ヒトがウマ娘に敵うわけがない (背水 陣)
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プロローグ

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じりじりと距離を詰められる。

 

後ろは壁。逃げ場はない。

 

 

 

茜色の太陽がカーテン越しに差し込む、夕刻のトレーナー室。

 

 

俺は、最後まで抗う覚悟を決めていた。

 

 

 

だって、こんなこと許されるわけがない。

 

 

俺が望む、望まないではない。

 

 

彼女らにとって、それはとても大事なことだから。

 

 

若い時の、一時の気の迷いで。

いつか後悔するだろう。

 

もう少し、思慮深ければ。

慎重に生きていれば。

後先を考えていれば。

 

絶対、そうやって過去を振り返る。

 

 

 

「なあ、もう一度考え直さないか、テイオー?」

 

 

冷や汗を流し、震える足で俺は説得する。

 

体格に差のある俺と彼女では、常識であれば優位のはず。

 

だが、目の前の少女は人間ではない。

 

ウマ娘だ。

 

 

栗色の髪と、長い真っ白な流星が揺らぐ。

身体も小さく、まだ中等部ではあるが……トゥインクル・シリーズで素晴らしい成績を残している。

 

 

彼女の名はトウカイテイオー。

 

 

自らを最強無敵と豪語する彼女は、常にケガと共にレースを走ってきた。

だが、その度に不屈の魂で何度も立ち上がり、様々な舞台で好成績を収めてきた。

 

年末の有記念。骨折から1年越しの療養を経て、BNWという三強の一人ビワハヤヒデと接戦の末に勝利。

誰もが疑わない、まさに奇跡の勝利。

 

それから、再び調子を落として、戦績が振るわないのは知っていた。

何故ならば、俺は彼女のトレーナーなのだから。

 

 

ええい、今はそんなことどうでもいい。

 

とにかく、目の前の状況を何とかしなくては!

 

 

 

「なんで? ボクは最初からそのつもりだったんだよ?

 トレーナー、まさか裏切るつもりなの?」

 

高く幼い声色から想像もつかないほど、落ち着いた返事。

いや、落ち着いているんじゃない。

 

これは、覚悟を決めているんだ。

自分がこれからどうなるのか。どうなってしまうのか。

全て考えたうえで、挑んでいる。

 

「そんなつもりは……。た、ただ俺は……お前のことを思って……」

 

「ボクのことを本当に思ってるなら……いいよね?」

 

曇りのない……いや、光の無い瞳が近づく。

 

俺は必死になって逃走経路を計算した。

だが、どう足掻いても もう無理だった。

 

近くの物を投げつけてしまえば、隙は作れるかもしれない。

だが、それによってケガをさせてしまうような事態は絶対に避けたい。

 

ならば、フェイントを入れてみようか。

いきなり接近すれば少しは驚くはず。

 

思い切り足を踏み込んで、大きな音を立てれば効果は倍増だ。

 

よし、これしかない。

 

 

「テイオー!!」

 

「!!」

 

俺は叫び、一歩だけ足を出す。

木製の床に振動と轟音が響き、周囲の空気を瞬間的に支配した。

 

(よし!)

 

案の定、テイオーは怯んだ。

尻尾が真っすぐに伸び、身体が委縮している。

 

今こそ好機! このまま出した足を軸にして一気に……!

 

 

 

「つーかまえた♪」

 

「え?」

 

 

 

動かない。

 

 

 

足が、ピクリともしない。

 

 

不意打ちのために出した足は……テイオーに差しだすような形になってしまっていた。

 

細指に握られた下腿部は、痛みを伴わないのに、まるで万力にでも掴まれているかのよう。

 

 

 

「なっ……くそ!?」

 

全身全霊を持って、全ての力を振り絞って、ありとあらゆる捻転力を用いて脱出を試みる。

 

 

だが、俺の身体は一ミリもその場から動いていなかった。

 

 

 

「ダメだよ、トレーナー。不用意に近づいちゃ」

 

ニコリと笑う、陰のある顔。

吸い込まれそうな暗黒の瞳とのギャップに、ゾクリと冷ややかな感情が駆け巡る。

 

 

 

「ヒトが、ウマ娘に敵うわけないんだからさ」

 

 

「……あ……ああッ!!」

 

 

 

情けない叫び声が思わず漏れた。

恐怖と葛藤と、もうあの頃には戻れない後悔と。

 

あらゆる気持ちが、ないまぜになり喉から飛び出る。

 

 

その様子がおかしいのか。

 

テイオーは変わらない笑顔で、そのまま。

 

 

そっと、一歩近づいた。

 

 

もう、完全に密着している。

 

 

 

鼻水と涙の出る、情けない俺の顔に向かって。

 

 

抗えない力で、優しく強く襟を引っ張りつつ。

 

 

 

 

 

 

「さ、トレーナー……」

 

 

 

 

 

耳元で、息を吹きかけるようにつぶやいた。

 

 

 

 

「ボクと『うまぴょい』……しよ?」



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トウカイテイオー
第一話「衝撃、トレセン学園最後の男性トレーナー!」


年度明けの、暖かい陽気に包まれた季節。

 

桜並木を歩きながら、今日も緩やかにトレセン学園へ向かっていた。

担当のウマ娘達の成績も上々。自身の評価も悪くない。

 

新しい季節に相応しい、とても穏やかな日々の始まりを告げるかのよう。

 

俺……『好井(よしい)ソウマ』は、鼻歌交じりで校門へ歩み出した。

 

 

「危機ッ!! このままではマズいぞ、好井トレーナー!」

 

 

そんな生易しい状況は、一瞬で崩れ去ってしまう。

 

学園に入ろうとするや否や、毎日ウマ娘達に挨拶を交わしているトレセン学園理事長秘書『駿川(はやかわ)たづな』さんに、強制連行されたのだ。

 

いや、本当に連行だったんだよ。

有無を言わさず、袖をつかまれそのままの勢いで理事長室へ放り込むんだから。

途中、ウマ娘たちの怪訝な視線を痛いほど受けた。

思春期の子たちに、朝から刺激的すぎるんじゃ? なんて心配は全くしてないのか、真っすぐ連れていかれたんだ。

 

そして、学内でもかなり荘厳な造りのドアの中へ放り込まれると同時に、「火急」と書かれた扇子を開いた理事長……『秋川やよい』氏に、説明もない謎のセリフをふっかけられたのである。

 

「……えっと……。ど、どうしたんですか?」

 

朝の挨拶も忘れるほど、俺は動揺していた。

だが、後ろ手に聞こえる鍵の閉まる音だけはしっかり耳に入っている。大声で話しかけた割には、極秘の内容らしい。

 

「うむ。好井トレーナー。キミも聞き及んでいることかもしれないが……新学期に入り、年度末で引退や異動したトレーナー達が居るのは、知っているな?」

 

当然だ。各担当の引継ぎ、チームの状態等など。

様々な業務の受け渡しが、2月から3月に向けて行われた。俺自身も何人か、適正のありそうな子を受け持つことになっている。顔合わせもまだのウマ娘だっているが、珍しいことではない。

 

「驚愕ッ!! 先ほど資料整理をしていて気づいたのだが……どうやら、それによりこの学園の男性トレーナーはキミ一人となってしまったのだ!!!」

「……? それが、何か……?」

 

ウマ娘のトレーナー自体が居なくなるのは困るが、別に俺以外が一斉に退職したわけでもあるまい。

仕事の負担はそりゃ増えるには増えるが、首も回らない状況になるようなことは、決して……。

 

「トレーナーさん、もしかして……『あの噂』をご存じないのでしょうか?」

 

おずおずと伏し目がちに尋ねつつ、緑のスーツが今日も決まってるたづなさんが俺の前へ立った。

 

「あの噂……?」

「はい。その様子だと、ご存じないみたいですね」

「噂と言っても、そんなものたくさんありますからね。

 後ろ向きで走るサンタクロースとか、夜の練習場で延々と走るウマ娘とか……」

「もしかすると……意図的に耳に入らないようにされていたかもしれませんね。

 では、お話しましょう。どうか、心して聞いてください」

「は、はい……」

 

いつにもない真剣な眼差しで、たづなさんは口を開く。

生唾を飲み込み、どんな恐ろしい話が飛んでくるのだろうと俺は身構えた。

 

 

「異性のトレーナーと『うまぴょい』したウマ娘は……最高の肉体を得ることができる」

 

 

 

「…………は?」

 

余りに突拍子のない内容で、噤んでいた口がだらしなく開く。

力んでいた肩の力が抜け、猫背のような姿勢になってしまった。

 

なにより、脳が意味を理解できていない。

 

「うま……ぴょい? って?」

「静粛ッッ!! 好井トレーナー! それ以上はいけない!!」

 

センスで赤くなった顔を隠す理事長の怒号が飛ぶ。

驚いて視線を動かし、もう一度たづなさんに返すと、たづなさんも頬を染めていた。

もじもじとしている様子は、普段の彼女とは程遠い様子でとても加虐心がそそられる。

 

……じゃない、じゃない。

 

「あの、なんですか? うまぴょい、って」

「と、トレーナーさん……。その……何度も言わないでください……」

「全く、まだ早朝だぞ。好井トレーナー!」

「ええ~……」

 

理解できない状況な上、問おうにもまともな返事がこない。

俺は一体、何を聞かされ、何に危機を抱けばいいのだ?

 

「と、とにかく! キミはこの学園最後の男性トレーナーになった、ということは先ほども伝えたな?」

「ああ、はい」

「つまり、噂の対象はキミしか居なくなってしまったわけだ!」

「……なるほど?」

「もしかしたら、トレーナーさんに対して噂を強引に実行するウマ娘さんが、これから押し寄せるかもしれない……ということを、忠告したかったんです」

「??」

 

忠告されても、そもそも『うまぴょい』とやらが何かわからない。

危機を抱けばいいのか、はたまた別の方法で撃退? すればいいのか。

 

「禁忌ッ! 噂の実行は、いくら自由な校風の我が学園においても、目に余る! 好井トレーナーは、鋼の意志を持って、その行為を防いで欲しい!」

「……うぅん、よくわかりませんが……。俺も一人のトレーナーですから。ウマ娘が強くなろうとする要望に、応えないのはどうかと思いますが……」

「確かにそうですけれど……。いえ、やっぱりダメです。まだ思春期のウマ娘さんたちが、そんな……そんな!」

 

私だって、まだなのに。という たづなさんの小さな声が届いたが、結局のところ何がなんやらわからない。

ただ、学園を運営管理する立場の二人から、直々に言われた以上は、俺も従わないのは流石に大人として間違っているか。

 

「わかりました。いや、わからないままですけど。とにかく、普段と違うことをウマ娘達が求めてくるかも、ってことですかね?」

 

二人が頷く。

 

「強くなりたい。速くなりたい。あの子より先にゴール板を駆け抜けたい。そんなウマ娘たちが、何かを求めて俺の下を尋ねてくるのに、無碍にするのは少々気が引けますけど……。他でもない、二人のお願いですから。気がかりはありますが、ともかく了解しました」

 

肯定の動作をする俺を、たづなさんは不安げに見る。

 

「トレーナーさん、本当に気を付けてくださいね。うま……いをした子は、一度ならず二度、三度目を要求してくるそうですよ」

「因果! 何より、数々の男性トレーナーが引退している理由の一つでもあるからな。噂、というが間違いなく事実なのだ。(ゆめ)、自制に励むように!」

「はい、わかりました」

 

なんか最後にとんでもないことを言われた気もするが、キリっと返事をして、俺は礼を尽くした後に部屋を出た。

 

 

……結局、なんの話だったんだ?

頭の中に浮かぶ単語は「うまぴょい」「危険」の二つぐらいだ。

後は雲をつかむような話で、要点を得ずに終わっている。俺は、何をどうすればその「うまぴょい」が回避できるのか、未だわからない。

 

腕を組みながら、理解できない命令を下されたことに疑問を抱きつつトレーナー室に向かうため廊下を歩いていると、目の前によく知る後姿が見えた。

そうだ。彼女に聞くのが早そうだ。

 

「桐生院さん!」

 

振り向きながら、顔にかかった髪を手で押さえつつ、呼ばれた女性がこちらを見た。

彼女は桐生院(きりゅういん)(あおい)。俺と同期のトレーナーだ。名門桐生院家の令嬢で、俺には想像もつかない知識や、伝達された特異な技術を持っている。

彼女自身は、力量に対する評価を謙遜しつつもしっかり受け止めて、専属担当している白毛のウマ娘、ハッピーミークと共にトゥインクル・シリーズを今日(こんにち)も走っているのだ。

 

「あ、好井トレーナー。おはようございます」

「おはようございます」

 

丁寧な会釈と、にこやかな笑顔。良い家の出身にも関わらず、この人あたりの柔らかさには何度も助けられた。悩みを共有し、たくさんの話をして、一緒に解決してきた。俺にとって、ウマ娘とは違う方向で信頼のおける相棒である。

 

「……? どうしました? 何か悩みでも?」

「あー、やっぱりわかります? いやぁ、それが朝から意味わからない命を受けまして。しかも理事長から」

 

俺の発言に目を丸くする桐生院さん。何か悪いことでもしたのだろうか、と聞いてきそうだったので、先手を打って口を割る。

 

「なんか、噂の対象になるから気を付けろ、って言われたんですよ」

「噂?」

「はい。桐生院さん、『うまぴょい』って知ってますか?」

 

その単語を聞いた途端、彼女の耳は真っ赤に染まった。手にしていたバインダーで、顔を隠しながら辺りを伺う。

 

「な、何を朝っぱらから言ってるんですか!!」

「ウソォ!? なんで桐生院さんもそんな反応なの!?」

「当たり前じゃないですか!! 私じゃなかったら、セクハラで訴えてますよ!」

「そんなに!?」

 

ぷりぷりする桐生院さんを見下ろしつつ、頭を掻く。どうやら、『そういう系統』の話らしいが……。これは、聞くより自ら動いた方が良いのかもしれない。

 

「すみません、変なことを聞いてしまって。ちょっと自分で調べてみますね」

「ちょっ! 学園のパソコンで調べるおつもりですか!?」

「そのつもりでしたけど……」

「履歴、残りますよ? 理事長に知られたら、職務中に何をしているんだ、って怒られるに決まってます!」

「もう、どうしろっていうのさーー!!」

 

俺は半泣きになりながら、桐生院さんを置いて廊下を走っていく。

謎が深まるばかりの状況は、精神的に苦痛と疲労をひたすらに与えてきた。

 

 

悶々としながら、俺は普段の仕事を熟していく。

トレーナー室には、ウマ娘達は基本立ち寄らない。特に午前中は座学をしていることが多く、午後も依頼や申請がなければ、誰にも会うことはない。

 

「トレーナー、やっほー! 今日も元気かねー?」

 

と言うのは、多分一部の人だけだろう。俺の場合は、昼休みの時間をこうして担当するウマ娘にいっつも入ってこられる。

 

「テイオー。入る時はノックしろって言ってるだろ~?」

「えー? 別にいいじゃん。それともなに? ノックしないと困るようなことしてるの~~?」

「あのなぁ……」

 

にしし、と笑いながら食後の炭酸飲料を片手に笑う。

 

彼女は、トウカイテイオー。俺の担当ウマ娘の一人だ。

小さな体と幼げな言動。子供っぽさと元気が有り余ってる、中等部らしさ全開の子だ。

普段はこうして、親戚の子供と遊ぶようなやりとりをしているが、ことレースになれば話は変わる。

 

彼女は、トゥインクル・シリーズで輝かしい戦績と汚点(本人談)を同時に残してきた。クラシック2冠、ダービーまで無敗で突き進むも、骨折により菊花賞は断念。その後、復帰してGⅡのレースで一着を取るが、春の天皇賞……ライバルのメジロマックイーンと、無敗と連覇を天秤にかけた勝負をするが5着と惨敗。

秋の天皇賞も結果が振るなかったが、続くジャパンカップでは1着。有記念に勢いそのまま向かうが、やはり長距離は不得手なのか11着。更に、再び骨折。

折れたのは骨でなく、心もだったが……。彼女には、支えてくれる仲間が居た。挫折を味わい、何度も泥水を啜りながらも、目標とする精神的支柱、皇帝シンボリルドルフを越えるために立ち上がり、翌年の有記念で中364日と言う前代未聞のGⅠ制覇を果たした。

 

あの時の姿を、俺は今でも忘れない。

いつもの軽々しいステップと、矢のように飛んでいく凄まじいスパート。だがあの日、あの時だけはその技術を忘れ、ただ彼女の中にある才能だけで走り切り、勝利をもぎ取った。中山レース場が、歓声で割れそうなほど、俺も一緒に熱狂して涙を流したものだ。

 

その頃のような、凛々しい顔立ちとは程遠い緩んだ顔で、今日も他愛ないやりとりをする。

あの時のテイオーも好きだが、このだらけきった素の彼女も俺は好きだ。担当として、誇りに思っている。

 

「そういえばさ、トレーナー。今朝、たづなさんに捕まってなかった?」

「ああ、見てたのか」

「そりゃ、あの時間にあんなことしてたら目立つよ~。なに? お説教でもされてたの?」

「そういうわけじゃないんだがな……」

 

ため息をついて、パソコンから目を離す。眉間に指をあてて、眼精疲労で凝り固まった肩を鳴らした。その様子から見て取れる、疲れた様子を察してかテイオーが机に寄ってきた。

 

「お疲れだね、トレーナー」

「まぁな。つっても、こんなのいつものことだよ」

「それにしては、ふっかぁ~いため息だったけど?」

「ふっかぁ~い悩みを持ち込まれたんだから、しょうがないだろ」

「ほーん。どんな悩み?」

「それは……うま」

 

危うく、いつもの調子で口にしかけた。慌てて口に手を当て発声を止める。『うまぴょい』のことは、桐生院さんですら赤面するようなこと。ましてや、ウマ娘と関係することなのだから、テイオーに向かって言うのは明らかに悪手だ。ややこしい事態になる前に、胸に秘めねば。

 

「うま?」

「うま……娘のことでな。色々とあんだよ。大人には」

「ふぅ~ん……。大変だね、大人は」

 

それ以上、興味を持たないのか。テイオーは離れ、部屋内にある武骨なソファーに寝そべった。スマホを取り出し、無言で画面をタップしていく。普段通りの、昼休みの過ごし方だ。特にずっと会話などしなくても、そこにいるだけで良い。気の置けない仲になっている俺達には、とても自然な時間の過ごし方。

 

「ねえ、トレーナー」

「ん? なんだ?」

 

だから、その言葉には驚いた。思わずパソコンのディスプレイに頭をぶつけてしまいそうな一言だったから。

 

「あのさ……『うまぴょい』の噂って、知ってる?」

「うま……!? テイオー、知ってるのか!?」

「えっ!? あ…………まあ。うん。」

 

作業内容を保存することすら忘れ、俺は立ち上がる。質素な椅子が自由にくるくる回るのにも気に留めず、真剣な目でソファーに居るテイオーを見た。

少し照れながら、スマホに注視しつつ言っていた。恥じらいがある、ということに流石に何も思わないわけではないが。手が空いた時にでも調べようとしていた、謎の行為――そもそも行為かも不明だが――を既に知っている者がいるとは。いや、桐生院さんも知ってるぐらいだし、割と当たり前なのか? 俺が単純に、そのことに触れない人生を歩んできたことが異端なのだろうか。

 

「なに、トレーナー。もしかして知らないの?」

「う……。……ああ。そうだ。トレーナーとして恥ずべきことなんだが……その……。知識も経験もなくてな。その噂のことも、今朝がた聞いたばかりなんだ」

「そうなんだ……。あ、ってことは。理事長に呼ばれたのって?」

「その『うまぴょい』のことだよ。とにかく、ダメだって釘刺されたんだが……内容がわからないものを禁止しろ、って言われても、中々どうしていいかわらかなくて……」

 

担当の前で、自らの不勉強を晒すのは余りに情けない。なにより、彼女らにとっても大事なことらしい。そんな重要なことを、誰よりも詳しくないといけないトレーナーが無知であるのは、自堕落と思われても仕方がない。しかし、知らないなら知らないで、これから知ればいい。

特に、テイオー自身に知識があるのは幸いだ。俺とテイオーは、長い付き合いによる硬い絆で結ばれたバディ。贔屓をするわけではないが、贔屓をしたくなるほどの経験を積んできている。

 

「へぇ~……。そっか。トレーナー、知らないんだ。」

 

スッとテイオーが立ち上がる。手を後ろに回し、逸らしていた赤い顔をこちらに向けてくる。いたずらっぽい笑顔を見せるが、普段の元気はそこになかった。

 

「じゃあさ、教えてあげようか。ボクが」

「い、いいのか!? よくわからないが……なんかこう……センシティブなんだろ!?」

「んん~? まあ、そうかもだけど……。それより、知らないことの方がダメだよ。トレーナーならさ」

「そ、そうか……。やっぱり、そうなんだな。すまん、テイオー。恥を忍んで頼む! 俺に、『うまぴょい』を教えてくれ!」

 

手を擦り合わせ、年端も行かない少女に向かって頭を下げた。

 

「うん、わかった。二言はないね、トレーナー?」

「当たり前だ。お前に『うまぴょい』のことを教えてもらえるなら、そんな良いことはない!」

「ふぅ~~ん。ふぅ~~ん? そっか~~。わかった。じゃあ、放課後のトレーニング前にまた来るね。そしたら教えてあげるよ」

「おお、助かる! ありがとう!」

 

何やらテイオーの持つスマホから小さな音が鳴っていたが、着信だろうか。やけにタイミングが良かったが。まあ、いい。

 

とにかく、俺はこれで未知に対する知見を得られるわけだ。青春を謳歌する年齢でもないのに、放課後が楽しみになるとは。人生わからないものだ。

 

……そういえば、理事長達からはウマ娘とそういったことは原則禁止と言われていたな。

まあしかし、相手はテイオーだ。何ら問題あるまい。何かしらマズイ事態になりそうでも、話せばわかってくれるだろう。

重かった肩が軽くなった気がして、俺は一層職務に励んだ。早く時間が過ぎてくれないだろうか。



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第二話「撃沈、トレーナー黄昏の空に堕つ!」

「……よし、こんなもんか!」

 

意気揚々とキーボードを叩き、俺は柄にもなく声を出して仕事に区切りをつけた。練習メニューに、報告書、レースの日程調整、インタビューの段取り。活躍するウマ娘達にとって大事なことを、一気にまとめてしまった。

普段からそこまで仕事に詰まるタイプではないが、心残りがあるとずっと引っかかって集中できなくなってしまう。俺にとっては『うまぴょい』がそうだった。碌に調べものも出来ず、集中を欠いたまま頭の片隅にある悩みに支配された状態で、トレーニングへ向かう所だった。テイオーには助けられてしまったな。

グッと伸びをして、タブレットにデータを落とし込む。これで準備は万全だ。『うまぴょい』をご教授頂く用意は完璧ってなもんよ。

 

「おっ」

 

ノックが鳴った。時計を見ると、授業が全て完了した頃合いである。と、なれば訪問者は自ずと限られてくる。担当ウマ娘の誰かか、同職の誰かか。しかし、俺には心当たりがある。約束を交わした子がいるから。

 

「どうぞ~」

 

気の抜けた声を戸に向かって発する。果たして、そこに居たのはトウカイテイオーだった。制服姿ではなくジャージ姿なのは、この後のトレーニングに向けてだろう。練習が大好きってわけではないらしいが、勝つための貪欲さにはいつも頭が下がる。

さっさとこの意味不明な案件を終わらせて、ターフで思い切り走らせてあげよう。

 

「……」

「? どうした、テイオー? 具合悪いのか? 腹でも痛いのか?」

 

昼間の様子と明らかに違う。なにやら(しお)らしさすら感じるほど、テイオーは静かに部屋に入ってきた。いつもなら、目を弓なりにして、手を突き出しながら威勢良く発声しつつやってくるのに。茶化す様に問うと、首を横に振りながら答えた。

 

「ううん。大丈夫」

「お、おお。そうか」

 

やっぱり、何か変だ。レスポンスにキレがない。さては緊張してるのだろうか。

今からご教授頂くのは、どうやら割かし扱いに注意しなくてはならない『うまぴょい』というものだからな。

…………冷静に考えて、いくら仲が良いとはいえ。ウマ娘に教えてもらっていいことなのだろうか。急に頭が冷えて不安になる。

 

「ねえ、トレーナー。こっち来てよ」

 

いつも寝転がってるソファーに座り、隣の空きスペースを叩くテイオー。

湿っぽい言い方に、やはり悪手だったのかもしれないと警笛が鳴る。だが、ここまでの覚悟をさせてしまった以上、やっぱナシ。というのは、彼女の尊厳を傷つけることになるのでは?

焦る胸の内を察してか、テイオーはこちらをじっと見つめる。

嘘だろ、なんだその見たことない大人の表情(かお)

 

「……トレーナー?」

「あ、ああ。すまん、今行くよ」

 

書類を片付けて、机に手をかけつつ立ち上がる。

視線の先でちょこんと、背もたれに体重を預けないキチンとした姿勢の小さな体を見ながら、俺の中の何かが強烈に叫び出した。

 

危険だぞ、ソウマ。これ以上の接近はダメだ!

 

バトル漫画のような独白が俺の心の声と成り、響く。

何が危険なんだ? テイオーは俺の担当。俺自身は一人っ子だが、もし居るなら妹のような存在。苦楽を共にしてきたパートナーの一人。何も恐れることはない。怖さを覚える要素が一体どこにある?

不思議な自問を一笑に付す。大丈夫。大丈夫だから。言い聞かせながら、足を前に出す。

 

「……なあ、テイオー」

「なに?」

 

何故だか本能が逆らっている。動こうとしない足に問いかけてみても、答えはない。

だから、今のうちに聞くことにした。

 

「……『うまぴょい』って、なんなんだ?」

「……それをこれから教えてあげるんだってば。約束したでしょ?」

「そうだが……」

「今更ビビってんの~、トレーナー?」

 

茶化すように笑っているが、余裕がなさそうに見える。

やはり、感じ取った危機は間違いないようだ。テイオーがこんな顔をするなんて普通じゃない。

俺の知らない『うまぴょい』は、軽々しいモノではないのだ。

 

「ビビってるわけじゃない。ただ……」

「昼間、言ってたよね。ボクに教わるなら、それ以上のことはない。って」

「……言ったか?」

「言った」

 

とぼけようとしたが、退路は塞がれていた。

言い訳を考えようと、顔を地面に落としていたから気付かなかった。

突然、前方から俺の声が聞こえてきたのだから。

 

《お前に『うまぴょい』のことを教えてもらえるなら、そんな良いことはない!》

「……ああ、それ以上のことはない。じゃなくて、そんな良いことはない。だったね。間違えちゃった」

 

体中の汗腺が一気に開く思いだった。

慌てて顔を上げると、テイオーの手にはスマートフォンがあり。録音していた俺との会話を、当たり前の様に流している。いつの間に……と振り返るが、そういえば不自然なほど良いタイミングで彼女のスマホは音を鳴らしていた。あれは着信ではなく……録音完了の音だったのか。

 

「テイ……オー……?」

「なに? トレーナー。この通り、するんでしょ? ボクと『うまぴょい』をさ」

「す、するとは言ってないだろ!?」

「あははは。そんなさ~、内容教えてもらっておいて、何もせず終わるわけないじゃん」

「終わるわけないの!?」

「普通の男女なら、当たり前だよ」

「普通の男女なら当たり前なの!?」

 

次々に押し寄せる新情報に、オウム返しをすることでしか反応が取れない。

くそ……なんだ。一体、『うまぴょい』とはなんなんだ……!? っていうか、俺はさておき、普通の男女の『女』は人間のことなのか、ウマ娘のことなのか、どっちなんだよ。

理解できない状況と、今まで当然のように普通の師弟関係として接してきたテイオーが、まるで別人に見えるというギャップで、頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 

「まったく、トレーナーときたら鈍いんだからさ~……。ここまで聞いておいて、何となく察しはついてるんじゃないの?」

 

ついてねえよ!

 

ツッコミを入れる前に、テイオーが(おもむろ)に立ち上がったことに俺は警戒した。

しまった。

西日が眩しいから、カーテンはすべて閉じている。そしてここは2階……。窓は完全に逃げ場としての機能を成していない。

逃走経路はただ一つ。入り口であり出口である、扉が一つだ。

しかし……ああ、ちくしょう。やっぱりか。鍵が閉まっている。内鍵だから、タブをちょいと捻るだけでいいんだが、その動作一つすら惜しい気もする。

 

だって、ゆらりと歩き出すテイオーの威圧感は、並のウマ娘が出すものではなかったから。

 

「なあ、もう一度考え直さないか、テイオー?」

 

俺の足は震えていた。

何に怯えて、何が怖いのかすらわからない。ただ、今いる目の前の少女が、間違いなくウマ娘ではなく……捕食者のような闘気を放っているのが理由なのだろう。俺は一体何をされるんだ。

 

「なんで? ボクは最初からそのつもりだったんだよ?

 トレーナーの方から、ボクに『うまぴょい』を教えて、って迫ったんじゃん。

 まさか、裏切るつもりなの?」

「迫ってないし、裏切るも何も、そういう約束じゃなかっただろ~~!!」

 

半泣きになりながら懸命に抗議する。

いつの間にか俺はじりじりと壁際に追い詰められそうになっていた。

テイオーの小さな足が、一回地面と音を奏でるごとに俺の大きな足が、情けなく一歩下がってしまう。ものの数回しか行われないやりとりだったのに、すっかり窮地に追いやられてしまっていた。

 

「……トレーナー、ボクのこと……大切じゃないの?」

 

ふいに現れる年相応の表情。子供が大人との約束を破られてしまった時に見せる、駄々をこねるようなズルい顔。鬼気迫る様子と打って変わった弱みに、俺の良心がズキンと痛む。

 

「そんなつもりは……。ただ、俺はお前のことを思ってだな」

「ボクのことを本当に思ってくれてるなら……良い、ってことだよね?」

「な、なにが?」

「とぼけなくっていいよ。そうだよね、トレーナーだって何も知らないんだもん。怖がるのは仕方ないことだよね」

 

ちくしょー! なんなんだよ!

俺はなんで『うまぴょい』とやらで、こんな追い詰められなくっちゃあならないんだ!

 

再びテイオーが歩み寄る。

 

ダメだ。もう無理だ。

普通に逃げるんじゃ、絶対に捕まる。この距離は、テイオーの領域に入ってしまっている。

何か、策を弄して強引に退路を開かなくては!

 

視線を悟られないように、だけど視野を広く周りを見る。いつも使っている部屋だ。大体の位置関係は把握できている。

……だからこそ、絶望的だな。おい。

 

使えるモノが何もない。机からは距離を置いてしまった。書類の束でも投げつければ、視界を防ぐぐらいは出来たのに。

あるのは、ポケットのスマホか……担当ウマ娘の一人、スーパークリークが活けてくれた黄色い花……確かミモザだったか。それが飾ってある花瓶だけ。

これを投げれば有効な攻撃になるだろうが……。

 

いくら、いくらこんな危機的状況でも……俺は自分の担当、いやそうでなくても。ウマ娘に向かって、そんなことは出来ない。ケガなんて、絶対にさせたくない。特にテイオーに対しては。

 

だったらどうする。好井(よしい)ソウマよ。

絶対使うことのなかった脳内の稼働領域が、フルスロットルで動いている。多分、戦闘用のメモリーなんだろう。ありとあらゆる知識(漫画由来)が前頭葉を駆け巡っているのがわかる。

 

こういう時は。

 

大きな声を出して、注意を逸らし。その隙をついて、逃げる。これしかない。

テイオーだって、普通のウマ娘。女の子だ。まだ中等部の!

大人の男が威嚇をして腰が引けないわけがない。

よし、これだ。この作戦でいこう。

 

「テイオー!!」

「!!」

 

俺はわざと大きな音を立てながら、強く足を踏み込んだ。発声による萎縮と、急に距離を詰められる恐怖を二重で味わわせるためだ。

大事な担当ウマ娘に、こんなことをするのは気が引けるが……今は仕方ない。

心を鬼にした行動は、間違いなく効果を発揮した。

テイオーの尻尾はピンと張り、どんぐり眼を見開いている。

 

(よし!)

 

今しかない。

踏み込んだ足を軸にしながら、俺は一直線に横を駆け抜ける。

 

「つーかまえた♪」

「え? なっ……!?」

 

はずだった。

軸足が動かない。俺の脛から下が、万力で掴まれているかのようにピクリともしない。

原因はわかりきっていた。テイオーの細指が、がっしり捕えていたからだ。

 

何度か離脱を試みようと、全身全霊を用いて動かしてみる。振りかぶった勢いも使ってみるが、全く動かない。

 

「くそ!!」

 

遅れて汗が噴き出す。

俺は……俺は今、物凄くマズイんじゃないのか……?

思考がまばらになる。まともな考えが、どんどん闇に溶けていく。

 

「ダメだよ、トレーナー。そんな不用意に近づいちゃ」

 

耳に届くのは、聞きなれているはずの高い声。

けど……抑揚が感じられない。おかしいだろ。

ニコリと笑う頬は、赤く染まっているのに。なんで、そんな……冷静を装えるんだよ!?

 

怯える俺に対し、テイオーは無慈悲に言い放つ。

種としての絶対的な、埋まることのない差を叩きつける言葉を。

 

 

「ヒトがウマ娘に敵うわけがないんだからさ」

 

「あ……ああッ!!」

 

情けない叫び声が思わず漏れた。

恐怖と葛藤と、もうあの頃には戻れない後悔と。

あらゆる気持ちが、ないまぜになり喉から飛び出る。

 

その様子がおかしいのか。

テイオーは変わらない笑顔で、そのままそっと、一歩近づいた。

 

もう、完全に密着している。

 

鼻水と涙の出る、情けない俺の顔に向かって抗えないほどの力で、優しく強く襟を引っ張りつつ。

 

「さ、トレーナー……」

 

耳元で、息を吹きかけるようにつぶやいた。

 

 

 

 

「ボクと『うまぴょい』……しよ?」

 

 

 

「うわぁああああ!!!!!」

 

 

俺はウマ娘に完全敗北した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウマピョイ! ウマピョイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

 

「いいぞ、テイオー! そのまま一気に走り抜けろ!!」

「よぉ~し! いっくよー!!」

 

柔らかな足首が芝を掴む。体を一瞬だけ沈み込ませ、全身の推進力を爆発的に前進するためだけに利用する。

抉られ宙を舞う土が再び大地に付く頃には、テイオーは既にゴール板を突き破っていた。

手にしたストップウォッチの時間を見る。信じられない時計だ。これなら、レコードすら余裕で超えられるだろう。

 

「凄いなテイオー。絶好調じゃないか」

「にっしっし! これがテイオー様の実力ぞよ~!」

 

滴る汗も気にせず、腰に手を当ててピースを作るテイオー。

その速さの秘訣を知る俺は、とても複雑な思いだった。

 

理事長達の言いつけも空しく、俺はテイオーと『うまだっち』になってしまった。

色々と教え込まれたからわかる。『うまぴょい』をした仲を、そう呼ぶそうだ。

……いや、『うまだっち』ってなんだよ。

 

どうでもいいことに突っ込んでいる場合ではない。

もし、このことがバレたらどうなるんだろう。俺自身にペナルティがあるのだろうか。

しかし、あの時の理事長の口ぶりでは、校内で行うのが禁止というだけで『うまぴょい』自体は禁止されているわけではない様子だった。

なら、いくらでも誤魔化しは利くだろう。幸い、テイオーと『うまぴょい』をした時は誰にも見つからなかった……と思う。

 

ああ、しかし俺は……いくらテイオーにハメられたとはいえ、なんてことを……。

頭を抱えていると、ふいに近づいてくる足音があった。

 

「トレーナーさん、どうかしましたか~?」

 

心配そうな顔でこちらに来たのは、俺の担当ウマ娘であるスーパークリークだ。

上手に編み込まれた長い艶やかな鹿毛。垂れた優しい瞳、穏やかな口調と上品な仕草。学生なのに、まるで母のような風格を放つ彼女は、世話焼きでもある。

俺の調子が悪そうなところを見て、思わず駆けつけたのだろう。

 

「すまん、クリーク。大丈夫だよ。ちょっと、古傷がね」

「あら~。そうなんですかぁ。でしたら、何か効きそうなものを……」

「ああ、いや。大丈夫。心配ないよ」

「本当ですか~? トレーナーさん、結構無茶するじゃないですかぁ」

「いつも心配かけて悪いな。でも、本当に大丈夫だから」

 

これ以上詰め寄られると、ボロが出そうだ。

クリークの優しさを不意にする罪悪感はすさまじいが、下手に知れ渡る方が危険だろう。

 

「そうですか~。……それにしても、なんだか最近テイオーちゃんの調子、とっても良さそうですね」

「あ、ああ。そうだな」

「……トレーナーさん、テイオーちゃんと何かありました?」

 

空気が凍りそうだった。

いや、違う。クリークは普通に質問しているだけだ。凍らせているのは俺自身。悟られるな。気付かれるのは……絶対にマズイ。

 

「なにもないよ。テイオーが速いのはいつものことだろ? 調子の波だって、誰にでもあることだしさ」

「そう……ですよね~。すみません、変なこと聞いてしまって」

「いやいや。クリーク、今は坂路ダッシュ中だったか? メニュー済ませたら、後は自主トレなり帰るなりして構わないからな」

「あら、そうでした。すみません、では練習に戻りますね~」

 

両手をポンと合わせて、会釈をしてからクリークは走り去っていった。遠ざかる背中に、親切心から来てくれていたことに精一杯の謝罪をしつつ俺はコースへ向き合う。

テイオーの調子は絶好調。これなら本当に……もしかすると、春の天皇賞すらリベンジできるかもしれない。それぐらい飛びぬけた状態。

 

(これが……『うまぴょい』の力なのか……?)

 

もし、本当に効果があるなら。悩んでいるウマ娘達を救済することだって、夢じゃない。中堅程度の、ありふれた凡才トレーナーの俺が……。

 

しかし、脳裏によぎるのは『うまぴょい』の記憶。夕焼け色のトレーナー室で実行された禁忌。冷や汗が顎をつたい、芝に溶ける。頭を振って、その煩悩を虚空へと追いやった。

 

(ダメだ。いくらなんでも、節操がなさすぎる。こんな、まるでズルのような方法で強くなって、嬉しいわけがないだろう)

「トレーナー! 今のどうだったー!?」

 

いつの間にかテイオーが、長距離想定コースを回り終えていた。当然のごとく流れ続けていたストップウォッチのタイマーを慌てて止めたふりをしながら、俺は言う。

 

「おお。良いタイムだったぞ」

「ホント!? やったー! ねえねえ、これならマックイーンに勝てるかな?」

「うーん、相手は最強のステイヤーだからなぁ。でも……」

「でも?」

「……いけるかも、しれないな」

「やっぱり!? よぉし、燃えてきたー! トレーナー、もっかい走ってくるから見ててね!」

「おう!」

 

普段通りの、いつものテイオー。元気にふるまう様子は、こちらも自然と笑みが零れる。

どんな手段であれ、何か彼女にとって一皮むけたわけだ。走ること、強くなることを求めるウマ娘が、この状況を謳歌しないわけがない。

 

果たして、間違っているのは俺の方なのか。

 

力強くターフを駆けるテイオーを見ながら、俺はまた心に闇を落としていた。

 

 

 

――――。

 

「……」

 

そんなトレーナーを見つめる物憂げな瞳があった。

 

スーパークリーク。

 

自分のことより他者を大事にする彼女は、やせ我慢するトレーナーを見て何を思うのだろうか……。



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スーパークリーク
第三話「相談、うまぴょいのことは先輩に尋ねよ!」


「……」

 

執務室。学園に所属するトレーナーに宛がわれた、仕事をするための部屋。高性能ではないが仕事には不自由のない周辺機器。作業机と、応接用のソファーにテーブル。ホワイトボードまで置かれた、一人で使うには十分すぎるほど大きな部屋。

トレーナー部屋、と皆が呼ぶこの作業場で、俺は少し呆けていた。

まだまだやらなくちゃならない仕事もあるのに、うまく手に付かない。虚空を見上げて思うことは、夕焼け色に染まったこの場所での記憶。

担当ウマ娘、トウカイテイオーに俺は『うまぴょい』を迫られた。本当は、その実態を探るだけの軽いものだと思っていたのだが。俺はウマ娘というものを、想像するより軽く見てしまっていたのかもしれない。

 

人間と同じような外見だから、どこか普通の女の子と同じように考えていたのだろう。だが、当たり前の様に人間の出せる身体的な世界記録を、握れば指が付いてしまうほどの細腕で出してしまう。枯れ枝ぐらいの不健康にすら見える足ですら、時速60kmを超えるスパートを生み出す。俺達がどれだけ努力してもたどり着けない神域だ。

だけど……それ以外は、人間と変わらない女の子なんだ。笑うし、泣くし、怒るし、恋もする。そして、思春期らしい悩みも抱えている。興味本位な所も同じなんだ。

 

「はぁあ~~……」

 

それぐらい、わかってたつもりなんだけどなぁ……。

後悔と自責の念が、『うまだっち』となってしまった俺の心に圧し掛かる。(もた)れた椅子にかかる背は、摩擦を失いずるずる落ちていく。無骨な造りの天井を眺めていると、机に何かがぶつかる音が鳴ったのに気付いた。

 

「トレーナーさん、お疲れですね」

 

優し気な声の中にある憂いに気付き、俺は思わず身体を持ち上げる。湯気の立つ湯呑越しには、スーパークリークが声色と同じ表情でこちらを見ていた。

そうだった、手隙になったから簡単な仕事を手伝いましょうか、と来てくれてたんだ。失念していた。ふと視線を戸棚にやると、頼んでいた書類整理は完璧に終わせてくれたようだ。

 

「ああ。すまん、クリーク。いただくよ」

「……最近、ずっとそんな調子ですね」

「そうか?」

「はい~。何かお悩みなんですかぁ? 私で良かったら、相談に乗りますよ~?」

 

飲みかけたお茶が、気管に入りかける。次の分を思い切り押し込むことで、動揺していることを悟られないようにした。

味わうフリをしながら、素晴らしい適温と濃さで入れられた茶をゆっくり嚥下して答える。

 

「気遣いありがとな。別に悩みがあるとか、そういうわけじゃないんだよ」

「……前にも同じようなこと言ってましたよね、トレーナーさん」

「そうだっけ?」

「忘れっぽいのも、きっとそれが原因ですよ~。……それとも、私になんて話したくないことなんですか?」

 

頼られることで己の存在価値を見出すという人が居る。自分に自信がないから、他者の評価でしか自己を測れないらしい。クリークは、他の人が幸せそうにする姿が好きで世話を焼きたがるだけなのだが……。今の姿を見ると、少し不安にもなる。

 

「違う、違うんだクリーク。クリークが力不足ってわけじゃなくて……」

 

思うように言葉が出てこない自分が悔しい。ありのままを話しても良いが、それはそれでまた新しい問題を生み出す可能性もある。だが、このままクリークに心配をかけ続けるのも心痛だ。

どうすれば……。

 

「……」

「………………クリーク。ごめんな、嘘をついて」

 

涙目で訴えてくる視線に勝てず、俺は向き合うことに決める。

 

「悩みがあるのは本当なんだ。でも、それを君たちに話すのは相応しくないってだけで。俺個人の問題っていうかさ……」

「そうなんですね……」

「でも、解決したいと思ってる。だけど、上手くまとまらなくて……。どうしたものか、って暇があれば考えちゃうんだ」

「なるほど~……。よくはわからないですけど……そうですねぇ。でしたら、例えば同じ悩みを持っていそうな方に相談してみたらどうでしょうか?」

「同じ悩み……?」

「はい~。私たちに話せないなら、一人で抱え込んでいても解決するのは難しいと思いますよ~?」

 

しかし、この『うまぴょい』問題について相談できる相手なんて学園内には居ない。女性トレーナーしか在籍していないし、彼女らに話せば……多分、桐生院さんと同等、いやもっと酷い反応を取られるだろう。今になって思うが、不勉強とはいえとんでもないことを聞いてしまったものだ。

しかし、男性一人というのは中々難しいものだな。特に不自由はないし、仕事の上では支障なくやれているのだが……。こういう泣きつく先が限定されている時ばかりは、困ってしまう。

 

だが……。

ああ、そうか。別に、学園内にこだわる必要はない。俺には心当たりのある人がいるじゃないか。

 

「ありがとうクリーク。ちょっとだけ光明が見えたよ」

「お役に立てたならよかったです~」

 

少しでも彼女の不安を和らげられたのなら良かった。にこやかな笑顔と、当たり前のように撫でられる頭。最初は驚いたが、随分と慣れたものだ。気にせずに俺はスマートフォンを取り出し、ある人へ連絡を取った。少し経つと返信がきて、明日の夜には会ってくれるそうだ。良かった。

 

次の日。ウマ娘達とのトレーニングは普段より早めに切り上げ、トレーナースーツそのままの姿で俺は繁華街の方へと歩き出した。

 

「よう、ソウマ。待たせたな」

「お疲れ様です、先輩!」

 

軽く会釈をしながら、待機中に持っていたスマホをしまう。

気さくに手を挙げながら、一人の男性がポケットに手を突っ込みつつやってきた。

この人は、昨年度ドリームトロフィーリーグへ、相棒のウマ娘『サイレンススズカ』と共に行ってしまった俺の直属の先輩だ。

黄色いシャツにベスト、口の寂しさを紛らわすためにいつも飴を咥えた姿。後ろで束ねた髪に、片方だけ刈上げたヘアスタイルは何も変わっていなくて良かった。胸のトレーナーバッジは流石にオフだから外している。

 

「にしても珍しいな、お前の方から飲みに誘ってくるなんてよ」

 

先輩いきつけのバーに入る。いつもはカウンターだが、話す内容が内容なので今日は少し離れたテーブル席。バーチェアで、足を組んだリラックスした姿勢の先輩が言う。

 

「ええ、偶には良いかなと」

「しかし一年振りか? 全然変わってないな、お前。安心したぜ」

 

カクテルを口にしながら、嬉しいことを言われる。先輩が居なくなり不安もあった。敬意から真似て伸ばしてた髭も、最初は笑われたが今は自然に見えるらしい。

 

「どうですか、そっちは」

「あぁ、大変だよ。トゥインクル・シリーズとは全然ちげぇわ。周りはホント、怪物ばっかだからな」

 

ドリームトロフィーリーグは、トゥインクル・シリーズの更に上のリーグ。好成績を収めてたウマ娘も、そちらでは中々うだつが上がらない、なんてことはよくある話。

俺の知る限り、スズカさんはトゥインクル・シリーズでは本当に敵なしと呼べるほどの走者だった。一時期は勝つのは当たり前、皆が求めるのはレースのタイムと後続と何バ身差の勝利なのか、と言うほど。そんなウマ娘ですら、埋もれてしまうとは。魔境なんだな。

 

「……でもよ、アイツ。それでも毎日走ってるんだよ。昔、GⅠレースで15着だった時より、もっとひでぇ結果なこともあったのにな。ずっとずっと、前だけ向いて走ってんだ」

「凄いなぁ。やっぱ、スズカさんは尊敬できる、素晴らしいウマ娘です」

 

天皇賞秋で、大けがをしてしまったこともあった。もう走れないと言われるほどの損傷でも、諦めずにリハビリを続けて、見事に復帰。その後、国内では敵なし。海外でも好成績を収めたから、次のステージにあがった。

知らない人からすれば、順当に見えるかもしれない。才能があるから当然、と鼻で笑う人もいるかもしれない。だけど、俺は先輩とスズカさんを間近で見てきたからわかる。この人たちは、運に見放されていたとしても、たゆまぬ努力で栄光を勝ち取っているのだ。

 

「お前にも助けてもらったしな。今更になっちまったが、色々とありがとよ」

「いえいえそんな。俺は先輩たちの背中を支えただけですよ」

「でも、その支えがなければきっとオレたちは挫けてた。感謝してるぜ」

「……っす」

 

照れくさくて、上手に返事が出来ない。小さなカクテルグラスも、まだ半分しか空けてないのに。目の前の人は、既に2杯目に突入していた。酒の進みが良い時は、心身ともに順調な時だ。本当に、大変な中でも上手くやれているんだな。

 

……羨ましい。

 

「……で、今日はどうしたんだ?」

「え?」

「お前、下戸だろ。普段はノンアルコールしか飲まないくせに、慣れないことするんじゃねえよ」

「……すみません」

 

言いながら、先輩はカクテルのおかわりとミネラルウォーターを頼んでくれた。気遣いに感謝しながら、冷えた透明な液体の注がれたグラスが机に置かれる。

顔に手をやりながら、ゆっくりと水を飲んでいった。いかん、やっぱり酔ってるな。

 

「……先輩」

「ん?」

「……スズカさんと、上手くやれてますか?」

「あん? まあ、ほどほどにな」

「例えば?」

「んだよ、わざわざ話すことじゃねーだろ。」

「聞かせてくださいよぉ~! 俺もこれから恥ずかしいこと話すんですから、先に先輩が言ってくれなきゃ不公平です!」

「意味わかんねーよ……」

 

会話が終わり、無言が俺達との間に流れていく。ジャズミュージックと、カウンター席で交わされている男女の会話。苦痛ではない虚無の時間がしばし流れると、3杯目に手をかけながら先輩が口を開いた。

 

「スズカがな」

「……はい」

「トレーニングやレースに向けて、すげえ集中してる時があるんだけどよ」

「はい」

「そういう時、ちょっと近寄りがたいところあるだろ?」

「話したらダメな雰囲気出してますよね」

「だけどな、練習の合間とか、ゲートに入る前とか。前しか見てないはずなのに……ふと、遠くで目が合うんだよ」

「はい」

「……そん時、決まってな。嬉しそうに笑ってくれるんだ。それがまあ、なんつーか……。悪くねえな、って」

「………………先輩」

「ん?」

「めっちゃノロケてるじゃないですか!!」

「お前が話せっつったんだろ!?」

 

アルコールのせいではない、赤い顔をした先輩を思い切り笑ってやる。わざわざ意を決して話してくれたのに、こんな反応をされるのが心外なのか、ぶつくさと小声で文句を言ってくる。

こんなやりとりも、懐かしくて。学園のトレーナー達は凄く良い人ばかりで信頼もしているが、同性でないと出来ない話もあるなと実感する。

緊張が解れたことで、俺もようやく決心がついた。本題に入ろう。

 

「先輩、あの」

「なんだ? 続きとか聞くんじゃねーぞ」

 

ぶっきらぼうな返事をしてくる顔を、俺はやや蕩けた目でしっかり見て言う。

 

「……『うまぴょい』ってしました?」

「はぁ!!??」

 

広くない室内に響き渡る声。周囲の視線が一気に集まる。机に肘をかけて楽な姿勢だった先輩が、一度ずり落ちてから思い切り身を乗り出してきた。

 

「バカなこと口にすんじゃねーよ! お前、まさかそれが聞きたくて呼んだのか?」

 

顔を近づけ、急に小声で話し始める。酒の帯びた呼気も構わず、俺は真剣な表情を作って頷きつつ言った。

 

「先輩が、どうしてるのか知りたくて」

「あのなぁ……そういうのは、普通他人に聞くもんじゃねーぞ?」

「だとは思うんですが……」

「…………まさか、お前……」

「……実は先日……その……テイオーと……」

「…………したのか……『うまぴょい』……」

 

視線を落としながら肯定した。

俺は包み隠さず、その行程を話す。そもそも『うまぴょい』を知らなかったこと、知ろうとした結果『うまだっち』になってしまったこと。自分の浅学さを呪い、同時に芽生えたウマ娘たちへの希望にとなる事実について、悩んでいること。肝心の部分は流石に話せないが、それ以外は包み隠さず心情を吐露した。

 

「そうか……。いや、まさかお前がなぁ……」

「おかしいですか?」

「いや、おかしいとは思わないが……。オレも話したことなかったし、話そうとも思わなかったことだから……意外でな」

「そうですよ! そもそも、なんで教えてくれなかったんですか!」

「お前なぁ。なんで『うまぴょい』が『噂』なのか、わかってんのか?」

「……そりゃ……なんとなくは」

 

実体験したからわかる。確かに、例えばまともなトレーニングメニューに織り込もうものなら、とんでもない批判を浴びるだろう。トレーナーとして、いや人間としての人格を疑われるかもしれない。

防衛措置の一種として、実在はするが公にしない。飽くまで、『あるかも』の範疇に留めようとしている全体の風潮があるのだ。

 

「わざわざ教えたりするもんでもねえから、言わなかっただけだよ。悪かったな」

「いえ……。すみません、恨んでるとか、そういうわけじゃないんですけど……」

 

上手く言葉が繋がらない。純粋に、どう向き合っていけばいいかがわからないだけで。

 

「トレーニングとは違う方向性での、身体能力の底上げ。特に顕著なのが、克服できないと考えられてた欠点を補えるところか。……まあ、ウマ娘達側からすりゃ喉から手が出るほど、やってみたいことだよな。同性より異性の方が効果があるし、俺達男のトレーナーが注目されちまうのは、仕方ないことなんだが」

「でも、それが本当に正しいのか……俺にはわからないんです」

「正しい正しくないって枠に収める必要もねえだろ。したい奴はする、しない奴はしない。それだけだ。明確に禁止されてるわけでもないしな」

「……」

「難しく考えすぎなんだって、お前は。学園内でなら流石には節度を持て、って言いたくなるが……まあ、それ以外なら自由でいいんじゃないのか?」

 

空になったカクテルを下げてもらい。先輩は一旦休憩をした。机の端にあったキャンディを掴み、口の放り入れる。メニューにない製品だが、常連だからと席に着くと勝手に用意してくれたものだ。

コロコロと味わいつつ、偶にスマホをいじる姿を見て、俺はもう一度意を決して聞く。

 

「俺、これからどうしたら良いんでしょう」

「……」

 

困ったようにため息が先輩の口から漏れた。

 

「性質上、『うまぴょい』一回ぐらいじゃ意味なかったろ? 何回も重ねて効果が出てきたら、そこで一旦距離を置け。持続性はないから、また求めてくるだろう……。なら、後はスケジュール管理だな。時と場合を考えれば、気にするもんじゃねえって。必要かどうかは、その都度決めればいいさ」

「なるほ……」

 

ん? なんだ。おかしなことを言ったような。

素晴らしいアドバイスだと頷きかけた俺は、違和感の正体を探る。

 

……一回じゃ意味がない?

 

「え、先輩。俺、この前……その、初めてだったんですけど」

「ああ」

「テイオー、絶好調になってましたよ。そんな得意じゃない長距離も良いタイム出してましたし。効果あったと思うんですが……」

「は?」

 

溶けかけた飴が地面に転がる。触っていたスマホが机の上に落ちる。

俺は普通のことを言ったつもりなのに、まるで怪奇現象でも目の当たりにしたかのような顔をされた。

 

「待て待て。嘘だろ、初めてでか?」

「え、ええ」

「オレとスズカでも、効果出るまで3回は必要だったぞ」

「そ、そうなんですか……? というか、やっぱ先輩達もしてるですね、『うまぴょい』」

「今はいいだろ、そこは! ……ってことはお前、一発で『すきだっち』出来たのか?」

「『すきだっち』……ああ、これですか」

「うわ、気持ち悪! なんだその滑らかさ!? というか、こんなとこでやるな!」

「すみません……」

「マジかよ……オレなんて、何回スズカに怒られたかわかんねえのに……」

 

なんだかよくわからないが、先輩は自信を失ってしまったそうだ。俺にとっては、テイオーに教わりながら色々やってみせただけなのに。

 

「……しかし……。そうか。なあ、ソウマ。もしかしたらなんだが……お前、結構ヤバいかもしれないぞ」

「えっ! なんでですか!?」

 

今までは楽観視してくれて、心配もないよと言ってくれてたのに。一転して不安を煽る言葉に、アルコールが途端に抜ける思いをする。

 

「多分だが……お前は『うまぴょい』の天才だ。複数回、重ねなくても効果が出せる奴なんて聞いたことねえ。それに、さっきのでわかったがクオリティも高い。となれば……真相を知ったウマ娘達が、こぞって求める可能性もある。今まで以上に、学園生活に気を付ける必要があるな」

「そ、そんな……」

 

世界一不名誉な天才認定されちゃったよ……。

俺はただ、『うまぴょい』との向き合い方が知りたかっただけなのに……。真逆の答えが待っていたなんて。ますます、トレーナーとしてどうすればいいのかわからなくなってしまう。

頭を抱えていると、先ほど机に滑り落ちた先輩のスマホが振動した。

画面にはスズカさんからのメッセージが映っている。

 

《もう遅いですけど、飲み過ぎてませんか?》

 

時計を見ると、確かに良い時間だった。明日も仕事があるし、そろそろ切り上げるべきだろうか。

けど、結局問題は解決していない。もう少し何か後押しが欲しいものだが……。

悩む合間に、スズカさんは連続でメッセージを送りつけていた。先輩が手に取る間もなく、振動が続く。相変わらず、何もかも速いウマ娘さんだな。

 

《ソウマさん、お元気でしたか?

 私の方は、楽しくやってると伝えておいてください》

 

離れていても、こうして気にかけてくれるのは嬉しいなぁ。さっきの話を聞いた限りじゃ、スズカさん達も相当辛い思いをしているだろうに。既にお酒も飲める年齢なのだが、今日は気を遣って二人きりにしてくれた優しさにも感謝している。また別の機会に同席出来たらいいな。

俺への言葉があるのを見ると、先輩は画面をそのまま見せて続けてくれた。

 

《テイオーから、最近嬉しいことがあったって報告がありました。ソウマさん、上手にやれてるみたいで安心ですね》

 

うぅ……スズカさん……。

全然お役に立てた記憶はないし、なんならみっとも無い姿ばかり見られてたと思う。こんな言葉も染み入るぜ……。

 

《ところで。その。近々、大きなレースがありますよね。なので、そろそろ……》

 

ん?

高速で飛んできていたメッセージが、少しだけ遅くなる。

何かを察知した先輩が、スマホを手にしようとした時だった。

振動が先に鳴り、画面には……。

 

《ぴょい、したいです。早く帰ってきてね》

 

「うぉぉおい!?」

 

慌ててスマホを取り上げるが、俺の網膜にはしっかり文字は刻まれていた。

 

「先輩……」

「な、なんだよ!? 別に、オレがその……あー……」

「……『ぴょい』て」

「うるせー! なんだって良いだろ、個人の話なんだから!」

 

耳まで赤くした成人男性の姿を、俺は微笑まし気に見る。仲良いんだな、ホントに。

 

結局、解決しかけた問題は更に深い闇へ沈みそうな事態だとわかってしまった。

だが、帰りを待っているヒトが居る方を、これ以上焦らすわけにはいくまい。お開きにしよう。

 

 

「話も途中なのに悪いな」

「いえ、進展はありましたから。良くない方向に、ですけど」

「はは……悪いな。アドバイスなら、いつでもするから。何でも聞けよ」

 

懐の財布からカードを取り出して、二人分のお会計を済まそうとする先輩を俺は制する。

 

「今日は俺に出させてくださいよ。誘ったの俺ですし」

「ばーか。気にすんなよ。後輩らしく甘えとけ」

「いえ……というかそれ。スズカさんのカードでしょ。どーせ給料日前で金欠だから、持たされたんじゃないですか?」

「うっ……!」

「いくらドリームトロフィーリーグで稼いでるとはいえ、お二人の共有財産を崩すのは悪いですって」

「…………すまん」

「いえいえ。いい加減先輩もお金の取り扱い、ちゃんとしてくださいよ。スズカさんに迷惑かけちゃダメですよ」

「オレの保護者か、お前は!」

「ははは。スズカさんには敵いませんって」

 

他愛ないやりとりをしてから、手を振り先輩と別れる。

気が楽になったと同時に、重さが胸の奥にのしかかってきた。

 

……結局どうしたら、いいんだろうか。

普通なら、適度な距離感と節度を保ち、学生としては違反にならない程度に『うまぴょい』するなら問題はないのだろう。

だが、俺の隠された才能がもしも露呈したら。テイオーは、学内の噂をこっそり集めたりするほど顔も広い。本人には、絶対公言しないよう約束していたが口を滑らせない確証があるかと言えば……絶対とは言い切れないだろう。

 

 

「……」

「……さん」

「…………」

「トレーナーさん」

「…………うお!? く、クリーク!? いつの間に!?」

「さっきからずっと呼んでましたよ~?」

 

いつの間にか、クリークが心配そうに顔を覗き込んでいた。思わず飛びのいてしまい、悪意がある行動でないことを慌てて訂正し謝罪する。そうだった、今はトレーニング中だった。

 

「どうした? なにかあったのか?」

「いえ、そうではなくて~。アップが終わったので、今日のメニューを聞きにきたんですけど……」

「ああ、そうだったのか。悪い。えーと、クリークは……」

 

バインダーに挟んだデータ表をパラパラと捲り、今日の練習内容を探す。だが、何度見直しても見つからない。昨日の分はあるのに、今日の日付どころか、ざっくりとまとめた一週間分の全体メニューすらない。トレーナー部屋に忘れてきたか。

 

「……ごめん、クリーク。一旦戻るわ。メニュー、執務室に置いてきちゃったみたいだ」

「…………トレーナーさん」

 

急いで戻ろうとすると、裾を掴まれた。

瞬間、体があの夕焼け時の記憶を思い出して少しだけ強張る。だけど、その力は弱く優しく。簡単に振りほどけそうなほど、気を遣ってくれているのがわかった。

 

「どうした?」

「……やっぱり、まだ何かお悩みなんですよね?」

「えっ? ああ、いや。昨日、飲みすぎちゃっただけで。すまんな、社会人としてしっかりしないといけないよな、こういうのは」

「……それだけじゃない、ですよね?」

 

真に迫る態度。誰かの役に立ちたい気持ちの強い彼女。俺のことなんて、きっと見透かしているんだろう。

 

「私じゃ、お力になれないんですか……?」

 

耳もしおれ、尻尾にも元気がない。彼女の走り自体は、不調でもないのに。

このまま、これで良いのだろうか。俺はクリークの優しさを振り払って、このままやっていけるのだろうか。

 

トレーナーとして、それでいいのか。

 

「クリーク……」

 

皆に気をかける性格ゆえ、落ち込む姿なんて表では見せない彼女。誰もが見ているこの練習場で、そんな顔をするなんて……。よっぽど余裕がないんだ。

ああ、だけど。本当に話していいのだろうか。どうすればいいんだ。目を瞑り、懸命に頭を動かす。

 

 

悩みに悩んだ末に、俺が出した結論は…………。



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第四話「激突、バブみの極致 VS 絶対にオギャらないと誓うトレーナー」

「……」

「……」

 

風がコースの上を舞う。ウマ娘達が走ったことで削れた芝と土が、ダートコースの塵が、俺とスーパークリークの間を吹き抜けていく。無言のまま、クリークは俯きがちに立っていた。目に涙を浮かべて、今にも零れそうだ。

多分、今彼女が感じているのは『拒絶』なんだろう。

俺は拳を握りしめる。手のひらから血が滲みそうなほど震わせて、痛みと共に頭を整理していく。目を瞑り、最終確認をもう一度行ってから、意を決して口を開いた。

 

「クリーク、少し場所を変えないか?」

「……はい!」

 

俺の提案に嬉しそうな返事が戻ってきた。今日、担当しているのはクリークのみ。この場を立ち去った所で問題はあるまい。むしろ、メンタルケアこそ大事だ。俺も、何より彼女も。こんな精神状態のまま、先を目指すようなことは不可能だろう。

 

歩幅を合わせながら、ゆっくりとトレーナー室へ向かう。道中、俺は正直まだ悩んでいた。

というのも、クリークにどこまで、どうやって話せばいいのか。その線引きをしっかりしなくては、取り返しのつかないことになりそうで。

雲をつかむように伝えても、きっと要領を得ないまま終わるだろう。それで、彼女が納得するかどうか。俺にそこまでの話術があるのか……。

 

「……ふぅ」

「……」

 

考えるうちに、既に入室してしまった。応接用ソファーに腰をかけて、一息つく。クリークは、その様子を見てお茶の準備を始めた。長くなりそうだし、思考を張り巡らせていたせいで喉はカラカラだ。いつも、この気遣いには本当に助かる。

少し暖かくなり始めたこともあり、今日は冷えたお茶を出してくれた。

 

「ありがとう。クリークも座りなよ」

「はい」

 

コトンと、容器が机に置かれる。

ストンと、身体がソファーに沈む。

スルンと、俺の身体も一緒に沈む。ちょっと横に。

 

え、こっちに座るの???

 

「最近、ちょっと暑くなってきましたね」

「そうだな」

 

距離感が完全にバグってるような気がしてならない。応接用のセットだから、当然対面にもソファーは存在する。もちろん、数人が腰かけられる大きさのものだ。手入れをしてるから、本革の座面もピカピカである。座るのに、何も抵抗はないはず。なんで、隣に来たんだクリークは。

必死に平静を装いながら、俺はお茶を一口飲みこむ。

 

「……昨日は早くに帰られましたけど。『トレーナーさん』に相談、出来なかったんですか?」

 

出来なかったわけじゃない。むしろ、事態の深刻さを理解させられるだけだった。心情を吐露することで、少しだけ気が楽になったが。解決していない以上、胸の重さに変わりはない。

ちなみに彼女の言う『トレーナーさん』は俺のことではなく、先輩のこと。まだ癖が抜けておらず、気を付けないとそう呼んでしまうそうだ。承知の上で、俺は答える。

 

「ああ。先輩と話をしたんだけど。結局、用が出来て、途中で話が終わっちゃってさ」

「そうだったんですね……」

 

クリークも勿論、先輩の元担当ウマ娘だから為人(ひととなり)を知っている。悩みがあれば、真摯に話を聞いてくれるし、一緒に考えてくれる。

そんな人が、話を半端にするならよっぽどの理由だ。そこまで理解した上で、だからこそ気付かれてしまったこともあった。

 

「やっぱり、トレーナーさんのお悩みって、結構重たいものなんじゃないですか?」

「……」

 

膝に肘を付けて、手を組み、前かがみの姿勢で考える。

 

クリークは、とても面倒見の良いウマ娘だ。自己犠牲をすることで他人の幸せを助け、それを己の幸福と出来る。素晴らしい献身力だ。

一見すると、悩みの相談相手には打ってつけに思えるだろう。だが、俺……いや、俺と先輩がかつて話した内容が、どうしても心に引っかかっているのだ。

 

 

 

「ソウマ、クリークには気を付けろよ」

「え?」

 

ある日のトレーナー室。仕事を終えて、片づけをしている時だった。夜の帳は下りて、既に寮生たちは門限の時間を過ぎた頃。つまり、学園内でウマ娘に会う確率は極めて低い状況で言われたのだ。字面よりもっと意味のあることのはず。

 

「なんでですか? あの子、めちゃくちゃ良い子じゃないですか」

 

まるで背中でも刺される可能性があるような含みのある言い方に、俺はたじろいで返事をしたのを覚えている。冗談ではない真剣な眼差しで続けてきたので、更に身構えた。

 

「あいつは母性の塊だ。一度でも心を許すと、抜け出すのは相当難しい」

「ウマ娘との結束力が強いことに、何か問題が……?」

「バカ言うな。クリークの場合は、結束とかそんなもんじゃねえ。軽い気持ちで寄ってみろ。あっという間に、膝の上でおしゃぶり付けられるぞ」

「何を言ってんスか先輩……」

 

物の例えでも、それはない。だが、俺がドン引きしたのを見ているのに、先輩の表情は強張ったままだった。……まさか。

 

「マジ……なんですか?」

「ああ、マジだ。実はオレも、深みにハマりそうになったことがあってな……」

 

俺がまだ先輩の所へ来る前。思うようにウマ娘達の成績が伸びなかったり、ケガによる戦線離脱で苦しんでいる時があったそうだ。そんな折、心配してきたクリークに色々と心情の吐露をしたところ……共依存のような関係になってしまったらしい。

結果的に、俺が後輩として配属されたタイミングで仕事の負担も減り、更に危なっかしい新人という庇護対象が出来たことで、ようやく抜け出せたんだとか。

 

「当然、悪いヤツじゃない。むしろ善意のみで生きているぐらいだろう。だが……オレ達はトレーナーだ。いっぱしの大人なんだ。しっかり地に足を付け、ウマ娘達を指導していかなくっちゃならない」

「……そんな役割の俺達が、逆に手籠めにされていると……沽券に関わる、ってことですね」

「ああ、そういうことだ。お前も、トレーナーがなんたるか わかってきたじゃねーか」

「……ちなみに先輩」

「ん?」

「……おしゃぶり、したんですか……?」

「……………………スズカには、黙っててくれよ」

「……」

 

俺はその異質な返事を、生唾を飲み込んで肯定した。硬派な先輩が、そこまで落ちぶれるなんて……。いや、今なら別にそうは思わないから、違和感とかないけど。

とにかく、意志の強い大人すら溺れてしまう母性の権化なのだ、クリークは。特に、もうトレーナーは俺一人。一度ハマれば、二度と抜け出せない可能性もある。

テイオーに、いや学園内での大人としての尊厳を保つためにも、絶対に甘え堕ちるわけにはいかない。

 

瞬きと同じ速度で熟考を終えた俺は、ゆっくり横を向いた。

きちんと畳んだ足、膝の上に添えた綺麗な手。不安げに見つめる青い瞳、噤んだ唇。

彼女の気持ちは、その容貌を見ればわかる。きっと『可哀そう』だろう。だが、おかしなことに俺も同じ感情を抱いていた。こんな顔をさせてしまうとは……。

 

俺は……なんて……。

 

「クリーク。笑わずに、聞いてくれるかい」

「はい」

 

間髪入れない返事が心地よかった。

 

「実は、悩みってのはテイオー……いや、君たちウマ娘全体に言えることでな」

「ええ」

「その……俺は、本当にウマ娘が好きなんだ。楽しそうに走ってる姿も、辛そうにトレーニングする姿も。流した汗や涙、全部をレースに持っていく。己の全てを賭けて、誰よりも速く強くなりたい。それこそが、自身がこの世に存在する意味ってぐらいひたむきに生きている姿が、大好きなんだ。きっと、俺達人間が同じように情熱を傾けても、そこまで輝かしく見れない」

「……」

「だからさ……俺はトレーナーとして、君たちの傍で支えてあげたいと思った。……でも、最近。そのことで、一つ……そうだな。事件があってさ」

「事件?」

「……ああ。……俺は……。…………そうか。俺。……俺は……きっと、反則(ズル)をしたんだ」

 

口にすることで、ようやく自分の中の(わだかま)りに得心がいった。

そうなんだ。これは卑怯なことなんだ。同性のトレーナーじゃ、効果は薄い。今、この学園では俺しかできない……『うまぴょい』という行為。

誰だって才能の壁にぶつかることはある。血反吐を吐くほど苦しんでも縮められない差がある。俺は真っすぐで、純粋なウマ娘(彼女ら)が好きなのに。俺自身が、その無垢な心を汚している。それが耐えられなかったんだ。

テイオーは、確かに長距離に強くなったかもしれない。ライバルのメジロマックイーンに比肩するほどのタフネスを手に入れたのかもしれない。だけど、それは本当にテイオーの力なのか?

俺は、怪我にも挫けずに何度も何度も倒れては立ち上がり、無敵の称号を手にしたテイオーを心から尊敬している。なのに、……その努力を水泡に帰すようなことをしてしまったんだ。

 

「だから…………辛い」

 

いつの間にか、俺は本音を明かしてしまっていた。『うまぴょい』のことも隠すつもりだったのに……思考が制御できなかった。震える声で、我慢できずに涙が頬を伝う。

自分の大好きなものを、自分自身の手で歪めた罪悪感に、俺はずっとずっと苦しんでたんだ。

どうして、こんな話をしてしまったのかわからない。絶対に深入りしないと決めてたはずなのに、言葉を紡いでいくたびに、ゆっくりと撫でられる頭の心地よさで、(たが)が外れてしまったみたいだ。

 

「よしよし……。大変だったんですね、トレー……ソウマさん」

「…………」

 

懸命に涙と鼻水を隠すが、しゃっくりが止まらない。触れる手の温かさと、優しい言葉が俺の心を溶かしていく。だめだ、耐えられん。

(せき)を切ったように流れていく感情を、ただただ流していく。その度に、クリークは何度も頷き、柔らかく声をかけてくれた。

 

「私……。いえ、私たちはソウマさんが頑張ってること、ちゃ~んと知ってますよ」

 

小さい頃、些細なことで落ち込んだ俺を慰めてくれた母さんを思い出すような口調だった。

 

「いっつも遅くまで残って、『トレーナーさん』が居なくなっても私たちが安心できるように、一生懸命勉強して、考えてくれてるのも、ずっと見てきましたから。そんな真面目なソウマさんですから、きっとズルをしちゃったことで、自分を許せなくなっちゃたんですね~」

「……そう……なのかなぁ……」

「はい~。でも、ソウマさん。それって、本当に『ズルいこと』なんですか~?」

「え?」

 

いつの間にか頭の上にあった手は、クリークの口元にあった。細長い指を顎にあてて、天井を見ている。

 

「ウマ娘達の間で、確かに『うまぴょい』は悪いことのように話してますけど……。違反ではないですよね?」

「そりゃそうだけど……」

 

渡されたティッシュで鼻を啜りながら答える。先輩も言ってたし、理事長達も明確に禁止とは言ってない。でも、トレーナー()が普通に生きてきて知らないようなことだ。チート行為と何が違うのか。

 

「だったら、それはソウマさんの……ソウマさんだけの、才能なんですよ」

「……俺だけの……?」

「どんなトレーナーさん達にだって、得意不得意はあると思うんです。長距離の理論は完璧でも、スプリンターの子は育てられない、なんてよく聞く話じゃないですか~」

「……確かに」

「それと同じなんです。ソウマさんは、『うまぴょい』が出来る。配られたカードを使っているだけなんですから、何も悪いことじゃないと思いますけど~?」

「…………」

 

そう、なのか。

そうなのかな。なんだか頭が混乱して、正常に判断できないが。それでも、良いよと言ってくれてるのだけはわかる。

 

「本当に卑怯なことをする人は、もっと酷いことしますよ。でも、ソウマさんなら大丈夫です。だって、私たちのトレーナーさんなんですから。そんなことは、絶対にしないって信じています」

「クリーク……」

「テイオーちゃんとのことは、秘密にしておけば問題ないですよ。たしかに、大きな声で言えることじゃないですけど……。でも、しっかり者のソウマさんなら、ちゃんと節度を持ってやっていけると思いますよ」

「……!」

 

気が付けば、俺は抱き寄せられていた。異性特有の甘い香りと、信じられない包容力に俺の身体が強張る。なにより……温かい。なんて心地よさなんだ。うっすら先輩の忠告が脳裏をよぎるが、幸福感が全てを覆いつくしていく。

 

「辛かったですよね、ソウマさん。もう大丈夫ですから。これからも一緒に、頑張っていきましょうね~」

「…………クリーク……! ありがとう……!」

「いえいえ~。こちらこそ、ありがとうございます。お話してくれて~」

 

悩んでいた自分が悔しい。受け止めてくれる心が嬉しい。再び流れた涙は、彼女との結束の証。

もう大丈夫だ。俺達は道を踏み外さない。

悩みを共有できたからこそ、遠慮はいらない。また明日から、一生懸命トレーニングをするだけだ!

 

 

本当に、改めて……。ありがとう! クリーク!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウー! ウマダッチ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

…………え、なんで??????

 

 

 

翌日の早朝、トレーナー室のソファーで俺は乱雑に腰を掛けながら虚空を眺めていた。

 

思いっきり『うまぴょい』してんじゃん!!!

 

嘘だろ? あの流れで? 良い話だなー、で終わるはずなのに?? ありえなくない? 俺は本当のバカなのか?

なんで? どうしてそうなったの??

 

懸命に記憶を辿る。思い出そうとすると、何故だかズキンと頭が痛んだ。まるで邪魔をするように……。

クソ、負けてたまるか。俺は真実を知る必要があるんだ。

額に手を当てて、集中して思考を張り巡らせる。

そして脳裏に浮かんだのは……存在する記憶だった。

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

まだ明るい日の差し込むトレーナー室。先ほどまで響いていた嗚咽も、ようやく収まってきた時のことだった。

クリークの手は、俺の背中や頭部から離れていた。その時点で、もう気付くべきだったのに。俺は安心感からか、完全に油断していた。

 

「トレーナーさん」

「ん?」

「ところで、その……。テイオーちゃんと、したんですよね? 『うまぴょい』」

「え? あ……ああ」

「……私には、してくれないんですか……?」

 

体中の血液が凍り付いたようだった。先ほどの温かさと真逆の感覚が全身を駆け巡る。温度差で風邪を引きそうなほどの、強烈な悪寒。

しまった。やってしまった……!

慌てて顔をあげる。距離を置こうとするが、両手は既にガッツリ掴まれてしまって動けない。視界に映ったクリークの表情は、想像と違わず俺を絶望の底に叩き落とすものであった。

 

やけに穏やかな顔、柔和な微笑み。でも目の奥にある、確かな熱……。

こ、これは……! 俺はこの状態を知っている……! テイオーから聞いたことがある……! 

 

やばいぞ。クリークは今……『うぴうぴ』しているんだッ……!!

 

 

――説明しよう。『うぴうぴ』とは、ウマ娘なら誰しもが抱いている潜在的意識の一つであり、自らの強固な意志をもってしても抗うことのできない『うまぴょい本能』のことである。条件は未だ不明だが、この状態になると、どんなウマ娘でも『うまぴょい』を達成するまで逃げられないゾ!

 

 

ああ! なんかいきなり先輩の声で解説が聞こえた気がする。

今はそんなボケたことしている場合じゃない。なんでだ。どうしてクリークが、こんな……。今までなったことは、一度もなかったのに。

 

「ま、待て待て。クリーク、落ち着こう!」

「……私、今までソウマさんを困らせたこと……ないですよね?」

「うん、うん。ない。全然ない! とってもいい子だよ、クリークは。だからさ、手を離そう。な? それにほら、外からもこれじゃ見え……」

「鍵もカーテンも閉めましたよ。だから大丈夫です」

「さっきまで全部開いてたよね!?」

「トレーナーさんは、私と『うまぴょい』したくないんですか……?」

「だから~~! そういうわけじゃないんだってー!」

 

喚き散らす俺の身体をグイっと引き寄せ、顔を横に持っていく。

 

「だったら……たまには、わがまま。言っちゃダメですか……?」

 

耳元で囁かれる殺人的な甘い声で、俺の脳は完全に破壊された。逃げられない状況と相まって、今自らのすべきことはただ一つ。全てを受け入れ、クリークが満足するまで『うまぴょい』をすることだけだろう。

汗で摩擦のあるはずの手首が動かないことを最後に確認し、俺は遂に観念した。

ああ……ヒトがウマ娘に敵うはずないのに……。

 

無意味な抵抗も空しく……。

 

 

 

 

 

 

(そうだった……。『うぴうぴ』に負けたんだ、俺……)

 

どうしようもない状況だったから、仕方ないと言えば仕方ない。

全てを思い出した俺は、頭を抱えた。

あ、よく考えたら、この意味ありげな頭痛はさっき机でぶつけただけだわ。

 

「……なんてこった」

 

罪悪感に罪悪感を重ねてしまった。二度としないと思ってたのに。まさかクリークとも『うまぴょい』してしまうなんて……。俺、どうしたら……。

悩んでいると、ドアから乱暴なノックの音がした。一瞬身構えるが、そんな暇もなく扉が開いて人……いやウマ娘が一人入ってきた。

長く外に跳ねた、綺麗な葦毛の髪。体躯は小さいが、とてつもないパワーとスピードを誇る『白い稲妻』の異名を持つウマ娘。タマモクロスだった。

 

「邪魔するで~」

「……邪魔するなら帰って」

「ほなさいなら!」

 

戸が閉まりかけたと思ったら、物凄い勢いで開く。

 

「って、なんでやねん! ベタなことさすなや!!」

「おぉ……ホントにそういう反応するんだ。ごめん、気になって」

「ったく……ウチで遊んどるような暇、あらへんのやないの。好井(よしい)!」

「え?」

 

タマモは腕を組み、呆れたような表情で俺を見る。背が小さいせいで、俺は座ってるのにほとんど視線が変わらないのは、なんだか妙な気分だ。

 

「クリークの様子がおかしいんや。なんかあったんとちゃうか?」

「へ? いや、何もないけど……?」

「そない上ずった声しといて、何もないわけないやろ……」

 

くそ、まだ精神状態を上手く作れていない。悩んでる最中に、いきなり来るもんだから大人な対応ができない。このままじゃ看破されそうなので、とりあえず攻め込まれることだけは避ける努力をしよう。

 

「クリークが変って、例えば?」

「……好井、心して聞くんやで。あと、絶対笑うんやないぞ?」

「あ、ああ」

「……クリークが、まるでオカンのように振舞っとるのは周知の事実やろうけど……。今朝は流石に度を超えとったんや」

「……いったい何が……」

「起きたらな……。知らん間に毛布にくるまれて……おしゃぶり付けられてたんや……」

「嘘だろ……!?」

 

先輩の言ってたことは本当だったのか……!!

 

「いやな? なんぼクリークでも、普段はそこまではせえへんのよ。しかも、勝手にな。せやけど、なんや今日は、妙に強気っちゅうか……。まるで、リミッターを無くしとるように見えるんや」

 

 

…………。

 

そうか。

テイオーの場合、負けたくない気持ちから『うまぴょい』の効果は『長距離の克服』だった。

クリークの場合、特に欠点らしい欠点はない。天性のステイヤーである彼女は、自らの距離に誇りも持っている。ライバル視している、オグリキャップやこのタマモクロス、イナリワンなどと比べて劣等感を覚えつつ走っているわけでもない。

ならば、どこにブーストがかかったのか。

 

それは……母性(ママみ)……!

 

得意分野に『うまぴょい』が作用することもあるのか……! くそ、なんて奥が深いんだ。……というか、せめてレースに関係あることで効果があってくれよ。『うまぴょい』って何なんだよ。

 

「どないすんねや。このままやと、クリーク。学園中のウマ娘をオギャらせるで?」

「とんでもないパワーワード出さないでくれ。頭が痛くなる」

「ウチかて、もう今朝から頭ぐわんぐわんしとるんやで! ちゃんと担当として責任もってや!」

「大丈夫ですよ~。私が二人の頭、撫でてあげますからね~」

 

「「!!!??」」

 

クリーク!?

いつ!? いつからだ!?

 

俺もタマモも、向かい合って会話していた。部屋の中で、二人きりで。

ドアの開いた気配もないし、音もしなかった。だけど、確実にここにいる!

優しい笑顔の裏にある、全てを堕落させようとする魔王……いや、ママ王の威圧感で俺とタマモは震えて動けなくなってしまいそうだった。

 

「おっはよー! トレーナー! ねえねえ、朝トレに付き合って……」

 

元気よく入ってきたテイオーの顔が固まる。

ガラガラを手にしたクリーク。涎掛けをつけられたタマモ、おしゃぶりしてる俺。

このとんでもない空間に、空気を読まずに入ってきてくれるテイオーの強さが嬉しかった。

ごめん、嘘。頼むからこんな情けない俺を見ないで……。

 

「……トレーナー? それにクリークとタマモじゃん。なにしてるの?」

 

テイオーの瞳に影が落ちる。嘘だろお前。なんでこの状況見て、嫉妬してんの? 仲間外れにされたとか思ってんのか!?

 

「ふぅん。なんだ、みんなしてそうやってトレーナーと遊んでたんだ……。担当のボクを差し置いて?」

「違う、テイオー! いいから助け……ばぶっ!?」

「あらあら。元気な赤ちゃんでちゅね~?」

 

喋ろうとすると口におしゃぶりを突っ込まれる。抵抗もできないのに、唯一の救いを求めたい相手は、戦闘態勢だ。一体、この絶体絶命の状況をどうすればいいんだ!

涙目になりながら、運命に委ねるしかない状況に二日連続で陥った不幸を呪う。だが、一歩進んできたところでテイオーは、ピタリと止まった。

 

「?」

 

何かを察知したのか、振り返る。

視線の先は、入退室口の扉。テイオーが勢いよく開けたせいだろうか。半開きだ。

 

……いや、違うぞ。何か見える。

 

「……ネイチャ? どうしたの、そんなところで」

 

落ち着いたトーンで問いかけるテイオー。それに反応すると、やや遅れてゆっくりとドアは開いた。

 

そこに居たのは、テイオーの友人でもありライバルでもあるナイスネイチャだった。毛量の多いふわふわな鹿毛をツインテールにした姿は間違えるはずもない。

初対面ではないはずだが、もじもじして何かを言いたげな様子。この状況で、その程度の反応な彼女の精神性をちょっと疑いたいレベルだが。

 

「えっと、お取込み中……ゴメンナサイ……」

「おはよう。どうしたんだ?」

 

口の拘束具(おしゃぶり)を外して問いかける。確か彼女は、凄く優秀な俺の後輩トレーナーが担当だったはず。友達のテイオーを訪ねるには、時間やタイミングが変な気もするし。

一体、どういった要件なんだろう? 悩んでる間にまた口は塞がった。

 

「え? あ……あ~。あの、アタシ今日から特別移籍で、好井トレーナーの所にお世話になるんですけど……。聞いてなかったりします? ま、まあお忙しいみたいですし。また後程~……ってことで! 失礼します!」

 

慌てて出ていくネイチャ。

残された俺は、一生懸命記憶を掘り起こしていた。

 

 

 

……。

 

 

 

聞いてなかったりします。



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ナイスネイチャ
第五話「願望、アタシだってキラキラしたいから」


「はぁ! はぁ! ハァッ!!」

 

腕を振る。地面を蹴る。今持てるありとあらゆる、全ての力と技術を使ってアタシは懸命に走っていく。

でも……届かない。

風切り音と観客席から響く地鳴りのような歓声。抉れたターフの先の先。二人のウマ娘が、歴史に残る大接戦を繰り広げていた。

下の世代で注目されていた『BNW』という三人のウマ娘。菊花賞を手にした、最後の一人。ビワハヤヒデ。クラシック路線を突き進み、『強さ』を手に挑んだ有記念。

誰もが勝利を疑わなかった。調子の良さ、成績、何もかもが一段階違う。

 

でも。

 

 

【トウカイテイオーが来た! トウカイテイオーだ! トウカイテイオー、奇跡の復活!!!】

 

 

結果は、もっと劇的だった。

皇帝シンボリルドルフを敬愛し、その背を追って走り始めたクラシックロード。日本ダービーまで無敗で駆け抜けた先、骨折が判明。治療も空しく、菊花賞には間に合わなかった。テイオーが出ていなかったから、菊花賞では勝てたなんて言われたくなくて、アタシも気合入れて走ったけど……結局4着。その後、天皇賞秋や去年の有記念なんかで当たったけど、全然本調子に見えなかった。

だから、今日もそうだと思っていた。なんせ、一年振り。前回11着だからね? 骨折明けだよ? いくら無敵のテイオーでも、出来ないことぐらいあるって思うもんでしょ。

 

「……はは」

 

まだ熱い身体で掲示板を眺める。映る景色は、御なじみ3着。GⅠレースはいつもそうだ。良くて3着。ブロンズコレクターなんて揶揄されるのも仕方ない戦績。

 

でも、だけど。

 

あの子は違うんだ。

 

歓声が、いつの間にか『テイオー』のコールに変わっていた。

信じられない光景を目の当たりにし、驚愕が会場全体を満たした後のことだ。いつものテイオーらしくない、落ち着いた感じでファンの皆に応えている。嬉しい気持ちと、まだ本人も上手く受け止めきれていない様子が見てうかがえる。

そんな姿が、キラキラした主人公にはふさわしくないと思って。アタシは駆け出した。同じことを考えているウマ娘が、周りにはたくさんいた。だから、一緒になって走った。

 

「テイオー! おめでとー!」

 

抱き着いて、一斉に祝福の声を浴びせる。

共に走ったライバル達に、もみくちゃにされながら、うっすらと涙を浮かべながらも

 

「ありがとう、みんな」

 

と、少しだけ震えたトーンでお礼を言ってくれた。『絶対』を超える為に、頑張って頑張って。苦労して、苦難を乗り越えて。最後には掴んだ、最高の栄誉。みんな、辛かった時期の姿を知ってるから。こんな奇跡の復活劇の主役へ、同じ競技者として嬉しくて。素直に言えたんだろう。

 

『おめでとう』って。

 

 

 

 

「なんて! 簡単に受け止められる子じゃないわよね、ナッちゃん!」

「うわ、テンション高……。なんなの、いきなり」

 

記念が終わって、少ししてから。春も近い時期に、夕焼け色の学園屋上に呼び出された。

相手はアタシのトレーナー。安心沢(あんしんざわ)育功美(いくみ)。ぴしっとしたスーツに金色の髪をお団子にして、吊り上がった不思議な形の眼鏡と濃い化粧をしている、一昔前ならよく居た……居たのかな? そんなステレオタイプの教育ママのような風貌をしている。

アタシ……『ナイスネイチャ』のことを、『ナッちゃん』という誰も使わないあだ名で呼ぶ、変わり者のトレーナーさんだ。

 

「この前のレースは残念だったわね」

「え? またその話します? まあ、ちょっと有記念の疲れも残ってましたし。仕方ないかな~、なんて」

「そのややぷにっとしたお腹周りも、原因の一つよ!」

「うっ!? な、なんでそんな言いにくいこと言うかな~? そりゃ、お正月で油断したのもあるけど……。というか、もう流石に戻ってますって!」

「体型管理もアスリートの大事な要素よ。トレーニングメニューだって、最近は気持ち半分になってるじゃない」

「うぐぐ……返す言葉もありません……」

「それならお友達にも、負けて当然ね。おほほ!」

「て、手厳しいな~。トレーナーさんは……」

 

グサグサと忌憚なく、アタシの心を抉ってくる。仰る通りで、お正月は商店街のみんなに甘やかされて過ごしてしまった。みんなが、あの日の有記念の3着を祝ってくれるもんだから、どうしても断れなくて。3年連続3着は、前人未到の大記録だーって言われちゃうと、反論する力も失せるってもんですよ。あのレースは、もっととてつもない記録を生み出したウマ娘が居たってのに。好きだよねぇ、みんな。

 

「……けど、その怠惰は今までのアナタにはなかった。なんでもないフリして、影で努力して。強くてキラキラしたウマ娘たちにだって、自分は負けていない。そう信じて頑張ってきた、アナタらしくないわ」

「……!」

「燃え尽き症候群になってないかしら? どう?」

「……それは」

 

おかしな風貌と、歯に衣着せぬ言い方から誤解されがちだが。トレーナーさんは、いつだって本質を見抜いて発言している。親族も、ウマ娘に関係する職についているみたいだし、アタシたちについての理解は思っているより深いのかも。

指摘をされて、心当たりがないわけでもない。

 

あの時、アタシは眩しい現実を見た。

テイオーが、ターフに戻ってきて嬉しかった。誰もが……正直言えば、アタシもそう思ってたぐらい、一番強いとされてたビワハヤヒデ先輩に、文句ない勝利を挙げたことが、本当に素敵だと思った。

 

だけど、同じくらい実感してしまった。テイオーより、多くのレースを走ってきたのに。ハヤヒデ先輩より、長い時間トレーニングしてきたのに。

それでも、アタシの実力は3着なんだ。掲示板入りするだけでも、大したものだって言う人もいるけれど。アタシたちウマ娘は、やっぱりどうしたって一着が欲しい。特に最高峰のGⅠレースで。

ウイナーズサークルで、汗を滴らせて、どんなもんよ、って気分でインタビューに答えたい。ウイニングライブの真ん中で、今まで練習しかしてこなかった振付を、最高な想いでお披露目してあげたい。

トレーニングもダンスも……なんなら、質問に対する答えもたくさんシミュレーションして、レースに挑んでいる。

 

そんな熱い思いが叶わず。キラキラした主人公の横で、こっそり踊っているのがアタシの限界なんだ。

 

「……どう、なんだろう。別に、走るのが嫌になったわけじゃないんだけど」

「どこを目指せばいいのか、わからなくなってるんじゃないかしら?」

「…………たぶん」

 

目標の定め方が、難しくなった気がする。一番になりたいって気持ちに揺るぎはないのに。どこか、無理だって諦めたがる自分が居る。葛藤に耐え切れなくて、周りに流されて。その結果がこの前の7着。

最近一緒に居る、ツインターボやマチカネタンホイザにすら後れを取る、惨敗も惨敗だ。中途半端な気持ちのせいなのかな。あの子たちは、いつだって前を向いている。アタシと同じ、GⅠにはまだ勝ててない仲間同士なのに……。

 

「まあ、でも。アタシは所詮わき役ですし。そんなもんでしょ、って感じもするけど」

「自虐して予防線張っても、なんの身にならないわよ。いつも言ってるでしょ」

「……たはは。ホント、きっついなあ。トレーナーさん」

 

癖になってるからしかたない。どうせ頑張ったって、夢がかなわないなら。最初から届かないと理解しているぶんだけ、落ちた時のダメージは低い。勝ち星が取れないうちに、身に着けてしまった本当に要らない自己防衛機能。

 

「勝ちたいと思ってるんじゃないの?」

「……」

「トウカイテイオーより、強くなりたくないの?」

「……それは……」

「あなたは、何のために走ってるの?」

「…………」

 

なんのため?

今更ぶつけられる、当たり前の質問が胸に重くのしかかる。

たくさんの重賞レースを走ってきて、それでも1番が届かなくて。挫折するたび、摩耗してしまった精神を自虐して守ってきたから、忘れてしまっていた。

アタシ……アタシは、どうして……。

 

「さあ、言いたいことがあるなら! あの夕日に向かって叫びなさい!」

「ええ~? いやいや、そんな主人公みたいなこと……」

「ナッちゃん」

「…………」

 

いつも眼鏡が反射して見えないトレーナーさんの瞳が、今日はハッキリ見えた。

吊り上がった形のレンズで、厳しい人だと思ってたけど。やっぱ、そんな優しい眼してるんだね。ホントは知ってた。

後押しされた以上、やらないわけにはいかない。

柵に手を掛け、思い切り息を吸う。何を言おうか、考えるよりも先に。アタシは声を大にして叫んでいた。

 

「アタシ!! 一番になりたい!! みんなの期待に応えられるような!! 最高にキラキラしたウマ娘になりたい!!」

 

普段出さないせいか、声が上ずる。それでも、もう一度息を吸って続ける。

 

「だから、誰よりも強いウマ娘に!! 素晴らしい才能って名前に恥じないアタシに!! なってあげたい!!」

 

走るときよりも精神的に疲弊してしまった。肩で息をしながら、脂汗が頬を伝う。なんか、とてつもなく恥ずかしいことを叫んでしまった気もする。聞いてる人、きっとたくさんいた……よね。

 

「うぅ~~ん! サ、イ、コー! やっぱ、アナタは素晴らしいウマ娘ね。ナッちゃん!」

「……あ゛ぁ~~! なんか乗せられてつい言っちゃったけど! 全然アタシのキャラじゃないって、こういうの!」

「まったく、最後までその癖は治らないわね。誰だって、夢を追いかけたいに決まってるのよ。それに向かって頑張るヒトを、誰が笑うのかしら」

「だけどぉ~~……。…………ん?」

 

照れてる中で、聞き逃してしまいそうになったが。なんだか、聞き捨てならない言葉を言われた気がする。

 

「トレーナーさん、今……最後って言わなかった?」

「ええ、言ったわ」

「ど、どどどういうこと!? アタシ、なんかしちゃったとか!? 前のレース、斜行してた!? その制裁!?」

「落ち着きなさい、ナッちゃん。アナタは何もしてないわよ。第一、斜行や進路妨害をしたところで、まず制裁はトレーナー側に行くものよ」

「……ってことは、トレーナーさんが!?」

「違うわ。もう、落ち着きなさいって言ってるでしょう」

 

まくしたてて詰め寄るアタシの両肩に手を置き、はやる気持ちを抑えられる。いや、全然だけど。

なんで、そんな悲しいことを言うんだろう。最後……最後? アタシ、レースに出られないの? それとも、トレーナーさんに何かが?

 

「ナッちゃん。アナタの才能は、あたしが誰よりも知ってるわ。デビューからここまで3年間。ずっと側で、一緒にやってきたんだもの。今日着てるインナーの柄だってわかるぐらいだわ」

「それはわからなくていいんですけど……」

「三毛猫の白いワンポイントシャツよね?」

「当たってるし! いや、そうじゃなくて! どういうことなのか、説明してよ!」

 

置いた手を離し、トレーナーさんは懐からスマートフォンを取り出した。何度か操作をしてから、目線をこちらに移して言う。

 

「……正直に言うわね。ナッちゃん。あたしは、アナタじゃなくて……。あたし自身の才能に限界を感じてしまったの」

「トレーナーさんの……?」

「厳しいメニューを課したこともあったわ。怪我だけはしないように、細心の注意も払ってた。それでも、少しだけでも昨日より誇らしいアナタにしてあげたくて。少し無理をさせたこともあった。だけど、ナッちゃんはいつだって、腐らずにあたしの言うことを聞いてくれた。本当に感謝してるわ」

「……だって、アタシはそうするしかなかったし……」

「こっそり自主トレしてたのも知ってるわよ」

「げっ! そこまでお見通しなの!?」

「当然よ、アナタのトレーナーなんだから」

 

いつもテンションの高い話し方をするトレーナーさんが、少し寂しそうにしてるのが印象的だった。

『最後』という単語も相まって、沈みゆく夕日に照らされる表情は……まるで、お別れを言いに来たかのよう。

ううん、よう、じゃなくて……。まさか、本当に……。

 

「だけど、あたしの理論じゃ……これ以上、アナタを強くすることは出来ないの。例えば、リスクを恐れずにトレーニングすれば、一回ぐらいは勝てるかもしれないわ。でも、そんな破滅の道を選ぶトレーナーは、人間として、指導者として失格よ」

「……じゃあ、どうしたら」

「あたしじゃない人なら、アナタを強くできる。そう言ってるの」

 

スマートフォンの画面を見せてきた。

そこには、『特別移籍』という単語と、相手のトレーナーさんの名前……好井(よしい)ソウマという名が載っていた。

 

「この人……テイオーのトレーナーさんじゃん。特別移籍ってことは……このトレーナーさんの所で、トゥインクル・シリーズに出ろって?」

「ええ、そうよ」

「あはは。トレーナーさん、流石に無理がありますって。テイオーが強いのは、テイオー自身が天才だからだよ? 同じトレーナーさんに指導してもらえば、更に上を目指せるって言いたいわけ? そんなわけないじゃん。アタシは、普通のモブキャラなんだから」

 

流れるように出てくる捨て台詞が、嫌になる。自虐より、なにより。苦楽を共にしてきたトレーナーさんに、見捨てられてしまうかも。という事実が怖かった。

 

「……ナッちゃん。好井先輩は、とっても素敵な人よ。ウマ娘のことをよく考えてくれてるし、前任者から引き継いだ天才たちをしっかりコントロールして、ちゃんと成績も収めてる。胸を張って言えるわ。この人は信頼できる、って」

「……だけど、アタシ……」

 

出来るなら、安心沢トレーナーと上を目指したかった。選抜レースで3着なんて成績の中、アタシを一番最初に見初めて勧誘してくれた。いつも元気な姿に助けられたし、厳しい言葉に教えられたこともたくさんあった。GⅠでは確かに勝ててないけど、GⅡまでならちゃんと勝ててる。それは、トレーナーさんが居なければ実現しなかったと言える、立派な強さの証明だ。

 

急に思い出が頭の中を駆け巡ってくる。

こんな話をされると思っていなかったから、気持ちの整理がつかない。

 

「アタシ……トレーナーさんと一緒が良いよぉ……」

 

スッと本音が出てきた。声は震えてるし、視界は涙でぼやけてる。だって、だって。こんな面倒くさいアタシを信じて、考えて、一生懸命指導してくれたんだもん。せめて、一回ぐらいはGⅠ勝利(恩返し)をしないと納得できない。

 

「……ありがとう。ナッちゃん。とっても嬉しいわ。あたしも、アナタと一緒に居られて、本当に楽しかった。出来なかった料理も、アナタが教えてくれたしね。あたしの不摂生を治してくれたのは、他でもないナッちゃんよ」

「……トレーナーさん……」

「……だから。本気で勝ちたいと思ってるアナタを、あたしも本気で勝たせてあげたい。そう思ったのよ」

「…………」

 

頭を撫でられながら言われても、上手く決心がつかない。

 

「ナッちゃん。あともう一つ。……これが凄く重要なことなんだけど……。好井先輩なら、アナタを絶対に強くしてくれるのよ」

「え? なんで……?」

 

思う、とかではなく。強くしてくれる、と断言した。

そんな秘訣を、あのトレーナーさんは持っているのだろうか。

 

「ええ。それをすれば、必ずアナタもGⅠに手が届くようになるわ」

「……? なら、トレーナーさんがそれをしてくれればいいんじゃ?」

「あたしではダメなの。意味がないわけじゃないけど……効果は薄いわ」

「? トレーニング……なんだよね?」

「トレーニングと言えばそうなるわね。程よい疲労感と……あと幸福感が得られるらしいし」

「らしい、って……トレーナーさんもわかってないことなの?」

「おほほ! 手厳しいわね、ナッちゃん!」

 

何だかはぐらかされている。絶対という割には、ふんわりした物言いが理解できない。

別の人の下でお世話になるかもしれないのだから、もう少しハッキリして欲しいものだけど。

 

「不安になるのも当然だけど。安心して。特別移籍は、アタシと相手のトレーナー間で交わす特別な契約なの。お互いの同意があってこそ結ばれるものだし、仮に移籍した先で意にそぐわないようなことが判明すれば、すぐに戻ってこられるわ」

「ほえ~。そういうものなんだ」

「ええ。だから大丈夫。ちょっとお試しで行ってみる、ってのもアリなのよ」

「…………」

 

星が飛んできそうなウインクをするトレーナーさんを見て、少し安心した。

それなら怖くないかも。テイオーと一緒にトレーニングする、ってのだけでも本当は劣等感に圧し潰されそうで、無理だと思ってたけど。

 

「…………わかった。でも、本当にダメだったら言うからね?」

「いつでも言いなさい。夜中だろうと駆けつけるわ」

「……へへ。ありがとう、トレーナーさん」

 

信頼してる人が、ここまで言うのだ。

殻を破るのであれば、新しいことに挑戦してみるのも一つ。保険もあることだし、それならば。

 

「わかった。アタシ、好井さんの所にお世話になってみる」

「よく言ったわナッちゃん! ありがとう!」

 

その場でスマホに署名を始めていく安心沢トレーナー。

待っている間、袖で濡れていた頬を拭いつつ、疑問をぶつける。

 

「そういえば」

「ん? なぁに?」

「結局、どんなことをすれば強くなれるの?」

「……いい、ナッちゃん。耳を貸して。『これ』をしたいです、って好井先輩に言えばわかってくれるはずよ」

「?」

 

トーンを突然抑え、アタシの耳元でとある単語を呟く。

 

「わかった。それを言えばいいんだね」

「ええ」

 

反応が意外だったのか、トレーナーさんはちょっと不安げにアタシを見た。でも決まったものは決まったんだ。後はやるだけ。

拳を小さく握り、アタシは誓う。背中を押してくれた安心沢さんに、絶対恥をかかせない。最高のウマ娘になることを証明してみせる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、好井さん! アタシと『うまぴょい』してくださいな!」

 

(飛び切りやべぇ子が来たな)

 

二人きりのトレーナー室に、気まずい空気が流れた。



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第六話「驚愕、これが『うまぴょい』の圧倒的な力!」

爪をとんとんとトレーナー室の机で鳴らしながら、スマートフォンを耳に当て続ける。コール音は何度もなるのに、通信が可能にならない。また留守か、と切ろうとした時だった。

 

【はぁい、好井(よしい)先輩! 久しぶりぃ♪】

 

通話相手の安心沢(あんしんざわ)育功美(いくみ)が、ようやく出た。やけに高いテンションは相変わらずで、ちょっとだけ安堵しつつも俺は要件を伝える。

 

「しばらくだな、安心沢。ナイスネイチャの件で話があるんだが」

【あら、どんなこと? 好きな食べ物? 嫌いなメニュー? それとも、ナッちゃんだけの卓球技『ゼロバウンド』の動画でもみたいのかしら?】

「そんなことはどうでも……いや、最後のは普通に気になるけども! あのな、安心沢。なんであの子、ウチに来ることになってんだ?」

 

しかも特別移籍枠だ。そんなもの出した覚えもないのに、一体どんなトリックを使って滑り込ませたんだろう。思いがけず、返事は淡々とされた。

 

【なんでって、先輩。普通に申請してるわよ、特別移籍。去年の春に】

「え? マジ?」

 

通話をハンズフリーモードに切り替えて、書棚を漁る。ありそうなファイルを開いて見ると、確かに俺の名前で押印した申請用紙の控えが出てきた。条件は『重賞レース勝利者』というだけの簡素なもの。けど、こんなもの一体なんで……。

 

「……あ。スズカさんと先輩が居なくなって、不安になったから出したんだ」

 

テイオーも怪我してた頃で、クリークぐらいしか担当ウマ娘の居なかった時期だ。忘れてた。

しかし、結果的には不必要だった。テイオーのリハビリに、クリークの世話。更に新学期でスカウト成功者も普通に出て来て、首も回らないくらい忙しかったのを覚えている。そうか、あの時のか……。

 

「しかし、よく見つけたな。こんな古いもの」

【先輩、紙媒体ばっか使ってるから知らないだろうけど。データの方だと、ずーっと一番古い記録に残ってるのよ。無期限で申請してるせいでね。さらに、自動承認制だから署名とクリックだけで契約完了しちゃうの。今後、気を付けておいた方がいいんじゃない?】

「そ……そうだったのか」

 

パソコンでの作業が苦手なわけではないが、紙の方が個人的には好きでファイリングなどは全部紙面に起こして管理している。大体のことは覚えているつもりだが、たまにこうやって記憶の欠落により引き起こされるトラブルがあるのは悩みどころだ。

 

「……で、どうするんだ」

【どうする、とは?】

 

再びスピーカーに切り替えて、スマホを耳元に当てつつ喋る。俺の質問が思いがけないのか、訝しむ声で返事がくる。

 

「あの子を騙して寄越したようなもんだろ? それは流石に悪いよ。お前のこと、信頼してるだろうし」

 

直接、ちゃんと話したことはないが。テイオーを意識していたことは知っている。更に、デビューからずっと横に安心沢が居たことも既知の事実だ。

俺をからかうためか、ナイスネイチャをからかう為かは知らないが、流石にタチの悪い冗談だ。契約は破棄して、元に戻すべきだろう。

 

【違うわよ、好井先輩。本気も本気で、あの子はアナタの所へ移ってもらったわ。次のステージに引き上げてもらうためにね】

「はぁ? なんで?」

 

悔しいが、安心沢はトレーナーとしては一流だ。名門の桐生院さんとはまた違うアプローチで、ウマ娘達の潜在能力を引き上げて、勝利を手にさせている。無理と限界のギリギリを見定め、なおかつ体調管理も常にベストを維持できる手腕は、俺では絶対敵いっこない。

彼女に出来て、俺に出来ないようなこと。そんなものがあるわけ……。

 

「……おい、まさか」

【お気づき? そうよ。好井先輩には、是非ナッちゃんと『うまぴょい』してもらいたいの」

「おばか!! お前、仮にも元担当ウマ娘相手に何させようとしてんの!?」

 

大声をあげてしまったことに気付き、俺は慌ててトーンを落とす。安心沢の方は、まるで意に介さぬように続けた。

 

【冗談でも何でもないわよ。もう、それしか手段は残っていないの】

「……どういう意味だよ」

 

ふざけたハイトーンではない、冷静な口調で安心沢は淡々と理由を述べた。

ナイスネイチャは、実はそこまで身体が強くない。壊れないように、いつも細心の注意を払ってトレーニングをしてきたらしい。重賞こそ手にしているものの、大一番で勝ちきれないのは、その限界を越えないようにするため。

本来ならば、もっともっと上のポテンシャルを持っていてもおかしくないウマ娘なのだ。

 

【普通のやり方として、あたしは出来る全てをナッちゃんに捧げたわ。その結果を、あの子が満足するのであれば、これからも一緒に行くつもりだった。でも、ナッちゃんは今も先を望んでる。少しでも速く、あの子より強く、誇れる自分になりたいって願ってる。だから、好井先輩の所へ向かわせたのよ】

「安心沢……」

 

なんかメチャクチャ良い話にしようとしてるけど、その理由が『うまぴょい』ってお前……。

 

「……その件について、ナイスネイチャは知ってるのか?」

【もちろんよ。だから、好井先輩が後ろめたさを感じる必要はないわ。大体、もう二人……トッテー(トウカイテイオー)とスパーク(スーパークリーク)とは、したんでしょ、『うまぴょい』を】

「なんで知ってんの!?」

【おほほほ! 安心沢の情報網を甘くみないことね」

「いっそ怖いわ、お前……」

【……ああ、そうだ。一つだけ。ナッちゃんについて、ちょっと気になることはあるわね】

「気になること?」

【ええ。その、実は……】

 

言いかけて、安心沢の背後で別の着信音が鳴った。

 

【あら、ごめんなさい。そういえば、こんな時間だったわ。これから、くりぬいたドーナツの穴を用いたワームホール実験をゴップ(ゴールドシップ)とする予定があるのよ】

「え? おい、そんな はちゃめちゃに気になる理由で切るつもりか!?」

【また連絡するわ。ナッちゃんをよろしくね、先輩!】

「安心沢? もしもし!? もしも~し!! せめて成果を教えてくれよ!? おい!」

 

電子音が鳴り、スマートフォンは沈黙した。画面に映る、ニヤけた笑顔のプロフィール画面に不満を覚えていると、扉からノックが聞こえてきた。

 

「どうぞ、開いてますよ」

「失礼しま~す。こんにちは、トレーナーさん」

 

物怖じしない態度で、まるで旧来の友人のような声のままナイスネイチャが入ってきた。会話を聞かれていたかもしれないと身構えるが、きょとんとした表情を見る限り大丈夫そうだ。

揺れるツインテールに、俺は無理やり笑顔を作って挨拶する。

 

「やあ、こんにちは。どうしたんだ? トレーニングは、放課後からって伝えてたはずだけど」

「ああ、そう。それです。それについて、相談したいことがありまして……」

 

なんだろう。安心沢の所でやってた、ルーティンとかあるんだろうか。メニューに、気に入らないものとか、苦手なものがあったりしたんだろうか?

距離適性はテイオーと同じだし、まずは俺と彼女の力量を測るために無理のない練習メニューを、先日渡したつもりだったが……。

 

「何回読んでも、『うまぴょい』のことが書いてないんですけど。いつするんですか?」

 

一昔前なら、足を広げてひっくり返るリアクションをしていたことだろう。

それぐらい衝撃的な発言をされ、そこまでやらずとも思わず腰から力が抜けかける。

 

「な、ナイスネイチャさん……? 何を……?」

「? ああ、長いから呼びやすい呼び方で良いですよ。初対面でもないわけですし」

「……まあ、そうだな。お互い、顔見知りではあるし。キミも、安心沢と話してる時みたいにリラックスしてくれて良いよ」

「お気遣いどもども。なら、そうさせてもらいまーす」

「……んんっ。……それで。えー、なんだっけ?」

「うん。『うまぴょい』はいつするの? 明日? 明後日? やるなら、早くしたいんだけど」

 

おいおい、現代の子ってみんなこんなもんなのか?

臆面もなく『うまぴょい』を連呼するのは結構なもんだぞ。テイオーでもやや恥じらいと躊躇いを持っていたし、クリークだって『うぴうぴ』してる時以外は少し頬を染めて話していたぐらいだ。

 

…………ん? あれ? ということは……?

 

俺の中で、何かが組みあがっていく。桐生院さんやたづなさん、大人達だって言い淀むものを、いくら剛毅な者でも出来るか? 俺だって、知った上では軽々しく口にすることは出来ない。

 

ということは、つまりだ。

 

「なあ、ネイチャ。一応、確認なんだが」

「うん」

「キミは『うまぴょい』が何か、知っているのか?」

「え? ……ああ、まあ。詳しくはないけど、特殊なトレーニングなんでしょ? 安心沢さんから、何となくは聞いたよ」

「そうか」

 

おっしゃあああああ!!

心の中で、とてつもなく大きなガッツポーズをぶちかました。こういうこともあるんだな!

 

『うまぴょい』をネイチャは知らない。ウマ娘にとっては、周知の事実なんだと勝手に思っていたが、そうじゃないのか!

なら、いくらでもやりようはある。ようやく、俺は担当ウマ娘と正しい道を歩めるのかもしれない。後ろめたさを感じずに、真っすぐ彼女らと向き合うことが出来るんだ。

 

「まあ、その。『うまぴょい』はやっぱり、信頼関係がないと成立しないものでな。まずは、通常トレーニングで体を慣らしていかないとダメなんだよ」

「へー、そうなんだ」

 

嘘は言ってない。

 

「それに、まだ俺はキミの実力を知らない。安心沢からバトンを渡された以上、慎重に扱うつもりだ」

「なるほど~……。なんか、安心した。安心沢さんが言ってたように、好井さんって結構アタシらのこと、しっかり考えるタイプなんだね」

「おいおい、この真面目が服着て歩いているような男掴まえて、何故そう穿った評価をしちゃうんだい?」

「いやいや。だって、スーツはいつもちょっと気崩してるし。無精ひげだし。髪だけはいつもピシッとしてるけど……。なんか、だらしない大人の代表みたいな感じするじゃん」

「そ、そんな風に見られてたの俺……?」

 

女の子らしいというか、中等部らしい指摘というか。身だしなみについて、思うことがあったようだ。ちょっと反省しなくてはな。否定できないのが恥ずかしい。

アイロンのかかってないシャツの襟をピシッと伸ばしながら、俺は意気揚々と告げる。

 

「まあ、見た目はともかく。俺は真摯に、キミと向き合って指導していくつもりだ。大船に乗ったつもりでいてくれたまえ」

「わー、嬉しー」

「もっと心を込めてくれない?」

「いやいや、真心しかないですって」

「その気の抜けた返事でか?」

「これはそういうもので~す」

 

二人の笑い声が、室内に響き渡る。まともな会話を交わすのは、今日が初めてだったが、案外上手くやっていけそうだ。

『うまぴょい』のことで怯える必要もない。……『うぴうぴ』する可能性は捨てきれないが、それでも強制的に『うまぴょい』される可能性がないだけ、胸の軽さは段違いだ。

 

「楽しそうだね、二人とも」

「よお、テイオー。今日の昼はなんだった?」

「いつもの丼だよ。なにさ、ボク抜きで盛り上がっちゃって~。ご飯のことなんて普段聞かないじゃん!」

 

不満そうに頬を膨らませて、テイオーが部屋に入ってきた。

いつものように、食後の飲み物を片手にしているが、機嫌は良くないらしい。やや投げやりな態度で、目の前に座っているナイスネイチャの隣に腰をかける。

 

「ネイチャ」

「な、なに?」

「同じ担当になったからって、仲間だとは思わないでね」

「え?」

 

珍しく棘のある物言いに、俺も驚く。気に食わないことがあるなら、しっかり伝えた方が良いとは思うが……これから、共に上を目指すもの同士でもある。慣れあえとは言わないけれど、少しは仲良くやって欲しいのだが……。と、勝手にハラハラしていると、テイオーは二の句を継ぐ。

 

「せっかくのライバルなんだもん。変に気遣いとかしないでよ?」

「……テイオー」

「トレーナー。ネイチャ、次のレースは何に出るの?」

「天皇賞・春だ」

「へぇ~。なんだ、ボクと同じじゃん。最初から、そのつもりだったってわけ?」

「まあ、ね。この前のリベンジってヤツですよ」

「ふぅん。ま、前ならどうかわかんないけど。今のボクなら、絶対負けないよ。……マックイーンも居ないなら、尚更ね」

 

テイオーのライバル、メジロマックイーン。彼女は今、故障してレースから離れている。本来なら有記念にも出走するはずだったのだが、見送りになった。勇気づけるためにも、テイオーは怪我明けにも関わらず走ったんだと思う。調整に熱が入ってた理由は聞かなかったけど、そういうことなんだろうな。

その後、マックイーンがどうしてるかまでは知らない。けど、ちょっと陰りのあるテイオーの表情が、あの日から明るくなって、レースに出ることにも積極的になったのは間違いないと思う。この子自身も、優勝トロフィー以外に手に入れたものがあったのだ。

 

「……アタシも」

「ん?」

「アタシだって、あんたに負けない。その為に、安心沢さんの所から来たんだから。情けない姿なんて、見せらんないのは同じ」

「……えへへ。良かった、ネイチャはネイチャなんだね。ずっと」

 

テイオーの挑発的な笑顔を、余裕なさげな笑みで返すネイチャ。俺の知らないところで、様々な経験をしてきた二人は、やはりライバルであることに変わりはないのだろう。

青春劇を目の当たりにし、俺は嬉しくてちょっとだけ目に汗を浮かべながら腕を組み、うんうんと頷く。

 

「だからさ、トレーナーさん。そういうわけだから、アタシと『うま「響けファーーンファーアーレ!! とどけゴーオルーまーでー!」

「え……何トレーナー。いきなり歌い出して。気持ち悪……」

 

危なかった。俺が今、突発性ウイニングライブ復習症候群という仮病になってなければ、テイオーと修羅場が出来上がるところだった。ドン引きする二人の、痛々しい視線を目に留めず、俺はネイチャの手を取り部屋の隅まで連れていく。

 

「ネイチャ、そのことはまたな」

「え? なんで?」

「……あー。一応、秘密の特訓なんだから。そういうのは大っぴらに言うもんじゃないんだよ」

「あ、そうなんだ」

 

耳の位置が違うので、いちいち小声で話すにしても体勢を変えないといけないのが辛い。

とにかく、テイオーのことだ。ネイチャと『うまぴょい』なんてことが知られれば、多分とんでもないことになると思う。クリークとのことですら、まだ秘密にしているというのに。

余計な情報で、二人の関係性が崩れるのだって良くはないだろう。とにかく、他言無用にしてもらわねば。

 

ちらりとテイオーの方を見ると、ソファーの背もたれで半身になりながら……怒ったようにジュースを飲んでいた。

これ、意外と俺……大変かもしれん。

 

先行きを懸念しながらも、俺は今度こそ絶対に『うまぴょい』をせずに、純粋にネイチャをトレーニングしてあげることを誓ったのだ。

 

 

誓ったのだが……。

 

 

 

 

【ここでトウカイテイオーがあがってきた! ぐんぐんと先頭との差を詰める! 並んだ、並んだ! トウカイテイオーが、再びビワハヤヒデに追いすがっている! やはり皇帝を継ぐウマ娘の名は伊達ではないのか!! 抜けたーーー!! トウカイテイオー、有記念に引き続き、春の盾を手にしました!!!】

 

「……すげえな」

 

大歓声の響く阪神レース場の観客席で、俺は思わず声が漏れていた。

最終コーナー、必勝の形と言われるビワハヤヒデのコース取りを、有記念と同様に真っ向から打ち破って見せた。急追していたナリタタイシンに目もくれず、残り400mから一気に加速。最終的には2バ身差という、圧倒的レース展開でGⅠ最長のレースは幕を閉じた。

トレーニングの中でも、何度も何度も見てきたあの追い上げ。今までのテイオーにはない、スパートの持続力。わかっていたつもりだが、いざ現実に強者をなぎ倒す姿を見ると震えてしまう。

これが……これが『うまぴょい』の効果なのか。

 

「ブイブイ! どう? トレーナー! 勝ったよー!」

 

無邪気な笑顔で汗を光らせるテイオーが走ってきた。全力で3200mをこなした後とは思えないほどの余裕っぷりで、少し俺はたじろいだ。

 

「ああ、凄かったな。おめでとう! 流石は無敵のテイオー様だな」

「ありがとー! これもトレーナーのおかげだよ!」

「……そうか」

「うん! じゃ、ウイナーズサークルで待ってるね!

 最強無敵のボクと♡♡最高最愛のトレーナー♡♡のインタビューをしてこよ~!」

「過剰なハートで囲むな、誤解を招くだろ!? ……ったく。テイオーは、先行っててくれ。すぐに行くから」

 

王子様を意識した青い貴族服の赤いマントを翻し、元気いっぱいの笑顔で走り去っていく。

そんなテイオーの進む方向と反対へ、辛そうな顔をして歩いていくウマ娘が俺の目に入った。

 

「ネイチャ!」

 

呼ばれて、少ししてからゆっくりこちらを見る。尋常じゃない汗と、肩で息をする姿に、弱弱しい表情。負けたことが悔しいのだろう。有記念の時は、テイオー奇跡の復活という名目があったから良かったものの。今のように、何もない純粋な力の勝負で劣っていることを証明されては、落ち込むのも頷ける。

 

「トレーナーさん……」

 

とぼとぼと歩み寄り、近くに来てもネイチャは俯いたまま何も話さなかった。

トレーナーの担当代わりたてとはいえ、勝利を挙げられなかったのは素直に悔しい。テイオーの強さも知ってたが、それでもネイチャが劣っているとは言いにくいほど、彼女の状態はとても良かった。流石は安心沢の指導と唸るほど。

 

「……!」

 

せめて労いの言葉をかけようとしたのだが、突然ネイチャは顔を上げて遠くを見た。そして零れそうな涙を隠そうともせず、唇をかみしめるとそのまま地下バ道へ走り去ってしまったのだった。

あっけにとられていると、運営からインタビューの催促を受けたので一旦離脱。破顔して受け答えするテイオーの横で、俺はどうにも煮え切らずに生返事をしてしまった。

 

その後、ウイニングライブの準備があるのでネイチャの控室を訪ねようとした時だった。

綺麗にまとめた金髪と尖った眼鏡、俺と対照的な皺ひとつないのに年季の入ったスーツの女性が居た。安心沢だ。

 

「あれ、お前も来てたのか。担当の子、居たっけ?」

「こんにちは、好井先輩。会うのは久しぶりね。ちょっと背が縮んだんじゃない?」

「そこは普通伸びた? って聞くだろ。縮んでねえよ」

「おほほ。相変わらず、美しい返しね。衰えてなくて安心したわ」

「俺に対して、どういう知見を持ってるんだお前は……」

「……ナッちゃん、残念だったわね」

 

突然、本題を切り出してくるこの話し方。こいつも、何も変わってないな。一息ついて、仕事モードにスイッチを切り替えて答える。そうか、こいつ。ネイチャを見にきたのか。……ネイチャも、さっきそれで……。

 

「調子も悪くなかったんだがな……。ちょっとテイオーが強すぎたわ。トレーナーとしては嬉しい限りなんだけどさ」

「そうでしょうね。だって、あの子は『うまぴょい』してるんだもの」

「…………」

「好井先輩、単刀直入に聞くわ。ナッちゃんと『うまぴょい』はしたの?」

 

こんな誰もが通るかもしれない地下バ道で、なんつーことを聞いてるんだこの女。

理性がツッコミを入れる中、俺の心にはその言葉がチクリと胸を刺す。

 

「……その反応は、してないわね。ねえ、どうしてなの? ナッちゃん、嫌がったりした?」

「そういうわけじゃねえよ。ただあの子、『うまぴょい』のことを何も知らなかったんだ」

「……気にはなってたけど、やっぱりそうだったかぁ……。あたしが『うまぴょい』してきなさいって言った時、きょとんとしてたから。わかってなさそうと思ったけど……」

「なんで教えておかなかったんだよ」

「好井先輩なら、教える? 事細かに?」

「…………無理」

「でしょう? まともな神経している人なら、いくら大事な担当ウマ娘相手でも、そこまで手取り足取り指導しないわ」

(俺は、担当ウマ娘に手取り足取り教え込ま(わからせら)れたけど……)

 

口が裂けてもそのことだけは言えないな、と思っていると安心沢が詰め寄ってくる。

 

「何のために、あたしが断腸の思いでナッちゃんを手放したかわかってるの?」

「わかってるよ。でもよ、今日のテイオーをお前も見ただろ? あんな劇的に強くなるような行為、やっぱ俺には反則にしか思えねえよ」

「それはあなたの中の倫理観よ。ウマ娘が強くなりたい気持ちに、どうしてあなたは向き合わないの? そもそも『うまぴょい』は違反行為ではないわ」

「……それは……」

「特別移籍の破棄は、ナッちゃんが『うまぴょい』するまで絶対しないから。頼むわよ、先輩」

「……別に、移籍までする必要なかっただろ。押しつけじゃねーか」

「『うまぴょい』した先輩なら、わかるでしょ。そんな軽々しい気持ちで送り出したんじゃないわよあたしも。せめて、アナタと言う人間のことを知ったうえで、『うまだっち』になって欲しかったのよ。……大事な妹みたいなものなんだから」

「……安心沢」

「頼んだわよ、好井ソウマ」

 

肩に手を置かれ、神妙な顔のまま安心沢はヒールを鳴らして去っていく。

 

残された俺は、自問自答を繰り返していた。

本当に、ウマ娘にとって大事なことって、なんなんだろう。

俺がしていることは間違いなんだろうか。エゴなんだろうか。そんなわけがないだろう。だって、誰にだって出来ることじゃないんだ……。でも、クリークにも言われたように……これは俺の才能でもある。だったら……。『うまぴょい』は……。『うまだっち』になるのは……。

 

ぐるぐる回る頭の整理がつかない。

 

結局、『白昼堂々なんということで悩んでいるんだ俺は』と冷静な判断が下されたことで、一旦思考は打ち切られる。まずはネイチャと話そう。全てはそこからだ。

 

控室の前に立ち、俺はノックで扉を鳴らす。

 

 

「…………はい」

 

掠れた返事に心を痛めながら、俺はゆっくりドアノブを回した。



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第七話「決断、『うまぴょい』で、きっとその先へ…!」

「……ネイチャ」

「あー、トレーナーさん。いやー、また勝てませんでしたわー。ま、やっぱテイオー相手じゃ、こんなもんですよ」

 

入室すると、やや慌てた様子の潤んだ瞳で、こちらに笑いかけるナイスネイチャ。口元にはハンカチが当てられていて見えないけれど、多分その布の下は赤い鼻があるんだろう。

移籍してからまだひと月に満たない時間。それでも、たくさん話をしてきた。彼女の性格も大体理解したつもりだ。だけど、だからこそ。今はなんて声を掛けていいのか、全然わからない。

そんな俺の様子を察してか、ネイチャは自分から……まるで言い聞かせるように口を開いた。

 

「……なんで、だろうね」

「え?」

「アタシも一生懸命頑張ってきたのに。全力を出し切ったはずなのに。いつもいつも『良いところ』で終わっちゃう。今日なんて、3着どころか4着だったし。……ホント、名前負けもいい所だよ」

「GⅠレースで掲示板入りするだけでも、充分凄いんだぞ」

「あはは……。それも聞き飽きちゃったかな~、なんてね」

 

安心沢にも、たくさん言われたんだろう。慰めの言葉も重ねれば、癒しにならなくなってしまう。あいつは別に口の立つヤツではないけれど。それでも、今のように落ち込んでいるネイチャを懸命に励ましてきたんだろうな。

……ああ、そうか。そうだよな。今日のレース、きっとネイチャはテイオーに勝つだけじゃなくて……。

 

「ごめんな。安心沢に、良いとこ見せたかったんだろ?」

「……」

「まあ、まだ俺の担当になって日が浅いから……慣れないこともあっただろうけどさ。それでも、一番取ってやりたかったよな」

 

今の調整は、安心沢から引き継いだものを維持しただけだから。もし仮に、ネイチャが1着を取れていたのであれば、彼女らの努力は実を結んだことになる。

でも……。結果は残酷だった。

安心沢の見切りが、時期尚早じゃなかったとハッキリ理解できてしまう。筋肉の付き方も、フォームも。スパートを仕掛けるタイミングも、完成度はとても高かった。凡人の俺から見れば、これ以上どうすれば先を目指せるのかわからないぐらい。

改めて、テイオーやクリークが天才的な能力を携えているのだと実感してしまうほど。

 

「……安心沢さんに、カッコ悪いとこ見られちゃったよね」

「……実は、さっき会ったんだよ。もう帰っちゃったけどさ」

「そうだったんだ。……アタシには、言うことないってことかな」

「そんなことない。キミのことを心配してた」

「……心配、か」

 

安心沢だって、こんなネイチャの顔が見たいわけがない。自信を無くし、落ち込んでいるウマ娘の姿は本当に……胸を締め付けられる。一生懸命に、ひたむきな表情を知っているから尚のこと。

心配なんて、して欲しかったわけじゃないよな。きっと、勝って称賛の声を浴びて。自分たちは間違いじゃなかったって、お互い納得して、元の鞘に戻れればそれでよかったはずなのに。

 

俺の。

 

俺のせいなんだ。

 

「……はー。ごめんね、トレーナーさんにもカッコ悪いとこ見せちゃって。レースで負けたぐらいでさ。こんなの、今までもたくさんあったことなのに……。変なの……」

 

無理に作る、赤い目をした笑顔を見るのが辛い。拳を握りしめ、俺は言う。

 

「ネイチャ」

「ん?」

「責めるなら、俺を責めろ。自分や安心沢に、暗い気持ちを抱くんじゃない」

「……あはは。なにそれ。難しいこというね、トレーナーさん。アタシが、そんな聞き分けいい子に見えてた?」

「そんなこと百も承知だ」

「……それはそれで複雑なんですけど!」

「けど。キミは期待に応えようと頑張ってた。走りを見れば、二人の凄さがよくわかる。……悪いのは、俺だ」

「それを言うなら、アタシだって。トレーナーさんが、変な指導とかしてたとは思えないけど? 練習メニューもちゃんと専用に作ってくれてたじゃん」

「ああ。けど、本当に求めてたのはそれじゃない。ネイチャに必要だったのは、そんな凡百のトレーニングなんかじゃないんだ」

 

安心沢が、俺に託した願いは『うまぴょい』をすること。それだけだった。

レースまでの期間、するチャンスはいくらでもあった。だけど、俺自身の勝手な想いからそれを封じていた。

何より。

今回、負けたことに対してネイチャは一度も『うまぴょいをしてないから』と言い訳しなかった。ネイチャだって、知らんぷりしていたわけじゃないんだ。いつか、するよ。って話だけして、はぐらかしてた。でも、責めなかったんだ。

 

こんな純粋に、俺のことを。安心沢を。トレーナーを信じて、懸命に頑張っている子に対して。

俺はなんて……!!!

 

「……」

「? トレーナーさん?」

 

ネイチャの声を聞くことなく、俺はゆっくりと壁の方へ向かう。固いコンクリートの材質をしっかり確かめ、一度撫でると。

 

「ふんっ!!」

「ギャーーーー!? な、何してんの!?」

 

思い切り頭を叩きつけた。壁はひび割れ煙を吐き、俺の額の形に陥没してパラパラと破片が崩れ落ちていく。

……わけはなく。鈍い音を立て、とてつもない反動が脳内に返ってきただけ。やばい、意識飛びそう。

 

「……ネイチャ。ごめんな」

「いや、謝るより先に状況の説明して欲しいんですケド……」

 

ギリギリ割れなかったが、しっかり腫れた額を押さえながら青ざめるネイチャに謝罪する。

 

「俺はトレーナー失格だ。ウマ娘を世話し、勝てるように導くのが本懐のはずなのに。俺は、俺自身の我がままで、キミに辛い思いをさせてしまった。それへの罰が、今の頭突きさ」

「えぇ……」

 

物理的な衝撃でふらつく思考を、少しずつ整えていく。その揺り戻しの動作と一緒に、ずっと心に留めてきた言葉を、勢い任せに俺は伝えた。

 

 

 

「ネイチャ。俺と『うまぴょい』しよう」

 

 

 

言われて、少し驚いた表情をした。心配するように差しだそうとしていたネイチャの手は止まり、片手だけが恥ずかしそうに頬を掻く。

 

「あはは。なんだ、トレーナーさん。忘れてたわけじゃないんだ」

「もちろんだ」

「てっきり、アタシになんてしても意味ないから、やる必要ないかと思ってた」

「そんなわけがない。むしろ、改めて思った。今のキミにこそ、必要なことだ」

「……そっか。そうなんだ」

 

得心がいき、明るい顔が戻ってくる。

 

「……じゃあさ、トレーナーさん。してくれます? アタシと『うまぴょい』」

「ああ。……だが、その前に」

 

決意したは良いが、まず何より。とてつもなく大きな問題が(そび)えていること対し、しっかり向き合わなくてはならない。

控室にある椅子に座るようネイチャを促し、俺も対面するように腰を下ろす。

 

「ネイチャ。もう一度聞く。『うまぴょい』が何か、わかっているかい?」

「前も言ったけど、特殊なトレーニングでしょ? あの後調べてみたんだけど、ちゃんとした情報載ってなくてさー。結局、よくわかんないままなんだよね」

「……誰かに聞いたりは?」

「マーベラスに聞いたけど、ちょっと固まってから『マーベラス!』って言ってどっか行っちゃった。」

「……ふ~~~……。なるほど、よくわかった」

 

眉間に手を当ててから、深いため息を吐く。何度か呼吸で心拍数を整えた後、前を見てネイチャと目を合わせた。

 

「先に言っておくというか……約束して欲しいことが……あるんだけど……」

「? なに?」

「これから、『うまぴょい』のことを話す。だけどさ」

「うん」

「頼むから、通報だけはしないでね」

「どういうこと!?」

 

一息ついてから、俺は出来るだけわかりやすく。要点をしっかりまとめたうえで、誤解のないように話を始めた。

 

 

 

この世の全ての始まりはビッグバンと言われる爆発によるものが起因とされている。小さな火の玉が一気に膨張し、現実ではありえないような速度で一挙に宇宙は広がりを見せた。しかし、そもそもその爆発が起こる前には、インフレーションという予備動作があったという。まだいろいろと解明されていない話ではあるが、俺は思うにそれは俺達人間が『観測』をしたことで初めて生まれたものなのだと思う。二重スリット実験という、隙間に粒子をぶつけて、その拡散する方向を観る実験があるのだが、隙間に対して射出した粒子がどうみてもあり得ない方向に散らばってしまう。どういう理屈で散らばるのか、隙間に近寄って観察してみると、何故か近接前とは全く異なる粒子の飛び方になってしまうそうだ。条件は同じはずなのに。これは『観測』という力がこの世界にはあって、小さなきっかけに過ぎずとも、俺達人間が全ての世界の始まりに対して『観測』したからこそ、四次元的発想であれ宇宙は誕生したのではないかと思っている。

 

 

 

……うん。

全く関係のない、特に理屈すら通ってない難解なことを脳内でまくしあげることで、俺は口に出している爆弾発言の大嵐から感情を誤魔化すことに成功した。

 

『うまぴょい』について話している間、ネイチャの反応はあまりに初々しく直視するのも(はばか)られるものだった。行為やするべきことを言うと、顔を赤くして小さな感嘆の声を漏らしたり。『ばきゅんぶきゅん』の説明するうちに、おさげを両方掴んで紅潮する表情を必死で隠したり。

中等部らしい、とても当たり前な反応に俺は罪を犯しているような気分になりながらも、先ほどの『うまぴょい』とは一ミリも関係ない脳内独白で、表情一つ変えず黙々と伝えることが出来たってわけだ。

 

「……と、これが『うまぴょい』の流れだ。わかったかい?」

「…………はい」

 

合わせていた目は、すっかり地面を見てしまっている。俺だって、こんな話をしながらまともに見られる自信はない。『なんだかよくわからないもの』が、『実はとんでもないもの』とわかった時の衝撃は一体どんなものだろう。……まあ、ネイチャの場合は口伝で良かったね。俺は実演からだったから。もうハチャメチャだったから。

 

「……念のため聞くんだが」

「……な、なんでしょう?」

「これを踏まえたうえで……その。出来そう?」

 

場合によっては俺はこのまま学園追放されそうな質問だが、仕方のないことなのだ。俺だって怖い。今からスマホを取り出されて、ポリスメンされたっておかしくない。頼むからそれだけは勘弁して。

いつの間にか、びっしょりになった背中の汗を鬱陶しく思いつつも返答を待った。

何度か、小さく悩む声を出しながら、ようやく掴んでいたもふもふの髪を離すと俯いたまま、ゆっくり頷いた。

 

 

え、頷いた? マジで? ちょっと考えさせて、って言ってくると思ったのに。

 

「そ、そうか。それならよかった」

「だ、だって、『うまぴょい』すれば、テイオーにだって負けないんでしょ? それなら、アタシだって……が、頑張れるし!」

 

テイオーとクリーク、二人の反応とあまりに毛色が違い過ぎてこちらもドキドキしてしまう。襲われるような形だったから、自ら攻め入るのには流石に慣れてない。俺自身が混乱しちゃってるが、前向きに検討してくれている以上は、ちゃんと応えるのが大人ってものだ。

 

「じゃあ、いつにしようか。心の準備とかいるだろ、スケジュールを組んで……一週間後とか、何なら来月とかでも別に」

「…………ま」

 

ん? 何か言われたが、聞き取れなかった。この距離で聞き逃すのは申し訳ないので、ちょっと近寄って耳を澄ます。

 

 

 

「……今からじゃ、ダメ?」

「ダメに決まってんでしょ!!」

 

控室の鏡に頭から突っ込みかけた。どえらいこと言い出したぞこの子。ウマ娘って、みんなそうなの!?  俺、結構キミ達のこと理解できてたつもりなんだけど!?

 

「だ、だって! 強くなるには、少しでも早い方がいいじゃん!?」

「そうだけど! 流石に時と場合ってもんがあるじゃろがい! あなた、レース直後ですよ!?」

「そりゃあ多少は疲れてますけど……そ、それぐらい別にできないことはないし!」

「どんな気持ちでウイニングライブ出るつもりだよ!? テイオーが前で踊ってんだぞ!?」

「……ふぅん。じゃあ、やっぱ好井さんだって、本当はアタシと『うまぴょい』したくないってこと?」

「そんなこと言ってないだろ!」

「じゃあ、いいじゃん!」

 

くぉ~~!! なぜ、いつもこうなる!?

どうすんのこれ……。テイオーの時とは違う方向性で、俺は追い詰められてしまった。

 

……はっ! まさか、ネイチャ……今の話を聞いて『うぴうぴ』して…………ないですねえ!? クリークの時みたいな、妙に蕩けた目もしてない。自分の発言に恥じて、真っ赤な顔のまま懸命にこっちを見ているだけだ。くそ、子どもの背伸びみたいで、いじらしいなコイツ。

しかし、困った。このまま断るにしたって、ネイチャの尊厳を傷つけることになる。かといって、控室で『うまぴょい』なんて前代未聞だ。俺の倫理観が疑われる。理性と本能の挟み撃ちじゃないか。どうしたら……。

 

「ネイチャ、居るー? ライブの準備行こうよー」

 

その時だった。ドアからノックが鳴り、テイオーの声が耳に届いた。

 

 

――――瞬間。

 

俺の大して領域の広くない脳内メモリーがフル稼働し、あらゆる行動と言動を促した。

スッと立ち上がり、声のした方を確認。すぐさまネイチャに向き直り

 

「とりあえず、また今度な」

 

と優しく言い聞かせ、汗を拭い平静を装い、慌てない足音とゆったりした仕草で扉を開ける。

 

「よう、テイオー」

「なんだ、トレーナーも居たんだ」

「ああ。お前と違って、ケアが要るんだよネイチャには」

「なにそれー。勝ったのはボクなんですけどー?」

「はいはい。テイオーはすげぇよ。……ネイチャ、そろそろ支度しようか」

「あ……う、うん」

 

ちょっぴり残念そうな顔で、返事をするネイチャに申し訳ないと思いつつ。テイオーのファインプレーに感謝した。

 

その後、輝かしいウイニングライブをセンターで歌うテイオー。今回はバックダンサーだけど懸命に踊るネイチャを、両手に携えたサイリウムでクリークと共にたくさん盛り上げた。

しかし、テイオーが春の天皇賞を手にするとはな。前回の出走時は、スタミナトレーニングを重点的に行ったのにも関わらずの5着だったから……。この距離は流石に距離適性が合ってないと思ったんだが。やっぱり『うまぴょい』の効果なんだよなぁ。

リベンジしたいって言われた時は、正直そこまで結果は振るわないと予想していた。記念で出させて、もう一度彼女の合った距離を見定めるつもりでもあったのに。まあ、あくまで『うまぴょい』前の感想だが。

 

……そんな常識を覆す事象について。ナイスネイチャが何も思わないわけもなく。

 

 

【おはよう、トレーナーさん。今日の調子はどう? アタシは元気だよ】

 

【ねえねえ。明日の昼とかアタシ、結構暇なんですけど】

 

【お休みの日、トレーナーさん何してるの? そういえば、今度の休暇は朝から空いてるんだけど。どこか行かない?】

 

 

 

お前は俺の彼女か!!

 

事情を知らない人に見られたら、事案になっちまうぞ!? ……いや、事情を知られても事案になるかもだが。なんにせよ、ふとした拍子に誰かの目に付いたら流石にマズイ。

 

スマホに飛んでくるメッセージに、若干恐怖と申し訳なさを思いつつ。自分で蒔いた種でもあるのだから、そろそろ終止符を打つべきだと判断した。

 

「次のレースは宝塚記念だな。二人とも」

 

ある日の練習前、トウカイテイオーとナイスネイチャに出走レースを告げた。それぞれに練習用のメニューを渡す。内容について文句はないようで……いや、待て。シンボリルドルフがどこかで大きく頷いている……? いかんいかん、幻影だ。

とにかく、不満はなさそうだ。しかし、ネイチャのみがページをめくっていく中で手を止めた。目を見張り、無意識に口が開いている。遅れて顔が紅潮していった。

そんな様子を見ていると、バチっと目が合う。俺は額から零れそうな汗を誤魔化しながら、ぎこちなく笑った。

 

「ネイチャ、どうしたの? なんか顔赤いけど」

「え? あ、な、なんでもない! 無茶苦茶なメニューだから、頑張らないと~って気合入っただけ!」

「ふぅん。へんなの」

 

そうあからさまな反応を取られると、こちらも困る。用紙で必死に顔を隠しながら、ちょっとだけ嬉しそうに俺を見上げる姿は可愛げがあるのだが。

 

それから、初夏の大舞台に向けて練習が始まった。担当は同じだけど、指導は別個に。手の内を明かさないよう、それぞれが課されたトレーニングを行い身体と技術を仕上げていく。時間をしっかり決め、互いの様子を見ながら調整。既にベテランの域にも達している二人だけれど、手を抜いたりはしない。自らの強さを証明することが、ウマ娘の本能なのだから。

 

 

「……」

 

練習が終わったとある日のこと。日没の時間も遅くなり、宵闇に染まる頃合いは一日の終わりと同義になってきた。

普段の俺ならば、もう後は書類整理をして帰宅をするだけ。場合によっちゃ既に寮に戻ってたりするぐらい。遮光カーテンも窓の鍵も閉め、戸締りは万全。机の上の散らばったデータは……まあ、明日の俺が片付けてくれるさ。今日はもうお開きだ。

エアコンの音だけが響くトレーナー室で、そのまま俺は暇つぶしにスマートフォンをいじっていた。仕事も終わったのに、何故かって? なあに、すぐ理由はわかる。

 

コンコン、とノックが鳴る。ちょうど【ドーナツホールとワームホールの因果関係は『ホール』という言葉のみだった】という記事が取り上げられていたので、くだらなすぎて読んでいたところだったのだが。

返事をすると、予想に違わない姿がおずおずと見えてきた。

 

「お、オジャマシマス……」

 

制服姿のナイスネイチャだった。上目がちに、ドアノブをきゅっと握ったまま半身で挨拶をしてくる。

 

「やあ、きたか」

 

俺はいつものテンションで返した。

ぱたんと扉が閉まると、間髪入れずにネイチャは鍵を閉める。言わなくても、これから何をするのか自然と理解できてしまい、ちょっと緊張する。

 

「こんな時間に悪いな」

「い、いえ。ダイジョブです……」

 

はは。全く、俺に負けないぐらい緊張しているな。大人の余裕を見せてはいるが、俺なんて手は冷たいし心臓は張り裂けそうだし、足は震えてるし歯を食いしばってんだぞ。頬の筋肉を緩めれば、下手すると泣いちゃうぐらいだぜ。

 

「えーと……まあ、なんだ。座るか? なにか飲む?」

「お、お構いなく……!」

 

紅潮した顔で必死に手を横に振ってから、そのまま片腕のみを下げて肘の辺りを握る姿勢になる。伏し目がちで、恥ずかしそうなままネイチャは突っ立っていた。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

無言が続く。俺が話題を切り出せばいいんだろうが、雑談なんてしたくないんだろう。いいから今日、こんな時間にこんな所に呼んだ意味を、ちゃんと果たして欲しいんだな。そりゃそうだ。

 

「……それじゃ、いっちょやりますか。『うまぴょい』」

「! ひゃ、ひゃい!」

「硬くなり過ぎだぞ。もう少しリラックスして良いだろ」

「……で、でもぉ」

「……じゃあ、この際だから。俺のことを話しておくか」

「トレーナーさんのこと?」

 

別にフェアにならないとか、そういうわけではなくて。ちょっとでも緊張が解れればいいかな、と思って話をした。

テイオーに襲われたこと、クリークに襲われたこと。俺、襲われてばっかりじゃんってこと。

ネイチャの赤い顔は、どんどん青ざめていき憐れみを帯びていく。それが普通の反応だな。俺、もしかしてようやくまともな担当ウマ娘に会えたのか?

 

「トレーナーさん、結構不幸体質だったりする?」

「どうかな。そうは思わないけど」

 

結果的にテイオーは強くなったし。クリークは……あれ、クリークの方はあれでよかったのか? 今は落ち着いてくれたけど。まだ余波で、膝枕とかされるんだよな。癒されるから良いんだけど。

 

「……ふふ。なんか、安心した」

「ん?」

「いやぁ、てっきりトレーナーさん側から、いっつもお誘いしてるもんだと思ってさ」

「キミは俺に対する認識をそろそろハッキリさせた方がいいね?」

「あはは。ごめんごめん」

「ったく」

「……あのね、トレーナーさん」

「うん」

「アタシ、今日はちゃんと……しゃ、シャワー浴びてきたから! 大丈夫だよ」

 

シャワー浴びる必要ないよね? 大丈夫って何が??

 

「さ、じゃあちゃっちゃか終わらせますかね~。門限間に合わなくなったら大変だし」

「そうだな」

「改めて……よろしくね、トレーナーさん!」

 

人懐っこい笑顔と、やっぱり隠し切れない緊張した身体。

無理をしてでも、それでも彼女らは強くなりたい。純粋な想いと、真っすぐな生きる姿勢はやっぱり好きだな俺。こんな無垢な態度を取ってくれるなら、無駄に悩むんじゃなかった。

大好きなウマ娘という存在に頼られるんだ。最初から俺の意志なんて、決まっていたようなものじゃないか。やはり、ウマ娘には敵わないな。

笑顔に応えるように、俺もゆっくり頷く。

そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウー! スキダッチ!

 

 

 

 

 

 

 

――宝塚記念。

 

その日、俺は信じられない光景を見た。

 

 

【トウカイテイオー、抜け出した。坂を利用したスパートでリードを一気に広げていく! 後続との差は既に3バ身……いや、2バ身! 1バ身! 縮んでいく! 詰め寄っているのは、ナイスネイチャ! ナイスネイチャだ!!】

 

梅雨の時期もあって足場は稍重。ふんばりも利きにくい中の最終直線で、コーナーから先頭に躍り出たトウカイテイオーに、追いすがるナイスネイチャが居た。迫る差に、テイオーも気付いた。信じられない顔をした直後、歯を食いしばり必死に足を動かす。

外から駆けていくネイチャは、それよりもっともっと辛そうだった。今持てる限界の、更にその先の力を振り絞るように走っている。

どっちが勝ってもおかしくない。歴史に残りそうなデッドヒートを、1ハロンの間互いに一歩も譲らない命の削り合いで、魂をぶつけていく。

 

最後の最後、決着はハナ差だった。何がそれを掴み取ったのかは、俺だけがきっと知っている。俺だけで良い。

勝利を勝ち取った少女は、信じられないような顔をして掲示板を見ている。歓声を一身に浴びているのに、それにすら目もくれず。ただただ、現実を受け止めきれずに呆然としている。

 

だから、俺は叫んだ。観客席からだから、届かないかもしれない。でも、それでも。俺は言ってあげたい。彼女に伝えたかった、一番言いたかった言葉を。きっと、お前と共に歩んできたもう一人のトレーナーも、一緒に言っているであろう言葉を!

 

 

「ネイチャーーー!! 1着おめでとう!!!」

 

 

横で悔しそうな顔をしているテイオーには申し訳ないが、今ぐらいは許してくれよ。大きな拍手と、されたこともないコールに、ネイチャは恥ずかしそうに手を振って応える。

これからも、きっとたくさんやるんだよ。ちょっとずつ慣れていこうな。

 

ようやく手にしたGⅠタイトルの重みに、涙を浮かべる姿を見て。俺は自分の行いは間違いではなかったと思うことが出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

――――。

 

 

「……おぉおお! すげー差し方! やべーなネイチャ!」

 

トレセン学園のカフェで、レース映像を見ていたウマ娘が感嘆の声を上げた。

ボーイッシュな髪と言動。彼女も差しを得意とする脚質を持つウマ娘の、ウオッカだ。テイオーの友人でもある彼女だが、今日は同じく知り合いのネイチャも出ているグランプリレース、ということで中継を観ていたわけである。

 

「いったい、どんなトレーニングを積んだらあんなに……」

 

正面に座った席にいるのは、大きなツインテールが特徴な栗毛のウマ娘ダイワスカーレット。ウオッカとは犬猿の仲なライバル関係でありながら、互いに影では認め合う友人である。

 

「なんだ、スカーレット。知らねえのか? ネイチャの噂」

「はぁ? アタシは自分のトレーニングで忙しいんだから、噂なんて気にしてる暇ないわよ!」

「ふ~~~~ん」

「な、なによ!?」

「……別にぃ? 知りたかったら、自分で調べろよ。優等生サマ。んじゃ、俺は先に部屋戻るわ」

「ちょっとウオッカ! 待ちなさいよ!」

 

残されたスカーレットは、もやもやしたまま中継モニターを再び見た。

彼女らは、まだデビューしたて。レース経験も浅く、自分に自信の持てていない頃だ。

だけど、それでも譲れない思いが一つだけあった。同室の、同期のライバル。ウオッカ。性格の不一致から何かと衝突するのに、なぜかいつも一緒にいるから対抗心が芽生えてしまった。

二人の間に常にあるのは『負けたくない』という気持ち。他の誰よりも、この自分の決めたライバルにだけは前を行かれたくない、といつだって闘志をむき出しにし日々の鍛錬に励んでいる。

 

二人とも本格化を終え、伸びしろについて疑問を持ち始めた頃。自分はまだ上にいけるのか、本当はここまでなのか。悩みは尽きない。誰も通る、己の存在価値の再検。

次なるステージへ進むためには、何か新しい試みが必要だ。

 

 

その為には…………。

 

 

 

 

 

(……ん? なんだ……?)

 

 

一方。阪神レース場で湧き上がる熱気の、ど真ん中に居るはずの好井ソウマは、得体のしれない謎の悪寒を感じていた。



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ウオッカ&ダイワスカーレット
第八話「警告、ウチのテイオーが出した『うまぴょい』の条件!」


「じゃあボクの番だね。8切りしてー、5飛び2枚出しでまたボクの番になってー。7渡し して、ハイあがり! イエーイ、いっちばーん!」

「おめでと~。テイオーちゃん!」

「くっ…! なんつー美しいコンボを…!」

「うぇっ……しかも、なんてカード渡すのさ。自分だけあがっておいてぇ~~!」

 

昼休み、俺達は珍しく4人揃っていたこともあってトランプゲームに興じていた。昨今ではスマホで簡単お手軽に、大概のものは出来るが。こと、大富豪においてはローカルルールを盛り込むので中々完全な電子化が難しい。やれ11バックだの、縛りだの入れ始めるとキリがないからな。

都落ちしたクリークを除き、俺とネイチャの一騎打ちが始まる。結果的に、テイオーから最後に託されたカードが足を引っ張ったせいで、ネイチャはいつも通りの3番目という結末に終わった。わはは。大人を無礼るなよ。

 

「もっかいやる? ボクは別のゲームでもいいけど」

 

器用にトランプをシャッフルしながら、鼻を高くしつつ提案するテイオー。

 

「あ、じゃあアタシ七並べやりたい! そっちなら得意なんだよね」

「やっぱ3を集めるのか?」

「トレーナーさん、ちょっと頭こっちに出してくれます?」

「ひえっ……やめろ! ウマ娘のパワーだと冗談じゃ済まなくなる!」

「じゃあ最初っから言うなー!」

「ふふ。仲良しさんですね、二人とも」

 

穏やかな空気が流れる、この時間が最近は結構好きだ。春のGⅠも終わり、これから夏に入る。合宿の季節ということもあり、トレーニングが重点的になる時期。スケジュール管理は正直大変だが、調整期間と休養期間を割り振りさえ出来れば、負担の少ない時期でもある。なにより、ウマ娘たち自身が常にレースに向けて張りつめた状態から、ちょっとだけ解放されているように見えるのも大きい。学校も夏休みだしね。俺にはないけど。

 

「そういえばさ、トレーナー。一つ聞きたいことがあったんだけど」

「おう、なんだ?」

 

慣れた手つきでカードをシャッフルするテイオーが、思いついたかのように質問をする。平和な空気の中、何を聞いてくるのかと耳を傾けると。

 

「ネイチャと……あとクリークとも。『うまぴょい』したよね?」

 

温度計があるなら、絶対零度を叩き出していたと思う。…………あ、室温26度だわ。

やばい、状況が窮地過ぎて変に冷静だ。

 

何を……何を言い出したんだ。テイオーは。何故、そんなことをこの場であえて尋ねる? みんな居るんだぞ? せめて二人きりの時にすべきじゃないのか?

視線をクリークに移すと、ちょっと困ったような顔で頬に手を当ててる。ネイチャは……あ、ダメだ。顔は赤いし冷や汗垂らしてるし、視線は泳いでる。してません、って言ってもバレるなこりゃ。

しょうがない。ここはひとつ、大人の余裕で窮地を脱するしかないな。

 

「そ、それが、どどうしたんだぁ??」

 

笛が鳴ってるかのような高声が出てきて自分でもビビる。痙攣するように振動してる足を、力なく手で押さえながら俺はテイオーへ聞き返した。

 

「……別に。ボク達のトレーナーなんだし、『うまぴょい』するのは良いけどさ」

 

バラバラ―ッと両手の間でカードを落としながら、冷淡な声でテイオーは言いつつ。ギロリとこちらを睨みつけながら言い放った。

 

「担当じゃない子とは、絶対しちゃダメだからね」

「はい」

 

早押しならば世界記録を出せそうな速度で、俺は返事をした。嘘ではないし、そのつもりだし。別に怯えているんじゃあないぜ? ヒトはウマ娘に勝てないのだ。下手に逆らわないのが得策ってもんよ。ははは……。

 

 

「あ~……怖かった」

 

休み時間も終わり、それぞれが午後のカリキュラムへと散開していくのを見届けてから、俺は胸をなでおろした。テイオーはプールトレーニングで、ネイチャは走り込み。クリークには下半身の加重トレーニングを課してある。それぞれ居場所が違うから、様子見に行くのもちょっと大変だな。けど、夏の間に体力を落とさないためにも今のうちに、スタミナを強化しておきたいのが俺の狙い。うちは長い距離走るウマ娘ばっかりだからな。

天性のステイヤーなクリークは、どちらかと言うとスピードアップが目的になるが。テイオーとネイチャは……まあ、その。『うまぴょい』の効果で、上がった能力を下げないようにするためってところか。

 

「さて、お昼にするか」

 

昼の時間は、テイオーがよく訪ねてくるので基本的にトレーナー室から出ない。そのため昼食はいつも、少しずらして摂るようにしていた。仕事も一区切りついていることだし、お腹の虫も鳴ったし。ちょうど良いな。

そう思い、部屋を出て廊下を歩きだした時だった。

 

「あの。すみません」

「ん?」

 

背後から声をかけられ振り向く。

そこには、大きなツインテールにティアラが特徴的な栗毛のウマ娘が、姿勢の良い立ち姿でこちらを見ていた。

 

「やあ。ダイワスカーレット……だったかな」

 

こんな時間に、こんな場所で。まだデビューもして日が浅い彼女が、俺を訪ねるとは。一体何用だろうか。

 

「私のこと、ご存じなんですね。嬉しいです! 好井さん……で合ってますよね?」

「ああ、そうだよ。何かな?」

 

担当もついている子が、わざわざ違うトレーナーの所に来るなんて、なんだろうか。それに、聞き及んだ程度の話だが、彼女はとても優秀らしく、手のかからない優等生らしい。自分でよく考えるし、勉学練習共に手を抜かず、いつも懸命に取り組んでいるんだとか。人当たりもよく、言うなれば学級委員長のような存在なんだとか。サクラバクシンオー、キミはちょっと下がってて。

 

「はい。あの、先日の宝塚記念凄かったです。ネイチャのあんな嬉しそうな顔、初めて見ました」

「ああ、見ててくれたんだ。ありがとう。と言っても、俺は特別なことなんてしてないけどね」

「え? そうなんですか? でも、ネイチャの担当って、春までは安心沢さんでしたよね。それから好井さんに代わって、まだ数か月なのにGⅠ取ったから、てっきり……」

「はは。だったら、俺じゃなくてネイチャがそれまで頑張ってたからだよ」

 

知り合いだからか彼女の性格なのか、よくネイチャのことを知っていることに驚きつつも、俺は必死に無垢な瞳から目を逸らす。こんな純粋そうな子に、『うまぴょい』のことなんて話せば俺の中の何かが終わる気がするから。

 

「どんなトレーニングしていたか、参考に聞いても良いですか?」

「ああ、良いよ。えっと……」

 

スカーレットがスマホを取り出し、ボイスレコードをオンにしたのを確認してから、覚えている限りの内容を伝えていく。何度も頷きながら聞いてくれているが、徐々にその表情は険しいものへと変わっていった。話も終わらないうちに、録音停止ボタンを押しながらつぶやく。

 

「……ホントに、普通のトレーニングばかりですね」

「だから言ったろ?」

「…………絶対おかしい。これだけで、あんな末脚が身に付くだなんて思えないし……」

「? スカーレット?」

「好井さん、何か隠してませんか?」

「そんなわけないじゃないか。キミ達ウマ娘のさらなる発展を望むのが俺達トレーナーだ。トレーニングで参考に出来そうなことなら、なんだって話すよ」

「……本当に本当ですか?」

 

俺の視線の揺らぎに気付かれたんだろうか。ぐいっと詰め寄られ、やや強めの語気で迫られる。うぅ、嘘を吐くのがとことん苦手だなぁ、俺……。

しかし、いくらなんでもまだデビューしたての彼女に、『うまぴょい』は刺激的すぎるだろう。テイオーはまだしも、ネイチャに話すのだって本当は結構な抵抗があった。

それに、あの時と違うのはこの子は担当でもないし、多分きっと『うまぴょい』のことも知らなそうなことだ。それだけは絶対にいけない。とんでもないことになってしまう。体つきは本格化を終えているから、かなりしっかりしているが……まだまだ精神は子どものはずだ。教育者として最低限のラインは守らなくては。

 

「好井さん? 嘘ついてないですよね?」

「……ホントダヨ」

 

か細い声で返事をするが、目はまともに合わせられないし、汗は自然と出てくるし。

誰か助けて欲しい。

 

「あーっ!! おい、スカーレット! 何してんだよ!」

 

と祈ってると、助け船がやってきた。

廊下に響く大きな声。キマったヘアスタイルのウマ娘のウオッカだ。そういえば、スカーレットと同期だったな。この前、デビューしたって聞いたけど。

 

「あら、ウオッカ。あんたこそ、何か用かしら?」

「何か用かしら、じゃねーよ! 俺はソーマと話しにきたんだよ!」

「ならおあいにく様。今はアタシと話をしてるんだから。あんたはあっち行ってなさい」

「はぁ~~? そんなルールねえだろ! なあ、ソーマ!」

「まあ……それはそうだけど」

「えっ……好井さん、アタシと話すの嫌だったんですか?」

「そ、そういうわけじゃないよ!」

「じゃあ俺と話してもいいよな。行こうぜ!」

「ちょっと! 勝手に連れて行こうとしないでよ!」

 

おば~~!! 体が二つに割れるぅう~~! 右と左で引っ張り合わないでくれ! ウマ娘の力でやられると、比喩じゃなくてホントに引きちぎれちまう!

 

「ふ、二人とも仲が良いんだな……」

「「よくない!!!」」

 

両耳の鼓膜が割れそうなほど、綺麗なユニゾンだった。

これが大人の女性だったら立派なハーレムなのにな。生徒たちの微笑ましい取り合いじゃ、嬉しいには嬉しいけどもそういう感じには全然なら……あだだだ! 関節取れる! マジで!! 微笑ましいどころか血飛沫が舞うぞ!?

 

「二人とも、何してんの?」

 

今度こそ、正しい助け……げえっ! テイオー!? よりによって、今一番来てほしくないキミが!? クリーク……せめてネイチャでも良いから来てくれればよかったのに!

 

「おっ、テイオーじゃん! ちょうど良かったぜ。オメーに聞くのが早いな」

「きゃっ!?」

「うおっ!?」

 

突然手を離したせいで、スカーレットが耐え切れずに姿勢を崩し転びそうになる。当たり前だが、俺も掴まれたままだから一緒だ。

瞬間的に全反射神経と運動神経を駆使して、俺はスカーレットを引っ張り上げて立たせた。当然、俺の身体は立つことなどできず、地面に向かって飛んでいく。勢いそのまま、カーリングのようにワックスがけされたばかりの綺麗な廊下を、摩擦熱と共に滑っていった。

 

「よ、好井さん!? 大丈夫ですか!?」

「平気平気。キミこそ、怪我はない?」

「え、ええ」

 

大事なウマ娘を負傷させたとあっては、トレーナー失格だからな。良かった。

悪びれた様子もなく……いや、単に気付いてないだけか。テイオーとウオッカは、遠くで何かを話していた。

スカーレットが心配して、あたふたしているが。それよりも、あっちの会話が気になる。

俺を訪ねてきたというウオッカが、テイオーに質問をしている。自ずと理由は鮮明になってくるから……怖い。

 

「や、やっぱ、そうなのか!?」

「まあね。でもさ、ウオッカ。ダメだからね」

「え? なんでだよ?」

「……スカーレットも居るなら、二人とも理由は一緒かな。なら、ちょうどいいや」

 

やけに顔の赤くなったウオッカを見て、俺も察した。テイオー、あのことを話したのか。

近づくと、テイオーにグイっと引っ張られた。腕を組むようにしてくっつき、まるで自分の物でもあるかのようにアピールしている。

 

「トレーナーは、ボク達のトレーナーだからね。いくら二人でも、絶対『うまぴょい』は禁止だから」

「はぁ~? そんなのズルだろ!」

「ズルじゃないよ。だって、そうでもしないと皆トレーナーとしたがるでしょ?」

「だからってよぉ! お前らだけ……う、……うまぴ……あ゛ぁ゛ー! い、言えねえ! 『アレ』して強くなるのは、セコいじゃねーかよ!」

「そうかなぁ? 節操なしに『うまぴょい』する方が、どうかと思わない?」

「…………た、確かにそうだけど……。つーかテイオー、あんま『それ』を連呼するんじゃねーよ!! はっ、恥ずかしいだろ!!」

「……ね、ねえ。ウオッカ。さっきから言ってる『うまぴょい』って何?」

「…………お子様はあっち行ってろよ」

「はぁ!? 何よその態度! 仲間外れにしようたって、そうはいかないんだからね!」

 

このままでは埒が明かない。ウオッカとスカーレットが、ライバルのような関係というのはぼんやり耳にしていたが。先ほどまでの淑女のような態度が一変するほど、対抗心をむき出しにしているのを見るに本当のようだ。

 

そして、やはりと言うかなんというか。問題の起因は『うまぴょい』に関してだったらしい。どうしたものかと悩んでると、腕がくいっと引っ張られた。

眉をひそめて威嚇していたテイオーが、楽し気にこちらを見てウインクする。おお、なんかいい策でもあるのか? 信頼しているテイオーが言うなら、きっと素晴らしい提案に違い

 

「どうしても、って言うならトレーナーが『うまぴょい』したくなるように、させてみなよ」

 

違いしかないが?? 何言ってんのこの子??

 

「て、テイオーさん? どういうこと?」

「大丈夫だって。どーせ二人とも、何もできないから」

 

小声で聞くが、自信満々な顔でテイオーは前を見ている。

その言葉を聞いて、顔を真っ赤にするウオッカと、そもそも何が問題になっているのか理解できていないスカーレットは腕を組みながら首をかしげていた。

 

「わかったなら、解散解散! ボク達、これからトレーニングだから! そんじゃねー」

「お、おい! テイオー! そりゃねーだろ!」

「あーもう! なんなのよ! ちょっとウオッカ! ちゃんと説明してよね!!」

 

遠ざかる声に申し訳なさを覚えながら、抗えない力で引きずられる俺はそのままテイオーに話しかける。

 

「何もできないって、そんな保証あるか?」

「ウオッカは恋愛映画もまともに観れないんだよ? スカーレットは、そもそも何かわかってないだけ。優等生演じてるなら、下手なことしてこないって」

「そうかなぁ……」

 

俺の脳裏に浮かぶのは、スーパークリークとの『うまぴょい』だ。別に彼女は何かを欲していたわけではないが、本能的に『うまぴょい』を求める『うぴうぴ』状態になったあげく、俺と『うまだっち』になった。そういう前例がある以上、大丈夫と言うのは流石に危機管理不足なんではないかと思う。

 

 

「それよりもさ、トレーナー」

「ん?」

「ネイチャと、いつしたの?」

「何を?」

「とぼけないでよ。『うまぴょい』に決まってるじゃん」

「……いつだったかな~~?」

「…………」

「うぉっ……!?」

 

強引に手を引かれ、元来た道を歩かされる。トレーナー室の扉を乱暴に開けるや否や、目にも止まらぬ速さで錠をかけると、そのまま壁際に押し込まれた。俺の胸元程度の身長しかないテイオーが、身体通して壁に手を付き、こちらを見上げている。いわゆる壁ドンの体勢だが、ときめきなんて微塵も感じられない。

 

「いつ、したの?」

 

鬼気迫る表情と声に、俺の脳はもうさっさと本当のことを言えと警告を出して、すぐさま口は実行に移した。

 

「……宝塚記念の少し前」

「具体的には?」

「そ、そこまで聞かなくても良いだろ……?」

「……ごめん、トレーナー。意地悪で聞いてるんじゃなくて。気になることがあるんだ」

「気になること?」

 

スッと身を引き、俯きながらテイオーは言う。

どうやら、『うまぴょい』の効果が薄れてきているように感じるそうだ。漲るような力、底から湧き上がる自信。今までもなかったわけではないが、それが顕著に表れていた。

しかし、ネイチャに敗北したあの日。テイオーは、今までと同じように全力のその先を使ったはずなのに、2着に甘んじることとなった。

 

「ネイチャが、頑張ってたのは知ってるよ。それでも、ボクだって負けない自信はあったんだ」

「……もしかして、時間経過で『うまぴょい』の効果って下がるのか……?」

「わかんない。トレーナー、ネイチャとボクで何か違うことした?」

 

とんでもねーことを聞くなこの子。

『うまぴょい』は基本的に手順も決まっているものだから、ネイチャとの違いはないはず。特別、俺自身がその時に備えて訓練してきたわけでもない。

……とすれば、テイオーとの相違点は……。

 

「……無理やりだったか、どうか……か?」

「え?」

「いや、テイオーと『うまぴょい』した時は、襲われるような形だったろ? クリークもそうだった。あの節操なしの母性(ママみ)も、そこまで長くなかったよな?」

「……ちょっと待って。トレーナー」

「なんだ?」

「じゃあ、ネイチャとはお互い同意して『うまぴょい』したわけ!?」

「…………そういえば、近所に新しいはちみーショップが出来てたんだが、行かないか?」

「誤魔化し方雑すぎるでしょ! どういうこと、トレーナー!!」

 

口は災いの元というが。確かに、この言い方をすれば嫉妬されてもおかしくない。ああ、もっと考えて発言すべきだった。

 

「ボクがトレーナーの初めての人だったのに……。ネイチャとの『うまぴょい』の方が良かったってこと!?」

「誤解しかない発言をするんじゃありません! 誰かに聞かれたらどうすんの!」

「……もういい。トレーナーなんて知らない!」

「!」

 

俺はなんて馬鹿なことを。

テイオーは涙を浮かべていた。レース以外のことで、彼女が涙を流すのは初めて見た。辛い時も苦しい時も、それは怪我で走れないことや、負けた時の悔しさだけだった。

この涙は別。俺が、俺自身が。不用意な発言をしたことで、彼女の心を傷つけたことによる結果だ。加害者は俺なんだ。俺がテイオーを泣かせてしまったんだ。

 

「……ごめんな、テイオー。俺……そんなつもりじゃ……」

「……ぐすっ」

 

大好きなウマ娘を傷つけたという事実が、胸に重くのしかかる。冗談めかしていたように見えたが、彼女は本気だったんだ。

そりゃそうだ。テイオーだってウマ娘なんだから。誰かと比べてしまうのは仕方のないこと。レース結果における要因について、トレーナー側の指導が問題であるなら、なおさら。

 

「悪かった」

「……ひっく」

「今度、何か美味しいもの奢るから」

「……いらない」

「じゃ、じゃあ。好きなとこ連れてってやる! 夏だしな。気分転換に!」

「そんなのいい!」

「……そう……か。ごめんな。お詫びに、何かしたいことを言ってくれよ。叶えてやるから」

「……ホント?」

「ああ、ホントだよ」

「二言はないね?」

「もちろんだ」

 

にやりと笑った。赤いはずの目は全然綺麗で、すすってたはずの鼻は一ミリも汚れていない。

 

こっ! こいつ! ウソ泣きとか、いつの間に覚えて……!?

 

 

「じゃあ、ボクとしようよ。『うまぴょい』を」

 

 

いつの間にか主導権を奪われていた。もう逃げられない。

 

「なんでっ!?」

「あったりまえじゃん。ネイチャだけじゃズルいでしょ? 今度はトレーナーも、真心こめてやってよね。『すきだっち』を」

「ち、ちきしょ~~!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウマピョイ! ウマピョイ!

 

 

 

 

 

悪役の三下のようなセリフを吐きながら俺は、再びテイオーと『うまぴょい』をした。ちょっと上手になったね、なんて言われたけど敗北感しかない。しかし、覆水盆に返らず。俺自身が撒いた種な以上は、最後まで責任を持つのがトレーナーだ。

 

すっかりご機嫌になったテイオーを、トレーナー室から見送ると俺は気付いたことを心に留めていた。

たづなさんが『二回、三回を求めてくる』と言っていたが。それは単純に効力が衰えるから、というわけなのか。

当然、一度その凄さを経験した以上は元の弱い自分に戻りたくないだろう。ならば、と再び『うまぴょい』をしにくるのだな。

 

……つまり。ネイチャもいずれ、来るはずだ。まあ、ネイチャは良い。担当だから。

問題は、ウオッカとスカーレットだ。担当でもない子と『うまだっち』になってしまえば、それこそ収集が付かなくなる。そもそもの管理を任されている、あの子らのトレーナーに対しても失礼だ。

今度は冗談では済まない結果になるだろう。より一層、しっかり気を引き締めなくては。その為には、まず腹ごしらえだな。すっかりお昼時を過ぎてしまった。売店にでも行くか。

 

「よう、ソーマ。ちょっといいか?」

「……」

 

戸を開けた先に居た、不安材料二人を相手に俺の空腹は一瞬で引っ込んでしまった。



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第九話「絶対、アイツより先に『うまぴょい』を!」

「それで、用って?」

 

エナジーバーを軽く咀嚼して、コーヒーで流し込みながら応接用のソファーへ座った。時間が取れない時ように常備している保存食を、作ってくれた人たちに感謝しながら嚥下しつつ。俺は前に座っている二人へ質問をする。

 

「すみません、お昼休み中に」

「おいおい、今更猫被っても無駄だぞ? ソーマにはもう、素のお前見られてるんだから」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「へっ。優等生ぶってよ~。どーせ昼休みなんてスマホ イジって終わるだけだろ。なあ?」

「失礼な! ちゃんと昼寝もしてるわ!」

「同じようなもんじゃねーか」

 

ガハハと大口を開けて俺とウオッカは笑い合う。雰囲気についていけないスカーレットに、気遣いしてくれた礼を言いながらも話を本筋に戻した。

 

「まあ、そのなんだ。テイオーが言ってた……あれだよ。あれ」

「『うまぴょい』か?」

「ばっ……! なんでお前ら揃いも揃って、恥ずかしげもなく言えんだよ……」

「いちいち恥じてたら、回りくどくなるだろ。こういうのは、さっと本題に入るべきだ」

「それもそうだな。わかった。じゃあまず……」

「ちょっと待ちなさいよ。先に聞いておきたいことがあるんだけど」

「あ? んだよ、テンポが大事って今言われたばっかだろ?」

「気になることは先に解決しておきたいの! アンタ、なんでそんな好井さんと仲が良いのよ?」

 

そういえば、ダイワスカーレットとはほぼ初対面だったが。ウオッカとは、実は既に交流があった。お互いそんなだから気にもしていなかったが、確かに当事者なのに疎外感を覚えてしまうのは、流石に申し訳ないな。

では、話すとしよう。俺とウオッカの運命的な出会いを……。

 

 

 

――――あれはまだ、少し冷える季節だった。テイオーの歴史に残るレースから間もなく、火照った体で入った書店での出来事だ。

この熱い想いを、如何にして受け止めてくれる作品があるのだろう。コートのポケットに手を突っ込み、ゆっくりと背表紙を漁っていく。違う、違う。これでもない。乾燥と病の感染に備えて装着していたマスク越しに、小さく呟きながら歩みを進める。

そして目についた、見覚えのあるタイトルから脳内に一気にイメージが湧きあがった。これだ。これが、今の感情にぴったりだ。近隣の書店ではお目にかかることが少なかったが、入荷していたとは!

喜び勇んで、棚に手を伸ばすと同じタイミングで細指が下から視界に入ってきた。うっかり触れてしまいそうで、驚いて身を引く。隣を見ると、同じような顔をしているウマ娘が居た。片目の隠れたヘアスタイル、ライダースに身を包んだその姿は、学園内で見かけたことがある。

 

「キミは……ウオッカ……?」

「そういうアンタは……テイオーの……」

 

恋人が初めて出会うようなシチュエーションに、お互い一瞬だけ顔を赤らめる。だが、そんなことよりもっと聞きたいことがあった。

 

「キミも、これが?」

「あ、ああ。周りのヤツらも、中々知ってるのが居なくてよ。アンタも?」

「いつもは通販で買ってたんだけどね。今日はたまたま」

「そ、そうか。……ち、ちなみになんだけど。シリーズ全部持ってたりするのか?」

「初版から全部あるぞ。なんなら、俺のトレーナー室にな!」

「……!!」

 

嬉しくてたまらない表情をすると、ウオッカは手を振りかぶった。その意味を理解し、俺も構える。

そして、腕を組み合うような熱く硬い握手を交わしたのだった。

 

 

 

「……ってわけだ」

 

うんうん頷きながら、鼻の下を擦るウオッカ。隣のダイワスカーレットは、イマイチ腑に落ちていない様子だ。おかしいな、完璧な説明だったんだが。

 

「ちなみになんですけど……その本って?」

 

俺とウオッカが同時に、本棚を指さす。『ゴールデン・タイラント』と言うタイトルの本が、そこにはずらりと並んでいる。俺のお気に入りの書籍だ。

 

「……ふぅん。これが……って、漫画じゃないの!!」

 

気になって手に取ったダイワスカーレットが思わず叫ぶ。表紙を見て気づかなかったのかな?

 

「おススメは11巻の、サダムとの特攻服(マトイ)を賭けたタイマンだな」

「あー、あそこ良いよなぁ。最後までどっちが勝つか、わかんなくてよ~。でも俺はやっぱ、バーシオンとのレース2戦目だな。主人公のタイラントが、あんだけ修行してきたバーシオンを峠でぶっちぎるのが、もう最高なんだよ!」

「……アンタたち、ホントに日本語喋ってるの……?」

 

スカーレットはあきれて、俺の愛書を本棚に戻した。まあ、彼女が理解できないのも無理はない。『ゴールデン・タイラント』は、いわゆる不良(ヤンキー)漫画だ。登場キャラは男ばかりだし、喧嘩も多いがメインはバイクによるスピードレースばかりだ。俺の先輩に見せても、呆れた顔をされたぐらいだし。食指が動く人をかなり選ぶ作品なのは間違いない。ウマ娘のレースを見てるような、ハラハラドキドキの展開ばかりの、超オモシロイ漫画なんだけどなぁ。

だから驚いたのだ。まさか、ウマ娘がこんな漫画を好きだなんて。聞けば父親の趣味だそうだが、近くに語れる同志が居たのは本当に嬉しい。

 

「そっから、話すようになったんだよな」

「ああ。そうだ。最新刊買ったか? まだなら借りていっていいぞ」

「おっ! マジかよ。サンキュー!」

「……はぁ。事情はわかりましたので、もう本題に戻して良いですよ」

 

額に手を当ててため息を吐くスカーレット。それもそうだな、と膝を打ってウオッカが向き直った。

 

「『アレ』の話なんだけどよ。テイオーに釘刺されちまっただろ? どうしたもんかなーって考えてたんだけど……」

「好井さんに、ちゃんと選んでもらおうと思ったんです。アタシ達のことを」

 

……? 話が見えない。選ぶ? 何を?

首をかしげていると、スカーレットがそのまま続ける。

 

「好井さんは担当トレーナーじゃないですし。アタシ達も合宿が控えていますから、そんなに時間はたくさん取れないですよね?」

「だから、どちらか一人だけに絞ってもらおうと思ってな」

「……つまり。ウオッカかスカーレットか。どっちかと『うまぴょい』しないといけないわけかな?」

「そ……そーいうことだ!」

 

する、なんて言ってないんだけども。そもそもの前提が崩れている気もするが……まあ、まずは彼女らの中で考えてきたことがあるみたいだし。否定する前に聞いてあげよう。

 

「けどよ、今のままだとソーマは絶対俺を選ぶだろ?」

「はぁ? アンタみたいなファッションヤンキー、好井さんが選ぶわけないでしょ?」

「ケッ! 猫かぶりのエセ優等生サマの方が、選ぶ価値ねーと思うけど?」

「なによ!」

「なんだよ!」

「こらこら、その辺にして」

 

額を突き合わせていがみ合う二人を引きはが……せねえ! 磁石でもくっつけてんのかこの子ら!? 人間とウマ娘の力の違いを実感しつつ。思った通りの行動が出来ないことを、素知らぬ顔で誤魔化しながら、続きを促す。

 

「……ったく。それじゃ流石にフェアじゃねえってことでさ。一日だけ、俺達に付き合ってくれねーかな、って提案をしにきたんだよ」

「好井さんの都合もあるでしょうし。アタシ達のスケジュールもありますから、それをすり合わせて空いてる日に、アタシ達のことをしっかり見て頂いて。その上で、判断して欲しいんです。ふさわしいか、ふさわしくないか」

 

なるほどな~。思っていたよりは、ちゃんとしている。抜け駆けしようとせず、既にあるアドバンテージを解消するために、なおかつ『俺にうまぴょいさせたくなる』ような時間をくださいと言っているわけか。ライバル意識に目を背けない、立派なフェア精神だ。彼女らは、まだ大型レースに出ていないけれど、ちょくちょくその能力の高さを耳にする。この対抗心が、それを生み出しているのだろうな。

 

口元に手を当て、どこでもない焦点のまま考える。

ハッキリ言えば、この提案は俺自身には何のメリットもない。担当でもない他所の子を見てるぐらいならば、自分の見ている子達の、貴重な青春の一日を大事にしてあげたい。空いている日を希望しているが、そんな時でも何かしらのキッカケを掴むこともある。普通なら断って、この話はおしまい、だろうな。

 

「…………わかった。いいよ。その代わり、担当トレーナーさんには許可を取ってくるように。いいね?」

「ホントか! サンキュー、ソーマ!」

「ありがとうございます!」

 

だけど。ここまで必死にお願いをされて、首を横に振ることは、俺には出来ない。テイオーの敵になるかもしれない。ネイチャの障害として立ちはだかるかもしれない。クリークを脅かす存在になるかもしれない。

だけど、ウマ娘(彼女)達はいつだって。孤高に走るときより、誰かと競い合う方が強く速く走れるのだ。であるなら、望みの一つや二つ叶えてあげても問題あるまい。それを上回れば良いだけのこと。幸い、俺の庇護下で行われるのだから手の内だって明かされる。

しょうがないようにため息をついて、まずは日取りの調整を始めた。

 

「で、どっちから?」

「アタシが先で良いですか?」

「……ホントお前、一番が好きなんだな」

「ふん、なんだっていいでしょ。アンタより先に見てもらえれば、それでいいの!」

「はいはい。ま、言われなくても俺は後にしてもらうつもりだったけどな。こーいうのは、後攻の方が有利なんだよ」

 

それはどうだか知らないけど。変にまた喧嘩して話が長引くよりは良いや。お互い納得した上で、手帳を開き日程を決めたところで、お開きにした。

 

その後、自分の担当のウマ娘たちにも、一応事情を説明。テイオーは事前にわかっていたから特に反応はなく。クリークは、無理しないようにと優しい言葉をかけてもらった。ネイチャはちょっと怒っていた。別にキミらの時間が少なくなるわけでもないのに、そこまで否定しなくても。消えるのは俺の休日だけだからな。

 

 

「え? 今日、本当はお休みだったんですか!?」

 

そして来たる当日。日の高い時間に、ダイワスカーレットと合流した。トレーナー室で一度集まり、ウマ娘側が用意してきたプランを行ってくれる。事前情報はなしの、一発勝負。

俺からは何もアクションは起こしていない。全て、二人だけがメインで動くように伝えてある。贔屓になっちゃうからね。

 

「そうだったんですね……すみません」

「いやいや。休日が潰れる……この言い方はおかしいか。予定が入るなんて、しょっちゅうだよ。テイオーに突然連れ出されたり、クリークがご飯作ったから持っていきますね~って来たり。最近はネイチャと買い物に行ったりもするかな。だから気にしなくて良いよ」

「……仲、良いんですね。迷惑って思ったこと、ないんですか?」

「あるわけないよ。みんな大事な子なんだから」

「……やっぱり、好井さんって凄い。前もアタシを助けてくれたし……」

 

ぼそりとスカーレットが呟いた。そして、何かを決意したかのようにこちらを強い眼差しで見る。

 

「好井さん!」

「は、はい!?」

 

突如、大きめの声を出されたので思わず返事をする。スカーレットは更に言葉に意志を込めて続けた。

 

「アタシ、何事も1番になりたいんです。ずっとずっと、そうやって生きてきたから。この意地だけは変えられない。変えたくないの。だけど……この学園に来て『本物』に出会っちゃった。本当に強いウマ娘って、こんな凄いんだなって思っちゃった。だけど、それでも負けたくない。アタシはアタシであるために、絶対に1番を譲りたくない!」

 

想いの強さが先走り、既に丁寧な優等生口調は無くなっていた。それだからこそ伝わる気持ちもある。スカーレットは本気なんだ。ウオッカに……いや、他のウマ娘の誰にも負けないように、成りたいと心から思っている。

 

「だから……『うまぴょい』は必要なの」

 

 

…………!?

 

 

空気が変わった。

冷房の効いた部屋なのに、俺の背中がじわりと濡れる。頭部にある汗腺という汗腺から、冷静になるための分泌液が漏れてくるのを感じる。そんなものがなくとも、俺の脳はやけに冷たく激しく動いていた。

 

 

スカーレットが、上に羽織っていたジャージのファスナーに手を掛けた。

そして、ゆっくりとジッパーを下ろしながら俺に近づく。伏し目がちなまま、パーソナルスペースを侵食していく。中山競馬場のホームストレッチのような起伏が二つ、観客満員時の有記念の時みたいに揺れる。呼吸は荒く、スカーレットの顔は紅潮していた。

 

「す、スカーレット……?」

「してもらうためなら……何だってするわ」

 

金属のスライド音が止まり、次には衣擦れの音が鳴る。スカーレットは遂に上着を脱ぎ去り、白い体操服姿になってしまった。

 

「ホントは恥ずかしいんだけど……。好井さんには……アタシの全部を……見てもらおうと思って……」

「────ッッ!!!!」

「だって、アタシには……これしか……!」

 

もう、後戻りはできない距離に入ってしまった。

俺は、俺はどうする。どうすればいい? スカーレットを、このまま受け入れるべきなのか……!?

テイオーに追い込まれた時とは比にならない速度と密度で俺の頭の中が、目まぐるしく動く。

 

違う、違うぞ好井ソウマ! この子は、『うぴうぴ』もしていない。なら、まだ……間に合う!

 

「だ、ダメだスカーレット! 自分をそんな安売りするんじゃない!」

「キャッ!?」

 

思わず肩を掴み、腕を伸ばして距離を保つ。そんなことしても、俺の腕力じゃウマ娘に敵うわけがないのだが。それでも、大人として教育者として。俺は指導しなければならない。

 

「キミはウマ娘なんだから。もし本当に俺と『うまぴょい』したいなら、ちゃんと走りで魅せるべきだ。そんな方法、俺は絶対認めないぞ!」

「…………? あの?」

 

必死に声をあげて伝えるが、スカーレットはきょとんとしていた。まさか、これだけ言って伝わらないなんてことが、あるわけ……。

 

 

「ですから、今からアタシの走りを見てもらおうかと思ったんですけど……」

 

 

 

 

…………。

 

 

…………ん?

 

 

「え、じゃあなんでジャージ脱いだの?」

「ここは涼しいですけど、外は炎天下ですから」

「なんで恥ずかしそうにしてたの?」

「アタシのトレーナー以外に、改めて評価してもらうのって、ちょっと……その。」

「…………すぅ~~~……」

 

 

 

 

そうかぁ……。

 

 

 

「? 好井さん? どうしたんですか? そっちは窓……え、ちょっ!? ちょっと何してるんですか!? ここ二階ですよ!? 落ちたら危ないですって!!」

「止めないでくれーーー!!」

 

服の裾をあり得ない力で引っ張られて、俺の身投げを静止される。頼むから、俺を罰してくれ! ただでさえ、中等部のキミに。あろうことか、大事なウマ娘の生徒さんに! 一ミリでも劣情を抱きかけた、この俺の煩悩を、今ここで消し去らなくっちゃ、俺は俺を許せねえ!!

 

「ちょっと……暴れないで……! もー、なんなのよーー!!」

 

スカーレットの声がトレーナー室に響き渡る。俺が冷静さを取り戻し、ギリギリ限界の釈明と謝罪が出来たのは、それから1時間も後のことだった。

 

 

 

 

・・・。

 

「はっ……! はっ……!」

 

頭部に包帯を巻き、腫れた頬にガーゼを付けたまま俺は練習コース上のスカーレットを見ていた。傷の原因は、謝罪時に地面と頭が何度もぶつかったからだ。頬は自分への戒めである。

そんな俺のことなんてどうでもいいのだ。とにかく、今はわざわざ他のトレーナーに自分の状態を見せてくれていることに感謝しなくては。

 

「じゃあ、次はスパート!」

「はい!」

 

汗を置き去りにし、芝を抉りながら力強くスカーレットがターフを駆ける。長いツインテールが真っすぐにすら見えるほど(なび)き、あっという間に自分の所へ戻って来た。

 

「はぁ……はぁ……。ど、どうですか? アタシの走り!」

「……うん」

 

凄い、以外の言葉が出てこない。まだデビューしたばかりにしては、身体がしっかりしているのが大きいのだろうか。ウマ娘の本格化は客観的にもわかりにくい。まだ出来上がってないうちに、能力が先走って成長してしまう子も中には居る。

だが、彼女の場合は本格化の時期も成長期もピッタシだったのだろう。既にクラシックを走ってきたかのような貫禄すらある。

 

「これ以上、何を求めるのか。俺には全然わからないな。先を見据えれば、キミは本当に凄いウマ娘になると思うけど」

「……それは……」

「……ところで、一つ気になったんだけどさ」

「はい」

「足……怪我してる?」

 

彼女のことを詳しく知っているわけではないが。流して走っている時と比べて、スパート時の姿勢がやや不安定だった。強く力を込めると、どこかに負担がかかり、痛みとなって表れている……ように見えたのだが。

 

「いえ。痛くはないんです」

「痛く『は?』」

「走ってからクールダウンすれば問題ないですし。お医者さんにも、特に病気とか怪我って言われてもいません」

 

ただ、それでもトレーニングを重ねたりすると違和感があるらしい。まだ何も起こっていないが、それが重大な問題にならないという保証もない。持病みたいなもんだろうか。炎症を起こしやすい体質の子っているしな。

 

「なるほどね。それで、か」

「……そうです」

 

聞けば、スカーレットは『うまぴょい』のことをちゃんと勉強してきたらしい。いや、ちゃんと勉強すなって言いたいけれど。

最初は、知識について絶対な信頼を置いているアグネスタキオンを訊ねたそうだが、今までにないくらい拒絶と否定をされたんだとか。何回頼み込んでも暖簾に腕押しだったので、最終的にテイオーから教えてもらったそうだ。

 

とにかく、彼女の場合は多分『欠点の克服』なんだな。この脚部不安を取り去りたいのだろう。出来るかどうかは知らないが。テイオーのように、既に骨折した子に対してはとてもじゃないが『うまぴょい』は出来ない。ただ、それに対する免疫を獲得することならば可能なのかもしれない……と、現在は怪我の様子もなく元気に走ってるテイオーを見てて思った。

 

「……でも、少しだけ考えちゃうことはあるんです。これって、『ズルい』のかなぁって」

 

トレーナー側でなく、ウマ娘側も同じように思うことがあるんだな。

その悩みなら、俺はクリークに諭してもらった。むやみやたらにすることは、倫理的にダメだと思うけど。俺自身がしっかり割り切って、ウマ娘もそれを許諾すれば問題ないと判断してる。

まあ、理事長達にバレたら怒られる気もするが……。その時はその時だ。

 

「好井さん、やっぱアタシだけ『うまぴょい』するのってダメですか? 1番になりたい、って目標のためとはいえ……卑怯って思われたりしない……かな」

 

ただ闇雲に求めてるだけなら、俺にも考えはあったが。

泣きそうな顔で、己の行いに迷い、苦しむような子が。こんな素直な子が、間違いなわけがない。

 

「その辺りは心配しなくていいよ。スカーレットは、強くなりたくないの?」

「そんなわけない! アタシは、2番なんかじゃない。ずっとずっと、これからも1番になりたい! アイツにだって……絶対負けたくない……!」

「……ありがとう。わかったよ。じゃあ、もう少しだけ走りを見てもいいかな」

「……! はい!」

 

嬉しそうな顔で、再びスカーレットが駆けていく。その一生懸命な眼差しと、思いの強さに心を打たれる。ああ、惹かれないわけないよな。担当のトレーナーさんが、少し羨ましい。……とと、何言ってんだか。俺には大事な子らが居るのに。

 

一通り、スカーレットの能力と性格を見せてもらい、無理のない程度で終了とした。

 

「……あの」

「ん?」

 

その帰りのこと。スカーレットは、少し照れくさそうに切り出した。

 

「今日はありがとうございました。指導までしてもらっちゃって……」

「いやいや。余計なことだった気もするから。ちゃんとキミのトレーナーに報告しておいてね」

「余計だなんて、そんな。とってもわかりやすかったです」

 

今日は本来、スカーレットが俺に色々と自身の魅力を披露する日だったはずなのに。ついつい、トレーナー魂に火がついてしまい、結局普通にトレーニングを見ただけになってしまった。それでも、充分に収穫はあった。ウオッカとどう違うのか、どう考えているのか。たまに見せるツンとした態度はあまり見られなかったけど、根底にあるものがわかっただけで、良い。

 

「……それで、どうですか? ウオッカより、アタシを選びたくなりました?」

「それは……まだ秘密かなぁ」

「えー!? 良いじゃないですか、どうせアイツ。ロクなことしないですから。さっさとアタシに決めちゃいましょうよ!」

「おいおい、勝負もせずに勝ったつもりは良くないぞ。ちゃんとウオッカとの査定も済んでからな」

「はーい」

 

八重歯を見せながら、にっこり笑うスカーレット。この顔を見ることが出来ただけでも、今日付き合ったかいはあったな。

 

 

 

 

「で、どうだった。スカーレットは」

 

また別の日。

トレーナー室で、ウオッカが制服姿のままソファーに腰をかけた状態で聞いてきた。

 

「それは言えないな~」

「なにぃ~? ちょっとぐらい良いじゃねーか!」

「はは。ウオッカと居る時と、結構違って驚いたよ。割と素直な子なんだな」

「は? スカーレットが素直? ソーマぁ、お前流石にそれは見る目なさすぎだろ」

 

そう言われても、事実なんだから仕方ないだろう。話はちゃんと聞くし、考えも述べてくれるし。走りも魅力的だった。

 

「ふぅん……。トレーナーと居た時も、そんなんじゃなかったんだけどな……。なんだ? 点数目当てで、良い子ちゃん演じてたのか……?」

「そういう風にも見えなかったけどなぁ」

「……ま、いいや。スカーレットはスカーレットだし。今日は俺の番だしな」

「おう、期待してるぞ」

 

へへっと鼻の下を擦るウオッカ。そして足の反動を使って立ち上がると、拳を握りしめながら目に力を込めつつ言う。

 

「俺といえば、行くところは一つだろ。行こうぜ!」

 

大げさなハンドジェスチャーと共に、トレーナー室から出るように促される。

歩きながら、俺は交流は合ってもプライベートで遊んだりした経験がないゆえ『ウオッカといえば』に一ミリも心当たりもないまま付いていくこととなったのだった。



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第十話「決着、選ばれたウマ娘は一体どちらだ!?」

「よっしゃ、ここだ! 入ろうぜ!」

 

ウオッカに言われるがまま連れてこられた場所は、ゲームセンターだった。トレセン学園からそう離れていない場所にあるのは知っていたが、今回来たのは電車で乗り継ぎを2回ほどしてから降りた、田舎とも都会とも言えない微妙な繁華街の一角。

歩きながら、ついでにちょっと食べ歩きなんかしたり、愛用のスキットル(未成年のくせに、何故愛用している。え、麦茶飲むため? 頭ゴールドシップか?)のお手入れ道具を探したり。今着ているライダースの、レアなタイプ……アメリカとかイギリスとか国によって違うんだとか。それを見つけて、大はしゃぎする姿を見たりしつつ。これもうほとんどデートなんじゃ? って疑問を、いちご飴をかじりながら思っていると、ようやく目的地に到着したらしい。

ちなみに、ウオッカは私服に着替えてある。なら、トレーナー室に来る時だって私服で良かったのに、と尋ねると『学校に入るなら制服じゃないとダメだろ?』なんていう、テイオーやスカーレットにファッション不良(ヤンキー)と言われる所以を垣間見る返事を貰った。

 

自動ドアが開き、冷風が体に叩きつけられる。歩いてたからじんわりと掻いていた汗が、体温低下の機能を十二分に発してくるので、半袖のシャツな俺は思わず身体を縮こめた。

ありとあらゆる方向から、電子機器の激しい喧噪が耳に飛び込んでくるうえ、最近はかなり分煙化が進んでいるとはいうものの、やはりどこかしらから煙草独特の香りがする空間。誰かに連れてこられるならいいけれど、自分からは中々足を踏み入れない場所だ。

 

「こんなところに、何しにきたんだー!?」

「いいから来いって!」

 

雑音で良く聞こえないので、耳元でもやや大きめの声を出して会話をする。意気揚々と歩んでいくウオッカの背中を追っていると、とある一角で足を止めた。

 

「! こ、これは……!?」

「へへ。なんだよソーマ。知らなかったのか?」

 

自信満々に披露してきたものは、バイク型のレース体感ゲームだった。

俺がまだ小さいころに、そういうものがあるんだよ。と聞いたことはあったが、もうとっくに廃れてしまったゲームだと思っていた。

と、言うか。待て待て、これは……!!

 

「タイラントの愛機、アンファード!?」

「流石だなソーマ! 今、コラボやってんだってよ!」

 

スポーツタイプのフォルムに、赤と黒のグラデーションカラーで塗装されたボディ。シートが真っ白な所まで完璧に再現されている。すげえ、ファン垂涎のグッズじゃねーか、これ!

 

「今日は、俺のドラテクを披露しようと思ってさ。スカーレットなんかより、シビれる姿を見せてやるぜ!」

 

ここに至るまでの道程が楽しくて、当初の目的を忘れかけていた。そういえばそうだった。俺に対して、魅力的な何かをしてもらって、『うまぴょい』を促すんだったな。

……その方面に関しては、一ミリもそそられないんだが。大丈夫かな。そう得意げな顔をされると、俺も何も言えないけれど。

 

バイクに跨る前に、カードを取り出したウオッカは、ICリーダーにそれをかざす。彼女の個人データと共に、決済も完了させていた。今ってコインをチャリンと入れなくても良いんだ……知らなかった。

画面にけたたましい音と、気品のかけらもないバイクたちが映りタイトルが表示される。おお、本当に『ゴールデン・タイラント』だ。

 

「ここのコースが一番難易度高くてよ。ほら、見ろよ。俺のタイムがこれで、一番うめぇヤツと2秒も差があるんだ」

 

慣れた手つきで操作をしながら、バイクを選んでコースも決める。ヘアピンカーブの続くこの道は……ウオッカが好きだと言ってた、あのぶっちぎりの峠とそっくりだ。

 

「何度やっても勝てなくてさ。……けど、今日は……へへ。ソーマが見てるからな。カッコよく、ぶっちぎってやるぜ」

 

屈託のない笑顔をこちらに向けてから、ウオッカは前に向き直った。ローディング中の暗転した画面に反射する顔つきは真剣そのもので、とても遊びに興じているようには見えない。レースと同じ。好きだからこそ、真摯に取り組んでいるのだろう。

 

「行くぜ!」

 

しみじみとその健気な背中を見ていると、いつの間にかレースは始まっていた。タイムトライアル形式のモードなので、相手はいない。半透明のキャラが重なるように存在するだけ。これがウオッカの越せないタイム保持者の動きを再現してくれているのだろう。

コースは長い直線と高度な操作を要求されるカーブが、いくつも設置されたもの。特にラストのヘアピンカーブは、見ているだけでもどう操作すればいいのかさっぱりわからないほど。

だけど、ウオッカのテクニックは素晴らしかった。アクセル、ブレーキを巧みに使い、車体制御は身体をそのまま倒しこんで行うので、車型のゲームより一層精度が求められる。それを、狂いなく何度もやってのけて、参考数値を余裕で超えるラップタイムを叩き出していた。

 

だけど……記録保持者の影だけはまだわずかに抜けない。ウオッカの信じられない操作方法をもってしても、まだ最速ではないのだ。本人も、そして見ている俺でもその原因はわかる。

途中まではほぼ同じなのだ。なんなら、追い抜かしていることもある。けれど、最後のヘアピンカーブでいつも先を行かれてしまうのだ。それさえ克服できれば、ウオッカでも勝てるはずなのに……。

 

「くっそ……!」

 

騒音にかき消されながらも、小さな悔しさが聞こえる。レースは最終ラップ。もうここで抜けなければ負けだ。ストレートでの差は変わらない、道中のカーブでウオッカは会心の位置取りを決めて追い抜かす。

あとは、問題の箇所でアドバンテージを維持できれば……。

 

「……ウオッカ! ビビんな! アクセル、フルスロットル全開でぶっちぎれ!!」

「!」

 

車体を限界まで倒し、なおかつ手元のアクセルを解放していく。ゲームの性質上、あまり傾けるとそのままキャラクターも転倒してしまうのだが……。ジャイロ機能の精度が高いこのゲームなら、ギリギリ一杯を攻められるはずだ。俺の言葉を信じたか無意識なのか、ウオッカは決死のドリフトを決め込む。

 

そして、遂にゴーストキャラを後ろに置いたまま直線に入った。緊張で噴き出していた汗が弾け、ウオッカの身体が真っすぐに戻り、一気にゴールへ向かっていく。

 

「うぉおおお! やったぜ!!」

 

喜び両手をあげるウオッカの目に映る画面には、新記録が表示されていた。そして子供のような無邪気な笑顔でこちらを向くと、手を差し出された。俺も間髪入れず、その手を叩き称賛する。

 

「ソーマ。さっきの、バーシオン戦でのイケケンのセリフだよな?」

「ああ。フルスロットル全開って、意味二重になってるけど最高にアツくていいよな」

「へへ。つい俺も気持ちが入っちまったぜ。おかげで良い記録が出せた……。ありがとな」

「なにを。やったのはウオッカだろ。記録更新、おめでとう」

 

満足げに筐体から降りると、ウオッカはパスを差し出した。なんのつもりかと首をかしげると、座っていたバイクの横の機械を指さされる。同じ色と形だが、良く見るとウオッカの座っていた方には『ウマ娘用』と書かれている。そりゃそうか、力んだ場合の負担が違うもんな。

 

「ソーマもやってみろよ。免許持ってんだろ?」

「いやいや、俺が持ってるのは自動車の方だから……。それに、こういうの得意じゃないんだよ」

「こまけえことは良いんだよ。教えてやっからさ。ほら、乗った乗った」

 

しぶしぶバイクに跨る。乗り気はしなかったが、いざハンドルを握って前傾姿勢になると流石に気分が高揚する。操作方法を教わりながら、とりあえず練習用のモードで触ってみることにした。

カウントダウンが始まり、レースがスタートした。今度は共に走る敵キャラも複数いる。正真正銘のレースだ。

アクセルを捻ると車体が動き出す。同時に振動が筐体から響き、本当にバイクに乗っているような感覚が伝わってきた。

 

「う、おお! け、結構怖いなこれ!」

「大丈夫だって。ほら、ちゃんと身体を倒さねーと、曲がりきれねーぞ」

 

実際のバイクは確か、クラッチ操作やギアチェンジなど必要だろうが。これはゲームなので、AT仕様になっている。ブレーキも自転車と同じだから、感覚でわかりやすい。だが、仮想現実を相手にしているとはいえど、一つだけ実際の技術を要する部分がある。それが……

 

「か、カーブが……! む、むずいぞ!」

 

レースゲームをやってて、コントローラーごと身体が傾くなんてことはよくある話だが。これは本当に身体を傾けなければ、ジャイロ機能が発揮されない。ゲーム内のコースは、簡単な所でも現実では中々お目にかかれないカーブだったりするし、そも二輪で公道を走った経験なぞ無い俺にとってはかなりの難易度だ。

 

「ビビりすぎだってーの。ったく……しょうがねえなあ」

「!?」

 

思わず画面から目を離してしまった。右手で掴んでいたハンドルの上から、ウオッカの手が被せられる。そのまま上手にコース取りできるように、バイクを傾けてアシストしてくれた。

温かくしなやかな細指からは、普段のがさつな彼女とは思えない繊細さを感じる。しかし、そんな優しいタッチにも関わらず、筐体ごと成人男性一人を軽々動かせられるのは、やはりウマ娘なのだとも同時に思う。

 

「いいかー? コーナーに入る前から少し傾けてよ~……そんで、ここでアクセル吹かせば……! ほら、いけた!」

「……」

「おいソーマ、ちゃんと聞いてっかー?」

「あ、ああ……」

 

せっかくアドバイスをしているのに申し訳ないが正直、声は耳に入ってこなかった。理由は単純だ。

 

近い。

 

近すぎるのだ。

 

粗暴な言動と、ちょっと幼稚な行動で普段は隠れているが。

ウオッカの顔は、とても整っている。ボーイッシュな髪型なのも相まって、レースを走っている時は黄色い声援の方が多く聞こえるぐらいだ。本来は男性にしか使わないが、眉目秀麗という言葉が良くあてはまる。

そんな彼女が、吐息すらかかりそうな距離で、俺の手に触れつつ真剣な顔をするものだから……異性としてではなく、純粋な顔面偏差値により心の中の何かが揺れ動いてしまった。

やだ、まるで乙女ゲーの主人公じゃないのアタシ!

 

「おっ、良い感じだったな。今の!」

 

何度か周回するうちに、補助もなくなり俺のスキルは上達した。そして向けてくれる、この屈託のない笑顔に、俺は何故か胸の高鳴りを押さえることが出来なかった。…………いや、これは多分全然違う方向に心がときめいてるだけだわ。

 

そんなこんなで、すっかりエスコートされてしまった俺は無事にゲームをクリアして、ウオッカと再びハイタッチする。好きな漫画のワンシーンに没入体験できたみたいで面白かった。誘ってくれたウオッカに感謝しつつ、お腹が空いたことに気付き昼食を取ろうと提案した。

 

 

「……」

「ん? どうした、ウオッカ?」

 

近くのファミレス(やっぱ、たまり場と言えば、ココだろ! と化石のような発言により決定した)で、食後のコーヒーを楽しんでいる時だった。目の前に置かれたキンキンに冷えたコーラに手も付けず、何かを思い出したかのように、ウオッカは自分の右手を見つめていた。

 

「……いや、その……」

「?」

「…………さ、さっきよ……。俺……その……ソーマと……」

 

みるみる顔が赤くなっていく。夢中で気付かなかったみたいだが、ようやく実感してしまったらしい。『うまぴょい』の話題の時でもそうだったが、案外この子は異性への免疫が低い。トレーナーと生徒という関係でありつつ、気の置けない友人のような俺相手でも、やはり少しは意識してしまうようだ。

愛らしい反応が面白く、俺は少しからかってみることにする。

 

「手、握っちゃったな」

「どああーー! い、言うなーー!!」

 

普段の男勝りな感じとは一風違う反応が楽しい。頭を抱えて、思い返される記憶に勝手に悶絶している。さっきは思わず主導権を握られてしまったから、これはこれで逆襲できた感じがして気分が良いものだ。大人をナメるんじゃあないよ。

 

「くそ……俺としたことが……夢中になってたとはいえ……あんな……!」

 

割と真面目に悩んでしまっているようなので、追撃をしようとした口をたしなめる方向に変更してあげることとした。

 

「まあまあ。とにかく、今日はウオッカの良さを知れて良かったよ」

「え、ホントか?」

「ああ。十分伝わった」

「って、ことは! スカーレットより、俺を選ぶんだな!?」

 

そうは言ってないんだが。前のめりになって、目を輝かせる少年のような顔を見ると強く否定はできない。落ち着くように、手で制してしっかり座らせる。まだ判断するには、考える時間が必要だから。少し待ってくれ、と伝えた。

 

「ちぇっ。んだよ。さっさと決めちまえっての」

 

ふてくされながらコーラを一気に飲み干し、ストローから下品な音を鳴らす。はしたないから止めなさい。

 

「しかし、ウオッカ。手を握るぐらいで、そんなになっちゃうなら、大丈夫なのか?」

「あ? 何が?」

「うま……あー。『アレ』だよ。キミら二人、どっちか選んだ方とする、『アレ』」

「あ……ああ。『アレ』か……『アレ』ね。……うん」

「ウオッカ、キスシーンとかでも結構やばくなるんじゃなかったか?」

「キッ……! そ、そそそんなことねーよ!」

「『ゴールデン・タイラント』のラブシーンでもダメって言ってたような」

「あー! うるせーうるせー! あ、あんま思い出させるな! は、鼻血出るだろ!」

 

再び赤面しながら縮こまる。指を突き合わせて、伏し目がちに冷や汗を流す姿を見ていると、ふとした疑問が頭をよぎった。スカーレットにもしたのだが、俺自身がちゃんと確認したくて、その疑念をぶつけてみる。無理をするならワケがあるはずだから。

 

 

「どうして、そこまでしてスカーレットに固執するんだ?」

「あん? なんだよ、いきなり」

「前見た時も思ったけど。あんまり他のウマ娘たちじゃあ見ないぐらい、二人は強く対立してるからさ。なんかよっぽどの理由でもあるのかと思って」

「……別に、そんなんじゃねーよ」

 

遠い目をしながら、ウオッカは語る。

デビュー戦に至るまで、何度も衝突があった。同室で同期だから、嫌でも目に付く。それはレースだけではなく、日常生活でも同じ。壁に張ったポスターにいちゃもんをつけてきたり、後で畳もうとしてた服を早く片付けるよう吠えてきたり。そうこうするうちに、すっかり敵対する関係になってしまった。なにより、お互いの実力は切迫している。絶対に負けたくない気持ちも、いつのまにか膨れ上がったのだ。

 

だが、一つだけ懸念事項があった。

 

「俺さ、ダービーを走りたいんだ」

「へえ。どうして?」

「だって、一番アツいレースじゃねえか。一生に一度だけだし、他にも命がけで挑んでくる本気の奴らが勢ぞろいするだろ。そんな中で勝ったら、めちゃくちゃカッコいいじゃん。オークスも良いけど、俺は断然ダービーだな」

「なるほどね」

「でもよ、スカーレットはティアラ路線に行くらしいんだ」

 

ウオッカの言うダービーとは、クラシック路線。皐月賞、日本ダービー、菊花賞。ティアラ路線とは、桜花賞、オークス、秋華賞。それぞれ、格式の高いレースだが距離もレース場も違うため、普通はどちらかの路線を選んで調整する。つまり、ダービーを走る予定のウオッカとスカーレットが、当たることはない。

 

「……それでいいのかなー。って思ってよ」

「珍しく弱気だな。別に、良いんじゃないか。クラシックとティアラで勝負をつけなくっちゃならない決まりもないだろ」

「……だよなぁ」

「……別に、不安があるとか?」

「……」

 

少しだけ溜めてから口にしたのは、今回の一件の核心部分についてだった。

 

「俺、長距離になるとてんで走れねぇんだ。鍛えればいい、って話かもしれねぇけどさ。中々、できねーことを無理にやるって、難しくってよー」

 

短距離気質の身体を、想像を絶するトレーニングにより克服したウマ娘としてミホノブルボンがあげられるが。易々と真似することは出来ないだろう。

 

「トレーナーとも先のこと話たりしたんだけど。そうなると、クラシック、ティアラ路線以外のビッグタイトルなら、どこで当たるんだろうって」

 

スカーレットはマイルを走れないわけではなさそうだが。中距離のレースなら、秋の天皇賞あたりだろうか。グランプリレースなら、宝塚記念でも良い。

 

「それも良いけどさ。……やっぱ、やるなら有でケリつけてぇんだ。クラシックの次に盛り上がるレースって言えば、年末総決算のそこじゃねーかな」

 

コースの起伏が激しく、距離も2500mの長距離。ウオッカにとっては、最も苦手とするレースと言えよう。

 

「だからさ。その……あ、『アレ』をすれば。そういうのもなんとかなるんじゃねーか、って思ってよ」

 

俺は頷きながら、二人の求めているものが何かを理解できた。お互い欲しているのは、長所を伸ばすことじゃなく欠点の克服だった。

それは、自分の力でどうしようもない所を補うことで、自分の力でどうにでも出来る部分でだけは、相手に打ち勝ちたいという純粋な願い。

犬猿の仲に見えるような二人だけど、勝負においては真っ向から挑むことを望んでいる。スカーレットは、これを卑怯かもしれないと不安に感じていたが。やっぱり俺は、そうは思えないな。

 

「わかった。今日はありがとな、ウオッカ。色々話せて良かったよ」

「おう。俺の方こそ、楽しかったぜ!」

 

そこで真面目な空気はお終いにして。後は、普段から語らっている漫画の話や、先ほどのレースゲームの話なんかで盛り上がり、お開きにした。

 

 

 

 

 

 

「……」

 

それから数日、時間を置いてもらい、俺は評価の選定を行った。合宿前で、みんなのスケジューリングもしなくてはならないから、多くの時間を割けない。迅速に判断し、その上で彼女らに結果を伝えるべきだ。

二人と話したこと、やってくれたことを思い出しながら、パソコンに打ち込んでいく。腕を組んで首を傾げ、椅子の上でくるくる回りながら悩むが結論は出ず。印刷した比較表に、更に手書きで判断材料を書き足しながら、机の上でペンを咥えながらも熟考する。朝、苦いコーヒーを口にしながら、元気に飛び込んでくるテイオーと遊び、クリークの作ってくれたお弁当(オグリとタマモの余り物。それでも重箱三段)で気合を入れ直しつつ、ネイチャとの他愛ないお喋りで夕日を浴びていると、査定最終日が終わった。

 

日付が変わるギリギリまで悩み、資料をまとめた俺は隈のできた目元のまま二人をトレーナー室に呼び寄せた。

 

「よくきてくれたね」

 

「……」

「……」

 

互いに視線を合わせず、ウオッカとスカーレットは俺の前に立っていた。

トレーナー机に身体を預けながら、ペン入れし過ぎてめちゃくちゃ見づらくなった資料を2束。手にしながら話す。

 

「まず、スカーレット。キミは、俺に走る姿を見せてくれたね。フォームも良く、スパートの掛け方も非常に上手かった。デビューしたてと思えない完成度は、まさに圧巻だったよ」

「はっ! なんだよスカーレット。お前、せっかくのチャンスで走っただけだったのか~?」

「はぁ!? 別になんだっていいでしょ! アンタこそ、何したのよ!」

「ウオッカはゲーセンで、バイクのゲームを一緒にやったんだ。その後、ファミレスでご飯食べたな」

「……ぷっ。なによ、あんたの方こそお子様丸出しじゃないの。ゲームにファミレスって」

「あぁ!? オメーに言われたかねーよ!」

「はいはい。そこまでそこまで」

 

口を開けば喧嘩するんだから。顔を突き合わせて歯をむき出しにしながら怒号を浴びせ合う二人をたしなめつつ、俺は続ける。

 

「……それでだね。そんな二人がしてくれたことを踏まえた、結果を伝えるわけなんだけど……」

 

吊り上がっていた目が、同時にこちらを向く。緊張した面持ちに変わり、固唾を飲んで顛末を見守ってきた。

真剣な表情に、俺は思わず身じろぎ出来なくなりそうだった。お互いがどうこう、っていうより。それで本当に良かったのか、疑問と不安を抱かせたままなことに違いはない。

ゴクリと唾を飲み込んでから、俺は資料を下げて、咳ばらいをした。息を一つ吐いて、己の中の心音を少しでも下げようと努力する。そして目を閉じ、考えていたことを伝えるための口を作っていった。

 

「…………」

 

冷房の音だけが室内を満たす。窓越しに聞こえる、炎天下の中でもやっているウマ娘達のランニングの音だけが場を横切る。

 

「…………」

「…………」

 

心配そうな目をする二人。

ウオッカは前のめりになり、拳を作って待っている。

スカーレットは胸元に手を置き、じっとこちらを見つめている。

 

共に冷や汗を流す姿を見ながら、俺は。

 

 

 

俺は……!

 

 

 

 

 

「ごめん、決められなかった!!」

 

 

 

神速の土下座をかました。

 

「……はぁ!?」

「おい、なんだよそれ!!」

 

勢いあまって地面に頭突きをしたせいで、二人の声がちょっとだけ遠くに聞こえる。ふらつく頭を押さえながら、顔をあげつつ弁明する。

 

 

「だって、二人ともすっげえ良いウマ娘なんだよ! どっちか選ぶなんて、俺に出来るわけないよぉ~~!」

「それでも選ぶのがトレーナー(お前ら)だろ!? 何ヒヨってんだよ!」

「そうですよ! ちゃんとしてください!!」

 

半泣きで、感情ぐちゃぐちゃになった俺の襟をウオッカが掴みながら揺さぶる。絶対こういう反応されると思ってたんだけど、どうしようもないんだよ。

こんな真摯に、ライバルと向き合って己の強さを目指すウマ娘は俺は見たことない。そんな二人に対して、どっちかだけが有利になるような行為をして、関係を崩すようなことが出来るか、って話なんだ。

 

「……だからさ、あの。一つだけ代替案があるんだけど」

「おっ? んだよ、そんなのあるなら先に言えって」

 

脳震盪を更に助長されそうな動きで、むしろ逆に整ったように思える頭をしっかり押さえてから。

俺はもう一度、命の危険を覚悟しながら見つけた妙案を叩きつけてみた。

 

 

「二人一緒に、というのはどうでしょう……か?」

 

恐る恐る口に出してみると、固まっていた二人は同時にお互いの顔を見た。そして一緒に頷くと、目にも止まらぬ速さで俺に向かって、上手に重なるようにラリアットをかましてきたのだった。痛覚と衝撃を実感できたのは、壁に叩きつけられて地面に転がって少ししてからだった。それでも、声だけはちゃんと聞こえる。

 

「バカ野郎! できるわけねえだろ!!」

「そうですよ! こいつの前で『うまぴょい』なんて、絶対イヤ!」

 

「うぅ……。で、でもさあ。どっちとも、して良いと思ったんだから……仕方ないじゃんよぉ……」

 

もうどこが痛いのかわからないので、とりあえず頭を摩りながらゆっくりと身体を起こす。

 

「……ん? 待てよ。そっか。別に、『アレ』をしたくねえ。ってことじゃないんだよな」

「そ、そう言ってるでしょ……」

「ちょっと、ウオッカ!?」

 

突然身体を持ち上げられて、まるで米俵を担ぐようにウオッカの肩に乗せられる。

何をする気だ?

 

「じゃ、じゃあ。後はもう早いもん勝ちって、ことだよな?」

「はぁ!? ズルいわよ、アンタ!」

「へへん! お先~!」

「させないわよ!」

 

ガチャリと内鍵を閉め、スカーレットが扉の出口に立ちはだかる。出入口はそこしかないので、自然と対峙する形になっていた。……と、見えない視界から察する。

 

「ちっ、いつもいつもお前は……」

「アンタこそ、自分勝手すぎるのよ!」

 

そうして言い争いが始まり、ついでに縦横無尽に動き回る激しい攻防も開催された。当然、ウオッカのパワーに一ミリも勝てる要素のない俺は、事の顛末を見守るしかない。

シューズが床と摩擦を起こす音。俺の机の上にある書類が風で舞い落ちる音。視界は左右だけでなく、偶に上下に動き、ソファーや机を上から跨ぐように見るという不思議な光景を何度か目にしているうちに、二人は手と手を握り組み合ってしまっていた。

 

「離せよ……!」

「あんたこそ……! 観念なさい……!」

「別に後でも一緒なんだから、いつだって良いだろうが……!」

「アタシは一番が良いの……! アンタこそ、ちゃらんぽらんなんだから、いつでもいいでしょ……!」

「この!」

「なによ!」

 

 

いつの間にか、俺の身体は自由になっていることに気付いた。

手を掴み合っているなら当然だな。

 

それから俺は、いい加減この終わりの無さそうな喧嘩を終わらせるため。

そっと二人の筋肉の張った肩に手を置き。さも自然な表情を向けてから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『うまぴょい』をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウマウマウミャウニャ 3,2,1,ファイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふーん……じゃ、結局しちゃったんだね。トレーナー」

 

合宿の予定を伝えるために、担当ウマ娘達にトレーナー室へ集まってもらった日。

ソファーの上で、俺はシガレットを口にしながら少し満足げにことの顛末を話した。

 

「まあな。でも、それ以外の選択肢なんて無かったんだよ。ウマ娘の発展と繁栄を助けるのがトレーナーの本懐だからな。俺もまさか、自ら『うまぴょい』するだなんて……一皮むけちまったかな」

「なぁに言ってるんだか。こんなんでカッコつけて言っても、全然だよ?」

 

対面のソファーで寝転がって聞いていたテイオーが、口にしていたシガレットを徐に奪い去り、自分の口に入れた。コラ、俺のココアシガレットを勝手に取るんじゃないよ。

 

「それで、二人は今どんな調子なんですか?」

 

訊ねるクリークに、外を指さす。窓の向こうでは、いつものように二人が競り合いながらコースを走っている姿が、そこにあった。

 

「あれ、2500mを想定しての模擬レースらしいよ。しかも、今日これで3回目だとか」

「あら~。それじゃあ、効果があったんですね」

「だと良いけどね。……で、ネイチャさんは、なんで不貞腐れてるのかな?」

「……別に。なんでもないで~す」

 

テイオーの横で、頬を膨らませているネイチャ。合宿用メニューがお気に召さなかったのだろうか。二人とのいざこざの間も、しっかりぬかりなく対応したつもりだったけど。

 

「トレーナーも乙女心がわっかんない人だね~。ネイチャはさ、トレーナーがたくさんの人と『うまぴょい』するのが嫌なんだよ」

「は!? そ、そそそんなこと一言もいってないし!? 何言ってんの、テイオーさん!」

「そんな顔真っ赤にして、説得力ないよ。ネイチャ」

「なってないなってない! あーーもう! 違う、違うからね、トレーナーさん!」

「あらあら~。ネイチャちゃんったら、やきもち妬いてたんですね~」

「だから、違うんですって~!」

 

ははは。微笑ましい光景だ。担当ウマ娘以外の子との『うまぴょい』なんて、俺も正直抵抗があったけれど。お互いを高め合うための、一つの手段としてならいいかもしれないな。と思えるような結果に終わったな。

今後はどうなるかはわからないけど。まずは、ちゃんと自分の担当と向き合って。これからどうしていくか、しっかり地に足付けて頑張っていこう。

 

「ん?」

 

と、気分良く締めに入ろうとした時だった。

トレーナー室のドアからノックが鳴った。訪問者の予定はないので、誰かはわからない。

 

「はぁい、どなたですか~?」

 

首をかしげているとクリークが先に対応してくれた。声の主はそれを聞くと、こちらから動く前にドアノブを開き、室内に堂々とした足取りで入ってきたのだった。

 

「好井ソウマ。会長がお呼びだ。来い」

 

それは、生徒会副会長であり"女帝"と名高いウマ娘のエアグルーヴだ。誰に対しても、やや不遜な態度を取るので、いつも怒っているかのように見えると評判を耳にする。

 

「え? 今から?」

「ああ、今すぐだ」

「一応、会議中だったんだけど。少ししてからじゃ、ダメかな?」

「今! すぐ! 来い!」

 

と、言い残すとドアを乱暴に閉めて出ていってしまった。

 

何をしてしまったのか、全然検討がつかない。

ただ、それでも副会長自らが、このトレセン学園でもかなりの権威を持つ生徒会長……シンボリルドルフの下へ、火急的速やかに呼びつけるのはよっぽどのことだろう。

 

室内にいるみんなと、冷や汗を流しながら顔を見合わせ、誰も心当たりがないことを確認してから。

俺はシャツのボタンをしっかり留め直して、ゆっくりと生徒会室(処刑場)へと向かうことにした。



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シンボリルドルフ
第十一話「当然、そろそろ怒られろ、好井ソウマ!」


シャツの皺を伸ばしながら、冷や汗を鬱陶しく思いつつ歩いていく。激しい運動をしていないのにも関わらず、息は浅く心臓の鼓動はうるさいほど聞こえる。

 

「ねー、ボクもついていこうか~?」

「いい。お前は部屋に戻ってろ」

 

少し後ろをちょろちょろとテイオーが伺うように歩いていたが、俺は制して待つよう伝えた。

 

「でもさ~。カイチョーがわざわざ呼び出すなんて、普通じゃないってー。エアグルーヴも、なんだかすっごい怒ってたじゃん」

「だからだよ。お前を連れてきたら、それこそ保身に走ったように思われるだろ」

「……確かに」

 

シンボリルドルフをよく理解してるからこそ、テイオーは納得してくれた。歩みを止め、心配そうにこちらを見上げる。

 

「なにかあっても、後でボクがフォローしてあげるからさ。トレーナーも、そんな緊張しないで行っておいでよ」

「……おう。ありがとな」

 

後ろで手を組み、少し無理にテイオーは笑った。いくらこいつでも、多分できる限界はある。何事かはわからないが、それでも力になってあげたいという気持ちは十分に伝わった。俺も、胸元で拳を握りしめて意志の強さをアピールする。

相棒を背後に、俺は再び歩き出す。少しだけ気分が安らいだような気がした。

 

「……」

 

生徒会室の扉の前には、もう一人の副会長ナリタブライアンが居た。自家栽培と噂の草の枝を口にし、鼻にテープを張り付けた容姿は学園でもひときわ目立つ。特に鋭い眼光と堂々とした態度から、勝手に恐怖を覚える子も少なくないとか。

他の子に向ける視線と同じ、冷たさを覚える瞳がこちらを捉える。

 

「ルドルフ。来たぞ」

「ああ。ありがとう、ブライアン。通してくれ」

 

面倒くさそうな顔をすると、ナリタブライアンは扉を開けてくれた。特に仕草はないが、中へ入れと言わんばかりの表情をしている。俺は軽く会釈をしてから、室内に入っていった。

 

ピリピリした威圧感が、空間から放たれているようだった。フローリングの床を歩く足音一つすら、何かを刺激してしまいそうで、踵からゆっくりと接地するよう促されているみたいだ。とにかく気の張りつめた雰囲気が満たされている。生唾を飲み込みながら、俺は部屋奥に堂々と座っている大きな流星が特徴のウマ娘の前へ立った。

 

「遅い。呼びに行ってから、どれだけ待たせるつもりだ。たわけ!」

「まあ、そう言うなエアグルーヴ。延頸鶴望(えんけいかくぼう)していたわけでもないのだから、構わないさ」

 

その攻撃的な圧力を出していたのは、エアグルーヴのみで。呼び出した当の本人、生徒会長シンボリルドルフは、困ったように笑っていた。とても、これから何かを諫める雰囲気には見えない。

 

「急に呼びつけてしまい、すまないね。好井くん」

「あ、ああ。小さい会議をしてたぐらいだから、問題ないよ。キミからの呼び出しだったし、みんなも離席を納得してくれてた」

「そうか。その件については、後程私から謝罪しておくとしよう」

「……会長」

 

そんな甘いことを言うなと訴えんばかりの、しかめ面でルドルフを見るエアグルーヴ。椅子に楽な姿勢で腰をかけていたルドルフは、徐に立ち上がり俺を応接用の椅子へ座るよう促した。

 

「エアグルーヴ。手筈通りにお願いできるだろうか」

「……」

 

俺が座ったのを確認すると、副会長へ目配せをしながら席へ向かう。その言葉の真意はわからないが、どうやらとても不服らしい。言いたいことを我慢しているのは、会長を思ってのことなのか。

きっと彼女の中では途方もない時間の自問自答が終わると、意を決したようにルドルフを強く見つめて口を開いた。

 

「やはり、納得できません。何故、このような男と二人きりで話す必要があるのですか?」

 

一応、俺トレーナーなんだけどなぁ。雑に指をさされながら言われるが、まあエアグルーヴはこういう子なのだから仕方ない。不器用で一生懸命で、生徒会長のシンボリルドルフが大好きなだけなのだ。言い方に棘はあれど、悪意はないはず。

 

「さっきも話したはずだ。私はこれから、おそらく長話をすることになる。その間、生徒会の業務を君に一任したい」

「ですが……私は、こんな野獣と密室になることを容認できません」

 

……悪意はないはず。

 

「あまり過ぎたことを言うな、エアグルーヴ。いくら好井くんでも、その言い方は流石に傷つくと思うぞ」

 

そうだそうだ!

……ん? なんか微妙に引っかかる言い方だね、ルドルフさん?

 

「……しかし!」

「君が心配するようなことにはならないさ。何かあればすぐに声を上げればいいだけだ。ブライアンも近くに居てくれる」

「……」

 

しゅんとしおれた耳になったエアグルーヴの、肩に手を置きながら言う。

 

「夏合宿に向けて忙しい時期だ。君の助けが欲しいだけなんだよ。わかってくれるな?」

「…………定刻になりましたら、何が何でも部屋に入りますよ」

「ああ、構わない」

「……では。打ち合わせに行って参ります」

 

最後まで、心から賛同できない様子でエアグルーヴは部屋を去っていった。ちらりと俺を見てから歩きだしたのだが、その際の視線はとても直視できるものではなかった。

 

扉が閉まり、足音が遠ざかる。腕を組んだまま座ったルドルフがそれを確認すると、ふっと軽く息を吐いた。

 

「改めて、急に呼び出して済まない。好井くん。こちらも火急の用だったものでね」

「いや……良いんだけど。状況の説明をしてくれると助かるな」

「そうだな。単刀直入に話させてもらおう」

 

緩んだ空気が再び引き締まる。レースに出ている時のような、どんな相手も真っ向から打ち崩すような強い視線がこちらを射抜く。物理的には何もされていないはずなのに、胸の辺りが急に苦しく思えた。気管が詰まったかのように、短く呼吸をする俺に、ルドルフは恐ろしい言葉を放ってきた。

 

「君……『うまぴょい』をしているだろう?」

 

……多分、もう手遅れだ。瞳孔が開き、視線は思わず空を見つめる。そんな細かな動きを、彼女が察知しないわけがない。何か適当な虚言でその場を凌ぐ選択肢は、刹那の間に封じられてしまった。まずい、と思う前に詰んでしまったのだ。

そんな俺を見て、確信したのか。ルドルフは答えを聞いてもいないのに続けた。

 

「一部の生徒たちの間で、既に噂になっている。今は我々生徒会が察知し次第、出来るだけ内輪で収まるように対処しているが……このままだと、いずれ経営団にも知られることになるだろう」

 

このトレセン学園は、数あるウマ娘教育機関の中でも最新鋭にして最大級の規模を持つ、名門だ。入ることも難しく、入ってからも成果があげられずに涙と共に去るウマ娘も少なくない。そんな伝統ある校内で、平然と得体のしれない行為が繰り広げられてしまっている事実。

普通に考えて、目を瞑れる状況なわけがない。だから、ルドルフは警告をするため呼び寄せたのだろう。

 

「それに対し、君は何か考えでもあるのかな?」

 

浅い気息を続けながら、俺は思う。

……ない。あるわけない。そんなものがあるのであれば、とっくに公にして肩の荷を下ろしていただろう。だけど、現状では秘匿する以外の行動は起こせていない。

始まりはテイオーから、無理に強いられたとはいえ……その後のことについては、自己責任以外何物でもない。そもそも、テイオーの件についても俺の不勉強さが招いた結果だ。彼女に悪い点は一つもない。

 

いつも俺はそうなんだ。後になってから、悔いる。テイオーが怪我をした時、もっとちゃんと見ていれば気付けてたかもしれない。クリークが抱えていた悩みも、すぐに解消できなかった。ネイチャに辛い思いをさせてから、初めて行動に移った。いつもいつも、後手になって悪い結果を見てから動いている。だから、俺はダメな奴なのだ。

 

…………でも。それでも。

 

「……すまん。特に……ない」

「ほう。思索生知(しさくせいち)もせず、尸位素餐(しいそさん)であったことを認めると?」

 

ちょっと使われた言葉が難しすぎて3割ぐらいしか理解できないけれど……。言いたいことはわかる。

逸らしていた目線を戻し、射抜かれそうな瞳に負けないよう俺も力を込めながら返す。

 

「でも……俺は、どうしても無視できなかったんだ。『うまぴょい』は確かに、ちょっと不適切なことかもしれないけれど……救われたウマ娘も居たはずなんだ。俺だけじゃない、過去にそうしてきた人たちも、きっと同じことを思って……!」

「一面的な考え方だよ、それは。確かに、『うまぴょい』をした子は強くなった。が、逆を言うならば出来なかった子はどうした? 勝てるはずだったかもしれないレースで、涙を飲んだかもしれない。明確に禁止されていないとはいえ、反則行為に近いものだと私は捉えているが?」

 

ぐうの音も出ない正論を、歯を食いしばって堪える。それは、俺が何度も自問自答を繰り返して、何度も目の前で苦悩する子を見てきたから。俺としての答えは既にある。

 

「そうかもしれないが……明確に禁止されていないのであれば咎にもならないはずだ。俺の軽薄さが、学園に迷惑……いや、被害を与えているのは事実かもしれないけれど。でも……それでも、俺は。一人でも多く、ウマ娘の笑顔が作りたかった。それだけなんだ」

 

俺の述懐はすぐに言い返されるだろうと予想できていた。なのでルドルフが間髪入れずに口を開こうとする前に、重ねるよう続ける。

 

「特殊な機材を使ったトレーニングをさせてあげられるトレーナーと、走り込みや自重トレーニングしか選択肢のないトレーナーを比較して、差別だというか? そりゃあ、自分の境遇に不満を言うこともあるだろうけどさ。でも、使えるものは全て使って、その上で口にしたいじゃないか。『ダメだった』って。だけど俺は、その言葉をウマ娘たちに言って欲しくない。俺だって、言いたくない。だから、出来る限りのことを、出来る限り努めたいんだよ」

 

ただの言い訳なのはわかってる。俺が美辞麗句を並べたところで、学園の風紀が乱れていることに変わりはないのだから。だけど……今の俺に出来ることは、ただそれだけ。

大好きなウマ娘の、笑顔を一つでも作り出すために。俺は出来ることを、してきた。

 

「……なるほど」

 

変わらぬ姿勢のまま、ルドルフは俺の言葉を瞑目しながら反芻している。俺の出せるカードはここまでだ。もうこれ以上、何かを突かれても大した返答はできない。固唾を飲んで見守っていると、目を開いたルドルフが、冷淡な口調のまま言った。

 

「嘘はないのだな?」

「キミに嘘をつく理由がない」

「…………そうか。わかった」

 

と言うと、肩を撫でおろしながら息を短く吐いた。

 

「君が暴走しているだけかと思ったが、どうやらそうでもないようだ。安心したよ、好井くん」

 

いつも見せる柔和な表情に戻ったのを確認した俺も、大きく息を吸ってから冷や汗と共に重い吐息を零す様に出した。

 

「試すようなことをして済まない。噂を耳にしたエアグルーヴが、どうしてもと聞かないものでね。私は、いずれ対処するから問題ない、と言っていたのだが……。中々食い下がってもらえず、こういう形で対処を取らせてもらったんだ」

「……そういうことかぁ。あー、寿命縮まったよ……」

「とはいえ、私も易々と看過できる問題でもなかったわけだから、一応真に迫る形で問答したかったんだよ」

「ルドルフのマジの目はホント怖いんだからさぁ……もうちょっと、加減してくれよぉ」

「ふふ。そうもいかない状況だったのだから、仕方ないだろう」

 

シャツのボタンを一つ外し、ソファーの背もたれに汗ばんた身体を預ける。なんとか修羅場は乗り越えられたみたいだ。ルドルフ自身が本気で怒っていたら、どうしようかと思ったが。

飽くまで副会長の懸念事項らしい。他人をコントロールするためのダシにされただけみたいだが、まあ自らの行いが招いた出来事なのだから、文句は言えまい。

このやり取りでのことを交え、エアグルーヴが納得できる形で答えておくことをルドルフは約束してくれた。これで一安心……なのかと思ったのだが。

 

「しかし、一つだけ大きな疑問が残っていてね」

「え?」

 

ここにきて、何やら不穏な言葉が出てくる。何か、他に問題があったのか?

 

「確認なんだが、好井くん。君が今まで『うまぴょい』したのは、テイオー、スーパークリーク、ナイスネイチャ、ダイワスカーレット、ウオッカ。この5名で間違いないかな?」

 

指を一つ一つ立てながら、最後にこちらへ手のひらを向ける形で尋ねる。なんでそこまで情報を握っているのかわかんないけれど……いや、逆を言うならそこまで知れ渡っているということか。

ともあれ、事実は事実だ。頷いて返答する。

 

「やはりか……。ふむ」

 

ルドルフは、物憂げな様子で口元に指をあてて考え込む。下ろした視線が再び俺の目に向けられると、驚くべき言葉を口にしてきた。

 

「好井くん。これは、ウマ娘達もほとんど知らない事実だと認識しているのだが……」

「な……なに?」

「普通、『うまぴょい』は多人数に効果が発揮されないはずなんだ」

「…………?」

 

どういうこと?

 

「『うまぴょい』は、基本的に最初の一人にのみ効能が出るはずなんだ。続けて別のウマ娘としても、効果は非常に薄まる。トレーニングに時間を費やした方がマシなぐらいにね」

「…………ちょっ……と。待ってくれ」

 

それはおかしい。だって、俺と『うまぴょい』した子たちは、余さず効果を発揮していた。時間経過による効能劣化で、二度目を要求してきたテイオーも、次の日にはまた長距離を好タイムで走れていた。その理論は、適用されない。

 

「噂になった時、少し疑問に思ったんだよ。今やこの学園に男性トレーナーは君一人。辻褄が合わない」

「…………」

「しかし、起きた事実に変わりはない。となれば、考えられることは一つ……」

 

まさか。

 

「好井くん、君の『うまぴょい』は他のトレーナーとは違う。きっと、複数相手でも効果が衰えない……一新紀元(いちしんきげん)なのかもしれない」

 

知らない所で、次々に新しい俺の設定を付け加えるのをやめてくれないかなぁ~~!? 先輩には『うまぴょいの天才』なんて言われるし。今度は新時代の担い手だぁ~~? どういうことだよ!?

 

「そもそも、聞く限りではテイオーとスーパークリークに『うまぴょい』をした期間の空きもおかしい。ウマ娘側はともかく、常人ならばもう少し期間が空いていないと、体力的に出来るはずがないんだよ。発露までの時間も、異様に短いように見えるしね」

 

ああ~~まだ増えるの!?

 

「……まとめると。君の『うまぴょい』には即効性があり、連続で可能で。複数人相手でも効能が薄まることはない……。という感じだろうか」

「……それで、俺にどうしろと?」

 

何かを探っているようなのだが、話が見えない。俺の『うまぴょい』の履歴と彼女の口にする事実が、従来のものと噛み合ってないのは本当だ。だけど、だからって……。

 

「……好井くん。まだこれは決断には早いと思ってはいるが……。もし、君にそれを背負う覚悟があるのであれば、私は全力で応援するよ」

「……どういう?」

 

扉の裏で見張りをしているナリタブライアンに聞こえぬよう、ルドルフは席を立ち俺の耳元で『ある提案』を述べてきた。

内容を聞くと、あまりにも突拍子がないし、現実的に考えれば不可能だ。だけど、ルドルフは無理なことは言わない。

彼女は、いつだってトレセン学園に通うウマ娘たちが幸せであることを願い、その為に身を粉にして動いて考えているのだ。確かに、実現できるなら……誰も涙を流すことはないだろう。

 

「……俺に……出来るかな……」

「荒唐無稽と笑うには、その才能は惜しいと思う」

「……」

「とりあえず、対外的な面に関してある程度は任せてくれ。理事長やたづなさんには、下手に知られぬよう努力しよう」

 

凄く。

凄く、無茶苦茶なことを言われた。押し付けられたと言っても過言じゃない。ルドルフの描く理想郷を実現するための、道具のような考えだ。

 

 

…………でも。

 

 

シンボリルドルフという、輝かしい栄誉と高貴な思考を持つウマ娘と対等ではなくっても。

それでも、俺だって。ウマ娘達、全員の幸福を願っている。そこには、ルドルフだって入っている。

彼女の願いの延長線上に、俺と同じ願いがあるのであれば。手を組まない理由はないだろう。ある程度のサポートを生徒会側がサポートしてくれるなら、そんな有難いことはない。

 

「少し、考えさせてほしい」

「どれぐらい?」

「……年内にはケリをつけよう」

「随分と悠長な計画だね。仔細を訊ねてもいいかな」

「スケジュールの組み方を、まずしっかり整えたい。その上で……『出来ないことを可能にする』という事実を、公にする」

「ほう。それで?」

「そこまでくれば、上も認めざるを得ないんじゃないか? 俺の『うまぴょい』を」

 

なんて言葉を口にしているんだ俺は、と一瞬素面に戻りかけるが、それでも自信を持ってルドルフに伝える。少し驚いたような顔をした後、堪えきれずに噴き出した。

 

「やはり、君は面白いことを考えるね。流石はテイオーのトレーナーだけある」

「動きがある場合は相談させてもらうよ。……あと、エアグルーヴへの説得は任せてもいいかな? 多分、俺には無理だと思うし」

「なら、彼女と『うまだっち』になればいいんじゃないかな?」

「話を悪い方向に持ってかないでくれる!?」

「ふふ。済まない、ジョークだよ。ともかく、要望は理解した。連携を取り合って、計画を進めようじゃないか」

「ああ」

「!」

「?」

 

何かを思いついたルドルフは、少し興奮気味に発言した。

 

「……これで内容に問題は『ないよう』だが……。呼びつけの話は終わりでいいかな?」

 

ホントに言うんかい。

 

「……ああ。かまわないよう」

「おおっ……!」

 

やや呆れながら返事をすると、見たこともない明るい表情でルドルフは喜んでくれた。お堅い性格なのを、少しでも和らげるためにこうした小粋(本人談)なギャグを挟むようにしているみたいだが、高次元過ぎて俺にはついていけないよう……。あ、ちょっと移った。

 

 

……さて。

とりあえず、一旦話はついただろうか。時計を見ると、結構な時間が経過していた。最初にルドルフが言っていた通りになったな。すぐ終わると思ったんだが。

ルドルフは、会話中に溜まっていたメッセージの返信をするからと、スマートフォンを取り出して雑務を始めた。俺は押し寄せた緊張とこれからのことを考えるため、ソファーの背面に頭を置きながら天井を眺めて思考を開始する。

 

 

 

「……ところで」

「ん?」

 

突拍子もなく、ルドルフはやや控えめな口調で声をかけてきた。小声で会話するために、横に座っていた彼女は、さっきまで話すときには必ず揃えていた目線を壁の方に向けながら続ける。スマホは既にポケットの中だ。

 

 

 

「君は、『うぴうぴ』というものを知っているか?」

 

んなッ……!?

 

時すでに遅し。俺の腕は掴まれ、身動きすることも出来ない。だが声を上げれば、そこにブライアンが居るはずだ。入り口の扉に顔を向けて口を開こうとするが。

 

「残念だったね。彼女は一旦、外してもらったよ」

「へあっ!?」

 

妖艶さすらある目が、こちらを見ていた。叫びの代わりに出てきた情けない声と、用意周到な計画にまんまとハメられたことに、脂汗が噴き出す。テイオーもそうだったが、キミらは本当に人を騙すのが上手ですね!! いや、でもこれはルドルフの意志じゃあないはずなんだ。この感じは、覚えがある。クリークの時と同じだ……! 『本能』なんだ!

 

「ウマ娘と二人きり、しかも男女で。何も起きないわけがないだろう?」

「起きないのが普通なんですけど!?」

 

すっかりスイッチが入っているように見えた。あの皇帝が、こんな……こんな!

 

「まっ……待つんだルドルフ……!」

「待てない。諦めるんだな、好井くん。これで、テイオーや私とも『うまだっち』になれば……おお、晴れて君は『はぴはぴダーリン』じゃないか」

「なんで該当する単語があるんだよ~~~!?」

 

 

 

ルドルフのしなやかな指が俺の肩に触れる。垂直方向に身体を押さえつけられ、袖も掴まれた俺は完全に逃げ出すことは不可能だった。テイオーの時と同じ。力でウマ娘に敵わないのが人間なんだ。

 

もう、終わりだ。

ぎゅっと目を瞑っても伝わる、ルドルフの熱い吐息。近づくにつれ、艶っぽい呼吸が俺の耳に届き……。

 

 

 

 

 

 

そして…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんてな」

「!?」

 

一気に身体が楽になり、細やかな抵抗をしていた反動でソファーに倒れこむ。もちろん、俺だけ。

何事かと目を見張ると、おどけた顔をしたルドルフがこちらを見ていた。

 

「冗談だよ。いくらなんでも、私が君に手を出したとあれば、テイオーが黙っているはずもないさ」

 

と言うが。彼女の顔は、相変わらず赤いし呼吸も浅いまま。『うぴうぴ』しているのは間違いないはずなのだが……。

 

まさか、皇帝シンボリルドルフはウマ娘の本能(『うぴうぴ』)に逆らうことが出来るのか……?

 

「……さて、好井くん。要件は済んだ。もう退室してくれたって、構わない」

「ああ、そうするよ」

 

頬に滴る汗を見て、俺はすぐ立ち上がって部屋を後にした。戸を開けると、壁にもたれて暇そうにしているブライアンと目が合った。

 

「……なんだ?」

「いや……。会話、聞こえてたか?」

「さあな。途中までは何となく聞こえたが」

「……そうか」

 

他のウマ娘が不用意に近寄らぬよう、ブライアンはずっと見張りをしてくれていたのだろう。それも、本当に今の今まで。

ルドルフの言葉の真意が理解でき、やはり彼女は他のウマ娘と一線を画す存在なのだと改めて認知する。そんな子に、頼りにされては俺もトレーナーとして腕を振るわなくてはならないじゃないか。ルドルフの担当はもちろん別にいるが。それとこれとは別問題だ。彼女と俺が見る、同じ夢を叶えるために。

 

「あ、トレーナー!」

 

廊下を一つ曲がると、テイオーが座って待っていた。俺を見るなり明るい顔をして駆け寄ってくる。なんとなく、実家で飼っていた子犬が脳裏に思い浮かび、懐かしい気分になった。

 

「生徒会室に、こっそり行こうとしたらブライアンが怖い顔してきてさー! 全然近寄れなかったんだよね~。ねえねえ、大丈夫だった?」

「ああ。なんとかな。心配かけた」

 

安心させるため、テイオーの小さな頭に手を置きながら返事をする。どかそうともせず、そのまま受け入れながらも、テイオーは会話を続けた。

 

「それで、なんだったの? 呼び出しの内容って」

「戻りながら話すよ。みんなも心配してるだろ」

 

トレーナー室までの距離はそこまであるわけではないが、ゆっくり足並みを揃えながら俺は包み隠さず話した。これは、俺だけの問題ではもう無くなっているから。

 

一頻り聞くと、テイオーは頭に人差し指を当てながら首を傾げた。

 

「ん~? じゃあ、トレーナー。スケジュール管理してくれる、サブトレーナーでも雇うってこと?」

「いや、それじゃダメだ。お前たちウマ娘に対し、俺達ヒトは余りに弱い。『うまぴょい』を管理するには、どうしても力不足なんだ」

「……だったら、どーするの?」

「管理が上手な子に手伝ってもらうだけさ」

「あ、イクノとか?」

「いや、イクノディクタスは眼鏡をかけた脳筋だから……」

「そうかなぁ。数字の管理とかは上手だと思うけど……」

「適任なら、目星はついてる。事情を話せば、きっと協力してくれるはずさ」

「えー、誰だろ〜?」

 

それは、黒い髪とミリ単位の調整で切り揃えられた尻尾が特徴的で。常に時計と共に動き、寸分狂わぬスケジューリングで、向こう十年の計画すら立てていると噂の、まさに完璧を体現しているウマ娘。

まだデビュー前だが、その末脚の切れ味と先述の性格でひそかに話題になっている子。

 

エイシンフラッシュ。

 

この子を、俺のサポーターとして引き入れれば、新しいステップが踏み出せるのだ。

 

 

「お断りします。私の予定は既に埋まっていますので」

 

 

 

 

 

……出鼻をくじかれたけど、俺はめげないゾ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――おまけ

 

 

「そういえば、ルドルフ」

「なんだい、好井くん」

「やけに『うまぴょい』に詳しいよな。資料とかもないのにさ」

「ああ。まあ私は経験者だからな。詳しくもなるよ」

「そうだったのか」

「隠していたつもりはないんだが……気に障ったか?」

「いやいや、そういうわけじゃ…………ん?」

「どうした?」

「あれ、ルドルフのトレーナーって……女性だよね?」

「それが何か?」

「……」

「……」

「……まあ、出来ないわけじゃ……ないもんな」

「何かおかしなことを言っただろうか?」

「いいや。……うん。大丈夫。ありがとう。ホントに。」

「?」



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キャラ紹介

11話時点での、ソウマの担当ウマ娘とトレーナー達の紹介です。
現状のアプリゲーム内では絶対不可能なステータス構成だと思います。多分。
ネタで仕込んであるスキルも混ざっています。


トウカイテイオー

 

【バ場】

芝・・・S  ダート・・・G

 

【距離】

短距離・・・E  マイル・・・C

中距離・・・S  長距離・・・S

 

【脚質】

逃げ・・・D   先行・・・S

差し・・・A   追込・・・E

 

【ステータス】

スピード・・・S  

スタミナ・・・S

パワー・・・A

根性・・・B

賢さ・・・B

 

【スキル】

究極テイオーステップ Lv5  中山レース場◎

晴れの日〇         先行のコツ〇

ライトニングステップ    技巧派

一陣の風          臨機応変

ポジションセンス      円弧のマエストロ

軽やかステップ       鋭い眼光

独占力           

練習上手◎

 

《紹介》

好井ソウマに勧誘されて、トレーナー契約を結んだウマ娘。怪我に悩まされつつも、何度も立ち上がり結果を残してきた不屈の魂を持つ、最強無敵の帝王サマ。一年振りに出て勝利した有記念は、今や伝説になっている。

怪我で休養中のライバル、メジロマックイーンがいつかターフに戻ってくるまで『最強無敵』の座を保つべく、今日も走る。いつか、敬愛し目標としていた最強のウマ娘シンボリルドルフとレースをして勝利することも、彼女の目標。

リハビリ中でも、ずっと傍に居てくれたソウマに絶対の信頼を置いている。最近、担当のウマ娘が増えてきてたり、よその子と『うまぴょい』をしたりして若干の不安を覚えているが、心の奥では最後には自分が傍に居ると勝手に確信しているため、意外と余裕をもって接している。本当は独り占めしたいらしい。

ソウマと、彼女自身お互い初の『うまぴょい』をした仲なので、無意識に優越感を抱いている。

 

 

 

 

スーパークリーク

 

【バ場】

芝・・・A ダート・・・G

 

【距離】

短距離・・・G  マイル・・・G

中距離・・・A  長距離・・・A

 

【脚質】

逃げ・・・D   先行・・・A

差し・・・B   追込・・・G

 

【ステータス】

スピード・・・B

スタミナ・・・SS+

パワー・・・B

根性・・・C

賢さ・・・B

 

スキル

ピュリティオブハート Lv4  ライトニングステップ

技巧派           円弧のマエストロ 

魅惑のささやき       幻惑のかく乱

読解力           お見通し

後方待機

 

《紹介》

ソウマの前任トレーナーから引き継ぎで担当しているウマ娘。ドリームトロフィーリーグに、サイレンススズカが行く際に同様に誘われていたのだが、ソウマを一人にするのは心配なので、と残ってくれた。ソウマを手のかかる弟のように思っている。

『うまぴょい』する前までは、あまりソウマが甘えてこなかったので密かに寂しがっていたが、以降はこっそりと包容力を発散させてくれるようになったので、喜んでいる。ソウマ本人は一応大人なのでその扱いを不本意と言っているが、なんだかんだでいつも甘えに溺れる表情から、説得力が皆無と受け取られている。あれだけ先輩から、深入りはやめておけと言われたのに……。

このことはテイオーとネイチャには秘密にしてるので、ちょっとだけ後ろめたさを感じていたり。

担当や注目度が増えて忙しくなってきたソウマを見かねて、最近はお弁当を作ってあげているらしいが、2日に1回ぐらいの頻度でナイスネイチャに先を越される。それでも、ちゃんと二つ分食べるソウマを褒めてあげるまでが1セット。

 

 

 

ナイスネイチャ

 

【バ場】

芝・・・S ダート・・・G

 

【距離】

短距離・・・E  マイル・・・B

中距離・・・S  長距離・・・S

 

【脚質】

逃げ・・・F   先行・・・A

差し・・・S   追込・・・C

 

【ステータス】

スピード・・・A

スタミナ・・・B

パワー・・・S

根性・・・C

賢さ・・・A

 

スキル

きっとその先へ…! Lv6  小倉レース場〇

ライトニングステップ   技巧派

円弧のマエストロ     魅惑のささやき

幻惑のかく乱       八方にらみ

差しためらい       独占力

がんばり屋        小休憩

          

 

《紹介》

敏腕トレーナー安心沢(あんしんざわ)育功美(いくみ)の所から、特別移籍でソウマの担当になったウマ娘。『うまぴょい』をする前は、何度挑んでも勝てなかったトウカイテイオーに、GⅠレースで勝てたことにより、ソウマへの信頼感と敬意を強くする。

本人はそう言っているのだが、はたから見るとそれ以上の想いを抱いているようにしか見えないのだとか。指摘すると、顔を赤くして否定する。

安心沢とは今も交流があり、会うたびにソウマとの関係性についていじられている。なお、満更でもない様子で言葉を濁すだけのよう。卑しいね。

実はソウマの担当内で、一番『うまぴょい』が上手。頭でわかっていても、自分以外の誰かとソウマが『うまぴょい』をするのは、受け入れ難いらしい。なんなら、ホントは自分以外の子と話すのを見ているのだけでも、少し胸がざわつくんだとか。本人は、なんでなのかわかってない。なんでだろうねぇ……。

冷蔵庫の中身を整理したいから、と言い訳をしてソウマへお弁当をよく作ってあげている。明らかに余り物ではない具材にソウマは気付いているが、気遣って何も言わずに胃袋へ入れてくれる。そんなところも結構気に入っているんだとか、なんとか。

 

 

 

 

 

 

トレーナー

 

好井(よしい)ソウマ

 

トレセン学園所属の、いたって普通のトレーナー……だった。本作の主人公。現在、学園内唯一の男性トレーナー。ツーブロックのピシッと固めたショートヘアに髭がトレードマーク。ネイチャにはよく、似合わないから髭は剃れと言われているが、毎回拒否している。年の割には童顔。身長は173cm。

ウマ娘のことを深く敬愛しており、彼女らの目線と自分の目線を同じにして目標を成し遂げてあげたいと、常に考えている。

中々担当が決まらない中で学園内で知り合いになった先輩に、サブトレーナーとして勧誘されたのが彼のトレーナー人生の始まりである。

生きていくうえで、知りもしなかった『うまぴょい』における稀代の天才。知らなかったがゆえに発露されなかったが、その効能は他のトレーナーと一線を画す。簡単に言うなら、今まで自転車しか移動手段がなかった中で、いきなりジェット機が出てきたようなもの。

あまり公にするのはマズイと理事長達に釘を刺されたので、『うまぴょい』自体に良い印象を持っておらず。ウマ娘側から求められて、無理やり実行されることが多い。だが、最近は少し考え方が変わってきた模様。

強引に『うまぴょい』をされる場合においても、生真面目な性格なのでちゃんと最後まで付き合ってくれるのが実は密かに好評で、『とても優しく丁寧』と口を揃えて言われるらしい。……何が?

最近ネイチャとクリークにお弁当を渡されるが、偶にやけに精のつくものが入ってたりして無意味に警戒することがある。どちらが入れているかは、あえて言及しないでおこう。

 

 

 

 

安心沢(あんしんざわ)育功美(いくみ)

 

好井ソウマの後輩。チーム『アルデバラン』という、学園内でも屈指の実力者を率いている敏腕有能トレーナー。成績だけなら、ソウマを余裕で超えている。テイオーのライバル、メジロマックイーンも彼女の担当。

昔の教育ママを思わせる風貌と、誰も使わない謎のあだ名を勝手につけるという様相から、変人に思われている。本人は気ままに生きているだけなので、特に評判については何も思っていない。

根はとても真面目で、ウマ娘のことは自分のことより大事に思ってくれている。笹針師とトップデザイナーの姉が居る。

 

 

桐生院(きりゅういん)(あおい)

 

好井ソウマと同期のトレーナー。相棒のハッピーミークと共に、レースに挑む名家のお嬢様。現在はミークとの関係性にも慣れて、心にも時間にも余裕が出来たため、ダート専門のウマ娘を入れて三人体制でトゥインクル・シリーズに臨んでいる。ただ、ミークはまだしも、もう一人の子とはどこか小さなすれ違いがあるようで……?

 

 

 

ソウマの先輩トレーナー

 

ソウマをサブトレーナーに誘った先輩。髭と結ったウェーブの髪に、常に飴を咥えているのがトレードマーク。担当が中々つかず、悩んでいるソウマをある日自分の過去と重ねたことから、共に歩むことで自信をつけさせるべく、サブトレーナーに任命した。テイオーと担当契約を結んだと聞いた時は、自分のことのように喜んだ。

見た目はズボラで金銭面でも同様だが、最近は愛バのサイレンススズカに財布のひもを握られているので、ちょっとだけ落ち着いている。

デビューから支えてきた絶対的実力者のスズカと共に、もっともっと先の景色を見に行きたいという願望から、トゥインクル・シリーズからドリームトロフィーリーグへ進むことに。今は二人で暮らしており、生活価値観の違いでよく衝突するらしい。その話をソウマに愚痴ると、いつも白い目で見られる。ただの惚気。その日に喧嘩しても、次の朝には仲直りしているからである。なんででしょうね?

 

 

 

 

 

 

『うまぴょい』について

 

ウマ娘の夢を叶えるような素敵な行為。行為らしい。現象でも、事象でもなく。ゆえに、とてもセンシティブな内容なんだとか。知っている者は口にするのも、少し憚られる。

 

終わると、ほどよい疲労感と幸福感を得られる。人間側はちょっと疲労感強めらしい。

『うまぴょい』をしたウマ娘とトレーナーは、一段階能力が引き上げられる。得意でなかった距離が、余裕で走れるようになったり、怪我の予防にも繋がるらしい。怪我を既にしている場合は、都合上出来ないので、するにしても怪我が治癒してからになる。同性同士では効果が弱く、異性の場合は目を疑うような効能が得られる。

上記の内容は、何度も『うまぴょい』をしてじっくり時間をかけて得られるものであるが、類稀な才能をもつ好井ソウマだけは、その通説から逸脱した即効性と連続力を持っている。

 

通常のトレーナー教育、ウマ娘の一般教育内では出てこない単語。知っているのは一部の者のみ。また、調べるにしても情報が碌に載っておらず、知るには実施が一番らしい。

『うまぴょい』をした関係の二人は、『うまだっち』と呼ぶ。また、同じトレーナーが『うまだっち』であることを『はぴはぴダーリン』とも言うらしい。ワケワカンナイヨー!

 

トレーナー側、つまり人間側には存在しないが、ウマ娘側には潜在的に『うまぴょい』をしたいという本能が備わっており、一定の年齢を越えたウマ娘はホルモンバランスからそれを制御できない状態……『うぴうぴ』と呼ばれる状態になってしまうことがある。強烈な意識と意志で押さえつけない限り、自制は不可能。トレーナーが近くに居る時にのみ起こりうるので、例えば街中で一人歩いてて、いきなり『うぴうぴ』することはない。一度『うまぴょい』をすれば『うぴうぴ』はすぐに鎮まる。一定時間経過しても収まるが、ヒトがウマ娘に敵う道理がないので、ウマ娘側が止めてくれない限りは『うぴうぴ』されたら『うまぴょい』は避けられないのである。

 

 

 

……で、『うまぴょい』って何してんの?



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エイシンフラッシュ
第十二話「勧誘、ちょっぴり抜けてる実直ウマ娘!」


「……ふぅ。25分20秒。概ね予定通りですね」

 

汗をタオルで拭い、手元の時計を見ながら黒髪を輝かせるウマ娘。パティシエである父の、その正確で完璧な仕事ぶりを見て育ったが故、几帳面な性格になったらしい。そんな父を支える母を見て、自分もいずれは実家の手伝いをするためトレセン学園には、所謂『最初の3年間』を終えたら通う予定はないのだとか。

余り交友関係は広くなく同室のウマ娘、ウマドル(ウマ娘+アイドル)のスマートファルコンから仕入れた情報なので、正確なのかはわからないが。曰く、10年先までの予定を書き込んである手帳も持っているらしい。……ああ、今開いてるアレがそうなのかな。

 

そんな彼女……エイシンフラッシュは、ターフの上でこちらを見つけると怪訝な顔をしてきた。

 

「……なんでしょうか。スカウトの件は、以前お断りしたはずですが」

 

俺と生徒会長(シンボリルドルフ)の間で企てた、秘密裏の計画。それを実行するためには、人ではない力が必要。物理的な話ね。

スタッフ専門コースの子を頼っても良いのだが、やはり実際に走っているウマ娘の方が良い。純粋にアスリートを目指している以上、身体能力は段違いだから。

 

「断られて、はい。そうですか、っていかないのがトレーナーなんだよ」

 

髭を撫でながら、俺は警戒を解かないフラッシュの方へ歩いていく。ちなみに、普通は一度断るとトレーナーとウマ娘が再コンタクトすることは、ほとんどない。大体は他のトレーナーに取られるから。フラッシュの場合は、選抜レースにも出ているが、中々気の合う人が現れないから一人のままらしい。

 

まあ、それはわからなくもない。彼女は、とても時間を大切にしている。正確さの象徴である数字が、彼女の生きていく上の指標なのだとか。それを守れないような人と、仲良くやっていけるわけがなかろう。

……ホントは別に思い当たる節があるのだけれど。

 

「……休憩時間は3分です。今、2分経過したので、これ以上余計なお話をすることはありません」

「じゃあ、1分以内に終わらせるよ」

 

咳ばらいをして、俺はエイシンフラッシュへもう一度頭を下げた。

 

「頼む。キミの時間を俺に欲しい。共に成長していきたいんだ。絶対に損はさせない」

「……以前と変わらない言葉ですね。時間ですから、もう行きます」

「まあまあ。少し待ってもらえないかな」

「今日はウッドチップコースで、ダッシュ10本。クールダウンに15分のランニング。その後には、17時に予約していたケーキの受け取りがあります。あなたとの会話はスケジュール外です」

 

うんうんと頷きながら、彼女の話を聞いていく。ここまで、オンオフ共に自己スケジュールを管理できているのは本当に凄いと思う。自分の能力を把握しているなら、トレーナー側だって引く手数多だろう。だが、それでも彼女はフリー。友人のスマートファルコンは既にシニアクラスにまで上がっているというのに。

 

理由は、明白だった。彼女のことを少し知れば、それはすぐに目につくから。

 

 

「フラッシュ。今日は何曜日だ?」

「火曜日です。なんなんですか、もう行きますからね?」

「残念だが今日は水曜日だよ。それにキミが行こうとしているケーキ屋。水曜日の営業時間は16時までのはずだが」

「え?」

「あと、ウッドチップコースはタイキシャトルがこの後使う予定になってる。今からぶっ倒れる速度で走れば10本行けるかもしれないが、そうなればクールダウンは15分で済むのかな?」

「……そんなはずは……。あ、時計のカレンダーがズレて……!?」

 

手にしたお気に入りの時計を見ながら青ざめるフラッシュ。

そう。誰もが知っている、彼女をスカウトしない大きな原因!

 

エイシンフラッシュはこんな性格なのにも関わらず……ドジなのだ。

 

自分で何でもやりたがるくせに、結構大事な所を見落とす。さっきも25分20秒を概ね予想通りと言ってたが、本当なら20分で済ませるべき、運動前のアップなはずなのだ。

こんな不安定な子を、誰が引き入れたいと思うだろうか? ……多分、居たには居たんだろうけど。気付かずにスルーしてた可能性が大いにある。

 

「……だ、だからなんなんですか! 私は私の計画通りに動きます!」

「そう自棄にならないの。まったく、話を聞けって」

 

自分の落ち度を指摘され恥ずかしくなったのか、運動による体温上昇ではない顔の赤さで走り去ろうとするフラッシュを、俺は諫める。

彼女の予定内時間1分など、とうに過ぎているが。そんなの問題ない。

 

「コースの利用時間は調整しておいた。全力ダッシュ30本やっても問題ないぐらいにな。ケーキ屋については、スマートファルコンが取りに行って、寮の冷蔵庫に入れておくって言ってたよ」

「え……」

「わかるかい。これがトレーナーとウマ娘の間柄なんだよ」

 

ウマ娘のやりたいことを全力でサポートするのが我々(トレーナー)の務め。俺も手が回らなかったから、という理由が先立つゆえに、スカウトが遅くなったのは申し訳ない限りだが。そんな未熟なエイシンフラッシュを支えてあげたいと思ったんだ。損得の話は後。

 

「私のスケジュール管理が甘いと言いたいわけですか?」

「違う違う。フラッシュ、キミの魅力はその『管理したがるところ』なんだ。自己管理は誰だって大事だし、出来るウマ娘は勝手にやっているけれど。そこに重点を置く子は多くない」

「……」

「純粋にまだ成熟していないだけなんだよ、キミは。俺が支えるから、その能力を伸ばして俺を助けて欲しい。そういうお誘いなんだ」

「……レースのことは、どうでもいいと?」

「キミにとって大事なことって、レースだけか?」

「違います。私は『正しさ』を証明したいだけです。そして、両親に成長した私を見せてあげたい。ウマ娘であるから、その『正しさ』の手段としてレースを選んでいるんです」

「……の、割には担当すらつかないまま、もう夏だよ。時間のまき直しが、そろそろ必要なんじゃないか? メイクデビューする子は、早ければ夏休み明けにはもうしちゃうぞ」

「それは……」

 

彼女もわかってるはずだ。頑固に不器用な今のまま、自分に合うトレーナーに見つけてもらうだけじゃもう遅いって。先生にも言われているはずだ。このままズルズルと無契約期間が過ぎると、下手すれば学園を去らないといけないかもしれない。だからといって、焦って情報も碌にないまま適当なトレーナーと契約すれば、困るのは双方だ。

 

「だから、俺が来た。GⅠ級ウマ娘を3人も抱えるトレーナーが不満なら、もちろん蹴ってくれて構わない」

「……」

「それに。もし嫌になったなら、すぐに申し出てくれ。これは飽くまで、俺自身の問題だから。キミに負担をかけたり、苦労をかけるだけになるなら。その時はキミからでも、俺がそう判断した時でも。絶対不利にならないよう、移籍の調整をするよ」

「随分と甘い定義ですね。それは契約と呼べる代物ですか? ウマ娘を預かる立場として、余りにも軽薄に感じられます」

 

ああ言えばこう言う。この偏屈な所も、他のトレーナーが去っていった理由でもある。だけど、俺は簡単に引き下がるつもりはない。

 

「捉え方の問題だよ、フラッシュ。軽いんじゃなくて、緩めてあるだけだ。俺はどうなっても良いけど、キミの経歴と計画に障害がないようにしてるんだ」

「……」

 

少し考え込むエイシンフラッシュ。厳しい表情のまま、上目遣いでこちらを見た。

 

「なぜ、そこまで私に拘るんですか? 私より、時間やスケジュール管理を得意とするウマ娘は居るはずです。私でなくても、問題はないように思えますが」

 

それを言われると、確かにそうかもしれない。探せば居るだろうが。俺だって、安直に選んだんじゃない。他に、フラッシュを選ぼうとした理由があるなら、それは……。

 

「走ってるキミの姿に、目を惹かれた……からかな?」

「……え?」

「スパートに入ってから、ただ真っすぐ前を向いて。己の限界を見極めているからこそ、自信を持って走る姿が、とても綺麗だと思ったんだ」

「……」

「まあ、いつもタイミングがブレブレで、ゴール前にスタミナ切れしてるのが玉に瑕なんだけど」

「私を褒めてるのか貶してるのか、どっちなんですか!?」

 

小粋なジョークを受け止めきれない初々しさと生真面目さも、フラッシュの魅力だ。弁明をしてから、改めて尋ねてみる。

 

「どうかな。物は試しだ。スケジュール管理の観点でもいい。レースの観点でもいい。一度、ちゃんと教えてくれる人の下で、トレーニングをしてみないか」

 

エイシンフラッシュは再び考え込む仕草をした。途中で一度呼びかけてみるが、反応はなく。無視されているのかと思ったが、単に声が届かないほど自問自答しているだけのようだ。

カラスが二鳴きほどしてるのを、地上から見上げていると、視界の下方からようやく声が返ってきた。

 

「私の予定に、あなたは居ません。ですが、現状考えうるメリットとデメリットを秤にかけるなら……お話、受けたいと思います」

「おお! そうか!」

「ですが、あなた自身が仰ったように、少しでも嫌悪感を覚えたり道を違えたと感じた場合は、すぐに契約解消させていただきます。構いませんか」

「わかった。それでいいよ」

 

言葉を聞くと、少しだけ硬かった表情が解れた。そのままピシッとした姿勢で、小さくお辞儀をしながら言う。

 

「……では。改めて。エイシンフラッシュです。よろしくお願いします」

「よろしくな、フラッシュ」

 

それから。

俺とフラッシュは一緒に夏合宿のスケジュール管理を作成することにした。本来の目的は俺自身に関してだが、いかんせん今の彼女にいきなりは難しいだろう。トレーナーとウマ娘とでは、勝手も違う。なので、まずはチームメンバーと自身の予定立ててもらった。

 

「テイオーさんの初日のメニューは、このようなものでいかがでしょうか」

「どれどれ~? …………え、キツすぎない? こんな詰め込むの?」

「テイオーさんの次走は秋の天皇賞とお伺いしました。東京レース場芝2000mで、確実に勝利するためには、スタミナ、スピードの観点から、このぐらいは必要不可欠……とトレーナーさんからのお達しもありましたので、私なりにディストリビューションしたのですが」

「でぃすと……? じゃなくって! 最終日までみっちりトレーニングじゃん! ボク、合宿の最後はトレーナーとお祭り行くって言ってたでしょ?」

「あ……。そうでした。すみません、すぐに訂正します」

「もー! 息抜きのない合宿なんて、絶対ムリムリ! フラッシュだって、嫌じゃないの?」

「私は構いませんが……」

「えぇ~……うっそぉ……」

 

クリークとネイチャのスケジュールを作りながら、トレーナー室でそんなやり取りを耳にする。ある程度の内容は伝えていたが、まだ他人の管理は難しいか。

 

「ごめんな、テイオー。フラッシュ。それはこっちでやるから。フラッシュはまず、自分の予定を作ってみてくれないか?」

「いえ。課題を途中で投げ出すわけにはいきません。最後までやらせてください」

「……わかった。じゃあ、一緒にやろう」

 

レースに出るウマ娘は、本来自分のことだけ考えていればいい。それなのに、彼女は嫌な顔を一つもせず懸命に俺の取り組みに協力してくれた。時に眉間に皺を寄せながら、冷房の効いた部屋なのに脂汗を流しながら、必死に考えてリスケジュールをする。

 

「やっぱり凄いな、キミは」

 

時間は、既に門限ギリギリ。流石のテイオー達も、もう寮へ帰っている。外泊許可は出してないので、今日はここまでだろう。

最後まで自分の持参したノートと、今日やったことの復習を続けるエイシンフラッシュへ。冷たい飲み物を渡しながら、素直に感じた称賛の言葉を投げかけた。

 

「何がですか?」

 

真意が伝わっていないことに驚きながら、俺は続ける。

 

「その熱心さだよ。レースと同等……下手すれば、それ以上に入れ込んでやってるじゃないか。それも、こんな遅くまで。途中でキリをつけても良かったのに。正直、想像していたよりずっと意識が高くてビックリしたよ」

 

意味を理解すると、フラッシュはノートを机に置いて伏し目がちに答えた。

 

「……実は、結構ショックだったんです」

 

自信なさげに紡がれる言葉は、彼女の純粋な想いだった。

 

「私は私なりに、常に正しくある両親を見て……それに憧れて、時間を管理することを覚えました。ですが、本当のプロの考え方、予定の組み方を知って驚愕したんです。私のやってきたことは、子どもの遊びだったのだと」

 

時たま抜けがあるのは、一つのことに集中しがちな性格がゆえのもの。それを払拭するために、予定立てを行い、沿って行動するつもりだったのに。根本的な部分が変わっていないせいで、結局スケジュールの通りにいかず、いつもタイムテーブルが瓦解するらしい。修正を試みようとしても、ところてん式に問題がずれていくだけなので、休みの日を削ったりしてるんだとか。

シュンとする姿を見て、俺は前から感じていたことを伝えてみた。

 

「……フラッシュ。実は思っていたことがあるんだけど」

「はい?」

「キミの予定の立て方は、本当に上手に出来ているんだ。でも、大事なものが欠けている」

「なんでしょうか」

「余裕、だよ」

「余裕……つまり、バッファがないということですか?」

「例えば、さっきのテイオーの予定表だけど。トレーニングの内容は完璧だ。でも、その他の部分がキツすぎる。移動時間なんて、ほら。全速力で移動しないと、次の場所へ間に合わないだろ?」

「効率を求めるのであれば、不要な部分を削るのは当然だと思うのですが。走ることでトレーニングと併用することもできます」

「不要な部分じゃないよ。移動時間も、休憩時間も、食事や睡眠。それらも大事な時間だ。もちろん、健康面にも関係するけど。それ以上に、今回はせっかくの合宿なんだから、たまには羽を伸ばす時間があっても良いんじゃないかな」

 

一人で動くのではなく、みんなで動くのだ。移動中にくだらないゲームをしてもいい。休憩時間に、やけに値段の張る海の家でアイスを買ったって良い。食事中に、最近見た動画の話をしたっていい。お風呂で尻尾の洗いっこしたって良いんだ。

キミ達は立派なアスリートだけど。それ以前に、学生なんだから。もっと青春を謳歌しても良いんだよ。

 

「……追い込みをかけるのは、無駄だと?」

「じゃなくて。締めるところは締めて、力を抜くところは、ちゃんと抜くように。ってこと。俺だって、365日24時間ウマ娘のこと考えているわけじゃないんだぜ。そうだな。一日の中なら、三分の二ぐらいかな」

「他は何を?」

「寝てる!」

「……ふふ。それなら、四六時中考えているのと同じじゃないですか」

 

ようやく、フラッシュが笑ってくれた。余裕がないのは、予定表だけじゃない。彼女自身もだ。

想定したデビューの次期が過ぎ、友達は既に最前線で走っている。焦らないわけがない。結果的に、ちゃんと予定を組む力があるにも関わらず、欠点が浮き彫りになり、トレーナーからは目をかけてもらえない。泥沼にハマりかけていたのだ。

肩の力を抜くことを覚えれば、きっとフラッシュは俺にとって大事な役割を担うウマ娘になってくれるはずだ。

それを、この合宿で心技体の全て鍛え上げて、本物にしよう。寮までフラッシュを見送りながら、俺はそう誓った。



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第十三話「成長、これが管理するということ!」

「次の信号を右です。その後、564m進んでから交差点を左折してください」

「おっけー。……おっとぉ、間違えちゃった」

「なっ……!?」

「悪い悪い。急いで、ルート再検索してくれる?」

「絶対わざとですよね、トレーナーさん?」

「いやいや。ミスぐらい誰だってあるもんだよ。ほら、早くしないと。どんどん山奥行っちゃうぞ?」

「もう……。ええと……。次の小道を斜め右に曲がってください。それから……」

 

合宿当日の朝。今までは俺の自家用車で通っていたが、今年は人数も多いのでワンボックスカーをレンタルしての出向だ。隣にエイシンフラッシュを乗せ、広い後部座席ではテイオー達が遊んでいる。シートベルトはしっかりするんだぞ、テイオー。お前だけだからな、こういう注意をしないといけないのは。

 

「移動時間ぐらい、ゆっくりすればいいのにね~」

「良いんじゃない? 本人がやりたがってるわけだし」

「辛かったら、いつでも代わりますからね~」

「お気遣いありがとうございます。」

 

後方から仲間たちが声をかける。真剣な様子で生返事をしながら、必死にスマホを弄って今の状況を確認する様子が、視界の端から伺えた。

 

ちなみに、俺も他の皆と同じ意見を出発前に思ってたのだが…。まだ傘下に入って日も浅く、何を話していいかわからないらしく。ナビゲーターとして助手席を希望したいと提案されたのだ。管理トレーニングの兼用も出来るし、と。

 

本来は交友関係を深めて欲しいが為の移動時間なんだけど……。と言ったのだが、ちょっと涙目になっていたので、今回ばかりは折れてあげた。不器用だなぁ、この子。そういえば、あんま友達も多くないってスマートファルコンも言ってたっけ。まあ、追々でいいか。

 

 

走ること数時間。昼前にはなんとか見慣れた宿泊施設街に到着。学園が所持している宿は、それぞれグレード分けがされている。先輩がいた頃は、スズカさんとクリークの戦績のおかげで、まあまあ良い補助を得られていた。今も、テイオーが復活したこと、ネイチャの初G1制覇とあって、上級と言っていいぐらいの立派な和風旅館に泊まれることとなった。

 

 

 

「よーし。じゃあ、荷物置いたらすぐ練習始めるからなー」

「具体的には30分後に、着替えを持参して浜辺に集合です。この場合『すぐ』という言葉はやや不適切かと。」

「こ、こまけえことは良いんだよ!」

「よくありません。指導者ならば、正しい言葉と指示をお願いします。では、29分37秒後に。」

 

ピシャリと言い放ち、フラッシュは自分の部屋へ入っていった。もしかすると、移動中のことを怒っているのか……? 急なスケジュール変更に対応できるような練習のつもりだったんだけど……。

 

「トレーナー、嫌われちゃってんの~。ぷぷ~!」

 

一部始終を見ていたテイオーが、にやけながら俺に追撃してくる。肩を落とす俺の頭に、優しく温かい手が添えられた。

 

「後でちゃんと仲直りするんですよ~?」

「どうみても自業自得ですしね~」

 

ネイチャの追撃を背に受けつつ、クリークに礼を述べてから俺は自室へと向かうこととした。部屋は二人部屋を用意していて、テイオーとネイチャ。クリークとフラッシュといった具合だ。俺は一人用の少し離れた角部屋だ。いくら担当の子達といえ、男女は流石に別じゃないとな。

……ちなみに、予約直前まで俺はテイオーと同室になっていた。ギリギリで気付けて良かったけど……。あいつ、どうやって俺のパソコンのパスワード突破しやがったんだ。

 

ちょっとした怪奇現象に悶々としながら、俺は定刻通り(正確には18秒の遅刻と言われた)に浜辺へ到着した。みんな学園指定水着に着替えて、アップも完了しているらしい。

中でも一人だけ。エイシンフラッシュだけは、手にストップウォッチと防水カバーのついたタブレットを持っている。俺のサポートが目的でもあるが、何より彼女はまだデビューすらしていないウマ娘。基礎的な能力が、3人に比べると圧倒的に足りていない。まずは見学してもらい、そこからちょっとずつ慣れていってもらうことにしたのである。

 

 

「よーし、いいぞテイオー! 次はインターバル走だ! フラッシュ、タイム計測頼むぞ」

「はい。」

「クリークとネイチャはタイヤ引きだ! アンクルウェイトもつけとけよ!」

「はぁ~い」

「はい、ネイチャちゃんの分ですよ~」

 

クリークが涼し気な顔をして手渡す、足につける重り。数字は一つで俺の体重に近いぐらいのものだが、ネイチャも当たり前の様に装着していた。おお、足が砂浜にめり込んでる。

準備の間に、クリークはt単位の巨大なトラックタイヤを運んでいた。改めて思うけど、ウマ娘ってホントとんでもない超人だよなぁ……。

といっても、ここまで高負荷なトレーニングはシニア級の子にしかできないだろう。本格化して、体つきはそれなりに整っているとは思うが……筋力量や、そもそもの経験値の無さから怪我をしてしまう可能性が高い。

特に俺の場合、テイオーやスズカさんを見てきたからケガに関しては特に厳しく監視している。

 

「……」

 

だから、ここは心を鬼にすると決めた。道中のことは謝罪済みで、お互いもう気にしていない。だから、意地悪とかじゃないんだ。ストップウォッチを手に、フラッシュが皆の練習を眺めている姿を見ながら俺はそう思う。

最初は計測も上手く出来ていなかった。それは彼女のドジな属性のためではなく……単に、GⅠ制覇者たちの走りを間近で見たことによる羨望が原因だ。

目を輝かせ、時折口元に手を当てて驚き、前のめりになるようにして強者達の走りを見ている。

 

『凄い……。これが、最前線を行くウマ娘の走り方なんだ……。いずれ私も……!』

 

ドイツ語で何かを言っているが、俺が知っているのはKugelschreiber(ボールペン)ぐらいだから、漏れた呟きは理解できない。けど、なんとなく心情は察せる。

 

「フラッシュ、ちょっと併走してみるか?」

 

そんな子供が新しい玩具を手にした時のような表情をされて、俺はもう自制できなかった。ウマ娘である以上、フラッシュも走りたい欲求があるはずだ。負荷をかけない、普通のダッシュなら問題なかろう。

 

「……いえ。私は私の責務を全うしますので、お構いなく。」

「3本目のラップタイム、15秒じゃなくて10秒だよ」

「え? あ……。」

 

記録の打ち間違いをするほど集中できてないなら、もういっそまとめてトレーニングをしてしまえば良い。

3人の中で比較的無茶をさせる心配のない、スーパークリークを呼び寄せると俺は併走を依頼した。

 

「あら~。良いですよ~。よろしくお願いしますね、フラッシュちゃん」

「ですが、私のトレーニング予定は午後からになっているのですが……。クリークさんの予定も狂ってしまいますし。」

 

フラッシュの予定は自分で立ててもらった。その上で俺が添削し、これで行こうとOKを出した。

にも拘らず、いきなり初日から変更をされては、彼女も堪ったものではないのかもしれない。

だから、俺はハッキリと伝えてあげた。これから、フラッシュが何度もぶち当たるであろう壁の乗り越え方を。

 

「クリークについては、明日のダッシュトレーニングを今日の分に持ってくる。タイヤ引きはテイオーも予定してるから、一緒にやれば準備時間や効率は落ちたりしない。

キミは午前中にここで10本ダッシュを済ませる。午後の分は座学に回そう。そうすれば、夕方から夜にかけての予定が前倒しになるからフリータイムが出来るな? その間に、リスケジュールをしよう。俺も体を空けておくからさ。それで良いかな?」

 

ぽかんとした顔で話を聞いていたが、途中から我に返り、自分用のノートに今言ったことを書き起こしていく黒髪の少女。話し終えてから少し間を置き、文面をなぞるように視線が何度か動いた後、こちらを青い瞳が捉えた。

 

「……なるほど。それなら、心身ともに余裕ができますね。」

「予定を流れる時間に任せるんじゃなくて、一つ一つをタスク化して常に入れ替えが出来るようにすれば、まき直しも簡単だろう? トレーニングの場合なら、負荷率を考えて総合的に想定した数値と同じになれば、それでいいと思うしさ」

「……わかりました。」

 

今までは、遅れたり予定変更があったら、その日のうちに立て直すようにしてたんだっけな。そうすると、削ってはいけないはずの休憩時間や睡眠時間が減ってしまう。それを次の日にもちこし、疲労が溜まりパフォーマンスが維持できず、体調を崩す。実直ゆえに陥りがちな傾向だ。

先の予定を考えすぎているからこそ、それに縛られ過ぎている。だから、最終的な着地点を決めて収まるように調整をすれば、結果的には問題ないはずなんだ。

……まあ、将来的に就きたいというパテシエの仕事として考えると、それは通用しないのかもしれないけど……。代用案とタスク管理の仕方を覚える、ってのは無駄になることはないだろう。

 

「では、行ってきます。」

 

パタンとノートを閉じると、フラッシュはミリ単位で切り揃えられた尻尾をなびかせて、所定の位置へ走っていく。その後ろをすぐにクリークが追いかけるかと思ったのだが。ふとたちどまると、頬に手を当てたままこちらを振り向いた。

 

「どうした?」

「いえ~。トレーナーさん、なんだか……」

「え? なに? なんか付いてる? 服後ろ前とか?」

「いえ~。ズボンのポケットが出てるだけですよ~。そうじゃなくって……指示の仕方とかが、前よりハッキリしてきたと言うか……。うぅん……何と言えばいいか……」

 

少し考えて、はみ出したポケットを戻してもらいながら、俺は思いついた言葉を口にする。

 

「有能っぽくなった?」

「……言葉を選ばなければ、そうですね~」

「ははは。ありがとう。まあ、俺だって成長ぐらいするよ。なんだかんだ、トレーナー歴も長くなってきたしな」

「……ええ、とっても良いことだと思います~」

 

少しだけ何か違和感を覚える返事を聞きながら、俺は待っているフラッシュの下へ向かうよう再度お願いをした。

なんか変わったのかな、俺も。褒められたし、良いことなんだろうけれど。

 

浮かれ気分はそこまで。クリークの軽く流すアップについていけずに肩を落とす姿や、全力ダッシュで更に力の差を感じて落ち込みかける姿のエイシンフラッシュを、なんとかケアしながら、その日のトレーニングは終えることにした。

 

 

 

 

・・・。

 

 

【トレーナー、部屋に居るぅ~?】

「ああ、居るぞ」

【じゃ、入るねー】

「せめて返事を聞けよ!!」

 

スマホを耳から離しながら、俺は当然のように自室へ入って来たテイオーへ叫んだ。いつものことじゃん、と からから笑いながら寝間着姿で入ってくるが、俺の前方に視線を移すとピタリと止まった。

 

「あれ、フラッシュもいたんだ」

「はい。明日のスケジュール確認をしたくて、付き合って頂いてるんです。」

「悪いなテイオー。ってわけで、取り込み中だ」

 

旅館によくある、窓際の対面スペースで資料を開きながら俺とフラッシュは、今日のことをまとめていたのだ。俺と遊ぶ気満々だったテイオーは、口をとがらせながら不服そうに言う。

 

「え~? もう自由時間なのに、勿体ないじゃん。ちょっとぐらい遊ぼうよ~」

「子どもじゃないんだから、わがまま言うなよ」

「中等部は子どもでぇーす!」

「……いえ問題ありません。トレーナーさん、後15分でアジェンダの再設定を終わらせましょう。そうすれば、就寝時刻まで1時間は余裕が取れます。その間に、テイオーさんと息抜きをしてはいかがでしょうか。」

「おっ」

 

さっそくタスク管理が出来るようになっていて感心した。どこを縮めれば、どこでバッファが出来るのかを理解し始めている。それもしわ寄せの出来る行動計画ではなく、純粋に『急げば問題ない』と自己の力を踏まえたうえでの発言だ。だが、既に想定していた内容と現実には乖離が起きている。これを15分で整えるには、それなりに労力と才能が必要だが……。揺るがない真っすぐな目をみて、俺も腕まくりをしながら応えることとした。

 

「よし。じゃ、一気に終わらせるぞ」

「はい、お願いします。」

「……」

 

普段なら、ここでもう一回ぐらいテイオーが何か茶々を入れてくるのだが。珍しく黙ったままだったので、ちらりと視線を座敷の方に向けると、テレビをつけながらスマホを触っていた。どっちかにしないと脳みそ疲れるらしいから、やめておけよ。

 

と、声をかけられる状態になるまで15分ピッタシ。明日の起床時間から就寝時間までの、みんなの行動表 改訂版が完成した。思わず顔をあげると、フラッシュも同じように驚いたような顔をしていた。

 

「で、出来ましたね。」

「ああ、完璧だ。よくやったな!」

「……!」

 

喜びを噛みしめながら頬を緩ませるフラッシュを見て、俺は自分の選択に間違いがなかったことを再認識する。やりたいこと、やれるようになるって嬉しいよな。

 

「よっし。テイオー、こっちは片付いたぞ。なにするんだ?」

「トレーナーの元カノの話」

「俺に一時間も妄想を語れと?」

「なんだ、トレーナーなのに彼女居たことないんだ?」

「とっ、トレーナーであることと関係ねえだろ! ほっといてくれよ! 自分で言ってて悲しくなるだろうが!!」

「ふぅん。……へへ。まあいいや。こっち来てゲームしようよ。ネイチャとクリークも呼んだからさ」

「……ったく。一時間だけだぞ。……なあ、フラッシュ?」

「はい!」

 

そんなことを言っておきながら、結局4人も集まってパーティゲームをすれば、一時間で熱が収まるわけはなく。5分伸びるたびに、怒られてしまい予定時間の30分後にようやく収まりがついた。だけど、俺達の間に本気で怒っている人は誰もおらず、ただただ楽しい空間を作れたことは本当に幸せなことだったと思う。

 

 

 

「クリークさん、次は坂路ダッシュ5本いきましょう。終了後15分の休憩を挟んだのち、室内でトレーナーさんと座学に移ってください。」

「はぁ~い」

「ごめーん、フラッシュさん。潮の流れが強くって、ちょっと戻ってくるの遅れちゃった」

「遠泳はブレの多いトレーニングですから、想定内です。次のエアロバイクの時間を20分削減すれば、負荷は同率ですから問題ありません。シャワーを10分で済ませて頂けるならスケジュールに狂いは出ませんよ。」

「りょーかーい」

 

「……」

 

合宿後半のこと。俺は感動で涙を零しそうになっていた。

失敗もしてたし、その度に俺に相談もしてくれた。秋のメイクデビュー戦に向けて、自分の調整もあるのに。それでも、フラッシュは文句を言わずに付いてきてくれた。

その結果、何も言わず予定のズレも完璧に適応できるようになってくれた。元々の素質はあったのだから、当然ではあるのだけれど……それでも、これは彼女が辛抱強く、信じる道を貫いてくれたおかげだ。

 

「凄いねー、フラッシュ。もうトレーナー居なくても良いんじゃないの~?」

「俺もそう思う」

「じゃあさ、今から抜け出してボクとどこか遠い所に行かない?」

「せっかくの海だしな。ダイビングとかするか?」

「え~? もっとロマンチックなことしようよぉ~。砂浜で追いかけっことかさぁ!」

「いや、俺お前に追いつけねえよ」

「えっ、追いつけるならやってくれるの!?」

「さあ、どうだかな」

「あ、じゃあ、ボクが捕まえてあげる♡ それならいいよね?」

「テイオーさん。休憩は5分前に終わってますよ。早く練習に戻ってください。具体的には10秒後です。さもなければ、昼のおやつ時間を削ることになりますが。」

「うぇ!? ホント、トレーナーよりよっぽどスパルタだよぉ。ちょっとぐらい良いでしょ~?」

「あと4秒。」

「わかったわかった! 今から行くからぁ~~!」

 

会話を聞いていたフラッシュが呆れた顔でテイオーを諌めた。渋々言うことに従い、名残惜しそうに俺の側から離れていく。

 

「まったく。テイオーさんだけ、いつも言うことを聞いてくれませんね。」

「ああいうやつだからな。でも、上手にコントロール出来てるよ。さすがだ」

「……ありがとうございます。」

 

先ほどまでテイオーが居た場所に来ていたフラッシュは、ほんのり頬を染めながら俺の賛辞を受け取る。忘れかけていたが、この子もまだ学生なんだ。厳格で粛々とした態度から、どうにも無縁にも思えたが、どこにでもいる普通の子供と同じ。庇護欲に任せて、ついみんなにもするように黒鹿毛の頭に手を伸ばし、軽く撫でてしまった。

 

「!」

「あ、悪い!」

 

反射的に手から離れ、頭部を押さえてしまうフラッシュ。仲良くなったつもりだったけど、流石に距離の縮め方を間違ったかな。それでも、思ったよりも強めに拒絶された気がして、意気消沈しながら重ねて謝罪をする。

 

「いえ……すみません。突然だったので、驚いてしまっただけです。」

 

その割には顔は先ほどから赤いままだし、頭に手は当てたままだし……。そんな怒らなくても良いじゃないか。俺だって、ちょっとはヘコむぞ。

 

「……おっと。フラッシュ、そろそろ時間だな。練習、行けるか?」

 

気を取り直して、俺は確認した。

みんなの行動の割り振りが終わったので、次は彼女のトレーニングだ。ようやく気分も落ち着いたのか、深呼吸をしたのちに、首を縦に振ってくれた。

準備運動を念入りに、想定した10分の間にじんわりと汗がにじみ出るまでストレッチや整理運動をしていく。時間きっかりで終えると、インターバルトレーニングを始めた。

こちらからの指示は出さない。合図も送らない。フラッシュ自身が持っている時計、物理的なものではなく彼女の中にある体内時計(サーカディアンリズム)を基準に、どれぐらいのペースで走れば効率が良く出来るのか、全て一任してあるからだ。俺はそれを記録に残すだけ。

 

真っすぐ前を見ながら、走り出す彼女はとても美しかった。指導を始めた頃の、理想と現実のギャップに苛まれていたウマ娘はもういない。少し背中を押してあげただけで、ここまでの成果をあげられるのは多分、俺にもフラッシュにも予想外だったに違いない。

そして、その予想外に対する予定のまき直しも既に彼女から提案として受け取っている。心配事など、もうなにもなかった。

唯一あるとすれば、時折その愚直にすら思える憧憬への姿勢に目を奪われて、記録取りが疎かになりかけたことぐらいかな。はい、俺が悪いだけです。

 

クリークが予定通りに坂路ダッシュを終えて、俺の下へ戻って来た。休憩を挟んで、午後からは室内で、スポーツ傷害の予防などの講習だ。クリーク自身は、まだまだ現役のウマ娘であるけれど最近はそういうのにも興味が出てきたらしい。ネイチャもテイオーも、割かし怪我しやすい体質だから嬉しい限りだけど。……ああ、でも二人とも『うまぴょい』してるし、そこまで心配いらないのかな。

 

改めて、『うまぴょい』が常軌を逸した行為だと俺は再認識する。ケガの予防にもなる、トレーニング効果を絶大に引き上げる、距離適性を伸ばす……。普通じゃ考えられないもんな。

 

「……どうかしましたか、トレーナーさん?」

 

肩を弾ませたフラッシュが、既定の時間に戻って来た。変わらず純粋に夢へ向かって進んでいくこの子も、他のウマ娘達に対しても。諦めることなく、ずっと走り続けて欲しい。

その為に、俺にはエイシンフラッシュが必要なのだ。そして今はもう、充分に実力を備えてくれているだろう。

 

ならば……!

 

「……あのさ、フラッシュ。話があるんだけど……」

「? なんでしょうか。」

 

スケジュールに支障がない時間を選び、俺は大事な話を持ち掛けた。それはこの合宿における最大のイベント……になると思う。俺の予想が間違っていなければ、だが。

そして、フラッシュに対してもそれこそが最も過酷な課題になるかもしれない。だけど、信じてみようと思う。

……彼女が、俺をちゃんと信用してくれていれば、だけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

「はー、お祭り楽しかったね、ネイチャ」

「そだねー」

 

部屋に戻り、手荷物を置くや否やテイオーは敷きっぱなしにしてあった布団へ飛び込む。リラックスし、今日のことを思い返しながら、シーツの上でゴロゴロしていると静かに窓辺に佇む背に気付いた。

 

「……? どしたの?」

「ん? ああ、いや。別に、なんでも」

 

一通りのカリキュラムが終わり、それぞれが秋からのレースに向けてみっちりと鍛錬できた。トレーナーの手腕だけでなく、共に管理体制を布いてくれるウマ娘が加わったことによりその効率は更に上昇。

テイオーは秋の天皇賞へ、ネイチャは毎日王冠へ。お互い、勝利を掴むに値する練習が出来たと自負している。

 

他に、何か心残りでもあるのだろうか。

なんだか寂し気な背中を見ていると、テイオーはふと思いついたことを、ちょっと意地悪な風に口にした。

 

「はは~ん。ネイチャ、もしかしてトレーナーと思い出作りしたかったの~?」

「は、はぁ!? 何言ってんのテイオー!? そそ、そんなわけないじゃん!」

 

冗談めかして言ったつもりだったが、想定よりも強い照れ隠しが返ってきたので思わずたじろぐ。まさか、とは思っていたけれど図星だったようだ。どもりながら振り返った顔は、薄紅色に染まっていた。

 

「……テイオーはさ、不安になったりしないの?」

 

慌てた反応で、誤魔化せなくなったと判断したネイチャは再び窓の方へ顔を向けながら問う。

 

「なにが?」

「トレーナーさん……色んなウマ娘に手を出してるじゃん」

「たしかに、最近はそうだね」

 

ソウマにとっては、基本的に襲われた側なので言い方に語弊があるが、この場に居ない以上否定できるものが誰もいない。事実として会話が進んでいく。

 

「……いつか、本当にどっか行っちゃったりしないかな……」

「……」

「あはは。な、なーんてね。冗談冗談。ささ、ちゃっちゃとお風呂に入って寝よっか! 明日で帰るんだしさ」

「ネイチャ、ホントにトレーナーのこと好きだね」

「すっ!? な、なな何言っちゃってんのテイオーさん!? そ、そそそそういうんじゃないんですけど!?」

「まー、トレーナー優しいし、ボク達のことをすっごく尊重してくれるからさ。人当たりの良さで心配になる気持ちもわからなくないよ」

 

でも、と続ける。

 

「トレーナーは、ボク達のことを置いて勝手にどっかに行ったりしない。それだけは絶対だって言える」

「……テイオー……」

 

レースに挑むときのような、熱く真っすぐな眼。ネイチャには埋められない、分かち合えない、苦楽を共にしてきた二人の絆。

信頼のおける言葉が嬉しかった半面、嫉妬の熱が心を駆け巡る。

ライバルでもあるが、友人でもある鹿毛のウマ娘の、微細な心情の動きを察知したテイオー。

 

仕方なさそうに立ち上がると、窓の反射越しに目を見つめて口を開く。

 

「……そんな不安ならさ。あれ、やっちゃう?」

「あれ?」

 

 

 

「決まってんじゃん。『うまぽい』(※)だよ」

「う……『うまぽい』!?」

 

 

 

思わず振り向いて、恐々尋ねるナイスネイチャに対して、トウカイテイオーは不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※夜間に相手の下を訪れて行う『うまぴょい』のこと。主にウマ娘側から実行する場合に使われる一般用語。……一般?



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第十四話「急襲、トレーナーに迫る二人のGⅠウマ娘!」

音を立てずに部屋を出る二人。鍵をかけ、冷房の効いた廊下をそろりそろりと歩いていく。

防音性の優れた宿ではあるが、不用意に気配を晒してはいけない。同じタイミングで散開した、クリークとフラッシュの室内からは物音は全く聞こえず、既に寝ていると推測できる。二人とも、管理やお世話で疲れているに違いない。

戸に耳を当てていたテイオーが、そんな室内の様子を確認すると後方でやや不安げにしているナイスネイチャへ合図を送った。忍び足で、高級な木製素材の床が音を立てないように歩いていく。

誘われるがままに前を行くテイオーの背中が止まった。そこは角部屋の扉の前。部屋番号は好井ソウマが一人で泊まっている部屋だった。

 

「テイオー、鍵持ってるの?」

 

取っ手に手を掛ける前に、ネイチャが疑問に思ったことを聞いた。対し、まるで当然かのような表情でテイオーは返す。

 

「持ってないけど?」

「え? じゃあ、どうやって……」

 

小さく驚くネイチャを気にも留めず、テイオーはゆっくりドアノブを回した。抵抗なくシリンダーが回り、手前に僅かに引くと室内の様子が覗けるほどまで戸は開いた。チェーンはかかってない。

 

「トレーナー、昔からそうなんだよ。なんっかい言っても、鍵閉め忘れるんだよね。昨日はちゃんとしてたんだけどさ」

「えぇ~……不用心すぎるでしょ……。大事な書類とかあるんじゃないの?」

「だから、こうして偶に巡回してあげてるんだよ」

 

なるほど、と納得しかけたが、それはそれでいいのか? と常識的な疑問がネイチャの頭の中に浮かぶ。だが、悪気を微塵も感じられない口ぶりに正常な判断が出来ず、そのまま躊躇なく抜き足で進む小さな背中を追うことになった。

部屋の灯りは既になく、エアコンの届かない玄関先は鬱陶しい暑さで満たされていた。旅館内のみでの利用を限定されているスリッパを、音もなく脱いでから黒に染まる障子に手を掛けた。

摩擦音よりも、自分(ネイチャ)の中で高鳴る心臓の音のほうがうるさく感じるほど、ゆっくりゆっくり戸をスライドさせていく。

冷風が身体を撫でていき、トレーナーのいる室内からはエアコンが送風する音のみ流れてきた。

 

広い畳張りの和室の真ん中に、寂し気に膨らむ寝具が一つ。頭まですっぽりと身体を覆っている掛け布団の主は、一人しか居まい。

テイオーがちらりとネイチャを見て、いたずらっぽく笑いながら頷いた。

本当にそれでいいのか、ナイスネイチャはゴクリと喉を鳴らしてから、それでも己の願望に今は素直になろうと同じように首を縦に動かした。

 

膨らみを覆う布に向けて、テイオーが頬を綻ばせながら手を伸ばしていく。これから行う『うまぽい』のことを思い、口角が自然と上がっていく。

その様子を、ドキドキしながらネイチャが眺めていると。

 

ふいに、テイオーの手が止まった。

 

「?」

 

どうしたのだろう、と首を傾げ小声で尋ねようとしたときだった。

 

「……まさか!」

 

テイオーは、素早く布団を捲り上げると、スマホを取り出してライトを点けながら中身を検めた。

 

そこに横たわっていたのは、トレーナーではなく。同質の布。丸い筒のような形にしてあるだけの簡素な擬態だ。

 

「ど、どういうこと?」

 

状況が理解できず、ナイスネイチャは押さえることをやめた普通の声量で聞いた。

トレーナーが居ないこと。まるで、騙す様に置かれていた布団のセット。なにがなんだかわからず、頭を抱える一方、テイオーはライトで周囲の様子を探っていた。

何かを思い出して、スマホの画面を操作すると小さく舌打ちをする。それから再び辺りを伺った。

 

「……浴衣はある。書類や財布は金庫かな……? ネイチャ、玄関にトレーナーの靴ある?」

「え? ちょっと待ってよ…………。あれ。無いね」

「……」

 

口元に手を当てながら、次の行動へ移る。人が入れそうなタンスを開けてみると、中にはトレーナースーツだけが乱雑に並んでいた。押し入れも検めるが、虚空しか詰まっていない。

 

「隠れているわけじゃないか……」

「ねえ、テイオー。これ、どーいうことなの?」

「……うん。多分だけど……。……!」

「? どしたの?」

 

未だ混乱しているネイチャと対照的に、テイオーは厳しい顔をする。それから、何度か匂いを嗅ぐように息を吸った。元をたどっていくと、先ほどの簀巻きにされた布団に到着した。原因を探るように、クンクンと鼻を鳴らすと……小さく声を漏らした。

 

「……この残り香……フラッシュだ」

「フラッシュさん? てか、なんでわかんの……?」

「……ははーん、そっか。そういうことかぁ……。トレーナー!」

 

全てを理解したテイオーが、部屋の外に視線をやる。悔しそうに歯を食いしばると、ネイチャに向かって鋭く指示を出した。

 

「ネイチャ、着替えるよ。トレーナーは外だ!」

「外? でも、鍵開いてたし……エアコンもついてるから、すぐ戻ってくるんじゃない?」

「それは囮。ボクにはわかるんだ。トレーナーが、今何をしているのか!」

「??」

 

動かないネイチャの腕を引いて、テイオーはトレーナーの部屋を後にする。柳眉を逆立てた目線の先は、月明かりに照らされる夏の夜。動きやすいジャージに着替え、蹄鉄のついたシューズを履くと一目散に飛び出していった。

 

 

 

 

 

 

「と、言う風に……テイオー達が、追ってくると……思うんだ!」

「本当なんでしょうか……。」

 

街灯に照らされる道を、小走りで駆けながら俺はフラッシュに状況を説明した。ウマ娘の速度にはついていけないので、かなり遅い移動だがそれでも逃げなくては、俺はきっと『うまぴょい』させられることだろう。

 

こうなることはわかっていた。あのテイオーが、このまま何もなく合宿を終えるはずがない。去年は、先輩と同部屋だったから良かったものの、今回は違う。多分だけど、ネイチャも一緒に連れて俺の部屋を今頃捜索しているんじゃないだろうか。

信号に差し掛かったのでスマホを取り出して、アプリを開いてみる。相手の位置がわかるGPSアプリだ。旅館の敷地内で光っていたテイオーを示す丸が、動き出すのを確認できた。テイオーも同じことに気付いたのか、印はすぐに消失。俺も急いで自分の位置情報が消えているのを再確認してから、スマホをポケットに戻した。

 

「やっぱり、追って来たぞ。ここからは、キミの実力次第だ。頼むよ、フラッシュ!」

「……はい。」

 

 

 

――――。

 

と、返事だけは肯定的にしたのは良いが。私は正直、今の状況に困惑していた。

 

話があるから、と言われた時はどんな題目を持ちかけられるのだろうと期待と不安が半々だったのだけれど。まさか、『最終日の夜に、二人に追われる自分を逃がして欲しい』なんて荒唐無稽なことを頼まれるとは思ってもみなかった。

本音を言うなら、未だに信じ切れてはいないが。トレーナーさんは冗談は言っても、嘘を吐く人ではない。短くとも指導をしてもらった中で、その人となりは理解できている。担当ウマ娘の方々が慕っているのが、何よりの証拠だ。

 

「しかし、何故私なんですか?」

「さっきも言ったけど……。俺がテイオーの考えてることがわかるように、テイオーも俺の考えてることがわかるはずなんだ。だから、俺じゃない思考で脱出経路を考えてくれれば、無事に逃げ切れるんじゃないかな、って思ってさ」

「確かに、そうかもしれませんが……。」

「ネイチャも賢い子だけど、フラッシュのようなスケジュール管理をするようトレーニングはしてきていない。周囲の状況を読めるようになったキミなら、彼女らの上をいけるはずなんだ」

 

ここまで私に信頼を置けるこの人が、不思議で仕方ない。

確かに、拙いスケジュール能力を底上げしてもらった。思うように回らなかった予定を、修正できるように鍛えてもらった。レースでの成績を上げるため、私たちウマ娘の勝利への渇望を現実にするため、トレーナーは日々身を粉にして働いている。それはバッジをつけている人、誰もが同じことを思っているはずだろう。

だけど、私のこの管理能力については飽くまで自己満足の話だ。レースだけじゃない、もっと先のプライベートの領域に入り込む、私自身のわがままな志向を、嫌な顔一つせず支えてくれた。同じミスをしても笑って教え直してくれたし、上手にできた時は心の底から喜んでくれた。

本人は、まだまだ未熟なトレーナーだと言うけれど。私にとっては、十分だ。

 

「わかりました。任せてください。」

 

トレーナーさんは不安を誤魔化す時、よく無理に笑顔を作る。倣って私も微笑んでみせた。

動きながら、状況をまず整理することに努める。

 

 

最終目標は、トレーナーさんを『共同宿泊施設』のトレーナー部屋へ送り届けること。

私たちの利用している旅館から、そう離れていない位置にある古い旅館。担当不在者やチーム未所属者、個別で施設を借りられる戦績のないチーム等が使う、学園直営の宿。急な訪問者用に、空き部屋がいくつも用意されているので、そこで一晩明かして朝には元の旅館に戻る……までが、今回のミッションらしい。トレーナー専用棟、さらには周囲の目も多いそこならば安心できるのは間違いない。

 

「……」

 

周辺の地図は頭に入っている。スマホを開きながらの移動は前方不注意になるうえ、周囲の状況把握にロスが生まれるので、しない。

動きながら私は、まずルートの検索をした。宿泊施設は海から離れていない、丘の上に位置している。そこへの道は、大きく分けて三つ。

大通りから入る、正面口のルート。海沿いを伝って、急こう配を上るルート。森林地域を抜けるルート。

 

まず正面口の方は、最も遠回りになってしまうので除外。長距離になると、純粋に足の勝負になる。小道を駆使しても、あちらは二人。挟み撃ちになったら、逃げるのは難しい。

 

海沿いのルートは、砂浜を通り抜けてから、山道のような坂を越えなくてはならない。その分、距離は短くて済むが、疲労は一番大きくなるだろう。

 

森林地域を抜けるルートは、距離的には一直線なので一番近いのだけれど……。街灯もまともに設置されていないので、純粋に危険が多い。

 

「はぁ……はぁ……」

 

何より、追手のお二人に加えてトレーナーさんの動きも考慮しなくてはならない。私たちウマ娘と違い、ヒトの走る速度はかなり劣る。普段から鍛えている、とは言っているけれど……それでも、我々とは体のつくりから違うので、差がつくのは歴然だ。現に、ウォームアップ程度の小走りをしている私に、トレーナーさんは息も絶え絶えで付いてきている。

 

先にこの問題を解決しなくては、逃走劇は成立しない。車を使えばすぐ済む……と思っていたのだけれど。道路の移動だと、動線が限定されて先回りされる可能性もある。また、いざ走って逃げる選択をした際にレンタカーをその辺に置いていくのは、人様の物を借りている身として許されることではない。と、実直さの溢れる答えで先制されたので、私も同意した。

ならば、方法は一つしかない。歩みを止めると、トレーナーさんも膝に手をついてアスファルトに汗滲みを作りながら呼吸を整え始めた。

 

「トレーナーさん、提案があります。」

「な、なに?」

 

浅い呼吸とかすれた声に対して私は指を立てながら、了承を得るべく問うた。

 

「いくら綿密な予測行動を取ったとしても、ヒトがウマ娘に敵うわけがありません。発見された場合、すぐさま追いつかれてしまうでしょう。」

「……そう、だね」

「ですので、トレーナーさん。あなたを抱えて走る、というのはいかがでしょうか?」

 

普段の加重トレーニングに比べれば、成人男性一人なんて問題はない。注意するとすれば、事故をおこさないようにするぐらいだろう。私はともかくトレーナーさんの安全を確保できる保証はない。それを込みで尋ねると、目をパチパチさせてから問い返された。

 

「俺は良いけど……フラッシュは、それでいいのか?」

「? 質問の意味がわかりません。私が許可を求めているのですが……?」

「いや、前にその……頭撫でたら、怒ったからさ。触わられたりするの、嫌いだと思ってた」

「ちっ、違います! あれは、突然だったから驚いただけと言ったじゃありませんか!」

 

恥ずかしいことを思い出させてくれる人だ。スキンシップ程度、私でなくても誰だってしている。いきなり、脈絡もなくやってこられるから心の準備が出来ず慌ててしまうだけ。こうして、一度断りを入れれば何の問題もない。

 

「ああ、ホントにそうだったんだ。ごめんごめん。……じゃあ、お願いしていいかな」

「……ふぅ。はい、お任せください。」

 

体調やメンタル面に関して、結構敏感な人だと思ってたけれど……意外と鈍いところがあるのかもしれない。乱れた呼吸と脈を整えるため、胸に手を当てて深く息を吐く。

それから、淡々とした仕草で私はトレーナーさんを抱き上げた。膝を裏から支え、背中から腕にかけて手を通して、しっかり固定する。

いくらウマ娘相手とはいえ、少し緊張しているのか。きょとんとした顔のトレーナーさんを見下ろしながら、再度確認を取る。

 

「さあ、行きますよ。」

「ま、待って待って! フラッシュさん!? これ、素でやってる!?」

「なんですか? 早くしないと、お二人に見つかってしまいますよ?」

「それもそうだけど! 抱き方!!」

「何か問題が?」

「問題だらけだよ!? これ、お姫様だっこじゃん!! 普通に、背負ってくれませんか!?」

「…………」

 

 

 

ゆっくりとトレーナーさんを下ろす。数歩進んでから、私はもう一度胸に手をあてて深呼吸した。

 

 

 

 

……やってしまった。

 

 

確かに、抱えると言ったけれど。これはお父さんがお母さんに、よくするやり方だった。反射的に、トレーナーさんを運ぶなら、これしかないと思ってしまっていた。何故だろうか。

とにかく、仰るようにこれは特別な間柄の者がすることが多いのが通説。私とトレーナーさんに、それが当てはまるわけがない。そうに決まっている。顔が熱いし、鼓動が早いのは恥をかいたから。ただそれだけだ。

 

「……フラッシュ……?」

「すみません。ドイツではこの方法が主流だったもので。」

「あ、ああ。なるほど。そっかぁ。ドイツでは、そうなんだ……」

「はい。そうなんです。」

「…………そうなんだね」

 

母国を盾にする言い訳に胸が痛むばかりだが、今一つ誤魔化せてない気もする。だけど、今は目的を果たすのが先決だ。

背を向けて、私はしゃがみ込む。合図をすると、ゆっくりとトレーナーさんは私に体重を預けた。

 

改めて思ったけれど、予想よりもトレーナーさんは全然軽い。これならば、問題なく走れそうだ。

後はルートの設定さえ行えば良いだけ。

現状で、最も効率的なのはどこだろう。加えて、テイオーさんの思考も読まなくてはならない。

様々なシミュレートをしてみるが、いまいち決め手に欠ける。ならば、私がすることは一つ。

 

「トレーナーさん、テイオーさんから見て私はどのように映っていると思いますか?」

 

人に聞いて、助力を得る。独りよがりで、周りも上手く見えてなかった私に行く先を教えてくれた、トレーナーさんとの連携。これしかない。

 

「そうだな……。凄く真面目で、厳しいウマ娘。自分にも他人にも妥協を許さない、実直な精神を持つ子だと思われているんじゃないかな。ただ、テイオーは結構第一印象を大事にするから……まだ、キミに不器用さを感じているとは思う」

「なる、ほど……。」

 

テイオーさんからの視界について聞いたのに、まるで直接褒められたみたいでむずかゆい思いをする。

雑念を振りほどき、その意見を参考に私は逃走ルートを設定した。

 

「では、『中途半端』で行きましょう。現状使える、二つのルート……海岸沿いに向かいつつ、森林地帯にも行ける道をまず進みます。何か動きがあれば、どちらにでも対応可能なように。」

「わかった。頼むよ」

 

疑いを知らないかのような視線を背にし、私は動き出す。ウマ娘用の道路を走りながら、時折歩道に入り小路を進んだりして『実直で不器用な私』を隠すような不規則なルートを進んでいった。

その中で、どうしても疑問に思っていたことを私は口にしてみる。

 

「ところで、トレーナーさん。」

「ん?」

「お二人に追われる……と表現していましたけれど。具体的には、どのようなことなのですか? 何か、怒られるようなことでもしたのでしょうか?」

 

言葉の意味をそのまま受け取るならば、危害を加えられてしまうような不始末をした……と言う意味になるはずだが。

それなら、しっかり謝罪をすれば誠意を認められて許されるはずだろう。この人ならば。

私の質問に対し、トレーナーさんは口ごもった。何かバツの悪そうに、声を漏らしながら悩んでいる。言葉を選ぼうとしている様子が、見なくても伝わる。

 

「……そうだな。うん。いつかは話すことだもんな」

 

そして、ぼそりと呟くと少しだけ私の肩にかけた手を強く握りしめて、言った。

 

「二人からは多分……また『うまぴょい』をさせられるんだと思う」

「……は? 今、なんと?」

「だからその……『うまぴょい』……です」

「……!」

「どわぁああああ!? き、急ブレーキはやめてぇえええ!!」

 

アスファルトを削ってしまいそうなほど、靴が地面と激しく摩擦を起こし私の身体は止まる。慣性でトレーナーさんが吹き飛びそうになるが、しっかり押さえているので心配はいらない。

問題はそこじゃない。そんなことではない。

 

「トレーナーさん、冗談に付き合わせるぐらいならば、私は休息を取りたいのですが。」

「冗談でここまでしないって!」

「……で、では。なんですか、あの方々とトレーナーさんは……う、『うまだっち』なんですか!?」

「……あ、フラッシュは知ってるヒトなんだ」

「話をそらさないでください!」

 

いきなりの発言に、思考回路が追い付いていない。疲労ではなく、興奮により肩で息をしてしまっている。体温の上昇も、それが原因だろう。

首を後ろに向けると、先ほどの衝撃で少し青くなっているけれど。嘘をついてない、真っすぐな眼と視線が衝突した。

 

「ごめんごめん。それなら、話が早いから助かるってだけなんだ」

「……私はトレーナーさんが誰と何をしようと勝手と思ってますが。余計なことに巻き込まれるような事態はお断りです。」

 

言いながら、呆れた私は背に込めた力を緩めて身体を屈める。しかし、トレーナーさんは接地するどころか、すがるように掴んでいる肩を更に強く握りしめた。

 

「違うんだ、フラッシュ。タイミングを逃していただけで……その、ちゃんと話すつもりだったんだ」

「話せば理解を得られると? そんなことの為に、私をスカウトしたんですか?」

 

冷たい口調になってしまうが、自業自得だ。要するに、トレーナーとして関係のない部分でこの人は私を求めていたんだ。

レースのこととか、私の将来のこととか。真剣に考えてくれていると思ったのだけれど。結局は、自分の行いに対する後始末ができないから。そのしわ寄せを、私に押し付けるつもりだったんだ。

 

「……だから違うんだよ、フラッシュ。俺には俺の考え方があって……。順序だてて、キミに伝えるつもりだったんだ」

「問題を後回しにしていただけで、都合の良いように利用していただけなんじゃないですか?」

「……そうかもしれない。でも、これはキミ達ウマ娘全員に関わることなんだ。俺と、シンボリルドルフ会長とで内々にだけど話した計画があって。

 それを成就するために、エイシンフラッシュというウマ娘が絶対必要だったんだよ」

 

ほら、体の良いことを言っておきながら、やっぱり自己の欲望の為だ。私のことなんて、これっぽっちも……。

 

「……」

 

悔しくて零れそうな涙を堪えていると、トレーナーさんは当てていた手を解き、背中から降りた。

そして、今度は正面にしっかり向き合い、変わらない表情で私を見つめた。

 

「ごめんな。大義名分の為とか言って、キミの気持ちを考えていなかった。それを最初に伝えたうえで、同意を得るべきだったね。本当に申し訳ない」

 

大の大人が、教え子でもあるウマ娘に対して真摯に頭を下げている。

その行為に何も感じないわけではない。私も私なりに、トレーナーさんを見てきたから。

本当に、ただの通過点として私を引き取ったにしては、余りにも遠回りだ。

遅くまで、スケジュール管理について付き合ってくれる必要もない。練習メニューを個別で作ってくれたりしなくても良い。失敗を繰り返す私を見限って、別の子に行っても良かったんだ。

 

だけど、この人はしなかった。

あんなに、優しく嬉しそうに。私の成長を見て、頭を撫でたりなんて絶対しないはずだ。

 

「全容を聞きたいなら、今すぐ話すよ。まだ俺を信じてくれているなら、だけど……」

「……!」

 

ふいに視線が、トレーナーさんの後方に移った。

 

そこには、私たちのいる場所とは反対方向に走っていくネイチャさんが居た。

道路を挟んだ向こう側。声をあげれば、すぐ気づくだろう。私……いや、トレーナーさんを探しているのは本当だったんだ。

 

ここで、ネイチャさんに受け渡してしまえば、この話は終わりに出来る。

 

道を違えたり、嫌悪感を覚えたのならば私たちは他人となれるよう約束してある。

適用できる環境は、今ここに整っている。

 

 

……だけど。

 

それで本当に良いのだろうか。

 

胸の鼓動が、うるさいほど聞こえてくる。

 

遠くのネイチャさんが立ち止まった。キョロキョロと辺りを伺いながら、走っている。

待っていても、見つかるのは時間の問題だろう。

 

「フラッシュ?」

 

私の様子がおかしいのに気付いて、トレーナーさんが心配そうに顔色をうかがってきた。

 

そんな表情をされても、私の気持ちは変わらない。

 

「……。」

 

 

だから、私は……。

 

私は……!!

 

 

 

すぅ、と息を吸い込んだ。



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第十五話「苦悶、揺れ動くフラッシュの下した決断!」

(ホントにこっちで合ってるのかなぁ……)

 

時速60kmほどで道路を駆けながらネイチャは疑問を浮かべる。テイオーが言うには、目的地は『共同宿泊施設』とのこと。

そのルートの設定は、トレーナーではなくエイシンフラッシュがしているであろうこと。トレーナーのことならば大概のことはわかるけれど、フラッシュの場合は別。読み切れないなら、出来るだけ早く目的地に向かいつつ、探索しながら手分けして進もう、と提案された。

 

はっきりとはわからないけれど、選ぶならどちらかのルートのはず。海沿いか大通りか。森林地帯はトレーナーの安全を考えると、自ら狙っていかないだろう。

というわけで、テイオーは大通り側から。ネイチャは海辺に向かって走り出したわけである。

 

そもそも、本当に逃げ出したのかすら確証が持てない。だが、長らく苦楽を共にした担当ウマ娘が冗談ではない様子で言うのだから、きっと真実なのだろう。トレーナーと連絡が取れないのも、信憑性を高くしている。

自分には決して見えない、二人だけの強いつながりにネイチャは軽く嫉妬をした。自分だって、トレーナーと合意の上で『うまぴょい』をしている、特別な存在……のはずなのに。

悶々とする気分の中、アスファルトを蹴って風を切りネイチャは走る。時折スマホで位置情報を確認して、テイオーの言う予測ルートを潰していくようにしていた。

 

「……ん?」

 

ふと、通りを曲がったところでネイチャの耳に、会話が聞こえてきたような気がした。

夜も遅く、時折車が通りがかる程度の人気のなさ。街灯と遠くに鳴る虫の音に、潮騒が加わった以外に変化はなかった。

なので、彼女はその異音に敏感になっていたのだ。反射的にその方向へ振り返る。

 

……だが、そこには何も居なかった。

 

信号の色が赤から青になったこと以外の動きはない。気のせいだったか、と首を傾げるとネイチャは再び走り出したのだった。

 

 

 

 

 

 

「……行ったか?」

「はい。もう通常の声量で会話をしても問題ないかと。」

 

屈んだまま、建物の影から私は暗がりの先を見つめた。走り去る音も残さず、真っすぐ揺れる鹿毛の尻尾が闇に消えていく。声を押し殺した質問に対し、普段と同じように返事をした。

 

「ふぅ。よかった。ありがとう、フラッシュ。気付いてくれて」

「いえ……。」

 

胸をなでおろすトレーナーさんの顔をまともに見れなかった。

さっきまで、私はこの人が望むことと反対の行為をしようと葛藤していたのだ。ばつの悪さが目立ち、中々視線を上にあげられない。

 

「しかし、もうここまで来ていたなんてな。テイオーの初動が早いのもあったけど……回り込み方が的確だ。それに、あの方向に行ったということは……」

「海沿いのルートは難しそうですね。ネイチャさんが引き返してきた場合、障害物となる物がほとんどありません。見つけられてしまった場合、まず機動性の問題で捕まってしまいます。」

「だな。動きながらでいいから、抜け道を探してみようか」

「わかりました。」

 

 

……本当は。

あの時、ネイチャさんに向かって声をかけようとした。あなたの探している人は、ここにいますよ。と口に出せば良かった。実際、その為に湿る空気を一吸いした。

だけど、言葉を発するに足る覚悟が私には……なかった。

 

私を道具と見ていたであろうトレーナーさんのことなんて、どうだって良いと思ったのに。

脳裏に浮かんでくるのは、いつだって楽しそうなこの人の顔。いっつも誰かに振り回されてるのに、嫌な顔一つしない。ウマ娘(私たち)の為なら、自分のことなんて後回し。自分の幸せより、他人の幸せを第一に考えられる、聖人のような生き方をした真面目で実直な方。

 

騙したりしないはずだ。陥れたりしないはずだ。

 

言葉が足りないことなんて、誰だってある。トレーナーさんが私のことを信じてくれているのに。私がトレーナーさんのことを信じてあげられないなんて、担当される身として失格だ。

少なくとも、好井ソウマというトレーナーは。自己欲の為だけに、私たちと笑って過ごすような人間ではないはずなんだ。

 

確証もない、ふわふわしたものを信じるなんて私らしくもない。だけど、今はそれを惟うのが私にとって『正しいこと』だと、断言できる。

 

私が背を向けて腰を下ろすと、トレーナーさんは再び背に乗った。手の平から伝わる緊張と体温に、少しでも応えてあげたい。

 

「トレーナーさん。」

「うん?」

「事情については、後程きちんと話して頂きます。その為の時間を確保するべく……目的地まで、後30分以内に到着しましょう。助力して頂けると、少しはバッファが取れると思いますので、どうか。」

「……ああ。わかった。頼むよ、フラッシュ」

 

振りほどかれないように、トレーナーさんが強く私の肩を握った。ウマ娘からすると、余りに弱々しく頼りのない力。落とさないように、壊さないように。私は絶妙な加減をしながら、背に抱える腕の力を強くした。

 

 

 

 

 

「そうだ、フラッシュ。先に言っておこうと思うんだけど」

「はい、なんでしょうか。」

 

走り進めている最中、トレーナーさんが周囲の様子を伺いながら口を開く。振動で舌を噛んでしまうので、あまり喋らないように言いつけていたのだけれど……。逆に言えば、それぐらい火急の用ということになる。

 

「ホテルに戻る選択肢は除外しておこう」

「……理由は。」

「俺がそう思ったからだ。テイオーに読まれている可能性がある。俺達の状況と身軽な彼女らのことを考慮するなら、そもそもこの脱出劇は『一度も見つからない』ことが最優先事項になる」

「待ち伏せされていた場合、逃げ場がない。ということですね?」

「そういうこと」

 

確かに、目的地に向かって進むならば『まだ到達していない』という可能性が十分にありうるけれど。元来た道に戻る場合は、『既に待ち構えている』という状況が発生することもあるだろう。リスクを考えるなら、私も一瞬よぎった『ホテルに一度帰る』行為は作戦に入れない方がいい。

 

「では、私からも一つ、よろしいですか。」

「うん」

「ネイチャさんとテイオーさんは、きっと連絡を取り合いながら移動していると思われます。」

「だろうね」

「先ほどネイチャさんが、海岸沿いのルートへ。そして、テイオーさんは大通り側から攻めている……と予想されているのですよね?」

「距離は長くとも、テイオーの足なら大通り方面を走ってるのは間違いないと思う。それで?」

「となると、私たちに残されたルートは一つ。森林地帯のみです。」

 

危険性が最も高い道を選ばざるを得なくなったことへの了承と……もう一つ、懸念していることを伝えてみる。

 

「ネイチャさんに、気付かれた場合の問題です。」

「? 見つからないことが前提だろう?」

「いえ、そういうわけではなく……。こちらはネイチャさんの動向はわかっていますが、あちらはまだ未知。ですが、逆に……どこかでネイチャさんが『私たちを追い抜かした』ことに気付いた場合、どうすると思います?」

「…………下手すりゃ挟み撃ちか!」

 

短く返事をしながら、脂汗を横に流していく。

これから入る、鬱蒼とした森は視覚的にもかなり移動難易度の高い場所であるが……何より、整備された道が一つしかない。ハイキング用のルートなので、無駄に分散する必要がないのもあるけれど……。

けもの道を行くのは、あまりにリスクが高い。であれば、私の出来ることは一つ。

察知されるより前に、道を進んで抜けるしかなくなる。

テイオーさんの足なら、先に宿泊施設に着く方を選ぶかもしれない。そこで待ち伏せをする……というのも、どうやらトレーナーさんは否定してきた。

 

「あいつ、絶対この追いかけっこを楽しんでるはずだから。ここまで来て待ち受けることは選ばないと思う。探しに来るよ、必ず。」

 

となれば、どのタイミングで、どのように気付かれるのか。もう運しかない。不確かな物に縋るのは、本当に不本意だけれど。それしか確証がないのなら、進むべきだ。

 

周囲の建物が少しずつ無くなっていき。舗装された道が、簡単に均されただけの土へと変わっていく。風切り音に、割って入ってくるほどの虫の合唱が鳴り響いてきた。

節電の為か予算の都合か、先ほどまで等間隔に並んでいた街灯が、心もとない数になっていく。一つ灯りを過ぎると、目線の先には蛍程度の小さな光しか見えなくなる。

 

その離れ小島のような灯りを過ぎると、後は本当に暗闇しかなかった。私たちウマ娘は、夜でも比較的視界に苦労はしない方だけど、人間であるトレーナーさんは違う。

これから、車ほどの速度で入る森林地帯は、ハイキングコースとはいえ木々が生い茂っている。ふいに現れる枝葉もあるだろうし、この時期なら突如襲来する昆虫も居るだろう。

 

「トレーナーさん、気を付けてくださいね。」

「ああ。任せたよ」

 

私が言えるのはこれだけだった。姿勢を出来るだけ低くしてもらい、私の身体の影から出来るだけはみ出さないようにする。トレーナーさんの体格だと、どうしても難しいことだが。しないよりはマシだ。

まるで密着するかのような体勢だけれど、この際四の五の言ってられない。

 

足音に抜け落ちた広葉樹が混じるのを実感しながら、私は祈りつつコースの入り口へと駆け出した。

 

 

 

 

・・・。

 

 

共同宿泊施設は、丘の上にある。大通り側からならばほぼ平地だが、海岸からだと急な坂……というより、ほとんど崖に近い道を進むことになる。

ちょうどその合間の森林ルートは、急でなくともそれなりに勾配のある道を走っていかなくてはならない。トレーニングにも使われることがあるくらい、身体的負担は大きい道だ。

 

そこを、私は人間一人を抱えながら登っていた。時間帯によっては、足元に設置された石灯篭が視界を確保してくれるのだけれど、今は管轄時間外なのかただのオブジェと化している。

夜目が利くにしても、本当ならばライトの一つでも照らしながら進みたい所。だけど、自分たちの居場所を知らせる行為はできない。

険しくはあっても、道自体は綺麗なものだから変に動いたりしなければ足を取られることもないはず。

 

潮騒の音が聞こえなくなる代わりに、虫の音が大合唱を奏でている。風切り音の合間を突き抜けるほどの鈴虫やコオロギの鳴き声が耳に届く。数分前までは、文明の存在を感じられる場所に居たのに、今やすっかり原始に還ったかのよう。

砂利を踏みしめ、背にかかる重みを離さないように、集中して私は進んでいく。距離としては、もう半分くらい登り切っただろうか。

 

追手の気配はない。このまま行けば再び街道へ入れるだろう。そうなれば、分岐の選択肢も増える。安全性も高まれば、この不可思議な逃走劇にも終わりが見えてくるはず。

ようやく見えてきた終点に、気分が高まる。何事も、計画を立てて目標を見据え、それを達成すべく邁進するのは楽しい。気分の高揚と共に、力強く駆けだそうと踏み込んだ時だった。

 

「フラッシュ、待って!」

 

トレーナーさんが小さな声で静止を促した。きゅっと肩に力を入れられたことで、反射的に私は足を止める。慣性が働く中、土煙を上げながら踏ん張りつつ、衝撃を背に流さないようにやや前かがみの姿勢で、制動は果たされた。

 

「どうしました?」

「……マズイ」

 

視線を後ろに動かすと、スマホを見つめているトレーナーさんの表情がぼんやりと映った。こんな暗がりで使うと、蛍のように自分の居場所を知られることになってしまうはずだけれど。

それを諫めるより先に、焦った語気とディスプレイの光だけでもわかる白い顔が現状の凄惨さを表している。

 

「テイオーが、もう近くまで来ているぞ……!」

 

連絡を取り合ってるなら、もしかすると位置情報の設定を再びオンにしているかもしれない。そう思って開いた地図アプリだったが、まさかの事態を知らせることとなったらしい。

テイオーさんの居場所は確かに表示されている。それも、おそらく既に森林地帯に入ってきているみたいだ。

動き方が、自分たちのものとは違う……道ではなく、雑木林の中を突き進むような動きだ。本来なら、ぐるりと回りこんでハイキングルートに入るところ、道なき道を走ることでショートカットしている。

 

「……」

 

急いでスマホをしまってもらい、居場所を少しでも隠蔽するよう努める。

しかし、このまま進めばどこかで鉢合うかもしれない。なにより、あちらは身軽な上に長距離も物ともしないGⅠ級ウマ娘。私の体力、末脚では太刀打ちできないだろう。なにより、テイオーさんは下りで私は登り。背中に抱えた重しも踏まえるなら、逃げ切ることは不可能。やはり、見つからないことを最優先事項として動かないとダメだ。

 

でも。……でも。

 

ネイチャさんが迫ってきていたら。テイオーさんに発見されてしまったら。どう逃げる、どう躱す?

様々なパターンを脳内で処理していくが、どれも現実的ではない。結局のところ、近くまで接近を許してしまった時点で詰みなのだ。

今のところ、起こりうる可能性が最も高いのは、テイオーさんに見つかること。時点で引き返し、ネイチャさんが居ないことを祈り別ルートへ抜け出すこと。

 

ダメだ。こんな藁にもすがる思いで、何かを実行に移すなんて私らしくもない。

私が私らしくあるのであれば。

 

それは、最も可能性の高いものに身を委ねること。

 

つまり……もう、諦めればよい。

 

「!?」

 

私は脱力し、ゆっくりと背のトレーナーさんを地に下ろした。

動揺する仕草を見ながら、向き合い、告げる。

 

「すみません、トレーナーさん。どうやら、ここまでのようです。」

「……フラッシュ」

 

深くお辞儀をして、謝罪した。力の及ばないことは心から反省している。バカげた逃走劇について、思うことがないことはないけれど。それでも、要望に応えられなかったことは自分の責任だ。

 

「下ってくるテイオーさんから逃げることは難しいと思われます。引き返した先にネイチャさんが居れば、回避は不可能。地の利を取られた時点で、私たちの敗北は必至だったのですね」

 

誠心誠意でもって不備を認める。期待に沿えなかったことは申し訳ないが、どうしようもないのだから……。

 

「フラッシュ。まだだよ」

「え?」

 

仕方ない、と言ってくれると思った。トレーナーさんだって、今の状況は理解しているはずだ。

だけど、それでも。

トレーナーさんは私の縮こまった肩に手を置きながら、小さな声で励ますように言った。

 

「確かに、不利なことに変わりはない。でも、まだ終わってないじゃないか。決着もつかないないうちに、諦めちゃダメだよ」

「ですが……。」

「先のことを予想して、色々なパターンを考えたうえで結論づけたのはわかってるよ。立派に成長してくれたからこそ、そう言ったんだよな。フラッシュの成長が見られて、俺も本当に嬉しいよ」

 

真っすぐな瞳を向けたまま、私の落ち込んだ視線を捕まえるように続ける。

 

「でも。終わる前から諦めるのだけはダメだ。それだけはしちゃいけない。こんなふざけた出来事に付き合わせてるのは悪いと思うけど……。それでも、俺は。最後の最後まで、ウマ娘(キミ)達に諦めて欲しくない」

「……」

「レースだって、これからの人生だって同じだ。後のことが見えるから不安になるのはわかる。だけど……だからって、その場で立ち止まっちゃいけないんだ。キミ達は……フラッシュは、ウマ娘なんだから。ゴール板を駆け抜けるまで、絶対に下を向くな!」

「トレーナーさん……」

「……それにさ。もし、今回ダメでも、次があるから。次がダメでも、その次がある。いつか必ず、望んだ結果を手に入れられるよう、俺が傍にいるから。苦しさも悲しみも全部、俺も一緒に受け止めて。絶対もう一度笑えるように、前を向かせる。だから、そのためにも……今、ここで自棄(やけ)になるのだけはやめてくれ」

 

……服の上からでもわかる。気温ではなく、緊張でじっとり濡れた手の汗を感じながら、私はその言葉を受け止める。

確かに、なまじ考え方や管理の仕方がわかってきてしまったからといって。結末を迎えることなく、結論づけるのは弱気が過ぎる。言うように、これからも強者と競っていくのならば……絶対にやってはいけないことだった。

 

ああ、本当にトレーナーとウマ娘は信頼関係で繋がっているんだ。

この人が、ここまで私に言うのなら。届くと信じているからなのだろう。不必要な言葉は伝えないはずだから。

 

それなら……。私も。

 

 

「すみませんでした。仰るように、少々見切りをつけるのが早すぎました。」

 

状況に何も変わりはないけれど。自分を信じてくれる人の気持ちぐらい、私だって汲んであげたい。求められている期待に応え、私が私であることを証明したい。

 

「私も、持てる力を出し切ってみます。」

「……ありがとう、フラッシュ」

 

優しい言葉を背に、私は考え込む。

抗うことに決めたとはいえ、現状に変わりはない。テイオーさんが時期に、こちらの方へ来ることは間違いないだろう。

うっかり通り過ぎることに期待する……。いや、そんな及び腰ではいけない。

ネイチャさんの追走の可能性もあるなら……。

 

ふと、何か案がないかトレーナーさんを見上げた。

暗がりでも、やや緊張しつつ無理に不安にさせないよう笑顔を作って首を傾げているのが見えた。

 

「……あ。」

「?」

 

そっか。あった。

一縷の望みであることに変わりはないかもしれないけど。最も現状を打破できる可能性の高い道が。

 

「トレーナーさん、こちらへ。」

「うん?」

「しっかり口を閉じていてくださいね。」

「え、あ。は、いぃっ!?」

 

驚きの声をあげるトレーナーさんの姿勢を崩す。

今度は意図的に横抱きをして、私は素早く行動に移った。



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第十六話「終結、長い夜の脱走劇。そして明かされるソウマの計画!」

――――――――見つけた。

 

 

思わず頬が緩んだ。ポニーテールを靡かせながら、体温を放熱するための汗すら置き去りに、トウカイテイオーは坂道を下る。

ゴツゴツとした足元に不安がないわけではないけれど。暗がりの中であろうと、彼女は己が欲を満たすべく走っていく。かつての怪我に怯える少女はもう居ない。それは、既にトレーナーとの『うまぴょい』で克服された欠点だから。

当然、捻ったりすれば痛めることもあるだろうが、それを補えるほどの筋力もつけてきた。この合宿の成果が、なだらかでない道を力強く駆けられているという事実に現れていた。

 

暗闇の遠く遠くの向こう側。木々の隙間から見えた、ウマ娘の影。

こんな時間に、こんな所に居るヒトは限られている。『うまぽい』を察知されたのは予想外だったけれど。いくらフラッシュを使おうとも、長らく共にいた経験から、ある程度の行動予測はつく。

ネイチャを先に沿岸部へ向かわせ、自分は大通り方面から進めば、どこかで挟み撃ちに出来るはずだ。

足の速さに関して、エイシンフラッシュとそこまで大きく差があるわけではないけれど。それでも、人間一人と共に行動するのであれば、絶対に自分たちより鈍る。なにより、あちらは警戒しながら進まないといけない。場合によっては遠回りや停止を余儀なくされるだろう。

 

そこまで見越したうえで、テイオーは既に一度宿泊施設を訪れていた。そして、名簿に好井ソウマの名がまだ無いことも確認した。

であれば、することは一つ。見つけて、掴まえる。網にかかるのを待っているより、自らの手で取りに行く方がずっと楽しい。

ある日の練習中に言っていた、「追いかけっこをしたい」という願望がこんな形で実現するのは思いもよらなかったが。ワクワクしているのも本当だ。避けられいるような気にもなっているが……今は気にしないでおこう。

 

そんな思いを施設の玄関に置き去りにしてから数刻後、テイオーは遂に目的の相手を見つけられたのだった。

高揚する気持ちを必死に抑えながら、徐々にスピードを落とす。走っているウマ娘同士が全速力でぶつかれば、事故にしかならないから。

興奮していても、そんな冷静な判断が出来るのが彼女の強み。これから起こることに歓喜しつつ、テイオーは、弾んだ声を発しながら抱き着いた。

 

「トレーナー、つっかまーえたー♡」

「うぉわぁあ!? ちょ、ちょっとテイオー!?」

 

だが甘えた声を浴びた相手は、エイシンフラッシュでも好井ソウマでもなく。同じ目的を持って、彼女と共に挟撃するように走っていたはずの、ナイスネイチャだった。テイオーを受け止めると、ダンスのようにくるくると遠心力で勢いを殺し、そのまま着地させた。

 

「あれ? ネイチャじゃん」

「あー、ビックリしたー。テイオーこそ、もうこんなとこまで来てたんだ。……というか、今の、トレーナーさんにするつもりだったの?」

「え? そうだよ?」

「……はは。アンタのその大胆さ、アタシも見習った方がいいのかな……」

「ネイチャはネイチャのままでいいと思うな。……けどおっかしいなぁ、絶対トレーナーとフラッシュだと思ったんだけど」

「アンタ、上から下ってきたんだよね? こっちからは、誰も来てなかったよ」

「えー!? うーん……ネイチャが海沿いから引き返してきたなら、すれ違ってないはずないんだけどなぁ」

「まー、こんな暗がりの中じゃあねえ。見逃してる可能性も十分あると思うけど?」

「それもそうだけどさ……。ん? なにか言った?」

「え? ううん、何も言ってないよ」

「…………まさか、思ったよりフラッシュが早くて。先に迂回されて、施設行っちゃったかな……」

「どうだろ。もうホテル戻ってるとかも、あり得るんじゃない?」

「あー、もー! せっかく追い詰めたと思ったのにぃ! ネイチャ、もっかい探そ!」

「えー? まあ付き合うけどさ。もういい時間なのも忘れないでくださいよー。アタシ、朝は温泉入ってから帰りたいんだからさ。あんま遅くなると、起きられなくなるじゃん」

「ちょっとちょっと! ネイチャはトレーナーとホテルの温泉、どっちが大事なのさ!」

「どっちも大事」

「ネイチャの薄情ウマ娘! とにかく、探索再開だー!」

「えぇ~。どっちも大事って言ったのに……」

 

 

 

 

・・・。

 

 

声が遠ざかり、戻ってくる気配も消え去ったのを確認。

もう安全だと判断した私は、足場を蹴って地面に降り立った。着地の振動音が鳴っても、警戒するは必要ない。聞いているのは夜行性の動物と夏の虫、そして抱えられていた姿勢からゆっくりと覚束ない脚取りで立ち上がったトレーナーさんだけ。衝撃が思ったより強かったのだろうか。心配しないわけではないが、それ以上に私は自分の感情を抑えきれず、声もかけないまま少し前へ歩いていった。

 

「……あの、フラッシュ」

「……。」

「……えっと……」

「……。」

「……ごめん」

 

深く反省をしている声色で、短くトレーナーさんが謝罪をする。いつもはもっと饒舌にまくしたてて、装飾された理論で嗜めようとするのだけれど。今は、余計な言葉を紡がない。それだけ、心を込めて頭を下げているのだろう。

悪気があって、『あんなこと』をする人ではない。それはわかっている。だけど、上手く折り合いがつけられないのも事実。一旦は危機が去ったとはいえ、油断のならない状況だ。掛かってしまった場合の対応の一つとして、心を落ち着ける術も学ばなくてはいけない。

 

「……はぁ。」

 

重い溜息をつくと、暗がりに見えるシルエットがビクっと反応した。無視したまま、私は背を向けて、しゃがみ込んだ。手を後ろに向けて、身体を預けても構わない合図を送る。

 

「……すま……。いや、ありがとう。フラッシュ」

 

優しい声色を使って、耳元で囁くのはやめて欲しい。ジャージ越しに感じる手の感触すら、意識をしてしまいそうになる。

私は、気温のせいではない体温の上昇を感じながら走り出す。

そして、何故今こんなに心が乱れているのか。それを整理するために、さっきの出来事を思い返すこととした。

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

トレーナーさんを抱えた私は、思い切り地面を蹴り飛ばした。目標は、生い茂る木々の中にある適度に低い枝。自分の体重とトレーナーさんの重さを考慮したうえで、耐えられそうな太さの足場に狙いをつけて跳躍した私は、予想違わず着地できたことに安堵する。

衝撃で枝先が揺れ、青々とした葉っぱが波の音のように周囲に鳴り響く。連鎖して、夜行性の鳥が鳴き声をあげなら羽音を立てて飛び去った。

自らの居場所を知らせるような愚行かもしれないが、同じような物音は周囲でいくつも発声しているから、カモフラージュは出来ているはずだ。そう信じて、私は再び不安定な足場を蹴って、もう一つ高度のある枝に飛び移る。

 

ここなら、大丈夫だろう。

唯一の均された道から、大きく外れてはいないけれど。ウマ娘は横への視野は広くとも、上への反応は鋭くない。レースで研ぎ澄まされた水平方向の感覚が一流であっても、暗がりの中で、視界の悪い樹上に居るとは思いもしないはずだろう。

 

腕の中で、赤子のようにおとなしくしていたトレーナーさんを私は下ろす。このままでは眼下の状況が把握できないから、背後でじっとしていてもらおう。

音を立てないよう身を乗り出し、枝葉の影から足音のする方を覗き見た。

 

 

「トレーナー、つっかまーえたー♡」

「うぉわぁあ!? ちょ、ちょっとテイオー!?」

 

テイオーさんをやり過ごせればよかったのだけれど、どうやら、ネイチャさんも追ってきていたようだ。悪い方の想定を回避できたことに胸を撫で下ろしつつも、状況的には良くないままなことに少し焦る。

下では他愛のない会話が繰り広げられている。出来るなら、話しながらでも移動をして欲しい。自分たちが見つかる可能性を少しでも下げて欲しい。祈るように聞き耳を立てていると、二人の会話とは別の声が私の耳元に届いた。

 

「……フラッシュ」

「静かにしてもらえますか。居場所が割れてしまいます。」

「いや……その……」

 

話かけてきたというのに、口ごもる理由がわからない。非常事態なのは、トレーナーさんだってわかっているはずだけれど。

 

「キミ、虫とか苦手?」

「何故、そんな質問を今……」

 

と口にしかけて、私は察した。跳躍による運動後なこと、緊張していることによる脂汗。そのどちらかだと、ずっと思っていた。

背中のあたりがむず痒い。流汗から生まれる感触にしては、やけに重みがあると感じていたけど……。

 

「な、何が付いてるんですか!?」

「見ない方が良いと思う……」

「そうは言われましても……」

 

見るなと言われれば気になるのが性というもの。首をひねって、違和感の辺りを見てみるが暗所というのも相まってよくわからない。ならば、と手を伸ばそうとしたところ、トレーナーさんに掴まれてしまった。

 

「危ないから、触らないで」

「そ、そんなモノがついているんですか……?」

「俺が取るよ。じっとしてて」

 

こちらを少しでも安心させるよう、落ち着いた口調で告げた言葉。だけど、やや緊張感の籠った言い方だった。何か危険を及ぼす類の虫なのだろうか。とにかく、今はトレーナーさんの行動に身を任せて・・・。

 

「ひゃぅっ!?」

「!?」

 

 

「ん? なにか言った?」

「え? ううん、何も言ってないよ」

 

慌てて口を手で押さえるが、漏れた声は既に眼下に届いてしまっていた。幸いなことに、雑音として捉えられたようでこちらに気付いた様子はない。

それより、なんてことをしたのだと眉間に力を込めながら振り向くと、暗がりでも青ざめた様子のトレーナーさんが目に映った。

言葉を発すると、注意がこちらに向いてしまう可能性もある。だから、トレーナーさんは怯えたような申し訳ないような表情のまま、両手を合わせて何度も頭を下げてきた。しかし、その後のジェスチャーを見る限り、どうやらまだ原因の除去は出来ていないらしい。

 

それはそれで困る。葛藤しながらも、危害を加えてきそうな害虫(?)の処理を私は首を縦に振ることで依頼する。

 

「……んんっ!?」

「……ッ!」

 

手で押さえた口から、再び声が漏れる。出したくて出しているわけでもないのに。なぜなのか、トレーナーさんの指が私の背に触れると、全身に電撃のような感覚が走ってしまう。身構えている姿勢なのに、膝の力は抜けそうになるし、手の力も碌に込められない。

 

「……ちょっとだけ我慢してくれな」

 

そんな様子を察したトレーナーさんは、一言だけ短く耳元で囁く。すると、ゴツゴツした手が私の口元に添えられた。

私自身が押さえている手の上から、更に押しこむように。重力に負けそうな身体を支えるように、やや強引に力を込めてくる。

普段なら、この程度のパワーへ抵抗するのは何も苦は無いのだけれど。背に走る、絶妙な違和感が全身の力みを奪っていってしまう。

 

「ふっ……! んっ……! ぅうっ!」

「……よし、取れたよ」

 

我慢できずに溢れた私の有声も、指の隙間から零れていく。なすがままにされていると、呑気な解放の合図が聞こえた。浅い呼吸で崩れ落ち、木の枝から落ちないように必死に弛緩した身体で踏ん張る。

心を落ち着けるために、懸命に深く息を吸っていると、ようやく眼下の世界も落ち着いたことに気付く。テイオーさんもネイチャさんも、とっくにその場から離れていた。

 

「……だ、大丈夫か。フラッシュ……?」

 

トレーナーさんも、もう声を出して良いと理解したのか、私を気遣う言葉をかけてきた。それに対し、恥辱の限りを尽くされたことによる憤りの視線をぶつけると、私は強張るトレーナーさんを無言で抱えて、地面に降り立ったのだった。

 

 

 

(……何より、もっとも私が許せないのは)

 

回想を終えて、やっぱりされたことに対し簡単に怺える出来事でないのは間違いない。

ストレッチなどで身体に触れるのとはわけが違う。抵抗できないウマ娘を一方的に、弄るなんてありえないこと。

 

しかし……私が最も感じてしまった怒りの矛先はトレーナーさんではなく。自分自身。

 

(……ちょっとだけ……わ、悪くないと思っちゃった。)

 

身体に走る衝撃は、不快感ではなかったから。

トレーナーさんの手から伝わる、繊細な優しさ。そこから生まれた、私の身体に響く……えも知れぬ感覚。

もうちょっとだけ。本当に不本意だけれど。もうちょっとだけ……続けてくれても、良かった気がする。

 

 

そんな考えが頭をよぎったことが、今回の一番の由々しき事態だと思った。

 

 

 

 

「……見えたぞ、フラッシュ。ゴールだ」

「ええ、そのようですね」

 

コンクリートのウマ娘専用道路を、街灯りの下走っていく。

何度か人目のつきにくいルートを選んだりしてみたが、杞憂だった。たまに車が通りすぎるぐらいで、ウマ娘の影すら見かけなかったから。時間的には、確かに健康的な生活を送る者ならばとっくに自室に居る頃合いだ。こんなところに、人を背負って走っている奇抜な存在は私だけだろう。

 

「……よし。オッケー。これでミッション完了だ。お疲れ様、フラッシュ!」

「ええ。お疲れさまでした。」

 

トレーナーさんが、共同宿泊施設の宿泊者帳簿に名前を書き終えると笑顔で振りかえった。達成感のある表情を受け、私も湧き上がる想いがあったが……素直に喜べない側面があるので、ぎこちない笑みでしか返答できなかった。

 

「……少し、いいかい。フラッシュ」

「え? あ、はい。」

 

不満があると思われたのか、私はトレーナーさんが一晩明かすための部屋へと招かれた。通常はトレーナーしか入れないが、宿泊者本人が許諾を得て招く場合なら、少しは許されるらしい。

入ったのは、合宿中に泊まった旅館と比べると、畳の質も室内の広さも劣る簡素な一室。一人部屋なのもあって、今対面して座っているちゃぶ台をどけなくては就寝スペースも作れないほど。

 

「改めて、お疲れ様。フラッシュ」

 

冷蔵庫に入っていた備え付けの冷たい麦茶を、ペットボトルからコップに注いだものが置かれる。距離的には少し重めのトレーニングと言えるぐらい走っていたので、そういえば喉がカラカラだった。断りを入れてから、私は一気に中身を飲み干す。トレーナーさんは何も言わず、再びコップの中を満たしてくれた。

 

「ありがとな、こんなバカみたいなことに最後まで付き合ってくれて」

「……いえ。そんな……私は言われるがままにやっただけですから。」

「謙遜しなくていいよ。キミは本当に、俺の期待以上に頑張ってくれた。自分の欠点をちゃんと見つめ直して、俺の後押しだけで成熟してくれた。レースに関しても、きっと問題なくメイクデビュー戦は勝てるぐらい仕上がったと思うけど……それ以上に、キミはキミの伸ばしたいところを、しっかり伸ばしてくれた。それが、俺は心から嬉しい」

 

美辞麗句を、嫌味なくすらっと言ってくるのがこの好井ソウマという人だ。褒めるところはしっかり褒める、厳しいところはきつくする。飴と鞭を上手に使い分ける、敏腕トレーナーたる由縁だろう。本人こそ謙遜するけれど、この短い期間を過ごすだけでもハッキリと力量がわかった。

 

だから、どうしても……。この胸に残る、ざらついた気持ちが受け入れられない。

 

「トレーナーさん。」

「うん?」

 

麦茶をもう一度、喉を湿らせるために小さく嚥下してから。私は戸惑いつつも、目をそらさずに言ってみた。

 

「どうして、あなたが……その……。『うまぴょい』をすることが、私の管理能力を高めることが。ルドルフ会長と企てた計画に直結するのでしょうか?」

 

質問を聞くと、ちょっとだけトレーナーさんは目を見開いて驚いたような表情をした。しかし、すぐに緊張を緩め、いつもの優しい笑顔をすると。リラックスするため立てていた膝を整えて、私の正面にしっかりとした姿勢で座り直した。

 

そして、一呼吸してから真剣な顔で語ってくれた。

 

「まだ、この話は上の人にも言ってないことなんだけど。俺は、『うまぴょい』について考えてることがずっとあってさ」

「……とても不純な気もしますが。」

「ま、まあまあ。とりあえず聞いてよ。俺が『うまぴょい』を知ったのがそもそも最近だったってのが大きな要因でもあるんだけど……。凄いことだと思わないか?」

「質問の意味がわかりません。」

「念のため聞くけど、フラッシュは今まで『うまぴょい』したことある?」

「な、なななんてことを聞くんですか!?」

「ご、ごめん! いや、存在を知ってたから経験あるのかなぁ、って思って……」

「あってもなくても、人前で簡単にお話することではないでしょう!?」

「あはは。そうだよな。うん。そうなんだよ」

 

顔に熱をこめながら、必死で返すと。トレーナーさんも、流石に悪いと思ったのか茶化すように対応する。だが、最後は何故だか愁いを帯びたような表情で空を見つめ始めた。

 

「……それなんだよ。俺が思ったのは」

「それ……とは?」

 

スッと再び私の困惑する表情へ、真っすぐな瞳がぶつけられる。

 

「こんな素晴らしい行為が、隠蔽されているのはおかしくないか?」

「隠蔽……というのが正しいかどうかはわかりませんが。普通なら、誰しもそうすると思いますけど。」

「でもさ、効果は本物だろう? 不得意が得意になったり、得意を伸ばせたり。トレーニングとは違う側面で、こんな夢みたいなものがあるのに……それを、隠している。おかしくないか?」

 

今までそんな疑問を感じたこともなかったので、言葉に詰まる。それが当然だと思って生きてきたのだから……。

 

「だからさ、俺はルドルフと考えたことがあるんだ」

「なんでしょう。」

「『うまぴょい』を、もっとポップでカジュアルなものにできないだろうか、ってね」

「……」

 

私の怪訝な視線で、何が言いたいのか全て理解してくれたのだろうか。トレーナーさんは、まあまあと言いながら嗜める仕草をしつつ続ける。

 

「何も考えなしに言ってるわけじゃないんだ。ルドルフや他のウマ娘と協議しててさ。一つ、いい方法があったんだ」

「それは?」

「ウイニングライブだ。つまり、『うまぴょい』を取り入れた新しい曲を作って踊るんだよ。踊りの最中に『うまぴょい』の動きがあると、わずかながら効果があることも実証済みだ」

「ウマ娘のことをなんだと思っているんですか、あなたは!」

 

防音性が高い部屋なので、私の怒号は外に漏れはしないだろう。だからこそ、心の底から叫んで叱責する。

そんなことをすれば、URAからはもちろん、世間一般にも非難の的になること間違いなしだ。

 

「ホントにそうかな?」

「はい?」

「URAはわからないけど……多分、ウマ娘の世界に詳しくない人達は、何とも思わないんじゃないかな」

「……それは……。」

「だって、トレーナーの俺が知らなかったんだぜ? ウマ娘達のことを学び、こんなに近くで見てきたのに。ということは、大多数の人はまだ『うまぴょい』を知らないんだよ」

「……。」

 

しかし……。それでも、中々納得できるものではない。知っているウマ娘、からすれば何てことをするのだろうと、非難轟々だ。

私が今、ここで聞かずにそれを公表する形になったとすれば、まずその群衆の中に居るだろう。我々ウマ娘に対する冒涜ともいえる。

 

「……フラッシュ。俺さ、ウマ娘のことが心から好きなんだ」

「なんです、藪から棒に。」

 

いつもの諭すような、穏やかな口調でトレーナーさんは続ける。

 

「さっきも言ったけど。俺は、キミ達が悲しんだり苦しんだりする姿を見たくない。己の限界を、簡単に認めて欲しくない。こうできれば、もっと輝ける。ああすれば、あの子より速くなれる。その機会が、トレーナーだけに左右されるのは、不平等だと思うんだ」

 

以前、トレーナーさんはルドルフ会長と同じような内容で問答があったらしい。その時は、使える物は使って、何が悪い。ぐらいのスタンスだったそうだけれど。

ルドルフ会長が常に抱いている『すべてのウマ娘を幸せに』という理念に間近で触れて、徐々に変化があったのだとか。

 

幸福に出来る術があるなら。それを実現するために、最大限の努力と研鑽をする。それこそが、ウマ娘を預かるトレーナーの本懐なのだ、と。

 

熱心に、茶化すことなく。変わらない真っすぐな瞳で、夢を語るトレーナーさん。

一緒にいるテイオーさん達の普段の態度を見ても、本気で語っていることはわかる。

 

だったら、私は。

 

 

「言いたいことはわかりました。あなたが、ふざけているわけでもないことも理解できます。」

「フラッシュ……!」

「ですが、それならば私を傍に置く理由が不明なままなのですが。」

「ああ、それは計画の第二段階で、きっとこうなる。って場面が来るから。その時に、守ってもらうつもりなんだ」

「第二段階? 第一段階ではなく?」

「実はまだ『うまぴょい』の楽曲は固まってなくてさ。それも含めて、『うまぴょい』の効果と実績を世に知らしめるのが第一段階。そっちについては、また話す。で、それが成功してからが第二段階。知らない子も、知っている子も。みんなが『うまぴょい』を求めるはずだ。んでもって、今のトレセン学園には、男性トレーナーは俺一人……。まず間違いなくさばききれないだろう。その辺りの管理と護衛を、キミに任せたいんだ」

「……。」

 

今後、訪れる危機……危機なのかは不明だけれど。とにかく、それを未然に防ぐために私の管理能力と、ウマ娘としての身体能力を買ってくれたのだろう。

 

「……なるほど。結局、私はあなたの道具の一部というのに変わりはないのですね。」

「いやいや。別に誰だって良かったわけではないんだよ。理論派なら、イクノやハヤヒデ、シャカールみたいな子もいるんだから」

「……では、私でないといけない理由でもあるのでしょうか?」

 

少し拗ねながら聞いてしまったのが、不用意だった。

 

「そりゃあ、もちろん。前にも言ったろ」

 

心の準備もしないまま、無垢な子供のような笑顔で受け止めてよい言葉ではなかったのだから。

 

「キミの走る姿が、綺麗で好きなんだ」

 

 

 

胸の奥が苦しくなる。心臓をわしづかみされたかのように、きゅうっと締め付けられた。

ずっと、一生懸命自分なりに走ってきた。けれど、いつも肝心なところで上手くいかなくて。本格化したのに、誰の目にも留めてもらえず、私は夏を迎えるところだった。

 

そんな時に、トレーナーさん……好井さんが私の手を取ってくれた。レースと関係ないところに関心があったようだけど、それでも私を見てくれたことは素直に嬉しかった。

テイオーさん、クリークさん、ネイチャさん。みんな栄えあるGⅠを制覇している、素晴らしいウマ娘たちだ。そんな方々に比べて、贔屓することなく……いや、むしろ実績や状況を考えれば多大なほど目にかけてくれている。

 

言っていることは、まだ半分くらい理解が及んではいないけれど……。信ずるに値する人間性なことは、もうとっくに心でわかっていた。

 

「……ああ。でも、キミがそれでも嫌な思いをすると感じたなら。契約は解消しても構わないよ。最初に、そう約束したもんな」

「そうですね。」

「大事なことを隠して、勝手だったよな。別に今からでも良いよ。嫌だったら、これで」

「いいえ。それには及びません。」

「え?」

 

遮るように言葉を被せ、私は私の意志をはっきり伝えた。

 

「あなたが私を信じてくださるように。私も、トレーナーさんを信じています。もう今さら、他の人のところでやっていくことは……私でも管理しきれないでしょう。」

「フラッシュ……それじゃあ!」

「乗りかけた船ですから。最後まで、あなたの担当として居させてください。トレーナーさん。」

 

我ながらとんでもない台詞を言ったと気づき、くっつけたままの視線を思わず下を向けてしまう。そんなことはお構いなしに、トレーナーさんは徐に立ち上がると、慌てるように駆け寄って膝の上で揃えている私の手を握った。

 

「ありがとう、フラッシュ! こちらこそ、これからもよろしく頼むよ!」

「……」

 

こういう、妙に人懐っこい所は本当にずるいと思う。あまり似合っていない髭を除けば、顔のパーツはとても幼く見えるからだろうか。

 

何故だか、悔しい思いをした私は。さっきから、ずっと胸の奥から沸き起こっている思いを行動に移してみることにした。

 

「トレーナーさん。」

「なに?」

「計画のことも、私のことも。よくわかりました。ですが……。」

 

握ってきた手を、力強く握り返す。

 

「『うまぴょい』のことは、私はまだわかりません。今、ここで。教えてもらえますか?」

「へ……」

「ズルいじゃないですか。他の皆さんとはしているのに、私だけ仲間外れにするんですか?」

「いや……そ、そういうわけじゃ……。と、とりあえず一旦手を離してくれないかな。フラッシュ。誰か来るかもしれないだろ?」

「周囲の部屋への防音性は完璧です。両隣の部屋は既に消灯済み。正面の部屋は空き部屋。また、巡回の方は30分前に通っていきました。つまり、再び戻ってくるまで、少なくとも2時間は誰もこの部屋に近づきません。」

「よ、用意が周到すぎる……!?」

「そのように指導してくれたのは、トレーナーさんでしょう?」

「そうだけどさ~~!」

 

一生懸命、抵抗しようとしているが。汗で摩擦が弱くなっても、私の手は決してトレーナーさんを逃さない。所詮は人間の出せる力。いくらトレーナーさんが男性でも、ウマ娘との力量差は歴然だ。

 

「無駄ですよ、トレーナーさん。ヒトがウマ娘に敵うわけがないのですから。」

「…………デスヨネ」

 

諦めた顔をしたトレーナーさんの、か弱い手を私は思い切り引き寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズキュンドキュン! ムネガナリ~!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さーて。みんな、今日で合宿は終わり! カリキュラムも終わり! つまり、トレセン学園に戻るまでは自由時間だ! 好きなように過ごしていいぞ!」

「はーい! じゃ、アタシはお土産買いに行くんで!」

「あら。では、私もついていきますね〜。託児所のみんなに何か買って送ろうと思ってたんですよ〜」

 

 

次の日の朝。予定通り、トレーナーさんは早朝に旅館へ戻って来た。

私と『うまぴょい』したので、疲労があるのかと思ったけれど。どうやら、トレーナーさんは体質的に疲労を感じにくいらしい。いつもの溌溂とした表情で、みんなに声を掛けていた。

 

「トレーナーさん。」

 

私は、そんな背中を小さくつつき、耳打ちする。

いつもと違う様子のウマ娘が一人いたからだ。

 

耳を後ろに、表情は硬く。腕を組んで、そっぽを向くウマ娘。遊ぶことに関しては人一倍積極的な、テイオーさんが無言で立っていた。明らかに、怒っているのがわかる。

 

「テイオーさんのことは、本当に良いんですか?」

 

昨日、『うまぴょい』の後にそれとなく聞いてみた。

私の成長を促すためとはいえ、テイオーさんを避けたことに変わりはない。本人からすれば、求めていることと逆のことをされたのだ。不満を感じないわけがないと思う、と伝えたのだけれど。

 

「大丈夫だよ。心配ありがとな、フラッシュ」

 

昨日と同じように、余裕を持った表情で笑うトレーナーさん。

他人のことではあるが、当事者でもあるので、二人の関係が険悪になってしまうのは私としても責任を感じてしまう。

どうなるのだろう、とハラハラしていると……。

 

「テイオー」

「なに、トレーナー」

 

声をかけるが、耳を後ろに倒したまま頬を膨らませている。

そんな様子を気にも留めず、トレーナーさんは続けた。

 

「悪かったな。昨日、メッセージ送ったと思うけど。埋め合わせ、ちゃんとするからさ」

「何さ。別にボクよりフラッシュのが大事ってだけでしょ。トレーナーにとって、ボクはその程度だったってことじゃん」

「その辺りは説明したろ~。機嫌直してくれよぉ」

「ふんだ!」

 

むっつりした表情は変わらない。やはり、私も何か一言謝罪をしておくべきかと一歩踏み出した。

だが、やはりトレーナーさんはそれを止める。目をこちらに向けて、得意げにウインクしてから再び向き直った。

 

そして。

 

「ほら、これで勘弁してくれねーか?」

「……あ。」

 

テイオーさんに背を向けてから腰を下ろし、手を後ろに。身体をやや前に傾けたまま、じっと待つ。

その姿を見たテイオーさんは、驚いた顔をしてから……。すぐ、嬉しそうに頬を緩ませた。

 

「もー。トレーナーってば、こうすればボクが喜ぶとでも思ってんの~?」

「ああ、そうだろ?」

「ちぇっ! せーかい! そりゃ! いっけー、好井ソウマ号!」

「おっしゃ! どこだって連れてってやるよ、テイオー!」

 

笑顔で背に乗ると、元気よくトレーナーさんは立ち上がり、駆けだした。

昨晩、私がしたのと立場が逆だ。人間がウマ娘を乗せて走っている。

 

スピードも速くない。自分が走る方が何倍も快適だ。それでも、この二人にとっては、とても特別な行為らしい。

 

かつて、テイオーさんは怪我でとても苦しい思いをしてきた。目標にしてきたものを、全て失い大きく落ち込んだ時期もあったらしい。もう走ることすら、止めてしまおうと考えるほど。

 

だけど、そんなテイオーさんをトレーナーさんは親身になって支えてくれた。

三度目の骨折の時、落ち込んでふさぎ込むテイオーさんにトレーナーさんは今と同じことをしたそうだ。

 

少し恥ずかしくなったのか、そこからの詳細は話してくれなかったけれど。

結果的に、あの有記念の復活劇を演出したのは間違いない。

 

私のような新参者では、決して立ち入れない。二人だけの、二人しか感じられない通じ合った気持ち。

 

「スピード上げんぞー! 落ちんなよー!?」

「落ちるわけないでしょー? ぜーったい離さないからね! トレーナー!」

 

 

青く澄み渡る空の下、楽し気な笑顔が二つ。誰も邪魔が出来ない、されることもない笑顔の空間。

 

そんな二人を見ながら。私一人だけ、ちょっとだけ複雑な思いを抱きつつ。

硬く結ばれた絆の強さに、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。



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番外編『あなたは何を望む?』

※オリジナルウマ娘が出てきます。
※作者の前作『セラフィナイト ~最強世代6人目のウマ娘~』を読んでいると楽しめると思います。
※時空的にはパラレルです。前作今作、どちらの本編にも直結してません。



それぞれのウマ娘達が合宿を終えた最後の日。

明日からも当然のように走るため、すぐに眠った子。枕投げが白熱し、クレームを入れられるまではしゃいでいる者。恋バナが止まらず、布団をかぶってから既に何時間も会話をしている部屋。様々なウマ娘達が、宵闇の中存在していた。

 

 

「そう、そうやって足を絡めてから……反対の足で挟んで、後は腕ごと持ち上げればあいたたた!! ぐ、グラス! ちょっとは手加減してくださーい!!」

「あら、ごめんなさい。軽くやったつもりだったのですが」

 

その中の一つ。

 

マスクをつけた特徴的なウマ娘が、苦しそうに呻き声をあげていた。原因を作り出した、普段は穏やかな表情と所作の、栗毛のウマ娘グラスワンダーは悪気なく謝る。

 

ボブカットの黒鹿毛のウマ娘、スペシャルウィークは目を輝かせる一方。隣にいるキングヘイローは風呂上りのスキンケアをしながら、その光景を白い目で眺めていた。エアコンの冷房が寒いのか、既に布団にくるまって寝落ちしかけている葦毛のウマ娘はセイウンスカイだ。

 

彼女らはデビューした頃合いを同じくする、いわゆる同期達だ。デビュー前から多大な期待を寄せられ、それに恥じない輝かしい結果を残している。平地GⅠを全て同年代で制覇していることから、歴代でも類を見ない『最強世代』と名高い猛者達なのだ。

 

そんな悍ましいとすら言える走りを生み出す彼女らからは、想像もつかないほど和やかな雰囲気。一たびレースという枠組みを外れれば、ライバルである前に親交の深い友人なのだから当然だろう。

 

他愛のない話をしている最中、突然始まった護身術の話題から、エルコンドルパサーが得意とするプロレス技の流れにいつの間にか変わり、グラスワンダーがそれを実践する。というシチュエーションになっても、誰も止めようとしない。いつもの光景、と言えるからだろう。

 

「あー痛かった……。いまのが、オクトパスホールド デース。日本では確か、卍固めって呼ばれていますね」

「へぇー。あ、じゃあさエルちゃん。私、名前だけ知ってる技あるんだけど! 教えてくれる?」

「おっ、なんデスか? エルに出来ない技はないデスよ!」

「パイルドライバーって言うんだけど、有名なのかな?」

「セラちゃん、それは遊びでやるには殺意が高すぎる技デスよ!?」

 

相手をさかさまに吊り上げ、そのままの姿勢で地面に叩きつける技と説明すると、流石に質問をした金髪のウマ娘……セラフィナイトも苦笑いをした。

 

同じ部屋で、今晩泊まる6人のウマ娘は『最強世代』の間でも、特に仲の良いグループだ。

加えてクラシック・シニアを含めたGⅠのトロフィーを誰かしら手にしている凄まじい面子。中でも、かつて最速のレコードを中山レース場で叩き出し、世代間の評価を再度覆したウマ娘がセラフィナイトだ。

肩まで伸びた柔らかそうな金色の髪、ほぼ同色の白い輪っかが額を染めている。くりっとした丸い緑色の瞳が、彼女のチャームポイントだ。

 

「なぁんだ。パイって付くから、なんか美味しそうだなーって思って覚えてたんだけど……」

「パイルドライバーを『パイ』で区切るヒト、初めて見ましたよ……」

「ねえねえ、エルちゃん。他にはどんなのがあるの?」

「おっ、スペちゃん食いつきが良いデスねぇ。それじゃあ次は固め技ではなく、打撃系の技にしてみますか。例えば、ゴルシ先輩がよくやってるドロップキックとか……」

「……ちょっと、スカイさん。そこにいると危ないわよ」

 

寝転がったまま動かないセイウンスカイを、キングヘイローが心配して揺り起こす。頭まで毛布を被ったままなので、反応がないところを見るに寝入ってしまっているのだろうか。申し訳なさを感じつつも、暴れそうな人たちを止めるよりはこうする方が安全だろう。そう思って、キングは布団を引っぺがした。

 

「うわ、ビックリした」

「なんだ、起きてるんじゃないの。返事しなさいよ」

 

スカイはスマホとにらめっこしながら、胎児のように身体を丸めたまま横を向いていたのだ。急に光が入ってきたことと、室温の低さに驚きながらキングヘイローを見上げる。

 

「あー、気付かなかった。セイちゃん、こう見えて忙しいからさ~」

「……あら、その子……。」

 

見るつもりはなかったが目に入ってしまったので、つい声が出てしまう。セイウンスカイが熱心に操作していたスマホの画面は、チーム所属の後輩とのやりとりが映っていたからだ。キングヘイローも、彼女と同じチーム<アルタイル>に属しているため、当然知っている相手でもあった。ちなみに、セラフィナイトも彼女らと同チームである。

 

「なんか、急に不安になっちゃったみたいで」

「……スカイさんも、すっかり良い先輩ね」

「セイちゃん的には、こういうのキングが適任だと思うんだけどな~」

「その子が不安の相談相手にあなたを選んだんでしょ。だったら、あなたが最後まで責任を果たしてあげなさいな。……それにしても、あれだけ頑張ってトレーニングしてたのに、何をいまさら……?」

「そりゃあそうでしょ。一生に一回しか出られないクラシックレースに初めて挑むんだよ。それにこの子、春先は脚部不安でリハビリ大変だったじゃん。ダービーもギリギリ間に合わなかったんだし」

「そうね。でも、それを乗り越えてきたその子の強さは本物よ。奮起こそすれ、不安に思うことなんてないじゃない」

「……まあ、キングは大きな怪我とかしたことないからわかんないかもね~」

「なっ!? そ、そういうつもりで言ったんじゃ……!」

「さてさて。ついでだし、ちょうどいいし。その辺りのことを皆にも聞いてみようかな」

「……スカイさん?」

 

セイウンスカイは高速で返事をすると、スマートフォンをしまって伸びをしながら立ち上がった。

そして、今まさにドロップキックを披露しようと構えるエルコンドルパサーの間に割って入る。

 

「おや? セイちゃん、どうしました? まさか、エルの技を受けるつもりデス?」

「いやいや。セイちゃん、そういうの苦手だから。ちょっと、みんなに聞きたいことがあってね」

「? なにかな?」

 

首を傾げるスペシャルウィークと共に、セラフィナイトも同じ角度で頭を傾ける。耳につけた緑色の石が嵌められたアクセサリーが小さく鳴る。

そんな二人と、ちょっと離れて傍観していたグラスワンダー。背後でなりゆきを見守っていたキングヘイローも、手招きしてセイウンスカイは呼ぶ。

 

6人で泊まるにしても広い部屋(アルタイルのトレーナーの手引き)の、真ん中に集まった彼女らは顔を付き合わせるようにして輪になる。

そして、よほどの大声でないと外に聞こえないというのに。声をひそめながらスカイは質問をした。

 

 

「みんなさ、『うまぴょい』って知ってる?」

「ちょっ……スカイちゃん!?」

「なっ!?」

「あら。」

「?」

「なんデスか、『うまぴょい』って?」

 

一様の反応を見て、セイウンスカイはにやりと笑った。知っている者も当然いるが、きょとんとしたスペシャルウィークと、疑問を素直に口にしたエルコンドルパサーへ説明を始める。

 

 

 

・・・。

 

 

「……ってことをすれば、どうやら『最高の肉体』が手に入るらしいんだよ」

「へぇ~。そんなトレーニング? があったんだ。知らなかった~。グラスちゃん、知ってた?」

「え? え……ええ。まあ……」

「スペシャルウィークさん。今の話を聞いて何とも思ってないのは、流石にどうかと思うわよ……」

 

スカイに教授されても、変わらずきょとんとした表情。そんな彼女とは打って変わって、エルコンドルパサーはマスク越しでも顔が赤くなっているのがわかる。自分の不用意に出した単語に恥じらっているようだ。これ幸いにと、セイウンスカイはその珍しい表情をカメラに収めた。

 

「ちょっとセイちゃん!? 何してるんデスか!? 消して! 消してください!」

「やーだよ♪ へっへー、良いお宝ゲットですな」

「スカイちゃん、それで……聞きたいことって?」

 

狭くない部屋をぐるぐる追い掛け回す二人を、セラフィナイトが宥めながら質問をする。スマホを上手にしまって、エルコンドルパサーの背中に回り込んで圧し掛かってから、セイウンスカイは答えた。

 

「うん。私たち、たくさん走ってきたでしょ? でも、誰も『うまぴょい』はしないで、ここまで来たよね」

 

少し顔を見合わせた一同は、頷く。

 

「もしもの話だけど。『うまぴょい』してたら、どうなってたかなー。っていう、たらればを聞いてみたくってさ」

「もしも、自分の欠点を無くせたり、長所を伸ばせたら……?」

「そう。みんななら、何を望んでたかなぁ?」

 

指を顎に当てながら、スペシャルウィークは振り返る。

 

色々なことがあった。デビュー戦、クラシック三戦、春シニア三戦、秋の天皇賞に有馬記念……。脳裏に浮かぶは、激闘の数々。付随するは、それを演出した強く熱いライバルとの競り合い。

 

「エルはもちろん! "世界最強"を望みまーす!」

 

腕を組んだり、目を閉じたり考え込む面々の中でエルコンドルパサーが一番に声をあげた。背に倒れこむセイウンスカイを捻りながら抱き寄せ、布団の上にそっと置く。それから、いつもやるような両手を空に掲げるポーズを取って豪語した。

 

「具体的には?」

 

グラスワンダーの質問に、鼻を擦りながら返事をする。

 

「凱旋門賞制覇デス。エルにとって、あれが二番目(・・・)に悔しいレース デスから。怪我にも負けない、誰にも負けない。"世界最強"を掴み取ります!」

「……ふふ。あの時のエルったら、意地張って『チャンピオンは二人いた』って現地の方に言われたことを電話で自慢してきましたけど……。結局最後は、泣いて会話にならなかったですよね」

「ケ!? グラス! それは秘密にって言ったじゃないデスか!」

「あら。ごめんなさい、もう時効かと思って。」

「本当に油断も隙も無いウマ娘デェス……。そういうグラスは、何を望むんデスか?」

「私は……。やっぱり、怪我に負けない強い身体……でしょうか」

 

今でこそ、そんな不安もなく元気に走れているが。グラスワンダーは、クラシック期に骨折で一時期戦線を離れていた。秋ごろには完治したのだが、距離的にも復帰後は難しいだろうと、菊花賞も回避。そんな苦渋の決断で下した復帰戦の毎日王冠では、上の世代の"異次元の逃亡者"サイレンススズカやエルコンドルパサーと激突。しかし、結果は振るわずに5着。

周囲の期待に沿えなかった自分を、あれほど許せないと思ったことはない。もし、自分が万全であったなら。考えられる彼女にとっての、ターニングポイントはそこだった。

 

「二人とも、やっぱり悔しかったことに対してって感じなんだね~」

「セイちゃんは?」

「私はとーぜん、『練習しなくても強くなれる身体』だね」

「あはは。セイちゃんらしいね」

「だってサボって遊んで、そのうえレースで勝てたら最高じゃない?」

 

目を輝かせて断言するセイウンスカイ。みんなも、そんな彼女の怠惰な性格を知っているから笑って受け止める。

しかし、一人だけその言葉に反論する者が居た。

 

「けれど、もしそうなってたとしたら。あなたは、きっと走り続けてないわよ」

 

冷静な口調でキングヘイローが、空気を切り裂いた。

 

「え? そうかなぁ?」

 

本心のつもりだったのだが、否定が入るとは思わずスカイは首を傾げた。

 

「簡単に手に入る勝利なんか必要としてないもの。何度も挫けて、負けて。その度に、前を向いて足掻いて。自分の限界を越えてきたからこそ、あなたは勝利に飢えているでしょう? ちょっと『うまぴょい』したぐらいで勝ててたら、挑戦することに飽きてるはずだわ」

「…………ふぅ~ん……」

「……何よ?」

 

間違った意見ではなかったと思うが。セイウンスカイは半目でじっとりとキングヘイローを見返す。

 

「いやいや。全く同じこと、キングにも言えるんじゃないかと思っただけだよ」

「……どうかしらね。私はあなたと違って、一流を目指していたわけだし……。常に王者であるのなら、いつだって挑戦を受け続けていたと思うわよ。ちゃんとトレーニングだって、やっていたと思うわ。それを踏まえるなら、私が望むのは『常に一流であり続けること』かしらね。」

「えぇ~……。誰より強いのに、まだ練習するの~? キング、絶対おかしいって~」

「例え、あなた達の誰よりも強くなったって練習はするわよ!? 当然じゃない!」

「うへ~、それはもういっそ、へんたいだね。ストイックへんたいキング!」

「その呼び方はやめなさいって言ったでしょ!!」

 

「う~ん。相変わらず、仲良しデスね。この二人は」

「ええ。微笑ましいですね~。……それにしてもずっと悩んでいますけど、スペちゃんは何か思いつきましたか?」

「んん~~……。もうちょっと待って……」

 

頭に手を両側から当てながら、目を瞑り悩むスペシャルウィーク。まだ時間がかかりそうだと、グラスワンダーは隣のセラフィナイトに問うた。

 

 

「私は……うん。特に無いかな」

「え、ウソ!? ないの、セラちゃん!?」

 

考え込む自分(スペ)とは対照的に、あっけらかんと答えるセラフィナイト。

 

皆が目標とするほど速く強い彼女は、高い評価の裏に多くの挫折があった。元々の彼女のポテンシャルは凄まじく、デビュー時から既に"世代最強"の名を譲ることはなかった。しかしジュニア級からクラシック級にあがる際、足の大ケガにより1年もの間レースから離脱。同時に、輝かしい戦績を築き上げていく同期たちの眩しさに負け、マネージャーとして歩むことすら決意してしまった。

シニア級にあがり、たくさんの人の助けと彼女自身の鍛えられた不屈の心をもってして、今ようやくトゥインクル・シリーズにて"最強世代"における"世代最強"という呼び名と共に走れている。

 

長期の戦線離脱をした仲のグラスワンダーですら、己の境遇を呪ったというのに。更に酷い状況だったセラフィナイトは、何も望まなかった。

 

「だって、失敗したことも、苦しかったことも。全部なくっちゃ、今の私はないと思うから。そりゃあ、怪我しにくい身体になれば多少は楽だったかも、って思うけど……。私、この思い出には色あせて欲しくない。たくさん遠回りしてきたけど……それでも今、この私が最高なんだって胸張って言えるよ」

 

少し照れたように、はにかんで笑うセラフィナイト。その言葉を聞いた一同も、同じように微笑んだ。

 

「確かに。セラちゃんに、簡単に勝てるようだったら、面白くないデスね」

「エルちゃん……」

「エルにとって、二番目に悔しいレースが凱旋門賞。一番目は、セラちゃんに負けた有記念デス。この悔しさが消えない限り、エルはまだまだ強くなれると信じてます。だから……そうデス。エルも同じデスね!」

「エルったら。調子のいいこと言って」

「グラスは違うんデスか?」

「いいえ。私も、あなたに、セラちゃんに負けてきたからこそ、今も『不退転』を掲げられるのだと思います。セラちゃんの言うように、最短の道を進んでいたとしても、最高の私は手に入らなかったと思います」

「ちょっとちょっとー。たらればの話なんだからさー、そんなイイハナシ~にしなくていいのにぃ。もぅ。ラフィのせいだよ~?」

「あはは。ごめんごめん。でも、実際『うまぴょい』してもそんな効果ないからさ。結局、変わらなかったと思うよ。私たち」

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

「ん?」

 

 

未だに自分の答えを悩むことで手いっぱいになっているスペシャルウィークを除き。

誰もが、疑問符を浮かべた。

 

 

 

「セラちゃん、今なんて?」

「…………あ、私お手洗い行ってくるね」

 

自分の発言に気付き青ざめるセラフィナイトは、表情だけは変えずに徐に立ち上がる。

 

 

「スカイさん!」

「はいはい。わかってますって」

 

歩き出すセラフィナイトの前に、セイウンスカイが立ちはだかった。

 

「ちょ、ちょっとスカイちゃん!?」

「ラフィ。ダメだよ~? そういうのは気を付けないとさ。せっかく、トレーナーとのこと黙っててあげたのに」

「へ……スカイちゃん……知って……?」

 

どこで漏れたのかはわからないが、既に周囲の者にとっては事実だったようだ。反応を見るに、同じチームの二人ぐらいしか知らなそうだが……。それでも、迂闊であった。

 

「緊急逮捕デース! これは詳しく話を聞く必要がありますよね!? ふふふ……セラちゃん逃がしませんよー!?」

「きゃー! 離してよ、エルちゃーん!!」

「まったく……。あなた、要領良いんだか悪いんだか、時々わからなくなるわね」

「じゃあ助けてよキングちゃん!」

「ここまできたら、話したらどうかしら? ねえ、みんなも聞きたいでしょう?」

「怖っ!? みんな、笑顔で頷かないでよぉっ!!」

「さあさあ、セラちゃん! 洗いざらい話してもらいますよぉ~~~?」

「いやぁーーー!!」

 

 

 

夏の夜に、悲鳴が響く。

姦しい思春期ウマ娘達の夜は、まだまだ終わりそうになかったのであった……。




「……うん。グラスちゃん! 私の望み、決まったよ!」
「あらスペちゃん。どんなものですか?」
「たくさん食べても、太らない体質!」
「…………スペちゃんも、ずっとそのままで居てくださいね」


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スマートファルコン
第十七話「交渉、うまぴょい計画最後のピースはトップウマドル!」


青い空を見上げていた。

 

合宿も終わり、みんなそれぞれ本格的なトレーニングメニューを完遂。各々、目指す自分に少しでも近づけるようにたくさん努力をしてくれた。その結果は、これから訪れる秋のレースにて好成績という形で表れてくれるだろう。普段の練習で、大体の仕上がりはわかっているけど。ことレースに絶対はない。鍛え上げた己より、もっとさらに先を行くウマ娘が居ても不思議じゃない。

勝負に至るまでの、短いような長いような『待ち』の時間。俺は期待と不安の入り混じるこの感覚が好きだった。

 

「はっ!」

 

そんな晴れやかな気分と澄み切った青空の中、俺の近くでは爽やかさとは程遠い音が鳴った。

粘土で成形し、焼きを入れた家屋に欠かせない屋根の建材。瓦だ。鈍い音と煙を立てて、真っ二つに割れた何枚も重なるそれは、地面に崩れるよう落ちていく。

本来の用途として使う瓦は、そう簡単に壊れる物ではなく。今こうやって、力のみで破壊されたのはパフォーマンス用に切れ目が入っていたり、そもそも素材から違ったりするものだが。きっと、俺のような素人がやっても、眼前で執行された結果と同じにはならないだろう。

細く白い腕からはおよそ見当もつかない力と、真っすぐ威力を伝える技量もあるからこそ可能な、歴とした彼女の特技だ。

 

「さあ、好井トレーナー。覚悟は出来ましたか?」

 

俺に対して敵意と殺意を混ぜ合わせたような、鋭い目で睨みつけてくるのは同期のトレーナー桐生院(きりゅういん)(あおい)さん。

以前、トレーニングの方針に関して新人のトレーナーへ叱っている姿を見たことがある。最初は、育成に関して口出しをするのはどうなのか自問した結果、迷惑になるから、と(ぎょ)そうとしていたが。結局、どうしても受け入れられない……ウマ娘に自分の人生を一身に背負わせるという愚行に対し、声を荒げたのだ。真面目な彼女らしい怒りである。

 

さて、そんな時とは比べ物にならない視線を、なぜ俺がぶつけられているのか。なぜ俺は、空を逆さから見上げているのか。なぜ簀巻きにされて、木にぶら下げられているのか。なぜ心配して、遠巻きに見ている俺の担当ウマ娘達に、助けを求めることもせずに甘んじて受け入れているのか。

 

それらを語るには、少しだけ時間を巻き戻さなくてはならない。

 

 

 

 

ことの始まりは、午前と午後の狭間。昼休みの時間に起こった。

 

「失礼するよ、桐生院さん」

 

ノックもしないで俺は、彼女のトレーナー部屋に入った。エネルギーバーを口にしながら、タブレットで何かを検索、もしくは勉強をしていたであろう家主は驚いたように、机越しにこちらを見る。

少し離れた場所で、ボーっと空を見上げていたハッピーミークも同様に反応していた。あまり表情に出る子ではないけれど、反射的に警戒する仕草をしていたのがわかる。イメトレ中だったのかな。驚かせてごめんな。

 

「あれ、フラッシュさんのトレーナーさんだ。こんにちは!」

 

そして、今回の俺の一番の目的。

栗毛をツインテールにした、丸い目のキュートなウマ娘。彼女の考案したアイドルとウマ娘の両立『ウマドル』として、常にセンターでウイニングライブを熟すことを信条としている明るく元気な子。

 

ダート界では知らぬものが居ないほどの実力者、スマートファルコンだ。

 

ソファーでスマホを弄っていたところ、俺の登場に一瞬ビックリするも、すぐに応対するのは彼女の性格がゆえだろう。素晴らしいことだ。

 

「やあ、ファル子。帝王賞、制覇おめでとう。先月のエルムステークスも凄かったね。堂々の8バ身差勝利だった」

「見ててくれたんだ! ありがとー! ファル子、キラキラドキドキを届けられてたかな?」

「ああ、最高だったよ。うちのフラッシュも、今月末にはメイクデビュー戦があるから応援に来てくれると嬉しいな」

「もちろん! 絶対行くよ! 一番前で応援するね!」

「ありがとう。フラッシュもきっと喜ぶよ」

「……あの、好井トレーナー? どのようなご用件で?」

 

ファル子との会話は自然と弾んでしまうから、うっかり本筋から逸れてしまっていた。

そうだったそうだった。食べかけの携帯食も机の上に、桐生院さんが困ったようにこちらへ来て俺を見上げている。

アポイントを取ろうと思っていたが、こういうのは勢いがないと多分負けてしまう。意を決して乗り込んだ以上、任務を遂行しなくては。

 

「突然すみません。桐生院さんに、折り入って頼みがありまして」

「私に、ですか?」

 

きょとんとする彼女の手を取り、俺はしっかり目を見て言う。

 

「あっ、あの……?」

「桐生院さん、実は」

「!?」

「あなたにしか、お願いできないことが」

「えっ、えっ?」

 

そのまま、勢い任せに前のめりになりながら語気に力を込める。

当たり前だが、近寄られれば桐生院さんも反射的に後退するだろう。それを利用して、ずいずいと壁に追い詰めていく。

 

「俺を……いや、俺達を助けると思って、聞いて欲しいんです」

「なっ……何を……ですか?」

 

遂に逃げ場を失った桐生院さん。視界の端で、ハッピーミークがおどおどしているのが確認できるが、俺は気にしない。遠くでファル子も、小さな悲鳴をあげているが今は無視だ。

隙を見せたらいけない。ダメ押しで、もう少しだけ距離をつめて。俺は自分の出せる限りの一番良い声を使って囁く。

 

「桐生院さん……。いや……(あおい)。」

「あっ、葵!?」

「俺……どうしても、したいんだ」

「へっ!? だ、ダメ……! ダメですよ! 好井ト……ソウマさん! 私たち、まだ普通の同僚で……!」

「良いじゃないか。俺とあなたの仲だろう……?」

「いっ、いけません! 大体、ミークもファル子も居るんですよ!?」

「ええ。だからこそさ……俺と……」

「そ……そうまさ……!?」

 

 

 

「俺とファル子を、『うまぴょい』させてください!!」

 

 

 

 

 

「………………はい?」

 

 

 

「……へ? ファル子と?」

「……えぇ~……」

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

という、完璧なプランだったんだけど。おっかしいなぁ。あそこまで強引にいけば、とりあえず「はい」ぐらい言ってもらえそうなもんだったんだが……。

まあ、俺の頭の中に桐生院さんが空手を嗜んでいたこと。あっというまに、指示を受けたミークに簀巻きにされることを予想出来ていなかったことがダメだったかなー?

 

「桐生院さーん、とりあえず話だけ聞いてくれませんかー?」

「聞く耳を持ちません! 失望しましたよ、好井トレーナー!! 人の気持ちを弄ぶなんて!!」

「す……すみません」

「謝っても許しませんから!!」

 

言いながら、ミークが用意してくれた瓦をまた割っていく。

 

「私、あなたのことを尊敬していました! トウカイテイオーさんの有記念、凄く感動しました! トレーナーとウマ娘の、あるべき最高の姿だと思い、同時に私には到達できない領域だって嫉妬もしました! 移籍したばかりのナイスネイチャさんも、遂にGⅠを制覇させましたよね!? 本当に、本当に! ただの同期ではない、ライバルとして新しい私の目標が出来たと思ったのに! そんな……そんなものに手を染めてしまうなんて!!」

 

半分くらい泣きながら、一息つくごとに瓦が割れていく。学園の端の方に居るけれど、そろそろギャラリーが沸いてしまいそうなほど、熱い叫びが桐生院さんの口から漏れていった。

 

「……ふぅ。取り乱してしまいました。……さあ、次はあなたの番ですよ」

 

パカーンと幾重にも重なった瓦が、真っ二つに割れた。汗を拭い、残心をとった桐生院さんは俺の天地が反転した目を見据える。

俺もいい加減、血が頭に上りすぎて思考がまともにできなくなりそうだ。説得をなんとかしないと、かなりマズイ。

 

「桐生院さん! 俺、別に自分の為に『うまぴょい』をお願いしたわけじゃないんですよ!」

「真昼間から、そんな単語を平気で口にする人が何を仰いますか!」

 

ごもっとも。

だが、俺だって簡単には引かない。

 

「ファル子の、夢についての話なんですよ! もう立派にダートの女王として走っているけれど! かつて、置き去りにした彼女の夢があったはずですよね!? それを、俺が叶えさせてあげたい! それだけなんだ!!」

「……何を……。」

 

桐生院さんが拳を拭いていると、そっと上から握る小さな手が見えた。厳しい目をした桐生院さんを、困ったような、心配するような表情で見つめ返している。

一度頷くと、その手の主……スマートファルコンは俺の傍に歩み寄り、見上げなら尋ねた。

 

「好井さん、ファル子の夢って……『どれ』のこと?」

 

彼女はたくさんの目標を持って、トゥインクル・シリーズに臨んでいた。

ウマドルとして大成したい。ダートの世界を盛り上げたい。みんなを笑顔にしたい。自他共に、幸せを届けたいという彼女の、殊勝な願いはトレーナーであるなら誰しも耳にしたことがあるだろう。それほどの実績を、既に築き上げているのだから。

そして、その中で唯一。ファル子が、どうしようもなくて諦めてしまったことがあったんだ。

 

「芝の大舞台で……もう一度走ってみないか?」

「……それって……」

「好井トレーナー。おかしな提案は止めていただけますか。ファル子さんに失礼ですよ」

 

俺の提案を切り捨てるように、桐生院さんがファル子の前に立ちはだかった。

言いたいことはわかってる。スマートファルコンは、ダートに適性を持つウマ娘。芝のバ場だと思うように力が伝えきれず、かつて出場した皐月賞では前を走るウマ娘と5バ身もの差をつけた最下位だったほど。向いていないのは明らかだった。

 

本当は、それでも芝の世界を諦めたくなかったのは知っている。自分を見て欲しい、キラキラ輝く自分の姿で希望を見出して欲しい。それを叶えるには、多くの人に見てもらう必要がある。

ダートと芝のレースでは、どうしてもレース場やライブ会場の箱に大きな隔たりがあるから……芝の方が、現実的なのかもしれないけれど。

 

それでも、スマートファルコンは頑張って来た。たくさんレースを走って、成績をキッチリ収めてきた。昨年の秋ごろに少し伸び悩みを感じたのか、堅実さを売りにしている桐生院さんの所へ移籍して師事を仰ぐ。上手くかみ合ったのかクラシッククラスにしてダートレースの最高峰、東京大賞典を制覇した。

更にはそれに並ぶ二大ダートレースと名高い、帝王賞を2着と9バ身もの差をつけて逃げてゴールしたことや、あまりに圧倒的な逃げで勝つ姿から、『砂のサイレンススズカ』なんて異名すらつくほど。

多くの人を、『逃げて差す完璧な走り』で魅了してきたスズカさんを惜しんだ、ファンの方々の羨望が溢れる素晴らしい呼び名だと思う。上位リーグで活躍している人と同じ名を冠するなら、それ以上の名誉はないんじゃないかな。

 

スマートファルコンの走りだけで、どれだけの人が希望を与えてもらったことだろう。外部の者でしかなかった俺には、その影響は計り知れない。専門としていなくたって、名を聞くほどだ。普通、でないのは明らかだろう。

 

だからこそ、今度は。彼女が本当にしたかったことをかなえてあげたい。そして、それこそが俺の考える『うまぴょい』の答えに直結するはずなのだから。

 

「確かに、今までのファンの人や……ファル子の決意を……無視するようなことかもだけど……。でも……それでも……。ファル子。キミが本当に……誰かの夢に、希望になりたいのであれば……俺と……」

 

ぐぉお……意識が。

視界が薄暗くなってくる。今、俺の顔は真っ赤でパンパンに腫れているんじゃあないかな……。

 

 

「……葵ちゃん。ファル子、好井さんのお話聞いてもいいよ」

「え!? でも、それではファル子さん……彼と……その……」

「どうしてかは、しっかり確認してあげたいの。それに、フラッシュさんから好井さんのことは色々と聞いてるから、大丈夫だよ」

「ですが……」

「フラッシュさん、ずっと担当してくれる人が来てくれなくて困ってたんだよ。そこを好井さんが見つけてくれたの。フラッシュさんって、ちょーっと不器用だけど、そこも含めてしっかり教えてくれる、すっごく素敵な人だって言ってた。合宿期間もね、あれが出来るようになった。これが出来るようになった、って毎日、報告してきてくれたんだよ。ファル子、フラッシュさんがあんなに嬉しそうにしてるの初めて見たんだ。報告のメッセージは淡々としてるのに、それが伝わるなんて、よっぽど好井さんのこと……むぐっ!?」

「ファルコンさん、その辺りで。」

 

いつの間にか、遠くで見ていたはずのエイシンフラッシュがスマートファルコンの背後に回り、両手で口を塞いでいた。血の回った視界のせいだろうか、まるで顔を真っ赤にして恥じらっているように見える。

 

「ぷはっ。フラッシュさん、いつの間に!」

「トレーナーさんと私のことは、今関係ないと思われますが。」

「えー? そうかなぁ? ……まあいっか。それで、葵ちゃん。ダメかな?」

「…………正直に言えば、まだ腑に落ちない所はあります。ですが……あなた達がそこまで信頼されているのなら、私も易々と却下は出来ません。わかりました。ただし、絶対に一対一で話さないでくださいね?」

「やったー! ありがとー、葵ちゃん!」

 

許可が下りたということは、もう俺を束縛する必要はないだろう。

半目でエイシンフラッシュを見ると、頷いてくれた。それを合図に俺は、絞り出すように声を出す。

 

「ネイチャ!」

「はーい。まったく、ハラハラしちゃいましたよっと」

 

吊り下げられた枝にナイスネイチャが飛び乗る。振動で更に脳が揺さぶられて、マジで意識がぶっ飛びそうになるが、逆さづりはすぐに解消された。腕力だけで、支えとしていた綱をネイチャがちぎったからだ。

そして、そのまま重力に引かれ俺は落ちていく。高さは何メートルあったのか定かではないけれど、そのまま地面に激突すれば、絶命は必至な高度。

だが、それでも俺は流れに身を任せた。浮遊感は途中でなくなり、俺のミノムシのような体は優しく力強く抱きとめられ、勢いを殺したまま着地できたからだ。

 

「大丈夫、トレーナー?」

「おぉ……まだちょっとくらくらするや。ありがとな、テイオー」

 

ふらつく俺を立たせると、巻かれた綱をテイオーも楽々と引きちぎる。クッションにされていた布が力なくはがれると同時に、心配そうな顔をするクリークが目に映った。

 

「ケガはありませんか? 無理して立たなくても大丈夫ですよ~?」

「ああ。すまない、クリーク。じゃあ、ちょっとだけ肩を借りようかな」

 

テイオーに腰を支えてもらい、クリークの肩を掴む。満身創痍だな、俺。

 

「ね。葵ちゃん。好井さん、良いトレーナーでしょ?」

「……それぐらいは、私だってわかってますよ」

 

何をもって、そんな判断をしてくれたのかはわからないけれど。とにかく、警戒を解いてくれたのは間違いない。

下手にウマ娘たちを引き連れて話をしにいけば、保身に走っているように思われそうだったので、担当の子らには合図があるまで遠くで見守るように伝えておいて正解だった。フラッシュだけは少しフライングだったけれど、まあ仕方あるまい。ファル子への説得の為に動いてくれただけのはずだから。

 

「それで。好井トレーナー、一体どういうつもりだったのか、説明して頂けますか?」

 

体当たり説得が成功したことに肩をなでおろしつつ、本題に入れていないことに気付く。

騒ぎになりかけてたし、ここで話すにはちょっと内容が内容だ。俺は自分のトレーナー室で、全員に説明することを約束し誘った。

 

 

 

・・・。

 

「はい、どうぞ~」

「ああ、どうも。ありがとうございます」

 

応接用ソファーに、面と向かって座る俺達。俺がやると言ったにも関わらず、仕事を奪い取るようにお茶を出してくれたクリークに礼を言いながら、一口飲み口を湿らせる。

律義にクリークへ頭を下げる桐生院さんに咳ばらいをしてから注意を引き、真剣な口調で精一杯の誠意を込めて話を始めた。

 

「桐生院さん、ファル子との『うまぴょい』のことなんですが」

「……はい」

 

もう今更何を言っても無駄だろうという表情で受け入れてくれた。甘えながら俺は続ける。

 

「俺より詳しそうだったのでご存じかもしれないですが……『うまぴょい』の効果はそもそも理解してますよね?」

「なんだか引っかかる言い方ですけれど……。当然です。ウマ娘の能力を引き上げる行為ですよね」

「ええ。俺もあれから、色々と勉強してきました。それでわかったことがあるんです」

「……他の人より、好井トレーナーの『うまぴょい』は特別。ということですか?」

 

思いがけない言葉に俺は驚いて目を見開く。……いや、思いがけない言葉は正しくないな。だって、いま桐生院さんが言ったのは、俺が言おうとしたことだったから。

 

「……気付いて……いや、知っていたんですか?」

「トウカイテイオーさんの春の天皇賞、ナイスネイチャさんの宝塚記念。続けてGⅠを制覇する姿を見れば、何となく察しはつきますよ。知らない方からすれば、トレーニングをたくさん頑張ったんだろうと思うだけかもしれませんが。私も、あなた……ではなく、あなたの担当ウマ娘さんには注目していたので、すぐにわかりました。私の聞き及んでいた……『それ』の話とは食い違っていたので、正直実感は持てなかったのですけれど……どうやら、あなたが仰る以上、本当なのですね」

「……なるほど」

 

桐生院さんほどの慧眼ならば、すぐにわかってしまうのか。となれば、やはり人によっては既に気付いていることもありうる……。実際、生徒会(ルドルフ達)にか感づかれていたわけだし。動きだすタイミングとしては、遅すぎるぐらいだったか。

思考を終えた俺は、真剣な表情を維持したまま桐生院さんへ告げる。

 

「俺、実は……この『うまぴょい』を公表しようと思ってるんですよ」

「はい……?」

「隠れてやってるだけでは、やはり公平性に欠けます。こんな、理論を真っ向から否定するような行為が当たり前に存在しているのに、誰もが公にしていないなんて……おかしいじゃないですか」

「それはそうかもしれませんが……。あなたも、経験があるならお分かりでは? 人の前で行うには、少々……いいえ、かなりの問題があると思いますが。だからこそ、皆隠れるようにしてきたのだと思いますけど」

「もちろん、そのまんまやるわけじゃあないですよ。大衆向けに作り替えるんです。ウマ娘ならではの方法でね」

「…………はっ。ま、まさか……!?」

 

察しが良いのは本当に素晴らしいことだ。あれこれ言わずとも理解してもらえるなら助かる。

 

「そうです。ウイニングライブの新しい楽曲として、『うまぴょい』を生まれ変わらせるんですよ!」

「ふ、不潔ですっ!! 何考えているんですか、あなたという人は!!!」

 

思わず立ち上がり、恥ずかしさから顔を赤くしながら眉をつり上げる桐生院さんを俺は嗜める。冗談で言っているわけじゃないから、最後まで聞いて欲しい。

 

「俺の考えとしては。まず、ファル子と『うまぴょい』して芝を走れる状態にします。……あー、ファル子は長距離も苦手だったか。それも克服しよう。目指すレースは一つ。シニア級でこの季節の、長距離の、芝の大舞台! と言えば……?」

 

俺はちらりと目配せをする。憤慨する桐生院さんの後ろで、目を潤ませながら口も半開きになり驚いていた。声が耳に届くと、ピクンと一瞬跳ね。そして一度息を吸ってから、ファル子はそのレース名を口にした。

 

「……有……記念……?」

 

その通り。俺は頷いて肯定する。

 

「…………でも。……でも、私……。」

 

たくさんの感情がせめぎ合うのはわかっている。芝の世界で存分に走れたのであれば、彼女は苦労することなかっただろう。それほど、レースにおける能力はずば抜けている。

ダートの世界で走ってきて、ダートだからこそ手にしてきたファンや夢、思い出も辛労もたくさんあるはずだ。今更、芝の世界に転向してきて、どう思われるのか。

 

「ファル子、キミが走る理由はなんだい?」

「……わた……。ファル子の夢は、トップウマドルになることだよ。今も昔も変わらない。ファル子だけの大事な夢なの」

「そうだろう。でも、キミは最も動員の多い芝の世界に縁がなかった。それは素質の問題だ。誰が悪いわけでもない。だからこそ、そんなどうしようもないものを覆すために、俺はキミを有記念で走らせたいんだ」

「それは……」

 

既に多くのファンが居る彼女だ。誰もがその名を聞けば『ダート界の強者』を連想するだろう。

だが、そんなファル子が突然、芝の世界に転向し、成績を収めたらどうだ。注目は一気に浴びるに違いない。なまじ有名なだけに、効果は覿面(てきめん)のはずだ。

だけど、この歯切れの悪い返答を見るに、どうしても引っかかることがあるのだろうな。見当がついているので、俺は口に出して確認する。

 

「ファンの人たちが心配か?」

「……うん」

 

地下アイドルがメジャーデビューしたら、元々慕っていた人たちは何かしら思うかもしれない。後方腕組み面していたかっただけなのに、いきなり晴れやかな舞台に立たれて注目を浴びたら、何とも言えない寂寥感に苛まれるだろう。

 

「大丈夫だよ。キミのことを見ていた人たちが、キミの輝かしい姿を見て残念に思うわけがないさ」

「…………」

「どの世界でも、どこに居ても、どこであっても。キミが最高にキラキラしてるなら、受け入れてくれるよ。もちろん、それが半端な覚悟や浮ついた気持ちだったなら批判されても仕方ないけれど。ファル子は、そんな不真面目な子じゃないのは担当トレーナーじゃなくても、十分知ってるさ」

 

アイドルというのは、この世で最も綺麗な空間を生み出すもの。眩しく美しい姿の裏では、血のにじむような努力が積み重なっている。ファル子だけじゃない、トゥインクル・シリーズを勝ち抜く強者たちは誰だってそうなのだ。

 

「好井さん。どうして、そこまでファル子にこだわるの?」

 

フラッシュの時にも同じ質問をされたが、明確な理由がちゃんと存在するので俺は指を一本立てて、躊躇いなく伝えた。

 

「ダートから芝への転向は、普通のウマ娘にはまず出来ないことだから。距離適性や脚質を変えるのは、困難だけれど不可能の範疇じゃない。けど、バ場適正は別だ。生まれ持ったものの影響があまりに大きい。だから、それを覆せることを証明したい。キミがGⅠ芝のグランプリレースで勝利すれば、生半可な答えは通らないだろう。ハッキリ、『うまぴょい』を世に伝えるチャンスになるはずなんだ。それが一つ目の理由」

 

もう一つ、と言いながら二本目の指を立てる。

 

「ある程度の人気があること。影響力の少ないウマ娘じゃあ、伝播する速度が違う。俺は少しでも早くこの問題を片づけたいから、ファル子のように名実ともに人気のある子に目をつけた」

 

最後の三つ目の指を立てる。

 

「ファル子が、ウマドルであることが一番大きい。新しい曲を作るなら、俺だけの力ではどうにも難航してしまってね。テイオーにも手伝ってもらってはいるんだが……やっぱ本職の手助けも欲しいんだ。振付とかも、是非ファル子に考えて欲しい。ある意味、キミの新曲作成だな!」

 

「……まるで、ファル子さんを利用して都合の良いように物事を進めたいようにも聞こえますね」

 

桐生院さんから、(もっと)もらしい意見が入る。フラッシュの説得の際も、似た気持ちにさせてしまった。直接、持ち掛けられる子からすれば気分の良い話ではないかもしれない。

でも……。

 

「ファル子、ダートを走ってて楽しいかい?」

「え? うん。ダートって、走る時に砂がキラキラ輝いててライブの紙吹雪みたいでね。夢に向かってる子たちと、一緒に作り上げるステージみたいなの! 芝のレースがそうじゃないとは言わないけど……ダートの子達は、みんな本当に必死だから。余計にそう感じるな~」

「夜や夕方に走るレースも特徴的だしね。ライトアップされるレース場を走るウマ娘って、中々見かけることもないし。なんというか、趣があって良いよな」

「そうなの! だから、特別な気分になれてファル子は好きだよ!」

「この前の帝王賞、動員数は歴代一位だったそうだね。それだけ、キミの心を動かす力は凄まじいんだと思う。スマートファルコンは間違いなく、たくさんの人に夢を魅させる素敵なウマ娘なんだ」

「……好井さん……」

「ダートの世界を捨てろ、と言っているんじゃないんだ。ただ、芝を走りたくて仕方なかった子も、長距離で走りたい子も、スプリンターに憧れている子も。大逃げで勝ってみたいと思っている子も、直線一気で一着をもぎ取りたい子も。みんなに希望を与えたい。その為に、みんなの消えそうな夢を一つでも、現実にしてあげるために! ファル子の力を貸して欲しいんだ。頼む!」

 

俺は頭を下げて、誠心誠意で頼み込む。

視界は足元しか映っていないから、周囲の状況が理解できないが。短くない時間が経つと、桐生院さんがファル子に対して優しく声を掛けた。

 

「どうしますか、ファル子さん」

「え……どうする、って……」

「やはり、私はまだまだ未熟なトレーナーです。あなたが私の所へ来て、色々と学ばせてもらい、教えましたが……。好井トレーナーは、直接会話をしていなくとも、ファル子さんが大事にしてることを的確に捉えています。……内容が内容でしたから、少し驚きましたが。ファル子さんにとっても、きっと悪い話にはならない気がしますよ」

「葵ちゃん……」

「正直に言えば、これ以上これからどのようにあなたを指示していけばいいのか、少し悩んでいたんです。好井トレーナーの仰るように、あなたの実力はとても素晴らしい。なにより、それに付随する素敵な夢を、私はお堅い家柄に生まれ育ったから、お恥ずかしながら心の底から理解できていません。それならば、実力も目線も同じくしてくれる、好井トレーナーの下で……皆さんの夢になってあげることが、私は適切だと思います」

 

思わず顔をあげると、とても悲しそうな顔をしてファル子の肩に手を置く桐生院さんが居た。

彼女も、彼女なりに思うことがあったのだろう。最高の成績を収めているから、その軋轢に気付けるものはほとんど居なかったに違いない。

でも、俺はそこまでしてもらうつもりはなかった。安心沢の所から、特別移籍でやってきたネイチャとは少し事情が違う。俺が、俺の為にスマートファルコンの協力を仰いでいるのだ。

 

仲裁をしようと思った刹那、ツインテールのウマ娘は勢いよく立ち上がり、トレーナーを強く睨んだ。

 

「葵ちゃん、ファル子のこと……嫌いなの?」

「そ、そういうわけでは! ただ、実力に見合った人に師事してもらう方が適当だと私は……」

「ファル子がトップウマドルになることなんて、どうだって良いと思ってたんだ?」

「違います! ただ、あまりに専門外のことだったので、よくわからなくて……」

「だったら、わかるまでファル子が教えてあげる!」

「え……?」

 

スマートファルコンは真剣な目で、桐生院さんの手を握り続ける。

 

「移籍するときに、私言ったよね。葵ちゃんの知識や指導の仕方は、私の性格と全然違うって。だから、今までにはない新しいファル子になれると思ったんだ、って。おかげで、東京大賞典もフェブラリーS(ステークス)も、帝王賞も、全部センターで踊れたんだよ!」

「……ファル子さん……」

「だから、どんなことになっても。私は葵ちゃんとトゥインクル・シリーズを走りたい。そして、絶対に、私が……ファル子が、あなたにとっても最高のウマドルだってことを、教えてあげたいの!」

 

「……だ、そうですよ。桐生院さん」

 

俺が何かを言うより、本人がここまで本気の敬愛を見せているなら言葉はいらないだろう。

 

「わかりました。すみません、ファル子さん……いえ、ファル子。やはり私は未熟なトレーナーでした。担当している子から教わるなんて……」

「えへへ。ファル子の気持ち、ちゃんと届いたかな?」

「はい、しっかりと。……それで、好井トレーナー。形としては……一時的な移籍、というのではいかがでしょうか?」

 

おずおずとした問いに、俺は胸を張って応えた。

 

「全く問題ないです。一緒に走っていくことが二人の夢であるなら。俺はその夢も、当然守りたいですから! そもそも、完全に移籍をお願いするつもりはなかったんですよ」

「好井トレーナー……!」

「やったー! じゃあ、全部終わったら、また葵ちゃんと走って良いんだね!?」

「ああ、もちろんさ」

「わーい! ありがとう、好井さん! 葵ちゃん、ちょっとだけ待っててくれる? ファル子、みんなのキラキラになって、必ず帰ってくるからね! その時は、一緒にファル子達の新曲を踊ろう!」

「ええ、わかりました。約束ですよ」

 

うん。良かった。これで、計画第一段階への入り口が開かれたわけだ。後は、起こりうる問題や突破しなくちゃならない障害を大人として、しっかり越えていかなくっちゃな。

 

 

 

 

「失礼するわよ、好井先輩」

 

綺麗に話がまとまったと思った矢先、部屋の扉が勢いよく開かれた。

シニヨンにした金髪と、三角系の珍しい形をした眼鏡。妙に濃い目の化粧は、先輩にあたる桐生院さんより年上に見えるぐらい。皺ひとつない、いつものレディスーツをまとった安心沢(あんしんざわ)育功美(いくみ)だった。

 

「なんだよ、安心沢。部屋に入るときはちゃんとノックしろよな」

 

『あなたがそれを言いますか?』と言いたげな桐生院さんの顔が、視界の端に映るが気にせず後輩に向き合う。

 

「あら葵先輩、ごきげんよう。お元気そうね」

「こんにちは。……安心沢トレーナーと話すのも、なんだか久しぶりですね」

「そうね。フェブラリーS(ステークス)の借りを返すために頑張ってた、うちのコインちゃん(シンコウウインデイ)がうるさくってね。帝王賞でも『キャプテン』に勝てなかったものだから、落ち着かせるの大変だったのよ」

「あはは。噛み癖のある子のコントロールは大変ですね」

「ちょっとちょっとー! ファル子のこと、変なあだ名で呼ぶのやめて、って言ってるでしょー?」

「それより、俺のことを当たり前の様にスルーしないでくれよ」

 

ぷんぷん怒るファル子を差し置き、俺は俺で質問をぶつける。

 

「何の用だ?」

「ええ。好井先輩に、今日はちょっとした宣言をしにきたの」

「宣言?」

「さ、入ってきていいわよ」

 

安心沢が合図を出すと、空きっぱなしの扉から一人のウマ娘が入って来た。

優雅な仕草、葦毛の長く綺麗な髪。一目でわかる、良家のお嬢様らしい風貌。だけど、ことレースになれば史上最強のステイヤーとも名高い、天まで昇る脚を持つ強者。

 

うちのトウカイテイオーの最大最高のライバル。

 

 

「ごきげんよう、皆さん」

 

 

メジロマックイーンが、恭しく挨拶をした。

 

有名な彼女のことを、知らない人はこの空間に誰も居ない。

だからこそ驚いた。マックイーンのその姿に。

 

 

制服でもない。私服でもない。

かつて、痛々しく嵌められていた脚のサポーターもついていない。

 

動くために特化した、トレセン学園指定のジャージを着ていたのだ。

 

 

つまり、それが意味することは……。

 

「マックイーン……もしかして……?」

 

声の出ない俺に代わり、零れるような、すがるような質問をテイオーが口にする。

それに対し、かつての最強のライバルは不敵ににやりと笑うのだった。



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第十八話「追跡、ファル子が逃げたら? 『うまぴょい』するしかな~い!」

「奇跡を起こしたあなたを見て、(わたくし)も何もしないわけにはいきませんもの」

 

とんとんと、左足の爪先でやや強めに床を叩く。靭帯を痛め、場合によっては二度と走ることすら叶わないとまで言われていたメジロマックイーンの足。リハビリに励んでいるのは聞き及んでいたが、良い噂は耳にしなかった。だから、てっきりまだまだ時間が必要か、あるいは……と思っていたのだが。

 

「本当に、もう走れるの……?」

 

大きな瞳を潤ませながら、けれどライバルの前では泣くわけにはいかない、と。テイオーは懸命に堪えながらも、質問をする。

 

「ええ。まだ全快ではありませんが、レースに出ても支障はないと主治医から許可が下りています。つまり、テイオーさん。あなたとまた、走れるのです。……約束、でしたからね」

「……ッ!」

 

本心では抱き着いて泣き叫びたいぐらい嬉しいはず。それでも、テイオーにとってマックイーンは友達以上の仲間でライバル。再起して、闘志をぶつけられた以上は相応の態度を取らなくてはいけない。

すがるように伸ばしかけた手を引っ込め、拳を胸の前で作り、瞳に戦意を交えて言う。

 

「よかった。……復帰レースは何に出るの?」

「まずは京都大賞典に。そこで良い成績を収められたら……年末、有記念に出走します」

「!」

「春の天皇賞は、あなたにとって長すぎるコースでしたからね。2500mならば、(わたくし)にとっても、あなたにとっても、ちょうど良い距離かと」

「……うん」

「ですから、そこで今度こそ……決着をつけましょう」

「……へへっ。負けて泣いても、知らないからね!」

「その言葉、そっくりお返しいたしますわ」

「……待ってるから。ボクも秋の天皇賞を獲って、キミが出来なかった天皇賞春秋制覇をして。そのまま、最強のウマ娘としてキミを迎え討つ! だから、絶対。中山に来てよね」

「ええ、必ず。」

 

テイオーは拳を解き、手を差し出す。マックイーンも、白く細い手を差し出して握手を交わした。かつて、春の天皇賞で対戦した時はマックイーンの完勝だった。けれど、今のテイオーは『うまぴょい』の効果もあって、長距離も十分に戦える。果たして、史上最強のステイヤー相手にどこまで通用するのか。トレーナーという枠を超えてでも、楽しみなカードと言えるだろう。

 

 

 

「…………あ、あの……好井さん。」

「……うん」

 

不安げに指で腰をつつかれた。俺も冷や汗全開で腕組みしながら、強張って動かない笑顔のまま答える。

 

そう、そうなのだ。

 

そこに、このスマートファルコンを参加させなくてはならないのが、最大の問題なのである。

 

 

 

 

 

 

「ってわけで、短期間だがスマートファルコンをウチで預かることになった。みんな、仲良くな!」

「みんなに笑顔を届けます☆ 最強ウマドル、スマートファルコンでーす! ファル子って呼んでね♪」

「ファル子ーーー!!」

 

用の済んだ桐生院さんや安心沢たちが帰った後のトレーナー室にて。俺一人しかやっていないコールが、空しく部屋中に響きわたった。

なんだいなんだい、キミ達。ノリが悪いぞ。初対面の子はさておき、フラッシュ。キミは同室の友人だろう。

 

「友人であることと、掛け合いに参加することは別問題だと思いますが。TPOというものもあります。」

「えー!? でもでもフラッシュさん。時々ファル子のライブに来てくれてるよね?」

「あなたの活動を応援はしていますが、そのような大声を出したりはしていません。」

「見てみてファル子。これ、この前のキミのライブ席に居たフラッシュ。いつもはこんな風に笑顔でサイリウム振ってくれてるのに、今日はつれないよなぁ?」

「い、いつの間にそんなものを撮ったんですか!? すぐに消してください!」

 

あまり見ない柔らかい表情で、ケミカルライトを慣れない手つきで持つフラッシュを映したスマホを、ポケットにしまう。同志(デジタル)からの貴重な情報提供だ。消すわけにはいかんぞ。

 

「トレーナー。ふざけてないで、さっさと本題に入ったら~?」

 

あっけなく力負けして、スマートフォンは奪われてしまっていた。だが、ロックが掛かった画面を突破するのは不可能……という思惑を、フラッシュは一発で粉砕した。630420という見せたこともないはずのナンバーを躊躇なくタップし、写真アプリを開こうとしたところ、テイオーが奪って俺に投げて寄越してくれた。

 

「それもそうだな。みんなには、事前に話したと思うけど。これから、俺とテイオー、ファル子で『うまぴょい』をウイニングライブとして新生させる。その為に……」

「あ、それ。ちょっと気になったんだけど」

 

ネイチャが手を挙げて、割って入って来た。目線を合わせ、少しだけ首を傾げると答えるように続けてくる。

 

「『うまぴょい』って、そもそもそんな方法で効果が出るものなの?」

 

もう我々の間では隠すこともないので、議題について俺はためらわず返答する。

 

「ああ。実際に異性のトレーナーとするより効果はちょっぴり弱いけど、同性トレーナーと比べれば十分な成果が見込めそうなんだ」

「へぇ~。いつの間に、そんなことを」

「聞きたいか? トレーニングの合間や休日などのわずかな時間を割いて、俺がルドルフや他の理解あるウマ娘たちと、共にやってきた実験の数々を……」

 

 

 

 

そう、あれは夏合宿に入る前のことだった。

 

 

 

「いや、浸りすぎ」

「まだ回想の入り口なんだけど!?」

 

せっかく、発見や苦労の数々を披露しようと思ったのに。ツッコミが早すぎるよ、ネイチャさん。

まあいいや。長々と話しても、そんなに面白い話ではないしな。結局はトライアンドエラーの繰り返しという地味なことをやってただけだから。

 

「百聞は一見にしかずだ。テイオー、俺に合わせて、やってみせてようか」

「うん、わかった」

 

一応、外から見えないようにカーテンや施錠をしっかり確認してから、二人でみんなの前に立つ。

 

そして、俺がスマホでメトロノームでリズムを作るとテイオーは踊り出した。それに合わせて俺も踊ってみせる。まだまだ開発中の段階なので、曲の振付としては荒さしかないが、それでも、テイオーは巧みな足取り、身のこなしで舞う。動きと動きの合間に入る、絶妙な『すきだっち』など、教えた通りに完璧にこなしてくれた。予定では、もっと大人数で踊れるうえにセンターは3人なのだから、未完成も未完成なのだけれど……。

 

「ぜぇ……ぜぇ……。とまあ、こんな感じだ。完成度としては、まだ半分にも満たないんだけど……。どうだ、みんな?」

 

涼し気な顔をしてるテイオーの横で、ウマ娘の動作に合わせただけなのに息を切らせている俺は皆に尋ねた。

 

「どう、って……」

「特に変化があるようには思えませんが……。」

「ファル子も」

「私も特には~」

 

ククク……甘いな。本当にそうかな? なあ……クリーク!

 

「え?」

「あ!?」

 

一瞬の出来事だった。本人すら気付いていないほどの、無意識の領域。

額に流れる汗を拭きながら、柔らかい膝の上でソファーに俺を寝そべらせている。ついでに、おしゃぶりまで付けられそうになったが、必死に抵抗を試みつつも押し込まれたので一旦咥えながら、俺は得意げに語る。

 

「ひま、ふりーふひふはほいのほうはは……ぷはっ。すまんな、テイオー。今、クリークに『うまぴょい』の効果があっただろう。以前にも起こった、母性(ママみ)の強化だ。俺と直接『うまぴょい』してもいないのに、これだけの効果があるんだよ」

 

とはいえ、この即効性については俺が直々にダンスを踊ったからなのだが……。ウマ娘同士の場合は、もうちょっと時間と効能が下がる。けれど、出来るのは間違いない。頭を撫でる手に礼を言いながらゆっくり離脱すると、俺は立ち上がった。

 

「これが完成し、恒常化できれば……。きっと、みんなもっと自由に走れるはず。才能の差はあるかもしれないけれど。けど、走るウマ娘として確実に一歩先へ進めるようにはなれると思うんだ」

「ふぅ~ん……。トレーナーさんは、それでいいの?」

「? なにが?」

 

気持ちを高ぶらせながら言っていると、ネイチャが少し不満……いや心配そうな顔で質問をした。意図が掴めずに聞き返すと、伏し目がちに返答が来る。

 

「トレーナーさんって、『うまぴょい』の天才なわけでしょ? みんな平等になっちゃったら、トレーナーとしての……その。評価とか下がっちゃったり……しないかなぁ~? なんて」

 

言われてみれば、俺のトレーナーとしての才能は特別凄いものではない。桐生院さんのような名家の知識も、安心沢のような突拍子もない育成理論も、先輩のような地道な努力による成果も……俺には無い。

誇れるものはなかった。だから、確かに『うまぴょい』が他人と違うと知って、ほとんどが戸惑いであったとはいえ、どこかで喜びを感じていたのも事実だ。

それを自ら手放す行為に、ネイチャが気を揉むのも当然かもしれない。

 

 

だけど。

 

 

「俺たち……いいや。俺、好井ソウマはウマ娘が大好きだ。キミ達一人ひとりが、一秒でも長く楽しく、嬉しい思いをしながらターフを駆けて続けて欲しい。それが、俺のトレーナーとしての本懐なんだ。その為なら、なんだってするし、どうにでもなっていいと思ってる。だから、俺のことは気にしなくていいよ」

 

とはいえ、平凡なトレーナーの下で教育を受けるというのが屈辱と感じる子も居るだろう。非凡な人の方が、輝けるチャンスは多いだろうから。

そのことに対しては、俺は出来るだけの努力をするとしか答えられない。

それでも、思うことがあるなら……その時は……。

 

「ああー! ごめん、トレーナーさん! そういうことが言いたかったんじゃないの! アタシの悪い癖で、つい……」

 

慌てて頭を下げながら、ばつの悪い様子で頬を掻いていると、その小さな肩をクリークが優しく抱いた。

 

「大丈夫ですよ、トレーナーさん。私たちは、好井ソウマさんっていうトレーナーのことが好きで一緒に居るんですから」

「そーそー。ボクやクリークなんかは、その前からずっと一緒だったじゃん。今更何さ~? って感じだけど」

 

逆におかしなことを言われたかのように、困った顔で笑うテイオーとクリーク。その少し後ろで、フラッシュはため息交じりに口を開く。

 

「考えは尊重しますが、ご自身がどうなっても良い。という点については賛同しかねます。」

「身を粉にしてでも頑張るよって、意味なんだけど……。足りない?」

「いいえ。そうではありません。」

 

柔らかく笑いながら、フラッシュは言った。

 

「私が、そうはさせません。共に支え合うために、あなたが誘ってくれたのですから。トレーナーさんの手が及ばない部分の補佐は、私に任せてください。」

「フラッシュ……」

 

俺は本当に、良い子達に恵まれているなぁ。感涙してしまいそうだ。滲む景色を必死でこらえながら、鼻を一啜りして、きょとんとしているスマートファルコンに向き合った。

 

「そうと決まれば、計画をどんどん進めていかないとな。ファル子、準備はいいか?」

「え? あ、うん。良いけど……何するの?」

 

おっとっと。そういえば、ファル子は赤点や補修の常連だったっけな。今まで飲み込みの良い子とばかり話してきたから、ちょっと意外な返答に戸惑ってしまった。

だが、わからない子にはわかるように伝えるのが指導者の務め。俺ははっきり、小さな肩を掴んでから言った。

 

「決まってるだろう? ……『うまぴょい』だ」

「……へ? あのあの……好井さん。もしかして……今、ここで?」

「ああ。ライブ用のとは違う。純度100%の、俺との『うまぴょい』だ。芝と長距離を走れるようにするため、今出来る最短の方法さ」

「ちょ、ちょっと待って!? ふぁ、ファル子……心の準備が……」

「大丈夫大丈夫、動いてれば自然と気分も上がるからさ」

「そんなこと言われても……! う……うぅ~~!! やっぱ無理ーーーー!!」

「おわっ!?」

 

俺の伸ばした手から、するりと逃げるようにしてファル子は走り去っていく。視線で追いかけようとしたのだが、もう既に部屋からいなくなってしまっていた。

 

「流石は、逃げ切りシスターズのリーダーだ。逃げ足の速さは半端じゃないな」

「今のはトレーナーが悪いと思うけどぉ? いくらなんでも、みんなの前でいきなり、はねぇ?」

「風情ってもんがないよね。あと、なんか発言がいつもより、やらしー感じする」

「そもそも脚質の逃げと、逃げ足の速さに関係はないと思いますが。」

「ちょ、ちょっと夢を語って気分が高揚しちゃってただけだわい! とにかく、ファル子と『うまぴょい』しないと、話が進まないんだから! 手伝ってくれよ!」

 

俺を立ち上がらせるために手を伸ばしてくれたクリーク以外は、非協力的だな。なんでだよぅ。

施錠していたはずの戸を開けて、重たい足音のしていった先を見る。既にファル子は豆粒ぐらいの大きさの状態で、遠くの廊下を走っていた。あんなそんな走り方してたら、流石に先生たちに怒られちゃうぞ。

 

「よし、テイオーとネイチャは一階から。クリークとフラッシュは三階から追いかけよう。挟み撃ちにすれば、ファル子といえど掴まえられるはずだ!」

 

それぞれに指示を出すと、各々が返事をして走っていく。俺は俺で、瞬きした時には既に手の届かない範囲に散った皆を視界に映しながら動き出す。

合宿時のテイオー達との追いかけっこが、まさかこんな形で必要なトレーニングになるとは思いもしなかった。スマホが鳴るたびに一旦停止をして(歩きスマホは禁止だぞ)情報を元に、そこへ向かう。

流れてくるメッセージ、飛んでくる電話の内容から徐々にファル子を追い詰めていってくれているのを、ひしひしと感じた。俺の担当している子たちは、本当に優秀だ。

 

だからこそ、その『差』に俺は激しい劣等感と申し訳なさを感じる。

 

「あぁ~。トレーナー、もうちょっと早く来てくれれば良かったのにぃ」

 

頬に汗を垂らしながら、それ以上に疲弊して項垂れている俺の頭頂へテイオーが不満の声を漏らす。

校舎の端まで追い詰めてくれたテイオーが、ファル子を拘束してくれていたらしいのだが……パワー負けして、逃げ出してしまったらしい。伊達にダートを走っていないな。テイオーの力を以てしても、長く捕まえられないとは。

そして何より、『うまぴょい』をしないといけない俺自身の到着が遅いというのが難点だ。言うように、もう少し早ければ、なんとか出来たはずなのに。

 

「背負って走ろうか?」

「いや……ファル子の速度とパワーに、俺という重しを載せたら負けるのは必至だ」

「そうかなぁ。トレーナー軽いし、別に問題ないと思うけど」

「ちょっとは鍛えてる男の子に、軽いとか言わないでぇ!」

「事実を言っただけじゃん。……で、どーすんの?」

「ふふふ……こんな時の為に、秘策があるのだ。任せておけ」

「嫌な予感しかしない台詞やめようよ……」

 

テイオーの言葉を尻目に息も整ったところで、俺は髪をかき上げながら自信満々に叫んだ。

 

「安心沢さん!!」

「はいはーい。お呼びかしら?」

 

彼女は安心沢刺々美(ささみ)。俺の後輩、安心沢育功美(いくみ)の姉だ。

笹針師という、特殊な形状の針を使いウマ娘の身体能力や健康面を底上げする秘孔を突くのを生業としている人だ。学園関係者としては、許可もなくいつの間にか侵入しているのでただの不審者なのだが。背に腹は代えられない。

彼女の笹針は、言うなれば不安定な『うまぴょい』みたいなものなのだが。特筆すべきは、人間にも効果があること。一時的とはいえ、俺もウマ娘並の身体になれる……とか、なれないとか。

ともあれ、今俺がウマ娘に少しでも近づくには彼女の力を借りるしか……。

 

「…………ん?」

「どうしたのかしら? 呼んだのはアナタでしょう? 好井先……トレーナーさん!」

「お前……育功美(いくみ)だな?」

 

広がるような金髪に、怪しげなマスク。真っ赤なルージュが特徴のはずだが、今日はオレンジのリップだし。髪は信じられないくらい真っすぐだし、身長も少し低い。なにより、マスクじゃなくていつもの三角眼鏡だ。

 

「やだぁ! トレーナーさんったら、突然名前を呼ぶだなんて、大胆☆」

「誤魔化すな! 笹針師の姉はどうした!?」

「姉さんはさっき、たづなさんに見つかって追放……じゃなかった。所用が出来て、来れなくなったのよ」

 

別人と自白していることに気付いてすらいねえ。そんなことより。

 

「お前、笹針も出来るのか?」

「ええ、当然よ。(やったことないけど)」

「おい、今小言で」

「そんなことより! 急いでいるんじゃないのかしら、先輩!」

「お、おお。そうだった。もうこの際、お前でもいいや。出来るってんなら、頼むぜ!」

「まっかせなさ~い! さ、背中向けて!」

「よっしゃ!」

「行くわよ……ブスッとな♡」

「うっ……!?」

 

身体の一部に、鋭いものが突き刺さる。服の上からなので、衣類による反発があるから貫通まではしない。だが、それでも痛みを伴うような奇妙な感覚が、針を起点に広がっていく。

 

「うが……ぁああ!!」

「と、トレーナー!?」

 

全身を巡る感覚にのたうち回っていると、テイオーが心配して寄ってきた。安心沢は変わらず俺を見下ろしている。こいつ、まさか……。

 

と、脳裏に失敗の文字が浮かび上がってきたと同時だった。

 

「!」

 

全身を漲る力が走っていった。感じたことない高揚感、身体の内から湧き上がるパワー。

これが……これが、ウマ娘の領域……なのか!?

 

「うぉおおお!! 力がみなぎってくる! サンキュー、安心沢! これならイケるぜ! テイオー、今度は後れを取らねえ! 俺はやるぜ!!」

「ちょっ、トレーナー!?」

 

昂る感情のまま、お礼を言いながら俺はファル子の追跡に移った。流石は安心沢の家系だ。ちゃんと技術が確立されているんだな。

 

 

 

――――

 

「……ねえ、安心沢……さん?」

「なぁに、トッティー」

「あの力、一体なんなの?」

「……さあ。知らないわ。ちょっと怖かったわね」

「無責任すぎるでしょ!?」

 

――――

 

 

見える、見える。足が軽く、息も深い。ちょっと全力を出せば、すぐに一杯になる肺が急に広大な草原にでもなったかのよう。

カーブのついでに減速をする際、スマホでフラッシュから届いた情報を整理する。なんてこった、頭の回転も上がっているぞ。無敵になったかのような気分だ。

 

階段を5段飛ばしで駆けあがり、つむじ風を起こしながら廊下を走る。本当に俺の身体じゃないみたいだ。

これなら……!!

 

「見つけたぞ、ファル子!!」

「ええぇ!? よ、好井さん!? どーして追いつけるの!?」

 

若干の疲労が見えるスマートファルコンを、俺はようやく捉えた。腕を振る毎に、彼女に一歩近づく。今にない感覚を上手く制御できず、思わず追い越してしまった。

だが、それがちょうど良かった。回り込むような形になったのを良いことに、切り返しと同時に俺は跳躍する。

 

「ファル子! 掴まえたぞ~~!!」

「や、やだぁーーー!!」

「どわーーーー!!??」

 

某怪盗のように、ダイビングしながら接近すると想像を絶する力で俺の身体は弾かれた。

そういう玩具かのように、綺麗に弾かれた俺はそのまま窓の方へ飛んでいく。けたたましい音と共に、そのまま二階という高さの空中へ放り出されてしまった。

 

「や、やだ……! 好井さん!? だい……」

「大丈夫!!」

 

鮮やかに宙返りをして、落下先にある木の枝を俺は掴みそのまま腕の力だけで旋回。綺麗に枝の上に載ると、親指を立てて無事をアピールした。

 

「よかったぁ……。ごめんなさい! ファル子、つい……」

「……いや。謝るのはこっちだよ。無理くり『うまぴょい』をしようとするなんて、俺らしくなかった。怖がらせてごめんよ、ファル子」

 

こんな心配そうな顔をさせるために、追いかけているんじゃないんだ。当初の目的を忘れてしまいそうだった。安心沢の笹針が、そうさせたんだろうか。それとも、少しでも早く計画を進めたいという焦りからだろうか……。

とにかく、強烈な一撃で目の覚めた俺は続ける。

 

「少しずつでいいからさ。距離を縮めていこう。まだ俺達、まともに知り合ってちょっとしか経ってなかったもんな。ファル子が、人懐っこいからつい忘れてたよ!」

「……好井さん」

「今日のところは、とりあえず座学をやろう。中央でのレース経験が少ないから、しっかりコースのこととか学んでいこうな。だから、先に部室へ行っててくれ!」

「でも……でもでも! それじゃあ、好井さんが!!」

「良いんだ……。俺のことは。キミ達ウマ娘が無事ならそれで……」

 

気が付けば、音を聞きつけて群衆が出来始めていた。このままファル子を現場に置いておくと、犯人にされかねない。いや、犯人ではあるんだけど。俺の不始末に、加担させるわけにはいかない。

笹針の効果が切れたのか、反動で体が強烈に重くなる。膝をついて、浅く呼吸をしているとファル子が不安げに声をかけようとしてきた。

 

「いいから、早く行くんだ! 後のことは俺に任せろ!」

「……!」

 

俺の言葉に気付いたのか、いつの間にか後ろに居たテイオーがファル子の肩を掴んだ。そして、目で何かを訴えると、校舎の奥の方へ共に走っていった。ありがとうテイオー、それでいい。

 

 

「……おい、貴様。何をしている」

 

ボロボロになった俺を、見上げるウマ娘が居た。

恐ろしく低い声と鋭い眼光で、女帝……エアグルーヴが犯人と思わしき俺へ声をかける。

 

どうやら、ここまでのようだな。

だが甘いぜ、エアグルーヴ。俺だって、人生経験を無駄に積んでいるわけじゃない。反省文の書き方なら、先輩の下でドジ踏んだ時にアホほど学んだ。今更1枚や2枚、どうってことないぜ。

 

それよりも、ファル子との距離の縮め方を考えなくてはな。ゆっくりでいいとは言ったけど、時間があまりないのも事実。何か、こう……きっかけが作れれば。

 

「質問に答えろ、好井ソウマ!」

 

……まあ、それよりも先に。まずは目下の問題を片付けなくっちゃな。

観念したように俺は木を降りていく。

 

さあて、反省文常連の俺様の実力を見せつけてやりますかねぇ。ちゃっちゃと終わらせますよ、っと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

「立腹! 学園設備を何だと思っている!!」

「修繕費はお給料から引いておきますからね。始末書は明日までに提出してください」

「はい。本当にすみませんでした……」

 

 

反省文だけで済まないようにするのは、ずるいよエアグルーヴ……。



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第十九話「葛藤、芝とダートと『うまぴょい』と!」

トレセン学園内の芝のコース。一周ぐるりと1800m。色々なチームのウマ娘がトレーナーの指導の下、練習メニューを熟していたり、個別に考えたであろう器具を使ったトレーニングを行う自主トレ者が居たりなど、今日も活気は十分だった。

 

「あっ、見て!」

 

ストップウォッチを片手に、タイム記録用のバインダーを持つ俺の後ろから道行くウマ娘が声を上げた。その視線の先と俺の視線の先は同じく、ある一人の者へ向けられている。

 

身体を思い切り倒して地に手を付ける。立ったままというのに、踵すら浮かせることなくぐにゃりと上半身を曲げてストレッチする姿は、倜儻(てきとう)な柔軟性を誇示するのに十分だ。何度か反動をつけて準備運動を終えると、付けていた手で思い切り地を弾き直立の姿勢へ戻った。鹿毛と長い流星が三日月のような軌道を描き、すとんと重力に収まる。それから俺の相棒、トウカイテイオーはこちらにウインクをして合図を送った。

 

「よーい……スタート!」

 

開始の掛け声と共に、地面が少し揺れた。シューズに着いた蹄鉄が、土ごと芝を抉り空を舞う。今日はいつもより高さがあるな。なんて呑気なことを感じていると、テイオーは既に向こう正面まで到達していた。歩幅の大きいストライド走法で、地の果てまで走りそうな勢いそのまま最終コーナーへ入っていく。

天皇賞・秋を想定して動き出した時計の針は、想像していたよりもかなり早い時間を示している。それなのに、汗は搔けど涼し気な顔のまま背筋の伸びた美しいフォームで、俺の眼前をつむじ風と共に駆け抜けていくテイオー。

トレーニングにも関わらず、その走りを見て背後から歓声があがるほどのカリスマ性をもった彼女は、人懐っこい笑顔で息を弾ませながら俺の所へ戻って来た。

 

「トレーナー、どうだったー?」

「1分58秒3。上がり3ハロンに至っては34秒だ。前回とは比べ物にならない好タイムだな」

「へへーん! でしょー? 走ってても、すっごい調子よかったからね!」

「このまま状態を上げてって、レコード更新といっとくか!」

「いっちゃお、いっちゃおー! よーし! それじゃ、もう一本行ってくるねー!」

「無茶だけはすんなよー!」

 

既に遠くへ行ってしまったテイオーへ声をかける。『うまぴょい』によって、テイオーの身体は強靭なものになった。だけど、マックイーンとの再戦が決まってからテイオー自身は俺との『うまぴょい』を拒んでいる。新しいライブ曲のための練習も、今はネイチャやクリークたちに代わってもらっているほど。練習でも『うまぴょい』の軽い効果が出てしまうから、嫌なんだとか。

 

何故そこまで……と尋ねるまでもなく、俺は理解している。

テイオーは、マックイーンとの真っ向勝負を望んでいるのだ。計画通りにことが進み、『うまぴょい』が浸透してしまう前に、今度こそ自身の力だけで『天駆ける名優』から勝利を得たいのだろう。

俺もそこは尊重し、スケジュールを組んであげた。気になるのは、またケガをしないかどうかだが……。今はテイオーを信じてあげよう。

 

「いやはや、またとんでもないタイム出しますね主人公さんは」

 

ロードワークから戻って来たナイスネイチャが、手に持ったバインダーの数字を見ながらぼやく。次走を同じレースにしているので、今は別々のトレーニングメニューを課しているのだ。

 

「でも、最近のネイチャも良い仕上がりになってるぞ。敵はテイオー以外居ないってぐらいにな」

「まー、アタシは『うまぴょい』してるからねぇ。テイオーは素でしょ? どんだけ伸びしろあんのさーって感じですよ」

「ネイチャのことも十分にライバル視してるけど、やっぱアイツにとっちゃ宿敵はマックイーンなんだろうな」

「水を差すわけじゃないけどさ……だったら、なおのこと良いの?」

「何が?」

 

指をさす先に居たのは、ピンクの可愛らしいアーガイルチェックのリボンを両につけた栗毛のウマ娘。

砂塵を巻き上げ、一歩進むごとに推進力を増して進んでレースを圧勝するダート界の覇者、スマートファルコンだ。フラッシュがタイム計測をして、仕上がりを見てくれているが遠目でもわかる安堵の表情を見るに、問題はなさそうである。

ファル子が目指す次のレースはシリウスS(ステークス)。ダートのGⅢレースだ。桐生院さんから預かって日も浅く、そもそもまだ『うまぴょい』を出来ていないので芝は走れないだろう。なので、まずは勝てるレースに挑んで、ファル子のウマ娘としての在り方を知ろうと思ったわけだ。……勝てるレース、というがレースに絶対はない。いくらダートGⅠを制覇しているファル子でも油断は禁物だ。

 

「ファル子先輩、有記念で、その二人を後ろに走らせるんでしょ?」

「思わずそうなった、ってだけだよ。予定に変更はない。時間もあんまり残ってないと思うしさ」

「そうかもしんないけど~……。ライスさんみたいなこともあるじゃん? 大丈夫かなー、って」

 

テイオーと同じように、無敗の三冠ウマ娘になりそうなウマ娘が居た。ミホノブルボンだ。彼女は菊花賞まで負けることなく勝利を収め続けてきたのだが、クラシックロードの最終戦、後ろから迫る黒い刺客ライスシャワーに伝説を奪われてしまった。

ライスシャワーに非など一切なく、ただ懸命に勝つためだけに努力をしてきた彼女は称賛の声を浴びるはずだった。しかし、観衆はやはり劇的な結末を求めるもの。シンボリルドルフ以来の偉業を目に出来ると思っていた人々は、その夢が崩れると拍手ではなくため息を漏らした。

寂し気にターフを去る彼女の背は、未だに忘れられない。声をあげて、努力の結果を褒め称えてあげたかったが……あの空気でそれをやってしまうと、ライスシャワー自身にヘイトが向けられて更に悪い熱が加速しそうな状態だったのだ。一部の、理解している人……何より敗北を喫したミホノブルボン自体がそれを深く気にせず、純粋に彼女のことを尊敬するライバルと認めてくれていたのが救いだろうか。

 

「それはもう仕方ない。……というか、きっとそっちに注目はいかないよ。そもそも、ファル子が芝のGⅠに出て勝利すること自体が、まずおかしいことだからな。となれば、注目は俺に向けられるはずさ」

「……心配してるのは、そっちもなんですケド」

「はは。ありがとな」

 

 

普段からモフモフだが、まだ湿気の多い9月の気候。くせ毛が更に湿度でふわふわになった頭を、俺は優しく撫でる。俯いて儚げな表情が手の間から見えるのが、俺としても心苦しい。誰かに心配をかけることを、自ら望んで飛び込んでいくのは、どうしても引け目を感じるなぁ。礼を述べて、クールダウンのために周辺をランニングするよう指示を出して、不安げな背中を見送った。

 

 

目下の問題は、ファル子だ。

あれから、何度か『うまぴょい』を試みた。

やれ皆から、ムードを大事にしないからだの、いきなり人前は信じられないだの、多大なるダメ出しを受けたので、今度はきっちり二人きりの時間と空間を設けて、意志も確認した。

 

だが……。

 

「……ご、ごめんなさい。好井さん。や、やっぱりファル子……まだ……!!」

 

顔を真っ赤にして、潤んだ瞳を冷や汗と共に落としている姿を見ると、これ以上は犯罪になってしまいそうな感じさえする。とてつもなく如何わしいことのような錯覚を感じた俺も、無理に踏み込まないようにした。

とはいえ、俺も暇ではない。テイオーとネイチャの天皇賞・秋へ向けた調整。フラッシュのデビュー戦、クリークもアルゼンチン共和国杯とステイヤーズS(ステークス)の連覇に向けてトレーニングを重ねている。単純にウマ娘達への世話と、更には『うまぴょい』への計画に向けてのアイデア出しなども考えるなら、時間が本当に残されていない。

ファル子の意志を尊重するのが第一であるのに間違いはないのだけれど、少なくとも芝のコースを走る感覚を身に着けてもらう期間は一か月は欲しい。ファルコの場合は長距離のペース配分も会得しなくてはならないから、なおのことだ。

 

問題は山積みで、中々突破口も見つからない。テイオーが走ってる最中というのにも関わらず、俺はセットした髪も気に留めず頭をくしゃくしゃにしてから、大きなため息をついてしまった。

 

「どーした、ソウマ。でけぇ幸せが逃げてっちまってるじゃねーか」

「!」

 

聞きなれた声が後方からして、俺はすぐさま振り向いた。

黄色地のシャツにベストのトレーナー服。俺がつけている赤に蹄鉄の意匠と違う、金色の星が特徴的なドリームトロフィーリーグのバッジ。飴を咥えて、いつもの髭と髪がキマっている俺の先輩がそこに居た。

 

「先ぱ……」

「こんにちは、ソウマさん」

 

苦悶の顔を解き、声を掛けようとしたところ。

先輩の大きな体の後ろから、ひょこっと小さな影が飛び出てきた。

反射だけで太陽のような美しい輝きを見せる長い栗毛。緑色のイヤーカバーと白いカチューシャ。残暑の季節にぴったりな、青空の映える白い半袖のブラウスと薄花色のプリーツスカート。通気性の良さそうなタイツ姿も、懐かしい。先輩の相棒にして、俺が最も尊敬するウマ娘のサイレンススズカさんだ。

 

「スズカさん! お久しぶりです!」

「お久しぶりです。お元気そう……とは言えないみたいですね。どうされたんですか?」

「え? ああ、いやいや。なんてことは。思ってたより調子が伸びてこないなー、って思って」

「んなわけねぇだろ。みんな絶好調じゃねーか。下手な嘘つくなよ」

 

苦笑いして誤魔化すが、やはり長い付き合いからか偽言は看破されてしまうみたいだ。観念した俺は、二人に洗いざらいことの顛末を語ることにした。

最初は二人とも素直に頷きながら聞いてくれたが、途中から先輩は青ざめていき、スズカさんは逆に口元に手を当てながら顔を赤くしていった。白昼堂々、とんでもない話を振って申し訳ない。

 

「お前……前会った時より、なんかヤバイ方向にコトが進んでねぇか……?」

「ですよねぇ~……」

 

以前は、どうしたら担当の子と『うまぴょい』を避けられるか。どのように向き合えばいいか、という問題に直面しているだけだった。今は真逆。向き合い方はわかったけれど、その先の未来について考えている。俺の問題だけでなく、下手すればウマ娘の界隈全てに関わるほどの大ごとだ。

 

「理事長達は知ってんのか? URA側にも許可が要るだろ、それだと」

「いえ、実はまだ……。新曲の提案はしているんですけど、詳細をどう話せばいいのか、まだ思案中で」

「はぁ……。お前のその、一人で何でも抱え込む癖は全然変わってねぇな」

 

なくなった飴の棒を携帯ゴミ箱に入れながら、先ほどの俺と同じくらい重い溜息をつく先輩。返す言葉もなく、反省していると肩に手を置かれた。

 

「そういう面倒なことは、オレに任せておけよ。これでも、上位リーグの実力者だ。下手な奴が持ち掛けるより、説得力はあるだろ」

「せ、先輩ぃ~~!!」

「バカ、ひっつくな気持ち悪ぃ!」

 

思わず抱きしめそうになるが、身長差があるため密着できず頭部を押さえられた俺の両手が空回りする。そんな光景が懐かしいのか、スズカさんは優しく笑いながら見守ってくれていた。

 

「あー! スズカだーー!!」

 

じゃれ合う俺達の下に、甲高い声が浴びせられる。額に汗を浮かべたテイオーが、目を輝かせながらこちらに走って来た。

 

「久しぶりじゃん! どうしたの?」

「最近、みんな良い成績上げてるって聞いたから、ちょっと気になっちゃって。様子を見に来たの」

「そうなんだ。あ、聞いたよスズカ! 予選リーグ連勝してるみたいだね。さっすがー!」

「ありがとう、テイオー。あなたも、春の天皇賞勝てたのよね。おめでとう」

「ありがとー! 次はスズカがレコード出した、秋の天皇賞だからね! ボク、スズカの記録を破るつもりで走るから! 期待しててよね!」

「ええ、応援してるわ」

「……あ、そうだ。スズカ、これから空いてる?」

「え? ええ。今日は休暇だけど……」

「じゃあさ、久しぶりに併走……いや。模擬レースしようよ! 秋の天皇賞に向けてさ、仕上がり確認したいんだー!」

「こらこらテイオー。いくらスズカさんだからって、ドリームリーグの選手にそう易々と模擬レースを頼むな。」

「……」

「……」

 

スズカさんが、ちらりと目配せをする。受け取った先輩は、少し考えたがすぐに笑って頷いた。

 

「じゃあ、一度だけね」

「ホント!? やったー! ありがと、スズカ!」

「先輩にもちゃんと礼を言え!」

「え~? 後輩に飲み代奢らせるような人に、そんなこと言う必要あるぅ~?」

「なんだとテイオー! あれは、ちゃんとソウマが自分からなぁ!」

「にっしっし! わかってるって。ありがとね、『トレーナー』! いこ、スズカ! 部室にスズカのジャージ、まだ残ってるんだ~!」

「えぇ……ウソでしょ……。使わないから捨てておいてって言ったのに……」

「大事なエースの置き土産だもん。綺麗に洗濯してクリークが保管してくれてるんだ」

 

かつてのチームメイト同士が仲良さげに走っていく。共にレースを走ったことはないけれど、一緒に目指す目標に向けて切磋琢磨していた日々が脳裏に浮かんで、俺は少しだけ視界が滲むのを感じた。

 

「ちょ、ちょっとちょっと。あれ、スズカさんでしょ? どうして?」

 

ランニングを終えたネイチャが、驚いた様子で俺の所へ戻って来た。フラッシュやファル子も、同様に近づいてきている。先輩に軽い挨拶を交わした新参者たちは、俺の次の言葉を待った。

 

「俺達のことが気になって、見に来てくれたんだってさ。で、テイオーが模擬レースを無理やり誘っちゃって……」

「へぇ……。ねえ、トレーナーさん。アタシも、それ走って良い?」

「えぇ? んもー、わがまま言うなよぉ。テイオーとやるだけでも、特別なんだぞー?」

「だってー。スズカさんと走れる機会なんて、滅多にないじゃん! というか、今後もあり得ないかもしんないでしょ?」

「あー。良い良い。構わねぇよ。いずれは、皆進む道だ。目標が見えたら、目指す先が捉えやすくもなるだろ」

「先輩……。すみません。ありがとうございます」

 

いつの間にか新しい飴を咥えていた先輩が、誇らしげに寛大な言葉をくれる。喜んだネイチャ、フラッシュが遠くに見えるテイオー達の影を追う。今日は休養日のクリークも、せっかくなら走ってもらえば良かったかな。後でスズカさんが来てたことを報告してあげよう。

 

「ソウマ。スマートファルコンは良いのか?」

 

ぽつんと残るファル子を見て、先輩が心配そうに声をかける。今はまだダートしか走れないので、今回は遠慮しておくように返事をした。

 

「……そうか」

 

何やら腑に落ちない様子なのは、俺も同じ。

本当なら、一緒に走って欲しい。砂のサイレンススズカと言われるファル子が、芝で走ったとしたら……芝のサイレンススズカさん(なんか奇妙な言い回しだ)と、どちらが早いのだろう。

 

思考を巡らせていると、スズカさんがトレセン学園のジャージを着て戻って来た。隣にいるテイオー、そして宝塚記念を制したナイスネイチャ。デビュー前だが、同年代の実力者として名を馳せているエイシンフラッシュ。

錚々たる顔ぶれを見て、周囲が放っておくわけがない。気が付けば、グラウンドには人だかりが出来て注目を集めてしまっていた。

 

「トレーナー、合図よろしく~!」

 

楽し気に手を振るテイオー。スズカさんや他の二人にも、準備が出来ているのか目で確認を取る。

全員が頷いたのを見定めると、綺麗にスタートラインに並んだ4人へ向けて俺はスタートの掛け声を出した。

地面が揺れ、風が舞う。遠く離れていても、つむじ風を受けるほど素晴らしいダッシュが炸裂し、模擬レースは始まった。

 

相変わらず、異次元の逃げを見せるスズカさんが影すら踏ませぬ展開を作り、最終コーナーでほんのわずかに追い上げてきたテイオーを見て、嬉しそうに笑うと。誰も居ない景色を独り占めするかのよう、再加速して追い上げて、そのまま一着でゴールインしてしまった。

 

「くあ~~! 負けたぁ! くやし~~~~!!」

「テイオー、走り方変わったわね。綺麗なフォームは相変わらずだけど、スパートの力強さがまるで別人みたいだったわ」

「はぁ……はぁ……。これが……サイレンススズカさん……。」

「常識外れすぎでしょ……なに、逃げてから差すって……絶対おかしいじゃん!」

 

『うまぴょい』で強くなったネイチャも、まだまだ伸びしろがあるとはいえ末脚の鋭さならシニア級に引けを取らないフラッシュも。何バ身差だったのかわからないほど、圧巻の勝利でレースは終わった。

他に類を見ない絶対的な走りは、観客を魅了する。周囲の人たちは、大歓声を上げてその結果を称賛した。

 

「スズカ! もっかい! もう一回やろ! 次はぜーーったい勝つから!」

「ええ。良いわよ」

「……フラッシュさん、どうする?」

「予定にはない行動ですが……。個別でトレーニングするより、遥かに効果は大きいと理解できました。トレーナーさん達が仰るように、目標として捉えて走ることは、よりよい効率が期待できると思います。」

「だよねぇ……。負けっぱなしは、やっぱ良くないもんねぇ」

 

かつて、スズカさんの走りは他者を絶望に叩き落としてしまうことがあった。常識外れの、完成されたレース展開は、越えられない壁として立ちはだかり、希望を持った選手を容赦なく突き落としていく。

それについて悩んでいたこともあったそうだが……。いつも傍で支えてくれた先輩や、それでも背を追う後輩ウマ娘達によって立ち直り、今のように周囲を魅了する存在となったのだ。

 

「……」

 

楽しそうに、嬉しそうに。たくさんの声を浴びて、みんなが走っている。

 

物憂げに、悲しそうに。俺の横で、ぽつんと一人。スマートファルコンは、そんな輝くウマ娘達を見つめている。

 

「……やっぱり、凄いなぁ。スズカちゃん……」

 

色々と思うことはある。キミの考えていることも、なんとなく伝わる。

だからこそ……新しい一歩は、絶対に不可欠だ。

 

 

二度目の模擬レースも、変わらない結果が下ったことに安堵と驚愕を同時に感じつつ。先輩達に礼を言って、今日のトレーニングはお開きとした。

 

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

 

「天皇賞、春秋連覇おめでとうございます、トウカイテイオーさん。今日も素晴らしい走りでした。有記念も、このままの勢いで勝ちあがるおつもりでしょうか?」

「もっちろん! 目指すは連覇! ボクは最強無敵のウマ娘だからね!」

「先日の京都大賞典では、メジロマックイーンさんは復帰後初出走にも関わらず一着でした。それについては、いかがでしょう?」

「まぁ、マックイーンなら当然って感じかな。すっかり本調子みたいで、無駄に心配しちゃったよ~」

「ははは。二度目のTM対決、我々も楽しみにしています!」

「うん。みんな、期待しててね! 勝つのはボクだから!」

 

嬉しそうにインタビューを終えたテイオーが、楽屋へと向かっていった。これからウイニングライブの準備を行うためだ。

惜しくも、半バ身届かなかったネイチャの次のインタビューが始まる。悔しそうに感想を述べていく姿を見ると、3着でどこか満足していた彼女は、もう居ないのだと安心した。

 

 

そんな二人を、楽屋に見送ってからのこと。

 

 

「好井さん、どこに行くの?」

 

日の堕ちた時間帯、俺はスマートファルコンと二人で廊下を歩いていた。東京レース場の、裏側の控室……を通り過ぎていったその先。

すれ違うスタッフの人たちに挨拶をしながら、忙しそうに機材を抱えたり連絡をしあう人を尻目に、困惑するファル子を連れて進む。

 

「キミに見せたい景色があるんだ」

「え……?」

 

まるでプロポーズでもこれからするかのようなセリフだな。ちょっと恥ずかしい。照れを、頬を掻くことで誤魔化しながら、視線は真っすぐ予定の場所へ向かい続ける。

 

まだ暗い足元に注意しながら、小さな階段を上った先。

 

目的地はそこ……東京レース場のウイニングライブのステージだ。

 

あと1時間もしないうちに、ここは華やかなライブ会場へと変わる。レースを見ていた観客の人たちが、うっすらと確認できる。今日はテイオーの天皇賞春秋連覇の期待もあって、客入りはかなりのものだった。

 

ふと後ろを振り向く。付いてきていると思ったスマートファルコンは、先ほど俺が使った階段の手前で止まっていた。

 

「……ファル子」

「……好井さん、ファル子。そこには行けないよ」

 

無理に作った笑顔を向けて、立ち尽くすファル子。

皐月賞で大敗を喫し、芝への未練を断ち切った時から。きっと彼女は、もう『憧れる』ことをやめたのだろう。自分には自分だけの道がある。それを磨いて、ダートという舞台で新しい時代を作るのだ、と。

 

「一つ聞いていいかな」

「なぁに?」

「行けない、のか。行きたくない、のか。本当はどっちなんだい?」

「……それ……は……」

 

たくさんの葛藤があったのも知っている。最初は河原で始めた小さなライブも、今は大井レース場を満席に出来るほどの集客効果になった。

 

だけど……。大井レース場の収容人数は6万人ほど。大してこの東京レース場は19万人。倍どころではない箱の大きさだ。どれだけファル子が頑張っても、越えられない限界値の差が出てしまっている。

毎年全く別の人が来てくれたとしても、3年かかる客の足取りを、東京レース場は一度で終わらせることだって可能。

それほど、ダートと芝では世間の認知度に格差があるのだ。

 

「ちょっとだけ。ごめんな、ファル子」

「え? あ……」

 

戸惑っている彼女を、俺は強引に手を引いてステージへと上げた。抵抗されれば、俺如きでは決して動かせないウマ娘の身体は、驚くほどスムーズに動く。

たどたどしい脚取りで、目を伏せていたファル子は俺が手を離すと、そのまま固まった。

 

「見て見なよ。ここからの景色」

「……」

 

言われて、止まって。心の中での何度かの葛藤を繰り広げたであろうファル子は、俺の言葉から少し間を置いて、ようやく顔を上げた。

 

遠くで騒めくたくさんの観衆。巨大なスピーカーのセット、たくさんのステージライト。大井レース場ではお目にかかれない、広大なメインステージ。これらの全てが、一体となって華やかで輝かしいライブを作るのだ。

 

「今見に来ているお客さん、全員がこれからペンライトを持って、勝ったウマ娘を祝福するんだ。今日は何人だったかな……15万人ぐらいだったと思うけど。それが、みーんな。テイオー達への声援になるんだぜ。凄いよな。」

「15……万……!」

「去年テイオーが勝った時の有で16万。今年はマックイーンも出走するなら、同じくらい……いや、下手すると中山レース場、収容限界の17万に達するかもしれない」

「そんなにお客さんが来てくれるんだ……。知ってたけど、改めて凄い数だね」

「だよな。勝つのは史上最強のステイヤーか、奇跡の帝王か……。担当って部分を離れてみても、気になる一戦だよ」

「……」

「けど。俺は、その中山17万人の視線を全て。スマートファルコンに浴びせたい」

「え……」

 

こんな悲しそうで寂しそうな彼女じゃない。

いつもしているみたいに、皆に元気を与える笑顔でキラキラした、最高に可愛いウマドルとして。年末の大一番でステージの真ん中に立って欲しい。

 

「夢を諦めたウマ娘が、無敵と最強を『うまぴょい』でうち破り、新しい伝説……そう、『うまぴょい伝説』を作るんだ。こんな凄いストーリー、他にないだろ?」

「好井さん……」

 

スマートファルコンは、再び沈黙した。だが、それは単なる葛藤ではなく。何か伝えたい言葉を探す時間だと察知した俺は、口をつぐんで待つ。思うことがあるなら、全て吐き出して欲しい。夢を叶える舞台でなら、少しは背中を押してくれるだろうと踏んでいたのだが……。俺の願望は、どうやら果たされたようだ。

 

「私、追いかけてくれた皆が大好きなんだ。その人たちを裏切るようなことは絶対にしたくないの」

「うん」

「……でも。でもね。それでも……あはは。ダメだね、私。今、好井さんの言葉を聞いて想像しちゃったんだ。ファル子にだけ照らされるライト、ファル子だけに向けられたマイク、カメラ。それが、ここにいるたっくさんの人全員に届けられるなんて。……考えるだけで……」

「ワクワクしちゃうよな」

「……うん」

 

震える肩に手を置いて、俺は続ける。

 

「それで良いんだよ。希望や夢を、笑顔を届けるのがキミの夢なんだろう。走って勝つことと同じくらい、大事なキミ自身の本能だ。ウマ娘として、従わない理由はない。……そして、俺とならその本能(ゆめ)を叶えられる!」

「……うん!」

「伝説の体現者として、キミ以上の適任はやっぱり居ない。ファル子、行こう! 俺と一緒に、栄光のセンターウマドルとしての道を!」

「うんっ☆ ファル子、頑張っちゃう! ありがとう、好井さん!」

 

いつもの元気が戻り、俺も安堵する。

それから照れたように、今までの拒絶に対する心情を吐露してくれた。

 

「ホントはね。怖かっただけなの。だって、今までの私と全部違う私になっちゃうでしょ? ファンの人もそうだけど、私自身も変わっちゃうなら……それは、本当にファル子なのかな~って」

「前にも言ったろ。どこに居ても、どこであっても。キミは輝くウマドル、スマートファルコンでしかないよ。不安なら俺達がついてる。だから……」

「好井さん……」

 

肩に置いた手を、ファル子の小さな手に滑らせていく。緊張なのか、興奮なのか。しっとりと手底は濡れて冷たかった。

 

「ファル子、初めてだから……その……上手くできないかもしれないけど……」

 

暗がりでもはっきりわかる。『うぴうぴ』とは違う、だけど熱っぽい眼差し。自然と互いの鼓動が高まっていく。

 

「や、優しくしてくれると……嬉しい……な……♡」

 

 

可愛らしい自衛の言葉と共に、スマートファルコンは俺の方へ一歩進んだ。

 

 

 

そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、ここでやるのは流石にマズイからな?」

「へ? あ……わ、わかってるよぅ!」



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うまぴょい伝説
第二十話「震撼、グランプリレースを制するのは誰だ!?」


ニジノーカナターヘ-ユコオー♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「……」

 

日は落ち、気温は低く。薄手のシャツでは肌寒い11月の夜のこと。暗くなる時間が早まり、人気の少ないグラウンドで俺とスマートファルコン、エイシンフラッシュは硬い表情で立っていた。

夜間用のライトで点々と照らされるターフに、練習用のコースに、ダート界の女王がゆっくりと歩いていく。俺達の緊張が伝わったのだろうか、元々走っている者がほぼいない芝から最後のウマ娘が、逃げるように去っていく。これで、本当に俺達だけになった。

 

「ファルコンさん、準備はよろしいでしょうか。」

「……すぅ……。……ふぅ。……うん。いいよ、大丈夫」

「距離やタイムは気にしなくていいから。まずは、好きなように走ってごらん」

「わかった。」

 

ジャージの裾を一度ピンと張り、乱れそうな呼吸を深く意識的に行うことで心を落ち着ける。難しい技術や、レース展開のことは後回し。とにかく、今。彼女がしたいことを、させてあげよう。

 

「では……。はじめ!」

「ッ!」

 

フラッシュの凛とした声による合図をもって、スマートファルコンが走り出した。

 

デビュー前のこと。スマートファルコンはしばらく、選抜レースにおいても芝をメインで走っていた。平行して実施していた、ウマドル活動で良くも悪くも注目を浴びていた彼女を、当然見に来るトレーナーもそれなりに居たらしい。

だけど、誰もがみな同じ感想とため息をついて、別の娘へと視線をやってしまう。それもそうだ。逃げウマ娘なのに、いつも中盤には先行策の子に抜かされてしまう。掛かっているようにも見えるから、気性難を疑われることも多々あったそうな。

 

もちろん、ありとあらゆる適性を見極める段階において、学園所属の教官がその欠点と利点に気付かないわけがない。ファル子は、ダートが得意なのだから。適正に合ったレースに挑むよう薦めるのが、名門でなくても妥当な指導だろう。

 

しかし、スマートファルコンはわかってても、芝にこだわり続けた。大井のレース場と東京レース場では、箱の大きさも注目度も何もかも違う。誰より輝いてキラキラしたいのならば、芝を選ぶのが夢を叶えるには必須だと、こだわっていた。

 

それから、色んなことがあった。ダートなんか、と勝手に諦めていた自分を見つめ直し、ダートであってもトップになれるように、人々を魅了すれば良い。願いを誓いに変えたことで成績は伸びてゆき、ダートを担当に持っていない俺の耳にすら、とてつもなく速く、強く、素敵なウマ娘が居ると聞き及んだほどになった。

 

 

(……ごめんな)

 

だからこそ、俺は一人。心の中で謝罪する。

流れだけを見るのであれば、綺麗なサクセスストーリーだ。適正に恵まれなかった子が、正しい場所に移った途端に注目され、成功したという内容なのだから。

 

だけど、上辺だけを見ているのではない。そこまでの葛藤や悩み、苦しみを考慮すると……もし、仮に俺が『うまぴょい』をもっと先に知っていれば、傷ついたりすることもなかったかもしれないのだ。

見えない古傷と涙の痕に対し、俺はどうしても謝ってあげたかった。過去のスマートファルコンのことを思うと胸が一杯になる。

 

だけど。

 

その時の彼女が見たら、どう思うかはわからないけど……。

 

 

「はっ……はっ……!」

 

 

コースを一周終えて、息の上がったスマートファルコンが呆然と立ち尽くす。

俺も、フラッシュも、手に持っていた参考記録用のストップウォッチはほとんど同じ時計を示していた。それは、ファル子がダートで同距離を走った場合とほぼ同じ……いや、むしろ良い時間だ。

 

「ファルコンさん。」

「……フラッシュさん……。……好井さん……」

 

ふらふらと頭の整理が追い付いていないファル子が、こちらに歩み寄る。呼吸で弾むだけじゃない肩のまま、力なくフラッシュの胸へと倒れこんだ。

 

「………………ぐすっ」

「いけませんよ、ファルコンさん。ウマドルたるもの、人前で涙を見せては。」

「……で……っ……でも……ッ!」

「ファル子。今日、ここで。泣くのは最後にしよう。みんなにはキミの、最高の笑顔を届けるんだろ?」

「………………うん。だね!」

 

袖で目元を拭ったスマートファルコン。鼻を一度だけすすると、今までと同じような。キラキラした瞳で、夜空を力強く見上げた。

 

 

それから。

俺達はただただ、計画に向けて走り出した。

新しい曲作りのための振付、歌詞、楽曲。それから当然、有記念へ向けたウイニングライブも習得しなくてはならない。テイオーやネイチャは全く問題ないが、そもそもスマートファルコンは芝レースのライブの練習を行っていないはずだから。

 

「え? ううん、大丈夫だよ。ファル子、全部覚えてるから!」

「マジ?」

 

涼しい顔で返事をするウマドルに、実際に踊りと歌を披露するように依頼した。スマホから流れる曲に合わせて、ファル子は乱れなくステップを踏んでいく。1着であろうと、バックダンサーであろうと。全ての動きを感知しつつ、彼女なりのアレンジも加わった素晴らしい出来だった。

ウマドル活動を重きに置いている彼女を、どうやら俺は甘く見過ぎていたらしい。これなら、新曲もきっと良い物が仕上がるだろう。

 

程なくして、ファル子がやけに上機嫌でトレーナー室を訪れた。手に持ったスマートフォンを嬉々として俺へと見せてくる。

 

 

「見てみて~♪ 歌詞、できたよ~~☆」

「おぉ! 遂にか! どれどれ……」

 

 

 

……。

 

 

確かに。

俺はある程度、『こんな感じで』と注文は出しておいた。明るく元気で、楽しい感じにしたい。そんなざっくりとした、ふわっとした難題をスマートファルコンは、とてつもない方向で表現をしてきたのだ。

良し悪し云々の感想を告げる前に、自然と漏れた疑問を口に出す。

 

「……い、一応……コンセプトを聞いても?」

 

正直に言えば電波すぎる歌詞に、俺は圧倒されてしまった。ここに楽曲を乗せるなら、相応の力がないと負けてしまうだろう。方向性だけでも確認しなくては。

 

「ウマ娘たちのレースへの思いと、ファル子がトレセン学園で感じた楽しさを表現してみたの。色んな人がいて、辛いことも楽しいことも、たっくさん経験してるでしょ? ファル子は、この歌にその全てを込めたの!」

「なるほどな……」

 

使われる『うまぴょい』や『うまだっち』などの単語を、直接的に使いつつも周りのパワーワードでマイルドに仕上げる手法。なにより、ウイニングライブで使う以上はやはり何かしらレースに関係しなくてはならない。

育ててくれたトレーナー、それに応えたウマ娘。双方の視点から見える世界。加えて、意味もないような学校生活の些細なやりとりを綴ることで、等身大の彼女たちが見えてくる。

 

反芻すればするほど、よく出来た歌詞だと思う。うん。きっと。

少なくとも、俺では絶対に到達できない領域だ。やはり、彼女を選んだ俺の目に狂いはなかったのだろう。

 

「……。」

「ん? フラッシュ、何か?」

 

俺の横で、スマホの画面を眺めていたフラッシュが、何やらもの言いたげな顔をしている。

 

「おそらくサビの前の部分でしょうが……。『きみの担当』という言葉が、どうにも引っかかってしまいまして。やや一方的な……すみません、言語化が難しくて。」

「え~? そうかなぁ? 変~?」

「いいえ。このままでも、とても良いと思います。ですが……ここは『愛』という表現を使ってみてはどうでしょうか?」

「あい……ば?」

 

聞いたこともない単語に首を傾げるファル子。俺は当然存じているが、フラッシュが言いたげだったので譲ることにした。

 

「いわゆる『相棒』の意味にあたります。今はもうほとんど廃れた言葉ですが……せっかくなので、トレセン学園や、我々ウマ娘の歴史も加味して、あえて使用してみてはいかがでしょう? 温故知新を貴ぶ意味も込めて。」

「……『きみの愛が』で、サビに入るわけだね。うん! なんだかとってもいい響き! それでいこっか! いいよね、好井さん?」

「ああ、もちろんだ。奥ゆかしさが増していいね。……ただな、ファル子。一応、『愛』という単語は中等部で習う言葉だぞ?」

「えっ? あ、あっれ~? そうだったかな~? ファル子、難しい言葉は忘れちゃいがちで……」

「決して使用頻度の低い言葉ではありませんよ。」

「可愛く舌ペロして、誤魔化しちゃダメだぞ」

「うぅ~! もう! そういうのはナシナシ! みんなで楽しく作ろうよ~~!」

「まったく。ファルコンさんたら。」

 

 

冗談めかして笑いあい、和やかな空気が流れる。ファル子の言う通り、楽しいことをやっているのだからこれぐらいの雰囲気でやればいい。

 

 

……と思っていたのだが。

 

 

 

(想定より、ノリが……悪い気がする……?)

 

自室に戻り、スマートファルコンの書いてくれた唄に楽曲を合わせてみる。その道のプロではないけれど、トレーナーの教育課程で履修した知識が活かされる日が来るとは思わなかった。

メロディについては、ある程度の形は出来ている。テイオーと踊る際に、既に原型はあったから。今やっているのはそれらを組み合わせて、成形をする編曲の作業。

流して聞いてみたのだが……。俺の心に、何も残らなかったのだ。明るく楽しい、普通の曲。完成度としては悪くないかもしれないが……数度聞けば、興味が失せてしまうような、凡庸なキャッチーソング。

 

これでは、届かない。

ウマ娘が作り出す曲を、十全に伝えるにはイマイチ衝撃度が低く思える。もっと、脳みそを揺さぶるような感じにしなくては、そもそもの大前提『うまぴょいをポップなものにする』という目的が果たせなくなってしまうのだ。

 

 

(……やっぱ、まともな思考じゃいけねえよな)

 

徐に立ち上がると、俺は部屋の隅に置いたワインセラーの所へ向かった。

後輩、安心沢の同期……チーム《アルタイル》のトレーナーちゃんが、飲みきれないからと贈呈してくれた、何だか高いらしいワインが2本そこに入っている。最初は桐箱に入ってたからかなりのお値段が予想できたのに加え、そもそも下戸だからあまり酒が飲めない、と一度断ったのだけれど。

良い物は、そこまで悪酔いしないから是非! と押し付けられるような形で頂いてしまったのだ。すぐには手を出せないだろうから冷蔵庫に……と言いかけたら、なんとこんな小型ワインセラーまで貸してくれた。実家がとんでもなく裕福というのは聞いているが、人当たりの良さや行動力などは、俺の同期 桐生院さんを彷彿とさせる。常人には出来ないことをさらっとやるのに、嫌味や嫉妬を感じさせない天稟だ。

 

俺が普通に生きている上では絶対お目にかかれない逸品。価値がいまいちわからないのが申し訳ないけど……。

とにかく! 今の足りないものを、こいつが授けてくれるはずだ。

 

ワイングラスも栓抜きもまともなのが無い中、慣れない仕草で、どうにか準備は出来た。

 

一応、匂いを嗅いでみる。深い葡萄の香りが鼻腔を突き抜けて、脳天を刺激してきた。

これ、ただのジュースなのでは……? 訝しんだまま口に含むと、舌に触れるざらざらした感触と、苦味がアルコール飲料であることを理解させてくる。

美味しいとは思うけれど、比較対象が余りに少なくてわからない。けど、こういうものは高いと理解しているからこそ、意味を持つってこともあるんだ。

 

「よっしゃ!」

 

お酒のたくさん飲める人では考えられないらしいが、俺は度数が低くても少量の酒が入れば一気に覚醒状態に入る。ふわっとしたような、高揚する感覚だ。その分限界値も低いので、多く摂取は出来ないけれど……。これなら、きっといける!

スマートファルコンの考えてくれた歌詞を、テイオーが悩んで編み出した振り付けを、二人と俺と、手助けしてくれたルドルフ達が乗せてきた曲を。

もう一段階、『狂気』という形で再編成する!

 

 

 

ちびちびとグラスに注ぐのが面倒になり。

いつの間にか、瓶ごと口で飲みながら。

暖房すらも暑く感じた俺は、パンツ一枚になりながらイヤホン越しの爆音で振り付けを踊りながら作曲に勤しんだ。

 

まだだ。ここが弱い。ここが足りない。まだ……まだ!

 

ウマ娘達が限界のその先を求めて走るように、俺も俺自身に課せられた『うまぴょいの天才』という使命を果たすべく、激しく踊り、歌い、一つの世界を作っていく。

 

 

 

 

「……どうかな、ルドルフ?」

 

 

ワイン2本を空にし、天地の逆巻く世界で仕上げた新曲を、俺はとうとうシンボリルドルフ達にお披露目した。もちろん、仕上げの工程については秘密にしてあるが。

 

雰囲気を作るために薄暗くしたトレーナー室で、歌い踊り終えて息の上がったネイチャ、フラッシュ、ファルコンを後ろに、問うてみる。

厳しい顔をしていたトレセン学園の生徒側最高権力者は、腕を組んだままの姿勢でじっと見ていたが。途中からその硬さは緩み、優しく微笑んでいた。

それは、曲のもたらす『うまぴょい』の効果なのか。それとも、的外れな質問が来たことによる嘲笑なのか。不安に思いながら、固唾を飲んで待っていると。

 

「……ありがとう、好井くん。英華発外とはまさに、このことだな」

 

小さな拍手を貰った俺は、力が抜けて倒れそうになった。すぐさま控えていたクリークが優しく肩を抱いてくれたおかげで、転倒は避けられる。

 

「一見、荒唐無稽に思える曲ではあるが……それが、逆に『うまぴょい』のセンシティブさを緩和させている。よくここまでのものに仕上げたと、ただひたすらに感心するよ」

「しかし会長、本当によろしいのですか? こんな……」

「問題があるように見えるか?」

「以前仰っていたように、理屈はわかります。知らない人にとって『うまぴょい』は、特段気にするものではないと。ですがやはり、我々ウマ娘側からすれば……刺激的に映るのは間違いありません」

「ブライアンはどう思った? 何か感じたか?」

「……別に、どうとも。確かに少々気は昂るが、然程(さほど)何かを得たようには思えんな」

 

同席していたエアグルーヴとナリタブライアン達の感想が飛び交う。それぞれの思ったことを元に、俺は答えを述べた。

 

「影響が少ないのは、ブライアンが既に高い能力を持っているからだよ。あと、いきなりドンと上がるわけじゃないんだ。そういう『うまぴょい』は、今のトレセン学園じゃ俺しかできない」

 

それでは不公平だ。なにより、俺は今いるからいいけれど。人間なので、年も食う。身体的に、数年後には引退ってことはありえないが……例えば事故や急病の可能性で現役降板もありえる。

 

『うまぴょい』を知る残された子達は、さぞガッカリするだろう。行為さえすれば、もっと上を目指せるのにと惜しむに違いない。

 

だからこそ、俺は形に残るものとして。俺が居なくたって、未来永劫どんなウマ娘も可能性を信じられる『うまぴょい』を作ったんだ。

たくさん回数を重ねる……つまり、ライブの練習をすればするだけ基礎能力や適性の底上げが可能になるわけだ。

 

「……好井くんが、ここまで考えてくれているのに、まだ納得できないか。エアグルーヴ」

「……」

 

絶対の信頼をおける生徒会長が推してくれているのに、隣の生徒代表でもある女帝は何か悩んでいる。目先のことだけじゃない、この『うまぴょい』を世に出すことでどこまで影響があるのか、考えてくれているんだろう。そもそも、学校側やURA側が許してくれるのかどうか、先の先まで悩んでいるに違いない。

 

 

でも、それは杞憂だ。

 

 

「驚愕! 素晴らしいものを見せてもらったぞ、好井トレーナー!」

 

扉の方から、秋川理事長の声がした。『称賛』の文字の入ったセンスを懐にしまってから、つかつかと俺たちの間に割って入ってくる。開きっぱなしになった戸を、遅れてたづなさんが閉めてくれた。

 

「ルドルフから兼ねてより聞いてはいたが、ようやく披露できるまでに至ったのだな!」

「はい。時間はかかりましたが、なんとか」

「うむッ! 君のたゆまぬ努力を、私は高く評価するぞ!」

 

様々なサポートを受けて、今こうして俺は理事長達にも見てもらう許可を得た。

ルドルフの口添えに始まり、俺自身の意見交換、更には俺の先輩からも直々に説明や呼びかけをしてもらったのだ。

最初は、一蹴されたアイデアだったが……それは、実現が不可能だと思われていただけのこと。効果を証明し、『出来る』という現実感が増してきたことで、ようやく首を縦に振ってもらったのだ。

とまあ、簡単に言っているけれど。至るまでの工程は結構厳しかった。そもそも、最初は『やるな』と釘刺されたことから始まった物語なのだ。普通に怒られて、処罰を受けて、なんてことない日々を送る未来だってあり得た。

それでも、こうして日の光を浴びる段階まで持ってこれたのは、本当に周りに恵まれたからだ。有難いことこの上ない。理事長が話せばわかる人で良かったよ。

 

「嬉々ッ! これで全てのウマ娘が救済されるというもの! 我々、トレセン学園にとってもこの上ない事例だ! URA側にも、許諾が得られるよう掛け合ってみよう!」

「ありがとうございます!」

 

勝手に話を進められて、我関せずのブライアンはさておき……エアグルーヴは硬い表情のままだった。しかし、こちらに聞こえない声量でルドルフが優しく諭していた。何度か問答を重ねた末、大きなため息が耳に届き、肯定のジェスチャーが入った。

 

……これはまさに、皇帝による肯定を促す行程……。

 

「好井くん……今なにか?」

「なんでもない!」

 

口に漏らしていたらヤバかったかもしれない。やけにキラキラしたルドルフの表情を見て、流れが変わりそうなのを慌てて整える。

思った通り、秋川理事長は上機嫌な顔つきを切り替えて、俺に向かって疑問をぶつけてきた。

 

「しかしッ! 好井トレーナー、これはいつどこで披露するつもりなのだ? 有記念には間に合わないだろう?」

「ええ、流石にそれは。ですが……今年は『URAファイナルズ』がありますよね?」

 

『URAファイナルズ』とは、秋川理事長が提案した、トゥインクル・シリーズにて良い成績を収めたウマ娘のみ出場できる年度末最大のレース。シニアクラス以上限定な上、芝の状態やレース場のことも含めて毎年開催は出来ないらしいが……幸運なことに、今年は開かれる。

ファイナルズ決勝用のライブ曲は『ユメヲカケル!』が指定されているが……俺は、そこにこの新曲を当てたいと考えているのだ。

 

「納得ッ! まさに夢の舞台に相応しいな!」

 

……たづなさんから、最初に理事長の反応を聞いた時は、実現不可能な夢だと思った。

ウマ娘のことを考えてくれているのは良いけれど、流石に度が過ぎていると呆れられたから。だけど、ちょっとずつ俺の……いいや、みんなの成績が上がってきていることを認めてくれて。俺自身が学園を去るような事態にならなそうなことも、ちゃんとわかってくれた。今みたいに、嬉しそうに笑ってこの議題を話してくれる日が来るなんて思ってもみなかった。

 

「だがッ! 好井トレーナー! 君は本当に問題ないのだな!? 『うまぴょい』を公表する時期を考えるのであれば、それは」

「問題ありません。俺なら、出来ます」

 

だから、期待だけは裏切りたくない。食い気味に、質問の意図を受け取った俺は迷いなく首肯した。言葉に意志と決意を。まるでウマ娘達が、大事なレースに挑むときのような熱い想いを。俺も負けないくらい、力強く込めて言う。

 

「……許諾! ならば、何も言うまい! 任せたぞ、好井ソウマ!」

「はい!」

 

 

後にはもう引けない。全ての話が通ったのならば、俺は俺で夢への道を手繰るだけ。

 

 

 

 

「今回、有記念へ出走との情報を得た時は、何かの間違いかと疑いました。スマートファルコンさん、本当にこの芝の大舞台を走るつもりなのでしょうか?」

 

たくさんの記者に囲まれ、フラッシュライトを浴びながらマイクを持つウマ娘へ、誰もが懐疑的に思った質問を投げかける。今日は、有記念に出走するウマ娘たちのインタビューが行われる日だ。

両隣に俺と桐生院さんを同伴させた人気投票7位の、ダート界の女王 スマートファルコンは堂々とした様相で答える。

 

「はい。冷やかしでも、遊びでもありません。私は、勝つつもりで出走します」

 

答えを聞くと、会場がどよめく。登録を出してから、皆思っていたのだろう。適正も伴っていない彼女が、何故出るのかと。出走条件だけなら満たしてはいる。だけど、誰もが本来は東京大賞典の連覇を狙っていると考えてたはずだ。

 

「失礼ながら、スマートファルコンさんは過去の芝レースにおいて十分に力が発揮できず、ダートへ移ったと認知しております。今回になって、有記念へ出走するに至った、経緯を伺いたいです」

「それについては、現在所属を預かっている私から」

 

記者の質問に、ファル子が俺に丸い瞳を向けてきたので代弁する。

視線が一気にこちらへ向けられ やや緊張するが、これぐらいで物怖じしてちゃいけない。去年のテイオー復帰時会見に比べれば、大したことないさ。咳ばらいをして喉をクリアにしてから、粛々と伝える。

 

「桐生院トレーナーより、期間限定で彼女を指導させて頂いております、好井ソウマです。此度の出走は、彼女が芝レースに出たいという(かね)てより……失礼。かつての夢を、実現に成しえると判断できたため、登録させていただきました」

「ですが、本来のバ場適正と合っていないウマ娘が急に別のバ場で走ることは、非常に困難かと思われます。その問題は解決出来ているのでしょうか?」

「はい、出来ております」

 

即答する俺に、会場が騒めく。

 

「他のウマ娘に余計な刺激を与えぬよう、今はトレーニングを秘匿させて頂いておりますが。間違いなく、今の彼女は芝のレースを十分に勝ちうる力を持っております」

 

変におどおどしてはいけないと思って、ちょっと気張りすぎただろうか。気圧されたような様子で、記者が及び腰で尋ねた。

 

「それは、一体どのようなトレーニングでしょうか?」

「……申し訳ありませんが。スマートファルコンが、有記念で勝利した際にそれはお答えしたいと思っております。言葉だけでなく、実績として証明したいので」

 

まだ発表には早いので、一応ぼかしておこう。しかしメディア側は気になるのは当然だし、俺が逆に観客側なら同様に思うだろう。勿体つけずに話せ、と。

 

「期間限定と聞こえは良いですが、これは特別移籍と何か違いはあるのでしょうか。芝のグランプリレースで勝利を得たなら、スマートファルコンさんも、あなたの専属を希望すると思いますが」

「それは違うよ! ファル子のトレーナーは、葵ちゃん一人だけ! 約束したんだから!」

「ファル子……」

 

俺が言うより先に、ファル子が口を挟んでいた。いつもの口調で答えてしまったことを謝罪する彼女の肩を桐生院さんが優しく抱く。微笑ましい二人を見てから、俺も俺で言うべきことは伝える。

 

「歯がゆい思いをさせてしまい申し訳ないのですが……これはウマ娘全体に関わる新しい取り組みでもあります。ですが、必ず良い方向へ向かうと信じて、我々も走っております。年末には結果が出ますので、それまではどうか。見守って頂けると有難いです」

「よろしくお願いします」

 

深々と桐生院さんと揃って礼をすると、それ以上記者たちも深くは追及してこなかった。

 

次にインタビューを控えているのがテイオーとマックイーンだったから、こんな意味不明な取材はさっさと切り上げたかったに違いない。

 

二度目のTM対決について、二人は強く意気込みを語る。

 

「前は負けちゃったけど、今度こそはボクが勝つから! 地の果てまで駆け抜けちゃうよ!」

「以前と同様、天まで昇る(わたくし)の走りで先頭は譲りません」

 

並び立つ二人は、お互いに向き合い言った。

 

「勝つのはボクだからね(わたくしです)!!」

 

 

 

意気込みも十分、客の熱も十分。

最高の舞台で、最大のレースを。

 

『うまぴょい』で全て塗り替える。

 

 

さあ、年末の中山レース場。大地すら震える大観衆の中、制覇するのは誰になるのか。

 

俺の中で、答えは決まっているけどな。



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小話『なんて呼ぶ?』

「おーい、ソーマぁ! ちょっとゲーセン付き合えよー!」

「あの、好井さん。またフォームチェックをしてもらいたいんですが……」

「好井トレーナー、先日はお付き合い頂きありがとうございました。また美味しいお店教えてください」

「好井くん、テイオーの調子はどうかな。たまには生徒会でお茶でもしようじゃないか。抹茶があ「まっちゃ」って困っているんだ」

 

 

 

「……」

 

 

――――とある日のトレーナー室。

 

 

 

「ねえ、みんな。トレーナーのこと、なんて呼ぶ?」

 

 

 

ソファーに寝転んでいたテイオーが、ふとそんな質問を投げかけた。

机に向かって宿題をやっていたネイチャは、発言に対して怪訝な顔をして問い返す。

 

「いやいや何言ってんのさ、テイオーさんや。トレーナー、って呼んでるじゃん」

「そーじゃなくて。ボク達にとってはトレーナーだから、トレーナーって呼んでるけど。そうじゃない人は、みんな名前で呼ぶでしょ? もし、みんなならどう呼ぶのかなーって」

「ああ、そういう……」

 

室内の棚を整理していたスーパークリークが、その話を小耳に挟むと自ら持っている答えを口にした。

 

「私はソウマさん、って呼びますよ」

「そうなのですか。あまり耳にしたことがありませんが……。」

 

発言に驚きながら、トレーナー業務の補佐でタブレットを触っていたフラッシュが思わず声を立てた。

 

「ええ。二人きりの特別な時にしか呼びませんからね~」

「なっ……!?」

 

ウインクしながら、いたずらっぽくクリークは笑う。きょとんとするフラッシュを他所に、遠くでその反応を見たネイチャが思わず小さな声をあげていた。

 

「私の場合は、普通に好井さん。でしょうか。実際に、そうお声がけしたことはないですけれど。」

 

皆よりも、ソウマとの付き合いが短いフラッシュだからこその適正な距離感の呼び方。

テイオーは頷きながら、ネイチャを見る。

 

「アタシも好井さん、かなぁ。特別移籍前は、そう呼んでたし」

「……なんか、みんな普通だね」

「別にそんな面白いもんでもないでしょうが……」

「じゃあさ、ネイチャ。今ならどう呼ぶ?」

「はい?」

「昨日今日の関係でもないでしょー? ボクら『うまぴょい』までしてるんだよ? 今更そんな他人行儀な呼び方、しないんじゃないの~?」

「……言われてみれば、そうですね。仲の良い友人になると呼称が変化することも、進展の証と言えますから。」

「フラッシュちゃんなら、なんて呼びたいですか~?」

「え? いえ、私は別に……。変わりなく、好井さん、かと。」

「フラッシュ~! そんな硬いことじゃなくってさ! 本当はどう呼びたいの、って聞いてるのぉ~!」

「質問の意図がわかりかねます。」

「やれやれ、頑固者なんだから。じゃ、ネイチャは?」

「あっ……アタシも……別に、好井さん、のままで……」

「ホントに~? そんなもんなのかなぁ、ネイチャとトレーナーの関係って?」

「…………ん」

「ん?」

「……そっ……ソウマさん……って、呼ぶのは……変……かな?」

「全然そんなことないですよ~。よく言えましたね、ネイチャちゃん」

「あ、頭撫でないでくださいよぉ!」

「……Schatz……。Haseでもいいかも……。」

「ん? フラッシュ? 何言ってるの?」

「……なんでもありません。あえて親しみを込めるのであれば、私もソウマさんとお呼びするかと思います。」

「そっかー。ふーん」

「大体、そういうテイオーはなんて呼ぶのさ! アタシらにばっかり質問するのはずるいじゃん!」

「え? ボク? ボクは……」

 

と言いかけたと同時に、トレーナー室の扉が開く。

入ってきたのは、家主でもあり話題の中心だった好井ソウマだ。

 

「やあ、みんな揃ってるのか。今日は早いな」

 

これ幸いとばかりに、テイオーがニヤリとした。

そしてソウマに駆け寄ると、見上げながら満面の笑みを向けて言う。

 

「やっほー、ソーくん♡ 今日も元気そうだね!」

「!?」

「ソッ……!?」

 

クリークを除く二人が思わずたじろぐ。

 

「おお。なんだ、懐かしい呼び方だな。どうした急に?」

「えへへ。まあ、そういう遊びだよ。ね、みんな?」

 

余裕の表情に、意図せずしてウマ娘達が持っている競走本能に火が付く。

動揺しながらも波に乗るべく、顔を真っ赤にしたままネイチャが応えた。

 

「そ、そうそう! 遊びですよ、遊び。だからさ、そっ……ソ! ソウマ! ……さん、は気にしなくていいからね! アタシらが勝手にやってるだけだから!!」

「お、おう。なんか、ネイチャに名前で呼ばれるの新鮮だね」

「今日一日は、みんなそう呼ぼうと思うのですが……いかがでしょうか、ソウマさん?」

「フラッシュもなのかぁ。へへ、なんか照れるな」

(上目遣いに首傾げのコンボ……!? ふ、フラッシュさん……大胆……!! で、でもアタシだって!)

 

自棄になっているかのように、ネイチャはトレーナーの腕を掴んで抱き寄せる。

 

 

……ほど、勇気は持てず。だけど、やりたいことをやりたい思いに従順になった結果、ちょこんと袖の端を握るのが精いっぱいだった。

 

「た、たまには……こういうのも……いいんじゃないかな~、って思うんですけど。……どう、ソウマさん?」

「え? ああ、まあ。キミ達の気分転換になるなら、全然オッケーだよ。ただ、あんま外では言わない方が良いんじゃないかな。変に誤解されたりするかもだし」

(頬を染めながらのおねだり……。ネイチャさんのことですから、狙ったわけではないのでしょうが……。負けていられません。)

 

「普段から名前を呼び合うトレーナーとウマ娘はいますから、問題ないと思いますよ。それよりも、ソウマさん。トレーニングメニューのことでお話が。」

(い、今絶対無駄に髪の毛をトレーナーさんに向けて、なびかせたでしょ! うぅ……フラッシュさんって、ホント大人っぽくてズルいなぁ……)

 

ヒートアップする応酬。いつの間にか両手に華の状態になっていたソウマが、慣れない環境にドギマギしていると。

 

「ねえ、ソーくん。昔した約束、覚えてる?」

「ん? ……約束……っていうと、アレか?」

「そうそう、アレ。覚えててくれたんだね」

「忘れるわけないだろ。絶対守るまでは一緒に居るんだ、って言ったんだからさ」

「うん。わかってて聞いた」

 

((二人しか知らない、秘密の約束……!?))

 

「なにそれ、アタシも聞きたいな~?」

「そうですよ。あなたの管理をする以上、秘匿事項があるのは頂けません」

「えぇ~? なんだよ、二人とも。別にそんな大したことじゃ……」

「え……。ソーくん……そんなつもりだったの……? ボク、あの時の誓いがあるからここまで頑張ってこれたのに……ヒドイよ……」

「い、いやいや! 何言ってんだ!? 違う違う、そういうわけじゃなくって!!」

「では、お話して頂けますよね?」

「なんで今日はそんな積極的なんだよ、キミ達は! クリーク~! 助けてーー!」

「あらあら。ダメですよ、ソウマさん。トレーナーさんなんですから、そういうことは大事にしなくっちゃ」

「味方が居ねぇ!!」

「ほらほら、ちゃっちゃと話して楽になっちゃいなよ、ソウマさん!」

「そうです。今後の私にとって……こほん。私たちにとって大切な情報なんですから。さあ。」

「ソーくん……ボクとの思い出……そんな簡単に話しちゃうつもり……? ぐすん」

「誰か助けてくださーーーい!!」

 

ウソ泣きするテイオー、火のついた暴走ネイチャ、淡々と詰め寄るフラッシュ、子どもの恋バナを耳にしているような優しい笑みを浮かべるクリーク。

ソウマの叫びは誰に届くこともなく。徹底的に向き合うことでしか、その状況は解決できなくなってしまっていた。

 

がんばれ、好井ソウマ。



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第二十一話「奮闘、これがソウマの導く新しい世界!」

足が芝を掴む。

 

蹄鉄が地を抉り、振動と共に緑の筋が空中を舞う。

次いでつむじ風が巻き起こり螺旋を描き、浮かんだ大地の欠片がバラバラに砕け散っていく。

 

本来、もっと踏ん張りの利かない砂地を走るための力強い走り。逆に言えば、軟度を持つターフの上では適切な力を伝えきることが難しいのだが……今日、その日のスマートファルコンはそんな観衆の誰もが思い描いている常識を、現実として突き付けることでちぎり捨てた。

 

(ホームストレッチの声が……こんなに大きいなんて……!!)

 

最終直線に差し掛かり、彼女をファンたちが迎えいれた。

本日開催の有記念。客入りは、大盛況の15万人。ダートのレースで最も盛り上がる東京大賞典、行われる大井レース場の倍以上の人数。

誰しもが、スマートファルコンを応援しているわけではない。少し後ろで、熾烈なデッドヒートを繰り広げているトウカイテイオーとメジロマックイーン。更にはナイスネイチャまで加わり、場内の熱量は完全に限界を越えていた。熱さと声で、爆発すら起こってしまいそうなほど。

 

そんな中。ゴール板から見て、もう残り1ハロンに満たない距離。後続と7バ身差をつけたまま、縮まることなく駆け抜けていくウマ娘。

スマートファルコンは、複雑な思いで走っていく。

 

 

もっと、早ければ。

 

 

脳裏に浮かぶのは、彼女のスピード……『速さ』ではない。

 

今きっと、グランプリレースの結末をあらゆる人が見ているだろう。この揺るがない、彼女の勝利を。

出来るなら、もう少し多くこの歓声を浴びたかった。自分しか見てない、自分しか見られない。この好機の目。皐月賞でもらった、憐れみの声をスマートファルコンは幾度も勝利を重ねることで、忘却の彼方へ押しやったつもりだった。

それでも、脳裏にこびりついた自他の落胆は簡単に拭えるものではない。時折思い出して、理想との狭間で切歯することもあった。

 

 

だけど。

 

 

 

「頑張れーーー!! ファル子ーーーー!!」

「いけーーー!! そのままそのままーーー!!」

「勝って、ファル子ちゃーーーーん!!!」

 

 

 

知ってる。

 

知ってる。

 

 

みんなの。

 

 

みんなの声だ。

 

 

いつも、ライブに来てくれる人たち。

大井レース場で応援し続けてくれた人たち。

聞いたことのある、安心するたくさんの声援。

 

 

来てくれてたんだ。

気付かなかっただけなのかな。

私が緊張してただけなのかな。

 

 

 

いつもと違う私を応援……してくれるんだ。

 

 

 

……嬉しいな。

 

 

 

途端に肩の荷が下りた思いをした。

 

 

負けないために、必死で食いしばって。目を見開いて、ひたすらにゴール板を見ていたスマートファルコンは、最後のその瞬間。

 

苦しい最中というのに、少しだけ頬を緩ませて……入線した。

 

 

 

 

――――。

 

 

「予定通り。やってくれましたね、ファル子」

「……は、い」

 

震える身体を、ハッピーミークが優しく支えている。爆ぜた声援を一身に浴びながら、笑顔で観客たちに手を振るファル子を見て、遂に耐え切れなくなった桐生院さん。必死に我慢していた涙も隠さず、しゃっくりを上げながら、それでも伝わる歓喜の思い。まだまだ、心の整理には時間が掛かりそうだ。

 

俺はミークを一瞥してから、目で合図を送る。きょとんとしていたが、俺が一度頷くと何かを理解したのか、頷き返してくれた。

 

 

観客席の一番前。俺の正面には、一人のウマ娘が俯きがちに立っていた。

 

燃えるようなマフラーが特徴的な、地の果てまで駆けることをイメージした勝負服。年度代表URA賞を貰った際に受け取ったものだ。

去年は、昔の王子様風の衣装で勝利したから、今度こそはと意気込んでたのだが。

 

 

結果は……2着。

 

十分に凄い成績だ。並みいる強豪たちを押さえて、あのメジロマックイーンより先にゴールしたのだから。

 

「……お疲れさん、テイオー」

「……あーあ! 負けちゃったぁ。完敗だよ、完敗!」

 

だけど、納得も満足も出来るわけがない。だって、勝つために死ぬほどトレーニングしてきたんだ。勝利のために、自分の身体が持てる限界の限界まで鍛えてきたんだ。

 

 

それでも、テイオーは負けてしまった。

『うまぴょい』をした、スマートファルコンに。

 

暗い顔を上げながら、無理に晴れ晴れとした表情に変えつつ、敗北を宣言するけれど。

 

俺には十分伝わっている。そこに本心など、一ミリもないことを。

 

 

「……ねえ、トレーナー」

「なんだ」

「これで、堂々と言えるね。帝王を越える力が、『うまぴょい』にはあるって」

「そうだな」

「……はぁ。あー、疲れた! じゃあ、ボク。ライブの準備いくね」

「テイオー。」

「ん?」

「後で、控室行くから。少しだけ待っててな」

「………………なに、トレーナー。着替えの覗きでもする気ぃ?」

「ばーか。良いから、待ってろよ。いいな?」

「……うん。ありがと」

 

 

やり取りが終わると、テイオーはファンへ作り笑顔のまま手を振り、地下バ道へ走っていった。

 

その後ろから、心配そうな顔でマックイーンが小走りで追いかける。

彼女だって、負けて悔しいはずなのに。

それでも、思うことがあるのだろう。

 

俺の方へ、一度礼をするために立ち止まってから。すぐに、走り出した。

 

 

「……クリーク」

「はい」

 

ウイナーズ・サークルに人が集まり出している。ファル子が呼ばれ、俺もスタッフさんに声をかけられた。

 

「ネイチャのこと、ちょっとだけお願いしてていいかな。」

「はい、もちろんです」

「悪いね、身体が三つありゃいいんだけど」

「ご心配なく。私も、同伴しますので。」

「ああ、ありがとうフラッシュ」

 

記念、4年連続3着の記録も惜しく。今年は4着だった、ナイスネイチャ。声をかける間もなく、すぐに地下バ道へ行ってしまった。心情を察するに余りある。

 

……いつか。

この高い壁も、辛さも。きっと乗り越えられる日が来るよ。キミはその名に恥じない力を持っているんだから。

また、一緒に頑張ろう。俺と。

 

胸の苦しさを自分の中で述懐することで、少しだけ和らげる。本当は直接言ってあげたいんだがな。

 

 

ネクタイを締め直し、髪も整え髭もバッチリ。

負けた自分の担当達への思いは、一度断ち切る。

 

今から、これから。俺がしなくっちゃいけないことは、もっともっと大きな壁を壊すことなのだから。

 

 

 

 

「お疲れさまでした。宣言通りの有記念制覇、おめでとうございます。とても素晴らしいレースでした。一度もハナを奪わせない大逃げは、サイレンススズカさんを彷彿としました」

「ありがとうございます♪ ダートでも芝でも、キラキラのファル子を見せられて嬉しいですっ☆」

 

ウイナーズサークルから、観客席へハートを作るファル子。呼応するように大歓声が沸き起こり、会場の雰囲気は最大級だ。インタビュアーのお姉さんも、思わず身をすくめている。

 

眩しい笑顔と愛嬌のある仕草を、こうしてとっさに作り出せるのは彼女のたゆまぬ努力の成果だろう。幾度も大舞台を駆け抜け、そしてウマドルであることを第一に思っているからこそできる芸当。

……普通の、ありふれたウマ娘なら。きっと、今頃感涙で何も言葉を発せないはずだ。

 

向けられたライトで潤んだ瞳を俺は見逃さず、隣で話に耳を傾ける。

今の気持ち、今までの思いをファル子は質問され、楽しく明るく答え続ける。

 

そして、遂に。誰しもが聞きたいであろう問いが飛んできた。

 

「出走前、特別なトレーニングを行っていると仰っていましたが。勝利した今こそ、その内容を明かしても良いのではないでしょうか?」

「……好井さん?」

「ああ。後は任せて」

 

目配せする栗色の瞳に応じ、俺は一歩前に出る。

 

「まだスマートファルコンの有記念制覇という偉業の興奮冷めぬ中、こんなお話をするのは少々心苦しいのですが……。あえて、今だからこそお話させていただきます」

 

ただならぬ雰囲気を感じたのか、マイクもストロボも吸い寄せられるかのように俺へ向けられた。前回は緊張したが、腹をくくった以上は俺も物怖じしてられない。

 

トレセン学園の、ウマ娘の、未来のためだ。

 

一度伏せた視線を前に向ける。どこを見るのではなく、だけど遠くへ定めた眼差しを作り俺は口を開く。

 

「私が、彼女に施した特殊なトレーニング……。いえ、行為。それは……」

 

 

一呼吸おいて。言う。

 

 

「『うまぴょい』です。」

 

 

ざわめきと沈黙がちょうど半分くらいだっただろうか。今まで引っ切り無しに沸いていた歓声の中だったからこそ、理解できる現状。

俺に質問をしていた記者さんは、その単語にピンと来ていないのだろう。疑問符を浮かべた表情のまま固まっていたが、すぐさま別の方が質問をぶつける。

 

「『うまぴょい』とは、もしかして……あの『うまぴょい』でしょうか?」

「ええ、そうです。ファル子と私は、『うまだっち』の関係にある、あの『うまぴょい』です」

 

 

ちょっとずつ、ざわめきが伝播していった。

わかっている人からすれば、公共の電波を使ってなんてことを口にしているのだと思っているだろう。

 

だけど、ここまで来たら退く選択肢はない。

 

「ご存じの方にとっては、驚くかもしません。ですが、これは別に特別なことでもないのです。過去に、この『うまぴょい』を以て、勝利を掴んだウマ娘は何人もいると思われます。それほど、一部の界隈では当たり前のことなのです」

 

今までのことを話さなくては、これからのことも理解できまい。特定の誰かを名指しにしているわけじゃないから問題ないだろう。そもそも、俺だってわかんないことだしな。

 

「ですが……今も思い当たる方がいらっしゃらないように。飽くまで、これは秘密裏に行われてきました。理由は……。少々刺激的な部分もあるので、そこは控えさせて頂きますが……。主には、この効能によるものでしょう」

 

かつてのトレーナー達が、辿って来たであろう結末を俺は伝える。

『うまぴょい』は、異性の間でしか大きく効果が出ないこと。そして、最初の一人のみにしか意味がないこと。

 

「結果的に、一人のウマ娘を強くすることは出来たのでしょうが……。逆に言えば、一人しか強さを得られないのわけですから。複数のウマ娘を預かるトレーナーの場合、軋轢が生まれてしまうのは必然でしょう。また、我々は人間ですので。ウマ娘側の体力に合わせて『うまぴょい』をするのも厳しく、それがきっかけで引退する人も居たそうです。ウマ娘には、この『うまぴょい』を本能的に求める『うぴうぴ』という状態になってしまうこともあるため、一筋縄ではいかない問題だったのは多分に理解できます」

 

だから、多く広くの人間には知らせないようにしていたのだろう。

個人差もある、こんな不平等な能力の底上げ……。ドーピングと同じと揶揄する人が居たっておかしくない。

 

 

 

 

 

「好井トレーナー、今それを公言した意味をご理解されていますか……?」

 

 

歴史の暗部を明るみに出す、愚行蛮行をしているように映ったのだろうか。

俺の説明を遮るように、一人の記者が警笛を鳴らす。もう意味はないことなのに。

 

 

「はい。当然です。この問題に対する解決案を持っているからこそ、お伝えしました」

 

 

一歩前に踏み出し、自信をもって言った。

 

「今、この『うまぴょい』をすべてのウマ娘に適応できる術を、URAに提出しております。認可されれば、トレーナーの性別も関係ない。技量も関係ない。ただ、ウマ娘が勝利への思いを込めて、歌って踊れば同等の効果が得られるウイニングライブを試案したのです。即効性はありませんが、効果は間違いありません」

 

再び騒めく会場。

記者たちは、そんな情報手にしていたか? と互いの顔を見合ったりして確認している。当然、情報に関しては綿密に扱ったから、第三者には漏れているはずもない。理事長やルドルフ達を舐めてもらっては困るぜ。

 

「これが実現すれば、ありとあらゆるウマ娘が夢を叶えられます。強くなりたい、怪我に負けたくない、芝で走りたい、ダートで駆けたい。スプリンターからステイヤーへ成ることも、可能なのです」

 

今度は、明確にソプラノのどよめきが聞こえてきた。

 

知っている人も知らない人も、誰しも思うのだろう。

 

本当なのか。嘘じゃないのか。

勝ちたいと願うあの子に、負けないと誓ったあの子と。同じ舞台で直接勝負が出来るのかもしれない。

 

誰だって一度は思い描いた、夢物語のような出来事。

もちろん、するだけで意味はなく。能力が底上げされるだけ、ということ。トレーニングはトレーニングとしてしなくては無駄なことも説明する。

すっかり冗談でも虚言でもないと理解される空気が出来たことで、新たに生まれた疑問を記者たちはぶつけてきた。

 

「しかし、好井トレーナー。具体的に、それはいつ実現するのでしょうか? 特にトレセン学園内において、現時点では男性トレーナーはあなただけですよね?」

「つまり、現状であるなら『うまぴょい』を独占している状態になるわけですが。他のトレーナーに、ウマ娘に対して、どのようなお考えをお持ちですか?」

 

当たり前の様に出てくる質問に対して。

 

俺は向けられたマイクを一つ手にしながら、ライトの眩しさも意に介さず公言した。

 

 

 

「独占はしません。もし、今『うまぴょい』をしたいと希望するウマ娘が居たら……私を訪ねてください。代替案の許可がURAから下りるまで、私が希望者と『うまぴょい』をします。過去の方々とは違い……私は『うまぴょい』に対して、かなり特異な体質を備えておりますので、何人であろうと相手が出来ます。効果も出ます。だから。」

 

これから始まるURAファイナルズを控えている、そこのキミにも。

クラシックを走りたいと願った、スプリンターのキミも。

ケガからの療養明けで体力と身体に自信が持てず、出走を見送ろうとしていたキミも。

 

レースを走りたい、勝ちたいと願うのであるならば!

 

「みーんな、俺のところへおいで。俺なら、絶対にキミを強くできる。夢を現実にしてみせる! 走って走って、勝利を手にしようじゃないか! 俺とキミで作ろう、『うまぴょい伝説』を!!」

 

 

拳を突き上げると、歓声が沸き起こった。

黄色い声を浴びながら、みんなの嬉しそうな声援を浴びつつも。俺はまだ、掲げた拳を下ろさずにただただ小さく震えていた。

 

だって、これから始まるのは……過酷すぎる毎日なのだから。

 

 

 

 

「テイオーは走り込み、午後はジムでバーベルトレーニングとボクシング。ネイチャはタイヤ引きで、午後はクリークと座学。……今日はこんなところか。……フラッシュ。あっちのスケジュール教えて」

「わかりました。まずは……」

 

フラッシュがタブレットを操作しながら、淡々と告げていく。

それは、今日一日の『うまぴょい』のスケジュールだ。

 

 

 

「午前9時30分。リードマガジンさん。」

 

 

「は、はじめまして。あの、私ダートを走れるようにしたいんですけど…できますか?」

「ああ、任せて」

「ホントですか!? やったぁ! これであの人と一緒のレースに出られるんだぁ!」

「トレーニングは欠かさず続けるようにね」

 

 

「10時40分。トコトコさん。」

 

「クラシック路線に挑みたいの。でも、あたしスプリンターだから、長い距離が走れなくて……」

「うん、わかった。中長距離を走れる適正に持っていこうか。スタミナも基礎部分から底上げしよう」

「え、すご! そんなことまで出来るの!?」

「出来ちゃうんだよ。トレーニングに関してはトレーナーと相談するようにしてね」

 

 

「11時35分。ビワハヤヒデさん。」

「やあ、好井くん。『うまぴょい』は身体的変化を期待できると聞いた。私の髪質をストレートにすることも可能なのだろうか?」

「それは無理だよ!?」

「な!? そうなのか……。…………そうなのか」

「後輩に、良いヘアケア用品あげるよう頼んでおこうか」

「ああ……それはありがたい」

(レースで負けた時よりヘコんでる……)

 

 

「昼休憩を挟んで、午前のトレーニング結果を確認。それから13時30分より、ダイワスカーレットさんです。」

 

「こんにちは好井さん。もうすぐ、アイツと初めて重賞で走るの。絶対ケガしたくないから、今日はお願いします!」

「オッケー。ああ、そうそう。実は昨日、ウオッカも来たんだよ」

「え!? そうなんですか!? アイツは何を……。いえ。なんでもありません」

「聞かなくていいの?」

「はい。なんであろうと、勝つのはアタシですから!」

「うん、そうだね」

 

 

 

「14時30分。アグネスデジタルさん。」

 

「あ、あの!! ウマ娘ちゃんからのみ、気配を感知されないスキルとか手に入ったりします!?」

「……あ、もしもしフラッシュ? 募集要項のページに『レースに関係ないことはお断り』ってつけ足しておいてくれる?」

「へぁ?」

「悪いけど、それは無理だよデジタル……」

「しょ、しょんなぁ……。あ! それでしたら、ありとあらゆるレースに出られるようには出来ますか!?」

「キミ、もう既にほとんど出来てるでしょ?」

 

 

 

「次は15時30分より…………」

 

 

 

 

 

 

――――。

 

 

「うぅ……疲れたぁ……」

 

そんな日が続いた結果、当然だけど俺の心身は限界を迎えつつあった。『うまぴょい』を求めてくるウマ娘は日に日に増え、一人1時間を想定していたのを今では30分で終わらせないといけない状態に。平日の午後はいつも門限ギリギリまで対応するし、休日は基本的に朝から晩までひっきりなしだ。

一人当たりの『うまぴょい』を早くするには効率と技術の向上は必須で、それに伴う俺への負担も増加していた。いかに連続して行えるとはいえ、一回『うまぴょい』するだけでも、汗がにじむ程度には疲れるのだから。

 

それでも、まだサイクルとして回るようになっているのは、何よりもフラッシュの管理能力のおかげである。スカウトした俺の目に狂いはなかった。彼女が居なければ、俺は自分の責務と仕事量の板挟みでとっくにパンクしていたであろう。最低限熟すことが出来ているのだけは、小さな幸運だ。

 

 

「大変ですねぇ、ソウマさん……。えらい、えらい」

 

トレーナー室のソファーで俺は柔らかい膝枕をされながら、頭を撫でられていた。体は横向き。頭を上に向けると、視界の半分くらいが二つの曲線遮断されるので、スマホを触れなくなるためである。

 

舌の根も乾かないうちに、心の声を吐露しながら、仕事を熟しつつクリークに労ってもらう。先輩には溺れないように、と言われてたけれど。この全肯定全身(ママ)のクリークが居なければ、とっくに俺は精神崩壊していたかもしれない。時に母性(ママみ)は必要不可欠なのだ。しょうがないだろう、赤ちゃんなのだから。

 

「でも。ヘコたれるわけにはいかないよなぁ」

 

手元の有機EL画面に映っているのは、ウマ娘の特集記事。

憧れの人と、ダートコースを楽し気に併走する姿。3000mを息切れすることなく走り切り、感涙している子。来たる勝負に向けて、順調にトレーニングを重ねているルーキー。

 

こんなのを見て、俺が簡単に弱音を吐くわけにはいかない。幸せそうな姿が見れるのは、トレーナーとしてこの上ない喜びなのだ。

辛いには辛いけど、今はまだ我慢の時期。辛抱強く耐え忍べば、いつか……。

 

「ん?」

 

と、奮起しようと思っているとスマホの画面が変わる。黒い背景に緑と赤の丸が下部に表示されている。受話器のマークを押すと、スピーカーから表示された名前主の声が聞こえてきた。

 

「フラッシュ? どうしたの?」

「すみません、突然。想定していた問題が発生し始めたので、そのご相談をと思いまして。」

「……。ああ、なるほど。今、どこにいるのかな」

「教室です。」

「じゃあ、トレーナー室に来てもらえるかな。みんな連れて来ていいよ」

「わかりました。」

 

通話を切ってスマホをポケットへ。クリークの膝を優しく叩き、身体を逸らせてもらい起き上がる。

 

乱れた頭髪を整え、シャツの皺などもチェックしてもらい受け入れの準備を行った。通話内容で察してくれたクリークに最後、ネクタイの寄れを直してもらい余所行きの支度は完璧だ。

 

少し遅れてノックが鳴る。返事をすると扉が開き、凛とした表情のフラッシュが入って来た。

 

 

……複数人のウマ娘を連れて。

 

「やあフラッシュ。引率ありがとう」

「いえ。道すがらに、皆さんに事情は話したのですが……。」

「いいよいいよ。それも含めて、改めて話を聞くから」

 

見ない顔ぶればかりの、ウマ娘を俺は一望する。……ちょっと予想より多いかも。

 

 

「あの、私どうしても次のレースで勝ちたくて。どうにかなりませんか?」

「あたし、また走りたいんです。今度の重賞レースで出るあの子と、決着をどうしてもつけたいんです」

「最近調子悪いから、活を入れてぇんだ」

 

 

と、各々の意見を耳にする。

 

彼女らは全員、俺の『うまぴょい』を望む子たちだ。

 

それは構わないのだが……問題は、『うまぴょい』の抽選から落ちていること。

専用の募集サイトがあり、そこに必要事項を記入して応募。その中からランダムで選ばれた子が、俺と『うまぴょい』できるシステムに今はなっている。

 

俺の身体は一つしかない。

故に、対応できる人数に限りはある。そして、どんな子であろうと贔屓も出来ない。優劣を俺の判断でつけてしまったら、公平さが失われて不満と涙が生み出されるのは間違いないから。

 

だが、『うまぴょい』を求めるウマ娘は日に日に増え、遂に対応数に限界が来てしまったのだ。

時間は待ってくれない。次のレースに勝たなくては、今から調整を始めなくては、自分の夢を叶えられない。そんな子ばかり。

 

 

 

「どうしましょう。トレーナーさん……。」

「うーん……」

 

困っている子に手を差し伸べないわけにはいかない。

かといって、この人数をまとめて相手するには時間がないし……既に先約で埋まっている。どうしたものかと思案を巡らせていると……。

 

「あー、いたいた! トレーナー、ちょっと助けてよぉ! この子ら、みんな『うまぴょい』したいらしいよー?」

「うえぇ!? ちょ、ちょっと待ってくれ……」

 

開きっぱなしの扉から、テイオーが困った様子で引き連れてきたのは、またもたくさんのウマ娘。

みな困った顔をしてたり、中には思うようにいかない歯がゆさから苛立ちを覚えている子もいる。

 

「トレーナーさん、助けてくださいよぉ」

「好井さん! なんとかして!」

「『うまぴょい』で勝てるようにしてくれるんでしょ!?」

 

ずいずいと追い込まれそうになるのを、フラッシュやクリークが引き止める。

そうこうしているうちに、今度はネイチャまでもがやってきて、ウマ娘であふれかえるトレーナー室に驚いていた。後ろに付いてきている、同じ目的であろう友人らに謝罪する姿が見えた。

 

 

どうする。

 

こうなるのはわかっていたけれど、現実になると、どう捌いたものか困ってしまう。

 

脂汗を流し、懸命に脳細胞を働かせてリスケジュールをする。門限外の時間も応対できるようにするか……午前の座学授業の時間も申請を通してもらえば対応可にするか……。俺の睡眠時間が削られるのはいいけれど、それでまともに『うまぴょい』が出来るかどうか……。

 

 

「傾注ッ! 一同、お静かに願おう!!」

 

喧噪を吹き飛ばすように、元気な声が今度は届いた。

騒ぎを聞きつけたのか、秋川理事長とたづなさんが、いつの間にか部屋に入ってきていた。海割のように、ウマ娘達が脇に逸れて少女を見つめる。

 

その手に持った扇子に書かれている文字は『朗報』。

隣のたづなさんが持っている大きめの封筒には、URAのマーク。

 

 

まさか……。

 

 

「待たせたな、好井トレーナー! これで、キミの計画は遂に完成するぞ!」

 

 

粛々と書類の封を開けるたづなさん。

 

秋川理事長が中身の書類を受け取ると、その内容をかみ砕いて読み上げてくれた。

 

 

 

 

「年度末開催のURAファイナルズ! 決勝でのウイニングライブ! 新曲『うまぴょい伝説』の採用が決定したッッ!!」

 

 

 

気が付かないうちに、俺は強く握りこぶしを作り……空に掲げていた。



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最終話「伝説、『うまぴょい』でみんなに幸せを!」

「……ぶぇっくしょん!」

 

春の温かい気候。

花粉症持ちの俺は、今日何十回目か わからないくしゃみをした。今年は忙しくて対策の薬飲むのを怠った弊害だ。

学園の屋上にいるのだから、室内より当然浴びる花粉は多くなる。それでも、俺はここから眺める景色が好きで定期的に訪れていた。

 

 

眼下に広がるのは、今日も元気にトレーニングに励むウマ娘達。

 

 

みんな、楽しそうに走っている。

 

 

――――あれから。

 

俺達が思案した新曲『うまぴょい伝説』が公式に認可されてから、初めてのURAファイナルズが終わった。

今年度一番のウマ娘が決定したことより、その楽曲が(もたら)す効果が注目されたのは言うまでもない。

 

……俺としては、相棒のテイオーが長距離部門で優勝したことをもっと見て欲しかったけれど。

テイオー自身が、それよりも。と話題を譲ってくれたのは、有難いことこの上なかった。

 

『うまぴょい伝説』が、全てのウマ娘に行きわたるようになると、環境は変わった。

歌って踊る練習をするだけで、自身の能力が上がるのだ。加えて、他者と共にレッスンすることで効果はさらに増す。

一度やればいいものではないけれど、時間を重ねれば確実に効果は出る。みんな、積極的にトレーニングの一環として取り入れてくれた。ライブの練習そのものにもなるし、一石二鳥なわけだからデメリットなんてないしな。

 

そうそう。試験段階では報告されたことのない効果もあって。

 

何故だか知らないが皆、年度明けの春ごろに一気に身体能力や適性が伸びたそうな。

元々期待されてる、緩やかな変化とは別に、いきなりドンとあがった子も居るらしい。

 

中でも、奇妙なことに……三女神様の声を聞いた。という事例が数多くあった。

なんでだろう。因果関係はあるかどうかわからないが、とにかく確実に『うまぴょい』の効果が出てくれたのは良かった。効果がないのは困りものだけど、逆なら良いことだろう。まだまだ運用は始まったばかり。少しずつ謎が解明されて、全ウマ娘が幸せになれる未来が訪れればいいなぁ。

 

「……は……はっくしょん!! ……あ゛ーしんど……」

 

もう一度大きくくしゃみをして、鼻を啜る。

ぽかぽか陽気に当てられて、手すりに両肘をかけて体重を預けていると。

 

「暇そうだね、トレーナー」

 

と、後ろから声をかけられた。

 

「良いだろぉ。今は何も予定入ってないんだからさ」

「ちょっと前は、あんな忙しそうだったのに」

「そうだな。23年生きてきて、一番密度の濃い時間だったかなぁ」

「ふーん……」

 

声の主、トウカイテイオーが横に並び立つ。

いたずらっぽい笑みは変わらない、いつもの彼女だ。

 

「……」

「……」

 

特に話す内容があるわけでもない。俺は黙って景色を眺める。テイオーも(なぞら)えて、同じ方向を見つめる。

 

 

「あ、ファル子だ」

「今日はダートを走ってるみたいだな」

「URAファイナルズもダート枠だったし、やっぱダートが好きなんだね」

「リベンジしたかったか?」

「一緒のレースで走るなら、とーぜん! 今度は絶対負けないから!」

「……そうだ。逆に、お前がダート走ってもいいんだぞ?」

「やだー! 砂埃の中走るの嫌いだもん。重バ場だって苦手なのにさ」

「そうか」

「うん」

 

風が舞う。桜の混じった穏やかな気流は、平和になった俺の心の内のよう。

 

「…………テイオー」

「ん?」

「みんな、楽しそうに見えるか?」

「……うん。楽しそうだよ。『うまぴょい伝説』のおかげで、出来なかった挑戦ができるようになった。って、みんな喜んでた。カイチョーも嬉しそうだったよ」

「……そっか」

 

思わず笑みが零れる。

 

『うまぴょい伝説』という新しい『うまぴょい』で、世界は広がった。才能の差で苦しむことがなくなった。当然だけど、それだけで勝てるわけではないけれど……それでも、挑み続ければ先が見える。という光明を作れたのは、本当に良かった。

 

俺自身への直接『うまぴょい』をする必要性がなくなったので、一時期の過密スケジュールは瞬く間になりを潜めた。自身の担当を見るだけで良くなったからだ。つまりは、いつも通りというわけ。

 

たくさんの人に必要とされる経験は、なんだかんだ嫌いではなかったけれど。俺には重荷でもあったわけだし。分相応の状態に戻っただけだ。

 

平和で平穏。これで良い。

 

「こちらにいらっしゃったのですね、トレーナーさん。」

 

フラッシュが、ネイチャとクリークを連れてやってきた。

お昼時なのに、トレーナー部屋に居ないから不審に思ったのだろうか。

 

「やあフラッシュ。どうしたんだ?」

「特に要件はありません。お部屋にいらっしゃらなかったので、どちらにいるのかと思いまして。」

「クリークさんが、きっと屋上だよって言うから来てみたんだ」

「冷蔵庫にデザートがありますから、ってお伝えしましたよね。トレーナーさん」

 

あー、そうだった。いつもネイチャが差し入れしてくれるお弁当を洗った時点で、すっかり頭から抜けていた。見越したように、クリークの手には箱に入った手作りのシュークリームがある。

 

 

「じゃあ、せっかくだし。みんなで食べようか。ありがとな、クリーク」

「いえ~。そのつもりで持ってきましたからね~」

 

優しく微笑むクリークから、一つ菓子を受け取る。広い屋上で、小さく輪を作った俺達は甘く蕩けるようなクリームに舌鼓を打つ。

いつもはタイシンとかブライアンが居たりするのだけれど、珍しく誰も居ない。俺達だけしかいない、朗らかで緩やかな時間。

 

「……俺さ」

「ん?」

 

包み紙を綺麗に折りたたみながら、ごちそうさまをしてから口を開いた。

話題の切り出しに反応するテイオーだけでなく、みんなに向けて続ける。

 

「改めて思ったんだけど。これぐらいの人数がちょうどいいや」

 

クリークが手を差し伸べてきたので、甘えて俺はゴミを受け渡した。

 

「どういうこと?」

「たくさんのウマ娘と、たくさん関わったんだけど。やっぱり、それぞれ皆、大事な夢と意志を抱いてトレセン学園に来てるんだなぁってわかってさ。それを支えるのがトレーナーなわけだけど……。出来る限界ってあるんだよ。どうしても」

 

身体が一つしかない以上、見据える夢の全てを掬い上げることは出来ない。どれだけ頑張っても、どれだけ身を削っても、時間だけは公平なのだから。

 

「だから。俺には、テイオー、クリーク、ネイチャ、フラッシュ。キミ達だけで手いっぱいだわ。自分がいかに平凡か、今回の件でよーくわかったよ」

 

申し訳なさそうに笑うと、みんなは不思議そうに顔を見合わせた。

 

「トレーナー、さっきも言ったでしょ。そんなことないよ」

「え?」

「トレーナーさんが、たくさんのウマ娘と『うまぴょい』をしてくれたこと。『うまぴょい伝説』で、これからのウマ娘たちの道を作ってくれたこと。みんな、と~~っても感謝してるんですよ~?」

「一部の界隈では、新曲に重ね合わせて、トレーナーさんを『伝説のトレーナー』と呼ぶ方もいらっしゃいます。」

「ま、言い過ぎな気もするけど……。間違っちゃいないんじゃない? アタシらも、そんなトレーナーさんに担当してもらえて……感謝してるわけですし?」

 

大げさな呼び名を陰でされていることに驚きつつも、それだけ『うまぴょい』が受け入れられたことに歓喜する。

 

元々の計画ではあったとはいえ、『うまぴょい』を連続でする日々は辛かった。そこに至るまで、皆の為に出来ることはないかって、苦労して悩んだことも……。

 

そうか。全部、無駄じゃなかったんだな。

 

急に報われたことに対する実感が湧き、思わず目元が熱くなる。

 

「あれあれ~? トレーナー、泣いてるぅ?」

「ばっ……! か、花粉症だ! へっくし! あ゛ー! 今日は一段とキツいな~~?」

「ふふ。はい、ティッシュですよ~」

 

無理やり誤魔化しながら、鼻をかんで目元を拭う。大人なのだから、少しは威厳を保ちたい見栄だって俺にもある。……まあ、何度も情けない姿を見せているから、今更だけども。

 

 

「テイオー。次は天皇賞の春だ。春の三冠狙っていくぞ。目指すは年間無敗の最強王者だ!」

「うん! 今回はマックイーンも出てくるからね! 今度こそ、『絶対』のボクが、絶対勝つよ!」

「クリーク。色々と助けてくれてありがとう。これからも、世話になるだろうけど……。俺も頑張ってキミを支えるから。頑張ろうな」

「はい~! 辛いときは、い~っぱい甘えてくださいね~」

「ネイチャ。安心沢より、絶対俺の方が良いって思って貰えるよう頑張るからさ。テイオーにも負けないよう、一緒にやってこう!」

「……トレーナーさん、割と鈍いよねぇ……。まぁ、そこがいいんだけどさ。はいはい、頑張らせていただきますよ~」

「フラッシュ。皐月賞はもう間近だ。クラシック三冠、特にダービーは絶対手にしよう。時間もたくさん作れるようになったし、管理も完璧になったキミなら必ず勝てる!」

「そのようにスケジュールを組んでいますから。後は実行するだけです。体調もメンタルも、問題ありませんから、ご期待に副える結果を出してきます。」

 

それぞれに激励の言葉を渡し、最後にもう一度。俺自身の思いを込めて。

 

 

「みんな、大好きな俺の愛だ。これからも、どうかよろしくな!」

「「「「はーい!」」」

 

綺麗な合唱と、突き上げた拳。

 

春の空に、俺達は誓う。

 

全てのウマ娘が自由に走れるようになったこの世界で、まだ見ぬ未来はどうなるのか。

 

レースの結果は残酷だから、きっと楽しいことばかりじゃないのに変わりはないかもしれないけれど……。

 

 

それでも、絶対。

 

 

 

今までより明るい道で照らされていることに、違いはないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヒトがウマ娘に敵うわけがない』 おしま「ところでさ、トレーナー」

 

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

凄く爽やかに締めようとしたところ、突如テイオーが思い出したように聞く。

 

 

 

「もう、『うまぴょい』はしなくっても良いんだよね」

「まあ、そうだな。『うまぴょい伝説』があるんだし……みんなも、効果あったろ?」

 

頷く一同。何か気になることでもあるのだろうか。

 

「けどさ、『しなくていい』ってだけで……『しちゃいけない』わけでもないんでしょ?」

「あー。どうだろ? みんなに知れ渡ったからといって、厳密にどうするとかは言われてないな」

「じゃあ、別に問題ないんだね」

「なに……が……」

 

 

 

気付いた時にはもう遅かった。

 

 

俺の周りは囲まれている。

後ろは空中だ。屋上からの落下なんて、人間では即死だろう。逃げ場は前にしかない。

けれど……そこには、俺の数倍の力とスピードを持つウマ娘で塞がれているのだ。

 

 

「他の子たちに時間を取られる心配もなくなったわけだし。思う存分、出来るわけだよね? ボクたちと……『うまぴょい』を♡」

「そ、そういうわけじゃ……!!」

「ダメですよ~トレーナーさん。ちゃんと私たちの気持ちを受け止めてくれなきゃ~」

 

真っ先に助けを求めようとしたクリークも、もうだめだ。

完全に『うぴうぴ』している。

 

「最近ご無沙汰だったわけですし。……い、いいよね?」

「ネイチャ、みんな居るんだぞ。いいのか? なあ?」

「まあ、ここに居るみんななら別に」

「トレーナーさん、一つだけお伝えしておきます。逃走経路はありません。この屋上に、他のウマ娘が来ることも、昼休みの間は無いでしょう。」

「なんで!?」

「そのように、管理したからです。ご指導の賜物ですね。」

「そういう目的で、フラッシュをスカウトしたわけじゃないんですけど~~!?」

 

「まあまあ、トレーナー。諦めなよ。どうしたって、逃げられないんだから」

「そうそう。皆を幸せにするのが、トレーナーさんの目標なんでしょ?」

「でしたら、しっかり責任を取って貰わないと。ですね~。うふふ」

「昼休み終了まで残り42分。トレーニング開始まで1時間33分。共に成長したトレーナーさんならば、我々4人を相手をしても7分の余裕が出来るはずですよ。」

 

 

テイオーに身体を掴まれる。

迫る様に、他の3人からの湿っぽい熱い視線を感じる。

 

 

抵抗できない力に押さえつけられた俺を見上げてから。

 

 

 

「さ、トレーナー」

 

 

あの時と同じように、テイオーは耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

「ボク達と『うまぴょい』……しよ?」

 

 

 

 

 

 

「やっぱこうなるのかよーーーー!!」

 

 

 

 

むなしい叫びが空に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウマピョイ! ウマピョイ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヒトがウマ娘に敵うわけがない』 おしまい




ご愛読ありがとうございました!


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あとがき

半年間に渡る連載、好井ソウマ……。いえ、好意(よしい)総馬(ソウマ)くんのお話は、これにて完結です。

 

基本的に活動報告の方で、作中のシーンに対する思いは書き連ねていますので、こちらでは割愛を。

あとがきでは感謝の気持ちと、これからについて述べさせていただきます。

 

自分の中では、創作してきた中で二番目に反響があった作品(1番はドラクエのギラを題材にしたSS)でしたので、書いていてとっても楽しかったです。みなさんの反応も、一個一個がとても面白くて通知が来るたびニヤニヤしてました。ありがとうございます。

 

 

ギャグに振り切るつもりが、シリアスな場面も多くなってしまったのが反省点でしょうか。ギャグマンガ描いている方々が、時折シリアス混ぜないと精神持たないって理由が、とってもよくわかりました。

とはいえ、自分の中ではシリアスシーンは飽くまで、ギャグシーンにつなげるための予備動作って感じで考えていました。

 

ともあれ、最後まで「バカなことやってるなー」って思いながら読了して頂けたら嬉しいです。

 

 

今後についてですが、本編はこれにて完結しております。

 

 

が、小話的なのがまだいくつか残っているので、それをちょっとずつ時間が空いた時に流そうと思ってます。

好井くんのキャラが使いやすすぎて、SS的な話は彼で大体完結してしまうのがいけないんだ。

 

 

 

次回作などは特に考えてはおりません。というのも、ウマ娘二次創作ガイドラインの改定により『これ、良いのかな?』って感じのネタしかなかったためです。一応、短編的なのは何となく構想にありますが……中編ぐらいの話は、ちょっとグレーゾーンっぽいです。

 

あんまり言うとネタバレ的になってしまうので控えますが、少し前に同じサイゲームスのアプリ『グランブルーファンタジー』という作品内でコラボがあったのですが。その中でも、徹底したガイドラインの順守が行われているなーと実感したので、やはり不用意に扱わない方がいい題材なのか……? と懐疑的になってしまったのです。

 

とはいえ、この『ヒトがウマ娘に敵うわけがない』も割とギリギリを攻めた作品でもあった気はします。

だから、良いのかと言われればまた難しい所で。公式のルールを守り、コンテンツを楽しむのが二次創作をする上で大前提なものですから、分別はわきまえていきたいと考えております。表現の解像度をギリギリまで落とせば、いけないこともないような……? と思ってたりはしますが。その辺りは匙加減でしょうか。

 

もしくは、ちゃんとした恋愛ものを書いてみたいなとも思ってます。今回は飽くまでギャグ寄りのものなので、恋愛要素薄めにしましたが……。ガッツリやってみたいなぁとも思ってます。

 

 

それでは、改めて。

ご愛読ありがとうございました。たくさんの感想、お気に入りを貰えてとても嬉しく楽しい時間でした。

もうちょっとだけ続くこの世界を、もうちょっとだけでもお楽しみいただけたら幸いです。



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おまけ
『振り付け』


※第二十話ぐらいの時間軸です。


「……はぁ」

 

「ん~……こっちかな?」

「なるほど。では、ナイトでビショップを取り、チェックです。」

「えぇ!? あ、待った待った! ちょっと待って、フラッシュ!」

「チェスに『待った』のルールはありませんよ、テイオーさん。」

 

「……うぅ~ん……」

 

 

「初心者なんだから、良いでしょ~~? ねえ?」

「……一度だけですからね。」

「わーい♪ そんじゃ、やっぱポーンをこっちに動かして……と」

 

「……んん~~~……」

 

「確かに、先ほどに比べれば良い手です。ですが……クイーンの通り道を作ってしまいましたね。チェックメイトです。」

「えっ、えっ? ……うわ、ホントだ! 待って待って!!」

「『待て』は一度きり、と先ほど言いましたよね?」

「うぅ~……。あ! ここでルークとキャスリングすれば逃げられるじゃん! 危なかった~」

「いえ、テイオーさん。チェックされているキングはキャスリング出来ませんよ。反則です。」

 

「……違うなぁ……」

 

「うっそー!? じゃ、じゃあここにクイーンが入らないように、ナイトを動かせば……」

「いえ。その場合においても……私のビショップが、7fに入り込めばテイオーさんは次の手でポーンを動かさざるを得なくなるので、チェックメイトですね」

「……うわーん! もっと手加減してよぉ、フラッシュ~~!!」

 

「……いや、もっとこう……」

 

「ルドルフ会長とチェスで勝負が出来るように、とお願いしてきたのはテイオーさんでしょう? 手を抜いてしまえば、練習の意味がなくなります。」

「だからってさぁ。こんな圧倒的にしなくってもぉ~~!」

「そもそも、無理にポーンをプロモーションしようとするのがいけません。自陣が隙間だらけになっているじゃないですか。」

「だってぇ~~。なんかカッコいいじゃん?」

「その為にクイーンを犠牲にしては、意味がありませんよ。もう少し戦略を練りましょう。」

 

「違うか……あ~、どうすっかなぁ」

 

「もー、トレーナー! さっきからうるさいんだけど! 集中できなくて負けちゃったじゃん!」

「集中力を外環境のせいにしてはいけません。周りが気にならなくなるほど、心を盤面に落とし込んでから一人前です。」

「フラッシュも真面目に返さないでいいから!」

 

「あぁ。悪い悪い……と、言いたいが。そもそも、トレーナー室で遊ぶなよ。俺の仕事部屋なんだぞ?」

「いいじゃん。昼休みなんだしさ」

「ところで、先ほどから何を唸ってらっしゃるのですか?」

 

「うん。いや、『うまぴょい伝説』の振付でさ。どーにも、納得いかない所があってね」

「なになに? ボクとファル子のかんっぺきな振り付けに、文句があるっていうわけ?」

「いや、お前とファル子は確かにいい仕事をしてくれたよ。……でも、なんかこう……なんだろう。もう一つ、高見を目指せる部分があると思って」

「どこのこと?」

「ここ」

 

「…………投げキスの動作ですか?」

「そうそう。よくわかんないけど、軽い感じがしてさ」

「投げキッスなんだし、軽くていいんじゃない?」

「でも、こうだぞ、こう」

「……トレーナー、成人男性の迫真投げキッスほど、(おぞ)ましいものは無いって知ってる?」

「失礼な! そんなことわかっとるわ!!」

 

「……いえ、トレーナーさん。もう少し角度に拘れば、何か見えてくるかもしれません。もう一度お願いします。」

「え? ……はい。」

「そんな適当にしないでください。先ほどのように、心を込めて!」

「えぇ……。 わ、わかったよ。…………どうだ!?」

「試行回数が多ければ多いほど、データはより正確さを増します。もう一度、私の前に立って全身を使ってみてください。」

 

「フラッシュ……。それ、トレーナーに投げキッスして欲しいだけでしょ?」

「そ、そんなわけありません!!」

「ちょー動揺してるじゃん……」

 

「……うぅん。根本的な部分がおかしいのかな。歌詞と曲の勢いに対して、片手でチュッ、とやる感じなのがダメなんだろうか……」

「特別、おかしな所作には思えませんが……。確かに、インパクトの面においては物足りなさを感じますね。」

「…………あ。そうだ。トレーナー、それならいい資料があるよ」

「え? マジ? どこに?」

「タブレット貸して。…………んーとね……去年の有記念は……と。あ、あった。ほら、ここ」

 

「……おぉ! これは! これだよ、俺の求めていた投げキッス!」

「トレーナー、一応言っておくけど割と危ない発言してるからね?」

「確かに、この勢いと情熱……先ほどまでの振付と比べれば格段に、気持ちが籠っているのが伝わります。」

「だよな! よし、これだ! 二人とも、一回やってみよう! 切り抜きして、何度も見直して研究するぞ!」

「え~? 午後のトレーニング、もうすぐだよぉ?」

「大事なことなんだから、いいんだよ! なあ、フラッシュ!」

「そうですね。では、一度トレーナーさんが、我々……いえ、私に向かってお手本を見せて頂ければ、午後のリスケジュールが容易にできるかと。」

「さっきからフラッシュ、ズルいよ!?」

「任せとけ! 俺が出来なきゃ、指導も出来ないからな! よっしゃ、机どかしてどかして!」

「あー、トレーナーも変なスイッチ入っちゃったしぃ……。まあ、いいけどぉ……」

「さあ、トレーナーさん。まずは私に向かって、どうぞ。」

「フラッシュ!!」

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

 

ガラッ

 

「……ありゃ、こんなところにいた。もうとっくに練習時間なのに、誰もコースに居ないから探してたんだけど……」

「おぉ、ネイチャ。……あ、悪い! LANEに連絡入れるの忘れてた!」

「やっほー、ネイチャ」

「すみません。私もつい夢中になってしまい……グループLANEに一言添えておくべきでした。申し訳ありません、ネイチャさん。」

「いや、まあ別に良いんだけど……何してたの、みんなして?」

「ああ、新曲の振付を研究しててさ。もっと良いものに出来ないかって」

「へぇ~。熱心なことで」

「そうだ。本人がいるなら、本人に見せてもらう方が早いじゃん。ネイチャ!」

「は、はい? なんでしょうか?」

「ここの動き、ちょっと再現してみてくれる?」

「えぇ……。ダンスならテイオーやファル子先輩の方が良いんじゃ……」

「まあまあ、とりあえず頼むよ。ほら、これがその映像ね」

「どれどれ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「みぎゃーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」

 

 

「……!? なんだ、突然音が消えた……!?」

「ネイチャがトレーナーの耳元で叫ぶから……。ほら、ほら。これで治った?」

「テイオーさん、トレーナーさんを叩いても聴力は復活しないかと思いますが。」

「あ、戻った」

「えぇ……。」

 

「それより、ネイチャ。どうしたんだよ、いったい?」

「ど、どどどどどうしたって、何を言ってらっしゃられます!?」

「とりあえず、落ち着きなよ。ほら、はちみードリンク上げるからさ。ボクの飲みかけだけど」

「いらんわ! な、何てもんを見てるのさ、トレーナーさん!!」

「いや、俺だけじゃなくて皆で見てたんだけど……」

「なおさらだよ!?」

 

「ネイチャさん。あなたが有記念で、華麗に踊った『ユメヲカケル!』のウイニングライブにて、感情の高ぶりのあまり、間奏で手を振るだけで良いところ、つい勢いあまって投げキッスをした映像を参考にしていただけで、そこまで動揺されなくても。」

「めちゃくちゃ具体的な説明どうも!! 言わないでおいてくれると、助かるんですけど!?」

 

「でも、実際にとっても良いんだよコレ……。投げキスって、ちょっとこう……色気も必要だろ? 今までの、ただ投げるだけじゃそれを表現できなかったんだ。でも、ネイチャの投げキスは可愛らしさと可憐さ、少女特有のあどけなさを内包しつつも、受け手をドキッとさせるような艶やかさがあるんだ。だから、とても参考になると思って……」

「……あ……。ちょ……。」

「トレーナー。ネイチャ、顔赤くなりすぎて失神しかけてるよ」

「ここまで嫌味なく褒め称えられるのは才能ですね。」

 

「皆には常に言ってるけれど。俺、この新曲は絶対に成功させたいんだ。俺自身の気持ちだけじゃない、全ウマ娘が笑って走れる未来のために。必ず、楽しいものとして世に送り出したいんだよ。だから、ネイチャ! 頼む! 協力してくれ!」

「いや……でもぉ……」

「一回でいい! ライブ映像だと角度が固定されてるし、ライトが眩しすぎるから限界があるんだ! だから、どうか! 俺に投げキッスしてくれ!」

「ちょ……心の準備とか……その……」

「頼むよぉ、ネイチャ! 俺にだけ、チュウしてくれよ~~!!」

「わかりましたから、詰め寄ってこないでーーーー!!」

 

 

 

 

その後、知らない間に騒ぎになっていたことも知らず。

真顔で詰め寄るソウマの下に、取り締まりを行う権限を持った屈強なウマ娘達が、それはそれは恐ろしい剣幕で駆け付けたそうな。

 

 

 

 

「誓ってセンシティブなことはしてません……。ホントなんです……」

 

トウカイテイオーの賢さが5上がった。

エイシンフラッシュのやる気が上がった。

ナイスネイチャのやる気が下がった。

好井ソウマの評判が10下がった。











その後。



「……は、はい。……どう……だった?」
「ありがとう。凄い良いデータ取れた。助かったよ、ネイチャ」
「それはどうも。……言っとくけど、二度とやらないからね?」
「うん。ごめんな、無理言って」
「…………あのさ、トレーナーさん」
「ん?」
「他に……。何か言うこととか……ない?」
「え?」
「ああ! ごめん、なんでもない! データ取りのためだもんね! うん」
「……うーん。他に……か。難しいな、可愛い以外の感想が出てこないし」
「ふぇ……? い、今……なんて……」
「え? 可愛い、って言ったんだけど……。誰がどうみても、そうだろ?」
「……」
「ネイチャ?」
「……ふふ。ありがと、トレーナーさん!」
「あ、うん。こっちこそ、ありがとう?」



……可愛い……かぁ……。えへへ。



ナイスネイチャのやる気が上がった。


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『ホワイトデー』

「今年のホワイトデーはチョコレート禁止ね」

「は?」

 

URAファイナルズの決勝が差し迫った大事な時期。『うまぴょい伝説』の初お披露目にもなるので、最終調整にも敏感な忙しい年度末。

俺がトレーナー室の机で仕事をしていると、テイオーが思いついたかのように乗り出しながら、そう言った。こら、書類から手をどけなさい。

 

「なんだよ。いきなり」

「トレーナー、毎年お返しはチョコレートじゃん? それじゃ、面白くないなーって」

「面白くって……前にも言っただろ。チョコレート貰ったんだから、チョコレートのお返しするのが俺なりの流儀なんだって」

「だぁーめぇー! 大体さ、トレーナー。ホワイトデーにチョコレートをお返しにする意味わかってるの?」

「いいや、全然。というか、お返しに意味とかあるのか?」

「ほらー。まったく、これだからモテない男はぁ~~」

「う、うるせー! 別にいいだろ、安い銘柄の渡してるわけじゃねーんだぞ!」

「とにかく! 今年は、ボクとクリークだけじゃなくて、ネイチャにフラッシュも居るんだからさ。ちゃーんと個別に考えて渡すようにしてよ」

「えぇ~~……。もう予約する店とか決めてたんだけど……」

「いいから! あ、あと事前にお返しの意味調べるのも禁止ね! トレーナーが、トレーナーなりに考えた誠意を見せてくれないと」

「注文多いなぁ……。はぁ。まあ、わかったよ。確かに、世話になった返礼が義務的ってのも、良くないしな」

「そーそー! わかればよろしい!」

「調子に乗るな」

 

考えることが多いこのタイミングで、また更に頭を悩ませるようなことが起こるとは……。テイオーのわがままに振り回されるのは、今に起こったことじゃないから良いけども。

 

深いため息をついた俺は、一旦仕事に区切りをつけて通販サイト巡りを始めた。やる以上直接店舗に行って、色々と探したい所だが如何せん暇がない。それぐらいは、どうにか許してもらうとしよう。

 

 

 

・・・。

 

 

 

「ってわけで~、今年はいつもと違うの貰えるよ、クリーク!」

「あら~。テイオーちゃんったら。あんまりトレーナーさんを困らせては、めっ。ですよ~?」

 

日頃からの疲労具合をよく知っているクリークは、柔らかく注意する。ホワイトデー当日にトレーナー室で集まっていた、ソウマの担当ウマ娘たちは、和やかな雰囲気でトレーニング前の時間を過ご……。

 

(トレーナーさん、一体何をくれるのかな。贈り物の意味とか考えてないらしいけど……す、少しは期待とか……しちゃっていいのかな? ほら、潜在的な意識とか)

(あの人のことだから、きっと深く考えてはないのだろうけれど。それでも、気には……なってしまう。)

 

せていない者が二人。普段は正確に時刻通り動く黒鹿毛のウマ娘も、妙に時間を気にしてトレーナーの来訪を待っている。ツインテールの栗毛は、無意味にスマートフォンの電源を入れたり消したりして、ずっとそわそわしていた。

 

 

「そんな期待されても困るんだけどなぁ……」

 

会話を扉越しに耳にしていたソウマが、やや弱った様子で入室してくる。彼に視線を向けると、すぐさま皆は手に持った紙袋や箱に注目した。

それは一体、誰の何なのか。耳をパタパタさせながら、ゆっくりと執務机に荷物を置くソウマを見送る。

 

「さぁさぁ、トレーナー! 何をくれるの?」

「慌てんなって。テイオーからでいいか?」

「うん! 早くはやく~♪」

 

「はいよ。」

「………………は? なに、これ」

 

ドンと勢いよく取り出されたものは、大きな瓶に入ったハチミツだった。

 

「お前の好きなもの」

「トレーナーのバカーーーー!!」

 

泣きながら渡されたハチミツを強引に受け取りながら、クリークの胸元へ飛び込んでいくテイオー。

流石に周囲の冷たい目線に、気圧されたソウマは慌ててクリークから引きはが……せず、懇願することでこちらを見てもらう。

 

「冗談だって。こっちが本命」

「……これは?」

 

半べそのまま、受け取った小さな箱を手にしつつソウマを見上げる。

 

「いちごの飴だよ。ドライフルーツをそのまま使ってる、イイヤツなんだぞ~? 有難く頂けよ」

「ふぅん。そっか。……トレーナー、ボクにキャンディをくれるんだね?」

「キャンディっていうか飴だけど……。まあ、同じか?」

「うん。同じ。えへへ。ありがとね、トレーナー!」

「お、おう」

 

途端に上機嫌になるテイオーに困惑するソウマ。頭を掻いていると、他のみんなの期待に気付く。

我に返り、ソウマは袋の中身を確認してからエイシンフラッシュの方へ向かった。

 

「フラッシュはこれ ね」

「こちらは……マカロンでしょうか?」

 

包みを丁寧に開いたフラッシュが、ロゴから中身を判断する。頷くソウマを見て、箱を開けた。

色取り取りのマカロンが、シンメトリーに並んでいる。一つ一つ丁寧に作られた職人の至高の逸品であろう。

 

「お菓子作り好きだろう? それ、俺もちょっと気になってた物でさ。フラッシュの感想も聞いてみたくって」

「味見係として、選んだんですか?」

「いやいや。それもあるんだけど。カリッとサクッした食感とか、他のお菓子と比べるとなんかこう……ピンと背筋が張るような洗練された味がするからさ。でもって、作るの結構難しいんだよな? そんな繊細な感じとかがフラッシュっぽいかなぁ……って思ったんだ」

「そう……ですか……。ありがとうございます。」

 

耳はしおれ、尻尾が小刻みに動いている様子も気にせず、ペラペラと思ったことを述べていくソウマ。熱っぽいお礼を受け取った後、今度はネイチャの下へ。

 

「……あー、あのさ、ネイチャ。先に言っておきたいんだけど……」

「え? なに? アタシの分だけ、無いとか?」

「そうじゃなくって。……実は、予約しようとしたものが手に入らなくってさ。あ、代わりは用意したんだけど……その……」

「?」

 

歯切れの悪い様子で、ソウマは髭を撫でる。それから、首を傾げるネイチャに対し意を決したかのように隠していた袋を渡した。

 

「……クッキー?」

「駅の近くに有名な店あるだろ? ホントはそこのにする予定だったんだけど……時期を考えてなかったから、予約満杯でさ。このなんにでも合う感じが、ネイチャっぽくて良いと思ってたんだけど……。ごめんな、味の方は天と地の差があるよ」

「つまり、これ……もしかして、トレーナーさんが作ったの……?」

 

手のひらに収まる透明な袋の中にある、形も不均一で火力が強すぎたのか焦げ目も強めにあるプレーンのクッキー。好井ソウマは、長くない人生の中で初めて作ったことを頬を染めながら肯定した。

 

「……もしマズかったら捨てちゃっても」

「食べる」

「いや、でも味見したけど、飲み物ないと食べきれないぐらいパサパサ……」

「絶対、食べきるから。ありがと、トレーナーさん!」

「あ、ああ……」

「「ずるい(です)!!!」」

 

宝石を眺めるように、色々な角度からソウマの手作りクッキーをネイチャは見つめる。事実を知ったテイオーとフラッシュが『自分の分もあるべき』と、必死な剣幕で詰め寄るのを宥めるのに少しの時間を要した。

 

「最後はクリークだね」

 

そんなやりとりを、微笑ましく見ていたスーパークリークの下へソウマが歩み寄る。

 

「クリークはすぐに決まったんだよ。早めに準備できたんだ」

「あら~、そうなんですね~」

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます~」

 

笑顔で受け取ったクリークは、一瞬だけ硬直した。

何かを貰うことが嫌いなわけでもない。信頼のおけるトレーナーからの頂き物だ。前回までより、心は籠っているはず。

 

……そう、信じ込むしかなかった。

 

贈り物を貰ってから、ずっとずっとクリークは中を眺めていた。その食べ物を口にするでもなく、捨てるでもなく。ただただ、込められた意味を考えては、もやもやと自分の中に湧き上がる感情と、ソウマからの思いを咀嚼して消化しようと考えて……。

 

 

気が付けば、海辺で座り込んでいた。

 

潮騒も耳に入らず、日が落ちて暗くなったことにも気づかず。寄せては返す波をクリークはボーっと視界に入れている。

 

「……はー、やっと見つけたわ」

 

そんな小さな背中へ、小さなウマ娘が葦毛を海風に靡かせて歩いてきた。額に垂れる汗を拭い、心情を露にしたため息をつく。

 

「あら、タマちゃん。どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたもないわ! クリーク、自分が何しとんかわかっとんのか!?」

 

身体を懸命に動かしながら、怒り気味にタマモクロスは言う。

 

「ロードワーク中に、いきなり居なくなりおって。電話にも出ぇへんって大騒ぎになっとんやぞ!?」

「え?」

 

青ざめた表情で、クリークが慌ててポケットのスマホを取り出す。振動で気付かなかったのだろう。マナーモードにうっかり入っていたせいもあってか、画面に出ている着信履歴のおびただしい数に、更に血の気が引く。

 

「ったく、URAファイナルズも佳境のこんな時期に……。何を皆に迷惑かけとんねん」

「ごっ、ごめんなさい! すぐに」

 

急いで立ち上がったクリークの傍に来たタマモクロス。

怒った様子は何も変わっていないのに。すっと、不機嫌なままクリークの横に腰を下ろした。

 

「タマちゃん……?」

「何しとん。なんかあったんやろ。話ぐらいは聞いたるわ」

 

思わず抱きしめたい衝動を押さえつつ、クリークは言葉に甘えて再び座り込んだ。

 

街灯りのおかげで、少しは明るさのある冬の夜海。それでも、こんな時期に来る人は少ない。タマモクロスが、クリークの言葉を待っている間に触っているスマホの操作音すら、波と風の音にかき消される。

 

「……で、どないしたん」

 

一しきりの操作を終えたタマモが、中々切り出せないクリークの気持ちを汲んで質問をする。

相変わらず膝を抱えたままのクリークは、ポケットに仕舞いこんだ透明な袋を取り出してから、ようやく口を開いた。

 

「ホワイトデーのお返しを、トレーナーさんから貰ったんです」

「おお、ええやん。クリークん所も大所帯になってきたからな。好井も気合入れて、プレゼントくれたんちゃうか?」

「ええ、そうなんです。……そうなんです……けど……」

「? なんや?」

「タマちゃん、ホワイトデーのお返しって、物によって意味があるのは知ってますか?」

「……あ~。なんやったっけ。飴ちゃんやと、『あんたが好き』とか。そういうヤツやったか? 知らんけど」

「はい~」

「……まさか、好井のヤツ。とんでもないモンを渡してきよったんか?」

 

視線を落とすクリークは、ギュッと手の中の袋を握る。その意図に気付いたタマモが、手元のスマホで灯りを作り、その中を検めた。

 

「……なんやこれ、マシュマロか?」

「はい」

「……マシュマロ……。はぁ? 『あんたが嫌いです』っちゅう意味なんか、これ!?」

 

スマホで意味を調べて驚愕する。そして、元々それがわかっていたからこそ、クリークは落胆してしまっていたのだ。

 

「あ、でも。トレーナーさん自身は、そんなつもりはない……はずなんです」

 

そもそもの経緯をクリークは説明する。単純に合ったものを、前知識なしで渡しただけなのだから。そこに、意味を込めて贈ったはずではない、と。

 

「……はは~ん。なるほどな。せやけど、変に勘ぐってしもうたんやな?」

「……トレーナーさんは……そんな人じゃないと思っているんですけど……」

 

再び視線を落としてふさぎ込むクリーク。

わかっていても、どこか考え込んでしまう自分が居る。それもまた、クリークにとって重くのしかかる嫌悪感。

 

「……ほんなら、ちゃんと本人と話せばええだけのハナシやろ。今更、何を抱え込んどんねん」

「……そうですけど……」

「なら、そうせえや。お互いため込んどったって、毒やで。おい、好井! こっち、こっちや!!」

 

突如、声を上げるタマモクロス。

手を振った先から、足元をライトで照らしながら走ってくる人影があった。

 

「はぁ……はぁ……。ごめん、タマモ。色々ありがとう……」

「おう。礼ならオグリとタイシンにも言っといたってや。ほな、後は若いもん同士で好きにせぇ」

 

手を振り、その場を去る背中に多大なる感謝をしながら。先ほどのタマモ以上に大汗を流しているソウマが、クリークの前に立った。

 

「トレーナーさん、あの。私……」

「ダメじゃないか、クリーク!!」

 

謝罪の言葉を述べようと、立ち上がったと同時だった。普段から、怒らないトレーナーが。とりわけウマ娘には、絶大な甘さを誇る好井ソウマが声を荒げて叱った。

慣れないことをされ、クリークは思わず身をすくめる。強張る身体としおれた耳で、次の言葉を待っていると。

 

肩に上着を掛けられた。

 

「……え?」

「こんな冷える場所で、そんな薄着で居たら体調崩すだろう? せめてちゃんとした防寒着を持ってこないと!」

 

自分のダウンジャケットを渡したことで、場に相応しくない軽装になったソウマがちょっと震えながら言う。

 

「あの……ソウマさん、怒って……ないんですか?」

「怒ってるよ! 自己管理も、アスリートに大事な要素なんだぞ! 体が資本なんだから、大事にしてくれ!」

「いえ、そうじゃなくって……」

「……?」

 

おずおずと、遠慮がちに聞いてみた。

 

「連絡もせず、勝手に出歩いてしまったこと……怒って、ないんですか?」

「……ああ、そのこと……」

 

言われて、ソウマは視線を空に向けながら頬を掻いた。それから頭に手を置きながら、爪先をぐりぐりと砂に圧しつける。何かを言い淀む様子を少し続けてから、意を決して言った。

 

「ごめん、クリーク。マシュマロ送ったこと、気にしてたんだろ?」

「……」

 

気の利いた返事が出せず、クリークは無言のまま上着の袖を握りしめる。それを肯定だと受け取ったソウマは、弁明が必要と判断して包み隠さず話すことにした。

 

「今朝、タイシンから静かに怒られてね。クリークが元気ない、何をしたんだ。って。毎日毎日、部屋でホワイトデーに貰ったっぽい包みを見てはため息ついてるから、絶対アンタが原因でしょ。なーんて言われちゃってさ」

「タイシンちゃんが……?」

 

同室の子に、嫌な思いをさせてしまったことに罪悪感を覚えるクリーク。しかし、そのことのそもそもの原因は何であるか。理解できているソウマは続ける。

 

「今日の練習終わったら、しっかり話そうと思ってたんだけど……。そしたら、外回りから帰ってこないから。やらかした、って凄く焦ったんだ」

「すみません。心配かけてしまって……」

「いや。違うよ。クリークは何も悪くないんだ。俺が無知なのがいけなかった。本当に」

 

ソウマは、クリークの手に大事そうに握られた袋を下から支えるようにして、顔の辺りまで持ち上げる。

 

「俺が、これを君に送った意味なんだけど。ちゃんと聞いてくれる?」

「……はい」

「マシュマロって、甘くて柔らかくって、包み込むような優しい舌ざわりだろ? 普段、俺や俺達のことをいっつもそうやって支えてくれるクリークにぴったりだな、って。そう思ったから、送っただけなんだ。『嫌い』とかって意味が巷ではあるらしいけど……本当に、そんなこと一つも思っちゃ居ないよ」

「……ええ。わかってましたよ。ソウマさんのことですから」

 

嫌悪感を抱いているのは、それでもどこか。信頼しきれていなかった、自分自身。他の誰よりも付き合いが長いというのに。今更、どうしてこんなことぐらいで悩んでしまったのだろうか。

 

「……でも、ごめん。クリーク。今回のことで、実はちょっとだけ……安心した」

「え?」

 

申し訳なさそうに笑う顔はそのまま。驚いた表情のクリークへ、ソウマは伝える。

 

「クリーク、大人っぽいし面倒見も良いからさ。勝手に、ちょっとぐらいは手放してもいいのかと思ってたんだ。……でも、違った。クリークも、やっぱりウマ娘……学生なんだな」

「ソウマさん……」

「最近は順調に物事が進んでるから、良い気になってたけど。まだまだこれから、って認識できたよ。本当に、クリークはいつも俺に大事なことを教えてくれるな。ありがとう」

「……」

 

自分勝手にふるまって、大きなレースの調整に備えた大事な時期に迷惑をかけたのに。

それでも、寛大な心と優しさで応えてくれるトレーナー。

 

「こちらこそ、ありがとうございます。こんな私を、追いかけてきてくれて……」

「はは。タマモとオグリに感謝だよ」

 

言いつつ、ソウマはアプリを立ち上げる。テイオーにも入れていた、他者の位置がわかる追跡用のアプリだ。表示される地図は、トレセン学園からかなり離れた場所である。

 

「これと同じのを、オグリがよく迷子になるからキミ達のスマホにも入れてたんだろ? それで、逆にクリークの居場所もすぐわかったんだ。だから、追いかけられた」

「そうだったんですね」

 

改めて、心配をかけたことに大きなため息を吐くクリーク。そんな小さな肩へ、ソウマは手を置きながら目を見つめる。

 

「お互い、未熟者同士だ。それでも、俺はキミを支えたい。支えてくれる、クリークの支えになりたいんだ。だから、これからも……その……うーんと……」

「……? ソウマさん……?」

「………………な、仲良くしてくれる……と……助かる」

「…………ふふっ」

 

意を決した口ぶりから、突如子供のようなセリフが出て来て思わずクリークは笑ってしまった。ソウマもその発言の恥ずかしさを自覚し、顔を赤らめながら視線を虚空へ向ける。

 

 

「……ええ。こちらこそ、末永く。仲良くしてください。トレーナーさん」

「ああ。……じゃあ、帰ろうか。冷えるしな」

「はい~♪」

 

もう一度目線を合わせ、共に笑い合う。

そして、寒そうに震えるトレーナーに寄り添いながら。

二人は同じ歩幅で、柔らかく、甘く、優しいマシュマロを口にしながら帰路につくのだった。




「なあ、好井」
「うわ、タマモ!? そこに居たの!? ……今の話、聞いてたのか?」
「まぁな。それより、クリークへのマシュマロの意味なんやけど」
「うん?」
「『甘い』や『優しい』はわかるわ」
「うん」
「やけど『柔らかい』ちゅうんは、どういうことや?」
「え?」
「普通、出てけぇへんやろ。『柔らかい』って。なぁ、なんでなんや? どこでクリークに『柔らかい』を感じたんや? なあ?」
「い、いや……そっ……それは……」
「教えてもらわれへんと、ウチ帰れへんわー。あー、このままやと捜索届出てまうかもなー?」
「た、タマモさん……!」
「…………プーッ! ダッハッハ! 顔真っ赤やで好井! こんな暗がりでも、よぉ見えるわ!」
「お、おお大人をからかうんじゃあないよ、この!」
「ええやろ、役得や。こんな遠出させられてんねやから、ちょっとぐらい、ウチも美味しい思いせんと損やろ!」
「ぐぅ~! 悔しいけど一ミリも言い返せねえ~~!」
「タマちゃん、トレーナーさんを困らせちゃいけませんよ。もうっ」
「ダッハッハ! やっぱ好井はおもろいなぁ! ほな、帰るで~」
「ちきしょう……」
「ふふ。ソウマさんったら。いいこ、いいこしてあげましょうね~♪」
「大人をからかうんじゃないよ、クリークぅ……」


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『プリティーランド』

「後は……新しい水筒と蹄鉄かな?」

「はい。それと、テイオーさんからついでに、はちみードリンクを帰りに買ってきて欲しいと連絡が。」

「買い出しはパシリじゃないんだぞ、あいつ……。固め、濃いめ、少なめか?」

「ええ、そうです。」

「ったく、しょうがねえヤツだ」

 

『うまぴょい伝説』の一件もひと段落した春先のこと。好井ソウマはエイシンフラッシュと共に買い物へ出かけていた。商店街の顔でもある、ナイスネイチャのアドバイスの下にお買い得に手に入れられた品々を両手に下げつつ、肩を並べて二人は歩く。トウカイテイオーからの、無粋な依頼を達成しようと歩いていると。

 

「……おっ、福引じゃないか。フラッシュ、さっき貰ってたよね?」

「一枚だけですが、ここに。」

「せっかくだし、回していかないか? 正月はお参りに行く時間もなかったからさ。今年の運試しってまだやってなくて」

「構いませんが……。寄り道はスケジュール外です。テイオーさんのお願いも合わせるのなら、移動時間を小走りで行わないといけなくなりますよ。」

「じゃあ大丈夫だね。さ、いっておいで」

「え? トレーナーさんが引くのでは?」

「くじ引きは毎年テイオーかクリークの結果を遵守してるんだよ。担当の子の運勢こそ、俺の運勢だから。福引も同じにしたくってさ」

「……不思議な心掛けですね。わかりました、行って参ります。」

 

やや困惑した表情のまま、フラッシュが抽選機の方へ向かっていく。彼女の分の荷物も手にしたソウマが、遠くで見守っていると……。

 

 

ガラガラを回し終えたフラッシュが、見たこともない表情でこちらを振り返ってきた。

 

 

 

 

 

 

「えぇー!? トレーナー、なんで『プリティーランド』の一日パスポート持ってるのぉ!?」

 

トレーナー室に帰り、成果を報告するや否やテイオーが大声をあげる。受け取ったはちみードリンクを落としそうになり、クリークがそっと支えてくれていた。

詰め寄るような形で叫ばれたため、耳がキーンとなったソウマが荷物を下ろしながら答える。

 

「フラッシュが当ててくれてさ。せいぜい3等のにんじん一本とかかなー、って思ってたんだけど」

「運試し体験という名目で回してみただけだったのですが……思いもよらない結果でした。」

 

『プリティーランド』とは、トレセン学園から少し離れた地域にある国民的テーマパークだ。世の中の可愛いものを幻想的な世界観で埋め尽くした、観光施設なのである。特に若い女性からの評判が高く、当然ウマ娘達からも絶大な人気を誇っている。ウマスタ映えするのも理由の一つだ。

 

「やったー! 最近行けてなかったんだよねー。いつ? いつ行くの、トレーナー!」

「まあ、落ち着けって。行くのは来週の休日って決まっちゃってるんだが……」

「……ありゃ。トレーナーさん、これもしかして……二人だけしか行けないの?」

 

チケットの封筒に刻まれた『ペア』の文字を見たナイスネイチャが問う。そのことを福引会場で受け取る際に承知していたソウマは肯定した。更に、大人と子供の分で一枚ずつなので必然的にソウマと誰か、となってしまう。

 

「一応聞くけど……行きたい人。」

 

率先して手をあげるテイオー。小言を呟きながらネイチャも挙げる。クリークは手のひらを差し出し、別の人へどうぞ、と譲った。フラッシュを見ると、伏し目がちに考えごとをしていた。

 

「フラッシュは?」

「……日本のプリティーランドは訪れたことがないので、興味がないわけではありませんが……。そうなると、スケジュールを考え直さなくてはならないので……。」

「……」

 

真剣な顔で思考を張り巡らせるフラッシュを見ながら、ソウマも少し考えた。

 

 

そして。

 

 

「テイオー、ネイチャ。行くなら、今度ファル子も誘っていかないか? もちろん、クリークも。『うまぴょい伝説』のことで、打ち上げらしい打ち上げもしてなかったしさ」

「えー!? ……まあ、行けるならいいけど~。トレーナー、そんなお金あるの~?」

「大人を舐めなさんな。こーいう時のために、貯金ってもんをしてんだよ」

「うっわー、意外。トレーナーさん、給料日前には もやし生活してるタイプだと思った」

「偏見が抜けませんね、ネイチャさんは?」

「じゃあ、これはどうするの?」

 

封筒を手に取りながら、首を傾げるテイオー。

ソウマはそれを受け取ると。

 

「今回は功労者に権利をあげようと思ってさ」

「……え?」

 

難しい顔をするフラッシュへ、渡すのだった。

 

 

 

 

 

――――。

 

「フラッシュさん、まだ寝ないの~?」

 

寮室にて、消灯時間も迫った翌日のこと。布団に入っていた同室の友、スマートファルコンがスマホの画面を暗くしながら尋ねた。

質問を投げかけられた先のエイシンフラッシュは、パジャマ姿で机に向かったまま短く返事をする。

 

「すみません、もう少しだけ。」

「帰ってきてからず~っと何か調べてるけど。そんなに難しい宿題出てたっけ?」

「宿題は既に終わらせてあります。ファルコンさんこそ、明日の小テスト対策は問題ありませんか?」

「…………えへっ☆」

「諦めるのは自由ですが、私もクラシックに向けて忙しくなるので。また教える時間を取るのは難しいですよ?」

「そんなぁ~~! フラッシュさんが頼りなのにぃ~~!」

 

泣きべそをかきながら、ファルコンはフラッシュに抱き着く。肩越しに作業内容を見ると、想像と違っていた内容が目に入ってきたので、驚きながらファルコは問う。

 

「あれ、勉強してたんじゃないんだ」

「宿題は済ませてあると言ったではありませんか。」

「……ああ、そっか。そういえば、トレーナーさんとデートするって言ってもんね。計画立ててたんだ」

「? デート……ですか?」

「えっ……。好井さんと二人でプリティーランド行くんでしょ? それって普通にデートだよね?」

「………………なるほど。」

「自覚なかったの~? もー、ダメだよフラッシュさん! ちゃんとそれっぽくしなきゃ! 好井さん、にぶにぶなんだから!」

「あ、勝手に予定を付け加えないでください!」

「イイのイイの! えーと、あ。夜は絶対パレード見ながらディナーが良いよ。ロマンチックだよね~。あ、アプリも入れないとダメだよ。パス取れないから!」

「ファルコンさん!」

 

 

 

 

・・・。

 

 

「おはよう、フラッシュ」

「おはようございます。本日はよろしくお願いします。」

 

プリティーランドへ往訪する日。存分に楽しむためのスケジュールを、完璧に(スマートファルコンの助言を得つつ)作り上げたフラッシュは、指定の時間にソウマを駅へ呼びつけていた。

普段の移動は車だが、今日は入り口から楽しむために電車移動を提案されたのだ。

 

「……」

「? なにか?」

「いや。なんか普段着のフラッシュって、そういえば新鮮だなぁ、って」

「普段は制服かジャージですからね。」

「それに……化粧してる? いつもより綺麗だ(肌が)」

「雑談の時間は設けてません。早く行きましょう。」

「ああ、よろしく!」

 

日帰りなので荷物も軽め。スケジュールを見るために片手に持っていたスマホをしまいながら。

嬉しさのあまり、勝手に振り出す尻尾を必死に抑えつつフラッシュは歩き出すのだった。

 

 

「プリティーランドなんて、いつ以来かなぁ。小学生の時に学校行事で行ったっきりかな」

「トレーナーさんは、このあたりの出身なのですか?」

「ううん。もう少し西寄りの田舎出身だよ。だから東京方面は結構憧れがあってさ。なんだかんだ忙しくて、トレーナーになってこっちに住むようになってから、一度も観光とか出来てないんだけど……」

「近いほど、逆に行かなくなると聞きますし。自然ではないでしょうか。」

「いつでも行けるとなると、まあまあ億劫になっちゃってねぇ。だから、フラッシュが色々今日の予定考えてくれて助かったよ」

「いえ、そんな。」

 

電車に揺られながら、他愛もない会話を交わす二人。休日ということもあり人は多く、何とか座ることは出来たものの肩を寄せ合わなくてはならないほど、窮屈な状態だった。

 

「ガキの頃にさー。チャッピー(※)を池に落としたから、出禁になった学校があるって噂があったんだよな~」(※ カピバラを模したプリティーランドのメインキャラクター)

「ファルコンさんも、似たようなことを言ってました。よくある話なのでしょうか?」

「俺の先輩や、後輩の貞星(じょうせい)とかに聞いても同じこと言ってたよ。逆に安心沢や桐生院さんは知らないって」

「男性間のみの噂話なのでしょうか……?」

「さあ、どうだか。っと、フラッシュ。もう少しこっちおいで」

「え? あっ……。」

 

停車と同時にぞろぞろと人が入ってくる。ギリギリ見えていた外の風景も埋まるほどの乗車数になり、いよいよ身動きも出来なくなってきた。少しのスペースを埋めるため、ソウマが隣のフラッシュをそっと抱き寄せた。

 

「流石に休日だな~。大丈夫かい、フラッシュ?」

「ええ。問題ありません。」

 

早打つ心臓の音が聞こえないよう、密着する時間が早く過ぎて欲しいと願いながら。逆に、もう少しだけ続いてくれたらいいのにとも思うフラッシュは、一人悶々としながら目的地へと運ばれるのだった。

 

 

この電車の目的は専用なのではないか、と錯覚するほど。大量に存在した乗客は、ある駅に停まると同時に揃って下りて行った。外気に混じる潮気と共に、人の流れに乗ってソウマとフラッシュは歩いていく。

改札を過ぎ、遊歩道を進みながら衰えない人波に倣うように目的地へ。

 

大きなゲートを潜ると、そこはもう『プリティーランド』だった。

 

「いやー、何年振りかな。懐かしい」

 

春先の温かさと柔らかな日差しに目を細めながら、ソウマが周囲を見渡す。昔と変わらない幻想的な建物、まんま作品から出てきたようなキャストの数々。笑顔で、楽しく話しながら道行く人々も記憶の中と変わりない。

 

「……よし。じゃあ、行こうか。案内よろしくね、フラッシュ」

「あっ、はい!」

 

回顧している場合ではない。視界の中に、エイシンフラッシュを収めるとソウマはすぐに言葉を放った。興奮気味に尻尾を動かし、目を輝かせながら『プリティーランド』に没入している少女を、急かしてあげなくては。きっと完璧なプランを考えてくれているであろう、彼女に一日付き合うと決めたのだから。

 

 

 

「最初は、クイックパスの取得をしましょう。そうしないと、そもそも参加できないアトラクションもあるみたいです。」

「わかった」

 

 

「……残念です。一番人気のグランドサンダーヤマフジが取れないなんて……。」

「まあまあ。二番人気のプリティーワールドツアーは取れたんだから、いいじゃないか」

「そうですね……。あ、トレーナーさん。南西の海沿いへ向かいましょう。予定通りであれば、グリーティングをやっているかと。」

「グリィ……? まあ、うん。オッケー」

 

 

 

「たくさん写真が撮れましたね。後で両親に送っても良いですか?」

「良いよ。俺のスマホで撮った分も送っておくよ」

「ありがとうございます。さて、トレーナーさん。次は待機列の方へ移動しましょう。今の待ち時間なら、ちょうどお昼過ぎになると思いますので。予約したお店への、スムーズに向かえるんですよ。」

「はいよ」

 

 

 

「……何してるの、フラッシュ?」

「本日の動員数やお客さんの動向を調べています。基本的に予約で埋まっていたりしますが、穴場として楽しめる場所もたくさんあるはずですから。」

「待ってる時間ぐらい、ゆっくりすればいいのに」

「いいえ。予定通り楽しむのであれば、必要不可欠なんです。しばし時間を貰えますか、好井さん。」

「うん、いいよ」

 

 

 

「とても可愛らしい盛り付けの食事でしたね。食べるのが少し勿体なかったです。」

「凄い人気だったみたいだし、フラッシュが予約してくれてなかったら、食べられなかったんじゃない?」

「ええ、きっと。……そろそろ時間ですね。プリティーワールドツアーの方へ行きましょうか。」

「はいはい。引っ張らないでよ」

 

 

「……うん、待ち時間も悪くない。頃合いですね。ソウマさん、日も暮れてきたのでジャングルシップに乗りましょう。昼よりも幻想的らしく、人気の高いアトラクションらしいので。」

「行こう行こう」

 

 

「素敵な風景でしたね。パークの中で川渡りをするというのは、新鮮でした。案内役の方の解説や冗談も、とても素晴らしかったです。」

「そうだね」

「……夜も更け、予定時刻ですね。夕食へと参りましょうか。ちょうどパレードが見えるお店を取ってあるんです。」

「いいね」

 

 

 

「ふぅ。あっという間に一日が終わりましたね、ソウマさん。」

「うん」

 

 

予約していた店で食事を終え、窓越しに進行する煌びやかなパレードをカメラに収めたエイシンフラッシュが、満足げに笑う。

自分の中で立てた予定通りに物事が進み、妨害もされず、予定外の大ごとも起きず。何もかも、思い描いた通りに、一日を終えられたことは彼女にとってこの上ない喜びだった。

 

下げられた皿の空いたスペースに、スマートフォンを置いて本日の成果を確認してみる。スケジュールアプリに、並べられた綺麗なチェックマーク。楽しそうに取れた写真。ちょうどドイツでは昼の時間ということもあって、送った写真の返事が両親から届いてきており。フラッシュの笑顔とはしゃぐ姿に対して、慈愛の籠った返信が来たことで、更に頬を綻ばせるのだった。

 

 

「……フラッシュ」

「はい?」

 

ふいに、ソウマが声を掛ける。

フラッシュは液晶から、正面に座るとトレーナーに視線を移した。

 

「今日、楽しかった?」

「はい。とても。」

「そっか。それならよかった」

「……?」

 

不思議な質問に首を傾げる。何かあったのだろうか。

 

 

……と、思う間もなく。

フラッシュは、気付いた。

 

 

ソウマの、疲労が見える……ぎこちない笑顔に。

 

 

 

(……私、今日、ずっと一人だけで……。)

 

予定を組んでもらうよう、お願いされていた。不慣れな自分に代わって、回り方やお店については一任すると言ってくれていた。

 

だけど、それは。

決して、独りよがりになって良いわけではなかったのだ。ベストな動き、プラン。いくらそれが、寸分たがわず実行できたからと言って、共に居た人が満足できるとは限らないのだから。

 

ソウマは、文句も言わずただただ付き合ってくれた。もしかしたら、どこかで苦手なことや嫌いなものがあったかもしれないのに。大人の余裕に甘え、自分の願望を叶える為だけに動いてしまっていた。

 

その結果、前に座る同伴者に。こんな疲れた顔をさせてしまったのだ。

 

 

「……あの……トレーナーさん。」

「ん?」

「すみません……。私……。」

「フラッシュ……?」

 

伏し目がちになったフラッシュへ、ソウマが声を掛けようとした時。

 

 

「おっ?」

「あっ……。」

 

パレードの喧噪はいつしか止み、代わりに花火が夜空を彩っていた。

 

「ビックリしたー。フラッシュ、これは見に行かなくていいの?」

「すみません、場所取りに行かないといけない時間だったのに……。」

「……お会計済ませておくからさ。先に出て、いい所探しておいでよ」

「ですが……。」

「いいからいいから」

 

言われるがままに、フラッシュは店を出る。

 

誰もが、煌びやかに咲く夜の花を見上げる為立ち止まっていたり、カメラを向けていたりした。

街灯と閃光に照らされる道を、ふらふらとフラッシュが歩いていく。一番よく見える場所は、とっくに人影が肩を寄り添わせて立っていた。本当なら、ここには自分たちが居るはずだったのに。

 

最後の最後で予定が狂ってしまったことより、トレーナーに負担をかけ続けてしたことに気づけなかった自分に落ち込むフラッシュは、とぼとぼと当てもなく歩き回った。

 

そして、決して景色が良いとは言えない海沿いのエリアへに居ることに気付くと。花火を背に、柵に手を掛けて海を眺めるのだった。

 

 

「……あ、居た居た。フラッシュ、どうしたんだよ」

 

やや汗をかいたソウマが、慌ててフラッシュを見つけて駆け寄る。先ほどまでの様子と違い、意気消沈しているので流石に心配していたようだ。

 

「……あの、トレーナーさん。」

「ん?」

「今日は、すみませんでした。」

「え? なんで?」

 

華の雷鳴にかき消されそうなほど、弱い声でフラッシュが謝罪をする。

 

「私、トレーナーさんの意見も聞かずに……。自分の好きなように予定を立てて、動いてしまいました。」

「……」

「せっかく二人で来ているのに……。申し訳ありません。トレーナーさんだって、もしかしたら行きたい所とか。苦手なものがあったかもしれないのに。私……。」

「フラッシュ」

「はい?」

 

涙ぐみながら心情を語る、黒鹿毛の髪に。

ソウマの大きな手が被さった。

 

「今日はありがとう。楽しかったよ」

「え……?」

「テーマパークなんて、久しぶりだったからさ。俺一人じゃ、きっと無駄な時間とか使っちゃって、十分に動けてなかったと思う」

 

ゆっくりと、かざした手を撫でながら続ける。

 

「フラッシュのおかげで、完璧に遊べて良かったよ。フラッシュは、どうだった?」

「私は……。」

 

一日の最初から振り返る。気合を入れて臨んだことを褒められ、予定通りにことが進み。好きな物を十分に謳歌できた。今、この状況を度外視するのであれば……それは。

 

 

「とても、とても楽しかったです。今までにないくらい、とっても……!」

「なら、良かった。フラッシュがそう思ってくれたなら、俺も嬉しいんだよ。謝罪なんて、されるいわれもないよ」

「ですが……。」

「久しぶり、って言ったろぉ? もしかして疲れて見えたのなら、場慣れしてないってだけだから。心配しなさんな」

「トレーナーさん……。」

「それに……。こんないい場所をも取ってくれたんだからさ」

「え?」

 

指をさされた場所を見る。そこは、海の方向。

ほとんど波のない水面に、美しいまでに反射する花火が見えていた。

 

「改めて、ありがとう。フラッシュ。キミがいてくれて良かった」

「……。」

 

たくさんの感情がフラッシュの中にせめぎ合う。嬉しさと申し訳なさと、何よりも。……何よりも。

 

「!」

 

そんなトレーナーの手を、フラッシュはゆっくり取る。そして抱え込むようにしてしがみつき、共に海から見える花火を堪能するのだった。

 

 

 

 

「……ソウマさん。」

「ん?」

「今後、私たち……。私が、わがままを言っていたら。ちゃんと指摘してください。見聞を広めるにも大切なことですから。」

「え~。それは難しいなぁ」

「何故ですか?」

「俺、ウマ娘(キミ達)のこと大好きだからさ。甘えられたら、何でも聞きたくなっちゃうんだよ」

「……なんですか、それ。」

「無茶なこととか、危ないことはもちろん止めるけど。それ以外のことなら、どんなことだって叶えてあげたい。俺は、いっつもそう思ってるよ」

 

 

「……ばかな人ですね、あなたは。」

「知ってる」

 

掴んでいた腕を少しだけ。

包み込むように、けれど力強く握り直すフラッシュなのであった。



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『控室』

スマートファルコンと、『うまぴょい』についての一通りの会見が終わり。場内にざわめきを残したまま、俺は通路を一人歩いていく。

 

色々と考えてしまうことはあるけれど、上手く言葉や対応が出てこなくて。

下手に準備をすると、これは無駄に待たせてしまうと思い、ただただ足を動かすことにした。

 

「……あっ。」

 

目的地の傍まできた時、遠目で気付いていた。純白の勝負服を纏ったままのメジロマックイーンが、困ったように扉に背を預けていることに。

俺の接近する足音が、人間の可聴域ぐらいの距離になってようやく耳に入ったのだろう。止まった革靴が視界に入ると同時に、短く声をあげた。

 

「好井さん……。あの……。」

「ありがとう、マックイーン。後は俺に任せてくれるかな」

 

最大のライバルとして、そして大事な友達として。彼女も心配して、駆けつけてくれていたのだろう。着順で言うならば、マックイーンの敗北なのに。

思うこともあるけれど、今はただ感謝を述べるだけに留めよう。ライブの準備もあることだし、そろそろ安心沢も心配していることじゃなかろうか。

 

「すみません。お力にもなれず……差し出がましい真似をしてしまって。」

「何を! テイオーはキミが居たから走れたんだ。謝ることなんて一つもないよ。気にしないで」

「……ありがとうございます。それでは、失礼いたします。」

 

綺麗なお辞儀を見送ってから、俺も改めて深呼吸をした。キッチリ締めていたネクタイを少し緩ませ、普段なら絶対沸くはずのない緊張感を覚えながら、戸に指を当てようとした時だった。

 

「ん?」

 

胸元のポケットに入れていたスマホが振動した。このタイミングで一体誰が? と想像する間もなく。画面に表示されている、テイオーの名前と『良いよ』という一言で俺は全てを察した。

LANEに既読だけをつけてから、俺はもう一度スマホをしまうと。ゆっくりドアノブを回し、部屋に入っていった。

 

天井の灯りはついておらず。ただ一人しかいない、その室内を照らしているのは化粧台のライト一つだけ。何か作業をするにあたっての光量を確保するにしては、少々心もとない。

 

それでも、今のテイオーにとってはそれで十分なのだろう。ぼんやりと鏡に映る自分を、ただただ見つめている。反射している表情から、心の内を読み取るのは難しそうだ。あえて無理に、何もそこに乗せないようにしているのがわかる。ただそれだけ。

 

「……」

「……」

 

互いに無言のまま、俺だけが足音を室内に響かせる。それから、鏡台ではない方の机の椅子を引いて座った。

背もたれに片腕を垂らし、胸を反りながら天井の暗いライトを眺め続ける。

何かを言いたいのに、何も言えなくて。

暖房の音が響く薄暗い密室に居ると、時間の感覚さえ薄れてしまいそうだ。これからウイニングライブもあるんだから、本当は悠長にしてもいられないというのに。

 

「トレーナー」

「ん?」

 

そうこうして悩んでいると、テイオーが口を開いた。抑揚のない、淡々とした呼び掛け。首を向け、俺も何の気なしに返事をした。

 

「……ボク。」

「……」

「…………はぁ……。」

「……テイオー?」

「……うん。……あのさ、ボク……。」

 

震える小さな背中だけを見つめ、鏡に映るその表情を見ないように懸命に努めて言葉を待った。

 

「……負けちゃった……んだね」

 

絞り出した言葉を受けてすぐ『マックイーンには勝ってただろ』と言う慰めは根本的に間違っていると理解し飲み込む。

 

 

グランプリ制覇したかったよな。また、センターで踊りたかったよな。

 

 

……違う。

そんなんじゃない。

 

テイオーが今、必死に涙を堪えてまで言いたいことは、そんなキラキラした内容じゃないんだ。

 

徐に俺は立ち上がり、ゆっくりとテイオーの後ろへ立つ。

今度も鏡の中を見ないように、けれど視線を下げてから言った。

 

「ファル子に、勝ちたかったよな」

「……」

 

しゃくりあげている肩と共に、ポニーテールが縦に揺れる。

 

マックイーンとの対決が決まってから、テイオーは通常のトレーニングだけで過ごしてきた。もちろん、通常と言っても軽いものではない。

記念に出てくるウマ娘は、今年一年活躍してきた強豪ばかり。流すような調整だけで勝ちを掴めるほど甘くはないのだ。

だから、そんなウマ娘達に負けないように必死に懸命に、限界のその先を目指すかのようにテイオーはたくさん練習と経験を積んできたつもりだった。

去年の奇跡とも呼べる勝利を手にした時より、もっとずっと。傍で見てきたから、よくわかる。

 

……それでも。勝てなかった。

 

俺がファル子に施した『うまぴょい』は、トウカイテイオーの才を上回ってしまったから。

 

……どこかでわかってたつもりだったのだろう。だけど、挑まない理由にはならない。

以前、最高峰の逃げウマ娘、サイレンススズカさんとトレーニングした時も、テイオーは勝てなかった。

芝に身を置いたファル子は、スズカさんと同級の仕上がりになったと言えよう。

 

そんな背中を目指して、たくさんたくさん。負けないように、自身の存在を……絶対無敵のトウカイテイオー様であることを示すために。頑張ってきたはずだったのに。

 

「……ごめんね、トレーナー」

 

遂にこちらを向いたテイオー。歯を食いしばり、大きな瞳には涙が溢れそうになっている。

無理に笑ったせいで、その堤防はすぐに瓦解し床に吸い込まれていった。

 

ごめん、って。なんだよ。

 

おかしいだろ。

謝るのは俺の方なのに。

 

 

……そんな顔、俺に見せたくないはずだろ、お前。

 

 

間髪入れず、俺は腰をかがめ。

まだ勝負の後で、ほんのりと熱いテイオーの小さな身体を抱きしめた。

 

「……勝ちたかったよ」

「ああ」

「ボクが……最強なんだって、知らしめたかった」

「そうだな」

「……『うまぴょい』なんかに負けないんだって……証明したかった」

「……」

「……トウカイテイオーは……ひっく。ソーくんの……最高のウマ娘なんだ、って……ぐすっ……。いっ……言いたかった……のに……!!」

「テイオー。もういいよ。ごめん」

 

俺の身体なんて片手で持ち上げられるぐらい力のあるテイオーが、弱々しく服を握りしめてくる。震える小さな頭をぐいぐいと俺に押し付けてくる。火照った熱でない、じんわりとした温かさがスーツに広がっていくのを感じる。

 

 

本当に、俺ってバカだ。

 

テイオーのこと、なんでもわかってるつもりだったのに。

……いいや、わかってたはずなのに。

 

今日の勝負、ファル子が勝つことは既に確信していた。

 

 

テイオーなら、きっと受け止めてくれるって。

大丈夫だろうって。思ってしまっていた。

 

 

でも、当たり前だよな。

才能だけに溺れない、努力家で負けず嫌いのお前が。最大のライバルとの、ようやくの再戦を迎えられたお前が。

 

敗北という事実に対し、何も思わないはずないのに。

 

「……ぐすっ……うぅう……!! 悔しいよぉおお……!!」

 

胸の中で押し殺した感情を爆発させ、テイオーは泣く。

自らの無能さを呪い、後悔しながら。俺はクリークがいつもしてくれるみたいに、優しく背を撫で続ける。こんなことで贖罪にはならないけれど。それでも、何かしてあげたかった。

 

 

 

 

 

――――。

 

 

時計を見ると十分な時間が経過していた。泣き終わったはずのテイオーは、動かずにじっと頭を押し付けたまま。満足するまでは、と黙ってそのまま受け入れていると細腕による力強い抵抗があった。

 

「……はー、すっきりした」

「そうか」

「……あーあ。ソーくんのスーツ、べとべとにしちゃった」

「会見は終わったから、もうどうなっても関係ねーよ」

「……えへへ。ありがと、トレーナー。もう大丈夫だから。ライブの準備しなくちゃね!」

 

赤い目を擦り、晴れ晴れしたような顔で見上げてくる健気なウマ娘。普段はわがまま言ったり、時にはキリっとした目つきで勝負に挑んだり。表情豊かなテイオーの、あまり見ない様相。

 

身体から名残惜しそうに手を離し、気持ちを切り替えるように振り返るテイオー。

 

「テイオー」

「え?」

 

後ろ手を、俺は思わず掴んでしまった。

気持ちの切り替え方も、絶望からの奮起の仕方も、すっかり学んで力にしてしまった。だからちょっと手を貸す程度で、今は心配いらない。

 

だけど。

 

それでも。

 

俺は……。

 

「俺さ。今年だけでたくさんのウマ娘と密に関わることになって、改めて思ったことがあるんだ」

「なに、トレーナー? かしこまっちゃって?」

 

疑問符を浮かべながら首を傾げるテイオーへ、俺は真っすぐ言う。

 

「俺……好井ソウマにとって。やっぱり、トウカイテイオーが一番のウマ娘なんだ。他の誰でもない、キミが一番……」

「トレーナー」

 

掴んだ手を少し痛いくらい握られる。何かを警告するような意味が籠っていたのは明白で、表情からも見て取れた。

 

「わかってるから、大丈夫だよ。トレーナーはさ、ボク達ウマ娘全員を大事に思ってくれてるでしょ。そんな人ってわかってるから……みんなキミのことが好きなんだよ」

 

だから。

と続けるテイオー。

 

俺は構わず、ぎゅっと痛くなるぐらい強く手を握り返す。

 

「その上で、俺にとって。トウカイテイオーが一番のウマ娘だ。それは絶対に変わらない。これからも、ずっとな」

 

あんまりしない真剣な顔をしたからなのか、テイオーも思わず驚いた表情を見せる。

俺の熱くなった耳と同じぐらい、照れたように頬を染めてから。

 

 

「……トレーナー、それどういう意味で言ってるのかわかってるの~?」

「ああ、もちろんだ」

「……えへへ。そっか、わかったよ」

 

 

手を握り直し、俺としっかり握手をした。

 

 

「それじゃ、最強無敵のテイオー様の伝説。最後の最後まで、絶対見届けてよね。トレーナー!」

「おう、任せておけ!」

 

もう一度、俺達は気持ちを伝えあうように手を握り合う。

見上げてくる瞳に、もう迷いも弱さもなかった。

嬉しそうに、不敵に笑ういつものトウカイテイオー。

 

その強さに甘えないよう、俺もより一層決意を固めるのだった。

 

 

何があっても、絶対傍に居てあげよう。

 

 

「よーし、じゃあライブ行ってくるね! またね、トレーナー!」

「ああ、最前列で応援してるからな」

 

 

無邪気な笑顔を見送り、俺も部屋を後にする。

 

迷いも、不安も。これからの起こることも全部。

 

この控室に置いて。

 

 

俺とテイオーは、再び歩み出すのだった。




これにてホントにお終いです。ご愛読ありがとうございました。


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