魔法科高校の蛇 (孤藤海)
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入学編
前世の記憶を持つ少年


 かつて世界の命運をも変えうる大きな戦いがあった。

 

 しかし、その戦いは、死後の世界に近い尸魂界で秩序を維持していた死神の間で起きたもので、現世を生きる人々には記録はおろか認識すらされていない。

 

 けれども、ボクはそのことを知っている。いや、それだけではなく、その戦いの記憶を色濃く持っている。

 

 一般的に、人は生前の記憶を保持しない。死後の世界については言わずもがな。

 

 けれども、なぜかボクは前世の人としての記憶を持たないくせに、前世の死後の世界の記憶があった。

 

 その前世の記憶で、ボクはその戦いの当事者だった。

 

 表向きは尸魂界を裏切った大罪人、藍染惣右介の右腕。けれど、その実は百年以上もの間、藍染の命を密かに狙い続ける獅子身中の虫。

 

 そうして、訪れた千載一遇の機会に裏切りを実行した。

 

 しかし、それは藍染に見抜かれており、ボクはあっけなく返り討ちにあった。

 

 その戦いの結末がどうなったのかは実のところはわからない。

 

 けれど、何事もなかったかのように人の歴史が紡がれていることから考えて、薄れゆく意識の中で最後に目にした希望の手によって藍染の野望は打ち砕かれたのだろう。

 

 そうであるならば、彼女もきっと大丈夫だったはずだ。

 

 それならば、たとえ自分が反逆の上、裏切りに失敗して死んだ大罪の愚か者と評されることになったとて、何の後悔もない。

 

 けれど、彼女のいない世界で、ボクは何のために生きていったらいいんやろうな。

 

 

     ※

 

 

 二〇九五年、四月。

 

 ボク、市丸ギンは何の因果か死後の世界の記憶の名前のままに、十五歳の高校生として現世の日本を生きていた。

 

 二〇九五年の現世では過去の記憶と異なり魔法という力が実用化されていた。どうやら一九九九年に初めて確認された異能であるらしい。

 

 年代的に藍染の起こした事件が起因になったのかもしれないとも考えたが、全世界で同じような力を持った人が確認されたということから、何か別の能力。例えば滅却師の扱う力の亜種のような力が表に出ただけなのかもしれない。

 

 人間同士の争いに、尸魂界は関与しない。だから滅却師が霊なるものに力を振るうのならば介入するが、人間に向けて使われるのなら放置される可能性は高い。

 

 ボクは記憶だけではなく、死神の能力も保持したまま現世に生まれ落ちた。前世では尸魂界を守る死神の頂点たる護廷十三隊の隊長に就いていたボクにとって、魔法の習得はそれほど難しいことではなかった。

 

 魔法は希少な力だ。幼い頃から高い魔法への適性を示したことでボクの将来は魔法師と自然と思われるようになっていた。

 

 ボクとしては、特に確たる将来への目標などはなく、適性のままに毎年のように国立魔法大学へ最も多くの卒業生を送り込んでいる高等魔法教育機関、国立魔法大学付属第一高校へと入学を果たしたのだった。




BLEACHの市丸ギンの転生物です。
隊長時代の能力を維持しているため基本的にかなり強力なキャラです。
もっとも、お兄様が強すぎるので、最強キャラではありません。


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入学式

 市丸ギンが入学式が行われる講堂に入ったとき、すでに席の半分以上が埋まっていた。

 

 入学式には座席の指定はないと聞いていたが、新入生の分布には明白な区分がある。

 

 前半分に座るのは胸に八枚花弁のエンブレムを持つ「ブルーム」と呼ばれる一科生。後ろ半分に座るのが左胸のポケットが無地の「ウィード」と呼ばれる二科生だ。

 

「可愛らしいもんやなあ」

 

 張り切って前に座るのも、委縮して後ろに座ることにも意味があるとは思えない。別に前に座らないと見落とすような意味深な合図が送られるわけでもあるまいに。だったら、出入りの手間が少ない手近な席で十分だ。

 

「隣、いいですか?」

 

 しばらくしてかけられた声の方を見ると、体格のいい少年がいた。

 

「空いとるよ」

 

 許可を取る必要はないという意味を含めて、敢えて言うと少年は軽く頭を下げて隣の席に腰かけた。

 

「一科なのに、こんな後ろの席でいいんですか?」

 

「こないな式典、しょうもないだけやろ」

 

「え?」

 

「それより、普段からそないな口調やないんやろ。普通でええんやで」

 

 言うと、少年は少しだけほっとした表情を見せた。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。俺は西城レオンハルト。レオでいいぜ」

 

「市丸ギンや。よろしゅう」

 

「市丸は、関西の出身なのか?」

 

「いいや、関東の出身や。この喋り方は、癖みたいなものやな」

 

 さすがに百年以上の年季の入った口調は、そう簡単には変わらなかった。それにこちらの方が、自分の生に今一つ関心を持ちきれないという本心を隠しやすい。

 

 本心を隠すのは得意だ。それこそ百年もの間、藍染以外には誰にも気づかれることなく隠し通したくらいに。

 

「なあ、それって刀剣型のCADなのか?」

 

「ああ、これ? 興味あるの?」

 

 市丸の上着の中に隠し持っていた斬魄刀をレオという名の少年は興味深そうに見つめている。この前世からの長い付き合いとなる刀は、小型なのもあって帯刀が普通でない現世においても比較的容易に携帯できている。

 

 レオが勘違いしたCADとは、魔法師の術式補助演算機だ。これがなければ魔法を発動できないというわけではないものの、魔法発動を飛躍的に高速化させてくれるため、現代の魔法師にとって必須ともいえる存在となっている。

 

「よくCADの持ち込みなんてできたなってのもだけど、そもそも接近戦用のCADを珍しいと思って」

 

「それだけやないやろ。君は接近戦が得意やから同じような間合いの武器が気になったんやないの?」

 

「まあ、この体格じゃ得意なこともばれるか。確かに俺の得意な術式は収束系の硬化魔法で志望コースも警察の機動隊とか山岳警備隊とかだ」

 

 どうやら体格そのままの進路を希望しているようだ。無駄が少なくてよいことだ。

 

「へえ、君は結構、強そうやから似合うとるんやないの」

 

「お、一科生に言われると、何だか自信になるな」

 

「それこそ意味なんかないやろ。一科生と言ったって優れとるのは魔法だけや。君の志望する進路の役に立つ技能を見る技術があるなんて保証はないで」

 

 魔法科高校の入学で評価されるものは斬拳走鬼のうち鬼道のみ。いわば、魔法科高校は鬼道衆の養成所。おそらく白打による戦闘を得意とするレオには、そもそも魔法科高校自体が合っていない。もっとも、現代の日本のどこを探しても、白打を主とし、鬼道を副とすることを教える高校は存在しないのだから、仕方のないことではあるのだが。

 

「へえ、そんなふうに考えている一科生もいるんだな。勉強になるぜ」

 

「そうなん? ボクとしては当たり前のことを言うとるだけなんやけどね。それより、そろそろ始まるみたいや」

 

 レオと話しているうちに時間になったらしく、つまらない式典が始まった。唯一、見るべきところがあったのは、新入生総代の少女くらいだ。

 

 第一高校の総代は成績最優秀者から選ばれる。筆記で多少は落としたとはいえ、かつて護廷十三隊の隊長を務めた自分なら実技で逆転したと思っていた。けれど、実際には実技でも自分に匹敵するほどの成績の生徒がいたのだ。結果、市丸の成績は第二位だった。

 

「なんやえらい綺麗な子なのになァ、末恐ろしいわ」

 

 実戦となれば斬拳走の差で、おそらく自分が勝つ。けれど、それは一対一の戦いの場合だ。見たところでは中長距離型の少女と接近戦型の誰かが一緒に挑んでくれば、少しは危ないかもしれない。

 

 そして、興味が引かれたのは、能力面だけではなかった。周囲はその美貌に心を奪われて気付いていないようだったが、少女は控えめながら学校の方針に不満を唱えていたのだ。

 

「不満の内容は二科生に対しての扱いみたいやね。二科に行った友達でもおるんかなぁ」

 

 死神の基本にして最高峰は斬魄刀戦術にあった。それだけに鬼道偏重とも言える現在の第一高校の教育内容自体には思うところがないわけではない。けれど、鬼道の才能のない者に鬼道を一生懸命に教え込んでも無意味というものだ。その意味では市丸は第一高校の制度自体には当然のものだと思っている。

 

「けれど、なかなかに面白そうなことになりそうやなァ」

 

 新入生の成績第一位は学校の制度に不満を持っていて、第二位は鬼道偏重の授業内容に疑問を持っている。それが明らかになったとき、たかが一技能を評価されたに過ぎないのに万能感に浸っている、講堂の前半分に座る者たちはどのような行動に出るか。

 

 もっとも、多少、面白そうと感じたとて、それだけを理由に行動を起こすほど市丸は快楽主義者ではない。精々が周囲を気にせず、我が道を進ませてもらうのみだ。

 

 式が終わると、IDカードの交付がなされ、それぞれの教室に移動となる。ここでも自然と一科生と二科生の間には壁ができている。そんな中、そのままの流れで二科生のレオと行動している市丸は目立っていた。

 

「ほんと、市丸って変わってるよな」

 

 周囲の目を一切、気にしない市丸の姿にさすがにレオも呆れていた。

 

「機会あれば、また」

 

 けれど行動を共にするのもここまでだ。一科生と二科生は同じ組となることはない。それどころか教室に向かうために使用する階段まで別なのだ。それだけ一科生と二科生の間の壁は高くて厚い。

 

 それに壁があるのは、一科生と二科生の間だけではない。一科生の中にも十師族と呼ばれる名門と、それに続く百家などもあり、能力だけでなく家柄という壁も存在する。けれど、それは尸魂界にも瀞霊廷出身者と流魂街出身者という形で存在していたものだ。そんなものだという感想しか抱けない。

 

 市丸の組はB組だ。けれど、今日はもう授業も連絡事項もないのはわかっている。他の同学年の生徒たちのように友人作りに励む必要性を感じていない市丸は教室に寄ることなく帰宅することにした。そうして講堂を出たところに興味を引かれる一団がいた。

 

「へえ、あの子、強いね」

 

 市丸の視線の先にいるのは二人の女子生徒と話をしている男子生徒だ。一見、平凡な容姿ながら、体は凄まじく鍛えられている。おそらく、これまで見た同学年はおろか少し年上の層まで見ても、群を抜いて強い。制服が二科生の物であるため、レオと同様に鬼道は苦手なのだろう。けれど、ただ立っているだけに見えて、その実、隙が見えない。他の技能は高いはずだ。

 

「筋力は高いみたいやし、白打が得意なんかな」

 

 そして、その少年と話をしている少女のうちの一人も、こちらも二科生ながら実力者だとわかる。一見すると可愛らしい容姿に騙されてしまいそうだが、こちらもなかなかの獣を内に飼っているようにさえ見えた。

 

「なんや、やっぱり一科生とか二科生とか当てにならんもんやなァ」

 

 最後の一人は争いとは無縁の普通の女子生徒のようだが、それでも二人も戦える人間がいるというのは意外だ。

 

 一科生と言っても、鬼道は得意なのかもしれないが、周囲の警戒という概念すらない温室育ちの子供たちばかりだ。実戦では、あの二人の方がよほど頼りになりそうだ。

 

 そんな思いで三人を見ていると、少年が市丸の視線に気付いた。興味深くはあるが、実力者だとわかったからといって、何かをするつもりはない。手駒を集めたとしても、何かを為したいということもない。少年にひらひらと手を振ってそのまま帰路についた。

 

「本当に、ボクは何のために現世を生きとるんやろうなァ」

 

 その途中に発した市丸の疑問は誰の耳にも聞きとがめられることもなく、風に流れて消え去った。




残酷な描写のタグを忘れていたことに気付いてこっそり追加。


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入学二日目

 高校生活二日目、市丸は自身の斬魄刀を鞄の中に隠した状態で自らの所属するB組に足を踏み入れた。昨日のように式典のみなら隠し通せても、今日からの授業では帯刀していることを隠し通すことは難しいと判断してのことだった。

 

 遅めの登校であったため、教室内では既にいくつかの雑談の輪が出来ている。だが、友人作りに励むつもりがないため、それらの輪にはさして興味は引かれず、机に刻印された番号を頼りに自席を探し当てる。

 

「おはよう。私は明智英美、これからよろしくね」

 

 そうして席へと座ったところで前の席にいたルビーのような鮮やかな光沢の髪の女子生徒から声をかけられた。

 

「おはようさん。ボクの名前は市丸ギンや。よろしゅう」

 

「あれ、市丸くんって京都の人なの?」

 

「いや、出身は京都やないんやけど、身近に京都の人がおったせいで、知らん間に使うようになってしまってん。気にせんといて」

 

「へー、そうなんだ」

 

 京都出身と言ってしまうのが手っ取り早いのだが、市丸がこの言葉遣いとなったのは尸魂界時代だ。京都には一度も足を踏み入れたことはない。京都出身と言ってしまって下手に京都のことを聞かれてしまうと、答えに窮することになってしまう。それを回避するために使用しているのが、今日、明智という少女に伝えた説明だ。

 

 彼女も特に不審は抱かなかったようだ。もっとも、嘘だとばれたところで何の不利益もないのだが。

 

「なんかさ、魔法科高校に入ってまで席が五十音順って嫌になるよね」

 

「ほんまやね」

 

 明智という苗字は、それこそ藍染のような強力なライバルでもいない限り、高確率で先頭に来てしまう苗字だ。そして、B組には強力なライバルはいなかったらしく、晴れて窓際の最前列に位置している。

 

「おはようございます」

 

 暇つぶしに明智と話していると、その明智の隣の席に一人の女子生徒が腰かけた。それを見て、明智は市丸にしたのと全く同じ挨拶を隣の女子生徒にも行った。ただし、市丸への挨拶より少しばかり笑顔が柔らかい。社交的な性格に見えた明智だが、やはり同性の方が話しやすいのだろう。

 

「私は桜小路あかはと言います」

 

「ボクは市丸ギンや。よろしゅう」

 

「ねえ、あかは、ってどういう字を書くの?」

 

「紅い葉っぱ、紅葉と書いて『あかは』よ」

 

 知らなければ、間違いなく、もみじと読んでしまう名だった。名を呼ぶことがあるかは不明だが、一応は覚えておくことにしよう。

 

「へぇー、桜と紅葉が一緒になってるんだ、何だか華やかな名前だね」

 

「どっちもはかなく散って行くさだめなんだけどね」

 

「アハッ、詫びと寂の美だね」

 

「貴女は詫び寂に関係なさそう。とってもカラフルで華やかよ」

 

 そして、短い時間の間になぜか二人の間には険悪な空気が流れ始めていた。

 

「ええと、二人ともこれから仲ようしてな」

 

 なぜ自分が仲介のようなことをしなければならないのか。全く意味がわからないが、さすがに放置もしておけない。なぜか市丸は二人の間に入って会話が拙い方向に行かないように整理することになった。

 

「ほんま、なんでこないなことになったんやろ」

 

 予鈴が鳴った時、市丸の口からは思わずそんな言葉がこぼれた。しかし、その苦労の甲斐があってか、終盤は二人とも徐々に相手の性格が掴めてきたようだ。これなら今後は無意味に険悪な空気になることもないかもしれない。

 

 ともあれ予鈴とともに、起動だけはしてあった端末のウィンドウにIDカードをセットするよう促すメッセージが映し出された。これからオンラインガイダンスがあり、選択科目の履修登録を行うことになる。

 

 その前に本鈴と共にカウンセラーなる者がやってきた。しかし、そもそも市丸に悩み事を相談するという気はさらさらなく、話など聞き流しているだけだ。挨拶を終えて出ていく後ろ姿を見送り、早速、履修登録を始める。

 

 ガイダンスを確認して、なるべく研究色の強い科目を選択していく。市丸は同世代に比べて遥かに強い魔法力を有しているが、それでも能力の基本にあるのは死神時代に培った斬拳走鬼にある。魔法の実技面を極めようという気持ちはあまりない。それよりも魔法理論を元に鬼道を最適化していくほうが、よほど有用だ。

 

 履修登録が終わると、授業見学の時間になる。これは明日まで行われるもので、新入生が実際に上級生の専門課程の授業を見ることができるというものだ。

 

「エイミィ、見学はどこに行く?」

 

「えー、どうしよう。サクラはどこか行きたいところある?」

 

 いつの間に仲良くなったのか初対面のときは険悪な空気にもなった二人の少女は早くも一緒に行動の計画を立てている。

 

「市丸くんは、どこか見学を決めている場所はあるの?」

 

「工房に行こかと思てる」

 

「あ、じゃあ、私たちも一緒に行っていい?」

 

「別にええで」

 

 断るのも無意味に角が立つし、同行させても邪魔をするとも思えない。市丸は二人の女子生徒と工房の見学に向かった。そして、昨日の式典で知己を得たレオが、実力者として気になっていた男子生徒と女子生徒、他一名の女子生徒と見学としている姿を目にした。

 

「ちょっと知り合いがおったから行ってくるわ。堪忍な」

 

 明智と桜小路にそう言って離れ、市丸はレオの方に近づいていく。

 

「お、市丸じゃないか?」

 

「ん、レオ、一科に知り合いなんていたの?」

 

 レオに聞いたのは、実力者の一人として目をつけた女子の方だった。

 

「知り合いっていうか、式のとき隣の席だったんだ」

 

「え、レオってまさか一科のところに行ってたの」

 

「さすがの俺でもそこまではしねえよ。市丸の方が後ろに座ってたんだ。なんか変わったやつだけど、悪い奴じゃないと思うぜ」

 

 大罪人に与した反逆者に対して悪い奴ではないとは、どうやらレオは人を見る目はないようだ。

 

「市丸ギンや。よろしゅう」

 

「あたしは千葉エリカ。よろしくね」

 

「千葉……そうなんや。君、千葉家の人間だったんやね」

 

 言うと同時に、上着の中から滑り落とした物を掴み、少女の首筋へと突き出す。少女はそれを首を捻ることで躱しながら、身を横に投げるようにして市丸から距離を取った。

 

「いやあ、さすがやね。ボク、少しばかり剣を習っとってん。それでつい、実力を試してみたくなってん。ほんに堪忍な」

 

 市丸が少女に向けたのは無論、刃物ではない。ただの扇子だ。

 

 けれど、それでもわかった。やはり、この少女の実力は悪くない。

 

 千葉家は現世では珍しい剣を用いた戦闘術を修める家だ。ある意味では最も死神の戦闘方法と親和性の高い者であり、そういった意味でも好感が持てる。

 

「随分と物騒な挨拶ね。レオ、本当にこの人、悪い人じゃないの?」

 

「向けたのもただの扇子だし、悪い奴じゃあない……と思う。けど、そういえば愉快犯的なところもあるような……」

 

「愉快犯な実力者って辻斬りみたいなものじゃない」

 

「ところで、使ってるCADも刀剣型みたいだし、市丸ってやっぱり強いのか?」

 

「ええ、強いわよ。加減してくれなかったら、避けられなかったくらいに」

 

 少女が忌々しそうに言ったことで、もう一人、真の実力者たる男子生徒の視線がより険しくなった。

 

「ところで、君、名前は」

 

「俺の名前は司波達也だ」

 

「志波? そうなんや。君、志波家の男なんか。まさかこんなところで会えるなんて、世の中って狭いもんやなァ」

 

「待て! 俺の家は名の知れた家でもなんでもない、ただの一般家庭だぞ。誰か他の家と勘違いしているんじゃないか?」

 

 口ではそう言っていても、この少年は何かを隠そうとしている。だが、意外感が強く表に出ていることも確かだ。

 

「君ら、本当に志波家のことについて知らんの」

 

「今まで特に聞いたこともないな」

 

 レオがそう言って見回すのを千葉家の娘と、もう一人の少女も頷きで肯定した。

 

「あ、けど妹さんが新入生総代の司波深雪さんなので、これから有名にはなるかもしれませんね」

 

「なんや、君とあの総代の子がおるんやったら、少なくとも一般家庭じゃないやないの」

 

「市丸、妹はともかく、俺はただの二科生だぞ」

 

「二科生やから何やねん。実際、千葉さんに勝とう思うたら、そこらの一科生じゃ大変なんとちゃうん?」

 

 君も戦えるんやろ、という言外の問いかけはしっかりと無視された。けれど、総代の司波深雪の兄ということなら、志波違いということか。けれど、あの少女とこの少年がいる家なら志波家でなくとも一般家庭のはずがない。

 

「なんや、本当に面白いことになっとるやないの」

 

 小声で呟いて笑みを浮かべた市丸のことを司波達也と名乗った少年は強い警戒感を抱いた目で見つめ続けていた。




地味に悩んだのが魔法科高校の席順。
レオの席は達也の「前」と表現されており、美月の席は「隣」と表現されています。
普通に読むと、レオは文字どおり前、美月は右か左と読めそうですが、西城と司波の間に一列分の他生徒が混じるとも思えず、表現方法は違えど一列と解釈して、市丸の前の席は英美にしました。


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魔法科高校の危険な優等生

地味に毎日更新されるタグ。
クロスオーバーが二重だったり、転生、BLEACHが繋がって転生BLEACHというわけのわからないタグになっていたり。
何しているんでしょう。


 国立魔法大学付属第一高校の一年B組、市丸ギン。

 

 司波達也はその名を入学式の夜に知った。

 

 きっかけは講堂前で妹の深雪を待っている達也たちのことを市丸に値踏みされるように見られていたことだ。

 

 それで気になって調べてみると、実技において深雪と肩を並べるほどの成績を叩き出した生徒であると判明した。市丸個人の情報については、ほとんど存在しない。あるいは元は一丸を名乗っていたエクストラ・ナンバーズではないかと推測したくらいだ。

 

 しかし、市丸の本質は魔法以外にあったようだ。エリカに向かって扇子で仕掛けたときの動きは達也であってもなんとか躱せるというほどに鋭いものであった。しかも、あれでも全力ではない。

 

 魔法師としては全く無名な司波という名に妙に反応していた辺り、達也たちの正体に気付いたというわけではない。けれど、達也の実力には気づかれたと考えるべきだ。

 

 今のところ興味の対象にはなっていても、敵対の意志は見えない。ひとまずは様子見するしかないが油断はすべきではない。

 

 見学を少し早めに切り上げた達也たちはレオ、エリカ、美月に市丸を加えた五人で食堂に向かい、八人掛けの長テーブルのうち五席を確保した。そうして半分ほどを食べた頃に深雪がクラスメイトたちと一緒に現れたところでひと悶着が起きた。

 

 自分で言うのもどうかと思うが、深雪は少しばかりブラコンの気質がある。深雪が達也たちと昼食を取りたがるのは自然なことだった。

 

 それに対して深雪のクラスメイト、特に深雪との相席を狙っていた男子生徒は、そこで残りたった二席を争うのではなく、深雪を別の席へと誘おうとした。けれど、そんなことで深雪は達也との相席を諦めたりしない。

 

 そこで深雪のクラスメイトたちはより強く深雪の説得に出た。すなわち一科生が二科生と相席するのは相応しくない、一科と二科のけじめはつけるべきとまで言いだしたのだ。

 

「なんや、えらい言い方やないの」

 

 そして、それに反応したのは達也たち五人の中では唯一の一科生である市丸だった。深雪のクラスメイトたちの言葉は、ある意味、市丸の行動も相応しくないと言っているも同然なので、あるいは当然だったのかもしれない。

 

「君ら、少しばかり思い上がりが過ぎるんとちゃうの?」

 

「何だ、お前、ウィードに肩入れするのか!」

 

「何を言うとるの? ボクはただ単に君らに思い上がりが過ぎる言うとるだけや」

 

 深雪のクラスメイトたちは市丸が何を言っているのか理解できなかったようで、一瞬だけ押し黙った。そこに市丸は更に言葉を続ける。

 

「同じ一科と言うても、ボクや司波さんと君らとでは、君らと二科生より遥かに差がある言うとるんや。それなのに君らは何でボクらと対等であるかのように言うとるん。君らこそ、しっかりとけじめはつけえや」

 

 あまりと言えばあまりな言い様に、深雪のクラスメイトたちは絶句している。その間に市丸は席を立って深雪の側へと寄る。

 

「さ、司波さん、こないな奴らは放っておいて、君は君が思うようにしたらええ」

 

 市丸がエスコートするかのように深雪を達也の隣に向かわせようとするのを見て、ようやく呆気にとられていた深雪のクラスメイトの一人が動き出した。

 

「おい、ちょっと待て! お前っ!」

 

 男子生徒の一人が市丸へと右手を伸ばす。それを市丸は体を反転させながら右腕を大きく振り上げることで払った。その直後、右手を払われた男子生徒がその場に蹲った。

 

「うああっ」

 

 声を上げる男子生徒は払われた手で右目を押さえている。その右手の間から血が覗く。

 

「急に手を伸ばしてくるから払った際に瞼に爪が当たってしもうたみたいやね。堪忍な」

 

「お前、森崎に重傷を負わせておいて、何をへらへらしてるんだ」

 

「重傷て、大袈裟やね。瞼を切っただけや。眼球には傷一つないで」

 

 その言い方で深雪のクラスメイトたちも気づいたようだ。手を振り払った際に偶然、市丸の爪が当たったんじゃない。市丸は腕を払うついでに爪先で瞼だけ切り裂いたのだと。

 

 一体、どれだけの技量があれば相手の瞼だけを傷つけるなどという技が可能になるのだろう。少なくとも、達也にはできない。

 

「お前……」

 

 故意だと理解してしまえば、市丸の異常さはよくわかる。もしも狙いが逸れて森崎が失明したとしたら重大事だし、そうでなくとも森崎が傷を負うことには変わらない。悪質なのは、森崎の腕を払おうとしただけという言い訳は否定しようがなく、市丸が罰せられる可能性は低いということだ。

 

 しかし、罰せられないとしても、普通はそれを良いことに人を傷つけたりはしない。おそらく市丸は森崎がどうなろうと関心がない。

 

「そない大騒ぎせんとも、このくらいの傷、治療できる子はおらへんの?」

 

 言われた一科生たちは互いの顔を見合わせるのみだ。一科生といっても実戦経験が豊富な生徒はいないのだろう。傷の治療なども経験はないのだろう。

 

「見せてみ」

 

 市丸がしゃがみ込むと森崎は拒否するように後ずさる。

 

「傷、残ってもしらんで」

 

「これ以上、余計なことはしないように、しっかりと見張らせてもらうからな」

 

「好きにしたらええよ」

 

 市丸が傷ついた森崎の瞼の上にそっと掌を乗せる。その後、少しして掌を離すと森崎の傷は綺麗に消えていた。

 

 これには一科生たちに加え、達也も驚いた。御伽噺の産物ではなくなった魔法だが、あくまで体系化された技術であり、何でもできるというわけではない。

 

 人の傷を治療するという魔法も存在するが、市丸は今、CADを持っていない。その状態から、ほんの数秒で傷を癒せるというのは異常だ。

 

「不思議そうな顔しとるけど、ボクが得意なのは古式魔法やからね。君らでは知らん技術もそれなりに持っとるということや」

 

 古式魔法界のことは達也も詳しくない。そう言われてみれば、市丸がエリカに対して扇子で攻撃した際の動きは現代魔法の剣術とは少し違う技術のように見えた。それにCADを持たない状態での魔法の行使も古式の魔法師の方が得意だ。けれど、本当にそうなのだろうか。違和感が拭い去れない。

 

「ところで、そろそろ散ってくれへん? 司波さんが落ち着いて食事できんやないの」

 

 少なくともCADを持つことができない学内では、市丸に勝つことはできない。それが理解できたのか、一科生たちはしぶしぶ達也たちから離れていく。しかし、その中で森崎だけは振り返って強く市丸を睨んでいた。

 

「市丸、よりにもよって森崎の人間をあそこまで挑発するなよ」

 

「森崎? 知らんなァ、有名なん?」

 

「森崎家はボティガードとして、それなりに知られた百家の支流だ。家業柄、実践力には自信を持っているはずだ」

 

「はぁー、あない弱うてボディーガードが務まるんかいな」

 

 市丸がわざとらしく大声をあげて驚いてみせた。その声が届いたのか、遠ざかりかけた森崎が足を止めて憎悪に染まった目で市丸を睨む。

 

「市丸、お前こそここから去ってくれないか。彼らは、あれでも深雪のクラスメイトたちなんだ。あそこまで挑発した市丸と仲良く話しているのを見られたら、深雪まで悪意をぶつけられかねない」

 

「そうやね。それじゃあ司波家の達也くん、またね」

 

 ひらひらと手を振ると、ほとんど食べ終わったトレーを手に、何事もなかったかのように市丸は去っていく。その背が遠ざかると、皆で思わず溜息をついた。

 

「レオ、どこが悪い奴じゃないのよ。あれは悪い奴を通り越してヤバい奴よ」

 

「そうかもしれません。市丸さんは森崎さんを傷つけたときも全く罪悪感はなかったようですから。あの人は悪意なく他者を傷つけられる人だと思います」

 

 エリカと美月に続けて言われ、レオはさすがにばつが悪そうに頭を掻いている。

 

「お兄様、今の方は」

 

「すまない、深雪。後で説明する。今はひとまず食事を進めた方がいい」

 

 市丸の起こした騒ぎにより昼休みも半ばに近づいている。これ以上は、深雪のゆったりとした食事に障る。

 

 食事を始めた深雪を見ながら、達也は市丸を自分たちの平穏な日常を脅かす可能性のある相手と認定した。



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森崎駿

 森崎駿は森崎家本家の一人息子だ。

 

 森崎家は百家の中でも「数字」を持たない支流の家柄で、魔法力自体は平凡だ。けれど、それを威力や難度を度外視しても、とにかく魔法を早く発動させるという目的に特化した「クイック・ドロウ」という技術をもって確固たる地位を得ている。

 

 この技術でもって「手ぶら」の状態から素早く武器を手にして襲撃者を撃退することができる。これは武器を誇示することを嫌う日本にはうってつけの技術で、森崎家は民間資産家階級の警備において社会的にも高く評価されている。

 

 森崎自身も後方から周囲に目を配るという形で、壁役ではないもののボディーガード業務に参加している。実践の場すら、既に数多くこなしてきた。それは森崎にとって確かな自信の一端になっていた。

 

 しかし、今日の昼食時、その自信は粉々に砕かれた。一科生ながら二科生側に立ったように見えた同じ一年生の市丸は、森崎を完全に雑魚として扱った。あろうことか、同じ一科生同士でも、市丸と森崎の間には明確な差があり、自分から見れば二科生と変わらない、とまで言い切ったのだ。その発言は口先だけのものではなく、本当にそう考えているのがありありと見て取れた。

 

 何よりも許せなかったのが最後の一言だ。市丸はよりにもよって森崎家が心血を注いで得た力をもって、評価を受けてきた家業を愚弄した。

 

 沸々と煮えたぎる怒りは到底、収められるものではなかった。そして、それが原因で次のトラブルを引き起こしてしまった。

 

 きっかけは、授業後の時間を使用して今度こそ司波深雪と親交を深めようとしたところ、昼間にも見た二科生たちに邪魔をされたことだ。正確には司波深雪自身が森崎たちとの交流より二科生たちと帰宅することを選んだのだが、二科生たちによって交流の時間が奪われたという結果は変わらない。

 

「僕たちは彼女に相談することがあるんだ!」

 

「ハン! そういうのは自治活動の中でやれよ。ちゃんと時間がとってあるだろうが」

 

 猛反発をする森崎のクラスメイトと、それに正論でもって、挑発をするような発言を返す二科生たち。初めは少し外で見ていた森崎も、一科と二科の差など気にせず主張を返す二科生たちに次第に苛立ちを深めながら輪の中心に入っていく。

 

 そして、言い争いの中で決定的な一言が放たれた。

 

「同じ新入生同士じゃないですか。あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れているというんですかっ?」

 

 お前たちも、一科と二科の間には、自分たちの間には差などないと主張するのか。あの市丸のように。

 

「だったら教えてやる!」

 

 消化しきれていなかった昼間の怒りを加え、森崎は自らの価値を確認するために愛用の特化型CADを抜いた。

 

「あァ、こらあかん」

 

 その瞬間、輪の外から、どこか暢気にも聞こえるそんな声が響いて……気付いたときには森崎の肘から先はなくなっていた。

 

「うわあぁあぁああ!」

 

 一拍遅れて腕から血が噴き出し、同時に襲ってきた痛みに森崎は絶叫する。

 

「あかんなぁ……自衛目的以外の魔法による対人攻撃は犯罪やで」

 

 いつの間にか森崎の目の前に立った市丸が人の腕を切り落としたとは思えない調子で諭してくる。

 

「お、お前こそ、こんなことしていいと思っているのか……」

 

「ええに決まっとるやないの。ボクはあくまでこの子らの身を守るために行動しただけなんやから」

 

 今、俺は腕から大量に出血しているんだ。こんなときに、そんなことを議論している場合じゃないだろ。

 

 心の中での罵声も、音になって口からは出てくれない。そんな中、森崎を救う指示を出したのは司波深雪の二科生の兄だった。

 

「深雪、森崎の止血を頼む」

 

 兄の言葉を受けて司波深雪が傷口を凍らせるという、やや荒っぽい手段ながら出血を止める。そこでようやく森崎は市丸の顔を見ることができた。そうして、その顔が平時と同様の薄い笑みを浮かべているのを目撃した。

 

「こんなこと、許されるわけがない」

 

 震える声で一人の女子生徒が指摘する。

 

「許されるに決まっとるやないの。ボクはただ人の命を救っただけなんやから」

 

 けれど、市丸はそれを意に介した様子なく受け流す。

 

「森崎はウィードを殺そうとまではしていない」

 

「殺そうとしたやろ。殺傷力の高い特化型CADで魔法を使おうとしたんやから」

 

「それでも命までは奪おうとしていない」

 

「命を奪わなくとも魔法は失う可能性は高かったんちゃうん。それとも君らにとって魔法はその程度のものなん?」

 

 魔法に対して誰よりも誇りをもっているのが一科生だ。ここで魔法などたいしたものではないとは言えない。

 

「市丸、お前が森崎の腕を斬らなくとも、俺たちに被害はでなかった。エリカがすでに森崎のCADを弾く直前だったし、レオも動き始めていた。お前の行動は無意味に被害を広げただけだ」

 

「そうなんや。君らを救うことに夢中で気付かへんかった」

 

 司波兄の言葉は森崎にとっては衝撃的なものだった。市丸が気付かなかったという発言については、おそらく嘘だ。

 

 その上で、市丸は間に合ったということを否定しなかった。それは、森崎本家の出身である自分のクイック・ドロウに二科生が追い付いていたということだ。

 

「魔法が大事だと知っていて、俺の腕を切り落としたのか! ふざけるな! これでは魔法師として死んだも同然だ」

 

 利き腕を失って、それでも続けられるほど魔法師の仕事もボディーガードの仕事も甘いものではない。自分はもう魔法師としては終わりだ。そんな思いが知らず、口を突いて出ていた。

 

「あ、そ。それじゃ、介錯してあげよか」

 

 え、と思って顔をあげた時には、すでに市丸は刀剣型のCADを振りかぶっていた。森崎はへたり込んだ状態で、とてもではないが避けられない。

 

 ああ、自分はここで死ぬのだ。そう理解すると同時に、先ほどまで魔法師としての死は、実際の死と変わらないと思ったのが嘘だと知った。今、自分は死に恐怖している。

 

 森崎の命は風前の灯火だった。けれど、市丸の刃が振り下ろされることはなかった。

 

 市丸の刃は胸の前で横に移動している。その刃が受け止めているのは二科生の少女が振り抜いた伸縮警棒だ。

 

「あれ、君が邪魔するん。君ら、この子のこと嫌いやなかったん」

 

「さすがに目の前で人が殺されそうになってるのを放っておくわけにはいかないでしょ」

 

「ふうん、けど、ボクの邪魔をするんなら、怪我するで」

 

 一度、刃を引いた市丸が少女に向けて片手での突きを放つ。少女は伸縮警棒で弾こうとするが、躱しきれずにジャケットを切り裂かれた。魔法科高校の女子の制服はお世辞にも活動のしやすい服装ではない。動きにくそうにする少女をいたぶるかのように、市丸は右肩を突いたかと思えば左腿を狙うなどして、その体に無数の浅い傷を作っていく。

 

「君じゃボクには勝てへんのはわかったやろ。そろそろ引いたらどうなん」

 

「言ったでしょ。人が目の前で殺されるのを黙って見ているつもりはないわ」

 

「そうなん。じゃあ、もう容赦はなしや」

 

 市丸から重い空気が発せられる。本当に体が重くなったようにすら感じるほどの濃密な空気だった。魔法など使用せずとも、相手の動きを制限する。これが強者の殺気というものなのだと、森崎は理解した。それでも少女は市丸への対峙をやめようとしない。自分のために命をかけて戦ってくれようとしている。

 

「うおおおっ! パンツァァー!」

 

 そればかりか森崎たちと激しく対立していた司波兄ではない方の二科生の男子も硬化魔法を纏って市丸へと殴り掛かっていた。

 

「へえ、君も邪魔をしてくるんやね」

 

「ああ、放ってはおけないからな!」

 

「けど、二人でもボクには勝てへんで」

 

「そうだな。けど、四人ならどうかな」

 

 司波兄の言葉に周囲を見回すと、司波兄妹も市丸に向けてCADを向けていた。そこから一瞬遅れて、ようやく一科生たちもCADを構えた。

 

「はぁ、さすがにこれは分が悪いみたいやね。やめや」

 

 それを見て、市丸がようやく刃を引いた。

 

「それじゃ、お大事にね」

 

 ひらひらと手を振り、何事もなかったかのように市丸が去っていく。

 

「ありがとう、二科生の皆。俺の命が助かったのは、皆のおかげだ。もう会うことはないだろうけど、感謝は忘れない」

 

「いいえ、森崎さん。もう会えないなんてことはありません」

 

「ありがとう、司波さん。けれど、片手では魔法師としては駄目だ」

 

「いいえ、森崎さん、腕は綺麗に切り落とされていましたし、切られた腕は私が凍結処置をしてあります。すぐに手術をすれば、縫合は可能なはずです」

 

 それは、まだ魔法師を続けられるということだろうか。

 

「あなたたち、これは何の騒ぎですか!」

 

「あれは、風紀委員長か。森崎、ここは俺たちに任せてお前は治療に向かえ」

 

「森崎君、うちの車を呼んだから使って。病院も知り合いを手配する」

 

「お前は確か北山……だったか。恩に着る」

 

 多くの人に助けられて、森崎の縫合手術は上手くいった。しばらくはリハビリが必要だが、時間をかければ魔法師として働くことができるということだった。

 

 市丸の言ったとおり、一科とか、二科とかはそれほど大きな違いではないのかもしれない。少なくとも、自分の危機に真っ先に動くことができたのは二科生たちだった。

 

 家業のボディーガードを大切に思うなら、それに見合う技能を得なければならない。そんなことを、森崎は手術後の病院のベッドの上で考えていた。



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入学三日目

 高校生活三日目も市丸は昨日までと変わらず昼食を取るために食堂を訪れた。そこにはいつもの人数からは少し欠けた馴染みの顔があった。

 

「今日は達也くんは、おらへんのやね」

 

 四人掛けの席にいるのは、レオ、千葉、そして柴田という名の少女だけ。達也の姿も深雪の姿も見当たらない。

 

「市丸、お前、よく何事もなかったように入ってこれるな」

 

「何事もなかったように、も何も実際に何もなかったやろ。千葉さんの怪我も傷が残らんくらいの軽傷やし、森崎って一科生も腕は綺麗に切っといたから、手術を受ければ少し時間はかかるかもしれんけど、復帰はできるやろ」

 

「あたしの制服は復帰できないんだけど。当然だけど新品だったのよ」

 

 身体への怪我は最小にする代わりに制服は派手に切り裂いた。どこの戦場から帰ってきたのかと聞かれかねない状態では帰宅するのも大変だっただろう。

 

「千葉家なら多少の生傷くらいなら日常やから、治療法も知っとると思ったけど……制服については考えとらんかったわ。それじゃ、ボクが新しい制服、買うたるわ。今日にでも採寸に行こか」

 

「結構。採寸なんかしなくてもサイズはわかっているから、制服代だけ弁償しろ」

 

「ええよ。支払先だけ教えといて」

 

「なんか意外に素直なのね」

 

「制服代だけでええなら、まけてくれとる方やろ。本当はもっと切られてしもうたとこがあるのに、そっちは請求せえへんてことやろ」

 

 そう言うと千葉はわずかに頬を朱に染めた。狙ってやったことではないが、腿を狙った突きは魔法科高校女子が着用するレギンスを斬っているし、肩や脇の傷から流れた血は下着を駄目にした可能性も高い。

 

「値段教えてくれたら、そっちも新しいの買うたるよ」

 

「結構よ! ねえ、レオ、こいつやっぱり悪人じゃない。アンタの人を見る目って腐ってるんじゃないの」

 

「うぐ……悔しいが今回は反論できねえ」

 

「えー、大事にならんように気を付けながら立ち回ったってゆうのに、君ら全員、酷すぎなんやない?」

 

「そもそも、市丸がもっとまともに立ち回ってくれたら、あんな大騒動までは発展してない。学校内で腕が飛ぶなんて、普通じゃ考えられないことだからね」

 

 腕を斬り落とされるなどという事態は死神を養成する真央霊術院ですら稀だ。現世の高校生活では、確かに簡単にお目にかかれることではいだろう。

 

「ま、これから魔法師として生きていくなら、いずれは経験することになる可能性はあるわけやから、今のうちに経験しとけて良かったんやない? それより、今日は司波の兄妹はおらんのやね。どないしたん?」

 

「あの二人なら七草会長に呼ばれて今日の昼は生徒会室だよ」

 

「昼の時間に? それなら尋問ってわけやないな。なんやろね」

 

「尋問を受けるなら、一番の対象でありながら、真っ先に逃亡した奴がいたような気がするから、そいつから始めるべきだな」

 

「へー、そない酷い奴がおるんや。誰やろね」

 

 三人揃ってじっとりとした視線を向けてくるが無視だ。

 

「まあ、妹の方は生徒会に誘われるんだろうけどな。この学校は新入生総代を務めた一年生は生徒会の役員になってるらしいから。そう考えると、今年は司波さんがいてくれて本当によかったと思うよ」

 

「あれ、ボクが新入生総代になったら、三日のうちには生徒会を掌握して一科生、二科生を問わず実力のある生徒が活躍できるようにしてあげられるのに?」

 

「今度は実力の有無が戦闘力で評価されるような気がするし、そこかしこで負傷者が倒れているような殺伐とした学校になりそうだから、是非とも遠慮してもらいたいな」

 

「そんなことあらへんよ。ちゃんと後方支援として治療が得意なのもおらんと、隊員の復帰が遅うなってしまうやないの」

 

「……やっぱり市丸が新入生総代でなくて本当によかった」

 

 酷い言われようだが、これでも前世では隊長として実際に隊を回していたのだ。そこらの高校生よりは上手く組織運営ができる自信はある。もっとも最初の手段として恐怖を用いる可能性は否定しないが。

 

「それにしても、なんで達也くんが呼ばれたんやろね」

 

「そこだよな。まさか達也から深雪さんを説得してもらうってわけでもないだろうし」

 

「妹さんが頑強に反対してるんなら可能性としてはあるけど、そういうわけやないやろし、そもそも達也くんが生徒会入りに反対する立場やったら逆効果や。達也くんの考えなんか知らんやろし、そないな危険な賭けはせえへんやろ」

 

「それもそうだな」

 

 結局、達也が呼ばれた理由はよくわからない。まあ、いずれにせよ市丸にはあまり関係のない話だ。

 

「あの、ここいいですか?」

 

 そうして食事を再開して少ししたところで、声をかけられた。顔をあげると、明智と桜小路だった。

 

「ええよ」

 

 市丸が答えると、二人は二科生三人に軽く頭を下げて腰を下ろした。

 

「二人は二科生と同じ席ってこと、気にしないんだな」

 

「え? うん、さすがに二科生だけの集まりの中に入るのは気が引けるけど、市丸くんがいるんなら大丈夫かなって。あ、自己紹介がまだだったね。私は明智英美。市丸くんと同じ一年B組だよ」

 

 明智が名乗ったのを皮切りに、桜小路、千葉、柴田、レオも簡単に自己紹介をする。

 

「ところで市丸くん、何かやったの?」

 

「ええ? なんもしとらんよ」

 

「けど、このテーブルだけ不自然に席が空いてたんだけど」

 

「それは、間違いなく市丸が原因だな」

 

 レオの言葉に千葉と柴田も頷いている。

 

「えー、ボクはただ友人を犯罪行為から救っただけやん」

 

「その後、あたしに斬りかかってきたことは、もう忘れちゃった?」

 

「あんなん、単なる腕試しやん」

 

「ええと、結局、市丸くんは何をやらかしたの」

 

「A組の子らが、この子らが気に食わんからって魔法攻撃を仕掛けようとしたんや。せやからボクはこの子らを守るためにA組の子の腕を斬り落とした」

 

 その瞬間、明智と桜小路の顔が固まった。

 

「ごめん、よく理解ができなかった」

 

「せやからA組の子らが、違法に魔法攻撃を仕掛けようとしたから、その子の腕を斬り落としたんや」

 

「ちょっと、大事件じゃない!」

 

「けど、綺麗に切っといたから、今頃は縫合手術も終えているはずや。一月もすれば何事もなかったように復帰できるはずやで」

 

「無駄だぜ、明智。こいつの倫理観、ちょっとばかし狂ってるみたいだ」

 

 レオの言葉を受けて二人が少しだけ尻の位置を遠ざけた。

 

「それにかなり喧嘩早いところもあるから、二人も事件に巻き込まれないように注意しておいた方がいいわよ。もっとも相当に腕はたつから、何か危険を感じたら迷わず頼っていいと思うけどね。市丸、暴漢くらいなら百人くらいいても、簡単にあしらっちゃえるくらいには強いでしょ」

 

「百人もおったら、あしらうのは少し面倒やわ。全滅させてええ?」

 

「駄目に決まってるでしょ! うん、前言撤回。市丸を頼るのは本当に命の危険を感じたときだけの方がいいわね。下手に頼ると殺人事件の目撃者になるから」

 

 昨日、負けそうになったことを思ったより根に持っているのか今日の千葉は辛辣だ。

 

 そんな殺伐とした出だしながら、共に社交的ということもあって、明智と千葉はすぐに楽しそうに会話を始める。柴田と桜小路も派手に笑い合ったりはないが、それなりに楽しそうに話している。

 

「あぶれてしもうたね」

 

 レオ、千葉、柴田の三人だと一見すると女子二人で会話が弾みそうだが、実際は柴田が聞き役に回っている様子だった。しかし、今は女子グループに男が一人混じっているような状態にも見える。もっとも、それは市丸が静観しているせいでもあるのだが。

 

「それにしても、市丸は何で昨日はあんなことをしたんだ? お前なら、もっと上手く収めることもできただろ?」

 

「レオはこの学校について何か感じたことはある?」

 

「感じたこと?」

 

「ボクは、なんや意図的に対立を生み出そうとしているようにも感じてるんやけど。こういうときは、何かが起こると思っといた方がええ」

 

「何かって、何だよ」

 

 レオの言葉には答えず、市丸は椅子から立ちあがった。

 

「とりあえず、しっかりと腕は磨いといた方がええで」

 

 それだけ言いおいて市丸は五人を残して席を離れた。




お知らせ

拙作に対しての多くの感想ありがとうございます。
非常にありがたいことではありますが、現状、ストック分を毎日投稿するだけでも、割と手一杯の状態で感想の返信にまでは手が回りません。
しばらく感想への反応はできないと思いますが、なるべく目は通させてもらいたいと思いますのでご容赦ください。


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要警戒対象への対策

 高校生活三日目の夕食時、司波達也は妹の深雪に風紀委員会本部で風紀委員長、渡辺摩利と話した内容を報告していた。

 

 しかし、予想以上に波乱万丈の放課後になった。昨日の一件で目をつけられたことで招待された昼食で風紀委員に就任すること自体は打診があった。なので風紀委員入り自体は予想の範囲内だ。しかし、生徒会副会長の服部刑部の反対と、その際の達也に対しての言葉に深雪が暴走した結果、服部と模擬戦を行うことになったのは完全に予想外だった。

 

 もっとも、そのおかげで、少なくとも服部が反対はしなくなったという点と摩利にも実力を認められたという意味では悪いことばかりではない。もっとも腕が立つと知られたことで逆に面倒も発生しそうであるので、良いことばかりでもないのだが。

 

「それで、今年の風紀委員が当面はお兄様だけというのはどういうことですか?」

 

 ひとまず今日の報告で最も重要なのが、例年は三人が選ばれる風紀委員が、今のところは達也のみとなるということだった。

 

「それが、風紀委員の教職員推薦枠は森崎、部活連推薦枠は市丸だったようなんだ。だが、森崎は昨日の件の負傷もあり、当面は風紀委員活動は不可能。それで、もう一度、選任をやり直すことになったらしい。市丸については、言うまでもないだろう」

 

「風紀委員が一番、取り締まりを受けるようでは、さすがに格好がつきませんからね」

 

「ああ、だが、渡辺委員長も市丸を風紀委員にすべきかは悩んでいるみたいだったね」

 

「まだ市丸さんを風紀委員に選ぶつもりなのですか?」

 

「本来だったら、選びたくはないだろう。けれど、野放しにするより手元に置いた方が危険が少ないという考えもあるようだ」

 

 明らかにおかしな理由に深雪も微妙な表情をしていた。

 

「お兄様なら、市丸さんを止めることができますか?」

 

「正直に言えば、わからない。昨日見たのが市丸の全力ならば、止めることはできるだろう。だが、最初の一撃以外は完全に遊んでいただけだったからな」

 

「市丸さんは魔法力も高いようですけど、私には接近戦の方が恐ろしいと感じました。私では市丸さんの剣を避けられるとは思えません」

 

 深雪は完全に中遠距離型の魔法師だ。対魔法師戦では、周囲の空間を自分の魔法力の影響下に置くことで相手の魔法を無効化する領域干渉により相手の魔法を無効化し、非魔法師との戦いでは絶対的な魔法力を生かした高強度の障壁で身を守る。そして、攻撃では相手の防御力を上回る規模と強度の魔法をぶつけるという正統派の戦い方を得意とする。一方で、接近戦には特に長けているわけではない。

 

「魔法戦闘では市丸が相手でも深雪なら負けない。深雪にとって脅威なのは接近戦であることは確かだ、しかし、市丸はまだ何か手を隠しているように思えてならない」

 

「お兄様は何か気になったことがあるのですか?」

 

「市丸の剣だが、かなり刀身が短いものだ。刀というより脇差に分類されるものだな。だが、それだけ短い剣を使っている割に、妙に市丸の間合いが遠い気がしたんだ」

 

「つまり、本来ならもう少し遠い間合いが得意だということですか?」

 

「そう思えてならない。だから、本来は中距離を得意としていて、あの脇差は敵の接近を防ぐだけなのではないかとも考えた。だが、それだと説明ができないことも多いんだ」

 

 そもそも市丸の近接戦能力はかなり高い。それは、より森崎に近い位置にいて、接近戦を得意とする千葉家のエリカよりも早く森崎の腕を斬り落としたことからもわかる。そして、それだけの近接戦能力を持つなら相手の接近を厭う理由はない。

 

「何より俺が警戒しているのは市丸の脇差だ。レオやエリカは刀剣型のCADだと思っていたようだけど、どうも少し違うように思えてならない」

 

「エリカの持っている伸縮警棒のような特殊なCADということでしょうか?」

 

「いや、そもそも既存のCADの枠に入らないもののような気がする」

 

「お兄様も知らないCADということですか!」

 

 達也はCADについては専門家と言ってよい。その達也も知らないCADということで深雪は大いに驚いていた。しかし、それも無理はない。一般に流通しているCADなら達也はすべて把握している。達也が知らないCADとなれば実験機や個人向けにカスタマイズされた品くらいのはずだ。けれど、実際に達也は市丸のCADの正体がわかっていない。

 

 市丸の脇差の最大の特徴は強度だ。刀剣型であろうと刻印術式を刻んだものでも、魔法を発動させるための機構を追加している分、そのものの強度は純粋な刀に比べると劣るのは当然のこと。それでも魔法師は硬化魔法で強度を補強するから、刀が戦闘に耐えられるのだ。だが、市丸の脇差は通常の刀剣より、むしろ高い強度を持っているように見える。

 

 そうなってくると、実はただの脇差で、魔法補助機能はないのではないか、という疑いもでてくる。しかし、それも違うように思える。市丸の脇差は森崎やエリカが魔法を発動する際に微かにだが反応を返していたためだ。ただの脇差なら、魔法式に反応はしない。

 

「いずれにせよ市丸の実力は未知数だ。深雪は絶対に市丸とは敵対しないようにしてくれ。俺も気を付ける」

 

「わかりました。でしたらお兄様、この後、CADの調整をお願いできますか?」

 

「どのような調整をしたらいい?」

 

「拘束系の起動式を……対人戦闘のバリエーションを増やしたいのです」

 

 深雪の使っている汎用型のCADに登録できる起動式は一度に九十九本。魔法力の高い深雪は、普段はできるだけ定数項目を削減して融通性を高めた起動式を登録している。けれど、それでは市丸と対峙する際には力不足と感じたのだろう。

 

「しかし、市丸を相手にした場合、減速魔法の方が有効となる可能性が高い。広域魔法なら、いかに市丸の動きが早くとも逃れることはできないだろう」

 

「お兄様、市丸さんに囚われすぎではありませんか。拘束をするのは市丸さんでなくとも構わないでしょう? 昨日の一件にしても森崎くんを止めることができていたら、市丸さんが剣を抜くことも、その後、エリカたちと争うようなことになることもなかったのではないのですか?」

 

「その通りだ。少し市丸を警戒しすぎてしまっていたようだな」

 

 けれど、普通の一科生では深雪を傷つけることはできない。今、達也が把握している中で深雪を害することができるのは市丸だけなのだ。警戒するのも当然だろう。

 

「お兄様もご存知の通り、減速魔法は個体作用式がほとんどで、部分作用式は困難です。部分減速、部分冷却も不可能ではありませんが、発動に時間がかかり過ぎます」

 

 深雪が目指しているのは、市丸が介入してくる前に相手を制圧することだ。そのためにはスピードに重点を置いた、最小のダメージで相手を無効化できる術式が必要となる。

 

「そうだな……生徒会で、同じ学校の生徒相手にとる戦法としては、そういうのも必要になるかもしれないな」

 

 けれど、そのために今の深雪に最適化された現状の魔法を削るのは惜しい。同系統の起動式を少し整理してみるとしよう。

 

「本当は、もう一つCADを持つ方がいいんだがな」

 

「一度に二機のCADを操ることができるのは、お兄様だけです」

 

「その気になればお前にもできる」

 

 ぷいっ、とそっぽを向いた深雪の頭を、苦笑しながら何度か撫でる。髪や頭を撫でるのは、妹のご機嫌をとる際の、達也の基本パターンだ。

 

 しかし、このとき達也は勘違いしていた。深雪がわざわざ機嫌を損ねたような態度を取り、甘えてみせたのは七草会長や渡辺委員長と放課後、親しそうに話をしていたことに起因していたのだ。そのことを不満に思っての態度であったのに、小手先の手段で機嫌を取ってしまい、その後の測定の際のフォローがぞんざいになってしまった。

 

 結果、達也は深雪から振動波を送られてしまい、椅子から転げ落ちることになった。

 

 市丸にばかり気を取られず、しっかりと足元を見なければならない。達也は改めてそう認識させられた。



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九重寺

 入学三日目の夜、市丸ギンは小高い丘の上にある寺を訪れていた。

 

 中からは多くの人の気配がする。そして、それと同じくらいの気配を隠した人の気配も。いずれもなかなかの腕だということがわかる。

 

 斬魄刀を抜刀した上で山門を潜ると、きれいに髪を剃り上げ、細身の身体に墨染の衣を着た男が門弟たちと思われる男四名を従えて待っていた。鍛え上げられた門弟たちはさながら僧兵のようにも見える。

 

「へえ、大将が自らお出迎えしてくれるとは、驚きやなァ」

 

「普段なら、まずは軽く歓迎といくんだけど、それをすると君、殺しちゃうでしょ」

 

「さすがに今日一日、見張っとったらそれくらいは気付かなね」

 

 今朝、家を出たところからずっと市丸は監視されていた。文字通り監視だけで手を出してくる気配はなかったために、しばらく放置していたが、なかなか接触はしてこない。折角、待っているのだから、早く来てほしいものだ。相手の都合のいいときに気持ちよく訪問してもらえるように待ってやる必要もなし。それで、こちらから話をつけにきたというわけだ。

 

「僕の監視に気付くってことが驚きなんだけどね」

 

「それで、ボクを監視していた目的はなんですの?」

 

「君は一部では神童と呼ばれていることは知っているよ。けれど、魔法師の血こそ引いているものの、せいぜいがC級がいいところだ。そこから、まさか十師族も真っ青の力を持つ魔法師が出てくるとは思わないじゃないか。それに、聞けば昨日は同じ一科生の腕を躊躇することなく斬り落としたと聞く。僕たちは君のことはほとんど何も知らない。強大な力を持つ君が国の敵となる素地があるのか否かは気になるじゃないか」

 

「へえ、君らも国と繋がっとるゆうことか」

 

「ま、無関係ではないね」

 

 市丸自身は愛国心のようなものはあまりない。そもそも尸魂界には他国というものが存在しないため、国という概念が薄いのだ。

 

「君らの監視は今日から。つまり誰かから一科生の腕を斬ったことを聞いた、ゆうことや。けど、それ、ただ聞いただけちゃうやろ? 監視も達也から頼まれた?」

 

「……達也とは誰のことかな?」

 

「やっぱ達也なんか。へえ、彼、国と繋がっとるの」

 

「いいや、彼は僕の弟子の一人だよ」

 

 達也という名はそれほど珍しい名前ではない。それに苗字は知っていても名までは知らない相手も多いはず。達也の名を出したときに知らないというまでの反応は、少しばかり早かった。

 

「後学のために聞かせてもらえないかな。どうして達也くんが僕に依頼したとわかったんだい?」

 

「魔法科高校には君ら以外にも監視が付いとるやろ? けど、通常の監視を飛ばして上の応援を依頼した。それほどボクを警戒しているのは達也くらいや」

 

 魔法師というものは個としては国で最高の戦力だ。国としても、それを完全に放置しないのは当然の危機管理だ。

 

 その監視の目は一昨日の時点では市丸には付いていなかった。ならば、今日はまずは学内の監視の目を強化するのが筋のはずだ。それなのに、いきなり外部の手を借りた。となると、学内の監視とは別口ということになる。

 

「それで、君がわざわざ露悪的な行動をしてみせたのは、僕たちを炙り出すのが目的ということかな?」

 

「はて、何のことやら」

 

 この相手が国益を第一として考えているのなら、今回は共闘できるかもしれない。しかし、そうと仮定するには、違和感が残る。今はまだ、この相手を信頼はしきれない。

 

「それで、君の目的は何なのかな? ああ、詳しく語ってもらわなくてはいいよ。知りたいのは君がこの国の発展を願っているかどうかだ」

 

「はっきり言うて、この国の発展とかには特に興味はあらへん。けれど、ボクやその周辺の平穏を乱すやつがおるとすれば、そいつはボクの敵や」

 

「それは、国のために力を尽くすつもりはなくとも、敵から攻撃を受けたときには戦ってくれると考えていいのかな?」

 

「その仮定の場合なら、ボクの力も当てにしてくれてええで」

 

 市丸は自分の周辺の平穏を乱すやつ、としか条件をつけていない。他国の人間だけでなく、日本人や日本政府であろうとも、条件に当てはまるならば敵として排除する余地を残した。

 

「わかった。僕とすれば、今はそれを聞ければ十分だ。君からは手を引こう」

 

 本心から納得をしていないのは明らかだが、これ以上、監視を続けて敵に回してしまうのは避けたいということだろう。ともかく、余計な誤解を招く前に緩やかな味方と認識してもらえたならば、今日の目的としては十分だ。

 

「それで、そもそもここは何ですの?」

 

「見ての通り、寺だよ。ただの、とは言い難いけどね」

 

「古式の魔法師ってことです?」

 

「僕は忍びだよ。忍術使いとも呼ばれるね。名は九重八雲と言う」

 

 九重八雲は対人戦闘に長けた忍術使いとして高名な人物だ。

 

「へえ、こないな近くにおったんか」

 

 しかし、そうなると少し目の前の男に興味も出てくる。体系化が進んでいる現代魔法については、ある程度、学ぶこともできるが、各家で脈々と受け継がれる古式の魔法については知ることが難しい面がある。

 

 直接的な攻撃魔法なら死神の鬼道にも豊富にある。経験豊富な分、対処は難しくない。

 

 けれど、忍術のような特殊な魔法については市丸も知らない種類の魔法があっても不思議ではない。それでも、自分が追い詰められるほどだとは思えないが、用心に越したことはない。実際に自分では必勝と考えた場面をひっくり返され、藍染に敗北したのだから。

 

 あれほど強大な敵というのは、そうお目にかかれるものではないだろう。けれど、起こるはずがないと高を括って、いざという場面にまた失敗したのでは話にならない。

 

 市丸はまだ、命をかけて守りたいと思えるものは出会えていない。ひょっとしたら、再びそのような存在に出会えることは、死ぬまでないかもしれない。けれど、それならそれで構わない。

 

 もしも現世で出会うことができなくても、死後には再び彼女に会える。そのとき今度こそ彼女を守るための力を手にできるのなら、自分はなんでもしよう。

 

「折角やな。少し忍術使いゆう者の腕を見させてもらおか」

 

 笑みを浮かべて殺気を飛ばせば、弟子四名が反応した。まずは一人目が正拳を突き出してくるのを、半歩だけ下がって回避。その間に残りの三人は市丸を取り囲むように動いていた。その動きは確かに早い。が、いいところ下位席官といったところだ。市丸の敵ではない。

 

「遅いなァ」

 

 少し速度を緩めた瞬歩を使い、四人の包囲下から八雲の前に移動する。

 

「こないな程度なん。それなら君らを皆殺しにしてもボクが力を貸すなら釣り合いが取れるを通り越してお釣りがくるわ」

 

「いや、話には聞いていたけど、凄まじい速度だね。それだけの速度があるなら中途半端な策など全て無意味だろうね」

 

「で、その対策が足を土で縛り付けて動き自体を封じる、ゆうわけか」

 

「参ったね。それもばれちゃっているとは」

 

 魔法の発動直前に右に飛んで、効果範囲から逃れる。今回は余裕で回避をすることができたが、それは必ず何か仕掛けてくると確信して警戒していたからだ。もしも意識をしていないときだったら、同じようにはいかないだろう。

 

「けど、足を縛り付けられるとかなわんから、少しばかり対策させてもらおか」

 

 市丸は霊子を固めた足場の上に立つ。霊子のことを知らない現世の人間には、空に浮かんでいるように見えるはずだ。思った通り、八雲は驚きに目を見張っている。

 

「さて、次は他の忍術を見せてもらおか。破道の四、白雷」

 

 速度は加減をしておいたが、威力はそのままの鬼道を八雲に向かって放つ。市丸の指先から放たれた一条の雷光は八雲の胸を貫いて石畳に穴を空ける。

 

「へえ、それが幻術ゆうものか」

 

 雷撃に撃ち抜かれたはずの八雲の姿が掻き消える。代わりに市丸の右側に無傷の八雲が現れた。

 

「けど、今の隙に攻撃をせんといて良かったん?」

 

「攻撃しても、君、避けたでしょ」

 

 八雲の推測は正しい。弟子の実力も考慮して、市丸は白雷を放った。それを避けるそぶりを見せなかったという時点で周囲への警戒を怠らなかった。だから、八雲が右側にいることにも気づいていた。

 

「折角、ボクが手の内を三つも見せたのに、今の術だけしか見せてくれへんってのは酷いんとちゃいます?」

 

 市丸は瞬歩、霊子を足場にした空中停止、白雷と全て死神独自の戦闘法を披露した。対して八雲の使ったもののうち、土を使った拘束はおそらく普通の古式魔法で、今の回避術のみが八雲独自のものと見た。

 

「君、三つくらい見せても問題ないくらい手段を持ってるでしょ。僕の場合はそんなに手札に余裕はないんだよ。けど、そうだね、もう一つだけ見せてあげよう」

 

 そう言った八雲がわざとらしく手で何らかの印を結ぶ。手の方は意識を逸らすための囮で本命は何らかの古式魔法。警戒する市丸の視界が、ほんの少しだけ歪む。その瞬間、市丸は目を閉じると、大きく後方へ飛び退った。

 

「あれ、これも無効化しちゃうの?」

 

「似たような攻撃を使ってくる相手を知っててん。対策もさせてもらっとるよ」

 

 あの人の前の五番隊隊長の斬魄刀の能力は前後左右に上下の反転。ただ導入に嗅覚を用いるために、それを避けられれば幻覚にかからずに済む。そのとき考えた対策に従い、視界に異常を感じた時点で効果範囲外に逃れることを試みた。幸い、効果範囲は狭かったようで、対策は奏功した。

 

「今回はここまでにしてくれないかな」

 

「そやね」

 

 ひとまず、いくつかの忍術を見ることができ、国と敵対関係となることも避けることができた。まずまずの成果を得て、市丸は九重寺を後にした。



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剣道部の新入部員

 色々と特殊なところのある魔法科高校だが、基本的な制度は普通の高校と変わらない。

 

 第一高校にも、クラブ活動はある。

 

 正規の部活動として学校に認められる為には、ある程度の人員と実績が必要となる点も同じだ。

 

 ただ、内容は魔法と密接な関わりを持つ魔法科高校ならではのクラブ活動の方が多い。

 

 けれど、けして魔法を使用しないクラブ活動が存在しないわけではない。

 

 第一高校二年の壬生沙耶香は、そんな非魔法競技系のクラブである剣道部に所属する生徒だ。その沙耶香は今日、剣道部男子部主将、司甲に呼ばれて部室を訪れていた。

 

「壬生か……今日、新入生が入部届を出してきた」

 

 挨拶をして腰かけたところで甲はそう言ってきた。

 

「早いですね。中学で強かった生徒ですか?」

 

「いや、中学での実績は全く聞いたことがない」

 

「高校で急に興味を持った、とかですか? 珍しいですね」

 

「珍しいのは入部届が早かったことじゃない。入部届を出してきた生徒が、今年の次席合格者だったんだ」

 

「次席合格者が剣道部ですか? なんでそんな……いや、ちょっと待ってください」

 

 次席合格者ということは当然ながら一科生だ。一科生は同じ剣を扱う部活でも魔法系競技である剣術部に入る。基本的に魔法技能に誇りを持つ一科生は、せっかくの魔法力を生かせない剣道部に入ることはない。けれど、そこまで考えたところで今年の次席合格者について流れている噂を思い出した。

 

「今年の次席合格者の市丸ギンといえば、違法な魔法行使に晒された二科生を守るために同じ一科生の腕を斬り落としたという人ですね」

 

「壬生、そんな綺麗な話ではない。市丸は他の一科生に、同じ一科生といえど自分との間には大きな差がある。それなのに対等であるかのように振る舞うな、と言ったようだ。結局、本質としては一科生ということだ」

 

 甲から話を聞いて、紗耶香は酷く落胆した。最初に話を聞いたときは、一科だとか二科だとかにこだわらず正しいことをしてくれる人物と期待したのだが、市丸も所詮は魔法を至上と考える一科生の一人に過ぎなかったということだ。

 

「あれ? けど、それならどうして剣道部なんですか?」

 

「それは壬生と同じく疑問に思った。ひょっとしたら剣道部と剣術部の違いを理解していないのかもと考えて両部の違いを詳しく説明をしたが、剣道部への入部希望で間違いないということだった。入部を拒否することはできないから、入部自体は認めざるをえないが、壬生の方でも市丸の狙いについては、それとなく探ってくれないか?」

 

「考えたくはないですけど、剣道部を乗っ取るつもりかもしれませんからね」

 

 一人で剣術部を我が物にすることは難しいが、二科生ばかりの剣道部なら自分の好きにできると考えてもおかしくはない。用心はしておくべきだろう。

 

「ところで、今日の第二小体育館で行われる演武に市丸君は出すんですか?」

 

「まだ実力も何もわかったものでない一年生を出すわけはないだろう。まあ、頭数は多く見せる方がいいから、適当に防具だけ付けて座らせておこう」

 

「そうですね」

 

 市丸は中学での競技経験はなさそうだと言っていた。そんな素人を演武に出しては剣道部のレベルが低いと勘違いされるだけだ。

 

「さて、そろそろ時間だな。壬生、演武の方は頼んだぞ」

 

「わかりました」

 

 今日から始まる一週間の新入部員勧誘週間。その大事な初日に剣道部は新入生に向けてのデモンストレーションの演武を披露する。紗耶香も剣道部の主力であるので当然参加だ。まずは、ここで一人でも多くの有望な部員を獲得する。それが、部全体の実力を底上げする近道になるはずだ。

 

 気合を入れ直した紗耶香は、通称で「闘技場」と呼ばれている第二小体育館に移動した。予定通り市丸は防具を付けて隅に座らせ、紗耶香は剣道部の皆と演武を開始した。

 

 今日の演武はあくまで模範試合だ。互いにどのように動くかは打ち合わせておいて、あくまで見栄えを意識した技で一本を取る。と、そこで観戦エリアの下から声が響いた。

 

「殺陣を披露したいだけなら、闘技場でなく別の場所でやったらどうだ」

 

 声の方を見ると、剣術部の二年、桐原武明がいた。

 

「どういう意味?」

 

「どうもこうもないだろ。こんな演劇ごっこは武道じゃないって言ってるんだ。武道だと言うのなら、それ相応のものを見せてみろよ」

 

「これから見せるところだ」

 

 そう反論したのは剣道部の三年生の作田だ。それに対して桐原が獰猛な笑みを見せた。

 

「そうか、だったら見せてもらいたいものだな。ほら、遠慮なく打ってこいよ」

 

 無造作に右手に竹刀を握り、寄ってくる桐原に向けて作田が竹刀を振り下ろした。しかし、桐原は難なく作田の竹刀を払い、逆に作田の面に強烈な一撃を加える。作田は意識が飛んだようで、仰向けに倒れた。

 

「剣術部の順番まで、まだ一時間以上あるわよ、桐原君! どうしてそれまで待てないの?」

 

「心外だな、壬生。あんな未熟者相手じゃ、新入生に剣道部随一の実力が披露できないだろうから、協力してやろうって言ってんだぜ?」

 

「そないなこと必要ないこともわからんとは、ほんまに君らはしょうもないなァ」

 

 そこで横から声が入ってきた。妙なイントネーションのその声の主は防具を付けて座らせていた市丸だった。

 

「どういう意味だ?」

 

「実力を披露するため協力? そないな腕で何を協力するんや。ボクが足で竹刀持った方がましや」

 

「何だと」

 

「あれ、まだわからんの? 君程度では出る幕はない、言うとるんやけど」

 

「ちょっと、市丸君! 勝手に入ってこないで!」

 

 紗耶香が市丸の名を呼んだことで会場にざわめきが広がった。今までは面をつけていたこともあって市丸だと気づかれてなかったのだ。

 

「お前が市丸か、随分と傲岸不遜な奴みたいだな」

 

「傲岸不遜て、ボクはただ事実を言うとるだけなんやけどな」

 

「一年の中で上位だからって、あまり調子に乗るなよ」

 

「調子になんか乗っ取らんよ。ボクはただ実力を正確に評しとるだけや」

 

 感情を露わにする桐原と、淡々と挑発をする市丸。そして、ついに桐原が切れた。

 

「いいだろう。だったら、その実力を見せてみろ!」

 

「ええん? ボク、手加減はできひんで」

 

「必要ない。勝つのは俺だからな。見せてやるよ。身体能力の限界を超えた次元で競い合う、剣術の剣技をな!」

 

 言い終わると同時に、桐原が市丸の頭部目掛けて、竹刀を振り下ろす。けれど桐原の竹刀が打ったのは板床だけだった。

 

「いやー、この防具ってのは重うてかなわんわ。脱がせてもらうで」

 

 その言葉は、桐原の背中側から発されたものだ。市丸はすり抜けるように桐原の一撃を躱して、そのまま後ろから外した面を桐原の頭に乗せた。

 

「何……だと……」

 

 桐原の驚愕は当然のものだ。桐原は手を抜いた一撃を放ったわけではない。市丸が面をつけていたこともあり、遠慮なしの全力の一撃だった。それを躱しただけでなく、一瞬のうちに桐原の背中側に回り、あろうことか面を外して桐原に被せるまでを行った。

 

「速すぎる」

 

 桐原は一昨年の関東剣術大会中等部の優勝者。同年代ではトップクラスの実力者だ。市丸はその桐原を、完全に子ども扱いしている。その実力に紗耶香は震撼した。

 

「そろそろボクも打たせてもらお、思うてるんやけど、その防具、つけんでええん?」

 

「ふざけ……」

 

 振り返りざま、桐原が竹刀を振るおうとした。けれど、市丸の方が早い。市丸の一撃は見事に桐原の面を強かに打ち付けた。次の瞬間、付けさせられていた桐原の面金が割れ、額から血が噴き出す。桐原が膝から崩れ落ちるように前のめりに倒れる。

 

「誰か、早く治療を!」

 

 周囲で桐原の戦いを観戦していた剣術部員たちが紗耶香のあげた声を機に、一斉に動き出す。こうして、剣道部の演武は騒然とした雰囲気の中でなし崩し的に終了となった。



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司波達也の風紀委員活動

 新入部員勧誘週間四日目、達也は今日も走り回っていた。

 

 勧誘活動でごった返す校庭を回避して、通報を受けたトラブル現場へと駆けていく。

 

 その途中、校庭の、テントが林立するエリアとは反対側、植木の陰で、魔法が自分に向けて放たれようとしている兆候を達也は察知した。

 

 達也自身に干渉するのでなく、足元の地面に干渉する魔法のようだ。

 

 もはや慣れてしまうくらい、達也はこの手の嫌がらせを頻繁に受けていた。

 

 仕事なので仕方ないのだが、風紀委員として達也が取り締まりを行えば行うほど、嫌がらせの回数は増していく。

 

 一年生の、しかも二科生が取り締まりを行い、更に反発する者は一科生であろうと実力でねじ伏せて摘発するのだから、中途半端な魔法選民主義に染まった者たちを怒り狂わせてしまったのだろう。

 

 逆恨みにもなっていない、理不尽に向けられる怒りからくる、的外れな報復行為。

 

 それを達也は慌てず事務的に、魔法の種類に合わせた妨害を行い、無効化した。

 

 これまで達也は今回のような嫌がらせを実害がないからと放置していた。その結果、魔法による嫌がらせはエスカレートしている。今までは風紀委員としての仕事があって後回しにしていたが、そろそろ自衛権の行使を優先してもいい頃だろう。

 

 そう考えた達也は相手を追うために急カーブを切った。

 

 しかし、相手も然る者だった。達也がターンしたと同時に、植木の陰から肉体のみでは不可能な速度で逃げ出した。おそらく、移動魔法と慣性中和魔法の併用による高速走行の魔法を前もって準備していたのだろう。あの速度だと普通なら足の動きがついて行かずに転んでしまうのがオチだが、この犯人は身体の方もかなり鍛え込んでいるようだ。

 

 短時間で捕捉するのは難しい、達也はそう判断して、追跡を中断した。

 

「ええん? 追わんで」

 

 その直後、上から声が降ってきた。直後、隣に市丸が音もなく着地する。どうやら校舎から跳躍の魔法で飛んできたようだ。

 

「相手もなかなかの腕だ。短時間で捕らえるのは難しい。それは上から見てた市丸の方がわかっているんじゃないか?」

 

「短時間でなければ可能なんやろ。だったら捕らえればええやん」

 

「風紀委員の仕事を放りだすわけにもいかないだろう」

 

「放り出すわけちゃうやろ。今のは明らかな対人攻撃や。それを取り締まるのも風紀委員の仕事や」

 

 言われてみればその通りではあるのだが、達也はこれまで自分のことに関しては常に優先順を劣後させてきた。そのせいで攻撃を受けた時点で対処するという考えには、なかなか行きつかない。

 

「アドバイスは受け取っておく。今度からはしっかり取り締まりをさせてもらおう。ということで、そろそろいいか?」

 

「んー、折角やから、少し同行させてもらおかな。君もなかなか苦労してそうやし」

 

「お前が来ると、苦労が増えそうだ。是非とも遠慮したい」

 

「ボクが無暗に傷つけて回っとるわけやないことは知っとるやろ。それ、暗に君が攻撃される可能性があると認めとらん?」

 

 否定はできなかった。実際に巡回中の達也が近づくのを待って、わざと騒ぎを起こして達也が仲裁に入ったところで、誤爆に見せ掛けた魔法攻撃を浴びせてくることがあった。

 

 どうやら自分が狙われているらしいということは分かったが、裏で結託している証拠が見つかるまでは手の打ちようがないし、証拠が見つかる頃には勧誘週間が終わっている。

 

「こういう場合はボクに任せとき」

 

 妙な自信があるようだし、断ってもついてきそうだ。そのため、仕方なく同行を許可したのだが、これが大きな失敗だった。

 

「喧嘩両成敗や」

 

 市丸はそう言って争っている両者に対して遠慮なく魔法攻撃を仕掛けたのだ。

 

「おい、市丸、いくら何でも事情も聞かずにいきなり攻撃はないだろう!」

 

「えー、そんなの制裁を加えた後でええやん」

 

「一方的に絡まれていただけだったらどうするんだ?」

 

「そないなこと、外から見ただけでわかるやろ。双方、抗戦の意志が見えた時点で学内での騒乱行為で制裁対象や。それより、ええん? 放っておいて」

 

「誰のせいだと思ってる!」

 

 達也は市丸によって負傷させられた二人を抱えて保健室へと向かった。そして、その後は部活連本部に報告に行くことになった。

 

「それで、どういう顛末でこうなった?」

 

 聞いてきたのは、部活連会頭の十文字克人。七草と同様、ナンバーズの名門、十文字家の惣領だ。

 

 分厚い胸板と広い肩幅、制服越しでも分かる、くっきりと隆起した筋肉。一言で言えば、巌のような人だ。

 

「顛末と言われましても、マーシャル・マジック・アーツ部とボクシング部がもみ合いをしているのを確認した瞬間、市丸が雷撃を飛ばす魔法を使って二人とも倒しました」

 

 そもそも仲裁を行わないというのは、これまで達也が受けてきた仲裁中の誤爆に見せ掛けた攻撃への対策としては有効だ。だが、有効ではあるが、正当な対策ではない。

 

 達也が証拠がないから手を打てないと考えた。おそらく、達也の方が正当な考え方だ。

 

 一方の市丸は疑わしきには対処するという真逆の考えだ。相手を完全に犯罪者と考えての対処は、同じ学校の生徒に向けての対応ではない。

 

 そう考えて、思わず自嘲の笑みを浮かべる。どちらかといえば、達也の方も真っ当な高校生ではない。まさか自分が常識人のような振る舞いをせねばならないほど非常識な人間に出会うとは思ってもみなかった。

 

「あまりにも非常識すぎて、まるで擁護ができんな。やはり市丸に風紀委員は無理だな」

 

 そう言ったのは、報告の場に同席している摩利だ。

 

「一応、擁護をするならば、今回の両部の争いには若干、不自然な部分がありました。共にそれなりの部員を抱える部でありながら、なぜか二人だけであまり新入生が通らないような場所でもみ合いをしていました。それに俺たちの姿が確認できる距離に入ってから、急にもみ合いが始まったようにも感じました。加えて、昨日から俺を狙ったと思われる魔法攻撃が何回かありました。総合的に見れば、疑わしいのは確かです」

 

 無法者を擁護するようで癪な部分はある。だが、今回のような対処を何度か行えば、おそらく達也への攻撃は止むことだろう。その意味では有効とも言える。もっとも、二科生の達也がそんなことを行えば、より強い反発を招き、校内が無法地帯化する可能性が高い。その意味では市丸が代わって対処してくれたのは助かった面もある。

 

「二人の怪我の状態は?」

 

「一応、対象を麻痺させることを重視した魔法だったようで、治療後はそのまま帰宅可能な程度でした」

 

「森崎のときのような大事にはならなかったということか」

 

 摩利があからさまにほっとしたように言った。風紀委員長としても市丸により負傷させられる生徒の存在は頭の痛い問題なのだろう。

 

 森崎のときには学内では治療しきれない程の大怪我となったが、その後の桐原や今回の一件では学内で対処可能な範囲にとどめている。市丸も一応は配慮をしているということだろう。少しなりとも配慮ができるなら、もう少し踏み込んで配慮をしてほしいところだが、あの市丸がそれを受け入れてくれるかは難しいところだ。

 

「それで、市丸に何らかの罰を下すか?」

 

 克人の質問に摩利が少しばかり考え込んだ。

 

「これまでも風紀委員が違反者を魔法で制圧したことはあった。今回の市丸は風紀委員ではないが、風紀委員とともに行動し、風紀委員の仕事を補佐したと考えらえないこともない。それに、これまで怪我がなかったからよいものの、風紀委員への故意の攻撃は何らかの対処が必要だとは考えていた。総合的に考えて、風紀委員会としては、今回の件は懲罰委員会に持ち込みたくはないと考えている」

 

「部活連もその考えに異論はない」

 

 どうやら今回も市丸は特に罰せられることはないようだ。達也自身、それに一役買ったわけだが、本当にこれでよかったのだろうか。

 

 帰宅してからも、しばし達也は考え込んでしまった。



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第一高校を蝕む者

「んー、あれ、どうしたもんやろね」

 

 校舎の屋上の更に上、出入口の屋根の上で市丸は一人ごちていた。

 

 眼下に見えるのは同じクラスの明智英美と、司波深雪の同級生の北山雫と光井ほのかの三人だ。三人は男子剣道部の主将の司甲を追っている。

 

 司甲は第一高校の在り方を歪ませている存在として市丸が目をつけた人物だ。違和感は第一高校に入学してすぐに感じ取った。魔法師というものは、卒業後には軍や警察という治安維持の最前線に立つことも多い者たちだ。その魔法師たちが高校生という大事な時期に変な選民思想を持つことを非魔法師が多い政治家たちが是とすることは、ありえない。中央四十六室が死神の上にあることは実力重視の尸魂界でさえ、徹底されていた。

 

 となると、考えられるのは学園として是としているのではなく、学園は手をこまねいているということ。それは何者かの関与がなければありえない。

 

 そして、森崎との一件を経て市丸は司甲にたどり着いた。普通の生徒は市丸を遠巻きにし、近づかないようにしていた。例外は、教職員、生徒会や風紀委員などといった職務上、市丸の監視を必要としていた者たち。その中で、司甲が自分を監視しているのは、あまりにも異質だった。あれでは、自分がよからぬことに関係していると申告しているようなものだ。

 

「実際に現場に近い場面を見たゆう違いはあるとはいえ、あの人に比べれば雑もええとこやったなァ」

 

 もっとも、司甲たちの企みも学校側に発覚していない。藍染が異常に仮面を被るのが上手であっただけで、今の時点でも高校生にしては十分に及第点なのかもしれない。

 

 いずれにせよ、今回は市丸は司甲たちの敵に回ると決めている。組織の内部で信奉者を作り出し、いずれ内より食い破る。そのやり口は巧拙には随分と差があるとはいえ、市丸の宿敵の行動と同様だ。はっきり言って虫唾が走る。

 

「それはそれとして、そないなことせんでもええでって言うたところで、あの様子だと聞くかどうかわからんしなぁ」

 

 三人組が掴みかけているのは、司波達也への魔法攻撃の犯人としての司甲までだ。それ以上があるとは思ってもいないだろう。だったら、それ以上を伝えればどうだろうと思わなくもないが、一端であれ手の内を晒すことになりかねないので躊躇われるところだ。

 

 司甲は三人の追跡に気付いていて誘い込む動きを見せている。だが、その後を追尾する市丸のことは気付いていないようだ。

 

「まあ、ええか。一度、危ない目に遭うた方が今後、緊張感を持ってもらえるやろし」

 

 素人であるので仕方ないことかもしれないが、三人は自分たちが罠に嵌められているという可能性に対する危機感が薄い。しかし、口で説明しても理解をしてもらうのは難しい。それなら、いっそ危ない目に会ってもらうというのも手だろう。

 

 司甲の手下と思われる者たちはすべて非魔法師だ。市丸ならばどのような手を使ってこようと対処は容易い。しかし、それは非魔法師が一科生の中でも魔法力ならば上位の三人に危害を加えようとしているということでもある。

 

「不意打ちの可能性もあるけど、それやと三人同時に無力化は難しい。まあ、誰か一人でも即死させられたら動揺で魔法が撃てんくなる可能性はあるけど、それよかアンティナイトやろね」

 

 アンティナイトは簡単に言えば魔法式による情報改変を妨害するノイズを発生させることができる物質だ。魔法を封じられれば三人はただの少女に過ぎない。

 

 それからほどなく、バイクに乗った男たちが目の前に立ちはだかったことで、ようやく三人も誘い込まれていたことに気付いたようだ。三人はすぐに男たちを魔法で足止めして逃走の態勢に入る。

 

「即座に戦闘不能に追い込んどいたら良かったんやけど、これでも及第点なんやろね」

 

 三人は成績優秀とはいえ、ただの高校生なのだ。少し加減を間違えれば死亡したり後遺症が残ったりするほどの魔法攻撃が行えなくとも無理はない。そして、市丸の懸念は的中した。男たちの一人が付けていた指輪から不快なノイズが走り、三人の魔法の効果が失われた。

 

 市丸にはアンティナイトのキャストジャミングは、ほとんど効果がない。現代魔法が封じられるのは市丸も同じ。しかし、死神の技能には全く影響がないためだ。ノイズなどは霊圧で防御すれば問題ない。

 

 けれど、ただの魔法師である三人はそうもいかない。強烈なノイズに蝕まれて走ることすらできずにいる。勝ち誇った様子で男たちが三人に近づいていく。

 

 そろそろ潮時だろう。市丸は瞬歩で三人と男たちの間に割って入る。

 

「な……なんだ、お前は!?」

 

 言い終わらぬうちに、アンティナイトをはめ込んだ指輪を付けていた男の腕が宙を舞う。それで三人の足を止めていたノイズも消え失せた。

 

「市丸くん……」

 

「行き、ここは君らのおるべきところやない。ああ、警察には連絡せんといてええよ。後はこちらで受け持ったる」

 

 それ以上、何も伝えずとも三人は、司甲の一件は自分たちの手に負える事件ではないことを悟ったようだ。少しだけ市丸の様子を気に掛けながら走り去る。

 

 標的だった女子生徒が逃げようとしていても、男たちは動かない。否、動けない。

 

 最初に腕を斬り飛ばされた男は女子三人の死角になるように巧妙に隠されながら、既に市丸の斬魄刀で心臓を貫かれている。仲間の背から刃が生える瞬間を、すでに男たちは目撃していた。何事もなかったかのように少女たちと会話をしながら、人の命を奪う目の前の男に対して戦慄を抱いているのは明らかだった。

 

「さて、誰に頼まれたかは、聞くまでもあらへんな。じゃあ、もうええか」

 

 尋問という手もあるが、こちらは市丸の専門外。それに男たちに聞かずとも情報は司甲から得ればよい。となれば、この男たちは不要。

 

 幸いなことに司甲は三人を害するために、この場を用意した。つまり、ここは街中に張り巡らされている監視カメラの死角ということだ。市丸は即座に三人の首を切り落とす。

 

「破道の五十四、廃炎」

 

 そして、切り落とした首と残った体を纏めて鬼道にて焼き払う。欠片すら残さず燃え尽きた体からでは、市丸を追うことは不可能ななずだ。

 

「それで、いつまでそうしとるつもりなん?」

 

 市丸の呼びかけに、街路の角の先で動揺する気配がした。

 

「見とったと思うけど、お友達なら無事やで」

 

 そこまで言うと、角から司波深雪が姿を現した。

 

「君、キャストジャミングを防げたんやね。それならボクが出えへんでも良かったなァ」

 

 てっきり司波深雪もキャストジャミングの影響は受けるものと思っていた。だから確認をせずに飛び出したが、一人を葬ったところで確認して、司波深雪が驚異的な事象干渉力でキャストジャミングすら無効化していたことに気付いた。

 

 けれど、すでに一人を殺害してしまった以上、方針変更は不可能だ。そのため淡々と事後処理を進めていたのだが、司波深雪はいつまで経っても立ち去ろうとしなかった。

 

「君も、やっぱり普通の子やないんやね」

 

 司波達也が戦場に生きるものに近いことには気づいていた。しかし、司波深雪はそこまで強くは、戦う者の気配は感じなかった。人間が塵になるほどに燃やし尽くされるのを見ても、まだ市丸の観察を続けるとは思っていなかった。

 

「それで、ボクのことはどうする気?」

 

「どうもしません。ほのかや雫、エイミィのことを助けていただいて、ありがとうございました」

 

「あ、そ。だったら、もう行ってくれへんかね。ボク、もう少しすることがあってん」

 

「わかりました」

 

 あまり手の内を知られ過ぎるのは好ましくない。忌避感はしっかり伝わったようで、深雪はあっさりと頷いて踵を返した。

 

「あれ、ひょっとして、あの子も何らかの処分方法を持っとった?」

 

 人体を燃やし尽くそうと思えば、現代魔法ではかなりの規模になってしまう。そのため鬼道を使用せざるをえなかったが、司波深雪も裏の顔を持つ人間ならば、何らかの処分方法を持っていたかもしれない。

 

「まあ、ええか。さて、それじゃ、本命を追わせてもらおか」

 

 第一高校の生徒の襲撃を行ったのだ。司甲はその結果を報告に向かう可能性は高い。市丸がわざわざ剣道部に入部して司甲に接近した目的の一つが司甲の霊圧をしっかりと記憶するためだった。

 

「南の心臓、北の瞳、西の指先、東の踵、風持ちて集い、雨払いて散れ」

 

 地面に紋を描きながら詠唱を行う。市丸はこの術はそれほど得意ではないので、廃炎のように詠唱を破棄しては使用ができない。

 

「縛道の五十八、掴趾追雀」

 

 地面に描かれた紋の中に司甲の現在の位置情報を示す数字が流れていく。自分の端末上に地図を立ち上げ、位置情報と照らし合わせる。

 

「へえ、なるほどね」

 

 結果を得て、市丸は蛇のような笑みを浮かべた。



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司波達也との会談

 明智英美、北山雫、光井ほのかの三名を襲った男たちを始末した翌日、市丸は九重八雲の本拠である九重寺にいた。市丸が九重寺を訪れたのは、昨日の件でと前置きされて司波達也から呼び出しを受けたためだ。市丸が到着したとき、すでに達也は九重寺で待っていた。

 

「待たせてしもうた?」

 

「いや、気にするほどではない。それより中に入ろう」

 

 深雪は昨日、市丸が男たちを殺害したことを知っている。そのことは当然、兄の達也の耳にも入れたことだろう。そのような内容であれば、当然ながら話せる場所は限られる。加えて言うならば、達也としてはいかに秘密は守られるとしても、自宅に招き入れるつもりはないということだろう。

 

「それにしても、昨日は随分と派手にやったみたいだな」

 

「えー、誰にも知られんように処理したんやし、派手とは違うんちゃう?」

 

「誰にも知られなければ派手でないという意見は新鮮だな。まあ、いい。市丸は光井さんや北山さんを襲った相手について、想像はついているのか?」

 

「剣道部の司甲が関わっとるのは知っとるよ。それ以上はよくわからんなぁ」

 

 本当は司甲の裏にいる人物の拠点も知っているのだが、それは言わずにおく。

 

「そういうことなら伝えておく」

 

 そう前置きして達也が伝えてきたのは、今回の一件の裏に反魔法組織の中でも最も先鋭的な活動を行っている国際政治団体「ブランシュ」と、その下部組織である「エガリテ」がいるということだった。

 

 

「市丸、お前が強いことはよく知っている。しかし、お前はどこの組織にも属していないはずだ。これ以上、首を突っ込むことは止めておけ」

 

「なんや自分にはでかい後ろ盾があるような言い方やね」

 

 そう言うと、達也が黙り込んだ。

 

「心配せんでも。君らの事情に立ち入るつもりはあらへんよ。けど、事が起こるようなら、相手が誰であろうと、ボクは黙って傍観をしとくつもりはないで」

 

 今はそのときではないと、犠牲に目を瞑り、我慢に我慢を重ねて結局は失敗する。そのような苦汁を二度も舐めるつもりはない。

 

「……市丸、念のため聞いておくが、ブランシュについて、どの程度まで知っている?」

 

「どの程度と言われても、国際政治団体なんか詳しく知らへんわ」

 

「ブランシュは市民運動と自称しているが、裏では立派なテロリストだ。繰り返しになるが、お前一人で対処は難しい。この件はすでに七草会長たちの耳にも入っている。だから、あまり無茶はするな」

 

「確かにボクだと、襲ってくる奴は全滅させられるけど、後始末は出来へんな」

 

 今の市丸には組織としての力はない。後先を考えないなら、大抵のことはできると思うが、その後は逃亡生活となるのでは堪らない。手の届く範囲、多少の労力の範囲までなら、周囲を助けることはやぶさかではないが、自己犠牲まで伴うつもりはない。

 

「それで、ボクにどうせい言うの?」

 

「それほど多くを要求するつもりはない。今はまだ司甲の排除などの派手な動きはしないでほしいということだけだ」

 

「へえ、えらい慎重やね。ブランシュてゆうのはそない大きな組織なん?」

 

「ブランシュ自体も厄介だが、それより大きな問題なのは下部組織に当たるエガリテに多くの第一高校の生徒が参加していることだ。派手な行動で事が公になると、第一高校もただでは済まない」

 

 ブランシュは反魔法組織と達也は説明したはずだ。その組織に魔法師である第一高校の生徒が多く参加しているというのは、どういうことだろうか。

 

「それはブランシュがスローガンとして魔法による社会的差別の撤廃を掲げているからだ。それ自体は、文句のつけようもなく、正しいだろう?」

 

 市丸は特に質問などしていないのだが、理解しきっていないことを読み取ったのか、達也が積極的に解説してくれる。

 

「社会的差別ってゆうのが、ようわからんな。魔法に高い適正があるっちゅうことは、戦士として優秀ゆうことやろ。優秀な戦士に守られとるから力のない者でも生活できるんやないん。優秀な魔法師が非魔法師より価値が高いことは疑いようもないことやろ」

 

「お前も魔法師を兵器と考えている側だったか……。いや、それより力がなければ生きていけないかのような言い草だが、お前はどんな無法地帯で育ったんだ?」

 

 現世に転生してから十六年弱。だいぶ現世にも馴染んだと思っていたが、どうやら根本の部分では尸魂界の価値観が残っているらしい。けれど、それは仕方のないことだろう。

 

 市丸が尸魂界で暮らした年月は百年を軽く超える。それに、現世も達也たちが感じているほど平穏な世界でないことも、市丸は知っている。

 

 少し前から感じていた虚の気配。一体の整が虚に見つかった。この地を守る死神はまだ到着していない。逃げきれずに、一体の整が食われてしまった。まだ満足しないのか虚は次の獲物を捜している。近くにいた二体目の整も危ない。しかし、そこで死神が到着。

 

 虚は無事に打ち倒された。ついでに虚に狙われていた整も魂葬されたようだ。

 

「市丸、どうした急に」

 

「ん……少し気になることがあったんやけど。もう片付いたみたいやわ。続けよか」

 

 現世への転生を果たしても尸魂界時代の能力を受けついでいた市丸は、当然ながら虚を感じる力も持っている。市丸が死したときから百年近くが過ぎたとはいえ、虚が消えることなどあるはずもなく、今も時折、虚は現世に現れている。

 

 虚の発生地点が極めて近距離で、霊圧を相当に抑えた状態でも即座に消滅させられる程度であれば市丸自身が対処を行うこともあるが、基本的には死神に任せている。寿命が極めて長い死神にとって、市丸が亡くなったのは、一昔前という程度だ。市丸が当時の力を有した状態で現世で生きていると知られるのは拙いのだ。

 

「で、何で魔法による社会的差別の撤廃が賛同を得られてん?」

 

「表向きは政治結社であるブランシュは、魔法師とそうでないサラリーマンの所得水準の差を、魔法師が優遇されている証拠と主張している。魔法師であれば無条件で裕福であるかのように喧伝して、非魔法師の不平等感を煽っているんだ」

 

「それなら魔法師である第一高校の生徒には活動に加担する意味はないんちゃう?」

 

「魔法を使えない人たちは、自分たちがどんなに努力しても身につけられない魔法で、高い地位を得るのは不公平だと考える。それと同様に、魔法を使えはするけれども、その才能に劣った生徒が、豊かな才能を持つ生徒に対して、自分がこんなに努力しているのに追いつけないのはおかしい、自分の方が下に見られるのはおかしい……そう考えても不思議はないと思わないか?」

 

 そう言われても、市丸としては甘えとしか思えない。これは、おそらく見えている景色が異なることが原因だ。

 

「それなら、ええ方法があるで」

 

「ん? 何の話だ?」

 

「弱い者が強者に守られとるゆう実感を得させる方法や」

 

「何となくわかったが、却下だ」

 

 弱者が強者に守られているという実感を得るのに最適な方法。それは実戦だ。

 

 自らが命の危険を感じる場面であれば、強者に対して嫉妬より崇敬の念を抱く。手っ取り早く、どこかの戦地に放り込めば歪んだ考えなど消え失せることだろう。

 

「それに、魔法師であるならば、荒業で考えを変えることもできるかもしれないが、それを一般にまで広げることは無理だ」

 

「一般の民間人を戦場に投入なんてこと、逆に反発を受けるやろしね。で、本当に今回の件で十師族は動くん?」

 

「魔法否定派は、この国で魔法を廃れさせることを目的としている。それ故に、テロという非道も辞さない。この国の力が損なわれて、利益を得るのは誰だと思う?」

 

「そういうことなら、十師族も放置しておけんな。じゃあ、ボクは彼らに任せるゆうことでええんやね」

 

 もしも十師族が動くなら、市丸としては目的の半分くらいは達したことになる。今回はそれでも十分だ。

 

「いや、十師族が動くといっても、学内では難しい。市丸の力も借りると思う」

 

 大事になるのを防ごうと思えば、学内の騒ぎは教職員と学生で抑える必要がある。そうなると手は不足する。

 

「ええで、必要なときは声かけ」

 

 そう約束をして、市丸は達也との会談を終えた。



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放送室占拠事件

 市丸に釘を刺してから一週間ほどが過ぎた。

 

 この間、司波達也は平穏な高校生活を取り戻していた。これは勧誘週間が終わったこともあるが、市丸を警戒して司甲が動きを控えるようになったことが大きい。けれど、それが束の間の平穏であることは達也もわかっていた。

 

 そして、今日、それは破られることになった。

 

『全校生徒の皆さん!』

 

 それは授業が終わった直後、放課後の冒頭にスピーカーから飛び出した大音声だった。

 

『僕たちは、学内の差別撤廃を目指す有志同盟です』

 

 その声が聞こえてきた瞬間、達也は一年B組へと走り出した。その間も放送は続く。

 

『僕たちは生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します』

 

 そして、その直後に内ポケットの携帯端末にメールの着信があった。メールは会長からで放送室前に行くようにとある。それを半ば無視して達也は深雪に電話をかける。

 

「深雪、B組に市丸はいるか?」

 

「市丸さんですか? 見てきます」

 

 自分たちで対処すると市丸をなだめて、結局は先手を取られた。生徒会としては確かな証拠がないと動けない面はあるので止むをえない面はあるが、今回は放送室を不正利用していることは間違いない。

 

「お兄様、市丸さんは教室にいません」

 

 深雪の報告を聞いて、目的地を達也は放送室に変更した。その途中、上空に影がさした。見上げると、市丸だった。

 

「市丸、少し待て!」

 

 跳躍を使って飛び上がりながら、呼びかける。

 

「君、こんなところにおったんやね。今回のことは読み通りってわけやないんやろ」

 

「ああ、放送室を占拠しての演説は考慮されていなかった」

 

「良かったやん、この程度で。もっと酷い手段に出てきとったら、どないしたん?」

 

「俺たちの動きが遅いのは確かだ。けれど、会長だって無策でいたわけじゃない」

 

「そないなことはわかっとるよ。組織が大きうなると、どうしても意思統一を図るのは難しくなる。それに、権力のある側が安易に粛清をやると却って分裂を招くだけや。けど、そういうことを避けるために君がおるんとちゃうん?」

 

 表立っての行動を行うには、時間と手間が必要となる。そのような悠長な手段では守るべきものが守れないときのために裏の組織というものがある。どうやら市丸は達也のことを、そのような立場の人間だと誤解しているらしい。

 

「市丸、言っていることはわからなくもないが、ここは学校だぞ。そんな組織なんか、あるわけないだろ」

 

「学校ゆうても、魔法師を育成する学校やろ? 怪しい奴が入らんように国軍がしっかりと見張っとかんとあかんのとちゃうん?」

 

 危険な思想を持つ者に戦闘力にも繋がる魔法の教育を行うのは危険だと市丸は考えているようだ。確かにそれも一理あるとは思うが、それを自分に言われても困る。

 

「ともかく、起こってしまったことは仕方がない。幸いなことに、要求は生徒会と部活連に対しての交渉だ。受け入れたとしても、さほど問題ない」

 

「それで、受け入れた後はどうするん?」

 

「それを相談するためにも、まずは放送室前に行こう。そこに七草会長もいる」

 

 その提案を市丸は拒否をしなかった。ひとまず流血の事態を回避して、ほっと息を吐く。しかし、そもそもなぜ自分がこのような面倒を引き受けなければならないのだろうか。そう考えると、理不尽という思いが消えない。

 

 放送室前には、既に深雪、摩利と克人、生徒会会計の市原鈴音、そして風紀委員会と部活連の実行部隊が顔を揃えていた。

 

「遅いぞ」

 

「すみません」

 

 ポーズだけの叱責に、ポーズだけの謝罪を返す。普段ならば、この遣り取りに何の思いも抱かなかったことだろう。だが、直前まで市丸の説得に骨を折っていただけに、釈然としないものが残る。

 

 とりあえず苦い思いを飲み込んで現状確認をする。すると、立てこもっている犯人は何らかの手段で、鍵をマスターキーごと手に入れているらしいとわかった。

 

「明らかな犯罪行為じゃないか」

 

 これで市丸は中の人物に強硬手段を取る大義名分を得たことにはならないだろうか。

 

「そのとおりです。だから私たちも、これ以上、彼らを暴発させないように、慎重に対応すべきでしょう」

 

 達也のセリフは全くの独り言だったが、鈴音はそう取らなかったようだ。けれど、今は慎重意見は援護射撃としてありがたい発言だ。

 

「こちらが慎重になったからといって、それで向こうの聞き分けが良くなるかどうかは期待薄だな。多少強引でも、短時間の解決を図るべきだ」

 

 すかさず、口を挿んできた摩利の意見を聞いて、市丸がいつも浮かべている胡散臭い薄ら笑みを深めた気がした。このままでは中の人間はともかく、市丸が暴発しかねない。

 

 達也は内ポケットから携帯端末を取り出して、壬生沙耶香へと電話をかける。これは二科生ながら風紀委員を務めているということで、事前に学内の差別問題について見解を問われたときに、次の待ち合わせのためにとプライベートナンバーを交換していたものだ。まさかこのような形で役に立つとは思わなかった。

 

「壬生先輩ですか? 司波です。今はどちらに?」

 

「今は放送室にいるわ」

 

「ならば、話が早いです。十文字会頭は、交渉に応じると仰っています。生徒会長の意向は未確認ですが……いえ、生徒会長も同様です」

 

 鈴音がジェスチャーで受諾の意向を示したのを見て、達也は言い直した。

 

「ということで、交渉の場所やら日程やら形態やらについて打合せをしたいんですが。今すぐです。学校側の横槍が入らないうちに」

 

 そう伝えたところで、さすがにすぐに首を縦には振ってくれない。紗耶香は、このまま拘束されることを警戒しているようだ。

 

「先輩の自由は保障します。我々は警察ではないんで、牢屋に閉じ込めるような権限はありませんよ」

 

「わかったわ。放送室を出て、生徒会と交渉の打ち合わせに応じるわ」

 

 その言葉を聞いて、達也は通話ユニットを耳から外し、端末本体と一緒にしまい込む。

 

「中のヤツらは、すぐに出てくるそうです。早く態勢を整えましょう」

 

「態勢?」

 

 何を言っているんだ? という顔で、摩利は達也を見てくる。

 

「中のヤツらを拘束する態勢ですよ。鍵まで盗み出す連中です。CADは持ち込んでいるでしょうし、それ以外にも武器を所持しているかもしれません」

 

「……君はさっき、自由を保障するという趣旨のことを言っていた気がするのだが」

 

「俺が自由を保障したのは壬生先輩一人だけです。それに俺は、風紀委員会を代表して交渉しているなどとは一言も述べていませんよ。早く拘束の態勢を整えないと、市丸が善意の助力をしてくれることになるかもしれませんよ」

 

 そう言うと、摩利の顔つきが真剣なものになった。市丸の相手の制圧方法は有無を言わせず戦闘不能まで追い込むというものだ。死にはしないだろうが、病院の集中治療室に送られたり、治癒魔法の世話になる可能性は非常に高い。

 

 達也の脅しが利いたのか、その後、放送室を出た壬生沙耶香をはじめとした五人の制圧は非常にスムーズに行われた。幸いなことに、市丸は放送室を占拠していたメンバーに手を出すことはなかった。

 

「どういうことなの、これ! あたしたちを騙したのね!」

 

 その代わり、達也は自由を保障していたために、ただ一人、拘束を免れた紗耶香に詰め寄られることになった。

 

「司波はお前を騙してなどいない」

 

 そこに助け舟を出してくれたのは克人だった。

 

「お前たちの言い分は聞こう。交渉にも応じる。だが、お前たちの要求を聴き入れる事と、お前たちの執った手段を認める事は、別の問題だ」

 

「そうやね、悪いことをした子には、しっかりと仕置きをしとかんとね」

 

 そう気の抜けた声がしたと思った直後、ごつ、という音と猫が潰されたような悲鳴が聞こえた。見ると、紗耶香が両手で頭を抑えて蹲っている。

 

「何をしている、市丸!」

 

「何って、悪いことをした子には、拳骨と昔から決まってますやん」

 

「そんなことは決まっていない!」

 

 これは摩利の意見が正しい。今の世に限らず、だいぶ昔から体罰は禁止されている。

 

「あの……生活主任の先生と話し合ってきたんだけど……これはどういうことかしら」

 

 と、そこに教職員との話し合いをしてきた真由美がやってきた。しかし、よほど強い拳骨をもらったようで紗耶香は未だに立ちあがることができずにいる。

 

「ええと、後のことはこちらで引き取るから、達也くん、深雪さん、今日のところは市丸くんを連れて、もう帰ってもらってもいいわよ」

 

 そして、達也は一番の厄介者を連れ帰るという損な役回りを押し付けられたのだった。



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有志同盟対策

 翌日、市丸は登校してすぐに司波深雪の元を訪ねた。

 

「達也くんに連絡とってくれへん?」

 

「深雪を達也さんへのメッセンジャーに使うのは市丸くんくらいだよ」

 

 深雪の友人である北山が呆れた様子で言ってくるが、そんなことは市丸の知ったことではない。それに、深雪を経由していれば達也は市丸の呼び出しを断ることはできない。市丸の狙いどおり、深雪に呼ばれた達也は走ってきたと思われる時間でやってきた。

 

「昨日の話し合いの結果、教えてくれへん?」

 

「それは俺でなくて七草会長に聞いてほしい内容なんだが……」

 

「なんや、知らへんの?」

 

「いや、市丸が絶対に質問してくると思って、登校時に七草会長を待ち伏せして結果を聞いておいた」

 

 だったら、もったいぶらずに教えればいいと思うのだが、達也としても良いように使われるということには、思うところがあるのだろう。

 

「それで、どないなったん?」

 

「まず有志同盟側の要求だが、一科生と二科生の平等な待遇だそうだ。しかし、具体的に何をどうしてほしいのか、あまり考えていなかったようだな。具体的なことは生徒会で考えろ、という様子だったようだ」

 

「アホらし」

 

 自分たちの待遇を改善してほしいと要求したというのに、改善内容を相手に考えさせるなど、愚かしいにも程がある。

 

「まあ、経過はこの際、おいておくとして、結局は明日の放課後、講堂で公開討論会を行うことになった」

 

「ふうん、なら狙いどころは今日の放課後やね」

 

 小声で呟いた言葉を聞いていた達也は、そのまま市丸の腕を掴んで人気のない一角へと引っ張っていく。

 

「達也くん、ちょっとばかり強引すぎへん?」

 

「お前が不穏なことを口走るからだろ。一体、何を考えている?」

 

「明日、公開討論会を行うんなら、今日の放課後には作戦会議を行うやろ。一網打尽にするええ機会やん」

 

「それは俺や七草会長の考えとは違う。俺たちも手っ取り早く事態を終息に導くことは考えていた。しかし、約束した話し合いすら行わないのでは、一科生と二科生の間のしこりは、より大きくなるだろう。それでは、今回だけ表面的に事態を収めても、第二のブランシュの台頭を招くだけだ」

 

 どうやら達也たちは、この機になるべく一科生と二科生の融和を図るつもりらしい。市丸としては、まずはブランシュにしっかりと対処して、その後にゆっくり融和を進めればいいと思うのだが、それが生徒会の方針ならば止むを得まい。

 

「それで、討論会って何をするん?」

 

「七草会長が一人で有志同盟側の議題を受けて立つようだ。一人の方が小さな食い違いから揚げ足取りをされる心配がないし、怖いのは印象操作で感情論に持ち込まれることだけでロジカルな論争なら負けるつもりはないようだな。加えて言えば、もしも会長を言い負かすだけのしっかりとした根拠を持ち出せるのなら、それを学校運営に取り入れるだけだとも言っていたな」

 

「それは、なかなか器が大きい発言やな」

 

 負けるつもりがないのは当然として、負かす相手ならば頼もしいとは、なかなか言える発言ではない。もっとも、そんなことが簡単に言えるということは、七草自身が今の学校運営に疑問を持っている証左でもあるのだろうが。

 

「けど、問題は相手がきちんと討論を行うつもりがあるか、ゆうことちゃうの? 生徒会の主要な人物を一か所に集めることができる、ゆうんは最初から力で現状を変えようとする側にとっては絶好の機会にもなるで」

 

「そうだな。それは心配でもある。だが、風紀委員も当日は警戒に当たるはずだ」

 

「風紀委員で抑えられるんは、あくまで学内の戦力くらいやろ。もしも外から介入があるようならどないするん?」

 

 そう問いかけると、達也は少し考え込んだ。

 

「ええ考えがあるで。今日の放課後の時間に同盟側が打ち合わせをするんは確実や。その場所として生徒やったら学内の施設を使うはずや。それやったら、その間に外に集まっとるのを潰しに行ったところで、生徒は巻き込まんで済むんちゃうか?」

 

「お前、ブランシュを潰すつもりか? けど、どうやって」

 

「司甲経由でブランシュの本拠地はわかっとる。ボクらでそこを確認した結果、もしも今日、奴らが打ち合わせをしとるなら、それは明日に向けての悪だくみの可能性が高い。そしたら、一気に潰してしまえば、明日の憂いが減ると思わへん?」

 

「お前が俺を誘うというのは、後始末を期待してということか? お前、ブランシュを本気で殲滅するつもりだな」

 

「そんなの当然やろ。下手に逃がして地下に潜られたら厄介や」

 

 もっとも、それ以前に先制攻撃を仕掛ける以上、後で法に訴え出られないようにする必要があるのだが。

 

「市丸、お前は勘違いをしている。俺には警察を抑える力なんてない。お前が事件を起こしたとして、揉み消しなんてできないぞ」

 

「君が無理なら、会長さんにお願いすればええやん。十師族なんやろ」

 

「一応、会長に提案はしておく。だが、そこまで過激な案は、会長は首を縦には振らないと思うぞ」

 

「そない難しいことやない。ボクらが踏み込めば、やましいことがあるなら攻撃を仕掛けてくるやろ。仕掛けられたら反撃する。それだけや」

 

「そうか……偵察ということなら、あるいは……」

 

 とりあえず踏みこんでみるという案には達也も少し心惹かれているようだ。

 

「七草会長が無理なら、十文字会頭に話したらええ。十文字会頭は次期当主なんやろ。七草会長よりも権力はあるんちゃう?」

 

「どうだろうな。七草と十文字なら、七草の方が力が上だ。それに裏工作のようなものも七草の方が長けているはずだ」

 

「へえ、十師族のことについて詳しいんやね」

 

 言うと、達也が黙り込んでしまった。

 

「達也くんが嫌がるから、余計な事は言わんとくわ。結果は昼にでも教えてくれたらええわ。それじゃ、頼んだで」

 

 そろそろ授業が始まる時間だ。

 

「昼に結果を教えろとは、俺はいつ十文字会頭たちに連絡を取れと言うんだ……」

 

 背後から、どこか途方に暮れたような声も聞こえてきたが、それは無視して教室へと戻る。そうして普通に授業を受けて、昼休みになった。市丸は手早く昼食を取ると、結果を聞きに達也の元に向かう。

 

「市丸か……七草会長と十文字会頭と話をしてみたが、やはり先制攻撃は少し拙いそうだ。ブランシュは表向きは政治団体だ。魔法師が反魔法師的な政治団体に先制攻撃を加えて殲滅するという形は、どのような理由があれ、問題が大きすぎる。例え、踏み込んだところで攻撃を受けたので反撃するという形を取るにせよ、そもそも、なぜそのような所にいたのかが問題となりかねない」

 

「結局、手を下すには大義名分が必要ちゅうことやね」

 

「そういうことだ」

 

 達也自身、七草や十文字が反対なら動くつもりはないようだ。その様子から、達也は自発的に動けない立場なのだろうと予想ができた。

 

 しかし、解せない。完全に国のコントロール下にあるのなら、まずは上司の意向を尋ねて、それに従って動くはずだ。しかし、達也は七草や十文字などのお墨付きが得られたならば、動くこともやぶさかでないように見えた。となると、実力はあっても後ろ盾がないという市丸と同じような立場だろうか。

 

 いずれにせよ、後始末を誰かが受け持ってくれなければ殲滅戦などできない。遺憾だが、専守防衛に徹するしかないということだろう。

 

「その代わり、当日は厳戒態勢を取る。市丸も特例としてCADを所持した上で講堂内の警備に当たってほしいと言われているが、どうする?」

 

「それなら、協力させてもらうわ。会場にはなるべく多く集めといてや」

 

「いいのか? 逆に狙われやすくなるという考えもあるが?」

 

「どないな手段でこようとボクを出し抜けるとは思わんことや」

 

「わかった。ならば、深雪に声をかけてもらおう」

 

 ひとまず明日の方針は決まったので達也とは別れる。だが、ただ待つだけなのも癪だ。

 

「そやね。少し脅しとこか」

 

 残り少ない昼時間を有効に活用すべく市丸は校舎の屋根の上に登った。

 

「黒白の羅、二十二の橋梁、六十六の冠帯。足跡・遠雷・尖峰・回地・夜伏・雲海・蒼い隊列、太円に満ちて天を挺れ。縛道の七十七、天挺空羅」

 

 市丸が使った情報伝達用の鬼道、天挺空羅は、はっきり言って通信機器が発達した今の現世では使い道がないと思っていた。けれど、一方的に頭の中に声を届けるというのは原理を知らない者にとっては脅威のはずだ。というわけで司甲に繋ぐ。

 

「司甲、明日まであんま、はしゃぐんやないで。でないと、今日のうちに消すで」

 

 それだけ伝えて通信を切る。これで司甲は見張られていると警戒をしてくれるはず。そうなれば動きを制限できる。なにより、今現在、怯えてくれているはず。

 

 市丸は混沌を厭うわけではないが、それでも、無辜の魂魄が犠牲になるのを良しとはしない気持ちくらいは残っている。ひとまずできることだけして、市丸は午後の授業を受けるために教室に戻った。



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第一高校襲撃事件

 公開討論会当日、司波達也は会場となる講堂の舞台袖から場内を眺めていた。

 

 集まった生徒は全校生徒の実に六割弱。特に一年生の一科生は大半が会場内にいる。

 

 これは守るべき対象を一か所に集めておいた方がいいという市丸の考えによるもので、深雪の他にB組の明智英美も動いてくれたらしい。

 

 その市丸はただの観衆のふりをして会場の中心に陣取っている。これは市丸が言いだしたことで、会場の中心からなら全方位に対応ができると豪語していた。市丸の両脇には同じクラスの明智英美と桜小路紅葉がいるので、何も知らなければ単なる聴衆の一人にしか見えないことだろう。とはいえ、これまでの行動が行動なので、生徒会と有志同盟側の双方からマークされているようだが。

 

 達也たちと反対側の袖には、有志同盟の三年生が四名。そして、会場内にも有志同盟側のメンバーと判明している十名前後の生徒がいる。しかし、その中に紗耶香たち放送室を占拠したメンバーの姿はない。

 

「市丸が言ったように先制攻撃を加えておいた方がよかったかもな」

 

「今となっては、同感ですね」

 

 実力行使の部隊が別に控えているのは、明らかだった。

 

「何をするつもりなのかは分からないが……ろくなことではないだろうな。専守防衛といえば聞こえは良いが、こちらから手出しができないというのは歯がゆいな」

 

「渡辺委員長、実力行使を前提に考えないでください。……始まりますよ」

 

 鈴音の一言に摩利と一緒に達也も視線を舞台に移す。

 

 そうして始まったパネル・ディスカッション方式の討論は、真由美の独壇場だった。有志同盟側の曖昧な「平等」という要求に対し、真由美は具体的な事例と曲解の余地がない数字で反論を繰り出して完璧に封じていく。最後には真由美の一科生と二科生の間の差別意識の克服を目指すという訴えに満場の拍手まで起こっていた。

 

 そして、この結末は有志同盟のメンバーの背後にいる者にとって、満足できるものではなかったようだ。

 

 突如、轟音が講堂の窓を震わせ、拍手という一体行動の陶酔に身を委ねていた生徒たちの、酔いを醒ます。それと同時に、動員されていた風紀委員が一斉に動いた。普段、まともに訓練など行っていないとは信じられない、統率の取れた動きで、各々マークしていた有志同盟のメンバーを拘束する。

 

 その直後、窓が破られ、紡錘形の物体が飛び込んできた。床に落ちると同時に白い煙を吐き出し始めた榴弾は、白煙を拡散させずに、ビデオディスクの逆回し再生を見ているような動きで煙もろとも窓の外に向けた。

 

 ここまで、市丸は明確な動きを取っていない。ただ刀剣型のCADを抜刀し、ゆっくりと剣を引いただけだ。市丸が動いたのは、防毒マスクを被った闖入者が入口から突入してきた直後だった。

 

「射殺せ」

 

 その声は、騒然とする会場の中にもかかわらず、なぜか明確に達也の耳に届いた。

 

「神鎗」

 

 そう呟いた市丸が刀剣型のCADを突き出した瞬間、刀身が伸び、三十メートルほど先の進入者の額を貫いた。侵入者はそのまま学校の外壁に縫い付けられた。びくりびくりと体を震わせて侵入者は絶命したようだ。

 

 それは、ありえない光景だった。どのような魔法を使おうと、剣を飛ばすならまだしも、刀身が伸びるということはありえない。達也が驚いている間に市丸の姿が掻き消え、次の瞬間には入口付近にあった、先頭の一人に続いて突入してきた四名の男が次々と顔面を両断されて頽れる。

 

 講堂内に別種の動揺が走った。市丸の敵の倒し方は顔を斬りつけるというもの。侵入者たちの亡骸はいずれも悲惨な状況だった。

 

 そのまま市丸は講堂の外へと駆けていく。少し遅れて絶叫が聞こえてきた。

 

「ここで呆けているわけにはいきません。俺は爆発音のした実技棟の様子を見てきます」

 

「お兄様、お供します!」

 

「頼む。私はここの動揺を収めねばならん」

 

 その視線の先には、首から先が二股に別れた状態で絶命している侵入者の遺体と、その凄惨な死体を見て倒れた生徒たちの姿がある。無残な死体は拘束されていた有志同盟側にも衝撃を与えたらしく、彼らも戦意を失っているようだった。

 

「渡辺委員長はこの場を頼みます」

 

「ああ、わかっている。くれぐれも気をつけてな!」

 

 摩利の言葉に見送られて達也たちは実技棟に向かう。そこには壁面に付着して燃え続けている焼夷剤に、二人がかりで消火に当たる教師がいた。教師の周囲には三人の男が絶命している。

 

「市丸ですか?」

 

「ああ、そうだ……司波さん、彼は本当に本学の生徒なのですか?」

 

 聞いたのは達也だったが、教師の質問は深雪宛てに返された。

 

「考えるまでもなく市丸さんは第一高校の生徒だと思いますけど?」

 

「そうだな。だが、高校生が何の躊躇もなく一瞬で三人を殺害などできるものなのか?」

 

 最高レベルの魔法科高校と目されている第一高校の教師陣は、魔法師としても一流ばかりだ。けれど、その教師たちが市丸を明らかに畏怖している。

 

「先生、市丸はどこに行きましたか?」

 

「正門の方に向かっていった」

 

「ありがとうございます」

 

 ひとまず市丸がどのような方針の元に動いているのか確認しておいた方がいいだろう。そう考えて達也は正門に向かった。

 

 その市丸は剣を水平に向けた状態で前方を見つめて、何かを呟いていた。

 

「君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ。焦熱と争乱、海隔て逆巻き南へと歩を進めよ」

 

 それは古式魔法で見られる詠唱だった。市丸が見つめる先には、こちらに突っ込んでこようとする装甲車がある。

 

「破道の三十一、赤火砲」

 

 装甲車が第一高校の敷地に突入するのと時を合わせるように、市丸の詠唱が終わり、火球が発射される。その直撃を受けた装甲車は吹き飛ばされ、火炎に包まれたまま縦回転をして、上下逆に地面に落ちた。中から人が出てくる様子はない。扉が変形して外に出られないのだろう。乗員は、おそらく全滅だろう。

 

 それにしても、またしても達也の知らない未知の魔法だ。先ほどの刀身が伸びる魔法とは違い、今の魔法なら古式魔法なら再現は可能な気はするが、達也の知らない魔法であることには変わりはない。

 

「市丸」

 

「達也くん、ボクはここで援軍を防いどくから、君は図書館に行ってくれへん?」

 

「図書館?」

 

「放送室を占拠した子ら、図書館におるみたいなんよね。君に任すわ」

 

「わかった。ここは任せる」

 

 学校の敷地内とはいえ、車が炎上しているのだ。すでに異変に気付いて学校外にも騒ぎは広がっている。このままここにいるのは拙い。

 

「お兄様、よろしいのでしょうか」

 

 達也としては市丸の持つ未知の魔法や紗耶香の位置を把握した手段が気になるが、深雪が気にしているのは学外まで騒ぎが広がることだろう。確かに学外の一般人に第一高校の生徒である市丸が人を殺める姿を見られるのは拙い。だが、止めようとして止められるとも思えない。それなら責任ごと市丸に任せるよりない。

 

 市丸と別れ、向かった図書館前では、拮抗した小競り合いが繰り広げられていた。そこに知った顔を見つける。

 

「レオ、エリカ、どうしてここに?」

 

「ただ講堂で待ってるだけってのも性に合わなくて、な」

 

 言いながら、レオは手甲のように前腕を覆う幅広で分厚いCADで、振り下ろされた棍棒を受け止め、殴り返す。レオの戦闘力は火器の使用が制限された近接戦闘なら、今すぐ軍の第一線で通用しそうなほどだ。

 

「レオ、俺たちは中に向かうぞ」

 

「おうよ、ここは引き受けた! エリカ、お前もいけよ」

 

「あ、そ。じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 柄にCADを仕込んだ伸縮警棒で目の前の敵を倒したエリカが合流してくる。達也たちは三人で図書館の中へと突入した。

 

 中に入ったところで意識を広げて敵の存在を探る。その結果、敵は二階特別閲覧室に四人、階段の上り口に二人、階段を上り切ったところに二人とわかった。

 

「敵はおそらく、魔法大学が所蔵する機密文献を盗み出そうとしているんだろう。特別閲覧室からなら、一般閲覧禁止の非公開文献にアクセスできるからな」

 

 狙いがわかれば、後は特別閲覧室に急ぐのみだ。階段の上り口の二人はエリカが一瞬で打ち倒し、更に階段の上の二人も受け持ってくれたことで達也と深雪は二人で特別閲覧室に突入した。中にいたのは紗耶香の他に三人の外部の男たちだった。

 

 幸いなことにハッキングは完了していなかった。達也と深雪が紗耶香以外の三人を無力化して拘束し、紗耶香も外でエリカに真剣勝負の末に敗れた。そして司甲も風紀委員により拘束され、ブランシュによる第一高校への襲撃事件は終わりを迎えた。



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ブランシュの本拠へ

 侵入したブランシュの手の者たちと学内の不穏分子の拘束を終え、第一高校内の騒乱は沈静化した。けれど、これで終わりではない。

 

「七草会長は第一高校の生徒たちの内応は隠して、あくまで外部から侵入した賊徒との交戦ゆうことで処理するつもりみたいやね」

 

 七草と服部が事件の捜査に来た警察への対応を行う間、市丸は達也と深雪の兄妹、部活連会頭の十文字、風紀委員長の渡辺と次の行動を行うかを協議していた。即ち市丸が突きとめているブランシュの隠れ家に攻撃を行うか否かだ。

 

「危険だ! 学生の分を超えている!」

 

 攻撃に反対をしているのは渡辺で、これは学内限定とはいえ、常にトラブル処理の最前線に立っているがゆえの危険への敏感な感覚によるものだろう。

 

「けど、警察に任せてしもうたら、殲滅なんてでけへんよ。証拠を揃えて暢気に逮捕なんてしよったら、大半は地下に潜って、そのうちに今回の報復にくるやろね。なにせ、今回の襲撃ではぎょうさん死んどるんやから」

 

「そのほとんどは、お前によるものだろうが」

 

「そうやね。けれど、銃口を人に向ける敵を相手に、なんで手加減なんかせなあかんの? それに、ボクも人を殺さんように無力化するなんてことしたことないんや。実験を繰り返しとると、その分だけ遅うなるけど、それで誰かが犠牲になったとしても、それは仕方ないことになるん?」

 

 忌々しげにだが、渡辺が黙り込んだ。けれど、これは厳然たる事実だ。

 

 そもそも死神は虚と戦うのが本職。虚を捕らえるという考えはなく、縛道も動きを封じた後で止めを刺すのが基本だ。そんな中、市丸は虚を捕らえるということ自体は経験をしているが、そもそも虚は頑丈で再生能力も高い。人間が相手だと同じにはいかない。

 

「このまま警察に任せといたら、今のところは解決するやろね。けど、一年後にはまた学校が戦場に早変わりや。今のうちに禍根は断っておかんで、本当にええん?」

 

「俺も市丸の意見に賛成です。俺は、俺と深雪の日常を損なおうとするものを、全て駆除します。これは俺にとって最優先事項です」

 

「同じような事件を起こさない為には、このまま放置することはできない。だがな、市丸、司波。相手はテロリストだ。下手をすれば命に係わる。俺も渡辺も、当校の生徒に、命を懸けろと言えん」

 

 十文字はそう言って市丸と達也のことを鋭い眼光で見つめる。

 

「あれ、君、何か勘違いしてへん?」

 

 それを市丸は薄い笑みで答える。

 

「勘違い?」

 

「ボクは昨日の時点で、ボクに対処を任してくれへんかって言うてたと思うんやけど」

 

「まさか、一人で行くつもりか?」

 

「それでも良かったんやけど、そうもいかんみたいやなァ」

 

 市丸が答えると同時に、達也が一歩、前へと進み出た。

 

「十文字会頭、俺は先ほども言ったように俺と深雪の日常を損なおうとするものは全て駆除します」

 

「お兄様、わたしもお供します」

 

 当然のように深雪が参戦を表明する。この二人ならば、連れて行ったとしても足手纏いになるようなことはないだろう。

 

「そういうわけで、ボクら三人で行ってきますわ。処理はしとくんで、後始末だけお願いしてもええですか?」

 

「いや、俺も行こう。十師族に名を連ねる十文字家の者としても、一高の生徒として、この事態は看過することはできん。それに、下級生にばかり任せておくわけにもいかん」

 

「じゃあ、私も……」

 

「渡辺、お前は残っていてくれないか? 警察も入っているとはいえ、残党が学内外で機を伺っている可能性もある。七草が警察の対応に手を取られている以上、誰かが学内の守りについていないと不安だ」

 

 十文字にそう言われて、渡辺が不承不承、頷いた。

 

「お兄様、レオとエリカについてはどうしましょう?」

 

「あの二人のことだ。ブランシュのアジトに仕掛けると知ったら、連れて行けと言ってくるだろうな」

 

「悪いんやけど、あの二人は縛り付けてでも置いていかせてもらうわ」

 

「その理由は?」

 

「邪魔や」

 

 はっきりと言ったことで達也と深雪が息を飲んだ。

 

「市丸、お前は知らないかもしれないが、あの二人は魔法のみの力はともかく、戦闘力としては悪くないぞ」

 

「そないなことは知っとるよ。ボクが言うとるのは、覚悟のことや。ボクの戦い方は君らも知っとるやろ。ボクはブランシュを殲滅しに行くつもりや。一人たりとも生かしておくつもりはないで。仮にあの二人が気絶させただけで終わらそうとしたら、ボクは気絶した敵に止めを刺すで。もし、それを邪魔するなら、あの二人も斬る。それでもええんやったら、連れてったらええんちゃう?」

 

「市丸、俺たちのやるべきことは第一高校の脅威を取り除くことで、ブランシュの殲滅ではない。武器を持った相手を殺さずに無力化しろとは言えないが、戦闘能力を失った者を殺害することは許可できない」

 

「はあ、それなら、戦闘能力を失った後については、手ぇ出さんようにしますわ」

 

 市丸は霊圧で敵の位置を把握しているため、拘束しただけだと健在な敵との区別はできない。無駄に走り回ることになったり、拘束済の相手と誤認して潜伏する敵を見過ごしたりすることになりかねない。

 

 市丸は火器の発射を感知はできない。壁の向こうから射撃されたら、避けることは難しい。そのため、できれば殺害。最低でも昏倒状態には持ち込んでほしいのだが、十文字には戦闘終了後の事後処理を任せることになる。ここは引いておくしかないだろう。

 

「お兄様、エリカたちについては……」

 

「市丸が手を出さないと約束をしたのは、あくまで戦闘能力を失った後についてだ。無力化ができる場面では殺害をしないと約束をしたわけではない。エリカならば割り切ることもできるだろうが、それでも今回は連れていかない方がいいだろう」

 

 達也は明確には言わなかったが、千葉もこの中では格が落ちてしまうのは否めない。

 

「決まったようやね。それならボクらは四人で行かせてもらう、ゆうことでええね」

 

「ああ、それでいい。ところで、ブランシュの拠点を知っているようなことを言っていたが、それはどこにある?」

 

「地図情報を送らせてもらうわ」

 

 情報端末を取り出し、十文字の端末に送信する。

 

「近いな」

 

 それは第一高校から五キロほどの距離にある、街外れの丘陵地帯に建てられた、バイオ燃料の廃工場だ。

 

「どうやって突きとめた?」

 

「司甲が関わっていることさえわかっとれば簡単やろ。司甲を追跡して、接触した者の中で怪しそうなのを、また追跡する。それで行きついたで」

 

 実際は司甲を追って兄の司一の元まで行きついたのは本当だ。しかし、ブランシュの本拠地の場所は、司一の現在地を何度か掴趾追雀で割り出す中で判明した。

 

「車の方が良いだろうな」

 

「魔法では探知されますか?」

 

「探知されるのは一緒さ。向こうは俺たちのことを待ち構えているだろうから」

 

「正面突破ですね」

 

「それが一番、相手の意表をつくことになるだろうな」

 

 一方、達也と深雪は二人で攻略方法について相談をしている。

 

「車は、俺が用意しよう」

 

「良いのですか?」

 

「ああ。それより、すぐに行くのか? このままでは夜間戦闘になりかねないが」

 

「そんなに時間は掛けません。日が沈む前に終わらせます」

 

 達也は今すぐに急襲をかける方針のようだ。しかし、市丸の考えは少し異なる。

 

「今すぐより、日没くらいから仕掛けた方がええんちゃう?」

 

「市丸は夜間戦闘の方が得意なのか?」

 

「夜目は利く方なんや。それに、夜間なら仮に敷地外に逃れられても仕留めやすいやろ」

 

「町中での殺害は控えてくれ。万が一、目撃をされたら面倒だ」

 

「仕方あらへんね」

 

 こっそり虚退治をしたりもしているので、隠密戦闘は得意なのだが、説明できないのでは説得は難しい。

 

 そのまま四人で学校の塀を飛び越えて外に出て、少し離れた路上でオフロードタイプの大型車を拾う。

 

「ボクは運転はでけへんよ」

 

 市丸の技能等は死神時代のものが多い。自動車については尸魂界に存在しなかったので、運転については、どのようにすればいいのか検討もつかない。

 

「問題ない。俺が運転する」

 

 十文字はしっかりと免許を持っているようだ。

 

「門が閉まっていた場合は突き破るか?」

 

「素直に車は降りて、門は飛び越えればええんちゃう?」

 

 門が閉まったままの方が敵も逃走をしにくい。

 

「わかった。門が閉まっていなければ、中まで突入する。閉まっていた場合は門の前で車を降りて飛び越えて進入する。中に入ってからは俺と市丸、司波兄妹の二組に別れるという方針でいいか?」

 

「ボクは一人で勝手にやらせてもらいますわ」

 

「わかった。俺と、市丸と、司波兄妹の三組でいいか?」

 

「俺たちは、それで構いません」

 

 深雪も異論はないようで、頷いていた。

 

「出発するぞ」

 

 方針が定まったことで十文字がアクセルを踏み込んだ。



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ブランシュ殲滅

 茜色に染め上げられた世界の中、夕陽を弾いて疾走する大型のオフローダーが、閉鎖された工場の門扉の前で停車した。車から降りるのは四人の男女。達也と深雪、部活連会頭の十文字克人、そして市丸ギンの四名だ。

 

「俺と深雪は、このまま踏み込みます。会頭は左手を迂回して裏口へ回ってください」

 

「あれ、ボクには何も言わへんの?」

 

「お前は勝手に動くんだろ」

 

「ようわかっとるやないの。それじゃ、そうさせてもらうわ」

 

 そう言うと、市丸は跳躍の魔法を使って屋根の上に登ってしまった。

 

「市丸さんは、高い所が好きなのでしょうか」

 

 深雪が呟いた言葉に達也は思わず吹き出しそうになった。そう言われてみると、市丸は屋上などから飛び降りて登場することが多い。おそらくは視界が広く取れるという利点のためとは思うが、案外、単純に高い所が好きというのもあるかもしれない。

 

「お前たちも気をつけろ」

 

 そう言って克人が裏口に向かったのを見て、達也たちも薄暗い工場の中へと進む。

 

 遭遇は意外に早かった。

 

 達也は遮蔽物の確保など気にせずに進み、相手もホール状のフロアに隠れもせずに整列していたからだ。

 

「ようこそ、はじめまして、司波達也くん! そしてそちらのお姫様は、妹さんの深雪くんかな?」

 

「お前がブランシュのリーダーか?」

 

「おお、これは失敬。仰せのとおり、僕がブランシュ日本支部のリーダー、司一だ」

 

「そうか。忠告する。全員、武器を捨てて両手を頭の上で組め」

 

「ハハハハハ、君は魔法の苦手なウィードじゃなかったのかい? おっと失礼、これは差別用語だったね。でも、君のその自信の源は何だい? 魔法が絶対的な力だと思っているなら、大きな勘違いだよ」

 

 哄笑と共に狂気を色濃く滲ませた司一が、右手を上げた。

 

 左右に並ぶ、総勢二十人を超えるブランシュのメンバーが、一斉に銃器を構えた。

 

 拳銃だけでなく、サブマシンガン、アサルトライフルを持つ者すら混じっていた。

 

 しかし、いずれにせよ手遅れだ。

 

「散在する獣の骨、尖塔・紅晶・鋼鉄の車輪。動けば風、止まれば空、槍打つ音色が虚城に満ちる」

 

 フロアの上から微かに響いてくる声。それを聞きながら、達也は深雪を背後に隠しながら、一歩、二歩と後退する。

 

「破道の六十三、雷吼炮」

 

 天井を突き破って落ちてきた雷撃が、司一と左右に並んだブランシュのメンバーたちを纏めて薙ぎ払う。雷撃が止んだ後、息のある者は一人たりともいなかった。

 

「市丸、俺たちがもっと中に踏み入っていたら、どうするんだ」

 

「その場合は一気に殲滅せずに、刀で斬っていくだけやね」

 

 天井に空いた穴から降りてきた市丸に苦情を言うも、あっさりとそう返されてしまう。

 

「俺たちはこのまま奥に向かう。お前はまた、好きなようにするんだろう?」

 

「そうやね。そうするつもりや」

 

「頼むから、俺たちを巻き込まないようにしてくれよ」

 

 今の雷吼炮という魔法も、達也は起動式を読むことができなかった。おそらく無効化もできなかったことだろう。市丸の魔法の誤爆だけは、絶対に避けたい。

 

「心配せんでも、そないな下手は打たへんよ」

 

 たった今、二十人以上の命を奪ったとは思えない軽薄な調子で市丸が答える。ひとまずは、それを信じるしかなさそうだ。ただ、市丸の位置の確認だけは怠らないようにする。

 

 そうして進んだ先の部屋にはテロリストの残党が十人、待ち構えている。

 

 サブマシンガンが十丁。

 

 達也は壁越しに、CADの引き金を引いた。

 

 物理的な障壁は、魔法の障碍にはならない。

 

 達也が自由に使える二つだけの魔法、その一つ「分解」が、サブマシンガンのエイドスを書き換える。

 

 彼が存在を知覚できるのは、魔法式のみならず、起動式をも解析することができるのは、この魔法ともう一つの魔法の副産物だ。けれど、その技能を用いても市丸の魔法は解析をすることができない。

 

 正確に言えば、市丸の魔法も全てが解析ができないわけではない。達也もよく知る跳躍などの魔法は、はっきりと起動式を確認できる。しかし、市丸が用いる謎の古式魔法については起動式が見えない。それは、まるで未知の技術による達也が理解できない言語のようだと思う。

 

 部屋の中からは狼狽の声が聞こえてくる。敵の手に、もはや銃器は無い。

 

 最奥の部屋に足を踏み入れた達也を出迎えたのは、不可聴の騒音だった。

 

 十人の男たちには真鍮色の輝きを持つアンティナイトの指輪がある。

 

 アンティナイトは産地が極めて限定される軍事物資だ。

 

 旧アステカ帝国の一部、旧マヤ諸国地域の一部、チベットの中心部、スコットランド高地の一部、イラン高原の一部、など。

 

 高山型古代文明の栄えた地にのみ、アンティナイトは産出する。

 

 まるで、高地でのみ精製された人工物であるかのように。

 

 大量に用意されたアンティナイトを見て、達也はボソリと呟いた。

 

「雇い主はウクライナ・ベラルーシ再分離独立派。そのパトロンのスポンサーは大亜連合。そんな奴らにこうまで引っ掻き回されていたとはな」

 

 心底、つまらないと思う。彼らは、三流もいいところだ。

 

 正直なところ、これ以上つき合いきれない。

 

 アンティナイトの影響で達也が魔法を使えないと思いこんだ敵の一人がナイフを手に突進してくる。

 

 拳を合わせるのも面倒だったので、達也は右手を上げて、CADの引き金を引いた。

 

 銃ではない。弾丸も、それに類するものも、いまだ物理技術のみでは発射装置の小型化が実現していないレーザーや荷電粒子も出ていない。

 

 それなのに、射線上の男が、太腿から血を噴き出して倒れた。

 

「もういい。後は任せる」

 

「任されたるわ。射殺せ、神鎗」

 

 達也の言葉に応える声と同時に短い悲鳴が聞こえた。達也の魔法により負傷していた男が側頭部を貫かれて絶命している。市丸の剣は、更に隣に立っていた男も、もろとも串刺しにして壁面に縫い付けた。

 

「本当に、あいつは上から降ってくるのが好きなんだな」

 

 今もまた、天井を破壊して上から降りてきているのが見えた。これは本格的に高い所が好きと認定してもよさそうだ。

 

 部屋から出た達也と深雪の耳に、男たちの半狂乱の叫び声が聞こえてくる。殺された者の断末魔の声はない。聞こえてくるのは仲間が殺されたことに恐怖している声ばかりだ。男たちはまだアンティナイトを持っていた。それにもかかわらず市丸は次々と敵を葬っているのを感じる。やはり市丸の移動方法も通常の魔法ではないということだろう。

 

「市丸の未知の技術、まさか俺の魔法を無効化できるものはないよな」

 

 通常の方法では、達也を殺すことは難しい。けれど、市丸の未知の技術にも有効かは材料がないため、わからない。達也の魔法は特定の技能に発動しないわけではないので、可能性が低いと思うが、確信が持てない以上は、不安だ。

 

 そんなことを考えている間に部屋の中が静かになった。ほとんど返り血を浴びていない、綺麗な服装で市丸が部屋から出てくる。

 

「ボクにだけ手を汚させるなんて、君も酷い人やね」

 

「お前の場合、好んで自分から手を汚しに行っているくせによく言う。それに、第一高校を襲撃した者と最初のホールで、すでに五十人は殺しているだろ。十人増えたところで、もはや何ともないだろ」

 

「そやね。それより君の妹さんを綺麗なままにしとくのが大切か」

 

 市丸の言うとおり、今回の一連の事件で深雪は人を傷つけずに済んだ。それは、深雪が手を出すまでもないほど、市丸が暴れまくったせいだが、結果を見れば悪くない。

 

「そろそろ十文字会頭も部屋に到着するな」

 

 達也の言葉が終わると同時に克人が壁を破壊して登場した。この人たちは通路を進むという概念がないのかと思ったが黙っておいた。

 

「……酷い有様だな」

 

 達也たちは無傷なので、この言葉はブランシュのメンバーたちに向けたものだ。

 

「ともかく、ここは片付きました」

 

「わかった。後は俺が受け持とう。お前たちは残党には十分に注意して帰れ」

 

「ありがとうございます」

 

 達也は克人に礼を言うと、さっさとこの場を離れるために歩き出した。長かった一日がようやく終わろうとしていた。



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ブランシュ事件の事後処理

 事件の後始末は十文字が引き受けてくれたので、市丸は安心して帰宅をしていた。

 

 十文字が進んでいた裏口側には生存者がいたとはいえ、廃工場だけでも市丸は四十人以上を殺している。

 

 普通に考えれば無罪放免とはならない。だが、司直の手が伸びることはないはずだ。

 

 十師族の権勢は、司法当局を凌駕する。

 

 現代魔法の才能が先天的資質に左右されることが分かってしまえば、当然の帰結として、血縁による強化が企図される。

 

 それは、魔法を体系的に研究するだけの国力のある国なら世界中どの国でも、現代魔法と超能力がまだまだ未分化であった時代から既に、行われていた。

 

 無論、それは日本でも実行された。

 

 その結果、日本の魔法界に君臨する新たな一団が形成された。

 

 それが、十師族。

 

 一世紀に満たぬ歴史では、その序列はまだまだ流動的だ。

 

 だがそれは、十師族と呼ばれる家系の中での話であり、十師族とそれ以外の人々の間には、既に乗り越えがたい垣根ができ上がっている。

 

 十師族と同様に血縁による強化を重ね、十師族に次ぐ、とみなされている百家も、その格の差を自ら認めざるを得ないほどに。

 

「ほんま、驚きやけどね」

 

 百年など、死神の感覚ではそれほど長い期間ではない。百年くらいなら、護廷十三隊の最高位、隊長の地位を保つ者も多い。

 

「ま、ボクの代はボクらのせいで新参の隊長さんばかりになってしもたんやけどね」

 

 そういえば、市丸の抜けた後の三番隊はどうなっただろうか。隊長の大任を果たせるだけの力を持つ死神は多くない。そうなると、元三番隊隊長であった鳳橋あたりが復帰するというのが妥当だろうか。

 

 それはさておき、その現状から考えても司波兄妹は異常だ。一人なら突然変異という可能性もあるが、二人となると何かしらの要素がないと考える方が難しい。

 

「けど、兄の方の技能はなんやろね」

 

 達也はアンティナイトを使用されていた中でも魔法を使っていたように感じた。深雪の方は圧倒的な干渉力でアンティナイトを無効化していたが、二科生である兄にそのようなことは不可能なはずだ。

 

 死神にも更木剣八のように鬼道はさっぱりという実力者がいた。そのため司波達也の戦闘力がいかに高くとも、そのようなものと考えていた。けれど、アンティナイトを無効化するとなると、卓越した魔法技能がなければ不可能なはずだ。

 

「ま、そこは探らんといた方がよさそうやな」

 

 あれだけ強力な魔法師たちなのだ。抱えている秘密も大きなものに違いない。藪をつついて蛇を出したのでは、つまらない。

 

 脇に逸れた思考を戻す。

 

 強大な力を持つ十師族だが、決して政治の表舞台には立つことはない。

 

 十師族は表の権力者には成らない。

 

 むしろ、兵士として、警官として、行政官として、その魔法の力を使い最前線で日本を支えている。

 

 その代わり、政治の裏側で不可侵に等しい権勢を手にした。

 

 それが日本の、現代の魔法遣いが選んだ道だった。

 

 現在、十師族の中で最も有力とされているのが、四葉と七草の両家。

 

 それに続く三番手が、十文字。

 

 七草の現当主の娘である真由美と、十文字家の次期当主である克人が関わる事件に、普通の警察が、関与できるはずもない。

 

 ゆえに、市丸も安泰というわけだ。

 

「けど、色々と違うもんやなぁ、死神ももう少し現世のことを知っといた方が良かったのかもしれんね」

 

 尸魂界の制度も安泰というわけではなかった。最高司法機関である中央四十六室も当初の尸魂界全土から集められた四十人の賢者と六人の裁判官により構成されるという建前はすでに失われ、単なる貴族の集まりとなっていた。

 

 それゆえに、藍染は中央四十六室を粛清したのだが、その後はどうなったか。ただ構成員が代わっただけで、実態は全く同じものが再建されただけの気がしてならない。

 

 寿命が短い分、現世の制度は目まぐるしく変わる。尸魂界が少し目を離しているうちに、新しい試みが為され、その結果を確認できる状態となる。それを観察して、良い制度であれば導入をしていけば、尸魂界も少しは変わるのではないだろうか。もっとも、千歳を超えるような長老たちがそうそう柔軟にはなれないであろうが。

 

「それにしても、上手くはいかんものやな」

 

 藍染の殺害に失敗した市丸は、この世界に生まれてからずっと原因を考えていた。そうして考えた結果、市丸の敗因は藍染が隙を晒すときを待ち続けた結果、藍染に時を与えすぎてしまったことだと結論付けた。正着は最強の死神である山本元柳斎重國を藍染にぶつけて、強引にでも隙を作らなければならなかったのではないか。

 

 その反省から、当初はブランシュは、第一高校への襲撃前に七草と十文字の主導で殲滅をしてもらうつもりだった。藍染のようにとはいかずとも、他者を誘導して望んだ結果を得られないかと考えたのだ。しかし、結局は敵の先制攻撃を許すことになった。やはり、藍染のようには上手くはいかない。

 

 それに自分の弱点も明らかになった。霊圧を基本に索敵等を行う市丸では爆発物等を感知することができない。そのため、爆弾を使った罠のようなものは、爆発するまで感知ができないのだ。そのため、罠の危険性の少ない屋根の上を進むようになってしまった。これは今後に向けての課題となりそうだ。

 

 

 

 翌日、登校をした市丸は、七草と十文字に呼ばれて昨日の事件の事後処理の方針について説明をされた。

 

 まずは第一高校の襲撃には生徒の関与はなかったものにされた。襲撃の尖兵であった有志同盟もブランシュとは無関係の単なる学生たちの運動だったというわけだ。

 

 それにより司甲も罪を問われなかった。ブランシュ日本支部のリーダーである司一は今回の襲撃事件は差別解消のためには必要なことであると、有志同盟に参加していた第一高校の生徒たちにマインドコントロールを施しており、甲も深刻なマインドコントロールの影響下にあったことが判明したためだ。

 

 今は退学ではなく休学の扱いで長期間の治療を受けているところだが、最終的には第一高校は自主退学ということになるだろう。

 

 甲は元々魔法師志望では無かった。しかし、司一が甲の魔法的知覚力に目をつけ、組織の役に立ちそうな魔法を見つけ出させる為に魔法科高校へ通わせていたことが判明している。マインドコントロールが解けた後は自らの生を歩み始めるだろうということだった。

 

 壬生沙耶香については千葉との交戦により右腕を亀裂骨折していること、そして何より、ブランシュのマインドコントロールの影響が残っていないかどうか、様子を見るために入院をしている。けれど、紗耶香は甲とは異なり、退院後は復学して今度こそ自分の高校生活を送りたいと考えているようだ。

 

 七草や十文字たちが市丸にその話をしたのは、市丸に少しでも今回の措置を理解させようという狙いによるものだろう。しかし、市丸としては、その理由で素直に頷くことなどできない。

 

 生徒たちの中には、マインドコントロールの影響を受けていたにしても、同じ学校の生徒を殺害することを甘受しようとした者たちもいた。その者たちに対してはあまりにも甘すぎる措置だと思わなくもないが、学校の上層部が決定をしたのなら仕方ない。ただ、今後も同じような事態が起きた場合には、例え第一高校の生徒であろうとも手心を加えることはしないとは宣言しておいた。

 

 

 

 五月になった。

 

 今日は森崎駿と壬生沙耶香の退院の日だ。

 

 森崎は市丸に斬り落とされた腕の縫合手術後、リハビリに励んでいて、機能が概ね回復をしたこと。壬生についてはマインドコントロールの影響はないと確認ができたことで退院ということになった。ちなみに両者の退院の日が重なったのは単なる偶然だ。

 

 二人の退院のお祝いには達也、深雪、千葉の三人が訪れるということで、森崎と壬生に大いに関わっていた市丸も半ば強制的に同行をさせられたのだ。森崎については市丸の顔など見たくもないと考えている可能性もあったが、深雪が事前に確認した結果、森崎はむしろ市丸の訪問を歓迎しているということだった。

 

 市丸に対して隔意がないというのは、大変に喜ばしいことだ。どうやら森崎は市丸の考えているとおりに育ってくれそうだ。実際に病室を訪れたみると、深雪の言葉どおり、森崎はすっきりとした表情で市丸を出迎えた。

 

「市丸くん、今日は来てくれてありがとう」

 

「あれ? 君を怪我をさせたのはボクやない? 恨んでへんの?」

 

「僕は確かに怪我をした。けれど、それは僕が間違っていたからだ。怪我で一か月近くの間、入院をしたのは痛いが、今のうちに現実に気付くことができたことは、僕の今後にとって、かけがえのない財産になると思う」

 

 森崎は真っ直ぐに前を見て、そう言った。そこには意趣返しとか、変な意味が含まれているという気配は微塵もない。当初の特権意識に縛られて他者を見下していた態度は見られない。今の森崎にあるのは、真摯に力をつけたいと願う心だけだ。

 

「ええ傾向や。しっかりと自分を取り戻し始めたんやな」

 

 今はまだきっかけだけ。けれど、これからどんどん強くなってくれるはずだ。

 

「ああ、これからも僕は変わる。変わりたいと思っている。そこで千葉さん、お願いがあるんだ」

 

「ええと……何?」

 

「千葉さんの道場に入門させてもらえないだろうか?」

 

 急に話を振られて、千葉は戸惑っているようだった。

 

「森崎くんの魔法は発動の速さを重視しているんじゃなかった? ウチの道場に入門しても魔法の役には立たないわよ?」

 

「今回のことで痛感した。いかに速さを高めようと接近戦での対応力には限界がある。接近戦に対応しようと思えば、相応の身のこなしが必要だ。僕が全く対応できなかった市丸くんの攻撃に、千葉さんが対応できているのを見て、そう感じた。僕のこれからのためには接近戦の強化は絶対に必要だ」

 

「冷やかしじゃないみたいね。ウチの道場は手取り足取り教えてあげるほど、優しくはないわよ。必要なことは勝手に見て盗んでもらう方式だけど、それでもいい?」

 

「望むところです」

 

「わかった。それならウチは受け入れるわ」

 

 真剣に修行を行うこと自体は悪いことではない。森崎なら接近戦もある程度までは伸びるだろう。やって損にはならないはずだ。

 

「それでは次は壬生さんの所に向かいましょうか?」

 

「やっぱり、ボクはこの辺で失礼させてもらうわ」

 

 せっかくの深雪の提案だが、市丸は断った。

 

「市丸、ここに来てどうしたんだ?」

 

「ボクはお邪魔やろうからね」

 

「どういう意味……なるほど」

 

 壬生のところには先客がいる。それを、どうやら達也も感じることができたようだ。壬生のところにいるのは桐原武明。仲が悪いのかと思っていたが、いつの間にか友人を超えた関係になっていそうな感じだ。それなら、関係が比較的深い達也たちは別として、市丸が行く必要はない。

 

 三人と別れて、市丸は一足先に第一高校へと向かう。

 

 こうして第一高校に入学してから続いていたブランシュに関連した事件は、結末を迎えたのだった。




入学編終了。
一応、九校戦編は最後まで書き終わっていますが、ストック残量を保つため、週二での更新に頻度を落とします。
今のところ月・金とさせてもらう予定です。
これが本来の私の執筆スピードなのでご了承ください。


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九校戦編
九校戦に向けて


 西暦二○九五年、七月中旬。

 

 国立魔法大学付属第一高校では先週、一学期の定期試験が終わった。それ以来、生徒たちの熱気は一気に夏の九校戦準備に向かっている。

 

 九校戦の正式名称は全国魔法科高校親善魔法競技大会なのだが、まず長すぎる。そこで、参加するのが日本国内で正規課程として魔法教育を行っている九校であることから、専ら九校戦という名の方で呼ばれることが多い。

 

 日本国内の十五歳男女内、実用レベルの魔法力を持つ者の合計人数は、毎年千二百から千五百名程度。

 

 魔法科高校各校の一学年当たり定員は、九校合わせて千二百名。

 

 魔法の才能を持つ少年少女で魔法師・魔工師になろうとする者は、ほぼ百パーセント九校のどこかに入学する。

 

 つまり、九校戦は同年代の魔法師たちの魔法の実力の頂点を争うものであり、毎年、政府関係者、魔法関係者のみならず、一般企業や海外からも大勢の観客と研究者とスカウトを集める魔法科高校生たちの晴れ舞台となっている。それゆえ通常の高校生であれば、自分は九校戦に参加できるのか、また参加した場合にどの程度まで勝負できるのかというのは重大な関心事だ。

 

 もっとも市丸は通常の高校生ではないので、それには当てはまらないのだが。

 

 そして、理由は違うが九校戦の熱気に乗ることができない人物がもう一人。それは入学直後に発生したブランシュの事件で活躍した司波達也だ。達也は定期試験の結果に絡んで教師から呼び出しを受けていたのだ。

 

「要約すると、実技試験で手を抜いているんじゃないか、と疑われていたようだな」

 

 指導室から戻ってきた達也はそう言って苦笑する。

 

 第一高校では試験の上位二十名の氏名が公表される。それゆえ、市丸も達也の理論の成績は把握している。

 

 達也は理論の成績で二位の司波深雪以下を平均点で十点以上引き離した、圧倒的な一位となる得点を叩き出していた。ちなみに達也以外にも、三位に吉田幹比古という名のE組の二科生、他に十七位に柴田美月、二十位に千葉エリカとE組から四人もの成績上位者がいる。これは、実技で感覚が掴めなければ、理論も十分に理解できないといわれる現代魔法では、かなり異質な状況らしい。

 

 他に顔なじみでは理論の四位が光井ほのか、十位に北山雫がいる。そして、市丸は十九位というぎりぎり公表範囲という状態だった。それが響いて実技では一位であったにもかかわらず理論・実技の総合点では二位となった。市丸を抑えての総合一位は理論と実技がともに二位の深雪で、三位が光井、四位が北山、五位が森崎となっている。

 

 市丸の場合は魔法の感覚が純粋な魔法によるものでなく、死神の鬼道が混じっていることにより、それに引っ張られて理論の理解に狂いが発生している。それを埋めるのは容易なことではないので、総合一位はなかなか難しそうだ。

 

「それで、疑いは晴れたん?」

 

「ああ、まあ、一応ね」

 

「一応?」

 

 短い疑問の声を発したのは柴田だ。

 

「手抜きじゃないと理解はしてもらえたよ。その代わり、転校を勧められたが」

 

「そんな、何故ですっ?」

 

 光井が叫び、柴田も血相を変えた。他の北山、千葉、レオの三人も意外感を隠せていない。ちなみに深雪は生徒会役員として九校戦の準備のため、ここにはいない。

 

「そういえば、ここにおる中で、レオだけは成績上位者の中に名前がなかった気がするんやけど、どうやったん?」

 

「このタイミングで聞くのか!? いや、達也たちが特別なだけで、別に俺だって悪い成績じゃなかったんだぜ」

 

 空気が悪かったので茶化したら、レオはしっかり乗ってくれた。少し雰囲気が和らいだところで達也が理由を話し始める。

 

「先生方が言うには、第四高校は九校の中でも特に魔法工学に力を入れているから、俺には向いているんじゃないか、ということだな。もちろん断ったが」

 

「そもそも、その前提は間違ってる。四高は実技を軽視しているわけじゃない。九校戦の成績に反映するような戦闘向きの魔法より、技術的意義の高い複雑で工程の多い魔法を重視しているだけ」

 

「そうなんですか? 雫さん、よく知っていますね」

 

「従兄が四高に通ってるから」

 

「従兄から聞いとるくらいで知っとる情報を教師が知らんって大丈夫なん? ただでさえ腕が悪いのに、情報交換をするだけの頭もないなら、魔法科高校の教師ってのは何のためにおるん?」

 

 少しばかり辛辣な意見になってしまったからか、皆が黙り込んでしまった。

 

「えっと、そういえば、もうすぐ九校戦の時期じゃね?」

 

 今度はレオがむりやり話の転換をして空気を変える。

 

「深雪がぼやいていたよ。今年の準備は市丸のせいで大変だって」

 

「えー、何でボクのせいなん?」

 

「お前の実技成績なら普通はすんなり得点の高いモノリス・コードの選手に決まるんだよ。だけど、お前の場合、まずは他のメンバーと上手くやれるかが心配だし、そもそも対戦する他校の生徒を殺害してしまわないかという心配すらしないといけないだろ」

 

「えー、ボクは平和主義者なんで、そないなことせえへんよ」

 

 そう言ったら、一斉に胡散臭いものを見る目つきをされた。

 

「今年は三高に一条の御曹司が入った。その一条の御曹司と市丸くんが本気で戦ったとき、どうなるかは想像もできない」

 

「そういえば、モノリス・コードでは魔法攻撃以外の直接戦闘は禁止されているんだよな。市丸の剣を伸ばすのって魔法なのか?」

 

「魔法攻撃以外ってことなら、ボクの剣は違反になりそうやね。ま、それなら魔法で攻撃すればええだけや」

 

「お前の魔法は一般に知られていないものが多いが、それでも殺傷能力が高いと判断がなされて、違反となる可能性が高いからな」

 

「それで、結局、市丸はモノリスの選手になれそうなのか?」

 

 レオが聞いたのは、市丸ではなく達也だった。どうやら、いい加減に大丈夫だと言いかねないと疑われているようだ。そろそろ以前のような態度は改めないと、大事な場面で自分が痛い目に遭うことになるかもしれない。

 

「雫が言ったとおり、今年は三高に一条がいるからな。一条に勝つためには市丸をモノリスのメンバーから外す選択はない」

 

「それやったら、何度も確認のための面談なんかせんでええやろ。それに、ボクは別に九校戦に出たいなんて言っとらんのに」

 

「それでも、お前は無視できないんだよ。実際、十師族に勝てそうな一年生は市丸以外にはいないんだから」

 

「それで、市丸は一条に勝てそうなのか?」

 

 興味深そうに確認してきたレオには悪いが、市丸はその答えを持っていない。

 

「勝てるもなにも、ボク、その一条って子、知らんし」

 

「まあ、実際に一条の実力がどの程度かは俺も知らないが、『クリムゾン・プリンス』が弱いはずはないだろうな」

 

「例えば、七草会長や十文字会頭と戦ったとして、市丸は勝つ自信はあるのか?」

 

「レオ、ボクは会長さんとも会頭さんとも戦ったことあらへんのやけど」

 

 入学当初に授業の様子は見学したことがあるが、それだけでは実力は評価できない。

 

「けど、本気で戦ってええんなら、誰にも負けるつもりはあらへんよ」

 

 市丸は死神として百年以上も虚と戦ってきた。それ以上にいつかあの人を倒すためにと牙を研ぎ続けてきた。まだ二十年も生きていないひよっこに負けるつもりはない。

 

「市丸、モノリス・コードのルールでは刀剣型のCADでの攻撃や殺傷力の高い魔法は使えない。それを念頭に置いて戦闘の方法は考えておけよ。レギュレーション違反での失格なんてことになったら、市丸を出場させることに賛成した深雪も責任を問われることになりかねないんだからな」

 

「結局はそっちなん。心配せんでもボク、手は多い方やで」

 

 現代魔法と鬼道を比べた場合、破道に該当する魔法は現代魔法の方が充実している。それに対して、現代魔法には縛道に該当する魔法が少ない。そして、縛道には相手を殺傷することなく捕縛する術が豊富にある。高威力の魔法が制限されるというのなら、むしろ市丸には有利に働くはずだ。

 

「そう言うのなら信じるしかないが……なんとなく心配だな」

 

 市丸が多様な鬼道を使えることは見ているはずだというのに、達也は最後まで懐疑的な視線を市丸に向けていた。



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九校戦の準備

 市丸は本日、九校戦の発足式に臨んでいる。市丸の選出は、実力から考えれば順当であるので、そのことには特に驚きはない。しかし、選手をサポートするエンジニアにはある意味では順当でない人選があった。それは二科生である司波達也が多くの上級生をも押しのけ、技術スタッフ八名の中に、一年生として唯一、選抜をされたということだった。

 

 達也の実力は疑うことなく高い。けれど、九校戦は身体能力も高い方がいいものの、魔法力が高ければ押し切れるという競技がほとんどだ。達也が選手としては不適当という判断も妥当なものだろう。

 

 それよりも市丸は達也のエンジニアとしての優秀さの方がよくわからない。エンジニアとして選抜された他の上級生たちからの評価は非常に高い。しかし、市丸はCADは自らの技能の異質さを隠すために持っているだけだ。最初から大事な場面では使うつもりがないため性能にも無頓着な面があり、結果として達也の技量もわからないのだ。

 

 だが、達也にそれだけの技量があるのなら神鎗の不自然さにも気づいてしまう可能性がある。あまり触らせたくないというのが市丸の本音だ。幸いなのは一年生男子の選手の中には達也に嫌悪感を抱く者が多く、達也が市丸の担当とはならないことだ。

 

 そして今は九校戦の選手とエンジニアに順に深雪から本番で競技エリアへ入場するためのIDチップを仕込んだ徽章を襟元に付けていってもらっているところだ。それは、深雪が達也の襟にも徽章を付けるということだ。

 

 深雪はとろけそうな笑みを浮かべて達也の襟に徽章を付ける。それと同時に大きな拍手が起こる。それは一科生が前、二科生が後ろという不文律を破って前から三列目にまで進出をしていたレオ、千葉、柴田といった達也の同級生たちの一団だった。

 

「どうなんやろね、あれ?」

 

「どういうことですか、市丸隊長」

 

「森崎は、なんでボクのことを隊長って呼ぶん?」

 

「市丸隊長は僕たち第一高校モノリス・コード新人戦チームのリーダーです。隊長とお呼びするのに何も問題はありません」

 

「ま、ええんやけどね……」

 

 退院するときにしてもそうだが、市丸は森崎から好印象を持たれている。その原因には今のところ森崎自身も心当たりはないようだ。

 

「それで、どういうことでしょうか、市丸隊長?」

 

「ああ、あの二科生たちやね。ただ純粋に同じクラスの人間を応援するだけなら、構わへん。けど、二科生の代表って気持ちが強いようなら、それは新たな一科生と二科生の対立の元になるだけや。司波達也がいかに優れていようと、それであの二科生たちの実力が高くなるゆうことはないんやから」

 

 自分たちも一科生と比べて劣っていないと考えるなら、それは誤りだ。二科生たちは概ね一科生に劣る。ただ、一部に魔法科高校では評価外の身体能力で一科生を上回る戦闘能力を持つ者がいるというだけだ。そこの認識は誤ってはいけない。

 

「確かに他人の力を、己の力と誤認するのは危険ですね」

 

「ま、ほんまに勘違いしたのが現れたなら千葉あたりが対処しそうやけどね」

 

「なるほど、千葉道場に入ったというだけで強くなった気になる者を、エリカ殿は何人も見ているでしょうからね」

 

 ちなみに森崎は退院してからすぐ千葉道場に通い始めた。まだ正式な剣技を学ぶ段階にはなく、体を作っている段だということだが、千葉の話ではそろそろ次の段階に進めるかもしれないという話だ。

 

 はっきり言って、森崎の接近戦能力は今回のモノリス・コードの力になるほどではない。だが、心構えが変わったという点だけでも、今後のことを考えると良い材料だろう。

 

 九校戦の参加自体は市丸にとっては遊び半分のようなものだ。しかし、ただの高校生に敗れるようでは、元護廷十三隊の隊長としての沽券にかかわる。

 

「慢心だけはせえへんようにせんとね」

 

 達也に徽章を付け終えたことで、九校戦に選ばれたメンバー全員の紹介が終わった。それにより、九校戦に選ばれたメンバーをその日から、本格的な準備に取り掛かり始めた。

 

 

 

 翌週、九校戦へ向けた準備が加速する校内を市丸はぶらぶらと歩いていた。

 

 市丸の出場するのはモノリス・コードの他、クラウド・ボールに決まった。九校戦の競技は少しなりとも実践的な要素が含まれている。その中でもクラウド・ボールは魔法の他に身体能力の高さも有利に働く要素となる。市丸には現代魔法師にはない歩法、瞬歩の技術を有している。それが、クラウド・ボールを選択する決め手になった。

 

 なお、他のほとんどの競技でも鬼道を使えば市丸の勝利は固いが、バトル・ボードという競技だけは自信がない。あの競技は鬼道を使う余地に乏しく、純粋に現代魔法だけで競い合わなければならないためだ。市丸は現代魔法でも高い実力を誇るが、なまじ鬼道という別の手段があるために応用力という意味では少し劣るところがあるのだ。

 

 ちなみに九校戦の準備は選手や裏方のスタッフだけで行うものではない。運動部に所属している生徒は色々と下働きに駆り出されている。

 

 一方で文科系クラブについてはそれほど忙しくはない。実際に市丸が見つけた達也の同級生、柴田も時間に余裕はあるようだった。その柴田が立ち止まり、メガネを外した。確か柴田は霊子放射光過敏症というものを抑えるために、この時代では珍しくメガネをつけていたはず。それが、何故メガネを外すのか。

 

 その理由は感覚を研ぎ澄ましてみればわかった。実験棟から霊子の流れを感じる。市丸は滅却師のことを調べたことがあるので気付いたが、柴田は視覚情報の違和感で気付いたということだろう。

 

 柴田は何かに導かれるように実験棟の中に入っていく。おそらく中では何らかの魔法の行使が行われているのだろう。どうやら他人が魔法実験を行っている場に立ち入ってはならないという実習で最初に教わる注意事項は頭から抜け落ちているのだろう。

 

「顔見知りやし、一応は助けとこか」

 

 世話が焼けると思いながら一歩を踏み出したところで、既に別の人物が柴田の救出に向かっているのに気付く。それは達也だった。

 

「へえ、あの子が関わるなら、何か面白いことが起きそうやね」

 

 市丸は心配から好奇心に動機を切り替え、柴田と達也の後を追った。

 

「……落ち着け、幹比古。今、ここで、お前とやりあうつもりは無い」

 

「……すまない、達也。僕も、そんなつもりじゃなかったんだ」

 

 追いついたとき、柴田はしゃがみ込んだ姿勢で硬直し、その傍に達也が立っていた。もう一人、見知らぬ男子生徒がいる。

 

「何事もなかったようやね」

 

「市丸か。登場するなら、もう少し先に出てきてくれないか?」

 

「君がおらんかったら、そうするつもりやったよ。けど、君がおるんやったら、別に必要ないやろ。それで、そこの君は?」

 

「僕は一年E組の吉田幹比古だ」

 

 ということは、達也と柴田とは同じ組ということだ。

 

「それで、ここで何をしとったん?」

 

「今は水精を使って喚起魔法……ええと、自然霊を使った精霊魔法の一種の練習をしていたんだ」

 

 鬼道が一般的でないこともあり、市丸は現代魔法こそ学んでいる。しかし、古式魔法までは手を伸ばせていない。そもそも古式魔法は現代魔法以上に一族の秘伝が多く、市丸のように縁もゆかりもない者が学ぶのは難しいのだ。

 

 その後の説明に、柴田が青とか水色とか藍色が見えたと発言したことで、吉田が目の色を変えた。どうやら、吉田は術者ながら精霊の色を見分けることができないらしい。それなのに柴田は見ることができた。その事実に衝撃を受けたようだ。

 

 ちなみに市丸は精霊の色など見ることはできない。だが、精霊の放つ波長の違いを感じることはできる。だが、それは黙っていたそうがよさそうだ。

 

 ともかく吉田は柴田の力を借りることができれば、大きく能力を伸ばすことができそうだということはわかった。それに、これまで興味がなかった古式魔法だが、霊子を操るという行為はどこか滅却師にも繋がる。

 

 市丸は少しだけ興味を持って吉田という二科生の生徒のことを見つめた。



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道中でのアクシデント

 八月一日。

 

 いよいよ九校戦に出発する日になった。

 

 しかし、大型バスは出発予定時刻から一時間半を経過しても発車していない。これは生徒会長の七草真由美が家の事情で到着が遅れているためだ。

 

 どうやら七草は現地で合流するので出発してほしいと言っていたようだが、三年生が全員一致で彼女を待つと答えたため、このような事態となったようだ。

 

 十師族ならいくらでも移動手段は確保できるはずなので、遠慮なく出発していいと思うのだが、さすがにそれを言ったところで決定が覆ることはないので自重した。

 

「ごめんなさーい!」

 

 そうして今、ようやく七草が到着した。

 

「真由美、遅いぞ」

 

「ごめんごめん」

 

 渡辺と二人、おざなりな咎める言葉と謝罪の言葉を交わし、二人がバスに乗り込んでくる。今日の七草は両腕両肩が露出したサマードレス姿だった。おそらく、家の用事が終わり次第、そのまま駆けつけたためだろう。

 

 ちなみに今日は宿舎に入るだけで公式行事は一切無い。

 

 それ故にか、学校行事の一環であるにも拘らず、制服の着用は義務付けられていない。

 

 しかし、一年生はただ一人の例外を除いて全員が制服を着用。二年生でも半分は制服姿で、三年生になってようやく、ほぼ全員が私服姿という状態だ。

 

 そして、一年生の中では例外である私服姿。それが市丸だった。今日の市丸の服装は漆黒の和装姿。要するに死覇装によく似た和服を身につけている。なんだかんだ着用歴が長いこともあり、この服装が一番、落ち着くのだ。ちなみに隊長羽織はない。あれは見栄え以外にさほど意味はないためだ。

 

 七草が席についたことでバスはようやく発車をした。第一高校から宿舎までは二時間程度だ。一時間半の遅刻がなければ、そろそろ到着の時間だ。そして、その待ち時間が思わぬ形で車内に悪影響を及ぼしていた。

 

「……ええと、深雪? お茶でもどう……?」

 

「ありがとう、ほのか。でも、ごめんなさい。まだそんなに喉は渇いていないの。わたしはお兄様のように、この炎天下に、わざわざ、外で立たされていたわけじゃないから」

 

 車内で静かに静かにだが、怒りを溜め込んでいるのは深雪だ。

 

「……まったく、誰が遅れて来るのか分かってるんだから、わざわざ外で待つ必要なんて無いはずなのに……。何故お兄様がそんなお辛い思いを……」

 

 そもそも達也は誰からも外で皆が揃うまで待っていろ、などと命じられていない。とりあえず深雪の機嫌までは市丸の知ったことではないので放置しておいたのだが、幸いにも北山がなんとか宥めたようだ。

 

「危ない!」

 

 平穏を取り戻して少し、車内に突然、声が響いた。

 

 見ると、対向車線を近づいてくる大型車が、傾いた状態で路面に火花を散らしていた。

 

 ハイウェイの対向車線は道路として別々に作られており、堅固なガード壁で仕切られている。対向車線の事故で影響を受けることはあり得ない。

 

 だが、いきなりスピンし始めてガード壁に激突した大型車は、どんな偶然か、宙返りをしながら第一高校のバスの方へ飛んで来た。

 

 急ブレーキがかかり、全員が一斉につんのめる。

 

 バスは止まっている。

 

 だが、進路上に落ちた車は、炎を上げながら第一高校のバスへと向かって滑って来る。

 

 それに対して第一高校の生徒たちはそれぞれが魔法を使って対処しようとした。それが、事態を悪化させた。

 

 瞬間的に、無秩序に発動された魔法が無秩序な事象改変を、同一の対象物に働きかけた。結果、全ての魔法が相克を起こし、事故回避が妨げられる。

 

 この現象は、発動の際に事象の改変を起こすという現代魔法特有のもの。そして、市丸の鬼道は事象改変を伴わない。即ち、この状態でも行使には全く影響しない。

 

「縛道の三十七、吊星」

 

 道路上一杯に張った膜が迫る大型車を受け止める。弾力性のある膜は大型車を潰すことなく受け止めているが、炎まではどうしようもない。運転手の生存はおそらく絶望的だろう。とはいえ、消火しないわけにもいかない。が、そのためにも必要なことがある。

 

「ええ加減、魔法を解除してくれへん?」

 

 大型車の周辺には、未だ第一高校の生徒たちが使った魔法の影響が残っている。それを消去してもらわないと次の魔法が使えない。

 

 市丸に促されて、ようやく第一高校の生徒たちが魔法をキャンセルした。それを確認した深雪が瞬時に消火を果たす。

 

「市丸、今のはお前の魔法か?」

 

 そんな聞かずとも明確な確認をしてきたのは渡辺だった。

 

「そうですけど?」

 

「今の魔法は何なんだ?」

 

「何って、物を受け止める魔法ですけど?」

 

「いや、それはわかったが、あのような魔法は聞いたことがないぞ」

 

 渡辺の言いたいことはわかる。現代魔法は事象の改変を行うことで発動する。その性質上、空気中の二酸化炭素を集めてドライアイス等を作ることはできても、空気中に存在しない物質を出現させることはできない。もっとも、吊星は周囲に存在する霊子を用いているので現代魔法の原理に反してはいないのだが、霊子の存在を認識できない者にとっては無から有を作り出したように見えるのも仕方がない。

 

「渡辺委員長、他者の魔法の詮索はあまり感心はでけへんなぁ」

 

 痛い所を突かれたというように渡辺が黙り込む間に、市丸は会話を打ち切る。その間に、技術スタッフの男子生徒が後続の作業車から出て来て、救助活動という名の遺体の回収を行い始めていた。

 

 結局、事故後の警察の事情聴取や現場を通行可能とするための大型車の撤去の手伝いなどで更に三十分の遅れをもって第一高校は宿舎に到着した。宿舎は軍の施設を貸切のかたちで提供されているが、専従のポーターまではいない。そのため、九校戦では自分たちで荷物の積み下ろしをすることになっている。

 

「少しええ?」

 

 作業車から小型の工具やCADを降ろし、台車に載せて部屋へと運ぼうとしている達也を市丸は呼び止める。

 

「さっきの事故やけど、あれ、ほんまにただの事故やったん?」

 

「どういう意味だ?」

 

「あの大型車の飛び方、不自然に思わんかってん?」

 

「それを何故、俺に聞く?」

 

「だって君、起動式とか見えるんやろ? ボク、そういうのはわからんのよ」

 

 これは嘘ではない。現代魔法に関しては市丸はごく普通の魔法科高校生と同程度の技量しか持っていない。行使の場面を目視でもしない限り、相手が魔法を使っていたか否かというのは判別できない。

 

「……事故の後始末をしていたとき、魔法の痕跡を感じた」

 

「へえ、じゃあ、あれはボクらを狙ったものやな。けど、ボクらは会長さんの遅刻のせいで本来の予定時間を大幅に遅れて、あの場所を通過することになった。よう、あのときに通るとわかったものやね」

 

「それは、俺も気になるところだが、相手はそれなりに大きな組織だ。見張りを立てることくらいはするだろう」

 

「へえ、それなりに大きな組織ね。その根拠は?」

 

 達也はまるで相手に心当たりがあるような言い方だ。

 

「根拠は、今回、魔法を使って車を飛ばしたのは、死亡した運転手だということだな」

 

「運転手が? 何でそんな回りくどいことをせなあかんの」

 

 自らが運転する車を飛ばすより、もっと殺傷能力の高いものを使う、もしくは魔法で直接攻撃を行う方が有効だ。わざわざ自分の命をかけて、殺傷能力の低い攻撃を行う意味がわからない。

 

「詳しいことはわからないが、何としてもただの事故に見せたかったということだろうな。運転手は、お前だけでなく、深雪や七草会長でも気づかないほど、小規模な魔法を最小の出力で瞬間的に行使していた。魔法式の残留相子も検出されない高度な技術は専門の訓練を積んだ工作員でなければ不可能だ」

 

「それで、それなりの組織による攻撃やと考えたわけやね」

 

「ああ、特に最後、スピンする車内で振り回されながら、ガード壁に衝突する瞬間に正確に魔法を発動するのは並大抵の練度ではできない。それだけの腕を持った魔法師を使い捨てにするなんてことは、それなりの規模の組織でないとできないことだ」

 

「けど、やっぱり目的がわからへんね」

 

 組織による攻撃だとして、なぜ事故に見せかける必要があるのかがわからない。

 

「そうだな。そこについては俺もわからない」

 

 結局、現段階では目的は一切、不明だということだ。これ以上、ここで考察を重ねても得られるものはないだろう。市丸はここでの達也との会話を打ち切った。

 

「まずは今晩の懇親会やね。おもろい子がおればええんやけどなぁ」

 

 せっかくの競技に出場するのなら、少しくらいは楽しみたい。市丸は薄く笑みを浮かべて懇親会に向けて部屋で体を休めた。




次話でついに一条将輝登場。
なぜかS祥寺真紅郎とM条将輝のBLコンビに書いてしまっている二ヶ月前の私のせいでマイルド化修正作業が発生中。


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九校戦懇親会

 九校戦参加者は選手だけで三百六十名。裏方を含めると四百名を超える。

 

 全員出席が建前とはいえ、様々な理由をつけてパーティーを欠席する者は決して少なくない。

 

 それでも、懇親会は出席者数三百名から四百名の大規模なものになる。

 

 会場も必然的に大きなものになり、ホテル側のスタッフもそれなりの人数が必要だ。

 

 ホテルの専従スタッフや基地の応援だけでは賄い切れないだろう、ということも容易に推測できるし、明らかにアルバイトと思しき若者が給仕服に身を包んで会場内を行き来しているのも納得できる。

 

 パーティーのドレスコードである制服に着替えた市丸は、その会場の中で見慣れた顔を見つけた。

 

「君らも来とったんやね」

 

「あれ、市丸くんは驚かないんだね。誰かに聞いた?」

 

 声をかけた千葉は意外そうな顔で答えてきた。

 

「いや、君の気配は感じとったから。理由はわからんけど、おるんやなとは思うとった」

 

 気配というか、会場に入ったときから霊圧を感じていたのだが、そこはぼかしておいた。ちなみにレオ、柴田、吉田の霊圧もこの場にあるのを感じる。

 

「本当に、市丸くんって達也くんとは違ったかたちで規格外よね」

 

「おおきに。それより仕事に戻らんでええの?」

 

「うっ……コネを利用した以上、仕事はしないといけないか」

 

 そう言って、千葉は市丸から離れていった。もっとも、その後も司波兄妹と立ち話をしているようであったが。

 

 そして、そんな三人を見つめる視線があった。それは、第一高校の生徒会役員たちと笑顔で談笑している第三高校の生徒会役員の後ろにいる一年生たちだった。その視線は深雪の美貌に見惚れているだけで、戦力分析に勤しんでいるという様子ではなかった。

 

「なんや、尚武の第三高校って言うても中身は俗っぽい高校生やんか」

 

 もっとも高校生の段階から熟練軍人のようであれば、それはそれで問題だろうが。

 

「まあ、それでも一応は確かめとこか」

 

 ひょっとしたら、司波達也のような掘り出し物もいるかもしれない。そう考えて、市丸は第三高校の一団の方に近づいていった。

 

「君が一条の御曹司やね」

 

 そうして一番、霊圧が高い、けれど深雪に見惚れているという点では他の生徒と変わらない少年に声をかけた。

 

「そうだが……君は?」

 

「なんや、やっぱりそうかァ」

 

 同世代の少年たちの中では霊圧が高い。けれど、司波深雪よりも格下だし、おそらく司波達也よりも弱い。その程度の相手なら、遊び相手にもならない。

 

 残念ながら、あまり楽しむことはできなそうだ。確認も終わったので、戻ろうとしたところで、一条の側にいる男子生徒が肩に手をかけてきた。

 

「おい、お前! ちょっと待て!」

 

「待て、言うたか。おもろい子やなァ、ボクが怖ないんか?」

 

 言いながら、少しばかり霊圧を解放する。隊長格の霊圧だ。ただの高校生が耐えきれるものではない。市丸の肩を掴んでいた少年は膝を付き、脂汗を流していた。

 

「ぐっ……これは……」

 

 一条も膝こそつかないが、霊圧にあてられているようだ。それだけ確認出来れば十分だ。市丸に弱者をいたぶる趣味はないため、霊圧を抑えてそのまま歩き去ろうとした。

 

「何をしているんだ! 市丸!」

 

 しかし、その前に第三高校の生徒会役員に挨拶をしていた渡辺に捕まってしまった。

 

「何って、ちょっとした挨拶ですやん」

 

「ちょっとした挨拶で、何であんな圧を感じることになるんだ。というか、そもそも加重魔法を使ったわけでもないのに圧力を感じるって何なんだ」

 

「渡辺委員長、他者の魔法の詮索は感心でけへんって、昼前に言うたばかりですやん」

 

「詮索して欲しくないのであれば、もう少し隠す努力をしろ」

 

 言っていること自体は道理である。

 

「三高の皆さん、うちの後輩が迷惑をかけた」

 

「いえ……それより、そこの彼は……」

 

「ああ、こいつは市丸ギン。うちの一年生で、モノリス・コードとクラウド・ボールに出場する予定だ」

 

「よろしゅう」

 

 言いながら手を振ってみたが、返ってきたのは警戒する視線だけだった。仕方がないので、そのまま第一高校の生徒が集まるテーブルへと戻っていく。

 

「市丸なんて名前、聞いたことがない」

 

 市丸が背を向けたことで、誰かが叫ぶように言っていた。そこには、自分たちより格下であってほしいという醜い願いが透けて見えた。魔法師の世界はどうだか知らないが、死神では名門以外から隊長に就く者が出ることは、珍しくはなかった。魔法師たちは十師族だとか、百家だとかに縛られ過ぎだと思う。

 

「まあ、驚くとええわ」

 

 一条と対戦するのはモノリス・コードになるだろう。市丸だけでも負けることはないが、森崎も接近戦能力が鍛えられたことで少しは戦力となりそうだし、時間が必要という弱点はあるが、強力な魔法が使える篠田も戦力として見れるようにはなった。

 

 それでも第一高校の一年生は一条たちと比べて大きく劣る。先ほどは名門出身だから強いわけではないと考えたが、それは十分に鍛錬を積んだ後の話だ。市丸たちが隊を組んでから二週間にも満たない。それだけの短期間ではできることは限られる。

 

 席に戻って少しすると、来賓の挨拶が始まった。といっても、登壇するのは市丸から見れば青二才といえる年齢の者たち。目をつけられない範囲で食事を楽しみながら本日の主賓とも言える相手の登場を待つ。

 

 そして、司会者がついに九島烈という名を呼んだ。

 

 九島烈は日本に十師族という序列を確立した人物で、二十年ほど前までは世界最強の魔法師の一人と目されていた人物だ。

 

 年齢はそろそろ九十歳近いはず。

 

 眩しさを和らげたライトの下に、パーティードレスを纏い髪を金色に染めた若い女性が現れる。そして、その背後に一人の老人。

 

 どうやら精神干渉魔法を使用して、意識を前に立つ女に向けているようだ。けれど、それは意識と霊圧のずれで、容易に把握できる。

 

 余談だが、市丸は基本的に霊圧の認識に頼るところがあり、その結果として現代魔法による認識阻害は、ほぼ通用しない。半面、現代魔法の情報改変による隠蔽のやり方というのがよくわからない。霊圧を抑えることで気配を断つことは得意だが、そもそも気配を探るなどという人間は少ない。加えて、魔法による探知からは全く逃れられない。

 

 人間の隠蔽では逃れられない反面、人間の探知から隠れられない。なんとも面倒な状態が今の市丸なのだ。おかげで何をするにも後始末をしてくれる誰かの手が必要になる。そのせいで入学直後のブランシュ事件では、目立つ動きばかりになってしまった。

 

「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」

 

 市丸の思考が脇に逸れている間に九島は魔法を解いて挨拶を始めていた。九十歳が近いにしては声は若々しい。肉体も九十歳よりは遥かに若い。

 

「さすがに元柳斎ほどとはいかんけどね」

 

 あの老人は千歳を遥かに超えながら強靭な肉体を有していた。もっとも、あれは化け物の類で、そのレベルを求めるのは酷というものだ。

 

「今のはチョッとした余興だ。魔法というより手品の類いだ。だが、手品のタネに気づいた者は、私の見たところ七人だけだった。つまり、もし私が君たちを狙うテロリストで、来賓に紛れて毒ガスなり爆弾なりを仕掛けたとしても、それを阻むべく行動を起こすことができたのは七人だけだ、ということだ」

 

 九島の言葉は、市丸にもそれなりに為になるものだった。市丸は基本的に霊圧を探ることで危険を察知する。通常の物体では死神を傷つけることはできない。そのため、霊圧を感じるものにだけ気を付ければ十分だった。

 

 けれど、それでは毒ガスなどを察知することはできない。そして、今の市丸は当然ながら、毒物による攻撃は無効化できない。これは、何らかの対策が必要かもしれない。

 

「魔法を学ぶ若人諸君。私は諸君の工夫を楽しみにしている」

 

 これまでの死神として学んだことが通用しない分野にどのように対処するか。九島の挨拶の最中、市丸はそのことを考え続けていた。



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九校戦会場への侵入者

「司波君もそろそろ切り上げた方がいいよ」

 

 作業車の中で起動式のアレンジをしていた達也が、そう声を掛けられて見回せば、車内にはすでに達也以外には五十里という上級生のみになっていた。

 

「司波君の担当する選手の出番は四日目以降なんだから、あんまり最初から根を詰めない方がいいと思うよ」

 

 達也の担当する競技は、一年生女子のスピード・シューティング、ピラーズ・ブレイク。ミラージ・バットの三種目。これは深雪たちの希望であると同時に、一年生男子が達也が担当となるのを嫌がった所為でもある。ちなみに、その急先鋒は市丸だった。

 

 他の一年生は達也の実力を疑って、自分の競技成績を左右するエンジニアを任せられないと考えた。一方、市丸は自分の実力を達也に知られることを忌避したように思えた。達也が見る限り、市丸が使用しているのは市販の何の変哲もないCADだ。そして、おそらくその見立ては正しいはずだ。市丸はCADには何の秘密もなく、秘密は市丸自身にあると特定されることを恐れたのだろうが、そんなことは確認するまでもなくわかっている。

 

「無意味なことを」

 

「え?」

 

「いえ、何でもありません」

 

 一年生の競技、つまり新人戦は四日目から八日目にかけて行われる。

 

 明日から担当選手が登場するスタッフに比べて、達也に余裕があるのは確かだった。

 

「そうですね。では、お先に失礼します」

 

 あえて一緒に引き上げようとは言わず、達也は作業車を後にした。

 

 真夏の夜は、真夜中であっても、それほど気温が下がらない。

 

 すぐには部屋に戻らず、ホテルの周りをブラブラ歩いていた達也は、妙に緊張した気配を感じた。

 

 数は三人。場所はホテルを囲む、生垣に偽装したフェンスの間際だ。

 

 三人はそれぞれ拳銃と小型の爆弾を持っている。

 

 ホテルの敷地の外側でも、彼らがいるのは既に軍の管理地内。この基地のセキュリティは決してザルではない。人と機械の双方で侵入者を監視し、排除している。特に武装している相手には容赦がない。

 

 そのセキュリティを破って侵入してきた賊だ。しかも、爆弾まで準備して。

 

 達也の感覚は、不審者に向けて近づいている知人二人を捉えていた。

 

 一人は幹比古。そして、もう一人は市丸だ。

 

 最初の位置関係から、不審者への接触は幹比古が早い。

 

 援護の為の術式を、走りながら、達也は編み上げた。

 

 幹比古が三枚の呪符を取り出し、魔法を放つ体勢に入った。

 

 幹比古は、現代魔法ではなく、古式魔法を使うつもりだ。想子が幹比古の手を伝って呪符に流し込み、術式が構築される。

 

 現代魔法も古式魔法も、「存在」に付随する「情報」に干渉し、「事象」を書き換えるという基礎構造に違いは無い。

 

 ただ、その干渉の方法・態様が異なるだけだ。

 

 幹比古の魔法は、現代魔法に比べて速度と自由度に劣るものの、改変に対する干渉を受け難いというメリットがある。しかし、今は速度に劣るというデメリットが重要になる。

 

 幹比古の手元には閃光が生じ、それに呼応するように賊の頭上に電子が集まっている。

 

 一秒以内に、電撃が賊を襲う。

 

 しかし、賊が拳銃の引き金を引く為の時間は、半秒もかからない。

 

「射殺せ、神鎗」

 

 だが、賊が拳銃を撃つよりも早く、幹比古を追い抜いて伸びた刀が賊一人の額を貫く。

 

 驚いた賊が幹比古から意識を逸らす間に、空中に生じた小さな雷が、残る二人の賊を撃ち倒した。

 

「市丸くん?」

 

 刀を伸ばす魔法は市丸しか使わない。おそらくブランシュ事件の時に目撃をしていたのだろう。幹比古はすぐに自らを援護したのが誰か気づいた。

 

「ちょっと無茶をしすぎちゃう? ボクの他に達也も来とったんやから、少し待って合流してから仕掛けたら良かったんちゃう?」

 

「君や達也が来ていたことに、気付かなかったんだ」

 

 ばつが悪そうな幹比古だが、ショックを受けている内容は達也たちに気付かなかったことではないように見えた。

 

 幹比古の前まで小走りで近づいた達也はそのまま自己加重の術式により負の加重をかけ、二メートル超の生垣を飛び越えて賊の元に向かう。

 

「死んではいない。良い腕だな」

 

「あれ、それだとボクの腕が悪いみたいやない?」

 

「お前はそもそも捕らえるという気がなかっただろう?」

 

「いややなあ、ちゃんと一人は生かしておく気やったって」

 

 それは二人までなら死んでもいいと思ったと言っているのだろうか。

 

「市丸の戯言は置いておくとして、ブラインドポジションから、複数の標的に対して捕獲を目的とした正確な遠隔攻撃を行い、相手に致命傷を与えることなく、一撃で無効化している。ベストな戦果だと思うぞ」

 

「……でも、ボクの魔法は、本来ならば間に合っていなかった。市丸くんの援護が無ければ、僕は撃たれていた」

 

「援護が無かったら、というのは仮定に過ぎない。お前の魔法によって賊の捕獲に成功した、これが唯一の事実だ」

 

「けど、ボクらがもう少し遠くにおるときに勝手に交戦されたら、どうにもならん。君の失敗は魔法より判断力やな」

 

 悔しそうに、しかし、反論の言葉がないのか幹比古が俯いて押し黙る。

 

「市丸の考えもわからなくもないが、幹比古、お前が間違っているのは別の点だ。幹比古は本来ならば、と言っていたが、お前はいったい、何を本来の姿と思っている? まさか相手が何人いても、どんな手練れが相手でも、誰の援護も必要とせず、勝利することができる。そんなものを基準にしているんじゃないだろうな?」

 

「達也……」

 

「何故それ程までに、自分を否定しようとする? 何故、それ程、自分を貶める? 何がそんなに気に入らないんだ?」

 

「……達也に言っても分からないよ。言っても、どうにもならないことなんだ」

 

「どうにかなるかもしれんぞ」

 

 壁を作り、その陰に逃げ込む幹比古の反論を、達也は言葉の破城槌で打ち砕いた。

 

「幹比古、お前が気にしているのは魔法の発動スピードだろう。その原因はお前の能力ではなく、お前が使用している術式そのものだ。魔法が自分の思うように発動しないのはその所為だ」

 

「何でそんなことが分かるんだよ!」

 

「俺には分かるんだよ。無理に信じてもらう必要は無いがな」

 

「へえ、おもろいやない。それ、吉田の使う古式魔法を改良できるて言うてるんやろ」

 

 そこで、市丸が会話に入ってきた。

 

「そういうことだな」

 

「そら、是非とも聞かせてもらいたいものやな」

 

「俺はあくまで幹比古の魔法について言ったのであって、お前の使っている魔法に応用できるとは限らないぞ」

 

「そないなことはわかっとるよ。あくまで、応用出来たら儲けものってことや」

 

 達也は「視る」だけで起動式の記述内容を読み取り、魔法式を解析できる。だが、市丸の魔法は、まず起動式自体を読むことができない。詠唱を用いていたことから、古式魔法に近いものだとは思うが、市丸の魔法は効果も対応方法もわからない。しかし、市丸の質問に答えつつ逆質問をしていけば、その秘密の一端に触れることができるかもしれない。

 

 市丸と深くかかわれば、逆に達也の能力を知られることになりうる。けれど、達也の秘密を知られる程度で深雪の危険を取り除ける可能性があるのなら、達也としては受けないという選択肢はない。

 

「今日のところは、この話はここまでとしよう。それより、コイツらの処置だ。俺と市丸で見張っているから、警備員を呼んできてもらえないか?」

 

「わかった。呼びに行ってくるよ」

 

 幹比古は素直にこの場から離れてくれた。

 

「別に呼びに行かさんでも、そこで聞いとる人がとっくに呼んどるんちゃうん?」

 

「……まさか、気付かれるとは思わなかった」

 

 そう言いながら、現れたのは達也と旧知の陸軍一○一旅団・独立魔装大隊隊長・風間玄信少佐だった。達也は盗み聞きする風間の気配をつかんでいなかった。

 

 それもそのはず。風間は達也より遥かに長い期間、九重八雲の教えを受けた、九重門下の筆頭だ。イデアにアクセスしていない状態の達也では、風間の気配を察知するのは困難だ。その風間の気配に、市丸は気付いたのだ。市丸が探知魔法を使っていることも達也は気付くことができなかった。やはり、市丸の能力は脅威だ。

 

「それで、もうボクは行ってもええんかな?」

 

「ああ、これから後は俺が引き受けよう。基地司令部には、俺の方から言っておく」

 

「お願いします」

 

 達也と風間が既知の仲であることは市丸なら気付いたはずだ。けれど、市丸は達也に何も聞いてはこなかった。



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九校戦開幕

 市丸が侵入者の排除を行った翌日、九校戦は、何事もなかったように開幕した。

 

 結局、昨晩の一幕は選手たちには公表されなかった。

 

 選手は皆、一流の魔法力を持つとはいえ、まだ高校生だ。

 

 全くの未遂に終わったことだし、不安を与えるのは好ましくない、との判断が下された結果だった。

 

 市丸から見れば甘く見えるが、現世では高校生はまだ保護の対象だ。尸魂界ほど危機を感じる場面が少ない環境では魔法師という戦闘力を持つ者の雛たちも耐性が低くなるのはやむを得ない。

 

「死んだら天国に行けるとか思うとる者たちに尸魂界のことなんか知られたら、どないなるんやろうね」

 

「ん、何か言ったか、市丸?」

 

「いや、それより、そろそろ会長さんの試技が始まるんちゃうん?」

 

 耳聡く小声を聞き取った達也を誤魔化し、市丸はスピード・シューティングという競技に出場する七草に意識を向けさせる。

 

 スピード・シューティングは、三十メートルの先の空中に投射されるクレーの標的を魔法で破壊する競技で、制限時間内に破壊したクレーの個数を競う。いかに素早く正確に魔法を発射できるかを競う、というのがスピード・シューティングという競技名の由来だ。

 

 市丸たちはその会場の後列に、光井、北山、達也、市丸、深雪の順で並んでいた。達也に執着している光井と深雪が達也の隣にいないのは、市丸が達也の隣を死守したためだ。魔法力は高くても魔法理論は怪しい市丸にとって達也の魔法の解説は貴重だ。そして、市丸が片方を陣取る以上、もう片方には光井と深雪のどちらかしか座れない。その結果、二人は争いを避けることを優先して北山が隣と決まった次第だ。

 

 スピード・シューティングの試合には二つの形式がある。

 

 予選は五分の制限時間内に破壊した標的の数を競うスコア型。

 

 対して、準々決勝以降は紅白の標的が百個ずつ用意され、自分の色の標的を破壊した数を競う対戦型となる。

 

「予選では大破壊力を以て複数の標的を破壊するという戦術も可能だが、準々決勝以降は精密な照準が要求されるというわけだ」

 

 その精密な照準に今一つ自身がないため、市丸はスピード・シューティングへの出場を見合わせた。死神の討伐対象であった虚は基本的に人より遥かに大きい。最小でも人間と同じくらい。これまでクレーのような小さな標的を狙う訓練をしたことはない。

 

「従って普通なら、予選と決勝トーナメントで使用魔法を変えてくるところだが……」

 

「七草会長は予選も決勝も同じ戦い方をすることで有名ね」

 

 達也の解説に割って入ってきたのは遅れて会場に入ってきた千葉だった。他にレオ、柴田、吉田もいる。

 

 レオたちが席に座ってほどなく、開始のシグナルが点った。

 

 軽快な射出音と共に、クレーが空中を翔け抜ける。

 

 射出数は五分間に百個。

 

 平均すれば、三秒に一個。

 

 それだけ聞けば、十分すぎる間ともいえるが、時には連続して、時には十秒以上の間隔を置いて、時には五個、六個の標的が同時に宙を翔ける。

 

 この同時に六個というのが市丸には厳しい。六個すべてを巻き込む魔法なら楽だが、相手のクレーを巻き込まないよう弱い鬼道を六連射というのはやったことがない。

 

 そもそも護廷十三隊の中でも最高位の戦力である隊長が出撃する必要があるのは、よほどの強敵の場合のみだ。威力の弱い鬼道を連射する場面など想定できない。想定できない場面のための訓練などしているはずもない。

 

「あの滅却師の子なら苦もなくやってのけそうなんやけどな」

 

 あの滅却師なら六個と言わず、もっと多くのクレーが一度に射出されようと、正確に自分の物だけ撃ち抜いただろう。けれど、七草の魔法もそれに大きく劣るものではない。百個のクレーを百発のドライアイスの弾丸で正確に撃ち抜いていた。

 

「驚くべき精度だったな。いくら知覚系の魔法を併用していたといっても、手に入れた情報を処理するのは自前の頭だからな。余程マルチサイトの訓練を積んだのか、それとも天性なのか……十師族直系は伊達じゃない」

 

「会長さん、知覚系魔法まで併用していたんですか?」

 

 驚きの声を上げたのは柴田だったが、市丸も同じように驚いていた。市丸では、対象が知覚系の魔法を使っているかは判別ができない。自分に使われたわけでもない魔法まで見ることができる達也が羨ましい。もっとも、市丸が霊圧などという達也には理解できない概念を感じることができると知れば、同じような感想を抱くのだろうが。

 

「遠隔視系の知覚魔法『マルチスコープ』。非物質体や情報体を見るものではなく、実体物をマルチアングルで知覚する、視覚的な多元レーダーの様なものだ。会長は普段から、この魔法を多用しているぞ?」

 

「それなら光波振動系魔法が得意な光井なら見つからんようにできるゆうこと?」

 

「そうだな。ほのかなら不可能ではないかもしれないが、会長のマルチスコープは多方向から対象を視覚するからな。全方位からの監視をかいくぐるのは容易でないだろうな」

 

 縛道の二十六の曲光で自分を覆えば隠せないことはないようだ。しかし、市丸は曲光をそこまで極めようなどとは考えてこなかった。正面からだけなら誤魔化せても複数の視点から見られたときにも不自然さがでないようにするのは難しそうだ。

 

「でもよ、空気分子の運動を減速してドライアイスをつくり、これを亜音速に加速し、更に知覚魔法を併用していたんだろ? 知覚魔法は常駐、減速魔法と加速魔法は百回も繰り返して。良く魔法力がもったな」

 

「会長の射撃魔法の原型となっている『ドライ・ブリザード』は効率の良い魔法だからな。会長の魔法技能なら、百回どころか千回でも可能だろうさ」

 

 七草の弾丸の速度と数はかなりのものだ。しかし、さすがに群狼を使用した状態の十刃のコヨーテとは比べるべくもない。全力で瞬歩を行えば、市丸は回避をしつつ神鎗の一撃で対処が可能だ。

 

 それより脅威なのは、戦略級魔法と呼ばれる魔法だ。威力と範囲は死神が使用する鬼道の中でも最高峰の九十番台をも上回るほど。

 

 しかも、戦略級魔法は詳細が隠されていて内容がわからない。縛道の中には防御魔法も複数あるが、内容がわからないのでは、どのような鬼道を選択していいのか、そもそも手持ちの鬼道で防げるのかも判断できない。

 

「えっ、でもよ、この真夏の気温でドライアイスを作るのも、それを亜音速まで加速するのも相当なエネルギーが必要なはずだぜ? いくら魔法がエネルギー保存法則の埒外だからといって、それだけの事象改変を伴う魔法の負担が少ないってのは、いくら達也の言葉でも俄にゃ信じられんのだけど」

 

「魔法はエネルギー保存法則に縛られず、事象を改変する技術だ。だが改変される側の対象物まで、エネルギー保存法則から自由になっているわけじゃない」

 

 市丸が七草の魔法と、まだ見ぬ現世の最強魔法への対策を考えているうちに、レオと達也は小難しい魔法理論の話をしている。理論の成績で優秀者に入っていないレオでさえ、このレベルなのだ。魔法理論に関しては、現世に生まれてからそれなりに努力して学習してきたつもりだが、死神として得ていた感覚を生かしても、並みの優等生止まりなのが現状だ。

 

「ドライアイスを作ってそれを加速するという魔法は、ドライアイス形成過程で奪った分子運動エネルギーを、個体運動エネルギーに変換するというスキームで物理法則を欺いている。エントロピーを逆転させる、自然には絶対にあり得ない現象なんだが、ドライアイスを加速させることで、単にドライアイスを作るより、熱力学的には辻褄が合ってる」

 

 何が辻褄が合っているのかさっぱりだ。

 

「……何か上手いこと騙されてるような気がすんだけど」

 

「覚えておいた方がいいぞ、レオ。世界を『上手いこと騙す』のが魔法の技術だ」

 

 世界を騙すなど、達也の考え方は、もしかしたらあの人の方に近いのかもしれない。

 

「なんや、達也ってそのうち、俺が天に立つ、とか言いだしそうやな」

 

「は? 何を言っているんだ?」

 

 残念ながら、司波達也には通じるはずもなかった。

 

 今回ばかりは、市丸は自分の発言を後悔した。




白雷を六連射とか、訓練を積めば可能かもしれないけれども、必要性を感じないので鍛錬はしてこなかったため、この市丸は使用できません。

卍解状態なら似たようなことできそうですしね。

連射系の攻撃手段については一貫して課題として抱えることになる設定ですので、そういうものと飲み込んでくだされば。


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新人戦に向けて

 九校戦二日目。

 

 この日は、クラウド・ボールの本戦が行われる。

 

 もしも、上級生たちの魔法が市丸の想定を超えないようであれば、新人戦の市丸の優勝は固いことになる。逆にここで思いもよらぬ魔法が駆使されるようなら、作戦の練り直しが必要となる。その意味で、今日は市丸にとっても大事な日だ。

 

 クラウド・ボールはテニスやラケットボールに似た球技だが、サーブという制度は無い。

 

 一セット三分、インターバル三分。女子は三セット、男子は五セットマッチ。

 

 試合開始の合図と共に圧縮空気で射出されたボールは、二十秒ごとに数を増やしながらブザーがセットの終了を告げるまで、普通はコートを目まぐるしく飛び交って止まることは無い。

 

 しかし、この日、市丸が観戦した七草の試合は、少々毛色が違っていた。

 

 七草は胸の前で両手でCADを構え、コートの中央に立ったまま。

 

 だが、すべてのボールは七草側のコート十センチほどに侵入した瞬間、運動ベクトルの倍速反転魔法で弾き返されていた。

 

 あの魔法は非常に厄介だ。いかに市丸が速く動こうとも、ボールが魔法で弾き返されたのでは、身体能力では補いきれない。一応、縛道を駆使すれば対応が不可能ではないが、競技としては終わってしまうのが難点だ。

 

「それでも、負けそうなら使わせてもらうけどね」

 

 そう呟きつつ、七草の試合を見守る。けれど、この試合はすでに決まったも同然だ。

 

 実際、七草は一つの失点もないまま、一方的に第一セットを終えた。終了のブザーが鳴らされた瞬間、相手選手は両膝をついてコートにへたり込んでいた。

 

 相手選手はすでに想子の枯渇を起こしかけている。あれでは、次のセットの終了までは持つまい。おそらく、このまま相手は棄権することだろう。

 

 クラウド・ボールは九校戦中、一日の試合数が最も多い競技だ。

 

 試合数はモノリス・コードの六試合が最も多く、クラウド・ボールはピラーズ・ブレイクと同じ五試合だが、モノリス・コード、ピラーズ・ブレイクが二日間にわたり競技日程が組まれているのに対し、クラウド・ボールは五試合を半日で戦い抜かねばならない。

 

 試合時間も短いとはいえ、競技の性質上、三分間のセット中は息をつく間もないほど魔法を連発しなければならないから、決して一試合あたりの負担が小さいとは言えない。

 

 市丸がモノリス・コードとクラウド・ボールの両競技に出場が認められたのは、豊富な魔法力を認められたということでもある。

 

 この競技を勝ち抜く為には、一般的には、いかに魔法力の消耗を抑えるかが重要になると言われている。しかし、クラウド・ボールがいかに体力と魔法力の消耗が激しい競技といえども、五セット合計で競技時間は十五分に過ぎない。

 

 市丸は尸魂界の隊長を務めていたのだ。強力な虚との戦いは、十五分で終えられるほど甘くはない。

 

 三セット連取できれば五試合を戦ったとしても、合計四十五分。それくらいならセット毎のインターバルや次の試合までの時間を挟まず、通しで戦っても問題はない。ゆえに、問題となるのはこの競技に特化したような特殊な魔法の存在のみ。

 

 そういった魔法の存在を警戒しながら観戦した七草の二試合目。今度の試合でも七草は第一セットを一点も失うことなく終えた。運動ベクトルの倍速反転魔法を突破出来ないような相手なら、市丸なら勝利は可能だ。この試合はこれ以上、見るべきところはない。市丸は席を立ち、男子の試合会場に移動した。

 

 第一高校のクラウド・ボール陣は絶対的な存在の七草を擁する女子に比べて男子はいささか力不足の感があった。なにせ入学直後の勧誘週間の際に剣道部と揉め事を起こし、一瞬のうちに市丸に倒された桐原武明が有力な選手なくらいだ。

 

 仮に男子が桐原と同程度の相手しかいないのであれば、鬼道を使用しなくても勝利ができるだろう。そうであってほしいと思う気持ちと、自分の予想を超える強敵とまみえてみたいと思う気持ち。矛盾した二つの気持ちを抱えながら市丸は席を探す。

 

「お、市丸じゃないか」

 

 声の方を見ると、レオが壬生、千葉、柴田、吉田と一緒にいた。どうやら桐原の応援に向かった壬生に他が付き合ったという構図のようだ。

 

「女子の方はいいのか?」

 

「有力な選手は一通り見終わったから。男子の方は誰が有力なん?」

 

「優勝候補ってことなら、これから桐原さんと対戦する第三高校の九十九島さんがそうですね」

 

「へえ、それなら見とこうか」

 

 柴田にそう返して席についてからほどなく、桐原と九十九島の試合が始まった。九十九島は優勝候補ということだが、試合の序盤、押していたのは桐原だった。桐原は剣術で鍛えた強振に加え、ラケットが触れた瞬間にボールに加速魔法を付与していた。この一撃を九十九島は受けきれず、少しずつだが失点を重ねていった。

 

 しかし、時間が経過してボールの数が増えていくと、桐原も一球あたりに振り分けられる力は減少していく。そうなると、俄然、九十九島に勢いがでてきた。

 

 それほど力を込められなかった球は魔法のみで返し、強い球は返しきれなくともよいから天井や壁面に打ち上げて時間を稼ぐ。徐々に魔法に比重が移っていくのがわかった。

 

 それに対して、桐原は九十九島に劣る魔法力を身体能力で補っている。魔法は大量失点を防ぐために用い、主な得点源は身体能力と加速魔法から繰り出されるラケットでの一撃だ。必然的に運動量は多くなり、セットが進むにつれ、大量の汗を滴らせていく。

 

 では、時間が経つほどに桐原が不利になっていたかというと、それほどでもない。桐原の運動能力を相手取るには九十九島も全力で魔法を使用しなくてはならないようで、顔こそ涼しいものだが、魔法の精度は徐々に低下している。運動能力対魔法力の、この対決は最終の第五セットまでもつれ込んだ。

 

「桐原くん……」

 

 壬生は祈るようにコート上の桐原を見つめている。だが、市丸の見立てでは、この試合の勝者は九十九島だ。桐原は体力だけでなく、魔法力も尽きかけている。その予想通り、最終的な総得点差は僅かに八点の大接戦ながら、制したのは第三高校の九十九島だった。

 

 試合は間違いなく熱戦だった。しかし、試合内容の感想としては、こんなものか、というものだ。両者とも市丸が瞬歩を使いながらボールを拾っていくだけで、余裕で勝てる相手だ。はっきり言って、魔法という意味では七草の方が数段は上だ。市丸はこれまでたいして意識をしてこなかったが、魔法師界で十師族が恐れられるのも理解できる。

 

 それにしても、男子クラウド・ボールは完全に当てが外れた。九十九島が優勝候補となるようでは、市丸が観戦しても意味がない。

 

「ボクはアイス・ピラーズ・ブレイクの方に行かせてもらうわ」

 

「お前も少しは第一高校の成績に興味を持て……なんてことを、お前に言うだけ無駄だな。いいぜ、行ってこいよ」

 

 だいぶ市丸のことを理解してきたレオにそう言って送り出され、市丸は達也たちのいる氷柱倒し、アイス・ピラーズ・ブレイクの会場に向かう。一試合あたり二十四本もの巨大な氷柱を要するアイス・ピラーズ・ブレイクは製氷能力の制約から一試合ずつ行われる。そのため、必然的に試合進行が遅くなる。市丸がアイス・ピラーズ・ブレイクの会場に到着したのは二回戦が始まる前だった。

 

「市丸、クラウド・ボールの観戦はいいのか?」

 

「あんま参考にならんかったからね」

 

 いち早く市丸に気付いた達也にそう返すと、出場選手が弱すぎるという意味を込めていたことが伝わったようで、苦笑いをしていた。

 

 しかし、そこでも目ぼしい魔法は確認できなかった。所詮は高校生たちの競技会。それなのに、どうも自分は過剰な期待をしてしまっていたらしい。市丸はそう反省してその日は宿舎に戻ることになった。



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渡辺の負傷

 九校戦三日目。

 

 男女アイス・ピラーズ・ブレイク、略してピラーズ・ブレイクと男女バトル・ボードの各決勝が行われるこの三日目は、九校戦の前半のヤマと言われている。

 

 第一高校の勝ち残り状況は男子ピラーズ・ブレイクと男女バトル・ボードが各二人、女子ピラーズ・ブレイクが一人。男子のピラーズ・ブレイクには十文字が出場する上、女子の千代田もなかなかの実力者だ。その二人がともに予選で敗北するという事態は、まず考えられなかったが、それでも第一高校から勝ち残っている者がいるのは良いことだ。

 

 というのも、海上という特殊な場所を想定したバトル・ボードは市丸の興味の対象外であるため、仮に第一高校に決勝進出可能な者がいなくとも、今日はピラーズ・ブレイクの観戦に向かうつもりであったためだ。

 

 しかし、仮にも同じ学校の上級生が出場する競技を放っておいて、自分の興味のままに動くというのは周囲の印象がよくない。だからといって自重する気もないが、余計な反感は少ない方が良い。というわけで、市丸にとって第一高校のピラーズ・ブレイクで勝ち残っているというのは自分の行動に正統性を与えてくれる喜ばしい状況なのだ。

 

 第一高校生で最初の登場は男子第一試合の百里と女子第一試合の千代田だ。このうち評判の高かったのは千代田であったため、市丸は女子の会場に腰を落ち着けた。

 

 ピラーズ・ブレイクは縦十二メートル、横二十四メートルの屋外フィールドで行われる。フィールドを半分に区切って、それぞれの面に縦横一メートル、高さ二メートルの氷の柱を十二個配置。相手陣内の氷柱を先に全て倒した方が勝者となる。

 

 そして千代田のピラーズ・ブレイクの戦い方は、豪快の一言だった。自陣の氷柱への防御は最小限。とにかく相手の陣地の氷柱を自陣の全滅前に倒してしまおうというものだ。

 

 千代田が使用する魔法は、千代田家の二つ名ともなっている「地雷源」。百家の千代田家は振動系統・遠隔固体振動魔法、その中でも特に、地面を振動させる魔法を千代田家の魔法師は得意としている。

 

 土、岩、砂、コンクリートなど材質は問わない。

 

 とにかく「地面」という概念を有する固体に強い振動を与える。それが千代田家の得意とする魔法「地雷源」であり、「地雷を作り出す者」=「地雷源」の二つ名が千代田一族に与えられたということだ。

 

 市丸は霊子を固めて足場として空中に静止することができる者が普通の環境に身を置いていたので、地面に対して作用する魔法と聞いて、心配になった。しかし、現世では飛行魔法は開発されていない。そのため現世では有効な魔法なのだと無理矢理、自分を納得させたので、その魔法の性質は印象に残っていた。

 

「けど、へえ、あれがそうなんか」

 

 市丸の目の前では千代田の対戦相手の氷柱が一度に二本、轟音を立てて倒壊した。対戦相手も防御を怠っているわけではない。それよりも千代田が様々な標的に、多方向から続けざまに炸裂させる振動の威力が勝っているのだ。

 

 地面に足さえ付けていなければ何の問題もない地雷源だが、足を付けた状態ではなかなか厄介そうだ。目視での対応が難しい振動という攻撃を多方向から仕掛けられると、結界を作る鬼道でなくば対応は難しいだろう。

 

 結局、千代田は本日の第一試合に勝利を収めた。それを見届けて、市丸は十文字の試合の観戦のために男子側に移動する。

 

 そうして始まった十文字の第二試合。十文字は十師族次期当主としての圧倒的な魔法力で相手を圧倒していた。

 

 守っては対戦相手の魔法を多重に展開された障壁によって完封し、攻めては防御に使用していた障壁をそのまま氷柱にぶつけて次々と敵の氷柱を粉砕していく。相手も無策のまま手をこまねいていたわけではない。様々な手を尽くしているのは見て取れた。

 

 しかし、すべては十文字の障壁によって防ぎ切られた。正確に言うならば、障壁を何度かは突破して見せていた。しかし、一枚を破ったところで次の防壁が立ち塞がる。結局はすべての障壁を一度に破壊するか、十文字の展開速度を上回る速度で障壁を破壊するかしか攻略法はないのだろう。

 

 市丸なら、障壁すべてを粉砕することも、十文字が障壁を展開する速度を超えた攻撃も不可能ではないだろう。けれど、ただの高校生には無理な注文だ。結局、十文字は一本の氷柱も失うことのない完全勝利を遂げた。

 

「なんや、こっちの方が向いとったかもな」

 

 鬼道と現代魔法では、純粋な速度では現代魔法に分がある。それに必勝を期すには上位の鬼道を投入する必要があることが予測され、それはさすがに躊躇われたので、瞬歩のみで押し切れそうなクラウド・ボールを選択したのだが、面白さという意味では魔法の威力に制限のないピラーズ・ブレイクが勝っていた。

 

 様々な魔法の応酬を見られ、上機嫌で観戦を続けていた市丸の元に、バトル・ボードを観戦していた達也から不穏な情報がもたらされたのは、その直後のことだった。それは、準決勝で渡辺が負傷棄権したというものだ。

 

 単なる競技中の事故であれば、気にするほどのこともない。けれど、達也からの情報では何者かの関与が疑われるということだった。そうなると、バスの事故と開始前の基地への侵入者の件との関連が疑われてくる。

 

 幸い、千代田と十文字という注目株の魔法は見ることができた。市丸は達也から詳しい話を聞くべく、負傷した渡辺が運び込まれたという裾野基地の病院に向かった。しかし、達也は真相究明のために大会委員会からビデオを借りるために既に病院から離れていた。

 

 一応、病院内に達也の霊圧がないことには気づいていた。けれど、どこにいるのかがわからないので、行き先を知った人がいないか寄って確かめただけだ。

 

「ビデオが借りられたら、部屋で解析をしてみるって言ってたわね」

 

 そう七草から聞いた市丸は達也の部屋を訪ねる。すると、部屋の中には達也の他に、深雪、吉田、柴田、五十里、千代田がいた。

 

「なんや、随分と雑多な人選やな」

 

「それぞれの専門家を集めた結果だと思ってくれ」

 

 吉田は古式魔法。柴田は目を買われたということか。五十里も確か理論では二年トップの成績だったはず。だが、千代田はなんだっただろうか。

 

「千代田先輩は五十里先輩の許嫁なんだ」

 

 千代田を見つめていたことに気付いた達也が短く言った。要するにおまけでついてきてしまったということだろう。つまりは深雪の同類か。そう考えて深雪を見たら、酷く嫌そうな顔をされてしまった。

 

「事件の概要を説明すると、コース中のコーナーの出口付近で七高の選手が、本来行うべき減速ではなく加速を行って制御不能に陥った。このままでは七高の選手がフェンスに激突して大きな怪我を負うと考えた渡辺委員長は、反転して七高の選手を受け止めようとした。しかし、その瞬間に水面に異常が発生し、結果として渡辺委員長は七高の選手と激突した上でコース外まで飛ばされ、魔法を用いても全治一週間の怪我を負った」

 

「今回の事故で一番、わかりやすいのが水面の異常だね。映像を元にシミュレーションをしてみた結果、誤差では解決できない力が水中から掛かっていることが確認された」

 

 これは達也の解析を五十里も確認した結果の、確信のある結論ということだった。

 

「それで水面に異常を発生させる方法だが、幹比古の見立てでは、精霊魔法であれば半月くらい前から準備を行えば、水面を荒らす程度なら可能ということだった」

 

 達也の言葉を肯定するように吉田が頷く。しかし、手間をかけた割に随分が低い。

 

「問題は七高の選手の不自然な魔法使用だが、俺はこれをCADに細工をされていたのだと考えている。そして、その細工をしたのは俺は大会組織委員の中に潜入している工作員の手によるものだと考えた」

 

 選手のCADは必ず一度、各校の手を離れて大会委員に引き渡される。そのときに細工をされたとしたら、選手が気付くのは困難だ。

 

 もしもCADに細工をされ、反則となるような魔法を発動されたら終わりだ。これは九校戦ではCADを使わない方がいいかもしれない。

 

 市丸はそんなことを考えていた。



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新人戦開幕

 大会四日目。

 

 本戦は一旦休みとなり、今日から五日間、一年生のみで勝敗を争う新人戦が行われる。

 

 ここまでの成績は一位が第一高校で三百二十ポイント、第三高校が九十五ポイント差で二位に続き、三位以下は団子状態の混戦模様。渡辺の事故にも負けず、第一高校はリードを奪っている。とはいえ、新人戦の成績如何ではまだまだ逆転もありえる点差だ。

 

 あまり大差がつき過ぎてしまうと、第三高校も、それに続く各校も士気も下がろうというもの。それでは、あまりに面白みがない。市丸としては、もう少し僅差であった方が自分の手で逆転と意気込む者が現れるので面白いとも思っている程だ。

 

 競技の順番は本戦と同じ。

 

 つまり本日の競技はスピード・シューティングとバトル・ボード。

 

 市丸の出場するクラウド・ボールは明日の五日目に行われる。

 

 要するに今日は市丸は予定がない。そして、市丸はバトル・ボードにはあまり興味がなく、スピード・シューティングには市丸のことを慕っている森崎が出場する。というわけで今日はスピード・シューティングを観戦して過ごすことにする。

 

 他の知人ではスピード・シューティングに明智と北山。バトル・ボードに光井が出場する。この中では北山が最注目選手だ。

 

 北山は市丸と深雪という別格二人に次ぐ、第一高校では実技三位の実力者。加えて大出力の振動・加速系を得意としている。威力より技巧に優れる森崎とは対照的で、魔法力には余裕がある市丸にとっては北山の魔法は得るものが大きいと考えている。

 

 まずは森崎の試技が行われるので男子の会場に向かう。同行するのはレオ、千葉、柴田、吉田の四人だ。深雪と光井は試技を控えた北山の近くに残るために同行していない。もっとも二人の本音は北山ではなく、北山の技術者である達也の側に残るため方便の気もするが。

 

「そういえば、森崎は今は千葉道場に通ってるんだろ? 今回のために何かアドバイスとかはしてるのか?」

 

「あのね、レオ。ウチは剣術道場なの。スピード・シューティングに活かせるような技術なんかあるわけないでしょ」

 

「いや、俺だって直接、活かせるものがあるとは思ってねえよ。それでも、精神統一の仕方とか応用できるようなものもあるかなって」

 

「そりゃ、ずぶの素人なら少しは役に立つかもしれないけど、森崎は仮にも百家でしかも早撃ちはお家芸のようなものでしょ。今更ウチの技術なんかいらないわよ」

 

 千葉の言うことは道理である。要するにこれから披露されるのは純粋な森崎家の技術だということだ。

 

 話している間に開始の時間がやってきた。開始のシグナルが点り、クレーが射出される。同時に森崎が拳銃型のCADを向ける。

 

 スピード・シューティングでは小銃形態のCADを使う者が多い。しかし、森崎は使い慣れた拳銃型のCADで試技に臨んでいる。

 

 圧縮空気弾が次々と発射され、クレーを破壊していく。一つのクレーに一発ずつの七草と同様の戦い方。ただし、外れての第二射も目立つ。

 

 結局、森崎の試技の結果は九十五点。悪くない得点だ。森崎の魔法は広範囲に影響を及ぼすものではないので、対戦型となる準々決勝以降も影響はない。その意味でも上位進出は大いに期待できる。問題は、見ていてさほど面白くないということだ。

 

 森崎の戦術は愚直に圧縮空気弾を撃ち続けるのみ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 実戦では派手さなど不要であるので、森崎の在り方は戦士としては正しい。だが、このような競技会では、とにかく華がない。もっとも、森崎はそもそも大規模な魔法に向いていないので、期待するだけ無駄だ。そういった面での期待は北山にするべきだ。というわけで他の皆とともに女子の会場へと移動して、深雪と光井に合流した。

 

 登場した北山はスピード・シューティング専用の細長い小銃形態のCADを持っている。そのCADは達也が一から調整したものだ。今回の試技は達也のエンジニアとしての初陣でもある。CADにあまり頼らない市丸には関係は薄いとはいえ、その点も注目をしておくべきだろう。

 

 開始時間となり、ランプが全て点った瞬間、クレーが空中に飛び出した。

 

 得点有効エリアに飛び込んだ瞬間、それは、粉々に粉砕された。

 

 次のクレーはエリアの中央で砕け散った。

 

 次はエリアの両端で、二つ同時に破砕された。

 

「うわっ、豪快」

 

「……もしかして、有効エリア全域を魔法の作用領域に設定しているんですか?」

 

 千葉がシンプルな感嘆を漏らす中、柴田が自信なさそうに深雪と光井に訊ねていた。

 

「雫は領域内に存在する固形物に振動波を与える魔法で標的を砕いているんです。内部に疎密波を発生させることで、固形物は部分的に膨張と収縮を繰り返して風化します。急加熱と急冷却を繰り返すと硬い岩でも脆くなって崩れてしまうのと同じ理屈ですね」

 

「より正確には、得点有効エリア内にいくつか震源を設定して、固形物に振動波を与える仮想的な波動を与えているのよ。魔法で直接に標的そのものを振動させるのではなく、標的に振動波を与える事象改変の領域を作り出しているの。震源から球形に広がった波動に標的が触れると、仮想的な振動波が標的内部で現実の振動波となって標的を崩壊させるという仕組みよ」

 

 光井と深雪が目をシューティングレンジに固定したまま、二人掛かりで行った丁寧な解説に柴田は単純に感心している。しかし、市丸としてはあまり心穏やかに聞いていられる内容ではなかった。

 

 この魔法の特徴は、細かな照準を捨てて、代わりに攻撃範囲をエリアとすることで、発動までの時間を恐ろしく短くしたことだ。市丸のような回避に重きを置く戦闘を得意とする者にとっては、広範囲の攻撃というものは避け辛くて厄介なもの。それを高速で使用されたのでは堪らない。

 

「魔法の固有名称は『能動空中機雷』。雫のために用意したお兄様のオリジナルです」

 

 これが現代魔法の厄介な所だ。たった一人の異能者ならば、まだ警戒が可能だ。けれど、誰しもが使えるとなると、威力も精度も術者次第ということになる。

 

 北山は魔法力自体は高いが、戦闘経験は圧倒的に足りていない。能動空中機雷の効果範囲外と思われる距離から攻撃を仕掛けることも、そもそも視認させることなく貫くことも可能だ。けれど、実戦経験豊富かつ魔法力も高い相手となると、同じような結果になるとは限らない。

 

 能動空中機雷の弱点は、おそらく射程だ。空間に座標を設定するという性質上、そう遠くまで効果範囲を設定できるとは思えない。神鎗の射程ぎりぎりから仕掛ければ対応できる。そのため、敵が一人であれば問題ない。けれど、敵が複数となると話は別だ。

 

 能動空中機雷の厄介な点。それは魔法の発動域も発動地点も、視認も感知も難しいということだ。能動空中機雷を仕掛けることで接近戦を防ぎ、範囲の広い魔法で遠距離攻撃をされると、かなり厄介なことになる。

 

 今の市丸は肉体的にはただの人間。強力な魔法を一発でも受けてしまえば、それだけで戦闘不能に追い込まれかねない。

 

「現世は時の流れが速いからなあ」

 

 誰にも聞こえないよう、ぽそりと呟く。寿命が長いこともあり、尸魂界は時の流れが遅い。現世での一年は、尸魂界の十年かと思うほどに早く物事が移ろっていく。現世に生まれて、現世で育ったことで少しは意識も改善されたが、少しばかり気を逸らしている間に街も人も変化していく様には戸惑うことも多い。

 

「まァ、そのくらいでないと面白くないんやけどね」

 

 今、魔法をできるだけ学んでいるのは、現世で死した後に尸魂界に戻った後のことを考えてのことだ。そう考えると、使い物にならない魔法ばかりを見せられるより、市丸が脅威に感じる魔法を見せられるほうが有意義というものだ。

 

 考えを改めた市丸が薄い笑みを浮かべて見つめる先では、北山が見事、皆中にて予選突破を果たしていた。



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スピード・シューティング決勝

 スピード・シューティングの予選結果は、女子が出場三名全員が決勝トーナメント進出を果たしたのに対して、男子は森崎のみという結果になった。

 

 これは第一高校の一年女子が特にレベルが高いというより、それを補佐する達也の技術者としての力量の高さによるもの、というのがおおよその意見だ。しかし、それと同時に、個々の能力に応じた作戦も力量以上の力を選手に発揮させている一因だろう。個々の実力の底上げというのは市丸にとっても脅威だ。

 

「ほんま、厄介な子やな」

 

 実は達也も市丸と同様に百年以上の経験を持っているのではないか、そんなことさえ考えてしまうほど達也は異質な存在だ。もっとも、今のところはお互いに敵対する要因はないのであるから、直接的な危機感には至っていない。

 

 けれど、何者かの手が入れば、対立の芽など全くないところにも、対立が発生することはあるのだ。例えば、幼馴染の少女を守ろうとしていた少年が、守ろうとした相手に刃を向けられてしまったり。思いをよせる少女の為と、同僚と刃を交えることになったり。

 

「わかっとったことやけど、ボク、思い切り関わっとるね」

 

 前者については、その場で思い切り煽ったし、後者については自分がけしかけた。我ながら性格が悪いことこの上ない。

 

 それはさておき、決勝トーナメントだ。森崎の戦術は予選でも決勝トーナメントでも全く変わらない。相手のクレーには目も止めず、愚直なまでに圧縮空気弾を発射し続けて自分のクレーを一つずつ破壊するというだけだ。

 

 スピード・シューティング決勝トーナメントのルールは、相手を直接攻撃しない限り、妨害は認められている。ただクレーが射出される感覚は不規則でしかも短く、相手の邪魔をしながら自分の的を狙い撃つのはかなり難しい。妨害と狙撃と、どっちつかずになって結局自滅するというケースが多いらしい。

 

 準々決勝の相手は、森崎と同様に自分のクレーの狙撃に集中するタイプだった。そのため、お互いにただ自分のクレーを撃ち合うという、あまり面白みのない対戦となった。

 

 二人の対戦は残り二分を残して森崎の五点リード。森崎が終盤となっても狙撃精度が落ちないことは予選で知っているはず。そこで、対戦相手は戦術を変えた。自分の狙撃精度が下がるのを覚悟で森崎の妨害に魔法を割く。けれど、それはどちらも中途半端になるという事前に聞いていた情報通りの結果となった。

 

 ひとまず森崎は準決勝進出。そして、準決勝もおそらく勝てる。問題は決勝で当たる可能性の高い三高の吉祥寺真紅郎だ。吉祥寺はカーディナル・ジョージの異名を持つ研究者であると同時に、魔法師としても優れているらしい。

 

「高校生で世界に名を轟かす研究者て、おかしなことしてはるな」

 

 達也が貸してくれた資料を見ながら、思わず呟く。市丸など前世の記憶という圧倒的な優位を持ちながら現代魔法の理論は追うだけで手一杯だというのに、自分で新たな理論を生み出すなど、信じられない。

 

 とはいえ、森崎が吉祥寺と対戦するのは決勝戦。それまで少しばかり、実力的には上であろう女子の試合を確認するために移動する。

 

 その女子の試合では、やはり北山が頭一つ抜けている印象だった。それに加えて、北山は達也のお手製の特別なCADを用いていた。それは速度と精度に利点があるものの、系統の組み合わせが同じ起動式しか格納できない特化型と、多種多様な魔法を格納できるものの速度に劣る汎用型のCADの特徴を併せ持つものだそうだ。どうやら理論自体はドイツで発表されたものらしいが、達也はそれを実用段階まで進めたらしい。

 

 吉祥寺の話を聞いた時には非常識と思ったものだ。しかし、身近に同じような非常識が潜んでいたということだ。

 

 そして、そのような達也に支えられた一高女子スピード・シューティングチームは、三人全員が準々決勝に勝利した。つまり、上位四名中の三人は第一高校から輩出することができるということだ。言うまでもなく、これは快挙だ。

 

「何だか急に魔法が上手くなったって錯覚をしそうです」

 

 これは達也の調整したCADを使用した明智のコメントだ。そして、北山が使用した能動空中機雷については、国立魔法大学が作成している魔法の百科事典に収録された魔法の固有名称一覧表である「インデックス」に収録の打診がきたらしい。これは魔法の開発に従事する国内の研究者にとって、一つの目標とされている名誉であり、第一高校の首脳部も沸き立っていた。

 

 北山が達也のCADを用いて使った、収束系魔法と振動系魔法の連続発動という手法は競技でこそ生きるもので、さほど実戦的ではない。しかし、今回のCADで手段が広がれば、それを用いて実戦的な魔法を開発する者も現れるかもしれない。

 

 とはいえ、高速で飛翔する小型の物体の破壊を目的としたスピード・シューティングはどうしてもピラーズ・ブレイクに比べて地味になる。特に両者のクレーが入り乱れる準々決勝以降の戦いでは双方ともに小型の魔法式を用いることが多くなり、その傾向が強くなっているように感じる。

 

 試合経過を確認すると、森崎と吉祥寺は順当に勝ち進んでいるようだ。吉祥寺は市丸も出場するモノリス・コードにも出場すると聞いている。ならば、二人の対戦を見ておいて損はないだろう。再び男子スピード・シューティングの会場に移動した市丸は、女子の試合の合間に七草から借りた吉祥寺の情報を確認しながら試合の開始を待つ。

 

 第三高校の吉祥寺真紅郎。通称「カーディナル・ジョージ」は、加重系統プラスコードの「基本コード」を開発した者として有名だ。基本コードは基本コード仮説の根幹をなす理論であり、「加速」「加重」「移動」「振動」「収束」「発散」「吸収」「放出」の四系統八種にそれぞれ対応したプラスとマイナス、合計十六種の基本となる魔法式が存在していて、この十六種を組み合わせることで全ての系統魔法を構築できるとしている。

 

 この理論の是非は市丸にはわからない。けれど、この十六種の基本コードの一つを吉祥寺が世界で唯一、発見したのは確かなことだ。

 

 そして、基本コードを発見した吉祥寺ならではの魔法が「不可視の弾丸」。作用力そのものを定義して直接加重を掛けるため、魔法式は小さなもので済む上に、対象となる事象の情報改変を妨げる「情報強化」では防御できないという厄介な魔法だ。

 

 もっとも、多くの利点を有する「不可視の弾丸」だが、一方で欠点もある。それは作用点を視認しなければならない、というものだそうだ。エイドスではなく対象物に魔法を直接作用させる為に生まれた皮肉な欠点だと達也は言っていた。

 

 達也の勧めた「不可視の弾丸」対策は遮蔽物を用いること。それが不可能なら領域干渉ということだった。

 

 ちなみにどちらの対策も、スピード・シューティングでは使えない。空中のクレーを打ち落とす競技に遮蔽物などあるはずがないし、領域干渉も相手選手に直接、影響を与えてしまうので違反だ。

 

 そうなると、森崎の執れる手段はなにもない。元より他者の妨害に有効な魔法がない森崎は決勝戦も愚直に自分のクレーを撃ち落していき、結果としてより高い精度で素早く魔法を使う吉祥寺に順当に負けていた。

 

 見せ場なく敗北を喫した森崎だったが、市丸としては「不可視の弾丸」を実際に見ることができたので収穫はあった。「不可視の弾丸」は達也の説明のとおり標的に直接、作用するものだった。つまり、弾丸が飛来してくるわけではないので正面に障壁を作るような魔法では防げないということだ。

 

 となると有効なのは視界を遮るか誤魔化すという手段となるだろうか。全体的に苦戦した男子と違い、スピード・シューティング女子は一位から三位を独占したという連絡を聞きながら、市丸はきたるべき吉祥寺との戦いのための対策を考えていた。



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市丸登場

 九校戦五日目、新人戦二日目。

 

 一条将輝は自身の試合の合間を縫って吉祥寺真紅郎とともにクラウド・ボールの会場にいた。これから行われるのは懇親会で将輝たちを挑発してきた第一高校の市丸ギンと第二高校の畠山政綱の試合。畠山は中学のときからクラウド・ボールに親しんでおり、優勝候補というわけではないが容易い相手ではない選手だ。

 

 この試合に勝つことができるか、また勝つことができたとして、どの程度の点差をつけて勝利することができるか。それにより、第三高校の七本槍の一人で優勝候補の八幡甚十郎の脅威であるか否かがわかるだろう。

 

 市丸はラケットを持つ右手にブレスレット型のCADをつけている。これは、魔法のみでなく身体能力を用いて戦う選手の特徴だ。

 

 試合には慣れているはずの畠山は九校戦の一戦目ということもあってか緊張気味。それに対してクラウド・ボールの試合は初めてのはずの市丸は、薄く笑みを浮かべて悠然と佇んでいる。そこに気負いのようなものは感じられない。

 

 そのまま緊張感の欠片も見せないまま試合が開始され、まずは畠山のコートにボールが射出される。畠山はそれを手にしたラケットで打ち返した。

 

 男子の試合は五セットマッチと女子よりも長い。一試合ならともかく、魔法だけで試合を戦っていると、途中で息切れをしてしまいやすい。そのため、ボール数が少ない序盤については魔法を控えめにしてラケットで打ち返すことが多い。

 

 畠山が打ち返したボールが市丸側のコートに入る。その瞬間、市丸がボールの進路上に現れた。

 

「えっ……」

 

 客席のあちこちから漏れ出た驚きの声が将輝の耳にも届く。畠山がボールを打ったとき、市丸はセオリー通り中央やや後方に位置していたはずだ。それなのに気付いたときには市丸はネット間際にいた。

 

「なあ、ジョージ、あれは……」

 

「うん、一色さんの魔法に似ているね」

 

 第三高校の女子クラウド・ボールの選手、一色愛梨は移動魔法に優れ、その電光石火の剣捌きから稲妻を表す「エクレール」の異名で知られている。クラウド・ボールは本職ではないものの、学内の練習では移動魔法を遺憾なく発揮し、無敗を誇っている。

 

 市丸の動きはその一色の魔法に劣らないどころか、上回っているとさえ思えた。そこから導き出せる結論。それは市丸も一色と同系統の魔法師であるという可能性だ。

 

「市丸……一丸か……」

 

「断定するのは危険だけど、可能性は高そうだよね」

 

 将輝も旧第一研究所をルーツに持つ魔法師だ。市丸が一条である自分に挑発的な言動をしたのも、或いは自らの祖父母世代が失敗作の烙印を押されて追放されたことに対する思いがあったのかもしれない。

 

 試合時間が進み、コートの中にはボールが五個にまで増えている。しかし、市丸はここまですべてのボールを打ち返している。これは身体能力を使ってボールを返していく戦い方ではありえないペースだ。基本的によほど強大な魔法力を持つ者以外は、失点を最小限にしながら得点を最大化することで勝利を掴む。

 

 だが、市丸はここまで失点を防ぎながらも得点を重ねている。たとえ畠山がほぼ時間差なく三球を市丸側に打ち込んでも、市丸は速いボールから対処をして、遅いボールがコートに着く前にすべてを打ち返してしまうのだ。

 

 けれど、さすがにボールの数が増えてくればすべてに対処することは難しくなる。畠山は完全試合のみは阻止しようと、失点は気にせずひたすらタイミングを合わせ、現在コート上にある五球を同時に市丸側のコートに打ち込んだ。

 

 一球、二球、三球、四球。市丸が目で追うのも困難なスピードでボールに追いつき、ただ返すだけでなく、畠山のコートにボールを打ちこんでいく。しかし、さすがに最後の一球は少しだけ間に合わなそうだ。点差は広がったが、畠山は完全試合のみは阻止した。そう思われた。

 

「縛道の四、這縄」

 

 しかし、ボールがコートに落ちると思われた瞬間、市丸が何やら呟いたかと思うと光の縄のようなものが伸び、今まさにコートに落ちようとしていたボールを絡め取った。市丸の左腕から伸びた縄はそのままボールを引き寄せ、右手のラケットで畠山のコートへと打ち込まれる。

 

「ジョージ、今の魔法、何だかわかるか?」

 

「いや、系統魔法ではありえない現象だから、少なくとも系統外の魔法なのは間違いないと思うけど、どういう原理の魔法かは見当もつかない。けれど、過剰に警戒をする必要はないと思う」

 

「と、言うと?」

 

「光の縄が伸びてボールを掴んだという現象自体は目を引くけど、結果だけを見れば移動魔法でも再現が可能だ」

 

 確かに、わざわざ光の縄を投げなくとも、遠くのボールを自分の手元に引き寄せるというだけなら、将輝も移動魔法で再現は可能だ。

 

「しかし、クラウド・ボールならそうだろうが、モノリス・コードでは同じようにはいかないんじゃないか?」

 

「そうだね。市丸選手の魔法は移動魔法とは違って、一度、捕らわれてしまうと物理的に体を拘束される可能性が高いだろうね。けれど、領域干渉で防げないとも思えない」

 

 確かに、見たことのない魔法だが、領域干渉を無効化できるとは思えない。それならば、普通の魔法戦と考えて対処をすれば問題ないはずだ。

 

 畠山と市丸の戦いは、市丸の完全試合ペースで進んでいた。最初は何とか一点を、と懸命に抵抗していた畠山も今や戦意を喪失している。結局、そのまま市丸は完全試合で圧勝した。

 

 市丸はそのまま三回戦までを完全試合のまま突破。準決勝で戦前までは優勝候補と見られていた第三高校の八幡甚十郎と激突した。なお、戦前まではという注釈がつくのはここまでの戦いで優勝は市丸以外にありえないという空気ができてしまっているためだ。三回戦までをすべて完全試合というのは、やはり重い。

 

 しかし、第三高校とて無策のまま次の試合に臨むわけではない。第二高校の畠山の作戦とも被ることになるが、甚十郎は市丸が高い機動力ですべてのボールを返そうとしても、返しきれないようなボールを打ちこむ方法も持っている。だが、それでも勝率は二割以下というのが真紅郎の分析だった。

 

「八幡の三段構え、一の陣、疾風迅雷!」

 

 試合開始早々、甚十郎は自己加速術式を使った高速機動でコート内を駆け巡り、市丸側へとボールを打ちこんでいく。しかし、甚十郎の高速機動はあくまで一般の魔法師と比べてだ。一色家をも上回るほどの市丸の速度に序盤は甚十郎が押される展開となった。

 

 ボールの数が少ない状態では、ネットを超えてからしか魔法を使えないルールのクラウド・ボールでは、移動魔法でネットの直前まで進出して打ち込める市丸の方が有利なのは仕方がない。

 

 序盤にリードを許すのは織り込み済み。勝負は中盤以降だ。

 

 試合が進み、四球目がコート内に投入されたとき、甚十郎が行動を起こした。甚十郎は自分のコート内に打ち込まれた四個のボールを、移動魔法を駆使して、ふわりと大きく山なりだが、同時に市丸の陣へと返るように打ち返した。

 

 無論、これだけなら市丸は持ち前のスピードで返してしまうだろう。だから、ここからが勝負所だ。

 

「八幡の三段構え、二の陣、一気呵成!」

 

 甚十郎が魔法を使って四個のボールを加速させた上で四散させる。ほぼ同時に、しかも高速で投じられたボールをすべて打ち返すことは不可能なはずだ。しかし、そんな予想は簡単に覆された。

 

「縛道の三十七、吊星」

 

 市丸が耳慣れぬ言葉を発した瞬間、ネットの内側に巨大な光の膜が出現して、甚十郎が懸命に集めたボールを受け止めて、ふわりと返してしまった。

 

「またか!」

 

 思わず真紅郎の方を見ると、同じように苦々しい顔をしていた。

 

「市丸選手のあの魔法、あの光の縄を作る魔法の応用みたいだね。あんな大きなものも作り出せるなんて思わなかった」

 

「あれは、何のための魔法なんだ?」

 

「あの膜は弾力があるみたいだから、高所から落ちた人の救出とか、衝突しそうになった物を破壊せずに受け止める、とか? けど、やっぱり移動魔法を使った方が効率的な気がするから、あの魔法自体は光の縄の魔法の発展形の別バージョンなのかもしれない」

 

「光の縄の魔法の発展形の別バージョン?」

 

「例えば光の縄をより広範にした光の網の魔法の隙間をなくしたもの、とか」

 

 なるほど、それなら確かに敵の拘束用に実戦でも使用できそうだ。

 

「八幡の三段構え、三の陣、乾坤一擲!」

 

 ボールの進入を拒む光の膜を見て、甚十郎が最後の手札を切った。全魔法力をボールを打つ瞬間に投じた、砲弾のような一球が市丸の光の膜に突き刺さる。しかし、それは市丸の膜に何らの影響を与えなかった。

 

「あの魔法、いつ効果が切れるんだ?」

 

「市丸選手は魔法を張り直す気配がないね」

 

 光の膜を突破ができない以上、残る隙は張り直す瞬間に限られる。だが、光の膜は作成から一分を経過してもまったく揺らぐ気配がない。透明な壁にしっかりと張り付き、コートの内側を完全に塞がれているため、甚十郎は得点を挙げる余地がなく、ただふんわりと返ってくるボールを移動魔法で同じくふわりと返して、ボールは浮かんでいるのと変わらない状態となっている。

 

 第二セットも第三セットも、同じ調子で優勝候補であった甚十郎は完全試合で敗退。市丸はそのまま決勝も完全試合にてクラウド・ボール優勝を果たしていた。




第三高校、変な選手ばかり出てきます。
ついでに将輝も変態の片鱗を出し始めます。
第三高校ファンの方、すみません。


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明智英美のピラーズ・ブレイク

 大会六日目、新人戦三日目。

 

 明智英美はアイス・ピラーズ・ブレイクの三回戦に臨もうとしていた。英美の試合は第三試合。まだ第一試合が始まる前であるので、時間的には随分と余裕がある。

 

 英美が客席を臨むと、ピラーズ・ブレイク女子の会場はぎっしり満員状態となっていた。一方、男子の方は少し余裕があるらしい。

 

 男子の方には十師族の一条家の次期当主で「クリムゾン・プリンス」の異名を持つ一条将輝が出場する。決して役者が不足しているわけではない。それでも女子の方に観客が集中してしまうのは、女子のピラーズ・ブレイクには司波深雪が出場しているためだ。

 

 まずは単純に、その容姿に惹かれた男が会場に詰めかける。しかし、それだけでは、ここまでの混雑とはならない。実際、昨日の時点ではもう少し席に余裕があったらしい。

 

 今日の混雑の大きな理由。それは昨日の予選第一試合で深雪が「氷炎地獄」という、時折魔法師ライセンス試験でA級受験者用の課題として出題され、多くの受験者に涙を呑ませる高難易度魔法を使用したことにある。それで軍、警察、消防、大学の関係者たちまでもが女子の会場に足を運んだのだ。

 

 氷炎地獄を高校生が苦も無く使いこなした。それは確かに衝撃的な出来事だ。それでも、総合的に見れば十師族の次期当主である一条の方が魔法師としての力量は上と評する者の方が多いだろう。

 

 しかし、競技の観戦という意味では、一条の試合はさほど見るべきものがない。十師族の一条家のお家芸とも言える「爆裂」という魔法のみで片をつけてしまうためだ。

 

 加えて言えば、新人戦男子ピラーズ・ブレイクは選手層が手薄なのもある。これは十師族の一条将輝が出場が確実視されていたため、他の有力選手が他競技に出場をすることを選択したという理由もある。それならば、深雪の他にも北山雫という有力選手も出場する女子のピラーズ・ブレイクの方に客が集まることになるのも無理のないことだ。

 

 英美とて他の競技であったならば優勝候補とまではいかなくとも、有力選手には数えられていただろう。けれど、深雪はおろか雫にも英美は遠く及ばない。そもそも深雪と雫は全国にある魔法科高校九校の中でもレベルが高い第一高校の女子の実技一位と二位なのだ。ただの優等生である英美には少しばかり荷が重い。

 

 有力者ばかりの上位六名がぶつかる三回戦の中で、第一試合に登場したのが深雪だ。深雪は神秘的な美貌で客席を虜にし、神がかりとも思える圧倒的な力で敵陣を蹂躙した。

 

 続いて第二試合。こちらは雫が順当に実力の差で押し切った。

 

 そうして回ってきた第三試合。他の二人が決勝トーナメント進出を決めているため、英美が勝利すれば決勝トーナメントを第一高校生が独占するということになる。けれど、英美の相手は戦前までは優勝候補と言われていた第三高校の十七夜栞なのだ。

 

 とはいえ、負けるわけにはいかない。今のところ深雪の兄の達也が担当エンジニアの試合では第一高校は敗北をしていない。ここで英美が負けるようなことになれば、兄思いの深雪がどのような反応をするか怖い。

 

 まあ、実際は全力で戦って負けたのなら、深雪は無体なことはしないと思うが、いずれにせよ達也担当のうち英美だけが負けというのは避けたい。

 

「大丈夫、市丸くんからもアドバイスもらったんだし」

 

 迷惑かとも思ったが、昨夜、英美は市丸にアドバイスをもらっていたのだ。何と言っても市丸は第一高校の一年では有名人。三巨頭と呼ばれる三年の七草真由美、十文字克人、渡辺摩利に対して、一年の三奇人の一人に数えられる一人なのだ。

 

 ちなみに三奇人の残りの二人は司波深雪と達也の兄妹である。稀代のブラコン司波深雪、稀代のエンジニアとして名を馳せ始めた理論の鬼の司波達也。そして稀代の人格破綻者の市丸ギンだ。

 

 ちなみに市丸が稀代の人格破綻者と言われ始めたのは、英美たちの入学直後に起きた学校の襲撃事件からだ。そのとき市丸は、投降をしようとしていた者たちまで一人残らず惨殺したということだ。侵入者たちを殺害したときの市丸の表情は、いつもと何ら変わらない薄い笑み。残忍な笑みを浮かべるでも沈痛な表情を浮かべるでもなく、あくまで普段どおりの姿が、逆に見る者を震撼させたという。

 

 けれど、同じクラスで、初日に声をかけたという縁もある英美は他の人に比べれば市丸と交流がある。だから、わかる。

 

 市丸が侵入者たちを殺害したのは、おそらく他の生徒たちを守るためだ。市丸は一見しただけでは自信家に見えるが、実は非常に慎重な性格だ。投降するふりをして攻撃をしようとする者がいた場合、良くも悪くもすれていない高校生たちでは騙し撃ちを受ける可能性が高い。そして市丸は、その兆候を感じたなら迷わず手を下す。

 

 閑話休題。市丸の性格が破綻しているか否かは置いておいて、市丸の実力は誰もが認めるものだ。そして、市丸はこと魔法に関する感覚に対しては他とは異なる深雪と違って、極めて常識的な感覚を持っている。だから英美は市丸を頼ってみたのだ。そこで市丸からもらえたアドバイスを胸に英美は十七夜との対戦に臨む。

 

 英美の基本戦術は自分の氷柱を移動魔法で相手の氷柱にぶつけて倒すという一種の自爆攻撃だ。当然ながら自分の氷柱を犠牲にすることになるが、それで相手の氷柱複数を倒すことができれば元は取れるという計算だ。達也がいかにCADを調整をしようと、市丸からどのようなアドバイスをもらおうと、この基本戦術は変わらない。

 

「いっけえー!」

 

 試合開始早々、英美は二回戦までと同様に、まずは自分の氷柱一本を転がして相手の氷柱三本を破壊した。ここまでは順調。しかし、理論派の十七夜が自陣の氷柱があっさりと砕かれるのを静観したように見えたのが不気味だ。そして、その嫌な予感は現実となる。

 

 相手に対策を練られる前にと放った二本目の氷柱は、十七夜の氷柱を一本も砕けずに終わる。英美の氷柱は確かに十七夜の氷柱に激突した。しかし、十七夜は最初の一撃を敢えて受けることで英美の魔法の特性を読み切り、最適化した摩擦係数の制御魔法で英美の氷柱の激突から自分の氷柱を守り切ったのだ。

 

 もう一度、同じ攻撃を試してみる気にはなれなかった。英美の戦法では常に自分の氷柱を使用するため、一回の無駄な攻撃がそのまま敗北に近づくことになる。

 

 何か他の攻撃方法をと考えている間に十七夜は立て続けに攻撃を繰り出してくる。情報強化をかけ、なんとか砕かれるペースを抑えているものの、このままでは敗北は時間の問題。ここにきて英美は覚悟を決めた。

 

 氷柱を転がす戦法が通用しないなら、奥の手だ。それは氷柱を転がすのではなく、砲弾として射出して相手の氷柱を砕くというものだ。縦横一メートル、高さ二メートルにもなる氷柱を十メートル以上も飛ばすというのは、かなりの魔法力を消耗する。或いは、最後まで魔法力がもたないかもしれない。それでも、やるしかない。

 

 意を決して放った氷柱の砲弾は見事に十七夜の氷柱三本を砕いた。相手に考える時間を与えてしまえば、十七夜はこの攻撃にも対策をしてくるだろう。その前に決着をつけるべく、もう一度、同じ攻撃を繰り出し、これも十七夜の氷柱三本の破壊に成功する。

 

 これで、十七夜の氷柱は残り三本。あと一射で英美の勝利だ。

 

 けれど、最後の一射を放つ前に英美の視界が白く染まり、体がぐらりと傾ぐ。魔法力が尽きかけているのだ。

 

 あと一回、全力で撃てれば勝てる。それなのに、ここで負けるのか。自分には、本当にあと一回の魔法行使ができる力が残っていないのか。

 

 自問の答えは否。まだ英美は全ての力を使い切ってはいない。

 

 一直線に並ぶ十七夜の残り三本の氷柱。それを砕く為のイメージはある。

 

 英美にイメージと同じ魔法は使えない。けれど、あの魔法以上にいかなる守りをも突破して一直線に並ぶ標的を砕くというイメージに適したものはない。

 

 足に力を込めて体勢を立て直すと、右足と右手を引いた。左腕はほぼ直角に曲げ、右手に持つCADを隠すように。そしてイメージを現実にするための言葉を紡ぐ。

 

「射殺せ!」

 

 そして、右手のCADを大きく前に突き出しながら叫ぶ。

 

「神鎗!」

 

 氷柱が伸びるがごとく宙を舞い、十七夜の氷柱に激突する。十七夜は衝撃を緩和する魔法を使用していたようだが、そんなものは関係ない。英美の放った氷柱は十七夜の氷柱を砕くのではなく貫くための槍だ。生半可な魔法で防げるほど甘くはない。

 

 一本目、二本目と十七夜の氷柱が上下に分かたれる。そして三本目、十七夜の最後の氷柱も英美の放った氷柱を防ぎきることはできずに中心を貫かれて倒壊した。だが、それでも英美の放った氷柱は止まらない。そのまま十七夜の立つ台の横の壁に突き刺さり、遂には半分ほどを壁面に埋めてようやく止まった。

 

 あまりの破壊力に場内が静まり返る。それから少しして英美の勝利を告げるアナウンスが流れる頃には、英美の意識はほとんど途切れていた。そして、大魔法の威力の代償として英美は決勝トーナメントは棄権することとなったのだった。

 

 ちなみに女子アイス・ピラーズ・ブレイクの一位は予想どおりの深雪で、二位が雫となり、英美は決勝トーナメント棄権ながら三位となった。



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モノリス・コードに対する妨害

 大会七日目、新人戦四日目。

 

 今日は九校線のメイン競技とも言えるモノリス・コードの新人戦予選リーグが行われる日だが、一般の観客の関心は花形競技のミラージ・バットに集まっていた。

 

 女子のみを対象とするミラージ・バットのコスチュームはカラフルなユニタードにひらひらのミニスカート、袖なしジャケット又はベスト。ファッションショーと化している女子ピラーズ・ブレイクとはまた、一味違った華やかさがある。

 

 このコスチュームで若い女性が空中を舞い踊るのだ。

 

 華やかさにかけては、魔法競技中随一だろう。

 

 男性ファンの関心が集まるのも無理なからぬことだった。

 

 加えて、新人戦女子のミラージ・バットを担当するのが女子スピード・シューティングと女子アイス・ピラーズ・ブレイクの上位独占で名をあげた達也であることが知れ渡っている。結果として、魔法大学の関係者までがミラージ・バットに向かってしまったのだ。そのせいでモノリス・コードの注目度はかなり低い。

 

 今日の予選では一条の第三高校とは当たらない。これまでの新人戦の状態を見る限りでは市丸の脅威となりそうなのは一条将輝と吉祥寺真紅郎の二人だ。この二人は魔法師の世界において既に確固たる名声を確立している。

 

 その中でも一条将輝は三年前の大亜連合による沖縄侵攻に同調して行われた新ソ連の佐渡侵攻作戦に対し、弱冠十三歳で義勇兵として防衛戦に加わり、一条家現当主の一条豪毅と共に『爆裂』を以て数多くの敵兵を葬った実戦経験済の魔法師だ。

 

 戦闘自体は小規模だったものの、一条将輝はこの実績により「クリムゾン・プリンス」と称せられることになった。

 

 一条家の切り札『爆裂』は、対象物内部の液体を気化させる発散系魔法だ。生物ならば体液が気化して身体が破裂して死に至る。この魔法を防ぐのは容易なことではない。

 

 一応、上位の縛道であれば防ぐことはできるだろう。しかし、爆裂は連射が可能な魔法だ。すべてを防げるかと問われれば、自信はない。そして、防ぐことができなければ今の肉体であれば耐えることができないだろう。

 

 もっとも、対象を死に至らしめるという、純粋に軍事目的で開発された『爆裂』は、当然モノリス・コードのレギュレーションに引っ掛かる。そのため今回のモノリス・コードで使用されることはないだろう。けれど、市丸は性分として敵対した場合のことを考えざるをえない。

 

 今日のところは油断をしなければ敗れることはないだろう。ミラージ・バットは今日で決勝まで終わり、明日の競技はモノリス・コードの決勝のみ。黙っていても明日にはすべての注目がモノリス・コードに集まる。ならば、派手に勝たずともしっかりと勝利だけを掴んで、実力は明日の第三高校戦で見せればいい。

 

 モノリス・コードの勝利条件は相手チームを戦闘続行不能とする、相手チームのモノリスに隠されたコードを端末に打ち込む、このいずれかだ。

 

 そのため必然的に一人は自陣のモノリスを守る者が必要になる。第一高校の場合は、その役目を市丸が担う。市丸が守っている限り、そう簡単にはモノリスに隠されたコードを得ることはできないので、ひとまず負けはないという寸法だ。

 

 その間に森崎と篠田の二人で無理のない範囲で相手を倒し、モノリスを目指す。仮に相手が上手だと見えた場合は二人掛かりでモノリスを守って時間を稼ぎ、その間に市丸が相手のモノリスを目指すことになる。

 

 緒戦の相手は第七高校。開始の合図がされる前から、市丸は相手選手の霊圧を探ることで敵のモノリスの位置を掴んでいた。試合開始前の索敵はルール違反ではあるが、霊圧を探る術は市丸以外に持っていない。ばれなければいかさまにはならないのだ。

 

 開始と同時に市丸は相手モノリスの場所を伝えて森崎と篠田が勝利の報を持ち帰るのを待つ。途中、七高のオフェンスが市丸の近くを通りがかったが、物陰から縛道の四の這縄を飛ばし、更に縛道の一の塞で捕縛しておいた。這縄はともかく塞は何が起きているのかわからないのか、捕らえた七高の選手は非常に驚いた様子だった。

 

 そのまま少し待っていると、七校の選手の霊圧が消えた。程なく第一高校の勝利の放送が流れた。緒戦は危なげない勝利だった。

 

 二試合目はここまで最下位の四高だ。さすがに勝利は堅いだろう。

 

 そんな僅かな油断がなかったとはいえない。そこを突かれた。

 

 第二試合は市街地フィールドでの試合だった。廃ビルの中の一室で市丸はモノリスの前、森崎と篠田はより外に飛び出しやすいように入口付近で固まっていた。

 

 そして試合の開始直後、市丸たちは『破城槌』という魔法の攻撃を受けた。『破城槌』は屋内に人がいる状況で使用した場合、殺傷性ランクAに格上げされる危険な魔法だ。市丸に発動前の魔法を察知する能力はない。

 

 発動がされてからでも、自らに降り注ぐコンクリートの塊は神鎗で砕いた上で瞬歩で回避できたので問題はなかった。問題は、森崎と篠田の両方を救うほどの余裕がないことだ。白雷を使ってコンクリートの破片を小さく砕くことで救えるのはどちらか一人のみ。市丸が選択したのは森崎だった。

 

 直後に第四高校の反則で第一高校の勝利が告げられた。しかし、立会人の咄嗟の加重軽減の魔法があっても篠田は重傷だった。

 

 開始直後、本来なら索敵が終わっていない段階でのレギュレーション違反の攻撃。このような明確な違反を第四高校が仕掛けてくる理由はない。となると一連の妨害工作の一環ということだろう。

 

「誰に手を出してんか、よう思い知ってもらわなあかんなァ」

 

 他者への攻撃の巻き添えも腹立たしいが、今回は市丸を標的として狙ったのだ。相応の報復は覚悟してもらうしかない。もっとも、今のところ相手の正体は不明だ。そして九校戦のモノリス・コードの試合はまだ終わっていない。ひとまず確認をすべきは今日の残り二試合の扱いについてだ。

 

「それで、ボクらは二人で残りの試合を戦わなあかんてことになります?」

 

 大会委員本部に向かっていた十文字が帰ってきたところで市丸が聞くと、十文字は静かに首を横に振った。

 

「いや、人員一名の補充が認められた。誰を選ぶかはお前に一任しよう。誰か心当たりはあるか?」

 

 通常は怪我でプレーが続行不能の場合であっても選手の交代は認められていないはずだ。けれど、そこは違反の悪質性も込みでの判断だろう。

 

「それでしたら、一年E組の吉田をお願いしますわ」

 

 本当は達也を選べたらよかったが、現在はミラージ・バットの担当技術者として働いているところだ。モノリス・コードには出られない。そこで次点として吉田を選んだ。理由は無論のこと、モノリス・コードの試合の中でより多くの古式魔法を知るためだ。

 

「その人選の理由を聞いても構わないか?」

 

 やや不信感を滲ませながら聞いてきたのは渡辺だ。

 

「理由ですか? その方が面白そうやからですけど?」

 

「おいっ、市丸!」

 

「冗談はさておき、大概の一科生ができることなら、ボクならより上手くできます。けれど、古式魔法はボクにも使えません。それやったら、より幅が広がる相手を選んだ方がええんとちゃいます?」

 

「なるほど、一理あるな」

 

 実際、森崎と篠田にしても、市丸なら森崎より早く魔法を使えるし、篠田より高威力の魔法が使える。それでいいとも思っていたが、せっかくのモノリス・コードなのだから、有意義に使用したい。

 

「吉田幹比古は応援メンバーとは別口で、このホテルに泊まっていたな。呼んでくれ」

 

 そうして十文字に呼ばれた吉田は、最初こそ人選に抵抗を示していたが、達也からの口添えもあり、補欠としてモノリス・コードのメンバー入りを了承してくれた。

 

 こうして、第一高校は本日残された予選の二試合を市丸、森崎、吉田の三名で戦うことになったのだった。




白雷は連射できないと考えていたので、その説のまま投稿。
すでに一名負傷して吉田加入の流れで九校戦編は書ききっているため軌道修正はできないのです。


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新生第一高校モノリス・コードチーム

次を投稿しようとして、なぜか本話が。
予約日時の設定を間違えていました。


 モノリス・コードの第二試合で第一高校に事故があった。その連絡を一条将輝は自らも出場した第三試合の直後に聞いた。

 

「それで、四高の違反で一高の選手に負傷者がでたということは、残りの試合は二人で戦うということか?」

 

「いや、どうやら違反の重大性を考慮して補充が認められたようだ」

 

「ということは、第一高校は相変わらず強敵ということか。ともかく、補充した選手がどのような選手かは、見て判断するしかないということか」

 

 真紅郎とそう話し合い、将輝は定刻より少し遅れて始まった第一高校対第八高校の試合の中継に目を移した。舞台となるのは森林ステージ。第八高校は魔法科高校九校の中で最も野外演習に力を入れている学校であることを考えると、この戦いは第一高校の脅威度を計る上で重要なものとなるだろう。

 

 そうしてすべての観客が注目する中で始まった第一高校と第八高校の試合では、一高の森崎という選手と吉田という補充選手がモノリスを守る中、これまでの二試合と異なり市丸がゆっくりと前進を始めるという形となった。市丸が索敵能力に優れていることは、これまでの試合でわかっている。見通しの悪い環境での戦いにおいては森崎よりも自分の方が適任と判断したのだろう。

 

 市丸が敵陣に進んでいく一方、第八高校のオフェンスの選手は第一高校のモノリスに近づけずにいる。どうも方向感覚を狂わされているようで、林の中を迷走していた。これは吉田という選手の古式魔法によるものと思われた。

 

「ジョージ、吉田という選手の使った魔法はわかるか?」

 

「あれは精霊魔法の『木霊迷路』という魔法だと思う。名前から見て、多分『吉田家』の術者じゃないかな」

 

 吉田家は古式魔法の名門だ。第一高校は単純に魔法力の高い三人という編成から搦め手を用いた戦い方のできる編成に変えたということだろう。

 

「さて、そうなると注目は単独で第八高校のモノリスを目指す市丸だな」

 

 その市丸はすでに第八高校のモノリスが視界に入ろうかという位置にいる。その市丸が右手を上げた。

 

「縛道の三十、嘴突三閃」

 

 クラウド・ボールのときに見た光の膜に似て、しかし材質は異なると思われる硬質な光の突起が三本、第八高校の選手へと飛んだ。それは第八高校の選手の両手と胴体を挟んで左後方の樹木へと縫い付けた。

 

「ジョージ、あれは……」

 

「うん、光の膜を作った魔法の応用形のようだね。どうやら、形状だけじゃなくて質感までも変更が可能みたいだね」

 

 腕の自由を封じられれば、将輝とて逃れることは難しいだろう。市丸の前でそれは、致命的な隙となるだろう。

 

 八高のディフェンスを捕縛した市丸は悠々とモノリスを開き、コードを打ち込んでいく。一方の八高のオフェンスの選手は未だ第一高校のモノリスに到達できていない。仮に第八高校の他の選手が戻ったところで市丸に勝てるとも思えない。結局、市丸は八高の他の選手が戻ってくる前にモノリスにコードを打ち終え、第三試合の勝利を確定させた。

 

「今の試合、どう思う?」

 

「将輝が聞きたいのは試合の総括じゃなくて、『彼』のことだよね?」

 

 省略した言葉を真紅郎は正確に理解していた。

 

「そうだ。ジョージ、お前ならヤツをどう攻める?」

 

「彼は凄く、戦い慣れている気がする。身のこなし、先読み、ポジション取り、どれも一流だと思う」

 

「魔法技能についてはどうだ?」

 

「はっきり言って読めない。あれだけ特殊な魔法を使いこなせるのだから、低いはずはないけど、驚くほど現代魔法を使わないからね」

 

 一芸のみに特化した魔法師というものも世の中には確かにいる。しかし、市丸の場合は高速移動を行う魔法と光の膜や突起を作り出す魔法という、少なくとも二種類の魔法を使うことができる。更に加えるなら、これまでのモノリス・コードの試合内容から索敵の魔法も使えると思っておいた方がいい。これだけの種類の魔法が使えるとなると、一芸特化型とは考えにくい。

 

「あの光を使った魔法は更に応用技があると思った方がいいだろうね」

 

「他にどのような応用ができるのか、できれば見ておきたいところだな」

 

 他に使用者がいない魔法であるので、どの範囲まで応用が可能なのかがわからない。

 

「第一高校の次の試合は第二高校で市街地ステージみたいだね」

 

「つい先ほど、事故があったばかりなのに考慮されないんだな」

 

 今、出場している市丸と森崎の二人は負傷を免れたとはいえ、目の前でチームメイトが重傷を負ったのだ。いくらステージの選定がランダムとはいえ、普通は少しくらいは考慮するものなのではないだろうか。

 

「今回は双方のモノリスが五階建ビルの三階に設置されている。先の試合のような手法は使えないが、市丸はオフェンスとディフェンスとどちらだろうな」

 

 第一高校勢は市丸をディフェンスに、残りの二人がオフェンスに回っていた。

 

「森崎選手は射撃戦が得意で、吉田選手も古式魔法師なら接近戦は苦手としている可能性が高い。そうなると、市丸選手がディフェンスに回るしかないんだろうね」

 

 篠田という選手が負傷して吉田に代わった分、搦め手からの攻撃の手段は増えた。けれど、逆に接近戦は苦手になったと思っていいだろう。後は平原ステージのような見通しのよい戦場の場合にどうなるかだが、視界の開けた戦場は真紅郎にとって独壇場とも言える。そして将輝も開けた場所は魔法力を存分に発揮できるので大得意だ。そして、開けた場所では光の魔法を攻撃に使われても、回避や防御は可能に思える。

 

 第一高校のオフェンス陣はモノリスを攻めるのではなく、自陣のモノリスを狙って迫る第二高校のオフェンスを狩る戦術を選んだようだ。吉田の魔法で索敵を行い、屋上に陣取る森崎が狙撃を行った。

 

 狙われた第二高校のオフェンスの選手はなんとか森崎の攻撃を防いだ。しかし、吉田も加勢しての二人掛かりの猛攻を受け、最後は吉田の放った雷撃の魔法で無力化をされた。だが、その間に第二高校のもう一人のオフェンスは第一高校のモノリスに迫っている。

 

「市丸と一騎打ちというのは、第一高校としては思うつぼだろうね」

 

 真紅郎が分析したとおり、第一高校にとっては市丸が一騎打ちに持ち込めるというのは望んだとおりの展開だろう。実際、これまでの試合で市丸は一度も攻撃を受けていない。

 

 よほど索敵に自信があるのだろう。市丸はモノリスの前を離れて第二高校のオフェンスを迎え撃っていた。そして、てっきりモノリスの前で守っていると思い込んでいた第二高校の選手を奇襲でもって、一撃で戦闘不能に追い込んだ。

 

「ジョージ、市丸はこれまで奇襲がメインで防御魔法を使ったことすらないように思えるんだが、ひょっとして防御は得意じゃない可能性はないか?」

 

「そうだね。防御らしい防御と言えば、あの光の膜だけど、全方位を守るものではないのは救いかもしれないね」

 

「ジョージの『不可視の弾丸』であの膜は突破できると思うか?」

 

「はっきりとはわからないけど、光を操る魔法が得意なのだとしたら、簡単には破れないと思う。『不可避の弾丸』の性質は将輝も知っているだろう?」

 

 不可視の弾丸は対象の事象を直接的に改変するがゆえ、標的の視認が必要になる。市丸の光の膜は透過性があるので張られても奥にいる標的を見ることはできる。しかし、これまでの試合で市丸の光の魔法はかなりの応用力があることがわかってきている。透過率を下げることができた場合には、事象改変を行えるに足るだけの位置情報を得られる自信がないということだろう。

 

 いずれにせよ、第一高校との戦いでは平原ステージのような真っ向勝負が挑める場所であれば有利。森林ステージのような遮蔽物が多いステージでは不利となるだろう。

 

 けれど、こればかりは運勝負。将輝にできることは、全力を尽くすことだけだ。

 

 第二高校のオフェンスを片づけ、ゆっくりと攻勢に出る第一高校を見ながら、将輝は明日の決勝トーナメントに向けて闘志を高めていた。



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迫る決戦のとき

 大会八日目、新人戦五日目。

 

 決勝トーナメントの組み合わせは第三高校対第八高校、第一高校対第九高校となった。

 

 予選リーグの成績は、一位・三高、二位・一高、三位・八高、四位・九高だった。これは対戦相手の違反での勝利は正規の勝利に劣るため、この順位となった。市丸としては予選とはいえ、二位という扱いなのは不満だが仕方がない。なお、大会規定どおりなら、準決勝は第三高校対第九高校、第一高校対第八高校となるはずなのだが、予選で対戦のなかった組み合わせを優先させたようだ。

 

 準決勝の第一試合は第三高校対第八高校。カルスト地形を模した「岩場ステージ」で行われたその試合は、一人の選手の突出により開始された。

 

 一条将輝は堂々とその姿を曝して第八高校の陣地に「進軍」をする。

 

 対する第八高校は三人がかりで次々と魔法を繰り出し、一条に集中砲火を浴びせる。

 

 だが、それでも一条の歩みは止まらない。

 

 移動魔法で投げつけられた石や岩の欠片は、より強力な移動魔法で撃ち落された。

 

 直接仕掛けられた加重魔法や振動魔法は、身体の周囲一メートルに張り巡らせた領域干渉によって無効化された。

 

「市丸隊長なら、一条選手の『干渉装甲』を抜くことができますか?」

 

「逆に聞くで。森崎は自分が一条に有効打を与えられると思う?」

 

「申し訳ございません。私では一条選手の領域干渉を突破出来ないと思います」

 

「まあ、今回はその答えでええやろ」

 

 全く手がないとも思わないが、今のままの状態で、普通に戦ったのでは森崎では一条には勝てない。冷静に自己分析ができていると考えるとしよう。

 

「吉田でも一条は厳しいやろうから、ボクが受け持ったるわ。森崎は新庄を頼むわ」

 

「吉祥寺選手の魔法発動速度はかなりのものです。一方、吉田はやや速度に劣る面があると思うのですが、私が吉祥寺選手を受け持たなくてもよろしいのですか?」

 

「君とて吉祥寺よりは遅いやろ。同じタイプでやや劣るのが当たるより、全く違うタイプの方が番狂わせは起こしやすいもんや」

 

「確かにスピード・シューティングで私では吉祥寺選手に力負けすることは思い知らされました。不確定要素はあれ、吉田選手に期待するしかないのですね」

 

 森崎は随分と悔しそうだ。劣っているのが悔しいという想いがなければ強くなることは難しい。森崎の感情自体は必要なものだ。けれど、それだけでは足りない。

 

 現状の戦力分析から考えれば、森崎は新庄に当てるのが適当だ。けれど、森崎に覚醒を促すためには、格上の一条や吉祥寺を相手にぎりぎりの戦いをさせるという手もあったかもしれない。けれど、モノリス・コードは命を奪うことまでは想定されてない。所詮は試合であり、それで上手くいくというのはあまり考えられないから、これでいいはずだ。

 

 それに、吉田にしても無策で吉祥寺に当てるわけではない。今も必死に吉田支援のために動いてくれている者がいる。

 

 試合は、一条の迎撃を諦めた八高の選手たちが第三高校のモノリスに標的を変えたところだ。けれど、それは悪手というものだ。直前まで攻撃を受けていたのだから、一条の方も八高の選手の動向には気を配っている。戦闘中に背を向けた八高の選手たちは背後からの攻撃を防ぎきれず、あっさりと敗北した。

 

「なんや、つまらん戦いやったなぁ」

 

 ともかく、市丸は森崎と吉田と事前に決めてあった第九高校との試合における作戦について再確認を行う。

 

 これより開始される準決勝、第九高校との試合は「渓谷ステージ」で行われる。

 

 渓谷ステージの形状は「く」の字形に湾曲した人口の谷間。水が流れていると上流・下流で有利・不利が生じるので。実態は渓谷というより崖に囲まれた細長い「く」の字形の水溜りだ。

 

「吉田、初手は君に任せるで」

 

「任せておいて」

 

 渓谷ステージでの戦いと決まったときに吉田に尋ねたところ、霧を発生させる「結界」の古式魔法があるということだった。しかも、霧は第一高校の側には薄く、第九高校の側には濃くすることもできると言っていた。そして、吉田が発生させる霧は風を起こして吹き払おうと、代わりに流れ込んでくる空気までが霧に染まっているので意味がない。気温を上げて飽和点を引き上げても水溜りからの蒸発を促進して徒に不快指数を増進させるだけだ。

 

 元々、曖昧な対象に継続的な作用を及ぼし続けることは、現代魔法の苦手分野だ。

 

 現代魔法で「霧の魔法」を打ち消す為には、吉田の魔法作用エリアを認識しない限り有効な対抗措置は取れない。魔法の評価基準は処理速度、演算規模、干渉強度の三つ。このうちの処理速度に劣る古式魔法は現代魔法より、やや下に見られることが多い。だから、第九高校の新人が吉田の魔法に対応できない可能性は高い。

 

 ちなみに、第一高校の作戦は、第九高校の新人が適切な対応を取れなかった場合は霧に紛れて最速で第九高校のモノリスに迫り、ディフェンスの選手だけを無力化して試合を終わらせる。逆に九高の選手が適切な対応ができた場合は、市丸はディフェンスに回り、まずは森崎と吉田の二人に自由に戦ってもらうというものだ。

 

 そうして始まった第一高校対第九高校の試合で、第九高校の新人は適切な対応を取ることができなかった。どうやら古式魔法に対して勉強不足だったようだ。

 

「さすがに一日ではどうにもならんかったんかな」

 

 吉田の名前は九校戦の選手の中にはなかった。選手の交代は昨日のことだったので、そこから急いで情報収集をしたのでは、魔法への対策はおろか、使用する魔法を調査することすら困難だ。そもそも市丸自身も古式魔法の情報は十分に得ることはできなかった。それゆえ吉田をモノリス・コードの補充要員に選んだように。

 

 霧の「結界」は分布が人為的に均一でない点を除けば、自然現象以上の効果は無い。

 

 幻惑作用もなければ、衰弱効果もない。閉じ込める効果もない。

 

 だが市丸のように霊圧で対象を認識できるような能力がない限り、視界が効かないというだけで、人間の行動を制限するには十分なのだ。

 

 崖に沿って恐る恐る進む第九高校のオフェンスの霊圧を感じながら、霊子を固めて水面上ぎりぎりを進んでいく。飛行魔法が存在しない現状、空中を進むという行為は重要な手札となりうる。それは安易に公開できない。けれど、今は霧のおかげでそれを気にせずに使用することができる。

 

「縛道の三十、嘴突三閃」

 

 すでに勝利は堅い状態で未公開の手札を曝す必要はない。これまでのモノリス・コードの試合でも披露したことがある縛道を用いて、九高のディフェンスを横合いから崖に縫い付ける。九高のオフェンスはまだ一高のモノリスに到達していないので、悠々とモノリスを開いてコードを打ち込んだ。結局、第九高校が適切な対応が取れなかったおかげで、準決勝はどの予選よりも楽勝といえる内容で終了した。

 

 そうなると、次はいよいよ戦前から優勝確実と言われていた第三高校との決勝戦だ。その前に行われる三位決定戦の時間を利用して、市丸は達也の元を訪れた。

 

「間に合うた?」

 

「ぎりぎりな」

 

 そう言いながら達也が示したのは黒地のマントとコートだった。

 

「これは、どういうものなんや」

 

 一条は市丸が抑えるので問題ないとして、課題となったのが残る強敵である吉祥寺真紅郎をどうやって抑えるかだ。そして、市丸には現代魔法に対して、鬼道以外で対抗する手段を考えるほどの知識はない。そこで、達也に相談したというわけだ。

 

「これには魔法陣を織り込んである。効果は、このマントとローブを着用した者の魔法が掛かりやすくなるというものだ」

 

「へえ、吉田にはうってつけやね。ありがたく使わせてもらうわ」

 

 何も吉田が吉祥寺を戦闘不能にまで追い込む必要はないのだ。ある程度の時間さえ稼いでくれれば市丸が一条を倒した上で援護に駆けつけられる。

 

 市丸が達也から受け取ったマントとコートを吉田に強引に着させた頃には決勝戦は目前にまで迫っていた。




本話は九高を九校と誤字してる箇所に加えて他にも誤字が大量に。
一応、粗方は潰したはず。


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一条将輝VS市丸ギン

 三位決定戦が終わり、決勝戦の使用ステージが「草原ステージ」と発表された。

 

 それを聞いた三高の天幕では歓声を上げる者もいた。

 

「ひとまず、望んだとおりの展開となったな、ジョージ」

 

「ついてるね、将輝」

 

 浮かれて声を上げるような真似は自制しているものの、将輝も笑顔は隠せない。

 

「一条殿、吉祥寺殿、油断は禁物でござる」

 

 そんな中、新庄継之進だけは一切の笑顔なく集中を高めている。その姿を見て、将輝は慌てて笑顔を抑える。

 

「我が校のモノリスは拙者が命に代えてもお守りいたそう。お二方はどうか思うがまま敵を倒されたし」

 

「かたじけない。市丸は必ず俺が倒し申そう」

 

「将輝、言葉がおかしくなっている」

 

「うぐ……」

 

 継之進は悪い奴ではないのだが、話していると将輝の言葉の方が乱れてしまう。実力は確かなのだが、そこだけが玉に瑕だ。

 

「では、一条殿、吉祥寺殿、出陣と参ろうか。我らに毘沙門天の加護のあらんことを」

 

「毘沙門天の加護のあらんことを!」

 

「だから将輝、それでいいの?」

 

 戦意旺盛な継之進と少し呆れ気味の真紅郎とともに将輝は草原ステージへと足を踏み出した。モニターの中、第一高校の生徒たちも草原ステージへと登場している。だが、その中に一人だけ異質な姿をした者がいた。

 

 古式魔法の名門、吉田家の魔法師。その吉田が纏うのは漆黒のマントとローブだ。

 

「あれは『不可視の弾丸』対策だと思うか?」

 

「確かに僕のあの魔法は貫通力は無いけど……布一枚で防がれるようなものじゃないし、そんな甘い考えで対策を立ててくるとは思えない」

 

「無警戒というわけにはいかないが、分からないことをあれこれ考えても意味は無い。力押しに多少のリスクは付き物だ」

 

 真紅郎の迷いを断ち切る為に、将輝は少し強い語調で言い切った。

 

 そうして、試合開始の笛が鳴った。合図と共に、将輝は第一高校陣地に向けて遠距離攻撃魔法による砲撃を仕掛ける。

 

 両陣地の距離はおよそ六百メートル。

 

 森林ステージや渓谷ステージに比べれば短い距離だが、実弾銃の有効射程で測れば、突撃銃では厳しい間合いであり狙撃銃の距離だ。普通の魔法師では有効打を与えるには厳しい距離だが、将輝ならば可能だ。より魔法力を集中させて飛距離を増した空気弾を市丸へと向けて放つ。

 

「縛道の三十九、円閘扇」

 

 しかし、市丸は円形の光の盾を作り出し、将輝の攻撃を防ぎながら前進をしてくる。

 

「予定どおり市丸は俺が受け持つ。残りの二人は頼む」

 

 将輝が市丸の相手をする以外にも、森崎と吉田に攻撃を仕掛けることで、間接的に市丸を拘束するという手段もある。しかし、力の劣る者に攻撃を仕掛けて力のある者に消耗を強いるという方法は、実戦ならともなく、モノリス・コードという試合の場で十師族である自分が行うような方法ではない。正々堂々、三対三の真っ向勝負だ。

 

 遠距離からの攻撃では市丸の盾を破れないことはわかった。しかし、市丸からの攻撃を牽制する効果はあるはずだ。幸いなことに十師族である将輝は想子の量も豊富だ。

 

 時折、攻撃を仕掛けながら、小走りで市丸に近づいていく。市丸からの反撃はなく、両者の距離は急速に縮まっていく。

 

「くうっ……」

 

 もうじき、市丸との距離が百メートルを切るというところで、真紅郎の声が聞こえた。

 

「どうした、ジョージ!」

 

「幻術だ。あのマントとローブには目視した対象に幻術を掛ける効果があったみたいだ」

 

 真紅郎は吉田家の術士の攻撃を躱しながら後退をしている。相手を視認しようとして幻術にかかったのだ。今は相手を目視しないようにしながら攻撃を回避しなければならない。真紅郎の苦戦は明らかだった。

 

「余所見しとる時間なんてないで」

 

 なんとか援護を。そう考えたところで市丸が十メートルほどの距離まで近づいていることに気が付いた。

 

 クラウド・ボールでも使っていた高速移動だ。慌てて特化型CADを向けて圧縮空気弾を放つが、市丸の盾を打ち破ることはできない。

 

「なんや、十師族ゆうても、この程度なん?」

 

「十師族を舐めるな!」

 

 一条家のお家芸とも言える爆裂ならば市丸の盾を破ることができるだろう。だが、爆裂の威力はよく知られている。使用した瞬間にレギュレーション違反と判定されるだろう。市丸は今のところ、なぜか自分から攻撃を仕掛けてこない。爆裂以外なら盾を破壊できないと高を括っているのだろうか。だが、それこそ甘い。

 

「これが、十師族の力だ! くらえ、爆裂拳!」

 

 左手に爆裂の魔法式を構築して市丸の盾を殴りつける。対戦相手を直接、殴るのは違反行為になるが、相手の障壁魔法を殴ったところで違反とはならない。将輝の全力の一撃は市丸の盾を見事に砕いた。

 

「雷鳴の馬車、糸車の間隙、光もて此を六に別つ。縛道の六十一、六杖光牢」

 

 しかし、その瞬間に市丸が古式魔法のような詠唱をするのが聞こえた。市丸の防御魔法を破ることに意識を割き過ぎたと後悔しても時すでに遅し。将輝は六枚の光の帯により拘束されてしまう。将輝の手からCADが零れ落ちる。

 

「君は多少の魔法やと破ってしまいそうやからな。詠唱破棄なしの特別製やで」

 

 市丸のその言葉の通り、落としたCADを拾うために身を屈めることすらできない。このまま何もできずに自分は負けてしまうのだろうか。

 

 いや、そんなことは認められない。自分は十師族なのだ。十師族が簡単に敗北することは許されない。いや、そんなことは関係ない。将輝が力を求めた原点。それは新ソ連による佐渡侵攻戦だ。あのとき、将輝は市民が無残に殺害される場面を目撃した。

 

 あの戦いでは、真紅郎の両親も犠牲になった。もう二度と、誰かに力で踏みにじられることがないように、万が一、そのようなことになったとしても自らの手で守ることができるように、自分は力を求めたのではなかったのか。その覚悟は、その誓いは、この程度で敗れ去るほどの甘いものだったか。

 

「否、断じて、否。そんなこと、認められない」

 

 十師族の力はこの程度なのか。十師族の力は多くの犠牲の上に作られたものだ。この程度の力のために、多くの魔法師が人体実験に近い過酷な研究の犠牲になったなど、そのようなこと、どうして犠牲になった者たちに言えようか。

 

「この程度では終われぬのだ! 十師族は!」

 

 感情の高ぶりに合わせて、身体が燃えるように熱くなっていく。当初は身じろぎすらできなかった市丸の光の帯にひび割れが起こっている。

 

「十師族の力を見せてやろう! バーニング・フル・フィンガーズ」

 

 僅かに動かせるようになった腕を強引に振るい、自らを拘束していた光の帯を粉砕した。自分でも気づかないうちに、将輝の右腕は炎に包まれていた。

 

「何や、その能力は?」

 

「さあな、俺にもわからない。だが、これでお前にも負けない!」

 

 本当に、なぜ急にこのような魔法が使えるようになったのかは将輝自身にもわからない。だが、そんなことは問題ではない。今のところは、使い方さえわかれば十分だ。

 

「この一撃、防げると思うな!」

 

 炎に包まれた腕を一閃するも、高速移動により市丸は一瞬にして十メートルを後退する。これでは腕は届かない。だが、それだけで逃げられると思ったら大間違いだ。

 

「くらえ! バーナーフィンガー1!」

 

 指先から放たれた熱線が市丸に向けて一直線に伸びる。しかし、それすらも市丸は躱してみせた。

 

「一発ではお前には当てることはできないことくらいわかっている。それならば、避けられないほど撃てばいいだけの話だ!」

 

 人差し指を市丸に向けて熱線を五連射する。それでも市丸に直撃はさせられない。だが、五発のうちの一発が市丸の肩を掠め、プロテクターに焦げを作っている。ならば、もっと多く撃てば当たるはずだ。

 

「射殺せ、神鎗」

 

 しかし、その前に市丸が腰に差したままだった刀剣型CADを抜いて何事か呟く。そして次の瞬間には刀身が伸びて将輝の肩に迫ってきていた。

 

 将輝には、その攻撃を避けることができそうにない。けれど、刺し違えてでも市丸だけは止めてみせる。

 

「バーナーフィンガー1!」

 

 恐れることなく、将輝は市丸に向けて反撃の一撃を放った。




超展開ですみません。


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森崎の戦い

 モノリス・コード決勝戦、対第三高校との戦いでは、試合開始早々、第一高校は一条将輝からの猛烈な射撃に晒された。さすがは十師族と言うべきか、一条の攻撃は森崎駿には到底、防ぎきれるものではなかった。それは、吉田にしても同じだっただろう。

 

 しかし、それを第一高校モノリス・コードチームの隊長である市丸ギンは苦もなく防ぐ。そうして、一条将輝と一騎打ちに持ち込むべく動き出した。

 

「吉祥寺真紅郎もこちらに向かっているね。予定どおり、僕が行くよ」

 

「ああ、健闘を祈る」

 

 吉祥寺真紅郎も強敵だが、あの市丸が戦えると認めたのだ、そう簡単に敗れたりはしないはずだ。

 

「僕も敵との戦いに向かわなければ」

 

 第三高校の布陣は一条将輝が市丸ギンとの一騎打ちに向かったのとは別に吉祥寺真紅郎がオフェンスに回っている。第三高校最後の一人、新庄継之進はディフェンスとして陣地に残っている。

 

 森崎が陣地から動かずとも、市丸が一条を倒すまで待てば、試合には勝利できるはずだ。森崎が下手に動いて新庄に敗れてしまえば、市丸がモノリスの守りにまで気を回さなければならなくなる可能性がある。

 

 それでも、森崎はこのまま黙って待っているというわけにはいかない。第三高校の三人がそれぞれ第一高校の陣地に向かってきた場合という前提下ではあったが、森崎は新庄の対応を任された。そして、市丸は森崎に新庄に勝てると言った。

 

 市丸は戦力分析にかけては非常にシビアだ。森崎が新庄に勝てないと考えたなら、時間を稼げと言っただろう。だが、市丸は森崎ならば勝てると言ったのだ。ならば、森崎は新庄に勝てるのだ。

 

 森崎は自陣のモノリスを離れて第三高校の陣地に向けて疾走を開始した。それを確認した新庄が笑みを浮かべた。新庄が刀剣型のCADを手に前進を開始する。両者はちょうど両軍の中央付近で対峙する。

 

「貴殿の意気や良し、第三高校、新庄継之進がお相手申そう」

 

「第一高校、市丸ギンが副官、森崎駿。いざ尋常に勝負!」

 

 名乗りを終えた両者の距離が近づき、新庄が森崎の射程に入る。刀剣型のCADを扱う者の一般的な傾向に漏れず、新庄はどうやら接近戦が得意なタイプらしく、今のところ攻撃を仕掛けてこない。ならば、こちらから仕掛けるのみだ。森崎は特化型CADを抜くと、圧縮空気弾を放つ。

 

「笑止! そよ風程度の空気弾で拙者を倒せるなどとお考え召されるな」

 

 森崎の空気弾を新庄は刀剣型のCADで切り裂いた。魔法以外の直接的な攻撃が禁じられているモノリス・コードでは刀剣型のCADを扱う者は少ない。それにもかかわらず刀剣型のCADを持つということは何らかの手段を隠し持っているとは思っていた。しかし、まさか魔法を刀剣で切り裂くとは思ってもみなかった。

 

「今度はこちらの番であるな、いざ、その目に焼き付けよ!」

 

 言いながら、新庄が刀剣型のCADを一閃させる。剣の軌跡を追うかのように風の刃が生まれて、それが森崎に襲い掛かる。それは、森崎が見たことがない種類の攻撃だった。だが、所詮は一撃。それに未だ距離がある上、千葉道場で経験してきた斬撃よりかは幾分か遅い。

 

 風の刃であることも考慮して右に飛んで躱す。そうして森崎が見たのは、自身に向けて突進してくる新庄の姿だった。

 

「きぃえええーいぁああ!」

 

 急接近してきた新庄が森崎に向けて刀剣型のCADを一閃させる。刀剣型のCADでの直接攻撃はモノリス・コードでは違反となる。そのため、新庄が狙うのはCADでの直接攻撃ではなく、刀剣型のCADから放たれる風の刃の方だ。

 

 新庄の狙いを看破した森崎は、敢えて敵の懐に飛び込むことを選んだ。繰り返すが刀剣型のCADでの直接攻撃は違反となる。敵の方から当たりに行った場合にどうなるか、それは森崎も知らない。しかし、仮にそのような場合には違反とならないにしても、確信がなければ刀剣を振るうことはできまい。

 

 このまま刀剣を無理に振るっても不利になるだけと悟ったのだろう。新庄は刀を振る手から左手を離しつつ、その空いた手で右腕に付けられたブレスレット型のCADを操作しようとする。だが、それよりも森崎の方が速い。

 

 右手に持っていた特化型CADを新庄の胸に押し当てる勢いで突き出し、得意の圧縮空気弾を放つ。森崎の一撃を受けて、新庄が派手に吹き飛んだ。だが、新庄は吹き飛ばされながらも、右手で受け身を取って着地した。

 

 森崎の魔法力はそれほど高くない。しかし、圧縮空気弾を放つこの魔法は、より短時間で効果的な打撃を与えられるよう、特に練度を高めてきた。少なくとも、あのように何事もなかったかのように立ち上がれるほど弱くはない。

 

「あの至近距離で僕の攻撃を受けて立ち上がれるとは、どんな方法で受けたのかな?」

 

「方法などない。ただの痩せ我慢よ。武士は食わねど高楊枝と言うでな」

 

 まさか回答があるとは思わなかった。そして、本当か嘘か判断に困る内容だった。

 

 いずれにせよ森崎のやるべきことは変わらない。圧縮空気弾は森崎が最も早く放て、かつ威力もそこそこ高い魔法だ。新庄は接近戦を得意としているだけあり、全体的に速度は高い。速度に劣るが高威力の魔法は当てられる気がしない。

 

 少なくとも新庄は圧縮空気弾を受けて吹き飛んでいたのだ。全くダメージがないということはないはずだ。繰り返し当てていけば、倒すことはできるはず。

 

 起き上がった新庄が再び突進してくる。森崎も再び圧縮空気弾で迎撃するが、新庄は最初と同じように刀剣型CADで切り裂いて突進を続ける。

 

「覚悟ぉ!」

 

 新庄が風の刃を飛ばすために刀剣型のCADを左脇構えに近い体勢を取る。それを阻止するために森崎は右手のCADを新庄に向ける。

 

 何度目かになる圧縮空気弾での攻撃を、新庄はしっかりと刀剣型のCADで切り裂いた。新庄は、これで仕切り直しと考えていることだろう。だが、右手のCADで放った圧縮空気弾は囮。本命は別にある。

 

 森崎は左手を胸のポケットの中に入れて、CADを起動させる。次の瞬間、森崎の胸の前で空気が収束し、新庄へと襲い掛かった。

 

 特化型CADには照準補正機能が付いている。拳銃型の特化CADを魔法発動の際に相手に向けるのは、このためだ。半面、特化型CADはなまじ照準補正機能があるがゆえ、相手の方に向けなければ魔法の方向性が定まりづらいという欠点もある。だが、特化型CADを相手に向けずとも魔法を発動させる技能も存在する。それがドロウレスと呼ばれる技能だ。森崎はこの技能を九校戦の直前に辛うじて習得していた。

 

 森崎はそもそも魔法能力に重きを置き、接近戦を軽視していた。しかし、春の市丸と千葉の戦いを見て、魔法技能のみでは高い近接戦闘能力を持つ魔法師に接近されたときには対処ができないことを理解させられた。

 

 そうして自らの欠点である接近戦能力を改善すべく千葉家の道場に通ったことで、森崎は新たな気付きを得た。それは、接近戦を専門とする魔法師に、接近戦のみでは絶対に勝てないということだった。

 

 元々、森崎は魔法力自体は平凡ながら、魔法の運用能力は高いタイプだ。そして、身体能力は、それほど高いわけではない。自らの長所である魔法の運用能力を捨て、身体能力と感覚に頼る戦いでは強者には勝てないと思い知った。

 

 森崎にとっての接近戦とは、あくまで敵に接近されたときに何とか攻撃を受けきり、自らの得意の中距離戦に持ち込むための手段の一つ。接近戦を主体として戦うことはしてはならないことだったのだ。

 

 ドロウレスは、その反省の中で身につけることを決意した技術だ。習得をすれば、相手にとっては予想外のタイミングで魔法を放つことができる。そして今、実際に新庄は予想外の一撃を顎に受けて仰向けに倒れようとしている。

 

「ぐ……なんの……これしき……」

 

 だが、それでも新庄は驚異的な頑丈さで耐え切ろうとしている。だが、その程度のことは、これまでの戦いで予想できている。

 

「いや、終わりだ」

 

 一撃で倒せぬなら二撃叩き込めばいいだけだ。倒れぬように、懸命に足に力を入れる新庄に向けて、森崎は右手の特化型CADを向ける。しかし、そこから魔法が放たれることはなかった。

 

 その直前に試合終了の笛が鳴らされたためだった。




このヤロウ、とか言っていた陸津波を使っていた三人目はお侍に取って変わられました。


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新人戦終了

 新人戦の優勝パーティーは微妙な空気の中で開催された。

 

 結局、新人戦の決勝は第一高校、第三高校ともに失格となった。

 

 第一高校側は、市丸については思わず神鎗を使ったことによる、魔法攻撃以外の攻撃の行使によるルール違反。第三高校側は、一条が行使したバーナーフィンガー1という魔法の威力がレギュレーション違反と判断されたことによるルール違反だ。

 

 市丸が神鎗を用いたのは、一条がバーナーフィンガー1という魔法を何発も使った後だ。それなら、第三高校のみ失格とすべきではないかと十文字は一応、抗議をしたらしい。だが、今大会は事故が多かったこともあり、きつめの罰則を適用することになったようだ。

 

 結局、第一高校と第三高校はともに失格扱いになりゼロ点となった。一応、順位の繰り上げなどはなく、三位決定戦に勝利した第八高校には三位の得点しか与えられなかったため、大幅な順位の変動はなく、第一高校は無事に新人戦優勝となったわけだ。

 

 ちなみに一高と三高の総合ポイント差は百四十ポイントとなっている。第一高校は主に達也が担当した女子勢の上位独占で稼いだ得点に、市丸のクラウド・ボールの優勝の得点もあったのだが、一条や吉祥寺の活躍もあり、結局、得点差は大きくはならなかった。

 

 それでも明日のミラージ・バットの成績次第で、最終日を待たずに一高の総合優勝が決まる得点差ではある。最終日決勝のモノリス・コードの配点は、一位チームが百ポイントだ。つまり、最終日までに百点以上の差があれば、例え予選敗退でも総合優勝を勝ち取れるということだ。

 

 そして、十文字がいる第一高校が予選がリーグ戦のモノリス・コードで敗退ということは、よほどの事態が発生しない限り考えられない。仮に三位という大不振だったとしても四十点は得られるので、八十点差くらいまでなら大丈夫ということになる。

 

 ちなみにミラージ・バットの得点は一位が五十点、二位が三十点なので第三高校に一位と二位を独占され、深雪がまさかの五位以下による得点なしとならない限り、八十点差という事態にはならない。要するにすでに第一高校の優勝はほぼ確定的ということだ。

 

 それにしても、一条が使用した魔法は一体、何だったのだろうか。六杖光牢は簡単に破れるような魔法ではない。それを破ったバーニング・フル・フィンガーズという魔法は、市丸でさえ脅威を感じる威力を有していた。

 

 どこか滅却師の気配すら感じたあの魔法は、一般には知られていないものだ。けれども、詳しい者ならば知っている可能性はある。ということで、詳しい者に聞くとしよう。

 

「ねえ、達也は一条の魔法をどう見た?」

 

「見たことがない魔法だった。一条自身も火事場の馬鹿力という認識のように見えたな」

 

「達也は起動式が見えるんやろ? あれは他の現代魔法と比べてどうやったん?」

 

「現代魔法と言えば現代魔法だった。だが、随分と粗削りというか、いわゆる超能力と呼ばれていた頃の魔法に近い現代魔法に見えたな」

 

 興味深い意見だ。超能力者と呼ばれた者たちの中には、少なからず滅却師もいたはずだ。だから、滅却師の気配を感じる能力を持つ者がいることは不思議ではない。

 

 問題は、なぜ一条が急にそのような力に目覚めたのかということだ。だが、これに関しては解明は難しいだろう。

 

 一条のことはひとまず保留とする。そうなると、次に気になるのは吉田のことだ。吉祥寺は同世代の中ではトップクラスの実力者と聞いている。その吉祥寺を吉田は戦闘不能一歩手前まで追い詰めていた。

 

「吉田にはどんな手段を提示したん?」

 

 吉田は古式魔法師として豊富な手段は持っている。だが、二科生で古式魔法師の吉田は、魔法の発動速度では現代魔法師に劣るはずだ。それが現代魔法師の中でも速度は高い方である吉祥寺を相手に優位に進めていたというのは予想外だった。

 

「簡単なことだ。吉田には汎用型CADを使って古式魔法を使ってもらった」

 

 通常の汎用型CADは、二桁の数字と決定キー、合計三つのキー操作で起動式を展開する。上位機種、特に携帯端末形態の高性能機種には、ショートカットキーを備えたものがあり、使用頻度の高い魔法を選んで一つの操作で魔法を発動できるようにしているものもある。

 

 けれど、九校戦で用いることが許可されるCADには、そのような機能が搭載されていないはずだ。となると、通常のCADの範囲で吉祥寺を圧倒したということだ。

 

「幹比古の魔法の発動はなかなか見事だったぞ。幹比古は一度に十五回のキー操作をして五つの魔法を連続発動させた」

 

「それで、急に魔法が速くなるん?」

 

「これは精霊魔法では当たり前の手順みたいなんだが、基本的には一つ一つの魔法の結果を確認しながら対話式で術式を完成させるみたいなんだ。だが、それでは一々結果を確認する分、時間がかかってしまう。だから、逐次展開と同じ発想で一つの魔法を発動中に次の魔法を構築するようにアドバイスしてみたんだ」

 

 一つの魔法を発動させるのに必要なキー操作は僅かに三回。それならば予想外の対応をされて続いての四回の魔法が不発に終わったとしても速度を優先させるのは合理的なのだろう。

 

「それで、吉田はどんな魔法を使ったん?」

 

「『地鳴り』、『地割れ』、『乱れ髪』、『蟻地獄』、『雷童子』の五つだな」

 

「地割れと蟻地獄は映像見てたからわかったけど、他は名前だけ聞いてもわからんわ。効果を教えてくれん?」

 

 一応、映像では試合の様子を確認した。けれど、映像で見ても効果がわかったのは地割れと蟻地獄くらいだった。ちなみに雷童子は発動前に市丸と一条の反則によって没収試合となったため、発動していたのは蟻地獄までだったはずだ。

 

「地鳴りは地面の表層を振動させる魔法、乱れ髪は地面すれすれの気流を起こして草を絡みつかせる魔法だな」

 

 吉田が使った五つの魔法はすべて、相手に打撃を与える魔法ではない。だが、相手の意表を突くことで焦りを誘うことで次の行動を誘導していた。

 

 魔法の連続発動は興味深いが、個々の威力が低すぎることもあり、さすがに市丸が自身の選択の中に取り入れるというほどではない。だが、戦いの内容自体は称賛に値すると言ってよいだろう。

 

「それに森崎も予想以上によう戦ってくれたからね。欲を言えば、もう一歩、新たな境地に至ってくれればよかったんやけどね」

 

 今の森崎ならば新庄継之進にも勝てるとは思っていた。けれど、市丸とて新庄のすべてを知っているわけではない。二人の間には隠し玉の一つでもあれば、容易に勝敗は覆るというほどの差しかなかった。

 

「けど、むしろ隠し玉があった方がおもろいことになっとったかもしれんけどね」

 

「何の話だ?」

 

「何でもあらへんよ。それで、達也から見て、森崎はどうやった?」

 

「そうだな。春から考えて随分と成長したみたいだな。正直、驚いたな」

 

 戦闘技術自体は向上していたが、森崎の魔法自体には見るべきところはなかった。なので市丸自身は細かな分析はする気がおきず、達也に聞いたのだが、どうにも達也も森崎への興味は薄かったようだ。

 

「達也は明日のミラージ・バットが最終に変更になったんよね」

 

「ああ、そうだな」

 

 本来なら、達也の担当は昨日の新人戦のミラージ・バットで終了のはずだった。けれど、負傷した渡辺の代わりに深雪が出場することになったことにより、明日が最終日に変更になった。意識の優先順位は深雪が第一、続いて自分がローブやマントを用意したり、魔法の内容にアドバイスをした吉田に興味がいくのは仕方がない。

 

「次は君が注目される番やね」

 

「俺じゃなくて深雪だろ?」

 

「君、自分のことになると鈍いんやね」

 

 今年の新人戦で注目をされたのは一条と互角以上の戦いを行った市丸、圧倒的な美貌とともに魔法力を見せつけた深雪、そして自身が担当した競技で選手を上位独占させた達也の三人だ。その達也が出場する最後の試合が注目をされないはずがない。

 

「まあ、後は何事もなくこの大会が終わるかどうかやね」

 

 市丸がそう言うと、達也は難しい顔をして黙りこくってしまった。



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続く事件と密かな解決

 大会九日目は、前日までの好天から打って変わって、今にも雨が降り出しそうな分厚い雲に覆われた、薄暗い曇天だった。

 

 第一高校は第一試合に小早川、そして第二試合に深雪が出場する。今日の結果により優勝が決まるということもあり、一連の第一高校に対する妨害が行われる可能性が高いと達也は警戒しているようだ。

 

 ちなみに、昨日の新人戦モノリス・コードで第一高校が優勝した場合も、第三高校の逆転の可能性は皆無となった。そのため昨日、市丸はCADを一切使用しなかった。

 

「モノリス・コードでは例え一試合を落としたとしても予選リーグは突破できる。それに比べて、ミラージ・バットでは予選で大きなアクシデントがあれば、それだけで本戦出場は厳しくなる。従って敵が仕掛けてくるとすれば、このミラージ・バットである可能性が高い」

 

 達也はそのようなことを言っていたが、本音では、単に深雪のことが心配なだけではないかという気がする。もっとも、モノリス・コードの場合は試合のステージがランダムで選ばれるため、近距離で見ることができない。そのため、市丸も近距離で会場を監視することができるミラージ・バットを観戦することにした。

 

 もっとも、市丸は魔法に対する感知力に対しては魔法師の平均程度に留まる。そのため、どの程度まで妨害防止に役立てるかは不明だ。むしろ、眼鏡を外して会場を監視している柴田の方が役に立つのではないだろうか。

 

 そうして始まった第一試合は第一ピリオドは順位が目まぐるしく入れ替わる接戦の結果、小早川がわずかな差でトップに立った。そして、事件は第二ピリオドが始まって程なくして起こった。

 

 小早川は光球を杖で叩こうとして飛び上がったものの、僅かに他選手に及ばずに足場に戻ろうとした。しかし、そのための移動魔法が発動せず、小早川は水面へと真っ直ぐに落ちていく。

 

 幸いというか、競技の性質上、選手が魔法のコントロールを失って落下するという事態には当然、対策は為されている。立ち合いの大会委員が減速の魔法を放ち、彼女の身体を受け止めた。

 

 時計が止められ、小早川が担架で運ばれているのを横目に柴田が端末を取り出す。通話の相手は達也だ。

 

「達也さん、小早川先輩の右腕で……多分、CADをはめている辺りで『精霊』が弾けたみたいに、その、視えました」

 

 柴田が言ったような現象は市丸には認識できなかった。もっとも今回は吉田でさえ気づけなかったのだから、柴田が特別だと考えたほうがいいだろう。

 

「ええ、『精霊』が弾けて散ってしまったような、そんな感じでした。こう、とても古い電化製品が、パチッと火花を散らして止まってしまう、みたいな……」

 

 柴田の情報は原因の特定に繋がる情報ではないように思えた。しかし、達也は何らかの仕掛けに気が付いたようだ。

 

 けれど、すでに起こってしまった事件と、それにより自らの魔法という力そのものに疑念を抱くことになった可能性が高い小早川についてはどうしようもない。第一高校は第一試合は途中棄権ということになった。そして、第二試合のためレギュレーションチェックのために達也が深雪のCADを持ち込んだ大会本部にて次の事件であるとともに、ある意味では最後の事件が発生した。

 

「大会本部から『当校の生徒がいきなり暴れ出した』と連絡が入ったんだけど、市丸くんはどう思う?」

 

 先の事件の結果と次の妨害への対策のために第一高校の本部天幕に詰めていた市丸にそう問うてきたのは七草だった。

 

「そら、深雪のCADに何か仕掛けられたんちゃう? あの達也が暴れるゆうたら、それしか理由考えられへんやろ」

 

「そうよね。まあ、その件についての喚問を受けたわけじゃないから、とりあえずは続報を待ちましょうか」

 

 そうして続報を待っていたところに達也は何事もなかったかのように帰ってきた。

 

「すまんな、心配かけて」

 

 そんな達也だが、深雪に対してだけは誠実に対応していた。

 

「そんなこと! だってお兄様は、わたしの為に怒ってくださったのでしょう?」

 

「早いな。もう事情を聞いたのか?」

 

「いいえ。ですが、お兄様が本気でお怒りになるのは、いつも……わたしの為ですから」

 

「……そうだな。俺は、お前の為にだけ、本当に怒ることができる。でもね、深雪。兄貴が妹の為に怒るのは当たり前なんだ。そしてそれは、俺の心に唯一つ残された『当たり前』だ。だから深雪、お前は哀しまなくて良いんだ」

 

 七草が事情を聞くために待機しているのにも気づかない様子で、達也は深雪と二人だけの世界に行っている。

 

「大会本部から連絡を受けた時には何事かと思ったのだけど……とってもシスコンなお兄さんが、大事な大事な妹にちょっかいを掛けられそうになって怒り狂っていただけだったのね」

 

 七草の言葉は第一高校の本部天幕にいた全員の言葉を代弁するもので、達也はすごすごと天幕の中から退散していく。その背を追って市丸も天幕を出た。

 

「皆、肝心のことを聞かんけど、大会本部で何があったん?」

 

「大会の係員がレギュレーションチェックの検査機を使ってCADに細工をした。その場に現れた九島閣下によると、有線回線を通して電子機器に侵入し、高度技術兵器を無力化する電子金蚕という魔法のようだな」

 

「魔法の中身はええとして、その大会係員の裏は取れたん?」

 

「いや、それはまだだ。今、九島閣下が取り調べをしているだろうが、内容が伝えられることはないだろうな」

 

 九校戦の運営委員が黒幕で今回の事件が起きたとは考えにくい。それならば、わざわざ最初の事件を公道上で起こす必要がない。隠蔽のことを考えたら、大会内で仕掛ける方がよほどやりやすいはずだ。

 

 最初の達也の推測が当たっているならば、相手はそれなりに大きな組織のはずだ。実際、国軍の施設に工作員を潜入させたり、大会委員を買収したりしているのだから、その推測は外れていないはずだ。

 

「九島といえば十師族の中でも力のある家だったはずやけど、達也の読みやと九島は対処をしきれるんかな?」

 

「さあな」

 

 達也の返事は随分と素っ気ない。大会本部で暴れたように、達也は深雪のことになると、割と見境のない性格だったはずだ。それが、九島に任せて自分は手を引くというのは、あまり考えにくい。

 

「達也、君、自分で対処するつもりなんやろ」

 

「何を言っているんだ。裏がわからないのならば、対処なんかしようがないだろう?」

 

 達也の言葉はもっともだが、額面どおりに受け取ることはできない。九重八雲とも繋がりがあり、加えて軍にも伝手があるのだから、独自に情報を得ていても不思議ではない。

 

「ま、別に達也が対処するなら手間が省けるだけやから、ええんやけどね」

 

 市丸としては、度々ちょっかいをかけてこられるようなら面倒な上に自身も被害者でもあるために、可能なら対処をしておきたいと考えている。だが、絶対に自らの手で殲滅してやるというまでの強い気持ちはない。達也が勝手にやってくれるのならば、面倒がなくなるだけなので大歓迎だ。

 

「もう気が済んだか?」

 

「もうええよ。おおきに」

 

 達也はこれから深雪のためのCADの調整があるはずだ。そろそろ解放しないと、深雪が万全の態勢で競技に挑めなくなってしまっては、怒りの対象が市丸にまで向いてしまいそうだ。

 

 その後、市丸から解放された達也は、深雪に先月発表されたばかりの飛行魔法という隠し玉を使わせた。その際には第一高校だけが飛行魔法を使用したことに抗議した他校に対して術式を公開されるということも起こったが、それでも尚、深雪はミラージ・バットの優勝と第一高校の総合優勝を勝ち取っていた。

 

 その試合の途中、少しばかりアクシデントもあったようだが、国軍の魔法師らしき者がいち早く対処していたので、市丸は出る幕がなかった。ついでに、そんなことを言っていた当の達也自身が夜間にお仕事に出かけていたようだが、それにも市丸は特に関わることはしなかった。




無頭竜の居場所を知る伝手のない市丸は結局、ほぼ干渉できないまま事件終結。


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軍への売り込み

 九校戦も最終日を迎えた。

 

 今日行われる競技はモノリス・コードの一種類。九時から決勝トーナメントの第一試合、十時から第二試合。午後一時より三位決定戦。そして二時から決勝戦が行われる。

 

 第一高校の選手とスタッフはほぼ例外なく天幕か応援席のどちらかで選手の登場を今か今かと待っている。

 

 しかし、そのどちらにも、達也の姿は無かった。

 

 そして、もう一人、どちらにも姿のない選手が達也の隣にいた。

 

「二人とも、応援に行かなくてもいいの?」

 

「……始まるまでまだ少し時間がありますから」

 

「ボクの場合、優勝が決まった後の消化試合にそこまで興味あらへんから」

 

 昨晩のちょっとした任務の際に指示を受けて、達也は風間の部屋を訪れていた。けれど、そこになぜか市丸が付いてきたのだ。

 

 最初、達也は当然のことだが市丸の同行を断った。しかし、市丸は達也が軍に関係していることは知っているからと、いくら断ってもついてこようとした。結局、達也から藤林に連絡を取って、藤林判断で同行を許可されたのだ。達也としても、許す、許さないで揉めて耳目を集めることになるのは勘弁してほしかったので助かったとも言える。

 

 現在、部屋の主の風間は早朝から出かけており、戻りを待つ間、藤林から朝食をご馳走になっているところだ。達也は朝食を終えていたが、食べ盛りなのでサンドイッチが追加された程度では全く苦に感じない。

 

 ちょうど出された皿を片付け終えたところで、風間が戻ってきた。一人ではなく、部下の真田繁留大尉と柳連大尉を連れての登場だった。立ち上がって敬礼した達也と藤林に対し、市丸は座ったままだ。

 

「少佐、こちらの市丸さんは達也君がこちらに呼ばれていることを勘づき、同行を求めてきたということで、私が同席を許可しました」

 

 風間が答礼し、手振りで腰を下ろすように指示したところで藤林がそう報告する。

 

「市丸君だったね。今日はなぜこの場への同席を願い出たのかな」

 

「ボクの技能って戦闘に偏っててん。それで、将来は軍もありかなと思うて、ちょっと売り込みに」

 

「それは、俺の部下になりたいということか?」

 

「そうやね。普通の軍組織やと大所帯すぎて色々と面倒や。それより小回り利く方がええと思うんやけど。ほら、ボクの技能って少しばかり特殊やろ?」

 

 少しばかりどころか、ほぼ市丸の個人技能ではないかと思われるのだが。そして、それは風間も同意見らしく、少しばかり興味を引かれた様子だ。

 

「君はモノリス・コードで第三高校の一条将輝と互角以上の戦いを見せていた。十師族の次期当主に勝てる高校生など、同じ十師族の出身者を除けば、君くらいのものだろう。その君が我が隊に入隊したいという申し出は興味を引かれるな」

 

「なら、考えておいてや。さすがに独断で決められることやないやろ」

 

 風間の階級は少佐だ。勝手に自分の隊の人員を拡充する権限まではない。仮に本当に市丸の入隊を熱望したとして、上に相談は必要だ。

 

「ところで君らが動いたゆうことは、第一高校にちょっかいをかけとった組織ゆうんがわかったゆうことやろ、結局、何やったんです?」

 

「無頭竜という国際犯罪シンジケートだ」

 

「なんで国際犯罪シンジケートが魔法科高校一校の妨害なんてことしはったんです?」

 

「詳しい事情まではわからない。だが、第一高校に対して数々の妨害工作を行ってきたのが無頭竜であるということは間違いない」

 

「それで、無頭竜はどうしはったんです?」

 

 市丸が聞くと、風間が達也の方を見てきた。ここで正直に達也が行ったことを話してしまうと、後で市丸に聞かれることになりかねない。少し考えてみせた後で達也は曖昧に頷いて見せた。これで詳細は伝えるなということは理解してもらえたはずだ。

 

「無頭竜の東日本総支部は壊滅させた。それが結果だ」

 

「へえ、何事に関してもあまり動きの速うない、日本軍にしては思い切ったものやね」

 

「あれは、ただの犯罪集団ではないからな」

 

 達也も無頭竜が犯罪集団であるとは聞いていたし、情報も得ていた。だが、ただの犯罪集団ではないと言われる理由までは知らなかった。

 

「達也君、君は『ソーサリー・ブースター』についてどの程度知っているかい?」

 

 そう質問してきたのは真田だ。

 

「名前は聞いたことがあります。ここ数年で犯罪集団に広まっている画期的な魔法増幅装置とか。正直、眉唾物と思っていましたが……」

 

「ソーサリー・ブースターは実在するよ。ある意味では『画期的な魔法増幅装置』というのも間違いじゃない」

 

「そもそも、魔法の増幅などということが可能なのですか?」

 

 こんな場面で真田が嘘をついたり信憑性が薄い噂話を持ち出したりするとは思わないが、それでも達也は「胡散臭い」という印象を拭うことができなかった。

 

「普通の意味での増幅じゃないよ。魔法式の設計図を提供するだけでなく、設計図を元にした魔法式の構築過程を補助する機能も持つCADと表現すればいいのかな? 魔法師が本来持っているキャパシティを超える規模の魔法式形成を可能にするんだ。それで、無頭竜はソーサリー・ブースターの供給源なんだ。この道具は製造原料に問題があってね。事実上、無頭竜の独占供給状態なんだよ」

 

「ソーサリー・ブースターを買い付ける為に、リーダーの情報が必要だったのですか?」

 

「ブースターの製造と供給を止める為に、ターゲットの情報が必要だったんだ。アレはこの世界に存在していい物じゃない。僕なら絶対に使いたくないし、同じ隊の中で使わせたくもない。ブースターの中枢部品は、人間の脳。より正確には、魔法師の大脳だ」

 

 真田の言葉は達也でさえ絶句するものだった。

 

「……しかし、動物の脳細胞を使用した場合、脳内に残留する想子の所為で使用者との感応が成立しないはずですが。それは人間の脳細胞を使用した場合も同じだったはずです」

 

 達也が絶句したのは、その非人道性が主な理由ではなかった。達也はCAD開発の黎明期における動物実験の例も、人体実験の例も知っている。

 

「へえ、いくらでも人体実験ができるゆうんは犯罪集団の強みやね。強い魔法師を材料にしたら、より強力な製品になるんやろか?」

 

 そして、達也と同じく市丸もソーサリー・ブースターの非人道性に対して反応を見せていなかった。もっとも、市丸は達也よりもよほど倫理観が壊れているように見えるので、驚きはないのだが、それにしても酷い。

 

「僕たちは魔法を武器とし、魔法師を軍事システムに組み込むことを目的とする実験部隊だけど、魔法師を文字どおりの部品にするつもりはない。ジェネレーターまでならまだ許せる気もするけど、ブースターは製造も使用も絶対に認められない」

 

「そういう感情面を抜きにしても、魔法師のキャパシティを拡張するブースターは軍事的にも脅威だ。北米情報局も同じ見解で、内情に協力を求めていたらしい。そういうわけで、市丸、ソーサリー・ブースターを肯定するような態度は慎んだ方がいい」

 

「えー、別に肯定ではないやん。ただソーサリー・ブースターの性能に差があるなら、戦うときには気を付けんとあかんから、聞いといただけやん」

 

 風間に注意を受けても市丸はいつもどおり気に留める様子はない。

 

「風間少佐、老婆心から忠告をいたしますが、市丸は戦闘力は独立魔装大隊でも即主力となれると思いますが、社会性は壊滅的です」

 

「それ、酷すぎへん? ボク、意外と大隊長くらいの適性ならあると思うで」

 

 市丸はなぜか確信を持っているように思える。達也の知る限り、市丸は完全な一匹狼に思えるので、その根拠が少しばかり気になった。

 

 この場での話はそれで終わりとなった。

 

 そして、達也たちが会場に戻ってすぐに行われた準決勝。その後の決勝のいずれも十文字を中心とした第一高校は圧勝で終えた。これにより、第一高校は圧倒的な差で今年の九校戦を総合優勝で終えたのだった。



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九校戦閉幕

キャラ改変注意


 二週間前とは打って変わって、ホールは和やかな空気に包まれていた。

 

 ノーサイドの精神は口で言うほど簡単に実践できるものではなく、若い選手たちの心に勝ち負けの拘りが無いと言えば嘘になる。

 

 だが今は、十日間にわたる激闘から解放されたばかりだ。短くない期間緊張に曝され続けた反動から、生徒たちの多くはフレンドリーな精神状態になっているようだ。

 

「人気者やね」

 

「本当はのんびりさせてやりたいんだがな」

 

 言った市丸に対して、達也が不本意そうに答える。達也の視線の先にいるのは、この大会ですっかりと名を上げた深雪だ。

 

 深雪は二重・三重の人垣に囲まれている。他校の生徒、大会主催者、会場を提供した基地の高官、大会を後援している企業の幹部。加えてメディアプロの関係者と思しき人間までまとわり付いている。一応、生徒会の七草と市原が側で目を光らせているため、そこまで不躾なアプローチはされていないので、達也も抑えているようだ。

 

「妹さんだけやなく、達也も同じやろ」

 

 人垣が耐えることの無い深雪に比べれば大したこともないと言えるが、達也も先程から引っ切り無しに話しかけられていた。市丸はあまり感心がないのでよくわからなかったのだが、周囲の者が言うことには、大手企業の重役も声を掛けていたらしい。

 

「市丸はそういうのがなくて、気楽でいいな」

 

 市丸は競技的な魔法というより、戦闘力で評価をされた。達也のように技術者として注目をされたわけではないので、一般企業からは声を掛けられない。加えて軍関係者についても風間から話が回っていたのか、特に話しかけてくる者はいなかった。

 

「名を売ったはいいとして、君は何がしたかったんや?」

 

 技術力を持っているのなら、売り込みを考えるのが普通ではないだろうか。しかし、達也は企業からの誘いにさして乗り気でないように見えた。技術者というものは、より良い環境を求めるのにも貪欲なのではないだろうか。少なくとも市丸が知っている技術者である十二番隊の面々はそういう者たちばかりだった。

 

「俺にも色々とあるんだ」

 

 達也にも何らかの事情があるのだとは、なんとなく知っている。そのうちにお偉方は退出となり、会場には魔法科高校の生徒たちだけとなった。

 

 管弦の音がソフトに流れ始めると、会場はますます和やかで浮ついた空気に包まれる。

 

 わざわざ生演奏を用意した主催者の熱意に、少年たちはすぐ応えた。

 

 ここまで懸命に話術を駆使して親交を深めることに成功した少女の手を取り、ホールの中央に進む。

 

 深雪の許には予想どおり、学校、学年関係なく、少年たちが群がっていた。

 

 だがまだ誰も、その手を取ることに成功していない。というか、誰が最初に声を掛けるか牽制しあい、誘いにまで至っていないようだ。

 

 そんな中、人垣の奥から市丸もよく知る顔が深雪の前に進み出てくる。

 

「あれは放っとけんやろうなぁ」

 

 深雪の前に立とうとしているのは今回の九校戦で因縁のできた一条将輝だ。

 

「なんや、誰か思うたらレギュレーション違反で失格になった間抜けやないか」

 

「うっ……市丸か」

 

 市丸から指摘をされた一条は即座にばつが悪そうな顔を見せた。実際、一条は十師族でありながら率先してレギュレーション違反を行い、挙句の果てに失格で第三高校の得点を無にしたのだ。三位以下と離れていたからいいものの、あの失格で逆転を許していたら戦犯となっていたはずだ。

 

「だが、失格になったのはお前も一緒ではないか!」

 

「あれは君がレギュレーション違反の攻撃を何度も仕掛けてきた後やろ。あんだけ違反をされたら、ボクも多少はええんかと勘違いしてもしゃあないやろ」

 

 それでも結果としては両者失格なのだが、先に違反行為を行ったぶん、市丸の方が優位に立ちやすい。

 

「それで、君はあれだけ無様を曝しながら、今日は何の用や?」

 

「う……いや……俺は少しだけ司波さんに挨拶をさせてもらおうかと……」

 

「へえ、あない無様を曝しても、なお司波さんに挨拶したいなんて、さすが十師族。面の皮も随分と厚いみたいやね」

 

「わかっている。今回の件は俺に全面的に非がある。だから俺は、司波さんに第一高校の生徒への過剰攻撃を責められたとしても、全てを甘んじて受け入れる。それが俺の十師族としての誇りだ」

 

 良い覚悟だと感心すべきか、そこまでして司波深雪に話しかけたいのかと呆れるべきか。少しばかり考えてしまった。

 

「それに、司波さんから冷たい視線をもらえるなら、むしろご褒美だ」

 

 どうやら十割で呆れるべき案件だったようだ。

 

「もう、将輝は! また冷たくあしらってくれそうな人のところに行こうとして! どうして将輝はいつもそうなの!」

 

 と、そこに吉祥寺が一条の回収に来た。

 

「ジョージ!? いや、これは違うぞ。けして誰でもいいから罵ってほしいなんて考えてはいないからな!」

 

「言い訳はいいから。そんなに冷たい目で見られたいなら、そこで正座でもしていなよ」

 

「わかった。どのような責めであろうとも、甘んじて受ける。それが俺の十師族としての誇りだからな」

 

 そう言うや否や、一条は他の者の邪魔にならないように隅に避けた状態で正座を始める。後夜祭合同パーティーという場でその姿は酷く浮いており、自然と他の生徒たちからの注目を集めていた。

 

「俺は、どのような責めであろうとも、甘んじて受ける。それが俺の十師族としての誇りだからな」

 

 どう考えても一条は周囲からの奇異の視線を楽しんでいる。おかげで言っていることは立派なはずなのに、少しも心に届かない。立派な教えが怪物を産んでしまう結果になるとは皮肉なものだ。

 

 誘いに向かった一条が壁際の置物になったことで空いた深雪の相手は、同じ第三高校の新庄継之進が受け継いでいた。新庄の舞は定番のワルツなどでなく剣舞に近いもので、さすがの深雪も困惑を隠せていない。

 

「ねえ、市丸くん。ちょっといい?」

 

「ん、明智やん。どしたん?」

 

「どうして深雪と踊ろうとしていた一条くんが、会場の壁際で膝に石を乗せて正座することになっているの」

 

「ん?」

 

 言われて見ると、ほんの少し目を離した隙に一条は上半身裸になり、後ろ手に縛られた状態で、膝の上には石が増えていた。

 

「俺は、どのような責めであろうとも、甘んじて受ける。それが俺の十師族としての誇りだからな」

 

「……あれは触れんといた方がいいで」

 

 事前情報では尚武の第三高校と言われていると聞いていたが、どうやら変人の集まりであったようだ。とはいえ、市丸に達也と深雪が揃った第一高校も、どう考えても常人の集まりであるとは言えないのだが。

 

「ところで、市丸くん。一曲お願いできませんか?」

 

「ああ、ええで」

 

 市丸はダンスが得意というわけではない。だが、相手の動きに合わせることは長年の経験で得意としているため、ペアで踊ることはむしろ得意だ。音の流れに合わせて一歩目を踏み出し、後は明智の動きを先読みをして、動きやすい位置に自らの身体を移動させる。

 

「何となくだけど、市丸くんって一人で踊るのは得意じゃない?」

 

「あれ、なんでわかったん?」

 

「私はそれなりに踊りは得意だからね。市丸くんって踊り慣れていない感じなのに、やけに踊りやすいから」

 

 舞踏は得意なつもりだったが、さすがに踊り慣れている者の目は誤魔化せないらしい。

 

「それより、市丸くんにはお礼を言いたかったんだ」

 

「ん? ボク、なんかした?」

 

「ピラーズ・ブレイクで私が決勝トーナメントに残れたのって市丸くんのおかげなんだ」

 

 そう言われても、市丸には特にピラーズ・ブレイクで明智を支援した覚えはない。良く見積もっても、少しアドバイスをした、という程度だ。

 

「私の最後の一撃、市丸くんの神鎗って魔法をイメージしながら撃ったの。そしたら、普段の私以上の威力が出たの。だから、市丸くんのおかげだなって」

 

「それ、ボクあんま関係ない気もするけど。ま、参考になったんならええわ」

 

「うん、勝手に感謝してるだけだから、市丸くんは気にしないで」

 

 まあ、恨みではなく感謝なら、貰っておいても損はない。正直、説明を受けても実感はわかないが、受け取っておくことにしよう。

 

「市丸くん、運動神経もリズム感もいいんだから、少し練習したら、きっとすごく上手くなると思うよ」

 

「それなら教えてくれへん? 踊れて損することはないやろ?」

 

「そうだね。私でよければ」

 

 特に踊りたい相手など市丸にはいない。だが、上級者らしい明智に教えを受けられるなら悪い時間の使い方ではないだろう。

 

 こうして市丸の九校戦は静かに終わりを迎えた。



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夏の小さな事件

 香港系国際犯罪シンジケート「無頭竜」の首領「リチャード=孫」の養女、孫美鈴は有明の街を歩いていた。今回の日本への訪問は、暗殺された養父の代わりに新たなリーダーに担ぎ上げられる前のちょっとした息抜きのつもりだった。しかし、それは甘い考えであったようだ。

 

「あ、貴方たち、一体何なの!?」

 

 六人もの男に包囲され、無言で詰め寄られるに至り、美鈴は慌てて声を上げる。しかし、気付いたときには周囲に人影はなかった。

 

 美鈴とて何も考えずに街をうろついていたわけではない。人目を惹かなくなるという効果があるマジックアイテムのペンダントを身に付けていた。けれど、それだけでは対策として不十分だったようだ。これで万事休すかと諦めかける。

 

 しかし、そのときに突如として現れた少年が特化型CADで男たちを攻撃し始めた。少年は別に男たちと対立しているという雰囲気ではなかった。むしろ互いに相手のことは知らないように思えた。ということは、特に裏などはなく、単に怪しい男に襲われていた少女を助けたということだろうか。

 

 少年は瞬く間に五人の男を戦闘不能に追い込んだ。けれど、最後の一人を倒すよりも先に、男が拳銃を少年に向けていた。自分を助けようと戦ってくれた者を見捨てることなどできない。美鈴は咄嗟に銃を持つ手にしがみついた。

 

 美鈴の行動が功を奏したのか、少年が最後の男を倒した。男にしがみついたままだったことと、助かったという思いで気が抜けたこととで美鈴は路上に座り込んでしまった。

 

「立てますか」

 

 少年はそんな美鈴の元へ駆け寄ると、返事をするより先に手を取ってきた。

 

「ここから早く離れた方が良い。取り敢えず、駅に行きましょう。コイツらも人目を憚るようだから」

 

 そうして美鈴は少年と一緒に駅へと走った。そこで、美鈴はこの駅で迎えと待ち合わせをしていることを伝える。

 

「助けてくれて本当にありがとう。だけど、もうここまででいいわ。何か……後日何かお礼がしたいのだけど、よかったら連絡先を教えてもらえないかしら」

 

 これ以上、無関係の少年を巻き込むわけにはいかない。だから美鈴は駅に着いた時点で少年にそう提案して、そこではたと気付いた。

 

「あっ、ゴメン。私はリン=リチャードソン。カリフォルニアの大学に通っていて、今は旅行中なの。リンって呼んで」

 

「森崎駿です」

 

 さすがに本名を名乗るわけにはいかないので、少しばかり改変した名を伝えると、少年も名乗り返してきた。

 

「お礼なんて、滅相もないです。それより、あれで終わりとは思えないんですが。襲われた理由に心当たりは?」

 

「ごめんなさい。訳ありなの」

 

「そうですか……分かりました。リンさんの事情は訊きません。その代わり、お迎えの方が来るまで、僕にリンさんの護衛を務めさせてもらえませんか」

 

 森崎の申し出は、美鈴にとって驚くべきものだった。

 

「……何故?」

 

「何故なのかと問われると、自分でもよくわかりません。ですが、僕は貴女が危険な状態にあると知りながら、見て見ぬふりはできません」

 

「……危険だということは、さっき分かったでしょう? 現実とゲームの区別がつかないタイプには見えないんだけど」

 

「危険なのは僕よりリンさんの方です。この国の警察が優秀だということは嘘でも誇張でもありませんが、犯罪がゼロというわけでもありません。特に魔法犯罪を取り締まる魔法師の警官は慢性的な不足状態です」

 

「何処の国でも同じね、それは」

 

 美鈴は話を濁そうとしたが、森崎は自分と離れるべきという提案に首を縦に振ってはくれなかった。そればかりか自分がボディガードになると言ってきた。自信ありげな口調に、もう少し詳しく話を聞いてみると、森崎がボディガードの派遣業を営んでいる森崎家の出身だとわかった。それで、それならばとボディガードを依頼することにした。

 

 その後は人の少ない場所は避けるべきだ、と森崎が強硬に主張した結果、二人は美鈴の待ち人から連絡があるまで駅前のレストランで時間を潰すことにした。話をするのは専ら美鈴で、森崎は相槌を打つばかりだった。

 

 そのうち、美鈴の待ち人からレインボーブリッジの真下に船をつけるという連絡がくる。美鈴はペンダントをハンドバッグに仕舞い、人が多く滞留している公園内を進んで目的地に向かうことにした。しかし、それが裏目にでることになった。

 

 美鈴と森崎の前には見た目重視な武闘派スタイルの少年たち。そんな少年たちが二人を取り囲んでニヤニヤと笑っている。

 

「彼女のご案内はオレたちが引き受けるからさ、オマエはもう帰れ!」

 

「一通り見得を切って、もう気は済んだでしょう? 本当に急いでいるんです。通してもらえませんか」

 

 すごむ少年たちに対して森崎が冷ややかに言い返す。

 

「……どうやら、痛い目をみてーらしいな」

 

 少年たちが美鈴たちを簡単に解放するわけがないというのは理解できる。けれど、森崎は必要以上に少年たちを挑発しているように見えた。森崎が臨戦態勢を取ったことでCADが姿を現し、少年たちが森崎が魔法師だと気づいた。それを見て後退った少年に向けて集団のリーダーと思しき男が声を荒げた。

 

「ビビんじゃねぇ! マホーは拳銃と同じ扱いだ。素手の相手にマホーを使ったら、牢にぶち込まれんだよ。マホーを使えない魔法師なんざ、ただの木偶の坊だ」

 

「試してみるか?」

 

「遊んでやるぜ、木偶の坊」

 

 しなる様なハイキックが森崎の顔面を襲う。背後に美鈴をかばっているため、森崎は後退して躱すことができない。森崎は男の回し蹴りの下を掻い潜ることで躱した。完全に自分が足手纏いになっていることに美鈴は歯噛みをする。けれど、下手に森崎から離れて他の少年に捕まってしまえば、逆に森崎の足を引っ張ることになりかねない。

 

 美鈴が動けないでいる間に、空に向かって駆け上がった男の足が鋭く切り返されて森崎の頭上に振り下ろされる。しかし、森崎はその蹴り足に向かっていくような恰好で身体を起こし、スレスレで蹴撃を躱す。

 

 続いての裏拳も、前蹴りも、中段突きも、ローキックも、ミドルキックも、すべての攻撃を森崎は躱していた。男の攻撃はスピーディで、連続技も洗練されていた。素人の見よう見真似ではなく、おそらくはフルコンタクト空手系統の、専門的な指導を受けた形跡があった。

 

 だがその男の攻撃の全てを森崎は、躱し、さばいていた。

 

 苛立った男が、一発狙いの大振りなロングフックを森崎の顎へと繰り出した。その隙を逃さず、踏み込んでの左ジャブを男の顔面に叩き込んだ。よろよろと男が尻餅をつく。

 

「遅いな。遅過ぎる。その程度のスピード、町の喧嘩では通用しても、僕たち実戦魔法師相手には通用しない」

 

 森崎が一歩、二歩と男に近づく。戦意喪失気味の男に対して森崎が臨戦態勢を解くことはない。

 

「ま、待て! オレの負けだ!」

 

「戦士が命乞いをするものじゃあ無いよ」

 

 戦意を失った男を蹴り上げ、その意識を森崎は容赦なく刈り取る。

 

「さようなら、路上の戦士。できれば僕を許さないでほしい」

 

 冷たい瞳で見下ろす森崎を恐れ、他の少年は一歩も動けないでいる。それを一瞥すると、森崎は美鈴の手を取ろうとしてきた。その手を、美鈴は反射的に振り払っていた。それは自分でも無意識なものだった。一瞬、驚いた顔をした森崎だったが、すぐに美鈴の手を握り、そのまま歩き出した。美鈴たちを追おうとする少年は、一人もいなかった。

 

「魔法師って……戦うのが好きなの?」

 

 船が着く、という待ち合わせ指定の場所付近に着いた後の待ち時間で、美鈴は森崎に聞いていた。

 

「魔法師って、争うのが好きなの? 相手を傷つけるのが好きなの? 危険なことが好きなの? 普通の人が持っていない、特別な力を見せ付けるのが好きなの?」

 

 美鈴たちを追う者がいなかったことからも、森崎の言動には効果があったことはわかる。それでも、言わずにはいられなかった。

 

「……魔法師だから、争うのが好き、ということはありません。相手を傷つけるのは、少なくとも僕は、好きじゃありません」

 

「だったら、どうしてあの男の人を蹴ったのよ! あの男の人は、既に戦意を失っていた! そもそも逃げる為に魔法を使えばよかったじゃない! あれで争いが好きじゃないなんて言われても、信じられないわ!」

 

「魔法師はスーパーマンじゃありません。ドラマみたいに何もかも理想的に収めるなんてできません。敵に手加減をしてやれるほど、僕はお偉く無い」

 

 そう語った森崎の言葉に、嘘はないように聞こえた。圧倒的に強く見えた森崎だが、本人はそんなふうには認識していないようだ。

 

「それに、戦いが英雄的であってはならないんです。戦いは爽快なものであってはならない。戦いとは絶望に満ち、暗く怖ろしく、陰惨なものでなくてはならない。それでこそ人は戦いを恐れ、戦いを避ける道を選択する」

 

 森崎はどこか遠い目をしながら、そう語り始めた。

 

「戦いは絶望。それが僕に戦いを教えてくれた人からの教えです。だから僕は戦わなければならないときは、絶望をもって臨む」

 

 その後、迎えの船がやってきて、美鈴は森崎と別れた。森崎の考えは、美鈴にはわからない部分もあった。けれど、森崎がけして戦いを好む人物ではないということだけは美鈴にも理解ができた。




横浜騒乱編全16話の投稿は来年から開始します。


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横浜騒乱編
論文コンペ


 十月になった。

 

 市丸は今、校門から駅までの途中にある、割と本格的な店構えの喫茶店、達也たちはそろそろ常連扱いを受ける程度には足繁く通っている店に、達也たち八人と一緒に腰を落ち着けていた。

 

 この間に第一高校の生徒会は七草から中条あずさという女子生徒に代わった。はっきりと言って格としては随分と落ちたような気がするが、十師族の直系など、現在、第一高校の生徒全員を見渡してみても、前生徒会長の七草と前部活連会頭の十文字の二人しかいないのだから、仕方がない。

 

 そして、市丸にはあまり関係がないが十月には論文コンペというものがある。論文コンペの正式名称は、日本魔法協会主催「全国高校生魔法学論文コンペティション」。

 

 全国高校生、といっても、正規の教育課程で魔法理論を教える高校は魔法大学付属高校の九校以外に無い。この論文コンペも実質的には九校で競う催し物であり、九校戦が「武」の対抗戦であるとしたら、論文コンペはこれと双璧をなす「文」の九校対抗戦と言える。

 

 もっとも大選手団を派遣し、非魔法師が観戦しても楽しめる九校戦と違って、論文コンペの参加者は各校三名と少数で、非魔法師には内容がさっぱりだ。そのため論文コンペの注目度は一般にはあまり高くない。とはいえ、魔法師界では注目がされている行事であるらしい。その論文コンペの参加者として、これまた異例ながら達也が選ばれた。

 

 今年の論文コンペのメインの執筆者は前生徒会会計の市原。そしてサブの執筆者として九校戦でも活躍し、新生徒会では会計となった五十里、そして最後の一人として達也という布陣となったようだ。

 

「えっ? 達也、論文コンペの代表に選ばれたんだ?」

 

 そのことを伝えたときの吉田の反応が、このセリフだ。当事者の達也と深雪、そして市丸を除いた他の五人は目を真ん丸にして驚きを表していた。しかし、市丸はそれほど意外感を抱かなかった。

 

 達也は九校戦でも卓越した能力を示していた。本来の達也の専門からは外れていると思われる古式魔法の幻術の効果を高めた衣類を、僅か一日のうちに用意して吉祥寺の魔法への対策を施し、格上の相手に対して個人の戦いとしては勝利に導いた事例などは、浦原を彷彿すらさせた。実践力も備えた知識を有する達也ならば余程、専門外の分野でなければ力を発揮できるだろう。

 

「でも、論文コンペの代表って、全校で三人だけじゃないんですか?」

 

「まあね」

 

 目を丸くしたまま問いかけた柴田の質問を、達也があっさり肯定する。それを見た二人の表情は対照的であった。

 

「まあね、って達也くん、感動薄すぎ」

 

 絶句する柴田と呆れ顔の千葉。その隣でレオが楽しそうに笑っている。

 

「達也にしてみりゃ、その程度は当然、ってこったろ」

 

「一年生が論文コンペに出場するなんてほとんど無かったことだよ」

 

「皆無でもないんだろ? 職員室だって、インデックスに新しい魔法を書き足すような天才を無視できるはずねえって」

 

 北山の反論に笑顔のままレオが再反論する。

 

「天才は止めろ」

 

「達也さん、本当に天才と言われるのがお嫌いなんですね……」

 

「都合の良い言葉だから」

 

 皮肉その他の他意も無く不思議そうに問い掛けた光井に、達也でなく深雪が答えた。

 

「光井、達也に才があるのは確かやろ。けど、それだけで卓越した能力を得ることはでけへんで。覚えとくとええ。憧れは理解からは最も遠い感情やで」

 

 光井が達也に向ける感情の元は憧れである気がしてならない。このままでは、藍染に利用された誰かのようになってしまう気がしてならない。そうでなくとも、光井の思いが叶う可能性は低そうなのだ。この手の少女はそのときにどうなるか不安だ。

 

「なんだか妙に実感が籠った言葉だったな」

 

「達也も感じたことあるんやない?」

 

「いや、やっぱり凄いよ!」

 

 市丸と達也の間に怪しい空気が流れ始めたところで、吉田がそう切り出してから力説を始めた。

 

「あの大会の優勝論文は『スーパーネイチャー』で毎年取り上げられているし、二位以下でも注目論文が学会誌に掲載されることも珍しくないくらいだよ」

 

 スーパーネイチャーは、現代魔法学関係で最も権威があると言われているイギリスの学術雑誌のことだ。市丸も名前だけは知っている。というか、現代魔法の勉強のために読んでみたことはあるのだが、内容はあまり理解できなかった。そのスーパーネイチャーを達也と深雪だけでなく、吉田と北山も購読しているらしい。

 

 この件に限らず、魔法科高校の生徒たちは非常に勉強熱心だ。死神たちは鍛錬には励んでいても、理論などはそれが好きな人間に任せきりという傾向があった。今の魔法科高校の生徒たちの有り様は新鮮であるとともに、それが先行し過ぎた結果、戦闘力自体があまり評価に反映されない今のような状態にとなったのではないかと思わなくもない。

 

「あっ、でも……もう余り日がないんじゃなかったっけ?」

 

「学校への提出まで、正味九日だな」

 

「そんな!? 本当に、もうすぐじゃないですか!」

 

「大丈夫だよ。俺はあくまでサブだし、執筆自体は夏休み前から進められていた」

 

 光井が顔色を変えて達也のことを案じる。

 

「心配せんでも、達也なら無理と思えば事前に断っとるよ。無理と思うものを情で引き受けるような性格やないやろ?」

 

「市丸、それは評価されているのか貶されているのか、どっちなんだ?」

 

「さあ、どっちやと思う?」

 

 まあ、答えはどっちもであるのだが。そして、達也もそれくらい気付いているはずだ。

 

「しかし、随分急なお話ですね。何かトラブルでもあったのでしょうか?」

 

「サブの上級生が体調を崩したらしい」

 

 深雪の問いに答える形で達也の語ったところによると、本来のサブの執筆者は平河小春という三年生だった。だが、平河はエンジニアとして参加したミラージ・バットで、小早川のCADに仕掛けられた妨害工作に気付くことができなかった。それで、自信を喪失してしまったらしい。九校戦の折の何とかとかいう犯罪シンジケートの行動が思わぬ形で影響を与えたということだ。

 

「それはお気の毒ですが、それにしても急すぎはしないでしょうか。確かにお兄様ならば、いきなり論文作成のチームに加われと言われてもすぐに対応できるのですから、適切な人選とは思いますが」

 

 達也は無理であれば断るだろうが、頑張れば可能なら受けてしまう可能性がある。そのことは深雪の方が良く知っている。それだけに兄が忙しくなるのが心情として納得ができないのか、不服そうな様子を見せる。

 

「そうでもないさ。市原先輩の選んだテーマが俺の全く知らない分野だったら、さすがに遠慮させてもらったよ」

 

「それで、何について書くんだ?」

 

 達也が参加したことになる論文のテーマを、レオは好奇心も露わに身を乗り出して質問した。

 

「重力制御魔法式熱核融合炉の技術的問題点とその解決策についてだ」

 

「……想像もつかねえよ」

 

 全くの同感である。

 

「……随分と壮大なテーマだね。それって『加重系魔法の三大難問』の一つだよね?」

 

 吉田は内容が理解できているのか、難しそうな顔で呻っている。

 

「達也さんが呼ばれたのですから、CADプログラミングの論文だと思ってました」

 

 吉田の隣で意外感を表明したのは柴田だ。

 

「あっ、私もそう思った」

 

「啓先輩もメンバーに入ってるからねぇ、あたしもそのテーマなら、優勝間違い無しってくらい、凄いのができると思うんだけど」

 

 北山と千葉も柴田と同意見のようだ。市丸は達也の正確な技量自体はよくわかっていないが、九校戦で抜群な成績を残したという実績から、少なくとも高校生の中では勝てる相手はいないはずだ。

 

 もっとも、CADのプログラミングは実用的ではあるが、学術的な意味は低そうだ。加えてCADのプログラミングがテーマとなれば達也がメイン担当とならざるを得ない。それらを考えると、市原のテーマの方が適当だろう。

 

 こうして達也は翌日から論文コンペの準備に向けて邁進を始め、市丸は特に普段と変わらぬ日々を過ごしていくことになった。



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騒動の予兆

 学校への論文コンペの原稿提出を目前に控えた日の放課後、風紀委員会本部で達也は五十里相手に、昨晩、不正アクセスを受けたということを話していた。

 

「……それで、被害は無かったのかい?」

 

「それは大丈夫です」

 

 心配そうに身を乗り出した五十里の身体を押し止める様に両手を前にかざして、達也は苦笑気味に首を振った。

 

「それより、五十里先輩の御宅は大丈夫ですか?」

 

「それってもしかして、クラッカーの狙いは……」

 

「クラッカーのコマンドを見ると、どうやら魔法理論に関する文書ファイルを狙っていたようです。時期的に見て、コンペ絡みの可能性は否定できません」

 

 時期的に、と言えば実はもう一つ心当たりがあるのだが、ここでは開示できない。

 

「それで、そういった件は昨日が初めてなん?」

 

「俺としては風紀委員会本部に市丸がいることが不思議なんだがな」

 

「今日は論文コンペに向けて執筆者の警護を強化するにあたり、ボクにも協力して欲しいて言われたとこや」

 

「そういうことか。それで、最初の質問だが、今回のような攻撃を受けたのは初めてだ」

 

 実際は、別件で何度か攻撃を受けたことがあるのだが、それもここで開示ができることではない。

 

「その話、市原先輩にもしておいた方が良いね」

 

 達也も元よりそのつもりだったので、五十里の提案に即、頷いた。

 

「啓、お待たせ~」

 

 そこへ語尾に音符が踊っていそうな上機嫌で新風紀委員長である千代田花音が風紀委員本部に入室してきた。

 

「達也くん、久しぶりだね」

 

 苦笑交じりに声を掛けてきたのは、花音と一緒に入ってきた摩利だ。

 

「渡辺先輩、市丸に執筆者の警護の依頼をしたと聞きましたが、正気ですか?」

 

「それは私じゃなくて現風紀委員長の花音に言うべきだろう?」

 

「どうせ渡辺先輩の発案なのでしょう?」

 

「私は案の一つとして言っただけだ。採用したのは花音だからな」

 

 言葉だけ聞くと責任逃れのようにも聞こえるが、これは花音に風紀委員長としての自覚と責任感を持ってほしいという想いから出たものだろう。

 

「それで市丸の警護への参加についてだが、私は市丸は危険に対する嗅覚がずば抜けていると考えている。その上で実力に加えて対応力もある。性格面での不安はあるが、それを差し置いても市丸は護衛に適任だと思っている」

 

 そう言われてしまうと、達也にも渡辺の言葉を否定することは難しい。実際、市丸は実力という面では達也ですら文句をつけられないレベルだからだ。

 

「それで、風紀委員会が担う警護の範囲はどのくらいになるのですか?」

 

「魔法協会がプロを手配する会場の警備以外だ。チームメンバーの身辺警護とプレゼン用資料と機器の見張り番とかだな。論文コンペには『魔法大学関係者を除き非公開』の貴重な資料が使われるが、そのことは外部の者にも結構知られている。その所為で時々、コンペの参加メンバーが産学スパイの標的になることがあるのだよ」

 

「ボクは実力行使以外は、さっぱりやから、そっちは達也が何とかしてくれん?」

 

 何となく感じていたが、市丸はネットワークのセキュリティの知識には乏しいようだ。

 

「所詮は高校生のレベルだからな……スパイと言っても、チンピラが小遣い稼ぎを企むくらいでネットワークに侵入なんて大それた真似をしでかした例は聞かないが……」

 

「達也の場合、それくらいする価値あるて思われても不思議やないんちゃう?」

 

 現代において、ネットワークの不正侵入はそれだけで重罪だ。ネットワーク内の情報の窃取は強盗よりも重い刑罰が科せられている。データの改竄は殺人未遂と同レベルだ。けれど、達也の場合は九校戦の際に名前を売ってしまったので、ありえない話ではない。

 

「むしろ警戒すべきは、置き引きや引ったくりだ。四年前には、会場へ向かう途中で襲われて怪我をした例もある。それが各校が、コンペ開催の前後数週間、参加メンバーに護衛を付けるようになったきっかけだな」

 

「それで襲撃者の腕ってどのくらいなん?」

 

「そっちも基本的にはチンピラ程度だ。間違っても、いきなり腕を斬り落としたりなんてするんじゃないぞ」

 

「そないな非常識なこと、せえへんよ」

 

 どの口が言っているんだと、皆が目で語っているが、いつものごとく市丸は柳に風と受け流している。

 

「当校でも毎年護衛を付けていて、護衛のメンバーは通常は風紀委員会と部活連執行部から選ばれているが、具体的に誰が誰をガードするかについては当人の意思が尊重される」

 

「それは、市丸が護衛に付くことを了承した人がいるということですか?」

 

 五十里は花音が護衛もといべったりと張り付いて離れる様子がない。となると、残るは達也と市原しかいない。これで市原が了承してないとなると、達也のところにやってきてしまう可能性がでてくる。

 

「そういう手もあるな。君に普通の護衛を付けたって壁役にしかならんだろうし、むしろ足手纏いになる可能性の方が高いからな。だが、市丸ならば役立ってくれるだろう?」

 

「謹んで、遠慮させていただきます」

 

「そうか、ならば市丸には予定通りに市原の護衛に付いてもらうとしよう」

 

 そう決まっていたのなら、最初から聞かないでほしいと思ったが、渡辺を喜ばせるだけとなりそうなので黙っておいた。取り敢えず市丸が市原の護衛に付くのならば、達也には害はない。そのまま達也には護衛は付けないということで落ち着き、風紀委員本部での話し合いは終わった。

 

 話を終えた後は、五十里と花音と一緒に論文コンペで使用する3Dプロジェクター用の記録フィルムが切れていたため、購入すべく駅前の文具店に向かった。目的の店で買い物を済ませて先に外で待っていた達也は、自分を窺い見る目に気がついた。

 

 達也たちが向かった店は学校から駅への最短経路の途中、むしろ駅前と言っても良い場所にある。駅に張り込んでいれば帰宅途中の生徒を捕捉するのは難しくない。尾行された覚えはないので、待ち伏せしていたのだろう。隠そうとはしているのだろうが、隠しきれていない敵意からして、好意的でも平和的でもない意図を持っているのは間違いない。

 

 どうしようか、と迷っていたところに、買い物を終えた五十里と花音が出て来た。そして、出て来るなり即、五十里は達也の様子が通常と異なると気づいた。

 

「いえ、どうも監視されているようなので、どうしようかと」

 

「監視? スパイなの!?」

 

 どうしようかと、の次に「思いまして」を続けようとしたタイミングで、花音が大声で割り込んできた。

 

 それは曲者に対してわざわざ「逃げろ」と呼び掛けているようなもので、案の定、こちらを盗み見ていた視線が外れ、気配が遠ざかっていく。

 

 花音の迂闊な行動を見て、達也は少しだけ市丸に付いていてもらった方がよかったかもしれないと思った。普段は殺傷能力の高い攻撃を繰り出す市丸だが、モノリス・コードで見せたように捕縛の魔法も数多く使用できる。今回のような事態には市丸がいてくれるとよかったかもしれない。

 

 そのような後悔をしていても始まらない。まだ、曲者を取り逃したわけではない。花音は短く方向を訊いただけで、達也が目を向けた方へ迷う素振りも見せず駆け出した。

 

 花音は陸上部のスプリンターでもある。一般的な高校生が相手なら、男であってもそうそう引けを取るものではない。逃げているのは少女で、第一高校の制服を着ていた。

 

 たちまち距離を詰めた花音だったが、少女は閃光弾で時間を稼ぐと、スクーターにまたがり逃走を図る。それを防ぐために五十里が放出系魔法「伸地迷路」を発動した。

 

 逃走を始めたばかりのスクーターの両輪が空回りを始める。しかし、少女はスクーターの左のグリップ脇にある、プラスチックカバーに覆われたボタンを親指で押し込んだ。

 

 突如、シートの後ろが爆発した。

 

 座席後部のカバーが飛び散り、二連装のロケットエンジンが噴炎を吐き出し始めた。

 

 弾き飛ばされたように、スクーターが急発進し、あっという間に達也の視界から見えなくなってしまった。それは乗っている者の安全を度外視した、完全な違法改造だったが、今回はそれが良い方に転んだようだ。

 

 やはり市丸の魔法があったらよかったと思ったが、今となっては後の祭りだ。

 

 達也はこの日は曲者を取り逃してしまった。



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追跡者

 達也が論文と発表原稿とプレゼン用データを学校へ提出した日、市丸は達也たち八人と一緒に校門を出た。しかし、今日の下校には尾行が付いていることを市丸は一定の距離を置いて移動している霊圧から感じていた。

 

「チョッと寄って行かないか?」

 

 尾行には達也も気づいていたようで、尾行している霊圧の方に顔を向けないように振り向きながら言った。達也のその誘いには、レオと千葉と吉田も少し積極的すぎるとも思える肯定を返した。三人ともそれぞれ思うところがあるようだ。

 

 しばらく普通に喫茶店「アイネブリーゼ」で珈琲を楽しんでいたが、達也の珈琲が半分ほどに減ったところで千葉がカップを傾け一気に中身を飲み干して、ソーサーに戻した。

 

「エリカちゃん?」

 

「お花摘みに行ってくる」

 

 顔を上げた柴田にそう答えて、軽やかな足取りで店の奥へ向かう。その直後、今度はレオが電話だと呟きながら、ポケットを押さえて立ち上がった。そして吉田は手元のノートに筆ペンで何かを書き込んでいる。

 

「それ、外で何かが起こっても大丈夫なようにしとる?」

 

「あまり派手なのは避けてほしいかな」

 

 状況から考えておそらくレオと千葉を支援しているのだろうと思って聞いたが、どうやらそのとおりだったようだ。

 

「どこまでが大丈夫なんか教えておいてくれたら考慮するよ」

 

「エリカの認識を要として、誰も近づけないという結界を作るから、あまり派手に光とか音とかを出さないのならば大丈夫だと思う」

 

「ん、それなら問題なさそうやね」

 

「いくら幹比古の結界でも、お前が本気でやると見つかるぞ。程々にしとけよ」

 

「心配せんでも、加減は間違えへんよ」

 

 それだけ答えて市丸はレオと千葉の後を追って店の外に出た。

 

「オジサン、あたしたちとイイコトして遊ばない?」

 

 そして、千葉は普通に聞けば誤解しか与えない表現を用いて市丸たちを尾行をしていた男に声を掛けていた。

 

「大人をからかうんじゃない。もう日も暮れる。こんな人通りの少ない所にいたら、通り魔に襲われないとも限らないぞ」

 

「……通り魔、ってのは、例えばこんなヤツのことか?」

 

 男が振り向いた先を、レオが黒い手袋をはめた拳を掌に打ちつけながら塞ぐ。市丸は戦闘力としては少し劣ると判断したレオの背後で待機だ。

 

「知らないの? 通り魔っていうのはね、『通り』すがりの『魔』法使いのことなのよ」

 

 千葉は手に伸縮警棒を手に臨戦態勢を取りながら言う。

 

「助けてくれ! 強盗だ!」

 

 逃げられない、と判断した男の行動は一般人を巻き込むというものだった。

 

「あっ、言い忘れてたんだけどよ、助けを呼んでも無駄だぜ? 今は、誰もここには近づかない」

 

「っていうか、近づけないんだけどね。あたしたちの『認識』を要にして作り上げた結界だから、あたしたちの意識を奪わない限り抜け出すこともできないよ?」

 

 男は薄手のジャケットを着たまま、腕を高く上げて頭部をガードする構えを見せた。どうやら市丸が一番の実力者であると気づいているようで、狙いを千葉に定めている。

 

 次の瞬間、男が精悍なファイターと化して千葉に急迫した。

 

 低い位置から腰をしならせ、鞭のようなパンチを千葉に浴びせかける。

 

 千葉は男の弾丸のような拳撃を伸縮警棒で打ち払っていく。千葉の防御は男の腕に打撃を与える攻撃でもある。そのまま攻撃を受け続けていては男は自慢の拳を繰り出せなくなるだろう。その前に男はスローイングダガーを千葉に向けて投げつけた。

 

 千葉は警棒でダガーを払った。

 

 内側から外側へ警棒を振ったことで、正面の防御に穴が開く。

 

 すかさず左のパンチが千葉の顔面に伸び、男の拳速を超えるスピードで翻った警棒を避けるために途中で引き戻された。

 

「二人とも、もうええやろ。縛道の六十一、六杖光牢」

 

 男の実力を確認するために少しばかり泳がせておいたが、大したことはない相手だ。面倒なのでさっさと捕らえてしまう。

 

「ぐっ……何だ、これは?」

 

「君が知る必要はないで」

 

「分かった、降参だ……元々私は……君たちの敵じゃない……こんなことで踏み潰されたのでは……割に合わない……」

 

「取り敢えず、詳しい話は後や。今はしばらく眠っておいてもらおか」

 

 それだけ言って白伏を使って男の意識を刈り取る。

 

「今の魔法は何なんだ、って聞いても教えてくれないんだろうな。一体、お前はどのくらいの手を隠し持ってるんだよ」

 

「ボクが何て答えるか、自分で言うてるやないの」

 

「まあ、そうだよな。それで、この男はどうするつもりなんだ?」

 

「達也ならいい場所を知っとるやろ」

 

 千葉もレオも達也が軍と関係があることを知らないので微妙な顔をしている。市丸も達也の事情を勝手に話すことはできないので詳しい説明は省いて男を店内に運び入れる。

 

「あれ、マスターはおらんのやね」

 

「お前がこの男を連れてくるとわかったから、下がってもらったんだ」

 

 変な事情説明の手間が省けて助かる。

 

「達也、この男を拘束するための場所を用意してくれへん?」

 

「ただの高校生がそんな場所、用意できると思うか? 頼むなら、七草先輩か十文字先輩にしてくれ」

 

「それじゃ、達也から連絡をしてくれへん?」

 

「だから、どうしてそれを俺に頼むんだ?」

 

「あの二人との関係なら、達也の方が深いやろ」

 

 渋る達也だが、特に七草からは気に入られていたはずだ。

 

「あの、それでしたら、わたしから七草先輩にお願いをいたしましょうか?」

 

 確かに七草との関係ならば生徒会繋がりで深雪の方が深いはずだ。

 

「七草家と十文字家なら力のあるのは七草家だ。だが、七草先輩の場合、先輩からの許可を得られても当主の弘一氏からの許可を得られるとは限らない。それならば、次期当主である十文字先輩の方が話が速い」

 

「それなら、お兄様からお話をされるということでしょうか?」

 

「何なら、もしものときに読経させるために坊主でも呼んどく?」

 

「そんなことを言っている場合ではないだろう」

 

 他の者にはわからないように九重寺に連れていくことを提案してみたが、達也にその気はなさそうだ。あそこなら軍ともかかわりがあるので、何なら九重八雲経由で風間に連絡を取ってもらうことも可能だと思ったのだが、達也は十師族は軍よりも情報統制が優れていると考えているのだろうか。

 

「それより、ここから先は最小限の人数で行うべきだ。レオと幹比古とエリカは美月とほのかと雫と一緒に先に帰ってもらえるか?」

 

 達也の提案は荒事には慣れていない女子三名を守るためと、レオたち三名をこれからの事から遠ざけるためだろう。

 

「すみません、十文字先輩。少しお話があるのですが……」

 

 レオたちが店を出てすぐ、達也は十文字に連絡を入れていた。どうやら第一高校は日本のものでない古式魔法によって探りを受けていたらしい。それを伝えたところ、捕虜の尋問に協力してくれることにしたようだ。そうして、十文字主導の元で、市丸たちは捕虜の尋問を始める。

 

「まずは名前と所属を教えてもらおう」

 

「ジロー・マーシャルだ。詳しい身分は言えないが、いかなる国の政府機関にも所属していない。また、先に述べたとおり君たちに敵対するものではない」

 

「当校の生徒たちを監視していた目的は何だ?」

 

「魔法科高校生徒を経由して先端魔法技術が東側に盗み出されないよう監視し、軍事的な脅威となり得る高度技術が東側に漏洩した場合はこれに対処することだ」

 

「へえ、それ、魔法科高校の生徒が情報漏洩に加担した場合には、それも含めて対処する、ゆうことでええんか?」

 

 市丸の確認に男が息を飲む。十文字の表情も険しくなった。

 

「せ、世界の軍事バランスは一国の問題ではない。この国の実用技術が東側に渡ることで西側の優位が損なわれることにもなりかねないのだ。これまで魔法式そのものの改良に重点を置いていた新ソ連、現代魔法の開発より前近代的な魔法の復元に力を注いでいた大亜連合も方針を変更している。君たちの学校も東側のターゲットになっているんだ」

 

「言いたいことはそれだけなん?」

 

「私はスパイではなくそれを阻止する立場だ。君たちの敵ではないし、私と君たちとの間に利害の対立も無い」

 

「それを決めるのは君の雇い主やない」

 

「もういいだろう。この男は十文字で預かる」

 

 尋問は市丸の得意分野ではないが、男の語った内容自体はあながち嘘ではないように感じた。ひとまず十文字なら男を預けても問題ないだろう。

 

 こうして、男の身柄を十文字が預かったことで、この日の騒ぎはひとまずの幕を下ろしたのだった。



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平河千秋

「待ちなさいっ!」

 

 市丸が校庭でその声を聴いたのは、ジロー・マーシャルを名乗る男を捕らえた翌日のことだった。見ると、春のブランシュ事件のときに騒ぎを起こした壬生沙耶香が一人の女子生徒を追いかけていた。

 

「……一年G組、平河千秋です」

 

 壬生に追いかけられていた女子生徒は中庭で立ち止まると、壬生に向けて名乗る。

 

「平河さん、貴女が持っているそのデバイス、無線式のパスワードブレイカーね。隠しても分かるわ。あたしも同じ機種を使ったことがあるから。あたしもスパイの手先になったことがある。だから忠告するわ。今すぐ手を切りなさい。付き合っている時間が長い程、後で苦しむことになるわ」

 

「……あたしがどれだけ苦しんだって、先輩には関係の無いことです」

 

「放っておけないのよ。半年が過ぎた今でも、あたしは時々身体の震えが止まらなくなるわ。自分でも気がつかない内に、唇を噛み切っていたことも、爪を掌に食い込ませていたこともある。貴女がどんな連中と付き合っているのか知らないけど、これだけは断言できる。相手は貴女のことなんて考えていない。ただ利用して、使い捨てるだけよ」

 

「マフィアやテロリストが利用する相手のことを考えていないなんて当然じゃないですか。先輩はそんなことも分からずに手を組んでいたんですか? 失礼とは思いますけど、先輩は随分子供だったんですね」

 

 どうやら平河という生徒は覚悟の上で第一高校に敵対をしているようだ。

 

「自棄になったって、何も手に入らないし、何も残らないのよ!?」

 

「先輩には分かりませんよ。あたしは別に、何かが欲しくて手を組んだんじゃない」

 

 つまりは我欲ということだ。それなら、遠慮をする必要はない。

 

「そんなら、自分がスパイとして処分されるのも、覚悟の上ゆうことやね」

 

 背後に立った市丸に気がついた平河が、小さなカプセルを投げる。その瞬間、激しい閃光が眼底を焼いた。視力は奪われた。だが、霊圧で位置はわかる。

 

「縛道の六十一、六杖光牢」

 

 昨日から続いての六杖光牢で平河を捕縛する。続けて白伏で意識を奪う。

 

「壬生、身体検査をしてくれへん?」

 

 平静を装いながらも内心では焦りを覚えていた。今回は相手が素人であったことから視力を奪われても問題はなかった。しかし、相手が強敵であった場合は僅かな隙が致命的な結果を招きかねない。原因は閃光を発する武器の存在を知識でしか知らず、実際に使われる場面というのが理解できていなかったためだ。これは反省しなければならない。

 

 ともかく、今は平河をどうするか考えなければ。けれど、その前に他にも怪しい品を隠し持っていないか身体検査が必要だ。

 

 さすがに市丸が剥くのは拙いので平河の確認は壬生にさせる。すると、袖口にはバネ仕掛けのダーツが仕込んであった。

 

「それで彼女はどうするの?」

 

「とりあえず、千代田の指示を仰ごか」

 

 今のところ平河には処罰に値するだけの罪は犯していない。ならば、こっそりと処分してしまえばいいだけなのだが、さすがに自身も不利益を被ることも覚悟の上で独断で行動するつもりはない。というわけで千代田に一任するつもりで聞いたところ、保健室で話を聞くので連れて来てほしいというものだった。そのまま平河は壬生に運んでもらうと、中にはすでに千代田と五十里がいた。

 

「一昨日は大丈夫だった?」

 

 事情聴取を始めた千代田の話によると、一昨日にも平河は達也たちの尾行をしていたらしい。だが、そのときも明確な犯罪行為にまでは至っていないらしい。

 

「壬生さんに、何かが欲しいわけじゃない、って言ったらしいわね。じゃあ何でデータを盗み出そうなんて考えたの?」

 

「データを盗み出すことが目的じゃありません。あたしの目的は、プレゼン用の魔法装置作動プログラムを書き換えて使えなくすることです。パスワードブレイカーはその為に借りたものです」

 

「当校のプレゼンを失敗させたかったの?」

 

 第一高校の執筆者の一人、五十里のこととなると千代田は人が変わる。それこそ深雪に関する事柄に対する達也よりは少しましというくらいには。一応は抑えているようだが、隠し切れない怒りが滲み出ていた。

 

「違います! 失敗すれば良いなんてことは考えていませんでした! 悔しいけど、あの男はその程度のことなんてリカバリーしてしまう。アイツはそれだけの腕を持ってる。でも本番直前にプログラムがダメになったら、少しくらい慌てるに違いないって思った。何日も徹夜してダウンしちゃえばいい気味だって思った。あたしはただ、アイツの困った顔が見たかったんです!」

 

「嫌がらせであんなことを……? 幸い大事にはなってないけど、成り行き次第では退学になっていたかもしれないのよ」

 

「それでも構いません! アイツに一泡吹かせられるんなら! だって、アイツばっかりいい目を見るなんて許せないんだもの……!」

 

「君が達也に意地悪するんなら、ボクが君に意地悪をしてもええゆうことやね」

 

 市丸が発した言葉に平河が怪訝な表情をする。

 

「ボク、意地悪は得意なんや。五十里、君はこの子の動機に心当たりあるんやろ?」

 

「彼女は論文コンペを辞退した平河小春先輩の妹さんだ。そして、平河小春先輩が執筆者を辞退したのは、九校戦のミラージ・バットで担当選手だった小早川先輩の仕掛けに気付かなかったことに責任を感じてだ。それを彼女は司波君のせいだと思ったんだと思う」

 

「アイツには小早川先輩の事故を防げたのに、そうしなかった。アイツは小早川先輩を見殺しにして、その所為で姉さんは責任を感じて……」

 

「もしあの事故について司波君に責任があるというなら、僕も同罪だ。僕はあの仕掛けに気づかなかった。僕も含めた技術スタッフ全員が同罪だよ。司波君だけの責任じゃない」

 

「姉さんにも分からなかったんです。五十里先輩に分かるわけ無いじゃないですか。アイツだからあの仕掛けに気づくことができたんです。あの人だってそう言ってたわ。それなのにアイツは、自分や妹には関係ないからって手を出さなかったんじゃないですか!」

 

 どうやら、平河の言うあの人というのが今回の黒幕に繋がる人物のようだ。それならば、次に接触するまで平河は泳がせておく方がいい。けれど、これ以上、無茶をやらかさないように釘くらいは刺しておくことにしよう。

 

「君は随分と勝手な理屈を言うんやね」

 

「何が勝手なんですか? 実際、アイツは何でもできるクセに自分からは何もしようとしなかったじゃないですか」

 

「できる、できない。する、しない。この間に差があることくらいも理解できんほど子供やないやろ。だから、ボクが言えるのは一つだけや。君がこれ以上、第一高校に迷惑をかけるんなら、ボクは君のお姉さんに、君のせいで妹が道を踏み外したと責任を感じてもらえるようにしたげるよ」

 

「なっ……」

 

 姉のことを持ち出せば、平河の表情が顕著に変化した。

 

「君のお姉さんは、自分の担当選手のことでさえ体調を崩すほど責任感が強い。なら、自分のせいで君が達也のことを逆恨みして第一高校のプレゼンを失敗させようとして、結果として君が退学になるかもしれへんと教えたったら、今度はどのくらい責任を感じてくれるやろうなぁ」

 

「プレゼンが失敗すればいいなんて考えていなかったって言ったじゃないですか」

 

「そないなもの、君が勝手に言うとるだけやないの。行動だけを客観的に見れば、君の行動は第一高校の技術スタッフ全員を逆恨みしたと取る方が自然や。君自身は退学になってもええて考えとるみたいやけど、君のお姉さんはどうかなぁ」

 

「ハイハイ、そこまで。ドクターストップよ。続きは明日にしてちょうだい。彼女の身柄は一晩、大学付属の病院で預かります。親御さんには私の方から連絡しておくから、貴方たちは準備に戻りなさいな。もう日が無いのでしょう?」

 

 もう少し追い込みたかったところだが、保健医の安宿に遮られてしまった。けれど、次の行動の指針は得られた。それなりの成果を得て市丸は保健室を後にした。



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克人との戦闘訓練

 論文コンペ本番まで、あと一週間と一日。

 

 プレゼンテーションのバックアップは全校一丸という体制になっていた。

 

 デモ用の装置の製作に携わっている者、舞台上の演出をプランする者、客席の効果的な応援を指導する者、移動手段や弁当の類いを手配する者……九校戦では出番の無かった生徒たちもその才を存分に発揮している。

 

 一方、体育会系の生徒たちも、自分たちの役割を果たす為、準備に余念が無い。普通に考えれば準備など必要ないはずの大物が率先して、万が一のトラブルに備えた訓練に汗を流していた。

 

 学校に隣接する丘を改造して作られた野外演習場。魔法科高校は軍や警察の予備校ではないが、その方面へ進む者も多い為、このような施設が多種多様に充実している。

 

 その人口森林の中で、吉田幹比古は息を殺して訓練相手の上級生を窺い見ていた。

 

 幹比古は木陰に身を潜め、相手は林間に開けた空き地にその姿を曝している。それ自体はこの訓練相手の部活連前会頭、十文字克人には普段のことだ。しかし、今日ばかりはその姿に緊張感が見て取れる。

 

 その理由が、幹比古の隣にいる九校戦の戦友二人の存在だ。その中でも主に警戒対象と思われるのが市丸だ。さすがの克人も市丸の存在は無視できないと見える。

 

 今回の論文コンペで克人は、九校が共同で組織する会場警備隊の総隊長を務めることになっている。他校の代表と会合を持つ傍ら、こうして自ら訓練の先頭に立つことで、警備部隊員に抜擢された生徒たちの士気を高めているのだった。

 

 幹比古がその練習相手に選ばれたのは、九校戦の活躍を見留められたからだ。練習相手の話が来た時には、危うく小躍りするところだった。一年生の、しかも二科生、何の魔法競技系クラブにも属していないとあれば、十文字家次期当主の練習相手など、こちらから頼んでも本来ならば実現は難しいところだ。

 

 そういえば、九校戦の出場の切欠となったのは、市丸が補充メンバーとして幹比古を選んだからだ。けれど、そもそも市丸はどうして幹比古を指名したのだろうか。

 

 克人は到底敵う相手ではないと分かっていたから、最初は精一杯闘って良い勉強をさせてもらう、というつもりだった。だが、現実に克人を前にすると放出されるプレッシャーに押し潰されそうだった。

 

 幹比古の心が弱いのではない。むしろ幹比古は、克人の放つ重圧によく耐えている方なのだろう。つい今しがた、五十嵐という百家本流の一年生が圧迫感に耐えかねて無謀な突撃を行い、返り討ちに遭ったばかりだ。

 

 そんな中でも幹比古が耐えられているのも、市丸の存在が大きい。市丸が余裕の表情のまま動きを見せていないのだから、きっと大丈夫と思えるのだ。

 

「さて、そろそろやな」

 

 克人一人に対して十人で始まった戦いが五十嵐の脱落により残り半分となったところで市丸が動き出した。市丸もまたこれまで姿を隠していた木陰から出て、堂々と歩み出す。

 

「ようやく出てくる気になったか、市丸」

 

「最初からボクが出ていったら、戦う気がある子らが参加できんようになるからね。さて、森崎、吉田。君らはちゃんと参加せなあかんで」

 

 二人の戦いを見守るのではなく、しっかりと参戦しろということだろう。幹比古は九校戦でも急遽召集されたため、市丸や森崎としっかりと連携訓練を行ったわけではない。それでも九校戦の際の打ち合わせを思いだしながら、市丸の歩みに合わせて右手を地面に押し付ける。

 

 地中を通した導火線を伝って、想子が呪陣へ送り込まれる。

 

 木の陰に隠れる前に設置した条件発動型魔法が、トリガーとなる術者のサイオン波動を受けてその効果を表した。

 

 克人を取り囲むように四つの土柱が噴き上がる。

 

 その柱は正確に東南、西南、西北、東北、即ち「地」「人」「天」「鬼」の四門を頂点とする正方形に配置されていた。

 

 次の瞬間、克人の立つ地面が擂鉢状に勢い良く陥没した。

 

 古式魔法「土遁陥穽」。

 

 自分が土煙に紛れて地中に隠れる術ではなく、敵に土砂を浴びせ穴に落とし、目くらましと足止めをして逃走の時間を確保する術式だ。だが、今日の土遁陥穽はただの目くらましを目的とした術式ではない。

 

 土煙を破って森崎の放った狙撃が克人の胸に飛来する。それは克人の防壁により防がれるが、無論、それで終わりではない。

 

 森崎の圧縮空気弾による狙撃が着弾するのと同時に、高速移動の魔法を使った市丸が克人の背後に現れ、手に持つ刀剣を一閃させる。しかし、それすらも克人は防いで見せた。

 

「へえ、その防壁魔法。全周囲に展開できるんやね」

 

 市丸と森崎の魔法は前後から同時に克人に殺到した。しかし、克人は視界を封じられた中で両方に完璧に対応をしてみせた。

 

「へえ、それじゃ、次はどこまで対応できるか試させてもらおか」

 

 市丸の姿が消え、今度は克人の右手に現れて刀を一閃する。それを防ぎつつ克人が防壁をぶつける形の反撃を加える。森崎がそれを牽制するために正面からの狙撃を行い、市丸は持ち前の高速移動で克人の攻撃を躱す。

 

 そして幹比古は克人の防壁魔法の範囲を確認するために雷童子で攻撃する。その結果として、克人の防壁魔法は前後左右だけでなく上方に対しても発動していると判明した。ならば最後は下方だ。

 

 地面に手をつき、泥濘の魔法を使って克人の足を絡み取りにかかる。障壁魔法は自分の周囲に壁を展開するという性質上、通常は接地面を対象とした魔法には対応が難しい。だが、克人の障壁魔法は足元にも効果範囲があった。泥沼と化した地面の上に障壁を展開し、その上に克人は悠然と立っていた。

 

 その間にも市丸は高速移動の魔法を駆使して前後左右に加えて、上方からも攻撃を仕掛けている。しかし、それでも克人の防壁は破れない。

 

「多方向から攻めても無駄ゆうことか。それじゃ、次は最高速を試させてもらおか」

 

「俺がお前たちの実力を試すつもりだったのだが、いつの間にか市丸に俺の実力が計られる側になっていたのだな」

 

 克人がぼやく中、市丸が足を止めて刃を振るい始める。市丸の刃に対応するため、今の克人は物理障壁のみを連続で生成している。幹比古は森崎と視線で合図を交わして魔法攻撃の準備を始めた。

 

 準備する魔法は隠蔽性も重視して得意としている雷童子だ。一方の森崎は物理障壁魔法を使用させるために林の中に存在する枝を魔法で射出した。側面からの森崎の攻撃は、克人の障壁魔法で防がれる。しかし、幹比古の雷童子は簡単に防ぐとはいかなかった。魔法の発動に気付いた後で慌てて展開した障壁でなんとか防いでいた。

 

「ええ判断や、吉田。射殺せ、神鎗!」

 

 魔法障壁を展開するため、僅かだが物理障壁の展開が遅れた隙を狙い市丸が固有の魔法を使う。急速に伸びた刃は克人の障壁複数枚を纏めて破り、克人の直前にまで到達した。

 

「縛道の六十一、六杖光牢」

 

 そこに市丸が得意とする捕縛術が叩き込まれた。さすがの克人もそれは防ぎきれずに光の帯の虜囚となる。

 

「まさか本当に俺の障壁を突破するとはな」

 

「そないなこと言って、君も本気やなかったやろ」

 

「当然だ。こんなところで魔法の過剰使用はしない」

 

 無理な魔法行使をすると、魔法演算領域が損傷することがある。さすがにこのような仲間内の演習でそこまでする必要はない。

 

「しかし、吉田は九校戦から急激に伸びたな」

 

「達也が僕の魔法を改良してくれたお陰です」

 

「いかに魔法を改良したとして、魔法の巧さまで上達するわけではない。吉田の実力が上達したのは、強敵との戦いを経て視野が広がったためだろう」

 

 以前の幹比古は自分だけで何かを為そうとする癖があった。しかし、市丸という自分より遥かに格上の強者と一緒に戦ったことで、どうすれば戦況を好転させるための支援を行うことができるかを考えるようになった。他者の援護をするためには、その他者の観察が欠かせない。それが視野を広げるということになったのだろう。

 

 自分の実力が確かに上がっているという実感を得て、幹比古は満足を得て、会場警備のための訓練を終えた。



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平河千秋への刺客

 日曜日、市丸は国立魔法大学付属立川病院の病室の中で暇つぶしの読書に勤しんでいた。国立魔法大学付属立川病院は第一高校の論文コンペに対して妨害を仕掛けようとした平河千秋の入院先だ。平河が何者かから偽情報を吹き込まれていたことは、彼女の発言から明らかであったため、市丸は必ず敵が平河を口封じに動くと考えて警戒していた。

 

 平河の入院した木曜日の夜から金曜日は学校を休んで一日中。土曜日も十文字との訓練の時間以外は全て護衛の名目で平河の真上の病室を空けてもらい、警戒を行っていた。そうして今日、ようやくその警戒が実ろうとしていた。

 

 突如として鳴り響いた非常ベルの音。しかも、それは暴力行為対策警報だった。暴力行為対策警報とは、暴力行為、犯罪行為に第三者が巻き込まれない為の警報であると同時に治安維持の為の協力者を募る合図でもある。

 

 それは、誰かが病院内の者に危害を加えようとしているということに他ならない。危害が加えられようとしているのが誰かは明らかだ。気になるのは、誰が警報を鳴らしたのかということだが、市丸の技能ではそれを探ることはできない。ひとまずは平河を害そうとしている者の対応に集中する。

 

 ちょうど一人、平河の扉の前に立ち止まった者がいる。この状況で平河の元を訪れるのは十中八九、刺客と考えてよいだろう。市丸は床を切り裂き、平河の病室内に着地する。

 

「い……市丸ギン!?」

 

 平河が驚いた声を上げるが、今は構っている暇はない。扉を破って侵入してくるであろう何者かに備える。が、その前に平河の病室に侵入してこようとする者に対して対峙した者がいるようだ。

 

「人喰い虎……呂剛虎! 何故ここに!?」

 

「幻刀鬼、千葉修次」

 

 どうやら、襲撃者の名は呂剛虎、援軍として駆けつけた者の名は千葉修次らしい。どちらも互いの名を知っていたということは、それなりに高名な二人なのだろう。というか、援軍の方は千葉という姓ということは、千葉エリカの親族ということだろうか。

 

 霊圧から考えると刺客の方がやや上といったところだろうか。しかし、霊圧の強さと魔法技能は必ずしも一致しない。ここで無意味に千葉を失うのは損失しかない。市丸は扉を切り裂いて破壊して病室の外に出た。二人がともに驚いているのが目に入る。

 

「ボクのことは気にせんといて。しばらく二人で遊んどいてええよ」

 

 視界に入っている状態なら介入するのは難しいことではない。呂という名の襲撃者を捕らえるのは、二人の技能を見せてもらってからでも遅くはないだろう。

 

「君、逃げられるとは思わんことや。君が生き残るためには、そこの子を倒した後で、ボクを倒すしかあらへんで」

 

 市丸の言葉を聞いた呂は戸惑いが強く見える。それに対して千葉の方は市丸が援軍と理解したのだろう。刃渡り十五センチほどの刃が飛び出る棒を懐から取り出すと、呂へと斬り込んでいった。

 

 一方の呂剛虎は無手の構え。市丸のことを気にして少しばかり出遅れたが、千葉の手に握られた刃を恐れる色も無く一直線に突進する。

 

 二人の距離が太刀の間合いに入った瞬間、千葉が右手を振り下ろした。

 

 短刀は届かない距離。であるにも関わらず呂は頭上に左手をかざした。

 

 短い刃の延長線とかざした左手の交差点で重い音が鳴った。千葉の刃は呂に届いてはいない。届いたのは千葉が短刀を起点に作り出した極細の斥力場だ。

 

 だが、その刃は呂に打撃を与えることはできていない。呂は身体の表面に鋼よりも硬い鎧を展開して千葉の攻撃を防ぎ切った。

 

「はっ、随分と弱い防御魔法やな。期待外れやったか」

 

 呂の魔法は一般的な魔法師にとっては十分な防御魔法だろう。だが、破面の鋼皮に比べればお粗末もいいとこだ。

 

「少しばかり試させてもらおか」

 

 市丸の参戦の気配がわかったのか、呂が千葉から距離を取って警戒態勢を取る。千葉も下手に加勢をしない方がいいと感じたのか、距離を詰めることなく見守っている。

 

「しっかりと避けえや」

 

 瞬歩で距離を詰めつつ、始解前の神鎗を一閃させる。危険を感じ取ったのか、呂は防御ではなく回避を選択した。この相手からは、まだ聞き出さなければならないことがある。初めから重傷を与えるつもりはなかったとはいえ、呂の回避はなかなかだった。市丸の振るう刃は呂の胸を浅く切り裂いただけだった。だが、予想どおり防御が抜けることはわかった。

 

 市丸の速度と剣の威力に呂の顔に焦りが浮かぶ。接近戦に自信があるのなら、なおさら自身と市丸の力量差に気付いたはずだ。

 

「心配せんでも、君の実力はわかったからね。しばらくはそっちの子に任すわ」

 

 接近戦ならば相手がかなりの実力者でも市丸の方に分があることがわかった。それだけわかれば今のところは十分だ。しばらく千葉の技能を観察させてもらうとしよう。

 

「市丸!? 何をしているんだ?」

 

 呂に背を向けて、悠々と歩いて距離を取っていた市丸に対して驚きの声をあげたのは渡辺だ。

 

「前風紀委員長さん、この相手は君には少しばかり荷が重そうや。しばらく外から見といた方がええで」

 

 言いながら、引き続きゆっくりと歩いて遠ざかる市丸の背に、呂は攻撃を仕掛けてくることはなかった。もし仕掛けてくるようなら、腕の一本くらい切り飛ばそうと思っていたので、正しい選択だ。

 

「なんだか、やりにくいことこの上ないな」

 

 言葉どおりに釈然としない様子ながらも千葉は再び闘志を高めると、呂へと斬りかかる。二人の対決は先ほどまでと少しばかり異なる展開となった。少し遠い間合では分が悪いと悟った呂は千葉の懐に踏み込み、腕を突き出す。

 

 突き出された呂の右腕に千葉が短刀を振り下ろす。だが、十五センチの刃は、腕に巻き付く螺旋の力場に弾かれる。

 

 千葉の身体が川の流れに浮く木の葉のようにフワリと揺れた。呂の突きを躱した体勢のまま、千葉は窓際まで後退する。

 

 すかさず突き込まれる呂の指を身体ごとスライドさせて逃れ、千葉は大きく距離を取る。呂は千葉に体勢を立て直す時間を与えないよう、拳、掌、熊手と手の形を様々に変化させ、更には肘、肩、体当たりまで混ぜて怒涛の勢いで攻め立てる。速度自体は市丸には及ばないものの、呂の白打の技能自体は市丸を遥かに上回るものだ。

 

 体格の違いもあるため、そのまま自身に応用できるものではない。だが、それでも大いに参考になるものだった。逆に千葉は技能だけで見れば呂よりも上であるものの、市丸自身の剣術技能が高いこと、また斬撃が主体で突き主体の市丸とは戦法的に合わないこともあり、あまり参考にはなりそうもない。

 

 立て続けの攻撃を受けてなお、千葉はクリーンヒットを許していない。呂にとって、この場の敵は千葉だけではない。市丸の存在を気にしてか呂の顔に焦りが浮かんでいる。

 

 呂が腕を風車の如く回転させて打ちかかった一撃を、千葉は右の手刀を合わせて軌道を逸らした。千葉の右手に握られていた短刀は左手に移っている。

 

 千葉はその刃を呂の脇腹に突き込んだ。今の呂の身体は腹部が軸となっていて千葉の刃を避けられない。それでも身体を捻り内臓深く差し込まれることを回避する。千葉の短刀は呂の脇腹を深く裂いて突き抜けた。

 

 手負いとなった呂だが、攻撃の勢いは衰えない。むしろ壁をも使った三次元的な機動で負傷前を上回る勢いで千葉に迫る。呂の傷は浅くない。短期決戦しか勝機はないので仕方がないとはいえ、このままではどちらかが致命傷を負う可能性がある。

 

「縛道の六十一、六杖光牢」

 

 千葉が大きな怪我を負うのも単なる損失なら、呂が死亡するのも情報源が失われるという点で好ましくない。介入を決めた市丸は、最近、多用している縛道で呂を拘束する。

 

「これは、君の魔法か?」

 

「ああ、そうやで。先にこの子の意識を奪っておくから、ちょっと待っといてな」

 

 これまた多用させられている白伏で呂の意識を奪う。

 

「さて、それでこの子をどうするかやけど……」

 

「それなら僕が預かろう。僕は防衛大の所属で、軍には知り合いが多いから」

 

「それなら君に任せるわ。ちゃんと背後まで含めて聞き出すんやで」

 

 本当なら自身の手で多少の尋問を行いたかったところだが、やむを得ない。市丸は昏倒している呂を千葉に任せて今日は家路についた。



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論文コンペの警備

 一○月二九日、土曜日。この日の授業はどのクラスも自習状態だった。元々実習以外は自習のようなものであり、二科生は実習も半分自習みたいなものなので、いつもと変わらないといえば、それほど変わらない。とは言っても、普段の授業中はこれ程までは騒がしくない。

 

 実習で時々爆発音が轟いたりするから「いつもならば静まり返っている校内」というと誇大広告になってしまう。だが、いつもは騒ぎが起こるにしても、もう少し秩序立っている。無秩序なざわめきは、明日に迫った論文コンペ本番へ向けての最終チェックの音だ。

 

 しかしその中で、当事者であるはずの達也は、教室の端末で黙々と課題を進めていた。

 

 昨日までの時点で、第一高校内の本当の間者であった関本という上級生を捕らえることができた。そして、平河千秋を害すために侵入した呂剛虎という大亜連合のエースを捕らえることもできた。今のところ妨害は上手く排除できている。その意味では昨日までのような緊張感は持たずにすむ。

 

 それにしても、呂剛虎といえば、対人近接戦闘において世界で十指に入ると称される大亜連合の白兵戦魔法師だ。それを市丸は赤子の手をひねるかのようにあしらったという。市丸の戦闘力は達也の想像を超えているのかもしれない。

 

 そんなことを考えながらも課題を進め、一時限目が終わったところで軽く伸びをしていると、前から声を掛けられた。

 

「達也くん、明日は何時頃会場入りするの?」

 

 名前を呼んできたエリカは努めてさり気ない様子を装っているが、隣で聞き耳を立てているレオのおかげで台無しだ。

 

「八時に現地集合、九時に開幕だ。開始三十分間はセレモニーでプレゼンは九時半からだ。持ち時間は一チーム三十分でインターバルは十分、午前四チームで昼食休憩が十二時から一時まで。午後五チームでプレゼンの終了時間が午後四時十分。その後、審査と表彰があるため終了予定時間は午後六時だな」

 

「……えっと、それで当校の出番は何時からなの?」

 

「一高は最後から二番目、午後三時からだよ」

 

 エリカとレオは明らかに第一高校の警備に参加するつもりでいる。

 

「ところで、どうしてそんなことを?」

 

「あのよ、その見張り番、オレたちにも手伝わせてくれねえ?」

 

「それは構わないが……何故そんな面倒なことをわざわざ自分からやりたがるんだ?」

 

「いや、まあ、なんだ……せっかく特訓したのに出る幕の無いまま終わっちまうのは、何となく悔しいから……だな」

 

「学校を休んでまでコイツをしごいたのに、出番がないまま事件は解決してました、なんてバカみたいじゃない?」

 

 目を合わせないまま、不機嫌な声でエリカが補足する。せっかくの特訓の成果を生かしたいとレオは言っていたが、警備というものは特訓の成果が出ない方が望ましい仕事だ。だが、軍や警察関係者に知り合いが多いエリカなら、それくらいわかっているはずだ。

 

「まあ、どんな動機にせよ、人手が多い方が助かるよ。それに、もう何も起こらない、と決まったわけでもないしな」

 

「えっ? 事件は解決したんじゃなかったのかい?」

 

 いきなり、聞き耳を立てていたとしか思えないタイミングで幹比古が乱入してきた。

 

「事件が起きるのは一度に一つ、なんて決まりはないぞ?」

 

 事件の首謀者と思しき人物として聞いた、陳祥山という者はまだ捕まっていない。そのことを達也は仲間たちに話していない。これから打ち明けるつもりも無い。だからこの答えは一般論でしかないが、今のところそれで十分だと達也は考えていた。

 

「それに論文コンペが狙われるのは毎年のことだそうだ。当日の帰り道に狙われた例もあるらしい。だったら本番前に起こった事件が解決したからといって、本番に別の事件が起こらないとは限らないだろう?」

 

「そうか……そうだね。だったら、僕にも見張り番の手伝いをさせてくれないかな」

 

「ああ、頼りにしてるよ」

 

 首謀者が捕らえられていないということもだが、そもそも大亜連合のエースである呂剛虎が第一高校へのスパイ活動のためだけに投入されるとは考えにくい。また、どちらかといえば戦闘員と考えられている呂剛虎だけが投入されるということもないだろう。他にそれなりの人数が入り込んでいると考えた方がいい。

 

「や、襲撃者に対しての相談は進んどる?」

 

 そう言いながら入ってきたのは市丸だ。

 

「何かあったのか、市丸」

 

「注意しておかなあかんかな、と思うことがあってな」

 

「何があった?」

 

「平河千秋に何者かが接触したみたいや」

 

 市丸によると、今日の午前中、市原鈴音は平河の病院を訪ねたそうだ。その際に市丸は平河の意識に僅かの乱れを感じたということだった。

 

「意識の乱れっていうのはどういうことなんだ?」

 

「詳しくは言えへんけど、ボクって相手の意識が明確かどうかは少しだけわかるんや」

 

 市丸は戦闘以外にも妙な魔法を使えるようだ。相変わらず底が見えない。

 

「それで、平河千秋の状態はどうだったんだ?」

 

「意識に働きかける何らかの術が使われたのは確かやと思うけど、それ以外に関しては保健医の安宿によると、心的外傷性意思疎通障碍やそれに類する症状は見られないって言うとったな」

 

 自身が入院している病院が襲撃されて命が狙われたとなれば、動揺していても不思議ではないが、意外と肝が据わっているのか。それとも市丸の言う意識に働きかける魔法の影響だろうか。

 

「そういえば、市原先輩はどうして平河千秋の病室を訪問したんだ?」

 

「んー、簡単に言うと、平河千秋へのアドバイス、てことになるかな」

 

 市丸の説明によると、鈴音は千秋に奮起を促すために一学期の定期考査の魔法工学の筆記試験で学年二位であったこと、達也がソフトウェアに比べてハードウェアは得意としていないことを指摘した。更には千秋ならハードウェアで上回ることができると発破をかけたということだった。

 

 それ自体は問題ない。それより問題は千秋に話した鈴音の達也の評価だ。

 

 いわく、達也は尊大な人間で、その他大勢がいくら泣こうが喚こうが、気に掛けず、同情どころか嘲笑う手間すら掛けない。嫌がらせを受けても五月蠅げに払い除けるだけ。虻蚊に集られるのと同じと言ったらしい。

 

 それを聞いたエリカとレオが爆笑していたのは怒った方がいいのだろうか。そして、必死に笑いをこらえている幹比古に対しても何か言った方がいいのだろうか。何より、人の悪い笑みを浮かべている市丸に対しては絶対に後で何か言ってやろう。

 

「あ、ちなみに市原はあの子に対して明日、会場に来るように言うとったで。精々、ええ囮になってくれたらええな」

 

「市丸、俺に対して性格が悪いとか言ってる暇があったら、自分の性格について見直したらどうなんだ?」

 

「ボクの性格は例え死んでも変わらんと思うなぁ」

 

 そう言った市丸の表情は、どこか遠くを見ているように見えた。

 

「ああ、言うとくけど、あの子に言うたことで市原に何か言うたらあかんで。あれで、結構、気にしていたみたいやからな」

 

「気にしていた?」

 

「市原が自己嫌悪に陥ったのは平河を利用しようとしたからやな。九校戦の折に一年生に技術者が不足していることに気付かされたことから、第一高校の技術者の層を厚くするために平河は必要と考えたようやな」

 

 どうやら鈴音の第一高校に対する思いは達也が考えていた以上に強いものだったらしい。その鈴音が魔法師の未来を見据え、万全の態勢で発表に臨もうとしているのが今回の論文コンペだ。

 

「やっぱり今回の論文コンペの警備は俺たちも参加させてもらうぜ」

 

「ああ、頼りにしているよ、レオ。ちなみに市丸はあまり張り切らないでいいからな」

 

「えー、ボクだけ扱いが酷うない?」

 

「お前に本気で暴れられたら、却って事態が悪化する気しかしない」

 

 市丸の全力は未だに底が見えない。そんな市丸が全力で暴れたら建物の一つや二つくらいなら崩壊しかねない。

 

 達也の本気の注意を市丸はいつもの理解しているのか理解していないのかわからない薄い笑みで聞いていた。



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論文コンペ開幕

 全国高校生魔法学論文コンペティション開催日当日。

 

 論文コンペは午前九時の形式重視の開会の辞に続けて、最初の発表校である第二高校によるプレゼン「収束魔法によるダークマター計画と利用」から開始された。その連絡を受けたとき、市丸は護衛対象の市原と第一高校を出発するところだった。

 

 他の同行者としては七草と渡辺もいる。二人は先に関本の尋問に向かっており、そこで得た成果を持って会場に向かうということにしていた。

 

「市丸くん、何か気になることはありますか?」

 

 市原にも何者かが平河に精神干渉を行った気配があること、平河を襲撃した者が大亜連合のエース格の魔法師であることは知らせてある。それだけに市原もこれから論文コンペの会場までの道中に襲撃が行われる可能性を警戒しているようだ。

 

「今のところは特に何も感じんなぁ」

 

 そう言ってみたものの、索敵を霊圧に頼る市丸は一般市民に紛れる敵を察知するのは得意ではない。はっきり言って攻撃がされたら、市原を抱えて車外に飛び出るというのが最初の対処になる可能性は高い。

 

 幸いにして懸念された襲撃は起こらず、本来の予定より一時間早い十一時過ぎには会場の横浜にある国際会議場に到着した。三番目の発表校である第五高校による壮大なテーマのプレゼンテーションが開始される中、市丸たちは控室に入る。

 

「予定より早い到着ですが、何か理由があったんですか?」

 

 そう質問をしてきたのは達也だ。

 

「予定より早く尋問が終わっただけだ」

 

 渡辺の答えに達也は少しばかり怪訝そうな顔をした。

 

「何故今日に? そういう事情なら明日でも良かったような気がしますが」

 

「君らしくない楽観論だな。関本や平河の妹の狙いは、論文コンペの資料だった。それだけではなかったがね。ともかく資料を狙っていた以上、コンペの当日に背後組織が新たな行動を起こす可能性は決して小さくない」

 

「それで何か分かりましたか?」

 

「ああ。今日改めて喋らせてみて分かったことだが、関本はマインドコントロールを受けていた形跡がある」

 

 その情報は市丸も初めて聞いた。というより、市丸はそもそも関本の顔すら知らないので、あまり興味を持てなかったのだ。

 

「精神科の先生は何も仰らなかったから、通常の手段ではないことは確かね。もしかしたら本物の『邪眼』かもしれない。まあ、いくら強力な精神干渉系魔法であっても、被術者に掛けられる下地が無ければそう上手くいくものじゃないらしいんだけどね」

 

 七草のその言葉を契機として魔法の在り方についての話が始まった。魔法界の将来などについての興味は薄い市丸は今のうちにと控室から出て、周囲の見回りを始める。が、その直後に声を掛けられた。

 

 声を掛けてきたのは藤林だった。そして、そのまま個室へと連れ込まれる。

 

「なんや余裕がなさそうな雰囲気ですやん。何がありました?」

 

「横須賀に向かっている途中の護送車が襲撃を受け、呂剛虎に逃げられました」

 

「逃げられたゆうことは、捕虜を殺すことさえできんかった、ゆうことやね」

 

 腕や足がなかろうと、尋問にはさして影響がない。こんなことなら腕の一本くらいは斬り落としておくべきだった。

 

「今日に間に合うように奪還を行ったのは、なにがしかの意図が推定される。少なくともその可能性を視野に入れておく必要がある、というのが風間少佐の意見です」

 

「まあ、あの程度ならどうとでもなるから、どうでもええか。それより護送車を襲撃できるゆうことは相手はそれなりの数がおるゆうことなん?」

 

「それが、生存者がいないので襲撃の規模がどのくらいかわからないの」

 

「役に立たん護送担当やな」

 

 あんな程度でも大亜連合のエースならば、それ相応の態勢は整えてほしいものだ。

 

「幸いなのは、明日保土ヶ谷で新装備のテストが予定されているおかげで部隊の出動準備が整っていることです。出発を繰り上げてこちらに向かい、一五○○に到着予定です」

 

「そういうことならボクの方でも警戒はさせてもらいながら援軍の到着を待たせてもらいますわ」

 

 風間の懸念はおそらく現実のものとなる。市丸は会場周辺の様子を確認するために外に向かおうとした。が、その前に知り合いの顔を見つけて立ち止まった。

 

「明智、来とったんやな」

 

「え、うん。少し興味があったから」

 

 少し話を聞いたところ明智以外にも第一高校の一年生がそれなりの数、会場に来ているようだ。霊圧だけで敵味方を識別することはできない。そのため、多数の人間がいる市街地での多数対多数の戦いとなると、上位鬼道に加えて卍解も使えない。それでは市丸は真価を発揮できない。

 

「例え何かあったとしても、外には出んようにしとき」

 

「市丸くんがそう言うってことは、何かが起こるってこと?」

 

「はっきりと決まったわけやないよ。けど、論文コンペ前にも学内で事件があったんやから、警戒はしておくべきやろ」

 

 この場で何かが起きた場合に最も安全なのは市丸の視界内にいることだ。

 

「わかった。市丸くんが外に向かえって言わない限りは会場内にいるようにするね」

 

「ボクは一応、市原を守らなあかんから、ボクがおらんときは十文字の指示に従い」

 

「わかった、そうするね」

 

 明智にそう言った以上、有事のときの観客の避難誘導について十文字と話をしておくべきだろう。そう考えた市丸は十文字の元に向かった。

 

「服部、桐原。現在の状況について、違和感を覚えた点は無いか?」

 

 警備本部では、十文字が桐原たちにそう質問をしているところだった。

 

「そないな質問をする言うことは何か気になっとるゆうことなん?」

 

「む、市丸か。そうだな、少し気になっていることはある。それで、どうだ?」

 

「……横浜という都市の性格を考慮しても、外国人の数が少し多すぎる気がします」

 

「それは、気を付けた方がええな。どうも大亜連合の工作員がうろうろしとるみたいや」

 

 外国人が多いとなると、どうしても大亜連合のことが気になる。呂剛虎のことは口に出さずに注意を促すために言うと、十文字たちの表情が険しくなった。

 

「桐原は何か気がついた点はあったか?」

 

「申し訳ありません。外国人の件については、気がついておりませんでした。ただ、会場内よりも街中の空気が、妙に殺気立っているように思われます」

 

 桐原は近接戦主体の魔法師だ。最近になって気付いたが、市丸は自身の近接戦能力が高いこともあり、近接戦主体の魔法師に対する評価が低い傾向がある。これまで桐原のことはあまり評価していなかったが、街中の空気から危険度を感じ取れるあたり、存外によい戦士であったようだ。

 

「服部、桐原。午後の見回りから防弾チョッキを着用しろ」

 

 そう言った十文字は、次に近距離無線機のハンドセットを手に取る。

 

「警備本部の十文字克人より会場の警備に就いている各員に告げる。会場周辺に大亜連合の工作員と思われる者を発見したという報告あり。念のため午後の警備より防弾チョッキを着用すること」

 

 市丸は情報元を明らかにしていない。その割には随分と思い切った指示だが、自分の直感も信じての指示だろう。

 

「ところで市丸は何のためにここに来た?」

 

「ああ、敵の攻撃が大規模だったときに会場内の人間をどう避難させるか、考えといてほしいて思ったんや」

 

「それは、俺たちでは対処しきれない攻撃が考えられるということか?」

 

「そういうことやね」

 

「わかった。考えておこう」

 

 護廷十三隊は戦闘部隊であったので、市丸には避難計画を立案する能力はない。ここはできそうな人間に任せるのが一番だろう。

 

 そうして時刻は午後三時なり、第一高校のプレゼンテーションが始まった。壇上では市原が抑制が効いた声で聴衆に語り掛ける。一方、内容についてはあまり興味のない市丸は会場内外の霊圧の動きを探ることに集中する。

 

 そして、事態は第一高校のプレゼンが終盤に入った頃に動き始めた。



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会場への襲撃者

 西暦二○九五年十月三十日午後三時三十五分。

 

 市丸は会場へと迫る霊圧から状況が切迫していることは察知していたものの、全体の状況となると一般市民の数が多すぎて把握が難しい。まだ、敵はこの場までは迫ってこない。そこで、市丸はまずは藤林の元に向かった。

 

「や、状況はどないなん?」

 

「最初は山下埠頭の出入港管制ビルに車両が突っ込んで自爆し、炎上。更に停泊中の貨物船から歩兵用ランチャーが発射されたようです。当該貨物船は登録はオーストラリア船籍ですが、形状から見て機動部隊の揚陸艦と思われるということです」

 

 そこまで聞いたところで轟音と振動が論文コンペの会場を揺るがした。

 

「正面出入口付近やな。武器は何やろうな」

 

「擲弾ではないでしょうか」

 

「正面は協会が手配した実戦経験のある正規の魔法師が担当していたはずやから、通常の犯罪組織レベルなら問題ないはずやけど、それやと少し厳しそうやな。ボクは加勢に向かわせてもらうわ」

 

 市丸がゆっくりと歩く中、敵は迅速にホールへと迫っている。だが、敵が制圧を目指しているのなら、それほど急ぐ必要はないだろう。

 

「大人しくしろっ」

 

 ホールの扉を開けると同時に男が叫んだ瞬間が好機だ。警戒心がホールの中に向かう隙を狙い、瞬歩で迫った市丸は背後から十人ほどの男たちの首を刎ねた。

 

 男たちの首から鮮血が噴きあがる奥に、ステージ上で発表を行っていた第三高校の生徒の姿が見える。その中の一人、吉祥寺真紅郎が驚いた顔で市丸のことを見ている。今の瞬歩は市丸の全力だった。九校戦のような相手を傷つけてはいけない中での手加減を前提とした中での瞬歩とは同じ瞬歩でも速度は段違いだ。驚くのも当然かもしれない。

 

「それがお前の全力か……」

 

 達也も同じく驚いている様子だ。もはやこの町は戦場と化していることは、ぱらぱらと消えていく霊圧から明確だ。戦場の空気がここ十六年で少しばかり平和ボケしていた市丸の感覚を鋭敏にしてくれているのかもしれない。

 

「十文字、これからの避難計画によって立ち回りが変わるけど、どないなっとる?」

 

「まずはこの場の安全を確保したい。正面入り口の敵の排除はできるか?」

 

「任せとき」

 

 そう答えて正面入り口の確保に向かおうとしたところで、一際激しい爆発音が会場を揺るがした。無秩序な叫び声と怒鳴り声が混沌と絡み合い、更に人々の神経を削る。

 

 虚と戦うための護廷隊士を育成する真央霊術院の生徒であっても、巨大虚が現れた際には恐慌状態となっていた。戦士として育成されたわけではない魔法科高校の生徒たちでは冷静な対応というのは難しいのは明白だ。しかし、このままではパニック状態となった観客から多数の負傷者が出る事態となりかねない。

 

「あーちゃん、あーちゃん……中条あずさ生徒会長!」

 

 そんな中、中条新生徒会長を呼ぶ声があった。声の主は七草前生徒会長だ。

 

「このままだと本物のパニックになるわ。怪我人も大勢出ることになる。だから貴女の力で、みんなを鎮めて」

 

「でも、あれは……」

 

「貴女の力は、こういう時の為のものでしょう? 私の力でも摩利の力でも鈴音の力でもない、あずさ、今は貴女の力が必要なのよ」

 

 その言葉を聞いて、中条が何かの覚悟を決めたように首に掛けたチェーンを手繰り、襟元から小学生の手に隠れる程の大きさのロケットを引っ張り出した。中条は留め具を外してチェーンから引き抜いたロケットを左手で握り込み、サイオンを注ぎ込む。

 

 次の瞬間、澄んだ弦の音が最前列から最後列まで、会場を通り抜けた。澄み切った響きは、淀み濁った水しか無い沼地で一滴の雨に出会った旅人が次の雨粒を待って足を止め呆然と空を見上げる様に、次の響きを人々に渇望させ、意識をただそれだけに縫い止めた。

 

 どうやらこれが話には聞いていた中条だけが使える情動干渉魔法「梓弓」なのだろう。

 

「私は第一高校前生徒会長、七草真由美です。現在、この街は侵略を受けています。港に停泊中の所属不明艦からロケット砲による攻撃が行われ、これに呼応して市内に潜伏していたゲリラ兵が蜂起した模様です」

 

 梓弓により観客が忘我に陥っていた瞬間を狙い、七草が語り始める。

 

「先刻から聞こえている爆発音も、この会場に集まった魔法師と魔法技術を目当てとした襲撃の可能性が高いと思われます。この会場は地下通路で駅のシェルターにつながっています。シェルターには十分な収容力があるはずです。しかし、地下シェルターは災害と空襲に備えたものです。陸上兵力に対しては必ずしも万全のものではありません」

 

 それから七草は、この場の観客に持ちうる限りの情報を開示していく。それは、この先の行動を己で決めてもらうためだろう。とはいえ、説明にも決断にも少しばかりは時間がかかるはずだ。ならば、まずはそのための時間を稼ぐとしよう。

 

「相手は対魔法師用のハイパワーライフルを装備しているけど、大丈夫なの?」

 

 魔法師の障壁魔法は、通常の歩兵の火器程度なら無効化してしまう。その対策として魔法師の防御魔法を無効化する高い慣性力を生み出す高速銃弾を撃ちだせるようにしたのが、対魔法師用のハイパワーライフルだ。

 

「まあ、一般の魔法師用の兵器なら何とかなるやろ」

 

 市丸の魔法力自体は同世代の平均を大きく上回る。障壁魔法の強度もそれなりだ。ただし、使い慣れてはいないため、過信は禁物だ。

 

 到着した正面出入口の前は、ライフルと魔法の撃ち合いの真っ直中だった。

 

 会場内に乱入したテロリストと同じ格好で、突撃銃と対魔法師用のハイパワーライフルで武装している。対魔法師用装備もあってか、ゲリラ兵を迎撃する協会が手配したプロの魔法師も苦戦を強いられている。

 

「破道の五十八、闐嵐」

 

 さすがに障壁魔法を展開しながら鬼道を使用することはできない。始解状態の神鎗で倒していくには少しばかり時間がかかる。そのため、まずは鬼道で敵を薙ぎ払う。見たことのない魔法に迎撃側の魔法師たちが驚きの表情で市丸を見つめてくる。

 

「範囲広うしたから、今のでは倒しきれとらん。今のうちに反撃せんでええん?」

 

 市丸がそう言うと、慌てて暴風に吹き飛ばされて起き上がれていないが、傷自体は浅い敵に対して攻撃を加え始める。一方の市丸も障壁魔法を張りながら神鎗で敵に止めを刺していく。

 

 その間に達也と深雪、レオと千葉が到着した。

 

「殲滅戦の最中や。加勢できる者は加勢し」

 

 達也と深雪は問題ないはず。後、レオと千葉がどうかだ。

 

「深雪、銃を黙らせてくれ」

 

「かしこまりました。お兄様」

 

 達也の指示を受けて深雪が発動させた魔法は、振動減速系概念拡張魔法「凍火」。燃焼を妨害する魔法だ。それで辛うじて戦闘力を残している敵の火器を封じる。

 

 その間に敵中に飛び込んだ達也は魔法を宿した両手の手刀を振るい、素手で人体を切り裂いていく。続けて千葉が鍔の無い脇差形態の武装一体型CADを手にして自己加速魔法で駆け抜けながら正確にゲリラの頸動脈を斬り裂いていく。

 

「達也、エリカ!」

 

 後方から吉田の声が響くと同時に、二人が左右へ散った。吹いてきたのは、本物の疾風。風の中に潜むカマイタチが、ゲリラの皮膚を無惨に引き裂いて駆け抜けていった。

 

「武器を持った敵を前に躊躇は命取りやで」

 

 遅れてやってきた吉田が参戦していた一方、先に到着していたレオは負傷した敵に止めを刺すことに躊躇いが見えた。結局、レオが向かおうとしていた敵は市丸が神鎗で止めを刺した。

 

「わかってるけどよ……」

 

 相手が万全であれば、また違ったのかもしれない。しかし、闐嵐で傷つき、凍火で抵抗の手段が限定された相手に対して力を振るうことはレオにはできなかったようだ。その感情は人間としては正しいのだろう。しかし、戦士としては失格だ。

 

「それで、これからどうするの?」

 

「情報が欲しい。予想外に大規模で深刻な事態が進行しているようだ。行き当たりばったりでは泥沼に入り込むかもしれない」

 

 千葉の言葉に達也が迷いを見せる。そこに助け舟を出したのは北山だった。実家が資産家である北山は一般には公開されていないVIP用の会議室の存在と場所、アクセスコードまでもを知っており、それを使えば情報が手に入るはずと言った。

 

「じゃあ、達也たちは行ってき。その間、ボクはここを守っとくわ」

 

 市丸はそう言って達也たちを見送り、正面出入口付近の敵の掃討に動き出した。



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達也の出陣

 北山雫の案内で論文コンペの会場である横浜国際会議場のVIP会議室に到着した達也は、早速、教えられたアクセスコードを使ってモニターに警察のマップデータを表示した。海に面した一帯が危険地帯を示す真っ赤に染まっている。そして、達也たちが見ている間にも赤い表示は内陸部へと拡大している。

 

 敵の具体的な数は分からない。だがこの進行速度から見て、相当の規模の兵力がつぎ込まれていることは間違いないように思われる。少なくとも数百人規模、六百人から八百人の、大規模な兵員が投入しているのではないかと達也は推測した。予想を超えて悪化している状況に達也は顔を顰めた。

 

「改めて言わなくても分かっているだろうが、状況はかなり悪い。この辺りでグズグズしていたら国防軍の到着より早く敵に補足されてしまうだろう。だからといって、簡単には脱出できそうに無い。少なくとも陸路は無理だろうな。何より交通機関が動いていない」

 

「じゃあ、シェルターに避難する?」

 

「それが現実的だろうな……」

 

 幹比古の提案に頷きはしたが、それが最善手であるという確信まではない。

 

「じゃ、地下通路だね」

 

「いや、地下は止めた方が良い。上を行こう」

 

「えっ、何で? ……っと、そうか」

 

 理由を説明する前に納得顔を見せたエリカは、さすがは実戦魔法の名門出身だ。

 

「それと少し時間をもらえないか? デモ機のデータを処分しておきたい」

 

 その場の全員の同意を得てエレベーターホールからステージ裏へと回る通路で、先頭を行く達也は服部と風紀委員の沢木を従えた十文字克人に出会った。

 

「お前たちは先に避難したのではなかったのか?」

 

「念の為、デモ機のデータが盗まれないように消去に向かうところです」

 

「しかし他の生徒は既に地下通路に向かったぞ」

 

「地下通路ではまずいのか?」

 

 最初の服部の言葉に眉を顰めた達也の表情の変化を鋭く見て取り、沢木が訊いてくる。

 

「まずいという程のことは……ただ地下通路は直通ではありませんから、他のグループと鉢合わせる可能性があります。地下通路では行動の自由が狭まります。逃げることも隠れることもできず、正面衝突を強いられる可能性も。そう考えて自分は地上を行くつもりだったんですが」

 

「服部、沢木、すぐに中条の後を追え」

 

 指示を受けた二人が勢い良く駆け出すのを見送ると、克人は達也を見下ろした。その視線には、軽い非難の色が混じっていた。それには反論せず、達也たちは克人を先頭にしてデモ機が設置されたステージ裏へと戻る。

 

 デモ機が放置されたステージ裏へ戻ると、鈴音と五十里がデモ機をいじっていて、それを真由美、摩利、花音、桐原、沙耶香、明智、そして市丸が取り囲んで見守っていた。

 

「遅かったやない。戦況はどうなっとる?」

 

「そう言う市丸は正面入口を守っているんじゃなかったのか?」

 

「付近の敵は片付けたから戻ってきたんや。今回は敵が正規兵やないから楽なものやな」

 

 達也自身も魔法を使って確認してみるが、市丸の発言は事実だった。付近に敵と思われる生存者はいない。市丸はあっさりと言ったが、完全武装に近いゲリラたちを掃討するのは並の魔法師では不可能だ。今回の敵は戦時国際法下の兵士に当たらないと解釈して敵を容赦なく殺害したと思われることも含めて、やはり市丸は脅威的だ。

 

「七草たちは避難しなかったのか」

 

「リンちゃんや五十里くんが頑張っているのに、私たちだけ先に逃げ出すわけにはいかないでしょう?」

 

 達也の言いたかったことは克人が代弁してくれたが、当然のように返されてそれ以上は何も言えなくなってしまう。

 

「ここは僕たちがやっておくから、司波君は控え室に残っている機器の方を頼めるかな」

 

「もし可能なら、他校が残した機材も壊してちょうだい」

 

 五十里と花音から依頼を受けて、達也は深雪を伴って他校の控え室を回って機材を破壊してから第一高校の控え室に向かう。そのときには、第一高校の機材の処理を終えた他の者も戻ってきていた。

 

「さて、これからどうするか、だが……避難船はいつ到着する?」

 

 摩利から出された質問というより確認の言葉に、真由美は言いにくそうな顔で答えた。

 

「沿岸防衛隊の輸送船はあと少しで到着するそうよ。でも、避難するために集まった人数に対して収容力が十分とは言えないみたい」

 

「シェルターに向かっていた中条さんたちの方は、残念ながら司波君の懸念が的中したようです。途中でゲリラに遭遇し、足止めを受けています。ただ敵の数は少ないらしく、もうすぐ駆逐できる、と中条さんから連絡がありました」

 

 真由美の後を、鈴音がそう引き継いだ。

 

「状況は聞いてもらったとおりだ。中条が向かったシェルターの方はどの程度余裕があるのか分からないが、船の方はあいにくと乗れそうにない。こうなればシェルターに向かうしかない、とあたしは思うんだが、皆はどう思う?」

 

 真由美、摩利、鈴音。五十里、花音、桐原、紗耶香。達也、深雪、エリカ、レオ、幹比古、美月、ほのか、雫、明智、そして市丸。

 

 この場に残っているのは、この十七人。これに逃げ遅れた者がいないかどうかの確認をしている克人を加えた十八人が横浜国際会議場に残る第一高校生全員だ。

 

 皆から摩利の意見への反対はあがらなかった。意見が纏まりかけたとき、達也は強烈な危機感に曝されて「視野」を壁の向こうへ拡張した。そうして気付いたのは、大運動量の物体が突っ込んで来ているということだった。

 

 この瞬間、装甲板で鎧われた大型トラックの突入に対応できるのは、達也の魔法だけ。

 

 高さ四メートル、幅三メートル、総重量三十トン。

 

 そこに装甲板の重量を更に加えた大型トラックを丸ごと照準に収めて、壁の向こうに達也は分解魔法「霧散霧消」を発動した。

 

 一瞬で、塵となって消えるトラック。

 

 消えてしまった運転席から放り出され、地面を転がって壁面に激突するドライバー。

 

「……今のなに?」

 

 恐る恐る訊いて来た真由美に、達也は舌打ちしたい気分だった。懸念したとおり、真由美は今の光景を見ていたらしい。そして、より問題なのは市丸もトラックの消失に気付いているような気配があることだ。ただ、市丸の方は何らかの異変には気づいているものの、正確な状況把握はできていない様子だ。

 

 ただ、幸いなことに達也が真由美の質問に答える必要はなかった。

 

「お待たせ」

 

 急に外から声を掛けてきたのは藤林響子だった。続いて風間玄信と会場内も見回っていた克人も入室してくる。

 

「特尉、情報統制は一時的に解除されています」

 

 風間の隣に立った藤林が達也にそう言葉を掛ける。

 

「国防軍少佐、風間玄信です。訳あって所属についてはご勘弁願いたい。藤林、現在の状況をご説明して差し上げろ」

 

「我が軍は現在、保土ヶ谷駐留部隊が侵攻軍と交戦中。また、鶴見と藤沢より各一個大隊が当地に急行中。魔法協会関東支部も独自に義勇軍を編成し、自衛行動に入っています」

 

「ご苦労。さて、特尉。現下の特殊な状況を鑑み、別任務で保土ヶ谷に出動中だった我が隊も防衛に加わるよう、先程命令が下った。国防軍特務規則に基づき、貴官にも出動を命じる。続いて、国防軍は皆さんに対し、特尉の地位について守秘義務を要求する。本件は国家機密保護法に基づく措置であるとご理解されたい」

 

「すまない、聞いてのとおりだ。皆は先輩たちと一緒に避難してくれ」

 

「特尉、皆さんには私と私の隊がお供します」

 

 軽く頭を下げた達也に、藤林が口を添えた。

 

「護衛が後ろにおるなら、ボクは安心して敵の排除に専念できそうやな。護衛は任せてもええか?」

 

「ええ、お引き受けします」

 

 普通なら民間人である市丸は他の第一高校生と同じく守られる対象だ。けれど、おそらく市丸の戦闘力は独立魔装大隊の面々をも上回る。それを風間たちも認識しているということだろう。

 

「それでは、藤林少尉、よろしくお願いします」

 

「お兄様、お待ちください」

 

 達也の背中を思い詰めた顔で呼び止めたのは、妹の深雪だった。

 

 深雪は達也の目の前に立つと、手を、頬に差し伸べた。

 

 深雪はそのまま腰を屈め、兄の額に、接吻る。

 

 変化は、唐突に、訪れた。

 

 激しい光の粒子が、達也の身体から沸き立った。

 

 光子ではない、物理以外の光を纏う、魔法の源となる粒子。

 

 あり得ぬほど活性化した想子が、達也を取り巻き吹き荒れる。

 

 誰もがよろめくように達也から遠ざかる中、その場に留まる者が二人。一人は淑やかな笑顔でスカートをつまみ、兄に向けて膝を折る深雪。もう一人が愉快そうに笑みを深めている市丸だった。

 

「ご存分に」

 

「征ってくる」

 

 万感を込めた妹の眼差しと、値踏みをするかのような市丸の視線に見送られ、達也は戦場となった横浜の街へ出陣した。



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横浜騒乱

 藤林の隊はオフロード車両二台に藤林も含めて八人の分隊規模にも及ばない小集団だが、全員がそれなりに手練であると思わせる雰囲気を纏っていた。これなら短時間なら第一高校生の護衛を任せても問題ないと市丸は判断した。

 

「保土ヶ谷の部隊は野毛山を本陣とし、小隊単位でゲリラの掃討に当たっています。山下埠頭の敵偽装艦に今のところ動きは見られませんが、じきに機動部隊を上陸させて来ると思われます。そうなれば海岸地区は戦火の真っ直中に置かれることになりますから、やはり内陸へ避難した方が良いでしょうね」

 

「えっと……予定どおり、駅のシェルターに避難した方が良いと思うんだけど」

 

 藤林に聞かれた七草が迷いを見せながらも頷いた。

 

「では前と後ろを車で固めますから、ついて来てください。ゆっくり走りますから大丈夫ですよ」

 

「藤林少尉殿、まことに勝手ではありますが車を一台、貸していただけませんか」

 

「何処へ行かれるのですか?」

 

 今は別行動が許される状況ではないが、藤林は十文字の依頼に対して理由を尋ねる。

 

「魔法協会支部へ。私は、代理とはいえ師族会議の一員として、魔法協会の職員に対する責任を果たさなければならない」

 

 藤林は十文字の願いを受けて二名の部下をつけた上で車一台を貸し与える。六人いれば、まだ護衛の人数としては問題ないだろう。

 

 そうして藤林他五名とともに地下シェルターが設置されている駅前広場にたどり着いた市丸たちが目撃したのは、惨状と言ってよい有様だった。

 

 広場が大きく陥没していた。

 

 その上を闊歩する、巨大な金属塊。

 

「直立戦車……一体何処から……?」

 

 藤林にとっても予想外の敵だったのか、呻くような声が唇から漏れる。複合装甲板で全身を覆った人型の移動砲塔。太く短い二本の脚に無限軌道のローラースケートを履かせているようなフォルムの下部構造と、一人乗りの小型自動車に様々な種類の火器がセットされた長い両腕と首のない頭部をつけた上部構造。

 

 全高約三メートル半、肩高約三メートル、横幅約二メートル半、長さ約二メートル半の機体は、市街地において効率的に歩兵を掃討することを目的に元は東欧で開発された兵器であったはずだ。

 

 それが二機。

 

 弾薬フル搭載、兵員搭乗時の総重量が約八トン。二機で合計十六トンとはいえ、それだけで舗装され補強された路面が陥没するものではない。

 

 地下シェルター、または地下通路へ向けて、直立戦車から何らかの攻撃が加えられたことは確定だ。そのことに気付いた藤林率いる兵員と第一高校生のうち戦意の高い者たちが直立戦車に対する臨戦態勢を取る。

 

「射殺せ、神鎗!」

 

 怒りを見せていた第一高校生が暴発する前に市丸は直立戦車を始末する。それなりの装甲は備えているようだが、所詮は鉄屑。神鎗で貫けぬ相手ではない。

 

「さすがですね。手を出す暇も無かったわ」

 

「世辞はええ。それより、これからどうするつもりや」

 

 苦笑気味に称賛する藤林に、次の方針を決めるように伝える。ここの皆は気付いていないようだが、この場所の周辺には多くの敵らしき霊圧がある。のんびりと長話などしている暇はない。

 

「こんな所まで直立戦車が入り込んで来ているのですから、事態は思ったより急展開しているようですね。私としては野毛山の陣内に避難することをお勧めしますが」

 

「しかしそれでは、敵軍の攻撃目標になるのではありませんか?」

 

「摩利、今攻めて来ている相手は戦闘員と非戦闘員の区別なんてつけていないわ。軍と別行動したって危険は少しも減らない。むしろ危ないと思う」

 

「では七草先輩は、野毛山に向かうべきだと?」

 

 当然とも思える五十里の問い掛けに七草は首を横に振った。

 

「私は逃げ遅れた市民の為に、輸送ヘリを呼ぶつもりです。まずあの残骸を片付けて発着場所を確保し、ここでヘリの到着を待ちたいと思います。摩利、貴女はみんなを連れて響子さんについて行って」

 

「何を言う!? お前一人でここに残るつもりか!?」

 

「これは十師族に名を連ねる者としての義務なのよ、摩利。私たちは十師族の名の下で、様々な便宜を享受している。この国には貴族なんかの特権階級はいないことになっているけど、実際には私たち十師族は時として法の束縛すら受けずに自由に振舞うことを許されているわ。特権の対価として、私たちはこういう時に自分の力を役立てなきゃならない」

 

 七草がそう言うと、政府から色々な便宜を受けている百家の五十里、千代田、千葉がこの場に残ることを宣言した。それに続いて他の者も残ると言いだした。覚悟は見事だが、市丸としては大人しく避難してくれた方が助かるが、これは言っても仕方ない。

 

「お聞きのとおりです。本当にウチの子たちは聞き分けが無くて……せっかくのご厚意を申し訳ありません」

 

「まあ心配せんでも、この周辺の敵くらいは排除したるわ」

 

 市丸は大勢の味方を守りながら戦うことを得意とはしていない。この場の残骸処理を行おうとする皆にそう告げて、第一高校生たちから少し離れた場所で敵の迎撃を開始することにした。

 

 霊圧を頼りに索敵を行い、市民と判断すれば駅前に逃れるように言い、敵と判断すれば視認する前から神鎗の射程を活かして止めを刺す。一度だけ、追われている市民を敵と一緒に纏めて倒してしまったことがあったが、それは死体を焼いて証拠隠滅した。やはり霊圧での探知は市街戦には向いていないと思い知らされた瞬間だった。

 

 そうしている内に現れたのは、先程よりも洗練された直立戦車だった。新たな直立戦車は右手にチェーンソー、左手に火薬式の杭打ち機に加えて右肩に榴弾砲、左手に重機関銃を装備していた。

 

 しかし、多少の改善がなされようと鉄屑であることに変わりはない。むしろ歩兵がわらわらと湧いて出てこられるよりも御しやすい。見たことのない新型の機械だが、霊圧で搭乗員がいる場所も明白なので神鎗で一突きにして葬った。

 

 こちらに向かっていた敵は片付いた。しかし、それとて一方面のみ。他の方向から侵攻してくる敵に対しては他の第一高校生が対処している。第一高校生たちは二手に別れて敵の迎撃を行っているようだ。

 

 霊圧から一方は深雪、レオに千葉。もう一方は五十里、千代田、桐原と壬生と明智、更にもう一人、知らない霊圧がいる。

 

 深雪は元から桁違いに強力な魔法師である上に凍火を使うことができるため、火器を恐れなくてすむ。接近戦に限れば千葉の実力はかなり上位だし、レオも火器が使用されない状況ならば、そう簡単に倒れることはないだろう。それよりも、それなりに強力な魔法師たちだが、決め手に欠ける五十里たちの方が危険が大きそうだ。というわけで市丸は五十里たちの元に向かうことにした。

 

 五十里たちの元にも直立戦車は現れていた。しかし、千代田の魔法で地面を液状化して足を止めたところに、明智の遠距離攻撃を叩き込み、桐原と壬生、そして青年が接近戦で敵を倒していた。五十里の役割はどうやら索敵と千代田の支援のようだ。

 

 いくら身体能力を強化したとて、銃火器より早く動けるわけではない。足を止めたとして火器が健在であれば事故がありうる。なかなかに危ういことをしているので、さすがに積極的に支援に動いて敵を倒していくことにする。

 

「射殺せ、神鎗!」

 

 横合いから直立戦車二機を纏めて葬った市丸に皆が視線を向けてくる。だが、問いたいことがあるのは市丸の方だ。

 

「明智、何でここで戦っとるん?」

 

「私の魔法は、こういう大型の敵には相性がいいから」

 

 明智の魔法なら大質量の物体をコックピットへとぶつけることで直立戦車を破壊することもできる。その意味では言っていることは間違いではない。

 

「まあ、ええわ。戦うんなら、気をつけて戦い」

 

「それより、お前の魔法、便利だよな」

 

 そう言ってきた桐原の攻撃方法は高周波ブレードの魔法を纏っての刀での斬撃だ。その性質上、実際に刀の間合いまで踏み込まねばならない。必然的に危険度も跳ね上がることになるので神鎗はかなり羨ましく感じるのはわからなくもない。

 

「ここはもうええで。君らは下がり」

 

「そうはいきません。市民の保護は警察の仕事ですから」

 

 そう言った青年は千葉エリカの兄で警部であると言った。

 

「そうやない。もうこの辺に敵はおらんようになる、言うてるんや」

 

 この周辺には、すでに市民らしき霊圧を感じない。未だ周囲に敵は多く、直立戦車を持ち出す敵は、一般の魔法師にとってはかなり危険だ。この方角の敵は速攻で殲滅して他の支援に向かうべきだ。

 

「何を言ってる……」

 

「見せたるわ。ボクの全力を」

 

 戸惑いを見せる桐原に答えながら、市丸は神鎗の力を解き放った。



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第三高校の七本槍

注意

本話には特に残酷な描写があります。
苦手な方はご注意ください。


 敵の襲撃を受けたとき、第三高校の一年生にして七本槍の一人である矢嶋五郎左衛門は、裏口の警備についていた。当然ながら正面出入口の異常には気付いていたが、かといって裏口を放置するわけにはいかず、第一高校の十文字や市丸を信じて待つよりない。幸いにして正面の敵は無事に排除できたようで、その後は第三高校の代表団と応援団は横浜国際会議場から来場に使ったバスで避難することに方針を決めた。

 

「何でこんな離れた所に……」

 

「そういう街の造りなんだから仕方ないでしょ」

 

 バスは国際会議場から離れた、大型車両専用の駐車場に待機している。そのことに文句をつけた一条将輝が、吉祥寺真紅郎に割と真面目に叱り付けられていた。

 

 閉会後に一泊せずに帰る予定で運転手を待機させていただけでも幸いなのだ。離れているといっても避難の船が着く埠頭より駐車場の方が近い。

 

 もっとも、駐車場は会場よりも南側、つまり偽装戦闘艦が接岸している埠頭に近い。ということは襲撃の危険性は高まるということだ。しかし、尚武の気風が強い第三高校生のことだ多少の戦闘くらいならば不安はあるまい。それに、敵が来るというのなら、五郎左衛門にとって望ましいくらいだ。

 

「首の匂いがするで、少しばかり狩ってくるで」

 

 そう一条や吉祥寺に言い置いて五郎左衛門は狩りに出かける。第三高校の七本槍の一人、矢嶋五郎左衛門の異名は首狩り五郎左。異名の由来は新ソ連の佐渡侵攻の折に刀一本を手に敵中に飛び入り首級七つを背負って帰還したという戦績によるものだ。

 

 刀での戦いに特化しすぎて九校戦には出場は適わなかったが、実戦での戦闘力は上位に位置すると自他ともに認める。それが矢嶋五郎左衛門という魔法師だ。

 

「おう、活きのいい首がおるで」

 

 敵を発見した五郎左衛門は早速、自己加速術式を用いて敵との距離を一息に詰め、長さが二メートル近くある大太刀、首狩り包丁を一閃させる。一振りで二人の敵を討ち取ると再加速してもう一閃。計三人の敵を葬ると首を土産にバスへと戻る。

 

「ロケット砲を持っている者がいるな。射抜いておいたゆえ、今しばらくは心配ないであろうが、早くここを離れた方がよいであろうな」

 

 五郎左衛門が戻って間もなく、そう言いながら現れたのは、同じく七本槍の薄衣尚之助だ。薄衣は近場のビルの屋上に陣取り、二メートルもの大弓で周囲の敵の狙撃を行っていたようだ。尚之助も長射程と高威力という魔法の特性が九校戦に活かせないため出場はしていなかったが、狙撃手としての技能は一条をも上回る実力者だ。

 

「バスの進路上の敵を排除してくる。ジョージは出発の準備を進めてくれ」

 

「拙者たちも戦闘しか能がないゆえ、前線に向かわせてもらうでござる。吉祥寺殿、この場はお任せいたす」

 

 そう言った新庄継之進に続いて、薄衣、そして、残りの七本槍、八幡甚十郎と久留島源之丞も前に進み出る。無論、五郎左衛門もそこに続く。

 

「吉祥寺殿がおられぬのは残念なれど、我ら七本槍が力を振るえる場面はそうはなし。今宵は存分に血風を吹き荒らせて進ぜようぞ」

 

 源之丞の言葉に五郎左衛門だけでなく他の四人も獰猛な笑みを見せる。

 

「悪いがゲリラが相手だ。俺も遠慮はしない」

 

 前に進む中、視界に入った敵にすかさず一条が特化型のCADを向けた。その次の瞬間にはゲリラの姿はなく、ただ散りゆく紅い花があるだけだ。

 

 一条家の得意魔法の爆裂を人体に行使した場合、血漿が気化し、その圧力で筋肉と皮膚が弾け飛び、鮮血を撒き散らすことになる。

 

 並みの兵士なら吐き気を催し戦線離脱をするか、良くて戦意を喪失するところだ。しかし、この場にいるのは五郎左衛門が血の滴る生首を腰にぶら下げていても表情一つ変えぬ猛者ばかり。だから、一条も遠慮なく戦えているようだ。

 

「さて、それでは皆で安全圏の確保といこうか」

 

 一条の言葉に、周辺に散った七本槍たちは瞬く間に周囲の敵を殲滅していく。五郎左衛門も生首をぶら下げたまま戦場を駆ける。五郎左衛門が戦場を駆ける中、特に目を引いたのは八幡甚十郎だった。

 

「八幡の三段構え、裏三の陣、献魂一擲!」

 

 甚十郎は得意の移動魔法を使って瀕死の敵兵を歩かせ、敵陣に向かわせる。そうして敵に近づいた頃には敵兵に仕込んでいた爆弾を爆発させるための着火の魔法が発動する時間となっている。そして、爆発と同時に敵兵の体内に仕込んであった短刀が四散する。

 

「ぐ……このような卑劣な真似を……」

 

「何が卑劣ぞ。戦に市民を巻き添えにする其方らは畜生ぞ。畜生が、人として死ねるなぞ思わんことぞ」

 

 甚十郎は先の短刀で負傷した兵に魔法を使い、次の爆弾へと変えていく。

 

「貴様らの好きになど……」

 

「無駄ぞ。八幡甚十郎の移動魔法に畜生ごときが抗えると思うな」

 

 甚十郎に操られた敵が別のところに移動し、そこで爆発させられて散る。

 

「相変わらず容赦のない男だで」

 

「畜生に人道なぞ不要ぞ」

 

 甚十郎も新ソ連の佐渡侵攻のときに両親を失っている。それだけに民間人を巻き込む戦をする者のことは殊更に嫌っている。一方の五郎左衛門は敵兵に憎しみはない。五郎左衛門が首を狩るのは、ただ首が好きで、狩ってもいい首が歩いているからというだけだ。

 

 こうして無事に周辺の敵を殲滅して、五郎左衛門たちは駐車場に戻った。そのときには、吉祥寺がバスの出発準備を終えていた。

 

「行こう、将輝。可能な限りすぐに出発した方が良い」

 

 吉祥寺はそう言うが、五郎左衛門たちはほとんどが血濡れだ。特に多くの首をぶら下げた五郎左衛門がバスに乗り込むことには忌避感を示している者が多い。

 

「俺はこのまま、魔法協会支部に向かう」

 

「無茶だよ! 第一、何の為に!?」

 

 一条の言葉に、吉祥寺が目を見開いて反対する。

 

「援軍に加わる為だ。この状況を協会の魔法師が座視しているはずがない。義勇軍を組織して防衛戦に参加しているに決まっている」

 

「だからって!」

 

「俺は『一条』だからな」

 

「……もしかして、みんなのことを気にしてる? みんなだって悪気があるわけじゃないんだ。ただ慣れていなかっただけで……」

 

「我らは気にしとらんで、吉祥寺殿も気にせんでええで」

 

 皆が一番、忌避感を示しているのは五郎左衛門だ。だから、これは五郎左衛門が言わねばならないことだ。

 

「我らが戦場でしか生きられぬ異常者であることは自分が一番よう知っとるで。むしろ生首を嫌悪するのは人間として正常な感情やで」

 

「我らが戦場に向かうは己の生き方に従ったがゆえ。吉祥寺殿も気に召されるな」

 

 源之丞が続けて言う。

 

「だったら僕も行くよ! 僕は皆の参謀だ。皆が義勇軍に加わるなら、僕も」

 

「ジョージは皆を無事に脱出させてやってくれ。この街はまだ戦場だ。何が起こるか分からない。正直言って、先生や先輩たちだけでは無事脱出できるかどうか心配で戦いに集中できない」

 

「……分かったよ、将輝。他のみんなは僕が責任を持って無事に脱出させることは引き受けよう。その上で僕にできることはある?」

 

「さすれば、冷凍庫を用意してもらえると助かるで」

 

 そう五郎左衛門が答えると吉祥寺が呆れた表情をした。

 

「五郎左、また首を冷凍保管しておくつもりなの?」

 

「おお、それだけが楽しみなもので。此度は非合法戦闘員ゆえ死体に首がなくとも問題ないであろう。絶好の機会だで」

 

 五郎左衛門が首を持ち歩くのは戦闘中のことだけではない。その後、自宅まで持ち帰り、透明な器に入れて寝室に並べるまでが五郎左衛門の行動だ。自宅の布団の周囲には、これまで自らが討ち取ってきた首が凍結処理されて並んでいる。己の狩った敵の首を見ながら就寝をするのが五郎左衛門にとっての一番の安らぎだ。

 

 佐渡での戦いが評価されたことで、五郎左衛門は軍にスカウトをされた。五郎左衛門のように何の思想もなく、ただ命じられた相手を狩れる者は都合がよかったらしい。それにより壊れた調整体の排除依頼のときに首を得ることはできている。しかし、今日のように切り取り次第で首を得られるという機会は貴重だ。

 

「わかった。用意しておくよ。他の皆は何かリクエストはある?」

 

「じゃあ、儂は砥石を用意しておいてもらいたい。早めに手入れをしないと大事な刀が痛んでしまうゆえな」

 

「それは拙者もお願いしたい」

 

「わかった、源之丞、継之進。用意しておくよ」

 

 五郎左衛門に続いて源之丞と継之進が武器を手入れするための道具を依頼する。

 

「ジョージ、そろそろ出発した方が良い」

 

「そうだね。それじゃ、皆、絶対に無事に帰って来て」

 

「分かっている。絶対に皆で無事に帰る」

 

 一条が五郎左衛門に続いて継之進、甚十郎、尚之助、源之丞と見回す。皆が各々の得物を手に力強く頷いた。

 

「じゃあ、皆、武運長久を祈る」

 

「ああ、ジョージも」

 

 吉祥寺がバスに乗り込むと、ほどなくバスは前に進みだした。

 

「しばらくは某が護衛をさせてもらうな」

 

 そう言った尚之助がバスの上に飛び乗り、大弓を引き絞る。そこから放たれた矢は五郎左衛門には視認すら困難な敵を射抜いたのだろう。

 

「さて、それじゃあ、全面戦争といくとしようか!」

 

「応っ!!」

 

 一条の檄に答えた皆とともに五郎左衛門は魔法協会支部に向けて歩み始めた。



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卍解

「見せたるわ。ボクの全力を」

 

 明智英美たちに向けて、そう言った市丸の雰囲気が変わった。

 

「市丸君の全力? それは市丸君が全力を出せば敵を制圧できるってこと?」

 

「そういうことや。ボクが卍解……全力を出せば刀はどのくらい伸びると思う?」

 

「どのくらい? 百メートルとか伸ばせるってこと?」

 

「教えたげるわ。十三キロや」

 

 あまりに非現実的な数字に思考が停止する。英美が何も反応できない間に市丸は手に持つ脇差を軽く引いた。

 

「卍解、神殺鎗!」

 

 市丸が、持っていた脇差を振り抜いた。その次の瞬間には、英美の視界に入っていたものが一瞬のうちにすべて崩壊した。

 

 街路樹や電柱だけではない。家屋や小型店舗。それどころか堅牢な高層ビルまでもが綺麗に横一線に両断されていた。とてもではないが、刀で斬ったと言えるような威力ではない。レーザー兵器と言われた方がよほど納得ができる。それより気がかりなのは、瓦礫や直立戦車の残骸に混じり、人の死体が見え隠れしていることだ。

 

「心配せんでも、一般市民がおらん方向に放っといたから大丈夫やと思うで」

 

「ならいいけど……市丸君、本当にこの威力の攻撃を十三キロもの射程で放てるの?」

 

「さあ、どうやろね」

 

 今になってはぐらかしているが、市丸はできないことをできるとは言わないだろう。実際、これほどの攻撃を放てるとまでは思ってもみなかった。しかし、これほどの攻撃を十三キロという範囲で放てるなら、それはもう戦略級魔法なのではないだろうか。

 

「さ、駅前に戻るで」

 

 確かに、市丸の一閃で十三キロまではいかずとも、おそらく一キロ程度の範囲の敵は殲滅し終えたように見える。加えて、今の大破壊で見渡す限り瓦礫に覆われていて、直立戦車であろうとも簡単には近づけなくなっている。建物の二階などに生き残りはいるかもしれないが、這い出てこちらに向かってくる気力はないだろう。これで、こちらの方面の安全は確保されたと言っても間違いではないだろう。

 

 そうして駅前まで戻った英美たちは、当然ながら七草や渡辺から猛烈な勢いで先ほどの大破壊について質問をされた。その質問に対して市丸は普段から使っている刀を伸ばす魔法を全力で使っただけとしか説明をしなかった。そのせいで英美にまで質問が及ぶことになった。しかし、英美としても市丸の言ったとおり刀を異常なまで伸ばしただけにしか見えなかったので、市丸の言ったとおりと答えるしかない。

 

 そのうちに英美たちの上空にダブルローターの輸送ヘリが姿を現した。ヘリは着陸のため徐々に高度を落としていく。その最中、それは起こった。

 

 突如として飛来した黒い雲。空気中から湧いて出た、としか言いようの無い唐突な登場を見せたのは、季節はずれの蝗の大群だった。

 

 たかが蝗と言っても、エンジンの吸気口に飛び込まれて厄介なことになる。

 

 それに、こんな不自然な出現の仕方をしたモノが、自然の生物とは思えない。

 

 同じことを考えたのか、ヘリの出迎えに来ていた北山雫がポーチから小型拳銃そっくりの銀色のCADを取り出した。

 

 銀色のCADから放たれたのは九校戦の折にも見た「フォノン・メーザー」。音の熱線が、蝗の群れを薙いでいく。

 

「数が、多い……っ!」

 

 焼け死ぬのではなく、燃え尽きたように消えていく蝗の群れ。だがそれは、黒い雲を成す大群のほんの一部だ。次々とフォノン・メーザーを発動して、ヘリに近づく蝗を撃ち払っているものの、回り込んだ群れがヘリに迫る。

 

「これ以上、ヘリに近づかれると強いのが使えんから、そろそろ手を出させてもらおか」

 

 多くの魔法師がいながら、誰もが手をこまねいている中、おもむろに市丸が前に出てくる。だが、市丸の剣を伸ばす魔法は地上には強いが、剣で薙ぎ払うという攻撃の性質上、空の広範囲を攻撃するのには向かないように思える。

 

「千手の涯。届かざる闇の御手、映らざる天の射手。光を落とす道、火種を煽る風、集いて惑うな我が指を見よ。光弾・八身・九条・天経・疾宝・大輪・灰色の砲塔。弓引く彼方、皎皎として消ゆ。破道の九十一、千手皎天汰炮!」

 

 心配をよそに、市丸が現代魔法では思えぬ長さの詠唱を行った。その次の瞬間、無数の光の束が空を埋め尽くした。それは、空を覆って黒雲を成すほどの蝗の大群を残らず消し飛ばしてしまう。

 

 市丸が見せた魔法の威力は先ほどの戦略級魔法には及ばないものの、十師族の魔法をも上回るほどの圧倒的な範囲と破壊力を両立させているように見えた。この規模の魔法を複数習得しているなど、本当に市丸は何者なのだろうか。降下してくるヘリすら目に入らず、英美はただ市丸のことを見つめ続けてしまった。

 

「破道の六十三、雷吼炮」

 

 英美が見ていることも気にせず、市丸は続いて雷の魔法を放つ。

 

「どうしたの?」

 

「あの蝗を作る魔法を使っていた魔法師の気配を掴んだんや」

 

 モノリス・コードのときも思ったことだが、市丸は索敵能力も異常だ。本当にどうすればこのような能力を得られるのだろうか。

 

 考えているうちにヘリは着陸し、集まっていた市民の収容を始めた。英美たち戦闘力のある者たちは後発便で戦場を離れるため、今は周辺で警戒中だ。とはいえ、索敵能力も殲滅能力も高い市丸がいるので、どうしても警戒感は薄くなる。

 

 北山が呼んだヘリが北山と市民たちを乗せて離陸する。それと入れ替わるように二機目のヘリが着陸態勢を取る。二機目のヘリは一機目のヘリより一回り大きい軍用の双発ヘリだった。しかも戦闘ヘリが一機、随従している。

 

「動くな!」

 

 その声が聞こえたのは皆の視線が上に向かった瞬間だった。見ると、背後から市原の首に腕を巻き、もう片方の手でナイフを突きつける若い男がいた。周囲の者が一斉にCADを手にするが、別の男が一歩前に出て手榴弾を持った手を前に突き出す。

 

「機動部隊で戦力を前方に引き付け、更に脱出を待って人数を減らせるだけ減らした後でターゲットを確保。中々考えられた作戦です」

 

 市原が人質にされているとは思えないほど、落ち着いた声音で言う。

 

「無意味やけどな」

 

 そう市丸が呟いた瞬間、市原にナイフを突きつけていた若い男の額に穴が空いた。

 

「今の見えた?」

 

 市丸が笑みを深めて手榴弾を持った男に問いかける。

 

「君が動くより僕の方が遥かに早いで」

 

 英美にも、市丸の言っていることは厳然たる事実であると理解できた。手榴弾を持って周囲を牽制していた男が今や完全に蛇に睨まれた蛙だ。

 

「う、うわあぁああ!」

 

 市丸の圧力に耐えられなかったのか、男が手榴弾を爆発させようとした。しかし、それを市丸が見逃すわけがなかった。次の瞬間には手榴弾を持っていた男の腕が消失した。

 

 そのときになって英美は初めて市丸の剣の真の恐ろしさを理解した。市丸が高層ビルまでも両断して見せた一撃を放った後、英美が見たときには脇差ほどの長さだった。つまりは何百メートルの長さまで、信じられないほどの速さで剣を伸ばした後、それと同じくらい高速で戻したということだ。

 

 英美自身は見たことはないが、一般的に強力な魔法であればあるほど発動までの時間は長くなる。そこから考えると、戦略級魔法というものは発動までにそれなりの時間がかかると考えるのが自然だ。

 

 しかし、市丸の魔法は発動までも一瞬ならば、攻撃が届くまでもが一瞬だ。視認することもできない攻撃など、躱すことなどできるわけがない。

 

「さて、他に仲間がおらんか尋問は任せてええか?」

 

 渡辺前風紀委員長は匂いを使った意識操作を行う魔法を使うことができる。市丸が手榴弾を持った男を殺さずにいたのも情報を得るためだろう。実際、ヘリの中で手榴弾を使われていたら危なかった。その危機感があるため、渡辺の若干、非合法的な尋問に対して異論を唱える者はいなかった。渡辺が負傷した男に対して尋問をしている間にもヘリが着陸して市民の収容を始める。

 

「どうも、こいつらは個々で行動しているみたいで、他についてはそれほど詳しくないみたいだな」

 

「それならヘリの中にだれかおった方がええな。任せてええか?」

 

「市丸君は敵の殲滅に動くということ?」

 

「そういうことや」

 

「お前の魔法ならヘリの中での戦いより外での戦いの方が向いているな。わかった。好きに戦ってこい」

 

 渡辺に背を押されて市丸が市街地へと向かっていく。自分の実力が足元にも及ばないと理解している英美は、市丸をただ見送ることしかできなかった。




黒棺は藍染のものなので、千手皎天汰炮を使用。


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一条将輝の横浜戦

 魔法協会に向けて進軍を始めた第三高校の七本槍と呼ばれる一行は多数の敵兵を屠りながら前進を続けていた。その中でも先頭に立ち、最も多くの敵を葬っているのが一条将輝だ。今は遮蔽物に身を潜め、赤味を帯びた光沢のCADを敵に向けていた。

 

 爆裂の連発による消耗。それに加えて、敵の攻撃が機甲兵器から魔法によるものまで多様なものであることで対応に神経を使わされている。

 

 そもそも将輝たちは六名という極めて小勢での行動だ。一人当たりの負担が大きくなるのは仕方がないことと言える。

 

 別途、侵攻軍と交戦中の集団と出会う場面もあったが将輝たちは別行動を選んだ。七本槍の面々は戦闘力という面では非常に優れているが、人格面や嗜好には問題がある者が多い。他者との行動は却って後の禍根となりかねない。

 

「九つめ、今日はこれまでの最高記録だで」

 

 その筆頭が、九つめの首を手して、もはや人の首の集合体が歩いているような妖怪じみた姿となっている矢嶋五郎左衛門だ。敵とみれば人を爆弾として使用することにも何の躊躇も見せない八幡甚十郎もかなり拙い。

 

 そうしたわけで六人で進軍を続けていたが、今は奇妙な敵を前に足を止めている。それは隊列を組んで迫ってくる幽鬼だった。幽鬼というのは比喩でもなければ本物でもない。古式魔法によって作られた幻影だ。

 

 古式魔法で作り出した実体の無い幻影に、「爆裂」は意味を成さない。実体は無くとも、幻影体は攻撃力を持っていた。催眠術、と同じ理屈なんだろう。幻影に斬られた者は、赤い痣を浮かび上がらせて絶命する。

 

 魔法師はその身に纏う情報強化で偽りの斬撃を無効化することができる。だが、魔法師でない義勇兵はそうもいかない。そのため撤退する義勇兵たちに代わり、今は将輝たちがこの場を受け持っているところだ。

 

「偽りの刃ごときで拙者に傷をつけられるなど思わぬことだ」

 

 そして新庄継之進は情報強化とは無関係に、圧倒的な精神力で偽りの斬撃を無効化していた。

 

「喝っあぁっ!」

 

 そして攻撃では気合の乗った一喝で幻影体を情報ごと吹き飛ばしていた。継之進は幻影体にとっては天敵と言ってよいだろう。しかし、継之進の大喝で幻影体を消せる範囲はそれほど広くない。それに、新たな魔法を得た将輝にはできることもある。

 

「くらえ! バーナーフィンガー1!」

 

 九校戦の折に使えるようになった能力を用いて指先から熱線を放つ。それは幻影を焼き尽くして塵に変えた。

 

「一条殿はその力、完全に身につけたようであるな」

 

 幻影体に対して有効な攻撃手段を持たない薄衣尚之助が感心したように言ってくれるが、身につけたとは言っても使用方法くらいだ。原理は未だにわかっていない。

 

 だが、このままでは拙い。継之進には効かないと悟った敵はすでに幻影体を継之進には向けていない。将輝の攻撃も命中させられるのは有視界内に限定されている。加えて、肝心のバーナーフィンガーの魔法は原理がわからないということもあり、副作用を警戒して最低限の使用しか行ってこなかったため、限界がどこかわからないという怖さがある。何より幻影体を生み出す魔法に対して強力なバーナーフィンガーは費用対効果が悪い。

 

 やはり最善は元を断つこと。即ち幻影体を生み出している魔法師を倒してしまうことだ。そう考えて敵を探しているのだが、今のところ掴めていない。他の七本槍も武辺者ばかりで索敵が強い者がいない。

 

 悩みながら戦っていた将輝であったが、そのうちに敵魔法師の捜索を諦める。場所がわからないなら、まとめて殲滅する方向へ方針を転換した。

 

 今までは市民を巻き添えにすることを恐れて、単体の敵を攻撃する魔法のみ使用していたが、このまま事態を長引かせては余計に市民の被害が広がるだけだ。

 

 将輝は三人一組で散開する敵の、人数が最も集中している辺りを狙って方形の処刑場を設定した。一辺十五メートル。念の為、高さは二メートルに留めておく。

 

 左腕にはめたCADを操作し、魔法を発動。障碍物に関係なく、遮蔽物を呑み込む形で事象を改変する力が作用する。

 

 最初の変化は緩やかなものだった。敵兵は身体が熱を持った程度にしか感じなかったはずだ。だがそれはすぐにひりつく熱さに変わり、地面を転がり回る激痛に変化し、三十秒後には眼球を白く濁らせた死体に変わった。

 

 液体分子の振動による加熱魔法「叫喚地獄」。

 

 一条の魔法師が得意とするのは液体を気化する発散魔法だが、無論それ以外の魔法が使えないというわけではない。

 

 今、将輝が使用した「叫喚地獄」は「爆裂」の劣化版と言える。体液を一瞬で気化させる「爆裂」に対して、時間を掛けて体液を加熱する「叫喚地獄」。

 

 威力を劣化させた代わりに対象を「物」から「領域」に拡大した魔法。

 

 叫喚地獄もまた、対象物内部、人体に直接干渉する魔法。故に情報強化を纏う魔法師には効き難い。

 

 逆に言えば、あの処刑場で生き残っている者は、魔法師であるということだ。

 

「一条殿、後はお任せあれ」

 

 大規模な魔法を使用した直後の将輝を気遣い、継之進を先頭に七本槍が突貫する。味方を巻き込んでしまわぬように将輝は慌てて使用中だった叫喚地獄を解除する。生き残りは幻影体を作っていた魔法師の他に幾ばくかの熱耐性を持たされていた直立戦車、そして範囲の比較的外側にいた歩兵だ。

 

「八幡の三段構え、一の陣、疾風迅雷!」

 

 先頭を進んでいたのは継之進だったが、最初に接敵をしたのは甚十郎だった。得意の移動魔法で一気に距離を詰めると、右手の剣で敵魔法師の首を斬り落とした。

 

「いざ斬り落とせ、首狩り包丁!」

 

 続いて物騒な発言をした五郎左衛門が大太刀で直立戦車の頭部を斬り落とす。そこまではよかった。しかし、五郎左衛門はあろうことか直立戦車の頭部をなんとか持ち帰ろうとし始めた。

 

「五郎左、それは重いゆえ胸部に乗る者の首を落とせばよかろう」

 

「ん、おお、ここか」

 

 久留島源之丞に言われて、五郎左衛門はようやく搭乗員のことに思い至ったらしい。胸部装甲部を斬り落として搭乗員の姿を露出させた。

 

「おお、あったで、首じゃ」

 

「ま、待ってくれ、助け……」

 

 皆まで言わせず、五郎左衛門が敵兵の首を斬り落とす。その間も尚之助は大弓を引き絞り、敵を射殺している。

 

 そうして敵を殲滅した将輝たちは、そのまま進軍を続けて中華街の北門に至った。この街は戦後の再開発の結果、ビルが壁の役目を果たして東西南北の四門からしか出入りできなくなっている。無秩序な再開発ではなく、計画的に行ったことだと思われる。

 

 閉じ込める為か、閉じこもる為か。

 

 おそらくは、後者だろう。

 

 平時であれば大きく開け放たれ観光客の出入りが絶えない四方の門が、今は固く閉ざされている。

 

 それ自体にケチをつけるつもりは、将輝には無かった。だが、余所の国で暮らしていくのに自分たちだけで固まって、しかもそこを要塞化するというのは、感情的に気に食わない。そして、それは他の七本槍も同じであったようだ。

 

「問答無用! 押し破るで」

 

 五郎左衛門が首切り包丁を一閃して閉ざされた門を切り裂いた。五郎左衛門がこれほど過激な行動を取ったのは、敵がここから中華街の中へ逃げ込むのを目撃していたためだ。

 

 いつ向こう側から銃弾が飛んでくるか、わからない。そう考えて障壁魔法の展開準備をしていた将輝だったが、切り裂かれた門の先に見えたのは意外な光景だった。

 

 そこにいたのは、将輝より五、六歳年長の貴公子的な雰囲気を漂わせる青年を先頭とする一団だった。

 

 彼らは、拘束した侵攻軍の兵士を連れていた。敵兵が門の中に逃げ込んでから、ほとんど時は経っていない。その間に武装した兵士をどのように拘束したのか気になるが、まずは話を聞く必要がありそうだ。

 

「周公瑾と申します」

 

 青年はそう名乗った。

 

「私たちは侵略者と関係していません。むしろ、私たちも被害者です。そのことをご理解いただく為に、協力させていただきました」

 

「協力に感謝するぞ」

 

 そう言った甚十郎が拘束された侵攻軍の兵士たちを順に切り殺した。

 

「捕虜を殺してしまってよろしいのですか?」

 

「捕虜? こ奴らはただの犯罪者ぞ」

 

「そうですか……」

 

 なぜ侵攻軍の兵士が逃げ込むまで門を開けており、その直後に門を閉ざしたのか。聞きたいこともあるが、将輝たちはあくまで兵士。尋問は仕事ではない。

 

 何か言いたそうな周公瑾を放置して、将輝たちは次なる敵を殲滅するために進軍を開始した。



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大亜連合軍上陸部隊の壊滅

「隊長、我が軍が撤退を始めました!」

 

「そうか」

 

 部下の報告を受けて、大亜連合軍特務部隊上校・陳祥山は驚きも悔しさも意外感もなく、静かに頷いた。陳は味方が敗退する可能性が高いと予想していたわけではないが、作戦目標達成の為に、その可能性を視野に入れていた。作戦目標が達せられれば戦闘レベルの勝敗は関係ない。彼はそうして今日の地位を築いたのだ。

 

 もっとも今日の作戦目標の達成の為には大きな障害が存在していることが判明している。その相手の名前は市丸ギン。九校戦という高校生の競技で日本の魔法師の名門である十師族を相手に互角以上の戦いをしたとして警戒対象として通達されていた。それでも、戦闘力にかけては陳が最も信頼する部下である呂剛虎をも圧倒するとまでは考えていなかった。

 

 そして今日、市丸ギンは更なる実力を秘めていることが明らかになった。辛うじて残存していた無人偵察機の映像では、何らかの魔法を使って高層ビルすら両断していた。あれほどの破壊を行う相手を倒す術は陳にも思い浮かばない。

 

「我々はこれより作戦案二号を実行する」

 

 不安要素はあるが、懸念事項があるからと作戦を中止することなどできない。陳に付き従う二十名の兵士は本国から呼び寄せた後方破壊作戦のプロフェッショナルばかり。最初に連れてきた潜入作戦要因とは練度が違う。そこに救出に成功した呂も加わる。

 

「呂上尉、個人的に思うところはあるかもしれんが、市丸ギンとの交戦は避けろ」

 

「分かっております」

 

 その心中はどうであれ、呂剛虎は完璧な自制の効いた声で上官に答えた。その身に纏うのは彼本来の装備。「白虎甲」と名付けられた呪法具の鎧。

 

「行くぞ」

 

 陳の号令により、部隊は静かに移動を開始した。

 

 目指す先は横浜ベイヒルズタワー。日本魔法協会関東支部。

 

 そうして進軍を始めた陳の部隊による奇襲は、完全に日本側の意表をついたようで、当初は順調に侵攻できていた。これは精鋭を温存した効果といえた。

 

 海側から侵攻していた大亜連合軍は、今や完全な劣勢に陥っている。山手方面の部隊は義勇軍によって敗走し、関内方面の部隊は中華街の裏切りによって壊滅した。山下町方面でも漆黒の飛行兵団により壊滅状態に陥っている。兵力を温存している余裕はないと見ていたのだろう。

 

 陳の率いる部隊の規模は小隊未満だが、一人一人の戦闘力は極めて高い。特に白い甲冑を身に着けた呂剛虎は装甲車の機銃掃射すらものともせず、何重にも築かれたバリケードを次々と突破して丘を登っていく。

 

 呂が身に着けている白虎甲は皮膚の上に鋼よりも硬い鎧を展開する彼の鋼気功を増幅する中華古式魔法・道術の呪法具。表面積はオフロードバイク用プロテクターと大差の無い軽装鎧を纏っている時こそ、世界屈指の近接戦闘魔法師・呂剛虎の本領と言える。

 

 バリケード代わりに並べた装甲車の機関砲が呂に向けて火を吹く。ハイパワーライフルと同等以上の威力を持つ銃弾を呂は軽々とはね返した。鎧の表面だけではなく、鎧に覆われていない部分でも。鋼気功を増幅するとはそういう意味だ。白虎が象徴する五行は「金」。この白い甲冑は、呂剛虎の全身を覆う鉄壁の防御魔法を更に強化する。彼が先頭となって築かれたバリケードを次々と突破し、奇襲部隊は協会支部へ迫る。

 

 しかし、最後のバリケードを前に奇襲部隊は足を止めることになった。バリケードの前に立つのは薄い笑みを浮かべた一人の若い男。

 

「なんや、まだ隠れとったのがおったんやな」

 

 それは陳が最も警戒していた相手である市丸ギンだった。そして、市丸がそう言ったときには先頭を進んでいた兵が伸びる刀で額を貫かれて絶命していた。

 

「陳上校はここを迂回して先に進んでください」

 

 そう言ったのは珍しく緊張を露わにしている呂だった。

 

「頼めるか、呂上尉」

 

 呂が頷くのを見て陳は部下十名を率いて別方向から協会支部へと向かおうとした。だが、市丸はそれを許してくれなかった。

 

「行かせるわけないやろ」

 

 陳の隣に立っていた護衛の兵が市丸の伸びる刀を受けて絶命した。その直後、呂が雄叫びをあげながら市丸へと突進する。その隙を突いて陳は古式魔法・鬼門遁甲を使った。

 

 鬼門遁甲は方位を操る魔法で、術者の望む方向へ人々の認識を誘導する秘術だ。

 

 方位を狂わされた人間は、目標へたどり着くことができない。例えば真っ直ぐ進んでいるつもりでグルグルと同じ所を回っている人間には、並足で進む馬車がいつまで経っても追いつけない不可思議な速度で進んでいるように見えるだろう。裏の鬼門遁甲は方位に特化した精神干渉の呪法なのだ。

 

 それは何も緯線・経線を基準とした地理的な方位に限らない。意識の向かう行き先をねじ曲げるのも鬼門遁甲の基本技術。呂が気を引いている今は鬼門遁甲で陳の意識を市丸から外させる絶好の機会だった。

 

「射殺せ、神鎗」

 

 しかし、完成している鬼門遁甲をものともせず、市丸は陳の護衛を伸びる刀で攻撃した。しかも、呂の攻撃を躱しながら、寸分たがわず額を貫いてだ。

 

「行かせるわけない、言うたやろ」

 

「どうやって鬼門遁甲を破った?」

 

 酷薄な笑みを浮かべる市丸に、回答はないだろうと思いながらも、陳は聞かずにいられなかった。

 

「方向を狂わせる魔法なら、慣れとるんや。せめて上下くらいは狂わせてもらわんと」

 

 上下の感覚を狂わせるなど、意味があるのだろうか。そんなことをすれば感覚が狂わされていると明確に理解させてしまうだけではないか。

 

「ぐっ……どこまで馬鹿にするつもりだ!」

 

 この間も呂は市丸に対して攻撃を仕掛けている。しかし、市丸は呂の攻撃をものともせずに陳の言葉に答えている。呂は世界でも屈指の近接戦闘魔法師と見られていた。その自負は呂自身にもあったはず。それなのに、市丸には相手にもされていない。

 

 映像で市丸の攻撃力は理解していた。けれど、呂が全く追いかけられないほどの速度を有しているとは想像すらしていなかった。

 

「どこまでっ……馬鹿に!」

 

「そろそろ邪魔やな」

 

 市丸がついに呂に対して反撃の刃を振るった。その刃は白虎甲を纏い、強化された呂の防御をものともせず、その身体を両断した。

 

 高層ビルを両断したことで、市丸の攻撃力が呂の防御力を上回ることは想像できていた。しかし、実際に目の前で世界最高峰の近接魔法師が何ら抵抗できずに葬り去られる場面を見ると、衝撃を抑えることができなかった。

 

「さて、残った君らはどうする?」

 

 陳が率いていた二十名の精鋭たちは、呂と共に市丸に向かった者たちが全滅し、陳の周囲に残る者たちも八人だけになっている。

 

「投降をすれば受け入れてもらえるのか?」

 

 はっきり言って、市丸を倒すどころか、市丸から逃れることさえ不可能だろう。

 

「そないな面倒なこと、するわけないやないの」

 

 この横浜襲撃が発生するまでなら、陳の情報には価値もあっただろう。しかし、実際に襲撃が起こり、それが失敗した今となっては、さしたる価値はない。ましてや、情報のとおりなら市丸は単なる高校生だ。その割には躊躇なく人を殺し過ぎている気はするが、高校生が陳の情報に価値を見出して見逃してくれるかというと疑問だ。

 

「さて、そろそろお喋りはええか? 死ぬ気で抵抗した方がええで」

 

「こうなっては是非もなしか」

 

 逃げられないのなら、戦うしかない。陳は生き残りの部下八名と突撃を敢行する。

 

「陳上校!」

 

 陳に向かって伸びてきた刀を庇って、部下の一人が絶命する。その部下に心の中で礼を言いつつ、弔いのためにも残りの部下のハイパワーライフルでの援護を受けながら市丸へと迫る。

 

「卍解、神殺鎗」

 

 しかし、陳が攻撃を加える前に市丸が滅びをもたらす言葉を口にした。その次の瞬間には、陳の身体は腰で両断される。

 

 自分と同様に、纏めて両断されて頽れる部下たち。それが陳が最後に見た光景だった。



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横浜事変終結

 達也を中核戦力とする独立魔装大隊は、遂に敵本陣である偽装揚陸艦を目視に捉えた。

 

 敵が投入した戦力は、二十輌の装輪式大型装甲車、六十機の直立戦車、八百人の戦闘員。その中には魔法師も多数含まれていた。

 

 占領維持には足りなくても、一局面の打撃力としては不足の無い戦力が、今や装甲車と直立戦車の残存数ゼロ、兵士の損耗率八十パーセントという壊滅状態に陥っている。その最大の立役者が謎の刀身を伸ばす魔法で敵兵多数を纏めて屠った市丸だ。

 

 だが今、潰走する大亜連合軍を追い立てる、その先頭に立つのは達也も属する四十名の飛行兵部隊だ。

 

 更には北からは鶴見の大隊、南からはようやく到着した藤沢の部隊。西からは保土ヶ谷の駐留部隊とこれに合流した藤沢の支隊。三方からの圧力に耐えきれず、敵は上陸部隊の収容を途中で切り上げて撤退に掛かった。

 

「逃げ遅れた敵兵は後詰めの部隊に任せて我々は敵艦を攻撃、航行能力を破壊する!」

 

 敵艦が慌てて出港しようとしているのを見逃すまいと柳が攻撃司令を出す。

 

 ムーバル・スーツの空中機動力を使えば残存兵力の頭を飛び越えて敵艦に乗り込み内部から制圧するという作戦も可能だったが、柳はそんなリスクと手間を負担するつもりは無いようだ。

 

 指向性気化爆弾のミサイルランチャーを抱えた兵士を中心に、貫通力増幅ライフルを手に持つ兵士を護衛に配して隊列が組まれる。

 

 だが、彼らが今まさに飛び立とうとしたその時、制止の声が届いた。

 

『柳大尉、敵艦に対する直接攻撃はお控えください』

 

「藤林、どういうことだ」

 

『敵艦はヒドラジン燃料電池を使用しています。東京湾内で船体を破損させては水産物に対する影響が大きすぎます』

 

 柳が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。その後に聞こえた、あの市丸という少年の攻撃で船体上部だけ斬り飛ばすのなら可能か、とかいう言葉は聞かなかったことにする。

 

「ではどうする」

 

『退け、柳』

 

「隊長?」

 

『勘違いするな。作戦が終了したという意味ではない。敵残存兵力の掃討は鶴見と藤沢の部隊に任せ、一旦帰投しろ』

 

 風間の指示を受けて達也たちは移動本部に帰投する。その後、帰投した柳に指揮権を委ねると、達也は風間、真田と藤林と一緒にベイヒルズタワーの屋上に来ていた。

 

 掃討戦はほぼ完了している。所々で散発的な閃光と銃声が生じているが、それも今晩中に落ち着くだろう。通路が崩れて地下に埋まってしまった形のシェルターも、明日には臨時のトンネルが開通する予定だ。避難している人々は、地上に作られた臨時の避難所よりむしろ快適な環境で過ごしている。

 

 現在の時刻は、午後六時。

 

 黄昏時、逢魔が時だ。

 

「敵艦は相模灘を時速三十ノットで南下中。房総半島と大島のほぼ中間地点です。撃沈しても問題ないと思われます」

 

「大黒特尉。マテリアル・バーストを以て、敵艦を撃沈せよ」

 

 藤林の言葉に頷いた風間が達也をコードネームで呼んで指示を与える。

 

「マテリアル・バースト発動」

 

 風間の指示に、達也はそう呟いて魔法を発動させた。

 

 究極の分解魔法、「質量爆散」。それは、質量をエネルギーに分解する魔法だ。対消滅反応ではない。質量を直接エネルギーに分解する故に、対消滅反応の際に生じるニュートリノ発生によるエネルギーロスも無い。アインシュタイン公式のとおりに、質量を光速定数の二乗の倍率でエネルギーに変換する。

 

 水一滴、五十ミリグラムの質量分解によって発生する熱量は、TNT換算一キロトン。

 

 それだけの熱量が、瞬時に、水一滴の空間で発生した。

 

「……敵艦と同じ座標で爆発を確認。同時に発生した水蒸気爆発により状況を確認できませんが、撃沈したものと推定されます」

 

「撃沈しました。津波の心配は?」

 

 モニターを見ていた藤林の報告を、達也は修正した上でそう訊ねた。

 

「大丈夫です。津波の心配はありません」

 

「ご苦労だった」

 

 藤林の報告を受けた風間が作戦終了を宣言した。

 

 しかし、これで作戦は終わりではない。明けて西暦二○九五年一○月三十一日。

 

 今日はハロウィンだが、キリスト教徒でない達也に特別な感慨は無かった。

 

 達也は今、対馬要塞に来ていた。

 

 今から三十五年前、第三次世界大戦、またの名を二十年世界群発戦争の後期、この島は大亜連合高麗自治区の襲撃を受け、住民の七割が殺された。相手国を無用に刺激しない為という理由で、国境の島にも関わらず最低限の守備隊しか置かなかった結果だった。

 

 対馬を奪還した後、日本政府はこの島を要塞化した。大規模な軍港と堅固な防壁、最新鋭の対空対艦兵装を備えた最前線の基地。それが、対馬要塞だ。

 

「予想どおり、敵海軍が出撃準備に入っている。この映像を見てくれ」

 

 風間の言葉とともに壁一面を使った大型ディスプレイに、衛星から撮ったと思しき写真が表示された。そこには十隻近くの大型艦船とその倍に上る駆逐艦・水雷艇の艦隊が出港準備に取り掛かっている様子が写っている。

 

「今から五分前の写真だ。このまま推移すれば、敵は遅くとも二時間後に出港するだろう。動員規模から見て一時的な攻撃ではなく、北部九州、山陰、北陸のいずれかの地域を占領する意図があると思われる」

 

「本格的に戦争を始めるつもりでしょうか」

 

「彼らは三年前からずっと戦争中のつもりなのだろうな」

 

 対馬要塞所属の若い少尉から飛んだ質問には柳が代わりに答えた。

 

「結論は、柳大尉が述べたとおりだ。我が国と大亜連合の間では、講和条約どころか休戦協定も結ばれていない。艦隊の動員について一言の通告もないということは、我が国がこれを攻撃準備と解釈しても構わないと考えているのだろう。既に動員を完了している敵艦隊に対し、残念ながら我が海軍は昨日より動員を開始したところだ。現状では敵の海上兵力に、陸と空の兵力で対抗するしかない。苦戦は免れないだろう」

 

 会議室の空気が重量を増した。

 

「そこで、この現状を打開する為、我が独立魔装大隊は戦略魔法兵器を投入する。本件は既に統合幕僚会議の認可を受けている作戦である。ついては第一観測室を我が隊で借り受けたい。また攻撃が成功した場合、それと同時に……」

 

 風間の説明は続いている。

 

 だが達也はそれ以上、耳を傾ける必要を感じなかった。達也の仕事は「戦略魔法兵器」による攻撃までで、そこから先はやることが無いからだ。戦闘だけが役割と割り切っていた横浜での市丸の姿勢を今は見習うとしよう。

 

 達也はムーバル・スーツを身に着けたままの姿で第一観測室の全天スクリーンの真ん中に立った。

 

 このスクリーンは衛星の映像を三次元処理して、任意の角度から敵陣の様子を観察することができるようにしたものだ。今は達也の希望により、水平距離百メートル、海面上三十メートルの高さから見下ろした映像を映し出している。

 

 鎮海軍港。

 

 巨済島要塞の向こう側に終結した大亜連合艦隊。

 

 その中央の戦艦、おそらくは旗艦に翻る戦闘旗。

 

 その旗に照準を合わせる。

 

 三次元処理された衛星映像を手掛かりに、情報体にアクセスする。

 

 戦闘旗の重量は、およそ一キログラム。

 

「マテリアル・バースト、発動」

 

 対馬要塞の中から、海峡を越えて、鎮海軍港へ。

 

 達也の魔法は、約一キロの質量をエネルギーに変えた。

 

 それにより、鎮海軍港の奥に停泊する旗艦の上に、突然、太陽が生まれた。

 

 計測不可能の高熱は、船体の金属を蒸発させて重金属の蒸気をばらまいた。

 

 急激に膨張した空気は、音速を超えた。

 

 熱線と衝撃波と金属蒸気の噴流に、艦隊も港湾施設も消滅した。

 

 竜巻と津波が生じて、対岸の巨済島要塞を呑み込んだ。

 

 破壊は鎮海軍港に止まらなかった。

 

 衝撃波は周辺の軍事施設にも及んだ。不幸中の幸いだったのは、鎮海軍港周辺に民間人の居住する都市が存在しなかったことだろうか。

 

 灼熱の暴虐が収まった時、そこには何も残っていなかった。

 

 灼熱のハロウィン。

 

 後世の歴史家にそう呼ばれるこの事件により、大亜連合による横浜襲撃事件も終わりを迎えたのだった。




最近、執筆ペースが落ちてストックが減っているので、来訪者編は一回開けて3月4日から投稿開始する予定です。


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来訪者編
来訪者


 北アメリカ合衆国テキサス州ダラス郊外、ダラス国立加速器研究所で、余剰次元理論に基づくマイクロブラックホール生成・蒸発実験が行われた。

 

 準備は二年前に完了していながら、リスクが読み切れないことを理由に中々ゴーサインが出なかったこの実験の背中を押したのは、先月末に極東で起こった事件だった。

 

 事件自体は国際的にはちょっとした小競り合いという程度だ。しかし、そこで二種類の異なる未知の戦略級魔法およびその恐れがある魔法が行使されたというのが問題だった。

 

 そのうちの一種類は完全に未知の魔法だった。そして威力の高さと最大効果範囲が不明ということから脅威といって申し分ないものだった。しかし、術者本人を中心に発動するという性質から、戦略級魔法と呼ぶには予測される最大射程が致命的に短いため、脅威度はそれほどでもない。

 

 問題は、朝鮮半島南端において軍事都市と艦隊を一瞬で消滅させた大爆発の方だ。こちらは完全に未知の魔法というわけではなく、類似例を以前も観測したことがあるものだ。だが、その魔法がもたらした影響は単なる事件には留まらず、大事件と表明しても過言ではないものとなった。

 

 国防総省の科学者チームは、激しい議論の結果、この爆発を質量のエネルギー変換によるものと結論付けた。三年前に観測されたときには一部の学者による仮説に過ぎなかったものが、今回は科学者たちの一致した見解となった。

 

 偵察衛星が記録した今回の「大爆発」のデータでは、実験施設において観測された対消滅反応のデータと一致した特徴を示さなかった。核分裂や核融合の際に生じる残留物資も計測されていない。その意味するところは、科学技術によるものであれ魔法技術によるものであれ、自分たちが知らない方法で高エネルギー爆発を引き起こす技術を実用化した者がいるということに他ならない。

 

 仮にそれが魔法によるものであるなら、同じことができないのは仕方がない。体系化が進んでいるといっても、魔法はやはり属人的なものだからだ。

 

 だが一体どういう仕組みで引き起こされたものなのかさえ分からないとなれば、対抗策の検討すらできない。その牙が自分に向けられれば、為すがままに蹂躙されるしかない。

 

 あの爆発の正体は何か、質量・エネルギー変換のシステムに関する手掛かりだけでも掴めないか。それがマイクロブラックホール生成・蒸発実験実行の最後の一押しとなった。

 

 ブラックホールの蒸発による質量・エネルギー変換で観測される現象については、理論的に細かく推定されている。マイクロブラックホール実験は本来、この仮説を検証する為のものだ。そして今回の「大爆発」で観測されたデータは理論的に予想されているものと一致していない。

 

 しかしホーキンス輻射は対消滅に比べて観測が不十分な現象であり、理論的予測に収まらない観測データが得られる可能性がある、とUSNAの科学者たちは考えたのである。

 

 もしかしたら「大爆発」と一致する特徴が観測されるかもしれない。その可能性も、ゼロではない。

 

 こうして、未知のリスクを無視した行為の報いが世界に襲い掛かった。

 

 そうした人知らず危機の中にある世界が迎えたクリスマスイブの前夜。そろそろ日付が二十四日に変わろうとしている頃にUSNA南部有数の大都市、テキサス州ダラスのビルの屋上をUSNA軍統合参謀本部直属魔法師部隊スターズの総隊長アンジー・シリウス少佐は部下と一緒に駆けていた。

 

「止まりなさい、アルフレッド・フォーマルハウト中尉! 逃げ切れないのは分かっているはずです!」

 

 投降を呼びかける、甲高い声に逃走者であるアルフレッド・フォーマルハウトはピタリと足を止めた。

 

「……一体、どうしたんですか、フレディ。一等星のコードを与えられた貴方が、なぜ隊を脱走したりしたんですか?」

 

 しかし、答えは返らない。

 

「この街で起きている連続焼殺事件も貴方のパイロキネシスによるものと言う者がいます。まさか、そんなことはしていませんよね?」

 

 答えは、言葉以外で返って来た。

 

 シリウスが肩に巻いていたストールを身体を隠すように大きく広げて飛び退った。その直後、ストールが何の火種も無く燃え上がり、燃え尽きる。

 

 それはフォーマルハウトが持つパイロキネシス。体系化された現代魔法ではなく、かつて超能力と呼ばれた属人的異能力だ。

 

 シリウスが紫黒色の制服の上にストールを纏っていたのは、本来の用途、寒さを防ぐ為ではなく、視線をキーとして発動するこの男の能力から身を守る為だった。

 

 ストールの炎が消えると同時に、男の周りから一切の光が消えた。

 

 対象を中心とする一定の相対距離で光の進行方法を逆転させることで、外界から光が入らない、完全な闇の中に閉じ込める領域魔法「ミラー・ケージ」。

 

 シリウスの部下の一人が発動した、視線を発動キーとする異能を封じ込める為の防御術式だ。

 

「フォーマルハウト中尉、連邦軍刑法特別条項に基づくスターズ総隊長の権限により、貴方を処断します!」

 

 別の魔法で闇の檻から動けないよう拘束されたフォーマルハウトに対して、シリウスはサプレッサーのついた自動拳銃を向けた。

 

 強力な情報強化により一切の魔法干渉が無効化された銃弾は、無明結界の中に囚われたフォーマルハウトの心臓を一発で貫いた。

 

 それで脱走兵の処断は終了したはずだった。しかし、胸を撃ち貫かれたフォーマルハウトは膝を付いたのち、左手で顔を覆ったまま再び立ち上がる。いつの間にかフォーマルハウトの顔には奇妙な白い仮面がある。すでに両脚は力強く地面を踏みしめ、撃ち抜いた胸から出血は見られない。

 

 理解不能な状況。そして、何よりフォーマルハウトから感じる妙な重圧にシリウスの本能が警鐘を鳴らす。

 

「皆、下がって……」

 

「遅い」

 

 そう言ったフォーマルハウトが仮面の前で握っていた腕を振り抜いた。その直後、謎の閃光がフォーマルハウトを拘束していた部下の胸を穿った。胸に大穴を空けられた部下がその場に頽れる。腕の立つ隊員だったが即死だった。

 

 フォーマルハウトが得意としていたパイロキネシスより発動までの時間は遅い。けれど、威力はパイロキネシスとは比べ物にならない程に強い。

 

「接近戦を仕掛けます!」

 

 威力は高いが、発動までに時間がかかるのであれば、接近戦に持ち込むのが定石だ。部下に指示を出すと、シリウスは大型のコンバットナイフを引き抜いた。その刃の延長線上に展開するのは「分子ディバイダー」の仮想領域だ。

 

 フォーマルハウトには既に一度、シリウスの魔法で致命傷を与えている。それにも関わらず今、何事もなかったように行動している。生半可な攻撃では通用しないと考えた方がいいだろう。部下たちも同じ考えに至ったのか、それぞれに自身の最大の攻撃力を誇る魔法で攻撃を仕掛けようとする。

 

 対するフォーマルハウトは、高火力の謎の閃光魔法を諦めて持ち前のパイロキネシスで対抗してきた。まだ身を守れるケープやマントを持っている者はそれらを広げ、すでに使用して失っている者は情報強化にて抵抗する。

 

 フォーマルハウトの攻撃はシリウスにも向けられた。すでにストールを失ったシリウスも情報強化で抵抗したが、フォーマルハウトの攻撃は以前より格段に強力になっている。

 

 幾度かの攻撃に晒されながらもスターズの隊員たちはフォーマルハウトの元に到達した。シリウスもコンバットナイフ上に展開した分子ディバイダーでフォーマルハウトを切りつけた。

 

 謎の回復能力を目撃している隊員たちは手を緩めることなくフォーマルハウトに攻撃を畳みかける。その甲斐あって、ついにフォーマルハウトは倒れた。今度こそ、起き上がる気配はない。

 

「……帰投する」

 

 フォーマルハウトの謎の能力は気になるが、今は検証することは難しい。釈然としないものを感じながら、シリウスは部下に撤収を指示した。




出だしから想像できるかもしれませんが、本作の来訪者は別物です。
原作から離れすぎる展開が好みでない場合、本作はここまでで終了とした方がよいかもしれません。


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留学生

 横浜の事件後はたいした事件はなく、市丸は三学期を迎えた。

 

 だが、トラブルの種は三学期の初日から現れた。

 

 北山雫と交換という形で留学生として第一高校に現れた一人の少女。彼女は間違いなく問題を引き起こすと市丸は確信していた。

 

「第二、第三、第四高校でも短期留学生の受け入れがあったそうだよ。大学の方にも共同研究の名目で何人か来ているらしい。ウチの門人が話していた」

 

「あっ、大学の方の話はあたしも聞いた。この前の横浜の件で飛行魔法の軍事的有用性が飛び切りのものだって分かって、焦って探りを入れに来たんじゃないかって噂してたな」

 

 古式魔法と現代魔法、分野は違えどそれぞれ大勢の門人を抱えている吉田家と千葉家は、入ってくる情報量が個人のレベルとはやはり桁違いだ。今の話によるとUSNAは予想を超えて大がかりに人員を投入している。そこから考えても、隠すことなく派手に強力な魔法を使った市丸のいる第一高校に生半可な実力の者を送り込むはずがない。実際、感じた留学生の霊圧はかなりのものであった。

 

「じゃあA組の留学生はスパイってことか?」

 

 レオの質問が身も蓋もない問い掛けであったためか、多くの者が苦い顔をした。

 

「その可能性は考えた方がええやろうな。けど、それに気を取られ過ぎないようにはせなあかんで」

 

「どういうことだ?」

 

「目に見える裏切りなど知れとる。本当に恐ろしいのは目に見えない裏切りや」

 

「なんだか妙に実感の籠った言葉だな」

 

「ボクにも色々とあったゆうことや」

 

 達也にそう答えて市丸はその場の皆を順に見ていく。

 

「けど、警戒するって言っても、そいつA組だろ? 接点ないんじゃねーの?」

 

「バカね、A組には深雪がいるじゃないの。何年ぶりになるか分からない留学生よ。留学生が学校に慣れるまで、どういう形にせよ生徒会副会長の深雪が面倒を見なきゃいけなくなるでしょうし、深雪と関わり合いができればあたしたちも無関係じゃ済まないわよ」

 

 レオの言葉は千葉に一刀両断されていた。

 

「それじゃ、どうすればいいんだよ」

 

「特に何もする必要はないで。君、そういうことに向いとらんやろ。それなら余計な警戒なんかせんで普通に接すればええ」

 

「それでいいのか?」

 

「そういうのは向いとる人間がやってくれるもんや」

 

 そう言いながら達也の方を見たら、酷く嫌そうな顔をされてしまった。だが、実際に達也なら放っておいても必要な警戒はしてくれるだろう。それよりレオには普段どおりに行動してもらった方がいい。疑うことなく行動する者と疑って行動する者。その両者がいた方が相手は対応が難しい。

 

「平子隊長の二の舞はごめんやからな」

 

「ん、何か言ったか」

 

「んー、何でもあらへんよ」

 

 そんな相談をした件の留学生の少女との邂逅は昼の学食だった。達也たちと昼食を取ろうとしたところに現れたのは深雪と光井と金髪碧眼の少女だ。霊圧だけでなく容姿からも、この少女が留学生だと知れた。

 

「ご同席させてもらって良いかしら」

 

 少女の口から流れ出たのは流暢な日本語。ややアクセントを強調する話し方は仕方ないとして、さすがに日本へ留学生を装って潜入するだけのことはある。

 

「もちろん、どうぞ」

 

 少女の視線はまず市丸に向いて少しばかり固定された後、達也に向かった。二科生の中に一人だけ一科生という集団がいれば、普通なら視線が向かう先は市丸であるはずだ。それは一科生と二科生という括りを知らなかったとしても、過程が異なるだけで変わらない結論であるはずだ。

 

 達也が警戒をされるとしたら、原因はおそらく先の横浜への大亜連合の襲撃と、その反撃として日本が用いた戦略級魔法だ。市丸はその戦略級魔法を使用したのは達也ではないかと睨んでいる。

 

 達也が戦略級魔法師であるという明確な理由はない。だが、秘めた強力な魔法力。切欠が謎の軍との関係。そして、横浜の襲撃が終わった後も帰還をしなかった。確証まではないが、有力な容疑者だ。USNAも同様に考えていても不思議ではない。

 

 この集団で達也に一番の関心を寄せる存在。やはり少女はUSNA政府の意向を汲んで行動する者である可能性が高い。もっとも、それを比較的正直に表に出してしまっている辺りは少し判断に迷う。

 

 少女は間諜として専門の訓練を積んだわけでないように思える。一方で感じる霊圧の大きさから戦闘力はかなり高いことが窺える。戦闘力が優先で諜報能力は二の次ということだろうか。それならば市丸にとっては比較的対処が容易い相手なのかもしれない。

 

「アンジェリーナ=クドウ=シールズさん。もうお聞きのこととは思いますけど、今日からA組のクラスメイトになった留学生の方です」

 

「ホノカ、こちらの方だけでなく、他の皆さんにも紹介して欲しいのだけど?」

 

 光井の紹介が明らかに達也に向けてのものだったので、当の留学生の方から皆に紹介をするように促されていた。

 

「じゃあ改めて。アメリカから来たアンジェリーナ=クドウ=シールズさんよ」

 

 深雪が二度目になる紹介をすると、留学生は金髪を軽やかに揺らして椅子に座ったまま一礼した。

 

「リーナと呼んでくださいね」

 

 そう言って目を細め、華やかな笑みを浮かべた。

 

 その蒼の瞳は、水の青、氷の青ではなく、蒼穹の空を思わせるスカイブルー。

 

 頭の両脇にリボンで纏めた波打つ黄金の髪は、解けば背中の半ばを超えるだろう。もしかしたら深雪よりも長いかもしれない。

 

 高校一年生にしては大人びた顔つきにコケティッシュな髪型は少し不釣り合いな気がしたが、それが逆にシャープな美貌の印象を和らげ、親しみやすさを演出するつもりなのかもしれない。

 

「E組の司波達也です。深雪と区別がつかないでしょうから『達也』で良いですよ」

 

「ありがとう。ワタシのことも『リーナ』でお願いします。それから、敬語は無しにしてくれると嬉しいのですけど」

 

「分かった。そうさせてもらうよ、リーナ」

 

「ボクは市丸ギンや」

 

 達也とまだ話を続きそうな流れを切って市丸が言うと、ほんの少しだがリーナが緊張を見せた。

 

「ギンね。よろしく」

 

 しかし、その緊張をすぐに押し隠し、何気ない様子で挨拶を返してくる。だが、リーナは間違いなく最初から市丸のことを知っている。

 

 リーナが選択したメニューは蕎麦だった。危なげない手つきで箸を操りつつ、時々掛けられる質問に嫌な顔一つせず答えていた。このメンバーに不躾な質問をするような人間が混じっていなかった、ということもある。個人的には不躾な質問も混じってくれた方が、より多面的に相手の人物像が窺い知れるのだが、初日から色々と攻める必要もないので黙っておく。

 

 昼食の間でリーナも随分と打ち解けた。そこで、達也が質問を切り出した。

 

「ところでリーナって、もしかして九島閣下の御血縁かい? 確か、閣下の弟さんが渡米されて、そのまま家庭を築かれていたと記憶しているんだが」

 

 今は魔法師の国外流出を防ぐ為に国外への移動自体が制限されているが、以前は魔法師同士の国際結婚が奨励されていた。当時、世界「最巧」の魔法師の評価を受けていた九島烈の弟が渡米してアメリカ人の魔法師と家庭を持ったことは、少なくとも日本の魔法師の間では結構な話題になった出来事だったようだ。

 

「あら、良く知ってるわね、タツヤ。随分昔のことなのに。ワタシの母方の祖父が九島将軍の弟よ。そういう縁もあって、今回の交換留学の話がワタシのところに来たみたい」

 

「じゃあリーナも自分から希望したわけじゃないんだ?」

 

 何気なく差し挿まれた千葉の疑問。そこにリーナが動揺と緊張を示した。リーナがそこに触れられたくないと考えているのは明白だった。

 

 リーナの態度か口調からは特に日本への帰属意識は感じない。日本人の血を引いていようとも、他国で生まれ育った以上、そんなものだろう。残念ながらリーナは敵であると考えていた方がよさそうだ。市丸は、そう判断した。



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リーナの正体

 お昼時、いつもの学生食堂。

 

 今日は留学初日以来二回目のリーナが達也たちに同席しての昼食となった。そこでの雑談の話題は今日の深雪との実習のことだった。

 

 実習の内容は同時にCADを操作して中間地点に置かれた金属球を先に支配する、という魔法実習の中でもシンプル且つゲーム性の高いものだった。

 

 先月から始まったこの実習で、深雪はこれまで同級生をまるで寄せ付けなかった。これではお互いに実習の意味がないと教官が認めざるを得ない程に、深雪とクラスメイトの魔法力には差があった。

 

 だが、その深雪を相手に、リーナは互角の勝負を演じて見せたという話だ。

 

「でもリーナって予想以上に凄かったんだね。そりゃあ選ばれて留学してくるくらいだから相当な実力者とは思っていたけど、まさか深雪さんと互角に競う程とは思わなかった」

 

「驚いているのはむしろワタシの方よ」

 

 幹比古の称賛にリーナは目を丸くしてオーバーアクション気味に驚きを表現する。

 

「これでもワタシ、ステイツのハイスクールレベルでは負け知らずだったんだけど、ミユキにはどうしても勝ち越せないし、ホノカにも総合力なら負けないけど精密制御じゃ負けてるし、さすがは魔法技術大国・日本よね」

 

「リーナ、実習は実習で、試合じゃないわ。あんまり勝ち負けなんて考えない方が良いと思うけど」

 

「競い合うことは大切よ。例え実習でもせっかくゲーム性の高いカリキュラムなんだから、勝ち負けには拘った方が上達すると思うわ」

 

 やんわりとたしなめる深雪に、衝突を恐れずリーナは正面から反論した。

 

「へえ、勝ち負けに拘るゆうことは、少なくとも力を隠した結果の敗北やないゆうことやな。それは感心やな」

 

 そこで市丸が割って入ってきた。実はまだ能力を隠しているのではないかという問いかけにリーナの表情が引きつった。

 

「やっている最中は競争心を持つのも大切だろう。でも、終わった後まで引きずる必要は無いんじゃないか? 実習はあくまで練習で、実技試験とは違うんだから」

 

 場の空気が固まりかけたのを見て、達也は話を元に戻したが、市丸の意見は意外と参考になるものだった。どうも負けず嫌いの気質があるように見えるリーナのことだ。少なくとも今日の実習に関しては全力の実力だと見ていいだろう。

 

「そうね。タツヤの言うとおりかもしれない。ワタシ、少し熱くなり過ぎていたかも」

 

「熱くなるのは悪いことじゃないさ。深雪も新たなライバル登場でモチベーションを上げているからな。その点、リーナには感謝している」

 

「出たよ、達也君のシスコン発言」

 

 達也としては大真面目に発言をしたつもりだったが、エリカは『やれやれ』と言わんばかりに、わざとらしくため息をつく。

 

「そう言えばリーナ、大したことじゃないんだが……」

 

 この流れはまずいような気がしたので、話題転換を試みる。

 

「アンジェリーナの愛称は普通、『アンジー』だと思うんだが、俺の記憶違いかな?」

 

 動揺するような質問ではないはずだ。

 

 しかしリーナの顔には間違いなく、一瞬、狼狽が過っていた。

 

「いえ、記憶違いじゃないわよ。でもリーナって略すのが珍しいって程じゃないの。小学校の同じクラスにアンジェラって子がいて、その子がアンジーと呼ばれていたから」

 

「それでリーナは『アンジー』じゃなくて『リーナ』って呼ばれるようになったのか」

 

 納得、という風に達也は頷く。

 

 リーナの動揺に気付いたことは、欠片も匂わせずに。

 

 そうして昼食を終えたその日の放課後、達也は市丸に校舎の上に呼び出された。校舎の上というのは文字通りの校舎の屋根の上だ。

 

「お前は相変わらず高い所が好きなんだな。まあ、それはいい。何の用だ?」

 

「昼の質問の意図を聞いとこうと思うてな」

 

「質問で返すようで悪いが、お前はどういう意図だと思ったんだ?」

 

 市丸がどのような内容の疑いをリーナに抱いているのか、それは達也にも気になるところだ。

 

「USNAでアンジーゆうたら、思い当たるのは一人しかおらんやろ」

 

 それで市丸もリーナがUSNAの戦略級魔法師であるアンジー・シリウスであるという疑いを抱いていることがわかった。

 

「俺も高い確率で、リーナは『アンジー・シリウス』だと思っている」

 

 達也は先々月、USNA軍魔法師部隊スターズが戦略級魔法マテリアル・バーストの術者の正体を探っていると、叔母である四葉真夜から警告を受けていた。その時真夜は、達也と深雪がその容疑者として情報戦の対象になっているとも語っていた。リーナが一高に留学して来たのはその一環だろうと達也は考えていた。

 

「だが、分からないのは、向こうに『シリウス』の正体を何が何でも隠そうとする姿勢が見られないことだ。むしろこちらに正体を気付かせようとしているようにすら見える。そして、何故、USNAは切り札とも言えるシリウスを投入して来たのか、ということだ」

 

「確かに、ここでシリウスが失われる危険を冒してまで大亜連合に使われた魔法の秘密を探らなならん理由は思い当たらんな」

 

「そうだな。それに一週間観察した限りにおいて、リーナの能力は諜報向きのものとは思えない。おそらく本命は別にいるんだろうが、隠れ蓑に使うにはシリウスは大物すぎる」

 

「それでもシリウスを投入するとしたら理由はなんやと思う?」

 

「リーナがシリウスと仮定して……スパイ任務はついで、だな。本来の任務は別にある」

 

 最初からスパイ任務が主目的でないのなら、日本の魔法師と敵対する可能性は低くなる。それならば、仮に正体がばれても問題ないとも考えられる。

 

「確かに、それなら迂闊にシリウスを斬ることはできんな」

 

 いつものことながら、市丸の思考は物騒だった。

 

「それで、もういいか? 俺は風紀委員の仕事があるんだ」

 

「ああ、もうええよ」

 

 結局、一年生の風紀委員は補充されることがないまま三学期を迎えている。市丸という畏怖の対象がいるため問題ごとは少ないが、巡回はこなさなければならない。

 

「シールズさんから風紀委員会の活動を見学したいって言われているの。日本の魔法科高校の生徒自治を見てみたいんですって。司波くん、今日当番でしょ? 彼女を連れて行ってもらえない?」

 

 だが、風紀委員本部に足を運んだ達也は、花音からリーナの案内を頼まれてしまった。

 

 断る理由が思い浮かばず、仕方なくリーナと校内の巡回を始めたが、リーナが探りを入れて来る気配を隠し切れないせいで、なんとも気まずい。

 

「タツヤ、なぜ劣等生のフリなんてしてるの? 劣等生のフリをしていて、なぜ簡単に実力を見せちゃうの? タツヤのやっていることって凄くチグハグで、どうしてそんなことをするのか分からないわ」

 

「千代田先輩にどう聞いたのか知らないけど、フリなんてしてないよ。俺は本当に劣等生なんだ。実技試験では劣等生だけど、喧嘩は強い、ってだけだ」

 

「……試験の実力と実戦の実力は別物だ、という意見にはワタシも賛成よ。ワタシも、学校の秀才じゃなくて、実戦で役に立つ魔法師になりたいと思っているの」

 

 リーナからキナ臭いオーラがユラリと立ち上る。

 

 その直後、リーナの手が跳ね上がった。

 

 襲い来る掌底を、達也が捉える。

 

 最小の動作で鋭く突き出されたリーナの右手、その手首を達也は掴み取っていた。

 

 達也の顎を目指した掌底突きは、喉の前で受け止められている。

 

 リーナは掴まれた右手を指鉄砲の形に、人差し指を突き出した。

 

 達也の顔に突きつきられる、形の良い爪。

 

 達也がリーナの右手を外側に捻り上げた。

 

 リーナが顔を顰め、突き出した指先に集まった想子の光が撃ち出される前に霧散した。

 

 リーナの一連の行動は軍の近接戦闘を専門とする魔法師も顔負けの鋭さだった。けれど、八雲や市丸ほどではない。

 

「説明はしてもらえるんだろうな」

 

「……タツヤの腕を知りたかっただけよ」

 

「俺の腕を? 何の為に?」

 

 眉を顰めた達也からリーナは目を逸らす。

 

「……あえて言うなら、ステイツに来ないかなって思ったの」

 

「俺が、アメリカに?」

 

「実力が有るのにそれが評価されないんだったら、評価されて活躍できる環境が欲しいんじゃないかと思って。ステイツは自由の国であり、それ以上に多様性の国よ。たった一つの物差しに合わないからって、それだけで補欠扱いされることは無いわ。タツヤは、タツヤに相応しい評価を得られるはず」

 

「リーナは俺の腕試しがしたかった。そういうことだな? ならばこの件は終わりだ。こういう事はこれっきりにしてくれよ」

 

 そう言ってリーナの誘いを有耶無耶にして、達也はその日の巡回を終えた。



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連続変死事件

 西暦二○九六年一月十四日、渋谷・二十三時。

 

 土曜日の深夜、路上に車の姿はなく、若者の姿で溢れていた。

 

 夜の渋谷は、大人が姿を消した若者の街。

 

 二十年に及ぶ混沌の時代、時期をずらして新宿、池袋、六本木は外国人による破壊活動と、それに怒った若者の外国人排斥活動により荒廃を極め、所々に虫食いの様な廃墟が生じた。その復興の過程で徹底した治安回復が取られ、これらの街はかなり窮屈な繁華街として再建された。

 

 だが、渋谷はその例外だった。

 

 昼は堅気の会社員が行きかうビジネス街。

 

 夜はアウトロー気取りの若者が徘徊する歓楽街。

 

 そして今夜も新年早々、多くの若者が路上に集まり、思い思いに騒ぎ、笑い、いちゃつき、殴り合っている。

 

 その中に、彫りの深い顔立ち、がっしりとした体格の西城レオンハルトの姿もあった。

 

 レオには一つ、悪い趣味がある。いや、趣味というより癖だ。それは彷徨癖。

 

 歩くでも、走るでも、叫ぶでもなく、夜を、さまよう。

 

 深夜が近づくにつれて、当ても無くフラフラと歩き回りたくなるのだ。

 

 レオはそれを、自身の遺伝子に刻まれた本能によるものと考えている。

 

 レオは、世界で最初に遺伝子操作による魔法師調整技術を実用化していたドイツで、その最初期に開発された「城塞シリーズ」の第三世代。

 

 城塞シリーズは肉体の耐久性向上に重きを置いて開発された調整体だ。当時、魔法師の弱点と考えられていた近接戦闘能力の底上げの為、遺伝子に身体能力の強化を施された城塞シリーズは「魔法を使える超人兵士」、「人間を超える身体能力と、魔法を併用する強化人間」として産み出された。

 

 無理な遺伝子改造の結果か、城塞シリーズ第一世代の多くは幼少期に死亡し、成長した後も大半が発狂して、死んだ。

 

 その数少ない生き残りの一人が、レオの祖父だった。

 

 レオは恐怖を抱えている。いつか自分も、狂ってしまうのではないかと。

 

 人ならざる因子が人の因子を喰らって、心が壊れてしまうのではないかと。

 

 レオが自分の衝動に忠実であろうとしているのは、衝動を解放することで、心がきしみ、壊れる瞬間を先延ばしにできるのではないか、と考えているからだ。自由に生きた祖父が天寿を全うしたという実例を知っているからだ。

 

 或いは同じ二科生ながら異例が常態化している同級生や、横浜で一人で多くの敵兵を殲滅した一科生くらい心が強ければ違うのかもしれない。彼らは確固たる自分を持っていて、遺伝子にすら己の言い分を押し通してしまいそうに見える。

 

 だが、レオはそこまで強くはない。だからレオは、「夜をさまよう」という衝動に逆らいはしない。心の赴くまま、月の下を、星の下を、漆黒の雲の下を、ぶらぶらと歩く。

 

「あれっ? エリカの兄貴の警部さん?」

 

 そんな中ですれ違った相手が、たまたま大亜連合による横浜襲撃の際には共に戦ったという関係で、更に世話になっている同級生の兄だった。レオにとっては、青年に声を掛ける理由としては十分だった。

 

「君、チョッと一緒に来てくれ」

 

 今にも舌打ちしそうな顔で応えたのは、「エリカの兄貴」の隣を歩いていた男だ。

 

 二人に連れ込まれた先は路地奥の小さな酒場。看板には「BAR」と書かれていたが、横文字にする必要性をレオがまるで感じない店構えだった。

 

「マスター、上を借りるよ」

 

 カウンターの向こう側でグラスを磨いていた店の主人に声を掛け、返事を待たずに突き当りの階段を上がる。連れ込まれた先は小さな丸テーブルに四脚の椅子が置かれただけでいっぱいになっている窮屈な狭い部屋だった。出入り口が宇宙船のハッチの様な気密構造の分厚い扉になっているのが、古ぼけた内装と酷く不釣り合いだ。

 

「西城君、だったね。よく俺たちのことが分かったなぁ。ちゃんと気配は消していたはずなんだけど」

 

「……もしかして、捜査の邪魔しちまった?」

 

「腕っ節だけじゃないんだね。まあ、単なる脳筋にエリカが肩入れするはずも無いか」

 

 反射的に顔を顰めたレオだったが、好意か悪意かはともかく技を教えてもらったり得物を貸してもらったり色々と肩入れされている自覚はあったので、反論はしなかった。

 

「捜査については気にしなくて良いよ。気配を消していたのは無意味なトラブルを避ける為で、尾行とかしていたわけじゃないからね。深夜のここは、警察が何かと目の敵にされるから」

 

「目の仇ね……確かにそんなだよなぁ」

 

「警部、ちょうど良いじゃないですか。彼に訊いてみたらどうですか」

 

 それだけでは当然、何のことだかレオには分からなかったが、説明を急かすようなことはしなかった。エリカの兄、千葉寿和が頷き、レオに向き直るのを、待ち構える。

 

「ところで、西城君、キミ、渋谷には良く来るのかい?」

 

「よく、って程じゃないけど、たまに来ますよ。大晦日もここでフラフラしてたかな」

 

「二週間前か。明日には報道規制が解除されて知ることになるだろうから言うけど、都内の繁華街で奇妙な事件が起こっているのは知ってるかい?」

 

「奇妙な事件? そんなもん、毎日起こってると思うけど。ところで警部さんって、横浜の方が担当じゃなかったっけ? 何で都内の事件を調べてんだ?」

 

「俺たちは警察省の所属でね。日本全国をあちこちに異動さ。って訳で、今は都内の連続変死事件を捜査中だ」

 

 軽く、サラッと流れ出たセリフ。しかし、その前の報道規制という言葉も合わせて考えると流してしまうことはできなさそうだ。

 

「変死、って……猟奇殺人か? 連続で?」

 

「一番新しい犠牲者が三日前、道玄坂上の公園で発見された。死亡推定時刻は午前一時から二時の間だ。そこで訊きたいことなんだけど、妙なヤツに心当たりは無いか? 噂に聞いただけでも構わないんだが」

 

「夜中にこの街をうろついているのは妙なヤツばかりだよ。具体的に、どんなヤツのことを知りたいんだ?」

 

「確かに。とはいえ、犯人の特徴が分かっていれば捜査も随分と楽なんだが、今のところ情報はない。被害者の死因は全員、衰弱死。そして、七人とも、外傷は一切無い」

 

 七人という被害者はそれなりに多い。それがここまで何の騒ぎにもなっていなかったというのは驚きだ。

 

「外傷が無い? 毒か?」

 

 表情を変えたレオの問い掛けに、寿和は頭を振った。

 

「知られている限りの薬物反応は全て陰性だ」

 

「外傷がない衰弱死? 本当に事件なのか?」

 

 全く外傷がない衰弱死ならば、ただの病死ではないだろうか。

 

「俺たちも最初は半信半疑だった。けれど、健康な若い人間が突如として衰弱死するなんてことが何件もあると思うか?」

 

「突如としてってことは少し前までは元気なことが確認されていたのか?」

 

「最短の被害者の場合、ほんの十分前まで元気に会話をしていた者が衰弱死なんていう事件もあったくらいだ」

 

「なるほど、そりゃ確かに『変死』だな。猟奇殺人というより怪奇事件だ」

 

 十分前まで元気だった人間が心臓発作とかならともかく、衰弱死するとなると、それは事件性を疑わざるを得ない。

 

「それで、こういうオカルトじみた真似を仕出かしそうなヤツに心当たりは無いかな。特に、最近余所から流れて来たって連中で、妙な噂が立っているヤツらとか」

 

 訊かれる前からレオは両腕を組んで唸っていたが、やがて諦め顔で腕組みを解いた。

 

「ダチからネタ、仕入れときますよ」

 

 残念ながら、人を十分ほどで衰弱死させることができる相手など想像もつかない。当然ながら、想像がつかない相手に心当たりなどあろうはずがない。

 

「えっ、いや、それはいいよ。そういうのは警察の仕事だし、嗅ぎ回って目を付けられないとも限らないし」

 

「でも警部さん、夜の渋谷だぜ? 大人の、それも警察の人が色々訊き出すのは難しいと思うけどな」

 

 この場所は、それだけ特殊な場所なのだ。

 

「そうかい? じゃあ何か分かったらここにメールくれよ。キー入力は最初だけで、二回目からは自動的に更新されるから」

 

「厳重なこったな。んじゃ、何か分かったら知らせるよ」

 

 レオはそう言って立ち上がり、階段を下りて行った。



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虚と死神

 レオは今日も夜の渋谷を歩いている。怪しげな連中の噂を知り合いに聞いて回り、目撃情報を追いかけて実際に足を運ぶ。そんなレオの姿を市丸はビルの上から眺めていた。

 

 何故レオがあんなにも熱心に刑事の真似事をやっているのかは市丸には分からない。

 

 市丸の感覚は、すでに敵の存在を感知している。しかし、そこにいけば高確率で死神と遭遇してしまう。だが、レオは何かに導かれるようにそちらの方向へと進んでいく。

 

 かつての市丸は尸魂界の反逆者だった。しかし、今の市丸は直接的には尸魂界から罪を問われる立場にはないはずだ。それにもかかわらず、僅かの面倒を避けるためにレオのことを見捨てるか。

 

「さすがに、それは薄情すぎるかなぁ」

 

 本当に、尸魂界が今の市丸を害してくる可能性は低いのだ。それでも死神との遭遇を避けてきたのは、相手が市丸のことを知っていた場合は尸魂界に伝わり、警戒されることは避けられないためだ。けれど、言ってしまえばそれだけだ。

 

 望ましいのは、先に到着している者たちが対処をしてくれることだが、どうなるか。ひとまずレオの行き先に先回りしてみる。

 

「お前には発見次第消去の決定が下されている。だが他の脱走兵の情報を提供するならば刑一等を減じるとも命令されている」

 

 市丸が到着した現場では、目深にかぶった帽子にマフラーをつけた灰色の仮面が二人の追っ手に警告を受けているところだった。

 

 二人の追っ手の一人が拳銃を発射する。しかし、それは軌道屈折術式により、もう一人の追っ手へと命中した。それを見て追っ手の二人は接近戦へと方針を転換したようだ。だが、灰色仮面は手に持つナイフの軌道すら変えていた。灰色仮面はそのまま優勢に戦いを進め、ついには追っ手の背にナイフを振り下ろすところまでいっていた。

 

 だが、そこに割って入る者がいた。姿形は違うがその霊圧はリーナだった。

 

 さすがと言うべきか、リーナは灰色仮面相手に優勢に戦いを進めていく。不利を察した灰色仮面はビルの壁を蹴ることでビルの屋上へと逃走した。

 

 こちらの一人を追うか迷ったが、もう一人の敵の元にレオが到達しようとしている。まずはそちらに向かうことにした。

 

 レオはぐったりとベンチに倒れた若い女の元に近づいていた。

 

「おい、大丈夫か」

 

 恐る恐る手を伸ばし、軽く肩を揺する。女は衰弱死し掛けている。レオは救急車を呼ぼうとしていた。しかし、そのレオに迫る影がある。

 

 レオは反射的に振り返って、救急車を呼ぶための取り出していた通信ユニットを持つ手を顔の前に掲げた。

 

 通信ユニットが砕け散る。レオに襲い掛かったのは白一色の仮面だった。

 

 白い仮面は自己加速術式で間合いを詰める。レオは硬化魔法を行使する間も無く、白い仮面が持つ伸縮警棒を左腕で受けていた。

 

 レオは敵の攻撃をただ受けただけだ。にもかかわらず白い仮面の警棒は折れ曲がっていた。

 

「痛えじゃねえか?」

 

 レオのボディアッパーが白い仮面の胸を捉え、硬い音を立てた。

 

「コートの下はカーボンアーマーか? ご大層なこった」

 

 白い仮面が警棒を捨てて両手を前に突き出す。左半身で、左の拳を顎の高さに、右の拳を鳩尾の前に。中国拳法のような構えだ。

 

「そろそろ介入した方がええやろうな」

 

 白い仮面が市丸が思っている通りの相手なら、接近戦は避けた方がいい。しかし、そもそもレオは接近戦以外に有効打を与える手段を持っていない。相性は最悪だ。

 

「射殺せ、神鎗」

 

 両者が激突する直前、市丸は神鎗で白い仮面に攻撃を仕掛ける。神鎗は狙いを違わず仮面の中心を捉えた。

 

「レオ、仮面の相手に出会ったら、仮面を狙うんや」

 

「市丸……どうしてここに?」

 

「この相手、ボクにとっては少しばかり因縁があってん。ここの後始末はボクがしとくから、レオはもう帰ってええで」

 

「けど……わかった。この人のことは任せるぜ」

 

「ああ、任せとき」

 

 ベンチに倒れた若い女のことを気にしながらもレオが立ち去った。

 

「機会を窺わんでも、君らのことには気づかへんやろ」

 

「そういうお前は俺のことを認識してるじゃねえか」

 

「そら、ボクが気付かんわけないやろ」

 

 市丸の言葉が終わると同時に、黒い和服姿の若い男が現れた。

 

「十番隊長さん、少し見ん間に随分と大きくなったやないの」

 

 身長などの外見も変わった。けれど、それよりも感じる霊圧が以前とは桁違いと言えるほどに大きくなっている。

 

「あれから何年経ってると思ってんだ」

 

「それにしても護廷十三隊の隊長さんがわざわざ出てくるなんてのは、よほどこの相手のことが気になるみたいやな」

 

 そう言うと、護廷十三隊の十番隊隊長、日番谷冬獅郎が苦い顔をした。

 

「新しいタイプの虚やからな。気にならん方がおかしいな。けど、わざわざ足を伸ばしたおかげで、収穫はあったんちゃう?」

 

「まあな」

 

 街中で人を襲っていた仮面からは虚の気配を感じた。一方で、仮面に襲われて衰弱していた女の魂魄は無事だった。それは今日、襲われた女に限らない。他の被害者も魂魄自体が食われるという被害にはあっていなかった。

 

「魂魄を食わんなら、いくら虚の気配がしていようが、それは仮面の軍勢と、さほど変わらへん。それなら、尸魂界はこの件には手は出さへん。そういうことでええんかな?」

 

「ああ、そうなるだろうな」

 

「それで、ボクのことはどないする?」

 

「お前は俺の知っている市丸とは違う。だから、別にどうもしねえよ」

 

 日番谷は話がわからない相手ではない。それなら、今のうちに気になっていたことを聞いてしまおう。

 

「ところで、イヅルはどうして死んでしもうたん?」

 

「吉良が死んだことは知っていたのか」

 

「まあね」

 

「……お前たちの件から少しして滅却師たちが尸魂界に攻めてきた。吉良はその戦いで瀕死というか、ほぼ死亡したと言っていい傷を負った。けれど、マユリの手で復活して、しばらくの間は生きていたんだが……半身を失った状態で生きていくことは難しかったのか、少しして動かなくなっちまった。その戦いでは、総隊長や卯ノ花や浮竹など、多くの隊長が戦死することになっちまった」

 

 まさか山本元柳斎が戦死していたとは思わなかった。それに卯ノ花にしても浮竹にしても藍染の暗躍があったせいで新参の隊長が多い中では古参の隊長たちばかりだ。その隊長たちが揃って戦死したというのは驚きだ。それより、それほど激しい戦いだったというなら聞いておかなければならないことがある。

 

「その戦い、乱菊は無事やったん?」

 

「ああ、無事だったぜ。今も変わらず俺の副隊長をしてるぜ」

 

 それならばよかった。それより、聞き捨てならない言葉があった。

 

「なんや、乱菊は未だに副隊長をやってるの?」

 

「ああ、今や朽木ルキアに続いて檜佐木や阿散井や雛森までもが隊長をしてて、雀部が戦死した今では完全に最古参の副隊長になっちまったっていうのに……相変わらず卍解も習得できてないみたいだし。平気で仕事をさぼろうとしやがるし……もう少し向上心というものを持ってくれねえと……」

 

 どうやら百年経っても乱菊は相変わらずらしい。困ったものだと思うが、乱菊らしいとすら思ってしまう。

 

「ところで、松本に何か伝えたいことはあるか?」

 

「いや、市丸ギンはすでに死んだんや。死人が伝言なんておかしいやろ」

 

「そうか……そういうことなら俺はもう行くが、気を付けろよ。こいつらは人間とはいえ、間違いなく虚の力を受け継いでいる。お前なら気付いているだろうが、今のお前は人間だ。霊圧は以前とは比べものにならないほど弱くなってるぜ」

 

「そらそうやろ。ただの人間が人の身体のまま隊長格の霊圧なんか振るったら体の方がもたんやろ」

 

「わかってんなら、あんまり無理はするんじゃねえぞ」

 

 それだけ言い残して日番谷は去って行った。

 

「ボクを心配するなんて甘いことやな」

 

 思わずそう呟く。その後、衰弱している女のことを通報し、市丸もその場を離れた。




ちょっとだけBLEACH側も出演。
ちなみに日番谷の登場はこれが最初で最後。
共闘とかは期待しないでください。


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市丸の助言

 突き出される拳と拳。目まぐるしく入れ替わる身体、目まぐるしく入れ替わる攻守。

 

 達也は八雲と毎朝恒例の組み手を行っているところだ。

 

 真っ直ぐ突き出されるだけでなく、上下左右から襲い掛かる拳、手刀、掌。それを躱し、掴み取り、捻り上げようと絡み付く手を紙一重で振り払う。

 

 達也と八雲の体術は互角だが、体力は達也が上。そして駆け引きは未だ遠く及ばない。

 

 ならば駆け引きを弄する暇を与えず攻め続けることだけが、達也が八雲に勝利する手立てだ。必要以上に間合いを開けた状態は、達也にとって避けるべき不利な態勢。間合いの内に踏み込み、拳を突き出そうとしたその瞬間、達也は八雲の存在に揺らぎを感知した。

 

 このところ繰り返し苦杯を嘗めているパターンに、焦りを抑え込んで情報体を分解する対抗魔法を発動する。

 

 八雲の身体が揺らいで消える。達也の情報解散が八雲の幻術を無効化したのだ。

 

 達也は五感をフル稼働させて、八雲の実態を探した。八雲といえど、背後に回り込む余裕は無かったはずという、達也の判断は間違っていなかったが、推測は間違っていた。

 

 八雲は達也が狙い定めた、三十センチ後ろの正面にいた。達也は拳を打ち出したが、それは誘いだった。フェイントに誘い込まれた達也の身体は、八雲の投げに宙を舞った。

 

「……師匠、今のは?」

 

「いや、まさか『纏衣の逃げ水』が破られるとは思わなかったよ」

 

「あの術は『纏衣の逃げ水』、というんですか……。師匠、あれはいつもの幻術ではありませんね?」

 

「やっぱり分かっちゃうのか」

 

 やれやれと言わんばかりに嘆息する八雲だったが、唇の端が楽しげに歪んでいるのを隠し切れていない。

 

「その視ただけで術式を読み取ってしまう君の異能は、相手にとって脅威そのものだ。でも、それを逆手に取る手段が無いわけじゃない」

 

「今の幻術がそれだと?」

 

「纏衣は本来、この世のものならざるモノの目を誤魔化す為の術式なんだけどね。どういう仕組みかは……そうだね、自分で考えてみてごらん。君ならすぐに分かるはずだ」

 

「今、この世のものならざるモノの目と仰いましたが」

 

「僕たちが相手にするのは、人間ばかりじゃないよ。この世のものならざるモノの相手は、それほど珍しいわけじゃない」

 

 文脈から予想したとおりの答えだが、達也の予備知識に反する答えでもあった。繁華街での異変が報道された後、達也は魔性の関与を疑い、念の為に情報を集めていたのだ。

 

「しかし、俺の友人の古式の術者は、本物の魔性に遭遇するのは稀なことだと言っていましたが……」

 

「達也くんの友人というと、吉田家の次男か。まあ、彼の言っていることも間違いじゃないけど……君にしては、切り込みが浅いね」

 

「幹比古の言ったことは、間違っていない。かといって、完全に正しくもない。そういうことですね? 本物の妖魔・化生と遭遇、つまり偶然出会うことは極めて稀であっても、偶然でなければ、何者かの作為の下でならば決して珍しくもない、ということですか?」

 

「君自身、一度や二度はこの世ならざるモノたちと接触した経験があるはずだよ。君たち現代魔法師がSB魔法と呼ぶ魔法は、一体何を媒体としたものだい?」

 

 達也の口から「あっ」という声が零れ出た。

 

「分かったようだね。現代魔法師がスピリチュアル・ビーイングと呼ぶモノ、つまり精霊も、立派に『この世のものならざるモノ』だ」

 

 それは確かに、盲点だった。達也は説明を続ける八雲の顔を凝視していた。

 

「ああ、知性の有無とか意思の有無とかは二の次だよ。細菌には知性も意思もないけれど、人の身体に入り込み肉体の機能に干渉して健康を害する。ウイルスに至っては不完全な増殖能力しか持たない。例え学問的には厳密な『生物』に該当しないとしても、人の肉体を蝕む『生き物』であることに論はないはずだ」

 

「スピリチュアル・ビーイング、現象から切り離された孤立情報体に過ぎない『精霊』も、『この世ならざるモノ』に違いはない、と」

 

「正確には、肉を持つ生き物ならざるモノ、と言うべきかもしれないけどね。それに、精霊に意思がないなんて誰が確認したんだい?」

 

「……誰も確認していませんね。その逆のことを言っている人間になら心当たりはありますが。ところで、お前はいつまでそこで黙って見学しているつもりだ?」

 

「あれ? 気付いとったん? やっぱりボク、君らの索敵は苦手やわ」

 

 そう答えたのは、寺の屋根の上で見学していた市丸だ。

 

「それで、市丸の見解は?」

 

「精霊に意思なんかあれへん。意思がある肉を持つ生き物ならざるモノは別物やな」

 

「別物?」

 

「君らは知らんだけで、意思がある肉を持つ生き物ならざるモノは昔から君らの身近におるんやで」

 

 まさか、ここまで確信を持ったような回答があるとは思わなかった。

 

「それで、その意思がある肉を持つ生き物ならざるモノってのは何なんだ?」

 

「簡単に言うなら、悪霊とか呼ばれているものやな」

 

「悪霊?」

 

 何だか随分とオカルト方向な話になってきた。普通なら冗談と笑うところだが、市丸の表情はいたって真剣だ。

 

「そうや。理由までは分からんけど、悪霊が人と融合したみたいやね」

 

「それで、悪霊と融合した人はどうなるんだ?」

 

「悪霊に引っ張られて人の意思が薄まるみたいやね。それと悪霊が持つ力の一部を使えるようになるみたいやな」

 

「幹比古は人の幽体に寄生して人間を変質させるパラサイトではないかと言っていたが、市丸の言う悪霊というものはパラサイトとは別物なのか?」

 

「ボク自身、パラサイトのことはさほど詳しくないからわからんけど、当たらずしも遠からずってところやろな。少なくともボクの言っとる相手は日本という単位でなら毎日のように出没しとるから」

 

 毎日のように出没しているという市丸の発言はかなり衝撃的だった。

 

「それだけの数、出没をしているというのなら、それなりの被害が出ているんじゃないか? 俺たちはそのような話、聞いたことがないんだが」

 

「そら被害が大きくならんように対処しとるのがおるからな」

 

「そんな組織があるなんて聞いたことがないんだが?」

 

 日本という単位という表現を使ったということは、対処をしているというのは、それなりに大きな組織のはずだ。しかし、四葉家からも軍の関係からもそのような話は聞いたことがない。

 

「君らが知らんようなことも、世の中にはあるということや」

 

 非常に気になる内容ではあるのだが、市丸は答える気がないようだ。

 

「では、別の質問だが、その組織はどうして今回は対処をしないんだ?」

 

「その組織が対処をするのは悪霊のみで人間に手は出せんのや。今回は人間と融合しとるから、その組織は対処はできんのや」

 

「それだけ詳しいということは、お前はその組織に所属している……いや、所属していたということか?」

 

 市丸の行動は、人間に手を出せないという組織の方針とは明らかに乖離している。ということは、今は所属していないと考える方が自然だ。

 

「まあ、そんなとこやね。それより君らが知っておくべきは、そこやないやろ」

 

「そうだな。じゃあ、悪霊と融合した人間が持つという能力はどんなものなんだ?」

 

「さあ?」

 

「さあ、とは?」

 

 この期に及んで隠し事かと少しだけ表情が険しくなってしまう。

 

「悪霊、ボクらは虚って呼んどるんやけど、虚の能力は強くなればなるほど、個体差が大きくなるんや。必然的に虚と融合した人間も、どんな虚と融合したかによって能力は異なることになるんやないかな。ただ共通する能力もあるで」

 

「その共通する能力とは?」

 

「超速再生と虚閃、簡単に言うなら閃光のような攻撃魔法みたいなものやな。あと、弱点は仮面やから戦うことになった場合はそこを狙うとええで。今のところ言えるのは、そこまでやな」

 

 それ以上は語るつもりはないのだろう。市丸は身を翻して九重寺から去っていく。達也はそれを見送りつつ、虚と融合した人間というものについて考察を続けた。



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将輝出陣

 都内で被害者を出し続けている吸血鬼事件に対して組織的な対応を取っている勢力は、三つある。

 

 一つ目は、警視庁を主力とし、警察省の広域特捜チームと、同じく警察省配下の公安が加わる警察当局。

 

 二つ目は、古式魔法の名門・吉田家の協力を得て千葉家が組織した部隊。

 

 三つ目が七草家が音頭を取り、十文字家が続く形で組織された十師族の捜査チーム。

 

 この三つ目の十師族の捜査チームは、内閣府情報管理局のバックアップを受け警察とも部分的に連携をしている上に十師族の配下部隊が実働部隊だ。そのため、このチームは量と質の両面で他を圧倒している。しかし、この勢力が、実は最も吸血鬼事件で被害を出しているらしい。

 

 七草家に加えて、精鋭の多い十文字家の魔法師を加えても、吸血鬼に太刀打ちできない。その話を一条将輝は父であり一条家の当主である一条剛毅から聞いた。

 

 被害が魔法師に集中しているという話を聞いた将輝が抱いた所感は、或いは横浜の事件の報復として大亜連合が送り込んだ刺客かもしれない、ということだった。特に根拠があるわけではない。ただ、七草と十文字の魔法師に勝てる刺客を送り込める組織というのが大亜連合と新ソ連くらいしか思い浮かばなかったのだ。

 

 学業も大事だが、貴重な魔法師を削られていくのを黙って見ていることはできない。将輝は吉祥寺真紅郎とともに東京に向かうことに決めた。

 

 当初は将輝と真紅郎の二人だけで向かうつもりだった。しかし、将輝たちが東京に向かうと聞いた第三高校の七本槍、即ち薄衣尚之助、久留島源之丞、新庄継之進、矢嶋五郎左衛門、八幡甚十郎も勝手について来て、今は七人で都内のホテルに宿泊していた。

 

「吸血鬼と呼ばれるだけあり、敵は主に夜間に活動しているらしい。ということで、俺たちも夜間に行動することにしようと思う」

 

「将輝の言っていることも一理あると思うけど、吸血鬼は人目が少ない場所で活動しているんだろ。土地勘のない僕たちには人目が少ない場所を探すのは難しいんじゃない?」

 

 人が多い場所に行くというのなら難しくない。けれど、人が少ない場所に行くというのはなかなか難しい。

 

「ジョージは何か作戦はないか?」

 

「素直に東京に土地勘のある人間に頼んだらいいんじゃない?」

 

「そうは言ってもな……」

 

 普通に考えたら七草家や十文字家を頼るべきだ。しかし、その両家は将輝からの協力の申し出を拒否する可能性が高い。それ以外となると思い浮かぶのは司波深雪だが、将輝から連絡をするのは憚られる上に、そもそも連絡先を知らない。

 

「一人だけ、心当たりがある」

 

「ジョージ、誰だ?」

 

「九校戦の折に対戦した吉田家の術士だよ」

 

「……なるほど、それは名案かもしれないな」

 

 というわけで吉田家に連絡を取り、将輝たちは千葉家の部隊に加えてもらうことにした。さすがに七本槍全員が同じチームで動くには多すぎるので、将輝と真紅郎、五郎左衛門と甚十郎、尚之助と源之丞と継之進の三チームで捜査を行うことにした。将輝と真紅郎と一緒に巡回を行うのは千葉家の娘、千葉エリカと九校戦では真紅郎と対峙した吉田幹比古だ。

 

「俺たちには戦闘くらいしかできない。捜査の段階では千葉さんと吉田さんに頼り切りになってしまうと思う。申し訳ないが、よろしく頼む」

 

「そういうことなら、あたしだって同じよ。けど、敵は随分と手練れみたいだから、敵と遭遇してからが本番ってことでいいんじゃない? というわけで、それまでは頼むわね」

 

 将輝の言葉に、千葉はそう答えて吉田の方を見る。

 

「事件を解決するだけなら、七草先輩たちに協力した方が良いと思うけどね。街路カメラをはじめとした防犯システムを使えるようになるだけで、効率が上がると思うんだけど」

 

「関係ない。監視システムをフルに使える警察が尻尾を掴めないでいるのよ」

 

 今の吉田と千葉の会話でわかることは千葉が非常に乗り気なのに対して、吉田は消極的ということだ。これは、あまり良い傾向ではない。今回の捜査でおそらく一番の鍵は、探査の術に優れているであろう吉田だ。

 

 それでも吉田は十字路に至ると足を止めて、手に持つ一メートル弱の杖を歩道に突き立てる。突き立てたといっても、下は舗装した路面だ。単なる木の棒が突き刺さるはずもない。なのに、吉田の杖は何の支えもなく、路面に立った。

 

 吉田は後ろ向きで三歩離れ、クルリと身体を反転させた。吉田が背を向けた直後、杖は見えざる支えを失ってパタリと倒れた。そのまま乾いた音を立てて路面を転がる。杖は、十字路の右を指していた。

 

 それを繰り返すごとに吉田の顔から当初の苦笑が消えていく。それは標的に近づいていることを将輝に感じさせた。

 

 そこから更に二回、行き先を占い、十分ほど歩いたところで、将輝は走り去る二つの足音を聞いた。ラバーソールの、逃げる足音と追いかける足音。

 

 おそらくは一人の逃亡者と、一人の追跡者。

 

 直後、何の合図も交わさず、四人は同時に走り出した。

 

 将輝が千葉と先陣を切り、それからわずかに遅れて真紅郎と吉田が続く。

 

 走りながら、千葉が肩に掛けていた細長いケースから鞘に収まっていない剥き出しの刀を取り出した。どうやら刃が付いていない代わりに刻印術式が刀身の全面に刻まれているようだ。一方の将輝が手にするのは愛用している特化型のCADだ。

 

 四人は臨戦態勢を整えて、足音を追いかけた。聞こえてくるそのリズムが時々大きく乱れるのは、追跡と逃走の合間に立ち止まって交戦しているからだろう。

 

 そうでなくとも、足は将輝たちの方が速かった。中層ビルが建ち並ぶ裏道を抜け、防災用の小さな公園で、四人は遂に標的の姿を捉えた。

 

 交錯する二つの人影。一方はフード付きのコートに顔と身体を隠し、もう一方は目の周りを覆う仮面で顔を隠している。

 

「加勢するぞ!」

 

 状況から考えて、逃走者の方が吸血鬼事件の犯人であると推測はできる。だが、より確実にするためにそう声を掛ける。これで警戒心を露わにした方が犯人の方だ。

 

 だが、将輝の予想に反して両者が異なる反応をした。明確に将輝たちを警戒したのは追われていたフードの方。だが、追跡者の仮面の方も拙いという雰囲気を見せた。よく考えれば仮面で顔を隠すというのは、何かしら後ろ暗いところがあるということだろう。普段から身近に接している七本槍が変わり者だらけなので気にならなかった。

 

「あたしは仮面を抑える! 一条さんたちはコートの方を」

 

 千葉も同じ感覚であったのか、仮面も敵に準ずる相手だと判断したようだ。仮面が敵であるかは分からない。だが、少なくともフード付きコートが敵なのは間違いないだろう。ならばフード付きコートをさっさと倒すのが一番の支援になるはずだ。

 

 そうして対峙した吸血鬼は、フードの下は白い仮面だった。将輝たちと対峙した吸血鬼が、風を穿つ剛拳を放ってくる。コート越しにも分かる細腕からは想像もできなかったが、その拳は音速に届こうかという速さを持っていた。

 

 だが、その拳が届くはずがないことを将輝は知っている。この中で誰よりも速く魔法を使える親友の得意魔法「不可視の弾丸」が敵の腕に叩き込まれる。それにより、逸れた腕に向かい、将輝は得意魔法である「爆裂」を叩き込む。

 

 吸血鬼の右腕が鮮血とともに吹き飛んだ。大きく後退した吸血鬼が吹き飛んだ腕の付け根を押さえる。

 

「降伏しろ。今から治療すれば命は助かるだろう」

 

 片腕を失った吸血鬼に勝ち目はないはずだ。しかし、その想像は裏切られた。

 

 失った右腕の付け根を押さえていた吸血鬼の左腕が離れる。そのときには爆裂で吹き飛んだはずの右腕が復活していた。

 

「人間とは思えない回復力だね。まさか本当に吸血鬼なのか?」

 

「さあな。だが、回復するというのなら、それを踏まえて攻めればいいだけだ」

 

 真紅郎にそう返して将輝は再び吸血鬼と対峙する。そのときには、将輝は吸血鬼を生け捕りにすることを諦めていた。

 

 初手は速度の高い真紅郎の「不可視の弾丸」。回避不能の魔法で吹き飛んだ吸血鬼に対して吉田の「雷童子」が追撃として叩き込まれる。

 

 絹を裂くと表現するには、獣じみた悲鳴が上がる。だがそれはすぐ、声に相応しい雄叫びに変わった。標的の体内に浸透して消え去るはずの閃光が、頭を抱えるようにした女吸血鬼の両手に移った。

 

 普通の人間ならば、これで十分。だが、この相手にはこれでは不十分なのは学習済だ。

 

「恨むなよ」

 

 得意魔法の爆裂を、今回は吸血鬼の胴体に放つ。最高威力で放った爆裂は吸血鬼を文字通り爆発四散させた。今度は吸血鬼が起き上がることはなかった。その代わりに死体からは黒い靄のようなものが見えた気がした。

 

 怪訝に思いながら観察していると、靄が急に大きく膨らみ将輝の方に向かってきた。それは避ける間もなく将輝を包み込もうとする。

 

「バーニング・フル・フィンガーズ!」

 

 慌てて後退しつつ、九校戦で習得した魔法で靄を切り払う。靄が消えた後もしばらく警戒をしていたが、幸いにも何の影響もないようだ。

 

「大丈夫なの、将輝」

 

「ああ、とりあえず身体は何ともない。それより千葉さんの援護に向かおう」

 

 そう言って目を向けた先では、吸血鬼を追跡していた仮面の人物が千葉との戦いを切り上げて逃走をしているところだった。

 

「ひとまず片付いたみたいだな」

 

 吸血鬼の謎の回復力、最後に将輝を包んだ靄、そして仮面の追跡者の正体。気になることはいくらでもあるが、初日から吸血鬼を討伐できた。その成果をもって将輝たちは本日の捜索を終えた。

 

 だが、意気揚々とホテルに戻った将輝たちが目にしたのは、荷物と共に姿を消した他の七本槍たちの無人の部屋だった。



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市丸とリーナ

 今日も発生した吸血鬼と、赤い髪の冷たい印象の仮面の魔法師の戦闘を、達也は木陰から観察していた。

 

 この公園に着いたのは、交戦が始まる三分前。捕捉地点の予測的中を確認した時は思わず口元を緩めてしまったが、今は息を潜め気配を殺して、介入の機を窺っていた。

 

 先日から協力関係となった真由美からの情報によれば、吸血鬼は複数、これを追う狩人も複数ということだった。そして実際、目の前で戦っているのは達也がこれまで見たことのない吸血鬼だ。

 

 押しているのは、明らかに仮面の魔法師の方だった。吸血鬼は逃げ出す機会を探っている。そして、その逃げ道を塞ぐ包囲網はまだ不完全だ。

 

 七草家と協力体制にない警察も含めれば四つもの勢力が複雑に牽制し合う中で、四方向から四人の魔法師がこの場に迫って来ている。街路監視機器が使えないアウェーだろうに、よくも別の勢力に気づかずに四人も集めた、と言うべきなのだろうが、立体的に広がるこの街で逃走経路を全て潰すには手が足りないと言わざるを得ない。

 

 吸血鬼を追う全ての勢力が手を結べば、各チームがこれだけの数を出しているのだから追い込むのは簡単なはずだ。だが思惑の違いからそうも行かないのだろう。達也からして、真由美ともエリカとも目的が完全に一致しているわけではないのだから。

 

 仮面の魔法師の反応を何通りか予想しながら、達也は腰の後ろからCADではなく銃を抜いた。手にする銃は、使用する弾丸の特殊性から中折れ式の単発銃。

 

 サプレッサーにより発射音のほとんどを吸収された低速重量弾が、狙い通りに吸血鬼の腹部を捉える。九ミリ弾の二倍の重量を持つ弾が、速度の不足を補って吸血鬼を後ろ倒しに転倒させた。

 

 仮面の魔法師が、達也の方へ顔を向けた。金色の瞳に射抜かんばかりの苛烈な眼光を宿して達也を見ている。そこにあるのは、誤解の余地無き敵意。どうやら、仮面の魔法師の反応は良くない予想の方となったようだ。

 

 相手の手に握られた中型の自動拳銃。その銃身部分に魔法式が形成されているのを達也の視力は捉えた。

 

 発動した魔法は情報強化。銃身を通過する銃弾の諸属性を強化する魔法。

 

 達也はCADのセレクターを操作し、実体分解の魔法に切替えた。

 

 弾速を含めた属性情報が強化された仮面の魔法師の弾丸はその飛翔の途上、微塵に分解された。

 

 普通に「停止」や「ベクトル改変」では、今の弾丸は防げなかっただろう。克人レベルであれば話は別だが、並みの魔法師では不可能だ。十師族の実戦部隊クラスでも難しいだろう。

 

 斯く言う達也も、「分解」が「情報強化」に対して相性の良い魔法だから対処できたのであり、そうでなければ特に対策もとっていない初見で防ぐのは困難だったに違いない。

 

 自慢の魔法を破られて動揺する敵の隙をついた達也の対抗魔法・術式解体が外装を吹き飛ばし、仮面の魔法師の正体が露わになる。

 

 深淵の闇を思わせる真紅の髪は、弱々しい街灯の光の下ですら煌く黄金に。

 

 禍々しい金色の瞳は、澄み渡った蒼穹の色に。

 

 頬の線は柔らかく、身体つきは華奢に。

 

 身長すらも、わずかに縮んで見える。いや、今までが高く見えていたのか。

 

 その美貌は、小さな仮面程度で隠せるものではなかった。

 

 なる程、体格すら違って見えるなら、今まで世界中の目を眩まし得ていたのも納得できる。様々な材料とともに市丸からの助言がなければ、仮面の魔法師の正体がリーナだという確信にまでは至らなかっただろう。

 

「止せ、リーナ! 俺は君と敵対するつもりは無いっ」

 

 仮面の魔法師、リーナとの戦闘は、達也にとって必要の無い、余計なもの。このセリフは、その幕を引く為のものだったのだが、これは悪手、逆効果だった。仮面の奥の蒼の瞳に光が宿った。

 

 拳銃一体型CADを腰のホルスターに戻したリーナの右手には、スローイングダガーが握られていた。

 

 リーナがそのまま腕を振る。ダガーは、達也の肉眼が知覚した位置より一メートルほどずれた所から飛んで来た。

 

 横に飛んでかわしながら、達也の目はその軌道をたどる。達也が目を向けた先で、幻影が再びスローイングダガーを構えていた。

 

 パレードの術式が作り出す情報体に記述されている要素は「色」、「形」、「音」、「熱」そして「位置」。八雲の幻術「纏衣」と同じだ。

 

 本体とそっくりの同じ色と形と音と熱を本体からずれた位置に映し出す「纏衣」に対して、リーナの「パレード」は本体と異なる色、異なる形を映し出すことに重点が置かれていた。しかし、「パレード」から位置を偽装する機能が省略されているわけではない。九島が編み出し、リーナが受け継いだ魔法式にも、位置をずらす機能は実装されている。

 

 魔法を掛けるためには、対象物のエイドスに魔法式を投射しなければならない。

 

 幻影が本体と別の場所に投射されても、幻影の本体の関連付けをキーとして本体を探し出すことは可能だ。しかし座標が偽装され情報の次元に本体のダミーが用意されているとなると、五感の情報を元に放たれた魔法式はダミーの方に作用して、「何も起こらない」ということになってしまう。これが対抗魔法「パレード」のシステムだ。

 

 故にパレードを破る為には、幻影を破壊し、新たな幻影が形成される前に本体を見つけ出して攻撃するか、五感に頼らず情報の次元における本体の座標を割り出して攻撃するしかない。もっとも、普通ではない方法でリーナの位置を割り出して、攻撃するという手もある。

 

「射殺せ、神鎗」

 

 そして、その普通ではない方法で索敵ができる男が、この場に介入して来た。達也の後方から伸びて来た刃は、達也が認識しているリーナから二メートル右の位置を切り裂き、地面にスローイングダガーを散らばらせた。

 

「どうしてワタシの場所がわかったのかしら?」

 

「ボク、気配に敏感なんや。いくら魔法で位置情報を誤魔化したところで霊圧を消せんのなら意味がないで」

 

「霊圧って何なのよ……」

 

「それより、こっちに止めを刺させてもらうわ」

 

 そう言った市丸が倒れたままの吸血鬼の白い仮面を両断するように刃を伸ばす。

 

「それで、何で二人が戦っとるん?」

 

 そうして吸血鬼の仮面を割ったところで、改めて聞いてくる。

 

「俺としてはリーナと戦う理由はない」

 

「ワタシとしては……ここで引き下がるわけにはいかないのよ。理由としては、それで十分でしょ。アクティベイト、『ダンシング・ブレイズ』!」

 

 市丸の注意が自分に向かっている間にリーナが叫ぶ。リーナのスローイングダガーは音声認識の武装デバイスだったようだ。

 

 リーナの足元に散らばっていた五本のダガーが市丸へと殺到する。が、それを市丸は事もなげに手持ちの刀で打ち払った。

 

「無駄だぞ、リーナ。そこにいる市丸は大亜連合のエース、呂剛虎を赤子の手を捻るように倒せるほど、近接戦に優れている」

 

「そうやで。それと、今のうちに周辺におるの、引かせといた方がええで。リーナなら見逃したるけど、他の子らは殺すで」

 

 市丸の忠告は届かなかったようだ。四方から一人ずつの計四人。警官の姿をした男が拳銃を手に近づいてくる。その接近を待たず、市丸は警官姿の男の一人の胸を、伸ばした刀で串刺しにする。それを見て、残る三人のうち一人がリーナの元に、二人が市丸に向かう。だが、その二人は五秒と持たずに市丸に切り殺された。

 

「ワタシの素顔と正体を知られた以上、スターズは貴方たちを抹殺しなければなりません。仮面のままであれば幾らでも誤魔化しようはあったのに、残念です」

 

「それやったら、ボクら二人を殺したところで無駄にしたるわ。黒白の羅、二十二の橋梁、六十六の冠帯。足跡・遠雷・尖峰・回地・夜伏・雲海・蒼い隊列、太円に満ちて天を挺れ。縛道の七十七、天挺空羅」

 

 リーナと部下の一人が警戒する中、市丸が謎の詠唱を完成させる。

 

「市丸ギンや。皆、アンジェリーナ=クドウ=シールズの正体はアンジー・シリウスやで。とりあえず、それだけ覚えとって」

 

 その声は達也の頭の中に直接、響いてきた。

 

「今のは大勢に強制的に伝言を届ける魔法や。今ので深雪や光井、千葉や西城ら君のことを知っとる人にはだいたい伝えたからな。君、素顔で学校に通っとったから、もう素顔を隠すのは無理やで。それより、これを伝えた直後に君がボクたちを抹殺すると、却って事が大きくなるんとちゃう?」

 

「それは確かにそうだろうな。アンジー・シリウスが日本で同級生を殺害。これは悪い意味で有名になるだろうな」

 

 リーナにも声は届いていたのだろう。おそらく、対象に入ってなかったであろう部下が困惑する中、リーナが急速に闘志をしぼませる。

 

「それじゃ、ボクらは行くから」

 

 悠々とその場を離れる市丸と一緒に達也も現場を離れた。



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第一高校に現れた吸血鬼

 週明けの教室、達也はここ数日お馴染みとなった光景に出くわした。

 

 エリカが机に突っ伏している。今日は朝早くに登校したのは良いものの、そこで力尽きてしまったようだ。

 

 そして、幹比古が教室に顔を見せたのは、二時限目が終わった後だった。遅刻ではない。今日もまた、保健室のお世話になっていたのだった。

 

 結局、エリカがようやく復活したのは昼休みになってからだった。そして、目を覚ますや否や、美月を空き教室へと連れていった。

 

 一方の達也は食事を済ませた後、校舎の屋上に来ていた。昼食時に一緒であった深雪とほのかはこの場にはいない。

 

 第一高校主校舎の屋上はちょっとした空中庭園になっていて、瀟洒なベンチも置かれた校内の人気スポットになっている。だが、真冬のこの時期に、屋外の吹きさらしのこの場で過ごす猛者はほとんどいない。だが、そんなことはお構いなしに時を過ごす者もいる。達也の傍にいるのは、校舎の屋根の上が定位置という、そんな猛者である市丸だ。

 

「それで吸血鬼の対処はどうなっているんだ?」

 

「昨日までで五体を処分したんやけど、最近は動きが少なくなっとるから、探し当てるのも一苦労なんや」

 

「なあ、市丸。吸血鬼はなぜ魔法的な資質の高い人間を襲っているんだ?」

 

「必ずしも魔法的な資質の高い人間やないとあかんゆうことはないで。ただ、霊圧が高い人間は魔法的な資質も高いことが多いゆうだけや」

 

 市丸はリーナのパレードも霊圧の感知で見破ったということを言っていた。達也の知覚力では、吸血鬼の情報を発見することはできても、解析することはできない。市丸の技能を羨む気持ちは高いが、秘密主義な市丸に聞いたところで詳細を教えてくれるわけはないことは、すでにわかりきっている。

 

「ん、どうやら敵が校内に侵入したみたいやね」

 

「校内? 細かい位置はわかるか?」

 

「通用門から資材搬入口の間やね」

 

「今日はマクシミリアンの社員が新型測定装置のデモに来る予定になっていたはずだ」

 

 つまりは、その中に吸血鬼が紛れ込んでいるということだ。

 

 何故今、何が目的で吸血鬼が一高に来たのか。前の考察にもつながるその疑問を一旦棚上げにして、達也は勢い良く立ち上がった。

 

 ベルトにつけていた飛行デバイスのスイッチを入れ、フェンスを飛び越える。その後を市丸は飛行デバイスを使用せずに、謎の空中静止魔法を使ってついてくる。

 

 魔法工学産業トップメーカー、マクシミリアン・デバイスの業務用トレーラーの付近には六人の社員がいる。そのうちの誰が吸血鬼であるのかは達也には特定ができない。そして、何より気になるのはリーナがトレーラーに近づいていることだ。戦闘態勢を取っていないので、吸血鬼の接近を感知しての迎撃ではない。

 

「市丸、誰が吸血鬼なのかわかるか?」

 

「リーナが歩み寄っとのがそうやね」

 

 トレーラーの脇に立ち止まったリーナは技術者と思しき若い女性へと歩み寄っている。リーナが迷いなく歩み寄ったところを見ると、どうやら女性はUSNA軍がマクシミリアンに潜り込ませたエージェントのようだ。

 

 となると、無暗に攻撃を加えるとUSNAのエージェントに攻撃を仕掛けたと誤認され、リーナと無用な戦闘に突入する可能性がある。

 

 どうするか迷っている間に女性の周りに、多数の「精霊」が舞い始めた。

 

 技術者然とした女性が普通の魔法師には見えないはずの精霊に向かって、虫でも追うように手を振る。それで、達也もその女性が吸血鬼であると確信を持った。

 

 次の瞬間、認識阻害の領域魔法がリーナたちを取り囲む。

 

「幹比古だな。大した腕だ。効果は視覚遮断と聴覚遮断か。実体の移動を阻害する効果は無い……な」

 

 どういう意図で動いているのか事前の打ち合わせがないのでわからない。だが、この状況ではリーナは自分に敵対の意思ありと考えて動いても不思議はない。幹比古は最近、腕を上げた。それでもリーナが相手では分が悪すぎる。

 

「何をするの、エリカ!?」

 

 市丸と一緒に幹比古の結界の中に突入した達也の耳に飛び込んできたのは、リーナの叫び声だった。その声の方ではエリカが技術者の女性に片手突きの体勢に引き絞った小太刀の先端を向けていた。

 

 リーナは技術者を守ろうと、エリカを吹き飛ばす為の魔法を発動する。

 

 だが、その魔法はエリカを覆った対魔法障壁に阻まれた。

 

「カツト・ジュウモンジ!?」

 

 リーナが愕然とする間にエリカが技術者に斬りかかる。しかし、技術者はCADを使わず防壁の魔法を掌に纏わせ、素手で小太刀を受け止めて見せた。

 

「どういうこと……?」

 

「どういうことも何も、あれが君らの言う吸血鬼というだけや」

 

 市丸の言葉に衝撃を受けたらしいリーナが動きを止める中、エリカは技術者の首へ水平に斬撃を走らせる。吸血鬼は手を掲げて防御をしようとするが、エリカの斬撃は手品のように軌道を変えて正面から胸を貫いた。

 

 だが、次の瞬間、厳しく表情を引き締めたのはエリカだった。スカートをはいていることに頭から頓着せず、足を振り上げて吸血鬼の腹を蹴りつける。その反動で小太刀を抜くと、軸足でジャンプして大きく後方に跳び退った。

 

 エリカの残像を吸血鬼の右手が薙いだ。鉤爪状に曲げられた指は力場を纏っていた。貫かれた胸の穴は、エリカやリーナが見ている前で、瞬く間に塞がった。

 

「だったら、これでどうかしら」

 

 その声と共に、冬がいきなり勢力を増した。抵抗する間もなく吸血鬼は凍りついた。

 

「深雪?」

 

 あまりに呆気ない結末に、思わず構えを解いたエリカが気の抜けた声で問い掛ける。吸血鬼を凍らせたのは、後から幹比古たちを追ってきた深雪だった。

 

「リーナ、どうやら知り合いらしいが、彼女はもらっていくぞ」

 

「チョッと待ってよ。勝手に持っていかれちゃ困るんだけど」

 

 異論を唱えなかったリーナに対し、エリカは大人しく引き下がってはくれなかった。達也としては調べた結果だけ知れれば十分なので、譲ることはやぶさかでない。

 

「まだ終わりやないで」

 

 氷の彫像と化した吸血鬼の身柄の行方についての相談を始めようとしたところで、市丸が警告を発した。その警告で、放出系の魔法により引き起こされた空中放電は、克人の展開した障壁に阻まれ、達也が放った対抗魔法によりかき消された。

 

 深雪とエリカが魔法を放った術者へ振り返る。そこで二人揃って、戸惑いに立ちすくんだ。電撃の魔法を放った吸血鬼は、凍りついたままだ。生身の人間が、いや、人間でなくてもこの状態で意識があるはずはないし、魔法を使えるはずもない。

 

 それが、覆された。氷の彫像が電光に包まれた。

 

「自爆!?」

 

 悲鳴を上げたのは、リーナ。

 

「伏せろ!」

 

 克人と達也が同時に叫んだ。達也が深雪を抱え込んで、幹比古が美月を両腕に庇い、克人とエリカとリーナが、身体を丸めて防御姿勢を取る。

 

 深雪の氷を突き破って、吸血鬼の身体が炎を発した。そうして身体が炎に包まれるかと思われた瞬間、吸血鬼の額を刃が貫いた。

 

「虚と融合した人間と戦う際は仮面を狙え言うたやん」

 

 エリカが切りつけても、深雪が氷漬けにしても倒すことができなかった吸血鬼が動きを止め、ゆっくりと消えていく。

 

「君らはあれを捕らえたかったようやけど、あれを捕らえるのは普通の人間には無理やで。諦めて倒すことに専念せんと、死ぬことになるで」

 

 仮面をしっかりと狙えば、達也でも吸血鬼を倒すことができるのだろうか。市丸の言葉だけを聞けば倒せそうだが、簡単にはいかないような気がする。

 

 市丸の持っている刀。あれが刺さった瞬間の吸血鬼の反応は、仮面の破壊とは異なるものに思えてならない。

 

「十文字、後のことは任せるで」

 

 吸血鬼を始末した市丸は、もはや用事は終わったとばかりに去っていく。その背に、呼び止める声をかけられる者は誰もいなかった。



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吸血鬼対策

 掌の中に想子を集め、握り締める。

 

 それは、達也が「術式解体」を行使する際の、いつものイメージ。

 

 通常の術式解体であれば、握り込んだ想子を展開中の起動式や作用中の魔法式に叩きつける。だが今、達也が求めている技術は、情報体が作用している実体を手掛かりに情報体を狙い撃つのではなく、情報自体を狙い撃つ技。

 

 吸血鬼がつけている仮面から、達也は情報を読み取ることができなかった。一方、市丸は吸血鬼の仮面を砕くことで身体を消滅させていた。それならば、仮面から相応の情報を得られてしかるべきなのだ。

 

 握っていた手を開く。腕を突き出すことはしない。

 

 物理的な方向性のイメージを補完する為の動作はかえって邪魔だ。情報の次元では軌跡や航跡の類は生じない。何処に何があるか定義されれば、それは、そこにある。

 

 標的の孤立情報体に重なるようにして、達也が放った想子塊が情報の次元・イデアに出現した。

 

 物理次元では、複数の物質が同時に、同一座標に存在することはできない。

 

 だが、情報にそんな制約は無い。孤立情報体と重なった「座標」で圧縮状態から解放された達也の想子は、孤立情報体に何の影響も与えず拡散して消えた。

 

「クッ……」

 

 奥歯をグッと噛み締めて口惜しさを表す達也を心配そうな表情で見つめる深雪の隣から、達也が標的とする的作りに協力していた八雲がいつもと変わらぬ飄々とした口調で話し掛けてくる。

 

「さすがの君も苦戦しているねぇ。まあ、できない人間にはどんなに努力してもできない類の技だからね、これは」

 

 突き放した言い方に、深雪がキッと殺気のこもった目を向ける。

 

「三日で理の世界に遠当てを放てるようになったんだから、適性が全く無いということでもないと思うんだけどね」

 

 取り繕うように慌ててそう続けた八雲へ、深雪がなお非難の眼差しを向ける。

 

「師匠、次をお願いします」

 

 だが達也が修行の続きをリクエストしたことで、深雪の意識は兄へと向けられた。

 

 吸血鬼が校内に侵入し、市丸の手で処分がされたあの日から、ちょうど一週間。あの吸血鬼相手に達也は有効な攻撃ができなかった。その反省から、達也は翌朝から八雲に修行を願い出て、今日で七日目となる。

 

 達也が標的としている八雲が作り出した孤立情報体は吸血鬼と同じではない。だが、現状では、似たような相手に接する時間を増やすことで、感覚をより鋭敏にしていく特訓を続けていくしかない。遠回りもいいところの、もどかしい方法ではあるが、他に良い方法が思い浮かばない以上は仕方がない。ともかく今できることを地道に行っていくことで、できることを増やしていく。

 

 けれど、八雲の言葉とは裏腹に、達也はこの二、三日、才能の壁を改めて実感していた。三日で情報次元の標的に想子弾を当てることができた、というのは、並みの修行者からすれば長足の進歩だ。だが達也は元から、イデアに漂う情報体を認識することができていた。

 

 それでも、八雲が作った的に対して想子弾を当てることができずにいる。見えているものに作用させられないのに、見えていないものに作用させることなど夢のまた夢。

 

「まあ、適性の有無は、結果でしか分からないことがあるからね。今日できなかったことが、明日になると突然できるようになったりするのも術法というものだから」

 

 達也の苛立ちを汲み取ったのか、八雲がそんな慰めの言葉を掛ける。

 

「もっとも、『何時か』を待っていられない状況であるのも、また事実。君の場合は何処を狙えば良いのかは分かるわけだから、遠当てとは別の攻撃手段を編み出すのも一つの手だと思うよ」

 

「そんなにホイホイと新しい魔法を開発できるものじゃありませんよ。行き詰まっているのは認めますが、それにしたって買い被りすぎです」

 

「そうかな? 君は確かにある一面では非才だけど、術式の改良や開発に掛けては非凡な才能を持っているじゃないか。自分から可能性を狭めてしまうのは得策じゃないと思うけどねぇ」

 

「そうですよ、お兄様!」

 

 なおも乗り気でない様子の達也を、今度は深雪が激励する。

 

「お兄様ならば必ずや、素晴らしいアイデアを実現することが可能です。僭越ながら、どちらも諦めてしまわれる必要は無いかと存じます。術式解体による直接攻撃を第一の対策としつつ、新たな魔法の開発を並行して進めればよろしいのではないでしょうか」

 

 口にしたのが深雪でなければ、達也は「無茶言うな」と一蹴しただろう。あるいは、冗談で済ませただろう。

 

 だが深雪の、期待と言うも愚かな、信頼しきった眼差しを前にしては、「できない」とか「不可能」とかその類の回答を返すことは、達也にとってそれこそ不可能だった。

 

「師匠は、市丸が言う悪霊と融合した人間がつけている仮面について、何か予測はありませんか?」

 

 とはいえ、現状では新たな魔法の開発を行うにしても、どのような魔法を開発すれば良いのか見当がつかない。

 

「君は何か推測はついているのかい?」

 

「残念ながら、あの仮面からは何の情報も読み取れませんでした」

 

 分解魔法「霧散霧消」は対象の情報を得られなければ発動させることができない。吸血鬼の身体の情報は辛うじて読み取れた。しかし、仮面の情報は全く読み取れなかった。そして、市丸の言葉を信じるならば、仮面の方が本体の可能性が高い。仮初の身体だけに霧散霧消を使用したときに、何が起こるのか。その予測ができない以上、安易に試してみることはできない。

 

「うーん、それなら専門家に聞いてみるしかないんじゃない?」

 

 あまり気のりはしないが、それしかなさそうだ。

 

「それで、市丸は教えてくれる気があるからそこにいるのか?」

 

 そう問いかけると、市丸が木陰から姿を現した。今日まで、市丸は八雲との修行に姿を現さなかった。まさか今日、来たのは何の目的もなしではないだろう。

 

「君ら、折角ボクが隠れとるのに、いとも簡単に見つけてくれるんやね」

 

「市丸も俺たちのことを簡単に発見するだろ」

 

「お互い、見つけるのばかり上手で、隠れるのは下手なんやね」

 

 市丸の発言は達也には当てはまるものの、八雲には全く当てはまらない。けれど、そこは本題ではないので置いておく。

 

「それで、教えてくれる気はあるのか?」

 

「ないな。けど、今やっとることも、あながち間違いとは言えんと思うよ」

 

 八雲が提案してきた修行であるので、大外れはないと思っていたが、吸血鬼退治については専門家である市丸が肯定的な意見をくれたことは安心材料になる。

 

「それなら、市丸は新しい魔法を開発する方がいいか、既存の魔法を改良するのと、どちらがいいと思う?」

 

「将来に向けてということなら、新しい魔法もありやと思うけど、必要なのは今やろ。既存の魔法を改良するのがええんちゃう?」

 

 一応は聞いてみたが、意外と堅実な行動を好む市丸らしい意見だった。

 

「それなら改良するなら、どんな魔法がいいと思う?」

 

「それはボクに聞くより、しっかりとした古式の魔法師に聞けばええんちゃう?」

 

 市丸が言っているのは幹比古のことだろう。

 

「幹比古も吸血鬼への対処は自信がなさそうだったが、古式の魔法は有効なのか?」

 

 現代魔法よりは有効という比較論か、それとも古式魔法は有効だと言っているのか、それにより話は随分と変わる。

 

「悪霊は昨日今日で発生したものやない。長い歴史を持つ古式の中には吸血鬼に有効な魔法もあるやろ。けど、ボクは古式魔法には詳しくないから、どんな魔法が有効かまでは知らんのや」

 

 なるほど、どんな古式魔法が有効なのかは市丸自身にもわからないということか。それなら曖昧な言い方になってしまうのも仕方がない。

 

「それで、今日はそのアドバイスをしにきたということでいいのか?」

 

「そういうことやね」

 

 それだけ答えると、市丸はあっさりと去っていった。



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バレンタインデー

 第三次世界大戦を境にして、日本では文化の潮流がガラッと変わった、というイメージが強い。

 

 だが実際には、それほど大きな変化があったわけではなく、所謂「軽薄な」風習も廃れず続いているものは多いのだ。

 

 その一つが、明日に控えたバレンタインデーだ。聖バレンタイン・デーは本来、そんな軽薄なものではなくとか、チョコレートをプレゼントするなんてお菓子会社の陰謀とか、いくら力説しても無駄だ。若者はそんな事など百も承知で、自ら踊っているのだから。

 

 バレンタインデーを明日に控え、第一高校の校舎も一日中、浮ついた空気に包まれていた。こういうところは、魔法師も普通の少年少女だ。

 

 その中の一人、明智英美は仲の良いクラスメイトである桜小路紅葉、里美スバルと一緒に、明日に備えての買い出しに来ていた。

 

「エイミィは手作りとかはしないんだ?」

 

「紅葉は私が美味しいチョコを作れるように思う?」

 

「思わない」

 

 はっきりと言い切られると釈然としないものはあるが、事実として味と見た目のどちらかを度外視するならばともかく、美味しくて見た目もいいチョコレートの手作りとなると、英美にはハードルが高い。

 

「ところで、エイミィは誰にあげるつもりなの?」

 

「スバルと共通なのは達也さんとして、後は市丸君かな」

 

「エイミィは九校戦のときに市丸君にアドバイスをもらってたみたいだからね」

 

 市丸は特にアドバイスを送ったという認識はないようだったが、英美は市丸の神鎗という魔法のイメージがピラーズ・ブレイクで三位を取れた要因だと思っている。その借り自体は最終日のダンスで少しは返せたのかもしれないが、その後は横浜でも助けられた。これだけ世話になったのだから、チョコレートを贈るくらいしてもいいだろう。

 

「スバルは司波くんにどんなチョコレートを贈るの?」

 

 市丸に送るチョコレートは英美が自分で考えたものでいいので、まだ気が楽だ。けれど、達也については本当に難しい。

 

 まず気を付けるべきは達也のことになると目の色が変わる深雪だ。万が一、英美が深雪を上回るものを送れば、目を付けられてしまいそうだ。けれど、深雪に関しては誰よりも力を入れたものを作ると確信が持てているため、そのような心配は不要だ。

 

 続いて警戒すべきは達也に本気の恋心を抱いている、ほのかの存在だ。けれど、ほのかも達也に対して贈るものに手を抜くことはない。英美も本気であると誤解されない程度の範囲に収まっていれば何も問題はないだろう。

 

 けれど、もう一つ、大きな問題として残ったのが、九校戦一年生女子チーム一同で送ると決めたチョコレートだ。これに関しては、他の女子に比べて高すぎても安すぎても問題だ。それだけに悩ましい。

 

 その日は紅葉のアドバイスも受けながら、スバルと一緒にチョコレートを買ったところで二人と別れた。そして市丸には一人で達也より少し上の額のチョコレートを用意し、英美は翌日を迎える。

 

 そうして迎えた本番、チョコレートを贈るのは放課後だ。まずは英美とスバルが代表して渡すことになっている、九校戦一年生女子たちからチョコレートを回収し、その後は急いで達也を探す。

 

「あっ、ここにいた! スバル、こっちこっち」

 

 帰宅したという話は聞かなかったが、達也を探すのにはそれなりに苦労した。そのため、カフェテリアの片隅にあるパーティションで仕切られた簡易なミーティングスペースで達也を見つけたときには、思わず大声をあげながら駆け寄ってしまった。

 

「か、会長っ」

 

 そして、達也のすぐ横まで行って、初めてパーティションの内側に七草真由美もいることに気がついた。

 

「こら、エイミィ。会長じゃなくて七草先輩だろ」

 

 言われながらスバルに小突かれて、真由美がすでに生徒会長ではないことに気付く。忘れていたわけではないが、現生徒会長の中条あずさの影が薄いこともあり、どうしても会長というと真っ先に真由美が思い浮かぶ。

 

「お取り込み中の所、お騒がせして申し訳ありません」

 

「別に取り込んでなんていないから気にしなくて良いわ、里美さん」

 

「そうですか。コッチの用はすぐ終わりますので」

 

 やや棘を感じる真由美にも臆することなく、スバルは平然と切り返すと、手に提げた袋を達也へと差し出す。

 

「受け取ってくれたまえ」

 

「……里美。今日は一段と芝居がかっているな」

 

「何の因果か、僕とエイミィが代表に選ばれてしまってね。さすがの僕も、素面ではいささか恥ずかしいのだよ」

 

 スバルはこのくらい何でもないのかと思っていたが、そうはいかないようだ。

 

「一応、何の代表か訊いてもいいか?」

 

「九校戦一年女子チーム一同からの……そうだね、お礼だよ」

 

 微かにだが頬を赤らめながらもスバルはしっかりと達也の顔を見て答えている。英美もいつまでも黙って立っているだけでは駄目だ。

 

「あっ、一同と言っても、深雪とほのかは入ってないけどね」

 

 言っておかなければならないことを慌ててつけ加える。

 

「あの二人は自分で渡したいだろうからさ」

 

「変なお節介焼くと怒られちゃいそう」

 

 スバルの言葉に続けて、英美が冗談混じりに本音を口にする。

 

「雫の分も入っているから。確かに受け取ったって、後で電話でもメールでもしといて」

 

 雫はそれなりに達也と関係が深い。わざわざ英美たちに加わらずともよかったはずだが、ほのかに遠慮をしたのだろう。

 

「じゃあ、またね。会長、じゃなかった、七草先輩、お邪魔しました」

 

 この後、英美は市丸の元に向かわなければならないのだ。さっさと達也と真由美の前からは辞去する。

 

「じゃあ、健闘を祈るよ」

 

「別に健闘とかはないんだけどね」

 

 市丸はドライな面もあるが、バレンタインデーに渡そうとしたチョコレートを突き返してくるようなことはしないはずだ。

 

「さて、市丸君はどこにいるのかな」

 

 いつもなら高い所にいるが、今日はどうだろうか。

 

「まあ、見晴らしもいいし。とりあえず高い所に行ってみようか」

 

 市丸を探して、第一高校主校舎の屋上にある空中庭園に向かう。そこから、更に上、屋根の上の方を見上げてみる。すると、屋根の上に腰かける市丸が見えた。

 

「市丸くーん!」

 

 今はCADを持っていないので屋根の上に登ることは難しい。向こうから降りてきてもらうしかない。手を振る英美を見て、市丸が側に降りてきてくれる。

 

「何か用なん?」

 

「うん。はい、これ。九校戦のときと、横浜のときのお礼」

 

 言いながらチョコレートを差し出す。

 

「別に礼なんて気にせんでええんやけど……まあ、おおきに」

 

 いつも浮かべている笑みを少しだけ深めて、市丸は英美が差し出したチョコレートを受け取ってくれた。

 

「そういえば、市丸くんは最近、何をしているの?」

 

 市丸に加えて達也たちも何かしていることは何となくわかっている。それが、おそらく噂になっている吸血鬼事件に関係をしているということも。

 

「明智はとうに気付いとるんやろ」

 

 英美は何も言っていないが、洞察力に優れる市丸のことだ。まさか想像を外しているということはないだろう。つまり、市丸は吸血鬼事件を追っているということだ。

 

「今回ばかりは首を突っ込んだらあかんで」

 

 市丸がそう言うということは、吸血鬼はかなり危険な相手だということだろう。それでも、横浜で圧倒的な力を見せつけた市丸ならば、何の問題もないはずだ。

 

「市丸君は大丈夫なんだよね」

 

 けれど、なぜだろう。妙に胸騒ぎがする。

 

「ボクが弱うないの、明智も知ってるやろ」

 

「うん、そうだよね」

 

 そうだ。大亜連合の兵士たちを文字通り蹴散らした市丸を倒せる相手など、簡単には思い浮かばない。そのはずなのに、どうしても不安が消えないのだ。

 

「気を付けてね。本当に」

 

「油断はせんようにするよ」

 

 そう言って市丸はまた屋根の上に戻っていく。それを見送って英美は部活に向かうために屋上を後にした。



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共闘の決意

 一条将輝は吉祥寺真紅郎と共に、もう二週間に渡り東京に滞在を続けていた。姿を消した七本槍は未だ見つかっていない。そして、不穏な話も聞こえてきた。それは、首を刈り取られた魔法師の死体が見つかったというものだった。

 

 鋭利な刃物で一撃で首を狩るというその殺害の仕方は、首狩り五郎左こと矢嶋五郎左衛門を彷彿とさせる。将輝としても、違うと思いたい。しかし、そのような魔法師が五郎左以外に何人もいるとは思えない。

 

「ねえ、将輝。そろそろ第一高校の生徒会に協力を求めた方がいいんじゃない?」

 

 真紅郎にそう言われて、将輝は考え込んだ。確かに五郎左衛門が敵方に回っているのだとすれば、もはや面子などに拘っている場合ではない。

 

「そうだな。千葉さんと吉田さんに、そのように申し入れしてみよう」

 

 真紅郎の意見もわかるが、千葉と七草と司波はそれぞれ別のグループとして行動していたように感じた。現在の協力関係である千葉の意を無視して勝手に七草や司波の側に付くというのは信義にもとる。そう考えて、まずは作戦の立て直しを図るために千葉と吉田に連絡を取った。

 

「ここ数日、強力な吸血鬼が現れて討伐隊の被害が増えているという話が伝わっているわ。それが第三高校の七本槍だとしたら、頷ける話ではあるわね」

 

 先の横浜事変の折、第三高校の七本槍は真紅郎を除いた六人で七十名以上の敵を倒した。それにより、勇名は敵味方に轟くことになった。千葉も同じ横浜で戦場に立ったと聞いているから、それが簡単なことではないことは理解できるはずだ。

 

「それで、その七本槍が敵に回ったら、どのくらい厄介なの?」

 

「七本槍は、それぞれが並みの魔法師を凌駕する実力を持っている。そこに吸血鬼の力が加わったならば、どのくらいの戦闘力になるのか想像もできない」

 

「エリカ、僕は一条さんの提案に賛成だ。そろそろ個別に対処している場合じゃないと思う。体面に拘って犠牲者を増やすべきじゃない」

 

 将輝の意見に賛成してくれたのは吉田だった。実際、討伐隊の犠牲者はすでに十名を超えていると聞いている。戦闘に耐えうる魔法師はただでさえ数が少ない。くだらない意地で人の命を失う結果になるのは、冷静に考えると馬鹿らしいことだ。

 

「そうね。そうした方がよさそうね」

 

 千葉も心の内では、そろそろ潮時だと考えていたようだ。吉田の意見も受けて最終的には将輝の意見に賛同してくれた。

 

「ひとまずは司波さんに連絡を取るのかな?」

 

「それよりも市丸さんがいいんじゃない?」

 

 言いながら真紅郎が将輝の足を踏んでくる。どうやら司波深雪目当ての発言と誤解されてしまったようだが、そうではない。将輝は一応は司波達也も頭の片隅に置いて発言をしたつもりだ。もっとも、明確に司波達也を思い浮かべていれば、司波と呼び捨てにしていただろうから、あまり強く否定はできない。

 

「どうして市丸なんだ?」

 

 思わずそう聞いてしまったのは、まだ七本槍のことを諦めきれないからだ。市丸が横浜で見せた圧倒的な戦闘能力は将輝の耳にも入っている。市丸が近接戦では将輝をも上回るほどの戦闘力を持つということは九校戦の折に知っていたが、まさか戦略級魔法に近い魔法まで使えるとは思わなかった。

 

「市丸君は吸血鬼退治の専門家と言っていいからね」

 

 戦闘力しか思い浮かばなかったが、よく考えれば市丸は、九校戦の折から見たことがない光の魔法を使っていた。吸血鬼と光を安易に結びつけるのは短絡的に過ぎると思わなくはないが、言われてみれば納得ができなくもない。

 

「市丸が専門家というのなら、俺たちとしては反対する理由はない」

 

 古式魔法師の吉田が専門家と呼ぶのだ。将輝が口を挿む必要はないだろう。

 

 真紅郎と千葉からも特に反対意見はなかったので、そのまま吉田に九校戦の折に教えてもらったという番号を使って市丸に連絡を取ってもらう。市丸から指定されたのは、第一高校近くにある千葉たちもよく通っているという喫茶店だった。

 

「久しぶりやね、用はなんとなくわかるけど、まあ、まずは話を聞こか」

 

 そう言われて、将輝が第三高校の七本槍を率いて吸血鬼事件の捜索に参加したこと。その中で七本槍のうち五人が行方不明となっていること。先日、行方不明となっている五人のうちの一人の手によると思われる犠牲者が出たことを伝える。

 

「七本槍はただでさえ高い戦闘力を持っている。最近、被害が増えているのはそのせいもあるんじゃないかとも思っている」

 

「それは心配せんでええやろ。初期にこの国に潜入してきた吸血鬼は、USNAの軍属の魔法師たちや。第三高校の七本槍がいかに普通の高校生に比べて戦闘力が高い言うても大国の軍人よりも強いゆうことはないんちゃう?」

 

 初期の吸血鬼たちがUSNAの魔法師であったというのは知らなかった。確かに将輝たちが対峙した吸血鬼は、かなりの強敵だった。将輝たちなので討伐できたが、並みの魔法師であれば敵わない相手だっただろう。

 

「USNAの魔法師といってもピンからキリまでいるだろうし、使用する魔法の特性の差もありそうだけどな」

 

 魔法力の差もさることながら、直接戦闘が得意なタイプと支援が得意なタイプでは、単独の戦闘の難易度はかなりの差が出る。

 

「魔法力自体はそこそこのはずや。達也の情報ではスターズに所属していた魔法師たちみたいやからな」

 

「そうなると、魔法力自体はUSNAの魔法師の方が上だろうな。だが、七本槍は個人での白兵戦に限れば日本でも有数の魔法師だ。俺が対峙した吸血鬼は高い回復力を有していた。どちらかといえば攻撃に特化している七本槍が回復力を得ていたとすれば、それはUSNAの魔法師よりも強敵となる可能性があると思う」

 

「ふーん、まあ白兵戦が得意な魔法師なんやったら、ボクにとっては、かえって与しやすい相手やけどね」

 

「お前にとってはそうかもな」

 

 市丸の白兵戦能力が高いことは将輝も知っている。だが、それでも反発心を持ってしまうのは、心の中では未だに七本槍を味方と思っているからだろうか。こんなことでは駄目だという気持ちもあるが、まだ敵として対峙したことがないということもあり、簡単に切り替えるのは難しそうだ。

 

 それより今の市丸の話には、悪い可能性を高める情報が含まれていた。隣の真紅郎も同じことに気づいたようで、やや顔色が悪い。

 

「USNAのスターズ所属の魔法師が日本の民間の魔法師を無差別に襲うとは考えられない。それは、軍属の魔法師が軍の指揮命令系統から離れて勝手な行動をしているということで間違いはないか?」

 

 物語の中の吸血鬼は被害者を己の眷族とする。それと同じではないにせよ、今回の吸血鬼が被害者を操る能力を持っているとすれば、七本槍が日本の魔法師たちを殺戮している可能性が高まってしまう。

 

「そういうことやね」

 

「そうか……」

 

 将輝はそれしか答えることができなかった。可能性としては考えていたことだが、可能性が高まると、やはり気が重い。

 

「けれど、気になるのも確かやな」

 

「何がだ?」

 

「追跡者から逃げとったのも、君らから逃げとったのも、基本的には勝てんと思うから逃げの姿勢やったわけやろ? 最初に言うたけど、最初の吸血鬼はUSNAの軍属の魔法師や。その吸血鬼が勝てんと思って逃げとったのに、最近は逆襲に転じることが増えたから、被害も増えとるんやろ」

 

「元から逃げる必要はなかったということはないのか?」

 

「その可能性は低いやろうな。実際、前から魔法師の被害はあったからな」

 

 確かに、最初から吸血鬼の被害は魔法の素養がある者に加え、捜索に参加していた魔法師たちだ。勝てる相手と勝てない相手を見極められないとは思えない。

 

「吸血鬼の力が増している可能性があると考えているということか?」

 

「その可能性は捨てきれんな」

 

 当初は逃げることが多かった吸血鬼が、反撃にでることが増えてきた。そこは確かに気になる。

 

「ともかく情報があったら教えてくれ。もしも、七本槍が吸血鬼となっているのなら、それは俺たちで解決をしなければいけない」

 

「気には留めといたるわ」

 

 中途半端な返答だが、今日のところはそれでよしとすべきだろう。ひとまずの回答を得て、将輝は市丸との会談を終えた。



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達也襲撃計画

 日本における生活拠点として借りているマンションの自分の部屋の扉の前で、リーナは深いため息をついた。

 

 ここ数日のうちにリーナたちの手勢は随分と削られてしまっている。どうも吸血鬼が日本の魔法師に変わったようで、それ以降、リーナたちに対して敵対的な傾向が強まった気がしてならない。

 

 吸血鬼となったとして以前の性格等が完全に変わるわけではない。それは、USNAにて何人もの吸血鬼の処分をしてきたリーナは体感として知っていることだ。

 

 元となった日本の魔法師が外国人全般について、あまり良い感情を持っていないのだろうか。いずれにせよ、これまでのように基本的に交戦を避けるのではなく、むしろ単独行動する味方を狩りにくるようなら、相応の対応策を考えなければならない。スターダストは使い捨てが前提な面はあるが、だからといって、無駄死にをさせてよいわけではない。

 

 そんなことを考えながら、ドアを開けて、リーナは異常を感知した。

 

 一緒に来日したシルヴィアが帰国して、現在リーナは一人暮らしだ。

 

 それなのに、人の気配がする。

 

 背筋を冷たい緊張が走り抜けた。ドアを開けてみるまで気がつかないなんて油断のしすぎだ、と自分を叱咤する。そうやって気合を入れ直し、慎重に身体を中に滑り込ませる。

 

 今更手遅れな配慮だとも思ったが、音を立てないようにそっと扉を閉めた。

 

 靴をどうするか一瞬悩む。本当は考えるまでもないのだが、後で掃除する手間のことを考えてしまったのだ。

 

 再度自分を叱りつけてそんなボケた雑念を頭の中から追い出し、鞄をそっと床に置いて、リーナは突入の為にそのまま身を屈めた。

 

「知覚系統が得意ではない、というのは控えめな表現だったようだな」

 

 そして、頭上から降って来た上官の呆れ声に、彼女の進退は窮まった。

 

「大佐殿、どうしてここに?」

 

 声の主はUSNA統合参謀本部情報部内部監察局第一副局長のヴァージニア・バランス大佐だった。カナダ軍統合時に改組。新設された、制服組のみならず私服組の不法行為にも目を光らせている内部監察局のナンバー・ツーの役職に就く女性だ。

 

 バランス大佐は、達也と深雪、市丸に十文字克人といった強力な魔法師たちの前に任務を果たせずにいたリーナを支援するために駐在武官に対する監査を名目として、援軍に来ている。しかし、今日、リーナの元に来るという話は聞いていない。

 

「ご用がおありでしたら、私の方から出頭いたしましたが」

 

「あるいは知っているかもしれないが、私の軍歴の大半は後方勤務で占められている。中でも人事関連業務が主たるキャリアだ」

 

 バランス大佐はUSNA軍の中では有名人なので、その経歴はリーナも知っている。名門ビジネススクールを優秀な成績で卒業し、その肩書きに恥じぬ辣腕を振るっていることも、キャリアの中では数少ない前線勤務においても、軍功をあげていることも。

 

「そのわたしの経験が告げているのだが、今回の作戦において、貴官はターゲットに過度のシンパシィを寄せているのではないか、と私は懸念している」

 

「小官はそのような……」

 

「そうか? 私の思い過ごしであれば、それに越したことはないが……貴官の特殊な事情は私も理解しているつもりだ。スターズの歴代総隊長の中で十代にしてその職に就いたのは貴官だけだ。現代魔法の技術・理論体系により開発された魔法師は、一般に新しい世代ほど魔法のポテンシャルが高いとはいえ、若すぎるという声も少なくなかった。私も意見を求められたならば、貴官の総隊長就任に反対を具申していただろう」

 

 リーナの総隊長就任には相応の波乱があった。そうして紆余曲折を経て総隊長に就任した後にも猛烈な敵意すら向ける者は少なくなかった。だが、バランスの声は、リーナの地位に異を唱えていた者たちと違って聞こえた。

 

「貴官は未だ十六歳。自分の十六歳当時を振り返ってみても、感情をコントロールするのが難しいのは分かる」

 

 上官が自分のことを真摯に案じてくれていることは分かったので、リーナも神妙な面持ちで耳を傾けていた。

 

 だがリーナの少し硬い表情を見て、バランスは何故か、少し拗ねたような顔になった。

 

「……君から見れば私はオバサンかもしれないが、私にだって十代の頃はあったんだぞ」

 

「滅相もありません! 小官は決してそのようなことなど!」

 

「……まあ、いい。今の発言は忘れてくれ」

 

「……確かに小官は、タツヤ・シバにUSNAの軍人として好ましくないシンパシィを懐いています。ですがそれは、決して恋愛感情やそれに類するものではありません。小官が彼に懐いている感情は、むしろ、ライバルに対する競争心です」

 

 戦闘力という意味ではギンもタツヤに全く劣らないどころか、むしろ近接戦では上回るほどだと思う。けれど、どうにもギンはライバルとは少し違うように思えてならない。どうしても、ギンには負けたくないという感情を抱けないのだ。

 

「分かった。そういうことなら、話もしやすい。シリウス少佐。現時点を以て脱走者の追跡、処分は一時棚上げとし、当初任務への復帰を命じる」

 

 それは、謎の戦略級魔法師の捜索任務に復帰するということだ。

 

「これより『質量・エネルギー変換魔法』の術式もしくは使用者の確保を最優先任務とする。確保が不可能な場合は、術式の無力化もやむを得ない」

 

 魔法の術式無効化とは、誰にも使用できなくするということ。即ち、術者の抹殺だ。

 

「まずは、タツヤ・シバをターゲットと仮定。第一波として明日の夜、スターダストを使いターゲットに襲撃を掛ける。貴官は自己の判断により適時介入せよ」

 

「バランス大佐、小官の身分はタツヤ・シバの他にもギン・イチマルたちに知られています。仮にタツヤ・シバの術式の無力化を行った場合には、日本とUSNAとの関係が悪化するのではありませんか?」

 

「その点は心配をしなくてもよい」

 

 それは根回しは済んでいるということだろうか。

 

「ターゲットの生活パターンを分析してみたが、襲撃の機会は少ない。また、妹が一緒にいる時は難易度が高まることも疑いがない。ターゲットが長時間独りになり、しかも逃走される可能性が低い機会。それを逃さず狙う」

 

 バランスが語った機会というのは、妹のミユキがピアノとマナーのレッスンに通っている間の時間のことだった。その間、タツヤは二時間ほど近場の飲食店で時間を潰しているという話だった。

 

 その飲食店に強盗を装った「スターダスト」のメンバーで押し入り、致死性のない攻撃を仕掛ける。その場で捕獲が可能なら、そのまま拉致。反撃を受けたら交戦しつつ逃走して、リーナの待つ公園にターゲットを誘導する。

 

 スターダストはUSNAの魔法工学技術を注ぎ込んだ強化魔法師だ。五人いれば通常の魔法師ならば制圧は難しくない。けれど、タツヤがそれに当てはまるかというと、疑問だ。

 

「タツヤ・シバに対して襲撃を行うのなら、それ以上にギン・イチマルの動向に注意を払わなければならないと思います」

 

「ギン・イチマルは貴官がそこまで言う程の実力者ということか」

 

「近距離での速度勝負となれば小官はおろかスターズの誰も、勝つことはできないと思います」

 

 最初の戦闘時はリーナのパレードを見破ってみせ、吸血鬼と化したミカエラとの一戦の折にも、ギンは一瞬のうちに倒してしまった。そのときの速度は、リーナも反応が難しいほどだった。

 

「貴官がそこまで言うのなら、ギン・イチマルに一人、見張りをつけておこう」

 

 大規模破壊を目的とする戦略級魔法は対人戦闘の役に立たないものが多い。けれど、それに当てはまらないのがギンの魔法だ。ギンの魔法は破壊力は高いものの、事象が単純すぎるのだ。そのせいで他の戦略級魔法に比べて検証なども行われていない。

 

 けれど、単純だからこそ、対策が難しい魔法でもある。複雑で高度であるが使い辛い魔法よりも、よほど警戒が必要な魔法だと思う。

 

 リーナにはタツヤにはないはずの豊富な実戦経験がある。それでタツヤに打ち勝ってみせる。そう決意を固めてリーナは次の作戦への備えを始めた。



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乱戦

 達也のいるレストランの前に停車したボックスワゴンの中には、今にも飛び出そうとしている五人の敵がいる。そのことを確認して、達也はわずかに逡巡した。

 

 この場は、逃げようと思えば逃げられる。車は後からリモートで呼べばいいのだ。逃走と戦闘。両面を考慮しながら、達也はテーブルの端末で勘定を済ませて立ち上がる。

 

 それを見ていたのだろう、慌ただしくボックスワゴンのドアが開いた。相手の対応の速さから、達也は戦闘になる公算が高いと判断した。

 

 店内では身動きが取り辛い。達也は早足にエントランスへ向かった。店の玄関は、ワゴンの正面だ。

 

 スキー用の目出し帽のような覆面をつけた五人が路上に立つのと、達也が店を出たのは、ほとんど同時だった。

 

 覆面からのぞく瞳は青、赤、黒、茶、灰色とカラフルだった。

 

 これがカラーコンタクトで、外国人の犯罪に偽装しているというのなら徹底しているが、多分、そうではあるまい。逆に、外見を隠そうという意図は大して強くないのだろう。顔が割れても正体が特定されない自信があるのかもしれない。

 

 先回りするように自分たちの前に立った達也に、襲撃者たちは戸惑っている。ただ、睨み合いは、長く続かなかった。

 

「薄汚い鼠が這い回っとるぞ」

 

 ワゴンを飛び越えて現れた一人の少年が、襲撃者の一人の首を斬り落とす。それは、九校戦にも出場していた八幡甚十郎だった。

 

「お前、吸血鬼となっていたのか……」

 

 達也は九校戦の折、一年生女子の準備にかかりきりだった。八幡のことも、それほど詳しく見ていたわけではない。それでも、懇親会などの折に何となくではあるが姿を見ている。そのときには、今のように明らかに常人とは異なる情報を持ってなどいなかった。達也は最大限に警戒を強める。

 

 八幡の乱入に驚いたのは達也だけではない。むしろ、仲間を殺害された襲撃者たちの方が狼狽を露わにしていた。

 

「いざ斬り落とせ、首狩り包丁!」

 

 そして、乱入者は一人にとどまらなかった。もう一人、飛び込んできた影が襲撃者の首を刎ねる。

 

 今度の少年は、達也の知らない男だった。だが、八幡と同じような雰囲気を纏っており、更にはタイミングを合わせて現れたようにしか見えないことから、こちらの少年も吸血鬼であると思われた。

 

 今度は襲撃者たちは迷わなかった。達也と襲撃者たちは未だ直接的な交戦には至っていない。それに対して吸血鬼となった少年たちは明確に敵対的な行動に出ている。

 

 小さく、ガチャリ、と襲撃者たちが一斉に銃を構える音が達也の耳に届いた。短機関銃形態の大型CADではなく、サブマシンガンにCADを組み込んだ武装デバイスだ。

 

 この装備だけで、彼らは自分たちがUSNAの魔法師だと白状しているようなものだ。

 

 西欧諸国も東欧諸国も新ソ連も、こんな複雑な機構の武器は使わない。

 

 アメリカ軍以外でこんな凝った武器を使うのは、日本の、他ならぬ独立魔装大隊くらいのものか。

 

「八幡の三段構え、一の陣、疾風迅雷!」

 

 短機関銃が火を吹くのにも構わず八幡が移動魔法で距離を詰め、もう一人、襲撃者の首を刎ねる。八幡の移動魔法の発動と銃火器の発射は、ほぼ同時。つまりは八幡はその身に銃弾を受けながら敵を斬った。

 

 襲撃者が展開した起動式から、ケイ素化合物の軟性弾丸に、射出時帯電、着弾によって放電する効果が付与されていたことが分かった。一種のテイザーガンなのだろう。どうやら達也を生け捕りにすることを狙っていたようだ。

 

 だが、それは完全に裏目に出た。ただでさえ高い再生力を持つ吸血鬼を相手に中途半端な武器を持ち込んだことで襲撃者たちは不利な戦いを強いられている。

 

 吸血鬼は達也にとっても敵だ。だが、達也の捕縛の命令を受けたUSNAの軍人と共闘ができるかと問われると首を横に振るよりない。下手に吸血鬼との交戦に入り、背中から撃たれたのでは堪らない。彼らには悪いが、介入をするのは襲撃者たちが全滅してからの方がよいだろう。

 

 そう考えていたが、襲撃者たちが全滅する前に、予想外の方向から更に戦いに介入する者がいた。

 

「僕の名は千葉修次。君のクラスメイトの、千葉エリカの兄だ。この場は僕が引き受ける。君は後ろに下がっていなさい」

 

 そう名乗りながら、一人の青年が達也と襲撃者の間に割り入ってきた。自分を監視している目があることは、達也も把握していた。それがUSNAとは別口であることも。

 

 だが、未だ達也への攻撃が行われない段で介入してくるとは、予想外だった。もう少し傍観に徹するものと達也は予想していたのだ。

 

「ありがとうございます。ですが、俺も戦います」

 

 千葉修次が近接戦闘では世界でも上位の実力を持つ魔法師であると聞いている。しかし、ただでさえ吸血鬼たちは再生能力が高い。得意としているのが近距離戦である千葉修次では二人の吸血鬼を相手にするのは厳しいだろう。

 

 加えて、目の前の戦いを見ても、八幡たちがこれまで見たことのある吸血鬼たちより、数段上の実力を持っているのは明白だ。再生能力までを考慮すれば、千葉修次は吸血鬼たちに敗北する可能性が高い。

 

「邪魔をするのなら、容赦はせんぞ」

 

 襲撃者の最後の一人を置いて、八幡が修次の方に向かってくる。直線的に突っ込んでくる八幡に対し、修次は突進、停止、方向転換、突進、停止を繰り返すことで、残像を生み出して八幡の攻撃を躱しつつ、すれ違いざまに八幡の手首に小太刀を一閃させた。

 

 修次の小太刀の刃先は黒い線に縁取られていた。だが、その刃では八幡に深手を負わせることはできなかった。明らかに手首を斬り落とす勢いで振り下ろされた刃は八幡の腕を浅く傷つけただけだった。

 

 八幡が左手に隠し持っていた短刀を修次に向けて投げる。達也はそれを分解魔法で消滅させた。吸血鬼本体は情報解析ができていないので分解魔法は使えない。だが、単なる短刀であれば分解は可能だ。分解魔法は、あまり人前では使いたくない魔法だ。だが、今回はあまり出し惜しみはしていられない。

 

 攻撃を無効化された八幡が下がり、もう一人の少年と合流した。ちなみに、もう一人の少年はすでに最後の襲撃者の首を刎ねている。

 

「あの大刀を持つ少年は首狩り五郎左の異名を持つ矢嶋五郎左衛門だ。接近戦では危険な相手だから注意した方がいい」

 

 修次がそう言ったことで、達也はもう一人の少年の名を知った。仕切り直しとなった両者が再激突に向けて僅かに腰を落とす。

 

 その瞬間、強烈な危機感が、達也を襲った。それは八幡と矢嶋も同様だったようだ。両者、刀を正眼に構える。

 

 直後、煌く光条が八幡と矢嶋に襲い掛かかった。光条の正体は、高エネルギープラズマのビームだ。

 

 八幡の太刀と矢嶋の大刀が、高エネルギープラズマのビームを迎え撃つ。

 

 何か不可思議な靄のようなものを纏った二人の刀身に当たる直前で、ビームが左右に分かれる。

 

 不思議なことにプラズマのビームは、道沿いに並ぶ建物へ届く前に消えている。

 

 達也は光条の推定射出地点へ目を向けた。

 

 遠く、闇に霞む車道の中央、街灯にボンヤリと浮かび上がる、真紅の髪と金色の瞳。水平に突き出した横木のついた杖のような物の先端を八幡と矢嶋に向ける、USNAの仮面の魔法師「アンジー・シリウス」がそこにいた。

 

 USNAの戦略級魔法師アンジー・シリウスの操る「ヘビィ・メタル・バースト」。それは、重金属を高エネルギープラズマに変化させ、気体化を経てプラズマ化する際の圧力上昇と陽イオン間の電磁的斥力を更に増幅して広範囲にばらまく魔法だ。

 

 二人から逸れたプラズマ光条が道路沿いの建物に被害を与えなかったのは、プラズマが届かなかったからだ。標的を通り過ぎるとプラズマがエネルギーを失うように術式が組まれていたのか、あるいはビームの終点にストッパーの役割を果たす力場を設定していたのだろう。

 

 ヘビィ・メタル・バーストを正面から受け止めた八幡と矢嶋だったが、すぐにリーナへの反撃に向けて動き始める。二人は達也と修次のことを放置してリーナへと向かって走り出した。達也は修次と一瞬だけ視線を交わし、二人で八幡と矢嶋の後を追う。

 

 リーナが杖から水平に突き出している横木の片側を握った。その杖の先端が煌く。

 

 細く絞り込まれた光条が八幡に向かって放たれる。その直前、額に掌をかざした八幡の顔に白い仮面が現れるのを達也は見た。そして、リーナから放たれた光条は、八幡から放たれた閃光によって相殺される。

 

「八幡の三段構え、一の陣、疾風迅雷!」

 

 驚くリーナに向けて八幡が移動魔法で接近して右手の刀を一閃させる。手に持つ杖状のCADで辛うじてそれを防いだリーナだったが、そこに矢嶋の大太刀が振るわれる。咄嗟に取り出したダガーで辛うじて軌道を逸らしたリーナだったが、矢嶋の斬撃の威力に押されて肩に浅くない傷を負っていた。吸血鬼と化した八幡と矢嶋は驚くべきことにUSNA最強の魔法師であるシリウスであるリーナを接近戦では押していた。

 

 達也にリーナを助ける義理はない。けれど、吸血鬼は達也にとっても敵だ。どうにも和解が難しそうな吸血鬼とリーナでは、どちらと手を組むかは明白だ。

 

「加勢するぞ」

 

 言いながら、吸血鬼に攻撃を仕掛ける。だが、霧散霧消が使えない以上、今の達也には吸血鬼に有効打を与える魔法が存在しない。ひとまず魔法をその手に宿した手刀を振り下ろすが、八幡の身体を浅く傷つけたのみだ。修次が小太刀で攻撃したときにも思ったが、八幡の身は強度の高い硬化魔法に覆われているようだ。

 

「ここは引こう」

 

 達也だけでなく、修次とリーナも八幡と矢嶋に致命傷を与えられていない。そして、致命傷でなければ二人は僅かの時間で傷を再生されてしまうことだろう。人数の有利に加えて、個々の純粋な戦闘力でも達也たちが上回っている。だが、防御力と回復力の差は如何ともしがたい。

 

 相手は何度も傷を負っても平気な様子なのに、こちらは達也以外は、一回でも直撃を受ければ終わりなのだ。一応、達也がいるので何とかできるとはいえ、それは二人は知らないことだし、教えるつもりもない。

 

 二人も不利は自覚していたようで、リーナが水蒸気を発生させて煙幕を作る。その中に紛れる形で三人はそれぞれ別方向へと散った。



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吸血鬼の襲撃

 USNA統合参謀本部情報部内部監察局第一副局長のヴァージニア・バランス大佐は予想外の事態に唇を噛み締めていた。バランスたちは当初の脱走者の追跡任務から、戦略級魔法師と目されているタツヤ・シバの拘束に作戦を移した。

 

 だが、タツヤを拘束するために送り出した部隊は、標的と交戦に入る前に乱入してきた吸血鬼たちによって壊滅させられた。更には参戦したシリウスは、一時的にとはいえ、標的と共闘した上で撤退を強いられるという有様だった。これだけでも頭痛の種なのだが、今しがた受けた報告は更に頭の痛い内容だった。

 

 それは、シリウスの支援のために送り出した部隊が使用しているワゴンが、別の吸血鬼の襲撃を受けているという報告だった。幸いなことに、支援任務のため、ワゴン車の通信機器は充実している。

 

「映像は入るか?」

 

「メインモニタに映します」

 

 メインモニタの映し出されたのは、一人の少年に弾幕を作って対抗する支援部隊員たちの姿だった。

 

「あの少年は……」

 

 そう呟いたのは、日本に潜入してからの期間が長い部下だった。

 

「知っているのか?」

 

「九校戦に出場していた選手の一人です。第三高校の生徒で、名前は確か新庄継之進」

 

「シリウス少佐と交戦状態に入った吸血鬼たちも確か第三高校の生徒ではなかったか? もしやこれは吸血鬼の仕業と見せかけた日本による我らへの妨害工作……いや、その線の可能性は低いか」

 

 吸血鬼たちはバランスたちの標的であるタツヤの他にもう一人、日本の剣士とも交戦状態に入っていた。そしてタツヤと剣士についても最初から協力関係にあるようには見えなかった。となると、バランスたち、吸血鬼、タツヤ、剣士という四勢力が入り乱れた状態であったと考える方が自然だ。

 

 モニタに意識を戻すと、吸血鬼は支援隊員たちにより、その身に多数の銃弾を受けていた。しかし、強力な硬化魔法を纏っているのか、その身に大きな傷を与えることはできていない。仮にも他国の首都で用いるのだ。高性能のサプレッサーに加えて炸薬も特殊なものを使用しているので、銃撃音はほとんどしない。だが、そのために少なからず威力は犠牲になっている。タツヤを襲撃した部隊もそうだが、今回もそれが完全に裏目に出てしまったようだ。

 

「新庄流抜刀術、風斬」

 

 その間に、吸血鬼が呟きながら抜刀した。吸血鬼の刃は支援隊員たちには届いていないはずだが、その刀身から生み出された刃が部下の身体を切り裂く。

 

 銃撃だけでは吸血鬼を倒せないと悟った支援隊員の三人が白兵戦に切り替えるべく大型ナイフを手にする。他はそのまま牽制のための銃撃を続ける中、三人のうちの一人がナイフを投擲し、残りの二人が高周波ブレードを纏ったナイフで切りつける。

 

 ナイフで斬りかかった二人の技量はそれなりに高かった。ただし、吸血鬼の腕はそれ以上だった。刀の間合いに入った瞬間、一人が袈裟に斬り倒される。その隙にと迫ったもう一人も返す刀で斬り倒された。

 

 二人を斬ったときの体捌きで、吸血鬼の近接戦闘能力の高さは伺い知れた。それよりも脅威だと感じたのは、銃撃をものともしない防御力だ。通常の相手であれば、銃撃を躱すなり受けるなり、何らかの対処をする。斬られた二人は、きちんと相手が何らかの対処をした隙を突く動きができていた。想定外だったのは、吸血鬼が銃弾に対して全く反応をしなかったということだ。

 

 支援隊員たちも戦闘訓練を積んだ兵士たちだ。玄人であればこその合理的な行動が、今回はマイナスに作用した。

 

 残った隊員たちはサブマシンガンで吸血鬼に攻撃を仕掛ける。支援隊員の中では最も接近戦に長けた二人が、あっけなく倒されてしまったのだ。銃弾がさほど効いていないことは承知の上で、無傷ではないと信じて撃ち続けることしかできないのだ。

 

「シリウス少佐、支援隊員の援護に向かえるか?」

 

「……すぐに向かいます」

 

「待て、シリウス少佐、負傷しているのか?」

 

 反応の鈍さから、バランスはシリウスの負傷を危惧して質問する。

 

「……左腕を骨折しています」

 

「わかった。シリウス少佐は援護には向かわず、帰投せよ」

 

 シリウスは首狩り五郎左と呼ばれていた吸血鬼の大刀を、左手のみという不十分な態勢でダガーで受けていた。その際に受けきれずに負傷したのだろう。シリウスを失うことは許されない以上、負傷した状態で吸血鬼との戦いに投入することは避けたい。

 

「このままでは全滅する。やむを得ん、散開して撤退させろ」

 

 支援隊員たちが全員が生き残るのは難しい。だが、散開すれば一人くらいの犠牲で助かるだろう。バランスの指示を受け、生き残りの三人の支援隊員たちが撤退を開始する。

 

「三十六計逃げるに如かずか。しかし、その判断は遅きに失したな」

 

 新庄継之進と呼ばれていた吸血鬼がそう呟いた瞬間、二人の支援隊員の頭を矢が貫いた。そして、最後の生き残りも新庄の手によって命を絶たれた。

 

「薄衣殿、見事な二本撃ちでござった」

 

「新庄殿が、よく引き付けておいてくれたゆえ」

 

 支援隊員たちは全滅したが、通信機器は未だ声を拾っている。どうやら新手の吸血鬼のようだ。

 

「新手の吸血鬼は確かウスギヌとか呼ばれていたな。その者の情報はあるか?」

 

「その者も第三高校の生徒だと思われます。今、情報を確認していますが……ありました。やはり第三高校の生徒で、薄衣尚之助という名です。どうやら弓の名手として高名な少年のようです」

 

「第三高校はここから離れたホクリクにある学校のはずでは? なぜ、これほど多くの生徒がトウキョウにいる?」

 

「わかりません。今は長期休暇中ではないはずですが……」

 

 日本に詳しい部下でも多くの第三高校の生徒が吸血鬼となり、しかも東京にいる理由はわからないようだ。まあ、この際、第三高校の生徒が吸血鬼となった理由は二の次だ。重要なのは吸血鬼がUSNAを敵視している理由だ。

 

「新ソ連の佐渡侵攻の際に活躍したのは義勇兵として参戦した北陸の魔法師たちでした。ですが、彼らの犠牲も少なくなかったと聞いています。第三高校の生徒の中にはその際に肉親や親族を失った者も多いでしょう。そこに、先の大亜連合による横浜事変が発生しました。彼らの潜在的な外国人に対する敵意が影響しているのかもしれません」

 

 部下の推測は間違っていないように感じた。

 

「こうなると、タツヤ・シバよりも先に吸血鬼に対処せざるをえないか……」

 

 今の吸血鬼の戦闘力は、初期に対処したスターズの隊員の吸血鬼をも超えているように感じる。

 

「シリウス少佐、タツヤ・シバと休戦協定を結ぶことは可能か?」

 

 シリウスが最寄りの隠れ家に帰還したところで尋ねると、当然だが少しばかり驚いた表情を見せた。

 

「敵対的な行動を取った直後に虫のいい話と思われるだろうが、貴官が吸血鬼に襲撃されている際、タツヤ・シバは援護するような行動を取っていた。可能性はあると思うが?」

 

「それは、再び脱走者の追跡を優先任務に戻すということですか?」

 

「そう考えてもらって構わない」

 

 タツヤ・シバと吸血鬼、どちらもバランスたちの敵だ。そして、タツヤ・シバを狙って作戦行動を取るにしても、常に吸血鬼の襲撃を警戒しなければならない。それならば、話の通じる相手と休戦し、吸血鬼の処分後に本来の作戦に戻ればいい。

 

 バランスの考えていることを理解したのだろう。シリウスは少しばかり嫌悪感を示した。バランスは吸血鬼退治の間だけ休戦し、その後はしっかりとタツヤ・シバの術式の無力化を行うつもりだ。人間としては外道だとバランス自身も思う。だが、それが国益となるのなら、バランスはどんな非道なことも行おう。

 

「では、頼んだぞ、シリウス少佐」

 

 バランスの覚悟が伝わったのか、今度はシリウスもしっかりと頷いた。



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暗闘の終結と七本槍への備え

 翌日の朝。

 

 USNA海軍所属の小型艦船が日本の領海を航行中、機関トラブルにより漂流していたところを防衛海軍に保護された、というニュースが活字、映像両メディアを賑わした。

 

 戦力の運用に制限のある秘密作戦中とはいえ、相手は一国の正規軍、それも地方軍閥に毛が生えた程度の小国の軍隊ではなく、極めつけの大国の、おそらくは精鋭部隊だ。

 

 漂流船が「保護」された時刻から見て、達也がUSNAの部隊と交戦直前に吸血鬼の介入を受けたことを報告してから、半日どころか更に半分程度の時間で精鋭部隊の作戦本部を襲撃して、指揮官を拘束した上で、海の上に放り出して保護させるという後始末まで完了された計算になる。おそらくは四葉本家が動いたのだろうが、達也から見ても驚くべき対応の速さだ。それだけUSNAに達也と深雪のことを探られるのが邪魔だったということだろう。

 

 そんなことを考えながら、一年E組の教室に入った達也は、いつもと違う空気を嗅ぎ取り左右に目を走らせた。

 

 原因はすぐに分かった。エリカがムスッとした顔で窓の外を眺めていた。体中から不機嫌のオーラが湧き出しているような姿だ。朝から不機嫌だったエリカだったが、行動を起こしたのは放課後になってからだった。

 

「達也くん、チョッといい?」

 

 そう言って達也はエリカから第一高校主校舎の屋上の庭園に呼び出された。この場所は事実上、市丸のテリトリーと化しているので、屋上には市丸も待っていた。

 

「USNAの小型艦船が漂流していたニュース。あれに達也くんは関わっているの?」

 

 達也がアンジー・シリウスことリーナと敵対する可能性があることは、すでに市丸の魔法により達也たちの間では周知の事実だ。そのシリウスが達也に攻撃を仕掛けようとしたとしか思えない事件の直後にUSNA艦船に異常が発生した。エリカが両者に関係があることを疑うことは自然なことだ。

 

「達也くん……貴方……何者なの……? あんな事、少なくともウチには……千葉には無理だわ。ウチだけじゃない。五十里だって、千代田だって、十三束だって無理。何をどうしたのか知らないけど、あんな結果が出せるのは、十師族の、それも……」

 

「もう止めないか?」

 

 達也の短い返事は、言外に答えられることではないという意思を込めたものだった。勘の良い市丸は、それだけでも達也の意思を理解してくれた。だが、エリカはそれが理解できなかったようだ。

 

「特に、力を持っている一族。首都圏を地盤にしているか、地域に関係なく活動できる家。北陸が地盤の一条は除くとして……七草か、十文字。あるいは……四葉。達也くん、貴方、まさか」

 

「止せと言った」

 

 達也は声を荒げたわけではない。声の調子や大きさではなく、そこに込められた意志が、エリカに口をつぐませた。

 

「おーこわ!」

 

 そこに市丸が気の抜けた声をあげてきた。

 

「何やろね、あの言い方、相変わらず怖いなァ」

 

「市丸、茶化すな。それよりエリカ、これ以上は、お互いにとって不愉快なことになる」

 

「……そうね」

 

 エリカがそう言ったことで、ひとまず達也の出自の話は終わりとなった。けれど、エリカはともかく、市丸にまで出自を知られてしまったのは好ましい展開ではない。

 

 達也としては昨日の千葉修次による介入は、千葉家が一族ぐるみで七草家の、あるいは七草家に使嗾された国防陸軍情報部の手先になって探りを入れてきたものか、とも考えたのだが、少なくともエリカは関与していなかったようだ。

 

「それで、これで用件は終わりか?」

 

「これで終わりなら、ボクが立ち会ったりせえへんよ」

 

「それはそうだな。それで、昨日の吸血鬼との件がリーナの件を含めて千葉修次経由で耳に入ったということか? そういえば、千葉修次はシリウスの正体を知っているのか?」

 

「さすがに、そんな大事なことを色々な人に喋ったりしないわよ」

 

「それならいい」

 

 市丸は牽制の意味も込めてリーナの正体をそれなりの人数に教えてしまったが、本来ならシリウスの正体はおそらくは国の重要な機密だ。あまり多くの人に吹聴して回って良い事柄ではない。

 

「それで吸血鬼の件だが、俺も放っておくつもりはない。何か分かったら教えるから安心してくれ」

 

「絶対、よ? その代わり、あたしもこの件では隠し事しないから」

 

 そう言ったエリカが市丸の方を見た。この件について隠し事が最も多いのは市丸であるだろうから、当然だ。

 

「ボクはすでに教えられることは教えとるからね。それにボクはすでに君らから教えられとる以上のことは教えとると思うんやけど?」

 

 確かに、この件については市丸から情報提供を受けるばかりで、達也側から有益な情報を渡せてはいない。そういった意味では、エリカは達也と違って市丸には、知っていることは全て教えろなどと言う権利はない。

 

「市丸は前にも吸血鬼の力が増している可能性はあると言っていたが、どう思う?」

 

「ボクの知っとる吸血鬼なら、何もなく徐々に力が増すゆうことはない。けど、特に相性の良い相手と一緒になった場合には本来の力を発揮できるようになった可能性はあるな」

 

 人間と同じで虚という存在にも得手不得手があるものらしい。それならば、融合した人間の適性により能力が上下しているように見えても不思議ではない。

 

「それよりも重要なのは虚と融合した人間が本来、持っとる思想やな。その人間が生前から持っとる嗜好と合致する方が虚との融合度も高まるからな」

 

「今回の吸血鬼は第三高校の七本槍と呼ばれる生徒だ。吸血鬼となっている可能性自体は一条からも聞いていた。一条の話によると今回の吸血鬼たちは元からかなり好戦的な性格な者たちだったようだ。それも戦闘力が高くなった原因の一端なのかもしれない」

 

「面白いじゃない」

 

 エリカは元は一条たちと一緒に吸血鬼の捜索を行っていた。そのとき七本槍が接近戦に長けていることを知ったのだろう。剣士としての本能がうずくのかエリカが挑戦的な笑みを見せた。

 

「残念だが、エリカでは吸血鬼を倒すのは難しいと思うぞ」

 

「あたしじゃ無理って言うの?」

 

「そうだ。昨日は千葉修次が第三高校の八幡甚十郎と戦闘になっていた。戦闘技術自体は千葉修次の方が上回っていた。だが、八幡は身体にかなり高強度の防御魔法を纏っていて千葉修次の攻撃でも深手を負わせることができなかった。エリカが吸血鬼に深手を負わせようと思えば、これまでとは別の攻撃手段が必要だろうな」

 

「威力を上げるだけなら方法はあるわよ」

 

 エリカが不快そうに言った背景には千葉修次が敵わなかったという報告にも原因があるのだろう。それはともかく、エリカは横浜事変の際には直立戦車を両断したと聞いている。その威力であれば、さすがに吸血鬼も斬れるだろう。

 

「だが、そんな威力の攻撃を吸血鬼相手に当てることができるのか?」

 

 普段の攻撃と同じ速度で、大威力の攻撃を放てるのならば何の問題もない。けれど、装甲兵器を破壊できる技を対人戦で有効に使うのは難しいだろう。ましてや、第三高校の七本槍はいずれも戦闘巧者という話なのだから。

 

「わかったわ。要は吸血鬼相手にも有効な攻撃を編み出せってことね」

 

 エリカはそう言うが、戦闘巧者に当てることができる素早い攻撃と、高密度の硬化魔法を破れる大威力の攻撃を両立させることができるのだろうか。それを両立できないからこそ、全力での攻撃と速度を優先する攻撃というものが存在するのだから。

 

「千葉、悪いことは言わん。一人で吸血鬼を倒すことは諦めた方がええ。深手を与えることができんでも、斬撃で相手の足を止めることはできる。千葉は持ち前の速度を生かして吸血鬼を屠れる攻撃の支援に専念し」

 

 エリカは不満そうだが、市丸の言っていることは合理的だ。エリカの長所は敏捷性なのだから、それを生かす方が良いと達也も思う。

 

「わかったわ。もしも有効な攻撃方法が編み出せなかったら、その方向で考えるわ」

 

 戦闘巧者のエリカが市丸の発言の正しさを理解できないはずがない。エリカは渋々という様子ながら市丸の言葉に同意を示した。



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青山霊園へ

 千葉エリカは兄の部屋の前で立ち竦んでいた。エリカにしてみれば、自分にこんな気弱なところが残っていたことは、全くの予想外で予定外だった。

 

 母屋に入るのに気後れはないが、父親や関係のよくない異母姉と会うのは避けたい。その二人ほど抵抗は無いが、長兄の千葉寿和と顔を合わせるのも気が進まない。けれど、次兄の千葉修次だけは家族と感じられる相手であったはずなのに。

 

 とにかく、他の家族に会わないためには、さっさと用件を済ませて離れの自室に戻るのが最良で、廊下でグズグズしているのは最悪だ。今日はこの後の予定もあるのだから。

 

「次兄上、エリカです」

 

 そう声を掛けると、修次はエリカを自室に招き入れてくれた。

 

「こんな時間にどうしたんだい?」

 

「兄上は、第一○一旅団、独立魔装大隊という名前の部隊をご存知ですか?」

 

「何故エリカがその名を知っているんだ?」

 

 エリカの予想以上に、修次はその名称に強い関心を示した。

 

「実は……兄上の護衛対象である私のクラスメイト、司波達也くんは、その独立魔装大隊の特務兵なのです」

 

「何だって……?」

 

「申し訳ございません。本来なら先日お話をうかがった際にお伝えしておくべきだったのですが、風間少佐と仰る方より、国家機密に属する事項だと固く口止めされていたものですから」

 

「風間少佐……? 『大天狗』風間玄信か!」

 

「大天狗、ですか?」

 

 兄の反応に、今度はエリカの方が驚きと共に首を傾げた。

 

「ああ、山岳戦・森林戦における世界的なエキスパートとして知られている古式魔法師だ。空挺部隊の運用においても、現在、国内屈指の名指揮官と言われている人だよ」

 

 修次の顔と声には興奮と畏怖が混在していた。

 

「大越戦争は知っているね? あの紛争で、インドシナ半島南進を目論む大亜連合を相手にゲリラ戦を繰り広げていたベトナム軍に加わって、大亜連合軍、中でもその先遣隊の高麗軍から悪魔か死神のように恐れられたそうだ」

 

 修次が小さく息を吐いた。興奮は憧憬に、畏怖はため息に変わった。

 

「それが二十代前半、今の僕とそれほど変わらない年頃でのことだというのだから、ある意味で伝説の人物だね。もっともその所為で、大亜連合との正面衝突を回避したかった当時の軍中枢部から睨まれ、出世コースから外れてしまったそうだけど」

 

 功労者が事なかれ主義の犠牲になる構図がここにもあった。

 

「噂の独立魔装大隊は、風間少佐の率いる部隊だったのか……ならばあの、都市伝説じみた数々のエピソードも頷ける。そして司波達也君がその部隊の一員だというなら、年に似合わぬあの技量も少しは納得できるというものだ」

 

 修次は自分に言い聞かせるように呟いていた。

 

「兄上。私が風間少佐にお目に掛かったのは横浜事変の折です。あのような非常時でもなければ、司波くんの秘密を明かされることはなかったでしょう。それほど重要度の高い機密なのだと、私はその時に感じました」

 

「うーん……独立魔装大隊自体が、秘密部隊の性格を持っているからね。そこに高校生が非正規兵として加わっているとなると、確かに、余程の理由が存在しているんだろうな」

 

「私が禁を破って兄上に司波くんのことをお伝えしたのは、まさにその事を分かっていただきたかったからです」

 

「つまりエリカは、これ以上、彼の内情に踏み込むべきではないと言うんだね? ところで市丸ギンという少年にも何かあるのかな?」

 

 横浜事変直前に修次は大亜連合の工作員、呂剛虎と戦った際に市丸の実力の一端を見たと言っていた。そこから市丸も何らかの特殊な立場にあると感じたのだろう。

 

「市丸くんは吸血鬼退治を専門としている組織に所属しているようです。それ以上のことは私もよくわかりません」

 

 こと近接戦に限れば市丸の戦闘能力は達也をも上回る。だが、それが吸血鬼退治を行う組織に由来するものなのかはわからない。

 

「ともかく藪をつついて蛇を出す結果になっては、兄上の為にも、千葉家の為にもならないと存じます。ましてやその蛇が、猛毒を持つ大蛇かもしれないとなれば」

 

「ふむ……確かに、エリカの意見は理に適っている。しかし学生とはいえ、僕は既に軍属だ。正式な命令には逆らえない」

 

「でしたら、表向きの命令にのみ従えばよろしいのではありませんか? あくまでも護衛として振る舞い、彼に対する攻撃があった場合に、対応するに止めるのです」

 

「なる程……分かった。その線で考えてみよう」

 

 何とか、「四葉」の名を出さずに次兄を説得することができたようだ。エリカは安堵した顔を見られぬように一礼し、目を合わせぬまま修次の部屋を辞去し、自室に戻った。

 

 離れにある自分の部屋に戻ったエリカは、机の上で着信サインを点滅させていた情報端末のメールを読み「青山霊園か」と呟いた。そのまま椅子に腰を落ち着ける間も無く、着ている物を脱ぎ捨てる。良家の子女にあるまじき御行儀の悪さだったが、修次の説得で消耗した心を鼓舞する為にあえてやったことだ。

 

 エリカは手早く身支度を整えて離れの外に出る。そこには「エリカ親衛隊」の面々が控えていた。彼らは今回の「吸血鬼事件」における千葉家の部隊の中核、つまりエリカの手足となって働いている。彼らと共にエリカは戦場へと足を運ぶ。

 

 青山の高架駅から地上第一層の歩道に降りたところに、幹比古、レオ、一条と吉祥寺の四人が待っていた。そして、青山霊園の脇で更に達也と深雪と合流する。独自の行動を取る市丸以外の全員で今日は吸血鬼が潜伏していると予測される青山霊園を捜索することにしている。これで準備は整った。

 

「おい、そこで何をしている!」

 

 だが、いよいよこれからというところで、警察の制服を着た二人の若い男が街灯の向こうに自転車を止め、大声で詰問しながら駆け寄ってきた。

 

「アンタたち、何者? 知らない? 現在この区画に警官はいないの。そういう命令が出ているからね。ウチのバカ兄貴も、こういう所で抜かったりしない」

 

 そう言ってはみたものの、エリカの言葉は何の根拠も伴っていない。

 

 本物の警官であれば、鼻先で笑い飛ばして然るべきセリフだった。

 

 それなのに、エリカの前に立つ若者は動揺を見せてしまった。

 

「ミキ!」

 

 偽警官を用いる作戦が失敗したと判断したのか、その直後に黒い影が頭上から幹比古に襲い掛かってくる。霊園を囲む塀を飛び越えて襲って来たのだ、と認識した時には、迎撃が間に合わないタイミングに思えた。

 

 だが、その黒い影を迎撃する者がいた。それは、いち早く襲撃を察知した達也だった。

 

 達也に振り下ろした棍棒を撃ち払われた男が着地する。その直後を狙ってレオが風を切る勢いの鉄拳を叩き込んだ。

 

 しかし、その拳は、襲撃者の身体を浅く捉えただけで引き戻された。

 

 襲撃者は、接触する相手に高圧電流を流し込むスーツを身に纏っていた。

 

「レオ、離れて」

 

 レオを襲った男へ向けて幹比古が援護の術を放とうとするが、何か輪のような物が横合いから飛んできてCADにぶつかった。CADを落とすことはしなかったが、術は中断を余儀なくされる。

 

 それが一種のブーメランだと、投擲した敵の手に戻ってようやく分かる。もちろんただのブーメランなら、標的にぶつかれば運動エネルギーを失って持ち主の元へ戻ることなどあり得ない。何らかの魔法武器なのだろう。

 

 敵はそれだけではなかった。建物の陰に気配を感じたと同時に、プシュッ、と圧搾空気の解放された音が聞こえた。道路の向こう側から飛んで来たのは、昔のジュース缶二つをつなげた程もある砲弾だ。

 

 一条が風の塊を放ち、砲弾を叩き落とそうとする。だが、砲弾は空中で停止すると、中から網が現れる。八角形の網の八つの頂点では、超小型のロケットモーターが火を噴いて運動量を補っている。

 

 今日の襲撃者たちは、色々と特殊な装備を持ち込んでいる。そして、エリカに最初に声を掛けてきた二人も、演技の方はお粗末だったが、荒事の方はかなりの腕だ。

 

 だが、それでもエリカたちの優位は揺るがない。こちらには達也、深雪、一条に吉祥寺と強力な魔法師が四人もいる。更に戦闘力ではエリカ、幹比古にレオもそれなりだ。そして、エリカの親衛隊四人もいる。緒戦こそ奇襲で攪乱させられたが、時間が経つ毎にエリカたちの優位は広がるばかりだ。

 

 だが、その前に事態は予想外の方向に動いた。



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森崎の覚醒

 森崎駿の家業はボディーガードだ。家業の性質上、周辺の治安状況は常に気を配っている。明確な殺意を持った相手の襲撃であれば、治安状況が良かろうと襲撃は起こるが、金銭目的であれば周辺の治安は無視できない要因だからだ。

 

 その家業に関係する情報収集の中で、都内の繁華街を中心に不審死が多発しているという情報を得た。不審死しているのは繁華街に出入りしている一般層で、死者に富裕層がいたという話はない。そのためボディーガード業に直接の影響はなさそうだというのが、父をはじめとした皆の考えだった。ただし、不審死が続くと社会不安に繋がる可能性があるので要注意とも言っていた。

 

 ということで、不審死は今のところ家業に影響はないということになった。ただし、その中で無視できない情報があった。

 

 それは、不審死が起きている周辺で、戦闘の行われている形跡があるということ。そして、戦闘および不審死が起きている周辺で、度々高校生と思われる姿が目撃されているということだった。

 

 高校生が戦闘を行っているとなれば、第一高校の生徒の関与を疑うのが自然だ。先には学校内でも戦闘が行われたのだ。森崎にとって、その情報は無視できるものではない。

 

 だから森崎は今日、その情報の真偽を自分の目で確かめるべく都心部を訪れていた。

 

「さて……とはいえ、どこに行けばいいのか……」

 

 都心部といっても広い。今のところ森崎に明確な目的地はない。けれど、妙に気になる方角があった。

 

「あちらにあるのは青山霊園か……」

 

 明確な根拠があるわけではない。けれど、嫌な感じがする。

 

 何かに導かれるように森崎は青山霊園の前にたどり着いた。霊園を囲む塀の向こうに何かよくないものの気配を感じる。

 

 森崎は索敵系の魔法は有していない。それなのに、なぜ塀の向こうの存在を感じることができるのか。それは森崎自身にもわからない。けれど、第一高校に現れた存在と同じものがいると理解できた。

 

 跳躍の魔法を使って森崎は青山霊園の中に足を踏み入れた。その瞬間、背中に嫌な汗が伝うのがわかった。今になって相手が自分よりも遥かに格上の相手だと思い知らされた。

 

「何者だ?」

 

 森崎の問い掛けに一人の男が霊園の中の木陰からゆっくりと姿を現した。その男の顔は、森崎もよく知ったものだった。

 

「お前は……新庄継之進」

 

 新庄はすでに闘志を漲らせている。完全に森崎を敵として認識しているようだ。

 

 九校戦の折には森崎は新庄に勝っている。だが、それは相手に物理攻撃を加えてはいけないというルールに助けられた面もあってだ。戦闘力のみでの勝負となったときに新庄に勝てるかと言われると、自信はない。

 

「いつから辻斬りになった?」

 

「辻斬りなどいたす気はござらぬ。されど、我らの邪魔をするというのなら容赦はせぬ」

 

「その邪魔というのがよくわからないのだけどな」

 

「ふむ……其方は我らと敵対する第一高校の者たちとは無関係と言うのか」

 

 問い掛けに森崎が頷くと新庄から敵意が薄れ、考え込む様子を見せた。口調から何となく感じていた、新庄が正々堂々とあることを好む人物というのは間違いなかったようだ。あるいは、このまま戦闘を回避することができるかもしれない。

 

「すまない、新庄。お前たちが最近、都内で起きている事件の加害者ということで間違いはないのだな」

 

「然り」

 

「……そうか。それなら仕方無い。僕は君を……敵として処理する!」

 

 我らの邪魔という言葉から考えると、何らかの事情はあるのかもしれない。けれど、それでも新庄たちが都内で人々を殺害して回っている犯罪者ということに間違いはない。それを知った以上、新庄たちを見逃すことはできない。

 

「そうか。それでは、結局はこうなるということだな」

 

 言いながら、新庄が抜刀する。それに合わせて森崎も右手に脇差を、左手には愛用の特化型CADを構える。この戦闘スタイルは九校戦での新庄との戦いを経て、近接戦を主眼にした戦い方は自分に合わないという実感から作り出したものだ。

 

 右手の得物を脇差に変えたのは市丸の影響もあるが、より速度重視の戦いとするためだ。そして、左手の特化型CADでも速度重視の魔法を使う。また、左腕にはブレスレット型のCADを装着しているので、魔法の多様性も確保している。

 

 新庄が右手の刀を一閃させる。今、新庄の手にあるのは刀剣型のCADではなく、普通の刀だ。普通ならば、ただの刀をその場で振るったとしても、何も起こらない。けれど、そのように高を括るのは危険だ。そう考えて身構えていたおかげで、新庄の刀から飛来した風の刃を躱すことができた。

 

 接近戦では新庄の方に分があることは、九校戦の折に理解している。森崎は中距離戦を挑むべきだ。まずは敵の接近を阻むべく圧縮空気弾を放っておく。

 

 だが、新庄は森崎の意図に反し、圧縮空気弾へと突進をしてくる。新庄は九校戦の折にも頑強さを見せていた。しかし、それでも森崎の圧縮空気弾を無視することはできないはずだ。けれど、今の新庄は全く痛手を感じているように見えない。

 

「覚悟!」

 

 新庄が突進の勢いのままに右手に刀で袈裟に斬りつけてくる。だが、圧縮空気弾を耐えながら振るわれた刃に万全の態勢で振るわれたときほどの鋭さはない。最小の動きで新庄の一撃を躱し、逆に手首へと脇差を滑らせる。

 

 だが、その刃は新庄の手首に傷を負わせることができなかった。新庄は非常に高強度の硬化魔法を纏っているのか、森崎の刃を完全に弾いた。

 

 森崎の一撃は手首を斬り落とすほどではなかったが、今後は二度と剣は握れぬかもしれない程度の傷を負わせられる威力だった。それが全くの無傷というのは完全に想定外の出来事だった。一方の新庄はそうなることを予想していたようで、次の行動に移るまでが極めて迅速だ。

 

 その結果、森崎は新庄の刀を反転させての一撃を受けきることができなかった。咄嗟に身体を捻ることで即死は免れることができたが、脇腹を深く切り裂かれた。自分でも致命傷だとわかる重症だった。

 

「ぐっ……」

 

 立っていることができず、森崎は膝をつく。辛うじて右手に脇差を持ったまま、左脇腹の傷口を抑える。

 

「その傷では最早、助からぬのは明白。苦しませるのは拙者の本意ではござらぬ。介錯をいたすゆえ、その手の剣を離してはくれまいか」

 

「断る。例え結果が苦しんで死ぬだけとなろうとも、まだ死んでいないうちから生を諦めることも、君を斬ることも諦めるつもりはない」

 

「然様か、ならば致し方なし。されど、そうと知れば無暗に近づかぬぞ」

 

「合理的な考えだ。批難することはしない。それならば、君をここで一秒でも長く足止めできることで良しとしよう」

 

「そうか。正々堂々と言いながら、このような手段を取る己を恥じるばかりだ」

 

 そう言った新庄は森崎が反撃の機を窺っていることを理解して、風の刃を放つ構えのまま動かない。そのうちに森崎は視界が霞んでくる。

 

「もう、楽になられよ」

 

 そう言った新庄が風の刃を飛ばしてくる。辛うじて、それは見えていた。だが、躱すだけの体力は、すでに森崎には残っていなかった。

 

 このまま自分は何もできずに死んでしまうのだろうか。また、何も守れずに。

 

 また? 自分は何かを守れなかった経験があっただろうか?

 

 自分の考えが自分でも理解できない。けれど、このまま何も守れないままで死んでしまうということは絶対に嫌だ。それも、自分の力を全て発揮しないままで。

 

 全ての力? 自分にどんな力があるというのだろう?

 

 自分の考えが纏まらないまま、心の奥に微かに見えた光に手を伸ばす。それを掴んだ瞬間、全てを思い出した。

 

 自分はまだ、戦える。そのための力も、この手の中に。

 

「面を上げろ、侘助」

 

 森崎は、自身の力を取り戻すための言葉を口にする。




当初から絶対に市丸の下には彼を出したいと考えていて、とにかくねじ込み。
けれど、そのせいで市丸と森崎の絡みという点は不自然さが出ることに。
そして、この件をぼかすための視点操作等にも苦労することに。

やっぱり変なねじ込みより最初から彼として出しといた方がよかったかも、と今更ながら考えてみたり。


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前世からの因縁

 市丸ギンは夜の街を駆けていた。

 

 そもそも今回の虚が関わった一件、市丸の初動は遅れに遅れた。

 

 それは市丸が現在、居住している八王子と都心部の距離が離れすぎていて、市丸の探知能力では虚の存在を感知することができなかったためだ。

 

 更に、当初は警察が不審死が連続していることに報道規制を敷いていたことも悪い方向に作用した。現在の市丸には未発表の情報を入手できるような伝手はない。そのため衰弱死という虚の関与が疑われる事例が起きていると知ったのは、すでに多くの被害が発生してからのこととなった。

 

 そして、それからの討伐も苦戦させられることになった。かつては隊長まで務めた市丸なので、虚と融合した人間の処分自体はそこまで難しいことではない。けれど、まず虚と融合した人間を捜索するのが難しかった。

 

 都心部の繁華街といっても広い。死神時代のように技術開発局の補佐がない状態で、単独で都心部を探索しきるのは無理だ。加えて言えば、どうやら融合した虚の中に中級大虚以上の知能を有している個体がいたようで、途中から襲撃の直前まで霊圧を隠すようになってしまった。そのせいで、それ以降は討伐が全く捗らなくなってしまった。

 

 情報を得る術を求めて達也にも接触してみたが、有益な情報は得られなかった。そうして無意味に時間ばかりが過ぎることになった。

 

 そうして今日、市丸は渋谷の街を巡回しているときに虚の気配を感じた。虚の気配は市丸も知ったもので、確か九校戦のモノリス・コードで対戦した第三高校の新庄。そして、どうやら新庄は森崎と交戦中のようだった。

 

 新庄と森崎では、ただでさえ新庄の方が上に思えた。その上、虚の力も得ているとなれば森崎に勝ち目はない。

 

 急いで戦場に向かうが、余程のことがなければ間に合いそうにない。そして、その予想のとおり市丸が到着する前に森崎の霊圧が消えかける。残念ながら、森崎は助からないかもしれない。

 

 そんなことを考えたところで、急に森崎の霊圧が跳ね上がった。そして、その霊圧は市丸にとって馴染みの深いものだった。

 

「面を上げろ、侘助」

 

 ようやく到着した先、そう言った森崎の手には特徴的な鉤状の刀がある。

 

「ようやく目覚めたんか。えらいお寝坊さんやったな……イヅル」

 

「申し訳ございません……市丸隊長」

 

 そこにいたのは、まぎれもなくかつては部下であった吉良イヅルだった。イヅルの残滓ともいえるものが、森崎の中に眠っていることは初めて目にしたときからわかっていた。だから当初は色々と刺激を与えることもしてみたが、効果はなかった。

 

 そして、九校戦以後は無暗に今を乱すことはないと考えを改め、接触を控えていた。しかし今、虚を前にして、ようやく自身の中に眠っていた力を取り戻したようだ。

 

 力を取り戻したとなれば、新庄などは敵ではない。そう考えて対処を任せようかと考えたところで、新庄にも異変が起こる。

 

「其方ら二人とも、死神であったか。ならば、遠慮はいらぬな」

 

 そう言った新庄の顔に白い仮面が現れた。更に、新庄は仮面に爪を突き立てる。

 

「吹き散らせ、風破鳥」

 

 新庄の顔を覆っていた仮面が割れる。その瞬間、新庄の背中から巨大な翼が現れた。

 

「破面の力を得とったようやな、イヅル、下がっとき。こいつはボクがやったる」

 

 今のイヅルは力の片鱗を取り戻したばかり。昔は持っていた力とはいえ、急に十全に力を発揮するというのは難しい。そして、市丸ならばさほど強くない破面と融合した程度の新庄を倒すことなど、難しくはない。だが、市丸が新庄を倒すことはできなかった。

 

「ここで配下を失うわけにはいかんな」

 

 その前に、話に入ってくる存在があった。これまでは霊圧を極限まで抑えていたのだろう。急に体が重く感じるほどの霊圧を感じた。それは今世では初めて感じるほどの強力な霊圧だった。同時に、それがかつて感じたことがあるものであることにも驚く。

 

「久しいな」

 

「えらい知恵の回るのがおるとは思っとったが、まさかキミやったとはな……バラガン」

 

 現れた強力な虚の外見は外套を纏い王冠をかぶった骸骨。それは、紛れもなくかつて藍染が率いた破面たちの一人。第2十刃であったバラガン・ルイゼンバーンであった。

 

「随分と弱まったようだな、市丸」

 

「そういうキミも十刃であった頃から比べると、えらい弱うなっとるやないの」

 

 バラガンはかつては藍染の部下であったので、市丸とはいわば同僚のような間柄ともいえる。とはいえ、バラガンが藍染の部下となったのは、藍染が絶対的な力で押さえつけてのものだったので、むしろ藍染に対しては明確な敵意を抱いていた。藍染の右腕と認識されていた市丸に対しても敵意を抱いていると考えた方がいいだろう。

 

 十刃であったバラガンが相手では、今の市丸では歯が立たない。けれど、今のバラガンは帰刃後の外見をしているにも関わらず、感じる霊圧は普通の最上級大虚であったときの方が大きいくらいだ。今のバラガンが相手であれば、相当に不利ながらも、一応は戦いらしき状態には持ち込めそうだ。

 

 もっとも、それは霊圧のみを比べた場合のことだ。バラガンの能力はすべてに「老い」を与えるというもの。それにより相手の攻撃の能力を著しく減衰させることができる。この能力をどこまで使えるかによって、ただでさえ低い勝機はかなり低くなるだろう。

 

「それにしても、どうやってか知らんけど、せっかく蘇ったというのに死神に目ぇつけられんように魂魄に手を出さんようにするなんて、虚圏の王もえらい丸うなったものやな。その割には従属官を作ってみたりして……何が狙いや」

 

「ふん、そもそも蘇ったのは儂の意思によるものではない。儂は人間どもに呼ばれただけ。わざわざ儂を呼び出した報いは受けさせても問題はないと思わぬか?」

 

 どうやらバラガンの復活には人間側に原因があったようだ。

 

「それで、わざわざ姿を現したのは、そこのを回収するためだけやの?」

 

「そうだな……ここで決着をつけてもよいが、今日のところは退いておこう。察するに、貴様たちは敗れたのであろう?」

 

 百年前と何も変わらない今を見れば、藍染が敗れたのを察するのは難しくない。そして、バラガンであれば市丸が転生を果たした後であることも気づいているはずだ。

 

「最初に言っとくで。ボクは藍染のことは敵やと思っとった」

 

「ふん、そのようなこと、興味はないわ」

 

 藍染に対しての敵意を、そのまま市丸に向けられても困るので釘を刺しておいたが、どうやら余計なことであったようだ。前世のことは前世のことと割り切っているのだろう。

 

「お互い図らずもおかしな環境に放り込まれたものやな」

 

 市丸の言葉に、バラガンからの返答はなかった。けれど、同意をしているような気配は伝わってきた。

 

「それで、この後はどうするつもりなん?」

 

「少しばかり立場は変わったようだが、儂と貴様が敵であることは変わりない。それに貴様の器は儂にとっても有用だ。雌雄を決した後は儂の手駒として使ってやろう」

 

 なるほど、バラガンが魂魄を食わなかったのは、虚と融合するのに適した人間を選別し終えるまでは死神と敵対しないための策だったようだ。そうして適切な器を手に入れた後に魂魄を食らって一気に強化を行い、死神との戦いに備える。おそらくはそんなところだろう。それならば、市丸とイヅルは最高の器ということになる。そういうことなら、今ここで市丸を放置するのは、今から派手に戦うには準備不足ということだろう。

 

「次に会う時は、雌雄を決するときということやな」

 

 相変わらずバラガンから返答はない。けれど、今の無言は雄弁な肯定だった。次の戦いはバラガンが手駒として加えた人間たちも加えた激しい戦いになるだろう。それを避けるための最善は、ここでバラガンを斬っておくことなのだが、正直、今の市丸では勝率は低い。次の機会では勝率は上がるとは言えないが、打つ手はあるはずだ。

 

 そう考えて、市丸は消えるバラガンと新庄を黙って見送った。



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敵の情報

 達也が襲撃者たちと交戦状態に入ったエリカ、レオ、幹比古や一条たちに加勢しようとしたところで、青山霊園の中から異様な気配が膨れ上がるのを感じた。それは、これまでに感じたことのないものだった。あまり恐怖というものを感じない達也が、魂が恐れを抱いていると感じるほど。それだけの重圧に達也は身体を硬直させる。

 

 重圧を感じたのは達也だけではなかった。エリカや一条に敵側の襲撃者など、その場にいるすべての人が動きを止めてしまっていた。

 

「お兄様、これは……」

 

「何が起こっているのかはわからない。けれど、こんなところで人間同士で争っている場合ではなさそうだ」

 

「そうね。ここは一時、休戦ってことでどう?」

 

 エリカの提案に襲撃者たちは答えを返さなかった。だが、互いに顔を見合わせた後、微かに頷くと、こちらを向いたまま後退して姿を消した。命令を受けて行動する者たちが独自の判断で命令を放棄する。それだけの異常事態だと思わせるだけの重圧は、今も青山霊園の中から発せられ続けている。

 

「貴方たちはここで周辺を警戒していて」

 

 襲撃者たちが姿を消したところで、エリカは自分が連れてきた千葉道場の者たちにそう伝える。エリカが連れてきた者たちはいずれも腕の立つ者たちだった。けれど、それでも感じている重圧から考えると力不足だ。それと、千葉家の関係者は治安維持に関わっている者たちが多いので、自分たちに何かが起きたときにも適切に対処ができるだろうという信頼もあるのだろう。

 

 そうして、達也は深雪、エリカ、レオ、幹比古、一条、吉祥寺の七人で青山霊園の中に突入した。敵の居場所は今も感じる異様なほどの重圧が教えてくれる。だが、達也たちが到着する前に、その気配は消えた。

 

「気配がなくなったな。どうする、司波」

 

「何か情報が得られるかもしれない。警戒は続けながら進もう」

 

 聞いてきた一条にそう答えて歩みを進める。それまでは異様な気配の存在が強すぎて気付いていなかったが、この段階では達也は異様な気配が存在していた辺りに市丸と森崎の情報があることに気付いていた。

 

 市丸が異様な気配の側にいることは、さほど不思議ではない。悪霊退治の専門家であると言っていた市丸が渦中にいることは、むしろ自然なことだ。問題はなぜ森崎がいるのかということだが、九校戦の頃から森崎は市丸に師事を受けていたように感じた。その流れで悪霊退治を手伝っているのかもしれない。ともかく気配を感じた場所まで向かうと、そこには自分の傷を治療している森崎と、その傍に立つ市丸がいた。

 

「森崎、その魔法は?」

 

 森崎は治療魔法を使えなかったはずだ。何より森崎が使っている魔法は達也の知る魔法ではなかった。

 

「君らが知らんでええことや」

 

 どうやら魔法の秘密については教えてくれる気はないようだ。

 

「市丸、ここで何があった?」

 

 そう聞いたのは一条だ。聞かれた市丸は少しだけ考えた様子を見せた後、口を開く。

 

「第三高校の新庄が虚……まあ悪霊みたいなものやな。それに取り込まれた」

 

「取り込まれた新庄はどうなる?」

 

「元に戻るってのは、まず無理やろな。新庄なんか背中から羽が生えとったからな。あれが普通の人間に戻れるとは思えんな」

 

 とりあえず新庄が敵となったことは、ほぼ間違いないようだ。けれど、新庄の現状については、急に背中から羽が生えたなどと言われても達也には今一つイメージが掴めない。それは一条も同じであったようで困惑した様子を見せていた。

 

「さて、人間に戻せんとして、君らは新庄をどうするつもりや」

 

「簡単なことだ。新庄が人の敵に回ってしまったのなら、俺たちは新庄を討つ」

 

 九校戦の折に見ただけだが、一条はそれなりに新庄を信頼していたように見えた。けれど、新庄を討つと言い切った一条に迷いはないように思えた。

 

「そうか、けど、それは難しいと思うで。新庄は虚の中でも特殊な固体しか使えん帰刃ゆう能力を使っとったからな」

 

「それを使ったら、どうなるんだ」

 

「帰刃した人間はかなりの強敵やと思うで。全員が使えるとは限らんけど、攻防ともに強力な能力を身に着けていると思った方がええ」

 

「その強力な能力というものはどういうものなんだ?」

 

 吸血鬼は達也たちにとっても敵だ。その敵が新たな能力を身に着けているのだとしたら、情報はあるに越したことはない。

 

「まず攻撃面では、虚閃ゆう強力な閃光状の攻撃を放つ能力、虚弾ゆう虚閃の威力を弱める代わりに連射できるようにしたもの、この二つが主やな。そして防御面では鋼皮ゆう皮膚に強固な防御能力を持たせるもの。代わりに高い治癒能力を得られる超速再生は失うことになる場合が多いな。そして、響転ゆう高速移動能力を持っとる可能性も高いな」

 

 つまり攻撃、防御、機動力の全てで強力な能力を得たということになる。それでは、市丸が強敵と評するのも頷ける。

 

「ちなみに、その能力は人間に近い状態でも得ることはあるということでいいか?」

 

 達也の頭に思い浮かんだのは第三高校の八幡甚十郎だ。少し前に千葉修次と八幡が交戦した際、八幡は千葉修次の攻撃を手首に受けながら、ほぼ無傷だった。その時は元から使用できていた硬化魔法の能力が強化されているだろうと思ったが、今の説明を聞くと、鋼皮という能力だったのかもしれない。

 

「達也には言ったことがあるけど、虚は個体差が大きいんや。こればかりは可能性はあるゆうことくらいしか言えんな」

 

「けれど、最悪はそれらの能力すべてがあると見て備えておくべきということか?」

 

「最悪ゆうことなら、駄目やな。今しがた伝えた能力は一般的な虚の上位種なら持っとると思っとった方がええ能力や。それ以外に固有の能力を持っとる可能性も高い。けれど、それは想定するのが難しいんや。予想が難しい能力に対して、あれこれ想像しても自分の手足を縛るだけや」

 

 確かに可能性が無数の状態であれば、想定をするだけ無駄だ。それにしても、達也はなまじ魔法の知識が豊富であるがゆえに、本当に未知の魔法というものには出会うことは少なかった。その数少ない例外が市丸だ。市丸の使う魔法は達也にとっては未知のものばかりで、次に何をするのか想像ができない。ということは、市丸を相手にしていると考えればいいということだろうか。

 

「いや、それだと想定する相手が強すぎるか」

 

 市丸は達也が知る相手の中でも最高クラスの強者だ。市丸を敵と想定したのでは、対応が後手後手となりかねない。

 

「想定でいいから聞いておくぞ。先ほどお前が言った鋼皮というのは、どのくらいの力であれば破ることができる?」

 

 達也は分解以外に強力な魔法が使えない。そして、分解が吸血鬼には発動させられないことは、これまでに経験済だ。当然、より強力な虚と融合したとみられる第三高校の生徒たちにも効かないと思った方がいいだろう。そうなると、鋼皮の強度によっては達也に有効な攻撃手段がなくなってしまうおそれすらある。

 

「それについても、はっきりしたことは言えんなあ。ボクの知っとる中で最高の硬度を誇るノイトラの鋼皮を破れる者はここにはおらん。けど、鋼皮は力の強さによって強度が増すものやからな。さっき見た新庄の鋼皮くらいやったら一条のあの魔法なら、破れると思うで」

 

 市丸が言った一条の魔法とは、一条家の代名詞の爆裂のことではなく、九校戦の折に使用した謎の魔法のことだろう。達也はカメラ越しに見ただけなので確かなことは言えないが、新魔法でありながら目視のみでレギュレーション違反と判断されたのだ。弱い魔法ということはないだろう。

 

「つまりは俺の魔法なら七本槍とも戦えるということだな。なら、教えてくれ、市丸。新庄たちは次にどこに現れると思う?」

 

「確実とまでは言えんけど、想定くらいならできとるよ」

 

「どこだ?」

 

「ボクのところや」

 

 市丸がそう言った瞬間、皆が一斉に息を飲んだ。わざわざ皆に向かって言うということは、市丸の自宅という意味ではないだろう。

 

「それは昼間にということで間違いないか?」

 

「そうやね。ボクを倒すだけなら夜やろうけど、昼なら質の高い魂魄を一度で多量に集められるからな。昼の第一高校を襲撃される可能性の方が高いと思った方がええ」

 

「なるほどな」

 

 そうなると、達也としても全力で迎撃をせざるを得ない。他の皆も第一高校が襲撃を受ける可能性を指摘され、改めて緊張感を漂わせている。

 

 次の戦いは自分がこれまで経験した中でも、最も激しいものになるだろう。達也はそう確信を持った。



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第三高校の生徒の出陣

 奥山次郎は第三高校に通う、ごく一般的な生徒だった。

 

 尚武の気風の高い第三高校においても実技は九校戦の選考で、ぎりぎり選手としての出場を逃すというくらい成績はそこそこ優秀。

 

 同じく座学の面でも学年で二十位程度と、こちらもそこそこ優秀な成績だった。

 

 様々な面でそこそこ優秀ながら、特筆すべき優秀な一つは持たない。若干、器用貧乏気味なことが悩みといえば悩みであるものの、かといって致命的な不都合は感じないという人生を送ってきた。

 

 けれど、その平凡な人生は、横浜事変によって一変した。

 

 尚武の気風の高い第三高校においても実技で優秀な成績を収めていた次郎は、当然のように実戦でも通用すると思っていた。しかし、第三高校の中でも特に戦闘に長けた七本槍の戦いを見て、それは誤りだと思い知らされた。

 

 次郎には、視界に入った人間を何の躊躇もなしに肉塊に変えてしまうことなどできない。同じく、捕虜にすると監視等に人を取られて面倒だという理由だけで、邪魔者として殺害してしまうことも。

 

 人として正しいのは、おそらく次郎の考えの方なのだろう。だけど、戦場で多くの味方を救うことができるのも、多くの敵を倒すことができるのも、七本槍たちの方だ。

 

 頭では正しさを理解しながら、次郎は躊躇いなく人を殺すことができる七本槍たちのことを恐ろしいと思ってしまった。そして、それを感じ取った吉祥寺を除いた六人を、他の第三高校の生徒たちと別行動させてしまった。

 

 七本槍たちが敵に容赦のない行動を取ったのは、すべては第三高校の生徒を守るためだ。そうでなければ、根っから戦闘を好む矢嶋五郎左衛門のような例外を除けば、もっと穏当な手段も取っただろう。

 

 それ以来、七本槍と他の生徒の間には少しばかりすきま風が生じている。それは次郎たちの後ろめたさに起因するものでもあり、同時に自分たちの考えは理解されないと七本槍側から諦められたということでもあったのかもしれない。

 

 所詮は自分たちは平時には不要な存在。存在意義が認められるのは戦場のみ。七本槍側にそんな考えを抱かせた可能性すら捨てきれない。

 

 そうして、今回、更に七本槍と他の第三高校の生徒たちとの間に深い溝を生じる事件が起きた。

 

 それは、東京で発生した連続変死事件だった。どうやら、被害者は謎の衰弱死を遂げているらしい。

 

 その事件には何者かの関与があるらしい。七本槍たちは、その戦いのために学校を休んで出陣しようとした。次郎をはじめとした多くの第三高校の生徒たちの意見は、東京で発生した事件で、学生である自分たちが出陣する必要はないというものだった。

 

 その反対意見を受けて、結局は七本槍たちは単独で出陣をしてしまった。第三高校の生徒たちは、またしても七本槍だけを戦地に送り込んでしまったのだ。

 

 そして今日、一条将輝から連絡が届いた。それは、出陣した七本槍のうち将輝と吉祥寺を除いた五人が敵に操られたというものだった。

 

「どうやら七本槍は巷で騒がれている吸血鬼の手に掛かってしまったらしい」

 

 そう言ってきたのは第三高校一年生の中では将輝、吉祥寺に次ぐ三番目の纏め役と目されている片山重蔵だった。重蔵は色んな意見を聞ける優秀な纏め役と思うのだが、上に二人のカリスマがいるので、実際に纏め役として行動することは少ない。この点が器用貧乏なのが悩みの次郎と似たようなところがあり、重蔵は気が合う相手なのだ。

 

「吸血鬼と言うと噛まれると眷属にされるという話を聞いたことがあるが、騒がれている吸血鬼も同じ能力を持っているということか?」

 

「一条から聞いた話では、御伽噺の吸血鬼と少しばかり異なる相手だということだ」

 

「少しばかり異なる……か。とはいえ、重要なのはそこではないか。吸血鬼の手に落ちた者たちを救うことはできるのか?」

 

「残念ながら、戻すことは絶望的だということだ」

 

 それは、七本槍を殺すしかないということと同義だった。

 

「それで、一条たちは何と言ってきたんだ?」

 

 ただ七本槍を殺すことになるというだけの連絡なら、将輝たちがしてくるとは思えない。何かしら次郎たちにやってほしいことがあるのだろう。

 

「一条の話では、七本槍たちが吸血鬼と一緒に第一高校を襲撃してくる可能性が高いということだ。要請もないまま出陣した第三高校の生徒たちの手により、第一高校の生徒に犠牲が出ることは避けなければならない。だから、第三高校の生徒の内で出陣が可能な者は東京に来てほしいという話だ」

 

「そういうことなら、明日にでも出陣をしよう。同じような者は多いのではないか?」

 

「そうだな。だが、敵は御伽噺の吸血鬼とは違うとはいえ、吸血鬼に類する力は持っているようだ。つまり、七本槍たちの戦闘力は、俺たちが知る状態より増しているという話だった。それでも次郎は出陣してくれるか?」

 

 通常の状態でも、次郎単独では七本槍たちと戦っても敗北は必至だった。それが、より力を増しているとなれば、勝ち目は皆無だ。

 

「ここで怖気づくようでは、今度こそ尚武の第三高校の名が泣くな」

 

 けれど、次郎に躊躇はなかった。自分だけでは勝てないのなら、連携で勝利を掴めばよいだけの話だ。

 

 それに、排斥とまではいかないにせよ、横浜で七本槍たちに疎外感を与えてしまったのは事実だ。そして、それが今回、七本槍たちを単独で戦場に向かわせてしまった遠因となったのだという想いは、次郎以外にも持っているものだろう。

 

 もしも時を戻すことができるなら、横浜で自分たちだけで激戦地に向かおうとする七本槍たちに、自分たちも同行すると進言しよう。けれど、そんなことは不可能だ。ならば今の自分たちにできることは今度こそ七本槍に戦地で向き合うことだけだ。

 

「我々の過ちにより七本槍が敵に回ることになってしまったのだ。その結果、第一高校の生徒に犠牲が出るなど、あってはならない」

 

 重蔵がそう訴えたところ、横浜の件は話にしか聞いていない者も含めて、最終的には百名もの志願者が出た。次郎と同じ思いを共有していた者は予想以上に多かったようだ。そうして翌日にはバス三台を借りて第一高校に向かった。

 

 次郎たちは、将輝と吉祥寺の他に、第一高校側から現生徒会長の中条あずさ、前生徒会長である七草真由美、前部活連会頭である十文字克人の出迎えを受ける。

 

「一条さんから話は聞いています。第三高校の皆さんのお気持ちは嬉しく思いますが、私たちも援軍を要請していますので、皆さんは基本的には後方で待機していてください」

 

 どうやら七草と十文字が手勢を要請しているようだ。そのためか、現生徒会長である中条ではなく、十師族の私兵を動員する七草と十文字が指揮を執ることになったようだ。

 

「十師族が動かれるのでしたら、私たちは足手纏いにならないように行動します。しかし、第三高校の生徒が起こす問題に対して他人事として黙って見ていることはできません。我々もできる限りのことはさせていただきます」

 

 重蔵は七草と十文字を相手にも怯むことなく、そう言い返していた。

 

「しかし、敵がいつ現れるのかはわかりません。皆さんはどのようにして東京に滞在されるおつもりですか?」

 

「宿の手配は行っています。ただ、皆さんの授業中の待機場所として駐車場をお借りできないでしょうか?」

 

「駐車場だけでは不便すぎるでしょう。空き教室を幾つか見繕って提示しますので、そちらをお使いください」

 

 あるいは重蔵だけなら突っぱねられたかもしれない。けれど、同じ十師族の一条将輝が呼んだのだから、七草たちも無下にすることはできなかったようだ。

 

 こうして次郎たちは昼の間のみの二交代制で、第一高校内で七本槍の襲撃に対する警戒に当たることになった。



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第一高校襲撃

 第一高校の校舎上に陣取っていた市丸は、接近する虚の霊圧を感じ取った。一際、強大な霊圧はバラガンのもの。それに準じる強力な五体の虚が、離反した七本槍だろう。その他に四体の虚の気配がある。

 

「まさか十刃ってわけやないやろうし……まあ偶然やな」

 

 バラガンを含めれば攻め手はちょうど十体。他の破面なら十刃の再現かとも思うところだが、そもそもバラガンに十刃に対する思い入れがあるとは思えない。単に生き残りの虚が十体だけだったという話だろう。

 

「けど、こんだけおったら、ボク一人じゃ対処しきれんな」

 

 市丸はバラガンを抑えるだけで手一杯になるだろう。森崎もイヅルとしての能力を取り戻しているとはいえ、何とか一人を抑えられるという程度だろう。残り八体をどうするかは非常に悩ましい問題だ。

 

 ひとまず達也に連絡を取って七草と十文字に呼び出してもらう。現生徒会長と部活連会頭には悪いが、戦場に立っての指揮はこの二人が適任だ。現生徒会長には戦闘力が低い者たちの避難誘導に力を尽くしてもらうとしよう。

 

「作戦会議を行う。講堂に集まってくれ」

 

 少しすると、達也からそう連絡がきた。講堂という場所を選択したということは、今回の作戦会議にはそれなりの人数が参加するということだろう。

 

 実際、入った講堂内にはかなりの人数がいた。第一高校からは達也、深雪に七草、十文字、渡辺、中条、服部、千代田。第三高校からは一条、吉祥寺に、援軍として入ってきた片山。更には伝手を使って依頼していた七草家と十文字家の部隊の指揮官各一名に加えて、千葉寿和。そして、なぜかリーナまでが集まっていた。

 

「とりあえずお前からの依頼だと言って皆を集めたが、状況はどうなっているんだ?」

 

 そう言って達也は市丸に説明役を押し付けてきた。

 

「ボク、索敵はそこそこ得意なんや。それで、第一高校に迫る虚を感知したんやけど、少し数が多かったから、手を借りなあかんかなと思って」

 

「私の方ではまだ何の情報もないのだけど、市丸くんはどのくらいの数の敵が接近しているという情報を得たのかしら?」

 

「十体やね」

 

 市丸が言うと、吸血鬼と対峙したことがある者を中心に緊張が走った。これまで一体を相手にするのでも苦戦していたのだ。十体となれば、困難な戦いになるであろうことは想像に難くない。けれど、それは吸血鬼と対峙したり、配下の者たちの苦戦をしたことを知っている七草や十文字など一部だ。逆に吸血鬼事件に関わってこなかった服部などは、あまり危機感がないように思える。

 

「十体ゆうても、一体が普通の魔法科高校生なら百人が束になって掛かっても勝てんくらいの力を秘めとるからな。そもそも防御力が桁違いに高いから、君やと傷すら付けられん可能性すらあるからな」

 

 そう言うと、当然ながら服部は不快そうな顔をする。ともかく、先に達也や一条にしたのと同じ破面と虚に関する説明を行う。

 

「服部、気持ちはわかるが、吸血鬼は強い。七草とうちの配下部隊が結局、一体も討伐ができなかったほどだ」

 

 そこに十文字が加えて言うと、さすがに服部も難敵と理解できたのだろう。市丸に対する怒りに似た感情が消えた。

 

「あと、敵は一塊で攻めてきてるわけやないからな。どちらかというと全方向から攻めてきとる、ゆう感じやね」

 

「それって、全方位に守備隊を置かなきゃいけないってことと、生徒たちを学外に逃がすことが難しいってことじゃない」

 

「まあ、言い換えればそうなるね」

 

「包囲を突破するという方法もあるとは思うが、さすがに避難する人数が多すぎる。全員を守り切るのは難しいだろうな」

 

 十文字がそう言ったことで、この場で防衛戦を行うということは確定した。そうなると、次の問題は布陣についてだ。

 

「一番、強力な虚はボクが受け持ったるわ。あと離反した七本槍のうちの一人は森崎に任せてええで」

 

 そう言うと、ほとんどの者が疑わしそうな目で見つめてきた。森崎の実力は先ほど、敵わないと酷評した服部よりも下だ。当然の反応と言える。

 

「まあ、ボクが対吸血鬼用に仕込んだってことで納得してくれへん?」

 

「市丸が言うことですので、あながち間違いとも言えないと思います。具体的にどう、と言われれば難しいのですが、森崎の雰囲気が変わったのは感じていました。ここは任せてみてはどうでしょうか?」

 

「達也くんがそう言うのなら……」

 

 納得しているとは言い難いが、一応は受け入れてもらえたようだ。

 

「元は第三高校の生徒だ、七本槍の一人は俺が受け持とう」

 

「将輝みたいに一人で受け持つということはできそうがないけど、僕たち全員なら一人くらいなら受け持てるはずだ」

 

 一条に続いて吉祥寺がそう言ったことで、バラガンと離反した七本槍たち五人のうちの三人までは対応者が決まった。

 

「第一高校の現生徒会の人間として黙って見ているわけにはいきません。私も敵を受け持ちます」

 

「深雪だけを前線に立たせるわけにはいかない。俺と深雪で敵を受け持とう。後はリーナならば、一人で敵一体くらい受け持てるんじゃないか?」

 

 これまで何度も敵対してきた腹いせか、それとも使えるものは使うという方針か、達也がリーナに敵を押し付けようとする。

 

「まあ、これでもステイツで成績優秀と言われてきたから……敵一体くらいは受け持ちましょう」

 

「一人で大丈夫なの?」

 

「ええ、ワタシはこれまで皆さんと連携を取ったことがありませんから、むしろ一人の方がご迷惑をかけないと思います」

 

 リーナはシリウスとしてこれまで吸血鬼との戦闘経験を豊富に持っている。そして、戦場に立つのならばシリウスの魔法を知られるわけにはいかないだろうから、単独戦闘はむしろ望ましいことだと思われる。これでバラガンと七本槍の対応者が決まった。残りはその他の虚四体だ。

 

「七草と十文字家の部隊もそれぞれ一体は受け持つつもりです。それに加えて他の部隊にも何人かは付けられると思います」

 

 七草と十文字でそれぞれ一体。これで八体。

 

「僕も妹たちと一緒に一体を受け持とう」

 

 そう進言をしたのは千葉寿和だ。

 

「妹さんたち、ということは、具体的にはエリカさんの他に、どなたか心当たりがあるのですか?」

 

「妹のエリカの他は、吉田幹比古くんと、西城レオンハルトくんをお願いできますか?」

 

「わかりました。本人たちに伝えましょう」

 

 これで九体。

 

「ならば最後の一体は私が戦える第一高校の生徒を率いて受け持とう」

 

 そう言ったのは渡辺だ。これで十体の虚を迎撃する部隊の指揮官が決定した。

 

「中条さんは戦闘に参加しない生徒たちと一緒にこの講堂で待機して。そして、もしも脱出ができそうなら、皆で脱出して。護衛は先生方にお願いするから」

 

 第一高校の教師陣は魔法師としては優秀だが、戦士として優秀なわけではない。強大な力を持つ虚との戦闘の指揮が取れるとは思えない。

 

「ところで、戦闘に参加要請をするのは誰にするの?」

 

 渡辺が率いる第一高校の生徒たちというのは、具体的でない。その数と戦力によっては戦いは厳しいものになるだろう。それを心配する七草の懸念はもっともなものだ。

 

「風紀委員には参戦してもらう予定だ。他には服部と、桐原たち横浜での戦闘経験がある者たちも参加してもらいたいな」

 

 横浜での戦闘経験となると、明智も参戦を要請される側となりそうだ。明智では虚の相手は厳しいと感じる。けれど、風紀委員は全体的に近接戦向きが多い。そんな中では、明智は貴重な遠距離から相手に打撃を与えられる存在だ。参戦要請の対象となるのはやむを得ないだろう。

 

「防衛部隊のうち、誰かが敵を撃破できた場合は、そこから脱出をできるか、撃破した人の判断で中条生徒会長に伝えてください」

 

 逆にどこかが最初に負けるようなことになれば、第一高校は多くの犠牲を出すことになる可能性が高まる。それだけに皆、緊張した面持ちで戦闘準備を進めた。



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シリウスとしての戦い

「全く、なんでこんなことになるのよ……」

 

 もう何度目になるかわからない愚痴を、リーナは持ち場となっている実習棟の屋上でこぼしていた。

 

 リーナがこれから相手にするのは第三高校の七本槍の一人。リーナの目的は一見すると吸血鬼退治とも思えるが、実際の任務はあくまで脱走兵の始末だ。たまたま脱走兵が吸血鬼化していたために同じように見えていたかもしれないが、本質は別物だ。

 

 それに対して、攻めてくる七本槍は日本人だ。従って、任務という面で考えれば七本槍はリーナにとっては敵ではない。

 

 もっとも、吸血鬼化した日本人も情報収集のために捕獲しようとしていたので、自分は関与しないと言い切ることはできない。そして、第一高校生に大きな被害が出て大騒ぎになるということは、元はUSNAの問題であるという裏事情から考えても、あまり望ましい事態ではない。加えて言えば、リーナ自身も、ただの高校生から多くの死者が出ることを是とするほど、冷酷なつもりはない。

 

 リーナの持ち場が実習棟となったのは、リーナの切り札ともいえる魔法が直線上の敵を倒すことに向いた魔法であること。そしてパレードも下手に障害物が多い場所よりも、ある程度は開けた場所の方が、位置情報も誤魔化しやすいという理由からだ。

 

 そうして待ち構えていたリーナの視界に一人の高校生の姿が見えてくる。身に着けている制服から、その男子生徒は第三高校の生徒だと知ることができた。

 

「恨まないでよね」

 

 そう呟き、ブリオネイクを構えて対個人向けのヘビィ・メタル・バーストを放つ。それは並大抵の魔法師では到底、防ぎきれる威力ではない。

 

「散らばれ、乱鏡獣」

 

 だが、ヘビィ・メタル・バーストが直撃する前に謎の呟きと共に敵の顔に角の生えた怪物のような仮面が現れ、砕かれる。それとほぼ同時に吸血鬼が七体に増える。そのうちの二体はリーナの魔法で消し飛んだが、すぐに残りの敵の付近に二体の敵が出現した。

 

「名乗りもせずに開戦とは、相変わらず夷狄は常識がないと見える。それゆえ、貴様らは殲滅されねばならぬのだ」

 

「あら、これまでワタシはあなたのお仲間と何度も交戦しているのだけど、誰からも名乗られてなんていないのだけど?」

 

「それは貴様らなぞに名乗る名など持ち合わせておらぬという意思表示ゆえ」

 

 今回の場合は事前に敵に情報は受け取っているため、自分の相手が吸血鬼と化した七本槍の一人、久留島源之丞であることは分かった。しかし、久留島の支離滅裂な言い分が元からなのか、吸血鬼した後の弊害かまではわからない。

 

「貴方が外国人に良い感情を抱いていないことはわかったわ。けれど、それならば、どうして第一高校を標的にするのかしら? ここにいるのは、ワタシを除いて全員が日本の国籍を持つ人のはずだけど?」

 

「知れたこと。夷狄を撃ち払うにも、まずは力が必要ゆえ。それだけのこと」

 

「目的を達成するためには手段を選ばないというわけね。今更こんなことを言っても無駄でしょうでけど、力を持つ者がそんな考えを抱くのは危険よ」

 

 リーナ自身、シリウスとして様々な恩恵を得ているが、同時に多くの制約も受けている。そして、それを当然のことと考えている。

 

「危険? 夷狄を放置することの方がよほど危険であろう?」

 

「……思い留まる気はないということね」

 

 リーナにとっては久留島を倒すことも、第一高校生を守ることも、命をかけて果たさなければならないことではない。最悪の場合は、撤退を視野にいれねばならない。そう考えていたのだが、それは誤りだったようだ。

 

 第一高校に留学生がいるということは、第三高校の生徒も知っていたはず。つまりは敵方にとって最大の標的はリーナだったということになる。達也は第三高校生が外国人を憎んでいることは知っていたのだろうから、リーナを前面に出したことも理由なきことではなかったということだ。

 

「最早、問答は不要。いざ!」

 

 七体に別れた久留島たちが仮面の前に手をかざした。それは以前フォーマルハウトを討伐するときに見た挙動に似ていた。まず間違いなく市丸から聞いていた虚閃という閃光攻撃だろう。フォーマルハウトの使ったものを見た限り、正面から受け止めるには少々厳しい攻撃だ。リーナは敵の攻撃を回避するためのパレードを使う。

 

 一斉に放たれた虚閃はリーナの情報体を包み込んだ。パレードを直前まで自分がいた位置に作り出すと同時に全力で後退していたのでリーナ自身は傷を負っていない。今回はすべての虚閃がリーナの幻影に向かっていたため、容易に対応できた。だが、もしリーナの逃げ道を塞ぐように少しずつ軌道を変えて撃たれていたら、どうなったかわからない。

 

 問題なのは、それをしなかったのか。できなかったのか。

 

 しなかった場合は複数の射撃を集中させることで威力を上げることを企図したものだと考えていい。逆にできなかったという場合は、七体のうち本体以外の攻撃には破壊力がないということになる。

 

「確かめておかないと危険ね」

 

 リーナは校舎の上から飛び降り、消費の少ない圧縮空気弾を放って牽制しつつ、壁を背にした状態とする。そこに七体の久留島たちから虚閃が放たれる。今度は、前回と異なり、虚閃はある程度、分散されて放たれていた。

 

「最悪ね」

 

 すべての虚閃が、確かにリーナの背後にある実験棟の壁に損傷を与えていた。こうなると、七体の久留島全員からの攻撃を躱さねばならなくなってしまう。そして、今の二回でそろそろ久留島もリーナが幻影魔法に類する魔法を使って攻撃を回避しているのだと気づいたはずだ。今後はより広範囲への攻撃が主体になるかもしれない。

 

 次の問題は、本当に本体は一体だけで、本体さえ倒せば片はつくのかということだ。最初に放ったヘビィ・メタル・バーストで倒した敵が復活していることから、少なくとも分体だけ倒しても無駄なのだろう。

 

 最善は、七体全員をほぼ同時に倒すこと。次善は本体を探し出すこと。あまり取りたくない手段は、再生させる力が有限であると信じて相手の力が尽きるまで何回も倒すこと。最善策は一度に大量の力を消費してしまうため、倒し損ねたときには一気に危機に陥る。それに相手もそれは警戒しているはず。

 

 となると、まず試みるべきは本体を探すことだ。そのために、まずは全員に対して弱い攻撃を試みる。狙うのは操作性に優れたダンシング・ブレイズによる攻撃だ。しかし、さすがに正面から撃っても防御される可能性が高い。まずは普通にダガーを射出する。

 

 七本のダガーは七体の久留島に向けて一直線に向かっていく。だが、そのすべては久留島の右手の刀により弾かれてしまう。

 

 久留島たちは散らばったダガーに目を向けようとしない。どうやらリーナの得意魔法までは把握していないようだ。ダンシング・ブレイズはこれまでの吸血鬼戦でも使用したことがある魔法なので、知られていることを心配したが、大丈夫だったようだ。

 

 再び実験棟の屋上へと後退して、七体の久留島たちがダガーを超えるのを待つ。そうしてダガーが完全に視界から外れたところで仕掛ける。

 

「アクティベイト、ダンシング・ブレイズ!」

 

 音声認識により起動したダガーが久留島たちの首筋に背後から突き刺さる。すべての刃は久留島の首を捉えた。その結果は、すべての刃はきちんと久留島に当たってから地面に落ちるというものだった。

 

 高威力のヘビィ・メタル・バーストであれば、久留島の分体を消滅させることができた。だが、ダンシング・ブレイズでは倒すことができなかった。こうなると、久留島たちを倒す難易度は格段に上がってしまう。

 

「けれど、困難な任務から簡単に逃げるようなら、ワタシは今の地位にはいなかった。思い知らせてあげるわ、シリウスの力を」

 

 完全に本体が七体に分裂する。そんな便利な魔法はないはず。必ずや何かしら弱点があるはずだ。それを探るためのリーナの戦いが始まった。



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コキュートス

 司波達也は妹の深雪とともに正門前の防衛に当たっていた。第一高校を包囲するように全周囲から迫る敵の存在を、達也はすでに把握している。

 

 迫る敵のうち、達也の方に向かってくるのは九校戦に出場していた八幡甚十郎だ。達也にとっては千葉修次とともに戦ったこともあるという因縁のある相手でもある。

 

「深雪、八幡は高速移動と移動魔法が得意だ。移動魔法は深雪の領域干渉を上回ることはないだろうが、高速移動魔法を用いた接近戦には注意しろ」

 

「ええ、わかっています。お兄様」

 

 千葉修次と戦ったときの八幡であれば、深雪であれば負けることはない。けれど、妙な能力を得ていた場合は、百戦百勝とはいかないかもしれない。

 

 普通に戦力だけを評価すれば、達也と深雪はそれぞれ別の敵に当たるべきだ。だが、達也にとっては深雪が何より大事だ。そのため、万全を期すために達也が深雪の護衛をすることにしたのだ。

 

 そのうち視界の先に八幡の姿が見えてきた。移動魔法が強化されていた場合には遠距離から急接近してくる可能性もある。達也は深雪を背後に隠すように立つ。

 

 吸血鬼対策はしてみたが、通常の魔法を上手く使えない達也の攻撃は、射程が短い。深雪の魔法も移動魔法の得意な八幡が相手では、避けられてしまう可能性がある。まずは八幡の足を止めるために達也の射程まで引き込みたいところだ。

 

「其方ら相手に全力を出さずに挑むのは危険ぞと忠告は受けている。悪いが、最初から全力で挑ませてもらうぞ。駆け抜けよ、纏雷馬」

 

 刀を引き抜いて横に構えながら呟いた八幡甚十郎の足が馬に似たものに変わる。けれど、その太さは馬よりも太めだ。更に尻からは新たに二本の足が生えてくる。その様はさながら伝説の怪物、ケンタウロスのようだ。

 

「鋭さを増した八幡甚十郎の移動魔法をぞ見よ、八幡の三段構え、一の陣、疾風迅雷!」

 

 警戒はしていた。だが、その警戒を上回る速度で八幡が達也へと迫ってくる。予想以上の速度だったが、全く反応できないほどではない。突っ込んでくる八幡に対して対吸血鬼向けの遠当てを放つ。

 

 達也の遠当ては確かに八幡に命中した。しかし、僅かに突進の足を緩ませただけで傷を与えるまでには至らない。

 

「鋼皮というやつか、なかなかの防御力のようだな」

 

 千葉修次の攻撃を防げた時点で八幡に傷を付けられないことは想定していた。だが、もう少し足止めができると思っていた。達也が稼いだ時間を使って深雪が八幡を氷漬けにしようとする。だが、八幡は素早く後退して深雪の魔法の範囲から逃れた。

 

「深雪、八幡を捉えられそうか?」

 

「もう少し足を止められますか?」

 

 修行に励んだが、達也の対吸血鬼魔法は痛手を与えられる域には達しなかった。その結果、達也は攻撃を深雪に任せることにしたのだ。

 

 八幡の速度はかなりのものだ。何とか達也が攻撃を当てないと、深雪が吸血鬼を仕留めるための強力な魔法を当てるのは難しそうだ。

 

「俺が八幡の足を止める。深雪はいつでもアレを使えるようにしておいてくれ」

 

 そうとわかれば、後は実行をするだけだ。八雲仕込みの技を使い、今度は達也の方から八幡へと接近する。

 

「八幡の三段構え、二の陣、一気呵成!」

 

 その魔法自体は、九校戦のクラウド・ボールの際に使われたことのあるものだ。しかし、今日は短刀を展開して一気に射出するという使い方だった。その攻撃は、少し操作性は劣るもののリーナのダンシング・ブレイズを彷彿とさせる。だが、この攻撃ならば達也には対処可能だ。

 

 達也は術式解体を使って短刀に付与された移動魔法を無効化する。推進力を失った短刀は地面へと散らばった。術式解体は使用者が少ない魔法だ。それを使って防がれたのが予想外だったのか、八幡が一瞬だけ驚きに動きを止めた。

 

 達也はすかさず八幡に接近すると、仮面めがけて魔法を纏った手刀を振り下ろす。だが、八幡は得意の移動魔法を用いて、人間には不可能な速度で後退する。

 

「一筋縄ではいかぬ相手のようであるな。さすがは一条が警戒をしていた相手ぞ」

 

「そういうお前も市丸には少し劣るがたいした実力だ。それ程の実力がありながら、なぜこんな行動に出る?」

 

「薄汚い異国の輩を排除するためには更なる力が必要。ただ、それだけのことぞ」

 

 一条からも、八幡は特に異国人に対する憎しみが強いと聞いている。今回の行動の根底にも憎悪があったようだ。

 

「自分の目的のためなら無関係の人を巻き込むことも厭わない。そのような人に第一高校を好きにさせるわけにはいきません」

 

 あまりにも自分勝手な言い分に、深雪も怒りを隠せていない。

 

「お前たちに恨みはないが、国のために礎となってもらうぞ」

 

「させません」

 

 深雪の怒りとともに漏れ出した魔法力が周囲に薄っすらと霜を降り積もらせる。達也としても、そんなことのために友人たちを犠牲にしようとするなどという行為は、許容できるものではない。

 

「押し通らせてもらうぞ。八幡の三段構え、三の陣、乾坤一擲!」

 

 距離を取った八幡が四本の足に力を込めて突進してくる。達也が躱せば深雪に攻撃が当たってしまう可能性がある。つまり、達也に回避という選択肢はない。

 

 今の八幡甚十郎はかなりの強敵だ。けれど、八幡にはひとつ弱点がある。それは、元からの自分の能力に対する自信か、虚というものと融合して得た能力よりも通常の魔法を用いた戦法を多用しているということだ。今も、以前から使用していた八幡が三段構えと呼んでいる魔法を使っている。

 

 けれど、普通の魔法ならば術式解体で対応が可能だ。達也は術式解体を用いて八幡の突進の勢いを削ぐ。

 

 それでも四本に増えた足による力強く大地を踏みしめての突進は、常人が受け止めきれるものではない。だが、それは真正面から受け止めるのならばの話だ。達也は左腕を犠牲にして八幡の剣を受け止めると、八雲の指導で身に着けた技を使って、突き出されたままの腕を捻って投げ飛ばす。

 

 それだけでは八幡は得意の移動魔法も用いてすぐに起き上がって体勢を立て直してしまうだろう。だから、達也は投げ飛ばした八幡の仮面に向けて遠当てを放った。仮面に衝撃を与えると、八幡の身体が一瞬だけ硬直する。

 

 達也と八雲との特訓の様子は、深雪も見学していた。だからこそ、達也がここで投げ技を使うということも、投げ技で倒れた相手に遠当てを使うことも予測してくれていた。

 

 まずは文字通り八幡の足を止めるために、得意のニブルヘイムを使う。ニブルヘイムは広範囲を攻撃する魔法だが、達也は投げを放つと同時に後退しているため、すでに深雪の魔法の範囲内にはない。

 

「さすがの魔法力だな。だが、何も対策をしていないなどと考えるでないぞ」

 

 深雪は九校戦の折にニブルヘイムを披露していた。それだけに危険性も把握していたようだ。八幡は自らへのダメージを厭わず、虚閃を自らの足元に放つ。しかし、それすら深雪の想定範囲内だ。

 

「いいえ、終わりです」

 

 ニブルヘイムから脱する手を有していようと関係ない。ニブルヘイムから脱するために足を止めさせることこそが深雪の真の目的だ。

 

 深雪の切り札ともいえる精神干渉系の系統外魔法、コキュートス。それは対象の精神を凍結させる魔法だ。肉体を凍結させる魔法であれば八幡は逃れることができただろう。けれど、精神を凍結させる魔法からは逃れることはできない。

 

 八幡も一拍遅れて深雪が使った魔法の危険性に気付いたようだが、時すでに遅し。何の抵抗もできずに精神ごと凍結させられ、八幡は動きを停止させた。

 

 達也が新魔法を開発することを諦めた最大の理由が、達也が新魔法を開発せずとも、深雪が使える魔法で吸血鬼対策が可能だったからだ。唯一の欠点が、発動までに僅かに時間が必要なことだが、そこは達也のサポートと深雪のニブルヘイムで稼げると考えたのだ。

 

 以前、第一高校に現れた吸血鬼のように、八幡が動き出すことはない。達也が知覚を全力で働かせても、敵の気配はない。

 

「倒せたようだな、行こう、深雪」

 

 他の場所では、未だ激しい戦いが続いている。左腕に負った傷を再生魔法で治療すると、そちらに加勢するために達也たちは次の戦場へと向かった。



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滅却師完聖体

 一条将輝は第一高校の前生徒会長である七草真由美から指定された持ち場で、迫っているという第三高校の七本槍の一人を待ち構えていた。七本槍の誰が来ても将輝にとっては辛い戦いになるだろう。けれど、強敵である七本槍を止めるのは将輝の役目だ。

 

 闘志を高めつつ、建物の上で敷地外を見張っていた将輝の視界の先が一瞬だけ光る。その直後、将輝に向かって閃光が飛来してくる。

 

「バーニング・フル・フィンガーズ」

 

 とにかく迫りくる脅威から身を守るべく、自身が使える中で最大の威力を誇る技で身を守る。炎で焼け落ちる矢羽が見えたことから、飛来したのが矢であることがわかった。同時に攻撃を仕掛けてきたのが弓での狙撃が得意な薄衣尚之助だと知れた。どうやら吸血鬼化したことで、更に長距離射撃に磨きがかかったようだ。

 

「尚之助か! なぜ俺たちを裏切った!」

 

 何とか視認が可能という程の距離だ。普通では声など届かないだろうが、吸血鬼化して聴力も強化されていると信じて叫ぶ。

 

「一条を裏切ったつもりはないな。だが、我らにはやらねばならぬことがあるのだ」

 

 尚之助は甚十郎と異なり、外国人に明確な敵意は示していなかったと思う。だが、横浜の事件で考えが変わった可能性はある。

 

「俺たちの元に帰ってくるつもりはないということか?」

 

「悪いな」

 

「……それならば仕方ない」

 

「本当に仕方のないことよな。では、全力で参らせてもらおう、千里を走れ、虎落笛」

 

 民家の屋根の上に立つ尚之助の右腕が銃身のように変化する。尚之助はそのまま銃身に変化した腕を将輝へと向けてくる。

 

 本能的に脅威を感じて、将輝は左へと飛んだ。将輝のいた箇所を強烈な閃光が通過する。元来、将輝は障壁魔法のような防御魔法がそれほど得意ではない。その閃光は、現在の将輝の力では防ぎきれないように感じた。

 

 この距離では爆裂は発動できない。今の将輝にできる攻撃はバーナーフィンガー1くらいのものだ。だが、長距離戦に長けた尚之助相手に打ち合いで勝機を掴むことは難しいと言わざるをえない。

 

 とはいえ、尚之助の方から接近してくることはないだろう。また、将輝から接近していくということも現実的ではない。

 

 これで勝てるのかという確証はないまま将輝はバーナーフィンガー1を放つ。だが、この距離では細い光線のような範囲にしか影響を与えられない。尚之助は難なく回避し、逆に銃身上の右腕に力を込めてくる。

 

 足を止めていたら、おそらく尚之助に撃ち抜かれてしまうだろう。それを避けるために将輝は走り回りながら射撃を行わなければならない。対する尚之助は最小の回避で将輝の攻撃を躱しつつ、反撃を行ってくる。

 

 魔法で強化しているとはいえ、体力は有限だ。加えて、魔法力も消耗してしまう。対する尚之助は吸血鬼ということもあり、身体的な能力は将輝を凌駕している可能性が高い。更に回避自体も最小限だ。

 

 このまま戦っていては、まず将輝の方が力尽きる。しかし、悪いことばかりではない。

 

 そもそも将輝の戦いの目的は第一高校生たちを守ることであり、尚之助を討ち取ることではない。ここで膠着状態を維持できれば、制圧した他方面から脱出することや、他の戦線から援軍を得ることもできるだろう。

 

 将輝が千日手上等の持久戦を覚悟したことを理解したのか、尚之助が打開に出た。将輝の攻撃を容易に躱せる安全圏を捨て、距離を詰めてくる。将輝にも勝機が出てきた。

 

 そう考えてしまったのが甘かったのだろうか。前に出てきた尚之助を迎撃するため将輝が攻撃を加えようとしたところで、尚之助が不意に左腕を前に突き出し、肘を天へと直角に曲げて向け、そこに銃身と化した右腕を添えた。

 

 それは、さながら弓を引くが如き動作だった。弓という尚之助本来の射撃体勢を取った攻撃が生半可なものであろうはずがない。

 

 反撃を中断した将輝は、とにかく回避と防御に専念する。まずは何とか尚之助の射撃から逃れようと、一度、建物の裏に隠れることを試みる。しかし、狙撃の専門家である尚之助が射撃体勢を取った時点で、すでに将輝が逃れられる状況ではないのだ。

 

 次の瞬間には、強烈な閃光が将輝へと放たれた。尚之助の放った閃光攻撃は一瞬で通過するものではなく、継続性があるように感じた。バーニング・フル・フィンガーズは防御にも使える魔法だが、それでも防ぎきれそうにない。

 

 このままでは将輝の負けだ。そう考えたとき、不意に頭の中に浮かび上がった言葉がある。それは、さながら九校戦の折にバーナーフィンガーという魔法を習得したときに似ていた。将輝は頭の中に浮かんだ新たな魔法に手を伸ばす。

 

「クインシー・フォルシュテンディッヒ」

 

 その言葉を呟いた瞬間、将輝の身体が炎に包まれた。噴きあがった炎は将輝の身に着けていた衣服のみならずCADすら溶かしたが、その炎が体を焼くことはない。他者の目に触れるのは、いささか拙い状態になったが、見えてはいけない部分は分厚い炎により隠されているので問題ない。

 

「その姿は何ぞな」

 

「さあな、俺にも詳しいことはわからない。だが、これは紛れもなくお前たちを倒すための力だ」

 

 この新たな力は今の尚之助のような存在を倒すための技だ。この力であれば間違いなく尚之助を打ち倒すことができる。

 

「さすがに一条よな。立場逆転とは口惜しきものよな」

 

 言いながら、尚之助が後退を始める。どうやら、今度は尚之助が時間稼ぎに出るようだ。確かに、今の将輝が他戦線に援護に向かうのは脅威だろう。

 

 だが、そのような時間稼ぎに乗るわけにはいかない。尚之助には悪いが、速攻で終わらせてもらう。

 

「バーナーフィンガー2」

 

 威力を増した熱線を放つが、尚之助は足場にしていた家の陰に隠れてしまう。こうなると、民家に被害を出すわけにはいかない将輝としては対応に困る。もっとも、それならば遠距離戦をやめればいいだけの話だ。

 

 元から将輝としては近接戦の方が望むところだ。物陰に隠れるようになった分、尚之助側からの射撃は頻度が減っている。それに新たに得られたのは攻撃力・防御力の向上だけではない。

 

 足元に何か細かい粒子があるのが見える。この粒子は自分が操ることのできるものだと何故か見た瞬間に理解した。

 

 何かに背中を押されるようにその流れに乗れば、川の流れに乗ったかのような速度で進むことができた。瞬く間に尚之助との距離を詰めていく。狙撃後に家の陰に隠れ、次に顔を覗かせたときには将輝が目の前にいたことに、尚之助は驚愕の表情を見せる。

 

「悪いな尚之助。だが、お前を許すわけにはいかないんだ」

 

「是非もなし。ただ、これから先に佐渡や横浜に似た事件があったときには、その力を用いて国と民を守ってほしい。撃たねばならぬときは先制攻撃も辞さずで臨んでほしい。それだけが望みでな」

 

「わかった。俺は十師族だ。その責任を放棄するようなことはないと誓おう」

 

「ならば、思い残すことはなし。この仮面を砕くといい」

 

 尚之助の動機は、あくまで真紅郎のように他国の攻撃により肉親を失う者がでないようにしたいというものだろう。その動機自体は責められるものではないが、だからといってそれを防ぐためという名目で、他国に真紅郎と同じ者を作ることも、目的のために犠牲を出すことも容認できない。

 

 だから将輝はせめて苦しまぬようにと仮面のみならず身体をも両断する勢いで指の間に炎を纏わせた腕を振り下ろす。尚之助は言葉どおり抵抗することなく将輝の攻撃を受け入れた。

 

 仮面を両断された尚之助の身体が、崩れるように消えていく。その範囲は徐々に広がり、やがて遺体すら残さず消え去った。尚之助の生きた証は遺体の側に落ちている愛用していた弓のみだ。

 

 横浜では共に戦った同級生の最後に思うところがないわけではない。けれど、今は感傷に浸るよりも犠牲を減らすために戦うときだ。

 

 そう考えて、将輝は次の戦場へと向かって走り出した。



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尚武

 奥山次郎は吉祥寺真紅郎が率いる第三高校部隊のうちの遊撃隊の一員として敵を待ち受けていた。第三高校部隊の総指揮官は吉祥寺真紅郎。そして、前線指揮官が片山重蔵という布陣だ。第三高校部隊は志願して強敵である七本槍の一人と思われる敵の進路上に配置してもらっている。

 

 相手が七本槍の誰であろうとも苦戦は必至だろう。けれど、皆が今度こそ横浜事変のときのような無様は晒さぬと士気は高い。

 

「見えたぞ!」

 

 声の上がった方を見れば、特徴的な大刀を持った姿がある。それは首狩り五郎左の異名を持つ矢嶋五郎左衛門だった。

 

「隊列を組み直すぞ。守備隊は後方に下がって遊撃隊を前に」

 

 守備隊は障壁魔法に長けた者たちで編成された部隊だ。相手が長距離射撃を得意とする薄衣尚之助の場合も考えて編成されていたが、相手が近距離戦専門で破壊力が高い矢嶋五郎左衛門の場合には、あまり役に立てない。

 

 逆に五郎左衛門は遠距離戦は全くできない。となれば、五郎左衛門の接近前に徹底的に魔法攻撃を叩き込むのが正攻法だ。

 

「射撃隊、左から順に射撃開始!」

 

 同じ場所に魔法を行使しようとすると、事象改変の相克が発生し、効果が発生しなくなる。それを防ぐための、予め順番を決めての連続での魔法行使だ。

 

「いざ斬り落とせ、首狩包丁!」

 

 お馴染みの言葉を呟いた瞬間、五郎左衛門の持つ刀が禍々しい鋸刃へと変化する。あれが第一高校から情報提供された帰刃というものだろうか。だが、事前の情報と異なり五郎左衛門の身体には特段の変化は見られない。

 

 第三高校でも上位の実力を持つ遠距離魔法の使い手たちの魔法が連続で五郎左衛門へと放たれる。五郎左衛門は本来はそれほど防御・回避に優れた魔法師ではない。だが、今の五郎左衛門は降り注ぐ魔法の間を縫うようにして第三高校隊の陣地へと迫ってくる。

 

 響転というものを使っているのか、五郎左衛門の速度は以前よりは格段に上だ。けれど、全く当たっていないわけではない。だが、それでも五郎左衛門の足は止まらない。

 

「あれが鋼皮というやつか……」

 

 重蔵が唸るように呟く。今の攻撃で打撃が与えられないなら、通常の魔法攻撃では五郎左衛門を止めることはできないということだ。それを見て、重蔵がもしものときのためにと用意していた特殊な装甲鎧を身に着ける。

 

「我らは一死を以て道を切り開く者。尚武の志を果たすぞ」

 

「応っ!」

 

 重蔵の呼びかけに皆が全力の声で応じる。それは長い月日の中で忘れ去られようとした第三高校の建学の精神だ。元から第三高校は新ソ連や大亜連合の侵攻があった場合には住民たちの盾となって戦うことが期待されていた。それが尚武の第三高校の原点。

 

「俺が五郎左を止める。下がった守備隊は攻撃の準備を」

 

「重蔵、二番手は俺が行く。先陣は頼むぞ」

 

 次郎の応えに軽く頷くと、重蔵は第三高校部隊の陣地を出て五郎左衛門の前へと進み出ていく。重蔵が前に出るに従い、第三高校部隊の攻撃も止まる。

 

「五郎左、一騎打ちと参ろうぞ」

 

「良い心がけだで」

 

「いや、そうでもない。俺の鎧には爆薬が仕掛けられているからな。俺が死ねば、即座に爆薬が爆発する。相打ちか俺の勝ちか。卑怯な二択だ」

 

「何の、それすら打ち破るだけだで」

 

 たとえ罠が仕掛けられていると知っていようとも、必ず相手の首を刈り取る。五郎左衛門はそういう魔法師だ。重蔵も、それを知っているから敢えて自ら仕掛けを暴露した。

 

 重蔵では五郎左衛門には敵わない。つまり重蔵はここで死ぬ。

 

 だが、重蔵の死は無駄ではない。必ず爆薬により五郎左衛門に傷を負わせる。もしくは、そこまで至らずとも足は止めさせる。そこに最大威力の攻撃と魔法を叩き込む。

 

 重蔵が移動魔法を使って五郎左衛門との距離を詰める。五郎左衛門は落ち着いて重蔵の接近を待ち、自慢の愛刀を振るわんとしている。距離を詰めながら、重蔵は五郎左衛門に向かってワイヤーを投げた。

 

 ワイヤーは五郎左衛門の身体に巻き付いたが、それ自体は刀の一振りを阻害できるものではない。五郎左衛門はワイヤーに構うことなく首狩り包丁を一閃させる。

 

 重蔵自身は相打ちか勝利かという二択を示したが、実際は異なる。重蔵にとって今回は敗北か相打ちかの二択だった。投じたワイヤーも、自分が死んだ後でも、爆薬がより効果を発揮できるよう距離を詰めるためのものだ。

 

 五郎左衛門の刃が吸い込まれるように重蔵の首に向かい、無慈悲に跳ね飛ばす。鮮血が散る中、未だ重蔵の身体は五郎左衛門の元へと進み続ける。そして、五郎左衛門に接触すると同時に爆弾に着火された。凄まじいまでの爆発が五郎左衛門の胸元で発生する。

 

「今だ! この機を逃すな!」

 

 吉祥寺が叫ぶのと同時に、第三高校で最も古式魔法に長けた高田小十郎が地面を液状化させ、足を沈ませて縛る魔法を行使する。それと同時に、元は守備隊に属していた各員が巨大な筒を五郎左衛門に向ける。

 

「総員、撃てーっ!」

 

 守備隊の各員が肩に担いでいる筒は、使用者の安全を度外視して破壊力のみを追求した携行式対艦ミサイル「ジークフリート」。誘導性能がないので命中率が極端に低い上、使用者が高度な障壁魔法を展開できる魔法師でもなければ、発射と同時に使用者の頭が吹き飛んでしまうという兵器としては欠陥品という評価すらおこがましい武器だ。

 

 だが、その代償として、破壊力だけは申し分ない。それが、一気に十発。五郎左衛門へと殺到する。

 

 この一斉射撃は、五郎左衛門は勿論、重蔵の身体をも破壊してしまうことだろう。おそらく遺体は肉片すら残らない。けれど、それを承知で五郎左衛門の足を止めるために重蔵は犠牲になった。

 

 ジークフリートの集中射撃で生じた煙が徐々に晴れていく。その中心部には、未だ立ち続けている五郎左衛門の姿があった。だが、これまでと異なり無傷ではない。全身が血濡れで、明らかに深い傷を負っている。

 

「次は俺が行く! 後は頼む!」

 

 重蔵が命をかけて時間を稼いでいた間に次郎も爆薬入りの鎧を着用している。だが、決め手となるはずの砲撃担当の守備隊の皆のジークフリートの用意は完了していない。

 

 ジークフリートは単発式。更に本体の耐久性も低く、近くに立つ者の発射により生じた衝撃波で破損するため近くに置いておくこともできない。加えて重量があるので次弾を運搬して用意するのも困難なことなのだ。

 

 まずは時間を稼がなければならない。そう考えて、次郎は五郎左衛門とは距離を取った状態で立ち止まる。

 

「次郎か」

 

 傷が深いのか、五郎左衛門の声には最初の鋭さはない。けれど、油断はできない。次郎たちの攻撃手段であるジークフリートは、何の妨害措置もなければ、今の五郎左衛門でも躱される可能性がある。

 

「久しいな、五郎左衛門」

 

 言いながら近づくも、なぜか五郎左衛門は戦闘態勢を取らない。

 

「止めよ、次郎。其方は死ぬことはないで」

 

 普通であれば、降伏を勧める言葉が続きそうだ。けれど、五郎左衛門から感じる雰囲気はそれとは少し異なる。

 

「どういうことだ?」

 

「この威力の攻撃を次に受ければ耐え切れまい。我が望みは潰えたも同然だで。すでに勝敗が決まった戦いのために、我らの貴重な戦力を無意味に減らす必要などないで。其方は生きて戦い抜くだで」

 

「何を言って……」

 

 次郎が次の言葉を続ける前に五郎左衛門は自らの首の上に愛刀を当てる。

 

「後のことは任せるで」

 

 言葉のまま五郎左衛門は自らの首の上の刃を掴み、一気に下へと押し下げる。五郎左衛門の首が地面に落ちる。そこから鮮血は散らなかった。地面に倒れた五郎左衛門の身体は崩れるように消えていく。

 

「次郎」

 

 あまりにも予想外の事態に呆然としている次郎の隣に、いつの間にか降りてきていた吉祥寺が立つ。

 

「次郎、まだ戦いは終わっていない。次の戦場に向かおう」

 

 重蔵の死を悼むこと。敵に回ったが、あくまで国のことを考えていた五郎左衛門のこと。色々と思うところは多いが、全ては戦いが終わってからだ。

 

 ジークフリートを持つ分、第三高校部隊は展開が遅い。次郎たちは急いで次の戦場に移動するための準備を始めた。



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戦いの認識

 吸血鬼を追っていた新庄継之進が標的を発見したときに、最初に感じたのは激しい憤りだった。吸血鬼と呼ばれていた存在は明らかに外国人だった。大亜連合による沖縄侵攻と歩調を合わせた、新ソ連の佐渡侵攻では現第三高校生の多くが、人生を変えられた。そして、この夏には横浜も襲撃された。その全てが相手側からの一方的な攻撃だった。

 

 そして、今また外国人が日本に入り込んで人を襲っている。継之進は得意の風の刃で吸血鬼の足を止めると、すかさず敵の首を斬り飛ばした。

 

 その直後、継之進の前に現れたのは、死神という言葉がぴったりの姿をしたバラガンと名乗る骸だった。虚という存在の王と名乗ったバラガンは継之進に力は欲しくないかと聞いてきた。

 

 見るからに怪しい存在に心の内を語ることに戸惑いがなかったと言えば嘘になる。だが、気付けば継之進は力が欲しいと答えていた。何故かと問われても、理由はわからない。ただ、明確に人とは異なる存在であるからこそ、人の理に囚われずに判断を下してくれるのではないかと考えたのだ。

 

 本音を言えば、継之進は今の日本の在り方に苛立ちを感じていた。ほんの五年ほどの間に度重なる侵攻により、何十人もの魔法師と、何百人もの民間人の命を失っている。それでもなお、この国では武力を忌避する傾向がある。理不尽な攻撃を受けても、強い対応を取らないから相手に侮られるのだというのに、未だに強い対応を取ることができない。

 

 だったら、自分たちだけでやるしかないではないか。だから、継之進はバラガンの言葉を受け入れて、虚という存在と融合を果たした。

 

 その後、バラガンから聞かされたのが死神という存在だった。どうやら継之進たち虚と融合した者たちにとっての天敵で、力を得るために行動を取れば、妨害してくる可能性が高いらしい。

 

 そうして死神に近い存在であり、何より警戒すべき相手として挙げてきたのが第一高校の市丸ギンだった。九校戦の折にも市丸は圧倒的な戦闘力を見せつけていた。だから、市丸を警戒するというのは、わからなくもなかった。

 

 その後、継之進は青山霊園にて九校戦の折には敗北した森崎と戦い、勝利した。森崎は悪い魔法師ではないが、今の継之進にとっては敗北する相手ではなかった。

 

 けれど、その直後、森崎は継之進の目の前で不思議な力を発現して見せた。そのときの森崎は継之進が思わず帰刃をするほどの圧力を感じた。どうやら森崎は死神の力を持つ者であったようだ。

 

 そうして今日の襲撃に当たり、継之進は森崎の持つ斬魄刀と呼ばれる刀、侘助の厄介な能力を聞いた。それは、斬りつけたものの重さを倍にするというものだった。二度斬りつければ更に倍。三度斬りつければそのまた倍と重さは二乗で増えていく。そのため侘助との剣での斬り合いは悪手だという話だった。

 

 そして今、第一高校へと進む継之進の前には、見知った顔。バラガンから追加の警戒対象と聞かされていた森崎駿がいた。

 

「其方と戦うのもこれで三度目。今日で決着をつけようぞ」

 

「君も戦いに誇りを持ち出す人なのかな?」

 

「誇りはともかく、戦いに美学がなければ、それはただの殺戮であろう」

 

「僕と君とでは考え方は合わないようだね」

 

「ふむ、元々拙者と其方では敵同士。そのようなこともあるであろうな。まあよい、拙者たちは問答をするためにこの場に立っているのではない。決着は剣でつけようぞ」

 

 バラガンが森崎は注意に値すると言っていたのだ。全力で戦わねばならぬだろう。

 

「吹き散らせ、風破鳥」

 

 継之進は帰刃を行い、背中に翼を生やす。そして、そのまま空中へと飛び上がった。

 

「其方の剣の能力はバラガン殿より聞いておるぞ。心のままに斬り結べないことは残念なれど、刀に触れられないのであれば是非もなし。ここは勝利を掴むことのみ目指させてもらおうぞ」

 

「気にする必要はないよ。戦いとは所詮は絶望だ」

 

「面白みのない男よな」

 

 森崎は剣を持ってはいるが、斬り合いを行う気がないとしか思えない。そうでなければ、斬りつけたものの重さを増すなどという能力を身に着けはしないだろう。

 

「面を上げろ、侘助」

 

 森崎がそう呟くと、剣の先が二度折れ曲がり、下を向く。どう考えても斬り合いには向かなそうな剣だが、見た目に反して、そもそも触れることすら危険という恐るべき剣だ。

 

「悪いが、距離を取らせてもらうぞ」

 

 森崎が始解というものを使ったのを見て、継之進は更に高度を上げた。継之進には遠距離から風の刃を飛ばす攻撃がある。それを主体に攻めるしかないだろう。

 

「新庄流抜刀術、風斬」

 

 翼を用いて上空で待機したまま、継之進は抜刀する。その軌道から風の刃が生まれて森崎へと襲い掛かる。

 

「縛道の三十九、円閘扇」

 

 継之進の風の刃は九校戦の折より鋭さを増している。だが、森崎はその攻撃を簡単に防いで見せた。

 

「バラガン殿から聞いておるぞ。それが鬼道というものであったのだな。円閘扇で済ませたというのは、倒山晶を使うまでもないということか?」

 

 継之進は市丸と森崎が使ってきそうな鬼道という術について、バラガンからある程度は教えてもらっている。その中には今しがた森崎が使った円閘扇の情報もあった。

 

「では、これは防げるか?」

 

 継之進は仮面の前に手をかざして力を込める。森崎は継之進の現状と動作を見て虚閃を使うと予測したのだろう。発射前から回避行動を取り始めており、余裕を持って継之進の虚閃を躱していた。

 

 この距離ではさすがに攻撃を当てることは難しそうだ。だが、不用意に近づいて敗れた部下がいるとバラガンから聞いている。

 

「この距離では其方を倒すことは難しいか。しかし、其方を相手に接近戦は禁物と言われておるし……難しいところであるな」

 

 継之進がそう呟いた直後、別働隊の甚十郎の気配が消えた。どうやら敗北したようだ。

 

「ふむ、このまま臆病風に吹かれて決着を先延ばしにしている間に邪魔が入られては悔やんでも悔やみきれぬな。ここは覚悟を決めて勝負といこうぞ」

 

 森崎が空中を足場にして飛び上がってきても、ぎりぎり届かないと思われる距離まで高度を下げる。森崎はそれを見てエア・ブリットの魔法で迎撃してくる。

 

「今更、そのような魔法で拙者を防げると思うてか! 侮るのも大概にせよ」

 

 死神が用いるという強力な魔法を得たはずなのに、ごく普通の威力の魔法で攻撃してくる森崎に怒りを覚える。だが、これすら挑発の一環である可能性もある。怒りに任せて安易に近づくことは自重すべきだ。

 

 現在の高度を保ったまま虚閃で攻撃を仕掛ける。森崎が虚閃を走って躱しながら右手を継之進へと向ける。

 

「縛道の二十一、赤煙遁」

 

 森崎が使ったのは攻撃魔法ではなく、自身の周辺に煙幕を発生させる魔法だった。どうやら他方面の戦局が有利なのを見て持久戦を志向するようだ。煙が晴れたとき、森崎は刀を鞘に納めてしまっていた。

 

「どこまでも決着を避けるというのか、臆病者め!」

 

 継之進が剣の届く距離にいないとはいえ、森崎は刀を収めるとは、戦う気がないようにしか見えない。

 

「そこまで馬鹿にするのなら、こちらにも考えがあるぞ!」

 

 これまでは最低限の礼儀は欠かぬようにしようと考えていた。けれど、森崎の方が礼を失した行動を取るなら、こちらも遠慮は不要だ。視界内にある第一高校の建物に向けて虚閃を放つ。さすがに建物を吹き飛ばすことはできないが、一室を破壊する。

 

 その直後、背に何かが当たる感触がした。傷を負った感触まではないが、無視をするのはよくない気がする。

 

 ひとまず何が起こったのか確認するため、振り返った継之進が見たのは、宙に浮かぶ侘助だった。直後、肩に重圧を感じて継之進は地上に落ちる。

 

「僕は幻影魔法は苦手でね。鞘に納めた姿を再現するので精一杯なんだ」

 

 どうやら森崎は煙幕に隠れて侘助を投げ、それを移動魔法で操作したようだ。一方で幻影魔法で未だ手元に侘助があるように見せかけていた。これが森崎の戦い方か。

 

「さようなら、現代の侍。できれば僕を許さないでほしい」

 

 森崎の刃が継之進の首に当てられる。首に当てられた鋼の冷たい感触が、継之進の最後の記憶となった。



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虚の王

 市丸ギンは迫りくるバラガンの霊圧を感じ、警戒感を高めていた。バラガンの能力である「老い」は市丸にとって相性のよい能力ではない。というより、強敵であるバラガンと相性のよい者など、そうはいない。

 

 一番簡単な「老い」の力の突破方法は威力を減衰させられても打撃力を与えられるほどの強力な攻撃を仕掛けることだ。しかし、バラガンは破壊力だけが自慢の砕蜂の雀蜂雷公鞭でも倒せなかったのだ。市丸の卍解も強力だが、砕蜂の卍解ほどの威力がない以上、力押しでの突破は難しいと考えた方がいいだろう。

 

 他の方法として、空座町に侵攻した折に有昭田鉢玄は「老い」の力をバラガンの体内へと転送することにより倒したが、市丸に転送のような超高度な鬼道は使えない。それに仮に使えたとしてもさすがにバラガンも警戒をしているだろうから、同じ手は二度は通じないだろう。

 

「さて、どうしたものやろな」

 

 神鎗では「老い」の力を貫通してバラガンを倒すことは難しい。それゆえ何か手を考える必要があったのだが、残念ながら、今日までには名案は思い浮かばなかった。

 

 今の段階でも行いうる最も簡単な手段は、バラガンが「老い」の力を展開する前に攻撃を行うということだ。戦場でバラガンがそんなに愚かなことをするわけがないが、戦闘が始まる前なら機会がないとは思わない。その場合には、バラガンが市丸の卍解を知らないという点が有利に働くかもしれない。

 

 だが、そもそも「老い」の力を展開する前に攻撃を仕掛けるなどという夢のような前提を置いている時点で問題なのだ。正面からなら卍解でも突破が難しいということは、即ち勝算が低いということに他ならないのだから。

 

 ゆったりと歩いてくるバラガンの姿が視界に入ってくる。青山霊園でのときと異なり今は人間の姿をしている。

 

 今のうちに攻撃を仕掛けるか。だが、誘いである可能性の方が高い。

 

「相変わらず簡単に動かぬ男よ」

 

 市丸はなるべく力を隠す為、戦闘は極力、避けていた。そして、藍染に本心を悟らせぬように動いた結果、破面たちも市丸のことは測りかねていた様子だった。

 

「朽ちろ、髑髏大帝」

 

 藍染に抱いていた敵意の延長だろうか。忌々しげに市丸を見たバラガンが帰刃を用いる。弱体化した市丸のことを侮って帰刃をしないまま攻撃を仕掛けてくれるのが理想であったのだが、そう上手くはいかないようだ。

 

 漆黒の外套を纏った髑髏の姿と変わったバラガンが巨大な斧を構える。あの斧の一撃も脅威には違いないが、それよりも「老い」の力の方が脅威だ。

 

 バラガンの死の息吹は触れたものを「老い」の力で侵して朽ちさせる。死神は圧倒的に長命ではあるが、寿命が存在しないわけではない以上、「老い」からは逃れることはできない。実際、空座町での戦いで攻撃を受けた砕蜂は掠めた個所から白骨化していた。

 

 威力以上に恐ろしいのは、死の息吹は死神の中でも最速クラスの隠密機動総司令官の砕蜂でも避けきれない速度があるということだ。市丸自身、瞬歩を用いた速度は高いレベルにあると自負しているが、死神時代と同等の速度は出ない。

 

 救いがあるとすれば、バラガン自体も破面の頃と比べれば大幅に弱体化していることだ。ただし、死の息吹の速度が落ちているかはわからない。大事なことは、死の息吹の威力や速度が、どの程度まで落ちているかということだ。仮に速度が落ちていたとしても、市丸が低下した速度を上回っていれば、脅威度は増している可能性もある。

 

 バラガンにとっては死の息吹も絶対の必殺技というわけではない。けれど、重要な技であることには変わらない。現在の死の息吹の速度や射程を隠匿したいはずなので、今くらいの距離を保っていれば、簡単には放ってこないだろう。

 

「破道の五十八、闐嵐」

 

 以前のバラガンであれば鬼道ですら「老い」の力で無効化していた。闐嵐がどの程度まで通用するかで今のバラガンの力の程度が測れるだろう。

 

「この程度なのか?」

 

 手加減なしの市丸の闐嵐を、バラガンは簡単に消滅させた。その「老い」の力は今の市丸では防ぎきれない力を秘めているように見えた。

 

「相変わらず厄介な能力やなぁ、何か弱点とかないん?」

 

「……そのようなもの、存在せぬ」

 

「そうやって油断しとるから、虚になり損なった死神にすら敗北するんやろ」

 

 その一言で、バラガンの雰囲気が変わった。バラガンとしても先の戦いでの不覚は腹立たしいことであったようだ。これで、怒りに我を忘れてくれるようなら楽なのだが、そう簡単にはいかないだろうとも予想できていた。

 

 そして、市丸が考えたとおりバラガンは腐ってもかつての虚の王だった。怒りはしても、怒りに身を任せるようなことはしなかった。冷静に虚弾を使って市丸の回避能力を確認してくる。

 

「縛道の三十、嘴突三閃」

 

 何とか少しでも動きを封じられればと放ってみるが、バラガンの纏う「老い」の力により消滅させられた。予測できてはいたが、詠唱破棄の嘴突三閃では、全く通用しない。

 

「縛道の二十一、赤煙遁」

 

 煙に紛れて物陰に身を隠す。これは奇襲の成否を確認するためバラガンの探査回路の精度を知るための行動だ。

 

 身を隠して様子を伺うが、バラガンは真っ直ぐに市丸の方へと向かってくる。どうやら市丸の位置はしっかりと把握されてしまっているようだ。となると、身を隠しての奇襲は成功しないと考えた方がよさそうだ。

 

 残念ながら、現段階では勝率が高くなる要素は見つけられなかった。だが、持久戦となると他方面の味方が援護に来てしまう可能性がある。

 

 通常であれば、援軍はありがたい。けれど、相手がバラガンであれば徒に犠牲を増やすだけになってしまうだろう。それは、十師族である七草や一条であっても同じだろう。ただ、一人だけ可能性がある人物がいる。

 

 それは十文字克人だ。彼のファランクスは多重障壁魔法。一枚が「老い」の力により劣化して破られても、次の障壁は新品の状態で待機状態となっているということだ。

 

 死の息吹は持続性の高い攻撃ではない。強力な一撃を叩きつける攻撃だ。つまりは死の息吹との相性は悪くない。それに、おそらくバラガンは鬼道には詳しくとも、現代魔法には詳しくない。

 

 だが、十文字は自家の部隊を率いて、七本槍以外の吸血鬼一体と交戦中だ。現在の持ち場から十文字を引っ張るとなると、吸血鬼を抑えることができなくなる。十文字の力を借りなければ拙いことになる可能性は考えていながら、バラガンに当てることを躊躇ったことが裏目に出た。

 

「黒白の羅、二十二の橋梁、六十六の冠帯。足跡・遠雷・尖峰・回地・夜伏・雲海・蒼い隊列、太円に満ちて天を挺れ。縛道の七十七、天挺空羅」

 

 ひとまず天挺空羅を用いて十文字と達也、深雪の三人に繋げる。

 

「十文字、敵の総大将の魔法を防ぐのに力を貸してほしいんやけど、来てくれへん? 達也と深雪は目の前の敵を倒したら、十文字の持ち場に移動して」

 

 霊圧の様子と各部隊の配置から、最も早く援護に向かえるのは達也と深雪であると考えて十文字の穴を埋めることを依頼する。ただし、天挺空羅は相手からの返信は受け取ることはできない。十文字たちが依頼の通りに動いてくれるのか確認する術はない。

 

「時間稼ぎしかできぬのか。少々買い被りすぎていたようだな」

 

 内容まではわからなくとも、霊圧の波動から市丸が何らかの通信を行ったことを感知したバラガンが、漆黒の顎の奥に嘲りを見せる。

 

「勝手に買い被っておいて、勝手に失望なんて、滑稽やな。そない死神が怖いん?」

 

 藍染には圧倒的な力で服従を強いられ、空座町の戦いでは死神を侮った結果、敗北を喫することになった。口では偉そうなことを言っていても、バラガンは死神のことを恐れるようになっている。

 

「言うではないか。まあよい、すぐにその口を動かなくしてやろう」

 

 市丸に有効な反撃手段がないことに気が付いたのだろう。バラガンがこれまでよりも強気に市丸に迫って来る。市丸としてはこれから十文字が援軍に来るまで厳しい時間となる。けれど、一方でバラガンが接近をしてくれなければ、最終的な勝利はない。

 

 だから市丸は、勝利を得るために敢えてバラガンの攻撃を躱し切れるかわからない危険領域へと足を踏み入れた。



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七本槍の最後

 七人の久留島源之丞と対峙するリーナは、確実に追い詰められていた。今のところ、どちらも相手に一撃も与えられていない。しかし、リーナが常にパレードを行使して確実に魔法力を消耗しているのに対して、久留島には全く疲れが見えない。これが吸血鬼の力によるものか、帰刃というものが消耗をしないものなのか、リーナにはわからない。

 

 これまでにリーナは何度か久留島に対して攻撃を仕掛けている。しかし、それぞれに攻撃を仕掛けてみても、今のところ全て無意味に終わっている。

 

 どの敵に攻撃を仕掛けても、傷を回復されてしまう。いや、回復というのは正確ではない。回復というよりは再生しているという印象だ。さながら、傷ついた一体の上に無傷の固体の状態を複写しているという感じだろうか。

 

 もしもそうだとしたら、最初に想定したとおり全ての敵を一度に倒さなければならないということになる。けれど、さすがにそれは難易度が高い。それに、本体がどこかに隠れていたとすれば、一巻の終わりだ。

 

 ひとまずパレードで作った幻影を向かいの建物へと向かって走らせて中に逃げ込ませる。そうして元の場所で様子を窺う。もしも纏まって建物の中に向かおうとするならば、そこを攻撃できるかもしれない。

 

 けれど、その望みは薄いだろう。そう考えていたのだが、予想に反して七人の久留島たちは纏まって建物に近づいていく。

 

「どういうことなのかしら?」

 

 纏まって建物に入ろうとしたら、攻撃をしよう。そう考えていたのに思わず考え込んでしまった。出入口が複数ある建物の中に逃げ込んだ相手を追い詰めるのならば、包囲するのが鉄則だ。せっかく何人もいるのに纏まって一つの入口から入る意味が分からない。

 

「もしかして、離れないのではなく、離れられない?」

 

 思えば、帰刃というものを使って七人に別れてから、ずっと久留島たちは全員がリーナから位置を確認できる位置にいた。リーナは一人なのだから、本来なら囲むように動くなり、隠れて機を窺うなりをした方が追い詰めやすかったはずだ。

 

「一定の距離から離れられない……いや、それとは違う」

 

 リーナとの距離が開いているとき、久留島たちは比較的散開していた。だから、リーナは戦略級魔法「ヘビィ・メタル・バースト」を使っても久留島たちを仕留めきることができなかった。だが、今はそのときに比べて距離が詰まった分、位置取りも詰まっている。

 

 最初の交戦時と今との違いを考える。すると、一つだけ思い当たることがあった。

 

 久留島が帰刃を使用した直後は開けた場所だった。それに対して、今は建物の陰に隠れるように移動している関係で遮蔽が多い。

 

「互いが視界に入ってないといけない? いや、それとも少し違う」

 

 さすがに七人もいたとしても、互いの視界に入らない瞬間は発生する。けれど、そのときには何も起きている様子はない。ということは、視界に入らないと術が解けるというような類の制約ではない。

 

「一定時間なら視界に入っていなくてもいい? いや、もう少し条件は緩くて、攻撃をしないなら視界に入っていなくてもいい?」

 

 けれど、それも違う気がする。もしも、リーナが考えた制約ならば、もう少し包囲する動きができるはずだ。

 

「もしかして、やろうと思えばできるけれど、やりたくない?」

 

 なぜやりたくないのか。それは明白だ。

 

 久留島の帰刃の能力は分身体を作ることと、その分身体の再生能力。そのうち分身体を作ることは影響を受けないことは確認済。なら、影響を受けるとすれば再生能力の方だ。

 

 まずは仮説が正しいかどうか確認するため、他と比べてやや距離がある一体にある魔法を使う。それは、対象を中心とする一定の相対距離で光の進行方法を逆転させる、外界から光が入らない、完全な闇の中に閉じ込める領域魔法「ミラー・ケージ」だ。

 

 その瞬間、明白に久留島たちが動揺したのがわかった。そのまま闇に囚われた一体に向けて全魔法力を込めてスローイングダガーを投じる。闇の中にいたこともあり、久留島は受けることができず、額に刃を受けた。

 

 ミラー・ケージを解いたとき、すでにそこに久留島の姿はなかった。そして、久留島の総数は六人に減っていた。

 

 これで久留島の乱鏡獣の能力がわかった。乱鏡獣は分身体を作り、更にその分身体が他の分身体の視界に入っている場合は再生能力を与えるというものだ。それがわかれば、対処方法はある。

 

「まさか能力を見破られるとはな……だが、こちらもその魔法、少しは見破ったゆえ、これで勝ったとは思わないことだ」

 

 そう言うと、久留島はリーナが隠れている場所に虚閃を放ってくる。

 

「不用意に魔法を使いすぎたな。最早、騙されることはないゆえ、覚悟なされよ」

 

 久留島の虚閃を躱したリーナに向けて、六人の久留島たちが突進してくる。これまでは距離を取っていたが、久留島は本来、接近戦が得意な魔法師だと聞いている。そして、接近戦であれば、間違いなく互いを視界内に収めることができる。

 

 だが、接近戦を仕掛けてくれるならば、もう一つの仮説を試すことができる。徐々に後退をしつつ、リーナは機を狙う。

 

「勝負!」

 

 そして、先頭を進む久留島がリーナまで二十メートルの距離に足を踏み入れた瞬間、空間が沸騰した。現れたのは雷光瞬く、炎雷の世界。

 

 空気が燃え上がる灼熱の地獄、「ムスペルスヘイム」。

 

 気体分子をプラズマに分解し、陽イオンと電子を強制的に分離して高エネルギーの電磁場を作り出す領域魔法だ。

 

 領域の外と内で久留島たちは三人ずつに分断されている。ダメージを受けている三体は外の三体の視界には入っていない。

 

 外との視界を遮断することが必須であるため、魔法力は多めにつぎ込んでいる。そのため消耗は激しいが、威力は申し分ない。灼熱地獄の中に囚われた三体の久留島たちがなすすべなく燃え尽きる。領域魔法の長所は、発動させてしまえば魔法力を注ぎ込むことを止めてもしばらくは現象が残るということ。その間にリーナは次なる魔法を用意する。

 

 だが、リーナが次の魔法を発動までもっていくことを、みすみす許すほど久留島たちも甘くはない。ムスペルスヘイムの領域内に囚われた三人のことは早々に諦め、リーナへと虚閃を放ってくる。

 

 ムスペルスヘイムは大魔法だ。さすがにパレードを使用しながらの行使はできない。つまり今は本体が敵から捕捉されている状態だ。そして、ムスペルスヘイムを展開して、更に次の攻撃魔法を用意している状態で強度の障壁魔法を使えるほどの余裕はない。

 

 最低限の身体強化だけで必死に久留島の虚閃を躱す。放たれた三本の虚閃のうちの一本がリーナの肩を掠める。肩が焼ける感触に構わずリーナはブリオネイクを構える。

 

 使用するのはリーナ専用の戦略級魔法「ヘビィ・メタル・バースト」。それを三体同時に倒せるように照準を合わせる。魔法の連続行使に演算領域が悲鳴を上げるのがわかる。だが、それにも構わずリーナは魔法を放った。

 

 三条の光線が回避行動を取る久留島たちを飲み込んでいく。ムスペルスヘイムの直後であるため万全には程遠いが、それでも以前に街中で放ったときのように諸々の制限を課した状態でない戦略級魔法の一撃だ。いかに高強度の硬化魔法を用いようと、簡単に防げるような代物ではない。

 

 戦略級魔法が久留島たちを背後の教室棟を含めて激しく破壊した後、そこに立っている者はいなかった。それを確認して、リーナはどさりと尻餅をついた。

 

「全く……。勝ったはいいけど、この校舎の破壊、どう言い訳すればいいのよ」

 

 スカートなのに股を開いたままというあまり人には見せられない姿だが、今は疲労が激しすぎて体勢を変えるどころではない。

 

「まあ、いいわ。それより後は任せたわね」

 

 他戦線は日本の魔法師に頑張ってもらおう。そう決めて、リーナはそのまま地面に大の字に倒れた。



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決着

 十文字が援軍に来てからが反撃のときと定め、市丸は懸命にバラガンからの攻撃を耐えていた。最早、駆け引きは必要ないとばかりにバラガンは死の息吹を中心に攻撃を組み立てている。それに対して市丸は倒山晶などの上位の鬼道も使って懸命に距離を取る。

 

 幸いなのは、市丸には自分を倒す術があることを察しているバラガンが、完全に攻撃に振り切って遮二無二、前へと出てくるような行動は取っていないことだ。そのおかげで、まだ耐えることができている。しかし、このまま長引けば、市丸が今は切り札を行使する気がないということを察知される可能性がある。

 

 今なら勝てると確信すれば、バラガンは勝利を掴みにくるだろう。だから、けして余裕がないところは見せてはならない。あくまで防戦一方とはならないようにし、何かあると思わせながら戦うということは骨の折れる戦いだった。

 

 けれど、何とか援軍は間に合ったようだ。虚閃を円閘扇で逸らしている最中に放たれた死の息吹から必死の瞬歩で逃れていたところで、市丸の前に多重の障壁が展開された。障壁は数枚が死の息吹によって朽ち果てたが、無事に攻撃を防ぎきった。

 

「十文字、あの息には絶対に触れたらあかんで」

 

 死の息吹を多重障壁で防ぐこと自体はできた。けれど、おそらくこれまで十文字が体験したことのない速度で障壁が破られていったはずだ。そのことに驚く気持ちはあるだろうに、それを表には出していない。そして、障壁多数の犠牲と引き換えに、ようやく攻撃を防げたという事実だけで十文字は自分がなぜ呼ばれたのかを理解したようだ。さすがに鉄壁と称されるだけのことはある。

 

「次にあの攻撃が来たら、なるべくボクより前の位置で受けてくれんか? その間に敵に突っ込むから」

 

 簡単にそれだけ言いながら市丸は十文字の前に立つ。九校戦の練習のための簡単な手合わせを除いて、これまで十文字と共に戦闘を行ったことはない。細かな連携は最初から諦めた方が良い。

 

 もたもたしていたら、市丸の狙いを察知されてしまう可能性がある。どうせ一度しか試みることができない方法なのだ。次の一度に勝負をかけると決めておいた方が、互いに覚悟も決まろうというもの。

 

 狙いを察知されぬように、ゆっくりとバラガンの方へと近づいていく。そんな市丸へと向けて、二度の虚閃の牽制の後に、ついに死の息吹が放たれた。市丸は恐れることなくその中に身を投じる。死の息吹が市丸に迫る。それに触れた場合、今の市丸では助かる術はない。だが、今の市丸には最強の盾がついている。

 

 幾重もの障壁が市丸の前に展開され、死の息吹を受け止める。障壁は次々と朽ちていく。だが、後から後から障壁は現れ、死の息吹を受け止め続ける。十文字の障壁は展開の速度でバラガンの攻撃を上回っている。

 

 死の息吹が晴れる。真正面から自分の攻撃を上回る防御を行った人間の存在にバラガンが驚愕の表情を浮かべている。その瞬間に市丸は瞬歩で距離を詰める。

 

「卍解、神殺槍」

 

「ようやく卍解をする気になったか。だが、それくらい警戒しておるわ」

 

 バラガンはよほど市丸のことを警戒していたのだろう。虚と融合させた人間を全て襲撃に回さず、控えさせていたようだ。市丸が卍解を使用した直後、バラガンの身を守るように四体の虚と融合した人間が立ち塞がった。

 

 四体の融合体の実力は、七本槍よりもかなり下に思える。おそらく隠密性重視で戦闘力は二の次だったのだろう。だが、戦闘力に劣る部下たちで卍解をした市丸の足止めをしようなどなめられたものだ。

 

「神殺鎗、無踏連刃」

 

 無踏連刃は最速の卍解、神殺槍の伸縮の速度を生かしての連撃だ。高速の四連撃により、四体の新手を一瞬で葬る。

 

「ほう、思ったより普通の卍解なのだな」

 

 どうやらバラガンは、市丸の斬魄刀の卍解を、単なる始解の延長と誤認してくれたようだ。まず第一段階は成功したと言えるだろう。ただし、まだ秘めた力がないか警戒している様子が見える。

 

 けれど、警戒の方向性は今の延長にある能力を隠していないか否かだ。神鎗の卍解の真の能力に関して警戒している様子はない。ならば、市丸のやることは変わらない。

 

「射殺せ、神殺槍」

 

 市丸は自分の出せる最速で神鎗を振り抜いた。だが、バラガンも警戒をしており、自分の周辺の「老い」の力を強化していた。結果、今の自分にできる最高速度で振るったにもかかわらず、バラガンの身に傷はついていない。

 

 けれど、神殺槍の本当の力は、ただ速いというだけではない。刀身を塵状に変化させることができるというものだ。見た目の速さはその副産物。そして、今、市丸は「老い」の力で神鎗による攻撃が届かなかったふりをしている。

 

「それで終わりか。ただの藍染の腰巾着であったのか?」

 

 卍解で攻撃したのにもかかわらず全く傷を与えられなかったのを見て、バラガンが市丸を嘲りながら前に出てくる。だが、それこそが市丸の狙いだ。

 

 塵状に変化した神鎗の一部は確かにバラガンに届いている。バラガンの「老い」の能力は自分には効かないという類の能力ではない。ただ単に自分が被害を受けないように別の領域を作ることで身を守っているだけだ。要するに、領域内に入り込んだ神鎗の欠片にはその「老い」の能力を及ぼすことができない。

 

 そして、その神鎗の欠片こそが、藍染を倒すために市丸が磨き上げた能力。この欠片には魂魄の細胞を溶かす猛毒がある。それを発動させれば、バラガンを倒せる。ただし、そのためには相手に触れて解号を唱える必要がある。

 

 だが、バラガンの周囲には「老い」の力が濃密に張り巡らせている。そこに手を突っ込むということは、そのまま「老い」の力にさらされるということだ。

 

 けれど、これしかバラガンを倒せる手段が思い浮かばなかった。バラガンの前進に合わせて前に進み始めた市丸に再び死の息吹が浴びせかけられる。だが、今の時間で態勢を整えたのはバラガンだけではない。

 

 十文字の多重障壁、ファランクスが再度、市丸の前に展開されてバラガンの死の息吹を受け止めていく。隊長格の死神でさえ苦戦した死の息吹を何度も受け止めるのは、いかに十文字でも負担は大きい。けれど、これで最後なので何とか受け止めてほしい。

 

 市丸の期待に応え、十文字は死の息吹を防ぎきってくれた。これで、バラガンへの道ができた。

 

 武器を失って尚、前に出る市丸を見て何か拙い攻撃が来るとわかったのだろう。バラガンが骸の顔を引きつらせる。

 

「これで仕舞いや。死せ、神殺槍」

 

 バラガンの「老い」の領域に手を伸ばし、解号を唱える。その瞬間、バラガンの体内に侵入していた神鎗の破片から猛毒が発される。

 

「がああぁああぁ」

 

 毒に侵されたバラガンの口から絶叫が漏れる。万が一の不安として毒が効かない可能性も考えていたが、無事に効いてくれたようだ。

 

 やがて絶叫がやみ、バラガンの身体がゆっくりと崩れていく。それを見送る市丸の右腕はすでに朽ちてしまっている。どうやらバラガンが消えても身体の侵食が止まることはないようだ。

 

 空座町への侵攻時、死の息吹を浴びた砕蜂は朽ち始めた腕を斬り落とすことで侵食を止めていた。けれど、その方法は最早、間に合わない。

 

 すでに市丸の身体は朽ち始めている。今から切り離したとしても、市丸の命は失われるという段に来てしまっている。

 

「市丸……」

 

 十文字の目にも、市丸はすでに助からないと見えているようだ。

 

「気にせんでええ。こうせな倒せんくらいの相手やったゆうだけや」

 

 かつては虚の王であった相手を、ただの人間の身で倒すことができたのだ。相打ちでも上出来というべきだろう。

 

 他の戦線でも決着がついたのだろう。周辺や講堂から続々と生徒たちが姿を見せる。

 

 急いで駆け寄ってこようとしている、明智や桜小路。それに少しは話したことがあるという関係の池田や丹羽といった同級生たち。

 

 これまで何度か共闘した達也、深雪、レオ、吉田、千葉、柴田、光井。それに七草や十文字や渡辺といった第一高校の実力者たち。そして、桐原や壬生、中条、千代田という横浜などで共闘をした者たち。

 

 皆が心配そうな顔をするが何もできない中、達也だけが一人、市丸にCADを向けた。



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別れ

 明智英美はこの日、渡辺摩利の指揮下に入り、吸血鬼とされる男と戦っていた。男はかなりの強敵だったが、渡辺と千代田花音の現新風紀委員長に、服部、そして英美が連続で強力な魔法を叩き込み、最後に桐原が高周波ブレードを纏った刃で仮面を両断することで倒すことができた。味方に強力な魔法師が多くいたにもかかわらず敵は一人だったということもあり、吸血鬼との戦闘は思ったより苦戦はしなかった。

 

 その後は近くで戦っている一条の援護に向かったが、到着したときにはすでに一条は敵を倒していた。それはよかった。問題だったのは一条の姿だ。なぜか一条は全裸だった。

 

 本人は新しい能力の代償だと言っていたが、女子生徒たちから冷たい目で見られたことは言うまでもない。残念ながら、替えの制服など持っている者などいない。誰もが目を逸らす中、一条は走れメロス状態のまま隠すことなく吉祥寺たちの元へと向かっていった。

 

 それを見送って、渡辺は一条とは別方向に向かうことにした。向かう先は最強の敵に立ち向かっているという市丸の所だ。そうして辿り着いた、市丸が受け持っていた運動場。そこは破壊の限りが尽くされた跡地となっていた。

 

 その中心付近に、市丸は横たわっていた。すでに市丸に右腕はなく、身体は徐々に朽ちようとしていた。

 

「市丸くん!」

 

 叫びながら市丸の傍まで行くものの、朽ちようとしている体に触れてしまっては、逆に取り返しのつかないことになりそうで何もできない。誰か、市丸を助けられる人はと周囲を見回すと、達也が市丸の側に立ちCADを向けていた。

 

 達也が何の意味もなく、そのような行動を取るとは思えない。もしかして、何か未知の方法で市丸を助けてくれるのだろうか。

 

「なぜ、魔法が発動しない?」

 

 そう呟くと、達也は市丸に向けていたCADを下げた。それで、達也にも市丸を助けることができなかったのだと知った。

 

「誰か、誰か市丸くんを助けられる魔法はないの!」

 

 懸命に叫ぶが、英美の声に応える者はいない。

 

「もうええで、明智。ボクのこの状態は簡単に助かるものやない」

 

 そう言った市丸の声は、さながらこの状態となることも、そうなっては助からないことまでをも理解していたようだった。

 

「簡単に諦めたら駄目だよ」

 

「ええんや。バラガンと戦うことになった段階から、こうなることはわかっとった」

 

「わかってたなら、なんで他の方法を取らなかったの!」

 

 瀕死の人間に言うことではないとわかっているが、市丸はあまりにも自然に自分の死を受け入れてすぎていて、思わず声を荒らげてしまう。

 

「バラガンの能力と実力がわかっとったからこそ、こんな方法しか取れんかったんや。堪忍してくれへん?」

 

 そう言って最早、満足に動かない体で市丸は微かに笑みを浮かべる。それに対して未だ誰も何も言わない。その沈黙の時間で、誰も市丸を助けることができないのだと、英美も理解させられた。

 

「え……?」

 

 受け入れがたい現実だけど、受け入れなければならない。そう考えて空を見上げた英美の目に意外なものが入ってきた。それは九校戦に出発したときに市丸が着用していたものに似た、黒い和服を着た妙齢の女性だった。

 

「誰、あの人……」

 

 英美の声に気付いた達也が空を見上げる。

 

「どうしたんだ? 誰もいないようだが?」

 

 これまでの様々な事件で、達也が探知能力に優れていることはわかっている。その達也が全く気付いていない。そして、それは達也だけではない。マルチスコープを使える真由美も、十文字も、他の誰も女性の姿が見えていないようだった。

 

 それにしても、凄く綺麗な女性だ。そして、なぜか警戒心が沸いてこない。急にこのような存在が現れたら、警戒してしかるべきなのに。

 

 その理由はなんとなくわかる。英美が謎の女性を敵だと思えない理由。それは、女性が市丸のことを見つめる眼差しだ。女性が市丸のことを見つめる視線は、どこまでも慈愛に満ちていて、とても自分たちに害を与える存在と思えなかったのだ。

 

「吉良、生まれ変わってまで、こいつと一緒にいるなんて、どんだけこいつのことが好きなのよ」

 

「僕だって、好きでここに生まれたわけじゃないですから」

 

 現れた女性は、なぜか森崎のことを吉良と呼び、昔馴染みのように話している。その声も他の皆には聞こえていないようだ。

 

「あの、貴女は……?」

 

 英美が恐る恐る声をかけると、女性と森崎が驚いたようにこちらを見た。

 

「明智さん、こちらの女性のことが見えるのかい?」

 

「うん、森崎くん。けど、私の方が異常ってことなんだよね」

 

 森崎が気まずそうに頷いた。

 

「別に体に異常が起きるってわけじゃないんでしょ。だったら別にいいや」

 

 英美がなるべくあっけらかんと聞こえるように言うと、森崎は意外そうな顔をした。

 

「少しばかり近づきすぎたみたいやな。明智、森崎からなるべく離れるようにしといた方がええ。そうせんと、妙なことに巻き込まれかねんからな」

 

「市丸くん、話さないでいいから!」

 

 英美が言うと、市丸は代わりに説明をしろとばかりに森崎の方を見た。

 

「明智さんは僕たちの近くにいたせいで霊力に敏感になってしまっている可能性が高い。そうなると虚……今回、第三高校の生徒と融合した相手を呼び寄せて……」

 

「そんなことは今はどうでもいいの!」

 

 死を前にしている市丸を前に、暢気に今後のことを話す森崎の言葉を遮る。

 

「今、大事なことは、どうやったら市丸くんを助けられるかってことでしょう!」

 

「それやったら、ボクはもう助からんよ。せやから、今のうちに明智に伝えるべきことを伝えとこうと思ったんや」

 

 そう言った市丸は最早、笑みを浮かべることすらできない様子だった。

 

「もう一度、言っとくで。ここから先は森崎の言うことをよく聞くように」

 

「うん」

 

「後の詳しいことは森崎に聞き」

 

 市丸が残り少ない力を振り絞って声を掛けてくれているのがわかるので、今度は英美は黙って頷いた。

 

「貴女、あたしのことは他の子たちには黙っておいてね」

 

「……はい」

 

 市丸の圧倒的な能力は、この人たちと関係があるのだと何となくわかった。けれど、そんなことは些末なことだ。

 

「市丸くんは、もう助からないんですよね」

 

「ええ、そうね」

 

「市丸くんは、この後どうなるんですか?」

 

「死ぬわね。けれど、そこまで悲観することはないわ。死後の世界のことについては、あたしが保証してあげる」

 

「保障いうても、あそこでの生活を保障されても困るんやけどね」

 

 市丸の言い様は、さながら死後の世界のことを知っているかのようだ。けれど、それでも問題ない。例え、どのような理由によるものであれ、市丸の今後が幸せなのであれば、それより大切なことはない。

 

「市丸くん、これまで本当にありがとう」

 

 英美がそう言ったことで他の皆も踏ん切りがついたのだろう。口々に市丸に対して最後の言葉をかけ始める。

 

「市丸、本当に助かった。俺だけではあの敵を倒すことはできなかった。お前がいなければ、多くの犠牲が出ることになっただろう。今日、皆が無事に襲撃を乗り切ることができたのはお前のおかげだ」

 

 そう言ったのは十文字だ。

 

「強敵を倒してくれたこともだけど、市丸くんが敵の情報をくれなかったら、私たちは苦戦を免れなかったはずよ。だから、市丸くんは本当に皆の命を救ってくれた。ここにはいない中条生徒会長の代わりにお礼を言わせてもらうわ」

 

 主要な敵は倒したとはいえ、まだ校内は正常な状態であるとは言い難い。中条は生徒会長として今は講堂で皆を纏めている。だからこその七草からの言葉だった。

 

「市丸、お前からの数々の助言、本当に助かった。感謝する」

 

「市丸さん、お兄様と仲よくしてくださり、ありがとうございます」

 

 達也と深雪の兄妹の後も次々と皆が声を掛けていく。市丸はどこか浮世離れしたところがあり、皆の中に入っているとは言い難かった。けれど、皆から確かに信頼をされていたのだと感じられる光景だった。

 

「皆、おおきに」

 

 その言葉を最後に、市丸の身体は徐々に朽ち果て、やがて元から存在していなかったかのように消え果てた。



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魂葬

 バラガンとの戦いで死の息吹に侵された市丸は、そのまま命を落とした。

 

「まさか乱菊に魂葬をしてもらえるなんて、転生もしてみるもんやな」

 

「ふざけたことを言ってないで、早く流魂街に行きなさい。今のあんたなら、どこでも生きていけるでしょ」

 

「まあ、そうやろね」

 

 市丸は仮にも護廷十三隊の頂点たる隊長の一人だったのだ。治安最悪の北流魂街80地区の更木に行くことになろうとも、何の問題もない。

 

「それで、尸魂界ではどうするつもりなのよ」

 

「そうやなあ。色々と面倒なことは多いやろうけど、やっぱり護廷十三隊に入ろうかな」

 

「そう……それがいいんじゃない?」

 

 結局のところ、市丸は今世でも戦いの中に身を置いてしまった。結局、来世もそのような生き方しかできないのだろう。

 

「けど、せっかく真央霊術院を出ても、ボクのことを取ってくれる隊なんてあるかなぁ」

 

「市丸なら、その気になればどの隊だって入れるでしょ」

 

「けど、ボクと藍染隊長のせいで命を失った隊員の知り合いも大勢、おるやろ。それに中央四十六室もボクのこと嫌っとるやろうし、そう簡単にはいかんと思うんやけどなぁ。そうなると、それこそ隊長からの庇護でもないと安心して入隊はできんなぁ」

 

 乱菊がバラガンとの戦いが終わるまで姿を見せなかったのは中央四十六室の指示だろう。今後も、その程度の妨害は避けられないとみるべきだ。

 

 言いながら乱菊の方を見ると、これから市丸が言いたいことがわかったのか嫌そうな顔をしている。けれど、ここで言葉を止めることはしない。明確に言わないと、乱菊はとぼけてしまうだろうから。

 

「というわけで、今後のボクの立場を考えると、隊長の庇護があるのとないのでは大違いや。だから、ボクが霊術院を卒業するまでに隊長になっといてくれへん? 後輩が大勢、隊長になっとるんやから、乱菊にもできんことはないやろ?」

 

「そうね……そろそろ本気で目指そうかしら」

 

 日番谷は乱菊にはやる気が足りないと分析していた。市丸もその意見には同意だ。けれど、これで乱菊も少しはやる気を見せてくれるだろう。

 

「それじゃ、そろそろ魂葬してもらおうかな」

 

「そうね……」

 

 おそらく乱菊の方から流魂街に市丸を探しにくることはないだろう。それは、他ならぬ市丸がそれを望んでいないからだ。乱菊なら、それを理解してくれるはずだ。

 

 だから、これで数年の別れになる。けれど、それが何だというのだ。

 

 市丸と乱菊は、もう百年以上は顔を合わすことも声を交わすこともなかった。それに比べて今度は霊術院を卒業すれば会えるとわかっているのだ。たかだか十年かそこら別れることになったとて、何という事もない。

 

「それじゃあ、またな」

 

「ええ、待ってるわ、ギン」

 

 短い言葉を交わしたのを最後に、乱菊の手により市丸は現世から尸魂界へと旅立った。




1月に入ってから忙しくなり、更新を週1回に落として続けるか、締めに入るか決断をしなければならないことに。
けれど、次にパラサイトが出るのはそれなりに先のこと。
週1ではいつまでかかるかわからないので締めることに。
予定通りとは言い難いですが、ひとまず完走できたのでよしとしましょう。

稚拙な話ではございましたが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。


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