ウマ娘×トレーナーのSS。 (バンバ)
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「船長と不沈艦」

 いやあ、ウマ娘→過去の名馬→リアルタイム競馬と追っかけることになるとは思わんかったよね!!



 カチリ、カチリと規則正しい針の音が聞こえる。画面から時計に目を向ける。ちょうど6時を過ぎた辺り。

 

 ああ、またやってしまった。ここ最近、眠れない日が続いてきている。原因も正直、わかっていない。

 

 寝付けないなら、眠くなるまでウマ娘たちのこれまでのデータ資料を精査したり、トレーニングメニューの改善案を挙げたりしているのだが、結局眠くなることはなく。

 今に至っている辺り然程効果はないらしい。

 しかも寝れてないからこそ、効率も大変悪くなっている。悪循環だし、担当の子たちにも迷惑をかけてしまう。

 

 トレーナーとして振る舞っている間は問題ないが、仕事を終えて部屋に戻るとその場にうずくまって一時間は動けなくなってしまっている。

 

 そんな状態からノロノロと復活して、翌日の支度をして、資料を作って……なんやかんや12時を過ぎたくらいに、ベッドに入ると……パタリと眠れなくなってしまうのだ。

 

 どうにかしないとなあ、なんて少し他人事のように思いながら背伸びをし『そういえば冷蔵庫にラー油入りコーヒーがまだ1ℓあったな』と椅子を立とうとする。

 あれ、眠気覚ましには割とアリなんだよ。あまりに合わない風味の合体事故で、そこに加えて味わいも辛味と苦味の不協和音で、いやでも目が覚める。控えめに言って冷蔵庫に常備してるやつは頭おかしいとは思う。俺だったわ。これは笑えない。

 

 自虐もそこそこに、立ち上がろうとした。

 しかしそれは結局叶わなかった。立ち上がろうとはした。けれど。

 

「おわ……」

 

 立とうとして、ぐらっと来てしまい椅子に座り直してしまった。ぼふん、と間の抜けた風に着地して、椅子が軋む。

 参ったな、この後学園側の事務仕事もあるのに。

 

 トレーナー業一本でウマ娘たちと関わっているトレーナーも、少なくはない。スピカやリギルのトレーナーが代表的だ。

 高給取りとしても世の中では認知されているだろう。そこに加えて担当ウマ娘たちがレースを優勝すれば、その賞金のうち1割前後──この辺りは学園と担当と三者面談的に相談となる。俺は1割──が支給される。

 

 しかし給料にしても賞金にしても実績が伴わなければ、それは結局取らぬ狸の皮算用。夢半ばに潰えるオチしか残らない。それでも一般的な社会人の平均年収を大きく超えるくらいには保証されているのだが、ウマ娘たちのシューズや蹄鉄、トレーニング器具を購入してあげるとあっという間に儚く消えるのだ。

 

 そういう意味で兼業で教師をしていたり、事務仕事を手伝っていたりするトレーナーというのは存外少なくない。

 

 その点では、担当しているウマ娘たちは重賞レースで勝ってくれているし問題はなかった。ただ、トレーニングやレース以外で関わりがないというのが少し勿体無く思えてしまってからは今でもこうして事務仕事の兼業を続けている。

 

 たづなさんと理事長に迷惑をかけてしまう。ため息一つと共に、肘掛けに手を添えて。

 

「グッモーニン、トレーナー! ……早速だけど一緒にベッドに行こうぜ!!」

 

 追い討ちをかけるように、ゴシャァ!!! と凄まじい音で思わず肩が跳ねる。尻餅をつくように座り直してしまった。

 部屋の入り口に目を向ければ、トレセン学園の制服を纏い、銀髪をたなびかせ現れたのは担当している、自由という言葉から自重という概念を撤廃させたようなウマ娘、ゴールドシップ。

 

 彼女も一応、ふざけていい相手の線引きはしているようだが、だからといって扉開けるのにあんなにも大きな音を出さないでもらいたい。

 というか、ベッドって。

 

「……あのなあ、ピッキングで人の部屋を開けるな。お前は学生で、何よりこれから学校があるだろうが。

 それに、まだ資料関係が終わってないんだ。悪いけど──」

「──だらっしゅらばあああああああ!!!」

「──うごおおお!!?」

 

 椅子から抱え上げられ、お姫様抱っこをさせられて三回転した後、ベッドにふんわりと投げられるトレーナーも世の中にはそうはいまい。

 諭そうとした直後にこれだ。

 そのままウマ乗り……いやこれ違うな。いつか貸した漫画の組手甲冑術の組み敷きだな? 両腕を膝裏に挟まれてしまったので抵抗も碌にできない。

 

 銀の髪が広がり、視界に映るゴールドシップの美貌を強調させる。そして同時に、無表情の彼女の顔はこんなにも怖かったのかと僅かに怯む。

 いや、無表情ではない。よく見れば眉間がひくひくと動いている。ゴールドシップ曰く『怒りゲージが有頂天を天元突破するぜ』とか何とか言い出すタイミングでもあるので、本気で失敗したなと自認した。

 

 ホント、『黙ってれば』美人である。美人の怒った顔や無表情は怖いとはよく聞くものの、普段の言動を見聞きしてるせいか酷く違和感を覚えて仕方がない。無表情でない時が無いとは言わないけれど、やはり彼女には楽しげな顔が映える。

 

「なあトレーナー。選択肢をやるから選べよ。

 一つ。このまま大人しくベッドでグウスヤ決め込む。二つ。ゴルシちゃん必殺のアキレス腱固めで一緒にベッドに沈む。三つ。ムツゴロウ先生ばりのよーしよしよしに見せかけたフクキタル直伝全身くすぐりの刑で意識を失う」

「ちょ、待てゴールドシップ。俺はこれからどのみち仕事が……」

「うるせえ。センセーらにはアタシから連絡するからお前は寝ろ。仕事? うっせえ、今すぐ寝ろ。それとも何だよ。わざわざアタシに寝かしつけられたいか?」

 

 大変なことになった。

 ゴールドシップの機嫌が、これ以上なく悪い。こうなってしまってはテコでも動かないのはここ数年の付き合いで百も承知だ。

 しかた、ないか。

 

「……わかった。わかったよ。だからとりあえず降りてくれると──」

「よっしゃ4つ目だな! ゴルシちゃんがハグ決め込みながら竜宮城までご招待だ!」

「──なんで?」

 

 

 

 

「トレーナー、起きてるかぁ……?」

 

 眠たげな声を聞き届けたのは、陽の光に照らされる白いカーテン。網戸から風を送り込まれて、淡く光り揺蕩うよう揺れる。

 

「……よし、寝てるな」

 

 頬を指先でつついて起きないことを確認した彼女は、ため息一つ。腕を組むと、若干の憐れみを乗せたぼやきを溢した。

 

「お前、ファイナルズの長距離部門でアタシが優勝してから、少しずつ崩れてたよなー」

 

 彼女の脳裏に想い描かれるのは春の芽吹く直前の、しかしまだまだ肌刺す寒気と、それを覆い隠す人々の熱狂。

 3600mを走破し、2着に4バ身差を叩きつけての快勝。

 元より強い人気のあったのを、『URAファイナルズ長距離部門優勝ウマ娘』という肩書きが後押しし彼女というウマ娘と担当のトレーナーは一躍時の人となった。

 けれどそれは彼女にとっては日常を彩る面白おかしいイベントの一つに過ぎなくとも、トレーナーにとってはまるで違った。

 

「そりゃ、大人だからとか色んな理由はあるんだろうけどよ。緊張とか、不安でー、とか。ゴルシちゃんだってパートナーなんだし、少しは弱いとこ吐いて行けよ」

 

 彼女は、そのことがやるせなく、そして少し悲しかったらしい。

 疲れきった寝顔を晒すトレーナーに不満を吐露しつつも、自信に満ちた声を続ける。

 

「黄金の不沈艦だぜ? アタシ。そんなくらいの重荷で沈んだりはしないっての」

 

 伝わらなくていい。知らなくていい。覚えてなくていい。

 けれど、確かに。想いはあった。

 

「お前がいつも通りになってくれなきゃ、アタシもいつもみたいに振る舞ってても張り合いがねえし」

 

 彼が灯台として、迷わないように導いてくれたから。

 彼が船長として、指揮を取ってくれたから。

 だから、彼女は走りきれた。

 ゴールドシップだけの、セントエルモの火。

 それが彼だった。それだけの話。

 

「別に、捻った言い回ししてるつもりはないんだよ。ただ、自然体で色々言おうとするとあんな感じになるだけで……はあ、寝よ。おやすみ、船長」



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『怒れる不沈艦とボロボロな船長』

 一話目の別視点ですわよ!!
 この世界線におけるゴルシは、宝塚三連覇を成し遂げたG17勝ウマ娘にして、現状唯一の同一G1三連覇ウマ娘として扱います。


 URAファイナルズを終えて1ヶ月。トレセン学園はいつも通りの騒がしさと静けさを取り戻していた。

 

 まあ、アタシには関係ないけどな! 爆発するかのように現れて嵐のように立ち去る。静かなところにも騒がしいところにもゴルシ様そこにありってな。

 

 長距離部門の優勝者になって取材を受けたり、同じゴルシ仲間──本人に言うとメチャクチャ不服そうな顔をされる──のシチーから紹介されたモデルの仕事を受けたり、学園生活の中にはなかった新しい刺激を得られたのは棚ぼたってやつだったと思う。

 

 特に面白かったのはテレビの『最強のスタミナ持ちはどのウマ娘か』っていう企画に参加して、一定以下までスピードが落ちたら即脱落の耐久レースに挑戦して、8000mを走り切った時だな。

 

 いやぁ、『あ、これこのペース維持でもいいけどそれじゃあテレビ映えしねえな』となってから、最後の1000mでロングスパートかけたら一緒に参加してたマックイーンに『スタミナお化けにも程度があってよ!?』と真っ青な顔で言われちまった時は面白くて吹き出しちまったぜ。

 なお、マックイーンは7500mだった。

 

 あの企画、ステイヤーって明言しなかったのがミソだよな。アタシのスタミナがあるって言っても、結局はレース。スピード勝負になるところもあるから、その強い武器を示したと言っても、それだけでアタシがステイヤーとして強い、って理由にはならない。言い方が悪いけど、別にステイヤーじゃなくてもアタシに勝つ方法なんて割とある。

 スプリンターやマイラーのスピードで序盤をゴリ押して、中盤脚を溜めて終盤逃げ差しされると割とどうしようもないし。スズカなんかはもっとスタミナさえ付けば割とやってきそうで怖えんだよなー。

 

 URAファイナルズの時も、セイウンスカイやマックイーン、ライスにパーマーにクリーク、挙げ句の果てに自分のトレーナーと結託してガッチガチにスタミナつけてきて長距離レースも射程にねじ込んできた委員長まで居たからとにかくハイラップ、長距離レースの中でも春天より長い3600mなのに1000m時点で59秒台とかいう超高速バ場だった。正直、あの場に救われたというのもある。特にアタシの走りはまくり……他が疲れだしたところを一気に追込んでぶち抜く走りは、逃げや先行で走る相手が互いに潰し合う中で特に生きた。結果的には制覇したものの、周りから最強ステイヤーと呼ばれるのは違和感が拭えなかった。

 

 かと言っても、ステイヤーとしてマックイーンにもライスにも負けてやるつもりはない。愉悦こそ王道なゴルシちゃんといえ、やるからには勝ちに行くのが流儀だし、走り競い合う上で絶対のマナーだ。

 

 そして、変わった事もあった。このゴルシ様専属だったトレーナーが、何人かのウマ娘たちの面倒を見ざるを得なくなった。まあこれに関しては新人トレーナーとして数年間、アタシを導ききったトレーナーとしての手腕を見込まれて、との側面が強い。最後の一年に関してはシニア級のアタシとクラシック級二人、メイクデビュー前〜ジュニア級のウマ娘四人の面倒を同時に見るとかいう、中々に地獄のような環境だった訳だしな。

 

 その結果アタシとトレーナーが関わる時間が減ってしまった。我儘を言うなら少し、寂しい。ごめん嘘。やっぱメチャクチャつれえわ。かと言って新しく入ってきた奴らが憎いわけでもねえし。メンタルイワシかよ。はー、ままならねえ。

 

 そんで、あいつ自身が『アタシを育て上げた』新人トレーナーとしてメディアの目に留まってしまったこと。問題なのはこっちだ。

 

 アタシという、強いウマ娘を育て上げたという実績。それが与えるプレッシャー。

 その輝かしい実績という格好の餌にしか興味のない、サメまがいのメディア。この間もストーカーじみた密着取材に巻き込まれかけていた。

 アタシが問題行動を起こした時も「彼女の育成方針としてそのような対応を取らせているのは自分である」といった趣旨の発言をして、自分を盾にしてアタシを庇ったり。

 

 ……あいつは、とにかく優しい。そんで無茶をする。抱え込むだけ抱え込んで、吐き出そうとしないんだ。フグかっての。

 

 その癖、アタシのノリにもついて来てくれる。それでいて真面目なところはきっちり真面目なので、ギャップが凄いんだ。思わずアタシでも勝てない変態がいう萌えとか推せるとかっていうワードが出てくるくらいにはな。

 

 そんで、いつもその優しさとギャップ助けられてるアタシみたいなやつからすると、その優しさに傷付けられたりする時もある。居た堪れないのもあるけどな。

 

 何が言いたいのかといえば、ゴルシちゃんレーダー的にはあいつは相当無茶し出している。しかもこのままいくと倒れるくらいの。突然泳げなくなっちまったマグロみたいな、そうなってしまいそうな危うさがあった。

 

 マンボウのことすら笑えないくらいには酷いとレーダーは示した。これは流石にほっとけない。

 

 一宿一飯の恩じゃねえけど、少なくともあいつが居なきゃ今のスーパーゴルシ様は存在し得なかった。──皇帝が、世紀末覇王が何するものぞ!

 こちとらG1七勝馬にして初の同一G1三連覇ウマ娘じゃ! 他にも色々やったんだぞ! メイクデビューレコードとか! 同一重賞三連覇とか!

 

「そうだな。汚れた金魚鉢を洗うのと同じくらい当たり前だよな」

 

 幸い、ドリームトロフィーリーグに移籍して現状そこそこ暇とランデブーをキメてるアタシには『暇してるからトレーナーに洒落付きに行く』というのは丁度いい口実だった。様子を見るにしても、会えるなら1番手っ取り早い。

 今年はサマードリームは回避して、ウィンタートロフィーに専念すると決めていたのもあって、まだ少しだけ余裕がある。

 

 夏季冬季それぞれ一回ずつ行われるドリームトロフィーリーグだけど、夏季方はアタシらの体への負担を考慮して最長でも2200なんだ。ウマ娘の体そのものが暑さに弱いっていうのが大きな要因だろう。夏場の海でのトレーニングなんかは、すぐ海に入って体を冷ましたりできるように、なんて緊急措置的な理由も多少あるみたいだし。

 

 ぶっちゃけ、良バ場中距離でやれと言われたら『出来なくはないけど勝てるかはわからない』

 適正ってもんがある。どの距離を走りきれるか。どのくらい脚を溜め、そして残せるか。最高のスピードを出せるか。そのスタミナはどの程度か。競り合いになった時崩れないパワー、体幹を発揮できるか。

 他にもコース取りや時には根性も必要だろうけど、まあおおまかにゃそんなもんだろう。

 

 そのことを考えても、宝塚三連覇成しといてアレだけどアタシに1番いいのは2400を超えたくらいからだ。

 

 特に夏季はルドルフとオペラオーたちがバッチバチに鎬削りあってるしなー。G1勝利数並んでるとはいえ、その辺りに首を突っ込みに行くかはアタシでも悩むのよ。

 

 なら、最長距離が2500に伸びてバ場が荒れがちなウィンタートロフィーの方が戦える。バ場の荒れ具合はぶっちゃけ無視できるし、ライスから教わったプレッシャーのかけ方をアレンジしたやつを使えば、対策してなかったやつはまくりを通し易くなる。

 とまあ、そんな理由で夏まではトレーニングに専念しつつ割とのんびり出来ているわけだな。

 

 独り占めなんて言うつもりもないけど、何となく会いにいける口実がある……この考え方自体が、なんだか悪い事に手を染めているようで少し高揚する。

 

 という訳でヒャァ! 待ちきれねぇ! ピッキングだ! とチョチョイと鍵を開けて(所要時間9秒。最速記録!)寝起きドッキリよろしく部屋に突撃した。突撃! トレーナーが朝ごはん! ……いやこれじゃアタシがトレーナー食っちまうな? それはまずい。

 それはともかく。

 

 ピッキングして、扉を蹴り開けて、そこまでは良かった。問題だったのはトレーナーが既に起きていた……いや違う。目が、耳が、鼻が、違うと訴えかけてくる。

 

 メガネ越しに見える目の下はこれ以上ないくらいクマが浮いている。間違いなく、ここ数日、なんて頻度じゃないくらいには眠れていないようだ。顔も何処かやつれている。

 肌の色も確実に青白く、血色が悪い。

 

 部屋から漂う、若干の男性特有の汗臭さ。そこに混じる若干のツンとくる異臭。少し前のトレーナーの体臭は、流石にここまで違和感を感じるほど臭わなかった。

 過労気味になると肝機能が落ちてアンモニアやら臭いの元になる要素を分解しきれなくなる。するとそれが汗に乗って流れ出ることがある、とは昔何処かで見聞きした気がする。忍び入ったマックイーンの屋敷の書庫だったっけか。

 

 遠くからであるものの、聞こえる心音は若干テンポが上がったり下がったり、安定しない。脈が振れている。けれど、前に意識して聞いた時よりもハッキリと心拍数が上がっていることがわかる。動悸か?

 

 それらを総評して、このゴルシ様のスーパーブレインが下した結論は──どれもこれも自律神経がぶっ壊れかけてるか、壊れてる時のサインじゃねえか。

 

 なんでここまで無理をするのかと思わず頭を抱えたくなりながら、しかしこのアホアホアホウドリなトレーナーは仕事があるとのたまうのでとりあえずベッドにぶん投げる。

 このままだとマジでフラッと死にかねねえ。

 命あっての物種なんだわ。

 ゴルシちゃんと関わって面白おかしくはじけてきた人生が突如として終わっちまうわけだ。

 おわかり? おかわり必要か? わかるか? 一味マヨネーズししゃも食わせんぞ?

 

 それに、アタシとしてももしもこんな所でトレーナーが倒れたり、万が一死んだりしたらとても嫌だ。

 

 ……なんか癪だけど。ゴルシちゃんの53万を誇る語彙力もって説明しようとしても『親愛以上である言葉にし難い答えがでなさそうな感じの想い』を、トレーナーに抱えている。

 シットリテイオーならぬウェットシップ様なわけだ。ウェットティッシュかよ。

 

 ふー、『気遣い』と『欲望』どちらも実行しなきゃいけないのがゴルシ様の辛い所だぜ、全く。

 

 まあそれはそれとして。

 

「ちょ、ゴールドシップ……!」

「うるせえ、騒ぐと息できなくすっぞ」

「……っ」

 

 胸に顔を埋めてる(アタシが押し付けてる、とも言う)トレーナーは、泡食ったように顔を赤くして逃れようとする。はー、ウブかよ。ちょっと可愛いかもしんない。

 

 しかし残念。トレーナーは普通の人間で、私はウマ娘。持っているパワーがまるで違う。ましてや、絶不調真っ只中のトレーナーが抜け出せるはずもない。

 

 …………今度シャワー浴びてる時に突撃してやろうかな。どんな反応すっかなー、こいつ。茹で上がったタコみたいな様子にゃなりそうだな。

 

 暴れるのを押さえつける為に入れていた腕の力を緩め、背中を一定のペースでトントンと叩いてやる。

 

 抵抗を諦めたトレーナーは、顔を赤くしながらも5分もすれば僅かにうつらうつらし始めた。空いた右手で頭を撫でてあげると、恥ずかしがっていた様子はどこにいったのかと言わんばかりに甘んじて受け入れている。

 

「……ゴルシ、ごめんな。俺が不甲斐ないばっかりに」

「あーはいはい。そういうお小言はお前が起きてから聞くっての」

 

 ポンポンと背中を叩きさすりながらも、目を合わせて叱るように、けれど語気を強めないよう努めて伝える。

 

「お前は今、ボロボロなんだ。少しくらい休んだって誰も文句言いやしないっての。むしろこのゴルシ様をスーパーゴルシ様に、黄金の不沈艦に仕上げたお前がぶっ倒れちまう方が、よっぽどやべえんだぞ」

「……ありがとう」

 

 まったく。本当に手のかかるトレーナー様だぜ。まあ、アタシっていう不沈艦の船長を務めてもらうからには、これくらい神経質な方がいいのかもしれねーけど。




 この世界線のゴルシ
・ステイヤー最強候補。というか距離が伸びれば伸びるほどスタミナ任せにロングスパートかけつつ、周囲には圧をかけまくり掛からせ、最終コーナー手前からブチ抜いてくる不沈艦。
・特にロングスパートの掛け方が(良くも悪くも)尋常ではなく、追込脚質のウマ娘たちの中でも『参考にしてはいけない走り方』筆頭。なんやねん1000mからロングスパートかけてスタミナ持つって。8000m走破って。
・トレーナーのことは恋愛対象としては見れないこともないが、現状見るつもりはない。せめてトレセン学園を卒業後。

ゴルシのトレーナー
・気が付きゃ無自覚にメンタルを病んでた。
・ゴルシが最初の担当だったからこそ病まずにトレーナー業に励めたし、逆に最初の担当がゴルシだったからこそ自分の調子が大きく崩れたことを自覚しきれていなかった。
・良くも悪くも無自覚に社畜をしてた。


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「灯台に一礼を」

ゴルシって絶対料理上手いよねって。


「むーしたジャガイモを、うらっごしー♪ あっちち!」

 

 とても雑な、ゴールドシップの歌が夜の食堂へこだまする。見れば篩をひっくり返して蒸したジャガイモをカットし、ヘラで押し潰しながら濾していた。

 

 彼女からの願い出で手伝いとして呼ばれた私だが、正直来ても良かったんだろうかととても不安になる。食堂主任のおばちゃんには許可を取ってはいるとは聞いていたし、持ち込みの材料しか使わないから、とは言っていたが。

 

 水を張った鍋に蒸し皿を敷いて、カットした人参と玉葱を蒸していく。

 

『マックイーンでも良かったんだけどよー。アイツここ最近また減量してるし、流石のゴルシちゃんでも良心が痛んだわけよ。昼間テイオーに無自覚煽りガンガン食らってたし。

 かといってテイオーもまだ4回目の骨折のリハビリ中だし。スペとかここ最近スズカとかいる前で突然告白まがいのこと何回もされて、ちょっと気が立ってるし間違いなくやけ食いで食い続けるだろ。

 そうすると今度はスズカとグラスが睨んでくる。ライスも良かったんだけどよー、今日は用事があるとかで断られちまったんだ。

 んで、身近な奴ら考えてたら、アタシの身近はノーだなって。そしたら今回に関してはアンタの方が適任だなって思ったんだ。前に作った焼きそばも、いい食いっぷりだったし』

 

 ──とゴールドシップに言われはしたものの、別に私は美味しい、美味い以外のロクな語彙も無ければ、特別繊細な舌を持っているわけでもない。

 本当に……私で良かったのだろうか。

 

「ゆーでた、ほうれん草とー、ブロリ……じゃねえや、ブロッコリー。あと茹で卵とチーカマをミキサーにー、──シューッッ! 超、エキサイティングッ!」

 

 ……発言とは裏腹に、丁寧な手付きでミキサーに掛けやすい大きさにカットされた野菜と卵、チーカマを放り込んで、ペースト状にしていく。

 

 なぜチーカマ? とも思ったが、そういえば今彼女が作ろうとしているモノは、彼女のトレーナーに向けての物だったなと思い至った。

 風邪をひいた時には、栄養価の高いものとスポーツドリンクを食べながら寝るとすぐに治る、とは誰が言っていたか。

 

 それがチーカマだったのだろう。願掛けのようなニュアンスもあったかも知れない。

 何より美味しい。私も最近はタマに持たされるようになった。小腹が空いた時用にと、カロリーメイトやソイジョイと一緒に。

 

 そもそも、なぜ私がゴールドシップの提案を受けたのか。

 

 単純な話ではある。URAファイナルズ、マイル部門を制覇した身として、同じ芦毛のウマ娘でもここまで適正に差が出るのかと、興味が湧いていた。

 

 中距離以上が苦手なわけではない。2500前後くらいの距離なら射程圏内に入るだけのスタミナはあると自負している。

 

 ただ、いつかのテレビで放送していた8000mを走り抜けたゴールドシップを見て、『長距離型のウマ娘のペースを維持したまま7000mを走り切り、そこから1000mスパートをかける』なんて暴挙は私には到底できないと驚いたのも記憶に新しい。

 企画のルールとしては『一定以下の速度になりその状態で3秒経てばリタイア』『限界を感じてきたらスパートをかけて打ち止めにしてもいい』とか言われていたが。

 テイオーが2600を過ぎて少しでスパートをかけて、2800ほど。

 ビワハヤヒデとライスシャワーが3700を超えてからスパートをかけ、4000。

 パーマーは途中脚をつり、それでも5000。

 マックイーンはゴールドシップに負けてられないと意地を張り7500まで走り続けた。

 

 それらと比較してのゴールドシップの記録は、テレビ越しでも『どれだけ馬鹿げたスタミナしてますの!!?』とマックイーンが激昂するあたりから察せられる。いくらロングスパートとはいえ、7000mを走ったままの状態からロングスパートで1000mを走り切る──そんな破天荒で無茶苦茶な走りができるウマ娘が居るのかと、只々驚くしかなかった。

 実況席で見ていたルドルフ、エアグルーヴも目が点になっていた。タマと一緒にテレビで見ていた私も、箸が止まる程驚いた。

 

 最近では、フラッと姿を眩ませたと思えばフルマラソンに参加してきたとか何とか。2時間半を僅かに切るタイムでゴールしただとか、その際に膝を着き『クッソ、ポーラやブリジッド、キャサリンにも負けちまった! …………あいつら、本当に人間かよ……!』とかなんとかぼやいて調子を下げていたとか、様々な話が出てきたが。

 …………誰だろうか。ポーラ、ブリジッド、キャサリン。

 

 純粋に私としては、42.195kmもの超長距離、しかも芝でもダートでもない、硬いコンクリートをたったそれだけのタイムで走破した彼女に、ただただ脱帽するしかない。

 

 コンクリート上を走る専用のシューズを選定、用意するのは大前提として。

 ウマ娘というのは通常の人と比較しても圧倒的な力強さ、スピードを持っている。

 小柄なハルウララやツインターボ、飛び級でまだ幼いニシノフラワーでさえ、5〜60kgくらいの物なら軽々持てると思う。

 

 しかしそれ以上に同時に欠陥もある。

 代表的なのは、脚の脆さ。

 最高時速で70kmを超えうる速さで走る事に特化した、しすぎた脚の構造上か、自らの力で自壊するケースが多々ある。ガラスの脚……というのはよく言ったモノだと感心してしまう。

 また、スタミナ消費を長期的に強いる負荷には弱い。歩くくらいならともかく一定ペースで走り続けるだけであれば、そのうち人に根負けする。

 

 レース中の全力疾走に至っては、ラストスパートに至るまでの前段階で走り続けているのだからより激しく体力を消費する。それこそ1600mのレースであっても、ラストスパートともなれば10秒前後待てば十分すぎる。

 

 とはいえ、人と根負けすると言ったものの、その根負けが来るのは数分単位ではない。数時間走り続け、その時まで脚に来た負荷に脚が止まる。そう言う意味では余程ペース配分を誤らない限り表層化する事はない、そんな程度の誤差だ。

 

 しかし、フルマラソンというレースと比較しても途方もない距離を、固く舗装された地を、ゴールドシップ程のタイムで走り抜けようとするなら。

 天皇賞春が3200。フルマラソンがメートルに直して、42195m。3200mを10周しても尚終わらないような超長距離。

 ウマ娘の中でも際立ったスタミナと根性の持ち主、そしてレースプランを立てられるような頭がもなければ、まず無理だ。

 パッと思いつくのはパーマーやマックイーン、ライスシャワー。彼女たちのようなスタミナがあれば、或いは。

 ルドルフも恐らく行けると思う。彼女はレースプランの組み立てが上手い。

 

 それか過去の海外競馬の記録に残る『ハンガリーの宝物』、『煮えたぎる蒸気機関』とまで呼び称されたウマ娘のようなスタミナ持ちであれば、話は違うかもしれない。

 

「ん、どしたどしたー?」

「……ん、なんでもない」

 

 ……こういう細かい部分の話は、あくまで体感としての印象なので厳密にはアグネスタキオンやシンボリルドルフの方が詳しそうではある。

 

 そういう意味でゴールドシップの記録というのは中央内でも話題に上がった。主にゴールドシップの奇人ぶりを補強する要素として、だが。

 特に、宝塚三連覇。あのレースは見ていて度肝を抜かれた思いだった。

 大きく出遅れ最後方。先頭まで15バ身差を付けられ、1000mを過ぎたあたりからスパートをかけて全員捲ったのだ。2位とは写真判定にまで行ったものの、アレは凄まじいものだった。

 

 私のトレーナーは、そもそも主戦場の土俵が違うのだから気にしなくてもいいと言っていた。

 

 ──実際のところ、気にしていたわけではない。同じ芦毛のウマ娘でもこんなに走り方に差が出るのだと驚いていただけなんだ。

 

 だから、興味があった。ゴールドシップというウマ娘に。

 

「牛のそぼろを作ってー、胡椒と塩を少々。できたら少し水をどばーっと。……水、ヨシ! オッグリーン、あとどのくらいでそっち蒸し上がるー?」

「こっちは、あと1分もすれば蒸し終わる」

「ヨーソロー、そしたら今のうちにミルクチョコ一枚の半分と中濃ソースを大さじ1ー」

「……ゴールドシップ。君は、料理が上手なんだな」

 

 「んあ?」と返事をするゴールドシップは、どこか間抜けな顔をしていた。

 やはり手慣れたよう牛ひき肉を炒めた鍋の中に、ドボドボと1Lのボトル天然水を注いでいく。……注ぎ終えた後の片足を上げたあの独特のポーズは、なんだったのだろうか。

 

 それはそれとして。

 きっと私が料理を作ろうとしても、ここまで手際良くはできなかっただろう。私は食べるのは好きでも、作ることはそうそう無い。

 

「んー、作るのは海に遊びいったりしてる間に、慣れてきた感じだな。そっから、マックイーンとかがたまに言う上品な料理とか作ろうとしてたら、気が付きゃ上達してた」

「なるほどな。む、野菜が蒸し上がった。この後はどうする」

「あー、人参と玉葱は全部ミキサーに入れて、ヨーグルトをスプーン大さじ2杯くらい入れて混ぜちまってくれ」

「わかった。大さじ2杯だな……飴色玉ねぎにはしないのか?」

「あれ美味いんだけど、ビタミンやらなんやら犠牲にしちまうからなー。今回はうちの調子悪いトレーナー向けだから、そのままだ。あ、出来たら鍋に投入しちまっていいから。あと、熱いからこれ使ってくれ」

「わかった、ありがとう」

 

 渡されたトングを使いミキサーに人参と玉葱を詰め、業務用の冷蔵庫から、言われた量のヨーグルトを取り出す。

 指示を聞きながらとはいえ、事前に準備が済んでいるとはいえ、私の手が本当に必要だったのかと疑問に思う。知識も豊富だ。

 ルーを用意するゴールドシップにその事を尋ねれば、神妙な顔で返してきた。

 

「アタシってさ……すっっっげえ気まぐれなんだわ。それこそ、1秒後に自分でもどう舵を切るかわかんねえくらい。今だって、寝込んでるトレーナーのところに突撃してやろうか、このカレーの材料どうしてくれようかってウズウズしてるんだ」

「……いざそうしようとした時に、止める役目が欲しかった、ということか?」

「まあな。アタシ、力強えから普通に料理上手な奴らだと止めきれねえ可能性もあったし。あとはマックイーンとかよりも舌の感覚が庶民寄りだったから、だな」

「……あまり高級な、細やかな味がわからないからこそ、か」

「そーそー、マックイーンに頼んだらその所突かれかねなかったし。あとは……」

 

 少し考えるようにして、朗らかな笑顔で「あんたの食べてる時の顔が面白くてさー、味見がてら食ってもらおうかなって思ったんだ」と言ってきた。

 ……そんなに、変な顔をしていただろうか。

 

 

「んで、トドメにこのマッシュポテトを皿に盛って、完成と。

 ゴルシ流マッシュポテトカレーだ! トレーナーに多めに回すから、オグリンにそんなやれねえのはわりい」

「大丈夫だ、ありがとう」

 

 米やパンのついてないカレー、というのは初めてだ。マッシュポテトの方も、パサパサのわけでもない。バターと僅かに牛乳が混ぜられ、柔らかすぎず、しかししっとりとした仕上がりになっている。

 カレーは色合い的には、一般的なカレーと大差ない。強いて言えばやや薄い茶色で、野菜らしい野菜が入っていない事以外はとてもシンプルだ。

 しかし、あの作業工程を共にしたからわかる。これが不味いわけがない。

 

「いただきます」

 

 まずはルーだけをスプーンで掬い、口に含む。

 ああ、やはり。野菜が文字通り溶け込みきった優しい仕上がりで、思わず一息ついてしまう。

 後を追うように、牛ひき肉から溶け出た牛脂の旨み、ヨーグルトの爽やかな酸味、カレーの持つ辛味が上がってくるが、辛すぎることは一切ない。複雑に絡んだまま、纏まったまま、料理の一つの完成形を私に教えてくれる。

 もう一口口にすると、一口目には分からなかった若干の魚のような味わい、甘さが顔を出す。それでいて不自然さは一切ない。

 ゴールドシップは庶民的な味だ、なんて言っていたが、私としてはこれでも十分お金を取れる代物だと思う。

 

 ここでマッシュポテトの存在を思い出した。曰く『米の代わりにしてもいいし、混ぜてもいいぜ』とは言っていたが。

 とりあえず、マッシュポテトをルーをスプーンに一緒に乗せて、一口。

 

「美味い……」

 

 思わず声が漏れてしまった。食べるのが『勿体ない』と手が止まりそうになる。美味しいのに、食べたくない。こんなことが起こるんだなと何処か他人事のように思っていた。

 

 先程の感想を反故にしないといけなくなってしまった。

 まだ、このカレーには先があったんだ。このしっとりとした優しいマッシュポテトと合わさる事で、より完成度の高いカレーへと至る。

 これでは、確かに米がいらない。いらない、というより、このルーの味わいに合わせるには、米は余りに食感が強すぎて、そして密度が薄い。

 混ぜて白茶色になったそれを今度は口に含めば、私はもう決めていた。

 

「ゴールドシップ。──私の胃袋を掴んだからには、せめてそのレシピだけでも教えてもらうぞ」

 

「おっ、レースか? いいぜ、かかって来いや! 黄金の不沈艦は伊達には沈まねえって所、見せてやるよ!」

 

 『──あっ、でも後日な? 流石にこんな時間にレースおっ始めるわけにもいかねえし。トレーナーも待たせちまうからさ』と言われると、どうにも返せなくて少し恥ずかしくなってしまった。

 

 

「とーれーえーなー、生きてっかー」

「……勝手に殺すなよ、ゴールドシップ」

「だってよ、お前このまま行くとマジで死んじまいそうなんだよ。ぶっちゃけ聞くけど、何徹目?」

「……」

 

 桜の花びらと青葉が混ざり、春の終わりを感じさせる夜風の涼しい日。トレーナー寮の自室。

 パジャマ姿のゴールドシップにそう尋ねられ、口籠る。

 

 馬鹿正直に『あの日からほぼ二徹目』なんて言った日にはこの間の事件の再来にしかならない。

 いや、本当に少しだけは眠れている。1時間、2時間ながら。かなりマシになってる。マシにはなっているんだ。今までみたいに10日前後ほぼ眠れず、ある日切れたように5〜6時間床の上で気絶するように意識を落としてしまうよりか全然いい。

 

 彼女は頭が良い。奇人、傾奇者なんて扱われるが、自分の中の確固たるルールがあってそれに沿って生きているだけである。

 馬鹿と天才は紙一重、とは言うが間違いなくゴールドシップは天才寄りだ。それだけは彼女のトレーナーとして保証ができる。

 冗談半分でIQテストを実施してみたら、最低でも150前後ある事が発覚した際は驚いた。

 

「……はぁ。まあいいや。とりあえず今日は一緒に寝るからなー」

「……ごめんな、ゴールドシップ」

「はあ? なんで謝るんだよ。別にトレーナーと一緒に寝るのが嫌なんて、言ってねえぞ」

 

 「まっ、とりあえずこれでも食えよ。ほい、あーん」とスプーンを顔の前に差し出される。

 ……流石に自分で食えるのだけど。

 そう告げても「いいから食えよー。ゴルシちゃんお手製のマッシュポテトカレーだぞ」とズイズイと押し付けられてしまい、渋々受け入れた。

 

「……優しい味がする」

「相当体に無理させてたみたいだったからさ。消化しやすいように野菜とかはペースト状にしてあんだよ。足りなくなりそうな旨味とかも牛ひき肉でカバーって算段だ」

 

 得意げな顔で今度はポテトと一緒にルーをスプーンに乗せたべさせてくる。

 マッシュポテトの甘さ、舌触りが加わってより美味しくなった。

 

「うん、ご馳走。……いい奥さんになりそうだな、ゴールドシップ」

「フォッフォッフォッ。旦那さん、とうとうボケたかのう。目の前におるじゃろ、お主の妻は」

「……ゴールドシップ。君と俺とでは立場も、歳もだいぶ違う。

 お前はいまや国民的スターで俺はお前を育て上げたとはいえ、しがない一介のトレーナー。そんな────」

「──言いたいこと、それだけか?」

 

 胸倉を掴まれる。コツリと、静かに額がぶつかり合った。薄紅色の瞳が、吸い込まれるような綺麗な色から隠しきれない激情が覗く。

 やけに静かな、力のこもった言葉だった。

 ゴールドシップが、冗談を言った時や戯れてる時と違って、視線には冷たさを。耳は伏せられ、目付きは鋭く。

 レースに臨む時とは違う、砕氷艦めいた重苦しい、明確な怒りがあった。

 

「うるせえ。アタシはアタシの生きたいように生きて、そんで死にてえんだ。いくらアタシのトレーナーでも、そこは口出しさせねえ」

「……お前なあ」

「……よし、一回寝ようぜ。歯ァ磨くぞー。四の五の言うより、一度互いに冷静になろう」

 

 お互い無言で歯を磨き、また戻ってきて早々に「おりゃ」と柔らかくベッドに押し倒された。

 流れに身を任せ体を横たえる。そのまま抱き枕代わりになれば、ほぼ前回の焼き増しのままだ。

 ……あくまで未成年の女子高生と同じベッドで寝るって犯罪臭が凄いな。改めて。

 なんかめちゃくちゃ落ち着く、甘い柑橘系のいい匂いがするし。煩悩滅却とか言い聞かせるも、それ以上に体が疲れているのか安心感や意識が緩やかに閉じていく。

 

「おやすみ、トレーナー」

「……ん、おやすみ。ゴールドシップ……」

 

 

 やっちまった。

 メンタル的に疲れ果てて、追い込まれてる個人に対してやるべき対応じゃなかっただろアタシェ!! ゴルシブレインミーティングも『バカ』『何考えてるの?』『これは猛獣』とか散々な結論下しやがるしよ!!

 

 ただ、トレーナーも悪いんだ。そうだ、そうに違いない。

 だって。あんな儚げに、苦しそうに、寂しそうな。ほっといたら消えちまう砂浜の文字のような雰囲気で放って置けるかってんだ。いけないんだよ。コイツに、そんな顔をさせておくなんて。

 

 ま、まあでも? 結果的には役得的にトレーナーと一緒に眠れているからそれはそれでヨシだな。

 ……前回は、兎にも角にも『トレーナーがいつぶっ壊れてもおかしくない』って心配からの暴走だったわけだけど。

 

 今回に至っては心配5割、個人的な思惑5割だったから、アタシ的にもこれはアウト気味じゃねえかなあとは思う。トレーナーもほぼ一回りアタシと歳が離れてたとは思うし。

 

「……そもそも一緒に寝ることを前提にして話をしたのは、アタシだもんなあ……」

 

 思い返すのは、あの日。トレーナーがばっちり8時間ほど熟睡をキメて起きた後のことだ。

 

『とりあえず、トレーナー。暫くは週に何度か一緒に寝るか!』

『えっ』

『だってよー。一人で眠れねえってことは、不安感やら何やらで絶不調って事だろー。で、それがアタシと一緒のベッドに入るだけでスヤァ……と落ちたってことは、人肌が寂しいんじゃねえか?』

『…………』

『だから、アタシな訳よ。今まで何年も一緒だったし、信頼してる。アタシもアタシで抱き心地のいい枕と一緒に眠れる。win-winだろ?』

 

 いやあ、顔を真っ赤にしたトレーナーの顔は見ものだったぜ。

 こういう時、ウチのトレーナーの恋愛感情ニシオンデンザメぶりには助かる。前回では顔に胸が当たってテンパるくらいにはウブで、そういった部分が枯れてるわけでもねえってのが分かったけど。

 一緒に寝るのを拒まなかったのも、『実際否定し切れない』とか『アタシが心配してるから』とかその辺りの理由だけで納得してるんだろうよ。

 いやー、ウブもウブ。マックイーンだってもうちょい気付くぜ?

 

『旦那さん、とうとうボケたかのう。目の前におるじゃろ、お主の妻は』

 

 ……カーッッ! はっずかしい!! メチャクチャ恥ずかしい!!

 しかもこれ、たぶんいつもの我が儘破天荒ぶりなノリと勢いで言ってるって絶対に勘違いされてるわな……だー……ハッズ……。

 

 ……それにしても、このアロマオイルの匂いは大丈夫みたいで良かった。ベルガモットっていうらしいそれの香り。

 アロマオイルを薄くしてパジャマに霧吹きで吹きかけたんだ。

 安眠作用があるらしい香りで、アタシとしても嫌な匂いじゃなかった。

 

「ったく、世話が焼けるぜ、船長」

 

 苦しいとか悲しいとか、弱音を全部引っくるめて言えねえまま、曖昧な笑顔で居続けて、その果てに壊れそうになってた。

 違うだろ。アタシのセントエルモの火。導きの灯台。船長。

 アタシがアンタをセントエルモの火と定めるように、アンタにとってのアタシは、アンタだけの不沈艦。アンタに寄り添って、荒波を割って進む、黄金の不沈艦だぜ。沈むまで一緒にいるに決まってるだろ。

 

「……おやすみ」

 

 トレーナーの調子が戻ったら、改めて想いを伝える。全部伝えるんだ。そう決めた。どう転んでも、この想いは変わらねえんだ。




副題
『盛大に自爆かまして、引くに引けなくなった乙女な猛獣ゴルシちゃん』


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ライスシャワーがトレーナーにレバ刺しを奢る話

友人たちにこの話とタイトルを見せたところ「人の心無いんか?」とか「鬼! 悪魔! バンバ!」とか言われてしまいました。悲しいなあ。


「やったねお兄さま!」

「ああ! 凄いぞライス!」

 

 ウィニングライブを終え、控室でライスを抱き上げてその場で一周する。

 汗が飛んで出来上がった即席のキラキラエフェクトにより、黒いドレスを纏ったお姫様がより綺麗に可憐にドレスアップされていく。

 

「……本当に、来るところまで来たなあ……」

 

 菊花賞はライスの生粋のステイヤーとしての才へ賭け、同時にミホノブルボンの逃げが『2500を超えて尚維持できるか』に賭けて徹底的にマークを行い、菊花賞をもぎ取った。

 天皇賞(春)はメジロマックイーンを食い破る気迫を見せつけて、堂々の一着を以てマックイーンの三連覇を阻んだ。

 

 故障や怪我、不調に悩みながら一年明けの天皇賞(春)をもう一度一着でゴール。

 そして、宝塚を不調を抱えながらハナ差で勝利し、トゥインクルシリーズを引退。

 

 そして今回の、半年間に及ぶ休養とトレーニングを重ね事実上の復帰明け、WDT長距離部門京都3000mで一着。

 

 ミホノブルボンの三冠、メジロマックイーンの春天三連覇を阻んだが故の心無い罵声。ヒール呼ばわりされる時期もあった。

 けれど、彼女は泣きながら、へこたれながらも前に進み続け、やがてシンデレラに、彼女の憧れた青い薔薇になれたのだ。彼女の軌跡を導いてやれたトレーナーとして、鼻が高い。

 

「さあ、帰ったら今日は休んで、明日は祝勝会だ! 俺は外で待ってるから、シャワー浴びて着替えてきなさい!」

「うん、待っててねお兄さま!」

 

 とててて……とライスが駆け足で更衣室 スペースに向かったのを尻目に、俺は控え室から出る。

 

「……ふー……君は本当に凄い子だよ、ライス」

 

 扉に背中を預け、ずるずると座り込む。復帰明けの大一番が終わったことを自覚した途端、どっと疲れが回ってきた。なんならお腹も痛い。トイレに駆け込むような類いではなく、シクシクと鈍くも持続する痛みだ。

 

「よっ、随分とお疲れじゃねえか」

「あ、沖野さんどうも。何か、大一番が終わって安心しちゃって……」

「ああ、わかるわかる。どっと疲れるよなぁ」

 

 俯いていた俺に声をかけてくれたのは、先輩トレーナーの沖野さんだった。チームスピカのトレーナーにして、ライスが打ち破ったメジロマックイーンの担当トレーナー。

 そして気さくで飄々として、ウマ娘への愛が溢れてる人でもある。

 ……無断で彼女たちのトモに触れに行くとかいう自殺志願者も真っ青な事をするのは、見ていてハラハラするのでやめてほしいところだが。

 

「そういえばよ、この後飲まねえかい? おハナさんと安藤、桐生院の嬢ちゃんも呼ぶつもりなんだがよ」

「あー……俺は遠慮しておきます。最近少し調子が悪くて。申し訳ないです」

「なーに、気にすんな。まあ、俺らの仕事も体が資本だしな。病院に──ふぶぉ!?」

 

 話していた沖野さんが突然横にすっ飛んでいった。横腹目掛けてえげつないドロップキックである。毎度の事なので最近は気にしなくなったが、あれで命に別状がないとか、意識を失うとかそういう次元にいない沖野さんって一体。本当に同じ人間なんだろうか。今も「うぐうぉおあ……」と地獄の底から這い出てくる悪魔みたいなうめき声を上げているものの、割とピンピンしてるみたいだし。

 

 その下手人である芦毛のウマ娘は、それはそれは大層見目麗しい、美女美少女揃いのウマ娘の中においてもなかなかお目にかかれない美人さんであった。

 

「おっ、誰かと思えばライスのトレーナーじゃねえか! ちーす! どしたどしたー?」

「どうしたはこっちの台詞なんだよなあ……沖野さん大丈夫なの?」

 

 ゴールドシップ。かの三冠ウマ娘の妹であり、クラシック二冠にして宝塚記念を連覇している。

 追込……とは本質的に全く違う、1000m前後伸び続けるロングスパートによるまくりとコーナリングを得意とするスタミナお化けのウマ娘。ライスが打倒して見せたメジロマックイーンと同質の、圧倒的と言う他ないスタミナを誇る芦毛の不沈艦。

 

 外見だけ見れば深窓の令嬢に見えるが、実態は大変破天荒──この表現もオブラートに幾重にも包んだもの──である。姉妹揃って気性難というか、兎角不思議な人柄をしている。

 しかし、彼女がいなければ今のチームスピカは存在し得なかったとまで沖野さんから言われるほどの存在であり、彼女もまた素晴らしいウマ娘であることには間違いない。

 

「ゴルシアーイ! ……ふぅん? 過去数十秒の話は見聞かせてもらったぜ。病院に行くんだろ? だったらうちのねーちゃんの居るとこで見てもらえよ」

「え……」

「ねーちゃん、有マでトゥインクルから引退した後『アタシ、卒業したら医者になる』とかなんとか言い出してよー。マックイーンのツテで学生しながら実質研修中なんだわ」

 

 えーと、つまるところゴールドシップは俺に病院を紹介しようとしてくれている、のだろうか……。ていうか、遠くから聞いてただけじゃ……。

 しかし、あの暴君……というか、情緒の乱れが激しい、激しすぎるレースで展開から話題から全てを掻っ攫うあのウマ娘が、医者……。

 しかも看護師さんとお医者さんって本質的には違う仕事だから看護師さん経由してお医者さんになるってメチャクチャ大変なのでは……。

 そんな俺の思いは他所に、のそのそと這い出るように沖野さんが立ち上がった。

 

「ってて……おいゴルシ。流石に横っ腹にアレはやめろ。死ぬって」

「トレーナー、アンタがあの程度でくたばるなんて思ってねーぞ」

「お、沖野さん……大丈夫……そう、ですね……」

 

 やはり沖野さんは人間やめてるような気がしてならない。俺だったらあれを受けたら三日は立ち上がれない自信がある。最悪即死だ。

 

「お兄さま。ライス、戻ったよ……あれ? スピカのトレーナーさんと、ゴールドシップさん?」

 

 こうしたやいのやいのとした騒ぎは、ライスが出てくるまで続いた。

 

 

「精密検査の結果ですが、肝臓癌でしょう」

 

 血液採取を終えて、そのままCT、MRIと通されて、何時間か経った。

 その後診察室で向き合うメジロ家の実家で雇われているお医者さんから告げられた言葉に、数拍認識が遅れた。そのくらい淡々と告げられた。

 冗談だろう。嘘だろう。ゴールドシップの紹介だからちょっとしたタチの悪いドッキリだろうetcetc……そんな現実逃避的な言葉が列を作る。白い清潔感のある天井がどうにも現実味を払拭させてくる。

 そんな淡い期待を胸に、視線を天井から降ろす。

 

 けれど、お医者さんもその後ろに控える長髪栗毛のウマ娘の看護師も、全く真面目な顔をしていた。事実なのだ。本当のことなのだと。

 どうしてだろうか。実感がまるで湧かない。自分の事のはずなのに他人事だ。認識と事実の齟齬が激しい。擦り減った歯車が噛み合わないまま半端に当たっては空転するような気持ちの悪さ。

 

「既に、かなり進行が見られます。一刻も早い治療が必要かと」

「……わかり、ました」

 

 震える声を聞いて、そこでこれが自分の喉から漏れた声なのかと驚く。まるで別人のようだ。

 同時にライスがこの場に居なくて本当に良かったと、心から思った。

 

「ライス、泣かないでくれ」

 

 お兄さまの言葉にわたしの喉はしゃくり上げて、ボロボロと涙を流し続けることしか出来ない。

 

 WDTの後、スピカのトレーナーさんたち、マックイーンさんから病院を紹介されていたのは知っていた。確かに、お兄さまは少し体が弱いところがあった。

 

 緊張やプレッシャーが苦手で、特に菊花賞や天皇賞(春)の前後では凄い顔色をしていたし、月に一度か二度は熱を出していた。

 

 そういうところを見て結果的にわたしも冷静になれていたから、そういう意味ではわたしたちはぴったりだったのかもしれない。

 

 でも、今度はちょっとした病気じゃない。命に関わる、大きな病気。

 お兄さまと永遠にお別れしないといけないかもしれない。考えただけで、味わったことのない絶望感に打ちひしがれる。

 

 ライスが、お兄さまの担当だったのがいけなかったのかな。ただでさえ体が弱かったお兄さまに、余計なストレスを与え続けてしまったのかな。

 

 自己嫌悪と自分が振りまいてしまった不幸に、ただただ謝ることしかできない。

 そんなお兄さまは、わたしにコツン、と。おでこに弾かれたような痛みが走る。抑えながら顔を上げると、右手をデコピンを放った後の形にして、真面目な顔をしたお兄さまがいた。

 

「いけないよライス。。それはよくない。俺に降り注いだ誰も悪くない不幸を自分のせいだとするのは、それは、ダメだ」

 

 「人によっては侮辱にもとれちゃうよ」と「だから、謝らないで」と。その言葉に耐えきれなくて、抱きついた。恥ずかしいとか、はたないとかそんな事は気にならない。

 お兄さまは、暖かかった。体だけじゃない。春の陽だまりの下のような、全てを包み込んでくれるような、柔らかな暖かさ。

 

 ぎゅっと、抱きしめた。この暖かさが今にも冷たさに変わってしまうんじゃないかと思うと、息が苦しくなる。本当に本物の神様がいるとしたら、なんて残酷なことをするんだろう。

 これがライスならまだよかった。これがわたしたち以外の誰かならどれだけよかっただろう。

 顔も知らない他人なら────あ。

 

「ぁ……ぅうああぁああああ!」

 

 ……ライス、悪い子だ。みんなを幸せにする青い薔薇のようになりたいと思っていたのに、『誰か』が不幸になればいいと思っちゃった。

 

 お兄さまが居なくなってしまうかもしれない恐ろしさに。あまりに生きているわたしたちに平等に接する神様の恐ろしさに。『誰か』の不幸を願っちゃった、ライスの恐ろしさに。

 

「うあああああああああああん!!」

 

 気がつけば耐えられなくなって、声さえ抑えきれないまま大泣きした。

 

 

 どうすればいいんだろう。わたしに何か、出来る事。ロブロイさんも手伝ってくれて、何か出来ること、やれることはないかと悩む日々。

 お兄さまは今、トレセン学園にいない。治療を受けるために入院してしまっている。その間はスピカのトレーナーさんが面倒を見てくれているけど、一ヶ月間トレーニングは禁止されちゃっている。

 

『流石に、今の状態のままトレーニングはさせられない。ゴルシから聞いたぞ。現実逃避気味にオーバーワークを繰り返してたってな』

 

 でも、その言葉のおかげで冷静になれた。

 嫌な現実を見るくらいならと目を瞑って、大切なことも見落としてしまうようなことはなくなった。

 でも、ライスに何ができるだろう。

 理事長にも、樫本チーフトレーナーにも無理な相談をしてしまった。

 

『陳謝……ッ! ライスシャワー、私は君のトレーナーに降り注いでいる試練への打開策を、持っていない……』

『ごめんなさい、ライスシャワー。私には、どうする事も……』

 

 違うんですと声を出したかった。あなたたちにそんな顔をさせる為に聞いたわけじゃなかったんだと声を出したかった。申し訳なさで気落ちしながら、それでも考えることだけは辞めない。

 

 寮に戻る道を歩きながら、でも、答えの出なさに歯噛みする。寒さも和らぎ、春の訪れを感じさせるようになった。けれど、ライスの心は真冬のまま。

 こんな時、お兄さまならどうしただろう。ブルボンさんならどうしただろう。ゴールドシップさんなら、マックイーンさんなら……。

 そう考え耽って歩いていたのがいけなかったんだろうか。前が見えていなかった。誰かにぶつかってしまった。「見つけたぜライス!」と咆えるように言うのはゴールドシップさんの声に間違いはなかった。

 

「先に謝っとくわ。勝手にプライバシーの侵害みたいなことした。けど、結果的にお前のトレーナーなんとか出来るかもしれないきっかけを掴めたんだよ」

 

 …………え?

 

「ねーちゃんからさっき連絡きてよ。ワンチャンあるぜ、ライス」

 

 

「的屋さん、体調はいかがですかー?」

「今のところは、大丈夫かな」

「……ホンット、ツラの皮厚いこと。……パイルドライバーからのJr.目掛けてカカト落としでも決めてやろうか」

「物騒なこと言わないでくれ!? てかそれ誤用だよ!」

 

 一旦開腹したものの、ほぼ肝臓全体に転移が見られた上に肝炎まで見つかったらしく、手術は一度中止となってしまった。

 そして今はドナー、つまり肝臓の生体移植を許してくれる、あるいは出来る候補者を探しているが、やはり中々現れるものではない。

 

「だって実際そうじゃないっすか。生まれたての子鹿よろしくプルプル震えてる内面隠して、普段通りに明るく振る舞おうとする。ツラの皮が分厚い鉄仮面でもなきゃできない真似っすよ」

 

 栗毛の看護師さんは怒ったような雰囲気で、かったるそうに「あ゛ー、男ってこういうところ面倒臭くってきもいっす」と。

 言葉の様子には似合わない、どこか寂しそうな顔をして。

 

「子供みたいに、ガキンチョみたいに泣きたいときゃ泣きゃいいんっすよ。

 泣いて、泣いて、現実への怒りぶちまけて、それでも生きたいと生に縋り続ける。……生きることに、生き続けたいと思うことに貴賎なんてないんっすから」

「……その貴賎って、君の名前と、金額とかの『金銭』と、三冠ウマ娘として先達の皇帝を交えた高度なギャグだったりする?」

「ぶっ殺しますよ。いやぶっ殺す。てめーだけはここで殺す」

 

 Q.青筋を浮かべた、大変、それはそれは大変いい笑顔のウマ娘がパキパキ拳を鳴らしながら迫るのを眺める心境を述べよ。

 尚、当ウマ娘はなかなか見ないレベルの気性難であるとする。

 

 A.絶 対 に 死 ぬ 。

 

「待って待って待って悪かったからストップいや本当にごめん待て待て俺はまだ死にたくはないんだって! 死ぬつもりもないから! ライスたちとまだ一緒にいたいしトレーナーだって辞めたくない! 受け持ったまだ見ぬ子たちと一緒に夢をかけたいさ!」

「……本当っすか?」

「ああ本当! 本当に! でも、両親はそもそももう亡くなってるし、直近の血縁者ももう高齢で、肝臓の提供してはもらえない。それに……」

「それに? なんすか?」

 

 僅かに口ごもり、漏れ出すように続けた。

 

「……なんかこう、別のトレーナーのところの、担当の話なんだけどね。その子がよく『推しの幸せは私の幸せ』と言うんだ。…………正直、滅茶苦茶気持ち悪いこというけど、あの子の傷跡にでもなれるならそれでも良いかなって諦めかけた気持ちもあった」

 

 けどそれじゃあ、無意味なんだと気が付いたのは、本当につい最近の事だ。

 

「あの子が、心の底から幸せで、そこに俺が生きて、居ないのは、なんだか悔しくて。

 だから、せめてうちのライスの晴れ舞台というか、結婚式とかくらいには、出席したいというか……」

 

 まだ死ぬわけにはいかないんだ。死んでやるものかよ。死神が足音を立てて俺に近づいて来ようとも。その鎌を振り上げる準備を着々と進めていようとも、知った事じゃない。

 せめて、せめて。あの子が。ライスシャワー自身が『大衆の知るウマ娘・ライスシャワー』ではなく、『一個人の少女、女性・ライスシャワー』のしての幸せを掴むまで……なんて。

 俺は、ライスシャワーの親でも何でもない。だから、ここまで入れ込んでいるのはおかしな話だろう。俺自身もダメだと思う。

 けれど、本心でそう思えるんだ。その思いに偽りはない。

 

「うわ、気色悪っ」

 

 割とマジトーンで「ひくわー、まじひくわー」とジト目を向けられる。

 確かに一回り近く歳の差がある、花ある女子高生に対して向ける言葉、思いの重さではない。

 けれど、そのくらいライスは俺に夢を見せてくれたんだ。

 

「……こりゃ、余計な心配だったか」

「え?」

「いーえなんでも。ただ、私の妹には今のキモい感じの発言チクっとくんで、その辺の事後処理はご自分でどうぞ」

「う、うそだろ……?」

 

 思いの丈の発露とは。他人の激声とは。他人を思いやる怒りとは。健気さとは。ウマ娘とトレーナーとを繋ぐ絆とは。

 

 時に雷鳴にも似るのだと。ミホノブルボンは初めて知った。

 

『お兄さま。ライスはね。悪い子なの』

『ライス』

『だから、お兄さまが嫌がっても、曲げるつもりはないよ。お父さまやお母さまだって、説得したの』

『ライス!』

『ライスはね。決めたの。みんなを幸せにする青い薔薇にならなくても良いって』

『ライス!!』

『だって、だって! 一番大切な人を手放してまで掴める幸せなんてないよ! そんな偽物の幸せなんていらない!』

『ライスシャワー!!! 早まるな!!』

『悪い子のライスは、みんなの夢を背負い続けることなんか、しない!』

『違うだろ! そうじゃないだろライス!!』

『違わないよ!! ライスは、私はお兄さまからもらってばっかり!!』

 

 反射的に耳を伏せそうになる。

 病院の廊下に響く怒号と呼び掛け。多少の防音はなされている個室ではあるものの、聴覚に優れたウマ娘たちは容易にその全容を拾いきった。

 

『違う、それは君が君の手で掴み取った──』

『違わないよ……だって、お兄さまが居なかったら、わたしは最初の一歩だって踏み出せないままだった』

 

 だからこそ、感じるのは混ざり混ざった、不可解な感情。言語化の極めて難しいそれ。

 悔しい。類似。怒り。類似。悲しい。類似。恨み。類似。嫉妬。類似。寂しい。類似。

 サイボーグとまで称された彼女の中では、線香火花にも似た言語化出来ないエラーが頻発していた。

 

『だからね。お兄さま。ライスに任せてほしいの。お兄さまに付き纏う死神なんて、運命なんて、ライスが防いで見せるから』

『……バカ娘め……!』

『バカでいいよ。ライスは、バカでいい』

 

「……私は……」

「あら、ブルボンさん」

「……マックイーンさん」

 

 いくつかの自販機と丸テーブルが並ぶロビーのスペースで、ミホノブルボンはメジロマックイーンと遭遇した。

 ともに、ライスシャワーに大きな夢と、それに見合う大きな期待を打ち破られた者同士。なんとなく通じ合えるような、言葉を選ばないのなら、傷の舐め合いにも似た思い、シンパシーめいた何かがブルボンにはあった。

 故に問う。

 

「マックイーンさん。私の、胸の内を聞いてもらえますか?」

「……えぇ、いいですわよ」

「感謝します。では──」

 

 そうして吐き出されるのは、ミホノブルボンという少女が抱くライスシャワーという唯一にして最後のライバルに対する、言語化できていない思いの丈に他ならない。

 

 無敗の三冠に挑み、それを阻まれた悔しさ。侮りはなかった。慢心もなかった。憂いもなかった。しかし、それでも負けた。

 その後は、怪我を理由にトゥインクルシリーズを引退。けれどそこで止まれないと、坂路を再び走り続けトレーニングを重ねた。

 復帰明けとなったSDTでは優勝を果たし、数年の間ライスシャワーと再び相見える日を待ち望んで、トレーニングに明け暮れたこと。

 

 そして、待ち続けたライスシャワーと、同じく天皇賞三連覇の夢を破られたマックイーンとともにWDTに挑み、同タイムアタマ差三着に敗れた。

 その時、改めてミホノブルボンはライスシャワーに宣戦布告をしたのだ。次のSDTは絶対に負けない、と。

 事実としてこれまで以上に精力的にトレーニングに明け暮れてきた。かつての失敗を乗り越えるべく、けれどダービーの頃以上に強くなる為に。

 

 しかし、ライスシャワーの調子がここ最近よくないことを聞き、会うために追っていた──あまりの気迫に声をかける事を躊躇われ、しかし声をかけなければと後を着けた形になってしまったが──ところ、この病院にたどり着いて、先程のやりとりを聞いてしまった。

 

 そして、言いようのない重く、苦しい感情が大きなうねりを伴って溢れてしまいそうな現状。

 

「──マックイーンさん。この感情は、何という名前なのでしょう」

「……私も、そう言われると難しいですわね」

 

 ややあって、迷うように言葉を選ぶマックイーン。そこに、ブルボンは確かに見たのだ。

 メジロ家の、誇りあるウマ娘たる『メジロマックイーン』の姿と、同じく夢をかけて鎬を削った『メジロマックイーン』としての姿を。

 思いの丈を、彼女は彼女なりに形にしていた。

 

「でも、そうですわね。強いて名をつけるのなら、それはきっと『惜別』と呼ぶのだと、私は思います」

「惜別……」

「別れを惜しむ。その一言には、沢山の想いが詰まっています。……私とて、勝ち逃げされる形になってしまい、本気で悔しいですもの」

 

 その言葉に、ブルボンは同調するように頷いた。事実としてブルボン自身もその思いに浸り、そして振り払いきれていない。

 もっと感情的にものを言えるのであれば、きっと自分らしくもなく『逃げるな!』と叫ぶくらいの真似はしていたと、ブルボンは何となく推察した。

 

「しかし。……しかし、こうも思うのです。彼女が覚悟を決めたその瞬間を阻んでしまうというのは、あまりに野暮というものですわ」

「……? 理由がわかりません」

「あら、知りませんの? 他人の恋路を邪魔する輩は、ウマ娘に蹴られて死んでしまうのです。そういうことですわ。……そういう点では、彼女のトレーナーさんには、少し妬いてしまいますわね」

「……恋」

「恋も愛も、生きる為に必要かと言われれば不要と切り捨てられるものでしょう。けれど、それは我々が決めるべきではなく、当人たちが決めるべきである、と」

 

 その日、ミホノブルボンはライスシャワーと顔を合わせることなく帰寮した。

 明日、トレーニング前にトレーナーに色んなことを聞いてみよう。そう心に決めて。

 

 

「センセー、センセーは運命ってやつ信じてたりするっすか?」

「そうですね。覆しようがない、という意味合いでは信じていません」

 

 センセーに問いかけると、寂しいくらいあっさりとした返答が返ってきた。いつもの小難しそうなことを考えて、実際その通りな顔をそのままに。

 少しイラッときた。PCから目も逸らさずに対応されるとちょっとは傷付く。少しくらい年頃のオトメの暇つぶしに乗ってくれてもいいじゃないかと思わない事もない。暇つぶしというより難解な医療書籍の解読という地獄のような作業からの現実逃避という側面もあるけど。

 

「ですが、どうしようもないものも確かにあります。加老による老衰は諦めざるを得ません。治療を拒む患者、治る気のない患者への治療ほど無謀なものもない」

「……」

「そういう意味では、あなたはその反例を知っている筈です」

 

 こちらを見て、変わらないその顔を見て思わず弾かれるように立ち上がった。胸倉を掴みそうになる。三冠を、六冠を成した脚が、瞬間的にあの有マに戻った気がする。

 そんな私を見ても、顔色ひとつ変えずにセンセーは淡々と告げる。

 

「あなたのその激情は、武器です。患者の諦観さえ吹き飛ばす。その黄金の輝きは、暗闇の中で座り込む誰かを引き上げる導そのものだ。レースにおいてもそうだったように」

「…………なんで、知ってんすか」

「……申し訳ありませんでした。あなたの事情は、あなたの妹より聞いています」

 

 あいつ絶対ズタボロにしてやる。タイタニック号なんて生ぬるい。竜骨から何から何までへし折ってバミューダトライアングルのど真ん中にふんじばって投棄してやる。

 ……でもあいつなら次の日にはケロッと戻ってきてそうで怖いな。てか、なんで知ってやがるシップのやつ。

 

「……あの件は私の中の、誰にも触らせたくない私だけの黄金なんすよ。勝手に触んないでほしいっす」

「失礼しました」

 

 そこで一旦、お互いに無言になる。いたたまれず、しかし話題に困った私は的屋さんとライスシャワーの血縁に関して聞いてみることにした。

 

「……にしても、彼女から見たら年上のいとこと、はとこの子供が自分のところのトレーナーで、肝移植の条件もクリアしてる。んで、お互いに血縁を知らなかった。……こんなケースもあるんすね」

「いとこ婚自体は特別珍しいものではありません。今回のような『血縁だと知らなかった』ケースは極めて稀でしょう。ですが、近代においては徐々に減ってきているのもまた事実です」

「ふぅーん。血が濃くなりすぎるーってやつなんすかね。わかんねー部分っす。

 ……ぶっちゃけ、ウマ娘ってその辺りの感覚ピンときてないの多いっすよ、私含めて。親と子供とか、ガッチガチの近親相姦なら別っすけど」

「そのように統計データも出ています」

 

 同じ世界で、同じ目線で対等に生きているはずなのに、ちょっとした考え方の差異は大きい。こういう部分、少し不思議だなあと思いながら、口に合わないブラックコーヒーで眠気を押しやって、解読作業に着手し直した。

 

 

「では、的屋トレーナーの退院を祝って、カンパーイ!!」

 

 あれからのことを話そうと思う。

 まず、ライスシャワーのドリームトロフィーリーグの電撃引退で世間に激震が走った。

 そして、トレセン学園卒業を機に自身のトレーナーと結婚する事を発表し、より一層世間に注目された。

 それを騒ぎ立てるメディアや出来ちゃった婚だと騒ぎ立てるパパラッチ紛いの雑誌も出た。

 そして、それらを全て受け止めた上でライスシャワーは、ライブ中継されている記者会見の場で言ったのだ。

 

『わたしのトレーナーさんが、命の危機に瀕しています。

 わたしを導いてくれた人を助ける為に、わたしはレースを引退します。

 わたしは、ファンのみんなの青い薔薇では居られなくなりました。

 ごめんなさい。

 でも、わたしは今、とてもとても、幸せです』

 

 この記者会見の際、質問をした月刊『トゥインクル』の記者、乙名史氏よりさまざまな情報が引き出された。

 そうして結果的に、世論としては『青い薔薇に祝福を』『ライスシャワーにライスシャワーさせる為に援助させろ』等々、批判的な意見はごく一部に留まった。

 その裏で『トレーナーの治療費を稼ぐ為にレースに出ていたのではないか』という憶測が溢れ地上の縺れを期待した黒いメディアとトレセン学園、URAの暗闘もあるが、今は関係ないだろう。

 

 そんな伝説的な記者会見から半年。沖野主催による『的屋トレーナーの退院祝い』の食事会、もとい飲み会が開かれていた。

 

「って、俺お酒飲みませんよ?」

「いーんだよ。安藤と嬢ちゃんたちが退院祝いやるって言って聞かねえから、先輩風吹かせたくなったんだよ」

「あら、てっきりまた私に金の無心でもしてこの場を切り抜けようとしてるのかと疑ってたわよ」

「ちょ、おハナさんそれはやめてくれよ……」

「……で、俺、速攻で出来上がってるあの二人のところに近寄りたくないんですけど」

 

 少し離れたところ、的屋の視線の先には普段は見せないようなべろんべろんに酔いが回った桐生院とその介抱に世話を焼いている……というか押し倒されて抱きしめられている安藤がいた。

 

 見なかったことにしよう。

 

「んで、的屋。ここの居酒屋はレバ刺しが有名なんだよ」

「……俺、この間そのレバーを傷めて入院してたんですけど」

「まあそう固いこというなって。ライスシャワーもそう思うだろ?」

「ラ、ライスも食べたいなって……お兄さまもライスも、まだ貧血気味なところがあるし」

「すみませーんレバ刺し二皿!!!」

 

 ライスが何故この場にいるのか。ぶっちゃけ言えば、既に卒業して的屋とくっ付いたからだ。

 

 同じ傷をお腹に刻んだらしい愛の重さは、この場についてくる躊躇いにはならなかったらしい。

 

 この後、ライスシャワーのペースに付き合ってレバ刺しや脂の乗った肉類を食べ過ぎて的屋のやつが数日腹の調子を崩したのは言うまでもないことだ。

 



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生誕の祝福。或いは、没する夢。

 お久しぶりです。こんな時間にこっそり。
 短いです。そして、某所に投稿したものを一部改変したものになります。


「君の誕生日は素直に祝う気になれないんだ」

 

 困り顔で言う若い男の顔には、確かな困惑が張り付いている。その担当であるメジロマックイーンも困った顔をした。

 

 その言葉とは裏腹に、誕生日プレゼントの低脂肪、低糖質なのに美味しいと評判のケーキに、アクセサリー等のプレゼントの類はしっかり用意しているから。

 

「あら、天邪鬼ですの?」

「いやー。そういうのじゃぁ、無いんだけど」

「……前々から思ってましたけど、トレーナーさん。あなた、毎年毎年、私の誕生日の時だけはなよなよしくなりますわよね」

 

 マックイーンからしてみれば、デビュー前からトレーニングを見てくれていた時も、ジュニア〜クラシック期も。シニア期に入ってからも。

 そしてこれから三連覇を賭けた天皇賞(春)を一ヶ月を切る目前にしてのこれだ。

 

 トレーナーは図星を刺された、苦虫を百匹はまとめて噛み潰したような険しい顔をして、黙り込んだ。

 十秒。十五秒。沈黙が二人の間の空気を包む。顔の皺を増やしたトレーナーは、覚悟を決めたように問う。

 

「……一回り以上歳上の僕が、こんな弱音を君にぶつけるのは大人としてダメだとは思う」

 

 弱々しく萎びたような声だった。

 心の底から吐き出したくない類の言葉だったのだろう。マックイーンはそんな思いをさせてしまう言葉を引き出させたことに、僅かながら罪悪感を抱く。

 

「これから言おうとしている事も一教育者としてダメだと思う。その上で、聞いてくれるかい」

「ええ、聞きますわ。何せ私は、トレーナーさんと一心同体ですもの」

 

 メジロマックイーンからすれば、トレーナーの発言は前提から違うのだ。

 メジロマックイーンというウマ娘には、今メジロマックイーンの目の前にあるトレーナーが居なければここまで走ることはできなかった。

 

 メジロマックイーンは、何となくではあるがレースが嫌いだった。それは本家分家とのしがらみだとか、幼少の頃自分の趣味にまともに時間を使えなかった反発心だとか、一部の例外を除いてそんな自分に夢をかけようとしてくる大人たちの願いだとか。

 

 レースには出るし、本気で走る。負けたくはない。けど、勝ちたいかと言われると悩む。

 それは、背負わさせられた荷物でしかないからだ。背中を力強く押してくれる原動力には、なってくれない。

 だからこそ、それらのストレスも相まって入学直後は太り気味になるほどやけ食いをしてしまっていたのだが。

 

 けど、けれど。トレーナーと出会ってからは一変した。

 新人トレーナーだから、ウマ娘個人に回せる時間が多かったというのもあったのだろう。

 

 何がどうして嫌なのか、懇切丁寧にケアしてくれた。

 まだ青く幼いメジロマックイーンの精神性を見抜いた上で、それをありのまま受け入れてくれた。

 甘いものが食べたいのに食べられないと嘆く時は、カロリー控えめなスイーツを用意してくれた。

 レースに向けて、『メジロとしての本懐』という夢の重さを、一時でも和らげてくれた。

 

 そんな、『退屈』とまで呼ばれるようになった位置まで自身の走りを押し上げてくれたトレーナーという存在は、教育者、指導者、一回り歳上の男性……それらの世間体という障害を『その程度』としか思わせないくらいにまで大きくなっている。

 

 そんな身分けしたような半身。切り分けたオレンジのような一心同体のトレーナーが苦しむ理由。

 一心同体たるメジロマックイーンが頼られざるして、トレーナーは誰を頼ればいいのだ。メジロの権威、ここで発揮せずしていつ発揮するか。

 

 堂々と胸を張って言葉を待つ少女の姿に、言葉を選ぶように沈黙すると、トレーナーは両手で額を支えるようにして、恥ずかしがるような、或いは懺悔するように声を絞り出した。

 

「……4月3日は、君の誕生日だ。メジロマックイーン」

「ええ、そうですわね。今日用意していただいたケーキ、とても美味しかったですわ」

「ありがとう……そう、だな。漠然とした不安。或いは、予感かな……まるで君が、突然居なくなってしまうかのような恐怖感が襲ってくることがあるんだ」

「…………」

「マックイーンの誕生日を初めて祝う前日に、夢に出たんだ。

 今より少し背丈の伸びた君が、突然胸を押さえて倒れたまま動かなくなってしまう。そんな悪い夢をね」

 

 「……バカバカしい話だろう? 僕はそんな夢をずっと恐れているんだ」と自嘲するトレーナー。

 バカバカしい、とはメジロマックイーンは言わなかった。

 

 知っているからだ。この半身のずば抜けた、本人も気付ききれない細やかに事象を読み解く観察眼と、何でもかんでもトレーニングに転用できる閃きに発想力。

 

 万が一。その観察眼から得た情報を整理、精査し、将来的に起こり得る事象を夢として見たというのなら。

 あり得ない。そんな風に一蹴する事は容易だ。

 だけど、信じることにした。

 

「まったく、トレーナーさん。……そういう話は、誕生日にするものではありませんわよ?」

「ごめん。ほんっとうにごめん」

「ですが、気に留めてはおきますわ。なんて言っても、メジロマックイーンのトレーナーは貴方しか居ませんもの。その言葉を無碍にする理由もありません」

 

 「ありがとうございます」と花のような笑顔を咲かせるメジロマックイーン。呆然と、少し顔を背けたトレーナー。

 

「さっ、今日はトレーニングの後、ちょっとしたお菓子パーティでも始めましょう! パクパクですわ! ムシャムシャですわ! もぐもぐですわ!!」

「ちょ、待ってくれマックイーン! せめてケーキだけ……いやポテチ一袋までで──」

 

 

 

 

 

 後年になってメジロマックイーンは語る。「あの言葉がなければきっと、自分は心臓の病に気がつかないままでいたかもしれない」と。

 

 後年になって彼女の担当だったトレーナーは語る。「あの笑顔で、全部持っていかれましたね。ずるいよ、あれは」と。

 

 




雑な紹介
まっくいーん
・本家分家とか、原作馬の引退後の逸話から色々設定を練って採用。その結果メンタル的に相当不安定かつスイーツを食べたがるというのを『ストレスによる』理由付けをした。放っておくと過食症とかになってたかもしれない。
・トレーナーはそんな自分を支えてくれてた……なんて言葉では済まない相手。大恩ある大人。切り分けたオレンジ。新月の夜であっても月が綺麗ですねと言いたい相手。でも言葉にするまでもないと思ってる。
・狙った獲物は逃さないタイプ。

とれーなー
・俺ら。もとい、アプリ版Tの観察眼(スズカのアレとか)と発想力(トレーニングに活かせるかもしれない!)を持った新人T卒業して1〜2年の姿。
・観察眼がずば抜けてて本人もそこまで気が付かなかった事とか、その先に待っている可能性とかを予知夢のような形で知ることができる。が、自覚はない。
・実は初担当が同一GI三連覇とか目前にしててプレッシャーだとか夢の事とかで相当参ってた。
・マックイーンの事はまだまだ放っておかない女の子、家の事情で情緒が不安定だった子と、完全にトレーナーというより保護者視点。


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皇帝暴走曲〜勘違いほど恐ろしいものはない〜

 某所に投稿したものを編集したものです。


「昼想夜夢、愛屋及烏、依依恋恋……」

 

 夜八時を過ぎても誰もいない筈の生徒会室には、幽霊が出るらしい。

 

 そんな根も葉もある噂を黄金の不沈艦や、或いは本当に拙い類の話を漆黒の摩天楼に吹聴されているとも知らずに、件の幽霊、もといシンボリルドルフは悶々と目の前の白紙の便箋と向き合っている。

 

「隔靴搔痒とはまさしくこれだ。我が事ながら、もっと何かないのか……!?」

 

 書いては消してを繰り返し続けていた。消された筆跡でよれよれになった便箋からは、何度書き直していたのかわからないほど。

 

 皇帝らしからぬ、焦りで掛かったような形相で、荒く左手で前髪を搔き乱している。

 

 発端は、先週の事。

 トレセン学園卒業を目前に控えた『皇帝』シンボリルドルフは自身の元担当トレーナーに挨拶をしに廊下を歩いていた。

 

 『ルドルフが強かっただけ』『トレーナーは何もしていない』と誹謗中傷の数々に晒された中でチームを持ち、その初年度から重賞制覇やG1勝利ウマ娘を毎年送り出し続けてからは見方が変わり始めた。

 『皇帝を導いた杖』『名伯楽』と呼び称されるようになり。多くのウマ娘たちを擁するチームの一角として最早知らない人はいない名トレーナーとして名を馳せるようになっていた。

 

 それが──シンボリルドルフには面白くなかった。

 

 彼を称える声のどれだけが、元より彼を応援し、支えていたのか。どれだけの悪意が、流れに乗って裏返っただけなのか。

 

 そして何よりも。自身を担当していたトレーナーが、担当しているチームのウマ娘たちと涙ながらにハイタッチを交わしたり、抱きしめあっていたり、姫抱きにされたりと──。

 

 有り体に表すなら、『私だってそうしたい』と。ごうごうと猛り盛る嫉妬の炎が、向けようのない怒りが理性を焦がす。

 

『どうぞッス、トレーナーさん!』 

 

 そして、そんな嫉妬も怒りも原動力に変えていざ征かんと張り切ったところで。

 

 元担当トレーナーが、彼のチームの1人に、マスク越しでもわかるような、花が咲いたような笑みで何かを渡されている様子を、たまたま盗み見る形になってしまった。

 

『ありがとう、これは大切にするよ』

『ハイ! 大切にして下さいよ? その指輪!』

 

 そこからは何も見なかった。聞かなかった。見ないふりをした。聞かないふりをした。耳を絞って。目は涙で湿らせて。少女の心を獅子の爪牙で追い立て心の奥底に封じ込め。皇帝として不甲斐なく無いよう仮面を着け直した。

 

 だからこそ起こった『不手際』だ。

 シンボリルドルフは自答した。このままではいけないと。

 

 『皇帝』のままであり続けるなら、ルナという名で呼ぶことを許した相手との思い出に区切りを刻むのなら。

 

 それは形あるものを残さなければ。

 少女の心を皇帝から引き剥がして、隔離して、封じ込めなければ。

 

 そうして、この一週間。

 

 手紙という形でトレーナーへの思いを綴り、綺麗なままの、シンボリルドルフという胸の内に刻み込まれたトレーナーという唯一無二を取り出そうとして──皇帝は何もできないまま手をこまねいていた。

 

 暗中模索。無間の闇の中を旅する、足元もおぼつかないまま歩く盲目の老婆になったかのような心細さの中で。

 

 だからこそ。

 

 シンボリルドルフは、その思いを言語化できずにいた。取り出すことができずにいた。

 

「カイチョー、大丈夫?」

「ふぁぁ!!?」

 

 思わず目を向けた。何なら尻尾が跳ね上がるくらい驚いた。

 

 見れば生徒会長となった今なお、『カイチョー』とルドルフを呼び慕うトウカイテイオーが心配そうにこちらを見ていた。

 

「……な、なんだ、テイオーか。……ノックくらいして」

「ボク、ずーっとノックも、声も掛けてたのに5分近く無視され続けてたんだけど。それに、もう一時間もしたら門限だよ?」

「…………すまない」

 

 時間を忘れて、夕方頃から現生徒会長に無理を言って場所を借り続けて一週間。

 日に日に衰弱するように疲弊する『憧れ』を、テイオーが放っておける理由もない。

 

 「で、どうしたの? ボクでよければ聞くよ?」とテイオーが尋ね。

 

 ルドルフはテイオーには甘かった。テイオーを妹か、或いは本当に子供のように大切に扱っていた。

 だから、これもまたルドルフなりに見せる甘えなのだ。

 

「──嗤ってくれテイオー」

 

 ただ、テイオーにとって1つ予想外も予想外だった事実がある。

 普段通りの冷静沈着、文武両道、獅子王の如き皇帝はこの場におらず。

 

「私は私の理想を、兼愛無私を謳った皇帝は……愚かにも、自分だけの幸せを求めてしまった……!」

 

 かつてのライバルのように大粒の涙を流して便箋を湿らす、少女としてのシンボリルドルフだったということ。

 

⭐︎

 

 トウカイテイオーが作ったマイ辞書には、こう刻まれている。

 『恋は、ダービーである』

 『すれ違いは、糺すべき悪である』

 

⭐︎

 

 トウカイテイオーは一通り話を聞き、激怒した。必ず、かの皇帝の杖であった男をシメねばならぬ決意した。

 

 トウカイテイオーには恋がわからぬ。愛もあまりわからぬ。トウカイテイオーはトレセン学園の現生徒会会長である。書類を作り束ね、ネイチャやマックイーンと共に学園内で起こる珍事や問題に取り組み解決し、歩んで来た。自身のトレーナーとも交流を重ね、他の担当なら兎も角別の女性らと話している様子を見るだけでやり場の無い不可思議な感情に襲われることを除けば、順風満帆とも言える環境で過ごしていた。

 

 けれども、敬愛し今なお心の中で、憧憬の像を結ぶ存在であり続けるシンボリルドルフの事には、人一倍敏感であった。

 

 尚、上記の文面はハッキリ言ってテイオーの現実逃避である。

 

 テイオーはテイオーで頭を抱えていた。

 シンボリルドルフが勘違いしていること。そのせいで起こっているとんでもない亀裂の実態を察知してしまったのだ。

 そして、思うのだ。だから言うのだ。

 

「カイチョーって、たまにホントーにめんどくさくなるよね」

「!?」

 

 憧れているから。慕っているから。

 だからといって、言うことを遠慮する必要はないとテイオーはこの数年で学んだ。

 

 ルドルフのダジャレは面白くないことだってぶっちゃけた程度には。

 

 だから、取り敢えず仮面を叩き割ることにした。

 

「カイチョーの理想、『全てのウマ娘に幸福を』……あれって挙げ足取りみたいな事言われる機会も多いけど、言いたい事は『悔い、未練を残したままターフを去るウマ娘たちが居ませんように』っていう事だよね」

「……ああ、そうだ」

「じゃあ、うん。やっぱりカイチョーってめんどくさいね」

「!?」

 

 溢れる涙が止まる程度には、本気で驚き困惑している様子の皇帝を、帝王はぶすくれるように半目で見る。

 

「ボクらを無礼ないでよ、シンボリルドルフ。ボクらはここに、中央っていうとびきりの戦場に我こそはーって飛び込んできた挑戦者たちだ。

 その覚悟が足りないかもしれない。怪我ややむを得ない理由で学園を去る事だってあるよ。

 でも、勝った娘には賞賛を。負けた娘には期待を。ターフを去る娘には手向けを。そして、最後まで学園に残り続け、卒業を迎えた娘には喝采を。

 それ以上もそれ以下も無いよ。あったら、それこそ失礼極まりない」

「……ああ、そうだな。テイオー」

 

 天井の照明を睨むように視線を上げて、ややあってルドルフは自罰的に語り出した。

 

「私は、負けたんだな。これで、四度目か。過去三度の敗北もこれ以上なく沁みたが……殊更今回は特別、痛いな」

「…………」

「だけど、どうしてだろうか。恋に溺れ、皇帝としての姿を忘れてしまっていた。……そのまま、そうして暗君に身を落とすより遥かに清々しいと言える。青天霹靂とは正しくこれだ」

「………………」

「ありがとう、テイオー。やっと、掛かりに掛かったこの思いと折り合いを付けられそうだ」

「……………………あの、カイチョー」

 

 流石にこれは拙いと。冷や汗が止まらなくなるテイオー。

 

 『カイチョーが何か勝手に納得して、自分の思いに蓋をしようとしてるんだけど!?』と言葉に出さずともテンパっている。

 

 それはいただけない。

 

 アンナやイザベラを、すれ違いと思い違いのまま手放そうとしている。

 

 流石に、こればかりは、糺すべき間違いだ。

 

「カイチョー。トレーナーと、指輪を渡してた娘、なんだけど」

「……ああ、明日にでも、挨拶しにいくさ。彼ら彼女らの行く道の先に、祝福を、とね」

「いやぁー……あのね。カイチョー……」

 

 「あの二人、別に付き合ってないよ?」と。『もうどうにでもなーれ!』の心境で放った直球は、たがう事なく皇帝のドタマをぶち抜いた。

 

⭐︎

 

「それで、ガッチガチのべそかきながらルドルフは俺のところに襲来してきました、と」

 

『うーん……まさかカイチョーがここまで拗らせてるとはボクも思ってなくて……カイチョーは今どうしてる?』

 

「シャワー浴びせて着替えさせたら、泣き疲れたみたいにグッスリと。……元はと言えば俺が誤解を招くような行動してたのが悪いわ。オルフェにも後で謝らないといけねえな……」

 

『カイチョーを泣かせた責任、キッチリとってよね!』

 

「はいはい、わーったよ。カイチョー様」

 

 

 

 

「悪かったな。ルナ。……今年チームに来てくれた娘が、お前のファンでさ」

 

 そう言って、若い男が箪笥から取り出したのは、小綺麗な紫色のケース。

 開けると、金で出来た指輪が二つ。どちらも細かく万能が彫られ、しかし悪趣味な程ではない。

 一つは三日月を模した、もう一つは、タンポポを模した金の指輪。

 

「『そのうち結婚とかもするんッスよね! なら、良ければアタシに指輪を作らせて欲しいッス!』なんて言ってさ。冗談半分で料金を払ったら、二週間もしないうちに渡してくるとは思わなかったよ」

 

 「流石に色々急過ぎて焦ったけどよ」と快活に、疲れたように笑う姿は、何となく社会の荒波に揉まれた大人としての気苦労を感じさせる。

 

「…………お前が卒業して、何年かは待とうと思ってたんだけどなあ」

 

 頭をガシガシと荒く掻いて、諦めたようにため息を一つ。

 

「俺はこっちの、三日月が刻まれてる方貰っていくわ。綺麗な月は、いつだって見てたいからさ」

 

 「……これじゃあ、まるでクッセェプロポーズみたいだな」と渋面をしてけれど言葉が見当たらなかったらしい彼は、ややあって残ったもう一つの、タンポポの指輪。

 

「……タンポポってさ。グラスのやつが教えてくれたんだけど、『離別』って言葉以外にも、『真心の愛』って花言葉があるらしいんだわ。

 俺たちなら、そんな離別なんて乗り越えられるだろって。本当に好きだと言い続けられるだろって……まあ、願掛けなんだ」

 

 言い訳のように。言葉を吟味して吐き出す男は、そこでやっと落ち着いたように息を吐いた。

 

「…………よし、聞かれてないな。……おやすみ、ルナ」

 

 そうして、普段眠る時には使わないソファーにタオルケットを片手に倒れ込んだ。

 尚。

 この独り言は間違いなくトレーナー視点では独り言として、認識・処理されたこの出来事は。

 シンボリルドルフがトウカイテイオーとトレーナーとの電話越しの会話が終わるやや前から起きていた──という事実を捨て置いた上での出来事である。

 



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不沈艦の喫煙室。

 大変お久しぶりです。

 ゴルシ×Tの地続きものです。


 

 

 ──ゴ・ルード=メジロンティーヌ男爵は絵本の読み聞かせのように朗々と語った。

 

「あの青い星の真奥を見よ。ドラマティックな水底の果て。それこそ浜辺に打ち上げられた昆布のようなカセットテープのような絡まり具合を。そのドラム缶の如き最奥の秘中にこそ我らの求む────」

「なにやってんだゴールドシップ……?」

 

 がらんとした音楽室のど真ん中で、台本のようなものを片手に部室の中で右足を椅子の上に乗せ、天井にまっすぐ指を伸ばすのは、ここ最近『破天荒』やら『猛獣』やら『イチゴ大福』やらと、割と酷い渾名で呼ばれることが増えたゴールドシップ。

 

 しかし途中の台詞の訳の分からなさを除けば声の抑揚、力強さの加減、男性と言われても違和感のない低い声と、深い練度を感じられる。本当になんでも出来るな。演劇の登場人物と言われても何も違和感がない。

 

「──んお、トレーナーか。いやー、こないだ絡んできたチビっ子に読み聞かせてやろうと思ってさー。『ゴ・ルード=メジロンティーヌ公爵の冒険の書』」

「なんだそれ」

「悪徳貴族の長男坊が気まぐれに野菜の栽培しながらゴルゴル星の秘宝【黄金の旅路】を巡って大冒険をする話だ! 上中下巻でそれぞれ1000ページあるぞ!」

「……悔しいけどゴールドシップが書いた作品だから絶対面白いんだろうなって確信があるね。悔しいけど」

「おいおい、わざわざ二回も言わなくていいだろー。なんたってアタシは──ゴルシちゃんだぜ⭐︎」

「なんだろなあ、この……ダサい感じ……」

「おい、顔背けんな。メジロバスターきめんぞ」

 

 お前メジロの出じゃないだろと言いたくなったが、実のところYesともNoとも言い難い。シュレンディンガーのゴールドシップなのだ。きっと。たぶん。

 それはともかく。

 

 ゴールドシップはいつもこうなので、割ともう慣れた。

 

 ノリと計算ずくと愛しさと切なさと力強いゴリ押し、それによって齎される面白おかしい不可思議体験の数々も、なんだかんだ楽しいもんである。

 

 いや訂正。振り回される機会が圧倒的に多い。気苦労も多い。けれどストレスに感じない程度には、振り回され慣れたとも言える。

 

「んで、今日はその読み聞かせの練習?」

「んにゃ、打ち合わせ前の練習だな」

「……打ち合わせ?」

「そーそー。演劇の片手間に人生生きてる覇王と一緒にやるからさー。流石に普段のノリを何も知らねえちびっ子たちの前でやる訳にもいかねえだろ?」

 

 何故そこでブレーキが効くのに普段はあんな風になるんだゴールドシップ。そして何故ブレーキパッドに油を差してトドメにローションぶっかけてくるような奴を連れてくるんだゴールドシップ!

 

 というかオペラオーもオペラオーでサマードリームに向けて調整中だろうによく付き合って……いや付き合うだろうな。『ボクを含めて、生きとし生ける人々誰もが素晴らしい!』なタイプだもんな。

 

 あれはあれで覇王たれと仮面被ってるけど。

 その本性曝け出してる輪田トレーナーのこと大好き過ぎて私物化してるとか何とか変な噂が立っているけど。

 

 ……にしても本当に大丈夫なのだろうか。子供たちが半分も内容を理解できるだろうか。……無理だろうなあ。

 

 ニュアンスが違うが。

 豚に真珠。

 猫に小判。

 ゴールドシップにオペラオーだ。

 

 むしろ化学変化を起こすのが確定な分、タチの悪さだけは上がってるかもしれない。

 

 アヤベさんやマックイーン、それこそタマモクロスでも手の施しようのなさに匙を彼方へ投げるだろう。

 

「──さーて、演劇の練習も終わった事だし、トレー……うん?」

 

 言いかけた途中で言葉を区切り、ギュンと効果音でも付ければらしくなりそうな勢いで俺に近づいてくる。

 

 なんだろうか。嫌な予感はしないが。

 そのまま徐に抱きついてきたと思えば、スーツに顔を押し付けて深呼吸しているようである。

 

 前にも似たようなことはあったなと反省と共に思い出す。ストレスと不眠からくる体調不良で彼女には多大な迷惑をかけてしまった。添い寝の件や料理を作ってもらった件もそうだが、マッサージや耳かき……とにかく俺にかかっている心身の不調を取り除くのに、全力で取り掛かってくれた。

 

 いやでも、今回に関しては本当に心当たりがない。前日はお酒も嗜んだが、ちょっと高めのブランデーをロックで一杯だけ。流石に酒臭いなんてことは無いだろう。

 

 同期のトレーナーたちが贈ってくれた逸品を埃被らせておくのは、あまりに惜しかったし。何よりここ最近は寝付けないことも、過労で動けなくなるようなことも無かった。ので、体に負担にならない程度にしか飲んでないし、本当に問題はない筈だ。

 

 ……ああ、いや、前言撤回。あったわ、心当たり。消臭タブレットも噛んだし、臭い消しのスプレーも使ってこそいたが。

 

「トレピ……お前、煙草吸ってるな?」

「……ハイ」

 

 流石ウマ娘。他の人に気が付かれないような微かな臭いさえ気が付くか。

 

 

「うわーーん、トレーナーが不良になったーー」

「いやすごい棒読みじゃん」

「だってなあ、あんだけ抱え込むトレピの事だし、タバコや酒の一つや二つあるだろ。むしろやってなかったらビックリだわ」

「ははっ、……たまにどっちが大人かわからなくなるね」

 

 「トレーニングよりもトレピの煙草吸ってる姿見たい見たい見たいー!!」と迫真の駄々をこねたアタシとの話し合いを優先すると折れたトレーナーは、アタシを引き連れて近辺の喫茶店に顔を出した。

 

 本来なら他のウマ娘たちも、トレーナーたちもトレーニングに励んでいる、なんなら社会人たちもまだ働いている、昼下がりとも、夕方とも呼ぶには微妙な時間帯。アタシらにとってはだいたいの芝GIレース開催時間くらいなので、少しソワソワしてしまう気分だ。

 

 そこでしれっと禁煙席に座ろうとしたので、アタシは速攻で喫煙席をお願いした。

 ただ、一つ予想外なことが。

 

「……あの、ごめんゴールドシップ。俺、タバコは吸うけど、3〜4日に一本くらいなんだ」

「えっ、そうなのか。……てことは、全身つったマグロみてーだった時には吸ってたのか?」

「どんな表現だよそれ……まあ、うん。そうだね。吸ってる余裕すら無かったけど」

「……ちぇっ。吸ってる姿見れると思ったんだけどなー」

 

 割と本気でショックである。トレーナーの意外な一面や、“アタシの知らない顔を知らないままにしたくない”っていう幼い独占欲だけど、ゴルシアイにかかれば半永久的に保存できるってのによー。

 

 届いたコーヒーゼリーパフェをつつきながら、どこか愛想笑いめいた、けれど本心から楽しそうな、なんとも中途半端な笑顔のトレーナーに悪態をつく。

 

「なんだよその顔ー」

「いやぁ……?」

 

 ゆったりと。含みを持たせるような言い方で。人によっては小バカにしてるとでも思われてしまいそうな雰囲気すら感じさせる態度にも思える。

 

 でも、アタシはわかってる。トレーナーのこれは、特に何も意識してない時の、リラックスしてる時の喋り方だ。

 

「ゴールドシップとご飯を食べにきたりした事はいくらでもあったけど……よくよく考えてみたら、お前の言い出した事とはいえ……俺が主目的気味にこうして出かけたのは初めてじゃないかって」

「……おお、言われてみればそうじゃん。今日はアタシがコバンザメか」

「毎度思うけど魚の知識量どうなってるの?」

「いいだろ、年間水揚げ量564t級の不沈艦だぜ? 税金に120億かかるけど」

「うわ赤字くせー」

「……なあ、トレーナー。今は、楽しいか?」

「…………そうだなぁ。お前と居ると、楽しいよ。悪い、一本だけ、つけるわ」

 

 そう言って、懐からオレンジ色のあまり見かけない色合いのタバコを一本だけ取り出した。

 普通のタバコじゃねえな。巻紙も茶色い。リトルシガーってやつか。

 一緒に取り出したマッチの箱から器用に一本だけ棒を取り出して、タバコの先端に火を灯す。

 僅かに口元が動き、煙を溜め込んで、ゆっくりとアタシに向けないように吐き出す。微かに漂ってくる煙たさの中に、バニラフレーバーのような甘さを感じ取りつつ。

 濃い白さに、少し目を細める。

 

「……フカシか?」

「なんでわかんだよ」

「色、白いじゃねえか」

「……まあ、リトルシガーってのは、吸い込むやつじゃないからね。酒のサカナにしてる節もあるし」

「へえ。煙をサカナに、ねえ」

 

 ……こりゃあ、次に襲撃する時はトレピッピの健康管理をチームのやつらと一緒に考えねーとダメかもしんねーなと、何処か他人事のように思った。

 いや別に止めさせるつもりはねえけど。ニコチン×アルコールとか絶対指数関数的に害がやばいだろ。

 

 けれど、だ。

 口に出すつもりも、人がタバコを吸っている姿に、特に何も感じたことはなかったのだけど。なんとなく。漠然と。

 

 かっこいいなと。煙をふかしているその姿に、何となく見惚れていた。

 

 アタシのトレーナーだから、そう思うのだろうか。

 



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