銀河英雄伝説 ファニー・ウォー (ブッカーP)
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第一章 軍都 エル・ファシル
第一話 未来のスーパースター


 惑星エル・ファシルで憲兵隊に勤務するヤン・ウェンリー少佐は、来年あたりに予定されている退役に向けて、「就職活動」の日々を送っていた。

 そんな時、ヤンを二人の人物が訪れる。訪問の目的は、自由惑星同盟が記録を隠しているので調べさせてほしい、というものだった。


「……かくしてティアマト会戦は我が同盟軍の大勝利として決着することになりました。この時、総旗艦ハードラックは残存している帝国艦隊の伏撃を受け、アッシュビー大将は重傷を負いますが、幸いにも致命傷とはならず一年後、軍務に復帰します。しかし、常勝将軍アッシュビーが復帰冒頭に述べた言葉は、大方の予想を裏切るものとなりました。(ベルの音)おほん。本日はここまで。次回は資料の240ページからとします」

 

 講義室の大きさに比してひどく少ない学生が、がやがやと騒ぎながら出ていく。最後に残った学生(恐らく年齢からして、徴兵を延期した大学生ではなく、社会人学生であろう)は、大きく伸びをすると講義室内を眺め回し、荷物をまとめると講義室を出て行った。

エル・ファシル星系大学の中庭は、芝生が広がっている。今日のような四月の暖かい晴天の下では、絶好の昼寝スポットとなる。その学生も絶好の機会を逃そうとはせず、適当な樹の下に寝そべり昼寝に勤しもうとし……耳に装着しているコミュニケーターが着信音を鳴らしだした。

 

 学生は大げさに舌打ちをすると、コミュニケーターと連動している腕時計を見て発信者を確認、もう一度舌打ちをした後に通信を開始した。

 

「大尉、今日は休暇のはずだぞ」

 

「申し訳ございません。少佐。少佐と面会をしたい、という方がいらっしゃいまして」

 

「???社内じゃないな。娑婆の人間か?」

 

「御明察です」

 

「民間人の対応なら広報の担当だろう。民事案件(一般的な用例とは異なり、軍隊に所属する人間の民間人とのトラブル等を指す)なら、何故私のところに話を持ってくる」

 

「司令がそう決めたそうです」

 

「は???」学生は目をぱちくりした。

 

「民事案件でも、特殊な案件だと。暇を持て余している総務部企画第三課長ならうってつけの案件だということで」

 

「あのなぁ……これはれっきとした退役後の求職活動であって、暇つぶしでもぐうたらではないと何回言ったら……」

 

「何回言っても信じてくれる人は増えませんよ。とにかく、面会は30分後にセッティングされています。すぐ戻ってきてください。ヤン少佐」

 

「……分かった。ラオ大尉。準備しておいてくれ。必要なら」

ヤン・ウェンリー少佐は三度目の舌打ちして、コミュニケーターの通信を切断した。

 

 

 

 

 帝国と同盟の戦争が始まってから85年、宇宙歴745年、戦争は所謂「まやかし戦争(ファニーウォー)」と呼ばれる休戦期に入った。

 

 その年に起こった「第二次ティアマト会戦」は、同盟軍の大勝利に終わったが、その勝利は単なる一時の勝利に留まらず、戦略環境をも大転換させることとなった。

 第一に、その戦役で一方的な敗北を喫し、将官の大量戦死に伴って宇宙艦隊の統帥機能が大きく失われた帝国軍は、一時的に同盟領への侵攻作戦を停止し、同盟領との国境に大規模な駐留基地を建設することで、宇宙艦隊の機能が回復するまでの時間稼ぎを行おうとした。

 第二に、その戦役で一方的に勝利した同盟軍は、宇宙艦隊司令長官ブルース・アッシュビーの重傷によって一時的に停滞状態に陥ったものの、幸いにしてアッシュビーは一命を取り止め、一年後に現役に復帰することができた。自由惑星同盟は、その歴史上において、初めて「主導権を握る」こととなったのである。

 しかし、大方の想像に反し、アッシュビーが選択したのは「非戦」であった。現役復帰時の会見において、アッシュビーは帝国と同盟との国力差について詳細に述べた後、今まで同盟が帝国と戦争を続けてきたのは、いずれも帝国から戦を求めてきた故であるとし、「戦争に勝つには、国家としての力が敵を圧倒するものでなければならない」と述べ、戦術的勝利の積み重ねが最終的な戦争の勝利とはならない、と宣言し、戦争に勝つために戦術的な勝利を求めず、「戦わずして敵の兵を屈する」方針を発表したのである。

 

 当然ながら、この会見は好意的・非好意的双方な視点から多くの議論を呼んだ。非好意的な意見としては、今まで帝国に対していくつもの勝利を重ねてきた指揮官が、突如帝国と戦いたくないと告白したのは許すべからざる敗北主義である、という意見が大多数だった。好意的な意見としては、軍や政治指導部が帝国との国力差を考えず、みだりに流血を続けるのは最終的に国家の荒廃を招く、という内容のものが多かった。実際、同盟内ではバーラト周辺の「中枢星系」とそれ以外の「外郭星系」の経済格差が拡大し続けており、アッシュビーの発言は「外郭星系」に住まう人々によって好意的に受け取られた。

 

 戦傷より復帰したアッシュビーは数々の批判を意に介することなく「非戦」を推し進めた。イゼルローン回廊付近の星系の要塞化、恒常的軍事基地の建設、軍事設備を拡充することによる機動艦隊の前線駐留の推進、アッシュビーはその情熱を「非戦」に注ぎ続け、軍人の立場としてそれが実現不可能と分かると、迷うことなく政界に転身した。政界においても人には真似できないスピードで昇進を繰り返し、政界に転身して3年後には国防委員長の座についていた。政界においても、その能力を遺憾なく発揮し、軍に所属する「730年マフィア」の面々と二人三脚で「非戦」を推し進めた。

 

 宇宙歴750年に起こった「パランティア星域会戦」は、そのアッシュビーの戦略構想は実現途中であったものの、アッシュビーの構想自体は全く正しいことを証明した。イゼルローン回廊を抜け出た帝国艦隊2個艦隊17000隻は、イゼルローン回廊を出るや否や同盟軍の哨戒網に引っ掛かり、パランティア星域において帝国艦隊は同盟艦隊の奇襲を受けることとなった。パランティア星域に設置された軍事基地を攻撃する途中で背後を突かれた帝国軍は、前面に軍事基地の自動攻撃設備、後背に同盟艦隊を迎え撃つ形となり一方的に打ちのめされた。それだけでなく、敗走中イゼルローン回廊において、帝国艦隊は突如現れた機雷堰に立ちすくんだ。無事に帝国領にたどり着いた帝国軍は、進撃開始時の5%にも満たなかったという。

 

 またもアッシュビーに敗北した帝国軍は激高し、戦力の涵養に注力するために同盟領への侵攻を停止した。しかし、その後帝国軍が同盟領に侵攻することはなかった。宇宙歴761年、時のオトフリート5世崩御後、皇太子リヒャルト、その末弟クレメンツとの間に後継者争いが発生した。この争いは、オトフリート5世によって推し進められてきた平民階級の積極的な登用(宇宙軍はもとより、惑星総督、工部尚書等の技術官僚が特に顕著だった)を支持する平民と下級貴族、これに反対する大貴族とそれを支持する勢力との代理戦争であった。皇帝崩御後、ブラウンシュヴァイク公フリードリヒに唆されたクレメンツは、前皇帝より即位せよとの遺言を受けたと主張し皇帝即位に必要な国璽を奪取、新無憂宮の南方にあるベルヴェデーレ離宮にて即位を宣言、その後すぐにオーディンを離れてブラウンシュヴァイク星域を「仮の首都」と宣言した。

 

 当然ながら長兄リヒャルト、後の皇帝リヒャルト三世側はこの即位を認めず、討伐軍を派遣したが、「リヒャルトは遺言、国璽なき皇帝」と宣言した皇帝クレメンツ二世の下に多くの大貴族が集結し、討伐軍は大敗を喫した。以後、帝国の主敵は「偽皇帝軍」となり、同盟軍は文字通り「蚊帳の外」に置かれることとなった。

 

 

 

 「蚊帳の外」に置かれた同盟には、二つの選択肢が示された。ブルース・アッシュビーは既に亡くなっていたが、彼が情熱をもって築き上げた要塞線に依って「非戦」を貫くか、帝国領に雪崩れ込んで内戦に介入するか、であった。

 同盟が選択したのは前者であった。要塞線と共同して帝国の侵攻に対処する、との方針のもと、同盟軍は機動艦隊の一部を辺境警備に充てており、辺境警備艦隊は動員を解除、徴兵制にも資格を満たした人間に限定されるが「延期」制度が導入され、国民皆兵とは必ずしも言えなくなってきた。要は、「攻撃したくても相当無理しないと攻撃できない」状況だったのである。

 この状況を批判する人は少なからず存在したが、同盟はそれに見合った果実を享受していた。減税の実施、延期されていた辺境開発プロジェクトの再開、経済運営におけるフェザーン依存の脱却、いずれも「まやかし戦争」のもたらしたものであった。戦争の大義を主張する市民は少なからず存在した(当然ながら帝国亡命者にそれが多かった)が、それを支持する勢力が多数派になることは当分の間ない、そう見られていた。

 

 

 

エル・ファシル憲兵隊本部会議室ーー

 

「エル・ファシル憲兵隊本部総務部企画第三課長ヤン・ウェンリー少佐であります」

 ヤンはそこまで言って、目の前の二人が民間人であることを改めて確認した後、軽く会釈した。敬礼は軍隊の中での儀式であり、民間人相手に軽々しく行うものではない、とされている。

 

 来客は押しの強そうな中年男性と、まだ中学生だろうと思われる少年の二人。親子と思えないこともないが、発する雰囲気がまるで違うことから、ヤンはその可能性を排除した。中年の方は、ダブルのスーツをぴっちり着こなしており、一目見ただけで「やり手のビジネスマン」を感じさせる。少年の方は、どこにでもあるブレザーとズボンという服装だが、亜麻色の髪と端正な顔立ちはまさに「美少年」そのもの。大層もてているのだろうなぁと推測した。

 

 問題なのは、この民間人の来客に総務部長でも憲兵隊司令官でもなく、何故、エル・ファシルに駐留している第二艦隊司令官のパエッタ少将が同席しているか、である。

 

 

「フライングボール?」

 面会した民間人から送られてきた自己紹介データフラグメントを見たヤンは、思わずそう口にした。低重力環境で行われる球技であるフライングボールは、帝国のみならず同盟でも広く行われているスポーツであるが、ヤンはスポーツにほとんど関心がない(軍人であるにも関わらず!)

 中年男の方は、トム・ローゼンハウスという名前、ハイネセン・フライングボール競技代理人連盟所属とあった。少年の方はユリアン・ミンツ、ハイネセン・シルバーブリッジ第五中学校とあったが、その後に続く情報が長かった。曰く「フライングボールU-15選手権、シルバーブリッジAC優勝、MVP」だの「フライングボールU-15リーグ、ハイネセン地区得点王」だの「フライングボール、ハイネセン・パルセイロAC U-18入団内定者」だの。見かけによらず、この少年はとんでもないスポーツエリート(の卵)のようであった。

 

「もしかして……ユリアン・ミンツをご存じありませんかな?」

 ローゼンハウスが聞いてきた。言葉こそ丁寧だが、相手を世間知らずだと思っているのは、イントネーションで十分分かる。

 

「ええ。スポーツは疎いもので。申し訳ございません」

 ヤンは慇懃無礼に受け流した。横になぜか座っているパエッタ少将から視線を浴びせられたような気がしたが、それも無視することにした。

 ユリアン・ミンツという名前の少年は、やたらと興味深そうに室内を眺め回している。エル・ファシルにある艦隊司令官室には、国旗だの艦隊旗だの歴代司令官の写真だの勲章だの、興味ある人にはたまらない修飾物が山とある。

 

「ところで、ご用件の方は……」

 

「……おほん。申請については既に憲兵本部へ提出しておりますが」ローゼンハウスの目は、明らかにヤンを見下しているのが分かる。

 ヤンは、端末で面会リストを紹介し、該当案件の情報を引き出した。そして、一瞬あっけにとられる。

 

「パーシャルライブラリの閲覧申請……ですか?」

 

「そのとおりです。詳細は申請にある通りです」ローゼンハウスはうなずいた。

 申請情報曰く、殉職した親族の詳細情報を閲覧したい、とのことであった。そういう要求は少なくない、いやむしろ多い。親族が、命を落とした兵士がどんな状況で最期を迎えたのか、少しでも多くの情報が欲しい、という欲求は当然のことであるし、軍もできる限りの範囲でそれにこたえようとする。ただ、そういう要求の窓口は首都星ハイネセンにある情報統合ライブラリ情報閲覧センターであって、辺境惑星エル・ファシルではない。ハイネセンには、専門の対応職員もいるし、そこで情報が得られないとしたらどこへ行っても同様のはずである。

 

「親族への情報開示は、惑星ハイネセンの情報閲覧センターの管轄のはずですが」

 

「そうです。しかし、閲覧申請の結果は、殉職時の情報は欠落している、と」

 

「欠落?」

 

「いえ、しかしですな。情報統合ライブラリには全ての情報が集積されています。欠落などあり得ない」それまで黙っていたパエッタ少将が口をはさんだ。

 

「皆さんそうおっしゃいます。ですが、事実は事実です」

 ローゼンハウスがデータを送ってきた。情報統合ライブラリの通知データには確かに「アリアナ・ミンツ搭乗哨戒艇『プレアデス1154』遭難記録は存在せず」とある。

 

「ちょっと待ってください」ヤンはそう言って情報を検索した。

 ユリアン・ミンツの個人情報を検索すると、両親は両方とも軍人だった。マシュー・スタッフォード・ミンツ、宇宙軍大尉、第六艦隊広報部勤務、現在は惑星ウルヴァシーにて広報活動従事。ということは、今回の件で問題となっているのは母親の方らしい。

 アリアナ・ミンツ、宇宙軍少尉(殉職時特進)、最終所属イゼルローン回廊特殊哨戒隊、宇宙歴790年4月16日殉職、そこまで見てヤンは顔をしかめた。イゼルローン回廊特殊哨戒隊というのは、もちろん国境守備と哨戒が任務であるが、それ以上に重要なのが、回廊に敷設した機雷群の点検と交換である。十億を超えると言われている機雷のチェックは、自動化がある程度進んでいるとはいえ危険な任務であった。帝国の哨戒部隊を追跡しているうちに、帝国側が活性化してしまった、いや、事故や故障でコントロールを失った機雷に巻き込まれて触雷そして殉職、なんて例も結構ある。ということは……

 

「もしかして、今回の件は、情報そのものが存在しないのではないですか?イゼルローン回廊にて殉職となると、単独航行任務も十分あり得ます。誰も分からないうちに、定時の情報送信もないうちに事故で殉職すると、遭難当時の記録は残りません」

 

「さよう。情報統合ライブラリの職員も同じ見解でした。本来ならばそれで問題なし、そうなるはずでした」

ローゼンハウスは、ユリアン・ミンツ少年の方を手で示した。

 

「ユリアン・ミンツ君は、同盟のフライングボール界をしょって立つ存在です。小学生の時からフライングボールを始め、中学ではU-13、U-15双方で優秀な成績を挙げています。いくつものプロ球団が、プロ契約を打診する中、ハイネセン・パルセイロACとの育成契約が内定となり、中学卒業資格取得後に発表される予定です。ですが……」

 

「ですが?」

 

「こちらをご覧頂きたい」

 ローゼンハウスは紙片を差し出した。紙片に肉筆あるいは機械で文字を記入し相手に送信する、「手紙」と呼ばれる通信方式は、それが成立してから数千年が経過し、社会的意義はほぼ消滅した存在である。しかし、手紙をやり取りする制度は未だに継続している。性能は、データ通信に及ぶべくもないが、その秘匿性においてデータ通信を圧倒しているからである。名前さえ記入しなければ、それを提出した人を特定するにはひどく時間がかかる。

ヤンは紙片を開いた。紙片にはただ一行そう書かれていた。

 

「アリアナ・ミンツは健在であり、帝国臣民として某惑星に居住している……」

 ヤンはそう言って、紙片とローゼンハウス、ミンツ少年を交互に見やった。ローゼンハウスは目を閉じてうんうんと頷き、ミンツ少年は微動だにしていない。

 

「正直言わせてもらいますが、この紙片の内容に信憑性は持てないと思います」

 

「そう口にするのは簡単です。ですが、信憑性が低いだけでは意味がありません。そういうものです」

 

「でしょうね」

 ヤンは同意した。芸能人というのはスパイの隠れ蓑として格好の存在である。技能一つで身を立て、それさえあれば政治や経済の中枢に簡単にアクセスできる。そうであるが故に、親族が帝国に居住しているというのは、芸能人としては致命的なスキャンダルである。もしこんなことが表沙汰になって、騒ぎ立てる人がいれば、ミンツ少年はプロスポーツ選手になどなれないだろう。

 

「記録が見つからないのであれば、見つからない理由を確定させるべく、ここに参りました。該当期間の記録は、エル・ファシルにコピーが存在すると聞きましたので。ミンツ君はここに来るべきではないのですが、情報閲覧資格は親族にしか与えられないということですので」

 

「それはおかしいですね。調査するとすれば、まずはミンツ大尉にコンタクトを取るべきではなかったのですか」

 

「ミンツ大尉は第六艦隊と共に、現在哨戒活動中とのことでした。しばらく連絡は取れません」

 

「ああそれは」

 父親のミンツ大尉は艦隊勤務、ということであれば、そこから離れることは難しいだろう。任務の内容如何では、連絡を取ることすら難しい。

 

「なるほど、わかりました。ところで、本筋からは外れますが、ユリアン・ミンツ君の学業には問題ないのでしょうか。エル・ファシルに来るまでに随分時間がかかるはずですが」

 

「それなら問題ありません。ユリアン君は既に通学しておりません。弊社内の施設で個別指導、あるいは通信教育を受けています。在学というのは、あくまで便宜上のことで」と、ローゼンハウス。後で聞いてみると、そういう教育を受けている少年少女は別に珍しくもない、とのことだった。

 

「わかりました。では、閲覧の準備を整えます。ただ、お時間を頂きます。開示する情報が機密情報でないことを確認しなければいけません」

 いぶかる二人にヤンは再び言った。

 

「そういう、規則なのです。ご了承ください。」

 

 

少し話を戻すーー

 

 同盟軍に関するあらゆる記録は、惑星ハイネセンのメインライブラリに保存されているが、それを補完する形のバックアップが、同盟領の中で6箇所設置されている。バックアップの内容は、設置場所近辺の記録が主なものであった。

 当初の予定では、ライブラリ利用者の負荷を分散することになっていた。ライブラリの設計方針が固まった時期には、超光速通信は今より能力も低かったし、使用のためのコストもかかっていたからだ。ただ、超光速通信が当たり前のように使える現在では、この「パーシャルライブラリ」は、ほとんどバックアップ以外の役目は果たしていない。

 だが、そうであるが故、首都星ハイネセンでアクセスできない情報がある可能性がある。システムは完全無欠ではない。記憶メモリは故障の可能性があり、データの同期は常に成功するわけではない。問題は、そのような可能性がどれだけあるかなのだけど……

 

 

 

「ユリアン・ミンツと会ったんですか?」ラオの驚き顔は別に珍しくもないが、その時の顔は普段とまるで違い、横の道で映画スターにでも会ったかのようであった。

 

「声を小さく。ラオ大尉」ヤンは口に人差し指を当てた。

 

「失礼しました。で、本物だったんですか?」

 

「何故私にそんなことを聞く。確かに顔は同じだった。本人確認チェックプログラムも同様だ」

 

「いやぁ。是非とも少佐と代わりたかったですなぁ」

 

「何故だい大尉」

 

「聞きたいことは山ほどありますよ。U-15杯決勝時間切れ間際の3ポイントシュートはどうやって打ったのか、とか、空中スピンの体重移動はどうやっているのか、とか。だいいちですね、『次代の大物』ユリアン・ミンツを知らないとなると、いくらなんでもそれは世間知らずと言われても仕方ないですよ」

 

「大尉。人はこの世の全てを知ることはできないよ。知っていることは知っているし、知らないことは知らないさ」

 

「失礼しました」ラオは形ばかりそう言ったが、小さく舌打ちしているのをヤンは聞き逃していなかった。

 

 ヤンは端末を操作して、軍の情報規則をチェックしている。パーシャル・ライブラリを民間人に閲覧させる、というのは制度としては存在するが、実際そんな制度を利用した人はごく少数である。理由は言うまでもない、ハイネセンの情報統合ライブラリに閲覧を申請すれば事足りるからだ。FTLによる申請も可能だから、わざわざバーラトまで行く必要もない。だが、情報統合ライブラリが信用できない、となると話は別である。本人確認調査に過不足がないか、閲覧する情報の範囲は問題がないか、閲覧する場所と時間はどうするか、いろいろな申請事項を調べて申請する。パーシャルライブラリというのはありとあらゆる情報の集合体(の部分集合)であるから、関係のない情報まで見せるわけにはいかない。できれば、本人が確認する権利がある情報だけちょっと見せて、満足してもらってお引き取り願いたいというのが軍側の本音である。

 

「申請を以前やったことある人がいないかなぁ。いれば話を聞けるんだけど」

 

「私の知る限り、聞いたことないですね。なんでわざわざこんなエル・ファシルまで来るんですかね」

 

「そうだろうよ。それにだ、実の父親でもないのに、なんでこんな中年がいかにも保護者面しているんだ」

 

「未来のプロアスリートだと、実の親にできることはあまりありませんよ。スポーツ専門家の方がよっぽど役に立ちます。若手選手専門の代理人になると、教育とか生活とかのノウハウは実の親よりよっぽど持ってますからね。それに、アスリートの親、というのは結構大変なものらしいですし。」

 そんなものか、とヤンは思ったが口にはしなかった。両親が共に軍人、という家庭は別に珍しくもない。この平和な世の中ーーまことにありがたいことだーーでは、そんな家庭の子供でも両親の愛を受けて成長することができる。ユリアン・ミンツという少年は、その貴重な例外ということらしかった。母親は事故死(多分)、父親は仕事に忙殺されて滅多に帰ってこない。家にいるのは父親代わりの代理人。まっとうに育ってくれればいいがなぁ。

 

 

 

 

 ヤンはミンツ少年とローゼンハウス氏の身辺調査を行なっている。パーシャルライブラリの閲覧申請者に対し身元確認を行え、とされているからだった。申請者とは言い難いローゼンハウス氏については、調査をオミットしても規則違反とは認定されないだろうが、そのような横着は歓迎されないだろうから調査対象としている。

 その他、閲覧情報の内容チェックであるとか、報告書の用意であるとかやるべき準備は山のようにある。最初、手続き内容についてハイネセンの統合情報ライブラリに問い合わせた時に、あまりの事務手続きの多さにヤンは目を丸くしたものである。ハイネセンではこんなことを日常的に行なっているのか、と。

 本来なら、このような事務作業は全て部下に任せてしまうのだが、ラオ大尉の反応を見る限り、(そして身辺調査の内容を見る限り)ユリアン・ミンツ少年というのは大層な知名度を持つ少年らしい。そんな少年がらみの事務作業を周囲に任せていては、別の騒動が起こりかねない。だから、ヤンは「司令官直命対応中です」と面会をシャットアウトし、この仕事を一人で行っていた。

 

 

 

 情報公開制度というのも、良し悪しだなぁとヤンは思った。主権者たる国民が、知るべき情報を知るというのは至極当たり前だとは思う。しかし、国民は公僕をそこまでこき使っていいものか。

 何故この記録が重要なのか。ヤンは検索した公開記録のリストを眺め回しながらそう思う。もう全体を三度読み返している。機密に属するものがないかを事前に調べるためだ。もし軍機レベルの情報があれば、取り扱いや情報の開示は、より上のレベルで判断されることとなる。可哀想に、ミンツ少年とローゼンハウス氏は手ぶらで帰ることだってありえる。

 だが、ヤンが見る限り、その可能性は低そうだった。航海記録を見る限り、中身は単調そのもの。出撃、捜索、機雷のチェック、途中で発見される帝国の艦船と思われる残骸、もしこの記録に読む価値があるとすれば、それは欠落している最期の部分となるだろうが、それが補充されることは永遠にない。あるとしたら、それこそ記録の改竄というものである。

 何故この情報が重要なのか。何の変哲も無いこの記録が。何故、何故。彼等は何を欲しがっているのか。母親が帝国に居ないことの証明?それとも逆に母親が生きてて欲しいのか。二度と会うことができないとしても?ミンツ少年としては、そういう気持ちがあってもおかしくない。もし、ヤンが何もありませんでしたという報告書をまとめて提示したら、ミンツ少年は落胆するかもしれないな、そう思った。ローゼンハウス氏はどうだろう。一仕事終わってほっとするだろうか。ハイネセンからわざわざこんな前線惑星に来たのである。一刻も早く帰りたいだろう。いや、待てよ。

 何故、エル・ファシルまで来る必要があったんだ?

 

 

「少佐、よくわかりませんが、そんなに面倒な案件なんですか?アレは?」

 ラオ大尉がヤンの顔を覗き込んだ。ヤンの表情は平静だったが、目の下のクマは隠しようがない。ヤンが徹夜をしていたのは誰もが知っている。

 

「面倒じゃないといえば面倒じゃないし、面倒だと決めてしまえば面倒なことだ。それだけだ」

 

「さっきパエッタ司令官とすれ違った時に言われたんですけどね。こんなものに何故そこまで時間がかかるのか、と」

 

「機密情報の取り扱いは、厳正にやらなければいけないからかなぁ」

 

「嘘はもっと慎重につくものですよ、少佐」

 ラオが呆れたように言った。ヤンから通常業務の取り扱いを押し付けられたラオとしては、ユリアン・ミンツの案件に何故時間がかかっているのか、それぐらいは教えてもらわないと、引き受けている甲斐がないと思っているが、ヤンはこの件についてやたらと秘密主義で、ラオにも殆ど何も話していない。

 机の上にある個人端末が光り出した。外部からの着信があったことを知ったヤンはコミュニケーターを装着し、ラオを放り出して会話を始めた。

 

「あ、どうも。ヤン・ウェンリーです。ええ、例の件……ああ、そうですか。わかりましたか。二、三点聞きたいことがありまして。よろしいですか。あ、では、お願いします」

そしてラオの方を見て済まなそうな顔で言った。

 

「申し訳ないが、大事な話をするんで退出してくれるかな。埋め合わせはするから。事によっては、あと二、三日で片は着くはずだ」

 

 

 

 

「軍の皆様にも事情というものはおありだと心得ておりますが」

 久しぶりに面会したローゼンハウスの口調からは、そんな事情など認めるつもりがないぞ、と内心思っていることがわかる。

 

「申請を出してから4日経っております。調査状況の経過報告ぐらい頂いてもよいのではないですか」

 

「お待たせして申し訳ございません」

ヤンは頭を下げた。

 

「いろいろ難しい問題がありまして。ですが大体問題はクリアされましたので、閲覧して頂こうかと思います」

 

「おお、それは有難い限り」ローゼンハウスの表情がほころんだ。そういう反応が返ってくるとは思っていなかったらしい。

 

「もちろん、閲覧資格があるのはミンツ君だけですので、直接ライブラリ施設まで来て頂くことになります。よろしいですね」

 

「ミンツ君を一人で行かせるのですか?」

 

「もちろん小官が随行致します。安全は保証致します」

 

「なるほど、わかりました」

 

「なお、今回はアリアナ・ミンツ少尉の航海記録を一通り見て頂きますので、かなり時間がかかるかもしれません。記録には、セキュリティレベルの高いものも含まれております」

 

「そんなに時間がかかるものなのですか?」

ローゼンハウスの眉がひくひくと動いた。

 

「軍機取り扱いの規則ですので、申し訳ないですが遵守をお願いします。閲覧情報の要約は、後で報告書の形でお届けし、ミンツ君に内容確認の上サインを頂きます。これで完了です」

一方のヤンは、話すこと立て板に水の如くである。

 

「ところで、お願いが一つあるのですが。」ローゼンハウスが切り出した。

 

「何でしょうか?」

 

「私も随伴してもよろしいでしょうか。もちろん、情報閲覧中は別室で待たせて頂きますが」

 

「よろしいのですか?お時間をかなり頂くかもしれませんが」

 

「構いません」

 

「そうでしたら問題ありません。ライブラリ施設の待合室がありますので、そちらをご利用下さい」

ヤンは大きくうなずいた。

 

 

 

 ユリアン・ミンツとローゼンハウスを施設に招き入れたのは、その日の午後9時過ぎだった。随分と夜遅い時間ではあるが、ユリアン・ミンツの知名度を考えると、誰もいないこの時間がいい、ヤンはそう言ったのだった。

 入口で簡単な手続きを済ませ(コンピュータに記録を残すだけだ)、ヤンと二人はライブラリ施設に入っていった。入口近くの応接室にローゼンハウス氏を通し、ヤンとユリアンは地下の記録室に降りていく。

 

 二人が入っていったのは記録室の端にある閲覧室、と呼ばれる小部屋だった。中は応接室と大して変わらない。ちょっとした調度品と、ソファーとテーブルがあるだけだった。テーブルの上には、小型のデータ閲覧端末がある。

 

「では、ミンツ君。そこにかけてください。あと、閲覧の前にこちらにサインを」

 ヤンはユリアンにスレート端末を差し出した。ユリアンはそれを受け取ると、何のためらいもなくタッチペンでサインした。多分、このようなことは慣れ切っているのだろう。

 

「ありがとうございます。機密認証が成功したので、君にも記録を見せることができます。そこの閲覧端末から見てください。といっても、量がそれなりに多いので、要約版も用意しました。そちらを読んでもらってもいいです」

 

「ありがとうございます。でも、そんなに畏まらなくてもいいです。」

 

「そうなんですか」

 

「何と言うか……マスコミを思い出すんで」

 そこまで言われて、ヤンは一回うなずいた。

 

「そうですか。分かった。ミンツ君、アッシュビーラインの機雷網のことは知っているね」

 

「はい。イゼルローン回廊から、その出口の星域群に作られた要塞網がアッシュビー・ラインで、各所に機雷が敷設されているそうですね」

 

「そうだ。ま、機雷が集中しているのはイゼルローン回廊ぐらいだけどね。アリアナ・ミンツ准尉は790年当時、イゼルローン回廊の哨戒隊に勤務していた。勤務内容は、銀河帝国がアッシュビーラインの中に入り込んでいないか調べること、そして、それを防ぐための機雷がちゃんと機能しているか、そのチェックだ。大事で、重大な任務だよ。これから見てもらうのは、君のお母さんが遭難した時期の、搭乗艇の記録だ」

 

 ユリアンは端末にかぶりついて閲覧をはじめた。公開情報には、文字だけではなく動画や音声も混じっている。ユリアンは最初、動画や音声も一つ一つ丁寧に見ていったが、途中から飛ばすようになった。おそらく、量があまりに多すぎることに気が付いたのだろう。ユリアンの向かいに座っているヤンには、ユリアンが何を閲覧しているかを見ることはできない。でも、ユリアンの反応から、大体何を見ているのかは察しがついた。半べそをかいているのは、母親の写真でも見たからなのだろうか。記録によると、ユリアンは産まれてからこのかた、ハイネセンの父親の実家に居て、母親とあまり一緒に居たことがないらしい。母親の生まれはここ、エル・ファシル。となると、退役してもハイネセンに移住するにはいろいろと制限がかかる(そうしないとハイネセンに人口が集中するからだ)。移住するのに手っ取り早いのは、イゼルローン回廊とかで危険な勤務に従事して、それを元に便宜をはかってもらうことなのだ。

 

 一時間ほどして、ユリアンが端末から顔をあげた。

 

「少佐殿」

 

「どうした?」

 

「ありがとうございました」

 ユリアンは立ち上がって一礼した。

 

「……うん。その、何と言ったらいいか。まずは、お悔やみ申し上げる」

 

「いいんです。母のことが分かって、嬉しかったです。」

 ユリアンの表情は、どこか晴れやかな感じだった。ただ、涙が流れた跡はあった。

 

「実は……あまり母のことは覚えていなくて。小さい頃から、母は遠いところで働いている、そう父から聞かされていました。母が亡くなったと聞いて、父はすごくショックを受けていましたけど、自分はあまり実感がなくて……それを責められたこともありました。自分で自分がおかしいんじゃないかと思ったこともあります」

 

「そうか……済まなかった」

 ヤンは言った。恐らく、軍にはユリアンの両親のような夫婦がごまんといるのであろう。両親と共に生活できないのは大いに問題があるとヤンは考えるが、上層部はそういうことを問題視していないらしい。

 

「ところで少佐、後は何かありますか」

 

「うん……今回の件についてはこれで終わりだ。だけど、もう少し付き合ってもらいたいものがある」

 

「何でしょうか」

 ユリアンは首をかしげた。

 

「今は何も言えない。だが、しばらくここで無駄話でもして待ってもらいたい。これは大事なことなんだ。君の将来に関わるようなものだ」

 

「???」

 ユリアンは要領を得ず、という感じだったが、ヤンはそれ以上何も言わなかった。仕方がないので、世間話をすることにした。宇宙旅行の話、惑星エル・ファシルの話、ハイネセンでの生活の話、そして当然、フライングボールに話は及んだ。

 

「ところでミンツ君」

 

「ユリアンでいいですよ。少佐殿」

 

「いやぁ。少佐殿なんて大げさな言い方は、私には似合わないなぁ。ヤンでいいんだけど」

 

「では、ヤン少佐」

 

「……じゃあそれで。アレだ。ユリアン君。君は、卒業したら……どうするんだい。あ、いや、そのまま選手になるのかい」

 

「……多分そうなるんですけど……」

 

「多分?」

 

「いえ……ローゼンハウスさんも、球団も、メディアの皆さんもそう言ってるんですけど、まだ入団の手続きはしてなくて……球団の人はみんないい人なんですけど、まだ迷ってます。父さんは、自分で決めろとしか言ってくれないですし」

 ヤンはこくりと頷いた。父親としては、一人息子がいつの間にかまったく別の人間に変貌しているように見えるのだろう。マスコミが騒ぎ立てればそうなってしまう。もっとも、そうなるのは騒ぎ立てている内だけなのだが。

 

「迷ってるんだ。何か、やりたいことがあるのかい?」

 

「……実は、軍人になってもいいかなぁって……」

 

「軍人!?」

ヤンは目をぱちくりした。

 

「どうして?何か奨学金でも借りているのかい?」

 

「奨学金?ですか」

 

「あ、いいや。高等教育じゃないからお金の問題じゃないのか。ごめん」

 

「父さんと母さんの職場を、知りたいんです。父さんからは聞いてもはぐらかされてばかりで。フライングボールで忙しくなってから、会うこともなくなっちゃって……もし母さんがどういう仕事をしていたか、体験してみたいという思いもあるんです。それに……」

 

「それに?」

 

「父の友人に、よく薦められるんです。軍隊でもフライングボールはプレーできるって。それに、軍の勤務歴があれば、いざという時のセーフティーネットになるって」

 ヤンはあんぐりと口を開けた。軍に公式のフライングボールチームがあるとは知らなかったが(多分士官学校のチームではないか)、士官や長期勤務の下士官を除けば、軍は短期間勤務者にそこまで手厚いサポートをできるわけじゃない。せいぜい就職口の世話ぐらいだろう。誰だいそんなことを言い出したのは。

 

「私から言わせてもらうならば……軍隊はそんな凄い組織じゃないよ。綺麗に見えるのは宣伝のせいさ。汚い所は普通にちゃんとある。入るまで分からないけど。それに」

 

「それに?」

 

「第一、軍人になったとしても、やりたい仕事ができるかどうかは分からない。私なんか、警官の代わりみたいなことをやってるからね。もっとも、何かをしたいと思って軍隊に入ったわけじゃないんだけど」

 

「そうなんですか?」

 

「そうさ。私の父は貿易商でね。年がら年中同盟領内を飛び回っていた。でも、私が高校生の時に事故で亡くなって、借金だけが残った。返せない額ではなかったけど、楽に返すには士官学校に入るのが一番手っ取り早かった。借金返済は猶予されるし、働きながら僅かだけど給金も貰える。」

 

「……」

 

「士官学校に入る前に、遠縁の親戚と名乗る人が来てね。士官学校に入るのはやめて、大学に入るのはどうか。と薦めてきたんだ。君の将来性を信じている、って言ってたけど、今になって思うのは、信じていたのは抱えていた借金の方ではないか、って思うんだよね。利息はほとんどつかないし、経済成長のおかげで借金もかなり軽くなった。貸している方としては泣きっ面に蜂だろうね」

 

「そうだったんですね。大変だったんですね」とユリアン。

 

「あ、ああ。そんな悲観するものでもないさ」ヤンは慌てて取りつくろった。

 

「まぁ、士官学校のカリキュラムは相性というものがあると思うけど、無事に卒業できて、仕事までくれて、そこは感謝しているんだよ」

 

「でも、やりたかったことがあるんじゃないですか?借金のために軍人になったんでしょう?」

 

「そうだな。だから、やりたいことをこれからやるんだ。私は、来年になったら軍隊を辞めるんだよ」

 ヤンはさらっと口にした。

 

「そうなんですか!」

 

「うん。軍隊というのは、若い人を沢山必要とするところだ。反対に、中年や老人はごく少数しか必要としない。だから、私も中年になったら、軍隊を辞めなきゃならない。軍隊を辞めて、教師にでもなろうと思っている。どこかの惑星の中学校で、どうでもいい国史を教えるような、そういう人生になるだろうさ。でも、君は違う」

 

「君には本物の才能がある。もちろん、才能だけでは生きていけない世界だろう。でも、軍隊に居るよりは『いい』人生が待っているんじゃないか。私はそう思うんだ。軍隊というのは言われるほど大したもんじゃない。軍隊が必要とされない時代こそ、いい時代なんだと思う。」

 

「……」

 

「どうかな?」

 

「変わっていますね」

 

「そうかい?」

 

「ええ。変わっていますね。少佐は。今まで父の友人や知り合いには何人も会ってきたけど、全然違う」

 

「あー。それは申し訳ない。軍隊というところは、自分のような考え方をする人は多くないんだ。いろいろ事情がある。そこは理解してやってほしい。第一、誰もが軍人になりたがる時代じゃないしね。それに、軍隊が必要じゃない時代であっても、軍隊は無力であってはいけない。そうではないですか」

 突然振り返って、ヤンは扉の方に話しかけた。鍵がかかっていたはずの扉が音もなく開き、扉の向こうにはブラスターを構えたローゼンハウスが立っていた。

 

 

 

「失礼。あまりにも長すぎて、待っていられなかったのですよ」

 ローゼンハウスの口調には今までと変わったところはない。

 

「お待たせすると伝えていたはずですが」ヤンは答える。

 

「いささか時間がかかりすぎではないですか。客を午後9時に呼びつけるのも礼儀知らずと思いますが、もう2時間経っている。一体何がそんなに大事なのですか」

 

「いや。午後9時にセッティングしたのは貴方のご都合に合わせたつもりですが。時間をかけたのも、貴方の希望に合うものでしょう」

 ヤンの口調はいつものものだ。だが、顔からはいつものビジネススマイルは消えていた。

 

「言っていることの意味が分かりませんな」

 

「でしょうね。公の組織、というと大きくなりすぎますから、軍隊についての秘密保持という話をしましょう。軍隊というのは、どんな情報でも秘密にしようとします。ですが、一から十までそうしていては、組織が成り立ちません。」

 

「ですから、公開する情報とそうでない情報を分けて、そうでない情報は念入りに隠蔽します。そういう組織の習性を知る人は、普通の人間とは異なる考え方をするようになります。」

 ヤンはテーブルの上にあるデータパックを手に取った。

 

「ユリアン……ミンツ君の母親の遭難事故、それが欠落しているのは、ただの偶然でしかありません。出撃から遭難までの記録も特筆すべきことは何もない。それをわざわざ確認するという行為に何の意味があるのか。それを考えると、一つの推論が成り立ちます。」

 

「何かを隠しているからこそ、表向きには何もないと言うのだ、と。些か偏執狂的な考えだと思いますが、筋は通っていないこともない。そして言われた方は反論する術はない。軍事機密を何でも公開する訳にはいきませんから。そして貴方は、それを利用して押せないはずの横車を押した。そうではないですか」

 

「何が言いたいのだ」 ローゼンハウスの口調には嘲笑じみたものが見える。

 

「この記録、貴方はどうしても入手する必要があった。入手するのは簡単だ。手続きさえ踏めば入手できる。だが、その手続きが問題だ。当然、ミンツ君はこのことを知っている。そして、父親のミンツ大尉もいずれそのことを知るでしょう。いかな代理人といえど、雇い主が認めもしない家庭内のプライバシーに踏み込むことはしない。殉職した母親のことに疑義があるとしたら、答えるのは父親の仕事であり、貴方の仕事ではないはずだ。でも、貴方は敢えて家庭内のプライバシーに踏み込んだ。それは何故か」

 

「……」

 

「過去のデータを調べたかったのは、ミンツ君ではなくて、貴方だったのですよ。そうではないですか?」

 

 

 

「貴様の見解などどうでもいい。こうする理由はただ一つ。帝国がそれを望んでいるからだ」

ローゼンハウスはそれまでのビジネスマン風な姿勢をいきなりかなぐり捨てた。

 

「お前が持っているその情報を欲しがっている人間がいる」

 

「イゼルローン回廊で遭難されたと思われる艦艇の記録ですか」

 

「そうだ。それを渡せば見逃してやってもよいぞ」

 見逃すって何をだ、とヤンは頭の中でぼやく。

 

「私はそんなものに興味は無いですし、今回の情報公開請求の目的でもないでしょう。第一、貴方は帝国の命令とはいえ、こんな任務はやりたくなかったはずです。」

ローゼンハウスは何も言わなかった。

 

「帝国艦艇の残骸から何か情報が取れるならまだしも、バラバラの残骸に価値があるとも思えない。軍としては、イゼルローン回廊に調査価値のない新しい残骸が増えても気にしない。そんなことを気にしていたら手間がかかってしょうがない。だから、誰も気にしなかった。私もそう思ったほどです。」

 

「ですが、ハイネセン情報統合ライブラリで貴方に対応した管理官に念のため問い合わせて、おかしなことに気がつきました。彼女は覚えていましたよ。ローゼンハウスさん、当事者でもない貴方が、情報の内容について事細かに質問していたことを。委任状まで持ち出して公開を迫ったそうですね。多分、その委任状も有効なものではなかったはずです。貴方がミンツ君の父親とコンタクトを取るのは難しいでしょうから」

ローゼンハウスの顔が真っ赤になった。

 

「でも必要な情報はなかった。なのに貴方はここに来た。引き下がればいいのに何故ここまでやってきたか。そう、貴方はミンツ君とこの星系まで来たかったんですよ。未公開の情報を閲覧する、それ以外の目的のために。だから、何もないこの情報に何かあるかもしれない、そう主張したのでしょう?そしてそう思っているのは、貴方だけなのですよ」

 

「罠に嵌めたのか!」

 

「ユリアン・ミンツ君は将来のある子です。私が想像するに、ミンツ君の将来性をネタにスキャンダルを起こそうとしていたのではないですか。」

 

「……」

 

「貴方はそんな少年のビジネスパートナーにはふさわしくない、そう思いましてね。第一、ビジネスマンは仕事相手にブラスターを突きつけないものです」

 

「貴様がおとなしく記録を渡していればそれで済んだのだ。何の問題もなかった」

 

「そう。そうすることもできた。だが、私の想像が正しければ、私が情報を渡していようといまいと工作は行われたでしょう。というか、私が貴方にデータを渡した、という事実が一番大事で、中身はどうでもいいんじゃないですか?如何様にでも書き換える意志が貴方にはあり、そして、その手段があるのでしょう?」

 

「きさま!」

 

「私は虎穴を用意し、貴方は虎穴に入った。そして虎と出会ってしまったのですよ。ローゼンハウスさん。貴方には軍施設への不法侵入、情報機密保持法違反、脅迫罪の嫌疑がかかっています。この後の申し開きは憲兵本部の担当官にしてください。」

 

「そんなものはない」ローゼンハウスの口の端が歪んだ。

 

「あるのは、ユリアン・ミンツ殺害容疑だけだ。そして、被疑者ヤン・ウェンリーは死亡、そうなるだろう」

ローゼンハウスはブラスターの引鉄に指をかけた。ユリアンは状況の悪化にようやく気付いたのか、ヤンとローゼンハウスの方を見ながら口をぱくぱくさせている。

 

「銃を撃たない私が被疑者になるとでも?」

 

「発砲した銃に偽の指紋や生体情報を付着させることなどわけもない。警察は未だにそんなものを頼りにしているが」

 

「なるほど、貴方は随分と自信がおありのようだ」

 

「減らず口しか叩かない奴だ!」

ローゼンハウスは引金を引いた。いや、引こうとした。二度、三度。ブラスターは作動しようとしない。慌ててローゼンハウスは銃の警告表示を確認し、あんぐりと口を開けた。

 

「ゼッフル粒子だと……貴様!」

 

「今ごろ気づきましたか。我々が窓もない場所で作業していたのは、秘密保持のためだけではないのですよ。別に無臭の可燃ガスでもよかったんですけど、ブラスターの安全装置が作動しなければ意味ないですから。その点、ゼッフル粒子のような微粒子爆弾は安全です。銃の安全装置を作動させるという意味において」

 直後、ぱりんという軽い音がして、ローゼンハウスはくずれ落ちた。床には粉々になった陶器製の花瓶が落ちている。ユリアンの仕業だった。それから間もなく、どやどやとラオ大尉以下憲兵隊の面々が資料室に乱入してきた。

 

 

 

 一週間後、エル・ファシル宇宙港の個室ラウンジにヤンとユリアンは居た。事件後、事情聴取が行われ、ユリアンは病院で診察を受けた。ユリアンの社会的立場からするとマスコミが押し掛けてきてもおかしくなかったが、憲兵本部が秘密主義を貫いたためにそれも無かった。おかげで、一通りの捜査が行われるまでの間、ユリアンは暇を持て余すことになった。ヤンは捜査のためにひどく忙しかったから、話をすることもできなかった。

 というわけで、ユリアンが真相をヤンから聞き出すことができたのは、帰りの宇宙船を待つ中でとなった。

 

 

「ローゼンハウス氏は、帝国の情報機関のエージェントだったんだよ。恐らく」

ヤンは紅茶を一口飲んで言った。ビジネスクラスのラウンジだけあって、紅茶を淹れる道具は一通り揃っている。それがありがたかった。

 

「ローゼンハウス氏の本来の任務は、スポーツ界に自分の『資産』を作り、スパイ網を築くことだったんだと思う。スポーツ選手、それも著名な人物は、一般人より機密情報のアクセスがずっとやりやすいからね。ああ、『資産』というのは憲兵の用語で、スパイ網を行う人物のことなんだ」

 

「僕がスパイになるんですか?何故?」

 ユリアンがたずねる。

 

「ここからは想像でしかないし、ユリアン君には些か失礼な話だが、もし、帝国でお母さんが健在だと言われたらどうするか。会いたいと伝えられたらどうするか。もちろん同盟側ではそんな証拠は無いし、ミンツ大尉は否定するだろう。でも、一旦ありもしない思い込みに囚われた個人は、決して元には戻れない。そういうものなんだ。これは、一つの仮定でしかないけれど、諜報のプロは心理戦のプロでもある。人を転がすことは難しくないんだよ。詐欺事件がこの世から無くならないようにね」

 

「ローゼンハウス氏はそうやってスパイ網を構築しようと思っていたんだろうけど、そんな中、帝国では困った事態が発生したんだと思う。」

 

「このご時世、帝国から同盟への亡命など日常茶飯事だけど、流石に監視がつけられている人物の亡命はそうではない。移動の自由がない軍人なら尚更だ。そういう人がどうしても帝国から脱出したかった場合、危険極まりないイゼルローン回廊を抜けようとすることだってあるんだ。もちろん失敗してドカン、ということだってある」

 

「帝国はそんな情報の流出があると信じていたんだな。そして、情報が流出したか否か、その調査がローゼンハウス氏に命じられたのだろう。ローゼンハウス氏は頭を抱えただろうね。何しろ、ユリアンの母親が遭難現場に居合わせた可能性があるんだ。それを報告しないわけにはいかない。でも、ミンツ大尉に知られたら契約解除は免れ得ない。それに、家庭のプライバシーに踏み込む代理人を雇おうとするアスリートはいない。つまり、ローゼンハウス氏は、今の仕事を続けられなくなるということだ。表の意味でも裏の意味でも。それが重大な任務だったらいいけど、今の帝国にそこまで気を回す余裕はない。内戦で手一杯だろうからね」

 

「それで、ローゼンハウスさんはどうしようと思ったのですか」

 

「想像に想像を重ねてのことだし、事実が分かるのはこれから後のことだけど……最悪の場合、ユリアン君が死ぬことになっただろう」

 

「!!」

 

「自分の資産が使えないならば、いっそのこと華麗に壊してやりたいと思っても不思議ではない。それが同盟軍や政府機関を巻き込むものであれば尚更だ。私の知る限り、ユリアン君は未来の大スター、そのはずだ。軍の施設内で死体で発見されただけで大騒ぎになるだろうね。そして、悪役とされた軍は散々に叩かれることになり、一般社会とのしこりを残すことになるだろう」

 

「そう……だったんですか」

 さらに言うと、悲劇の舞台がエル・ファシルというのも見事だ。帝国との戦争が自然休戦状態となっている今、帝国への備えとして税金を飲み込み続けるエル・ファシルを無駄飯食らいと批判する声は根強い。そのような不満層に火を付けることになったかもしれない。

 

「何故それが分かったんですか?」ユリアンが聞いた。

 

「一言で言うと、何もなかったからだね」

ヤンは答えた。

 

「私も、今回の件で何か君にいい報告を届けたいと思って、いろいろ調べたんだ。でも、何もなかったんだ。ハイネセンで閲覧可能な記録以外のもので、何か関わり合いのあるものがないか、随分と調べたよ。でも、ここにある情報で、ハイネセンで見られないものはほとんどなかった」

 

「私も困り果ててしまってね。ハイネセンに問い合わせたのさ。ミンツ君とローゼンハウス氏の応対にあたった担当官とコンタクトを取ってね、どういうやり取りが交わされたのか、それを調べた。そうすれば、一体何を知りたいのか、その手がかりが得られると思ってね」

 

「……」

 

「その時の顛末は、君も知っての通りだ。やる気だったのはローゼンハウス氏、蚊帳の外だったのはミンツ君の方だった。そして、君の知名度の割に、ほとんど周囲に知られることなくここに来たことも不審だった。通信教育の担当者も、来年入団する……何だっけ……パルセイロACか。その職員も、君がここに居ると聞いて大層驚いていたよ。まさかとは思ったけど、ローゼンハウス氏の背後を洗ったら、いくつか資金の流れで怪しいところがあってね(おっと、これはここだけの話にしてくれよ)。そういうわけで、一芝居打った、というわけさ」

 

「……僕は、何も知らなかったのか……」

 ユリアンはしょんぼりと肩を落とした。

 

「いずれにせよ、これは私の想像でしかない。裏付け調査はここからになる。軍内部で調査委員会が立ち上げられ、さらに詳細な捜査が行われるだろうけど、軍施設内部の事件だし、表沙汰になることはないだろう。ユリアンはハイネセンに戻って、元の生活を続けることになる。今までと全く変わらない。ああ、代理人は新しく探さないといけないだろうけど」

 

「今日の朝、その件で父から連絡があったんです。」

 ユリアンがつぶやいた。

 

「父が退役するそうです。専門教育を受けて、僕の代理人になるって言ってます。」

 

「それはいい」

 ヤンは大きくうなずいた。今ユリアンに必要なのは、絶対に信用できるビジネスパートナーであろう。ユリアン・ミンツは、これからプロアスリートのキャリアを積み、ヤン・ウェンリーなんかよりよっぽど重要な知り合いを沢山作るに違いない。だが、それでいい。平和な世の中、軍人の知り合いなんて多くても意味がない。それがヤンの思いだった。

 

 アナウンスが鳴り響く。ハイネセン直行便の搭乗がまもなく始まるとのことだった。

 

「少佐。どうもありがとうございました。あなたは命の恩人です。できれば、もっと話をしてみたかった」

 ユリアンは敬礼(の真似事)をしてみせた。

 

「そう言ってもらえるのは、私としてはすごく嬉しい。君のキャリアを、陰ながら応援させてもらうよ」

 ヤンは腰からぴしっと45度曲げる最敬礼でそれに応じた。

 

 

 

 翌日、ヤンとラオ大尉は、ヤンの執務室で報告書の打ち合わせをしていた。トム・ローゼンハウスのパーシャルライブラリへの不法侵入、帝国への情報漏洩未遂、これについて報告書を纏めて憲兵本部へ提出しなければならない。そうでなければ憲兵本部が捜査を開始することができないからだった。パエッタ少将は、いけ好かない憲兵本部に嫌みの材料ができたと喜んでいるらしいが、報告書を書く手伝いをしてくれるわけではない。

 報告書の原案はラオが用意してくれていた。もっとも、所定の書式に従って、事実と調査結果を書くだけだから、大体のことはラオでもできる。できあがったものについて、足りない箇所を捕捉し、表現を穏当なものに書き換え、ついでにいちゃもんがつきそうな箇所については曖昧な表現に書き換える、それがなかなか苦労するところである。特に、人の文章のあら捜しに長けている憲兵本部が相手とあってはなおさらである。

 

「ラオ大尉」

 

「何ですか?」

 

「今回の件、どうにも腑に落ちないことがある。」

 ヤンにそう言われて、ラオは怪訝な顔をした。

 

「アリアナ・ミンツ少尉の遭難記録がわざと欠落している、という話、結局欠落しているなどということはなかった。だとしたら、欠落していると言い出したのは、いや、欠落している可能性があるから調べようと言い出したのはどこの誰なんだ?」

 

「ローゼンハウスじゃないですか?報告書にはそう書くんですよね」

 

「まぁ、それが一番おさまりがいいからなぁ。他の理由を考えたとして、証拠がない。状況証拠だとしても」

 ヤンは頭をかいた。

 

 だが、頭の中では別の想像が浮かび上がっている。帝国が噂を立てたのだとしたら、何故あの事故なのか。どこにでもある、さして珍しいわけでもない遭難記録。そのために帝国はわざわざ事実の究明をはかり、結局スパイを一人潰す羽目になっている。情報活動としてはあまりに稚拙、少なくとも結果から見たらそうなるわけだ。

 

 だとしたら、噂を立てたのはむしろ同盟の方ではないのか。どこにでもある、でも真実を究明するにはコストがかかる謎めいた事故、それに対してあれやこれやと疑惑をかきたてる。何か、機密情報を発見した「らしい」という情報を流して。ローゼンハウスはそれに引っかかった、いや、引っかからざるを得なかった、ということなのだろうか。

 同盟情報部が垂らした釣り針、それに何かが引っ掛かればそれでよし、興味を示さなければそれはそれで放置。もしそうだとしたら、同じような問題がエル・ファシルだけでなく他の場所でも持ち上がっているのかもしれないし、そうでないかもしれない。もちろん、何の証拠もないし、そこまで証拠探しに精を出す必要性を、ヤンは認めていなかった。

 

「まぁ、今回の件は、この方向で報告書を出そう。憲兵本部からは私が報告書を出しておく。ラオ大尉、君は平常業務に戻ってよろしい」

 ラオ大尉はぴしっと敬礼をして、執務室を出て行った。ヤン・ウェンリーは、ぼりぼり頭をかいた後に、再び報告書の原稿に向き直った。

 

「あ、そうだ。少佐」

 

「どうした?」

 

「訓練用ゼッフル粒子の持ち出しや室内散布なんてもう御免ですからね。あれ、爆破させずに回収するのに1時間かかったんですから」

 

「やっぱり爆破した方がよかったかな。一応、閃光と爆音がするだけのはずなんだが」

 それまで言って、ヤンは頭の中でそれを否定した。だめだろうな。衝撃がないわけじゃないから。

 

「分かったよ。」

 ヤンはそれだけ言った。ラオは今度こそ執務室から出ていった。

 




次回予告

 年に一度の大演習、その準備に追われるヤン・ウェンリー。そんな中、一件の依頼が舞い込む。それは、乱闘事件で営倉に収容された軍人を演習に参加させるため、便宜をはかってほしいというものだった。

「あいつ……ポプランにとって、平和こそが一番の敵だった」

 銀河英雄伝説 ファニー・ウォー 第二話「翼を持った少年達」


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第二話 翼を持った少年達

 年に一度の大演習、その準備に追われるヤン・ウェンリー。そんな中、一件の依頼が舞い込む。それは、乱闘事件で営倉に収容された軍人を演習に参加させるため、便宜をはかってほしいというものだった。


「課長、こちらの申請に承認を」

 

 課員に促されて、ヤンは承認待ち申請一覧を端末に表示し、うへぇと漏らした。リストには百件以上の申請タスクが積みあがっている。昨日残業して十数件に減らしたはずなのに。

 

「毎度毎度、何故土壇場になってこう申請が積みあがるんだ。演習の日程はカレンダーに書いてあるだろう。事前に準備はできないのかねぇ」

 

「その準備に課長は協力していただけますか」

 課員にそう言われて、ヤンはふぅとため息をもらした。土壇場の仕事が前倒しになったところで、自分がそれを真面目にこなすとは思えない。それが分かったのである。

 

 

 

 憲兵隊というのは、軍隊内の治安維持を担当するが故に、他の兵科とは違って「平時」にあたる存在はない、ということになっている。いつも繁忙期ということだ。

 しかし、どんな状況にも例外というのがあった。憲兵隊にとっては、軍が実施する演習がそれに当たる。繁忙期以上の繁忙期があるわけである。

 

 

 

 現在の自由惑星同盟軍宇宙艦隊は、12個艦隊によって編成されることになっている。これは法律によってそう決まっているから変えようがない。

 しかし、実態はといえば、どうにか定数を満たしているのは首都防衛の第一艦隊、対帝国の最前線に配備されている第二艦隊、第四艦隊、第十艦隊の計4つに過ぎない。他には、定数の7割程度しか満たしていない第六艦隊、第八艦隊、第十二艦隊の3つがあり、これらの艦隊は複数の星域に分散して配備されている。つまり、従来でいえば星系防衛隊の肩代わりをしているわけだった。もし、帝国のどちらかがフェザーン回廊経由で同盟領に雪崩れ込んできた場合、これらの艦隊では足止め程度しかできないであろう、そう言われている(もちろん雪崩れ込んでくる敵の量次第ではあるが)。

 ちなみに、第三、第五、第七、第九、第十一の5個艦隊は、ごく僅かの基幹要員以外、実態のない幽霊艦隊である。同盟軍はそういう数字のマジックでもって、要員と経費の節約を実現しているのだった。

 

 そんな状態で、同盟領各所に配備された宇宙艦隊であるが、それが大きく動くのは年に一度の大演習である。既に作成された訓練プログラムのために、同盟全土から部隊が派遣される。宇宙艦隊以外にも研究のために組織された実験戦隊や、宇宙艦隊司令部直属の独立戦隊等、さまざまな部隊が演習地にやって来る。当然ながら、迎える側は受け入れる準備をしなければならない。有事であろうと平時であろうと、食う寝る所住む所は軍隊にとって不可欠である(いや、それ以外にも膨大なものが必要とされる)。そして、その準備のために施設局、需品局、厚生局といった後方支援部門が忙殺される。

 

 いや、まだエル・ファシルだからまだいい。アッシュビー・ラインの要、軍事要塞網の主軸惑星には、帝国軍の来寇に備え、同盟軍の大部隊を受け入れ、整備し、送り出す機能が備わっている。そのような機能を持つ惑星は、他にバーラト星系、首都星ハイネセンがあるのみだ。

 

 そういうわけで、大演習の時期になると(大体6月か7月)エル・ファシルは同盟全土から兵が集まるわけである。血の気の多い兵士が密集すると、何が起こるかといえば喧嘩、非公認の博打に女性問題と相場は決まっている。というわけで、憲兵の出番となるわけだった。

 じゃあヤン・ウェンリーがそんな治安維持に関わっているか、というとそうも言いきれない。憲兵隊本部総務部企画第三課、という名前が示す通り、ヤンの部署は治安維持というよりは、治安維持部隊の設備管理、会計、装備等「何でも屋」というところである。あとは、演習に伴ってやってくる憲兵の「応援」を取りまとめるとか、そういう任務もある。ヤンが格闘している書類というのも、そういう類である。大体は、費用の決済と、膨大な物資類の発注となるが。

 

 

 

「演習で艦隊をよこすなら、艦隊全体で来てほしいよなぁ。何で『支隊』を編成して寄こすのやら」

 ヤンがぼやいた。一個艦隊まるごと移動してくるなら、管理をその艦隊司令部に丸投げできる、そう言っているらしかった。表向き、全土から部隊が第二艦隊の指揮下に入り、第二艦隊がとんでもなく膨れ上がっていることになっているから、ヤン達の業務がとんでもないことになっている。艦隊が丸ごと来るなら、職域に線引きをして、線の向こうの業務は艦隊に押し付けられるということだろうか。

 

「パエッタ司令に言ってみたらどうですか」

 ラオが面白くなさそうに応じた。

 

「あー。司令が何か言うこと聞いてくれるならもう言っているさ。」

 

「でしょうね。『君は君の本分を果たしたまえ』とか言うだけですからね」

 

「だろうな」

 パエッタ司令は怠け者ではない。いや、とんでもない働き者である。だが、自分でも膨大な量の仕事をこなす一方、部下にも大量の仕事を用意することで知られている。おかげで、部下はいつもハードワークに喘いでいるというわけだ。もっとも、外からすると、いつでも十分に準備ができているように見えるから、外部の評価は悪くない。では、いざ有事の時はどうか?それは有事になってみないと分からないだろう。

 

 

 

 二週間ほど経ってーー

 

 宿直室にヤンは座っていた。膨大な量の書類仕事も何とか片付き、あと数日もすると定期演習が開幕する。演習が始まるということは、同盟全土から集結した兵が宇宙空間へ移動するわけで、惑星エル・ファシルは束の間の休息を取ることになる。

 そう、休息は「束の間」である。二週間ほど続く演習が終わると、兵はエル・ファシルに戻り、演習後の乱痴気騒ぎが起きる。騒ぎ疲れた兵が元の場所に戻って、ようやく本当の静寂が訪れるというわけだ。

 

 宿直室には数名の人間が居る。何もしていない人もいれば、仕事をしている人もいる。娯楽チャンネルを視聴している人もいる。最後は規律違反のはずだが、注意をする人はいない。

 

「今年は巡回を強化したらしいですけど、効果はあるんですかねぇ」

 宿直に居た別部署の大尉が、ヤンに話を振ってきた。

 

「どうですかねぇ。演習前後の宿直は毎年やってますけど、あまり変わらないと思いますよ。ま、去年の件に比べれば」

「あれはひどかった」

 ヤンの返答に大尉は苦笑した。昨年の大演習では、集結した兵同士での大乱闘が発生し、負傷者は出るわパブは壊されるわ、当然ながら懲戒が乱発されるわで、ヤンもこの処理でてんてこ舞いだったのである。そんなわけで今年は憲兵隊からかなりの人員を出して警邏にあたっているはずである。

 

「でも今年は営倉も随分と余裕があるようですよ」

「そうなんですか。それは重畳」

 ヤンは紅茶をすすった。端末を操作して取り締まり記録を呼び出す。確かに、喧嘩は何件かあるものの去年よりは件数が減っているようである。でも、そんな中でも営倉にぶちこまれている運の悪い兵がいるようである。

 

「昨日喧嘩で捕まった兵がいるようですね」

「あー。あれ、下士官ですよ」

「下士官?」

 大尉の返答にヤンは首をかしげた。兵と違って下士官となると軍隊のノウハウに精通しているはずである。よっぽどのことでない限り喧嘩で捕まる等のヘマを犯したりはしないはずなのだが。大尉が披露した喧嘩の詳細を聞いて、ヤンはますます首をかしげた。

 

「戦闘艇パイロットと戦闘システム軍団が喧嘩?パイロットとシステムエンジニアに何の関係が?」

 

 

 

 一艇善く一艦を屠るーー戦闘艇の魅力はまさにそこにあると言っていい。

 敵と相対する時、相手の一の戦力を打倒するために、二以上の戦力を消費することは良くないことだとされる。まぁ、当然の話である。一の戦力でもって、相手の百の戦力を損壊させることができたら、それは非常に魅力的な話である。これも、当然の話である。

 

 一人の兵士が操縦する小型艇が、一隻の宇宙戦艦を撃破するというのは、けして不可能ではない。どんな宇宙船でも弱点はあり、そこを突けば行動不能にできる。戦闘艇というのはーー特に敵艦攻撃能力を有するものはーーそういう「可能性」を追求した兵器といえるだろう。

 戦闘艇という概念は、それこそ人類が地球から宇宙に雄飛したその時点から存在した。戦闘艇に攻撃兵器を搭載し、宇宙船を攻撃するというアイディアは、何度も繰り返し検討されてきた。だが、それが実を結ぶまではかなりの時間がかかった。

 理由は、装甲に身を固めた戦闘艦相手に、損傷を与える兵器を搭載できなかったからである。小型の戦闘艇ーー大きくとも全長50メートル前後ーーが搭載できる兵器の攻撃力は、数百メートルある戦闘艦に対してはあまりに無力だった。かといって、戦闘艇を無闇に大きくするわけにはいかない。それでは、人間一人での操作は困難になるし、戦闘艦と同程度のコストがかかってしまっては、戦闘艇の意味がない。そんなわけで、戦闘艇の運用は、もっぱら戦闘以外の任務に使用されることが多かった。偵察、連絡、敵シャトルの撃墜等である。

 

 しかし、戦闘艇は進化を続け、敵大型艦を十分屠れる能力を身に着けるようになった。現在、自由惑星同盟が運用している単座戦闘艇スパルタニアンは、可動式中性子ビーム機銃を装備し、一点を集中して攻撃できるようになった。威力は戦艦の主砲に比してあまりに無力ではあるが、弱点を攻撃すれば敵艦に大ダメージを与えることができる。また、追加装備として大型ミサイルや爆雷を装備することができ、これも艦船にダメージを与えるには十分な威力を持つようになった。

 

 かくして、戦闘艇は敵艦攻撃に十分な能力を有し、宇宙戦闘の主役に躍り出た。めでたしめでたしーーとはいかないのが世の常である。戦闘艇に能力があるとして、では、従来兵器ーービーム、ミサイル、実体弾に対しどれだけの優越性があるか、というのが問題になった。射程で言えば比較にならない。撃ってそれで終わりの前者に対し、戦闘艇は行って帰ってこなければいけないからだ。では、近距離戦闘で他の兵器を圧倒するかと言われると、そうとも言い切れない。近距離戦闘では、誘導性能と威力に優れる短魚雷や、当たれば大威力が約束されているレールガンという兵器があるし、戦闘艇の能力は、それを操縦するパイロットの技量によるところが多い。パイロットが未熟では、全く戦果をあげられないということも十分ありうる。

 

 そして、戦闘艇は戻ってこなければならない、という点が大きな問題であるという指摘がなされるようになった。戦況というものは刻一刻変化する。優勢であればまだしも、劣勢であれば後退する必要がある。その時、出撃している戦闘艇をどうするのか。

 戦闘艇を見捨てる、という選択肢はあり得なかった。戦闘艇という機材もさることながら、戦闘艇パイロットというのは育成の難しい人材だからだ。それによっぽどの理由がない限り、いや、理由があっても戦闘艇を見捨てたとあらば、軍の士気は崩壊する。

 

 ということは、戦闘艇を出している限り、逃げるに逃げられないということになる。艦隊が全く動けないというわけではなかったが、戦闘艇の投入タイミングは慎重に図らねばならない、そういうことになった。平時である故、評価は演習に限られたが、いくら演習を重ねても戦闘艇に対する「ハマれば大威力だが、コストはかかるうえに扱いづらい」という評価が覆ることはなかった。

 

 それでも、戦闘艇という兵器がなくなることはなかった。一艇善く一艦を屠る、小善く大を制す、というロマンは国民のウケが良かったし、そのような幻想を壊さなければならないほど戦闘艇は無力ではなかった。実際、宇宙海賊討伐等でスパルタニアンは貴重な兵力だったし(それは軍が討伐に戦力を出し惜しみするからだが)、宇宙の向こう側ーー銀河帝国では戦闘艇が大量に運用されていることが確認されていた。敵が持っているものは味方も持っていなければならない。それが戦いの道理だった。

 

 

 

「パイロットの血の気が多いのは分かるけど、システム屋に因縁をつけるとは思えないんだけどなぁ。」

「私もそう思うんですけどね。どうも、営倉にぶちこまれたその軍曹、取り調べにも非協力的で」

 ヤンの疑問に、大尉も答えて、同じように首をかしげた。

 

「何だろう。喧嘩なら喧嘩と言ってしまえば、軽い処分で済むかもしれないのに。わざわざ処分を重くして、演習に間に合わないとか。兵はともかく下士官の考え方じゃないなぁ」

「何か、放心状態だそうで、心ここにあらずの感じだとか」と大尉。

 

「メディカルの結果はどうだったんだろう。脳震盪で引っかかってるんじゃないのかな」

 

「いや、それが簡易チェックでは特に異常なしなんだそうですよ。少佐」

 

「ますます分からないね。軍病院で精密検査を受けさせた方がいいんじゃないのか」

 折角の演習なのに、飲む打つ買うの問題で参加できなくなってしまう兵は居ないわけではない。不可抗力の事故ならまだしも、演習に間に合わなくなったら脱走と同じ扱いになるし、そんなことになったら大体、部隊の中で肩身が狭くなって軍隊を出ていくことになる。ひどい場合は不名誉除隊になることだってある。不名誉除隊など、周囲の援助がなければ、死んだ方がましな人生を送ることになるであろう。

 

 だが、その軍曹の場合は、そのいずれでもなかった。

 

 

 

「ポプラン軍曹の営倉処分を解除しろと?演習に間に合うように?」

 翌日ーーヤンの元に面会者がやってきた。データによると、一人は第343独立戦闘艇隊司令リンネベルグ中佐、もう一人はパイロット、イワン・コーネフ軍曹とのことだった。

 

「そうです。そのためにヤン少佐殿のお力をお借りしたいのです」

 コーネフが答えた。リンネベルグ中佐は腕を組んだまま何も言わない。

 

「申し訳ないですが正直、一体、何を言いたいのか分かりません。第一、うちは総務部です。処分の内容に関して手心を加える権限はーー」

「だからこそ、こうやって頭を下げている。ヤン少佐。今回の演習でポプラン軍曹は欠くべからざる人材だ」

 リンネベルグ中佐の返答にヤンは背筋を震わせた。ただの軍曹のために、中佐が動いている理由が分からなかった。

 

「ちょっとお待ちを」

 ヤンは端末を操作し、営倉処分中の軍曹ーーオリビエ・ポプランの情報を引き出した。階級は軍曹、所属は第343独立戦闘艇隊、戦闘艇大隊第一中隊B小隊長、戦闘艇パイロット一筋の軍歴で少年パイロット(翼を持った少年)からのたたき上げである。考課表はまぁまぁ模範的なパイロット……と思ったが、最近に近づくにつれ遅刻、飲酒、喧嘩等の処分が記録されているのが分かる。多分、記録に残っていないものはもっと多いに違いない。模擬戦のスコアもさることながら、実戦での戦闘艇撃墜記録もある(恐らく宇宙海賊相手だろう)。勲功章の数からすると、相当な腕利きのパイロットであることがうかがえる。

 

「やはり事情が分かりません。一体、憲兵とはいえ門外漢の私にできることなどありません。営倉処分に関する話であれば刑事部に話を持っていくべきではありませんか」

「刑事部ならもう話を通してある」

 リンネベルグ中佐が初めて口を開いた。

 

「は!?」

 ヤンは目をぱちくりした。

 

「身元引受人制度だ。憲兵のしかるべき人間の監督指導のもと、処分を保留する制度だ。少佐はもちろん分かっていると思うが」

 リンネベルグの声には威圧感があった。階級が上の人間から下の人間に要求を発する時は大体そうなるのだが、この中佐はあまり交渉ごとが得意ではないのかもしれない。

 

「ええ。引受人がいればポプラン軍曹も演習に参加できるわけです。もちろん、演習が終わった後は営倉の続きをやらなければなりませんが」

 続けるコーネフ軍曹の説明にはよどみがない。こういう局面では切れる男なのだろう。

 

「そして、パエッタ司令にご相談申し上げたところ、ヤン少佐を紹介されたという次第で」

 コーネフの言葉にヤンは天を仰いだ。窮屈な艦隊勤務が嫌だったのに、演習中の間とはいえ艦隊勤務をしなければならないとは。それも、自分の仕事は抱えたままで。

 

「待ってください。司令が本当にそんなことを言ったのですか」

「我々がそんなすぐ分かる嘘をつくと思うのかね」

 リンネベルグの即答にヤンはしまった、と頭をかいた。パエッタに連絡しようと思ったが繋がらない。データ端末には演習前定例ミーティング中とあった。

 

「パエッタ司令には後で確認します。ですが、ただの軍曹にここまでする事情を教えていただきたい」

「そこまで知る必要はない」リンネベルグはにべもなく拒絶する。

 

「では、身元引受人の話は無かったことに」

 

「少佐、君のキャリアに傷がつくかもしれんのだぞ」

 

「私は来年退役予定です。いまさら軍のキャリアなんてどうでもいいんですよ」

 ヤンの返答にリンネベルグは固まった。やはりこの中佐、隊司令としては不適格なのではないか、ヤンはそう確信した。

 

 ソファの向こうでコーネフがリンネベルグに耳打ちした。リンネベルグは嫌そうな顔をしたが、すぐに元に戻って二、三度うなずいた。

 

「では、少佐殿。私からお話しします」

 コーネフが続けた。

 

「少佐、自動人形(オートマタ)をご存知ありませんか?」

「オートマタ?」

「ええ。軍内で研究が進んでいる、完全自動の戦闘兵器ーーええ、ドローンをもっと高級化したものですな、それのことです。最近になって、随分と腕があがっています。今度の演習での演目に、自動操縦システムの戦闘艇との模擬戦闘が含まれています。今までは実験的な対戦に過ぎませんでしたが、今回は100機以上の戦闘艇同士でのメニューも含まれています。」

 

「それはまた大規模な」

 

「ええ。まさに、限りなく実戦に近い演習といえるでしょう。弾が出るか出ないか、違いはそれぐらいです。こちらとしてはベストを尽くすだけですが、演習の結果次第では、戦闘艇の自動化は避けられない事態となるでしょう。パイロットが要らなくなるということです。そうなると、自分達はどこへ行けばいいんでしょうか」

「それはーー」

 ヤンは言い出しかけて口をつぐんだ。別に軍が再就職先を全く考えていないわけではないだろうが、それが本人の希望にそぐうものかどうか、そういうところに無頓着なのが軍というところだ。天職のパイロットが統合作戦本部ビルの掃除夫になっても問題ないと言い張るような。

 

「勝てないとは言わない。だが、ベストを尽くしたいのだ。少佐」

 リンネベルグが口を開いた。その表情を見てヤンは察した。そうか、戦闘艇が無人に切り替わったら、この中佐のポストも危ういのだろう。末端と違って、管理職のポストはつぶしがきかないものだ。いや、パエッタ司令さえ動かしたとあらば、もっと上のポストも危機に瀕しているのかも。

 

 二人の懇願に心が動かなかったといえば嘘ではない。だが、そういう情に訴える態度こそ最も警戒すべき、というのが憲兵のあり方だった。ヤンはしばし考えた後、口を開いた。

 

「分かりました。司令のご命令とあらば、従わないわけにもいきますまい」

 ヤンの返答に二人の顔がぱあっと明るくなった。身元引受人制度は紙の上では存在するが、そもそも引き受けられるほど暇な士官というのが難題で適用例がほとんどない。二人もそれが分かっていたのであろう。

 

 

 

「わざわざそんなことに首を突っ込むとは、少佐も物好きですねぇ」

 翌日、事情のあらかたを聞いたラオ大尉はため息をついた。演習期間中、ヤンが不在になるから、どうしても遠隔でこなせないあれやこれやを押し付けられるとあっては、当然の反応だろう。むしろ好意的な態度といってもいい。

 

「済まないね。まぁ、どうしても緊急事態となったらパエッタ司令が呼び戻すだろう」

「普通の仕事もここまで熱心ならなぁ」とラオ。

 

「なぁ。人類史開闢以来、技術の進歩によっていろんな職業が無くなっていった。戦闘艇パイロットもその一つになるかもしれない」

「???」

 ラオが首をかしげた。

 

「だが、一人の軍曹がここまで丁重に扱われる理由が私には分からない。死んだわけでもないし、帝国や宇宙海賊に捕らわれたわけでもないのに」

「自分たちの椅子がかかっているから当然では?」

「試合の勝ち負けでキャリアが失われる、というのはあまりに浮世離れした話だと思わないか?大抵は試合云々の前に勝敗は決まっている。そういうものだ。戦争だって」

「それではーー」

「そう。私はそれを確認したいんだよ、ラオ大尉。この出来過ぎな話の裏側を」

「ふーん。演習について行って分かるんですか?」

「多分、分からないだろうね」ヤンの口調は淡々としたものだ。

「それに、分かったところで自分には何もできない、そんな予感がする」

 

 

 

翌日ーー

 

「空母コロッサスへようこそ。ヤン中尉殿」

 連絡用シャトルから降りるなり、ヤンはとある上等兵からの歓迎を受けた。ヤンも背が低いわけではないが、相手は長身で筋骨隆々の兵である。

 

「ああ、ありがとう。いや、荷物を持ってもらう必要はないよ」

 上等兵が手持ちのバッグをむしり取ろうとしたので、慌ててヤンは断った。

 

「自分はザムツェフスキー上等兵であります。演習の取材には可能な限り便宜を図るように命じられております。ヤン広報官殿」

「あ、ああ。頼むよ」

 ヤンはぽりぽりと頭をかいた。今現在、ヤンは憲兵ではなく、広報部から派遣された広報官ということになっている。わざわざ憲兵が空母に乗り込んでくるという、となると兵がどう反応するか、ということになって出てきたアイディアだった。もちろん、空母艦長とリンネベルグ中佐には話を通してある。確かに、広報が相手であれば、それとなく情報を聞き出すのはさほど難しくはないだろう。階級も中尉ということにしてある。空母の中では佐官は数えるほどしかいない。「取材」をする身としては距離がありすぎるのだった。

 

 

 

 でかいなーー

 空母「コロッサス」の主要区画を案内されたヤンの第一印象はそれである。ラザルス級空母(現在、同盟の正規空母となっているタイプ)は、100機ものスパルタニアンを収容できるだけあって、格納庫、指令室、搭乗員待機室等、ヤンにとってはなにもかも大型に見えた。実際、乗員数も1000人近くということで、戦艦の数倍ほどもある。

 ヤンとりあえずの任務としては、広報官の役割を果たす、ということであった。といっても、プロの仕事をそのままやるわけではないから、真似事をしていればいい、ということである。いろいろな人に物事を聞いて回ればいい。それらしいことを。

 裏のーー本当のーー任務としては、ポプランの動向を監視する、ということになる。オリビエ・ポプラン軍曹の身元引受人としては、ポプランに勝手に動かれては困るのである。もし、犯罪または犯罪の扇動などやられては、ヤンのキャリアも丸つぶれとなる。一応、事前に察知しておけば即刻艦内で監禁することは可能であるが、それでは裏の裏ーーポプランが特別扱いを受けているーーことの調査ができない。しばらくは遠くから眺めているしかなかった。

 

 ヤンとしてはありがたいことに、ポプランの動向は単純そのものだった。他のパイロットと同じように、ブリーフィング、演習、デブリーフィング、休養、その繰り返しである。演習の間のポプランの態度は、営倉に居た時のそれとは正反対。ポプランは4機のスパルタニアンで構成される分隊の隊長だが、ブリーフィングのたびに

 

「いいか、柄にもないことを考えるな。国を守ろうなんて、よけいなことを考えるな! 片思いの、きれいなあの娘のことだけを考えろ。生きてあの娘の笑顔を見たいと願え。そうすりゃ嫉み深い神さまにはきらわれても、気のいい悪魔が守ってくれる。わかったか!」

 などと訓示するものだから、随分と他と違うな、とヤンは感心したものである。リーダーとしてのポプランの持ち味はモチベーターなのであろう。戦場が近くなると人格が変わるのだろうか、ヤンはそう思うのだった。

 

 戦闘艇の演習というのをヤンは見たことはなかったが、なかなかハードなものらしいことだけは分かった。一日に何度となく出撃と帰投を繰り返している。艦橋でのやり取りを見ていると、いろいろな状況を想定した訓練が行われているようだ。対戦闘艇戦闘、対艦戦闘、迎撃、敵艦隊制圧、個人戦闘に集団戦闘。

 ただ、リンネベルグ司令が言っていた自動操縦の戦闘艇との対戦はなかなか始まろうとしなかった。いや、おかしなことに、艦内ではそのようなことはほとんど話題に上がっていなかったのである。

 

「自動人形との対戦?そんなものがあるんですか」

 ザムツェフスキーの反応はそんなものだった。てっきり、機械には負けるものかと息巻いていると思ったのに、ヤンとしては思いもつかぬ肩透かしを食らった気分である。

 

「知らなかったのかい」

「まぁ、分隊長は知っているんじゃないですか。我々としては、言われたことをやるだけですから。噂を聞いたことがあるぐらいです。自分が聞いた限りでは、分隊長達は戦ったことがあるらしいですが、それで腕が五分五分なら、我々の勝ち目は薄いんじゃないですかねぇ」

「そうなのか……」

 

 ヤンは首をかしげた。リンネベルグ司令やコーネフ軍曹が言っていたように、今回の演習が戦闘艇のパイロットのキャリアに大きな影響があるのだとしたら、目の前のパイロットの雰囲気はもっと殺気だっていてもいいのではないか。ヤンの思い込んでいたイメージとは正反対の呑気さである。

 

「でも、それでいいのかい。人間のパイロットがコンピュータに勝てないのなら、パイロットなど必要なくなるだろう」

「それはそうですけどね」

「そしたら君達は困ることになるんじゃないのか」

「中尉殿はーー」

 ザムツェフスキーは一瞬視線を泳がせて、向き直った。

 

「中尉殿は、シャトルを操縦したことはありますか」

「うーん……士官学校時代に教練はあったなぁ」

「コンピュータ補佐無しで動かしたことは」

「それはないな」

「でしょうね」

 ザムツェフスキーはうなずいた。

 

「スパルタニアンは、人間が動かしていることになっていますが、極端な話を言えば、コンピュータの言うとおりに操作しているだけですよ。コンピュータの警告を受けて進路を変えて、コンピュータの言うとおりに飛び、機銃の操作はコンピュータがやる。一応、訓練ではコンピュータの支援を最低限にしての操縦もやりますが、パフォーマンスは落ちますね」

「それほどなのかい」

「訓練を積んでも、まともに飛ばすのが精一杯って感じですよ。分隊長達は違いますけど。一体どうやって動かしているのか、想像もつきません」

「ポプラン軍曹はどうなんだい」

「あのひとはーー化物ですね。あんなチャラいナリ(おっとこれは秘密にしておいてくださいよ)をしていますが、普通に一対一で模擬戦やったら百に一つも勝ち目はありません。前後左右に目がついている、とか脳が三つある、とかそういう噂がありますよ。あの人は、コンピュータに負けるなんてことはないでしょうね。いつだったか、自動人形に負けるなんて十分の一人前だ、なんて言ってましたけど」

 ヤンは考えこんだ。リンネベルグは如何にも準備さえ整えば人間はコンピュータに負けない、みたいなことを言っていたが、ザムツェフスキーの発言が一般的な認識だとしたら、それはとんでもない思い違いということになるだろう。そうだとしたら、何故ヤンを巻き込んでまでポプランを呼び戻したかったのか。

 もっとも、それを知りたければもっと調べる必要があるだろう。

 

「最後に一つ聞きたい」

 

「何でしょうか。中尉」

 

「もし、戦闘艇が自動化されたとしたら、君は戦闘艇のパイロットで居られなくなるわけだが、それはどう思う?」

 

「……それについて簡単に結論は出せません。仲間ともよく話しますが、考えは人それぞれです。ただ」

「ただ??」

「戦闘艇を無人で動かす研究をするなら、戦艦を無人で動かす研究をした方が人のためになると思うんですよね。戦闘艇が無人で動かせるなら、戦艦を無人で動かすのも難しくないと思うんですけど、どうなんでしょう」

 

 

 

「ザムツェフスキーの意見は、個人の見解として考えてほしいです。少佐殿」

 コーネフ軍曹とのインタビューは、演習が始まって十日後に実現した。びっしり詰まった演習スケジュールの中でインタビューを実現するのは簡単なことではない。

「コーネフ軍曹は、パイロットでなくなることに反対なんですか」

「今更、他の仕事を覚えるのは辛いですよ」

「それは、他のパイロットも同じだと」

「人それぞれですね。パイロットになるヤツは、パイロット以外は務まらない人間が結構います。第一、規則のキツい業務などやってられない人が多いですよ」

 

 そう言われてはヤンも頷かざるを得ない。戦闘艇パイロットというのは、要求される身体的能力から、特別な教育課程を長期間受けることになる。軍隊という稼業がそれほど人気のない現状、娑婆と同じというわけにはもちろんいかないが、他と比べて随分と甘やかされているとは言われていた。資質のある人間をそうそう追い出すわけにもいかないからだった。

 

「ポプラン軍曹もそうなんだろうね」

「ですね。女と戦闘艇と酒でできているような奴ですよ」

「違いない」

 ポプランについての評価で、第一に出てくるのが女好き、である。曰く、交際相手が三桁居るだの、女性兵士に遍く声をかけているだの、一人で寝ているところを見たことがないだの、女性に関するエピソードには事欠かない。今現在、この空母にも寝た相手が両手で数えられない数居るらしいのである。

 

「だからシステム軍団は商売敵なわけだ。戦闘艇パイロットという天職を取り上げるわけだから」

 

「そうですね。」

 コーネフはそれだけ言った。

 

「側に居たら何かを言わずに済まないような」

 

「……少佐殿。人間、世の中に殺してやりたいという人は大抵二人か三人はいるでしょう。ことによっては四人か五人かもしれません。ですが、だからといって人を殺すかというとそうではありません。喧嘩だって、勝てそうにない喧嘩をするのは、よっぽどの場合か頭のおかしい連中だけです」

 

「……」

 ヤンは調書の記録を思い出した。ポプランは十人以上も居るシステム軍団の飲み会に乱闘を仕掛けた、そのようなことが書いてあった。

 

「アイツも最初はこんな感じじゃなかった。」

 コーネフがぽつりと言った。

「というと?」

「まぁ、軍隊に長くいると、どうしても要領というやつを身につけます。分かりますよね」

 コーネフの言葉にヤンはうなずいた。

「ポプランそういう要領は心得ていたんですよ。それがおかしくなったのは……二年ぐらい前でしたかね」

「??」

「あいつは突然いなくなったことがありました。それまでずっと一緒に居たから妙だとは思いましたが、転属だと説明されればそれ以上何も言えません。そういう事例はいくらでもありますから。それでおさらばかと思いきや、三か月ほどして帰ってきた。」

「帰ってきたんだ」

「そうです。まぁ、戻ってきてもあいつは変わらなかった。一体何をしていたのかは話してくれなかったですが、まぁそれは仕方ありません。軍機と言われれば。ですが」

 

「ですが?」

 

「時折、何と言うか、人が変わったようになる……そんな感じですね。妙に無気力、厭世的。時折、も本当にごくたまなんです。それで、そういう時に騒ぎが起きると、大体あいつのせいになります。上官や憲兵が踏み込んできてぼやんとしていたら、そうなりますよね」

 

「だろうね」

 

「で、詰問しても生返事。これじゃまとまるものもまとまらない。あいつは今までのキャリアと腕があるからこそ軍から放り出されずに済んでるのかもしれない、そうなのかもしれません。いつものポプランなら普通の下士官ですし、仕事の内容は悪くありません。あいつは、人を見る目はちゃんとしている」

 ヤンは宿直時の話を思い出した。取り調べにも非協力的でーー心ここにあらずの感じだとかーー

 

「ありがとう軍曹。ところで、何故、こんな話を?内輪の事情を話してくれることは悪いことじゃないが、私がそのために何かをしてあげられるかどうかは確証できない。表向き、私の業務は営倉処分兵の管理であってそれ以上ではない」

「……なんででしょうね。私にも分かりません。でも、あるじゃないですか。」

「何が?」

「秘密の話ほど、人に話したくなるって」

 そこまで言って、コーネフは次の演習前の点検があるといって去って行った。

 

 

 

「よぅ、何でも俺のことをいろいろ嗅ぎまわっているようですな。少佐殿」

 意中の人物が接触してきたのは、コーネフのインタビューから三日後、演習も終盤に入ったころのことだった。

 

「少佐殿とは人違いじゃないかな。自分はただの中尉だ」

 

「コーネフから聞きましたぜ。憲兵隊からわざわざ自分を監視しにいらっしゃったとか。ま、営倉から出してくれたのは有難いことですが」

 間近で見たオリビエ・ポプラン軍曹は、にやにや笑いながらそう言った。何とも歴戦の軍曹らしい、軍隊の表と裏を一通り心得ている男のように見える。

 

「やれやれ」

 ヤンは頭をかいた。士官に対し、初見から自分をさらけ出す下士官というのは存在しない、頭ではわかっているつもりだが、態度からして反抗的というのはこういうものなのか。

 

「俺のことに興味があるなら、直接聞きに来ればいいんですよ。何でも正直に話しますよ。おごってくれれば、ですが」

 

「本当かい?」

 

「士官に嘘を言う軍曹なんていやしません。それに、今は明日朝の模擬戦闘に向けて休息時間だ。一杯引っかける時間はあります」

 

「一杯おごることにやぶさかではないが……軍曹、誕生日は?」

 

「15月36日」

 臆面もなく即答したのを見て、ヤンはぷっと吹き出した。これではまるで古代に存在したという伝説のクレタ人ではないか。

 

「分かった。一杯だけだぞ」

 

 

 

「夜の星と美しき女達に、乾杯」

「乾杯」

 ヤンとポプランの乾杯は、士官区画のバーで行われた。当番下士官はヤンとポプランを見るなり一瞬ぎょっとしたが、ヤンが自分でポプランを招待したと言った途端、態度を元に戻した。ウィスキーをダブルで、ショットグラスになみなみとついで乾杯したはずなのだが、ポプランは一瞬でグラスをあけてしまった。

 

「機械人形の相手?そんなもん簡単ですよ」

 第一印象とは異なり、ポプランには人たらしの才能があるようだった。だから女性にもてるのだろうけど。杯を酌み交わしながら一通りどうでもいい話をした後、自動操縦の戦闘艇との模擬戦について話を振ったら、朗々と話し出した。

 

「機械人形には弱点が108ほどありますがーー一番の弱点は何だと思います?」

 

「さぁ?」

 

「一番の弱点は、命がないことですな」

 

「はぁ?」

 

「人間誰しも、死ぬのは怖い。そりゃ当然です。死ぬのが怖ければ操縦に現れてくる。それも当然。でも、人形には命がない。だから、死ぬのは怖くない」

 

「死兵は手ごわいというのが戦術の常識なはずだが」

 

「そんなのは頭でっかち人間の思い込みでしょうなぁーーシステム軍団の連中のように」

 ヤンの言葉をポプランは鼻で笑う。

 

「連中、戦闘データをただコンピュータに放り込めば無敵のパイロットが出来上がると思っているんですよ。でも、命を大事にしない連中の戦術なんて、単調で仕方がありません。あれじゃあ戦闘艇も女も墜とせない」

 

「そういうもんなのか。女は別として」

 

「少佐殿は彼女がおありでーーいない?駄目だなぁ。そんなんじゃ敵の裏なんぞかけやしない。これだから憲ーーおっと失礼。みんなにそう言っているんだが、コーネフやシェイクリは聞き流すし、ヒューズは嫁以外に興味がないときてるーーまぁ、だからこそ俺が頑張るってもんなんですがね。セルジーニョ!ダブルでもう一杯」

 ポプランは当番下士官にグラスをかかげてお代わりを要求した。もう何杯目になるか分からない。

 

「でも他の兵は、自動操縦の戦闘艇は手ごわいって聞くよ。コーネフ軍曹もそう言っていた」

 

「コーネフは別として、人形が怖いという奴は腕が良くないんですよ。あるいは訓練をさぼっているか、どっちかです。普通に飛んで、普通に経験を積めば、人形の弱点なんて見えてくるんですよ。まぁ、戦闘艇学校を出て三日間ぐらいは気づかないものかもしれないですがね。コーネフは……あいつは部下に甘いからそういうことを言うんですよ」

「なるほど。だが、軍曹のような腕の立つパイロットでなければ、コンピュータが勝ってしまう、そういうことなんじゃないかな。とすると、戦闘艇パイロットはみんなクビになってしまうかもしれない」

 

「少佐も司令みたいなことを言いますなぁ。まぁ、クビになるならなるで、別の職場を探すまでですかな。宇宙海賊だって戦闘艇は持っているし、帝国に亡命すれば帝国の女どもが花束を持って迎えに来てくれるかもしれない。そっちの方がいいな」

 

「帝国では実戦をやっている。軍曹は墜とされるかもしれないが」

 

「なぁに、自分を殺せる奴などいるはずがありませんよ。戦艦の1個分隊ぐらいをぶつけてこられたら分かりませんが。戦場で死ぬのは俺の運命じゃありません。美女の涙に溺れて溺死ーーあと数十年後にそうする予定なんですから。敵に墜とされる、それも機械人形相手なんてあり得ないんですよ」

 よく口の回る男だなぁとヤンは感心した。

 

「コンピュータの技術者に話を聞くと、コンピュータが学習を続けるうちに、人間を超えた存在になる、そう言っているけど」

 

「ほーお。コンピュータというものが歴史に登場してから、1000年は優に経つそうですが、まだ来ないんですか。神は自分の言うことを聞かない人間を作れないように、1000年経ってそんなお題目を繰り返しているようじゃ、コンピュータ技術者は度し難き馬鹿の集団だ」

 

「なるほど、そうやってシステム軍団を挑発したわけだ。バーの席で」

 途端、ポプランの顔から笑顔が消えた。ヤンの誘導に引っかかったことを、今知ったのだった。

 

「少佐、一体何が聞きたいんです」

 ポプランの口調はぶっきらぼうな一本調子になった。

 

「喧嘩の話を聞きたいわけじゃない。意味がないからな。調書に、取り調べ時は放心状態とある。でも、メディカルチェックで異常は発見されなかった。一体何があったんだ」

 

 しばらくしてポプランは口を開いた。

「さぁ。あの時のことはよく覚えていないのです。ちょっとしくじって、壁に頭を打ったから、脳震盪だったかもしれないです」

 

「でも、メディカルチェックには問題がなかった」

 

「おおかた軍医が藪医者だったか、機械が壊れていたか、どっちかでしょう。何なら、今から軍医の所に行きますか」

 

「酒飲んだ人間を診断したって意味はないさ。第一、留置されていた時の君と、演習中の君はまるで別人だ」

 

「だから脳震盪だったとーー」

 

「ならば単刀直入に聞こうか。二年前、何があった」

 

「……」

 ヤンの質問にポプランは黙りこくった。しばしショットグラスを眺めて、その後ぽつりとつぶやいた。

 

「少佐殿ーーそれが知りたければ戦闘艇パイロットに転職することですな。他人に話すことなど何もない。それじゃ、モニークを待たせるわけにもいかないんで」

 ポプランはそう言って、ヤンが引き留める間もなくバーを出ていった。

 

 

 

 翌日ーー

 

 コロッサスの艦橋は人であふれていた。表向き公表されていないが、演習の最後が大規模模擬戦であること、そして相手は自動操縦の戦闘艇であることは、皆知っていることである。空母の乗組員の他、リンネベルグ司令をはじめとした戦闘艇部隊の幕僚、軍需局の担当官、システム軍団の連絡担当官、そして報道局(ヤンと違って本当の広報官である)といった面々がいる。

 

 参加するのは敵味方300機ずつ。ポプラン等の所属する第343戦闘艇隊も、全機が参加している。既にコロッサスから発進していて、演習宙域に進出、他の空母から発進した戦闘艇と合流している。

 

「対抗勢力ーー1時方向より接近中。接触まであと3分」

 

 中央の大スクリーンに敵部隊ーー自動操縦の戦闘艇部隊を示す光の点が現れた。人では追いきれないほどの数の点が、味方部隊に向けて接近している。それに対抗する味方部隊は、3つの方形陣に分かれて待機している。それもよく見ると、光の点の集合体であることが分かるはずだ。

 

「対抗勢力、間もなく指定宙域に入ります」

 

「味方全機に通達、符丁『ブルーノ』。敵勢力を駆逐せよ」

 

 リンネベルグ司令からの信号が伝えられるや否や、待機していた味方部隊が前進した。中央の部隊はゆっくりと、左右の部隊はそれより早く接近している。典型的な包囲と撃滅、そのはずだ。

 

「敵X-32、撃墜と判定。味方B-47撃破の判定、後退します。味方B-32、C-17、撃墜の判定」

 演習がはじまってから後は、オペレーターが戦況の推移を淡々と読み上げる。艦橋の面々はスクリーンを見上げるだけだが、表情から全体的な戦況は読み取れた。

 渋面ーー戦況は味方に不利。中央の部隊が押し込まれている。中央の部隊が優勢な敵を引き受け、その間に左右の部隊が敵後方から殺到する、そういうシナリオのはずだったが、中央の部隊ーーポプランやコーネフも居るーーの損耗が早い。左右の部隊は抵抗を排除するはずなのに、未だに敵との殴り合いを続けたままだ。

 

「B部隊(中央の部隊)は何をやっている。このままでは何もできずに突破されてしまうぞ」

 

「敵部隊の技量が予想以上です。先月の演習からさらに上がっているように見えます」

 リンネベルグ司令の独り言に幕僚が答える。実際、味方にぽつぽつと損害が出て、敵に一時的な優勢状態を作られてはさらに敵が殺到するという状況があちらこちらで作られている。それをカバーするのがポプラン、コーネフといった一握りのエースパイロットなのだが、全ての状況をカバーできるわけでもない。

 

「技量も上がっているーーだが、それだけじゃない。撤収のタイミングを調整したな」

 リンネベルグはそう言った。実際、エースパイロットが乱入すると敵はさっと逃げ散ってしまう。本来なら追撃して何機か撃墜すべきなのだが、味方のエースは少数で危機的状況は多数。他の援護に向かえば、敵部隊は再度集結して逆襲を開始する。きりがない。今までなら抗戦を試みて返り討ちにできるパターンなのに、それがなくなっている。

 

「敵Y-23撃墜。B-17ポプラン機がやりました!」

 オペレーターの報告にほう、という声が報道班からあがる。実際、中央部隊の戦闘は数個の光る点が超人的な動きを見せ、敵を押し戻そうとしているのが見て分かる。

 

「B-17、敵Y-88を撃墜。4機目です。B-11シェイクリ機、敵Y-66を撃墜」

 最初は押し込まれていた味方であったが、態勢を立て直しつつある。技量に劣る味方を、それなりに経験を積んだ機がカバーする、という戦術がようやく効いてきたらしい。耐えしのいでいる間にスーパーエースがカタをつけるわけだ。コロッサス艦橋に詰めている面々の表情が少し緩んだ。もしかして、なにもかもうまくいけば、このまま戦況が好転するやもしれんーーそういう雰囲気が流れ

 

 一瞬で吹き飛ばされた。

 

「B-17より緊急信号、支援プログラム機能がシステムダウン、機銃、補助スラスターが効かないとの報告!」

 オペレーターの声は悲鳴に近かった。艦橋が静まり返る。ポプラン機を示す光の点が赤色に変わる。緊急事態を示しているのだった。

 

「何があった」

「分かりませんーーコンピュータシステムの不具合ーーでも推進機能には問題なさそうですーー症状はコンピュータウィルス、システム暴走に類似しています」

 リンネベルグと幕僚のやり取りを聞いていたかどうかは知らないが、システム軍団の士官が慌てて通信を始めた。コンピュータがずる(チート)を使っていては演習も何もあったものではない。

 

「B-17ーーポプラン機を引き返させろ。予備機に乗り換えさせるのだ」

「ですがーー」

「まともに飛ばせないスパルタニアンに何ができるというのだ」

 リンネベルグの指示をオペレーターは伝えようとしてーー

 

「ネガティブ!ポプラン機、通信途絶、コンピュータシステムがダウン、手動操縦に切り替わってます!!」

 オペレーターの声に艦橋内は再度ざわついた。手動操縦というのは最後の手段であって、そんな状態で交戦するのは正気の沙汰ではないーー常識はそのはずだった。

 

「何があった。何故後退しない。周囲の機体は何をやっている」

「B-14より通信。呼びかけに応答無しとのこと。通信機能の異常と思われるーー」

「だめです。敵の圧力が大きすぎて、誘導しようにも味方はどこも手一杯です。ポプラン機が自力で判断し、帰還しなければ」

 幕僚の言葉に、リンネベルグは歯を噛み鳴らした。

 

「コロッサスより緊急シグナルを出せ。B-17を帰還させるのだ」

 リンネベルグは指示を出し、オペレーターがあれこれ操作を始めた。コロッサスから古式ゆかしい発光信号が出始めた。ポプラン機から信号が見えれば、帰還命令が伝達されたことになる。あくまでも見えればの話であるが。

 

 それにしても、ポプラン機の動きは群を抜いている。手動状態でも動きは遜色なく、さらに撃墜スコアを3つ重ねている。

 

「信じられない。完全手動であんな動きができるなんてーー」

 幕僚の一人がうめいた。ヤンにはその意味するところが分からなかったが、ポプラン機が超人的な働きを示しているのは、撃墜スコアを見ればわかることだ。

 

「B-17、Y-98を撃墜。7機目です。なおも戦闘を続行ーー」

 決定的な場面は直後に訪れた。B-17の光点が突如スクリーンから消え、直後、オペレーターの悲鳴ーー今度こそ悲鳴が、コロッサスの艦橋にとどろいた。

「B-17衝突!敵機との衝突です!!コントロールを失い、直後爆発四散ーー」

 今度こそ艦橋は大騒ぎになった。

 

 

 

 一週間後ーー

 

 オリビエ・ポプランの葬儀は、演習終了直後、エル・ファシルの軍用共同墓地にて行われた。遺体は回収できなかったので棺に入っているのは、紙に印刷された写真と、本人が持っていたウィスキーのスキットルだけである。

 

 調査によると、ポプラン機は7機目を撃墜した直後に、敵機を回避しようとして、すぐ近くを飛んでいた撃墜判定の敵機を避け切れずに衝突したとのことだった。撃墜判定された機体との衝突など、本来あり得ないことだったが、ポプラン機のシステムダウンにより、自動衝突回避機能まで働いていなかったことが仇となった。

 

 葬儀には沢山の軍人が参列した。第343戦闘艇隊のパイロット、リンネベルグ司令、システム軍団の司令まで参列した(さすがに肩身は狭そうだったが)。

 

「オリビエ・ポプランの魂よ、宇宙に飛んで永遠の喜びの中に漂いたまえ……」

 司祭役の士官が淡々と弔辞を読み上げる中、同僚ーーコーネフ、シェイクリ、ヒューズや部下が担いだ棺が、墓穴に収められる。墓にはただ単に「オリビエ・ポプランーー15月36日生まれ」と刻まれているのみだ。残念ながら、美女たちの涙の湖で溺死とはならなかったなーーそう思ったのはヤンだけだっただろうか。

 

 参列した兵は、しんみりと死を悼んでいるようでそうとも限らないらしい。実際、ポプランの死、その直接的な原因であるスパルタニアンの動作異常については、まだ真相がはっきりしていない。はっきりするのはずっと後のことになるだろう。

 

 だからこそ、噂が乱れ飛ぶ。システム軍団の陰謀だとか、AIが手っ取り早く勝てる方法を思いついてシステムを乗っ取っただの、整備担当がさぼってコンピュータのソフトウェアアップデートを行っていなかった、ポプラン機のコンピュータにウィルスプログラムが事前に仕組まれていた、エトセトラ、エトセトラ。

 

 参列しているヤンもそういう噂話は聞いていなくもなかったが、事故については首を突っ込まないようにしていた。というか、思いもよらぬ事故の処理と調査に駆り出されて、それどころではなかったのである。もちろん、本来の総務部企画第三課の仕事がなくなるわけではない。またまたラオには大きな借りを作ってしまうことになった(自分が退役した後の体験ができたからいいだろ、ヤンはそう思っていたけど)

 

 オリビエ・ポプランの魂が彷徨っているとして、この光景をどう思うだろうか。ヤンはしばし考えた。美女の涙で溺死できなかったことを悔やんでいるだろうか。軍は、いや、人類社会というのは、社会の進化についていけない人間には冷酷だ。そういう人間が過半数を超えない限り。自動操縦の戦闘艇に職を追われる未来を見ることができなかった、それは人にとっての幸せだろうか。別の天職が見つかる可能性はゼロではなかったはずだが、それをポプランに強いるのは良いのか悪いのか。

 

 別にポプラン個人に限った問題ではない。士官だって、軍に残れるのは競争に勝ち残った人間だけである。階級が高くなるにつれ、仕事の椅子は数を減らしていく。競争に負けた人間には退役の二文字が突き付けられる。だからこそ、競争に疲れ果てた士官は、いざという時のための再就職先を探しながら日々を送ることになる。ヤンにすれば、願ったりかなったりな話ではあるが、士官のだれもが同じ意見ではないことを知っている。

 

「やっぱり、機械に殺されるのは無念だったんじゃないかなぁ」

 ヤンは誰にも聞こえないようにつぶやいた。美女の涙に溺死するのが理想の生き方だったろうけど、第二の天職は宇宙海賊とか、帝国に亡命して戦って死ぬか、そっちの方がよかったのではあるまいか。こんなことを考えても仕方がないのだけど。

 

「あいつ……ポプランにとって、平和こそが一番の敵だった」

 コーネフの言葉をヤンは反芻する。平和な世界に居場所がない人間、残念ながらそのような人は存在し、そしていなくなった。

 

 

 

 

 

 

 一か月後ーー

 

「キャゼルヌ先輩の無事到着を祝して、乾杯」

「乾杯」

 

 アレックス・キャゼルヌはヤンの士官学校での先輩である。それなりに交流があり、ヤン側からすると「目をかけてもらっている」先輩だった。退役を待つばかりのヤンとは違って、キャゼルヌの方は軍における未来の重鎮と目されている真のエリートである。階級は中佐であるが、キャゼルヌの方は今後も昇進を重ねていくだろうと言われている。

 

 そんなキャゼルヌが惑星エル・ファシルにやって来た。名目は軍再編計画のための事前視察ということになっているが、詳細はヤンの知るところではない。それでも、ヤンの数少ない知り合いがエル・ファシルに来るのは嬉しいことで、ヤンは早速一席設けたのだった。キャゼルヌの方もまんざらではなかったようだ。

 

 話すことは山のようにあった。ヤンの仕事のこと、エル・ファシルのこと、キャゼルヌの奥方のこととか子供のこととか。話がキャゼルヌの仕事の方面に突っ込んだ時、キャゼルヌがこんなことを聞いてきた。

 

「そういえば、こないだの演習で例の戦闘艇の事故を目撃していたんだよな」

「ええ。先輩はご存じだったんですか?」

「いや。でも、回ってきた報告書に、お前さんの署名がしてあったのは覚えていた」

 そう言われてヤンは頭をかいた。

 

「なぁ、これはここだけの話にしておきたいんだが、ポプラン軍曹から何かを告白されたということはなかったか?」

「ポプラン軍曹から?何のことです」

 ヤンは首をかしげた。

 

「例えば、懺悔とか、打ち明け話とか、そういうことを聞いたことは?」

「……」

 ヤンはしばし考えていた。しばらくして顔をあげる。

 

「そうですか。そういうことだったんですね」

「何をだ」

「もう忘れるつもりでいましたが、やはり予感通りだったんだ。キャゼルヌ先輩、自分はどうしても納得いかなかった。ただの軍曹の営倉のために、戦闘艇部隊の司令が動くことが納得いかなかったんですよ。空母コロッサスでもそれなりに聞いてみましたが、確信的な情報は得られなかった。でも、今、分かったような気がします。」

「そうなのか」

「ポプラン軍曹は、恐らく軍の秘密を知ってしまった。それも本人が意図しない内に。そうではありませんか?」

 

 今度はキャゼルヌが黙る番だった。

 

「最初に言っておくけどな。俺は当事者じゃないからな。あくまで伝聞情報だ。それと、ここからの話は本当の本当にここだけの話にしておけ」

「分かりました」

「軍は、部隊の練度向上のために、特別な教導部隊を編成しようとした。その中に戦闘艇の部隊も存在した」

「……」

「そんな中、戦闘艇の部隊に帝国への派遣という話が持ち上がった。帝国のどっちに派遣するかは知らんが、どちらにしても、ここじゃできない体験ができる」

「実戦、ということですか」

 ヤンの声が自然と小さくなる。

 

「そうだ。帝国に派遣するにあたり、一番の問題は機密の話だった。同盟は帝国の内戦については局外中立、それが原則だ。実戦部隊を派遣しているとなると、問題が起きる。名前を変えても捕虜になり、自白をすればおしまいだ。それを解決するために、ある方法が用いられた」

「何でしょう」

「薬物、さ。禁断症状はサイオキシンに似ているが、継続投与している間は廃人化しないし、平常復帰する方法は確立されている。少なくとも紙の上では。陸戦隊が長時間の戦闘に使用することになっている覚醒剤、あれの別バージョンといったところか」

 キャゼルヌの口調は何かを吐き捨てるようだった。

 

「それはいつの話ですか」

「俺の知る限りだと二年ほど前だ」

 そうか、ヤンは頭の中でコーネフの言葉を思い出した。ポプランは二年ほど前に、三ヶ月ほどいなくなった。

 

「その部隊は今でもあるんですか」

「無いな」

 今度のキャゼルヌは、何かを断定するような感じだ。

 

「別の誰かが思いついたのさ。帝国から実戦データをぶん取って、自動人形に学習させた方がリスクが少ないって。部隊は帝国に派遣されたが、大した実戦経験も積めず帰ってきたそうだ。ま、受け入れ体制が整ってなかったんだろうな」

「もっと早く気づいてほしかったですね」

「そうだな」

 キャゼルヌがグラスをあおった。ヤンはなおも考える。恐らくポプランはその部隊に派遣された。そして、帝国に行かず原隊に戻された。何かトラブルがあったのだろう。一番確率が高いのは薬物、恐らくは。あの症状も、薬物の影響だと考えれば。

 

「そんな部隊に派遣されて、トラブルを起こす兵がいたとしたら、加えて反抗的な態度が感じられるとしたら」

「軍としては放っておけない、だろうな」

 キャゼルヌの返答にヤンはため息をついた。ヤンもグラスをあおる。ウィスキーが少々多かったのか、ヤンは少しむせた。

 

「なぜ先輩は教えてくれたんですか?」

「教えるつもりはなかった」

 キャゼルヌは言った。

 

「警告のつもりだった。例の事故報告書にお前さんの名前を見つけてな。妙なものに首を突っ込むかもしれんと思ってなぁ。退役して娑婆に戻って夜道を歩いていたら、無灯火の地上車(ランドカー)が猛スピードで突っ込んでくるとか、嫌だろう?」

「そりゃまぁ」

「だったら、今回の件、あまり深追いはしないことだ。その気が無いなら無いで結構だが」

「分かっていたつもりでしたが」

「??」

「やはり、軍にとって軍曹など消耗品でしかなかった。軍隊はいつもそう。兵や下士官のことを何だと思っているんでしょうね」

「おいおいーー」

 キャゼルヌは苦笑しながら言った。

 

「『軍隊』のところを『国』や『国民』に差し替えても成り立つ話だな。結局自分の命や財産でなければ、それなりの犠牲であればーー許容される犠牲(コラテラルダメージ)というわけだよ」

「そんなもんですか」

「例え、帝国との戦争が続いていたとしても、だ。関係ない国民からすれば勝った負けたの方が重要だし、自分の懐があったまる方がもっと重要だ。前線では何万何十万の兵士が死んでいても、だよ。ならば、そんな犠牲を払わずに済むようになるのが手っ取り早い、そうではないかい。ヤン?」

 ヤンは苦笑した。こんな話しててもしょうがないですね。場が重くなってしまったから河岸を変えましょうーーそう言って、ヤンとキャゼルヌはバーを出ていったのだった。 

 




次回予告

 憲兵隊に一枚の怪文書が持ち込まれた。ただの悪戯にすぎない、誰もが思ったその怪文書は、銀河帝国の内戦、それに大きな影響を与えるものだった。

 銀河英雄伝説 ファニー・ウォー 第三話「灰色計画」


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第三話 灰色計画

 憲兵隊に一枚の怪文書が持ち込まれた。ただの悪戯にすぎない、誰もが思ったその怪文書は、銀河帝国の内戦、それに大きな影響を与えるものだった。


<1>

 

「なんですそれ?」

 ヤン・ウェンリーのデスクに広げられた一枚の紙、それを見てラオは声をかけた。ヤンは一時間前ほどに来客があるといってオフィスを出ていき、ついさっき帰ってきたのだった。そして一枚の紙を前にうんうんうなっている。

 

「紙だよ」

 

「そら紙でしょうねぇ。って、何て書いてあるんですか?」

 ラオは文面を見て首をかしげた。アルファベットらしき文字が大きく書きつけてある。

 

「大尉。士官学校で帝国公用語は必修のはずだぞ」

 

「ああー。そうでしたねー。でもこの読みにくい文字は……」

 

「フラクトゥールだ。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが復活させた古式ゆかしい書体さ。勅書とか、皇帝にまつわる書面にはこれが使われるらしい」

 

「はー。手の込んだ悪戯だことだ。で、何だって……『警告、灰色計画に注意せよ』……何ですかこれ!?」

 

「それが分かれば苦労は要らないさ。大尉には分かるのか?」

 

「全然」

 

「なら、私にも分からない」

 

「何かの怪文書ですか?」

 

「今のところは」

 

「怪文書ならうちの管轄じゃないでしょう。捜査二課か三課にでも持っていけばいい、というか憲兵隊じゃなくて治安警察の領分だ」

 

「だよなぁ」

 

「だったら何故?」

 

「いやぁ、それがねぇ」

 ヤンはそれまでの経緯を話し出した。

 

 

 

 二週間ほど前ーー

 

「それでは、カーライル先生、そして皆様方の益々のご活躍を祈念し、乾杯!」

「乾杯!!」

 

 ヤンはとあるホテルのパーティー会場でぽつねんと立ち尽くしていた。エル・ファシル市民大学の一学生であるヤンだったが、たまたま所属している研究室の教授が、教授就任20周年ということで、パーティーの準備に駆り出されていたのだった。準備が完了すれば楽しんでくればいいーーそう教授は言っていたが、一介の学生であるヤンには楽しみようもない。せいぜい、酒と料理を適当につまんで退散するか、そう思っている所に、一人の人物から声をかけられた。

 

「もしもし」

 

「はぁ、何か御用でしょうか」

 

 声をかけたのは、一人の老人だった。年齢はもう60は確実に過ぎている、体が自由に動かせるのもあと数年、という感じの好々爺。頭髪、眉、口髭は当然のように真っ白である。幸いなことに?頭髪はそれほど後退していなかった。

 

 ヤンは何か御用聞きを命じられるのかと身構えた。それまで準備にあれこれ駆り出されていたのだから、それぐらいは想定しておかなければ、と思ったのだが、話は全く異なるものであった。

 

「先ほどのシンポジウムで質問をされていた方ですかな」

 

「質問?」

 パーティーの前のことを思い出して、ふと思い当たるところがあった。いかにも歴史学の教授らしく、パーティーの前に公開討論会が開催されていたのである。題材は「王朝の持続性と革命の論理」というものだった。

 

「質問ーーああ、そういえば。大変失礼致しました。それで御用は何でしょうか」

 

「いやいやーー」

 老人は満面の笑みを浮かべていった。

 

「確か、最後に質問をされておられた、そうですかな」

 

「……はい。よく覚えておいでですね」

 

「妙に記憶に残りましてな。この年になると珍しいものです」

 

 ヤンはこの老人に対する認識を改めた。確かに最後の質問時間にヤンは質問していた。それまで題材に上がっていた、地球史時代の王朝の歴史を挙げつつ、王朝の持続性と、王が有する実力は反比例しているのではないか、そういう質問をしたのである。

 

「いや、確かな裏付けがあるわけではありません。あれは、ほとんど思い付きのようなものです」

 

「ほほ。善哉善哉(よいかなよいかな)。実力あっての権威。実力無き権威など存在しない。誰しもがそう思うものです。ですが、歴史には実力の行使を封印することによって、王朝の持続を可能とした事例が存在する。奇妙なものですじゃ」

 

「はぁ」

 そうですね、とヤンは言った。だが、一体老人の目的が何であるか、それは分からない。

 

「ところでーー」

 

「ところで、貴方はただの学生ではないようだ。社会人、それも軍人ではありませんかな」

 

「そうですがーー」

 ヤンは驚いた。普通のスーツ姿で来ているのに。

 

「ほほ。そのピンバッジを見れば分かることですぞ」

 そう言われてヤンはあっと気が付いた。前にスーツを着た時、何かの事情で憲兵隊所属を示すピンバッジを着けていたのだった。外すのを忘れていた。

 

「はい。その通りです。憲兵隊に所属しております」ヤンは頭をかいてそう言った。

 

名刺(データグラム)を頂戴してよろしいかな」

 言われるがままに、ヤンはスマートデバイスを取り出し、個人情報データグラムを送信した。警察もそうだが、憲兵だと公的な個人情報の拡散は奨励されているのである。まぁ、それが良いことばかりではないのだが。

 

「では」

 老人からもデータグラムが送信されてきたので受信した。

 

「ほぅ」

 ヤンは口をすぼめた。フレデリック・ゴールドバーグ、スザンヌ種苗株式会社相談役、エル・ファシル市民大学名誉理事、そう書いてあった。どうもこの老人は、結構なお偉いさんであるらしい。

 

「あ、これは失礼致しました。御来賓の方とは知らずーー」

 

「いいのですよ」

 ヤンが恐縮したので、老人は手で押しとどめた。

 

「若い頃、小さな会社を興しましてな。今ではそこそこ大きくなりましたが、大学にはお世話になったものです。わずかですが、恩返しをしようと思った次第」

 

「あ、ありがとうございます」

 

「はははは。では、また会うこともありましょう」

 そう言って老人は去って行った。別の大学関係者の所に歩いていく。対応している方がへこへこ頭を下げているのを見ると、偉い人であるのは間違いないらしい。

 

 まぁ、もう会うことはないよな。ヤンはそう思った。とんでもない間違いだったのだが。

 

 

「それで、そのご老人がやって来たのですか?」

 

「いや。やって来たのはその老人の顧問弁護士、そう言っていた」

 ラオの質問にヤンは答える。

 

「こんなわけのわからない紙切れを渡すために?」

 

「そうだよ」

 

「その弁護士は何も不思議に思わないのですか」

 

「金さえ貰えばメッセンジャーボーイだって苦しゅうない、そういうもんだろ」

 

「突き返してもいいのに。第一、うちは市民相談受付じゃないですよ」

 

「だがなぁ。前に一度会った人の依頼と言われれば、それも無下にできないじゃないか。それに相手は弁護士だ。こちらに落度があれば地獄の底まで突っ込んでくるような連中だぞ」

 ヤンの口調はいつしか、ラオをなだめるようなものになりつつあった。

 

「それに、事情を聞きたいなら訪ねてこい、だってさ。民間会社の偉いさんの家、何かいいことあるかもしれないよ。根拠なんてないけど」

 ヤンは地図サイトを開き、老人の住居、その場所を指し示した。

 

「住所はーーへぇ、ムルマンスク郊外ですか。いいですなぁ。今頃紅葉が見頃ですよ」

 

 

 

<2>

 

 惑星エル・ファシルーー

 

 かつては自由惑星同盟の辺境惑星に過ぎなかったこの惑星は、ブルース・アッシュビーによってその姿を一変させられた。ハイネセンからイゼルローン回廊までの航路上に位置し、中央星域(コア・セクター)から少し離れ、なおかつイゼルローン回廊に遠すぎもしないという地理上の要因がそうさせたのだった。

 

 アッシュビー・ラインーー対帝国防衛用総合要塞区域、公的にはそういう名前がつけられたはずだが、もう誰も覚えていない(実際、現在の公的文書にすらアッシュビー・ラインと書かれているので、以下その名前を使用する)。それは、イゼルローン回廊近辺の8つの星域を丸ごと使用した要塞網を指す。ティアマト、ヴァンフリート、アルレスハイム、ダゴン、アスターテ、パランティア、ドーリア、そしてエル・ファシルがそれに当たる。

 

 それぞれの星域には防衛基地、補給基地に観測設備、防衛用機雷網が設置され、イゼルローン回廊の同盟側には、特にびっしりと機雷が敷設されている。まるで帝国の侵攻を防ぐ蓋のように、である。

 

 当然ながら、惑星と防衛網だけでこの宙域を防衛するわけではない。後詰となる機動艦隊が配備され、有事とあらば敵の後背を突くわけである。

 

 そして、これらの宙域の最も後ろ(つまり首都寄り)に存在するエル・ファシルは、要塞網を統括する役割を与えられたのだった。ということは、艦隊や防衛網といったハードウェアを保守、整備、生産する役割が与えられた、というわけだ。他の惑星は現地住民の退避が行われたが、エル・ファシルにはそれもなかった。

 

 それまで人口200万にも満たない小惑星(惑星の生産規模という意味において)であったエル・ファシルが、人口5億7300万という中央星域にも匹敵する人口を得たのにはそういう理由があった。アッシュビー・ライン計画が動き始めるや否や、エル・ファシルには大規模な軍事補給施設が整備され、それに付いて行くように、同盟の主要な軍需企業はエル・ファシルに支社を設置した。さらにそれに引きずられるように、一般消費財を生産する会社も支社や工場を設置するようになった。これで人口が増加しないわけがないのである。

 

 人口増加に伴い、エル・ファシルの可住区域に都市が建設され始めた。建設された工場の周辺にも城下町都市が建設され、惑星エル・ファシルはその様相を一変させた。各都市は、いずれも過去に栄華を極めた軍港の名前が付けられることになった。曰く、ノーフォーク、チャールストン、ポーツマス、マルセイユ、タラント、ヨコスカ、コロンボ、アレキサンドリア等々である。

 

 人口の増加に伴って、第三次産業も整備されている。元々、エル・ファシルという惑星は人類の居住環境としてそれほど悪くない所だったし、平均気温もまずまず温暖といえた。ただ、惑星の性質上、軍事と関係のない、純粋な居住地としての開発はさほど活発ではない。惑星エル・ファシルはあくまで軍都なのであった。

 

 それでも例外というものは存在する。ヤンが訪れようとしているのは、そういう所だった。

 

 

 

 行政府エル・ファシル・シティから地上車を走らせること一時間、郊外都市ムルマンスクのさらに奥の山中といっていい場所に、ゴールドバーグ邸宅は存在した。でかいーーそういう形容詞すら不足するような邸宅だった。手入れのコストを心配したくなりそうな広大な庭園、高級ホテルを思わせるような四階建てのクラシカルな屋敷、屋敷の外壁は白とピンク色で塗装されている。大型スタジアムより広いんじゃないのか、ヤンはそう思った。丘一つを占領していると言われても信じたくなる。

 

 ヤンは弁護士経由でコンタクトを取り、この邸宅を訪れていた。私服姿なので、憲兵とかそういう関係を伏せた、私的な訪問という形だった。わざわざ日曜日の午後を潰して訪問している。

 

 入口では執事に出迎えられた。執事なる人間と会うのは、生まれて初めてじゃないかとヤンは思った。執事も主人と負けず劣らずの爺さんであったが、主人よりも少しは若そうに見えた。妙に愛想のない執事であったが、目的を伝えると主人の元に案内してくれた。とある一室に案内されると、中には、パーティーで見た老人が椅子に座っていた。

 

「お忙しいところ、お呼びだてして申し訳ございませんな」

 

「いえ。面会を希望したのはこちらの方なので」

 ゴールドバーグ老人に勧められるままに、ヤンは椅子に座った。座ればわかる、がっしりとした椅子の感触から、この老人の財力というものが推測できた。

 

「ウォード君からは説明を聞きましたかな」

 

「え、ええ。ですが……」

 金持ちの老人にニコニコと応対されると、ヤンも恐縮せざるを得ない。だが、内心は不信感で一杯だ。説明?一体何を?あのわけのわからない怪文書を渡されただけなのだが。

 

「あ、あの、大変申し訳ないのですが……」

 

「どうしましたかな?」

 

「警察と同じく、憲兵も市民の利益を守るのが職務でありますが……情報が無いと判断に困るのです。ウォードさんからはこの紙を渡されただけでして……」

 ヤンはおずおずと『灰色計画』の紙を差し出した。

 

「ふむ……不足でしたかな?」

 

「えっ」

 老人の言葉にヤンは絶句した。一体これだけで何を判断しろというのか。

 

「警察の皆様なら、これで理解して頂けると思ったのですが」

 

「あ、あの……一体何のことでしょうか」

 

「同盟市民の住居に、帝国公用語で記された伝単が投じられた。これ、帝国が同盟市民を脅迫している何よりの証拠、そうではありませんかな」

 そう言われてヤンの頭は混乱した。この老人には常識がないのか、そう疑いすらした。ダゴン会戦からこのかた、同盟は大量の帝国からの亡命者を受け入れている。アッシュビー政権とアッシュビー・ラインの成立、帝国の内戦勃発、帝国からの亡命者は増加の一方なのだ。帝国公用語の走り書きが犯罪の証拠ーーそんな論理があってたまるものか。

 

「あの……大変申し上げにくいのですが、帝国公用語の文書だからといって犯罪の証拠とはなり得ません。弁護士の方にもお聞きになってはいかがでしょうか。この紙に、何か犯罪を示唆する語句が書いてあればまた話は別ですが」

 

「例えば?」

 

「あくまでも一例ではありますが、『拉致する』とか『殺す』とかですね」

 ヤンは汗をかきつつ答えた。やっぱりラオの言う通り無視すればよかったかな、そう思い始めていた。

 

 老人はため息をついた。そして言う。

「……帝国はかつての故郷でした……」

 

「もしかして亡命?」

 ヤンの言葉にゴールドバーグは頷いた。道理で、とヤンは思った。室内の雰囲気がなんとなく資料映像で見る帝国様式に似ていたのだった。祖国は遠くとも、故郷の雰囲気は忘れられない、そういう元帝国人は多い。

 

「とある事情がありましてな。名前を変えて過ごしております。帝国人は帝国人同士で固まる傾向があるそうですが。自分は、それも極力避けてきました。帝国時代の私は、もういなくなりました」

 

 そこまで言われて、初めてヤンは合点がいった。この帝国語の怪文書、その裏の意味は

「お前の秘密を知っている」

 そういうことなのだ。帝国に居た過去を消す男の元に届く帝国語の文書。それの指し示すものはそれしかない。

 

「なるほど。過去のとある事情に関して、トラブルを抱えている。そう考えてよろしいのですか」

 ヤンの言葉に、ゴールドバーグはうんうんとうなずいた。

 

「分かりました。そういうことであれば、調査を始めることができます。まずは、そのトラブルについて教えていただけますか」

 

「それはならん」

 ヤンの言葉に老人はかぶりを振った。

 

「どんな人間にもプライバシーというものがある。そうではありませんかな。私個人のプライバシーを明かすかどうかは、自分が決めること。過去のことを話す気はありませんな」

 ヤンは辛うじて顎を外さずに済んだ。

 

 

 秋の日は釣瓶落としーーというのは、夏と比べての感想であろう。強烈な日光はある日突然、柔らかな秋の日に取って代わる。夜7時まで明るかった庭園も、5時を過ぎたら暗くなってしまう。

 

 この屋敷の書斎、主人の居場所に執事が訪れたのは、そんな夕暮れの時間帯だった。ヤンが屋敷を去ってから二時間ほど経過していた。

 

「何用だ、リヒャルト」

 

「よいので、ございますか」

 リヒャルトと呼ばれた執事は、ゆっくりと、なるべく力強い口調で話す。主人も執事も老人と呼ばれるようになって久しい。それは、聴覚能力が心もとなくなっているということである。

 

「何がだ。」

 

「この度のはかりごとにございます」

 

「その話は何度もしたはずだ」

 主人が執事の方を向くことはない。

 

「ですが、事態が如何様に転びましても、我々の命運は極まったも同然。それに、あの者はなかなかの切れ物にございます。いずれ、真実の一端に辿り着きましょう」

 

「間に合うか」

「はい。それに」

 

「それに」

 

「御真意については未だに伺っておりませぬ。何故、部外者を巻き込むのでございますか」

 

「……リヒャルト」

 

「はい」

 

「『あれ』はな、水の中の牢獄なのだ」

 

「……」

 

「煌びやかなように見えて、あらゆるところに死が転がっている。生きるためには、わずかな空気を探さねばならぬ。牢の中で、だ。もちろん牢から出ることは許されぬ。国を捨てても、牢獄から出ることにはならない。違うか?」

 

「儂の場合はもう手遅れだ。だが、だからこそ他の者は守らなくてはならん。かれらは牢獄を知らぬ。牢獄を知らぬのに『あれ』のために死の定めから離れられない、そのようなことは許されぬ。少なくとも私が許さぬ」

 

「そのためのはかりごとでは……」

 

「そうだ。そのためには、我等が燃えねばならん。誰の目にも見えるように、盛大にだ。そのためには薪が必要だ」

 

「薪をくべるのでございますか」

 執事の声は震えていた。

 

「そうだ。我々だけではなく、彼の者にも手伝ってもらう。そしてリヒャルト、貴様の命はもらっていくぞ」

 主人の声は、氷のように冷たかった。

 

 

 

<3>

 

「課長、まだそれにこだわっているんですか」

 

 ラオがヤンの机の上にある「灰色計画」の紙を見て、あきれたような声を出した。

 

「うーん。まぁ、その通りだよ。こいつはミステリとしてなかなか理不尽だ」

 

「課長は名探偵ですか。TVドラマのような」

 ラオが面白そうに言った。

 

「まさか。私はただの憲兵だ。それも捜査をやるんじゃなくて、総務をやる方だ。でも、捜査課の連中も、こんな問題は付き合いたくないかもしれない」

 

「でしょうね。第一、事件はまだ起きていないですからね」とラオ。

 

「事件が起きた後から捜査をするとは限らない。脅迫なら、事件が発生する前に捜査することになる。」

 

「でも、脅迫があるかどうかは分からない。教えてくれないのでしょう?」

 

「そうだよ。ないないづくしのないづくしだ。情報さえあれば、捜査もできるし、犯人を捕らえることもできる。なんでこんなに何もないんだ」

 ヤンは紙を持ち上げてひらひらさせた。

 

「やっぱり狂言なんではないんですか」

 

「手の込んだいたずら、そういうことかい」

 

「状況から導き出される結論は、ほぼそれですよ」

 

「そうかもしれない。だが、疑問は残る。一体なにをやりたかったのか、だよ。いたずらなら、意図がある。欲しい結果がある。それが見えてこない。いたずらなら、ちゃんと捜査してくれそうな所に話を持ち込む。ちゃんと捜査してくれそうな話を持ち込む……待てよ」

 

「??」

 

「なぁ、ラオ大尉」

 

「何です」

 

「もし我々が事件捜査を命じられたとして、だ。捜査が完結した後どうする?」

 

 

 

 その男と対面するのはじつに久しぶりだった。超高速通信が普及したとはいえ、相手とカメラ越しに会話するのはいろいろと不便がある(主に費用の面において)。ヤンがビデオ通話を選択したのは、懐かしさという側面が大きかった。

 

「先輩、お久しぶりです」

「そうだな。一年ぶりかもな。わざわざすまないね」

 ダスティ・アッテンボローは、士官学校時代のヤンの後輩である。優秀な士官となって御国の盾とならんーーそういう学生ばかりが士官学校にいるわけではないことは、ヤンを見ればわかる。アッテンボローも同類だった。軍人になるつもりはなかったのだが、士官学校と併願した大学は不合格だったから、士官学校に入るしかなかった、何度もそのぼやきを聞いたものである。

 

 というわけで、士官学校を卒業し、任官してから最低限度の勤務期間が過ぎると、さっさと退役してしまった。ヤンは軍人恩給が惜しかったから軍に残ったけど(軍人恩給の受給資格は、軍に10年勤務しなければ貰えない)、アッテンボローにはそれすら未練はなかった。

 

 もともとジャーナリスト志望のアッテンボローは、退役後、大手の新聞社に入社して、晴れて希望の職につけたーーと思いきや、そこも2、3年で辞めてしまった。今はフェザーンに移住して、経済誌の記者をやっている。

 

「フェザーンは面白いですよ、先輩。ハイネセンより何倍も面白いです」

 

「そうなのかい。エル・ファシルよりよっぽど面白いだろうね。」

 

「ええ。フェザーンで金や物の動きを見ていると、帝国と同盟が戦争状態にあるなんて信じられなくなりますね。まぁ、戦争状態なんですけど」

 

「それはそれは。ところで、超光速通信をしてきたということは」

 

「ええ。ご依頼のスザンヌ種苗のデータ、まとまりましたので送ります。先輩、来年の同盟軍新型装備選定会議、優先取材パスお願いしますよ」

 ヤンはアッテンボローに、ゴールドバーグ老人が相談役を務めているという、スザンヌ種苗の調査を依頼したのだった。帝国からの亡命者であることを考えると、何か情報が出てくると期待したのである。代償として支払ったのは、来年あたまに行われる軍の新型装備選定会議、その取材許可証だった。軍は大手の顔見知りメディア以外に許可証を出したがらないことで知られている。

 

「わかったよ。何とかするさ。折角、骨を折ってくれたんだ。ところで、ゴールドバーグ氏については何か分かったかい」

 

「うーん。そちらはあまり。送ってくれた情報は間違ってないんですよね。スザンヌ種苗の相談役に居るのは間違いないんですが、どうも、会社とほとんど関わり合いがないらしいんですよ。会ったことのある人がほとんどいない」

 

「そうかぁ。一気に話が怪しくなったなぁ」

 

「亡命に関しては間違いありません。30年近く前に北朝のオーディンから、フェザーン経由で家族ごと亡命したそうです」

 

「家族?あの老人に家族はいない……いや、今いないだけか」

 子供は親の元を旅立つものだ。それが世界の道理である。

 

「そこも分かりませんでした。内戦の戦禍を避けるため、だそうです。亡命の理由は」

 

「月並みだね」

 まぁ、それ以上の理由は必要ないだろうな、そうヤンは思う。帝国が2つに分かれ、帝国のあらゆる所で内戦による悲劇が発生している。ちなみに、アッテンボローの言う「北朝」というのはリヒャルト帝が統治する「元の」帝国。クレメンツ帝が統治する貴族連合の方の帝国は「南朝」と呼ばれている。別に、宇宙に南北があるわけではない。クレメンツ帝が新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を脱出し、南の離宮で形ばかりの即位宣言を行ったからそう言われているのだった。それに倣って、軍隊も北軍・南軍と呼ばれている。

 

「でしょう?で、亡命直後に会社を立ち上げたわけですが、スザンヌ種苗もなかなか怪しい所があるんですよ。先輩、スザンヌ種苗って、立ち上げ直後にいきなり新種のバラを発売して、一気に成長した会社なんですよ。おかしいと思いませんか?ベンチャーで一番難しいのは、金になる製品を生み出すまで生き延びることなんですよ」

 

「そうなのか」

 

「0から売れるプロダクトを作るのも大変ですけど、周囲の介入を跳ね返すのも大変なんです。そうでしょ。放っておけば自分のシェアを食い荒らす会社を放置するなんて、愚の骨頂です」

 

「そりゃそうだろうね」

 ヤンは相槌を打つだけだ。

 

「ですがね先輩」

 リモート会話のはずなのにアッテンボローは声をひそめた。

 

「スザンヌ種苗はそれに成功した。ろくに時間もお金もかけず、売り出した花はどんどん売れていく。種苗業界では、結構不思議がられていたようです。何故そんなことができるのか、調べた人もいたようですけどうまくいかなかったようですね。今はさほどでもないですが、あの会社は昔、かなり秘密主義だったようで」

 

「ですが、調べていくうちに、妙な噂が流れていたことが分かったんですよね」

 

 

 

 数日後ーー

 

「ここを訪ねてきた、ということは」

 ゴールドバーグ老人が振り返りながら言った。ヤンはまたも弁護士経由でコンタクトを取り、ゴールドバーグ邸を訪れている。今度は休日がてら、でもなく平日に訪れている。今度は軍服姿である。ヤンは、これで自分の姿勢を示しているつもりなのだった。

 

「何か、分かったことがあった、ということかね」

 ゴールドバーグの声は、なにか疲れているように聞こえた。

 

「分かりません。いろいろ調べましたがお手上げです。答えの欄にあてずっぽうに答えを書くような感じです」

 ヤンの目の下には隈ができている。いろいろ苦労をしたことだけは確かだった。

 

「なるほど。そろそろ正解が必要かね」

 

「はい」

 

「君に私の過去を明かすことはない、そう言ったはずだ」

 老人の口ぶりは、頭の回らない学生に対峙する、意地の悪い教授そのものだ。

 

「ええ。ですが」

 

「ですが?」

 

「この数日間、いろいろ調べて参りました。そこから得られた推論、いや妄想を導き出すところまできました。結論に至る道筋はめちゃくちゃです。ですが、結論があまりに衝撃的なものであれば、それを深堀りしてみたくなる、それが人間の知的欲求というものです。ゴールドバーグさん、もし私の妄想が正しければ」

 

「正しければ?」

 

「貴方はここから消えることになる。最悪の場合、死ぬことになります」

 直後、ヤンはゴールドバーグ老人が笑みを浮かべるのを見た。

 

 

 

<4>

 

 ゴールドバーグ邸の扉が荒々しく開けられたのは、数日後の夜だった。扉がこじ開けられた場合、警報システムが作動するはずだったがそれもなかった。

 

 乱入者がどたどたと入ってくる。人数にして十名を少し超えるぐらいだった。そのうち何名かは何かが入ったバッグを提げていた。

 

 最初に騒ぎに気づいたのは屋敷の執事だった。乱入者の前に立ちはだかり、じろじろと眺めまわし、何用だ、と言った。事件の被害者としては異様なほどの肝の据わりようだった。乱入者がいずれも、帝国軍の軍服を着ていることについても動じることはない。

 

「この屋敷に殿下がおられると聞いている。お会いしたい」

 乱入者のリーダーらしき男が言った。

 

「約束は」

 

「残念ながらない。だが、殿下にとって大変重要な話なのだ。是非ともお取次ぎ願いたい」

 

「約束のない人間と会うことはない。お引き取り願おう」

 そう言われて、乱入者のリーダーはむっとしたのか、腰から何かを取り出し、突き出した。

 

「これでもか」

 驚くことに、銃を突きつけられても、執事の態度が変わることはなかった。

 

「銃で何を押し通そうというのか。自分のやっていることが何か、本当に分かっておるのかね」

 直後、ブラスターからエネルギー弾が発射された。2発、3発。執事は今際の言葉もなく絶命した。

 

「ゼルケ、時間がない。手分けをして探すぞ。殿下はまだここにおられるはずだ!」

 

 

 

 乱入者が主人の元にたどり着いたのは、午後8時を回った頃だった。あまりに部屋数が多すぎ、鍵がかかっている部屋もあった。目的の人物を探し出すのに、それだけの時間を必要としたのだった。

 

 ゴールドバーグ老人の書斎を最初に発見したのは、大尉の階級章を着けた乱入者だった。慌ててコミュニケータを取り出すと、何やら連絡を取る。どたどたと足音が聞こえ、たちまち十人以上の人間がゴールドバーグの部屋に入ってきた。有難いことに、この部屋は照明がついたままだ。

 乱入者は二列横隊で整列すると、一人が前に進み出た。

 

「殿下、お迎えに参上致しました」

 その言葉が合図なのか、全員が一斉に跪いた。

 

 

 

「さし許す。名を申せ」

 部屋の主は三十秒ほども侵入者全員を眺めまわし。そう言った。その言葉に反応したかのように、リーダーとおぼしき、前に進み出た者が答える。

 

「はっ。小官は、銀河帝国軍務省フェザーン駐留武官、フリッツ・フォン・ヴェルナーであります。階級は大佐であります。ここにおりますのは、皆、現在の帝国を深く憂慮し、帝国の一統を求める者でございます。」

 

 主人はわずかに顎をしゃくった。続きを言え、そういうサインだとヴェルナーは解釈し、再度話し出した。

 

「大変失礼ではございますが、時間がありません。義挙の概要を申し述べます。先帝オトフリート陛下御崩御より後、誠に遺憾なことに、帝国という家は二つに分かたれました。北軍、南軍共に決定的な決め手を欠いたまま、30年以上にも渡り流血を続けていることは殿下もご存じのこと」

 

「両軍、いずれも自らの大義を主張しておりますが、あまりにも長すぎる流血により、双方共に帝国のあるべき姿を忘れ去っているのが現状でございます。南軍の門閥貴族は、内部での権力闘争に明け暮れております。北軍は、ラインフォルト、ローゼンタール、バイヤースドルフ、ビッテンフェルトといった財閥共と奸臣リヒテンラーデが手を結び、国を私物化しております。」

 

「……」

 

「皇帝陛下の御稜威(みいつ)の下、貴族、平民、あらゆる存在が力を合一し、国を盛り立てていくのが帝国の大義であるはず!しかし、現状はそれと比べあまりにかけ離れている、そう言わざるを得ません。片や自由惑星同盟を僭称する叛徒共は勢いますます増大。猶予は一刻もございません」

 

 主人はわずかにうなずく。

 

「この状況を打開するには、北軍でも、南軍でもない第三の力が立ち上がるべきであります。白でもなく、黒でもない。双方を抱合する灰色の勢力を作るのです。そして、それを率いるのは、もう一人の親王殿下でございますフリードリヒ殿下以外にございません!」

 

 そこまで言い切ってヴェルナーは違和感を感じた。貴方をクーデターの首領に担ぎ上げる、そう言い切っているのだから、言われた方は、喜ぶなりあるいは怒るなり、とにかく感情の揺らぎがあるはずである。しかし、目の前の老人はどうだろう。感情のさざなみすら感じ取れない。まるで、自分の言いたいことなど先刻承知、そんな感じではないか。

 

「もちろんただ立ち上がるだけではございません。我々には沢山の、志を同じくする同志がございます。殿下の号令一下、行動を起こす準備は整ってございます。北軍、南軍、軍部の枢要に潜入せる同志が一気呵成に軍を、そして宮廷を浄化するのです。準備は完成してございます。このこと必ず成就します」

 

「続けよ」

 

「そしてリヒャルト陛下、クレメンツ陛下には帝国一統の大義について、ご説明申し上げます。こちらの真意が伝われば、必ずや我等の計画に同意なさいましょう。両陛下にご退位頂き、殿下が至尊の座にご登極あそばされば、帝国の栄誉は必ず取り戻されるでありましょう!!」

 

「………………で、あるか」

 

 室内に妙な空気が流れた。この部屋の主人が、話にまるで興味を示していないのである。もしかして、認知能力に異常があるのか。ヴェルナーがそんなことを考え始めたその時、主人がやおら話し始めた。

 

「どうしてここが分かった」

 

「はっ。情報提供者がございました。エル・ファシルにお住まいとは想定外でした。ですが、提供された毛髪から取得した遺伝子パターンは、殿下であることを指し示してございました」

 

「随分と大枚をはたいたであろう」

 

「恐れ入ります」

 それだけ言ってヴェルナーは違和感を感じた。何故それを知っているのか。

 

「やはり卿らをハイネセンから引き剥がして正解だった。そのまま居座られては不都合なのでな」

 ヴェルナーの脳内に疑問符が増えていく。どうにも話が噛み合わない。というか、目の前の殿下は、知らないはずの秘密を知っているとしか思えないのだ。

 

 同じように疑問を抱いていた乱入者のうち、一人があっと声を上げた。震える声を紡ぎ出した。

「恐れながら殿下……殿下は殿下ではございませぬ……」

 ヴェルナーは目を見開いた。

 

 

 ゴールドバーグの拍手が鳴り響いた。

「正解だ。大尉。おめでとう、そう言うべきかな」

 

 ヴェルナーは、大尉とゴールドバーグを何度か眺めた後、老人をじろじろと眺め、愕然とした表情になった。

 

「ま、まさか……」

 

「その通りだ。遺伝子照合に頼りきって、単純な人相学も心得ぬとか、卿の計画とやらも、お里が知れるというもの」

 

「…………殿下を出せ。案内してもらおう。どこに隠したのだ」

 ヴェルナーはブラスターを取り出した。

 

「殿下は逃げも隠れもしておらぬ。分かっていないのは貴様らの方だ」

 脅されていても、老人の声には臆したところは全くない。

 

「では何だ、殿下はどこにいるのだ。お前は分かっておるのだろう」

 

「……馬鹿者めが」

 

「五月蠅い!」ヴェルナーがわめいた。

 

「屋敷に入った時に、執事がおったであろう。執事は貴様らに用向きを尋ねたはずだ」

 

 ヴェルナー一同は視線を泳がせた。何人かがはっとする。今頃気づいたのか、老人はそうつぶやいた。

 

「そうだ。その執事こそが、本物のフリードリヒ殿下であらせられる!」

 

 部屋の中は固まったようになった。主人の言葉は単純明快だったが、それを解釈するのは知能というより覚悟とか勇気が必要だった。

 

「な……なんだと……それでは」

 ヴェルナーは愕然とした。膝が震え始めている。

 

「殿下は全て分かっておられた。軍人のクーデター如きで帝国が統一できるはずがない、そう仰せであった。しかし、帝国を憂える思いをただ無駄にするのは忍びない、そうも仰せであった。だからこそ、殿下は最後のチャンスを与えられた。儂が貴様らを馬鹿者と呼ぶのは、そのチャンスを、むざむざ(ドブ)に捨てたからだ。分かったか!!」

 

 ヴェルナーは心の中の何かがぽきんと折れるのを感じた。帝国のためにと思って計画すること数年、陰謀が露見しそうになり、その度に隠し通してきた。大義のために犠牲者を差し出したこともあった。そして時は来た。そのはずだった。それが全て掌の上だと言うのだ。これが悲劇でなくて何であろう、いや、喜劇なのかも。

 

「冥土の土産に教えてやろう。我が名はリヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン、フリードリヒ殿下の侍従武官だ。殿下のご尊顔も分からぬそちらが、何が帝国一統であるか!己の身の丈を弁えるがよい!!」

 直後、叫び声があがり、数本の光線がグリンメルスハウゼンの身体を貫いた。グリンメルスハウゼンは叫び声をあげることなく倒れ、動かなくなった。

 

 

 

 しばらくの間、居間は時間が止まったかのようだった。十人以上の人間が居るのに誰も身動きせず、言葉すら発しなかった。金縛りが最初に解けたのは、ヴェルナーの側に居た少佐だった。何事かをヴェルナーに囁き、ヴェルナーは頷いた。

 

「シュライバー、彼奴の遺伝子データを照合しろ。言っていたことが本当か確かめるのだ」

 最後尾に控えていた男は、ヴェルナーの指示を受けると飛び出すように走り出て、グリンメルスハウゼンの傍らに駆け寄った。遺伝子検査機器を指に装着し、検査を開始する。

 

「どうだ。遺伝子データは合致したか」

 

「はい。間違いありません。リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン子爵。パターンが合致しています。公式記録は内戦勃発直後に行方不明となっていますが、本人に間違いないでしょう」

 

 報告を受けてほっとした空気が流れた。場の勢いで撃ってしまったものの、殿下が嘘をついていた可能性だってあったからだ。奉るはずの玉体を撃ち殺してしまったとなれば、死んでも死にきれないというものだ。

 

「……帝国の大義を理解しない痴れ者め。所詮、売国奴の取り巻きか……」

 ヴェルナーはそう吐き捨てると、グリンメルスハウゼンの遺体を転がし、ブラスターを撃ち込み始めた。ブラスターのエネルギーパックが空になると、今度は唾を吐きかける。

 

「大佐殿!」

 ヴェルナーが死体蹴りをやめたのは、後ろから羽交い絞めにされ引き離されたからだった。

 

「ゼルケ!何故止める!!こいつが憎くないのか!帝国一統の大義を理解しない耄碌だぞ」

 

「大佐。それは分かりますが……これからどうするのですか」

 

 そう言われてヴェルナーははっとした。説得が難航する可能性は当然考えていた。いざとなれば無理にでも奉戴するプランもあった。だが、誤って殺してしまうことまでは考えていなかったのだ。奉る玉体は既に無く、自分達は単なるテロリスト集団と化していることを、たった今認識したのである。死にたくなければ、泥縄でもなんでもいい、プランBを考えなければならない。

 

「殿下のご親族を探すーー」

 

「??」

 

「殿下のDNAパターンさえあれば、親族を探し出すことなど造作もない。草の根を分けても探し出す。そして、帝国一統の大義をご説明申し上げる」

 

「大佐ーー」

 ゼルケは絶句した。ヴェルナーの状況把握がまるでなっていないことが分かったからだった。やぁ、君のお父さん(か、お爺さん)は大義を理解しなかったから撃ち殺したよ。でも、君は賢いから当然我々の大義を理解してくれるよねーーそう言って話に乗ってくる人間などいるわけがない。

 

 そんな一同の逡巡を強制中断したのは、外からの大音声だった。

 

「民間人の住居に不法侵入せる、帝国軍を自称する諸君!!」

 

 

 

<6>

 

「こちらはエル・ファシル星系防衛軍である!!!諸君らが不法に侵入しているゴールドバーグ邸宅は、1000名の兵士によって完全に包囲されている!!即時に抵抗を中断し投降せよ。しからざれば攻撃す!!10分の猶予を与える。民間人の住居に不法侵入せる帝国軍を自称する諸君ーー」

 

 スピーカーから50メートルも離れていたおかげで、そして指揮官用バンの中に居るおかげでヤンは辛うじて耳栓をせずに済んだ。指向性スピーカーを使えばこんな大声にならないのに、と思ったが、憲兵隊にはそのような装備はなかった。だからとにかく大音量のスピーカーをと言うことになり現在に至るわけである。

 

「1000名の兵士ねぇ……」

 ヤンはひとりごちた。少々考えれば、星系防衛軍が兵を出すなどあり得ないのである。アッシュビー・ラインの最奥で帝国軍の大規模テロがあったとなれば、政治的影響が大きすぎるからだ。これで完全武装の実戦部隊が出動したとなれば、転び方次第では同盟軍トップの責任問題となりかねなかった。一介の少佐が何を言っても軍隊の出動などあるわけがなかった。

 

 それは責任問題そのものだからしょうがないんじゃないか、ヤンはそう思うのだが、憲兵隊に降りかかってくる火の粉のことを考えると、自分達で何とかするしかない。憲兵隊から人員を出すことも相当難しかったが、何とか捜査情報を糾合し、表向き、帝国軍を偽装するテロリストのアジトを撃滅するという名目でやっと1個中隊を憲兵隊の交通機動隊から動員している。後はテロ対応特殊部隊(SWAT)を2個分隊。それが出来たのも、ゴールドバーグ老人本人が情報を提供してくれたおかげだった。もちろん、完全な包囲などあり得ない。

 

「大尉。動きはあるか」

 

「今のところは特に何も」

 ヤンの質問にラオが答える。凶事が行われている部屋は分かっている。ならばこっそりエネルギー感知センサーを付けておけば中の状況は大体把握できる。本当はもっと高級なセンサー、いや、遠隔カメラでも仕込みたいところであったが、用心深いテロリストが居ることを考えて、そのような仕込みは行わないことにしたのである。

 

 ヤンには、中で何が行われているのか手に取るように分かる。本来なら、こんな状況を看過すべきではなかった。しかし、それだけは許されることではなかった。それが、あの老人との約束だった。憲兵としてあるまじき行為、だが、それこそが老人の願いだった。

 

 そう、今になれば全てが繋がるのである。ゴールドバーグ老人の思い。老人が守りたかったもの、それは自分の命ではない。

 

 

 

 話は三日前に戻るーー

 

「正しければ?」

 

「貴方はここから消えることになる。最悪の場合、死ぬことになります」

 直後、ヤンはゴールドバーグ老人が笑みを浮かべるのを見た。ヤンは自分の当てずっぽう推論がどうやら当たっているらしいことを確信した。

 

「なるほど。ヤン学生。君の推論を聞くことにしよう」

 ゴールドバーグ老人に促され、ヤンは話し出した。

 

「話を整理するために、結論に至るまでの道筋から話したいと思います。この問題が出された時、私には目的というのが分かりませんでした。家に怪文書が投函された、これでは憲兵はもとより、警察も動きようがありません。しかし、ゴールドバーグさんは私をここに招待し、自分が帝国からの亡命者であることを明かされました。そして、怪文書に何らかの意図がある、そう主張されたのです」

 

「それでも、警察を動かすにはあまりに情報が足りないのです。これは警察という組織を少しでも知っていればわかるものです。ですが、現にこの段階で警察を動かそうとしている、その理由を考えて、この結論に達しました」

 

「続けたまえ」

 

「実際に警察が動いたら、捜査し、謎を解き、結論を出します。犯人を逮捕し、罪を償わせるか、脅迫事件なら脅迫の実行を防ぎます。平和が訪れ、めでたしめでたし、となります。今後のために記録が残され、それで終わりです。誰もかれも頭の中から忘れ去り、次なる犯罪に対峙する。ですが、それはクライアントの望むところではなかった」

 

「……どういうことだね」

 

「犯罪が行われることを事前に察知していれば、警察には犯罪を防ぐ能力があります。ですが、犯罪は実行されなくてはならないのです。捜査が終了したら、事件のことを忘れます。ですが、事件が風化したり、誰の目にもつかないように処理されてはいけないのです。しばらくの間は」

 

「自己紹介のデータグラムを頂いた時に、スザンヌ種苗相談役、とありました。もちろんこの会社は存在します。ですが、会社の過去を洗っていく時に、不審な点がありました。スザンヌ種苗は、花の新品種を次々に出して会社を大きくしています。しかし、新品種の開発には莫大な費用と時間がかかる。そして立ち上がったばかりの会社には、そのいずれも不足しています。これを回避して新品種を世に出すには、方法は一つしかありません」

 

「どうすればよいのかね」

 ゴールドバーグ老人の笑みはますます大きくなっていた。

 

「最初から、新品種を手許に持っておけばいいのです。世の中には、突然変異種というのが存在するそうですね。市井の会社なら、それが金になると分かると、遺伝子データを保存し、大量生産し、販売します。特許も取ります。ですが、新品種を世に出さないのであれば、販売も特許も必要ありません。秘中の秘にしておけばいいのです。ですが、それは金と、何より権力が必要になります。外からの介入を跳ねのける権力が」

 

「私が実地で確認したわけではありませんが、門閥貴族、それも高位の貴族では、動物の遺伝子改造を実施し、利用している例があるそうですね。犬に角を生やしたり、魚を異常に大きくしたり、とか。こんなことができるのは権力があるからです。」

 

「論理の飛躍だな」

 

「はい。論理の飛躍です。ですが、過去、スザンヌ種苗に関して似たような噂はあったらしいのです。新商品は、遺伝子組み換えのような研究努力でできたものではなく、全く新しい突然変異種をどこかで採取したに違いない。そういう噂です」

 

「そのため、スザンヌ種苗が設立された30年前、丁度、帝国の内戦が勃発した前後になりますが、その時に死亡、行方不明、もしくは亡命した高位の貴族、ということで絞り込みを行ったところ、ある一人の人物に行き当たったのです。当時30歳前後、そして高位の貴族で花卉(かき)の栽培を趣味としている、そういう人物が」

 

「……」

 

「結論を言います。フレデリック・ゴールドバーグさん、貴方の本名は、フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム。先代皇帝オトフリート5世の次男、内戦の中で誰にも忘れられていた帝位継承者の一人。そうではないのですか。内戦初期に行方不明、公式にはそうなっていますけど」

 

 そこまで言って、ヤンは深呼吸した。相手は帝国からの亡命者とはいえ、お前は銀河帝国皇帝の次男ではないのか、そう断言するのは勇気のいることだった。

 

「ふっふっふ。ははははは!!!」

 ゴールドバーグは笑い出した。一しきり笑った後に言う。

 

「なるほど。実にユニークな結論だ。だが、それでは『灰色計画』の説明にはなっていない。まぁ、そこまで話を絞り込んでいるなら、ストーリーはあると思うのだが」

 

「はい。勝手ながら、ゴールドバーグさんの個人情報を調査させて頂いております。表向き、家族は居ないことになっていますが、交渉がないだけで、息子さんが一人と娘さんが二名、ハイネセンで暮らしています。もう既に家庭も持っている。姓すら同じでないので、調べるのが大変でしたが、スザンヌ種苗から資金援助が出ていましたので分かりました」

 

「交渉がないのは、彼らにゴールデンバウム王朝の血統というものと距離を取らせるためです。お家騒動に巻き込みたくないからだと思います。ですがそうも言っていられない事態となった」

 

「そこから先は儂が話をしよう」

 突然後ろのドアが開き、執事が入ってきた。ゴールドバーグ老人が驚きと共に立ち上がる。殿下ーー老人はそう言っていた。

 

 

 

「いささか飛躍の見られる推論だが、結論は概ね当たっている。見事だ。見事な領解である」

 執事がその服装のまま、先ほどまでゴールドバーグ老人が座っていた椅子に座る。ゴールドバーグ老人?の方は当然のように立ち上がって、側に控えた。珍妙な光景だった。

 

「え、あ、あの……」

 ヤンは口をぱくぱくさせた。

 

「少佐。貴人を前にして、影武者の可能性に思い至らないとは、まだまだだな」

 そう言われて、ヤンは殴られたような衝撃を受けた。当然と言えば当然の話だが、本当に思いつかなかったのだ。

 

「スザンヌ種苗からそこまでたどり着くとは、想定外だった」

 本物のゴールドバーグ老人が言った。

 

「調査した人間が優秀でした」

 ヤンはそれだけ答えた。

 

「それほど優秀なら、気づいているのではないのかね。スザンヌ種苗は技術投資に金をかけているが、投資金額に対してリターンが少ないと言われていることを」

 

「それはーー」

 ヤンはその先を言うことができなかった。確かにアッテンボローの報告書にそう書いてあった。だがその理由も今なら分かる。そしてレポートにはこうも書いてあった。会社の規模に比して投資収入が不自然に多いと。

 

「そう。種苗会社なら、突然変異種の調査も重要な任務だ。そして、それには人員と費用がかかる。だが、それが別のものに化けていたら、どうかね」

 

「なるほど」

 ヤンはその言葉だけを吐き出した。帝国から亡命せざるを得ない事情を考えると、同盟に亡命しても、未来永劫安全が保障されるわけではない。だからこそ、亡命帝国人は、帝国人同士のネットワークにこだわる。そういう情報が手に入りやすいからだ。しかし、この人だけはそれを利用するわけにはいかない。だから、情報網を自分で作り上げた。

 

「仔細は省略する。この年になると長話も辛くてな。帝国が2つに分かたれてもう30年、リヒャルトも、クレメンツも内戦に疲れ果てておる。だが、終わる気配は見えない。内戦こそが当たり前の、そういう社会になってしまったからだ」

 

「二人ともにそろそろ世継ぎの話が取り沙汰されることになるが、世継ぎの争いというのは醜いものだ。そして、犠牲になるのは当の本人なのだよ。そういう風にできているのだ」

 

「灰色計画、黒と白を飲み込む企てーー所詮誇大妄想の産物に過ぎぬと思うのだが、それが動き出しているのは分かった。くだらぬ。くだらぬことだ」

 

「かつての儂は、帝位等に興味を持ったことはなかった。今もそうだ。だが、この儂に帝位の冠を押し付けよう、という動きが出てきたことがわかった」

 

「何故なのですか」

 ヤンは訊く。

 

「現実逃避だな」

 ゴールドバーグは言った。

 

「組織がうまくいかない時、トップを変えれば上手くいく。何故かそういう考え方が流行るものだ。変えて上手くいかなければ、さらに変えようとする。そして、奇跡的に立ち直るか、組織が崩壊するまでそれが続く。組織の中身や外的状況を無視し、トップを変えたところで状況が好転するわけはないのだが、それは都合よく無視される」

 

「そういうトップを押し付けられる側として、どうやってそれから逃れるか、それは難しい問題だ。儂だけならまだしも、息子に帝位の話が出てくることは耐えられん。折角の自由を捨て、死あふるる牢獄に戻るなど、断じて認めるわけにはいかん。ならば、向こうに諦めさせる他はない」

 

 ゴールドバーグ、いや、フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウムは一度ふうと息を吐き出すと、はっきりとした声で言った。

 

「だからこそ、我々は死ななければならぬのだ。それも華麗に、だ。帝室からあれを解放してやらねばならぬ」

 

 

 

「降伏勧告に反応あるか」

 

「ありません」ヤンの質問にラオが答える。

 

「それも華麗に、かーー」

 ヤンは指令車の中でつぶやいた。自分が死んだ後の憂いを断つために、自分だけではなく、自分の家族を担ぎ出そうと考えている人間、それを全て引きずりだして一網打尽とする。それだけではない。自分という存在は完全に消えたのだ、それを全宇宙に認識させるためのセレモニー、それが眼前の光景である。なんという覚悟であろうか。そして、なんと不幸な命運であろうか。

 

「ならば、その期待に応えないと。一人の学生として」

 そうヤンはつぶやくと、ラオに命令を下した。

 

「大尉。無力化ガス投射用意だ。場所は同じ」

 

「課長!待ってください!!エネルギー反応、室内でブラスターが使用されています!それにこれは……」

 

 

 

 周囲が同盟軍に包囲されていると知った時、ヴェルナー達の反応は2つに分かれた。脱出するか、投降するか、である。もちろんヴェルナーは脱出を主張した。広大な屋敷なら、どれだけ厳重に包囲しようとも穴はあるはず、脱出して次の手を打てばいいと主張した。

 投降を主張したのはゼルケだった。グリンメルスハウゼンの言葉が正しければ、陰謀の露見はもはや確実。となると、逃亡しても意味がないことになる。無意味な損耗は避けるべき、そう主張したのだった。

 

 意見の対立は、間もなく言い争いに発展した。愚図愚図していれば同盟軍が突入してくる。本当なら言い争いすらしている暇はないはずなのだが、双方とも譲らなかった。

 

 先に実力を行使したのは多数派ーー投降派の方だった。ブラスターを出すと、ヴェルナーに向けて発砲したのだった。たまらず床に倒れたヴェルナーは、何かを思い出すと胸元からあるものを取り出した。手榴弾だった。脅迫のための手段であって、使用することなど考えもしなかったが、今こそその時だった。

 ヴェルナーは最後の力を振り絞り、手榴弾の安全ピンを抜いた。

 

 

 

 それから一ヶ月後ーー

 

「ヤンさんですな。お忙しいところお呼び出ししまして申し訳ございません」

 

 弁護士の言葉にヤンは、いえいえ、と謙遜したが、内心は全く同意だった。テロに殺人。犯人は自爆し屋敷は燃えかける……特殊部隊が消火用ドローンを投入しなければ、あの豪壮な屋敷は完全に燃え落ちていたかもしれなかった。

 

 乱入者11名のうち、6名が死亡し3名が重傷で軽傷2名。発見された死体の解剖結果から、ゴールデンバウム王家の一族であることはほぼ間違いないという見解が出され、軽症者の取り調べから事件の概要が明らかになると、同盟中のメディアが事件の報道に熱中した。

 ヤンにとってはどうにも納得ができなかったが、メディアは『先帝オトフリート5世の隠し子、悲劇の王子、フリードリヒ4世』(確かに即位すればそうなるけど。それに隠し子ってなんだよ)という調子で報道した。もちろんヤンにはどうすることもできなかった。できたことといえば、メディアに緘口令を敷き、家族に関する報道を行わないこと、それだけだった。

 

 これを受けた帝国は、南北共にフリードリヒの存在を否定し、三十年前に既に死亡したから、本人ではない、という声明を発表した。老人の計画はここに完結したのである。今頃、両帝国では潜伏している同志の洗い出しと粛正が行われているであろう。

 

 ヤンからすれば、今の状況はいい迷惑でしかない。何しろ仕事が倍増した上に、マスコミからも追い回されるのである。そんな生活が一ヶ月ほども続き、あと少しで仕事も落ち着くだろう。ヤンがゴールドバーグ老人の顧問弁護士から呼び出されたのはそんな時だった。

 

「ところで御用というのは」

 

「あー。これはゴールドバーグさんというより、リチャード・グリンメルさんの依頼なのですが」

 ヤンはほぅ、と、言った。あの老人(グリンメルスハウゼンの方)は、そんな名前にしていたのか。そうだよね。名前が長いと、覚えてもらうのが大変だ。

 

「遺産相続の話でございます」

 

「遺産相続」

 ヤンはオウム返しで答えた。

 

「ああ、期待なさらずとも、現金とか株券とかの資産ではございませんよ。資産と借財は相殺の後、慈善団体に寄付することになっております。ですが、あの日の前日、突然、連絡がございまして、これをヤン少佐に渡すように、とのことでございました」

 弁護士は何やら古ぼけた分厚いノートを取り出した。装丁はいかにも古めかしく、紙を見る限り、何年も前に使っていたらしいことが分かる。

 

 ヤンは苦笑した。あれだけの金持ちなら100万ディナールぐらい残してくれてもいいのに。もちろん口には出さなかったが。

 

「見ても、よろしいのですか」

 

 ヤンの質問に弁護士はうなずいた。ヤンはノートを手に取るとページをパラパラとめくる。

 

 中身は日記だった。今から三十年以上前の日付が記してある。主に書いてあるのは、何かの商店への支払いと、ツケの記録である。後は、ちょこちょこ噂話のような書き付けがある。

 

 日記帳というよりは、借金の台帳、あるいは醜聞のメモと言うべき本だが、こんな本でも帝国史の発展に大いに貢献する資料となるかもしれない。ここに書いてある事が真実であると『みんなが』確信すれば、だけど。

 

 これがゴールドバーグ教授の試験、それの合格証書ということか。

 

「どうですか。相続は放棄することもできますが」

 

「いえ、ありがとうございます。ありがたく頂戴致します」

 ヤンは、遺産相続に関する何枚かの書類にサインして、ノートを受け取り、弁護士事務所を後にしたのだった。

 

 

 




 次回予告

 惑星エル・ファシルで行われる新型戦艦の選定会議、そこに国防委員を名指ししたテロが予告された。警備に参加するヤン・ウェンリーは、父親の知り合いだった政治家と出会うことになる

第四話「新型戦艦 ヨブ・トリューニヒト」


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第四話 新型戦艦ヨブ・トリューニヒト

 惑星エル・ファシルで行われる新型戦艦の選定会議、そこに国防委員を名指ししたテロが予告された。警備に参加するヤン・ウェンリーは、父親の知り合いだった政治家と出会うことになる。


<1>

 

宇宙歴796年12月31日、ヤン・ウェンリーの官舎ーー

 

「さぁ、いよいよ宇宙歴796年もあと一分、まもなくカウントダウンです。今年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。来年は今年よりよい一年になりますように……」

 

 テレビではアナウンサーが今年への別れと来年への期待を述べている。年末おなじみの光景である。ほとんどの同盟市民にとって、12月31日と1月1日は特別な日となる。皆、深夜まで起きて、年が切り替わる瞬間を迎えるのが、全国的な風習となっている。恐らく帝国もそうであろう。人類が地球から宇宙へ雄飛してこのかた、宗教的な儀式はほとんどが失われた。祝祭は人工的なものだけが残り今に至る。いや、年数のことを考えれば、かつて人工的なものだった祝祭が、宗教的で伝統的なものになりおおせたと言うべきか。

 

「15…………10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0!新年おめでとうございます!!ようこそ宇宙歴797年!!」

 

 アナウンサーの声と同時にぽん、と間の抜けた音が室内に響いた。スパークリングワインの栓があけられ、グラスに注ぎきれなかったワインが盛大に床にこぼれる。それでもスパークリングワイン用のグラスにワインが注がれた。グラスは2つある。なぜか。

 

「先輩。どうぞ。新年おめでとう!」

 

「ああ、おめでとう……」

 

 グラスを差し出したのはアッテンボローである。差し出された方のヤンは、気が進まないようだがグラスは受け取る。乾杯し、一気飲みの要領で二人ともグラスを空けた。

 

「先輩、辛気臭いですよ。もっと景気よくいかなきゃあ」

 

「折角の新年に乱入しておいてよく言うよ……」

 新年のこの瞬間、ヤンがアッテンボローと一緒に居るのは、ヤンが望んだわけではない。アッテンボローがヤンを拝み倒したからである。アッテンボローは取材でエル・ファシルを訪れているのだが、新年だけはどうしてもホテルが取れず、仕方なくヤンの官舎に転がり込んだのである。

 

「本当にホテル、取れなかったんだろうな」

 

「先輩、その質問、五度目ですよ。ホテル予約サービスの画面、見せたでしょう?まぁ、取れますよ。取ろうとすれば。ビジネスホテル一泊に500ディナールかかるといって、しょうがないって言ったの、先輩じゃなかったんですか」

 

「やっぱり後悔してる。男二人で新年なんか、迎えるんじゃなかった」

 世の中には、異性の交際相手が居ないことを、人生の損失のように捉える人間がいることは知っていた。今、この瞬間はそれに同意できる。ヤンはそう思うのである。

 

「それは同感ですが、新年祭を楽しまないのは損ですよ。去年はいい年だったんだから、今年はもっとよくしないと。そのためには、まずは楽しむ、でしょう?」

 

「それは私のことかい」

 ヤンは聞いた。まるで冗談を聞いたような顔をしている。

 

「それ以外の誰がいるんです」

 

「796年がいい年だった、なんてこれっぽっちも思っていないのだが」

 

「憲兵隊本部から感状もらったんでしょう?ボーナスもはずんでもらったって、聞きましたよ」

 

「課長がボーナスはずんでもらって嬉しいわけないだろ。金額は雀の涙、それも結局忘年会で全部差し出すんだから。第一なぁ、折角のキャリアプランが危機に瀕していることは、昨日話さなかったかい?」

 

「まぁた。出世が嬉しくない人間なんて、この世にいやしませんよ。このまま軍人やってればいいじゃないですか。天職なんですよ。て・ん・しょ・く」

 そう言われてヤンはげんなりした。アッテンボローはもう3杯目を空にしようとしている。きょろきょろしているのは、新しいワインかビールを物色しているのだろうか。結局スパークリングワインはアッテンボローがほとんど飲んでしまった。そのワインは他と違って結構なお値段するやつなんだがな。ヤンは残念に思ったが、後の祭りである。

 

 

 

 ヤン曰く、宇宙歴796年は厄年だった。大過なく憲兵隊の職務を勤め上げ、大学卒業資格を取ったら(順調にいけば797年の7月が卒業である)、軍隊を辞めて教師にでもなる、それが前から決めていたキャリアプラン、そのはずだった。

 

 それが危機に瀕しようとしている。春は、ユリアン・ミンツ少年の事件(どうやらミンツ少年は、あれから正式にプロ入りしたらしい)、空母コロッサスでの演習事故騒ぎ、秋になったらなったでゴールドバーグ老人の怪事件と、事件事故の方がヤンを捕らえて離さない、そんな感じになっている。そして、事件を何とか片付けると、憲兵隊内でヤンの評価が上がっていく、というスパイラルになっているわけである。

 

 そうすると何が起きるか。

 

「君は自分の才能をもっと活かすべきだ。憲兵隊の総務課ではなく、刑事畑を指揮してみるのはどうかね。あるいは艦隊勤務の適性があるかもしれんぞ。軍指揮官にとって、敵の心理を読み取るのは必須の才能だ。もちろん昇進だって期待できるぞ」

 ヤンはパエッタの声真似をして、ぶるぶると背筋を震わせた。年末にそのようなことをパエッタに言われたのである。年末の人事面接で退役の撤回または延長を薦められ、パエッタ司令に抗議に行ったらこの仕打ちである。

 

「先輩なら刑事課だってやれますよ。そんなに軍がお嫌なら、治安警察に掛け合って引き取ってもらうというのはどうですか?」

 

「治安警察がそんなの認めると思うのかい」

 アッテンボローは何も言わず、肩をすくめた。憲兵隊よりずっと大きく、複雑な組織である治安警察には、憲兵隊とはまた違った文化というものがある。ヤンがそこでうまくやっていく保証など何もない。

 

「まぁまぁ、そんなのくよくよしていてもしょうがない。今日くらいは楽しまないと。酒に対してはまさに歌うべし、でしたでしょ?」

 アッテンボローはヤンのグラスにワインを注ぎこんだ。どうやら、一日居候としての義理を、賑やかし担当として果たそうとしているらしかった。

 

 

 

宇宙歴797年1月4日、憲兵隊本部総務課ーー

 

「皆さん、新年おめでとう。では、給料分の仕事を果たしてくれ」

 

 ヤンのスピーチは「なるべく早く、なるべく短く」がモットーだ。スピーチというのはTPOに即して、とはよく言われるけど、ヤンはそれを顧みることなどない。まぁ、ラオ大尉以下課員の方もとっくに慣れっこである。何しろ、新年からやることは山のように積もっているのだ。新年の休暇が取れただけまだましと言わねばならない。

 

 とりあえずの今のヤン(と総務部企画第三課)の悩みは、新年早々に行われる会合、同盟軍新装備選定会議、である。

 

 

 

 同盟軍新装備選定会議とは何か?

 

 まぁ読んで字の如く、なのだが同盟軍の装備全般に関する見直しと新規選定を行う会議である。年によって規模はかなり変わってくるけど、年明けすぐに開催される、ということだけは決まっている。何故なら、予算編成に関連する話だからである。装備といっても戦艦や空母といった戦闘ハードウェアだけではない。軍服、ボールペン、コーヒー用紙コップに至るまでの全てが対象となる。

 

 いつもは首都ハイネセンで行われているこの会議が、何故エル・ファシルで行われるかというと、一つは辺境星域(アウター・リム)のロビイング活動のおかげであり、もう一つは今年の会議では、宇宙艦隊の花形、新型戦艦の選定が行われることになっていたからだった。機密漏洩の可能性は少しでも低い方がよいとされる。

 

 とはいえ、軍の重要会議であるから、報道陣は山のように押しかける。そうすると、彼らが宿泊する施設はなくなるか、大幅に値上がりするか、そのどちらかになる。記者のはしくれであるアッテンボローがヤンの官舎に潜り込んだのも、そういう経緯があったりする(そうでなくとも新年は宿泊施設に対する需要が大きい)。

 

 押しかける報道陣、そして会議に出席する軍の要人、国防委員会を始めとする議員と随行者、これが何を生み出すか?

 

 何を生みだすかというと、ヤンの仕事である。会場の手配に警備の手配、交通規制にマスコミ対応に予算のチェック、それぞれ主体的にこなすわけではないが、逆に何でも手伝いをやらされるのが総務である。恐らく、新装備選定会議が人の形をしていたら、ヤンでもブラスターの一発や二発ぶちこんでいるであろう。

 

 年末も準備でおおわらわで、死にそうになりながらも年末の休暇は何とか確保し、現実逃避で紅茶入りブランデーをすすりつつ本の虫となる……つもりが転がり込んできたのがアッテンボローである。そしてアッテンボローもこの会議の取材のためにやってきているのだ。ヤンの気分がささくれ立っていたのはそういう事情がある。(まぁ、取材する方のアッテンボローからすれば、知っておいて当然なわけで、本来なら別をあたるべきなんだろうけど)

 

「プレスルームが満杯?増設の手配をやってくれ」

「警備の応援用宿舎が足りない?兵舎は余裕があったはずだけど……人数が間違ってた?今すぐ空き兵舎を確保してくれ」

「政治家秘書用のホテルが取れない?五人も秘書連れてくるなよ……ホテルに掛け合ってくれないか。何とか空き部屋を捻出できないかなぁ」

 ヤンだけではない。後方支援部門の大体がこんな感じである。

 

 

 

「さて、今年の同盟軍新装備選定会議では、新型戦艦の採用に関する話し合いが行われる予定です。新型戦艦は現在の用兵思想の転換点となると、スポークスマンは表明しております。今のところ3社が試作艦を提示しており、その共通するところと異なるところを見ていきたいと思います。解説は軍事評論家のアレクサンドル・ビュコックさんですーー」

 

 エル・ファシルのローカルチャンネルでは、今回の新型戦艦選定に関する話題が大きく取り上げられている。軍都エル・ファシルでは、装備に関する関心は、ハイネセンと比べてずっと高い。エル・ファシル市民の大半が、将来的にその戦艦に関わるわけだから、それは当然だ。

 

 ヤンは、オフィスの休憩室で紅茶を飲みながらチャンネルを眺めている。夜は10時を回っているが、まだ帰れそうにはない。ラオが必死でまとめているプレスルーム増設に関する見積もりにチェックを入れ、承認するまで帰るわけにはいかない。おかげでかどうかは分からないが、こうやってぼーっとテレビを見る時間が取れている。

 

「ビュコックさん。今度の新戦艦、用兵の転換とは何を指すのでしょうか」

 

「あー、今度の新戦艦のキーワードとして、MPS、Multi Purpose SHIPというのがある。同盟の機動戦力は、主に旧型艦の新規改造、あるいは、艦の構造はそのままに、機能をグレードアップする形で近代化を行っておる。これは、少ない予算で戦力を揃えることが目的だが、帝国と比べて汎用性に劣るという問題は解決できんかったのです」

 

「汎用性に欠けるということのデメリットは何でしょうか」

 

「汎用性に欠ける場合、本来なら一隻でできる任務に、三隻、五隻であたらなければならないことがある。特に、通信機能、センサー機能で制限がある場合にこうなる。単艦でのコストが低くても、全体的なコストで帝国に劣るということになるわけだ」

 

「だからこそ、一隻でなんでもできるようになる、ということですね」

 

「左様。多用途性を追求すると、どうしても単一の艦としては大きくなり、コストも上がる。だが、今回、艦政本部と国防委員会新戦艦プロジェクトチームは、大型化に舵を切った。画期的なことだ」

 テレビでは、アナウンサーと老齢の評論家が話をしている。評論家の方は、第二次ティアマト会戦に参戦しており、退役後に出版した体験記が大ヒットを飛ばしたはずだった。こういう番組によく出てくるから、ヤンも見覚えがある。

 

「では、候補にあがっている三種類の艦艇について概要を見てみましょう。あらかじめ視聴者の皆様にはおことわり致しますが、軍事機密の関係上、お見せできない箇所がございますこと、ご了承ください。まずは、クワット・ドライブ・ヤード社提案の『コードネーム、スターデストロイヤー797』、帝国軍戦艦と似た四角錐型のフォルムとなっておりーー」

 

「あー、形は似ているが、中身は異なる。艦の前方に武装と格納庫、後方にセンサー、シールド制御部、推進部という住み分けを行い、安全性を向上させておる」

 

「ありがとうございます。次はエレシュキガル・インダストリィの『モバイルバトルシップ・ディアンサス』です。戦闘ブロックを左右に配し、挟み込むようにセンサー部と艦橋を配置する構造は、これまでの同盟、帝国両軍に見られない、極めて独創的なデザインです」

 

「今までと同じ、ブロック生産に適した構造をしており、量産性はそのままになっておる。大出力スラスターで機動力を確保し、データリンクとの連動で隊列を組んだ時の運動性が増大しているのも特徴だ。被弾しやすいブロックと艦橋を分けるのはリスク回避としては優れておるが、防御がシールドに頼りすぎと言われておる。正面が幅広いのも気になるところじゃ」

 

「そうですね。最後に、キタザキ=アームストロングJVより提案されているのが『コードネーム・トライアングルアロウ』です。こちらは、空母の艦体を使用し、攻撃力を従来艦より大幅にアップさせております」

 

「堅実な設計、という意味では一番かもしれん。核融合炉の出力に余裕があり、三つの砲塔からの一斉射は破壊力抜群だ。前方の戦闘ブロックと推進部は分離可能で改造が容易、というのが提案側のコメントにあるな」

 

「ありがとうございます。国防委員会は、今回の選定に関し、生存性、運用性、将来性等多数の観点から評価を行うとのコメントを発しております。プロジェクトチームのアイランズ委員はーー」

 あまりに休みすぎたので、ヤンはあわててテレビの電源を切った。いくら書類待ちとはいえ、だらだらしていては示しがつかない。それにヤン自身にもやらなければならないことが沢山あるのだ。

 

 

 

<2>

 

三日後ーー

 

「皆様、本日はお集まり頂き、誠にありがとうございます。自由惑星同盟新装備選定会議は、軍の進化に必要不可欠な役割を果たしております。軍の隅々まで現状を見つめなおし、改革の必要性があればメスを入れることを躊躇しないーー」

 ヤンはテレビ中継を見ながらため息をついた。裏方にとって、真の仕事の終わりはイベントの終わったそのまた後だけど、イベントが始まってしまえば後はなるようになる、何か心のつかえが取れたような気分になるものである(もちろん十分に準備をしていれば、だが)。

 ここ数日の深夜残業の末、ようやく会議の開始までこぎつけた。会議に参加する側からは山のようにクレームが来たが、何とか対応することができた。ヤンとしては、いや、憲兵隊や第二艦隊の後方支援部門としては、二度とエル・ファシルでこんなことをやらないで欲しい、というのが総意である。

 

 テレビでは、一人の政治家が開会のスピーチを行っている。テロップには国防委員会、ヨブ・トリューニヒトとある。

「あー」

 ヤンはため息をついた。トリューニヒトという名前には見覚えがある。彼の秘書と名乗る人からクレーム通信があり、ホテルが行政府から遠い、何とかしろと言われたのである。そら期限ぎりぎりに随行員一覧をねじこまれたらそうなりますわな、そう言いたかったが、その後上層部を動かされてはどうしようもなかった。おかげで総務部企画第三課が総出でホテルの空き部屋を調整する羽目になったのである。これで貴重な半日が失われた。

 

「オリオン腕に存在する、銀河帝国という圧政組織を駆逐することは、全ての同盟市民の願いである。かつてブルース・アッシュビーは、自由と民主主義の旗を打ち立てるためには、自由惑星同盟が力強くあらねばならぬと言った。それは強盛な国家および、強力な軍隊の建設である……」

 見てくれは悪くない。まぁほとんどの人が眉目秀麗と言うであろう。顔で政治をするわけではないが、人というのは見た目で中身を判断しようとする。人は見た目が9割、というのはいつの時代でも通じる法則だ。

 

「国家と軍隊は車の両輪の如し、古来からの法則である。軍隊の論理は常に外部から検証されねばならず、国家の進むべき道が正しいかどうかも常に検証されねばならないのである。その精神が最も必要とされるのが本会議であり、参加者は偏見なく自らの意見を述べ、真摯な討論の後に結論が出されねばならない。聞くところによると帝国では財閥と政治が結託し……」

 

 まぁよくも現実と乖離したことをべらべらと喋れるものだとヤンは感心する。確かに最終結論が確定するのは今回の会議だと思うが、大体の装備品について、方針は会議の前に決まっているものである。今回の目玉である新型戦艦においても、本命はどうのこうのという話はあちこちで乱れ飛んでいる。

 

 まぁ会議する分には構わないさ。会議場とホテルを往復している分にはこちらの仕事はしてみせる。そのための準備はしてきたつもりーー

 そんな時、コミュニケータが着信を知らせてきた。

「はい、ヤン・ウェンリーです」

 聞こえてきた言葉に、ヤンは思い切り表情を曇らせた。

 

 

 

「一体何なんでしょうね」

 同行するラオが聞いてきた。

 

「呼ばれただけなのに、私に何が分かるというんだい」

 ヤンはそれだけ言った。

 

「だが、パエッタ司令が私と大尉を呼んでいる。そして、通話では何も言わなかった。まぁ、悪い想像をするには十分だ」

 軍用コミュニケータには、音声暗号化が施されている。そのため、軍事機密でも話して構わないことになっている。だが、「密談」という風習はなかなか根強い。遠隔通話は録音されているかもしれない。回線が暗号化を突破して盗聴されるかもしれない。もちろん、盗聴に関する研究は(いろいろな非難とか法的問題をさておいて)行われているのである。

 

 エル・ファシル防衛軍司令長官(兼第二艦隊司令官)室に到着した。ノックをして二人は入った。

 

 

 

「殺害予告?」

 聞いたヤンは鼻を鳴らそうとしてあわてて止めた。

 

「そうだ。エル・ファシル共同通信社に声明が届けられたそうだ。警察は送信元を当たっているが、まぁ無駄だろうな」

 パエッタはスクリーンに声明文を表示する。声明には、経済格差の拡大と帝国の脅威低減にも関わらず国防費増大が続く現状に対して一通り抗議が綴られ、

 

「不必要な軍備拡大を推進する国防委員ヨブ・トリューニヒトに対し、新装備選定会議にて鉄槌を加えるものなり……これだけですか?」

 ヤンの質問にパエッタはうなずく。

 

「この団体名は?」

 ヤンは声明文の最後に署名してある団体名を読み上げた。

 

「治安警察がマークしている団体とはヒットしないが、名前からしてハイネセンで活動している反政府ゲリラを気取っている連中だろう。既存の団体から分離したはねっかえりかもしれない。帝国が仕込んだスリーパーの可能性もある」

 パエッタは最後に舌打ちをするのを忘れない。

 

「犯行予告一つでびびるわけにもいかないですけど……裏付けもなく大規模なアクションを起こそうとしているわけではないでしょうね。そうじゃないか、大尉」

 

「あ……ですね。というか、何故ウチに話が回って来たんですか。捜査課ではなく」

 ラオの言葉にヤンはうんうんとうなずいた。

 

「君達に捜査をしろと言うつもりはない。捜査は治安警察が担当する。警護も治安警察が担当する」

 

「では何故」

 

「国防委員会の方からクレームが入った」

 ヤンとラオの背筋が震えた。捜査でもないのに自分をわざわざ呼び出すということは……

 

「憲兵隊は警護に参加しないのか、だそうだ」

 

「いや、あの、その……」

 

「分かっておる。憲兵隊も機動隊が出動しておる。捜査課も総動員で警備に当たっておる。だからこそだ。象徴だよ」

 

「……」

 

「ヤン少佐。君がトリューニヒト議員について警備に当たってくれたまえ」

 

「あの……司令。私はSP資格など取っておりませんが」

 ヤンは反論したつもりだったが、パエッタは当然のように聞き流した。

 

「そうだ。向こうもそれは承知だ。少佐、向こうが君を指名してきたんだよ。何、警備というのは形式的なものだ。向こうは君と一緒のところを写真に撮ってもらい、記事にしてもらいたいんだ。ちょっとしたストーリーと共に。まぁ、有名税というやつだ。」

 ああ……ヤンは肩を落とした。

 

「ところで、向こうがこんなことを言っていたのだが、少佐。君のお父上はトリューニヒト議員と親交があったと聞いたのだが、本当かね?」

 

 

 

「スターデストロイヤー797は、今までの同盟艦船の概念を全く変える、新しい宇宙戦艦です。余裕のある船腹および効率的な機材配置は、これまでの戦艦と異なり改造の余地が十分にありーー」

 

 議場では、メーカーの担当者がプレゼンテーションのビデオと共に、新型戦艦の売り込みにあたっていた。ビデオそのものは美麗なことは分かるが、ヤンとしてはどうしても見る気になれない。ヤンは警護の目的でここに来ているし、艦隊勤務の経験はほとんどない。資料のデータパックを渡されても見る気になれない。ヤンが見ているのは、トリューニヒト議員に関する資料である。

 

 ヨブ・トリューニヒト。ハイネセン出身、47歳。国民共和党、当選6回。初当選からこのかた落選なし。

 徴兵経験はない(トリューニヒトの年代では徴兵は停止されている)が、なんと短期勤務志願兵として、ハイネセン防衛地上軍に勤務。3年間の勤務で体力検定1級(ゴールデンキャップ)1回、特級射手(マークスマンメダル)授与者。ほぉ、自分より頼りになりそうだ、ヤンはそう思った。

 スキャンダルに関する資料はなかった。いやいや、逮捕とかそういうのはいいから噂話ぐらいつけておいてくれよ。警備ロボットじゃないんだから、何でも警備できるわけじゃないのに。

 

 新型戦艦の選定会議は、会議会場の最も大きい会議室で行われている。プレゼンテーションの前は、各候補の担当者がいろいろな機材を持ち込んで、選定プロジェクトメンバー(特に議員)に売り込みを行っていた。ちょっとしたワークショップ状態だった。

 

 今は、候補ごとに時間が与えられ、プレゼンテーションの時間である。午後の会議から急遽警備として潜り込んだが、ヤンとしてはやることがない。トリューニヒト議員はSPが取り巻いているし、会議の時間帯は人の出入りは厳重にチェックされる。これでは暗殺者など入り込みようがない。会議場全体を爆破するならまだしも、爆発物や薬物のチェックは厳重に行われている。

 だから、ヤンはとりあえずトリューニヒトの資料を見つつ、会議の状況を見ながら、警護する「ふり」をするしかない。ヤンは暇が苦痛というタイプではないが、今現在は苦痛そのものである。あくびをしていないだけ称賛してほしい、とすら思った。暇と付き合うだけならまだしも、自分が受け持つはずだった会議中の仕事をラオに押し付けているのが申し訳ないのである。あの時のラオの恨めしそうな顔といったら!

 

 だからといって自分が楽していると思うなよーー

 

 ヤンはそう思うのである。第一、会場の隅で縮こまっているのは、やることないし居心地が悪い。時々、議員秘書とか警備担当者がこちらを見てヒソヒソするのが目に入ってくる。まぁ、どう見ても場違いである。少佐という階級がまず場違いじゃないか。将官(意思決定者)でもないし、下級士官や下士官(警備担当)でもない。少佐はこの会場でやるべき仕事はないのだ。管理職が一人でぽつんといても意味がないのだ。

 

 もちろん、ヤンとしては陰口を叩かれたからといって気にすることはない。せいぜい、会議の内実を見分するぐらいだ。もちろん、会議場内ではトリューニヒトにそれとなく付いていかなければならないが。

 

 

 

 そんなこんなでプレゼンテーションが終了した。今日のスケジュールは全部おしまいで、後は議員を宿舎にお見送りするだけである。

 

 これはスターデストロイヤーに決まりかなーー

 

 プレゼンテーションの反応を見ていてヤンはそう思った。明らかに雰囲気が違うからそう思えるのである。やはり、この会議の前に結論は出ているのだ。他の二候補も頑張っているようだが、徒労に終わりそうだ。申し訳ないなぁ、ヤンはそんな気がする。

 スターデストロイヤーが新戦艦に決まったらどうなるだろうか。ウェブ上の意見はあまり良くない。フォルムが帝国軍戦艦に似ているからだ。テクノロジーを盗用しているだの、フェザーンが同じ戦艦を帝国と同盟に売りたいからだ、だの、陰謀論じみた意見まで見る。まぁ、陰謀論で政治をするわけじゃないけどね。

 

 そんなことを考えていると、後ろから肩を叩かれた。見ると、トリューニヒトの秘書と名乗った男が厳しい顔でこちらを見ている。

 

「委員がお呼びだ」

 秘書はそれだけ言ってすたすたと歩いていく。

 

 やれやれ。

 ヤンはすごすごと後をついていった。全く、この会議では少佐の階級章があっても、ただの鼻たれ小僧扱いだ。まぁ、事実なんだけどさ。

 

 

 

「エル・ファシル憲兵隊本部、ヤン・ウェンリーであります」

 

「やぁやぁ。君が例の名刑事君かね」

 トリューニヒトはヤンからの敬礼を受けるなり、にこやかに握手を要求してきた。行きがかり上拒否するわけにもいかないので、ヤンも手を差し出した。握手が行われ、付いてきた記者やカメラマン達がシャッターを切る。まさかアッテンボローはいないだろうな、ヤンは密かに視線を動かしたが、どうやらそれはないようだった。

 

「事件捜査、お見事だった。帝国の陰謀を未然に防ぐとはお手柄だな」

 

「捜査に協力してくれた部下や関連部署のおかげです。自分のしたことはわずかです」

 

「そうかそうか。確かに、軍や市民、皆が協力し合うことによって、共和国は一枚岩となる。アッシュビー・ラインの中枢に帝国が浸透していたことは遺憾だが、それを取り返したな、少佐」

 

「はっ」

 ヤンにはそう答えるしかなかったが、なるほどそれがトリューニヒトの本音か、そうも思った。首都星ハイネセンからすれば、こないだの事件は惑星エル・ファシルという、いけすかない税金喰らいの失態と映ったのかもしれない。

 

「これからの警備もよろしく頼むよ。少佐」

 トリューニヒトはそれだけ言って、ぽんぽんとヤンの肩を叩くと会議場外へ歩いて行った。ヤンもあわててそれについて行くのだった。

 

 

 

 ヤンは自宅に帰るなり、軍服を脱ぐ間もなくベッドに倒れ込んだ。こういう時軍服はありがたい。ズボンはともかく、上着は少々扱いが雑でもしわが目立たない。士官というのはズボンのストックがあってなんぼである。

 

 気苦労の多い一日だったーーヤンはそう思った。デスクで書類仕事をしている方がはるかに楽だとさえ思った。今は夕食もそうだけど、酒すら飲む気にならない。紅茶なら喉を通ってくれるだろうか、そんな気分だった。

 

 トリューニヒトか。

 ヤンは昼間の光景を思い返した。直接会う分には悪くない。少なくとも二言三言交わす分には。でも、政治家本人はショーウィンドウのようなものだ。スタッフや後援会や派閥、そういうものが渾然一体となって政治というものはできあがる。トップは鷹揚に接するが、本音というか汚れるところは部下がやる、それが組織というものだ。多分、トリューニヒトの本音は秘書達を見れば分かるのだろう。

 

 寝てしまう前にーーヤンは明日の予定をチェックした。午前中に他の会議に少し出て、新戦艦そのものに乗り込んでの実地確認があるらしい。へぇ、政治家なのにそんなこともするんだ、ヤンはそう思った。

 

 

 

<3>

 

翌日ーー

 

「スターデストロイヤー797にようこそ。トリューニヒト委員」

 シャトルから降り立つと、戦艦の建造会社であるクワット・ドライブ・ヤード社の社員に迎えられた。人数と年恰好を見ると、直接トリューニヒトに売り込みをする管理職が1名に、部下2名といったところか。

 

 トリューニヒトとSP(とヤン)は、社員に艦橋まで案内された。予定では、艦橋でこれまた一通りのプレゼンが行われ、兵士の個室や食堂、一部の機能や機関室を視察し、帰還することになっている。戦艦といっても、まだ艤装は中途半端だから、軍人のヤンからするとがらんどうというか、だらしないというかそんな感じに見える。あって当たり前の装備がまだ配置されていないのだから当然だ。

 

 ヤンの予想通りというか、社員の方は余裕の表情でプレゼンを続けている。トリューニヒトの方は、むっつりといった表情でこれを聞いている。機嫌が悪いのだろうか、ヤンは思った。

 

 艦橋でのプレゼンが終わった後は、食堂、兵員室と見て回り、機関室へ移動することとなった。見る限り、今までの設備よりずいぶんと広い。余裕のある艦というのもいいものだな、とヤンは思っていた。

 機関室へ続く長い長い廊下を歩いているうちに、何かが近づいてきた。

 

「何だねあれは?」

 管理職が側にいる部下に聞いた。大型の円筒形ゴミ箱に、半球型の蓋をつけたような物体が接近してくる。

 

「??警備ロボット??何故動いている。ちょっと調べます」

 そう言って、部下が端末を操作した。異常に気が付いたのか、二度、三度操作する。

 

「おかしい。警備ロボットが何故稼働している」

 大型建造物を引き渡し直前まで作成し、そこに部外者が立ち入ってほしくない場合、自動警備ロボットを巡回させることは珍しくない。警備員を常駐させるのは費用対効果が悪いからだ。だが、このようなイベントの時には、当然ながらロボットは撤去されるか、非稼働状態に設定される。こんな場所にのこのこ移動してくることがおかしい。

 

「おかしい。停止信号に反応しない」

 端末から操作しようとして失敗したようだった。部下はロボットに接近し、直接停止しようとしてーー

 

 ロボットから光線が発射された。当たり所が悪かったのか、部下は言葉を発することもできず崩折れた。

 

 

 

「ひっーー」

 悲鳴をあげたのは管理職だった。もう一人の部下、トリューニヒト、ヤンは状況を受け入れ、行動することができず固まっている。さすがにSPはそれほど間抜けではなかった。ブラスターを取り出し、目の前のロボットを滅多撃ちにした。間もなくロボットは動作を停止する。

 

「一体どういうことです。警備ロボットに殺傷機能があるなんて」

 SPは管理職を詰った。

 

「わ、私は何も知らない。サイモン君、一体これはどういうことだ!」

 

「いや、私も、というかあれ!」

 

 もう一人の部下の絶叫に、全員が振り向いた。動くゴミ箱ーー警備ロボットが後ろから近づいてくる。

 

「伏せて!」

 

 三人いるSPの一人が、トリューニヒトを地面に引き倒した。ヤンとサイモンと呼ばれた社員は床に伏せるが、管理職は動きが鈍く、一人立ちんぼすることになった。結果、警備ロボットに目標を提供することになった。

 

 警備ロボットが光線を発射する。光線は管理職の心臓を貫通し、管理職は悲鳴をあげながら倒れ伏した。言葉にならない悲鳴をあげながら、間もなく死体となった。その復讐というわけではないが、SPがブラスターで応戦、ロボットを動作停止させた。

 

「トリューニヒトさん、逃げてください!」

 

 SPは叫ぶ。だが、一体どこへ逃げればいいのか。新造戦艦の中、逃げる場所などそうあるわけがない。だけど、ここに伏せていても状況が改善するわけではない。やってくる警備ロボットがあれで終わりであれば話は別だが。

 

「あそこまで行きましょう!あそこは副制御室です!!」

 サイモンと呼ばれた部下が言った。トリューニヒトとヤンものろのろと立ち上がる。サイモンは全速力でその部屋に向かった。トリューニヒトとヤンも駆け足でその部屋に向かう。

 後ろで銃声が聞こえた。どうやら、ロボット側に増援があったらしい。悲鳴が聞こえたかもしれないが、二人とも無視して、その「部屋」に飛び込んだ。

 

 

 

 部屋は大型ディスプレイが壁に掛けてある端末が一つあるだけで、他は可動式の折り畳み机や椅子が少しあるだけの部屋だった。部屋にたどり着いたサイモンは、大急ぎで端末を立ち上げるとあれこれ操作した。しばらくして監視カメラの映像と思われるものがディスプレイに映る。副制御室の外の様子が映った。3人居たSPは後退しながら戦闘を続けているものの、二人は既に斃れ、もう一人も制圧されかかっていた。外れたブラスター光線が当たったのか、一部のスプリンクラーが作動し水をまき散らしていた。

 

「嗚呼。もうダメだ。これではーー」

 サイモンがうめいた。映像では最後のSPが致命傷を負い、斃れて動かなくなっていた。これでロボットとこちらを隔てるものは殆ど無いと言っていい。

 

「少佐。一体どうすれば」 

 すがるような目でサイモンがヤンを見つめる。ロボットはスプリンクラーの水を浴びながらくるくると動いている。どうやら、こちらを見失ったらしい。だが、こちらに来ないという保証はない。

 

 ヤンは思考をめぐらせた。絶体絶命のピンチ。とにかくあのロボットを何とかしないことにはどうにもならないが、武装はヤンが持つブラスターだけ。そしてヤンは射撃が下手である自覚がある。ロボットと撃ち合いをして勝てる自信など全くない。火力があれば話は別だが、そんなものはーーそこまで考えてはたと気が付いた。

 

「サイモンさん。あれは?」

 ヤンはディスプレイに映る何本かの線を指し示した。

 

「艦内電線です。まだ工事途中で暴露状態です」

 

「なるほど。後は、上手くアレに落ちるようにすれば……ちょっと、トリューニヒトさん」

 

 

 

 ロボットは周囲を検索していた。ロボットは人間を捜索して殺害する使命を与えられている。だが、その人間が見つからなくなった。人間側の抵抗を排除しているうちに見つからなくなったらしい。

 戦闘中の流れ弾によるものか、上からはスプリンクラーが水を浴びせかけてくる。ロボットとしては防水加工が施されているから、特に問題はないのだが、視界がぼやけているのが問題だった。

 

 前方に熱源ーーロボットのセンサーが感知した。50メートル先ほどに、人間と思われる熱量を感知したのだった。早速装備したブラスターで排除しようとしたその時ーー

 高圧の電流がロボットに流れた。ロボット側はこれに対応することができず、動作を停止した。

 

 

 

「ロボット一体が活動停止。残りのロボットも後退していきます」

 サイモンがほっとした表情で報告した。

 

「お見事でした、トリューニヒトさん。さすが特級射手(マークスマン)

 ヤンが半分本気半分追従でトリューニヒトを褒める。トリューニヒトはまだ震えが止まらないらしい。腕はあっても腹の据え方は軍人らしくないということか。民間人だからそれはしょうがないことなのだけど。

 ヤンはトリューニヒトに、天井の配線を狙撃してもらったのだった。ブラスター光線によって切断された電線は、スプリンクラーの水たまりに落ちて、そこに居たロボットは見事感電したのだった。

 

「これであのロボットは来ないのかね」

 

「多分そうはならないでしょう。」

 ヤンの言葉にトリューニヒトは思い切り表情を曇らせた。トリューニヒトとしては、軍人が民間人に危険な仕事を押し付けた挙句、軍人の方は時間稼ぎにしかならないと言い放ったのだ。

 

「スプリンクラーはそれほど大量の水を出すわけではないですし、漏電も止まるかもしれません。我々としては時間を稼いでいる間に手段を講じなければなりません。サイモンさん、そこからロボットの制御を奪還することはできないですか」

 

「無理だと思います。警備ロボットの制御は艦でやるものではないです。もともとあれは軍の装備品ではありませんから。強制クラックも無理でしょう」

 サイモンが首を振りながら言った。

 

「そうかぁ」

 ヤンはため息をついた。それがトリューニヒトの癇に障ったのか

 

「少佐、何か手はないのかね。市民の危機にそんな悠長なことを……」

 トリューニヒトの癇癪に、ヤンは目を丸くした。同時にぷっと噴き出す。憲兵の管理職ともなると、トリューニヒトのような無理筋のクレームは日常茶飯事ともいうべきものだ。もちろん、慣れたくてそうなったわけではない。職業病のようなものである。

 

「少佐!!」

 

「落ち着いてください。トリューニヒトさん。手はあるはずです。我々にはサブですが制御室がある」

 ヤンは落ち着きはらった調子でそう言った。もちろん確信があるわけではない。そう言わざるを得ないのだ。士官学校での教育、任官後の教育で繰り返し叩き込まれるのが、率先してパニックに陥らないことである。

 

 しかしどうしたものか。ヤンは副制御室の中を見回した。せめてバリケードの一つも築きたいが、室内には使えそうなものがほとんどない。折り畳み机など使っても、ブラスターの前には穴ぼこになるだけだ。反撃用の警備ロボットも、擲弾兵用の装甲服もない。あっても、ろくに使いこなせないだろうけど。

 

 どうも万事休す、らしい。急ごしらえの防壁をこしらえたとしても、しばらくすると効果が無くなるだろう。そのうち残りの警備ロボット改め殺人ロボットが殺到し、3人共に切り刻まれることになる。ヤンとしては死というものに実感は湧かなかったが、軍人のまま死ぬというのはどうにもやりきれない。仕事の山の中で死んでしまうのも勿体ない。これなら、休暇中に流れていたどうでもいい映画もしっかり見ておくんだった。酔っぱらって途中で寝てしまったんだった。漂流する宇宙船のパニック・ムービー……待てよ?

 

「サイモンさん、ロボットは操作できないとして、ここから艦はどの程度制御できますか?」

 

 

 

<4>

 

「ええ。やれます。自動制御で回復するまで15秒といったところですが……ですが、本当にやるんですか?」

 

「使えるものは何でも使うしかない。数でも劣り、武器もブラスターが1挺あるきりじゃ、まともにやりあっても勝てるわけがない。何もしなければロボット相手に死ぬだけです」

 

「しかし、本当にできるのかね」

 ヤンの案を聞いたトリューニヒトは顔面蒼白だ。

 

「他に手はありません。というか、チャンスは一度、これで全部倒せなければそれこそジ・エンドです。リスクを取るのは……自分ですね。トリューニヒトさん、合図があったら、何でもいいから掴まれるものを掴んでおいてください。いいですね」

 

「あと、サイモンさん、ロボットの総数は5で間違いないですか」

 サイモンははいと答える。

 

「分かりました。では、こちらの合図で動いてください」

 そう言ってヤンは副制御室から飛び出した。

 

 

 

 ヤンは水たまりを転ばないように注意しながら渡った。電源ケーブルは垂れ下がったままだが、給電をカットしたので漏電の心配はない。予想では、角を曲がった向こう側にいるはずだ。居た。

 

「やい!ロボットめこれでも食らえ!!」

 ヤンは大声でそう叫ぶと、ブラスターを構えるふりをして、撃つふりもした。ヤンのブラスターはトリューニヒトに渡してあるのでここにはない。丸腰で殺人ロボットに対抗するなど狂気の沙汰だが、生き残るためには仕方がない。

 

 ロボットに動きがあった。どうやらこちらを向いたようだ。恐らく、他のロボットにも警報が伝わったであろう。それならーー

 ヤンは元きた方向へ逃げ出した。

 

 ヤンは走る。ブラスターを構える相手から逃げる時、なるべく小刻みに角度を変えながら逃げるべし、というのが同盟の教本だ。そもそもそんな局面に陥らないようにするのが最優先だが、ヤンはその原則にも従っていない。ヤンは水たまりを飛び越えると、副制御室に向けて一目散に走っている。戦闘のロボットが角を曲がり、ヤンに向けて狙いをつけようとした時、光線がロボットの頭部を吹き飛ばした。トリューニヒトが制御室の中から援護しているのだ。

 

 ヤンは走っては止まり、振り返っては撃つふりをした。ふりをしたら再度逃げる、それを何度か繰り返す。単に逃げてはいけないのだ、全部のロボットを引きずり出すのが必要条件。トリューニヒトもそれは分かっている。ブラスターの射出エネルギーを絞り、とにかく数を撃って援護するやり方に切り替えている。目的は同じ、ロボットが全員この廊下にやってくること。

 

 副制御室の直前でヤンが振り返る。破壊されたロボットも含め、1、2、3、4、5。

 

 ヤンは副制御室に飛び込むと叫ぶ。

「今だ!それと何かに掴まれ!!」

 

 

 

 ロボットの重力センサーが異常を感知した。艦内に存在するはずの重力が低下している。車輪で移動するロボットでは、無重力状態でできることなど存在しない。5台のロボットがどうもできずにふわりと浮かぶ。

 

 ロボットは現状で実施すべき選択肢を検索したが、何もない。それまで自分達を挑発していた人間は室内に逃げ込み、目的達成のためには室内に侵入するしかない。侵入してしまえば、目的は達成できるだろうが、そのためには、重力が回復するしかない。

 

 ほどなくセンサーが重力の回復を検知した。だが、重力の指し示す方向が先ほどと違っている。それまで接地していた床ではなく、遥か向こうの壁の方向に重力が発生している。

 五台のロボットは、重力が作成した井戸の底に落下していった。ちなみに、廊下改め井戸の深さは100メートルほどもある。

 

 

 

「カメラ回復します。1、2、3、4、5。全台動作停止の模様」

 

「賭けに勝ちましたね」

 ヤンの言葉にトリューニヒトの頬が緩む。まぁ、軍隊というのはTVドラマと違って、ロボットの群れをたった三人で相手するようなことはやらないから、正直、怖かったのであろう。第一、武器はブラスター1挺しかなかったのだ。

 

「確信があったのかね」

 咳き込みながらトリューニヒトは聞く。重力方向が変化した時は何とか手すりに掴まっていたのだが、重力が正常回復した時に油断し、床にたたきつけられたのだった。まぁ、咳き込む程度で済んだのが不幸中の幸いか。

 

「あったわけではありません。新年に放映されていたどうということのないパニック・ムービーを思い出しただけです。お礼ならエル・ファシルの放送局に言ってください。」

 重力制御機構を無力化し、実際とは異なる方向に重力を設定し再起動する。普通の宇宙船ではあり得ない機能だが、戦艦となるとこのような機能がある。恒星等の重力に掴まって脱出できない時、これで一時的に平衡状態を作り、脱出までの時間を稼ぐのだ。

 映画の方は、重力制御コンピュータが動作異常を起こし、滅茶苦茶な方向に重力を作成したため、豪華客船が一瞬にして地獄と化すものだったが、ヤンはここからアイディアを取ったのである。

 

 制御卓ではサイモンがへなへなと崩れ落ちている。サイモンとしても、ヤンの無謀なプランが成功するか、半信半疑だったのだ。

 

「で、少佐、これからどうするんですか」

 しばらくして、立ち直ったサイモンが聞いてきた。

 

「んー。まぁ、これで落ち着いて考えることができるなぁ。ともあれ、艦橋へ行こう。艦の制御を取り戻すんだ」

 ヤンはそう言った。しかし

 

「いえ、少佐。少佐は議員と一緒に脱出してください」

 サイモンがヤンとトリューニヒト、両方を見ながら言った。

 

「艦橋の端末を動かすのは一人でできます。それに、自分一人ではできることに限界があります。ここを脱出して、支援を呼んでほしいのです」

 

「それなら私が行こう。サイモンさん、貴方がトリューニヒト議員と脱出すべきだ。民間人を守るのは軍人の使命だ」

 

「ここが軍艦ならそうでしょう。でも、まだ、この船は我が社の所有物です」

 

 ヤンは困ったような顔をした。サイモンの話は筋が通っている。だが、民間人を見捨てて脱出するというのは、軍人としての行動原則に反する。今のように、軍の肩身が狭くなりつつある時勢では、あまり褒められる話ではなかった。

 

「少佐、サイモン君の言う通りだ。助けを呼んだ方がいい。君は専門家ではないのだろう?」

 トリューニヒトが早口で言った。彼の中では最初から結論が出ていたのである。

 

 

 

 トリューニヒトとヤンはとぼとぼと非常階段を下りていた。艦橋や副制御室があるフロアは艦の上の方、そして、シャトルがあるデッキは艦腹の一番下である。ヤンとトリューニヒトはここを階段を使って移動しようとしているのだった。

 本当はエレベーターを使って移動するつもりだった。だが、先ほどロボットを罠に嵌めるための重力設定の影響か、エレベーターが動作しない。しかるべき対処をすれば動作は再開するはずだったが、そのしかるべき対処が分からない。仕方がないので、非常階段を使っているのである。ちなみに、艦の上層部と最下部では、40階建ての高層ビル並みの高度差がある。 

 

 お互い、むっつりと黙りながら、階段を下りている。言いたいことはまぁ山のようにあるだろうが、今は脱出するのが最優先だ。

 

「少佐……その」

 そんな中、トリューニヒトがおずおずとヤンに語りかけてきた。

 

「先ほどの件は悪かった。君はよくやってくれた。感謝する」

 ヤンは何が悪かったのかはよく分からなかったが、とりあえず好意を受け取ったことだけはわかったので、うんうんと何度かうなずいた。

 

「いえ。こちらこそご迷惑をおかけしました。民間人を守るのは軍の義務です。ところで……」

 

「ところで?」

 

「あれがうまくいかなかったら、我々はもうこの世にいないと思われるんですが、だとしたらどうなるんでしょう」

 ヤンとしては場をほぐすために言ったつもりだった。だが、トリューニヒトは少し考えた後、

 

「調査委員会が立ち上げられ、周囲が好き勝手に口を出し、皆が納得する結論を出す。結論がどう出るかはその時の状況次第だろう。まぁ、一つ確実なことはある」

 

「何ですか」

 

「新型戦艦一番艦の名前は、ヤン・ウェンリーとなる」

 ヤンはトリューニヒトの冗談?をどう受け取っていいものか困惑した。ただ下手な冗談と思いたかったが、政治というものの醜悪さを要約した発言のようにも聞こえた。

 

「戦艦ヨブ・トリューニヒトではないのですか」

 

「無いな。政治の世界にもいろいろ序列というものがある」

 トリューニヒトは、ヤンの冗談(というか嫌味に近い)を即座に切り捨てた。

 

「まぁ、私がブルース・アッシュビーを超える大政治家になるのであれば、話は別だろうけどね」

 そらそうだな、ヤンは得心した。自由惑星同盟中興の祖、みたいな扱いをされているブルース・アッシュビーであるが、軍の艦船に命名されたということはない。アッシュビーが心血を注いで作り上げたのは要塞網であり、軍艦ではなかったからだ。そして、要塞網の実現のために、アッシュビーは機動艦艇を目の敵にした。艦名に使用されるはずもなかった。ただ、政治家としての序列は依然有効だ。アッシュビーも艦名にないのに、と言われれば反論するすべもないだろう。

 

 

 

「あと一つ、いいですか」

 

「何でも」

 

「私の父と親交があると聞きましたが」

 

「……御父上から聞かなかったのかね」

 

「何も。政治家の知り合いが居るなんて聞いたことがありません」

 

「そうか。まぁ、あの時はこの業界に入る前だったから、そうなるのか」

 

「??」

 

「趣味の知り合いだった。直接顔を合わせることはなかったが、美術品の紹介や、目利きについて話し合ったことがある。年齢差はあったが、分け隔てなく接してくれた。ただ、あの人は、人としては悪くなかったが、残念ながら……おっと失礼」

 

「いいのです。父の美術品はほとんど全部、偽物でした」

 

「でも、全部偽物とは限らないはずだ」

 

「本物はごく一部でした」

 

「その本物の中に、壷はなかったかね。宇宙歴より前、西暦17世紀の陶磁器(チャイナ)、確かそのはずだ」

 

「どうしてそれをーー」

 ヤンは目を見開いた。確かに、万暦赤絵はヤン・タイロンの遺品の内、数少ない本物の美術品である。ヤンの官舎、そのどこかに仕舞っているはずだが、何故それを知っているのか。

 

「それは当然だ。あれは、私がヤン・タイロン氏に譲ったものだったからな」

 

「……そうなんですか」

 ヤンは驚愕した。あの壷にそんな来歴があったなんて。

 

「私が最初の選挙に挑戦する時だったが、資金が不足していてね。ヤン氏に売ったのだよ。市場価格よりかなり色をつけてくれた。まぁ、今の私があるのは、あの壷のおかげといえるかもしれない」

 

「それはーー」

 ヤンは言葉を失った。父親のヤン・タイロンは、金さえあれば嫌な奴に頭を下げずに済むとは言っていたが。どんな心境であれを買い取ったのであろうか。義を重んじ財を疎んず、そんなタイプでは絶対ないのだが、ヤン・ウェンリーの知らないヤン・タイロンがどうも存在していたらしい。

 

「何というか、初めて知りました。今まで、あれはガラクタの一つだと思っていましたが、そんなエピソードもあったんですね。売らなくてよかったーー」

 ヤンの言葉を、サイレンが搔き消した。その後、合成音声が鳴り響く。

 

 

 

「警報、警報、本艦はこれよりワープシークエンスに移行する。各員は所定の位置に移動し待機せよ。繰り返す、警報、警報、本艦はこれよりワープシークエンスにーー」

 

「まずいぞ少佐ーー」

 トリューニヒトの顔から血の気が引いた。もちろん事態のやばさはヤンも承知である。ワープ機能自体は宇宙船なら標準的に装備するものであるが、指定された宙域でなかったり、恒星系から十分離れていない状態で行うワープなど自殺と同義語である。もちろん自殺には、亜空間から永久に出てこれないものも含まれる。

 

「どうしました。何故ワープが始動しているんですか」

 ヤンは艦橋にいるはずのサイモンに通信した。

 

「分かりません。端末を操作していて突然、コンピュータが再起動したと思ったらいきなりワープ警報が鳴り出して……こちらで解除できるようにやってみますが……糞、機関部が動作を受け付けない。これもテロリスト連中の罠か。少佐、一刻も早く脱出してください」

 

「サイモンさんはどうするんですか!」ヤンは叫ぶ。

 

「ワープが停止できるかどうか、やってみます。少佐は脱出したら、外に助けを求めてください。機関部に異常があれば、ワープも中止になります」

 

「了解。死ぬなよ!」

 ヤンはコミュニケータの通信を切って、トリューニヒトに言う。

 

「まずいですね。ワープ警報からワープまで一時間ぐらいしかないはずです。周囲の艦艇が異常に気づいてくれればいいんですが。助けに来てくれるんでしょうか」

 

「それは一般的なワープの話だ。それに通常のワープと思わない方がいい。諸条件を無視した緊急ワープなら、実行まで時間は半分だ」

 

「なんですってーー」

 トリューニヒトの言葉に、今度はヤンが真っ青になった。今や脱出の手段は、目標のシャトルに限られている。三十分のうちにデッキにたどり着き、乗ってきたシャトルで脱出するよりない。いや、それだけではない。脱出したら外と通信して、この船を止めてもらわなければならない。民間人を見捨てて脱出する軍人などあり得ないからだ。

 

 ヤンとトリューニヒトは、今度こそ全速力で階段を駆け下りはじめた。

 

 

 

「やった……」

 階段にして40階分を下りきって、ヤンとトリューニヒトはようやく船腹のデッキに到着した。二人とも肩で息をして、膝が笑いかけている。全速力を出したのは20階分だったが、階段を下りるという作業は、早かろうと遅かろうと膝に負担をかける。

 

「少佐」

 トリューニヒトがデッキを眺めながら、恐る恐る聞いてきた。

 

「あまり言いたくはなかったが、射出口は閉鎖されている。どうするつもりかね」

 シャトルは確かにある。だが、外に出られなければ意味はない。シャトルが外へ出るための射出口は扉が閉鎖されている。これではどうしようもない。

 

「それよりも先に、シャトルを起動させましょう。緊急脱出モードにしておけば、スイッチ一つで艦から出られます」

 ヤンはトリューニヒトの言葉を無視して言った。

 

「だから、射出口が閉じているのにどうやってーー」

 

「いいですか」

 ヤンはトリューニヒトの質問を遮った。シャトルデッキの上にある管制室を指し示した。

 

「あそこに管制室がある。射出口の扉はあそこでしか開けられません。管制室で、自分が射出口の解放コマンドを入力します。一般的に、射出口の扉が開き切るまで30秒ほどもあるでしょう。減圧でもって吸い出されることを考えると45秒程度の猶予がある。トリューニヒトさんには、シャトルの扉を開けて待っていてもらいます。自分が飛び込んだら、このスイッチで扉を閉めてください」

 

「それでは君がーー」

 

「あの管制室から階段1つと30メートルほどです。30秒もあればいけるでしょう。万が一自分が間に合わなかった場合……扉を閉めて、緊急脱出の始動スイッチを押してください。モードさえ起動しておけば間違いはありません。外との通信ができたら、救助に来てください。もしかしたら助かるかもしれない」

 ヤンは最後に思ってもないことを言った。トリューニヒトはがくがくとうなずいた。

 

「少佐、恩に着る。もし帰れたらなんでもーー」

 トリューニヒトの声は裏返りかけていた。

 

「その話は後でしましょう」

 ヤンはシャトルの操縦席に座る。指紋と虹彩認証で、シャトルは無事起動した。後は、正面スクリーンにある動作モードを操作し、緊急脱出を指定する。後は、始動のスイッチを押せば、シャトルは船外に脱出し、救難信号を発信してくれるはずである。

 

 ヤンはそこまで確認した後、シャトルを出て管制室に入った。艦を放棄する時の緊急脱出スイッチがーーあった。三重の蓋で守られているが、押して扉を開けることに何か支障があるわけではない。緊急脱出の時に権限や何やらで扉を開けられなくては意味がないからだ。ヤンは蓋をむしり取ると、ボタンを押し込んだ。アラームが鳴動し、扉がわずかに開くのが見えた。それを見て駆け出す、が、脚がうまく動かない。疲労のため、筋肉が痙攣しかけている。ヤンは太ももを叩きながら管制室を飛び出した。階段を下り、30メートル、30秒あれば余裕の距離のはずだがーー

 

 疲労しきった脚が言うことを聞かず、ヤンはデッキに投げ出された。客観的に見れば、勝手に転んだ、ということになろうか。ヤンはのろのろと立ち上がり、シャトルの扉へ向けて走ろうとした。扉の方では、トリューニヒトが手を大きく振って手招きしているが、減圧が始まったデッキでは風の音がすさまじく、何を言っているか分からない。

 

 あと5メートル、その距離がすさまじく遠い。既に向こうでは閉鎖扉が半分以上開いて、固定処置が行われていない物体を遠慮会釈なく吸い出そうとしている。ヤンもその例外ではなく、宇宙空間へと吸い出されそうになりーー

 

 腕を掴まれた。

 

 トリューニヒトだった。何か叫ぼうとしているがヤンには聞こえない。だが、ヤンの目の前がシャトルの扉だったことが幸いした。何とか脚を扉の入口にひっかけ、シャトルに飛び込むことに成功した。

 

 シャトルの扉が閉められる。ほどなく、シャトルは緊急脱出シークエンスを実行した。

 

 

 

<5>

 

「今回の事件については、悪辣なる陰謀の放つ凶弾に斃れた、クワット・ドライブ・ヤード社の社員および、治安警察の方々にお悔やみを申し上げる。彼らの犠牲に報いるためにも、真相究明と再発防止が最優先であることは言うまでもない。だが、今回の陰謀劇に、クワット・ドライブ・ヤード社および警察・軍が一体となって立ち向かい、これを阻止したことは不幸中の幸いと言わなければならない。最後まで艦内に残り、脱出に協力してくれたエドワード・サイモン君には最大級の感謝を申し述べるーー」

 

 ヤンは官舎でなんとなくテレビをつけていた。テレビでは、トリューニヒトがいつもの調子で演説をぶっている。例の事件があってから軍はもとより、治安警察、惑星エル・ファシル政府まで騒然としている中、トリューニヒトだけはいつもと変わらない調子だった。

 

 戦艦からの脱出時、シャトルを操縦したのはトリューニヒトだった(緊急脱出シークエンスの実行ボタンを押すのが操縦であれば、だが)。脱出後、緊急信号を受信したスパルタニアン部隊によって、イオン電障魚雷が発射され、強烈なイオンパルスを浴びせられた艦の動作は一時的に停止、艦のワープも中止となった。ヤンとトリューニヒトは救命艇に救助され、艦に一人残ったサイモンも救助された。

 

 救助後、ヨブ・トリューニヒトは健康状態のチェックで三日入院した。ヤン・ウェンリーも同様に検査入院したが、一日で退院となった。差別ではないかと内心憤慨したが、取り調べが待っているとなるとどうしようもなかった。もっとも、取り調べといってもヤンは事実を話すしかなかったし、艦の状況を把握するには、稼働していた監視カメラの記録やセンサー記録を見る方がよかった。結局、ヤンはただの被害者ということになり、取り調べは終了した。

 

 事件についてはいろいろな噂が飛び交っているが、未だ結論は出ていない。この事件が、クワット・ドライブ・ヤード社他数社を巻き込む新戦艦導入にまつわるスキャンダル、そして中枢星域と辺境星域の対立の一つへと発展するのはかなり先のこととなる。

 新装備選定会議は一応、全日程を無理矢理消化したが、附属するはずのレセプションだとかパーティーだとかは軒並み中止となった。経済効果を当て込んだエル・ファシル経済界は地団駄を踏んだそうだがこれは仕方ない。

 

 この事件で結果的に一番得をしたのは、サイモンということになりそうだった。身を挺してトリューニヒト(とヤン)を守ったということで、会社からは表彰を受け、マスコミからも引っ張りだこ、CMの話すらあったそうである。

 トリューニヒトもそれに負けないほどの果実を獲得した。マスコミを駆使し、自分の冒険譚の宣伝にこれ努めた結果、一気に次代の国防委員長候補筆頭にのし上がることに成功したのだった。

 

 同じく冒険の結果、死にかけたヤンの方は特に褒章はなかった。逆に処分もなかった。

 市民を守るのが軍、そういう建前だからなのだが、それだけではなかった。

 

 

 

「少佐……本当にそれでいいのかね」

 

「はい。自分は元々、退役するつもりでした。就職先も決まっています(嘘)。ですが、ちょっといろいろありまして、軍がお節介を焼きたがるので。何もない方がいいのです」

 

「……君が本当にそう思っているなら、それでいいが。だが、褒賞は受け取っておいたほうがいいと思うのだがね」

 

「いいのですよ。公僕は市民に奉仕する、それでいいのです。それに、これ以上昇進しても、自分の身の丈に合いません」

 

「ならば、国防委員会から通達を出すことにしよう。士官のキャリアプランについては、本人の希望を尊重するように。それだけ書けば効果があるはずだ」

 

「有難くあります」

 シャトルの中でヤンとトリューニヒトが交わした約束がそれだった。まぁ、SPが殺害された治安警察と、護民のヒーロー憲兵隊、という図式となれば、治安警察と憲兵隊のしこりはより大きなものになったろうから、その点でも都合が良かった。 

 

 

 

 今日は、新年になってから初めてのまともな休日である。土日返上で新年このかた二週間を過ごしてきたが、ヤンにとっては、今日こそが新年、その始まりだった。というわけで、ヤンは一人きりの新年を祝おうとしている。テーブルにはスパークリングワインが一瓶、そしてシャンパングラスが一つ。リビングボードには、それまで倉庫の中に埋もれていた万暦赤絵が埃を払って置いてある。ヤンが探し出したものだった。

 

 ヤンはワインの栓を抜き、シャンパングラスに注いだ。そして、グラスを掲げる。

 

「では、ヨブ・トリューニヒト氏に二回万歳をしよう。一つは、私のキャリアプランの実現支援のために。そして二つ目は」

 

 ヤンはスパークリングワインのラベルを見つめた。惑星カッシナで生産される最高級のスパークリングワイン、手に入れようと思ったら1本200ディナールは下らないだろう。トリューニヒトの秘書ズの一人が、わざわざヤンの官舎を訪れ、押し付けるように置いていったものだ。

 

「このスパークリングワインに。アッテンボローよ。これは独占させてもらうよ」

 

 ヤンは、スパークリングワインを一息で飲み干した。

 

「だが、万歳は二回で十分だよな」

 




 次回予告

 ヤンは憲兵隊本部から極秘の捜査依頼を受ける。内容はとある士官の汚職調査である。しかし、捜査対象者が問題だった。対象は、ヤンの旧友ジャン・ロベール・ラップだったのだ。

第五話「エリート士官と下水道」


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第五話 エリート士官と下水道

 ヤンは憲兵隊本部から極秘の捜査依頼を受ける。内容はとある士官の汚職調査である。しかし、捜査対象者が問題だった。対象は、ヤンの旧友ジャン・ロベール・ラップだったのだ。




<1>

 

「ほら、こちらがジャックで、こっちがジャンヌだ」

 男がヤンに写真を見せた。二人の赤ん坊が写っている写真である。

 

「わかったわかった」

 ヤンは見飽きたと言わんばかりに嘆息して答える。

 

「わかってないだろ。わかっているなら、どっちがジャックだ」

 ヤンは左側を指差した。たちまち男の表情が曇っていく。

 

「ヤン~~~さっき説明したばかりだろう」

 

「いや、だからといって、生まれたばかりの子供の見分けなんかつかないぞ。ラップは何で分かるんだよ。着ている服だって一緒じゃないか」

 

「そんなの見ればわかるじゃないか。いいか……」

 

 

 

 三月某日、エル・ファシル・シティの繁華街のバルで、ヤン・ウェンリーとジャン・ロベール・ラップは杯を酌み交わしていた。ラップはハイネセンからエル・ファシルまで長期出張でやって来ているのだった。早い話が二人だけの歓迎会である。

 

 士官学校のルームメイトで、なおかつ階級も同じ少佐同士(但しこれから昇進の可能性もあるラップと違って、ヤンの場合は打ち止めが濃厚である)、積もる話は沢山あるし、遠慮もいらなかった。

 

 ただ、今のラップを相手にすると、どうしても話題は生まれたばかりの子供のことになってしまう。ジェシカ・エドワーズと結婚して2年、待望の第一子と思ったら出産したのは双子だったのである。男の子と女の子の二卵性双生児で、それぞれジャックとジャンヌと名づけられたのである。

 

 待望の子供となれば、大抵の親は親馬鹿を発動するものであるが、それでもジャン・ロベール・ラップの親馬鹿ぶりは常軌を逸しているのではないか、そういう評判だった。実際、ヤンの元に毎日写真を送っては、今日はこれがあった、あれがあったと報告する始末である。どうやら、ヤン以外にもそうしている人がいたらしく、後でそのことに気づいたジェシカ・エドワーズ(本当はジェシカ・エドワーズ・ラップなのだがこう書く)本人から丁重な謝罪が来たほどであった。以後、毎日写真が送られることはなくなった。一週間に一度は来るのだけど。

 

 子供はおろか、結婚の予定もないヤン・ウェンリーとしては、なんで人はああも変わるのか、それが不思議でならない。ヤンとしては、あそこまで大変なら、産休とかそういうのを粗略に取り扱うことはできないなぁ、そういう風に(ビジネス方面に)考えるしかない。

 

「しかし、そんなに可愛いなら長期出張なんて嫌だったろうに」

 

「そうだよ、その通りなんだ。」

 涙目になるラップ。そんな感情を表に出さずとも、そうヤンは思ったが口には出さないでおいた。

 

「遠隔通信で何とかならないか考えたんだが、こればかりはどうもな。監査はリモートではできないよ」

 今回のラップの目的は、惑星エル・ファシルに建設する新工場の監査、ということらしい。本格的な生産が始まる新装備(詳細は教えてくれなかった)の生産ライン立ち上げ状況を監査に来た、ということだった。監査のスケジュールは向こう一か月まであるらしい。ハイネセンとの往復を考えると、二か月近く自宅を空けなければならない。

 

「ジェシカ一人では大変だろう。一人ならともかく二人だぞ」

 

「ジェシカの母親が手伝いに来てくれることになっている。助かってるよ」

 

「軍人一家のメリット、ということかな」

 宇宙軍に勤務するとなると、長期にわたって家を空けることは日常茶飯事である。二か月ならまだ短い方だと言わざるを得ない。酷い時だと家を出てから帰るまで半年かかることすらある。

 軍の宿命ともいえる話だが、これが宇宙艦隊勤務の不人気の大きな理由だから、首脳部としては頭の痛いことである。ジェシカの父親は士官学校の事務長だから、そこらへんの事情は知悉しており、父母がなにくれなく世話を焼いてくれるのである。そうでなくとも初孫というのは可愛いものなのだけど。

 

「宿舎の方は、ちゃんと準備しておいたと思ったんだけど、どうだった?」

 

「ああ、申し分ないな。感謝しているよ」

 ラップがエル・ファシルに滞在する間、軍の出張者用宿舎に寝泊りすることになる。民間のホテルとは違って、こういう宿舎は当たり外れが激しい。ヤンはラップが来るにあたって、なるべく状態のいい宿舎を手配したのである。

 

「今は艦政本部で装備品の取り扱いをやる仕事をしているけど、これが終われば転属だろう。いつまでも金の取り扱いをしているわけにはいかないからな」

 軍に限らず、外に注文を出す仕事をしている人間は、いつまでも同じ仕事をすることはない。発注先との癒着が生まれるからである。ラップも、次の転属先について、裏でいろいろ交渉しているはずだった。なるべくハイネセンで勤務できる仕事がいいなぁ、ヤンはそう思っていた。

 

「まぁ、仕事の話などつまらんつまらん。話を元にもどすことにしよう。それでな、出発前に宇宙港でな、ジャックが……」

 

 

 

 翌日、ヤンはいつものように憲兵隊本部で勤務していた。宇宙歴796年とは違って、797年は立ち上がりこそ大騒動があったものの、それ以後は概ね平穏に過ぎている。年末年始とは違って、上層部も退役を撤回しろだの転属しろだの言うことはなくなった。トリューニヒトが出した通達が効いているのだろう。ヤンとしてはありがたかった。

 

 今後のビッグイベントとしては、まずは五月にある建軍祭、それが終われば新年度に向けての予算編成に関するあれこれとなる。それが終われば士官学校を卒業して十年が経過する。そうなれば、軍人恩給の受給資格を手に退役ができるわけだ。夜学で聴講している大学の卒業資格ももらえるはずで、新たな人生の第一歩、それを踏み出せることになるはずだ。

 

 課員の表情も心なしか緩んでいる、ヤンにはそう感じられた。去年から今年にかけて、ヤン自身は向こうからやってくる難事件に振り回されているばかりだった。振り回されるのは課員も同じで、ヤンとしては迷惑をかけて申し訳ないという気分で一杯だった。

 

 コミュニケータが着信を告げる。ヤンはレシーバーをOnにすると通信を開始した。しばらくして通信を切断すると、席から立ち上がった。

 

「課長、どちらへ」

 第三課の女性職員がヤンに聞いてきた。どうやら、決済を求める案件があったらしい。

 

「ああ、来客だ。多分、一時間もしないで戻るだろう」

 ヤンはそれだけ言ってオフィスから出ていった。 

 

 

 

 憲兵隊本部の会議室には、既に人が居た。

 

「総務部企画第三課、ヤン・ウェンリーであります」

 指令室に入ったヤンは、入るなり敬礼した。来客の階級章は大佐であるから当然のことだ。

 

「憲兵隊本部内部調査室、エベンスだ」

 エベンスが握手を求めてきたのでヤンは応じた。同時に自己紹介データグラムが送信されてくる。装着したスマートデバイスが握手を検知し、自己紹介データグラムを交換するのは一般的な機能である(もちろん、それ以外のやり方で交換する、送信することは可能であるが)。

 内部調査室というのは、憲兵隊の中でも極秘調査を担当する部署として知られている。同盟軍の中に潜む問題がないか、常に気を配り、事前に芽を摘み取ることが任務だ。特に、防諜(カウンターインテリジェンス)を担当する部署として知られている。どうやらこのエベンスという大佐も、ラップと同じようにハイネセンから来たらしい。

 

「ああ、座り給え」

 エベンスがそう勧めてきたのでヤンはソファに座った。すぐに事務員が入ってきて、コーヒーを配ってすぐ出ていった。エベンスはコーヒーを一口すすると切り出した。

 

「君の噂は聞いている。新戦艦の件、お手柄だったじゃないか」

 

「トリューニヒト議員に多大なご協力を頂きました。民間人の護り手としてはお恥ずかしい限りです」

 

「謙遜するな。もし、トリューニヒト議員に何かあったら、騒動どころでは済まなかった。軍全体に波及する話だった」

 

「恐れ入ります」

 それだけ言うとヤンもコーヒーをすすった。別にコーヒーが飲みたかったわけではない。それ以外で会話を「切る」方法を思いつかなかっただけだった。

 

「ところで、君は今年の夏で退役する予定だそうだね」

 

「その通りであります」

 

「惜しいことだと思うがね」

 

「ありがとうございます。ですが、決めたことですので」

 ヤンはなるべく無礼にならないように応対する。会社であろうと軍隊であろうと、円満な退職というのはそれなりに大変なものがある。

 

「まぁそれは仕方のないことだ。だが、今回はその君の才能を見込んで、とある調査を依頼しに来たのだ」

 

「調査?」

 ヤンは聞き返した。

 

「そうだ。内部調査室では、軍の内部で汚職が行われている可能性を掴んでいる。それも大規模な可能性がある。少佐には、その一部について、調査を行ってもらいたいのだ」

 

「あ、あの」

 ヤンはおずおずと聞いた。

 

「何だね」

 

「失礼ですが、おっしゃっている意味が分かりません。汚職や組織犯罪であれば、捜査部捜査第三課の職分ではありませんか。当課は総務部企画第三課です」

 

「問題ない。これは極秘の調査依頼だからだ」

 当然のことだとばかりにエベンスは言う。

 

「極秘?」

 

「まだ容疑が完全に固まっていない状態、ということだ。しかし、時間をかけてもいられない。察知されて証拠を隠滅されてはかなわないからな。だから少佐に調査を依頼するのだよ。こちらの調査資料を送る。これを参考に調査を実行してくれ」

 

 ヤンはエベンスからデータを受信した。ファイルを開く、しばらく中身を眺めてはっとした。

 

「こ……これは……本当なのですか」

 

「我々が嘘をついているとでも思うのかね」

 エベンスはヤンの言うことを先回りした。

 

「いや。ですが信じられません……ジャン・ロベール・ラップが汚職に手を染めているなどとは」

 資料の概要欄には、軍が発注する施設の見積価格を業者側に漏洩し、バックリベートを受け取る汚職が行われており、容疑者としてジャン・ロベール・ラップの名前が挙がっていたのである。

 

「少佐がそう思うのは無理もない。だが、事実は事実だ」

 エベンスの口調は淡々としている。

 

「ですが、ジャン・ロベール・ラップは汚職をするような男ではありません。士官学校では率先してリーダーシップを発揮し、最近子供が二人生まれたばかりです」

 ヤンはそう反論したが、頭の中では反論になっていないな、と思う。

 

「士官学校でリーダーシップを発揮すれば汚職はしないのかね。子供が生まれれば汚職はしないのかね。第一、君は卒業してからのジャン・ロベール・ラップをどれだけ知っているのかね」

 

「それは……」

 ヤンは口ごもる。中の下の成績で卒業し、憲兵として辺境星域のドサ回りをやっていたヤンとは違って、統合作戦本部に配属されたジャン・ロベール・ラップはまさに別世界の住人である。艦政本部所属で、新装備関連を取り扱うプロジェクトメンバーとして勤務するラップは、まごうことなきエリート士官だ。

 

「人生というのはいろんな分かれ道がある。ある時ふと道を誤り、戻れなくなることは十分あり得る。君も憲兵勤務なら分かることだろう。それに容疑者はここ、エル・ファシルに出張している。決定的な証拠を掴む絶好のチャンスだ」

 

「ええ。ですが……」

 

「ならば少佐、予断を持たず捜査にあたるべきだ。事実は常に一つ、そうであろう」

 エベンスはヤンに反撃の隙を与えず、押して押しまくっている。

 

「……一つ質問させてもらっていいですか」

 

「何だ」

 エベンス大佐は早く言えと態度だけで示した。

 

「何故、私なのですか」

 ヤンの声はかすかに震えていた。理由は言わずもがなだが、エベンスはそれに斟酌する気はないようだった。

 

「ヤン少佐がジャン・ロベール・ラップと同期、それもルームメイトであることは知っている」

 

「ならば何故ですか。士官学校同期の紐帯は永遠、大佐もそれは御存知でしょう。さらに言うと、ルームメイトの絆は自分達だけでなく、家族同士も巻き込んで続くものだと、そう教えられました。今も昔も同じはずです」

 

「だからこそだ。これはチャンスでもある」

 エベンスはそう断じた。

 

「ジャン・ロベール・ラップはあくまで入口、取っ掛かりに過ぎない。こちらは、もっと大規模な汚職の可能性を追っているのだ。こちらで情報を入手し次第、少佐にも提供する。少佐も何か掴めたら、細大漏らさず報告してもらいたい。調査内容次第では、司法取引だって選択肢に入ってくる。そうではないか」

 

「だからこそ、ルームメイトを裏切れと」

 

「裏切るのではない。救うのだ」

 エベンスの口調はあくまで上から目線だ。まるで他の選択肢はないぞと言わんばかりに。

 

 ヤンはもう一つ質問しようとして止めた。ヤンの中では既に結論が出ているのである。

 

 

 

<2>

 

「うーん」

 ヤンはオフィスで、エベンスから渡されたデータを眺めていた。データは主に、ラップが扱っている発注案件の情報と、過去の統計データとの比較、後はラップの通信記録やら、民間会社の人間の面会記録やら、そんなところである。もちろん、データはエベンスによって取捨選択が行われている。

 

「しかしこんなもので」

 何が見えてくるのか、ヤンは疑問でならない。もちろん人間の社会であるから、不正や汚職と軍が無縁であるとは言わない。だが、このような不完全な情報で汚職を暴き出せるかというとそれはないだろう、と言わざるを得ない。汚職を摘発する一番の方法は、内部からの告発であるというのが常識だ。次いでは(できれば抜き打ちで行う)内部監査となる。今のヤンができることといえば、その「内部」に切り込むためのとっかかりを探し出す、それぐらいである。

 

「でも、ならば自分がやる必要はないんだよなーー」

 ヤンは紅茶をすすりつつ呟いた。エベンスは何を考えているのか、それがヤンには見えてこない。まさか、ラップに直接聞くわけにもいくまい。やぁ、君に汚職の嫌疑がかかっているんだけど、僕に真相を語ってくれないか。ルームメイトだろう?

 

 ヤンは再びデータに目を落とした。グラフを見る限り、ここ最近、発注案件の落札価格と軍の想定した最低入札額との差分がかなり縮まっている。

 

 最低入札額とは、発注する側(この場合は同盟軍)が内部で見積もっている価格である。例えば、ある製品を軍が民間企業に発注するとしよう。入札する企業は、それぞれ〇万ディナールだとかなんだとか金額をつけて入札するわけだが、それと並行して、軍は内部で見積もりをする。この製品を製造するなら最低でもこれだけの値段はするだろう、そう考えるのである。そして、その内部見積価格以上で、一番価格が低い企業が落札、となるわけだ。

 

 見積をするのは、不当廉売(ダンピング)を避けるためである。発注する側としては、少しでも安く買えればそれはそれでありがたい。だが、あまりにも安すぎる製品というのは裏があると考えなければならない。安すぎるミサイルを買って、撃ったらまともに飛びませんでした、では買った意味がない。

 

 この見積価格は当然ながら極秘である。だが、この価格を事前に知っていれば、企業側としては極めて有利に入札ができることになる。だから、この情報をラップが漏洩したのであれば、企業から何らかの見返りを得ることは十分に考えられる。

 

 ヤンはリストにある企業の名前を読んでいった。ハイネマン・インダストリィ、ジェイドメタル・インダストリィ、ディアブル・アビオニクス、ゼンダー……軍にいなくとも、工業の世界で働いているなら、いずれも聞いたことのある大企業ばかりである。一般的なイメージとは違って、大企業ほど汚職に縁が遠いものだ。内部が官僚的、というのは逆に言うと内部統制がしっかりしている、ということである。

 

「漏洩案件なら、確かに汚職なんだ。漏洩しているなら、ね」

 そう、そこである。軍想定の最低入札額を入手することができずとも、推測することはできる。過去の入札情報は公開されているから、経験のある人間なら、次の入札はこれぐらいで、という数字をはじき出すことは十分できるはずだ。つまり、これだけでは汚職の証拠になどならないのである。

 

 一体エベンス大佐は何を考えているのかーー

 

 ヤンは考える。専門的な調査能力を持つ人間は沢山いるのに、わざわざ容疑者のルームメイトに話を持ち込む理由、それは、調査情報を容疑者に漏らすためにやる、というのが合理的な考え方だ。情に絆されたルームメイトが、容疑者にそれとなく情報を漏らす。はっきり言わなくても、何か疑われているという情報を容疑者に伝えるわけだ。そして、容疑者が通常と異なる行動パターンに出たら、それが貴重な調査情報となる。

 

 今、ラップにも監視がついているのだろうか。もしかしたら自分にも。

 

 ラップが何をしているのか、監視されているのか、それができるほどヤンは暇ではないし、そんなことに使える人員はいない。ただ、自分に監視がついている可能性は高くないだろう、ヤンはそう思った。エル・ファシルの憲兵隊が動いているならともかく、外部の人間が動いているなら、エル・ファシルの憲兵隊の方が先に気づくからだ。となると、自分が何を期待されているのか、それ次第で次の動きが決まることになる。

 

「エベンス大佐を突っついてみるしかないかーー」

 ヤンは独り言を言って、コミュニケータを手に取った。  

 

 

 

「動きはなしかね。怪しい所も無しか」

 一週間後に会ったエベンスの口ぶりは、人を馬鹿にしているようだった。どうやら向こうは、時間をかけたんだから、それらしい成果を期待していたようだった。

 

「はい。もちろん、頂いた資料については精査致します。ですが、資料ではあたりをつけることはできても、決定的な証拠を押さえることはできません。容疑者が動かないと証拠は得られない、基本中の基本です。帝国ならともかくーー」

 

「あー、ジャン・ロベール・ラップを監視するのであれば極秘にやってもらいたい。特にヤン少佐、貴官が独自に動いている、そういう体でやってもらいたいのだ」

 

「??内部調査室は監視をしていないのですか?折角の機会のはずなのに、容疑者を自由に泳がせてそれに任せていると?」

 

「そうではない」

 エベンスは慌てて言った。

 

「無論、調査はしておる。だが少佐、最初に言ったように、この問題は想像より大規模、そう見られておる。だからこそ、慎重に事を運ばねばならん。それはそうとーー」

 

「何でしょうか」

 

「少佐。こちらで調査を続けているのだが、新たな人物が捜査対象として浮かび上がった。少佐は、マッツ・フォン・クラインシュタイガーという名前に覚えはないか?」

 

 

 

 マッツ・フォン・クラインシュタイガーーー

 

 もちろんヤンは知っている。クラインシュタイガーは帝国風の姓を持っているが、生まれも育ちも自由惑星同盟である。クラインシュタイガーの祖先が同盟に亡命したのは、ダゴン会戦の直後だと言うから、所謂「亡命者第一世代」の子孫ということになる。ヤンやラップと士官学校の同期にあたり、卒業成績もヤンに比べればずっと良かったはずだ。

 

 熊のような巨体と赤土のような髪からは想像しがたいが、クラインシュタイガーは計数に明るく、趣味も料理と、およそ外見からはかけ離れている。

 

 実はヤンもラップもクラインシュタイガーとは付き合いがある。士官学校時代、クラインシュタイガーには知り合った女性がいたのだが、プレゼントを送りたいと考えていたのだった。それもクラインシュタイガーらしく、自作の菓子を作って送るということだったのである。ヤン、ラップ、そしてジェシカ・エドワーズは、レシピを研究したり、試食に付き合ったりといろいろ骨を折ったものである。

 

 そういった努力の甲斐あってか、クラインシュタイガーはなんと士官学校卒業直後に、その女性とゴールインしたのである。今でも、妻のジル・フォン・クラインシュタイガー(旧姓フォン・ロイポルツ)含め、交流がある。特にジェシカ・エドワーズとジル夫人とは親しくやっているとのことだった。

 

 クラインシュタイガーはフェザーンとの船舶の取引、その作業に従事している。フェザーンは通商による利益で生きる国家だから船舶の需要は常にある。だが、軍が取引に介入するのはフェザーンというよりも、その背後にいる帝国がメインターゲットだ。フェザーンを経由して、二つの帝国に船舶を供給することにより、内戦の泥沼化を維持しようとしているのだった。

 

 そのクラインシュタイガーに嫌疑がかかっている。輸出した船舶を書類とは別の相手に転売しようとしている、ということだった。もし事実なら汚職とかそういうレベルではない問題となるが……

 

「書類のミスなんじゃないかなぁ」

 ヤンは提示された資料を見ながら思う。ヤンも管理職だから、手慣れていない仕事や取引先と仕事をする時、書類を取り違えてしまうこともある(部下のミスも含め)。そういうのが周囲に明るみになると、しこたま怒られるからあまりやりたくないミスではあるが、クラインシュタイガーの嫌疑とやらも、そのレベルなのではないか、そう思えてならない。少なくとも、エベンスがこの程度の情報で嫌疑と言い張るのは何なのか。

 

「どうも、問題がすり替わっているような感じがする」

 ヤンはつぶやく。同期で、ヤンからするとそれなりに親交のある二人に降ってきたスキャンダル。問題は、三人共に付き合いがあるということだ。単に偶然が二つ重なった、というわけにはいかない。何か裏があることを考えなければならない。

 

「話してみるしかないか……」

 

 

 

「よぅ、ヤン。お前から通信してくるとは珍しいな。どうした」

 FTL通信の向こう側では、クラインシュタイガーが快活な笑顔を見せていた。クラインシュタイガーもハイネセン在住である。お決まりの世間話を一通りした後、ヤンは切り出した。

 

「ところでクラインシュタイガー。ラップのことなんだが……何か接触してきたとか、そういうことは」

 

「おいおいヤン。接触ってなんだそりゃ。憲兵用語か。ラップならいつでも接触してくるさ。一週間に一回、アレを送ってくるだろう。そういえば最近送ってこないな。あ、そうか、出張してたんだな。それもご丁寧に。ともかくあいつの親馬鹿にはしばらくつきあわなければなるまいよ。で、どうした?それでいいのか」

 

「あ、いや、ううん……」

 ヤンとしては、会話の主導権を握られるとどうにもやりづらい。何かを秘密にしつつ、その秘密に関わる情報を聞き出すというのは高等スキルであり、ヤンはそういうものを有していない。

 

「何だ、その奥歯に物がはさまったような言い方は。ははーん、お前さん、何か隠しているな」

 

「あ、いや……」

 ヤンは背筋を震わせた。まさか、クラインシュタイガーにこちらの調査のことがばれている?

 

「その感じだと……そう!ジェシカに出産祝いを贈り忘れたんだな。駄目だぞ。ああいうのはタイミングが重要だってジルも言っている。何でもいいからすぐ贈るんだ。いや、何でもというのも駄目だな。どうだ。ジルと話をしてみるか?」

 

「あ、いや、いいんだ。それは自分で考えるから。ところで、仕事のことなんだが」

 

「仕事?折角休みの日に通信してきたと思ったら仕事の話かい。勘弁してくれよ」

 クラインシュタイガーは嫌そうな顔で応じる。

 

「こないだも、書類のミスで会計に散々絞られたんだ。まぁ、会計が悪いというよりもフェザーンが良くない。よく分からない、似たような取引先が山ほどあってな、あれじゃ間違えない方が不思議だ。うちだって部下が気づいてくれなけりゃなぁ……」

 その後は仕事の愚痴を散々聞かされることになった。肝心の話は聞くことはできなかった。全く期待してはいなかったが。

 

 

 

三日後ーー

 

「それで、クラインシュタイガーも空振りかね」

 エベンスの顔は苦虫を噛み潰したようだった。

 

「はい。クラインシュタイガーの動きに不審なところはありません。頂いた情報に、不審な点は何か所かありますが、いずれも単純ミスというものでしょう。どうとでもなります」

 

「つまり、クラインシュタイガーに後ろ暗いところはないと」

 

「こちらで調べる範囲は、です」

 そんなに怪しいならお前が調べてみろ、ヤンはそう言いたかったが言わないでおいた。やはり気になるのはジャン・ロベール・ラップである。何故、彼が最初のキーマンなのか。

 

「まぁいい。調査を続行してくれたまえ。だが、手を抜くんじゃないぞ。事態は深刻になりつつある。新たな調査対象が出てきた」

 エベンスがデータを送信してきた。中身を見たヤンは、思わず目を見張った。

 

 

 

「ワイドボーンねぇ……」

 ヤンは頭を抱えた。ヤンの同期でワイドボーンの名前を知らない人はいない。卒業生総代(首席)で十年に一人の逸材と言われた人物である。もちろん出世も早く、現在は階級は大佐、統合作戦本部で対帝国の防衛計画立案に従事しているらしい。それも、防御基地の設置業務を受け持っているということだった。ヤンやラップと比べると責任は段違いにでかい。

 ただ、このレベルになると、小手先で書類を誤魔化して金を掠め取るということなどできない。というわけで、資料では、防衛基地の設置に便宜をはかり、リベートを受け取っているという内部通報がある、と書いてある。

 

「内部通報があるなら、自分で調べりゃいいじゃないか」

 ヤンはぼやいた。ラップ、クラインシュタイガーもそうだが、ワイドボーンとなると格が違う印象だ。ワイドボーンにスキャンダルが出るとなると、軍内部の問題では済まなくなる。動くマスコミの数も違うだろうし、仮に逮捕となると国防委員会も出張ってくるだろう。自分に調査させることに意味があるとは思えない。

 第一こんなあやふやな情報で、部外者の自分に何ができるのか。いっそやめてしまおうか。そうも思ったが、乗りかかった船となればしょうがない、とも思うのだ。

 

「もう、これは思惑に乗るしかないか。あまりやりたくはなかったが……」

 

 

 

「ヤン・ウェンリーか。久しぶりだ。体調はどうだ、風邪なんかひいてないだろうな」

 ワイドボーンの多忙さを考えると、どうでもいい同期生の一人ひとりに構っている暇などないわけで、コンタクトを取るのも困難だろう、ヤンはそう思っていた。あにはからんや、ワイドボーンはあっさりこちらの通信に応じてくれた。

 

「ああ、突然の話で済まない。実は……」

 

「だろうな。憲兵が出てくるとしたらいつも突然だ。それで何の用だ?」

 おや。ヤンは首をかしげた。もっとぞんざいに扱われると思ったらそうではないのだ。まるで、こちらが出てくるのを予感しているようだ。そんな感じなのだ。 

 

「いや、ちょっとジャン・ロベール・ラップの件でな。知っているだろう?」

 まだワイドボーンに嫌疑が及んでいることは言わない。

 

「ジャン・ロベール・ラップ?ああ、もちろんだ。艦政本部にいるんだろう?」

 ヤンは舌を巻いた。さすが首席様となると、見どころのある同期ぐらいはちゃんと動向を把握しているということか。

 

「ちょっと、ラップの件で調査している」

 

「ラップ?何を調査しているか知らんけど、俺は何も知らんぞ。何を聞かれても答えることは何もない」

 ヤンがそう言うと、ワイドボーンはあわてて言った。やはり、ワイドボーンは何かを待ち構えている。ヤンはそう思った。

 

「いや、何か思い当たることはないのか。例えばーー」

 

「知らんな。それはそうとーー」

 ワイドボーンの返答はにべもない。

 

「こないだハイネセンの同期が集まることがあったんだが、貴様の話も出ていたぞ。そのうち昇進してハイネセンに来るんじゃないか、そう言っていた」

 

「昇進?」

 ヤンは聞き返した。

 

「エル・ファシルで随分と活躍しているそうじゃないか。例の新型戦艦の件、マスコミは無視しているがこちらでは評判だぞ。このままやっていれば、昇進もすぐだろうさ」

 

「いや、そのつもりはないんだが」

 

「は?」

 ワイドボーンは意外そうな顔をした。

 

「もう昇進することはないんだ。今年度末(8月)で退役することになっている」

 

「ならば何故……いや、何でもない」

 ワイドボーンが言葉を濁した。ヤンの中に何か閃くものがあった。

 

「ワイドボーン、何か知っているなら言ってくれ。私のためじゃなくて、ジャン・ロベール・ラップのためだ。お願いだ」

 

「俺は何も知らん」

 ワイドボーンは何かを知っている。ヤンは確信した。だが、守りに入った相手を崩すのは簡単にはいかない。もうこうなったら、懐に飛び込むしかないのか。

 

「実はこれを言うのは止められていたんだが、調査のリストにワイドボーン、君も入っている」

 

「なっーー」

 聞かされたワイドボーンは絶句した。

 

「ワイドボーン。君がそういう反応だということは、どうもそちらではこちらの想像もしない事態になっているということだな。ならば、ますます協力してくれ。どうやら、自分と君、どっちも想像していない事態が進行している。そういうことなのかもしれない」

 

 しばらくワイドボーンは黙ったままだったが、やがて口を開いた。

 

「言っておくが、これは他言無用だぞーー」

 

 

 

<3>

 

「どうしたんですか?」

 ヤンに手招きされ、会議室に入ったラオはそう言った。窓もブラインドを下げて、薄暗くなった室内に、ヤンが一人で座っている。机の上には、A4サイズの紙が一枚置いてある。それを見てラオは顔をしかめた。ヤン・ウェンリーとよく分からない紙、それに散々振り回されているから当然の反応だ。

 

「ああ、これは別に怪しい紙じゃない。私が書いたんだ」

 

「まったく……噂になってますよ。今度は何に首を突っ込んだんだって。名探偵ヤン・ウェンリーとか呼ばれてるの、知ってるでしょう」

 

「知ってるさ。もちろんいい意味じゃないこともね」

 

「で、何ですか、これ。”EOWS”?」

 紙には、太字のペンでEOWS、それだけ書いてあった。

 

「大尉はこのEOWS、何か知っていることはないか。ウェブで調べようと思ったんだが、検索してもろくに痕跡が残ってないんだ。活動を停止してかなり時間が経つんだろうな。情報の消去も念入りにやっている」

 

「活動?政治団体ですか?」

 

「たぶん」

 ヤンはそれだけ言った。

 

 

 

 昨日のワイドボーンの告白は衝撃的なものだった。どうやら、ラップ、クラインシュタイガー、ワイドボーンそれだけではなく、同盟軍の中堅士官、それもヤン達と同じぐらいに士官学校を卒業した士官に、同時に調査が行われているらしかった。おかげで、ハイネセンでは誰もが疑心暗鬼になっているらしい。憲兵であるヤンから通信が来たことで、憲兵隊方面の情報を引き出そうとワイドボーンは思っていたらしいのだが、思ってもみなかった嫌疑に仰天したとのことだった。

 

「最近はなぁ。軍への風当たりも強いからなぁ。恩給に関しても削減すべきだって声が強くなりつつある。ヤン、お前にも関連する話じゃないのか」

 

「それはそうだが……」

 

「後は妙な噂を聞いているんだが……調査対象になっている士官に接触している連中がいるらしい。いや、連中かどうかも分からん。向こうはこっちを知っているらしいが、正体が分からんのだ」

 

「何かが起きている。何かは分からんが」

 ワイドボーンが伝えてきたのは、EOWSの四文字。どうも、メッセージの署名欄にそれだけ書いてあるらしいのだった。

 

 

 

「EOWS……なんでしたっけねぇ。どっかで聞いたことがあると思ったんですけど」

 ラオはしばらく首をひねった。ふと何か思いついたのか、手を叩く。

 

「そうだ。仮想史(シュードヒストリー)ですよ。前に流行った」

 

「仮想史?」

 

「ほら、前に流行ったことがあったでしょう。歴史のIFを想定して、その後の歴史を想像するってやつ。あ、あれは単にEoWか。エンド・オブ・ザ・ウォーって本がありませんでしたっけ」

 

「それを採用するとして、エンド・オブ・ザ・ウォー・ソサエティってことか。仮想史といえば確かに流行っていたな。10年ぐらい前か」

 

「ですね。課長がまだ士官学校に居た頃でしょう。そうそう。銀河帝国に生まれた一人の男子が軍に入って戦功を挙げて、いつの間にか軍のトップになって南北朝を統一する、って奴ですよ。コミックやドラマにもなりませんでしたっけ」

 

「ああ、あったなぁ」

 

「そうそう。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを想像させると言って騒動になったんですよね。で、作者がその通りだ、でも、お話の中なら自由だって記者会見で言って、それでさらにヒットしたんですよ。課長もお好きなんではないですか?歴史、好きでしょう?」

 

「ああ、いやー。そういうのは好きじゃないんだよな」

 ヤンは頭をかいた。

 

「どうして?」

 ラオが怪訝な顔をして聞く。

 

「なんというか、人が歴史を変える、という考え方が私にとっては合わない、というか」

 

「そうなんですか?」

 

「だってさぁ。人はテクノロジーを進化させてきたけど、それを使って火山を噴火させないようにしよう、とは思わない。ハリケーンを消滅させよう、とも思わない。せいぜい火山の近くに住まないとか、川に堤防を作るとか、その程度だよ。それに歴史を変えると言っても、その人が思うように歴史をコントロールできるか、というとそうはならない例がほとんどだ」

 

「そんなもんですか」

 

「まぁ、でも歴史のシミュレーションというのは一種の沼のようなものだよ。歴史を紐解けば紐解くほど、奥深さが分かってくる。でも、あれはいいや。何というか、派手過ぎる。まぁ話を戻すとして、確かに宇宙歴780年代後半、仮想史は流行ったよな。確か、帝国の南朝が北朝を押しまくっていて、このままだとオーディンが陥落するんじゃないか、そんなことまで言われていたよな」

 

「そうでしたっけ」

 

「そうそう。『出口戦略』とか、流行語だったよな。帝国の再統一が為った場合、どうやって帝国を打倒するか、そんな話もいろいろ出たもんだ。結局、すんでのところで北朝が攻勢をしのぎ切って、膠着状態に逆戻りするわけなんだが」

 

「あー。そうでしたっけ」

 

「まぁ、こちらとしては助かったよ。帝国との戦争が再開、なんてことになったら自分も大尉も前線に出なきゃいけなかったろうな。戦艦と一緒にあの世行き、なんてことになってたかもしれん」

 

「そうですねぇ。で、エンド・オブ・ザ・ウォー・ソサエティ……どっかで聞いたなぁ。どこでしたっけ」

 

「そうなんだよ。そう言われれば聞いたような気がするんだ。ワイド……おっと失礼、情報提供者も、どこかで聞いたとか言ってたんだ。でも、思い出せないんだよ。どこだっけなぁ」

 ヤンは貧乏ゆすりをするが、だからといって閃くわけではない。

 

「課長と自分が聞いたことがあるなら、士官学校がらみじゃないですかねぇ。自分は確か、課長の二期後ろですから、同じ体験をしててもおかしくないです」

 

「士官学校……待てよ、そうか!それだよ!!」

 ヤンは椅子から飛び上がると、ラオの両手をがっしりと掴んだ。

 

「確かにそうだ。そこから当たってみる。大尉、この借りは必ず返すから。じゃ、仕事に戻ってよろしい」

 ラオは肩をすくめると、会議室を出ていった。別に借りはいいから、課長の仕事を押し付けないでくれればいいんですけどね、と呟きながら。

 

 

 

 三日後ーー

 

 ヤンは官舎で腕組みをしながらうなっていた。今日は休暇を取って、一日中官舎にこもっている。目の前には大きな紙が広げられている。その紙には沢山の人名と矢印、そして書き込みがある。ヤンが作ったものだった。紙の周囲には、プリントアウトした紙が散らばっている。

 

 ヤンは紙に何やら書き込みながら、×をつけ、別のところに何やら書き込みながら×をつけることを繰り返している。紙が真っ黒になったらそれを放り投げ、再度書き込みを始める。それをもう三度繰り返していた。

 

「EoWSか……確かにここから始めなければならない。あれは偶然じゃない。そう思うべきだ。だが……」

 

 ヤンは端末を手に取ると、軍のDBにアクセスした。休暇中の仕事など、それまでのヤンからしたら考えられないことだが、今は仕方のないことだ。

 

 ジャン・ロベール・ラップの汚職に関する疑惑ーー

 マッツ・フォン・クラインシュタイガーへの嫌疑ーー

 マルコム・ワイドボーンへの嫌疑と、そこから出てきた新情報。謎の組織EoWSーー

 最後に、士官学校のデータベースから出てきた意外?な名前ーー

 

 調査のかいあって、何とか真相らしきものは掴みかけている。だが、それだけでは足りない。ラップの汚名返上となるかどうか、そして、ラップに汚名を着せた人間を撃破できるか、そこが肝心だ。取り逃がしてしまっては意味がない。この場できっちりと落とし前をつけてもらわないとならない。

 

 やはり話をしなければならないか。

 

 ヤンは、ソファに放り出していたコミュニケータを手に取った。

「ラップか。ヤンだ。実は折り入って話があるんだが……」

 

 

 

翌日ーー

 

「ということは、間違いないのだな」

 締め切った会議室の中で、エベンスは確認するように言った。

 

「はい。間違いありません。ジャン・ロベール・ラップについては容疑が固まりました。新型装備の立ち上げにおいて、取引先のジェイドメタル・インダストリィ、外商部のヒーバート氏と、何らかの合意に達した模様です。今日または明日にジャン・ロベール・ラップの銀行口座に一万ディナールの振込が行われるとの情報、入手しました」

 ヤンの表情は微動だにしない。少し青ざめているようにも見える。

 

「そうか。お手柄だった、少佐。しかし、少し前まで手がかりも見つかっていなかったようだが」

 

「状況が変化しました。ラップにそれとなく自首を勧めましたが、拒否されました」

 ヤンはそれだけ答える。

 

「そうか。分かった。少佐、本当にいいのだな?ラップ少佐は士官学校で君のルームメイトだったはずだが」

 

「おっしゃっていることの意味が分かりません。それに、これはルームメイトを売るのではありません」

 ヤンの声は抑揚がなかった。

 

「救うのです。ジャン・ロベール・ラップを。今なら、まだやり直せる」

 

 

 

<4>

 

二日後ーー

 

 ジャン・ロベール・ラップはいつものように6時半に起床した。エル・ファシルでの業務は概ね順調ーーと言いたいところだが、監査で発見したトラブルとその対応のため、設定した予備日がもう尽きかけている。日程をずらすことは無理な相談なので、無理矢理にでもスケジュール通り監査を進めるしかなかった。

 

 シャワーを浴び、髭をそり、制服に着替えた上で、さてこれから朝食ーーというところで、宿舎のドアが荒々しくノックされた。

 

 ラップは不審に思いつつもドアを開けると、いきなり外から一人の人間が入ってきた。

 

「ジャン・ロベール・ラップだな」

 

「……お宅は?」

 

「憲兵隊内部調査室のエベンスだ。ジャン・ロベール・ラップ少佐、貴官をジェイドメタル・インダストリィとの収賄容疑で逮捕する」

 

「収賄?一体なんのことだ」

 

「口のきき方に気を付けたまえ、少佐。申し開きは取り調べの時にやってもらおう、とにかく来るんだ」

 エベンスはラップの右腕を掴み、手錠をかけようとした。

 

「ま、待ってくれ。収賄ってどういうことだ。何かの間違いじゃないのか」

 

「往生際の悪い奴だ」

 エベンスはラップの腕をねじりあげ、無理に手錠をかけようとしてーー

 

「そこまで」

 扉の向こうから声がした。開けっ放しの扉から、ブラスターを構えたヤンとラオが入ってきた。振り返ったエベンスは、ヤンの顔を見て不審をあらわにした。

 

「ヤン少佐ではないか。何故ここにいる」

 

「そんなに怪しまないでください。ここは官舎で私は憲兵です。通りががっても何の問題もないでしょう?」

 ブラスターを構えながらのその物言いはかなり無理があるが、ヤンもラオも気にする風はない。

 

「そんなことはーー」

 

「折角の機会です。拘束する前に、ラップ少佐の弁明を聞いてみてはいかがでしょうか。それに、調査に協力した私としても、一つ二つ言っておかなければならないことがあります。それがあれば、真相の究明もやりやすくなる、というものです」

 ヤンの言葉は穏やかだが、ブラスターを下ろそうとはしなかった。

 

「そんなものは必要ない。確かに貴官に調査協力は依頼したが、拘束に介入する権限はないはずだ。総務部の憲兵はそんな権限を持っていないだろう」

 

「ええ、もちろん」

 ヤンは抗議を受け流した。

 

「ですが、ここはエル・ファシルの軍施設内部です。そして、施設内の治安維持については、エル・ファシルの憲兵隊に権限があります。私が一言言えば、一日ぐらいは貴方はここから出られない。もちろん、危害を加えることはできませんが」

 

「……」

 

「どうです。お時間はいただけませんか。なに、一時間もあれば終わるでしょう」

 エベンスはしぶしぶうなずいた。

 

「……よかろう。話だけは聞いてやる。話だけは、だ。結論は変わらんが」

 

 

 

 ヤン、ラップ、エベンス、ラオの四人は憲兵隊の会議室に入った。ヤン以外の三人にはコーヒーが、ヤンには紅茶が配られる。ヤンがそうオーダーしたのだった。事務員が外に出たのを見計らって、ヤンは話し出した。

 

「で、ラップ少佐。こちら、エベンス大佐は、少佐がジェイドメタル・インダストリィから賄賂をもらった、と言っているが、本当のことですか」

 

「まさか。収賄なんて考えたこともない」

 ラップは頭をぶんぶん振って否定した。

 

「だ、そうですが」

 ヤンはエベンスに話を振った。

 

「見苦しいぞ、少佐。我々は少佐を内偵していた。少佐の銀行口座に一万ディナールが昨日の晩に振り込まれていることは分かっている。これが何よりの証拠ではないか」

 

「そ、そんな、何かの間違いーー」

 

「今更しらを切るのか。見苦しい」

 エベンスが吐き捨てるように言う。

 

「大佐、そうでしょうね。何故なら、この一万ディナール、ラップ少佐は何も知らないからです。否定するしかないですよね」

 ヤンの言葉に、エベンスは振り返った。ヤンは一口紅茶をすすって話し出した。

 

「大佐から調査依頼を受けたこの事件、本当に難しかった。調べても調べてもすぐ行き詰まり、そして全く想定もしない展開になっていくのです。調査対象者は三人、まずジャン・ロベール・ラップ、そしてマッツ・フォン・クラインシュタイガー、最後にマルコム・ワイドボーン。三人の共通点は、外部の企業との取引に関連する仕事をしていること、そして私の同期だということです」

 

「私は、汚職の疑惑ということで三人を調査しました。そういう容疑があると言われたからです。提供される証拠を精査すると、確かに怪しい点はある。でも、直接の調査は控えるように、と言われましたし、調査に値するか疑問のある嫌疑ではありました」

 

 エベンスは目をむいたが、ヤンはそれを無視した。

 

「三人の調査に二週間をかけました。もし、ラップが汚職に手を染めているのが事実なら、そして、三人が大規模汚職の細胞だとするならば、動きがあってもおかしくないのです。一人の捜査官が三人、いや、二人の容疑者に接触する。これは偶然といえません。少なくとも、そこで気づいて監視しなければならないのです。ですが、そんな動きはなかった。この件でアクションがあるのは私だけでした」

 

「さらに言うと、二週間かけて三人を調べているのに、二人目のクラインシュタイガーはもとより、ワイドボーンにもコンタクトが取れる。これもおかしなことなのです。もし、犯罪組織の自覚があるなら、自己防衛の機能が働きます。人間として当然のことです。ですが、それもなかった」

 

「となると、組織犯罪という前提が怪しくなる。そうなると、同期ばかりを三人調査しているのは何故か、ということになる。本当になぜ、どうして、なんです。ですが、調査の結果、話は私の同期だけに限らないことが分かりました。私の代から前後して合計数年ほど、その士官学校卒業生でも同じような調査が行われているらしい、という情報を掴んだのです」

 

「だから言ったであろう。大規模な事件になると」

 エベンスは何を当たり前のことを、という口調で言った。

 

「そして、調査の過程でEoWSという組織が出てきた。戦争後の社会、と銘打ってはいますが、我々の士官学校在学中前後で流行した、仮想史をネタにして活動していた、過激な戦争遂行派組織、というのが正体です。この組織を元に今回の事件を見つめなおすと、様相が一変するのです」

 

「……私には何のことだかさっぱり分からない。何が変わるのだ。それにそのEoWSというのは」

 

「今までの調査ですが、調べると新しい容疑者が出てきた、ということで三人まで調査を行いました。ですが、容疑者が三人いるから調査するのではなく、調べる過程で新たな容疑者が『用意』されるとしたらどうか。そして、調査の目的が、真相の究明や逮捕ではなく、調査そのものにあるとしたら、それこそがEoWSの目的だとしたら、どうか」

 それを聞いたエベンスの顔色が変わるのを、ヤンは見逃さなかった。ラップは少し青ざめている。ラオは事件の真相究明に立ち会う、何も知らない一般人のような顔だ。

 

 

 

「ジャン・ロベール・ラップの汚職疑惑調査、それが成果をあげるとは限らない、ということは貴方は分かっていた。でもそれで問題なかったのです。ラップを調べること、その本当の意義は、かつて隆盛を誇っていたEoWS、その復活だからですよ」

 

「EoWS、かつて流行した仮想史の時に、ずいぶんと派手に行動していましたね。士官学校でも講演会をやったりしていた。構成員の中に軍の士官や元士官が居たからです。だから、士官学校のネットワークにも入り込めた。その過程で、士官学校の成績優秀な生徒に接触し、勧誘(オルグ)することも行っていた。だが、うまくいかなかった。過激派人士や怪しげな宗教団体の浸透が見られ、士官学校は団体の活動を禁止したからです。いつしか、EoWSは活動を停止し、ウェブ上から活動記録すら削除ーー」

 エベンスは机をどんと叩いて、強制的に会話を打ち切った。

 

「少佐、いい加減にしないかね。その組織とこの事件、何の繋がりがあるのだ」

 

「行動記録を削除したからといって、過去の活動を無かったことにできるわけではない。士官学校で講演会をやるとなると、団体の情報を詳細に調べられる。当然のことです。そして、調査データにあったのですよ。貴方の名前と、ラップ少佐の上司、ブロンズ准将の名前が」

 

「貴様!一体何を言いたい!!名誉毀損だぞ」

 エベンスが真っ赤になって叫んだ。

 

「かつて活動に参加していた人間、少なくともそう見なされている人間が捜査を受けている、そして一斉捜査が始まるらしい。そう言われればどうなるでしょう?もし、事前に調査の内容と対応策が詳細に示されたとしたら?そして、その見返りを求められたならどうなるでしょう?さらに言うと、言うとおりにせず、逮捕されてしまったという事例があったとしたら?」

 

「こうなると、黒幕としては、誰もかれもいちゃもんをつければ良いことになる。容疑すら必要ない。クラインシュタイガーは恐らく単なる書類のミスだ。ワイドボーンに至っては、同期生を揺さぶるための広告塔、そうでしかない。ワイドボーンが疑われるなら自分だって、そう思う同期生は沢山いるんでしょう。そして、ジャン・ロベール・ラップ、これはブロンズ准将の部下で勤務しているから、ただそれだけで疑惑がでっち上げられたのだと思います。単なる、同期生を揺さぶるための導火線、そうでしかないんですよ。火をつければ、いつしか誰もが靡いてくれる」

 

「組織を強くすること、そしてまとめるのに一番有効なのは共通の敵を作ること、ですが、そのための手伝いを私にやらせようとしましたね。だが、貴方達にはそれ以外の目的もある。それは発注を担当する、現場で権限を持つ士官をコントロールして、株式市場に混乱を発生させることだ。エベンス大佐、貴方もジェイドメタル・インダストリィに限らず、いろいろな会社の株式での空売りを仕掛けていること、もう既に分かっているんですよ、さらにですね」

 

「最初に大佐が私に提供した資料、実際の資料と突き合わせてみたら合わない箇所がありますね。元の資料を見る限り、疑惑すらないに等しい。火のない所に煙は立たぬ、どころか火すらないじゃありませんか。これは、最初からジャン・ロベール・ラップ他複数の士官をターゲットにした陰謀論、そう断じざるを得ない」

 

 エベンスは何も言えぬまま固まってしまった。だが、しばらくして不敵な笑みを浮かべて言う。

 

「なるほど。よくそこまで妄想したものだ。だが、少佐。ラップ少佐の銀行口座に振込があること、そしてラップ少佐がジェイドメタル・インダストリィのヒーバート氏と接触があること。これだけで拘留まで持っていくことはできる。第一、この情報を提供したのは少佐ではないか。証拠がある嫌疑なら、逮捕するのは当然のことだ」

 

「証拠はありません。第一、この一万ディナールは、私のポケットマネーです。銀行の取引記録を見れば分かることです」

 

「なっーー」

 エベンスがのけぞった。

 

「エベンス大佐、その逮捕状は軍法会議事務局に証拠を提出して取得したもののはずだ。いや、もしかしたら、後で辻褄を合わせるつもりで持ってきた、ただの紙切れですか」

 

「内調を甘く見るなよ。振込記録は作ることなど造作もない。振込元を書き換えることだって可能なのだよ。そうすれば、拘留して有罪にすることなど簡単だ。そしてヤン少佐、貴様はルームメイトを売った狗ということになる。それとも、退役するから関係ないのか?」

 

「貴方がそう思うならそうなんでしょう。貴方の中では。下種な物言いだとは思いますが」

 ヤンも知らず知らずのうちにボルテージがあがっている。

 

「どういうことだ」

 

「大佐、そこまで追い詰められて降参しないのは、ある意味大したものです。ですが、貴方が偽の証拠を作ることができるなら、私も作れるんですよ。但し、私の証拠は本物です」

 

「ほぅ、証拠を作れるのか。エル・ファシルの憲兵隊は随分と勝手なことができるものだ」

 エベンスは嘲るように言った。

 

「ええ。今貴方は、ヒーバート(Hebert)という人物との贈賄の疑惑、それが存在するとおっしゃいましたね」

 

「そうだ。それがどうした」

 

「ラオ、聞いたな?ラップも」

 ヤンの言葉にラオとラップは同時にうなずいた。

 

「……何がおかしい」

 

「もし、ヒーバート氏という人物が存在しないとしたらどうでしょう。大佐は、架空の人物との贈賄の証拠がある、そう言っていることになる。これは、誤魔化そうと思っても誤魔化せない話ですよ。架空の取引と架空の人物、二つもあるとするならば」

 

「馬鹿な。ヒーバートという人物は存在するではないか。ジェイドメタル・インダストリィに存在が確認されている。ウェブサイトにも載っているぞ」

 

「本当に?」

 

「何が言いたい」

 エベンスの口調にはイラつきが混じっている。

 

「では言いましょう。ヒーバートなる人物は存在しません。断言します。ジェイドメタル・インダストリィに存在するのはエイビア(Hebert)さんです。これをヒーバートと読むのは私だけなんですよ。そして、貴方はそれを鵜呑みにして、ラップ少佐を拘束しようとしたのです。軍法会議で一体何を主張するのですか?相手がエイビア氏ならともかく」

 エベンスはしばらくの間、目をぱちくりとさせていたが、ようやく真意を理解したのか、顔を真っ赤にして言った。

 

「ヤン・ウェンリー!!!よくも……だが、そのような小手先のペテンが通じると思うなよ。巻き返す手段ならーー」

 

「私はともかく、ラップ少佐を罠に嵌めようとした罪は大きい。観念するんだ」

 ヤンの言葉は氷のように冷たかった。

 

「エベンス大佐、貴方を文書偽造とインサイダー取引疑惑で緊急逮捕する。ラオ大尉、大佐を捜査三課に引き渡してくれ」

 

 

 

<5>

 

「ヤン、今回の件まことにーー」

 

「いいんだいいんだ、ラップ。君は職務熱心なエリート士官、それ以上でもそれ以下でもない。下水管を覗いて陰謀のタネを探すのは、憲兵隊に任せておけばいいのさ」

 その夜、歓迎会を開いたバルでヤンとラップは再度乾杯をしていた。ラップが何でもするというから、ヤンはその店で一番高いワインを開けてもらうことにした(それでも100ディナールはしないのだが)。本当はそんなことすら辞退したかったのだが、ラップに是非にとせがまれたらどうしようもなかった。

 

 エベンス大佐はエル・ファシルの憲兵隊に拘束された。大佐は大佐で容疑を、いや、容疑の存在そのものを否定している。だが、容疑そのものは何とかできたとしても、株の空売りの方はどうにもならない。このままいけば、巨額の損失を負って、破産の止む無きに至るはずである。ブロンズ准将も同様の運命、となるはずだ。

 

「俺が抱え込んでいたのがいけなかったんだ。何か怪しいところがあれば、すぐ周囲に話しておけばよかった」

 

「憲兵隊としてはその通り、だけど。今回の件だとどうかな。ラップがそんな陰謀に気づけたとは思えないし、トカゲの尻尾切りにならないとも限らない。むしろ、相手が戦線を広げてくれたからこそ、EoWSの幹部を拘束できた、というのはあるんだ。ラップ、クラインシュタイガー、ワイドボーン。みんなの力があってできたことだ」

 

「それに、取引記録をラップが見せてくれなかったら、エベンスをやっつけることもできなかっただろう。確かになぁ、エベンスが出してきた情報、あれは疑うべきだった。状況が変わったんだから、信用すべきじゃなかったんだよ」

 ヤンはかぶりをふりながら言った。敵と分かったのに、その敵から提供された情報を信じ込んだことで、解決に回り道をすることになった。

 

「というか、今回の件、最初から突き返しておけばよかったんだ。ルームメイトだから、極秘任務だから、そうやって仕事を受けたらこのざまだ。人間、仕事に励んでいいことなんかないな」

 

「驚いたよ。いきなり仕事中に連絡してきたと思ったら、機密情報を見せろと言われたんだからな。おまけに、改竄されているとはいえ、ヤンが取引情報を持っているのも驚いたさ」

 

 一昨日、ヤンはラップと連絡を取り、情報を提供してもらったのである。そこから、偽の情報をエベンスに流し、偽の逮捕令状を作らせて逆襲する、というアイディアを思いついたのはラップだった。取引先の個人名がよく間違われることを逆手にとって、罠をかけるのはヤンとラップの合作で思いついたものである。

 

「それにしてもだ」

 ヤンはワイングラスを空にすると鼻を鳴らした。

 

「EoWSとやら、随分と迂遠なことをするもんだ。同盟のエリート士官を、それも何人も意のままにコントロールしようとするなんて。私だったら面倒臭くてやってられないなぁ」

 

「俺にはわかる」

 ラップがぽつりと言った。

 

「宇宙歴8世紀の後半、同盟は戦争と無縁の日々を過ごしてきた。いつの間にか、軍は必要のないものになっていった。ヤンはエル・ファシルに住んでいるから実感できないのかもしれないが、ハイネセンでは軍への風当たりは強くなれども弱くなることはない」

 

「そうなのか」

 ヤンがラップのワイングラスに新しいワインを注いだ。

 

「もちろん、大多数の軍人は社会に順応して生きていく、それを疑うことはない。だが、本来軍はもっとリスペクトをもって接せられるべきだ、と考える人は結構多いんだ。それがさらに過激になると、現実の方がおかしいと考えるようになる、のかもしれない。実はな、俺もそういう思考がないわけじゃないんだよ。毎日のように財務委員会とやり合う身になるとな、或いは、こちらの些細なミスを突つかれて、クレームに対処したりとか、そういう仕事を続けているとな……クソッ、こんなことを考えちゃいけないんだが」

 

「ラップ」

 ヤンはラップにミネラルウォーターのグラスを差し出した。

 

「どうやらちょっと飲み過ぎのようだな。酒も弱くなったかい?」

 

「ヤン……」

 

「まぁストレスは人を蝕むと言うけど、軍隊は道具だ。そして、無い方がいい道具だ。それを踏まえてなるべく無害な道具にならなきゃいけない。まぁ、確かに軍都エル・ファシルに住んでいると、ハイネセンで見るような光景は見なくて済むのかもしれない。だから自分が言うのもなんだけど、原則は曲げちゃいけないと思う。それに、だ」

 ヤンもグラスにミネラルウォーターを注ぐと、一気に飲み干した。

 

「昔の人曰く、歴史とは、そのほとんどが人類の犯罪・愚行・不運の登記簿にほかならないそうだ。不運はともかく、犯罪や愚行をラップが犯すことはない。君がやるべきことは何よりも、ジャックとジャンヌの良き父親であること、そうじゃないのかね」

 




次回予告

 エル・ファシル最大のお祭り「建軍祭」。そのお祭りの最中、ヤン・ウェンリーはエル・ファシル、いや、自由惑星同盟の中に潜む(ひずみ)に接することになる。

第六話「建軍祭」


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第六話 建軍祭

 エル・ファシル最大のお祭り「建軍祭」。そのお祭りの最中、ヤン・ウェンリーはエル・ファシル、いや、自由惑星同盟の中に潜む(ひずみ)に接することになる。


<1>

 

 自由惑星同盟で一番の祭典は何か?

 

 そう言われたら、いろいろな回答があるであろう。新年を祝う新年祭、自由惑星同盟建国記念祭、アーレ・ハイネセン誕生祭、その他いろいろである。

 

 だが、軍都エル・ファシルなら大体の人がこう答えるだろう。

 

「自由惑星同盟軍 建軍祭」である、と。

 

 

 

5月26日(建軍祭前日) 14:00ーー 

 

「では、始めます。建軍祭前日の最終チェックを行います。マドックス君、開会式の座席の配置は?」

 

「完了しました。変更も折り込み済です」

 

「パレードの山車、設営は終わっているか?ブリスター君」

 

「六号車、十三号車がまだです。ですが、明日の朝には終わる模様」

 

「ちゃんとチェックしておいてくれよ。スチュワート君、パレードに参加する部隊は全部揃っているだろうな」

 

「問題ありません。本日22時までに全部隊、兵舎宿泊の予定です。差し入れも手筈通りに」

 

「よし、大通りの封鎖準備はどうなっているブラッドショー君ーー」

 

 ヤンは会議室の光景をぼーっと眺めていた。会議室では、ラオ大尉が課員を前に最終チェックを行っている。三か月前から少しずつ進めてきた、建軍祭の準備も今日で終わり、後は明日の建軍祭当日を残すのみとなっている。

 

 自由惑星同盟軍 建軍祭ーー

 

 その名の通り、5月27日の建軍記念日を祝う祝祭である。別にエル・ファシルに限らず、ハイネセンでも、他のどの惑星でもこの日は軍の祝日として、記念イベントが行われる。但し、惑星エル・ファシルにおいては、軍だけでなく市民を巻き込んだ大イベントが挙行されるのである。実際、この日は惑星エル・ファシルだけは祝日として、会社や自治体組織もお休みとなるのだ。

 

 そして、行政府エル・ファシル・シティでは、中央の大通りを封鎖して軍によるパレードが行われる。パレードに参加する部隊は、惑星エル・ファシルに駐留する第二艦隊より選抜される。パレードに参加するしない部隊は、ごく一部を除いて、休暇が与えられる。

 残念ながら、前線に展開する第四・第十艦隊はこの祝祭に参加できないし、休日もないが、シャンパンの特配があるし慰労金も配られる。兵によってはこちらの方が気楽でいいという人もいるそうだ。

 

 まぁ、要約するとそれだけ盛大なお祭りである、ということだ。例によって例の如く、イベントの裏方として奔走するのは憲兵隊総務部ということになるが、恐らく沢山ある仕事の中で、最も真面目に取り組むのがこの仕事であろう、そう言われている。

 

「では、皆さん、特にスケジュールを遅延させる事項は無い、そういうことで、準備の最終段階、頑張っていきましょう。解散!」

 建軍祭準備に関する、憲兵隊総務部企画第三課のミーティングは終わった。まぁ、今回の建軍祭では、トラブルになりそうな事項もあまりなく、指揮を執っているラオを煩わせるようなものはほとんどなかった。ヤンも、ミーティングの最初から最後まで一言も発しなかった。

 ヤンとラオを除く課員は全員会議室を出ていった。ラオは映像機器を片付けると、冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干した。

 

「大尉、ご苦労。これで、課長になっても問題ないな」

 

「やめてくださいよ課長。昇進してからどうするか、気が重いんですから。事件捜査をしながら総務の仕事なんて、課長みたいな器用なことはできませんからね」

 ヤンの言葉にラオは苦笑しながら答える。ヤンの退役に伴い、総務部企画第三課はラオが課長となることが内定している。ヤンとラオのコンビも、もう間もなく終わりとなるのである。

 

「大尉にそのような事件が降りかからないことを祈るよ。まぁ、退役が近いからってことで働き過ぎたな。退役したら、しばらくはのんびりと過ごさないとな。魚釣りでもするか」

 

「一度休んだら、もう二度と働きたくない、なんてことにならないですか」

 

「そうだなぁ。もしそれができるならそうしたい。でも、働かずに過ごすには、恩給はあまりにも少なすぎる」

 

「受給資格すぐで辞める人の言葉じゃないっすね。当たり前じゃないですか。十年働いただけで一生食べて行けるなら、誰も働かなくなっちゃいますよ」

 

「別にいいじゃないか」

 

「そんなに働きたくないなら、トリューニヒト議員にたかりにいったらどうです。どうせ弱みの一つや二つ、握っているんじゃないですか」

 

「ちぇー」

 

「それなら退役やめてもいいんですよ。多分、今、人事局に言えば大喜びで調整してくれるでしょうよ」

 ラオは口をとがらせて言う。今の同盟軍は、管理職が一人抜けても平然としていられるほど、人員に余裕があるわけではない。

 

「まぁ、戯言はここまでとして、建軍祭自体は心配していない。チェックリストの通り、万事遺漏なく推し進めるだけさ。問題はーー」

 

「まぁ、問題はそうですね」

 

 ヤン・ウェンリーとラオにとって一番の心配の種、それは明日のデモ集会の監視である。建軍祭の日には公的私的なイベントが盛りだくさんで開催されるが、そうであるが故に、警備の人間も大量に必要となる。問題が無さそうなイベントを放置したとしても、そのキャパシティは、警護担当の治安警察、憲兵の能力を大きく超える。超えた分はどうするかというと、アウトソーシングということになる。

 エル・ファシルの建軍祭は、惑星全土が休暇扱いになるし、少々夏に入ってはいるが、気候も温暖で雨天のリスクも少ない。つまりは、格好のデモ日和である。

 憲兵総務企画第三課にも、1つの政治的集会、その監視の任務が回って来ていた。どうということのない集会とデモ、どこかの誰かがそう判断したから第三課に回ってきたのである。例え、動ける人間がヤンとラオしかいないとしても、それは問題がないものと判断された。その時点では。

 

 

 

5月26日(建軍祭前日) 17:00ーー 

 

「ヤン少佐かね?」

 その日の業務も終わり、休憩所でまったりしていたヤンに呼びかける人が居た。がっしりとした体格、少し後退したブラウンの頭髪を整髪料でなでつけている。階級章は中佐、バッジからすると憲兵隊の交通機動隊に所属しているらしい。ネームプレートにはクリスチアンとあった。

 

「は、何か御用でしょうか」

 ヤンは立ち上がろうとして、クリスチアンに押しとどめられた。クリスチアンは当然とばかりに、ヤンの横の席に座る。

 

 ヤンは男の意図が分からなかった。同じ憲兵といえど、総務と交通機動隊では社会が違い過ぎる。ほとんど没交渉といっていい。ヤンにとってクリスチアンというのは、交通機動隊でそんな幹部が居たな、ぐらいの知識しかない。

 

「聞いたよ。デモ集会の監視をするようだな。全く、建軍祭でもなければ……」

 

「は。ですが、建軍祭に併せた集会の開催は珍しくありません」

 ヤンは型どおりの返事をしながら、クリスチアンの意図を訝しんだ。警護の割り振りをするのは治安警察と憲兵隊の交通機動隊の担当のはずだ。とすると、こちらに監視の仕事を割り振ってきたのはそちらではないのか。

 

「そうだ。でも、気になることがあった。何、何もなければ何もなくてよいのだ。少佐、デモ隊の集合場所はどこになっている」

 

「ジューコフスキィ通り公園です」

 ヤンは答える。クリスチアンはスレート端末を操作して目的の情報をダウンロードした。

 

「なるほど。パレードより場所は離れているが、午前10時、パレードは終盤だけどまだやっているな。人目につかない時間にデモをやる。おかしいとは思わんかね」

 

「申請が遅れたのでしょう。それに、同時間帯の集会は他に8箇所あります」

 

「そうだ。本来ならその場で意思表明するのがデモの目的だが、撮影して動画の形で配信するという手もある」

 

「ならばなぜ」

 ヤンにはクリスチアンの意図が分からない。

 

「人目につかない、というのは、市民にとってもそうだが、警察にとってもそうだ、ということだ。何かトラブルがあっても対応する人間はいない」

 クリスチアンの言葉にヤンは顔をしかめた。

 

「トラブル?」

 

「この広場だが」

 クリスチアンは端末に地図を表示する。100メートルほど離れた場所を指し示す。

 

「この雑居ビル、ここに憂国騎士団の支部がある」

 

「憂国騎士団」

 ヤンはオウム返しに聞き返した。憂国騎士団といえば、憲兵隊でも要注意団体としてリストアップされている右翼系団体ではないか。最近あまり活動している話を聞かなかったが(だから要注意扱いなのだが)、そんな所にあるとは。

 

「しかし、この団体は直近で活動の記録が見られませんが」

 ヤンは自分の端末で関連情報を検索して答えた。ちなみに、活動とは法的問題となりそうな実力行使のことを指すから、宣伝活動とかそういうのは記録にならない。

 

「君は、肝心なところで頭の巡りが悪くなるようだね」

 クリスチアンは、階級が下とはいえほぼ初対面の人間に対して、批判の言葉を浴びせた。

 

「このデモ団体が、何かを企んでいると考えたことはないのかね。建軍祭の事情を知っていれば、誰でも思いつくものだ」

 

「デモ隊が暴徒になると言っているのですか」

 ヤンは信じられないという口調で答えた。

 

「そう断言はしていないが、衝突の可能性も考えておけ、ということだ。警戒は怠らずにな。憂国騎士団の方は、最近、広報が活発化している」

 クリスチアンは答えた。恐らく、交通機動隊の元締めとして、エル・ファシル内の政治団体の動向は大体心得ているのであろう。

 

「心得ておきます」

 

「何も起きないならそれはそれでいい。ところで、だ。もし、起きたとしたら?」

 

「仲裁に入るのではないのですか」

 ヤンは言った。監視だからといって、トラブルも見てるだけ、というわけにはいかない。トラブルが発生したら、デモの中止を呼びかける権限はあるし、応援を呼ぶという選択肢もある。もっとも、建軍祭の日は警察は大忙しだから、来てくれるかは分からない。

 

「基本的にはそうだ。だが、何もできない、という可能性もある。何もしない、結果としてそうなることもある。監視というのはそういうものだ」

 

「本気ですか」

 ヤンは顔をしかめた。トラブルが発生しても放置しておけ、そう言っているように聞こえた。

 

「本気だと言ったら?」

 

「交通機動隊の言葉とは思えません」

 

「だが、監視に参加するのはせいぜい2、3人だろう?結局そうなるのではないのかね。事が起きたら、だが」

 そう言われたらヤンも返す言葉がない。

 

「まるで事が起きることが分かっているようですね」

 

「そうではない」

 クリスチアンは手を振って言った。

 

「政治団体というやつは、外から見ると破落戸(ごろつき)と大差ないように見えて、ある日、突然化けることがある。中枢星域と辺境星域の対立が進みつつある現状では尚更だ。これをチャンスと捉えてもおかしくない。少佐、私にはわかるのだ。本来なら、実例も交えて話すべき事項かもしれんが、これは体験しなければ、時間が経たなければ、真の意図に気づくのは難しい。だが、今年で退役する君には分からないことだろう。だから一言だけ言っておく」

 

「警備計画について、教本通りのやり方が最善のやり方とは限らないのだ。泥を被ること、被らせることが後で効いてくることもある。警備の資源が限られているとしたら尚更だ。いいな」

 そう言って、クリスチアンは立ち去って行った。ヤンとしては、クリスチアンの意図がどうにも掴めなかったが、後でもう少し資料を調べておこう、それだけ頭に留めておいた。

 

 

 

5月26日(建軍祭前日) 22:00ーー

 

 エル・ファシル憲兵隊本部の食堂には、数十人ほどの人間がやることもなくたむろしていた。多忙で知られる憲兵隊本部とはいえ、こんな時間帯にこれだけの人間が居ることは滅多にない(ないわけではない)。種明かしをすると、建軍祭前日に存在する深夜作業の監督のため、待機が命じられているのであった。監督といっても形式的なものだから、一部を除いて残りはここか、仮眠所で待機することになる。

 

 もちろんヤンも例外ではない。テーブルに私物のティーセットを広げて、テレビを見るか、本を読むかして時間を潰している。食堂にあるテレビでは、エル・ファシル公共放送によるニュースを流している。

 

「さて、本日の特集です。『同盟の分断 第一回』、現在、同盟議会で審議されております軍改革法案ですが、反対派議員による抵抗に遭い、審議は膠着状態となっております。超党派の反対派議員、そのほとんどが辺境星域出身であります。最強硬派のアレクーシン・リヴォフ上院議員は、これを『同盟の分断』と呼び、同盟内での国民意識、それが分断されたためこのような法案の提出に至ったのだと主張しております。この問題につきまして、今回は下院議員のホワン・ルイさんをお呼びして、ご意見を頂きたいと思います。ホワンさん、よろしくお願いします」

 

「お願いします」

 

「最近、語られるようになりました『同盟の分断』、国民意識の分断ですが、どのようなお考えでいらっしゃいますか」

 

「はい。同盟国内の均等な開発を目指すとなりますと、どうしても経済的に優位な中核星域から、辺境星域への再配分という形を取ります。これは当然ながら、中核星域にとっては不満なわけです。これを正当化する論理として、帝国の脅威に対抗する、というのがあるわけですが、帝国の内戦が収束するそぶりを見せない現在、辺境星域への投資が無駄だという声が強まっております」

 

「中核星域と辺境星域の経済格差が意識の分断を呼んでいる、ということでしょうか」

 

「そうです。意識の差を埋めるには、お互いの相互理解、相互交流というのが有効ですが、最近はそれが弱まっていると言われています。私の所属しております、人的資源委員会のまとめた統計でありますが、中核星域の人口120億に対して、辺境星域の人口は60億人となっております。ですが、軍隊の出身星域を比率にしますと、4対6となり、比率が逆転するのです。これは、徴兵制が事実上停止していることが大きな要因ですが、中央と辺境の有事に対する意識が違うことも大きいのです。そのため、国防費の取り扱いをめぐって、中央と辺境で対立が起きる、というのは自然な流れです」

 

「中央星域では、国防への関心が薄い、そういうことでしょうか」

 

「自然休戦状態で50年近くも経つので、戦争と言われてもピンとこないのかもしれません。ですが、ティアマト会戦までの、帝国との戦争があった時代は、宇宙艦隊はハイネセンに集結し、必要に応じて出撃していきました。軍隊が身近にあること、そして、戦場に征く、還る兵士を見ることで、中核星域の人々も戦争を我がものとして考えていったのではないでしょうか」

 

「なるほど、現在、中核星域に存在する艦隊は、第一艦隊しかありません」

 

「その昔、まだ私が駆け出しの政治家だった頃、大先輩でご存命だったファン・チューリン先生からお話を伺ったことがあります」

 

「ファン・チューリン先生。所謂『730年マフィア』のファン・チューリン提督のことでしょうか」

 

「そうです。ファン先生が軍にいた頃は、軍の訓練施設はハイネセンポリス郊外にあり、首都で軍服姿を目にすることは珍しくなかったと。ですが、現在は軍施設は惑星ハイネセンを周回するコロニーに移ってしまいました。施設としては充実しているのですが、本当にこれでよいのか、そうおっしゃってました。ブルース・アッシュビーは、戦場を前線に限定する、というコンセプトの下に、機動戦力をアッシュビー・ラインの中に閉じ込めました。もちろん、それは大きな成果を挙げているわけですが、同時に副作用も生んでしまったと思えてならないのです」

 

「ありがとうございました。明日は、第二回として、財政の観点から『同盟の分断』を分析していきたいと思います。ゲストは、財務委員会所属のジョアン・レベロさんを予定しております。それでは、次はスポーツですーー」

 

 スポーツコーナーに切り替わったのを見て、ヤンは再び本を開いた。

 

「同盟の分断ねぇ……喉元過ぎれば熱さを忘れる、そんなものか」

 思えばエル・ファシルに長く居すぎたなぁ、そうヤンは思った。辺境星域のいろいろな所を回って、エル・ファシルに落ち着いてから4年、ここは悪くない星だとは思うけど、退役してからも住み続けたいかと言われると、多分そうではないのだ。嫌いとかそういうものではなく、新生活は別の場所で過ごしたいのである。別に中核星域に引っ越したいとは思わない。辺境星域だって学校はあるし、教師の口は何とかなる自信がある。後は、温暖な所がいいなぁと思うだけだ。

 クリスチアンの言葉を思い出す。政治対立によって、政治団体は化ける、と。

 

「そう、事が、大きくなってくれなきゃいいけど」

 

 

 

<2>

 

5月27日(建軍祭当日) 8:30ーー

 

 エル・ファシル・シティ、行政府前の大広場、スプリングフィールド広場では、演説台が設置され、仮設のスタンドには惑星内の政財界要人が集まっていた。周囲には、開会式を見ようと市民が集まっている。建軍祭のスタートは、開会のスピーチと、軍によるパレードで始まると決まっている。

 

 時間になったことを確認した、司会ーー地元テレビ局のアナウンサーーーが壇上に立つ。スピーカーからファンファーレが鳴り響く。

「皆様、おはようございます。本日は晴天に恵まれ、絶好の建軍祭日和でございます。それでは、建軍祭開会セレモニーを始めさせていただきます。まずは、エル・ファシル・シティ市長、フランチェスク・ロムスキー様よりご挨拶を頂きます」

 

 アナウンサーの言葉に促されるように、スタンドから中年の男が立ち上がり、演題に向かった。フランチェスク・ロムスキー、先代市長の引退を受けて行われた市長選挙で当選した男で、地元政財界の強力な支援を受けている。年齢は今年で38歳だから、若手どころの話ではないが、新工場の誘致等の実績をアピールしており、まずまずの支持を得ている。

 

「自由惑星同盟、ならびに、惑星エル・ファシルに住まう市民の皆さん!市長のロムスキーであります。本日は、この大変よろしい天気の中、お集まり頂き、誠にありがとうございます。今年も自由惑星同盟軍、建軍祭の日を無事迎えることができました。かつてブルース・アッシュビーがアッシュビー・ラインの建設を訴えた時、議場から笑い声があがったと聞いております。そんなことができるわけがない、それが大方の意見でありました。しかし、アッシュビーは諦めることはありませんでした。各方面に同志を募り、市民の声に耳を傾け、同盟の防衛と繁栄のために尽力した結果、現在があるのです。この惑星エル・ファシル、数年後には人口6億を突破するとの予測もありますが、国土の繁栄と防衛を指導してきたブルース・アッシュビーと、協力し、たゆまぬ努力を続けてきた市民の想いが実現した存在であると断言せざるを得ません」

 

 さすが、惑星エル・ファシルだけあって、スピーチではアッシュビーが頻繁に引用される。まぁ、アッシュビー・ラインがなければ、惑星エル・ファシルは人口が200万を超えることのない辺境惑星のままだから、こればかりはしょうがない。

 

 なお、このスピーチには不文律があり、どんな内容でも10分は絶対に超えてはならないと決められている。スピーチを一度だけ担当したことのあるブルース・アッシュビー本人(その当時は最高評議会議長)が、壇上に立つなり原稿を破り捨て、

 

「おい、今日ぐらいはみんな楽しめ!10分以上くだらないおしゃべりをする奴は全員銃殺刑だ!!」

と叫んだためだとされている。昔、一度不文律を無視した市長が居たそうだが、あまりのブーイングの酷さに途中でスピーチを切り上げたという話すらある。

 

「……惑星エル・ファシルと自由惑星同盟に永久(とこしえ)の自由と繁栄があらんことを、この祈りをもって、開会の挨拶とさせて頂きます」

 どうやら市長のスピーチが終わったようだ。ここから、地元経済界の代表(名目としては建軍祭実行委員会委員長)、駐留艦隊である第二艦隊司令官パエッタ少将の挨拶と続く。もちろん、スピーチは10分以内という制限は厳密に守られる。

 

「皆様、ご挨拶ありがとうございました。一旦ここで、御来賓の方々にはご退場頂きます。壇上では、エル・ファシル・シティ市民合唱団の皆様による、国歌斉唱が行われます。皆様、しばしお待ちください」

 アナウンサーがそう言うと、来賓が退場し、代わりに数十人の男女がぞろぞろと入ってくる。整列が終わると、国歌の斉唱が始まった。

 

 

 

 国歌の斉唱が終わると、本番のパレードが始まる。パレード参加者は、広場のすぐ横にあるアッシュビー大通りに待機しており、スタートの合図を待つばかりである。

 

 係員が先頭に位置するブラスバンドに耳打ちをした。ブラスバンドの太鼓隊が一斉に太鼓を打ち鳴らすと、同盟国歌を演奏し、行進を始めた。パレードの始まりだ。

 

 パレードは、エル・ファシル合同庁舎前の片側4車線の大通り、それを両方埋めるような形で前進する。道路の両側には見物客が鈴なりになっており、パレード隊が来ると思い思いに歓声をあげる。ブラスバンドは同盟国歌を演奏し終えると、数多ある軍歌や行進曲の演奏に取り掛かった。

 

 最初に流される行進曲は、同盟軍の公式軍歌で最も有名な「同盟軍賛歌(アライズ・ヒム)」である。パレードでは、曲を合唱することはないので、歌いたければ各自勝手に歌うしかない。歌詞は3番まであるが、1番の歌詞は以下の通りである。

 

惑星ハイネセンから惑星オーディンまで

(そら)、陸、海で祖国のために戦う

正義と自由のために戦う、偽りなき我等の栄誉

誇りをもって讃えん、同盟宇宙軍

 

 もちろん、同盟軍がオーディン近辺などで戦ったことなどないのだが、同盟軍の公式軍歌といえば、まずこれが最初にあがってくる。その昔、まだ同盟と帝国が交戦状態にあった頃、大規模な捕虜交換行事がフェザーンで行われたことがあった。習慣に従い、両軍の軍歌が演奏された時、帝国軍が惑星オーディンという歌詞にクレームをつけたことがあったそうである。その時、フェザーン大使館の駐在武官が、では、軍歌を演奏するのを止めて、国歌を演奏しましょうか、と言って帝国のクレームを取り下げさせたという『伝説』がある。

 

 この駐在武官が誰なのか、これだけを調べるのに十人以上の歴史家が挑戦したが、未だに確たる結論は出ていない。自由惑星同盟のデータベースも、この件に関しては沈黙している。

 

 

 

 同盟軍賛歌を流し終えた後は、今度は随分と明るい調子の曲が流れ出した。同盟国民、特にエル・ファシル市民に根強い人気を誇る「ブルース・アッシュビー・マーチ」である。

 

同盟軍のリーダーは

アッシュビー、アッシュビー、ブルース・アッシュビー

強くて明るい人気者

アッシュビー、アッシュビー、ブルース・アッシュビー

アッシュビー、アッシュビー

さぁ歌おう声高く、ヘイ!ヘイ!ヘイ!

 

帝国を倒す同盟軍

アッシュビー、アッシュビー、ブルース・アッシュビー

 

 別に個人崇拝とかそういう目的で作られたものではない。この曲が作られたのも、政治家ブルース・アッシュビーが引退した後である。

 元々は歌われなくなって久しい俗謡に歌詞をつけたものだったらしいが、歌いやすさと歌詞のキャッチ―さで、たちまちのうちに人気を博したのであった。もっとも、当のブルース・アッシュビーはこの歌を嫌っていたらしく、晩年近くにこの歌を聞いた時、肖像権違反で訴訟を検討したこともあったそうだ。実際、軍がこの行進曲(マーチ)を公式に演奏し始めたのは、わずか十年前からであった。「730年マフィア」最後の生き残り、アルフレッド・ローザスの死去まで待たなければいけなかったのだ。それでもこの歌が生き残ったのは、やはり人気があったからであろう。

 

 

 

 子供にも人気な、軽やかな行進曲が流された後は、少しスローテンポな曲に切り替わった。こちらは「輝く我が名は同盟宇宙軍」という軍歌だった。こちらも全年代に人気があり、酔っぱらった兵隊が肩を組んで歌をがなり立てている光景が見られる。

 

鉄腕豪剣、幾千度

鍛えてここに、我等あり

勝利に燃ゆる、栄冠は

輝く我等ぞ、同盟宇宙軍

オゥ、オゥ、オゥオゥ、同盟宇宙軍

フレ、フレフレフレ

 

 この歌は、同盟軍陸戦隊が創設された直後から歌われていた歌である。作詞、作曲ははっきりしないが、装甲擲弾兵が酔っぱらったときに歌われたものだとか、訓練教官が作ったものだとか、はたまた有名な作詞家に依頼したが忘れられているだけとか、いろんな説がある。確かなのは、いつの間にか陸戦隊だけでなく、同盟軍全体の軍歌になっていることであった。当初は、歌詞の「同盟宇宙軍」は「同盟陸戦隊」だったのである。

 

 ブラスバンドが通ると、今度は少し間隔をあけて、パレードに参加する山車が登場した。山車は大型のトレーラーに装飾を施したもので、パレード参加部隊1つに1台が割り当てられる。部隊は自由に山車を装飾してよいことになっており、意匠を凝らした山車はパレードの名物となっている。実際、エル・ファシル・シティ行政府が山車のナンバーワンを決める投票を行っているほどだ。

 

 山車の後には、パレード参加部隊の兵が徒歩で続く。兵は、横断幕を掲げながら行進することになっており、横断幕は事前に貸与される。

 「自由市民の味方、自由惑星同盟軍」

 「ともに、高く」

 「軍は国民を最後まで守る」

 と、内容はいささか教条的だ。昔はそうでもなく、横断幕は山車と同じく参加部隊が文句を考えることになっていたのだが、

 

 「お嬢さん、一緒に寝ようぜ」

 などという横断幕を掲げた部隊がいて、クレームになったからこうなっている。ちなみに、この文句を考えたのはオリビエ・ポプランという下士官だったそうだが、無論ヤンの知るところではない。

 

 その後は、「市民の有志」によるパレード山車が続く。有志といっても、エル・ファシルに会社を置く企業が出資しているものがほとんどで、事実上企業宣伝のために使われている。流している音楽も軍歌などではなく、流行歌やCMソングが中心になる。

 

 そして、沿道では、観覧する市民が歓声をあげ、通りにあるビルの窓からは紙吹雪が撒かれる。これはパレードではいつもの光景だ。

 

 

 

<3>

 

5月27日(建軍祭当日) 9:30ーー

 

 ジューコフスキィ通り公園には、かなりの人数が集まっていた。デモ集会の参加予定人数は100人と聞いていたが、どう見てもそれ以上いる。

 

「ラオ、どうだ。まだ増えるか」

 ヤンは、公園外周に止めてある憲兵隊の車両の中で、同乗するラオに聞いた。監視用のための車両は、外見こそ古式ゆかしいワンボックスタイプの地上車(ランドカー)ではあるが、内部では通信機器やらディスプレイやらが設置されている。だが、本日の主役はそれではない。

 

「増えますね。申請と全く違う」

 ヤンの質問に、ラオはスレート端末に目を落としながら答えた。ようやく借りられた監視用ドローンが2台、広場の周りを巡回しながら人の動きを監視している。公園での人の動きを監視するには2台ではとても足りないから、遥か上空にドローンを待機させて、大まかな動きだけを掴むようにしている。今は人の熱源を頼りに、ジューコフスキィ通り公園周辺の人の動きを探っている。その結果がラオのスレート端末に表示されているというわけだ。

 

「公園のあの広場、何人入ると思う?」

 

「300人ぐらい、ですかね」

 スレート端末から目を離し、ちらと広場に目をやったラオがこたえた。広場は既に半分弱が埋まっていて、これからさらに人が来るという。広場の中央の少し盛り上がった部分には大型スピーカーが設置されている。集会団体が持ち込んだものだった。

 

「同盟内の貧困撲滅のための再配分運動、か」

 ヤンは自分の端末で情報を検索した。集会の申請情報の欄、主催団体名にはそう書いてあった。

 

「警察のデータベースには何もないのか。本当に」

 

「なかったですね」

 ラオはスレート端末から目を離さない。昨日の夜に、試しにと申請情報を憲兵隊データベースに入力してマッチングしてみたのだが、めぼしい情報は得られなかった。どうも、ハイネセンに似たような名前の政治団体はあるらしいのだが、いまいち関連性は掴めない。ラオには、治安警察のデータベースとの突き合わせを依頼したのだが、どうも空振りに終わったらしい。

 

「でも、ご丁寧に弁護士は連れてきている」

 連絡先のIDを検索すると、どこぞの中小法律事務所の情報がヒットした。政治団体だから、と言えなくもないが、まるで法的トラブルを想定しているようで嫌になる。

 

「憂国騎士団はどうしている」

 

「特に動きはありません」

 

「そうか」

 ヤンはため息をついた。何事もなく終わってくれればいいが。だが……ヤンは手持ちの端末を操作し始めた。

 

 

 

5月27日(建軍祭当日) 10:30ーー

 

「都市の経済格差、貧困問題は今や待ったなしの状態であります!ハイネセンポリスでは日々の生活を送ることも困難な市民が十万人に達しーー」

 

 予定時間の11時になり、集会が始まった。急ごしらえの演台には、運動員が立ち、挨拶やら活動報告やらを行っている。集まった人数は300人を超え、ジューコフスキィ通り公園の広場をびっしりと埋めている。

 

 ヤンは集会の様子を撮影しながら監視していた。

 

「やはりハイネセン系の団体なのかな」

 

「でしょうね。エル・ファシルという観点からするとずれています。それに、ハイネセンポリスの話ばかりしている」

 ラオは答える。

 

「わざわざエル・ファシルくんだりまで来るのか……」

 ヤンは唇を噛んだ。別に貧困問題がエル・ファシルにないわけではない。だが、軍と公共事業が経済の牽引車であるエル・ファシルの場合、格差はそれほどあるわけではない。今のところは。

 恐らく、エル・ファシル市民の大半は、ハイネセンポリスなど実際に目で見たことなどないはずだ。ヤンだって、士官学校に行かなければ惑星ハイネセンなど行かなかったかもしれない。

 

「ドローンの充電はどうだ」

 

「あと30分はかかりますね。旧式なのはいけないですね」

 人の流れは少なくなったので、ドローンは撤収させている。再び飛ばすには充電が必要だが、充電まで時間がかかりすぎるのが悩みの種だった。必要な分、量を用意するタイプのドローンだからある意味しょうがないのだが、愚痴っても現状が改善されるわけではない。

 

 広場では、新しい演者が演説を始めていた。今までの演説と違ってボルテージが一段高いことが分かる。どうやら、この集会のメイン・イベントはこれらしい。

 

 演説については、導入は他と変わらない。都市の困窮問題、貧富の格差増大、同盟の硬直的な財政に対する批判と続いた後、こんなことを言い出したのである。

 

「困窮問題の改善のためには、政府の支出を公共セクターから福祉セクターへ大々的に移行しなければならない。帝国の脅威を言い募り、攻めても来ない帝国に対して、働きもしない兵士や軍艦を作って何になる。見よ、このエル・ファシルの建軍祭こそが、無意味な公共支出の象徴ではないかーー」

 

「おいおい」

 ヤンとラオが姿勢を正した。ハイネセンではそのような物言いが一般的なのかもしれないが、エル・ファシルでそんな意見を言うことは、禁忌というかサイコパスの所業というか、そういう類のものである。

 

「戦わない軍隊、パレードだけで目立つ軍隊、そんなものに同盟政府は巨額の費用をかけているのである。政府はその正当化のために、愛国と称する政治団体を称揚・支援し、国民を欺いている。それに対する戦いを我々は止めてはならない。そして、この場所、ここにも右翼の芽は存在する。我々はそれを粉砕せねばならない」

 

「待てよーー」

 ヤンとラオの顔から血の気が引いた。これは、何か破壊活動を目論んでいるということなのか。

 

「ラオ、ドローンは動かせないのか。充電など途中で切り上げられるだろう」

 

「できますが、これ、集会を強制終了できないんですか。やばいでしょ」

 ラオがヤンに聞いたが、ヤンは首を横に振った。

 

「弁士中止、それができるのは警察が十分居る場合だ。こちらは二人しかいないんだ。鼻で笑われたらジ・エンドだぞ。その後で何を言っても聞いてもらえなくなる。こちらが頭数を揃えるまでは。第一、規則違反がない限り、集会の自由は守られなければならない」

 ヤンの声にも焦りが混じっている。ヤンは憲兵隊本部に通信を取る。詳細を話して応援を寄越すように要請したが

 

「具体的な行動がなければ、増員は認められない。第一、憲兵隊にも人員の余裕はない」

 

 とはねのけられるだけだった。念のため治安警察にもコンタクトを取ってみたが、回答は似たようなものだった。

 

「どうします?一応、無力化ガスは1パックありますけど」

 

「暴漢の鎮圧じゃあるまいし。数百人に散布して使えるわけじゃないだろう。それは後にしよう。それよりドローンだ」

 ヤンに言われて、ラオは、充電器からドローンを取り外した。再度空撮を実行しようと思ってドローンを手に車の外に出てーー

 

 そして、言葉を失った。

 

 

 

「何ですって?」

 通信を切ったヤンに、ラオが身を乗り出して聞いてきた。

 

「そんな計画は出していない。書類か事務のミスではないか、だそうだ」

 

「はぁ?そんなんありなんですか」

 

「私に聞かないでくれ。だが、相手は弁護士だぞ。根拠があって言っているか、そうでないか、可能性からすると前者だろう」

 ヤンが通信した相手は、届け出上のデモの代表者だった。集会が終わり、デモ行進が始まった時、申請とは正反対の方角へ向かったのを見て通信したのだが、あっさり躱されて今に至るというわけである。これは後で知ったことだが、ルートの申請というのは交通規制とか他のデモとの調整とかそういう目的で行われるもので、デモが申請と違った方向に行っても、それを止めたりするのは難しいらしい(後で罰するのはそれほど難しくないが、大したペナルティは課せられないらしいのである)。

 

「しかしこのルート……」

 ラオがスレート端末の画面をヤンに見せてきた。端末では地図アプリに、ドローンが識別した人情報が点で示されている。今の状態は、公園の広場にある無数の点が、少しずつ広場から移動して、道路に出ているところだった。シュプレヒコールをあげながら外に出て整列しているデモ隊の様子を、そのまま抽象化している。このまま進むとすると、憂国騎士団の支部があるビルのすぐ近くを通ることになる。それこそが、デモ隊の目的なのか。

 

「いや、もう遅すぎる」

 ヤンがため息をついた。地図の外側から、整列した点が続々と公園の方向に移動している。何か別の団体がこちらへ向かっているのだ。

 これがデモと関係のない団体だと思うのは、願望の類であろう。

 

 

 

「本部、憂国騎士団が現れました。デモ隊と衝突の可能性大、応援を乞う」

 さすがにその報告には仰天したのか、憲兵隊本部が却下することはなかった。だが、まだパレードの警備は続いており、人数に余裕があるわけではない。また、デモ鎮圧用の装備を持っているわけではないから、それを調達してからとなるとさらに時間がかかる。少なくとも、しばらくの間は時間を稼がなければならない。

 

「少佐、今応援の人員を送っている。第一班の到着は20分後を予定。少佐を臨時の警護責任者に任ずるので、応援到着後、鎮圧に当たられたし」

 通信を切ったヤンは力なく座席にへたり込み、ぽいとコミュニケータを放り出した。

 

「20分後、だってさ」

 ヤンはため息をついた。

 

「もう睨み合いは始まっているというのに」

 

 

 

 迷彩服に赤いベレー帽姿の憂国騎士団は、10人で一列の横隊を作り、整然と前進してきた。数こそ50名程度であるが、整然と前進するその姿は妙な威圧感がある。最後尾で、巨大な国旗を掲げているとなれば尚更である。

 

 デモ隊は一瞬気圧されたが、やがて、人数では圧倒しているらしいことに気づいたデモ隊が、同じように横隊を組んでシュプレヒコールをあげはじめた。憂国騎士団の方は、コールを気にする風もなく、デモ隊と目と鼻の距離まで前進し、そこで制止した。

 

 進路を塞がれる格好となったデモ隊は、憂国騎士団と睨み合う格好になったが、やがてデモの最前列にいる誰かが、携帯用拡声器で話し始めた。

 

「こちらは正規の許可を得ているデモ行動を実施中である!即時、この場を撤収されたし。撤収しない場合は、警察によって排除されるであろう!!」

 

 憂国騎士団の方は反応がなかった。笑うでもなく怒るでもない。表情からも感情を窺えない。デモ隊はもう一度繰り返した。やはり反応がない。

 

 反応がないのを弱気のしるしと受け取ったのか、デモ隊の方から嘲笑が聞こえてきた。次いでヤジも飛ぶ。それでも憂国騎士団に動きはない。さらにヤジは大きくなり、動きたくないなら実力でも動いてもらうぞーーそんな声が上がり始めた時

 

「ハイネセンから来た、デモ隊の諸君。諸君らを歓迎する!!」

 周囲のスピーカーから一斉に、野太い男の声が聞こえてきた。途端、デモ隊の野次は止まる。音源の在処を探そうときょろきょろする者もいる。

 

「我々は、憂国騎士団と言う。この愛すべき祖国の行く末、それを切に案ずる同志が集まったものである」

 憂国騎士団の声?は周囲にある公共スピーカーから一斉に聞こえていた。恐らく、公共放送のシステムを乗っ取っているのだろう。デモ隊の方はといえば、そんな憂国騎士団の名乗りにブーイングで応えてみせた。野次を飛ばす者もいる。

 

「わざわざ、エル・ファシルまでやって来たデモ隊の諸君に問う!」

 憂国騎士団の方は、デモ隊が一瞬静まるタイミングを突いて、再びがなり立てた。

 

「お前たちは、どこにいる?どこから来た?」

 

「ここは、エル・ファシルだ。帝国と対峙する最前線だ!イゼルローン回廊の向こうには帝国がいる。帝国が攻めてきた時、戦うのは我々だ。自分を、家族を、財産を犠牲に捧げるのは我々だ。改めて問う!お前たちはどこにいる?」

 

「言えないなら言ってやろう。ハイネセンだ!サジタリウス腕の奥底、帝国から最も離れた所にいるのだ。だから、無駄な軍備だと言えるのだ。自分達が犠牲になることはないから、他人が犠牲になることの意味が分からないのだ。さらに言おう、お前達のバックにいる政治家達は何を言っている?無駄な公共投資と軍備の削減ではないか。わざわざ建軍祭の日にエル・ファシルまで来て、とんだ言い草だとは思わないのか!」

 

 デモ隊の方は先ほどよりずっと大きいブーイングで応えた。論理の良い悪いではない。デモ隊側の思惑など、ヤンには知る由もないが、振り上げた拳の振り下ろし先が分からないこと、それだけは分かった。だとしたら、後は何とかして振り下ろし先を探すしかない。デモの勢いが持続しているうちに。

 

 周囲を一瞬、静寂が支配した。双方とも、相手が何らかの行動に出てくると思っていたのだ。最初の一撃(ファースト・ブラッド)を相手に撃たせ、それを宣伝に使うのは、政治活動の常套手段だ。だが、双方共に自制心を発揮した結果、静けさが生まれたのである。

 

 静けさを破ったのは地上車のモーター音だった。公園の植え込みを踏み破って飛び出してきた地上車は、強引にデモ隊と憂国騎士団の中のスペースに割り込み、そこで停止した。車の天井が開き、一人の憲兵が上半身を乗り出した。

 

「こちらは、エル・ファシル憲兵隊本部です!!」

 ヤン・ウェンリーは公共放送システムの制御を取り戻すと、音量を最大にして話し出した。デモ隊や憂国騎士団の声とは比べ物にならない大音量がスピーカーから聞こえてくる。

 

「同盟内の貧困撲滅のための再配分運動、デモ隊の皆さん。皆さんは、事前に申請したデモンストレーション計画と異なる進路を取っています。これは、エル・ファシル道路交通法違反であります。事前に申請した進路に戻るか、解散してください。そして憂国騎士団の皆さん、公道にて許可されていないデモ行進を行うのは道路交通法違反です。すぐに解散してください!!」

 

 あまりの大音量に耳を塞ぐ者もいる。恐らく近隣の住民からすればいい迷惑であろう。クレームも来るかもしれない。パレード見物で留守にしている可能性を信じるしかない。

 

 憂国騎士団、デモ隊、双方共に怯んだように見えた。少なくともヤンにはそう見えた。何を言われてもいいが、応援が来るまで時間を稼げないものか。もちろん、双方が解散して逃げ散ってくれるのが一番いいのだけど。

 

 もちろん、願望は願望に過ぎなかった。デモ隊と憂国騎士団の矛先はヤンに向くことになったのである。どちらも、憲兵隊が相手の味方をしていると思っているのである。それでも、直接行動に出てこないのは、ここには憲兵が二人しかいないとは思っていないからである。

 

「同盟内の貧困撲滅のための再配分運動、デモ隊の皆さんーー」

 ヤンは再び、呼びかけをはじめた。とにかく何でもいいから動きを止めなければならない。動きを止めれば時間を稼げる。衝突を回避して時間を稼ぐのだ。応援が来ると分かれば最悪の事態は回避できるーー

 

 ヤンの頭に、何かで殴られたような衝撃が加わったのはその時だった。

 意識が途切れるその瞬間、鬨の声のようなものが聞こえた気がした。

 

 

 

<4>

 

フリー電子百科事典 項目「797年エル・ファシル建軍祭騒擾事件」

 

(自由惑星同盟 騒擾事件一覧より移動)

 

*注意:本サイトはニュース速報でも宣伝サイトでもありません。方針に従い独自研究の予測などは載せず、信頼の可能である出典を明記した上で正確な記述を心がけてください。

*このページには独自研究が含まれています。

 

概要

 

 797年エル・ファシル建軍祭騒擾事件は、宇宙歴797年5月27日、惑星エル・ファシルで実施された、貧困撲滅デモ活動の参加者と、右翼団体との衝突事件である。この際、26名の重軽傷者を出したが、逮捕者は5名に止まった。

 

 5月27日、エル・ファシル・シティで行われた「同盟内の貧困撲滅のための再配分運動デモ行進」は、当初100名程度が参加する小規模な集会であったが、中途から自発的に賛同する市民が合流し(要出典)、300名以上の中規模集会に変化した。集会は、予定されたデモ行進に移行したが、当初申請していたデモの進路とは違う方向に進路を変える行為を取った。

 

 当初監視にあたっていた警護担当の憲兵が出動し、デモの主導者に元のルートに戻るよう呼びかけたが、デモ隊は申請時のルートを通行していると主張しこれを拒否、デモ行進を続行した。

 

 デモ参加者は、100mほど進行したところで、「憂国騎士団」を自称する右翼団体により制止され、道を譲る、譲らないの口論となった。この最中、先の憲兵隊の最上級者であるヤン・ウェンリー少佐(当時)が両団体の中に割って入り、デモ行進の中止と、両団体の解散を呼びかけたが、投石により憲兵が昏倒、また、この投石行為がきっかけとなって、両団体の乱闘に発展した。直後に到着した治安警察により、乱闘は終了したものの、デモ参加側、右翼団体側合わせて25名の重軽傷者を出すに至った。

 

 事件直後から、衝突に参加した両団体のみならず、警備を担当した憲兵隊の人数・能力不足に批判が集中したが、同日同時間帯では、自由惑星同盟建軍祭のパレードが同市で行われており、警備の人員が不足していたこと、憲兵隊側が早期の実力行使を躊躇したことが指摘されている。

 

(写真)

 

 デモ隊の前に立つヤン・ウェンリー憲兵少佐(エル・ファシル通信社提供)

 

(以下省略)

 

 

 

5月30日 12:00ーー

 

 ヤン・ウェンリーの意識が戻ったのは、翌日の28日だった。だが、頭痛が酷く、鎮痛剤を処方された影響もあったので、活動ができるようになったのは、その二日後の30日まで待たねばならなかった。

 

 目が覚めたはいいが、世間の変わりようにかえってヤンが戸惑うほどだった。建軍祭翌日の新聞では、騒擾事件が一面トップで取り扱われており、警備担当者としてヤンの名前がでかでかと載っていた。

 

 肝心のデモ隊や憂国騎士団は、投石だの殴り合いだの激しくやり合ったはいいが、治安警察が応援に駆けつけた時には、負傷者を残して逃げ散ってしまったようだった。デモ隊側で動ける人間は、さっさとエル・ファシルから出て行ってしまったか、地下に潜ったかのどちらからしい。憂国騎士団の方はもっと分からない。

 そして、ヤンを昏倒させた投石ーー最初の一撃ーーがどちらの行為だったのかは未だに分かっていなかった。憲兵隊が周囲の監視カメラを確認したが、死角から投げられたらしく、実行犯を特定することはできなかった。

 

 放送チャンネルでは、騒擾事件が大きく取り扱われていて、いろんなチャンネルで要因やら背景やらの議論が行われていた。面白いのは、地元チャンネルでは憂国騎士団の言い分がほぼ無批判で流れているのに対し、憂国騎士団そのものの存在は伏せられているか、ぼかされていることだった。

 大手ニュースチャンネル、それもハイネセンより配信しているニュースチャンネルでは、憂国騎士団が大きく取り上げられているかと思いきや、地元警察の不手際により避けられたはずの衝突が発生した、ということになっていた。公的支出の減少を嫌う世論により、警察が右翼団体をけしかけたーーという記事すらあった。

 ヤンは軍病院の個室でテレビの大体のチャンネルを見て、そしてテレビを消した。ニュースなど二度と見たくもなかった。 

 

 しばらくの間、ヤンは病室から出られなかった。どうも、公式には療養中で面会謝絶という扱いらしかった。コミュニケータも取り上げられ、外部と連絡を取ることもできなかった。軍が自分を外に出したくないことは明らかだった。それが『配慮』の産物らしい、ということがヤンにも理解できるので、一層気に入らなかった。

 

「結局のところ、自分は利用されたということか」

 憂国騎士団も、デモ隊も、双方ともやる気だったということだ。自分達の正当性を宣伝する素材を作りに行ったということだ。問題は、自分達の正当性と相手の悪辣さをどう影響づけるかということ。そして、始まったからには派手に成果をアピールすること。そのためには注いだ油に火をつける存在が必要だ。それがヤン・ウェンリーの監視チームだった、ということになる。

 となると、クリスチアンの意図も見えてくる。あれは『警告』などではない。確かに警告かもしれなかったが、何もしないなら、隠れているならやりたいことがあったのだろう。恐らく憂国騎士団の利益になるような。まさかとは思うが、あの『投石』もクリスチアンが投げたもの、そういう可能性すらあり得る。証拠はもちろんない。ただの思い込みだ。

 

 騒擾事件の後、山のようなマスコミが憲兵隊本部を取り囲み、警備担当者ヤン・ウェンリーの記者会見を開くことを要求した。しかし、憲兵隊本部も第二艦隊報道部も、記者会見の要求は頑として跳ねのけていた。第二艦隊報道部は、警備責任者のヤン・ウェンリー憲兵少佐に対し査問会を開き、事情を聴取した後、処分すると発表した。

 ヤン・ウェンリーが病室から出られるわけもなかった。

 

 

 

6月3日 10:00 エル・ファシル憲兵隊本部会議室ーー

 

 企業の面接をするようなレイアウトとなった会議室、つまりは、だだっ広い室内に長机が1つと椅子が三つ、そして、少し離れたところに椅子が1つだけーーでは、既に査問会の参加者が全員着席していた。長机の方にはパエッタ少将と、交通機動隊からクリスチアン中佐。そして書記官。椅子の方にはヤン・ウェンリーである。

 

「まず最初に言っておこう」

 パエッタはそう言って、査問の開始を宣言した。

 

「警備中の君の判断、そこに落ち度は存在しない。少なくともそういうことになっている」

 パエッタの言葉にヤンは返答しなかった。パエッタも返答を待つ風ではなかった。

 

「27日のことについては、ラオ大尉から大体のことを聞いている。君から聴取しても、新事実は得られないだろう。というか、事実などどうでも良いことになっている。君は知っているかどうか分からんが、エル・ファシル市民は建軍祭でそのような騒ぎが起きたことに怒り心頭だ。ハイネセンの方は、一部の政治家が、憂国騎士団を指嗾したのは憲兵隊だと言い出している」

 

「騒擾が発生したのは、警備責任者である自分の責任です。全て責任は自分にあります」

 ヤンはそう言い切った。彼にとっての事実だった。

 

「だから、事実などどうでも良くなっている、そう言わなかったかね」

 パエッタはため息をつきながら言った。

 

「警備責任者、あくまであの場では形式的なものだが、それが責任を取ったとしたら、憂国騎士団と憲兵隊が手を組んでデモ潰しをしたとする、『向こう』の言い分を認めることになる。それを受け入れるわけにはいかん。第一、デモ隊は申請と異なる行動を取っている。これで責任を取るなど、ハイネセンは知らんがエル・ファシルが認めるわけにはいかんのだ。それは分かるだろう」

 

「だが、最初の一撃を発しなかったのは良かった」

 それまで黙っていたクリスチアンが言った。

 

「あの状況で無理に解散させる、という選択肢を取ったら、憲兵隊が悪者になる。単なる責任回避ではないぞ。政治的な対立に軍が利用されている状況で、分かりやすい悪者になるわけにはいかんのだ。引き際が肝心なのだよ。ヤン少佐」

 クリスチアンの言葉にヤンは睨み返した。管理職としての立場はそうなのかもしれないが、護民としての存在、という理想論がヤンの心中では優位に立っていた。やはりあの石を投げたのはあんたじゃないのか。その、引き際とやらのために。

 

「だがな、お咎めなし、というわけにもいかん」

 パエッタが言った。

 

「騒擾は騒擾で、政治的に盛り上がりすぎている。誰かが責任を取らねばならん。だが、取った責任に比して、エル・ファシルか、あるいは同盟内における軍縮に反対する人間が譲歩することになる。落としどころを探らねばならん」

 

「退役、ということですか」

 ヤンの言葉にパエッタは首を振った。

 

「それはないと言っただろう。少佐が最後まで衝突回避に尽力し、負傷したことは、ここだけでなくハイネセンのマスコミも知るところだ。動画配信サイトにもあがっている。ここで君を退役させたら、政治問題になる。退役が君の希望であったとしてもだ」

 

「では、転属ですか」

 

「そう簡単にはいかん。左遷と取られると、これも政治問題になる。だからといってハイネセンに転属させたら、それはそれで辺境星域住民の反発が大きいだろう。君が悪いわけではない。国家内の意見対立がそうさせているのだ」

 パエッタはそこでカップのコーヒーを飲むと、その後のヤンの運命を大きく変える、一言を発した。

 

「そこでだ、少佐。惑星フェザーンに興味はないかね?」

 

 

 

<完>

 



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第一章あとがき

 あとがき、という名の第二章へのブレインストーミング

 

 

 皆様こんばんは。

 

 拙作をお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

 このような後書きを書くべきかどうかは迷ったのですが、縦書き機能でPDF化すると結構しっくり来るので、書いてみようと思いました。

 

 銀河英雄伝説という作品は、まぁ人の命の安い作品でございまして、同盟の帝国侵攻作戦では、2000万という人的被害が出たのは皆様御存知ですね。同盟の人口って、原作では130億ですから、100で割ると、大体日本の人口と同じです。とすると、20万の損害って、自衛隊がそっくり消えたのと大して変わりません。これで国家として抗戦ができるんですから、すごいなぁと思うわけです。まぁ、韓国軍とかのスケールで考えると、まだ戦えるのでありますけど。

 

 それはおいといて、本作では人はほとんど死にません。6作合わせても死んだ人間は20人以下でしょう。なんてそんなことになっているのかというと、一つのゲームにたどり着きます。

 その昔、銀英伝4というゲームがありまして(PC-9801版が1994年発売だそうです)、銀河帝国と自由惑星同盟の戦争をターン制の陣取り型戦略シミュレーションにしてしまったものです。帝国と同盟とフェザーン合わせて60近い「星域」があり、これを取り合います。星域は航路が設定されていて、星域を移動するときは「隣」の星域にしか移動できません。

 

 となるとどうなるか。イゼルローン星域を取ってしまうと、敵は(一人用ゲームなので、敵は常にCPUです)味方の星域に攻めてくることはできません。イゼルローン星域にはイゼルローン要塞があって、これを力づくで陥落させることは困難です(一応抜け道はある)。

 フェザーンに攻め入ることはできるんですけど、確かペナルティがあって、特にCPUはよっぽどのことがない限り攻めてくることはありません。

 

 さらに、このゲームでは予算が設定されており、一か月ごとにお金が補充されます。このお金の中で、戦艦作ったり、艦隊動かしたり、艦隊を維持したり(そう、維持するだけでお金がかかるんです)しなければなりません。

 

 そして、自由に艦隊を作ったり、動かしていたりすると、お金はすぐになくなります。一応フェザーンに借りることはできますが、分割で返さなければなりません。

 

 さぁ、このような状況で「常識的に」勝つにはどうすればよいか?まぁ、予算の中で艦隊動かして、金が無くなる前にオーディンまたはハイネセンを陥とす、というのもアリなのですが(あと、ラインハルトが皇帝か宰相になった後は、ラインハルトを殺すと同盟勝利になります)、もう一つは、イゼルローン要塞で栓をして攻められないようにして、後は艦隊をぎりぎりまで削ります。そうすると、消費するお金を国庫に「戻す」ことができます。そうすると、国家の経済力が向上して、もらえるお金が増えるのです。

 

 ここまで聞けば分かりましたでしょうか。そうです、この作品は、そういうプレイを文字にしたものです。

 

 といっても、同盟がイゼルローン要塞を取って、帝国の侵攻を跳ね返し続けても、結局ジリ貧になってしまうと思うのです。ゲームじゃそうはならないんですけど、帝国は250億人口が居て、同盟は130億しかないんですよね。同盟は力押しでイゼルローン要塞を落とせませんでしたが、帝国は、力押しで落とせると思うのです。少なくとも、そういう帝国がいては、軍備を縮小して民生を充実させることはできません。

 

 というわけで、1つの帝国を2つの帝国にさせてもらいました。フリードリヒ4世が誕生するきっかけとなった、長兄リヒャルトと三男クレメンツの内訌を内戦まで発展させ、帝国は内部で流血を続け、同盟にかまっている暇はない、ということにしました。

 

 また、同盟がこれを好機と考えて帝国に踏み込んでもしょうがないので、誰か偉い人の遺訓かなんかで同盟はすぐさま戦えない国家にしてしまえ、ということにしました。ブルース・アッシュビーの出番ですね。転生ものでよくあるパターンですが、ブルース・アッシュビーも転生した人が中に入ったのでしょうか。

 

 本作ではさらっと触れましたけど、同盟の人口は尋常ではなく増えています。180億なので実際の約1.5倍ですね。クローンでも導入しないと作れないと思うんですけど……でも帝国を圧倒するにはまだ足りない。順調に帝国を圧倒する国力を(単純に人口でいけば300億程度欲しいですかね)得るには、まだまだ時間がかかるでしょう。ちなみに銀英伝4では、数年で同盟の国力は帝国を圧倒できます。経済力で倍ぐらいになります。まぁ、ゲームですから。

 

 

 

 話変わって、このお話は一つのコンセプトを基に書いています。「鏡の向こうの戦争」というものです。鏡の向こうなので、何もかもが正反対です。原作では大戦争の真っ最中ですが、鏡の向こうは平和です。正反対です。ですが、映っている人が居なくなるということはありません。登場人物はどこかにいるのです。そういう考え方のもとに書きました。憂国騎士団がジェシカ・エドワーズの話し方をパクって一席ぶっているのはまさにそういうことですね。

 

 

 

 第二章の執筆は、もしあるなら、少し時間が空くでしょう。第一章の元ネタになった「書き溜めていたネタ帳」がありませんので。ただ、第二章はフェザーンが舞台ですので、帝国人も沢山出てくると思います。というか、同盟からあまり人は来ないので、ヤン&その周辺以外は帝国人だらけかもしれません。なかなかね、オリキャラって、作るの難しいんですよ。

 

 というわけで考えてみた第二章予想ラインナップは……こうじゃ!

 

 

 

第二章「商都フェザーン」 予想ラインナップ(書くなら。こうやって書き連ねてしまうと、8話と12話は書いてみたいな)

 

 

第七話「フェザーンへ!」

 惑星フェザーン大使館駐留武官を命じられ、フェザーンへ赴くヤン・ウェンリー。しかし、その実情は想像とかけ離れたものだった。着任早々、直属の上司?の命を受け、テロ組織アジトの強制捜査に駆り出されたヤンは、フェザーン「自治領」の実態を目にすることになる。

 

第八話「三人の語る人類大戦」

 フェザーン公営テレビが開催する、奇妙な討論番組に出ることになったヤン・ウェンリー。それは、南北朝、そして同盟から代表を出し、帝国と同盟の戦争、その今後について討論するものだった。番組の真の意図を類推するヤンは、奇妙な結論にたどり着くことになる。

 

第九話「幽霊戦艦」

 帝国領内で、破棄されたはずの同盟戦艦による海賊行為が頻発。さらに、海賊行為に加担しているのは同盟軍軍人であるとのクレームが寄せられる。調査の結果、ヤンは戦争で数奇な運命を辿ることになった人々に出会う。

 

第十話「カジノ・ロワイヤル」

 フェザーンでのポーカー大会に参加するヤン・ウェンリー。ヤン本人の任務は、カジノで行われる違法取引の監視であったが、何故か大金のかかったポーカー勝負に巻き込まれてしまう。

 

第十一話「薔薇の騎士(ローゼンリッター)

 失敗に終わった、南軍のアムリッツァ要塞破壊作戦。ヤンは、同盟大使館に届けられた報告書を読むことになる。そこには、同盟軍内部の闇、その一部が綴られていた。

 

第十二話「キングピン」

 「キングピン」と呼ばれる北軍の重要人物救出任務がヤン不正規隊に命ぜられる。共同作戦として北軍より派遣されたエージェントとは。そして、キングピンの正体とは……

 

 

 

 あくまでも構想段階なので、実際に出来てみたら全く違うストーリーになっている可能性はあります。そこはあしからず。

 

 もし書くなら、第二章の終わりで世界を一気に動かして、第三章「首都ハイネセン」(をぃ)に繋げてみたい。もし、このストーリーに終わりがあるとするならば、退役の道を絶たれたヤンが昇進し、前線に赴任する瞬間が終わりだと思います(なんだか、書いていてOVAジャイアントロボの構想上エピソードっぽくなってきた)。

 

 では皆様、新しいフェザーンの地でお会いしましょう。でも、エタっても恨まないでね。

 



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第二章 商都フェザーン
第七話 フェザーンへ!


宇宙歴797年8月15日 7:00ーー

 

 

 

 ピンポンパンポーン

 

「ご乗船の皆様にご案内申し上げます。この度は、黄金旅程(ステイゴールド)旅客船株式会社、宝船(ゴールドシップ)号にご乗船頂き、誠にありがとうございました。

 本船は、本日10時に終点、フェザーン国際宇宙港、第5ターミナルに到着致します。フェザーン行政府の本日の天気は晴れ、気温は摂氏29度でございます。皆様、下船の準備をしてお待ちください。なお、通関の事前手続き受付は本日9時までとなっております。お手続きがお済みでない方は急ぎ、インフォメーションセンターまでご連絡下さい。繰り返します……」

 

 寝ぼけまなこのヤンが完全に目を覚ましたのは、旅客船のアナウンスを聞いたからだった。惑星エル・ファシルからフェザーン行きの旅客船に乗って20日ほど。旅も終わりを迎えようとしている。

 

 

 

 時を遡るほど二か月以上前ーー

 

「少佐、惑星フェザーンに興味はないかね?」

 

「フェザーン……でありますか」

 ヤンはパエッタの提案に当惑しながらも答えた。

 

「フェザーン大使館の駐在武官に、丁度空きがあるそうだ。ハイネセンに転任した士官の後釜という感じだな。階級的にも問題ないそうだし、業務も大した事ないらしい。椅子に座って、新聞を読んでいれば事足りるものだ。そこで、一年ほど過ごせばほとぼりも冷めるだろう。後は君の好きにしたらいい」

 

「あの、そのオファーの詳細は」

 

「この話に興味があるのかね?」

 

「あ、いや、詳細を検討したいと……」

 

「そうか。なら、資料を送っておく。近いうちに返事をもらいたい。いいかね」

 

 そう言われたので、ヤンははいと答えて査問会室を出ていった。もらった資料は量も少なければ内容も少なかった。大使館付特務支援課課長補佐、とあったが、特務支援課なるものの正体が分からない。ウェブサイトをあさっても情報はほとんど出てこなかった。どうも、同盟においてフェザーン大使館というものがあまり目立つ存在ではないらしく、それが情報の貧弱さに貢献しているようだった。

 

 考えてみれば当然である。ヤンの知る限り、フェザーンにおいて同盟がやっている仕事は、もちろんフェザーン資本との取引が第一だが、第二はフェザーンを仲介した帝国との取引である。もちろん表向き、フェザーンの会社に民生物資を卸している、ということになっているのだが(さすがに同盟も帝国に武器を流すことはしていない。表向き)、その行き先が帝国の南北どちらか、であることはフェザーンで調査をしていればすぐ分かることである。ちなみにそのような調査報道には、軍が規制をかけているので、同盟内では表向きになることはない。一応。

 

 フェザーンとの付き合いということで、そういう業務に従事しているラップやクラインシュタイガーにもそれとなく聞いてみたが、大した情報は得られなかった。第一、転属は正式に決まっていない。内示の情報が漏れたとあれば、どんなペナルティが降りかかってくるかわかったものではない。

 

 

 

 三日ほど迷った結果、ヤンはパエッタのオファーを受けることにした。退役が先延ばしになるのは遺憾ではあるが、交換条件として俸給を2段階上げてくれるということだったので、しぶしぶながら受け入れることにした。ちなみに、退役後の軍人恩給の額面は、軍隊での勤務年数と最終的な俸給段階の2つで決まることになっている。

 

 一月ほどで軍務の整理と、ラオへの引継ぎを終え、正式な辞令が出たのが一か月前の7月15日、引っ越しの荷物をまとめ、軍が用意してくれた旅客船に乗ったのが7月26日、そして7つの星域を移動し、今、ヤンはフェザーンの地を踏もうとしている。

 

 ちなみに、今ヤンが持っているのは、仕事に必要な最低限の衣服や、生活に必要な身の回りのものぐらいである。ヤンが梱包した私物は、梱包ボックスにしてそれなりの数になったが、それらは全て軍の輸送船が運ぶことになっていた。外交官特権で各種の規制をすっ飛ばしてフェザーンに持って行けるらしい(但し、フェザーン係官による最低限の検疫は受けることになっている)。軍の輸送船に荷物と一緒に乗り込むこともできたが、さすがにヤンもそれは断った。旅客船と軍輸送船では、快適さでは段違いである。

 

 

 

「大使館……ねぇ」

 ヤンはもう何度繰り返したかも分からない言葉を、もう一度繰り返す。あまり意識したことなどなかったが、考えてみれば奇妙な話だ。大使館というのは、国交を結んだ外国に置くものだ。だが、自由惑星同盟に、公的な外交関係を結んだ国家は存在しない。銀河帝国はもちろん論外だし、フェザーンはあくまで帝国の自治領である。元々、フェザーンに同盟が設置していたのは、大使館ではなく高等弁務官事務所だった。弁務官とは、保護領とか従属国に派遣する行政官のことだから、これは現状に即した措置、そのはずだった。

 

 何故、大使館なるものが置かれるに至ったのか。それは海よりも深いわけがある。

 

 

 

 時を遡ること30年、宇宙歴767年(ちなみにこの年ヤン・ウェンリー誕生)ーー

 

 宇宙歴761年、銀河帝国皇帝オトフリート5世の崩御がきっかけで、帝国は内戦状態に突入した。そこから6年、内戦は早期決着の可能性は消え失せ、誰もが泥沼に踏み込んだことを意識せざるを得ない状況となっていた。

 

 この時期、自由惑星同盟とフェザーン自治領にはある「外交的」問題があった。

 

 亡命者問題である。

 

 内戦が激化するにつれ、帝国から同盟に亡命しようとする人の数はうなぎのぼりに増えていった。だが、同盟側の公的機関は、この増える一方の亡命者を捌ききれなくなっていたのである。また、亡命希望者の中で不自然な事故死が増えている、という問題もあった。

 

 ここで、この世界における「亡命」をおさらいしておこう。とある人間が帝国(この際南北は関係ない)から同盟へ亡命したいと決心したとする。となると、直接同盟領に踏み込むか、フェザーンの同盟公的機関に駆け込むかのどちらかになる。難易度からすると、前者は無謀もいいところで、後者を選択するのが普通である。

 

 フェザーンの同盟高等弁務官事務所に亡命希望者が駆け込むと、まず、遺伝子データから、この人が受け入れにふさわしくない人間かどうかのチェックが行われる。帝国で凶悪な事件を引き起こした人、とかサイオキシン麻薬の売人を国に入れるわけにはいかないからだが、そういう事情でもなければ受け入れが決まる。

 

 次に、亡命者登録のための手続きが行われる。希望者には聞き取り調査が行われ、亡命後に住みたい場所だとか、やりたい仕事だとか、そういう希望を聞く。そして、受け入れ先が決まり、全ての手続きが終わった後、同盟側の人間の保護の下、フェザーンから同盟領へ行く旅客船に乗り、めでたく亡命完了となるわけだ。

 

 ただ、このようなシステムは、受け入れる側にハードウェアを要求することになる。亡命なのだから、受け入れる側は亡命者を全力で守らねばならない。ということは、安全な場所に一時的といえども滞在してもらわなければならない。さらに、手続きには人的資源が必要である。同盟は、弁務官事務所の拡大を必要としていたのだった。

 だが、それにフェザーンが待ったをかけた。フェザーンがそうしたかった、というより、帝国が亡命者の増加を阻止したいがために、処理能力の増大を望まなかったのである。第一、高度な自治を実現しているフェザーンに、大規模な弁務官事務所は必要ないのである。弁務官とは行政官のことだからだ。

 

 そういうわけで、同盟の弁務官事務所の前には、亡命希望者が門前市を成し、餓死者、凍死者、事故死者、あるいは帝国に連れ戻される者が続出するに至った。同盟も事を放置していたわけではないが、人手が足りないのではやれることに限界があるのだった。

 

 では、帝国がフェザーンのやり方に満足していたのか、となると、そうでもなかった。

 

 帝国が南北に別れ、軍事衝突を繰り返すと、両軍の軍需物資は急速に足りなくなってくる。食料はもちろん、兵器の部品、艦船の部品、ありとあらゆる物資が足りないのだ。足りない物資は調達しなければならない。もし、自陣営内でまかなえないなら、他から買ってくるしかないのである。

 もちろん、フェザーンは大規模投資を行い、軍需物資の生産と販売に勤しんだが、需要を満たすには遠く及ばなかった。となると、背に腹は代えられないというわけで、同盟から購入するしかない。いくら叛乱軍、いくら仇敵といっても仕方のないものは仕方がないのである。それに、同盟の供給力はフェザーンの数倍はあり、さらに供給力を増やす余地があった。

 

 だが、そこに帝国の不満があった。一応、帝国と同盟が「交戦」している建前上、フェザーンが「善意の第三者」として仲介してくることは仕方ないのだが、フェザーンがそういう取引を妨害しようとしている、そう感じていたのだった。

 

 北軍が、艦船用の推進剤を大量に購入しようとした話があった。推進剤といっても、基本的に水素の沢山入ったタンクのことだから、とにかく量が要る。急に必要になってもはいとすぐ用意できるわけではない。

 だが、同盟側から予備物資の放出という形で調達できるようになったのである。その時点では、南軍が攻勢に出ており、そのための対抗策として同盟が北軍への輸出を承認したという経緯があった。

 結果から言うと、この取引は失敗に終わった。引き渡した推進剤で品質不良が多発し、北軍は核融合炉の動作不良多発に悩まされることになった(本来ならそのような推進剤は使用禁止となるところだが、それができないほど北軍は押されていた)。

 

 反対に、南軍が艦船用のタンクベッドを大量購入しようとしたことがあった。同盟のメーカーが(もちろん同盟政府の承認の下)受注、取引は成立し、製品の引き渡しが行われた。だが、製品の規格が合っておらずタンクベッドは返品となった。問題は、誤った仕様の提示がどうして行われたのか、だが、これを巡って、南軍と同盟とフェザーンの間で延々と泥仕合が行われたのである。

 

 全ての同盟との取引で、こういうトラブルが発生しているわけではないのだが、大型取引案件で、比較的多くのトラブルが出ていることは明らかだった。そして、そういう案件の大部分は、フェザーンの大手商社が仲介を務め、フェザーン政府のバックアップもある案件だった。逆に言うと、小規模な取引で、中小貿易商社を使用した案件では、このようなトラブルは滅多に起きなかったのである。

 

 形は違えど、フェザーンが「善意の第三者」などではないのではないか、という思いは同盟、そして南北の帝国の共通認識であったのだ。そんな帝国・同盟の認識をフェザーンは薄々感づきつつも、放置していたことが事の始まりである。いかに建前化していたとしても、帝国と同盟は交戦状態にあり、その建前を覆すことなどあり得ない。あるいは、その芽が出ていたとしても、フェザーン自身がそれを潰すことは可能だと思っていたのである。

 

 宇宙歴767年8月15日、自由惑星同盟は全宇宙に声明を発表した。フェザーンの高等弁務官事務所を廃止し、大使館を設置するとしたのである。フェザーンを同盟の保護領扱いとするのではなく、同盟加盟惑星と同等の「高度な自治権を持つ加盟惑星」に格上げし、その権限の下に大使を交換するとしたのである。

 

 この発表に、フェザーン関係者も驚愕したが、同盟国内政治の専門家も驚いた。今まで、そのような概念があったことすら知らなかったからである。

 

 しかし、大使という概念は存在した。宇宙歴528年、自由惑星同盟が建国されてからほんの十数年間、同盟がわずか数個の可住惑星で構成されていた頃、同盟は今のような統一国家ではなく、惑星同士の集合体のような政治形態であった。それぞれ、互いに大使を交換し、惑星の行政府には、各惑星の大使館が設置されていた。そこで、外交や貿易の交渉が行われ、惑星同士の結びつきを深めていったのである。

 

 結果から言えば、大使の交換は長続きしなかった。加盟惑星の増加、航路の開発、人口の増大等により、一つの国家として運営する必要が生じたからであった。大使は、惑星ハイネセンのみに派遣されるようになり、そして、「上院議員」へとその名前を変えた。

 

 話を元に戻す。同盟は過去の記憶から、大使(アンバサダー)という概念を復活させ、フェザーンに大使館を置くことを宣言した。そして、付随する権利として、大使館関係者の身辺安全を保証する義務、所謂「外交官特権」を要求したのであった。

 

 当然ながら、フェザーンは激しく反発した。フェザーンはあくまで帝国の自治領であり、その建前を脱ぎ捨てるわけにはいかなかったからである。外交官特権を認めるということは、フェザーンの中に帝国法の及ばない、治外法権の場所を設置することになる。そんなものを認めれば、帝国が何を言ってくるか想像もつかなかった。

 

 それに、裏の事情もある。同盟が大使を置く、ということは、銀河に同盟以外の「他国」が存在することを認めるというポーズでもあった。同盟がフェザーンを「他国」として認めるのなら、帝国だって同盟にとっての「他国」と認める、という意思表示ではないと言い切れないのである。それは帝国と同盟が直接交渉することに繋がるわけで、フェザーンの存在価値は低減するどころではない。

 

 フェザーンは同盟の翻意を試み、それが叶わぬと見るや「大使館」設置の妨害に走った。そしてそれは上手くいかなかった。同盟側は元からフェザーンが妨害してくることを予見しており、用地や物資の確保を事前に行っていたからだった。それに、フェザーンはライフラインの遮断といった強硬手段には出られなかった。自由惑星同盟は重要な取引相手であり、同盟相手の商売を生業としている人間がフェザーンには山ほどいたからだ。

 

 妨害がうまくいかないとなり、フェザーンは帝国に泣きついた。本当はこんなことをしたくはなかったが、フェザーンは帝国の自治領であるという建前を使って、帝国に動いてもらおうとした。そして、

 

 無視された。

 

 同盟の要求がフェザーンの自治を高度に脅かすものでなければ介入しない、という回答を南北の帝国から受理した当時のフェザーン自治領主(ランデスヘル)は、あまりの内容に寝込んでしまったと言われている。しかし、考えてみれば当然の話だった。

 

 帝国とすれば、同盟とフェザーンの間の関係がどうなろうと、利益に変化が出るわけがなかったからである。それに、内戦中は同盟に自由にやらせておいた方が、自分達の利益になることが分かっていた。大使館などと意気込んでいても、どうせ内戦が終結すれば立ち枯れになるのだ。もちろん、帝国はフェザーンの「真の目的」に感づいてはいたが、そんなものに協力してやる義理はないのだった。

 

 かくして、フェザーンの黙認と配慮という譲歩のもとに、「自由惑星同盟フェザーン大使館」は成立した。フェザーン官庁街から10キロほど離れた郊外にある大使館だが、6.58ヘクタールもある広大な敷地に、大使館ビル、民間人の宿泊施設、警察の宿舎まで用意され、同盟の「対帝国最前線」の役割を担うことになる。そして、後世の歴史家は、大使館の設置をフェザーン自治領の「終わりの始まり」、そう言うようになるのだったが、そこまではヤンの知るところではない。

 

 

 

フェザーン到着から三日後ーー

 

「本日より着任致しました、ヤン・ウェンリーであります」

 

「君がヤン少佐か。エル・ファシルから遠路はるばるよく来てくれた。君の実力を存分に発揮してくれたまえ」

 

「了解いたしました」

 ヤンは目の前の人物に適当に答えてみせた。目の前にいるのは、同盟大使館武官のトップ、代表武官のクブルスリー大将である。第一艦隊の司令官からの転任であり、統合作戦本部長、宇宙艦隊司令長官と同階級であるから、同盟的にはこの大使館というところが相当重要だと見ているわけである。事実、フェザーン自治領が同盟にとって重要なパートナーであるというのは衆目の一致するところである。ただ、大半の市民は「製品の売り先」としてフェザーンを見ているのだけど。

 

 フェザーンに到着してからは、いろいろやることが多かった。まず、身分証の作成、運転免許の登録、銀行口座の作成や大使館内の宿舎の手配、住居の確保と仮入居、その他いろいろである。到着し次第すぐに出頭しろと言われなかったのは有難いとしか言うことはない。

 

「ところで、フェザーンはどうだったね?」

 

「は?」

 

「折角の休みだ。いろいろ観光したのだろう?」

 クブルスリーの言葉に、ヤンは目をぱちくりさせた。いや、自分はいろいろ手続きがあって……と言いかけて呑み込んだ。いかにも言い訳っぽく聞こえてしまうからだ。流石に大将閣下ともなると、御付きの副官とか従兵が事務処理を全て片付けてくれて、観光旅行の一つもセッティングしてくれるのだろうか。

 

 ヤンがしばらく何も言わなかったので、クブルスリーはしぶしぶ口を開いた。

 

「まぁいい。ところで、君はエル・ファシルから来たのだろう?もし、君が軍人はどこでもリスペクトを受ける存在だと思っているのだったら、考え方を改めることだ。あちらではそうかもしれないが、こちらではそうではない。少佐、街角を歩いていて軍服姿を見たことがあるかね」

 

「いえ」

 

「帝国軍はどうかね」

 

「そういえば……ありませんね」

 

「そういうことだ」

 クブルスリーは傍らのコーヒーを一口すする。

 

「フェザーンの人間は軍人を信用しない。いや、軍人だからといって評価に下駄を履かせることはしない、と言うべきかな。彼らが信じているのは、惑星を周回するあの首飾りだけだ。君も見たろう?」

 クブルスリーは、何もない部屋の天井を指差してみせた。これなら、ヤンにも何のことだか分かる。

 

 惑星フェザーンは(一応)帝国所属の自治惑星ということになっているが、惑星が必ず持っているはずの警備艦隊を持っていない。警察隊は存在するが、あくまで警察の業務を遂行するだけだ。その代わりとして、惑星フェザーンには12個の防衛衛星が軌道上に展開し、惑星の防衛にあたっている。防衛衛星は無人であり、フェザーンの指令所からの命令に従い、自動で迎撃を行う。そのため、フェザーンでは数多くの船舶が往来するが、通行して良い航路は厳密に定められている。

 

 フェザーンが独自に開発したこの防衛システムは、軍隊なき国家の防衛手段として喧伝されており、「これがあればフェザーンは難攻不落」とすら言われている。当然ながら、フェザーンは帝国・同盟双方にこのシステムの売り込みを行っているが、今のところ反応ははかばかしくないそうだ。帝国はどうか分からないが、同盟にしてみれば、ただでさえ少ない防衛予算から、こんなシステムの建造費や維持費を捻出する余裕などない、というところであろう。そもそも、城壁の高さは敵側の凶事、味方の援軍のいずれかが来るまでの時間稼ぎでしかない。フェザーンもそれぐらいは理解していると思うのだが。ちなみに、この防衛システムは『惑星フェザーンの首飾り』という通称で知られている。確かに、周回ルートをプロットすると三重の首飾りのように見えるわけで、そう呼ばれるようになったのだった。

 

「フェザーンは商売の都だ。軍隊の都ではない。だから、軍服姿はよっぽどのことがない限り目にすることはない。帝国もそれは分かっている。ま、あちらは内輪もめに忙しくてそれどころじゃないのかもしれんが。聞いたと思うが、公務でもない限り大使館の外では軍服は御法度だ。ちゃんとロッカーで着替えていくのだぞ。だが」

 

「だが?」

 

「軍人が大手を振って歩けないからといって、軍人の役目がないわけではない。日陰に居ても軍人が為すべきことは存在する。だから少佐、君も縁の下の力持ちとして活動してもらいたい。為すべきことを為すのだ。わかったな」

 

「承知いたしました」

 

 ヤンが答えるとほぼ同時に、クブルスリー大将の机の上にあるコミュニケータが着信を告げた。大将がレシーバーを手に取り、二言三言話をする。

 

「少佐。丁度いいタイミングだ。特務支援課のムライ中佐が君を呼んでいる。大使館の職員用入口に居るそうだからすぐ行きたまえ。職務の詳しい話は彼がしてくれるだろう。それではな。しっかり励むのだぞ」

 

 

 

「君がヤン少佐か」

 

 ムライ中佐は軍人というよりは役人、軍官僚という言葉がしっくりくる風貌だった。身長はヤンより少し低いぐらい、頭髪は短く刈り上げており、髭をたくわえ、細目に眼鏡という感じで、いかにも小うるさく文句を言うタイプーーそれがヤンの第一印象だった。

 

「来て早々申し訳ないが、支援課の用事がある。出動するのだが君も来てもらいたい」

 

「え、あ、あの、自分は軍服姿のままですがーー」

 ヤンの返答にムライは要領不得(ようりょうをえず)という感じだったが、しばらくして何か合点がいったようで

 

「問題ない。公務だからそのままでいい。あと、君に何かをしてもらうということはないから安心しろ。特務支援課というのを教えてやれと、クブルスリー閣下に言われたが、百聞は一見にしかずというわけだ。いいな」

 ヤンの返事を聞かず、ムライは地上車に乗り込んだ。ヤンも慌ててドアを開けて乗り込んだ。

 

 

 

 ムライが操縦する地上車は、猛スピードーー時々他の車からクラクションを鳴らされる程度ーーで道路を疾走した。地上車のナンバープレートは大使館専用のものだから、警察の御用になることはないと思われるが、抗議は避けられないであろう。

 

「普段からこういうことはせんよ。ただ、現場に人を待たせているのでな」

 ムライはそれだけで状況説明を終了し、それ以上何も言おうとしなかった。

 

 現在、惑星フェザーンは正午を少し過ぎた後である。気候温暖で知られる惑星フェザーンも、さすがに真夏の昼間は別らしかった。地上車の中はもちろん違うが、外は刺すような日光が降り注ぎ、むしっとした湿気に満ち満ちている。歩道を歩く人々も、上着をきっちり着ている人はほとんどおらず、シャツ姿のまま歩いている。もちろん、クブルスリーの言う通り、軍服の人間を目にすることはない。

 

「今日の業務は、さっき君のID向けに送信しておいた。やっと許可が取れたのだよ」

 

 そう言われてヤンはスマートデバイスを取り出し、情報を検索した。受信した業務内容は「軍務無許可離隊者の逮捕」とあった。ヤンが口を開くより前に

 

「ああ。その業務内容は表向きだからあまり意味がない。<狂信者狩り>だよ。エル・ファシルでもあったのではないかね」

 

「狂信者狩りーー」 

 ヤンはおうむ返しにそれだけ言った。

 

 

 

 狂信者ーー

 

 言葉をそのまま解釈すると、「常軌を逸して、あることを信じこむ人」のことを指す。辞書にもそういう風に書いてある。但し、同盟で発売されている辞書には大抵、次の項目にこう書かれてある。

 

「宗教を信じる人間に対する侮蔑的なニュアンスの呼び名。政治家ブルース・アッシュビーが多用した」

 

 政治家ブルース・アッシュビーという人間は、軍人あがりの政治家らしく、要塞線(アッシュビー・ライン)の構築を除けば、社会構造の変革というものにほとんど興味がなかった。政策を見ても、やや自由放任主義で経済発展重視というぐらいで、新味のない政策ばかりである。だが、一つだけ例外があった。宗教というものに対する敵視である。

 

 ブルース・アッシュビーの暗殺事件は、未遂のものを除けば3回発生し、幸運なことに全て失敗した。初回の暗殺未遂事件は、アッシュビーが最高評議会議長に就任した直後に発生した。問題は、暗殺事件そのものではなく、暗殺事件捜査の経緯で判明したことにあった。暗殺者は数名のグループで暗殺を実施したのだが、そのうちの一名が、とある宗教の熱心な信者であるということが分かったのだ。

 

 その宗教は、信者数も大したことではなく、政治的にも穏健な右派というところだったが、アッシュビーはそれを聞くなり、国内の宗教団体の「総ざらえ」に乗り出した。犯罪行為の有無や税務調査、幹部の身体検査等、全国の捜査機関を駆使した大規模なものになった。地球から宇宙へ、人類が雄飛してからこのかた、人間にとっての宗教はずいぶんと価値が低いものになっていたが、それでも生き残りに成功した宗教は数多存在したからである。もちろん、同盟憲章にだって、信教の自由は明記されているのだ。

 

 当然ながら、反発の声が巻き起こった。いくら自分の命を狙った犯人だからとはいえ、何の関係もない宗教団体までさぐりを入れるのは、権利の侵害であるというわけである。実際、犯人がその宗教団体幹部より暗殺を命じられた、という証言が後から出てきたのだが、信憑性の薄い証言であるとされた(実際、その後の裁判で証言の証拠性は却下された)。

 だが、全く別の宗教団体で、隠し持っていた大量の武器・弾薬が発見されたというニュースが報じられると、世論は一気に沸騰した。アッシュビー政権はここぞとばかりに宗教団体の監査を推し進め、与えられていた利権の大半を剥奪したのであった。

 

 そうして粛清の嵐が吹き荒れた後、やっとこれでアッシュビーも気が済んだかと関係各所がほっとしたのも束の間、アッシュビー内閣が出してきた新方針に関係者は仰天した。情報機関に宗教団体を監視する部署を設置し、宗教団体のテロを警戒させることを命じたのである。政治団体や非政府組織はそのまま放置、であったからアッシュビーの真意を判じかねるという意見が続出した。意味が分からない、そういう意見も多かった。そんな世論に対し、アッシュビーはこう言ったと言われている。

 

「宗教には問題がないが、宗教が産む狂信者は問題だ」

 

 あまりに雑な認識に、主に宗教団体から反発の声が巻き起こった。だが、監視さえ受け入れれば活動は自由であるというメッセージでもあった。この後、宗教団体は主に政治団体へ接近することになり、性格的に政治と距離を置く団体は消滅あるいは矮小化への道をたどった。一体何故そこまで宗教を警戒するのか、アッシュビー以外誰にも分からなかった。政治団体や非政府組織は野放しにされたのだから、余計にわけがわからなかった。

 もっとも、この政策がアッシュビーの自己満足だけに終わったわけではなかった。宗教団体は団体であるがゆえに、道徳的にはどうかと思われる集金行為や、信者を束縛する行為を行うことがないわけではなかったからだ。そういう行為に関しては即座に対応が取れるようになった。もちろん、宗教側は圧迫を感じていただろうが、大っぴらに法を逸脱するような連中が即座にしょっ引かれるのはマイナスばかりではないのだった。そうでなければ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河帝国を建国できるはずがない。

 

 

 

「私は、憲兵隊といっても総務畑なので、捜査の世界は分からないのですが」

 

「そうかな?今回の取り締まり対象は、あのEoWSとも繋がりのある団体だ。軍の汚職疑惑から取り締まりがはじまり、過激派幹部がこちらに逃げて来ているわけだ。確かその捜査に、君は協力していなかったかね?」

 

「それはーー」

 ムライの言葉に、ヤンは息を呑んだ。一体、ムライ中佐は自分のことをどこまで知っているのだろう?いや、どんな風に知っているのだろう。

 

 ヤンはコミュニケータを操作し、捜査の詳細情報を呼び出した。どうも、今回の取り締まり対象は宗教団体の支部に強制的に踏み込むものらしかった。軍務無許可離隊容疑ーーより一般的には「脱走」と呼ばれるーーというのは、一部の人間に充員召集令状が発行されたにも関わらず、召集に応じていないということを指しているらしい。確かに、法律上はその通りであるから間違いはない。充員召集など、このご時世に滅多に行われないことを除けば。

 

「狂信者狩り、噂には聞いていましたが、こんな乱暴なやり方は聞いたことがありません」

 

「そうかな?でも、同盟でのテロ実行が疑われる組織の大半は、フェザーンに支部を置いている。一罰百戒だよ、少佐。手続きを踏んで取り締まるのも必要だが、フェザーンという所は同盟ではない。実力がものを言う場所だよ。表向きでなければ尚更だ」

 

 ヤンは顔をしかめた。ムライの言い草は、宇宙海賊かマフィアのそれと大して変わりがない。ヤンは宗教団体の詳細情報を呼び出した。名前は地球教ーー人類が生まれた地である地球という惑星を神格化し、人類は地球により統治されるべきであるという教義のようだった。確かに、同盟内では過去「過激な政治活動により」大規模な取り締まりを何度か受けているようだったが、活動はハイネセン近辺であり、辺境で勤務しているヤンが知らないのも無理はなかった。備考欄には「帝国にも複数の拠点が存在し、活動に対し弾圧を受けた模様」とある。もうちょっとこの辺情報収集すればいいのに、と、ヤンは思ったが、自分に全ての情報が公開されているとは限らないな、と思うことにした。

 

「フェザーンではこんな雑なことが当たり前なんですか」

 ヤンは敢えてぼかした感じで質問した。

 

「同盟と帝国が、どちらの帝国とは言わんがーー交戦状態であることの影響だな。もともと味方以外は全部敵、だから雑にやるんだ。硬軟織り交ぜることが重要だ。それが敵を迷わせることになる。いずれ分かるよ、少佐」

 

 

 

 そんなことを話しているうちに、地上車は再開発地区とおぼしきエリアで停車した。ムライは車を降りるとジェスチャーでついてこいと命じ、古ぼけた、とても人が住んでそうには見えないアパートに入っていった。

 

 

 

 言われるがままにアパートに入り、とある部屋に入ると、古ぼけた部屋に場違いな机や電子機器が置かれており、何人かの人間が画面にかじりついていた。その中の一人が、入ってきたヤンとムライに気づき、敬礼しようとしてムライに止められる。

 

「ほぉ。特務支援課を志望する物好き……あいや失礼、で、ございますか」

 応対した大男は、軽口を叩こうとして、ヤンの階級章に気づいたようだった。室内に居る人間のうち、一人だけ装甲服ーー対テロ戦の軽装のものーーに身を包んでいる。階級章は大尉だった。

 

「先程は失礼いたしました、少佐殿。自分はフョードル・パトリチェフ大尉であります。以後、お見知りおきを」

 型通りの敬礼が済んだ後、パトリチェフは手を差し出し、ヤンもそれに釣られるように手を差し出した。がっしりと握手した後、パトリチェフはヤンを不思議そうに見つめた。

 

「中佐殿、少佐殿が新隊員とは聞いておりませんが」

 

「大尉。その話は少し忘れろ。ああ、最初に言っておくが、この少佐は君の本職とは関係ないから、そのつもりでいろ。なお、機密資格については私が責任を持つから、遠慮はせずともよい。任務については大体車中で説明した」

 

「了解致しました。では、手筈通りにスタートでよろしいのですな」

 

「そうだ。向こうの状況は?」

 

「気づいた兆候はありません。斥候は既に配置についております」

 ムライの質問に、パトリチェフは端末の画面をちらと眺めて言った。

 

「ならば始めよう」

 

「では。行って参ります」

 パトリチェフはムライに敬礼すると、ヘルメットを掴んで部屋を出ていった。置いてけぼりのヤンはわけがわからず、きょろきょろと室内を見回すことしかできなかった。

 

「少佐、こっちだ」

 しばらくの後、ムライが手招きすると、壁に貼り付けてある地図を指で叩いた。地図が消え、ライブカメラの映像らしきものに切り替わった。画像の質を見る限り、光の入らない室内?を赤外線カメラで撮影しているようだ。画面には、装甲服を着た兵士が数人見える。

 

「あの、これは一体……」

 

「?分からんかね???」

 

「いや、自分は何も詳細を知りません」

 

「そうかね。ならば想像したまえ」

 

「そんな……」

 まぁ見れば何か荒事をやろうとしていることぐらいは分かる。先程の熊のような大男ーー確かパトリチェフだったかーーはその実行部隊のリーダーなのだろう。

 

「敢えて言わせてもらうならば」

 

「ならば?」

 ヤンの言葉にムライはそう聞き返した。

 

「同盟領内でもないのに、軍隊が武器を持って動いて平然としている。こんなことがフェザーンでは当たり前なのですか。第一、狂信者狩りは警察の領分だと聞いていましたが」

 

「ここは同盟ではないからな。警察を当てにしようとしてもそういうわけにはいかん。武力を持っている組織は軍しかいないからな」

 

「そういうわけじゃなくて……」

 

「だったら何かね?」

 それまで手元のディスプレイを見つめていたムライが向き直った。

 

「フェザーン自治領は、銀河帝国から独立した施政権を認められているはずですし、同盟もそれを尊重しているはずです。自治領内の警察権を有するのはフェザーン自治警察であって、同盟軍ではないはずです」

 

「もちろん、フェザーンの治安に責任を持つのはフェザーン治安警察だ」

 

「では、なぜフェザーン警察に任せないのですか。犯罪人引き渡し協定は締結されているはずですが」

 

「なるほど、少佐。なかなか勉強しているな」

 そこまで言って、ムライは再びディスプレイに向き直った。何か状況に変化があったようだが、ヤンにはそこまで「読める」ものではない。

 

「だからこそ、今回の任務、その表芸である『軍務無許可離隊者の逮捕』というのが効いてくる。これに関しては、軍、正確に言うと憲兵だがーー直接実力行使をしていいことになっている」

 

「……そうなんですか?」

 

「銀河帝国がそう決めたからな。軍務が嫌だからといって、誰もかれもがフェザーンに逃げられたらかなわない、というところだろう。三十年ほど前にそう決められて、同盟にも同じ権利が認められた、というわけだ。充員令状が発行されてから一か月、何の連絡もしなければ脱走兵と同じ扱いだ。そして、拘束に関しては、同盟領内であれば憲兵隊の仕事になる。憲兵なら、分かっていることだと思うが?」

 

「え、いや、あの……」

 ヤンは口ごもった。確かに、脱走兵の取り扱いは、本来憲兵の仕事であることは事実だ。だが、憲兵が召集拒否で対象者をしょっ引いている所をヤンは見たことがない。そして、この作戦はどう見ても、召集拒否を名目にして、組織細胞を一切合切取り締まってしまおう、という意図にしか見えない。もしそんなことが同盟領内であったら、法曹界はおろか、憲兵すら黙ってはいないだろう。

 

「そんな雑な理屈で、と言いたいかね」

 ムライの言葉に、ヤンは黙ってうなずく。

 

「これが国内なら、そうなのだろうな。ただ、ここは帝国自治領フェザーンだ。この星にあって、同盟というのは軒先を借りた客人に過ぎない。この作戦に無理がある、というのは私も同意するところではあるが、このような無理も行う、と帝国に知らしめることは重要だ。ただ、この程度で無理を強いるというのは、本国の考えていることは分からない、それはそうだな。その点に関しては同意するよ。お、そろそろ時間だ」

 壁のディスプレイがまた切り替わった。梯子のようなものを登っていき、天井にある蓋を開けると、狭い路地に出てきたことが分かった。兵士は一度ライフルを肩にかけると、とあるビルの裏口の前で止まった。兵士達が扉の近くで待機する。一人の兵士が裏口のドアをノックした。

 

 ドアがわずかに開いた。画面からは中に居るであろう人を見ることはできない。何かしら会話をしているのであろう。外の兵士は何やら中を覗き込むようであった。

 

 変化があったのは数十秒後だった。兵士が突然ホルスターから銃を抜くと、中に向けて何発か発砲した。音が聞こえるわけではないし、閃光が見えるわけではなかったが、画面に発砲した情報が表示されている。兵士はドアを蹴り開けると外の兵士と一緒に中に乱入した。

 

 ビルの中は赤外線カメラで丁度見える程度、つまり暗闇の状態だった。天井には電灯らしきものが見えていたが、点灯していない。恐らく、電気の供給がカットされているのだろう。ディスプレイ右側に警告が表示された。ゼッフル粒子濃度が危険域に上昇しているとのことだ。つまり、ここで一定以上のエネルギー反応があれば、ゼッフル粒子が爆発してしまうということである。

 

 乱入した兵士達は、打合せ通り?いくつかの班に分かれて行動を開始した。驚くべきことに、人影を見ると即座に発砲している。

 

「ゼッフル粒子反応があるはずなのに……」

 

「対人用空気銃、フレシェット弾だ。射程も短く威力も弱いが、ゼッフル粒子環境で撃てるのはいいことだ。ブラスターだと安全装置が働くからな。一瞬先んじることができる。ま、散布したのは爆薬タイプではないから、死ぬことはないのだが」

 ムライが先回りして言った。

 

「誰彼構わず発砲しているようですが」

 

「いいんだよ」

 ムライは説明に疲れたようで、それだけ言った。ヤンとしては、それ以上聞き込みをする気にはなれなかった。

 ビル内の『取り締まり』は一方的だった。兵は、抵抗の有無に関係なく、人影を見ると即座に発砲しているようだった。時たま、棒のようなものを手に近づいてくる人間も居たが、フレシェット弾が相手では分が悪すぎた。入口の側で隠れて奇襲を狙おうという人間も居たが、赤外線反応で把握されていては奇襲にならなかった。

 

「中佐」

 

「どうした」

 

「これが取り締まりなのですか。一方的な虐殺にしか見えませんが」

 ヤンの言葉にムライは何も反応しなかった。

 

「これが特務支援課、いや、フェザーン大使館だ、と言ってもいいかもしれない。同盟の汚れ仕事、誰かがやらなくてはいけない、ということになっている仕事をするのが大使館、その裏の役目だということだ」

 

「……」

 

「納得はしなくてもいい。でも、理解できないなら、君はフェザーンに居ない方がいい」

 

 ムライの言葉にヤンは黙るしかなかった。法令違反を言い立てることは簡単だったが、それを分かってやっているということも理解できている。つまりは、抗議を封殺することは容易だということであった。とんでもない所に来たことだけは確かであった。

 

「課長」

 

 画面横のスピーカーから声がした。パトリチェフの声だった。画面にはやたらと頑丈そうに見える扉が映っている。

 

「ターゲットです。入口は施錠されているようですが」

 

「予定通りやれ。さっさと逃げれば少々騒がしくても構わん」

 

「roger that」

 

 音声が途切れると、兵が扉から少し離れた所に板のようなものを貼り付けた。ヤンの顔から血の気が引く。自分の記憶が確かなら、あれは扉や壁を爆破するための特殊爆薬のはず。ゼッフル粒子が散布されている場所で爆薬を爆発させたらーー

 

「総員に警報。5秒後にフラッシュライト。5、4、3ーー」

 

 兵士達は逃げなかった。全員がその場で耳をふさぎ、うずくまった。

 直後、画面が真っ白になった。

 

 

 

 

「少佐、ご苦労だった」

 

 ムライがヤンにねぎらいの言葉をかけたのは、その日の夕方遅く、大使館の士官用クラブの席であった。パトリチェフ大尉も同席しており、今回の作戦についての、ちょっとした打ち上げのような感じになっていた。

 

「ヤン少佐、驚きました?まぁ、普通の人には馴染みがないですが、閃光爆発音型(フラッシュグレネード)ゼッフル粒子は、非軍事作戦には便利ですよ。閃光と爆発音は凄いですから、相手の動きは止められますし、爆薬を使ってもリスクは無い。今後普及していくでしょうなぁ」

 パトリチェフ大尉はそう言って豪快に笑った。

 

「完全試合とはいかなかったのは遺憾だな」

 ムライはコーヒーを一口すすった。

 

「コードネーム総大主教(グランド・ビショップ)でしたかな。斥候班によると、立ち入り前から居なかったそうですから、向こうの方が一枚上手だったのでしょう。まぁ組織としては、暫くは立ち直ることはできますまいて。立ち枯れになる可能性の方がずっと大きいですよ」

 パトリチェフがそう応じた。

 

「どうだったかね?特務支援課は」

 ムライが突然ヤンに話を振った。ヤンが、あ、いえ、私は、としどろもどろになっているのを見て、ムライはまぁいいとヤンを手で制した。

 

「少佐はエル・ファシル勤務だから、敢えてこういう場を設定させてもらった。アッシュビー・ラインの奥底とは違った世界がここにある。平和なように見えて、平和ではない。ルールがあるように見えてルールはない。ありとあらゆるリスクがここに潜んでいる。それを常に意識することだ」

 ムライはそう言って、カップに残ったコーヒーを飲み干した。

 

「そうですね。なかなか難しいところだと思いました」

 ヤンは東洋的無表情を維持したままだった。

 

「そうだな。一筋縄ではいかない。目に見えるものが全てではない。聞こえるものが全てではない。それを心がけていくことだ」

 

「例えば、味方の提供する情報に裏があるとか、そういうことですか」

 ヤンの言葉にムライはぎろりと睨みつけた。

 

「どういうことかね。私が嘘を言っていた、とでも?」

 

「そうではありません。今回の作戦、思い返せばどうしても引っかかることがあります。同盟にとってフェザーンは外の地。公人が制服を着て歩けばそれだけで目立ちます。まぁ、帝国にとってもそうなのかもしれませんが。ですが、我々を乗せた車は堂々と市内を走り回り、そして、作戦は実行された。そして作戦自体にも違和感があった」

 

「それで?」

 

「テロ活動の疑いがある宗教組織の根拠地を強襲し、検挙する作戦とお聞きしたはずでしたが、私が見る限りこれはただの斬首作戦でした。他国の地であるにも関わらず、隠蔽も清掃も行われていない。さらに、そこまで派手に動いたにも関わらず、ニュースになっていないのです。こうなると、話はただの<狂信者狩り>ではなく、別の側面があると考えられます。つまりですね」

 ヤンは、ムライの口の端が緩んでいるのを見逃さなかった。

 

「これはフェザーン、あるいは帝国の黙認の下に行われている作戦だということになります。だから隠蔽する必要がなかったのです。そして、もう一つ推測していることがあります」

 

「言ってみたまえ」

 

「地球教側は、同盟が自分達を助けに来た、そう思い込んでいたのではないか、ということです。強襲したにも関わらず、停電に対して無力でしたし、組織的な抵抗も見られませんでした。もし、襲撃を予想していたならばもう少し抵抗できてもよかったはず。それに、本当に強襲を企図していたなら、自分を待っていることなどなかったはずです。だとすると、隙は向こうにあったのではないかと。第一、襲撃チームが地下から裏口に回り込んでいましたが、あれを知っていたならば、先に逃げることに使えたでしょう。でも、そうしていないのですから」

 

「これは驚いた。中佐殿、全部お見通しのようですよ」

 そう言ったのはパトリチェフである。

 

「……確かに想像以上だ。少佐、最初からそう考えていたのかね?」

 ムライはほとんど笑い出しそうだ。

 

「そうですね。先に聞きたいのは、何故、ヒントをわざわざ私に与えたのですか?目に見えるものが全てではない、そう言ってくれるまで私は確信を持てなかったのですよ」

 

「そうだな。パトリチェフ君、もう話してもいいな」

 ムライの言葉に、パトリチェフは大きくうなずいた。

 

「特務支援課というのはまぁ、君も見た通り、フェザーンにおける同盟の秘密作戦、簡単に言えば後ろ暗い仕事を担当する部署だ。少佐がここに来たのは自分達にも予想外でね(本当だぞ)、だからまぁ、即席で試験を用意したわけだ。悪く思わないでくれ。君にどういう仕事が適しているか、早急に知りたかったのだよ」

 

「はぁ」

 

「地球教に工作をしていた、というのは事実だ。元々帝国に軸足を置いて活動していた団体らしいが、去年大規模なガサ入れを受けて帝国の組織は壊滅状態になっているそうだ。まともな根拠地はフェザーンにあるだけ。とある条件で、同盟への亡命を受け入れると言ったらすぐに乗ってきた。向こうは気づかなかったんだろう。残党状態の組織に利用価値などないことを。そもそも」

 

「そもそも?」

 

「残党狩りを我々が行う件については、帝国の北軍から打診があった。別に帝国だけでも十分やれるだろうが、手間を省きたかったのであろう。敵の敵は味方、よく言うだろう?いつもそうじゃないのだけどな。そこを利用するのは帝国のアイディアだったのだ。まさか、召集命令違反でやれば政治的な問題にならない、というところまで帝国が考えているとは思わなかったが。今回の作戦については、帝国が絵を描き、我々はその掌の上で踊っていたというわけだ。まぁ、フェザーン治安警察に作戦を邪魔されない件については何とか上手く行ったがね。フェザーンは、最後の最後まで、こちらが地球教徒を秘密裏に亡命させようと信じていたようだ」

 

「そうですなぁ。ここまで痛めつけられた組織なら、却って保護した方が後で利用価値があるってもんですけど、一匹たりとも残すな、となるとよっぽど腹に据えかねることをしでかしたんでしょうなぁ。もしかしたら南北同時に喧嘩を売っていたのかもしれません」

 パトリチェフが引き取った。ヤンは言葉もない。半ば当てずっぽうで言ったことが事実の一端を当てていたのである。

 

「まぁ安心したまえ。別に、試験で満点を取らずとも、君をクビにすることはない。君に与える仕事は山ほどあるからな。ウチの表芸は『何でも屋』でね。おかげで常に人材不足だ」

 

 なるほどねぇ。ヤンは合点した。道理で調べても大した情報が出ないわけだ。

 

「ただ、君にこういう荒仕事ばかりをやってもらうことはない。もっと適性がある人物がこういうことをやるだろう。多分、君の仕事は、エル・ファシルでやっていたような、憲兵の仕事に似たようなもの、ということになるだろう。表向きは、そして大部分は。少佐がやるような仕事ではない仕事もやってもらうが、そういうものなのだ。だが」

 

「だが?」

 

「まぁ、君は荒事の方が向こうから寄ってくるような、そんな感じもする。そうなったら、降りかかった火の粉は、自分で払ってもらいたい。少なくとも、外を歩くときは交通事故に気をつけたまえよ。酔っ払いながら出歩くなどもってのほかだ」

 

 ムライからそう言われたヤンは、目を閉じて額をもんだ。一体自分は何者なのか、いや、何者だと思われているのか、その疑問が明らかにはなっていない。少なくとも、これからの仕事は、パエッタに言われたような勤務ではないことはあきらかだった。

 

「いいじゃないですか」

 大声でパトリチェフが言った。

 

「折角、少佐殿に支援課というものを掴んでもらったことですし、外に行きましょうや。折角の新人、ちゃんと歓迎してやらないと。ギルガメッシュ・タバーンでどうです?」

 

「ふむ。君はあそこが好きだねぇ。まぁいい。他の人を呼ぶのは任せるぞ。で、少佐、突然で済まないが今日はどうかね?飲めるのだろう?」

 

 突然話を振られて困惑しなかったわけではない。だが、飲み会の話と聞いて断る理由はヤンにはなかった。はい、と答え、大きくため息をついたのだった。フェザーンで楽はできそうにもない、そう確信したが故に。

 



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第八話 三人の語る人類大戦

 フェザーン某テレビ局が開催する、奇妙な討論番組に出ることになったヤン・ウェンリー。それは、南北朝、そして同盟から代表を出し、帝国と同盟の戦争、その今後について討論するものだった。しかし、それは特務支援課の情報作戦、その中の1ピースだったのである。


「今、なんて言いました?」

 ムライの言葉に、ヤンは思わずそう聞き返した。配属されてから一か月ばかり何の音沙汰もなく、久しぶりに呼び出されたと思いきや……

 

「もう一度言おうか。テレビ番組への出演オファーだよ」

 

 着任早々、手荒い?歓迎を受けたヤン・ウェンリーだったが、その後は特に何か危険な仕事が回ってくるわけでもなく、淡々と事務仕事をこなすだけの日々が続いた。課長補佐といえば聞こえはいいが、別にムライ課長が何か補佐を欲しているわけでもなく、他から回ってくる手伝い仕事をそのままヤンに回してくるだけなのである。というわけで、ムライやパトリチェフが一体何をしているのか、ヤンがそれを直接知ることはないのであった(もちろん外側から覗き見することはできるが)。

 

 主な仕事としては、増える一方の亡命希望者の事務処理の手伝いがある。亡命希望者の身元調査を行い、亡命させるに相応しくない人ではないかチェックする必要がある。もちろん、同盟側も帝国の手配情報はチェックしているし、フェザーンから情報を入手することもできる。ただ、それだけに頼っていると裏社会のボスとかを同盟に入れてしまうことになり、それはよろしくない(いや、もう入っていると言われてはいるが)。

 

 実際、帝国公用語の能力が高いヤン・ウェンリーは、この手の調査にはうってつけで、その手の調査資料が山ほど回ってくる。ヤンとしては、一人の趣味人として帝国人のパーソナルな情報を見るのは面白くはあるが、事務仕事を淡々とこなすのはなかなかきつくなっていた。エル・ファシル時代の管理職体質はそうそう簡単に抜けるものではない。

 

 そんな中、ムライから呼び出されて、ヤンの心が浮き立たなかったといえば嘘になる。代わり映えのない事務仕事から解放される、一瞬だけそう思って出てきてみたらこのざまである。

 

「リージス・フィルビン・トークショー……何でしたっけ」

 

「少佐殿、見たことないんですか?いくらなんでもそれはないでしょう」

 同席したパトリチェフが目をむいた。何でも、フェザーンでは知らぬ人のいない有名人で、トークショーやクイズ番組で大人気らしい。トークショーでは、3、4人のゲストを招待して、インタビューで視聴者を楽しませるものらしい。当然、生放送である。

 

「普通、この手のトークショーは業界の有名人や各界の重鎮を招くのがいつものパターンだが、年に一度のペースでこういう企画をやるんだ。南北朝、そして同盟から軍人を招いてトークバトルをやらせるんだ。テレビはこういうコントロールが難しい企画は難色を示すのだが、フィルビンの能力故だな」

 

「トークバトル?」

 ヤンはそれだけ聞き返した。

 

「そうなんですよ。そこでの定番ネタがですね、三人に人類大戦の今後を語らせる、っていうのがありましてね。去年は、そうだ南北朝で殴り合いになったんでしたっけ?」

 

「ああそうだなぁ。さすがにフィルビンも慌てていたな。いや、そういうふりをしているだけだったかも」

 

「あ、あの……殴り合いというのは……というか人類大戦って……」

 ヤンは一人置いてかれている。

 

 帝国からすると、自由惑星同盟は叛乱軍であり、同盟からすると銀河帝国はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの子孫とそれに与する貴族たちが支配する悪の政府である。だが、どうしても客観的な視点というのは必要なわけで、フェザーンでは「人類大戦」なる言葉が普及しているのだ。帝国と同盟との戦争なら別の名称もあり得たかもしれないが、途中から戦争は銀河帝国内の内戦へと移行している。それをひっくるめて呼ぶなら「人類大戦」は悪くないネーミングだ。

 

「で、何故自分がそれに出なければならないのですか」

 ヤンはムライのデスクに置いてある紙を見て言った。テレビ局が出したものと思われる出演案内には、『自由惑星同盟:ヤン・ウェンリー少佐』と書かれてある。

 

「まぁ、我々が同意したからな。なんなら正式な命令書を書いてもいいぞ」

 ムライは平然とうそぶいた。

 

「ちょ、ちょっと。自分に何も相談もなくそんなことを……」

 

「いやぁ、少佐殿。本当はですね、テレビ局の方からオファーがあったんですよ。少佐殿は有名人ですからねぇ」

 パトリチェフが応じた。

 

「は?」

 

「こないだの日曜日、エーフォイ書店で棚の一段、端から端まで全部の本買ったでしょう?あれが動画SNSにアップされてて、結構反応がいいんですよ。誰でしょうね、あれを撮ったのは」

 

「あ……」

 パトリチェフの言葉に、ヤンは天井を見つめた。ヤンがエル・ファシルから持ってくるはずだった本は、輸送中のトラブルで中継基地にコンテナごと置いてけぼりにされてしまっていた。待ちきれなくなったヤンは本屋に駆け込み、勉強がてら棚一段分本を買い込んだのだが、まさかそんなものをこっそり撮影されているとは思ってもみなかった。

 

「〆て代金600フェザーンマルクだそうだな」

 

「何故それを?」

 

「このフェザーンで秘密にしておけるものなどないのだよ。少佐、特に同盟の軍人は尚更だ。それを忘れないことだよ。まぁ、それはともかく、そんなエキセントリックな軍人から是非お話を聞きしたいとのことだ。いいぞ、リージス・フィルビン・トークショーなんて出たいと思って出られるもんじゃないからな」

 

「そうですよー。自分が代わりたいぐらいだ」

 

「では、パトリチェフ大尉。今すぐ代わってくれ」

 パトリチェフは肩をすくめて何も言わなかった。

 

「まぁ、冗談はさておくとして、だ」

 ムライは紙の一点を指し示した。

 

「今回の我々の業務(ビジネス)、そのターゲットがこれだ」

 ヤンはムライが指し示した所を見た。そこには『南朝:ヘルムート・フォン・シュターデン少将』と書かれてある。

 

「このシュターデンという男、少佐は知らないだろうが南朝の弁務官事務所で広報官をやっている。事実上の広報のトップだ」

 

「だからトークショーに出るんですか」

 

「まぁ、そういう側面もあるがそれはさておく。この男は裏の顔があってな、銀河帝国南朝への亡命、その仲介をやっているのだよ」

 

「帝国への亡命の仲介」

 またもヤンはおうむ返しに応じた。

 

 銀河帝国への亡命ーー

 言葉の意味は分かるが、随分と奇妙な言葉である。そもそも亡命といえば、自国を脱出して他国へ逃れることを指すが、フェザーンは(表向きとはいえ)帝国領土であり、同盟市民がフェザーンを訪れることについて、ほとんど制限はないと言っていい。オンラインで査証を申請し、それが認められれば誰でもフェザーンの地を踏むことができる。

 だが、本当の本当に銀河帝国に亡命したいとなれば、それは難しいことなのである。

 

 身分証明書、である。

 

 そこには名前、住所、性別、家族構成、職業、ありとあらゆる情報が記録されている。銀河帝国で生活するとなれば、身分証明書は必須である。さらに言うと、それさえあれば良いというわけではない。生活内容が身分証明書と乖離している、そう警察に疑われれば、スパイとして検挙されるのは必然なのだ。これを入手し、帝国国内へ旅立つことは、非常に難しいことなのである。シュターデンが提供するのは、この身分証明書と、帝国で生活するための「仮の姿」なのであった。

 

 ちなみに、南北朝の貴族もこの身分証明を持っている。ただ、本人はそれを意識していないかもしれない。VIPには顔認証サービスが提供されるからだ。そして、本人が希望すればそういう「証拠」を残さず国内を移動することも可能だ。

 

「帝国へ亡命したいとは、随分と物好きですね」

 ヤンは言った。本当にそう思っている。

 

「自由と民主主義が、誰にも受け入れられているというわけではないからな。それに、同盟市民には帝国からの亡命者も一杯いる。その子孫が郷愁にかられない、などという保証はないであろう?だが、ここで問題がある。シュターデンは、亡命希望者に対して、身分証明書の作成料金として大金を要求している。そして、その金を支払った亡命希望者3組が、帝国で行方不明になっている」

 

「ほほう」

 ヤンは口をすぼめた。

 

「官憲にしょっ引かれた、と考えるべきだろうな」

 

「でしょうね。普通に考えるなら」

 

「好機だと思わんかね」

 

「どういうことです」

 

「このシュターデンに『仕掛ける』。弱みを握って、同盟の『資産』とするのだ。準備はしてきた。今こそ実行の時なのだ」

 

「……」

 ヤンは黙りこくった。何かを言えば何でも藪蛇になってしまいそうな、そんな確信があった。

 

「どうした。仕掛けるのは君なのだぞ」

 ああやっぱり。

 

 

 

 課長室を沈黙が支配した。ムライ、ヤン、パトリチェフ三人が三人、声も出さなければ身じろぎもしない。沈黙を破ったのはヤンだった。

 

「本気で言っておられるのですか」

 

「冗談を披露するほど暇ではないと思っているが」

 

「本気なんですか」

 

「本気だ」

 

「自分は情報作戦資格など持っていませんよ」

 もちろん御存知とは思いますが、とヤンは続けようとしたが、やめた。ちなみに情報作戦資格というのは、同盟軍の情報機関に所属する人間が所持しているとされる資格だが、実際のところどんな資格なのか実態は明らかになっていない。情報部の人間というのは、なりたくてなるものではない。気が付いたらなっているものなのだ。

 

「もちろん」

 

「尋問に耐える気はありませんよ」

 

「そうだな。情報作戦資格を持ってない人間には期待すべきではない」

 

「秘密をべらべら喋りますよ」

 

「構わない。いやむしろ、本当のことを喋ってほしい。嘘をついたら君の身が危うくなるだろう」

 ムライの余裕綽綽な表情は崩れることがない。ヤンは大きくため息をついた。今ここで辞表を書いてしまおうか、とすら思った。

 

 ヤンは助けを求めるように、パトリチェフの方を見た。パトリチェフは大げさに視線をそらした。

 

「では、自分は何をするのですか」

 

「お、のってくれるか」

 ムライは嬉しそうに応じると、作戦の内容について説明を始めた。

 

 

 

 課長室を出たヤンは、大げさに肩を落としてとぼとぼと歩いた。

 

「少佐殿、あまり悪く思わんでくださいよ」

 追いついたパトリチェフはなだめるように言った。

 

「課長は少佐殿に期待しておられるのです。でなければ、『作戦』に部外者を巻き込んだりはしません」

 

「自分は部外者だとでも言うのかい。同じ特務支援課だろう?」

 

「少佐殿も『こちら側』になりたいのですか」

 

「いや、いい」

 パトリチェフにそう言われたので、ヤンはそう答えて身震いした。パトリチェフの問いに真剣さを感じ取ったからだった。スパイというものは、実態が見えないからこそ魅力的なのであり、実態はろくでもないものなのだろう。

 

「少佐殿の安全は、自分が保証します。作戦通りやっていただければ、危険なことは何もありません。大丈夫ですよ」

 パトリチェフの言葉に、ヤンはうなずいた。ヤンを気遣ってくれていることだけは分かる。だが、その言葉をどこまで信じることができるだろうか。いや、根拠があるから信じる、というのではなく、ただ信じることが必要、というものなのかもしれない。それは絶望的な戦場で抵抗を続ける兵達のように。

 

「それにしてもいいなぁ。本物のリージス・フィルビンに会えるなんて」

 パトリチェフが羨ましそうな声で言う。

 

「なぁ、何で私なんだ。今すぐ君に代わってもらってもいいんだけど」

 

「自分はフェザーンで面が割れてますからね。無理ですよ。フェザーンに来たばかりで、情報が不足している少佐殿は、工作にうってつけです。課長は、少佐殿が配属された直後から準備していたんですよ、あ、これは言わんでおいてくださいよ」

 

「なぁ、大尉」

 ヤンはパトリチェフの方に振り向いた。

 

「まさか、SNSに動画をあげたのはーー」

 

「さぁ。それは自分ではないですな。世の中は、そこまできっちりとは出来ていません。わかるでしょう?」

 パトリチェフの言葉に、ヤンはまたもがっくりと肩を落とした。

 

 

 

 一週間後、フェザーン大手テレビ局ーー

 

 ヤンの控室と指定された部屋は、ホテルのシングルルームのような部屋だった。さすがにベッドは置いていなかったが、ベッドの代わりになりそうな大きなソファーはある。テーブルには、新聞が数紙とミネラルウォーターの瓶がいくつか。後は化粧台と全身用の姿見、ハンガーラック。そんなところである。

 

 しばらくしたら撮影用のメーキャップをやりますんで、そうADは言い残して出ていった。収録までは二時間弱もある。控室が用意されている、ということは、非常識に早いというわけではないのだろう。ただ、ヤンの側にも事情があった。

 

 テーブルの上にある新聞をいくつか読んでいるうちに、扉がノックされた。扉を開けると、そこには灰色ストライプのスーツ姿の男性が立っていた。年齢は50代半ばというところだろう。髪の毛も半分ほど白くなっている。

 

「これは失礼、もうお越しになられている、そうお聞きしましたので」

 扉の外の男は、にこやかに笑ってそう言った。

 

「あの……お名前は」

 

「おおそれは失礼」

 男は大げさに驚くと、紹介用データグラムを送信してきた。銀河帝国南朝弁務官事務所、広報官ヘルムート・フォン・シュターデン、とあった。

 

「ああこれは」

 そうヤンは応じた。自分のデータグラムも送信する。シュターデンはうんうんと頷くと、入ってもよいかと聞いてきた。ヤンとしては断る理由もないので、シュターデンを招き入れた。

 

「今回のトークショー、お手柔らかに頼みますぞ」

 シュターデンがそう言ってきたので、ええ、何も知らないのでこちらこそご指導の程よろしくお願いします、とヤンは言い返してしまった。

 

「まぁ、フィルビンさんは経験豊富ですからな。彼の言うことに従っていれば大丈夫ですよ。私から『指導』できることなどないのですが……まぁ、敢えて言えば『熱くなるな』ということでしょうかね。基本、軍人というものは短気なものですが、ここはテレビでトークショーです。殴り合いをする所ではない」

 

「そうですね」

 

「今回は所属の違いも、階級の上下も関係ありません。虚心坦懐に思いをぶつけ合う、そういう場にしようではありませんか」

 

「よろしくお願いします」

 ヤンはぺこりと頭を下げた。随分と口の回る人だ、内心でそう思う。まぁ、広報というものはそういうものである。エル・ファシル時代、憲兵隊の広報官はトークの能力が高い人間が選抜されていた。このシュターデンは、それよりも話がうまいかもしれない。

 

「ところで、ヤンさんはフェザーンに来てからどれくらい経ちますかな。最近来たとはお聞きしておりましたが」

 シュターデンが話を振って来た。

 

「一か月ほどです」

 

「そうですか。フェザーンの秋は素晴らしい。私も帝国で長いこと過ごしてきましたが、惑星フェザーンの秋は格別です。特に美食家にとっては。鱈のパルマンティエ(著者注:鱈が入ったじゃがいものグラタンのようなもの)は絶品ですぞ。ときに、同盟でこれはと思う美味はございますかな」

 

「そうですね……ウナギはどうでしょうか」

 それを聞いた途端、ほんの一瞬、シュターデンのにこやかな笑顔が消えたのをヤンは見逃さなかった。

 

「ほぅ。ウナギとは珍しいですな、どんなウナギが美味なのでしょうか」

 

「メスのウナギですね。産卵期のものは格別です」

 今度こそシュターデンの顔から笑顔がなくなった。

 

 

 

 シュターデンがヤンのポケットに何かをすべりこませた。取り出してみると、小型のヘッドセットである。促されるままにヤンは右耳にヘッドセットを着けた。シュターデンは、部屋にあるオーディオセットとスマートデバイスを『接続』すると、オーディオからはクラシック・デスメタルのナンバーが大音量で流れ始めた。だが、ヘッドセットからの音声は普通に聞こえる。そういう風に制御しているのだった。これなら盗聴機があっても会話を聞かれることはない。

 

「ご依頼はお伺いしております。改めてご確認しますが、考え直す気はございませんな?一度亡命すると、戻ることは叶いません。こういう商売をしていると、最後の最後で突然心変わりするお客様もいらっしゃるのですよ」

 シュターデンの声は、先程とは打って変わって低く、淡々としていた。

 

「ありません」

 ヤンは答えた。

 

「南朝への亡命をご希望とのことですが、間違いありませんかな」

 

「ありません」

 

「代金は前払いでお願いしております。残念ではございますが、分割、後払い、いずれもお受けできません」

 

「分かっています」

 

 シュターデンはポケットから紙を出すと、テーブルに広げて見せた。いくつかのバーコードが印刷されている。ヤンはスマートデバイスでそれを読み取ると、デバイスに何かのプログラムがインストールされた。見たことのない銀行のオンラインバンキングプログラムだった。既に、振込先は指定されており、振込元の口座名と金額さえ入れれば入金が行われる仕組みだ。

 

「御代金はそちらに」

 

「……随分と高くありませんか。総額で50万ディナールとは」

 

「おやおや」

 シュターデンは眉をひそめた。

 

「北朝ではどうか分かりませんが、南朝ではしっかりとした身分がないと、生きるのは窮屈だと思いますぞ。それに、この終わりなき内戦、身分がしっかりしていないと、徴兵されないとも限りません。お金をケチるのは命をケチるのと同じこと、そう考えてもらわないとなりません」

 

「……」

 ヤンはしばらく動かなかったが、しばらくして端末を操作した。振込が行われる。

 

「結構」

 口座を確認したらしいシュターデンは大きくうなずいた。

 

「それにしても、一介の少佐にしては随分と羽振りが良い。これほどの大金、そうそう用意はできないでしょう。憲兵とのことですが、装備品の横流しでも?それとも薬物?」

 

「貴方にそれを言う必要はない」

 

「ですな。頂くものさえ頂ければ、こちらは用意するものを用意します。これはビジネスです。ときにご家族はどちらに?準備ができればすぐ来ていただかなければなりません」

 

「すぐ近くにいます」

 ヤンはテレビ局から歩いて数分のところにあるホテルの名前と部屋番号を答えた。

 

「分かりました。皆様の身分証、明日までにはご用意できるでしょう。そうすれば、第二の人生が皆様をお待ちしております。それまで、くれぐれもご用心を」

 シュターデンはそう言うと、オーディオセットの電源を切った。

 

「今日のトークショーですが、『お手柔らかに』。短気は損気。けして空気を煽らないように。よろしいですな」

 

「了解致しました」

 

 それを聞いて、シュターデンは控室を出ていった。ヤンの知らないうちに下準備は整っており、その成果がこの「会談」である。ヤンのプロフィールは変わらないが、エル・ファシル時代に「副業」に手を染めて、それが問題化するまえに帝国に亡命する、というストーリーがシュターデン側に伝達されているはずであった。ウナギというのは符丁であり、メスで産卵期ということは、妻と子供と一緒に亡命するということであった。「家族」はヤンの言う通り、テレビ局の近くのホテルで待機しているはずだ。ヤンの会ったことのない「家族」が。

 

 

 

 会場は薄暗かった。中央に4つの鋼鉄製の椅子があり、それを取り巻くように観覧席が設定されている。観覧席は人ですずなりになっているが、上から見ると雰囲気の違う3つのゾーンで構成されているように見える。フェザーンに住まう北朝、南朝、同盟の関係者が固まって座っているからだった。

 

 上にあるライトが光り、1つの椅子を照らし出した。そこには既に白髪の老人が座っていた。ただ、醸しだす雰囲気は老人というにはエネルギッシュ過ぎることはすぐ分かる。長年メディア業界に居る人間だけが持つスキルであった。

 

「視聴者の皆さんこんばんは。リージス・フィルビン・トークショーにようこそ。今回はいつもとは少し趣向を変えまして、人類を三分する政治勢力それぞれからお客様をお迎えしております。悲しむべきことに戦争は続いておりますが、本日、この場だけでもそれを忘れ、お互いを知る機会とすべきではないでしょうか。それではご紹介しましょう。最初のお客様は、自由惑星同盟大使館勤務、ヤン・ウェンリー少佐です!」

 

 拍手が起こる。ADに促され、正面右側の入口よりヤンは入った。テレビ局に用意されたダークグリーンのシングルスーツ姿である。司会席に居るフィルビンに近づくと、握手を求められたので握手を交わした。外見からは信じられないほどの握力だった。ライトに照らされた空の椅子に座る。

 

「二人目のお客様は、南朝の弁務官事務所にて広報を担当されておられます、ヘルムート・フォン・シュターデン少将!どうぞこちらへ!!」

 

 シュターデンが中央奥の入口から会場に入ってきた。フィルビンとハグし、握手を交わすと同じように席につく。

 

「三人目のお客様は、北朝の弁務官事務所警備主任を務めております。現代に蘇ったアキレスとでも言うべきお方、ウォルフガング・ミッターマイヤー少佐!ようこそ!!」

 

 ミッターマイヤーと呼ばれた男が正面左側の入口より入ってきた。身長は平均よりやや低いぐらいか。だが、蜂蜜色の短髪にグレーの瞳、がっしりとした肉付きはいかにも頭より体を使う武人のイメージそのものだ。ネイビーブルーのスリーピーススーツに身を包み、左胸のポケットの上には銀河帝国軍章のピンバッジを着けている。ミッターマイヤーは会場に入るなり、お辞儀の敬礼を行い、フィルビンと握手して席に座った。カメラを向けられても笑いもしない(椅子と一体化した小型のディスプレイがあり、そこにカメラの画像が映っているのだった)。

 

 トークショーが始まった。ちなみに、ショーは全て帝国公用語で行われるが、古代演劇でもなければ、ヤンは帝国公用語を自由に操ることができる。

 

 

 

 さすが熟練のホストだけあり、フィルビンの話は上手かった。いや、上手いどころではない。話の引き出し方、コントロール、全てにおいて丁度良い。人気があると言われるのも分かる。別にヤンは寝不足ではなかったが、この人となら24時間話しても眠くなることはあるまい、と思うほどだった。ショーは、三人の略歴からはじまり、仕事の内容、苦労したことや良かったこととかそういうことに続いていった。ヤンは同盟市民相手の事務仕事、という態で話に臨んだ。さすがに大使館付き軍人で本当のことをべらべらしゃべるわけにはいかない。他の二人もそうなのであろう。

 

「では、ここで話を移しまして、皆様のプライベートをほんの少しお伺いしたいと思います。ミッターマイヤーさん、お聞きしたところによりますと、園芸を趣味にしていらっしゃるそうで」

 

「そうです」

 

「特に、鉢植えの植栽についてお詳しいと聞いております」

 

「そうです。これは『盆栽』と呼ばれるものですが、陶器の平たい器を大地に見立て、そこに小さな木を植えて加工します。この木は、広大な森林の中の一本の木である、というイメージで加工するのです。品質の高いものは、それを見るだけで森林の中の大木をイメージすることができると聞いております。自分のはまだまだですが」

 

「そんなに謙遜することはないと思いますよ。お話によりますと、昨年、アマチュアの品評会で入選したそうですね。実は、今回、ご自身の作品を持ってきてもらっています。どうぞこちらへ!」

 

 係員が大きな台車に、一メートル四方はあろうかと思われる松の盆栽を運んで持ってきた。ヤンは盆栽の心得はないものの、太い幹が曲がりくねって伸びて、曲がったところから枝が伸びている。枝ぶりが見事であることは素人でも分かるものだ。おお、という声が観客席からあがり、拍手も起きる。

 

「これはすごいですね。堂々としている」

 

「松の木です。幹が曲がっているのは『模様木』という形式で、実際の木より堂々としているように見えるのです。枝がバランスよく伸びるためには、こまめに加工や剪定することが必要なのです」

 ミッターマイヤーが解説した。ヤンには話の内容があまり理解できなかったが、盆栽というのは手間のかかる趣味であることは分かった。

 

「ミッターマイヤーさん、ありがとうございます。では、次はシュターデンさんの趣味をお伺いするといたしましょう。シュターデンさんは手先が器用なので、彫刻を趣味としていらっしゃると聞いておりますが」

 

「いえいえ。ミッターマイヤー殿の作品を前にすれば、自分の作品など恥じ入るばかりです。拙いことこの上ない。ただ、芸術の都フェザーンにおりますと、どうしても己の創作心がかきたてられるものでございますな。下手の横好きとは申しますが、自分も挑戦してみた次第でございます」

 シュターデンは型どおり謙遜してみせる。

 

「いやはや。そんなことはありませんよ。皆様もこの作品を見れば、シュターデンさんの素晴らしい腕が分かるというものです。どうぞ!」

 

 今度は係員が50センチ四方程度の箱?に、布をかぶせたものを台車に載せて運んできた。フィルビンが布をめくると、立方体の白い物体に、帝国紋章を彫りこんだ彫刻があらわれた。その精緻さは、ヤンですらおお、と感嘆の声をあげたものである。会場からは大きな拍手と歓声が沸き起こる。

 

「凄い……この材質は何でしょうか」

 

「これは石鹸です。石鹸の彫刻はソープカービングと申しますが、材質の硬さが硬すぎもせず、軟らかすぎもせずと非常に絶妙。初心者の方でもすぐにこのような彫刻ができるのです。これはほんの手始めにすぎません」

 

「これで、体を洗えるのですか」

 フィルビンのボケに会場は爆笑。

 

「ええ、なんなら、一部切り取ってご進呈申し上げますよ」

 

「いや、結構。是非、シュターデンさんのご自宅でお使いください(会場笑)。どうもありがとうございました!さて、最後にヤンさんですが、最近ハマっておられるものはドラマの視聴であるとか」

 フィルビンがヤンの方に向き直る。ヤンに当てられたスポットライトはややまぶしすぎたが、ヤンは事前の打合せ通りに話し始めた。

 

「同盟にとって、フェザーンは国外の地です。自分は国外に出たのは初めてですが、楽しみにしていたことがありました。前の任地、エル・ファシルに居た頃から、帝国で放映されている人気ドラマを視聴することが楽しみだったのですが、同盟では最新作をリアルタイムで見ることは叶いません。それができるのが嬉しくてですね……例えば哨戒艇(das boot)(著者注:帝国辺境で宇宙海賊相手に大立ち回りを演ずる哨戒艇のドラマ)とか、悪魔(Monster)(著者注:ある医師が、かつての患者で、現在は帝国を揺るがすシリアルキラーとなった男を追うという内容のドラマ)とかですね。あれは、同盟でも根強い支持を得ているんです」

 

「おお、それはそれは。当テレビ局で、『哨戒艇』のシーズン15を一挙放映していたことは御存知ですか?確か二週間ほど前でしたが」

 

「そうなんですよ。どこか途中で見るのを止めようと思っていたんですが、結局最後まで見てしまいました。20時間ほどテレビにかじりついてしまいましたよ」

 ヤンが頭をかきながらそう言うので、会場がまたも爆笑に包まれた。ミッターマイヤーやシュターデンの趣味に比べれば見劣りすることこの上ないが、ヤンは気にすることはない。むしろいいオチになったと思っているくらいだ。

 

 

 

 休憩をはさんでトークショーは続いた。旅行の話、家族の話(これについてはヤンは話すことが何もなかった)いろいろな話があった後、フィルビンは切り出した。 

 

「さて、ここで皆さんに聞いてみたいことがあります。北軍、南軍、同盟軍のお三方が集まったとなれば誰もが聞いてみたい質問です。会場の皆さん、どうですか!」

 会場に歓声があがった。

 

「そうです。現在、銀河帝国北朝、南朝、自由惑星同盟は交戦状態にあります。一体、この人類大戦がどのような結末を迎えるか、それを語っていただきたいと思います!まずは北軍、ミッターマイヤーさんよりどうぞ!」

 

 ミッターマイヤーが話し出した。北軍は現在攻勢に出ており、南軍を順調に「押して」いる状態であると。政府と企業の協調が進み、経済の発展と軍の強化が同時に行われている。いずれ、南軍に対して圧倒的な優位を獲得するであろうと。まとめれば、こんな話である。

 よくよく聞いてみれば、北朝政府の公式発表と変わるところはあまりない。が、軍の機密をべらべらしゃべるわけにはいかないし、語れることはこの程度である。南北間の戦線も「やや停滞」レベルの昨今、微妙な話題で相手を刺激することもないのである。

 

「なるほど、これについて……おっとシュターデンさん」

 シュターデンが手をあげていたので、フィルビンが振った。

 

「ミッターマイヤーさんの話は、まぁ、新味のないものです。政府の発表を焼き直しているに過ぎません。北軍がキフォイザー星系近辺で攻勢に出ていることは確かです。ですが、我が軍は戦力を保持しつつ後退をしております。そして、地歩を譲る代償に敵の戦力を着実に『削り取って』いるのであります」

 

「それに、政府と企業の協調とおっしゃいましたが、現在、北朝を支配しているのは政府でも皇帝でもなく、膨れ上がった財閥に他なりません!ラインフォルト、ローゼンタール、バイヤースドルフ、ビッテンフェルトの四大財閥をはじめ、軍需企業が幅を利かせ、政府に代わって臣民を支配しているのです。既に帝国の体を為していないのです!!」

 

 シュターデンが語っていることはおおむね事実だった。門閥貴族のほとんどが南朝についた結果、帝国の政府を構成しているのは残ったごくわずかの大貴族、領地を持たない中小貴族、平民の官僚、そして、戦争で急激に規模を拡大した軍需企業であった。シュターデンが述べた四大財閥は、戦闘ハードウェアから民間機器まで幅広く手がける大コングロマリットであった。そのリーダーの実力は、南朝の門閥貴族すら凌ぐと言われている。

 

 ただ、これも南朝側の公式発表や宣伝と変わるところはほとんどない。せいぜい煽りがミッターマイヤーよりきついぐらいである。まぁ、新事実がここでぼろぼろ出るようでは、国家としてはそちらの方が心配というものだろう。

 

「シュターデンさん、ありがとうございました。では、最後にヤンさん、いかがですか。今後、同盟はどういう風に戦争に立ち向かうのでありましょうか。内戦が終わり、来たるべき帝国対同盟の一大決戦でしょうか」

 

「私は、戦わないと思います」

 ヤンの言葉に、ほんの一瞬、会場が静まり返った。

 

「戦わない……?これはユニークなご意見ですね」

 フィルビンも一瞬ぽかんとしていたが、それでもすぐに立ち直ってヤンに続きを催促した。

 

「この戦い、帝国と同盟の衝突はありません。まず、帝国の北朝と南朝の戦いにケリがつきます。これは自明のことです。どちらが勝つにせよ、勝った方は負けた方と一つにならなければなりません。勝ったとはいえ、負けた方の人間を全て殺すわけにはいかないからです。それは勝者と敗者の共存に他なりません。勝者と敗者が共存できるなら、帝国と同盟の共存も可能なはずです。さらに言うと、内戦で戦った相手より、同盟は確実に強力であると断言できます。これが、戦いが起こらないと私が申し上げた根拠です」

 ヤンの言葉が終わると、会場がざわついた。

 

「ヤン殿は勘違いされておられる」

 フィルビンより促される前に、シュターデンが話し出した。

 

「我々が戦っているのは、悪辣な財閥共に牛耳られている哀れな民草のためだ。虐げられる臣民を救い、搾取する者共を一掃するために戦っている。共和主義者共との戦いとは全く違うものだ」

 

「そうでしょうか。北朝、南朝共に、フェザーン自治領の力を借りているではないですか。物資の購入だけでなく、借款まで行っている。ディナール建ての借款が行われていることなど、フェザーンに住んでいれば自明のことです」

 

「世の中には、負けられない戦いというものがある。どのように繕おうと、偉大な敗北など存在しないのだ」

 

「そこなのです」

 シュターデンの切り返しに、ヤンはここぞとばかりに突っ込んだ。

 

共和(republic)という言葉は、人類が歴史を紡ぎだした時からありました。元々はres publica(レス・プブリカ)と呼んでいたそうです。その意味は、『公なるもの』という意味であります。反対は『私なるもの』。銀河帝国と同じ、帝政がそれに当たります」

 

「公なるもの、つまり皆のものについて話し合い、進むべき方向を決める。そのためには、皆が話し合わなくてはなりません。それ故に、民主主義が生まれたわけです。そして、民主主義に必要なものは、敗北を受け入れる寛容さであります。話し合いの結果、誰もが得をするばかりではありません。誰かが得をして、誰かが損をする、そういうことはあり得る。ですが、それを受け入れるのが民主主義であります。今、シュターデンさんは偉大な敗北など存在しないとおっしゃった。しかし、そのために、内戦は終息の兆しが見えず、30年の長きにわたってもなお終わらない泥仕合になっているのではないですか」

 

「話にならないな」

 割り込んだのはミッターマイヤーだった。

 

「同盟が内戦の終結を望まないからこそ、内戦は続くのだ。帝国が二つに分かたれ、互いに血を流し合い、共倒れすることを同盟は望んでいる。ディナール建ての借款はそのために行われているのだ。借款だけではない。船、物資のようなハードウェアまで供給し、帝国臣民が殺し合うことを、同盟は望んでいる!」

 戦闘ハードウェアも供給していることには、ミッターマイヤーは触れなかった。これはテレビショーであって罵り合いではないからだった。

 

「それは言い訳に過ぎません。帝国の内戦を終結させるために、南北朝で停戦会談が何度も行われてきました。それが決裂したのは、敗北など存在しないからではないですか」

 こう言われると、ミッターマイヤーもシュターデンも黙るしかない。とどのつまり、内戦が「終わらない」のは、南北朝双方が勝利条件を吊り上げたため、妥協の余地がないことが大きい。敗北と身の破滅が同義語では、破滅するまで戦う他はない。

 

「帝政が主人と家臣を作る体制であるならば、民主主義は友人を作る体制であるとよく言われます。(friend)という言葉は、元々『愛情』を意味するfreondという言葉から来たそうです。愛情は、対等な関係同士に成り立つものです。主人と家臣の間にあるものは愛情ではありません」

 

「馬鹿な。愛情で成り立つ体制などあったためしがない」

 

「友、それはいろいろな場所に存在します」

 ヤンはミッターマイヤーの言葉を無視した。

 

「学校には学友がいます。戦場には戦友(カメラーデン)がいます。悪所には悪友がいるかもしれません。盟約を結んでいれば盟友です。長らく離れていても、再会すればそれは旧友であります」

 

「そして『昨日の敵は今日の友』『今日の友は将来の敵』とも申します。友というのは常に味方であるとは限らないのです。強敵こそ最高の友である、という言葉もあります。ここから分かることは、民主主義は、敵と味方が共存する体制である、ということです。同盟は帝国を受け入れることだって可能だと思います。帝国が、違う体制を受け入れる用意があれば、ですが」

 再び静まり返った会場に、ブーイングが起きた。ブーイングは次第に大きくなる。フィルビンがどうぞご静粛に、と止めにかかる。

 

「ヤンさん」

 今度口を開いたのはシュターデンである。

 

「ヤンさんのおっしゃることは、統治に関する初歩的な二項対立に過ぎません。曰く、力をもって統べるか、和をもって統べるか、です。これは二項対立とは言いますが、力をもって統べる体制に対し、和をもって統べる体制はあまりに脆弱に過ぎる。これが歴史の示す結論です。和をもって統べる、言葉は美しいかもしれませんが、結局は勢力争いにより荒廃するというのが現実ではないでしょうか」

 

「そうです。ですが、力をもって統べる体制を打倒するのは、和をもって統べる体制でありました。何故なら、力は、いずれ敵となる体制を受け入れることはできません。ですが、和は違います。いずれ敵となることが分かっていても、受け入れることができるのです」

 ヤンの言葉に会場が再びざわつく。

 

「ヤン少佐が言っているのは『野合』に過ぎない」

 ミッターマイヤーが断じた。

 

「短期的な利益のために野合を繰り返す、そこには将来というものが存在しない。合従連衡は世の倣い、そう言いたいのだろうが、実際は目先の勝利のために本質を捨てているだけではないか」

 

「本質とはそこまで大事でしょうか。本質にこだわるあまり、力に頼ることしかできないのだとしたら、それは本質が間違っているというものでしょう」

 

「ヤン殿、それは帝国を愚弄していると受け取ってよろしいのか」

 ミッターマイヤーが吠えるように言った。シュターデンも顔から笑みが消え、厳しい表情になっている。

 

「そうは言っていません。南北朝、共に帝国を再統一すると言っています。なれば、それは片方がもう片方を受け入れることを指している。ならばそれは既に、和でもって統べる体制だということです。共和という言葉のキーワードに『共』(together)『和』(unite)があります。二つの帝国が共に和すのであれば、既にそれは帝国ではないのです。共和なのです。ありがとうございました」

 

 

 

 三人の論戦に会場の雰囲気は険悪となったが、CMが入ったこともあって何とか雰囲気は元に戻った。最後は三人とフィルビンが握手を交わして、トークショーは終了となった。

 

 ヤンは控室に戻って、置いてあった荷物をまとめた。控室を出て帰ろうと思っていたら、シュターデンが近づいてきた。

 

「おお、ヤンさんですな」

 

「これはシュターデンさん」

 

「今回の論戦は熱いものがありましたな。熱くなるな、と自分から言っておいて申し訳ない」

 

「いえいえ。自由に何でも喋ってよいと言われましたので、少々言い過ぎたかもしれません。まだまだですね。ところで何の御用でしょうか」

 

「いえ。廊下でネクタイピンを見つけたもので。お届けしたいと思いました。形からしてヤンさんのものでしょう?」

 

 ヤンは眉間に皺を寄せた。ネクタイピン?そんなものを着けてきただろうか?

 

 突如、腹に何か硬いものが押し当てられた。

 

「ヤン・ウェンリー。腹に穴を開けて欲しくないなら、私についてきてもらおうか」

 

 

 

 ヤンを押し込めたシュターデンの地上車は、テレビ局から三十分ほど走り、どこにでもありそうな雑居ビルに到着した。窓のない一室に入ると、ヤンを椅子に座らせ縛り上げた。両手を手錠で拘束するのも忘れない。照明は、中央に蛍光灯が一つあるきりだ。

 

「シュターデン、これは一体何の真似だ」

 

「貴様、何者だ」

 シュターデンがわめいた。

 

「私はヤン・ウェンリーだ」

 

「よくもべらべらと長広舌をふるいおって。弁務官事務所から命令が来た。危険思想の疑いがあるため貴様を調査しろ、とのことだ」

 

「だったら何です」

 

「わからんのか。貴様の亡命はなくなったということだ。貴様は帝国にマークされているのだから」

 

「ああ。なるほど。目標がいきなり姿を消すわけにはいかないですからねぇ。ということは50万ディナールは返してもらえるということですか。あれは工作のために大使館の金庫から借りたものなので。返さなきゃいけないんですよ」

 

「今、なんて言った?」

 シュターデンは呟くと、ヤンにブラスターを突き付けた。

 

「もう一度聞く。貴様は何者だ。私の言っていることが分かるな」

 要は正体を明かせ、ということである。

 

「ヤン・ウェンリー。少佐。自由惑星同盟大使館、特務支援課課長補佐。30歳。遺憾ながら」

 ヤンはよどみなく答えた。

 

「特務支援課」

 シュターデンの顔色が変わった。ヤンが自分に対する工作を行っていたことを認識したのである。

 

「なるほどそういうことか。情報部の狗め。目的は何だ」

 

「シュターデンさん、貴方が亡命の手引きをしていることは既に分かっている。控室で話をした時、私の耳たぶと首に録音機シールを貼り付けておいたのだ。貴方が盗聴対策をしていたことは分かっていたが、そんなものは通用しないことが分かるはずだ」

 

「何だと」

 

「控室での会話は、録音して当局に渡している。貴方は終わりだ、シュターデン。観念してもらおう」

 

「馬鹿な」

 シュターデンはブラスターを下ろすとしばし思考した。しばらくして何かを思いついたらしく、コミュニケータを取り出すと、どこかに通信を始めた。

 

「ウルリッヒ。私だ。『ククク』を実行せよ。そうだ。本気だ」

 シュターデンは通信を切ると、勝ち誇った顔でヤンに告げた。

 

「予定変更だ。いや、予定通りにやる。ヤン、貴様は明日亡命だ」

 

「何故です。契約は破棄になったのでは」

 

「もっと言おうか。貴様は亡命するが、貴様の家族とやらには死んでもらう。どうせ本物の家族ではないだろうがな」

 

「本当の家族でないと、よく分かったな」

 ヤンは言った。となるとシュターデンの考えは……

 

「そうだ。貴様は同盟の裏切者になるのだ」

 

 

 

 部屋にはヤンとシュターデン以外にいないから、ひどく静かである。先程からヤンもシュターデンも身じろぎ一つしていない。

 

「裏切者とはどういうことですか」

 

「亡命したら裏切者になるだろう」

 

「拉致された可能性もありますよ」

 

「そう、だからダメ押しをやる」

 シュターデンは舌なめずりをした。

 

「家族には殺し屋を差し向けている。そして、殺害現場に貴様の生体情報を残しておく。そうすれば、結論はおのずと、貴様が工作の協力者を殺して帝国に転向した、ということになる。そうなれば、貴様が何を言っても、それを信じる人間はいない」

 

「50万ディナールはどうなる。金の流れはいずれバレるぞ」

 

「はっ、今更金の心配かヤン・ウェンリー。事さえ片付ければ、後はどうとでもなることが分からんのか」

 

 シュターデンは、部屋の端にあった折り畳み椅子を広げると、自分も座った。しばらくの後、コミュニケータが着信を告げる。

 

「私だ……おい、貴様は誰だ!答えろ!!おい!」

 通話中のシュターデンがうろたえた。次の瞬間、

 

「やぁやぁどうも特務支援課です」

 部屋のドアが開き、ブラスターを構えたムライとパトリチェフが入ってきた。

 

 

 

「お見事、お見事ですシュターデン少将。よくぞ我々の思った通りに動いてくれました。まぁ、他の選択肢はなかったでしたでしょうけどね」

 ムライの皮肉と同時に、パトリチェフがシュターデンに躍りかかり、ブラスターを無理矢理奪い取った。ヤンの拘束もさっさと解いてしまう。

 

「お、おい、これは……」

 

「貴方がヤン少佐の家族を殺そうとしたこと、それは想定の範囲内だったということですよ。少将閣下。だから待ち構えたということです。今頃マフィアの連中は隠れ家に逃げ帰っているところでしょう。あ、ただで逃がすのも癪なので、一つ吹き込んでおきました。少将殿はそろそろ本国に帰任するので、邪魔者を処分させようとしたのだ、と」

 パトリチェフの言葉に、シュターデンは真っ青になった。

 

「そうです。我々としてはこれにて一件落着、ヤン少佐の録音データを帝国に流して、後は帝国に任せましょう」

 

「そうだな。で、大尉。君はたまっている仕事が沢山あるはずだが」

 

「おお、そうだそうだ。すいませんね。我々も多忙なもんで、帝国にデータを流すのはもうちょっと後になりそうですな。例えば一か月後とか」

 パトリチェフの言葉にシュターデンの膝が震えだした。汚れ仕事に使ったマフィアは、シュターデンに一杯食わされたと思い込んでいる。となると、そのうち怒り狂ったマフィアがシュターデンを追い回すことになる。

 

「た、頼む。助けてくれ。何でもする」

 

「何でもする?今、何でもするといったな、大尉」

 

「ええ、聞きましたよ。何でもするんですか、少将殿」

 パトリチェフの言葉にシュターデンはがくがくとうなずいた。

 

「では、我々のために働いていただく。今まで閣下は大金と引き換えに亡命希望者を南朝に流していたようだが、今後は誰が南朝へ、どんな身分で行くかは我々が決める。もちろん無料(ただ)でだ」

 

「なっ……」

 

「何だね」

 ムライの声はいつもと全く違う、低くて冷たいものだった。

 

「待ってくれ。準備には金がかかる。経費もそうだし、袖の下も必要だ。あんたならわかるだろう」

 シュターデンはムライに懇願した。

 

「そうか。ただではやってくれないそうだ。どうする、少佐」

 

「ならば仕方ありませんね。今回の件は、これで全て終わりにしましょう。我々の任務も終わりましたからね」

 ヤンの突き放した言葉に、シュターデンはへたりこんだ。ムライが話し出した。

 

「手始めに、ヤン少佐が振り込んだ50万ディナールをこの口座に振り込み願います。三日以内で。もし、振込が無かったら、後は分かりますな。閣下が使ったシンダコ・マフィアはうちにも知り合いがいるから抑えておけるが、下手に動いたら、フェザーン湾のサメの餌になりますぞ。あと、こちらから連絡はしますが、こちらに連絡はしないように」

 ムライはシュターデンのスーツに紙を差し込んだ。直後、パトリチェフが首に何かを当てると、シュターデンは倒れて動かなくなった。

 

「少佐、心配せんでください。軽い麻酔ですよ。三十分もすれば起きますからね」

 パトリチェフはヤンにそう言うと、がははと豪快に笑った。

 

 

 

 帰りの地上車ではムライがハンドルを握り、後部座席にヤンとパトリチェフが座った。別に急ぎの用事でもないのに自動運転ではなくハンドルで操作しているということは、運転がムライの趣味と考えてよかった。

 

「少佐、ご協力感謝だ。よくやってくれた」

 

「いやぁこんなに上手くいくとは思いませんでした。少佐殿の『演説』も見事なものでしたよ」

 そう言って、パトリチェフはヤンの肩をばんばんと叩いた。

 

「課長、お聞きしたいのですが、何故こんな手の込んだことをしてシュターデンを嵌めたのですか」

 

「シュターデンは亡命希望者から巻き上げた金を各所に配っていた。だから、単純に告発しても彼を追い詰めることは難しい。そこで、我々は彼の弱点に目を付けた。このような裏の仕事には荒事担当が不可欠だが、一体誰を使っているのか、それが掴めなかった。そこにヤン少佐という『素人』が現れたらどうだ?そう考えた。素人が相手なら、それを逆手に取って同盟側の工作要員にダメージを与えることもできる。そう向こうが考えると思ってね。向こうが『ナイフ』を抜くのを待っていたんだよ」

 

「なるほど」

 ヤンはムライの手腕に感嘆した。工作員の素人であるヤンならどう行動するか、ヤン本人だけでなく、関係者の動きまで読み切った作戦。見事なものだ。

 

「もう一つ質問。ホテルに残してきた『家族』ですけど、心配じゃなかったんですか。危険に晒される可能性があったと思いますが」

 

 それを聞いたムライとパトリチェフは、しばし考えると大声で笑い出した。

 

「???」

 

「いや、少佐。君が『家族思い』なのはよく分かった。だが、『いばら姫』のことなら心配無用だ。殺そうと思って殺せる相手じゃない」

 

「そうですよ、少佐殿。自分だってあの『いばら姫』と一対一でやり合うってなら、すっとんで逃げます。シンダコのチンピラ共なんて歯牙にもかけないでしょうよ」

 ヤンは二人の言っていることがいまいち理解できなかったが、協力者の生命は心配しなくともよい、ということだけは理解できた。三人の乗った地上車は、フェザーンの繁華街の中に消えていった。

 

 

 

 それから三日後、フェザーン中心街、ギルガメッシュ・タバーンーー

 

 すでに夜は八時を回り、ウォルフガング・ミッターマイヤーは足早に店の中に入った。係員に名前を言うと、お連れ様は既に席で待っておられます、そう店員は言った。一言礼を言うと、ミッターマイヤーは席に向かった。

 

「遅いじゃないか、ミッターマイヤー」

 

「悪い。仕事がたまってどうしようもなかった」

 

 先客はミッターマイヤーと違ってすらっとした長身の美男(イケメン)である。長い頭髪を肩まで垂らしている。チェックのスーツにタートルネックシャツというのは、当人にとっては相当ラフな格好ではあるが、傍目から見ると本気の服装に見えてしまう。

 

 二人は乾杯を交わし、何杯かグラスを空にした。しばらくしてーー

 

「そうだ忘れてた。例のアレ、俺はどうだった?格好よく映っていたか?」

 

「自分はどう思うんだ、ミッターマイヤー?」

 

「おい、まさか、見てないのか?リージス・フィルビン・トークショー。前から何度も言っていたはずだが」

 

「見たさ。俺はお前の意見が聞きたい」

 

「そうか……そうだな。共和主義者って奴は、なんでああも観念主義者ばかりなんだろうな。話すことは空理空論過ぎて、とてもついていけん。民主主義とやらが瓦解を繰り返すのもさもありなん、という奴だ」

 

「ほぅ、お前も共和主義に毒されるようになったか」

 

「なっーー」

 

「いの一番に叛徒共のことを言い出すのだ。そう考えても仕方あるまい。ところで、あのヤン・ウェンリーとかいう奴。面白い男だな」

 

「どうしてそう思うんだ?」

 しばし男は黙って、驚くべきことを言い出した。

 

「シュターデンが『釣られた』。奴の手引きだ」

 

「なんだと……」

 

「あのヤンという男は、口先だけ上手い学者気取りかと思いきや、心理戦に長けているプロだ。強敵こそ最高の友である、そういうことになるかもしれん」

 

「そう……だな」

 ミッターマイヤーは呟いた。自分は北朝の弁務官事務所、その警備責任者。横に居る男は同じ北朝だが、情報担当官である。その職務の違いから、二人はいろいろな場面で角突き合わせることになった。怒鳴り合いの喧嘩をすることもあった。そんな関係が二、三年続くうちに、お互いを認め合い、二人は親友と呼べる間柄になっていた。フェザーンはそういう土地であった。

 

「そうだもう一つ忘れてた。例の内示、正式に辞令が出た。三か月後にはオーディンに帰る」

 

 隣の男はそれを聞いてしばし沈黙した。

 

「そうか……寂しくなるな。軍務省勤務と聞いていたが、本当なのか」

 

「そうだな。本当は話してはいけないことだが、いずれ分かることだ」

 

「貴様の『木』はどうする?随分と沢山あるだろう」

 

「盆栽のことか?人に譲る。譲り先がないなら、暖炉にでもくべるさ」

 

「いいのか」

 

「庭木なら親父の家に山ほどあるからな。それに、これからはそんな趣味を楽しむ暇もなくなるかもしれん」

 ミッターマイヤーの言葉に、男は身震いした。

 

「始まるのか」

 

「自分の知る限りでは、始まる。間違いなく」

 

最終戦争(ラグナロク)が」

 

「ああ。三十年続いた内戦の終わる日。最終戦争(ラグナロク)が」

 

「……ならば。今日はとことん付き合ってもらうぞ。ウォルフガング・ミッターマイヤー少佐殿。次、いつ会えるか分からないのだからな」

 

「もちろんだ。オスカー・フォン・ロイエンタール少佐殿。明日の朝までだって」

 

 

 

 




次回予告

 帝国領内で、建造中止となったはずの同盟戦艦による海賊行為が頻発。さらに、海賊行為に加担しているのは同盟軍軍人であるとのクレームが寄せられる。ヤンは海賊行為を行う奇妙な『戦艦』の調査を行うことになった。

第九話「幽霊戦艦」


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第九話 幽霊戦艦

 帝国領内で、建造中止となったはずの同盟戦艦による海賊行為が頻発。さらに、海賊行為に加担しているのは同盟軍軍人であるとのクレームが寄せられる。ヤンは海賊行為を行う奇妙な『戦艦』の調査を行うことになった。


宇宙歴797年、11月末──

 

「オペレータ。定時通信送れ。異常なし。時間、場所、だ」

 

了解(ヤーヴォール)

 

 アイゼンヘルツ星系を一隻の商船が航行している。船名は「クネルスドルフ」。南朝の某大手商事会社と契約している商船で、南朝の領土から鉱石をフェザーンに運び、そして、フェザーンから軍艦の装甲板を南朝首都、ブラウンシュヴァイクへ輸送する。装甲板は表向きメイド・イン・フェザーンではあるが、造られたのは自由惑星同盟ポレウィド星域にある、形だけフェザーンが経営している会社が造ったものであることは、商船の乗組員はみんな知っていた。

 

 南朝としては全く面白くない事実であったが、南軍の軍需生産に、同盟の工業力が欠かせないことは周知の事実である。もし、同盟が南朝との貿易を止めてしまったら、南軍の戦闘能力は著しく減殺されるだろう。それはさておき──

 

 クネルスドルフ号の艦橋はピリピリしていた。二か月前、ここを通った時は全く違っていた。アイゼンヘルツ星系といえば、帝国南朝支配下の星系であり、ここからワープすればその先はもうフェザーン回廊である。それが故に、この星域は、ある意味南朝で最も重要な星域である。南朝航路警備隊の警戒も厳しいここは、宇宙海賊のリスクも低い星域であるというのが共通認識だった。航路も十分整備されており、自動航行のスイッチをオンにしておけば、乗組員全員が寝込んでいても全く問題ない、そう言われていたほどである。しかし、今は様相が全く変わっていた。

 

「ヨハン、レーダーに変わりないか」

 

「問題ありませんよ船長。みんなビビり過ぎなんですよ」

 

「さぁな。一週間前からニュースも、本社の指示もそればかりだ」

 

「まったく……さまよえるオランダ人(フリーゲンデ・ホランダー)ですか。叛乱軍の戦艦が帝国に現れるなんて、世も末ですよ。本当ならば」

 

「だが、ロスバッハはやられた。ツォルンドルフもだ」

 船長の言葉に、レーダー手は黙った。

 

 一週間前、ヴァルテンブルグ星系を哨戒中の巡航艦、「ロスバッハ」号が突然襲撃を受け、大破するという事件があった。乗組員94名中36名が死亡、ロスバッハは轟沈こそ免れたが航行不能状態で、爆破処分の憂き目に遭った。

 

 ロスバッハのデータレコーダーによると、至近距離で突然同盟軍の戦艦と思われる艦船と遭遇、ほとんど無警告に近い状態で中性子弾の連射を浴び、大破に至ったとのことだった。レーダー記録からもそれは裏付けられた。問題は、同星域を南軍の警備隊が必死で捜索したにもかかわらず、『戦艦』が発見できなかったことであった。

 

 そのため、ロスバッハ側の見間違いやコンピュータの故障を疑う声があがったが、それは否定された。生き残った乗組員の証言、通信記録、悲鳴と変わりない同艦の救援信号、全てロスバッハが敵と交戦したことを示していた。

 

 そして三日前、アイゼンフート星系を航行中の商船「ツォルンドルフ」号から、救難信号が発せられた。救援にかけつけた巡航艦「レーヴェンハルト」によると、突然現れた同盟戦艦に脅迫され、食料や推進剤といった必要物資を略奪されたとのことだった。ツォルンドルフは機関部に損害を受けており、自力航行には修理が必要だった。奇襲攻撃を受け、機関部が傷つけられた結果、離脱できなかったのだった。そして、ツォルンドルフに接舷し、ブラスター片手に物資を略奪した海賊は、まぎれもなく同盟の軍服を着用していたというのである!

 

 このニュースに南朝だけでなく、北朝も衝撃を受けた。当然ながら同盟にクレームが寄せられたが、同盟フェザーン大使館は、被害者にお悔やみの言葉を伝えたものの、同宙域を単独で航行する戦艦は存在しないと明言した。帝国領内をどうやって同盟戦艦が単独で航行できるというのか、スポークスマンはそう言い切った。実際その通りで、「事実上の休戦」とはあくまで事実上に過ぎず、同盟軍が勝手に帝国領に侵攻したら、それは撃沈されても全く文句は言えないし、組織的な侵攻が行われたとしたら、それは戦争の再開である。

 

 まぁ、そういうわけで「クネルスドルフ」号は、滅多にやらない三直体制で警戒を続けながら、フェザーンに向けて航行していた。おっかない幽霊戦艦がいるからといって、船腹の鉱石を納期通りに届けないわけにはいかないからだった。南朝の保険会社では、『戦艦』が確認された星域の航行保険料を「再検討」するとの声明を発表しており、南朝の株式市場では相場が混乱していた。

 

「叛徒共は何がしたいんですかね」

 レーダー手が船長の方を振り返って言った。

 

「共和主義者の考えることは分からん。ヨハン、レーダースクリーンから目を離すな」

 船長はレーダー手を叱りつけ、レーダー手は慌てて元の姿勢に戻った。

 

「諸君、辛いだろうがもう少し辛抱してくれ。あと8時間の辛抱だ。そうすれば、ゲートゾーン(安全なワープが行える宙域)にたどり着く。そうなれば、後はフェザーンだぞ。そうすれば『さまよえるオランダ人』とはおさらばだ」

 

 船長の言葉に、レーダー手はスクリーンを見ながらうんうんとうなずいた。ちなみに、『さまよえるオランダ人』というのは、正体の分からない幽霊船を指す俗称である。といっても、何故そう呼ばれているのか、そもそもオランダ人とは何者なのか、知る者はいない。

 

「哨戒のフネが少ないことを除けば、異常はありません。やはり、北軍の方へいったんじゃないですか」

 

「さぁな、ヨハン。エックハルトの件はどうやら誤報らしいという噂ではある。SNSでは」

 

「しかし船長、フェザーンの目と鼻の先で海賊行為なんて、天をも恐れぬ行為──」

 レーダーに反応があったのは、次の瞬間だった。

 

 

 

その三日後──

 

「というわけで、真意を質しに来た、ということかね」

 

「目的の半分はそうなります。別に、今の仕事が全く自分に合っていない、というわけではありませんが、この仕事がずっと続くようなら、特務支援課に居る意味がないと思うのですが」

 

「ヤン少佐は仕事熱心だな」

 

「そうではありません。亡命者相手の業務だけやるなら、ここに居るのは非効率だということになります。自分としては問題ありませんが、中佐は問題でしょう。本来、必要とされていた人材と、自分はミスマッチではないのですか」

 

「君は独特な考え方をするな。まるで自分をお払い箱にしてくれと言っているようだ」

 ムライは背もたれに体をあずけながら言った。

 

「それでも構わないのです。御承知のはずですが」

 

「ならばそれで問題はないのではないか」

 ムライは眼鏡を直しながら聞いてきた。

 

「まぁ、君が手伝い仕事ばかりやらされていることは認める。我々が特務支援課の看板に相応しい仕事を回していないことも。ただ、ありていに言わせてもらえば……ヤン少佐は、特務支援課に欠くべからざる人材だ、私はそう思っているよ」

 

「理由をお聞かせください」

 

 ヤンがムライに詰め寄っているのは、トークショーの一件から2か月近く、放置に近い扱いを受けているからだった。その間、やっていることは以前と同じく亡命者対応であり、ほとんど専門部署──入国管理局亡命課の一員に近い状態になっていた。もう特務支援課など辞めてこっちに来てしまえよ、そう亡命課の人から言われて、ものはためしと言ってみた、というわけである。

 

「特殊作戦というのは、『急いで待て』だ。その時が来ないのに動いてもしょうがない。普通はパトリチェフ君のように、『準備』のための訓練で日々を過ごすものだが、君にそれをやらせてもしょうがないだろう?」

 

「それはそうですが……」

 

「君は今の任務に精励したまえ。だからといって、入国管理局に君を渡す気はない。大丈夫だ、荒事は向こうから寄ってくる。ああ、業務に関しては手伝いを寄越すように手配している。近日中に着任するはずだ」

 ムライはそう言ってヤンを追い出した。ヤンはため息をつくしかなかった。向こうは自分のような素人がここに居る意義を説明しようとしない。というか、そもそも上司が部下を放置するというのはあまりよろしくない行為だとされている。でも、ムライはヤンを放置しているにもかかわらず、自分が何をしていて何を問題だと思っているかは把握している。一体どうなってるんだ。

 ヤンが言おうとして結局言えなかった「問題」は、降ってくる業務量が最近急に増えてきたので、人員を補充でもしない限りどうにもならない、亡命課にクレームを入れてくれ、だったのだ。

 

 

 

 翌日──

 

 出勤して自分の椅子に座ったヤンは、ミネラルウォーターの瓶を開け、半分ほど飲んだ。本来は紅茶を淹れて飲みたいところではあったが、フェザーンの紅茶は値段相応質不相応という感じで、ヤンのお眼鏡に叶う紅茶は、目の玉が飛び出るほど高い。これが同盟(エル・ファシル)だと、安くても質のいい紅茶が手に入ったのだが。さらに、水の質が紅茶と合わないらしく、本当に美味い紅茶は水も選ばなければならないらしい。面倒なことこの上ない(でも、早速ウォーターサーバーを契約するところ、ヤン・ウェンリーである)。

 

 元々、エル・ファシルで巻き込まれた騒ぎから逃れるための転任だったはずなのに、どうも自分の周りに集まってくるのは、ムライやパトリチェフのような世界が違うはずの人間ばかり。書類仕事で適当に時間を過ごしてくれ、ってならばこちらもやりようがあるが、どうにも向こうは自分を『工作の駒』として期待しているようだ。一体何故なのだろう。なんで、あんな一癖も二癖もある連中から関心を持たれるのか。前世の報いだろうか。前世に何をやったかなんて知らないけど。

 

 最近のヤンの勤務場所は、手伝い先の亡命課のオフィスにある、会議室の一つであった。あまりに亡命課となじみ過ぎているので、亡命課の方が手を回してそんなものを用意したのである。つまりはヤンの出張オフィスである。さて今日の仕事は、と思ったその矢先──

 

 公用のコミュニケータがアラームを鳴らした。発信者を見ると、なんとムライであった。嫌な予感はしたが、勤務時間に上司の通信に無視を決め込むわけにはいかない。

 

「はい、ヤンですが」

 

「喜べ少佐。君の願いは間もなく叶う。言っておくが、我々の本職の方だぞ」

 ムライは時間と場所だけ告げると、ヤンに言い返す暇も与えず通信を切ってしまった。

 

 何が喜べ少佐だ。

 

 

 

 呼ばれた来客用の応接室には、先客が待ち構えていた。一人はもちろんムライ課長、もう一人は中年の男だったが、なんと帝国軍の軍服姿である。もう一人は同盟軍の軍服姿である若い女性だった。何とも奇妙な取り合わせであった。

 

「ああ、少佐に紹介しよう。こちら、南軍のフォン・ファーレンハイト准将だ。閣下、こちらは今回担当するヤン少佐です」

 ムライは紹介するついでに、とんでもないことをあっさり口にした。

 

「ヤン・ウェンリーであります」

 ヤンはファーレンハイトと呼ばれた男に対して敬礼した。第一印象は歴戦の戦士というか、随分と苦労しているような男でかなり年上のように見えた。ファーレンハイトも答礼する。

 

「あと、こちらはこの度、フェザーン同盟大使館に赴任してきたグリーンヒル中尉。前任のハイネセンでは情報管理局に勤務していた」

 

「フレデリカ・グリーンヒル中尉であります。よろしくお願いします」

 グリーンヒル中尉は立ち上がり、完璧な敬礼を披露した。金褐色のロングヘアーと榛色(ヘイゼル)の瞳、容姿は整っているどころではない。中肉中背(女性的な観点において)、それなりの準備をしていけば、どこに行っても衆目を集めることであろう。

 

「ヤン・ウェンリーです」

 ヤンも答礼した。ムライに促されて全員がソファに座る。

 

「では、少佐も来たことなので、本題に入らせてもらう」

 ファーレンハイトが会議の始まりを宣言した。

 

 

 

幽霊戦艦(フライングダッチマン)が?」

 ヤンは思わずそう口にしてしまい、ムライに睨みつけられた。

 

「君達の呼び方に興味はないが、そういうことだ。五時間ほど前に哨戒隊が発見した。今はまだ報道管制を敷いているし、主要航路からも外れているから問題ないが、そのうち誰もが知るようになる。奴がフェザーン回廊外縁部に現れた」

 

「確認ですが、同一であるという確証はあるんでしょうな」

 ムライが訊く。

 

「無論だ。海賊行為の被害を受けた商船から提出されたデータと完全に一致する。あと、つい今しがただが、こちらの哨戒隊がワルキューレを飛ばして撮影した映像がこれだ」

 ファーレンハイトが応接室のスクリーンを操作した。ワルキューレから撮影したであろう同盟戦艦の姿が映っている。少々映像は荒いが、まぎれもなく同盟軍の戦艦である。ワルキューレは、前から、側面から、後方から、いろいろな角度でそれを撮影していた。

 

 何度か繰り返して映像を見たヤンは、何ともいえない違和感を抱いた。それはグリーンヒル中尉も同じだったようで

 

「何でしょうか……試作艦でしょうか」

 グリーンヒル中尉が言った。

 

「我が軍で運用されている戦艦のフォルムに類似していますが、細かな箇所で相違点があります。この艦首のアンテナですが、我が軍ではここまで大型のものを使用しておりません。そして、底面に……これはシャトルでしょうか……露天繋止されているように見えますが、我が軍ではこんなタイプはなかったはず。というか……10機近くもあります。こんなに大量にシャトルを搭載してはいないはずです」

 グリーンヒル中尉はヤンの違和感を見事に説明してくれた。

 

「中尉、申し訳ないが分析はそちらの内々でやってくれないか。我々としては、まごうことなき同盟戦艦が突如現れた、ということだけで十分だ。それも、複数の海賊行為に関与しているとなれば、通告無しに撃沈しても問題はないはずなのだ」

 

「その通りです」

 ファーレンハイトの言葉に、ムライはうんうんと頷きながら同意した。

 

「ですが、我々も疑っているのですよ。フェザーン回廊に我が軍も哨戒部隊を配備、運用しておりますが、戦艦は運用しておりません。さらに、艦名、運航ルート、全てフェザーンに通知しております。もちろん、南北双方共に」

 

「だが事実は事実──」

 

「そう。だからこそ、その事実を確かめなくてはならない。通信に対して応答はないのでしょう?」

 

「そうだ。緊急周波数で呼びかけを続けているが、応答はない。反応もない」

 

「分かるのは、艦首に記されているハルナンバーか。13FB14-6537、艦名は『デ・ロイテル』……」

 ヤンとムライは顔を見合わせた。グリーンヒル中尉は何やら端末を操作している。ファーレンハイトはそんな三人を見て眉をひそめている。しばらくしてグリーンヒル中尉が口を開いた。

 

「我が軍のデータライブラリに問い合わせましたが、該当の番号にヒットしませんでした。そもそもこの番号体系は、我が軍のものではありません。艦名の『デ・ロイテル』ですが」

 

「何か分かったのか?」

 ファーレンハイトが身を乗り出した。

 

「いえ、それが……確かに794年戦力整備計画の建造予定艦リストにこの艦名がありました。ですが、建造計画の変更により起工されておりません。存在しない艦名です」

 

「何だと……同盟は帝国を謀っているというのか」

 

「いえいえ。そういうわけではありません。我々も困っているのです。その点だけはご理解ください」

 ファーレンハイトの怒声に、ムライが返す。

 

「この船について分かっているのは、艦名、そしてどうやら同盟の軍服を着た人間が搭乗しているということぐらいです。ファーレンハイト殿同様、我々も何も分かっていないのです。本国に秘密があるなら別ですが……ですが、第三の事案では、妙なことがあったそうですな。何でも、船に踏み込むなり、医者を要求したと?」

 

「クネルスドルフ号の乗組員によると、同盟軍人が銃をつきつけながら、船医を呼ぶように言ったらしい。短距離航行のために搭乗していない、そう言ったら、医薬品や食料品を略奪して去って行ったそうだ。その船員によると、銃を突き付けている軍人の方も、血の気がまるでなかったそうだ」

 

「海賊行為にもいろいろありますが──」

 ヤンが初めて口を開いた。

 

「随分と変わった海賊行為ですね」

 

「変わっていようが変わっていまいが関係ないであろう!協定がなければ、すぐに撃沈しているところなのだ!!」

 

「もちろんです」

 ファーレンハイトが爆発したので、ヤンはなだめるように言った。

 

「ご通告には感謝致します。もちろんこちらとしては、すぐさま調査を開始し、結果を公開する義務があります。それで……」

 

「それで?」

 

「課長、何故我々なんですか?」

 

「君達!!」

 ファーレンハイトの爆発はもう抑えきれない。

 

 

 

「で、何故私達なんだろうね」

 

「分かりません」

 ヤンの大きすぎるぼやきに、フレデリカ・グリーンヒル中尉はぶっきらぼうにそう返した。今、二人はフェザーン宇宙港から出る宇宙エレベーターの中に居る。二、三時間経てば軌道基地に到着し、そこから専用の哨戒艇に乗り込んで、謎の幽霊戦艦に向かうのである。

 

 ヤンとしては不満でならない。説明が不十分なのもそうだが、会議室から直接地上車に乗り込み、宇宙港に直行させられているのだ。爆発したファーレンハイトに納得してもらうには可及的速やかに調査に入るしかないのは分かるが、何故自分なのか。調査には同盟の哨戒部隊をあてればいいだろうに。

 

「同盟の哨戒部隊は、惑星フェザーンより同盟寄りに居ます。我々が向かうのが早いでしょう」

 ヤンは不満を途中から口にしていたようで、フレデリカが感情の感じられない声でそう言った。今のところ社交的なタイプには見えないが、ファーレンハイトとのやり取りや、今、初対面であるはずのヤンと会話ができている点で、コミュニケーション能力はそれなりにありそうではある。

 

「そうだ。君は、その『戦艦』が通常運用されているタイプに当てはまらないと言うんだね。それでいいかい」

 

「はい。ハルナンバーはむしろ、20年前の旧規格を思い出させるものがあります。艦首のアンテナですが、デ・ロイテルが794年に起工したものであれば、あんなに大型なものを装備するはずがありません。それに、全く同盟で採用していない機構も一部あるように見えます。試作艦のようにも思えますが、ならば帝国で発見された理由が分かりません」

 

「詳しいな。君は、艦政本部に居たのか?」

 

「いえ、自分は情報管理局に居ました。今回の件は、帝国領内に調査隊を派遣する(オプション)があり、自分が下調べを行っておりました。自分が志願しました」

 ヤンは口笛を吹きかけて、やめた。事務処理能力もそれなりにありそうだ。

 

「我々の知らない艦だと、いろいろ苦労しそうだね」

 

「艦の中央側面にメンテナンスハッチがあるはずです。艦橋に行くにはそこが一番近いでしょう。試作艦であってもこのフォルムであれば、内部構造に大きな変化はないはずです」

 どうやら、『グリーンヒル中尉の予習』は大したものらしい。

 

 

 

 二人を乗せた駆逐艦「エルムラントⅢ」は、一日かけてフェザーン回廊外縁部の宙域にたどり着いた。目的の幽霊戦艦は既に艦のカメラにはっきりと映っている。聞くところによると幽霊戦艦は現れてからこのかた、動かずにじっとそこに止まっているそうだ。

 

「叛乱軍の戦艦をこんな間近で見るとは、人生最初で最後でしょうなぁ。おっと失礼」

 駆逐艦の艦長、ベルナー大尉は、すぐ横にヤンが居ることに気づくと、ばつが悪そうに頭をかいた。

 

「いや、いい。向こうから何か反応はありますか?」

 

「ありませんな」

 ヤンの質問にベルナーが答える。エルムラントⅢ号は、戦艦の死角からゆるゆると近づいている。反応がないからといって、攻撃してこないと決まったわけではないからだ。戦艦の後方、戦艦から見たら7時の方向から近づけば、戦艦側の攻撃は最小限になるはずであった。事前の計画では、後方から近づき、側面のメンテナンスハッチより艦内に入ることになっていた。

 

「で、どうなんですか?少佐殿によると、初めて見る艦だそうですが」

 

「帝国軍のデータバンクに合致パターンが無いことはさっきレーダー手が言っていました。ならば、私の意見も同じです。同盟軍人だって、宇宙艦隊にある全ての艦を知っているわけではないですから」

 

「ちげぇねぇ」

 ベルナー大尉は笑った。叩き上げの士官だけが出すことのできる豪快な笑い声だった。

 

「本当に入れるのでしょうか」

 フレデリカが心配そうに言った。

 

「まぁ、決まったわけじゃないけど、入れると思う」

 

「何故ですか」

 

「確かにあの艦は見慣れない。だけど、同盟戦艦の基本的な形は継承している。ならば、基本的な装備については変わらないと思っただけさ。それに、どうしても入れないなら、帰ればいい」

 

「そうですなぁ。自分としては、是非お宝を掘り当てて欲しいものですが」

 ベルナー大尉が口を挟んだ。

 

「何故ですか?」

 

「単なる願望でさぁ」

 ベルナー大尉の答えに、ヤンは思わず噴き出した。

 

 

 

 結局、幽霊戦艦側の攻撃は全くなかった。短距離ミサイルの射程に入っても、投射爆雷の射程に入っても、果ては対空レーザー機銃の射程に入っても、何も、何もなかった。ベルナー大尉は、それならと艦の周りをぐるりと一周してみせた。それでも何もない。艦首の砲塔を横切っても何もない。

 

「いったいこれはどうしたことですかねぇ。ロスバッハをやったのに、本艦は手を出してこない」

 

「それは自分にも分かりません」

 ヤンはそれだけ答えた。ベルナーが周囲をぐるっと回りましょうと言い出した時、内心恐怖がなかったわけではない。ただ、現場がそう言い出したら、何か止める理由でも無い限り一任するしかない。それが軍隊の、いや軍人の見栄というものだ。

 

「艦底にあったのはスパルタニアンのようですね。確かにああやって露天で繋止すればスペースを節約できますが、戦艦にわざわざ搭載する意味が分かりません。重整備もやりづらいでしょう」

 

「そうだなぁ」

 フレデリカの疑問に、ヤンは適当に相槌を打った。ま、調べれば分かるさ。

 

「大尉。メンテナンスハッチは見つかったかな」

 

「指示頂いた所とは少し離れていますが、多分これでしょう」

 ベルナー大尉がスクリーンに画像を映し出した。画像を拡大すると、確かに扉のようなものが見える。

 

「わかった。やってみよう」

 ヤンは答えた。

 

 

 

 事前の計画通り、メンテナンスハッチより中に入ることに成功した。ヤンとフレデリカは船外作業用宇宙服姿のまま、艦内を探索している。センサーによると、平服でも滞在可能とはあったが、念のためである。

 

「人がいませんね」

 

「船の大きさに対して、人間はごくわずかだよ。旗艦は違うと思うが。だけど、本当に人が居るなら、出迎えがあるはずだ。つまり、君の意見に同意だ」

 二人は、ヘルメットに取り付けられているヘッドセットを通じて会話をしている。相手の声がややうるさくはあるが、聞こえづらいことがないのは有難い。艦内、一体何が起こるか分からないなら、指示や報告は明瞭なほうがいい。

 

「恐らく、このエレベーターで艦橋レベルに行けるはずだが」

 ヤンはエレベーターのボタンを押した。どうやらエレベーターは普通に動いているようだ。

 

「……妙ですね。あまり見たことのないボタンです」

 

「……そうだな」

 ヤンは答えた。最近の同盟艦は、民間製品の導入が進んだこともあって、艦内のエレベーターはビルで見慣れたインタフェースそのままであるはずだ。だけど、このボタンからしてやたらとごつくて押しにくい。艦内の景色もそうで、基本的な構造は変わっていないが、内装にどうも違和感がある。似ているようで同じではない。

 

「なんというか……久しぶりに親戚の家に行ったら、がらりと模様替えしていたような……」

 

「そんな体験があるんですか?」

 

「ないけどね」

 などとどうでもいい会話をしているうちに、エレベーターは艦橋レベルにたどり着いた。恐らくここから少し歩けば艦橋に着くはずである。

 

「中尉」

 ヤンは壁の一面を指差した。そこには、「デ・ロイテル号掲示板」と掲示してあり、何枚かのポスターが貼ってある。

 

「……これが何か?艦橋へ通じる廊下には大抵あるものですが」

 

「いや、違う。このポスターだよ」

 フレデリカは、ヤンが指し示したポスターを見た。それは、どこにでもありそうな戦意高揚ポスターである。今年こそ勝利による平和を、と大書されたポスターだった。疑問なのは、ポスターの写真がトリューニヒトであることだった。そして、ポスターの左上には

 

『宇宙歴798年』

 

 そう書いてある。

 

 

 

「???これに何の問題が???」

 フレデリカはいまいち分かっていないようだった。

 

「こんなポスターの写真にトリューニヒトが載るはずがない。最高評議会議長はおろか、閣僚でもないのに。選挙ポスターなら話は別だけどさ。それに、宇宙歴798年って」

 

「後少しで798年ですよ」

 フレデリカはなおも理屈をこねくり回す。

 

「こんなポスターがあるとして、新年の前から貼る人間なんか居ない。どうもこれは、何かが怪しい」

 ヤンは足早に歩くと、艦橋に入った。

 

 艦橋も機械音の他には人の気配はない……と思ったが、艦長席に人影らしいものが居る。ヤンとフレデリカが駆け寄ると、うずくまっている人間が一人居た。髪は乱れ、マフラーを側に落としているが、まぎれもない同盟軍の軍服を着用していた。

 

「死んでいる」

 センサーで走査したヤンは、生命反応がないのを確認した。身体は固まって動かすことはできない。ということは、死後硬直ということを考えると、死亡して一日二日ということである。

 

「少佐」

 フレデリカの動揺した声が聞こえた。ヤンはフレデリカの方を振り返ると、フレデリカは何かを指差していた。指差した方をヤンは見た。そして、あっと声をあげた。

 

「あの時計は宇宙歴798年5月10日……どういうことなんだ」

 

「分かりません。他に誰かいないんでしょうか」

 

「……どうやら居ないようだ。もしくは、死んでいるのかもしれない。この人が艦長なんだろうか」

 ヤンは死体の階級章を見た。少佐、ということは戦艦の艦長とみてもいいのかもしれない。ポケットが盛り上がっている。中にあるものを取り出すと、1つの手帳があった。

 

「少佐、端末のアクセスができません。IDカードでも指紋でも、ロックを解除できないのです。ですが」

 

「ですが?」

 

「緊急事態ログだけは見ることができました。あくまで端末から見るだけですけど。それによると、宇宙歴798年4月10日に、大質量のワープアウトを検知したことと、退避が間に合わず緊急の短距離ワープを自動実施したようです」

 

「それだけか……世の中意地悪くできてるね。だが、宇宙歴798年というのは何なんだろうね。悪戯にしては質が悪いというか、何のための悪戯と言うべきか」

 

 ヤンは手にした手帳をめくった。どうやら艦長はその『4月10日』以降の記録をここに書きつけているようだった。航海日誌の代わりなのであろう。曰く、イゼルローン回廊で哨戒中に、大質量ワープアウト警報を受け、自動的に退避ワープを行ったこと。気が付くと帝国領のど真ん中に居たこと……

 

「このイゼルローン回廊って何だい?中尉」

 

「……イゼルローン回廊はイゼルローン回廊ではないのですか」

 

「イゼルローン回廊には監視衛星と機雷が山ほどあって、あんな所を戦艦が哨戒していたなんて聞いたことがない。特殊な装備を付けた警備艇でないと、危なくて仕方がないだろう」

 

 手帳の続きを読む。機械が軒並みトラブルになって、大部分の戦闘機能や様々なAI、自動記録の機能を喪失したこと。機関部は奇跡的に持ち直したが、ワープドライブの暴走だけは対処できなかったこと、設定もしていないのに短距離ワープを繰り返したこと。乗組員にワープの影響と思われる脳の障害が続出、死亡者や自殺者、脱走者が相次いだこと、食料や薬は尽きてしまい、航行する帝国の船舶を襲って食いつないだが、もう限界であること。自分が最後の一人で、もう耐えられないこと──

 

「……どうやら、本物の幽霊戦艦で間違いないらしい。遺憾ながら」

 ヤンは手帳を閉じながら言った。

 

「間違いだったほうがよいのですか」

 フレデリカが聞き返す。

 

「まぁ、ね。これで同盟大使館、いや、同盟政府は痛くもない腹を探られるだろうからさ。だが、この宇宙歴798年というのがよく分からない。何でこの戦艦は未来の時計なんだ?これに何の意味があるんだろう」

 ヤンはフレデリカに、このページを撮影して記録しておいてくれと言って手帳を渡した。ヤンも艦橋にある端末を動かしてみた。確かにロックは解除できない。それに、端末のUIがやけに古臭いというか無骨というか垢ぬけていないというか、とにかくヤンの見たことのない画面であった。

 

「まるでおとぎ話の世界だな。こんな戦艦のナリではあるけど。テーマパークでも作ろうとしたんだろうか。だが、テーマパークは海賊行為をしない。おとぎの国ねぇ……」

 

 次の瞬間、フレデリカが背中に棒を突っ込まれたかのように直立不動となった。

 

「……まさか!」

 

「??どうしたんだ、中尉」

 

「いえ、まさか……信じられない。まだ実証されていないのに」

 

「どうした中尉。何でもいいから言ってくれ!」

 ヤンはフレデリカの肩を掴んで揺らした。なおもフレデリカは心ここにあらずという感じであったが、しばらくしてようやく落ち着いたようで、話し出した。

 

「少佐、笑わないでください」

 

「わかったわかった」

 

「宇宙歴798年のカレンダー、コンピュータに残った緊急退避ワープのログ、そして大質量ワープアウト警報、謎の病気や自殺……一つだけこれを繋げる仮説があります。そして、この前提があればこの艦に生存者が居ない理由も分かります」

 

「一体何だね」

 ヤンの言葉に、フレデリカは一瞬黙って、そして話し出した。

 

「時間遡行によって発生する並行宇宙ジャンプ仮説です。大質量のワープアウトで理論上は起こるとされていましたが、誰も確認したことがありません。もしこれが正しいなら、私達は世紀の大発見をしたのです」

 

 

 

 ワープ──

 

 宇宙を旅する時に必要不可欠な技術であるが、宇宙歴797年の現在においても、その原理を説明できる人間はあまり多くない。なるべく多くの人に分かるように、噛み砕いて伝えるとすると、以下のようになる。

 

 まず、ある大きな紙の中心にワープしたい艦船がいるとする。そして、ワープしたい艦船の前方に、ごく小規模の宇宙収縮(ビッグクランチ)を発生させる。反対に、後方にはこれまたごく小規模な宇宙爆発(ビッグバン)を発生させる。そうすると、艦船の後方にはひどく大きな空間ができる。反対に、艦船の前方の空間はひどく狭いものとなる。

 

 これを第三者が観測するとどうなるか。紙の中央に居たはずの艦船が、一瞬で紙の端に移動することになるわけである。相対性理論から、宇宙爆発、収縮、艦船の移動は瞬時に行われ、観測することはできない。となると、一点から一点に跳躍(ワープ)する、というわけだ。

 

 もちろん、事はそう単純ではない。まず、小規模とはいえビッグバンとビッグクランチを至近距離で発生させておいて、物体が無事であるはずがない。そのため、艦船は特殊装置を用いてワープフィールドという特殊空間の中に自らを閉じ込める。そうでなければ、船は微粒子レベルまで分解されてしまうからだ。

 

 さて、ワープ技術が誕生してしばらくの後、人類はある一つの概念を思い出した。かつて科学者アルバート・アインシュタインは、宇宙には過去、現在、未来、あらゆる時間軸の時空が存在し、時空を繋ぐ所謂『ワームホール』の存在を予言した。全く同時刻に二つの場所で同じ物体が存在する(ことになっている)ワープとは、このワームホールを生成する行為に他ならないのではないか?ワープの方法を工夫すれば、過去や未来に行くことも可能ではないのか?

 

 この概念に科学界(のごく一部)は熱狂し、実験が行われた。いや、今も行われている。だが、時間の遡行、あるいは未来時空への瞬間移動を観測した事例は無い。ワープ技術は日々改良されているものの、相対的にはごく短距離、小規模の移動を実現させているに過ぎないからだった。時間移動のためには、宇宙爆発および収縮を大規模に行わなければならないが、現時点では、発生させることができる宇宙爆発は、主体となる物体の容積に比例する「限界」があるとされている。そして、巨大な物体が巨大な爆発を起こしたとして、その物体が瞬間移動するというだけのことである(大体、巨大物体のワープというのは未だ実用化に至っていない)。

 

 では、巨大な体積を持つ物体のワープに「巻き込まれた」場合はどうだろう?ワープインあるいはワープアウトの瞬間に、小さい物体が偶然存在した場合はどうだろうか?偶然ワープフィールドが展開されて、空間の爆発・収縮に耐えられた場合は?それについても実験は続けられているが、成果はあがっていない。第一、時間が遡行できたとして、タイムパラドックスとの整合性を考えると、観測は可能なのか、という疑問は根強い。つまり、

 

 もし過去に移動できたとして、それは我々が体験していない別の世界線に移動することになってしまうのではないのか?

 

 

 

「この船は未来から来た?だと──」

 グリーンヒル中尉の言葉にヤンは絶句した。考えてみれば単純な結論だ。あまりに単純すぎて信じることの方が難しい。

 

「はい。その理屈が確かなら、タイムパラドックス仮説により、過去に移動した時、同時空には居られないと言われています。そして、それは──」

 

「今までの体験と全く異なる、別の歴史世界に移動するってことか。なんてこった。あまりにも大規模なワープだとしたら、ワープ障害で脳に与える影響も大。そういうことか」

 ヤンはうめいた。もしそうだとしたら、同盟戦艦のように見えて、違和感のありすぎる艦内とか、操作することのできないシステムというのも納得できる。この艦は、我々の知らない歴史の、全く別物の自由惑星同盟軍の艦なのだ。どれだけ同じように見えても。

 

「宇宙物理学者がこれを見たら何て言うことやら。いや、その前に信じようとしないかな」

 

「でしょうね。こんなに綺麗な状態で時空移動するわけがない、そう言うでしょう」

 ヤンの言葉にフレデリカは同意した。

 

「であれば、軽々しく信じるわけにはいかない」

 そう言ってヤンは艦橋を出ていこうとした。

 

「どこに行くのですか?」

 

「私に考えがある。中尉、君はコンピュータにアクセスできるかどうか引き続き試してくれ。あと、艦橋の撮影も頼む。15分程度で戻る」

 

 

 

 ヤンは無人の廊下を歩く。今のところこの船は、細かなところに違いがあるものの、全体構造にそこまで違いがない。となればここらへんに──

 

「あった」

 ヤンはとあるドアを見つけて言った。ドアの上のプレートには『図書室』と書いてあった。

 

「たとえ別の歴史世界でも、船に図書室があることには変わりないか」

 ヤンは図書室の中を見回した。書棚と小ぶりの机、椅子が4つ。ヤンが知る同盟艦に比べやや小ぶりではあるが、ここは非番の乗組員が書を読み、休息や勉強をする場所である。電子書籍がいくら普及しても、紙の本はしぶとく生き延び続けてきた。同じ本というオブジェクトをやり取りするについて、未だに電子書籍は紙の本を超えられていない。

 

 ヤンは書棚をチェックした。軍に必要な実学の本が大部分だが、ノベルズやコミックが配架されている棚もあった。

 

「やれやれ。収納用のバックパックを持ってくるんだった」

 ヤンはぼやいた。この図書室にある本全部を持って帰りたかった。これが別の歴史世界の本であればだけど。ヤンはなおも書棚をチェックし、雑誌置き場の上にある1つのパンフレットに目をつけた。

 

 わたしたちの自由惑星同盟軍 宇宙歴797年版

 

 パンフレットにはそう書いてあった。表紙には、同盟のエンブレムである五芒星と、ハイネセンとおぼしき惑星の写真がある。

 

 

 

 ヤンはパンフレットの表紙をめくった。

 

 目次に続き、「最高評議会議長 ヨブ・トリューニヒトより」というページがある。ざっと読む限り、同盟は正義であり、悪辣な銀河帝国を打倒することは国民の願望であり、義務であるみたいなことが書いてあった。ちょっときつい表現であるが、まぁスローガンと大して変わることはない。それよりも、本当にこの世界では、トリューニヒトが最高権力者になっているということの方が驚きだった。

 

 2ページ目以降は、同盟軍の編成が簡単に書かれていた。軍の編成は今の世界とあまり変わるところはなかったが、やたらと辺境艦隊や警備隊の数が多いのが気になった。時間がないのでページをめくる。

 

 3ページ目は、これまでの自由惑星同盟軍のたたかい、であった。年表形式で同盟軍の戦闘の記録が2ページにわたって書かれている。どうやらこの世界では「第二次ティアマト会戦」(アッシュビー率いる同盟軍が帝国軍に大勝し、アッシュビーが重傷を負った会戦のことらしい)で、アッシュビーは戦死、当然アッシュビー・ラインが建設されることはなく、同盟軍は帝国軍との戦争をだらだらと続けていることになっていた。この世界では、ティアマト会戦は第四次まであるそうだが、詳細は分からない。

 

 5ページ目は、宇宙歴796年の同盟軍、であった。どうやら796年の歴史は独立した章で扱っているようだった。

 

 2月、我が軍はアスターテ星域に侵攻してきた帝国軍と交戦、第2艦隊、第4艦隊、第6艦隊の3個艦隊は勇戦奮闘し、第4艦隊パストーレ中将、第6艦隊ムーア中将といった歴戦の勇将が戦死したものの、帝国軍を撃退することに成功しました。

 

 おやおや──

 パンフレットの記述にヤンは苦笑した。3個艦隊のうち2個艦隊で司令官が戦死、ということは2個艦隊は大損害を被ったということじゃないか。大敗と書きたくないのは分かるが、この一文を書くだけでもいろんな部署が散々頭をひねっただろうな。さらに驚くことに、三人の司令官の顔写真は、自分達の知る司令官と全く同じなのである。第2艦隊パエッタ中将(昇進おめでとう)は、エル・ファシル時代にいつも顔を突き合わせていたあのパエッタだし、ムーアはともかく、パストーレならヤンも十分知っている。

 

 5月、我が軍は、今まで悩みの種であったイゼルローン要塞を奪取すべく、七回目の攻略作戦を発動しました。今までの力攻めではうまくいかないことを悟った我が軍は、方針を転換し、一人の人物に作戦を託しました。

 

 どうもこの世界では、イゼルローン回廊に機雷堰は無く、そこに帝国軍が要塞を建造していたらしい。同盟軍は六度力攻めをして失敗し、七度目で方針を転換したということか。ヤンはそこまで読んでページをめくり──

 

 そして先はなかった。どうもパンフレットの管理がよくないのか、ページがいくつか落丁しているらしかった。折角いいところなのに、ヤンはそう思ったがしょうがない。次のページでは、いきなり9月まで時間がとんでいる。

 

 奪取したイゼルローン要塞から出撃した8個艦隊ですが、帝国の抵抗に傷つき、同盟からの補給の不安もあったため、帝国を解放する作戦を棚上げし、イゼルローン要塞に撤退しました。

 

 へぇ、イゼルローン要塞を奪取したのに飽き足らず、帝国に攻め込むとは、この世界の同盟はよっぽど戦争が好きらしい。それに8個艦隊の共同作戦とはね、そりゃ補給も不安になるよ。今の後方支援本部なら、聞いただけで全員卒倒するだろうな。

 

 同盟は民主主義の理想のもと、帝国の大きな領域を解放しました。ですが、勇戦敢闘した戦士達の犠牲は大きく、出征した3000万人のうち、2000万人が還らぬ人となりました。

 

 それを見たヤンは、頭を殴られるような衝撃を感じた。2000万人が戦死というのは空前絶後という言葉でもまだ足りないぐらいだ。今の宇宙艦隊全部を合わせても2000万人には到底及ばない。それがそっくり無くなってしまったら、それは軍が崩壊しているのと一緒じゃないか。一体この世界はどうなっているんだ。

 

 ヤンはパンフレットを閉じた。どうやら中尉の言っていた並行宇宙ジャンプ仮説は当たっていたと言っていい。このパンフレットさえ見れば、誰だって中尉の言うことを信じるだろう。ならば──

 

 ヤンはヘルメットのシールドを開けると、顔の前にあるわずかな空間にパンフレットを折りたたんで突っ込んだ。視界がさえぎられるがしょうがない。さて、時間も時間だし戻るとするか。

 

 次の瞬間、艦が大きく震動し、思わずヤンは尻もちをついてしまった。

 

 

 

「すまん。中尉。少々時間を食ってしまった」

 艦橋に戻ったヤンは謝罪したが、フレデリカからは返答がなかった。フレデリカは立ちすくんで、メインスクリーンの方を見ている。メインスクリーンには、惑星の姿がでかでかと映し出されている。

 

「中尉。この惑星は一体──」

 

「少佐。突然艦が震動したと思ったら、あれがあったんです。それまで何も無かったのに……嘘でしょ。あれは──」

 ヤンも惑星を少し見て、同じように固まった。間違いない。あれは惑星フェザーンじゃないか。

 

「中尉、もしかして、あの震動は即時超短距離ワープか?」

 フレデリカはうなずきながら、恐らく、と、それだけ言った。次の瞬間、それまでの震動よりはるかに大きい震動が艦を襲った。

 

 

 

 少し時間を戻す──

 

 惑星フェザーンの宇宙港は、それを支援する無数の地上施設で成り立っている。第十九宙域観測所はそんな施設の一つである。ムライと幾人かの大使館技術員は、その施設に「案内」され、ヤン達の調査活動を「指揮監督」するものとされた。

 

 もちろん、実質はヤンが調査している間、留め置かれている「人質」である。ヤンから何の通信もないので、ムライができることとすれば幽霊戦艦を眺めることぐらい。でも、ヤン達が幽霊戦艦の調査を終えるまで、彼らはここを出ることはできない。事情が事情であるので、彼らの「サポート」をする帝国軍人やフェザーン人のサービスを期待することもできない。

 

「艦に異変はないか」

 

「ありません」

 ムライの言葉に、フェザーンのオペレーターはうんざりして答えた。幽霊戦艦の周囲にはエルムラントⅢだけではなく、他3隻の駆逐艦が監視にあたっている。戦艦の方はうんともすんとも言わない。最初は、緊急周波数で呼びかけをおこなっていたが、何も回答がなかったのでやめてしまった。

 

「通信してくれればいいんですけどね」

 ムライに付いてきた技術者が言った。

 

「艦の通信アンテナを制御できないのだろう」

 ムライが答えた。

 

「ならば、出てくるまでやることはないですね。あの戦艦が動けばまだしも、ですが」

 技術者が言った。暗に、オペレーターを急かすな、と言っているのである。

 

「入ってからどれぐらいになる」

 

「そろそろ一時間です。予定ですとそろそろ脱出するか定時連絡があるはずですが」

 

「……待つしかない」

 ヤンに調査を押し付けた以上、見捨てることはあり得なかった。流れでそうなってしまったとはいえ、いや、だからこそである。もちろん、ムライは、ヤンとフレデリカが「世紀の大発見」をしたことを知る由もない。

 

 ムライは用意されたデスクに座ると、ミネラルウォーターの瓶を開けて飲もうとした。とっくに空になっていた。本当は代わりが欲しかったが、帝国の警備員は水を買いに行くのはもちろん、トイレに行くときすらぴったりと離れない。おかげで、この部屋から出ていくことすらやりにくいのである。

 

 特務支援課の有名税かな──

 ムライは頭の中だけでそう思った。情報工作部隊の長であれば、警備厳密な場所から抜け出す秘密の魔法でも持っている、そう思われているのかもしれない。

 

 ムライはゴミ箱に瓶を投げ込むと、スクリーンを眺めた。状況は変わらず、謎の戦艦はそこにあるだけ。一体彼らはどこから来たのか。同盟軍データバンクにない謎の戦艦、お前は一体何者だ……

 

 警報ブザーがけたたましく鳴り響いた。

 

「何事だ!」

 同席している帝国軍の連絡士官が咎めた。

 

「ワープ警報です。次元震動反応を検知しました!場所は至近です!!」

 

「馬鹿な。この宙域に直接ワープアウトしてくるのか!」

 

「い、いえ……恐らくは」

 オペレーターが言い終わるより前に、幽霊戦艦は小さくぱっと光り、消えてなくなってしまった。

 

「……消えた」

 オペレーターが震えながら言った。

 

「ムライ中佐、これはどういうことかね」

 連絡士官がムライに詰め寄った。

 

「……」

 ムライは何も言わなかった。いや、俺にだって分からんよ、と言ったつもりだったが声になっていなかった。

 

「ま、まぁ、今のは自分にも分かりません。まずは次元震動から場所を推測しましょう。恐らく長距離のワープではないはず。大丈夫です。必ず調査は遂行することをお約束します。あの船を隠し立てすることなど──」

 

「フェザーン宇宙港より通信!!例の戦艦が!!」

 オペレーターの声は悲鳴そのものだった。

 

 

 

 あまりに大きすぎる震動に、ヤンはまたも尻もちをついてしまった。グリーンヒル中尉は耐えることができたが、それは体幹が優秀というよりも、たまたま近くにオペレーター用の座席があるから、それにしがみついただけだった。

 

「少佐!一体これは……」

 

「分からない。だが、フェザーンがこれほど大きく見えるとしたら……中尉、近くに民間船の航路が見えるか?」

 

「見えません」

 

「……やばいなこれは」

 ヤンの膝が震えだした。惑星フェザーン近傍で、付近に宇宙船が見えない。ということは、ここは宇宙船の居てはいけない宙域だということ。そこに侵入した物体はあの『首飾り』によって排除される。

 

「ヤン少佐!応答しろ!!ヤン少佐!!」

 茫然自失としたヤンを引き戻したのは、レシーバーから聞こえるムライの声だった。

 

 

 

「馬鹿者、攻撃をやめるのだ。幽霊戦艦は攻撃などしておらん」

 惑星フェザーン近傍に突然現れた幽霊戦艦に、ムライはじめ指揮所の誰もが仰天した。しかし、その戦艦への攻撃が始まるのを見たムライは、フェザーンの航路担当者に詰め寄った。『首飾り』の一つが発射したレールキャノンは1発が命中、艦の動力に深刻なダメージを与えたものと思われる。

 

「ですが中佐、航行禁止宙域に侵入したオブジェクトは、例外なく自動迎撃の対象となることは御存知でしょう。あの船は禁止宙域のど真ん中にいるのです」

 航路担当者は当然のように反駁した。だが、ムライとしてもはいそうですかと言うわけにはいかない。

 

「これは何かの事故だ。事実、我が軍の調査はまだ終了していない。それだけでも待ってくれ。ヤン少佐とグリーンヒル中尉の脱出は確認できていない」

 

「中佐殿、事故だとおっしゃるなら、あの戦艦が再び動き出さない保証はあるのですか。事故で砲門を開くことはないと保証できるのですか」

 そう言われてムライは黙った。帝国、同盟双方のコントロール下にない戦闘オブジェクトがこんなに惑星に接近していることがリスクである。もしかしたら、宇宙港から目視で見えているかもしれない。もし仮に戦艦が全火力を投射したとしたら……

 

「だが、まだ戦艦は動き出していない」

 ムライは絞りだすように言った。

 

「三十分です」

 連絡士官が言った。

 

「あの戦艦が動き出さないという前提で、待てるのは最大限それだけです。それ以上は航路を規制しなければなりません。もちろん、戦艦が動き出したら、即時攻撃開始です。あと、これだけ近くなら通信も届くのではないですか」

 航路担当者の言葉に、ムライはオペレーター席に駆け寄った。

 

 

 

「何故そこにワープアウトしたかは知らん。だが、分かっているとは思うが首飾りが戦艦を狙っている。もう初弾は発射された」

 

「分かってます」

 ヤンは答えた。照明が非常灯に切り替わり、重力制御にエネルギーが回せなくなったのか、体が自由に動かせなくなっている。センサーによると、重力はおよそ0.2Gとのことだった。恐らく機関部が大破したのであろう。

 

「三十分しかない。すぐ脱出するんだ」

 

「待ってください。この戦艦を破壊するんですか。これは金塊なんかよりはるかに貴重な──」

 ヤンは抗弁した。もしこの戦艦を分析することができたら、人類の科学に大きく進歩するに違いない。帝国、同盟そんなことは関係ない。人類の宝と言ってもいい。

 

「馬鹿者!死にたくないならさっさと逃げろ!!艦の底部にある緊急脱出ポッドだ!それなら小さすぎて首飾りの迎撃システムから逃げられるかもしれん。早く!」

 ムライからの通信はそれだけ言うと切れた。

 

「少佐……」

 グリーンヒル中尉がこちらを見つめているようだ。ヘルメットを被っているので分からないが、呼びかける声は震えている。

 

「……命あっての物種。仕方ない。艦底に急ぐぞ」

 

 

 

 ヤンとフレデリカは非常階段を下りていた。動力がなくなってしまっては、エレベーターを使うこともできない。そういえば少し前に同じようなことをしたな、ヤンはそれを思い出したが、思い出にひたっている暇はない。というか、重力が低いせいかまともに脚を動かすのも苦労する。

 

 前を歩いているフレデリカが立ち止まった。

 

「中尉」

 

 ヤンの呼びかけに中尉は反応しなかった。代わりに、非常階段の手すりをひょいと飛び越えると横にある配管を掴み、滑り棒の要領で一気に下に降りていった。

 

「お、おい、中尉──」

 

「少佐、低重力なので失敗するリスクは低いです。棒をゆるく掴めば止まることもありませんし、スーツなので摩擦も気にしなくていいです。早く!時間がありません!!」

 

 レシーバーから聞こえる声にヤンは一瞬ためらったが、年下の女性に先に行かれてはどうしようもない。意を決して手すりを乗り越えると、配管を掴んで、同じように滑り降りた。確かに、階段を下りるよりずっと早い。さすがだ。

 

 ヤンとフレデリカが艦底レベルにたどりついた時、時間の猶予は10分を切っていた。普通に階段を下りていたらとても間に合わなかっただろう。

 

「中尉、ありがとう。感謝する」

 

「脱出ポッドまで距離があります。急いで!」

 

 二人は通路を急いだ。少なくともそのように努力した。だが、例によって低重力状態では体が思うように動かない。

 

「少佐、壁か通路を思いっきり踏みつけてジャンプしてください。低重力ではそちらの方が早いです。踏み切ってジャンプ!」

 フレデリカはそう言うと、両足を器用に立桟に引っかけると、スクワットのからの立ち幅跳びの要領でぴょんと飛んでいった。なるほど、そちらの方がずっと早く移動できそうだ。ヤンもそれを見よう見まねで真似して進んでいく。有難いことだ。

 なんで彼女はこんなことを知っているのだろう?

 

 脱出ポッド区画にたどりついた時、時間は5分を切っていた。

 

「少佐、あれ!」

 運のよいことに、脱出ポッドは1個だけ生き残っていた。残りは恐らくデ・ロイテルの乗組員が使用したのであろう。まさか故障しているから残っていた、なんてことはあるまいな。

 

 フレデリカは脱出ポッドに取りつくと、ポッドを起動させた。

 

「よかった。動きそうです!少佐、早く!!」

 

 フレデリカの声にヤンはポッドに駆け寄った。その途中、ヤンの体がふらつき、壁に叩きつけられる。ヘルメットのスイッチが壁に押し付けられ、シールドが開く。ヘルメットの中に無理矢理入れていたパンフレット「わたしたちの自由惑星同盟軍」がヘルメットから飛び出し、通路の向こうへふわりと飛んでいこうとしていた。

 

「あ──」

 ヤンがパンフレットに手を伸ばした。掴もうとしたがうまくいかない。もう一度──

 ヤンがなおも掴もうとしたその時、フレデリカが反対側の腕を掴んで、ポッドの中に引きずり込んだ。

 

「少佐、念のためシールドを閉じてください」

 

「中尉。ちょっと戻っていいか。すぐに戻る」

 ヤンはフレデリカを振りほどいて、ポッドから出ようとした。

 

「だめです!!ここから出たら、もう戻ってこれません。あと3分しかありません」

 再びフレデリカがヤンの腕を掴んで叫ぶ。

 

「3分もあるじゃないか。何か持ち帰らないと……」

 なおも反論するヤンに

 

「少佐、死にたいんですか!脱出したって、距離が十分離れないと戦艦の爆発に巻き込まれるんですよ!!」

 フレデリカの絶叫に、ヤンの心の中で何かが折れた。ヤンが抵抗をやめたことを確認したフレデリカは、脱出ポッドを操作すると、戦艦デ・ロイテルからの緊急脱出を実施した。

 

 フレデリカの判断は全く正しかった。三分後、脱出ポッドが戦艦と十分距離を取った後に、首飾りが放った光線が戦艦デ・ロイテルを貫き、戦艦を粉々に爆砕したのであった。

 

 

 

 二週間後──

 

 出勤したヤンは、特務支援課の執務室にある自分の椅子にどっかりと腰を下ろした。幽霊戦艦から脱出して二週間、ヤンは自分の職場に出勤することができなかった。

 

 脱出ポッドが同盟軍差し回しの救助艇に回収され、なんとかフェザーンにたどり着いたのが翌日、それからフレデリカとは別行動となり、同盟、北朝、南朝の係官が入れ替わり立ち替わり取り調べにやってきた。特に同盟の取り調べは執拗だった。

 

 ヤンの証言は、当初誰も信じる者はいなかった。だが、ヘルメットのカメラが撮影した画像を解析し、脱出ポッドの調査が進むにつれ、どうやら言っていることに間違いはないらしい、と思うようになった。

 

 取り調べと同時に身体検査も厳重に行われた。見たことも聞いたこともない検査をあまりに多くやらされるので、「グリーンヒル中尉は女性で将来があるんだから、もう少し勘弁してやってくれ」とヤンがクレームを入れるほどだった。

 

 一週間経って取り調べ、検査が一段落し、これで元に戻れると思ったのも束の間、今度は同盟、北朝、南朝、フェザーンのマスコミが押し寄せ、ヤンはいろんなメディアにまつりあげられる羽目になった(ヤンは直接確認していないが、フレデリカも同じようにメディア攻勢に遭っていた)。

 

 これは主に同盟側の事情があった。海賊騒ぎの謝罪と賠償を体よく押し付けられる形となった外務委員会が、失点を挽回する手段として、「人類の財産を破壊したフェザーン」というストーリーに飛びついたからだった。同盟の学術団体を動員して脱出ポッドを調査し、それが同盟の採用しているタイプではないことを確認すると、大々的に宣伝につとめた。また、惑星フェザーン軌道上に存在するデ・ロイテルの残骸について、帝国・フェザーン共同の調査を提唱、調査が一段落するまで『首飾り』の機能停止を要求することさえ行った。

 

 首飾りの件に関しては、当然フェザーンは抵抗したが、頼みの綱である北朝・南朝の科学アカデミーから抗議を受け、政府からも無視されては抵抗できなかった(帝国としては、首飾りのせいで航路が限定され、フェザーンへの行き来が慢性的に渋滞状態となっていることへの不満があった)。

 

 ここから後はヤンの直接関わる話ではないが、幽霊戦艦騒ぎはこの後も意外と長く尾を引くことになった。デ・ロイテルの残骸から、本世界のいかなる工業規格、軍事規格にも合致しない合金であることが発表されるとか、惑星フェザーンの高等教育機関がこの騒ぎを利用し、独自の学術団体を立ち上げるとか、残骸を回収するために海賊まがいの残骸漁り(スカベンジャー)が出張って来るとか、デ・ロイテルの残骸と称してガラクタを高値で売りつける詐欺事件が起こるとか、この騒ぎで起こった政治的暗闘を揶揄したコメディー映画、『幽霊戦艦のあとしまつ』が封切りされるとか、いろいろ、いろいろあるのだが、この話はこれまでとする。

 

 ヤンとしては、そんなこんなのイベントと比べれば、机で仕事ができるのは天国に居るに等しかった。一刻も早く、幽霊戦艦とおさらばしたかった。事務端末を立ち上げ、たまっているメールでも読むか、と思ったその時、

 

 執務室にあるコミュニケータがアラームを鳴らした。コミュニケータを見ると、相手は事務所ビルの入口にある受付AIであり、ヤンに面会を求めている人が居るとのことだった。ヤンは心当たりがなかったが、AIが通知してきたということは、セキュリティレベルに問題はないということであろう。ヤンは執務室まで案内するように通知した。

 

 しばらくの後、執務室の入口のドアが開いた。訪問者はすたすたとヤンの机まで歩くと、ヤンに敬礼を行った。来訪者を見て、ヤンは仰天した。

 

「君は……一体どのような用件で」

 

「申告致します。この度、特務支援課に配属されましたフレデリカ・グリーンヒル中尉であります。課長からはヤン少佐の補佐を承っております。着任の確認を」

 

「…………」

 

 ヤンは声が出なかった。補佐……確かに手伝いは欲しくて、事務処理の手伝いはそのうち来るだろうとムライは言っていたが、今日来るとは知らなかった。それに手伝いがフレデリカというのは想定外もいいところである。

 

「君は、情報管理局ではなかったのか?」

 

「それは前の所属です。一か月前にフェザーン大使館特務支援課に転属となりました。いろいろありましたが、今日が初めての出勤です。よろしくお願いします」

 

「…………」

 

「少佐、どうかなさいましたか」

 

「あ、いや。着任する話は来ていたんだが、今日だとは思ってなかった。申し訳ない。大使館の方に着任の挨拶を先に済ませた方がいい」

 

「もう済ませました」

 

「では、ムライ課長の方に」

 

「それも済ませました。大いにやってくれ、と」

 

「では、大使館総務のベティス大尉のところに行ってくれないか。君の机や仕事に必要なものを用意させるから」

 

「分かりました。それと」

 

「それと?」

 

「着任の確認を」

 そう言われてヤンははっとした。一応、部下を受け入れる時、上司は部下の着任を確認し、許可する決まりになっている。ヤンはコミュニケータに届けられた着任申請に許可(アクセプト)信号を返し、椅子から立ち上がった。

 

「着任を確認した。よろしく、中尉」

 ヤンの答礼を見て、フレデリカはようやく敬礼を止めて、執務室を出ていこうとした。

 

「ああそうだ──」

 

「何でしょうか?」

 

「念のために聞いておくけど、本当にここで問題ないんだね。私の補佐ということは、通常は煩雑な事務処理だし、時たまあんな馬鹿騒ぎに付き合わされることになる。君の事務処理能力をもってすれば、情報管理局に居た方が──」

 

「問題ありません」

 ヤンが言い終えるよりも先に、フレデリカが言った。

 

「私は冒険がしたいのです」

 

 フレデリカはそれだけ言って、執務室を出ていった。

 

 

 

 フレデリカ・グリーンヒル中尉が執務室を出ていったのを確認して、ヤンは頭を抱えた。

 どうして自分の周りには変わり者しかいないんだろう。




次回予告

 フェザーンでのポーカー大会に参加するヤン・ウェンリー。ヤン本人の任務は、カジノで行われる違法取引の監視であったが、何故か大金のかかったポーカー勝負に巻き込まれてしまう。

第十話「カジノ・ロワイヤル」


著者より

本作におけるワープの挙動についての参考文献は以下の通りです。

Wikipedia - 「ワープ」

Wikipedia - 「アルクビエレ・ドライブ」


BBC News - 「タイムマシンは造れるのか 科学者たちの挑戦」





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第十話 カジノ・ロワイヤル

 フェザーンでのポーカー大会に参加するヤン・ウェンリー。ヤン本人の任務は、カジノで行われる違法取引の監視であったが、何故か大金のかかったポーカー勝負に巻き込まれてしまう。


 宇宙歴798年1月の終わり──

 

「今日の特集は、フェザーンのファッション界でブレイク直前のニュースタイルをご紹介!今やセレブの間で話題騒然、今後流行すること間違いなし──」

 

 ヤンは舌打ちすると、リモコンの電源ボタンを押してテレビの電源を切った。最近のヤンに「セレブ」という言葉は禁句で、ヤンの目の前で不用意に使おうものならぎろりと睨みつけられて退散する羽目になる。別にヤンがセレブを目の敵にしているわけではない。

 

 今のヤンこそがセレブなのだ(期間限定ではあるけど)。

 

 

 

 幽霊戦艦の事件直後ほどではないが、休日は一、二件取材の依頼が入ったし、雑誌記事にコメントを求められたりもした。ヤンをうんざりさせたのは、ダスティ・アッテンボローがその中の一人だったことである。さすがにヤンは憤慨したが

 

「いやぁ。ずっと黙ってたんですよ。でも、とうとうバレてしまいましてね。うちの雑誌と関係ないだろうって言いましたよ。だけど、先輩の記事があれば売り上げが上がるってデスクが五月蠅いんですよ」

 

 と言われては、取材に協力せざるを得なかった。年末年始は休むどころではなく、なんやかんやパーティーに呼ばれてはスピーチをさせられたり、どこぞの大学で講演をやらされたり(パーティーよりはまだましだった)、果てはどこぞのショッピングモールで一日店長をやらされたり(それも休日を潰して!)、これがセレブだというなら、セレブは最も仕事中毒な連中に違いない、二度とやるもんかとヤンは決意したものであった。

 

「まぁ、人の噂も七十五日。消費されきったら誰も話題にしなくなるだろう。そもそも人前に出る職業ではないからな」

 

「課長、そんな他人事みたいに言わないでください。一月の休日は三日しかないんですよ」

 ヤンはムライに抗議するも、ムライはむしろ面白がっている様子である。まぁこれでも、ムライはヤンの負担を軽減すべく各所に働きかけてくれたほうなのだ。

 

 幽霊戦艦の一件は、いまだに注目を集めているが、さすがに連日ニュースで取り上げられるほどではなくなっていた。現在は、装甲板と思われる残骸が回収され、その組成について調査が行われているそうだ。本当はコンピュータやデータボックスを回収して調査したいところであるが、行方が分からないらしい。

 

「そういう調査結果が出れば、調査した人間がまつりあげられる。その時、君はセレブの座を渡してやればいいのだ」

 

「一刻も早くそうなってほしいですね」

 ヤンはぶうたれた。

 

「ところでグリーンヒル中尉はどうかね。仕事に慣れてくれたかね」

 

「グリーンヒル中尉ですか。大変助かってますよ。自分にはもったいないぐらいで」

 フレデリカは、多忙なヤンの業務を相当肩代わりしてくれていた。フレデリカだってヤンほどではないがいろんな取材の依頼をこなしているはずである。それであの事務処理能力の高さであるから、どうしても頼ってしまうというものである。

 

「ところで確認しておきたいのですが」

 

「何かね?」

 

「グリーンヒル中尉は、課長がスカウトしたんですか。分かっていた上で」

 

「まさか。こちらの求人に彼女が応募してきたのさ。余程この職場が魅力的に見えたものとみえる。ま、事務仕事の補佐で募集したのだがな」

 ムライの言葉に、それは詐欺というものだろう、ヤンは心の中だけでツッコんだ。

 

「総参謀長のご令嬢であったことも?」

 

「経歴書を見れば分かることだ。本人は何も言わなかったがな。ハイネセンのオフィスで一生過ごして当たり前なのに志願した。おそらく周囲にも止められただろう。だとしたら本人に相当固い意志があると思わなければ。それに応えてやらんと。そうじゃないかね」

 ヤンは思った。そういえば、彼女はあんなに危険な目にあったのに、恨み言の一つも聞いたことがない。

 

「私は冒険がしたいのです」

 

 ヤンはあの一言を思い出した。一体何が彼女をああさせたのだろうか。

 

「というわけでだ。少佐、グリーンヒル中尉を呼んでくれないかね。彼女の仕事熱心さに応える仕事を一つ、用意している。もちろん君にも、だ」

 

「ちょっと待ってください」

 いきなり風向きが変わったことに困惑しつつも、ヤンは反論する。

 

「こっちはいろんな雑用でもうくたくたですよ。彼女だって休息が必要なはずです。それに、我々は顔が知られ過ぎています。秘密作戦に使うなら逆効果ではないのですか」

 

「だからこそ、だ。立っている者はセレブでも使え、そのための作戦を考えたのだよ。周囲が君の顔を忘れてしまっては、この作戦は使えない」

 あっさり反撃を躱され、ため息をつくヤンである。

 

 

 

「ポーカー大会に出場……ですか」

 フレデリカが不思議そうな顔をして言った。

 

「そうだ。2月1日、セレブを集めてチャリティのポーカー大会が開催される。各界のセレブがリゾート地のカジノに集まってお祭り騒ぎをするわけだ。君達には招待状が届いている。大使館宛に、だけどな」

 

「……よく分からないですね」

 ヤンが厳しい顔でつぶやく。どうせろくでもない話であることは確信があった。

 

「何、簡単なことだ。この大会で優勝する、いや、優勝しなくとも決勝戦まで進んでもらう。君達にやってもらうのはそれだけだよ」

 ムライは、算数のドリルでも解いて持ってこい、そんな感じで言い放った。

 

 

 

「おっしゃることの意味が分かりません」

 フレデリカが無表情でそう言った。ヤンは何もしゃべらない。そうしないとムライは必要な情報を言ってくれないからである。

 

「言ったことは単純明快なはずだが。もう一度言って欲しいのかね」

 

「何故我々にそれが可能と思われるのか、その根拠をご提示ください。あるいは何故それが必要なのか。プラン-Bが必要です」

 フレデリカは物怖じすることなく言い切った。

 

「……課長、あまり若い者をいじめないで頂きたい。私もお聞きしたい。我々のような素人がどうしてポーカーで勝てると思うのか、です。イカサマでもやるのですか」

 たまらずヤンが口を挟む。

 

「やめておけ。素人のイカサマなど、本職からすれば児戯も同然。バレてしまえば作戦は台無しだ」

 

「では、お断りします。自分も中尉も、命令について任務の遂行を誓うことはできません。課長は無理なことを言っている」

 

「自分もそう思います。第一、自分はポーカーをやったことはありません」

 ヤンの反駁にフレデリカが加勢した。

 

「……身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ……まぁ、人に言う言葉ではないな。わかった、そこにかけたまえ」

 ムライは課長室にあるソファを指し示した。

 

 

 

「麻薬取引?」

 

「そうだ。中尉。我々は帝国と共同作戦でサイオキシン麻薬の流通ルートを追っているが、大規模取引が近々行われるという確証を取った。そして、取引のための情報交換に、このポーカー大会が使われる」

 

「なるほど。それを潰すわけですね」

 フレデリカがうなずきながら言った。ようやく概略を掴めた、という感じで。

 

「そこまでは期待しない。それは本職たる我々の仕事だ」

 ムライはあっさり否定すると、映像端末を捜査する。端末の上に、二階建てのリゾートホテルの設計図が現れる。

 

「情報によると、だ。まさに取引の情報交換が、この大会の会場で行われるとのことだ。そこでだ、大会の会場、この中央にある大テーブルが、決勝戦のステージ。ここに、情報収集装置を仕掛ける」

 ムライはそう言って、課長のデスクの抽斗から半球状のデバイスを持ってきた。手のひらで握れば拳の中に隠れそうな、レストランの電子呼び鈴を思い出させるような装置だった。

 

「そこに取り付ければ、後はそこを経由して会場全体を調査することができる。そのための君達だよ。テーブルにこれを取り付けられるのは、招待客である君達だけなのだ」

 

「ですが、それを実現するためにポーカーで勝つ、というのは非現実的ではないのですか。秘密裏に仕掛けることはできないのですか。ディーラーを買収する方がずっと手っ取り早い」

 ヤンは反論する。未だに、この作戦は非現実的だ、そう思っている。第一、その取引というのは誰が誰とやるのか、それすら知らされていない。それすらムライのトリックなのだろうか?

 

「少佐。敵をなめてはいけない。職員をきちんと管理するのは、ああいう商売の基本中の基本だ。金銭もそうだが、手癖の悪い職員と見なされたら他で商売はできないんだ。簡単ではないよ。君が直接行った方が早い」

 

「では、もし負けたらどうなるんですか」

 

「……そうさ、のぅ。なら、そのデバイスを起動させて、テーブルの周りにでも立っていてもらうかな。立ち位置は指定させてもらうかもしれん。中尉、君は付き添いで、連絡役を頼む。距離を取って、接触は控え目に。少佐に何かあっても巻き込まれないようにな」

 了解しました、とフレデリカは応えた。ヤンは心の中だけで、やれやれ、と言う。ようやくムライの本音を聞けたと思った。後に、ヤンはこの時感じた違和感を何故もっと突き詰めなかったのか、そう後悔することになるのだが。

 

 

 

「ほぅ……」

 夜六時、ハイヤーから降りたヤンは、目の前の威容に思わずため息をついた。ポーカー会場のカジノ『ロワイヤル』は、設計図こそ目にしていたものの、建物の豪華さはヤンの想像を超えていた。

 

 いや、想像を超えるのはここに来る前からかもしれない。フェザーン中心街の高級ホテルからこれまた普段滅多に乗らない、富裕層向けのハイヤーに乗って揺られること一時間、フェザーン湾に面したリゾート地にあるカジノが、今回のポーカー大会の会場である。

 

 いつまでもぽつねんと立ちつくしているので、たまりかねたフレデリカが肘を掴んで引っ張った。我に返ったヤンは、頭をかきつつフレデリカの後をついていった。こんな姿を見ると、尻にしかれっぱなしの夫とその妻……と見えないこともないが、それは将来の可能性の一つであろう。その姿が観測できるかどうかは将来にならないと分からない。

 

「ヤン・ウェンリー様と、フレデリカ・グリーンヒル様ですね」

 受付に居たホテルマンは、二人の顔を見るなり馴染みの客であるかのように、にこやかに会釈をした。二人からコートを受け取ると、二人にそれぞれ一枚の紙片を手渡した。

 

「カジノのチップ窓口にてお渡しください。今回の大会で使用しますチップをお渡しします。他、必要なものがあればお申し付けください。ご宿泊のご予定はないとお伺いしておりますが、おっしゃっていただければすぐにご用意いたします」

 

「あ、ありがとう」

 ヤンはむしろ恐縮してしまった。

 

 

 

「広い……」

 

 ポーカー大会の会場に入ったヤンは、またも立ちつくしてしまった。少々小ぶりな体育館と思われる広さのホールには、無数のテーブルが配置されている。そして、数えきれないほどの男女が勝負に興じたり、談笑したりしている。その中を、ウェイターや黒服が縫うように動き回っている。

 

「少佐」

 

「は、はい」

 またもフレデリカに促され、ヤンは会場内に一歩踏み出した。上流階級というものにまるで縁がないヤンと違って、フレデリカはある程度場慣れしているようである。総参謀長の娘であれば、そういうことに慣れるのだろうか。ヤンはそう思ったが口にはしなかった。この日のためにレンタルしてきた(と聞いた)ネイビーのワンショルダーワンピースも自然と着こなしている。ヤンも、ブラックのスリーピース・スーツを着用しているが、軍服に慣れ過ぎたヤンとしては、どうも服に着られている感がしてならない。

 

 場内では数か所にバーが設置されており、そこでは自由に飲み物を注文することができるようだった。ヤンとしてはそれならばと一杯やりたいところであったが、またもフレデリカに止められ、泣く泣くスパークリングウォーターを注文せざるを得なかった。

 

 あちこちで歓声があがり、喜ぶ声、落胆の声、拍手がそれに交じる。ただ、それを発しているのは参加者のみ。ディーラーは機械的にカードを配り、参加者に指示を出している。彼らはこの大会の主役ではないのだ。ウェイターや警備の黒服もそうである。

 

 ふと後ろを見ると、さっきまで居たはずのフレデリカの姿が消えていた。そういえば、チップを取ってくるって言ってたっけ、と思い、今のうちに一杯やっておこうかとウェイターを呼び止めようと思ったその時、背後から声をかけられた。

 

「ヤン・ウェンリー少佐ですな?」

 

「はい」

 ヤンが振り返ると、そこには長身の男性が立っていた。ダークブラウンの髪はきちんと整髪料でまとめられている。顔立ちは秀麗という言葉すら足りないほどで、目に違和感があると思ったら、左右でどうも瞳の色が違うようだった。男ですら敵わないと思ってしまうような美男、というのは目の前にいる男のためにあるようなものだ。

 

「……」

 

「もし」

 

「あいや、これは失礼。ヤン・ウェンリーです。同盟の大使館に勤務しております。失礼ですが」

 

「オスカー・フォン・ロイエンタールと申します。北朝の弁務官事務所で書記官をやっております。立場は違えど、ご同輩のようなものですよ」

 ロイエンタールと名乗った男は、データグラムを送信してきた。ちらっとデータを見ると、確かに言っていることに間違いはない。

 

「ああそれは。で、どのようなご用件でしょうか」

 ヤンはおどおどしつつそう言った。最近のヤンはやたらと知り合いが増えていて覚えきれないのが悩みなのだ(有名人らしい悩みである)。どこかで何か適当なことを言って、それが尾を引いていないか、それが心配だったのである。

 

「例えば、どこかでお会いしたとか?」

 ヤンはずばり聞いてみた。

 

「いや。そのようなことはございません。ところで、ウォルフガング・ミッターマイヤーという男を御存知ですかな」

 

「ミッターマイヤー……ああ、あの」

 ヤンは辛うじて思い出した。あのテレビ番組で討論した北軍の少佐である。

 

「部署は違いますが、少しばかりあの男とは付き合いがありまして。ヤン少佐のことは、実に面白い男であると言っていましたよ。一度お目にかかりたいと思っておりました」

 

「ああ……それはわざわざすいません」

 ヤンはまたも恐縮して頭を下げた。

 

「ミッターマイヤーは転属してオーディンに行ってしまいましたが、フェザーンという地は私に合っているようで。もう三年、ここにおります。ヤン少佐はどれほどになりますかな」

 

「私は、そろそろ半年になりますでしょうか」

 

「ほぅ。どうですかな、フェザーンは?」

 

「正直、日々がいっぱいいっぱいで。自分に合っているかそうでないかは分かりません」

 ヤンは思わず本心を吐き出した。

 

「はははは。確かに、幽霊戦艦の一件は災難でしたな。あれは、弁務官事務所の航路課でも大騒ぎでしてな。連中、三日間家に帰れなかったそうですよ。それから──」

 

「少佐」

 横からした声に、ヤンとロイエンタールは一斉に振り向いた。箱のようなものを持ったフレデリカが立っていた。

 

「ああ。中尉、失礼。こちらは北朝の弁務官事務所に勤務しているロイエンタールさんだ」

 

「オスカー・フォン・ロイエンタールでございます。よろしくお見知りおきを」

 ロイエンタールはフレデリカに恭しくお辞儀をした。

 

「フレデリカ・グリーンヒルです。とくむ──自由惑星同盟の大使館に勤務しております。ロイエンタール様にはお初にお目にかかりますが、よろしくお見知りおきの程を」

 フレデリカは箱をヤンに押し付けると、ロイエンタールに敬礼をしかけてそれを止め、ぺこっと礼をした。

 

「グリーンヒル中尉のお顔は、テレビでお見かけしておりました。ですが、実際はずっとお美しい」

 ロイエンタールはいきなりフレデリカのまえで片膝をつくと、フレデリカの右手を取って甲に長々とキスをした。フレデリカの顔がみるみる赤くなるのが分かる。

 

「そんなに緊張なさらずとも。美しき花には敬意を捧げたくなるものです。美は剣よりも強し──私の好きな言葉です」

 

「あ、あの……」

 フレデリカは口をぱくぱくさせていた。

 

「ところでお二方は、大会にご参加されるのですかな」

 

「はい、そうですが、ロイエンタールさんは?」

 ヤンは聞いた。

 

「ふむ。自分も運試しといきたいところではありますが、残念ながら今回は付き添いです。高等弁務官の……あそこですな」

 ヤンとフレデリカは、ロイエンタールの指し示した方を見た。タキシードを着た老人の周りに数人の取り巻きが居る。雰囲気を見る限り、あまり旗色は良くないらしい。

 

「それは残念。自分もこういう所はまるで慣れないので、ロイエンタールさんのような先達にあやかりたいと思ったんですが」

 

「運の良し悪しに先達もなにもありません。ただ一つアドバイスをするとすれば」

 

「すれば?」

 

「賭けるときは自信を持って、というところでしょうか。大胆、大胆、常に大胆です。では、お二方のご健闘をお祈りいたしますよ」

 ロイエンタールはそう言って去って行った。

 

「少佐、あの方は?」

 

「うーん。知り合いの……知り合い」

 

「知り合いの知り合い?」

 フレデリカは眉を寄せて、ロイエンタールが去って行った方を見た。人ごみにまぎれたのか、ロイエンタールの姿はもう見えない。

 

「それにしても、中尉も美男には弱いとみえる。今まであんな中尉を見たことはなかった」

 

「少佐、それ、セクハラですよ」

 フレデリカは憤然として言った。

 

「あと、そのチップはあげますから、少佐。頑張ってください。幸運を祈ります」

 

「君は、やらないのかい?」

 

「私は連絡役ですから。それにポーカーのルールも知らないので。それでは、また後で」

 フレデリカはそう言って、すたすたと去って行った。フレデリカに押し付けられた箱を開けると、コインケースにいろいろな色のチップが詰まっている。事前のルールによると、参加者は一人一万マルクのチップを持って勝負をすることになっている。勝ち続け、チップが一定額を超えると、決勝戦の椅子に座ることができるわけだ。フレデリカの分のチップを加えると、今のヤンには二万マルクの資金があることになる。

 

「二万マルクねぇ……」

 ヤンはため息をついた。ディナールに換算すると、一人の同盟軍兵士の年俸に近い金額だ。ここでは、そんな大金が遊戯の駒として飛び交っている。世界が違うとはこのことか。

 

 

 

「キングのスリーカード、3番のお客様の勝ち」

 ディーラーが勝敗を宣告すると、賭けられたチップを回収し、その勝負で勝った客に渡された。

 

 ヤンはこのようなポーカーの大会に出たことはない。友人とポーカーゲームに興じることはあったが、このポーカーはそんなゲームとは全く異なるものだ。

 

 ポーカーが5枚のカードを組み合わせて、役の高低で勝負を決めるという遊戯であることは変わらない。だが、競技ポーカーでは、プレイヤーに配られるカードは2枚しかない。5枚はディーラーが持っていて、計7枚のうち5枚を抽出して、役の高低を決める。そして、ディーラーは5枚の札をいきなりオープンにするのではなく、まず3枚を公開、次に4枚、最後に全部表にして、その都度プレイヤーに選択を迫るのだ。

 

・支払った賭け金を放棄して勝負から降りる

・賭け金レートに足りないチップを支払い、勝負する

・賭け金レートを吊り上げる(勿論吊り上げた分のチップを支払うことが必要)

 

 なるほどね、ヤンはそう思った。競技ポーカーというものが生き延びてきたのはそういう戦略性の為せる技か、と。手持ちのチップは戦力、ディーラーが持っているカードは戦場という環境だ。そして、ディーラーが持っていて表にないカードは、戦場において誰もが感じる不確実性──『戦場の霧』というやつだ。

 

 特に、手持ちのチップの量というのは思ったより大きいインパクトがある。敵味方の戦力差が丸見えというのは、実際の戦争ではあり得ないことだが、それをカバーするのが手持ちの隠されたカードということか。ただ、カードという要素がなくともチップを沢山持つプレイヤーは、チップの乏しいプレイヤーに比べて大きな圧力を与えることができる。

 

 ヤンは数回勝負に参加したが、なかなか運が向いてこない。手持ちのチップはどんどん減っている。周りのプレイヤーは大きくチップを増やしたプレイヤーも居れば、減らしたプレイヤーもいる。自分にとっての状況はあまり良くない。

 

「次の勝負に参ります」

 ディーラーがそう宣言して、カードを配布した。ヤンの手札はクラブとハートのエース。今までで一番運のいい展開だ。ディーラーが公開しているカードには、クラブとスペードの3がある。これで3かエースが出てくればフルハウス。大きな手だ。

 

勝負(コール)

 ヤンはそう言うと、チップを前に差し出した。さすがにこの時点で降りる人はいない。レートも低いし、まだ表に出ていないカードもある。

 

 ディーラーが4枚目のカードを公開した。ダイヤの3。テーブルの周りがざわついた。3のスリーカードが見えているということは、手元にペアがあればフルハウスは確定だ。プレイヤーがどんどんレートを吊り上げにかかる。チップを一番持っているプレイヤーがレートをどんと吊り上げた。ヤンの手持ちのチップでは出しても勝負に参加できなくなる。

 

 まずいな──折角いい手だと思ったのに、これで皆フルハウスが見えてきたというわけだ。こんな時にチップが少ないのはなぁ──まるで大事な戦局で戦力が足りず、あと五千隻あれば、いや三千隻とかぼやいているようじゃないか。どうしよう。

 

 ヤンはしばし考え、ディーラーに促されると

 

全額勝負(オールイン)

 そう言って、手元にあるチップ全てを差し出した。ゲームのレートがどうであろうと、全額を賭ける時だけは参加が許される。ルールの例外規定というものである。ロイエンタールも言っていた。大胆、大胆、常に大胆と。ここは勝負に出るべきだ。

 

 ディーラーが最後の札を公開した。何とスペードのエース。これでフルハウスの場合、ヤンが一番強いことが確定したわけだ。ヤンは必死に表情を変えないように努力した。

 

結果発表(ショーダウン)です。カードを表にしてください」

 参加者がカードをめくった。やはりエースと3のフルハウスであるヤンの勝利。テーブルの周りでぱらぱらと拍手があがった。

 

 

 

 結果、そのテーブルではヤンの大勝という結果になった。その後、今までの不振が嘘のように連勝を続け、そのテーブルにあるチップを総取りにしてしまった。

 

「ヤン・ウェンリー様。おめでとうございます。どうぞ、決勝戦にお進みください」

 

 黒服に促され、ヤンは会場の中央にある大テーブルに進んだ。テーブルには10個の椅子があり、それぞれチップを大量に持ったプレイヤーが何人か座っている。

 

 もしかしたら、ギャンブルの才能があるのかもしれない──

 

 ヤンはそう思うようになっていた。今までそんなことを考えたこともなかったが、才能は活かしてなんぼである。退役した後、ポーカーで大金を稼いで、残りの時間で歴史の著述でもやることにするか──まぁ、今回は自分の任務を達成しなければいけないけど。

 

 ヤンの鼻っ柱が伸びきったところで、決勝戦が始まった。

 

 

 

 数回勝負が行われ、勝ったり負けたりで大きな変化はなし。ヤンとしては、適当なところでムライから渡された情報収集デバイスをテーブルに取りつけ、後は勝負に専念したかった。デバイスには粘着テープが貼ってあるので、テーブルに押し付ければそれで任務は完了、そのはずだ。ヤンはポケットに手を入れて、デバイスがあることを確認した。

 

「次の勝負に参ります」

 ディーラーが勝負の開始を宣言した。ヤンは配られたカードを見る。またもクラブとハートのエース。さっきはここから大逆転で勝利した。大丈夫、いける。

 

 ヤンは一気にレートを吊り上げた。周囲のざわめきが大きくなる。他のプレイヤーが皆、しかめ面になった。勝負に応じるプレイヤーもいれば、降りるプレイヤーもいる。ディーラーのカードは4枚公開されていて、6のペアがある。5枚目で6かエースが出ればまたもフルハウスである。いけるぞ、ヤンはそう感じた。

 

 ディーラーが最後のカードをめくり、ヤンは驚きのあまり瞠目した。

 

 ハートのエース。まさか、そんなことはあり得ない。

 

「ヤンさん。結果発表(ショーダウン)です。カードを表にしてください」

 ディーラーに促され、しぶしぶヤンはカードを表にした。周囲のざわめきが一気に大きくなる。周りのプレイヤーが一斉に目をむいているのが分かった。ハートのエースがヤンの手持ちに1枚。ディーラに1枚の計2枚。場に2枚あることなどあり得ないのである。ヤンがイカサマをしている。そう思われても仕方のない状況なのである。

 

 黒服が実に自然な動きでヤンの後ろに立つ。

 

「ヤンさん。少しお話をお伺いしたのですが、よろしいですか」

 

 そう言われてはヤンも従うしかなかった。

 

 

 

 ヤンが通された部屋は、ちょっと上級の管理職が居る部屋のように見えた。ホテルの部屋を思わせる広さ、執務用の机と椅子、応接用のソファーセットが見える。何もないラグの上にスチールパイプの椅子があるのがいかにも場違いだった。

 

 ヤンは身体検査をされ、情報収集デバイスを取り上げられた。ヤンがあっと声をあげるより前に、黒服は別の職員にそれを預け、ヤンをスチールパイプ椅子に座らせた。

 

「ヤンさん。大人しくしていれば手荒なことはいたしません。大事なお客様ですから。大使館までちゃんとお送りいたします。お連れの方もです。残念ながら、もうフェザーン中のカジノに出入りすることはできないでしょうが」

 黒服が表情を変えずに言った。まぁ、そうだろうな、ヤンは納得した。白昼堂々イカサマをやったということになれば、カジノがそんな客を許容するはずがないのである。

 

 しばらくして、外に出ていった職員が戻ってきた。黒服に何やら耳打ちする。黒服の表情が変わったのにヤンは気が付いた。

 

「ヤン・ウェンリー」

 そう言って黒服はブラスターを突き付けた。最早お客様扱いではなくなっていた。

 

「痛い目に遭いたくないなら答えてもらおう。『ウルトラマン』はどこにある」

 

 

 

ウルトラマン(究極の男)……」

 

「そうだ。隠しておくのは貴様のためにならんぞ」

 ヤンが要領を得ずという感じなので、黒服は語気を荒げてそう言った。

 

「いや、だとしたら人違いではないのですか。私はそんな男は知らない。私は、ある人から麻薬取引の情報収集の依頼を受けて情報収集用のデバイスを──」

 

「ふざけるな!!」

 ヤンの言葉に黒服が激高した。

 

「あのガラクタの中には何の情報も無かった。何もだ。メモリもセンサーも入っていない!もう一度言う。ウルトラマンはどこにあるのだ?」

 

「いやどこにと……」

 ヤンは反論しかけて黙った。どうも話が嚙み合わない。この黒服は、ヤンの全くあずかり知らない別の人間を探しているのではないか。それとも、ムライがいつものようにヤンを表に立てて裏で何かやってるのか。こんなことになるんだったら、パトリチェフに一言言っておくべきだった。調子よく引き受けてしまったおかげでこのざまだ。

 

「そうか。メモリーを体に埋め込んだな……アレクセイ。スキャナを持ってこい」

 

 黒服は手下を呼んで何やら命じた。しばらくするとアレクセイと思われる職員が、クリケットのバットのような、細長い板に柄のついた器具を持ってきた。黒服はヤンに手錠をかけて椅子に縛り付けた。職員は、ヤンを撫でるように頭、首、腕、胸、腹、脚、あらゆる所に器具を押し当てた。別に痛むわけではないが、何とも嫌な気分だった。

 

「反応ありません」

 

「無いだと……あり得ん。いや……強制誘導催眠によって開錠鍵を記憶させられたのかもしれない。共和主義者の悪魔め……アレクセイ、本部へ向かうぞ。感覚調整水槽を使う」

 

「感覚調整水槽──」

 ヤンの顔から血の気が引いた。感覚調整水槽というのは、タンクベッドと殆ど変わらない器具であるが、タンクベッドが人間の感覚を適度に刺激することによって、人間の回復力を極限まで引き出す道具なら、感覚調整水槽は刺激を剥奪する器具である。人間は感覚を完全に遮断すると、短時間で精神に異常を来す。もちろん、最低限の刺激は与えるので、精神障害者一直線となるわけではないが、拷問としては最上級のものだ。そんなことをされたら──

 

 黒服はそんなヤンの考えなどおかまいなく、縛っていた縄をほどくと、ヤンを立たせてブラスターをつきつけながらせっついた。ヤンとしては逃げたかったが、手錠をかけられた状態で二人に監視されているのではどうしようもない。

 

 三人は部屋を出て廊下に出た。誰も居ない廊下を歩いていこうとしたその時──

 

 前を進んでいた男がうめき声をあげて倒れた。後ろで黒服が何か動いたようだが、短い叫び声をあげて倒れたようだった。後ろで何者かが駆け寄る音がした。ヤンは振り向くと、あっと驚きの声をあげた。

 

「フェザーン情報部に何かされたくなければ、俺についてきてもらう」

 銃を持ったロイエンタールがそこに居た。

 

 

 

 ロイエンタールは特殊な器具で手錠を外すと、ヤンを連れて廊下を早足で歩いた。途中、いろいろな所を曲がる。どうも、職員の区画らしく、事務所やキッチンを通ることもあったが、ロイエンタールはおかまいなしに歩いていく。ヤンもついていくしかない。

 

 しばらくすると、裏口から外に出たらしく地上車の駐車場が見えた。入口の喧噪とは違って、こちらは街灯も少なく静かなものである。ロイエンタールは、小ぶりな地上車を見つけるとヤンを後部座席に乗せ、自分も乗り込んで猛スピードで駐車場を出ていった。

 

「ロイエンタールさん。ありがとう」

 

「男から礼を言われるいわれはないが、とりあえず受け取っておく。といっても、まだ命が助かったわけではないと思うが──」

 地上車はフェザーン湾の高速道路を離れて、暗い林道を走っている。ロイエンタールを見る限り、手動で運転しているようだ。しばらくすると後ろから甲高いモーター音をたてて近づいてくる地上車が見えた。

 

「何だあれは?」

 ヤンが叫んだ。

 

「何だだと?追っ手に決まっているだろう。あの音は──南朝の連中だ」

 ロイエンタールは叫び返した。

 

「音で分かるのか」

 

「音で地上車の型が分からないのか?」

 ロイエンタールの返答に、ヤンはうんうんとうなずいてしまった。恐らくロイエンタールの本職は警官か、あるいは「秘密」の付く方の警官なのであろう。本職ならそういうものなのかもしれない。南朝の「そういう人」が使う地上車の型が分かれば、音で分かるものなのかもしれない。

 

「近づいてくるぞ」

 

「当たり前だ。何もしないのに遠ざかってどうする」

 どうもロイエンタールの受け答えはピントがずれてるな、ヤンはそう思った。後部座席を見回したが武器らしきものはない。運転席を覗き込んだが、ロイエンタールが陣取る運転席にはディスプレイすらない。計器がいくつも並ぶ、何ともクラシックなダッシュボードだった。

 

 追ってくる車の方で何かがチカっと光った。次の瞬間、ビシッと音がして後部の強化ガラスに大きなヒビが入る。

 

「撃ってきたぞ!」

 

「分かっている!死にたくなければ掴まってろ!!」

 ロイエンタールが急ハンドルを切ると、未舗装の作業用道路と思われる道に入っていった。ガタガタして座るどころではないが、投げ飛ばされたくなければ掴まっているしかない。シートベルトを探したが後部座席にはそれもなかった。一体この地上車はどうなってるんだ。

 

 もちろん追っ手がいなくなったわけではないが、距離が詰まりにくくなっている。恐らく、道路状態が悪いのでスピードを出しにくいのであろう。

 

 ロイエンタールは曲がりくねった獣道を相変わらずのスピードですっ飛ばしていた。追っ手は距離こそあまり詰まらなくなってきたが、追跡をやめることはない。

 

 突然視界が開けた。街灯がないからはっきりと見えるわけではないが、林から出たために月の光りをあてにすることができるようになったのだ。この先にあるのは……結構な幅のある川と、地上車が通るには幅の狭すぎる橋が一本あるだけ。おい、まさか──

 

 ヤンの懸念など意に介さず、ロイエンタールは一直線にその橋に突っ込んだ。落ちる──ヤンが覚悟したのも束の間、地上車は橋の上をスピードを落とさずに突っ込み、そのまま対岸へ渡り切ったのだった。後方では急ブレーキの音がする。さすがに普通の地上車では、この橋を渡り切れないと思ったのであろう。

 

 

 

 ロイエンタールが地上車を止めたのは、追っ手を撒いてから三十分ほど走った後のことだった。空き地のような場所に地上車を駐めると、しばらく歩いたところにあった小さな山荘に入るよう、ヤンを促した。

 

 本来ならここでヤンは抵抗するか、こっそり逃げるべきだったかもしれなかった。ただ、ロイエンタールは銃を持っているし、ヤンの運動能力ではここから逃亡できる可能性は万に一つもなかっただろう。それにヤンにも、ロイエンタールに聞きたいことがあった。

 

 山荘の中は殺風景もいいところだった。照明は一つ、テーブルと机はあるが椅子は一つだけ。一体何のための山荘なのか分からなかった。

 

「さて、ここまで来たんだ。積もる話もあるだろう」

 ロイエンタールが銃を突き付けながら言った。

 

「ああ。そのウルトラマンとやらのことか」

 

「話が早くて助かる。さて、出してもらおうか」

 

「ロイエンタール。その前に聞いておきたい。ウルトラマンとは一体何なのだ。何故、フェザーンだけでなく、南北朝まで皆、狙ってくるのだ?」

 

 ロイエンタールは何も言わなかった。しばらく視線を泳がせると、銃をホルスターに仕舞って口を開いた。

 

「知らん」

 

 

 

「……は?」

 

「だから俺も、その核心については知らされていない。俺が知っているのは、それを何としても確保すること。南朝、フェザーン、同盟の連邦捜査局が動いていること。その在処を知っているのがヤン・ウェンリーだということだ」

 

「連邦捜査局──」

 ヤンはうめいた。連邦捜査局といえば、同盟にある捜査機関の一つであるが、軍の影響力が極めて低く、軍の情報局に匹敵する情報捜査能力を持っていることで知られている。

 

「だからそのために」

 

「そうだ。フェザーンの連中を出し抜くのは苦労したが。ヤン、ポーカーをやっていておかしいとは思わなかったのか?」

 

「……特に何も」

 それを聞いたロイエンタールは、はぁとため息をつくと額を揉んだ。

 

「その調子なら、お前にはギャンブラーの素養は無いと見ていいな。お前の相手をしていたディーラーは、フェザーン情報部の手下だ。お前さんが変な動きをしないように、わざとゲームをコントロールしていたんだよ。ディーラーが手心を加えれば、勝ち続けるなんてわけもない。ま、勝ち過ぎると怪しまれるがな」

 

「そうだったのか──」

 ヤンはがっくりと頭を垂れた。実力だと思っていたのになぁ──

 

「で、だ。ここまで話したからにはもう一度聞こう。ウルトラマンは、どこにある?」

 

「そのやり取りは無益だと思う。私も君も、謎の正体が分からないようでは答えようがない。北軍の中で分かっている人が居れば、その人を呼んで欲しい。それなら協力ができるかもしれない」

 

「……感覚調整水槽に入るかもしれんぞ」

 

「そんな暇はないと思う。同盟軍が動き出していることを考えるならば」

 ロイエンタールの脅しに、ヤンはきっぱりと答える。もうどうにでもなれ、そう思っている。

 

「それもそうだな、ならばもっとエレガントに行こう」

 ロイエンタールは胸ポケットに入れてある万年筆を素早く取り出すと、ヤンに向かって投げつけた。ヤンの肩あたりに突き刺さる。ヤンは痛みを感じたのも束の間、強烈な眠気に襲われ、意識を失った。

 

 

 

 フレデリカ・グリーンヒルは、父親に対して複雑な感情を持っている。いや、全くの他人からしたら、それは憎悪と呼べるものかもしれない。ただ、フレデリカ自身がそれを公に認めることはない。

 

 自由惑星同盟軍の有望株士官、ドワイト・グリーンヒルと、軍のとある士官の親戚である母親との間に生まれたフレデリカは、当然のように大きな愛情をもって育てられた。父は将来有望な士官であるが故に家を空けがちだったが、母親がその空虚を埋めていった。

 

 そんなグリーンヒル一家の団らんは、野外のキャンプで行われることが多かった。母親の趣味が野外活動全般であり、夫の方もそれを苦にすることはなかったからだ。フレデリカが小学生になる頃には、一家で山歩きをすることもあった。いつかは一家で登山をしたい、というのが母親の口癖だった。フレデリカもそれを拒否することはなかった。山や海の大自然に触れるうちに、まだ見ぬ世界を自らの力で切り開く「冒険」に大きな興味を持つようになった。

 

 残念ながら、母親の願いは果たされることはなかった。フレデリカが小学校中学年のとき、母親が亡くなったからだった。交通事故だった。

 

 妻を亡くしたドワイト・グリーンヒルにとって、フレデリカは忘れ形見であり、決して失ってはならない、傷つけてはならない存在となった。グリーンヒルは、娘のために、そして娘の安全のためにあらゆる手を尽くした。そして、それこそがフレデリカにとっての厄災となってしまったのだ。ドワイト・グリーンヒルは一転して娘の冒険や野外活動好きを危険視するようになった。娘を野外活動に連れていくこともなくなった。

 

 冒険にのめり込むフレデリカにとって、父親の「愛情」は鬱陶しい以外の何物でもなかった。すれ違った愛情が抑圧にならなかったのは、ドワイト・グリーンヒルの職務が多忙であり、一人娘の育成に十分時間をかけられなかったからだった。

 フレデリカは(周囲の支えはあったものの)一人で生活することが多くなった。ただ、親との交流が十分でなくともフレデリカには何の問題もなかった。自分が必要とするものを自分で用意できること、それは冒険の一丁目一番地であった。余暇ではガールスカウト活動に従事し、父親の助けを借りることなく野外活動に勤しんだ。

 

 中学に入ると、部活動で陸上競技に打ち込むようになった。父親はどちらかというと文化的な活動をさせたかったようだが、フレデリカはその考えを一蹴した。冒険のためには体力が必須だったし、陸上競技ではフォア・ザ・チームなどといった、団体のために個を曲げるということをしなくて済むのがよかった。それは父親の「愛情」を想起させるものだった。

 

 高校に入ると、陸上競技よりも魅力的な存在に出会った。ロック・クライミングと疑似EVA(宇宙空間での作業を模したレクリエーション)である。岸壁をよじ登るそれは、(実際はそうと言い切れないものの)生命と引き換えにスリルを味わうことができ、彼女の冒険に対する渇望をそれなりに満たしてくれた。登攀が成功した時に感じる達成感は格別だった。船外作業服を着て、宇宙空間を遊泳、作業する疑似EVAは、前後左右上下全て星の海という体験を彼女に与えてくれた。

 

 高校を卒業してからの進路については一悶着あった。父親からは、有名大学への進学を勧められた。彼女の学力なら、入学には問題なかったが、それを選択した場合、どうということはない企業に就職し、どこかで結婚して家庭を持つ、といった平凡な運命が待っているように思えた。彼女自身の能力で運命を切り開く、という行為はできないように感じた。

 

 フレデリカは父親に対し、軍の士官学校に入学することを告げた。

 父親の反対は今までにも増して激烈なものがあったが、それはフレデリカにとっての想定内だった。自分の道で将来を切り開く魅力に比べれば、父親が設定した障害など物の数ではなかった。彼女の身体的能力、頭脳は、士官学校入学には何の問題もなかったし、父親の「妨害」を避けつつ受験するやり方は十分心得ていた。

 

 むしろ失望は、士官学校入学の後に訪れた。同盟政府の国力伸長政策、そして長い休戦状態の結果、軍は女性を「保護」しようとする傾向にあった。具体的に言うと、生命の危険がある任務に繋がりそうなキャリアパスを妨害しようとする、ということであった。

 実にくだらない、彼女は憤激した。冒険の結果命を落とさなくても、どうということのない交通事故で命を落とすこともある。そこにどのような違いがあるというのか。自分の生命は自分のものだ、選択のリスクを許容できるなら、自由に使って何が悪い、そう思っていた。

 

 彼女の懸念は、入学してから2年が経過して具体的になった。2年の基礎教育を終え、専門課程を選択するにあたり、自分の選択肢が大幅に制限されていると感じた。何かしら宇宙で冒険する、そういうキャリアを選択したはずなのに、選びたい選択肢には何かしらの邪魔が入った。

 

 最初は戦闘艇のパイロットになろうと思った。しかし、その道は既に存在しないことが明らかになった。戦闘艇が花形の兵器だった時代は既に過去のものであり、戦闘艇部隊は生え抜きのパイロット達が仕切る場所になっていた。士官学校において、戦闘艇戦術を専攻する学科は、数年前に廃止となっていた。

 

 ならばと艦長職へと続くキャリアパスを得るべく、兵器科や航法科を志望したが、こちらはこちらであまりに競争率が高すぎ、抽選の結果弾かれることになった。宇宙戦艦に搭乗することは、当時の士官学校生の大半が熱望するところであった。当時、宇宙艦隊は長く続いた停滞の時代が間もなく終わり、軍近代化が始まることが確定していた。つまり、新型艦が次々と配備されるということである。人気が集まるのも当然だった。

 

 もちろん、父親の圧力というのもあったのだろう。教官達は決してそれを認めなかったが、フレデリカはそれが存在することを確信していた。教官は口々に言った。グリーンヒル候補生、君の記憶力、情報分析力、それは前線よりそれ以外で活かせるものだ。君は、適材適所という言葉を十分意識すべきだ。皆、口を揃えてそう言ったものである。

 

 結局、本人にとっては不本意だったかもしれないが、情報処理科に進むことになった。適性と希望が一致するわけではないが、それはマネージメントすべき事項となった。

 

 傍目から見て、専門課程に進んでからのフレデリカは順風満帆だった。成績は優秀で、卒業論文でも暗号分析に関する立派な論文を提出した。情報処理科を次席で卒業し、彼女は少尉になったのだった。しかし、本人としては全く良くなかった。ハイネセンの情報処理に関するオフィスで、軍人としてのキャリアを全うすることは、彼女の望むキャリアプランでは全くなかった。これでは何のために軍人を志したのか分からない。

 

 彼女はハイネセンで働きながら、自分の冒険心を満たせる職場を探し続けた。自分が持っている資格やキャリアで働ける職場を。フェザーンの同盟大使館が補充人員を募集していることを知ったのはそんな時だった。入国管理局の情報処理手伝いその他、募集要項にはそう書いてあった。

 

 彼女は一も二もなくフェザーン行きを志願した。とにもかくにも、ハイネセンを出なければ自分の希望する仕事にありつけない。そういう思い込みがあった。いくつかの障害はあったものの、彼女は何とかそれを乗り越え、フェザーンへの転属を勝ち取った。

 

 予想通り、いや、予想に反して特務支援課は、その表芸とは全く異なる裏の顔があった。彼女の新しい上司は、キャリアや適性を全く斟酌することなく任務に投入した(少なくとも彼女にはそう見えた)。だが、それは彼女が求める冒険そのものだった。異世界から来た謎の戦艦、それはまさに彼女が求め続けていたものだった。死にかけながらも何とか脱出に成功するのもそうだった。これは天職だ──彼女は確信した。いつまでもこの職場にしがみついてやる。彼女はそう決めていた。

 

 そして今の彼女は──状況も分からず一人おいていかれている。

 

 

 

 ヤンが黒服に連れていかれる少し前──

 

 フレデリカは壁際にあるバーカウンターの椅子に座って、会場を眺めていた。ドリンクをおかわりすることもなく、声をかけてくる男性も適当にあしらい、ただ、何か状況に変化がないかを確認しつづけていた。もし、彼女が情報工作担当官だとするなら、彼女は基礎の基礎がまるでできていないことになる。彼女は全くその場から「浮いて」いるのである。

 

 驚くべきことに、ヤン少佐は連戦連勝を続け、決勝戦進出を果たしているようだった。一体どんな魔法を使ったのか分からなかった。イカサマでもしたのだろうか。本人はポーカーの経験などほとんどないと語っていたが、それも韜晦か。

 

 まぁ、それはどうでもよかった。中央にある決勝戦用の大テーブル、そのどこかに情報収集デバイスを取りつけてくれば、今回の任務は終わりのはず。それを見届けて撤収すればよい。

 

 腕時計がわずかに震動した。ように感じた。いつもコミュニケータの機能を腕時計と連動させているフレデリカは、反射的に腕時計を確認した。何もない。そうよ、今回はそのような機器は持ち込んでいないはず。一体なぜ──

 

 会場が大きくざわめいたのはその時だった。ざわめきの方向を見ると、ヤンが立ち上がり、黒服に連れ去られようとしていた。

 

 何かあったのか──

 

 すぐにでも後を追うべきであった。彼女はそう思った。

 いや、緊急事態として連絡すべきか、そうも思った。今の彼女は武器どころか、何かに使えそうな道具一つ用意していない。それでヤン・ウェンリーを取り戻せるとはとても思えなかった。それなら、ムライに連絡して増援を呼び寄せるべきかもしれない。いや、今はそんな緊急事態に該当するのだろうか?単にヤンの体調が悪くなっただけかもしれない。

 

 いずれにせよ状況を確認しなければならない。そうでなければ子供の使いだ。

 

 フレデリカは椅子から立ち上がった。ヤンの連れていかれている出口に向かおうとして──

 

 がっしと、肩を掴まれた。

 

 思わぬ事態に彼女は後ろを振り返り、そして、彼女の肩を掴んだ人物を確認して、目を瞠った。

 

「お父様──」

 

 

 

「一体どうしてここへ。ハイネセンに居るのではなかったのですか」

 

「軍人だ。出張など日常茶飯事のことだ。久しぶりに会えたんだ。夕食でもどうだね」

 間違いない。自由惑星同盟軍総参謀長にしてフレデリカの実父、ドワイト・グリーンヒル中将が後ろに居た。見慣れた軍服姿ではなく、タキシードに蝶ネクタイという出で立ちは、辛うじて様になっている。もうすこしお腹が引っ込んでくれればマシになるのだけど。

 

「フェザーンへ出張なんて聞いたことがありません。それに、今は業務中(on duty)です」

 フレデリカは口を尖らせて答えた。父親は、私情を表に出すタイプではないと思っていたのだが、どうやらフレデリカのイメージが違っていたようだ。

 

「業務かね。それなら、ここでの業務はもうない」

 

「業務の判断は、直属の上官のみが行えるのでは」

 

「ならば確認してみるかね」

 そこまで言うので、フレデリカはしぶしぶ会場を後にした。

 

 

 

「業務終了!?どういうことですか」

 案内された休憩所でムライに通信したフレデリカであったが、予想もしない回答に驚愕した。といっても休憩所にはフレデリカの他にはグリーンヒル中将しか居ないので、注目を集めることはなかった。

 

「言った通りだ。ヤン少佐が居なくなったから、会場で連絡役の必要はなくなった。状況は中尉も理解していると思うが」

 

「ヤン少佐が居なくなった!?ご存じなんですか?」

 

「無論だ。会場は監視している。君達に伝えなかったのは謝るが、作戦上の都合と理解してくれ。ヤン少佐の安全については、こちらが引き継ぐ。君は親子水入らずの時間を過ごしたまえ」

 

「!?!?いえ、いくらなんでもそれは」

 

「では。命令することにしよう。グリーンヒル中尉。現場を撤収し、グリーンヒル総参謀長に同伴したまえ。後の行動は自由だ。明日は休暇を与えるので、明後日にオフィスで会おう。中尉、復唱だ」

 

「はっ、グリーンヒル中尉、現場を撤収し、総参謀長に随行致します」

 

「よろしい」

 それだけ言ってムライは通信を切ってしまった。

 

 

 

 グリーンヒル中将がフレデリカを連れて行ったのは、フェザーンのダウンタウンでも少しひなびた所にあるチャイナレストランだった。思いっきり盛装である二人の出で立ちに似合わないことこの上なかったが、グリーンヒル中将は何でもない風にその店に入ると、店員とあれこれ話をした。個室に通されたところをみると、どうやら予約を取ってあったらしい。

 

 個室はグリーンヒル中将とフレデリカの二人であれば十分余裕があったが、椅子の数を見るとどうも四人で利用するものらしかった。四人も座れば狭いんじゃないの、フレデリカはそう思ったが口にはしない。

 

 出てきた料理も、ごくありふれたものばかりだった。チャーハンに麻婆豆腐、春巻にオレンジチキンとコーンスープ、テイクアウトする中華と見分けがつかない。湯気が盛大に立っていることだけが違いだった。

 

 それでも、夜十時を回って、ろくに食べ物を口にしていないこともあって、フレデリカは箸を伸ばした。オレンジチキンを一つつまんで口に放り込む。意外と美味い。

 

 二人はしばらくもくもくと箸とレンゲを動かして、供された料理を口に運んだ。フレデリカとしては空腹が満たされるのは有難いことだったが、どうにも料理に野菜が少なく、脂っこいことが気になった。父親が同じようなペースで食べているのを見ると、もう、50を過ぎているんだから食事のバランスには注意してもらわないと、そう思えてしまう。

 

「お父様」

 料理が八割方片付いたところで、フレデリカが言った。

 

「何だね」

 

「何か、私に用事があったのでしょう?まさか、夕食のためにわざわざ課長を動かしたわけでもないでしょうに」

 

「……そうだな。お前、もっと情報活動をやりたいんなら、周囲の空気を読んで自然に振舞いなさい。あれでは何か企んでいることが丸わかりだ」

 

「!!?お父様!いつからいたんですか」

 

「ロイエンタール少佐に挨拶をされていたな」

 

「そ、そこから……というかあの人は軍人なんですか!?」

 

「そんなことも分からなかったのか……まぁ、私も少尉になりたての頃は軍人の匂いなんて分からなかったからそんなものか。ま、次からは周囲に気をつけたまえ。私に気づかないようでは監視のうちには入らんぞ」

 グリーンヒル中将はため息をついて言った。

 

「まぁとりあえず、本題に入るとしよう。フレデリカ、左手を出してくれ」

 

「??」

 フレデリカは訝しんだが、言われた通り左手を差し出した。グリーンヒル中将は懐から銀色の棒のようなものを取り出す。棒は万年筆を一回り大きくしたような大きさで、棒の先の方には赤色に光る球がはめこんであった。

 

 グリーンヒル中将は、フレデリカの右手薬指につけてあるファッションリングに棒を近づけた。ちか、ちかと光球が点滅する。しばらくすると光球の赤色が緑色に変化し、そして消灯した。それを確認したグリーンヒル中将は、棒を胸の内ポケットに仕舞う。

 

「よし。これにてOKだ。ありがとう、フレデリカ。任務完了だ」

 

「任務完了……いったい何ですか?」

 

「秘密任務だ。本来なら任務の存在すら知られてはならないレベルのものと考えていい」

 

「概要を教えてもらえますか」

 

「教える必要はない」

 

「そんなことはないでしょう。私を任務に巻き込んでいるなら、課長にも説明があったはず。お父様に聞かず、課長から聞けと?それでもいいですけど。もしかして、課長も事情を知らないとか?」

 グリーンヒル中将は、目をしばしば開けたり閉じたりすると、やがて話し出した。

 

「ムライ君も同じことを言っていたな……実の肉親より、他人の方がものが見えるというのか。よかろう、但しこれは絶対の絶対に他言無用だ。誓えるか」

 

「誓います」

 

「これだよ」

 グリーンヒル中将は、先程仕舞った銀色の棒を取り出した。

 

「これだ。この棒に収納された機密情報、ウルトラマンだ」

 

 

 

「ウルトラ……マン?」

 

class-ULTRA MANagement information.(超級管理情報) 元々は情報局の内々で使われていた用語だが、いつしか縮めて皆ウルトラマンと呼ぶようになった。今回の作戦はウルトラマン情報の受け渡しにあったのだよ。そして受け手はフレデリカ、お前なのだ」

 

「私が!?どうして」

 

「その指輪は、典礼局のドールトン大尉から借りたものだろう」

 

「どうしてそれを」

 事実だった。ヤンほどではないものの、公的なパーティーに出慣れていないフレデリカは、服装やアクセサリーに関するアドバイスを典礼局のドールトン大尉から受けていた。指輪は、そのドールトン大尉経由でレンタルしたものだった。

 

「指輪そのものが情報の受信機でありメモリーなのだ。送信機が極近距離に近づくと、情報の受け渡しが行われる。そして今、再度送受信が行われ、この棒に情報が受け渡された。情報の中身を聞かないでくれ。私にも閲覧資格は与えられていないのだ」

 フレデリカは息を呑んだ。総参謀長すら閲覧できない機密情報、そして──美は剣に勝る。私の好きな言葉です──

 

「で、では、ヤン少佐は?」

 

「特務支援課が動いている。大事には至るまい。少佐には、囮になってもらったんだ」

 

「……」

 

「ヤン少佐は、情報の世界では意外と知名度があるんだよ。だから、目立つように動かしておいて、注目が集まるように仕向けた。もちろん本人は何も知らないし、下手に有名人だから口封じというわけにもいかん。時間が稼げるのだ。もちろん、情報の受け渡しだけなら別の手はある。だが、この情報の重大さを考えると、漏洩した事実そのものを無かったことにしなければならなかった。だから、わざわざ事を大きくしたのだよ。大山鳴動して鼠一匹、となれば、関心そのものが急激に薄れる。世の中そういうものだ」

 

「……」

 

「これで答えになったかね」

 

「……分かりました」

 フレデリカは喉の奥に山ほど積み上げていた言葉をそのまま呑み込んだ。言いたいことを言える相手ではある。向こうもそれを一応は受け止めるだろう。しかし、それを行うことを己の中にある反抗期が押しとどめた。

 

「最後に聞いておこう」

 

「……」

 

「本当に、ハイネセンに戻る気はないんだね?」

 

「ありません」

 

「フェザーンに居るうちは、これ以上に危険な目に遭うことは確実だ。それでもか?」

 

「わかってます」

 

「これから帝国との戦争が再開しても、かね?」

 フレデリカは迷った。父親が、ちゃんとした根拠を基に話をしているのか、娘を手元に置きたいがために与太を言っているのか、判断がつかなかった。だが、軍服に袖を一度通した以上、冒険を欲した以上、彼女に言える回答は一つしかなかった。

 

「私は、ここに残ります」

 

「わかった」

 グリーンヒル中将は大きくため息をつき、それだけ言った。そしてウェイターを呼んで、タクシーを呼ぶように言ったのだった。

 

 

 

 同じ頃──

 

「クローゼ、対象の反応は?」

 

「ありません、大佐」

 

 ヤンとロイエンタールが居た山荘には、さらに十名近くの人間が集まっていた。全員が帝国北軍の軍服を着用している。昏倒したヤンはベッドに寝かされ、体のいろいろな所に電極が取りつけられていた。電極から伸びるケーブルは、一つの機械に繋がっていた。

 

「関連ワードを五百パターン組み合わせてチェックしましたが、ノイズレベルの反応しかありません。この結果を見る限り、ヤン・ウェンリーはシロとしか思えません」

 

「何だと」

 大佐の軍服を着た男が地団駄を踏んだ。ヤン・ウェンリーは、ロイエンタールが注射した急性睡眠薬により昏倒しているのだが、睡眠薬の中には自白成分のある薬剤が混ざっており、記憶に新しいワードを音声で「聞かせる」ことによって、脳または身体のいずれかに反応が出てくることになっていた。それが何もないというのである。

 

「あり得ん。漏洩した情報がヤンに引き渡されたことは確実だ。本国もそう言っている」

 

「ですが、漏洩した可能性、です。漏洩した犯人が検挙されたわけではない」

 ロイエンタールが取りなすように言った。

 

「貴様の行動に問題があるのだ、少佐」

 

「目標は確保しましたが」

 

「それはいい。だが、何故定時連絡もなくほっつき歩いて、緊急通報もなく予備のセーフハウスに搬入した。おかげでこちらはフェザーン情報部と南朝の本隊、双方とやり合わなければいけなかった」

 

「部外者の妨害は想定されることです。作戦が順調に行かないことも。おかげで、身柄は確保できたのです。大佐は任務を果たされたのです」

 ロイエンタールの言葉は表面的には阿っているように聞こえるが、そうではないことは大佐が一番良く知っていた。弁務官事務所の保安責任者である大佐にとって、形式上は部下であるが、社会秩序維持局からの出向者で、自由行動ばかり行っているロイエンタールの存在は煙たいどころではなかった。

 

「クローゼ、ロイエンタール少佐は本当に正しい薬剤を注射したのだろうな。間違っていた可能性は?」

 

「ありません。そもそも急性睡眠薬でも、ある程度の自白作用はあります。もちろん、特殊薬剤がある方が確実ではありますが」

 クローゼは大佐に答えた。話は少しそれるが、クローゼは以前、妻に秘密の愛人の存在がばれそうになっていた時、ロイエンタールに『適切に処置』してもらったことがあった。

 

「これではっきりしたでしょう。本国が言っているような情報漏洩など無かったということが」

 

「しかしだ」

 大佐は吼えるように言った。ならば何故、南軍やフェザーンの情報部が動いている。これこそ漏洩が確かにあった証ではないか。曖昧な情報を基に、あれだけの人間を動かすなどあり得んぞ。

 

「なればこそです。ならばこそ、彼奴等に望みのものを与えるチャンスとなります。彼等には彼等の欲するものを与えましょう。『漏洩』したと思われる情報を。別に中身が何であろうと問題はありますまい」

 

 ロイエンタールの言葉に、大佐はなおも唸っていたが、しばらくすると納得したのか、あるいは緊張の糸が切れたのか、よかろう、と吐き出した。情報漏洩を突き止めるより、偽情報を流し込む作戦の方が利益があると思ったのかもしれない。ロイエンタール、ヤンの処置は任せた。しくじるなよ。

 

「お任せあれ」

 ロイエンタールは執事が主人に対してするような、右手を胸に当てた礼をして見せた。大佐はそれを嫌そうに眺めていたが、部下に撤収を命じると、山荘を出ていった。外で地上車が動き出す音がする。部下達もそれに続くように、ヤンの体から装置を外すと、荷物をまとめて山荘を出ていった。

 

 他の人間が居なくなったことを確認したロイエンタールは、胸ポケットから注射器を取り出すと、簡易ベッドに寝かされているヤンの左腕に注射した。これで一時間もすれば目が覚めることだろう。

 

 ロイエンタールは注射器を投げ捨てると、山荘から出る。フェザーン行政府の喧噪とは無縁な別荘地は、時折聞こえるフクロウの鳴き声以外はいたって静寂なものだ。街灯もところどころにしか存在しないため、星の海がはっきり見える。

 

「ラグナロク、か」

 ロイエンタールは呟いた。北朝上層部で秘密裏に計画している、南朝への大攻勢計画。それは、南朝および南軍の完全なる打倒を目的としている。ただ、概要についてロイエンタール本人も知っているのはそれぐらいで、その全貌を知る人間はあまりにも少ないとされている。

 

「星々が天から落ち、大地と山が震え、木々は倒れ、山は崩れ、あらゆる命が消える。好機であることは分かる。だが、好機過ぎて、目的のために人は手段を選ばんだろうな」

 

 ロイエンタールはそこまで言い切って、暗い道を歩いて行った。かれの地上車に戻るには、山荘から少し歩かなければならなかったからだ。

 

 

 

 




次回予告

 失敗に終わった、南軍のアムリッツア要塞破壊作戦。ヤンは、同盟大使館に届けられた秘密報告書を読むことになる。そこには、同盟軍内部の闇、その一部が綴られていた。

第十一話「薔薇の騎士」


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第十一話 薔薇の騎士

 失敗に終わった、南軍のアムリッツア要塞破壊作戦。ヤンは、同盟大使館に届けられた秘密報告書を読むことになる。そこには、同盟軍内部の闇、その一部が綴られていた。


 

宇宙歴798年3月20日──

 

 暑さ寒さも彼岸まで──ではないが、フェザーン行政府もようやく最高気温は20度を少しばかり超えるようになり、最低気温も10度近くまで上がってきた。つまりは、春の到来である。

 

 ヤンとしては、フェザーンで初めて過ごす冬は散々なものだった。冬の嫌な記憶は、寒さと共に脳の底に追いやり、春のフェザーンを楽しみたかった。フェザーンのセントラルパークでは桜がそろそろ開花する頃で、それを見に沢山の観光客が訪れ、野外パーティーも開かれるそうである。

 

 ただ、今のヤンは業務中なのでデスクに座って書類を読むことを強いられている。頼りになるフレデリカ・グリーンヒル中尉も、ここにはいない。同盟への亡命者が急増しているため、フェザーン郊外に一時収容施設を作ることになったのだった。彼女は、その進捗をチェックし、報告書を作る任務についている。ムライやパトリチェフも、いつものように特殊部隊の訓練所に行ったまま帰ってこない。つまりは、ヤン一人だけというわけだ。

 

「それにしても新しい祖国(ノヴァヤ・ロージナ)とはねぇ……」

 

 ヤンはひとりごちた。『新しい祖国』とは、収容施設のコードネームであるが、誰がそう呼び始めたのかははっきりしていない。同盟の人間か、フェザーンの人間かも分かっていない。多分、帝国の人間ではないだろう。

 同盟への亡命者が急増しているのは、最近の北軍の攻勢によって、難民が急増しているからで、そして、南朝がそういう状況を座視しているからである。別に彼等、彼女等だって祖国を捨てたいから捨てている、そう決まっているわけではないはずだ(もちろん、積極的に捨てたい人だっているだろうけど)。

 

 そんな人々を一時収容するキャンプの名前としては、なかなか皮肉が効いているというかなんというか……そういう気がしてならないのである。

 

 

 

 コミュニケータにAIからの着信が入った。ヤン宛に来客があるとのことである。驚くべきことに、その来客はドワイト・グリーンヒル中将であった。

 

「久しぶり、と言うべきかね」

 恐縮するヤンに対し、グリーンヒル中将はそう言った。最近のグリーンヒル中将は、同盟軍の各管区を飛び回って過ごしているそうである。宇宙艦隊の要である総参謀長らしくはない振舞いである。だが、何年か一度に行われる宇宙艦隊の監査となると、総参謀長がトップで、同盟領全体を駆けずり回ることになる。

 

「ところで、フレデリカはどこに居るのかね」

 

「フレデリカ?」

 ヤンはもちろん分かっていたが、敢えて知らないふりをした。公私混同と思われると、いろんな所で不都合がある。

 

「??フレデリカといえば……ああ、フレデリカ・グリーンヒル中尉のことだ。ここで勤務しているはずだが」

 

「ああ。申し訳ございません。彼女は、ノヴァヤ・ロージナ難民キャンプ設営作業の手伝いに出ております。今日は戻る予定は……なさそうです」

 

「そうか……」

 グリーンヒル中将はがっくりと肩を落とした。

 

「フレデリカは元気にやっておるかね」

 

「はい」

 

「危険な所に行ってはいないだろうな。怪我はしていないか」

 

「任務の都合上、お伝えすることはできませんが、怪我はしておりません」

 いや、貴方は報告を受けてるんじゃないですか。ヤンはそう言いたかったが黙っておいた。カジノの一件に関しては、後にムライから事情説明というか釈明というのはあるにはあったが、ヤンとしては心の中に溜まった不平不満を流し出すのに、ウィスキーの一瓶を必要とした。だがしかし、もし、ヤンがムライの立場であれば、ヤンのような人物を最大限活かすにはどうすればいいか、それを考えただろう、そう思えるのである。

 

「なるほど。いいか、フレデリカに傷一つつけるんじゃないぞ。フレデリカの将来を閉ざしてはならん。ハイネセンで勤務していれば全く問題がないはずなのに、いつの間にかフェザーンへの転属願いを出しおって……そもそも軍隊に入るなど最後まで反対したのに……」

 

 グリーンヒル中将は以後も何かつぶやいていたようだったが、ヤンは聞こえないということにした。なんというか、グリーンヒル中尉がああいう行動に出ることについて、何か分かったような気がした。

 

 もちろん、ヤンは自分の親を知らないわけではなかったが、親が死んで10年以上は経っているし、そもそも貿易商人として多忙だった親に代わり、輸送船の乗組員達が育ての親となっていた。目の前の光景のように、成人しているにもかかわらず、子供に自分の「愛情」を注ぎこもうとする親というのは、ヤンが初めて目にするものだった。

 

「あ、ああ。忙しいところを邪魔したな。それでは、少佐も任務に精励してくれたまえ。もちろん、フレデリカには指一本触れさせないようにな」

 

「善処致します」

 ヤンは頭をかいた。例え、中尉に傷一つつかなかったとしても、周囲があの調子では精神の方がおかしくなってしまうのではないか。自分の娘がどういう扱いか知っていて、その物言いかい。

 ヤン・ウェンリーは、ドワイト・グリーンヒルがフレデリカ・グリーンヒルを通してヤンに抱く秘めたる感情、それを察知していなかった。それは幸福なことなのかそうでないのか。多分幸福なのであろう。その時が来るまでは。

 

「ところで、だ。少佐はトイレを済ませたかね」

 

「???」

 突然話題が変わったことにヤンは少々混乱した。いえ、自分はトイレに行く必要など──そこまで言いかけて、ヤンはドワイト・グリーンヒルの雰囲気が一変していることに気が付いた。

 

「そうですね。念のため済ませてきます」

 

「よろしい。念のため水も用意してきたほうがいい」

 ドワイト・グリーンヒルの態度に何か察するものがあったヤンは、言われた通りにトイレを済ませた。ついでに、自動販売機でミネラルウォーターの瓶も購入する。

 

 部屋に戻ると、ドワイト・グリーンヒルの姿はなかった。但し、ヤンの机には大きな封筒が置いてある。何かと思って封を破ると、中からは綴じられた紙束が出てきた。表紙には何も印刷されていなかったが、手書きでこう書かれている。

 

 閲覧の後、最高レベルでのシュレッダー処理を行うべし。閲覧中は本文書を放置すること能わず。食事を含め一切の例外を認めず。

 私も中を見ていないのだ ── ドワイト・グリーンヒル

 

 最後の一文にヤンは目を凝らした。総参謀長ですら見られない最高機密?あのグリーンヒル中将が書いているならば冗談ではないだろうが、一体何が書いてあるのだろう?

 ヤンは表紙をめくった。パルプ紙にインクで印字されている文書というのも今時珍しいものだが、この印字品質は恐らく、機械式タイプライターを使用したものだろう(エル・ファシルで大学に通学していた時、昔の本や書類に目を通したときのことを思い出す)。

 

 

 

 宇宙歴797年12月8日、ガイエスブルク要塞──

 

 銀河帝国、南軍の本拠地は、ブラウンシュヴァイク星域に建設されている軍事要塞、ガイエスブルク要塞にある。直径40キロメートルになんなんとする巨大な人工天体が有する防衛力、補給・整備能力、司令部能力はまさに南朝の総司令部に相応しいものである。

 

 その要塞内部にある陸戦部隊司令部区画を、一人の少佐が歩いていた。髪の色、たくわえている口ひげからは中年の印象を受ける。だが、引き締まった体躯は歴戦の勇士を思わせるものがあった。

 

「少佐殿」

 入口の衛兵が少佐を呼び止めた。

 

「何か」

 

「ここから先は総司令部区画となります。面会のご予定とご用件を」

 衛兵の誰何に対し、少佐は目だけ衛兵を睨みつけて言った。

 

「フォン・ラーケン少佐である。装甲擲弾兵総監のオフレッサー大将に面会する。用件は──ここから先を軽々しく口にしてよいのか?」

 少佐のただならぬ雰囲気に圧されたのか、衛兵は後ずさった。

 

「し、少々お待ちください……確認取れました。どうぞお通り下さい」

 衛兵はIDをスキャンすると、申告内容に問題ないことを確認したようで、少佐に完璧な敬礼を行った。ラーケン少佐は簡単に答礼すると、総司令部区画に入っていった。

 

 

 

「フォン・ラーケン少佐、参上致しました」

 総監室に入ったラーケン少佐は、入口で敬礼する。部屋の奥にある執務机にはオフレッサー大将が座っていた。やたらと部屋が広いように見えるのは、執務机、国旗以外に簡素な応接セットしか無く、その応接用ソファーも端に追いやられているため、やたらと広い空間が存在しているからだった。オフレッサーはにこやかに笑いかけると、そのソファーに座れと指し示した。同時にオフレッサーも椅子から立ち上がりラーケン少佐に近寄ってくる。

 

「良く来てくれた。待ちかねておったぞ」

 オフレッサーはラーケン少佐に右手を差し出した。がっしと握手をする──その次の瞬間、左手のストレートがラーケン少佐の顔面を襲った。

 しかし、ラーケン少佐はそれをスウェーで躱すと、いきなりオフレッサーの胸元に飛び込み、握手した右腕を抱える格好で背負い投げを決めた。どすんと衝撃音が総監室に響き渡る。

 

 慌てて外から警備兵が入ってきて、ラーケン少佐にライフルの銃口を向ける。ラーケン少佐は両手を上にあげて抵抗する意志がないことを示した。しばらくしてオフレッサーが立ち上がり、衛兵達に銃を下ろすように言う。

 

「ですが総監閣下……」

 

「何度も言わせるな。しばらく外に出て、誰も中に入れるな」

 そう言われて、衛兵は慌てて室外に逃げ出していった。もちろん、ドアを閉めることは忘れない。

 

「事前に分かっていると思ったから、ハンディキャップをつけさせてもらったのだがな」

 

「あれを避けられないようでは、格闘術のプロとは言えませんな。オフレッサー大将閣下。それに、抵抗もなくすんなりと投げられたのは、自分がそうしてくることが分かっていたのではないのですか」

 

「ふん。ただ、殴り合いをしたいがために貴様を呼んだのではないことは確かだ。ワルター・フォン・シェーンコップ中佐。そこにかけろ。今度は殴ったりはしない」

 

 

 

「で、どうだったんですか」

 自室に戻ったシェーンコップに、既に部屋に居たカスパー・リンツ少佐が声をかけた。シェーンコップの部下であり、信頼できる副連隊長である。

 

 話を少し戻すが、ワルター・フォン・シェーンコップとその部下ほど、奇妙な運命の下にある兵士達は稀であろう。彼等は南軍の本拠地に居るが南軍の軍人ではない。自由惑星同盟軍の軍人なのである。

 

 薔薇の騎士(ローゼンリッター)連隊──

 

 それは二十年ほど前に設立された、自由惑星同盟軍の陸戦部隊である。連隊という名前の通り、単独で陸戦任務に従事できる能力を持つ。この連隊の特徴は、隊員はいずれも帝国からの亡命者あるいはその子弟という経歴を持つところにある。

 

 ダゴン星域会戦以降、銀河帝国からは途切れなく亡命者が流れ込んでいた。来るものは拒まずという精神により、同盟は亡命者を受け入れていたが、その亡命者達から軍務を希望する人間が出てくるようになった。当初、同盟政府は政治的信頼性等の理由から、その希望を拒絶していたが、軍での勤務を希望する声は次第に強くなり、政治的圧力も増すようになった(これは政府と対立関係にあることの多い、人権団体のバックアップもあった)。

 

 ティアマト会戦以降、同盟は士官学校の入学希望者、それも生まれながらの同盟市民(つまりは帝国からの亡命者の子弟のみ)について入学を認めることになったが、すぐに兵下士官の入隊も認めよ、という声があがった。

 

 最終的に同盟はそれも認め、亡命者本人の入隊も認めることになるのだが(但し、亡命して十年以上という規定があるため、子供や若年の時に亡命しないと入隊は難しい。その他にもいろいろ制限がある)、同盟に平和が訪れ徴兵制が停止されることにより、人員不足に悩むようになった同盟は、この亡命者に目をつけるようになった。

 

 亡命者とその子弟で構成する部隊を編成しようということになったのである。自由と民主主義をアピールし、入隊志願者を増やすためのロールモデルを作るのが目的だった。検討が行われ、陸戦部隊ならば部隊編成が比較的容易であるという結論が出た(宇宙艦隊の場合、人員、必要とされるスキルの多様性で無理がある)。

 

 こうしてローゼンリッター連隊は編成されたのだが、事はそう簡単には運ばなかった。

 

 帝国の専制政治に耐え兼ね、自由と民主主義を求めて同盟に亡命してきたのだから、そんな亡命者達が戦うのは帝国であるはずだ。だが、宇宙歴780年代にそのような戦場は存在しなかった。もちろん、戦場が存在しないわけではなかったが、宇宙海賊や犯罪組織との戦闘が主となった(それすら低減傾向にあった)。

 

 さらに、帝国で内戦が始まってそれなりに時間が経っているということは、亡命者の中ですら分断が生まれているということであった。亡命して同じ同盟市民になったとはいえ、その中には自分の親の仇がいるかもしれないのである。実際ローゼンリッターの中でも、とある兵士がとある下士官の殺害を企て、取り調べたところによると、その下士官が自分の親を乗艦ごと撃沈したのだと主張したのであった(それが事実であるかどうかは結局分からなかったが、兵士の父親と下士官が敵味方として同じ戦場に居たことは確からしかった。但し、下士官はその時最下級の兵士だったし、戦闘後すぐに亡命したことも明らかになっている)。

 

 宇宙歴790年代になると、同盟軍首脳部はローゼンリッター連隊に対し、新たな役割を与えることとした。隊員を選抜し、帝国の内戦へ派遣して実戦経験を積ませたり、情報を収集させることにしたのである。

 

 愚かな決定と言うべきであった。

 

 内戦への介入は、確かに実戦経験を得るまたとない舞台である。だが、帝国に嫌気がさして亡命した人間、あるいはその家族に対して帝国へ行って帝国のために戦え、というのは控え目に見ても倫理的にどうかと思われる命令であった。

 

 事実、この方針が示されてからというものの、転属願いや退役願いが殺到した。所属人員は連隊どころか大隊すら割り込む有様となった。残ったのは、軍隊以外行き場のない人間や、腕っぷしが自らのアピールポイントであると信じる人間、あるいは妙に義理堅い幹部ばかりだった。それでも人員は減り続けている。

 

 シェーンコップはそんな『連隊』の連隊長であった。ガイエスブルク要塞内にあるシェーンコップのオフィスに詰めているのは、副連隊長のカスパー・リンツ少佐、第一中隊副隊長のライナー・ブルームハルト大尉であった。いずれも、シェーンコップが自らの背中を任せるに足る、と判断した猛者である。

 

「ふん。どうにもきな臭い任務だ」

 シェーンコップはそう吐き捨てた。

 

 

 

「卿の任務は、北軍が開発中の新技術について全容を明らかにし、それを奪取することにある」

 

 シェーンコップはむっつりとした表情のまま、オフレッサーの命令を受け取った。もちろん、オフレッサーはにやにやと薄笑いを浮かべながらシェーンコップを見下ろしているが、オフレッサーの場合、目下に接する時は大体こんな感じなので本心がどうかは分からない。あるいは何も考えていないのかもしれない。

 任務は、12月末に行われるアムリッツァ要塞攻撃作戦の中の支作戦、というものだった。アムリッツァ要塞ではとある秘密実験が行われており、南軍による要塞攻撃の混乱に乗じ、その実験の内容とデータを取得すべし、ということであった。

 

「となると、その新技術とやらはここに持ち帰ることができるものですかな」

 

「それは知らん。だが、卿はそれを持ち帰らねばならん」

 

「もし、持ち帰ることができなければ?」

 

「くどい。何が何でも悪逆非道の新技術をここに持ってこい。それが命令だ」

 

 オフレッサーの対応は木で鼻を括るが如しである。というか、オフレッサーにもその詳しい中身は知らされていないのだろう。一体どこの誰がこんな任務を押し付けてきたのか。

 

 しかし、詳しく検討をせずとも困難極まりない任務であることは分かる。敵が隠している秘中の秘について、場所も中身も分からないのにそれを取ってこいというのである。さらに言うと、南軍の攻撃中しか脱出のチャンスはない。ガイエスブルク要塞に匹敵する規模の要塞に対し、ほんのわずかな兵員で「新技術」を探して持って帰らなければならないのだ。

 

 

 

「また、南軍の連中は無理難題言うもんですね」

 リンツが言う。ブルームハルトはむっつり黙ったまま何も言わない。

 

「無理難題はいつものことだ。結局のところ、今のところ我々は傭兵に過ぎん。死んだって泣いてくれる美女すら居ない。いつものことだ。ただどうもな……」

 

「どうも?」

 

「こいつは単独作戦だ。おまけに監視すらつけられていない。盾がわりにするならともかく、勝手にやってこい、というのはどうにも解せん」

 

「手ぶらで帰ってくることも想定のうち?」

 ブルームハルトが初めて口を開いた。

 

「そうだな。成果があればめっけもの。最初から見捨てるつもり、そうなのかもしれん」

 シェーンコップがうなずきながら言った。

 

「だが、契約は契約だ。同盟のお偉方が勝手に結んだものとはいえ、な。だからこそ何もせん、というのはよろしくなかろう。せめてやった振りぐらいはしないとな。リンツ、工兵班にシステムクラッキングに詳しいのが居たろう」

 

「クラッキング……ロスリスベルガーですか」

 

「そうだ。奴を呼んで来い。どのみち、工兵の助けを借りないといかん話だ」

 

 

 

「北軍に対するクラックですか。そりゃ豪勢だ。南軍の連中相手のクラックなど飽き飽きしていたところで」

 シェーンコップの執務室に入ってきた中尉は、概要を聞くなり豪快に笑った。やや太り肉(ふとりじし)の大男であったが、工兵出身でコンピュータシステム侵入が得意という異質な経歴の持ち主であった。名前はロスリスベルガーと言う。フォン・ラーケン少佐という架空の士官データと面会予定データを設定して、まんまとオフレッサーの面会までこぎつけたのは、この中尉の技量によるところが大きかった(もちろん、シェーンコップは変装していたのだけど)。

 

「作戦の要旨については説明した通りだ。中尉には事前調査と、作戦時のクラックを担当してもらう」

 リンツがスクリーンを指し示しながら説明する。

 

「要塞内のどこからクラックするかは決まっているんですか」

 

「情報部の資料によると、該当の情報にアクセスできそうな箇所は5箇所、絞り込んである。問題は、これのどこが当たりか、ということだ。そして、当たりの端末であっても、そこからシステムに侵入して、目的の情報を探り当てなければならん」

 

「難事ですな」

 ロスリスベルガーは脚を組みながら言った。外見からすると、一番階級の低いこの男が、一番偉そうに見える。外見もそうだが、態度がそうなのだ。

 

「そうだ。事前の調査と、現場での操作。後者は限られた時間でやらなきゃならない。できるか」

 シェーンコップの言葉に、ロスリスベルガーはふんと鼻を鳴らした。

 

「無理ですな」

 

 

 

「あん?無理だと?どういうことだ!」

 いきり立つリンツをシェーンコップは手で制した。

 

「そもそも連隊長殿が無理だと思っていることを自分に聞いても、無理なものは無理です。確実にアクセス可能なルートで半日頑張っていいのなら、挑戦してみましょう。ですが、時間的余裕はないのでしょう?その口ぶりからすると、10分とか15分で情報を引き出してこいという風に聞こえます。ならば、無理だと申し上げるしかありません」

 

「きさま……」

 なおも興奮冷めやらぬリンツをどうどうと手で制した。これだけで、ローゼンリッターが過去どんな特殊作戦をやってきたか、ロスリスベルガーのような工兵隊が果たした役割が分かるというものである。それでも、ロスリスベルガーの態度は不遜に過ぎるのかもしれないが。

 

「そうかそうか。では、手ぶらで帰るか。帝国の連中には鼻で笑われるかもしれないが、それは仕方のないことだ。そうだな?」

 

「そうですな。単純に行って帰ってくるならそうなるでしょう。ですが、古来より『人の心を攻めるのは上策で、城を攻めるのは愚策』と申します。ハッキングやクラッキングも同様の原則が当てはまるというものです」

 ロスリスベルガーがにやりと笑った。

 

「策がある。ということかな」

 

「一回限りということでよろしければ」

 シェーンコップの言葉に、ロスリスベルガーはそう答えた。

 

 

 

 アムリッツァ要塞──

 

 アムリッツァ恒星系に存在するこの要塞は、帝国北軍、アムリッツァ方面軍の本拠地であり、重要な整備・補給拠点である。直径40キロメートルの人工構造体は、ガイエスブルク要塞に匹敵するものであり、北軍の最重要拠点である。

 

 元々、この要塞はティアマト会戦における将官の大量損失に伴い、いずれ行われるであろう同盟軍の帝国侵攻に対応するために計画されたものだった。本来は、アムリッツア恒星系ではなく、同盟領の目と鼻の先であるイゼルローン回廊に建造されるものだったとされる。

 

 それがアムリッツア恒星系に存在するのは、建造を命じた当の本人である、銀河帝国皇帝オトフリート五世がそう決めたからだった。見積もりを繰り返すにつれ、コストの高騰を繰り返す要塞建造計画に嫌気がさした皇帝は、要塞建造のコストダウンを命令した。コストダウンの対象は、要塞を自立した存在ならしむる後方支援の機能だった。民間人(軍属)の住居機能、疑似的な都市機能、軍需工場機能、食料生産プラント、いずれもコストカットの対象となった。

 

 結果、要塞をイゼルローン回廊に建設することは不可能となった。要塞は、他のものがそうであるように、近隣に支援可能な惑星がないと維持が不可能な存在となったのである。そのため、イゼルローン回廊近辺のアムリッツァ恒星系に設置されることになり、要塞は「アムリッツァ要塞」と名づけられた。

 

 結果から言うと、この決断は大成功だった。もしイゼルローン回廊に要塞を設置していたならば、同盟軍はその総力を挙げて要塞の占拠または破壊に乗り出していただろう。イゼルローン回廊は、同盟によって監視衛星と機雷がびっしりと設置されており、そこに要塞を設置しても、情報の秘匿が行えない中で防衛するのは、相当に困難だったはずである。それがアムリッツァ星系に要塞が存在することによって、北朝支配下の辺境星域に睨みをきかせることができるようになった。南軍が辺境を荒らそうとすれば、この要塞を拠点とする艦隊が対応可能である。現在は、辺境星域を管轄とする「アムリッツァ軍管区」が設置されており、3個艦隊が駐留していることになっている。

 

 

 

「面会だと?こんな時期にか?」

 

 副官から用件を伝えられた要塞司令官、トーマ・フォン・シュトックハウゼン中将は疑わし気にそう言った。

 

「はっ、シャンタウ軍管区所属の巡航艦『リヒトホーフェン』より通信があり、火急の用件にて、司令官閣下に御目通りを願いたいとのことです」

 

「南の連中が接近していると思われるこの時期に……いや、だからこそと言うべきか。大体、総攻撃だからといって駐留艦隊を根こそぎ攻勢に出すのはあれほど反対したと言うのに……」

 シュトックハウゼンの独り言というか愚痴を聞いている副官は、立ちつくすしかなかった。聞きたいのは、その巡航艦を入港させて言う通りにするのか、はたまた追い返すのかということである。確かに、現在は要塞に攻撃を仕掛ける南軍の部隊が接近中という情報が入っているため、無線通信は制限されているし、入港も同様だ。これを理由に追い返すことは、間違ってはいない。

 

「どうされますか」

 

「その火急の用件について、内容は問い合わせたのか」

 

「問い合わせました。ですが、司令官以外に話すことはできない、と。ですが軍の統帥本部より発行された重大な要件である、と」

 シュトックハウゼンは歯を噛み鳴らした。それでは何も言っていないのと同じではないか。

 

「貴官はどう思うか」

 

「自分……でありますか」

 副官は当惑した。本当ならそんなことは知らん、と言ってやりたかった。シュトックハウゼンは要塞の運営ということに関していえば一流だし、駐留艦隊のケアも十分やっている。だが、突発的な事象に対して適切にマネージするという才能は欠けている、そう思っていた。何でもかんでも規則にこだわり、規則ではカバーできない事態に対応ができなくなる、そういうイメージもあった。

 

「受け入れるべきかと思います。シャンタウからここまで急行してきたことを考えると、補給を要求してくる可能性がありますし、南軍に見つかったら撃沈される可能性もあるでしょう。そうなると、まずい事態になるのではないかと」

 

 副官の言葉に、シュトックハウゼンは重々しくうなずいた。

 

「ならば入港を許可せよ。セキュリティチェックは厳重にな」

 

 

 

「まだ面会はできないのか」

 

「データ照会に時間がかかっている。フォン・ラーケン少佐。こんな時期でなければ、貴艦のデータリンク装置を使えたのだがな」

 アムリッツァ要塞宇宙港の特別区画に巡航艦『リヒトホーフェン』は停泊している。本来ならすぐさま上陸が許可されるはずだったのだが、憲兵隊が押しかけてセキュリティチェックを要求してきたのである。巡航艦側としては、重要な任務なのに待たされる、という事態になっていた。

 

「事は一刻も争うのだぞ。つまらん規則にどこまで拘るつもりだ」

 ラーケン少佐は憲兵隊の隊長に突っかかった。

 

「だが、こちらのデータベースには、巡航艦『リヒトホーフェン』は二か月前のキフォイザー星域作戦にて、任務中行方不明とある。艦長以下フォン・ラーケンという名前も照合できないとある」

 

「だからデータの更新が遅れているだけだと言っているだろう。そんなに照合が重要ならシャンタウ軍管区に問い合わせればいいのに、それが作戦中の無線妨害で出来ないのか」

 

「規則は規則だ」

 

「そうだ。規則のためにIDも渡してある。だが、それでも待たせるというのであれば、こちらはいくらでも待とう。だが、敵がこの要塞を木っ端微塵にしようとしているこの時、くだらん規則に拘ったのはそちらであること、これは覚えておいてもらうぞ」

 ラーケン少佐は隊長を指差してそう言った。しばらくして、隊長のコミュニケータに着信が入った。

 

「もしもし……私だ。何だと!?」

 隊長の顔色が変わった。

 

「分かった。こちらからレムラー中佐に連絡する」

 隊長は通信を切ると、あちこちに通信を入れ始めた。しばらくして

 

「大変失礼しました。フォン・ラーケン少佐殿。今から司令官閣下の所まで案内する」

 

 

 

「南軍がこの要塞を完全に破壊しようと目論んでいるだと」

 

「左様でございます。先程観測された飛翔物体──いや、隕石がその裏付けであります。推進軸後方に、スラスターと思われる構造物があったのでしょう?ならばいずれ、第二、第三の隕石がやってくるでありましょう」

 シュトックハウゼンの大声に、ラーケン少佐は冷静に答えた。シュトックハウゼンの司令室に居るのは、シュトックハウゼン中将に、警備主任のレムラー中佐と衛兵が数名、そして、巡航艦『リヒトホーフェン』のラーケン少佐と、付き添いの大尉二名、中尉一名という構成である。

 

「だがあり得ん。南軍にとって、確かにこの要塞は邪魔ではある。だが、完全破壊は得るものが少ない。そのはずだ。要塞の破壊など非合理的だ」

 アムリッツァ星域は、南軍の支配域からするとあまりに遠すぎ、仮に占拠しても維持がやりにくいというのが一般的な評価である。それなら完全に破壊するべきなのかもしれないが、もし北軍が本気を出し、もっと南軍に近い場所に、同じような拠点を建設されてはたまらないという意見があり、それも却下されている。そのため、要塞の防備が手薄なところを見計らって南軍が攻撃することはあったが、それは全面的な攻撃というよりは破壊工作の範疇に属するものだった。修復に時間と資源をかけさせるという『擾乱攻撃』に終始しているわけだ。だが、ラーケン少佐曰く、今回南軍は、本気でこの要塞を破壊しようとしているらしいのだ。

 

「南の連中が何を考えているか分かりません。ですが、これは確実な情報です。そう簡単にこの要塞が破壊されるとは思えませんが、統帥本部はこの要塞に残地されている機密情報が損傷することを懸念しております」

 

「統帥本部?あのラインフォルトの腰巾着がしゃしゃり出ているというのか。だとしたら、何故オーディンから船を寄越さないのだ」

 シュトックハウゼンの物言いは、いつもピントがずれているな。ラーケンはそう思った。

 

「オーディンからでは間に合わないからでしょう。いずれにしても、飛来してくる隕石が人為的に推進されていることは明らかです。隕石が当たればもちろん被害は甚大ですが、たとえ当たらなくても、後で統帥本部の勧告を無視したことについて、合理的な説明ができるとは思えないのですが」

 ラーケンの返答に、シュトックハウゼンは真っ赤になった。だが、言い返すことはできない。どこまでも官僚主義、規則主義なシュトックハウゼンに対して、統帥本部とかそういう上役を示す固有名詞は覿面なのである。

 しばらく沈黙して、やがてシュトックハウゼンは口を開いた。

 

「分かった。どのデータを渡せばいいのだ」

 

 

 

「随分と外れにあるのですな」

 

「科学技術本部の連中が指定したのだ。要塞の勤務に支障がないように、とのことだが、あれだけの工事をしておいて支障がないというのもな」

 ラーケン以下4名と、シュトックハウゼンが指名した技術士官3名は、アムリッツァ要塞の外殻部にあるAS28ブロックを歩いている。特殊エレベーターと要塞内地上車を使って中継所まで行くこと20分、さらに10分ほども歩いている。

 

「ここだ」

 先頭を歩いていた技術中佐がプレートを指し示した。プレートには「第4予備制御室」と書かれている。IDを通してロックを解除し、中に入る。制御室と呼ばれた部屋は、奥に幅10メートルはあろうかという巨大なスクリーンと端末群があるが、機械と呼べるのはそれぐらいであった。代わりに、机と椅子が所せましと並べられている。但し、机の上には何もない。

 

「一年前から工事を始めて、半年前まで統帥本部技術部門の連中がずっと詰めていた。実験が終わったら早々に引き上げて、このざまだ。実験が成功したのか失敗したのか、それすら教えてもらえなかった。代わりに、この件に関しては他言無用とのこと。だと」

 

「実験データがあるのは」

 ラーケン少佐が技術中佐に尋ねた。

 

「残っているとしたら、ここぐらいだろう。要塞自体の自動観測データは消すわけにはいかないからな。異常がない限り、誰も覗きやしないが。だが、こんなデータは向こうの連中は持っているんじゃないのかね」

 技術中佐は左端にある端末を指し示した。

 

「早々に始めましょう。セキュリティを解除してください」

 リヒトホーフェン側の中尉が端末に近づいた。箱を端末の上に置き、スイッチをオンにしようとしたその時

 

「待て待て」

 技術中佐が大声で制した。

 

「最高機密のデータを無線で移転するのは規則違反だ。ちゃんとストレージケーブルを使いたまえ」

 

「ストレージケーブルですか。そんなものは持参しておりません。超近距離通信でやりましょう」

 

「馬鹿な。シャンタウの連中はそこまで仕事がぞんざいだとはな……おい、待てよそれは……民生品じゃないか!軍規格製品以外の物品を持ち込むとはお前達──」

 その時、後ろで何か物音が聞こえたような気がしたので、中佐は振り向いた。

 中佐が人生で最後に見た光景は、刃を振り下ろすフォン・ラーケン少佐であった。

 

 

 

「準備不足だったな、中尉」

 

「ストレージケーブルなんて今時使っているとは思いませんよ。南軍の連中だって使ってないんですよ、シェーンコップ中佐」

 変装を解いたフォン・ラーケン少佐改めシェーンコップに対し、ロスリスベルガーは反駁した。ちなみに、技術中佐についてきた他の二人は、いずれもリンツとブルームハルトに斃されている。シェーンコップと同じく、首を特殊樹脂の仕込みナイフで一閃、それで終わりだった。

 

「ケーブルさえ持って来ていれば、セキュリティも向こうに解除してもらえただろう」

 

「まぁそうですが、ここには指紋もあるし、虹彩もあります。少々気味が悪いですが、やれるでしょう」

 

「急げ。あまり時間もない。そろそろ例の時間になるはずだ」

 

 

 

 それから三十分後──

 

 アムリッツァ要塞の総指令室に警報が響き渡った。

 

「何だ!」

 

「Aブロックに艦船らしきものが複数、取りついています。これは……南軍の強襲揚陸艦です!!」

 シュトックハウゼンの大声に、オペレーターは負けじと大声で叫び返した。オペレーターが端末を操作し、監視カメラの画像を映し出した。確かに、南軍の紋章である白色双頭鷲が描かれた揚陸艦が、アムリッツァ要塞の外壁に取りついている。

 

「馬鹿な。何故接近を許した!何故何も分からなかった!!」

 シュトックハウゼンの怒声に、オペレーターが慌ててコンソールを操作する。過去データのチェック漏れがないかどうか確認していった。

 

「……何故だ。数分前の画像には何もない。いくら恒星アムリッツァを利用しても、そんなに秘匿して接近できるはずがないのに……なんてことだ」

 

「どうした。整理して報告しろ」

 

「Aブロック方面の監視システムの一部が応答していません。異常が発生した模様!!監視システムが飛来隕石の調査に出払っていたので、二重チェックができず分からなかったのです!!」

 

「故障……だと。何故だ」

 茫然自失状態のシュトックハウゼンは、司令官の椅子にへたりこんだ。何か聞こえたような気がしたが、何も判断する気にならなかった。

 側に居たレムラー中佐は、かぶりを振るとコミュニケータを起動し、陸戦隊本部へ通信を行った。

 

 

 

 第4予備制御室──

 

「まだ見つからないのか」

 シェーンコップが、三度目の質問を行った。いい加減、苛立ちを隠すのにも苦労している。後ろでは装甲服に着替えたリンツとブルームハルトが戦斧(トマホーク)はじめ装備品のチェックをしている。制御室の横にある警備員詰所からかっぱいできたものだった。シェーンコップももちろん着替えている。作業に没頭しているロスリスベルガーだけが軍服姿のままであった。

 

「予想以上にログが多いですね。もう少し時間がかかりそうです」

 

「早くしろ。監視システムのクラックに手間取ったのは分かるが、ここまで来て本命のデータを逃すわけにはいかん。折角、奇跡的に成功したのだぞ」

 シェーンコップの声には焦りも見える。奇跡というのは、戦闘で鹵獲した北軍の巡航艦を使用し、アムリッツァ要塞に潜入する今回の作戦のことを指す。普通ならこんな手が通用するはずがないのだが、南軍が要塞の攻撃を行う情報を流していたこと、シェーンコップ達の言うとおりに、要塞を破壊するに足る大きさの隕石が接近していること、これらの情報により、要塞側の保安担当者がシェーンコップの言うことを信じてしまったのだ。これらは、ロスリスベルガーの献策を基にシミュレーションを重ねて作り上げた作戦だった。まさに、心を攻めることが上策、そういうことであった。

 

「しかし、よく南軍の連中がこんな作戦、乗り気になりましたね」

 リンツがシェーンコップに言った。

 

「まぁ、成功すれば得るものは大きいよな。ほぼ装甲擲弾兵だけで要塞を叩いたんだ。同じ手が二度通用するとは思わんが」

 シェーンコップは言い返した。北軍の保安担当者相手に嘘を信じ込ませるために、一番苦労したのは南軍工兵隊だったかもしれない。アムリッツァ星域にある手ごろな隕石を見つけ、推進ユニットを取りつけて要塞に向けて飛ばす──見つかるといけないから、要塞から相当距離を離さなければならない。敵に見つかって、警戒レベルを上げないといけないから、適当に放り込むわけにもいかない。もちろん、直撃させるわけにもいかない。

 

「隊長、見つけました。多分これです」

 ロスリスベルガーの声に、シェーンコップ、リンツ、ブルームハルトが一斉に端末に駆け寄った。巨大なメインスクリーンの端にあるサブスクリーン、それにはわけのわからない専門用語がタイムスタンプと共にずらずらと並べられていた。右上のタイトルバーには『プロイエクト・ラグナロク・ファル・ドライ』と書かれている。

 

「何なんだこれは、リンツ?」

 

「いや、自分にそんなこと言われても、隊長」

 

「……」

 

「隊長、分かりませんか。これは……とんでもないやつですよ」

 

サブスクリーンには、なおもメッセージが出力されている。シェーンコップや部下達には相変わらず訳の分からない言葉ばかりだ。やはりそれが分かるのはロスリスベルガーだけらしい。

 

 要塞両極より、重力波反応。要塞質量比10の24乗。

 赤道面に対する空間歪率、極大方向に収束中。

 アムリッツァ恒星系標準子午線方向、距離20万Kmに、巨大な重力場が発生。

 

「畜生、凄い。本当なんだ」

 

「おい」

 

「信じられん。理論上は可能としか言われてなかったはずなのに。連中、本当に実現しやがった。とんでもないことだ」

 

「おい!」

 シェーンコップはロスリスベルガーの肩を掴んで揺り動かした。

 

「感動に浸るのもいいが、ちょっと解説してくれんか。本物だと思っているのはお前だけかもしれんのだぞ」

 

「隊長にはこのログの意味が分からないんですか?」

 

「分からん。俺達の役目はこいつだからな」

 シェーンコップはナイフをロスリスベルガーの首筋に当てるふりをした。ロスリスベルガーがぶるっと震える。

 

「では隊長は、もし宇宙要塞を動かせるとしたら、どう思いますか?それも自由自在に」

 

「宇宙要塞を動かす?どうやって?宇宙戦艦の何万倍じゃきかない物体だぞ。現実的ではないだろう」

 

「そうです。大質量を動かすには、現在の核融合炉ではあまりに非効率的です。ですが、宇宙要塞をワープさせる研究は実用化寸前まで至っています。大容量の物資を星系間で移動させる技術を使っていますからね。ですが、ワープに必要な人工ビッグクランチは、作り方を少し間違えると、ブラックホールに近い超高重力場を作成することになる。だけど、もし、この重力場を人工的に制御することができるとしたら……」

 

「ブラックホールだと?重力場に吸い込まれるというのか?」

 リンツがはっとして言った。

 

「そうです。いや、これは『落下』しているんです。この要塞が。ブラックホールに向けて」

 

「……馬鹿な」

 寡黙なブルームハルトがそれだけ言った。

 

「じゃあ何故、普通の宇宙船はそれを使わないんだ」

 

「コントロールできないからですよ」

 ロスリスベルガーはそれだけで全てが分かるとばかりに言い切った。周囲がぽかんとしていることにしばらく後に気が付くと、気まずそうに話を続けた。

 

「疑似ブラックホールを管理すること自体が至難の業です。適切に発生させて、適切に収束させるのは、絶妙なコントロールが必要なはずです。それに、宇宙船程度の物体では、どんなに極小のブラックホールでも、吸い込まれておしまいです。零に等しい時間で実行するからワープになるんですから。オブジェクトが天体並みに巨大だったら何とかなるんではないかとは言われてましたが……例えば」

 そこまで言って、ロスリスベルガーは床を指さした。

 

「この要塞のように、です。そして、通常空間の移動とワープ能力を要塞が備えたとしたら」

 

「備えたとしたら」

 シェーンコップが言う。

 

「ミリタリーバランスが崩れるどころじゃない。要塞を押し立てて攻めてくる敵なんて、どうやって相手すりゃいいんだ」

 リンツが頭を抱えて言った。

 

「この記録は、その夢物語が実現可能であることを示しているんですよ」

 ロスリスベルガーはテンションが高いままだ。

 

「連隊長殿」

 

「どうしたブルームハルト」

 

「どうやら時間切れのようですよ。連中、やっと気づいたようです」

 

 

 

 第4予備制御室から、監視システムがハックされていることを知った要塞警備隊は、1個分隊をそこに派遣した。その、第4予備制御室に突入した、装甲服に身を包んだ完全武装の兵20名が見たものは、首から上が存在しない帝国技術士官3名の死体だった。入ってきた帝国兵に見せびらかすかのように、入り口側に向けて座らされている。

 

「なっ……おい、フォン・ラーケンとやらはどこにいる」

 分隊長の声に兵はあちこちを見回した。恐らくこの三人を惨殺したであろう、あの四人の士官はどこにもいない。

 見つからないので、手分けして探そうと帝国兵が散らばろうとしたその瞬間、技術士官の死体が爆発した。

 

「いっちょあがり」

 リンツが最後の一人に止めを刺した。第4予備制御室に入った兵士達は、死体に仕掛けられた爆薬に吹き飛ばされていた。入らずに外にて待機していた兵は、爆発に気を取られた瞬間、隣の部屋に隠れていたシェーンコップ、リンツ、ブルームハルト、ロスリスベルガーの四名に制圧されていた。

 

「ロスリスベルガー、データパックはちゃんとあるだろうな。まさか置き忘れたりしていないよな」

 

「ありますよ。隊長」

 ロスリスベルガーはバッグからわざわざ『箱』を取り出して見せた。

 

「よし。ここからはマラソンだぞ。南軍が引き上げる前にLZ(脱出地点)に行かないと帰れん。ブルームハルト、想定距離は」

 

「意外と近いです。ここから3キロ」

 

「装甲服の力を借りれば10分ってとこか。余裕だな」

 

「妨害がなければ、ですが」

 

「今はそんなことを気にしている場合ではない。未来に向かって脱出する時だ、前進!」

 四人は装甲服の倍力機能を使用し、短距離競走選手のようなスピードで走り出した。

 

 

 

「おかしい」

 走りながらシェーンコップがつぶやいた。

 

「何がです」

 リンツが尋ねる。といっても、二人の会話は装甲服に付けられているマイクとレシーバーを介している。だから、無駄話をしているわけではない。

 

「静かすぎる」

 

「ですね」

 シェーンコップの言葉に、リンツが同意した。今、南軍は要塞に陸戦隊を突入させ、手に届く範囲の設備に対して破壊工作を仕掛けているはずである。当然ながら、敵味方入り乱れての乱戦になるはずである。そして、シェーンコップ達はそんな乱戦地帯の中を駆け抜けているはずだ。当然ながら、敵の陸戦部隊と出くわす可能性は高い。

 だが、敵の姿を見ることはなかった。熱センサー、重力センサーにも反応がない。

 

「あの角を右に曲がってください。そこから第一LZまであと少しです」

 ブルームハルトが言った。

 

 一体何が待っているのか。どうにも嫌な予感がする。

 でも、予感だけで行動ができないのも、また人間というもの。二百メートルある通路を三十秒で駆け抜けると、十字路を右に曲がる。どうやら数百メートル先に外殻領域の出口があるらしい。その先には中枢部への渡り廊下があるはずだ。

 

 四人は渡り廊下へ足を踏み入れた。そして、予想だにしない光景に足を止めた。

 

「任務ご苦労だった。シェーンコップ中佐」

 

 装甲服姿のオフレッサーが、数名ほどの兵を引き連れて渡り廊下の出口で待ち構えていた。

 

 

 

「これはこれは。わざわざのお出迎え痛み入ります」

 シェーンコップ含め4名はオフレッサーに対して敬礼した。どうしたことだ?南軍の事情を全て知っているわけではないが、今回の作戦にオフレッサー本人が参加するとは聞いていない。まぁ、大将の階級にもかかわらず、オフレッサーは自分で最前線指揮を執ることを好むことはよく知られていることではある。今回もその気まぐれだろうか。

 

「御大将自ら指揮を執るとは。我々のことなど忘れてしまったかと」

 

「とんでもない、待ってたのだ」

 フェイスシールドを跳ね上げているオフレッサーは笑みを浮かべている。

 

「お前達が首尾良くやったからこそ、我々はここに居る。そうではないか」

 

「……」

 シェーンコップが後ろを振り向き、ロスリスベルガーの方を見て顎をしゃくった。ロスリスベルガーはバッグを下ろして、中から「箱」を取り出した。オフレッサーに歩み寄って、箱を手渡す。

 

「確かに受け取った。良くやったぞ、貴様ら」

 次の瞬間、ロスリスベルガーの首から刃が突き出て、鮮血が辺りに飛び散った。

 

 

 

「なっ……」

 リンツがうめいた。ブルームハルトは戦斧を構えなおす。

 

「……」

 

「お前達にはこの情報の貴重さが分からんだろう。ま、教えることもないがな」

 オフレッサーはロスリスベルガーの体から大型アーミーナイフを引き抜くと、ぶうんと振るった。ナイフに付いているロスリスベルガーの血がまたも辺りに飛び散る。

 

「要塞が、機動力を、得る、ことか」

 シェーンコップが途切れ途切れに言葉を絞りだした。

 

「うん?」

 オフレッサーが怪訝そうな顔をした。しばらくして豪快に笑い出す。

 

「なるほど。そういうことか。ならば知らずに天上(ヴァルハラ)へ逝けい!」

 オフレッサーがいきなりナイフを振りかざして距離を詰めてきた。衝撃から回復できず脚の動かないシェーンコップ。オフレッサーがナイフを振り下ろしたその時、黒い影が二人の中に割り込んだ。キィンという硬くて甲高い衝撃音がこだまする。

 

「ブルームハルト!」

 

「隊長、ここは逃げてください!」

 ブルームハルトは渾身の力を傾け、ようやくオフレッサーのナイフを押し戻した。すかさず踏み込んで戦斧を振り下ろそうとしたが、オフレッサーはそれを予見していたようで、戦斧の刃の部分、そのすぐ近くの柄をナイフで思い切り叩くことで受けきった。相変わらず常人離れの腕力である。

 

「やめろ、ブルームハルト!お前の敵う相手じゃない」

 シェーンコップが叫んだ。ブルームハルトはなおも戦斧を打ち込もうとするが、オフレッサーは易々とそれを受け流した。隙を狙ってナイフを突き出す。ブルームハルトの右腕を狙った刺突であったが、刃先が滑って装甲服の動力伝達パイプを切断するだけに終わった。素早く後退してナイフを投げ捨てるオフレッサー。床に置いてあった戦斧を拾い上げる。ぶんぶんと感触を味わうように、二度、三度空振りした。

 

「隊長!今のうちに」

 ブルームハルトの絶叫に、シェーンコップは相変わらず動けずにいる。

 

「隊長、ここは」

 リンツの震え声が聞こえる。別にリンツが臆しているわけではない。この要塞の中にリンツやシェーンコップの生き残れる場所などありはしない。だが、それでも生き延びなければならない。南軍が自分達を消そうとしているのならば。

 

「ブルームハルトっ!」

 シェーンコップは腰のナイフを抜き、オフレッサーへ向けて投げつけた。オフレッサーは体をひねって躱し、ナイフは後ろの空間へ飛んでいった。これで一瞬、時間を稼いだ。シェーンコップは背中に収納されている折り畳み式の戦斧を取り出すと、展開して両手で構えた。ブルームハルトが態勢を立て直すために後ろに下がるその瞬間に、自分が飛び込むつもりだった。

 

 その時だった。

 

 オフレッサーが振り下ろした戦斧が、受けようとしたブルームハルトの戦斧の柄の部分を叩き割り、そのままブルームハルトを袈裟懸けに斬り下げたのは。

 

 どうと倒れるブルームハルト、即死だった。最期の言葉さえ発することができないままに。

 

 

 

「リンツ」

 

「……ブルームハルトの仇を討たせてください」

 

「……馬鹿野郎。部下の仇を上官が討たんでどうする。お前まで俺を恥知らず扱いするつもりか。お前は今すぐ、ここから逃げろ」

 

「逃げろって、どこへですか」

 

「知るか!とにかく、ここで全員死ぬよりマシなことをやれ!!」

 リンツはなおも逡巡していたが、やがて意を決したのか来た方向に向かって戻っていった。オフレッサーがリンツを指さすと、護衛の兵士達がリンツを追って駆け出していく。もちろんシェーンコップのことは一顧だにしない。

 

「さて、ワルター・フォン・シェーンコップ。貴様とは一度やり合いたいと思っていた」

 オフレッサーがそう言ってぐふふと笑う。

 

「俺は一戦交えるなら美女の方がいいが。それもベッドの上で」

 

「ほぅ。足がすくんでいるのに、口だけはいっちょ前か」

 

「……思えば不審なことばかりだった。おい、オフレッサー、お前が機密情報が入っていると思っているその箱、偽物だと言ったらどうする?」

 

「……」

 オフレッサーは戦斧を構えたまま動かない。もちろん、つけ入る隙もない。

 

「子細ない」

 オフレッサーの回答に、シェーンコップは眉を寄せた。しばらくして、シェーンコップははっとする。

 

「そうか。そういうことだったんだな。重要なのは情報そのものじゃない。いや、もっと重要なもの、それは情報が漏洩した可能性、そういうことなのか」

 

「……そこから先は自分で考えるんだな。お前らはあれを見ているはずだ。ならば、答えにたどり着く可能性はゼロではない」

 

「そうだな。それはお前を斃した後にゆっくり考えさせてもらおう。薔薇の騎士(ローゼンリッター)の本懐、それはな」

 

「なめられたら殺す、だ!」

 

 シェーンコップは戦斧を振り上げ、オフレッサーに挑みかかっていった。

 

 

 

 フェザーン同盟大使館、特務支援課オフィス──

 

「いやはや……」

 

 報告書を閉じたヤンは、大きく伸びをして、あくびをした。報告書の内容は、厳重に秘匿するに値するとヤン本人も感じた。こんなものが公になったら、おそらく同盟中がパニックに陥るであろう。少なくとも政治家はそう考えるはずだ。

 

 ヤンは指示の通りに報告書をシュレッダーにかけると、水の瓶を開封して一口飲んだ。報告書を読んでいる間は水を飲むことすら忘れていた。ヤンは卓上にある端末を操作すると、同盟軍の情報データバンクを呼び出して、いくつか検索を行った。

 

 

 

 トーマ・フォン・シュトックハウゼン大将

 

 宇宙歴798年1月4日、拳銃自殺を図り、死亡。同日、被疑者死亡の状態での軍法会議起訴が発表された。2月1日、大将への昇進が軍務省より発表される。軍法会議対象者の死後昇進は極めて異例であり様々な憶測を呼んだが、軍務省のコメントは存在しない(以下省略)

 

 

 

 ワルター・フォン・シェーンコップ中佐

 

 薔薇の騎士連隊、連隊長。

 宇宙歴798年、某作戦方面での任務中に行方不明(任務内容については軍機密)

 

 

 

 薔薇の騎士連隊

 

 宇宙歴798年1月31日、某作戦方面での活動を終了、惑星ハイネセンの駐屯地に撤収。同日、部隊の運用方針の変更により、連隊の解散と地上総軍への再編成が発表される。尚、軍機密により構成人員、活動内容については非公開。

 

 

 

 ヤンは検索を修了すると、端末を閉じた。フェザーンも、そして恐らくハイネセンも、戦争などどこ吹く風、平和の匂いに満ち満ちている。だが、帝国領内では戦争が続き、このような男達が命を落としているわけだ。この報告書が自分の手許に届くまでにも、何人もの人間が命を落としているのかもしれない。自分はそれに何ができるのだろうか。それとも、何もできないこと、何もしなくてもよいことに感謝すべきなのか。それよりもなによりも──

 

 

 

 ラグナロクプロジェクト(プロイエクト・ラグナロク)って何だよ?

 

 

 




次回予告

 「キングピン」と呼ばれる北軍の重要人物救出任務がヤン不正規隊に命ぜられる。共同作戦として北軍より派遣されたエージェントとは。そして、キングピンの正体とは……

 自分を、銀河さえも変えてしまえそうな瞬間が今、すぐそこに。

第十二話「キングピン」


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第十二話 キングピン

 「キングピン」と呼ばれる北軍の重要人物救出任務がヤンとフレデリカに命ぜられる。共同作戦として北軍より派遣されたエージェントとは。そして、キングピンの正体とは……



 

 宇宙歴798年4月29日 10:00──

 

 惑星フェザーン宇宙港には、特別な発着場がある。銀河帝国の軍人(と貴族)だけが使用可能な発着場である。莫大な貨物と旅客が行き交い、常に混雑しているフェザーン宇宙港でも、ここはゆったりとした空間を楽しむことができる。何時間も待たされることも珍しくない、宇宙港と地上を結ぶ軌道エレベーターも、彼等だけが使用できる専用のものが存在する。

 

 元々は、フェザーンが自治領となる際に帝国側が当然の条件として提示し、(内心はともかく)フェザーン側が受け入れたものだった。当然ながら、イニシャルコストもランニングコストもフェザーンが負担している。その後、帝国が2つに割れ、南朝と呼ばれる新しくできた方の帝国も、同様の施設を要求した。これについてはもめにもめたが、発着場を増設することと、大貴族用にパーソナルシャトル便を用意することで何とか合意した。このような特別扱いを、真に誰が欲しがっていたのか、実によく分かるエピソードであった。

 

 その宇宙港、地上側出口から一人の人間が出てきた。背は標準より高いが、顔は分からない。帽子とサングラスと医療用保護面(マスク)では、中身を知りようもないからだ。春の終わりにしては珍しくロングのトレンチコートを着ているため、素性も知りようがない。まぁ、こういうのは、お忍びでやってくる貴族等には珍しくない服装ではあった。当然ながら、誰も気に留めようとはしない。もし、注意深く観察する人間がいたとしたら、軍隊用のIDカードを使ってゲートをくぐっているのが分かっただろうか。後は、金髪の持ち主であることぐらいは分かったかもしれない。

 

 男はちらちらと周囲を気にしながら歩き、出迎え用地上車の待機所まで歩いて行った。既に待っていた地上車の扉を開け、乗り込む。地上車はすぐに発進して、宇宙港とフェザーン行政府その他を結ぶ高速道路へ向けて走って行った。

 

 それからしばらくして、帝国北朝の弁務官事務所、そのごく一部に奇妙な噂が流れた。噂が流れた部署では急に人々が慌ただしくなった。だが、しばらくしてぱったりと動きが止まった。少なくとも外部からはそう見えた。弁務官事務所を常に監視している南朝、そして同盟大使館は、何かあったことだけは分かったが、それ以上のことは掴めなかった。南朝も同盟も、「それ」を掴むためにハイリスクな手段を使うべきか迷ったが、逡巡する以上のことはできず、時間だけが過ぎていった。

 

 昼過ぎ、とある北朝の士官が同盟大使館のとある人物に面会を求めた。北朝弁務官事務所に対して行われたとある『工作』に対する抗議文書を提出する、とのことだった。そのようなことは日常茶飯事であるし、同盟としては抗議を受け止めて却下するだけなので何の問題もなかった。そう判断された。

 

 士官は大使館内に入っていった。素晴らしくも小さな戦争(スプレンディド・リトル・ウォー)の始まりだった。

 

 

 

 

 宇宙歴798年4月29日 23:00──

 

 自由惑星同盟フェザーン大使館、その一角に灯りが煌々と灯っている区画があった。さすがに午後11時を回るとなるとそのような部署は珍しい。

 

 それが大使館の外れにある、特殊作戦グループの会議室となれば尚更である。特殊作戦グループといえば、テロ攻撃に対処するための一騎当千の男達の住処だ。夜間に堂々と行動していては目立ってしょうがない。

 だが、今日だけはそれが許されていた。

 

 

 

 会議室の中で出撃準備が行われている中、仲間外れ状態で置いておかれている二人の人間がいる。一人はもちろん、我等がヤン・ウェンリー。もう一人は、誰にもよく分からない事情と理由でヤンの後ろをついて回っているフレデリカ・グリーンヒルである。

 

「少佐」

 フレデリカがヤンに錠剤と水の入ったコップを手渡した。ヤンは錠剤を受け取ると口に放り込み、コップで一気に流し込んだ。錠剤は特殊作戦用の覚醒剤である。中毒性、依存性は可能な限り低減(科学的表現)されており、飲めば一日二日寝ずに行動できる代物だ(但し、服用して、必要な作業が終了した後は可能な限り医師の診断を受けるべし、とされている)。

 

「中尉、君は大丈夫なのか。これからテロリストのアジトに殴り込みをかけるのだが。随分と落ち着いているようだが」

 

「そうですね。ハイネセン郊外のウィルダネス密林を縦断した時のことを思い出します。ジャングルの中で大蛇と鉢合わせた時は、死ぬかと思いました」

 ヤンはそれを聞いて、いやそうじゃないだろうとツッコみたかったが黙っておいた。

 

 

 

 同日 17:00──

 

「あの、課長、もう一度言ってもらえますか」

 

「問題は簡単明瞭だったはずだが、少佐」

 

「何から何まで理解できません。前提も、そして内容も」

 

 その日、一日中事務仕事をして、そろそろあがろうかと考えていたその時、ムライから緊急の呼び出しがあったのである。珍しく、特殊作戦グループ(汚れ仕事をする特殊部隊のことだと思えばよい)の会議室に呼び出されたと思ったら、フレデリカまで一緒に居て、誘拐事件被害者の救助をこれからやるから付き合え、というのである。警察でもないのに誘拐事件に介入するのも十分おかしいが、救出対象は敵国である帝国(北朝)の要人だというのだから、ヤンが混乱するのもむべなるかな、というものだ。

 

「まぁ、帝国の要人を何故救出しなければならないのか、それはおいておきましょう。後で聞きますけどね。最初から伺います。なんで、我々なんですか?」

 

「我々が、最も素早く暴力を行使できるからだ」

 

「北軍に任せないのですか」

 

「連中は知らんからな」

 

「!?!?」

 

「その要人──仮に『キングピン(大物)』としておこうか。偽名でフェザーンに来て、秘密裏にとある人物に接触しようとしたらしい。だが、情報が漏れていたのだろうな。拉致されて姿を消したそうだ。救出を依頼してきたのは、キングピンの随行員の一人だ」

 ムライの話は、いつも淡々としている。指令を出そうとしている時はいつもそうだ。

 

「訳が分かりません」

 フレデリカが口を開いた。

 

「護衛対象が捕まって、何故敵国に助けを求めようというのでしょう。それに、その口ぶりですと、キングピンとは何者か、ご存じないのですか」

 フレデリカの言葉に、ムライは小さくうなずいた。

 

「それは向こうも明かしていない。まぁ、漏れるといろいろ問題があるということなのだと思う。北朝に頼るといろいろまずい、南朝は問題外、こういう時はフェザーン内部でそれとなく飼っている私兵(ギャング)を使うものだと思うが、それもなかったのだろう。キングピン側としては珍しい手落ちだと思うが。だが、即座に同盟に、それも秘密裏に泣きついて取引を持ちかけるとは、なかなかどうして頭の回転が速い」

 

「取引、なのですか?」

 ヤンが尋ねた。

 

「そうだ。成功報酬は、北朝領内でMIA(行方不明)になっている同盟公人の釈放、それも10人を一気に送還すると言ってきおった。対象者リストと実施までの期間を提示してきている。連中、本気だよ」

 

「こちらを釣る餌ではないのですか」

 フレデリカが聞く。

 

「こういうのは保険というものがある」

 

「向こうが約束を破った時のための報復措置があれば、それは取引として認めていいことになる。今回の場合は、向こうが約束を反故にしたら、南軍が拘束している北軍の関係者が10人、獄中で『自決』することになるだろう」

 ムライの口調は淡々としたものだ。

 

「念のためお聞きしますが」

 ヤンが口を挟む。

 

「この作戦、当然ながら大使も御存知なんでしょうね。本当は軍か政府と言いたいところですが」

 

「知っているのはクブルスリー大将だけだよ」

 

「本気ですか」

 ヤンは驚いてたずねる。国家間(本当は違うけど)のセンシティブな案件を、独断で処理しようとしているからである。

 

「正常なルートで物事を対処しよう、それは誠に結構。だが、今回の場合は、そんなことをしても意味がない。情報が共有され、政治的ゲームが行われ、時間がただ過ぎていくだけだ。そして、千載一遇のチャンスは過ぎていく。ゲームプレイヤーがリスクに対処する前に、リスクを取ることが肝要だ。我々が手を汚し、世間は体面を保つ。もちろん、君は私のこの姿勢を告発することはできるだろう。ま、我々にもいろいろ対処の道具はあるがね」

 

「……分かりました。納得することにいたしましょう。どのみち、課長は私の上司であり、我々は貴方の指揮監督下にある。私も、そして中尉も」

 

 

「よろしい。感謝する」

 

「で、最初の質問に戻りましょう。何故、我々なんですか?」

 

 

 

 宇宙歴798年4月30日 0:30──

 

 街灯もまばらな林道を、ヤン、フレデリカ、そして名前も知らない帝国北軍の士官を乗せた地上車が疾走していた。目的地は詳しくは分からないが、フェザーン行政府から一時間ほど離れた郊外、そこに建っている山荘が目的地のはずだった。

 

 操縦席にはヤン、助手席にはフレデリカ、北軍士官はヤンの後ろに座っている。バックミラーを見ないと様子は分からないが、いかにも四角四面そうな堅物の男である。ヤン達の任務は、この男のお世話係──ひらたくいえば監視役であった。

 

 目的地の山荘では、以前より正体不明の武装グループが出入りしているという情報があった。要人がそこに監禁されているとして、武装グループの排除を担当する特殊作戦グループは既に先発している。三人はそれを後から追いかけている格好だ。素人がしゃしゃり出て奇襲を台無しにするわけにはいかないのだった。戦闘が一段落したら、北軍士官が現場を検分することになっている。

 

「で、旦那(マスター)。我々が救出すべき要人というのは誰なんですか。秘密にするのはいいですが、ヒントぐらい教えてもらわないと、我々が探しようがありません。旦那だけが探しても時間ばかりかかると思うのですが」

 ヤンは北軍士官に質問した。北軍士官は軍服こそ着用しているが、部隊章も勲章略綬も階級章すら着用していない。いくら秘密主義とはいえ、階級章がないのは規則違反ではないのかとヤンは思うのだが、それを質問しても回答する必要はない、ということになっていた。「旦那」というのは、階級で呼べないため、便宜的にそういう言い方をする、という取り決めであった。

 

「貴官に質問する権利はない」

 北軍士官の返答はこれで五度目、全く同じである。一体どういう生き方をしたら、こんな面白みのない人間になるのか、ヤンは不思議で仕方なかった。外見はどうということはない初老の男である。年齢の割に昇進が遅いのだろうか。こんな所で検分役を仰せつかっているということは、尉官だろうか。いや、あまりに下っ端だと「大物(キングピン)」の見分けがつかない可能性がある。相手次第ではあるが。

 フレデリカは、北軍士官と話をしようともせず、助手席で端末をずっと眺めている。本当はヤンとフレデリカは別の場所を担当するはずだったのだが、戦闘の素人である女子供を充てがわれた北軍が何と言うか予想がつかなかったので、ヤンと組ませることにしたのだった。

 

「少佐、『ゴースト』より通信。交戦を開始した模様」

 フレデリカが淡々と報告した。どうも、行く先には敵がいるらしい。ということは少しは見込みがあるということだ。『ゴースト』とは、現場に展開している襲撃チームのリーダーのコールサインである。

 

「了解、現地の部隊に状況を再度確認してくれ。もし親玉だとしたら、今いる兵力では制圧できないかもしれないからね」

 

「了解しました、少佐殿」

 

「旦那、どうやら空き家ということはなさそうです。確認をお願いしますよ」

 

「了解した」

 旦那はそれだけ言った。

 

 

 

 同日 0:58──

 

「本当にこれで全部なのか」

 

「全部です」

 旦那が三度目の質問をして、『ゴースト』が同じ回答を返した。ヤン達が目的地の山荘に到着した時、戦闘は既に終わっていた。『ゴースト』率いる戦闘グループは、警備にあたっていた武装勢力をあっさり蹴散らして制圧に成功していた。ただ、拘束されている要人らしきものは発見されず、手がかりもないようだった。敵の死者は7名。ちなみに味方には死者はもちろん負傷者もいない。

 

 今は山荘の中にある食堂のような場所に死体が並べられ、旦那が検分を行っていた。死体は野戦服と思われるものを着用しており、顔は覆面を着用している。ただ、こちらも所属を示すようなものは何も着けていない。装備もライフルと拳銃程度で、死守するにはあまりに貧弱と言えた。特殊作戦グループの手腕に疑問はないが、相手が脆すぎると考える方が自然だ。

 

 旦那の顔を見る限り、目的の人物は居ないようだ。といっても、味方以外に生存者がいないわけだから、目的の人物が死体で居たとしたら、それはとてもまずいことだろう。

 

 旦那はコミュニケータで通信をしながら、他の場所の状況を問い合わせているようだった。今回は帝国北軍?と同盟大使館で連合して、十か所もある想定地点に同時に攻撃をかけているはずだった。漏れ聞こえる声から想像するに、この作戦を北軍側で取り仕切っている『バルバロッサ』なる人物が居て、そこが指示や情報の提供を行っているようだった。

 

「中尉殿!」

 斥候に出ていた兵が戻ってきた。中尉というのは『ゴースト』ことライリー中尉のことを指す。襲撃作戦を取り仕切るのは『ゴースト』であるから、ヤンが少佐だろうがいちいち報告は上がらない。この場におけるヤン・ウェンリーは、お客様以外の何者でもない。

 

「少佐」

 『ゴースト』がヤンに近寄ってきた。比較的新しい地上車のタイヤ跡が複数見つかったとのことであった。ということは、ここはただの足止めで、対象者を連れて他へ逃げてしまった可能性があるということだ。

 

「逃げた先は特定できるんですか」

 

「地図を見る限り、ほとんど人家はありませんね。もちろん、廃屋も含めてです。予想するに、ここですかね」

 『ゴースト』はスレート端末の一点を指差した。ヤンも『ゴースト』も不必要なほど大声で喋っていた。別に『ゴースト』はヤンに報告したくてこういうことをやっているわけではない。本当に報告したいのは旦那の方なのだが、敵国の人間だし、指揮系統に関する取り決めがないためにこんなことをやっている。

 

「どうですか、旦那?追ってみますか?」

 ヤンは旦那に聞いてみた。旦那は数十秒ほど逡巡した後、コミュニケータで通信を試みた。だが、どうやら繋がらなかったらしい。

 

「少佐ど……いや、少佐はどう思う」

 ヤンは噴き出しそうになったが堪えた。旦那が尉官らしいという見立てはどうやら事実らしい。本来なら最上階級のヤンが仕切ってもいいのだが、あまりに帝国が秘密秘密とうるさいので、ヤンも適当にやって投げ出している状況だ。旦那、貴方が勝手にやってください。こちらもね、上司から押し付けられて迷惑しているんですから。

 

「そうですねー。ここを調査して何も出ないのであれば、追うべきだと思います。特別な事情がない限り、誘拐は早めの捜査が必須です。被害者が傷つけられるリスクがありますので」

 

「そ、そうか。なら追うことにしよう。目標はどこなのだ」

 

「地上車に転送しています。自動運転モードにすれば」

 ヤンが言い終わらないうちに、旦那は山荘を出て、外にある地上車に乗り込んで動力を起動した。ヤンとフレデリカを置き去りにするような格好で、転送した目的地へ移動しようとして──

 

 次の瞬間、大爆発が起こった。

 

 

 

 その瞬間、誰もが床に突っ伏した。ガラスの破片がぱらぱらと背中に降って来ていたが、爆発のある方向にそれほど窓がなかったのが幸いしたようだ。傷を負った人はいなかった。

 

「敵襲?」

 フレデリカが叫んだ。態勢を立て直した『ゴースト』が部下に指示を出す。部下がセンサーを起動させて周囲を探っているようだ。

 

「敵襲ではないな。続きがない。地雷かブービートラップだろう」

 ヤンはそう判断した。しばらくして部下が戻ってくる。周辺に敵兵はいないようだ。爆発は、タイヤ跡がある道路近くにあった低周波爆弾のもののようだ。ごく初歩的なブービートラップが設置されていたらしい。

 

「旦那はどうした」

 部下がヤンに耳打ちした。50メートル先で地上車だったものが燃え盛っているそうで、旦那は恐らくその中で炭になっているらしい。

 

 ヤンはうめいた。難しくなった、そう思った。コミュニケータでムライに通信をする。しばらくして繋がった。襲撃作戦自体は上手くいっているようだが、目標の確保はできておらず、帝国の方も焦っているようだった。捜索対象を更にピックアップし、そこに踏み込む準備をしているらしい。

 

「ということは、追跡した方がいいですね」

 

「そうだな」

 ムライの声は低く苦々しい雰囲気だった。どうもムライの方も当てが外れた、という感想らしい。確かに、秘密裏の作戦というのは失敗した時のリスクは高い。ヤンはあと二言三言話して通信を切った。

 

「ライリー中尉!」

 『ゴースト』が駆け寄ってくる。

 

「申し訳ないが一仕事してくれ。例のルートをチェックしてくれ。但し、ブービートラップや地雷には注意してくれよ。人命優先でな」

 

「人命優先、でありますか」

 

「作戦をしくじるのは問題だが、しくじったところで君達が恥をかくわけではない。だが、こんな戦場で君達を失うのはあまりに忍びないからね。分かるだろう?」

 

「少佐は?」

 

「とりあえずはここに残る。旦那の状況を記録しておかないといけない。後々、いさかいの種になるのは真っ平だから」

 

「了解いたしました」

 しばらくして『ゴースト』が敬礼した。

 

「では、お別れです」

 『ゴースト』は地上車に部下を乗せて去って行った。

 

 

 

 同日 1時45分──

 

 戦闘はついさっき終わったばかりだった。反撃は激しかったが、損害に構わぬ突撃でそれは粉砕された。フェザーン森林地帯、その中の開けた平地にある、とある宗教施設だったもの、そこに立て籠もっていた一個小隊ほどの武装勢力は、全て死体となっていた。

 

「閣下!」

 一人の武装した兵士が、建物の外に駐車していた野戦用地上車に入ってきた。中には、運転手と兵士が一人、中佐が一人、そして、やけに若く見える少将が一人座っている。

 

 平地には大型ヘリコプターと地上車、そして、武装した兵達が慌ただしく動いている。特徴的なのは、この地上部隊が帝国北軍のものであるにもかかわらず、弁務官事務所を表すマークとは別のマークを部隊章に用いていることだった。もちろん、兵士達もそうである。

 

「どうだった?」

 

「いえ」

 兵士はかぶりを振った。少将は目を細めるだけで特に反応はなかった。兵士は背を震わせた。目の前の将軍は、能力は有り余るほどあるが、部下の失態を受け入れる寛容さは持ち合わせていない。そういう評判だった。

 

「引き続き調査してください。手がかりになるものでも何でも、どこかにあるはずです」

 兵士は敬礼すると、地上車を出ていった。

 

「閣下……」

 年かさの中佐がおずおずと将官に話しかける。軍服さえ着ていなければ、親子に見えるかもしれない。もちろん、中佐の方が親で、少将の方が子供である。

 

「まだ時間はあります」

 少将はそう言い切った。だが、歯ぎしりしている所を見ると、その言葉はむしろ、周囲に対する言い訳のようである。中佐は黙った。昼前に、『目標』との連絡が途絶え、そして半日以上捜索に費やしている。本来なら、もう既に惑星フェザーンから引き上げ、合流地点へ急行していなくてはいけない、そのはずなのだ。

 今回の件、事件のあらましを知っているのは目の前の少将だけである。他の人間が知っているのは、『対象』が失踪したことと、可及的速やかに救出しなければならないこと、それだけである。ただ、中佐の方は薄々気づいている。目の前の少将がわざと『対象』の生命をリスクに晒した可能性について。自分の、そして少将の主人である『対象』であるはずなのに。

 

「同盟側から何か連絡は」

 

「ありません」

 中佐は間髪容れず答えた。同盟側の襲撃地点で何か情報があれば、連絡のために派遣した士官から連絡があるはずだった。それが無いということは向こうも空振りということだと思っていい。もちろん、同盟側のことを完全に信頼しているわけではない。だが、与えられるだけの餌をぶらさげて、強引に巻き込んでいるのだ。もし、一杯くわされているとしたら、どうしようもない。信じるしかない。

 

「閣下!」

 外から声がした。中佐が外に出て状況を確認する。どうも、同盟の兵士がどこからか迷い込んでトラブルになりかけているらしい。同盟側の兵士は、こちらを敵と勘違いしたらしく、すんでのところで同士討ちになりかけたが、何とかそれは回避したようだった。

 

「ポイントGで爆発があったようです。バウマンがやられたそうです」

 中佐の言葉に、少将は眉をひそめた。ポイントGといえば、同盟が担当する場所だったはずだ。こちらが派遣したバウマン中尉が死亡した、ということは──

 

「同盟の兵士はどこに」

 少将が聞いた。

 

「外で待たせてあります。武装解除も済んでおります」

 中佐が答えた。

 

「私が会いましょう。後、同盟軍の兵には武器を返すように」

 

 

 

「自由惑星同盟大使館付武官、サイモン・ライリー中尉であります」

 目の前の兵士もとい中尉は大声で申告した。別に中尉に遠慮がないわけではない。存在を周囲に知らせることは、秘密裏に「消される」リスクを低減させる。

 

「ご苦労。訳あってこちらの正体は明かせないが、君たちのリーダーであるムライ中佐の了解は貰っています。代わりに、私のことは『バルバロッサ』と呼んで欲しい。階級は少将です」

 

「はっ、失礼いたしました。バルバロッサ少将殿!」

 傍らに居た中佐がぎろりと『ゴースト』を睨んだような気がしたが、『ゴースト』もバルバロッサもそれを無視した。

 

 『ゴースト』はあらましを説明した。山荘を強襲し制圧したこと、目標の確保には至らなかったこと。こちらへ向かったと思われる地上車のタイヤ跡を確認したこと。先に向かおうとした帝国の士官がブービートラップに引っかかり地上車が爆発したこと。こちらへ向かおうとしたが、ブービートラップを探しながらの移動だったので時間がかかったこと、展開していた帝国兵を敵と誤認してしまったこと。辛うじて誤射は避けられたこと。

 

「分かりました。ご協力に感謝します。ライリー中尉」

 バルバロッサの受け答えは丁寧ではあったが、口調は固いままだった。要は、期待したけど欲しかった情報は無かったということだ。彼の中では焦りが煮えたぎっている。こんなはずではなかった。確かに、リスクの高い作戦ではあったが、得られるものはそれなりにあるはずだった。だが、まだハッピーエンドではない。今の作戦が失敗しては、これまでやってきたことが水泡に帰してしまう。

 

 バルバロッサは『ゴースト』との会見を切り上げ、地上車に戻ろうとした。

 

「少将殿……いや、少将閣下!」

 『ゴースト』の大声に、バルバロッサは立ち止まった。

 

「どうしました」

 

「いや……その肩のマーキングをどこかで見たような気がしまして。確か……ううん……どこだったけな。おい、『ローチ』何か見覚えないか」

 『ゴースト』は傍らの少尉に声をかけた。

 

「……中尉、あれですよ。押収したコミュニケータの中にこのマークみたいなのを彫ってあるのがあったでしょう。あの、やたらと高そうなやつ」

 

「あ、あれか」

 バルバロッサと中佐は思わず顔を見合わせた。

 

「中尉」

 バルバロッサがずいと身を乗り出した。

 

「そのコミュニケータはどこにあったのです」

 口調こそ淡々としていたが、内心は歓喜がむくむくと湧き起こっていた。

 そうだ、まだ天命は自分を見捨てていない。

 

 

 

 同日 1時35分──

 

 幸いなことに、焼死した帝国軍士官の遺体を取り出すのに時間はさほどかからなかった。火災は山荘にあった消火器で消し止めることができたし、シートベルトといった厄介な拘束具を中尉は着用していなかった。もちろん、焼け焦げた人間を取り出すには冷ますしかなく、山荘から水をバケツでもってきて死体にかけるしかなかった。これが一番きつかった。

 

「中尉、ご苦労」

 ヤンとフレデリカは二人して遺体を運び出し、とりあえず山荘の前に置いておくことにした。

 

「IDありませんね。身分を証明するものは何も」

 フレデリカは軍服(だったもの)を一通りあらためて報告した。軍人になりたての時は、このような死体をあれこれするのに嫌悪感を持つことはけして珍しくない。ただの中尉なのに、ここまで堂々と作業ができるのは、ある意味大したことだ。それが本人にとっての幸せかどうかは分からないけど。

 

「そうか。ならば、この旦那にできることはもうないな」

 

「少佐、いかがいたしますか」

 フレデリカが聞いてきた。確かに、『ゴースト』達は去ってしまったし、ここに居るのはヤンとフレデリカのみである。ここで何をすべきか、指示はない。ムライ中佐に連絡して新たな指示を仰ぐべきだろうか。

 

「そうだなぁ」

 ヤンはのんびりと言った。

 

「引き上げるのもいいけど、ちょっと『焚き火』をしていかないか。中尉」

 

 

 

 ヤンは胸ポケットから筒のようなものを取り出した。キッチンにあるボウルに水を満たすと、筒の蓋を開き、中にある粉状のものを水に入れた。途端にもくもくと煙がわきだし、床を流れていった。ドライアイスを放置した時のように。

 

「何ですか、これ」

 フレデリカが聞く。

 

「特殊発煙剤だよ。エル・ファシルで憲兵をやっていた時に、組織犯罪を取り扱う連中が使っていた奴だ。ドライアイスの煙と外見は変わらないが、少し工夫がしてあるそうだ。使い方の講習は受けただけで、使ったことはないけどね。今回は人探しだって言うから、念のため持ってきたんだよ」

 

「??何に使うんですか??」

 

「これ単体で使うわけじゃないよ。スマートデバイスに専用ソフトを入れておかないとね」

 ヤンはスマートデバイスを取り出すと、とあるソフトを立ち上げた。山荘の見取り図が表示され、2つの数字が絶えず変化しながら表示されている。

 

「センサーでね、煙の濃度を計測しているんだ。上の数値が、センサーで測定した数値、そして、下の数値が、この山荘の見取り図、風向き、その他から測定した『ありうべき数値』というわけだ。これで分かったろう」

 

 フレデリカはなおも首をひねっていたが、しばらくしてぽんと手を叩いた。

 

「なるほど!空気の漏れる場所ですね。ということは、この山荘に隠し場所があると」

 

「ご名答」

 ヤンは笑って答えた。

 

「私が所属していたわけではないが、組織犯罪捜査をやってる連中から聞いたことがあるんだよ。曰く、『どのような設計図も、信用するな』だそうだ。ならば、我々も山荘を少し改めてみることにしようじゃないか」

 

 

 

 同日 1時52分──

 

「こちらも異常ありません」

 

「そうかぁ」

 フレデリカの報告に、ヤンはそれだけ言った。失望しているのかそうでないのか、それだけでは分からない。でも、わざわざこんな新兵器?を持ち込んでいるのだから、成果があがることを期待しているはずだった。

 隠し部屋があるなら地下、それがヤンとフレデリカの推論だった。そのため、地下室、倉庫、トイレと探して回ったのだがいずれも異常なし。何か隠し扉や隠し階段があるものと想定していたのに(あるなら、想定しない空気の流れが見つかるはず)、ヤンが焚いた『煙』の濃度はいずれも想定の範囲内。特に、倉庫はいろいろなガラクタが放置されており(おまけに『ゴースト』達が家探しでいろいろ荒らしていた)、探すのが大変だった。それでも何もないのである。

 

「まぁ、『ゴースト』だって何か隠し扉や隠し部屋がないかどうか、一通り探ったろうからなぁ。仕方のないことか」

 

「一階と二階を探しますか」

 フレデリカが聞く。

 

「だがなぁ。この発煙剤は、閉め切った空間なら効果がそれなりにあるけど、開放された所では意味がないんだよ。扉を閉め切るにはさっきのさ──」

 帝国士官が発動させたブービートラップによって、ガラスの多くが破損していることをヤンは指摘した。

 

「でも、探さないわけにはいかないのでしょう?」

 フレデリカの言葉に、ヤンは頭をかいた。確かにその通りだった。

 

 

 

「やっぱりなぁ」

 ヤンはスマートデバイスの数値を見ながらため息をついた。想定した煙の濃度と、実際の測定値が離れすぎている。単純に、壊れた窓から煙が流れ出ているからそうなのだが、これでは測定になっていない。一階のホールやキッチン、遊戯室、いずれも同じだった。二階の寝室はややマシだったが、それでも大した発見はなかった。

 

「やっぱり、現実はドラマのようにはいかないか」

 ヤンの独り言は、自分に対するものだったか、それとも付き合わせたフレデリカに対する弁明だったか。今回の作戦、襲撃開始から一時間経って、特に成果があがったという報告がないということは、失敗に終わったとみるべきだろう。同盟の一部が、上層部の許可を得ないで勝手に行った共同作戦。それは、サイオキシン麻薬の取引というのならまだしも、とんでもないスキャンダルとして扱われるはずだ。恐らく、特務支援課の幹部──もちろん自分も含め──には何らかのペナルティが課せられるに違いない。まぁ、それはおいておくとしてだ。北軍の一部が、味方にも何の連絡もなく行っているこの作戦は、北軍内部も一枚岩でないことを示している。これは、内紛の一歩手前であることを示しているのだろうか。それとも、この作戦の結末──恐らく失敗だろうが──によってそれが露わになるのだろうか。

 

 いや、同盟だって一枚岩ではない。中核星域(コア・セクター)辺境星域(アウター・リム)の対立はそうだし、軍内部だって政治家と接近する軍人と、そうではない軍人はウマが合わない。統合作戦本部長のドーソン大将は前者で、宇宙艦隊司令長官のホーランド大将は後者だ。まぁ、あの二人は性格的にも合わないけどね。クブルスリー大将は、二人から距離を取っているものの、無関係であるはずがない。むしろ、政治家との付き合いが少ないだけに、後者に近いかもしれない。この『軽挙妄動』が、そういう対立に火をつけるのかもしれない。

 

「少佐!」

 ヤンの考え事を中断させたのはフレデリカだった。何度か呼びかけていたらしい。

 

「あ、ああ。済まない中尉。どうした」

 

「あ、いえ。こちらこそすいません。ちょっと不審なことが」

 

「不審?」

 

「二階のこのドレッシングルームですが」

 フレデリカはスレート端末の一点を指差した。

 

「ドレッシングルームがどうかしたのかい」

 

「何故、南向きの部屋にあるのでしょう?それに、窓が一つしかありません」

 

「……持ち主がそう考えたからじゃないのかな。第一、着替えの部屋に窓が沢山あっても意味がないはずだ」

 

「ええ。ですが、採光の悪い北側の部屋が寝室で、ここには窓があります。それに、面積も同じぐらいです」

 フレデリカはちらちらとヤンを見ている。何をしたいかはヤンにだって想像はついた。

 

「……そうだな。中尉の違和感を確認しに行く時間ぐらいはある」

 ヤンとフレデリカは階段を上って行った。

 

 ドレッシングルームには、ラックに女性ものの衣服がわんさか掛けてあった。武装勢力が分捕る前は、別の居住者がここを使用していたのだろうか。というか、この山荘がどう使われていたのか、ヤンには情報が全くなかった。

 

「やっぱり」

 フレデリカはふんと鼻を鳴らす。

 

「今度はどうした」

 

「この部屋、服が沢山掛けてあって、使用感を出しています。ですが、ドレッサーがありません。着替えをするのに化粧をする場所が無いなんてことはあり得ません」

 フレデリカは掛けてある衣服を片っ端から改めだした。ポケットのあるものはその中を探る。成果がなかったのか、今度は壁際にあるクローゼットを大開きにした。

 

「少佐!わかりますか」

 フレデリカは振り向いて言った。

 

「いや、何も。ただのクローゼットだと思うのだけど」

 

「図面と見比べてください。図面から推測すると、ウォークインクローゼット並みの奥行があるはずです」

 ヤンは目の前の光景と、端末に表示される室内の図面を見比べた。

 

「そうか。クローゼットにしては奥行が無さすぎる、そういうことなんだね」

 ヤンはうんうんとうなずく。今のフレデリカは調子がいいらしい。フレデリカはクローゼットの衣服を何着か取り出すと、奥の壁が少しだけ見えるようにした。

 

「感触は……特に異常は感じられません。ですが、ここで煙を焚けば、何か分かるかもしれません。隠し部屋があるとすれば、ですが……!!?!!」

 フレデリカは壁の感触を確かめようと、力を込めて壁を押し込んだ。次の瞬間、壁がぱかっと割れて、フレデリカは壁の『向こう側』に倒れ込んでしまった。

 

 

 

「あいたた……」

 

「大丈夫か、中尉!」

 壁の向こう側には、奥行数十センチ程度の空間があった。フレデリカはバランスを崩し、その空間に倒れ込んでしまっていた。クローゼットの奥にある「空間」には照明など存在しないので、中がどうなっているかは分からない。ヤンは懐中電灯で中を照らした。案の定、中には何の調度もない、空っぽの空間だ。いや、何か、物体が横たわっている。白っぽくて細長い、人体ほどの長さがあるそれに、フレデリカが覆いかぶさる形となっていた。

 

「は、はい。自分は……大丈夫ですが」

 

「中尉、その……君が尻に敷いているそれは何なんだ?」

 

「え、そんな……え」

 ヤンは、フレデリカが金切り声をあげるところを初めて目撃した。

 

 

 

「……」

 フレデリカは恥ずかしいのか、ヤンと顔を合わせようとしない。だが、尻に敷いていた物体を二人で抱え出し、隣にあるベッドルームに運び込んだ。

 

 予想通り、物体は人間だった。白っぽいのは、精神病棟で見るような拘束具を着用しているからだった。もちろん、口には猿轡が噛ませてある。呼吸はあるようだが、目を覚まさないところを見ると、睡眠薬のようなものを投与されているらしい。

 

「中尉、この拘束具を外してくれ。外せないようなら切り取っても構わない」

 ばつが悪そうにもじもじしている中尉を無視して、ヤンは拘束具を外していった。もちろん猿轡も外す。中から出てきたのは半裸の若い男性だった。下着以外何も着用していない。だが、特徴的なのは男の首から上だった。豪奢な金髪、整った顔立ち。いや、整ったどころではない。彫刻に命を吹き込んだと言ってもいいレベルである。もしこの人間が俳優ならば、トップスターも間違いなしだ。

 

「……どうやら、目的の人物はこの人、ということになるのかな。あれだけ北軍が慌てているところを見ると、どうやら相当偉い貴族の御曹司、ということになるのかな」

 フレデリカも男の顔をのぞきこんだ。何か不審なところがあるのか、首をかしげている。しばらくすると、端末を取り出して操作し出した。

 

「少佐」

 

「どうした」

 

「自分は、この人の顔を見た記憶があります。半年ぐらい前に出たファイブスターで」

 フレデリカの声はわずかに震えている。

 

「ファイブスター?軍の広報誌に?ということは、この人は軍人なのかい?」

 

「そうです。間違いありません。この人は──」

 フレデリカはヤンに端末の画面を見せた。そこには、目の前の人物と同じ金髪、同じ顔立ち、そして蒼氷色(アイスブルー)の瞳の顔写真が写っていた。写真の下には──

 

 

 

 帝国北軍、アムリッツァ軍管区司令官 ラインハルト・フォン・ミューゼル大将

 

 

 

 そう書かれていた。

 

「いやぁ……」

 ヤンはそれだけ言って後が続かなかった。フレデリカも似たようなものだった。

 

「この人が、あの、『帝国の若き将星』『常勝の天才』なのかい?」

 

「たぶん、おそらく」

 フレデリカはうなずいた。『常勝の天才』の勇名は同盟にもとどろいている。12歳で幼年学校に入学、16歳で見習士官として前線に出て、数十の戦いで無敗と喧伝されているのが、目の前のこの人物である。データが正しければ今年22歳だが、たったの22歳で大将閣下である。ヤンが22歳の頃はといえば、士官学校を卒業して士官のキャリアを歩み始めたばかりだったはずだ。

 

「……何でフェザーンに居るかは分からないが、こいつは大した大物(キングピン)だよ。これで、今までの帝国の動きも説明がつくね」

 

「そうですね」

 

「あのブービートラップは囮ということか。こちらの目を引き付けるための。もし引っかかっていたら──」

 

「一日単位で時間を浪費したかもしれません。そもそもあの隠し部屋では、酸欠になっていた可能性もあります」

 フレデリカが答える。

 

「そうだなぁ。しかしだよ。考えてもみろ。これだけの重要人物、それも敵国のだ。その生命を我々は手中に収めている、というわけだよ。北軍に3つしかない軍管区の最高司令官、その一人が忽然と消えたら、一体どうなるのかね」

 ヤンが冗談めかして言った。もしかしたら、今ここが歴史の分岐点、そうなのかもしれない。自分を、銀河さえも変えてしまえそうな瞬間が今、すぐそこに。

 

「どうなるのか、と言われましても」

 

「南北の軍事バランスが激変するでしょうね」

 いきなり第三の声が割り込んだ。声の方に振り向いた二人は、帝国の軍服を着用した男が、ブラスターをこちらに向けて立っていることに初めて気づいた。ヤンは、フレデリカが金切り声をあげるところを二度、目撃した。

 

 

 

 ヤンとフレデリカは反射的に手をあげた。目の前の男、長身で、燃えるような赤髪、ベッドに横たわる男ほどではないが、十分以上に端正な顔立ちの男は、表情を変えることなく、手を下ろすように指示した。

 

「皆さんが話をしていたことにつきましては、聞かなかったことにしておきましょう。ともかく、見つけていただいたこと、感謝いたします」

 目の前の男は、旦那とは違って規定通りに軍服を着用していた。年は若いが、略綬の数を見ると、相当死線を潜り抜けていることが分かる。階級章は──おいおい、少将閣下じゃないか。

 

「閣下」

 フレデリカが震える声で言った。

 

「もしかして、閣下はキルヒアイス少将ではありませんか。アムリッツァ軍管区総参謀長の」

 キルヒアイスと呼ばれた男は、一瞬驚いたような表情でフレデリカを見つめた。

 

「おや、同盟にも私の顔を知る人がいるのですね。いかにも。小官は、ジークフリート・キルヒアイス、アムリッツァ軍管区の幕僚チームのリーダーを務めております。もしよろしければ、お二方のお名前をお聞かせ願えますかな」

 

 キルヒアイスの声に、二人は自然と直立の姿勢を取った。敵国であろうと、階級が上の人間に示す態度は変わりない。殺し合いにもルールというものはある。それが現実だ。

 

「ヤン・ウェンリー少佐であります。自由惑星同盟大使館付武官を拝命し、勤務しております。こちらは同じく、大使館付武官のグリーンヒル中尉」

 

「フレデリカ・グリーンヒル中尉であります。お見知りおきのほど、よろしくお願い致します」

 

「なるほど。貴方が総参謀長グリーンヒル中将の」

 

「父をご存じなのですか?」

 フレデリカが驚いて言った。

 

「敵国の総参謀長を知らない──そう思われるのは心外ですね。例え、事実上の休戦状態であろうと、帝国と『叛乱軍』は相容れない存在、そのはずです」

 キルヒアイスの『叛乱軍』という呼び方に、二人はぎくりとした。3個艦隊、後方支援戦力も合わせれば500万の人間を配下に持つ男の言葉には妙な説得力があった。ヤンはといえば、特務支援課、特殊作戦グループの総力を集めても50人がせいぜいだろう。

 

「そ、それは失礼しました」

 

「いや、いいのですよ。司令官閣下は、とある理由により拉致監禁され、お二方はじめ同盟の尽力により救出して頂いた。それが事実です。我々は、皆様に大きな借りを作った。この借りはいずれ返すことになるでしょう。何らかの形で」

 

 キルヒアイスの「実力」はすぐに目にすることができた。キルヒアイスが通信を送ってから数分も経たないうちに、山荘は百人近くもの兵士に包囲された。未だ昏倒から覚めないミューゼル大将は、四人の部下に担ぎ上げられ、どこから調達したのか分からない救急車に乗せられて去っていった。それが終わると、包囲していた兵士達は、消えるようにいなくなっていた。

 

「本来なら、弁務官事務所でお礼を述べるべきところではあると思いますが」

 一部始終を見届けたキルヒアイスは、二人に言った。

 

「急用がありまして、これでお別れです。ありがとうございました」

 キルヒアイスが深々とお辞儀をする。ヤンとフレデリカは敬礼した。なんというか、そういう雰囲気だった。

 

「いえ、自分達は命令に従ったまでです」

 ヤンはそう言った。長身の権力者に頭を下げられるのは、どうにもこそばゆかった。

 

「なるほど。命令、ですか。いい言葉です。納得のいかない運命を受け入れるのには、いいまじないというもの」

 

「……」

 

「すみません。少し言葉が過ぎてしまったようです。ともあれ、貴君らの献身に敬意を表します。再戦の日まで壮健なれ」

 

 キルヒアイスはそれだけ言うと、山荘を出て、待たせてあった地上車に乗って去っていった。ヤンは、何故キルヒアイスが再戦という言葉を使ったのか、分からなかった。まるで再びドンパチをやることがわかっているみたいじゃないか。いや、そもそも、今回だって戦っているわけじゃないのに。

 

 

 

「もう午前3時を回ってます」

 

「そのようだね」

 フレデリカの言葉にヤンは答えた。腕時計は、午前3時10分を示していた。

 

「滅多にない体験をしたかもしれません」

 

「そうだなぁ。銀河に突如現れた、二人の若き天才、そして英雄と会えたんだよな。もしかして、今日の1日も、そんな英雄達の伝説、その一ページになるかもしれないよ」

 

「銀河の英雄達の伝説、ですか」

 

「記録に残れば、だけどさ」

 そこまで言って、ヤンはコミュニケータが着信を知らせているのを感知した。ムライからだった。通信を始めて最初の一言は、定時連絡を無視し続けたことに対する叱責だった。

 

 

 

宇宙暦798年、5月1日 21時 巡航艦『エルベ』艦内──

 

 昨日フェザーン宇宙港を発進した北軍の巡航艦『エルベ』は、全速力でアイゼンフート星域を航行中である。目標地点には北軍、アムリッツァ方面軍の分遣隊が待ち構えており、そこまで行って合流ができれば、とりあえずの安全は確保できたということになる。

 

 巡航艦内で、ラインハルトは軍医の診断を受けていた。多量の睡眠薬および自白剤と思われる薬物を注射されていたが、体調にはおおむね問題なし、とのことだった。

 

 キルヒアイスはといえば、自室にこもって出てくることはなかった。彼は、もちこんだ機器類を使用して、作戦中に押収したデバイス類の解析を行っていた。何か通信の記録が見つかれば、裏で手を引いている人間の手がかりが掴めるかもしれない。

 

 機器のブザーが鳴った。キルヒアイスは機器のコンソールを確認するとボタンを押した。手元にあるデバイスに解析結果が送られてくる。結果を確認したキルヒアイスは、満足気にうなずくと、コミュニケータを取り出して何処かに通信を始める。

 

「どうも。やっと正体が分かりました。警備隊司令のモルト少将を拘束してください。情報流出の大元はあの人です。傷つけるのは避けてください。尋問は私がやります」

 キルヒアイスは通信を切ると、コミュニケータを懐に仕舞い、解析機を片付け始めた。証拠となるデバイスは丁寧に保存する。解析結果をデバイスから仕事用端末に転送し、取り調べ用書類の作成を始めた。急がなくてはならなかった。エックハルト星域に展開しているアムリッツァ方面軍は、北軍の攻勢、その側面を援護していることになっていたが、度重なる総司令部の転進命令を無視してアイゼンヘルツ、アイゼンフート星域の南軍にちょっかいを出しては小競り合いをする、という動きを続けている。表向きにはそういう風に見えているはずだった。総司令部がしびれを切らす前に、戻る必要があった。方面軍の首脳部は口止めできるが、全軍はそうではない。

 

 キルヒアイスは大きく伸びをした。二十代前半の体力は、徹夜の一日二日はどうにでもしてくれるものだ。だが、キルヒアイス本人はそれを喜んで受け入れているわけではなかった。まだまだ仕事は残っている。今回の件について、情報を売った人間は特定した。だが、抵抗組織を一網打尽にして後顧の憂いを断つまでが自分の仕事である。

 

「そうなれば、最終戦争(ラグナロク)への障害はほぼ取り除かれることになる。後は計画の実行あるのみ」

 キルヒアイスは胸元からロケットペンダントを取り出すと、蓋を開いた。中には、一人の女性と二人の少年が写った写真がある。キルヒアイスはそれをしばし眺めると、蓋を閉じ、しまい込んだ。これからしばらくの間、過去に浸るという贅沢を味わうことはできないだろう。

 

「アンネローゼ様。今しばらくお待ちください。戦いのない世の中は、あともう少しでやってきます」

 ふと、キルヒアイスは自分が空腹であることに気が付いた。そういえば半日以上飲まず食わずで作業しているのだった。キルヒアイスは自室を出て、食堂に軽食を貰いに行くのだった。

 

第二部 完

 

 

 

 

 

 

 



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第二章あとがき

 あとがき、という名の第三章への橋渡し。

 

 

 皆様こんばんは。

 

 拙作をお読みくださいまして、ありがとうございます。

 

 

 書き始めるまで長かったんですけど、予告した六話、書くのは結構早かったな。そう思いました。約12万文字書くのに一か月半しかかかりませんでした。まぁ、ハーメルンにはもっととんでもない連中がいますけどね。

 

 惑星フェザーンに島流し?されたヤン・ウェンリー少佐ですが、ほとぼりが冷めるまで適当な日々を過ごすのかと思いきや、待っていたのはフェザーンを舞台にした特殊作戦……に振り回される日々。腹に一物を抱えてヤンを振り回すムライ、振り回されるヤンに付かず離れず眺めては楽しんでるパトリチェフ、そして、歩くアドベン茶と化したヤン・ウェンリーに付いて行く冒険大好き少女フレデリカ・グリーンヒル。どうしてこうなった。

 

 

 第一章とは違い、第二章はアクション色の濃い内容となっております。帝国と同盟が角突き合わせる「前線」ですからね。それはしょうがないことです。折角、帝国の人間が普通に出てくる場所なのに、からみがないのも勿体ないですしね。

 

 おかげで、結構やりたいことができました。首飾りも動かすことができましたし、ヤンとフレデリカで探索旅行もやることができましたし(ところで銀英伝の原作には、緊急脱出用のポッドってあるんですかね。イメージはスター・ウォーズEP3冒頭のアレなんですけど)、スパイでもないのにスパイの真似事をさせることもできました。

 

 個人的に一番書きたかったのはフレデリカですね。エル・ファシルの馴れ初めがないこの世界で(一応馴れ初めを用意するプランはあるにはありました)、どうやって出会いを設定するか、というのは悩みで、考えた結果、箱入りが過ぎて日常に飽き飽きしているフレデリカと、望みもしないのにトラブルが降ってくるヤン・ウェンリーという図式になりました。今後、この二人、どうなるんでしょうね(というか、ヤンはもう外堀が埋まっている説もある)。原作、OVA、DNT、道原版、フジリュー版、フレデリカが一番キャラとして多様性あるんですよね。だからこそ、原作を逸脱しない程度に自由に書かせてもらいました。反応もなかなか良く、よかったよかったと一安心です。

 

 第一章の後書きで、題名を適当に決めて、あらすじも適当に決めて、却って書き始めるのが億劫になってしまいました。「幽霊戦艦」なんて、あらすじから膨らましていくうちに、前に書いていたあらすじと乖離したものになり、書いているうちに、第一章で同じネタやってるじゃんってことが分かって頭を抱え、紆余曲折した末にあんなストーリーになりました。絶対同じようなアクション脱出ものになんかしてやんねー、そう思いながら。

(当初は、幽霊戦艦の正体はオリキャラ艦ではなくて『ユリシーズ』のつもりだったんですけど、OVAの該当シーン見返して、ちょっと場所が遠いなー、それにユリシーズ消しちゃうと原作世界に影響でかいなー、ということで没になりました)

 

 「カジノ・ロワイヤル」なんて、まんま007のアレですし、皆様に馴染みのない競技ポーカー(テキサス・ホールデムという名前があるんですけど)の話をしてもしょうがないですからね。換骨奪胎の精神でやるしかありませんでした。ポーカーの心理戦についてあれこれ話をしてもしょうがないですし。第一、自分が書ききれるとは到底思えない。

 

 第二章を終えて、帝国側ではラインハルト、キルヒアイス、ロイエンタール、ミッターマイヤーの主要キャラが出てきました。次の章があれば、この四人は出てくるでしょう。ラインハルトとキルヒアイスは大体どう動かすかの方針は決まっていますが(今のところ)、双璧はどういう出番を用意しましょうかね。

 

 

 

 そうそう、忘れていました。いつもいつも感想、本当にありがとうございます。誤字脱字の指摘もありがとうございます。感想が多いと、次への活力に繋がります。あれだけ書いてくれたんだから書かなきゃ、という気にもなります。誤字報告は、辞書を引いて判断しています。ほとんど自分が間違っています。恐らく、小説を投稿している人の99.99%はそうだと思いますよ。みんな感想書いてね!自分も書くから。

 

 

 

 さて、第三章「首都ハイネセン」編ですが、帝国と同盟の激変の中、ヤンは両国に跨る陰謀に巻き込まれていくことになる(はず)。帝国の出番もがっつり増えます(たぶん)。今まで影の薄かったあの人とかあの人とか、どんどん出てくる(想定通りに話が進めば)。同盟の方もあんな人とかこんな人とか出てきますよ。フォークとか(あ、言っちゃった)。そして、今まであまり出さなかったオリキャラも出てくる(つもり)。

 

 そして、全く同じキャラのはずなのに、鏡の向こうにいるオブジェクトを見ているような群像劇。

 そういう風になればいいな。

 

 一応、今のところ考えている第三章構想はこんなとこです。あまり中身を書き過ぎると、それに引っ張られることが第二章で分かったので、あまり書かないことにしました。

 

 

 

第三章予告

 

風雲急を告げる帝国内戦!

 

 首都星ハイネセンに召喚されたヤン・ウェンリーは、自由惑星同盟軍の秘密図上演習に参加する。ヤンが参加するチームに与えられた任務は『帝国北軍を指揮せよ。どのような手段を使っても良い。全宇宙を征服せよ』であった。

 

 ヤンが組み上げた秘策とは──そして、南朝門閥貴族の重鎮、リッテンハイム侯が仕組む帝国統一計画とは?

 

 そして、最終戦争計画「ラグナロク」の正体とは──

 

1、祖国は危機にあり

 

2、血塗れのヤン(ブラッディ・ヤン)

 

3、ラグナロク

 

 

 

 さて、第三章はどうなるかな。ヤンの出番はあるかな。このままいくと、フレデリカの方が出番が多いや。どうしよう。

 

 では、エタらなければ、第三章でお会いしましょう。銀河人類社会のどこかで。

 



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第三章 首都ハイネセン
第十三話 祖国は危機にあり ~ 自由惑星同盟の場合


参考資料1 自由惑星同盟星系図

 

【挿絵表示】

 

 

参考資料2 自由惑星同盟宇宙艦隊 戦闘序列

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

宇宙歴798年7月初旬──

 

 フェザーン行政府 バー「ギルガメッシュ・タバーン」

 

『乾杯』

『乾杯』

 

 バーの片隅で二つのグラスがカチンとぶつけられた。そのテーブルには二つしか椅子がなく、アラサーの男二人が酒を酌み交わしている(多分、二人ともにアラサーという表現に抵抗を感じているだろうが)。

 

「アッテンボロー。そろそろフェザーン暮らしも長いだろう。親に顔を見せようとは思わないのかい」

 

「あー。先輩、いいのいいの。故郷は遠きにありて思ふもの。親は無くとも子は育つ。FTL通信も高いですからね。まぁ、新年の挨拶はちゃんとやってますから。ところで、副官の中尉殿とはうまくいってるんですか」

 

「おいアッテンボロー。その話をどこから聞いた。第一、彼女は同僚であって副官ではないんだけど」

 

「またまたぁ。大使館に出入りすればすぐ分かる話ですよ。第一、総参謀長の一人娘っていう時点で噂になるのは確定しているのに、その彼女を飼いならしている少佐殿が居るってことになると、いやでも耳に入ってきますよ。今日、連れてくればよかったのに」

 

「あのなぁ……」

 まぁ、談笑している二人はもう分かりますよね。一人は経済誌の記者であるダスティ・アッテンボロー、もう一人は自由惑星同盟大使館、特務支援課課長補佐のヤン・ウェンリーである。

 

 ヤンがフェザーンに赴任してから、もう一年になろうとしている。いつか一席設けようという話はあったのだが、この二人が顔を突き合わせて飲むのはこれが初めてだった。機会というものは無理に作ろうとしないと意外と無い、人生そんなものである。

 

 

 

 会話は、主にアッテンボローが話し、ヤンがそれを聞く体裁だった。フェザーンの生活はアッテンボローの方が長いし、第一ヤンが持つ話題は門外不出のものがほとんどである。そういえば、実は少し前に敵軍の高級指揮官と会ってね……なんてことを言えるわけがないのである。まぁ、それはアッテンボローも理解してくれている。

 

「そういや、今度ハイネセンに帰るとして、先輩は士官学校以来ですか。久々の故郷はいいですねぇ」

 

「故郷ねぇ」

 ヤンはひとりごちた。ヤンの出生地は一応惑星ハイネセンということになっていたが、ハイネセンで過ごした記憶がヤンには存在しない。子供の頃の記憶といえば、親の所有する商船の船橋または、船長室がほとんどである。

 

 そのヤンに、首都星ハイネセンへの召喚命令が届いていた。曰く、9月に行われる定例図上演習に出席し、付随して行われる秘密研究会に参加せよということであった。一年に一回行われる定例図上演習というのは、軍にとって、実際の軍事演習と同じぐらい重要なイベントである。様々な戦略戦術の研究が行われ、結果は軍人のキャリアに大きく影響する(結果というのは勝ち負けというような表面的なものではないが)。ここに参加するだけでも、エリートの証と言っていい。一回参加するだけで、軍服に参加章の略綬が付き、他の士官との差別化ができる。

 

 そもそも、ヤンは士官学校を卒業した後、すぐに憲兵隊に配属となり、地方の星域を転々としている。エリートコースを歩く場合、ハイネセンの統合作戦本部に勤務し、何年か過ごした後に地方に赴任する。真のエリートの場合、中佐や大佐までハイネセンを離れたことがない、ということもありうる。つまり、ヤンのようなキャリアを持つ士官が、ハイネセンに帰って何かをするだけでも、異例中の異例ということだ。それが定例図上演習への参加とは!

 

「いやぁ、先輩も出世したもんだ。そろそろ中佐昇進のお声がかかる頃じゃないですか。ここで気に入られたら、トリューニヒト議員とかから一本釣りされるかもしれませんよ」

 

「よしてくれよ。少佐だって私の身の丈には合わないんだから」

 ヤンは背筋を震わせると、それを隠すかのようにグラスを一気にあけた。

 

 そもそもヤンのようなキャリアを歩む人間が、三十にもならないのに少佐になる、というのは、退役前の階級前渡しという側面が大きかった。もし、軍隊への奉職を続けるというのであれば昇進はもっと遅かっただろう。大尉でエル・ファシル憲兵隊のどうということもない部署の課長、それでも問題はなかったはずだ。ヤンにとっての少佐という階級は、最終的な階級であり、軍人恩給に色をつけるための階級であるはずだった。人事局だって、ヤンがここまで少佐で居座るとは想定外に違いない、そう思えるのである。

 

「いくらなんでも、フェザーンに来てからトラブルがあり過ぎなんだ。どうして周囲の人間は、私が蟻地獄でもがき苦しむ様を眺めて楽しむような連中ばかりなんだ。アッテンボロー、お前もだぞ」

 

「でも、他人の不幸は蜜の味、と言いますよ。第一、先輩ときたらいくら蟻地獄に落ちても何故か這い上がってくるから、見ている側としては、大変だ助けようというよりは、次はどんなイリュージョンで脱出するのだろう、そういう興味がわきますよね」

 

「お前!」

 さすがにヤンが気色ばんだのを見て、アッテンボローは笑って誤魔化すとヤンと同じようにグラスをあけた。ウィスキーのダブルを二つ注文する。

 

「でも、本当にどうするんです。本当に退役できるんですかね。うちんところにも意識調査票が来ましたよ。五年ごとのはずが、今年来ましたよ」

 

「……」

 ヤンは黙った。意識調査票というのは、退役した士官でそれほど年をとってない人間を対象に、定期的に出されるアンケートである。質問は、簡単に言えば「もし声をかけたら、軍隊に戻ってくる気はありますか?」というものである。事情があって軍隊を急拡大させなければいけない時、問題は常にハードウェアより人材となる。必要になった時のために唾をつけておくのが、アンケートの目的だ。

 

 当然ながらこのようなアンケートはあまり歓迎されない。事情があって軍を辞めたのだから、戻ってきますかと言われてはい、と答える人は少ないはずなのだ。政界でも反対の声は根強く、妥協の結果、このような調査は国勢調査の一環と位置づけられている。つまり、特段の事情がなければ、五年に一度しか行われないアンケート、そのはずなのだ。

 

 ヤンも考える。何故、わざわざハイネセンまで行って演習に参加しなければならないのか。いや、ヤンには事情は十分分かっている。既に、参加する研究会の内容、議題、参加者の概要は伝えられているからだ。そしてヤンにふりかかっている面倒事の内容を考えれば、自分の立場は大体察しが付くというものだ。もちろん、それをアッテンボローに言うわけにはいかない。問題はそこではない。

 

 問題は、政府、軍首脳部はそこまで覚悟を決めているのか、そこなのである。

 

「最近、同盟政府もずいぶんときな臭くなりましたよ。二週間前のアレ」

 

「アレ?何だっけ」

 ヤンはしらばっくれた。

 

「もう、先輩は分かっているでしょう。トリューニヒト議員のアレですよ」

 アッテンボローは指摘した。二週間ほど前に行われた、重工業企業向けの投資振興法案の審議で、次期国防委員長がほぼ確定しているヨブ・トリューニヒト議員によって行われた討論のことを指していた。

 

 軍備増強のための設備投資に補助金の支出ならびに税制上の優遇措置を行うというものであった。当然ながら、賛成派、反対派で怒号の飛び交う事態となり、騒然とした状況の中、賛成派の重鎮と見なされていたヨブ・トリューニヒトは、討論でいきなりこう述べたのである。

 

「本会議にお集まり頂きました議員諸君、祖国は危機にある」

 

 唐突に発せられた先制パンチに、議場は一瞬静寂に包まれたが、遅れて怒号が沸き起こった。危機などどこにあるのだ、お前の議席の方が危機だ、そういう野次が多かった。

 

「今、危機などどこにある、そうおっしゃられましたな」

 

 耳ざとくそれを聞き取ったトリューニヒトは、怒号が大体静まった後でそう言った。

 

「諸君らは、私と同じく自由惑星同盟の下院議員である。つまり、選挙にて選挙民の清き一票によって選出され、四年間の任期を与えられた者達である。ならば問いかけたい。君達の任期の中、いや、それ以降も永久(とこしえ)に祖国の危機を除去する、それが我々の任務ではないだろうか!今、危機がないからといって、三年後の危機に対処することを躊躇ってはならないのである!」

 

 そしてトリューニヒトは、南朝皇帝の死が、帝国内戦の大きなターニングポイントとなる可能性があることを指摘し、帝国内戦の状況変化に備えるためには、早い段階からの設備投資が必要であると訴えたのであった。もちろんこの後には、現在の同盟の軍需生産能力であるとか、帝国との戦力比であるとかの話が出てくるのだが、この話はここまでとする。

 

 反対派議員を当て擦っているともいえるこの演説には、大きな感情のうねりが生じた。侮辱である、議会の討論に相応しくない、トリューニヒトに問責を決議すべきだ、そういう意見すらあった。まぁ、こういうのはヒートアップした議会討論にはままあることなので問責にはならなかった。だが、いつものトリューニヒトとは思えない、扇動家(アジテーター)のような討論であるとの評価が多くなされた。

 

 

 

「あれはねぇ。大変だったんですよ。軍需関連企業の株価は乱高下するし、フェザーンから帝国南北朝への軍需物資輸出はどうなるのか、とか、奢侈品の輸出入はどうなるのか、とか問い合わせが滅茶苦茶大変だったんですから」

 

「それが雑誌記者の仕事だろう。政治家は記者のために政治をするわけじゃないさ。まぁ、世の中、記者にいい記事を提供するために仕事しているような政治家もいるけど、さ」

 

「それもこれも、ふたつきまえのアレが原因ですかね」

 アッテンボローが言う。

 

「そりゃそうさ」

 ヤンはそう返した。

 

 

 

 宇宙歴798年5月5日──

 

 帝国南朝で、定例の園遊会に出席するはずの皇帝クレメンス二世が、突如出席を取りやめた。体調不良との発表であったが、同日、帝国病院への入院が発表され、南朝のみならず北朝の朝野も騒然となった。症状は過労と発表されたが、それがあくまで表向きの話でしかないことはすぐに広まった。噂を総合すると、症状は脳梗塞で、それもかなり重い症状らしい、とのことであった。

 

 憂慮すべき事態であった。誰もが、皇帝崩御という未来を予定に入れざるを得なかった。

 

 いや、憂慮どころではなかったかもしれない。クレメンス二世には皇太子がいなかったのである。クレメンス二世には多数の子供が居たが、成人したのは女性が二人だけだった。二人はそれぞれ門閥貴族の巨頭であるブラウンシュヴァイク公オットーと、リッテンハイム侯ウィルヘルムに嫁いでいる。そして、二人の子供も女子ばかりであった。

 

 通常であれば、帝国宰相の位にあるブラウンシュヴァイク公の子が女帝となるべきであったろう(リッテンハイム侯は政治的闘争に敗北した結果、近年は逼塞状態とみられている)。しかし、そこに待ったをかけたのが、当のクレメンス二世本人であった。帝国宰相が女帝の外祖父となるのは権力の壟断であると主張し、リッテンハイム侯の子供を皇太女とすると言い出したのである。皇帝からしてみれば、ブラウンシュヴァイク公の孫が皇帝などになれば、それは帝位の乗っ取りのように見えたのだろう。

 

 だが、そんなプランをブラウンシュヴァイク公がはいそうですかと受け入れるわけもなく、立太子(立太女?)の件は延び延びとなり、現在に至っているわけだ(そもそも引き合いに出されたリッテンハイム侯側も難色を示していた。ブラウンシュヴァイク公との政治戦争になることは確実だったからだ)。

 

 こうなると、皇帝崩御の暁には、南朝の政治体制は激変するであろうということがほぼ確実になったわけである。南北朝もそうだが同盟も色めき立った。同盟側が憂慮していたのは、南朝の政治的混乱が軍事的混乱に結びつく可能性についてだった。過去、政治的混乱によって、万全の防備を誇った国家が崩壊した事例はいくつもあった。となると、同盟は統一した銀河帝国と久方ぶりに相対さざるを得ないわけである。それはいつのことになるかは分からない。

 

 が、備えておかなければならない。トリューニヒトの演説もそこら辺が絡んでくるわけだ。

 

 

 

「いずれやらなければならない宿題を、やらなかった報いというわけさ」

 ヤンが訳知り顔で言った。

 

「先輩は休みの宿題をすぐやる方でしたか?」

 アッテンボローが笑いながら聞く。

 

「宿題の内容によったかな」

 ヤンは答えた。ヤンはチーズをつまむと、グラスを空けて、お代わりを頼んだ。ヤンもアッテンボローもカクテルというものをあまり好まない。軍隊という場所で身に着けた流儀というものかもしれない。

 

「そうそう、宿題といえば」

 アッテンボローは鞄を取り出してがさごそとあさった。

 

「お、調べてきてくれたのかい」

 ヤンは嬉しそうに言う。ヤンはアッテンボローに帝国南北朝の経済についての説明をお願いしていたのだった。これも、ヤンがハイネセンでの仕事に必要な知識になるはずだった。

 

 アッテンボローは、鞄から一冊の雑誌を取り出した。タイトルには「週刊 帝国経済 南北朝経済総まとめ」とある。

 

「俺が寄稿している雑誌じゃないですけど、南北朝の経済は、これがよくまとまってます。後で先輩に差し上げますよ。で、帝国の北朝は、先輩もご存知とは思いますが、大財閥が仕切っています。特に軍事ではそれが顕著です。一際大きい財閥が4つあって、四大財閥と呼ばれています。まぁ、ご存知だとは思いますけど」

 アッテンボローは、雑誌のページをめくった。「四大財閥特集」と大書されたページが見える。更に捲ると、『ローゼンタール造船グループ』というページが出てくる。

 

「四大財閥の一つ、ローゼンタールは造船の大手で、北朝の輸送船の3割はここが造ってるんですよ。もちろん戦闘艦艇もやってます。軍需民需問わず、宇宙船関係の消耗品も強いですね。上は推進剤とか、エネルギーチャンバーの二次電池とかから、下はトイレットペーパーまで手広くやってます。製造ラインの自動化が進んでいて、最近は衛星まるごと無人でひたすら船を造り続けるようなものもあるそうですよ」

 ヤンはふんふんと頷く。それを見たアッテンボローは更にページをめくった。次は『バイヤースドルフ・ソフトウェアエンジニアリング』と書いてあった。

 

「バイヤースドルフは、ソフトウェアの大手ですなぁ。OSからAIプログラムまで何でも手がけるソフトウェアベンダです。向こうのスマートデバイスのOSも、作ったのはここだそうです。もちろん、フェザーンでもみんな使ってますよ。自分も、です」

 アッテンボローはポケットから普段使いでないと思われる新ピカのスマートデバイスを取り出した。姿形、UIはヤンが見慣れているものとあまり変わらない。

 

「これが帝国のスマートデバイスなのかい?」

 

「相変わらず先輩はメカに弱いですねぇ。バイヤーズドルフの新作、『エスペランザV』です。CM見たことありませんか?」

 ヤンはかぶりを振った。

 

「最近帝国のテレビは、国営を除けば広告のない有料配信ばかりなんだ」

 

「先輩。折角フェザーンに居るのにそれはないじゃないですか」

 

「別にいいじゃないか。で、バイヤーズドルフはスマートデバイスしか作らないのかい?」

 

「そんなことないですね。軍需という意味からすると、艦船の操作系装置が強いですよ」

 アッテンボローはさらにページを捲る。次は、『ビッテンフェルト鉱業』のページであった。

 

「ビッテンフェルトは鋼材の大手です。元は艦船に塗る塗料素材の会社から鋼材に手を広げて成功したって経歴がありますよ。面白いのが、三男のフリッツってのがとにかく会社に入るのが嫌で、軍隊に入ってしまった。そしたらあれよあれよと言う間に昇進して将軍になってしまった。喜んだ社長の親父が、軍を説き伏せて艦艇塗装色に黒色を追加させてしまったんだそうで。今では息子が指揮する艦艇はみんな黒一色なんだそうですよ」

 アッテンボローが面白そうに言う。

 

「うへぇ、さぞかし本人は迷惑だったろうね」

 ヤンは迷惑そうに返す。

 

「どうなんですかね。話だけ聞くと、不良か愚連隊が宇宙空間でたむろしてるように聞こえますけどね。愚連隊では将軍になれませんけど」

 アッテンボローがまぜっかえした。

 

「ところで、一番有名なラインフォルトはどうなんだ?」

 

「あそこは、何でも作りますねぇ。上は宇宙戦艦から、下は地上車、スマートデバイス、果ては家庭用の家電まで、何でも、何でもです。素材(マテリアル)系よりはプロダクトを重視していますけど、素材をやらないわけではありません。研究開発も大々的にやってます」

 雑誌のページをさらに捲ると『ラインフォルト』と書いてある。

 

「珍しいね。同盟にはないタイプだよ」

 ヤンが感想を述べる。

 

「あんな財閥が同盟にあったら、即刻反トラスト法で解体されているでしょうね。財閥の総帥であるフランツ・ラインフォルトって男がいるんですが、こいつが大した技術屋でね。でも、それを見出したのは先代の社長で、今のラインフォルト会長なんですよ」

 

「見出した?息子じゃないのかい?同じラインフォルトなのに」

 

「そうなんですよ。研究所に居た技術者だったらしいんですけどね、先代の会長が目をつけて、自分の娘に婿入りさせたんですって。で、この娘、いや、ラインフォルト夫人ですかね。これがまた大したビジネスマンあいやビジネスレディーで。財務とか会社の切りまわしは大体夫人がやっているそうです」

 

「へー。そりゃ凄いな」

 ヤンの頭の中にフレデリカの姿が一瞬浮かんで、すぐ消えた。

 

「旦那のフランツも大した人物ですよ。特に技術オタク(ナード)連中の支持は絶大です。自社が開発した新型戦艦のテストに自ら乗り込んで、宇宙海賊に奇襲を受けたら艦を自分で指揮して撃退したって言うんですから、ウケる人にはウケますよね」

 

「こう見ると、だ。北朝は財閥抜きではやっていくのは難しそうだな」

 ヤンが感想を述べる。

 

「無理でしょうね。特に戦争はやってられないでしょう」

 アッテンボローが同意した。

 

「今じゃ軍の運営も財閥無しじゃやってられないでしょう。向こうの統帥本部、ウチの後方支援本部を二回りほど大きくしたような役所ですが、今じゃ財閥から人を招聘してトップに据えているぐらいですからね」

 

「それは知ってるよ。確か、シルヴァー……ベルヒだったかな」

 ヤンが相槌を打つ。

 

「そうです。シルヴァーベルヒって人は、ラインフォルトの幹部重役だったんですけど、軍に転身していきなり統帥本部総長ですからね。就任した時は28歳だったそうですよ。宰相の抜擢人事とはいえ、受ける方も受ける方ですよねー」

 

「よくやるよなぁ」

 

「全くで。というわけで、現在の北朝は、特に戦争において財閥の顔色を窺いながらやってるわけです」

 

「だがなアッテンボロー」

 

「どうしました?」

 

「そうすると、財閥は戦争を終える意味がなくなる。戦争が終わってしまえば、今までの投資は相当数が無駄になってしまうだろうね」

 

「そうですねえ。だとしたら、北朝的には戦争はいつまでも続くということですか」

 

「というわけじゃない」

 ヤンは否定する。

 

「いかな大財閥とはいえ、民力の疲弊を座視はできない。商人は政府と民衆を相手に商売を行う。政府は民衆が作る。これは民主主義でも帝政でも変わらない。ならば、疲弊した国民の行き着く先は分かるよな。だとすればだ。財閥にできることといえば」

 

「できることといえば?」

 

「より良い戦争の終わらせ方を考える、それぐらいだろう」

 

「そう上手くいくもんですか?」

 

「どうだろうね。国を牛耳るといえど、逆にいえば国があることが前提だからねぇ」

 ヤンの言葉にアッテンボローはウンウンと頷く。

 

 

 

「では、南朝にいきましょうか。こっちは随分と単純です。基本、門閥貴族、それもブラウンシュヴァイク公とその係累の天下ですからね」

 アッテンボローは雑誌のページをぱらぱらとめくった。『南朝、ブラウンシュヴァイク公の天下はいつまで続く?』と書いてあるページが出てきた。写っている写真は、ブラウンシュヴァイク家の現当主、ブラウンシュヴァイク公オットーであろう。

 

「自分の宮殿を皇帝陛下に差し出していたら、そりゃ権力だって握り放題でしょうねぇ」

 

「でも、南朝にはいろんな門閥貴族がいるんだろう?ブラウンシュヴァイク公がそんなに簡単に権力を握れるのかい?」

 ヤンが聞く。

 

「内戦勃発当初はそうじゃなかったみたいです。ですが、内戦が長引くにつれ、経済力のない貴族から没落していって、結果ブラウンシュヴァイク公の天下になったみたいです。貴族といっても、内戦に勝つには持ち出しをしなければならないですからね」

 

「破産した貴族としてはいいところないなぁ」

 ヤンの言葉にアッテンボローはそうですねぇ、と応じる。

 

「門閥貴族側もね、あまりの持ち出しの多さに悲鳴をあげて、出し渋りをした時期があったみたいです。そしたら、途端に南軍が劣勢になって押し込まれるようになって、その結果政変が起きたんですよね。その時就任した宰相が、容赦なく貴族から取り立てるようになって、自然とブラウンシュヴァイク公の天下になったみたいです。ブラウンシュヴァイク公に最後まで対抗したのは、並び立つ実力を持つと言われたリッテンハイム侯だそうですが、今は虫の息だそうで」

 

「歴史は繰り返す、だなぁ」

 ヤンはため息をつきながら言った。元はといえば、オトフリート五世が貴族主義を改革するということで平民からの人材登用をはじめ、それに貴族達が反発した。オトフリート五世亡き後、奪われた権益を取り戻さんと立ち上がったところまではよかったが、平民達は力をつけ、それと対抗するのが精一杯。南朝が瓦解しなかったのは、むしろ北朝側が南朝を切り崩すことをほとんど行わなかったからだと言われている。

 

「北朝の方がいい方向に変われた、ということなのでしょう。何が『良い』のかはおいとくとして。恐らく、戦争に勝つ、という意味かな。南朝の門閥貴族も努力はしていますが、流石に泥水すすり草を噛み、なんてのはできないですよねぇ」

 

「でも、門閥貴族はまだいい方だろう。一般市民はもっと大変だろうよ」

 ヤンはウィスキーをすする。

 

「ですね。南軍の宇宙艦隊は8個艦隊に分かれていますが、門閥貴族が指揮する親衛艦隊と、貧乏貴族や平民が指揮する防衛艦隊の2つに分類されるんです。もっぱら血を流すのは防衛艦隊の方ですね。でも、成り上がるには防衛艦隊の中で功績を立て、親衛艦隊に引き抜かれ、門閥貴族のお気に入りになるしかない。まぁ、嫌になりますよね」

 アッテンボローはそこまで言って、ふぅとため息をついた。

 

「そうだなぁ」

 ヤンも同意する。

 

「まぁ、ともかくだ。大体は理解できたよ。ありがとうアッテンボロー」

 

「どういたしまして。こんなのならいつでもどうぞ」

 アッテンボローは雑誌を差し出した。ヤンは受け取ると、グラスの横に置いた。

 

「なぁアッテンボロー。これは印象論なんだが」

 

「なんですか?」

 

「同盟は、帝国の内戦がどうなるか、必死になって調べている。どうなれば同盟の利益になるか、それも調べている。だが、物事は外から調べるだけじゃ正解にたどり着くのは難しい。現地の空気、それが分からないと判断を誤る可能性は高い」

 

「そんなものですかね」

 アッテンボローにはピンとこないようだ。

 

「例えばだ、アッテンボロー。もし、高級ワイン一瓶と、大手メーカーの安いビール一缶、どちらかをもらえるとしたらどっちにする?」

 

「そりゃワインでしょうね」

 

「自分が砂漠の真ん中にいてもかい?」

 

「んー。それは考えを改めますなぁ。ビールが冷えていれば」

 アッテンボローは舌を出した。

 

「そういうことなんだ。前提が間違っていれば、自ずと間違った結論が導かれる。同盟は、帝国の内戦がまだ終わらない、そういう前提でいろいろ動いている。情報分析した結果も、内戦はまだ続くことになっている。だがそれは、自分の知りたい結論を必死に追い求めている可能性とも思える。そういう意味で、祖国は危機にあるのかもしれない」

 ヤンはグラスに目を落としつつ言った。

 

「えー、そんな同盟に人材が居ないとも思えないんですがね」

 

「忘れちゃいけないアッテンボロー。人の『信じない心』をなめてはいけない」

 

「普通、それは『信じる心』なのでは」

 

「どっちだって同じさ。コインの表裏に過ぎないんだから」

 

 

 

 ヤンとアッテンボローが飲み会をしている丁度同じ頃、惑星ハイネセン、統合作戦本部総参謀長室──

 

「キャゼルヌであります」

 

「入り給え」

 総参謀長室に一人の中年士官が入ってきた。名前はアレックス・キャゼルヌ、階級は大佐、統合作戦本部の後方作戦本部で、軍需物資の管理統括を行っている。迎える方はもちろん、この部屋の主人である、総参謀長ドワイト・グリーンヒル中将である。

 

「夜分遅くなりまして、申し訳ございません」 キャゼルヌはそう言って頭を下げた。

 

「いいさ。娘も独り立ちすると、急に暇になってしまうもんだ。おかげで仕事に没頭できるというもの。ああ、君に真似をしろと言うつもりはないぞ。奥さんと娘は大事にしたまえ。でないと、私のようになるからな」

 グリーンヒル中将はそう言いながら端末でキャゼルヌの書類をチェックしている。キャゼルヌとしては、大事にしすぎるのも考え物だけど、と心の中では思ったが口に出したりはしない。

 

「うん。書類の方は大体よろしい。詳しくは明日読ませてもらう。済まなかったね、突然の話で」

 

「まぁ、こんなことになると思っておりましたので」

 キャゼルヌは何でもなかったかのように答える。グリーンヒルがキャゼルヌに要請したのは、同盟軍が定期的にまとめる、軍の戦闘能力評価、その補給に関する書類である。別にキャゼルヌ一人でこのようなデータをまとめるわけではない。後方作戦本部全体で取りまとめる書類であり、責任者は本部長のセレブレッゼ中将である。

 

 基本、それぞれの戦区における物資集積状況その他をチェックし、データをまとめるのであるが、それだけではない。末尾に付ける『シミュレーション』が、部外者の話題となるのだ。シミュレーションとは、帝国が大挙して侵攻してきた時に、どれだけの防衛行動が取れるか、というものなのだが、通常ならアッシュビー・ラインに数個艦隊が大挙侵入した時のシミュレーションを載せるだけで充分なのに、今回は何故か、イゼルローン回廊、フェザーン回廊双方からの同時侵入をシミュレーションしろと、国防委員会から要請されたのである。

 

 軍としては意図が分からなかった。確かに、南朝の皇帝が重病である、という事態から、南北の内戦が終結に向かうかもしれない、という予測を導き出すことはできる。だが、今までも内戦の戦況が北軍、あるいは南軍有利になったことはあれども、こんなシミュレーションをやれと言われたことはなかったのである。

 

 特にショックを受けたのは後方作戦本部のリーダー、セレブレッゼ中将である。同盟の補給拠点は、主にアッシュビー・ラインと、その後方に集中している。これは、帝国の侵攻をイゼルローン回廊方面からと決めつけているからなのだが、フェザーン回廊からの侵攻となると、どこを防衛ラインと定めてもなかなか補給が安定しない。拠点が少ないからである。

 

 セレブレッゼは、これを自身に対する中傷と断定したらしい。後方作戦本部で行われた会議では、シミュレーション自体への批判と自己弁護に関する演説を一時間近くもぶった後、そのまま昏倒してしまった。診断の結果、胃腸炎と判断されたが、入院が必要ということになった。

 

 結果、シミュレーションはセレブレッゼ抜きでやることになり、残った人間で分担して行うことになった。その一部を充てがわれたのがキャゼルヌということである。

 

「君を昇進させてやらないとな」

 グリーンヒルは端末の電源をオフにして言った。

 

「ありがたいですが、お気持ちだけ受け取っておくことにします」

 キャゼルヌは答えた。

 

「昇進は嫌か」

 

「まぁ、今でも上の方とはぎくしゃくしておりますゆえ。若くして将官になる人間は歓迎されません」

 

三十代の将官(ボーイズ・ジェネラル)がそんなに珍しいとは思わないがな。宇宙艦隊司令長官殿がそうではないか」

 

「ホーランド大将みたいに、敵と決めた人間を完膚なきまでとっちめるのは私の性には合いません」

 キャゼルヌは肩をすくめて答えた。

 

「まぁ私が彼の肩を持つわけではないが」

 グリーンヒルがそう前置きした。

 

「あそこまで権力に対してがっつく男は珍しいよ。そして彼は成功した。前から、いつかあいつは墓穴を掘ると言う人間は山ほどいた。その可能性は決して少なくなかった。でも、ホーランドは成功した」

 

「わかります」

 キャゼルヌは同意した。(少なくとも同盟では)平和なこの世界、軍人として出世するには政治家におもねるか、あるいは派手な功績をあげつづけるしかない。ホーランドは後者だった。軍事演習や図上演習で勝ち続け、軍改革の論文もどんどん出した。政治的に問題のある発言があるわけでもないので、昇進しないわけがないのである。特に、敵の抵抗をものともせず進撃を続ける『無停止攻撃』は彼の代名詞でもあった。そして今、ホーランドは大将まで昇進し、宇宙艦隊司令長官の地位にある。彼に残された昇進の階段は、統合作戦本部長と元帥の階級があるのみだ。

 

「ホーランドの本質が単なる目立ちたがり屋ではなく、闘志(ガッツ)であればよいが、今の同盟ではそれを試す機会はないな。ともあれ、誰がこんなシミュレーションをねじこんできたのやら」

 グリーンヒルはため息をついた。

 

「国防委員会ではないのですか」

 

「国防委員会だよ。私が気にしているのは、その国防委員会に吹き込んだのは誰か、ということだ。キャゼルヌ君、君は『ジークマイスター機関』という言葉を聞いたことはないかね」

 

「ジークマイスター機関」

 キャゼルヌは険しい顔をしてオウム返しをした。もちろんキャゼルヌが知らないわけがない。軍神ブルース・アッシュビーは決して軍事的才能だけで勝利を積み重ねてきたわけではない。数多のスパイを用いて敵の情報を収集し、それを基に帝国軍の動きを丸裸にしてきたのである。ブルース・アッシュビーは、マルティン・オットー・フォン・ジークマイスターという亡命帝国軍人を特別顧問として統合作戦本部に迎えていて、対帝国の諜報機関ではないかと囁かれていたのもまた事実だった。

 このジークマイスターをトップにした凄腕のスパイ集団、ジークマイスター機関は、テレビドラマの題材に何度もなっている。

 

 そう、テレビドラマの題材、それがジークマイスター機関である。

 

「本気で言っているのですか」

 

「ジークマイスター機関が本当にその名前の通り存在するわけじゃないとは思うが」

 グリーンヒルが咳払いをした。

 

「ブルース・アッシュビーが、対帝国の諜報網を駆使していたのは確実だ。軍も政府も未だに認めないが。そしてな、確たる情報じゃないが」

 

「??」

 

「その諜報組織は、まだ生きているらしい」

 

「本当ですか」

 キャゼルヌは驚いた。

 

「アッシュビーが死ぬ直前に、730年マフィアの誰かに託したらしい。普通、諜報機関というものは新しい主人というものを迎え入れることは少ないのだがな。情報部の対帝国戦略研究所と組んで、とある問題の研究にあたっているそうだ」

 

「何の問題なんです」

 

「終戦、さ」

 グリーンヒルはあっさり答えた。

 

「帝国南北朝が、この戦争を手じまいしたがっているか、手じまいするならどんな方法か、それだよ。諜報機関は要人の厭戦感情とかそういうのを探っているそうだ。そういえば、一昨年だったかエル・ファシルで帝国軍人を装ったテロ騒ぎがあったろう?」

 

「ありましたな」

 

「それのせいか、はたまたジークマイスター機関の成果であるかは分からないが、去年あたりから国防委員会の動きが変わったと言えば変わった」

 

「そうですか?いつも通りだと思いますが」

 

「去年、新型戦艦が正式採用されて、更新が始まっているだろう?当然ながら旧型艦は交換されて廃棄になるわけだが、まだ廃棄プロジェクトは進んでいない。そうではないかね?」

 

「確かに──」

 廃棄されるはずの旧型艦が、処理されずに放置されているのは問題になりかけている。国防委員会が廃棄プロジェクトを承認しないからだが、その分各基地のスペースを圧迫しているわけで、いずれ問題となるであろう。この間、廃棄稟議が通ってない旧型艦を無断でスクラップにして、担当者が処分されるというニュースがあった。単なる連絡不行き届きだと思っていたのだが。

 

「なるべく早く装備を更新するために、廃棄は後回しになるというのが説明だった。まぁ、あのトリグラフ級は採用までにいろいろあったからな。だがここに、ジークマイスター機関、というか謎の勢力がストップをかけているかもしれない、そういう噂があるんだ。あくまでも噂、いや、これはまだ陰謀論のレベルだな」

 

「私は聞いたことがありません。言っちゃあ悪いですが、参謀長殿が陰謀論に首を突っ込んでいるようにしか思えませんが」

 

「そうだといいのだがな。そうなのかもしれない」

 グリーンヒルは言う。

 

「だが、統合作戦本部長がドーソン大将というのも、偶然の一致すぎるといえばそうだ。政治家との癒着は置いておくとして、ドーソンという人物は後方支援のマイクロマネージメントに長けている。分かるだろう?」

 

「それはもう」

 キャゼルヌは同意する。だが、ドーソンはやりたい仕事は完璧以上にこなすが、やりたがらない仕事を平気で部下に丸投げすることには触れないでおいた。

 

「彼が居るからこそ、そこそこの問題は問題とならない。そして、それを念頭に置くと9月に行われる定例図上演習、その秘密研究会で取り扱われる題材は、研究というより政治的衝撃効果を狙っているようにしか思えん。キャゼルヌ君も参加するのだろう?」

 

「ええ」

 キャゼルヌはうなずいた。

 

「そう思わんかね」

 

「??いや、私は統裁官(審判)担当なので、詳しいことは何も」

 

「あ、そうか」

 グリーンヒルは今気づいたような風をして頭をかく。

 

「統裁官には詳細が伝えられていないのだった。そうだった。忘れてくれ。まぁ、これは情報漏洩にはあたらないから言うが、帝国を担当するチームにヤン・ウェンリー少佐が居る。君は知り合いだと聞いたが」

 

「あ、はい。最近あまり会ってはいませんが」

 

「フェザーンではなかなかの有名人だそうじゃないか。本人は迷惑がっているようだが」

 

「そこまでは知りませんでした」

 キャゼルヌも同じく頭をかいて答える。目の前の総参謀長が何を言いたいのか、いまいち掴めない。というか、グリーンヒルが一介の少佐に興味を持っている、という事実の方が驚きだ。ヤンが総参謀長の娘と『できている』とかいう根も葉もない噂は、事実ではないにしても根ぐらいはあると考えた方がよさそうだ。

 

「お、長話をしたな。もう遅いから帰りたまえ。ありがとう」

 グリーンヒルは退出を促した。キャゼルヌも居座る理由はないので、そそくさと総参謀長室を後にした。

 

 自室に戻ったキャゼルヌは荷物をまとめて帰る支度をした。もう午後9時を回っている。基本家族に逆らわないのが方針であるキャゼルヌとしては、また失点を作ってしまったと忸怩たる思いであった。

 

 それにしてもジークマイスター機関とは!

 

 キャゼルヌは顔をしかめた。機関の存在はともかく、そんなものを口の端に軽々しく乗せてしまうのならば、総参謀長の資質を問われても仕方がない。というか、キャゼルヌ本人がグリーンヒル総参謀長を信じられなくなっているというのが事実であった。

 

 まぁ、それはまだ判断を下すべき時ではない。9月の図上演習、そこで何が見られるかそれ次第だろう。ヤンよ、お前は何を知っているのだ……

 

 

 

 ヤンとアッテンボローの飲み会、キャゼルヌとグリーンヒル総参謀長の密談があってから数日後、フェザーン同盟大使館特務支援課──

 

「あなたがムライ中佐?」

 オフィスで顔を合わせるなり、いきなりそう言われたフレデリカは目をぱちくりさせた。目の前の女性、いや、少女は入口の受付AIの案内も無視して、特務支援課のオフィスまで直行したらしかった。単に不審人物であればオフィスに入れるわけもなかったから、ムライがこの少女に許可を与えたのだろう。オフィスにはフレデリカしか居なかった。ムライとパトリチェフはいつもの通りだし、ヤンは出張のための手続きで外に出ている。

 

「いえ。私はムライ中佐ではありません。課長は別のオフィスに居ます」

 

「そうかぁ。じゃあ待たせてもらいます」

 少女はそう言うと、オフィスにある応接セットのソファに腰掛ける──どころかごろんと横になった。テーブルの上にある来客用の菓子までつまみ食いをしている。あまりの事態に、さすがのフレデリカも固まることしかできなかった。階級章から見ると階級は伍長。目の前に五階級上の中尉様が居るのに、それを恐れるような雰囲気は全くなかった。薄赤色のロングヘアーと青紫色の瞳を持つ、見てくれは非常に魅力的な少女ではあるが、口調や態度から想像するに未成年どころか少年兵(少女兵という単語は存在しない)と思える。

 

「伍長、ここは仕事をするオフィスです。寝る場所ではありません」

 しばらくの逡巡の後、フレデリカは少女にそう言ったが、直後、一体自分は何を言っているのだろうと後悔した。士官学校に入ったばかりの頃を思い出す。あの時の内務班長(士官候補生の生活態度を指導監視する下士官)のしごきはきつかった。もう二度とあんな所には戻りたくないが、ああいう『いびり』『しごき』にも一定のテクニックがあるようだ、フレデリカはそう思った。今の自分は指導をしているようでなんとも間抜けである。

 

「中尉さんは私の上官?」

 突然少女が起き上がり質問した。

 

「なっ──」

 フレデリカは絶句した。その反応は予想していなかったらしい。

 

「たとえ階級が上であろうとも、命令を受けるのは直接の上官以外にありません」

 少女はそう言うと再びごろんと寝ころんだ。フレデリカとしては何か言ってやりたかったが、驚くべきことに言葉が出てこない。フレデリカは少女の胸元を見て驚愕した。戦闘艇操縦資格と特殊地上車操縦資格を持っている。そして連続勤務章を着用していないということは、彼女は天性のパイロットにしてドライバーにして、想像通り未成年の少女だということになる。

 

 フレデリカは観念した。コミュニケータで、ムライ課長を呼び出したのであった。最初からそうすべきだった。

 

 

 

「やぁやぁやっと着いたのか。遠かっただろう」

 ムライは、ソファに寝ころんでいる少女を咎めるでもなく、にこやかにそう言った。ムライの姿を認めた少女はすっくと立ち上がると直立不動の姿勢となり敬礼した。

 

「カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長、ハイネセン戦闘艇学校より参上致しました。カリンと呼んでください」

 

「ご苦労」

 ムライも答礼する。その光景を見たフレデリカは、このカリンという少女にも、そういう軍隊秩序がちゃんと叩き込まれていたことに驚愕した。というか、やっぱり私、なめられていた?

 

「まぁ、そこにかけたまえよ、伍長。ついでに君も、だ。中尉」

 

「え、私が……よろしいのでありますか」

 フレデリカが戸惑い気味に言った。

 

「問題ない。第一、彼女は特務支援課の新メンバーだよ」

 

「新メンバー!?」

 

「そうさ」

 ムライは笑いながら言った。ソファに腰掛けたフレデリカとカリンを見て、ムライはベンダマシンにコーヒーを取りに行った。下の階級の人間のために、いや、他人のためにわざわざお茶汲みをするムライなど、フレデリカは今まで見たことがなかった。

 

「彼女はピッタリの人材なんだ」

 ムライは紙コップのコーヒーを置きながら言った。

 

「人材というやつは、何が必要になるのか、事前に知るのは難しい。役立たずと指差して笑われる人間が、必要になることがある──おっとカリン、君のことじゃないからね──昔、あるところで大金持ちが鳥の鳴きまねしかできない男を家に住まわせていたそうだ。皆がそれを無駄だといった。だが、ある時、国で政変が起きて、大金持ちは国の外に逃げなければならなくなった。国境の関所は昼間しか開いていないが、追っ手はすぐ近くにいるから時間がない。その時、男が見事な鳥の鳴きまねをして、関所は朝が来たと勘違いしてドアを開けた。めでたく大金持ちは国外へ脱出できた。というわけさ」

 

「……おっしゃることの意味は分かりますが、意味は分かりません」

 

「傍目には役に立ちそうに見えなくとも、使いどころ次第では、人は皆、必要不可欠な人材である、ということだ。略綬を見れば分かるが、伍長は戦闘艇とシャトルの操縦資格を持っている。どころか、地上車の操縦技量も一流だ。素晴らしい。だがそれよりも何よりも、帝国からの亡命者の子孫で、未成年で女性というのがなお素晴らしい。私の求めている条件にぴったりだ」

 

「それって、どういうことですか」

 カリンが口をとがらせた。

 

「いずれ分かる。とりあえず君は、しばらく待機してもらう。そしてその間に帝国公用語のトレーニングだ。一級、最低限でも二級は取ってもらうぞ」

 ムライのその言葉を聞いて、カリンの顔から血の気が引いた。

 

「いや、あの、あたし座学の方は……」

 

「もうフェザーンに居るんだから観念するんだ。それでは、フォロウ、ミィ」

 ムライはカリンを引き立てるように部屋を出て行こうとした。それまでのカリンの威勢は何処へやら。まるで青菜に塩がかかったかのようだ。

 

「ああそれと」

 オフィスの出口でムライは振り返った。

 

「ヤン少佐に、そろそろハイネセンへの出張計画書を出すように言ってくれ。もちろん、君もだ」

 

「自分……でありますか?」

 

「そうだよ。君はヤン少佐についていって研究会に参加するんだ。言っただろう?」

 

「課長……それ、今聞きましたよ!」

 フレデリカの大声が、特務支援課のオフィスに響き渡った。

 



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第十四話 祖国は危機にあり ~ 銀河帝国北朝の場合

参考資料1 銀河帝国星系図

 

【挿絵表示】

 

 

参考資料2 銀河帝国北軍宇宙艦隊 戦闘序列

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

宇宙暦798年、帝国暦489年7月下旬──

 

 

 

 どんな世の中にも例外は存在する。例え、銀河帝国(北朝)首都、皇帝陛下のおわします新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)においても──

 

 当たり前のことではあるが、新無憂宮の中では、厳密なドレスコードが存在する。使用人、出入りの業者、警備員、いずれも身元の調査が都度厳密に行われる他、着用する衣服は厳密に定められている(そしてそれが表向き曖昧なことが、『障壁』なのであるがこの話はここまで)

 

 新無憂宮を公用で訪れる人も同様だ。最低限礼服か礼装の軍服、時代錯誤も甚だしい(という人もいる)宮廷服を着用しないと、例え身元が明らかであっても叩き出される。本来はそのはずだ。

 

 だが例外は存在する。新無憂宮を多少よれの入ったビジネススーツ姿でうろついても叩き出されない人物は存在する。その人物とは──

 

 

 

「どうですか宰相殿!素晴らしい威容ではありませんかな!」

 帝国宰相の執務室に甲高い声が響き渡った。7月だというのに窓という窓は閉め切られ、照明はオフになっている。中央の小さなテーブルの上には映写用デバイスが置かれ、執務室の中央に3Dの映像が浮かび上がっていた。

 

 別にこの時代、3D映写デバイスは珍しいものではない。珍しいものといえば、映っている映像の方である。

 

「以前よりお話しておりました、我が社の新型戦艦、仮称艦名『ブリュンヒルト』であります!」

 執務室では、1メートルにならんとする宇宙船の映像が浮かび上がっていた。純白の船体は、それまでの宇宙戦艦にあった箱型の船体に必要な構造物を付けたような無骨さは見られない。白い円錐のような、曲線をふんだんに用いたフォルムだった。スラスター、アンテナ、砲塔といった、戦闘艦に必要な装備も、自らを過剰にアピールしたりはしない。船体の中に包み込まれているような感じでひっそりと配置されている。宇宙に浮かぶ白鳥、一言で言えばそんな優美な艦体であった。

 

「単に美しさを追求したわけではありません。門閥貴族が乗るフネではありませんからな。優美なように見えて、獰猛な牙も隠し持っております。中性子ビーム砲は12門、通常の宇宙戦艦の1.5倍あります。ミサイルVLSは船腹にあり、同時に10個の目標を攻撃可能です。レールガン発射装置も、もちろん備えております。おっと、武人の蛮用とかそういうことを考えておりますかな?我がラインフォルトの技術陣は、大いに努力をしてくれました。埋め込み式の武装を多用しましたが、弾薬の補給、整備、発射時の工数、いずれも通常戦艦のそれと同等か下回っておりますぞ!」

 先ほどから長広舌を振るっているのは、ラインフォルト財閥の総帥、フランツ・ラインフォルトである。中肉中背と言うにはやや痩せた体つき、細い瞳に眼鏡とぼさぼさの黒髪、胸元を開けたシャツと白い夏向きのスーツ。年齢は40代後半だが、外見はそれより少し若く見える。この男こそが、新無憂宮をビジネススーツ姿で闊歩できる「例外」の男であった。

 

「そして、この船体は防御力も十分備えております。前方投影面積は従来の戦艦の60パーセントを割り込んでおります。つまり、敵の飽和攻撃に対する被弾の可能性が低減しているわけです。また、シールド発生機を適正配置したことにより、正面からの耐ビーム性能は70パーセントもアップしております。門閥貴族共の艦船にあるような防御専用モジュールを用意する必要はございません!!」

 執務室の主である帝国宰相、リヒテンラーデ侯クラウスは辛うじてあくびをせずに、辛抱強くこの男のプレゼンを聞いていた。まぁこの男の魂胆は見え透いている。だからといって粗略に扱うことができないのもまた辛い。

 

 十分ほども話し続けたラインフォルトは、何か喉に異常を感じたのか、ごほごほとむせる。リヒテンラーデ侯はここぞとばかりに反撃に転じる。

 

「ラインフォルト君、君の説明は十分聞かせてもらった。君が提案している新型艦が抜きん出た性能を有していることも、だ。同じような説明をもう三度、聞かせてもらっているからな。で、だ。提示された建造予算では、一隻作るごとに五隻の標準戦艦が作れるのではなかったかね?もちろん、この船が標準戦艦として採用され、工廠で量産が行われた場合で、だ」

 

「また予算の話でございますか」

 ラインフォルトは呆れたような顔をして言った。

 

「その話を聞くのはこれで四度目でございますな。確かに!帝国宰相ともなれば、国のふところを気にしなければならない、そうなのでございましょう。ですが、この新型艦はカネでは決して得られないものをもたらすのであります。そう──」

 

「勝利──を」

 ラインフォルトの目は恍惚としたような感であった。反対に、リヒテンラーデ侯の目つきは、勘弁してくれと言いたそうな感じである。

 

「もし、門閥貴族どもがこの船を手に入れて、量産した暁にはどうされるおつもりですかな──」

 

「ラインフォルト君、君の帝室に対する忠誠は十分分かっておる。そのようなことはあり得ん」

 リヒテンラーデ侯は淡々と答えた。もし、南軍がこのような高コストの船を量産するならば、北軍にとってはむしろ好都合だっただろう。いくら単独の性能が高くても、量が揃えられない艦船には意味がない。今の南軍は人命もひっくるめてコストを厳密に計算する軍隊である。

 

「ともかくともだなラインフォルト君、君をここに呼んだのは新型艦の話を聞くためではない。今度新設する惑星ユグドラシルの新工廠、そのスケジュールを確認するためだ。事前に確認したであろう?」

 

「あれは遅延します。当初予定より三か月ほど」

 ラインフォルトはぶっきらぼうにそれだけ言った。

 

「遅延!?聞いていないぞ」

 今度はリヒテンラーデ侯の方が爆発した。

 

「分かり切ったことを聞かないでいただきたい。概要についてはシルヴァーベルヒ君が説明したのではなかったのですか。事前に集約する弾薬その他の物資が、当初予定の倍を軽く超えている現状では、新工廠建設用の資材製造にも影響が出るのです。それが分からない宰相殿ではありますまい」

 

「作戦準備については五月に内示を出してあったはずだ。その時はスケジュールに影響しない、そう聞いていたはずだが、そうではなかったのか」

 なおも、リヒテンラーデ侯はラインフォルトに詰め寄る。

 

「統帥本部が提示した必要物資量であれば、という話です。帝国各所に集積していた物資で大方が賄えることを前提で、スケジュールを出したのです」

 

「前線からの上申はそちらも聞こえているはずであろう。弾薬を節約しながら戦うのは兵士の役目ではない!兵の怨嗟の声が聞こえないのか」

 

「なら申し上げましょうか。昨年から今年にわたりますキフォイザー星域攻勢作戦、連携の取れない攻勢、弾薬をいたずらに消費したにもかかわらず戦果の確認は不十分、警戒の緩んだ補給部隊への攻撃により無駄に失われる物資。成果があがらぬのは仕方がないとしてですな、あがらぬにもかかわらず無駄に作戦を引き伸ばし、物資の消費だけが伸びるこの事態を何とも思わないのであれば、我が軍の勝利などあり得ないでしょう!敵将メルカッツに笑われて、それだけです」

 リヒテンラーデ侯は臍をかんだ。まるでシルヴァーベルヒのコピーが目の前にいるかのようだ。やはりいくら有能だからといえ民間人を軍隊に入れるべきではなかった。それも財閥の重役など──

 

 だが、リヒテンラーデ侯自身がまいた種でもあった。

 

 

 

 帝国内戦というのは、外から見えるイメージとは異なり、南北共に「まず予算と戦い、次に敵と戦う」戦争であった。内戦が三十年を超える長いものになったのも、それが大きな原因である。

 

 人、艦船、弾薬、補給物資、全てに予算が必要だ。そして、それを必要な時に必要なだけ供給しなければ、戦うことすらおぼつかない。

 

 帝国軍の統帥システムは、まず、軍のトップに軍務尚書がある。軍務尚書は軍の基本的な方針を決め、軍内部の人事・財務・軍政などを所管する。そして、統帥本部総長は軍令を統括し、参謀本部を所管する。最後に、宇宙艦隊の差配を司る宇宙艦隊司令長官がいる。この三人は所謂『帝国軍三長官』と呼ばれる帝国軍の最高幹部だった。

 

 そして内戦このかた、帝国軍三長官は内紛を繰り返し、北軍の統帥は混乱を続けていた。理由としては、北朝の支配領域に関する問題がある。北朝の支配領域は首都星オーディンの周辺である中核星域、アムリッツァ星域からエックハルト星域に及ぶ辺境星域、そしてその連絡路と「Uの字」状に曲がった細長い領域であった。そして、一部を除きこの領域は南朝の支配領域と接している。内戦だから当たり前、と言ってしまえばそれまでだが、それゆえに戦略の「重心」を置くことが難しい。オーディンを捨てることができないのは大前提だが、辺境星域、そしてそこへの連絡路を危機に晒すこともできない。ここを喪失してしまえば、フェザーン自治領との連絡が絶たれる。フェザーンとの経済交流がなくなってしまえば、戦争そのものも失うことになるであろう。

 

 結果、兵力・物資を細かく、ばらばらに配置することが必要となり、これが非常に非効率的だと批判を浴びていた。実際、南軍はこれらのこまごまと配置した戦力をヒットアンドアウェイの方式で攻撃し、そのたびに北軍に少なからぬ損害が出ていた。

 

 10年前に帝国宰相の座についたリヒテンラーデは、その改革に乗り出した。当時、北朝の財政は破綻の危機に瀕しており(これは南朝も同様だったが)、三十年に一人の天才財務官僚として知られていた中級貴族のリヒテンラーデは、リヒャルト三世に財務再建を命じられ抜擢されたのだった。

 

 リヒテンラーデは多方面にわたって財務の改善に乗り出した。財務の改善というのは、ひらたくいえば増税と支出の削減(と民間への権限等の委譲)だったから、各方面からひどく恨みを買った。この年まで帝国宰相の座にあること自体が奇跡だという評判がもっぱらだった。ちなみに、全部を書くと本一冊では足りないので、軍事方面の概要だけを述べるにとどめる。

 

 まず、帝国北朝の支配領域を3つの「軍管区」に分割した。首都星オーディン周辺を管轄するオーディン軍管区、辺境領域を管轄するアムリッツァ軍管区、双方の連絡路を維持するシャンタウ軍管区の3つである。それぞれの軍管区は、それぞれ管轄する星域の防衛に責任を持ち、艦隊は軍管区星域内に駐留するものとされた。管轄内の軍事施設においても、一定の裁量権を持つこととなった。

 

 批判は少なくなかったが成果はあがった。慢性的な赤字状態だった軍事予算は、支出の改善によりどうにかこうにか予算の範囲内でやりくりできるようになった。皇帝は満足し、リヒテンラーデへの賞賛の声が高まった。

 

 そして──予想通り軍閥化した。

 

 軍管区司令官は、支配領域に責任を持つ代わりにそれ以外への責任は持たなくてよくなった。ということは、領域の防備や限定的な攻撃、嫌がらせのような南軍への奇襲攻撃と離脱には熱心でも、全軍が歩調を合わせた南軍への大攻勢には真面目に取り組まなくなった。他人のために自分達が損害を受けるということは、任務のうちに含まれていなかったからだ。昨年後半から今年にかけて行われていたキフォイザー星域への攻勢作戦は、まさにその象徴ともいえる戦いだった。3つの軍管区艦隊が攻勢を仕掛けては、犠牲が多く実りの少ない作戦を避けて艦隊を退いてしまう。攻勢を督促されても理由をつけて出てこない。結果、時間ばかりかかってキフォイザー星域のガルミッシュ要塞奪取すらできないという有様だった。

 

 キフォイザー星域作戦の失敗は、軍管区というシステムだけに起因するものではなかった。今から数えると二年前、当時軍管区の軍閥化、その象徴と見られていたのは、アムリッツァ軍管区司令官のクラーゼン大将だった。前職は帝国幕僚総監だったクラーゼン大将は、アムリッツァ軍管区が創設された頃からずっと司令官の職にあり、軍首脳部からはコントロール困難な存在と見なされていた。

 

 リヒテンラーデと軍首脳部は、クラーゼンの排除を、システムの更新によって実現しようとした。まずクラーゼンを元帥に昇進させ、軍務尚書の位を与える。そして、業務再編の一環として、軍務省の財務・軍政の機能を統帥本部に、軍管区間の調整を軍務省にそれぞれ移管(スイッチ)した。そして最後に、当時の統帥本部総長を更迭し、軍務省の軍政を司っていたブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒを統帥本部総長に充てたのであった。

 

 誰もがこのシステム更新に驚愕した。第一、新統帥本部総長のシルヴァーベルヒは軍人ですらなかった。大財閥ラインフォルトの最高幹部からの出向で、年齢も30になったばかり。ソフトウェアエンジニアリングの鬼才であり、軍務省の効率化に手腕を振るっていたことは知られていたが、統帥本部のトップとしてはあまりに異彩すぎるという批判が沸き起こった。

 

 シルヴァーベルヒとリヒテンラーデは、共に手を携えて改革に取り組んだ。軍の輸送流通システムの刷新を試み、軍管区が報告する戦況や物資消費情報を基に、弾薬や物資をシームレスに供給する仕組みを作り上げた。これによりよっぽどのことがない限り、弾薬物資の極度の不足が起こらないことになった。

 

 ちなみに、クラーゼンの後任は、クラーゼンの腹心ではあるものの年齢わずか20のミューゼル中将が大将に昇進して司令官となった。しばらくの内は、軍管区内をまとめるので精一杯となる、というのが一般的な予測であった。

 

 リヒテンラーデは勝利した。軍管区司令官から危険人物を除去し、高位ではあるものの権限が限定されている役職につけた。補給システムを改善し、物資の不必要な溜め込みが起こらないことになった。まぎれもない大勝利であった。

 

 そしてリヒテンラーデは今、その『大勝利』に苦しめられている。

 

 

 

 リヒテンラーデが何に苦しんでいるかというと、軍が保有しているはずの「余裕」についてだった。シルヴァーベルヒの作り上げた「システム」は、軍が溜め込んでいる「余裕」、言い換えると「無駄」を削ぎ落とすことで効率化を実現していた。そうすると何が起きるか。身の丈に合わない、と見なされる大プロジェクトが実行困難になるということであった。無理をして消費した弾薬を補充する、あるいは通常想定されるよりも倍する量の物資を溜め込む、こういう行為が難しくなるのである。

 

 話を元に戻すと、ラインフォルトはリヒテンラーデに対し、軍が想定を大幅に超える量の弾薬を注文してくるので、新工廠といった他のプロジェクトは軒並み後回しになりますよ、そう言っていたのだった。

 

「何とかならんのかねラインフォルト君。『ラグナロク』作戦後も戦争がすぐ終わるわけではない。今度は叛乱軍と事を構えねばならないのだ。そのためには、工業力の増大は必要になる。内戦に勝利した後、傷ついた軍隊を抱えたまま叛乱軍が雪崩れ込んでくる事態になったらどうする。今が踏ん張りどころだ」

 

「もちろんです閣下。我々もその期待に応えるべく、かなりの持ち出しをしております」

 

「そうか。この間、君の奥さんとも話をする機会があった。しばらくの間、ラインフォルト銀行は国債の新規引き受けをする気はないと言っておったぞ」

 

「ほぅ、イリーナがそう言っておりましたか。ならば是非に及ばず」

 

「ラインフォルト君!」

 リヒテンラーデは机をどんと叩いて叫んだ。同時にかなりの大きさの雷鳴が鳴り響き、二人はびくりと背筋を震わせた。

 

 

 

「かなり近かったようですな」

 ラインフォルトは3Dプロジェクタのスイッチを切り、執務室のカーテンを開けた。空は曇っているが雨は降っていない。遠くでぴかっと光るのが見えた。雷はまだ鳴り続けるのであろう。ラインフォルトは執務室の照明を点けようとした。点かない。スイッチを何回かオンオフする。それでも点かない。

 

「停電でしょうか」

 

「おおかた、給電設備が故障したのであろう。この間、宮内省が設備更新稟議を出しておった。ま、しばらくすれば復旧するのだがな。予備電源があるからな。それに非常用電源はまだ生きている」

 

「なるほど。設備更新のご用命は是非とも我が社に」

 

「セールストークなら宮内省か工部省に言いたまえ」

 リヒテンラーデはラインフォルトの売り込みにそう言い返すと、ラインフォルトは何かぶつぶつ言っていたようだが帰っていった。宰相に自らの新戦艦を売り込むという目論見は失敗したわけだった。

 

「まったく……」

 二十分ほどして電力が回復した室内で、リヒテンラーデはため息をついた。帝国は衰微し、軍隊はコントロールが利かず、新無憂宮は照明の更新にも苦労する有様。皇帝陛下が静養のため離宮へ行幸しているのが幸いだった。

 

 そして、勢いがあるのはあのような男達の居る財閥ばかり。

 

 これが国家の危機と言わずして何だというのだ──

 

 

 

 丁度同じころ、新無憂宮の片隅にて──

 

「姉上!」

「アンネローゼ様!」

 

「ラインハルト、それにジークも。ようこそいらっしゃいまし。随分と間が空いたわね」

 

「その通りです姉上。帝国軍式典の時以来ですから1年と3か月12日ぶりです」

 

「あらあら、計算していたのかしら」

 

 女性の声に、ラインハルトは小さく舌を出すと頭をかいてみせた。このような表情は、けしてアムリッツァ要塞で見ることはできない。片方は帝国軍大将、もう片方は帝国軍少将であり、それを示す軍服を着用しているが、今の二人はできたての少尉とさして変わらない。

 

 目の前の女性──長い金髪と蒼氷色(アイスブルー)の瞳を持つ、容姿端麗ながら穏やかな雰囲気を持つその女性はアンネローゼ・フォン・ミューゼル。ラインハルトの姉であった。

 

「遅くなり申し訳ございませんアンネローゼ様。宇宙港が混雑しておりまして」

 

「あらあらジーク。それは大変だったわね。まぁ、おあがりなさい。予報ではそろそろ雷雨になるそうよ」

 

 

 

 リビングのテーブルには、既に二人を歓迎する準備ができていた。テーブルの中央には直径20センチ近くにもなる大きなザッハトルテが鎮座していた。切り分け用のナイフが添えてある。

 

「今からお茶を入れるわね。二人とも、コーヒーでいいかしら」

 アンネローゼの声に、ラインハルト、キルヒアイスはそろってうなずいた。

 

 

 

 ラインハルト・フォン・ミューゼル、ジークフリード・キルヒアイス、そしてアンネローゼ・フォン・ミューゼルこの三人は、帝国の内戦が生み出した象徴(但しある意味、明るい方)ともいえる存在だった。

 

 ラインハルトが生まれたのは帝国暦467年(宇宙歴776年。ちなみにヤン・ウェンリーはこの時9歳)、誕生日はキルヒアイスが1月14日、ラインハルトが3月14日であった。父セバスティアン・フォン・ミューゼルは下級貴族の身分であったが、工場を経営しており、母クラリベルと共にそれなりに幸せな家庭を築いていた。

 

 そんな幸せが暗転したのは、ラインハルトが5歳、アンネローゼが10歳の時であった。母クラリベルが事故死したのであった。コントロールを失った地上車が歩道に突っ込み、運悪くそこにクラリベルが居たのである。事故の直前、巻き込まれそうになった少年を突き飛ばしたため、自身は逃げることができなかった。

 

 それからしばらくして、父セバスティアンの家業が傾きだした。世の中は財閥による大規模経営がもてはやされる時代になっていた。帝国の成長のため、そして何よりも南朝との内戦に勝つため、経営統合だの買収だので、財閥が急激にふくれあがっている時期にあたっていた。

 

 セバスティアンは自身の力が及ぶ限りそれに抗い続けた。しかし、むなしかった。彼にできることといえば、会社の、そして家族の命運、それが尽きる瞬間を先延ばしにするぐらいだった。借金はかさみ、セバスティアン本人も荒れていった。やがて家業がどうにもならなくなると、そこにアルコールが追加された。

 

 セバスティアンが亡くなったのはラインハルト11歳、アンネローゼ16歳の時だった。家庭は二人ともう一人だけになっていた(この頃にはキルヒアイスはそういう存在になっていた)。セバスティアンの死の直前に会社が倒産し、従業員が離散したのは三人にとって幸であったか不幸であったか。

 

 二人(三人)は、父親が遺した借金に立ち向かわざるを得なかった。アンネローゼは高校を退学し働き始めたが、それだけで借金がどうにかなるものではなかった。

 

 そこにキルヒアイスが一つの案を持ってきた。帝国軍幼年学校を受験するというものである。少年時代から帝国士官の基礎を叩き込み、軍の士官へと育て上げる幼年学校では、在学者は学費が無料で、負債を抱えている場合は支払いを猶予される、という制度があった。それだけ北軍が人材に困っていたということであったが、キルヒアイスはそれに目をつけたのだった。

 

 二人は幼年学校を受験し、合格した。入学した後に気づいたことであったが、ラインハルトは用兵に、キルヒアイスは情報の解析に天賦の才能があった。ラインハルトは戦況図を見れば即時に布陣の弱点を見抜いてみせた。キルヒアイスは集めた不確実な情報から、どれが信頼のおけるもので、どれがそうではないのかを的確に判断してみせた。

 

 四年の就学を経て、二人は幼年学校を卒業した。ラインハルトは当然のように首席となり、キルヒアイスは次席となった。

 

 卒業した後、二人が選択した進路は、見習士官の資格で軍に勤務するというものだった。教官達はそれを聞くと翻意を促した。実際、幼年学校で優秀な生徒はそのまま士官学校に入学し、二年の教育を受けて正式な少尉となるのが一般的なルートだったからだ。見習士官というのは落ちこぼれの卒業生がなるものだったのだ。幼年学校の首席と次席が子猿(アフェンキント)(見習士官の蔑称)だなんて、そう言い切った教官さえ居た。

 

 しかし、二人には選択肢がなかった。一刻も早く収入を得て、アンネローゼに楽をさせなければならなかったからだ。

 

 二人は少尉(仮)に昇進すると、アムリッツァ軍管区に配属され、駆逐艦「エルムラントⅡ」乗組を命じられた。

 

 そこからの栄達は目覚ましかった。初出撃で、南軍の巡航艦撃沈確実の戦果をあげると共に、所属する駆逐隊の司令を務める巡航艦に対して飛んできたミサイルを、広域制圧ミサイルで全部撃破、巡航艦を守り切る戦功をあげたのだった。少尉につけられた(仮)の称号はその日のうちに消滅した。

 

 二年後には少佐(キルヒアイスは大尉)となり、駆逐隊の一員から駆逐隊のリーダーに成り上がっていた。ある時、ラインハルト率いる駆逐隊はシャーヘン星域を哨戒していたのだが、南軍の部隊と遭遇した。相手は戦艦も含めた五十隻近い大部隊で、当然ながら敵うはずもなかった。即刻撤退して報告をすべき事態だった。

 

 しかし、撤退の具申に対するラインハルトの返答は否、だった。ラインハルトは敵部隊の死角を見抜くとそこから奇襲突撃を敢行した。一撃で敵の旗艦を含む五隻を撃沈破すると、混乱する敵部隊に対して降伏を勧告したのだった。

 

 敵は一も二もなく降伏した。後で分かったことだが、その部隊は南軍の秘密開発兵器を輸送し、フェザーンへ輸送する任務を負っていたのだった。ラインハルトは想像以上の大戦果をあげたのだった。

 

 ラインハルトは中佐に昇進した。それだけではない。アムリッツァ軍管区の司令官であるクラーゼン大将の知己を得ることにも成功した。ラインハルトは、軍管区の期待のホープと見なされたのだった(なお、この時、クラーゼン大将と男色の関係を持ったという根も葉もない噂が流されたが、もちろんこれは事実ではない。ちなみに、噂の出所を突き止め報復したのはキルヒアイスであった)。

 

 19歳の頃には、クラーゼン大将が司令を務める第三艦隊の副司令官となっていた。階級は少将であった。この頃には、南軍や同盟軍にも警戒すべき北軍の将帥と見なされるようになっていた。クラーゼン大将は軍管区の差配で多忙だったので、しばしばラインハルトが第三艦隊を率いて出征し、それなりの軍功を持ち帰ってきた。

 

 20歳になって中将に昇進したラインハルトに、さらなる転機がやってきた。軍管区司令官を長く務めていたクラーゼン大将は、首都オーディンの軍首脳部にとっては野に放たれた虎のような存在だった。帝国宰相リヒテンラーデ侯と軍首脳部は手を組み、クラーゼン大将をアムリッツァ軍管区の司令官職から革職した。代わりに、帝国軍のトップである軍務尚書の地位に充てたが、権限は大幅に縮小していた。

 

 ラインハルトはクラーゼンの後任として軍管区司令官に就任した。成人したばかりの人間が司令官であったが、軍管区内部の評判は悪くなかった。何はともあれ軍で、それも実戦を経験している軍で必要なのは勝利の実績である。ラインハルトの中将在任期間は三か月に満たなかった。

 

 ラインハルトの栄達はアンネローゼにも影響を与えずにはおかなかった。ラインハルト(とキルヒアイス)の勧めにより、彼女は仕事を辞めて服飾の学校に進学し、服飾デザインを学ぶこととなった。それであれば、卒業した暁には独りでも生計を立てることができるからだった。ここでアンネローゼは知己を得ることになる。

 

 マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ──所謂ヴェストパーレ男爵夫人は芸術方面に造詣が深かった。ヴェストパーレ男爵家の当主である彼女は(但し夫人と呼ばれていても結婚はしていない)、その有り余る家産を駆使して様々な方面で芸術家の援助を行っていた。

 

 その彼女がアンネローゼに目をつけた。

 

 とある服飾のコンペでアンネローゼが提出したデザインがヴェストパーレ男爵夫人の目に留まったのだった。そこから付き合いが始まり、アンネローゼは学校を卒業することなくヴェストパーレ男爵夫人のお抱えデザイナーのような存在となっていった。それだけではない。彼女はアンネローゼに、新無憂宮で女官が着用するドレスのデザインという仕事を与え、新無憂宮に住居まで与えたのである。菩提樹の茂る池のほとりにある館──以前は狩猟に出た皇帝の休憩所に使われていたといわれる──それが今のアンネローゼの住居であり仕事場であった。

 

 

 

 アンネローゼとラインハルト、そしてキルヒアイスには話すべきことが山のようにあった。ラインハルトとキルヒアイスには武勇伝が、アンネローゼには宮中のいろいろな噂話があった。噂話はラインハルトにとってもありがたかった。新無憂宮は、帝国軍の中枢でもあり、そこで何が起こっているかは知っておかなければならなかった(もっともそういう仕事はキルヒアイスが専門でこなしているのだが)。

 

「鹵獲した南軍の戦艦が貴族共のものなのか、そうでないのかは艦内を見ればすぐ分かりますよ。何故だか分かりますか」

 

「何故かしら」

 

「使っている食器で分かるんですよ。貴族共のフネは高級な陶器の食器を使っていますからね。乗り組んでいるコックも優秀なんでしょうね。あれを失うのは料理界の損失かもしれません」

 ラインハルトが冗談めかして言うので、アンネローゼはころころと笑った。キルヒアイスは横で満足そうにうなずいている。中央にあるザッハトルテのホールは、もう既に半分がなくなっている。アンネローゼのお菓子作りの腕は一級品、ラインハルトもキルヒアイスもそれは分かっていた。

 

「ラインハルトは随分と忙しいのね」

 

「まぁそうです。でも、姉上のことを思えばこそ。姉上こそ、こんな所で仕事を続けていていいのですか。借金のことなら我々で十分やっていけますよ。第一、アムリッツァ要塞など、いくら給料を貰っても使う場所なんてありませんから」

 

「そんなことはないわ。ヴェストパーレ男爵夫人には十分良くしてもらっているし、受けた恩は返さなければならないわ。それに借金のことだけど、私からも返したいのよ」

 アンネローゼはそこで言葉を切ると、ちらとキルヒアイスの方を見た。キルヒアイスは顔を赤くする。ラインハルトは不思議そうな顔をした。

 

「まぁ、困ったことがあったら何でも私、あるいはキルヒアイスに言ってください。何でもやりますよ。何でも」

 

「あらそうなの?何でもすると言ったわね」

 

「もちろんです」

 

「フェザーンに行きたいと言ったら?」

 

「もちろんお望みのままに」

 キルヒアイスが答えた。

 

「自由惑星同盟はどうかしら?」

 

「……姉上、本気ですか」

 ラインハルトはぎょっとして言った。

 

「あらあら。ラインハルトは、私が貴方を困らせると思っているのかしら。別に、オーディンを出ていく気はないわよ。私はここで十分よ」

 

「もしアンネローゼ様がお望みなら」

 キルヒアイスが言った。

 

「自由惑星同盟でも、たとえ銀河の外でもどこへでもお供します。今すぐ、三人で亡命してもいいのですよ」

 

「あらあらジーク。意地悪な質問をしたかしら」

 

 その時、轟音が鳴り響いた。新無憂宮の中か、それに近い場所に雷が落ちたようだ。三人ともびくっとしたがそれ以上のことはない。ただ、それまで点灯していた照明が消えてしまった。

 

「停電?」

 ラインハルトが言った。

 

「どうやらそのようですね」

 キルヒアイスがこたえる。

 

「最近、給電設備が老朽化しているんで、更新の工事をやるらしいって話が回ってきているわ。いつするのかは分からないけど」

 とアンネローゼ。

 

「姉上を停電のまま放置するとは、新無憂宮の連中ときたら」

 

「ラインハルト。そんなことを言うもんじゃないわ。今でも職員の方が復旧に向けてがんばっているはずよ。それに」

 

「それに?」

 

「昔を思い出すわ。古い家で、電気がよく止まったわよね。あの時はラインハルトも怖がりさんで、ぐずるラインハルトを母さんか私がよくなだめたものよ。覚えているかしら」

 

「姉上、そんな昔のことを──」

 

「そんなことがあったんですか」

 キルヒアイスが言った。照明がないので、どんな表情をしているかは分からない。

 

「と、とにかく調べてきます。管理棟はどこですか」

 

「ラインハルト、管理棟は2キロも向こうよ。そんな所までどうしようと」

 

「地上車がありますから!」

 ラインハルトは止めるのも聞かず飛び出していった。外で、地上車が走り出す音が聞こえる。どうやら本当に管理棟に問い合わせに行ったらしい。

 

 

 

 しばらくして、照明が突然点灯した。どうやら停電から回復したようだ。

 

「あらあら」

 アンネローゼが困惑したように言った。管理棟に問い合わせに行ったラインハルトを呼び戻すにはもう間に合わない。帰るまでにしばらく時間がかかるだろう。

 

「そういえばジーク」

 

「何でしょうか」

 

「これは思い付きなのだけど。今、ラインハルトはすごく大事なお仕事をしていらっしゃるでしょう?」

 

「そうですね」

 

「ラインハルトはいい子だから、そんなお仕事も立派に成し遂げると思うけど、辛いこともあると思うの。これは今までもそうだったと思うけど。ヴェストパーレ男爵夫人の受け売りだけど、人は心が折れなければ何度でも立ち上がれる、そういう生き物だそうなのよ」

 

「わかりますわかります」

 

「だから、何かメッセージを残しておきたいの。ラインハルトの心が折れそうになったとき、見返して、立ち直るためのメッセージ。何か一言、それだけでいいの。私とジーク、一つずつ」

 

「それはいいアイディアですね」

 キルヒアイスは同意した。アンネローゼは隣の仕事部屋に行って、3D画像レコーダを持って戻ってきた。

 

「それで、何と言いましょうか。『負けないで』『私がついている』とか?」

 

「うーん、どうかしら」

 アンネローゼは首をひねった。キルヒアイスは他にもいくつか候補をあげたが、アンネローゼはそれら全てに首を振った。

 

「フィーリングに合わないわね。もう少し大仰なのがいいかしら。ラインハルトって、結構おだてると調子に乗るじゃない。心が沈んだ時には、そういうのが合うかもしれないわよ」

 

「なるほどそうですね。それでは──」

 キルヒアイスはある言葉を口にした。それを聞いたアンネローゼは、しばらく考え込んだ後に、それにしましょうとこたえた。

 

「では、始めましょうか。アンネローゼ様、レコーダの準備はいいですか」

 

 

 

 さらに丁度同じ頃、新無憂宮、民政尚書公邸──

 

 

 

 新無憂宮の敷地内には、尚書(省のトップ。現在の大臣にあたる)の公邸が建てられている。国務・軍務・財務・内務・司法・学芸・宮内・典礼・民政・工部と10の省があり、それぞれに尚書がいるから、公邸は10個ある……と言ってしまえば簡単なのだが実際はそうではない。軍務尚書は軍務省から勤務するのが通例であるため、公邸は長らく使う人が誰もおらず取り壊されてしまった。工部省は技術官僚の牙城であり、比較的歴史の浅い省なので公邸そのものが存在しない。民政省も歴史の浅い省なのだが、こちらには公邸が存在する。

 

 他の公邸とは違い、ひどく小ぢんまりとした建物であったが、他の建物にはない目印がこの建物には存在する。公邸の庭に植えられている、3本の梅の木であった。

 

 公邸の中の尚書執務室、その中央には小さな丸テーブルと椅子が置かれていた。部屋の主、現民政尚書マリーンドルフ伯フランツは、その椅子に座って窓から見える梅の木を見るのを密かな楽しみとしていた。

 

 そして、今は椅子がもう一つ増えて、来客が座っている。ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ、マリーンドルフ伯の一人娘で今年21歳になる。くすんだ短い金髪とブルーグリーンの瞳を持つ、美少年めいた容姿は、父親よりも母親の影響を濃く受けていたとのことだった。女性にしては珍しい傾向であった。母親は既にこの世に居ないため、実際に確認することはできない。

 

 マリーンドルフ伯が盆にグラスを2つ載せてやってきた。グラスの中には琥珀色の液体と球体の物体が入っている。マリーンドルフ伯が毎年作っている、梅の蜂蜜漬けから作るドリンク(と漬けられた梅)だった。元はといえば、マリーンドルフ伯の妻、つまりヒルダの母親が趣味で作っていたものだった。彼女が亡くなった後は、マリーンドルフ伯が梅の収穫とドリンクの作成を行っている。もちろん、外部の人間にこれを出すことはない。相伴にあずかれるのは、ヒルダを除けば古くからの執事や使用人ぐらいである(それも滅多にないことだが)。

 

 ヒルダはそのグラスを嫌そうに見つめた。このドリンクが別に不味いわけではない。それは分かっていた。梅の木がマリーンドルフ伯親子の思い出と濃厚にリンクしている。それも分かっている。だが、呼ばれた目的が目的だ。

 

 マリーンドルフ伯とヒルダはしばらく無言だった。マリーンドルフ伯の方がグラスの液体を二口ほど飲む。ヒルダは手をつけようとしなかった。

 

「お父様」

 

「なんだ。飲まないのか。好きだっただろう」

 

「そうですけどね。お父様は私にこれを飲ませるために、わざわざフェザーンから呼び戻したのですか?卒業研究がかかっているこの大事な時期に」

 

「……」

 マリーンドルフ伯は答えない。何か、時機をうかがっているようだ。

 

「もう。お父様がおっしゃらないなら私から言いますよ。どうせ結婚の話でしょう?この間、FTLライブ通話を強制切断したことをそんなに恨みに思っていらっしゃるの?まぁ、確かに私が悪うございましたが。で、どこから見合いの話が来たのですか?」

 

「分かっているなら話が早い」

 

「で、お相手は?」

 

「……そんなものはない」

 

「は?」

 ヒルダは口をぽかんと開けた。もちろん年頃の娘であり、門閥貴族の一人娘であるから、結婚話が舞い込んだことは一度や二度ではない。時期が時期なら皇后の話もあったかもしれない。マリーンドルフ伯爵家というのはそういう格式の家であった。

 

「お前が見合いで結婚するわけはないだろう。いや、その気なら明日にでも話をまとめてくるがな。どうせ話を用意したって、適当に理由をつけてぶち壊しにするのだから。私も暇ではないのだ。先日の帝都での大規模デモの後始末がようやく終わったと思ったら、今度はローゼンタールの工場で解雇反対のストライキの話が出てきている」

 

「もちろん聞いております。お父様のせいではないでしょう。解雇反対のストライキには、対象者に一時金を給付して、ラインフォルトの新工廠に引き受けさせればいいのでは。雇用対策基金にはまだ残高があるのでしょう?」

 

「おい」

 

「何でしょうお父様」

 

「誰から吹き込まれたのだそれは」

 

「私の思い付きですわ。私も新聞ぐらいは読みますわ」

 マリーンドルフ伯は大きくため息をついた。これがヒルデガルド・フォン・マリーンドルフである。貴族の子女なら興味を示しそうな物事(アクセサリ、ファッションや音楽、色恋沙汰を含めた社交等)にほとんど興味を示さず、幼い頃は野山を駆け回り、成長してからは政治や戦争の研究に没頭していた。愛読書はニッコロ・マキャヴェリ『君主論』では、話の合う友人がいるわけもなかった。18歳になってから、当たり前のようにフェザーンの自治州大学に留学を決め、マリーンドルフ伯が止めるのも構わず家を飛び出していった。

 

「……常に男だけが政治をするわけではないのだがなぁ。ヒルダ、男を相手にやりこめようとするのはやめておけよ。結婚とか色恋とかそういうのではない。風評というやつだ」

 

「分かっております。それで?」

 

「だからお前の胸中を聞くために呼んだのだ。心に決めた相手がいるのか」

 

「おりませんわ」

 

「では、興味のある人は?」

 

「それもおりません。今は卒業研究と卒業することだけで頭の中がいっぱいです」

 

「では、こちらから言うぞ。カストロプ家の四男はどうなんだ。丁度お前と同じ年だろう」

 

「本気でおっしゃってるのですか。ルーカス様は過去の人でしょう。使用人に狗をけしかける人のところに輿入れをせよと?」

 ヒルダの回答に、マリーンドルフ伯は、なんだ分かっているんじゃないかと心の中だけで呟いた。アンテナを張っているのはいいことだ。張ってないよりもずっと。

 

「レムシャイド伯の次男はどうだ。三つ上のはずで独身のはずだ」

 

「アントン様には決断力がありませんわ。虚栄心が強く情緒不安定、大事の前に身を惜しむ人と聞いております。そのような方と奈落の底に墜ちる気はございません」

 

「……」

 マリーンドルフ伯は黙った。同時に驚いてもいる。どうやらヒルダはヒルダで、自分の身の振り方をそれなりに調べていたのであろう。ならば、ヒルダの心中を把握しておかなければ。

 

「お父様、もう終わりですか」

 

「まだだ……シュライヒャー家の長男はどうなんだ。この間成人したばかりだが」

 

 

 

 マリーンドルフ伯は思いつく貴族の子弟、その名前をあげてみたが、ヒルダの方はいつもの調子で明快に却下してしまう。その中の何名かは既に結婚していることを逆に指摘されるありさまだった。そのやり取りを聞いている人がいれば、むしろやり取りに快感を覚える人がいるかもしれない。

 

「こうなったら、南朝の貴族の子弟から選ばざるを得ないぞ」

 

「冗談はおよしになって、お父様」

 

「では、カール・フォン・ブラッケはどうだ。年は少し上だが結婚していないはずだ。彼ならお前に口でやりこめられることはなかろう」

 

「お父様は格式などどうでもいいのですか」

 

「お前の花嫁姿が見られるのであれば」

 

「ブラッケ様は確かに頭の回る方ですが、私のような人間と一緒になって私が束縛するのは、国のためになりません」

 

「国のためよりも、お前自身のことを考えておくれ」

 

「お父様」

 

「書生論なら聞かないからな」

 

「いいえ、聞いていただきます。南朝クレメンス様がお倒れになってから二か月以上経ちますが、回復したという話は聞いておりません。南朝の政府は過労という症状しか発表しておりませんが、向こうのマスコミでは重度の脳梗塞という話が一般的です。それに対して何の取り締まりも行われておりません。つまりは、報道が間違っていないということです」

 

「……」

 

「もし、クレメンス様に何かあれば、帝国は大きく動きます。その時、間違えた決断をしていたらどうなるのでしょうか。その時悔いても遅すぎますわ」

 

「……で、クレメンス様に万一のことが明日あったとしたら、いつ動くのだ」

 

「それは分かりません」

 ヒルダはあっさり言い切った。

 

「それでは意味がない。ヒルダよ。世の中の動きに気を配るのはよい。貴族というのはそういうものだからな。だが、貴族が以前の威勢を失って随分と経つ。今や帝国はあの四大財閥が全てを仕切っている。私のやることといえば、彼らの後始末に過ぎん」

 

「お父様、それは言い過ぎでは」

 

「だから、今、この時点で自分の幸せを掴んでおくことが必要なのだ。帝国が大きく動こうと、お前なら十分疾風怒濤(シュトルム・ウント・ドランク)の時代を泳ぎ切ってみせようよ。泳ぎはまだやるのか」

 

「トライアスロンは略式であれば。いずれは完全(フル)にも挑戦してみたいですが」

 

「……まだやってるのか」

 マリーンドルフ伯はぼやいた。ヒルダはサンバーン体質なので、日焼けがほとんど肌に残らない。だからいくら野遊びをしても、それに気づく人は少なかった。

 

「ともかくもだ。お前がその調子なら、マリーンドルフ伯爵家はお前の代で断絶してしまうぞ」

 

「養子を取る話はどうしたのですか」

 

「それはやめにした」

 

「お父様──」

 ヒルダは眉をひそめた。マリーンドルフ伯がずいと乗り出す。

 

「いいか。この銀河広しとはいえ、マリーンドルフの名を持つものは二人しかいないのだ。お前と、私だ──」

 

 その瞬間、ぴしゃーんと雷鳴が鳴り響いた。随分と近い場所に雷が落ちたようである。照明もふっと消えた。どうやら停電が起きたらしい。照明そのものはしばらくして回復した。民政尚書公邸は比較的新しい建物なので、新無憂宮の他のブロックよりも電気のトラブルに強いのである。

 

「???おい、ヒルダ──」

 マリーンドルフ伯は周りを見回した。ヒルダの姿がない。しばらくして分かった。テーブルの下にいる。体を丸めてぶるぶる震えている。

 

 しばらくしてヒルダは起き上がり、何もなかったかのように椅子に座りなおした。

 

「ヒルダ、何の真似だ」

 

「子供の頃から雷というと、身を隠す場所にいつも迷います」

 

「馬鹿な。そんな猿芝居は、もっと意中の相手の前でやるものだ。私の前でやったって、何も出ないぞ」

 

「そうですか。では、もう一年お待ちくださいませんか。一年経てば卒業です。その頃には、世界が一変しているでしょうし」

 

「随分と確信があるようだな」

 

「確信はありません。予感です」

 ヒルダの言葉に、マリーンドルフ伯はふぅと息を吐き出した。まぁいい。今日だけで最後まで押し切れるとはマリーンドルフ伯も思ってはいなかった。ともかく、ヒルダが自分の身の振り方にまるで頓着していないということはない、それだけでも分かったのは収穫だ。

 

 

 

 マリーンドルフ伯はグラスを手に取った。一気に飲み干す。ヒルダは相変わらず手をつけようとしないので、ヒルダの方のグラスを手に取る。

 

「まったく、女が男と同じことをしようとするのはいいが、幸せになるのは難しいと思うのだがな。現実を見た方がいいだろうに。そんなに日常が不満なのかねぇ。ラインフォルトのところの一人娘のように」

 

「あら」

 耳ざとくマリーンドルフ伯の独り言を聞き取ったヒルダが振り返った。

 

「私のことは何とでもおっしゃって構いませんが、アリッサさんのことをそういう風に言うのは感心しませんわ。あの人は、心に決めた殿方がいらっしゃるはずですから」

 それを聞いたマリーンドルフ伯は、グラスを取り落としそうになった。

 

「何だと。本当なのか」

 

「本当ですわ。本人から聞きましたもの」

 

「誰なんだ、相手は。それは聞いたのか」

 マリーンドルフ伯の声は少々上ずっていた。アリッサというのはフランツ・ラインフォルトの一人娘である。当然ながらラインフォルト財閥、その後継者候補と思われていたが、これまた親と喧嘩別れして今は別居している。名前を変えて生活しているという噂だった。だが、その結婚話となれば、帝国中の関心事といっても間違いではないはずだ。何故今まで何の情報も漏れていないのだ。

 

「そこまでは。フランツ・ラインフォルト様かイリーナ様に直接お聞きになった方がよろしいのでは。恐らく知っているでしょうから」

 教えてくれるかどうかは分かりませんが。それでは失礼します──ヒルダは最後にそう付け加え、執務室を出ていった。

 

 ヒルダは父親に嘘をついていた。ヒルダは、想い人が誰なのかそれを知っていた。当の本人は懺悔の代わりに、それをヒルダに告げていたからだった。

 

 だが、それを父親に言ってしまったら、マリーンドルフ家を帝国内紛にまつわる陰謀に巻き込んでしまう、その確信もあったのだ。それはマリーンドルフ家の危機に他ならなかった。

 

 

 




次回タイトル

第十五話 祖国は危機にあり ~ 銀河帝国南朝の場合


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第十五話 祖国は危機にあり ~ 銀河帝国南朝の場合

参考資料1 銀河帝国星系図

 

【挿絵表示】

 

 

参考資料2 銀河帝国南軍宇宙艦隊 戦闘序列

 

【挿絵表示】

 

 

 

宇宙暦798年、帝国暦489年8月中旬──

 

 

 銀河帝国南朝、キフォイザー星域ガルミッシュ要塞は、南朝が保持する宇宙要塞で、ガイエスブルク要塞に次ぐ重要な要塞である。建造時期は、アムリッツァ要塞、ガイエスブルク要塞よりやや前だが、宇宙港の機能、自己防衛機能は十分すぎるほどにある。

 

 そして、南朝にとって欠くべからざる存在である。そもそもキフォイザー星域は、南朝首都のブラウンシュヴァイク星域と隣接しているのである。ここが失陥すると、ブラウンシュヴァイク星域は、オーディンから来る艦隊、シャンタウから来る艦隊の二つで挟撃されることになるわけだ。何としても保持しなければならない。

 

 昨年の後半から今年のはじめにかけて、この星域は大規模な攻防戦の舞台となった。帝国北軍が今度こそとばかりに、この星域に攻勢を仕掛けていた。南朝も総力をあげて防衛につとめ、どうにかこうにか撃退に成功した。いや、北軍が攻勢に飽きて撤退したと言った方が適切かもしれない。今年になってからの、どうにも統制の取れない散発的な攻撃を見ていると、そうとしか思えないのである。

 

 この要塞には、南軍の二個艦隊が駐留している。ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ大将率いる第五艦隊と、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少将率いる第七艦隊であった。後者は司令官の戦死により、新司令官として着任したばかりであった。本来は四個艦隊であるが、状態が比較的良い第六艦隊と第八艦隊は、フェザーン方面に進出し情報収集にあたっている。

 

 そのガルミッシュ要塞のメルカッツの私室に、ファーレンハイトが入ってきた。お互い、下級貴族出身のたたき上げ軍人であるため、年齢差はあったが二人はウマが合った。

 

「よく来てくれた」

 メルカッツはそう言うと、従兵に目くばせした。応接用テーブルに小さなショットグラスを二つ置くと、そこにグラス半分ほど、どろっとした透明の液体を注ぐ。メルカッツがグラスを一つ取ると、ファーレンハイトも当然のようにもう一つを手に取った。

 

「再会を祝して」

「祝して」

 二人は杯を飲み干した。中身はアルコール度数の高い火酒(シュナップス)である。まだ人類が地球という星のみで生活していた頃、寒い海の上で暖をとるための、船乗りの風習であったが、今は何の意味もない儀式のようなものだ。でも、メルカッツもファーレンハイトもこのような『船乗り』の風習にこだわる方だった。もちろん、量が少ないから酔っ払うことはない。従兵は飲み干したグラスを素早く片付けると、コーヒーを二人に置いて出ていった。

 

 そもそも二人は同じ艦隊の上司と部下だった。メルカッツは第五艦隊の司令官、ファーレンハイトは副司令官だった。ただ、補給その他をめぐるいざこざで、ファーレンハイトはメルカッツが止めるのも聞かず、上層部に直言を繰り返し、その報復としてフェザーンの航路帯警備司令という閑職に飛ばされたのである。本来は、もう少し早く、第七艦隊の司令官になる予定だった。ただ、昨年から今年にかけての北軍攻勢により第七艦隊は甚大な損害を被り、司令官も戦死してしまったため、ファーレンハイトとしては命拾いしたかっこうになる。

 

「こうして同輩として共に働けること、慶賀の至りだな」

 

「同輩なんてとんでもない。これからもご指導ご鞭撻を乞い願うところです、メルカッツ提督」

 

「万卒は得易く、一将は得難しだよ。ファーレンハイト君。フネは造ることができる。なんなら叛乱軍から買い付けてもいい。そのための政府予算もあるのだからな。だがな」

 それだけ言って、メルカッツはコーヒーを一口すすった。

 

「死地において動じない大将、それこそが今後必要となるのだよ。陛下の病いよいよ重く、その日はいつかやって来るのだ。その時に、卿の真価が問われるぞ」

 

「提督、滅多なことをおっしゃるものではない」

 ファーレンハイトが止めようとした。

 

「なに、心配ない。陛下のご病状は過労であると、宮内省はずっと言っておるが、もう誰も信用してはおらん。第一、もし、過労が事実であるとするならば、ご平癒祈願の記帳所が開設され、誰もかれもが押し寄せているこの現状をどう説明する?」

 メルカッツは口の端を歪めながらそう言った。ファーレンハイトは小さく頷く。

 

「北軍は、それに合わせて大攻勢を仕掛けるそうですな。キフォイザー星域の戦いが児戯に見えるような規模の。そうなれば我々はどうなってしまうのでしょうか。メルカッツ提督のお考えや如何に」

 

「まったく!ようやく敵を追い返して一息つけるかと思いきや、まだ敵には余力があるとみえる。あのシルヴァーベルヒという男は、ミサイルを無限に取り出すポケットでも持っているのか、そう思えるな。郷土防衛艦隊は、第五と第七は大きく傷つき、艦隊の体を為しておらん。第六と第八はまだ大丈夫だが、第八の司令はトゥルナイゼンの孺子(こぞう)、口舌の徒に過ぎん。とにかく使える連中からどんどん死んでいく」

 

「トゥルナイゼンには実績があります」

 

「そうだな。ただ、成り上がるというのはだな、あまり難しいことではないのだ」

 

「そうなのですか、メルカッツ提督」

 

「そうだ。他人の三倍の運を持っていればいいのだからな」

 メルカッツの冗談?にファーレンハイトはくすりと笑った。メルカッツにとっては、その何十年にもなる軍歴の中で、普通の人間の三倍、いやそれ以上の運を使ったであろう。

 

「だが、生き残り、こうやって艦隊を指揮する側になると、個人の運だけではやっていけん。トゥルナイゼンもいずれ分かるはずだ。まず、生き残った側としては、失った分の兵力をどこから戦力を集めてくるのか、それが問題だ。親衛艦隊は十分な戦力を持っているが、ガイエスブルク要塞とブラウンシュヴァイク星域をいったりきたりしているままでは意味がない。でも連中はそれでいいと思っておる」

 

「そのことなんですが」

 ファーレンハイトは少し声を潜めて言った。

 

「何だね」

 

「昨日、ガルミッシュ要塞宇宙港の士官から妙な噂を聞きました。何でも、リッテンハイム侯の第三艦隊から五千隻を割き、郷土防衛艦隊の補充を行うと。そのための受け入れ準備を行っているそうです」

 

「何と」

 メルカッツは目を瞠った。もちろん完全充足にはまだまだだが、五千の艦艇を一気に補充してもらえるのが事実なら、またとないプレゼントと言っていい。

 

「真実はいずれ明らかになろうが、一体どういう風の吹き回しなのだ。ブラウンシュヴァイク公ならまだ分からんでもないが、リッテンハイム侯だぞ。今まで戦力の供出を頑なに拒んでいた方ではないか。まぁ、理由は分からんでもないが」

 

 

 

 北軍が財閥の支配する軍隊であるとするなら、南軍は門閥貴族、それもブラウンシュヴァイク公の支配する軍隊と言える。南軍の艦隊は八個艦隊で編成されているが、帝都親衛艦隊と呼ばれる第一~第四、郷土防衛艦隊と呼ばれる第五~第八に分けることができる。

 

 この二つは担当区域が一応決まっている。帝都親衛艦隊が、首都ブラウンシュヴァイク星域とガイエルブルク要塞のあるアルテナ星域、マールバッハ星域とリッテンハイム星域の防衛を担当し、郷土防衛艦隊はそれ以外、ということになる。ただ、帝都親衛艦隊が危うい時は、郷土防衛艦隊を指揮下に組み込むことが「決められている」のに対し、郷土防衛艦隊が危機に瀕しても、帝都親衛艦隊に増援を「要請することができる」だけなのである。事実上、郷土防衛艦隊は独力で何とかしろ、そう言われているのだった。

 

 補給や整備についても同様である。優秀な艦艇が回されたり、優先して補給・整備が行われるのは帝都親衛艦隊の方である。ただ、郷土防衛艦隊もガルミッシュ要塞を拠点に有しているから整備もできず明日をも知れない状態というわけではない。一応念のため。

 

 ただ、帝都親衛艦隊の方にも問題がないか、というとそういうわけではない。帝都親衛艦隊は4個艦隊から成るわけだが、

 

・第一艦隊司令官 ミュッケンベルガー元帥

・第二艦隊司令官 ブラウンシュヴァイク元帥

・第三艦隊司令官 リッテンハイム元帥

・第四艦隊司令官 フレーゲル中将

(第二艦隊、第三艦隊は副司令官が事実上の司令官)

 

 という構成になる。帝都親衛艦隊を差配するのは、宇宙艦隊司令長官も兼ねているミュッケンベルガー元帥であるが、門閥貴族が司令官である他の艦隊に自由に手が出せるわけではない。結局、方針一つ決めるたびに政治的取引が行われることになる。ブラウンシュヴァイク元帥とフレーゲル中将は伯父甥の関係であるため政治的な仲違いはないが、ブラウンシュヴァイク=フレーゲル連合と、リッテンハイムは常に角突き合わせる関係にある(これに、ブラウンシュヴァイク与党に所属できない反主流派貴族の支援がリッテンハイムにはある)。大体この四者で何かを決めることになると、ブラウンシュヴァイクが案を出し、フレーゲルが同調し、リッテンハイムが反対してかき回す。そしてミュッケンベルガーは風見鶏、結局決まりそうで決まらない、というのがいつもの光景であった。

 

 それが、リッテンハイムが自ら動いたというのである。それも自身の政治的リソースである艦隊戦力を供出するという行動を、である。

 

 

 

「一体どういう風の吹き回しか、自分にも理解できませんが、いずれにせよくれるものはもらっておかないと」

 ファーレンハイトが答える。

 

「そうだな。リッテンハイムがそういう行動に出た以上、ブラウンシュヴァイクやミュッケンベルガーもそれに続くかもしれない。なれば、郷土防衛艦隊の充足は八割がた完了する。だが、そういうことになると」

 

「ええ。北軍の『ラグナロク』とやらは、未来の現実ということですね。空想ではなく」

 メルカッツの言葉にファーレンハイトが続ける。

 

「北軍の全力攻勢が想定通り実施されるとなると、アムリッツァ、シャンタウの軍管区艦隊をこちらで引き受けなければならなくなる。合計で5個艦隊か。きついが何とかせねばならん。さすがにオーディンの4個艦隊は向こうで何とかしてもらうがな。いや、一個艦隊ぐらいは差し出せと言ってくるかもな」

 

「ですな」

 

「いずれにしても、親衛艦隊から一万隻が来るにしても、リッテンハイムが五千隻を差し出すにしてもまだ、確定の話ではない。こちらはまず、やれることをやらなければならん。ファーレンハイト君、フェザーンからの『船舶』の買い付けについて何か聞いておらんかな」

 

「それがですな」

 ファーレンハイトは言った。

 

「フェザーンの知り合いによりますと、自由惑星同盟は『船舶』の取引を縮小させようとしているようです。条件闘争かと思いましたが、どうもそうではないらしいと聞いています」

 ファーレンハイトは困惑しつつも答えた。フェザーンに赴任していたファーレンハイトは、この手の同盟との取引に関する情報収集先を作成することに成功していた。本来なら、南朝の弁務官事務所が公開すべき情報であったが、こういう情報の行き先が限定されていることも、南軍が力を発揮できていない理由の一つである。

 

「叛徒共は何を考えておるのかな。ここで我々が負ければ、困るのは向こうだろうに」

 

「ですな」

 メルカッツの言葉にファーレンハイトはうなずく。ちなみに、『船舶』というのは、ただの船舶ではなく、戦闘艦に極めて近いスペックを持つ輸送船のことを指す。輸送船にしては速力が高すぎ、装甲が厚すぎ、センサー・レーダー等の情報収集機器が充実し過ぎている種類の輸送船がこれにあたる。同盟側では、宇宙海賊の脅威がある、治安が悪い星域用の船舶、ということで輸出しているが、もちろん表向きだけのことである。南軍としては、これに武装を搭載すれば駆逐艦や護衛艦(コルベット)砲艦(ガンシップ)が完成するのである。『船舶』の購入は戦力の充実に必要不可欠だ。その買い付けが難航しているのである。

 

「どうも向こうも困惑しているらしいのですよ。突然製造ラインが他へ転用されたらしい、向こうの担当者はそういうことを言っています。購入量は昨年の六割程度になりそうです」

 

「六割か……親衛艦隊から増援が来なければ、どうなっていたことか」

 メルカッツはため息をついた。

 

「決戦は避けられないとなれば、我等は我等の為すべきことを為すのみ。後は天に任せるしかありますまい」

 

「まだそう捨て鉢になる段階ではない、ファーレンハイト君。だが、北も、ガイエスブルク要塞に籠るモグラも、そして叛徒共も何かを感じているのに、我々には何も知らされず、我々は右往左往、全く情けないな!」

 メルカッツはカップのコーヒーをぐいっと飲み干した。もう既に冷めきっている。少し空調を弱くした方がいいかな、メルカッツはそう思った。

 

「捨て鉢になるべきではない、のでは?」

 

「そうだ。だがファーレンハイト君。努力というのは質・量どちらも大事だが、それに劣らず方向性というのも大事だ。我々の奮励努力が無駄になるならまだしも、マイナスだったとしたら、それは死んでもやりきれんとは思わんか。例え矢尽き刀折れたとしても、せめて何かのプラスのために死んだ。そう思いながら死にたいものだ」

 

「……」

 ファーレンハイトは何も答えられなかった。恐らく、皇帝陛下が崩御した結果、それをきっかけに大きな混乱が起こることは避けられない。そこでどのように立ち居振る舞うか、そこが問われてくるというわけだ。さて、自分は、いや、我々は、後世の人間に後ろ指を指されないような生き方、死に方ができるであろうか?

 

 

 

 同じ頃、南朝首都ツォンドルフ、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)(南朝)、宰相執務室──

 

「伯父上はそれでよいのでございますか!」

 

「まぁ、まずはお前が落ち着け。フレーゲル。そのような湯沸かし状態で話ができると思うのか」

 執務室では二人の男が居る。片方の若い男が、もう片方の恰幅の良い中年男に掴みかかっている構図である。フレーゲルと呼ばれた方が若い男である。中年男は、南朝の最高指導者であるブラウンシュヴァイク公オットー、若い男は、ブラウンシュヴァイク公の甥であるフレーゲル男爵であった。

 二人が議論しているのは、先程終わった親衛艦隊の会議である。議題は、ブラウンシュヴァイクとフレーゲルの艦隊から、どれだけの戦力を割いて郷土防衛艦隊に回すか、ということであった。

 

 会議はと言えば、終始リッテンハイム侯に振り回されっぱなしであった。実は今回の会議の前、二週間前に開かれた会合で、親衛艦隊全体でどれだけの戦力を郷土防衛艦隊に回すか、それが話し合われた。

 

 郷土防衛艦隊(つまりはメルカッツ)から出された要求は15000隻。これは、傷ついた郷土防衛艦隊の再建を行うために必要な戦力だということであった。もちろん、現実はどうであれ、この要求はあまりに過大というのが会議内の共通認識であった。まずは、この要求を値切るところから始まった。15000隻は多すぎる、10000隻でも多すぎるぐらいだ、いやいや7000隻でも問題あるまい、いや、こちらも苦しいのだから5000隻ぐらいで我慢してもらうしかない。

 

 そんな中、議場にリッテンハイム侯の怒声が響き渡った。

 

「諸卿、勇戦し、大きく傷ついている郷土防衛艦隊に対しその態度は何であるか。先日の会戦では郷土防衛艦隊が専ら戦い、卿らは何をしていたか。オーディンの敵艦隊がガルミッシュ要塞に殺到しているその時、ガルミッシュ要塞に征こうと主張していた者がこの席にいるだろうか!」

 リッテンハイム侯の発言に、ブラウンシュヴァイクはじめ参加者はぽかんとした。確かに首都防衛を名目にガルミッシュへの増援を拒んでいたのは事実であるが、リッテンハイム侯とて増援を主張していたわけではないからである。

 

「諸卿が15000隻の要請に対し5000隻を差し出してそれでよし、本気でそう思っているのであれば、我が艦隊から5000隻を出すことにしよう。郷土防衛艦隊司令部にはそう伝えたまえ。さて、この危急の時に諸卿らはふんぞり返って何も思わないのか」

 リッテンハイム侯の発言により会議は紛糾し、そのまま会議は散会となった。ただ、リッテンハイム侯のこの発言に、第一艦隊司令官のミュッケンベルガー元帥が反応してしまったのである。リッテンハイム侯だけに犠牲を押し付けていいわけではない。他の艦隊もそれなりの戦力を供出すべきである、と。

 

 面倒なことになった、ブラウンシュヴァイクはそう思った。

 

 ただ、無視するわけにもいかなかった。ミュッケンベルガー元帥は宇宙艦隊司令長官を兼任している。当然、郷土防衛艦隊も指揮下にある。その元帥が、郷土防衛艦隊の窮地を見て見ぬふりをするというのはできない相談だった。そして、ブラウンシュヴァイクもフレーゲルも、ミュッケンベルガー元帥の指揮下にあるわけだから、彼に乞われて何もしないということになれば、一体どのような報復が(戦時に)行われるか分かったものではない。

 

 話を戻すが、今日の会合はリッテンハイム侯を除く他の三名がどれだけの戦力を差し出すか、そういう話し合いであった。会合の結果は、各々2500隻を郷土防衛艦隊への増援に出す、ということであった。これで合計12500隻である。要求に対して異例の(ほぼ)満額回答であった。さらに話を戻すと、リッテンハイムのせいで2500隻も戦力を差し出す羽目になったことについて、フレーゲルはブラウンシュヴァイクに噛みついているのであった。

 

「2500隻ですぞ。首都の工廠がフル回転しても回復には半年かかるでありましょう。親衛艦隊が元通りになるには二年は見ないとなりません。北軍はそれまで待ってくれないでしょう。それも……」

 フレーゲルはそこまで言って口ごもった。南軍は、皇帝クレメンス二世の崩御、その直後に北軍の攻勢が行われると想定している。簡単に言えば、戦力が回復するまで皇帝が生きていてもらわないと困るのである。だが、陛下は二年も生きてはいないだろう、そう心中で思っていてもおいそれと口には出せない。

 

「フレーゲル」

 ブラウンシュヴァイクは静かに言った。

 

「お前の懸念も分かる。だが、今の我々にはその前にやることがある。我々は備えなければならぬ」

 

「だから2500隻など供出すべきではないと」

 

「その備えではない──」

 ブラウンシュヴァイクはフレーゲルを睨みつけた。フレーゲルは黙る。

 

「実はな。アンスバッハにはしばらく調べものをさせておる。ゴールデンバウム朝、いやそれ以前からの共和制の体制をだ。報告も受けておる」

 

「一体何を」

 フレーゲルはそれ以上言葉が出なかった。というか、側近のはずのアンスバッハを最近見ないと思ったらそういうことだったのか。それにしても共和制とは!

 

「そう驚くな。陛下に万一のことがあった時の、備えをしておるのだよ」

 

「何の備えですか」

 

「陛下が我等の進言をお聞き届けになるのであれば、このような備えなど無用だ。だが、その可能性は無きに等しい。となれば、次善の策を用意せねばならん。跡継ぎのいない世の中のための備え、だ」

 フレーゲルは息を呑んだ。確かに、今の皇帝クレメンス二世は、跡継ぎを決めないままにこの事態となった。今の宮廷のパワーバランスから考えると、跡継ぎはクレメンス二世の娘とブラウンシュヴァイク公の間に生まれた女子エリザベートしかあり得ないからだ。だが、それでは門閥貴族で抜きんでた実力を持つブラウンシュヴァイク公がその地位を固定化することに繋がる。そこから帝位の簒奪は一直線だ。ブラウンシュヴァイク公がそれを望まないと言っても、周囲が信じようとはしない。結局そうなる。

 

 帝位を他に渡したくない。だが、簒奪するために無理筋を通したと「見なされる」ことは避けねばならない。そうなってしまっては政局をコントロールすることが困難になってしまう。

 

「帝位を『自然に』エリザベートに継承する手段だ。それを考えている。戦の準備も良いが、それを蔑ろにしていては戦うこともできん」

 

「……確かに必要ではございますが、典礼省に問い合わせるべきではないのですか」

 

「典礼省だと」

 ブラウンシュヴァイクは吐き捨てるように応じた。

 

「典礼省を動かしてみろ。リッテンハイムにつけ入る隙を与えるだけではないか。こういうのはな、最初に文句のつけようのない正解を用意しておき、典礼省の役人共にはサインをさせるだけでいいのだ」

 

「確かに」

 

「まぁ調査は続けるが、私は諸侯会議がいいと思っている」

 

「諸侯会議」

 フレーゲルはオウム返しに応じた。

 

 諸侯会議というのは、崩御した皇帝の後継者を決める会議である。ただ「諸侯会議」という名称があるわけではなく、皇太子無く崩御した皇帝の後継者を、諸侯が集まって話し合いして、最終的に万歳の歓呼のもとに新皇帝を奉戴する一連のイベントがそう通称されているだけである。まぁ、皇太子はいないけど次の皇帝は決めなければいけない。どうしようどうしよう、という貴族達の右往左往をもっともらしい言葉にすれば「諸侯会議」ということになる。

 

 問題は諸侯会議の根拠となる法律がどこにもないことである。まぁ、必要なのは新皇帝に対する万歳の歓呼なのであり、それが実現するために何が必要なのかは曖昧にしておいた方が帝室にとっては都合がいい(下手に法律を整備したら、合法クーデターが頻発しかねないからだ)。

 

「諸侯が集まって、新たな皇帝陛下を奉戴する。これなら、文句が出ることもなかろう」

 

「ですが、それでは尚更リッテンハイムめにつけ入る隙を与えるのではないのですか」

 

「諸侯、がお前の考える通りであれば、だ。だが、高位の貴族だけが諸侯ではない、そうなればどうだ?」

 

「いやそれは……」

 フレーゲルは眉をひそめた。いくらなんでも、それは「諸侯」という用語の拡大解釈が過ぎる。侯という言葉は、王から直接領土を与えられた大貴族のことだ。古来よりそこに拡大解釈の余地はない。

 

「皇帝陛下がそう仰せになられたのであれば?」

 

「……」

 ブラウンシュヴァイクの言葉に、フレーゲルは思わず視線を逸らした。内心、聞いてはいけないものを聞いてしまったと思っている。

 

「もし仮にだ、陛下が『広く会議を興し、万機公論に決すべし』、そう仰せになられたのであれば、我等もそれに応え、広い会議をやらなければならん。諸侯だけで内密に決めてはいけないのだ。そうだろう?」

 

「確かにそうですが……いくらなんでも陛下が」

 フレーゲルは口ごもった。脳梗塞で意識不明の状態にある皇帝陛下が、むくりと起き上がってそのような詔勅を下す可能性などゼロに等しい。

 

「陛下には、侍医がついておる。二十四時間ずっとだ。そして、陛下のご病状は稀に回復することがある、それも分かっておる」

 

「……本気ですか」

 フレーゲルは呟いた。ブラウンシュヴァイクは詔勅を偽造する、そう言っているのと同じだった。

 

「しかし、詔勅には国璽の認証が必要です。伯父上は国璽を持ち出す権限がありますが、持ち出しっぱなしというわけには参りますまい」

 

「鈍い奴よ。何か陛下が仰せになれば、侍医はそれを聞き逃すわけにはいかぬ。紙に書き留めもするだろう。それがあればどうなる?」

 フレーゲルははっとした。詔勅の形式を整えていなくとも、ちゃんとした根拠があればそれの影響力は十分ある。だが──

 

「しかしそれでは、会議の中で詔勅の有効性が議論されることになりますが。侍医に口止めなどできるわけがありません」

 フレーゲルの内心にある何かが、フレーゲルを焦らせる。知らず知らずのうちに、早口になっている。

 

「侍医には陛下のお供をしてもらうしかあるまい」

 ブラウンシュヴァイクはぼそっとそれだけ言った。お供をして行く先はもちろん天上(ヴァルハラ)である。

 

「そしてエリザベートは皇帝に相応しくない、という声が当然出るであろう。女帝は先例がないからそうなる。ならば、諸侯会議が輔弼していく、というわけだ」

 

「伯父上……」

 フレーゲルの背筋が震えた。流石にそこまでシナリオ通りにいけば、ブラウンシュヴァイク一族の権力は未来永劫に続くだろう。帝冠と内閣はお飾りになり、諸侯の話し合いが全てを決める、というのは表向き。実際は最大与党が終始話し合いをコントロールできるわけだ。弱小野党を叩き続けていけば、与党としての勢力を維持し続けることもできる。こちらには権力も財力もある。あのリッテンハイムとてただの一諸侯となり、立ち枯れの未来が待っている。

 

「だからな。北軍よりもまずはリッテンハイムだ。まだあ奴は教師の真似事をしているのか」

 

「はい。いつもと変わりないと聞いております」

 

「一体何をかんがえておるのやら。こそこそ動き回る方がまだ尻尾を掴みやすいものを。いいか。奴から目を離すんじゃない。フェルナーにもそう言っておけ」

 

「了解いたしました」

 リッテンハイムについては、極めて有力な情報源を確保しています。ご安心を。

 フレーゲルはそう続けた。

 

 

 

 リッテンハイム侯ウィルヘルム三世──

 

 帝国南朝で重きをなす、門閥貴族の重鎮の一人、リッテンハイム侯爵家の現当主である。年齢は四十代後半、脂ののった年頃と言っていい。

 

 ただ、本人はそのような周囲の期待をよそに、楽隠居のような生活を送っていると言われていた。政府の公職はほとんど辞任してしまい、士官学校の理事職のみがリッテンハイム侯の仕事である。ただ、理事だけでは飽き足らないのか、1時限だけだが授業も担当している。担当する科目は「帝国史」、授業内容は教官、学生からおおむね良好な評価を得ている(但し、教官の一部からは「帝国史の授業は、貴族のスキャンダルを開陳する場所ではない」というコメントが寄せられている)。

 

 士官学校の理事の職を、当人は真摯に遂行しており、行事のほとんどに出席している。学生とは極めて良好な関係にあり、極めて気さくで話しやすい人物であると言われている。八年の長きにわたり理事職にあるため、校長よりも有名人であるとの専らの評判。座右の銘は「一致団結(フィリブス・ウニティス)」。当人のスピーチにあまりに頻繁に登場するため、学生の間では「スピーチに何回一致団結が出てくるか」で賭けが行われているとの噂もある。士官学校の卒業生とも友好関係にあり、貴族・平民と分け隔てなく相談に乗ったりしているそうであった。

 

 

 

 南朝首都ツォンドルフ、リッテンハイム侯爵邸──

 

 豪奢な木製の椅子に座るリッテンハイムは、極めてしめつけの緩い上下しか着ていない。まぁ、ここは私室であるから裸でも問題ないのだけど、表の顔のリッテンハイムしか知らない人からすれば、ひどくだらしないように見えるだろう。

 

「ご容体はいかがでございましたか」

 コーヒーを入れに来た執事が尋ねた。リッテンハイム侯に仕えて二十年以上になる執事だった。プライベートな話も比較的自由にできる程度の付き合いである。リッテンハイムは、皇帝クレメンス二世が入院している病院に面会に行き、ついさっき帰ってきたところであった。

 

「なんどか声をおかけしたが、何もなかった。医師の話によると、時々反応を示されることもあるそうだが。体調を鑑みるに、思い切った手術も難しいらしい」

 

「依然、ご回復の可能性は極めて低いと」

 執事の言葉にリッテンハイムは黙ってうなずいた。

 

「陛下のご容体、万一のことがあれば帝国は支柱を失う。祖国はまさに危機にあり、だな」

 

「おいたわしいことにございます」

 執事は身を震わせた。

 

「確かにおいたわしいことではある。だが、我々は萎縮してはならん。帝国はこれからも続く。永遠に続くのだ。気落ちしてはならない。一致団結して難局を乗り切らなければならない」

 

「ですが、皇帝陛下がお倒れになってからこのかた、民草の動揺は深刻でございます。誰もが、将来どうなるかを噂しております」

 

「で、あるか。まぁ、民草だけではないわ。あのブラウンシュヴァイクめも、渋い顔をして歩き回っておる。ブラウンシュヴァイクだけではない。誰も彼も浮足立っておる。一致団結して事に当たらねばならないこの時に、だ」

 リッテンハイムは口の端を歪めた。

 

「旦那様は」

 執事はおずおずと聞いた。

 

「何だ」

 

「心配ではないのですか」

 

「……全く心配はしておらん」

 執事は不審そうな顔をした。民衆の不安は、皇帝が病床にあり、政変待ったなしの状況にあることもそうなのだが、何より戦況が不利なことにある。昨年から続いた北軍の攻勢は何とか押し返したが、損害は大きく、いつまで持ちこたえられるかどうか分からない。

 

帝都(ツォンドルフ)の雀は、明日にでも北軍どもが帝都にやってくるようなことを言っておる。だが、誰も気づいておらん。北軍、いや、北朝には大事なものが欠けておる。勝つために必要なものが、だ」

 

「……」

 

「これは教鞭を執ってみて確信したことであるが。まず、試みに問おう。国というもので、一番必要なものは何であろうか」

 

「必要、でございますか」

 執事はしばらく考えて、わかりませぬ、と答えた。

 

「国にとって一番必要なもの。儂の考えだが、それは『秩序』だと思う。一人の農夫がいたとして、一年働けば、働いただけの収穫を手にできる。秩序があればそうなる。だが、秩序がなければそうはならん。盗賊が、収穫を根こそぎ持っていくとしたら、秩序が存在しないということだ。わかるな」

 執事は頷いた。恐らく反射的に。

 

「もし秩序が存在しなければ、人は秩序を求める。国が秩序を与えないのならば、民は別のものに秩序を求める。さすれば、国は存在する意味がなくなる」

 

「北朝には秩序がないということですか」

 

「ない。考えてもみよ。北朝で一番力を持つのは、(宰相の)リヒテンラーデ(侯)でもなく、もちろんリヒャルト様でもなく、財閥だ。自明のことだ」

 

「それと秩序に何の関係がございますか」

 

「まだ分からぬか。財閥は秩序を受け入れておらん。国から取るものだけ取って、秩序の構築に協力しようとしておらん。だから駄目なのだ」

 

「……」

 執事は黙った。いつものやつが始まった、という思いである。独演会モードに入ったリッテンハイム侯はしばらくは止めても無駄である。

 

「古代、ある国があって、そこにはある勇者が居た。その男は武勇に優れ、大金持ちで、広大な領地を持ち、沢山の兵士を指揮していた。ある時、王がその男に貴族の位を与えると言ったそうだ。しかし、男は断った。どうなったと思う?」

 

「王は暗殺者を差し向け、その男を殺したのだ。王は、その男の部下を抜擢し、男が持っていた金、領地、兵士全てを与えた。そしてその部下は貴族となった。これが秩序だ。国の全てが手を携え、共に同じ道を歩むことが秩序だ。人によって考え方が違うのであれば、何を信じていいか分からん。これでは秩序は成立せんのだ。ああ、話を戻すぞ。北朝は、リヒテンラーデが宰相として支配をしている、ということになっているが、財閥の専横になすすべを知らぬ。オーディンでは暴動が起き、帝都の名は地に堕ちている。これが秩序の名に値しないことは言うまでもない」

 

「ならばこそ、我らが秩序を回復する。北と南、分かたれた二つの家が再び一つとなる。秩序を回復した帝国は無敵、潜在力を縦横に発揮し、次は叛徒共を鎧袖一触とするのだ」

 

「今、なんとおっしゃられましたか……」

 執事は混乱した。単純に解釈するならば、リッテンハイムの発言は誇大妄想、いや、錯乱としか思えないものだ。

 

「古来、分かたれたものはいつか、元に戻るのだ。今がその好機ということだ。統一だよ、統一。帝国は再び元の姿を取り戻すのだ。統一によって」

 

「ですが旦那様」

 

「うん?」

 

「今の軍には、あの北の連中を駆逐する実力がある、ということなのでしょうか」

 執事は慎重に、言葉を選んで話す。不用意に地雷を踏むわけにはいかない。

 

「統一に軍など必要とせん。単純なことではないか。陛下に万一のことがあれば、リヒャルト様を奉戴申し上げる。それだけのことだ」

 

「……」

 執事の膝が細かく震えだした。今度は誇大妄想や錯乱では済まされない。

 

「既に話はついておるのだ。もちろんリヒテンラーデではないぞ。向こうの財閥共とだ。リヒテンラーデといくら約束しても空証文のようなものだが、財閥とは取引ができる。それに北軍とも裏で手は握っておるのだ。帝国は統一し、統一政府ができて、そのトップに我々が就く。我々、財閥、軍の連合政権だ。リヒテンラーデ、自分こそが帝国の宰相と思っているのであろうが、誰もついてきていないことが分かっておらんようだな。ある日突然カードが全て裏返った時、あやつがどんな顔をするのか見てみたいものだ」

 

「だ、旦那様……」

 執事は全身震えている。

 

「どうした。そんなに震えて。風邪か?」

 

「い、いえ……」

 

「そうか。儂の言うことが信じられぬかな?」

 

「滅相もない!」

 執事の声は裏返っている。

 

「そうだな。信じられぬのも無理はなかろう。かつて帝国一の大貴族とも呼ばれたリッテンハイム。だが、権威をブラウンシュヴァイクに掠め取られ、今はこの惨めな有様、父、祖先に申し訳が立たないというもの。だが、鳥の鳴き声を聞きたければ、鳴くまで待たなければならん。その時はもうすぐだ。まぁ、今の儂は気分が良い。手持ちの切り札を一つ、見せてやろう」

 

「……」

 

「ラインフォルトの当主には、娘が一人おる。いろいろあってな、今はフェザーンに住んでおるそうだ。これが切り札だ」

 

「???」

 執事は首をかしげた。内心、話題が逸れてくれたことにほっとしているが、財閥のプライベートに何が関係するのであろうか。

 

「一朝有事の際、我々がこの娘を『保護』する。ラインフォルトでも、北軍でもなく、この我々が、だ」

 

「まことにございますか」

 執事の中で全てが繋がった。どんな経緯かは知らないが、財閥は人質を差し出し、その代償としてリッテンハイムは南朝を差し出そうとしている。ということは、南朝をブラウンシュヴァイクから奪取する『手段』を考えているということだ。それにしても何故、ラインフォルト財閥は自らの後継者を、手の届かぬ所に置いているのであろうか?

 

「いろいろと障害はある。だが、我々は必ずやり遂げる。何故なら、これは天が我に与えた役目だからだ。統一は我々の、民草の意志ではないのだ。天が我に命じているからだ。何故だか分かるか」

 執事は首を振った。

 

「ラインフォルトの娘。近々結婚するらしい」

 

「左様にございますか」

 またも話題が切り替わったので執事は混乱した。人はいろんな理由で結婚する。しかし、帝国を代表する大財閥の一人娘とはいえ、結婚話と今の件、何が関係しているのであろうか。

 

「相手は誰だと思う」

 執事がしばらく何も言わないので、リッテンハイムは声をひそめて話し出した。

 

 

 

 リッテンハイムの私室を辞した執事は足早に廊下を歩いていた。リッテンハイム本人から聞いた話は、今まで聞いたことのないものばかり。そして、好々爺然しているようにしか見えなかったリッテンハイムがあれほどの野心を持っていたとは。そして、ラインフォルトの一人娘の結婚相手がそのような男だとは!

 

 是非、伝えなければならなかった。自分はこの時のために居たのだから。リッテンハイムは本気だ。いや、既に行動に移っているとしか考えられない。

 

 八月の刺すような日光も、青く繁る草木も、今の執事には何も気にならなかった。緊張のあまり見えるものがモノクロに感じるほどだった。あれほどのことを聞いてしまっていては、今の自分の生命は危ういと考えざるを得なかった。だからこそ、行動に移さねばならなかった。それも今すぐに。

 

 不幸なことに、執事の懸念は当たっていた。

 

 その日の夜未明、警邏中の治安警察が、水死体を発見した。帝都を流れる川に浮かんでいたのを発見したのだった。

 

 水死体は、執事だった。

 

 

 

 宇宙暦798年、帝国暦489年8月下旬

 惑星フェザーン、アルベリッヒ工業デザイン研究所──

 

 

 

 そのオフィスは、高層式の高級アパート、その一室を改造して作られていた。部屋の中は整頓、掃除も行き届いているものの、3Dディスプレイに端末、人間の大きさほどもあるモックアップ、スケッチ用の机に事務作業用の机、いろんなものが置かれていて思ったよりも圧迫感があるかもしれない。

 

 部屋に居るのは二人の女性、二人とも若い女性である。事務作業用の机に座っているのは、金髪ロングヘア―に赤い瞳、ベージュのパンツルックのジャケットにピンクのブラウス姿の女性である。

 

「シャロン」

 

「何でしょう」

 シャロンと呼びかけられた女性の方は、藤色の腰まで届くロングヘア―と藤色の瞳を持ち、いかにも秘書然としたネイビーのテーラードジャケットを着こなしている。

 

「例の雑誌の原稿、あがったから送っておくわ。チェックの後、先方に送って頂戴。あと、この仕事は割に合わないから継続はしない方向で」

 

「かしこまりました」

 シャロンはぺこりと頭を下げると、別室に退がろうとした。

 

「ねぇ、思うんだけど。何故こうして本業と違う仕事をしなきゃならないのかしら。最近はまともに仕事も進みやしない」

 

「仕事に支障が出ないようにスケジュールは組んでいるはずですが。アリッサお嬢様」

 

「ということは仕事がないということ?」

 事務机に座っている方の『アリッサお嬢様』はひどく面白くなさそうに、ペンをくるくると回した。

 

「そこまでは言っておりません」

 シャロンは淡々と答える。アリッサとしてはシャロンとの付き合いは長いが、未だに彼女の本心というか本質を垣間見たことはない。

 

「今は人脈を広げる必要があるかと。今のお嬢様は、仕事の実績よりも外見的な魅力の方がアピールに有効と考えております。もちろん、与えられた業務(ビジネス)をこなすことが前提ですが」

 

「はぁ、やんなっちゃうわね。女の魅力で仕事を取ってこいと。頑張って表彰もしてもらったんだけど、賞だけでは駄目ってこと?」

 

「賞のおかげでスタートラインには立てています。賞がなければ、顔を売ることもできないでしょう。会長の名前を出して──」

 

「ストーップ!」

 アリッサは大声を出した。

 

「その話はなし、そう決めたはずよ。一体いつになったら守ってくれるのかしら」

 

「私はそのような話を受け入れたつもりはありませんが。事情についてはお話しているはずです」

 

「……シャロン。全く面白くない現実ね」

 

「期待の若手工業デザイナー、アルベリッヒ工業デザイン研究所所長、アリッサ・アルベリッヒという存在そのものが現実逃避ですから仕方ありません」

 

「シャーローン」

 

「甘えても無駄です。クライアントとの打合せがあります。そろそろ出発しないと」

 

「……分かったわよ」

 アリッサは肩を落とした。

 

 アパートから直通エレベーターを通って二人は地下に降りる。エレベーターの出口には、既に黒塗りの地上車が待機していた。運転手は斜に構えて腕組みをしていたが、二人を認めるとぺこりとお辞儀をした。シャロンが後部座席のドアを開けると、アリッサは車に乗り込み、その後シャロンも乗り込んだ。

 

「シャロン?」

 

「何でしょうか」

 

「何なのあれ。パウルはどうしたの」

 アリッサはわずかに顎をしゃくった。運転席の運転手を指していることは明らかだった。昨日まで勤務していたはずの運転手が居なくなっているということであった。後部座席と前の席には仕切りがあるから、こちらの言葉が前に聞こえることはない。

 

「退職しました」

 

「退職?」

 

「実家の親が病気になったそうで」

 

「……そうなの。それはそうと、あの運転手大丈夫なの?まだ子供じゃない」

 

「運転の腕前は問題ありません。紹介者にも太鼓判を押されています」

 

「あらそう。まぁいいわ。貴方が分かっているなら」

 

 シャロンはインターホンを押した。それを押している間は運転手との会話が可能となる。シャロンは運転手に言った。今日は初めてだから挨拶をお願い、と。

 

「カリンです。よろしくお願いします」

 新運転手の挨拶はたったのそれだけだった。それだけなのに、ずいぶんとぎこちない話し方をするのね。アリッサはそう思った。

 




次回タイトル

第十六話 血塗れのヤン(ブラッディ・ヤン)(上)


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第十六話 血塗れのヤン(ブラッディ・ヤン)(上)

 宇宙歴798年9月10日 午前11時より少し前──

 

 自由惑星同盟、首都星ハイネセンには十二のコロニーが周回している。これらは軍の設備として使用されており、宇宙艦隊の停泊・整備に使用されるコロニーもあれば、技術開発の拠点として使用されているコロニーもある。そして、軍人の教育、研究専用のコロニーもある。

 

 その部屋は、一般的なオフィスビルの会議室と大して変わらなかった。コの字型に机が配置され、椅子がそれに対応するように置かれている。机の上には端末が置かれており、それを使用する主人を待ち受けているようだ。机が置かれていない方向の壁には、大型ディスプレイが設置されている。まだ電源はついていない。

 

 その『会議室』には一人の人間しか居なかった。その男、三十代後半の中年士官は椅子の一つに腰掛けながら端末を覗き込み、あれこれ作業をしている。傍らにはコーヒーが入っていたであろう紙コップが置いてあったが、もうすでに空になって乾いていた。

 

 がちゃりと会議室のドアが開き、一人の若い士官が入ってきた。スマートで優秀な士官、というのに姿形を与えたような風貌をしている。敢えて言えば血色が悪く、陰気そうな印象ではあるがまぁ普通と言えるだろう。士官は、座っている士官に近づくと、びしっと敬礼をしてみせる。

 

「アンドリュー・フォーク大尉であります。キャゼルヌ大佐ですね?」

 

 キャゼルヌと呼ばれた方の中年士官は、振り向いて相手の姿を確認すると、のろのろと立ち上がって答礼した。

 

「おお、君が噂のフォーク大尉か。アレックス・キャゼルヌだ。今回はよろしく頼むよ」

 

「有難くあります。自分も、大佐の噂はいろいろと聞いております」

 

「どのような噂かな、大尉」

 

「はい。軍で一番冗談の下手な人であると」

 キャゼルヌはそれを聞いて露骨に目を逸らした。フォークは口元だけでにやりと笑う。少なくとも、フォークはこのような場面でお追従を必要とする立場ではないしその気もないわけだ。フォークは宇宙歴789年卒業の士官学校生で、全学生の首席として卒業した。普通に軍のキャリアを過ごしていれば、三十代で将官は確実である。階級でキャゼルヌを追い越すのは時間の問題であるはずだ。

 

「この定例演習に参加するのは初めて……ではなさそうだな」

 キャゼルヌは、フォークの軍服にある略綬を認めてそう言った。

 

「はい。昨年、参加致しました。艦隊戦闘演習の方に」

 

「ほう。そりゃ凄い。さすがエリートだ」

 

「大したことはありません。使い走りのようなことをやっていました」

 フォークは内心かけらも信じていないこと(実態は別として)をさらりと言ってのけた。アンドリュー・フォーク並みの士官だと、謙遜も不似合いに思えるものだ。

 

「出る杭は打たれる。誰だって、生意気な若造はぺしゃんこに潰してやるか、息を吸う暇がないくらいこき使うか、そうしたいものだ」

 

「ブルース・アッシュビーはそんな上官を徹底的にとっちめたそうですが」

 

「そしてその後、上役に気を遣わないことだけをアッシュビーに学んだ士官が大量発生した、と。まぁ、励みたまえ。ここから君を出世させるような論文が生まれるないとも限らないからな」

 

「微力を尽くします」

 

「ああ。ここはフリーデスクだから、どこでも好きな場所に座ってよろしい。第一、我々は統裁官で、ここは統裁担当の指令室(ウォールーム)だ。作業のほとんどはコンピュータがやってくれる。我々は何かおかしな判定がないか、目を見張らせていればいいのだよ。だが、長丁場であることは確かだから、そこは覚悟しておくんだな」

 

 

 

 図上演習──

 

 その起源については諸説あるが、西暦19世紀、ヨーロッパ・プロイセン王国で成立した戦争ゲーム(クリークシュピール)が起源であるというのが定説となっている。テーブルの上に実際の地形を再現し、部隊を示す駒を置き、敵と味方に分かれて勝負する。戦争ゲームの基本的概念は、二千年近く経過した今でも変わっていない。

 

 演習の対象は戦争だけではない。早くから天災、国内政治、外交等当人にとっての課題をより良く解決するためのツールとして図上演習は取り入れられてきた。もちろん、避難訓練のように『実際に人を動かす』方が効果は高いのだが、費用や準備を考えるとそう簡単に『動く』演習ができるわけではない。それに、よく出来た『演習』を準備するというのは、戦争準備と大して変わらないことが多いから、余計にやりづらいといえる。

 

 だから、人々はテーブルの上での戦争に熱中する。地図を戦場に見立て、駒を兵隊に見立てる。二千年経って少しは進化した──かと思いきや、使用されるテクノロジーも大して変わっていない。計算尺がコンピュータに、紙の地図がディスプレイに表示される地図に変わったぐらいだ。

 

 まぁこれは、人間が機能的な意味で進化していないことが原因である。人は二つの眼でものを見るのは変わらないし、思考する脳は一つしかない。なればこそ戦争を指揮する側は、抽象化した情報で判断を下すしかないわけだ。

 

 もちろん、自由惑星同盟でも(恐らく銀河帝国でも)図上演習は数限りなく行われている。士官学校で行われるシミュレーション、省庁で行われる状況演習、最高評議会で行われる緊急事態対応訓練、その他にもいろいろある。が、単に図上演習というと、恐らくは自由惑星同盟軍の図上兵棋演習を指すだろう。それも、9月に行われる定例の図上兵棋演習を指すことがほとんどだ。

 

 惑星ハイネセンを周回する軍専用のコロニー、自由惑星同盟訓練センターで行われるそれは、軍幹部、参謀、それらの卵である若手士官を集めて行われる。もちろん、集められた人々が同じ図上演習に参加するわけではない。最も大規模で、派手で、一般メディアにも公開される演習と、非公開で、いろいろな状況を想定して行われる『研究会』がある。研究会の種類はいろいろあるが、長いものは一か月近くにわたって行われる。

 

 フォークやキャゼルヌが参加する『研究会』は、その長い方である。長い期間行われる演習というのは、ある『傾向』が存在する。まず、戦場が限定される戦術ではなく、銀河全体を対象とする戦略を取り扱う。ゆえに、戦術的な優劣は殆ど問題にならない。戦闘は、事前の準備と、両軍の大まかな戦闘計画、そのデータを基にコンピュータがシミュレーションし、結果を出す。例え、ブルース・アッシュビーが化けて出たとしても、倍の敵を翻弄することは不可能だ。

 

 両軍には兵力と状況が提示され、最終的な『目標』も提示される。これらの情報は、敵に開示されている場合もあるし、秘密にされることもある。これは、研究会の目的によって変化する。但し、公知の情報までは秘密にならない。

 

 一つの図上演習には、基本三つの集団が存在する。まずは『自軍』、つまり自由惑星同盟軍を指揮する集団だ。そして、『敵軍』。言うまでもなく銀河帝国側を指揮する集団である。南北2つの帝国があるのに、なぜ帝国を指揮するのが一つだけなのか、というと、演習の主体は常に同盟軍だからである。南北の帝国が死力を尽くして殴り合う、というのは大抵の場合、図上演習の意図ではない(もちろん研究会の内容によっては、そういうタイプの演習も存在する)。南北の帝国があって、どちらを実際の人間が指揮するかは、演習の内容によって変わるが、大体は北軍を指揮することになる。理由はもちろん、アッシュビー・ラインの向こう側が帝国北朝の支配領域だからだ。そして、南軍の指揮はコンピュータが担当する。

 

 そして最後は『統裁官』、平たく言ってしまえば審判である。特定の趣味を持つ人からすれば、GM(ゲームマスター)という言葉の方が通りがいいかもしれない。自軍と敵軍から出された行動指針に従い、両軍を動かす。両軍部隊が至近距離に接近し、双方に戦闘の意志があれば戦闘を行う。結果を出し、両軍に伝達する。

 

 図上演習が出来たばかりの頃は、こういう作業は人間が行っていた。山のような図表や計算式を利用し、双方の戦力を比較して結果を出す。偶然を計算に入れなければいけないときは、サイコロを振る。但し、そのような時代はすぐになくなった。現在の図上演習においては、こういう事務作業はコンピュータが行う。統裁官がやる仕事は、コンピュータが出してきた結果をチェックし、両軍の意図がアクションに問題なく反映されているかどうかをチェックするものとなる。コンピュータの誤作動、あるいはシステムの意図しない動作により研究会がぶち壊しになった事例は少なくない。

 

 そして、統裁官の重要な仕事は、レポートである。自軍、敵軍は自分達の見えている情報しか知ることができない。だが、統裁官はそうではない。二つの勢力がせめぎ合う状況を俯瞰して見ることができる。演習の進行、結果は統裁官がまとめ、それが軍の各所に送られるから、責任は重大と言っていい。また、そこから得られる知見を纏めて論文とするのも、統裁官の仕事だ。ここから軍のシステム更新に繋がることだってあり得るのだ。

 

 自軍、敵軍、統裁官。ここに挙げた三つの勢力であるが、軍の教育用コロニーにある別々のビルに指令室がある。当然ながら、特別な理由がある場合を除いて、両軍間の通信は禁止である。軍と統裁部との通信もチェックされる。演習での『ずる』は禁止だからだ。ご丁寧なことにビルの中には宿舎があって一通りのものが揃っている。つまり、演習が終わるまで隔離されているということだ。軍は、演習を演習ならしめるために一通りの措置は講じているというわけだった。

 

 

 

 統裁官室はがらんとしている。フォークとキャゼルヌの二人しかいないから当然だ。

 

「おかしいですね。そろそろ集合時間のはずですが」

 

「おおかた、宿舎で時間ぎりぎりまで仕事をしているんだろう。演習が始まれば、片手間に仕事なんてやっていられないからな。フォーク君、君はどうなんだい?」

 

「万事遺漏なく、引継ぎを行いました」

 

「結構。長期間の演習ともなると、その期間の仕事をどうするかが重要だからな。君も演習期間中、周りの様子を良く見ておくんだ。陰でこそこそコミュニケータを使ってそうな連中は、仕事の引継ぎに失敗したか──」

 

「──あるいは、引継ぎができないような重要な仕事をしているか、どっちかだ」

 

「了解いたしました」

 フォークはそう言った。内心で、そんなご高説を垂れるお前はどうなんだ、と思っている。今だってデスクで仕事しているじゃないか。

 

「今回の統裁官は、五名ですか。私と、大佐殿を除けば、国防委員会付参事官、後方作戦本部輸送担当、情報局から一名ずつ、ですね」

 

「そうだな。皆、忙しい中来てくれている。頼りにしないとな」

 

「『自軍』は、ビロライネン少将が指揮官ですか。部下は……」

 

「どうした?」

 

「いろいろな艦隊から幕僚が派遣されていますね。それも司令官付ばかりです」

 

「お、お前さん。よく見ているな。で、そこからどう考える」

 

「情報畑のビロライネン少将ですから、帝国側の情報収集に力を入れるでしょう。そして、それを基に、自軍の行動を決定するでしょう。統合作戦本部長を擬するのには適当です。行動の妥当性判断や、改善を行うのが幕僚の役割かと」

 

「パーフェクトだ。フォーク君」

 キャゼルヌはぱちぱちと拍手しながら応じた。

 

「君の回答で過不足はないと思うが、敢えて付け加えるならば、ビロライネン少将は国防委員会と付き合いもある。職務上、な。つまり、政治的ファクターも大きいと考えられる。少将は苦しくなるだろうな。(政治)()の板挟みだ」

 

「そうですか」

 フォークは少しむっとして言った。キャゼルヌが自分の『解答』にケチをつけたと思ったらしい。

 

「北軍を担当する敵軍は……ほぅ。チュン・ウー・チェン教授……失礼、少将が指揮官ですか。士官学校で授業を受けたことがあります。部下は若手の士官が多いですね。ジャン・ロベール・ラップ中佐、マッツ・フォン・クラインシュタイガー少佐、おや、ヤン・ウェンリー少佐ですか。幽霊戦艦の素人探検家(スペランカー)がお出ましとは」

 

「ほほぅ。君もヤン・ウェンリーを知っているのか」

 

「大佐はお知り合いなんですか?」

 

「士官学校の下級生でね。何故か付き合いがある。幽霊戦艦以外にも、あいつにはいろいろと伝説があるよ。災難を自ら引き寄せるタイプらしい。そして、ラップ、クラインシュタイガー、ヤン、この三名は士官学校同期だよ。787年卒業だ」

 

「同期」

 フォークはそれだけ言って、実に嫌そうな表情をした。フォークが士官学校の同期にどう思われていたか、それだけでよく分かる。

 

「730年マフィアならぬ、787年マフィアですか」

 

「研究会の世界がそのまま現実になればそうなるがな」

 

「それに……フレデリカ・グリーンヒル中尉?中尉で参加とは」

 

「異例と言えば異例だが、フェザーン同盟大使館の推薦が出ている。敵軍のプレイヤーとしては格好だろう。やはり、敵を知らないのに敵のふりはできないからな」

 

「総参謀長がねじこんだのでは」

 

「そりゃお前さんが総参謀長を知らないだけさ。もし総参謀長にそんな権限があれば、彼女は外される方だろうな」

 

「何故です?」

 フォークが不思議そうな顔をして聞いた。

 

「そこは軍の中の噂話から判断してくれ。他人の内輪話を広めるのは、私の趣味じゃない」

 

「了解です」

 フォークはしぶしぶ口にした。キャゼルヌからすれば、フォークが自分に面白からざる想いを抱いたことはよく分かる。思っていることがすぐに顔に出るんだな、キャゼルヌはそう思った。

 

 キャゼルヌは端末を動かして、今回の研究会の実施要領を呼び出した。研究会の目的は「近い将来の同盟・帝国の政治的変動を基に軍事的なシミュレーションを行う」とある。同盟、北軍、南軍の兵力は、概ね現状と同じ状態に設定してある(帝国は、情報収集結果より評価した値に設定してある)。状況開始は来年、宇宙歴799年1月1日がスタート、演習期間は最大で半年だ。想定では、状況開始から終了までにかかる実際の時間は20日程度とみられている。

 

 今回特徴的なのは、799年1月1日に、南朝皇帝の崩御というイベントが発生することが決定していることだった。南朝皇帝が重病に伏せっているという事実から、このイベントが設定されていることは言うまでもない。

 

 さらに、この演習では帝国北軍に『ハンデ』が与えられている。これは別に珍しいことではなく、与えられない方に対してストレスをかけることで、緊急時の対応を考えさせることが目的だ。だからこそ、『ハンデ』は同盟軍ではなく、帝国軍に与えられるのである(ちなみに、同盟側にハンデが与えられる場合は、帝国の崩壊をシミュレーションすることが目的になることが多い)。

 

 今回の『ハンデ』は、「帝国北軍は、一つの事象に限り想定可能ではあるが現実的とは見なされない事象を実現可能とする」というものだ。簡単に言うと、「一回だけ君の願いを叶えてあげる」ということである。同盟軍内では、『魔法のランプ・ルール(ジーニー・ルール)』と通称されている。この「想定可能ではあるが現実的と見なされていない」というのがミソで、例えば、敵軍の首脳部がいきなり伝染病で全員急死してしまう、とかは却下されるが、味方の流れ弾が敵の旗艦に命中し司令部全滅、というものは大体採用される。採用と却下の判断をするのは、情報部と参謀本部の専門チームとなる。

 

 

 

 キャゼルヌは額をもんだ。実は、演習が始まる前にヤンを自宅に呼んで『歓迎会』を行ったのである。その時にそれとなく方針を聞いてみたのだが、

 

「秘密です。チュン・ウー少将からも止められていますので」

 

 ときっぱり断られてしまったのだ。あのヤンをしてそこまで言わしめる、今回の研究会は何なのであろうか。ヤン・ウェンリーも人の子だから、エリートの集団に呼ばれて緊張しているのだろうか。それに──

 

 チュン・ウー・チェン少将は士官学校戦史研究科の教授である。戦史研究科に所属していたヤン・ウェンリーのことも知っているはずだ。戦略レベルの研究会に、戦史研究科所属の教授が呼ばれることは珍しくないのだが、戦史を例にしてエキセントリックな手を打ってくる例がある。

 

 奴ら、絶対とんでもないことをやらかすだろう。

 

 それが何かはさっぱり分からないが。

 

 

 

 宇宙歴798年9月10日 午後1時──

 

 統裁官に任命された士官達が指令室に集合し、研究会が始まった。まずは、統裁官のトップであるキャゼルヌによる挨拶、概要説明、注意事項等の説明があり、大まかなスケジュールが示される。状況開始は明日の9時から、基本的に現実の1時間が1日にあたり、現実の1日で8日が進むことになる。但し、両軍と統裁官の合意により経過のペースを速くしたり、遅くしたりすることは可能だ。

 

「事前に配布した資料に書いてあるが、同盟、帝国の北軍と南軍の戦力配置は基本、根拠地に配置してあるものと見なす。帝国の艦隊は基本フル充足、同盟は稼働状態にある艦隊はフル充足とするが、留守状態の艦隊、3、5、7、9、11だな、この艦隊は3割充足と指定する。つまり3000隻だ」

 

「随分と大盤振る舞いですね。留守艦隊の戦力なんて1500あればいい方なのに」

 後方作戦本部から来た少佐が交ぜっ返すように言った。

 

「両軍からの行動方針の伝達、それによるアクションの判定は基本コンピュータがやるが、不明確な箇所があれば適宜チェックして問い合わせるように。プレイヤーから抗議が来て切り戻し、なんてやりたくないからな。意地の悪い連中になると、伝達データに罠を仕掛けることもあるらしい。それに騙されるなよ」

 キャゼルヌは注意事項の伝達をそれで締めくくった。

 

「では、フォーク大尉」

 キャゼルヌはフォークに目くばせした。フォークは、指令室の端末を操作すると、全面にある巨大スクリーンが起動した。巨大スクリーンには、帝国、同盟双方の星系図が表示されている。帝国支配下の領域は、北軍が紺で南軍が濃緑、同盟は赤で塗られている(ちなみにフェザーンは白)。後は簡単なマークで両軍の戦力配置が表示されており、右上には演習上の日付と、本当の日付が並列で表示されている。そして下には、

 

 『自由惑星同盟軍 12個艦隊稼働可能。戦力99000隻』

 『銀河帝国北軍 9個艦隊稼働可能。戦力100000隻』

 『銀河帝国南軍 8個艦隊稼働可能。戦力95000隻』

 

 と表示されていた。戦況の優劣は大体、星系図とここを見れば判断可能だ。

 

「さて、北軍の連中はどう動いてくるのやら」

 情報局の大尉がつぶやいた。状況が開始されるまでに一日あるから、今は北軍の行動を必死にチェック&練り直している頃だろう。北軍には魔法のランプがあるから、上手く使えば戦局を優位に進めることは可能だ。勝利だってできるだろう。同盟側は、帝国の戦局をウオッチしながら動きを決めることになる。

 

「内戦に決着がついて、敵が消耗しきっていたとすれば、きついなぁ」

 国防委員会付の参事官である中佐が、周囲に聞こえるように独り言を言った。それだけ聞くと意味が分からない。だが、国防委員会や同盟の政局を理解しているとこの言葉は分かる。北軍と南軍が潰し合いをやって、戦争は終わるけど双方グロッキー。だとしたら、同盟は今こそ勝利のチャンスだということで攻め込まなければいけない。だが、現在の同盟軍は長距離遠征に関する補助艦艇や専用の人員を全く欠いている。帝国侵攻作戦に関する研究もまるで進んでいない。それを指しているのだ。

 

「何が起きるにせよ、戦時体制、いや、駐留基地から艦隊を自由に動かすだけでも一苦労なんだ。おまけにこちらは事が起きたことが明らかになるまで動けない。どっちにせよ、自軍は苦労させられるだろうなぁ」

 後方作戦本部の少佐が言った。統裁官だから他人事と割り切ってしまえばそうなるが、南朝の皇帝の死、それはほぼ確実な近未来の現実だ。だとすると、この研究会で明らかになる『不都合な真実』があるとしたら、それに向き合わないといけない。

 

 そんなことをいろいろ話しているうちに、中央のスクリーンに文字が表示された。

 

 

【北軍、799年1月1日~14日予定行動入力終了。行動妥当性検証中】

 

 

「おいおい」

 キャゼルヌが当惑したように言った。随分と早いじゃないか。今回は、帝国の動きを同盟が探知し、それに対応して行動を起こすタイプの演習となる。だから、北軍が事前に作戦を考えておき、統裁用コンピュータに入力しておくことは可能だ。だが、状況開始は明日で、それまで考える余裕はあるはず。何もこんなに早く指令を出さずとも──

 

 そんなことをキャゼルヌが考えている間に、統裁官室がざわざわし始めた。中央スクリーンにいろいろ表示されている。統裁用コンピュータが、北軍の行動計画を検証し、結果を表示しているのだった。

 

【オーディンに駐留せる4個艦隊、オーディンを進発。カストロプ、マリーンドルフを経由しマールバッハ星域へ侵攻する計画。突発事項なき場合成功と判定。所要時間9日の予定】

 

【シャンタウに駐留せる第7艦隊、フレイヤ、レンテンベルク要塞へ移動。成功と判定。所要時間3日】

 

【シャンタウに駐留せる第2艦隊、1月12日よりキフォイザー星域へ侵攻する計画。突発事項なき場合成功と判定。所要時間3日の予定】

 

【アムリッツァに駐留せる第8艦隊、アムリッツァ要塞を進発。フォルゲン、ハーン、シャーヘン、アルメントフベール星域を通過し、キフォイザー星域へ侵攻する計画。突発事項なき場合成功と判定。所要時間15日の予定】

 

 そして、一番下にこう表示されていた。

 

【アムリッツァ要塞にて行われていた秘密工事が完了。アムリッツァ要塞は自走能力、ワープ能力を獲得せり。以後、本構造体(オブジェクト)を機動要塞Eと呼称する。なお、本事象は研究会特別ルールの適用により、無条件で成功と判定。要塞は、第9艦隊を駐留状態に置くものとする】

 

 キャゼルヌは手に持っていたペンを取り落とした。横でフォークの独り言が聞こえる。声が震えているのがはっきりと分かる。

 

「なんて……インチキ……」

 

 

 

 突然現れた『機動要塞E』に、統裁官室は怒号が沸き起こった。いくら『魔法のランプ』とはいえあんなものはやりすぎだ、というわけだった。その声は、機動要塞Eのスペックが公開されたことによりさらに大きくなった。簡単に言うと、宇宙戦艦2万隻を収容可能な移動モジュール。移動能力は低速宇宙船程度(宇宙戦艦の巡航速度についていくのがやっと、というレベルであるが通常空間航行には問題ないレベル)。無補給での移動可能期間は一か月程度。つまり、直径数十キロにもなんなんとする人工天体でありながら、宇宙艦隊の機動に追従可能というわけだった。消費物資量も特段高いわけではない(1つの要塞が1個艦隊規模の補給物資を食いつぶして問題ないならば)。確かにやり過ぎだった。

 

 情報局の大尉が、コンピュータに再審査を要求した。何かの間違いか、空想論が過ぎると思ったのである。返答は『妥当』だった。つまりは、この機動要塞は、北朝が尽力すれば実現可能なオブジェクトだ、そう誰かが判断しているわけである。北軍は、この秘密巨大兵器を、南軍打倒の総攻撃に使おうとしているのであった。

 

「なんだこいつは。たまげたなぁ」

 参事官の中佐が言った。

 

「いくらなんでもこんな力技は駄目だろ。一体こいつで何をするんだ」

 後方作戦本部の少佐が応じる。

 

「南の連中を打倒するに決まっている。ただ、こんな派手な作戦はどこかで漏れる。同盟としてはなるべく早くキャッチしないとな」

 情報局の大尉が言った。これだけ派手な作戦をやっていても、あくまで内戦だから、同盟がこれを知るにはタイムラグが生じる。

 

「統裁官と両軍が別のビルで良かったな。フォーク君」

 これはキャゼルヌ。

 

「そうなんですか」

 フォークにはピンときていない。

 

「ちょっと前まではあったんだよ。都合の悪い展開に頭にきて、八つ当たりする連中が」

 キャゼルヌはそう答えた。ただ、どうにも腑に落ちないのは、あれだけの秘密兵器を手にしておきながら、作戦そのものは全軍を動員した多方向同時飽和攻撃だ。だが、同様の作戦を採用したキフォイザー星域侵攻作戦は失敗している。一体これから何が起こるのだろう。

 

 

 

 統裁官が知っている情報はもちろん、両軍にそのまま開示されることはない。そのため、統裁官(というかコンピュータ)は、両軍の情報収集能力を基に、今起きている状況をフィルタリングする。両軍はフィルタリングした情報を見ることになるから、こちらで起きている状況を向こうが知るのはかなり時間が経った後、ということもあり得る。

 

 『自軍』(分かりやすさのため、以後同盟と記す)が機動要塞Eの存在を知ったのは、状況開始から(演習内の時間で)十日も経った後だった。帝国も新年からしばらくは新年祭の影響で、情報活動が不活発になる(一般市民からの目撃情報を得にくくなるという意味)。そして、同盟は情報活動の重心を、オーディンから出た4個艦隊の動向検知に振り向けていた。

 

 当然ながら、同盟陣営の動揺は大きかった。当初は、帝国が新たな宇宙要塞を複数、秘密裏に建造したと思われていたのだった。その説が否定されたのは、機動要塞Eがキフォイザー星域にワープアウトし、南軍経由でその情報がもたらされた後だった。

 

 同盟側では議論が沸き起こった。このまま放置していては、南軍の壊滅は時間の問題、そう考えられた。阻止するにはアッシュビー・ラインに駐留している艦隊を帝国側に侵攻させ、北軍に兵を引かせるしかないと思われた。

 

 ただ、議論の結果、その選択肢は否定された。アッシュビー・ラインに駐留している同盟三個艦隊は、いずれも新年祭休暇で即時の動員が難しいか、あるいは新年祭以降の部隊交替に向けて根拠地へ帰投中だった。一か月以内に帝国領内へ殴り込みをかけなければいけないのに、それでは遅すぎる。

 

 帝国領侵攻と称して、即時進発可能な艦隊を動員する、所謂『見せ金』も提案されたが、コンピュータは『否』と返答した。アッシュビー・ライン駐留部隊を除く他部隊は、即時作戦行動可能な物資を集積していなかった。手持ちの物資で作戦行動をさせると、500隻とかそのようなレベルになってしまう。結局、同盟は北軍の大攻勢を眺めて見ることしかできなかったのだ(もちろん、可能な限り作戦行動準備は整えてはいたが)。

 

 

 

「なんなんですかね、これは」

 統裁官室でフォークが呆れたように言った。本来なら、フォークも同盟または北軍陣営の作戦計画チェックをやらなければいけないのだが、北軍陣営は既に作戦計画を提出しているし、同盟は作戦行動そのものが取れないから、統裁官は皆、スクリーンを見ながら暇を潰す羽目になっている。

 

「まぁ、これが我が軍の実力、ということさ」

 キャゼルヌは達観したように言った。

 

「何でもかんでも無駄を削れ、コストを下げろ。そういう発言に従っていればそうなるさ。民主主義国家としては、無駄に投資する金はないから他に回せ、という発言を規制することなんかできない。まっとうな発言だよ」

 

「でも、必要な時に軍は何もできてないではないですか!」

 フォークは詰め寄る。

 

「一個艦隊がそれなりの期間、作戦行動をするのにどれだけのカネがかかるか、知っているだろう?今の同盟艦隊が全艦、宇宙を飛び回ったら、一年経たない間に国防予算は底をつく。ま、ちょっとこれは削り過ぎかもしれんが」

 

「ですが……む。ちょっとこれは」

 端末を覗き込んだフォークが険しい顔をした。どうやら北軍側から作戦計画が入力されたらしい。

 

 

 

 宇宙歴799年1月10日に始まったマールバッハ星域での戦闘は、激しい砲火の応酬となり五日が経過した。南軍の帝都親衛艦隊4個艦隊と、ヴァルハラ軍管区の4個艦隊はどちらが優勢ともいえない激戦を繰り広げている。艦隊の練度としては北軍に軍配があがるかもしれないが、南軍もここを突破されると、首都のブラウンシュヴァイク星域に踏み込まれることになるから必死である。

 

 そんな南軍に凶報がもたらされた。キフォイザー星域のガルミッシュ要塞、そのすぐ前面に謎の宇宙要塞がワープアウトし、攻撃を仕掛けてきたというのである。それと同時に、シャンタウ、アルメントフベールからそれぞれ1個艦隊が雪崩れ込んできた。

 

 ガルミッシュ要塞に拠る郷土防衛艦隊、4個艦隊はすぐさま迎撃に出た。だが、謎の宇宙要塞はワープアウトしただけではなく、艦隊に追従してガルミッシュ要塞に接近しようとしている。さらに、要塞からは駐留していると思われる1個艦隊が出撃し、要塞の援護を行っている。

 

 情報収集と観測の結果、謎の要塞は、アムリッツァ要塞に機動能力を付加したものであることが分かった南軍は、アムリッツァ要塞の接近を待ち、ガルミッシュ要塞の要塞砲をもって、アムリッツァ要塞を攻撃しようとした。確認できている北軍の兵力は3個艦隊、南軍の兵力は4個艦隊あるから兵力は優位だ。宇宙戦艦の主砲で要塞にダメージを与えるのは至難だが、要塞の主砲なら話は別。

 

 アムリッツァ要塞が接近して主砲を使用するなら、こちらも要塞砲を使うことができる。ガルミッシュ要塞側の主砲、その射程内で相手の足が止まるなら好都合。撃破の可能性は高い。最悪刺し違えになってもその時はその時だ。

 

「「主砲発射(ファイエル)」」

 

 数時間の後、アムリッツァ要塞、ガルミッシュ要塞は互いに主砲が撃ち合える距離まで接近した。双方の要塞主砲が撃ち合いを続けながら、南軍はアムリッツァ要塞の機動力を奪おうと艦隊を要塞に接近させた。

 

 だがその実行は困難を極めた。要塞のワープドライブと思われる構造体は把握できても、通常航行を行うためのスラスターが見当たらなかったのである。それでいて、謎の要塞は機動しているのだ。ならばワープドライブを、と思って攻撃をかけようとしたが、要塞側の砲撃、要塞内に駐留していたらしい艦隊からの攻撃、攻め込んできている2個艦隊の妨害、これらを乗り越えてダメージを与えるのは不可能に近い所業だった。戦果は全くあがらず、損害ばかり積み重なった。逆に、ガルミッシュ要塞の宇宙港に、敵要塞主砲の直撃を受け、設備が大きく損壊する有様だった。

 

 郷土防衛艦隊の1つが作戦困難に陥った時点で、南軍は方針を変更した。まず、侵攻してきた2個艦隊をこちらの2個艦隊で拘束する。残りの兵力で、要塞を護衛している艦隊に圧力をかけて撤退に追い込む。その上で、南軍の部隊から決死隊を募り、敵要塞の機能に損害を与えるというものだった。護衛艦隊が要塞内に撤退するタイミングが、敵要塞の最大の弱点だからだ。

 

 しかし、それは北軍の、要塞側の目論見通りだった。南軍が再編成のため、攻撃を停止した隙を狙って、要塞は、ガルミッシュ要塞から離れる方向に移動を始めた。南軍はすぐさま追撃に入ったが、無理な攻撃は南軍側の被害を増やすだけだった。

 

 結局、あまりの被害に、南軍が先にタオルを投げた。南軍は要塞の追跡を断念し、戦力の再編成を行わざるを得なかった。

 

 南軍は4個艦隊のうち、第7艦隊を完全に喪失、残りの3個艦隊(5、6、8)はそれぞれ25%の戦力喪失と判定された。攻め込んできた北軍3個艦隊(2、8、9)も、それぞれ20%の戦力喪失と判定されたが、ガルミッシュ要塞が宇宙港にダメージを受け、艦隊の整備機能を失った状態とあっては、北軍の完勝と言わざるを得なかった。北軍は、アムリッツァ要塞を南朝首都ブラウンシュヴァイク星域にワープさせると、駐留艦隊以外(2、8)は一旦後退して、休養と再編成に入った。もちろん、南軍の残存艦隊を自由に動けないようにするための措置だ。

 

 

【キフォイザー星域での戦闘結果は以下の通り判定する。

 北軍

  第2艦隊:11000⇒9000(著者注:数値は艦隊所属の戦闘艦艇数。以下同じ)

  第8艦隊:11000⇒9000

  第9艦隊:11000⇒8000

  機動要塞E:機能に異常なし。耐久力5%減少

 南軍

  第5艦隊:10000⇒7500

  第6艦隊:10000⇒8000

  第7艦隊:10000⇒2000(指揮機能喪失)

  第8艦隊:10000⇒8000

  ガルミッシュ要塞 宇宙港機能損傷。復旧まで2か月。耐久力20%減少

  キフォイザー星域は依然南軍の支配下に在り

 

 以上の戦闘結果および経過は、自軍陣営には、フィルタリングの後伝達するものとする。なお、ガルミッシュ要塞は宇宙港の損傷により、修理が完了するまでの間、自衛を除く要塞機能を喪失したものと判定する】

 

参考資料 キフォイザー星域会戦概略図

 

【挿絵表示】

 

 

 

 統裁コンピュータの表示に、統裁官達は一斉に顔をしかめた。

 

「まぁ、いきなりあんなものを見せられて、なぁ」

 情報部の大尉が言った。

 

「南軍としては、むしろよくやった。そう言えるかもしれんね」

 参事官の中佐が言う。

 

「というかあんな秘密兵器、いくら敵軍とはいえ隠しておけるのか」

 後方作戦本部の少佐は呆れたように言った。

 

「さぁ、でもコンピュータはそう判断している。ならばそれに従う他あるまい」

 これはキャゼルヌ。

 

「ところでマールバッハ星域の戦闘はどうなった」

 キャゼルヌの言葉にフォークが端末を操作して答えた。

 

「痛み分けですね。両軍4個艦隊ずつ、8個艦隊が15%の損害を出した模様。北軍はマールバッハ星域を確保。南軍は、2、4艦隊がブラウンシュヴァイク星域に、1、3がアルテナ星域に後退だそうです」

 

「南軍は艦隊を2つに分けたか。首都とガイエスブルク要塞、両方守らなければいけないのは痛いなぁ。あんな機動要塞さえ出てこなければ、マールバッハでもう少し粘れたものを」

 参事官の中佐が言った。

 

「首都を捨てて逃げるわけにはいかないから、やらざるを得ないだろう。(アルテナの)ガイエスブルク要塞に退いた方にミュッケンベルガー元帥が居る、ということは、各地の戦力を総ざらえして、ブラウンシュヴァイク星域にて後詰決戦を挑むのだろうな」

 

「でしょうね」

 キャゼルヌの言葉に中佐が答えた。統裁官は、別に階級とかそういうルールは無しでやろうとキャゼルヌはそう決めていたのだが、軍人というのは階級を抜きにして話をするのは、それはそれで慣れないものだ。

 

「ちょっと思ったんですけど」

 フォークが要領を得ない顔で参事官の中佐に聞いた。

 

「どうした」

 中佐は不思議そうな顔をして答える。

 

「北軍は、南軍の首都へ行くんですよね」

 

「そうだ。何がおかしい」

 

「いや、なんというか……なんで、北軍は首都を目指すんですか?」

 

「なんでって……首都が陥落すれば戦争は敗北だろう。ならば勝利のために首都に行くことは、何がおかしい」

 そこまで言って、中佐も首をひねった。フォークが感じている違和感に気づいたらしい。

 

「南軍の本拠地は、ブラウンシュヴァイク星域よりさらに奥、アルテナ星域のガイエスブルク要塞にあります。要塞E、いや、あのアムリッツァ要塞がガルミッシュ要塞との戦闘で大したダメージを受けなかったのは幸いですが、南軍を完全に崩壊させるには、首都よりもガイエスブルク要塞に行くべきです。首都を陥落させることにどれだけのメリットがあるのか……」

 

「皇帝がいないからか」

 中佐がぽんと手を叩いた。

 

「ですね。元首のいる場所が政府で、そこが首都。それが国のシステム。本来ならば皇帝を連れて奥地へ逃げる。そして持久戦に持ち込むのがパターンですが、それが使えないんですね」

 フォークがうなずきながら言う。

 

「だとすると、ブラウンシュヴァイク公の政治的威信は、ブラウンシュヴァイク公本人にとって裏目に出てくるな。南朝は確かにブラウンシュヴァイク家の支配下にある。ただ、それは南朝の皇帝から与えられたという前提があるわけだ。ブラウンシュヴァイク公は皇帝から宰相に任じられたからこそ権威がある。そして、ブラウンシュヴァイク公の威勢は、対立する門閥貴族を無視できるほど大きなものじゃない」

 

「だとすると」

 

「そう。今のブラウンシュヴァイク公は、英雄として振舞うしかないんだよ。敵がやってきたらそれを防ぐ盾になる。弱い民草を守る宰相。そう動くしかないんだ。そして、そのような状況では生命的リスクは格段に高まる。よく考えられているよ。悔しいな」

 

「悔しい?」

 フォークは中佐に聞いた。中佐は小さく首を横に振っている。

 

「今、同盟では南朝皇帝の死をどう考えている?老人だから、病気だから死ぬのは仕方ない。せいぜいその程度だろう。これだけの政治的リスクがあることを知る人間はほとんどいない。今まで同盟が考えてきた帝国内戦の動き、それがひっくり返りかねないとは考えないだろう。第一、同盟に数多いる呑気な人間が、この盤面を見たらどう思う?」

 

「……なるほどそうか」

 フォークが手を叩いた。

 

「分かったようだね」

 

「帝国の軍事的重心が、オーディンとブラウンシュヴァイク、ガイエスブルク要塞に移っている。ということは、帝国はしばらく引き籠って同盟に関わる余地はない、そう見えるかもしれないですね。とにかく楽観的に見たいなら、そう見える。帝国がこちらに襲い掛かってくることは考えない。同盟がそれに対応できる備えがあるかどうかも調べようとしない」

 

「……今回の研究会、そこが目的なのかは分からない。一体これからどうなるんだろうね、フォーク君」

 中佐は紙コップのコーヒーを飲もうとして空であることに気が付いた。コーヒーマシンに歩いていく。そのコーヒーマシンはやたらと濃いコーヒーを出すので、統裁官達の評判は悪かった。無闇に室外に出られないのならば、通販でコーヒーマシンを買うべきだろうか、フォークはそう考えた。

 

 

 

 キフォイザー星域の会戦から四日後、ブラウンシュヴァイク星域外縁に、アムリッツァ要塞が出現した。北軍は要塞と駐留1個艦隊、南軍は少々損害を受けた2個艦隊である。

 

 ほぼ奇襲となったキフォイザー星域と比べ、南軍は万全とは言えないが備えをしていた。ブラウンシュヴァイク星域は、有人惑星ツォンドルフ、ヴェスターラントの外郭に大規模な小惑星帯が存在する。そのために、星域外から首都ツォンドルフを突こうとすると、侵入ルートは限られるのである。ここを機雷堰で塞ぎ、敵の侵入を阻止する。さらに、要塞にダメージを与えるため、小惑星に推進装置を装着したものを数十個用意した。これだけでは数が足りないが今も星域内では製造が続けられている。動く敵に当てるのは至難の技だが、直営艦隊を排除し、進行ルートが限られている状況では可能性がある。

 

 さらに、惑星ツォンドルフは防衛部隊が撤収し、無防備惑星宣言を出している。防御力が無いことを内外に宣言する無防備宣言は、攻めてくる敵の自尊心とか美徳とかに縋るものだが、南軍が星域の防衛に尽力している限り、「勝手に見捨てた」形にはならない。皇帝もいないから、玉体を誘拐される恐れもない。そして、防衛資源を集中できるメリットはある。

 

「「主砲発射(ファイエル)」」

 

 ブラウンシュヴァイク星域、小惑星帯の近傍で、南北軍の交戦が開始された。さすがに1対2の戦力比では、劣勢な方がどうにかできる可能性は低い。北軍の要塞駐留艦隊は、ダメージを受けて要塞内に撤収した。

 

 南軍は今がチャンスと敵要塞攻撃に入る。超長射程ミサイルが連打され、配置の間に合った「隕石」が、要塞に突進する。

 

 ミサイルは敵の対空砲火を搔い潜って、要塞の対空砲台や小型艇の発進口を破壊する。恐らく、センサ類にもダメージを与えているだろう。但し、「隕石」は全く効果がなかった。要塞が自由に機動できる空間では、当てることなどできっこない。

 

 南軍は、一旦戦闘を終了し、小惑星帯の内側へ入ろうとした。すると、要塞が移動し、駐留艦隊の一部が出撃して小惑星帯を突破しようとする。さはさせじと南軍が応対し追い返すが、引き返そうとすると、再び要塞が前進してくる。

 

 こうなってくると南軍の方が先に疲弊してくる。要塞を「押し返す」ことのできる長射程ミサイルも「隕石」も数が限られるのだ。そうなると、要塞主砲の射程ぎりぎりに展開して射撃する必要がある。そうなると、じわりじわりと主砲の射撃が艦隊を「かすめて」損害が積みあがっていくのであった。

 

 

【ブラウンシュヴァイク星域での戦闘経過を提示する。

 北軍

  第9艦隊:8000⇒3000

  機動要塞E:機能に異常なし。耐久力10%減少。残り85%

 南軍

  第2艦隊:13000⇒10500

  第4艦隊:13000⇒11000

 

  ブラウンシュヴァイク星域は依然南軍の支配下に在り】

 

 

 

「2個艦隊でも苦戦しているんですか。これじゃどうにもならない」

 統裁コンピュータの情報を見たフォークがキャゼルヌに言った。

 

「ガルミッシュ要塞の4個艦隊が早々に使えなくなったのが大きいな。アムリッツァ要塞はアムリッツァ軍管区下だから、本来ならガルミッシュ要塞側が何とかするものだ。建前論からすると、ガルミッシュ要塞駐留艦隊が取り逃がすのは大失態と言える。本来なら、ガルミッシュの部隊は、要塞を足止めして、カウンターパンチで北軍後方に浸透して擾乱攻撃を行うのが定番だ。時間をかければかけるほど、南軍の戦になる」

 

「首都の部隊は、ガルミッシュ要塞の尻ぬぐいをさせられていると?」

 

「建前論から言えばそうなる。実現可能性を考えなければ。だが、ブラウンシュヴァイクの南軍もやることが中途半端だよ。敵要塞を倒せないと思うのなら、小惑星帯の外に出るべきじゃない。さらに言うとだ」

 キャゼルヌはスクリーンの一点を指差した。

 

「今戦っている2個艦隊は、ブラウンシュヴァイク公と甥のフレーゲル男爵の艦隊だ。偶然の話なのか、合理的判断なのかは分からんがリッテンハイム侯とミュッケンベルガー元帥の艦隊は後から来る。来られるならば。恐らくキフォイザー星域から第五艦隊、メルカッツ提督の艦隊も来るだろう。だけどな」

 

「だけど?」

 

「これは同盟にもある話だけど、贅沢で訓練が行き届いた部隊ってのは、損耗から立ち直るのが難しいんだ。部隊が消耗したから補充を送っても、こういう部隊にとっては量が全然足りないってことになるし、普通の部隊には存在しない装備ってのが結構あるんだよ。特別な部隊のために特別にリソースを用意するってのは、後方支援にとっては結構面倒臭い。これがブラウンシュヴァイク公の部隊ならどうなると思う」

 

「どうなるんですか?」

 

「あの2個艦隊、駐留拠点に戻ったら、よっぽどの事情がない限り、二度と出てこれない。北軍が退却して仕切り直し、なら別だが、退くつもりないだろうからね」

 

 

 

 キャゼルヌの指摘は当たっていた。要塞との消耗戦を繰り広げていたブラウンシュヴァイク、フレーゲルの2個艦隊は、救援にやってきたメルカッツ提督の第5艦隊、ガイエスブルク要塞から駆けつけてきた、ミュッケンベルガー、リッテンハイムの1、3両艦隊によって、何とかヴェスターラントの根拠地に戻ることができた。しかし、両艦隊の士気は思ったより低下していた。

 

 この時点のブラウンシュヴァイク星域の兵力は、

 

【北軍

  第9艦隊:3000(再編成中)

  機動要塞E:機能に異常なし。耐久力残り85%

 南軍

  第1艦隊:9000

  第2艦隊:10500(再編成中)

  第3艦隊:12500

  第4艦隊:11000(再編成中)

  第5艦隊:7500

  ブラウンシュヴァイク星域は依然南軍の支配下に在り】

 

 と、数では南軍が圧倒していた。しかし、第2、第4の2個艦隊は再編成未完了を理由に出撃を拒否、アムリッツァ要塞をブラウンシュヴァイク星域から追い出す作戦は、ずるずると延期されていった。

 

 途中、アムリッツァ要塞がブラウンシュヴァイク星域中心部に侵攻する動きが何度かあった。だが、これも小惑星帯近辺の機雷堰、その内側に南軍が布陣し、長距離ミサイルと「隕石」をつるべ打ちすることで撃退に成功した。ここでも出撃しなかったブラウンシュヴァイク公は、その作戦能力、というか戦意を疑問視されるようになった。

 

 また、弱り目に祟り目というか、首都星ツォンドルフにも問題が発生した。北軍の機動要塞が出ていかないため、ブラウンシュヴァイク星域は物資の搬入に大きな制限が生じていた(機雷堰で封鎖されているため)。当然ながら、食料品、生活必需品を中心にインフレが発生した。首都郊外の工廠では、長時間労働と低賃金に喘ぐ労働者がストライキを敢行した。通常ならあり得ないことだったが、監視しているはずの憲兵隊が、無防備惑星宣言のため撤収していたことがこれを可能にした。

 

 南朝はすぐさま憲兵を投入してストライキを鎮圧したが、無防備惑星宣言を行った惑星に(憲兵とはいえ)兵士を投入したことは、投入を決断したブラウンシュヴァイク公への批判を招き寄せた。行き当たりばったり、かつ戦意の低いブラウンシュヴァイク公への批判の声は日に日に高くなっていった。

 

 これにはブラウンシュヴァイク公も抗しきれなくなり、ブラウンシュヴァイク星域に集結した5個艦隊で決戦を挑むということになった。だが、2月になったこの時点では、北軍も

 

・マールバッハ星域から来た4個艦隊

・フレイヤ星域から来た1個艦隊

 計5個艦隊が到着しており、北軍と南軍は5個艦隊同士(損耗した北軍の要塞駐留艦隊はカウントしない)。数の点では同等だが北軍には機動要塞があるため、南軍が戦力不利な状態になっていた。統裁コンピュータの情報を基にすると以下のようになる。

 

 

【北軍

  第1艦隊:8000

  第2艦隊:10000

  第4艦隊:8000

  第5艦隊:8000

  第6艦隊:8000

  第9艦隊:3000(再編成中)

  機動要塞E:機能に異常なし。耐久力残り85%

 南軍

  第1艦隊:9000

  第2艦隊:10500

  第3艦隊:12500

  第4艦隊:11000

  第5艦隊:7500

  ブラウンシュヴァイク星域は依然南軍の支配下に在り】

 

参考資料 ブラウンシュヴァイク星域会戦概略図

 

【挿絵表示】

 

 

 

 2月4日に始まった戦闘は熾烈なものになった。ブラウンシュヴァイク星域小惑星帯の外で行われた戦いは、士気は依然南軍が高く北軍を「押す」格好となった。南軍の作戦は、とにかく要塞に近寄ることなく、敵を圧迫して撃破する。敵の1個艦隊に集中砲火をかけ、撃破していく作戦である。

 

 北軍も、なるべく要塞から遠ざかることなく、疲弊した艦隊はそうでない艦隊と交代させ、持久を図る戦法に出た。

 

 戦闘は三日ほども続き、両軍がいい加減疲労しきった後に変化が訪れた。北軍の1個艦隊が戦場から離れ、ブラウンシュヴァイク星域の小惑星帯、戦場から見ると反対側に移動しようとしたのだった。そこは機雷堰で封鎖されているが、そこが突破されると無防備な惑星ツォンドルフに直撃される恐れがある。

 

 南軍はすぐさま迂回艦隊の捕捉撃滅を試みたが、残った北軍が妨害に入る。迂回艦隊を叩ききれないと判断した南軍は、第5艦隊を分派し、迂回艦隊を拘束させた。すると、北軍はさらに1個艦隊を分派した。南軍も第1艦隊をこれに当たらせる。

 

 この時点で北軍要塞と相対するのは、ブラウンシュヴァイク、リッテンハイム、フレーゲルの3個艦隊である。しかしここで、北軍は一気に総攻撃をかけてきた。損害をものともせずに相手を押して押して押しまくる猛攻撃である。損害を受けて稼働状態にないはずの第9艦隊まで出撃してきた。

 

 この猛攻撃に、もともと戦意が怪しかったブラウンシュヴァイク、フレーゲルの艦隊が音を上げた。それに合わせて、リッテンハイムの第3艦隊も総崩れとなった。

 

 戦局は決した。惑星ヴェスターラントに逃げ込もうとした3個艦隊は、自らが敷いた機雷堰に阻まれ困惑することになった。前に機雷堰、後ろに敵艦隊と挟み撃ちになった3個艦隊は壊乱状態となり四散、ここに至り星域防衛部隊の士気も崩壊、どこの誰かも分からない処置によって、機雷堰の機能は停止した。

 

 宇宙歴799年2月7日、ブラウンシュヴァイク星域での戦闘は終結。南軍の政府は機能を停止した。

 

 

【ブラウンシュヴァイク星域での戦闘結果は以下の通り判定する。

 北軍

  第1艦隊:8000⇒6000

  第2艦隊:10000⇒7000

  第4艦隊:8000⇒7000

  第5艦隊:8000⇒7000

  第6艦隊:8000⇒7000

  第9艦隊:3000⇒2000(再編成中)

  機動要塞E:機能に異常なし。耐久力5%減少。残り耐久力80%

 南軍

  第1艦隊:9000⇒6000

  第2艦隊:10500⇒3500

  第3艦隊:12500⇒5000

  第4艦隊:11000⇒3000

  第5艦隊:7500⇒6000

  ブラウンシュヴァイク星域は北軍により制圧さるものと判定する。

 

 以上の戦闘結果および経過は、自軍陣営には、フィルタリングの後伝達するものとする】

 

 

 

「わずか一か月ちょい、ですか」

 フォークがため息をついた。南北軍の戦闘は、とにかく戦意が低く、だらだらした戦闘が続いていつの間にかお開きになる。そういう一般的なイメージとは全く違う戦闘がそこにあった。

 

「やっぱりあの機動要塞かね」

 情報部の大尉が言う。

 

「かもしれません。視覚的効果は絶大ですし、単体戦闘ハードウェアとしての能力も大きい。自力で動けるというのはむしろ絶対的でしょう」

 

「弱点を研究しないとなぁ。何度か手合わせしたり、スパイを潜入させたり。そうすると分かるんだよ。核融合炉に直結する排気口とか、そういうのが」

 大尉が言った。多分、素人に分かりやすく話しているのだろう。口調からフォークはそう判断した。

 

「フォーク君。これからどうなると思う?」

 キャゼルヌの試問に、フォークはしばらく思考をめぐらせた。

 

「まず、政体の統一と艦隊の再編成、これに最低限一か月。そして戦力の補充と再配置。帝国も痛んでいますから、まずは機動要塞をアムリッツァに戻し、防備を整えるはずです」

 

「攻勢に出るとしたらどうする?」

 

「どんなに早くても、統一帝国の攻勢は四月になるでしょう。帝国も痛んでいますから、攻勢に出るとしたら、南北両軍を集結させた、5、6個艦隊を集結した大攻勢、アッシュビー・ライン完全制圧を目論む作戦にならざるを得ません。そうでなければ、帝国国民の士気は保てないでしょう。攻勢に出るならば、ですが」

 

「そうか……そうだな。普通に考えるならば、攻勢に出ることはない。他にやることが一杯あるからな。だが」

 

「だが?」

 

「それはフォーク君。君が答えてみろ。多分考えていることは一緒だ」

 

「……一体この演習は何のためにあるのか、でしょうか」

 

「そうだ」

 キャゼルヌはコーヒーが入っていた紙コップを握り潰した。

 

「同盟側の参加者を見ただろう?艦隊の参謀が沢山いる。つまり、艦隊を動かすことが目論見の中に入っている。でも、帝国が自分の後始末をするだけで期間が過ぎてしまうならそういうことはしない。すごく、ゲーム的な思考だけど、統一した帝国と、同盟の衝突はあるんだよ。問題はそれがどういう形で出るかだ」

 

「もっと怖い想像がありますよ」

 参事官の中佐が割り込んできた。

 

「もし、北軍がこの勝利を想定内としていたらどうします?」

 

「どういうことですか?」

 フォークは聞いた。

 

「我々は、北軍が、あるいは南軍がもう片方に勝利する。そのために全力を注いでいると信じている。だが、これほど早く終わる内戦、となるともっと怖いことを想像してしまう」

 中佐は一息入れて、続けた。

 

「北軍は、いや、帝国軍は同盟領への侵攻をスケジュールに入れている。ならば、通常は考えない手をプランに入れていたっておかしくはない」

 

「通常は考えない手?」

 フォークが中佐に聞き返す。

 

「まぁ、我々は統裁官ですから。帝国軍の手をそこまで読む必要はないですね。いずれ分かります」

 

「え、なんで……」

 フォークは狼狽したが、中佐は肩をすくめてそれ以上何も言わなかった。キャゼルヌもうんうんと頷くだけ。

 

 フォークの、いや、中佐の想像は間もなく実現した。ゲーム内の時間で799年3月初頭、帝国はキフォイザー星域に旧南軍の3個艦隊を集結させ、同様にアムリッツァ要塞も進出させた。帝国は政体の統一やシステムの変更もそこそこに、艦隊を動かし続けていた。そして、ゲーム内799年3月11日、統裁コンピュータは以下のメッセージを表示した。

 

 

【北軍、キフォイザー星域に集結せる機動要塞E、第15艦隊、第16艦隊、第18艦隊を進発。目的地はフェザーン星域突発事項なき場合成功と判定。所要時間10日の予定】

(著者注:南軍第5、6、8艦隊は、それぞれ15、16、18艦隊に名称変更)

 

【北軍、フェザーン政府に、フェザーン自治領に逃亡せるブラウンシュヴァイク公の身柄引き渡しを要求する。フェザーン自治領政府は回答を保留】

 

 

 

 その頃、帝国軍(旧北軍)担当指令室(ウォールーム)──

 

「それでは『教授』、始めます」

 

「分かった。ヤン君、存分にやり給え」

 

 チュン・ウー・チェンとヤン・ウェンリーのやり取りを眺めているジャン・ロベール・ラップは、随分と芝居かかっているな、そう思っていた。演習の場所ではリラックスのためとして、堅苦しい階級の問題は捨て置かれることが多いが、ここはさらに極端だった。司令官を務めるチュン・ウー・チェン少将は、自分のことを『教授』と呼ぶように要求し、同様に参加者は階級で呼ぶことを禁止した。結果、司令部というよりは研究室のゼミのような雰囲気になっている。一番それを歓迎したのがヤン・ウェンリーであることは言うまでもない。

 

 ヤンがフレデリカに目くばせをして頷いた。フレデリカは端末に向き合うと、検討した戦闘計画を入力する。入力が終わると、統裁コンピュータがそれをチェックし、同盟軍の対応と比較計算して戦闘判定が行われるだろう。

 

「ヤン」

 ジャン・ロベール・ラップがヤンに話しかけた。

 

「どうしたラップ」

 

「いよいよだな」

 

「いよいよだよ。そう気負うことじゃないと思うが」

 

「まぁそう言うなよヤン。たとえ演習(ゲーム)の中とはいえ、あんな計画を実行するのだから。尻込みしないのか?」

 クラインシュタイガーが少し心配そうに聞く。

 

「クラインシュタイガー。現実と仮想は違う。むしろ、現実のものにしないために仮想があるといってもいい。仮想で検証したら、その原因を探り、備えなければならない」

 ヤンはどこから調達したのか、ガラス製の紅茶ポットからカップに紅茶を注いだ。

 

「現実でそのようなことを起こさないために、我々がやるんだ。我々がその手を血にまみれ(ブラッディ)させるのは、そのためだよ」

 ヤンはそう言って紅茶をすすった。それを見つめるクラインシュタイガーは、そんな血なまぐさい話をしておきながら、よく紅茶を味わえるものだ、と内心ため息をついた。クラインシュタイガーは、前面の巨大ディスプレイを見る。その右上には、今回の図上演習で北軍チームに与えられた命令が記されていた。そのために、我々はこのようなとんでもない計画を実行に移そうとしている。

 

 

 

『帝国北軍を指揮せよ。

 どのような手段を使っても良い。

 全宇宙を征服せよ』




次回タイトル

第十七話 血塗れのヤン(ブラッディ・ヤン)(下)


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第十七話 血塗れのヤン(ブラッディ・ヤン)(下)

 

「で、ちなみに、ブラウンシュヴァイク公は生きているのかね」

 

「死亡していますね。旗艦ベルリンの爆沈と運命を共にしています。ただ、敗戦の混乱で死亡が公的に確認されているわけではないようです。他の門閥貴族も同様です。南軍は崩壊状態にありますから、そういうことをやる状況にないのかと」

 キャゼルヌの質問にフォークが答えた。銀河帝国(元北軍)は、フェザーン自治領に対して、フェザーン自治領に逃亡したブラウンシュヴァイク公の引き渡しを要求していた。

 

 奇妙な要求だった。そもそも前提として、フェザーン自治領は帝国の領土である。高度な自治権を与えられているが、帝国の領土だ。帝国の治安警察は(フェザーン治安警察に日常業務を委譲しているものの)フェザーンでも警察権を実行できるし、今までもそうしてきた(但し、高度な政治的案件に限定されてはいるが)。そんなにブラウンシュヴァイク公の身柄が欲しいなら、勝手に踏み込んで持っていけばいいだけのことである。

 

 それでありながら、このような要求を突き付けてくるというのは、一つの理由しか考えられない。

 

「つまりは、北軍はこれからフェザーン自治領に踏み込むけど、それはフェザーンの落ち度であって銀河帝国の落ち度ではないよ、ということか」

 

「そして、ご丁寧に帝国第3艦隊がエックハルトからアイゼンヘルツに移動中だよ。金髪の天才、常勝将軍がフェザーンにたどり着く時が」

 参事官の中佐が芝居がかった口調で言う。

 

「フェザーン自治領最後の日、というわけだ。フェザーンはどうしている?」

 

「自治領主が同盟大使館を詣でてますよ。一刻も早くフェザーンに艦隊を展開しろと。借款ならいくらでも応じると言ってますよ」

 

「フェザーンとの協定で艦隊は展開できません、そう言ってやったらいいんじゃないですか。そういう条件を突き付けてきたのは向こうでしょう」

 

「フェザーンから沢山借りとけばよかったなぁ」

 フォークの言葉に、中佐は残念そうにつぶやいた。

 

「返さなくていいんだから、借りるだけ借りとけば、さぁ。国防予算だって少しはマシになったろう。機動要塞が確認できた後に、それやっとけばよかったんじゃないのか」

 

「大した後の祭りだ」

 キャゼルヌが断定するように言う。フェザーンが踏み倒される借金なんか認めるわけないだろう。自分の首に縄が巻かれるその時まで。

 

 前面スクリーンには、両軍の戦力配置が表示されている。そして、下には戦力値も表示されている。曰く、

 

 『自由惑星同盟軍 12個艦隊稼働可能。戦力101000隻』

 『銀河帝国軍 10個艦隊稼働可能。戦力98000隻』

 

参考資料1 自由惑星同盟星系図

 

【挿絵表示】

 

 

 

「戦力は同盟の方が多いんですね」

 フォークが誰宛というわけでもなく言った。

 

「そりゃそうだ。帝国はつい一月前まで全力で殴り合ってたんだ。よくあれだけ残ったと言えるかもしれないぜ」

 キャゼルヌが返す。

 

「北軍改め帝国軍は知っているんですか。敵の方が多いことは」

 

「情報収集能力が及ぶ限りは、な。ということは、多分、知ってる」

 

「敵の方が多いのに、攻めようとしている。普通は、敵の方が多いと分かっていて攻めるのは、馬鹿のやることだと言われます」

 

「でも、速攻と遅攻、どちらがいいかと言われると、速攻の方がいい。感覚では分かるよな。フォーク君」

 

「まぁそれは。我々は同盟軍人ですからね。軍の状況も分かってる。でも、敵は知らないでしょう?それって、ずるくありませんか?」

 

「そうかもしれない。でも、折角のシミュレーションだ。常識なんて振りかざしてもつまらないだろう。それに組織というものは」

 キャゼルヌはマグカップのコーヒーを一口飲んだ。新しいコーヒーメーカーはなかなか評判が良いが、おかげでコーヒー豆の消費が早い。

 

「非常識と相対する時、その本当の実力を垣間見ることができる」

 

 

 

 宇宙歴799年3月13日、フェザーン回廊に帝国第3艦隊がワープアウトした。フェザーン自治領は、ブラウンシュヴァイク公の捜索と、調査状況の報告を条件に、艦隊の即時撤収を求めたが、帝国はそれを無視、3月14日には惑星フェザーンの軌道を制圧した。この時、フェザーンでは停止状態にあった「首飾り」の再起動が議論されたようだが、遅すぎるということで却下された。

 

 第3艦隊は、一万を超える歩兵を惑星フェザーンに降下させると、フェザーン行政府の重要施設の占拠に入った。自治領主府、同盟大使館、宇宙航路局、公共放送センター、中央通信局、軌道エレベータ制御センター、物資流通センター、治安警察本部、地上交通制御センター、水素動力センター、そして「首飾り」制御センターであった。インフラの背骨を押さえ、未獲得の情報を奪取する、常識的な作戦であった。

 

 結果から言うと、施設の占拠は順調に進んだが、帝国軍が得られたものは少なかった。同盟大使館は、設置していたサーバから機密データをきれいに消去していたし、フェザーンの各省庁も機密性の高いデータはサーバから消去していた。持ち出して地下に隠れたかどうかは分からなかった。ただ、民間に与えた影響は最小限だった。公共放送は放映を停止したが、ネットワーク、レガシーなインフラストラクチャー、治安システムはほぼ通常通りに稼働していた。

 

 そして、フェザーン主要設備の占拠がひと段落したことを確認した第3艦隊は、占拠要員だけをフェザーンに残すと、フェザーンを去って行った。推進剤の補給すら行わなかった。

 

「どういうことなんだ」

 後方支援本部の少佐が困惑して言った。

 

「後から例の機動要塞が来るから、それに任せるのでしょう。到着まであと5日なら」

 これはフォーク。

 

「実に嫌な動きだ。5日あれば、ルンビーニ星域の第6艦隊、ポレヴィド星域の第7艦隊が出師準備を完了するんだよ。止まってくれりゃいいのに。こりゃ、第6、第7のどちらかがやられるぞ。第7艦隊なんて未充足状態だ。敵艦隊に傷すらつけられないだろう」

 

「第7艦隊をいたぶるために、敵の艦隊は慌てて出ていった、と?」

 

「さぁな。通り魔でもあるまいし、一発殴って引き上げるためにフェザーンに踏み込んだとは思えんよ。ただ、後続部隊があるとはいえ、1個艦隊で何をするのか。後続と合流した方が、より確実に作戦が行えるはずなのに。機動要塞だって使えるはずなのになぁ」

 少佐が目をしばたたいた。

 

「ねぇ。もしかしたら、これ、ヒントかもしれないよ」

 参事官の中佐が、大画面用の端末を操作した。大画面に動画が表示される。動画は、とある人物の演説を中継しているものだ。テロップには、銀河帝国戦勝式典での帝国宰相演説、とある。

 

「ここに集まりし臣民諸君。私は、銀河帝国を代表し、諸君らの多大なる献身に、深く感謝の意を申し述べるものである。諸君の献身、健気がなければ、この戦争がこのように早く終結することはなかった。(中略)、さて、諸君皆々は、諸君らの最も親しき人を頭に思い浮かべていただきたい。もし子供であれば父親を、妻であれば夫を、生娘であれば恋人を思い出していただきたい。頭に思い浮かべた人々が側に居るならば、それは幸いなことである。もし、遠くに居ても無事であることが確信できるなら、それも幸いなことである。戦地に居て、帰らぬことになってしまったならば、それはとても悲しむべきことである。ある人の悲劇は、ここに集まった全ての人々の悲しみである。ここで、その悲しみに対し、黙祷を捧げたい」

 

「帝国宰相?リヒテンラーデ侯爵……でしたっけ」

 フォークが思い出しながら言った。

 

「そうだよ。宰相になって十年以上経つだろう。この人も長いよなぁ」

 情報部の大尉が言う。

 

「しかし、本物の演説動画と全く変わらないな。これがAI自動生成なんて信じられないよ。演説の傾向を入力することによって、こんな動画ができるなら、ウチも政治家なんて要らないかもしれんな」

 参事官の中佐が面白がるように言った。戦略級のシミュレーションをやる時には、支援ソフトウェアとして、政治家、貴族等のインタビュー動画やこのような演説動画、同盟であれば新聞記事や政治家の発言を自動的に生成して閲覧できる機能がある。これは、戦略の検討には政治がしばしば不可分の存在となるためで、より正確な判断を行えるようにするためだった。

 

「諸君らの愛した人々は死んだ。しかし、これは終わりではない。否、始まりなのだ!この戦いで散っていった人、愛すべき人々に刃を突き立てた卑劣漢に対する裁きを下さねばならない。旧態依然たる門閥貴族は滅んだ。何故か?それは、我々が戦うのは正義の戦争だからである。だが、正義の戦争、悪に対する裁きは、まだ続けなければならない。それは、自由惑星同盟を僭称する、共和主義を信奉する叛徒共に対するものである。彼らは自由や共和主義を主張しているが、実際あるものは金儲けと利己主義だけである。彼らは門閥貴族共に武器を売りつけ、帝国の一統を妨害し続けたのである。これだけでも、叛乱軍が有罪であることは一目瞭然である!(中略)」

 

「これは、利己主義と拝金主義に染まった、愚劣なる叛徒に対する裁きの鉄槌である。神の放った怒りの炎に、必ずや彼らは屈するであろう!」

 

 動画再生が終了して、中佐は室内を見回した。わけが分からず困惑しているのは、フォークと後方支援本部の少佐、おそらく、という表情をしているのはキャゼルヌ。完全に理解しているのは情報部の大尉だった。

 

「こいつは煽ってるな」

 情報部の大尉が一言それだけ言った。

 

「ですね」

 参事官の中佐が答える。眉をひそめ、目を逸らしている。

 

「ろくでもないことが始まる、か。未知の敵に攻め込もうとする時、敵に対する憎悪をかき立てるのは常套手段だ」

 キャゼルヌが言う。

 

「そんな一般論だったらいいんですけどね」

 情報部の大尉が、低い声で言った。

 

「宰相は『裁き』という言葉を使った。裁きとは、上位の人間が下位の人間に行うものです」

 

 

 悲劇の幕は3月16日に開いた。16日にポレヴィド星域に出現した帝国第3艦隊は、同盟第7艦隊に襲い掛かった。第7艦隊は辛うじて出師準備は整えていたが、実態は基幹要員しか存在しない留守艦隊であり、戦力はどれだけ多く見積もっても3500隻余りであった。司令官のホーウッド少将は、動ける限りの戦力を動員し、ポレヴィド星域惑星ルジアーナの前面に立ちはだかった。惑星ルジアーナでは、民間人の退避が進行中であり、圧倒的に劣勢であっても逃げるわけにはいかなかった。問題は、惑星ルジアーナには2億近い民間人が居住しており、どれだけ時間を稼いでも避難には間に合わないことだった。今や、辺境星域(アウター・リム)には60億近い同盟市民が居住しており、帝国軍の急襲に対して逃げる暇がないというのは、どこの惑星も同様だった。

 

 同盟第7艦隊は、可能な限りの抵抗を行った。しかし、アムリッツァ方面軍の最精鋭艦隊である第3艦隊を相手にしては、誤差レベルの影響しか与えなかったであろう。3月16日正午に始まった戦闘は、4時間で完全決着した。もちろん、同盟第7艦隊の雲散霧消という結果で。

 

 しかし、悲劇はまだ始まってもいなかった。帝国第3艦隊は惑星ルジアーナ軌道を制圧し、脱出しようとする民間人を片っ端から拿捕すると、惑星ルジアーナの造船コロニー、軍需工場コロニー、軍需基地、そして、

 

 惑星地上にある軍需・造船工業地帯にレーザー水爆ミサイルを撃ち込んだのだった。南朝(北朝向けもあるが主に南朝)向けの軍需物資輸出で潤っていた工業地帯は、その日、遺跡へと変貌した。もちろん工業地帯にあるものが工場だけであるはずがない。

 

 

【ポレウィド星域での戦闘結果は以下の通り判定する。

 

 北軍

  第3艦隊:11000⇒10500

 

 同盟

  第7艦隊:3500⇒300(指揮機能喪失。指揮官戦死判定)

 

  惑星ルジアーナは統治機能停止。北軍によって行われた攻撃により、惑星ルジアーナの工業生産力は80%消失。民間人の死亡は4109万6749名。尚、統治機能の喪失により死亡者数は今後増大する模様。

 

 

 以上の戦闘結果および経過は、自軍陣営には、フィルタリングの後伝達するものとする】

 

 

「よんせん……まん」

 参事官の中佐がコーヒーカップを取り落とした。割れはしなかったが、机の上にコーヒーがぶちまけられる。フォークは腰がぬけて、座席にへたり込んだ。後方支援本部の少佐は、信じられない、と繰り返している。辛うじて平静そうに見えるのは、情報部の大尉とキャゼルヌだった。

 

「やりやがった……マジかよあの野郎……やりやがった」

 

「考えられる可能性、その選択肢の中で最悪」

 そう言うキャゼルヌの表情は凶悪そのものだ。

 

「最悪も最悪、さらに最悪、いくら言葉を重ねても足りないぐらいだ」

 

「大尉、でも想像していたんだろう?」

 

「……どれだけ考えても、この手が最高です。最小のリソースで最大の利益が得られる。自分の考えが間違っていなければ。ただ」

 

「この命令を下した人間は手を汚したな」

 

「汚したで済む問題ではない。こいつは人間をやめたんです。間違いない」

 

「理性が蛮行にブレーキをかけてくれるなら、これほど有難いことはない。だが、歴史はその反証に満ち満ちている。そして」

 

「そして?」

 

「今の我々では、奴等に勝てない。全く抵抗することもできない。それを見せつけられたんだよ」

 

 その日、演習終了後、統裁官宿泊施設の売店では、ビールを始めとするありとあらゆるアルコールが売り切れたという。北軍、同盟の売店も同様だった。

 

 

 

 禍々しい北軍の衝撃と畏怖(shock and awe)の効果は絶大だった。同盟所属惑星では、おしなべて治安が悪化した。物資の買い占めと、それに伴った物資不足が発生した。混乱は艦隊の駐留しない、ポレウィド星域近隣の星域で大きかった。

 

 影響は治安の悪化や民政の混乱だけに止まらなかった。同盟所属惑星は、軍に対して民間人の避難を要求し、受け入れられない場合は帝国に降伏すると迫った。ポレウィド星域に隣接するランテマリオ星域の惑星ラーティゴストでは、現地政府が『革命軍』に打倒され、『革命政府』が帝国への臣従を申し出るという事態まで発生した。その暴挙が成功したかどうかは微妙なところである。確かに惑星ラーティゴストでは、帝国軍が直接手を下した死者は存在しなかった。ただ、南軍への武器輸出を理由とした、工場、インフラストラクチャーの破壊は行われた。抵抗が無かった故に、破壊はより徹底的に行われた。

 

 当初、ランテマリオ星域に侵攻した第3艦隊に対し、完全充足の第1、第6、第12艦隊による包囲作戦が立案された。但し、その実現は困難が伴うことが判明した。同盟領内の航路は避難する民間船により渋滞状態にあり、移動するだけで通常に倍する時間がかかることが明らかになった。また、惑星で発生した物資の買い占め・隠匿・流通網の混乱により、軍ですら満足な補給が受けられない状態だった。また、フェザーンに最も近いルンビーニ星域に駐留する第6艦隊は、周辺の星域政府により、代替の防衛力の供給がないまま移動したら同盟から離脱すると宣告されていた。要は、アッシュビー・ラインに駐留する3個艦隊を持ってこい、というわけだった。

 

 3月20日から3月末までの戦闘でランテマリオ星域は帝国軍が完全に掌握。それだけでなく、ランテマリオ星域に隣接するマル・アデッタ、ガンダルヴァ、リューカスの3星域に帝国軍の部隊が確認されていた。戦禍は既に中核星域(コア・セクター)に深く及んでいた。

 

 

 

 もちろん、同盟軍も手をこまねいていたわけではない。ガンダルヴァ星域に侵入した部隊は、駐留していた第8艦隊がすぐに撃退した。他の部隊も、同盟軍の部隊と接触するとすぐに撤退した。3月末になって、ようやく行動の自由を回復した同盟軍は、第5艦隊と第8艦隊がランテマリオ星域に雪崩れ込んだが、仇敵第3艦隊は帝国領に撤退しており、代わりにアムリッツァ要塞と随伴の3個艦隊が展開していた。同盟軍2個艦隊は戦うべきか、退くべきかについて逡巡したが、戦力比で1対2の状態(同盟軍15000隻、帝国軍30000隻)おまけに向こうには機動要塞もあるとあっては、撤退を選ばざるを得なかった。

 

参考資料2 宇宙歴799年3月下旬戦況

 

【挿絵表示】

 

 

 

「とんでもない所に居座られてしまいましたね」

 フォークが言った。

 

「こうして見ると、ランテマリオ星域は交通の結節点だなぁ。でも、防衛拠点はない。小惑星帯が多いし航路の整備が遅れているから、開発が遅れているんだなぁ。でも、ここから奥に行かれると中核星域だからなぁ。シミュレータの同盟政府は何て言っているんだい?」

 キャゼルヌが聞いた。

 

「一か月以内に、敵艦隊および要塞を完全に撃破せよ、だそうです」

 

「政府としては、すぐにでもあんなのに出て行って欲しい、というか生きて返したくはないだろう。逃げられたら政権が潰れるどころじゃない、与党が壊滅するかもしれない」

 

「政局の方はシミュレートされていませんが」

 

「まぁそうだよねぇ。それにしても我が軍はよく止まったよねぇ。当事者だったら、相手が倍だろうが復讐したいとは思わないかい?」

 

「でしょうね」

 

「まぁこれも演習だから、ってことか。それにしても、気に入らないな」

 

「何がです?」

 フォークが不思議そうに聞く。

 

「今になってこんなことを言うのもなんだが、この演習の『設定』が、だよ。演習の期間は6か月。そして3か月が既に経過している。残り3か月の間にあの要塞がどうなるか、が今、焦点となっているわけだよ。設定された期間がもう少し長ければ、帝国には距離の問題が大きくのしかかってくるはずだ」

 

「短期決戦を演出するために、短い期間が設定された、と?」

 

「別に半年という期間が短いとは思わない。だが、時間というのは捉え方だな。もう少し長ければ勝てる……いや、これはそういう話じゃないのか。そういう考え方を牽制するために、こういう行動をしているのかもしれない」

 

「???」

 

「お前らもう少し真面目に考えろ、ってことだ。フォーク君。確かにね、改めて実感したよ。こんな情景を見せられて、許容できる損害(コラテラルダメージ)なんて言う連中とは付き合うのを止めた方がいいよな。敵に攻められたら、縦深を活かして後退し、敵の疲れたところを突く。戦いの基本だよ。でも、フェザーン方面には縦深なんてのは存在しない。いや、アッシュビー・ライン以外に縦深なんてないんだな」

 

「そう……ですね」

 

 統裁コンピュータが宇宙歴799年4月の開始を告げた。帝国軍は相変わらず動き続けるようだった。

 

 

 

 4月2日、帝国軍は3個艦隊と機動要塞、つまり全力でもってジャムシード星域に侵攻、駐留している第5艦隊を急襲した。第5艦隊は奮闘したが、10倍の数を持つ相手には衆寡敵せず、早々に敗退した。

 

【北軍

  3個艦隊:30000⇒29500

  機動要塞E 残存耐久力80%

 

 同盟

  第5艦隊:3500⇒1500】

 

 帝国軍は、補給基地、工廠等の軍事基地の破壊に1日を費やした後、4月5日ケリム星域に侵攻した。ここには第11艦隊(と第5艦隊の残存兵力)が存在していたが、やはり帝国軍の敵ではなかった。

 

【北軍

  3個艦隊:29500⇒28500

  機動要塞E 残存耐久力80%

 

 同盟

  第5艦隊:1500⇒1000

  第11艦隊:3000⇒1500】

 

 さらに帝国軍は、撤退した両艦隊を追撃する格好で、4月9日、帝国軍はついにバーラト星域に進出した。惑星ハイネセンではパニックが発生し、様々な混乱事態が起きたが、さすがに帝国軍はハイネセンには手が出せなかった。惑星ハイネセンには、中核星域全体から集められた5個艦隊、42000隻が展開していたからだ。帝国軍は同盟に対し降伏を勧告したが、同盟軍は一蹴、逆に帝国軍への逆襲を開始した。

 

【北軍

  3個艦隊:28500

  機動要塞E 残存耐久力80%

 

 同盟

  第1艦隊:12000

  第3艦隊:3000

  第8艦隊:12000

  第9艦隊:3000

  第12艦隊:12000】

 

「奴等を逃がすな!」

 第1艦隊旗艦、エピメテウス艦橋に、司令官ホーランド大将の怒声が響き渡る。首都星域に踏み込まれるという屈辱と引き換えに、確固たる数的優勢を確保したのだ。勝利は絶対条件である。だからこそ必死にもなる。

 

 対する帝国軍は、敵の進撃に無理に対応せずゆっくりと退く。そして、敵の部隊を要塞主砲射程内に引きずり込んだら主砲で叩く戦術に出る。9日の戦闘は、双方共に3000隻ほどを失う、痛み分けという結果に終わった。

 

 4月10日、帝国軍は同盟軍の戦線を迂回し、側面に回り込む構えを見せた。同盟軍としては戦線を再構築して逃がさなければよかったのだが、機動要塞の進行方向が問題だった。要塞は惑星ハイネセンに接近する方向に前進していたのである。

 

 敵要塞をハイネセンに近づけるな、と厳命されていた同盟軍は、不本意ながら敵要塞を包囲するように艦隊を再配置する他なかった。もちろん帝国軍はそのような意図を見過ごすはずはない。要塞を包囲する同盟軍のその外側から包囲するように布陣し、猛射撃を浴びせかけた。

 

 結果、二日目は帝国軍の大勝に終わった。だが、失ったものがなかったわけではなかった。アムリッツァ要塞こと機動要塞Eは、その耐久力に大きなダメージを負ったのである。特に主砲射撃システムに行われたミサイルの飽和攻撃は痛かった。その後に行われた半ば自殺的な艦艇の突入により、主砲の射撃は不可能と判断された。

 

【北軍

  3個艦隊:28500⇒20500

  機動要塞E 残存耐久力50%

 

 同盟

  第1艦隊:12000⇒9000

  第3艦隊:3000⇒1500

  第8艦隊:12000⇒10000

  第9艦隊:3000⇒1000

  第12艦隊:12000⇒7500 】

 

 これにより、帝国軍はバーラト星域での戦闘を断念し、後退に入った。しかし、それは同盟も予想していた。数では帝国20500に対し、同盟は29000隻と依然優勢である。後退戦を続ける敵に執拗に追撃を繰り返した。帝国としては、要塞の主砲が使用不可能である事実を知られるわけにはいかず、要塞を守りつつ、主砲が生きているように見せかけながら後退をするしかなかった。4月11日、バーラト星域での戦闘は、帝国軍のリオヴェルデ星域への撤退という形で終結した。同盟軍の勝利だった。

 

【北軍

  3個艦隊:20500⇒15500

  機動要塞E 残存耐久力45%

 

 同盟

  第1艦隊:9000⇒8000

  第3艦隊:1500⇒1000(指揮能力喪失)

  第8艦隊:10000⇒9000

  第9艦隊:1000⇒500(指揮能力喪失)

  第12艦隊:7500⇒6500 】

 

参考資料3 宇宙歴799年4月上旬戦況

 

【挿絵表示】

 

 

  

 

 もちろん同盟軍も、帝国軍をバーラト星域から追い出して、それで満足するつもりはなかった。既に敵要塞を包囲する仕組みは出来上がっていた。バーラト星域には第3、第9の残存兵力のみを配置すると、第1、8、12艦隊はケリム⇒ジャムシード⇒ランテマリオ星域と移動し、退路を遮断した。エリューセラ、タナトス、タッシリ、リューカスには、アッシュビー・ラインに駐留していたはずの第2、4、10艦隊と、ルンビーニに駐留していた第6艦隊を配置、リオヴェルデ、ロフォーテンにある軍施設は完全に破壊または移動して敵の補給を妨害したのであった。

 

 今度は帝国軍が窮地に立つ番だった。戦力をすり減らし、要塞は傷ついている。さらに、補給拠点の役割を期待されていた要塞には、3個艦隊が一か月以上作戦行動できるだけの物資を溜め込んでいたが、それも激戦に次ぐ激戦で枯渇していた。帝国軍は、敵の意図を知りながら、決戦場へ誘導されていった。そうせざるを得なかった。

 

 バーミリオン星域へ──

 

 

 

主砲発射(ファイエル)

主砲発射(ファイアー)

 

 バーミリオン星域で決戦の火蓋が切られたのは、4月20日だった。帝国軍は、損傷の激しい要塞の防御を諦め、残存兵力をかき集めた臨時戦隊を編成した。同盟軍がこの星域に雪崩れ込んでくるのは明らかである。ならば、可能な限り撃破して血路を開く。そう決めたのだった。まずは、リューカス星域から突入してきた、ムーア少将率いる第6艦隊である。

 

 帝国軍は遮二無二距離を詰めて、接近戦を挑んだ。損害に構わず短期的に敵を撃破する作戦である。優勢な敵の攻撃に、さしもの第6艦隊も耐えきれず、たちまち消耗させられる。

 

 しかし、艦隊の撃破よりも前に、同盟軍の増援が早かった。タッシリから移動した第10艦隊が現れ、帝国軍に突入する。その6時間後には、第2、第4艦隊も到着した。

 

 消耗した帝国軍に対し、完全充足の4個艦隊が襲い掛かる。この時点で、戦闘というよりは虐殺に近い状況になっていたが、同盟軍は気にしなかった。彼らは怒りで我を失っていたし、そもそも政府から敵を殲滅せよ、という命令を受け取っていた。政治としても、これだけの被害を被った以上、落とし前をつけるしかなかったのである。

 

 戦闘が終結したのは4月21日、午後4時12分だった。機動要塞と共に同盟領に進行した3個艦隊30000隻のうち、降伏することができたのは300隻にも満たなかったという。そこから生きて帝国の土を踏めたのは何隻いただろうか。

 

 返す刀で同盟軍は要塞に襲い掛かった。要塞も可能な限り抵抗はしたが、主砲が使用不可能となっている状態では、できることは限られていた。同盟軍の強行突入によりワープドライブの一部が破壊されると(フェザーンからの情報流出により、ワープドライブが通常航行にも使用されていることが判明していた)、要塞は自己コントロール機能を失い、自壊した。要塞が自らの死に道連れにした同盟軍は、500隻だった。

 

 同盟軍は戦勝に沸き立った。数えきれないほどの人が死に、数えきれないほどのインフラストラクチャーが破壊された。しかし、仇は討つことができた。それも完全な形で。傷ついた同盟全土で戦勝が祝われた。

 

 帝国軍、大挙してヴァンフリート星域に襲来。

 

 その急報が届くまでは。

 

 

 

 帝国軍がイゼルローン回廊に殺到し、機雷網を強行突破しようとしている報は4月24日に届いた。イゼルローン回廊観測隊の報告によると、帝国軍は複数個艦隊により突入し、損害が出るのも構わず機雷網の強行突破を敢行した。スピードを何よりも重視する方針により、千隻以上の損害が出たが、帝国軍は意に介さなかった。

 

 帝国軍は4月25日にヴァンフリート星域に襲来、そしてそれを『無視』して前進した。いかな要塞網アッシュビー・ラインとはいえ、それはそこに駐留する機動戦力なくしては機能しないのであった。アッシュビー・ラインに配置された3個艦隊、それは今日のような事態のための伝家の宝刀であった。しかし、それはもう抜いてしまっている。

 

 もちろん同盟軍も手をこまねいていたわけではない。至急、がら空きになったアッシュビー・ラインに戦力を再配置せんとした。しかし、それまでに帝国軍が軍需設備を徹底的に痛めつけたことにより、消耗した物資の補給すらままならないのであった。さらに、それまでの作戦により、同盟艦隊はアッシュビー・ラインより離れた場所に位置している。

 

 それでも何とかしなければならなかった。各艦隊から状態の良い部隊を引き抜き、6000隻程度の兵力が抽出された。それは臨時の編成ということで、第13艦隊のナンバーが割り当てられた。任務は一つ。帝国軍が来る前に、惑星エル・ファシルに到着すること。そして、帝国の攻撃に対して可能な限り持久すること、である。

 

 

 

 同盟軍第13艦隊が惑星エル・ファシルに到着したのは5月2日、帝国軍がエル・ファシル星域に突入したのは5月3日であった。わずか1日の時間しかなかったが、第13艦隊はエル・ファシル星域の防衛機能の70%を起動させることに成功していた。後は、帝国軍がエル・ファシル星域を掌握するのを一分一秒でも遅らせることであった。

 

 戦闘は5月3日に始まった。襲来した帝国軍は5個艦隊、ゼークト大将の第1艦隊、アイヘンドルフ大将の第2艦隊、ミューゼル大将の第3艦隊、レンネンカンプ中将の第5艦隊、アイゼナッハ中将の第8艦隊である。

 

 帝国軍の方針は一貫していた。被害を意に介さず、敵を殲滅する、そして惑星エル・ファシルを陥落させることである。但し、軍需施設への攻撃は可能な限り制限された。それが被害を増大させることに繋がっても問題ない、ということにされた。

 

「ただ感嘆あるのみ」

 

 もし公式戦史があるとしたら、第13艦隊の奮戦をそう評したであろう。第13艦隊はあらゆる機会を捉えて敵の足を止めようとした。しかし、それだけだった。もちろん、同盟軍は第13艦隊を見殺しにしようとしたわけではない。しかし、第1艦隊、第2艦隊がエルゴン星域方面に配置されている状況では、早期の救出は望めなかった。

 

 第13艦隊が消滅──したのは翌々日の5月5日であった。旗艦より発せられた訣別の通信は以下の通りだったとされる。

 

「状況は悪化し、完全に包囲さる。第13艦隊は最早存在せず──」

 これが悲壮でなくて何であろうか。

 

 そして、さらに翌々日の5月7日、エル・ファシル星域は帝国軍の手に落ちた。同盟軍最大の防御線が消滅したその瞬間だった。

 

参考資料4 宇宙歴799年4月下旬戦況

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 それでも同盟軍は抗戦しようとした。しかし、アッシュビー・ラインの陥落という政治的インパクトはあまりにも大きく、国民の継戦意欲は地に堕ちていた。また、同盟軍に遺されていたのは、物資の消耗した、戦力の欠けた艦隊であり、帝国軍がアッシュビー・ラインを利用して籠った場合、奪還できる可能性は0に近いとされた。

 

 エル・ファシル星域が陥落してから二週間後の5月21日、同盟軍はついに投了した。この演習における投了とは、陣営の無条件降伏を意味する。

 

 同盟は敗北したのだった。これ以上ないぐらいの完全な敗北だった。

 

 

 

 宇宙歴798年10月6日(現実時間)、惑星ハイネセン、レストラン『三月兎亭(マーチ・ラビット)』──

 

「演習の終わりを祝して」

「「「「乾杯」」」」

 

 乾杯の音頭と共に、4つのワイングラスと、1つのスパークリングウォーターのグラスがかち合わされた。テーブルに居るのは、チュン・ウー・チェン少将、ジャン・ロベール・ラップ中佐、マッツ・フォン・クラインシュタイガー少佐、ヤン・ウェンリー少佐、フレデリカ・グリーンヒル中尉である(階級順)。彼らは、二十日にもわたった図上演習のお疲れ様会をここでやっているのだった。どうでもいいことだが、全員私服である。

 

 さすがに二十日ともなると、隔離状態で演習を続けるには精神的疲労が大きすぎた。演習終了後は三日の休暇が与えられたが、それだけでどうにかなるものでもなく、ヤンは統合作戦本部人事局(仮の職場)で、どうでもいい仕事をしながら何日か時間を潰さねばならなかった。

 

「まぁ、君達、お疲れさん。さすがに三週間ともなると身に堪えるねぇ」

 チュン・ウー少将が言った。身に堪えるとは言っているものの、この人が一番平静を保っているように見える。

 

「艦隊戦闘演習よりずっときついですよ。これは」

 そう言うのはラップ。

 

「狭い場所に隔離されるってのは、意外とこたえますなぁ。タンクベッドで何とかなるものでもないし」

 クラインシュタイガーがそう応じた。

 

「……演習が始まる前に、美容室に行くべきでした。今度から気をつけます」

 フレデリカがぽつりとつぶやいた。しばらくしてテーブルが笑いに包まれる。他の四人はフレデリカが冗談を言ったと思ったのだが、フレデリカ自身は実に真面目に感想を述べたつもりだったのだ。

 

「ヤン君。どうかね、今回の演習の感想は。電撃戦、苅田狼藉、後詰決戦。基本的に君が提唱したコンセプトで作戦を進めたわけだが。統合作戦本部は大騒ぎだよ」

 

「統合作戦本部のどこが大騒ぎなのかは知りませんが、近寄りたくないですね。さぞかし自分は悪魔のように言われているでしょう。チュン・ウー教授」

 

「まぁそう気に病むなよヤン。あの作戦はあくまでシミュレーションだ。それに作戦の責を負うとしたら、このテーブルの全員だろう」

 ラップが取りなすように言った。

 

「六か月という期間を切り出して、演習をやるとなるとどうしてもそうなるな。帝国軍は勝つには勝った。だが、勝った後のことは考えられていない。あの時点で北軍陣営の国庫は破綻同然だった。兵士に六月の給料は払えなかったんじゃないのだろうか。それを忘れちゃいけない」

 クラインシュタイガーが重ねて言う。

 

「第一、同盟領内の戦争で、純粋に艦隊戦力だけに限れば、帝国軍と同盟軍の損害は大して変わらない。ただ、帝国は徹底的に補給設備やインフラを叩き続けた。そして、元々貧弱な同盟の補給能力は、領内を移動させられて、設備を破壊されてさらに痩せ細っていった。同盟が負けたのはそこが大きい。でも、実際、そううまくいくかどうかは分からないな」

 ヤンがワイングラスを一気にあけて語った。

 

「そう。シミュレーションでは実現可能、でも、実際はリスクが大きすぎて実行できない。そういう軍事作戦はある。だが、演習というのはそういうもので、紙の上で実現できるものは、現実にも再現可能である、というのが軍の考え方だし、政治もそういう考え方をする。そこを忘れちゃいけない」

 チュン・ウーは講義するように語る。

 

「今まで、同盟は二つの帝国は永遠に争い続ける、そう考えていた。フェザーンはその財力でもって、帝国の動きを止めることができる、そうも考えていた。もちろんその可能性はある。だが、そうならない可能性はある。それがこの演習で示されたのだよ」

 

「そして、万一、帝国が統一を果たしても、同盟が自ら戦うことを選ばないのであれば、戦闘が再開するのはずっと先になる、そういう考え方にも疑義を突き付けたわけだ。これは、所謂『不都合な真実』というやつだ。そろそろ、この真実に向き合うべき時が来たんじゃないか、そう思うね。そのために、この演習がセッティングされたとも思える。これはただの想像だがね」

 チュン・ウーの言葉に全員がうなずく。

 

「だが、ヤン君の言うとおり、この演習がすごく『ゲーム的』であるというのは同意だ。現実には存在しない『ルール』を悪用しているような、そういう印象を受ける人は多いだろう。だから、この演習にはいろいろな評価が下されると思う。もちろん、我々としてはどうでもいいことだが、正しい方向に物事が動いて欲しいものだね。何が正しいのか、そう簡単なことではないのだが。そういえば」

 

「そういえば?」

 

「そういえば、三日前にドーソン大将に呼び出されたのだが」

 

「ドーソン大将」

 ヤンが言った。統合作戦本部長のドーソン大将は、軍政畑の出身で政治家との繋がりが強いことは誰でも知っている。このような同盟内を荒らしまわるような演習は、決して好まないはずである。

 

「で、何て言われたんですか?」

 ラップが聞く。

 

「随分と派手にやったそうだな、だそうだ」

 

「それは誉め言葉と受け取ってよろしいのでしょうか」

 

「多分ね。ヤン君」

 

「で、他には?」

 クラインシュタイガーが身を乗り出して聞いた。敵と決めた人間には容赦をしないドーソンである。さぞかしきついことを言ったに違いない。

 

「何もない」

 

「何もない?」

 

「そう。何もなかった。少なくとも今回の演習に関して言えば」

 

「おかしいですね。あのねちっこいドーソン大将が」

 ラップが首をかしげて言った。

 

「まぁ、何でもかんでも陰謀論に結びつけるのは良くないが──」

 

「掘ると面白いものが出てくるかもしれないな。誰か専門家に頼んでみたらどうだ」

 チュン・ウーはにやりと笑いながら言う。

 

「それにしても……」

 ヤンがぽつりとつぶやいた。

 

「それにしても?」

 ラップがヤンの方を振り向いた。

 

「今回の作戦、納得いかないな」

 

「どうして?そもそもヤン。お前が描いた絵だろう?」

 

「いろいろと気に入らない所はあるんですが、特にあの機動要塞。どうも気に入らないんですよ」

 

「おいおい──第一、あんな奇妙奇天烈な代物を作ろう、そう言い出したのはヤン、貴様じゃないか」

 

「そう。でも、あれは私のアイディアじゃない」

 

「「「え」」」

 クラインシュタイガーとフレデリカがヤンの方を振り向いた。チュン・ウーは何も言わずワインを飲んでいる。ヤンは一瞬、息を止めると話し出した。

 

「これ以上言えないが、機密情報が私の所に回ってきた。だから利用させてもらった。でもこの計画を提出して、情報部がゴーを出したんだ。ということは、帝国、それも北軍はこのアイディアを実現段階にまでこぎつけている」

 ヤンの言葉にテーブルは静まり返った。

 

「つまりはだ」

 チュン・ウーはワインを飲み終えて言った。

 

「現実には制約が多く、運用に苦労しそうなものを、帝国、いや、北軍はわざわざ造ろうとしている、と言いたいのかね?」

 

「そうです。今回設定した『機動要塞E』は、アムリッツァ要塞の想定スペックを基に計算していますが、運用コストだけは、統裁コンピュータが指定してきた。恐らく情報部が計算をしたんでしょうけど、要塞と3個艦隊を同盟領内で動かすためだけに、残りの帝国軍は一月、活動が大幅に低下しているんです。おかげで、同盟全軍をアッシュビー・ラインから引き剝がすことができたんですが、帝国の全体に制約をかけるような兵器を作る意味があるんでしょうか?」

 

「百歩譲って同盟領侵攻作戦に適さないとしても、だ」

 ラップが割り込んだ。

 

「帝国の内戦にはてきめんだったじゃないか。完全な奇襲効果で、南軍はわずか一か月半で敗北したぞ。あれを実現させるためだけにでも、やる価値はあると思うぞ」

 

「そうだなラップ。そうかもしれない。ただ、要塞を改造することだけが勝利の唯一の道ではないような気がするんだ。南朝の皇帝が死んで、その後の政治的混乱につけ込むやり方もある。いや、そっちの方が常道じゃないだろうか。皇帝の死は、門閥貴族、ブラウンシュヴァイク公とその反対側の争いを必ず引き起こす。今回、南朝の政治的混乱はあまりクローズアップされなかった。あくまでも、ブラウンシュヴァイク公の能力、それだけにフォーカスが当てられたんだ」

 

「侵攻作戦より先に、動く要塞があった。そう言いたいのかな」

 チュン・ウーが手酌で新しいワインを注いだグラスを持ち上げながら言った。

 

「南朝の皇帝、余命がいくらあるかは分かりませんが、その死に乗じた攻勢が北軍では企てられています。まぁこれは既定路線でしょうが、この要塞がどう、その作戦に関わってくるのか、もしかしたらこないのか、それが分からないのです。いや、関わってこないということはないのか。ならば、どのように使ってくるかが分からない。そこが気に入りません」

 

 ヤンの言葉に、三人の男達がしばし考え込んだ。フレデリカだけは、目の前のビフテキ相手に格闘していた。冷めると固くなってしまうからだ。

 

 

 

「ヤン・ウェンリー様でいらっしゃいますか」

 

 突然、ウェイターが割り込んできた。

 

「何でしょうか?」

 

「通信が入ってきております。ムライ、という方からです」

 そう言われてヤンはポケットをまさぐったが、そこにはコミュニケータが入っていなかった。ここでは、コミュニケータは持ち込み禁止であり、電源を切って入口で預けることになっているのだった。

 

「店内の通信機でお話しください、こちらです」

 

 

 

「随分と派手にやったようだな」

 

「ご存じなんですか」

 固定式コミュニケータには相手の顔が映っている。ムライは随分と上機嫌そうだった。

 

「まぁ、つてを辿って、概略は入手させてもらった。面白い。実に興味深い。で、だ。フェザーンにはいつ戻るのかね」

 

「今、事後研究会の最中ですから、あと一週間もすればハイネセンを出ますよ」

 

「それはいかん」

 ムライの語気が荒くなった。

 

「いけないのですか」

 

「いけないんだ。すぐにでも戻ってこい。明日、ハイネセンを出立しろ。大丈夫だ、統合作戦本部の方には私が話をつけておく。もちろん、グリーンヒル中尉も一緒に、だぞ」

 

「どうして。そんな急に。何かあったのですか」

 

「何かあったどころじゃない」

 ムライの声は、知らず知らずのうちにボリュームが大きくなっていった。

 

「ついにやったんだよ。向こうが会う気になったんだ。秘密計画『最終戦争(ラグナロク)』の当事者が話を聞いてくれるんだ。だから一刻も早く戻ってこい。ヤン少佐、お前がいないと話が始まらないんだよ」

 ムライはそれだけ言って一方的に通信を切ってしまった。ヤンは、そんなに大事な話なら、軍の秘話回線を使えよ。そう思いながらコミュニケータの電源を切ったのだった。

 

 それにしても。

 どうにもこうにも、物事は悪い方向にばかり転がるな。

 

 ヤンはテーブルに戻った。お疲れ様会はまもなくお開きにしなければならない。

 

 




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第十八話 その日まで

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第十八話 その日まで

 宇宙歴798年10月22日、惑星フェザーン──

 

 久しぶりにフェザーンに戻ったヤンは、宇宙港の地上出口から出て、随分と変わったな、そう思った。ヤンが、ハイネセンに出張したのは8月の中旬。その時は日光も強烈で蒸し暑いフェザーン行政府だったが、今は、日光も街の風景も秋そのものである。いや、その秋もそろそろ終わろうとしている。

 

 フェザーンの大きなイベントとしては、来月3日に予定されている感謝祭である。11月3日は、惑星フェザーンに最初の植民団が降り立った日として知られている。感謝祭という名前は、独立とか植民とかを大っぴらに祝えない(帝国の政治的に)フェザーンにおいて、祝祭を可能にするレトリックだった。

 

 何か寂しいな──

 

 無人タクシーで移動するヤンは、外の景色を見ながらそう思った。何事にせよ派手好きなフェザーンである。確か、去年は感謝祭の飾りつけも随分と派手にやっていたと思ったのだが、今年はそうでもないらしい。言われなければ気づかないほどであった。

 

 やはり、南朝の皇帝が病気だからだろうか。

 

 ヤンは想像した。ヤンが知る限り、銀河帝国で皇帝が病に倒れると、いろいろな行事が自粛される。不幸にも亡くなると、『服喪』という名目でやはり自粛されるそうだ。そのため、帝国ではエンターテイメント産業がなかなか育たない、そう言われていた。まぁ、そうでなくとも帝国では門閥貴族とか、そういうパトロンがないと、娯楽はやっていくのが難しいらしいのだが。

 

 感謝祭でこれでは、新年祭もずいぶんと小ぢんまりとした寂しいものになるだろうな。ヤンはそう思った。そういえば、今年の新年祭は行政府のパーティーに引っ張り出されて、有力者の間をたらいまわしにされたんだっけな。来年は今年の分まで楽しもう、そう決めていたんだけどな。

 

 

 

「待ちかねたぞ、少佐、中尉」

 久しぶりに入る特務支援課のオフィスでは、ムライとパトリチェフが待っていた。

 

「不満は宇宙港の軌道エレベーターに言ってください」

 ツッコんだのは驚くべきことにフレデリカの方だった。朱に交われば赤くなる、ということらしい。

 

「急いで戻ってこい、と言われましたので急いで戻ってきましたが」

 これはヤン。

 

「そうだ。君に会いたいという人物がいるからな。なるべく早く会わせようと思ったんだよ」

 

「一体誰なのですか」

 

「それは会えば分かる」

 

 

 

 ムライ、パトリチェフ、ヤン、フレデリカの4名は同盟大使館の奥にある、小ぢんまりとしたビルの中を歩いている。宿泊施設のように見えるが、窓はなく、エレベーターと廊下の間には守衛付きのゲートを通過しなければならない。つまりは、これは宿泊施設ではなく拘置所である。

 

「まさか犯罪者じゃないでしょうね」

 

「ここが犯罪者を入れておく場所だとしたら、少佐もまだまだですなぁ」

 そう言って、パトリチェフはガハハと笑った。

 

「クイズをする暇はないから言っておく」

 ムライが口を挟んだ。

 

「ここは、同盟にとって保護すべき人間を一時隔離しておく場所だ。大体は帝国の重要人物が亡命する際に、準備が整うまでここに居てもらう。まぁ、帝国に逃げ出したサイオキシン麻薬の売人を連れ戻す時にも使うけどな。ただ、あまり居心地のいい場所ではないことは事実だ。でも、今回は仕方なかった。当人も同意しているしな」

 

「だから、一体誰なのですか」

 ヤンはいらいらして言った。

 

「だから、それはもうすぐ分かる」

 

 ムライは収容所?の一番奥にある部屋に着くと、インターホンを押した。ヤン少佐を連れてきた、とムライが言うと、鍵が解除されるような音がした。ムライが中に入る。パトリチェフ、ヤン、フレデリカも続いた。部屋に入るとアルコールの匂いがする。

 

「いよぅ」

 部屋の中、椅子に座っている男が手をあげた。テーブルの上にはウィスキーの酒瓶がいくつか空になって放置してある。

 

「ロイエンタール少佐!」

 フレデリカが驚いて言った。

 

 

 

 久しぶりに見るロイエンタールの姿は、以前とは全く違っていた。髪は伸び放題(それまでも長髪気味だったが)、無精髭も生えている。でも、人間的な魅力というのは不思議なもので、見ればロイエンタールと分かるものである。いや、ヤンとしては一目で気づかない不明の方を恥じるべきかもしれなかった。

 

「一体どうしてここに」

 ヤンは聞いた。ロイエンタールは一瞬迷ったような顔をした。

 

「中佐、説明していないのか」

 

「驚かせようと思ってな。ヤン少佐。ロイエンタール帝国北軍少佐は、一か月ほど前に同盟大使館に保護を求めてきたんだ。秘密裏にな。今のロイエンタールは、帝国のお尋ね者だ。帝国の治安当局に捕まれば、天上(ヴァルハラ)行きは免れ得まい。どういう手段かは分からないが」

 

「なんと」

 ヤンはそう言ったまま、あたりを見回した。過大な情報を入力されて、どう処理していいか分からない状態だ。

 

「一体全体、何があったのですか」

 フレデリカが聞く。

 

「……もう少し鋭いと思っていたのだが」

 ロイエンタールはがっかりしたように言った。

 

 

 

「情報工作?」

 

「詳らかに話せば千言万語でも足りないが、簡単に言えばそうだな」

 ヤンの言葉にロイエンタールはそう返した。

 

「ロイエンタール少佐の表芸は、北朝弁務官事務所の情報分析官だが、社会秩序維持局の一員という顔も持っていてな。弁務官事務所の内偵も行っているのだよ」

 

「二重スパイ!」

 ムライの言葉に、フレデリカはそう反応した。

 

「お嬢さん、そう早合点するものではない。ちょっと、この中佐に頼まれてな。とある所にスパイを潜り込ませる手伝いをした。その時に、北朝の監視を片付ける必要があってな。上手くやったと思っていたんだが、しくじったらしい。それでこちらに逃げ込んだ次第だ」

 ロイエンタールが苦笑しながら言う。

 

「スパイ?」

 フレデリカが再び言った。

 

「まぁそう身を乗り出さなくてもいいだろう。今から説明する」

 ムライはそう言うと、壁掛けディスプレイの電源をオンにした。端末を操作すると、一人の軍人の顔写真と経歴書が映し出される。

 

 

 

「カーテローゼ・フォン・クロイツェル。階級は伍長、戦闘艇操縦資格保有者、特殊地上車両操縦資格保有者、格闘術検定二級。こんな女の子がスパイ?」

 ヤンがムライに訊く。

 

「そうだよ」

 

「スパイの専門訓練はどうしたんですか」

 

「そんなものは必要ない」

 

「またですか。なんで中佐はそう、素人を使いたがるんですか」

 

「適材適所だからだよ。相手の懐深く入る時にはな。素人の方がいいんだよ。誰も信じてはくれないけどな」

 

「そりゃ信じないでしょうね」

 

「もちろん、それなりのバックアップ体制は整えるし、相手次第だよ。でも、警戒している相手にスパイでございと送り付けても意味はないと思うんだよな。どっかの坊ちゃん嬢ちゃんの方が、相手は隙を見せる。そちらの方が、得るものは大きいと思うんだよな」

 

「ロイエンタール少佐はどう思いますか」

 

 突然話を振られたロイエンタールは、少し考えて答える。

 

「同盟軍人が何を言おうと、俺には関係のないことだ」

 

「そうはぐらかさなくてもいいじゃないですか」

 

「答えるのが面倒だ」

 

「で、クロイツェル伍長はスパイとして活躍しているんですか」

 フレデリカがムライに聞いた。

 

「ばれた」

 

「ばれた!?」

 

「翌日に、大使館に差出人不詳の封書が届いたよ。曰く、『カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長は帝国公用語の教育の要あらん。ムライ中佐のお考えや如何』だそうだ」

 

「……一体何のために潜り込ませたんですかね」

 ヤンがぼやく。

 

「いいんだ。カリンはあれで結構楽しんでいるようだからな」

 

「まだいるんですか?」

 

「いるさ。『対象』の運転手をやっている。定時連絡もある。彼女にとってすれば、やることは何も変わりない」

 

「いいんですかそれで」

 フレデリカが呆れたように言う。

 

「いいのさ」

 ロイエンタールが引き取った。

 

「向こうは帝国人だ。でも、同盟が差し伸べる手を振り払うことはない。そういうメッセージだ。今のところはそれで十分と思えるがな」

 

「帝国人……なんですか。そういえば、『向こう』の話を聞いていませんでしたね」

 

「そうだな。この際だから話しておこう。だが、ここから先は機密事項だ。分かるな?」

 ムライの言葉に、ヤンとフレデリカは同時にうなずいた。それを見て、ムライは端末を操作した。ディスプレイには、20代前半の女性の顔写真と、経歴が表示された。

 

 

 

「アリッサ・アルベリッヒ……」

 ヤンは経歴書の氏名欄を読み上げた。

 

「アルベリッヒ工業デザイン研究所所長……フェザーン自治工業大学卒業後、工業デザインを主とするベンチャーを立ち上げ、某大企業の製品デザインを担当する、若手の期待デザイナー……」

 フレデリカの読み上げる声に、なんかうさんくさいな、ヤンはそう思った。年齢は24。金髪ロングヘア―に赤い瞳、魅力的といえば魅力的。いや、上の方の魅力的と言うべきだろう。フレデリカと比較しても遜色はない……そういうのはおいといて。

 

「この若手起業家が『向こう』なんですか」

 

「そうだ」

 フレデリカの質問に、ムライは大きくうなずいた。

 

「素人スパイを送り込む価値があるほどの、ですか?」

 今度はヤンが聞く。

 

大物(キングピン)こと、ミューゼル大将の誘拐事件があっただろう?あの時、誘拐犯と思しき武装勢力から通信機器を押収した。それの解析を進めていくとな、この企業に行き当たったんだ。調べてみたらなんと、な。アルベリッヒという姓は偽名だよ。本名は、アリッサ・ラインフォルト。大財閥ラインフォルト家の一人娘で、未来の総帥というわけだ」

 

 その言葉にヤンはしばし目をぱちくりさせると、ディスプレイの女性の写真とムライを互いに見比べた。

 

「それ、本当なんでしょうね」

 

「なんで私が嘘をつく必要があると思うんだ。少佐」

 

「それ、本気で言ってます?」

 

 その時のムライの表情、信頼していた部下に裏切られたかのような愕然とした表情に、ロイエンタールは爆笑した。つられてフレデリカも笑い出した。笑わなかったのはヤンだけであった。

 

「なるほどなるほど。スパイ・マスター、ムライ中佐殿の真骨頂、見届けさせてもらった。まぁ、中佐の言うことに間違いはない。親と喧嘩別れして、17の時にフェザーンに移住しているそうだ。帝国としては、必要なのは財閥であって、中のファミリーではないのだろう。いろいろ偽装しているから、彼女の正体を知る人間もわずかだ。そして、俺は彼女の依頼を受けて、面会する人間が信用に足るかどうかを見定めているわけだが……ま、ヤン少佐なら問題はなかろう」

 

「……三重スパイなんですか」

 

「何重かを見定めるのは無駄だから止めた方がいいぞ、中尉。というわけでな、ヤン少佐。このロイエンタール少佐にコンタクトを取ってもらって、ラインフォルト次期総帥殿に面会をしに行くんだ。帝国戦略の専門家であるヤン少佐が、な」

 またしてもムライがとんでもないことを言い出す。

 

「え、今、なんて言いました?」

 ヤンは混乱しつつも反応する。

 

「そして、ラグナロク計画の当事者をこっちに引き込むんだ。引き込む、というのは過剰な表現だな。できるのはせいぜい、帝国領土以外に火の手が及ばないように押しとどめるぐらいだからな。でも、責任は重大だ。のんびり帝国を眺めていたら、少佐が演習でやったことが現実になってもおかしくない」

 

「そうだな。非常に興味深い内容だった」

 ロイエンタールが続ける。

 

「……中佐。もしかして、ロイエンタール少佐に演習のデータ、渡したんですか」

 

「そのとおりだ。交換条件だからな」

 ムライはなんでもない風にこたえた。

 

「いやぁ……いくら交換条件だと言っても……軍事機密法、知らないわけないですよね。下手すると、特務支援課全員、軍刑務所行きですよ」

 ヤンとしては呆れる他はなかった。今から内部通報した方がいいんじゃないのかとも思う。

 

「その時は地下に潜って、民間軍事会社でも開業することにしよう。というのは冗談だが、これはロイエンタール少佐のお守りのようなものだ。諜報の成果、ということでしかるべき時にしかるべき場所にこれを差し出せば、やりようによってはお尋ね者の汚名を雪げるだろう。大っぴらに、今、公表することはない。少佐はそう言った。私は信じている」

 

「ずいぶんと信用しているんですね」

 ヤンが嫌味(のつもり)を言った。

 

「俺に言わせれば、アリッサ・ラインフォルトにコンタクトを取る意義と比べれば、安すぎるぐらいだ。で、中佐殿、会合はいつセッティングするんですか」

 ロイエンタールはそう言って、グラスに残っていたウィスキーを一息に飲み干した。

 

「今夜だ」

 

 それを聞いて、ロイエンタールは苦笑し、ヤンは天を仰ぎ、フレデリカは、やっぱり船の中で美容室に行っておくべきだった。久しぶりの家の掃除もしていないのに、とぶうたれた。パトリチェフはそれを見てにやにや笑っている。

 

 

 

 その夜──

 

 富裕層向けタワーマンションにはあらゆるものがある。コンシェルジュに、オンライン、オフライン問わない様々なサービス、豪勢な施設。

 

「そして、この景色。不夜城フェザーンを一望できる場所はそう多くない」

 ムライが窓の外を眺めながら言った。

 

 ムライ、ヤン、フレデリカ、ロイエンタールが訪れたアルベリッヒ工業デザイン研究所は、そんなタワーマンションの一室にあった。居住施設を改造して造られたオフィスには、いろいろな道具や、地上車や宇宙船と思しき模型が置かれているが、デスクは一つしか置かれていない。他に人が座れそうなものは、今、ヤン達が座っている大型の応接ソファーぐらいのものだ。

 

「で、そちらがヤン少佐で、グリーンヒル中尉と……あれ?」

 

「オスカー・フォン・ロイエンタールだ。よろしくな、嬢ちゃん」

 ロイエンタールは他の三人と同じく私服姿ではあるものの、伸び放題の髪も散髪し、髭もきれいにあたっていた。その姿を見てぽかんとしているのはフレデリカである。

 

「紹介しよう、と、言っても今更かな。彼女が、カーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長だ」

 

「うん。よろしく……いや、伍長と言われましても」

 ヤンは困惑した。目の前に居る薄赤色のロングヘアーと青紫色の瞳を持つ快活な少女は、軍服どころか使用人用エプロンドレス(メイド服)姿なのだから。

 

「いやー。でも、私の趣味じゃないので。帝国貴族だとこうだって、シャロンさんが言ってねー。無理矢理着させられているんですから。それで、帝国公用語しか喋っちゃだめなんですよ。ひどいでしょ。スマート端末も帝国語設定にされちゃったし。中佐がそれでいい、って勝手に言っちゃうからですよ」

 

「帝国公用語研修をさぼった報いだと思いたまえ。第一、ちっともへこたれていないようじゃないか」

 ムライが答えた。ムライはこのクロイツェル伍長と面識があるようだ。

 

「まー、ね。護衛と言われても、今のところ敵が来る気配はないですし、日々控室でお茶飲んで、雑誌読んで、外に出る時は運転する。それだけですし。あー、外で駐車する時に係員に上から目線であれこれ言われるのは嫌ですね。中佐やシャロンさんに言われなければ、腕の一本や二本、へし折ってやったものを」

 

「伍長、やったら営倉じゃ済まないからな」

 

「はいはい、分かりました。あ、そろそろ来ますよ」

 別室に続くドアががちゃりと開いた。入ってきたのは、映像で見たままの金髪ロングヘア―、紅い瞳の女性だった。映像から分からなかったのは身長ぐらいである。まぁ、高くもなく低くもなく、という感じか。彼女の横に居る女性は、これまた見事なぐらいにロングのエプロンドレスが似合う女性で、藤色の瞳と腰まで届く長い藤色の髪を持つ、少々きつめの美人だ。身長は170センチ後半ぐらいはあるだろう。その高身長に見合うプロポーションをしていることはヤンにも分かる。

 

 二人は、ソファーに近づいてきた。座っていた四人とカリンは立ち上がって、一斉に敬礼した。

 

「夜分、突然の訪問を失礼致します。私共は──」

 ムライの挨拶を金髪の女性が押しとどめた。

 

「ご用件はロイエンタールさんから承っております。自己紹介も必要ありません。もちろん、私のことも御存知なんでしょう?」

 

「はい」

 

「ならば。お初にお目にかかります。私がアリッサ・ラインフォルトです。アリッサでいいわ。ラインフォルトの名前には、ちょっとした思いがあるので。いいかしら」

 

 

 

 本当に短い挨拶が終わると、四人とカリンはソファーに座った。カリンは辞退しようとしたが、アリッサがそれでいいと言ったのだ。

 

「こちらは、シャロン・クリューゲル。今日はこんな格好だけど、いつもは私の秘書をしています。シャロンと呼んで頂戴。本人もそう希望しているわ」

 

「シャロンでございます。よろしくお願い致します」

 藤色ロングヘアの女性はそう言って深くお辞儀をした。シャロンは一度別室に戻ると、キッチンカートにティーセットを載せて戻ってきた。人数分の紅茶を配ると、そのまま別室に下がろうとする。

 

「シャロン?」

 

「何でしょうか」

 

「いちいち言わせないで。貴方もここに居るべきよ」

 アリッサの言葉に、シャロンは何か言いたそうだったが、そのまま空いている席に座った。

 

「では、単刀直入にいきましょう。ヤン少佐はどなた?」

 

「私ですが」

 ヤンが手をあげて答えた。

 

「同盟の見解をお伺いしましょう。帝国軍がフェザーンに攻めてきたとき、同盟軍はどうやってそれを防ぐのかしら?」

 

 

 

 沈黙の時間が十五秒ほど流れた。その後、ヤンは紅茶を一口飲むと、ちらっとシャロンの方を見て口を開く。

 

「現状は、何もありません」

 

「本気で言ってるのかしら」

 アリッサの声には苛立ちが含まれている。

 

「自由惑星同盟とフェザーン自治領の間には協定が結ばれています。同盟がフェザーンに展開できる軍事力というものは存在しません。フェザーンと同盟の間を警護する警備隊は配属されておりますが、戦艦のような大型艦は配備が認められておりません。水雷戦隊──ああ、失礼。巡航艦や駆逐艦主体の小艦隊、数にして500もないでしょう──それがあるだけです。ご質問の通り、帝国軍が本格的にここに攻めよせてきたら、ひとたまりもないでしょう」

 

「とすると、帝国がフェザーンを焦土にしても、見ているだけということかしら」

 

「失礼ですが、おっしゃっていることの意味が分かりません」

 ヤンは、シャロンの方を見る。目じりが少し上がっている。

 

「フェザーンは帝国の一領土です。高度な自治権を有していることは確かですが、帝国の領土であることはいかなる資料にも明記されていることです。自国の領土をどうにかしたいのであれば、焦土にする前にやれることはいくらでもあるはずですが」

 

「もし、焦土にすることが事前に分かっていたとしたら?」

 

「分かるはずがありません。少なくとも、自分達が丸焼きにされることをフェザーン自治領当局が知っているのであれば、同盟に相談が持ちかけられるでしょう。同盟大使館でも何か動きがあるはずです。ですが、大使館は何も動いていない。中佐、そうですね」

 ヤンの言葉にムライはうなずいた。

 

「今現在、帝国がフェザーンを焦土にしようとしている。そう言っているのは、知る限り貴方しかいないのです」

 

「そう……少佐。貴方は分かっていると思っていた。貴方は同盟軍首脳部に分析報告を出したそうね。帝国の内戦に大きな変化がある時、帝国のいずれかはフェザーンを経由して同盟に侵攻する可能性があると」

 ヤンはムライの方を見た。ムライは目をそらす。ムライかロイエンタールかどちらかは分からないが、一体この人に何て吹き込んだのだろう。だが、今の会談は簡単にぶち壊しにして済むものではない。ヤンにもそれは分かっていた。

 

「私は情報の分析報告を出したわけではありません。ただ、現在同盟の勢力伸長が著しい、というのは帝国が二つに分かれているからであり、二つの帝国の国力は合計すると、同盟のそれを上回ります。同盟の国力が帝国のそれを凌駕するのは、内戦がさらに三十年ほど続く必要があります。さらに言いますと、今、自由惑星同盟は、国力の成長に専心している状況であり、国防は遺憾ながら二の次にされていると言わざるを得ません。もちろん、これは帝国が内戦状態にあることから選択されているわけですが」

 そこまで言って、ヤンはカップの紅茶を飲み干した。

 

「それでいて、防備はイゼルローン回廊のみを重視し、フェザーン回廊は等閑視されています。もし、帝国がその状況を知悉し、短期間で同盟を打倒するという方針を設定したのであれば、フェザーン回廊を入口とする大規模侵攻は取り得る選択肢の一つであるでしょう」

 

「そこまで分かっているのなら」

 アリッサは責め立てるように言う。

 

「そこまで情報分析ができているのなら、何故同盟は動かないの?今、そこにある危機に対応できないのが自由惑星同盟なの?自由と民主主義は、外敵の侵攻にも為すすべのない張り子の虎なのかしら」

 

「情報というものは──」

 ヤンはテーブルの上にある紅茶のカップを眺めた。

 

「それだけでは意味を持ちません。それは正しいかもしれないし、間違っているかもしれない。嘘の情報、誤った判断に誘導するために整形された情報、そんなものは世の中に溢れかえっています。ですから、貴方がいくら将来の危機を主張しようとも、我々はそれを信じるわけにはいきません。さらに言うと」

 

「情報を基に組織が動くとき、それは千、万、十万、いや、それ以上の人間が情報を共有していることを意味します。軍隊において、上官は部下を命令一つで動かすことはできます。ですが、軍隊が動くときは補給が必要です。補給をするには、複数の部隊が協力しなければなりません。命令一つではできないのです。さらに、補給を断続的に行うなら、物資の生産が必要です。それを行うのは軍隊だけではなく、民間の協力も必要です。それがいかに重要であっても、情報一つで世の中は動かない。備えがあり、敵の動向を予測した上での情報でなければ、具体的な行動には出られないのです。ラインフォルトの皆様ならご存じのはずですが」

 

「それが分かっていながら、私達に会おうとしたのは何故ですか。同盟軍が備えを欠いているのはご存じのはずだ。それでありながら、危険があることを知っていて、何故オーディンに戻らず、このフェザーンに居るのですか。いろいろ事情がおありとは想像しますが、命の大切さには替えられないはずです。それとも私が、同盟軍の方針に影響力を及ぼせるほどの権力を持っている、そう思っていたのですか?」

 状況はいつしか、ヤンの方がアリッサを問い詰める格好になっていた。アリッサは肩を震わせている。

 

「シャロン」

 

「お嬢様。短慮は──」

 

「お客人を、出口まで送ってさしあげて」

 

「待ってください」

 立ち上がったのはロイエンタールである。

 

「先程ヤン少佐が言ったことは、貴方も十分承知のはずだ。それでも貴方は会おうとした。そうではないのか」

 

「私は、同盟が、帝国のフェザーン回廊を経由した侵攻作戦に対し、具体的な防備策が存在する、そう聞かされたから会おうと決断したのです。聞かされたことと今のヤン少佐の言葉はまるで正反対よ」

 

「……」

 ムライは何も言わない。どうやら、この会談をセッティングするために披露したセールストークに、そのような類のものがあったのかもしれない。

 

「……いいんですかそれで」

 口を開いたのはなんとカリンだった。

 

「特務支援課を呼びつけておいて、その言い方はなんなんですか。あの日、私が同盟大使館から来たことがばれたあの日、言いましたよね。いつしか自分にも役に立ってもらう、って。私はまだ何もしちゃいないんです!アリッサさん。貴方は、まだ迷っている」

 

「カリン、黙りなさい」

 シャロンがたしなめるように言った。

 

「ラインフォルトの要人が同盟と密談する、それだけでも大問題なのに。大した話もせずに追い返すなんてあり得ないでしょう。今日の夕方、大慌てで盗聴器や隠しカメラの調査をしたのは何なんですか。警備用カメラに細工をしたのは何ですか。今日、ムライ中佐達にどうしても言いたいことが──」

 

「まぁ、待ちたまえクロイツェル伍長」

 止めたのはヤンだ。

 

「少佐!」

 

「この場でいくら話をしても、まだまだ我々とアリッサさんの間には溝が深い。帝国と同盟だからそれは仕方のないことです。もしかしたら、機が熟するのを待つべきかもしれない。なれば、お互い胸襟を開いて話ができるかもしれません。もし皆様がそう希望するなら、我々は一旦お暇すべきでしょう」

 

「おい、ヤン少佐……」

 ムライが心配そうに語りかける。

 

「ですが、どうしても聞きたいことが二つあります。よろしいですか」

 

 しばらくしてアリッサが言う。

 

「いいでしょう。但し、回答できないこともありますわ」

 

 ヤンはそれを聞いてしばし黙った。きょろきょろと視線を動かす。ヤンも何か迷っているようだった。しばらくして腹を決めたのか、視線をテーブルに落としたまま言った。

 

「帝国は、北軍は、何故あの『動く要塞』を隠しているのですか」

 

 

 

 しばらく、一分ほども、その部屋は動きを止めていた。いや、立ち上がったロイエンタールが座ったのを例外としなければならないが。

 

「『動く要塞』とは何かしら」

 

「私の知る限り、北軍の統帥本部が主導しているのは明らかです。アムリッツァ要塞で行われた秘密実験、何故あれが秘密のままになっているのかも不思議ですが、統帥本部が関わっているなら、ラインフォルトがバックアップしているのは明らかです」

 

「……」

 

「私には分からないのです。あれだけの軍事的インパクトを持っている兵器が、未だに隠されていることを。戦局を一挙に決するだけの力を持つ兵器が、秘密のままになっている。ということは、使うべき場所が決まっている、そう思うしかない。私が、フェザーン回廊を使用した帝国の侵攻を可能性として列挙しているのは、これがあるからです。もし、南軍に勝つためにあれを持っているのなら、秘密にしておく必要などないのです」

 

 アリッサは数秒ほど考え込むと、右手をさっとあげた。それに反応するようにシャロンが立ち上がる。どこからか全く見えなかったが、彼女はブラスターを取り出し、ヤンに狙いをつけている。

 

「貴方は知り過ぎているわ。そして、見る限り知っているのは貴方だけ。それなら、貴方を排除すれば世はなべて事も無し。残念、本当に残念──」

 

「アリッサさん。下品な脅しはおよしなさい。本気でそう思っているならもう撃っているはずだ。己の内心の動揺をそんな形で表に出すべきではない。もし、貴方がラインフォルトの総帥になりたいのならば──」

 

「見透かしたようなことを言わないで。誰があんなのの総帥(トップ)になりたいなんて──」

 アリッサが激高した。

 

「それに、です。エネルギーパックを装填していないブラスターを突き付けられても、こちらとしては何もできません。まぁ、シャロンさんは最初から撃つつもりがなかったのでしょうけど」

 

 全員の視線がシャロンに集中した。シャロンはブラスターを下ろすと、グリップにあるスイッチを操作した。もし、エネルギーパックが装填してあれば、カートリッジが飛び出てくるはずである。

 

 ……何も出てこなかった。

 

「シャロン……」

 アリッサが茫然と呟く。

 

「お嬢様。稼働状態のエネルギーパックは熱を持っております。装填したまま隠し持つのは、いささか熱うございますので。それに、ヤン少佐ではございませんが、このようなやり方は品が良いとは申せません。あのことは話すことに、決めたのではなかったのでしょうか」

 シャロンはそう言ってブラスターをテーブルの上に置いた。

 

「……そうなの?でも、先に進んだら後には退けないわ。垂れた蜘蛛の糸が切れたら、後は地獄に落ちるしかない……それでもやるしかないの?」

 

「やるべきかと」

 

「……」

 アリッサは数分も黙ったままだった。意外と思い切りの悪い性格なのかな、ヤンはそう思った。だが、下手な急かしや煽りは禁物だとも思っている。相対的な話にはなるが、いくら時間をかけてもいい。とにかく、彼女が自らの意志で前に進むことが肝心だ。そう思っている。

 

「分かったわ」

 アリッサの言葉にガッツポーズをするカリン。

 

「だが、今は言えない。真実を話すのならば、あともう一人呼ばなければいけない。だから時間を頂戴。大丈夫。今年中に、またセッティングするわ」

 

「……分かりました。少なくとも、こう考えてよろしいのですな」

 ムライが言う。

 

「貴方がたと我々は、特定の、機密と表現しうる情報を共有する意志がある、と」

 ムライの言葉にアリッサはうなずいた。

 

「でも、それだけでは不十分だと思います。今、この場で共有する秘密を一つ、追加しましょう」

 アリッサは一回深呼吸した。

 

「私達が調べたところでは、クーデターの企みがあります。北と、南。両方で。最悪なことに、それは連動している」

 

 

 

 ヤン、フレデリカ、ムライの三人は、シャロンが運転する地上車で同盟大使館に向かっていた。日付はとっくの昔に変わっている。本来ならロイエンタールも同乗するはずだったが、座席に押し込められるのは俺の趣味じゃないと、暗闇の中に歩いて消えていった。危険じゃないのかな、とヤンは思ったが、彼にとっては我々を引き合わせることこそ至上命題だったのさ、とムライは言った。それが終われば自分の任務は終わりということ。それに、あんな牢獄暮らしはもう懲り懲りだろう。いくらアルコールがあったとしても。

 

「ヤン少佐」

 シャロンが運転席から話しかけた。

 

「何でしょう」

 

「何故、ブラスターにエネルギーパックが入っていない、そう思ったのですか」

 

 ヤンはしばらく考えていたが、その後答える。

 

「秘密、です」

 

「教えてはくださらないのですか」

 

「いい言い訳を思いつかないもので」

 

 それを聞いたシャロンは、ウフフと笑い出した。アリッサお嬢様の前で、そんな命知らずな真似をする人は久しぶりですわ。それともう一つ。

 

「何でしょうか」

 

「ヤン少佐は、質問したいことが二つあるとおっしゃいました。その二つ目をお伺いしておりませんでしたわ」

 

「……そういえば忘れてました。あの……これはむしろ、シャロンさんへの質問なんですが」

 

「私に……ですか?」

 

「淹れてくれた紅茶があまりに美味しかったもので。どこの茶葉を使っているのかと」

 

 しばらくして、地上車内は爆笑の渦に包まれた。ヤンの元に同盟シロン産の最高級茶葉が届けられたのは、一週間後のことであった。

 

 

 

 宇宙歴798年、帝国暦489年、10月30日、アムリッツァ要塞宇宙港── 

 

 宇宙船というのは、孤独な存在である。一度宇宙に飛び出し、無線連絡を切ってしまえば、外とは隔絶された存在になりうる。いや、宇宙港に停泊している状態でもそうかもしれない。そこには治安維持当局が使用できる監視カメラも盗聴器も存在しない。指定された方式以外の外部通信が極めて難しい環境で、そのようなものは存在することが非常に難しい。

 

 つまりは、ちゃんとした準備さえ整えてしまえば、密談はいくらでもできる。そういうことである。

 

 

 

「ウォルフガング・ミッターマイヤー中佐です」

 

 第3艦隊旗艦、戦艦タンホイザーの司令部控室に到着したミッターマイヤーは、入口のインターホンを押してそう言った。スピーカーからは短く、入れ、と指示が出る。ミッターマイヤーはドアに手を近づける。ドアは自動で開いた。

 

 中に居るのは、第3艦隊、いや、アムリッツァ軍管区の最高幹部達だった。曰く、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将、軍管区司令官。ジークフリード・キルヒアイス少将、軍管区参謀長、パウル・フォン・オーベルシュタイン准将、軍管区副参謀長である。ラインハルトは司令官執務机に、キルヒアイスとオーベルシュタインはソファに座っていた。ミッターマイヤーはラインハルトの前に立つと、敬礼した。

 

「ミッターマイヤーであります」

 

「よろしい」

 ラインハルトは答礼すると、空いた椅子を指し示した。ミッターマイヤーはそこに座る。程なく、従兵が入ってきて四人にコーヒーを配っていった。

 

 

 

 ウォルフガング・ミッターマイヤーはここ一年で、度々環境を変更させられていた。フェザーン弁務官事務所の勤務が終わり、オーディンに戻ったのが昨年十月。そこで中佐に昇進し、軍務省勤務になったところまではよかった。だが、昨年末に起きたアムリッツァ要塞の南軍による襲撃、その状態調査を命じられて今年一月にアムリッツァ要塞に赴任、そして戻ってきたのは今年の三月であった。それに加え、今年の七月にアムリッツァ軍管区への転属を命じられ、八月には赴任せねばならなかった。

 

 軍、それも士官と転勤は切っても切れぬ存在だが、もう少し配慮があっても良いのではないか、ミッターマイヤーは内心そう思っていた。出張が同じ惑星、期間も二、三日、長くても一週間とかそういうものならともかく、二か月出張して戻ったらすぐに転勤、これでは家族と顔を合わせる暇もないというもの。実の父親からも、最近の軍務省はおかしいんじゃないのか、皆、こんなに出張や転勤が続くのなら、軍に行く人間は誰もいなくなってしまうぞ。そう言われたほどであった。

 

 もっとも、彼の父親は息子が軍隊に行くことを歓迎していたわけではなかった。本人としては自分がやっている庭園業を継ぐものと勝手に思い込んでいた節がある。ただ、ウォルフガング・ミッターマイヤーが軍に行く、と言い出した時、それほど強く止めようとしなかったのも確かだった。そういう親子だった。そう言う他はない。

 

 いずれにせよ、ミッターマイヤーとしては、愛妻のエヴァンゼリンには感謝してもしきれなかった。家庭を顧みない(外部から見るとそうなっている)夫であるにも関わらず、不満一つ言うことなくついてきてくれる、というのは有難いことこの上なかった。アムリッツァ軍管区に転属、となっても何も言わず惑星アムリッツァについてきてくれた。これがこの上ない幸運でなくて何であろうか。

 

 そういうわけで、ミッターマイヤーは、家族に感謝しつつ、軍に対する小さな不信感を心の底に抱えつつ、任務に精励している、というのが現状である。

 

 

 

「惑星アムリッツァには慣れたか」

 ラインハルトがミッターマイヤーに聞いた。もちろん、ミッターマイヤーよりラインハルトの方がずっと年下だから、年下に上から目線で質問されている、ずいぶんと奇妙な状況である。最初はミッターマイヤーも違和感を覚えたものだが、すぐ慣れた。士官、兵士の崇敬ぶりはそれほどのものがあった。

 

「何とかやっております。皆様には多大なるご支援を頂いております」

 ミッターマイヤーは答えた。その他にラインハルトはいくつか質問をした。いずれもどうということはない世間話に近いものだった。ミッターマイヤーはわけがわからない。

 

 しばらくして、今度はオーベルシュタインが話し出した。

 

「ミッターマイヤー中佐。貴官はフェザーンで弁務官事務所の警備を担当していたそうだが」

 

「その通りであります」

 

「こちらで調査したところ、情報局の『仕事』を手伝っていたそうだが」

 

「その通りであります」

 ミッターマイヤーの背中に冷や汗が流れた。確かに、ロイエンタールとの個人的な付き合いで仕事を手伝ったことはある。大体は秘密工作の退路を作るために、あるいは工作そのもののために、その外側をもっともらしく歩いてみせる、その程度のことであった。ロイエンタールは、言い訳がしにくい汚れ仕事までは持ち込まなかったからだ。

 

「ミッターマイヤー中佐。そこまで緊張するものではありません」

 キルヒアイスがにこやかに笑いながら言った。

 

「我々は、中佐の経歴を買っているのです。このアムリッツァ軍管区には、艦隊戦闘に識見のある人は大勢います。ですが、『繊細な』仕事の経験者は少ない。だから頼むのです」

 

 ミッターマイヤーは体を強張らせた。今、頼むと言ったな?一体何を?

 

「貴方も御存知とは思いますが、我が軍は近々、南軍に対する大攻勢作戦を仕掛けることになっております。作戦名は『ラグナロク』。これはご存知ですね」

 ミッターマイヤーはうなずく。

 

「この作戦は、南朝のクレメンス陛下のご逝去と前後して行われるものですが、遺憾なことに、このタイミングで北朝内部でも政変の動きがある、そういう情報が入ってきております」

 

「本当ですか」

 ミッターマイヤーは驚いたようなふりをした。だが、別に意外とは思わない。このような激変の中で、自分達だけが何もない、そんなことはないのだ。

 

「アムリッツァ軍管区の士官には、家族をオーディンに置いてきている人がいくらかおります。基本、軍管区に配属されたら、家族を伴うものですが、人には事情がある。これは仕方のないことです」

 

「ですので、オーディンに万一の事態があった際には、いち早く駆けつけ、そのような人々の安全を確保してもらいたいのです。もちろん、それ以外に若干のお願い事をする可能性はありますが」

 

 ミッターマイヤーは、『若干のお願い事』より前を内心で切り捨てた。要は、オーディンでの企み事があるから、その鉄砲玉をやれということじゃないか。しかし、これを聞いてしまったということは……

 

「やってくれるか、ミッターマイヤー」

 

「……妻はアムリッツァに引っ越して三か月も経っておりません。これでまたオーディンに戻るというのは、不憫でなりません」

 ミッターマイヤーの抵抗だった。妻を引き合いに出すのは己の美学に反することは分かっていた。子供が居たら少しは状況が変わっただろうか。

 

「もちろんそうではない」

 オーベルシュタインが言った。

 

「時が来るまではここで待機してもらう。一朝有事の際は、オーディンに急行して任務にあたってもらう。その指示はこちらでやる。ミッターマイヤー中佐にはそれまで部下の訓練を指揮してもらいたい。もちろん、必要な設備はこちらで用意する」

 

 しばらくの後、ミッターマイヤーは小さくうなずいた。ラインハルトは大きく手を叩くと、決まりだな、そう宣言した。

 

「というわけで、だ。ミッターマイヤー。卿は今から大佐だ。軍人にとって、いざという時に頼りになるのは階級だからな。辞令と階級章はすぐに届けさせる。それでは、職務に戻ってよろしい」

 

 ミッターマイヤーは何も言わず、敬礼だけして退室した。

 

 

 

「いささか強引に過ぎるのではないか」

 

 ミッターマイヤーが退出した後、ラインハルトはオーベルシュタインにそう聞いた。面識があるならともかく、いきなり呼び出して同志になれ、と言われても戸惑うだけだろう。

 

「我々には時がありません。段階を踏んでいては機を逸します」

 

「オーベルシュタインに同意します。ラインハルト様」

 キルヒアイスが後添えした。外見も、性格も全く違う二人であったが、何故か二人はウマが合うのである。オーベルシュタインがここにやって来たのも、キルヒアイスの推挙であった。どういうツテかは分からないが、軍務省でくすぶっていたオーベルシュタインを一本釣りの要領で引き抜いてきたのである。献策は当を得ているし、事務仕事ができるから、ラインハルトとしては不満はない。だが、ラインハルトとしては、いつの間にか軍管区司令部で重きをなしているオーベルシュタインを見て、なんでこうなったかな、と思うことはあった。軍管区という閉鎖空間では、よそ者は自然と遠ざけられる。そういう空気になってしまうのだ。

 

「それに、だ。何故、我々はこんなことをしなければならないのだ」

 

「ラインハルト様」

 キルヒアイスはふくれた。それについては何度もご説明したではありませんか。

 

「分かっている、分かっているさ。キルヒアイス!もう我々は過去の我々ではない。帝国に3つしかない軍管区のリーダーだ。我々は、自分達の部下を守る義務がある。勇戦敢闘だけではやっていけない。そうであろう。それ以外にも必要か?」

 

「いえ。もう十分です。ラインハルト様」

 

「先んずれば人を制す……それはそうだろう。しかしな、制した後、我々は責任を取らねばならない。生きるためとはいえ、なぁ」

 

「郷愁ならば非番の時にしていただけますか」

 オーベルシュタインは低い声色で言った。こういう物言いが敵を沢山作るのだが、本人は気にしていないようだ。

 

「わかった、わかった。もういいオーベルシュタイン。郷愁は後にさせてもらうさ。とりあえず、ミッターマイヤーの部隊への諸手配は抜かりなく頼むぞ」

 

「御意」

 

「あと、キルヒアイス。『ラグナロク』のための物資の準備状況はどうなのだ」

 

「滞りなく進んでおります。予測との誤差はほぼありません」

 

「よろしい。後方支援部隊をねぎらってやらないとな。ずいぶんと苦労しているだろう」

 

「はい。ラインハルト様」

 

 ラインハルトは二度手を振った。用事は終わったので退出しろ、そういうサインだった。

 

 

 

 宇宙歴798年、宇宙歴489年11月上旬、南朝首都ツォンドルフ某所──

 

 

 

 瀟洒を形にした南朝首都ツォンドルフではあるが、当然ながら開発に取り残されたスラムというのは存在する。帝都の開発当局から見捨てられ、治安当局から無視され、一般市民が近づこうとしないその場所は、当然ながら犯罪の温床となっていた。犯罪の温床となったら、次は犯罪組織がそこに根城を築く。その場所から犯罪が消え去ることは期待してはならない。犯罪組織を利用しよう、そう考える輩がいる限りは。

 

 そんなスラムの中に数百はある廃ビルディング、そして数千はある、日の光すら入らない密室の中に男達は居た。室内を照らすのは電球が一つだけ。長机が部屋の中央にあり、折り畳み椅子に彼らは座っていた。入口には男が一人、待機している。外を監視していることは明らかだった。

 

 その会合を仕切っているのは、長机に座っている男の一人だった。

「……優先目標をリストアップした。新無憂宮の宰相公邸、皇室警察司令部、保安本部、侍従詰所、財務尚書公邸、帝国新報本社、帝国公共放送本社、帝国通信本社……」

 

「数が多すぎるな。絞れないのか」

 

「首都機能を一気に抑えないと失敗するぞ」

 

「もっと同志を集めよう。ウィリー先生も協力してくれるだろう」

 

「ウィリー先生を巻き込むのは賛成できない。いざという時の備えにしておかないと」

 

 議論は百出してまとまりがない。

 

「諸君、この義挙に失敗は許されない。無意味な発言は控えてもらおう」

 

「無意味とは何だ。貴様の計画に穴があるなら塞ぐしかないではないか」

 

「さっきから聞く限り、建設的な意見とは認められない。優先目標以外にも確保しなければならない場所はあるのだ。最優先と第一優先含め、占拠しなければならない箇所は32箇所に及ぶ」

 

「冗談じゃない。こっちは2個連隊しか動員できないんだぞ。そんな多数の拠点をどうするんだ」

 

「だから説明したはずだ。拠点の制圧は新無憂宮を優先する。後は、交通の要所を押さえて、官庁街を切り離す。そのために連絡拠点を制圧するのだ。ブラウンシュヴァイク大通り、帝都大橋、あと、ここと、ここ。帝都のトラムも押さえておけば問題ない」

 

「防空指揮所は優先目標ではないのか」

 

「本当はそうしたいのはやまやまだ。だが、即時反応する憲兵、近衛の司令部を押さえれば時間は稼げる。それで代替するほかはあるまい」

 

 闊達な議論が繰り広げられている、と言えばその通りだが、もう少しまとまりがなないものか。机の端に座っている男はそう思った。黒髪に碧紫色、背はやや高い程度、体つきに贅肉は認められないが、マッチョマンとは程遠い、容姿は社会の大方が魅力的と認める程度である。

 

 さて、どうしたものか。男は考え込んだ。君側の奸を除く、一言で言うのは容易いが、こうやって計画を考えてみるとなかなか難しい。奸一人を除くだけなら大したことはないが、それでは世の中は動かない。死ぬのは怖くないが、命を捧げて何の意味もありませんでした、では死にきれないというもの。いや、もしかしたら、自分は命すら惜しんでいるんじゃないのか、そう思えることすらある。あの(ひと)、自分より遥かに大きな命運に立ち向かっている。彼女は無事だろうか。いや、彼女の無事を願うなら、こんなことをしていていいのか。いやいや、大義は女と比較すべきものではなく──

 

「おいシュヴァルツァー」

 

 隣の男に呼びかけられて男は我に返った。あ、ああ。何だい。

 

「何だその態度は。大義の成就に向けて話をしているのに、自分は知らんぷりか。フェザーンで生まれ育ったお前には、帝国のことなどどうでもいいのだろう」

 

「確かに育ったのはフェザーンだが、生まれたのは帝国だ。言いがかりはよしてもらおうか」

 シュヴァルツァーと呼ばれた男は反論した。

 

「第一、貴様の態度は目に余る。ウィリー先生のお気に入りだかなんだか知らんが、非番の時にはどこぞをほっつき歩いているそうじゃないか。同志の獲得にも興味がないのなら、貴様は帝国の未来に関心のない、反動主義者だと──」

 

「やめんか!」

 会議を仕切っていた男が叫んだ。

 

「シュヴァルツァー大尉は一連隊のE中隊長だぞ。こいつを外して義挙が成功すると思うのか。それに、帝室への忠誠は俺が担保する。シュヴァルツァーのことをどうこう言うのはやめておけ」

 

 隣の男は、しぶしぶ座りなおした。

 

「済まない。それで、何だったかな」

 

「蹶起趣意書だ。お前が担当だったろう」

 

「蹶起趣意書?あ、ああ。ここだ」

 シュヴァルツァーは懐からメモを取り出すと、長机に滑らせた。義挙に関しては、電子的な記録は一切遺さない、そういう取り決めだった。メモを受け取った男は、中身を一読すると大きくうなずいた。

 

「うむ。よろしい。後はウィリー先生にも見てもらうことにしよう。さすがだシュヴァルツァー。古文書に通じている人が書けば、趣も違うというもの。諸君、何度も言ってきたことだが、これは帝国の将来を思っての義挙である。ブラウンシュヴァイク一党の専横は最早見過ごしてはおけぬ。そればかりか、帝室の簒奪を企んでいることは皆が知る通りだ。これを放置しては帝国の護りたる軍人の名折れというもの。立ち上がらぬ人間は己を愧じなければならない」

 

 男の演説はなおも続く。シュヴァルツァーは適当に相槌をうちながら、頭の中で思案をめぐらせた。俺は、ウィリー先生が絶対他の人には言っていないだろう秘密を知っている。先生はああ言っていたが、本当に義挙を止めなくてよかったのだろうか?あの企みは本当に成就するのだろうか?

 

 




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第十九話 ラグナロク(1)


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第十九話 ラグナロク(1)

宇宙暦798年12月31日、午後10時、

同盟への亡命者一時収容キャンプ<ノヴァヤ・ロージナ>──

 

 キャンプと命名されてはいるが、テントが林立しているわけではない。フェザーン行政府より100キロほど離れたここでは、仮設の住宅が多数建設され、電気、水道、通信といったインフラが整備されている。亡命希望者で財産の有り余っていない者、つまり、ほとんどの人間はここを一時的な住まいとする。同盟側で受け入れ先が見つかったら、ここからフェザーン宇宙港に移動し、同盟へ旅立つことになる。なお、この移動時は帝国に妨害されないよう、細心の注意が払われる。フェザーン行政府もバックアップする。商売には信用というものが大事、という原則はフェザーンも重視する。

 

「暖房、つけないんですか」

 

「いいのよ」

 

 フレデリカの言葉に、アリッサは一言そう言った。彼女達が居るのは、仮設住宅から少し離れたところにある五階建てのビル、管理棟の一室だった。会議室のような場所であるそこからは、収容キャンプ全体を見ることができる。暖房をつけていないから、室温は寒いどころではない。恐らく氷点下にはなっているだろう。フレデリカもアリッサも防寒コート姿だった。なお、余計なトラブルを避けるために、コートは軍支給のものを貸し出してもらっている(もちろんフレデリカは自前のものだ)

 

「あれに興味があるんですか」

 フレデリカは窓の外、とある点を指し示した。仮設住宅のある場所、その中央部分には広場がある。物資の分配とかが行われる場所だった。もちろん、何もない時には亡命希望者のレクリエーションにも利用される。今、そこでは火が焚かれいて、人々が騒いでいるように見える。会議室は照明すら点けられていないから、外の様子ははっきりと分かる。

 

「ええ」

 

「年越しの祭り、ですよ。帝国でもやっていると思うのですが」

 

「ええ」

 

「フェザーンに支社がある同盟企業からカンパを募ってます。希望者にはビールかもう少し強めの酒が分配されているはずです。泥酔するほどには配れませんけどね。でも、新年を祝う気分にはなれるはずです」

 

「あれは、私たちの罪──」

 

「??」

 

「彼等にも、かつては平和な暮らしがあった。そのはずよ。それが奪われたのは、戦争。内戦。そして、戦争で儲けているのは私たち。ならば、あれは私たちの罪。そうではなくて?」

 

「直接的な要因とは言い切れません」

 

「そんなことはないわ」

 

「アリッサさん。悲劇がある時、誰しも要因の一つや二つ、思いつくものです。そして、それは大体当たっています。ですが、本当の要因が別にあることもあります。どんな時でも、要因を追求することを怠ってはなりません。第一、彼等に平和な暮らしがあったと、どうして言い切れるのでしょう?」

 

「中尉さん。それは士官学校で教わったの?」

 

「私もフレデリカでいいです。アリッサさん。これは、ヤン少佐の受け売りです」

 

「少佐の?」

 

「はい。少佐はもともと憲兵だったそうです。いろいろあってフェザーンに来た、そう言ってました。本当の要因は、時間をかけて、足を動かして、頭を使って追い求めるものだそうなんです」

 

「道理で」

 

「道理?」

 

「なんか、軍人なのに、警察官っぽいって思ったのよ。軍人って、要因には興味がない。でも警察官は、要因以外は興味がないのよ。そんな感じがしたの」

 

「そうなんですか。アリッサさんは警察官のお知り合いがいるんですか?」

 

「いるわよ」

 

「そうですか」

 

「……冗談を真に受けないで頂戴。警察官の知り合いは、テレビドラマの中にしか居ないわよ。父様や母様にはそういう知り合いは沢山いるかもしれないけど」

 

 後ろでドアががちゃりと開いた。入ってきたのは男性の軍人と女性の軍人……のように見えて女性の方は軍人ではないようだ。アリッサと同じく、軍用コートを着ているためにそう見えるだけだった。

 

「遅くなりました。フィールドワークに付き合わされたもので」

 そう言ったのはヤン・ウェンリーである。

 

「いえいえ。我儘を言ってごめんなさい。でも、滅多にない機会だから、自分の足で歩いてみたかったのです」

 

 アリッサはドアの方を振り向いた。女性の方の顔を確認すると、満面の笑みを浮かべた。

 

「ヒルダさん!」

 

「アリッサお姉様!お久しぶりです!!」

 

 ヒルダこと、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフはアリッサの方に駆け寄ると、二人手を取り合ってきゃいきゃいと再会を喜び合っていた。こう見ると、年相応、いや、まだ未成年の二人のようにしか見えない。二人の女性は今一瞬、自分達が背負っている立場というものを忘れていた。一人は、大財閥の次期総帥、もう一人は、門閥貴族のご令嬢である。

 

 

 

 ヤンは会議室の照明を点けた。暖房のスイッチも入れる。ほどなく室内は暖かくなり、全員がコートを脱ぎ、着席した。ヤンが外で買ってきた紙パックのオレンジジュースを配って歩く。

「中尉、こちらはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフさんだ。今日の特別ゲストだよ」

 

「よろしくお願いします」

 ヒルダが一礼した。

 

「マリーンドルフ? では、あの……帝国北朝の名門の?」

 

「恥ずかしながら、父が帝室にご奉公しております。私のことは、ヒルダと呼んでください。皆さんと同じく、仰々しい呼び方は苦手にしておりまして」

 

 ヤンは室内を見回した。一見、女子会(と余計なおっさん)に見まごうような風景だが、今からここで話し合われるのは、銀河の、いやそれは言い過ぎだな。銀河に住まう人類の行く末を決めるかもしれない事項についてである。アリッサ・ラインフォルトがそう決めたのだ。もちろん、ヒルダを呼んだのもアリッサである。

 

 

 

「そういえばヒルダさん」

 

「何ですかアリッサ姉様」

 

「新年パーティー、ヒルダさんは出なくて良かったのかしら。あたしは毎年さぼっているから分からないんだけど、ヒルダさんは出なければまずいんじゃないの?」

 

「今年は中止です」

 

「中止」

 

「公的な催しのかなりの割合が中止になってます。自粛というものですね」

 解説したのはフレデリカだった。

 

「直接関係するのは南朝だけのはずだけど」とアリッサ。

 

「どういう事情があるかは分かりません」

 

「でも、今年は同盟大使館のパーティーも規模を縮小しているのではなかったかしら」

 

「そう……でしたっけ」

 ヒルダの指摘にフレデリカはとぼけてみせた。確かに同盟大使館の年始パーティーは、例年なら高級ホテルの大規模バンケットルームを貸し切って行われるものだが、今年だけは大使館内で行われるひどく小ぢんまりしたものになっていた。フェザーンの政情を慮って、と報道官は説明していた。

 

 

 

「少佐」

 アリッサが言った。

 

「何でしょうか」

 

「お約束したにもかかわらず、こんなに遅くなって申し訳ありません」

 アリッサはそう言って頭を下げた。

 

「まだ年内です」

 ヤンは腕時計を指し示しながら答えた。ですが、ほんの少し、心配してしまいました。まだまだ私も人ができていませんね。

 

「今からお話しするのは」

 アリッサはそこで言葉を切った。しばらくして話し出す。

 

「私が知る限りの帝国の政変に関する計画。一般的には『ラグナロク』と呼ばれているものです」

 そう言って、アリッサは備え付けのディスプレイの電源を入れ、手元の端末を操作した。しばらくすると、本の一ページを切り取ったようなものが表示された。

 

「何ですかこれは?」

 そう言ったのはフレデリカ。

 

「論文……それも帝国公用語の……そりゃそうか」

 これはヤン。

 

「帝国科学アカデミー……そこに掲載された論文ですね」

 左上にあった文字列を読み取ったヒルダ。

 

「そう。十五年前、当時わずか十七歳の少年がこの論文を提出した。彼は十六の時に帝都工業大学を飛び級で入学し、翌年にはこの論文を科学アカデミーに投稿したわ。誰だと思う?これを書いたのは。まぁ、書いてあるんですけどね」

 

「……ブルーノ……フォン、シルヴァーベルヒ……もしかして!」

 ヒルダが息を呑んだ。

 

「そうよ。若き頃のシルヴァーベルヒ。現統帥本部総長。そしてこの論文のタイトルは、『帝国の経済運営を永久ならしめるための超越計画(プロイエクト・トランスツェンデンツ)』というもの。帝国における物流の拠点を惑星から切り離し、独立で運航する人工構造体に移行させることによって、地政学、紛争、経済の一時的な拡大や縮小、偏在、あらゆるリスクを低減させることができるというものよ。彼は、このような人工構造体が銀河に最低五つあれば、人類領域全体を効率的に統治可能という結論をここで書いているわ。もちろん、構造体に必要な機能と能力も。宇宙港、居住区域、取引所、通信施設、倉庫、そして自己防衛機能、航行能力、ワープ能力。ヤン少佐、貴方ならピンとくるのではなくて」

 

「ええ」

 ヤンはうなずいた。

 

「動く要塞。その正体がこれですか」

 

「いいえ。そこまで当たってはいないの。論文を詳しく読まないと分からないけど、ここで提唱する人工構造体を実現するなら、最低限でもアムリッツァ要塞より二回りほど大きなものを造らなければならないわ。話によると、当初構想されていたアムリッツァ要塞のスペックであれば大体合っているそうだけど。そしてこれが」

 アリッサは、オレンジジュースの紙パック、そこにストローを突き刺すと、一口ジュースを飲んだ。

 

「『最終戦争計画(プロイエクト・ラグナロク)』、その最初の一歩」

 

 

 

「壮大な構想ですね」

 フレデリカがぽつりと言った。

 

「壮大……そうだな。夢物語という言葉が似合いそうだが」

 ヤンは同意した。ただ、言われてみると、人類は可住惑星や軌道コロニーに居住しているとはいえ、可住区域に対して惑星はあまりに広すぎるというのは事実である。社会生存に必要な場所はそれほど広くなくともよいのだ。

 

 自由惑星同盟で最大の人口を有する惑星ハイネセンだって、人類が居住に使用している地表面積は、惑星全体の1パーセントにも満たないそうだ。人類にとって、宇宙は広すぎると言われるが、よくよく考えると惑星だって人類には広すぎるのである。

 

 そして地政学──社会的リスクに対して地理が与える影響を考察する学問──の視点から考えると、惑星の存在する位置、それこそが惑星の価値を決め、そしてそれを巡って数多の動乱が発生した。もちろん、人類が地球という惑星のみに居住していた時代もそうである。この計画は、人工天体によって、そういう地政学リスクを調整してしまおうというものである。野心的という意味においては、バベルの塔すら及ばないだろう。

 

「でも、計画は進行していないのでしょう?現実が許さない」

 

「そのとおりよ少佐。でも、この論文を読んだ父様は感激したらしいわ。翌年にはシルヴァーベルヒをラインフォルトに入社させて、シルヴァーベルヒがニ十歳の時、ラインフォルトグループのロジスティクスを管轄する部門のトップに据えた。まぁ、後はご存じの通り。反対する勢力を実績でねじ伏せて、帝国軍務省と提携して帝国軍のコンピュータシステム刷新を行った。これを見た宰相、リヒテンラーデ侯はシルヴァーベルヒと直談判して、彼を軍に引き抜いたのよ。そして、それと並行して、ラインフォルトでは大規模構造体についての推進・ワープ技術への投資を行った。父様、シルヴァーベルヒ、帝国政府が何を考えていたのかは分からない。分かるのは、アムリッツァ要塞に航行機能が追加されたことだけ。昨年実証実験が成功しているから、今頃は運用に関する問題を洗い出している頃合いでしょうね」

 

「現実を計画に合わせることを優先した、そういうことですか」

 ヤンはジュースのパックにストローを突き刺した。だが、飲むことはなかった。

 

「一体、この要塞がどう使われるかは分からないの。今まで話した内容も、計画の概要を『知らされて』から、つてを辿って調べただけなのだから」

 

「ちょっと待ってください」

 ヒルダが割り込んだ。

 

「姉様が今言った『計画』というのは、シルヴァーベルヒさんの計画、とは違うのですよね?」

 

「そうね。ごめんなさい。ここからは、帝国の内戦にまつわる話になるわ。内戦が勃発してから三十年、いや、四十年が経とうとしている。内心ではもう、戦争に飽き飽きしている。もともと、リヒャルト陛下の政策をよく思わない、従来の門閥貴族が起こした利権維持のための闘争、そのはずだったけど。終わらない内戦の中で、ほとんどの貴族は利権を失ってしまった。それは南朝だけでなく、北朝もそう。代わりに北朝では、父様のような財閥が跋扈し、南朝では生き残ったブラウンシュヴァイク一門が全てを総取りにした。戦争の意義なんてなくなってしまったの。ほとんどの人々にとっては」

 

「だから、戦争を終わらせるのですね」

 フレデリカが言う。

 

「終わらせること自体は問題ないわ。みんなそう思っている。問題は、どうやって終わらせるか、よ」

 

「それなら分かります。戦争の終結は終わりではない。終わった後どうするか、そこを十分考えないと戦争はまた始まる。十分考えてもそうなるかもしれないのが皮肉ですが」

 ヤンがそう言って、またジュースを飲もうとして、やめた。

 

「二度と戦争を起こさないためには、人類全てが滅ぶしかない」

 

「誰の言葉かは知りませんが、そういうものかもしれません。ニヒリズムが過ぎるとも思いますけどね。アリッサさん」

 

「人類の滅亡がニヒリズムかどうかは、私には興味がない。何故なら、戦争の終わりが始まる時、私は死ぬのだから」

 アリッサの声は、平静を保っているようで、震えていた。

 

 

 

 一分ほども会議室では動きがなかった。誰もが、その言葉を解釈するのにしばらくの時を要した。その後、フレデリカが立ち上がろうとして、ヤンに押しとどめられた。

 

「その先をどうぞ。アリッサさん」

 

「二年前、私のもとに一通のメールが来たわ。そこには、私の身の安全を確保する代わりに、私が持っているラインフォルト本社の株式議決権、それを委任してもらいたい、そういう話だった」

 

「……重大さの割に、ずいぶんとふわっとしていますね」

 

「少佐もそう思うのね」

 

「身の危険を感じるのですか」

 

「感じないわ。今は。でもいずれ、命を狙われることは分かっている」

 

「そもそも、株式議決権をどれだけ持っているんですか。委任とはいえ、数パーセント程度の議決権では、影響力はあっても限定的なものでは──」

 

「53パーセントあるわよ」

 アリッサの言葉に、ヤンは紙パックを倒してしまった。

 

 

 

「53パーセント……」

 フレデリカが呆然として繰り返した。

 

「ということは、ラインフォルトは事実上姉様が支配下に──」

 

「ヒルダさん。私はあんなのを好き勝手したい。そう思ったことはないわ。譲られたのは7年前、家を出ていく時に引き換え条件として押し付けられた、と言った方が正しいかしら。株主総会があるたびに、どこかの弁護士が、委任状に代理でサインするだけの議決権。委任状の実物も見たことはないのよ。でも、この『現実』が抑止力になる」

 

「テロへの抑止力でしょうか」

 

「そういうこと、少佐。感情的な要因ならともかく、論理的な思考のもとに組み立てられたテロ計画には抑止力が効く。成功しても効果がないことを示すのは一番よ。万が一、父様、母様が凶刃に倒れても、私が議決権を持っていればすぐに私がコントロールできる。一気呵成にラインフォルトを壊滅あるいは併呑することはできないの。それが抑止力」

 

「それにしても……それでアリッサさんは今、身の危険を感じないのですか?」

 ヤンが不思議そうな顔をして尋ねた。

 

「別に。議決権のことは限られた人しか知らないはずだから。ラインフォルト本社は株式を公開していないから情報も公開されていない。それに私にはシャロンがいる。あの人の腕前は相当なものよ。少佐や中尉は聞いていると思うけど」

 ヤンとフレデリカは互いに顔を見合わせた。アリッサは、カリンの定時報告の能力を過大評価しているようだった。

 

「でも情報は漏れていたようね。そして、身の安全と引き換えに、議決権を寄越せと言ってくる人がいたわけよ。もちろん最初は断ったわ。無視した、と言うべきかしら。そしたら、向こうは退かずに再度出てきた。遠からず帝国は一つになるから、従うのが身のためだ。そう言ってきたのよ。誇大妄想と片付けるのは簡単だけど、一体、誰がそう言ってきたと思う?」

 

「……誰なんですか」

 ヒルダが訊いた。アリッサはわずかに口の端を歪める。

 

「リッテンハイム侯ウィルヘルム三世」

 

 

 

「……」

「……」

「……とんでもない方向から、とんでもない人物が出てきましたね」

 ヤンがため息をつきながら言った。およそこの世は驚きに満ちている、とはいうものの、今夜は驚きっぱなしでお腹いっぱいだ。そして、お話にはまだまだ続きがあるのだろう。

 

「リッテンハイム侯はわざわざフェザーンに来て、私の目の前でそう言ったわ。帝国の激変の前に、安全を保障できるのはこの私しかいないのだ。そこまで言ったのよ」

 

「なるほどね。リッテンハイム侯は激変を仕掛ける方というわけですか。とりあえず実態を脇に置いておくならば。それで何と答えたんです?」

 

「まぁ、賛成ともそうではないとも取れる、玉虫色を」

 アリッサは露骨に目を逸らしながら答えた。

 

「タマムシ、ね。でリッテンハイム侯は?」

 

「私の見る限り、大満足で帰っていったわ。相当自信がありそうな感じだったわね。最初は誇大妄想もここまで、そう思っていたけど、そうではないことが段々と分かってきた」

 

「南軍はそこまで追い詰められているんですか。兵士が戦闘を拒否するというのは、よほど待遇が悪いか戦況が悪化しているかのどちらかです。士官となれば尚更です。それまで首都で暮らしている士官が出征を拒否するなんて、軍隊の体を為していない」

 ヤンが訊く。

 

「私は軍の専門家じゃないから分からない。でも、知り合いからの情報によると、士官学校を卒業して間もない将校たちによって、クーデターの謀議は実際に行われている。向こうの治安当局に潰されなければ、それは現実のものになる」

 

「アリッサさん。その知り合いって、誰なんです」

 

「……少佐。それは言えない。でも、彼の情報は真実よ。私の命をかけてもいい」

 

「わかりました。まとめると、リッテンハイム侯が、士官学校の卒業生を指嗾してクーデターを仕掛けさせている。実現可能性はさておき、侯爵殿はこの計画が必ず成功すると信じている。しかし、それでも分かりませんね。ブラウンシュヴァイク一門を排除して自分が南朝のトップになりたい。まぁそうだとして、それがアリッサさんの持つ株式議決権とどうリンクしてくるのです?それに、アリッサさんが生命の危機にある、という話と全く繋がりません」

 

「そうね。それが、南朝のクーデターと北朝のクーデターがリンクしている、という事実に繋がるの」

 

 

 

 ヤン外3名の「会議」は一旦休憩となった。会議が始まってから一時間近くが過ぎ、アリッサはともかく、他の三人は頭に詰め込まれた情報を整理する時間が必要だった。自販機で飲料を買い、あるいは廊下で頭を冷やし、十分ほど経った後、会議を再開した。会議は再び、アリッサの独白から始まった。

 

「リッテンハイム侯の計画はまだあった。北軍の有力者と協同関係ができていて、南北同時に政変が起きると。南北の同志は、政体を刷新し、帝国は再び一つになる。新しい政界、財界、軍により、銀河帝国は生まれ変わると。さらに、北朝で開発された新兵器が投入された暁には、帝国は叛乱軍に対し絶対的な優位を確立するであろうと」

 

「……でも、分かりません。そこで何故、アリッサさんの生命が危機に晒されていることになるんですか」

 フレデリカが不思議そうな顔をして言った。

 

「まぁ、分からない話ではない。革命というものは、暴力が全てを塗り替える現象だ。暴力というものが存在する限り。暴力の向かう先は、それまで『持てる人』であることがほとんどだから、アリッサさんの懸念は分からないでもない。革命の仕掛け人が分かっているのならば、手を組むのは悪いことではない」

 ただ、手を組んだとしても、それがどれだけ我が身や財産の安全を保障してくれるかは分からないと思うけどな。ヤンはそう思った。

 

「……その北軍の有力者が誰か、聞いたんですか」

 質問をしたのはヒルダであった。

 

「ピンポイントでは教えてはくれなかった。ただ、アムリッツァ軍管区の要人、極めてトップに近いスタッフの誰かであると」

 

「でもそれって、ほとんど特定できていないですか?軍管区そのものをクーデターに引っ張りこめる協力者、それも確実性が高いとなれば、トップのラインハルト・フォン・ミューゼル大将に多大な影響を与えられる、それも自らの決裁で部隊を動かしても周囲から怪しまれない立場の人間でしかあり得ない」

 ヤンが髪をいじりながら訊いた。

 

「そう。それは後で分かった。当の本人から打診が来たから」

 アリッサの言葉にヤンは目を瞠った。

 

「アムリッツァ軍管区の参謀長、ジークフリード・キルヒアイス少将から会談の要請が来たわ。ミューゼル司令官も同席するって。何を話したいのかは教えてもらえなかったけど、ここまで来たらどういう議題かは自明ってことね」

 

「連動するクーデターの相談、ということですか。それにしてもナンバーワンとナンバーツーが直接乗り込んでくるとは。何故そうなったのでしょう」

 

「分からない。秘密を漏らしたくなかったのかもしれないし、自分達なら事を仕損じることはない、と思ったのかもしれない。あえて推測するならば……キルヒアイス少将は、あるいはミューゼル大将は私を確認したかったのかもしれない」

 

「確認」

 フレデリカが繰り返した。

 

「この陰謀劇の紛れもないキーマンであるこのわたし。どういう人間なのか、そこが見たかったのじゃないのかしら。それを見れば、どう対応するのがいいのか、それが分かると思ったのかもしれない。まぁ、私がそう考える、というだけで、向こうがそう思っているかどうかは分からないけど」

 

「で、結果はどうなったのですか……ってもしやまさか」

 ヤンはアリッサの方を振り返った。

 

「そうよ。その顛末は貴方達が一番よく知っている」

 ヤンは困惑した。あの大物(キングピン)の一件にそのような裏があったとは。もう半年前のことになるが、あのことは昨日のように思い出すことができる。全てが秘密のままで行われた作戦。

 

「……そうなんですね。何故あんな所で誘拐されていたのかと思ったら、そういうことだったんですか。軍管区の司令官が誘拐された、あるいは作戦区域から離れた所で発見された。そうすれば、軍管区を大掛かりに調査する理由ができる。まさか、もしかしてアリッサさん。それを知っててご自分で罠をかけたんじゃないでしょうね」

 

「となると、話は綺麗に繋がるんだけど、そうじゃないの。あれは私も知らなかった。いつまで経っても来ないと思ったら、いろいろあったらしくて、勝手に帰ってしまった。私から見たらそうなるわね。でも、後日こちらで入手した情報によると、アムリッツァ要塞の警備隊で大規模な粛清人事があったそうね。アムリッツァ軍管区も一枚岩じゃなかったってこと。そう思っている。でも、あれで私の運命は定まった」

 アリッサは瞼を閉じた。

 

「定まった」

 

「いつか近い将来、私は殺される、ということよ。当然よね。リッテンハイム侯はラインフォルトとの繋がりを利用して帝国を手に入れようとしている。ならば、ミューゼル大将やキルヒアイス少将にとって、私さえいなくなればリッテンハイム侯を追い落とすチャンスが大きくなる。そして、二人にとって私は、自分達を失脚させようとした仇敵よ。そうなってしまったの」

 

「……納得できません」

 そう言ったのはヒルダだった。全員がヒルダの方を振り向く。

 

「私には納得できません。それだけ分かっていながら、姉様は自分が殺されるのを黙って受け入れるつもりだったんですか!私を誰だと思って。私に迷惑がかかると思って遠慮したんですか!!」

 

「ヒルダさん、落ち着いて」

 フレデリカがなだめようとした。

 

「落ち着いてなんていられますか!すぐに父に通信します。それなら先手を取れます。軍管区の一つや二つ!!」

 ヒルダの目からは涙が流れていた。

 

「無理です!」

 ヤンは声を張り上げた。滅多にないことだった。

 

「ですが!」

 

「無理です。この段階になって伯爵家にできることはありません。軍務尚書でも、帝国宰相でも、いや、皇帝でもできることはありません。アリッサさんがマリーンドルフ家を巻き込まなかったのは、別に遠慮したからではないのです。クーデターというのはですね、起こす方も防ぐ方も兵隊がいないと始まらないんです。そして、今の段階では、起こす方は準備が大体できている。この状況では、たとえどんな権力があっても止められません。おそらくアリッサさんが貴方に言いたかったのは」

 

「とにかく生き延びろ、と。突き付けられた要求を無碍に拒否するな。だが、迎合もするな。とにかく時間を稼げ。そうすれば生き延びるチャンスが出てくる。伯爵家、民政尚書、そういう肩書が利用できる。そうじゃないんですか」

 ヤンがアリッサの方に振り返る。アリッサはしばし呆然としていたが、しばらくしてこくんとうなずいた。

 

「……その通りよ。私が望んでいたのは、この件にマリーンドルフ家が介入しないこと。そうすれば、全てが終わった後に一番望ましい形になる。私が生き延びていれば。そしてそれは同盟に託すことにした。それにしてもヤン少佐」

 

「なんでしょうか」

 

「貴方が少佐で、本当によかったと思うわ。だって、もし貴方が大将だの元帥だのになっていれば、今頃、銀河帝国は地図の上から無くなっているはずよ。これだけの情報で、ここまで分かるのですから」

 

「私は……軍人になろうと思ってなったわけじゃありません。まぁ、詳しい話は長くなるから言いませんが、とにかくそうなんです。大将だの元帥だの。そんなものになりたいと思ったことは一度もないですよ。それにです。もし仮にそんな立場になったとしたら、自分についてくる何百万という将兵に死ねと命じなければならない。彼らの死に対して得られるもの、それは何なんでしょう。何百万の死より尊いのでしょうかね」

 

「どうでしょうね。そういえば、似たようなことを父様に聞いたことはあったわ。我々が造る戦艦で、宇宙船で、敵味方何万という人が死んでいるって、それをどう思うかって」

 

「お父様は何と答えたのですか」

 

「武器のことで悩むのは時間の無駄だと。争いを求める人々は、自分が手に入る武器を使って争いを続けるのだと。たとえば、それが銃、刀、棒きれ、あるいは石ころだったとしても。悩むなら、争いを止める方法で悩みなさい、と」

 アリッサの言葉に、ヤンはしばし考え込んだ。その後口を開く。

 

「ラインフォルトの総帥とは、随分と哲学的な人間なんですね」

 

「哲学的……父様をそう言う人は初めてだわ。私が知る限り」

 

 直後、部屋に電子音が響き渡った。全員が反射的に身構える。

 

 ぽーん。ただいま、宇宙暦799年1月1日、午前0時0分をお知らせします。

 

 程なく、全員が椅子にへたれこんだ。

 

「……なんともまぁ、風情のない新年だこと」

 そう言ったのはアリッサ。

 

「花火も、スパークリングワインも、乾杯もない新年ですか」

 答えたのはヤン。

 

「新年の祝いも、抱負もない」

 これはフレデリカ。

 

「姉様の言っていることが正しいなら、誰も体験したことのない一年になるでしょうね」

 こちらはヒルダ。ちょっと言っていることが矛盾しているような気もするが。

 

「そういえば一つ聞いていませんでした」

 ヤンがアリッサに言った。

 

「何かしら」

 

「リッテンハイム侯が言っていた新兵器、というのは動く要塞のことでしょうけど、何に使うのでしょう?どうやって同盟に対し優位を確立するのでしょうか」

 

「ああそれは」

 アリッサはしばらく考え込んだ。

 

「結局、私にも分からないの。要塞については秘密厳守らしくて、父様もよく分かっていないみたい。もしかしたらリッテンハイム侯か、キルヒアイス少将ぐらいしか知らないのかもしれない。ただ、ヒントはあるわ」

 

「ヒントですか」

 

「最初にお見せしたあの論文よ。あの中に、自由惑星同盟側のどこに配置するのが適切か、それが書いてあるの」

 

「少なくとも、惑星ハイネセンではないんでしょうね」

 

「そうよ。ガンダルヴァ星域、惑星ウルヴァシーと、エル・ファシル星域の惑星エル・ファシル。特に前者は同盟領域へのアクセスに最適、そう書いてあるわね。ああ、論文のコピーは後で差し上げるわ。だから、少佐には同盟を動かしてほしい。同盟のために。今、手を打っておかないと、同盟にとってまずいことになるわ」

 

 ヤンとしては迷いどころである。アリッサ・ラインフォルト嬢の話は、論理的に繋がっているように見えてそうではない所がいくつかある。例えば、何故帝国が同盟への短期決戦を挑むか、という点である。まぁ、これは分からないでもない。内戦が終結した時、敗北した陣営に所属する戦力は、勝利した陣営にとっての脅威となる。古来より、中途半端に残った敵にどう対処するかは勝利者にとっての悩みの種だった。敵国に攻め込ませてすり潰すというのは、まぁ選択肢の一つだ。それだけの金があれば、だけど。アリッサのシナリオが現実となれば、棄民という目的のための侵略作戦も大掛かりなものになるだろう。もし、それが現実となるならば。

 

 そこまで考えなくとも、帝国の両方で、その内戦を終わらせようと工作が行われているこの状況は、同盟ではあまり検討されていないものだ。プラン通り内戦が終結した後、帝国と同盟の軍事バランスは帝国に一時的だが大きく傾く。同盟市民、軍人、政治家がほとんど考えてもいなかったシナリオが現実味を帯びてくる。

 

 だが、そうであるが故に打てる手は限られている。いや、無いと言った方がいいかもしれない。

 

「正直、何をすればいいのかよく分かりません。我々の手の及ばぬ所で話が進み過ぎています。ですが」

 ヤンはそこまで行って黙った。部屋のあちこちを眺めながら、言葉を紡ぎだそうとする。だが、言葉は出てこない。本当に途方に暮れているらしかった。さらにしばらくして、小さくうなずくと話し出した。

 

「自由惑星同盟から戦争というものが消え去って50年が経ちます。この平和により、同盟の国力は大きく成長し、帝国に近づきました。帝国は二つに割れ、互いに争い、同盟に攻め込む余裕はなくなりました。これも同盟が民力の涵養に力を注ぐことができた大きな要因です」

 ここで、ヤンはジュースを一気に飲み干した。

 

「いつの間にか、同盟の市民の間にはこんな空気が流れるようになりました。帝国は互いの面子に固執する余り、不毛な争いを続けてやめられない。だが、同盟はそれを尻目に国力を育成することができれば、国力で帝国を凌駕することもできると。この考え方は間違っていないと思います。ただ、それは」

 

「それは?」

 アリッサが訊く。

 

「それは今じゃないんです。未だ同盟にとって、帝国の背中はまだまだ先なんです。そして、帝国も立ち止まっているわけではない。人材は居る。人口もまだまだ同盟より多い。潜在能力は侮るべきじゃない。今日、いや、昨日でしょうか。私はそれを学びました」

 

「ですから、私は、それに報いなければならない。一人の同盟軍人、いや、同盟市民として。どうせ私は一介の少佐に過ぎない。ならば自由にやらせてもらう。自分のやりたいことをやっても、大して問題にならない。出世を考えなければ尚更のことです」

 

「では、お姉様に協力していただけるんですか」

 

「これからいろいろな事をお伺いすると思いますが、それには協力していただきたい」

 ヤンは、ヒルダの方を向かずにアリッサにそう言った。

 

「分かりました。ドアはいつでも開けておきます。たとえ深夜でも構いません」

 

「遺憾ながら、アリッサさんではなく、ラインフォルト財閥の力を借りることになるかもしれません」

 

「なるべく協力しましょう」

 

「ありがとうございます」

 ヤンはアリッサに深々とお辞儀をした。あわててフレデリカもそれに続く。

 

 その後、会議はとりとめもない話に移行し、午前二時ごろに終わりとなった。ずいぶんと後になって、ヤンはこの日の、この会見のことを思い出すことがあった。そして、自分の仕事に重大な見落としがあることを再確認したのであった。何故、アリッサ・ラインフォルトはリッテンハイム侯と会おうとしたのか、何故、取引をすることになったのか、そもそもリッテンハイム侯が何故ラインフォルト嬢をターゲットにしようと考えたのか、であった。

 

 もし、そのことについてもう少し掘り下げていれば、これから起こるあらゆる快挙と愚行、英雄的または卑劣な行為についてもう少し何かできたのではないか、その時ヤンは思ったのであった。ただ、それは全てを知った後だからこそできる、所謂後知恵なのかもしれなかったが。

 

 

 

 宇宙暦799年1月4日、同盟大使館──

 

 ヤンとフレデリカは新年休暇も一部返上して報告書の作成に取り掛かった。アリッサの告白にはそれだけの価値があると確信していた。実際、軍のデータライブラリを検索し、アリッサの告白を基にデータを検索すると、重要度が低いと判定されていた情報で、彼女のストーリーを補強するような事実がいくつも出てきたのである。

 

 南北で連携するクーデター計画、そして、首謀者はいずれも南北朝で重きを為す要人。これを座視して、万が一クーデターが成功するようなら、同盟は建国以来最大の危機を迎えることになる。ムライに報告書を見てもらい、同盟として十分な備えをしておくように動いてもらうつもりだった。報告書のプレゼンは、新年休暇が明けた一月四日、その日だった。

 

「南朝のリッテンハイム侯ですが、現在唯一就いている公職が、帝都ツォンドルフにある士官学校の理事です。同盟が入手した情報によると、リッテンハイム侯は、士官学校の学生や、卒業して間もない若手士官と貴族、平民に関係なく付き合っているそうです。若手の将校は、終わりの見えない、それでいて目的が失われた戦争に拒否感を抱いている。そこに、目立たないように、腐敗したブラウンシュヴァイク一派というプロパガンダを流しているとしたら、この話にも説得力が出てきます」

 フレデリカが資料を指し示しながら説明する。

 

「翻って北朝も、統一によって得るものは大きいですが、軍隊だけはそうではありません。北軍で現在採用されている軍管区制は防御に偏重した体制です。攻撃について言えば、軍管区の自由度があまりに大きすぎ、適切なコントロールが困難です。さらに、南北の統一により軍そのものの大改革も必要となります。特に軍管区の指導者層は、粛清のリスクが高いと考えられます」

 

「南北が統一を志向して同時にクーデターを起こす場合、我々がこれまで想定していた、南北の総力戦による軍事的消耗は起こらないことになります。南北の軍事力が保持されたままの新帝国が出現した場合、軍事バランスは一気に帝国に傾きます。特に、帝国が新規に開発した、可動要塞は軍事的なインパクトが極めて大きく、同盟は危機に晒されるでありましょう」

 

 だが、予想に反してムライの反応は渋かった。ムライ中佐は提出された報告書を二度読み返して、ヤンやフレデリカの方を見もせずにこう言った。

 

「少佐らしくもない失敗だな」

 

「どういうことでしょうか」

 反発したのはフレデリカの方だった。

 

「敵国の民間人を巡る陰謀、それは大いに結構。まぁ、生命の危機に晒される民間人を何とかしたい、それも個人の心情としては理解できる。しかしだね、政変は我々の専門ではない。敵国の情報分析には専門家がいる。我々の出る幕ではあるまい」

 

「ですが万一、リッテンハイム侯が南の政権を掌握したとすれば、フェザーンに武力を差し向ける可能性はあります。リッテンハイム侯にとって、北の財閥との結びつきは生命線です。アリッサ・ラインフォルトさんは重要人物です」

 

「仮にそれが正しいとしてだね。敵はいつ、どれぐらいの陣容でやってくるのかね。それが分からないじゃないか。シルヴァーベルヒの構想だけでは、動きようがない。第一、十五年前の論文だぞ。まぁ、この論文自体はよくできていると思うがね。だが、何か敵が不穏なことを企んでいるから、こちらから先に叩いてしまえ。それは国家がやることじゃない。いくらそれらしい理屈を並べ立てても、だ。第一、同盟にはそこまでの実力はない。今の同盟は、情報を咀嚼して、正しく判断する能力を大きく欠いている。これだけでは、有事に有効な対策を行うことはかなわない」

 

「それは……」

 そこまで言われると、フレデリカも黙る他はない。

 

「我々の役目は、同盟の国土を護ることにある。ならば最優先課題は、帝国のフェザーン回廊を介した侵攻、これを止めることだ。動く要塞が飛んでくるならば尚更だ。いつ、どれだけ。それが分からないでどう止める?」

 

「備えることです」

 ムライの問いにヤンはそれだけ答えた。

 

「備える?いつ、どれだけ備える?」

 

「今すぐに、できるだけ」

 

「話にならない。少佐らしくもない、曖昧な返答だな」

 

「それ以上、何も分からないからですよ。帝国から作戦計画書でも譲ってもらわない限り、敵がどれだけ来るかなんて、分かりようもありません。課長が言っていることこそ無茶ぶりというものでしょう。それに、敵が全面攻勢を実現したら、その瞬間に同盟は終わります。今の同盟は大量動員体制は整っていない。フェザーンに駆けつけられる兵力は、フェザーンに近い星域に駐留している艦隊から抽出するとして、数千隻がいいところでしょう。敵の大軍を止めることは叶わない。でも、それだけあれば小部隊によるフェザーンの制圧には十分対抗できる」

 

「何がやって来るか、既に分かっているような感じではないか」

 ムライの返答に、ヤンは静かに言った。

 

「そうではありません。敵がそれだけしか来られないようにして、敵の意図をくじくのです。少なくとも、フェザーン回廊を使用した短期決戦を諦めさせなければ。それは我々、特務支援課の役目ではありませんか、課長」

 

「……少佐も成長したな。上官をこき使うようになるとは」

 

「いつもこき使われていますからね。そもそも、敵が本気でフェザーンに手を出すというのはどういう状況でしょうか。それは、北にとって、あるいは南にとって自分達の計画が十分に上手くいった時ということになります。ならば、それを崩さねばなりません。我々が使えるカードは、フェザーン自治領であり、ラインフォルト嬢であり、同盟軍です。相手より格段に弱いカードだとは思いますが、これを使って敵の計画をできるだけ妨害する。そうすれば、我々が状況をコントロールできるようになる可能性が出てきます。ラインフォルト嬢にはそのために動いてもらいます。もっとも、できるのはそれしかありません」

 

「最後のカードである、同盟軍の方は、こちらでやろう。クブルスリー大将と話をする。というかルンビーニの第六(艦隊)、ポレヴィトの第七(艦隊)にはもう話が出ているらしい。私の知る限りでは。クブルスリー大将ならもう少し知っているだろう」

 ムライ少佐が報告書を抽斗にしまいながら言った。

 

「有難くあります」

 

「だから、カードの使い方はお前に任せた。ヤン少佐」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年1月4日、同盟ルンビーニ星域、惑星カスティリオーネ──

 

「幕僚チームの半数が休暇だと」

 

「例年通りです」

 第六艦隊司令官、ムーア少将の怒気を含んだ声に、副官は表面的に戸惑いつつそう答えた。

 

「ハイネセンからの訓令は伝えてあったはずだが」

 

「誰もまともに取り合わなかったのでしょう。待機警報も出ていないのに休暇を却下できるわけもありませんから」

 

「この非常時に何を考えている!」

 爆発するムーアに、副官はこれまた表向き畏まってみせた。いや、非常時だと思っているのは貴方だけでしょう。内心でそう思っている。

 

 ハイネセンからの訓令というのは、昨年12月28日に届いたものである。年末休暇の前に統合作戦本部から訓令が届くのはいつものことなのだが、一年間の勤務に対する労いの言葉、来年の勤務に対する期待といういつもの語句に加え、こんな一文が追加されていた。

 

「各部署、年末年始の勤務にはシフトに高度な柔軟性冗長性を確保し、如何なる事態にも臨機応変に対応できるよう対処されたし」

 

 ムーアはじめ、受け取った将兵は誰もが首をかしげた。そもそも軍隊は24時間365日即時対応即時行動が原則である。ただ、平時の軍隊はそんな即時に動けるような態勢になっていないから、何が起こるか分からないから動く態勢だけは整えておけよ、という言葉は分からないでもない。ただ、根拠も何もなしにそう言われても、はいわかりましたと答えて準備万端整える人間はごく一部に限られる。そんなに準備して欲しいなら戦闘待機命令でも出せよ、そう言う人がほとんどであろう。

 

 そういうわけで、ムーアが副官を怒鳴りつける今の状況が出来上がっているというわけだ。そもそも、第六艦隊は構成人員のほとんどがルンビーニ星域周辺で募集された兵員であり、年末年始をできれば家族で過ごしたいと思う人ばかりである。副官もその一人だ。ムーアはそうではなく、留守艦隊の第十一艦隊から転身して第六艦隊の司令になっている。ある意味、浮いている存在だ。

 

「今、動かせる艦艇はどれほどだ」

 

「即時待機状態に入っている艦艇は500ほどです。御存知だとは思いますが」

 

「500だと!10000ある編制艦艇の5%だと!」

 

「年末年始ですからしょうがないです。第一、10000隻のうちルンビーニに駐留しているのが3割ぐらいしかありません。他は、周辺星域の警備に出ておりますし。この3割が出動態勢を整えるのは今月後半になってからでしょう」

 

「全艦が出動態勢を整えるのには、どれほどだ」

 

「それは……統合作戦本部から戦闘出動命令が出ないと。周辺星域の警備をおろそかにするわけにはいきませんから」

 

「何故艦隊が揃って出動できんのだ!」

 ムーアがどんと机を叩く。

 

「では、司令が統合作戦本部に掛け合って、艦隊が請け負っている警備任務を解除して頂けませんか」

 

「隣接したバラトループ星域のその先はフェザーンだ!南朝の皇帝が重病で明日をも知れぬ命なのだよ。二つの帝国はこれを機に大きく動く可能性がある。その時に、我が艦隊は休暇で動けませんでしたなどというのは言い訳になると思うのか!」

 それを聞いてまたそれか、と、副官は心の中だけでため息をついた。今まで、同盟は主戦場としてイゼルローン回廊を帝国が突破し、アッシュビー・ラインで決戦を挑む、という作戦計画で全て動いてきた。フェザーン回廊を突破するというのは、フェザーン自治領の主権を踏みにじる行為であり、経済的影響が無視できない。だから、帝国は(北であろうと南であろうと、統一した場合であろうと)そのような作戦を考えないだろう、そう言われてきた。

 

 それがどうも方針が変わりつつあるらしい。昨年末ぐらいからである。ムーア少将が初動態勢がどうのと言い出したのは。こちらとしては、初動態勢云々を改善するのに組織や任務の変更も、物資の蓄積も行っていないのだから、何言ってるんだこいつ、となるわけだが(組織の上下関係がなければそう言いたかった)、どうも、ハイネセンでは、フェザーン自治領を通り道にした帝国の侵攻作戦、という話がブームになっているらしい。

 

 確かに、皇帝が死ぬというのは(2つある帝国の1つだけとはいえ)大きな変化だろう。でも、そういう変化があったとしても、防衛計画の大枠は変化しない、そういう話ではなかったのか?一体何が軍首脳部で起きているのだろう?

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年1月13日、北朝首都オーディン──

 

 アンネローゼ・フォン・ミューゼルはその日、簡単な朝食を済ませると、仕事部屋のセントラル・ヒーティングのスイッチを入れ、少し厚着をして仕事に取り掛かった。セントラル・ヒーティングの効きが悪くなっていて、室温がなかなか上がらないのだった。ただ、仕事の量は例年に比べ少なかったため、暇を持て余している状態だった。

 

 アンネローゼは分かっていた。マスコミや政府発表は南朝皇帝の重病による「自粛」の影響で経済が落ち込んでいると言ってはいるものの、本当のところはそうではないことを。

 

 不況がやって来ているのである。軍事予算が膨張を続けていること、財閥系企業が人員整理を始めていること、戦勝のための国債購入が(半ば強制的に)行われていることから、民間消費が落ち込み、それをあてにしている企業の業績が悪化している。アンネローゼは宮廷がらみの仕事をしているが、それだけではない。ヴェストパーレ男爵夫人の許可を得て、仕事が少ない日は慈善団体の手伝いをしていた。刺繍教室の講師とか、夫の戦死で寡婦となった人を支援する募金活動であるとか、そういうものである。

 

 こういう業務に携わっていると、経済の落ち込みが骨身に沁みるというものなのだ。企業からの支援が減少したり打ち切りになったり、あるいは、教室に来ていた人が突然来なくなったり、仕事の悩みを打ち明けられたり、ということである。今のところ、アンネローゼ本人の収入には影響がないのだが、それもいつまで続くのだろうか。

 

 さらに、南朝皇帝クレメンス陛下(北朝でこういう物言いをするのは、皇帝の弟だからである)の崩御に伴い、大々的な軍事作戦が行われるというのは公然の秘密である。新年だからといって祝賀ムードになりにくいのは、そういう事情もある。今年のオーディンに吹く風は、いつにも増して冷たく感じる。そういう声が根強い。

 

 もちろん、弟ラインハルト、そして弟の親友ジークフリード・キルヒアイスのことは気にかかる。ただ、彼らのことなら大丈夫、という妙な確信があるのも確かだった。まぁ、幼年学校出たての見習士官ではあるまいし、今のラインハルトは軍管区司令官、500万を超える大軍のリーダーである。ここまで成り上がると、よっぽどのことがない限り死ぬことはない。周りが死なせないのだ(そうラインハルトは言っていた)。

 

 ただ、ラインハルトの人生が順風満帆なままなのか、それは気になる。栄達したのは喜ばしいが、それによって、普通の人が歩むべき道を歩めなくなった、としたらそれは喜ばしいことであろうか。丁度、芸能人やプロスポーツ選手が、栄光と堕落の道を突き進んでしまうように。結婚して家庭を持つ、それはまだラインハルトにとっては早いだろうが、いずれ視野に入るだろう。いくら顕官となっても、家庭が崩壊しては意味がない、アンネローゼはそう思うのだ。もっとも、アンネローゼ本人も家庭は持っていないのだけれど。

 

 スマート端末を立ち上げ、メールをチェックする。仕事に関するメールに交じって、一通のプライベートなメールがあった。差出人は、ジークフリード・キルヒアイスであった。

 

 アンネローゼはメールを開いた。ごく質素な、テキストデータだけのメールは、キルヒアイスらしさが表れている。そうアンネローゼは思っていた。時候の挨拶に、近況報告、そろそろ出征が近いですが必ず勝って帰ります、アンネローゼ様もお体ご自愛ください、みたいな代わり映えのしない文章が綴られた後、最後にこんな一文があった。

 

「この戦争が、銀河最後の戦争になると思います。戦争が終わったら、アンネローゼ様に大事な話があります。それでは、御機嫌よう」

 

 この一文を読んだ時、アンネローゼの内心で不安感が湧き上がってきた。いや、いずれこうなることは分かっていた。でも、アンネローゼもそれを知らず知らず避けてきたのであった。本来なら喜ばしいことのはずなのに、この胸の中の不安は何だろうか。やはり、あのことにケリがついていないから、なのだろうか。でも、その問題が解決することは恐らくあり得ないだろう。この心の中の不安は、恐らく墓の中に持っていくしかないのかもしれない。

 

 アンネローゼはメール機能を閉じた。コミュニケータが着信を告げていたからだ。通信はヴェストパーレ男爵夫人から来ている。仕事の話だろうか?

 

「ミューゼルです」

 

「アンネローゼさん?ちょっと時間あるかしら?お話ししたいことがあるのだけれど」

 

「ええ、構いません。そちらに伺いますか?」

 

「助かるわ」

 

「仕事の話でしょうか?」

 

「そうね」

 アンネローゼは、ヴェストパーレ男爵夫人の声に、困惑を感じた。

  

「ところで、先に聞いておきたいんだけど。アンネローゼさんは、ラインフォルトと仕事はしたことがあるのかしら?」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年1月29日、南朝首都ツォンドルフ──

 

 南朝、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の端にある、宮内省特別分館には、報道記者達が泊まりがけで詰めていた。一年前、そこはただの空き地だった。新無憂宮のいくつもある関係者入口の近くであり、小さな警備隊詰所があるだけの場所だった。しかし、皇帝が倒れ、宮内省の医者だけではなく、民間の専門医が出入りするようになると、それについてくるように記者が押し寄せるようになった。夜討ち朝駆けで記者が張り付き、コメントを求めるようになると宮内省はメディアに対し、記者達をどうにかしろと言い出した。

 

 メディア側の返答は、新無憂宮内にメディアセンターを作れ、であった。記者の待機所と記者会見場、通信設備に放送用スタジオ、その他もろもろを詰め込んだ建物を造れ。なんなら資金は出してもいい。

 

 この要求に対し、宮内署は当初憤慨していたが、結局折れることになった。宮廷警察からの突き上げがあったのである。取材を許可した記者が、新無憂宮を「ついでに」うろつき回るのが困る、というのが理由であった。宮廷を歩き回ってパパラッチの真似事まで始めるとあっては、何とかしなければならなかった。記者を押し込める場所があれば、動きも制限できるというものである。

 

 新無憂宮に急遽建設されたメディアセンターは、「宮内省『特別分館』」と名づけられ、取材記者は特別な取材許可がない限り、基本ここしか入れないようになった。だが、それで十分だった。皇帝の病気に関する取材はここに居れば十分できるようになったからだ。それでも、必要な機能に二階建ては狭すぎるとか、仮説のメディアセンターは外見が見すぼらしすぎて問題だとか、いろいろ不満はあったようだが。

 

 国内はもちろん、北朝、なんと同盟のメディアまで詰めているそこは、常に人でごった返していた。ツォンドルフ総合新聞記者、パウルス・エーベングートもその一人であった。

 

 エーベングートは元々民政省担当の記者であった。だが、皇帝が倒れて入院となり、それが長期化して新無憂宮に移送、ということになって、応援に派遣されたのであった。

 

 さらに言うと、エーベングートには兄が居て、首都ツォンドルフからいくらか離れた地方都市で病院を経営していた。専門は脳神経外科であった。昨年の七月、丁度皇帝が新無憂宮に移送という時期に、医師団の会見が行われた。発表された症状は、「虚血性可逆性神経障害」であった。一時的な神経障害であり、回復の見込みはあり得るという発表であった。エーベングートは兄に、この症状の詳細を問い合わせたが、回答は意外なものであった。虚血性可逆性神経障害とは、短期間で症状が回復した時にそう診断されるものであって、回復していない状態でそう発表するのは誠実な態度ではない、というのである。その情報を基に記事を書いたところ、大反響があった。エーベングートは社内で表彰された。

 

 それから、陛下のご病状のことはエーベングートに聞け、ということになってしまった。肩書は民政省から宮内省の担当記者に正式転属となり、記者会見を聞いては兄に問い合わせて記事を書き、社内とか提携した放送チャンネルに配信する、という生活になった。記者会見場の一つでエーベングートが記事(というかそれ以前のネタ帳)を読み上げ、それを聞いている記者から質問を受けて、必要ならば兄に質問してそれに返す、そんな日々であった。

 まだ家族が居なかったのがせめてもの幸いだっただろうか。休みどころか、家に帰れるのは三週間に一日もあればいい方だったのだ。

 

 仕事にやりがいはあったが、実際きつい仕事だった。記者団の中で段々エーベングートは有名人になっていったが、本来彼の担当ではないクレームも寄ってくるようになった。医師団長より偉そうとか言われることもあった。宮内省からもマークされるようになった。突然記事を取り上げられ、上司と一緒に抗議する、ということもあった。その間に、皇帝は元々あった心臓の症状が悪化し、「その日」が近づいていることが明らかになった。首都ツォンドルフは、自粛ムードに包まれ、黒色が目立つようになった。

 

 

 

 1月29日、首都ツォンドルフは一日中雪が降っており、気温は正午でも摂氏一度を切っていた。宮内省特別分館の中はそれなりに暖かかったが、暖房のおかげというよりも詰めている記者の熱気がそういう状態を作っていたのだろうと思われた。

 

 時間は午後3時、正午の記者会見と、午後6時の記者会見の丁度真ん中である。この時間は、常に忙しい記者でも少し余裕のある時間帯となる。エーベングートも同様で、コーヒーとケバブの昼食を終えると、夜の記者会見後に本社に送る記事をどうするか、それを頭の中で考えていた。

 

 コミュニケータが着信を告げた。エーベングートはコミュニケータを取って通信を開始した。相手は同僚の記者で、宮内省侍従の動きを追う方を担当していた。

 

「こちらエーベングート」

 

「パウルスか。今、自宅に戻っていた侍従長が大慌てで出ていった」

 

「記者会見の準備じゃないんだろうな」

 

「今日の昼に久しぶりに帰宅した侍従長だ。それはないだろう。医師団長の動きは掴めるか」

 

「そういえば医師団長も帰宅していたな。今どうしているか、それは他に聞いてみないといけないが、侍従長と医師団長が急遽登城……いよいよか」

 

「ああ、いよいよだ」

 通信はそれで切れた。エーベングートはコミュニケータであちこちに通信を始めた。エーベングートだけではない。密かに聞き耳を立てていたらしく、周りにいる記者もあちこちに通信を始めた。緩んでいた記者室の空気は一気に張り詰めた感じになった。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年1月29日、午後8時。

 南朝の公共放送および、全ての民間チャンネルが、予定されていた番組放映を一斉に中止、クラシック音楽の演奏映像の放映を開始した。

 

 後世の歴史家は、この瞬間を最終戦争(ラグナロク)の開幕、そう呼ぶようになる。

 




次回タイトル

第二十話 ラグナロク(2)


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第二十話 ラグナロク(2)

 宇宙暦799年、帝国暦480年1月30日、午前8時、宮内省特別分館──

 

 記者会見場には、いつもの宮内省報道官ではなく、宮内省副尚書のフォン・グリツィーネヴァルトが座っていた。テーブルには数枚の紙が置いてあり、そのうちの1枚を手に取る。ゆっくりとした、それでいてはっきりとした声で原稿の読み上げが始まった。もちろん、記者席には各メディアのカメラが配置され、その会見を待ち構えていた。

 

「皇帝陛下におかせられましては、本日午前6時33分、新無憂宮において崩御あらせられました。誠に哀痛の極みであります。(病状についての公式説明)全力を挙げて治療に努めましたが、本日、心不全により崩御あらせられました。なお、崩御に至るまでのご経過の詳細につきましては、後日、宮内省侍医官より発表いたします。繰り返します。皇帝陛下は──」

 

 この日の記者会見の様子は、全宇宙(正しくは全宇宙の人類居住領域)に生中継されていた。超光速通信(FTL)の帯域は十分用意されていたし、中継そのものには問題がなかった。ただ、中継担当社と再配信社の間で費用の分担について深刻なやり取りがあったようだが、それは今更どうでもいい話だろう。とにかく、惑星フェザーン、アルベリッヒ工業デザイン研究所本社で、ヤン、フレデリカ、アリッサ、シャロンの四人が会見を見ることができたのは、そういういろいろな人々による、下準備の成果であった。

 

「一か月ですか」

 画面を見ながらフレデリカが言った。

 

「十日あたりに危篤の速報が出た時はヒヤッとしましたね。時間が無さ過ぎました」

 ヤンが応じる。

 

「思ったよりも時間を稼いでくれました。そう言うべき?」

 そう言ったのはアリッサ。

 

「とはいえ、あの計画は上手くいくのでしょうか」

 シャロンが三人に紅茶を注ぎながら訊いた。

 

「分からないですね。この作戦は不確定要素が少なくありません。本当はキーマンのプロファイリングをもっとやりたかった。だが、ミューゼル大将、キルヒアイス少将、リッテンハイム侯、いずれも情報量が少ない」

 ヤンが早速紅茶を一すすりして言った。

 

「そして有利なのは、作戦の全体像を知るのはその三人だということ。しかも、最終的な到着点はそれぞれ違っている」

 アリッサが続ける。

 

「だからこそ、つけ入る隙がある。というか、そこにしか隙はない。いろいろ手は打ちましたが、どれが効いてくるかは分かりません。どれもダメかもしれない。そういえば、お客様が来るのは今日のはずだったが」

 ヤンがそう言って、ドアの方を振り返った。

 

「カリンが迎えに行っているわ。もう一時間前に宇宙港の地上側待合室に居るはずだから、そろそろこちらに来るはず──」

 アリッサがそこまで言った直後、入口のドアが開いた。そこには、運転手の制服姿であるカリンと一人の女性が立っている。カリンが宇宙港まで迎えに行った人物だった。

 

「お客様をお連れいたしました」

 カリンが恭しくお辞儀した。

 

「ようこそいらっしゃいました。──様」

 ヤンはそう言って、フレデリカと同時に敬礼した。アリッサとシャロンは深々とお辞儀をした。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月6日──

 

 南朝クレメンス帝が崩御して一週間、南軍、北軍の双方が最高警戒態勢に移行した。南軍は、皇帝が崩御して時を置かず北軍が攻勢に出てくるものと思っていたし、北軍は北軍で、攻撃の準備はあらかた整い、後は攻撃開始の命令を待つばかりとなっていたからである。

 

 だが、何も起きなかった。北軍は、戦闘配置が下令されたと思ったらそれが解除され、第三種警戒配置(平時とほぼ変わらない状態)だと思ったら、いきなり第二種戦闘配置が命令されるなど、警戒レベルの上下に振り回されていた。

 

 南軍は南軍で、北軍の攻勢がすぐにでもやって来ると思っていたのがそうでもない。攻撃の兆候が見えたために警戒したと思ったら、それはいつの間にか消えてしまったり、あるいは誤報であったりと、こちらもこちらで緊張と弛緩の連続であった。いたずらに兵が疲れるだけであった。いや、それだけが原因ではなかったのだけど。

 

「リッテンハイムの奴めはまだ動かんのか」

 戦艦ベルリンの、ブラウンシュヴァイク公専用の執務室では、ブラウンシュヴァイク公、執事のアンスバッハ、甥のフレーゲル男爵が今後の方針について話し合っていた。

 

「動きはございませぬ」

 アンスバッハはブラウンシュヴァイク公と目を合わさないように、手許のスレート端末を見ながら報告した。永年仕えてきた執事だけあって、主人が爆発するパターンは知悉している。

 

「陛下が崩御あそばされてから、もう一週間だぞ!フレーゲル。リッテンハイムが動くと言ったのはお前ではないのか」

 

「リッテンハイムの動きを掴むために配置した『草』が根こそぎ刈り取られておるがゆえにそうご報告申し上げました。いつ動くかを掴むのは難しゅうございます」

 フレーゲルは宰相に仕える家臣のような雰囲気で答えた。彼もブラウンシュヴァイク公との付き合いは長いのだ。

 

「また送り込めばよいではないか」

 

「今からでは遅すぎます。外から動きを監視するのと大して変わりはありません」

 フレーゲルが否定した。

 

「ならばどうする。このまま待ち続けるか」

 

「ですが、陛下の葬儀をないがしろにするわけにはいきませぬ。北軍の攻勢に対処するとして日程の発表も先延ばしにしてきましたが、これ以上延ばすわけにはいかないでしょう」

 アンスバッハが、なおもスレート端末を見ながら言った。

 

「それよ」

 ブラウンシュヴァイク公がアンスバッハの方をびしっと指し示した。

 

「国葬となると諸侯を集めねばならん。どんなに早くても半月は使ってしまう。葬儀があって、諸侯がくにに帰って、その後ようやく『遺言』の発表だ。一か月は使ってしまうな。できればリッテンハイムを排除した後に諸事進めたかったが、いつまでも話を引き延ばすわけにはいかん。もしや、リッテンハイムは国葬を狙って諸侯を一網打尽にしようとするのではあるまいな」

 

「かもしれません」

 フレーゲルが言った。

 

「かもしれませんでは済まん!」

 ブラウンシュヴァイクはどんと執務机を叩いた。ウィスキーの入っていたグラスが倒れる。もっとも、ほとんど残りはなかったため、机のごくわずかを湿らせるに止まった。

 

「そこは物量で何とかするしかありません」

 アンスバッハがスレート端末から目を上げて答えた。ブラウンシュヴァイク公は歯を噛み鳴らした。

 

「首都の憲兵隊、治安警察、親衛隊に加え、第二艦隊、第四艦隊からも応援を出します。蟻一匹逃がしはしません」

 フレーゲルが胸を張って答えた。

 

「そうだ。徹底的にやれ。陛下のご葬儀、万が一があってはならん。いいか、陛下のご遺言を公開し、立太子、そして即位までこぎつけるのだ。それさえ為ってしまえば、リッテンハイムが何を企もうとも、物の数ではない」

 ブラウンシュヴァイク公は吼えるように言った。

 

「最善を尽くします」

 アンスバッハは答えた。

 

「フレーゲル」

 

「何でしょうか」

 

「私の後はお前がブラウンシュヴァイク家を引っ張っていくのだ。次の皇帝エリザベートを輔弼し、お前が帝国を率いるのだ。お前だけが頼りなのだ」

 

「勿体ないお言葉」

 フレーゲルは深々とお辞儀をした。目には涙が溜まっている。もっとも、頭の中ではブラウンシュヴァイク公がどれだけ本気なのか、自分がどういう態度を取ればよいのか。それを考え続けている。門閥貴族というのはそういう生き物であった。

 

 

 

 ブラウンシュヴァイク公との会談が終わり、戦艦ベルリンから退出しようとしたフレーゲルは、アンスバッハに呼び止められた。アンスバッハの自室に招待されたフレーゲルは、くれぐれもご内密に、という前置きとともに奇妙な噂話を聞かされることになった。

 

「ゲイブリエル・オズボーン!?」

 フレーゲルの大声に、アンスバッハは口に一本指を立てて制止した。

 

「あくまでも噂にございます」

 

「噂にしても悪い冗談に過ぎる。一体何故そんなものが」

 

 随分と昔の名前であったが、フレーゲルもアンスバッハもオズボーンの名前はよく覚えていた。ブラウンシュヴァイク公が宰相になる前の、先代の帝国宰相である。といっても、オズボーンが宰相職に就いていたのは十三年も前のことであった。アンスバッハが言うところによると、新無憂宮(南朝)で、ゲイブリエル・オズボーンの幽霊が徘徊しているというのだ。

 

 もちろん、ただの人間ではなかった。フォンが付かないということは平民なのであるが、そうであるにもかかわらず宰相職に就任していたことがそれを示している。特殊な事情があるためであったが、そうであっても非凡な人物と言うしかない。

 

 十五年前、南朝は崩壊の一歩手前にあった。北軍の攻勢に対し、南軍は崩壊寸前の状態であったし、まともな整備・補給も行われず、軍の士気はどん底だった。そもそもの理由は、財政の破綻であった。北軍との内戦を戦っているにもかかわらず、門閥貴族は自らの利権を主張し、帝国への貢納を値切ろうと必死だった。そのツケを押し付けられるのは平民であり、重税による不況と社会不安が蔓延していた。

 

 オズボーンはそのような絶望が産み出したものだった。元は、ブラウンシュヴァイクの艦隊に勤務していた高級参謀であったが、主人であるブラウンシュヴァイクの黙認のもとに粛軍クーデターを敢行、クレメンス帝から宰相に抜擢されると帝国の大改革に乗り出した。緩み切った軍紀の粛正、軍の改革(軍需生産の不足を同盟からの輸入で埋めるようになったのはこの時期からである)、そして門閥貴族からの容赦ない税金の取り立てを行ったのであった。わずか一年で財政は持ち直し、軍は再建された。北軍の攻勢も押し返すことができた。

 

 そして、当然のように貴族の恨みを買い、危険視されるようになった。彼をバックアップしていたはずのブラウンシュヴァイク公も、オズボーンを煙たく思うようになった。

 

 十三年前、辺境星域の視察に出たオズボーンの宇宙船が消息を断った。捜索が行われたがオズボーン含め乗組員は発見されず、消息不明、生還の可能性無し、ということになった。

 

 その報に(貴族以外の)誰もが涙した。重要なのは、その涙した人間に、南朝皇帝クレメンスが含まれていたことであった。クレメンス帝は、大改革を推し進めるオズボーンの虜になっていたのだった。そのため、行方不明の報を信じようとせず、一か月以上も捜索を行わせたほどだった。最終的に捜索打ち切りを認めたのだが、死亡扱いすることは認めなかった。だから、今でもオズボーンは宰相職を「休職」したことになっている。

 

「で、何が幽霊だと言うのだ」

 フレーゲルの問いに、アンスバッハは話し出した。何でも、新無憂宮の職員入口での入場記録に、オズボーンの認証情報が残っていたというのである。職員の認証は、セキュリティレベルによっていろいろな手段が用いられるが、中枢区画の入口で行われる遺伝子検査でそれは発見されたとのことだった。もちろん、その外部ではそのような人物が通過したという情報はない。目撃したという情報もない。幽霊というのはそういう事情であった。

 

「ゲートの故障ではないのか。それはそれで問題だろう」

 

「いえ、ゲートは通過を許可しなかったようです。ただ、遺伝子情報はオズボーンに近似していたとのことです」

 

「近似?なら親族ではないのか。オズボーンに妻子が居たとは聞いていない。アンスバッハ、知っているか」

 アンスバッハは首を横に振った。

 

「遺伝子照合に使われたオブジェクト(大抵は頭髪が用いられる)は保管されているのか」

 アンスバッハは二度、首を横に振った。

 

「なれば何も分からないではないか。噂が独り歩きしている」

 

「時間は経ちましたが、未だオズボーンを慕う人が多いのでしょう」

 

「過去にしがみついて何になる」

 フレーゲルはそう吐き捨てるように言った。

 

「まぁ、風聞の一つとして受け取っておく。だが、アンスバッハ。これから先はそんなくだらない話に付き合うわけにはいかんぞ。明日朝、アルヴィース(フレーゲルの乗艦)まで来い。警備の打ち合わせをやるぞ」

 フレーゲルの言葉に、アンスバッハは小さくうなずいた。フレーゲルは部屋を出た。とんだ無駄話を聞いたと思っていた。少なくともその時はそう思っていた。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月22日──

 

 その日、南朝首都ツォンドルフでは、クレメンス帝の国葬が執り行われた。午前9時35分、クレメンス帝の霊柩を乗せた専用馬車を中心として組まれた葬列が、軍楽隊の葬送曲が演奏される中、新無憂宮を出発した。葬列は皇室の面々が乗る車、文武の高官が乗る車等計50台の車が馬車を取り囲み、さらにその外側を警備の車両が取り囲んでいた。あまりの車の多さに、沿道の群衆からは、皇帝の霊柩がほとんど見えなかった。

 

 それでも、三十万近い民衆が葬列を見ようと、沿道に押しかけた。表情を変えずにじっと葬列を見る人、思わず涙を流す人、瞼を閉じて瞑する人、いろいろな光景がそこにあった。 だが、ソーシャルネットワークでは、この光景を「うんざり」と評する意見が根強く存在した。別に皇室尊崇の念に欠けているわけではない(欠けている人もいただろうが)。この国葬の前に行われた「特別警備」が民衆の恨みを買っているのであった。

 

 特別警備は、まず、首都ツォンドルフに繋がる幹線道路全てに検問を設置し、さらに首都の主要交通結節点にも検問を設置した。ここを通過する人間、車両は身分証明書の提示が求められた。車両については目的地の申告が必須となった。首都の中心部である官庁街へは、官庁が発行する許可証すら必要だった。

 

 おかげで、ツォンドルフの物流は混乱し、物価の高騰と物不足が帝都を直撃した。いや、それよりも、犬も歩けば検問や職務質問に当たるような「過度な警戒」の方が帝都民衆の恨みを買ったかもしれない。さらに、帝都治安警察はテロ対策の名目で、民衆からの情報提供を大々的に募った。聞こえはいいが、密告奨励というのと同じである。おかげで、意味のない家宅捜索を繰り返す警察と、意味もなく腹を探られる民衆という構図が出来上がってしまった。これで、成果がなければまだしも、闇物資の販売だの、不敬だの、(堂々と出歩けないことによるストレスが起因の)近所迷惑だのといったものが摘発されるのだから始末に負えないのだった。

 

 まぁ、バックグラウンドの動きはさておき、国葬そのものはスケジュール通りに進んだ。葬列はツォンドルフ中心から少し離れたところにある皇帝庭園に到着し、その一角に設置された葬場へ、皇帝の遺体が運び込まれた。この時、馬車から輿に移し替えられ、帝都を防衛する親衛隊の兵士が輿を担いだ。葬場では、皇族はもちろん、宰相らの閣僚達が弔辞を述べる。さらに、参列した貴族達による拝礼が行われ、葬儀は終了した。本来は、ここから埋葬の地へ遺体を移動することになっているのだが、これは行われなかった。皇帝の遺体は、惑星オーディンにあるゴールデンバウム皇室専用の墓地に埋葬されるべき、という判断であった。クレメンス帝がオーディンに帰還できるその日まで、特殊処理が行われた帝の遺体は、これまた気温、湿度等が管理される仮の「陵」に安置されることになる。

 

 国葬が無事終了し、貴族、平民のほとんどは、ほっと胸をなでおろした。北軍が攻めてくるのではないか、クーデターが起きる、大規模なテロが起きる、そんな噂が山ほど流れては消えていった。大部分の貴族、平民にとっては、何もないのが一番である。これでやっと平常が戻ってくる、そう思われた。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月25日──

 

 国葬が終わって三日、帝都にはようやく穏やかな雰囲気が戻って来ていた。行動制限も解除され、検問も撤去された。移動は自由になり、人々はようやくのびのびと過ごせると喜び合った。

 

 国葬に参列した貴族達も、続々と自らの領地に帰って行った。噂では、二週間もして、大方の貴族が自らの領土に帰った後、ブラウンシュヴァイク公から重大な発表があるだろう、とのことだった。だから、しばらくは穏やかな日々が続くという認識が共通であった。その日は二月末にしては珍しい低温で、夜過ぎからは雪が降るだろうという予報であった。だから、ガイエスブルク要塞から複数の士官が休暇で帝都に滞在していても、誰も気にしなかった。親衛隊の一部の部隊で、演習準備の名目で待機命令が出ていても、気にする人間はいなかった。もちろん、武器庫に封印されているはずの武器と弾薬が持ち出されていても、それは演習のためであると解釈されていた。

 

 翌26日未明、親衛隊第一連隊、第三連隊の兵舎で出動が発令された。双方の司令は帰宅しており、発令したのは連隊の副官だった。二個連隊2500名の兵には、武器と実弾が配布され、連隊が保有している地上車によって、帝都の中枢部に散っていった。クーデターの始まりだった。

 

 クーデター部隊は不意を突くことに成功した。第二連隊はクーデターに参加していなかったが、そうであるが故に、最優先の制圧目標となった。

 

「武器庫、通信隊はD中隊が担当する。E中隊は車両庫、指令室を押さえる。クロスターマン、キミッヒと組んで二個小隊で車両庫を押さえろ。エネルギーパックを外してしまえば取り返されることはない。クリンスマン、俺についてきてもらうぞ。指令室を押さえる」

 第一連隊E中隊長、シュヴァルツァー大尉は部下に指示を出すと、連隊司令部に突入した。警邏の兵は、蹶起の兵によって昏倒させられていた。

 

 蹶起兵の動きには無駄がなかった。第二連隊は、国葬が済んで一段落ということで、まともな抵抗をできる状態になかった。幹部の七割近くが帰宅していたのも大きかった。もっとも、待機命令が出ていなければ幹部は駐屯地外の自宅より通勤することになるから、それ自体は非難されることではなかった。

 

 シュヴァルツァーは部下と共に、司令部の廊下を早足で歩いた。人影はほとんどない。あるはずもなかった。指令室を押さえ、兵舎の電子ロック権限を握ってしまえば、第二連隊はこちらの手に落ちたも同然だ。

 

 指令室に到着した。自動ドアの鍵がかかっている。シュヴァルツァーは傍らの兵に指示すると、兵は平べったい板のようなものをドアに貼り付けた。貼り付け終わったと同時に、全員が床に這いつくばった。直後、爆発音が響き渡り、ドアは吹き飛んでいた。

 

 シュヴァルツァーを先頭に、蹶起部隊の兵が指令室に突入した。中は無人かと思いきや、先客が居た。禿頭、肥満体の中年男で、寝入りばなを叩き起こされここに来たのか、寝間着姿である。もちろん武装はしていない。シュヴァルツァーはもちろん、この男のことを知っている。

 

「夜分失礼致しました。ゼーラー連隊長殿」

 シュヴァルツァーは敬礼した。

 

「き、君は誰だ」

 ゼーラーは震え声で訊いた。

 

「近衛第一連隊E中隊長、シュヴァルツァー大尉であります」

 

「第一連隊だと。誰に唆された」

 

「我々は、自らの意志で蹶起しました。唆されたわけではありません」

 

「き、貴様ら。こんなことをしてただで済むと思っているのか」

 ゼーラーの声は相変わらず震えている。それに加えて、ところどころ声が裏返っていた。どうやら、連隊長本人はこのようなことが起こることを全く考えていなかったらしい。

 

「こんなことをしなくても、軍は詰んでいるのですよ。ブラウンシュヴァイク公の専制が続く限り、帝国の先は知れております。ならば、意味のある死に方をしたい。ただ、それだけです」

 

「馬鹿な。そんなことが成功するとでも」

 シュヴァルツァーはゼーラーの言葉など聞いていなかった。一瞬で距離を詰めるとゼーラーの腕をねじりあげた。側に居た兵がゼーラーに駆け寄り、首に小さな筒のようなものを押し当てる。しばらくして、ゼーラーは昏倒した。筒の正体は、即効性の麻酔薬であった。襲撃については、可能な限り死傷者を出さないで行う、ということを事前に取り決めていた。

 

 指令室の制圧に成功したシュヴァルツァーは、兵に命じて電子ロックの権限を奪取させた。これにて第二連隊は無力化されたも同然である。兵舎に居る兵は監獄に居るも同然、しばらくは動きが取れないはずだ。

 

 シュヴァルツァーのコミュニケータが着信を告げた。おかしい、まだ帝国通信本社は制圧が終わっていないのか、そう思いながら発信元を確認する。思いがけない相手に目を瞠った。

 

「ウィリー先生!」

 

「シュヴァルツァー君かね。久しぶりだ。調子はどうだね」

 通信相手、リッテンハイム侯ウィルヘルム三世は、この緊急事態にも全く動じていなかった。いや、まだ何も知らないのかもしれない。

 

「先生、申し訳ないですが後にしていただけますか。今立て込んでおりまして──」

 

「義挙のことなら承知しておる。徒に死者は出しておらんだろうな」

 

「何故それを」

 シュヴァルツァーは驚いた。リッテンハイム侯はクーデターに加わった面々のことを心配している!

 

「ま、いろいろあってな。ところでシュヴァルツァー、第二連隊の制圧は完了したか」

 

「は、はい」

 シュヴァルツァーは反射的にそう答えた。何故、リッテンハイム侯がクーデターの詳細まで知っているのか、それを考えることはなかった。

 

「ならばよし。ならば、連隊はD中隊に任せて、ちょっと顔を貸せ。新無憂宮の宮内省で待っておるぞ。一時間以内に来い」

 

「は?宮内省、でありますか。ですが──」

 

「何度も言わせるな。ああ、アルバレア少佐のことなら心配するな。既に話は通してある。合言葉は知っているのだろう?」

 

「合言葉?あ、ええ」

 蹶起部隊が設置している検問を通るための合言葉である。

 

「で、あるか。では、待っておるぞ。ああ、コミュニケータは後数分もすれば使えなくなる。かけなおしても無駄だからな」

 リッテンハイムからの通信は唐突に終了した。シュヴァルツァーとしては分からないことだらけであった。恩師ウィリー先生──リッテンハイム侯には、クーデターに巻き込まないため、計画の詳細は伝えなかったはずなのだが。

 

「大尉、シュヴァルツァー大尉!」

 部下が自分を呼ぶ声を認識し、シュヴァルツァーは慌てて振り向いた。

 

「ああ、すまん」

 

「大尉。D中隊も制圧が完了したようです」

 つまり、第二連隊駐屯地の主要目標は全て制圧されたというわけだった。

 

「そうか。やったな。損害は?」

 

「ありません」

 部下は即答した。奇襲は完全に成功したのだった。

 

「D中隊のクラウザー大尉はどこに居る?」

 

「え?大尉は……確か通信隊に向かったはずですが」

 

「分かった」

 シュヴァルツァーは、指令室にある通信機を機動させると、通信隊を呼び出した。確かに、コミュニケータは通信不可状態になっていた。通信機の通信はすぐに繋がった。ああ、突然済まない。そちらにクラウザー大尉はおられるかな。

 

 不審なことだらけではあるが、リッテンハイム直々の呼び出しで、クーデター部隊のリーダーであるアルバレア少佐が承知しているのであれば、無視していい話ではなかった。この場の指揮権を委譲する相談をしなければならなかった。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月26日、午前4時20分──  

 

 リッテンハイムは、宮内尚書室でシュヴァルツァーを待ち受けていた。

 

「待ちかねたぞシュヴァルツァー」

 

「申し訳ございません。検問を通過するのに時間がかかったもので」

 親衛隊第二連隊の駐屯地から、新無憂宮の宮内省にたどり着くまでにはいくつもの検問を通らなければならなかった。もちろん合言葉を知っているから、拘束されたり撃たれたりすることはなかったのだが、持ち場を勝手に離れていることに関して説明を求められたことが何度もあった。リッテンハイムは、そういう配慮はしてくれなかったらしい。

 

「まぁいい。ついてこいシュヴァルツァー。お前がいないと話にならん」

 リッテンハイムは、シュヴァルツァーの謝罪を無視して歩き出した。シュヴァルツァーも慌ててついて行く。リッテンハイムは小脇に箱のようなものを抱えていたが、それが何であるかシュヴァルツァーは聞かなかった。

 二人は、宮内省に隣接している宝物庫のような所にたどり着いた。扉を開けて中に入ると、そこは何もなかった。ただ、奥には扉があって、右側に小さな端末が置いてある。

 

「先生。ここは何なのですか」

 

「知らんかね。国璽の保管所だよ」

 

「国璽」

 シュヴァルツァーは息を吞んだ。国璽といえば、勅書に必ず押印してあるあの国璽である。一体それを手に入れてどうしようというのか。いや、その前にどうやって手に入れるのか。国璽は厳重に保管され、皇帝陛下ご本人または宰相のブラウンシュヴァイク公のみしか持ち出せないはずなのである。

 

 そんなことを考えるシュヴァルツァーをよそに、リッテンハイム侯は端末を操作する。程なくして、リッテンハイムはシュヴァルツァーの方を振り返った。

 

「シュヴァルツァー。そこにある遺伝子検査機に血液を一滴、垂らしてくれ」

 

「は?」

 

「血液だよ。なに、失血死しろと言っているわけではない。切り傷の時に垂れる一滴の血、それだけでいいのだよ」

 そこまで言われて、やっとシュヴァルツァーも合点が言った。

 

「先生、まさか」

 

「そのまさかだ。遺伝子検査がパスすれば、この国璽保管庫は開く。さすれば、国璽は我々のものだ。我々は官軍になるのだよ」

 

「ですが、何故私が」

 シュヴァルツァーは後ずさりしながら聞いた。

 

「ゲイブリエル・オズボーン」

 リッテンハイムはオペラの役者のような口調で言った。

 

「??」

 

「知らんかね?」

 

「い、いや。知っておりますが。先代の宰相、帝国を立て直した平民宰相。先生もそう授業でおっしゃっていたではないですか。それが何か」

 

「あ奴、表向きには家族が居ないことになっていた。だが、秘密に交際していた相手がいた。もちろん、子供もつくっていた。知る人ぞ知る秘密よ」

 

「そんなことがあったんですか」

 リッテンハイムの言葉に、シュヴァルツァーは間抜けな応答をしてみせた。もちろん、ピンとくるものはあったが、敢えてそれは心の中で伏せておく。

 

「……分からんか」

 

「何のことでしょう」

 

「ならばシュヴァルツァー。尚更この遺伝子検査を受けねばならぬ。お前は父親の顔を知らないはず。こちらの調査ではそうなっている。今、それを知ることができるのだ」

 

「……御戯れを」

 

「やるかやらないか。それは任せる。だが、義挙は長くはもたない。今の帝国は、ブラウンシュヴァイクの掌の中にある。それをひっくり返さない限り勝ち目はない。このままでは、君も私も縛り首は逃れ得ない。それはともかくシュヴァルツァー。天上(ヴァルハラ)でアリッサ・ラインフォルト嬢を待ち続けるのは、さぞかし退屈だろうと思うがね」

 

「!!!」

 その言葉はシュヴァルツァーに覿面だった。軍人なら死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと教えられ、その通りに意識づけされるものだが、他人の命はそうではない。将来を誓いあった相手なら尚更である。

 

 シュヴァルツァーは遺伝子検査機の前に立った。ポケットに入れてあった多機能ナイフを取り出し、左手親指に当てる。親指に赤い線ができて、血がにじみ出た。その親指を遺伝子検査機に押し当てる。

 

 

 ……宰相ゲイブリエル・オズボーンと認証。国璽取り出しを認める

 

 遺伝子検査機に結果が表示された。かちゃりと開錠する音が室内に響くと、奥の扉がゆっくりと開き出した。それを見たリッテンハイムは、ぱちぱちと拍手をする。

 

「信じられない」

 シュヴァルツァーは呆然としている。

 

「儂も半分ぐらいは信じていなかった。だが、賭けてよかった。礼を言うぞ」

 

「先生、一つ聞いていいですか」

 

「儂に答えられる話しなら」

 

「自分が、もし仮にオズボーン宰相の息子だとして、何故この遺伝子検査が認証されるのですか。それに、何故先生が、このことを知っているのです?」

 

「……質問が二つあるような気もするが、まぁいい。一つ目の質問は、帝室の秘密というものだ。もし、畏れ多くも皇帝陛下を拐し、宰相も居ない状態では、政務に支障を来す。ならば、近い親族であれば国璽を持ち出せるようにしておけばよいのだ。問題は、そういうシステムを運用するならば、皇帝陛下御自らの遺伝子データのみを登録する、そういう仕組みにしておかなければならなかった。宰相のデータを遺してそのままにしてあるのは一見合理的なように見えて、精神の怠慢というものだ。公的には休職状態とはいえ、死んだ宰相のデータを残しておくなど怠慢そのものではないか。いや、死亡ではないからわざわざ残してあるのかもしれん」

 

「……」

 

「そして、もう一つの質問は、儂が直接教えてもらったのだよ。オズボーン宰相殿に」

 

「十五年前、宰相になったオズボーンは帝国財政の再建に乗り出した。再建といっても、実質は貴族から税金を取り立てる、それも強制的に、というものだ。当然、貴族は反対した。税金など取られては、経済的にやっていけない貴族が続出する。誰も彼もがブラウンシュヴァイクのように、帝国の各所に利権を持っているわけではないのだ。反対派はこの儂を担ぎ上げようとした。そこにオズボーンが直接訪ねてきたのだよ」

 

「あ奴は、帝室の秘密とお前のことを告白し、個人データを渡してきた。その時は既にフェザーンに居たのだったな?そして、お前の保護を依頼し、こう言った。私はこれから好きにする。儂もいずれ好きにしろ、と」

 シュヴァルツァーは崩れ落ちた。あまりの衝撃に立っていることも難しかった。帝国を立て直すための義挙のはずが、いつのまにかリッテンハイム個人の策謀に化けてしまっている。そして、リッテンハイムは、この日のことを十五年前から計画していたことになる。

 

 三重の保管扉が開き終わるまで、たっぷり五分はかかった。だが、今や扉は完全に開き、リッテンハイムはその中に入っていった。すぐに中から出てくる。両手に持っている透明の箱の中には、金色の印章が入っていた。帝国の紋章が彫りこんである、十センチ四方の印章だ。

 

「先生」

 シュヴァルツァーの声は震えていた。

 

「これから一体、どうするのです」

 

「安心しろ。義挙に加わっている者共は悪いようにはせん。皆、儂の教え子だ。当然ではないか。そして、事が完全に成った暁には、お前は幸せな結婚をするがいい」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月26日、午前5時40分──

 

 クーデターの報は日の出前になってようやく、ブラウンシュヴァイク公の元に届いた。帝都中枢が完全に不意を突かれており、コミュニケータその他の通信も遮断されたとあっては状況の確認も困難を極めた。さらに言うと、ブラウンシュヴァイク公とその一族が、帝都中枢より少し離れた場所に邸宅を構えていたことも一因だった。

 

「親衛隊が叛乱だと」

 ブラウンシュヴァイク公の書斎では、ようやく着替えを終えたブラウンシュヴァイク公が貧乏揺すりをしながらアンスバッハの報告を聞いていた。

 

「一連隊、三連隊の一部将校が主導している模様です。蹶起趣意書がネットワークに公開されております。帝国を専横するブラウンシュヴァイク一族を排除し、皇帝陛下の下に万民が結集──」

 

「馬鹿な!」

 ブラウンシュヴァイクの怒声が響き渡る。

 

「連中は現実というものを知らん。平和な帝都で惰眠を貪る親衛隊に、戦場の何が分かるというのか」

 

「左様にございます」

 アンスバッハはうなずいた。心の中では、厳重に警備された戦艦ベルリンの中から、戦場の何かを理解するのは難しいと思っている。それに、戦闘のほとんどは副司令官のやりたいように任せているではないか。

 

「すぐに帝都に戒厳令を発令しろ。(第二)艦隊から地上兵力を呼び戻せ。フレーゲルはどうした」

 

「連絡が取れません」

 

「まだ寝ておるのではあるまいな」

 

「昨日から帰っていないとのことです。昨日夜、軍務省に行くと言ってお出かけになったそうです」

 

「まさか」

 

「今は、戒厳令の発令と鎮圧部隊の編制が先です」

 アンスバッハが言い切った。

 

「で、あるな。軍務省と連絡は取れない、としたら事後承諾もやむを得まい。まとまった部隊が編制できるまでどれぐらいかかる」

 

「二時間、いや、三時間ぐらいかと」

 重装備を準備する時間を考え、アンスバッハは答えた。

 

「よし、編制が完了し次第出動だ。歯向かう奴は構わん、殺せ。相手は賊軍だ」

 これは後知恵であるが、ブラウンシュヴァイクとアンスバッハが鎮圧部隊の編制に拘り、時間を空費したのは誤りであった。可能な限り、早急に鎮圧に向かうべきであったのだが、二人はそれを一時間後に知ることになる。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月26日、午前7時──

 

 シュヴァルツァーは多忙だった。連隊駐屯地を制圧したということは、そこに存在する兵士(や将校)の安全を確保しなければならないということである。兵舎はリモートで施錠しているし、武器庫その他はこちらの手の内にあるから問題は少ない。だが、いつまでもそうしてはいられない。深夜から出動している兵も、そろそろ交替させなければならないし、休養も必要だ。本来なら自分もそうなのだが、さすがに休んでいるわけにはいかない。

 

 第二連隊指令室のデスクに居場所を定めたシュヴァルツァーは、そこで報告をさばいていた。デスクの端にはパンと缶詰が置いてあるが、恐らく手をつけることはないだろう。何とかコーヒー、それも覚醒作用のある薬剤入りのコーヒーだけは飲むことができた。だが、いつまでもこうしてはいられない。

 

「第二連隊に糧食は配分したか」

 

「先程終わりました」

 作業にあたっていた小隊長が報告した。

 

「今のうちに兵を休ませろ。タンクベッドがあるはずだ。今なら敵は気が立っていない。腹がふくれているからな。無力化ガスはいつ届く」

 

「本日昼あたりかと」

 

「問題は今日の夜と明日だ。それ以降のことは考えたくもないな」

 シュヴァルツァーは考え込んだ。蹶起の計画では、軍務省を制圧した部隊が軍務尚書を抱き込み、あるいは強要して、ブラウンシュヴァイク公とフレーゲル男爵を軍の公職から追放する手続きを行う。さらに、戒厳令を発令し、ガルミッシュ要塞から艦隊をツォンドルフに呼び寄せる。そこまでできれば、クーデターは成功に大きく近づくことになる。武力を持たないブラウンシュヴァイク公は、宰相として権力を振るうには宰相公邸に入らなければならない。そこを待ち構えればこちらのものだ。

 

 しかし──

 

 ウィリー先生ことリッテンハイム侯は、国璽を手に入れてどうするつもりだったのだろうか。あまりに衝撃の事実が重なり過ぎて、帰っていいと言われてすぐに帰ってしまった。やはりついて行くべきだったろうか。

 

 シュヴァルツァーの思考を中断したのは、指令室に駆け込んできた兵士の叫び声だった。

 

「中隊長殿!新無憂宮から詔書が発せられました」

 

「詔書?」

 

「と、ともかく、公式発表を見てください。帝国公式データバンクにあります」

 シュヴァルツァーは言われるがままに、データバンクにアクセスした。確かに新しい詔書が閲覧可能になっている。アップロードしたのは今日の6時50分。ついさっきじゃないか。詔書をダウンロードする。閲覧可能な詔書は、専用の紙に記載された文書を、高精密にスキャンしたデータなので、ダウンロードそのものには時間がかかる。偽造不可能なように暗号化されているので尚更である。ダウンロード完了、復号完了。詔書の画像が表示される。シュヴァルツァーは、左手でコーヒーの入ったマグを取り上げながら、直後、そのマグを取り落とした。

 

「お、おい──なんだこれは……」

 

 詔書の中身は簡潔だった。皇帝亡き後の皇太子についての詔書だった。詔書が作成されたのは(それを信じるなら)皇帝崩御の少し前。公開は、崩御後の適切な時期にすべし、という風に指定されていたようだった。だが、何故、このタイミングにこのような詔書が発せられるのか分からない。それに、

 

 何故、実兄リヒャルトを皇太子に指名するのか。もちろん、実兄のリヒャルトとは、北朝皇帝のリヒャルト帝以外あり得なかった。

 

 

 

「何故だ……何故詔書が……何故だ……」

 ブラウンシュヴァイク公は画面を見ながら呆然としている。アンスバッハも同様だった。それまで不通状態だった首都のネットワークが突然復旧したと思ったら、帝国公共放送の臨時ニュースで、詔書が発表されたという話が出て、データバンクからダウンロードしたらこの内容である。

 

 大昔、南北朝の平和的統合が議論されていた頃、南北どちらかの皇帝が、相手を皇太子に指名し、そして退位するというプランは検討されていた。だが、それでは譲位する方の廷臣がどうなるのか、という話になり結局まとまらなかった。

 

 この詔書では、それに関する条件事項すらない。ただ、単に、後継者が北朝の皇帝である、ということだけが書いてある。これでは、南朝は北朝に無条件降伏することと何ら変わりはない。

 

「閣下」

 衝撃から立ち直ったアンスバッハが言った。一刻の猶予もなりません。すぐに鎮圧部隊を新無憂宮に向かわせるべきです。

 

 ブラウンシュヴァイク公の反応も待たずに、アンスバッハは鎮圧部隊に通信を送った。そうだ、今すぐに出動しろ。兵はどれだけある?何、一個連隊だと?重装備は?よし、ならば今すぐ新無憂宮に向けて出動しろ。何?軍務省から?一体何を言っている。とにかくやるんだ、ビアホフ、代々の恩義を忘れたのか。

 

 鎮圧部隊への通信を打ち切ったアンスバッハは軍務省へ通信をかけた。蹶起部隊に制圧されているかと思いきや、軍務省の交換台にはすぐ繋がった。アンスバッハ少将であります。軍務尚書のエーレンベルク元帥にお繋ぎいただきたい。何?どうしてです?帝国宰相が軍務尚書と会談をするのに、何が問題?話にならない。すぐに代わっていただきたい。

 

 それ以上何か言う前に、通信は切れてしまった。おかしい。蹶起部隊に軍務省が占拠しているなら話は分かるが、どうも占拠状態にはないようだ。交換台の係官については、アンスバッハは知り尽くしている。偽装して何か情報を引き出そうとするならすぐ分かる。でも、交換台は異常はなさそうだ。一体どういうことだ。

 

 しばしの間迷って、アンスバッハは決断した。

 

「閣下。鎮圧部隊の指揮は自分が執ります。軍務省に不穏な動きがあるようです。確認して参ります。よろしいですな」

 まだ衝撃から回復していないのか、ブラウンシュヴァイク公はうなずいた、ような気がした。

 

「もし、自分に万一のことがあれば、シュトライトを呼んでいただきたい。それでは失礼します」

 アンスバッハは一礼して、執務室を出ていった。

 

 

 

 午前八時となると、日は完全にのぼっているはずだが、雪は夜ほどではないにせよまだ降り続いており、視界はそれほど良くなかった。

 

 アンスバッハは鎮圧部隊の指揮用装甲車に乗り込んで、部隊を進発させた。公共通信は繋がったり繋がらなかったりを繰り返して頼りにならない。恐らくクーデター部隊の仕業だろうが、軍隊が公共通信をあてにしていいはずがない。こちらの兵力は一個連隊程度で、クーデター部隊に対抗するには不足だが、軍務省さえ押さえてしまえば軍務尚書を説き伏せて戒厳令を出せる。そうすれば、状況は一変するはずだ。

 

 それにしても、あの詔書は何なのだ。何故正規の国璽が押してあるのか。宰相以外が持ち出せるはずのない国璽が。いや、ブラウンシュヴァイク公のあの動揺ぶりからすると、公自らが持ち出して、それが盗まれた可能性も考えられる。それはそれでまずいことだが、まずは置いておこう。

 

 国璽が手に入ったとして、詔書を作ったのは誰か、ということになるが、蹶起部隊の誰かだろうか。いや、それはない。もし蹶起部隊がそこまでやるなら、趣意書に国体の統一が謳われていなければおかしいのだ。となると、リッテンハイムか。フレーゲル男爵があそこまで厳重に警戒しておきながらこのざまである。いや、男爵もそれまでの人だったのかもしれない。いやいや、そんなことを考えてはいけない。そう言えば、男爵はどこにいるのだ。

 

 しかしだ、リッテンハイムが詔書を偽造したとして、何故無条件降伏に等しい詔書を作るのであろうか。北朝にとって、門閥貴族は等しく君側の奸扱いされている。ブラウンシュヴァイクが駄目でリッテンハイムが良いということはあり得ない。ならば……

 

「ヴァルター、ヴェスターラントの第二艦隊司令部を呼び出せ。即時出動だ」

 アンスバッハは通信兵にそう言った。

 

「は、ですが、出動の権限は艦隊司令だけでは。それに今の通信状況では──」

 

「それならばそれでよい。まずは繋げ」

 

「了解」

 通信兵は機器のコントローラーを操作した。しばらくして繋がったようであった。通信兵が備え付けのマイクをアンスバッハに渡した。

 

「おおフェルナー殿」

 アンスバッハは喜ぶ風にそう呼びかけた。応答したのは第二艦隊の参謀の一人であるアントン・フェルナー中佐であった。

 

「閣下、そちらはご無事ですか」

 

「もちろんです。第二艦隊は出動準備を整えておりますか。警報は解除していなかったはずです」

 

「それは確認してみませんと……それ以前に、今こちらはそれどころではない状況でして」

 

「それどころ?帝都のクーデターより問題があると?」

 

「いえ。何でもリッテンハイム星域から、極超大質量の物体がワープアウトしてきたとのことです。そちらに振り向けている監視衛星は全滅で、近くに展開している哨戒隊も消息を断っているとのこと。兵にも動揺が広がっています。クーデターに加えこの状況では」

 

「何だと」

 アンスバッハは思わずマイクを投げつけようとして、思いとどまった。しばらく考えた後で、話し出す。

 

「ああ、フェルナー中佐。貴官のできる範囲でいい。第二艦隊の出動を進めてくれ。私も、もちろんブラウンシュヴァイク公も後で合流する。これから宇宙港へ向かう。後、第四艦隊は……ケンプ少将が居るか。ならば良い。そちらでうまくやって、第四艦隊も出動させてほしい。もちろんだ。男爵様も合流する。いいか、ブラウンシュヴァイク公のご意向だ。これは保障してもいい。もしできるなら、第一艦隊にも出動準備を整えるように言ってくれ。北軍がやってきたのだ」

 アンスバッハは通信を切った。鎮圧部隊に進路を変えるよう命ずる。まずは、ブラウンシュヴァイク公の邸宅に戻り、次は宇宙港だ。

 

 事態は悪化していた。もう軍務省を押さえるどころではない。まずはこちらが逃げ出さないと一網打尽にされる。後はガルミッシュ要塞をこちらの味方にするしかないが、通信は届くだろうか。

 

 その時、通信兵が叫んだ。

 

「閣下、正体不明の通信が公共放送をジャックしている模様!相手は……北軍軍務尚書代理と名乗っております!!」

 

 

 

「『帝国』の兵士諸君。お初にお目にかかる。こちらは、『帝国』軍務尚書代理にして、アムリッツア軍管区司令官、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将である。突然の通信で混乱している部署もあろうが、軍相撃つことはこちらの本意ではない。抵抗をしない限り、こちらから一方的に攻撃することはない、これは必ず約束する」

 

「帝国『ブラウンシュヴァイク軍管区』の兵士諸君は、皇弟クレメンス殿下が遺した詔書を既に見ていると思う。畏れ多くも皇帝陛下におわしましては、この詔書をご覧になり、皇弟クレメンス殿下に委譲されていた、帝国南部の行政権を回収し、行政権を統合する旨の詔書を発せられた」

 

「これまで、クレメンス殿下の指揮のもと勤務していた兵士諸君に何ら責任はない。一部の兵士は、行政権に関するこれまでの解釈の行き違いから、不幸にも軍相撃の悲劇に関わってしまった者もいるだろう。これに関しても心配には及ばない。皇帝陛下は、今までの不幸な過去は一切水に流すとの仰せである。近いうちに、恩赦の詔書が発せられる予定である。兵士諸君は、気にすることなく己の職務に邁進してもらいたい」

 

「だが、こちらで入手した情報によると、一部の、叛意を抱く貴族共、士官共が兵を唆し、帝国軍に叛乱を起こす可能性があるとのことだ。これは許容するわけにはいかない。このような者共は、『賊軍』であるからこれを受け入れるわけにはいかない。もし、上官が叛乱を指嗾しているなら、逮捕拘束し、その旨報告すべし。褒賞が与えられるであろう。繰り返す。こちらは帝国軍務尚書代理、アムリッツァ軍管区司令官のラインハルト・フォン・ミューゼル大将である──」

 

 

 

 親衛隊第二連隊駐屯地では、第一連隊D中隊、E中隊の幹部達が指令室に集結し、この放送を見守っていた。まだ昼にはなっていないが、状況は混乱どころではなかった。一分ごとに新たな情報が入り、さらに一分経つとそれと正反対な情報、あるいは新情報が入ってくる始末である。そしてとどめはこの放送である。

 

「ブラウンシュヴァイク星域外縁から放送されているというのは本当なのか」

 シュヴァルツァーが通信兵に聞いた。

 

「確定しているわけではありませんが、哨戒隊からの報告を総合する限り、外縁、それもリッテンハイム星域方向からで間違いないでしょう」

 

「一体どうなってるんだ」

 横にいるD中隊長、クラウザー大尉がうめいた。

 

「シュヴァルツァー。これもウィリー先生のシナリオのうちか」

 

「何故俺に聞くんだ」

 

「ウィリー先生と仕組んだのだろう?だからこんなことになった」

 

「なぁクラウザー」

 シュヴァルツァーはあやすように言った。もし、俺がこんな絵を描けるなら、あんなクーデターの相談なんかやらないよ。俺も、義挙に参加するかどうか随分と迷ったんだ。それにだ、こんな新兵器を前に戦おうと思うのか。

 シュヴァルツァーは、ブラウンシュヴァイク星域警備隊から送られてきた画像ファイルを開いた。可能な限り遠隔からの撮影であるが故にぼやけているが、直径数十キロレベルの人工天体がそこには存在した。その画像には、周囲で警戒している艦艇も見ることができる。

 

 よく撮影できたものだ。シュヴァルツァーは感心した。いや、敢えて撮影させたのかもしれない。衝撃的効果だろうか。

 

 敵が戦局を一気に決する兵器の開発を行っている、そういう噂は以前から流れていた。だが、その重要性にもかかわらず調査は一向に進まなかった。それどころか、途中から上層部の意向で調査は放置されたらしい、そんな情報すらあった。それがこのざまである。あんな兵器を首都に直接持ち込まれたら、戦争どころではない。

 

「一体、俺達のしたことって」

 シュヴァルツァーは呟いた。帝国(南朝のこと)を救おうと必死だった。集まった同志も同じ考えだった。それなのにだ。いざ事に及んでみれば、現実は俺達のはるか上を飛んで行ってしまった。結局、義挙とは何だったんだろう。

 

 帝国が再建できるなら──

 南朝が炎の中で崩れ落ちることを避けることができるなら──

 

 俺は何だって受け入れることができたはずだった。獄を抱くことも、銃殺隊の前に立つことも、何でもできたはずだ。だが、シュヴァルツァーはそんな過去の「覚悟」が馬鹿馬鹿しいように感じ始めていた。俺一人がどんな決意をしても、世界にとっては一粒の砂に等しいのか。なぁ、アリッサ。お前もそう感じているのだろうか。

 

 コミュニケータが着信を知らせた。クーデターのリーダー、アルバレア少佐からだった。

 

「はい、こちらシュヴァルツァー」

 通信の内容は予想通りだった。第二連隊の占拠を解除し、原隊に復帰せよとのことだった。シュヴァルツァーは中隊の幹部を呼び寄せた。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月26日、午前9時、軍務省、軍務尚書執務室──

 

「リッテンハイム侯、本当にこれでよかったのかね」

 

「もちろんでございます、エーレンベルク元帥。軍が相撃つこと、これにて避けられます。この度の功績第一でございますぞ」

 リッテンハイムは褒めそやした。エーレンベルク元帥は、先程クーデター部隊のリーダーであるアルバレア少佐とコミュニケータで会談し、クーデター参加者の安全と引き換えに、部隊を原隊に復帰させるという取り決めを行った。要はクーデターに敗北したわけで、軍の恥辱に他ならなかったが、今の軍はそれどころではないのだ。

 

「しかしだね、リッテンハイム侯、あの詔書は何なのだ。今更リヒャルト様に皇位を──」

 

「エーレンベルク元帥!」

 リッテンハイムは宣言するように言った。

 

「詔書は皇帝陛下のお言葉、まさにそのものである!それとも元帥、卿はあの詔書が偽物である確かな証拠をお持ちか」

 

「元帥、言葉を慎まれよ。軍人の本分は皇帝への忠誠ではありませぬか」

 執務室に居る第三の男が声をかけた。

 

「その通り。フレーゲル男爵はよく分かっておられる」

 そう、行方不明のはずのフレーゲル男爵がそこに居たのである。今日の未明、フレーゲル男爵は軍務省に押しかけると、クーデターの一報で慌ててやって来たエーレンベルク元帥に対し、クーデター部隊への協力を取りつけさせたのである。フレーゲルから協力を要請されたエーレンベルクは、全てが終わった後にフレーゲルがブラウンシュヴァイクを裏切ったことを知ったのだが、後の祭りであった。

 

「ともあれ、北軍の軍務尚書『代理』が間もなくこちらに到着します。皇帝陛下の詔書をお迎えする準備をせねば、のぅ。フレーゲル殿」

 

「左様にございます」

 

「では、我々はこれで失礼する。そうそう、くれぐれも統帥本部と宇宙艦隊司令部への伝達は怠りなきよう」

 

 リッテンハイムはフレーゲルを伴って、執務室を出ていった。

 

 

「侯爵」

 軍務省の廊下を歩きながら、フレーゲルはリッテンハイムに言った。

 

「どうしたフレーゲル殿」

 

「この度の義挙、お見事でした」

 

「何、軍務尚書を押さえてくれたフレーゲル殿の手際こそ、お見事でございました。それに何も知らないところから真相を見つけ出すその手腕。さすがブラウンシュヴァイク一門侮れぬ」

 

「そのようなことは」

 フレーゲルは謙遜してみせた。しかし、アンスバッハが言った幽霊の話から、オズボーンの身辺関係を再度洗い直し、リッテンハイムがオズボーンの遺児を利用して国璽を奪取する可能性があることを事前に突き止めていたのは事実だった。クーデターの動きを真っ先に察知し、リッテンハイムが宮内省に到着することを知って、軍務省を押さえにいったのもフレーゲルの勘であった。

 

「帝国の一統が成った暁には、フレーゲル殿にはブラウンシュヴァイクの当主となって頂く。帝室への忠誠、それには当然報いねばならぬであろう」

 

「自分は、当主の座が欲しいわけではございませぬ」

 フレーゲルは声を潜めて言った。

 

「自分の望みは、あくまで従兄妹のエリザベートの生命、その保障。それがあれば十分。自分は市井の平民に落とされても悔いはございませぬ」

 

「なんと。なんと謙虚な態度。このリッテンハイム、感嘆いたしました。もちろん、エリザベート殿下は帝室の一員。新たな帝国においても、それに応じた待遇を受けるでありましょう」

 

「嬉しや。有難や」

 フレーゲルは、感情の籠っていない声で、政治的媚態を表現してみせた。では、自分はこれから第四艦隊を押さえてみます。伯父上が先に手を打っているかもしれませんが、やってみる価値はあります。

 

「お願いいたしますぞ」

 リッテンハイムとフレーゲルは別れた。もちろんリッテンハイムには、フレーゲルを助命することは考えていない。いずれ、何か理由を見つけて殺害するつもりだった。死の罠を掻い潜って、ここまで自分に迫ってくる人間を放置しておくわけにはいかないのだった。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦480年2月26日、午前9時、戦艦タンホイザー司令部控室──

 

「ツォンドルフのクーデターは事実上終息しました。蹶起部隊は原隊に戻りつつあります。軍務尚書は、南軍の全部隊に、命令に基づかない行動を慎むようにとの布告を出しました。第二艦隊、第四艦隊の一部はそれに応じず、ヴェスターラントの駐留基地を進発したようです」

 

「やはり完全勝利というわけにはいかないな、オーベルシュタイン」

 ラインハルトが金髪をいじりながら答えた。

 

「ここまで主導権を握れば、軍の切り崩しは容易です。こちらが一押しすれば、それで終わりでしょう」

 キルヒアイスが言った。

 

「それにしても、奇妙な感覚だな。宇宙船のワープなら数えきれないほどやったが、アムリッツァ要塞のワープとはね。いや、もう、アムリッツァ要塞ではないのか」

 

「機動要塞、コードネーム『ラーズグリーズ』であります」

 オーベルシュタインが答えた。

 

「どうにも慣れないな。ワープにも、その名前にも」

 

「慣れる必要はございません。司令官閣下」

 キルヒアイスが言った。

 

「戦艦は銀河を駆け回るのが宿命。ですが、この機動要塞は『機動』という名前こそついておりますが、動くのはほんの短期間です。それに、動き過ぎると要塞機能の各所に影響が出てきます。要塞はほんの少し銀河を移動するだけです。新たなる定住地に向けて、です。そうすれば、また新たな名前が与えられるでありましょう」

 

 今、戦艦タンホイザーはアムリッツァ要塞の宇宙港に停泊している。ワープ能力と機動能力を付加されたアムリッツァ要塞は、機動要塞「ラーズグリーズ」と命名され、長駆ブラウンシュヴァイク星域までやって来たのである。もちろん、南軍の警戒網を突破できたのは、リッテンハイム侯の協力あってのことだった。

 

「そうだな。ところで、オーディンのミッターマイヤーからは報告が来ているか」

 

「今のところは何も」

 オーベルシュタインが淡々と答える。

 

「予定では、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を手中に収める頃合いだろう。合力しているあの部隊なら、仕損じることはあるまい。だが、遅れ過ぎてもいかん」

 

「ミッターマイヤー大佐に問い合わせますか」

 キルヒアイスが訊いた。

 

「いや、まだその頃合いではないな。もう少し待とう」

 

 その直後、午前9時46分のことであった。通信兵が、キルヒアイスに通信文を渡すと去って行った。その内容は、政治的な事態の急変でも、軍事的な事態の急変でもなかった。しかし、内容を把握したキルヒアイスは血相を変え、慌ててラインハルトに耳打ちした。ラインハルトはそれを聞くや否や、愕然としてキルヒアイスの方に振り向いた。

 

「姉上が居ない──だと」

 




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第二十一話 ラグナロク(3)


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第二十一話 ラグナロク(3)

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月20日、シャンタウ星域──

 (南朝クレメンス帝の国葬、その二日前)

 

 星系警備隊の仕事は、ひどく軽視されている割に多岐にわたる。刑事事件の取り締まり、もちろん宇宙海賊の取り締まり、事故対応、故障した船舶の対応(但し重大な故障に限られる)、救難対応、交通整理、他にもいろいろある。

 

 そして、今日はそんな警備隊に新たな仕事が加わっていた。

 

「航行禁止区域はコンピュータに設定したか」

 

 警備艇『エムデン』艇長のブラント中尉の質問に、航法士が答えた。

 

「もう終わりました。新しい哨戒ルートもです」

 

「よし」

 ブラントは答えるとスクリーンに表示されている星系図をにらみつけた。シャンタウ星域は、オーディンとアムリッツァを結ぶ交通の結節点である。アムリッツァの向こうはフェザーンまで続く通商ルートが続くのだ。だから、シャンタウ星域は軍民関係なく多数の船舶が行き来する。

 

 だが、シャンタウ星域と呼ばれる宙域が船舶で埋め尽くされているわけではない。船が行き来するのは、警備が行き届き、設備が充実した一部の航路のみである。地上車が草むらを移動できるといえども、通常、舗装された道路しか走らないのと同じだ。

 

 ブラント中尉が登場する警備艇『エムデン』が哨戒するのは、そういう船舶の通らない宙域である。航法支援衛星も、通信衛星も、通常は警備艇すら滅多に通らない宙域。宇宙海賊でもなければ通らない宙域。だが、今日だけは違っていた。突如として、そこに航行禁止区域が設定され、エムデンはじめ15隻の警備艇が、船舶の侵入がないかどうかを哨戒することになったのだった。

 

「軍の考えていることは分からないですね」

 レーダー手が言う。

 

「想像したって始まらんさ」

 ブラントが答える。エムデンの乗組員は、もう3年も同じチームを組んでいる。軍隊というものは理不尽で、それでいて軍人は高圧的、支払いも渋い。それがブラント達の認識だった。ブラント『中尉』といっても、彼らが所属しているのは軍ではなくて、航路管理局の方の警備隊である。警備隊で中尉、となると航路管理局──つまり警察官だと巡査部長あたりになるだろう。

 

「まったく、戦争をおっぱじめるなら、早めにやってほしいもんだ」

 航法士が言った。

 

「だといいんだけどな」

 ブラントはそう答えた。南朝の皇帝が死んでから、もう三週間は経つ。噂では、皇帝が死んだら即時に軍の大攻勢が始まる。そう言われていた。それが一週間、二週間経ち、三週間経っても動きがない。

 

 兵士はただひたすら待たされるためにフラストレーションが溜まる。その八つ当たりは星系警備隊に向かうことが多いのだ。やたらと特別扱いを要求する、やたらとスピード違反をする、切符を切ろうとすると凄む(公的な命令書を提示できなければ、交通違反は適用されると何度も周知されていても)。踏んだり蹴ったりである。

 

 だが、戦闘が始まると、彼らのうちの何割かが死ぬ。それも事実である。3年も同じ船で同じクルーが勤務することなどおよそあり得ないのだ。それを考えると、一概に彼らを煙たく思うこともできない、ブラントはそう思っていた。

 

 警備艇『エムデン』は、先程航法士が設定した哨戒ルートを自動的に進む。搭乗員達がやることは、付近を航行する船舶がいないか。いたら、航行禁止区域を進むような違法行為をしていないかを確認することだ。だが、エムデンが今進んでいるのは、普段なら船舶を滅多に見かけない宙域だ。こんな場所を軍が航行禁止区域にするのは、普通なら演習とか訓練のためだけど、こんなご時世に演習などあるまいと思う。それに、演習ならこんなだだっ広く航行禁止区域を設定したりしない。

 

 今のところ、異常は何もない。いつもなら何もない宙域をわざわざ捜索しているのだから当たり前だ。退屈とさえ言えた。さらに言うと、今回の哨戒では高レベルの通信制限がかけられている。使えるのは主に(いろんな種類の)パッシブ・センサであり、レーダーのようはアクティブ系走査機器は使用が厳しく制限される。だから、退屈ではあれど緊張を解くことが難しい、労力の割が合わない哨戒といえた。

 

 

 

 異常を発見したのは、哨戒が始まって三時間ほど経った後だった。

 

「重力センサに反応」

 

「予想質量と数は」

 

「現在計測中」

 レーダー手の動きが慌ただしくなる。この地点に何者かがワープアウトしてくるということであった。確かに、宙域の状態は安定しているからワープアウトには適しているが、やはり通常ではあり得ない。どの宙域でも、ワープイン、ワープアウトは指定された場所で行うことになっている。そこは航路管理局が丹念に整備維持を行っていて、ワープ事故を最小限に留める努力が続けられているのだった。

 

「数量、極めて多数──なんだこれは。でも予想質量は──兆トンを超える──いや、質量からすると数量の方が!」

 

「正確に報告しろ」

 ブラントが怒鳴った。

 

「わかった、これは……衛星クラスのワープアウトです!予想質量50兆トン、緊急警報を!」

 レーダー手が言い終わらないうちに、警報が艦橋に響き渡った。同様の結論に達したコンピュータが、自動で警報を発したのであった。

 

「予想ワープアウト地点から離れろ!」

 ブラントの命令に従い、エムデンは緊急退避行動を取った。自動航行システムが停止され、全速力で予想ワープアウト地点から離れようとした。彼らの努力はぎりぎりの所で間に合った。数分後、エムデンの背後で、ワープアウトした時に観測される閃光(ワープ時に行われる空間の圧縮と膨張の影響だと言われている)が見られ、同時にエムデンは大きく揺さぶられた。大質量ワープアウト時に観測される次元震動だった。

 

「状況報告!」

 ブラントは叫んだ。各所から報告が入る。損傷の報告は入るものの、艇の機能に影響はない。事実上無傷だということであった。一安心である。

 

「トニオ。どうした。センサに何が映ってる」

 ブラントはレーダー手に呼びかけた。レーダー手はそれに答える代わりに、端末を操作し、メインスクリーンにカメラの映像を映し出した。

 

「おいおい……」

 ブラントはつぶやいた。カメラには、巨大な球体の映像が映し出されている。大きさは一目では分からなかったが、球体の表面に見られる人工的な構造物、その対比からするとまさに衛星クラスの大きさであった。

 

 そう、人工的な構造物、である。

 

 球体の表面には無数のランプが点灯しており、一部ではそのランプが連なって線を描いていた。宇宙港ではありふれた光景であった。

 

 それから考えられる結論は一つだった。ワープアウトしてきたのは、宇宙要塞である。

 

 

 

 エムデンの艦橋は静寂に包まれた。誰もかれもが言葉を失っていた。惑星、いや、衛星クラスの質量をワープさせるというのは実例がないわけではなかったが、あまりにコストが大きすぎ、なおかつ事故確率が高いから相応しくない、というのが通説だった。人工構造物、それも宇宙要塞をワープさせるなど、想定外、もっと言えば狂気の沙汰だった。

 

キャプテン(カピタン)、もしかして、あれ、動いてます?」

 航法士が周りに聞こえる声で言った。その声に動かされるようにレーダー手が端末を操作した。

 

「本当だ。一般的な宇宙船と同じぐらいの速度は出ています」

 レーダー手はうめいた。ワープするだけでなく、宇宙船と同じ速度で動ける宇宙要塞だと?どうすればそんなものができるのだ。

 

「おい、発光信号を送ってみろ。『当方、警備艇えむでん也。貴艦ノ名称ト行先ヲ承リタシ』とな」

 ブラントの言葉に、通信士は喜び勇んで発光信号を送り始めた。通信は制限されているから、古めかしい発光信号を使うしかない。本来なら、通常の警備任務なら事故が起こりそうな場面でしか使わないのだが、通信士は澱みなく信号を送ってみせた。

 

 反応は即時に返ってきた。

 

「宇宙要塞より返信!『ワレ、戦闘要塞らーずぐりーず也。貴艇ノ無事ニ安心ス。尚、既ニ送信サル規定ニヨリ、本要塞ハ最高軍事機密デアル。機密保持ニ留意サレタシ』」

 

「規定だと」

 ブラントはコンピュータのデータバンクを捜索した。あった。警備に関する規定に一文追加されていたのであった。哨戒時に発見したいかなる事物に対しても、公開を禁ずる。直属の上長のみに報告すべし、であった。定例通りの文章であるため、危うく見落とすところであった。

 

「総員聞け」

 ブラントは、艦内に通じるマイクを取って言った。

 

「皆、私と同じく肝を潰していると思うが、あの要塞の撮影を禁じる。ソーシャルネットワークで自慢話をするのも駄目だ。飲み屋でもしばらく口をつぐんでいろ。こいつは確実に憲兵が飛んでくる案件だ。軍刑務所で過ごしたくなかったら、おとなしくしていることだ」

 ブラントはマイクのスイッチを切った。航法士が近づいてくる。

 

「もしかして、これで戦争は」

 航法士が嬉しそうに言った。

 

「ああ、我々の勝利だ」

 ブラントの声も心なしかはずんでいる。軍の大攻勢にあんな秘密兵器が加わっているとは知らなかった。恐らく南軍は、あのような兵器に対処する手段を有してはいまい。

 

 警備艇の艦橋が騒がしくなった。規則も何もかも忘れて、乗組員達がおしゃべりを始めている。非番で休んでいる乗組員も艦橋に来ているようだ。数秒後、一人の叫び声が艦橋に響き渡った。

 

勝利万歳!(ジーク・ハイル)

 

 第一声は誰のものだったか結局分からなかったが、それに突き動かされるように、艦橋に居た誰もが万歳の叫び声をあげはじめた。勝利万歳、勝利万歳、皇帝万歳(ジーク・カイザー)もあった。公式軍歌である「ワルキューレは汝の勇気を愛せり」を歌いだす者も居た。ただ一人黙っていたのはブラントだけだった。

 

 ブラントは知っていた。この哨戒が終わったら、警備艇エムデンのチームは解散となることを。全員が艇から降りて、他の部署に転属になる。自分は昇進して、地上勤務になることが内定していた。もう、カピタンになることはないのだ。さらに昇進して、警備司令艦に乗り組む可能性がないわけではなかったが、そこで艦長になろうとも、それはカピタンではない。スタッフの進言に頷くための人形でしかない。

 

 ブラントがそのことを不満に思っていないわけではない。だが、乗組員達の将来が前線に出て戦死、というのでないならば、それは大きな喜びとしなければならない。ブラントはそうも思っていた。ブラントは小声で、誰にも聞こえないように一言だけ言った。

 

「万歳」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日未明、新無憂宮、宰相公邸──

 

 宰相リヒテンラーデ侯クラウスは、執務机の端末、その画面を見つめていた。その画面には、いろいろな図や文章が表示されている。

 

 端末のファイル名表示のところには、『作戦計画ラグナロク、実施要綱』と書かれていた。

 

 北軍が企画している攻勢『ラグナロク』は骨子の立案から考えると、5年の長きにわたって計画されている。それは軍事的攻勢はもちろんであるが、政治的な変化についても検討され、計画が立てられていた。戦争に勝利した場合、敗北した場合、引き分けに終わった場合、いろいろな可能性が検討されている。リヒテンラーデが読んでいるのは、そういう政治的オプションについて記載されているものだった。宰相が軍事作戦の細部に口を出すわけにはいかないのだった。

 

 今は午前二時、草木も眠る丑三つ時に敢えてリヒテンラーデ侯が起きているのは、一つの理由があった。信頼できる情報筋により、驚くべき情報がもたらされたのであった。本日未明(つまり今)、南朝の首都で政変が起きると。政変の目的はブラウンシュヴァイク公爵グループを南朝政界から排除することであると。

 

 まだリヒテンラーデ(というか北朝)にはその情報は来ていないが、いずれ確認できるだろうと、リヒテンラーデはそう確信していた。だからこそ、覚醒剤入りコーヒー(著者注:あくまでも未来の産物であり、適切な服用によって依存性は除去可能です)を飲みつつその時を待ち受けていたのだった。

 

 コミュニケータに着信が入った。リヒテンラーデは通信を確立すると、執務机のマイク&スピーカーに転送した。

 

「私だ」

 

「ヘルベルガーです」

 リヒテンラーデの秘書の一人だった。リヒテンラーデに付き合う形で徹夜仕事をしている。

 

「間違いありません。クーデターの趣意書が公開されました。やはり、ブラウンシュヴァイク公および親族の追放を求めていると」

 

「首謀者は分かるか」

 

「趣意書の署名によりますと、首都親衛隊の一部将校による蹶起と思われます」

 

「愚かな」

 リヒテンラーデは苦々しく言った。そんな若手の造反でブラウンシュヴァイク公を排除できると思うのか。瞬時に叩き潰されて終わりだろう。

 

「引き続き情報を収集せよ。ツォンドルフから発信される情報は細大漏らさず収集するのだ。統帥本部と協調してやるのだ。総長には繋がるだろう」

 

「今、午前二時でございますが」

 秘書が当惑して答えた。

 

「大事が起きる時、総長が不在なところを儂は見たことがない。あ奴の寝顔を見られるのは幸運というものよ。とにかくコンタクトを取れ。そうすれば軍務省の不寝番も叩き起こせるであろう」

 

「りょ、了解」

 秘書はそれだけ言って通信を切った。

 

 リヒテンラーデはため息をついて、端末に向き直った。恐らくクーデターは失敗するだろう。せいぜい一日か二日、ツォンドルフを混乱させるだけで精一杯だ。だが、それが号砲となる。南朝打倒の大攻勢『ラグナロク』の、である。

 

 リヒテンラーデは端末を操作し、ラグナロクの作戦計画を開いた。表紙についている、作戦概要を開く。作戦計画を真面目に読んだら、辞書一冊分では済まない。作戦概要からすると、ラグナロクは以下の三段階で進行することになっていた。

 

①南軍に対する同時多方面攻勢

②北軍予備兵力による、南朝首都ツォンドルフへの奇襲攻撃

③南軍正面戦力の撃破後の掃討作戦

 

 この作戦の秘中の秘は②であり、アムリッツァ要塞にワープ能力および機動能力を付加する改装を施し、これにミューゼル率いる第三艦隊を伴い、奇襲攻撃をかけることになっている。このためにどれだけ細心の注意を払って機密保持に努めたか、シルヴァーベルヒからは耳にタコができるほど聞かされている。宇宙艦隊司令部からの抗議を躱し続けることについてでもある。

 

 作戦が順調に、本当に順調に進めば、南軍に対し「極めて短期間で」勝利することが可能とされていた。まぁ、本当に、順調に、進めばである。

 

 ただ、本当に、順調に、作戦が進んでしまえば、次なる懸念が出てきてしまうのであった。それは、先程リヒテンラーデが読んでいた、ラグナロク計画の政治的オプション、その補遺に記されている。

 

 『超越(トランスツェンデンツ)』と呼ばれるそれは、内戦終結から可及的速やかに行われる、自由惑星同盟への侵攻作戦であった。動員可能な戦力を糾合し、秘密機動要塞も使って、フェザーン回廊から電撃作戦を実行する。作戦計画によると、三か月でガンダルヴァ星域惑星ウルヴァシーを占領し、帝国領土内からの恒久的な補給線を確保するとされていた。

 

 全く、全く以て素晴らしい作戦計画である。実現可能か、という側面に目を瞑れば。

 

 紙の上では実現可能な計画であろう。ウルヴァシーまで手を伸ばせれば同盟経済は大混乱になって持続不可能になるかもしれない。だが、帝国も持続可能かどうかは分からなかった。現在でも、経済的にぎりぎりの所で軍を運営している。天才システムエンジニア、シルヴァーベルヒの尽力なくば、とっくに軍は崩壊していたかもしれなかった。いくら戦力的に可能だとはいえ、同盟領への電撃侵攻など可能なのか、そういう意見は根強かった。

 

 ただ、この計画の提唱者および最大の後援者がシルヴァーベルヒ本人なのである。だから余計事態はややこしくなった。すったもんだの末、作戦の実行可否は、南軍の崩壊後に改めて決定するものとされ、ラグナロク計画では『超越』も見越した物資の事前集積を行うものとされた(だから準備期間が余計にかかった)。

 

 『超越』など早々に諦めて欲しいものだが。リヒテンラーデはそう思った。シルヴァーベルヒは天才だが、誰も彼もがシルヴァーベルヒやミューゼルのようにはなれないのだけどな。以前、シルヴァーベルヒは自らの将来について、40までに帝国宰相になると言い放ったそうだが、こういうのが分からない内は、宰相にはなれないだろうな。

 

 そんな中、私用のコミュニケータに着信が入った。一体誰が、そう思って発信元を確認する。直後、リヒテンラーデは驚愕し、慌てて執務室横の小部屋に飛び込んだ。いろいろ機器を起動した後、コミュニケータをある装置に装着する。直後、部屋の中央に3Dホログラムの像が浮かび上がった。

 

「リヒテンラーデであるか」

 北朝皇帝リヒャルト本人の像は、低い声でそう言った。リヒテンラーデはそのホログラム像に跪いている。今、リヒテンラーデと皇帝は、コミュニケータ経由で通話しているのである。

 

 リヒテンラーデは、呼び出しに遅れたことをいろいろ言い訳したが、皇帝はよい、とそれをあしらうと、南朝でクーデターが始まったことについて意見を尋ねた。リヒテンラーデは何故皇帝がそれを知っているのか、一瞬疑問に思ったが、慌ててそれをしまい込むと上奏した。蜂起については、兵力および同調者の少なさから、早々に失敗に終わるであろうと。

 

「そうか。だが、これにて大攻勢が始まるのであるな」

 

「はっ、我が軍の総力を挙げた大攻勢を実施致します」

 皇帝はそれに対し、分かった。存分にやれと言い、こう付け加えた。明日8時に朝食を共にせよ、と(この時に報告せよという意味)。リヒテンラーデは畏まって承ると通信は終了となった。

 

 面倒なことになった、リヒテンラーデはそう思った。皇帝本人がコミュニケータを用いて、近臣にあれこれ尋ねるのは最近よくあることである。そもそも、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の大規模修繕工事により、皇帝本人は離宮の一つであるベルヴェデーレ宮殿にしばらく「引っ越し」している状態である。皇帝としては、呼べば誰でもすぐに駆けつけてくるのだが、時間は取られるしいろいろ気まずいということで、こういうことになってしまった。もちろん、皇帝にコミュニケータを持たせ、通信設備を整えたのはシルヴァーベルヒであった。

 

 もちろん、皇帝が通信してきたとなれば、呼び出された方は即時対応せねばならず、3Dホログラムによる対面通話を行わなければならない。というわけで、呼び出される方とすれば、面倒が増えただけかもしれない。皇帝本人は結構面白いと思っているそうだから、余計始末に負えない。

 

 とにもかくにも、皇帝陛下にご進講申し上げるための原稿を作成しなければならない。

 

 リヒテンラーデは端末の講演原稿用プログラムを立ち上げた。どうやら、今夜は久しぶりに徹夜をしなくてはならないらしい。

 

 70過ぎても徹夜か。いつ楽になれるのだろう。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前7時、ベルヴェデーレ宮殿から差し回された地上車が宰相公邸前に到着した。リヒテンラーデ侯と、早朝に呼び出された彼の秘書が一名、地上車に乗り込んだ。地上車は音もなく走り出した。

 

 不審に気づいたのは秘書の方だった。いつも走っているルートと違う。これではベルヴェデーレ宮殿に到着するのが遅れてしまう。

 

 秘書が確認しようと運転手に繋がるインターフォンのボタンを押したときだった。リヒテンラーデを乗せた地上車が粉々に吹き飛んだのは。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前8時、宇宙艦隊司令本部──

 

 突然どやどやと入ってきた憲兵の一団に対し、最初に応対したのは、受付担当のフリック少尉であった。憲兵隊の先頭に居た大尉が言った。

 

「自分は憲兵隊のツィーゲ大尉である。ゼークト司令長官はいずこに居られるか」

 

「は?ですが、面会のご予定は──」

 

「緊急事態だ!宰相がテロの凶弾に倒れ、軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官にも殺害予告が出ている。一刻も早く、安全な場所に退避させなければならん!司令長官はいずれにありや!!」

 

 ツィーゲ大尉の怒声にフリックは仰天した。警備司令に連絡しようとしたが繋がらない。そもそも警備司令の勤務は午前9時からだから、繋がらなくてもしょうがないし、繋がらなかったら判断はフリックに委ねられることになる。もっとも、こういう時の判断は「上役が来るまで待ってもらう」以外は無いものなのだが。

 

 あれこれ弁明を繰り返すフリックに対して

 

「もういい。司令長官の居場所を教えろ。いや、教えなくても構わない。もし、司令長官に万一のことがあれば、責任は貴様と宇宙艦隊司令部に全て負ってもらうから、そのつもりでいろ!」

 ツィーゲ大尉のこの怒声はさすがに効いたらしい。フリックが司令長官室の場所を教えると、憲兵の一団は駆け足でそこに向かっていった。司令長官室では、主であるハンス・ディードリッヒ・フォン・ゼークト大将が、副官のカルナップ大佐と朝のブリーフィングをしている所だった。乱暴にドアが開け放たれ、ツィーゲ大尉を先頭に憲兵隊が突入してきた。

 

「何用であるか!」

 カルナップの誰何をツィーゲは無視した。執務室に座る大将に向かって言った。

 

「ゼークト大将であらせられますか」

 

「そうだが」

 ゼークトが返答したその瞬間、憲兵隊の全員がブラスターを構えて発射した。複数から撃たれたカルナップはうめき声を出すこともできず絶命した。ゼークトは、咄嗟に執務机に隠れて応戦した。憲兵隊がカルナップの殺害に注力したため、わずかに一瞬の隙ができた。ゼークトは三発ブラスターを発射し、二発が命中し、二名の憲兵が倒れた。見事な射撃であった。

 

 そしてそれだけであった。数瞬の後、数発の光線がゼークトの体を貫き、カルナップと同じくゼークトは絶命した。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前8時半過ぎ、新無憂宮正門──

 

「いつになったら終わるのだ」

 大佐の階級章を着けた男がいらいらして言った。

 

「全員の認証が終わるまでお待ちください、ミッターマイヤー大佐。門は全て閉鎖しております」

 ミッターマイヤーに対応しているのは、フランク・フォン・ゼッレという軍医大尉である。帝国宰相の爆殺、軍務省、統帥本部、宇宙艦隊司令部に対する同時多発テロという未曽有の事態に、新無憂宮の警備隊は混乱どころではなかった。すぐさま犯人の追跡が行われたが、新無憂宮自体が広大な公園ほどの敷地面積を有しているため、探索はなかなかはかどらない。結局、ゼッレ大尉のような医者が受付をしているのであった。但し、警備隊司令はIDの認証が取れない人間は絶対に通すな、通したら銃殺だと脅したため、このような事態になっている。

 

 ミッターマイヤーの後ろには、数台の装甲車にトラック、恐らく一個中隊と思われる完全装備の兵が居た。実際、リストには300名近くの名前がある。認証を略式で済ませても十五分はかかるだろう。

 

「大尉、規則を遵守するのはよいが」

 ミッターマイヤーは言った。

 

「人は、何故にその階級章に相応しい給料を得ているか、それをよくよく考えるべきだ。規則を型通り遵守するだけなら、士官の給料は要らないのだ」

 ミッターマイヤーの言葉はもっともなように聞こえるが、要は恫喝である。だが、ミッターマイヤーは内心ほっとしていた。自分のような、アムリッツァ軍管区所属の兵が捜査と称して押しかけることは本来ならばおかしいのだ。もちろん、テロ攻撃の報告を受けて「お手伝いに来た」という建前はあるが、本来ならば首都防衛総監の指示を仰がねばならないところである。そういうところを無視して押しかけていることに疑問を持たれていないのは、すごく良いことである。とても良い。後は、早くここを通してくれないだろうか。

 

 ゼッレ大尉は警備詰所に戻り、数分してやっと戻ってきた。

 

「申し訳ございません」

 

「どうした、何かあるのか」

 

「いえ、ようやく全員の認証が取れました。どうぞお通り下さい」

 ゼッレの回答にミッターマイヤー以下全員がずっこけそうになったが、ともかく門は開いた。ミッターマイヤーは装甲車に乗ったまま、新無憂宮に乗り込んだ。入ってすぐ、中隊は3つに別れた。ミッターマイヤーは新無憂宮の外れにある森へと向かっていた。彼が持っているスレート端末には一つの点が記されている。ミッターマイヤーと1台のトラックはその点を目指して進んでいた。

 

 とある森の手前、広すぎて警備兵もろくに近づかないところで装甲車は停まった。装甲車はライトを森に向けて、発光信号を送った。しばらくして、憲兵の服装をした数名が森から出てきた。二人は負傷して歩くのも辛そうだ。先頭に居る大尉が装甲車に近づいてくる。ミッターマイヤーはハッチから身を乗り出すと、地上に降り立った。

 

「合言葉を。ダンツィヒ」

 大尉が言った。

 

「アウグスブルグ」

 ミッターマイヤーの返答を確認し、大尉は敬礼した。

 

「ツィーゲ南軍大尉、特務部隊に勤務しております。お出迎え感謝です」

 

「ミッターマイヤー大佐です。連絡は受けております。皆、あのトラックにどうぞ」

 憲兵?の一団は何の疑問も持たず、トラックに乗り込んだ。トラックは単独で新無憂宮を脱出し、宇宙港へと向かった。途中、人気のない高速道路で荷台に致死性ガスが散布され、全員が絶命するのは約一時間後のことであった。他の2つの隊でも大体同じだった。

 

 

 

 2月26日早朝、新無憂宮で起こったテロは未曽有の大事件となった。死亡者は要人だけでもリヒテンラーデ侯爵、クラーゼン軍務尚書、ゼークト宇宙艦隊司令長官。テロリストとの交戦で死亡した軍人等も含めれば、三十名近くが死亡、五十名近くが負傷した。シルヴァーベルヒ統帥本部総長が無事だったのは、統帥本部全体で徹夜仕事が行われていたため、テロリストの口八丁手八丁が通用しなかったためだった。早々に撃退されてしまったのである。

 

 ちなみに、事件の後、ミッターマイヤー大佐は警察に協力するという名目で新無憂宮に居座ることになる。そして、生き残ったシルヴァーベルヒに任じられる形で、新無憂宮の警備隊トップとして振舞うことになる。

 

 ミッターマイヤーおよび部下の振る舞いは至極常識的、紳士的でその点については問題がなかった。だが、テロ事件の捜査については、ほぼ放置という態度だった。まずは軍首脳部の再建が必要、そう主張した。もちろん、現場の検証、証拠の保全等は等閑に付された。

 

 結果、このテロ事件は、詳細な捜査が何ら行われず、真犯人の追求がまるで行われなかった点でも未曽有となった。このテロで生き残った要人は全て犯人と疑われるに足る背景があったが、シルヴァーベルヒ、ミッターマイヤー、そして上司のミューゼルやオーベルシュタイン、それぞれを追求しようという動きがあった時は、それぞれが顕職に就いた後であった。こうなってしまっては、彼らを追求しようという動きは自然消滅してしまったのであった。報告を受けたリヒャルト帝(当時)の反応も鈍かった。健康状態万全と言い難かったリヒャルト帝は、朝九時に起床し、報告を受けると、犯人を捕らえ、混乱した軍を復旧するようにと指示したのみだった。

 

 そして、物語のクライマックスはまだ始まってもいなかったのである。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前9時40分──

 

「大佐、こちらです」

 地上車から降りたミッターマイヤーは、目の前にある家のドアに駆け寄った。そこは、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将の実姉であるアンネローゼ・フォン・ミューゼルの自宅であった。ミッターマイヤーは、アンネローゼの安全を確保するようにラインハルトから命令を受けていた。

 

 ドアには一枚の紙が貼られている。防水処理が施された紙は埃で少し汚れていた。

 

「事情によりしばらくの間不在となります。

 お問い合わせは、ヴェストパーレ男爵夫人までどうぞ

                   アンネローゼ・フォン・ミューゼル」

 

 ミッターマイヤーはドアノブを回した。動かない。施錠されているようだ。

 

「内部に生命反応は?エネルギー反応は?」

 

「は!?」

 

「馬鹿者!早くやれ!!」

 ミッターマイヤーの怒声に、兵は慌てて地上車に戻り、探査機を運んできた。起動し、スキャンを行う。

 

「反応、ありません」

 

「扉は開錠できるか」

 

「中を確認したいなら、窓を壊せば入れますが」

 

「扉を開錠できるか、と聞いている。言っておくが、銃で壊すとかそういうのは無しだぞ」

 兵は扉に近づくと、錠を確認した。スマート端末で何やら検索する。

 

「錠は最近のものです。合鍵を手に入れる方が簡単だと思いますが。合鍵無しなら専門の工兵を呼ぶべきでしょう」

 

「では工兵を──」

 

「鍵ならここにありましてよ。大佐殿」

 後ろから聞こえた女性の声に、ミッターマイヤーと兵は振り向いた。地上車のドアが開いて、ドレス姿の貴婦人が降りてきた。

 

「私がヴェストパーレ男爵夫人です。ミューゼルさんの不在の間、この家の管理を任されております。大佐は何か御用でしょうか」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年2月26日午前11時半、戦艦タンホイザー──

 

 キルヒアイスは足早に通信室に入った。通信室は、小ぶりな会議室ほどの広さがあり、部屋の中央には大型の通信専用端末と椅子が配置してあった。通信する本人に必要なのは、相手の顔を見るディスプレイに、声を聞くスピーカー、こちらの映像を相手に伝えるためのカメラとマイク機能だけで、一般的な通信端末よりは随分と大型である。だが、軍用の通信装置だけあって、特殊機能だの秘密保持機能だのが加わった結果、大型の会議机ほどもある通信端末を通して通信することになっている。

 

 ミッターマイヤーの通信は衝撃的なものだった。アンネローゼが不在で、かつ家も空き家となっているとのことである。そしてミッターマイヤー曰く、ヴェストパーレ男爵夫人と名乗るご婦人がラインハルトではなく、キルヒアイスと話をしたいと言っているとのことだった。それもキルヒアイス本人だけで。向こうもミッターマイヤー他、誰も居ない状態で通信するということで、要は秘密会談を要求しているのだった。

 

 秘密会談自体は問題なかったが、すぐに会談というわけにはいかなかった。ヴェストパーレ男爵夫人側の通信機材が確保できないようで、結局、新無憂宮の軍務省にある、破壊を免れた通信機を借用した。

 

 キルヒアイス、正確にはラインハルトの方にも問題があった。今のラインハルトは一個艦隊と機動要塞『ラーズグリーズ』を率いて、敵地ブラウンシュヴァイク星域に踏み込んでいる。リッテンハイムの奇策により、首都に存在する敵艦隊は、大部分が動きを封じられているが、それでもブラウンシュヴァイクおよびフレーゲルが率いる(と、ラインハルトは信じている)艦隊の一部が戦闘を挑もうとしている。これを撃滅し、ブラウンシュヴァイク公を殺害するか、捕縛するか、そのいずれかがラインハルトの任務だった。いかな参謀長とはいえ、そのような任務を放り出して会談するわけにはいかなかったのだ。結局、連絡を受けてから、会談の実現までに一時間以上を要した。

 

「おはようございます。作戦中ですので、何か不足なものがあれば遠慮なくおっしゃってください」

 キルヒアイスは椅子に座りながら言った。頭が十分回っていないのか、陳情を受ける司令官のような挨拶になっている。

 

「ジークフリード・キルヒアイス閣下でございますか」

 スクリーンに映った女性はそう言った。

 

「いかにも。小官はジークフリード・キルヒアイスであります。アムリッツァ軍管区の参謀本部に勤務しております」

 

「私は、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレと申します。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の二級侍従女官、織部処に勤務しております。この度はお忙しいところお時間頂きありがとうございました」

 

「これはこれは男爵夫人、日々のお勤めご苦労様でございます」

 キルヒアイスは当惑しながら答えた。アンネローゼのパトロンとでも言うべきヴェストパーレ男爵夫人は、ラインハルトもキルヒアイスも何度か会ったことがあるし話もしている。むしろ、このようなしらじらしい挨拶を交わしていることが不思議ですらあった。

 

「グリューネワルト伯爵夫人ことアンネローゼ・フォン・ミューゼルの所在について申し上げたきことがございます。よろしいでしょうか」

 

「……どうぞ」

 キルヒアイスはそれだけ言ったが、心の中では不安が湧き上がってくる。第一、アンネローゼ・フォン・ミューゼルという本名ではなく、仕事上の通称であるグリューネワルト伯爵夫人という呼び方を使うこと自体、不安しかなかった。まさか、万一のことがあったのではあるまいな。

 しかし、ヴェストパーレ男爵夫人が述べたのは、キルヒアイスにとって予想もつかない一言であった。

 

「グリューネワルト伯爵夫人は、現在フェザーンに出張しております。ラインフォルトの関連会社が進めております新工業製品、これ以上は社外秘だそうですが、その開発プロジェクトに参画するためでございます」

 

「……ちょっと待ってください。アンネローゼ様は新無憂宮に勤務しているのではないですか。皇帝陛下にお仕えしているはずなのに、何故フェザーンに出かけなければいけないのですか。それもラインフォルトのために」

 

「グリューネワルト伯爵夫人は、新無憂宮に勤務しているわけではありません。私は侍従女官として勤務しておりますが、彼女は、私から業務を委託されている立場でございます。許可は必要ではありますが、新無憂宮以外で業務してはならないということはございません」

 ヴェストパーレ男爵夫人の言葉は淡々としたものだった。恐らくこの日に備えて準備していたのだろう。

 

「ですが、アンネローゼ様からは何も連絡がありませんでした」

 

「お二方を心配させたくなかった、というのと、機密保持契約の影響だと思います。新製品の開発は、情報漏洩に気を遣うそうでございますから」

 

「……事情は分かりました。ですが、1月下旬から旅客航路は規制が強化されているはずです。アムリッツァ軍管区を通る船舶は検問を通っているはずです。アンネローゼ様が居れば気づかぬはずがありません。客船は全て乗客リストを提出します」

 

「彼女がオーディンを出立したのは1月中旬です」

 ヴェストパーレ男爵夫人の言葉にキルヒアイスは息を呑んだ。そんなに前から!

 

「そもそも半年近くの契約期間だそうです。滞在先や必要経費は向こう持ちだそうですから、持っていく荷物も最小限だと聞いております」

 

「……分かりました。一つ、お伺いしてもよろしいですか」

 キルヒアイスの声はもう震えている。

 

「どうぞ」

 

「滞在先や契約したクライアントは分かっているのですか」

 

「分かっております。提供いたしますか?」

 

「お願いします」

 程なくして、データグラムが送信されてきた。キルヒアイスは自らのコミュニケータにそれを転送した。

 

「あと一つ。ヴェストパーレ男爵夫人、アンネローゼ様からは相談がなかったのですか。アンネローゼ様は、これまでオーディンを出たことがなかったはずですし、出ようとも思っていなかったはずです」

 

「相談は受けました」

 ヴェストパーレ男爵夫人の口調には澱みがない。

 

「では何故、止めて下さらなかったのですか。このような難しい時、不要不急の宇宙移動は生命のリスクがあるはずです。せめて、私達に一言相談があればサポートもできましたものを」

 

「その相談ではありません」

 

「では?」

 

「キルヒアイス少将。貴方のことについてです」

 

「……」

 キルヒアイスは何も言わなかった。アンネローゼが自分のことについてどんな相談をしたのか、もちろん想像はつく。だが、それを確かめる勇気はなかった。

 

「ミューゼルさんは、貴方のことを信じられないと。ウルリッヒのことについて事実をどうしても知りたいと」

 ヴェストパーレ男爵夫人は言葉を紡ぎ出し、傍らにあった紅茶を飲んだ。さぁ言ってしまったぞ。これを言ったらもう後には退けないが、アンネローゼのためにも言うしかなかった。

 

 

 

 三年前、ヴェストパーレ男爵夫人はアンネローゼに一つ提案を持ちかけた。アンネローゼは年齢が二十代半ばになっていたが浮いた話のひとつもない。だが、そろそろ人並みの幸福を得るべきだ、そう言ったのである。

 

 当初、アンネローゼの反応は否定的だった。十代半ば、セバスチャン・フォン・ミューゼルが作ってしまった借金に立ち向かわざるを得なかったのはアンネローゼだった。借金取りの中には当然ながら性根の悪い人間が多数居た。借金の肩代わりを申し出た人間は一人や二人ではなかった。当然ながら代償はアンネローゼ本人である。

 

 このような状況は、ラインハルトが幼年学校に入学したことで大分改善されたが、それでも諦めない人間は何人か居た。アンネローゼの性的魅力が災いしたと言えるだろうか。警察に相談したことすらある。

 

 そういうこともあって、アンネローゼは交際というものに尻込みしていたのは確かである。だが、ヴェストパーレ男爵夫人は本人の気持ちを無視してお節介を焼いた。多分、このままいったら結婚相手は現れないと、男爵夫人はそう考えたのであった。

 

 ヴェストパーレ男爵夫人が紹介したのは三十代後半の憲兵少佐だった。名前をウルリッヒというその男は、新無憂宮の警備隊、その小隊長をやっていた人物だった。アンネローゼと年が離れているのがネックではあったが、人柄は誠実だったし、いい噂も悪い噂も聞かない。外見もそれほど悪くないし、声色が魅力的という評判だった。男やもめという噂だったが、実際のところは分からなかった。

 

 ヴェストパーレ男爵夫人は、周囲の女官衆も味方につけると、やや強引にアンネローゼと引き合わせた。まぁいろいろあった末に、二人は交際を始めた。周囲からするとスローモー過ぎてやきもきする所もあったが、交際自体は順調に進んでいた。しばらくしたら結婚の話も出るだろう。そういう噂だった。

 

 そして交際は、唐突に破綻した。

 

 ウルリッヒに出張の命令が来たのである。北軍で定期的に行われる軍の内部監査、そのメンバーに選ばれたのであった。不正を防ぐために、監査員や警備員は(基本的に)無作為に抽出されるので、おかしいわけではなかった。だが、全く想定外の命令であった。

 

 とにもかくにも、ウルリッヒはアンネローゼにしばしの別れを告げ、オーディンを発っていった。

 

 そして、還ることはなかった。出張先のアルメントフベール星域で、搭乗していた駆逐艦が南軍の奇襲に遭い、撃沈されたのであった。生存者は居なかった。

 

 この報に、アンネローゼはもちろん、ヴェストパーレ男爵夫人やお節介夫人達もショックを受けた。ヴェストパーレ男爵夫人からの一報を受けたキルヒアイスは何度もアンネローゼに通信し、彼女の動揺を抑えようとつとめた。

 

「最初は気づいていなかった。でも、彼女の中で疑問はどんどん膨らんでいった。閣下、貴方は何度も通信で彼女を慰め、励ました。そのことに彼女は感謝していました。ですが、ウルリッヒのことについて、貴方は調査を行い、立て板のごとく調査結果が出たことに疑問を持っていました。アルメントフベール星域は南軍と境を接する最前線、それはいい。だけど、そうであるが故に調査は難航するはずだった。彼女もそれを覚悟していた。だが、そうはならなかった」

 

「……」

 

「思えば閣下、貴方が調査を担当したのが悪かったのかもしれない。もう既に、閣下はアムリッツァ軍管区の要職に就いていらっしゃった。適任と言えば適任です。ですが、あまりに適任に過ぎました。そこにミューゼルさんは却って疑問を持ってしまったのかもしれない。あと、これは私の胸の中に秘めておこうと思ったのですが」

 

「三年前、アムリッツァ軍管区の憲兵特別隊と名乗る人間が、ミューゼルさんの自宅周辺を徘徊していたこと、ウルリッヒの転属と共に全く見られなくなったこと。ミューゼルさんは知らなかったようなので、全部話しました」

 キルヒアイスはそれに関して何も言わなかったが、キルヒアイスがどう思っているか、それは表情を見るだけで分かった。明らかに青ざめている。やっぱり、お前がやっていたのか。となれば、ウルリッヒの戦死にも繋がっていると考えるべきだ。

 

「ミューゼルさんと閣下、お二方の間に何があるかは分かりません。知りたいとも思いません。ですが、閣下は、自分が知っていることの全てを、ミューゼルさん、いいえ、アンネローゼさんにお話しすべきです。そして、自分の率直な思いを伝えるべきであると愚考します。もちろん、直接対面して、です。何故、アンネローゼさんがフェザーンに行こうと思ったのか、私には分かりませんでしたが、今になってはっきり分かりました。彼女は、閣下の本当のことを知りたいのです。そうでないと、けじめがつけられない。だから、敢えてフェザーンに行ったのです」

 ヴェストパーレ男爵夫人は心の中だけでため息をついた。一体自分は何をしているのだろう。中学生相手の恋愛相談だってもっとまともなことを言うだろう。でも相手は少将閣下で、事の転び方によっては人類の最高指導者(の一人)になりかねない男である。

 

「お話はそれだけですか」

 一分ほどの沈黙の後、キルヒアイスは言った。

 

「私から申し上げることは、これ以上ありません」

 

「分かりました。では、業務がありますので失礼します」

 キルヒアイスはスクリーンの向こうの相手に最敬礼した。

 

「いえ、お時間頂きありがとうございました。こちらこそ失礼します」

 ヴェストパーレ男爵夫人も深々とお辞儀をして、通信を切断した。

 

 

 

 通信が終了してから二分後、キルヒアイスは通信室を出て、ラインハルトの待つ司令部控室に足早に歩いて行った。いつもの通り、その表情からは、通信がどのような内容だったか、窺い知ることはできなかった。

 

 ただ、一時間後、別な業務で超光速通信(FTL)を使用しようとしたとある士官は、表示用スクリーンに大きめのひびが入っていることを発見した。

 

 

 

「フェザーンだと!」

 報告を受けたラインハルトは驚愕した。キルヒアイスは、ヴェストパーレ男爵夫人の話した内容をかいつまんで報告した。もちろんアンネローゼの過去の話は抜いてある。

 

「ラインフォルトはどちらの味方なのだ」

 

「どちらというのは?」

 

「我々か、それとも敵か、だ!」

 ラインハルトはいらいらして控室を歩き回る。

 

「ともかく、フェザーンの弁務官事務所に連絡して、保護しましょう。こちらから警備員を送り込んでもいいです」

 

「失敗したらどうなるのだ」

 

「失敗などあり得ません」

 キルヒアイスは言い切った。もちろん、何の根拠もなかったが。

 

「だが、警備は送ろう。少しなら艦艇を送ってもいい。すぐにブラウンシュヴァイク星域の航路局に連絡して最優先の航路を確保するように言ってくれ」

 

「分かりました」

 キルヒアイスは司令官控室を出ていった。そして三十分後、顔面蒼白になって控室に飛び込んできた。

 

 

 

「リッテンハイムが!?」

 ラインハルトの声は既に悲鳴になっていた。

 

「はい。航路局が口を滑らせたので分かったのですが、南軍の第三艦隊から、三千の艦艇をフェザーンに向かわせているとの由。先陣は既にワープインした模様」

 

「リッテンハイムは何を考えている。確かに勝敗は最初から決したようなものだが、戦闘はまだ終わっていないのだぞ。ここ(ブラウンシュヴァイク星域)でのブラウンシュヴァイク一党の撃破掃討は全面的に協力する、そう言っていたではないか!」

 

「リッテンハイム侯に問い合わせますか」

 キルヒアイスは聞いた。

 

「……いいやだめだ。表面的にあしらわれるだけだろう。まだ休戦すら成っていないのだ」

 ラインハルトの言葉は事実だった。南北の政治的首脳部は今や除去され、戦争は大部分において無くなった。だが、それは正式なものではない。仮にでも首脳部を立ち上げ、休戦、講和、統合という道筋をたどる必要がある。もちろん、その計画は『ラグナロク』に記載されているが、ともかく今は南北双方が交戦中であり、敵軍の肚を探っても意味はない。

 

「目的は聞いたか」

 

「逃亡したブラウンシュヴァイク一党を、先回りして捕縛するとのことです。同盟に亡命するのを防止すると」

 

「馬鹿な!」

 ラインハルトは拳を机に打ち付けた。随分と危ない八つ当たりで、もしかしたら拳が痛んだかもしれない。だが、ラインハルトもキルヒアイスもそんなことを気にはしていない。

 

「連中の目的は姉上だ。姉上さえ押さえれば、我々を自由にコントロールできる。そうに違いない」

 

「同意します」

 キルヒアイスは頷いた。

 

「何としても止めなければなりません」

 

「だがどうする。我が艦隊は既に戦闘態勢に入っている。艦艇を引き抜くのは困難だ」

 事実だった。ブラウンシュヴァイクおよびフレーゲルの艦隊は、大部分が戦闘を停止しているものの、抵抗を諦めない、あるいは逃亡しようとしている艦艇はそれなりにいる。ラインハルトとリッテンハイムの艦隊がそれを撃滅することになっていたが、主担当はラインハルトである。ここでまとまった数の艦艇を引き抜いてしまうと、再編成等に手間取ることになる。それがどう作用してくるか分かったものではない。

 

「総攻撃用の予備800隻、あれを使いましょう」

 

「800隻?」

 キルヒアイスの言葉に、ラインハルトは訝った。確かに総攻撃に備えて配置している予備隊なら、引き抜いても大勢に影響はないだろう。だが、リッテンハイムが引き抜いた三千隻と比べて少なすぎる。

 

「この800隻は私が率います。必ずアンネローゼ様をお助けいたします」

 キルヒアイスのいつにない自信っぷりにラインハルトは不安を感じた。キルヒアイスの艦隊指揮能力は十人並みというのがいいところだ。だからこそキルヒアイスに艦隊を任せたことはない。せいぜい500隻程度の分遣隊を任せる程度である。

 

「どうやって」

 

「お任せください。フェザーンであれば、手はあります」

 キルヒアイスの答えに、ラインハルトは考え込んだ。キルヒアイスの「手」というのは恐らく、自由惑星同盟の力を利用するのだろうとは想像できた。だが、ここで同盟を大々的に戦闘に巻き込んだら、『ラグナロク』の最終段階である『超越(トランスツェンデンツ)』は実行可能ではなくなる。同盟領に対する電撃侵攻はできなくなるのだ。

 

 もともと、そのような作戦にラインハルトは消極的だったが、キルヒアイスは大いに乗り気で、同じく乗り気だったシルヴァーベルヒと組む形で、物資等の集積は進めていた。そこらへんの全体計画と整合性は取れているのか、ラインハルトは気になった。

 

 だが、聞くことはできなかった。それに、アンネローゼを救い出すのはラインハルトにとって最優先事項である。それこそ帝国の命運よりも。

 

「分かった。お前に任せる。艦艇の差配は、オーベルシュタインと相談してやってくれ」

 ラインハルトの言葉に、キルヒアイスは了解いたしましたと答えた。あと一つ、彼を連れて行ってもいいでしょうか。

 

「あの男を?」

 ラインハルトは聞いた。あれは、後々使える男だ。こんな所で使い潰しては勿体ないだろうに。

 

「確実を期します。彼が居れば百人力です」

 キルヒアイスの言葉に、ラインハルトはうなずいた。分かった。やれ。

 

 

 

 予備隊の派遣については、とんとん拍子に進んだ。キルヒアイスとオーベルシュタインの事務処理能力は高かったし、キルヒアイスの、いや、ラインハルトの威信というのもある。この艦隊ではラインハルトが右といえば右に向く、そういう気風なのである。

 

 準備が揃うまで二時間しかかからなかった。さて、戦艦タンホイザーから、800隻艦隊の旗艦であるチューリンゲンに移乗しようと、シャトル乗り場に向かうキルヒアイスを、意外な人物が呼び止めた。

 

「少将閣下」

 

「オーベルシュタイン准将、どうしました」

 キルヒアイスはにこやかな笑みを作ってこたえた。先程の焦りに満ちた感情は、毛ほども感じられない。

 

「ご武運をお祈りしております」

 オーベルシュタインは敬礼した。

 

「ありがとう、副参謀長」

 キルヒアイスも型通りに答礼した。

 

「それだけですか」

 

「いえ、参謀長殿がご出発の前に、どうしても申し上げたいことがございます」

 キルヒアイスは意外そうな顔をした。オーベルシュタインが前置きをすることは、ほとんどなかったからだ。

 

「どうぞ」

 

「閣下がどう思っているかは別として、小官は『超越』に反対です。不確定要素が多すぎます」

 

「ですが、条件が揃えば、『超越』作戦は実行されるでしょう。その条件は揃いつつある」

 

「とりあえずの戦争は終わるかもしれません。ですが、新たなる戦争が始まるだけでしょう」

 

「そうはならないかもしれません。私は『超越』を信じています。オーベルシュタイン准将」

 

「はっ」

 

「貴方は副参謀長であり、私のスタッフです。それは同意していただけると思うのだが」

 オーベルシュタインは黙ってうなずいた。

 

「ならば、最終的な決定権はミューゼル閣下および自分にあります。もちろん責任もです」

 オーベルシュタインは二度うなずいた。キルヒアイスが当然のようにラインハルトを自分と一体視するのは、外野からすると奇怪極まりないが、二人がそれを問題視したことはない。もちろん、オーベルシュタインもそれを受け入れている。

 

「了解いたしました。それでは、ご武運を」

 オーベルシュタインは再度敬礼した。

 

「ご武運、ありがとう。そしてあなたも」

 キルヒアイスは答礼し、去って行った。

 

 結果的に、二人が顔を合わせるのは、これが最後になってしまうのだが、もちろん二人ともそれを予想していなかった。いや、オーベルシュタインの方は何かうすら寒い予感があったかもしれない。

 

 

 

 




次回タイトル

第二十二話 ラグナロク(4)


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第二十二話 ラグナロク(4)

 人類史上、帝国暦490年2月26日が最も重要な一日であることは論を待たないであろう。この日、帝国北朝では宰相リヒテンラーデ侯、軍務尚書クラーゼン元帥、宇宙艦隊司令長官ゼークト大将が一挙に落命、また、南朝では若手将校によるクーデター未遂事件があり、同日には南朝皇帝の遺書が公開された。遺書の内容は、後継者を北朝皇帝リヒャルト四世とするものであり、これにより南朝を長らく牛耳ってきたブラウンシュヴァイク一族の政権が崩壊した。南軍の首脳部は、新皇帝予定者、つまりリヒャルト四世に忠誠を誓うことを表明し、ブラウンシュヴァイク公と距離を置いていた官庁もこれに続いた。

 

 だが、二つに別れた帝国が一つに統合するまでには紆余曲折があった。二つの帝国で同時に政治的中枢が消滅したことは、新政権へのロードマップが消滅したことも意味していた。リヒテンラーデ侯はもちろん、ブラウンシュヴァイク公にも帝国統合の青写真があったことは、近親者のインタビューから判明している。公的な権力を有している人物により、二つの帝国を『結婚』させることは、統合の近道であっただろう。しかし、そのような人物が一挙に消滅した今、帝国を一つにする前に、まずは北、あるいは南で統合を前提とした新政権が確立することが必要となった。

 

 この新政権レースの先頭を走っていたのは、南朝で主導的立場に立っていたリッテンハイム侯ウィルヘルム三世であった。南朝皇帝リヒャルトより国璽を託されたと主張したリッテンハイム侯は、国璽の返納によるリヒャルト四世による帝国の統合を主張し、その上で、二つの帝国の有力者による寡頭制政権の樹立を主張した。

 

 表面的にはもっともらしく見える主張である。だが、現実を無視した空論であった。北朝には、突然差し出された南朝の領土を統治する能力はなく、その準備もなかった。確かに、北軍は南朝打倒の軍事作戦を企図していたが、打倒後も南朝の領土を直接統治する意図はなく、降伏した地方政府や貴族に統治を委任する計画であった。一足飛びに「一つの帝国」を実現させようとするリッテンハイム侯の提言は、各所から抵抗に遭ったのである。

 

 また、外部勢力──フェザーン自治領、自由惑星同盟の妨害工作もあった。彼等は直接的な軍事介入こそなかったものの、南北に所有していた秘密工作戦力を用いて、帝国の混乱状態を維持することに尽力した。

 

 このような状況で台頭したのは、アムリッツァ軍管区の司令官であり、南朝侵攻の先頭に立ったラインハルト・フォン・ミューゼル大将であった。彼は停戦(事実上の降伏であるが)した南軍の武装解除を優先し、同時に帝国内の流通網を開放することによって、物資不足による混乱の発生を防止した。これには、ミューゼル大将を支持したラインフォルト等の財閥の協力もあってのことである。帝国暦490年代前半、帝国の統合および、統一した帝国を主導するマリーンドルフ、ミューゼル、ラインフォルトの三頭政治体制、頭文字を取って「MMR体制」と呼ばれる政治体制のプロトタイプは、既にこの時に存在していたのである。

 

カール・レーフラー『フェザーンの政治的精神──帝国ナショナリズムと統一への対峙』より

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月13日、惑星フェザーン、アッシニボイヤ渓谷──

 

 時刻は5時45分、朝日が昇るまでにはあと数分の猶予がある。周囲はまだ暗く、地平線の端がぼうっと白み始めている頃合いであった。

 

 一人の女性がビルの屋上、そこに置いてあるベンチに座っていた。6時前ということは最低気温を記録する時間帯であり、いかな三月中旬とはいえ冬の寒さと変わらない。さらに、山風も吹きつけるとなれば、凍えるという表現が適切であった。実際、座っている女性も、白い外套の上にケープを二重に巻いていた。

 

 屋上に続くドアが開いて、一人の男が出てきた。男は女性の姿を認めると、ゆっくりとベンチに近づき、ベンチの空いている所に腰を下ろした。女性の方も別に気にする風はない。

 

「早朝、いつもここにいらっしゃるそうで」

 男が口を開いた。

 

「はい」

 女性は短く答えた。

 

「グリーンヒル中尉に先に聞いておくべきでした。館内くまなく探し回りました」

 

「それは……すみません」

 

「いえ、グリューネワルト伯爵夫人は大事なお客人なので、謝ることはありません」

 

 二人が居るのは、アッシニボイヤ渓谷その平地部分にぽつんぽつんと建っている建物群のうちの一つ、三階建てのビルの屋上に居る。そもそも居住地でも景勝地でもないここには、まともな建物はほとんどないので、屋上から見渡すのは山と緑と空、そしてわずかに建物の屋上、ということになる。普通の人間なら三日もすれば飽きると思うのだが、グリューネワルト伯爵夫人ことアンネローゼ・フォン・ミューゼルは、暇さえあれば毎日ここで外を眺めているそうなのである。

 

「飽きないんですか」

 

「少佐は飽きるのですか」

 

「分かりません。飽きるほど空を眺めるぐらい、暇が欲しいですね」

 ヤンはため息をつきながら言った。

 

「お気を悪くされたかしら」

 アンネローゼが申し訳なさそうに言った。

 

「いえ、全然」

 

「私も、弟も都会で生まれて、都会で育ちました。何もない場所といえば、空き地ぐらいのもの。新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の中に住むようになってから、この世にはこんな広い場所があるんだと思いました。でも、まだまだ世の中は広かったようです。新無憂宮がちっぽけに思えるような眺めなんて初めてです」

 

「そうなんですか。私は……育ちが宇宙船の中なもので。無限の宇宙を見ながら育ちました。だから、時折見る建物がすごく珍しくて仕方なかった。子供のころですけどね。どうやら、正反対のようですね」

 

「どうも、正反対の場所で育ったようですね」

 

「そうですね」

 地平線の端がぼうっと光り出した。どうやら日の出の時間らしい。

 

「ヤン少佐は」

 アンネローゼが切り出した。

 

「怖くないのですか。もうすぐここは戦場になるそうですが」

 

「怖い。そうですね。死ぬのは怖いです。そう思っているんですが、死んだことがないので分かりません。怖いといえば、士官学校時代の教官のほうがずっと怖かったです」

 

「弟やジークと同じことを言うのですね」

 

「そうなんですか」

 

「昔、そんなことをよく話してくれました。昔のことです」

 

「……ミューゼルさんはどうなんですか。怖くないのですか」

 

「私は何も。恐らくジークは私を無傷で助けようと思っているでしょう」

 

「でしょうね」

 ヤンはうなずいた。

 

「同盟の人は、ずいぶんと変わっているのですね」

 アンネローゼがつぶやいた。

 

「どこが、でしょうか」

 

「私は、私自身の事情を皆様に話しておくべきでした。ジークのことを話すか迷って、結局話さなかったのです。最初に全部話さなかったのはアンフェアだったかもしれません。でも、誰もそれについて恨み言を言わなかった」

 

「うーん。あまりに予想外のことなので、却って何も言えなかったのかもしれません。少なくとも私はそうでした。でもですね、そもそもミューゼルさんを利用しようと思ったのは我々の方なのですよ。それにミューゼルさんはすごく協力的だった。だから、何も言えなかったのではないでしょうか」

 

 

 

 南朝皇帝の死に伴い大きく激変すると思われる帝国情勢について、自由惑星同盟はどのような手段を取るべきか。さらに言うと、助力を求めてきたアリッサ・ラインフォルト嬢にどのように応えるべきか。それについては、特務支援課内でいろいろな手段が考案された。

 

 だが、これといった名案は浮かばなかった。アリッサ嬢を死の危険から救い出すということは、フェザーン自治領を今しばらく生き永らえさせるということである。それも、今までと同様に自主独立の形で、である。

 

 そのためにはフェザーン回廊に勢力均衡の状態を作らなければならない。そのためには、自由惑星同盟もそうではあるが、フェザーン自身が危機感を持って、この情勢に立ち向かわなければいけないのである。

 

 だが、フェザーン自治領行政府には、その危機感が薄かった。そもそも、フェザーン自治領は形式上帝国の領土であり、今存在する自治権は帝国の都合でどうとでもなるもの、そのはずだ。今までそうならなかったのは、帝国自身が二つに分かれていたからである。だが、そういう前提は行政府やフェザーン市民に浸透していなかった。今までもそうだったから、今後もそうだろうという、根拠のない雰囲気が横溢していたのである。

 

 結局、ヤンとしては、いや、特務支援課としては耳をすませる、あるいはそのための準備をすることしかできなかった。唯一の例外はラインハルトの実姉であるアンネローゼ・フォン・ミューゼルをフェザーンに「招聘する」ことぐらいであった。

 

 これについても実現までにはいろいろな紆余曲折があった。敵陣営の有力者、その親族を人質に取って(何と修飾しようと結局これにつきる)交渉しようというのは、確実にその有力者を怒らせることになるからである。正当性がある(と本人が思っている)怒りは、残虐な手段の行使を容易にしてしまう。そもそも、帝国という国家では移動の自由が限定されているし、誰にも怪しまれずにフェザーンに旅行できる人間はひどく限られていた。アンネローゼを呼び寄せるというアイディアを最初に出したのは、アルベリッヒ工業デザイン研究所のオフィスで、日がなファッション雑誌を読んで時間を潰していたカリンだったのだ。ヤンはじめ同盟の誰も、ラインハルト・フォン・ミューゼル大将の姉がそのような職業に就いていることを知らなかったのだ。

 

 ヤンは最初、このアイディアに否定的だった。だが、結局アリッサやカリンに押し切られる形でこの作戦にゴーサインを出した。もっとも、アリッサ達の方にも確たる見通しがあるわけではなかった。単に「自分達も何かしたい」という、いかにも人間らしい精神の発露と言うべきだったろう。

 

 状況が変化したのは、やはり2月26日だった。北朝の大規模テロ、南朝のクーデター騒ぎが起きたその日、それまでアリッサの下でどうということはない仕事をしていたアンネローゼは、アリッサにコミュニケータを示した。発信IDはジークフリード・キルヒアイスであった。通話はしていなかった。

 

 アリッサは驚愕した。アンネローゼが常日頃持っていたコミュニケータは、オーディンの自宅に電源を切って置いてあったし、今、アンネローゼが持っているものは、彼女がフェザーンに来てから買い与えたものだったからだ。そしてアンネローゼは話し出したのだった。彼女がフェザーンに来た本当の目的、そしてジークフリード・キルヒアイスの本心について。

 

 アルベリッヒ工業デザイン研究所は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。慌てて特務支援課を呼び出そうとしたが、その前にヤン、フレデリカ、ムライが血相を変えて飛び込んできた。(旧)南軍がまとまった数の艦隊をフェザーンに差し向けている、という情報をキャッチしたというのである。

 

 これらの情報を総合した結論は一つだった。南軍(後で判明するが、リッテンハイム侯の艦隊から分派した分遣隊だった)の意図は一つ、アリッサ・ラインフォルトそしてアンネローゼ・フォン・ミューゼルの身柄を確保することである。後者については明確にはなっていなかったが、その存在が知られれば確実にそうなるであろう、と想定された。北軍は情報が入らなかったが、南軍阻止のための行動を起こす可能性はあった。

 

 アリッサは即時に決断した。

 

 プライベート航空機をチャーターすると、フェザーン行政府から一万数千キロ離れた景勝地まで移動した。その後、そこから地上車を運転することさらに三百キロ、フェザーン行政府から見て惑星の反対側、まさに「地の果て」と呼べる場所にシャロン、カリン、アンネローゼの三人を誘ったのだった。そこには、かつてラインフォルトが建設途中で放棄した、傭兵の訓練センターがあったのだ。

 

 アリッサの判断は正しかった。その日の夜、アルベリッヒ工業デザイン研究所が何者かによって襲撃された。マンションは厳重に警備されていたはずだったが、全く阻止できなかった。研究所内は端末等は持ち去られており、机や書棚は荒らされていたが、金品には全く手がつけられていなかった。

 

 来るべきものがついに来たのだ。

 

 

 

「ミューゼルさんは大事なお客人です。私はそう思ってます。ですが、帝国から見ると、悪辣な共和主義者に拉致されたお姫様かもしれません。我々はさしずめ、悪の城、その最深部で待ち受ける大魔王(ルシファー)というところでしょうか」

 

「ずいぶんと酷いおっしゃりようですね」

 

「何と言われようと事実は変わりませんからね。でも、姫を助けようとする正義の騎士が来るならば、こちらとしては抵抗あるのみです。抵抗し、抵抗し、さらに抵抗して、騎士様には疲れてもらいます」

 

「疲れる?」

 

「倒したら、ミューゼルさんが悲しむでしょう」

 

「そう……かもしれません」

 アンネローゼがうつむいた。

 

「騎士が疲れてくれれば、交渉もできる。そうすれば、我等や彼らの考えていることが周囲に広まる。それが我々の狙いです」

 

「少佐、お取込み中すいませんが」

 いきなり後ろから声が聞こえて、ヤンとアンネローゼがびくっと背中を震わせた。

 

「アンネローゼさんを探しに行くと言って、一体いつまで待たせるのですか」

 フレデリカの詰問に、ヤンは頭をかいた。

 

「あ、いや。いや、あれを見てみなよ。何とも感動的な雰囲気じゃないか」

 ヤンは地平線の方を指差した。丁度日の出が終わったころだった。

 

「名勝絶景も三日で飽きます。ともかく、早くアンネローゼさん。訓練センターの隔離区画にお越しください。あと、少佐はオペレーションルームへ」

 

「そろそろか」

 

「帝国の通信をキャッチしました。第7艦隊に即時撤退を通告しています。衝突も間もなくでしょう。時間がありません」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月13日 7時15分、惑星フェザーン近辺──

 

「諸君!我々はここを守り通す!

 我々は自由のために戦う!

 今日死ぬのは我々ではない。敵だ!

 今日という日を覚えておけ。我々の名が歴史に刻まれる日だ!」

 

 スピーカーからは司令官、ホーウッド少将の演説が聞こえてくる。本人は煽っているつもりなのだろうが、周囲の反応はそれにノリきれていないというところか。ついていけない、というわけではない。艦橋に居る兵達の感情を推し量るとするならば、何故こうなってしまったのだろう、わけがわからない。そういうところだろうか。

 

 司令官ホーウッド少将とそのスタッフが座乗している旗艦、戦艦シザーリオは、艦隊に配属されてわずか一か月という新ピカの新型戦艦だった。待ちに待った新型艦ということで、喜び勇んでそれまでの旗艦ククルカンから乗り換え、さぁこれから完熟訓練、という所に命令が届いたのであった。命令が届いたのは一週間前、完熟訓練も兼ねてフェザーン回廊での演習を行えというものであった。

 

 艦隊将兵のほとんどに、疑問と不安が生まれた。二つの帝国で起きた混乱はもちろん知っている。南軍の残党がフェザーンに艦隊を派遣しているらしいという噂も広まっていた。ポレヴィト星域に駐留している第7艦隊は、フェザーン回廊と隣接しているから、フェザーン回廊で演習を行った実績がないわけではない。だが、最後に演習をやったのは五年も前の話だ。何故今になってこんなことをするのだろうか。それに加えて

 

 フェザーンに向かってくるらしい帝国艦隊と衝突したらどうなるんだ──

 

 第七艦隊は未充足状態であるため、艦隊の戦力としては1500隻ほどしかない。帝国側がまともな戦力をぶつけてきたら、まぁ勝てないわけである。それに、艦隊の中には実に嫌な噂が流れていた。ルンビーニ星域に駐留している第6艦隊も出撃準備を進めていて、一朝有事の際は合流するらしいのである。

 

 朗報と言えば朗報であるが、裏を返すと、もし戦闘になったならば、第7艦隊は勝てないから逃げます、とは言えなくなっているのである。

 

 そして、不安が現実になったのは二日前のことであった。帝国軍艦隊、およそ3000隻がフェザーン回廊にワープアウトし、惑星フェザーンに潜伏しているブラウンシュヴァイク公の逮捕引き渡しを要求してきたのだった。拒否するなら、帝国が代わりに強制捜査を行うということであった。

 

 これに対し、第7艦隊の対応は明確だった。惑星フェザーンの全面に布陣し、帝国艦隊のフェザーン占領を阻止するということであった。

 

 まぁ、原則的にはまっとうな判断である。帝国軍の要求を受け入れたら、フェザーン自治領は自治領ではなくなってしまうだろう。そもそも惑星フェザーンの軌道上は非武装地帯であることが、帝国・同盟・フェザーンの三者で結んだ協定で決められている。逃亡中とされるブラウンシュヴァイク公がフェザーンに潜伏している証拠もなく、軍隊を踏み込ませるなど暴虐、普通に考えればそうだ。

 

 だが、帝国と同盟の間に戦火がなくなってから五十年、いつかは戦火が復活するとは思ってはいたが、明らかに同盟はそのような準備ができていない。第7艦隊の状態を見ればそれは明らかだ。それでもやるのだろうか。ホーウッドが将兵の戦意を煽るような演説をしているのは、そういう将兵の内なる不安を感じていたからだったかもしれない。

 

 第一、戦艦シザーリオは昨年から配備の始まったトリグラフ型戦艦の先行試作型である。艦を操作するオペレーターの誰もが、大なり小なりしっくり来なさを感じている。おまけに艦の中には、本来の仕様にはなかった機器が取りつけてあったり、軍服を着ていない作業者が同乗していたりする。上の説明によると、新型艦のデータ取りをしているようだが、テストをしながら戦えというのはあんまりじゃないか、誰しもそう思うのであった。トリグラフ級戦艦は、第7艦隊に十二隻しか配備されていないのだ。

 

 もちろん、退役寸前の老朽艦を宛がわれるよりは、はるかにはるかにマシなわけだけれども。

 

「帝国艦隊より通信」

 オペレータが報告した。

 

「読み上げろ」

 ホーウッドは短く返した。

 

「貴艦隊に勝利の目はない。速やかに降伏されたし。降伏ができないのであれば逃げよ。当方は追撃しない」

 

「戦いたくないのか、なめているのか」

 ホーウッドは毒づいた。側にいる副官のヴァーリモント大尉とすれば、何故ここまでホーウッドが戦いたがるのかが分からなかった。二日前に帝国艦隊がワープアウトしてからというものの、同盟は惑星フェザーンの前面に立ちはだかるように布陣し、帝国は惑星フェザーンに接近しながら、どけ、いやどかない、という問答をずっと繰り返してきた。

 

 考えてみれば、フェザーンのために同盟が帝国と戦う、というのも法的根拠が怪しい話である。まぁ、気持ちは分かる。気持ちは分かるがフェザーンは帝国の自治領、というのが建前であるし、帝国は強制捜査を行うとは言っているがフェザーンの自治権を剥奪するとは言っていない(ここはかなり怪しい論理ではある)。非武装地帯に帝国が踏み込むことについて、同盟が実力をもって排除していいという法的な根拠はないだろう。事実、ホーウッドは帝国から撃ってくるまでこちらからは攻撃してはならないとまで厳命していた。無茶を通り越してる、という声が多かった。

 

 副官であるヴァーリモントは知っていた。ポレヴィト星域から進出する前、ホーウッドは誰も中に入れるなと厳命した上で、FTL通信室に籠りきりになって通信していたこと。フェザーンに進出した後も、通信室に入っては出てを繰り返していたこと。作戦に関して、スタッフに意図を周知させることを重視していたホーウッドが、今回に関しては秘密主義を貫いていることである。つまりは、上層部から相当はっきりと、無茶な命令が下っているということになる。

 

 上から厳命されたのだったらそう言えばいいのに。ヴァーリモントはそう思っていた。ホーウッドに対してカマをかけることすらした。だが、ホーウッドは反応しなかった。

 

 第7艦隊は、惑星フェザーンを背にする形で球面状に陣を敷いた。艦列をなるべく薄くして、それでいて数の多い敵艦隊に回り込まれないようにしたのである。惑星フェザーンを制圧させないためには、それしかなかった。敵に先手を取らせるという方針であれば尚更である。

 

「敵、接近を続けます」

 オペレータの報告に、ホーウッドは黙ってうなずいた。

 

「主砲射程まで、後どのくらいだ」

 

「このまま接近すれば三十分ほどです。敵は隊形を変更していますから、もっと延びるかもしれません」

 ホーウッドは再びうなずいた。敵の艦列は移動隊形から戦闘隊形に移行している。向こうもやる気なのだ。まぁ、向こうの方が数も多いし。

 

 敵はこちらの球面陣をさらに外から包囲するように布陣している。まずいな。包囲が完成してしまったらこちらとしては逃げ場がなくなる。本当はこんな所で戦いたくはなかった。フェザーンが『首飾り』を起動していればこんなことにはならなかったのに。だが、フェザーンを帝国から引き剥がすための深謀遠慮、その一つとあらば……本当にそうなるか分からないが、そういう計画だと思って信じるしかないのだ。でも、何とかならないものか。こちらから撃てればまだやりようがあるものの。やってみるか。

 

「おい、さっきの帝国からの通信、まだ返答していないだろうな」

 

「していませんが」

 オペレータが答えた。

 

NUTS!(バカめ)と返答しろ」

 

NUTS!(バカめ)、でありますか」

 オペレータが信じられない、という表情で聞き返した。

 

「そうだ」

 ホーウッドはそう答えて何も言わなかった。見え見えの挑発だが、敵の方が優勢なのだから、少々雑な攻撃でも押し切れる、そう思ってくれるかもしれない。しばらくしてオペレータが通信機を操作しだした。さっきのやり取りは艦橋に聞こえているから、こちらが何と応答したのかは大体みんな知っている。艦橋のざわつきが少しおさまった。皆、緊張のレベルをさらに上げたのだろう。

 

 

 

「叛乱軍から返答が来ました」

 

 帝国艦隊の旗艦、ハイデンハイムでは司令官のエルラッハ少将が貧乏ゆすりをずっと続けている。通信手はじめオペレータはなるべく彼の方を見ないようにしようと努めていたが、さすがに業務を放棄するわけにはいかない。

 

「読み上げろ」

 

「それが……」

 

「どうした」

 

「NUTS、だけであります」

 

「……どういう意味だ」

 通信手は一瞬黙ったが、その後報告した。NUTSというのは、同盟公用語の俗な表現でありまして、地獄へ落ちろ、という意味だそうであります。辞書AIからの回答であります。

 

「連中め!」

 通信手の想像通りにエルラッハは爆発した。艦橋にいる誰かに八つ当たりしなかっただけまだマシかもしれない。

 

「参謀長」

 

「何でしょうか」

 司令官席の横に立っている参謀長が訊いた。

 

「叛乱軍との交戦距離に入ったら、攻撃開始だ」

 

「ですが、まだ敵を包囲しきっておりませんが」

 そもそも、敵が進路を妨害し、このままだと交戦止む無しなので、逃げられないように包囲殲滅するはずだった。それなのに、今から攻撃を始めては、それができなくなる。攻撃しつつ包囲するというのは相当困難な作業なのだ。

 

「鶏を割くに牛刀を用いんや、だ。そもそも我が軍は叛徒の倍、戦力があるのだぞ。いちいちお行儀よく包囲して攻撃してみろ、戻った時に何と言われることか」

 参謀長にはエルラッハの言うことが大体分かっていた。というか、そもそも叛乱軍が抵抗をすること自体、想定に入っていなかった。フェザーン回廊で叛徒が演習をやっている、という情報は入っていたが、弁務官事務所(旧南朝)からの抗議ですぐに撤退するだろう、そう見られていた。叛乱軍はやる気がないのだ、戦ったことのない叛乱軍は、戦闘経験豊富な我が軍が鎧袖一触であろう、そういう雰囲気に満ちていた。

 

 第一、エルラッハの艦隊は、惑星フェザーンを制圧してからが本番のはずだった。惑星フェザーンに潜伏するブラウンシュヴァイク公一党の残党狩り、という名目でフェザーンの官庁、企業あらゆる所にリッテンハイム派のシンパを送り込む。抵抗すればそれはブラウンシュヴァイクに味方するというわけだから、制裁を加える。相手は賊軍なのであるから、法的根拠が多少怪しくても問題はない。フェザーン自治領は事実上我々のものになる。後、いろいろ細々とした命令が来ているが、これも問題なくこなせるだろう。

 

 権力さえ握ってしまえば、金も自動的に吸い上げることができる。当然ながらそれはリッテンハイム侯に献上すべきものではあるが、上前をはねること自体は節度さえ弁えていれば問題ない。そういうバラ色の未来を皆、頭に思い浮かべていたことは確かである。だが、その「未来」もリッテンハイム侯の胸先三寸であることも、また事実。不興を買えばどうなるか分かったものではない。

 

「全速前進して攻撃せよ。思いあがった叛徒共に思い知らせてやれ。さすればフェザーンも己の立場に気づくであろうよ」

 

 

 

「敵、速度を上げました。隊列変更は中断した模様」

 

「いや、包囲を一時中断しただけだ。方陣でこちらに向かってくるだろう」

 ホーウッドは舌なめずりをした。どうやら敵はこちらの挑発に乗ってくれたようだ。数が純粋に多いから、それでも問題ないとしたのであろうか。

 ホーウッドは再び、艦隊全艦に通じる通信を開いた。

 

「各員に告ぐ。指示通り、私が砲撃開始を命じるまで射撃を禁じる。最前列の艦は防御に徹し、みだりに攻撃をしてはならない。艦隊全体の盾となるのだ。戦列後方の艦は、データリンクシステムに従い、適宜攻撃せよ。少しでも持ちこたえるのだ」

 

 レーダー手の絶叫が、シザーリオの艦橋に響いたのは、ホーウッドの指示から八分十秒後である。

「エネルギー波、急速接近!」

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月13日、午前9時12分。

 五十年前に自然休止した、帝国と同盟の大規模軍事衝突が再開した、その瞬間であった。

 

 

 

 帝国軍の第一射撃は、同盟軍第7艦隊にほとんど被害を与えなかった。最前列の艦が防御に徹しており、射撃そのものも距離が遠すぎた。数隻の艦が小破した程度であった。

 

 だが、これは敵味方のどちらかが敗れるまで延々と続くシークエンスの一つに過ぎない。帝国艦隊はさらに距離を近づけ、砲撃を加える。

 

「巡航艦プリンストンより通信。攻撃開始はまだなりや」

 

「まだだよ。まだだと答えろ。あともう少し引き付ける」

 ホーウッドは艦橋正面の戦況スクリーンを睨みつけた。こちらは最前列を戦艦や重巡で固めている。砲撃は後方に配置した巡航艦やモニター砲艦の仕事だ。なれば、戦艦より有効射程の短い、巡航艦主砲の有効射程まで引き付けなければならない。データリンクシステムのために、最前列の艦はお互い同士をシールドで支援し合える距離感を保っているはずだ。リスクは最小限にとどめられる。

 

 だが、不幸な例外もあった。

 

 一隻の艦が戦列からほんのわずか飛び出した。彼女をカバーする三隻の巡航艦は、ほぼ同時に被弾し、シールド機能が弱体化したため、後退したのだった。彼女に対するカバーが一瞬剥がれたその隙に、同時に命中した三本のビームが、艦のシールドの薄い箇所突破し中枢部分に直撃、艦をバラバラに引き裂いた。生存者はいなかった。轟沈した艦の名は、かつて地球に存在した大海から命名された、戦艦パンサラッサだった。

 

 悲しむべき損失。だけど、涙は損失を洗い流すためにある。それが艦隊戦の流儀だ。

 

「敵艦列先頭、巡航艦部隊の有効射程に入りました!」

 

「よし、射撃開始(ファイアー)!チャンスだ!一気に押せ!」

 ホーウッドは自身のデスクを叩くと、そう叫んだ。

 

 

 

 帝国艦隊にとって、同盟軍の反撃は意外と痛かった。巡航艦の中性子砲、砲艦の光子砲、ミサイルの束が一気に押し寄せ、艦隊の先頭に立つ艦が次々と撃沈、損傷し混乱している。

 

「おのれ叛徒共め許さん!再度前進して接近戦に持ち込むぞ。さすれば火力で一気に押しつぶせる!」

 

「司令官」

 さすがに参謀長が黙り切れなかったのか、エルラッハに進言した。

 

「今からでも遅くありません。相手は防御に徹しています。包囲に切り替えれば損害も減ります」

 

「それは通常の戦の論理だ。ここはフェザーン回廊だぞ。華々しく勝てば、これからの仕事もやりやすくなるというもの」

 エルラッハの言葉は、非合理的なように見えて、ある意味当を得ている。軍事的に圧倒的な勝利というのは見栄えが良くないのだ。簡単に言うと「あれなら俺にもできる」と思われてしまう。剣闘士の試合が激闘に見えるのは、そう見えるように演出しているのと一緒である。

 

「進撃を継続せよ。十分距離を詰めたら接近戦をやるぞ」

 

 

 

「敵、前進をやめません」

 オペレータの報告に、ホーウッドは二度うなずいた。

 

「全艦に伝達。中央は後退、外縁は前進する。敵を引き込んで持久する」

 どうやら最悪の事態は避けられたようだ。いや、それはただの思い込みだろうか。

 

 

 

 それからの6時間程度、帝国エルラッハ艦隊と同盟第7艦隊は双方だらだらと撃ち合いを続けた。傍目にはそう見えた。帝国としては、前進は成功しているものの、敵に有効な打撃を与えられていないことが不満だった。同盟としては、敵の意図を止めることができず、後退している中央部の損害が深刻になりつつあることが問題だった。それは旗艦のシザーリオも例外ではない。中央部があまりに薄くなっているので、旗艦も盾の役割を果たさざるを得なかったのだ。そして、艦の撃沈、損傷によって盾は少しずつ薄くなっていく。

 

 突如、艦が大きく揺さぶられ、照明が消灯した。

 

「損害報告!」

 艦長が叫ぶ。報告を総合すると、3つある砲塔のうち1つが損傷し、射撃不能になったとのことだ。

 

「シールド機能はどうか」

 

「概ね問題はありません」

 

「ならば戦闘続行だ。戦いはいつもこれからだぞ!」

 ホーウッドはそう叫んだが、戦況は一刻ごとに深刻さを増していった。ニ十分後、さらに大きな震動が艦を襲った。

 

「今度はどうした!」

 

「シールド発生機に異常です。本艦は今や丸裸です。このままでは──」

 艦長が深刻な表情で報告した。

 

「……どうする」

 

「このまま敵の砲撃が続けば、あと数分もつかどうか」

 艦長の報告を聞いて、ホーウッドは艦橋を眺めまわした。見る限り、各自任務を果たしているようには見える。いや、見えるだけかもしれない。視線の端にちらっと映ったのは、この艦に乗り込んでいる民間人、戦艦の製造会社の技術員だった。

 

「司令部機能を移す。適当な艦はどれか」

 ホーウッドは決断した。民間人がいなければもう少し粘るつもりだった。

 

「戦艦エピファネイアが状態良好です。本艦との距離も近いです」

 オペレータが即時にそう返したことについて、ホーウッドは苦笑した。任務に精励しているかと思ったら、逃げる準備は着々か。まぁ、それが軍隊の要領ってものだ。

 

「艦長、総員退艦を。あと、あの民間人は後方に送ってやってくれ。死んだら我々が嗤われるぞ」

 戦艦シザーリオはその後も二十分近く持ちこたえた。シザーリオの乗組員に死傷者が居なかったのはそのおかげだといえる。ホーウッドと司令部要員は、従来型戦艦エピファネイアに移乗し、指揮を再開したが、エピファネイアの幸運はシザーリオほどではなかった。移乗してわずか三十分でエピファネイアは被弾により核融合炉がダメージを受け、戦闘不能になってしまった。ホーウッド他が慌てて脱出シャトルに乗り込み、エピファネイアから離脱した直後、エピファネイアは爆発四散した。

 

「やはり新型艦は耐久力が違うのかな」

 ヴァーリモントは、ホーウッドがそう言ったのを聞いたが、エピファネイアに関して言えば、耐久力の問題というよりも艦列が疎らになってシールドが有効に使えなくなった方が主要因であっただろう。第7艦隊の中央部が薄くなり過ぎていたのである。

 

 それでもホーウッドは近くにあった戦艦リオンディーズに避難し、指揮を再開したが、一時間もしないうちにリオンディーズが機関部に被弾、航行不能となり、戦艦サートゥルナーリアへの移乗を余儀なくされた。

 

「このままでは突破されますぞ」

 戦艦サートゥルナーリアの艦橋で、参謀長が顔面蒼白となって報告した。第7艦隊は敵の艦列先頭を包み込むような形でどうにか持ちこたえている。だが、敵の突破を阻止するうちに中央部が薄くなりすぎてしまった。戦闘可能な戦力も、千隻を切ろうとしている。

 

「まだだ。可能な限り持ちこたえるしかない」

 参謀長は、艦隊の外縁部に居る艦の一部を引き抜き、中央部への補充に回そうと命令を出していた。敵艦列先頭との距離が接近しすぎており、実体弾での戦闘になりそうなのである。そうなると数の多い敵の突撃を持ちこたえることは無理になってくるのだ。

 

 その時、午後5時33分であった。

 

「敵の別働隊の模様、数、およそ800!」

 オペレータの報告に、参謀長の顔色がさらに青白くなった。別働隊に回り込まれたり、側面攻撃をかけられたりしたら、第7艦隊はおそらく終わりだろう。無駄な損害を重ねたくなければ、撤退を真剣に考えないといけない。

 

 だが、ホーウッドの指示はそれとは正反対だった。

 

「あの別働隊から目を離すな。だが、心配はするな。きっとうまくいく」

 

 

 

「北軍の艦隊?」

 オペレータから報告を受けたエルラッハは、素っ頓狂な叫び声をあげた。敵艦隊には随分と手こずらされたが、ようやく突破が成功しようとしている。後方に北軍の艦隊を発見したのはそんなタイミングだった。

 

「後方の艦隊に通信を送れ。所属と意図を確認するのだ。あと、助力とかそういうことを言ってきたら断れ」

 しばらくしてオペレータが困惑して報告した。

 

「後方の部隊、応答しません」

 

「繰り返せ」

 

「もう三回、繰り返しました」

 

「応答しないとはどういうことだ」

 

「まさか、こちらを攻める気ではありますまいな」

 参謀長の言葉にエルラッハは、はっとした。南軍は事実上戦闘を休止した状態になっているが、北軍がそうである保証は何もないのだ。

 

「後方の部隊、所属は分かるか」

 参謀長がオペレータに訊く。

 

「北軍、第三艦隊の模様です……後方部隊より返信来ました!」

 

「読み上げろ」

 

「ワレ、第三艦隊分遣隊也。らいんはると大将ノ密命ヲ受ケ、派遣サレタモノナリ。貴艦隊ノ事情ハ承知シテイル」

 

「密命とは何だ。問い合わせろ。いや、とにかく止まるように言え。これが終われば密命でも何でも聞いてやる」

 エルラッハは指示を出して、参謀長にささやき声で問いかけた。戦力はどれだけ残っている。参謀長は答えた。2500あたりかと。

 そうか。ならば、これが終わったらアレも潰さなければならんかもな。

 

 エルラッハの悲劇は、後方の部隊に対してある意味「話が分かる」と思い込んでしまったことかもしれない。前方の同盟艦隊は中央突破寸前にあり、それさえ成れば後はどうとでもなる。エルラッハの意識は突破寸前の同盟艦隊に移ってしまい、後方部隊の接近に対して対応する時間を浪費してしまった。

 

 十五分後、オペレータの叫び声が戦艦ハイデンハイムの艦橋に響き渡った。

 

「エネルギー波、急速接近!後方部隊からの砲撃です!!」

 

 

 

「敵後方の中央から突破する!敵の艦列の疎な所を見つけ、食い破れ!!」

 戦艦チューリンゲンの艦橋で、ジークフリード・キルヒアイスが指示を出す。こちらの戦力は800隻であり、敵(キルヒアイスは南軍艦隊をそう言い切った)は三倍ではあるが、上手く隙を突けば、無警戒な所を奇襲できる、そう考えたのだ。密命を受けているのは嘘ではない。南軍の艦隊を撃滅しろ、という命令である。

 

 800隻という少数の戦力であったが、予備部隊をそのまま引き抜いただけあってまとまりは良かった。800隻はエルラッハ艦隊を後方から攻撃すると、とにかく敵集団の抵抗の弱い所を即席で判断し、そこを突破することに専念した。敵も反撃しようとしたが、味方の内部を食い破っているだけに応戦がやりづらい。そうでなくとも、艦隊の前方は同盟軍に包囲されつつそれを突破しようとしているところだったのである。結局、キルヒアイス艦隊は、エルラッハ艦隊を後ろから前に食い破って、さらに後ろに戻るということを三度繰り返したのだ。

 

 戦況は一挙に逆転した。今や崩壊しようとしているのはエルラッハ艦隊の方であった。

 

「各自反撃しろ。獅子身中の虫を潰すのだ。敵のいる方向に撃て!」

 エルラッハはなおも叱咤していたが、聞こえてくるのは味方の悲鳴とオペレータが報告する味方の損害ばかりだった。戦艦ゴスアール撃沈、戦艦ドルトムント大破、戦艦……

 

 それでもいくつかの艦は、内部を食い破る北軍の艦を狙おうとした。だが、誤射の危険性無く射撃することはほとんど不可能だった。無視して砲撃し、味方を誤射する事例が続出したのである。北軍の艦は損害に構わず突進を続ける。一部の艦は、正面の敵に体当たりをしながら突破することまでやった。

 

 エルラッハ艦隊は、あまりの事態に急速に統率を失いつつあった。艦列は崩壊し、逃亡する艦が続出した。だが、彼らの試みはうまくいかなかった。前面に居る艦は、勢いを盛り返した同盟軍に狙い撃ちにされたし、後方の艦はキルヒアイスの艦隊に捕捉撃滅された。

 

「5時方向に敵部隊。本艦に向けて発砲する模様」

 戦艦ハイデンハイムでは、オペレータ以外声を出す者がいなかった。悲鳴も怒声もない。オペレータも抑揚のない報告を機械的に告げるだけだった。緊張の糸が切れてしまっていたのだ。

 

 ハイデンハイム後方下部から射撃された五発のレーザー水爆は、ハイデンハイムの前方から後方までまんべんなく命中し、宇宙戦艦を粉々の粒子に還元していった。

 

 

 

 戦艦サートゥルナーリアで砲撃の一時停止が命じられたのは、午後八時近くであった。対峙していた帝国艦隊はほぼ殲滅され、脱出できたのは300隻も残っていないだろう。ただ、こちらの損害も決して少なくはない。残った船は戦闘前の半数を切っているはずだった。生き残った艦についても、残弾は少なく、将兵は疲労している。

 

 そして、問題はもう一つある。目の前に居る、500隻程度の帝国艦隊である。別働隊だと思われたその艦隊はそのままエルラッハ艦隊に突っ込むと、艦隊を滅茶苦茶にかき回した。それにより、帝国艦隊は四分五裂となり、第7艦隊はすんでのところで敗北を免れ、大逆転勝利が達成できたわけである。

 

「艦列の再編成まで、三十分ほどかかります」

 ヴァーリモント大尉が報告した。ホーウッドは、目の前に残った謎の敵艦隊に対して、戦闘態勢を取るように命じていた。だが、あまりに損害が大きすぎるため、包囲の陣形はあきらめ、単純な横方形陣を採用した。そのために、組みなおしの時間が必要だった。

 

「うむ」

 ホーウッドはうなずくと、紙コップのコーヒーを飲み干した。どんなコーヒーでも、12時間ぶりに飲むコーヒーはうまいものだ。勝利のコーヒーであればなおさらだろう。

 

「提督は、知っておられたのですか」

 参謀長がおずおずと尋ねた。

 

「何をだ」

 

「目の前のことです」

 

「厳密に言うと、知らなかった」

 

「でも、提督はあの部隊のことを気にするな、とおっしゃいました。実際、その通りになった」

 

「だが、グリーンヒル総参謀長は言った。敵の敵は味方だと。わざわざそう言い添えるということは、何かあると思った。というか、あれが本当にこちらを襲ってくるのならば、我々にできることなど何もあるまいよ」

 

「それはそうでしょうね」

 

「帝国艦隊から通信が入っております。対面での通信を希望しておられます」

 オペレータが報告した。

 

「どこからだ」

 参謀長が訊く。注意を引き付けて奇襲する可能性は無いとはいえない。

 

「艦隊内の戦艦の模様」

 オペレータが返答した。どうやらその可能性は低いようだ。

 

「応答しよう」

 ホーウッドの返答に、通信手が準備を始めた。

 

 

 

 スクリーンに現れた帝国軍の将官は、見事な赤毛の、若い少将だった。眉目秀麗で、役者と言われれば信じたかもしれない。

 

「帝国軍少将、ジークフリード・キルヒアイスです。ご協力感謝致します」

 

「自由惑星同盟、第7艦隊、司令官のホーウッドであります。こちらこそご協力感謝致します」

 

「最初に申し上げますが、当方は貴艦隊に害意はありません。自分は、上官のミューゼル大将から、帝国外にて狼藉に及ぶ軍を処罰せよとの命令を受けております。当然のことをしたまでです」

 

「そうですか。我々はフェザーン行政府の要請の下、フェザーン軌道上への戦力展開を阻止する目的で出動しました。帝国、同盟、フェザーンの協定により、惑星フェザーンの軌道上に戦力を配置しないことになっております。貴艦隊が同様の手段をとらないのであれば、こちらも攻撃することはありません」

 ホーウッドは内心ほっとした。第7艦隊は傷つき過ぎて、これ以上戦えない。

 

「了解しました。まぁ、睨み合いも不毛なものですので、当方はこれより撤収致します。ホーウッド提督。貴方を信用して」

 

「信用が大事なのは、同盟でも同じです。命令を受けていれば話は別ですが」

 

「なるほど、命令ですか。信用を損ねようと、納得がいかずとも、命令があれば人は動きます」

 目の前の赤毛の将官は、謎めいたことを口にした。

 

「いえ、そのようなことは……」

 ホーウッドは困惑した。

 

「いえいえ、失礼致しました。では、失礼致します。貴方を信用して」

 通信はここで切れた。実際、帝国軍は一発の砲弾も発射することなく、第7艦隊の目の前で背を向け、去って行った。

 

 

 

「いい人そうですね」

 ヴァーリモントがホーウッドに言った。

 

「そう見えるか」

 ホーウッドはつぶやいた。

 

「あの年で、少将だよ。我が宇宙艦隊司令長官殿より、昇進が早いというわけだ。おまけに、貴族でもないらしい。あの赤毛の少将殿がどのような修羅場を潜って来たのか、拝見したいものだな」

 

「提督は、あの少将に裏があると」

 

「あるよ。問題は、我々にとって害になる『裏』かどうかだよ」

 ホーウッドはそれだけ言って、艦隊に対し、第二種戦闘配置を発令した。とりあえず今日の戦争は終わったのだった。そのはずだった。

 

 

 

 ホーウッドの予感は当たっていた。

 

 戦闘が終わる直前、エルラッハ艦隊の残党が四分五裂で逃走する丁度その時、キルヒアイスの分遣隊から3隻の強襲揚陸艦が離脱していた。彼らは艦体に南軍のマークをペイントしており、外見からは惑星フェザーンに強行着陸、あるいは投降しようとする艦のように見えた。フェザーンもそのことは把握していたが、惑星フェザーン近辺で行われた戦闘の影響はあまりにも大きく、航路の混乱の沈静化、損傷したインフラの把握と応急処置に忙殺されていたのだった。敗残兵の捜索は後回しにされていた。

 

「あと1時間で大気圏に突入します、目標到着まであと3時間」

 

「うまくいきそうですね」

 オペレータの報告に、艦橋に居るキルヒアイスはうなずいた。

 

「貴方らしい悪辣なやり方だ。何が起きようとリッテンハイム侯のせいにするんでしょう」

 キルヒアイスの右後ろに立っている男が言った。

 

「利用できるものは誰でも利用します。シェーンコップ中佐、貴方のようにね」

 

「私を利用できるとお思いで?」

 シェーンコップは苦笑しつつ言った。右目に眼帯を着け、右腕が義手になっているシェーンコップであったが、それでも諧謔の精神に変わりはないようだ。オフレッサーとの一騎打ちの最中、脆くなった足場を踏んでしまい、十メートル以上下のデッキに転落しなければこんなことにはならなかった。

 

「私は貴方を利用し、貴方に戦争の無い世界を見せる。滅多にない体験ができることは保証しますよ。私についてくる限り」

 

「そうですか。ですが、あくまで私は貴方に、私自身の意志によって協力していることを忘れないで頂きたい。もう捨てた命だ。私を自由に操れるとは思わないことだ」

 キルヒアイスはこくこくと頷いたが、内心、減らず口の減らない男だ、そう思っていた。

 

「フェザーンの宇宙港に続く商用航路、それを徐々に離脱する形で大気圏に強行突入します。目標は設定した通り、フェザーン行政府から見て惑星の反対側、アッシニボイヤ渓谷」

 

 そう、彼らは来た。最終決戦の幕はまもなくあがる。

 

 




次回タイトル

第二十三話 ラグナロク(5)

(次話はエピローグとの同時投稿を予定しておりますので、今しばらくのお時間を頂きたくお願い申し上げます)


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第二十三話 ラグナロク(5)

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月14日 0時30分、惑星フェザーン、アッシニボイヤ渓谷──

 

「あれが目的の建物ですか」

 

「そのようで。できれば昼に来たかったですが、仕方ありませんな」

 キルヒアイスは、目の前にあるなだらかな丘、そこを昇り切った所にある建物群を見つめている。といっても夜中だから、直で見ているわけではない。ゴーグルが赤外線情報その他をもとに作った画像を見つめているというべきか。会話をしているシェーンコップは、ゴーグルの中のワイプ画面の向こうに居る。リモートで会話をしている。

 

「ラインフォルト社がフェザーンに建設した、民間軍事会社用の訓練施設。ですか」

 

「丘の上の平地に教育施設、垂直離着陸機の発着場代わりになるグラウンド、事務棟に宿泊施設。考え方は悪くないですな。ですが、場所が悪すぎます。計画した人は、ここで訓練する時に脱走されないことだけを考えたのでしょう。だけど、人里離れたこんな所では食わせるだけで一大事ってもんです。飢餓に耐える訓練などやっても意味がない」

 

「敵の戦力をどう見ます」

 キルヒアイスが訊いた。

 

「それは貴方の領分では」

 

「中佐。私は質問しています」

 

「なるほど。一般論からすれば、人数はそれほど多くないでしょう。多くて二個小隊。過去、ラインフォルトがフェザーン当局に提出した資料と、貴方が提供してくれた物資の移動実績からするとそうだ。但し、ラインフォルトのことだ。からくりまでは何とも言えません。それに敵もここに籠って昼寝だけしていたわけではありますまい」

 

「私の見解と一致しています。あの丘の上にある建物群、そしてその周囲にある高いフェンス、みだりに近づくわけにはいかないでしょう。そして周りには森林、ここから3キロ先の施設に続く道は一本だけ。それもやたらと曲がりくねっている。後背には断崖絶壁」

 

「一本道には死の罠が待っている、そういうことですな」

 

「そうです。ですが、やらねばなりません中佐。ミューゼル司令官のご親族は無傷で救出せねばなりません」

 

 

 

 キルヒアイスにとって、アンネローゼがどこに滞在しているのかを探るのは、それほど難しい作業ではなかった。ヴェストパーレ男爵夫人から貰った滞在先については、フェザーンの北朝弁務官事務所を動かし、特殊部隊を派遣したが空振りに終わった。フェザーンでアンネローゼが所有していたであろうコミュニケータはそこに放置されていたから、単純なやり方では追跡は困難、そのはずだった。

 

 次にキルヒアイスは、北朝および南朝系マフィアの情報網にコンタクトし、ラインフォルト系列の動きを探らせたが、これも空振りに終わる。だがキルヒアイスは諦めず、フェザーンの衛星監視システム記録をクラックし情報を抜き取ると、定常的ではない人員物資の動きをコンピュータで抽出した。特に、観光地、別荘地等不特定多数の人間が集まらない場所を中心に。

 

 結果、この場所がクローズアップされた。2月26日以降、この場所に多数の人員の出入り、そして物資の搬入が行われていること。そして、過去に見られなかったエネルギー消費反応が確認できたのである。フェザーンの当局を動かして、この施設の概要を突き止めたのは、3月12日のことだった。それからキルヒアイスとシェーンコップは不眠不休で制圧準備を進めている。キルヒアイスとしては、艦隊指揮も行っていたから、超人的な体力と言うほかはない。

 

 南軍の強襲揚陸艦に偽装した艦がアッシニボイヤ渓谷に着陸したのは二時間ほど前の21時。そこから今の場所に部隊を展開させたのがついさっきである。キルヒアイスがここに投入したのは軽歩兵一個大隊、およそ1000名弱の兵力であった。兵力差だけ考えれば圧倒的、いや、絶望的とすらいえる優勢である。だが、弱点がないわけではない。

 

「フェザーンはいつやって来ますかね」

 シェーンコップはキルヒアイスに訊いた。もちろん何も知らないわけではない。確認のつもりである。

 

「フェザーンは武装兵力を行政府付近にしか配置していません。つまり、惑星の反対側に兵力を移動するまでにどれだけの時間がかかるか、です」

 

「およそ半日」

 

「ですね。夜が明けるまでにケリをつけます。時間切れになったら武力は使えません」

 

「それに、我等はフェザーンに不法着陸をする不埒な南軍兵だ。今のところはそうなっている」

 

「では、行動開始を。後どれくらいでやれますか」

 

「三十分もあれば」

 その直後、キルヒアイスが司令部として使用している大型キャンピングカーのような車に警報音が鳴り響いた。画面の向こうのシェーンコップがスマート端末を取り出した。

 

「敵もなかなか、動きが早い!」

 

 

 

 キルヒアイスとシェーンコップの会話、それよりニ十分ほど前──

 

「敵の歩兵、当施設より約3キロの平地に展開中、数はおよそ1000」

 

「装甲車、自走砲若干。輸送用トラックの数から推定するに、軽装備の歩兵と思われます」

 

「極小飛行物体の反応あり。偵察用ドローンと推測」

 

「ドローンには手を出すな。自動砲塔は今のところ全てスイッチオフだ。偽装カバーも外してはいけない」

 オペレータの報告にパトリチェフが指示を出している。ラインフォルトの私兵訓練センター、そのオペレーションルームは、古典的な戦闘オペラハウスのような作りをしていた。中央には巨大な3Dスクリーンが、そして、それを取り囲むようにオペレータ席がある。スクリーンの周囲、その一部は一段高くなっており、そこが指揮卓となっている。指揮卓にはヤン、ムライ、パトリチェフ、フレデリカ、アリッサ、シャロン、カリンといった幹部が居る……わけだがオペレータは全て同盟大使館の人員だけであった。傍目から見たら同盟の施設であると思うに違いない。実際、ムライは同盟大使館の上層部を説き伏せて、大使館の武官から十人以上の人員を引き抜いていた。

 

 

「一個大隊か」

 ヤンがつぶやいた。

 

「そしてこちらは一個小隊がせいぜい」

 ムライが応じる。

 

「どれだけもちますかね」

 ヤンはムライに聞いた。その質問に願望の意図が混じっていないといえば嘘になる。一応これでもここに来てから半月以上、多数の敵を相手に持ちこたえるための準備をしてきたつもりだ。武器の貯蓄、罠とセンサーの設置。おかげで寝る暇もなかった。

 

「少なくとも、次の朝日を拝める可能性は低い。普通にやれば」

 ムライが低い声でヤンの願望を斬って捨てた。

 

「救世主は朝日と共にやって来るというのに」

 ヤンはため息をついて言った。南軍の強襲揚陸艦と思われる船舶が、通常軌道を外れて地上へ墜落しようとしている、という情報は昨日の夜に把握していた。航路情報をトレースしていた同盟大使館で不審なオブジェクトが存在することをキャッチしたのである。大使館はすぐさま船舶の確保をフェザーンに要請したが、墜落の公算大である船舶に人員は割けないと断られた。フェザーンの治安当局は、惑星の軌道上すぐの外縁で行われた、帝国と同盟との交戦で物流が混乱状態であり、そちらに人員を割かねばならなかった。結局、帝国の揚陸艦が目と鼻の先──強襲揚陸艦の着陸という意味では十キロ先はそういうものだ──に着陸し、武装兵力が展開を始めるまで、フェザーンを動かすことはできなかった。さすがに、その姿を見たフェザーンはすぐさま治安警察の特殊部隊を動かしたようだが、フェザーン行政府からアッシニボイヤ渓谷まで兵力を届けるには、半日程度の時間が必要と思われた。

 

 今、この時点から数えても約9時間。まず、永遠と言っていい時間だろう。

 

「グリーンヒル中尉、車両の、そう向かって右側にあるものを拡大してください」

 シャロンがフレデリカに言った。フレデリカが端末を操作する。

 

「軽歩兵だから装甲車両は少数と思っていたら、あんなのがあった。火力支援用の多連装ロケット砲ですか。3両いる。まずいわね。あんなのに狙われたらひとたまりもない」

 アリッサが言う。映像から判断する限り、このロケット砲が最も火力の大きい兵器のようだった。射程は長くないが、装甲のない目標に対しては絶大な威力を誇る。

 

「手持ちの弾薬──満載していることが前提ですが、あれだけでもここを半壊にできる。向こうにその気があれば」

 ヤンが答えた。

 

「その気?」

 

「こちらにはミューゼルさんが居ます。相手が正気であれば、危険なことはしないでしょう」

 

「向こうの『正気』に従って作戦を指揮するつもり?それに、相手が正気なら、アンネローゼさんを危険な場所に置いておくとは思っていないはずよ」

 

「お嬢様」

 

「どうしたのシャロン?」

 

「やはりあれは潰しておくべきです。私にお任せください」

 シャロンの言葉に、何をしに行くか想像できたアリッサは顔色を変えた。

 

「駄目よシャロン!いくら貴方がスピードバイクの達人だからといって。道路は狙い撃ちされるだけだし、森の中は地雷と罠の山じゃない!」

 

「やらなければいけません。あとムライ中佐、パトリチェフ大尉をお借りします」

 

 

 

「いやぁ。スピードバイクに乗ってて狂気を感じるって、滅多にない体験ですよ」

 パトリチェフは操縦席のシャロンに軽口を叩いた。もちろん、今は森の中を100キロ近い猛スピードで走っているので、直接声が聞こえているわけではない。二人とも宇宙空間でも作業できる特殊スーツを着用しているので、ヘルメットのインカム経由で話をしているのである。

 

 パトリチェフには余裕があるように見えるが、実際はそうではないだろう。全長4メートル近くある大型の武装スピードバイクは、ホバーの原理で地上すれすれを滑走しながら走行するものである。だからこそ、舗装道路でなくともスピードが出せるのであるが、ここは森の中であり、それに加えてあちこちに地雷やブービートラップが仕掛けてある。位置を把握しているからといって、足を踏み入れたくない場所であることはもちろんだ。シャロンは、そんな場所を猛スピードで疾走していた。もちろん、罠はちゃんと避けながら、である。

 

「出る前にその口を縫い合わせておくべきでしたね。いいですか、攻撃のチャンスは森を抜け出てから三十秒程度ですからね。ロケット砲を破壊できなければ、こんな命知らずの真似も意味はありません」

 

「了解!」

 スピードバイクは漆黒の森の中を駆ける。もし、ゴーグルの視覚補助機能がなければ、目の前は真っ暗闇に違いない。ここには月の光りは入らない。当然ながら電灯もない。パトリチェフも何とかしがみついているのが精一杯である。今のところは。

 

「森を抜けるまであと3秒。2、1、今!」

 突然、目の前がぱあっと開けた。森林地帯を抜け、麓の平地に出てきたのである。視覚補助装置が警報を出した。

 

「シャロン!10時方向、距離300メートル!」

 間髪を入れずパトリチェフは、武装バイクの機銃を操作し、今言った方角へ向けて発砲した。短距離誘導ミサイルも発射する。その直後、シャロンは右に大きく旋回した。パトリチェフは振り落とされそうになるが、何とか体勢を立て直す。パトリチェフは機銃の横にあるスイッチを操作した。二人からは見えないが、後ろから球体のようなものがばらばらと転がり出ているはずだ。

 

「大尉」

 

「どうでした?」

 

「お見事。目標は撃破したそうよ。司令部からの連絡によると」

 

「そりゃよかった。このバイクの震動制御装置のおかげですか」

 パトリチェフは謙遜してみせた。

 

「貴方の射撃の腕もね」

 

「そりゃどうも。ですが、このままお気楽に還れるわけではないでしょうね」

 

「そうなるように祈りましょう」

 もちろん帝国も黙って帰すつもりはなかった。機動偵察歩兵の1個分隊が、4台のスピードバイクに分乗してシャロンとパトリチェフの後を追おうとした。だが、彼らは少し頭に血がのぼりすぎていたようである。安易に二人の真後ろから接近しようとして、二人が落としていったものに気づかなかった。落としたものは、近接信管付きの小型爆雷であり、スピードバイクが近くを通過した時点で爆発した。この時点で4台のうち2台が失われた。

 

 

 

 機動偵察分隊のプリラー中尉は、ヴォダーチェック軍曹のスピードバイクと一緒に森の中に飛び込んだ。予想通り、森の中は真っ暗でこちらも視覚補助装置に頼るしかない。前を行く忌々しいスピードバイクは、視覚補助装置の中で光る1つの点でしかないが、帝国軍を愚弄した落とし前は何としてもつけさせるつもりだった。

 

「ヴォダーチェック。あのバイクに近づいたら射撃を開始しろ。当たらなくてもいい。あと、ワイヤーカッターの電源は切っておけ」

 

「ヤー」

 機動歩兵の武装スピードバイクには、有刺鉄線やブービートラップのワイヤーを高熱で切り取るワイヤーカッターが前面に装備されている。当然ながら、エネルギーを使うので速度は落ちるので、経験を積んだ機動歩兵からは歓迎されていない。

 

 

 

「後ろから2台、近づいています」

 

「分かっている」

 シャロンはさらにスロットルを踏み込むが、スピードはもう限界まで上がっている。追ってくる帝国のバイクの方が小型でスピードが出るのだろう。着実に距離を詰めてくるのが分かる。できれば振り切りたかったがそうもいかないか。

 

「大尉、爆雷の残りは」

 

「もうありません。さっきので全部使ってしまいました」

 

「何発か残しておけと言わなかった?」

 パトリチェフのお気楽な声が癇に障ったのか、口調がきつめになる。

 

「そうでしたっけ」

 もっとも、パトリチェフは意に介していないようだったが。

 

「仕方ないわ。では大尉。今度は拳銃射撃のスキルを披露してもらうわよ」

 

 

 

「悪あがきを」

 プリラー中尉は毒づいた。森の中のチキンレースは、こちらが接近しようとすれば、向こうが急旋回してこちらを振り切ろうとするというシークエンスが三度繰り返されていた。既に、敵の本拠地とは離れたところでの追いかけっこになっている。

 

 敵の思惑は分かっている。地形に不案内なこちらを振り回して、事故を誘おうというのであろう。だが、こちらの修練と反射神経をなめてもらっては困る。あと少しでこちらの機銃の射程内に入る。そうなれば条件は対等のはず。プリラーは前を行くシャロンの通るルートを針路だけではなく高さも含めてトレースしながら追跡していた。当然ながら、ショートカットできるルートはあちこちにあった。恐らくそこにはブービートラップが仕掛けられているのであろう。向こうは武装搭載型の複座バイクで、こちらは単座の偵察型だ。間違いなくこちらの方が早い。焦ることはない。焦ることはないが……

 

 突然、視覚補助装置が警報を出した。前方で爆発?まさか敵が勝手に自爆したのか。

 

「前方で爆発!」

 ヴォダーチェックの警告がヘルメットに響いた。プリラーは倒れてきた木が頭上に迫っていることに最後まで気づかなかった。

 

 

 

「お見事」

 

「どういたしまして」

 シャロンの賞賛に、パトリチェフは大したことはない風にこたえた。逃亡の最中、パトリチェフは木に仕掛けられたブービートラップの一つを撃ち抜き、爆発させたのだった。追ってきたプリラー中尉は爆発によって折れた木の下敷きになった。すぐ後ろに居たヴォダーチェック軍曹は、辛うじて避けることができたが、倒れてきた木をホバージャンプで無理矢理躱したため、予想していたパトリチェフによって狙い撃たれた。

 

「まずは一点先取ですかね」

 

「そうね」

 シャロンは森の中を大回りして帰還していた。

 

「そうそう、思い出した。クリューゲルという名前、どこか聞き覚えがあるとずっと思ってたんですよ。そういえば、帝国北軍の特殊部隊で伝説となっている隊員にそういう人がいましてね。我々の間では『伏兵の天才、死線のクルーガー』って呼んでました。ずいぶんと前の話でしたが」

 

「大尉」

 

「何でしょう」

 

「今回は射撃の腕に免じますが、次に私の前でその名を呼んだら、ワイヤーに吊るされることを覚悟なさい」

 

「へいへい。合点承知」

 パトリチェフはあくまでも飄々とした風を装っていたが、背筋を震わせていたのであった。どこまでいっても謎の女性、それがシャロン・クリューゲル。でも、実に魅力的だ。

 

 

 

「酷いものだ」

 キルヒアイスは遠くで炎上するロケット砲の残骸を見つめた。適切な防衛手段を取れなかったこちらの手落ちであることは確かだが、部隊を散開して被害を最小限にしてくれた部下には感謝しなければならない。だが、部下にはこれからさらに苦労させることになるだろう。まぁ、結果さえ出ればどうでもいいのだが。

 

「突入部隊はどうしている」

 

「着実に前進しています。そろそろ第二波を動かします」

 もちろん、着実に前進、とは敵の抵抗や罠の妨害を跳ねのけながら、ということである。

 

 

 

「ローチ、ポイント03はまだ持ちこたえられそうか」

 

「もってあと1分、人員は後退中。自動砲塔が2基あるのみです」

 

「負傷者は」

 

「二名。ですが戦闘は可能」

 

「運がいいな」

 

「ええ。逆襲はいつかけるんですか」

 

「指示あるまで逆襲は禁止だ。死ぬのも禁止だぞ。とにかくそちらは遅滞に徹しろ」

 

 同盟軍側の唯一といっていい戦力、特務支援課特殊作戦グループ──は、敵陣から訓練センターに続く唯一の道、そこを進撃する帝国軍の遅滞防御にあたっていた。少なくとも指示はそうなっていた。道の両側にある森に潜み、前進する帝国軍に砲火を浴びせかける。その時には、自動で目標を発見し、砲火を浴びせる自動砲塔(オート・ガン)も一緒に動かして多方向から撃つ。もちろん帝国軍は追ってくるから、即座に後退してさらに攻撃する。敵が回り込んできたら撤退する。自動砲塔は廃棄するか爆破する。その繰り返しであった。

 

 これが遅滞と呼べるのか──指揮を執っている特殊作戦グループの指揮官、プライス大尉はそう思っていた。一応こちらは伏撃を続け、帝国の進撃を妨害していることになっているが、帝国の方がゆっくりと押しているために、そういう形になっているともいえた。特殊作戦グループは、プライス大尉の二個分隊、『ローチ』ことサンダーソン中尉の二個分隊で相互援護しながら後退戦をやっている。だが、帝国軍は道中の罠を警戒しつつ破壊しつつ、こちらを時には包囲しようとしつつ、警戒しながらゆっくりと進んでいる。おかげで、こちらは敵の進撃を止める術がない。こういう時には大きく迂回して敵の隊列を分断する逆撃を行わなければならないが、リスクの高い逆撃は禁止されていた。そもそも、自分達の部隊以外に戦闘訓練を受けている兵はほとんど居ない。司令部に残っている兵は、そのほとんどが事務仕事専門である。もちろんそれが悪いわけではない。最後の最後に、敵に刃を突きつけるのは自分達しかいないのだから。 

 

 プライスはヘルメットのディスプレイを操作し、状況を確認した。やはり、配置した自動砲塔は、単独だとほとんど役に立たない。一回か二回射撃して沈黙させられている。帝国側が速度を犠牲にして、丹念に罠を排除しながら前進している影響だった。

 

「ローチ、やはり先頭の重装甲車を何とかしないと駄目だ」

 プライスはヘルメットの無線越しにローチに通信した。

 

「でも、対戦車榴弾は役に立たなかったでしょう。どうするんですか」

 先頭をゆっくりと進む装甲車のことを言っていた。戦車に匹敵する装甲と防御システムを持つ指揮用装甲車を、帝国軍は破城槌代わりに投入していた。確かに進路が限定されているこういう状況では有効だ。本来なら地雷か肉薄攻撃で破壊したいところだが、歩兵やドローンと協同して進撃していては手が出せない。

 

「ローチ、06まで後退しろ。対戦車スペシャルを用意しろ」

 

「大尉。2個分隊で支えるのは危険です」

 プライスの指示にローチは抗議した。今でも支え切れていない前線から、半分の兵力を割き、後方で特別な対戦車攻撃の準備をさせるということなのである。敵が積極的になったら今度こそひとたまりもない。

 

「とにかくやれ。あと、本部に連絡して自動砲の使用許可を申請しろ。まだ距離が遠いが、そろそろいい塩梅のはずだ」

 訓練センターの外壁に設置してある自動砲塔は射程範囲にある味方ではないオブジェクトに火力を浴びせる仕様になっている。今はスイッチを切っているが、これと協同して短期間に大火力を浴びせれば、逆襲の隙もできるかもしれない。プライスはそう言っていた。

 

「了解、幸運を祈ります。アウト」

 

「ローチ、お前もな」

 

 

 

 その同時刻、私兵訓練センター司令室──

 

 ヤンは自席であぐらをかきながら戦況スクリーンを見つめていた。今、時刻は午前一時半。フェザーンの特殊部隊到着まであと7時間。

 

「気に入らないな」

 ヤンはつぶやく。

 

「何か、あるんですか」

 訊くのはフレデリカだった。

 

「ドンパチが始まって1時間、奮闘する味方、でも戦線は1キロほど押し込まれている。というか、敵が地雷とブービートラップを丁寧に掃除しながら進んでいるからその程度、と言うべきかも。そのペースでいけば、あと3時間もあればこの施設に取りつかれてしまう。そうすればゲームオーバーだ」

 

「ゲームオーバーを防ぐために、施設の自動火器を温存しているのではなかったのでしょうか。リスクの高い逆襲をプライス大尉に禁じられたのでしょう?先程も使用許可を却下されていましたよね」

 

「特殊作戦グループは精鋭だけど一個小隊でしかないからね。少し足止めをするか、たくさん足止めをするかの差でしかない。自動砲塔は確かに頼もしいが、弾薬が心もとない。こちらとしては、手持ちの弾薬を撃ちつくしてしまうと、給弾する術がない。最後の最後まで待つしかない」

 

「悪い予感がするかね」

 突然ムライが割り込んだ。

 

「敵の手に嵌まっているような気がします」

 

「それは判断ではない」

 

「そう。予感でしかない。時間制限があるのにゆっくりと進む敵。帰ることを考えているのかもしれないですが、もっと正面の敵は力押しができるはずだ。というか、何故注文通りに道を進んでくるんでしょうね」

 

「兵力差が大きすぎるからな。攻者三倍の原則どころじゃない」

 

「でも、帝国にも便利な道具はあるはずです。偵察ドローン、グレネードランチャー、迫撃砲。前線のデータからすると、どれも使用は低調。ほとんど使っていないに等しい」

 ヤンは手元のスクリーンに表示してあるグラフを指し示した。

 

「手を隠している。温存しているということかね」

 ムライが顎に手を当てながら言った。

 

「……そんな気がする。それだけです。あるいは手持ちの装備があまり豊富ではない、ということかもしれません。時間を犠牲にして、弾薬を節約している」

 

「希望的観測だな」

 

「そうですね。そこはまだ判断はつきません」

 

 同じような不安感をフレデリカも感じていた。何かおかしい。本来なら瞬時に圧し潰されてもおかしくない状況だが、敵はこちらを「ゆっくりと押す」だけ。迂回も無し。通路の啓開もなし。投射火力がないから?

 

「アリッサさん」

 

「何?」

 

「森の中を別働隊が迂回できると思いますか。もちろん隠密に」

 

「無理だと思うけど。敵が迂回するならどこかで見つかるはず。熱源センサーに引っかかるわ。500個以上ばらまいているのよ。びっしり」

 フレデリカの質問に、アリッサは色をなして反駁した。準備が足りなかった、そう取られたらしかった。

 

「背後は?」

 

「背後って、崖のこと?そこには建物の監視カメラぐらいね」

 

「何も、ないんですか」

 フレデリカの表情が険しくなった。

 

「だって、無理よ。あんな絶壁。専門のクライマーでもないのに。それに今は真夜中よ」

 

「この背後の地図はありますか。あと写真も。絶壁の写真が見たいです」

 フレデリカはアリッサの反論を無視して言った。

 

「あったかしら」

 フレデリカの気迫に圧されたのか、アリッサは慌ててデータベースを検索し、検索結果が表示されたスレート端末をそのまま手渡した。受け取ったフレデリカはスレート端末を操作した。段々表情が曇っていく。

 

「これが絶壁だなんて……経験があれば登攀は可能です。補助道具があれば尚更です。軽装備なら十分持って行けます。ここを昇られたら、ここを直撃されます。一個小隊、いや、二個分隊もあれば完全に制圧されるでしょう」

 

「中尉」

 ヤンが割って入った。

 

「君ならどれくらいで登攀できる」

 

「百メートルもありませんから……二時間、いやもう少し早くいけます。今は便利な道具もありますし」

 

「ということは」

 

「もう時間がないですね」

 フレデリカの回答にようやく事の重大さに気づいたのか、アリッサの顔が青ざめた。

 

「どうする。特殊作戦グループを下げるか」

 ムライが低い声で言った。この場の最上位者であるムライだったが、敢えて口出しは避けていた。だが、さすがに緊急事態で黙っているわけにはいかなかった。あと、スポンサーであり民間人であるアリッサを動揺させたままにしてはおけない、という事情もある。

 

「落ち着いてください。それは無理ですし、正面の兵力は拘束させておく必要があります。もしその想像が正しければ、奇襲部隊は軽装備の歩兵、兵力はそれほど多くない。まぁ、我々も多くはありませんが、頭数でそれほど懸絶はしていないでしょう」

 フレデリカはそんなヤンを興味深く見つめた。なんというか、この人は慌てるところを人に見せたことがない。如何なる緊急事態でも、軽挙妄動すべからずというのは士官学校でも教育されることだが、この人はそれだけではないように思える。

 

「アリッサさん、武器庫(デポ)の場所はどこでしたっけ?プライス大尉達に配った武器の残りがあるはずですが」

 アリッサが答えた。この指令室がある建物を出たすぐ横よ。ヤンはさらに言う。対テロ戦闘用の装備はありますか。十分ある、ならよかった。

 

「では行きましょう。まだ望みはある。そう思うしかない」

 

 

 

「大尉」

 

「どうしました中佐殿」

 

「俺が高所恐怖症だったということを今思い出した。だから陸戦隊を選んだんだった」

 シェーンコップの言葉をどう解釈したものか、大尉は一瞬迷ったが冗談だと思うことにした。軽い笑い声をあげる。今、二人が居るのは訓練センター施設の背後、絶壁を登り切った場所である。大尉の名前はエドゥアルト・ディートルと言い、陸戦隊の特殊作戦部隊、その教官をやっているという異例の経歴の持ち主だった。何故このような部署に来たのかは分からないし、将来も分からないだろう。とにもかくにも、断崖絶壁を登攀して背後から奇襲するというアイディアはディートル大尉が発案したものだった。

 

 兵力差が絶対有利な状況で、敵の籠る拠点を制圧する。損害を考えなければ誰でもできることだ。だが、相手が監禁している人質を無傷で救出するとなれば話は別だ。それに加え、自動で攻撃する兵器が配備されているとなればさらに困難は増す。作戦の目的は救出であって、脱出する途中で保護すべき対象が死んでしまいました、では話にならない。

 

 最初に考えられたのは、無差別砲撃で敵の武器を粗方破壊してしまうというものだったが、それだけの火力がないということで却下された。強襲揚陸艦は兵を運ぶことはできても補給物資を大量に運ぶようにはできていない。

 

 次に損害を顧みない急激な進軍で一気に敵の本拠に迫る、というプランが考えられたがこれも保留された。敵がこれを想定しないはずがないからだった。脱出される、あるいは人質を殺害する、ということになったら何の意味もない。そういうために空挺降下等の手段が用意されているのだが

 

 次は、別働隊を出して奇襲するという案が出た。だが、密林の中(もちろん罠とセンサーが待っている)迷わずに迂回起動するリスクが高いと判断された。期間は半日しかなく、おまけに夜間である。別働隊の性質上、電波等の発信はご法度だ。

 

 そんな中、ディートルが大きく迂回して施設の背後に回り込み、奇襲をかけるというプランを披露した。警戒の必要が薄いはずの背後を登攀して浸透、敵のがら空きのケツを叩く。もちろん反論は出た。深夜に登攀など狂気の沙汰だ。それに対してディートルは、視覚補助装置があれば昼夜の差はカバーできるし、施設潜入用の機材(要は高い壁を登るための道具)は絶壁を登るためにも使えると主張した。基本的に自分が啓開したルートにロープを張れば、後はロープを伝って登って来ればよい。補助用の足場も設置するから苦労はないはずだと主張した。

 

 結果、秘密裏に登攀する作戦が採用された。もちろん、かさばるもの、重いものは持っていくことができず、装備は最小限とされた。食料、水筒はもちろん、小銃すら携行できなかった。代わりに短機関銃と突入用の爆薬、ナイフ、折り畳み式戦斧(トマホーク)を携行することとした。

 

 登攀そのものは特に問題は発生しなかった。一個小隊50名の隊員のうち3名が足を滑らせて滑落していったことを除けばである。ヒヤリハットは山ほど発生したが、それは看過すべきものとされた。恐らくシェーンコップは、今後二度と山登りをやりたいとは思わないだろう。建物の周囲にめぐらされた高いフェンスも、断崖には設置されていなかった。やはり、ここからの侵入は(もちろん脱出も)想定していないのだ。シェーンコップはここで人員配置と作戦の最終確認を行った。主な検討内容は、対象(アンネローゼのこと)確保と退路の確保、指令室の確保(自動防衛システムの機能停止)をどう行うかであった。監視カメラは避けなければいけないし、そもそも目標がどこかも分からない。一応事前にあたりはつけていたが、それが合っているかどうかはこれから分かる。対象確保へ向かうのはシェーンコップ含め23人、残りの24人はディートル大尉が率いて指令室を確保することになる。

 

「十分で配置につき、十分でケリをつけるぞ」

 

「了解。中佐殿。幸運を」

 

「ああ、幸運を。外部との連絡は任せたぞ」

 ディートルと別れたシェーンコップは、中央の最も大きな建物に近づく。どの建物もシャッターを閉めて光りが漏れていないようにしているが、その建物だけは赤外線放射量が多い。人が多数存在していることは明らかだ。だが、監視カメラには見つからないようにしないといけない。ありがたいことに、視覚補助装置が監視カメラと思われる物体を検出して通知してくれる。民生品ならその監視可能距離まで出てくる。全てを信じるわけにはいかないが、死角を見つけ出すことは十分できた。恐らくディートルも同じようにやっているだろう。

 

「中佐、勝手口です。上に監視カメラ」

 側に居た兵が指差して言った。

 

「あれは避けるわけにはいかんな。破壊しろ」

 

「了解」

 兵はブラスターを構えると、引き金をひいた。光線が伸び、ドアの上にある半球状の物体を射貫く。

 

「よし。ならば開錠して突入するぞ」

 工兵が扉に取り付いて、ドアノブの付近に機器を取りつけた。磁気の放射により、ロックを「こじ開ける」系の機器だ。いろいろな種類の錠をサポートしているのが特色だ。しばらくしてがちゃりと音がした。思ったよりも旧式の錠だったらしい。

 

「よし、入るぞ。突入!」

 シェーンコップは資格補助装置の表示を読み取った。どうやら外の本隊にも信号は通じたようである。シェーンコップは二名の兵と共に建物内に侵入し──

 

 前を進む二人が突然視界から消えた。少し進んだ曲がり角の先に引きずり込まれたように見えた。そして叫び声とうめき声の直後、死体となった二人の兵士がぽいと投げ捨てられた。後から入った兵が慌てて二人の遺体を収容する。頸動脈を一閃、それだけだった。いきり立った兵が角を曲がると、太り肉の兵がどたどたと逃げていくところだった。逃さじとブラスターを抜いて引き金を引く──反応しない。二度、三度引いてもブラスターは発射されなかった。その直後、頭部に何かが命中して、三人目の死者となった。

 

「ゼッフル粒子だと」

 シェーンコップの側に居た兵がうめいた。手に持っているブラスターにゼッフル粒子の警報が出て、安全装置が働いている。これではゼッフル粒子の濃度が一定値以下になるまでブラスターは使えない。もちろん短機関銃もである。爆薬もご法度。突入した側は一気に行動が制約されてしまったのだ。

 

 事態を理解した兵はすぐにナイフや戦斧を取り出すと、シェーンコップの制止も聞かず突入した。直後、叫び声やうめき声が聞こえて慌てて戻ってくる。シェーンコップは戻ってきた兵の一人、その腕に刺さっている釘のようなものを引き抜いた。

 

「畜生め」

 シェーンコップは毒づくと釘を投げ捨てた。ゼッフル粒子環境下で使用されるフレシェット弾だ。建設現場で使われる釘打ち機を凶悪化させたような武器で、釘によく似た矢のような弾を圧搾空気で撃ち出す。威力はブラスターや火薬式銃砲より数段劣るが、装甲服を着用していないゲリラ等には、ゼッフル粒子環境下で銃器が使えることの意味は大きい。敵は、こちらの戦力装備を読み切った上で、優位な環境を構築していたのだ!

 

「ブロイアー、マインドル、戦死した兵を盾にして進め。敵の銃器は人体を貫通したらろくに威力はない。隠れていけば大丈夫だ。接近して一気にやっつけろ!」

 シェーンコップの指示を理解した兵達は、戦死した戦友を担ぎ上げると盾にして前進した。

 

 

 

「少佐の予告通りだ」

 パトリチェフが帝国軍を見ながら言った。

 

「当たっても嬉しくないね。とにかく敵をこちらに引き付ける。後退!」

 パトリチェフとヤンが立ち上がって後退する。後退中はフレデリカがフレシェットライフルを二、三発発射して援護する。これだけで、敵の脚は鈍くなるし、飛び道具を放れないはずである。もっとも、フレシェット弾の在庫が少ないせいもあって無駄遣いはできない、という事情もあるが。

 

 後ろでは、アリッサとシャロンが持ち運びできる机や椅子を倒して簡単なバリケードを作っている。とにかく敵の動きを制限するのが先決。距離を取りつつ障害物の後ろから射撃して敵の戦力を削るというのがヤンが示したプランだった。だが、敵も黙ってやられはしない。戦死した戦友の体を盾にしつつこちらとの距離を詰めている。

 

「大尉!」

 シャロンが何かをパトリチェフに投げてよこした。パトリチェフは筒のようなそれを受け取ると、勢いよくそれを帝国兵に投げつけた。先頭の帝国兵が叫び声をあげて倒れる。盾を失った帝国軍をヤンとフレデリカがフレシェットライフルの連射を浴びせかける。何名かがぱたぱたと倒れた。通路に落ちた筒が何か白い霧のようなものを周囲に浴びせかけた。シャロンが渡したのは消火器だった。

 

「後退!二階まで退却!」

 ヤンは叫ぶと全速力で逃げ出した。フレデリカもそれに続く。消火器の煙霧に一瞬怯んだ帝国軍であったが、再び戦友の遺体を担ぎ上げようとして──先頭の兵が顎を蹴られて吹っ飛ばされた。

 

 パトリチェフだった。

 

 パトリチェフは放置されていた遺体を掴むとそのまま一回転し、プロレスのジャイアントスイングの要領で帝国軍に放り投げた。地面に転がっていた帝国兵の戦斧を拾い上げると、手斧の要領で投げつける。再び帝国兵が斃れた。

 

「大尉!早く!」

 ヤンの叫び声にパトリチェフはようやく後退を開始した。もちろん、後方ではヤンとシャロンがフレシェットライフルを構えて援護射撃を行っている。帝国兵のほとんどはそれを見て頭を下げたが、一人の兵士だけ、自らに向かう殺意を無視して手にしたナイフをパトリチェフめがけて投げつけた。

 

「大尉!」

 パトリチェフが苦悶の表情を浮かべ、倒れた。投げたナイフが逃走するパトリチェフの脚に刺さったのだった。ナイフを投げた帝国兵はすぐにシャロンが撃ち倒したが、階段の前にあってヤン達が隠れているバリケードと、パトリチェフとの間には数メートルの差があった。そのさらに十メートル先には頭に血が上った帝国兵達がいる。

 

 ヤンはバリケードを飛び越えパトリチェフに駆け寄った。ようやく起き上がったパトリチェフに肩を貸すと、可能な限りの速度で階段へ向かっていく。当然帝国兵は追いかけたが、シャロンがさらに二人を撃ち倒すと頭を下げた。その隙に、ヤンは辛うじてバリケードの陰に、そして階段を上がって逃げることができた。

 

 

 

「よせよ、痛いじゃないかね」

 二階にあるいくつかの部屋の中で、一番端の部屋でパトリチェフが手当を受けていた。出血はまだ止まっていないがゼリーパームを巻きつけて外側を包帯で覆えば、とりあえず自力で動くことはできそうだ。パトリチェフの言葉は、健在を印象付けるための演技だろう。ヤンはそう思うことにした。

 

「指令室はどうなっている」

 

「敵の別働隊と交戦中です。状況はよくありません」

 シャロンが報告した。

 

「無理に抵抗しないといいけどな。敵を引き付けるだけ引き付けて逃げて欲しい」

 もちろん、その後何をするかはご想像の通りである。

 

「隔離区画は問題ないかな」

 ヤンがフレデリカにたずねた。隔離区画はこの建物から地下通路を通った先にある。予想もつかない所に入口があるので、敵が気づかないことを祈りたい。

 

「今のところ、カリンとの連絡は保持できています」

 

「敵は上手くこちらに引き付けられただろうか」

 

「だといいのですが」

 フレデリカが心配そうに答える。

 

「特殊作戦グループはどうしている」

 

「敵の進撃スピードが突然速くなったそうで、圧力に耐えきれないと報告がありました。しばらくしたら表の帝国兵が殺到するでしょう。自動砲が動かなければ、ここに突入されるのも時間の問題かと」

 

「許可を出さざるを得ないか」

 ヤンが悔しそうに言った。外壁に取り付けてある自動砲台は確かに強力だが、接近する帝国兵を叩ききれるほど強力ではない。精々足をいくらか止める程度だからだ。有効な組み合わせを考えられなかった自分を責めたいが、今更どうにもならない。

 

「シャロンさん、敵がここを見つけるまでどれだけ時間稼げるかな」

 

「もって十分というところでしょう。準備にそれほど時間がありませんでしたので。もう二か所解除されました」

 二階の部屋にはシャロンとアリッサ二人の共同作業で様々なブービートラップが設置されている。そのことを指していた。二階にいくつかある部屋を探る途中で、引っかかることを期待していたが、設置できる量がそれほど多くないので時間を稼げないのだ。ブービートラップに必須の爆薬が、ゼッフル粒子環境では使えないことも影響している。下手すると建物そのものが崩落しかねない。

 

「今何時かな」

 ヤンは腕時計を見た。午前3時より少し前。時間を稼いだつもりだったが、とんだ児戯という結果になりそうだ。女性に夜間の逃避行はきついと思って籠城を選んだのだが、無理でも森林の中に隠れるべきだったかもしれない。

 

「アリッサさん、シャロンさん。これは私からの提案なのだが」

 ヤンはなるべく平静を装って話し出した。

 

「私達だけ逃げるというのは無しです。アンネローゼさんはどうするんですか」

 アリッサが先回りして答えた。

 

「だけど、敢えてそうすべきだと思います。民間人が死んで軍人が助かるということはあってはならないのです」

 

「アンネローゼさんはどうするんですか」

 シャロンが言った。

 

「我々が血路を開きます。判断はミューゼルさんのご判断に任せます」

 

「無責任ですね。できもしないのに」

 シャロンがヤンの答えを切って捨てた。

 

「いや、思ったんですよ。ゼッフル粒子が充満しているこの室内なら、帝国の部隊を道連れにできると。敵がそれに気づいていなければいいですが。いや、そんなことはないはずなんですけどね」

 ヤンは、自分の思考が取り留めもないものになっていることに気づいていた。考えがまとまらない。死ぬのが怖いからだろうか、それとも巻き込んだ人々への自責の念、愛する人を置いていく後悔の念?ヤンは、自暴自棄な突撃を敢行する人々の気持ちが分かるような気がした。いろいろなプレッシャーに晒される中、合理的思考を維持するのは困難なことなのだ。今ならそれが分かる。

 

「少佐」

 フレデリカが声をかけた。

 

「何だ」

 

「通信です。中佐からのようです」

 フレデリカがコミュニケータを指差した。いつの間にかポケットから落ちてしまっていたようだった。ヤンは拾い上げて通信を開始した。

 

「はい、こちらヤンですが……何ですって?敵が停戦を求めている!?」

 

 

 

 午前2時45分、キルヒアイスの指揮車──

 

 キルヒアイスは目の前のスクリーンを満足そうに眺めていた。シェーンコップの突撃隊は突入に成功、敵は混乱しているようだ。前面では敵の伏撃がまだ続いているが、そろそろ兵力差を吸収しきれなくなる頃合いだ。敵の本拠地に近づけば、抵抗は強くなるだろう。だが、兵の頭数が圧倒的過ぎる。敵は何もできないだろう。

 

「閣下」

 指揮車の中であれこれ指示を出していたオペレータがキルヒアイスを呼んだ。

 

「どうしました」

 キルヒアイスは丁寧に聞いた。

 

「通信が入っております。外部からです」

 

「外部?どこからです」

 キルヒアイスの質問に対する、オペレータの返答にキルヒアイスは首をかしげた。

 

「弁務官事務所?」

 フェザーンにある北朝の弁務官事務所から、ここに通信が入ってきているというのである。どうしてここが分かったのだろうか?いや、それよりも今は午前三時前。こんな時間に何の用なのか?

 

「今は作戦行動中です。取り次ぐのはやめていただきたい。そう伝えれば相手も分かるはずです」

 

「いや……それが、向こうはそれが分かっていて何としても取り次ぐようにと言っています。もし通信をしないなら後悔するだろうと」

 キルヒアイスは再度首をかしげた。弁務官事務所が軍に対しここまで高圧的に出てくることの理由が分からなかった。弁務官事務所など、貴族や軍の御用聞き、というのが一般的なイメージだったしキルヒアイスも同じ気持ちだったのだ。

 

「相手の名前は?」

 

「副高等弁務官のオッフェンブルフ伯とのことです」

 キルヒアイスは命じた。私が対応しましょう。通信回線を開きなさい。

 

 

 

 キルヒアイスが初めて見たオッフェンブルフ伯爵は、神経質を形にしたような顔だった。頭髪は真っ白で、目は細く、頬はふくらんでいるが皺や目の隈等で福々しさとは正反対の顔つきである。肥満した腐敗貴族、と言った方がいいかもしれない。

 

「帝国軍少将、ジークフリード・キルヒアイスであります。今は作戦中ですので──」

 

「遅い!一体どれだけ待たせるのですか!!」

 相手の反応にキルヒアイスはむっとしたが、それを表情に出すことはない。相手の声が妙に甲高いところが気になった。

 

「申し訳ありません。ですが、軍としては、特に作戦中の軍隊は上官以外と連絡は取らないことになっております。これは軍の基本原則であり当然──」

 

「作戦、ですとな。フェザーンのどこで作戦が行われているのですかな。第一、昼は昼でフェザーン回廊で意味不明な戦闘があり、やっと終わったと思ったら今度はここ、惑星フェザーンで戦闘ですと?作戦を指令したのはどこの誰ですか?」

 

「ああ申し訳ない」

 キルヒアイスは相手の剣幕に押されていた。

 

「これは緊急事態です。惑星フェザーンで帝国騎士のご親族が誘拐され、生命の危機に晒されております。通報を受けた我々は、その人を救出すべく急遽出動した次第です」

 

「弁務官事務所には何の連絡もないが。我々はフェザーン行政府から通報を受けたが、フェザーン側も連絡がないと言っておった」

 

「緊急事態故、連絡を忘れていたのでしょう。その件については申し訳ないと思っております」

 キルヒアイスは内心、フェザーン行政府などをそんなに恐れてどうすると思っている。

 

「ですが、フェザーンの治安当局や弁務官事務所との連携無しに、勝手に軍を動かしていること、これは非常にまずい事態を招来していることをご存じか。皇帝陛下の軍隊を私していると捉えられるかもしれませんぞ」

 キルヒアイスは内心、このくそ野郎の弁務官、そう思っている。もう少ししたら喉からその言葉が出てしまうかもしれない。

 

「ああ、あまりこれは外聞を憚る事態なので申し上げるのを控えておりました。あまり、弁務官事務所や行政府を巻き込みたくなかったという事情もあります。ですが言いましょう。現在、武装勢力に監禁されている帝国騎士のご親族、というのは軍務尚書代理を努めておりますラインハルト・フォン・ミューゼル大将閣下の姉君なのです」

 キルヒアイスはここまで言い切って、これでゲームセットであることを確信した。後で痛くもない腹を探った礼はたっぷりやってやるからな。

 

 だが、相手の返答は予想もつかないものだった。

 

「それがどうした」

 

「閣下は、ミューゼル大将閣下のご親族が監禁されているという証拠もなく、生命の危機に晒されているという客観的な情報も提示せず、作戦を実行しているということでよろしいのかな。世の中、いろいろな越権行為というのはあるが、閣下は事の重大さを分かっておられないようだ」

 

「一体何を──」

 そこまで言いかけて、返ってきたオッフェンブルフ伯の言葉に、キルヒアイスは本当に言葉を失った。

 

「これは皇帝陛下の案件である。陛下は、フェザーン回廊にて不要な、全く不要な騒擾が発生していることに大変ご立腹だ。フェザーン回廊にて発生した『全ての』武力行使について調査を行い、報告せよとの仰せなのだ。いいですか、これまでの戦闘については、帝国臣民の保護のためやむを得ず、独断で行われたもの。些か無理があろうと思われるが、最低限筋は通っていると言っていいでしょう。ですが」

 オッフェンブルフ伯は一段と大きく声を張り上げた。

 

「もし、今この後、戦闘が継続されたとの情報があるとしたならば、ですぞ。弁務官事務所が明確に戦闘停止を指示したにもかかわらず、戦闘を続行した理由について、指揮者であるキルヒアイス少将閣下への査問をせねばならない。場合によっては、ミューゼル大将閣下も調査対象となること、お分かりであろうな。自分の親族のために、皇帝陛下の軍隊を動かしたと取られる可能性があるのですぞ」

 キルヒアイスは絶句した。そんなことになれば、アンネローゼの救出どころではない。帝国統一の後に起こる政治的闘争、それに生き残れないことになる。そこで行われたあらゆる汚れ仕事の責任を負わされることになるだろう。とにかく、それだけは避けなければならない。

 

「……了解致しました。速やかに戦闘を停止しましょう。ですが」

 

「ですが?」

 

「囚われているミューゼル閣下の姉君に万一のことあらば、その責任の一端はオッフェンブルグ伯ご本人にあること、それは同意頂けますな」

 

「何を心配されておられるのか理解できないが」

 オッフェンブルフ伯はそこで言葉を切った。

 

「命令には責任が伴う。帝国の軍法の基本である。だが、貴官にその責任を問うこと、できるかな。では、失礼させてもらう」

 オッフェンブルフ伯からの通信は、はじまりと同じく唐突に切れた。

 

 

 

「閣下……」

 連絡を取り次いだオペレーターが心配そうにキルヒアイスの方を見つめている。別にキルヒアイスのことを心配しているわけではなかった(全くその気がないわけではなかろうが)。皇帝が全てを決める、というのが表向きの銀河帝国では、皇帝への反逆は重罪中の重罪である。そして、反逆を見過ごすことも重罪なのだ。過去、帝国で起きた内乱の少なくない数が、反乱側の内部崩壊によって終結したのは決して偶然ではない。反逆者を誅することは、正義の振る舞いなのだ。自らの罪の二つ三つと引き換えにできるくらいの。

 

「……是非もなし。前線に連絡を。戦闘を停止し、撤収せよと伝達しなさい」

 オペレーターは、すぐさま端末に飛びつくと連絡を開始した。キルヒアイスの気が変わらないうちに事を運んでおかないとならなかった。

 

 キルヒアイスは思案した。一体誰がこのようなことを。一日足らずで、皇帝を抱き込んでこちらの行動を制約する動機と手段を持っているのは誰だ?リッテンハイムか?3000隻の艦隊を失ったことへの報復か?だが、それならリッテンハイムも返り血を十分浴びることになる。最初に手を出したのは向こうの方なのだから。それともリヒテンラーデ一族の残党?分からない。分からない。だが、問題はこれからどうする?

 

 

 

 同時刻、北朝帝国弁務官事務所──

 

 通信室の席に座っているオッフェンブルフ伯は、通信機のスイッチを切ると大きく伸びをした。後ろのテーブルに置いてある紙コップを取ると、中に入っているコーヒーを一気に飲み干した。緊張した体をほぐすように両腕を何回か回す。

 

「これで戦闘は終わるだろう。遅すぎなければいいが」

 オッフェンブルフ伯は首筋のあたりをぽりぼりと掻いた。付け根あたりの皮を引っ張る。日焼けの皮を剥がすように何箇所か小さく引っ張ると、やおら首筋を摘んでねじり、べりっと一気に引き剥がした。首筋だけではない。顔を構成している樹脂製のマスクが一気に取れてしまった。頭部にはウィッグまで付けてある。

 

「久々だが、あまり気持ちいいものではない」

 オッフェンブルフ伯の顔の下からは、なんとオスカー・フォン・ロイエンタールの顔が出てきた。あ、あ、と声色を確かめるように声を出す。薬物で声色も変えていたのだが、先程飲んだコーヒーでそれも元に戻ることになっている。

 

「まぁ、雇い主のためとあらばこれも致し方なし」

 ロイエンタールは鞄に先程の人工頭皮を押し込んだ。酒好き女好きのオッフェンブルフ伯に近づき、酔い潰した上で顔のデータを取り、苦心惨憺の末に作り上げたこの人工頭皮であるが、もう使うことはないだろう。

 

「さぁて、ヤン・ウェンリー。あの時の借りは返した。だが俺ができるのはここまでだ。後はお前さんがどう事を収めるか、見物させてもらうとしよう」

 ロイエンタールは通信室を出て、コーヒーのおかわりを淹れに行った。もちろん、弁務官事務所の面々で今起きているのはロイエンタールだけだった。朝になり、このニュースを受け取った弁務官事務所は蜂の巣を突いたような騒ぎになるであろう。その時、この戦闘についてロイエンタール自身がどのように対処するか考えなければいけなかった。

 

 

 

 3時過ぎ、訓練センター隔離区画──

 

 ワルター・フォン・シェーンコップは、足を少し引きずりながら、一直線の通路を歩いていた。シェーンコップが今の状況に至るまでにはいくつかの偶然があった。

 

 本来なら、ヤン達建物の2階に逃げ込んだ面々を追うつもりだった。だが、それは叶わなかった。フレシェットライフルの流れ弾がシェーンコップの右足脛に命中し、右足の自由が阻害されてしまったのだった。シェーンコップは追跡が難しくなったので、部下数名と共に1階の部屋を探索することとなった。いくつかある部屋をそれぞれ分担して探索することにしたのだった。シェーンコップが担当した部屋はどうということのない会議室だったのだが、隠し通路が開けっ放しになっているのを発見して、今、こうしている。敵が間抜けなのか、それとも状況が全く変わっているのか、シェーンコップには知りようがない。後で気づいたことであったが、流れ弾を浴びたのはシェーンコップの右足だけではなく、腰に提げていた通信機もそうだったのだ。

 

 それにしても静かだ。

 

 シェーンコップは違和感を感じていた。薄暗い(灯りはところどころにある)トンネルのような所を進んでいるから静かなのは当たり前なのだが、どうにも落ち着かない。砲火の中で生きてきたシェーンコップにとって、静かさは罠を予感させるものであった。ここは一体どこに続いているのだろうか。構造からして何か重要な所に通じているはずなのだが(不十分とはいえ灯火があるのだから)、罠だったら目も当てられない。

 

 シェーンコップは目をこらした。どうやら先は行き止まり──いや、曲がり角がある。シェーンコップは音を立てずにそろりそろりと歩く。行き止まりの先には敵がいる。そういう前提で進むのが兵の原則だ。果たして、曲がり角まであと20メートルというところで、男女二人の兵士がいきなり現れた。本来なら走り寄ってナイフか戦斧で片をつけるところなのだが、右足が不自由なためそれも叶わない。

 

 シェーンコップが気づいた直後、敵もこちらを認めたようで男の方がライフルを突き付けてきた。褐色の肌をした巨漢の兵だった。女性の方は、薄赤色のロングヘアーで中肉中背見てくれもプロポーションも上の中ぐらいはあるだろう。

 

「そこで何をしている!」

 男が叫んだ。シェーンコップは両手をあげる。元々両手に武器は持っていなかった。シェーンコップは違和感を感じる。こちらが両手をあげているにも関わらず、撃ってくるわけでもないし、武装解除する風でもない。一体どういうことだ。

 

「ここから先は立ち入り禁止だ。出口は今来た方向に行くんだ!」

 シェーンコップはさらに違和感を感じた。立ち入り禁止?行き止まりじゃないのか?これは……確かめてみる価値があるな。

 

「ああどうも。すいません」

 シェーンコップは背中を丸めて、媚びるように言った。何か助けを求めるような感じで、右脚を引きずりながら二人に近づく。すいません、どうも迷ってしまったようです。すぐに帰ります。ですが、この通り右足を負傷してまして、歩くのも不自由しております。もしよろしければ包帯の一つも分けてもらえませんか。

 

 シェーンコップの言葉に、男性兵士の方が、エイドキットの中から包帯を取り出してシェーンコップの方に近づいてきた。ああ、結構深いですね。止血しておかないと後がきついでしょう。男はひざまづくとシェーンコップの手当を開始した。

 

 シェーンコップに迷いはなかった。背中に隠し持っていた戦闘用ナイフを引き抜くと男性の首に振り下ろした。無駄のない動きでナイフを引き抜くと、女性兵士の方に駆け寄り、首にナイフを当てた。

 

「おい、死にたくなかったらアンネローゼ・フォン・ミューゼルの所まで案内してもらおうか」

 

 

 

 予想通り、目的地はこの通路の先にあった。曲がり角から歩くこと二十メートル先に扉がある。ご丁寧に通路には二か所、バリケードがあった。普通に進んでいたらここから先は進めなかっただろう。扉の前にたどり着いたシェーンコップは、女性兵士に開けろ、と命じた。右手の拘束を緩めて自由にしてやる。女性は、胸からIDカードを取り出すと、扉に押し当てた。自動扉がすぅっと音もなく開く。

 

 中は安いホテルの部屋のような構造をしていた。机と椅子とベッド、壁には薄型ディスプレイが懸けてある。奥には扉があった。恐らく洗面所であろう。ベッドには長い金髪と蒼氷色(アイスブルー)の瞳を持つ妙齢の女性が腰掛けている。

 

「貴方は──」

 女性が訊いた。

 

「突然のご訪問、失礼致します。アンネローゼ・フォン・ミューゼル様でいらっしゃるかな」

 シェーンコップの言葉はそこで中断した。拘束していた女性兵士が右足を思い切り踏みつけ、意識がそこに集中した瞬間、一本背負いの要領で投げ飛ばされたのだった。女性兵士はシェーンコップの上に馬乗りになり、右腕をねじり上げると義手の手首に手刀を叩き込んだ。ナイフを握ったままの義手が根元からぽきりと折れた。どうやら、固定が緩んでいたようだった。

 

「カリン!!」

 カリンが腰から拳銃を抜いてシェーンコップの頭に撃ち込もうとしたその寸前、アンネローゼが大声をあげた。

 

「駄目です。こいつ、マシュンゴ准尉を!さっきまで側にいたのに!!」

 

「殺してはなりません」

 

「ですが!」

 カリンはシェーンコップの頭に拳銃を突き付けながら反論した。

 

「なりません。もう戦いは終わりです」

 アンネローゼはきっぱりと断言した。カリンはしぶしぶ拳銃をしまうとシェーンコップの上から退いた。シェーンコップはよろよろと立ち上がると、敬礼をしようとして右手がないことに気づく。代わりにぺこりと一礼した。

 

「ワルター・フォン・シェーンコップ中佐であります」

 

「シェーンコップ中佐、ですか。私を迎えに来たのですか」

 シェーンコップを見つめるアンネローゼの瞳には動揺も恐怖もなかった。

 

「如何にも。ジークフリード・キルヒアイス少将の命を受け、お迎えにあがりました」

 

「ちょっと、それどういうこと!」

 カリンの抗議をアンネローゼは手で押しとどめた。

 

「分かりました。キルヒアイスは貴方の直属の上官ですか」

 

「そういうことになっておりますが」

 

「そうですか。ジーク……いえ、キルヒアイス少将はここに来るのですか」

 

「いえ。自分はミューゼル様の安全を確保し、キルヒアイス少将の所にお連れするように、それしか命令を受けておりません」

 

「そうですか……」

 アンネローゼはしばしうつむいた。そして顔をあげて言った。

 

「ならばシェーンコップ中佐。帰ってキルヒアイス少将に伝えなさい。私は貴方のもとには行かないと」

 

 

 

「……どういうことでしょうか?」

 シェーンコップは困惑した。救出すべき人質が解放を望んでいない、というのは想定していないパターンであった。人質が犯人と意気投合するパターンというのは歴史上例がないわけではないが、シェーンコップは戦史に通じているわけではなかった。

 

「中佐、分かりませんか。もし私が救出すべき人質であるならば、何故段階を踏まず、兵隊を送るのでしょうか。何故南軍に偽装するのですか。おかしいとは思わないのですか」

 

「……」

 それからの説明は衝撃的なものだった。自分と共に突入した兵は、何故かキルヒアイス直々の命により戦闘を停止してしまったこと。表から進撃していた部隊も前進をやめて引き上げてしまったこと。気づかなかったのは、通信機が壊れていたシェーンコップ一人だけだったこと。そしてアンネローゼが語る、キルヒアイスの真の姿も。

 

 シェーンコップは、自らの中から闘志が抜け落ちていくのを感じていた。戦闘というのは精神的な緊張と密接に関係している。気が抜けると、それまでの戦闘力が全く発揮できなくなることは十分あり得る。そして、これは戦闘だけに止まらないが、人は敗北を被害に転換して記憶する傾向にある。

 

 あと少しだったのに、一体どうしてそんなことが起きるのだ。自分が死地に踏み込むのは構わない。だが、何故最後までやり抜こうとしない。というか、一体全体この戦いは何だったのか。あいつの個人的な野心、いやそうとも呼べない感情のためか?

 

「この戦いは無用です。ですから、貴方は生きて戻るべきです。カリン、この人を出口まで案内してあげて。なんなら、帝国軍の所まで送って差し上げて」

 こうして、深夜のアッシニボイヤ渓谷での戦闘は、完全な終結を迎えた。何ともカタルシスのない終わり方であった。

 

 

 

 4時15分頃、帝国軍陣地──

 

「ただいま戻りました」

 

「中佐、お疲れ様でした」

 キルヒアイスの指揮車に戻ったシェーンコップに対し、キルヒアイスは労をねぎらった。いや、言葉上はねぎらったように聞こえた。シェーンコップは敬礼しているのだが、義手が脱落しているため何とも不格好に見える。それでも傷痕や血で汚れた包帯によって彩られた軍服からは、何とも言えない威圧感が醸しだされていた。いつまでもキルヒアイスが答礼しないので、シェーンコップは敬礼をやめてしまった。指揮車内はシェーンコップとキルヒアイスの二人だけだった。通信手は撤収の手伝いをしているらしい。

 

「どうやって戻ってきたのですか」

 

「妙齢の美女に送ってもらいました」

 シェーンコップはシャロンのバイクに同乗して、帝国軍の陣地まで送ってもらっていた。

 

「で、当然ながら話してくれるのでしょうな。何故、後退を命令したのです」

 

「それを言うならまず先に、何故、対象の救出に失敗したのですか」

 キルヒアイスがいきなり核心を突いてきた。というか他に聞くべきことはなかった。戦況は指揮車のスクリーンに全部表示されている。

 

「突入した決死隊は義務を果たしました。貴方は何故義務を果たさなかったのですか」

 

「それは義務をどう捉えるか、それ次第でしょう。第一、我々は勝っていた。それを中断したのはあんただ。キルヒアイス」

 

「それが上官に対する態度ですか、中佐」

 

「俺には上官はいない。そう言ったはずだ」

 

「……」

 

「俺は死に場所のために戦っている。今更だとは思うが、生き延びていいことはなかった。考えてみれば当然だ。何が戦の無い世、何が超越だ。何もかもが馬鹿馬鹿しい」

 シェーンコップの内心にささくれ立ったものを感じたキルヒアイスは、しばし思考をめぐらした。可能性の一つに思い当たった。

 

「もしかして、アンネローゼ様を見つけたのですか」

 

「お会いした」

 

「もしかしてまさか……」

 

「それに関しては問題ありません。傷一つありませんでした」

 

「どうして」

 キルヒアイスは歩み寄るとシェーンコップに掴みかかった。

 

「何故救出しなかったのですか。それが貴方の義務のはずだ」

 

「ミューゼル様が望まれなかった。お前の元へ行くのは嫌だとさ」

 シェーンコップの顔には嘲笑が浮かんでいた。

 

「なん……だと」

 驚愕したキルヒアイスはシェーンコップを突き飛ばした。アンネローゼから初めて示された拒絶だった。少なくともキルヒアイスの主観からすれば。

 

「考えてみればそうだ。圧倒的な戦力を持っていながら、何故自分は安全なところにいる?ミューゼル様から聞いたぞ。大切な人の命を何故人任せにするのだ。お前さんはそれを見透かされたのさ。それが分からないようなら、お前さんの言う平和など、絵に描いた餅だろうさ。分からないか。言ってやろうか」

 

「……」

 

「好いた女に『好きだ』の一言も言えない奴に、何ができる」

 シェーンコップの罵倒に近い言葉に、キルヒアイスは返すことができなかった。ラインハルトと共に成し遂げる宇宙の統一、宇宙の平和。それがあればアンネローゼ様は振り向いてくれるはず。そう思っていた。いや、そう思い込んでいた。そうじゃないのか。

 

 一分ほど続いた沈黙を破ったのはキルヒアイスだった。唇が震えているのは寒さのためではない。

 

「言いたいことはそれだけですか」

 

「そうだ、な。お前さんにその気があれば行ってみせるがいいさ。今からならば敵も抵抗しますまいよ。場所だって案内してくれる」

 

「了解しました」

 シェーンコップはキルヒアイスの声に自信が戻っているように感じた。

 

「その前にです」

 キルヒアイスは、ブラスターを抜くとシェーンコップに突き付けた。

 

「上層部でこの戦闘をどう処理するか、見解の違いがあるそうです。そのため私は一つの見解を用意しました。シェーンコップ中佐、貴方が偽情報で関係者をコントロールし、無用な武力衝突を引き起こした、という見解です。それで八方丸く収まるというものです」

 

「死人に口無しか。だが、死人とはいえまだ俺は生きている。接近戦でナイフに勝てるかな」

 シェーンコップはキルヒアイスと同時に、腰にあった予備の軍用ナイフを引き抜いていて、既に身構えていた。利き手がないのがどうにも不都合だが、贅沢は言っていられない。二人は数秒ほども睨み合っていたが、その直後、シェーンコップの背後でスピーカーが金切声をあげた。不覚にもシェーンコップの中尉がほんのわずか、そちらに向いたとき、キルヒアイスのブラスター三連射が正確にシェーンコップの体を貫いた。

 

「ぐっ……がっ……」

 シェーンコップの叫び声はもう声になっていない。よろけると、自分の後ろにある壁にぶつかり、そこで尻もちをついた。

 

「貴方の言うとおり、行くことにしましょう。ではおさらばだ」

 キルヒアイスはシェーンコップに背を向けると、コミュニケータを手に取った。キルヒアイスは気づいていなかった。シェーンコップが死の間際に、最後の力をふり絞って、軍用ナイフの柄にあるボタンを押し込もうとしていたことを。シェーンコップが肌身離さず持っていた、ローゼンリッター特殊仕様の軍用ナイフは、仕込んである発条によって、刃だけを飛ばすことができるのだ。

 

 その瞬間──

 

 キルヒアイスの全身に激痛が走った。一体何が起きたのか理解できない。キルヒアイスは苦悶の叫び声をあげようとしたが声にならなかった。シェーンコップのように。声の代わりに口から出たのは赤黒い塊のようなものだった。息が苦しい。腹の底からこみあげてくるもので喉が詰まっているようだ。痛い、体が重い、一体どうなっている。まさか──

 

 キルヒアイスは指揮車の中央にある机、それに寄りかかった。脚が言うことを聞かない。目も言うことを聞かない。機械の動作音や戦場音楽であれほど騒々しかった車内も、今やひどく静寂なものだ。今やキルヒアイスは机に覆いかぶさるように倒れ伏している。

 

 もしキルヒアイスが後ろを振り向くことができたとしたら、実に安らかな顔で死の国へと旅立って行くシェーンコップを見ることができたかもしれない。だが、キルヒアイスはそれを見ることはなかった。

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月14日午前4時24分。

 

 ジークフリード・キルヒアイスの歴史はそこで終わった。死因は失血性ショック死、約一時間後、衛生兵によってそう判断された。ワルター・フォン・シェーンコップ中佐も同時刻に戦死、死因は同様、そう記録された。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月14日、午前6時、アッシニボイヤ渓谷──

 

「こんなに日の出が有難いと思ったことはないな」

 ヤンは訓練センターの中庭で、昇る朝日を見てそう思った。新しい朝が来た、希望の朝だ、喜びに胸を開け、大空仰げ……さて、この曲、一体何だったっけ?ああそうだ、軍隊体操の歌か。

 

 立て篭っていた訓練センターは、戦死者の安置所であり、負傷者の応急処置所と化していた。戦死39名、負傷者26名。五体満足な人間の方が少数派である。戦傷者のほとんどは、前面で敵の大軍を食い止めていた特殊作戦グループのものだ。フェザーン同盟大使館は、汚れ仕事を行う能力を失ってしまった。

 

 その犠牲と引き換えに得たものは何か。アリッサ・ラインフォルトの身の安全と自由。アンネローゼ・フォン・ミューゼルの身柄の確保。大げさに語るとするならば、フェザーン回廊を通じた帝国の同盟に対する戦略的奇襲は、とりあえず封じることができた、ということになる。ラインフォルト財閥は自己決定権を保持し、帝国の軍事的最高権力者の親族がこちらに居るからだ。後者はどれほど意味のあることか分からなかったが。

 

「少佐、こんな所にいたのですか」

 フレデリカが背後から声をかけた。

 

「朝日を見るのがそんなに楽しいですか」

 

「見れると思わなかったからね」

 フレデリカの嫌味じみた質問に、ヤンは大まじめに答えた。

 

「負ける戦いだった。全員討ち死にしてもおかしくなかった。勝ったのは我々が優秀だからでも運があったからでもない。ただ」

 

「ただ?」

 

「敵が退却したからさ。となると、死んでいった者達は何のために死んだんだろう。マグダビッシュ中尉、ライリー中尉、マシュンゴ准尉なんか戦闘が終わった後に死ぬ羽目になった……兵士としては彼等の方がずっと優秀だったろうに」

 

「な、ら、ば」

 フレデリカが音節を強調して言った。

 

「ならば?」

 

「死んだ人の分の仕事もしてください。仕事が終わった後にまだ愚痴る余裕があるなら、その時は聞くことにしましょう。というかですね、少佐、予備のボディバッグを探しに行く話はどうしたんですか」

 

「あ、そうだ」

 ヤンは手を叩いた。確かそう言われて探しに行ったんだった。

 

「もうそれはいいです。指令室に戻ってください。フェザーンの特殊警察隊と連絡が確立しました。ムライ中佐が、連絡と案内をやるようにと言ってます」

 

「やれやれ、人使いの荒い!」

 ヤンはため息をつくと、腰を2、3回叩いて歩き出した。ヤンはこの戦いの真の意味を知ることはなかったし、これからも気づくことはないだろう。

 

 

 

 ジークフリード・キルヒアイス戦死の報がラインハルトの元に届いたのは、3月14日午前7時頃のことだったとされる。

 

 親しい人の死を受け入れたくない、その気持ちは普遍的なものである。

 だが、ラインハルト・フォン・ミューゼルのそれはいささか極端に過ぎた。最初の一報を受けた時、ラインハルトはそれを却下した。そこまではまだ分かる。だが、第二報を受けてもなおそれを信じようとせず、後背から心臓への刺突による出血性ショック死という診断結果が添付されてもなお信用しようとしなかった。現場からの死亡診断報告書を持ってきたオーベルシュタインに対し

 

「卿は嘘をついている。キルヒアイスが俺を置いて先に死ぬはずなどないのだ!」

 そう大声で叫んで、戦艦タンホイザーの艦橋に居るオペレータ達をドン引きさせたのは事実であった。弱みなど見せたことのない軍管区司令官、同一人物が人目もはばからず見せた醜態であった。

 

「閣下」

 

「なんだ」

 

「閣下はお疲れのようです。休まれるのがよろしいかと」

 

「何だと。俺は疲れてなどいない!」

 

「いえ、ご自覚はないと思いますが、昨日から一睡もされておられません。いざという時に倒れられては我々が困ります」

 

「オーベルシュタイン!」

 ラインハルトはオーベルシュタインに掴みかかろうとしたが、寸前、すうっと意識を失いかけた。身体の方は頭脳よりよっぽど負担がかかっていたようである。それでも何か言いたかったラインハルトであるが、オーベルシュタインの無言の抵抗に最後は屈することになった。

 

 自室に戻ったラインハルトであるが、特にやることがあるわけでもない。結局端末を操作して、フェザーンから届いた報告をチェックすることしかできなかった。いや、昨日からリッテンハイム侯側からの抗議が山のように届いているのだが、それに関しては読もうという気すらない。というか、貴族達との裏取引はキルヒアイスが仕切っていて、読んでもまともな回答は返せないだろう。

 

 ラインハルトは机に座ると、フェザーンからの報告書ファイルを開いた。強襲揚陸艦を用いた降下、機動歩兵による強襲、迂回による奇襲、敵の抵抗による失敗、敵の刺客による死亡。そうなっていた。敵の正体は現時点で不明なれど、キルヒアイスの背中に突き立てられたナイフの刃、そこに刻まれていた刻印により、同盟軍あるいは同盟が支援している武装グループによるものとされた。

 

「馬鹿なことを」

 ラインハルトは唸った。何故準備もないのに軽々と攻撃を仕掛ける。そんなものはフェザーンを抱き込んで降伏を勧告すればよいことではないか。同盟が抵抗したなら尚更だ。裏工作が得意なキルヒアイスがこうも軽率に攻撃を仕掛けて失敗するとは何たることだ。やはりシェーンコップを預けたのは間違いだったか。おい、キルヒアイス。俺はお前を失ってしまった。これからやってほしいことがまだまだ沢山あったのに。

 

 ラインハルトは哭いた。机に突っ伏して慟哭した。あまりに理不尽過ぎる。自分が死ぬより先にキルヒアイスが死んでしまうなんてあり得ない。ラインハルトは気づいていなかった。そもそもキルヒアイスがフェザーンに行くきっかけであったアンネローゼのことをきれいに忘れ去っていることに。

 

 

 

 ラインハルトは起き上がると、時計を確認した。もう午後5時を過ぎている。おい、まさか10時間も過ぎている。何故誰も起こしに来ないのだ。ラインハルトは憤慨したが誰かを責める気にはなれなかった。恐らく当人が意気消沈の状態だったのであろう。

 

 ラインハルトは机の上にあったコミュニケータを確認した。着信の履歴が数件ある。オーベルシュタインからだった。通信を開始する。

 

「私だ」

 オーベルシュタインは、お休みになれましたかというような慣例的な挨拶はせず、いきなり本題に突入した。キルヒアイス少将から閣下宛のメッセージファイルが見つかったというのである。

 

「現場責任者のシャボフスキー少佐からの報告によりますと、キルヒアイス少将の装身具にメモリーが装着されていたとのことで、ファイル情報によりますと、閣下への私信である可能性が高いとのことです」

 

「どういうことだ。コミュニケータや端末ではないのか」

 

「首から下げていたロケットペンダントの中に貼り付けられていたそうです」

 

「おい待てオーベルシュタイン」

 

「何でしょうか」

 

「その男は、本人の許可もなくロケットに触ったのか」

 

「は?」

 

「そのロケットにみだりに触るなと言ったのだ!」

 もしオーベルシュタインがその場に居たならば、ラインハルトの双眸に狂気が宿っているところを見たかもしれない。

 

「……ご想像はお好きになされるがよろしいでしょう。ですが、キルヒアイス少将のメッセージを無視なさるのですか、閣下は」

 

「……ファイルは送信できるのか」

 ラインハルトの心のなかに黒いものが湧き上がったが、何とか押しとどめた。

 

「可能です」

 

「ならば転送しろ」

 

「了解であります」

 通信は唐突に切れた。しばらくしてオーベルシュタインからファイルが送信される。3D動画ファイルということで、専用の映写機が必要だった。ラインハルトは机の抽斗を開けると送信機を取り出した。コミュニケータからファイルを転送する。ファイルの転送完了を確認すると、映写機の再生ボタンを押す。見慣れたキルヒアイスの上半身が浮かび上がった。一体、キルヒアイスは何を言いたかったのだろうか。

 

 

「ラインハルト様、宇宙をお手に入れください」

 

 

 映写機はその一言だけで再生を終了した。ラインハルトは、手元の端末でファイルをチェックする。異常はない。暗号化やウィルスも検査したが問題はなかった。編集歴もなかった。つまり加工はされていないのだ。

 

「ラインハルト様、宇宙をお手に入れください」

 

 ラインハルトは涙を流しながら3D映像を見つめた。お前の遺した最後の言葉、それがたったこれだけなのか?中からこみ上げてくるものに耐えきれず、ベッドに倒れ込む。再生装置がリピート設定になっているので、短い3D映像が何度も再生される。

 

「ラインハルト様、宇宙をお手に入れください」

 

 キルヒアイスよ。何故俺を置いて行ってしまったのだ。まだお前には聞いていないことが山のようにあるじゃないか。

 

「ラインハルト様、宇宙をお手に入れください」

 

 今回のクーデターだって、お前が絵を描いたようなもんじゃないか。教えてくれなかったが、南朝のクーデターだってお前が仕込んだものだろう。リッテンハイム侯をどうやって引き込んだか、これからどうするつもりだったか、教えてくれよ。

 

「ラインハルト様、宇宙をお手に入れください」

 

 なぁ、キルヒアイスよ。この苦しみをどうすればいい。俺達はこれからどうすればいいんだ。

 

「ラインハルト様、宇宙をお手に入れください」

 

 口の中はカラカラだ。目が痛くて仕方ない。どうする?どうする?何故何も言ってくれない!!

 

 ラインハルトはやおら起き上がると、3D映写機の引っ掴んで壁に叩きつけた。映写機はばらばらになって動かなくなる。当然ながら映像を再生することはできなくなった。あ、まずい。ファイルはどうしたっけ。端末にまだ残っていただろうか。ラインハルトは端末を操作すると、ファイルを確認した。ファイルはまだあった。よかった。いや、よくない。宇宙を手に入れる?どうやって?どうやったら宇宙が手に入るんだ。どうやったら……

 

「そうか」

 

 ラインハルトの頭の中に閃くものがあった。そうだよ。今や宇宙を手に入れるための「壁」を全部取り払ってくれたじゃないか。後は宇宙をこの手に掴むまでだ。俺は今や銀河帝国の軍権を全部握っている。いずれそうなる。ならば、後は俺が歩いて、そして、宇宙を手に入れるまでだ。どれだけ遠くても、手と足さえ休めなければ、いずれはたどり着ける。

 

 これからは、俺一人だけでやればいいんだな。いや、そうじゃない。お前のその言葉があれば。お前は、いつも、俺の中に居る。

 

 ラインハルトは端末を操作すると、キルヒアイスのメッセージファイルを消去した。もう、誰もこれを見ることはできない。ラインハルト本人ですら。でも、それでよかった。この瞬間をもって、キルヒアイスとラインハルトは一体になったのだ。ラインハルトは半身とも言える親友を失い、そして失った半身を己がものにしたのだった。

 

 

 

 ラインハルトが艦橋に戻ったのは、オーベルシュタインがラインハルトを居室に押し込めてから十三時間後だった。ずっとそこに居たわけでもなかろうが、オーベルシュタインはラインハルトを認めるなり参謀長席から立ち上がり、敬礼した。ラインハルトも答礼し、司令官席に座る。

 

「オーベルシュタイン」

 

「はっ」

 

「これより余は、宇宙を手に入れる。いいな」

 

「了解いたしました」

 ラインハルトの目は充血していたが、表情に迷いはなかった。オーベルシュタインには分かった。ラインハルトは煩悶を乗り越えたのだ。友の死を乗り越え、さらに前に進もうとしている。ならば、我も全身全霊をもって応えねばならない。

 

「オーベルシュタイン。策を出せ。宇宙を手に入れるための」

 

「了解致しました。まずはその前に、障害を一つ、排除するのが先決かと」

 

「そうか」

 ラインハルトは口元を歪めた。

 

「ならばやろう。すぐにだ」

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月20日、帝都オーディン──

 

「馬鹿者、それでは前と変わらないではないか」

 リッテンハイム侯はコミュニケータを怒鳴りつけ、通信を切った。リッテンハイムは新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の帝国宰相公邸、主の居ない邸宅に勝手に上がり込んでいた。それに対する反応は無視、だった。諫める言葉、批判、歓迎、迎合、ほとんど何もなかった。

 

 何もかも上手く行かない。今のリッテンハイム侯の状況を一言で言えばそうなる。一か月前はそうではなかった。国璽を奪い、南朝を事実上手に入れた。後は、帝国を一統し、その主導権を握る。そうすれば帝国の頂点に立てる。

 

 途中までは上手く行っていた。帝都オーディンに乗り込み、統帥本部総長シルヴァーベルヒと、ラインフォルト財閥とも協定を結んだ。当然だ。こちらは南朝を事実上支配しているし、国璽も握っている。ラインフォルトについていえば、一人娘の生命をも握っている。そのはずだった。

 

 それが一週間前、全てが暗転した。

 

 フェザーンを制圧するためのエルラッハ艦隊は、圧倒的な戦力を持っているはずなのに、割り込んできた同盟艦隊に打ちのめされた。這う這うの体で戻ってきた兵からの報告では、ラインハルトの艦隊に奇襲を受けて旗艦が撃沈されたとのことだった。

 

 リッテンハイムには理解できなかった。ラインハルト・フォン・ミューゼルとは、秘密裏に協定ができていたはずだった。彼の腹心であるジークフリード・キルヒアイスを通じて、互いの勢力伸長を妨害しない、そういう風になっているはずだった。もちろん彼は、自分の行為がラインハルトやキルヒアイスの逆鱗に触れていることなど気づいてもいなかった。

 

 フェザーン制圧が失敗したことは、アリッサ・ラインフォルトの生命について関与する手段を失ったことでもあった。シルヴァーベルヒやフランツ・ラインフォルトは即座に掌を返し、「協定」は白紙化された。

 

 今は、リッテンハイムは孤立無援となった。だが、まだ手はあった。まだ国璽はリッテンハイムが持っているのである。これを北朝の皇帝に「返還」し、その礼として帝国のしかるべき地位を得る。そうすれば、権力をもってシルヴァーベルヒやラインフォルト、ミューゼルに報復することができる。

 

 リッテンハイムは工作を開始した。今、リヒャルト帝は新無憂宮には居らず、ベルヴェデーレ宮殿に滞在している。謁見については日程の調整が進んでいたが、同時に、国璽との「引き換え」となる地位についての調整も行っていたのだ。だが、それが難航しているのである。

 

 調整相手は、宮内尚書のベルンハイム男爵である。リッテンハイム側は「引き換え」として、帝国宰相の位を要求したのであるが、ベルンハイム男爵は、南方領土総督という新設職を提示してきた。つまりは、旧南朝領土の支配者ということになるわけだが、リッテンハイムはそれを言下にはねのけた。いくら領土が広かろうが、オーディンから離れては政治的闘争が不利になる。おまけに、疲弊した南朝領土を貰っても、大した兵力を飼えるわけではないのだ。

 

 リッテンハイムはなおも交渉を続けた。味方を増やすべく、他の閣僚にも接触した。だが、反応は冷たかった。リッテンハイムは、国璽が帝国にとって欠くべからざるものである、という前提に立っていて、建前としてそれは正しかった。だが、北朝側としては、国璽というものの重要性に疑問を持っていたことも確かである。リッテンハイムはそれが理解できなかったのである。

 

 一昨日、民政尚書マリーンドルフ伯と会見した時、代替案を提示された。財務尚書の地位であった。統一帝国の財務を握ることは、帝国の全てを握るのと一緒である、マリーンドルフはそう言った。

 

 リッテンハイムはその提案も却下した。言っていることは分からないでもないが、財務尚書という地位が極めて専門知識を要求される職務であることは、南朝時代の体験から分かっていたからだ。財務で帝国を握る、というのは、財務という機能を縦横に使いこなしてこそ、そう思っていた。だが──

 

 やはり提案を受け入れるべきだったか。

 

 リッテンハイムはそう思うようになっていた。交渉を続けていくうちに、帝国宰相の位には届かないだろうという感触を持つようになったからである。本来ならラインフォルト財閥と共に交渉、いや圧力をかけるつもりだったのに、そうなっていないから、裏取引が効かなくなっていたのだ。いや、そもそもマリーンドルフの提案を断ったのは、来客に対して事もあろうに伯爵自身が紅茶を淹れて饗したのを、リッテンハイムが非礼と断じたからではなかったか。

 

 何もかも貧乏くさい。オーディンに到着してからのリッテンハイムはそう感じていた。新無憂宮はかつての威厳を失い、あらゆる所に自動機械が導入されている。それなのにあちこちが故障しては、宮内省の修理担当者ではなく工兵が駆けつけて修理ということを繰り返している。皇帝が居ないからということもあるだろうが、実際に稼働しているのは全建造物の三割程度と言われている。そして、そんな衰微を誰も気にしていないし何とかしようと考えていないのだ。

 

 とにかく自分がそれを変えなければならない。それが帝国掌握の第一歩だ。ならば激務も止む無しと言うべきか。いずれこの礼はたっぷりとやってやる。盾着いたことを後悔するがよい。

 

 リッテンハイムはコミュニケータを操作し、秘書を呼び出した。マリーンドルフ伯との会見をセッティングしろ。提案を受諾すると伝えておくのだ。なるべく早くだぞ。

 

 リッテンハイムは通信を切り、役立たずばかりだと毒づいた。心の中の怒りに対処するために、必要な注意力を全く欠いていた。宰相公邸を警護しているはずの兵士がいつの間にか居なくなっていることも、そして、いくつかある窓のうち一つが少し開けられ、そこから何かが投げ込まれたことも。

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年3月20日、15時31分。

 

 宰相公邸に投げ込まれた低周波爆弾が爆発し、公邸は全壊した。公邸内に居た全ての人間を道連れにして。

 

 

 




次回タイトル

エピローグ ファニー・ウォーの終焉


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エピローグ ファニー・ウォーの終焉

 

 宇宙暦799年8月15日 フェザーン宇宙港、宇宙側待合室──

 

 その日、フェザーン宇宙港の待合室は閑散としていた。フェザーンの宇宙港といえば年がら年中混雑しているというのが評判であるが、例外となる日や時間帯というのはある。明後日に自由惑星同盟航路警備隊と、フェザーン航路警備隊の合同演習が行われるとあって、大体の船はフェザーンを出ていくか、あるいは入港を済ませてしまうかのどちらかだった。それに加え、ビジネスクラスの専用ラウンジであれば、さらに人は少ない。ラウンジに居るのは、ヤン、フレデリカ、それに加えてビジネスの用事で同じ宇宙船に乗り込む二、三人の人物だけだった。

 

 ヤンは備え付けのドリンクバーで紅茶を淹れて飲んでいる。ブランデーを入れることができないのは痛恨だが、紅茶の質はまぁ悪くない。フレデリカは先程からスレート端末で熱心に何かを読んでいる。ヤンはそれが何か分かっていた。

 

「別に、君が帝国軍の分析を熱心にやる必要はないんじゃないかな。軍広報誌に書かれている分析レポートなんて大したことないよ。どうせ情報部でもっと詳しいレポートを纏めてくれるんだから、それを読めばいいと思うよ。大尉」

 

「中佐は何故、そこまで泰然自若としていられるんですか」

 

「泰然自若とすべき時はそうすべきさ。忙しくなる時はそのうち必ずやってくるからね」

 

 そう。二人は昇進したのである。ヤンは中佐に、フレデリカは大尉に。そして胸には新たな略綬が追加されていた。一つは、一等自由戦士勲章、もう一つはフェザーン功労者章である。両方ともよほどのことが無い限り授与されないもので(後者は、大使館武官のトップに贈られるぐらいなので、同盟軍で受章者は数名ぐらいだと言われている)、軍人ならそれを見ただけで相手に一目置くはずである。それが二人にとっていいことなのかどうかは、これから分かるだろう。

 

 いいことか悪いことか、それ以前にヤンは自身の昇進を歓迎していなかったのは確かだった。中佐昇進の内示が出る直前に、ヤンは退役願いを出していたからだった。

 

 だが、退役は受理されなかった。帝国の内戦終結に伴い、同盟は戦時状態への移行を決断したからだった。そのためには、そうそう将校を辞めさせるわけにはいかなかった。中佐昇進の内示が出た一日後、退役願いの却下が通知され、さらに二日後、正式に昇進が通知された。少佐と中佐、階級こそ一つしか違わないが、その差は結構ある。少佐までは昇進や退役は統合作戦本部人事部が取り扱うが、中佐以上の階級については、統合作戦本部幹部会議にて調整が行われる(ちなみに将官は国防委員会の取り扱いになる)。中佐になると完全に幹部側の人間になるから、待遇も結構変わってくる。それになにより、中佐以上になると、15年勤務しないと恩給受給資格を貰えないのである。今現在、ヤンは勤続13年であるから、恩給が欲しかったらあと2年勤務しないといけない。ヤンが内心、昇進を嫌がっていたのはそういう事情がある。

 

「というかさ、大尉、なんで転属先が同じ職場なんだ」

 

「さぁ、私に聞かれても」

 

 昇進と共に、二人には転属命令が下されていた。転属先は、第8艦隊の司令部幕僚本部であった。任地は艦隊が駐留するガンダルヴァ星域惑星ウルヴァシー。二人共に情報分析担当幕僚ということになっていた。辞令を渡すムライ中佐がにやにや笑いをしていたことをヤンは忘れていない。

 

「なぁ。グリーンヒル大将から何か言われなかったか」

 

「いえ、何も」

 ヤンの質問に対し、フレデリカは実にそっけない。ヤンは確信している。絶対父親から何か言い含められているに違いない。

 

「そういえば」

 

「そういえば?」

 

「いい式でしたね」

 

「式……ああ、そうだったな」

 ヤンは同意しつつも、内心の疑問について確信を抱いたのである。

 

 

 

 宇宙暦799年、帝国暦490年6月22日 惑星フェザーン──

 

「「「ご結婚、おめでとうございます!!」」」

 

 アリッサ・ラインフォルトとシュヴァルツァー大尉の結婚式は惑星フェザーンの観光地、フェルライテン渓谷にある高級ホテル「デア=ヒンメル」にて行われた。参列者は二十名に満たない、実に小ぢんまりとした式だった。シュヴァルツァー大尉自身、天涯孤独の身で、友人はほとんどがクーデターがらみで参加できないので、こういうことになってしまった。もっとも、アリッサの方も参加したのは父母とその親族とごく近い関係者、そしてシャロン、ヤンとフレデリカにカリンといったところだったので、つつましい式になるのは必然だった。

 

 式自体も実に質素なものだった。新郎新婦の入場、結婚宣誓、指輪の交換と接吻、そしてパーティー、それだけだった。帝室を除けば、宇宙で最も金持ちといっても過言ではないラインフォルト家であったが、セレモニーに対する意識はそんなものだった。いや、新郎新婦の次に主要なメンバーである花嫁の親、ラインフォルト夫妻がどっさり仕事を抱えていたことも理由の一つだったかもしれない。

 

「ほら、泣いてばかりじゃいけませんよ。折角の美人が台無しです」

 フレデリカがウェディングドレス姿のアリッサの涙を拭っていた。確かに、アリッサは宣誓の後から終始泣き通しで、化粧もかなり崩れている。女性陣はそういう共通認識だった。お世話係状態のフレデリカとカリンは礼装用の軍服を着用している。本当はドレスを着て出席する気満々だったそうだが、ムライ中佐が軍人として参加するように、と命じたためにそういうことになっていた。ヤンとしては有難かった。今更タキシードなど新調して出席するなど、面倒臭いにもほどがある。

 

 アリッサはアリッサで涙声で方々にお礼を言いつつ、その度に涙を流しては拭くを繰り返していた。ヤンはそれを見ながらウィスキーをロックで飲んでいる。質素なパーティーではあるが酒の質は超一流だ。できればここにある酒を全部飲んでしまいたい。多分この一杯で100ディナールは下らないだろう。

 

「ヤン……中佐ですか」

 そんなアリッサを遠目で眺める一人の青年がヤンに声をかけた。

 

「そうですが」

 ヤンは振り返った。目の前に居たのは、帝国軍の軍装(恐らく礼装)に身を固めた大尉だった。勲章も正式なものを着用している。ヤンはその男の正体を知っている。というか、今日の式で最も重要な人物だ。

 

「シュヴァルツァー大尉。ご結婚おめでとうございます」

 

「あ、ありがとうございます」

 シュヴァルツァー大尉は敬礼した。ヤンは答礼する。そういえば、こんなことが前にもあったな。ヤンは思い出した。あの時は、相手がジークフリード・キルヒアイスだったのだが、縁は異なものである。あの時とは立場が逆だけどね。

 

「アリッサさんからはお話は聞いておりましたよ。想像通りでした」

 

「一体何を話していたのかは、聞かない方がいいのでしょうね」

 ヤンとシュヴァルツァーはお互い苦笑した。

 

「まぁ、ご想像にお任せします」

 

「それにしても、この度、アリッサが大変お世話になりまして、お礼の言葉もありません。貴方の行ったことに比べれば、自分のやっていることがどんなに卑小で愚かなものだったか。リッテンハイムの本心に気づくこともなく、野心に利用されるだけでした。結果として、同期や親友、かけがえのない人々を巻き込んでしまった。慙愧の極みというものです」

 

「そうですねぇ」

 ヤンは言葉を切った。

 

「大尉が何故そこまで気にするのか分かりませんね。結果として、帝国の戦争は終わりました。我々がそれをどう思うかは別にして、戦争を終わらせたことは大いに誇っていいのではないかと。それに、巻き込んでしまった人々をどうするか、もうすでに考えているのではないのでしょうか」

 

「何故それを」

 

「アリッサさんのことですから。想像しただけです。まぁ、大尉としてはこれからが大変なのではないのですか。オーディンに行かれると聞きましたが」

 

「そうです。この軍服を着るのも今日が最後です」

 本来なら、クーデターに参加した士官は全員が軍法会議にかけられ、処罰が課されるはずであった。だが、南朝が崩壊した今、南軍そのものが存在しないのである。結局、シュヴァルツァー他の士官たちには何の処罰もなかった。だが、今後シュヴァルツァーが新生銀河帝国の軍人になることはあり得ないだろう。軍にとっての危険人物であることは間違いないのだから。

 

「生きてここに居るだけで幸運と思わないと」

 そういうシュヴァルツァー大尉の両目には涙が溜まっている。

 

「そうですね。ところでお聞きしたかったのですが。一体、大尉はどこでアリッサさんとお知り合いになったのですか。アリッサさんはどうしても教えてくれなかったので。パーティーの挨拶でもその話は全くありませんでした」

 

「……残念ながらそれはできません」

 

「そりゃどうして」

 

「教えたのがばれたら、アリッサに殺されてしまいます」

 シュヴァルツァー大尉が震えるのを見て、ヤンはさぞかし最悪の第一印象(ファーストインプレッション)だったのだろうなぁと察した。男女の縁とは不思議なものだ。つい最近まで戦争をしていた北と南、大財閥のご令嬢と、士官とはいえごくごく普通の一般人。今日この日を迎えるまで、波乱万丈のストーリーがあったと思うが、いつか知る日が来るだろう。そう思いたい。

 

 

 

「ヤン中佐でございますか」

 シュヴァルツァー大尉が去ってすぐ、中年の夫婦がヤンに声をかけてきた。

 

「はい。ヤン・ウェンリーです」

 

「ああ。この度は娘が大変お世話になりました。厚くお礼を申し上げます。何とお礼を言ってよいものやら」

 男が涙を拭きつつぺこぺこと礼をした。女性の方は無表情だったが、深く深く礼をした。

 

「いえいえ。当然のことをしたまでです。お礼を言われるなんてとんでもない」

 ヤンは慌てた。今、ヤンに頭を下げている男女は、アリッサの両親にして帝国一の大財閥を率いる、フランツ・ラインフォルト、イリーナ・ラインフォルトの夫婦なのだから。

 

 ヤンとラインフォルト夫妻(親の方)はしばらく取り留めもない話をした。ヤンが新しく貰った勲章の話であるとか、次の任地の話であるとか、シュヴァルツァー大尉の話とかである。ヤンはそれとなく話を振ったが、やはりアリッサと大尉の馴れ初めは聞かせてもらえなかった。多分知っているはずなのだが。

 

「ご理解頂けるとは思いますが」

 フランツ・ラインフォルトがシャンパングラスをウェイターに返しながら言った。

 

「このような商売をしておりますと、いろいろと敵も多いものです。娘も同様です。安全な場所というのはまぁ、ないと言っていいでしょう。帝国が激動する時、それを利用しようという輩が現れる。その危機を救ったのは、叛乱を起こした徒党の一人であるというのは、何ともこの世は奇妙で、驚きに満ちていますなぁ」

 

「そうですね。自分もこんなことに巻き込まれるとは思っていませんでした。ほんの二年前まで、こうして帝国人と話をしていることすら想像しませんでした。それがラインフォルトさんとなれば尚更です」

 

「まさに、まさに。大きな声では言えませんが、我が社も自由惑星同盟に提携先を持っていましてな、商売をさせてもらっております。ごく最近のことです。それまでは、我々も自由惑星同盟というのは、共和制という邪念に取り付かれた拝金主義、享楽主義、刹那主義の連中だと思っていたものですよ。ヤン中佐や他の方々にお会いして、認識を新たにしたというものです」

 

「過分なお言葉、痛み入ります」

 ヤンは頭をかきつつ謙遜した。内心、フランツ・ラインフォルトの言葉が単なるリップサービスではなく、そのごく一部でもいいから真実を語っていてくれればいいな、そう思っていた。

 

「そうだイリーナ。例のものはどうした」

 フランツの言葉に、イリーナと呼ばれた女性(花嫁の母親としては随分と若そうに見える)は、ウェイターを呼び止めるととある荷物を持ってくるように命じた。フランツはそれを聞くと、アレを人に持ってこさせるなんてとんでもない、と言い出したがイリーナの方は別に気にしていないようだった。しばらくして、ウェイターが厚めの黒い、古風なアタッシュケースを持ってきた。フランツ・ラインフォルトがそれを受け取る。

 

「今日は娘の晴れの日です。ささやかながら、我が家から贈り物をさせていただきたい」

 フランツはそう言ってアタッシュケースを開けた。中には保護材にくるまれたブラスターとエネルギーパックが数個入っていた。

 

「我が社の新商品、ラインフォルトP490、ヤン中佐向けの特別カスタムタイプです。銃身には認定証が入っております。こちらに入っております保証書を同盟内の提携ショップに持ち込めば、整備、修理は無料です。ヤン中佐のお仕事に役立つように。是非お納めください」

 

「そ……それはありがとうございます」

 ヤンは辛うじてお礼を述べることができたが、顔は思いっきりこわばっていた。娘の一番大事な日なのに、引き出物に人殺しの道具かい、内心そう思っていた。ヤンはアタッシュケースを受け取ると、早々にウェイターに預けてしまった。それについてはフランツもイリーナも何も言わなかった。やっぱりこの夫婦、変わっている。

 

 この話には後日譚がある。ふとしたことでヤンとフレデリカ、カリンの三人で結婚式の話になったとき、ヤンがこのことを話すと、フレデリカはクロスカントリー仕様の地上車をプレゼントしてもらったというのである。カリンに至っては単座の水上オートバイを貰ったそうである。どうも、二人に対してはアリッサが事前に欲しいものを聞いていたとのことだった。なんで自分だけ除け者なんだ、とヤンは大いに憤慨したが、この話はまだ終わりではない。さらに後日、アッテンボローと飲み会をした時この話をしたら、アッテンボローは大いに驚いて言った。先輩、ラインフォルトのスペシャルカスタムモデルって、ラインフォルト財閥に多大な貢献を為した人だけに送られる幻の銃ですよ。全宇宙で所有者は十人そこそこなんじゃないですか。もし、ちゃんと整備して二、三十年おいといたら天井知らずの値がつきますよ。宇宙船だって楽勝で買えます。それを聞いて、慌てて自宅の倉庫からアタッシュケースを掘り出したという話である。

 

 

 

「そういえば、お二方はこれからどうされるのですか」

 

「今夜の便でオーディンに戻ります。仕事が待っておりますのでな。私も、イリーナも」

 

「別にいいのですよ、貴方は。一日ぐらいアリッサと過ごしたらどうなのかしら」

 イリーナはそう言ったが、いや、そういうわけにもいかん。シルヴァーベルヒが首を長くして待っている。早く帰らないと首が麒麟になってしまうだろう。第一新婚家庭に邪魔者は不要だ。

 

「シルヴァーベルヒさんですか。一度お会いしてみたかった」

 ヤンは本心を口にした。

 

「ああ、仕事をしているならシルヴァーベルヒに会うことはそれほど難しくありません。ですが、プライベートのシルヴァーベルヒに会うことは困難でしょう。私も滅多にお目にかかったことがない。今日は恐らく、一日中軍の会議でしょう」

 

 

 

 同日 帝都オーディン──

 

「本日より一か月の間に、召集された兵は、召集を解除し帰郷を命ずるものなり。退役を希望する志願兵については、自動的に一階級昇進し、退役することになる。退役を希望しない場合においても、特別報奨金が支払われる予定である。軍での勤務を希望するが、現在の配置に不満がある場合は、理由を添えて申し出よ。専門の人事担当者が聴取し、新たな配属先を決定するであろう。士官については追って通知があると思うが──」

 

 軍務尚書ラインハルト・フォン・ミューゼル元帥がカメラに向かってメッセージを録画していた。内容は、一言で言えば動員の解除と、軍の希望退職者募集である。軍の統合に際し、余分な人員を削減し、人件費を抑えなければならない。内戦は終わったが、タイミングは北、南共にぎりぎりだった。どちらももう少し戦闘が続けば、戦力を維持することはできなかっただろう。確かに内戦を終わらせたのは、南北それぞれの政変だった。だが、北、南双方が戦争を終わらせることを希求していたからこそ、終結に持って行けたのだともいえる。戦争を終わらせるまでには、いろいろな障害があるのだから。

 

 少し前、新たな帝国軍三長官による最高幹部会議が開かれていた。議題は、帝国軍の再編成と人員削減の話であった。

 

「基本的には12個艦隊と統帥本部直属の部隊編制とします。現状の兵力から換算するとおよそ7割の戦力となります。本当はもっと削減したいところですが、帝国内の混乱やブラウンシュヴァイク派の残党を考えるとこれが精一杯です。今後、国債の強制引き受けや臨時の戦争税もできなくなりますから、この範囲でやっていくしかないでしょう」

 軍務省の会議室で、統帥本部総長シルヴァーベルヒが報告している。会議室には、帝国軍三長官、つまり、ラインハルト・フォン・ミューゼル元帥、そしてシルヴァーベルヒ、最後に新宇宙艦隊司令長官のアイヘンドルフ元帥がお供の官僚達を引き連れて参加していた。

 

 表情に余裕があるミューゼル、シルヴァーベルヒに比べ、アイヘンドルフと部下達の青ざめっぷりは痛々しいほどだ。先程シルヴァーベルヒが発表した、帝国軍の削減方針は、当然ながら高級士官のポストを削減することになるわけだ。とすると、どこが真っ先に削られるかというと、トップが消えてしまったオーディン軍管区や、旧南軍の艦隊ということになる。旧南軍はともかく、オーディン軍管区でポストを失った士官達の恨みは、宇宙艦隊司令部に向くことになるだろう。

 

 ブラウンシュヴァイク公の行方は未だ不明である。政変のあの日、脱出を図ったブラウンシュヴァイク艦隊をラインハルトは痛撃し、再起不能の打撃を与えた。だが、旗艦ベルリンそのものは取り逃した。そうすれば、ブラウンシュヴァイク公の捜索という名目を手に入れることができるからだ。ブラウンシュヴァイク公は、新政府の停戦命令に従わず、それどころか抗戦した。宇宙の果てまでも探して捕まえる必要がある。それに伴い、一時的、限定的な規制の導入はやむを得ないことである。フェザーンや同盟に対する交渉でも便利に使えることだろう。

 

 

 

 ビデオメッセージの撮影を終えたラインハルトは、オーベルシュタインが抱えてきた山のような書類の決裁に取り掛かった。しばらくはこのような激務が続く。帝国軍はトップとそれを支えるスタッフが一気にいなくなったことで、どこもかしこも仕事が回らなくなっている。スタッフは適宜補充されることになっているが、それまではラインハルト自身が軍務省庁舎の補修稟議を決裁するようなことが行われる。

 

 ラインハルトは書類にいちいちサインしつつ、一つの書類に目をとめた。

 

「……これは?」

 ラインハルトは書類情報をオーベルシュタインの端末に送信した。

 

「ウォルフガング・ミッターマイヤー大佐の昇進に関する書類ですな。統帥本部から認可がおりています」

 

「それは昨日やったでは……ああ、こちらか。これは本人に説明が必要かもしれないな。オーベルシュタイン。ミッターマイヤーを呼んでくれ。二つまとめて説明してしまおう」

 

 

 

「ミッターマイヤーであります。この度は──」

 軍務尚書就任おめでとうございます、と言おうとしてラインハルトに押し止められた。

 

「挨拶はいらんミッターマイヤー。そこに座りたまえ」

 ラインハルトはミッターマイヤーに執務机の前の椅子を指し示した。ミッターマイヤーはゆっくりと腰をおろす。

 

 ミッターマイヤーはどうにも落ち着かなかった。オーディンのクーデターから三か月以上、ミッターマイヤーはずっと新無憂宮の管理人のような仕事をしていた。本来ならすぐに引き継ぎが来るはずだったのだが、代替要員の手配がつかなかったのだ。それに加え、宮廷で不都合が起こると誰もかれもがそれをミッターマイヤーに押し付けた。他の部署が大小の差はあれど混乱している現状においては仕方ないことではあったが、それはミッターマイヤーの仕事量を際限なく増大させた。ようやく、宮内省への仕事の引き継ぎが終わったのは三日前のことである。

 

 ラインハルトの素っ気ない対応にミッターマイヤーは不安になったが、その必要はなかった。

 

「今回の件、ご苦労だった。随分と長い間、苦労をかけてしまった」

 

「いえいえそのようなことは」

 ミッターマイヤーは表面上謙遜して見せたが、内心何を言われるのか不思議でならなかった。しばらく、これまでの任務についてのいろいろな話をした後で、ラインハルトは本題を切り出した。

 

「帝国の一統は成った。政治的にはまだまだ先があるが、それは置いておく。そういうわけで、軍も大きく変わる。内容については卿も知っていると思うが」

 

「軍管区制の廃止とオーディンでの艦隊集中運用ですか」

 

「そうだ。帝国軍は全く新しく、生まれ変わるのだ。そのためには新たな人材が必要だ。ミッターマイヤー、卿には新しい軍で働いてもらわなければならない。旧軍の習慣は捨てろ。軍がやることは大きく変わる。それを吸収し、我がものとするのだミッターマイヤー」

 

「は、はい」

 

「というわけでミッターマイヤー、卿は明日、少将となる。新しいポストは正式決定ではないが、新編成艦隊の編成委員長となるだろう。楽な仕事ではないが、頑張ってほしい」

 

「え、あの……少将でございますか?」

 ミッターマイヤーは混乱していた。

 

「そうだ。何か?」

 

「あの……私はこの通り大佐であります。生者に複数階級の特進無し、は軍の原則であります」

 ミッターマイヤーは肩の階級章を指し示しながら言った。

 

「特進、ねぇ。例外はあると思うのだが。まぁいいオーベルシュタイン!」

 オーベルシュタインはスレート端末に表示されている辞令を読み上げる。ウォルフガング・ミッターマイヤー大佐、本日付で帝国軍准将に任じる。辞令は電子により発行され、階級章は軍務省の人事局にて受領されたし。

 

「ああ、人事局に行く必要はないぞ」

 ラインハルトは机の抽斗を開けて何かを取り出した。准将の階級章だった。まぁ、これを使うのも今日限りなのだがな。

 

 ミッターマイヤーの混乱はさらに大きくなった。いろいろなことがいっぺんに起きて理解が追いつかない。次のポストが新艦隊の編成委員長ということは、編成完了の暁には艦隊司令官に就任することが確実になる。軍人なら誰もが夢見る、皇帝を守護する騎士の一人となるのだ。こんなに早いとは思わなかったが。

 

「編成委員長になるのだから」

 ラインハルトが笑いながら言った。

 

「スタッフは早めに固めた方がいい。一丸となって動けるチームを作るのだミッターマイヤー。有為な人材は少ないぞ」

 

 

 

 それから三日後、6月25日──

 

「ミッターマイヤー少将とは。最初は冗談かと思った。どうやら本当だったようだな少将閣下」

 

「その閣下はやめてくれロイエンタール。まだ慣れないんだ」

 オスカー・フォン・ロイエンタール中佐は一ヶ月ほど前にフェザーンからオーディンに呼び戻され、とは言っても与えられる仕事はなく、暇を持て余していたら、ミッターマイヤーから突然呼び出され、今に至っている。場所は、宇宙艦隊司令部の「艦隊編成研究室」と呼ばれる所だったが、名前に似合わない、矢鱈と広いがらんとした空間だった。無理もなかった。ここは将来、新たに編成される新艦隊の司令部になる部屋なのだから。それにしても、2年前までは少佐だった男が将軍になり艦隊司令官とは!御伽噺が色褪せるというものだ。

 

「今までと全く異なる軍になる。これからの新儀が未来の前例になる、というのが軍務尚書の意向さ。それについていかなければならない。楽ではないな。エヴァンゼリンをアムリッツァから呼び戻せるのは有り難いがね」

 

「それで何の用ですかな」

 

「分からないか?」

 

「部下に忖度させるのは、上官の悪い癖だそうだ」

 

「そうかいそうかい。では俺から言うことにしよう。ロイエンタール、貴様は俺の艦隊のスタッフ、その第一号だ。恐らく幕僚チームの席と副官を兼務してもらうことになるだろうな」

 

「おいおい」

 ロイエンタールは肩をすくめた。中佐の階級を持つ人間が副官をやって、幕僚チームにも席を持つとなると参謀長の立場が無くなるではないか。

 

「いつまでも貴様が俺の命令を聞くとは思っていないんだ」

 ミッターマイヤーは話し出した。副官はとっかかりで、すぐに分艦隊を率いることになるだろう。場合によっては艦隊司令官まで一直線かもしれない。とにかくな、俺は貴様と肩を並べて戦いたいんだよ。いろいろ便利だろうからな。

 

「ご配慮誠にありがたいが」

 ロイエンタールはおどけた。そこまで厚遇されたら、お前の上に立ちたくなってしまうじゃないか。

 

「ご自由にどうぞ。だがな、そう簡単に上に行けると思うなよ。俺だって日がな寝ているわけじゃないんだから」

 

 

 

 同日、オーディン、新無憂宮、民政尚書公邸──

 

「まだ臍を曲げるつもりか」

 

「何度も言ったつもりですわ。5月に卒業資格証明を取ってそのまま帰ってこいだなんてなんて仕打ちですの。別に卒業式に出るつもりはなかったですが、アリッサ姉様の結婚式にも出られないだなんて」

 ヒルダはマリーンドルフ伯の前で不満を並べてみせた。本人にとっては、結婚式に参加できなかったのはよほどの痛恨事であったらしい。

 

「時間がないのだよ。今の一か月は来年の一年よりずっと重要だ」

 

「ずっとそうおっしゃられてましたけど、で、大学卒業寸前の私を呼び戻して、一体何をなさるおつもりなの?まさか、また見合いとか言うんじゃないでしょうね」

 

「それは一時保留だ。とりあえず、お前の就職先を決めてきた」

 

「就職先?」

 ヒルダは訝しんだ。確かに、大学を卒業して何をするかは決まっていなかった。故郷の惑星テレジエンシュタットに帰って領地経営でもやるのかと思っていたのだが、父親には父親の考えがあるようだった。

 

「軍務尚書がな、書類整理の秘書官を探している」

 

「軍務尚書?あのミューゼル様がですか?」

 

「そうだよ。お前にはマリーンドルフ家と軍の懸け橋になってもらうのだ」

 またそれか。ヒルダは心の中だけで落胆した。懸け橋とは体のいい修辞だ。結局見合いと変わらないのではないか。

 

「ああ、だからといって手を抜くのはなしだぞ。ミューゼル様は厳しい人だからな。なめた真似をするとマリーンドルフ伯爵家が侮られる。それにな、これはまだ内々の話だが、ミューゼル元帥にどこぞの門閥を継承させる話があるらしい。来年には我々と同格だ。いや、より上の爵位かもしれない。向こうもまんざらではないらしいからな」

 

「そうなのですか」

 ヒルダは驚いた。ラインハルト・フォン・ミューゼルという人はそういう爵位とか門閥とか、そういうのを嫌っていると思っていたのだが。

 

「もし橋渡しというのであれば、統帥本部だと思っていましたわ。あそこにはシルヴァーベルヒ様もいらっしゃいますし、ラインフォルトとも直接繋がれます」

 

「おいおい」

 マリーンドルフ伯はヒルダの前でひらひらと手を振った。

 

「お前は私の一人娘だぞ。過労死させに送り込む人間がどこにいる」

 父親の言葉にヒルダは苦笑した。ひどい物言いだが、評判から考えるとまぁそんなものか。

 

「というわけでお前を早々に呼び戻したのだ。愚図愚図していると秘書官の席は埋まってしまうからな。ヒルダ、近くでラインハルト・フォン・ミューゼルという人物をよく観察するのだ。興味深い人物であることは間違いないぞ」

 

「それはそうですわね」

 ヒルダはそう応じると、マリーンドルフ伯が淹れた紅茶に口をつけた。お父様は随分と研究したと主張しているが、私から見るとまるで上達していない。今度シャロンを呼んで紅茶の淹れ方を指導してもらった方がいいのではないか。いや、訓練してもらうのは自分の方かもしれない。ミューゼル元帥の好みはどうなのかしら。

 

 

 

 宇宙暦799年8月15日 フェザーン宇宙港、宇宙側待合室に戻る──

 

 話すことのなくなったヤンとフレデリカは、互いにスレート端末を眺めつつ時間を過ごした。ヤンのスレート端末には、最近就役した新型戦闘艇母艦の話題が表示されていた。一番艦が「ラザルス」と命名されたこの母艦は、搭載する戦闘艇の7割が完全自動操縦の無人戦闘艇になるらしい。残り3割の有人戦闘艇は、この無人戦闘艇を「指揮」する立場になるそうだ。

 

「カリンが言っていたのはこれか」

 ヤンは独り言を言った。あの結婚式の後、カリンは慌ただしくフェザーンを去って行った。なんでも戦闘艇学校で再教育を受けるということで、その後は戦闘艇部隊に転属するとは聞いていたけど、こんな仕事になるとはね。うまくやってくれるといいが。

 

 パトリチェフとムライはそれぞれ昇進し、フェザーンの同盟大使館に残った。ただ、パトリチェフの方は負傷した脚の回復が思わしくなく、荒事からは引退することになったそうだ。プライス大尉以下の特殊作戦グループも壊滅状態だから、特務支援課は新たな活動の場を模索することになりそうだ。三日前の送別会で、冗談交じりに第八艦隊に何かポストを用意してくれませんか、とそう言われたのだが、もしかしたら結構真剣な話だったのかもしれない。

 

 そんなことを考えていたヤンであったが、スピーカーからチャイムが流れてきたのに気が付いた。

 

「ご案内致します。ネオユニヴァース通運、サウンズオブアース号、只今より搭乗のご案内を開始致します。ファーストクラス、ビジネスクラスのチケットをお持ちのお客様、27番ゲートにお越しくださいませ。繰り返します、ネオユニヴァース通運、サウンズオブアース号にご搭乗のお客様──」

 

 スピーカーからアナウンスが聞こえてきた。ヤンとフレデリカが乗船する宇宙船の搭乗案内が始まったのだ。

 

「惜しかった」

 結婚式のことを思い出していたらしいフレデリカが言った。

 

「どうしたんだい、大尉」

 ヤンが努めて明るく、声をかける。

 

「アリッサさんやシャロンさんとは、もう会うことがないんだと思うと、そんなことを考えてしまいました。戦争なんてなければ、いつでも会いにいけるのに」

 

「だったら大使館に残ればよかったのに。そういう話もあったんじゃなかったのかい」

 

「そういう話じゃなくて!」

 フレデリカの反応に、ヤンは目を閉じた。まぁフレデリカの言うことは間違っていない。戦争とはかけ離れた戦争、それでも五十年は続いたこの奇妙な戦争(ファニー・ウォー)。でも、それは終わってしまった。我々が立ち向かわなければならないのは、命の奪い合いとなる本物の?戦争となるだろう。一体それはどれだけ続くのだろうか。というかこれから先、戦争が終結することなどあるのだろうか。もしかして、あのシュヴァルツァー大尉と刀を交える時が来るかもしれない。戦争の世の中には無限の可能性がある。ろくでもないことだが。

 

「でもさ。本当に帝国と同盟が和議を結ぶ可能性がある、そう信じているのならば、君は軍服を脱いでそれにチャレンジするべきだと思うよ」

 

「中佐は信じていないのですか」

 

「何を?」

 

「帝国と同盟が手を取り合う可能性を」

 

「どうだろうかね」

 いつの間にかラウンジはヤンとフレデリカ以外、誰もいなくなっていた。乗船できるようになったのだからある意味当然だが、まるで二人の密談の場を作ってもらったかのようだ。

 

「もし和議を結ぶならばだ。早めにやったほうがいい。まだ誰も死んではいないからね。でも、戦が始まったら、しばらくは無理だろうね。敵と味方、どちらもが戦争に熱中してしまう。疲れ果て、失うものの大きさに気づくまで待つしかないだろう。でも、チャンスは常にあると思うよ」

 

「じゃあ、中佐は何故チャレンジしないんですか」

 

「それは、まぁ」

 ヤンは頭をかいた。手についた抜け毛の一本が白くなっているのを見て顔をしかめる。これから先、白髪が増えるなんて御免だなぁ。

 

「面倒臭いからね」

 

「面倒臭い?」

 

「だって、中佐風情が帝国と和議なんて言ったって、誰も話を聞きやしないだろう?そもそもだ大尉。何故、私に何でもやらせようとするんだい?」

 

「それは……」

 

「それは?」

 

「……中佐がやれば、世の中が面白い方に転がるから、そう思うからですよ」

 

 ヤンはフレデリカがこちらに表情を見せないようにしていることに気づいていた。だがヤンがフレデリカの「本心」に気づくことはなかった。どうして誰も彼もが自分をおもちゃにしたがるんだ、そう憤慨さえしていた。

 

 ヤンは立ち上がると、手提げかばんを持って搭乗ゲートの方へ歩き出した。フレデリカの表情を確認することもないままに。

 

<銀河英雄伝説 ファニー・ウォー 完>

 

 

 





 長々とお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
 厚くお礼申し上げます。



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おわりに

 

 どうも。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

 いやー、長い長いこのシリーズもやっと終わりましたです。終わってみたら50万字ということで、文庫本4冊ぐらいですか。めっちゃ長いですね。

 

 どういう動機でこんなものを書いたかについては、大体前の後書きで書いたので、参考にした作品をちょっと紹介したいですね。あと私なりに登場人物の短評なども書きます。あと、これからやりたいことも。

 

 

【お世話になった作品群】

 

 PBM銀河チェス(参考:http://pbmls3.web.fc2.com/2015masterNote.pdf)

 

 ご存じの方はご存じとは思いますが、数年前に、銀英伝を題材としたPBMのゲームがありましてですね。私の知り合いも何人か参加しておりました。このゲームは、何人もの参加者を集め、銀英伝の作中の人物をロールプレイしてもらいます。当然ながら、帝国と同盟に分かれます。そして、与えられた情報を基に自分なりの物語を紡いでもらうというものです。詳しくは参考URLをご覧ください。

 

 で、いろいろ小ネタを拝借させて頂きました。まぁ、参加者にはすぐ気づくものでしたけどね。参加者の方で、本作品を読んでいただいた方もいらっしゃったそうで、汗顔の至りであります。自分はプライベートで時間がなかったので参加できなかったのですが。

 

 

 同盟上院議事録~あるいは自由惑星同盟構成国民達の戦争~ 作者:兵部省の小役人

 (URL:https://syosetu.org/novel/239075/)

 

 多分、本作をご覧になった方はこちらもご覧になっているものと考えております。ポリティカルな部分はかなり参考にさせてもらいました。まぁ、コア・セクターとアウター・リムという言葉はスター・ウォーズから頂きましたけども。

 

 銀英伝Ⅳでは、地方の星系の衰微っぷりは目を覆うものでした。まぁ、帝国が攻めてくるから発展のしようがないのです。

 

 

 

【登場人物について】

 

 

 ヤン・ウェンリー

 

 御存知このお話の主人公。少佐どまりの男が本当に少佐どまりで、それで軍のキャリアが終わりかと思いきや仕事上のトラブルでフェザーンに飛ばされてしまい、そこでもっと大変な騒動に巻き込まれてしまいます。

 

 洞察力、観察力は有り余っていますが、原作で出てくる所謂「戦場の霧が効かない」チートスキルについては、この場で出てくることはありませんでした。原作では上に物申すか、部下に命令を出すかのどちらかで、「首より下は価値がない」とすら言われていましたが、この作品では他人に振り回され、汗かき足を運び、肉体派の仕事をこなさなければなりませんでした。最後にライフルを使うシーンもありましたが、当たったかどうかは分かりません。右も左も分からない世界で悪戦苦闘、時にはボケ役もやらざるを得ないヤンはどうだったでしょうか。

 

 個人的には第二章で異世界体験をしているヤンは結構好きでした。他人にあっさり騙されるヤンは他ではあまり見られないものと自負しています。第三章は「不敗の魔術師」、その片鱗をほんのちょっと見せてくれたかもしれません。あれから艦隊勤務に転身するところでこの話は終わりになるんですけど、宇宙艦隊という異世界でまたいろいろと揉め事に首を突っ込まざるを得ないのでしょうね。でも他人の苦闘を鼻で笑って傍観するようなところはあまりないかなぁ。この世界のヤン・ウェンリーは。

 

 士官学校時代のネタを少し用意していたんですけど、それを出す機会はありませんでした。戦史研究科戦場心理学専攻、卒業論文は「ベトナム戦争テト攻勢における群集心理と戦略に与えた影響」とかそういうの用意してたんですよ。

 

 

 ラオ

 

 結局第一章以外では出番はありませんでしたが、ヤンの推理を組み立てる上での立派なワトソン役を果たしてくれました。あれからヤンの後を継いで立派な総務課長になってくれたのでしょうか。でも、平時から戦時に切り替わって、ヤンと再会する時は思っても見ない所で出会うのかもしれません。

 

 

 ユリアン・ミンツ

 

 原作とは全く異なる出会いと別れだけど、原作と同じく運命の交差は存在する、という本作品のコンセプトを真っ先に果たしてくれたショーオープナーでした。母親はいないけど、父親はいるし、立派なフライングボールのプロ選手になったでしょう。久保建英、大谷翔平のような。カリンとの接点があるかどうかは……わかりません。

 

 

 オリビエ・ポプラン

 

 恐らく、原作のような戦乱の時代でしか生きられなかったキャラで、今回の世界では肩身の狭い思いをしていたでしょう。もう少し生きていれば、無人戦闘艇の戦闘妖精(シルフィード)達を率いる仕事ができたでしょうか。そういう生き方はポプランに合っていたのでしょうか。

 

 

 リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン

 フリードリヒ4世(本作品ではフリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム)

 

 元ネタを練る時に一番か二番にやりたかった人物ですね。二次創作で絶対ないと断言できる組み合わせだったので。もしフリードリヒ四世が転生人物だったとしたら、さっさと帝国を捨てて亡命するというのはアリなんじゃないか、とは思いましたが、本作の世界では亡命したから帝国と縁が切れるかというとそうじゃない、というのが基本設定にありました。多分、全員が全員そうじゃないですが、帝国と同盟、亡命を繰り返す人居ると思いますし二重国籍もやろうと思えばできる。ということは、帝国にとって本当の危険人物は、同盟に逃げても消されるリスクがあるということなんですよね(同盟の場合は、帝国に居る協力者にやらせるでしょう)。

 

 こちらの調査では、灰色計画事件当時グリンメルスハウゼンは78歳、フリードリヒ四世は60歳だそうで……こう見ると、結構グリンメルスハウゼンは年上なんですね。放蕩王子の面倒を見る原作のグリンメルスハウゼンはどういう人物だったんでしょうかねぇ。やりたい放題している殿下の面倒を見るのは、中年になってアラフォーになったグリンメルスハウゼンなわけですから。

 

 

 クリスチアン

 

 第六話でちょっと出させてもらいましたけど、原作では武力を笠に着る戦争狂みたいなキャラでした。じゃあ戦争がない世界だとどうなるかというと、なんかああいう悪徳警官というか、要注意団体とも付き合いがあって、なぁなぁで抑えて大事にしないとか、そういう存在になったかもしれません。もっとどす黒い悪徳役人にしてもよかったんですけど、悪役書くの下手。自分が。

 

 

 フレデリカ・グリーンヒル

 

 第二章以降のヤンの副官的存在(副官ではない)。でも第一章のラオのような、ワトソン君的役割は果たしません。本作品では、ヤンがボケ役をやりツッコミ役もやらなければなりませんから、それを受け止めたり、逆にボケる役を用意しなければなりません。フレデリカにはそういう役割を担ってもらいました。原作では、所謂ボケとツッコミは対ヤンではあまり頻繁ではなく、むしろ対ユリアンでそういう関係が成立していたように思えます。

 

 で、フレデリカを出すに関して一番困るのは「エル・ファシルの馴れ初めがない」ことですよね。原作は、あれでフレデリカの行動指針を決めているところがありますから(フジリュー版銀英伝なんてまさにそれですし)。

 

 出すにしてもどうやってヤンと接点を持たせるか、もしそれができないなら出すのをやめるか、でも出したいよねぇ。読者も期待しているし。で、考えたのがドワイト・グリーンヒルを超親馬鹿にして、親の意向で箱入りで育てられたフレデリカ、でも外ではじけたいフレデリカの願望を知らず知らずのうちに叶えてしまうヤン・ウェンリーという構図ができました。

 

 フレデリカ・グリーンヒルは、石黒版アニメ、DNT、道原かつみ版アニメ/漫画、フジリュー版漫画、全部違っていてそれがまた面白いところですね。でも、本作ではキャラの作り方を原作と変えなければならなかったので、感想欄にも書きましたけど土台となるキャラを他作品から持ってきました。『ウマ娘 プリティーダービー』のミホノブルボンなんですけどね。だから、空気を読まずに思わず口が出ちゃうキャラになりました。もしかしたら、どこかでヤンに「ふぇーではありません」と尻たたきするフレデリカがいるかもしれません。

 

 

 ムライ

 

 フェザーン編で一番反響の大きかったキャラになりました。まぁ当然ですね。キャラ崩壊どころの話ではありませんでしたから。

 

 フェザーン編というのはつまりはスパイもの。でも、ヤン自身は全くの素人で経験も何もない。というわけで、ヤンを振り回して活用する人物が必要でした。で、恐らく原作でも本作でもあまり立場の変わらなさそうなムライを抜擢したわけです。ムライのキャラデザをするにあたり、いろんなキャラからネタを取ってきました。シャーロック・ホームズしかり、攻殻の荒巻課長しかり、戦闘妖精雪風のジェイムズ・ブッカーやリディア・クーリィとか、Fate/stay night(最近は単にFateと書くとFGOの意味になるらしい)の言峰綺礼とか。あ、もちろん原作もそうですよ。

 

 でもムライの立場って結構危うい。大使館の非合法活動に投入する軍事力を持っていて、独断専行やるし、台詞はCall of Dutyのジョン・プライスをパクってるし(一部だけですが)、この世界のムライは特殊部隊のリーダーとして非合法任務をやっていた過去があってもおかしくないですね。実は、螺旋迷宮のムライも、本当はああいうキャラだったかもしれません。

 

 

 ラインハルト

 

 おかしいなぁ。この作品では脇役のはずなのに、トップクラスに反響が大きかった人物。

 

 姉上が後宮に行かない。でも貧乏だからそのままだと生活が立ち行かない。下手すると姉上が体を売らざるを得なくなっちゃうので軍隊に行かざるを得なかった人物。まぁ、ラインハルトほどの能力があれば、それを活かさないと国そのものがやっていけないのが当時の北朝でした。国がどんどん個人に権力を売り渡し、買った方は好きなようにそれを使うという体制なのでラインハルトがどれだけ栄達しようと周囲が何かを言うことはありません。おまけに、ラインハルトを庇護する有力者まで居るので原作とは正反対です(まぁ、原作でラインハルトを庇護していたのは、何故か本人の得意な前線勤務に出して、何故か軍功を掲げたら昇進させる帝国軍というシステムだと思うのですが。辺境惑星で倉庫のコンテナを数えさせる仕事を二、三年やらせておけば勝手に腐るのに)。

 

 本作では結局それが出てくることはありませんでしたが、多分この世界のラインハルトは原作よりずっと強いんですよ。屈折がなくて美学を表に出さないでしょうからね。だとするとライトノベルの主人公としてはちょっと適していないかもしれない。この世界のラインハルトは、回廊の戦いなどやらないでしょう。干殺しにできるなら平然とやります。

 

 この世界のラインハルトは宇宙を手に入れられるでしょうか。それは分かりません。原作と比べて不利な要素は積み重なり、有利な要素は少ないです。でも、長生きはして欲しいなぁと思います。晩年、孫がリヒテンラーデの伝記を読んでるのを見て、それを咎めるでもなく「学のある人だった──真の愛国者だった」と呟いたりしたら、めっちゃエモくないですかねぇそれは!

 

 

 キルヒアイス

 

 本作がキルヒアイスの死で終わるのは、まぁ最初からそういう構想だったので、それはそれで仕方ないのです。後方から刺されて死ぬのも最初から決まってました。『ニーベルンゲンの指輪』でそうなってますからね。

 

 銀英伝という世界を鏡写しにした本作世界、その歪みを一身に背負った存在です。ラインハルトが陽ならキルヒアイスが陰を背負う、そういうルールが最初にあるのです。原作だとキルヒアイスはラインハルトをコピーした存在なのですが(だからオーベルシュタインがそれを警戒するんですよね)、本作ではその心配はありません。むしろ、キルヒアイスがオーベルシュタインを上手く使いこなす。だから、キルヒアイスの死後、オーベルシュタインは特に苦労することなく、ラインハルトの参謀長として活躍することになるでしょう。トップにとって必要不可欠なナンバーツー、そしてトップには絶対になれないナンバーツーです。

 

 で、キルヒアイスは戦闘のセンスが全くないんですけど、陰謀とか情報工作のスキルはチートレベルです(でも最後あんなのに引っかかってしまったのは痛恨事)。そういう能力持ちがアンネローゼにベタ惚れなわけで……多分ろくな結末にならないだろうなぁ、と思った結果ああなりました。キルヒアイス側もオン(仕事)とオフ(プライベート)の切り替えをちゃんとやらなければならないし、アンネローゼ側もオンのキルヒアイスを見ないようにする努力が必要かもしれない。

 

 

【今後やりたいこと】

 

1、書き直し

 

 結構、前後と噛み合わない箇所とか説明不足の箇所とか、単に誤記とかあったりするので、それをチェックして読みやすくしたいですね。資料と突き合わせると間違っていたりするかもしれないので、それを直したいです。

 

2、外伝

 

 もともと刑事ものを指向していたのに、第二章から脱線してしまっていたのでそれを埋めるものを書きたいと思います。書ければ。例えば以下のような。

 

 あり得ないことが起きる。それが世界だ──

 

 憲兵中尉ヤン・ウェンリーの事件簿

(1).クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーの死

(2).彼岸花(リコリス)の少女

(3).sweet sugar nightmare

 

 まーた題名だけ考えて他何も考えてない……

 

3、エタっている他の作品を再開させるか、新作

 

 銀英伝か、それ以外の作品か、やってみたいです(熱意だけ)。構想はあるけどまぁ実行に移すのは難しいのですが。この作品がここまで来れたのも皆様のお力添えあってのことですからね。イゼルローン要塞の建設から破却までの話とか、そういうのとか。構想はあるんですけどね。

 

 



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外伝1 憲兵中尉ヤン・ウェンリーの事件簿
外伝第一話 クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーの死(上)


 宇宙暦788年12月、タナトス星系 惑星マスジット──

 

 タナトス星系の行政府がある惑星。中核星域南方部に所属し、リオヴェルデ、トリプラ、エリューセラ星域と接続する。行政府の正式名称はマスジット連邦共和国。人口は8600万で隣接星域には劣る。同一星域にはもう一つの惑星エコニアがあるが、可住化が遅れているために、行政機能はマスジットに委託している。産業は、農業、鉱業(特殊合金用原料が豊富に産出する)、観光等。

 

 

 

 ヤンは端末の惑星案内アプリを閉じると、メールをチェックした。何もなし。座学研修の資料は、もう十回以上読み返した。周りにいる士官や下士官達は働いていることはいるのだが、緩い空気が蔓延しているのはヤンでもわかる。経済成長の緩い、なんにもない星系ではこんなものか。ヤンは勝手に想像した。

 

 端末の情報閲覧アプリを再度立ち上げると、部内回線から憲兵隊本部の情報を呼び出す。マスジット星系憲兵隊本部、その下にあるマスジット星系防衛軍(但し、実体は同盟軍第三艦隊)付憲兵隊、その下にあるアヤソフィア憲兵分隊本部(警察で言う所の警察署にあたる。ちなみにアヤソフィアというのは、マスジットの行政首都の名称)、憲兵分隊本部刑事局第三課、そこまで来てようやく出てくる。書記官補、ヤン・ウェンリー中尉の名前が。

 

 今のヤンは何者でもない。木っ端役人という言葉すら似つかわしくない。それもそうだ。士官学校を昨年卒業し、ハイネセンで一年間の専門教育と実地研修を受け、つい一か月前にここマスジットに着任したばかりなのだから。憲兵中尉の肩書きすら大仰に見える。それが今のヤン・ウェンリーである。少尉から中尉に昇進したのは、別に功績を挙げたとかそういうことではなくて、士官学校を卒業し、専門教育を受ければ全員が昇進するのだ。ヤンにとって士官としてのキャリアのスタートは、中尉から、ということになる。

 

 で、この一か月で何をしたかといえば、指導役の先輩についていく(ついていくだけ)、掃除、挨拶回り、事務の下士官兵からの頼まれごと、オンラインの研修、そんなところである。指導役の先輩(名前はまだ覚えられない。長すぎて読みづらいのだ)は、ヤンを指導するというよりは、後をついていればそのうち何とかやってくれるだろう、そういうスタンスだった。

 

「憲兵は永遠のドサ回りだ。どこでも歓迎はされない。だが、軍隊でも法律は必須であるが故の宿命だ。公正な立場で仕事にあたる、そのために転勤は必須なのだ。それを肝に銘じるように」

 

 憲兵の専門教育課程で、教官の一人が口にした言葉である。だからこそ、ヤンがタナトス星系という、いまいちな星系に飛ばされたとしてもそれを恨みに思ってはいけない、というわけだ。もっとも、ヤンとしては田舎に飛ばされることは別に何ともない。家族や恋人がいるわけでもなく(それでもジェシカ・エドワーズと離れるのは惜しかったが)、都会でないと生きられないというわけでもない。だが暇すぎるのも考えものだ。

 

 あと10年──

 

 10年辛抱すれば、退役しても恩給が貰える。もちろん、恩給だけでその後の人生が生きられるわけではないが、不労所得があるとないとでは大違いである。適当な職を探し、日銭を稼ぎながらのんびり暮らす。それがヤンの人生プランである。

 

 そのためには、ここタナトス星系で3年、どこぞの星系でもう3年、最後に別の星系で3年、そんな感じで勤務するのだろうなぁ、ヤンはそんな想像をめぐらせた。軍人で士官ではあるものの、戦うべき相手である銀河帝国は内輪揉めで大忙し。おかげで前線で命の心配をすることはない。憲兵課なら尚更である。まぁ、精々他の兵に恨まれ過ぎないように立ち回る、そこに気をつけていればいい。

 

 この世の中は、なんとも奇妙(ファニー)だなぁ。そう思わざるを得ない。国というものがある限り、軍隊というのは無くてはならないのが基本原則だけど、幸いなことに、本当に幸いなことに、それが無くてはならない状態にはなっていない。第一の幸運は、死の国への扉を開ける寸前に、そこから引き返してきたブルース・アッシュビーの方針である。民力の涵養という名目の下、彼は自分を英雄に持ち上げてくれた軍隊に大ナタを振るってしまった。帝国との国境地帯に大要害を造り、帝国が攻めてこられないようにした。第二の幸運は、帝国の内輪揉めである。先代の皇帝、オトフリート五世の二人の子供、長男のリヒャルトと三男のクレメンツが、次こそが俺の時代と名乗りをあげ、内戦が始まってから二十年以上が経つ。それだけ長い間、互いに傷つけあっているというわけだ。もっとも、二人の功名心や自尊心が肥大化したからそうなった、というわけではない。先代皇帝オトフリート五世が内紛の種を播いたという側面も大きい。財政再建の名のもとに、オトフリート五世は帝国のいろいろな権利を、民間に売り払った。平民の地位の向上を、貴族が面白く思わないのは当然だ。そして、内戦に勝てば、勝者に付いた側は敗者の権益を総取りにできる。これは大きい。そして、だからこそ和解に至らないわけだ。

 

 そういう状況であるからこそ、同盟は経済成長への投資を行うことができている。それは人口の増加と経済力の増強というサイクルを回すことにつながっている。実にありがたいことだ。惑星マスジット最大の産業である鉱業も順調に成長しており、ハイネセンにある鉄鋼会社大手がマスジットに工場を建設するらしいという噂が流れていた。もし話が決まったら、マスジットには莫大な資金が投資されるだろう。いまいち垢抜けないマスジット宇宙港ももう少し洗練されればいいなぁ、ヤンはそう思うのだ。

 

 もっとも、そういう景気のいい話は軍隊には関係ない。そういう公共インフラへの投資の少なくない部分が、国防予算を削って捻出された資金だからである。今日も軍隊は敵ではなく貧乏に耐えつつ日々を送る。トイレットペーパーの使いすぎを注意された時は、ヤンも頭を抱えたものである。少なくともハイネセンではそういうことがなかったから。

 

「中尉、ちょっといいか」

 指導役の先輩(バーベンジャー大尉という名前は後で名札を見て確認した)がヤンに声をかけた。

 

「私、でありますか」

 ヤンは当惑してそう言ったが、他に誰が居ると言われて、引きずられるように会議室に連れていかれた。

 

 

 

「捕虜の死亡診断書?」

 会議室でヤンはそう言った。なんでも、タナトス星系、惑星エコニアに収容している、とある帝国軍捕虜が病死したので、死亡診断書を作成するという任務らしいのである。

 

 随分と妙な話だった。帝国との戦争がなくなって随分と経つのに、帝国軍の捕虜というのがまだ存在するのである。いや、「帝国北軍」「帝国南軍」の捕虜ならわずかながら存在するのである。同盟は、情報収集の一環としてイゼルローン回廊の機雷網を抜け、帝国領内に特殊部隊を送り込むということを結構やる。そして、哨戒部隊をこっそり捕まえて同盟領内に連れてくる。彼等「北軍の捕虜」は、情報収集やさらなる秘密工作の道具となる。南軍の場合、同盟と秘密裏ではあるが協力体制ができている。でも、捕虜という存在がないわけではない。表向き敵国なのだから。

 

 しかし、北軍でも南軍でもなく帝国軍の捕虜となると、帝国が内戦に突入する前から捕虜になっていたということになる。一体何年捕虜生活を送っていたというのか。そして何故自分がそんなことをしなければならないのだろう。捕虜収容所の担当者がやればいいことではないのか。

 

「何、簡単な仕事だ」

 刑事局第三課の課長、ブルックリン少佐はそう言ってのけた。軍の義務として、捕虜が死亡したら証明書と一緒に敵に通知しなければならない。そういうルールなのだ。医師に話をつけて、書類にサインしてもらえばいい。中尉、暇なんだからそういう仕事をやってみたらどうかね。いつまでも座学では退屈だろう。

 

「ところで質問なのですが」

 

「出張の手続きなら総務に聞き給え」

 

「いえ、それもそうなのですが、証明書を作ったら北軍と南軍のどちらに送るのでしょうか」

 

「それを知ってどうする」

 

「課長は知りたくないのですか」

 

「知ってもいいことなどない」

 ブルックリン少佐はそう断言した。そんなことは軍の上層部に考えさせればいいのだ。我々は片付けなければならない問題が山のようにある。そんなことを考える暇はない。いいか、中尉。お前にもじきにわかる。半年もすればな。

 

 ヤンはとりあえず、わかりました、と答えた。ヤンにとってすれば憲兵生活を当たり障りなく過ごすことが最優先事項である。揉め事の種を今、播くわけにはいかなかった。

 

 後を引き取ったのは総務課の面々だった。ヤンに書類の山を押し付け、提出期限を守るように念を押した。出張命令書、移動経費申請書(軍の輸送船を使うより、民間船を使う方が安くて便数も多いのだそうだ)、エコニアでの宿舎申請書その他いろいろ。なるべく急いでそれらの書類を用意すると、総務課より連絡船のチケットをもらい、ヤンは惑星エコニアに旅立っていった。結局、何故自分なのか、そこを聞くことはできなかった。

 

 

 

 ほこりっぽい──

 

 ヤンが惑星エコニアの地に降り立った時の第一印象である。無理もない。可住化(テラフォーミング)が中途の惑星エコニアでは、人類が生存可能な地域はごくわずかであり、そうでない場所は砂漠状態だからである。

 

 可住化に必要なもの、それは人類が生活するのに適切な温度、そして適切な量の水、である。可住状態にするにあたり、まずは温度の調整が行われ、そして水の供給が行われる。この二要素が十分達成されると、後は惑星外からあれこれ介入せずとも可住化が進行する。ごく単純に説明するとそうなる。

 

 だから、水の供給が十分ではない可住化惑星では、人類居住域以外は荒地か砂漠が広がることになる。人が住む分の水は供給されているから、住むことは問題ないが、外部から絶え間なく供給される砂塵には慣れなくてはいけない。それでも居住地が地上にあるということは、可住化は比較的進行しているということでもあるのだが。

 

 ヤンは無人タクシーを拾うと、第一の目的地である惑星エコニアの捕虜収容所へ向かった。道中、その帝国軍捕虜についての情報をチェックする。

 

 クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー

 

 氏名欄にはそう書いてあった。爵位は男爵、大学を出て内務省に入省、地方自治に携わる傍ら22歳で結婚、そのまま内務官僚の出世コースに乗るかと思いきや、24歳で内務省を退職、士官学校のUコース(高等教育を受けた社会人を対象としたコース)に入学。成績はよかったようで、25歳に少佐として情報分析担当の参謀職に就く。さらに28歳の時、彼の運命が激変する事件が待っていたのだった。

 

 ティアマト大会戦(読者に分かりやすいように言うなら「第二次ティアマト会戦」である)──当時、帝国宇宙艦隊で勤務していたケーフェンヒラー大佐は、乗艦の大破により降伏を強制されることになった。そして、ひぃふぅみぃ……43年もの間、捕虜生活を送っていたということである。

 

 ファイルに添付されていた写真は、70という年齢にしてはいささか若い、豊満ではあるが矍鑠たる老人男性のものだった。おや、ヤンは不思議に思った。写真のケーフェンヒラーは、上半身しか写っていないがシャツにネクタイ、ジャケットを着用している。およそ一般的なイメージである囚人服のような格好ではない。背景も白い壁紙が貼ってあるようだ。

 

 まぁ、聞けばわかるさ。

 

 ヤンは端末をしまうと、捕虜収容所に到着するまでの間、しばし昼寝をすることにした。連絡船はどうにも五月蠅くて、眠るのに苦労したのである。

 

 

 

「ここには居ないのですか?」

 捕虜収容所の副署長、ジェニングス少佐に面会したヤンは、意外な事実を聞かされ、そう言い返した。

 

「そうだ。ケーフェンヒラー元大佐は十年前にここを出所している。確か住所はエコニアポリス郊外のペルージアに住んでいるはずだ」

 ジェニングス少佐はそう言って、ヤンの端末を見せろと要求した。ヤンの差し出した端末を見るなり、なんだこれは。何も書いていないじゃないか。最近のマスジットの連中は仕事が雑でいかん。君はブルックリン少佐の部下だって?マスジットの仕事がこれじゃあ先が思いやられるな。

 

 ジェニングス少佐の話を総合すると、そもそも現在のエコニア捕虜収容所は、主に帝国北軍または南軍の捕虜で同盟にとって「価値のある」捕虜を収容しておく場所なのだそうである。確かに43年前、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーはその他大勢の捕虜と共にこの場所に連れてこられて、捕虜生活を始めたわけだが、ある捕虜は帝国に帰り、ある捕虜は同盟に亡命しとその数は減ることはあっても増えることはなかった(戦争がないからしょうがない)。帝国が内戦に突入すると、人的資源が必要な北軍、南軍は捕虜の交換や送還を頻繁に申し入れるようになった。同盟はそれに対し、基本的に応じており、軍の捕虜は急減することになった。

 

 ケーフェンヒラーはその例外といえる存在だった。送還の話に同意することなく、さりとて亡命をする意志もなく、獄を抱き続けて日々を送っていた。状況が変わったのは十年前だった。エコニアの捕虜収容所がその運営方針を転換させることになり、施設の大規模改造が行われることになった。収容所側は、それまで収容していた捕虜に対し──といってもケーフェンヒラー含め数名しかいなかったのだが──帝国に戻るか亡命するか、それも嫌なら監視付きの自活を行うように要求したのだった。

 

 ケーフェンヒラーは最後の選択肢を選んだ。自由に外に出歩くことができ、自由な生活ができる──ように見えて、定期的に所在を報告しなければならないし、エコニアから出ることもできない。だが、ケーフェンヒラーはその生活を楽しんでいるように見えた。というか、捕虜生活も十年を過ぎると、ケーフェンヒラーは模範的捕虜と認定され、定期的に外出することができるようになり、外でレクリエーションを楽しんだり、ボランティア活動を行うことができるようになっていたようだ。もちろん活動内容にはチェックが入るのだが。

 

 ケーフェンヒラーの死亡が報告されたのは一週間ほど前であった。ジェニングス少佐が言った通り、エコニアポリス郊外の小都市、ペルージアにあるケーフェンヒラーの自宅で、巡回の健康診断をしていた医師が死亡しているケーフェンヒラーを発見したそうである。バイタルデータや既往症のデータにより、急性心不全と診断されたそうだが、詳しい話は担当医ではないと分からないとのことである。

 

「では、診断書はその医師に書いてもらうといいのですか」

 

「そういうことになるな。来て早々申し訳ないが、エコニアポリスに戻ってもらうことになる」

 

「分かりました。こちらで調査しますので、もし分からない箇所があったらご協力願います」

 ヤンはジェニングスに一礼した。

 

「お役に立てる事なら何でも。おおそうだ、確か君は収容所の宿舎の借用願いを出していたね」

 

「はい」

 ヤンの返答にジェニングス少佐はうなずいた。私の想像が正しければ、もうここに来ることはない。エコニアポリスのどこかでホテルを予約してそこに泊まり給え。経理部に私の名前を出せば、後で必要経費は精算してくれるだろう。そちらの方が都合がいいはずだ。

 

「ありがとうございます!」

 ヤンは再度大きく礼をした。ジェニングス少佐は意外と話のわかる人らしい。ラッキーだった、ヤンはそう思った。その時までは。

 

 

 

「ケーフェンヒラーさんの死因ですか。あ、ここに入力しておけばいいのですね。あとサイン?分かりました」

 

 ケーフェンヒラーの死亡診断書を書いた人はすぐに見つかった。驚くべきことにケーフェンヒラーの住んでいたペルージアでは、ケーフェンヒラーは一種の名士であり有名人だった。まぁ、可住化が進行するエコニアでは、40年も同じ惑星に住み続けている人は少数だと言っていいだろう。

 

 トゥルビスキーというその医師は、今の今までケーフェンヒラーを帝国軍の捕虜だとは思っておらず、何故か帝国から亡命してきて、こんな辺境の開発途上惑星に住みついている男だと思っていたと言った。でも、人付き合いは悪くなく、近所からの評判も上々。自治会の会長を務めたことがあったそうだ。ペルージアは最近になって人口が増えた場所なので、そう思われても仕方がないというのはある。近隣の住民によれば、ケーフェンヒラー氏は惑星エコニアの生き字引という存在だったそうで、何か困ったことがあればケーフェンヒラーに話を聞きに行くのが定番だったそうだ。

 

「ああそうだ」

 

 死亡診断書の手続きを大体終えたところで、トゥルビスキー医師がこんなことを言い出した。そういえば、ケーフェンヒラーさんに何度も会いに来ている人が居てですね。そういえば最近あまり来ていないですけど。その人からは、ケーフェンヒラーさんについてもう少し詳しい話が聞けると思いますよ。もしかしたら、帝国時代の話も聞けるかもしれないですね。

 

「ほぅ」

 ヤンはトゥルビスキー医師にその人を紹介してもらうことにした。どうせ仕事を早く切り上げてもメリットがあるわけでもなし、それなら少しは面白い話でも聞かせてもらおうか、そう思ったのだった。

 

 

 

「ヤン中尉ですか。トゥルビスキーさんからは話を聞いてますよ」

 エコニアポリスのとある喫茶店で待ち合わせた男は、四十歳台半ばと思われる外見の中年男だった。送信されたデータグラムによると、名前はアルバート・ワイスマン、マスジット自治大学の史学科に所属している職員兼講師だという。

 

「まぁ、担当している講義はあまりないんですけどね」

 ワイスマンは自嘲気味にそう話を始めた。自治大学では実学ばかりが人気があって。おかげで史学科はメインディッシュの添え物のような扱いです。学生からの人気もない。教員資格の単位のために講義を受講している学生がほとんどですよ。

 

「それはいけないですねぇ。賢者は歴史に学ぶ、ですよねぇ」

 ヤンの言葉にワイスマンはうんうんとうなずいた。ヤンも戦史研究科卒業ということもあって話は自然とはずんだ。いつしか場所はビヤホールに移り、互いの研究内容、同盟史、帝国史と話は尽きなかった。

 

「いやぁ、こんな楽しい酒は久しぶりです」

 

「それは私もです。なにせ赴任して一か月ですから。右も左も分からない次第で」

 

「そうですなぁ。もしよろしければ、マスジットの案内をしてもいいですよ。どうですか」

 

「その節には是非」

 そんな会話を交わしてしばらくして、ワイスマンが話し出した。そうそう、言い忘れていましたが、私の研究テーマは帝国史、詳しくは帝国軍でして。それも内戦が始まる以前の帝国軍の構造についてです。ケーフェンヒラーさんの話は興味深いものばかりで、随分と参考にさせていただきました。いずれ論文を書くつもりですよ。実はですね、研究テーマをケーフェンヒラーさんご本人に絞るべきか、結構悩んだのです。

 

「そうなのですか」

 ご本人がいるとこういう話もしづらいのですが、お亡くなりになられたということで、もう話してもいいでしょう。そもそも、何故ケーフェンヒラーさんがこのエコニアに骨を埋めることになったか。そこが非常に興味深い。

 

 そこからの話は確かに興味を惹かれるものだった。内務省に入省し、その年に結婚、そこまでは良かったが、一年もしないうちに伯爵家の子息と妻が不倫関係となり、離婚を要求されたそうである。ケーフェンヒラー本人はそれを拒否したが、向こうは伯爵でこちらは男爵、爵位の差は歴然としていたそうだ。程なくして妻は家を出ていき、伯爵家で同居を始めたということであった。

 

 ケーフェンヒラーはそれでも諦めなかったそうだが、妻が男子を出産したと聞いてある意味心が折れたのであろう。内務省を退職し、軍人に転身したのだそうだ。皮肉なことに、帝国の、それも貴族の結婚制度は杓子定規なところがあり、男性の側が死亡するか、あるいは亡命して帝国の籍を失わないでもしない限り、同意なき離婚はできないそうなのである。

 

「だからケーフェンヒラーさんは帝国に帰ることも、亡命することもなかったわけですか」

 

「人によって評価はまちまちでしょうね。見上げた根性と言うべきか、諦めが悪いと言うべきか」

 ワイスマンはそう答えた。ケーフェンヒラーさんに話を伺う時、どうしてもあのティアマト会戦のことを聞きたくなるんですけど、こういう話も結構面白いのです。本人は面白いとは思っていないでしょうけどね。でも、法制度の話はさておくとして、こういう話に裏付けを取るのは不可能でしょう。帝国に居ても調べられるかどうか。相手は伯爵家ですからね。

 

「でですね。こういう話を聞くときは、ケーフェンヒラーさんに酒をおごるんですよ。向こうもこっちがそういう下心があるのを分かってますから、遠慮なく飲むんです。あの人、結構酒量が凄くてですね。安月給のこちらとしては辛かった。もちろん、その分話してもらうんですけどね」

 そういえば、と、ワイスマンは話を続けた。最近こんな話をちらっと聞いたんですよね。

 

 ヤンはその話を聞いて背筋を震わせた。酔いもかなり吹き飛んだ。ワイスマン曰く、ケーフェンヒラーは捕虜収容所で組織的な横領が行われており、そのことについて証拠を握っているというのであった。

 

 

 

「それ、本当なんですか」

 

「それは憲兵隊の領域だと思うのですが」

 ヤンの問いにワイスマンはそう答えた。酔っぱらいの戯言を真に受けるのは賢明な態度ではありません。そして惑星エコニアでは可住化と捕虜収容所は重要な産業です。この二つしかないと言っていいでしょう。敢えて捕虜収容所を敵に回すと思いますか。もっと具体的な情報があれば話は別でしょうが。

 

「まぁ、それはそうでしょうね」

 確かに、ケーフェンヒラーのような立場に居れば、捕虜収容所で何が行われているか、何を隠そうとしているか容易に把握できるだろう。捕虜収容所の人員は何年かごとに入れ替わるが捕虜の当人はそうではない。収容所そのものに精通しているのは捕虜の方、というのは十分あり得る。外出だってしているのだから、調べる方法はいくらでもあるだろう。収容所側の追及を躱す方法だって心得ているに違いない。

 

 だが、酔っぱらいの戯言だ。今のところはそれ以外の何物でもない。第一、証拠を握っているなら何故それを暴露あるいは通報しないのだろうか。公金の横領という犯罪に興味がないからなのか、それとも通報しても利益が得られないと思っているからなのか(確かにケーフェンヒラーは金銭や名誉というものには興味が薄そうだが)。そもそもこの話が与太話だという可能性も十分あり得る。

 

「だからですよ。捕虜収容所には定期的に監査が入りますから、そこで分かります。事実が明らかになったら、ああ、あの話は本当だったんだと得心すればいいだけのことですよ」

 ワイスマンの答えは確かに当を得ている。もし不正があるならば、それは監査が明らかにすればいいだけのことだ。部外者がどうこう言っても仕方がない。

 

「まぁ、ちょっと変な話をしてしまいましたかね。ケーフェンヒラーさんは、あまり捕虜収容所の内情については話をしない人でした。私もそれは専門外なので聞かなかった、というのはありますが。でも、どうにもこの話が頭に引っかかっていてですね。それで、ヤン中尉はマスジットの憲兵分隊所属ということなのでお話させてもらいました。これをもう少し突っ込むか、流すかは憲兵分隊の判断になるでしょう。中尉が悩むことじゃないと思いますよ」

 

「ああ、そうですね」

 ヤンはうなずいた。

 

「それよりですね、ちょっと話は戻りますが、オトフリート五世の税制改革、あるでしょう?そこに関しても面白い話が出ているんですよ。その後の内戦に繋がる布石が打たれているというか、そんな話です。実はですね……」

 ヤンとワイスマンの話は河岸を変えること三度、結局朝の五時まで続いてしまった。外は寒さが厳しいが、あと一時間もすれば明るくなるだろう。朝まで飲むというのは、マスジット赴任前にジャン・ロベール・ラップと飲み明かした時以来だろう。

 

 大学の職員兼講師、か。ヤンは思った。金に不自由しない、とはいかなそうだが、なかなか面白そうな職業だ。准教授というような、教授の名前がついてしまうと研究成果を挙げることが求められる。仕事だからそれは仕方がない。だが、職員を兼業した講師であれば、そういうチェックも緩そうだ。だから、ケーフェンヒラーという人間にスポットを当てた研究ができるのかもな、ヤンはそう思った。将来の職業として考えても悪くないかもしれない。こちらには恩給があるのだから。だが、まず何はともあれ、目の前の書類を片付けることだ。

 

 ヤンはホテルに戻ると、私服を脱ぎ、軍服に着替えてシャワーを浴びた。コーヒーを飲めば酔いは大体飛んでいく。マスジットの憲兵分隊本部が業務を開始する時刻を見計らってブルックリン少佐に連絡を入れた。

 

 

 

「追加調査ですか?」

 ブルックリン少佐からの命令は思いがけないものだった。

 

「そうだ。ケーフェンヒラー元大佐の死亡通知について、フェザーンの南北双方の弁務官事務所に既に送ってあったのだ。そうすると、北朝の弁務官事務所から問い合わせが来てな、その追加調査を中尉にやってほしいのだ」

 

「それは……いいのですが私で務まりますでしょうか」

 

「四十年以上前の話だ。誰がやったって務まるものは務まるし、務まらないものは務まらない。ならば君がやっても問題なかろう。実際時間はあるし、この調査で一週間潰しても何の問題もない。でも調査でトラブルが起きると方々が迷惑する。そういうわけで君に頼むのだ」

 

「はぁ……」

 ヤンのため息とも判別がつきがたい反応を同意と受け取ったのか、ブルックリン少佐は一つのコミュニケータIDを送信してきた。詳しくはそこと話をしてほしいとのことだった。ヤンがあれこれ質問しようとする前に、ブルックリン少佐は通信を切ってしまっていた。

 

 

 

「自由惑星同盟のヤン憲兵中尉ですね。こちら、ラインフォルト軍人保険フェザーン支社のメッテンベルガーと申します。よろしくお願いします」

 超光速通信(FTL)で通信した先は、帝国北朝にあるとある保険会社の社員のようだった。話によると、帝国の士官は大抵、死亡保険に入っていて、戦死または捕虜の間に死亡すると保険金がおりるのだそうである(同盟の場合は、政府から戦死弔慰金が支払われるため、このような制度はないわけではないが普及していない)。同盟から死亡の通知が来たため、担当の保険会社が調査を行ったところ、データにおかしいところを見つけたとのことだった。

 

「顔がおかしい、ですか?」

 

「はい。軍務省から送られてきたデータと照合しているのですが、似ている似ていないレベルではなく、骨格レベルで人相が違います」

 

「ですが、四十年以上前のデータでしょう?」

 ヤンは反駁したが、メッテンベルガーは引き下がらなかった。大佐で四十年以上捕虜生活を送り死亡、となるとこちらが支払う額も相当なものになります。別に支払わないというわけではありませんが、本人確認はそれなりにさせていただかないと。そちらが送ってきた写真が間違っている可能性があります。なにせ四十年以上前の話ですからねぇ。どこかで話が食い違っていても仕方ないでしょう。

 

「生体情報はないのですか」

 そう聞かれてヤンは口ごもった。ヤンの知る限り、ケーフェンヒラー老人は既に埋葬が済んでいる。それさえなければ遺伝子情報を取得することができただろう。それが必要だからと言って墓を掘り返せるかというと、それは非現実的と言わざるを得ない。裁判所の令状が必要なレベルである。帝国の会社があれこれ言っても認められる可能性はゼロだ。

 

「例えば、過去の写真とかそういうものは。ケーフェンヒラーさんはスマート端末を持っていたのではないのですか。あるいはソーシャルネットワークに個人情報がある可能性は」

 

「ケーフェンヒラーさんの端末は、キャリアからの貸与品で、もう初期化されたそうです。また、ソーシャルネットワークというものを嫌っておられたそうで、ショートメッセージサービスぐらいしか契約していなかったと」

 これについては、ヤンが事前に準備していたことであった。というか、診断書を書くために調査したことに含まれていたのである。ケーフェンヒラー老人が犯罪に巻き込まれていないとは限らないからだ。

 

「では、実地調査ということになりますね。同盟には捕虜の記録というのは残っていないのですか」

 いや、出したそのデータが記録だろう。ヤンはそう言いたかったが、中尉になりたてのヤンは、まだ交渉術というものを十分会得できていなかったことも確かである。それに、ケーフェンヒラー老人に対する興味が湧いてきたという側面もあった。

 

「とりあえずこちらで調査をしてみますが、成果は期待できないかもしれません。クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー元大佐は心不全により死亡、それが今のところの公式見解です」

 

「そこのところは問題ありません」

 メッテンベルガーは即答した。ですが、ご遺族がそれで同意されるかどうかは、我々にも何とも言えません。最近の帝国は、貴族も手元不如意であることが多くてですね。軍人保険の保険金は誰でも欲しがるものです。ごく一部の門閥貴族を除けばですが。もしかしたら、顧問弁護士経由で調査を要求されるかもしれません。そんなことをしても、もらうものより出ていくものの方が多いと思うのですけどね。

 

 メッテンベルガーの話し方から、北朝を支配するとされる大財閥と貴族の力関係が窺えるというものである。

 

「では、良い返事をお待ちしております」

 メッテンベルガーはそう言って通信を切った。ヤンはブルックリン少佐へ通信をかける。

 

 

 

「で、どうしたいんだね」

 ヤンの報告にブルックリン少佐は投げやり気味にそう言ってきた。追加で2、3調査するならまだしも、ケーフェンヒラー本人の情報に疑義が呈され、考えが変わったようだった。どうやらブルックリン少佐は、帝国の保険会社をあしらう役目をヤンに押し付けた、そのつもりだったようだ。帝国がそう言ってきたから調査をしたいのかね。これでも我が同盟と帝国は交戦中だ。隙あらばこちらを殺しにやってくるかもしれない敵のことを聞くのかね。そこまで帝国に義理立てする必要もないだろう。

 

「でも、おかしくはありませんか」

 ヤンは言った。帝国が持っている情報と、同盟が持っている情報が食い違っている。それだけでも何か謀略が進行していると考えるのが筋ではありませんか。

 

「どういう謀略かね」

 

「例えば、我々がケーフェンヒラー老人だと思っていた人は、全くの別人であったと。帝国が情報工作の一環としてすり替えを行ったわけです」

 ヤンはそう言ったが、そのようなことを信じていたわけではなかった。

 

「そのような可能性があるとしたらだ」

 ブルックリン少佐は言った。だとしたら、帝国がこちらの情報調査能力を調査するための謀略、と考える方がずっとまともだ。あれこれ調査して報告してみろ。帝国はその結果を見て、どんなスパイを送り込むべきか決めるだろうよ。

 

「もし帝国がそういう目的で本気なら、保険会社ではなく、弁護士を使ってくるのではないでしょうか。ケーフェンヒラー老人はあれで男爵家の一族です。跡目争いと無縁ではありますまい」

 ヤンはメッテンベルガーの言葉を一部援用して反論した。ヤンとすれば、調査が必要か不要かというより、調査に興味があるかそうでないか、という視点で話をしている。第一、調査を適当に切り上げて戻ったとしても、しばらくは無聊をかこつしかないのである。

 

「なるほどわかった」

 ブルックリン少佐は半ば呆れたように言った。ヤンの言葉を、職務遂行意欲の発露と見なしたようだった。まぁ、しばらくは中尉にやってもらう仕事もなさそうだからな。とりあえず三日間、その間好きにするがいい。だが、定時連絡は欠かすなよ。それと、

 

「経費は使い過ぎるな。ちゃんと経費の規定を読んでおけ。分からなければ総務に相談しろ」

 やっぱりその一言であった。

 

 

 

 翌日、ヤンはケーフェンヒラーの自宅を訪れた。ケーフェンヒラーの自宅は、丁度ヤンがマスジットにて借りている士官用官舎と同じような構造をしていた。寝室と書斎用の部屋が1つずつ、キッチン、シャワー、トイレと洗面所他。3階まである集合住宅の1階に老人の自宅があった。

 

「ケーフェンヒラーさんは本当にいい人でしたよ」

 そう話すのは、集合住宅の大家であるマッケンジー夫人である。家賃は滞納しないし、掃除もこまめにやってくれて、人当たりもいいのよ。70近いって聞いたけど、とてもそうは見えなかったわね。それで独身でしょう?ウチのろくでなしがいなければほっとかなかったんだけどねぇ。

 

「綺麗に片付けられているようですが、どなたがこれを?」

 マッケンジー夫人に少々気圧されつつ、それでもヤンは何とか質問した。ケーフェンヒラーの自宅には私物と呼べるものは全くなかった。書斎として使っている部屋が、壁一面本棚であるので、生前はさぞかし本や資料で埋め尽くされていたのだろうなぁと想像するぐらいである。実に惜しいことだ。

 

「そうそう。十日前ぐらいかしら。ケーフェンヒラーさんが亡くなったのが分かって、どこからか兵隊さんがやってきたのよね。捕虜収容所から来たって言ってたけど。で、私物をみんな箱に入れて持って行ってしまったのよ。何でもケーフェンヒラーさんは帝国軍の人で、軍にとって大事な捕虜だったんですって?その時初めて知ったのよね。てっきり亡命した人だと思ってたのよね。まぁ、いずれにせよ、こちらとしては有り難かったわ。最初どうやって片付けようか悩んでいたから」

 やはり資料類で足の踏み場もなかったということか。それにしても収容所が何故出てくるのだろうか。

 

「あの、その軍人から名前を聞きませんでしたか?あるいはデータグラムを受け取りませんでしたか」

 ヤンの質問にマッケンジー夫人は、ああそういえばと言って、スマート端末を取り出してヤンに見せた。エコニア捕虜収容所第7警備分隊 ジャック・ギルフォード中尉、とあった。年齢はどれくらいですか?中年の男性。軍人はどれくらいいましたか?4、5人ね。なるほど。私物というと、食器とかはどうされましたか?そういうのは置いていった。コミュニケータやスマート端末はどうしましたか?置いていった?そうなんですか。

 

 ヤンは首をひねった。そういう端末は情報の宝庫のはずで、情報が欲しい時にそこを押さえないのはどういうことか。ただ、他人のコミュニケータを理由もなく持ち歩くのは、それはそれで剣呑な行為ではある。でも捕虜収容所が捕虜の資産についてそんなことを考えるだろうか?

 

 

 

「ジェニングス少佐が不在?」

 捕虜収容所に問い合わせたヤンは、思いもしない回答に面食らった。副所長のジェニングス少佐は、突然所用と称して出て行ったそうなのだ。行先も用事も何も告げずにである。

 

「いつ頃戻られるのですか?」

 ヤンは聞いたがそれも分からない、という回答だった。この捕虜収容所以外大したものがない惑星において、行先も用事も言わずに出かける用事とは何であろうか。愛人の所に通う時だって、堂々と言ったって問題はないだろうに(もちろん、奥さんには隠しておかなければならないが)。

 

「こちらはとある調査業務に従事しておりまして、エコニアの捕虜収容所に収容されているとある捕虜についてです。ジェニングス少佐は、ここに勤務して長いそうですが、同じようにここに精通している人とか居ませんでしょうか」

 ヤンはダメ元で受付に聞いてみた。受付は、調べてかけなおすので待つようにと言って通信を切ってしまった。ヤンとしては、収容所からイエスかノーの答えを早くもらいたかった。そうでないと、捕虜収容所行きの公共バスに乗れないからである。そうそう経費を無駄遣いするわけにもいかないのだ。

 

 収容所からの返信は三十分後にあったが、結果はノーだった。ヤンとしては残念だったが結果オーライと言えないこともなかった。収容所行きのバスは数分前に出てしまっていたからだ。となると、別の方面から調査を進める他はない。

 

 

 

「ケーフェンヒラー老人の資料ですか?もちろん見たことありますよ。本棚にぎっしりとファイルや資料を詰めていましたなぁ」

 幸いなことに、ワイスマン氏とは簡単にコンタクトを取ることができた。ワイスマンもエコニアに用事があるらしく、二、三日はここに居るとのことだった。ヤンが知りたいのは、ケーフェンヒラー老人が生前どのような活動を行っていたのか、ということである。それは帝国の保険会社への回答にも繋がるし、自身の知的好奇心を満たすことにもなる。どちらかというと、後者を達成することの方がヤンにとって重要だった。

 今回の会談は、ケーフェンヒラー老人が好きだったというステーキハウスだった。別にケーフェンヒラー老人は健啖家というわけではないが、付け合わせ用に置いてあるソーセージと帝国産のビールで結構な時間粘ったそうなのである。

 

「それで、ヤン中尉が今日訪ねて行ったら、何もなかった、と。それは奇妙なことですねぇ……と言いたいところですが、それは詐欺か何かじゃないでしょうか」

 

「詐欺ですか?」

 あるいは白昼堂々窃盗をやったというべきか。独居老人が死んだという話を聞くと、そういうハイエナがやってくることがあるらしいんですよ。金目のものを根こそぎ持っていくというか。大家もそれに協力してしまうことがあるんだそうですよ。引き取り手のない私物を無料で持っていくというのは願ったり叶ったりですからね。

 

「でもおかしいですよ。コミュニケータやスレート端末はそのまま置いていったそうですよ。真っ先に狙われるものが何故放置されるんですか」

 ヤンがそう質問すると、いや、中尉殿は憲兵になってまだ間もない。まだ分かっていないですねぇとワイスマンは答えた。確かに、コミュニケータや端末類は金になる。だからこそ、それが判明すれば治安警察が動くじゃないですか。そうなると途端に身動きが取れなくなる。結構な確率で逮捕もされるわけですよ。でも、紙の束はそうじゃない。それに価値があると思っているのは、それに気づいている人だけです。本人か、詐欺師ですよ。そんなものが無くなったって誰も気にしないですからね。惑星エコニアは産業がない。だから治安も悪くなりようがないんですよ。こんなところですぐ足がつく詐欺なんてやれないですよ。

 

「なるほどなぁ」

 確かにそれは迂闊だった。ヤンは己の不明を愧じた。悪人が生き残る時、それはその人なりのリスクヘッジがあればこそ、というわけだ。

 

「ところで、ケーフェンヒラー老人は、一体何故そんなにしてまで資料を集めていたんでしょうか」

 ヤンは聞いた。そもそもケーフェンヒラー老人が何に情熱を傾けていたのか、それに関して何ら情報がないのである。

 

「ティアマト会戦のことですね」

 ワイスマンは天井を眺めながら答えた。何か、あのご老人は、自分の人生を振り返るような、そんなことをしていました。自分と同じく捕まった捕虜からの聞き取り調査もやってたようですし、同盟の元軍人から話を聞いたりしていました。もちろんオンラインでですよ。だから、近傍の星系に居る人しか話を聞けなかったのではないでしょうか。そういえば、ケーフェンヒラー老人の手帳を見ましたか?おや、なかった。確か、一度見せてもらったんですよ。アルフレッド・ローザス大将のサインをですね。たまたま、ローザス大将が視察に訪れた時に貰ったと言っておりました。他にも、いろいろ集めていましたよ。ケーフェンヒラー老人はその時大佐でしたから、当然、帝国軍側の幹部なわけですよね。参謀として、艦隊司令官とも付き合いがありました。流石に、最高幹部とは付き合いがないのですけど、ティアマト会戦時は、あのコーゼル大将の艦隊に勤務していたそうですね。

 

「コーゼル大将ですか」

 ヤンは目を瞠った。コーゼル大将といえば、当時珍しかった平民出身の大将で、その剛毅さ、大胆不敵さで同盟にもファンが多い。ティアマト会戦を題材にしたドラマでも、帝国軍の勇将といえば真っ先にその名前があがる。冷静沈着な智将シュタイエルマルクと共に、ヴィランとして非常に目立つ存在だ。

 

「丁度、コーゼル大将の艦隊に転属になって、最初に臨んだのがティアマト会戦だそうです。コーゼル大将は戦死してしまいましたから、上司部下の関係はそれほど長くなかったんですけどね。で、転属する前に居た艦隊が、クリストフ・フォン・ミヒャールゼン提督の艦隊だったそうです」

 

「ミヒャールゼン提督……ですか」

 ヤンは首をひねった。いかに歴史好きのヤン・ウェンリーといえど、帝国軍の高級将校を全員覚えているわけではない。

 

「マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター元提督と個人的な交流があった方ですよ」

 その言葉にヤンは、ビールグラスを取り落としそうになった。

 

 

 

 マルティン・オットー・フォン・ジークマイスター。

 

 もちろん、名前から帝国人であることは自明なのだが、大抵は「元帝国人」として知られている。帝国騎士の家に生まれ、軍官僚として出世し大将の位まで昇った。そして、当時は機雷堰もないイゼルローン回廊を十日間かけて通り抜け、自由惑星同盟に亡命したのである。その冒険行も有名だが、ジークマイスターが何でもって知られているか、というとブルース・アッシュビーの外交面でのブレーンとしてである。ブルース・アッシュビーが、ティアマト会戦で重傷を負い、奇跡的に復帰した時、同盟軍は帝国に対し攻勢に出るか、守勢を続けるかの二つの選択肢があった。選択したのは後者であったのだが、ジークマイスターの献策があってのことだとされている(もっとも、現在においても諸説はある)。

 

 このジークマイスターには裏の顔がある。銀河帝国に対する諜報網の元締めである。もちろんアッシュビーもジークマイスターも、730年マフィアの面々も認めたことはないが、ジークマイスターがティアマト会戦より前から、アッシュビーに対して帝国内の情報を流していたと思われる状況証拠がいくつか提示されているのも事実であった。

 

 アッシュビーをアッシュビーたらしめていた男、陰に隠れたキーマン、ジークマイスターという人間を語る時、そういう言い方がよく使われる。

 

「ケーフェンヒラーさんは、何か宿命じみたものを感じていたようですね。長い長い捕虜生活、自分の生きてきたこれまでの道、そこで出会った人々が織りなす歴史。それをまとめあげることに生きがいを感じている、そんなことを話しておられました。私も、聞かれたんですよ。こういう資料はないか、とか。確かにハイネセンでは手に入るかもしれませんが、ここはエコニアですからねぇ。通販も万能ではありませんし。それでですね……」

 

 ワイスマンとの話は、予想通り脱線した。双方とも歴史好きだけあって、一度脱線すると元に戻ることは難しい。その後、ティアマト会戦前後の同盟政治について延々と討論が行われ、結局そのビアレストランの閉店まで粘ることになった。

 

 さすがにその日は徹夜飲みにはならなかった。ヤンにもワイスマンにも翌日の予定があったからである。

 

 それにしてもケーフェンヒラーという人は、掘れば掘るほどいろんな面白い話が出てくる。それがヤンの印象だった。コーゼル大将の配下で、その前はミヒャールゼン。もし、ミヒャールゼンとジークマイスターとが交流があったという話が本当なら、もしかしたら、ジークマイスターはミヒャールゼンから帝国の情報を流してもらっていた。そういう可能性すらあり得る。自分は、帝国史の裏、それに触れているのかもしれない。

 

 だが、それはヤンが掘り当てた情報ではない。全て、ワイスマンから聞いた伝聞情報ばかりである。結局、ケーフェンヒラーという男がどんな人間なのか、その実像は杳として知れない、そう言うほかはない。

 

「情報作戦とは幽霊のようなものだ」

 士官学校時代、戦史研究科のとある教授の言葉をヤンは思い出す。軍隊というのは結果で評価される環境だが、通常の軍事作戦ではプロセスも重視される。軍法に違反すれば軍法会議にかけられるのは知っての通りだ。だが、情報作戦とは結果に至るまでのプロセスというのはほとんど無視される。幽霊と同じで、人は幽霊を怖がるが正体を気にすることはない、そういうことだ。さらに言うと、幽霊はその外見で人を恐怖に陥れるが、実際に手を出すことはない。これも情報作戦と類似している。種明かしを見れば大したことはないが、イメージを駆使して成果をあげるのが情報作戦である。

 

 どの教授がそう言ったのか、ヤンは思い出せなかったが、その言葉だけは妙に印象強くヤンの頭に残っていた。もし、ミヒャールゼンとジークマイスターの間に情報のコネクションがあったとしたら、二人のスパイマスターの接点となり得る男は、クリストフ・フォン・ケーフェンヒラーだったかもしれない。だが、未だそれは想像に過ぎないのだ。その実体がすぐ目の前にあるように見えて、手を伸ばそうとしても掴みどころがない。まさに幽霊の名に相応しいと言えるだろう。

 

 

 

 翌日──

 

 ヤンは捕虜収容所行きのバスに乗っていた。ジェニングス副所長に面会し、ケーフェンヒラー老人が残した資料を回収していったという軍人?について調査するのが目的だった。後は、ケーフェンヒラー老人の為人についても、もし分かれば調べるつもりだった。もしそこまで踏み込むことができれば、帝国側にも確たる自信を持って対応できるだろう。ヤンはそう考えていた。

 

 バスから降りたヤンは、何ともいえない違和感を覚えた。収容所の前に治安警察のパトカーが駐まっている。それも三台も、である。さらにその横には救急車が駐まっている。これはただ事ではない。何か収容所内で事故が起きたのだろうか。もしかしたら大規模な事故かもしれない。

 

 まぁ、事の次第は後で詮索することにして、ヤンは入口の受付に行った。だが、誰も居ない。本来なら入口に何人か詰めていなければいけないのに、誰もいないのである。貼り紙に連絡先が書いてあったので、ヤンは通信を入れた。随分と待たされて、何者かが通信に出た。

 

「あん?すまんが今日は誰も入れない。明日以降にしてくれ」

 

「ちょっと待ってください。一体どういうことですか」

 つっけんどんな対応にむっときたヤンは、珍しく即座に反論した。

 

「とにかく、今日は収容所には誰も入れない。納品業者も今日は帰ってほしい。表のパトカーを見ただろう」

 通信相手はそれだけ見て理解しろ、という感じだった。

 

「私は業者ではありません。マスジット憲兵分隊のヤン・ウェンリー中尉です。軍の任務でジェニングス少佐に面会に来たのです」

 ヤンがそう言うと相手の態度が変わった。いや、相手が反応したのはジェニングスという単語だったかもしれない。え、ジェニングスだって?

 

「中尉、もしかしてまだ知らないのですか」

 コミュニケータの向こうで、態度がおどおどしているのがヤンにも分かった。

 

「知らないです。一体何が起こったんです」

 その後、コミュニケータの向こう(後で聞いたところによると総務課の軍曹だったらしい)から聞こえた事実に、ヤンは言葉を失った。

 

「ジェニングス少佐の死体が発見されたのです。あれは間違いなく他殺ですよ」

 

<後編に続く>

 

 



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