたのだろう。返事をした後にそのまま更衣室に走りこむチケット。

 

「バクシーン!どうも白川さんこんにちは!今日はお世話になります!」

「バクシンオーもこんばんは。委員の会議でもあったの?」

「いえ!今日はトレーナーとの打ち合わせです!では、準備をしてきますので失礼します!」

 

 続いてきたのはバクシンオー。彼女もミーティングだったらしく夜間練習をするために準備を始める。バクシンバクシーン!と言いながら更衣室に向かって行った。チケットとバクシンオーで凄く賑やかになった

 

「秋ちゃん、こんばんは!」

 

 続いてきたのはマヤノトップガンだ。

 彼女はあまり夜に練習に来ない。別に練習をしていないというわけではなく、単純に昼しっかりと時間を取れているのだ。俺と話すときも大体練習に来るんじゃなくてテイオー迎えに来た時とかの方が多い。大体迎えに来るときに限って軽食が甘いものだったりお菓子類の時なんだがウマ娘連絡網でもあるのだろうか。それにしても、今日は重賞優勝者が多く練習に来るな。

 

「こんばんはマヤノ。今日はトレーナーさんとは練習しなかったの?」

「今日はトレーナーちゃんとお話ししてたの。だから練習は遅くなっちゃって……。」

 

 マヤノもトレーナーとミーティング?今日は全体的に何かあったのかな。着いた時は皆練習してたから特になんもないと思ったんだけど。

 

「全体で何かあったの?」

「違うよ。トレーナーちゃんとだけだけど、他の皆も担当のトレーナーさんと話してると思う。オープンレースの数を増やして、トゥインクルシリーズの皆と引退した皆が一緒に走れる機会を増やすんだって」

 

 なるほど。だからそのレースに出る予定を組んだウマ娘は呼ばれたのか。

 チケット達はいいんだが、マヤノはトゥインクルシリーズのレースも本腰入ったところだし問題ないのだろうか?調整目的で行って勝てる相手でもないだろう。有マの後の春までの期間に入れるのだろうか。

 

「そうなんだ。頑張ってね」

「マヤが出るレースはタイシンちゃんも出るのに頑張っちゃっていいの?勝っちゃうよマヤ」

「勝っちゃうかは別として、頑張ることは大事だよ。タイシンだって頑張ってないマヤノに勝って嬉しいって奴じゃないからね」

 

 近づいてきて上目遣いで聞いてくるマヤノの頭を撫でながら前後に揺らして少し離す。

 意地悪い笑いをしているのを見て取れたので軽く頭にチョップをかます。

 

「いったーい!」

「そんなに痛くないだろう」

「タイシンちゃんに言いつけてやるんだから!タイシンちゃ~ん!」

 

 マヤノが部屋を飛び出して行ってしまった。練習はいいのだろうか。

 そう思っているとすぐまたドアが開いた。マヤノが本当にタイシンを連れてきたようで腕を引っ張られたタイシンが目を細めながら少し小走りになってついてきていた。

 

「ひどいんだよ、秋ちゃんがマヤのこと殴ったの!」

「……シュウ、何してんのさ」

 

 ダルそうな目のままこちらに問いかけるタイシン。巻き込むなというオーラがひしひしと伝わってくる。

 

「まぁ、これには水たまりより浅い訳があってだな」

「そう言うのいいから、どうにかしてよこの状況」

 

 マヤノがちょこちょこ首を振って俺とタイシンを見てくる。

 何とも言えない雰囲気の中かくかくしかじかと説明をしていく。ワクワクした表情のマヤノと反比例するかのようにタイシンの表情が歪んでいく。

 

「別にマヤとどうしようといいけど巻き込まないでよ」

「む~~……、タイシンちゃんは秋ちゃんがマヤ応援してていいの?」

「シュウがマヤを応援しようと勝つのはアタシだし」

 

 そっぽを向きつつ答えるタイシン。その後も何か小さく話してるようだが、俺には聞こえない。

 それを聞こえていたのかマヤノは耳をピクンと反応させるとタイシンの後ろに回った。

 

「それっ!」

 

 そして、いきなりタイシンを後ろから押してきた。

 タイシンも体勢が崩れ反応できず、俺の方にそのまま倒れてくる。

 

「アブねっ。タイシン大丈夫?」

「うん。なんともないけど……」

「じゃあね!秋ちゃん!素直じゃないタイシンちゃん!」

 

 俺たちに声をかけると、そのままマヤノは更衣室に走り去っていった。

 それに合わせてチケットが更衣室から出てきており、それと同時にハヤヒデがやって来る。

 

「あーっ!秋とタイシンが抱き合ってるー!」

「おや、これはお邪魔だったかな?」

 

 タイミングが悪いのか、マヤノがここまで計算していたのか。

 タイシンも押されたまま体制を崩したまま俺にもたれかかっている。

 それに気が付いて俺を突き放すように離れるタイシン。

 

「違うから。これは違うからっ!」

「大丈夫だよ黙ってるから!」

「そうだぞ。我々はそういうのには寛容だからな」

 

 全然黙っていないチケット。その声量だと更衣室に響き渡っているだろう。

 ハヤヒデはおそらく何かあったであろうことはわかっていて、それでも揶揄いに来ているのだろう。

 タイシンはいつもだったら軽く流すのに慌てて必死に否定してる。

 

「とりあえず、着替えてきたらどうだ?タイシン」

「あっ、うん。もうチケットのバ鹿……」

「え、なんでー?」

 

 タイシンはチケットをひと睨みすると更衣室に入っていく。その中でマヤノにも文句を言うのだろうから出てくるのは遅れそうだ。

 チケットは両手で頭を抱えてショックを受けている。それをハヤヒデが宥めているが、口元の笑いが隠しきれていない。この3人アンバランスなように見えるんだけど、ウマが合うみたいで一緒にいることが多いんだよな。

 一通り話し終わったのか、ハヤヒデも更衣室へ行った。

 残ったチケットがこちらに寄って来る。

 

「ねーねー、タイシンと何してたの?」

「タイシンとは何もやってないなぁ。マヤノがタイシンで遊んでただけだよ」

「マヤノとタイシンが遊んでたんだ!」

「あー、うん。それでいいや。チケットはそのままでいろよ」

 

 何も理解していない様子でわかったと元気よく答えてチケットはターフへとカけていった。

 このままだと出てきたやつらとめんどくさいことになりそうだから、俺もチケットを追いかけて外へ出る。この時間は昼に練習しているウマ娘達が最後の締めにレースをしていることが多く、今日も違わず行われていた。

 着いた時にはもう第四コーナーを抜け始めており、ビターグラッセとリトルココンが競り合っている。

 チームファーストの面々が理事長代理の周りに集まって二人を見守っている。

 

「白川君か。今日は出勤だったな」

「お疲れ様です樫本さん。今日はここで練習されてたんですね」

 

 よく見れば来た時に気づいたかもしれないが、遠目にしか見てなかったのでチームファーストがいることには気が付かなかった。この子達は非常に優秀なのだが重賞レース、特にGⅠとなぜか相性が悪く勝名乗りを上げることはない。URAとかGⅠと同じかそれ以上の相手とのレースでは勝つのに不思議なことに名のついたレースで勝てたことがないのだ。

 

「またあの二人は競ってるんですか?」

「そうだ。あの二人が今日も最後に走りたいと言ってきてな」

「元気ですね。ちなみに明日はチームファーストは休みなんですか?」

「そうだな。明日は休養日になっているが、それがどうした?」

 

 いえ、何でもないです。と言いながら、少し離れて近くにいたクレセントエースに声をかける。

 するとやはりあの二人は明日の樫本さんとどちらが出かけに行くかを並走で決めるといって始めているらしい。ゲームセンターで会ったときはダンスゲームをしている樫本さんを応援してる二人がいたからなぁ。あの時はたまたま同じダンスゲームをタイシンとやっていて、休憩中の俺たちが避けてる筐体でおもむろにコインを入れてるのを見たときは一瞬固まった。

 こちらに気づいたビターグラッセとリトルココンが睨んできたのでそっとそこを離れた。

 どうしようかと話していた時に、たまたまあの二人のぬいぐるみがクレーンの中にあるのを見つけた。

 ちょうど取りやすい位置にあったので二人のぬいぐるみを取ってそっと樫本さんに気付かれないように渡しておいた。帰っていくのを見るときには両方とも樫本さんの腕の中に納まっていたので二人が渡したのだろう。

 ちなみに、その時に睨まれて足を踏まれながらとったでかいタイシンのぬいぐるみは俺の部屋にある。狭いからタイシンに持って帰って貰おうとしたが、捨てたら殺すと言いながら押し付けられた。ぬいぐるみのズボンめくってみようとしたら割と本気で蹴られて数日間跡が残った。解せぬ。

 それからというもの、あの二人とはちょくちょく話すようになっている。

 

「あー!負けたー!」

「今日はアタシが勝たせてもらったよ。付いてこないでよね」

「追いかけたりはしないよ。けど、誘われたら断らないからね」

 

 戻ってきながら額を押し付けるように話している二人。

 

「あ、白川じゃん。どうしたの?」

「別に特に用事はないんだけどね。たまたま外で見ようと思ってたらチームファーストがいたんだよ」

 

 ビターグラッセの問いに答えてる間、リトルココンが辺りを見回してる。

 

「ちっこいのはいないの?振られた?」

 

 タイシンのことだろう。いつも一緒にいるときしか会わないからな。

 

「振られたも何も付き合ってないが、タイシンは今着替えてるよ」

「ふ~ん。そうなんだ」

 

 答えるとリトルココンは樫本さんのところへ向かい話し始める。

 さっきビターグラッセや俺には見せない表情で走りの疲れも相まって朱に染まった頬で柔らかく微笑みながら僅かに手が上下している。恥じらいながら少しずつ樫本さんの手に近づけては放していて、触るのを戸惑っているのが見て取れる。

 一瞬押してやったらさっきのタイシン以上に狼狽えるんだろうなとは思ったが、さすがにそう悪戯する気も起きないしする必要もないだろう。リトルココンの場合はその方がうれしいのかもしれないが。

 そうしてる間にもチケットは準備運動を終えて入れ替わりで走り始めてる。

 それを抜かすようにバクシンオーが既に全力疾走を始めている。

 マヤノとタイシンは何か言い合いながら、ハヤヒデは後ろでそれを見守りながらこっちに来ていた。

 

「そういえば白川、あんた調整とかストレッチがうまいって聞いてるけどどうなんだ?」

「自称ではないとは言えるけど、やってもらうなら本職のほうがいいんじゃないかな。専門家のほうが絶対うまいよ?」

 

 正直言えば、本職の人に手ほどきは受けている。

 けれども何年も専門の知識を叩きこんだ後にそれを専門として日常的にやる人に敵いはしないだろう。

 

「いや、白川君に見てもらえるなら見てもらった方がいいだろう。お願いできるかな?」

 

 リトルココンと一緒に樫本さんが会話に入って来る。

 ちょうどタイシン達がこちらに着いたタイミングも合わさっていて、ひと集団出来上がっていた。

 

「ビターグラッセ、リトルココン。君たちはクールダウンも兼ねてみてもらうといい。頼めるかな?」

 

 ノーと言える日本人に僕はなりたい。

 しかしながらそんなこと言えるわけもなく、「はいわかりました」と答える。まぁ、そんな嫌でもないしバイト中なんでいいんだけどね。

 ビターグラッセに加えてリトルココンがこちらに来る。なんで少し移動するだけなのにタイシンを見て鼻で笑うのか。タイシンメッチャ睨んでるじゃん。今日機嫌悪くなってんだからやめてよね。

 このままだとタイシンの調子も見て、そのままチケットが乱入してきてマヤノも乗っかって、ハヤヒデも流れで見たうえでバクシンオーが走りすぎたのをケアしなければいけなくなるじゃないか。

 チームファーストは基本的に追い込むだけ追い込むけど怪我がないように細心の注意をしているからほぼアフターフォローがいらないんだけど、特段この二人は早いから負荷もかかる上にちょくちょく追加練習もしていてケアをしなければいけないというのは聞いている。

 ビターグラッセは結構力推しの硬めの筋肉をしており、柔軟性が少し悪くなっている。たいしてリトルココンは体躯がタイシンと似ている小柄な体で勝てるようにしなやかな筋肉の付き方をしていた。

 

「おっ、結構気持ちいいもんだな。少し痛いくらいがいいからちょうどいいや」

 

 前屈をしているビターグラッセの足首をつかんで膝を伸ばしながらビターグラッセの体へつま先を押していく。その時に片手は足首をつかんで固定させ、固定出来たら今度は膝裏を伸ばしてからリトルココンに合図をしてビターグラッセの体を押してもらう

 

「……クッ、キツイな」

 

 足首に負担が強く、さらにそこが固いのでアキレス腱も少し痛めている。膝もちょっと注意が必要かもしれない。

 樫本さんの調整がうまいから何とかなってるけど、自主トレだけだったり他のトレーナーだったら怪我していたかもしれない。

 ある程度伸ばしたらもう片方も同じように行う。バランスはいいようで両方とも同じくらいの疲労がたまっていた。

 ビターグラッセの場合はそれだけで治まらないのが辛い。彼女は肩甲骨から肩にかけても調整が必要だった。上半身を酷使するタイプなのだろう。

 他のウマ娘で言うとゴールドシップ。あいつは足のほかに手を大きく振るストライドで一歩の幅を広げるので上半身への負担が他のウマ娘より多い。しかしあいつの場合はその負荷自体悪い方向へ向かっていないので怪我の心配はなさそうだった。

 逆にビターグラッセは腕を押し出して肘を引っ張るようにしながら体を使うので肩への負担が強い。背中側から肩を抑えながら腕を後ろに引っ張って伸ばす。ウマ娘にはあまりやらないのだが、事務作業が多いトレーナー相手にちょくちょくやっている作業だったりする。

 それが終わるとリトルココンの番だ。この子は前のマックイーンみたいに寝かせて少しずつ体の向きを変えて調子を確かめる。

 リトルココンになってからタイシンがチラチラと見てくるし、リトルココンもタイシンを見て煽るのでタオルをリトルココンの顔に投げた。

 それを払って文句を言うリトルココンの足をちょっと強めに伸ばして黙らせてから少しずつ調整をしていった。

 

「へぇ、うまいじゃん。他のウマ娘によくやってるの?」

「トレーナーから依頼が来たときはね。普通は怪我しそうな子を教えて本職の人に見てもらってるよ」

 

 ずっと黙々とやるわけではない。知らない仲でもないし、別に仲が悪くもないので自然と会話が起きる。

 

「何?怪我しそうな子って。そんなのがいたら保健室行きじゃないの?」

「なんか俺の目がいいらしくってさ、怪我しそうな子とか負荷が強くかかっちゃって痛めてる子がわかるんだよ。俺は昔からだからすごいって言われても自分で分かんないんだけど、それもあってここでバイトしてるんだ」

「ふーん、凄いんだ。トレーナーになったらもっと役に立つじゃん」

「トレーナーにはならないよ、あんな忙しい生活俺は無理だね。樫本さんとかは今リトルココンとかビターグラッセといて楽しそうだけどそれでも最大6年くらいで入れ替わるからね、次の子とも同じ関係を築くことができるかは保証がないでしょ?それなら普通の会社員でいいかなってさ」

 

 リトルココンは自分のことを話すタイプではないらしく、俺のことを聞いてくる。

 別に隠すことでもないので話していくが、その間にある程度完了したので少し立ってもらった。

 

「どう、どこか痛かったりしない?ビターグラッセも」

 

 ビターグラッセはすでに体を回したり、少しその場で腿上げをしたりしていた。

 

「ああ、さっきまでと全然違うな。足の裏全体が地面についているようだし、肩も上に持ち上げられているように軽いよ」

「アタシも自然に立ててるというか、いつも普通には立っているんだけど空中にある椅子に座ってるような感じかな」

 

 二人とも満足していただけたようで何よりだ。俺は二人一気にやったから疲れたよ。

 ケアをされる側は軽くなるだろうけど、俺の疲労はたまるだけなんだ……。タイシン達BNW達は後日にしてもらえないかな。特にタイシンはいつでもいいだろ。大体ゲーセンでもここでも会ってるんだし。

 

「あ、アタシのことは今後リコって呼んでいいよ。ウマ娘の名前長いだろ?その代わりあんたのことシュウって呼ぶから」

「こっちもグラッセとかでいいぞ。今後ちょくちょくよろしくな!」

 

 あぁ、タイシンが凄い表情でこっち睨んできた。



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