ゲームのエネミーキャラにガチ恋したのでイチャイチャするためにがんばります (どくはら)
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序章、あるいはひとつの

 即死しなかったのは、奇跡に等しい偶然(ラッキー)だった。

 

「――っ、は?」

 

 驚きと不可解。二種類の感情をミックスした呟きとともに、俺の体が仰向きに傾いた。

 ちゃりんと。買ったばかりの四葉のブレスレットが、涼やかな音を立てる。

 それに少し遅れて、ばたんどたんと二つの音が耳に届いた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()地面に倒れたことを、一拍遅れて理解する。手がこんでいるなあと頭の片隅で思いつつ、俺は空を仰いだ。

 緋色が滲んだ夜の空。青白い満月が、不気味な夜を煌々と照らす。

 そんな光景を背景(バック)に、彼女は俺を見下ろしていた。

 

「……」

 

 白銀の髪、紅色の目。

 いわゆるアルビノとは一線を画す暴力的な色と、あちこちがほつれた制服で構成された少女は、おもむろに右腕を上げる。その動きに合わせて、ついさっき俺を真っ二つにした日本刀の切っ先が彼女の頭上に掲げられた。

 律儀なことに、トドメを刺すつもりらしい。

 出血で死ぬだろうにと他人事のように考えた後、そうではないことを思い出す。おそらく彼女もそれを知っているからこそ、刀を振り下ろそうとしているのだろう。

 

 がたんがたんと。

 遠くから、フィクションでしか聞いたことがない路面電車の走行音が聞こえてきた。

 都電という略称で呼ばれる列車が、俺たちの方へと向かってきているのだろう。もしかしたら人が乗っているかもしれないが、この状況がなんとかなるとは思えない。誰かが俺たちに気づくより早く、振り上げられた刃が今度こそ俺のHP(いのち)を刈り取るだろう。

 

「…………ぁ」

 

 怖い。本来なら感じなくてもいい感情が、脳裏をかすめる。

 だが、俺の意識は十数秒後に俺を殺す凶器より、俺を見下ろす少女の方に傾いていた。

 

「なんで」

 

 ぽつりと零しながら、少女に向かって手を伸ばそうとする。しかし、力が入らない体は言うことをきいてくれず、ほんのわずかだけ浮いただけだった。

 

「……?」

 

 俺の仕草に、少女は一瞬だけ怪訝そうな顔を浮かべる。だが、その表情も見間違いだったかのようにすぐに消え去った。あとに残るのは、無機質なガラス玉じみた眼差し。

 そんな少女の横には、小さな画面が表示されている。

 それなりに距離はあったが、そのウインドウに記載された一文を読み取ることができた。

 

 ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】

 

 エネミー。

 それはこの世界(ゲーム)において、完全なる敵対存在を意味する言葉。

 言語を介した交渉が通用せず、そうあれかしと刻み込まれたAIに従って暴力と殺戮を振りまく属性(タグ)を与えられた少女は、振りかぶった凶器を躊躇うことなく俺に振るった。

 

「【繊月(センゲツ)】」

 

 その直後、朔のルー・ガルーの背後を路面電車が通過する。

 眩い人工の逆光で、彼女の姿は見えなくなった。

 

「ぅ、ぁ」

 

 痛みはない。この世界は虚構(ゲーム)だから。

 代わりに、1だけ残っていたHPが0になる。死亡する際、苦痛の代替として味わう虚脱感に襲われながら、俺の視界は暗転した。

 

「……ああ」

 

 迷子みたいだ、と。

 今わの際でそんな感想を抱いた。

 

 

 一つの人影を除き、誰もいなくなった沿線。

 朔のルー・ガルーと呼ばれる少女は、刀を軽く振るってから空を仰いだ。

 

「――――貴方は、私という歪な月を、呑みこんでくれるのかな?」

 

 謎めいた言葉を淡々と紡ぐ姿は、彼女をただの敵対存在(エネミー)として見ていれば、そうあれとプログラムされたAIの一動作だと認識しただろう。

 だが、そこには確かに孤独と寂寥が滲んでいた。

 

「……」

 

 少女(エネミー)の脳裏によぎるのは、先ほど斬り殺したばかりの少年。

 取るに足らない力量(レベル)であることを、少女は正しく認識していた。

 それでも、死の間際まで向けられていた眼差しが、彼女の中に設定されているパラメーターにプラスを加える。その加算は、少女に白い服の少年を記憶させるには十分だった。

 人狼(しょうじょ)は、ずっと待っている。

 

 

     ■■■

 

 

「……ん?」

 

 白い学ランを着た長身の男。すなわち三十分前に拠点(ターミナル)を発ったはずの友人の姿(アバター)を見かけ、長ランを着た青年は首を傾げながらも声をかけた。

 

「ヨシツネ、ゾウシガヤのイベントもう終わったのか?」

「……」

 

 しかし、青年から呼びかけられても、ヨシツネと呼ばれた少年(プレイヤー)は反応しない。さながらフリーズを起こしたように、人目も人の迷惑も気にせず突っ立っていた。

 はて、回線落ちだろうか。

 そんなことを思いつつ、青年は友人の肩に手を乗せて。

 

「…………だったな」

「ん?」

 

 その直後、ようやく友人から反応らしきものが返ってきた。

 けれどそれはあまりにも小さく、聞き返すつもりで青年は惚けた顔を覗き込む。

 そして少年――ヨシツネは、青年の算段に応えるように改めて口を動かした。

 

「あの子――――」

「はあ? あ、ちょっ、ヨシツネ!?」

 

 青年が引き留めるのにも気づかず、ヨシツネはその場から走り出す。

 十数分後。少女に話しかけようとしたところを文字通り一刀両断され、再びこの場所に戻ってくるとは、ヨシツネはおろか青年さえも想像してはいなかった。

 

 

 それが、今からちょうど一年前の二月。

 当時中学三年生だった(みなもと)(りょう)が、長い受験期を終えたことを祝し、ゲーム仲間に勧められて気になっていた没入型(フルダイブ)オンラインVRゲーム《リバーストーキョー・ナイトメア》の世界に踏み入れたばかりの時のこと。

 彼はその夜、超高難易度(エンドコンテンツ)の肩書きを持つ少女(エネミー)運命の出会い(エンカウント)を果たしたのだった。



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恋する少年

RTNコミュニティー掲示板:トシマエリア雑談板

 

 死圀

 シャドウ狩り飽きたもぉぉぉぉぉん

 

 死圀

 どうして影御魂は確定泥じゃないんです……どうして……

 

 トキワモリ

 アンコモンスタイルの開放用アイテムだししゃーない

 

 都呂々

 シャドウ自体もレアじゃないしね。トシマにしか出ないけど

 

 死圀

 それにしたって20個必要なんだからもうちょい泥率あげてほしい

 

 TON骨

 シャドウテイマー開放大変だよな

 

 TON骨

 まっ、俺は開放してるんですけどね^^

 

 死圀

 クソァ!

 

 ONI=サン

 ひどいマウントを見た

 

 トキワモリ

 まあ、シャドウテイマーはかっこいいからな……

 

 きんつば

 中二病心をくすぐりますよね!

 

 ONI=サン

 他のアンコモンよりまだ開放条件が有情だしな

 

 都呂々

 おっと、ネクロマンサーさんの悪口はそこまでよ

 

 らいざ

 死霊カテゴリー1000体撃破とかいう苦行

 

 トキワモリ

 低レベルのを狩り続けるとアヴェンジャー出るしめんどくせえ

 

 ONI=サン

 でもネクロマンサーの専用エフェクトかっけえんだよな

 

 TON骨

 わかる

 

 トキワモリ

 RTNの演出エフェクトはほんと中二病心すぎて好き

 

 らいざ

 RTNは中二病の巣窟定期

 

 ONI=サン

 真理きたな

 

 トキワモリ

 RTNは中二病罹患者御用達ゲームだし……

 

 死圀

 誰かシャドウ狩り付き合ってくれよ~

 

 死圀

 ソロ狩りするのしんどくなってきた

 

 きんつば

 あ、じゃあわたしいいですか! まだレベル30台なんですけど!

 

 死圀

 かまへんかまへん。シャドウそんな強くないしな

 

 TON骨

 きんつば殿ってスタイル何?

 

 きんつば

 ナガエです!

 

 TON骨

 じゃあ前衛後衛でうまいこと回せそうだな

 

 TON骨

 あいつら基本的に単体で出るし

 

 らいざ

 なお運悪く複数出現して囲まれた時

 

 トキワモリ

 やめーや

 

 都呂々

 交通事故はNG

 

 きんつば

 じゃあ明日の夜、都電駅のどこかで待ち合わせしましょう!

 

 きんつば

 えーっと、特定されないように詳しい話は個チャですよね?

 

 トキワモリ

 えっ

 

 ONI=サン

 明日って新月じゃん

 

 TON骨

 おっと、もしやきんつば殿は平氏か?

 

 らいざ

 源氏のこと知らない情弱がいるとかマ?

 

 都呂々

 知らない人に源平ネタやめなって

 

 死圀

 あー、明日の夜に都電付近はちょっと

 

 きんつば

 どうしてですか?

 

 きんつば

 シンボルエネミー出るんです?

 

 死圀

 いやー、似て非なるものっていうか

 

 死圀

 お前だって馬に蹴られたくないだろ

 

 きんつば

 ?????

 

 

 

 

 

 墨汁に、赤い色を混ぜこんだような夜。まばらについた電灯と暗視、そして不気味な空に浮かぶ青白い満月を頼りに、俺は道路と並行する線路に沿って歩いていた。

 この東京(トーキョー)に朝は訪れない。

 青白い月が沈めば、代わりに昇ってくるのは黒い太陽。常に不気味な色合いの夜が空を支配し、赤い闇夜の下では人ならざる魔性たちが生者の命を付け狙う。

 力なき人々(NPC)は再び正常な太陽が昇る日を夢見て屋内に閉じこもり、魔性に汚染され望まぬ力を手に入れた少年少女(プレイヤー)が、生きるために人ならざる存在を狩り続ける。

 

 リバーストーキョー。

 あるいは、ナイトメアトーキョー。

 

 そう呼ばれる(ゲーム)の中を歩くうち、薄暗い視界にあるものが映った。

 現実(ノンフィクション)では廃線して何年も経つ、文京区をぐるりと囲むように走っていた路面電車の駅。

 改札はなく、転落防止の柵もなんともしょぼい。あくまでも乗り場兼降り場としてだけ存在する。そんな駅のホームに、誰かがぽつねんと立っているのがわかった。

 

 期待に胸が弾む。

 高揚感に急かされるまま、俺は足早に駅へと向かった。

 足音に気づいたのか、ホームに立っていた何某が俺の方を向く。そしてそのまま、まるで俺の方へと駆け寄るかのように何某も動き出した。

 高揚感、さらにアップ。走る足により力がこもる。

 距離が縮まることによって、相手の姿かたちがはっきりとしてくる。

 

 夜闇に紛れてわかりづいらいが、灰色の上着と黒のスカートで構成されたブレザー。夜闇の中で、際立って存在感を示す白銀のセミロング。

 俺と同い年くらいの女の子が、こっちに向かって駆けてきていた。

 

 テンションがうなぎのぼりになるのを感じながら、俺は腰のホルダーに手を伸ばした。

 ホルダーから吊るしてあるのは、シンジュクエリアに出現する【駅迷宮(ラビリンス)のミノタウロス】のドロップアイテムを使って製作された二対の鉈【雷光の角(アステリオス)】。強化と修理を重ねながら、長く使い続けている愛剣を両方とも引き抜き――――

 

 跳躍と同時に振り下ろされた刀を、受け止めた。

 

 ちゃりんと。手首にはめた四葉のクローバーモチーフのチェーンが、涼やかな音を立てた。

 

「ハッハー! 今回も熱烈だなあ!」

 

 自分でも気持ち悪いほどハイテンションな声を口にしながら、両腕に力を込めて跳びかかってきた何某――もとい、少女を弾き飛ばす。華奢な体は後方に弾き飛ばされるも、着地と同時に地面を蹴りつけ、すぐさま弾丸のように俺の方へと向かってきた。

 紅色の瞳で俺を見据えたまま、少女は片手に持った刀を、今度は刺突の要領で突き出してくる。切っ先が向けられるのは俺の喉。何の躊躇いもなく急所を狙ってくる鈍色の凶器を、俺は雷光の角(アステリオス)の片翼で叩き落した。

 

『【朔のルー・ガルー】とエンカウントしました 推奨レベル???』

 

 遅れて、視界に一つのウインドウが表示される。

 口元に満面の笑みを浮かべながら、雷光の角(アステリオス)を構え直す。

 

「今月も会いに来たぜ、ルー・ガルー。今夜も俺が死ぬまで遊んでくれよな」

「……」

 

 沈黙が返る。だが、全くのノーリアクションじゃない。

 返事の代わりとでも言うように、少女は首輪がはまった部位めがけて斬撃を放ってきた。

 

「ははっ!」

 

 会話ギミックがないエネミーは、言葉ではなく暴力をもってプレイヤーに応じる。

 今日も今日とて言葉によるコミュニケーションは一方通行。それでも俺はあえて口を閉ざさず、言葉と暴力を用いた戦闘行為(コミュニケーション)に勤しむ。

 

「サンキュー! 惚れ直しそうだぜ、ルー・ガルー!」

 

 満面の笑みとともに、首を捻って回避行動。かすった髪は即座に消えず、宙に舞うモーションをとりながら地面に落ちる。いっそ偏執的なリアル再現に苦笑を零しつつ、お返しとばかりに二対一振りの武器を振るった。

 

 鋏の要領で刃を交差させ、左右の逃げ道を塞ぐ。

 後ろに飛び退けば束ねて突き、下に屈めば面を利用した叩きつけ、上へと跳べばただの的。

 他の退路にも追撃の罠を仕掛けたこの攻撃は、彼女と再会するまでの一ヵ月間、数多のエネミーのHP(いのち)を刈り取ってきた。けれども、ルー・ガルーのAIは怯まない。彼女は迷うことなく、懐に飛び込むという最善手を叩きつけて俺に肉薄した。

 

「ヒューッ、さっすがぁ!」

 

 感嘆の声を口ずさみつつ、振りかぶられた拳を見て脳内シミュレート。

 拳を避けるためにあえてバランスを崩す。追撃の刀が百パーくる。NG。

 あえて拳を受けて次に備える。ダメージは受けるが刀よりマシ。OK。

 コンマ数秒の取捨択一を経て、俺の体にはルー・ガルーの右ストレートがお見舞いされた。

 

「ぅ、お……!?」

 

 華奢な体からは想像もつかない打撃力(STR)は、最低限のところで踏みとどまろうとした俺の筋力(STR)を容易く凌駕しする。180センチはある体躯が宙に浮いたかと思うと、俺の体は線路の向こうまで吹き飛ばされた。

 

 痛みはない。なぜならこれはゲームだから。

 CERO:Z……いわゆる十八歳未満お断りのゲームには痛覚スイッチをオンにできるものもあると聞くが、あいにくと俺がプレイしているのは高校生未満お断り(CERO:C)である。

 だが、殴打による運動エネルギーを物理エンジンが算出する以上、殴られることによる衝撃までは消すことができない。

 

「ぐぅっ」

 

 痛みの代わりに、全身に行き渡る痺れ。スタン一歩手前のそれに呻き声を零しながらも、なんとか地面に着地を果たす。

 

(HPは……よし、余裕!)

 

 即座に確認するのはHP。視界の端に浮かぶステータスを見て、安堵を零す。

 身に着けている白い防具(学ラン)は、見た目のわりになかなかの防御性能を持っている。にも関わらず、一万ある俺のHPは見事に二割削れていた。

 

 パンチ一発でこの威力。相変わらずえげつないダメージアベレージをしてやがる。

 だが、まだまだこれからだ。顔に浮かんだ笑みはそのままに、雷光の角(アステリオス)を構える。それに応じるように、ルー・ガルーも刀を中段に構え、体の軸をひねった。

 

「……【臥待月(フシマチ)】」

 

 サーバーAIによって生成されたとは思えない自然なメゾソプラノが、短い単語を口にする。直後、華奢な体は勢いよく刀を振り抜く。

 その動きに合わせ、鋭い太刀風が俺の方めがけて飛来した。

 

 中距離から放たれる即死の斬撃技(スキル)臥待月(フシマチ)】。

 胴体を泣き別れさせんと振るわれた剣筋を浴びれば、どれだけHPが残っていようと上半身と下半身の二つに分かたれ、そのまま地に伏すのみ。ゆえに臥待月。

 死の運命に抗うには、奇跡に縋るか、致命の斬撃を回避するかの二択しかない。

 それが、朔のルー・ガルーの剣技。幸運(LUC)を補正する装備品がない限りほぼ十割の確率で即死判定が入る、ゲームバランスの調整を疑うようなえげつない攻撃だ。

 

 レベルが上限に(カンスト)したステータスを凌駕した能力。

 惚れ惚れするほど冴えた剣技。

 搦め手の攻撃を容易く回避する優れたAI。

 高確率の即死攻撃を、通常攻撃のような気軽さで放つ理不尽。

 惰性でこの世界(ゲーム)を生きているだけでは到底超えることができない至高の存在(エンドコンテンツ)【ストラテジーエネミー】。この世界(ゲーム)における最強の一角にして、目の前の少女が背負う肩書きだ。

 

 今まで何人もの俺がこれを避けられず、無念のリスポーン地点送りを味わってきた。

 だが、彼女(ルー・ガルー)と出会ってからもうすぐ一年。

 超高難易度のくせにタイマン限定という、無理ゲー強要してくる朔のルー・ガルー。彼女と善戦するためだけに、俺はこのゲームをやりこんでいる。

 

 Sランクの敏捷(AGI)に、思考発動型(インプットスキル)の【加速】の上位互換【加速・(きわめ)】を付与するよう思考。そこに常時発動型(パッシブスキル)、一度受けたスキル攻撃の回避率が上がる【死に覚え】、同じエネミーとの戦闘時、ステータスに上方修正がかかる【Know‐how】が適用される。

 

 朔のルー・ガルーの攻撃を体で覚えた証明ともいえるスキルのブーストを受けながら、まずは体を前のめりに屈めることで太刀風を回避した。

 

「【繊月(センゲツ)】」

 

 間髪入れず、ルー・ガルーは別の(わざ)の名を口にする。

 今度は刀を上段に構えながら、彼女は地を蹴る。すると、少し離れた場所に立っていた姿が一瞬にして掻き消えた。

 一度の瞬き。消えたはずのルー・ガルーが、すぐ目の前に現れる。

 

 超高速移動からの斬撃【繊月(センゲツ)】。

 さっきの【臥待月(フシマチ)】と同じく、命中すれば高確率で即死する必殺技(スキル)だ。

 俺が彼女(ルー・ガルー)動き(パターン)を学習しているように、彼女に搭載されたAIもまた、目の前にいる(プレイヤー)が【臥待月(フシマチ)】に対応できることを学んでいる。遠距離攻撃(スキル)使用後は様子見するばかりだった最初の数ヶ月と異なり、少女は今や即座に第二撃をお見舞いしてくるようにまでなった。

 

 つまりそれは、(プレイヤー)(ヨシツネ)として認識されていることに他ならない。その事実は、ただでさえ強い相手がいっそう難敵になっていく絶望以上に俺を喜ばせてならなかった。

 顔がにやけるのを感じながら、首を狙った刀の峰を鉈で叩き落した。

 

 ――――ガキィンッ!

 

 鋼と鋼のぶつかる音が響き、俺たちの間に火花が散る。

 小さな火種に照らされたルー・ガルーの目が心なしか悔しそうに、それ以上に高揚感を帯びているように見えるのは、きっと都合のいい錯覚なんだろう。だが、錯覚とわかっていてもテンションがさらに上がるのは止められない。

 

「ハハッ!」

 

 零れる笑い声。鏡のように磨き抜かれた刀に心底嬉しそうな俺の顔が映る。

 我ながら笑えるがっつき具合。それでも、一目惚れした女の子と情熱的に一緒にいられる(たたかえる)事実は、健全な青少年をさらなる興奮に駆り立てるには十分すぎる刺激だった。

 興奮に突き動かされるまま、防御に使わなかった鉈を懐にいる少女めがけて振るう。

 先ほど殴られた時のお返しのような、至近距離からの一撃。だが、俺以上の俊敏さ(AGI)を有するルー・ガルーには紙一重でかわされてしまう。切っ先だけはかすったが、そんなカスダメでは高い防御性能を持つ柔肌に傷一つつけることはできない。

 

「相変わらずつれないことで、そんなとこも好きなんだけどよ!」

 

 笑いながら、一歩後ろに下がる。そして、二振り一対の鉈をルー・ガルーに突きつけた。

 

「もっと俺と遊んでくれよ、ルー・ガルー」

「……」

 

 俺のおねだりに、少女はやはり無言。

 代わりに得物を構え、行動でイエスを返す。

 

「ハハッ、サンキュー!」

 

 夜はまだ始まったばかり。天井知らずのモチベーションを胸に、俺は愛しい少女(エネミー)に挑む。

 

 源良(おれ)は恋をしている。

 相手は、プレイヤーを倒し、プレイヤーに倒される以外の挙動を有していないエネミー。会話もできない敵Mobに惚れこむ俺を、他のプレイヤーはピエロのように盛り立てる。あいつはただのデータにガチ恋している、面白くも滑稽なプレイヤーだと。

 

 そんな奴らに、俺は胸を張ってこう思う。

 ゲームのキャラを本気で好きになって何が悪い、と。



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イケブクロターミナルにおける歓談

【夜魔の王】によって反転し、赤黒い太陽と青白い月が交互に昇る異空間と化した東京(トーキョー)

 まっとうな明るさを失い、常に夜が続いているようなありさまになった大都市には、王の従僕たる異形【夜魔の眷属】が徘徊するようになった。

 

 そんな東京(トーキョー)において、人は基本的に無力。

 例外は、魔性に魂が汚染された十代の少年少女だけとなる。

 辛うじて人間の領域にいる者から、濃く魔性と交ざった者までピンとキリ。共通しているのは、魔性に対抗できる力があることと、東京(トーキョー)の外には出られないという二点。

 少年少女は退魔士となり、この夜の世界を生き抜くため、あるいは東京(トーキョー)に朝日を取り戻すため、夜魔の力を使って眷属との戦いに明け暮れる。魔性の力を使い続ける代償として、いつか自らの全てが魔性になる日が来ようとも……。

 

 ――――以上が、公式でお出しされている大まかなゲームの概要である。

 

 現代伝奇RPG《リバーストーキョー・ナイトメア》。

 通称、RTN。

 その没入型(フルダイブ)オンラインVRゲームは、一年と半年とちょっと前、満を持して発売された。

 

 舞台モチーフは、現代日本――厳密には旧現代日本――の東京23区。魔性の力に魂が汚染された少年少女(プレイヤー)は退魔士となり、異形たちと同じ力を振るいながら戦う。いわゆるダークファンタジーものだ。

 異世界系ファンタジーのゲームが主流だった中、現代が舞台、そしてアバターが学生服を着た中高生というRTNは、その物珍しさから世間の注目を集めた。

 物珍しさで釣ってくるゲームはクソゲーになりがちだが、プレイヤーをして中二病罹患者御用達ゲームと呼ぶRTNは中二病(そういうの)が好きな層に大いにウケた。舞台とアバターに制限をかけている分のリソースが開発に注がれているのか、VRゲームとしての出来もかなり良かったというのも、人気が出た一因だろう。

 

 どうあがいても題材が大衆向け(はやり)ではないため、大人気ゲームとは言い難い。

 それでもニッチ層にぶっ刺さったRTNは、リリースから一年半経った今でもコアな人気を有している。平日の夜でも結構な数のプレイヤーがこの夜の世界に接続(ログイン)しており、退魔士ライフを謳歌していた。

 俺もまた、そんなプレイヤーの一人。

 

《ヨシツネ》

 レベル:99(MAX)

 種族:人間

 スタイル:魔狩人(ハンター)

 HP:10000 SAN:500

 STR:A(900)+

 AGI:S(999)+

 CON:A(870)

 DEX:S(999)+

 POW:B(710)+

 LUC:B(750)+

 装備品

 両手:雷光の角(アステリオス)

 防具:破邪の布(アマルテイア・イージス)

 首:不屈の枷(スパルタクス・カラー)

 両腕:黒小人の手甲(ドヴェルグル・ハンド)

 手首:真化・四葉の鎖(リバース・フォーチュン)

 腹部:雷神の帯(メギンギョルズ)

 両足:韋天将軍の靴(イダテン・シュエ)

 

 夜の世界で得た(ステータス)を引っさげて、俺は今日も魔都を往く。

 

 

 都内のターミナル駅は、一部を除き、プレイヤーの拠点として設定されている。

 ここには魔性(エネミー)が出没せず、プレイヤー同士の争いが発生しても警備ロボがやってきて強制的に鎮圧する。つまり、ゲーム側が用意した安全地帯というわけだ。

 ゲーム内で死ねば、プレイヤーは最後に立ち寄ったターミナル駅にリスポーンする。

 リアルタイム進行のため、セーブ&ロードは存在しない。だから、この拠点(ターミナル)がいわばセーブポイントの代役を担っていた。そのため、ターミナル駅はRTN内で一番プレイヤーの往来が多い場所でもある。

 

 イケブクロ駅も、そんな拠点の一つ。

 ホームにリスポーンしたばかりの俺は、改札を抜けると構内に足を向けた。

 

 駅の中を行きかう人々の大半は、制服姿の少年少女(アバター)

 制服の改造、染色は当たり前。いじりすぎてもはや制服じゃないようなのもちらほら。

 それに加えて、剣やら槍やら銃やらといった武器、色とりどりの光彩異色(オッドアイ)に、青白い顔から覗く八重歯、側頭部から生えた獣の耳に尻から伸びる尻尾、エトセトラエトセトラ。

 まるで、十月の月末を連想させる格好のバーゲンセールだ。

 仮装の祝祭(ハロウィン)と違うのは、露骨な怪物(モンスター)の仮装や、フィクションキャラのコスプレが見当たらないことか。ともあれ、十人十色の個性(パーソナルカラー)がひしめく構内を、俺は腰から吊るした二振りの鉈を揺らしながら進んでいく。

 

 様々な個性の中で、俺が着ているのは至ってシンプルな白の学ランだ。着崩し方も含めて、服だけ見ればリアルにいそうな感じである。ゲームの中だとこういう格好の方が逆に浮くんだから、マジョリティーの影響というのは思いのほか大きい。

 設定でオンにすれば、フィールドBGMが会話の邪魔をしない音量で流れる。

 しかし俺は没入型(フルダイブ)VRだとBGMオフ派なので、耳に届くのは人の喧騒だけだった。

 

「……おっ」

 

 雷光の角(アステリオス)をかちゃかちゃさせながら歩いていると、探し人の姿を捉えた。

 

「おーい、アーサー! 待たせたな!」

 

 声をかけつつ、壁に寄りかかったそいつに近寄る。

 

 そいつの見た目は、一言で言うなら前時代的な不良だ。

 コートかと思うくらい裾を長くした黒い学ランに、全体的にだぼついたズボン。制服の裏地は赤く、頭は金髪のオールバック。まさに昔ながらの不良テンプレートだ。

 こいつとは別ゲーからの付き合いなのだが、キャラメイクに自由度があるゲームをやると絶対にガラが悪いキャラをビルドする。プロ配信者(ほんにん)曰く、中身とアバターのギャップがあると視聴者のウケがいいのだとか。生身(リアル)だと絵に描いたような優男が正反対のアバターを使ってゲームしている図は、確かにギャップがあるが。

 

 そんなエセ不良のハンドルネームは猗々冴々(アーサー)、通称アーサー。

 本名と通称ではイントネーションが違うなどという細かいこだわりを持つ男は、呼びかけられたことで俺に気づいたらしい。手元のコンソールを消すと、改めて俺に顔を向ける。

 動きに合わせて、二挺の拳銃を収めた腰のホルスターが揺れた。

 

「おっす、アーサー」

「よお、ヨシツネ。今日のデートは終わったのか?」

 

 もう一度声をかければ、アーサーも気さくに応じる。

 

 (げんじ)(よし)だから、ヨシツネ。我ながら実に単純なハンドルネームである。

 

「もっとイチャイチャしたかったんだけどなあ。攻撃(ボディランゲージ)を捌くのに夢中になりすぎて、スキルのリチャージ管理ミスってさ。【立待月(タチマチ)】避けきれずに首はねられた」

「エネミーとの戦闘をボディランゲージって言うの、お前くらいだよ」

「体を張ったコミュニケーションなんだから間違ってないだろ」

「キモい」

 

 呆れた顔で言われた。人の必死な求愛行動(アプローチ)になんて言い草だ。

 とはいえ、軽口なのはわかっているので別に腹も立たない。仲が良い間柄だからこそ、これくらいのやりとりは禍根の残らない冗談になる。

 

 エネミーMobに惚れこむ俺に、大抵のプレイヤーは変人を見るような眼差しを向ける。面白半分で近づいてくる奴もまた多く、フレンドになるのはアーサーのように別ゲーから仲が良かった友人――アーサーは親友と呼ぶ。気恥ずかしい呼び方だが、好意を向けられるのは嬉しい――か、チームを組んだ時に気が合った奴となっていく。

 

 もっともこれは、俺が彼女(ルー・ガルー)に入れ込むあまり、ゲーム内コンテンツの参加がおろそかになっているのも一因ではあるのだが。

 ルー・ガルーのエンカ日とゲーム内イベントがかち合ったら、迷わず前者を優先する。

 それがヨシツネというプレイヤーのゲームライフである。

 そんな感じなので、RTNはかれこれ一年プレイしているが、フレンド数は辛うじて二桁。ちなみにアーサーは、かなり厳選しているらしいのに俺の五倍はいる。さすが配信者。

 

 ……もうちょっと真面目に交流しようかな、生きた人間(プレイヤー)と。

 閑話休題(さておき)

 

「で、今日は何すんだよ、アーサー」

「明後日、他の配信者とのコラボでのシンボルエネミーの討伐生配信をするんだよな。予行練習しときたいから一緒に凸って♡」

 

 予定を聞けば、アーサーはしれっと無茶ぶりをしてきた。

 二人で高難易度(シンボルエネミー)に凸かよ。

 

「ちなみにどいつ?」

さまよえる(フライング)デュラハン」

「二人だとレベルカンストでも苦労するやつじゃねえか。マジで?」

「いかにも面白そうだなって顔で言っても説得力ないなあ」

 

 ばれたか。小さく舌を出して肯定した。

 想定人数を揃えてロジカルに挑む高難易度も楽しいが、どちらかといえば少人数でぎゃあぎゃあ騒ぎながらごり押しする方が好きなのである。

 

「この手の無茶ぶりに二つ返事で乗ってくれるのはお前くらいだよ、ヨシツネ」

「おだてても何も出ねーぞー」

 

 そう言って肩をすくめるが、内心まんざらでもない。頼られるのは嬉しいもんだ。

 

「エンカ範囲広いけど、なんか当ては?」

「討伐に誘ってきた人が行動パターン掴んだっぽいから、それで当たってく」

「やったぜ」

 

 うろうろするデュラハンさんをしらみつぶしに探す必要はないようだ。

 徘徊型の敵(シンボルエネミー)って、出てきてほしくない時は呼んでもいないのに出てくるくせに、いざ倒そうとなると全然補足できないんだよな。

 

「そういや、なんで実装当時は声かけなかったんだ? 配信じゃないなら参加したのに」

「ヒント、他のチームメンバーと予定合うのが満月の日」

「OK、把握」

 絶対に用事が入る日(ルー・ガルーとエンカウントできる日)だった。そりゃあ誘わないわ。

「よーし、新技をデュラハンくんにお見舞いしてやるかぁ。ついさっき本命(ルー・ガルー)にはあっさりかわされたけどな!」

「だっさ。これはルーちゃんも失望ですわ」

「おっ、デュラハンくんの前に巻き藁になるか? ん?」

「真顔で武器に手をかけるのやめてくれない?」

 

 馬鹿なやりとりをしながら、俺たちは他の拠点(ターミナル)に移動すべくプラットホームへ向かった。



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VS首無し武者

 このRTNにて戦うエネミーの強さは、六つの階級で管理されている。

 どこにでもいるコモン、その上位種であるアンコモンに、突然変異のレア。

 ここらへんは、レベリング、素材集め、スタイル開放など、多くのプレイヤーが様々な理由をもって戦う強さになる。いわば、ゲームの中で強くなるために戦う敵だ。

 

 そして、残りの三つ。

 特定の場所を支配し、巨体と強さをもってプレイヤーの探索を阻むボスあるいはレイド。

 特定の場所に留まらず、ゲーム内を徘徊しては不運なプレイヤーを襲うシンボル。

 特定の条件下でのみ出現し、エンドコンテンツとも呼ばれる強さを振るうストラテジー。

 ゲームで得た強さを確かめるために戦うその三種は、推奨レベルで個々の強さが異なるとはいえ、基本的には強敵として立ちはだかる。

 それは、レベルがカンストしていても変わりはない。

 

「ヨシツネ! ヘイト何秒稼げる!?」

 

 弾切れの音に舌打ちをしてから、アーサーは荒げた声で質問を投げかける。

 槍の穂先を雷光の角(アステリオス)で弾きながら、同じくらいの音量で問い返した。

 

「何秒欲しい!?」

「余裕持って百秒、最低六十秒!」

「なら八十!」

「任せた!」

「おうよ!」

 

 忙しなく会話を終えた後、俺は目の前のエネミーに向き直った。

 立ちはだかるのは、青白い首無しの馬に乗った鎧武者。戦国時代の甲冑に身を包み、日本の槍を手に持った武者の頭には、本来あるべき頭部がなかった。

 こいつこそが、首無し馬(コシュタ・バワー)に跨る首無しの魔性(エネミー)さまよえる(フライング)デュラハン】である。

 

 仲良くシブヤ駅にリスポーンすること四回。完全に火がついた俺たちの頭から、これが予行練習だという事実は忘れ去られていた。

 四回の死亡を経て得た情報(パターン)を土台に、目の前の敵をどう攻略するかだけを考える。

 お互いに体力(HP)精神力(SAN)も削れている。赤い(ダメージエフェクト)が体のあちこちから立ち上り、出血(デバフ)が体力をじわじわ削っていた。だが、まだ十分にやれる。否、ここからが本番だ。

 

 レベルに物を言わせた無双ゲーも楽しいが、苦境からの逆転こそがゲームの醍醐味。

 他にも気が合うことは多々あれど、こういうモチベの上げ方(プレイスタイル)の一致こそが俺とアーサーがつるんで行動する一番の理由である。

 

「【高速詠唱】! ザミエル、魔弾の鋳造者。今ここに、契約の継続を望まん」

 

 スキル効果で早口に紡がれる詠唱とともに、アーサーは後ろに大きく飛び退いた。

 

「我が望むは六つの弾丸、六つの栄光。我が捧げるは七つ目の弾丸、一つの悲劇!」

 

 見た目にそぐわない涼やかな声が、詠唱を続ける。それに呼応するかのように、奴の両手に握られた二挺の拳銃が禍々しい赤色に染まり始めた。

 それを見て、AIのくせに嫌な予感でも感じたのだろう。首無し武者は近くにいる俺のことを無視し、アーサーの方に突っ込もうと手綱を握った。

 もちろん、黙ってそれを見逃すつもりはない。

 

「行かせるかよっ!」

 

 時間(ヘイト)稼ぎの役割を全うすべく、首無し武者に向かって跳躍。そのまま、雷光の角(アステリオス)の片翼を武者の右肩めがけて振り下ろした。

 大振りな攻撃は、当たり前のように槍で防がれる。そこまではこっちの予定通り。待機させていたもう一振りで、無防備になった手首を狙った。

 しかしそれは、忠義溢れる馬が身じろぐことで空を切る。

 

「馬邪魔ァ!」

 

 こいつと戦い始めてから何度口にしたかわからない感想(クレーム)を叫びながら、槍の的にされる前に首無し武者を蹴りつけ、着地する。待っていましたとばかりに突っこんできた馬を紙一重でかわしてから、雷光の角(アステリオス)を構え直した。

 

 直接的な攻撃によって、首無し武者のヘイトはいくらか俺の方に向いている。だが、まだまだ十分な量じゃない。気まぐれ一つで、武者は槍の矛先をアーサーに向けるだろう。

 ちょいちょいと、立てた中指を動かす。

 

「あと五十秒だ。もうちょい俺と踊ってもらうぜ、首無し野郎!」

 

 それに合わせて自動的に発動するのは、エネミーのヘイトを集めるスキル【挑発】。プレイヤーの動きに応じて発動する動作発動型(モーションスキル)の効果を受けた鎧武者くん(と馬)は、アーサーのことを忘れて俺に突貫してきた。

 

さまよえる(フライング)デュラハン】、推奨レベル90。

 半年前から出現するようになったこのシンボルエネミーは、主にシブヤエリアを徘徊し、初心者(低レベル)はもちろんのこと、慢心した上級者や廃人(レベルカンスト)を何度も血祭りにあげてきた。

 

 本体である首無し武者も難敵だが、それ以上に奴が乗っている馬が厄介極まりない。

 こいつのせいで白兵武器はジャンプを組み合わせないと本体に当てられないし、かといって飛び道具や術式攻撃(まほう)でちまちま本体を削ろうとすれば突進で轢き殺される。本体を倒すには、まず馬をどうにかする必要があった。

 一度攻略したことがあるアーサー曰く、やっぱり後衛が本体を牽制している間に前衛が馬を倒し、残った本体を全員で叩くのが攻略方法(セオリー)とのこと。

 

 ここで問題が二つ。

 その攻略方法(セオリー)を安定させるには、馬のヘイトを分散させるために頭数がいるということ。

 そして、前衛(おれ)より後衛(アーサー)の方が出せる火力が高いということだ。

 

 上位(アンコモン)スタイル【魔狩人(ハンター)】の固有能力【狩人の流儀(ハンティング・スタイル)】で威力補正はかかっているものの、ルー・ガルーとの継戦力を意識した俺のスキル構成は回避寄りで、火力を出すことに向いていない。そのため、火力偏重ビルドのアーサーと一緒に攻撃しているとヘイトを集めきれず、馬がアーサーに突っこんでしまう。それが四度に渡る敗北の原因だ。

 

 さて、ここで質問です。

 強い敵を倒したいのですが、前衛と後衛が攻略方法(セオリー)通りの役割を果たせないし、そもそも人数が足りません。どうすればいいでしょうか?

 答えは簡単。役割を交代しつつ、足りない分だけ動けばいい。

 

「ハッハー! ワンパターンなんだよお前!」

 

 会敵数、五回。

 死亡回数、四回。

【死に覚え】と【Know-how】の発動条件は十分満たしている。

 加えて、死亡原因のうち二回は馬畜生による轢殺だ。死因となった攻撃を解析する特異(レア)スキル【走馬灯(フラッシュバック)】のおかげで、あいつの突撃パターンは十分に把握できている。すぐ目の前まで迫った首無し馬の突撃を、ギリギリまで引きつけてから回避した。

 すれ違いざま、足裏に力を込めて180度回転。【加速・極】を合わせてからの……!

 

「【八艘跳び】!」

 

 発声を利用した思考入力。このハンドルネーム(ヨシツネ)にあつらえたような名前のインプットスキル【八艘跳び】を起動させながら、アスファルトの地面を蹴った。

 スキルによるブーストを受けた跳躍は、手綱を引いた武者を一息で飛び越す。そして今度はすれ違いざまに雷光の角(アステリオス)で鎧に覆われた両肩を斬りつけた。

 そのまま空中で一回転し、馬の前に着地。

 

「ヘイヘイ、トロいんじゃないのかデュラハンさんよぉ!」

 

 さんざん轢かれたことを棚上げしてもう一度挑発すれば、武者は総身をわななかせ、馬もまた嘶いているかのように体を震わせた。

 俺の発言はスキルの効果に関係ないはずなのだが、心なしかさっきよりキレているような気がする。とはいえ、これはこれで好都合。前脚を上げての踏みつけ(スタンプ)攻撃をかわし、突き出された槍の穂先を雷光の角(アステリオス)で受け流した。

 だが、たった一人に軽くいなされてくれるほど、高レベルエネミーは甘くない。

 

「っ、が――!?」

 

 高いSTRに物を言わせた、武器軌道の強制変更。

 受け流したはずの穂先を真横から叩きつけられ、体勢が一気に崩れかけた。

 すかさず馬が右前脚を上げ、硬直した俺の体を蹴り飛ばそうとする。

 硬い蹄鉄に覆われた蹄をお見舞いされれば、HPはかなり目減りするだろう。今まで減ったHPは()()()()だったが、後のことを考えるとこれ以上減らされたくない。

 

(【八艘跳び】のリキャストはまだ。稼いだ時間は……よし! いける!)

 

 迫る蹄を前に思考を回し、とるべき行動を決める。

 数秒後、馬の前脚が俺の体を蹴り上げ――――

 ()()()()()()()()()()()()()()、蹴り上げられた体は煙のように揺らいだ。

 

『――――!?』

 

 同じく真下にいる武者が、いきなり変なことになった俺を見て硬直しているのがわかる。その動揺は馬にも伝わり、さまよえる(フライング)デュラハンは無防備をな姿を晒した。

 

不知火の影(ウツツノユメ)】。

 SANを消費して自分そっくりの身代わり(デコイ)を作り、それにヘイトを押しつけるレアスキル。デコイは攻撃を受ければ霧散するが、置き土産として攻撃してきた相手に硬直の状態異常を付与する。リキャストタイムは一分と長めだが、それに見合った性能だ。

 硬直は数秒。脚力だけで強引に高く跳んだ俺は、ほどなくして補足されるだろう。

 そうなれば、宙に浮いた俺は良い的だが――――。

 

「ここまでお膳立てされて、馬すら仕留めきれなかったらダサいよなぁ!」

 

 気づかれるのを承知で声を上げた直後。

 

「白き薔薇は枯れ、九の絵札は逆位置を指す。ゆえに、契約はここに果たされる。……そっちこそ、本体へのラストアタックは任せるんだからしくじるなよ?」

 

 ドンッドンッ、と。シブヤの夜に、六発の銃砲が高らかに響き。

 それに一拍遅れる形で、十二発の弾丸が撃ち込まれた。

 

『――ッ!?』

 

 馬に八発、武者に四発。同時に体躯を穿った弾丸は、着弾と同時に禍々しい赤色で弾ける。

 エネミーのHP残量はわからない仕様だが、武者のHPが一気にレッドゾーンに突入し、倍の弾を撃ち込まれた馬に至ってはオーバーキルされたのは見ただけで察せられた。それを裏付けるように、エネミーのダメージエフェクトである黒い霧が派手に立ち上っている。

 

無比の六発(ゼウス・クーゲル)】。

 アーサーが習得しているレアスタイル【魔弾の射手(デア・フライシュッツ)】の固有能力(スキル)

 

 自身を含めたチームメンバーが戦闘中に失ったHPの総量と、チームメンバーの少なさに比例して威力が上昇する魔弾を合計六発放つ。

 本来は一挺の銃にしか適用されないらしいが、アーサーはこれをレアスキル【手妻使い(イカサマ)】で二挺同時に撃つ。それでどれだけやばい火力が出るかは、今のでわかるだろう。

 

 誰が呼んだか、『破壊者(ダメージレコーダー)』。かっこいい通り名があってずるい。

 閑話休題(さておき)

 

 首の無い馬は最後まで鳴き声を発することなく、どぅっとアスファルトに崩れ落ちた。馬に跨っていた武者の体もまた、大きな音を立てて地面に投げ出される。

 空中でそれを見下ろしながら、俺は雷光の角(アステリオス)を構え直す。

 武者はまだ生きている。ラストアタックは譲ると言われた以上――というより、今のアーサーはトドメを刺せない――、後は俺の仕事だ。

 

 残りHPはそこまで多くないはずだ。【八艘跳び】で地上に逃げてからヒット&アウェイを繰り返せば、安定して倒せるだろう。

 だが、アーサーがかっこよく決めた以上、そんな安全策(チキン)プレイはダサい。

 ならどうするか。

 答えは簡単。俺もカッコつけることだ。

 

(被弾は四か所。ダメージエフェクトが多いのは左胸だから……急所は多分心臓部!)

 

 思考を走らせ、狙うべき場所を定める。

 しかし、相手も棒立ちのまま待ってはいない。ダメージの衝撃から解放された首無し武者は槍を左手に持ち替えると、上から降ってくる俺を迎撃すべく構えをとった。

 

 受け流す。さっきの二の舞になる、NG。

 肉を切らせて骨を断つ作戦。減速して宙吊りにされかねない、NG。

 

「それなら!」

 

 さっきの叩きつけでダメージを食らったことにより、HPが一定以下になるとステータスに補正がかかるパッシブスキル【逆境】は発動圏内になった。その補正を借りて、槍の穂先が顔に風穴を開ける直前、無理やり首を捻って紙一重で回避する。

 瞬間、刺突武器が打撃武器に切り替わる(スイッチ)。ごつい槍がハエたたきのように振るわれ、落ちてくる(まと)を叩き落さんと迫る。

 

 その、間隙。

 

「おらぁっ!!」

 

 雷光の角(アステリオス)の片翼を、勢いよく槍と柄の境に叩きつけた。

 

 金属のぶつかりあう音が高らかに響いた後、競り負けた槍が弾き飛ばされる。変に槍が壊れてそのまま殴られる可能性もあったが、勝機は俺の味方をしてくれたらしい。

 今日イチの仕事をこなした雷光の角(アステリオス)の片翼を労いつつ、所持枠(インベントリ)に収納。そのまま、電子の世界で再現された重力に引っ張られ、無防備な武者の懐に落ちて行く。

 そして。

 

「――この一撃をもって眠れ【一意専心(とどめのいちげき)】」

 

 狙いを定めた心臓(ところ)にもう片方の切っ先を突き立てながら、本命(スキル)唱えた(シングした)

 

 魔狩人(ハンター)固有能力(スキル)

 HPが二割以下のエネミーに対して急所攻撃(クリティカル)を行った際、大量のSANを消費することでそれを高確率の即死攻撃に変更する。まさに(ほぼ)必ず殺す技と書いて必殺技だ。

 

 ……即死攻撃って、せめてこれくらいのハードルがあって然るべきだよな。

 なんでルーさんはあんなほいほいぶちかましてくるんですかね。

 閑話休題(さておき)

 

『――――……』

 

 今回は無事、当たりの乱数を引けたらしい。心臓に鉈の切っ先を突き立てられた首無し武者は、地面に倒れ伏したままだった馬とともに、黒い霧となって消滅した。

 

 少し遅れて、ごとん、がたんという音が聞こえてくる。視線を向ければ、ドロップアイテムと思しき槍と蹄鉄が地面に落ちているのがわかった。

 蹄鉄って。あの馬もドロップ対象なのかよ。

 

「何度見ても曲芸めいてるっていうか……。よくその産廃スキルを扱えるよね、ヨシツネ」

 

 思わずまじまじと蹄鉄を眺めていると、銃をホルスターにしまいながらアーサーが近寄ってきた。肩をすくめて言われた言葉に、俺は不服そうに眉をひそめる。

 

「言うほど産廃でもないんだけどな」

 

 敵のHPが見えないので慎重に切る必要はあるし、確定即死じゃないから不発する確率もある。そういう意味では非常にリスキーなスキルだが、急所攻撃自体はそこまで難しくない。

 何せ、ダメージエフェクトが一番多く出ている場所を狙うだけだ。

 必要以上に悪く言われている気がしてならない。

 

「うーんこの無自覚器用マン」

 

 そう言えば、なぜか呆れた顔をされた。なんでだ。

 

「おー、これレアドロップじゃん。やっぱりヨシツネいるとレア泥しやすいなあ」

 

 釈然とせずに首を傾げていると、槍を拾い上げたアーサーが嬉しそうな声を上げた。

 ヘイト稼ぎをがんばった俺はわりとへとへとなので、ぴんぴんしているアーサーを見ているとちょっとイラッとしてくる。

 なので、冷や水を浴びせることにした。

 

「なあ、アーサー」

「ん? なんだヨシツネ」

「同一のシンボルやレイドを倒したら、再戦するまで時間がかかるよな。乱獲防止措置で。あれの間隔って大体何日くらいだったっけ?」

「五日だよ。なに? ストラテジーにかかりきりで度忘れ?」

「俺のRTNライフはルー・ガルーとのイチャイチャが主菜(メイン)だからいいんだよ」

「たまにはイベントに参加してフレンド数増やそう?」

「やめろやめろ」

 

 コミュ強者がコミュ弱者を刺すな、法律違反だぞ。

 デリケートに取り扱えって六法全書にも書いてあるだろ。

 

「そんなことより、デュラハン討伐生配信の日程は?」

「さっき言わなかったっけ? 明後日…………あっ」

 

 前時代の不良が、やべっと言わんばかりの表情を浮かべる。

 馬鹿め、ようやく思い出したようだな。

 

「さて質問です。さっき俺たち倒したエネミーの名前はなんでしょうか?」

「やっちゃったぁぁぁぁぁ!!」

 

 シブヤの夜に、アーサーの声が響き渡った。



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コーヒーブレイク&エアブレイカー

RTNコミュニティーシークレット掲示板:作戦相談室

 

 副リーダー

 何度見てもそっけないスレタイだな~

 

 リーダー

 わかりやすい方がいいだろ

 

 副リーダー

 俺は遊び心も必要だと思う

 

 副リーダー

 とある退魔士の魔獣退治とか

 

 副リーダー

 魔獣退治のとこにはビーストレイドってルビを入れて読もう!

 

 名無しの狩人

 ドストレートなパクリで草

 

 名無しの狩人

 しかもあんまうまくないし

 

 名無しの狩人

 怒られますよ

 

 副リーダー

 みんな酷くなぁい???

 

 名無しの狩人

 副リーダーいじりは楽しいから……

 

 名無しの狩人

 この掲示板だといじりやすくなるのほんとウケるんだよな

 

 名無しの狩人

 他の掲示板だとわりと他プレイヤー煽るしねT氏

 

 名無しの狩人

 副リーダー! 見抜きさせて!

 

 副リーダー

 お前ら~、当日支援してやらないぞ~?

 

 副リーダー

 見抜きはコチャで話そうな

 

 リーダー

 真面目にやれ

 

 リーダー

 ぶっとばすぞ

 

 副リーダー

 えっ、俺が怒られるやつなのこれ?

 

 リーダー

 他の奴らにも言ってる

 

 名無しの狩人

 ヒエッ

 

 名無しの狩人

 ごめん……

 

 名無しの狩人

 許してください

 

 名無しの狩人

 ガチ謝罪が並ぶのほんとウケる

 

 名無しの狩人

 だってリーダーだし……

 

 副リーダー

 (笑)

 

 副リーダー

 顔怖いの気にしてるから、あんまびびらないであげてな~

 

 リーダー

 おい

 

 副リーダー

 メンゴメンゴ☆

 

 名無しの狩人

 うーんこの夫婦漫才

 

 リーダー

 漫才をしてるつもりはない

 

 リーダー

 話を戻すぞ

 

 名無しの狩人

 うっす

 

 副リーダー

 さあ、はじまるザマスよ!

 

 名無しの狩人

 いくでガンス!

 

 名無しの狩人

 フンガー

 

 名無しの狩人

 今日び手書きMADでも見ないようなクッソ古いやりとりでダメ

 

 名無しの狩人

 えっ、元ネタなに? アニメ?

 

 名無しの狩人

 めちゃくちゃ昔のアニメ

 

 名無しの狩人

 本家世代はもちろん、オマージュ世代もいるか微妙なやつじゃん

 

 副リーダー

 ごめんなさい真面目にやります

 

 名無しの狩人

 手のひら返したように大人しくなって草

 

 名無しの狩人

 一体何が……

 

 副リーダー

 リア友は怖いね~

 

 副リーダー

 はい。えーっと、決行日のことだよな?

 

 リーダー

 そうだ

 

 リーダー

 おってメールでも通達するが、来月の満月、21時に集まりたいと思う

 

 名無しの狩人

 OK

 

 名無しの狩人

 了解でーす

 

 リーダー

 隠すことでもないが、あまりおおっぴらにもしたくない

 

 リーダー

 言いふらすような真似は控えてほしい

 

 名無しの狩人

 へーい

 

 名無しの狩人

 源氏ニキにばれたら怖いしなー

 

 名無しの狩人

 ガチ勢何するかわかんないからな……

 

 名無しの狩人

 セタガヤで特攻かけた話する?

 

 副リーダー

 源氏ニキトークはちゃんとした掲示板でやりなー

 

 名無しの狩人

 はーい

 

 名無しの狩人

 Hey

 

 名無しの狩人

 まあ、源氏ニキの話は有名だからな

 

 名無しの狩人

 メンバーじゃなくても、わざわざ源氏ニキに話振る奴なんていないっしょ

 

 名無しの狩人

 それやらかすの、RTN初心者じゃん

 

 リーダー

 初心者か……

 

 副リーダー

 ん? どうした?

 

 リーダー

 いや、なんでもない

 

 

 

 

 

「おまたせしました、コーヒー二つです」

「ん、ありがと」

「夜を駆ける討ち手、夜の力を借りて夜を狩る者。またのご利用をお待ちしています」

 

 にこりと笑みを浮かべながら、メイド姿の売り子は常套句(テンプレ)とともに頭を下げた。

 店を出た後に軽く後ろを振り返れば、客商売特有の愛想笑いを交じらせつつも確かな敬意がこもった、人間味のある表情が目に入る。何度見ても生きた人間(プレイヤー)と遜色ないAIに感心しながら、俺とアーサーは近くにあったベンチに腰を下ろした。

 

 ひとまず拠点(ターミナル)に戻ろうという話になり、道中で遭遇する雑魚(コモン)エネミーを張り倒しながら、俺たちはシブヤ駅の前に辿り着いた。

 途中で別チームの手伝いをしていたのもあって、リアル時刻だともうAM二時近い。

 拠点(ターミナル)に到着した後はひとまずさまよえる(フライング)デュラハン以外のドロップアイテムを換金。そして、美人のお姉ちゃん(NPC)HP回復アイテム(コーヒー)を販売している休憩スペースにやってきた次第である。

 

 何か忘れているような気がするが、少し考えても思い出せない。

 まあ、思い出せないということはそこまで重要なことじゃないはずだ。思い出した時の俺がなんとかしてくれるさと、コーヒーに口をつけた。

 

「はー……」

 

 そんな俺の横からは、辛気臭い溜息が聞こえてきた。

 

「戦闘に夢中になって目的忘れるとか……」

 

 プロの配信者としてはなかなかに凹むミスだったらしい。雑魚戦は真面目に動いていたが、安全圏に入ってからは溜息を連発していた。

 基本前向き(ポジティブ)なアーサーが辛気臭いのはレアだが、いい加減可哀想になってきた。コーヒーの瓶を片手に、ぽんぽんとアーサーの肩を叩く。

 

「まあまあ。俺も一緒に頭下げてやるからさ」

「あ、それは別に大丈夫です。大丈夫だよ。間に合ってるから大丈夫」

「なんで三つ重ねた?」

「プライベートの親友を仕事に巻きこまないようにっていう配慮だゾ」

「心こもってねえんだよなあ!」

 

 とまあ、こんな感じに馬鹿なやりとりをするうちに、アーサーの気分も軽くなったらしい。コーヒーを飲み終えるころにはいつもの調子に戻っていた。

 

「んー……っ、と」

 

 ベンチから立ち上がったアーサーは、大きく伸びをしてから槍を取り出す。

 インベントリに収納されていたさまよえる(フライング)デュラハンのレアドロップアイテム、【首無し武者の槍】だ。銃使いのくせに器用に槍の柄を手の中で回転させてから、放り投げたそれをぱしっとキャッチする。お前の方がよっぽど曲芸みたいなことしてるじゃん。

 

「倒してしまったものは仕方ない。このレア泥アイテムを差し出しつつ、別の企画を提案することでなんとか許してもらおう」

「あ、その槍だけでいいなら馬の蹄鉄もらっときたいんだけど」

「いいけど、馬でも飼うつもり?」

「飼わねえよ。詳細調べたらLUCに高倍率補正がかかるアクセサリーっぽいからさ」

「えっ」

 

 怪訝な顔をしたアーサーの前に、インベントリから取り出した蹄鉄を見せる。

幸ち多き歩みを(フォルトゥナ)守るもの(チャーム)】という、こっちの方がレアドロップではと思いたくなるような名称のアクセサリーは、装備しているとLUCに補正をかけてくれるとのこと。

 

「……」

 

 アーサーはアイテムの解説画面をしばらく見た後。

 

「レアドロップじゃんこれ」

「あ、やっぱ? これもコラボ相手さんにあげる?」

「んー、まあヨシツネにただ働きさせるのもな。お前のLUCで落ちたとこもあるだろうし、こっちはあげるわ」

「マジかよ。愛してるわアーサー」

「ははは、いくらでも惚れ直していいぞ」

 

 LUC補正の装備品はかなり貴重だし、何よりLUCは俺のプレイスタイルには欠かせないステータスだ。できることならもらっておきたかったので、その申し出はとても助かる。ありがたくインベントリに蹄鉄を戻した。

 状態異常を弾く時に参照するのは体力(CON)精神力(POW)だけど、即死だけは幸運(LUC)なんだよな。

 

「しかし馬蹄(ホースシュー)のお守りか。幸運とは真逆の馬から落ちるアイテムじゃないだろこれ」

「保守派のお守り?」

「馬の靴でホースシュー。保守派のお守りってなんだよ」

 

 曰く、幸運のお守りとして世界的に有名なんだそうな。

 また一つ賢くなってしまった。

 

「――――さて、と」

 

 しばらく雑談をした後、コーヒーの瓶をゴミ箱に捨てながらアーサーが伸びをした。

 

「方針も決まったことだし、今日は解散しようかね」

「ん? 話しつけにいかなくていいのか?」

 

 構わないと言われたものの、企画のネタが潰れたのには俺にだって責任はある。一緒に謝りに行く気だっただけに、少し肩透かしを食らった。

 

「ヨシツネ、そろそろ寝ないとダメだろ」

「あー、そうだな」

 

 言われて、今の時間を思い出す。そういやもう二時だった。

 普段は遅くても一時にはログアウトしている。確かにそろそろ寝なければまずいだろう。

 何せ明日も平日だ。成人し、かつ自由業であるアーサーと違い、普通の高校生たる俺は朝起きて学校に行く義務がある。

 さらっとこういう気遣いするんだよなあ、こいつ。

 

「じゃあ、罰ゲームが決まったらメールしてくれ」

「罰ゲーム受けるの前提で話すのやめてくんない?」

 

 軽口を叩きつつ、コンソールを出してチームの解散を選ぼうとしたその時。

 

「――――ヨシツネさーん!」

 

 快活な、アルトの声が耳に届く。

 手を止めて振り返れば、学ランの少年が駆けてくるのが見えた。

 中学生くらいの小柄な体でポニテを揺らす姿は、一風変わった学園青春ものの後輩を連想させる。もっとも、普通の後輩キャラは大きな槍を背負い、ポニテと一緒にけもみみ&尻尾を揺らしたりはしないだろうが。

 

 見覚えはめちゃくちゃあった。何せ、ついさっき前まで一緒に戦っていたのだから。

 名前は確かきんつば。アバターは男だが、声はバリバリの女の子だ。

 二週間くらい前にRTNを始めた初心者らしい。クラスは誰でも選べるコモンスタイル、槍を始めとしたリーチの長い白兵武器を使う槍使い(ナガエ)。そして種族は、RTNというゲームではあまり人気がない【半妖】である。

 

 そんな(かのじょ)の後ろからは、同じく一緒に影人(シャドウ)狩りをした死圀(しこく)というオッドアイの少女が慌てた様子で駆けてくる。声が高めなのでわかりづらかったが、あっちも中身は男だとか。

 ちなみに彼女(かれ)の種族はRTNの中でも人気が高い【魔眼使い】だ。オッドアイが標準装備の種族が人気なあたり、プレイヤー層が透けて見える。

 閑話休題(さておき)

 

 彼の到着を待って反応しようかと思ったが、その前にきんつばさんが言葉を発した。

 

「死圀さんに聞きました! ヨシツネさん、朔のルー・ガルーと戦ってるんですよね?」

「ああ、うん。そうだけど」

 

 思わずきんつば氏の肩越しに死圀氏のことを見ながら、その質問に頷き返す。

 源氏というよくわからないあだ名で悪目立ちしているのは知っているが、どういう話の経緯で俺の話を出したんだ、彼女(かれ)。首を傾げていると、きんつば氏はさらに話を続ける。

 

「そんなヨシツネさんにお聞きしたいことがあるんです! いいでしょうか!」

「はい。えーっと……何?」

 

 丑三つ時ではあるが、プレイヤーの姿はまだまだ多い。拠点(ターミナル)の休憩スペースということもあり、大きな声を上げたきんつば氏と俺たちには視線が集まっていた。

 つまり居たたまれない。さっさと会話を終わらせたいオーラで応じる俺とは対照的に、きんつば氏は周囲の視線にも俺の気持ちにも気づいたそぶりもなかった。無敵か?

 

「ちょ、ちょっと、きんつば。た……ヨシツネさん困ってるからっ」

 

 追いついた死圀氏が、そんな言葉で彼女を制そうとする。

 野良チームだと言っていたのに面倒見がいいなあなどと思っていると、死圀氏の言葉も綺麗にスルーしたきんつば氏は本題を口にした。

 

「今度、先輩フレたちが朔のルー・ガルーを倒すって言ってたので! もしよければ、その朔のルー・ガルーってエネミーの情報、教えてもらってもいいですか?」

「…………………………………………は?」

 

 前触れなく投下された爆弾に、頭が真っ白になった。

 



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現実は突然に

「ヨシツネさんっ、ありがとうございましたー!」

「ほらっ、もう行くぞっ」

 

 質問とその回答、そしてそれ以上の雑談を終えた後。死圀氏もとい死圀くんに半ば引きずられるようにして、きんつば氏改めきんつばさんは去って行った。

 ぶんぶんと力いっぱい手を振る彼女の姿が見えなくなったところで、フレンドリストを確認する。最新登録者(いちばんうえ)とその下にはそれぞれ、「きんつば(槍使い(ナガエ))Lv34」「死圀《元素使い(エレメンタラー)Lv71」の文字が表示されていた。

 

 まさかフレンド申請を投げられるとは……。

 きんつばさんは空気を読まないフレンドリー全開なのでわからないでもないが――アーサーにも申請して丁寧に断られていた――、死圀くんまで俺に申請してきたのは意外だった。

 

「……それにしても、信じられないっていうかなんていうか」

 

 黙っていたアーサーが、ぽつりと口を開く。

 それにもっともらしく頷いてみせた。

 

「ああ。今川焼が、地域によってはきんつばって呼ばれているだなんてな」

「ヨシツネ」

 

 わりとガチめなトーンでたしなめられた。

 どうやらエセ不良は、話題転換を許してくれないらしい。困ったように頬を掻いていると、仕方ないなあと言わんばかりの溜息が隣から聞こえてきた。

 

「聞きたいことは色々あるけど……。きんつば君、先輩フレ「たち」って言ってたな。でもストラテジーエネミーって、確かソロ限定だったと思うけど」

「……そうだな。ソロでエンカウントした後でも、そこに他のプレイヤーが合流したら朔のルー・ガルーは戦闘から離脱する」

「率直に聞くけど、ヨシツネの目から見てチーム戦ってできるん?」

「できる」

 

 間髪入れずの即答に、顔を向けなくてもアーサーの目が丸くなるのがわかった。

 ストラテジーエネミーは、地力(レベル)の高さも壁として立ちはだかるにせよ、何よりソロ限定という点で攻略難易度が高く(無理ゲーに)なっている。チーム戦ができるというのは、ストラテジーエネミー戦における難易度の前提をひっくり返すということだ。

 

 だが、できるのだ。

 少なくとも俺は、これが運営の想定した攻略方法だと思っている。

 

「多分だけど、ストラテジーエネミーは特殊な大規模戦闘(レイドバトル)だ。数人のアタッカーでうまくスイッチを繰り返しながら、他の面子が捕捉されない位置から支援するのがセオリーだと思う」

「マジかあ。ちなみに補足されるのってどれくらい?」

「何度か他のプレイヤーに乱入されたことあるけど、ルー・ガルーがはっきりと離脱反応を見せたのは、第三者が半径二十メートルくらいの距離を割りこんだ時だけだ。それより離れた位置からなら、ダメージ判定が出る術式攻撃の直撃でもない限り多分逃げない」

「二十メートル……。術式の射程範囲ギリかつ、なんとかスイッチできる距離か」

「だろ? まあこれ、俺の経験よりはあるギルドの成果って感じなんだけどな」

「ギルド? 朔のルー・ガルーの検証してる戦闘ギルドいたっけ」

「カメコ」

「ああ……」

 

 吐き捨てるように言えば、全てを察したとばかりにアーサーが遠い目になる。

 

 RTNには少し前まで、女性型敵Mobの性的なスクショを撮ることを目的としたギルドがあった。最初は戦闘中にエネミーのスクショを撮るだけのギルドだったらしいが、解散するころには完全に変態カメコの巣窟と化していたらしい。

 見た目は白髪赤目の女子高生でしかない朔のルー・ガルーも、奴らの毒牙にかかった。制服の胸元が大きく切り裂かれたスクショが晒され、その画像が出回ったのだ。

 画像に関しては、ギルマスその他に脅迫(おねがい)して削除してもらった。

 その時にどうやったのかを聞いてみたところ、離れたところから数人がかりでデバフを重ねがけして、動きが鈍ったところでアタッカー担当が服を切り裂いたのだと教えられた。

 

 今でもはらわたが煮えくり返るような所業は脇に置くとして、こいつらは実質チームでストラテジーエネミーに挑むことができる可能性を示唆した。

 数少ないフレンドに頼みこんで検証に付き合ってもらったので、可能性は今や確証になっている。他はどうかわからないが、少なくとも朔のルー・ガルーに関してはそれで間違いない。

 

「さすがに体晒したままスキル使ったら逃げられたから、遮蔽をとって視認されないようにしつつ、バフなりデバフなりで支援するのがセオリーだろうな」

「完全に識者じゃん……やば……」

 

 当然だろう、と鼻を鳴らす。

 リスポーンシャトルランで一晩十数回バトルしたこともあるのだ。こと朔のルー・ガルーに関しては、俺が一番戦ったし、俺が一番あいつのこと(パターン)を知っている自負がある。

 

「……でさあ」

 

 そんな自負が宿った胸を張っていると。

 

「お前、なんとも思わんわけ?」

 

 アーサーが、容赦なく冷や水を浴びせてきた。

 

「……そりゃあ、ゲームに登場する敵を倒すのは個人の自由だし」

「そんな当たり前を聞いてないことくらい、わかってるよな?」

 

 正論でのごまかしは、ばっさりと切り捨てられる。

 思わず苦虫を噛み潰したような顔になるが、友人は追撃を緩めなかった。

 

「現在確認されているストラテジーエネミーは全部で四体。【白夜のアリアドネ】、【境界の継ぎ接ぎ少女】、【雨天のルサールカ】。そして、お前がご執心の【朔のルー・ガルー】。このうち運営から撃破の告知があったのは【境界の継ぎ接ぎ少女】だけど、半年前の告知以降、リスポーンが報告されてないことを知らないとは言わせないぞ」

「…………それは」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 RTNプレイヤーの間では暗黙の了解となっている事実を突きつけられ、言葉に詰まる。アーサーと視線を合わせるのがしんどくなり、明後日の方向に顔を向けた。

 そんな俺を見て、アーサーは大きく溜息をついた。

 

「はっきり言うけどさあ……。()()()()()()()()?」

「……フレに呼ばれたので失礼します」

「あっ、こらっ、お前!」

 

 返事の代わりに、俺はゲームからログアウトした。

 

 

     ■■■

 

 

 目を開けると、暗色のフィルター越しに自室の天井が広がった。

 ベッドから上半身を起こし、頭につけているVRヘッドセットを外す。視界は暗色からクリアになり、世界はちゃんとした色合いに戻った。

 サイドテーブルに置いてあるスポドリに手を伸ばして、常温のそれをぐびぐびと飲む。

 乾いた体に水分チャージ。ペットボトルの中身がなくなったところで口から離し。

 

「は~~~~~~~~」

 

 長い溜息とともに、再びベッドに沈みこんだ。

 携帯端末が痙攣しているのかってくらい震え始めたが、相手はわかりきっているので出るつもりはない。代わりに手探りで端末を掴むと、電源ボタン長押しで黙らせた。

 

「…………はあ」

 

 静かになった端末を足元に放り投げ、もう一度溜息を零す。

 

『はっきり言うけどさあ……。()()()()()()()()?』

 

「いいわけねえだろ、馬鹿野郎……」

 

 脳内でリフレインするアーサーの言葉に悪態をつきながら、目を閉じる。

 いいわけがない。

 彼女が他のプレイヤーに倒されるところを想像しただけで、嫉妬がこみ上げる。

 

(話し合いで解決? 討伐チームを脅しつける?)

 

 浮かんだ考えには、即座に首を横に振る。

 根本的な問題の先送りだ。ルー・ガルーを倒そうと意気込むプレイヤーが次にいつ現れるかわからない以上、何の解決にもなっていない。

 何より、そこまでするのはMMOの流儀に反している。

 

 カメコを脅した時とは状況が違う。あのケースは要するに、NPCをいじるプレイングがあるなら、そのいじりからNPCを守るプレイングもあるというだけの話だ。

 ペナルティこそあれど、PKそのものは禁止されていない。あそこで返り討ちされても俺は文句を言えないが、俺に奇襲されたことを彼らが訴えることもできない。なぜなら、ゲームのシステムはPvsPを認めているのだから。

 

 しかし、朔のルー・ガルーは運営が創った敵性存在(エネミー)だ。

 どれだけ強かろうとも、その強さがバグによるものでない限り、いつかはプレイヤーに倒されることが想定されている。彼女を倒すことが公式に認められている以上、自分が倒すために邪魔をするならまだしも、誰にも倒させないようにするのはゲームの主旨に反する。

 俺もゲーマーの端くれ。そんな困プレイヤーみたいなことはしたくない。

 なら、どうすればいいのか。

 

 ――――答えは、わかりきっている。

 問題はただ一つ。俺がそれを即断できないということ。

 

「ルー・ガルーを……好きな女の子を、自分の手で殺すってことだろ、それ」

 

 彼女(ルー・ガルー)とエンカウントできる日は何があろうともログインし、毎月のように戦ってきた。多い時には一晩で十数回。こっちを瞬殺してくる彼女と善戦できるようになるまで、彼女の攻撃を体が覚えこむようになるまで、何度も何度も戦った。

 こと朔のルー・ガルーに関しては、俺が一番戦ったという自負がある。

 けれど、彼女を討伐(キル)しようと思ったことは、ただの一度だってない。

 

「倒したくねえなあ……」

 

 呻くように言いながら、今度は現実からログアウトし、眠りの世界にログインした。



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ごく一般的な姉弟の会話

RTNコミュニティーシークレット掲示板:源氏の集い

 

 名無しの源氏

 大将に直接喧嘩売った猛者がいるらしいね

 

 名無しの源氏

 マ?

 

 名無しの源氏

 あー、シブヤ版で話題になってたな

 

 名無しの源氏

 大将に嫁の攻略情報トレード申請にしにいった奴がいるって

 

 名無しの源氏

 ひえっ

 

 名無しの源氏

 勇者かよ

 

 名無しの源氏

 よく大将にPKされなかったな

 

 名無しの源氏

 大将を蛮族みたいに言うのはNG

 

 名無しの源氏

 セタガヤノ谷の戦いがあるし……

 

 名無しの源氏

 俺らの大将が大将になった戦きたな

 

 名無しの源氏

 大将、あれで一気に有名人になったからな

 

 名無しの源氏

 あれだって別にPKはしてないだろ!

 

 名無しの源氏

 カメコとオハナシしただけなんだよなあ

 

 名無しの源氏

 鬱勃起に苦しんでた俺らの救世主

 

 名無しの源氏

 あれはほんと胸がスカッとしたからな……

 

 名無しの源氏

 マーメイドちゃんのコラ画像は今でも許さん

 

 名無しの源氏

 上階から壁走りしてギルマスたちに奇襲しかけた話何度聞いても好き

 

 名無しの源氏

 リアル逆落とし

 

 名無しの源氏

 なんであの人、魔狩人なのに忍者みたいな挙動するの?

 

 名無しの源氏

 大将だし……

 

 名無しの源氏

 まあギルマスもある意味被害者ではあるんだけどな

 

 名無しの源氏

 ギルド解散したころはエロスクショ目的の奴ばっかだったらしいし

 

 名無しの源氏

 黎明期のカメコは好きだよ、俺も

 

 名無しの源氏

 エロカメコのせいでかっこいい方のスクショも出回らなくなったのが悲しい

 

 名無しの源氏

 おっす、現場に居合わせたマンだぞ

 

 名無しの源氏

 有能きたな

 

 名無しの源氏

 源氏の鑑

 

 名無しの源氏

 詳細はよ

 

 名無しの源氏

 シャドウ狩りしてたら騎士殿とチーム組んでた大将に会ったんだよ

 

 名無しの源氏

 ダメもとで頼んだらあっさりチーム組んでくれた

 

 名無しの源氏

 おっ、自慢か???

 

 名無しの源氏

 大将とエンカするのもレアなんだが……?

 

 名無しの源氏

 大将基本ソロだし、目立つ格好でもないからなかなか見つからないよね

 

 名無しの源氏

 大将のリアル隠密がEXな話はよせ

 

 名無しの源氏

 狩人コミュどころかアサシンコミュからも勧誘されてた話する?

 

 名無しの源氏

 そんな大将が加わってから影御魂連続泥しました

 

 名無しの源氏

 草

 

 名無しの源氏

 ワロタ

 

 名無しの源氏

 これは源氏の加護

 

 名無しの源氏

 いいから詳細話せや

 

 名無しの源氏

 すまんすまん

 

 名無しの源氏

 シャドウ狩り終わったから、大将たちとシブヤ駅に戻ったんだよな

 

 名無しの源氏

 フレ申請したくて様子見しつつ、野良パ組んでた初心者と話してたんだよ

 

 名無しの源氏

 そしたらその子が大将に凸って爆弾を落とした

 

 名無しの源氏

 やべー

 

 名無しの源氏

 恐れを知らない若者すぎ

 

 名無しの源氏

 なお大将、快く情報のトレードに応じた上にフレ申請まで応じた模様

 

 名無しの源氏

 聖人か?

 

 名無しの源氏

 偉いな大将……

 

 名無しの源氏

 まあ悪気なさそうだったからな、その子

 

 名無しの源氏

 っていうか、言い方的にもしかして女子?

 

 名無しの源氏

 おっ、裏切り者か???

 

 名無しの源氏

 源氏のくせに三次元の女と仲良くなるのか?

 

 名無しの源氏

 ゲームの中だからプレイヤーも二次元だしセーフ理論

 

 名無しの源氏

 セーフじゃないんだよなあ

 

 名無しの源氏

 それよりさ、俺らで誰が討伐考えてるか調べない?

 

 名無しの源氏

 俺、猗々冴々さんとフレンドだから集めた情報それとなく流せるし

 

 名無しの源氏

 いいなあ、私も騎士殿にフレ申請したい

 

 名無しの源氏

 騎士殿にフレ申請する流れで大将にフレ申請してえ……

 

 名無しの源氏

 騎士殿のガードが固すぎる

 

 名無しの源氏

 あの人も大概大将ガチ勢だからな

 

 名無しの源氏

 この中にいても俺は驚かんぞ

 

 名無しの源氏

 とりあえず提案ニキネキが言ったみたいに、情報収集してみるか

 

 名無しの源氏

 異議な~し

 

 

 

 

 

 当然のように寝つけなかった。

 

「ふぁぁぁ……」

 

 AM七時。大きなあくびを零しながら、俺はベッドから起き上がった。

 ベッドに突っ伏したのがAM二時すぎ。その後時計を見たのが確か三時。

 多めに見積もったとしても、睡眠時間は三時間半である。ちなみに普段の睡眠平均時間は六時間だ。眠いに決まっている。

 

 正直ギリギリまで寝直したい。

 だが、父さん母さんは揃って海外出張。一緒に暮らす姉さんは生活リズムが不安定。寝過ごした俺を起こしてくれる人材がこの家にいない以上、遅刻しないためには眠いのを我慢して行動を開始せねばならなかった。

 

 ベッドくんと別れを告げ、体にエンジンを入れるため制服に着替える。

 ブレザーに袖を通し終えたところで、昨日放り投げた携帯端末に手を伸ばす。電源を入れれば、デフォルトの観葉植物をバックに着信履歴の数字が表示された。

 

「うっわ着信二桁……」

 

 自分がやらかしたことを棚に上げて軽く引く。爆撃ほんとえげつないなあいつ。

 着信履歴以外にも、メールが同じくらい送られていた。そのほとんどが件名も本文もない空メールだったが、最後に受信したメールの件名には端的な罵倒が書かれていた。

 

 Title:ヘタレ

 From:猗々冴々

 To:ヨシツネ

 コラボの件は気にしなくていいよ

 

 そのメールを開けば、本文にはそっけない一言が添えられている。

 

「ほんと、こういう気遣いをさらっとするんだよなあ……」

 

 俺が女なら惚れてるところだ。

 返信しようか少し悩んだが、結局何の操作しないまま端末をポケットに入れる。そして、鞄を持って部屋を後にした。

 階段を下り、洗面所で顔を洗ってから台所に向かう。

 冷蔵庫を開け、マジックで「りょう」と書かれた牛乳パックを手にとる。そのまま直に牛乳を飲んでいると、後ろから物音が聞こえてきた。

 

 口の中のものを飲んでから振り向けば、ぼさぼさ頭の女が台所の入り口に立っていた。

 だるだるのタンクトップに短パン。だらしさなの極みのような恰好で、脱色した頭をぼりぼりと大ざっぱに掻いている。赤の他人なら気まずいとばかりに目を逸らすところだが、あいにくと相手は血の繋がった姉である。

 

「おはよ」

 

 代わりに呆れた目線と挨拶を放れば、姉さんはふふっと小馬鹿にするように笑った。

 

「おはようございます、弟くん。今朝も無駄な努力に精が出ますね」

「うるせえ馬鹿姉。俺の成長期は遅いんだよ」

 

 朝から貶められたので罵倒を返した。

 自分は隔世遺伝で平均以上の身長だからって、弟の身体的特徴をあてこするな。

 我が姉ながら性格が悪い女は、憤る実弟を見て肩をすくめてみせる。それから流し台の方に向かうと、電気ケトルに水を入れてお湯を沸かし始めた。

 

「姉さんがこんな時間に起きてくるなんて珍しいな」

 

 冷凍庫から出したチャーハンをレンジで温めながら、そう声をかける。

 専業作家であるこの姉は、名声を得るや否や健全な生活リズムを投げ捨てたダメ人間だ。俺が帰宅するころに起床していたらまだいい規則正しい方で、俺が寝るころに起き出したくせに朝になったらまた寝ているなんてのはしょっちゅうだった。

 この時間に起きているのは非常にレアい。

 明日は槍でも降るのか?

 

「今日は担当に会いに行かないといけないんですよ」

「ああ、なるほど」

「がんばって起きた姉を褒めたたえてください、弟くん」

「はいはい偉い偉い」

 

 適当に流しつつ、温め終わったチャーハンを取り出す。

 片手に紙皿、片手にスプーンを持って椅子に腰を下ろし、今日の朝食を食べ始める。何口か食べ進めたところで、コーヒーカップを持った姉さんが正面に座った。

 

「後はですね」

 

 胸焼けがしそうなほど角砂糖をカップに入れながら、真面目な顔を向けてくる。

 

「弟くん、昨日は二時過ぎまでゲームをしていましたね?」

「あっ」

「成人するまでは、外せないイベントがない限りゲームは深夜一時まで。それが日本に残る条件だったことを、まさか覚えていないとは言わせないですよ」

「忘れてました……」

 

 昨日は色々ありすぎて、我が家のルールが完全に頭からすっぽ抜けていた。

 どうして昨日の時点で思い出さなかったんだ。恨むぞ昨日の俺。

 それにしても、こういう時に限って起きているのも、タイミングが悪いというかなんというか。自分が迂闊だったのを棚に上げ、間の悪さをひっそり呪う。

 

「間が悪いなこの野郎とか思っていません?」

「オモッテイマセンヨ、オネエサマ」

 

 片言で返した。心を読むのやめてほしい。

 

「まあ、いいでしょう。弟くんも血気盛んに盛った犬のようなお年頃、ついつい夢中になってしまうということもあるでしょうからね。色々と」

「反省してるからその言い方はよせ」

「でも弟くん、今は二次元の女の子に夢中なのでしょう? 相手の中身がAIなのをいいことに、許可のない見抜きプレイをして背徳感に浸ったり耽ったりなどしないので?」

「しねえよ!」

 

 実の弟をなんだと思っていやがる。

 だが、完全にプラトニックなのかと言われたら目を逸らさざるを得ない。悪いか、こちとら健全健康な男子高校生なんだぞ。

 意識すまいと努めれば努めるほど、連想ゲームの要領で頭の中が桃色に染まりそうになる。

 

「……しねえよ。できるかよ」

 

 しかし、昨晩のできごとを思い出した瞬間、能天気な色は一気に陰鬱な灰色に変わった。

 自己嫌悪がこみ上げてくる。皿の上にスプーンを置いた俺を見て、おや、とばかりに姉さんは目を丸くした。

 

「何か悩みがあると見ましたが。どうです? この姉に相談してみるというのは」

「姉さんだしなあ……」

「姉であることが全ての障害であるような言い方をしてはいけませんよ、弟くん。今すぐ役所に行って、貴方の姉であることを止めることができるんですからね」

「そういうことを言い出す姉だからこんな言い方になるんだが?」

 

 そんな理由で籍を動かそうとするな、父さんたちも役所の人も困惑するだろうが。

 これみよがしに溜息をついてから、少しだけ思案する。

 とはいえ、答えは決まっているようなものだ。

 この厄介な姉は、一度気になることが出てくると、もっと他に興味が惹かれるものが現れない限りはてこでも動かない。興味をより惹くものが現れるまで、姉さんは生活リズムを正してでも俺に粘着し続けるだろう。それがうざいことは、身をもって知っている。

 

(……それに)

 

 吐き出したい気分ではあるのだ。

 RTNプレイヤーでは、何を言われてもバイアスがかかる気がする。ゲームをプレイしていない第三者の意見を聞いた方が、ごちゃごちゃした思考もまとまる気がした。

 さっきは難色を示してみせたが、姉さんは相談相手に適任ではある。

 ルー・ガルーのことは何度か話したことがあるし――彼女関連で深夜一時縛りを解いてもらう時に話した――、何よりゲームと同じ小説(きょこう)で飯を食っている人なので。

 

「実はさ……」

 

 ありきたりな前置きをしてから、悩みをぽつぽつと話し始めた。

 余計な茶々は入れず、姉さんは黙って俺の話に耳を傾ける。そして、俺があらかた話し終えると、なるほど、と小さく頷いた。

 

「好きな女の子を他の男に寝取られたくはないけれど、かといって自分が処女を奪うのは躊躇ってしまう。つまりはそういうことですね?」

「姉さん、俺かなり真面目に話してるつもりなんだけど」

「真面目に回答をしていますとも。命も破瓜も、散ってしまえば失われるのは同じことです。それが虚構のキャラクターというならなおさらですね」

 

 そう言ってから、姉さんはカップに口をつける。ぬるいですねとなぜか楽しげに零した後、俺の方を見て笑みを深めた。

 

「虚構の命に対して真摯な弟くんのことは、好意的に思いますよ。でもね、弟くん。本物のように想っているからといって、本物のように扱ってはいけないんですよ」

「現実と虚構の区別はつけろって?」

「現実の流儀を虚構に押しつけてはいけないということです」

 

 虚業(さっか)を生業にしている姉は、言い含めるようにそう言った。

 

「虚構を現実のもののように愛でるのも、虐げるのも個人の自由です。ですが、現実のルールを彼らに適用してはいけません。動物愛護団体が、ゲームのモンスターを倒すのも動物虐待だと言い出しても困りますよね? つまりはそういうことですよ」

「……俺は、他のプレイヤーに倒すのをやめろだなんて言わない」

「ええ、そこの一線は正しく見極めているようで何よりです。当然のことではありますが、この姉が頭を撫でて褒めてあげましょう」

 

 えらいえらいと言いながら、身を乗り出して俺の頭を撫でようとしてきた。

 当然避けた。姉さんは不満げに頬を膨らませるものの、大人しく伸ばした手を引っこめる。そして、あまりうまくないはずのコーヒーを一口飲んでからまた口を開いた。

 

「るーがるーさんを倒すこと。彼女と二度と会えない可能性もあいまって、弟くんは現実での殺人行為を重ねてしまっているのでしょう。でも、よくよく考えてみてください。虚構の世界で敵として存在している女の子にとって、死は案外救済かもしれませんよ?」

「……それは、倒す側の都合のいい想像だろ」

「ええ、公式の明言がない以上、虚構の立ち位置は全て受け手の想像です」

 俺の反論に笑って頷いてから。

「でもそれなら、死ぬことが不幸というのも弟くんの想像ですよね?」

「ぅ……」

 

 意地が悪く、けれどある意味正論ではある言葉を返された。

 ぐうの音も出ず、苦虫を噛み潰したような顔になる。そんな俺を心底楽しそうな顔で見つめながら、姉さんの手が皿の上に置いたままだったスプーンに伸びた。

 米粒がくっついた銀色の匙が、俺の鼻先に突きつけられる。

 

「どれだけ思いの丈があろうとも、虚構に捧ぐ愛は自慰に過ぎません。自分の手で殺したくないから何もしない、それが救いだと思うから自分の手で終わらせる。どちらも等しくただの自己満足で、どちらも等しく都合のいい想像です。優劣も貴賤もありません」

「……」

「同じ自己満足なら、ストーリーテラーの端くれらしく、結末が他人任せにならない方をおすすめしますね。それに貴方は、やった後悔よりやらない後悔を引きずりそうですから」

 

 そう言い終えると、俺の手元にあった皿を自分の方へ引き寄せた。

 

「やった後悔よりやらない後悔を引きずる、か……」

 

 チャーハンを食べ始める姉さんを止めるのも忘れて、今さっき言われた言葉を繰り返す。

 

 やらずに後悔するより、やって後悔する方がマシ。

 それは間違いなく、源良(おれ)という人間の気質を言い当てていた。

 鈍器で容赦なく殴られた気分だったが、おかげで思考はだいぶまとまった気がする。やっぱり姉さんに相談してみてよかったと、心の中でそう思った。

 口に出して感謝するつもりはさらさらない。絶対に調子に乗るので。

 ……とりあえず。

 

「俺の朝飯食うなよ」

 

 正当な抗議を口にする。冷凍庫にまだあるんだからそっち食べろよ。

 

「でも弟くん、食べる時間がないのでは?」

「は?」

「貴方の語りが長かったから、コーヒーがぬるくなるくらい時間が経っていますよ」

「ぎゃああああ遅刻!」

 

 気づいていたなら言ってくれよ!

 ろくに満たされていない胃袋を抱えて、俺は慌てて席を立った。

 

「良くん」

 

 台所を出ようとする俺の背中に、空気を読まない呼びかけが投げかけられる。

 無視してしまいたかったが、真面目な呼称がそれを妨げる。足を止めて振り返ると、姉さんはスプーンをタクトのように揺らしながら口を開いた。

 

「一つ質問なのですが。良くんは、るーがるーさんのどこが好きなんでしょう」

「どこって……可愛いところだけど」

「なるほど。可愛いと」

「?」

「いえ。気にしないでください」

 

 質問の意図を図りかねて首を傾げるも、姉さんは俺の疑問に答える素振りも見せない。

 はぐらかし方として下の下だろ、それは。

 

「そういうこと言われると気になるんだけど」

「それより時間、大丈夫ですか?」

「いってきまーす!」

 

 しかし、あいにくと問いただすだけの時間がない。

 叫ぶように言いながら、俺は今度こそ台所を後にした。



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とある配信者の喜びと企み

(……ん?)

 

 AM一時。手元に置いていた端末が、小さな振動音を立て始める。プレイ動画の解説を兼ねて雑談配信をしていた剣崎(けんざき)(あさひ)は、画面から目を離して端末を一瞥した。

 

「あー、ここのプレイはコメントで疑問の声が多かったところですね。砂なのに前のめりで動きましたが、舐めプのつもりはないですよ~。近くに潜んでいた対戦相手が接近戦に不得手そうだったので、膠着状態を打開するためにあえて白兵で攻めに行った感じですね」

 

 振動数の少なさからメールと判断し、トークを続けながら並行して思考を走らせる。

 

(雑談枠だし……燃料投下(サービス)になるか)

 

 これがコラボ配信中なら、相手方にも失礼なので終わるまで放置する。

 しかし、雑談配信を見に来るような視聴者は、剣崎旭というゲーマーのプレイより、剣崎旭が演じる配信者・猗々冴々というキャラクターに重きを置いている層だ。そしてそういう手合いは、個人差はもちろんあるものの、日常(プライベート)が垣間見える瞬間を面白がる傾向にあった。

 

 そのプライベートに他の配信者が関わっているなら、組み合わせ(カップリング)妄想をはかどらせ。

 視聴者も知りえないような誰かなら、相手が誰かを面白おかしく議論する。

 それを嫌がる配信者もいるが、旭は気にしない方だ。

 実害が出ない範囲でなら、いくらでも娯楽の種を提供するのがエンターテイナー。それが、職業配信者・剣崎旭(アーサー)のスタンスである。

 

「あ、すいませーん。ちょっとメールが来たのでストップしますね」

 

 断りを入れつつ、動画の停止ボタンを押す。

 

〈誰だろ〉

〈じゅうにしニキ?〉

文々(ぶんぶん)さんかも〉

〈配信者ならこの時間にメール送らないだろ〉

〈リア友?〉

〈彼女かも〉

〈アーサー様に恋人なんていません(怒)〉

〈夢女自重〉

 

 予想通り、コメント欄は相手が誰かで盛り上がり始める。

 本格的に揉め事を起こされるのは困るが、旭は自分にとって利にならないだろう相手を嗅ぎ分けることに長けていた。ざっとコメントを見渡し、早急に通報をしなければいけないような視聴者がいないことを確認する。

 そうなれば、後は良い反応(リアクション)をしてくれる視聴者たちを楽しむだけだ。内心で笑みを浮かべつつ、旭は武骨なアバターと正反対のすらりとした手で端末を手にとる。そのまま所作を魅せるように画面を見たが、その送り主を見て軽く目を瞬かせた。

 そして、やや恐る恐る、といった風情でメールを開き。

 

「……へえ」

 

 涼しげな口元に、先ほどよりも深く、いっそう楽しそうな笑みが刻まれた。

 

〈えっ〉

〈なにそのリアクション〉

〈彼女かー???〉

〈耳が孕む〉

〈マジで彼女説あるな〉

〈夢女涙目〉

〈今配信してない配信者誰だよ〉

〈アーサーさん誰からだったんです?〉

 

 旭の意味深な反応を聞き、コメント欄はさらなる盛り上がりを見せる。

 予想がいくつか飛び交っているものの、あいにくとその中に正解はない。

 完全な答え合わせをするつもりはないが、これからやることのため、そして()()()()()()()()()()()視聴者へのサービスのために、旭は正解を一部だけ開示した。

 

「お待たせしましたー。今、リア友からメールがありまして。ほらこの前、文々さんとRTNのコラボ配信するはずだったのに、俺のガバで企画変更したじゃないですか。それのお詫び配信とかしないのかって言われちゃいまして」

 

 そんな旭の言葉を受けて、疑問を提示する者、それに答える者、そのリア友に賛同する者、リア友に対して非難的な意見を寄せる者と、コメントが色とりどりに染まる。それら多種多様の意見をまとめ上げるように、配信者(あさひ)は鶴の一声を放った。

 

「夜遅くまで配信聞いてくれるような視聴者(ファン)が集まってることだし、せっかくだからここでアンケートでもとろうかなーって思うんだけど。みんなはどう思う?」

 

〈やったぜ〉

〈アンケートはよ〉

〈何するんですか!〉

〈またRTAやってほしいな〉

〈フレ募集して〉

〈じゅうにしさんといちゃいちゃ配信希望〉

〈腐女子自重しろ〉

 

 バラバラだった視聴者(コメント)は、その一言で瞬く間に同じ(さんどう)に偏る。

 それに応えるようにアンケートを準備しつつ、先ほど送られてきたメールを確認する。

 

 悪かった

 From:ヨシツネ

 To:猗々冴々

 腹くくった

 都合が良いことを言ってるのは重々承知だ

 でも、できればお前に手助けしてほしい

 

(もちろんだとも親友(ヨシツネ)。お前は逃げないって信じていたからな)

 

 剣崎旭は、自分の容貌が人より優れていることを自覚している。

 猗々冴々は、自分が同業者の中ではいわゆる人気者であることを理解している。

 その事実は、己の見てくれや肩書きにしか興味がない者を引き寄せることもまた、彼は十分に熟知している。同時に、そんなものを全くに意に介さず、剣崎旭というただの男に好感を示し、剣崎旭という個人のために骨を折ってくれる者がこの世にはいることも知っていた。

 残念ながら、その数は少ない。

 だから、友人知人は多けれど、剣崎旭にとって親友と呼ぶような相手は一握りだ。

 

 そして剣崎旭は、そんな親友のために骨を折ることをいとわない。

 そんな数少ない親友からの頼みに頬を緩めながら、()()()()()用意していた四択を配信画面に流す。それを見てコメント欄が賑わうのを横目に、返事をすべく端末を手にとった。

 



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武器屋フェルリエラにて

作中一の萌えキャラ登場回です(作者比)


 チヨダエリアにあるアキハバラ電気街は、RTNの中でも一風変わったマップだ。

 

 現実(リアル)では今も昔も同人誌を販売している店が、RTNでは汎用(コモン)術式を覚えられる魔道書アイテムの販売場所。有名な食べ物屋では、回復アイテムが購入できるようになっている。

 その一方で、コスプレグッズ専門店には展示物を着せたマネキンに扮した呪い人形(ホラー・ドール)。家電製品を扱う店では、家電に憑依した騒霊(ポルターガイスト)など。様々な呪物属性(カテゴリー)のエネミーが出現した。

 

 つまりは、安全地帯とそうでないエリアが同じ建物内に混在しているマップなのだ。

 事前知識がないとアイテムショップを見落とし、あるいはエネミーが出る場所と知らずに無警戒で突入してしまう。フィールド内を多く占めるのが雑居ビルや商業施設といった施設複合型の建築部なのも、ややこしさの一因になっていた。

 

 誰が呼んだか、初見殺しの電気街。

 そんな電気街にある雑居ビルの一つ。

 一階から最上階の手前までエネミーが出没する、このマップでは珍しい部類に入る建物、その最上階に一軒の店があった。

 

 名は『フェルリエラ』。

 イタリア語で「鍛冶場」を意味するその店は、名が体を表すように鍛冶場で作られるもの――すなわち、武器を扱っている。他の同種店舗より定休日や不定休が多いものの、品揃えも質もRTN内でトップクラスに食い込むほど充実しているのが特徴だ。

 その分値段は高く、また、店に辿り着くまでに戦闘をいくつかこなす必要があることから、初心者はおろか中級者でも軽々に足は踏み入ることはできない。それでも、『フェルリエラ』の世話になり、かの店の武器を使いたいと思うプレイヤーは数多く存在する。

 それだけの価値と魅力が、『フェルリエラ』の武器にはあった。

 

 そんな『フェルリエラ』を営む女主人・四月一日(わたぬき)が、NPCではなくプレイヤーだと知る者は意外と少ない。彼女をプレイヤーだと知る者も、その人となりに関しては詳しくない者がほとんどだった。

 

 サービス開始時からの古参プレイヤー。

『フェルリエラ』の女主人。

 術式使い系統のスタイルの中でもチート級と呼ばれるレアスタイル【裁定者(ルール・トーカー)】取得者。

 

 肩書きばかりが先行し、それ以外は謎に包まれている。フレンド申請もあまり受けつけず、プレイングもソロが主体と、関わろうと思ってもその機会に恵まれないというのもそれに拍車をかけていた。

 数少ないフレンドに聞いても、「あいつは一匹狼気質だから」と詳細を話そうとしない。それがまた新たな噂を招き、どういう人物なのかを曖昧にしていた。

 ただし、多くのプレイヤーの間で見解は一致している。

 女主人としての彼女と出会い、やりこみプレイヤーとしての彼女と出会った者は、堅気と思えない雰囲気を魅せる四月一日という女をこう称した。

 

 ミステリアスな強キャラ、と。

 そんな評を耳にするたび、四月一日の人となりを知る者は微笑ましい顔をする。

 

 

 ちりんと鈴の鳴る音(SE)を響かせながら、木製の扉を開いた。

 ランタンの明かりで仄明るい店内が目の前に広がり、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。相変わらず伝奇漫画みたいな雰囲気の店だなと思いつつ、カウンターの方を見た。

 

「いらっしゃい。……おやおや」

 

 カウンターの椅子に腰かけて読書していた赤髪の女が、ドイツ語表紙の本から顔を上げる。眼帯に隠されていない金色の右目が懐かしそうに細められた。

 

「久方ぶりに見る顔だ。ようこそ退魔士殿、僕の工房『フェルリエラ』へ」

 

 仰々しい挨拶とともに、女は椅子から立ち上がった。

 黒い男物のスーツに包まれた、すらりとしていながらも出るところはしっかり出ている体のラインがよく見えるようになる。大人びた顔立ちもあいまって、とてもじゃないが中高生(プレイヤー)とは思えない。一見の客はほぼ十割の確率でこいつをNPCだと間違うらしいが、それも致し方ないだろうと再認識した。

 まあ、プレイヤーの初期(デフォルト)衣装が制服だし、店売りの防具も制服だからな。

 この黒いスーツが、制服を魔改造した代物だとはなかなか思うまい。

 閑話休題(さておき)

 

 目の前の女は、例え女性慣れしていたとしてもドキリとするような容貌(ビジュアル)をしている。店内全体の雰囲気もあいまって、どこか人ならざるものの色香さえ感じられた。

 だが、それも中身を知らなければの話。

 

「相変わらず中二病ロールプレイしてんな、お前」

 

 他に客がいないことを確認してから口を開けば、女は小さく頬を膨らませた。

 

「むぅ。君は店に来るたび、意地悪なことを言うのだね」

「そりゃあ、来るたびにコスプレしたマネキン斬らなきゃいけないからな」

「マネキンに好かれる君が悪いのだよ。僕のせいじゃあないさ」

 

 そう言って、拗ねたように視線を逸らす。

 口調は変わらず大げさな感じだが、雰囲気はかなり変わった。

 退魔士(プレイヤー)を意味深な言葉と妖しげな雰囲気で翻弄する、NPCめいた女はいなくなる。代わりに現れたのは、芝居がかった口調で喋る生きた人間(プレイヤー)だ。

 

 こいつの名前(ハンドルネーム)は四月一日。

 アーサーと同じく、別のゲームから付き合いがあるプレイヤーだ。

 見ての通りのロールプレイヤーで、どんな時でも基本的にロールプレイを続行する。

 演技を演技(ロールプレイ)だと感じさせないくらいには演技力が高く、醸し出す雰囲気にも妙な貫録があるせいか、伝奇ものにありがちなミステリアスNPCと間違える奴も多い。プレイヤーだと知っている奴も、大体は四月一日のことをミステリアスな強キャラと認識していた。

 実際、レベルも高いし異様にデータ勘が鋭い。

 四月一日は一度はまったゲームはとことんやりこむタイプのプレイヤーだ。特にRTNはPVが公開されたあたりから目をつけていたこともあり、トップランカーというものがあるなら間違いなくそこにカテゴライズされるだろう。

 そういう意味では、四月一日は間違いなく強キャラだった。

 

 だが、一皮剥けば俺以下のコミュ力を誇る人見知りの中二病が現れる。

 親しくない相手にはロールプレイしていないと会話ができないという徹底さで、フレンド数は辛うじて二桁の俺よりもさらに少ない。本人は「頂に立つ者は孤高なのだよ」と言っているが、それがただの強がりなのはフレンドの間じゃ周知の事実である。

 ソロプレイで事足りると、必要に迫られてフレンドを増やすってことがないからな……。

 ブーメランじゃないかって? ほっとけ。

 

 中二病の度合いは、まあ、うん。

 見た目や言動もさることながら、「エネミーが出る建物の最上階に店を構えている方がかっこいい」という理由でわざわざ最上階だけ買い取ったあたりで察していただきたい。

 確かに危ない場所に店を構えるキャラって、なんか強そうだし貫録もあるけどよ。

 閑話休題(さておき)

 

「武器の強化を頼みたいんだけど」

 

 アーサーと違って行動範囲が被らないし、武器の修理はよほど破損していない限りこいつに頼まない。高い金とるからな、こいつ。守銭奴とかそういうのじゃなく、腕に対しては相応の対価が支払われるべきだとかいう面倒くさい理由で。

 だから、四月一日とゲーム内で会話するのは半月ぶりになる。

 もう少し話をしてもよかったが、逸る気持ちがそれを許さなかった。

 

「ああ、いいとも」

 

 雑談もそこそこに本題を切り出せば、四月一日は口元に笑みを浮かべた。

 

「そろそろ商談の話に移ろうか、退魔士の少年」

 

 スイッチをオンにしたようにがらりと雰囲気が変わる。

 

「夜を駆ける討ち手、夜の力を借りて夜を狩る者。君はこの店に何を望む?」

 

 口にするのは、NPCの常套句。

 まるでリバーストーキョーに本当にいる人物のような佇まいで、俺の願いを問うた。

 

 強キャラロールプレイをしていたプレイヤーはもういない。

 代わりに現れたのは、己の仕事に譲れぬ芯を持つ一人の職人だ。

 夜魔の眷属と戦う百戦錬磨の退魔士(プレイヤー)に、AIに刻まれた行動原理と誇りをもって毅然と対応するNPC(プロ)の如き雰囲気が、今の四月一日からは漂っている。それが演技(ロールプレイ)だとわかっていてなお、圧倒されるだけのものがあった。

 

 卓越した切り替え術(オンオフ)と、堅気(プレイヤー)には出せない貫禄。これこそが、四月一日がNPCだと誤認され、ミステリアスだと思われる一番の理由である。

 内心舌を巻きながら、インベントリから銀色のトランクと、禍々しい黒色(こくしょく)をした棒を取り出す。それらをカウンターに置いてから、腰に吊るした二対の鉈をさらに載せた。

 

「一千万と、ミナトクエリアの隠しレイド【青山霊園(セメタリー)のがしゃどくろ】のレアドロップアイテム【骨の王の黒剣(スケルタル・ダーインスレイヴ)】だ。これで雷光の角(アステリオス)を強化してほしい」

「――――」

 

 雰囲気こそ変わらなかったものの、四月一日は驚いたように目を丸くした。

 それもそうだろう。俺が提示したのは、売価が高い『フェルリエラ』でも滅多なことでは取引されない金額と、滅多なことでは入手できないレア素材だ。

 それらをしばらく眺めた後、四月一日はゆっくりと口を動かす。

 

「これは『フェルリエラ』の女主人としてではなく、友人の四月一日として聞くのだけれど。大枚をはたき、虎の子を引っ張り出してまで何を倒しに行くんだい?」

「好きな女の子」

 

 即答した。

 畳みかけるように、二の句を紡ぐ。

 

「【朔のルー・ガルー】を倒す。そのために俺の武器(あいぼう)を強化してくれ」

 

 それが、一週間考えた末に出した結論だった。

 

「……一週間前から、朔に現れる人狼を倒さんとする者が現れたという噂を耳にしていてね。かの人狼を慕う君はどう動くものかと、予想を巡らせていたのだけれど。なるほどなるほど、君はその選択を選ぶのだね」

「ああ。好きな女の子の結末を、他人任せにはしない」

 

 前向きに考えても後ろ向きに考えても、結局は俺の自己満足で。

 やってもやらなくても、後悔するというのなら。

 

「俺は、やって後悔する」

「そうかい」

 

 俺の真剣な言葉に、四月一日は深く頷いてみせた後。

 

「よろしい。『フェルリエラ』の女主人として君の武器を鍛え、一人の友人として預かった君の武器を最高の仕上がりにしてみせようじゃあないか」

 

 整った面立ちに、頼もしい笑みを浮かべた。

 

「その代わり、決行の日は是非とも見学させてくれたまえよ」

「来るなって言っても絶対来るだろお前……」

 

 頼もしい笑顔が一転して、ニヤニヤとした愉悦スマイルになる。

 顔はいかにも楽しい見世物だと言わんばかりだが、ロールプレイしている本人は表情ほど性悪な性格はしていない。むしろ小心者で心配性だ。

 それがわかっているからこそ、俺は小さく溜息だけをついてみせた。

 

「捕捉されない場所にしろよ」

「もちろんだとも。恋する少年の大勝負(こくはく)を邪魔するほど、野暮じゃあないさ」

「いつぞやの駅迷宮(ラビリンス)のミノタウロス戦みたいなドジはごめんだからな」

 

 レアスタイルの取得に浮かれた四月一日に誘われ、アーサーも入れた三人で臨んだボス。

 固有能力の性能(チートさ)にテンションを上げすぎた四月一日が途中でガス欠になり、後半はほぼ俺とアーサーで戦う羽目になった日のことは、今でも俺たちの間で語り草となっている。やらかした本人にとっては黒歴史以外の何物でもないが。

 

「……それもうだいぶ前のことじゃん! そろそろ時効にしようよ!」

 

 いきなり黒歴史で刺された四月一日は案の定、素の口調で反論してきた。

 このギャップに可愛げがあるから、人目があるところはキャラ付けを守ってやろうってなるんだよな。そんなことを考えつつ、両腕を振って怒る四月一日を宥めにかかる。

 大人びた皮の中身は、打って変わって実に子供っぽい。

 

 それでも、俺は自分の武器を預けたことを不安に思ったりはしない。なぜなら、相棒たる双剣・雷光の角(アステリオス)を造ったのは他ならぬこいつなのだから。

 

 覚悟は決めた。

 信頼できる友人に協力を仰ぎ、信頼できる武器屋に相棒を託した。

 あとは、その日が来るまで俺自身を研ぐだけだ。



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恋ゆえに貪る①

RTNコミュニティー掲示板:シンジュクエリア雑談版

 

 きんつば

 シンジュクエリアのレベリングに付き合ってくれる人を探してるんですけど!

 

 きんつば

 ここでいいんですよね?

 

 デーバ

 そだよ~

 

 負荷死

 手伝ってくれるフレおらんの?

 

 きんつば

 はい!

 

 きんつば

 フレの人に声かけたら、朔のルー・ガルーを倒す準備に忙しいって断られて

 

 きんつば

 最近フレになった人に相談したら、野良で探す方法を教えてくれました!

 

 ろぼとみ

 待ってツッコミが追いつかない

 

 逆傘

 きんつばさん平氏なの?

 

 きんつば

 平氏ってなんですか?

 

 デーバ

 そこからかあ

 

 アキサカリ舞

 情弱なのか初心者なのか

 

 O・L

 やべーもん見た

 

 ろぼとみ

 平氏の説明をするにはまず源氏さんの話をしないといけないのが

 

 負荷死

 お子様ランチニキどうしたん

 

 O・L

 流れ切ってすまん

 

 O・L

 いやーすげーもん見たわ

 

 アキサカリ舞

 早く言ってどうぞ

 

 逆傘

 焦らすな焦らすな

 

 O・L

 すまん

 

 O・L

 さっき新宿御苑で優曇華集めしてたら、いきなり咆哮が聞こえてさ

 

 O・L

 なんだと思って見に行ったら、源氏が魔獣カテゴリーのアヴェンジャーと戦ってた

 

 ろぼとみ

 は?

 

 逆傘

 草

 

 デーバ

 ある意味タイムリー

 

 アキサカリ舞

 つーかあの人何してんの

 

 アキサカリ舞

 確かレベルカンストしてるはずだから、出てくるの一番強いのじゃん

 

 負荷死

 いやあ、さすがにチーム組んでるっしょ

 

 O・L

 いやソロ

 

 アキサカリ舞

 ええ……

 

 負荷死

 やば

 

 O・L

 とどめの一撃決まってるの見たの初めてなんだけど

 

 O・L

 めっちゃ簡単に決めてるように見えてびびる。あれ実は簡単なの?

 

 ろぼとみ

 いやいやいやいやいや

 

 逆傘

 (簡単じゃ)ないです

 

 負荷死

 源氏ニキの成功率が異常なんだよなあ……

 

 ろぼとみ

 狩人コミュでも産廃スキル扱いだからね、とどめの一撃

 

 アキサカリ舞

 つーかアヴェンジャーに決まるんだな、即死攻撃……

 

 逆傘

 アヴェンジャーは分類上コモンだからいける

 

 逆傘

 なお成功するとは

 

 きんつば

 すごい人なんですね、源氏さん!

 

 デーバ

 すごいっていうかやばいよ

 

 逆傘

 狩人コミュ入ってほしいんだよなあ

 

 負荷死

 それにしても、なんでアヴェンジャー出したんだ?

 

 負荷死

 スローターするようなプレイヤーじゃないだろ、源氏

 

 アキサカリ舞

 さあ……

 

 ろぼとみ

 アヴェンジャー倒した後、何してたの?

 

 O・L

 新宿御苑から移動してないっぽいから、まだエネミー狩ってるとは思う

 

 アキサカリ舞

 スタイル開放狙い?

 

 負荷死

 でも魔獣系狩って開放するスタイルってあったっけ

 

 逆傘

 アンコモンにはないはず。レアはわからん

 

 O・L

 レアの開放条件、特殊な条件が絡みすぎててチャート確立できてないからな……

 

 ろぼとみ

 あー

 

 O・L

 おっ?

 

 ろぼとみ

 狩猟組合のギルマスがとってるスタイル、あれの開放条件がそうじゃなかった?

 

 負荷死

 あの壊れスタイルか

 

 逆傘

 あれの取得を源氏ニキが目指してるってことはつまり……?

 

 デーバ

 しっ!

 

 きんつば

 つまりどういうことなんです?

 

 逆傘

 あー

 

 逆傘

 なんでもないっす!

 

 

 

 

 

 延々と夜が続く反転した大都会(リバーストーキョー)にも、「夜」は存在する。

 その刻限になると、禍々しい夜空の頂には青白い月が現れる。それは日を追うごとに欠けては満ちてを繰り返し、月日の流れと、月下に彷徨う異形どもの多寡を知らしめた。

 そして今宵、空に浮かぶのは魔性が最も活発に蠢く大きな月だった。

 

 満月、あるいは望。そう称される刻限。

 そんな夜の下を、道路上に敷設されたレールに沿って、一人の少女が歩いていた。

 一見すると、制服姿の女子高生にしか見えない。特異なのは、その手には木の枝の如き気安さで日本刀が握られているという点か。

 

 少女の名は、【朔のルー・ガルー】。人の似姿を持ちながら、人より怪異より強き獣。

 

 そんな獣の足が、不意に止まった。

 二重の意味で人形めいた面立ちが、静かに月のない夜闇、その一点を見据える。血のように紅い眼球に映るのは、彼女に向かって歩み寄ってくる人影だった。

 人影の数は決まりきっている。

 なぜなら、彼女の前に立つことができる人影は一つきりだからだ。

 

「あんたが朔のルー・ガルー?」

 

 軽薄に声をかけてきたのは、派手な紫色のブレザーを着た少年だった。

 黒い指ぬきグローブを両の手にはめたいでたち。傍目からは徒手空拳のようにしか見えないその少年(プレイヤー)の名は、シュピーネと言った。

 

「……」

 

 ルー・ガルーは、にやにやと笑うシュピーネを問いかけには答えない。多くのプレイヤーに対してそうするように、無機質な眼差しで一瞥した後、手にした刀を中段に構えた。

 

「【フシ――――」

 

 必殺技(スキル)の名を口にしようとしたところで、その動きが止まる。

 無機質な紅い目が、ゆっくりと刀を持った腕に向けられる。

 一見すると、そこには何もないように見える。だが、よくよく目を凝らせば、華奢な腕には細い糸が絡みついているのがわかった。そしてそれは腕に限らず、いつの間にかルー・ガルーの四肢全体を巻きついていた。

 さながら、蜘蛛の巣に絡めとられた蝶。

 そんな姿を見て、シュピーネはにやついた顔のまま肩をすくめた。

 

「おいおい、こんな簡単に引っかかっちまうのかよ。ほんとにこいつが、RTNの中でもトップクラスに強いエネミーなのかぁ?」

 

 そう言いながら右手を持ち上げ、手のひらの開閉を繰り返す。

 動きに合わせて、彼の周囲では細い糸がざわめく。その糸はルー・ガルーの方に向かって伸びており、彼女の四肢に絡みつく糸と繋がっていた。

 

 上位(アンコモン)スタイル【糸使い(パッチワーカー)】。

 攻撃性能を有しつつも、それ以上に束縛(バインド)を付与することにかけては、専門職の呪士(ノロイ)系列にも勝るスタイル。その力をもって雑魚(コモン)を蹂躙し、格上をハメ殺しで嘲弄してきたプレイヤーは、あっけなく束縛された少女を愉快そうに見つめた。

 

 シュピーネのレベルは86。

 RTN歴が長い部類に入るが、ストラテジーエネミーとの会敵は今回が初めてである。

 己の強さに酔いしれるプレイングが好きなシュピーネにとって、レベルカンストでも苦戦するようなエネミーというのは眼中になかった。

 それでも今回【朔のルー・ガルー】に挑んだのは、他のプレイヤーが彼女を討伐(キル)しようという噂を小耳に挟んだためである。ストラテジーエネミーがリスポーンしないらしいことは知っていたので、倒される前に物は試しと、軽い気持ちで都電沿線を訪れた。

 

 そして今、彼の目の前では糸の罠に引っかかった少女がいる。

 今、シュピーネのテンションは最高潮に近かった。

 

「確かあんた、結構イイ体してんだったよな。スクショ見たぜ」

「……」

「ちっ、だんまりかよ。……ハッ、せっかくツラもNPCに負けないくらい可愛いんだし、このまま嬲り殺すのはちょっともったいねえよなあ」

 

 完全に倒したつもりで、現実(リアル)の人間やプレイヤーには言えない下卑た言葉を口にする。

 そして、少女の顔に無造作に手を伸ばそうとしたところで。

 ぶちりと。身じろぎ一つで、糸は全て引きちぎれた。

 

「…………は? うおっ!?」

 

 呆気にとられるシュピーネの前で、無造作に刀が振るわれる。

 レベルは80オーバー。ステータスは相応に高く、俊敏性(AGI)の数値は最高等級であるSランクに届かんとしている。そんなシュピーネでさえ、ただ飛び退くだけでやっとだった。

 遅れて耳に届くのは、中身がみっちり詰まった何かが落ちる音。

 それが、断ち切られた片腕が地面に落下した音だと理解した直後。

 

「う、うわあああああ!?」

 

 シュピーネの口からは、悲鳴が上がった。

 RTNは高校生未満お断り(CERO:C)。痛覚をオンするシステムなどなく、ゆえに痛みはない。

 だが、四肢が欠損するほどのダメージを初めて味わうとなれば話は違ってくる。シュピーネは本当に腕が斬られたように動揺しながら、目の前のストラテジーエネミーを瞠目した。

 そんなプレイヤーを、ルー・ガルーは無機質な眼差しで一瞥した。それだけだった。

 

「【三日月(ミカヅキ)】」

 

 淡々としたメゾソプラノを口にしながら、突き出す形で構えた刀を振るう。鋭い切っ先は両者の間にあった距離を一瞬で埋め、過たずにシュピーネの心臓を貫いた。

 

「っ、ぎゃ」

 

 短い悲鳴が零れる。

 数秒後、HPが0になったプレイヤーは赤い霧となってその場から消滅した。

 

「……」

 

 刀を軽く振るってから、少女は何事もなかったかのように、再び沿線を歩き出す。

 しかし、その歩みはすぐに止まった。

 進行方向に、またも人影があるのを見つけたからだ。

 ある一つの目的のため、立ちはだかる者に己が(きば)を突き立てる。

 (AI)に刻まれた本能(プログラム)に従うまま、ルー・ガルーは人影に向かおうとし――――

 

「……?」

 

 途中で、またもその足を止めた。

 理由はルー・ガルー自身にもわからず、己の行動(エラー)に小さく眉をひそめる。そんな少女の姿を見て、夜闇の中からやってきた白い装束(学ラン)の少年が、思わずといった風に笑みを零した。

 

「残念だ。今日は熱烈な歓迎はないんだな」

 

 肩をすくめたのに合わせて、腰から吊るされた武器がかちゃりと音を立てる。

 禍々しい黒の刀身が鈍く輝く、刃渡りの長い牛刀が二振り。それを見て、ルー・ガルーはもう一度わずかに眉をひそめた。

 

 少年のことは、記憶している。

 朔のルー・ガルーに設定されたとあるパラメーターで、現時点における最高値を維持しているプレイヤーだ。先ほどまでガラス玉のようだった紅玉の眼にささやかながらも確かな目の(ハイライト)が宿るくらいには、目の前のプレイヤーは個として識別されている。

 だが、雰囲気が普段と異なった。その差異が、不可解さ(ノイズ)となって少女の足を止める。

 

()()()()()? それは……嬉しいな」

 

 その疑問を読み取った少年は、笑みを浮かべたまま牛刀を手にとる。

 そして、おもむろに二対の刃で構えをとった。

 

 いつもと変わらぬ構え。しかし今宵、その構えからは確かな(スキル)に裏付けされた凄みが感じられた。ゆえに少女もまた、反射的に刀を構え、少年と対峙する。

 それを見て、少年の口元に浮かぶ笑みはいっそう深くなる。

 だが、そこには隠し切れない悲哀(せんい)覚悟(さつい)が込められていた。

 

「朔のルー・ガルー」

 

 お返しのように叩きつけられる殺意を愛おしみながら、少年は口を動かす。

 

「今夜、俺は、お前を」

 

 一つ一つの言葉を区切るように、噛みしめるように言った後。

 

「――――(たお)す」

 

 この日、退魔士(プレイヤー)ヨシツネは【朔のルー・ガルー】を討伐(キル)するために戦いへと臨んだ。

 

 

【朔のルー・ガルー】。

 そのストラテジーエネミーは、都電アラカワ線の沿線でエンカウントする。

 

 出現するのは一ヶ月に一度。名前にそぐわない、満月の日の十二時間。

 短い期間ではあるものの、場所と時間が固定されている分、ストラテジーエネミーの中では遭遇しやすい。古参プレイヤーたちは、この朔のルー・ガルーの存在によって、RTNというゲームにストラテジーエネミーなる超高難易度(エンドコンテンツ)がいることを知った。

 

 その手に握る刀で、補足した敵を斬る。

 ギミック戦闘を強いる他のストラテジーエネミーに比べ、朔のルー・ガルーの戦闘スタイルは至ってシンプルそのものだ。

 

 狼のような機動力(AGI)、華奢な見た目にそぐわぬ膂力(STR)、冴え渡る剣技を支える技巧(DEX)、そしてアンコモン以下の術式や状態異常を容易く弾く耐性(CON)精神力(POW)

 レベルカンストすら凌駕するステータスの暴力はしかし、高難易度の肩書きを持つエネミーならば標準装備(デフォルト)で備えているものでもある。

 特筆すべき点は、LUCに上方修正がなければほぼ確実に決まる即死の必殺技(スキル)くらいか。

 そのスキル自体は間違いなく理不尽の領域であったが、避けてしまえばただの剣技であることもまた、否めない。

 

 それでも、朔のルー・ガルーを倒せたプレイヤーはいなかった。

 シンプルということはすなわち、小手先の攻撃が通用しないということ。人の形をした獣と相対する時に求められるのは、同じくシンプルな強さ。

 そして、純粋な力比べで人が獣に勝てる道理はない。

 ゆえに彼女は、最強の名(ストラテジーエネミー)を冠して夜の世界に立っていた。

 

 ――――あるプレイヤーが、ゲーム内の掲示板でこんなことを言った。

 

「やりこみプレイヤーが、全財産をなげうつくらい準備したら勝てるんじゃないのか?」

 

 荒唐無稽な言葉は、当然のように笑い飛ばされた。

 当然である。

 サービス終了を除けば明確な終わりが存在しないオンラインゲームにおいて、高難易度はあくまで乗り越える壁の一つにすぎない。たかだか超高難易度(エンドコンテンツ)の一つをクリアするために、今までの積み重ねを無に(ベット)するギャンブルに挑むプレイヤーなどいるはずもなかった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()ヨシツネも、自分が選んだ道を賢いものだとは思っていない。ゆえに彼は、ゲームを引退する覚悟をもってこの一戦に臨んだ。

 だが、彼は知らない。

 たった一人を倒すため、全てをなげうつ覚悟で挑む。

 それこそが、《リバーストーキョー・ナイトメア》のゲームデザイナーが想定している、ストラテジーエネミー戦の正攻法であるということを。



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恋ゆえに貪る②

 キタクエリアにある都電の駅・サカエチョウ。拠点(ターミナル)のオウジ駅から離れた場所に位置するその駅は、十分も歩けば繁華街につくとは思えないほど薄暗く、静まり返っていた。

 そんな駅のホームに、十数人の集団がたむろしている。

 彼らの見た目は、各々好きな改造や装飾を施した学生服に袖を通す学生である。共通するのは、一様に夜魔の眷属(エネミー)と戦えるだけの力を有した退魔士(プレイヤー)ということだ。

 

「倒せるかなあ、ルー・ガルー」

 

 ざわめきの中、長柄斧(ハルバード)を持ち、側頭部から猫の耳を生やした青年の声が一際大きく響いた。

 高揚と不安が入り混じった呟きは、この場に集った者の多くが抱くものだった。それに同調するように、話題の矛先がそちらへと傾く。

 

「スイッチの練習はしたけど、やっぱ不安になるよな」

「わかる。支援ありでもルー・ガルー相手にすんのめちゃくちゃしんどい……」

「素のSTRとAGIが高すぎるんだよな。能力値Sランクでも打ち合い負けるし」

「五分交代の七人ローテだけど、五分も持つかなあ」

 

 口々に不安混じりの軽口を口にする彼らは、ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】を倒すために声をかけられたアタッカーだ。レベルはカンストしており、各々がレイドエネミーやシンボルエネミーのドロップ素材で造られた武器を装備している。

 そんな彼らでも、これから挑む相手には、勝利より敗北のビジョンが強い。

 それもそのはず。彼らアタッカーたちはストラテジーエネミーに自主的に挑み、そして「これは超高難易度(無理ゲー)だ」と一度は膝を屈しているのだから。

 ストラテジーエネミーの初撃破を飾りたいという思いと、提示された攻略方法に勝算を見出したためにこの場にいるが、敗けるかもという気持ちは払拭しきれなかった。

 

「戦う前から弱気な発言はよせ」

 

 そんな面々を諌めるように口を開いたのは、白い学ランを着た青年だった。

 双剣を鞘ごと背にくくりつけた狼耳の青年は、臀部から生えた尾を揺らしながら、じろりと目つきの悪い顔でアタッカーたちを一瞥する。

 それを見て、彼らは申し訳なさそうに肩をすくませた。なぜなら、彼こそが今回の討伐の発起人であり、計画の発案者だからだ。もっとも、迫力ある凶相も一因を担ってはいたが。

 

「わ、悪かったよ、入道(にゅうどう)さん」

「……まあ、みんなの気持ちもわからなくはないけどな」

 

 入道と呼ばれた青年の言葉に、最初に口火を切った槍持ちの青年が謝罪する。それを受け、入道は小さく鼻を鳴らしてからさらに口を動かした。

 

「そうは言っても、朔のルー・ガルーはストラテジーの中じゃまだ倒しやすい方だ。精鋭がこれだけ集まったのに、歯が立たないなんてことはない。そうだろ?」

「まあ、そう言われると……」

「めちゃくちゃ強いけど、強いってだけだしな、ルーちゃん。蜘蛛とか雨女とかと違って」

「アリアドネとかいうギミック戦闘の話はよせ」

「インしてるプレイヤー全員巻きこんだ鬼ごっこは伝説でしたねえ……」

 

 会話の流れが、別のストラテジーエネミーの話に寄っていく。

 これはこれでどうかとも思ったが、先ほどまでに比べればと、入道も注意を諦める。緊張のしすぎでぎこちないよりは、緊張感に欠いていても自然体の方がいいからだ。

 

(とはいえ、顔合わせも十分な頃合いか。そろそろ出るように指示するか)

 

 そんな算段を立てつつ、入道は()()()()()()()()()使っている腕輪型の装備品を触った。

 

 かつて入道は、ライヘンバッハというハンドルネームでRTNをプレイしていた。アバターはリアルに添った今のものとは似ても似つかない、優男風の男だ。

 当時の彼がはまっていたのは、エネミーのスクリーンショットを撮ることだった。

 それも遠距離からの撮影ではない。今にも襲われそうなほど、今まさに襲われかけているほど近くで撮ることだ。戦闘中は普通に戦うだけでは味わえない緊迫感があり、ライヘンバッハはその遊びに夢中になった。

 

 似たようなことを考えるプレイヤーはいるもので、画像(せんか)の公開をしているうちに同好の志が集まった。そして気づけば、彼はギルマスという神輿に担ぎ上げられていた。

 

 彼にとっての不幸は、統率する気がなかったギルドのメンバーに、女性型エネミーにターゲットを――中にはNPCに手を出す者もいた――絞り、性的なスクショを撮ることを目的にするプレイヤーが増えていたこと。

 彼の誤算は、朔のルー・ガルーをターゲットに選んだこと。

 

 ストラテジーのスクショを撮ろうという話になった際、彼女を標的に挙げたのはライヘンバッハ自身だ。遭遇しやすいのもあったが、単純に見た目が好みだった。より好みに添うなら表情豊かな方が良いのだが、エネミー相手にそれは贅沢というもの。

 撮影担当になったのは、ギルドで一番強かったライヘンバッハだった。

 性的な画像を撮るつもりはなかった。しかし、相手の見た目(アバター)が好みだったこと、所詮は会話もできない敵性Mobだったことがあわさり、切っ先が彼女の衣服を切り裂いた時は思わずその光景を撮影してしまっていた。

 

 朔のルー・ガルーに入れこんでいるプレイヤーがいることは、もちろん耳にはしていた。

 だが、それだけだ。それどころか、彼女の画像をむしろ喜ぶのではないか、そんなことすら考えながら、自分の撮影した画像が掲示板に公開されるのを見ていた。

 

 それが誤算だったと知るのは、PKすれすれの奇襲で削除を要求された時だ。

 あの時のことは今でも忘れられない。ゾンビもののクリーチャーを思わせる挙動で襲われ、ゲームの中だというのに命の危険を感じた。

 人目に隠されなかった奇襲によって、かのプレイヤーの名とギルドの悪名は広まった。惰性で残っていた古参も愛想を尽かして脱退し、元凶でもある新参もそそくさとギルドを離れ、ギルドは自然崩壊した。

 

 ライヘンバッハは迷った末、アカウントを新しいものにした。

 黒歴史と地続きのアカウントでプレイする胆力はなく、かといって完全に引退しようと思うにはRTNでやりたいことがあったからだ。同じギルドにいた友人もそれに付き合い、今のプレイヤー・入道に至る。

 

 アカウントを消す前に別の知人に装備を預けていたので、失った物品自体はそう多くない。それでも、かのプレイヤー――ヨシツネに意趣返しをしたい気持ちは強く残った。

 それこそが、RTNでやりたいことの一つ。

 そして今回の討伐における、入道のモチベ―ジョンである。

 しかし今、彼は不満を抱いていた。

 

(情報が漏れたのは予想外だったけど……こっちの邪魔をする様子もないとはな)

 

 最近フレンドになったばかりのプレイヤーを思い出し、苦虫を噛み潰したような顔になりつつも、内心で何度抱いたかわからない思考をよぎらせる。

 

 人の口に戸は立てられない。

 ゆえに、今回の討伐はおおっぴらにこそしていなかったものの、別段秘密にしていたわけはない。入道の心情はともかく、やることは高難易度エネミーに挑むという、ゲームとしては何ら責められる余地がないものだからだ。

 

 しかし、一番知られたくないプレイヤーに直接伝わるのはさすがに予想外だった。

 きんつば(フレンド)から「ヨシツネさんに朔のルー・ガルーの情報聞いてきました!」というGM(ゲーム内メール)が届いた時は、周囲に他のプレイヤーがいたにも関わらず「はあ!?」と叫んでしまった。

 予想外すぎて、呆れこそすれ怒るという感情が湧かなかったほどである。得た情報というのが、攻略サイトにも載っているようなものに加え、「とにかく即死判定を引かないよう乱数に祈れ」という極論だったのも脱力に拍車をかけていた。

 

 ばれたものは仕方ない、という思いもあった。

 ゆえに邪魔なり交渉なりしてくるだろうと、入道とライヘンバッハ時代のフレンドは備えていた。しかし、本番当日に至ってなお、(ヨシツネ)が接触してくる気配はない。集めた情報から得られたのは、各エリアで大量討伐(スローター)をし、お仕置きエネミーである【復讐者(アヴェンジャ―)】に絡まれていたということくらいだ。

 お節介の行動から生まれた好奇の目をかいくぐる方が、よっぽど苦心させられた。

 

 正直、拍子抜けの感は否めない。(ヨシツネ)の本気を知っている分、なおのこと。

 それでも無理を言って集合時間を早め、先んじて挑める準備は整えた。

 空振りに終わりそうなことが、入道の胸中に苛立ちめいた感情を宿らせている。

 

「……ちっ」

 

 小さく舌打ちを零しながら、即死対策に装備した四葉のチェーンを睨む。

 

「それじゃあ予定通り、最初は二グループに分かれて朔のルー・ガルーを探す感じで。どっちかがエンカウントし次第、即時連絡を――――」

 

 そして気を取り直すように、チームの面々に声をかけようとして。

 

「……?」

 

 そこでようやく、周囲が静かになっていることに気づいた。

 軽口を叩いていたアタッカーたちは武器に手をかけ、支援職たちも固唾を飲んでいる。共通しているのは、全員が同じ方向を向いているということだった。

 首を傾げながら、入道もまた彼らと同じ方に首を向ける。

 直後。

 

「――――はっ!?」

 

 それは誰の口から上がった声か。

 民家の間から這い出た大型犬サイズの蜘蛛の群れに、一同は驚愕を露わにする。胴の部分から女体の上半身を生やした蜘蛛は、そんな彼らを見て群がるように襲いかかってきた。

 

「ちょっ、待った待った!」

「うおおおおおっ!?」

 

 ストラテジーエネミーを倒そうというメンバーだ。ここに集まっているプレイヤーたちは、アタッカーたちほどではないにしてもレベルが高く、場数を踏んでいる。

 それでも動揺と焦燥の悲鳴があちこちから上がり、何人かがHPを大きく減らしていた。

 突然の襲撃に、意識が追いついていないから――――だけではない。

 それももちろん理由の一つだが、それ以上に単純な原因がある。

 

「だああ! くっそ、外皮固すぎ!」

「コモン術式はSANの無駄だ! こいつらの耐性抜くならアンコモン以上で殴れ!」

 

 原因は至ってシンプル。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

尽きずの(フラッド)アラクネ……!? なんでここに!?」

 

 襲いかかる蜘蛛の頭部を斬り捨てながら、入道は疑念の声を荒げた。

 

 シンボルエネミー【尽きずの(フラッド)アラクネ】。推奨レベル85。

 蜘蛛(アラクネ)洪水(フラッド)という名が表すように、このエネミーは群体が一個の存在として扱われる珍しいエネミーだ。そしてそれ以上に、徘徊型の敵(シンボルエネミー)にも関わらず、ボスやレイドエネミーのように特定の一か所に留まるという唯一無二の特性を持っている。

 各エリアの奥まった場所を陣取り、獲物(プレイヤー)が自ら縄張りにやってくるのを待つ。そうとは知らず、不用意に足を踏み入れたプレイヤーが袋叩きにあうのはよくある事例だった。

 

 つまりは、今回のように遭遇(エンカウント)することがないエネミーである。

 入道の疑問はもっともで、応戦しながらも脳裏は疑問符で埋め尽くされている。その雑念によって被弾が増え、HPが削れる中。

 

「――――おおっと! これは大変、どうやら逃げた先にプレイヤーがいたようですねえ」

 

 場違いなほど明朗な声が聞こえてきた。

 

「……!?」

 

 目の前に手負いとは言えエネミーがいるにも関わらず、思わず視線を声の方へと向ける。

 視線の先にいたのは、電灯を足場にして戦況を見下ろしている青年。裾が長い学ランをはためかせるその青年は、入道と目が合うと申し訳なさそうに肩をすくめた。

 前時代的な不良のいでたちは、RTNでも名うてのプレイヤーのシンボルマークだ。彼の傍らにいる大きな目玉が動画撮影用のカメラだと気づくまで、さほど時間は要さなかった。

 

 有名配信者。

 破壊者(ダメージレコーダー)

 彼を表す肩書きはいくつかあれど、入道の中で一番ウエイトを占めるものはそれではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 自身の中で最も存在感がある肩書きを思い浮かべた時、彼の顔は引きつった。

 

(あいつ、まさかフレンドを使って……!?)

 

 百面相をする入道を、青年――――猗々冴々は俯瞰の位置から見下ろす。一瞬だけ目を細めた彼は、すぐに表情を戻すと頬を掻きながら目玉型の使い(カメラ)に向き直る。

 

「えー、すいません。罰ゲームだった「尽きずの(フラッド)アラクネタイムアタック」ですが、見ての通りトラブルが発生しました! 今からヘルプ入るのでそっち集中しまーす!」

 

 そう言うと、彼は手に持っていたソードオフ・ショットガンを構える。本来なら両手持ちで使うそれを、虚構(ゲーム)特有のご都合主義(まほう)で片手に一艇ずつ持ったまま、引き金を引いた。

 銃声が高らかに響き、少し遅れて散弾を食らった蜘蛛たちがバタバタと崩れ落ちる。

 銃使い(シャシュ)系統のレアスタイル【魔弾の射手(デア・フライッシュ)】に至れる腕前を惜しみもなく披露しながら、配信者プレイヤーは自らがセッティングした戦場に飛び降りた。

 

(俺()()だって、これが褒められた行動じゃないことくらい承知の上だ)

 

 混乱のるつぼにある戦場を見渡し、多少の罪悪感が胸を突く。だが、猗々冴々は迷わない。

 

「それでも、彼女と戦うのはあいつが先だ。悪いが、足止めさせてもらうよ」

 

 マイクに拾われないよう小声で呟いてから、引き金に手をかける。

 ほぼ同時刻。

 少し離れた場所で、戦いが始まった。

 



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恋ゆえに貪る③

「っせい!!」

 

 スタイル固有の強力な常時効果(パッシブ)と、真化という強化を施し、ステータスの補正率が上がった装備品。両方の助けを受けながら、俺は黒い牛刀を力強く、かつ素早く振り下ろした。

 首の動きでかわされるものの、はらりと、白銀の髪がいくつか宙を舞う。

 それは、俺の速さ(AGI)が彼女の速さ(AGI)と僅差である証拠。ステータス差がいかに重要かを噛みしめながら、油断なくルー・ガルーの動作に意識を集中させた。

 

「……【三日月(ミカヅキ)】」

 

 お返しとばかりに、刺突の必殺技(スキル)が返される。

 鋭い切っ先が、凄まじい速度で何もつけていない喉に迫る。だが、基本的に彼女の攻撃は人体の急所狙い。初動で狙いに検討をつけていた俺は、同じく首の動きで切っ先を避けた。

 やや遅れて、今度は黒い髪が舞う。それが地面に落ちるより早く、相手めがけて振るった攻撃(やいば)が相手の攻撃(やいば)によって防がれる。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちを隠さず、手首をひねって刀を受け流しにかかる。

 悪手だと理解していたが、今使っている武器は雷光の角(せんだい)に比べて防御性能が低い。先を見据えると、自分を犠牲にしてでも彼を鍔迫り合いから守ることは必須だった。

 

「【十日夜の月(トオカンヤ)】」

 

 受け流されるのに任せて体の軸をひねったルー・ガルーは、そのまま踊るように一回転したのち、重たい一撃を俺の胴体めがけて叩きこんできた。

 LUC補正に加えて、即死耐性を大幅に上げるパッシブのレアスキル【死にぞこない(ジャック・オー・ランタン)】が即死判定を弾く。代わりに、攻撃によるダメージだけが俺の体を貫いた。

 

 痛みはない。

 だが、痛みを錯覚するほどの衝撃が脳を震わせた。

 

「――っ、が、ぁ!」

 

 苦悶の声とともに、体が大きく吹き飛びかける。

 浮きかけた足に無理やり力を入れ、強引に地面を踏みつける。そうやってどうにか踏みとどまってから、懐にいる少女を追いこむように両サイドから刃を振るった。

 

 両の手が振るうのは、雷光の角(アステリオス)改め【死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)】。

 ルー・ガルーを殺す。そのためだけに造ってもらった双刃で、彼女の首を狙う。

 鋏の要領で交差させた刃は、左右上下の退路を断つ。かつてのように懐に飛びこんで先手をとるには俺たちの距離が近すぎるし、何より俺の攻撃速度がその時よりも速い。

 ルー・ガルーは一瞬だけ逡巡した後、俺の追撃が届かない場所まで大きく飛びずさった。

 

(っし!)

 

 距離をとってくれたルー・ガルーに、内心ガッツポーズをする。

 彼女のリキャストは特殊で、どんなスキルであれ一発目と二発目はほぼノーリキャストで行使できるが、三発目の間には様子見という行動(ルーチン)が入る。

 俺も集中力の糸を弛緩させながら、視界の端に浮かんでいるHPバーに目を向けた。

 

「ちっ。そろそろ危険域か……」

 

 赤色に染まったバーを見て、思わず舌打ちを零す。

 体で受けてしまったスキルの数は三回。最大HPを上げる使い切りアイテム【生命の実(エデン・ペルシクム)】のおかげでHPはまだいくらか残っているが、そろそろ危なくなってきた。

 

「【居待月(イマチ)】」

「おっと!」

 

 静観(リキャスト)を終えた彼女が、下段に構えた刀を振るい、太刀風を放つ。

 彼女のスキルでは珍しい、急所狙いではなく機動力(あし)を削ぎに来る一撃。食らったらやはり死ぬしかないので、地を蹴ることで鋭い風を飛び越える。

 

「【三日月(ミカヅキ)】」

「っ、が!」

 

 すかさず、二撃目の刺突。

 太刀風を飛び越えた俺の心臓めがけて切っ先が突き立てられ、空中ゆえに踏ん張ることもできない俺はボールのように後方へと弾き飛ばされた。

 

「くっそ、四回目ぇ!」

 

 声を荒げながら、足裏に力を込めて。

 

「【八艘跳び】!」

 

 スキルによる空中キックで、リキャスト中のルー・ガルーに接敵した。

 スキル屋で習得し直したモーションスキル【攻勢】を挟みながら、死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を振るう。寸前でかわされたため直撃はしなかったものの、かすめた切っ先が傷をつけた。

 

 スキルでダメージを底上げした甲斐あって、小さい傷に見合わない量の黒い霧(ダメージエフェクト)が零れる。

 今夜初のダメージだが、今までの戦いでは、全くダメージを与えられずに倒されることの方が多かった。俺に彼女を倒そうという気概が乏しかったのもあるが、埋められない実力の差があったのも確かだろう。

 口元に笑みが浮かぶ。だが、すぐにその笑みは引っこんだ。

 

(カスダメで死ぬな)

 

 RTNでは、状態異常によるスリップダメージや即死が入らなかった時の即死攻撃では、HPはゼロにならない仕様になっている。

 必ず1残り、1になった後はダメージの衝撃こそあれどそれが原因で死ぬことはない。

 極論を言えば、通常攻撃を全て避け、即死判定をかいくぐり続ければずっと戦い続けることができる。もっとも、それがどれだけ低確率かは言うまでもないだろう。

 今のところ、四回連続で即死は弾けている。装備欄に増えた新顔のおかげだろうが、そろそろ今の補正だけでは心もとなくなってきている。

 

(ルー・ガルーは……まだ様子見(リキャスト)中か)

 

 黒い霧を纏ったまま、ルー・ガルーはこっちの様子を窺っている。

 そんな彼女を見つめながら、俺は大きく深呼吸をした。

 ルー・ガルー相手に、補正がかかった今のステータスでどこまで動けるかは十分に確かめることができた。死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を彼女相手に振るう感覚も掴んだ。

 

(切り時だ)

 

 そんな思考とともに、死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を構え直した。

 

「なあ、ルー・ガルー。何度言うんだって思われるかもしれないが、何度だって言う」

 

 その体勢のまま、俺は彼女に声をかける。

 今まさに斬りかからんと身構えていた少女が、ぴたりとその動きを止める。それはまるで、俺の呼びかけを聞くために止まってくれたように見えた。

 

「俺は、お前が好きだ」

 

 錯覚だ。わかっている。

 

「できるなら、ずっとお前と戦っていたかった。……だけど、これはゲームで、俺はプレイヤーで、お前はエネミーだ。俺の(ねがい)が叶わないことなんて、最初からわかってる」

 

 わかっていても、俺は人間(プレイヤー)に語りかけるように言葉を続ける。

 彼女と初めて会った時から、俺はいつだってそうしてきた。だから今日も、そのルーチンを怠ることはしない。

 

「だから、お前は俺が(たお)す。お前を救う(ころす)のは、俺だ」

 

 返るのは沈黙。

 俺の言葉だけが、彼女という壁にぶつかって0と1の世界に溶けていく。

 

(……とんだ自慰行為だ)

 

 姉さんの言葉を思い出しながら、思わず自嘲の笑みを零す。

 それでもと、黒い牛刀を持つ手にいっそうの力をこめた。

 例えこの恋が一方的だったとしても。

 俺が彼女を好きな事実に、揺らぎはない。

 

「つーわけで。今夜の俺は、いつもより苛烈に激しく、お前に恋を囁く」

 

 覚悟してくれ、と。

 そう告げれば、様子見を続けていたルー・ガルーがようやく刀を構え直した。

 

「――――」

 

 俺はそこで、言葉を失った。

 なぜなら、刀を構えた彼女が笑顔を浮かべていたからだ。

 獣のような獰猛さを隠しもしない、肉食獣の笑み。ゲームの中だというのに命の危険を感じさせるほど凶悪な笑顔は、最高に可愛かった。

 

 思わず見惚れる俺の前で、ルー・ガルーはくいくいと上向きに手招きをする

 かかってこいと。まるでそう言っているようだった。

 

 RTNのAIは優秀だ。細かいフラグ管理が施されていて、NPCに似たような言葉をかけても全く違う反応が返ってくるということはよく聞く。

 おそらく、彼女の中に設定されていたフラグを俺が踏んだのだろう。

 だからこれは、俺だけに向けられる言葉じゃない。

 ――――それでも。

 

「……ここにきてさらに惚れ直させるとか、ほんっとーに最高の女の子だよ! お前は!」

 

 未練たらしく残っていた厭いの気持ちが喜びと高揚で上書きされるのを感じながら、俺はこの日のために用意してきた秘策(スキル)の名を叫ぶ。

 

「【恋ゆえに貪る(ビースト・ハート)】!」

 

 直後、何かを感じ取ったルー・ガルーが地を蹴り、後方へと退避する。

 しかし遅い。飛び退いた彼女の両肩からは、黒い霧(ダメージエフェクト)が迸った。

 

「……っ!」

「ハハッ。これでもかわすのかよ、やべーな」

 

 反射的にかわし、それでもなお傷を負った事実に、ルー・ガルーは動揺の吐息を零した。そんな彼女を見ながら、俺はたった今振り下ろしたばかりの黒い双刃を構え直す。

 そして、体の芯から湧き上がる衝動に身を任せるように、再び彼女へと斬りかかった。

 

「っ、ふ――!」

 

 俺の動きに合わせるように、ルー・ガルーも刀を振るう。

 がきんっと、金属のぶつかりあう音が響き、死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)の耐久が削れる。だが今度は、受け流しを選ばない。さらに刃が擦れることを承知で、数分前のルー・ガルーを真似るように体の軸をひねりながら、黒い片翼を刀の上で滑らせる。

 そのまま、回転の勢いを乗せた一撃を胴体めがけて叩きこんだ。

 それも彼女は回避するが、完全によけきるには俺の斬撃の方が速い。黒い切っ先が脇腹をかすめ、そこから黒い霧が血のように零れ落ちた。

 

「――【繊月(センゲツ)】!」

「うぉっと……!」

 

 (プレイヤー)と違って痛みを感じているだろうに、意に介した様子もなく反撃が飛んでくる。回避のためにいったん後ろに跳んだルー・ガルーが、気づけば懐まで入りこんできていた。

 普段なら、致命の一撃を胴体に受けていただろう。

 だが、今夜の俺は一味も二味も違う。

 

「【八艘跳び】!!」

 

 普段は間に合わないスキルの入力(インプット)を、ギリギリで割りこませる。

 地面を大きく蹴りつけた直後、さっきまで俺がいた場所を刀が空ぶった。

 

「ハッハー!」

 

 笑いながら、軽業師のように着地を果たす。

 鏡がないので、どんな顔になっているのかはわからない。ただ、さっきルー・ガルーが浮かべていたのと同じ、獣じみたものであることは確信していた。

 

「さあ、やり合おうぜ!」

 

 ニィッと犬歯を見せるように笑ってから、俺は再び地面を蹴り、今度は彼女の方に向かう。

 驚愕の表情を浮かべていたルー・ガルーもまた、つられるように獰猛な笑みを浮かべ直す。そして、俺を迎撃せんべく刀を構えた。

 



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恋ゆえに貪る④

《リバーストーキョー・ナイトメア》にしかない要素を上げろと言われれば、おそらく多くのプレイヤーがレアスタイルのことを上げるだろう。

 

 コモン以外のスタイルを取得したい場合、プレイヤーはとりたいスタイルの開放条件を満たす必要がある。これがアンコモンなら開放チャートが提示されるのだが、レアスタイルは自力で開放条件を見つける必要があった。

 

 それだけなら、他のゲームにもある要素だろう。

 RTNにしかない点。

 それは、スタイルの取得には再現性に乏しい特殊な条件が必ず一つはあることだ。

 

 例えば、アーサーが取得している【魔弾の射手(デア・フライシュッツ)】。

 これはまず、銃の習熟度に、魔弾攻撃の練度が開放条件の一つとして考えられている。

 だが、それだけじゃ開放条件は満たされない。

 親密度が高いフレンドとチームを組んだ総合時間が、一定数を超えること。

 これが、魔弾の射手(デア・フライシュッツ)を開放するために欠かせない条件となっている。

 取得を目指したプレイヤーのうち、リアルでも友人というプレイヤーとチームを組み続けていた【魔銃使い(トリガー)】だけが魔弾の射手を開放できたため、この条件が確立された。

 

 つまりレアスタイルは、最初にそのスタイルを開放したプレイヤーのプレイングを分析し、「多分これが開放条件になっているんじゃないか?」と考察するしかないのである。

 同じレアスタイルを持っているプレイヤーは数えるほどしかおらず、ゲーム内を探しても一人のプレイヤーしか取得していないなんてことはざらにあった。

 

 俺が今取得しているスタイルもまた、そんなレアスタイルの一つだった。

 

獣殺し(ヴィーザル)】。

 最初にこれを開放したのは、魔獣エネミーの造形に惚れこむあまり、魔獣の研究と検証を行うギルドを設立したプレイヤーだった。

 魔獣エネミーの総討伐数もさることながら、こと魔獣エネミーに対する執着に関して、右に出る者はいない。そんなプレイヤーが最初に開放したため、攻略サイトでは総討伐数に加え、魔獣エネミーに対する執着度が関係しているのではないかという考察が上がった。

 そしてこの執着度は、撃破総数とイコールじゃない。

 嘘か本当か、一万体倒しても開放されなかったという話もある。それの真偽はさておくとして、開放条件に特殊なパラメーターが動いているのは想像に難くなかった。

 朔のルー・ガルーに挑むにあたり、俺はどうしてもこのスタイルを取得したかった。

 

 一つは、獣殺し(ヴィーザル)固有のパッシブスキル【魔獣特攻(グレイプニル)】の存在。

 魔獣カテゴリーのエネミーと戦う際、LUCを除いた全ステータスに超高補正がかかるこのスキルは、ルー・ガルーと本気でやり合う上では必須クラスだった。あっちがステータスの暴力で殴ってくるなら、こっちも相応のステータスで挑まなきゃ話にならない。

 

 そしてもう一つ。同じく獣殺し(ヴィーザル)固有のスキル【同族嫌悪(ビースト・ハート)】の存在だ。

 思考(インプット)で発動するこのスキルは、使用すると【同族嫌悪(ビースト・ハート)】という特殊状態を付与する。

 この特殊状態が付与されている間は、魔獣特攻(パッシブ)に重複する形でLUCも含めた全ステータスに超高補正がかかる。その上、状態異常の無効、最大HPの一割以下のダメージを弾くことができるなど、やばいメリットをいくつも得られた。

 

 そんな破格のスキルだが、もちろんそれに見合ったデメリットもある。

同族嫌悪(ビースト・ハート)】中は常にSANが減り続ける。それも、一秒に二という速度でだ。俺のSAN最大値は500なので、フルに使っても四分弱しかもたない。

 

 四分弱。

 ゲーム内効果としては長い方だが、戦闘中だといつの間にか過ぎているような時間だ。タイム管理を怠ると、気づいた時には0になっている。というか0になった。

 RTNでは、SANが0になると【夜魔堕ち】という面倒な特殊状態が発生する。

 いったん【夜魔堕ち】になると、キャラがNPC化する。そしてHP0になる(死ぬ)まで、夜魔の眷属(エネミー)のように周りにいるプレイヤーやNPCを攻撃するようになるのだ。

 これのことを考えると、【同族嫌悪(ビースト・ハート)】のデメリットがいかに重いものかがわかるだろう。

 それでも、先達のプレイヤーが存在を公開してからというもの、このレアスタイル取得を模索するプレイヤーは後を絶たない。それほどまでに【同族嫌悪(ビースト・ハート)】は強力なスキルだった。

 

 魔獣エネミーの執着度に関しては、十分満たしている確信があった。

 それなら、後は総撃破数を満たすのみ。

 どれだけの魔獣を倒したかは覚えていない。二週間が経過し、倒した復讐者(アヴェンジャー)の数を片手で数えられなくなったころ。スタイルの開放を告げるメッセージが、俺の前に表示された。

 解せなかったのは、スキル名が【同族嫌悪(ビースト・ハート)】ではなく【恋ゆえに貪る(ビースト・ハート)】だったことと、スタイルの解説文(フレーバーテキスト)がギルマスのものと違っていたこと。

 

 獣殺し(ヴィーザル)という生き様(スタイル)は、己の獣性を否定するために魔獣を許せない在り方だ。自らが理性ありき獣だからこそ、理性なく破壊を振りまく魔獣を嫌悪し、殺さずにはいられない。

 獣殺し(ヴィーザル)にとって魔獣エネミーとは、理性をなくした己の姿なのだ。

 単純な憎悪では計れない、なんとも屈折した感情がこのスタイルの根幹にある。

 しかし、俺のスタイルに書かれていた解説文(フレーバーテキスト)に、そういった旨はなかった。

 

『汝、理性ある獣。その爪牙は、恋した獣のために振るわれる』

 

 代わりに表示された解説文(フレーバーテキスト)は、まるで(ヨシツネ)のためにあつらえられたようなものだった。



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恋ゆえに貪る⑤

 オペラグラスの向こうでは、一進一退のせめぎ合いが続いていた。

 

 目に追えぬ速度で振るわれる、黒い双刃と銀の刀。それが紙一重でかわしては反撃の刃を振るい、またかわされるが繰り返される。黒と赤の血霧(ダメージエフェクト)が二人の周囲を漂っていることもあり、俯瞰の視点では動きを追うのがやっとだった。

 戦いの主体は回避。打ち合いも鍔迫り合いも頻度は低く、剣戟の音は少ない。しかし、時折響くそれは離れたビルの屋上にも届くほど鋭かった。

 

「ヨシツネちゃんはっやいなー。ルー・ガルーとほぼ互角のAGIとか、【同族嫌悪(ビースト・ハート)】壊れすぎでしょ。……いや、ヨシツネちゃんのは【恋ゆえに貪る(ビースト・ハート)】だったっけ」

 

 二人の獣が殺し合う様を見ながら、四月一日はオペラグラスを片手にひとりごちる。

 誰も来ないような場所にいるため、口調は完全に素だ。女主人ではなく一人のプレイヤーとして、想像以上の健闘を前に感嘆の表情を浮かべていた。

 

 先ほど呆気なく殺されたシュピーネ(プレイヤー)と比べると、今眼下で戦っているヨシツネ(プレイヤー)の動きはまさに雲泥の差といってもいい。その事実は、彼が今発動させているスキルの恩恵がどれだけ大きいかを示唆していた。

 だが、仮に自分が同じ【恋ゆえに貪る(スキル)】を持っていたとして、あそこまで善戦できるかと言われれば、やりこみプレイヤー・四月一日は迷わずNOと答える。

 

 なぜなら、彼女は知っている。

 あの動きの根底を支えるのが、【死に覚え】や【Know-how】といった経験値がものをいうスキルであることを。

 約一年という年月のほとんどを相対する少女のために費やしたからこそ、眼下のヨシツネ(プレイヤー)はあそこまで戦えているということを。

 

「愛だなあ……」

 

 思わずそう呟く彼女が見つめる先で、友人(ヨシツネ)がいったん少女(ルー・ガルー)から距離をとった。

 コンソールを呼び出し、虚空(インベントリ)から小瓶を取り出すとその中身を一気に呷る。そして、小瓶を投げ捨てながら再び少女へと斬りかかった。

 オペラグラスに、飛び散る黒い霧(ダメージエフェクト)で汚れたヨシツネの顔が映る。

 直後、反撃のために少女が刃を振るい、剣戟の音が高らかに響いた。

 

 鍔迫り合いを数秒続けた後、四月一日の傑作(カルペ・ディエム)の耐久が削れるのを危惧したヨシツネが後ろに下がる。そんな彼の逃げ腰に合わせて、ルー・ガルーが刀を上段に振るった。

 その動きとともに太刀風が放たれ、ヨシツネの首を狙う。ヨシツネは体を低くすることでそれをかわそうとしたが、見計らったように今度は下段の向きで刀が振るわれた。

 

 首狙いの【立待月(タチマチ)】と、機動力狙いの【居待月(イマチ)】の組み合わせ(コンボ)

 上の斬撃(そくし)をかわせば下が避けられず、下の斬撃(そくし)をかわそうとするなら上に当たる。

 即死判定が外れる可能性に賭けてあえて片方を受ける一手もあったが、ヨシツネはそんな博打を選択しなかったらしい。

 

 二種の太刀風によって、ヨシツネの体が三分割される。

 直後、()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女の背中を双刃で切り裂いた。

 

 黒い霧(ダメージエフェクト)が、今までで一番多く迸る。ルー・ガルーのHPが大きく損壊したことを意味する演出(こうけい)は、たたみかければそのまま倒せそうな雰囲気を醸し出していた。けれどヨシツネはそれを選択せず、好機を手放すように飛びずさる。

 結果的に、その判断がヨシツネを救った。

 

「うっそ、マジ!?」

 

 オペラグラス越しの光景に、四月一日の口からは驚愕の声が上がる。

 

 ヨシツネが使った【不知火の影(ウツツノユメ)】は、召喚したデコイにヘイトとダメージを押しつけ、対象に硬直を付与するレアスキル。本来なら、ルー・ガルーは数十秒動けないはずだった。

 しかし彼女は、その効果を無視した。

 ヨシツネが飛び退いた直後、彼が数秒前まで立っていた場所を刀が薙ぐ。あのまま追撃をしていれば、鈍色の刃によってヨシツネの体は切り裂かれていただろう。

 

 動作(モーション)を鑑みるに、おそらく必殺技(スキル)ではない。

 だが、ヨシツネは既に何度も必殺技(スキル)の直撃を受けている。即死判定自体はLUCによって無効化されているものの、彼のHPは現在1のはずだ。刀の直撃を食らえば、スキル効果によるダメージ無効化も貫通して死んでいただろう。

 

「今の危なかったなあ……。【不知火の影(ウツツノユメ)】の硬直きかないんだ、ルーちゃん……」

 

 我が事のように冷や汗をかく四月一日の視線の先には、先ほどと同じ小瓶を取り出し、中身を呷っているヨシツネの姿がある。彼のこめかみにも冷や汗が伝っていた。

 

(一回も使ったことないってわけはないだろうし、やっぱりどんどんパターンが変わってる感じっぽいなあ。ヨシツネちゃんが【恋ゆえに貪る(ビースト・ハート)】使い始めてから様子見(デレ)行動もないし)

 

 廃人(やりこみ)プレイヤーらしく考察をしながら、小瓶を放り投げるヨシツネを見つめた。

恋ゆえに貪る(ビースト・ハート)】の仕様は知っている。ゆえに、彼が何を飲んでいるかは容易く予想できた。

 

(スキルを使い始めてからおよそ十分、飲んだ変若水(おちみず)はこれで五本目か。……まったく、この一戦にどれだけお金をつぎこんだんだか)

 

 SANを全回復させる【変若水(おちみず)】は、価格にして五十万。回復系アイテムの中では二番目に高価なアイテムだ。ストックも考えると、相当の金額が費やされたことは想像に難くない。

 四月一日が把握しているだけでも、ヨシツネというプレイヤーが今まで培ってきた財産の半分はこの時点で消費されている。そこに彼女が関与していない投資も含めれば、今の彼は一文無しになっていても不思議ではなかった。

 

 たった一戦に、たった一人(いったい)少女(エネミー)に、今までの全てを費やす。

 

 それを馬鹿にする者はいるだろう。その行為を呆れる者は、もっと多いはずだ。

 たかがゲームに、ただのデータに、何をそこまで躍起になっているのか。

 こんな言葉を向けるのは、何もゲームをしない人間に限った話ではない。むしろ、ゲームをするからこそ、過度に入れこむプレイヤーに怪訝な目を向け、呆れた顔をする。そんな意識の壁に、ロールプレイヤーである四月一日は何度もぶつかってきた。

 一度は、その温度差に耐え切れず、ゲームをやめようかとも思ったこともあった。

 

『ゲームをどう楽しむかなんて、個人(プレイヤー)の自由だろ』

 

 そんな四月一日を引き留めたのが、かつてヨシツネから言われた言葉だ。

 当時は別のゲームをプレイしており、今のようにNPCに惚れこむプレイングをしていなかった彼は、なんてことはないと言わんばかりにゲーマーの常識(あたりまえ)を口にした。それが、その時の四月一日が一番欲しがっていた言葉とは知らずに。

 店に来た時はロールプレイに徹していた(おくびにもださなかった)ものの、共通の友人(フレンド)である猗々冴々から朔のルー・ガルーの話を聞かされた時は気を揉んだものだ。

 

「……LOVEだなあ」

 

 だからこそ、彼には本懐を遂げてほしい。その結果としてヨシツネがこのゲームを引退したとしても、彼の本気が成就することを友達として切に願わずにはいられなかった。

 屋上のフェンスを掴む手に、我知らず力がこもる。

 

「とはいえ、これなら()()()は必要な……ん?」

 

 小さくひとりごちかけた時。

 眼下に広がる戦況に、変化が訪れた。



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恋ゆえに貪る⑥

不知火の影(ウツツノユメ)】で目減りしたSANを回復させ、再び攻撃を仕掛けようとした時。

 ルー・ガルーが、刀を持つ腕をだらりと脇に下げた。

 

「……ん?」

 

 突然の所作を前に、思わず二の足を踏む。

 斬りかかってくださいと言わんばかりだが、あからさますぎて飛びこむ気にはなれない。いや、正確に言うなら飛びこむことができなかった。

 ここで斬りかかるのはまずい。そんな思いが、体を動かそうという思考(コマンド)を押し留めていた。

 

「……名前」

 

 刻一刻とスキルのリミットが迫る中、ルー・ガルーが口を開く。

 今までスキル以外を口にしなかったメゾソプラノが、初めてそれ以外の言葉を紡いだ。

 

「貴方の、名前は?」

「……え?」

 

 聞き返しても返事はない。まるで選択肢の入力を待つように、ジッと俺を見つめ続ける。

 

「……(りょう)

 

 少し悩んだ後、ハンドルネームじゃなく本名を口にした。

 感傷だとわかっていても、好きな女の子には本当の名前を知ってほしいというのが半分。もう半分の下心は、すぐに叶えられた。

 

「リョウ」

 

 メゾソプラノが、どこか舌足らずに俺の本名(なまえ)を紡ぐ。

 可愛い顔に浮かんでいるのは、さっきまでと変わらない獰猛な笑み。ただ一つ違うのは、目尻に浮かぶ薄紅色が、彼女が喜んでいることを教えてくれていた。

 

 正直言って、めちゃくちゃ可愛かった。

 状況も忘れて、顔がにやけそうになる。だが、彼女がだらりと下げていた腕を持ち上げ、刀を構え直したのを見て、慌てて俺も死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を構えた。

 

「貴方の強さは、流れた血潮が証明したわ。だからどうか、試させてほしい。貴方が協力者たりうるかを。この背を、貴方に任せていいのかを」

「……?」

 

 そんなことを口にしながら、刀を中段に構え、体の軸をひねった。

 間合いをとった状態からの中段は、【臥待月(フシマチ)】の構え。

 それを見て、言葉の内容を吟味する余裕は消える。インベントリからSAN回復アイテム(おちみず)を取り出し、中身を飲み干してから【攻勢】の構え(モーション)をとる。

 

「私という歪な月を、貴方は、どう呑みこむのかな?」

 

 そんな俺に、ルー・ガルーは小さく微笑み。

 

「【満ちず欠けて(ツキハミ)】」

 

 太刀風三つ、斬撃二つ、刺突が一つ。

 あわせて六つの剣筋が、俺の体を切り裂いた。

 

 数秒後。

 はらりと、無惨な姿になった人型の紙がルー・ガルーの前に落ちる。

 

「――――ぁっ、ぶねぇ!!」

 

 全身から冷や汗を流しながら、俺は思わず声を荒げた。

 今、俺とルー・ガルーとの間には一車両分の距離が空いている。線路を挟んだ向こう側、荒くなった息を整えている少女の姿を見ながら、必死に頭を回転させようと試みた。

 

(ここにきて初見殺しかよ……!)

 

 想定外の事態に、歯噛みせずにはいられない。

 

 さっきの紙は【流し雛の形代(スケープゴート)・改】。

 一度だけ死亡を肩代わりしてくれるアイテムで、本来ならNPC専用だ。それを朔のルー・ガルー戦のため、大金を支払ってプレイアブルにチューニングしてもらった――ちなみにこれが準備で一番金がかかった――のだが、予想してない形で役立ってしまった。

不知火の影(ウツツノユメ)】のリキャストがまだだったので使わざるを得なかったという面もあるが、例え使用可能だったとしてもさっきの攻撃に合わせられた自信はない。

 それほどまでに、今の攻撃は対処が難しかった。

 

(どうする、どうするどうするどうする!)

 

 形代でも死亡判定は発生したらしく、【走馬灯(フラッシュバック)】が発動している。おかげでどういう攻撃かはわかったが、それは俺の焦りを後押しこそすれ、冷静になる助けにはならなかった。

 焦燥に苛まれながら、目の端に浮かぶ【走馬灯(フラッシュバック)】の分析結果を一瞥する。

 

満ちず欠けて(ツキハミ)

 斬撃属性。瞬くように、六つの月が間断なく顕現する。

繊月(センゲツ)】【三日月(ミカヅキ)】【十日夜の月(トオカンヤ)】【立待月(タチマチ)】【居待月(イマチ)】【臥待月(フシマチ)】で構成。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 こんなものを相手に、どうすればいいのか。

 

 形代はもうない。【不知火の影(ウツツノユメ)】もまだリキャストできていない。六連撃の即死判定を全て潜り抜けるのに賭けるのは、あまりにもやけくそすぎる。

 まずはリキャスト? いや、スキルを使用したらSANの残りがおぼつかなくなる。

 先に回復? いや、さっきのを【不知火の影(ウツツノユメ)】なしで避けられるのか?

【加速・極】と【八艘跳び】を合わせればギリいける? でも、その後は?

 

 ここで負けた場合、すぐに再戦することはできない。

 今回の戦いで、俺は全財産のほとんどを費やしている。切り札であるアイテムは既になく、変若水(おちみず)も用意していた分は半分使い果たしている。死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)だって、耐久力はそろそろ限界だ。少なくとも、今夜の再戦は難しいだろう。

 討伐チームはアーサーが相手をしているが、それだって永遠じゃない。

 

 避けられないと死ぬ。ここで死んだら今夜の、最悪、今までの全てが水泡と化す。

 そんな焦りがさらなる焦りを招き、一向に考えがまとまらない。

 そうしている間にも、息を整え終わったルー・ガルーが、ゆっくりと刀を中段に構える。あれがただの【臥待月(フシマチ)】だという楽観視は、彼女が浮かべる獰猛な笑みによって否定される。

 数秒後、致命の斬撃がもう一度俺を切り裂くだろう。

 

(あ、ダメだ、これ)

 

 弱気な考えが、脳裏をよぎったその時。

 

「――――ゆえに想う。時よ止まれ、世界よ永久(とわ)に美しくあれ。【我は一瞬の永遠を望むもの(ファウスト)】」

 

 キィンというハウリングの後、聞き覚えのある声が響いた。

 

「っ!?」

「……っ、ぅ」

 

 瞠目する俺の前で、ルー・ガルーの動きが吊られた人形のようにぴたりと止まった。

 コモンは無効、アンコモンすら容易く弾く耐性の権化が、体を束縛(バインド)させられている。それはつまり、彼女の耐性を貫通できる状態異常(レアスキル)が付与されているということに他ならない。

 

 それができるプレイヤーに、俺は一人だけ心当たりがある。

 なぜなら俺は、そいつにルー・ガルーの検証を手伝ってもらっていたからだ。

 そしてそいつは今、俺たちの戦いをどこかで見ている。

 都電列車の近づく音が聞こえてくる。それを掻き消さんばかりに、両手で頬を張った。

 

「――――っし!」

 

 パシンッ、と小気味よい音が響いたのを合図に、俺を縛っていた焦燥が消えた。

 断片的に聞こえた詠唱から察するに、四月一日(あいつ)は手持ちの中でも最強クラスの状態異常をかけたのだろう。レアスキルの状態異常でも継続して十秒がいいところのルー・ガルーが、完全に足止めを食らっている。

 それでも、永遠には持たない。もって二分弱だろう。

 

「ハハッ、お釣りがくるな!」

 

 彼女相手に十分すぎる猶予をくれた友人に感謝しながら、インベントリに手を突っこんだ。

 

 最優先は【不知火の影(ウツツノユメ)】のリキャスト。リキャストを即時完了させる時計型のアイテムを使用し、使い捨てのそれを放り捨てる。

 次いで変若水(おちみず)の小瓶を取り出すが、まだ口はつけない。

 

(【満ちず欠けて(ツキハミ)】は、六つの必殺技(スキル)をノーリキャストかつほぼ同時に繰り出す攻撃)

 

 残り三十秒。目の前を路面電車が通過する。

 

(使った後、ルー・ガルーは息を整えてた。小さく息をつくくらいなら今まで見たことはあったけど、あんな露骨に呼吸を整えるモーションは初めてだ。つまり、ルー・ガルーも多分ノーリスクで使えるわけじゃない)

 

走馬灯(フラッシュバック)】で解析した初撃の情報を咀嚼し、分析していく。いったんクリアになった頭は、さっきまでが嘘のように滑らかに回転してくれた。

 

 耐久? いや、ルー・ガルーは()()()()()()()()()()()()()()()()言った。あの子が自滅するまで避け続けるのは正解じゃないはずだ。

 何より、自滅待ちで勝てる超高難易度なんて、()()()()()()()()()()()

 

 六つの必殺技(スキル)をノーリキャストかつほぼ同時。

 クソゲーと叫びたくなるが、それでもあくまでほぼ同時。完全に同時なのと、ほぼ同時のように見えるのとでは、例え結果が同じでも天と地ほど違うものになる。

 つまりあれは、攻略の余地を残した理不尽であるはずなのだ。

 そこに、俺の勝機がある。

 問題は()()だ。

 

「……いいぜ」

 

 残り十秒。透明な液体を呷り、死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を構える。

 放った小瓶が割れる。都電が通り過ぎ、俺の視界にルー・ガルーが映る。

 

「丸呑みしてやるよ。お前の、(ぜんぶ)!」

「――――【満ちず欠けて(ツキハミ)】!」

 

 俺の啖呵と同時に、ルー・ガルーが刀を振るった。

 

 放たれる六連撃。それに合わせて、【不知火の影(ウツツノユメ)】を使用。

 召喚されたデコイが、俺の代わりに六つの斬撃を浴びる。切り裂かれる幻影をルー・ガルーの肩越しに見ながら、一つの確信を得ることに成功した。

 

(さっきと同じ……! 月齢の逆か!)

 

 胴体狙いの太刀風【臥待月(フシマチ)】から始まって、【居待月(イマチ)】に【立待月(タチマチ)】が後に続く。そして切り裂かれた体に【十日夜の月(トオカンヤ)】と【三日月(ミカヅキ)】によるオーバーキル、最後に【繊月(センゲツ)】がダメ押しとばかりに頭部を斬る。

 それが【満ちず欠けて(ツキハミ)】というスキルの構成だ。

 ランダムだったら詰んでいたが、順番に法則性があるなら付け入る隙はある。

 

(でも、単発の時と微妙に違うんだよなあ……!)

 

 六つのうち、【十日夜の月(トオカンヤ)】と【繊月(センゲツ)】の軌道が普段と異なる。特に【繊月(センゲツ)】に至っては、いつもは首狙いのはずなのに頭を斬っているように見えた。いざ対処に臨む時、こういう細かい違いは致命傷になりかねないので非常に困る。つーかなんで狙う場所が違うんだよ。

 ……いや、待てよ?

 

(そもそも、()()()()()()()()()()?)

 

 三種の太刀風で、攻撃としては十分すぎるほど強力だ。そこに斬撃二つと刺突を重ねても、オーバーキルなのは明らかだろう。

 

(六回攻撃じゃないとダメな理由はなんだ?)

 

 RTNがゲームである以上、出力(アウトプット)される結果には意味がある。六つの必殺技(スキル)をあえて同時に出すということは、この技をデザインした奴はそうすべきと思ったということだ。

 視線の先で、ルー・ガルーは呼吸を整えている。さっきよりも時間が長い。

 そのわずかな時間を利用して、考える。

 

 その方がかっこいいから? ある意味一番ありえそうだがNG。

 即死判定が三連続弾かれる可能性に備えた? どんな低確率だよ。NG。

 

(……()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 そんな考えがよぎるのと、ルー・ガルーの呼吸が整うのはほぼ同時だった。

 シンキングタイムが終わる。

 ここからは、命がけの検証タイムだ。

 

(攻略の糸口は掴んだ。問題は……)

 

 考えられるパターンが二つあるということ。

 片一方なら勝ち確だが、もう片方だった場合はどうしても運が絡む。そしてその運は、どれだけ試行錯誤を重ねてもゼロにすることはできない。

 

「最後の最後に博打ゲーか。ハハッ」

 

 笑いながら、ルー・ガルーの着地に合わせて死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を構える。

 

 大事な局面に、運が絡む可能性がある。

 そんな事実にしかし、俺は萎えも絶望も感じない。

 

 レベルに物を言わせた無双ゲーも楽しいし、ステータスの暴力で押し勝つのも好きだ。作業にならない程度の安定さはストレスフリーだと思うし、無理ゲークソゲーに直面したら没入(ダイブ)を止めてヘッドセットをぶん投げることもある。

 それでも、ゲームの醍醐味は苦境からの逆転劇にあると信じて疑わない。

 それこそが、(ヨシツネ)モチベの上げ方(プレイスタイル)なれば。

 

「ほんと、どこまで惚れ直させてくれるんだよ」

 

 俺は今、この戦い(ゲーム)を最高に楽しんでいる。

 

「ふぅ……」

 

 呼吸を整え終えたルー・ガルーが、刀を中段に構える。

 それに合わせて俺も息を吐き、意識を研ぎ澄ます。

 空気が張り詰める。耳がキンとするような静けさが場を支配する。一挙手一投足を見逃すまいと、お互いに相手のことを見つめる。

 永遠にも感じられる数秒の後。

 

「……【満ちず(ツキ)欠けて(ハミ)】!」

「【八艘跳び】!」

 

 三度目となる絶技。

 それに合わせるように、俺は地を蹴った。

 

 胴体狙いの【臥待月(フシマチ)】、足狙いの【居待月(イマチ)】、首狙いの【立待月(タチマチ)】。三つの太刀風が虚空を切る。その様子を、俺は俯瞰の視点から見下ろしていたが――

 

「やっぱそっちだよなあ!」

 

 時間にしてわずかコンマ数秒。

 地上にいたはずの少女は、俺のすぐ目の前に迫っていた。

 回避に成功したら勝ち確、なんて都合のいい展開はなかった。

 六回攻撃は、より正確に言うなら三回攻撃×2。三連撃はオーバーキルなどではなく、太刀風を回避された時の追撃として組みこまれている。

 

 逃げ場のない空中で、四つ目の死が迫った。

 

「っらぁ!!」

 

【死に覚え】、【Know-how】、【走馬灯(フラッシュバック)】。

 ルー・ガルーとの戦いを積み重ねてきたスキル群のブーストを背に、胴体狙いの斬撃を死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)の片翼で受け止める。

 太刀風を回避した後の【十日夜の月(トオカンヤ)】が、単発の時と同じ軌道をしているのはさっき見た。なら、彼女の技を体で覚えた俺が、それに合わせられない道理はない!

 

 ばきんっ、と。

 必殺技(スキル)の直撃を受け、武器の耐久力がマイナスになる。ガラスが砕けるような音とともに、今この瞬間を愛せ(カルペ・ディエム)と名づけられた武器の片翼が砕けた。

 黒い欠片が、まるで雪のように宙を舞う。

 そんな幻想的な光景の中にいながらも、ルー・ガルーは止まらない。

 神速で刀を手元に引き、切っ先を構える。

 五つ目の死、【三日月(ミカヅキ)】。心臓を貫かんとする刺突が、瞬きの間に放たれる。

 

 ――――数拍後。

 霧の形をした(ダメージエフェクト)が、左胸から迸った。

 

 ただしその色は、黒い。

 

「……っ、ぁ?」

 

 俺の目の前には、呆然としたルー・ガルーの顔があった。

 そんな彼女を間近で見つめながら、俺は心臓に突き立てた黒い刃の片割れを、さらに押しこむ。少女の胸に切っ先が沈み、そこからいっそう黒い霧が噴き出した。

 

 ――――【満ちず欠けて(ツキハミ)】の順番が効率よく組まれていたら、打つ手はなかっただろう。

 だが、月齢の逆をなぞるだけなら話は違ってくる。

 五番目の【三日月(ミカヅキ)】が刺突である以上、【十日夜の月(トオカンヤ)】を放った後、ルー・ガルーはいったん刀を手元まで戻し、そして突くという動作を行う。そのタイムラグこそ、【満ちず欠けて(ツキハミ)】という絶技に存在する唯一の隙だ。

 

 さながら、相討ち(クロスカウンター)狙いの勝筋。

 それが相討ちで終わらなかったのは、俺の運が良かったからに他ならない。

 

「――――」

 

 黒い霧で顔を汚しながら、ルー・ガルーは自分が放った刺突の行方を目で追う。

 過たず俺の心臓を狙った切っ先は、左胸には届いている。だが、0と1で構成された皮膚を突き破る前に、胸ポケットに収まっていた鉄の金具によって遮られていた。

 

真化・四葉の鎖(リバース・フォーチュン)】。

死にぞこない(ジャック・オー・ランタン)】。

 そして、【真化・幸ち多き歩みを守るもの(リバース・フォルトゥナ)】。

 積み重ねてきたものが、俺に幸運(しょうり)をもたらした。

 

「俺の――勝ちだ」

 

 噛みしめるように言いながら、ルー・ガルーの体を抱き寄せ、地面に着地する。

 それに少し遅れて、からんと刀が落ちる。絶技の連続で耐久力が底を尽いていたのか、落下の衝撃によって刀身が砕けるのが視界の端に映った。

 

 役目を終えた【恋ゆえに貪る(ビースト・ハート)】を解除すれば、アイテムで無理やり持続時間を延長し続けた反動か、凄まじい脱力感に苛まれた。脳が疲れを錯覚しているだけとわかっていても、体はまるで状態異常がかかったかのように重い。

 それでも、抱き寄せた腕から力は抜かない。

 大事な宝物のように、俺は彼女を抱きしめた。

 

「……っ」

 

 まるで、本物の人間を抱きしめているように、腕の中の体は温かい。

 だが、その温かさは徐々に失われつつある。

 

 それを悲しいと思うのは、プレイヤーとしての俺自身と、今までの戦いと、わがままを通すために押しのけた他のプレイヤー、そして何よりルー・ガルーに対する侮辱になる。熱が落ち着いていくのにあわせてこみ上げてくる未練を、ぐっと飲みこんだ。

 むしろ、本来ならHPが0になったエネミーはすぐさま黒い霧になるのだ。こうして失われる体温を感じ取れること自体が、贅沢な奇跡と言ってもいい。

 

「……ルー・ガルー」

 

 華奢な肩に顔を乗せたまま、口を開く。

 俺の声に反応して、腕の中の体が小さく身じろぐのがわかった。それが俺を押しのけようとするものじゃなかったことに心から安堵しながら、言葉を続ける。

 

「ありがとう。……君に出会えて、俺は幸せだった」

 

 告げるのは、謝罪でもなければ後悔でもなく、まして惜別の言葉でもない。

 ルー・ガルーという少女に出会えたこと。そして、【朔のルー・ガルー】というエネミーと戦えたことに対する、心からの感謝だった。

 

「――――」

 

 返ってきたのは長い沈黙。

 矛盾した言葉だ。細かいフラグに対して流暢に反応していたRTNのAIでも、こんな言葉に対してリアクションをとれないだろう。そう思いながら、彼女を離そうとしたその時。

 

「……ふふ」

 

 嬉しそうな笑い声とともに、ルー・ガルーの腕が俺の背に回された。

 

「――っ」

 

 爪が傷口に触れたのか、小さな痛みを感じる。

 その痛みが、涙腺を決壊させた。現実(リアル)のように目尻からは涙が零れ始め、俺の視界を一気に歪ませる。喉が嗚咽で震えて、今にも声を上げて泣き出しそうなのがわかった。

 

「……くっそ」

 

 小さい子供みたいにボロボロ泣いているのが情けなくて、俺はぎゅっと両の瞼を閉じる。

 

『夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】が開始されます』

壱の偉業(ファーストミッション)【一夜からの解放】が達成されました。

 達成条件:【朔のルー・ガルー】ノーデス撃破。協力プレイヤー許容人数:1人』

 

 ……………………………………………………………………………………ん?

 妙なウインドウが瞼の裏に表示される。

 それを怪訝に思うと同時に、意識が暗転した。



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恋ゆえに貪る⑦

 気づいたら、見慣れたリスポーン地点の光景が目の前に広がっていた。

 ぱちくりと、目を瞬かせること数分。

 

「…………はあ!?」

 

 思わず、周囲の目も気にせず大声を上げた。

 声が上ずりすぎて、普段よりも甲高い声が鼓膜に反響する。

 

 えっ? いや、えっ?

 なんでリスポーンしてるの?

 

 出血の状態異常は【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】が無効化している。他に遅延ダメージを受けそうな心当たりはないし、スキル切った後にカスダメを受けた覚えも…………あっ。

 

 ルー・ガルーの手が背に回った時、俺は小さな痛みを感じた。

 もしもあれにダメージ判定があったら、どれだけ小さいダメージだったとしてもHP1だった俺は死ぬ。

 なるほどなあ、そういうことなら納得……するわけねえだろ! ふざけんな!

 

「くっそ!」

 

 もう一度叫んでから、俺は急いで駆け出した。

 これで朔のルー・ガルーのドロップアイテムがなかったら許さねえからな運営!!

 

 憤りながら、俺は拠点(ターミナル)から全速力で元いた場所に向かう。

 リスポーンした後だというのに、体がまだ思うように動かない。なんというか、妙な息苦しさがあった。リスポーン後も引きずるデメリットあるなら書いといてほしい。

 

 それでも脇目も振らずに走ったおかげで、そう時間もかけずに戻ることができた。

 誰もいなければひとまず安心できたのだが、そんな希望は儚く潰える。戻ってきた俺の視界は、都電の沿線に一つの人影を捉えた。

 誰かが座りこんでいる。それはまるで、その場に落ちている何かを拾おうとしているように見えた。そんな光景を目にした俺は、目の奥がカッと熱くなるのを感じた。

 

「こらーーーーっ!!」

「っ」

 

 あらん限りの音量で叫べば、座りこんでいた人影は肩を振るわせて俺の方を見る。

 

「……ん?」

 

 そこで、違和感を覚えた。

 

(なんかさっきから……声高くね?)

 

 興奮して上ずっているからだと思っていたが、何度も高音になるのはさすがにおかしい。声の出力バグを疑ったが、自分の声がバグったにしてはちゃんとした声のようにも思える。

 なんというか、そう、あれだ。

 

(女の子っぽい……?)

 

 思わずそっちに思考が偏りかけるが、違和感は声だけじゃない。

 ちゃんと検証したいのをぐっと堪えて、俺は少し先にいる人影を見た。

 

 そこにいるのは、長身の男だった。

 RTNでは逆に珍しい部類に入る、至ってスタンダードな白い学ランを着崩している。制服ということはプレイヤーだろうか。

 その手には武器と思しき黒い牛刀が握られ、両腕には黒い手甲、片方の手首に四葉のクローバーを模したチェーン、ベルトの上には帯がもう一つ締められている。

 胸ポケットには何か入っているのか、U字に膨らんでいた。

 

 見覚えしかなかった。

 

「……えっ? 俺?」

 

 思わずそう声をかけると、長身の男――(ヨシツネ)姿(アバター)をした誰かは、座りこんだまま、見上げるようにして俺の顔をマジマジと見た。

 黒色(デフォルト)に設定された目に、人影が映りこむ。

 そこに映っていたのは、ブレザーを着た女の子だった。

 

「――――」

「……リョウ?」

 

 放心する俺を案じるように、(ヨシツネ)姿(アバター)が声をかけてくる。

 既視感のあるテノールが、どこか舌足らずな呼び声で俺の名を紡ぐ。それに弾かれるようにコンソールを開いた俺は、急いで自分のステータス画面を呼び出した。

 

《ヨシツネ》

 レベル:99(MAX)

 種族:pdfこだpkふぉ

 スタイル:獣殺し(ヴィーザル)

 HP:10000 SAN:500

 STR:EX(計測不能)+

 AGI:EX(計測不能)

 CON:EX(計測不能)

 DEX:EX(計測不能)

 POW:EX(計測不能)

 LUC:E(100)

 装備品

 防具:人狼の皮膚(ルー・ガルー・スキン)

 

 いやいやいやいやいやいや。

 とんでもないステータスが表示され、頭が真っ白になりかけた。

 情報が、情報が多い!

 

 危うく意識がそちらに持っていかれそうになるが、今確認したいのはバグみたいなステータス画面じゃない。首を振ってから、確認するつもりだったキャラのアバターに目を向けた。

 いつもならそこには、黒髪黒目の男が表示されているはず。

 だが。

 

「…………嘘だろ、おい」

 

 呻くように呟きながら、思わず自分の胸元に手を置く。

 ふに、と。硬い布越しに、わずかだが確かな柔らかさを感じた。

 

「――――」

 

 もう一度、コンソールを見る。

 プレイヤー・ヨシツネのステータス画面に表示されていたのは、白銀の髪と紅玉の目を持つ女の子。俺がついさっき討伐(キル)した、世界で一番可愛い女の子の姿だった。

 

「はああああああああああああああああああああ!?」

「ひゃっ」

 

 叫んだ俺に驚いたように、(ヨシツネ)姿(アバター)はもう一度両肩を振るわせた。



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人それをフラグ立てという

おまたせしました。
TS編です。


RTNコミュニティー掲示板:トシマエリア雑談板

 

 トキワモリ

 イケブクロのターミナルにルー・ガルーが出たってマ?

 

 らいざ

 話題に乗り遅れニキおっす

 

 トキワモリ

 昨日の夜は忙しかったんだよ

 

 トキワモリ

 SNSのトレンドにルー・ガルーが入ってて何事かと

 

 都呂々

 ターミナル以外にも目撃情報あったからね、お祭り騒ぎですわよ

 

 たぬきつね

 人来すぎてこのトシマ版一回落ちたからな

 

 ONI=サン

 でもあれ本物なのか?

 

 ONI=サン

 俺見たけど、百面相しながら全力ダッシュしてたぞ

 

 トキワモリ

 なにそれ見たすぎる

 

 ソワカ

 っ http://xxxxxxxxxx

 

 らいざ

 画質粗っ

 

 ソワカ

 動画撮っただけでも褒めてほしい

 

 トキワモリ

 有能ニキ!

 

 都呂々

 有能ニキサンキュー!

 

 たぬきつね

 何度見ても速すぎるんだよなこのルー・ガルー(仮)

 

 たぬきつね

 動揺する人ごみの間を潜り抜けてあっという間に去ってる

 

 ONI=サン

 ステータスおばけだぞ

 

 トキワモリ

 パンチラ惜しい

 

 ONI=サン

 しっ!

 

 ソワカ

 源氏に処されるぞ

 

 都呂々

 しかしその源氏ニキはどうしてるんだろ

 

 たぬきつね

 真っ先に来そうなもんだけどな

 

 らいざ

 討伐の噂あったし、諦めたんじゃね?

 

 都呂々

 あの噂も結局どうなったんだろうねえ

 

 トキワモリ

 実は俺、その討伐チームに参加してた

 

 ONI=サン

 ファッ!?

 

 たぬきつね

 マ?

 

 トキワモリ

 マ。フレンドに声かけられてさ

 

 らいざ

 倒したん?

 

 トキワモリ

 http://vvvvvvvvvv

 

 都呂々

 騎士殿の配信じゃん

 

 たぬきつね

 フラッドアラクネのタイムアタック笑う

 

 たぬきつね

 何してんだあの人

 

 トキワモリ

 これの中盤で交通事故にあったのが俺らです

 

 都呂々

 草

 

 ONI=サン

 源氏の嫁に手を出すから……

 

 らいざ

 つーか騎士殿、源氏とフレンドだろ? わざとじゃね?

 

 ONI=サン

 まさかあ

 

 ソワカ

 騎士殿×源氏?

 

 都呂々

 ルーちゃんも入れた三角関係になるけど大丈夫???

 

 トキワモリ

 平謝りしてくれたし、わざとじゃないだろ

 

 トキワモリ

 というか騎士殿の配信に出れた方が正直嬉しい

 

 ONI=サン

 まあ気持ちはわかる

 

 ソワカ

 ほんと羨ましいわ……

 

 たぬきつね

 てか話がそれてるそれてる

 

 たぬきつね

 マジでルー・ガルーなん? もしそうなら安置消えるんだけど

 

 ソワカ

 運営に問い合わせたけど、ターミナルにエネミーが出る不具合は出てないってさ

 

 トキワモリ

 じゃあ誰かのコスプレか?

 

 らいざ

 新手の平氏じゃん

 

 死圀

 この動画だとプレイヤーネーム出てないんだな

 

 トキワモリ

 死圀ネキニキおっす、シャドウテイマーは開放できた?

 

 死圀

 おっす。無事に開放できたぞ

 

 都呂々

 おめ~

 

 たぬきつね

 そういやプレイヤーネーム出てないな

 

 ONI=サン

 名前のUI、なんかバグってたんだよな

 

 ソワカ

 それで余計にMob疑惑がある

 

 死圀

 じゃあ見間違いだったのかな、あれ

 

 たぬきつね

 おっと?

 

 トキワモリ

 kwsk

 

 死圀

 あ、フレに呼ばれたので失礼します

 

 ONI=サン

 気になること言って退室するなや!

 

 

 

 

 

 タイトウエリア、アメヤ横丁。通称アメ横。

 様々な商店が縦に横に立ち並び、現実では多くの人が行きかう商店街。

 しかし、魑魅魍魎が跋扈するリバーストーキョーでは、その賑わいは見る影もない。

 通りは寂れ、人通りはほとんどない。迂闊に店へと入ろうものなら、こびりついた無念が形になった悲哀霊(ソロー・ゴースト)のような死霊エネミー、打ち捨てられた商品が魔性になったもったいない(ルードゥ)といった異形エネミーに襲われる。

 

 そんなアメ横の通りを、黒い男物のスーツを着た赤髪の女が歩いていた。

 プレイヤー(かのじょ)の名前は、四月一日と言う。

 エンカウント率を下げる香水――本来はミント系の匂いなのだが、その方が強キャラっぽいという理由で酩酊するような甘い香りにチューニングしている――の芳香を漂わせながら、四月一日は大きな通りを曲がり、狭い路地へと足を踏み入れる。

 

 そうしてしばらく歩いた後、ある店の前で足を止めた。

 

「……んふっ」

 

 不器用な笑みを零した後、迷いのない足取りで中に足を踏み入れた。

 

 エンカウント率を下げていても、エネミーが巣食っている屋内に入れば襲撃を受ける。しかし、店内に入ってもエネミーの姿はなく、敵意の類いも感じられなかった。

 そんな店の中を進んでいき、居住スペースに続く扉に手をかけた。

 きぃっと小さな音とともに開いた戸の向こうには、やや手狭な洋室と、陰鬱な屋外の暗さとは対照的な科学の明かりが広がっている。そんな部屋の中で、ソファーの背もたれに体を預けながら、一人の青年がくつろいでいた。

 

 くすんだ金髪のオールバックに黒い長ランと、前時代的な不良のいでたち。

 思わず足を止めたくなる雰囲気を漂わせているが、その人となりを十分に知っているなら話は違ってくる。久しぶりに見た友人(フレンド)の姿に、四月一日は頬を緩めた

 

「やあ、四月一日。久しぶり」

「久しぶりだね、魔弾の悪魔に魅入られた退魔士殿。相も変わらず、契約に対して律儀なようで。破天荒な見た目にそぐわぬ生真面目さ、実に愛らしいことこの上ない」

「そっちこそ、相変わらずなようで何よりだよ」

 

 肩をすくめて笑いながら、青年――猗々冴々は別のソファーを手で示す。

 そこに腰かけてから、四月一日はぐるりと懐かしむように部屋を見渡した。

 

 RTNには、一部の建物や部屋を購入できるシステムがある。

 購入したい場所のエネミーを掃討したのち、購入金額を支払うことで取引は成立する。

 売買が完了した区域はエネミーが出現しなくなり、安全地帯として扱われる。

 それに加え、購入した場所は所有者の許可なく他のプレイヤーが立ち入れなくなる他、セーブポイントとしても利用できた。そのため、古参ギルドはこのシステムを利用し、好きな場所にアジトを構えている。

 

「この『秘密基地』に集まるのも、随分と久方ぶりのことだね」

「三人で集まって何かすることも少なくなったし、四月一日が店を持ったからねえ。集まるならついそっちを選んじゃうから、ここに寄るのは用事がある時くらいだ」

 

 そう言いながら、猗々冴々は軽く肩をすくめてみせる。

 

 四月一日と猗々冴々、そして今日ここに二人を呼んだもう一人。別のゲームから何かと交流がある三人がRTNを始めてしばらく経ったころ、猗々冴々が性質の悪いファンにつきまとわれる事件が起きた。

 トラブルは既に解決しているものの、当時は粘着されすぎて猗々冴々がグロッキーになったほどである。その時、ログインを出待ちするファンから身を隠すため、三人名義で購入したのがコウトウエリアにあるこの店だった。

 売価は半額になるため、わざわざ手放すのも惜しい。そんな背景もあり、今現在は所持枠(インベントリ)に入れるまでもないが捨てるのも売るのも惜しい非売品アイテムの倉庫として活用されている。

 

 現代伝奇の世界に、賃貸ではない自分だけのプライベート空間がある。

 この経験は四月一日の中二病心をいたくくすぐり、ほどなくして彼女は自らの店を構えた。

 

「しっかし、呼び出した本人はまだログインしないのかねえ」

 

 言いながら、猗々冴々はごろりとソファーの上で仰向けになる。

 その顔がふてくされていたものだから、四月一日は思わず笑みを零してしまった。

 

「ご立腹のようだね、魔弾の射手」

「そりゃあ、ルー・ガルーの撃破報告を最初にお前から聞いたからな」

 

 四月一日の言葉に、猗々冴々は不服そうに唇を尖らせる。

 

「本人にGM(ゲーム内メール)送ったら立てこんでるの一言で、かと思えば夕方急に秘密基地に来てくれってグループチャットに入電だよ? 腹を立てたくもなるってもんだ」

「その上、朔のルー・ガルーが都電沿線以外の場所に出没したという目撃情報が飛び交ったとなれば……退魔士殿の心情も複雑怪奇なものとなるか」

「そう。それだよそれ」

 

 寝転ばせたばかりの上体を起こしながら、猗々冴々は四月一日を指さす。

 

「お前さ、あいつが倒したところは見たんだよね? 俺が体張ったり頭下げたりしてる時に」

「ああ、俯瞰から立ち会わせてもらったよ。羨ましいかい?」

親友(ヨシツネ)の、一世一代の晴れ舞台だぞ? 親友(おまえ)じゃなかったら生涯妬んでたよ」

「ふふ。退魔士殿の友愛は、相も変わらず奈落のように深いのだね」

 

 からかうような口調とともに、微笑ましそうに頬を緩める。

 己が口にした例えが比喩表現ではなく、ただの事実を言い表していることを、人付き合いの経験値に乏しい彼女は知らない。猗々冴々も詳しく解説するつもりはないので、今はただ拗ねたように頬を膨らませるだけだった。

 

「せめて録画してくれれば……」

「それは一条の流星を、躍起になって写真に収めるが如き野暮というものさ」

「言うと思ったよ。あー、俺も見たかった……じゃなくて」

 

 話が脱線しかけていることに気づき、軌道修正を図る。

 

「それなら、戦闘が終わった後に何か起きたか知ってるだろ? ぶっちゃけどうだったのさ。ルー・ガルーが倒された後に分裂とかしなかった?」

 

 そんな猗々冴々の問いかけに、四月一日は小さく肩をすくめてみせる。

 そして、鏡の前で研究と研鑽を続けた末に見出した、強キャラのように見える微笑みを浮かべながら、そっと自分に指さされたままだった人差し指を下ろさせた。

 

 雰囲気が切り替わる(オンになる)

 さながら退魔士(プレイヤー)に意味深な助言(アドバイス)を授けるNPCのように、四月一日は微笑んだ。

 

刹那の愛(カルペ・ディエム)の黒き刃は、確かに人狼の心臓を穿った。ならば、後は彼らの物語だ。一度きりのエンドロールを見世物にするのは、これもまた野暮というものさ」

「つまり、最後まできっちり見たわけじゃないと」

「結末は見るまでもないからね」

「……まあ、ひとまずそういうことにしておいてあげるけど」

 

 しかし、現状を思うと圧倒されるより半眼になってしまう猗々冴々であった。

 

「君の言いたいこともわかるけれどね」

 

 そんな猗々冴々にもう一度肩をすくめてみせながら、四月一日は彼の指から手を離す。

 

「本当に分裂するわけもあるまい。大方、朔のルー・ガルーの出没時間に合わせた誰かの悪戯だろうさ。アバターの見た目を一時的に変えるフレーバーアイテムもあることだしね」

「まあ、普通に考えればそうなんだろうけどね」

「事実は小説よりも奇なりというけれども、本当に奇異なることは滅多に起きないものさ。なに、くだんの彼がこの夜都に降り立った時にでも仔細を聞けば――――」

 

 どすんっ、と。話を遮るように、二階から小さな物音が聞こえてきた。

 顔を見合わせた後、思わずと言った風に二人は笑みを零す。

 

「噂をすれば影、かな」

「そのようだね」

 

 そう言い合って、自分たちを呼び出した三人目が下りてくるのを待つ。

 しかし、数分経ってもその気配はなく、部屋にいるのは未だ二人。生麺タイプのカップ麺が食べごろになるほど待ったのち、二人はもう一度顔を見合わせた。

 

「確かに音、聞こえたよね?」

「聞こえたとも」

「……」

「……」

 

 数分後、二人は示し合わせたように腰を上げた。

 

 セーブ地点に設定している二階には、HPとSANを回復させるための寝具アイテムが置いてある。いわば仮の拠点(ターミナル)であり、ゲーム内で安全に休めるセーフティーゾーンだ。

 そんな場所から物音が聞こえるというのは、看過できない事態だった。

 

 ホルスターから拳銃を取り出す猗々冴々の横で、四月一日はスキルを思考(インプット)した。

 上位(アンコモン)スキル【サーモグラフィー】。

 通常の【索敵】スキルと異なり、索敵範囲に存在するものの数だけではなく属性(カテゴリー)も把握することができる。四月一日の脳裏に浮かぶ家のMAPには、退魔士(プレイヤー)であることを示す白い点の他にもう一つ、赤い点が表示された。

 

「おやおや、まさか真上に獣が潜んでいたとはね」

「がっつりエネミーじゃん」

 

 軽口を叩く反面、猗々冴々の顔つきが険しいものになった。何せつい昨夜、拠点(ターミナル)の一つであるイケブクロ駅に高難易度エネミーが出たという話が上がったばかりだ。同じものがいるとは限らないにせよ、両者の間に緊張を走らせるには十分すぎる情報である。

 銃を一挺構えた猗々冴々を先頭に、二人は階段を上り始めた。

 

 歩調が緩やかでも、さほど段数がない階段を上りきるのに時間は要さない。扉の前に足を止めた猗々冴々は、軽く深呼吸をした後、蹴破るように扉を開けた。

 二つのベッドが並ぶ寝室は、明かりがついていないため暗闇に包まれている。

 それでも、床に白い物体が転がっているのはわかった。

 

「――――」

 

 反射的に撃ちそうになった猗々冴々はしかし、寸前でその動きを止める。

 一見すると芋虫のような白色の物体からは、人の手首のようなものがはみ出していた。

 それだけなら、動きは一歩間に合わなかったかもしれない。しかし、その手首が見覚えのある四葉のチェーンをつけているとなれば、話は違った。

 

「おや。引き金は引かないのかい、魔弾の射手殿」

「……」

 

 若干上ずった声で問いかける四月一日に返事をせず、大股で部屋の中に入る。

 そして、白い芋虫の外皮を掴むと、それを思い切り引っぺがした。

 ばさっという小気味よい音とともに、芋虫の外皮――もとい、白いシーツがはためく。その下からは、見覚えのある少年が現れた。

 

「えっ。ヨシツネちゃん?」

 

 思いもよらぬ人物が、膝を抱えて寝息を立てている。

 そんな光景を前に、四月一日は思わず素の声で反応した。

 

「ヨシツネー、起きろおらっ」

 

 一方の猗々冴々はといえば、見た目にマッチしたガラの悪い言葉とともに、爪先で少年――ヨシツネの体を小突こうと試みる。

 

 しかし、その爪先は空を切った。

 直後。

 

「――っ、だ!?」

 

 視界が一転したかと思えば、黒い長ランを着た体が床に組み敷かれた。

 呻く猗々冴々の脇に、黒い刃が突き立てられる。だが、猗々冴々とて伊達にゲームの実況配信で日銭を稼いではいない。話術(トークスキル)もその一端を担うが、何より卓越したプレイヤースキルによって彼の人気は支えられている。

 顔の真横に刃物が刺さると同時に、銃口が狼藉者(ヨシツネ)の額に突きつけられた。

 

「ひえ……」

「四月一日、素に戻ってないでデバフ――――」

 

 襲撃者から目を逸らさずに協力を要請しようとしたところで、目の前にウインドウが表示される。自然とそちらに目を向けた猗々冴々は。

 

『【朔のルー・ガルー】とエンカウントしました 推奨レベル???』

 

「…………は?」

 

 予想だにしなかった文章に、思わずまのぬけた顔を晒した。

 

「アーサーちゃん……?」

 

 修羅場の只中でいきなりまぬけ面になった猗々冴々を見て、素に戻ったままの四月一日が心配そうに声をかける。

 その直後、部屋の片隅がぐにゃりと歪んだ。

 

「えっ?」

 

 四月一日が呆ける中、0と1が光の速度で寄り集まり、人の形を構築していく。

 瞬きの間に、誰もいなかった空間から一人の人物が現れた。

 

「あー、くそ。姉さんの奴、急に買い物行かせるんだもんなあ」

 

 メゾソプラノでそう愚痴るのは、白銀のセミロングをなびかせる少女。

 洒落っ気のないブレザーの制服を身に纏うその少女は、軽く頭を掻きながら何気なく周囲を見渡す。そして、すぐ間近で展開されていた修羅場を見て全身を凍りつかせた。

 

 凍りついたのは、猗々冴々と四月一日も同様である。

 何せその少女には、これ以上ないほど見覚えがあったからだ。

 

「リョウっ」

 

 ただ一人。猗々冴々の体を組み敷いていたヨシツネだけが、弾んだ声とともに体を起こし、少女の方へと歩み寄る。飼い主とその帰りを待っていた大型犬のような光景を前に二人が目を丸くしていると、少女は紅色の目を泳がせながら口を開いた。

 

「どうも、ヨシツネです。わけあって女の子のアバターになりました」

「……………………………………………………………………………………」

「……………………………………………………………………………………」

 

 たっぷり一分沈黙した後、二人はヨシツネを名乗る少女のプレイヤーネームを見る。

 そこには確かに、「ヨシツネ」という四文字が表示されていた。

 

「……結末はあえて見るまでもない、かあ」

「こんなの予想できるのエスパーくらいでしょ!?」

 

 仰向けのまま乾いた笑みを浮かべる猗々冴々に、四月一日は素で反論をした。



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理不尽イベント

 やあ、俺の名前はヨシツネ!

 超高難易度(エンドコンテンツ)エネミーを倒したら、そのエネミーと見た目(アバター)が入れ替わったぞ!

 

「なんでなんだよ……!」

 

 昨日から何度口にしたかわからない言葉とともに、俺は腰かけたソファーを叩いた。

 

 普段なら自分の膝でも叩くところなのだが、あいにくと今の俺にそんなことはできない

 なぜなら、俺の(アバター)は朔のルー・ガルーその人だからだ。

 例えこの体が0と1でできていようと、暴力を振るうことなどできない。昨日(たお)すつもりで戦っていただろうって? あれは別件なのでカウントしません。

 

「なんでなんだよは俺らの台詞でもあるよな。声まで変わるのはすごくない?」

 

 そんな俺を正面のソファーで見ながら、アーサーは腕を組む。

 金髪オールバックのエセ不良は、さっきから俺のことをじろじろと眺めていた。その顔はいかにも笑うのを我慢していますと言わんばかりで、非常に腹立たしい。

 

「ぼくのかっこいいロールプレイが台無しじゃないか、まったく……」

 

 一方、斜め横に置かれたソファーの上では、膝を抱えた四月一日が拗ねた子供のような表情でぶつぶつと呟いていた。

 小説より奇なりだった事実に、意味深な台詞を口にする強キャラムーブがへし折られたのがショックだったらしい。どこか恨みがましい目で俺のことを見ていた。

 つーかお前ら、もうちょっと俺のことを気遣え。

 

「リョウ?」

 

 不満が顔にでも出ていたのだろうか。隣から、俺を気遣うような呼び声が聞こえた。

 視線をちらりと上向きに動かせば、こっちをジッと見てくる黒髪黒目の男と目が合う。小首を傾げて見つめてくる様は大型犬のようで、俺は思わず頬を掻いた。

 

「心配すんなよ、(さく)。大丈夫だから」

「ん」

 

 安心させるように笑いかければ、男は一転して頬をほころばせた。

 

 女の子――より具体的に言うなら、銀髪赤目でブレザーを着た女の子がやったら、そりゃあもう最高に可愛かっただろう。

 だが、どれだけ目をこすっても、目の前の男は(ヨシツネ)にしか見えなかった。

 

「くっそ……!」

「?」

「えーっと、再確認なんだけど」

 

 背中を丸めて打ちひしがれる俺、怪訝そうにする男、なぜか視線を泳がせるアーサー。

 シュールな絵面の中、アーサーの指がまず男の方に向けられる。

 

「こっちの、どう見てもヨシツネにしか見えないのが朔のルー・ガルーで」

「ん」

「こっちの、どう見ても朔のルー・ガルーにしか見えない女の子がヨシツネ。OK?」

「おう。ちなみに見た目と声以外にも、能力ステータスまで入れ替わってるぞ」

「検証班に見せたら泣いて喜びそうだな。一応聞くけど、バグ報告は?」

「今日の夕方、「調査したアカウントに不具合は起きていません」って返ってきたぞ」

 

 無慈悲な文面を見た後、しばらく頭を抱えてしまった。

 ずっと落ち着かなかった俺の半日を返してほしい。

 

 部屋で頭を抱える時間が長かったばかりに、「仮病で休んだんだから買い物は行ってくださいね」と姉さんに見つかり、お使いを頼まれたのだから踏んだり蹴ったりである。いやまあ、今日休ませてくれた姉さんには感謝しかないんだが。

 しかもちょうど俺がログアウトしたタイミングで、寝室で待たせていた朔とエンカウントしているとか。間が悪いにもほどがあるだろ。

 殺し合いまで五秒前みたいな光景、心臓に悪すぎる。

 

「多分、ゲームのイベントなんだとは思う。朔もそれっぽいことを言ってたし」

「NPCとのアバター入れ替わりが仕様かあ……炎上案件では……」

 

 笑いを堪えていたアーサーが、一転して苦々しい顔になる。

 まあそうなるよなと共感していると、アーサーが意外そうに俺を見た。

 

「えーっと、朔くん? が言ってた、それっぽいことって?」

 

 首を傾げていると、膝の間に顔を埋めていた四月一日が会話に混ざってくる。

 子供っぽい顔で小首を傾げている様は、とてもではないが妙齢の強キャラ女性感はない。相変わらず、ロールプレイしている時とそうでない時のギャップが凄い奴である。

 閑話休題(さておき)

 

「えーっと……、ごめん、朔。何が起きたかこいつらにも言ってもらってもいい?」

「ん。わかったわ」

 

 謝りながらそう頼めば、朔は快く頷いた後、口を開いた。

 

「私は月の獣。かつては夜の王の支配下を、自由に駆けていた。でも、幻日の狼にこの身を呑まれ、私は獣の体躯を喪ったわ。残ったのは、月無き夜にだけ変じていたか弱き人の器だけ。その器すら狼の影響下から逃れられず、狼の地脈に囚われていたの」

「うん」

「私に許されたのは、私の象徴が最も満ちる夜、幽鬼のように彷徨いながら、私を解放(ころ)すことができる誰かを、共に幻日の狼を殺してくれる強い人を、探し求めることだけだった」

「……うん?」

 

 アーサーが露骨に怪訝な顔をした。

 

「そして、ついに器はリョウの手によって壊された。彼は囚われていた私の魂を呑みこみ、朔から連れ出してくれたの。私を呑みこむために外に出てしまったリョウの魂が朔の器に入ったけれど、陰陽の混合で幻日の狼の呪縛は解けているから問題はないはず」

「……」

 

 こっちを見るな。黙って最後まで聞け。

 

「だが、いつまでもリョウの器を借りているわけにはいかない。何より、歪んだ月たる私は、満ちたる私を取り戻したい。だから、リョウには私と一緒に幻日の狼を殺してほしいの」

「…………ヨシツネの名前と相槌以外の言葉も喋れたんだな」

「最初に言うことがそれかよ」

「無口NPCが饒舌になった時、こういう気持ちにならない?」

「なるけども」

 

 肯定はしておいた。現状の心当たりを聞いた時、ほぼ似たような感想を抱いたからな。

 俺もすぐには理解できず、進行中のミッション詳細を見てなんとか合点がいった。彼女には酷な話だとは思うが、もう少しシステム的に話してほしい。

 

「えーっと……」

「つまり今のは、朔くんが満月の夜かつ都電の沿線にしか出なかった理由と、今の状況に対する世界観的な説明ってことかな。言い回しから察するに、朔くんをタイマンで倒すことがフラグの条件で、それで専用ストーリーが進行されるって感じっぽい?」

 

 設定の濁流を咀嚼するのに時間がかかっているアーサーを後目に、四月一日はさらりと噛み砕いた言い回しを口にした。

 

「朔くんストーリーのラスボスが幻日の狼で、そのボスを朔くんと一緒に倒してもらいたいのがゲーム側の意図かな? とはいえボスを倒す前に朔くんが自由に行動できるようになると設定に齟齬が生まれちゃうから、プレイヤーとエネミーの関係を陰陽に例えてアバターの入れ替えイベントを仕込んだってところかなあ。でも面白いね。満月の夜に出るエネミーが朔を冠しているのは長らく不思議だったんだけど、朔っていうのは人間形態のことを表していて、力が最も強くなる満月の夜だけ限定的に自由になれるって設定なんだね」

 

 ノンブレスだった。やば。

 

「読解力やばすぎない?」

「さすが中二病罹患者……それっぽい台詞の読解力にかけて右に出る者はいないな……」

「怒るよ?」

 

 言いながら眼帯に手をかける四月一日に、俺たちは仲良くホールドアップする。

 朔さん、つられて手を上げなくても大丈夫ですよ。

 

「でも、そういうことなら得心がいくな」

 

 両手を下ろしながら、アーサーが口を開いた。

 

「お前に対して、ルー・ガルーがやたら好意的すぎるなと不思議に思ってたんだよな。好感度が高すぎるっていうか。だけどヨシツネが彼女の中で強者として認められ、その上恩人というポジションに収まっているっていうなら腑にも落ちる」

「……まあ、大体そんな感じ」

「めちゃくちゃ複雑そうな顔で言うね、お前も。わからないでもないけどさ」

 

 呆れたように肩をすくめた後、エセ不良はまた不自然に視線を泳がせた。

 大方、好意のベクトルが恋愛感情じゃないことを不満がっていると予想したのだろう。

 その予想は残念ながら外れているのだが、そう思っていてくれた方が今は都合が良い。あえて答え合わせはせず、黙ることで肯定と受け取らせた。

 

 それにしてもお前、なんでさっきからちょっと挙動不審なんだよ。

 問いただそうと口を開きかけるが、その前に四月一日が喋り出した。

 

「ぼくの予想だと、幻日の狼は幻日の(アルター)マーナガルムだと思うんだけど。正解は?」

「さらっと該当エネミーが思い浮かぶのすげーな」

 

 伊達に博識強キャラムーブしてないなと思いつつ、俺は見えるようコンソールを開いた。

 

最後の偉業(ラストミッション)【幻日の狼を討て】

 達成条件:【幻日の(アルター)マーナガルム】ノーデス撃破。協力プレイヤー許容人数:2人』

 

「ラスト?」

「最初のは【一夜からの解放】ってやつで、達成条件が【朔のルー・ガルー】の撃破だった」

 

 ゲーマーらしく目敏い指摘をするアーサーに、用意していた答えを返す。

 突っ込んだことを聞かれたら諸事情で困ったが、その返答でひとまず満足したらしい。なるほどねと頷きながら、コンソールに表示された文章に意識を向けた。

 

「しかし協力許容人数か。参加上限じゃないんだね」

「本来は一人でやってもらいたいけど、厳しいだろうからこの人数までなら手伝ってもらってもいいよっていう圧を感じるねえ……」

「レイドエネミーを三人でノーデス撃破が妥協かあ……」

「こういうの頼めるのお前たちくらいだし、協力してくれたら嬉しいんだけど」

 

 言いながら、二人の様子を上目遣いで窺う。

 そんな俺を見て、アーサーと四月一日は肩をすくめながら笑った。

 

「他ならぬ親友(ヨシツネ)の頼みだからね。俺は構わないし、四月一日もOKだろうさ」

「ちょっと。協力はするけど、ぼくの意思を無視しないで」

「行動を開始する前に、いくつか確認しても?」

「ちょっと! アーサーちゃん!」

 

 四月一日の抗議を綺麗に聞き流しつつ、アーサーは指を三本立てた。

 そのうちの一つを下ろしながら、口を開く。

 

「なんで彼女、お前のことをリョウって呼んでるん? 本名じゃん」

「戦闘中に名前を聞かれるイベントがあって……その、つい……」

「ああ、せっかくだから本名を名乗っちゃったと」

 

 呆れた顔をされた。

 だって仕方ないだろ、好きな女の子に名前を聞かれたんだぞ。

 

「でも前時代のゲームじゃあるまいし、入力しましたはいもう修正できませんってわけでもないっしょ。AIの精度考えると、別の名前を呼ばせることもできそうだけど」

 

 そう言って、アーサーは朔に視線を向ける。

 攻撃されそうになったから迎撃を試みたと言っただけはあり、アーサー自体に思うところはないらしい。見つめられても不思議そうに小首を傾げるだけの朔に、アーサーはなんとも形容しがたい表情を浮かべた。

 

 気持ちはわかる。

 俺だってアーサーのアバターがこんな仕草したら同じ顔になる。

 閑話休題(さておき)

 

「質問です。朔のルー・ガルーそっくりのアバターが、朔のルー・ガルーに固執してることで名が通ってるプレイヤーの名前で呼ばれる光景を見たらどう思うでしょうか?」

「……お前が何かをこじらせたなって思うな、うん」

「はい正解」

 

 不具合だったとしても、いつ直るかわかったものじゃない。

 そういう思惑もあり、呼び方を訂正しようとは思わなかった。

 

「ちなみに朔って呼んでるのも似た理由」

「自分のアバターをルー・ガルーって呼びたくないからじゃなかったんだね」

「うるせえぞ中二病」

「ひどくない!?」

 

 図星を言い当てられたのでつい辛辣に返してしまった。

 いやあ、うん。だって見た目は完全に俺だし……。アバターが元に戻った後でも、朔という名前ならそのまま移行しても違和感がないからWin-Winだ。

 

「嫌でも名前が目につくディスプレイタイプのゲームと違って、VRだとプレイヤーネームの確認なんてそうそうしないしな」

「ああ、そのプレイヤーネームのことなんだけどさ」

 

 締めくくろうとした俺に、立てた指を一本にしたアーサーが待ったをかける。

 

「ん?」

「実は昨日の夜、ルー・ガルーがイケブクロ駅に現れたって大騒ぎになったんだよな」

「へ? …………あー、あーあー」

 

 一瞬首を傾げて、すぐに心当たりが思い浮かんだ。

 入れ替わり事件のインパクトが強すぎて、それより前のことをすっかり忘れていた。めっちゃ目撃されてんじゃん俺……。

 

 そうなると既にこじらせたって話されているのでは……?

 思わず顔をひきつらせた俺を安心させるように、アーサーはさわやかな笑みを浮かべた。

 

「安心しなよ。イケブクロ駅を全力疾走してる動画は出回ってるけど、名前表示のUIがバグってるからプレイヤーなのかエネミーなのかわからないって言われてたからさ」

「素直に胸をなでおろせないんだが?」

 

 出回っている動画ファイル、謎のバグで破損してくれねえかな。

 ……ん?

 そこで、一つの疑問が浮かんだ。

 

「でもお前ら、俺のプレイヤーネーム見て納得してなかった?」

「うん。俺たちの視点だと特にバグってなくてさ。だから検証したいんだけど、四月一日、ためしにヨシツネをフレンドから外してみてくれない?」

「Pardon?」

 

 四月一日はネイティブみたいな発音で聞き返した。

 

「だって、フレンド申請できませんって出る可能性あるし」

「ぼくを人身御供にしていい理由がないけど?」

「そうなると四月一日が確定で【無比の六発(ゼクス・クーゲル)】使う時の人身御供(ダメージリソース)になるけど」

「仕方ないなあ!」

 

 やけくそのように声を荒げながら、四月一日はコンソールを開いた。

 白魚のような指が動くこと十数秒。

 

「あ、プレイヤーネームバグったね」

「なるほど。フレンドには正しく見えるわけか」

「謎仕様だな……バグるのは助けるけどよ」

「誰かに協力を頼む時、困らないようにっていう配慮じゃないかな?」

「あー」

 

 納得の声を上げた。

 見た目どころか、VRオンラインでは変更できない声まで変わっているもんな。プレイヤーネームがわからなかったら、オフラインで繋がってないと本人だと証明する術がない。

 

「あとこのゲーム、フレンドのことを『現と夜を繋ぎ止める楔、赤い糸の如き絆にて分かちがたく繋がったもの』って説明してるから、そこらへんの世界観準拠もありそうだね」

「そんな説明もあったな……。と、フレンド申請送っといたぞ」

「ありがと~~~」

 

 秒で申請受諾の知らせが表示された。必死すぎる。

 いやまあ、気持ちはわからんでもないが。

 数少ないフレンドが減るの嫌だよな、お互いに。

 

「検証が無事に済んだところで、さて、どうするかね」

 

 この場で唯一のコミュ強者が、残った指を折りたたみながら俺に目線を向けた。

 色々やらなきゃいけないことは山積みだ。だが、何はなくとも最優先しなければならないことがある。俺は四月一日に目を向けると、深々と頭を下げた。

 

「装備してたアイテム全部持ってかれたので、急場しのぎの武器を……なにとぞ……」

「ええ……?」

「あ、だから朔くんが死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)を……?」

 

 悲痛な俺の言葉に、二人から憐みの視線が刺さった。

 

「一応聞くけど、手渡してもらうのは?」

「できたら頭下げてないんだよなあ……!」

「うん、そうだよな。ごめん」

 

 殊勝に謝られた。その態度が、今の俺の深刻さを雄弁に物語る。

 この仕様、プレイヤーによっては詰むんだよなあ……。入れ替わりを考えた奴、そこらへん絶対考慮してないだろ。

 

「そういうことなら、昨日ぼくの店に来てくれればよかったのに」

 

 もっともな言葉に対し、俺は首を横に振る。

 

「一人で状況を整理する時間が欲しくて……。あと、ここの倉庫に用があった」

 

 もっとも、成果は全くなかったが。

 アバター変えるアイテムでも見た目が変わらないってどういうことだよ。

 

「にしても武器なしでよくここまで来れたな」

「雑魚が寄ってこなかったからなんとかなった」

「あー……」

「ああ……」

 

 アーサーと四月一日が察したような顔で朔を見た。

 大正解だけど虫よけスプレーを見るような目はやめろ。確かに超強力な虫よけスプレーばりにエネミーが近寄ってこなかったけれども!

 きょとんとする朔を守るように、両手を広げてディフェンスを試みる。

 そんな俺を見て、アーサーはまた目を泳がせた。

 

「あー、武器より先に用意すべきものがあると思うんだが」

「ん?」

 

 首を傾げれば、奴は非常に言いづらそうな様子で口を開いた。

 

「ヨシツネ、足開いて座ってるからさあ。見えるんだよな、スカートの中」

「……………………」

 

 数秒後。

 俺は思い切りスカートの端を押さえた。

 

 

 

 ひとまず『フェルリエラ』に移動しようと、俺たちは家を後にした。

 他プレイヤーに遭遇した時に備え、アーサーたちが前を歩く。俺と朔はその後ろに続いた。

 屋根伝いに移動するか、無人タクシーを使うか。移動手段を相談する二人の背中を眺めてから、隣を歩く朔をちらりと見やった。

 

 朔はアーサーたちを淡白な顔で見ていたが、俺の視線に気づくと頬をほころばせる。その表情の変化が、彼女の中で俺という存在が頭一つ分抜けていることを表していた。

 それが嬉しくないと言えば、もちろんそんなことはないのだが。

 

(俺の顔じゃなかったらなあ……)

 

 ()()()()()()()()()()()()、なんでなんだよと思わずにはいられなかった。

 内心小さく溜息をつきながら、俺はそっとコンソールを操作し、一つの画面を呼び出す。

 そこでは、現在進行中のストーリーやミッションの一覧を確認することができる。この中からタイトルをタップすることで、その詳細が見られるシステムになっていた。

 さっき二人に見せたのは、ラストミッションの詳細。

 百聞は一見にしかずというのもあったが、一覧を見られると困るというのもあった。

 

・進行ストーリー一覧

 夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】1/3

・進行ミッション

 弐の偉業(セカンドミッション)【人狼と真の絆を育め】

 最後の偉業(ラストミッション)【幻日の狼を討て】

 

 セカンドミッションと書かれたところに指を置き、その詳細を開く。

 

弐の偉業(セカンドミッション)【人狼と真の絆を育め】

 達成条件:【朔のルー・ガルー】の好感度を最大値まで上昇』

 

 四月一日はこの入れ替わりを、設定の齟齬をなくすために用意されたイベントだと推測していた。それは間違っていないのだろうが、おそらく完全正解でもないと思う。

 

 ……俺はあまり、恋愛ものには詳しくない。

 だが、そんな俺でさえ知っている恋愛もののジャンルがある。

 かなり前に公開された映画によって市民権を獲得し、世界的にも大ヒットしたアニメ映画の影響で広く認知されるようになったそのジャンルの名は――入れ替わりもの。

 

(ストラテジーって、確かに攻略って意味もあるけどよ……)

 

 恋愛的な(そっちの)意味での攻略なのは予想してない。

 もう一度胸中で溜息を零しながら、コンソールを閉じる。

 嬉しいか嬉しくないかで言えば、そりゃあ嬉しいに決まっているが……。

 どうにも乗り気になれない。その理由はわかりきっている。

 

「?」

「俺の顔なんだよなあ……」

 

 入れ替わりネタ以外になかったんですか、運営さん。



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前のめりの狼、引け腰の人間

RTNコミュニティー掲示板:タイトウエリア雑談版

 

 天麩羅

 まってまってまって

 

 ☆

 どうした

 

 国広

 何かあったの?

 

 天麩羅

 マーナガルムに襲われた

 

 タタラ

 スレチだぞ

 

 複福々

 アラカワ板かレイド板に言ってどうぞ

 

 天麩羅

 (画像)

 

 あたらんて

 相変わらずもふもふしてる

 

 タタラ

 残念だが剛毛なんだよなあ

 

 英雄

 ん?

 

 英雄

 ここ遊園じゃなくない?

 

 複福々

 あ、ほんとだ。ビル映ってる

 

 あたらんて

 よく見たらサイズも一回りくらい小さいね

 

 タタラ

 えっ、これでサイズわかんの……?

 

 国広

 狩猟組合こわい

 

 あたらんて

 怖くないです

 

 あたらんて

 中型形態がこんくらいだよ

 

 ☆

 ちなみにこれコラ? ガチ?

 

 天麩羅

 コラじゃねえって!

 

 天麩羅

 さっき襲われたんだよ!

 

 国広

 えっ、チヨダで?

 

 ☆

 アラカワエリアのレイドなんですがそれは

 

 トールマン

 風神雷神に喧嘩でも売りに来たのか?

 

 複福々

 北欧の狼VS極東の神

 

 英雄

 で、マジでガチなん?

 

 天麩羅

 すぐばれるような嘘つかねえよ

 

 天麩羅

 戦闘してたら急にエネミーが逃げ出してさ

 

 天麩羅

 首傾げてたら上からでかい狼が降ってきた

 

 トールマン

 晴れときどき狼

 

 国広

 嫌な天気すぎる……

 

 複福々

 えー、似たような見た目のエネミーとかじゃなく?

 

 天麩羅

 アルターマーナガルムとエンカウントしましたって出たし間違いないはず

 

 天麩羅

 めっちゃびっくりしてちゃんと見てはないけど

 

 タタラ

 見間違い説出てきたな

 

 国広

 これだけ大きい狼エネミー他に見たことないし、新種?

 

 ざるそば

 いや、俺もアルターマーナガルムって出た

 

 天麩羅

 ざるそば!

 

 ざるそば

 ドーモ、武器作ってもらうために素材集めしてたら武器失いそうになりました

 

 ざるそば

 耐久力辛うじて残ってるけど直るかなあれ……

 

 複福々

 名前の並びが面白すぎる

 

 ☆

 飯テロかな?

 

 国広

 お腹空いてきた

 

 あたらんて

 明日のお昼は天ざるに決まった

 

 ざるそば

 俺らのフレンドにお寿司もいるぞ

 

 トールマン

 江戸の三味じゃん

 

 天麩羅

 冷静だなざるそば!

 

 ざるそば

 掲示板見に来たら先にお前が醜態晒してたから……

 

 天麩羅

 てめえ!

 

 タタラ

 ワロタ

 

 ☆

 辛辣で草

 

 国広

 まあ、他に焦ってる人見ると自分は落ち着くのあるから……

 

 英雄

 しかし二人も見たってなるとやべーな

 

 あたらんて

 この前の新月に狩猟組合で倒したから、リスポーンまだのはずなんだけど

 

 タタラ

 バグか?

 

 ざるそば

 運営に問い合わせ中

 

 ざるそば

 しかし、ちょっと不思議な感じだったんだよな

 

 複福々

 というと?

 

 ざるそば

 なんつーか、俺たち襲ったのはもののついでみたいな感じがしたんだよな

 

 ざるそば

 目的地に向かう途中に障害物がいたから、轢き殺したみたいな

 

 天麩羅

 えっ、そんな感じしたか?

 

 ☆

 うーんこの差

 

 英雄

 天麩羅ニキに比べてざるそばニキが冷静すぎてマジ笑うんだよな

 

 

 

 

 

「おはようございます、弟くん」

「夜の八時だよダメ姉。おはよう」

 

 ペットボトルを片手に自室に入ろうとしたところで、隣室のドアが開く。

 そこからぼさぼさ頭で出てきた姉さんに、俺は丁寧に今の時刻を教えてやった。

 

「十二時間前なら規則正しい起床時間なのでセーフですよ」

「そんなガバガバなセーフ理論があってたまるか」

 

 トンデモ理論を振りかざす姉さんに呆れ顔をした後、掴んだだけのドアノブを回した。

 

「鍋にカレーがあるから、それ食べてな」

「おや、弟くんの得意料理じゃないですか。お肉はなんですか?」

「安売りの牛」

「牛さんは久しぶりですねえ。俄然楽しみになりました、ありがとうございます」

 

 そんなやりとりをしつつ、部屋に入ろうとする。

 だが、その前に「弟くん」と声をかけられた。

 

「決行の日からもう一週間になりますか。ゲームはその後、どんな感じですか?」

「んー……。まあ、悪いようにはなってないよ」

「そうですか。それならいいのですけどね」

「?」

「ふふふ。それではおやすみなさい、弟くん」

「……ん。おやすみ」

 

 意味深な物言いに首を傾げるも、意味深に笑われるだけだった。

 そして、そのまま姉さんは階段を下りて行ってしまう。気になりはしたがわざわざ引き留めるほどでもなかったので、俺もそのまま見送って部屋に入った。

 

(まあ、変に食いついてイベントの説明求められても困るしな)

 

 そんなことを思いつつ、ベッドに腰かける。

 手に持っていたスポドリを半分ほど飲み、軽くなったペットボトルをVRヘッドセットと交換する形でサイドテーブルに置く。そして、楽な体勢でごろりと寝転がった。

 

 ヘッドセットを装着し、開始(ログイン)と頭の中で考える。

 視界が暗転。脳に送られた世界(データ)を読みこみながら、意識が沈んでいく。

 それから数十秒後。甘い香りとともに、俺の目の前にはほの明るい空間が広がっていた。

 

 いつもログインしている拠点(ターミナル)とは、似ても似つかない光景。

 それもそのはず。なぜならここは『フェルリエラ』の中なのだから。

 もっともここは店舗スペースじゃなく、その奥にある休憩室(セーブポイント)だ。部屋の片隅にはシーツも枕も黒一色のベッドが置かれ、中央には応接間にありそうなガラスのテーブルと、その両端に置かれた黒い革張りの長椅子があつらえられている。

 

「よお、ヨシツネ」

 

 そんな革張り長椅子に、アーサーが座っていた。

 ティーカップを優雅に持ち、嗜好品(フレーバーアイテム)の紅茶を飲んでいる。見た目が不良(みため)なだけに、なんともシュールな光景だ。様になっているのが、余計に違和感を強くしてた。

 

 もう一つの長椅子には、朔が横になって寝息を立てている。

 それを起こさないよう、小さめの声音で返事をした。

 

「おっす。来てたんだな、アーサー」

「四月一日に呼ばれてな」

 

 そう言いながら、アーサーはティーカップをテーブルに置く。

 そして、俺を頭のてっぺんからつま先まで眺めてから。

 

「ほんと、見事にバストアップしたよな」

「その首落とすぞてめー」

 

 ガチトーンで脅した。この体に不埒な感想を寄せるな。

 でもびっくりするほど胸元が楽なんだよなー今!

 

 胸をぎゅうぎゅうに締めつけていたサラシを外し、フレーバーアイテムの下着を身に着けたことで、ずっと付きまとっていた息苦しさから解放された。

 今、あの息苦しさを再び味わいたいとは思わない。

 例えうっかり腕を組もうとしたら柔らかい感触が当たり、肩に原因を考えたくない重みを感じるようになっていたとしても、だ。

 まさかこんなご立派なものを隠していようとは……いやいやいや、考えるんじゃない俺!

 

 邪な感情を振り払うように、ぶんぶんと首を大きく横に振る。その動きに合わせて、目深に被ったフードの裾がぱたぱたと揺れた。

 そんな俺を見て、アーサーがなんともいえない表情を浮かべる。

 

「中身がヨシツネなのに可愛い仕草しないでほしい」

「ぶっとばすぞ」

 

 不埒者を睨みつけながら、アーサーの横に腰を下ろした。

 ガード力に定評のあるスパッツ先生のおかげで、足を組んでもいいのがありがたい。女の子みたいに足を閉じて座るの、とっさにできないんだよな……。

 

 ズボンを穿けたらそれが一番よかったが、メインの服を変更するのはダメですとシステムに言われてしまった。今はフード付きの上着にスパッツ、下着(ごにょごにょ)と、オプションパーツで身を固めている状態だ。

 顔が隠れ気味というだけで、外を歩く時もだいぶ心が軽い。フード様様である。

 

「店長は?」

「作業場にこもってる。そろそろ終わるころだろうから、飲んで待ってれば?」

「余分なカップがテーブルにないんだが?」

 

 座ったばかりの長椅子から立ち上がり、キッチンにある収納棚(アイテムボックス)からティーカップを取り出す。それを片手に戻ったところで、長椅子を一つ占領していた長身が身をよじらせた。

 自分で設定しておいてなんだけど、ほんと背高いな(ヨシツネ)

 

「ん……」

「おはよう、朔」

「リョウっ」

 

 体を起こした朔に声をかければ、朔は安心したように顔をほころばせる。

 

「くっそ……」

「いい加減慣れれば?」

「お前に、お前にわかるか……!? 好きな女の子のデレ行動を自分の顔で見なくちゃいけない俺の気持ちがわかるか……!?」

「正直めちゃくちゃ面白い」

「ちくしょう!!」

 

 呻きながら朔の隣に腰を下ろした。

 テーブルに置いてあるポットに手を伸ばし、紅茶を淹れる。それを朔に渡そうとすれば、寝起きに漫才を見せられて困った顔をしている朔と目が合った。

 

「ああ、いつもの発作だから気にしないでくれ」

 

 安心させるように、片手をひらひらと揺らす。ちゃりんと、その動きに合わせて、手首にはめた四葉のチェーン(買ってくれた人・アーサー)が涼やかな音を立てた。

 朔とお揃いなのが地味に嬉しい。

 

「……ん」

 

 銀色の鎖をしばらく見た後、納得したように首を縦に振られた。

 

「自分で発作って言うのウケるな」

「うるせえぶっ飛ばすぞ」

 

 プロレスを横目に、朔はちびちびとカップの中のものを飲み始める。

 ここに連れてきたころは飲食物を渡しても首を傾げるばかりだったが、一週間も経てば自然と慣れてくるらしい。まだまだぎこちないものの、人になじみつつある彼女を見ていると安心するものがあった。

 

「つーかまた寝てたのな」

 

 横顔を眺めつつ、ふと疑問を口にする。

 それに答えたのはアーサーだった。

 

「ヨシツネいなくなるといつの間にか寝てるんだってさ。四月一日が言ってた」

「そうなん?」

 

 朔に問いかければ、彼女はこくりと頷いた。

 

「リョウがなるべくその場を離れるなと言うから待機しているのだけど、徐々に眠くなるので身を任せている。攻撃の気配を感じたら迎撃できるよう努めてはいるけれど」

「はぁん?」

「ストーリー進行中のNPCにうろちょろされてもプレイヤー的に困るし、特にこいつはエンカウント表示出るからな。そこらへん運営が配慮してんじゃないのかね」

「あー、なるほどな」

 

 得心していると、なぜかその推測を話したアーサーが納得いかなさそうな顔をした。

 

「どしたよ」

「いやあ、苦言を呈さないんだなあと」

「?」

「こっちの話だ。気にすんな」

 

 首を傾げる俺に、アーサーは片手をひらひらさせながらカップに口づける。

 それについて問いただすより早く、扉の開く音が聞こえた。

 振り返れば、伸びをしながら作業場から出てくる四月一日の姿が目に留まる。隻眼はすぐに増えている客人に気づいたようで、嬉しそうに細められた。

 

「やあヨシツネちゃん、いらっしゃい」

「よお、四月一日。何作ってたんだ?」

「何って、君の新しい武器だよ。頼んだの君じゃないか」

「おっ、マジか」

 

 思わず立ち上がれば、そのリアクションを待っていたとばかりに四月一日はコンソールを開く。そしてインベントリから、鞘に収まった脇差二振りに太刀一振りと、合わせて三振りの刀を取り出した。

 

「三刀流でもしろってか?」

「デーバくんとキャラ被るじゃん。君のはこの二振りだよ」

 

 共通のフレンドを引き合いに出しつつ、脇差を掲げる。

 それを受け取ろうと手を伸ばしたが、奴は寸前ですっと手を上に上げた。何も掴めなかった俺の手がすかっと空振りをする。

 

「素寒貧の君にはまだあげないよ。今日のバイトが終わってからのお楽しみ」

「ぐぅ……」

 

 がっくりとうなだれるが、素寒貧なのはその通りなのでぐうの音も出なかった。

 

 そもそも、この前持ちこんだ素材が余っていたとはいえ、素材集めを手伝うのを条件に武器を用意してもらえたことが既に出血大サービスなのだ。

 対【朔のルー・ガルー】戦の資金集めに予備の武器を売り払ってしまったので、こういう融通はマジで助かる。俺がログインできない間に朔の面倒を見てもらっているのもあり、そろそろ様付けで呼ぶか検討するほどだった。

 いや、本当に実行はしないが。四月一日の顔がゆでだこになりそうだし。

 

「じゃあ、その太刀は誰のなんだ?」

 

 やりとりを眺めていたアーサーが、当然の疑問を口にする。

 待っていましたとばかりに、四月一日はドヤ顔をした。

 

「これはねえ」

 

 言いながら、長椅子の方に足を向ける。

 そして、我関せずとばかりに紅茶をちびちび飲んでいた朔の前に立つ。そこでようやく顔を上げた朔を見て満面の笑みを浮かべながら、手に持っていた太刀を差し出した。

 

「朔くん用にあつらえた刀さ! 名前は【連理の枝(ダイトウレン)】だよ」

「珍しいな、和名っぽい感じの武器」

「いつも横文字なのに」

外野(そこ)、うるさいよ」

 

 無粋な感想を口にする男二人を眼帯に手にかけつつ睨みつけてから、改めて朔の方に向き直る。朔は四月一日の顔と差し出された刀を交互に見た後、怪訝そうに首を傾げた。

 

「なぜ?」

「理由は二つあって、まず一つは君が今持っている死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)は二振りで一つの武器として造ったからだね。そのまま振るわれるのはぼくの矜持に反する」

 

 朔の疑問に、四月一日は彼女の腰から吊られた黒い牛刀を見つつ答える。

 

「もう一つは、君とヨシツネちゃん――君にとってはリョウちゃんか。ともかく、君たち二人を見ていてインスピレーションが湧いてしまってね。衝動的に造ってしまったから、よければ受け取ってもらえないかな?」

「……」

 

 四月一日の言葉を受け、朔は窺うような様子で俺に視線を向けた。

 

 この一週間、寝ている時間の方が長いとは言え、一番朔の近くにいたのは四月一日だ。さすがに無関心のままとはならないようで、彼女は四月一日に何かを施されると戸惑うように俺を見るようになった。

 肩を軽くすくめつつ、笑って後押しをする。

 

「ありがたく受け取っとけよ。切れ味は保証するからさ」

「……ん」

 

 俺の言葉に頷いてみせた後、朔は差し出された太刀を受け取った。

 心なしか嬉しそうな雰囲気を漂わせている。四月一日にもそれがわかるのか、渾身のドヤ顔を浮かべていた。

 なんというか、微笑ましい光景である。

 

 ……妬いてない、妬いてないぞ。

 危機感も覚えてないぞ。

 

「好感度、四月一日に負けてたりして」

「そ、そんなことねーし!」

 

 アーサーのからかいに、三重の意味で動揺しつつ反論を返した。

 

「さてと」

 

 そんなやりとりをしていると、表情を切り替えた四月一日がこっちを見た。

 

「ヨシツネちゃんもログインしたし、そろそろ今日のバイトをお願いしようかな」

「へいへーい」

「今日はぼくも行くから、アーサーちゃん店番お願いね」

「ほいほい」

 

 四月一日に呼ばれた件はどうやら店番(このこと)らしい。アーサーは長椅子に腰かけたまま、いってらっしゃいとばかりに手を振った。

 

 えっ、じゃあ朔とアーサー二人きり?

 その疑問が顔に出ていたのか、今度は違う違うと手が振られた。

 

「さっちゃんも同行させるんだとさ」

「だから武器あげたんだよ」

「は!?」

「ちなみに朔くんには了承をもらってる。というか朔くんがぼくにお願いしたの」

「はあ!?」

 

 素っ頓狂な声が上がった。

 

 なんでお願いなんかされてるんだよ。あとさっちゃんって親しげに呼ぶな。

 どういうことだと朔に顔を向ければ、朔は太刀を持って立ち上がる。俺に見下ろされるのではなく見下ろすようになった彼女は、いつになく真摯な顔で口を開いた。

 

「満月の夜は近いわ。それまでに、私はこの体で戦うことに慣れなくてはいけない」

「それは……」

 

 言葉を濁しながら、目を逸らす。

 

【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】に関わるミッションは三つ。

 その中で最終ミッションとして課されているのは、【幻日の(アルター)マーナガルム】と呼ばれるエネミーのノーデス撃破だ。

 

 魔獣カテゴリーエネミー【幻日の(アルター)マーナガルム】。

 こいつは、アラカワエリアにある【アラカワ遊園】という場所に出現するレイドエネミーである。

 新月、そしてかなりレアだが、どこかで日食や月食が起こった夜にしか出現しない。

 推奨レベルは99。ストラテジーエネミーに次ぐ高難易度エネミーで、出現日に倒されることの方が珍しい強者としてRTNの高みに君臨している。

 

 俺もアーサーたちと一度挑んだことはあるが、辛勝だった。

 そんな相手に八日後、最低三人のパーティー+αでノーデス撃破に挑む。

 結構な蛮行だが、そうはいってもアーサーのスタイルは当時取得していなかった魔弾の射手(デア・フライシュッツ)になっているし、俺も魔獣特攻の獣殺し(ヴィーザル)を取得している。この三人なら勝算があると思ったからこそ、俺はアーサーたちを今回の一件に巻きこんだのだ。

 

 だから、できれば俺たち三人でなんとかしたいのだが。

 

「……やっぱ戦いたい?」

「私が由縁となっている戦いに、私が臨まないのは理に反する。何より、意味がない」

「だよなあ……」

 

 困ったように頬を掻く。

 

 彼女の言うことは正しい。

【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】が【朔のルー・ガルー】の物語である以上、朔不在で挑んだらフラグが立たない可能性は大いにある。倒しましたはい終わりですドロップアイテムをどうぞ、なんてことになったらそれこそ本当に意味がない。

 

 わかっていても難色を示さずにいられない理由はただ一つ。

 リバーストーキョーの世界では、NPCは死んでも復活(リスポーン)しない。

 だからこそ、【流し雛の形代(スケープゴート)】なんてアイテムが存在しているのだ。

 現在の朔がどういう立ち位置なのかはわからない。それでも死んだらそこでおしまいの可能性が否定できない以上、死ぬ危険性がある戦場に連れて行きたくはなかった。

 

「――――」

 

 胸から飛び散る黒い血。

 腕の中で冷えていく体。

 ゲームとは思えないほど真に迫った死の情景を思い出し、手を握りしめる。

 

「事前の準備運動なしで挑む方が死亡率上がるぞ」

「うっ」

 

 苦い顔をする俺に、アーサーが容赦なく現実を突きつけてきた。

 そこへ畳みかけるように四月一日も口を開く。

 

「マーナガルムに挑む時は朔くんいないとダメなのは、ヨシツネちゃんもわかってるでしょ。諦めなって」

「わかってるけどよお」

「安心しなさいな。朔くんにはちゃんと【流し雛の形代(スケープゴート)】を渡しているからさ」

「四月一日様!」

「様付けはやめて」

 

 ゆでだこにはならなかったが案の定拒否られた。

 閑話休題(さておき)

 

「……あんま無茶はしないでくれよ」

 

 一対三では勝ち目もない。向こうの方が正論を言っているならなおのこと。

 白旗を上げるようにそう言えば、朔はこくりと頷いた。

 

「善処する」

 

 大丈夫かなあ……。



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楽しい蜘蛛退治

[攻略フェイズ【朔のルー・ガルー】がセーフティーゾーンからフィールドへ移動]

[【朔のルー・ガルー】の好感度を確認――――確認完了]

[イベント【急襲する獣】発生条件のフラグが確立]

[イベント【急襲する獣】を開始します]

 

《リバーストーキョー・ナイトメア》のマザーコンピューターが、虚構の夜で起きた事象を目まぐるしく計算し、その結果をもとに命令(コマンド)を入力する。

 

 その命令(コマンド)は、夜を生きる魔性(エネミー)にとっては天啓の囁きにして直感の発露

 ゆえに、巣にこもっていた獣はゆるりと面を上げた。

 

『グルゥ』

 

 短く唸りながら鼻をひくつかせ、においを嗅ぐ。

 鋭い嗅覚をくすぐるのは、彼の支配下から逃れてしまった甘美な芳香。それを嗅ぎ取るや否や、狼は半端者(プレイヤー)たちとの交戦で消耗している体をゆっくりと起こした。

 

『……グルルッ』

 

 そして、期待に喉を鳴らしながら、獣は月が半分欠けた空を仰ぎ。

 

 ――――ウォォォォォォォォォォン……

 

 咆哮を、高らかに響かせた。

 

 

 

 遠吠えのようなものが、聞こえた気がした。

 

「……ん?」

 

 チヨダエリアにある廃ビルの中で、俺は思わずそちらの方を見る。

 反射的な行動は、目の前にいる敵対者には絶好の隙となる。それを失念して慢心を晒した俺に、目の前にいた半裸の痴女はチャンスだとばかりに口から糸を吐いた。

 

「うおっと!?」

 

 首を傾け、ギリギリのところで攻撃(いと)をかわす。後ろでべちゃりという音が聞こえるのに背筋を震わせながら、次弾をためている(リキャスト中の)顔を思いきり蹴りつけた。

 

 口から糸を吐く痴女とは言え、やりすぎじゃないかと思った諸兄。

 安心してほしい。白雪姫に出てくる小人のようなサイズの痴女さんは、ヘソの下から大型犬サイズの蜘蛛の体を生やしたごりっごりの化け物(エネミー)だ。

 

『シャア!』

 

 甲高い声を上げながら、痴女もとい蜘蛛女(アラクネ)が飛びかかってくる。その動きはなかなかに俊敏だったが、その程度の速さでは規格外(EX)のAGIとなった俺の敵じゃない。

 身軽すぎて慣れない体をよじり、突撃をかわす。

 そしてすれ違いざま、手に持っていた二振りの鉈で首を掻っ切った。

 

『ガ、ァ』

 

 断末魔(SE)とともに、黒い血霧(ダメージエフェクト)が迸る。それも数秒後には霧散し、蜘蛛女の痕跡は消えた。

 特に何も落ちない(ドロップしない)

 

「やっぱ泥率悪いな……」

『ギャッ』

 

 舌打ち混じりに呟いたところで、似たような断末魔(SE)が聞こえてきた。

 つられて声がした方を見れば、刀の切っ先に喉を貫かれた蜘蛛女と、それを無感情に見上げている長身の男というやばい光景が展開されていた。ダメージエフェクトが肝心な場所は隠していたが、構図がえげつない。

 

「ひえ……」

 

 顔をひきつらせていると、長身の男――朔が無造作に腕を振るった。

 遠心力で切っ先からすっぽ抜けた蜘蛛女が、壁に叩きつけられる。がくがくと痙攣した後に力なくうなだれたエネミーは、仲間と同じように黒い霧となって霧散した。

 

 ぽとりと。少し遅れて、蜘蛛女がいたところに白い糸玉が落ちた。

 それを見て、朔は無表情に近かった顔を嬉しそうにほころばせる。そして糸玉を拾い上げると、獲物をとってきた犬のように俺に向かって掲げてみせた。

 

 微笑ましい姿ではある。

 ついさっき展開された残虐風景と、入り口のところで恐れをなすようにこっちを窺っている蜘蛛女の群れがなければの話だが。

 いやまあ、昨日までの蜘蛛女ラッシュを考えればだいぶ楽ではあるんだけど。

 なんとも言い難い心境を抱きつつ、手に持った鉈のデータを確認する。

 

 軟そうな見た目に反してなかなか硬い蜘蛛女をかれこれ三十体は屠った二振りの鉈は、どちらもイエローゾーンに突入している。雷光の角(アステリオス)の試作品である二振りの鉈は手に馴染むが、試作品というだけあって防御性能は完成品に及ばないのが残念だ。

 そんな試作を振るう俺も、いい加減疲れてきた。HPやSANといったデータ面では余裕だが、操作するプレイヤーに疲労が蓄積している。

 

「……」

 

 ちらりと朔を見る。

 無表情だからわかりづらいが、彼女も慣れない体での戦闘に疲れてきていると思われる。確信はないが、横顔を見ているとなんとなくそんな気がする。

 

 ……って。

 

「朔! 腕!」

 

 反対側の腕が赤く滲んでいる。それに気づき、思わず声を荒げた。

 

「ん。……ああ、かすり傷だから。問題ないよ」

「問題大ありだっつーの!」

 

 見づらい位置にある傷に気づけたのは、ひとえに白い学ランのおかげだろう。自分の服が白いことを感謝しつつ、天井に向かって声を張り上げた。

 

「四月一日ー! 撤退!」

 

 しばらく経った後、壊れた窓から黒いスーツ姿の眼帯女が入ってきた。

 

「さすがは熟練の退魔士殿に夜の頂に立つ獣だ。息災そうだね」

「おう。そっちこそ余裕綽々なようで」

 

 眼帯女(わたぬき)は動きづらそうなスーツにそぐわない身軽さで着地した後、ロールプレイモードで声をかけてくる。ずっと素の四月一日と接してきた朔が怪訝そうな顔をするのを横目に、俺は片手を上げて応じた。

 

尽きずの(フラッド)アラクネと戯れるのは慣れているからね。後れをとりなどはしないさ」

 

 俺の言葉に、四月一日はどこか艶めかしい笑みを浮かべてみせる。

 演技(ロールプレイ)とは思えない自然な微笑みだが、「誰……?」と言わんばかりに朔がどんどん訝しげになっていくのが面白すぎて噴き出しそうだった。両方の反応に気づいている四月一日は、こほんと軽く咳払いをしてから口を開く。

 

「撤退の理由は……ああ、獣殿が負傷したのか」

「アラクネの猛毒にやられたら困るし、いったん退きたい」

「やれやれ。何とも心配性じゃあないか。ねえ、獣殿」

「ん。まだ余裕はある」

 

 話を振られれば、朔は少し不服そうな様子で同意を示す。

 しかし、俺もここは譲れない。

 

「いいから」

「……わかった」

 

 押し切るように言えば、こくりと首が縦に振られた。

 そんなやりとりに軽く肩をすくめた後、四月一日が改めて俺に顔を向ける。

 

「退魔士殿。【運命の糸(フェイト)】はどれだけ集まったかい?」

「ちょうど十個」

「おや。昨日までとは打って変わった成果なのだね」

「この体、LUC最低値だからな……」

 

 遠い目をしながら答える。

 バイト兼体慣らしとして、『フェルリエラ』の在庫補充に付き合うことはや五日。レアでもないドロップアイテムが落ちて一つ二つの日々を振り返ると胃が痛くなってくる。LUCでドロップ率に差が出るとはよく言われるが、それを実体験するとは思わなかった。

 

 そんな俺を見て若干気まずそうに笑ってから、四月一日はコンソールを開いた。

 虚空(インベントリ)から取り出されたのは、黒い拡声器(メガホン)

 中二病チックなカラーリングを除けばどこにでもありそうなそれを、まるで長年連れ添った武器のように構える。

 そして、キィンというハウリングとともに四月一日は息を吸い。

 

「SはSTUN(ストーン)。蛇に睨まれかちんこちん」

 

 マザーグースめいた韻を踏んだ詠唱が、散らかった廃墟の一室に響いた。

 途端、頂点(さく)に恐れを抱きながらも襲撃の機を窺っていた蜘蛛女たちが、凍りついたようにその動きを止める。建物の全体を見渡せる目は持っていないが、それでも拡声器(ぶき)によって射程と対象が上昇した術式がこの建物に巣食うシンボルエネミー・尽きずの(フラッド)アラクネを丸ごと硬直(スタン)させたのはわかった。

 

 状態異常にかかった魔性(エネミー)を一瞥した後、四月一日はくるりと背を向けて窓に向かう。不思議そうにしている朔に手招きをしつつ、俺もその後に続いた。

 

「相変わらずえげつない威力だな、裁定者(ルール・トーカー)状態異常(デバフ)

「お褒めに預かり恐悦至極だよ、退魔士殿」

 

 遠回しな褒め言葉は正しく受け取られ、四月一日は嬉しそうに頬をほころばせた。

 素に近い表情がようやく浮かんだためか、朔が露骨にホッとしたような表情を浮かべる。それにとうとう耐え切れず噴き出し、危うく窓から落ちかけた。

 



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急襲する因縁

「よし。こんなものだね」

 

 蜘蛛女が巣食うビルから少し離れた場所。

 朔の腕に包帯を巻き終えた四月一日は、己の仕事を見て満足そうに頷いた。

 

 RTNの包帯は、現実(リアル)の包帯と違うようで少し似ている。巻くだけで傷が塞がり、体力(HP)が回復するという仕様は現実にはないが、塞がるまでの間、傷口を守る役割を果たすという点は現実のそれと同じだった。

 つまり、即効性がない回復アイテムである。

 

「術で回復した方が早いだろうに」

「過ぎたるは及ばざるが如しだよ、退魔士殿。精神力に資源、どちらも有限である以上、より適切な方で処置をすべきなのさ」

 

 唇を尖らせる俺に、四月一日は回りくどい正論を返した。

 

 四月一日が取得しているレアスタイル【裁定者(ルール・トーカー)】は、術式のランクが自動的に一つ上がるチート級の常時発動(パッシブ)スキル【世界の理(バイブル)】を持っている。

 つまり、コモン術式はアンコモンに、アンコモン術式はレアになるというわけだ。

 これのどこがチートかと言うと、RTNではスキルにしろ術式にしろ、一人のプレイヤーはランクレアの技術を最大三つまでしか取得できない。だが、この【世界の理(バイブル)】があればその制限を無視してレア術式が使えるのだ。

 

 しかし、その代償として覚えている術式に専用(オリジナル)の詠唱をつける必要があり――言うまでもないが、四月一日はこの仕様をめちゃくちゃ喜んだ――、かつ消費SANが倍になるデメリットがあった。四月一日のSANは俺の倍以上あるものの、アラクネの群れを分断させるために結構使っているはずなので、温存したいという気持ちは理解できる。

 できるのだが。

 

「朔、痛みが引かなかったらちゃんと言うんだぞ」

「……」

「朔?」

「……ん。わかったわ」

 

 やや遅れてから頷くと、朔は少し離れた壁に寄りかかってしまった。

 かつて使っていたものより大きい刀を抱え、ぼんやりと宙を見ている。そんな朔をしばらく眺めた後、俺はぎこちない動きで四月一日の方を見た。

 

「ぶはっ。……おっと、失敬」

 

 奴は俺の顔を見て思いきり噴き出した後、取り繕うように謝った。

 

「不安がらずとも、君を嫌ったわけではないさ。少しだけそっとしておやりなさいな」

「そうか……そうだな……うん……」

「……えっと、とりあえず武器見せてもらってもいい? 耐久確認するから」

「おう……」

 

 素になった四月一日に促され、ホルスターに吊るしていた【試作・雷光の角(アステリオス)】を差し出す。

 四月一日はそれを遠慮がちに受け取ったかと思うと、数秒後には職人の顔になって検分を始めた。忙しない奴だと思いつつ、ホラー映画を見る心地で朔にもう一度視線を向ける。

 

 表情筋が退化したような(さく)の顔から、感情を読み取ることは簡単じゃない。

 それでも自分の顔だからなのか、中身がずっと好きだった女の子だからなのかは定かじゃないが、ジッと見ていればなんとなく何を思っているかわかる。気がする。

 

 そして、今の朔を見てわかるのは彼女が不満そうだということだ。

 進行中のミッションを思い出し、こめかみから嫌な汗が流れる。

 こんな生理現象も再現するなんてすごいよな。なんて考えが、唐突に脳裏をよぎった。体が朔のものであることも忘れ、思わず自分の頬を叩く。現実逃避すんな俺。

 

「……はあ」

 

 溜息を零し、頭をがしがしと掻く。

 恋愛要素があるイベントならまだしも、恋愛メインのシミュレーションは未プレイだ。好感度を上げろと言われても贈り物を渡すくらいしか思いつかない。ちなみに実行したが、普通に嬉しそうなだけで手ごたえはおぼつかなかった。

 

 朔の、【朔のルー・ガルー】の好感度の上げ方がちっともわからない。

 そんな中、彼女を不服そうにさせてしまったことはかなりショックだった。

 

(でも、心配なんだよなあ……)

 

 心配されるのを不満がられても、俺も困る。

 どう折り合いをつけたものかと、腕を組んで悩んでいると。

 

「――――ヨシツネっ!!」

 

 聞き覚えのない男の怒声が、辺りに響き渡った。

 聞こえてきたのは、蜘蛛ビルの反対側。そっちに顔を向ければ、RTNでは珍しいシンプルな白ランを着た半妖(けもみみ)男と、ボリュームがあるツインテを揺らす派手なギャルがいた。

 

 どっちも見覚えはない。

 だが、遠目でもしかめっ面になっているのがわかる男はまっすぐこっちに歩いてきていた。まあ思いきり名前を呼ばれたので、人違いというのはありえないんだが。

 

 問題は、彼が詰め寄らんとするヨシツネの中身が俺じゃないということだ。

 エンカウントポップが出てもややこしいことになる。彼が(ヨシツネ)に詰め寄りきる直前、俺は二人の間に体を割りこませて遮蔽を作る。そして、片腕を遮断機のように持ち上げた。

 

「そんなに怖い顔してどうしたんだい、にーちゃんよ」

(どうしてよりにもよって三下みたいな台詞を……)

(うるせーぞ中二病)

 

 四月一日の顔は見えないが、なんかそんなことを言いたげな顔をしてそうな雰囲気だった。なので心の中で反論しつつ、フードの陰から白ラン仲間の顔を窺う。

 

 意図して不細工にしない限り、アバターは美形になる。それは目の前の白ラン仲間も同じはずなのだが、目つきがたいそう悪いせいか、完全にツラの良いヤクザだった。

 そこまで背は高くないものの(比較対象:(ヨシツネ))、不機嫌な表情もあいまって迫力がある。内心圧倒されていると、白ランくんが口を開いた。

 

「オレはそこの奴に話があるんだ。悪いがどいてもらえないか」

 

 声は不機嫌そうだったが、俺に当たり散らすほど見境がないわけでもないらしい。人を殺せそうな眼光ながらも、想像以上に理性的な要求をされた。

 とはいえ、俺もはいわかりましたと退いてやることはできない。

 

 どうしたものかと思っていると、パンツが見えそうなほど短いスカートを穿いたギャルがひょっこり後ろから顔を覗かせた。

 足の方もさることながら、胸の谷間も露わになっていて目のやり場に困る。

 

「こいつさあ、この前そいつに討伐の邪魔されて怒ってんだよ」

 

 しかし、てかてかの唇から出た低い声にスンッとなった。

 中身(プレイヤー)は野郎かよ。損した気分になっていると、白ランくんがギャルを睨みつける。

 

「TON骨、勝手に話し出すな」

「こういうのはちゃちゃっと言った方が早いって。なあ? ……ん?」

 

 悪びれた様子も怯んだ様子もないギャルもといTON骨氏が、そう言いながら俺の方に顔を向ける。そして、不思議そうに首を傾げた。

 

「プレイヤーネーム見えないけど、UIバグ?」

「あ、ああ。そんなとこ」

 

 平然を装いながら答える。

 忘れてた。俺も俺で変なことになっているんだった。

 

 イケブクロ駅に出た朔のルー・ガルー(仮)と結びつけられたら困ったが、幸いそんな突飛な思考には至らなかったらしい。大変だなあと気遣った後、TON骨氏は(ヨシツネ)に顔を向けた。

 

「こいつ、入道ってんだけどさ。知らないとは言わせないぜ? 何せ、あんたがぞっこんの朔のルー・ガルーを倒そうって計画した奴なんだからな」

「TON骨っ」

「だからこっちの方が早いって。名前知ってても顔は知らないかもだしな」

 

 声を荒げる白ランくんこと入道氏を、TON骨氏は軽くいなす。

 ちなみに大正解だった。反射的に叫びそうになったのを堪えた自分を褒めたい。

 

(彼かぁ!!)

 

 朔のルー・ガルーを倒すため、俺はアーサーに討伐チームを足止めしてもらうよう頼んだ。断定形だったのはいささか不思議ではあったが、アーサーと俺の繋がりから主犯を察する奴はいるだろうとは覚悟していた。

 

 企画配信を装ってモンスタートレインを仕掛けるというアーサーの立案に軽く引きはしたものの、それにGOサインを出したのは他ならぬ俺だ。

 後悔はしていないが、罪悪感はある。当事者が俺を詰りに来るなら、それに応じる心積もりはしていた。していたのだが。

 

(中身がなあ……!)

 

 怪訝そうにしている朔をちらりと見た後、心の中で頭を抱える。

 付き合いが長いアーサーや四月一日ならまだしも、はじめましての方に現状を説明しても受け入れてもらえる自信がない。というか、下手したら妙な言い逃れをするなと余計に怒りを買う可能性がある。

 

 マジでどうしたものか。

 フードの下で百面相をしながらぐるぐる考えていると。

 

「やあ、退魔士殿。僭越ながら、少々よろしいかな?」

 

 ここにいることを忘れかけていた四月一日が、涼しい声で割って入ってきた。

 四月一日店長は、俺なんか足元にも及ばないほどRTNでは有名人だ。二人のプレイヤーも存じ上げていたようで、不意に声をかけてきた有名人に目を見開いた。

 そんな二人を見て笑みを深めた後、四月一日は朔に視線を向けた。

 

「どうやら、彼と浅からぬ因縁があるようだね。常ならば退魔士殿の事情に口を挟んだりはしないのだけれど、今の彼は世界との繋がりが混線しているのだよ。そんな状態の彼と話をしても、君たちが望む結果は得られないと思うのだけれど、どうかな?」

 

 ナイス四月一日!

 俺は心の中で良いパスを投げてくれた友人に感謝した。

 そして、中二病語を解読できず怪訝そうな顔をしている入道氏たちに翻訳を行うべく、不自然にならないよう口を開く。

 

「そうそう。ヨシツネくんね、会話UIが不具合起こしててレスポンスが悪いんだよ」

「あー、そういう意味?」

「そうそう。今はGM(ゲーム内メール)で意思疎通してる状態でさ。フレンド申請機能もバグってるみたいだから、ここで申請ってのも難しいだろうし。何より入道氏、メールですませたくないだろ?」

「……それは、まあ、そうだな」

 

 朔がほぼ無反応に近いのが、説得力の一助を担ったのだろう。俺たちの言い分を百パー信じたわけではないにしても、詰問がしづらい状態という点は信用したらしい。

 疑いの眼差しは向けられず、そういうことならという雰囲気が漂い始めていた。

 

 それでも入道氏は完全に納得できないようで、鋭い眼光を朔に向けている。

 にらみつける攻撃が、いつ朔に敵対行動を認識されるかわかったものじゃない。俺は入道氏に向かって両手を合わせると、深々と頭を下げた。

 

「今度話し合いの場はセッティングするし、ヨシツネには今回の件も合わせて土下座させて謝らせるからさっ。今は見逃してやってくんない?」

 

 な? と言いながら顔を上げ、小首を傾げる。

 

 あっ、やば。

 仕草に合わせてフードの裾が軽くめくれたのに気づき、慌てて目深に被り直す。それから改めて入道氏の方を見ると、氏はなぜかそっぽを向いていた。

 ワッツ?

 

「わ……っかったっ。必ず連れてきてもらうからなっ」

 

 反対側の首を傾げていると、入道氏はそっぽを向いたままそう言った。

 

「あー、入道もしかして」

「TON骨っ」

 

 何を察したのかニヤニヤしだしたTON骨氏を遮るように、入道氏は声を荒げる。

 なんだかよくわからないが、ひとまずこの場はなんとかなりそうだ。もう一度言う、ナイスパスだった四月一日。

 感謝の念を抱きつつ、こっそり四月一日にサムズアップをしようとした直前。

 

「――――」

 

 鯉口を切る音とともに、朔が殺気立った。

 

「っ、な、ちょっ」

 

 まとまりかけた話をご破算にするような挙動に、慌てて声をかける。

 だが、俺が彼女に真意を問うより早く。

 

「来る……!」

 

 ――――ウォォォォォォォォォォン!

 

 朔の声を掻き消すような、獣の咆哮が響いた。

 

「敵性反応接近、この色は……魔獣!」

 

 真っ先に反応したのは四月一日だった。

 スキル【サーモグラフィー】を発動させ、俺たちに状況を伝える。わかりやすい言葉で事態を飲みこんだ入道氏は双剣を、TON骨氏は指揮棒(タクト)をそれぞれ構えた。

 両手:素手の俺は、一瞬迷ってボクサーっぽい構えをとった。

 

「退魔士殿、これをっ」

 

 そんな俺に、四月一日が二振りの鉈を放った直後。

 月が欠けつつある夜空から、大きな白い塊が降ってきた。

 

『ガォォォォォォォォォォンッ!!』

 

 耳に痛いほどの吠え声とともに、着地の衝撃で割れた瓦礫が飛び散る。試作・雷光の角(アステリオス)をキャッチしつつ思わず細めた目が、眼前のウインドウを捉えた。

 それは、システムが告げるエネミーとのエンカウント。

 RTNでは日常的に目にするウインドウをしかし、俺は瞠目しながら見る。

 なぜならそこには、ありえない名前が書かれていたからだ。

 

『【幻日の(アルター)マーナガルム】とエンカウントしました 推奨レベル99 参加人数4/20』

 

 半透明のウインドウ越しに、白い狼が唸るのがわかった。



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急襲する獣①

「マーナガルム!? アラカワのレイドボスじゃん!」

 

 俺の気持ちを代弁するように、TON骨氏が驚きの声を上げる。

 それは彼も、いや、この場にいる全員が同じように驚いたことを知らしめる。だが、急襲してきた狼は、俺たちの動揺が収まるのを待たない。

 

『ウォォォォンッ!!』

 

 三度目となる咆哮。

 それと同時に、象サイズの狼が俺たちに向かって突進してきた。

 

「総員回避ーっ!!」

 

 声を上げた後、鉈の片翼を口に咥えて近くのビルに張りついた。

 巨体のくせに俊敏な狼の体当たりを、他のみんなも思い思いの方法で回避している。視線をさまよわせて朔の姿を探せば、ちょうど狼を挟んだ反対側のビルの窓に捕まっているのが見えた。音がくぐもった舌打ちをしつつ、ビルから手を離す。

 

「リョウちゃん! 耐久力かなり減ってるから気をつけて!」

 

 退魔士殿(いつもの)ではややこしいと判断したのか、若干素に戻った四月一日から忠告がかかる。とっさでもHN(ヨシツネ)じゃなく偽装用の名前で呼んだのは、さすがロールプレイヤーと言うべきか。

 

「りょーはい!」

 

 もごもごと返事をした後、咥えていた鉈を改めて片手に装備し(もち)直し。

 

「食らえや犬っころ!」

 

 真下にいるマーナガルムめがけて、振り下ろすように二振りの鉈を叩きつけた。

 数秒前の忠告を忘れたような所業だが、叩きつけるといっても鈍器ではなく刃物としてだ。手ごたえを感じた瞬間、手首にスナップをきかせて表皮に刃を走らせる。

 

『ガルゥゥッ!』

「うおっと!」

 

 しかし、もふもふした見た目を裏切る剛毛のせいでうまくいかず、嫌がるように身をよじらせたマーナガルムに振り落とされた。

 

 空中で一回転をし、着地。10点、10点、10点。

 我ながら見事な着地だったが、ドヤ顔するより早く反対側にいた朔が動く。

 

 ――繊月(センゲツ)、と。

 彼女の唇がそう紡いだ直後、鈍く輝く刀身が狼の首めがけて振り下ろされ。

 

「【高速詠唱】。AはALLOW(アーチャー)(アウル)林檎(アップル)も百発百中!」

 

 早口の詠唱とともに、眩く輝く光の矢が狼の額にぶち当たった。

 致命の刃と上位の術式を同時に受けたマーナガルムから、黒い血霧(ダメージエフェクト)が迸る。特に朔の一撃ではでかいダメージを被弾したようで、それに見合った量が噴出していた。

 

 しかし相手は、双肩にレイドエネミーという称号を乗せた白狼。

 即死完全耐性、あらゆる武器・術式への高耐性を標準装備(デフォルト)で兼ね備えている獣は、超高難易度(ストラテジーエネミー)からの即死攻撃であろうとRTN最高峰の術式使いの攻撃であろうと、等しくただの攻撃に貶める。

 

「幻日の狼ぃ!!」

 

 だが、朔もその程度では諦めない。

 聞いたこともないような怒号とともに、朔は続けざまにスキルを放とうとする。

 慣れていなければ対応が難しい二連撃だが、少しだがタイムラグがあった。そしてマーナガルムは、その攻撃は知っているとばかりにタイムラグに合わせて動いた。

 

『ガァァァッ!』

「っ」

 

 唸り声を上げながら、マーナガルムは首を大きく振って朔をはねのける。

 朔は体勢を崩すこともなく飛び退いたが、間合いを離脱しきれていない。

 さっきもそうだったが、本来の体に比べてかさ張る長身を、朔は明らかに持て余していた。ステータスも元より劣るのだから、動きにダイレクトに影響するのは自明の理とも言える。

 

 俺? やんごとなき事情により、違和感がないんだなこれが。下手すると自前のアバターよりも動かしやすい事実からは、目を背けたい。背けさせてくれ。朔は女の子にしては少し上背がある方なんだよ。

 閑話休題(さておき)

 

 当然のように狼はその隙を見逃さず、体の向きはそのままに(あぎと)が届く位置にいる体を噛み砕かんと口を大きく開いた。

 

「させるかぁ!」

 

 すかさず【八艘跳び】。ステータスの暴力に任せて跳躍し、無防備なケツに足裏を叩きこむ。

 

『ガァッ』

「うおっ!?」

 

 朔を食べようとした狼はてこの原理で体勢を崩したが、速すぎる跳躍を制御しきれなかった俺の体も反動で宙を舞った。

 俺が着地するよりも、マーナガルムが体勢を立て直し、俺に跳びかかる方が早い。

 

「ちょ、たんまたんまっ!」

「ったく……!」

 

 逆さのままタイムを申し出る俺の前に、舌打ちとともに白い背中が飛びこんでくる。白い背中は双剣でマーナガルムの突撃を受け止め、そして俺ごと近くのビルに突っこんだ。

 クッションになったが、割りこんでくれなきゃ突進の直撃だったのでそこは問題ない。ただ硬いケツが顔面に当たったので、退かす時は思わず雑に放ってしまった。

 

「ヘルプサンキュー、入道氏」

「礼の前に体勢を戻せっ!」

 

 謝礼の言葉を口にすれば、なぜか入道氏に怒鳴られた。解せぬ。

 首を傾げつつ、天地が逆転していた視界を元に戻す。瓦礫を払いのけつつ戦線に戻ろうとしたところで、クソデカ溜息が聞こえてきた。

 

「イレギュラーにノータイムで戦闘仕掛けるとか、あんた脳みそが筋肉でできてんのか!?」

「いやだって、エンカウントしちゃったし」

 

 戦隊ものの変身シーンじゃあるまいし、エネミーは律義に待ってくれない。理由を考察するのは戦闘が終わってからいくらでもできるが、戦闘は戦闘中にしかできないのだ。

 何はともあれ攻撃、攻撃、デストロイ。見敵必殺こそ一番の近道である。

 

 もっとも、理由はわからなくても原因に察しがついているのが、さっさと殴りに行った最大の要因なのだが。

 

 人型の獣と獣型の獣の交戦を見ながら、俺は苦々しく舌打ちを鳴らした。

 急いであっちに交ざりたいが、巻きこまれる形となった入道氏を放置していくわけにもいかない。俺と似た思考の四月一日が積極的に援護射撃をしている一方で、TON骨氏が指揮棒を持ったまま手持ち無沙汰になっているからなおさらだ。

 

「俺と店長とさ……ヨシツネさんはバトるけど、そっちはどーしますよ」

「……オレもTON骨も他で戦闘を結構こなした後だ。リソースは心もとない」

「おっ、奇遇~。俺も武器の耐久やばいし、店長もSANに余裕ないよ」

「それで斬りかかったのか!? アマゾネスかよ!」

「うるせえ見た目は超絶美少女だろうが」

「そ……れはそうだがっ」

 

 反射的に半ギレで返したら、入道氏は露骨に動揺した。なんだどうした、初心か?

 

「無謀バトルになるんで、チームメイトさんと離脱しても大丈夫っすよ」

 

 そう言って、俺は戦線に戻るべく一歩踏み出す。

 負け勝負にするつもりはさらさらないし、そのためには頭数は一人でも多い方が良いのが本音だ。だが、フレンドでもない初対面の人たちを問答無用で巻きこむのは違う。

 アーサーが居合わせたなら遠慮なく引きずりこめと言っただろうが、四月一日は強キャラロールが大好きなくせに根が甘ちゃんだ。俺の独断に文句を言ったりはしないだろう。

 

 俺の予想では、撤退濃厚参戦望み薄だった。

 レアイベントの可能性と天秤に乗せても、ここは離脱した方が賢い。

 しかし、さらに踏み出そうとした俺の隣には、白い学ランが肩を並べた。

 

「女二人にいけ好かない奴が戦ってる状況で、尻尾巻いて逃げたら男が廃る」

「ヒュウ」

 

 実に男らしい言葉に、思わず口笛を吹く。

 ちょっとクサい台詞だが、こういうのを素面で吐けるのも没入型(フルダイブ)VRの醍醐味だろう。そのいけ好かない男の中身が隣にいると知ったらやばいくらいの遺恨になりそうなので、墓場まで持っていく決意を固めた。

 

 つーか、一つの罪で発生したとは思えないくらいのつんけんさなんだけど。俺、知らないうちに入道氏の故郷の村でも焼いたのか?

 

「余力一番あるのヨシツネさんなんで、ラストアタックは彼に任せるけど」

「適材適所だろ、我慢してやる」

「話が早いっすわ。じゃあ双剣使い同士、デュエットと洒落こみましょう」

「オレは優しいからな。ちゃんとリードしてやるよ」

「ヒュー、かっこいいね入道氏! 惚れちゃいそう」

「んぐっ」

 

 入道氏がむせた。

 TON骨氏の言動を見る限り、これくらいの軽口はよく言われてそうなもんだが。もしや強面に似合わずマジで初心なのか? そんなことを思いつつ、アスファルトの地面を蹴った。

 

「四月一日! こっちに合わせてデバフぶちこめ!」

「っ、TON骨! 店長に合わせてその犬を押さえろ!」

 

 要請(ヘルプ)とともにマーナガルムに飛びかかれば、少し遅れて入道氏が続く。

 白狼は、小バエでも追い払うように尻尾を振るう。それを俺は屈み、入道氏は跳躍することでかわすと、そのまま手に持った二振りの刃で斬りかかった。

 

 近距離の同時攻撃を嫌がり、狼は大きく飛び退く。その追撃は入道氏に任せ、俺はマーナガルムの方へ向かおうとする朔の前に立った。

 彼女に背を向けたまま、片腕を遮断機のように上げる。

 

「奴の削りは俺たちがする。朔は上に隠れて、奴が弱った瞬間を狙ってくれ」

「リョウ、それは」

「いいからっ」

「……わかった」

 

 語気を強めに言えば、短い沈黙の後に了承が返る。

 それに安堵の息をついてから、俺は入道氏とマーナガルムの方へと向かった。

 

 



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急襲する獣②

 得物はどうやら銃剣だったらしい。入道氏は刀身で爪や前脚を捌き、マーナガルムが少し距離をとったところで銃弾を撃ちこむという形で応戦している。

 バ火力アーサーと違って一発一発は重くなさそうだが、攻防揃ったスタイルが今はうまくはまっているようで、白狼は不快そうに唸り声を上げていた。その分攻撃の苛烈さが加速しており、後ろ姿だけでもきつそうなのが窺えた。

 

「そろそろ混ぜろよ!」

 

 言いながら、リキャストが済んだ【八艘跳び】を発動(インプット)

 入道氏と狼の間隙を縫うように、今度は脳天に跳び蹴りをお見舞いした。でかい狼が後ろに吹っ飛び、俺も同じように吹っ飛んだ。

 今度は反動も計算入れていたので、空中でコマのように回って勢いを殺し、着地する。

 うぇ、きもちわる……。

 

「学習能力ゼロか!?」

「あの勢いで斬りかかったら武器壊れそうだし!」

 

 半ギレの入道氏にそう返してから、鉈を持って【攻勢】の構え。入道氏も同じモーションスキルを持っているようで、彼も同じように武器を構え直した。

 小さく息を整えてから、口を開く。

 

「入道氏~。マーナガルムとやりあったことは?」

「TON骨入れたチームで一回だけだ。そっちは」

「店長込みパで同じく一回。ちなみにあれ、何形態に見える?」

「最終」

「奇遇~。俺にもそう見えるわ」

 

 口調は軽く、握りしめた鉈の柄には重い圧をかける。

 

 レイドエネミーは馬鹿高いHPと形態変化ないしパターン変化がお家芸なところがあるが、幻日の(アルター)マーナガルムもその例に違わない。奴には三つの形態があり、目の前にいるのはおそらく最後に相手取る【凶狼形態(ラグナロク)】だ。

 でかさに似合わない俊敏さで痛い攻撃を浴びせようとしてくる上、確定即死の【噛み砕き(フィンスターニス)】を使ってくるようになるこの形態は、最後の難関に相応しい厄介さを有している。だが、この形態ということはHPがそう多くない可能性を示唆していた。

 

 こっちは消耗者が多い。ほぼ無傷の朔は、主軸にするには抵抗がある。俺には切り札(ビースト・ハート)があるものの、SAN管理をミスった瞬間に戦犯となるし、何より今のステータスさえ持て余しているのに超高補正なんて乗せたら制御できない。

 とれる戦法は限られてくる。というか一つしかない。

 

「「速攻!!」」

 

 すなわち、こっちが倒れるより早く相手を倒す!

 

 入道氏とハモりながら、跳びかかってくるマーナガルムに突撃を仕掛ける。

 狙ってくださいと言わんばかりの雑な突撃を迎え撃たんと、白い狼は鋭い爪が生えた前脚を振るおうとするが。

 

「BはBIND(バタフライ)。八本脚のねぐらに哀れ捕らわれ、翅はバリバリ、胴はむしゃむしゃ!」

「影よ、我が従僕よ。我が眼に映るものを、黒き腕に抱け! 【影縛り】!」

 

 機を窺っていた四月一日とTON骨氏が、俺たちに合わせて素早く詠唱を行う。それに呼応するように狼の足元から伸びた黒い手が奴を捕らえ、身動きがとれなくなったところで感電でもしたように白い巨体は完全に動きを止めた。

 レイドエネミーであるマーナガルムにアンコモン以下の術式は効きが悪いが、レアなら十分足止めできることは実戦で把握済みだ。レアにランクアップした四月一日の束縛とTON骨氏が放った影使い(スタイル)固有の拘束は、でかい犬を見事大人しくさせた。

 

 つまり、今の奴はただの的!

 ちらりと上の方を一瞥すれば、ビルに張りついた朔と目が合う。

 

「朔! ここに合わせろ!」

 

 俺の声に、朔は力強く頷きながら体勢を変える。それを確認してから、柄に力をこめた。

 

「前脚ぃ!」

「おう! 痛苦なく汝を斬らん【神速の太刀】!」

 

 狙うところを示し合わせて、お互いに得物を振るう。

 最優先で殺ぐのは機動力と武器。かすっただけでこっちにでかいダメージを与えてくる前脚をぶった切ってやろうと、EXランクのSTRで試作・雷光の角(アステリオス)を振るう。

 

 ――――にやり、と。

 白い狼はその時、人間臭い笑みを浮かべた。

 

「?」

 

 それを怪訝に思うと同時に、前脚狙いの鉈が大きく空振り。

 

「ぐぁっ!?」

「うぐっ!」

 

 上から石のように硬い肉球を叩きつけられ、潰された蛙のような声が上がった。

 ご丁寧に体重をかけられる。象相当の重みに圧し潰され、並大抵の防具より硬い今の体でもHPが大幅に削られるのがわかった。

 

「リョウちゃんっ!」

「入道!?」

 

 俺たちを案じる声が、遠くに聞こえる。

 それに応えるには、頭の中に疑問符が浮かびすぎていた。

 

(振り払われた? デバフの持続が短かった? いや、どっちも違う、これは――)

 

 タイミングが良すぎる回避に迎撃、直前に見た人間臭い笑い。

 それらを総合し、一つの結論が脳裏によぎる。

 

(こいつ、捕まったふりを……!?)

 

 デバフにかかったふりをして、俺たちが近づくのを待っていたのだ、こいつは。

 

「なん、でっ、デバフをかけるって」

 

 俺と似た結論に至ったのか、隣から疑問の声が上がる。

 だが、その答えにも察しがついた。

 

 RTNのMobに搭載されたAIは有能だ。特にNPCは人間(プレイヤー)と錯覚するような会話ができるだけの対応力はあり、ある程度はこっちの機微も察してくれる。

 そしてそれは、エネミーMobであった朔にも備わっていた。

 なら、他のエネミーMobにも同じようなAIが搭載されていても不思議じゃない。それこそ、こっちの言葉は理解できないだろうと、奴の目の前でやりとりしてしまった作戦を把握するだけのAIが。

 

「っ、ぁ」

 

 ここでやっと、体重をかけられた理由に気づく。

 あれは、追い打ちの一撃なんかじゃ断じてない。

 マーナガルムはただ、ジャンプするために足裏に力を入れただけだ。

 

 なぜか? そんなもの、次の標的へ攻撃するために決まっている――!

 

「――――朔ッッッ!! 逃げろぉ!!」

 

 ひび割れたアスファルトから顔を上げながら、あらん限りの声で叫ぶ。

 しかし、その警告は遅かった。

 

「朔くんっ!」

 

 四月一日の悲鳴に被さるように。

 

 ぐじゅ、べきっ。

 骨付き肉を骨髄ごと咀嚼したような嫌な音が、不気味な夜空から降ってきた。

 

「――――」

 

 頭の中が、真っ白になった。

 そんな俺の前に、ひらりと一枚の紙きれが落ちてくる。まるで犬のおもちゃにされたようにぐしゃぐしゃになった人形(ひとがた)の近くには、アイテムの離脱機能によって(エネミー)から強制的に距離をとらされた朔が立っていた。

 

「……は?」

「――――ッ!」

 

 状況についていけない入道氏が、怪訝な声を零す。

 それが俺の引き金になった。

 

「あっ、おいっ!」

「はぁ!?」

 

 入道氏とTON骨氏の声を背に、朔の腕をひっつかんだ俺はその場から走り去る。

 解説も釈明も、唯一の武器を拾い上げる余裕すらもない。今はただ、残機を失ってしまった朔をマーナガルムの前から引き離すことだけが俺の頭にあった。

 

「まったく、仕方がないなあ……!」

 

 呆れたような四月一日の言葉を最後に、俺たちは戦線を後にする。

 そのまま安全地帯である『フェルリエラ』に向かおうとしたところで、腕を掴んだ手が強引に振り払われた。

 

「リョウっ、どうして逃げるの!」

「どうしてもこうしてもない! 今のお前を戦わせられるわけないだろ!?」

 

 身代わりになってくれた形代はもうない。もう一度あの即死攻撃を食らえば、リスポーンもできない朔に待つのは完全な消滅だ。

 それがわからないわけがないだろうに、朔は駄々をこねるように不服を露わにした。

 

「私が戦わなければ意味がないでしょう!」

「死んだらもっと意味ないだろ!」

「どうしてっ、なんでっ、そう決めつけるの!」

 

 俺につられているのか、それとも彼女の中でフラグが立ったのか。今まで聞いたこともないような感情的な声で食ってかかる。まるで喧嘩でもするかのように朔の手が胸倉を掴み、そのまま俺の体を引き寄せた。

 そして俺は、そんな態度にカッとなった。

 

「NPCなんだから言うこと聞けよっっっ!!」

 

 静かな夜道に、一番言ってはいけない言葉が響き渡った。

 

「……ぁ、ごめ」

 

 叫んだ言葉が耳に入った瞬間、俺は一気に我に返る。

 情けないほど弱々しい声で謝るが、瞠目した朔から反応(リアクション)は返らない。それだけでもうどうすればいいかわからなくなり、俺は顔をひきつらせたまま彼女からのアクションを待った。

 

 永遠のように感じられる数十秒が過ぎた後、胸倉を掴んでいた手が離れる。

 そのまま、朔は体ごと俺から離れようとした。

 

「待って、ち、ちが」

 

 情けない声のまま、俺は彼女に追い縋ろうと手を伸ばす。

 その手が、彼女に届く直前。

 

「【()()()】」

 

 聞き覚えのある言葉とともに、胸に衝撃が走った。

 

「…………ぁ?」

 

 一拍遅れて、赤い霧のようなものが視界を曇らせる。立ち上ってくるそれの出所を確かめようと下を向いたところで、左胸に突き刺さった鈍い刀身が目に映った。

 

 痛みはない。この世界は虚構(ゲーム)だから。

 でも。

 

「……わかった。なら、貴方とはここで終わりにしましょう」

 

 淡々とそう告げる彼女の顔を見て、死んでしまいそうなほど胸が苦しくなった。

 

「私は独りで、幻日の狼を倒す。貴方の助けは、いらない。私独りで、成してみせる」

 

 まるで自分が心臓を刺されたような顔のまま、朔は言葉を続ける。

 

「さ、く」

「何も変わらない。私は元より――独りだったんだから」

 

 即死攻撃を受けた俺の意識は、瞬く間に暗転していく。

 朔に何かを言い返すことも、何かを言ってやることもできない。伸ばした手が力なく落ちていくのを最後の感覚に、俺の意識は世界(ゲーム)から断絶された。

 

(――――ああ)

 

 (ヨシツネ)だけは、あいつにあんな顔をさせたらいけないはずなのに。

 黒に染まった意識の中、(だれか)が俺を責め立てた。

 

『ブロークンハート発生。【朔のルー・ガルー】の好感度が基準値以下になりました』

『夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】が一時進行不可となります』

『プレイヤー・ヨシツネは自由に進行中のストーリーを破却することができます』

『夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】を破却しますか?

 はい

 いいえ』

 

 

     ■■■

 

 

 目を開けると、そこには見覚えのある天井が広がっていた。

 ほの明るくもなければ、甘い香りが漂ってもいない。小学四年生の時に与えられた自室の天井が、俺の視界に映りこんだ。

 

「…………えっ!?」

 

 しばらく呆けた後、俺は慌てて体を起こした。

 ログアウトした記憶はない。だから俺がリスポーンすべきは、『フェルリエラ』の休憩室であるはずだ。決して自室のベッドの上ではない。

 

「おはよう、弟くん」

 

 そんな俺の疑問を氷解させるように、聞き慣れた声がすぐ近くから聞こえた。

 そっちに顔を向ければ、姉さんがベッドの脇で仁王立ちしている。その手に握られたヘッドセットを見て、彼女が強制終了(ログアウト)させたことを察した。

 

「何すんだよ!」

「当然の処置です」

 

 ヘッドセットを取り返そうとするが、あっさりかわされる。ならばとベッドを下りて距離を詰めようとしたところで、姉さんの顔が真剣そのものなのに気づいた。

 

「弟くん」

 

 姉さんが、嗜めるように口を開く。

 

「虚構に感情移入するのは構いません。ですが、そのせいで現実(リアル)をおろそかにしてはいけませんし、声を上げてうなされるほど傾倒するなんてもってのほか。父さんや母さんの代わりに弟君の保護者を務める身としては、見過ごすことはできません」

「え……?」

「カレー、あまりおいしくなかったですよ。得意料理でしょうに」

 

 驚く俺に、姉さんは肩をすくめてみせる。

 どちらも自覚はなかったが、こういうことで姉さんが嘘をつかないのも知っている。何も言い返せないでいると、姉さんが俺の鼻先に指を突きつけてきた。

 

「しばらくゲーム禁止です。仮想の世界から少し離れて、来月の進級に備えてください」

「…………」

 

 被保護者(みせいねん)の俺に、それに抗う術はない。

 首を縦に振れば、姉さんが安心したように力を抜くのがわかった。それを見ると、余計に文句なんてつけようがなかった。



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ゲームをしない日

《猗々冴々,April Fool,ヨシツネ》

Three days ago,0:12

 ヨシツネ:ごめん

 ヨシツネ:マジごめん

 ヨシツネ:姉さんにヘッドセットとられた

 ヨシツネ:しばらくログインできない

 ヨシツネ:ほんとごめん

 

Three days ago,0:48

 猗々冴々:あー、姉フラか

 猗々冴々:しゃーない。気にすんなよ

 April Fool:怒ってないけど怒ってるから

 April Fool:ログインしたら殴るからね

 April Fool:覚悟しといてよ

 猗々冴々:全滅で変なイベント起きたんじゃないかってめっちゃ心配してたからな

 April Fool:余計なこと言わない!!

 April Fool:あ、全滅って言っても、朔くんは大丈夫

 April Fool:たぶん

 April Fool:ぼくたちあの後リスポーンしたから、急いで元の場所に戻ったんだけど

 April Fool:もう誰もいなくて

 April Fool:朔くんがつけてたヨシツネちゃんの装備が置いてあったの

 April Fool:死亡のドロップじゃないと思う

 April Fool:ないのもあったからね

 April Fool:譲渡はできないけど破棄はできるんだね

 April Fool:だから朔くんは大丈夫だよ

 April Fool:こっちでも探しとくから

 猗々冴々:無反応ってことは寝てるなこれ

 April Fool:時間が時間だし仕方ないよ

 猗々冴々:まあな

 猗々冴々:新月までにログインできそうか?

 猗々冴々:見通したたなくても、一応準備しとくけど

 猗々冴々:起きたら返事くれよ

 

Three days ago,3:21

 ヨシツネ:おきた

 ヨシツネ:見通しわかんないけど、たのむ

 

Three days ago,6:09

 猗々冴々:起きた× 寝つけてない○

 ヨシツネ:そうだが……?

 猗々冴々:反応あって草。お前今日学校大丈夫か?

 ヨシツネ:午前は多分死んでる

 猗々冴々:無理すんなよ~~~

 猗々冴々:つーか強制ログアウトとか初じゃん、何があったんだよ

 

Three days ago,6:33

 ヨシツネ:うなされるくらいならゲームすんなって

 

Three days ago,6:40

 猗々冴々:親友

 猗々冴々:朔のルー・ガルーを倒す時は、自分で覚悟決めたみたいだけどさ

 猗々冴々:俺も頼れよ

 猗々冴々:四月一日だっているんだからさ

 猗々冴々:話聞いてほしくなったら、メールでもチャットでも電話でもしてくれ

 

 

     ■■■

 

 

「……はあ」

 

 グループ会議の過去ログを見ながら、小さく溜息を零す。

 

「甘えてんなあ、俺」

 

 次いで零れたのは、自分に対する呆れの言葉。それは放課後の喧騒に追いやられ、俺以外の耳に入ることもなく地に落ちた。

 もう一度溜息をついてから、端末を待機モードしてポケットに入れる。

 

「源ー、一緒にゲーセンよらねー?」

 

 立ち上がったところで、声をかけられた。そっちに視線を向ければ、仲が良いクラスメートが三人、俺の方を見ている。

 少し考えた後、俺は彼らに向かって手のひらを合わせた。

 

「わり。保護者怒らせちゃって、今ゲー禁命令食らってんだわ」

「あらら」

「どうせ徹夜でやってたんだろ」

「そんなとこ。ヘッドセット没収されたわ」

 

 からかうように笑うクラスメートに、肩をすくめてみせる。

 SNSで情けないところを晒した反動か、自然に振る舞えたように思う。現にクラスメートたちも怪訝そうな様子はなく、いつもどおりだった。

 そのことに、内心安堵の息を零す。

 

「ならカラオケでもいいけど」

「いや、寄り道して没収期間延びても嫌だし、今日はまっすぐ帰るわ」

 

 一番気遣いがうまい奴の提案にも、そう言って当たり障りなく断った。

 気晴らしをしたい気持ちはあったが、俺の都合で行き先を変更させるのも申し訳ない。特に今はゲームで散々人に迷惑をかけているので、なおさら忌避感があった。

 

「また今度誘ってくれよ」

「りょーかい。気を付けて帰れよー」

「またな、源」

「おう、そっちも羽目外しすぎんなよ~」

 

 片手を振りながら、もう片方の手でバッグを持つ。

 そして、三人より早く教室を後にした。

 

 同じ学生服を着た背中についていくように、駅に向かう道を歩いていく。

 まだ明るい空では、健全な色をした太陽が輝いている。その光に照らされた東京の街中は平和そのもので、崩れた建物もなければ、物陰で襲撃の隙を窺っている化け物もいない。そんな当たり前の光景が、かえって虚構の夜を意識させた。

 

「……」

 

 家の最寄り駅に向かうホームに向かおうとして、気が変わる。

 周りに知り合いがいないことを確かめてから、俺は反対側のホームに向かう。そして、ちょうどプラットホームに来たリニアに滑りこみ、席に座った。

 端末を開き、ナビアプリを開く。

 さっきの駅を出発駅に、目的地を到着駅に設定してから検索ボタンを押せば、記憶通りの経路が表示される。その経路を改めて記憶した後、俺は動画配信アプリを見始めた。

 



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原点回帰

 途中乗り換えを挟みつつ、揺られること十数分。

 俺は、目的地である雑司が谷駅のホームで降りた。

 

 都内でも下位に位置する乗降者数のためか、帰宅ラッシュにはまだ早い今の時間帯、乗る人間も降りる人間はまばらだ。降りた駅のホームは、やけに広く感じた。

 数少ない降りる側と一緒になって、俺も改札口を出て、階段を上がっていく。

 他校の制服やラフないでたちがそのまま帰路に向かう中、俺は出入口の脇に足を向ける。そこには、廃線になった都電のホームが撤去もされずに残っていた。

 

 土地が足りないと嘆く一方、撤去の手間や費用を惜しんで使われない施設を放置する。

 矛盾だなあと思いつつ、ポケットから端末を取り出した。

 

「……」

 

 そのままの体勢で動きを止める。

 数分。これからやろうとしている行動の是非を考えたのち、俺は溜息を零す。

 

「……散々甘えといて、今さら強がってもな」

 

 そんな呟きとともに思考を区切ると、改めて端末を操作した。

 着信履歴からアーサーの名前を探し、そこから電話をかける。今の時間に配信(しごと)をしていないことは、移動中に確かめている。三回鳴った後、コール音が途切れた。

 

『どしたよヨシツネちゃん。電話なんかかけてきて』

「電話でもしてくれって言ったのはお前だろ」

 

 からかうような声音に言い返しながら、石の上に敷かれた線路を歩き出す。

 歩きながらの通話はマナーが悪いとわかっているが、今はどうしてもアーサーと話をしたままこの道を歩きたかった。

 

『へえ、頼ってくれんだ?』

「変に気ぃ遣うよりは、いいかなって」

『違いないな』

 

 呆れ混じりの笑い声を聞くと、電話口の向こうで肩をすくめている姿を幻視する。それと一緒に、相談されたことを安堵するような表情も見えた気がした。

 

 心配かけてるなあと。

 改めて反省しつつ、アーサーの声に耳を傾ける。

 

『今家? チャット繋ぐ?』

「あー、外からかけてるんだわ」

『外か。何してんの?』

「聖地巡礼」

『あー、都電沿線跡地?』

 

 さすがコミュ強者(アーサー)と言うべきか。一言のヒントだけであっさりと俺の居場所を言い当てた奴は、ふぅんと小さく呟いた後。

 

『予想はしてたけど、やっぱりさっちゃん絡みなんだな』

 

 これまたあっさりと、俺の悩みの核心を突いてきた。

 

『ふられでもしたのか?』

「……刺されてふられた」

『あー、そりゃあうなされたくもなるわな……って刺された? は!?』

 

 もちろん、そんなアーサーでも全てを見透かせるわけじゃない。簡潔に状況を説明すれば、少し遅れて素っ頓狂な声が返ってきた。

 耳元で叫ばれたようなものなので、耳が軽くキーンとする。

 思わず端末を遠ざけた後、耳から少し離すように伸ばした腕を戻した。

 

「音量」

『悪い悪い。しかしまた、随分と突飛な行動をとられたもんだな。没入型(フルダイブ)のMobだとそう珍しいことでもないけど、さっちゃんは会話が流暢だったから意外だわ』

「俺もめちゃくちゃびっくりしたわ……」

 

 相槌を打ちながら、歩きづらい石道からコンクリートに変わった線路を進む。

 車道として再利用もされていない都電のわだちは、今は俺の歩道という地味な役割に甘んじている。正式な歩道じゃないから、いつお役御免になってもおかしくない。

 

 つまり、堂々と歩いていい道じゃない。

 おまわりさんに怒られたらどうしようと、内心ちょっとビビっていた。

 

『とはいえ、Mobは基本的に意味のない行動はしないわけで』

「うっ」

『心当たりはあるんじゃないの~? ヨシツネちゃーん?』

「はい……」

 

 素直に白状すれば、やっぱりなと言わんばかりに溜息をつかれた後、沈黙で促される。

 俺はしばらく黙ってから、絞り出すように言った。

 

「酷いこと、言った。NPCなんだから言うこと聞けよ、って」

『……なるほど』

 

 有能なノイズキャンセラーを通した小声は、近くを走行する車の音に掻き消されることなく電話口の向こうに届けられる。俺の言葉を一字一句聞き取ったアーサーは、これまた納得したような声音で相槌を打った。

 

 まるで、予想していた答えと実際の回答が一致したとでも言いたげな雰囲気だ。

 思わず首を傾げる。そんな俺の疑問を察したのか、それとも予想していたのか、まるで答え合わせでもするかのようにアーサーの声が聞こえてきた。

 

『どっかでそういうこと言うんじゃないかって思ってたからな』

「……俺、好きな子に酷いこと言うような男に見える?」

『面倒くさい女みたいな質問すんなよ』

「言い方!」

「ははは」

 

 確かに自分で言ってて、面倒くさい聞き方したなとは思ったけど!

 俺の反応に笑った後、そうじゃなくてさ、とアーサーは自分の言葉に補足を入れる。

 

『ヨシツネ、今のさっちゃんのこと持て余してただろ』

「それは……」

『なんとかプレイヤーみたいに扱おうとしてたみたいだけど、ちょくちょくNPCだから仕方ないみたいなオーラ出てたし。俺がNPC扱いしてもノーリアクションだったろ』

「……」

 

 言葉に詰まる。

 そんな俺の二の句を待たず、アーサーはさらに続けた。

 

『まあ、持て余すのもしゃーないとは思うよ。傍から見たら、必死こいて倒したエネミーが実は死んでなかったっていう、消化不良なイベントなわけだし。第三者視点(たにんごと)で見てる分には面白いけど、当事者だったら萎えてるわ俺』

「……でも俺は、生きててよかったと思ってるよ」

『知ってる。だからこそ、余計に持て余しちゃってるんだろ? 萎えイベントにもへこたれないくらいのガチ恋なのに、肝心のアバターが変わってちゃなあ』

「それは、うん、マジな」

 

 それに関しては、心の底から同意せざるを得ない。

 

『とはいえ、さっちゃんのアバターが変わってなかったら、ヨシツネあの時折れなかっただろうからな。戦闘イベント不可避だとしゃーないのかもね』

「あの時?」

『さっちゃんが自分も戦うってごねた時』

「あー……」

 

 言われて、なるほどなと得心する。

 見た目朔・中身朔だったら、絶対に首を縦に振らなかった自信はある。そこらへんの機微を考慮して入れ替わりイベントを作ったのなら凄いな。

 

『まっ、何も考えてないかもしれないけどな』

「こらっ」

 

 禁句を言うな。

 あっけらかんとタブーに触れるアーサーに溜息をつきつつ、赤信号で足を止める。

 

『ちなみに、酷いことはどういう場面で言ったわけ?』

 

 信号待ちの最中、アーサーが質問を投げかけてくる。

 

「……残機ないから離脱させたかったのに、どうして逃げるんだって詰られたから、つい」

『言うこと聞けよって?』

「そうだよ。なんだってあんな、戦いたがるんだか……」

 

 思わず愚痴るように零したところで、信号が青に変わった。

 周りを見てから、足を進める。コンクリートから敷き詰められた石に変わった足場の上を進んでいると、アーサーの苦笑が聞こえてきた。

 

「なんだよ」

『いやあ。さっちゃんが怒る気持ちは、まあわかるなって』

「そりゃ、意味はわからなくても酷いことを言われたってのは理解してたっぽいし」

『そうじゃなくてさ』

 

 何を当たり前のことをと怪訝がる俺に。

 

『さっちゃんのイベントって、要は一緒にボスを倒してほしいってことだろ? それなのに足手まといみたいな扱いされたら、そりゃキレられてもしゃーないっしょ』

 

 アーサーは、簡単なことじゃないかと言わんばかりに溜息をついた。

 

「……ぁ」

 

 反射的に足が止まる。

 情けないことに、アーサーにそう言われてようやく、俺は今進行しているイベントストーリーの主旨を理解した。

 

 イベントフラグを立たせるために朔を同行させる必要があるだけで、マーナガルムとの戦闘はプレイヤーが主体で行うものだと俺は認識していた。だが、それは間違っちゃいないが正しい認識でもない。

 

 このイベントの本質は、プレイヤーと【朔のルー・ガルー】の共闘なのだ。

 それなのに俺は、朔を戦闘から遠ざけようと振る舞った。危ない目にあってほしくなかっただけだが、その真意を知らない朔からすれば、俺の言動は役立たずの烙印を押すような行為に等しかったのだろう。

 

『……わかったわ』

『リョウ、それは』

『どうしてっ、なんでっ、そう決めつけるの!』

 

 不服そうな雰囲気を、物言いたげな沈黙を、怒った声を思い出す。

 NPCは、意味のない行動をとらない。

 半端に人間(プレイヤー)扱いしていただけで、俺は朔というキャラクターの真意に正しく向き合っていなかったのだと。そう思い知らされた。

 

「刺されても当然だよな……」

 

 小さく呟いた直後、体の側面が車のクラクションに叩かれた。

 慌ててそっちを見れば、青に変わった自動車用信号と、迷惑そうな顔で俺を見ている運転手が視界に入る。ぺこぺこと頭を下げながら、早足で移動した。

 

『あぶねーぞー、ヨシツネ』

「うっせ」

 

 クラクションと謝罪が聞こえたのか、端末を持ち直せばからかい混じりに言われた。

 気恥ずかしに任せて短い悪態をついてから、前に向き直る。そこからさらに歩いていけば、目的地が見えてきた。

 そこは、都電の駅すらないただの道路だ。

 目立った建物もない。道路沿いにある店に用事でもなければ、通り道の一つとしてさっさと通り過ぎてしまうような、平々凡々とした風景。

 だが、俺にとっては大きな意味を持つものだった。

 

 一年前。

 虚構世界(ゲーム)の中で再現された、少し昔のこの場所で、俺は彼女と出会った。

 

『……そういや、一度聞いてみたかったんだけど』

 

 目の前の風景を見続ける俺の耳に、アーサーの声が届く。

 

「なんだよ」

『ヨシツネさ、なんで朔のルー・ガルーを好きになったわけ?』

「――」

 

 それは先月、姉さんにもされた質問だ。

 その時は深く考えずに「可愛いから」と答えたが、今求められている回答はそうじゃないだろう。なぜなら、その可愛い見た目を今の彼女は持っていないのだから。

 

 いや、姉さんもおそらく、別の回答を期待していたのだろう。

 見た目なんて、虚構の存在を好きになる上では前提のようなものなのだから。

 

「…………」

 

 俺は、どうして朔のルー・ガルーを好きになったのか。

 投げかけられた疑問に即答することができず、目の前に広がる景色を見つめる。その景色を通して、初めて出会った日のことを思い出す。

 

 緋色が滲んだ夜の空。

 不気味な夜を煌々と照らす、青白い満月。

 それらを背景(バック)にして、俺を見下ろしていた女の子。

 あちこちがほつれていた制服は、まるでずっと独りで彷徨っていたようで。人形のような顔で立っている姿は、何かを堪えているように見えて。

 

 迷子みたいだなと。

 殺される寸前だったというのに、俺はそう思ったのだ。

 

「――――、ぁ」

 

 かちりと歯車がはまる。

 いつの間にか埋没していた原初の想いが、久しぶりに顔を覗かせる。

 

 そうだ、俺は。

 

「あの子が、寂しそうだったから。なんとかしてやりたいって、思ったんだ」

 

 だけど、彼女はエネミーだ。ただ一緒にいることはできない。

 だから俺は強くなった。レベルを上げた、プレイヤースキルを磨いた、装備を揃えた。

 夜の世界でカーストの頂点にいた少女が寂しくないようにと、簡単にキルされないだけの強さを、少しでも長く隣にいられるだけの強さを求めた。

 そして、それを続けていくうちに彼女は俺に〝対応〟するようになった。

 感情を錯覚するほどには、本能(AI)に動かされるだけの人形(エネミー)に人間味を感じるようになった。

 

 差し出した手を取ってもらえたようで。

 それがどうしようもなく嬉しくて。

 寂しそうに見えたからなんとかしてやりたいという自己満足(どうじょう)はいつの間にか、俺が少しでも長く彼女と一緒にいたいという自己満足(れんじょう)に変わっていた。

 

『ははっ』

 

 端末のスピーカーから、笑い声が聞こえる。

 

『一年前にも聞いたな、それ』

「……記憶力よすぎかよ、気持ち悪いな」

『親友が意味深に零したことだからな。そう簡単に忘れないさ』

 

 そう言って、アーサーはもう一度笑う。

 電話口の向こうで、にやりとチェシャ猫みたいな顔をしたのが見えるようだった。

 

『寂しい思いをさせた元凶を、ぶん殴りにいかないとな』

「……寂しい思いをさせた俺が、ヒーローぶってもいいと思うか?」

 

 俺を刺した時の、朔の顔を思い出す。

 一度孤独から解放された後に独りきりの夜に戻るというのは、朔のルー・ガルーというキャラクターにとっては大きな苦痛の一つなんだろう。例えその苦しみがプログラムから算出されたものだとしても、彼女を傷つけたという事実は変わらない。

 

 そんな俺が、怒ってもいいのか。

 彼女を傷つけた俺が、彼女を理由に戦ってもいいのか。

 

『いいに決まってんだろ』

 

 だが、そんな俺の言葉をアーサーはばっさりと一刀両断し。

 

『自己満足上等、棚上げ上等、ご都合主義上等。プレイマナーに反しない限りは、どこまでも自分勝手に、わがままに、主役(ヒーロー)を張っても許されるのがゲームの醍醐味だ。過程がどうあれ、プレイヤーがハッピーエンドならそれでいいんだよ』

 

 ゲーマーの傲慢(あたりまえ)を、俺に説いた。

 

「……」

『姉上の説得、がんばれよ』

「……おう。サンキューな、アーサー」

『親友のためだからな。これくらい、お安い御用さ』

 

 さっきと似たような言葉を口にしてから、アーサーが通話を切る。

 声の代わりに、ツーツーという電子音をスピーカーが発する。通話終了ボタンを押してその音を切ると、俺は踵を返した。

 

 

     ■■■

 

 

 帰宅した俺は、洗面所よりも先に階段を上り、姉さんの部屋の扉を叩いた。

 どうやら起きているらしい。コンコンと二回鳴らしただけで中から「はぁい」という声が返り、続いて「入っていいですよ」と聞こえてきた。

 

 起きるまでノックを続けるつもりだったので、若干拍子抜けする。

 だが、起きているなら話は早い。俺はノブに手を伸ばし、扉を開けた。

 

 いつもカーテンが閉め切られている部屋は、デスクの上に乗ったスタンドライトとパソコンの明かりで一部だけが照らされている。二つの光源に背を向ける形で、ゲーミングチェアに腰かけた姉さんが俺の方に体を向けた。

 

「おかえりなさい、弟くん」

「ただいま、姉さん」

 

 テンプレのやりとりをしてから、俺はちらりと椅子の背に隠れたパソコンを見た。

 

「執筆中?」

「ええ」

「区切りついたら、話があるんだけど」

「構いませんよ。八時を目途にしているので、おいしい晩ご飯を準備しておいてください」

「わかった。今度はうまいカレー、作るよ」

 

 その言葉に、姉さんは目を何度か瞬かせる。

 しかし、さすがは小説家というべきか。言葉の真意をあっさり読み解いた姉さんは、背もたれに体を預けたまま楽しそうに笑った。

 

「そうですか、それは楽しみです」

「じゃあ、また後で――――あ、そうだ」

 

 扉を閉めようとしたところで、ふと、聞いてみたいことが浮かんだ。

 食事が終わった後に聞いてもよかったと、口に出してから思う。

 だが、声に出してしまったことで姉さんの興味を引いてしまったらしい。デスクに向き直りかけていた椅子が、再び俺の方に向き直った。

 

「おや、なんでしょう?」

「あー……、ちょっと姉さんに質問なんだけどさ」

 

 こうなっては、今聞いた方が手っ取り早い。俺は浮かんだ質問を口にした。

 

「体入れ替わりネタってあるじゃん?」

「ありますね」

「恋愛ものでそのネタを使う時って、創作者としては何が目的だったりするの?」

「ふむ?」

 

 姉さんの予想から外れた質問をした自覚はある。案の定、姉さんは意外そうな様子で小首を傾げた。

 それでも、きちんと考えてくれたらしい。短い沈黙の後、そうですねえと口を開いた。

 

「入れ替わった二人の関係性にもよりますが、大抵は非日常の演出、秘密の共有による連帯感の描写ないし親密度上昇イベント、あとは後天的TS表現狙いといったところでしょうか。体が女性であることに変わりはないのに、中身が男性というだけでセクハラめいた描写もコメディ路線になるのが不思議ですよね」

「姉さんが入れ替わり書くならどういう感じになるかはよくわかる解説だな」

「ふふふ、以心伝心ですね」

「ポジティブEXかよ」

 

 呆れて肩をすくめながら、部屋を出ようと背を向けた。

 

「あとは、そうですねえ」

 

 そんな俺の背中に、姉さんは言葉を続ける。

 

「キャラクターの内面を強調したい時でしょうかね」

「……」

「創作の都合上、魅力的なビジュアルにせざるを得ないキャラクターの中身もきちんと好きになってほしいという、まあ、いわば創作者のわがままというやつですよ」

「……姉さん、察してたな?」

「ふふふ、以心伝心ですから」

 

 振り返り、半眼になって抗議すれば、姉さんは今日イチ楽しそうな様子で笑みを零す。

 我が姉ながら、なんとも食えない。だが、さっきの言葉は間違いなく俺が今一番欲していたものだった。すとんと疑問が腑に落ちるのを感じながら、改めて姉さんの顔を見る。

 

「良くん」

 

 そんな俺を見返しながら、姉さんは先月投げかけた質問をもう一度を口にした。

 

「良くんは、るーがるーさんのどこが好きなんでしょう」

「……」

 

 その問いかけに、今度は即答じゃなく熟考による沈黙を返す。

 

 可愛い(アバター)が好きだ。

 俺に応えてくれた内面(AI)が好きだ。

 

 ――――朔のルー・ガルーじゃなく、朔と呼んだ彼女を思い出す。

 魔獣エネミーの頂点とは思えないほど、素朴で無垢な仕草が好ましいと思う。

 目標のためにぶれない姿勢と、ひたむきさに好感を抱いた。

 例え見た目が俺の(アバター)だろうと、彼女が辛そうにしているのは嫌だと感じた。

 

 ……ああ、どうやら。

 俺は、運営(かみさま)の思惑にまんまと乗せられているようだ。

 

「外見も内面も、可愛いところかな」

「そうですか。随分とぞっこんなんですね」

「そうだよ。ガチ恋」

 

俺の答えに満足したのか、姉さんは今日一番の笑顔を浮かべた。

 

「……姉さん」

「はい、なんでしょう」

「……さんきゅ」

「ふふっ。どういたしまして」

 

 そして、俺は今度こそ部屋を後にした。



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人狼に捧ぐ小夜曲①

 アラカワ遊園。

 その名を持つ遊園地は、トーキョー二十三区が一角、アラカワエリアにあった。

 

 都内唯一の公営遊園地であり、ワンコインでお釣りがくる安価な入場料とアトラクション利用料は他の追随を許さない。リニューアルオープンによる大型化に伴い、現実(リアル)では気軽に立ち寄れる遊園地として観光スポットの一つに数えられていた。

 

 無論、リバーストーキョーではその栄華は見る影もない。

 日本で最も遅いと言われるジェットコースターはレールの途中で止まり、他のアトラクションも夜魔の眷属から逃げ遅れた犠牲者の血でところどころが赤茶に錆びついている。今やこの場所は、悲劇の痕跡が残るおぞましい廃墟と成り果てていた。

 

 そんな遊園は今、一頭の狼が住んでいる。

 月無き夜、あるいは太陽と月が食まれた夜にだけ姿を見せる、巨大な白狼。退魔士(プレイヤー)の体躯を幾度となく爪と牙で引き裂いてきた大型の魔性(レイドエネミー)

 

 名を、【幻日の(アルター)マーナガルム】。

 

 北欧神話に登場する、太陽と月を食らう狼の名を冠した魔性(エネミー)

 そんな狼の前に、一つの人影が現れた。

 

『……グルルッ』

 

 かつては草食動物たちが人間と戯れていた広場に伏していた狼は、足音が止まったのを合図に、唸り声とともにゆるりと面を上げる。そして、禍々しい金色の双眸で、自分のテリトリーに入ってきた人影を見据えた。

 

 それは、薄汚れた白い装束(学ラン)に身を包んだ長身の少年だった。

 黒い髪に黒い眼。特別目立った特徴はなく、目を引くものといえば、手首にはめられたチェーンと、その手に握られた日本刀くらいか。

 

 得物は異なるが、彼を退魔士(プレイヤー)ヨシツネと呼ぶ者もいるだろう。

 しかし今、この器には退魔士(プレイヤー)と対極に位置する存在が入っていた。

 

 狼は、そのことを知っている。

 ゆえに、白い獣は耳まで裂けた口でにたりと、悪意ある笑みを浮かべた。

 

『ハッ、ハッ、ハッ』

 

 また独りなのかと。

 嘲弄するような息遣いが、愉快そうに細められた目が、問いかける。

 少年は応じず、黙って刀を引き抜くと、鞘を放る。

 からんっ、と。高らかに響いた音が、合図(ゴング)となった。

 

 残響を掻き消すような風切り音とともに、まずは伏したままの白狼が前脚を振るう。

 電車の車両に等しい太さの前脚は、人の体など掠めただけで弾き飛ばすだろう。しかし、そんな暴力の固まりを前にしても、少年は怯まない。沈着に地面を蹴り、横薙ぎに振るわれた前脚を回避した。

 

『ガァッ!』

 

 宙に逃げた少年に、大きく開かれた咢が迫った。

 日本の小さなアパートに匹敵する巨大な体躯の前では、長身といえど人間などネズミのようなもの。赤い上顎が頭上を覆い、そのまま少年を丸呑みにせんと閉じられる。

 

「【臥待月(フシマチ)】!」

 

 寸前、少年が刀を振るった。

 冴え渡る太刀筋から放たれる、刀身よりなお鋭い太刀風。それは狼の口腔を傷つけると同時に、推進力となって少年の体を後方へと飛ばす。

 少年の眼前で、ギロチンの如く顎が閉じた。

 

「ふ……っ!」

 

 目の前の鼻先を足蹴にし、狼との距離を離す。

 着地すると同時に足裏に力を込め、離したばかりの距離を一気に詰めるように跳躍。柔らかい部位につけられた傷に地団太を踏む狼の体躯めがけて、刀を振り抜いた。

 瞬間、黒い血霧が噴出し、白い毛皮を汚した。

 

『グゥルァ!』

「くっ!」

 

 さらなる傷が、狼の怒りを加速させる。

 大きな尾がさながら鞭のように振るわれ、獲物を叩き潰さんとする。少年はそれを回避しようと身をよじらせるが、先端が胴体を掠めてしまった。

 わずかな接触。たったそれだけにも関わらず、棍棒で殴打されたような衝撃が走る。巨大な尾が生み出した突風にも煽られ、少年の体は大きく吹き飛ばされた。

 

「っ、が、は――!」

 

 辛うじて着地した後、息の固まりを吐き出すように咳きこむ。

 すぐに刀を構え直したが、人形めいた表情には焦りの色が浮かんでいた。

 

 かりそめの器は、本来の器に比べて一回り大きい。肉体の性能(ランク)がグレードダウンしているのもあって、枷として少年の動きを制限していた。先ほどの攻撃も、今の回避も、本来の器ならばより確実な成果を上げていただろう。

 それでも、この体でなければ目の前の獣と相対できないのであれば。

 枷と理解していても、刀を振るわねばならなかった。

 

「ふぅー……っ」

 

 深呼吸で集中力を高め、刀を持つ手に力を込める。

 直後、白い巨体が跳びかかってきた。

 

『オォンッ!』

「――【立待月(タチマチ)】!」

 

 質量の暴力を跳躍でかわし、足裏に強く力を込めてから前脚を足場にさらに高く跳ぶ。そうして上をとったところで、構えたままの刀を振るい、頭部狙いの太刀風を放った。

 その風は狼の毛皮を切り裂き、再び黒い血霧を噴出させる。

 

 しかし、致命傷と呼べるほど深い傷かと言われれば、否だった。思うように感じられぬ手ごたえに、少年の顔にはまたしても焦りがよぎる。そして、集中力の乱れを二度も見逃すほど、目の前の狼は甘くなかった。

 さながら牡鹿が獲物をかち上げるかのように、狼が勢いよく天を仰ぐ。角がないため直接的な攻撃とはならなかったが、俊敏に動いた巨体が放つ風が少年の体を絡め取った。

 

「っ…!」

 

 突風が直撃し、少年はバランスを崩しながらさらに高く打ち上げられる。

 そんな少年めがけて、狼は大地を蹴る。宙に浮いた巨躯の鼻先が、同じように滞空する少年の体に衝突した。

 

「――……!」

 

 べきべきと枝が折れるような音とともに、0と1の世界で再現された骨がへし折れていく。音にならない苦悶の声で喘ぎながら、少年は物理エンジンに従って弾き飛ばされた。

 

 永遠にも思える滑空の後、その体は進行方向にそびえる観覧車にぶち当たる。

 老朽化が進む観覧車が大きく揺れたが、倒壊には至らない。壊れなかった観覧車の骨組みに押し出されるように、少年の体は地面へと墜落していった。

 

「ぐ、ぁ」

 

 硬い地面にバウンドした体は、そのまま動かなくなる。

 辛うじて生きていることを示唆するように、奇跡的に破損せずにすんだ刀を掴む手が、ひくりひくりと小刻みにうごめく。それでも、虫の息に近いのは火を見るより明らかだった。

 むしろ、まだ息をしていることが、もう一つの奇跡と言っても過言ではない。

 手首で輝く幸運の象徴(四葉のクローバー)がなければ、とうに絶命していただろう。

 

「――」

 

 黒い双眸が、手首にはまったチェーンに向く。

 

 それは、定められた本能(プログラム)に従うなら、協力者と袂を分かった時点で手放すべきものだった。

 解放(イベント)によって喪失が定められている(ぶき)の代替品や、器の持ち主に不利益をもたらす衣類の破棄は制限がかかっている。しかし、装飾品(アクセサリー)類は積極的に破棄し、本来の持ち主が再び獲得できるように努める命令(コマンド)があらかじめ入力されていた。

 

 だが、少年は――少女(ルー・ガルー)は、そうしなかった。

 

 なぜそうしたのか。

【朔のルー・ガルー】という(データ)を与えられた少女にも、それはわかっていない。

 だが、他の装備品と同じように手首のそれを外そうとした時、協力者たる少女(しょうねん)の手首にも同じものが装着されていることを思い出した。その想起が、四葉を模したチェーンを外さないという選択肢を選ばせたのだった。

 

「……っ、ぅ」

 

 だから、だろう。

 四葉がもたらした幸運を無駄にすまいと、少女はなんとか体を起こそうと試みる。

 だが、体は思うように動かない。そうしている間にも、地面を小さく揺らす足音が、ゆっくりと観覧車の方へと近づいてきていた。

 

 緩やかな接近は、少女に対する嘲弄の表れだろう。

 全盛期のころに敗北を喫した相手に、明確なハンデを背負って立ち向かってきた愚かさ。それを歩調で嘲笑いながら、白狼は着実に距離を詰めていく。

 

[タイムテーブル:新月・夜]

[夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】発生中]

[ミッションの進行状況を確認――――確認完了]

[【朔のルー・ガルー】の好感度を確認――――確認完了]

[プレイヤー・ヨシツネからの破却申請状況を確認――――確認完了]

[イベント【月の獣は再び呑まれる】発生条件のフラグが確立]

[ステージ【アラカワ遊園】にて、イベント【月の獣は再び呑まれる】を開始します]

 

 演算が完了する。

 物語(リソース)の停滞を防止するため、世界(プログラム)に刻まれている強制イベントが出力される。

 それは、勝者と敗者があらかじめ決められた出来レース。逆転はなく、間違いもなく。筋書通りの寸劇(マスターシーン)が今、始まり、そして終わろうとしていた。

 

 完全なる消滅を迎えるわけではない。

 蓄積した好感度(きおく)をリセットし、まっさらな状態で次の挑戦者を待つだけだ。

 例えるなら、すごろくのふりだしに戻るようなもの。ゴールを誰とも競っていないのなら、それはプラスにはならないが大きなマイナスでもない。

 

 それでも、少女(ルー・ガルー)のAIは忌避感を弾き出した。

 再び独りきりになること、にではない。

〝彼〟を忘れてしまうだろうという事実(かくしん)が、人狼の胸に小さな痛みをもたらした。

 

「……リョウ」

 

 数メートルまで迫った狼を見上げながら、ぽつりと、一人の名が零す。

 最期に一目会いたいと。

 本能(プログラム)に従うだけの少女(エネミー)は、身勝手にも(エラーとともに)二度目の幸運(きせき)を願い。

 

「――――さぁぁぁぁぁくぅぅぅぅぅっっっ!!」

 

 それは、叶えられた。

 

 ドップラー効果を伴った声を響かせながら、狼の横合いにアッシュグレイの弾丸が突き刺さる。その弾丸は巨大な狼の体を思いきり弾き飛ばしたかと思うと、勢いよく回転をしてから地面に墜落した。

 べしゃりと。頭から地面に落ちた弾丸――否、少女の形をしたものは、青ざめた顔でよろよろと立ち上がる。そして、何かを堪えるように口元を押さえた。

 

「き、きもち、わる……。いや、ダメだ、この顔で吐くのは許されねえ……」

「…………リョウ?」

「っと、朔! 大丈夫か、怪我は……って聞くまでもなくぼろっぼろだな! あのクソ犬、中身は女の子なんだから加減くらいしろっての!」

 

 くぐもった声でぶつぶつと零したかと思えば、動揺と怒りを露わにした顔でよたよたと駆け寄ってくる。

 

 そんな姿は、お世辞にも頼もしいともかっこいいとも言い難い。

 それでも。

 

「ごめんな、遅くなって」

「――――」

 

 そう言って手を差し伸べてくる姿に、朔のルー・ガルーと呼ばれるエネミーに設定されたパロメーターは大きく上昇した。

 

「な、泣い……っ。すぐ! すぐ怪我治すから!」

 

 朔と名づけた少年(しょうじょ)の顔を見て、白銀の髪の少女は再び顔色を青くする。

 虚空をまさぐり、そこから白濁の液体が入った小瓶を取り出す。そして蓋を外すと、確認をとらずに中身を少年(しょうじょ)に浴びせかけた。

 むず痒い感覚の後、全身に広がっていた痛みが消えていく。

 傷が癒えていく驚きも手伝い、少年(しょうじょ)はついぞ自分の目尻から零れた雫には気づかなかった。

 

『ガァァァァァッ!!』

「うおっと!」

「っ!」

 

 気が抜けるようで、同時に穏やかでもあった時間は、長く続かない。

 蹴り飛ばされた白狼が、怒号とともに二人めがけて跳びかかってくる。迫りくる巨体を、少年少女はそれぞれ左右に大きく飛び退くことで回避した。

 

「朔っ!」

 

 腰に下げた鞘から二振りの脇差を抜刀しながら、少女――ヨシツネは声を荒げた。

 続く言葉を想像し、少年――朔のルー・ガルーは肩を小さく竦ませる。だが、続いた言葉は朔のルー・ガルーの予想に反したものだった。

 

「時間を稼ぐぞ! 百秒、一緒に持ちこたえてくれ!」

「――っ」

 

 それは、目の前の退魔士(プレイヤー)から最も聞きたかった言葉。

 変節の理由を、Mobはわざわざ問うたりはしない。(データ)に刻まれた本能(プログラム)と、胸の内からこみ上げてくる喜び(エラー)に従い、手にしていた刀を構え直す。

 

 そんな姿に安堵の息をついた後、ヨシツネは何かを押すように虚空を叩いた。

 

『選択を受理しました』

[プレイヤー・ヨシツネが破却申請を否認しました]

[【朔のルー・ガルー】の好感度を確認――――確認完了]

[イベント【月の獣は再び呑まれる】の成立条件が満たされなくなりました]

[イベント【月の獣は再び呑まれる】を終了します]

『夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】の進行が再開されます』

 

 プレイヤーの目の前で、物語(イベント)の再開が告げられる。

 プレイヤーもNPCも知覚できない世界の裏側で、物語(イベント)の歯車が進行する。

 

 これより始まるのは、勝者も敗者も定まっていない通常戦闘(ころしあい)。力に技量、駆け引き、乱数による偶然、そして幸運(リアルラック)。あらゆる要素が介在した戦いが、幕を上げる。

 

「【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】はリキャスト中だが、第一形態ならちょうどいいハンデだ」

 

 二振りの黒い刃を構えたまま、退魔士(プレイヤー)巨狼(レイドエネミー)相手に不敵な笑みを浮かべる。

 そんな退魔士(プレイヤー)の前には、一つのウインドウが表示されていた。

 

『【幻日の(アルター)マーナガルム】とエンカウントしました 推奨レベル99 参加人数3/20』

 

「さあやろうぜ、幻日の(アルター)マーナガルム。少人数舐めププレイでノーデス撃破してやんよ!」

 



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人狼に捧ぐ小夜曲②

 そんなやりとりから、ほんの少し遡ったころ。

 メインゲート近くの電灯を足場にオペラグラスを覗いていた四月一日は、レンズに映った一部始終を見届けると、小さな溜息をついた。

 

「ここに来てたのは合ってたけど、結構ギリギリだったみたいだねえ」

「ギリギリになるイベントだったんじゃないのー?」

 

 四月一日の呟きに、同じく電灯を足場に立つ猗々冴々が肩をすくめる。現実的な可能性を口にする友人に、四月一日は素の態度のまま、不服そうに唇を尖らせた。

 

「浪漫がないこと言うなあ、アーサーちゃんは」

「今はロマンを語るより、力を示す時だろ?」

「それはそうなんだけどさ」

 

 かわされるのは気安いやりとり。その会話だけを抜き出せば、変な場所で雑談をしているだけのように思える。

 だが今、両者の腹部は大きく切り裂かれ、そこから大量の血霧(ダメージエフェクト)が噴き出していた。現実(リアル)ならば内臓が零れ、骨が剥き出しになっていてもおかしくない。そんな損傷を負った状態で、二人は気の抜けたような会話をしていた。

 

「急いでたからって容赦ないっていうか、結局ぼくが人身御供になったじゃん」

「四月一日、あのデカブツ相手に肉弾戦で時間稼げるか?」

「あのサイズはきついな~」

「だろ? 適材適所だよ」

 

 拗ねた横顔に笑って返しながら、長ランを羽織る不良青年は二挺拳銃を抜く。

 それに合わせて、黒いスーツに身を包んだ男装の麗人もまた、拡声器を手にとった。

 

「ザミエル、魔弾の鋳造者。今ここに、契約の継続を望まん」

「盲いた博士の耳に届くは鍬振るう音、彷徨う男の耳を震わすは鋤下ろす音!」

 

 片や、堅実に一句一句を区切りながら。

 片や、朗々と謳うように、

 夜の遊園地に、二つの詠唱が響く。

 

 三つの眼に映るのは、巨大な狼マーナガルムと、その周囲を俊敏に駆け回る二つの人影。

 片や最高(S)ランク、片や規格外(EX)敏捷(AGI)を持つ人影は、狼を翻弄するように動いては、間隙を突いて得物を振るう。その様子はさながら、蝶のように舞い、蜂のように刺すという戦い方(スタイル)を体現しているかのようだった。

 

「我が望むは六つの弾丸、六つの栄光。我が捧げるは七つ目の弾丸、一つの悲劇」

 

 遠くからでもわかる一糸乱れぬ連携に、猗々冴々は思わず笑みを零す。

 あの二人の共闘は、今この瞬間が初めてだ。尽きずの(フラッド)アラクネ戦にイレギュラーの幻日の(アルター)マーナガルム戦と、同じ場所で戦ったことは二回あるが、伝聞から推察するに本当に同じ場所で戦ったにすぎないことは想像に難くない。

 だというのに、まるで長年連れ添ったように息を合わせている。

 

(あな)を埋めよ、大地を均せ。幸福と安寧を抱く自由の楽園が、我らの前に拓けている!」

 

 四月一日はそれを、不思議とも奇跡とも思わない。

 当然の帰結だ。なぜなら、二振りの脇差――【比翼の雌雄(ソハヤマル)】を振るう少女の中身(プレイヤー)は、太刀を振るう少年の中身(エネミー)と幾度となく交戦してきたのだから。

 動かす体が異なろうとも、どういう立ち回りをするかは蓄積された経験値が教えてくれる。それを読んで合わせることなど――彼自身に自覚はないが――三人の中で最も洞察力と器用さに秀でたヨシツネには造作もないだろう。

 

「嗚呼、悪魔よ。我が親愛なるメフィストフェレスよ! 思慮を愛し、自由を謳歌せし人々とともに、私はこの地を歩みたいと(こいねが)わん!」

「代価は我が隣の愚者、愚者が愛する純潔の花嫁。番いの魂をもって、契約の履行を望まん」

 

 だからこそ、二人は心置きなく時間稼ぎを友とその想い人に託す。

【高速詠唱】に【詠唱中略】。術式や詠唱発動型(シングスキル)の詠唱を速め、あるいは簡略化する代わりに効果を弱めるスキルは使用しない。ヨシツネたちが十全に時間を稼いでくれると信じ、全力の行使を目指して言の葉を紡ぐ。

 

「ゆえに想う。時よ止まれ、世界よ永久(とわ)に美しくあれ!」

 

 大仰な動作を交えながら、四月一日は小さく息を吸う。そして、手にしていた拡声器を口元の高さまで持って行き。

 

「――――【我は一瞬の永遠を(ファウ)望むもの(スト)】!」

 

 キィンと響くハウリングとともに、先んじて完成させた術式を発動した。

 それは、四月一日の術式スロットの一つを埋めているレア術式(まほう)

 

 効果は対象への束縛(バインド)付与。その効果自体は、熟練した呪術師(デバッファー)なら誰もが持っている汎用的なものだ。

 しかし、四月一日が扱うそれは、他のプレイヤーのものとは一線を画す。

 

 裁定者(ルール・トーカー)をはじめとする、術式系統のレアスタイル。それらのクラススキル等を経由して発動するレア術式は、RTNにはまだ実装されて(そんざいし)ないさらに上位の等級として処理される。プレイヤーの間で規格外(エクストラ)術式と仮称されるそれは、ゲーム内でも最高クラスの耐性を誇る超高難易度(ストラテジーエネミー)すらも数十秒行動不能にする性能を有した。

 

 それは、対象となった巨狼(レイドエネミー)とて例外ではない。

 白い毛皮に包まれた巨躯が、まるで巨大な網に引っかかったようにその動きを止める。不可視の網を振りほどこうともがくことすらできず、苛立ちの咆哮が遊園地に轟いた。

 

「よーし! さすがにこれはばっちり通るみたいだね!」

 

 その様子を見て、四月一日は強キャラにあるまじきガッツポーズをとる。そんな姿に思わず笑みを零した後、猗々冴々は二挺の拳銃を構えた。

 禍々しい赤色に染まった銃口を、白狼に向ける。

 少女(しょうねん)少年(しょうじょ)の手を引いてこちらに向かってくるのを確認してから、両方の引き金にゆっくりと指をかけた。

 

「白き薔薇は枯れ、九の絵札は逆位置を指す。ゆえに、契約はここに果たされる」

 

 詠唱が完了する。

 チームを組んでいるプレイヤーは一人。

 HPは両者ともにレッドゾーン。

 最大火力を出せる条件を満たした魔弾の射手は、笑みを浮かべながら引き金を引いた。

 

 ――――ドンッ!!

 

 雷が落ちたのかと思うような、激しい轟音が遊園地に響き渡る。

 その音にわずか遅れて、十二発の弾丸が幻日の(アルター)マーナガルムに撃ちこまれた。

 

『ガ、ァ――』

 

 大量の黒い血霧(ダメージエフェクト)を立ち上らせながら、狼がその場に倒れこむ。黒い煙に混じって土煙がたちこめている情景を背景(バック)に、少女(しょうねん)――ヨシツネが朔とともに到着した。

 

「四月一日! 人形(ひとがた)!」

「はいはい、わかってるって」

 

 深手を負っている四月一日たちを見て朔がぎょっと目を見開く一方、ヨシツネは頓着することなく要求の言葉を投げかける。

 忙しないヨシツネに肩をすくめつつ、四月一日はインベントリから一枚の紙を取り出した。

 

「朔くん、これ持っててね」

「……っ、と」

 

 それを朔に向かって放れば、人の形を模った紙はすんなりと彼女の眼前を舞う。言われるがままその紙を手にとった朔は、小さく首を振ってからそれを胸ポケットに入れた。

 譲渡を見届けてから、インベントリから今度は小瓶を二つ取り出す。

 片方を猗々冴々に投げ渡した後、中に入った白濁の液体を呷る。中身を飲み干し、小瓶から口を離すころには、腹部の傷はほとんど完治していた。

 

「さーて、それじゃあ」

「第二フェイズといこうか」

 

 言い合いながら、二人は空の小瓶を放る。

 それが地面に落ちると同時に、倒れ伏すマーナガルムの体に変化が起きた。

 

 ぼこりぼこりと、泡立つように白い体が脈打つ。その泡は徐々に大きく、そして数を増やしていく。やがて、脈動に耐え切れなくなったとばかりに泡の一つが地面に落ちた。

 次の変化は劇的だった。

 落ちたばかりの白い塊は、瞬く間に一匹の狼へと変じる。それに続くように、狼の亡骸からは標準サイズの白狼が何匹も産み落とされた。

 

「っ」

 

 異様な光景を見るのは、これが初めてのことではない。

 それでも朔は緊張に肩を強張らせつつ、譲り受けた太刀を構え直した。

 

「耐久何分だっけ?」

「確か十五分」

「アーサーちゃん、半分はお荷物じゃん」

「がんばって鬼ごっこしてるから、後よろしくぅ」

 

 その一方で、三人の退魔士(プレイヤー)は気安い口調で言葉をかわす。

 良い意味でリラックス、悪い意味で緊張感がないやりとりだ。

 朔に搭載されたAIは協力者として退魔士(プレイヤー)ヨシツネを認めているが、彼が連れてきた二人の退魔士(プレイヤー)の実力も本気も把握しきっていない。ゆえに彼女は、怪訝な眼差しを向けた。

 まだ電灯の上に立っているため、必然的に上を向く形になる。

 わかりやすい視線が、質問の矛先が自分たちであることを二人に教えた。

 

「貴方たちは随分と余裕のようだけど。勝算はあるの?」

「「ない!」」

 

 だからこそ、猗々冴々と四月一日は即答を返した。

 

「……」

 

 ぽかんと。人形めいた表情が呆気にとられる。

 その放心が自然に回復するのを待つほど、リアルタイムゲームの摂理も狼の群れも優しくない。それどころか、思わず脱力した姿に好機を見出し、いっせいに駆け始めた。

 

「散開! 朔っ、なるべく俺の近くで行動してくれ!」

 

 ヨシツネの声を合図に、猗々冴々たちは電灯から飛び降りる。

 朔も一拍遅れて、彼を追うように駆け出した。

 

「堅実な勝ち筋があるなら、初手無比の弾丸(きりふだ)ぶっぱなんてしないからなー!」

「こういうスマートじゃない戦闘、強キャラっぽくないからあんましたくないんだけどね!」

 

 襲ってくる狼たちをかわしながら、二人は口々にあけすけな本音を口にする。

 同じ退魔士(プレイヤー)なら、あるいは感情豊かに設定されたMobなら、文句や呆れの一つでも口にしていただろう。だが、朔の思考(AI)はそんな態度を見せるようにできていない。

 ただ、脳内(演算)で戦力外通告を下し、協力者と自分を勘定に入れた勝ち筋の思考を始める。

 しかし、その計算にはすぐに待ったがかけられることになる。

 

「おいおい、そんな弱腰で勝つ気あんのかー?」

 

 跳びかかってくる狼を斬り捨てながら、ヨシツネがからかうような口調で言葉を投げかけ。

 

「「あるに決まってるんだよなあ!」」

 

 猗々冴々と四月一日は、二度目の即答を返す。

 またしても、虚を突かれたように朔の目が丸くなった。

 

親友(ヨシツネ)直々のご指名(ヘルプ)で手を抜くほど、薄情じゃないっての!」

「そうそう! それに、たまには挑戦者(プレイヤー)らしく冒険しないとねえ!」

 

 そう続ける二人の顔に浮かぶのは、心の底からの笑み。

 ゲームにおける一番の醍醐味は、苦境からの逆転劇だと盲信しているプレイヤーの顔だ。

 好戦的で獰猛な笑顔は、満月の夜に自分と対峙していた協力者(ヨシツネ)の姿を連想させる。その想起が、そして両者への――特にずっと面倒を見てくれていた四月一日はヨシツネに次いで高い――好感度(パラメーター)の数値が、朔の中にあった不信をゆるやかに解きほぐした。

 

 その横顔を見て小さく安堵しつつ、ヨシツネは刀身についた黒い靄を払い落とす。

 それを見て肩をすくめつつ、猗々冴々は狼の攻撃をかわし、すれ違いざまに蹴りを見舞う。

 そんな友人たちを、新たな友人を見て、四月一日は満面の笑みとともに拡声器を掲げた。

 

「第二フェイズ! 出し惜しみもロールプレイもなしだ、全力で行くよ!」

 

 そして、すぅと息を大きく吸った後、拡声器に向けて声を張り上げる。

 

「【詠唱省略(エリプシス)】――――【RAY(レイン)】!」

 直後、遊園地(せんじょう)に光線の雨が降り注いだ。



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人狼に捧ぐ小夜曲③

 幻日の(アルター)マーナガルムには、三つの形態がある。

 

 最初に相手取る、アパートサイズの【巨狼形態(フィンブルヴェト)】。

 そして、最後に戦う象サイズの【凶狼形態(ラグナロク)】。

 

 前者は一定以上、後者はHPを完全に削りきることで撃破できる。ダメージを通すために特殊なギミックをこなす必要はなく、【朔のルー・ガルー】と同じくシンプルな戦闘を要求してくるタイプの形態と言えよう。

 そんな中、二つ目の形態だけ毛色が違う。

 

群狼形態(ギャラルホルン)】と呼ばれるこの形態で相手取るのは、名が体を表すように狼の群れだ。笛の代わりに終焉(ラグナロク)の前兆を告げる狼たちは無限湧きし、倒しても次から次へと現れる。こいつらがいなくなるのは、十五分という時が過ぎるまでだ。

 

 すなわち、耐久ギミックである。

 はい、せーのっ。

 

「めんどくせー!」

 

 このギミックに直面したプレイヤーの総意を叫びながら、俺は狼の体を十字切りにした。

 HPも防御力も低レベル帯のコモンエネミー並みなので、高レベルステータスの暴力で殴れば呆気なく塵になる。だが、すぐにおかわりが入るので積もって山みたいなものだった。

 火力だけは推奨レベル80台くらいなので全く気が抜けない。すぐ後ろで朔が刀を振るってなければ、とっくに集中力が切れて消耗度外視の特攻スタイルに切り替えて(スイッチ)いただろう。

 だが、ノーデスを目指している状況で薩摩になるわけにはいかない。

 集中力を維持しつつ、俺は戦況に意識を向けた。

 

 戦場はメインゲートから移動し、アトラクションが集まる広場へと移っていた。

 俺と朔はメリーゴーランドを陣取って狼の進行方向を限定し、四月一日はひしゃげた観覧車のゴンドラで術式(こえ)を張り上げている。

 

「ふっ……!」

「【詠唱省略(エリプシス)】――【ARROW(アーチャー)】! 【詠唱省略(エリプシス)】――【THUNDER(トール)】!」

 

 刀を振るうたび、術式攻撃(まほう)が炸裂するたび、白い狼は黒い霧となって散り散りになる。

 

 特に、自慢の創作詠唱をレアスキルで省略した四月一日のキルスコアが凄まじい。SANをリソースに放たれる矢や稲妻は何匹もの狼を屠り、観覧車の周りが残骸で煙るほどだった。

 倒した数に応じて最終形態の強さが変わってくるから、少しでも総数を減らす必要があるのがこの形態の大変なところだ。ただ逃げ回るだけよりは歯ごたえがあっていいが、気を配らないといけない今だとなかなかの負担である。

 

 アーサー?

 奴さんならジェットコースターのレールで鬼ごっこ中ですよ。

 

 もちろん遊んでいるわけじゃなく、奴も仕方なく鬼ごっこに興じている。

無比の六発(ゼクス・クーゲル)】は条件さえ揃えれば――朔がいくらか削っていたとはいえ――レイドエネミーの第一形態すら一撃で終了させるバ火力を誇る。当然連発されればゲームバランスもクソもないので、相応のリキャストと代償がセットでついていた。

 

 リキャスト、貫録の七分。

 そしてその間、【悪魔の采配(ザミエル・ツァイト)】という特殊状態が使用者には付与される。

 

 この特殊状態が厄介極まりない。

 何しろ射撃武器を使えば、その弾は全て敵じゃなく味方に当たるという強制フレンドリーファイアを引き起こす。武器を入れ替えることもできず、術式も使えないため、十分の間はただのお荷物と化すのだ。

 

 そんなデメリットを考慮しても初手ぶっぱが最善手という結論が出たので仕方ないが、その分一人当たりのノルマが増える。範囲を焼ける四月一日が多く引き受けているものの、キルスコアが多いということは一番目立っているとも言えるわけで。

 

「ヨシツネ、砲台かいくぐる奴が増えてきてる!」

 

 アーサーの声を受けて改めて観覧車の方を見れば、白い狼が何匹か観覧車の乗降口まで辿り着き、そこから骨組みを伝って登ろうとしている光景が視界に入った。

 アーサーが第一形態での切り札なら、四月一日は第二形態時での生命線だ。

 あいつの火力がないと十分に個数を削ることができないし、物量に押し負ける。個人的に一番ダメージを食らってほしくないのは朔だが、最終的な勝利を見据えて動くなら彼女を守ることにかまけてはいけない。

 

 耐久開始から六分が経った。

 アーサーの復帰まであと一分。

 作戦会議に参加していない朔に役割を振ることはできない。

 つまり、俺しかヘルプに行けなかった。

 

「~~~~っ! 朔! 悪いっ、しばらくソロで耐えてくれ!」

 

 俺は心で血涙を流しながら、朔をメリーゴーランドに残して駆け出した。

 

「わかった!」

 

 心の救いは、応じる声が弾んで聞こえたことだろう。

 それに安堵と罪悪感を覚えつつ、足裏に強く力をこめた。

 

「【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】!」

 

 メリーゴーランドと観覧車の間には決して短くはない距離が開いている。それを強引に埋めるように、俺はスキルを唱える(シングする)

 直後、華奢な体が弾丸のように射出された。

 

【八艘跳び】よりなお速い跳躍を経て、俺の体は観覧車の足元に到達する。制御できない速度の中、それでも強引に体を動かし、一番手前にいた奴にライダーキックをぶちかました。

 黄金の右足はそのまま狼の体を貫通して、観覧車の足場に命中する。

 凄まじい音とともに観覧車が揺れ、その振動は俺の全身に返ってきた。

 

 何度も言うが、痛みはない。でも衝撃はばっちりくる。思わず状況も忘れ、俺はその場でのたうち回った。視界の端でスカートの裾がめっちゃ揺れる。ありがとう守護神(スパッツ)

 

「っ、で~~~~!」

「ちょっとヨシツネちゃん!? 落ちかけたんだけど!?」

 

 痛みを錯覚して悶える俺の頭上に、焦った声が降ってくる。

 それに少し遅れて、周囲にいた狼たちが突如飛びこんできた獲物(おれ)に我先にと跳びかかってくる。だが甘い。【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】はまだ解除していないんだがこれが!

 

「ぅ、らぁ!!」

 

 美少女に似つかわしくないかけ声を上げながら、起き上がると同時に新たな相棒を振るう。比翼の雌雄(ソハヤマル)と名づけられた二振りの脇差は、まるで竜巻のように群がる狼を引き裂いた。

 

 それを見届けた後、即座にスキルを解除する。

 そこそこのリキャストを挟むからできれば解除したくないのだが、そうすると回復アイテムが溶けるのでやむを得ない。小さく息をついてから、俺は脇差を構え直した。

 

「足元は俺が引き受ける! 四月一日は全体焼くのに集中!」

「OK!」

 

 そんなやりとりをかわした後、小さな落下音の後にガラスの割れる音が響く。

 

「もうっ、変若水(こんなもの)使うほど術式連発するなんて初めてだよ!」

「たまには限界に挑むのも悪くないだろー!?」

「強キャラらしさゼロだよ! まったくもう!」

 

 自棄と楽しさが入り混じった声を浴びながら、俺は観覧車に群がる狼たちと相対した。

 

 頭を狙う個体を比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼で斬りつけた後、手の中で柄を持ち替え、足元に向かってくる奴に切っ先を振り下ろす。もう片翼は横合いから跳びかかってくる獣を貫き、返す刀で後続を切り裂いた。

 周囲に障害物の類いがないから、狼どもは好き勝手に襲いかかる。連携攻撃を仕掛けてくるほどの知性がないので多少条件反射に任せても問題ないが、それでも多角から数の暴力で殴られるのはなかなかに骨だった。

 

 対処できているのはひとえに、取りこぼした奴を四月一日が上から射殺してくれるからに他ならない。つまり、フォローが期待できないポジションは俺以上に大変ということだ。

 朔の周りには、ともすれば一番ヘイトを稼いでいる四月一日の周りにも負けないほど狼が群がっている。イレギュラー戦闘でもそうだったが、おそらく優先AIが組まれているんだろう。真っ先に仕留めんとばかりに、狼たちは俺の体に入った朔に襲いかかった。

 

 気が気じゃない。

 悪手とわかっていても、俺はメリーゴーランドの方をちらちら見ずにはいられなかった。

 

 屋根を支える支柱の周りにはスペースがあり、その空間を囲うように動かない馬が吊るされている。馬のおかげで狼たちは思うように跳びかかれず、必然的に一度に襲いかかってくる数は減り、やってくる方向は限定された。支柱を背にしていれば、少なくとも真後ろから襲撃を受けるということもなくなる。

 それでも、支援なしに一人で立ち回るのは難しい。特に朔は俺の体を未だ扱いかねているようで、リーチを見誤って攻撃を空振りさせる光景が何度も見られた。

 

 俺が何度目かの注視をした時も、振るった刀が狼じゃなく人工物の馬にぶつかった。

 四月一日謹製の太刀【連理の枝(ダイトウレン)】はさすがの切れ味で、表面に弾かれることなく硬そうな馬を容易く斬る。だが、何かを誤って斬ってしまったということは、斬り損なった何かがあるということで。

 視線の先で、一匹の狼が朔の肩口に飛びつくのが見えた。

 

「朔っ!」

『グルァ!』

『ガァ!』

 

 思わず声を上げた俺に、すかさず狼が左右から二匹跳びかかってきた。

 

「ちぃ!」

 

 舌打ちをした後、まずは右側の狼を斬り捨てる。返す刀で左側を処理しようと体の軸を捻ったところで、背を向けたばかりの方向から唸り声が聞こえた。

 直後、背中に衝撃が走る。

 次いで、火傷した時のジンジンするような疼きを背に感じた。

 

(やば……っ!)

 

 朔に意識を割きすぎて、接敵数を見誤った。

 視界の端で目減りしたHPバーに二度目の舌打ちを零しつつ、無理やりしゃがみこむ。頭上で何かがぶつかり合う音がしたのに合わせて、比翼の雌雄(ソハヤマル)を交錯するように振り上げた。

 

『ギャッ』

『ガ……!』

 

 手ごたえと短い断末魔が二つ。

 そして上から降ってくる黒い血霧(ダメージエフェクト)で、なんとか目下の危険は処理したことを知る。しかし、その代償として即座に体勢を立て直すことができない。

恋ゆえに貪る(ビーストハート)】のリキャストは終わっていない。

 数秒後の自分に丸投げして、【八艘跳び】で強引に離脱しようかと考えたその時。

 

 ドンッドンッ、と。

 四発の銃声が耳に届く。

 

「ヨシツネ! ()()()()()()()!」

 

 それに続いて、アーサーの声が聞こえた。

 

「――――」

 

 離脱に向いていた思考を切り替える(スイッチ)

 音と声がした方へ強引に顔を向け、ぐっと右の脇差を力強く握る。それから数回の瞬きを経た後、視線の先にいる狼たちの体が突如弾けた。

 

 それに合わせて、右手を勢いよく振るう。頭でいちいち指示するまでもない。その死に方は覚えているとばかりに、パッシブスキルが俺の体を動かした。

 次に視認したのは、空中で真っ二つにされた四つの弾だった。

 

「っ、ふ……!」

 

 脇差を振るった勢いに追従する形で側転し、体勢を立て直す。その直後、今度はメリーゴーランドの方角から連続した銃声が響いてきた。

 そっちに視線を向ければ、黒い血霧(ダメージエフェクト)を纏いながらも、狼からは解放されている朔の姿が目に留まる。少し経てば黒い霧の大半が風に流され、後は肩から零れるだけになっていた。

 

 ドンッ、とさらに銃声が轟く。それはメリーゴーランドに集まった狼たちを撃ち抜き、少し遅れて観覧車の周囲で蠢いている獣の数を減らした。

 視線を、狼の群れからジェットコースターのレールに移す。

 最後に見た時よりも観覧車から離れ、代わりにメリーゴーランドの方に近い位置には、アーサーが立っている。弾丸本来の飛距離をガン無視する魔銃使いは、黒い長ランをはためかせながら手に持つ二挺拳銃をかっこつけるように構え直した。

 

「フレンドリーファイアすんなよばーか!」

 

 その姿に安堵の思いを抱きつつ、俺は声を張り上げる。

 

「ははっ! 信頼の表れってやつだよ!」

 

 俺の抗議にアーサーは悪びれもせずにそう返すと、【手妻使い(イカサマ)】によってかさましされた銃弾を狼の群れに叩きこんでいく。どんどん数を減らしていく狼たちを見て、奴に負けじとばかりに俺と朔は剣舞(ダンスマカブル)に力をこめた。

 



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人狼に捧ぐ小夜曲④

 変化は、八分後に訪れた。

 アトラクションの広場で群れを成していた狼たちが、いっせいに反転する。そして、俺たちに背を向ける形で同じ方角めがけて駆け出した。

 

「――っ!」

「さ、朔さんっ、待って、待て!」

 

 それを即座に追いかけようとする朔に、なんとか待ったをかける。

 朔が足を止めてくれたのを確認してから、赤い血霧(ダメージエフェクト)を纏う俺はその場にへたりこんで大きく息を吐いた。HPは……やっべ、そろそろレッドゾーンじゃん。

 

 だが、HP以上に集中力とスタミナがやばい。

 最高二十人で捌くことが想定されている大群に、三人+NPC(さく)で挑んだんだから当然と言えば当然なんだろうけども。いや、マジきっっっつ。最後の偉業(ラストミッション)の難易度考えた奴、ちゃんとバランス調整とかしたのか?

 

「リョウ、大丈夫?」

「だ、大丈夫……。でもちょっと息整えさせてくれ……」

 

 疲労困憊の俺を案じる朔にそう言ってから、深呼吸を繰り返す。

 その間に、俺と同じくらい疲労の色を見せたアーサーと四月一日が合流した。朔が全く疲れてないのが凄すぎるな。スタミナ無限大か?

 

「いやあ……めちゃくちゃきつかったね」

「うおっと」

 

 言いながら、四月一日が小瓶を俺に放る。

 普段なら難なくキャッチできるが、今はちょっと手先がおぼつかない。取り落としかけるハプニングを挟みつつも、なんとかキャッチして中身を呷った。

 横目で見ると、朔にはしっかり手渡しをしている。朔に投げろとは言わないが、それなら俺にもきちんと手渡しをしろ。そんな不満を抱きつつ、視界の端に映るHPバーが緑になるのを確認してからゆっくりと立ち上がった。

 

「これで終わりじゃないってマジ?」

「残念ながらマジだ。もうちょい付き合ってもらうぞ」

 

 俺と同じように【変若水(おちみず)】に次ぐ高価格回復アイテム【甘露水(アムリタ)】でHPを全快にしたアーサーが、疲労の滲む声で笑う。それに言葉を返した後、俺たちは改めて狼の群れを追いかけた。

 ぱりんと。ガラスの割れる音が、背後で四つ響いた。

 

 ――――狼の群れが向かったのは、遊園地の端にある半円形の屋外ステージだった。

 スミダ川に面した広々としたステージは、現実(リアル)で調べたガイドによれば常設のショーなどはなく、年に数回キャラクターショーが無料公開される程度のものらしい。ロケ地として使用されることも多く、ショーよりはロケーションを楽しむための場所と言えよう。

 

 そして今、飾り気のないステージでは一つのショーが開催されていた。

 ショーと言っても、ちびっ子が喜ぶような痛快勧善懲悪のアクションじゃない。

 狼たちがステージの上で寄り集まっていき、粘土のように変形しながら一つの形になっていくという、悪趣味なクレイアニメだ。

 

 俺たちが一呼吸入れている間に、粘土細工はほとんど完成していた。

 ほどなくして、ステージの上には一頭の狼が現れる。

 アパートから象ほどの大きさになり、しかし今までのどの形態よりも凶悪なツラをした、真っ白い剛毛の狼。そいつは客席に立つ俺たちを見上げた後、大きく顎を仰け反らせた。

 

『――――ウォォォォォォォォォォンッ!!』

「幻日の狼……!」

 

 ビリビリと体を震わす咆哮を浴び、朔の横顔に獰猛な表情が宿る。

 イレギュラーの邂逅でも見せた、怒りと殺意の混合感情。朔は荒々しい感情に身を任せてステージの白狼に跳びかかろうとした朔の腕を、俺は乱暴に引き留めた。

 

「っ、リョウ……!」

「焦るな」

 

 振り返った朔にぴしゃりと言ってから、掴んだ腕をさらに引っ張る。

 

()()()()()()()

 

 そして、近づけた耳に短い言葉を囁いた。

 

「……」

「わかったな?」

 

 マーナガルムのAIに変な疑問を持たれる前に、すぐに朔から距離をとる。俺の手から解放された朔は、改めてステージの方へと駆け下りて行った。

 

「いけると思うか?」

 

 追いかけるように駆け出した俺に、並走したアーサーが問いかける。

 

「いけるかいけないかじゃねえ」

 

 その問いかけに、【攻勢】の動作(モーション)をとりながら答えた。

 

「好きな女の子と好きなゲームを信じるんだよ!」

 

【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】のメインは、協力者(プレイヤー)朔のルー・ガルー(NPC)の共闘。

 しかし、(プレイヤー)の体に入った朔は明らかに性能が落ちている。強いアタッカーではあるが、攻略に必須レベルかと言われるとNOと言わざるを得ない。現に俺たちは、第一形態はアーサーを、第二形態では四月一日を主軸にして攻略した。

 

 ゲームはプレイヤーが主体(メイン)、NPCは添え物(おまけ)と考えるなら、これでもおかしくない。

 RTNというゲームも、基本的には退魔士(プレイヤー)を立たせる存在としてNPCを運用している。売り子NPCの定型文(テンプレ)がわかりやすい例だ。

 

 だが、【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】は明らかに朔のルー・ガルーが主体になっている。

 彼女の物語を紡ぐために、彼女というキャラクターをプレイヤーに見せるために、香ばしさと紙一重のイベントを発生させるくらいだ。少なくともこれを考えたデザイナーには相当のこだわりがあるだろう。そして、そんなこだわりがある奴がはたして、最終決戦という一番の舞台でお気に入りのNPCを腐らせることがあるだろうか?

 

 いや、ない。少なくとも俺はそう思う。

 だからこそ、朔のルー・ガルーは最終形態【凶狼形態(ラグナロク)】攻略の要になるはずだ。

 

 彼女の存在がどういう形で戦闘に貢献するかは、()()()()()()()()()()()

 朔のルー・ガルーが幻日の(アルター)マーナガルムに敗北したということを、ただの設定じゃなく事実の一つとして考えれば、候補はおのずと絞られてくる。もっとも、さらに絞りこめたのは雑学方面に博識な四月一日の知識のおかげなのだが。

 閑話休題(さておき)

 

 問題は、敵である幻日の(アルター)マーナガルムが狡猾だということだ。

 目の前で行われる作戦会議の概要を把握し、それを逆手にとった騙し討ちをしてくる知能がある以上、露骨な行動をとればこっちの狙いを看破される可能性は高い。イヌ科の聴覚が優れていることを考えると、この場で直接的な行動の指示はできなかった。

 

 それなら、事前に朔も交えて作戦会議ができない時点で詰むのか?

 これにも俺は、NOと言いたい。

 俺の対応が悪かったにせよ、朔の離脱イベント自体は運営側が想定(ようい)したものだと思われる。ならば、事前の打ち合わせなしで交戦状態になる展開も想定して然るべきだろう。

 何より、敵のAIは小賢しい戦術を使ってくるのに、味方のAIが言われたことしかできない凡庸なAIしか搭載していないのは、()()()()()()()()()()()

 

 だから、俺は信じる。

 無理ゲーに見えた朔のルー・ガルー戦で、攻略の糸口を残していたRTNを。

 大好きな女の子が、言葉の裏にある意図を読み取ってくれることを。

 

 そんな風に言い切った俺に、隣のアーサーが笑い声を上げた。

 

「肝心なとこは博打か! 人のこと言えないけど、ヨシツネも大概無茶ぶりが過ぎるよな!」

「笑いながら言っても説得力ねーっての!」

「ははっ! こういう信頼(むちゃぶり)のされ方は嫌いじゃないんでね!」

「そーかい!」

 

 賛同を得られたことに内心安堵しつつ、俺は比翼の雌雄(ソハヤマル)を持つ手に力を込めた。

 視線の先では、朔とマーナガルムが交戦を始めている。コンクリの地面を蹴ってその横合いに回りこむと、【八艘跳び】を噛ませた跳躍とともに胴体に斬りかかった。

 

 正面の朔と、横の俺。

 身動きがとりづらいステージ上でその両方を回避すべく、マーナガルムは上空という逃げ道を選ぶ。白い体はその巨体にあるまじき身軽さで跳躍し、客席の方へと滑空していく。

 だが、そんな回避が有効なのは誰も飛び道具を持っていなかった時だけだ。

 

「そこだと的になるんだよなあ!」

 

 テンションの高い声とともに、無防備な腹に銃弾が撃ちこまれる。

 普通火力の弾丸は、さすがに今の形態だとでかいダメージにはならない。しかし確実にHPは削れたことを、被弾箇所から零れる黒い血霧(ダメージエフェクト)が証明していた。

 

『ウォォォォォンッ!』

 

 着地と同時に、マーナガルムが咆哮を上げた。

 それは今までの雄叫びと違い、聞いた瞬間に強制的に足をすくませる。効果範囲内のプレイヤーに【恐怖(テラー)】というデバフを付与する魔獣レイドエネミーの専用スキル【咆哮(ハウル)】だ。これを得意とするのは【巨狼形態(フィンブルヴェト)】だが、【凶狼形態(ラグナロク)】の【咆哮(ハウル)】もえげつない味だった。

 

 しかし、俺たちが動きを強張らせる中、朔だけは怯む様子もなく客席を駆けあがっていく。

 規格外(EX)のPOWでも弾けなかったことを考えると、朔のパッシブに【咆哮(ハウル)】の無効化でもあるのだろう。白狼の咆哮を意にも介さない魔獣の女王(ストラテジーエネミー)は瞬く間に接敵すると、己の手足のように刀を鋭く振るい、先んじて交戦を再開させた。

 

「はぁ――ッ!」

 

 鈍色の(つめ)と白色の爪が鍔迫り合い、巨躯と長身が俊敏に動き回る。

 自分の体ながら、まるで現代伝奇ものの一ページのような光景だった。うっかり見惚れそうになるが、すぐに我に返る。

 

「【詠唱省略(エリプシス)】――【RESET(リバース)】!」

 

 それと同時に四月一日の声が響き、強張っていた足から力が抜けた。

 すかさず駆け出すアーサーとは対照的に、俺は思いきり地面を蹴りつけ、高く跳躍。ステータスの暴力に物を言わせた大ジャンプで、俺の体は瞬く間にマーナガルムの上をとった。

 宙に浮かんだ体は、忠実に再現された重力に引っ張られて落ちていく。緩やかな落下速度にブーストをかけるように、リキャストが完了した【八艘跳び】を発動(インプット)。空中を蹴り飛ばし、勢いよくマーナガルムめがけて墜落した。

 

 墜落の中で狙いを定める。朔の攻撃の軌跡を予測する。

 累計数十時間の経験値をもってすれば、彼女の攻撃に合わせることなど造作もない。手の中にある比翼の雌雄(ソハヤマル)を構え直すと、俯瞰から見るモーションをなぞるように腕を振るった。

 

「【繊月(センゲツ)】!」

一意(とどめの)……専心(一撃)っっ!」

 

 発声は同時。

 朔のスキルと、俺のなんちゃってスキルがマーナガルムの頸部に命中する。

 

 レイドエネミーの前では、即死攻撃はただの通常攻撃に貶められる。しかし、それでダメージがゼロになるわけじゃない。そこに再現された重力が乗った追撃も加われば、頸部からはタコ墨のような血霧(ダメージエフェクト)が噴出するという寸法だ。

 

『ガァァッ!!』

 

 苦悶の叫びを上げながらも、凶狼はそれだけに終わらない。

 防御をないがしろに攻撃に集中した俺たちを迎撃せんと、巨体を揺すり、前脚を持ち上げ、攻撃直後の隙を晒す体に攻撃を叩きこもうとする。俺は空中で、朔は普段よりも鈍い体。マーナガルムの迎撃は、見事に命中する。

 

 ――――はずだった。

 悪いが、これは大規模戦闘(レイドバトル)だ。本来の想定人数より大幅に少ない舐めプじみた頭数だとしても、仲間がいるということに変わりはない!

 

 ドンッドンッ、と。

 連続して銃声が轟いた直後、迎撃に動こうとしていた狼の体に弾丸が被弾した。

 

『グル…ッ!?』

「おいおい。どんだけその二人に夢中なんだよ、マーナガルムさん!」

 

 不意の衝撃に硬直するマーナガルムに、煽りを隠そうともしない声が放られる。

 迎撃を食らうことなく無事に着地した後、声がした方を一瞥する。【挑発】スキルを持っていないくせに中指を立てたアーサーが、実にむかつく笑みを浮かべていた。

 俺がマーナガルムだったら迷わず張り倒しに行きそうな笑顔だが、あいにくとフレーバーの挑発はきかなかったらしい。忌々しそうに唸ったものの、すぐに顔を朔の方へと向けた。

 

 そして、交戦が再開される。

 基本戦術はヒット&アウェイ。メインアタッカーは朔、サブは俺、この二人で攻撃(ヒット)を担う。

 アーサーはメインの攻撃に参加せず、俺たちの撤退(アウェイ)を支援し、マーナガルムの回避(アウェイ)を妨害するために弾丸を撃つ。それでも防げなかった被ダメには、離れた場所に立つ四月一日が即座に回復術式を飛ばすことでカバーした。

 

 マーナガルムを自由に動かさない。

 朔が自由に動けるようにする。

 第三形態【凶狼形態(ラグナロク)】を相手取るにあたり、俺たち三人はその二点を重視する方針を事前に固めていた。言うなれば堅実にダメージを積み上げていく作戦だ。

 集中力が途切れかねないリスクはあるものの、これなら作戦会議に参加できなかった朔をアタッカーとして戦術に組みこむことができる。この作戦はうまくはまってくれたようで、時間の経過とともにマーナガルムが損耗していくのが見て取れた。

 

「よし、いける! このまま攻めるぞ!」

 

 みんなを鼓舞しながら、俺は比翼の雌雄(ソハヤマル)を握る手に力を入れ直した。

 直後。

 

「な……!?」

 

 俺は思わず、驚愕の声を上げた。

 

 

 

 想定からは少し外れたが、()()()()()()()()()だと。

 離れた場所から戦況を観察していた「それ」は、声もなくほくそ笑んだ。

 

「それ」は狡猾だった。

 己の力の使いどころを、正確に理解していた。

 戦況を分析し、誰を最初に殺すのが最も効果的かを見極めていた。

 そしてゆっくりと、獲物の背後に忍び寄る。

 獲物は、「それ」に距離を詰められても気づく素振りを見せない。相対している獣の相手に集中しているというのもあるだろうが、それ以上に「それ」の隠形が優れていた。

 

 女王(おう)の嗅覚さえ欺いた陰形を、人間如きが看破できる道理はない。

 それでも、狡猾な「それ」はじっくりと最大の好機を見計らっていた。

 にたりと歪む眼には、獲物の背中が映りこむ。

 

 それは、強力な飛び道具を用いて、巨躯を粉砕した雄――ではない。

 それは、多彩な術式を操り、数多いた群れのほとんどを焼いた雌――ではない。

 それは、異なる器に入ることで一夜の呪縛から解放され、再戦を挑んできた美しき魔獣の女王(おう)――――()()()()

 

 最優先事項である女王(おう)の始末を後回しにしてでも、今この瞬間、真っ先に殺すべき対象がいた。そうするだけのメリットが、目の前の獲物にはあった。

 

「それ」は、獲物の――女王(おう)の器を動かす人間の背後で、もう一度舌なめずりをした。

 

 その人間は、最初に乱入してきた時を除けば目立った動きをしていなかった。圧倒的な破壊力も鮮烈な殲滅力も振るわず、先ほどまでは他の二人を、今は女王(おう)の攻撃を徹底的に補助している。主軸となっている戦力が十全に仕事をこなせたのはこの人間の存在が大きい。ゆえに、欠けてしまえば戦況に少なくない影響が出るだろう。

 また、女王(おう)が異なる器を扱いかねているのに対し、この人間はなぜか不自由なく女王(おう)の体を動かしている。今はまだ女王(おう)の力に振り回されている側面も窺えるが、完全に使いこなせるようになるまで時間は要さないだろう。そういう意味でも、最初に潰しておきたい。

 

 だが、「それ」がこの人間に狙いを定めた最大の理由は、そのどちらでもなかった。

 

 この人間は、士気の中心だ。

 これの到来が折れかけていた女王(おう)に再び闘志を宿らせ、これが刃を振るうのに合わせて飛び道具使いの雄と術式使いの雌もまた、己が力を振るっている。これがいるから、あの三(びき)は戦っていると言っても過言ではない。

 

 ゆえに、最初にこの人間を殺す。

 この人間は女王(おう)に警戒を促していた。何かがあるなら、狙われるのは女王(おう)を置いて他にないという判断だろう。だからこそ、女王(おう)を対象にしない奇襲は彼らの死角となる。

 

 これの体がへし折れた時、女王(おう)は、雌雄の人間たちは一体どんな顔をするのか。

 その予測(そうぞう)に喜悦の感情を出力し(おぼえ)ながら、「それ」は前脚に力を込めた。

 直後。

 

『――――ッ!?』

 

「それ」の体には、鈍色の刃が深々と突き刺さった。



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人狼に捧ぐ小夜曲⑤

 マーナガルムめがけて振り抜かれようとしていた刀を、朔と名づけられた少年(しょうじょ)は勢いよく、明後日の方向へと投擲した。

 そんな光景に、実行者(ひとり)を除いたその場にいる全員が驚く。意表を突かれた中にはマーナガルムも含まれており、間合い内の標的が自分から武器を手放すという好機を前にしても、とっさに動けずにいた。

 

 だからこそ、朔の()()は成功した。

 

『――――ッ!?』

「な……!?」

 

 虚空に切っ先が刺さり、次いでひび割れたような雄叫びが驚愕の静寂をつんざく。その咆哮は、近くにいたヨシツネの声を掻き消すほど大きく、戦場に響き渡った。

 宙に浮いた刀の周囲を、黒い霧が漂い始める。

 それが、止まっていた時を動かした。

 

『ガァッ!』

 

 武器を手放した朔に、マーナガルムが跳びかかる。

 

「【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】ォ!」

 

 その吠え声を掻き消さんばかりに声を荒げたヨシツネが、地面を蹴った。

 

 ステータス強化のレアスキルに重ねるのは【加速・極】。【八艘跳び】で跳ぶよりは遅く、けれどただの跳躍よりは圧倒的な速度で距離を詰める。そして、進行方向に立っていた朔を、自分の体を使って思いきり突き飛ばした。

 長身の体が地面から浮く。

 直後、華奢な体が大きく開かれた咢に飲みこまれた。

 肉の柔らかさが、骨の硬さが、狼の口腔に広がる――――はずだった。

 

『……ッ!?』

 

 予想とは裏腹の、霞でも口に入れたような歯ごたえのなさ。それはマーナガルムの意表を突き、その大きな体を驚愕で硬直させる。

 

 そんな中、全体視野に優れた狼の視界があるものを捉えた。

 それは、先ほど突き飛ばされた少年(しょうじょ)と、先ほど噛み砕いたはずの少女(しょうねん)。二人は狼をまっすぐ見据えたまま、宙に浮いた両足のうち、片方を思いきり地面に叩きつける。

 

「せぇ……のっ!!」

『ガ――ッ!』

 

 そして、かけ声を合図に、両者は勢いよく跳び蹴りを放った。

 

 ――――一方。

 

「そうきたかあ……!」

 

 思わぬできごとを前にした猗々冴々の顔には、何とも複雑な表情を浮かんでいた。

 さながら、対極に位置する期待の裏切られ方を同時に味わうと、人はこういう顔になるのだろうという見本。そんな表情のまま、彼は二挺拳銃に装填していた弾倉を抜き取った。

 

【クイックリロード】と呼ばれるモーションスキルを使用し、数秒とかからずに別の弾倉をセットする。そして、銃口を宙に浮いた刀へ向けた。

 銃使い(シャシュ)系統の基礎スキル【速射】に【連射】。消費するSAN(リソース)を増やすことなく弾丸スキルの効果を倍の弾に適用することができるレアスキル【手妻使い(イカサマ)】。

 引き金に指をかけると同時に、脳裏でスキルを思い浮かべる(インプット)

 魔弾の射手(デア・フライシュッツ)固有能力(スキル)、SANを消費することで弾丸に追尾機能を付与する【悪魔の弾丸(フライクーゲル)】は使用しない。ここで使う必要がないからだ。

 

「【詠唱省略(エリプシス)】――――」

 

 同時に、キィンとハウリングの音が耳に届く。

 

「【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】ォ!」

 

 別の方向からは、スキル名を叫ぶ声が聞こえた。

 対応力に優れた親友たちに、顔に浮かぶ笑みの比率が高まるのを自覚した。

 

「ははっ」

「【我は一瞬の永遠を(ファウ)望むもの(スト)】!」

 

 小さな笑い声に重なるのは、拡声器を経由したスキル名。

 それが響いた瞬間、虚空で揺れていた刀がぴたりと止まる。それはすなわち、刀が突き刺さった「何か」がその場に縫いつけられたことに他ならない。

 

 例え的そのものが見えずとも、そこにあるということがわかれば視認できているのと同義。猗々冴々は迷わず引き金を引き、弾倉に入っていた六発の弾丸を全て撃ち尽くす。はたして、二挺拳銃から放たれた弾丸は全て、刀の周囲に被弾した。

 

 猗々冴々が放ったのは、エネミーをマーキングする際に使用するペイント弾。

 本来なら、一発撃てば十分な目印ができる。それを、合わせて十二発も撃ちこめばどうなるか。その答えは、横合いから蹴り飛ばされてきた白狼に巻きこまれて転倒した。

 

「「力を奪われた以上、幻日の(アルター)マーナガルムというエネミーには、朔のルー・ガルーに勝てるだけの手札がある。正攻法なら朔のルー・ガルーが負けるはずはないから、きっとそれは卑怯な手のはずだ」……か」

 

 土煙が上がる中、四月一日は笑い声混じりに過去を振り返る。

 それは、作戦会議中にヨシツネが発した言葉。恋した少女(エネミー)の強さに端に発した考察は、そのまま鵜呑みにするのはさすがに躊躇われたが、検討する価値は確かにあった。

 

 だからこそ、マーナガルムというエネミーの由来を知る四月一日は、白狼の手札に見当をつけ、それを友人たちに共有した。その予測が、全て当たるとは思っていなかったが。

 

「マーナガルム。北欧神話に登場する、女巨人が孕んだ数多いる狼のうちの一頭にして、最強の個体。月を喰らい、その血で天と空を塗り潰す獣。またの名を()()()()()()

 

 ふは、と。

 眼帯の女は、今晩長らくオフにしていたロールプレイのスイッチをオンにした。

 

「そして時に、マーナガルムは月追う狼、ハティと同一視される。ならば、マーナガルムの名を冠するエネミーは、もう一頭いてもさほど不自然なことじゃあない。なぜならハティは、対となるもう一頭の狼と並べて語られることが多い存在だからね。そうなると、魔獣の最強種として頂に立つ朔のルー・ガルーが、なぜ敗北を喫したのかも、おのずと筋道は見えてくる。だって、そうだろう?」

 

 謳うように言いながら、四月一日は一つの眼で「それら」を見た。

 憎々しげな顔立ちで、唸り声をあげる白い狼を。

 今まで欺いてきたことを誇るように嗤う、黒いペイントで彩られた()()()()()()()

 

「真剣勝負の最中に見えざる姿で奇襲されれば、いかに魔獣の姫と言えど、初見の対応は難しいだろうからね」

 

 その言葉に対する解答とばかりに、三人の退魔士(プレイヤー)の前にウインドウが表示される。

 

『【幻日の(アルター)マーナガルム】とエンカウントしました 推奨レベル99 参加人数3/20』

 

 本来ならば、同戦闘中には再び表示されないはずのエンカウントポップ。

 それは、探知スキル【サーモグラフィ】でも感知できなかった二頭目の魔性が、この瞬間、ゲームの盤面に引きずりだされたことを示していた。

 

「ったく」

 

 そのウインドウを見ながら、猗々冴々は肩をすくめる。

 

「プレイヤー相手には、常に舐めプしながら戦っていたってわけか。ふざけた話だ」

「魔性なりの生存戦略なのだろうさ。おそらくあれは、片方が生き延びさえすれば完全に滅びることはないのだろう。どうかな?」

 

 拡声器をしまいながら問いかけを発すれば、肯定するように黒狼の方が目を細めた。

 

「今まで相対してきた白い狼を敵対者(ハティ)とするのなら、君はさながら、スコルといったところかな。嘲笑うもの、高笑いするもの、まどわしの名を冠する狼殿」

『――』

 

 それに対し、スコルと称された黒狼は嘲りの笑みを浮かべる。呼び名に反した、音のない笑みを。そして、自らに刺さった刀を白狼に抜かせると、それを朔の方めがけて蹴り上げた。

 硬質な音とともに、人の獣は再び武器を得る。

 それは、敵に塩を送るような真似に他ならない。それでも、白狼から焦燥の色は窺えない。黒狼もまた、浮かべた嘲笑を崩さなかった。

 

 狼の態度は、笑みは、こう物語っていた。

 お前らは、奸計を見破っただけに過ぎないと。

 

 それは正鵠を射た嘲りだった。

 これで奇襲は受けなくなったが、状況は決して好転していない。今まで一頭を四人でなんとか捌いてきたのに、それが二頭に増えたのだ。単純な計算で、戦力は二倍。連携攻撃を考慮すれば、退魔士(プレイヤー)たちと(NPC)は不利になったと言える。

 

 しかし、少なくとも退魔士(プレイヤー)たちは焦燥を浮かべなかった。

 

「正体が僕の想定通りだったところで……ひとまず()()()()()()()()()()()、退魔士の少年」

()()()()()()()()()()戻って来いよ」

「おう、()()()!」

 

 それどころか、そんなやりとりをかわした後、ヨシツネが得物を四月一日に放り投げる。そして、彼女がそれをキャッチするのも見届けず、朔の腕を掴んでその場から駆け出した。

 

「っ! リョウ!?」

『グル……!?』

 

 それに驚きの声を上げたのは、獣の魔性(エネミー)たち。

 朔は驚愕の表情を浮かべたまま無理やり引きずられていき、それを逃がすまいと、狼たちは駆け出そうとする。しかし、八つの脚は一メートルも進まないうちに固まった。

 

「悪いけれど、君たちに後は追わせないのだよ」

 

 そう言う四月一日の顔からは、いつの間にか眼帯が外れていた。

 布に隠されていたもう片方の眼球が、露わになる。その色は右目と同じ金色ではなく、アメジストを連想させる紫色で輝いていた。

 

 種族【魔眼使い】。

 RTNでは上位に入る人気種族である彼らは、器用さ(DEX)魔力(POW)が他の種族より上がりやすく、例え数値の上では同じ等級(ランク)でも他種族より高い潜在能力を有する。

 

 しかし、彼らの特徴はそれだけではない。

 種族を魔眼使いにした退魔士(プレイヤー)は、その名の通り魔眼を使えるようになるのだ。

 一日一回。彼らは、キャラビルドの際に選んだ効果の魔眼を使用できる。使用制限が厳しいが、その効力はレイドエネミーの耐性すら貫通した。

 

 四月一日が選んだ魔眼の効果は【石化(ゴルゴン)】。

 実際に石になるわけではない。だが、ひとたび彼女が魔眼を発動すれば、対象は六十秒間、石になったかのように体を動かせなくなる。忌々しそうに唸る二頭の狼に妖艶な笑みを浮かべながら、四月一日は受け取った二振りの脇差を構えた。

 その動作(モーション)に合わせて、【攻勢】の上位互換(アンコモン)スキル【戦作法】が発動する。

 

「さっきの、ヨシツネだけを信頼してたらできないムーブだよな」

 

 傍らで、猗々冴々が拳銃(ハンドガン)をホルスターにしまった。

 代わりのようにインベントリから取り出されたのは、ソードオフ・ショットガンと呼ばれるタイプの銃が二挺。それを拳銃と同じように、片手にそれぞれ持つ。

 

 その銃の名は【孤軍奮闘(ワンマンアーミー)】。

 猗々冴々というプレイヤーが、ソロで戦う時だけ使用するものである。

 

「四月一日はまだしも、俺は好感度稼いだつもりないんだけどな」

 

 とっておきの得物を両手に持ちながら、猗々冴々は先ほどのできごとを振り返る。

 第三者の奇襲を事前に察知すること。

 ヨシツネの言葉を額面通りに受け取らず、自分の背後だけではなく全体を注意すること。

 それが、猗々冴々たちが朔というNPCに期待していた挙動だ。

 狡猾なAIを持つエネミーが、素直に優先順位を守るとは思えない。状況を見て、臨機応変にターゲットを変更する可能性は十分にある。ゆえに、奇襲を察知できる朔には、戦いながらも全体を警戒してもらう必要があった。

 

 しかし、それを朔に直接示唆しては意味がない。

 だからこそヨシツネは言葉少なに、かつマーナガルムの思考を誘導する発言をしたのだ。

 NPC(さく)がその意図を汲めるかは、少なくとも猗々冴々は五分以下の期待値を抱いていた。

 そして、仮に彼女が期待に応えたとしても、それは声による警句を想定していた。

 

 だが、実際の展開は彼らの予想を大きく超えていった。

 まさか、得物を手放してまで襲撃者の迎撃と特定を行うとは。

 最適解という意味では、その行動は正しい。しかしそれは、無防備になった自分を援護してくれる存在と、襲撃者の反撃を確実に牽制できる存在、その両方がいると確信していなければとれそうもない行動だった。

 くすぐったさを感じる猗々冴々に、ふ、と四月一日が笑みを零す。

 

「短い戦闘の最中で、僕たちの力量がかの姫君に認められたということなのだろうさ。弱肉強食を謳う魔獣の頂にいるだけはある。さすがの慧眼と、判断の早さだ」

「過程をすっ飛ばして無茶ぶりの信頼を投げつけてくるのはNPCあるあるだろ」

「おや。魔弾の射手殿は、個の性能を鑑みた強引な信頼こそを、好ましいと思う人柄だったと記憶するけれど?」

「おう、ドストライクだよ。おかげでめちゃくちゃやる気出たわ」

 

 からかう言葉に笑顔を返しながら、長ランの青年はショットガンを構えた。

 

「ハッピーエンドを迎えるための前座役。さっちゃんのためにもがんばってやろーじゃんか」

 

 楽しげな横顔に、つられるように四月一日も笑う。

 そして、拡声器を通さずに朗々と術式の名を口にした。

 

「【詠唱省略(エリプシス)】【対象加算】――【HERO(ヘルモーズ)】!」

 

 身体強化の術式が、二人に付与される。

 直後、魔眼の呪縛から解放された二頭の狼が跳びかかった。

 猗々冴々と四月一日。二人はともにレベル99の熟練プレイヤー。それでも、推奨レベルが自身のレベルと同じレイドエネミーを二人で倒すのは無謀だとわかっている。レア等級の身体強化を施しても、それは覆らないだろう。

 

 それでも。

 

「術式使いと侮るなかれ。自らが造りし武器の試し斬りもできぬほど、貧弱に非ず!」

「至近距離の間合いが、白兵アタッカーだけのものだと思うなよ!」

 

 親友を重んじる男と、数少ない友達を大事に想う女。

 ベクトルは違えど友情に篤い二人は、ひとりの友のために全力で足止めを行う。



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人狼に捧ぐ小夜曲⑥

 後方から、戦いの音が聞こえてくる。

 それがだいぶ遠ざかったところで、俺は足を止めた。

 

 ……振り向きたくねー!

 後頭部にビシバシ刺さる視線に、冷や汗がだらだら流れるのがわかる。何しろ完全にあの夜の再現だ。何事かとばかりに俺を凝視するのも当然だろう。

 どういう顔で俺の後頭部を見ているのか。それを確認するのも怖い。

 

 だが、だからといってこのまま突っ立っていたらそれこそ本当にリプレイだ。

 アーサーたちが稼いでくれる時間だって無限じゃない。深呼吸をしたのち、俺は覚悟を決めて後ろを振り返った。

 

 幸いにも、朔の顔に失望の色は浮かんでいなかった。

 その代わり、俺の真意を測りかねている眼差しとぶつかった。

 

「……リョウ」

「後で必ず、一緒に戻る」

 

 そんな朔を安心させるべく、まずは前提を口にする。

 逃げるつもりも、逃がすつもりもない。必ず、二人で戦場に戻ると。

 まっすぐ目を見て言ったのが功を奏したらしい。さすがに完全に納得した様子ではなかったものの、怪訝さはだいぶ和らいだようだった。

 

 胸中で小さく安堵の息をつく。

 それから、手元で軽くコンソールを操作し、小窓で進行ミッションの一覧を見る。そこに二つのミッションタイトルが並んでいるのを確認してから、改めて朔に向き直った。

 ぱくぱくと、何度か唇が喘ぐ。

 それでも意を決して、俺は言葉を紡いだ。

 

「お前に、言わなきゃいけないことがあるから。アーサーたちに無理を言った」

「言わなければ、いけないこと?」

「……マーナガルムに襲われた夜。俺は……君に、酷いことを言ったから」

 

 目を逸らしそうになるのを必死に堪えつつ、朔を見上げたまま話を続ける。

 ゲームなのに、手のひらがじわりと汗ばむ。緊張で喉が乾く。相変わらず変なところの再現が凝っているなと、頭の片隅で他人事のように思った。

 

「朔は俺に、一緒に戦ってほしいって言ったのに。俺は君の言葉をないがしろにして、自分の都合ばかり押しつけて、それを察してもらえないことに身勝手に怒ってた。許してくれなんて言わないけど。……ただ、これだけは信じてほしい」

「……」

「俺は、君が足手まといだと思ったことなんて一度もない。そんなつもりで、君を戦いから遠ざけたかったわけじゃないんだ」

 

 ああ、くそ。これで言いたいことは伝わっただろうか。

 ちゃんと、伝えたいことを言えただろうか。

 自分の言葉に自信が持てずに、歯噛みしたい気持ちになる。

 

 本当なら、もっと時間に余裕が持てる時に言いたかった。時間に余裕があるからといってスマートな言葉を絞り出せるとは限らないが、少なくともタイムリミットを気にしながら言うよりは遥かにマシだっただろう。

 それでも俺は、今ここで朔に謝らないといけなかった。

 

『ヨシツネちゃんがやってるイベントさ、もう一つミッションあるでしょ』

 

 作戦会議中、四月一日に言われたことを思い出す。

 突然の指摘に思いきりきょどった俺にあえて追及はせず、きょとんとしているアーサーを後目に、奴は神妙な顔で言葉を続けた。

 

『ルー・ガルーを倒しました、入れ替わりました、マーナガルムを倒しました、はい終わり! じゃあ、物語としてあまりにも単調だからね。せっかく入れ替わりなんてしたんだから、他にも障害を用意するかなと思って』

『さすが四月一日。俺はそういうストーリー視点のメタ読み苦手だわ』

『……』

『ヨシツネの顔的にも、図星みたいだな』

『くふ。さて、本題なんだけど。ぼくとアーサーちゃんが、時間を作ってあげるよ。だからヨシツネちゃん、その間にもう一つのミッションをこなせるようにがんばってみない?』

『いや、わざわざ戦闘中にしなくても……』

『ぼくの予想通りなら、最後のミッションを達成した時点で朔くんは多分消えるよ』

『……は?』

 

 思わぬ言葉に、目が丸くなる。

 そんな俺に構わず、四月一日は自分の考察を口にした。

 

『朔のルー・ガルーは、幻日の(アルター)マーナガルムに力を奪われたんでしょ? なら、マーナガルムが倒された時点で力を奪われる前の姿に戻る可能性は十分にある。というより、元の姿に戻すことがこのイベントの主題なんじゃないかな。……朔くんがエネミーである以上、夜魔の眷属としての力を取り戻したら、退魔士(プレイヤー)と一緒にいる理由はないよね?』

『それは……』

『ミッションを完遂できたら変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。なんにせよ、ヨシツネちゃんがアクションを起こさないことには何も変わらないと思うよ』

『……』

『せっかくなら、ハッピーエンドの方がいいでしょ?』

 

 そんな四月一日の言葉に、俺はどういう返事をしただろうか。

 半日も経っていないはずなのに、遠い過去のように思い出せない。ただ、はっきりとした肯定じゃなく、曖昧な返答をしただろうなということはわかった。

 

 何せ、もう一つのミッションは好感度MAXだ。

 今までどうやって達成すればいいか悩んでいたものを、ほんの数分で達成できるとは到底思えない。下がった好感度はイベントが進行可能になるまで上がっているようだが、達成に至らなかったことはミッション一覧画面が証明していた。

 

 さっきの言葉で、好感度を上げられるとは思っていない。

 というより、俺はここで【人狼と真の絆を育め】を達成する気はなかった。

 ただ、これが最後になる可能性があるのなら。

 お別れする前に、朔に抱かせてしまった寂しさをなんとかしたいと思ったのだ。

 

「……」

 

 朔は、しばらく反応を返さなかった。

 永遠を錯覚するような数分間が過ぎていく。

 耳を澄ませば、アーサーたちがマーナガルムと交戦する音がかすかに聞こえてくる。今すぐ駆けつけなければいけないほどの劣勢は感じられなかったが、悠長に時間を消費できるほど優勢でもないのはわかった。

 

「……よし! それじゃあ、あいつらがマーナガルムを倒しちまう前に戻るとするか! 俺のわがままに付き合わせて悪かったな、朔」

 

 あえて明るい口調を使いながら、朔から顔を背け、体の向きも変える。そして、戦線に戻るべく一歩を踏み出そうとした。

 その、直前。

 

「…………一つだけ」

「ん?」

「リョウ。一つだけ、貴方に聞きたいことがあるの」

 

 真剣な声音と眼差しが、俺の歩みを止めた。

 それを無視するという選択肢は、俺にはない。変えたばかりの体の向きを再び朔に戻すと、彼女の言葉を待った。

 

「リョウにとって私は、足手まといではない。それは、伝わったわ」

「……うん。よかった」

「でも、それなら。どうしてリョウは、私を戦いから遠ざけようとするの?」

「…………あー」

 

 当然の、しかし非常に答えづらい疑問をぶつけられ、思わず頬を掻いた。

 テンションが高い時なら湯水のように言えるが、素面でそれを言うのは難しい。というか恥ずかしい。だが、ここで変にごまかすのは最高にダサいのも事実だった。

 数十秒の沈黙を挟む。

 アーサーと四月一日に内心手を合わせながら、俺は回答を口にした。

 

「何度も言ってるけど……。俺は、朔のことが好きなんだよ」

「……すき」

 

 さすがに、面と向かって言うのはハードルが高い。

 きょとんとする朔から顔を背けつつ、言葉を続ける。

 

「君がここにいるだけで、俺って人間は幸せな気持ちになれる。だから君を殺したくなかったし……一度俺の手で殺してしまった君が、もう一度死ぬのを見るのだけは絶対に嫌だった。それが、朔を戦わせたくなかった理由だ」

 

 やばい。

 めちゃくちゃ恥ずかしい。

 勘弁してくれと思っていると、追い打ちみたいな質問が飛んできた。

 

「すき、とは。どういう意味?」

「人外特有の無知シチュ!!」

「……?」

「あ、今のはアンサーじゃないから! 違うから!」

 

 脊髄反射で叫んでしまった言葉を弁解しつつ、その勢いのまま、俺は叫んだ。

 

「朔のことが、この世で一番大事って意味!」

「――――」

 

 ……………………あー、死にてー!

 

 あまりにも勢いがすぎる告白に、思わず頭を抱えたまま俯いた。

 顔がめちゃくちゃ熱い。変なところで凝り性なRTNくんは、こんな生理反応もきっちり再現しているようだ。余計なお世話にもほどがある。

 

 というかノーリアクションなのが死ぬほど気まずい。

 さっきのでも意味が伝わらなかったら、後はもうセクハラすれすれの表現しかない。それはそれでめちゃくちゃ嫌だが、それでも伝わった上でノーリアクションよりは何千倍もマシだ。どっちだ、どっちなんだ朔。

 シュレディンガーの猫箱を開ける気分で、恐る恐る顔を上げる。

 そして、いつの間にか閉じていた瞼を、またも恐る恐る、持ち上げて。

 

「……………………えっ?」

「――――ぅ、ぁ」

 

 開いた目に、世界で一番大好きな()()()が顔を真っ赤にしている姿が映った。

 



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人狼に捧ぐ小夜曲⑦

 想像以上に、防戦一方を強いられていた。

 

 その事実に舌打ちを零しつつ、猗々冴々は白狼めがけて引き金を一つ引く。発射と同時に散弾が拡散し、鉄片がまき散らされた。

 既に鉄片の痛み(あじ)を知る白狼は、俊敏な動きで後方に飛び退く。

 そこから即座に反撃へと転じてくれれば、残しておいた銃で迎撃もできただろう。しかし、相手はそこまで単純ではなかった。

 

『ウォォォォォン!』

「ちぃ……!」

 

 跳びかかる前に、【咆哮(ハウル)】が挟まれる。

咆哮(ハウル)】は同一エネミーから連発されれば耐性がつくスキルだが、それでも一瞬体が強張ってしまうのはどうにもならない。そして白い獣は、その一瞬を突くように跳びかかってきた。

 

 もう一度舌打ちをしながら、デバフが解けたばかりの体に鞭打って回避する。

 それでも、完全によけきることは叶わない。爪が脇腹をかすり、そこから赤い血霧(ダメージエフェクト)が噴出する。痛みの代わりに感じた衝撃に顔を顰めつつ、神経を次の一手に集中させる。

 銃口を向き直す暇もない。これ以上HPを削られてなるものかと、地面に向かって発砲し、その推進力を使って強引に距離をとった。

 

「うおっと!?」

「っ! すまない、魔弾の射手殿!」

 

 その背中が、近くで戦っていた四月一日の体とぶつかる。

 二人で戦い始めてから、何度目かになる衝突だ。そのためすぐに体勢を立て直すことはできたが、それは同時に何度も衝突させられるように仕向けられたということでもある。

 

 横目で黒狼の方を窺えば、狡猾な狼が目を細めて嗤うのがわかる。

 さらなる舌打ちを重ねてから、【クイックリロード】【速射】【手妻使い(イカサマ)】を発動。挟み撃ちを仕掛けてくる二頭の狼を視界の端に収めつつ、両手に持ったショットガンを構える。

 ただし、銃口は揃えて明後日の方向を向いていた。

 

「【詠唱省略(エリプシス)】【対象加算】――【A・TELEPORT(トリック)】!」

 

 それを狼たちが怪訝がるより早く、四月一日が術式を唱える。

 直後、二頭の狼に挟み撃ちされていた退魔士(プレイヤー)二人は、狼たちの真横に移動していた。同時に引き金が引かれ、散弾が獣の顔面に叩きつけられる。

 

『ガァッ!』

『……!』

 

 苦悶の咆哮を上げながら、二頭の狼は追撃を嫌うように地面を蹴り、その場から飛び退く。人と獣、両者の間に距離が生じた。

 からんと。距離の真ん中に、一つの石が落ちた。

 

「ふー……っ」

 

 横たわる距離は、獣がその気になれば容易く詰められるほどの広さでしかない。片時も意識から外さないようにしていると、四月一日が呼びかけた。

 

「魔弾の射手殿、勝利条件にギミックは関わると思うかい?」

「……」

 

 ロールプレイ中は滅多に口にしないゲーム用語を交えた問いかけに、牽制するように獣たちへと銃口を向けながら口を開く。

 

「あるだろうな。それが一番、イベントとしては映える」

「けれども、そうではない可能性も検証しないわけにはいかない。そうだろう?」

「大見得切って雑な攻略本以下じゃ、笑われかねないからな」

 

 言いながら、猗々冴々は狼たちを見据える。

 わざわざ得手を捨ててまで白兵距離で挑んでいるのは、その方が足止めしやすいからだけではない。足止めをするために、あえて不得手な分野で挑んでいるのだと。そうマーナガルムに思わせるためだ。

 

 マーナガルムの最優先対象は朔のルー・ガルーだ。

 第一形態と第二形態に痛手を負わせた退魔士(プレイヤー)と、わざわざ真正面から戦う必要はない。戦闘にデメリットしか感じなければ、早急に片方が離脱していただろう。

 しかし、厄介な攻撃を持つ退魔士(プレイヤー)が、わざわざ不利な戦いを挑んできているというなら、話は変わってくる。狡猾なAIを持つエネミーだからこそ、あえて足止めに付き合うことで頭数を減らそうという選択肢が生まれてくる可能性があるのだ。

 

 はたして、その予想は的中した。

 後は、わざわざそう思わせてまでここに引きつけているもう一つの理由。すなわち、二頭で一体という本性を表した幻日の(アルター)マーナガルム攻略の糸口を掴むだけ。

 

 問題は本気状態のマーナガルムが想定以上に手強く、攻めあぐねていること。

 その間に、手札もリソースも順調に数を減らしている。

 猶予もあまりない。【咆哮(ハウル)】を温存する黒狼に気取られたら、今までの攻防が水泡と化す。

 博打に走るか、堅実にいくか。二人は二択を迫られていた。

 

「きついね」

「あとで焼き肉奢ってもらわないとな」

 

 後続のヨシツネと朔に繋げるため、二人は軽口を交わしながらも頭を回転させる。

 そして、ほぼ同時にこれしかないかと結論づけた。

 

「Vanilla or Chocolate?」

「そりゃあもちろんチョコっしょ。吠え面かかせないと気が済まんわ」

「……任せた(plz)!」

楽勝(EZ)!」

 

 細かい打ち合わせは不要。ゲーム用語を織り交ぜつつ、同時に地面を蹴った。

 それを迎え撃つべく、白狼は猗々冴々の方へ、黒狼は四月一日の方へ向かう。

 各個撃破を試みないのは、得手に切り替えられることを警戒してか、それとも一対一で十分だという慢心か。どちらにしても、猗々冴々たちには都合がよかった。

 

「お色直しが終わるまで、もうちょっと付き合ってもらうぞ、マーナガルム!」

 

 言いながらショットガンを同時に構え、引き金を交互に引く。

 現実(リアル)の散弾銃ほどではないが、RTNでもこのタイプの銃は射程(レンジ)が短い。至近距離で撃てば高い威力を発揮するが、距離を離せば離すほど速度が下がり、威力も落ちる。

 

『ウォンッ!』

 

 数分の交戦でそれを学んだ白狼は、スキルを介さない咆哮でさらに弾を減速させた。

 そして、勢いが弱まった鉄片に自ら向かっていき、猗々冴々ごとまとめてなぎ払うように右の前脚を振るう。

 

 それに対して足裏に力を込め、跳躍。

 上に逃げる猗々冴々に、白狼は前脚を振り上げて追撃を図る。

【クイックリロード】で弾を装填し直しながら、追いかけてくる前脚に自分から足裏をぶつけることで、猗々冴々の体はさらに高く跳んだ。

 

 一方、少し離れた場所では四月一日と黒狼が剣戟を繰り広げていた。

 

「はぁ……ッ!」

 

 気勢がこもった声とともに、二振りの脇差を手足のように操り、爪を弾く。

 即座に咢が開かれ、スーツに包まれた体を噛み砕かんと牙が迫るが、小さくバックステップをすることでそれをかわす。そのまま体幹を捻って刃を叩きつけようとするも、それは剥きだしの犬歯によって受け止められた。

 

「やれやれ……!」

 

 困ったように笑いつつ、追撃が来る前にもう一度バックステップ。今度は大きめに距離をとり、いったん双方の間合いを離脱してから【戦作法】の構えをとった。

 本職(ヨシツネ)と比べれば精彩さに欠けるものの、一線級のアタッカーに相当する動きで四月一日は立ち回っていた。適正人数で挑んだ場合という但し書きはつくものの、猗々冴々たちが交戦したさまよう(フライング)デュラハンを相手取っても、十分に仕事ができる動きである。

 

 一見すると、互角。

 しかし、それが見せかけであることは他ならぬ四月一日が最も痛感していた。

 

(もてあそんでくれちゃって、まあ……!)

 

 嗤いながら爪牙を振るう黒狼に、内心歯噛みする。

 四月一日の動きは、間違いなく一線級のアタッカーに相当した。

 だが、それを相手が上回っている。

 殺意のままに攻撃を仕掛け、それゆえにやや単調でもある白狼と違い、黒く染まった獣はより狡猾で、何より邪悪だった。

 わざと拮抗しているように見せかけ、こちらの油断を誘ってくる。策略とわかっていてなお誘導されてしまい、そのたびにダメージを負い、猗々冴々と衝突させられていた。

 

 厄介極まりない相手だが、付け入る隙がないわけではない。

 一つは、術式を警戒しつつも基本的には白兵戦の四月一日を見下していること。

 そしてもう一つは、賢すぎることだ。

 ちらりと横目で猗々冴々の様子を窺ってから、四月一日は黒狼との距離を詰める。それを迎撃しようと狼が咢を開けた瞬間、形の整った唇が動いた。

 

「【A・TELEPORT(トリック)】」

 

 瞬間、黒狼の目の前には、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――――ッ!?」

 

 最低限の知能だけを持った(AI)なら、その事象を深く考えなかっただろう。しかし、高い知性を持つがゆえに、文字通り手品(トリック)のような入れ替わりに虚を突かれる。

 

「――ハッ」

 

 そんな黒狼を見て、猗々冴々が笑みを浮かべ。

 

「【詠唱省略(エリプシス)】――――」

 

 四月一日は、()()()()()()()()()発動する。

 そして。

 

「【一撃必殺(フルバースト)】!」

「【首吊りし隻眼神の魔槍(グングニル)】!」

 

 魔弾の射手(デア・フライッシュ)となる前の猗々冴々を破壊者(ダメージレコーダー)たらしめていたスキルと、四月一日がストックするものの中で最も火力が高い術式が、同時に炸裂した。

 

『ッ、――』

 

 二つの銃口が黒狼の鼻先で火を噴き、光の槍が背を穿つ。

 SAN(リソース)の残量を度外視した最大火力の一撃は、エネミーのHPを一気に削る。虚を突かれた顔のまま、黒狼の体はどうっと音を立てて崩れ落ちた。

 

 尽きずの(フラッド)アラクネや【群狼形態(ギャラルホルン)】のような群体は個々で消滅演出が発生するが、基本的に複数の個体で形成されたエネミーはすぐに消滅しない。その代わりのように、猗々冴々の目の前には「DEAD」というウインドウが表示された。

 横たわる黒狼の傍らに四月一日が着地しても、大きな体躯はぴくりともしない。

 

人間(プレイヤー)をナメんなよ、犬っころ」

 

 動かなくなった黒い獣を見て、猗々冴々は笑いながら息をついた。そして、ゼロ距離射撃の余波を浴びて焦げついた腕を、もう一頭の獣の方へと向けようとする。

 

 直後、眼前には白い獣の咢が迫ってきていた。

 

『ガルァッ!』

「うおっと!?」

 

 荒々しく跳びかかってきた白狼に、猗々冴々は慌てて飛び退く。

 だが、先ほどまでに比べて一段と速くなった爪牙は、短い間合いを瞬く間に埋める。容赦ない追撃が振るわれ、猗々冴々の脇腹には大きな裂傷が生まれた。

 

「アーサーちゃん!」

「くそっ、相方潰れたら即発狂モードかよ……!」

 

 舌打ちをしつつ、狂ったような連続攻撃の回避に専念する。

 猗々冴々の俊敏さ(AGI)はレベルカンストらしく高ランクではあるものの、遠距離攻撃使いであるため、回避特化(ヨシツネ)に比べるとプレイヤースキルは一歩及ばない。受け流し(パリィ)に使える武器ではないのもあいまって、零れる赤い血霧(ダメージエフェクト)は増える一方だった。

 

「アーサーちゃん……っ!」

 

 想定以上の猛攻を前に、より焦ったのは四月一日だ。

 ロールプレイでは泰然自若としたキャラを演じる一方で、四月一日というプレイヤーのメンタルは凡人に傾いている。HPを減らされ続けている友人を目の当たりにした彼女の意識は、猗々冴々の救援に向けられた。

 

 それは迂闊な行為ではあったが、完全に四月一日の落ち度だったとは言い難い。

 ――――なぜなら。

 

「ぐぅ――!?」

 

 突如背中に衝撃が走り、四月一日の体を前方へと押し出す。

 たたらを踏む暇もなく、駆け寄ろうとした猗々冴々の方に転がりこむ形となる。ぶつかってきた四月一日をとっさに支えようと視線を向けたところで、猗々冴々の顔が引きつった。

 

「復活早すぎだろ……!」

 

 そこには、嗤うように目を細めながら咢を開く黒い獣がいた。

 想定以上に早い復帰に、思考の歯車が凍りつく。だがそれは、術中にはまった四月一日を嘲るような笑みを見て、瞬く間に氷解した。

 

 前門には狼、後門にも狼。

 挟み撃つように迫りくる獣たちにこの時、猗々冴々は初めて敵意の表情を向けた。

 

「Mob風情が俺の親友(ダチ)を馬鹿にするとはいい度胸だなぁ!」

 

 怒りを露わに吠えながら、胸を使って器用に四月一日を抱き留める。そして、狼たちの鼻先を殴りつけんばかりに、ショットガンを持ったままの腕を勢いよく前後に突き出した。

 二人の人間(プレイヤー)を噛み砕かんと、二頭の狼は咢を開いている。

 そこに向かって、腕を突きだせばどうなるか。

 

『グルッ……!?』

『……!?』

 

 口腔に突っ込まれた銃口と腕に、白狼は無論、黒狼も驚愕の唸り声を零す。その様子に目を細めながら、打って変わった冷ややかさで猗々冴々は口を開いた。

 

「腕はくれてやる。代わりに、口ん中めいっぱい使って味わいな」

 

 ――――直後。

 くぐもった銃声が轟き、それにわずか遅れて肉が引きちぎれる音が辺りに響いた。

 散弾の衝撃を受けた二頭の狼が、弾かれるように後方へと吹き飛んでいく。それでもまだ、十分に間合いをとったとは言いづらい。

 

「四月一日!」

「と、【A・TELEPORT(トリック)】っ!」

 

 猗々冴々の呼びかけに、どもりながらも四月一日は術式を唱えた(シングした)

 戦闘の余波で生まれた瓦礫と、二人の体が入れ替わる。そうして十分な間合いを稼いだところで、四月一日は青ざめた顔を猗々冴々に向けた。

 

「腕っ!!」

「リスポーンしたら生える。お前を馬鹿にされた仕返しができたなら安いもんだ」

「アーサーちゃん、誰にでもそういうこと言ったらダメだよ」

「相手を選んで言うに決まってるだろ」

「そういうとこだよ!」

 

 そんなやりとりをして、お互いに張りつめすぎた気を緩める。

 しかし、欲しいものは得られたものの、状況は最悪に近かった。

 特に両腕を失った猗々冴々は戦力外も同然で、かといって四月一日だけではさすがに二頭を相手取れない。足があるなら攪乱という手もあるものの、狡猾な獣たちは武器(うで)をなくした猗々冴々になど目もくれないだろう。

 

 絶望的な状況を前に、こめかみから汗を流したのはどちらだったか。

 無論、焦燥を抱く二人の退魔士(プレイヤー)に、獣たちは容赦などしない。片や痛みの怒りに体を震わせ、片や策を弄されたことに不快感を露わにしながら、後ろ脚に力を入れ――

 

「四月一日ぃ!! ()()()()()!!」

 

 不意に聞こえた()()()が、全員の動きを止めた、

 

「……く、ふ」

 

 そんな中、真っ先に動いたのは名指しされた四月一日だった。

 クライマックスに興奮する視聴者の如く頬を緩めながら、念のためにと預かっておいた二振りの脇差を天高く放り投げる。自ら武器を手放した姿に狼たちは術式を警戒するが、それに対応するより早く状況が動いた。

 

『グルッ!?』

 

 だんっ! と。

 狼たちの前に立ちはだかるように、横合いから人影が跳びこんだ。

 勢いよく地面に叩きつけられた片足の横を、もう片方の足が踏みしめる。そのまま流れるように、その華奢な人影は太刀を構えた。

 

 そこに立つのは、白銀の髪と紅い瞳を持つ少女。

 先ほどまでと持つ武器が異なることを怪訝に思いつつも、刀を構える佇まいから感じるプレッシャーに、二頭の狼の意識は否応なく釘づけにされた。

 

「――――【()()()()()】っ!!」

『ギィア!?』

『――ッ!?』

 

 それが囮だったことに気づいたのは、頭上から襲撃を受けた後だった。

 先ほど上空に放られた二振りの脇差が、白と黒、二頭の狼の胴体を切り裂く。傷口からは黒い血霧(ダメージエフェクト)が勢いよく噴き上がり、襲撃者を覆わんばかりに辺りに広がった。

 

「四月一日っ! こいつら遠くに飛ばせ!」

「人使い荒いなあ! もうっ」

 

 黒い霧の中から、低い声が響く。それに文句を返しつつ、四月一日は唇を動かした。

 

「【A・TELEPORT(トリック)】!」

 

 紡ぐのは、対象の位置を入れ替えるユニーク術式(まほう)

 本来ならば対象が半径二十メートル以内にいなければ適用できないが、【効果拡大】というスキルのブーストを受けた術式は、残り少ないSANの大半を犠牲に目的を果たす。黒い霧の中からごとっという落下音が聞こえた後、アトラクションエリアの方から怒り狂ったような咆哮が聞こえてきた。

 

 霧が晴れれば、【群狼形態(ギャラルホルン)】との交戦で壊れた木馬が二頭、地面に転がっているのがわかる。

 そしてその間には、二振りの黒い刃を持った少年が立っていた。

 

 少年は、両腕を失った猗々冴々を見てぎょっとした顔になる。そんな少年に思わず笑みを零しながら、猗々冴々は荷が下りたとばかりに肩をすくめた。

 

「遅いぞ、ヨシツネ」

「わりぃ、諸事情あった。アーサー、四月一日、恩に着る」

「ヨシツネちゃん、さっき朔くんのスキル使ってたよね!? なになにっ、レアスキル!?」

「後で話す!」

 

 そう言うと、ヨシツネと呼ばれた少年は会話もそこそこに駆け出す。それを追いかけるように、刀を持っていた少女もまた走り出した。

 

「ヨシツネちゃん! 片方倒しても復活した!」

「撃破ギミックは同時撃破だ!」

 

 その背に向かって、二人はほぼ同時に声を張り上げる。

 二人の情報に、ヨシツネは視線だけを向けてから大きく片腕を振った。

 

「検証サンキュー!」

 

 最後に謝礼の言葉を残し、二つの背中はアトラクションエリアの方へと消えていく。その後ろ姿を見送ったところで、二人はその場に座りこんだ。

 そのまま、相手の肩を支えに脱力する。

 

「つっっっかれたぁ……」

「ぼく、夜魔堕ち寸前だよ……」

「マジ? 出血デバフ治すアイテムあったかな」

「それくらいなら、普段使いのSAN回復アイテムでなんとか……」

「……ぷはっ」

「……くふっ」

 

 疲弊しきった声で会話をする一方、どちらの顔も難事をやり遂げた達成感に満ちている。互いの顔を見て噴きだした後、視線はアトラクションエリアの方へと向いた。

 

「参戦は……いっか」

「あとはお若い二人でなんとかするだろ」

「おっさんくさい言い方だなあ」

 

 そんなやりとりの後、もう一度笑みを零す。

 今晩の主役(メイン)は、ヨシツネという友人(プレイヤー)だ。

 助演(ゆうじん)の役目はこれで終わったとばかりに、二人は地面に倒れこむ。どちらの表情にも、友人と、彼が恋した少女(エネミー)が負けるという不安はなかった。

 



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人狼に捧ぐ小夜曲⑧

「おらぁ!」

 

 気勢をこめた声とともに、比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼を振るった。

 それに合わせるように黒い狼が後ろに身を引き、切っ先が鼻先をかすめる。同時に思いきり前に踏みこみ、懐に入ることで爪の間合いから離脱。代わりに噛みつきの射程圏に入ったが、臆することなくもう片翼を肩口に振り下ろした。

 

 突き刺す方がダメージはでかいが、そっちは選択しない。

 ペイントで染色された剛毛ごと、皮膚を切っ先で抉る。

 叩きつけると同時に刃を引けば、接触面に摩擦が再現される。その摩擦こそが、日本刀という武器(ウェポン)による切断のメカニズムだ。朔の(STR)で振るっていた時のような切れ味こそ出なかったものの、傷口からは黒い血霧(ダメージエフェクト)が噴き出した。

 

『……ッ!』

「鈍い! 【八艘跳び】ィ!」

 

 間合いに入った俺の頭を噛み砕かんと、音なき咆哮とともにごつい牙が横合いから迫る。

 しかし、相手にも攻撃されることを覚悟の上で突っこんだのなら、眼前の凶器に焦る必要なんてない。スキルを行使し、牙の間合いから紙一重で退避する。

 代償として肩の肉がちょっと削られたが、誤差だ。

 HPバーのチェックは徹底しつつ、俺は比翼の雌雄(ソハヤマル)を構え直した。

 

『――!』

 

 そんな俺に、今度は黒狼から跳びかかってきた。

 

「っ、とぉ……!」

『ッ!』

 

 後ろに飛び退き、振り下ろされる爪を紙一重でかわす。

 さっきの意趣返しとばかりに続けざまの追撃。もう片方の脚を使って大きく踏みこんできた狼が、その図体こそが武器とでもばかりに突進を仕掛けてくる。

 

 横に跳んで回避。一番わかりやすい逃げ道に素直に行かしてもらえるとは思えない、NG。

 上に跳んで回避。【八艘跳び】はまだリキャスト中だから間合い外まで跳べない、NG。

 

「それならぁ!」

 

 突撃に合わせるように、黒狼の鼻先めがけて蹴りをお見舞いした。

 さっきまでとは体格が一回り違うが、こちとらかけ離れた体格のアバターを乗りこなすのなんて日常茶飯事だ。足裏を狙い通りの場所にぶつけ、無理やり衝突の勢いを減速させた。

 

「くぁ~~~っ!」

 

 込めた運動エネルギーが桁違いなので、もちろん相殺なんてできない。殺しきれなかった衝撃に呻き声を上げながら、俺の蛮行に虚を突かれた黒狼めがけて比翼の雌雄(ソハヤマル)を振り上げる。

 

「【立待月(タチマチ)】ィ!」

 

 動作に合わせて唱える(シングする)のは、朔のルー・ガルーのスキル。

 本来ならモーションを真似ることはできても、彼女のように即死判定込みの斬撃技を繰り出すことはできない。しかし、振り下ろした二振りの脇差からはカマイタチが射出され、至近距離の黒狼に被弾した。

 

『ッ、――ッ!!』

 

 響く咆哮に飛び散るのは、さっきとは比にならない量の血霧(ダメージエフェクト)

 HPを減らした確信に手ごたえを感じる一方で、手札が減ったことに小さく舌打ちをした。

 

「あらよっと!」

 

 置き土産とばかりに鼻を踏みつけ(スタンプし)てから、いったん黒狼から距離をとる。

 そのままリキャストが終わった【八艘跳び】を使い、近くにある観覧車のゴンドラへと飛び乗る。大きく揺れたものの、人一人分の負荷でどうにかなるようなものでもない。すぐに揺れは収まり、俺に安定した足場を提供した。

 

 俯瞰のポジションから、もう一つの戦場を一瞥。ちょうど、朔が一撃――モーション的には多分【十日夜の月(トオカンヤ)】――を、白い狼にぶち当てたところが目に留まった。

 

 よし、いける!

 黒狼から意識は外さず、俺は口を開いた。

 

「スイッチ!」

 

 合言葉を叫べば、白狼に追撃を与えようとしていた朔が迷うことなく向きを反転させた。

 華奢な体が、しなやかな動きで走り出す。

 白狼は慌ててその後を追い始めるが、四つ足の移動速度をもってしても朔のルー・ガルーとしてのスペックを取り戻した朔には追いつけない。白い獣を置き去りに、朔は瞬く間に観覧車の足元までやってきた。

 

『……ッ!』

 

 ゴンドラに飛び乗ろうとしていた黒狼が、俺を追うのを諦め、朔と対峙する。

 弾丸のように飛びこんできた朔めがけて、前脚が振るわれる。それに合わせるように朔もまた刀を振り抜き、二種類の武器が火花を散らさんばかりにぶつかりあった。

 その激突を横目に、俺はゴンドラから飛び降りた。

 

「おらぁ!」

 

 落下予定地点は白狼の頭上。【八艘跳び】によるブーストで一気に落ちていき、飛び蹴りならぬ飛び降り蹴りをぶちかます。

 片足が、白狼の脳天にめりこんだ。

 

『ガァ!』

「っと……!」

 

 しかし、さすがにこれくらいじゃ奴も怯まない。苛立たしげな咆哮とともに勢いよく頭を振り、俺の体を振り落とした。

 空中で回転し、着地。そこにすかさず、殺意と怒りを滾らせる獣が突っこんできた。

 

『グルァ!!』

「ナメんな!」

 

 突撃を紙一重でかわし、すれ違いざまに比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼で斬りつける。

 白い獣から零れる黒い血霧(ダメージエフェクト)が、その一撃によって増える。それでHPの残量を予想しつつ、意識(ヘイト)を俺に固定した白狼と改めて対峙した。

 

 ――――弐の偉業(セカンドミッション)【人狼と真の絆を育め】をクリアしたことで、俺と朔の入れ替わりは解除された。それだけなら、俺たちはさっさとアーサーたちのところに戻っていただろう。

 だが、ミッションクリアがフラグになっていたのか、俺は新たなスキルを取得していた。

 戻るのを遅らせてでも、仕様の確認がいるレベルのスキルが。

 

 スキルの名前は【一心同体(エンゲージ・リンク)】。

 その効果は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、RTNのエンドコンテンツたるストラテジーエネミーのスキルを、(プレイヤー)が使用することができるのだ。ぶっ壊れスキルだろこれ。

 身体能力(ステータス)を向上させるパッシブスキルの恩恵もかなりあるが、何よりでかいのは高い打点が見込める攻撃スキルを使えるようになったことだろう。

 

 RTNというゲームにおいて、(ヨシツネ)というプレイヤーは継戦能力と既知対象との戦闘に長じている。その代償として、DPSはあまり高くない。VS朔のルー・ガルーもVS幻日の(アルター)マーナガルムも、決定打に欠けるという問題点は解決できないまま臨んでいた。

 

 だが、今の俺には朔のルー・ガルーの攻撃スキルが使用できる。

 スキルのメインは他に類を見ない高倍率即死だが、即死効果が発生しなくても火力技として運用可能。同時撃破というレイドエネミーにあるまじき勝利条件を満たす上で、高火力スキルが使用できるようになるのは正直かなりありがたかった。もしかしたら運営は、これを見越してこんな壊れスキルを作ったのかもしれない。

 しかし、だからといって繊月十日夜の月(トオカンヤ)三日月の三連撃ヨシ! とはいかない。なぜなら、強いスキルには相応の代償(リソース)がつきものだからだ。

 

(スキルは……被ダメ考えたら、あと一,二発が限界か)

 

 HPバーを一瞥。

 それを見て、脳内に攻略チャートを走らせる。

 

 月の名前を冠した剣技スキル群はSANを消費せず、リキャストもないに等しい。その代わり、これらのスキルはリソースとして無視できない量のHPを要求してきた。

 いわゆる自傷スキル。自分の命を削り、相手の命を奪う技だ。

 初見殺し【満ちず欠けて(ツキハミ)】を使った後の朔は、見るからに消耗していた。俺はそれを固有のデメリットだと思っていたが、実際にはHPを消費するスキルを一度に六つも消費したからその分だけ消耗したということらしい。

 

 朔を倒した時、内心超高難易度(エンドコンテンツ)にしてはHPが少なかったなと思っていたが、HP消費スキルをバンバン使いながら耐久戦なんかしたらそりゃあHPもゴリゴリ削れる。AI(さく)の思考ルーチン、前のめりすぎないか? 薩摩武士じゃねえんだぞ。

 もっとも、俺というプレイヤーが朔のルー・ガルーメタに近いのは否定しないが。

 

 そして、そのスキルに加えて比翼の雌雄(ソハヤマル)がダメージを後押ししてくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 回避合戦だった俺と朔の死闘を見てそんなことを再認識したというかっこつけたがり(ロールプレイヤー)は、新しい相棒である比翼の雌雄(ソハヤマル)に理想の剣戟に耐えうるだけの防御性能と、レイドエネミーと渡り合えるだけの攻撃性能を両立させた。

 

 それができるなら死が二人を離別つまで(カルペ・ディエム)でやれよと思うだろう。俺も思った。

 だが、この攻撃性能というのは刀の性能――すなわち、摩擦による切断を再現することで付与できたものだ。要するに、高いSTRで振るって初めて名刀並みの切れ味を発揮する。

 なお、RTNに存在する日本刀モチーフの武器に「摩擦による切断」なんて性質はない。あるのは純粋な攻撃力だけだ。四月一日(あいつ)、データマンでもないくせにデータ勘はめちゃくちゃいいから、既製品にない性能をバンバン付与できるんだよな。

 ちなみにSTR:Sじゃその切れ味は披露できないらしい。最高ランクの能力値でも十全に振るえないのどうかしてると思う。

 閑話休題(さておき)

 

 本来なら、俺にはこの武器の真価を発揮させることはできない。

 だが、【恋ゆえに貪る(ビーストハート)】発動中の俺なら話は違ってくる。

 EXランクを誇る朔のルー・ガルーのSTRと渡り合える以上、俺のSTRも一時的にそのランクに達している。つまり、基準値を十分に満たしているのだ。

 

 以上の理由により、火力は確保できている。だが、連発はできない。

 もっと言うなら、使うなら確実に当てなくちゃならない。

 

 戦う相手を入れ替えることで被ダメ量は調整してきたものの、さすがにそろそろ対応されるころだろう。あえて駆け引きをしない力押しの交代(スイッチ)は効果的だったが、いつまでもそれに翻弄されてくれるような相手でもない。

 決めるなら、このタイミングだ。

 

「朔とやりあった時ほど、良い意味でのモチベは高まっちゃいないが――」

 

 比翼の雌雄(ソハヤマル)の柄を握る手に力を込めながら、目の前の白い獣を睨みつける。

 幻日の(アルター)マーナガルム。あるいは、ハティ。

 四月一日曰く「憎しみ」と「敵」を意味する狼は、その名を体現するように激しい憎悪と敵意を俺にぶつけてくる。その負の感情は、相手がゲームのMobということを忘れるほど真に迫ったものだった。

 そして、元の(アバター)に戻った今だからこそ、わかる。

 激しい憎悪の裏に隠された、もう一つの感情に。

 

 あれは――――()()だ。

 人間(たいまし)に、退魔士(プレイヤー)に、何より(ヨシツネ)という(おとこ)に嫉妬している。

 

 多分あいつは、人狼の少女(ルー・ガルー)に慕情を抱いているんだろう。

 だからこそ、彼女を自分のものにしようとその力を喰らい、彼女と相対できる退魔士(プレイヤー)という存在に、彼女に背を預けられている俺という(おとこ)に憎悪と敵意を向けずにはいられない。

 

 その嫉妬には、共感できる。

 だって、俺だってそうだった。

 俺以外の誰かが、朔のルー・ガルーを倒す。その可能性を疎み、その誰かに嫉妬して、俺はあの満月の夜、朔のルー・ガルーに挑んだのだから。

 

 だから、共感できる。

 そしてだからこそ――――俺はこいつのことが、絶対に許せない。

 ふつふつと怒りが湧き上がってくるのを感じながら、俺は言葉の続きを叫んだ。

 

「女の子をひとりぼっちにさせたクソ犬に対する怒りは、こちとらずっと燃え上がってんだよ! 朔に寂しい思いをさせた落とし前、きっちりつけさせてやるから覚悟しやがれ!」

『――オォォォォン!!』

 

 俺の怒声に煽られるように、白い獣が咆哮を上げ。

 

「【恋獣(ビーストハート)】ォ!!」

 

 俺もまた、名前が変化したスキルを吠えるように唱えた(シングした)

 SANは事前に変若水(おちみず)で回復している。よってリミットは、フルの四分弱。

 今回は要所だけで使うつもりはない。

 この四分弱で勝負をつけるべく、俺は跳びかかってくる狼に立ち向かった。



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人狼に捧ぐ小夜曲⑨

『ガァッ!』

「おらぁ!」

 

 振るわれる爪に合わせるように、比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼を振るう。

 硬い音が響き、火花が散る。

 鍔迫り合いの状態に持ち込まれても、スキル補正で規格外(EXランク)並みになった俺の筋力(STR)と、雷光の角(アステリオス)にひけをとらない防御性能を持つ比翼の雌雄(ソハヤマル)は動じない。そうして膠着状態に持ちこんだ隙に、もう片翼を白狼の手首めがけて振り抜いた。

 

 振り下ろす力を強める筋力(STR)、素早く刃を引く俊敏さ(AGI)、そしてそれらの工程を間断なく行うための器用さ(DEX)。【恋獣(ビーストハート)】で大幅に強化されたステータスの恩恵によって、脇差(かたな)はその攻撃性能を遺憾なく発揮する。

 

『ギィ――!』

 

 0と1でできた肉が切り裂かれ、エフェクトという名の血が迸る。

 痛みの(SE)を零しながら、白狼は鍔迫り合いを放棄。前脚に込めていた力を緩めると同時に、首を大きく振って体当たりを仕掛けてきた。

 伏せてかわすのは退路が減る。後ろに飛び退き、鼻と前脚のサンドイッチから逃れた。

 

『ウォォォォォンッ!』

 

 逃がすとばかりに【咆哮(ハウル)】が飛ぶ。

 四月一日(ヒーラー)不在の状態で一番受けたくないスキルだが、それはついさっきまでの俺の話。何度でも言おう。今の俺は、朔とスキルを共有している!

 

「ハッハー! きかねえんだよなあ!」

 

 朔が持つ【咆哮(ハウル)】無効のパッシブスキル【魔獣の女王(おう)】。その恩恵をフルに受けた状態で、【八艘跳び】込みの走り幅跳び&跳び蹴りをぶちかます。

 スキル使用直後のわずかな硬直(クールタイム)代償(それ)を、空中でのジャンプすら可能にする【八艘跳び】で一息に距離を詰めることで踏み倒す。無防備を晒す鼻先に、俺の足裏がクリーンヒットした。

 

『グ、ァ……!』

 

 綺麗に一撃をもらった白い獣が、苦悶の声を零す。

 黒い方も【咆哮(ハウル)】を使ってきていたら、手札としてはいまいちだっただろう。しかし、どうやらあっちには使用できないらしい。明らかに使った方がいいタイミングでも使ってこなかったから、使わないんじゃなく使えないのは確定と見てもいいだろう。

 そのおかげで、【咆哮(ハウル)】無効という不意打ちは見事に白い方に刺さってくれた。

 

「跳び蹴りからのぉ――かかと落としィ!」

 

 ステータスに任せた、虚構(ゲーム)ならではの無茶な空中旋回を決める。

 アクロバティックな体勢のまま、跳び蹴りによって上向きになった鼻に今度はかかとを思いきり振り下ろし、吠え声を放ったばかりの顎を無理やり閉じさせる。くぐもった声とともに、面長の顔が深く沈んだ。

 

 踵落としの勢いを利用して、そのまま空中バク転。からの着地。10点、10点、10点。

 惚れ惚れするような着地を決めた後、即座に地面を蹴る。そして、白い獣の脇を駆け抜けるとともに、比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼ででかい胴体を斬りつけた。

 

 血霧(ダメージエフェクト)が飛び散るのを視界の端に収めつつ、急ブレーキをかけて体を反転させる。

 ケツめがけて斬りかかろうとしたが、大きな尻尾が牽制のように叩きつけられた。

 毛のせいで柔らかそうだと錯覚しかけるが、あれは巨大な鞭だ。当たったらひとたまりもない。ギリギリで踏みとどまり、白狼がこっちを向くのを待った。

 

『ガルァ!』

 

恋獣(ビーストハート)】の特性(リミット)を知らない白狼は、体の向きを入れ替えた途端、素直に跳びかかってくる。ただし今回は爪で引き裂きにはかからず、俺を圧し潰さんとばかりに巨体は上に跳んだ。

 相手が次の攻撃に移りやすい分、何気に回避に頭を使う攻めだ。

 

 あえて逃げずに迎え撃つ? いや、全体重がかかった攻撃を迎撃するのはさすがに無謀が過ぎる。というか比翼の雌雄(ソハヤマル)がぶっ壊れる。

 

「ちっ!」

 

 舌打ちをしつつ、一気に距離を引き離せる跳躍じゃなく対応がしやすい走りを選択。朔VS黒狼にかち合わない位置取りは意識しつつ、横方向にステップを刻む。

 

『ガァッ!』

 

 案の定、奴は着地と同時にもう一度跳躍し、今度は低めの高さで跳びかかってきた。

 根本的にリーチが絶望的に違う。白い獣の牙が、瞬く間に眼前へと迫る。

 

 現実(リアル)の反射神経をそのまま持ってこられたら、絶対に回避できない。【死に覚え】を始めとする、ヨシツネというプレイヤーの動きを支えるスキル群もこいつ相手にはあまり効果を発揮できないから、素の(ヨシツネ)でもきつい。

 だが今、反射神経を司るDEXのステータスはプレイヤーの限界を突破している。

 捉えられるなら、合わせることは難しくない!

 

「牙ぁ!」

『グゥ……ッ』

 

 言葉とともに、ばかでかい犬歯に比翼の雌雄(ソハヤマル)を叩きつける。

 反動で体が浮き、後ろに飛ばされる。代わりに白狼の攻撃は勢いを殺され、生物としてデリケートな場所に衝撃を食らった巨体は俺に追撃を仕掛けることができなかった。

 迎撃が成功したことに、痺れる手を無視しつつ内心ガッツポーズをとる。

 

恋獣(ビーストハート)】発動中かつ慣れた(アバター)なら、優勢で事を進められる。横目で朔の方を見る限り、あっちもステータスの暴力で黒狼を圧しているようだった。

 問題はやっぱり、とどめのタイミングだ。

 

()()()()()()()。後はどこに挟みこむかだけど……ん?)

 

 スキルのカウントダウンを意識から外さずに考えを走らせていると、お互い攻撃が届かない状態だというのに白狼が顎を開いた。

咆哮(ハウル)】の前兆動作(モーション)。だが、俺にきかないのはさっき証明されている。

 これがただのエネミーならAIの判断ミスと思うところだ。しかし、幻日の(アルター)マーナガルムのAIを舐めて辛酸を舐めさせられた経験が警鐘を鳴らした。

 

 思考数秒。

 ()()()

 

『ウォォォォォンッ!』

「――きかねえって言ってんだろうが!」

 

 硬直(クールタイム)に合わせるように、【八艘跳び】を噛ませた跳び蹴りで一気に距離を詰める。

 狙うのは、さっきと同じくでかい鼻。足裏は、寸分違わず鼻先に向かっていき――――

 

 本来なら動かない狼の顎がさらに大きく開き、自分から飛びこんできた獲物(おれ)を噛み砕く。

 その口の中で、獲物(おれ)の体は煙か霧かのように霧散した。

 

不知火の影(ウツツノユメ)】。

 本体(おれ)は白い獣の真横に立ち、無防備な下腹めがけて比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼を振るった。

 

「――――っ、がぁ!?」

 

 直後。

 体が鞭のようなものに強打された。

 

「っ、な」

 

 視界の端にちらつくのは、毛に覆われた尻尾。

 それに殴られたのだと理解すると同時に、忌々しい夜、二人がかりのレアスキル硬直(デバフ)がきかなかったことを思い出した。

 

(一回引っかかったのは驚いただけかよ!)

 

 そんなのありか、と。

 ふざけたAIに毒づく俺の目が、白狼の顔を捉える。

 にやり、と。

 あの夜と同じ笑みを浮かべながら、白い獣の咢が今度こそ俺の体に食らいついた。



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人狼に捧ぐ小夜曲⑩

 ぐじゅ、べきっ。

 骨付き肉を骨髄ごと咀嚼したような嫌な音が、風に乗ってもう一つの戦場に届いた。

 

 人型の獣と、黒塗りの獣。両者はともに、音がした方に視線を向ける。そして二匹は、白い獣が退魔士(にんげん)の雄に食らいついている情景を目にした。

 

『――』

 

 それを見て、黒塗りの獣(スコル)は無音の嘲笑を浮かべる。

 

「……っ」

 

 それを見て、人型の(しょうじょ)は息を呑む。

 反射的に、本能的に、彼を助けようと体が動きかける。

 しかし。

 

『俺がやばそうな状況になっても、助けに入らなくてもいい』

『活路はこっちでなんとか切り開くから、朔は目の前の相手に集中してくれ』

『俺を信じてくれ』

 

「――――」

 

 それは、幻日の狼を倒すための策を練っていた時に言われた言葉。朔のルー・ガルーというNPCが最も信を置く少年(プレイヤー)の言葉が、彼女の脳裏をよぎった。

 好感度(パラメーター)が最高値に達した今、その言葉を疑うという選択肢はない。

 

「――はあっ!」

 

 背を向けかけた少女に、黒狼が爪を振るう。

 意識を己の戦場に戻した人型の獣は、それをしかと己の爪牙(かたな)で受け止めた。

 

『……ッ』

 

 音なき舌打ちとともに、爪と刀の鍔迫り合いが始まった。

 華奢な細腕に似合わぬ剛力と、巨体に見合った獣の力が拮抗する。だが、STRは朔の方が高い。そのため二匹は、その均衡がすぐに崩れることを知っている。

 

 勝負は均衡が崩れた瞬間。

 数秒先の動きに両者の意識が向きかけた、その時。

 

「――――【三日月(ミカヅキ)】ィ!!」

『――――ガァッ!?』

 

 人の咆哮が、獣の苦悶が、再び二匹の意識を乱した。

 

 もう一つの戦場の状況が勝敗を左右することを、両者ともに正しく認識している。ゆえに眼前の相手に意識の大半を割きつつも、声が聞こえた方に再び注意を向けた。

 そして二匹は、見た。

 

『がっ、ぁ、ぁぁ……!』

「ハッハー! こちとら、即死耐性はアホみたいにたけえんだよ!」

 

 噛み砕かれたはずの少年が、咢に挟まれたまま白い獣に刃を突き立てている情景を。

 一振りの(きば)が深々と沈みこんでいるのは、生物の急所の一つである頸部。既に傷を数多く受けている状態での急所攻撃(クリティカル)。その一撃が白い獣を死の淵に追いこんでいるのは、遠目からでも十分に理解できた。

 

 そして、白い獣が()()()()()()()()()ということも。

 

『――――』

 

 状況も忘れて、黒い獣は凍りつく。

 そんな黒い獣の目と、遠くにいる少年の目が合った。

 白い獣には未だ咥えられたまま。枝のようにへし折られてはいないものの、その体には牙が食いこみ、赤い血霧が周囲に広がっている。

 

 いつ死んでも、いつ殺されてもおかしくない。

 だというのに退魔士(にんげん)は、黒い獣を見てにやりと笑った。

 

『…………ッ!!』

 

 その笑みが、黒い獣を硬直から解き放つ。

 捕食者であり肉食獣である獣は、脱兎という言葉が似合う勢いで逃げ出した。

 

 

「ハッハー!」

 

 迷わず逃げに転じた黒狼を見て、俺は思わず声を上げて笑った。

 黒いのは、言うなれば幻日の(アルター)マーナガルムの生存本能のようなもの。だからこそ、今の状況がどれだけやばいかはすぐわかったんだろう。

 

「相方に王手がかけられてりゃ、そりゃあ逃げるよなあ!」

『グッ、グ、ァ、ガァァァァァ!!』

「っと……!」

 

 無様に逃げる後ろ姿に胸をスカッとさせつつ、暴れ始めた白狼に振り払われないよう、頸部に突き刺さった比翼の雌雄(ソハヤマル)の片翼を強く握り直す。

 そして、もう一度黒狼の方を一瞥。

 目に飛びこんできた光景に笑みを深めながら、俺は反対側の手に握る得物で狙いを定めた。

 

 とどめに使う(スキル)は決めている。

 一年前の夜。初めて彼女と出会った満月の夜、俺にとどめを刺した鮮烈な太刀筋を脳裏に思い起こしながら、俺は比翼の雌雄(ソハヤマル)を構える。

 

 

一心同体(エンゲージ・リンク)】。

【夜ノ恋ノ(モノガタリ)弐の偉業(セカンドミッション)のクリア報酬として、プレイヤーに与えられるスキル。その効果は、攻略(ストラテジー)対象であるストラテジーエネミーとのスキル共有。

 そして、その共有とは()()()()()()()()

 

「――――【恋獣(ビーストハート)】」

 

 黒い獣が逃亡に全力を注ぐという最大の好機。

 居合いの構えをとった少女は、伏せていた切り札(ジョーカー)を切った。

 

 二歩一撃。

 離れた間合いを一瞬で詰める歩法。両の足で同時に地を蹴るという単純な術理ゆえ、戦術の理論を知らぬ人型の獣は本能でその移動を選択し。

 大きく距離を引き離していた黒い獣の前に、一瞬のうちに立ちはだかった。

 

『……ッ!?』

 

 突然現れた女王(おう)を見て、黒い獣は反射的に足を止める。

 そしてその一瞬を、魔獣の女王(おう)は逃さない。

 

「――――」

 

 すぅ、と。息を小さく吸い、吐く。

 孤独だった心は既に満ちている。ゆえに、今ここで振るうのは【満ちず欠けて(ツキハミ)】に非ず。

 

 

「【朔望月(ヒトトセ)】」

 

 円を描くような太刀筋が、黒い獣を横に両断し。

 

「【繊月(センゲツ)】!!」

 

 三日月よりなお鋭い斬撃が、白い獣の首を断った。

 

 

 ぐいぐいと食いこんでいた牙から、ようやく力が抜けた。

 ほどなくして、白狼が黒く染まっていき、それに合わせて体が霧状になっていく。噛まれたままだった俺は当たり前のように地面に放り出され、顎をしたたか打ちつけた。かなり痛そうな音がしたが、HPバーは減らない。

 

「っと、やべ!」

 

 それを見て、慌てて【恋獣(ビーストハート)】をオフにする。

 あっぶねー。夜魔堕ちするとこだった。

 

 戦々恐々としている間に、白狼の体は霧散していく。

 骸が残らない死にざまは、そのエネミーが完全に死亡したという証拠。黒狼が逃げていった方に視線を向ければ、もう一匹の狼もまた、同じように散り散りになっていた。

 

 戦利品(ドロップアイテム)が落ちる気配はない。

 だが今は、達成感が何よりの宝だった。

 

「かっっったぁぁぁぁぁ……!」

 

 力強くガッツポーズをしながら、俺はその場に倒れこんだ。

 疲れた。マジで疲れた。

 

 白狼に張りついた状態で、とどめ寸前まで追いこむ。

 そして、朔が黒狼を倒すのに合わせてとどめを刺す。

 これが事前に考えていた作戦の一つだ。

 

 二体で一つというエネミーだから、勝利条件が同時撃破なのは視野に入れて作戦は練っていた。アーサーたちが勝利条件を絞ってくれたおかげでこのプランに集中できたのも、勝因と言っていいだろう。あいつらには感謝してもしきれない。

 とはいえ想定というか理想は、【不知火の影(ウツツノユメ)】を使った後にロッククライミングの如く白狼の体に張りつくことだったんだけどな。【咆哮(ハウル)】が囮だったのを読んで仕掛けたけど、そこから二段仕込みの罠とか読めるか馬鹿。

 

 さっき犬歯にダメージ入れてなかったら即【噛み砕き(フィンスターニス)】おかわりだったから、本当に運が良かったに尽きる。最後の最後まで運任せの博打だったことに苦笑いが浮かぶ一方で、(ヨシツネ)というプレイヤーらしい勝ち方だとも思った。

 

「――――リョウ」

 

 足の方から、メゾソプラノが聞こえてきた。

 上体だけを起こしてそっちを見れば、足元に朔が立っている。初めて会った夜を思い出させる構図に思わず笑っていると、つられたように朔も笑みを浮かべた。

 淡い光で、その体を輝かせながら。

 

 …………うん。

 疲れていてよかった。

 おかげで、ごちゃごちゃ考えずに済んでいる。

 

「……おわかれか?」

「……ええ。幻日の狼を倒した今、私は満ちた姿に戻るわ」

 

 問いかければ、彼女は頷く。

 光が徐々に強くなっているせいか、口元に浮かんだ笑み以外はよく見えない。(プレイヤー)が好きなように補完しろということなのかもしれないが、なんにせよ、これはこれで構わないと思う。

 

 少し前に見た真っ赤な表情が、夜ノ恋ノ(モノガタリ)というイベント一番の報酬だったし。

 何より、寂しそうな顔なんかしていたら、綺麗にさよならはできなかっただろうから。

 

「リョウ、本当にありがとう」

「言ったろ? 俺は朔が好きなんだ。だから、君のためになったなら俺はそれで満足だ」

 

 半分本気で、半分嘘の言葉を口にする。

 

「……」

 

 それをどう受け取ったのか、光り続ける朔は沈黙を返す。

 

「リョウ」

 

 最後の最後でコミュニケーションをしくじったかと内心びくびくしていると、俺を安心させるような優しい声が俺の名を呼んだ。

 そして。

 

「私も、貴方のことがスキよ」

 

 とっておきの告白(ばくだん)を最後に、魔獣の女王(おう)は人の形を失う。

 代わりに現れたのは、白銀の大きな狼だった。

 

「――――」

 

 白いだけだったマーナガルムとは一線を画す、月をそのまま狼の形にしたような美しい獣。呆けたように魅入る俺に赤い眼を向けた後、狼は月のない空を仰いだ。

 

 ――――オォォォォォン。

 

 夜のトーキョー全域に響くような、けれど喧しいとは感じない咆哮が放たれる。

 その残響が消えるころ、白銀の狼は俺の目の前から消えていた。

 代わりとでも言うように、目の前にウインドウがポップする。

 

『朔の夜に閉じこめられていた孤独の人狼は、寂寥から解放され、自由を得た』

『もう夜は怖くない。獣は、独りではないのだから』

 

『夜ノ恋ノ(モノガタリ)【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】をクリアしました』

『称号【人狼の理解者】を獲得しました』

『称号【獣に愛された者】を獲得しました』

『称号【獣を愛する者】を獲得しました』

『称号【先駆者】を獲得しました』

『スタイルが【月の獣(フェンリル)】に変更されます』

 

「…………ははっ」

 

 しばらく黙った後、俺は笑いながら再び地面に倒れこんだ。

 

 ……雨が降っている。

 そうじゃなきゃ、頬が濡れている理由がわからない。

 

「ほんと、とことん惚れ直させてくれるよ」

 

 アーサーと四月一日が迎えに来るまでの間。

 俺は、月がない夜空を見上げていた。

 

 

 

 その夜。

《リバーストーキョー・ナイトメア》に存在するあらゆる液晶が、一つの告知を映した。

 運営が液晶を使って何らかの告知をするのは、【境界の継ぎ接ぎ少女】撃破に次いで二度目。しかしこの夜の告知は、プレイヤーをその時よりもさらに大きく驚かせ、沸かせた。

 

『ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】が攻略されました』

『攻略プレイヤー・ヨシツネ』

『ストラテジーエネミー【朔のルー・ガルー】及びレイドエネミー【幻日の(アルター)マーナガルム】はこれ以降、エンカウントが発生しません』




幻日のマーナガルム。
月を想い月を憎み月を喰らい、そして月の獣に成り代わった憧憬と愛憎の獣。

【夜ノ恋ノ譚】の一節【人狼に捧ぐ小夜曲】におけるボスエネミー。
通常はレイドエネミーとして、アラカワ遊園に出没する。

その正体は、巨大な狼。
第一形態では巨躯のままプレイヤーと交戦し、HPが一定数削られると自らの魂を分割する第二形態へと移行する。プレイヤーが交戦することになる群れはその全てがデコイであり、分割された魂【スコル】が安全圏に退避する時間を稼ぐために存在する。

十五分経過すると、群れは撃破数に応じた強さを持つ個体【ハティ】へと変化する。
【ハティ】を倒すと、ドロップアイテム【嘲る狼の爪】または【幻日の狼の血】を獲得する。

【夜ノ恋ノ譚】の進行中、【朔のルー・ガルー】を同行させた状態でアラカワ遊園に移動した場合のみ、【スコル】が戦闘に参加する。
第三形態は【ハティ】と【スコル】のことを指し、幻日のマーナガルムを完全に撃破するためには【ハティ】と【スコル】のHPを同時に0にしなくてはならない。
例え片方が倒れたとしても、月の力を喰らい続ける限り、狼は蘇る。

月に焦がれて月を墜落させた二頭の狼は、月とその番いによって地に落とされる。


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資料【朔のルー・ガルー】

 夜魔の王の侍女たる五人の雌、その一柱。

 魔獣の頂に立つ月の狼が人の形をとった姿、あるいは憧憬の獣に呑まれた姿。

 

 テーマは「孤独の少女」「相対するもの」「純粋」「無垢なるもの」。

 

【人狼に捧ぐ小夜曲(セレナーデ)】開始までは、自身を一夜から解放できるだけの強者を求め、都電沿線を徘徊する。

 挑戦回数、及び一戦闘時間のタイムに応じて好感度が上昇。

 一戦闘に発生した妨害行動の回数に応じて、好感度の上昇にマイナス補正がかかる。

 そのため、搦手を用いない白兵アタッカーが攻略適正となる。

 好感度一定以上のプレイヤーが撃破した場合、壱の偉業(ファーストミッション)【一夜からの解放】が達成される。

 好感度一定以下のプレイヤーが撃破した場合、他のストラテジーエネミーが攻略されるか、ゲーム進行フラグが規定値に達するか、いずれかの条件を満たせばリスポーンする。

 

 朔のルー・ガルーは強者を求め、強者を認める精神性を有する。

 刀を武器にした少女は、高潔な戦士でもあるのだ。

強さを示す者に対しては好意的で、そうでないものも不必要に排斥はしない。しかし、その精神性ゆえにイベント開始まではただのエネミーとして立ちはだかる。

 

 イベント開始前から独自の「キャラクター性」を有する他のストラテジーエネミーと比較すると、朔のルー・ガルーは攻略対象としての個が弱い。

 そのため、弐の偉業(セカンドミッション)中には攻略者と朔のルー・ガルーのアバターを交換し、攻略者が朔のルー・ガルーの内面と接せられるフェイズを設ける。

 

 朔のルー・ガルーの好感度を上げることは難しくない。

 彼女の強さを認め、彼女にまっすぐ好意を向ければいい。

「純粋」「無垢なるもの」をテーマとしているため、AIは物事を素直に受け取るようにプログラムされている。そのため、弐の偉業(セカンドミッション)の難度はストラテジーエネミーの中でも簡易な方ではないだろうか。

 ただし、彼女の強さを疑う、ないし彼女にそう思われる行動をとった場合、好感度が低下。一定以下になった場合、イベント『急襲する獣』が発生する。

 素直さとは直情的であるということ。そしてその裏返しは頑固。

 狼は見切りをつけると、孤独を噛み締めながら容易くプレイヤーに背を向ける。

 特に仇敵たる幻日の(アルター)マーナガルムに関連すると視野が狭くなるため、『急襲する獣』が発生した場合は好感度が下がりやすくなるだろう。

 

 

 

使用スキル

【月狼ノ剣】

 詠唱発動型(シング)スキルと動作発動(モーション)スキルの複合型

 自傷スキル。使用するたびにHPを消費する

 全部で八つの型があり、【人狼に捧ぐ小夜曲】の進行度によって使用できる型に変化がある

 全ての型に高倍率の即死判定がある

 

【繊月】

 頸部の切断を狙う近距離の斬撃

【三日月】

 心臓を狙う近距離の刺突攻撃

十日夜の月(トオカンヤ)

 腹部の切断を狙う近距離の斬撃

立待月(タチマチ)

 頸部の切断を狙う中距離の斬撃

居待月(イマチ)

 脚部の切断を狙う中距離の斬撃

伏待月(フシマチ)

 腹部の切断を狙う中距離の斬撃

 

満ちず欠けて(ツキハミ)

 六つの型を瞬間的に連続使用する複合の型

 順番は上記の並びに準拠

 弐の偉業(セカンドミッション)を達成した後は一時的に使用不可となる

 プレイヤーの干渉により、別名の型に昇華される可能性がある型

 

朔望月(ヒトトセ)

 弐の偉業(セカンドミッション)を達成した後に使用可能となる型

 超高速機動からの斬撃を行う

 対象の即死耐性を無視した確定即死攻撃

 



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終章、そして

 そして、あっという間に一ヶ月と半月が過ぎ去った。

 

 俺は高校一年から二年に進学し、今は来る中間テストに備えてゲームの時間は控えめにしている。全く断つことができないのは現代っ子の性というかなんというか。

 

 朔のルー・ガルー攻略がプレイヤーネーム付きで告知されたせいで一週間くらいは色んな奴に追いかけ回されたが、今はその流れも落ち着いている。有名配信者(アーサー)からいただいた「変に逃げ隠れすると注目が長引くから、少しの間は我慢して相手しとけ」というありがたいアドバイスがなかったら、鎮静化にもっと時間がかかったかもしれない。

 ほんと、頭が下がるばかりだ。四月一日とあわせて何か奢りたいところだが、どっちも成人だから俺から言うと普通に断られるんだよな。いつかちゃんと、何かの形で礼をしなければと思う。

 

 それ以外のことは、何か大きく変わったわけじゃない。

 現実(リアル)虚構(ゲーム)も以前と変わらず回っていて、それなりのトラブルや問題が起きている。一人の少女(エネミー)がいなくなったことで、致命的な変化が起きたりはしなかった。

 

 さしあたって、今の問題は中間テストだろう。

 学生らしく、本分に励まなくては。赤点とったらゲーム禁止令がまた発令される。

 

 もう一つ問題があるけど……そっちはちょっと、保留で……。

 いやあだって、入道氏からリョウさんとフレンドになりたいって言われるとは思わないじゃん……。マジでどうすっかな……。

 閑話休題(さておき)

 

 俺は今、虚構(ゲーム)の中で都電沿線を歩いていた。

 

 学生の本分に励むんじゃなかったのかと言うなかれ。

 不気味な夜空を満月が照らす日は、そうせずにはいられないのだ。

 

「いっちょあがりっ、と!」

『ギャァァァ……!』

 

 くるっと、手の中で比翼の雌雄(ソハヤマル)の柄を回す。勝利ポーズをとるほどの余裕がある俺の前で、レベル差にも怯まず挑んできた影人(シャドウ)は断末魔とともに霧散した。

 

 地面に転がった影御霊(ドロップアイテム)を拾い上げてインベントリに収納し、振るったばかりの脇差をホルスターに吊るす。鞘も作ったんだからそれに納刀しろと四月一日には言われるが、抜刀のタイムラグがどうにもしっくりこないのでスルーしていた。

 そして、俺は歩みを再開させた。

 

 戦闘中は途切れていたフィールドBGMが、聴覚を振るわせ始める。BGMをオンにしたのはかなり久々だが、静かなメロディーは違和感なく俺に染み渡った。

 

「~♪」

 

 そのメロディーに合わせてへたくそな鼻歌を歌いながら、線路に沿って歩いていく。

 

 一ヶ月前の夜も、同じようにこの道を歩いた。理由は至極単純で、満月の夜に歩いていたらまた彼女に会えるんじゃないかと思ったから。

 そして、当然のように会えなかった。

 それは俺をひどく打ちのめしたが、一ヶ月後の今、また懲りずに同じ道を歩んでいる。

 

 一ヶ月前は、会いたいと思いながら足を動かしていた。

 そして今、会えたらいいなと思いながら足を動かしている。

 わずかな違いだが、その違いによって心の軽さは大きく違っていた。

 

「…っ、……♪……♪」

 

 それでもやっぱり、吹っ切れているとは全然言えない。だからへたくそな鼻歌で気持ちをごまかしながら、夜の沿線を進んだ。

 

「~~♪~~♪」

 

 さっきみたいな好戦的な個体を除けば、基本的に格下の魔性(エネミー)は格上の退魔士(プレイヤー)に挑んでこない。

 そのため俺の歩みが止められることはなく、BGMが遮られることもそうそうない。ちぐはぐで一方的なデュエットが、しばらくの間、廃線の沿線に響き渡る。

 しかし、そろそろ折り返し地点に差しかかろうとした時。

 

 ぷつりと。

 間断なく続いていたBGMが、途切れた。

 

「……今日は絡んでくるのが多いな」

 

 そんな呟きとともに、ホルスターに吊るしていた比翼の雌雄(ソハヤマル)に手をかけるが。

 

 ――――オォォォォォン。

 

「――――」

 

 BGMの代わりに聞こえた咆哮(SE)が、その動作に待ったをかけた。

 直後、頭上から落下音が聞こえる。それに反応して顔を上げるよりも早く、俺の目の前に大きな物体が落ちてきた。

 

 象サイズの大きさに反して、着地の音はそこまで大きくない。

 しかし発生した風は強く、白い学ランをたなびかせながら俺の体は後ろに飛ばされた。

 普段なら、それでむざむざと転んだりはしない。だが、完全に呆けていた俺の頭からは体勢を整えるという事象が見事にすっぽ抜けていた。

 

「っ、だ」

 

 結果として、後頭部から倒れこんだ。

 痛みはないが、頭を打ちつけた衝撃に思わず声を上げてしまう。しかしすぐに我に返ると、慌てて上体を起こそうとした。

 

「……ぁ」

 

 したが、その動きは途中で止まった。

 なぜなら、体を起こすまでもなく、美しい獣の姿が視界に飛びこんできたからだ。

 

「……」

 

 ひくりと、喉が引きつる。

 本当にこのゲームは、生理現象の再現に凝っている。頭の片隅でそれを笑い、そして顔でも無理やり笑顔を作りながら、俺は口を開いた。

 

「……おわかれ、したろ」

『うん。でも……会いたかったから』

 

 白銀の狼はメゾソプラノでそんなことをさらりと言いながら、小首を傾げる。

 

『迷惑だった?』

「そんなこと……あるかよ」

『そう。なら、無理をした甲斐があったかな』

 

 無理というのは設定の話なのか、それとも味方NPC化した時の弱体の言い換えなのか。

 そんなことを考える俺の前に、ぽんっ、とウインドウが表示された。

 

『【貴方だけの獣(オンリーユアエネミー)】とエンカウントしました』

『彼女を、呼んでください』

 

「…………ははっ」

 

 ウインドウに刻まれた文章を見て、思わず笑い声を零す。

 前振りのない名づけイベント(むちゃぶり)だが、あいにくと彼女をなんと呼ぶかなんて、こんなイベントに促されるまでもない。視界を遮る邪魔なウインドウを消してから、俺は口を開く。そして、万感の思いでその言葉を紡いだ。

 

「おかえり、朔」

「……うんっ」

 

 いつの間にか人の形になっていた白銀の獣は、その言葉に嬉しそうに肩を震わせて。

 

「会いたかったよ、リョウ」

 

 世界一可愛い、とびきりの笑顔を俺にくれた。



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