貞操観念が反転した世界にTS転生した俺が男装をする事になったのはお嬢様のせいだ (金木桂)
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働きたくない

TS練習のつもりで書いたけど思ってたのと違うのが出来ました。


 郷に入れば郷に従えという習わしがある。外様の土地に入るのだから自分の価値観は一旦リセットして、偏見のないフラットな思考でその土地の風習や思想を捉えてみようという先人のありがたーいお言葉だ。

 その言葉を否が応でも胸に刻まなくてはならない事態が起きている。

 

新羅弥衣(しんらやい)。母親として、新羅家の当主として貴方に勤めを与えます。心して聞きなさい。鳳燈家の御令嬢、鳳燈花凛(ほうとうかりん)様の側仕えとしての役目を命じます。これは決定事項です」

 

 ポカンとして俺は母様を見た。

 母様は俺を片親で育ててくれた人で、尊敬の出来るバリキャリの勤め人でもある。その一方で子供を沢山もうけていて、12歳の俺の上には二人ほどの姉が。下には一人の弟がいたりする。

 

 新羅家は代々、鳳燈家という財閥から召し抱えられる御用人である。俺のお婆様も、更にひいお婆様もこの鳳燈家に重用されていたそうだ。

 いつかは俺もそうなることは分かっていた。でも、俺はまだ12歳である。自分で言うのもあれだけどバリバリに小学生だ。来年は中学生だけど。そんな人間を働かせるなんて、鳳燈家はブラックなのではないだろうか。信仰心マシマシの母様に言うことは出来ないが、内心で俺は酷く心配になってきた。

 

「恐縮ながら質問をさせていただいても良いでしょうか」

「今のうちに何でも聞きなさい。鳳燈家の皆様には無礼でも、私には遠慮は無用よ」

「お役目に不満は無いのですが、しかしなぜ私なのでしょうか。年齢からすると、順当にして愛奈(まな)お姉様や(いのり)お姉様が側仕えをするべきではないのでしょうか。申し難いのですが、私では未熟が過ぎると思われます」

「そうね」

 

 ただ働きたくないという言葉を過大に飾り付けた上で本心を打ち明けると母様は小さく頷いた。

 長女の愛奈お姉様は今年で24歳、祈お姉様は17歳で俺よりも全然年上だ。社会的な体裁を鑑みればこの二人の方が側使えとしては相応しいように思える。

 

「弥衣の懸念はもっともね。でもこれは鳳燈家当主、鳳燈絵美様からの要望よ。それ以上の理由など必要があるかしら?」

「それは誠に失礼致しました。この弥衣、粉骨砕身して当たらせてもらいます」

 

 一礼すると「期待しているわ」と母様は満足そうに微笑んだ。

 

 その一方で俺の心は苦渋で満ちている。

 なんでこうなった。俺はもっと普通に、二度目の怠惰な学生生活を送りたかっただけなのに。

 母様に逆らえない俺は、退出するとフローリングに敷かれたカーペットを物音が立たないよう軽く蹴って不満を表した。

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 俺が転生したという自覚を持った明確な転換点は無い。敢えて言うなら4歳くらいの頃から自分は他の児童達とは何か違うと本気で思い始めて、その違和感が明確になるにつれて自我が急速に鮮明になった。これが転換点と言えば転換点になるだろう。

 

 前世では男子高校生だった俺が、どう言う理由か女児に転生していると自分の中で明言できるようになったのは5歳の時だ。女児用の可愛いイラストが入ったパンツを履こうとした瞬間「あ、俺そういや男じゃん。なんでこんな奇行してるんだっけ」と完全に自分を思い出したのだった。

 

 この弥衣としての記憶は保ったままだったので、家族に悟られないことは比較的容易だった。しかし最初は大いに戸惑った。女の子としては当然の日常的所作も俺にとっては違和感が強いものだからだ。それでもなんとかバレずにやり過ごせたのは偏に弥衣と言う少女の顔にある。幼いながらも銀色の髪をしていて、御伽噺の妖精のような中性的な相貌をした弥衣の表情筋はダイヤモンドよりも硬い。めっきり動かないのだ。鏡の中で笑おうとしてもピクリと引き攣るばかりで、上の姉からも若干不気味がられたりした。というか今もしている。俺としては非常に笑おうと努力しているんだけどな……無表情以外の表情になろうとするとどうしても変な顔になってしまう。正直、これは弥衣の持病だと思っている。

 

 一応、その訳を推測できなくはない。

 新羅家は名家に代々仕える御用人の家庭なのだ。厳しい教育や古風な上下関係も日常のことで、その毎日の厳しさに心を閉し気味になっていたのかもしれない。生まれながらにして弥衣という少女に俺は転生しているため、弥衣と俺は本質的に同一存在であるのだが、それでもまだ前世の記憶が明確でなかった幼い精神には少々堪える環境だったんだろう。

 

 にしても御用人の家系ってなんだろうか。この現代日本でなんて時代遅れなことをしているんだ、なんて思ったりもしたが、そんな余念はすぐに消え去る事になる。

 

 この世界は俗に言う、男女の倫理観が反転したチグハグ世界だった。何事に置いても女性が強くて、男性は守られるべき存在。女尊男卑だ。その事実を知って、いや正確には弥衣の知識から引っ張り出してきて面を食らう事になった。

 しかも男女比も狂っている。どう言うわけか男一人に対して女性が十人というのが男女比人口の概算の目安らしい。学校のクラスで言えば大方、男は四人しかいないと言うことで。俺の通っていた幼稚園も例を逸する事なく男児は殆どおらず、また先生からも丁重に扱われていた。

 

 ……いやさ。こういうのって普通男として転生するもんじゃないの。

 

 俺は自室でノートに情報を纏めつつ頭を掻きむしりたくなる衝動を抑える。見つかったら母様からみっともないとコテンパンに叱られるのだ。

 

 この世界は現代日本ではあるけど、前世とは違う事情が多々ある。男女比や貞操観念の逆転現象を始めにして、財閥が2000年を超えても生き残っていること、それに政府が一夫多妻制を推奨していること。特に一夫多妻制については男として思うところもある。女性優位社会なのもそうだが、男の希少性も相まって一夫多妻にしないと社会が成り立たないのだ。何とも前世の価値観からすればクレイジーな話である。クレイジーといえばこれは日本の話ではないが、過去にはどこかの小国家が一夫多妻内閣とか言って大臣のポストを全員一人の夫の婦人にした事例すらあるそうだ。まあそんなのは流石に特異的なケースではあるけど、それでもこれは要するにハーレムの合法化という意味で。

 

 ……クソぉ! 俺も男になりたかった!

 

 そんなしょうもない思考が俺の中で暴発するのも当然の結果と言えた。勿論心の中で秘めているだけで、外に出せば折檻されること間違いなしだから決して口にはしないけど。

 

 そんな訳で小学校入学を機に新羅家の側仕えとしての教育が本格的にスタートすると、俺は小一にして慌ただしい生活を送る事になる。学校に行って、帰るとすぐさま缶詰で勉強。はたまた茶道や花道。或いはチェスや将棋といった授業も家庭講師を呼んで取り行われてた。この世界の家庭講師は結構マルチに活躍しているらしい。

 忙しい上に俺は上の姉たちとの仲があまり良くない。母様の手前、明白に悪いというわけでもなかったけども会話自体は年に一度したかどうか。もはや同じ窯の飯を食う他人だ。やはり俺の無表情がキショいらしい。酷いよなぁ、こんな銀髪の可愛い美少女候補に向かって。……未だ今の体が自分であるという自覚に乏しいからアレだが、この思考は普通に自画自賛だな。

 

 母様は近寄り難い上に昼夜問わず仕事三昧。父様については詳しくないが、姉たちによればこのお硬い家を嫌ってかあまり出入りせずに別の嫁の家に入り浸り。平安貴族みたいだ。いいご身分である。

 

 そんな中で俺が唯一話す相手といえば、家庭教師を除くと弟の暁人(あきと)だけだった。

 俺は前世では男だったし、今世の価値観も前世から大いに影響を受けている。ほぼそのまんまだ。だからショタコンではないし、恋愛対象も女性に据え置きされている。本人の性別は男から女になってしまったけど。

 それでも弟のことは可愛いもので、結構甘やかしてしまった自覚がある。俺より2歳年下である。前世で末っ子だった俺は妹か弟が欲しかったし、本当に出来ちゃえばそりゃ兄貴面するあるまい。いや姉貴面か。

 

 暁人も最初こそ俺の能面を被ったような風貌にびびっていたみたいだが、暇な時間さえあれば構っていると徐々に懐くようになってきた。俺は稽古だの勉強だのであまり自由に時間が取れなかったけど暁人の方は男ということもあって母様も自由にやらせていたみたいだしな。やっぱり納得いかない。俺にももっと休み寄越せこの野郎!

 

 しかし二年もすればこの生活にも慣れ、昔よりもゆとりが持てるようになった。その頃になると母様から鳳燈家に送る側仕えの話も聞いていた。代々鳳燈家に子供が産まれ、一定の年齢になると側仕えをこの新羅家から出す事になる。そして新羅家の側仕えは主からお暇を言い渡されない限りは生涯尽くす事になるのだ。

 でもそれは俺にではなく、どちらかといえば姉の二人の方がメインだったように思う。年齢的にも姉二人は丁度良く、また俺としてもそっちの方が望ましいことであった。

 だって考えてみ。生涯尽くすということは、生涯現役を意味する。即ち「主が死すまで働く」ということだ。労働基準法ナメんじゃねえぞ? 俺はやらねえからな! 今は側仕えの教育を施されているが、絶対にそんなのせずに普通に社会に出て生きてやる!

 

 と、決意しながらも余暇に自分磨きなどすることなくダラダラと毎日を浪費し、現在。

 なんでか知らないが、鳳燈家のお姫様は俺をご所望のようだ。俺の人生プラン終わったわこれ。

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

「それでは花凛様の元までご案内させていただきます」

 

 顔合わせ当日。俺は迷宮の如くドデカい屋敷の中をメイドさんによって案内されていた。俺も大概良いとこの生まれだとは思うが、流石に格が違う。これはやばい。子供がかくれんぼしたら夜まで見つからない可能性すらある。

 

 物珍しさはあるとはいえ、俺も側仕えとして精神的にも肉体的にも散々と新羅の家で鍛えられた男だ。じゃなくて少女だ。挙動不審に辺りを見回すなんて田舎者みたいな真似はしないし出来ない。やったと母様にバレたら「あ、これ死んだわ」と錯覚するようなプレッシャーで詰められるに決まってる。仕事なんて嫌だが、母様に怒られるのはもっと御免被りたい。

 

 メイドさんに案内されて鳳燈家応接間まで通されると、メイドさんは「花凛様は中でお待ちです。御用がありましたらお気兼ねなくお申し付けください」と言って扉の横に待機してしまった。まるで近衛兵みたいな所作だ。俺はこのメイドさんがどこかの二丁拳銃と互角の戦いを繰り広げた傭兵の末裔と言われても驚かないぞ。もし俺がここで粗暴を働いたら胸に忍ばせたコルトパイソンで足を撃ってくるに決まっている! 死にたくないから大人しく入りますね〜。

 

 ドアを開くと、これまた豪勢な部屋が俺の視界を圧迫した。応接間の癖して俺の家のリビングくらいの広さはゆうに越えている。やっぱ財閥は違うな。俺この世界に入って生き残れる気がしないよ母様。

 見るからに品の高い調度品に囲まれたその部屋のソファーにお嬢様は足を組んで優雅に座っていた。

 

 清楚、或いは綺麗という言葉が一番その容姿を表すのに適切だろう。黒い長髪を腰までサラリと流して、冷たさを感じるライトグリーンの瞳は直視しただけでなんとも心を覗かれているような気持ちになる。胸は平均くらいだろう、全体的にスラっとした体型をドレス風のワンピースが包んでおり、これまた似合っている。これまた前世ならテレビ番組に引っ張りだこだっただろう、類稀なる美少女だ。

 例えるなら初夏の涼風。ひんやりとした中にも温かみのある慈愛がその座り方には宿っているように見える。とか、ポエムの先生に教わった通りに比喩を使って主の容姿を表してみたが俺にはあまり才能がないようで、どうも気持ち悪く聞こえるな。そもそも何で側仕えがポエムの勉強をしなきゃならないんだ。そういうのは吟遊詩人がやれば良いだろ。金持ち is 意味不明。

 

 ひとまず観察を終えると、俺は早速口を開いた。主から口を開かせるのはマナー違反だと家庭講師に叩き込まれたからだ。お前悪質マナー講師かよ。

 

「この度、花凛様の側仕えに任命される予定の新羅弥衣と申します。側仕えとなった際には末永いお付き合いとなるので、どうぞよろしくお願い致します」

「あー良いわよ。そういう面倒な前口上とか」

 

 は、はあ。

 そんな言葉が口から漏れかける。当然言ってしまったら母様に殺されるので全力で堪えた。今世の俺、母親に生命与奪の権を握られすぎでは?

 

 兎にも角にも。

 お嬢様から出た言葉は俺の第一印象からは到底予測不可能な流れ弾だった。凄いフランクに来ますねお嬢様。でもそれはそうか。お年頃だもんな。

 

「おかしいわね……ママには一番年下の子を頼んだはずなんだけど」

「新羅暁人でしょうか」

「そうだったかしら? 多分それかも」

 

 俺が弟のフルネームを口にすると何だか適当そうにそう返事をした。

 確かお嬢様の年齢は俺の一つ上だったはずだ。側仕えは基本的にはそれよりも年上を充てがうのが慣わしだとか母様は言っていたから俺がここに来るのもかなりの特例だと思ったのだが、なんとこのお嬢様は更に2歳下の暁人をご所望だった様子。

 

 理由はまあ、分かる。前世を照らし合わせたら容易に出て来る解だ。

 同性よりも異性の方がテンションが上がる。きっとそれだけのことだろう。この世界では男女比が猛烈に偏っているのもあり、女の方がガツガツと行かなければ異性婚など夢の話である。俺は興味ないけど。お嬢様もそのワンチャン狙いで弟を狙ったのだろう。うわぁ……綺麗な顔してこっわ。

 

「まあ、うん。来ちゃったのものはしょうがないわね。取り敢えず対面に座りなさい、私も新羅家の人たちに示しが付かないような言動はするなとママから口酸っぱく言われてるの」

「畏まりました。それではそのように」

 

 暗にお前の席ねーから!と言われてしまった俺は複雑な心境でそのお嬢様の言葉通りに動く。これはもしかすると、俺は晴れてお役御免となる可能性もあるな。お嬢様はどうやら暁人(ショタ)に強く興味を抱いているご様子で、俺にはそこまでの関心を持っていないらしい。流石の母様もお嬢様から断られたと報告すれば引き下がるはずだ。主至上主義みたいな人だからな。

 そう考えると少し肩の力が抜けて、良い感じにリラックス出来た気がした。もちろん粗相をすれば俺は母様から罰として折檻一週間コースが待ち受けているけど、この分なら生涯社畜人生を送ることも無くなりそうだ。

 

「改めて、私は鳳燈花凛よ。鳳燈財閥の当主である鳳燈絵美の娘で、将来はその財閥を継ぐと目されているわ」

「はい花凛様。宜しくお願いします」

「───なんて上面だけで、本質はただのその辺にいる女子中学生と同じだから。歳は……こっちの方が上だったわね。なら敬語を使うなとか言わないけど、もっと言葉を砕いても良いわよ」

「承知……失礼しました。分かりました」

「ん……まあそれでいいわ」

 

 助かった。敬語を外したら母様に(以下略

 

「それでその。本当は暁人くんって子を呼ぶつもりだったんだけど何か間違えちゃったみたいなのよ」

「そうなんですか。今からでも呼べるかもしれないですけど、どうしますか?」

「別にいいわ。だって暁人くんは逃げないでしょ」

 

 ハゲタカのような視線……に見えたのは気のせいだと思いたい。こんな花弁とか似合いそうな美少女が鋭い目付きで男を狙っているとかちょっと考えたくない。こういう清楚系美少女に対する前世のイメージがどうしても俺の中を離れないのだ。もっとお淑やかにしてくれ俺の精神衛生のために。

 

「ひとつ、聞きたいことがあるのですけど良いですか?」

「なにかしら? 弥衣の質問なら全然答えるわよ私。見た目がちょっと気に入りつつあるし」

 

 不躾に言ってみれば、快くお嬢様は頷く。財閥令嬢とはどのようなものか、俺は足跡すら見たことがなかったがお嬢様に関してはそこまで悪い人ではなさそうだ。え? 弟が性的に狙われている? 男ならこんな美少女に迫られて本望でしょ。よかったね暁人(適当)

 

「はい。私はまだ側仕えとしての内定は出ていないんですよね。では、やはり先程から気になっている私の弟を指名するおつもりでしょうか?」

「まあそれはそうね。だって男の子とチャンスがあるなら行くべきだと思うの、普通の女の子として」

 

 それはどこの世界の普通の女の子だ、と言いかけてこの世界では当然のことであることを思い直す。相変わらず、俺はこの世界の価値観に慣れていない。

 

「そうですか。分かりました」

「弥衣こそ、弟くんに異性を感じたりしないのかしら? まだ10歳とは言ってもちょっとは異性を感じる時期なんじゃないの?」

 

 こういう恋愛話はどこの世界でも女の子が好きなのは共通なのか、お嬢様はそんな探りを入れてきた。しかし詰まらない話題になって申し訳ないが、俺は同性と付き合う趣味は無い。

 

「いえ、全く。家族としての愛情は持ってますけど、弟は弟でしかないです」

「そういうもんなのかしらね……。私は兄も弟もいないから分からないんだけど、いたら意識しない?」

「分かりやすく言いますと、目の前にお嬢様のお父様が立っているのを想像してください。興奮しますか?」

「凄いこと言うわね……でも確かに。それは無理だわ」

 

 ふふふ、とお嬢様は冗談めかして笑う。このお嬢様、外見だけは本当にお嬢様って感じなのにな。言ってることは2次元妹を語る男子高校生みたいだ。お嬢様といえど性からは逃れられないらしい。

 

「それにしても弥衣ちゃんは綺麗ね。何というか、不可侵的と表すべきかしら」

「ありがとうございます」

「それで、その。う〜ん。う〜〜〜〜〜ん」

「どうなされましたか?」

 

 俺の顔を見つめながら悩ましげにお嬢様は唸り始めた。なんだ。何が来るんだ。俺は怖いぞ。家の柵から俺は基本的にお嬢様には逆らえない。例え「私のために死んでくれる?」とか聞かれても「喜んでそのように致しましょう」と言うしかない。女尊男卑の世界なのに俺の立場弱すぎでは?

 

 お嬢様は躊躇うように視線を左右に振って、意を決して口を開く。

 

「あの……我儘言っていいかしら?」

「何なりと仰せください」

「私、男の子とイチャイチャしてみたいのよ。だからその、男装してくれたり……しないかしら? 言葉遣いも本当に敬語とか使わない感じで」

 

 あ。死んだわ俺。

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 俺は新羅家の人間として、お嬢様には逆らえる理由もない。前世ならば創作小説やドラマを見て「家のしがらみなんてクソ喰らえ!」と思うタイプの人間だったのに、今世になってそれに囚われてしまったのだからお笑い草だ。

 

 全てを諦めて俺はメイドたちによって火急に用意された洋服に袖を通す。俺の髪はショートカットだからそこまで違和感はない。アイドルとかV系統バンドだったらこういう男もいるんだろうな〜といったような、非常に優しげな雰囲気を醸し出している。相変わらず無表情なのが若干傷だが。今世は残念ながらアイドルにはなれなそうだ。

 仕上げにメイクをパパッとされるとお嬢様の部屋に繋がる化粧室から追い出された。

 

 なんか、何というか、非常に微妙な気持ちである。

 なんたって複雑すぎる。

 精神的には男なのに女の子になって、更に男装をして男のふりをする。男が男のフリをしたらそれはもうただの男なんよ。あーうん。どうせ諦めたんだ、素でいいか。

 

 優雅に紅茶を飲みながらソファーで寛いでいたお嬢様は、俺が部屋に入ってきたのを見て目を丸くした。

 

「どう……って凄い似合ってるわね。可愛いしクールよ、想像以上に男の子ね」

 

 全然嬉しくない。嬉しくないですよお嬢様。

 

「至極光栄です」

「はい、敬語」

「……分かった。気に入ってもらえたなら良かったよ、俺としては非常に複雑な気持ちだけどな」

 

 僅かな抵抗も許さないお嬢様の眼光により、俺はなす術もなく仮面を剥がされた。畜生。これを知られたら母様に何を言われるか……。

 お嬢様はマジマジと俺の顔を見て、更に全身を舐め回すように3回くらい見て、感嘆するように声を上げる。

 

「表情筋は全然動かないけどそこがミステリアスで悪くない。え、何これ。凄いクオリティだわ。ぷにぷにしてる。本当に男の子みたい!」

 

 その言葉はとても複雑だ。言語化は出来ないが、とても複雑だ。

 お嬢様が俺の頬を押したり、髪を撫でたりと自由に愛でる中、俺は無言で必死に耐えることにする。気分はまるでリカちゃん人形。もしくは散歩中に知らない人に撫でられた犬。

 

「ごめんなさいね弥衣。今更だけどこんな格好させちゃって、しかも自由に触っちゃって」

「全くな……俺のことをなんだと思ってるんだよ。着せ替え人形じゃないんだぞ、雑に触んなって」

「……あの? なんか弥衣の男性ロールプレイ、凄い板に付きすぎてない……?」

 

 お嬢様は言いながらも髪を撫でるのを止めない。この世界では男性が弱者サイドのため、完全にセクハラ行為が成立しているが俺も告発する気は無いので永遠にもみくちゃにされるしか無い。まあ中身女だから実際にはセクハラではないし。精神的セクハラである。

 ただこの構図、前世で言うと男が女装した男に粘度高めのボディータッチを繰り返しているのと同じなんだよな。普通に気持ち悪いな。きしょい。昔から思ってたけど美少女って得だ。

 

 お嬢様は俺の口調がやけに小慣れていることに疑念を持ったようで、可愛らしく首を傾げる。

 そりゃ俺は元男なわけで、精神面でも未だ男の部分の方が非常に強い。母様を筆頭に周囲の視線があるから男口調で話すなんて真似が出来なかっただけで、やろうと思えば演技ではなく自然体で話せる。しかしお嬢様相手とはいえそんなことを話す気もない。適当に誤魔化すか。

 

「もしかして男装する機会があったのかしら。これだけ似合うのだから」

「違う。俺の口調は良くある男性像から真似てみただけだ。別に褒められてもなぁ、嬉しくない」

「そんな当然の如く出来るものなのかしら? 弥衣には男装の才能があるわね」

「それも嬉しくないな……」

「いえ、本当に凄いことよ? だって男なんて大抵弱腰なのに、弥衣がやっているのは昔いた日本男児っていうのかしら? それとも少し捻くれて尖った一匹狼っていうのかしら? ともかく映画に出てくるような男の子が飛び出してきたみたいだわ。非現実的なのに本当にこんな男の子がいると思わされているもの、私」

 

 やはり全然嬉しくない。これは一応素なのに男として凄い舐められている気がした。

 それに何だ映画の中って。

 そんなありきたりな映画の中の登場人物と俺を一緒にされても少しイラッとくるものがある。女になったとはいえ、男としてのなけなしのプライドが俺にはあるのだ。

 

 きっと男装をしたせいなんだろう。妙に強気になった俺はお嬢様の肩を掴んだ。

 

「へっ……どうしたの弥衣……!?」

「お嬢様、ちょっと勘違いしてるだろ」

 

 そのまま壁際まで優しく押すと、所詮壁ドンの構図になる。お嬢様には少しは男の怖さを分からせてやらないといけない。幾ら男が非力な存在であるこの世界とはいえ、この考え方だときっといつかお嬢様は男によって不幸な目に逢う。だから俺がその怖さを教えてやろうじゃないか。

 どうせ側仕えにはなるつもりはないんだ、ここらで多少強引とはいえ善行を積んでおいてもいいだろう。そしたらそれを見てた神様が来世は最強チートハーレムSSS主人公に転生させてくれるかもしれないしな。

 

「俺がずっと黙ったまま無抵抗だとは思うなよ。俺だってやろうと思えば、お嬢様のことくらい好きに出来るんだぞ?」

 

 間違いなく母様に聞かれたら俺殺害確定の、乙女ゲーのキャラみたいなこのセリフ。言ってて恥ずかしくなって目線を逸らしそうなものだが、俺の双眸はお嬢様の瞳を貫き続ける。無表情なこの顔に初めて俺は感謝した。

 しかし、お嬢様が俺から目を逸らさないのは意外だ。俺は相手が美少女だから幾らでも見てられるけど、お嬢様は別にそうでもないだろうに。ただ頬を多大に赤らめている様子から意識させることには成功したっぽい。可愛い。

 

 流石にここらが潮時だろう。

 薬も使い過ぎれば毒になる。男女比がこの狂った世界で、男装とはいえ取り敢えず中世的な面持ちの男に見える俺に耐性の無いお嬢様が攻め続けたら、今度こそ恐怖で倒れかねない。

 

「ま、そういうことだから。突然すまん、お嬢様。でもそんな男を甘く見ちゃだめだろってことで一つ教訓を示させてもらった。シチュエーション次第じゃ男でもお嬢様をどうこう出来る可能性があるんだから、必要以上に見くびっちゃいけない」

 

 これでキレられて追い出されたら本格的に母様に殺されるかもしれない。

 弁明するように説明しながら肩から手を離して後ろに下がろうとした俺の両手をお嬢様はぎっしりと掴んだ。なんで?

 

「い……よ」

「へ? なんて?」

「採用よ! 弥衣、貴方は男の天才ね! 不覚だけれど完全に私、貴方のことを見てドキドキしてたわ」

「なんで? 頭おかしいのか?」

 

 素で会話しているせいか毒が思わず漏れてしまう。言った瞬間ヤバいと思ってお嬢様の顔を即座に確認したが、俺の予想と異なって嫌悪感は現れていない。

 というかお嬢様。どれだけ男っぽく見えてたとしても俺、同性なんだけど。いやまあ性意識は男だからややこしい部分はあるとはいえ、それでも女の子が女の子に男を感じちゃダメでしょうに。

 

「そういう強気な言葉を吐けるのも好きよ。貴方、私の側仕えになりなさいな、一生重宝するから。鳳燈家に誓って絶対に後悔させない。幸せにするわ」

 

 熱量が強い。圧も強い。あとチョロすぎる。お嬢様がこれで本物の男と対面した時、どうなるんだか心配になってきたんだけど。

 いやそんなことより、このままじゃマジな方で側仕えにされてしまう。勘弁してほしい。

 俺は慌てて姿勢を取り繕い、言葉を平素のものに変更する。

 

「……失礼ながら敬語にて陳情させていただきます。お嬢様、私で本当によろしいのでしょうか。私はお嬢様が求める男でもありませんし、年齢も下でございます。お嬢様のご要望を満たせない以上、新羅暁人の方が適任かと」

「いえ、もう決めたわ。私は結論を覆さない主義なの。舵を頻繁に切る上に人は付いてこないでしょう」

「僭越ながら、見事な思想でございます」

 

 もっとブレブレでもいいんだぞー。積極的に方針転換していけー。

 口とは裏腹にそんな何にもならないヤジを飛ばす。

 

「ええ。これでも次期当主だもの、その辺りはしっかりしないといけないわ。それで弥衣、受けてくれるかしら」

「謹んで拝命致します、お嬢様」

 

 お嬢様の言葉に、俺はコクリと頷く以外の選択肢を持ち合わせていなかった。さらば一般人ライフ。こんにちは社畜生活。

 

 

 

 

 




億千万煎じくらいの設定。
続きは需要がありそうだったら書くし、筆(キーボード)が載っても書く。


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友達になったらしい

評価とかお気に入りとか沢山来すぎて良く分かってないけど投稿


 

 若くして永久就職が決まってしまった二時間後。

 帰宅した俺を、お嬢様との面談の結果が気になったのか母様が呼び出していた。

 

 思い出すのは数々の無礼千万な言動。タメ口しかり、男装しかり、挙句の果てには壁ドンである。これら全て新羅家の品性を逸する行為だ。俺、一発くらい殴られるんじゃないかこれ。だめだ、そう考えると殴られるとしか思えなくなってきた。

 

 冷や汗をダラダラと流しながらも母様の部屋をノックして、入室する。

 母様はデスクで、いつも通り無機質な目でパソコンに目を通している。俺が入ってきたことに仕方なしといった風に視線を此方を向ける。……死んだかな、俺。

 

「弥衣」

 

 名前を呼ばれて背筋が伸びる。いや、元から背筋は伸びてるけど更に5cmくらいは反射的に伸びたついでに冷や汗はだらんだらんである。許して母様。

 

「はい。花凛様のことでしょうか」

「ええ、そうよ。花凛様からお気に召されたようね。その歳で上出来よ」

 

 驚いて一瞬こめかみが動きそうになった。まあ動かないんだけど。体質的に。

 次に飛んでくるのは罵声か怒声だと思って覚悟していたが、母様が口にしたのは賞賛の言葉だった。母様は滅多に褒めることがない人柄だから思いがけず思考が瞬停する。

 

「……とんでもございません」

「誉め言葉は素直に受け止めるものよ弥衣。どうせその内言われなくなる。言ってしまえば私が貴方を褒めるのもこれで最後かもしれないわ」

「分かりました。身に余る評価、ありがとうございます」

 

 母様の言葉を理解して、渋々と俺は礼を言う。

 鳳燈家の側使えとなれば何事に対しても恙無く遂行するのが当然という価値観になる。一言で言えば失敗は論外。成功して当然。あの、人間は失敗する生き物なんですよー? そんなの無理に決まってるじゃん、クソ。ブラック企業め。

 

「まあ、言いたいことはあるけども。花凛様の言葉で男装したそうじゃない」

「はい」

 

 何で知っているんですか母様。

 いや分かる。お嬢様の母である絵美様から伝えられたのだろう。まあアレについてはお嬢様の命令という自己弁護が出来るから問題ない。だから母様も目を瞑っているのだと思う。

 だが言いたいことはそれだけではないようで、一瞬こちらの向けていた視線を切った。

 

「その上で花凛様に触れて、お嬢様を壁まで詰め寄った───自主的にやっていたら絶縁していたわよ」

 

 ヤバい。壁ドンは俺の自発的行動であってお嬢様は関係ない。絶縁される……!

 

「……申し訳ございません母様」

「何を謝っているのかしら弥衣。花凛様がそう明言していたのだから謝ることではないわ。例え誰かを庇った上での発言だとしても、花凛様の言葉だもの。疑わしい点など欠片も無いわ。その意味、分かるわね?」

 

 声色を一切変化させずに母様は言った。うげ、バレてるなこれ。俺はともかく、母様も大概鉄仮面だからなぁ。内心はどう思われているんだろう。怒られてる。怒られてますか俺?

 

「それに、そんなことを言うために貴方を呼んだ訳じゃないのよ。弥衣、貴方から見たお嬢様の第一印象を聞きたいの」

「第一印象ですか」

 

 僥倖なことに、母様はその話題にはあまり興味が無かったみたいで後腐れなく話を転換させる。

 俺のお嬢様への印象か。そんなことに母様が興味あるなんて思ってもみなかった。それを言うのも失礼か。案外、母様も所々で面倒見が良いからな。因みに所々というところがポイントである。我が母は9割9分において放任主義だ。

 

 それで、お嬢様の印象か。

 

「率直に申し上げて、私の想像以上に砕けた方でした。私のような者にも優しくいただいて、本当に有難いです」

 

 そう本心を交えつつ謙虚に答えると、母様の指が机をトントンと二度鳴らす。

 

「過度な謙遜はよしなさい。私たちは鳳燈家に代々仕える者、側仕えの謙遜が過ぎれば鳳燈家自体の名前にも影響が及びかねないわ」

「は。以後気を付けます母様」

「そうして頂戴。それが花凛様の為になるわ」

 

 慌てて謝る。こういうところが些か面倒だと思う。少しご機嫌なことを言えば図に乗っていると思われ、謙虚に行くとこれである。

 俺の言葉を聞いた母上は納得気に頷くと、口を開く。

 

「分かったのなら宜しい。それで弥衣、これからやっていけそうなのね」

「はい。問題ありません」

「そう。それなら良かったわ。行っていいわよ弥衣」

「分かりました、失礼致します、母様」

 

 俺は家庭講師に叩き込まれた綺麗な一礼を決めると、颯爽と母様の部屋から退室した。ドアを閉めた瞬間、自分の中で張り詰めた神経が盛大に緩むのを感じる。

 は~~~~~疲れた。もうヤダ。旅行したい。温泉でゆっくり疲れとか取りたい。てかやっぱり女子小学生が働くのはおかしいって。こんなの労基以前の人権問題だ。でも母様に直訴したら絶縁されそうだしな……止めておこう。

 

「姉さん! 聞いたけど、鳳燈家の側仕えになるって本当かよ!?」

 

 うおっ!?

 緩んだ思考から湧きだした雑念を脳裏で巡らせていると、暁人に話しかけられて滅茶苦茶驚いた。それでも揺るがない表情筋。良く考えたら俺、こんな無表情で一般企業の面接とか通過出来たのかな。……もう関係ないことだし、考えないことにしよう。うん。

 

 ともかく。

 今は暁人の心配を払拭しないとな。

 

「はい。私も新羅家の人間、姉様方ではなく私が任命されるのは意外でしたが拒否なんて滅相もありません」

「それでいいのかよ姉さんは!? そんな、上には姉がまだいるのにそっちはスルーで、まだ12歳の姉さんを向こうの都合で無理矢理なんて! まだ小学生なのに……!」

「来年から中学生です。それに暁人も小学生ですよ」

「そんなのどうでもいいだろ!?」

 

 荒っぽい言い方をする暁人に、大きくなったなぁ……とか、そんなことを思ってしまう。

 

 姉弟の中で、俺は暁人とは一番親密な関係にある。性別は違うが正直言って暁人とは兄弟だと思っていたりもする。だから一緒に遊んだり話したりする中で、ついついと俺にとって一般的な価値観……つまり元の世界の性観念も含めて教えてしまったりもした。幼い頃なんて昔見聞きした有名なアニメやゲームの話を模範例として聞かせたくらいだ。

 それも全て、兄貴として暁人には強く育ってほしいと思ったからである。母様には若干苦い顔をされたけどこれだけは譲れなかった。人生で初めての弟に箱入り娘みたいな性格になって欲しくなかったのだ俺は。俺は女だからなれないから、せめて弟には自分を通してカッコよく生きて欲しい。大層なことを言っちゃうとそんな自分勝手な想いもある。

 

 最初こそ弱々しい印象だった暁人もそんな俺の男性像を甚く気に入ったのか、徐々に前世でいう弱きを救い強きを挫くラノベ主人公の如く進化をし、なんかこんな感じになった。まだ10歳とはいえ、今では優しくて将来も有望視できる誇れる弟である。うええ……お兄ちゃんは暁人がハーレムを作りそうで泣きそうです。まあこんな性格じゃなくとも男女比的にハーレムになるんだろうけど。やっぱ泣いた。

 

 このまま暁人を放っておいたら母様の私室にまで踏み入りそうな気配すらある。こりゃ弁明という名のフォローが更に必要だ。

 

「暁人、良いですか。無理矢理じゃないですし、私は幸運なのですよ。側仕えの仕事は非常に大変なことではありますが、待遇は良いですしリストラの心配もないですから」

 

 そう言うと暁人はまるで無理矢理主人に従わされる美少女奴隷を見るような眼をして、悲痛そうに端正な顔を歪めた。……これ、間違いなく俺が暁人を心配させないように言ってると思われてるな。一応事実ではあるんだけど。

 

「私の心配より、暁人は自分の心配してください。暁人にも将来はあるんですから」

「そんなことより姉さんが! もし言いづらいんなら俺がお母様に!」

「そんなことじゃないですよ暁人。暁人は貴重な男の子なんですから、新羅家の為にも自分のことを最優先に考えてください。私は大丈夫です。暁人がそう難しく思う必要はありません。為すべき使命が一つ出来た、それだけなのですから」

「姉さん…………」

 

 言い切ると、暁人は押し黙ってしまった。

 説得は……まあ出来てないだろうな~。でもこれが俺の限界でもある。実際就職先としては良いところだし、主人も良い人っぽい。怠惰な学生生活を謳歌できなかったことは不満ではあるが、こうなると諦める他ないしな。ここは現実主義で行くべきだ。

 

「とにかく、そういうことですから。早まらないでください。私は部屋に戻りますね」

「……そっか。分かった」

 

 俺は不機嫌そうに黙った暁人を傍目にそそくさと退散する。これで母様の部屋に突貫するならもう俺し~らね。何とでもなれだ。

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 翌日も休日なので、身支度を整えたら早速俺は朝からお嬢様の家へと向かうことにする。新羅家はその性質上鳳燈家から歩いて五分の場所にあるが、そもそも鳳燈家の敷地が広すぎるせいで実際にお嬢様の部屋に着くまでは10分以上掛かる。まあそれでも通勤時間としては短い方か。

 

 ……人生最初の就職が美少女の側近なんてな~。これで俺も男だったなら文句無かったのに。

 

 そんな母様が聞いたら「新羅家の人間としてあるまじき発言よ弥衣。出ていきなさい」と冷たく言われそうなほどアホらしいことに思考を消耗していれば、すぐにお嬢様の屋敷に辿り着いた。

 関係ないけどこの世界は男性より女性の方が性欲が強い。世間を控えめに騒がす痴漢のニュースも専ら女性が主犯である。母様にもそういう経験があったのだろうか……無さそうなんだけどな。表に出さないだけか? 前世でも自分の恋愛事情は全く顔に出さない同級生いたもんな。

 

 俺は所定の部屋で側仕えとしての正装(下がミニスカのスーツみたいな服だ。サイズはジャストだが、小学生が着るとどうも違和感がある)に着替えると、早速教えてもらったお嬢様の部屋に向かう。

 

「お嬢様、おはようございます。本日からお嬢様の側仕えとしてお傍に控えさせていただきます。どうかよろしくお願い致します」

 

 ノックをして入ると、お嬢様は広い部屋の一角にある椅子で眠たげにコーヒーを啜っていた。朝は苦手なんだろうか。

 俺の入室に合わせてコーヒーカップを置くと、コクリと目を合わせて頷いた。

 

「おはよう弥衣。こちらこそ宜しく頼むわ」

「はい」

「それで、早速だけど仕事を与えるわ」

「仕事ですか。具体的にどのようなものでしょうか?」

 

 俺がそう問い返すと俺の服を指差した。別にこれは何の変哲もない側仕えの正装だけども……ああちょっと待った。何だかお嬢様が言いたいことが分かった気がするぞ俺。

 

「その服じゃなくて綺麗で可愛くてカッコ良い弥衣には相応しい服があるのよ。だから着替えてちょうだい。これから基本はずっとそれね」

「……承知いたしました」

「勿論、今みたいなプライベートでは敬語は禁止だから。お願いね」

 

 何となく予想出来てましたー……我儘なお嬢様だ。

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

「やっぱり昨日の私は間違ってなかった。良い姿じゃない弥衣」

 

 再びメイドさんの手を借りながらも男装を終えると、お嬢様はとてもご満悦な表情で笑みを浮かべた。クソゥ……悔しいけど綺麗な笑顔だなあ畜生! 俺なんも言えねえよ! 立場的にも言えないけども!

 

「大変恐縮です」

「あら? 敬語はどうしたの?」

「……ああもう分かったよ。お嬢様が文句ないならこの姿の時はこれで行く」

「それでこそ弥衣ね」

 

 うんうんと首を何度も縦に振る。それでこそとか言ってるけど会ったのは昨日が初めてですよねお嬢様?

 

「なんでそんな男装した俺が良いんだかな……」

「決まってるじゃない。弥衣にオスを感じたからよ」

「お嬢様がそんなことを言わないでくれよ。お嬢様のお母様に知られたら俺が殺される」

「死なないわよ……」

 

 呆れたように眉を上げる。

 お嬢様はこの鳳燈家の一人娘である。跡継ぎを作らなくてはならない立場にある以上、そういった性癖の錯誤は許されない。女同士なんて以ての外だろう。冗談でも問題ごとになりそうだ。

 そんな懸念を知ってか、お嬢様は落ち着いた素振りで「大丈夫よ」と口にする。

 

「安心しなさい。そんなことをママの前で言う訳ないじゃない。それにここにいるメイドたちも基本的には私の息が掛かっているわ。問題無いはずよ」

「そうか……?」

 

 その割には俺の母様に昨日の寸劇みたいな行動が筒抜けだったみたいだが……。それ違うよね。他には漏れないけどお嬢様の母の絵美様には漏れてるよねこれ。まあ言わない方がいいか。

 俺の心配を他所に、お嬢様は俺の全身を流れるように注視する。視姦ってきっとされる側はこんな感じなのだろう。ただ相手が美少女とあって、気持ち悪いというかはむず痒い。これが男相手ならもっと嫌悪感があるだろうな。

 

「あのお嬢様?」

「ふーん。うんうん。良いわね。とても良いわよ弥衣」

「俺はどうコメントすれば良いんだ?」

 

 本心からそう零す。そうすると心の中のシンジ君に笑えばいいと思うよとアドバイスされた。でもごめん、俺、笑えないんだ……。

 

「ねえ、暇ね。ゲームでもしない?」

 

 俺の容姿を一通り見終えたのか、お嬢様は視線を他所に移した。何と言うか、これは性的な意味で恐怖感を覚えた方が良いのだろうか? 震えて頬を赤らめた方が良いのかな?

 まあ良いか。お嬢様も本気で言ってるわけでもないだろうし。

 

「ゲームか。別に良いけど、お嬢様は何をやるんだ?」

「適当に話題のものをやるわ。ゲームソフト自体は家に沢山あるけど、逆に選べないのよね」

「それは羨ましい話で……」

 

 嘆息するお嬢様に思わず素で返してしまう。俺もそこそこゲームはする方だけど、それでも家の影響でゲームソフトなんて片手の指で数える程度しか買ってくれなかった。母様によれば将棋もテレビゲームも似たようなもんでしょとのこと。全然違うよ。

 

 お嬢様は収納を漁ると、有名なレースゲームのカセットを取り出してハードにはめ込んだ。

 

 

 

 

 突然だが、お嬢様の側仕えとしての仕事は多岐に渡る。その内容は仕える主によって変わるらしいが、基本的には信頼できる人間にしか任せられない業務を遂行する役目が新羅家の側仕えには求められている。

 

 だが、どうにもそれは主が財閥でポジションに就いた後の話のようだった。それまではどうするかと言うと、主と共に勉強をしたり知見を広めたりと信頼関係を築き上げながら、主に危険が迫ったらその身を呈してでも守護する。それ以外の時は雑務を除いてやることはあまり無いようである。つまり、少なくともお嬢様が中学生の間は大きな仕事は無く、高校生になってもお使い程度。本格的にお嬢様に仕事が降りかかるのは高校卒業後からで、側仕えとしてもそれ以降が本番であるらしい。そう俺は聞いた。

 

 しかし俺は騙されない。従者としての根性が染みついている母様がそんな軟いことを言うはずがない。加えてあの厳しい教育の結末がお嬢様と一緒にゲームをするだけとか、論理的にありえないだろ普通。きっとこれは、やるべき仕事は自分で見つけろ、そういう意味なのだろう。現に、母様は当主である絵美様が何も言わずとも求められた仕事を熟しているらしい。いわばこれが最初の試練というやつだ。これに失敗すれば俺は側仕えとして不適合と見られ解任されるのかもしれない。そして行く着く先は最悪、家からの放逐……いくら何でもそれは考え過ぎか? いや、自他共に厳しい母様ならあり得ないとも言えない。金銭と保証人だけ与えて家から追い出される可能性はある。いいや流石にそれは無いか……でも完全な否定も出来ない……ううむ。思考が迷宮化する。

 まあ、やらないよりもやった方が良い。それは確実だし、他の姉はともかく暁人と離別するのは少し寂しい。弟のために一肌脱ぎますか。

 

「弥衣強いわね……」

 

 ゲームをしながらも俺はお嬢様に目を向ける。しかし、指示されてもいないのにやるべき仕事と言ってもな……。この場ではきっと思いつかない。一旦俺は思考を保留することにした。

 

「俺もこのゲームは弟の暁人とよくよくやっているからな」

「へー。そう言えば暁人くんってどんな子なの?」

「ちゃんと自分自身を持った弟だよ。昨今はなよなよしてるのが多い中で姉としてはとても鼻が高いよ」

「ちょっと弥衣?姉じゃないでしょ?」

 

 合間を置かずお嬢様の口がついた。ややこしいなもう。

 

「……兄貴としては信頼が出来る弟を持てて幸せだよ。これで良いか?」

「バッチリよ」

 

 いや何がです?

 そんなことを言う訳にもいかない上、言ってもロクな返事が来ない気もしたので、代わりに今思いついたことを話題に乗せる。

 

「それよりお嬢様、暁人に興味があるなら会わせることも出来るけど?」

「興味が無いと言えば嘘になるわ、男だし。でも今は良いわよ。弥衣で満足してるのよ私」

「どういうことだそれ」

「触れられない男より触れられる男の方が良いじゃない。ねえ弥衣」

 

 お嬢様は俺の髪の、セットされた束を一つ一つ丁寧に触りながらそう言い放つ。おいおい。これ、男女反対なら最悪な発言だよ。セクハラ親父の発言だろこんなの。お嬢様、本当に将来的に大丈夫だろうか。部下へのセクハラとかで訴えられないだろうか。まだ女子中学生とはいえ、男にチョロいところも併せて俺はとっても心配です。

 

「俺としてはそんな愛玩動物みたいな扱いされても困る」

「良いじゃない。減るもんじゃないし」

「減ってる減ってる。常識とかSAN値とか俺の理性とか」

 

 言ってから気付いたが女の俺が理性を減らしてるのはおかしいな。案の定、俺の髪を撫でるお嬢様の手も止まる。

 

「理性も減ってるの?」

「……今のは男の演技だから気にしないでほしい。ちょっとお嬢様に触れられて緊張しただけだよ」

「へー。その顔で緊張するのね。私が女として魅力的だからかしら……どうなの?」

「あの、そういう言葉本当に止めてくれ。俺に聞いても仕方ないだろう。それに、お嬢様はもっと慎ましやかに生きて欲しいと俺は思う」

「あら?主君の言動に口出しするの?」

「意地悪言うなって……」

 

 楽しそうにコロコロとお嬢様は笑った。何だか手玉に取られている気分だ。性別に一々神経を使ってる俺とは違って楽しそうだなぁ全く。

 

「ふと思ったのだけれど弥衣は気になっている異性とかいるの?」

「気になっている?うーん……そうだな」

 

 考えてみるが、当然のことながらいない。敢えて挙げるなら弟だが……ってこれはどちらの体裁で聞いてるんだ? 女としてだよな?

 

「まあ、敢えて挙げるなら弟だけど別にそういう気持ちは無いし」

「そうなの。ちなみに私は弥衣だから」

「同性だろうに……」

 

 冗談めかして言うお嬢様に思わずぼやきが漏れ出た。

 

「そんな格好で女だなんて言わせないわよ。ついでに聞くけど同性なら誰?」

「同性って……まあお嬢様だな。同性に友達とかいないし」

 

 幼い頃より家の教育がある俺は放課後に遊ぶことも出来ず、クラス内で自然と浮くことになった為に同性の友人がいない。そうじゃなくても出来る気はしなかったけど。女子の話題にはついてけない。小学低学年の頃はまだ良かったが、最近のクラスメイトはどの男子がエロいだの筋肉があるだのと教室で男子高校生みたいな猥談をする始末だ。精神年齢の差を勘定に入れてもその女の子の輪に入れるはずもない。

 お嬢様は俺の顔をマジマジと見て呟く。

 

「確かにいなそうだわ。顔に動きがないもの。折角容姿に恵まれているのに勿体ない」

「そう言われてもだな……」

「因みに私の気になる同性は弥衣よ。当然ね」

「その返し無敵か?」

 

 別に俺、両性具有とかいうマニアックな体質でもなく完全に女のはずなんだけどな。まあ、お嬢様に好かれているということで自分を納得させることにする。した。

 

「それにしても偶然ね。私も友達がいないのよ」

「そうなのか?」

「だって友達って良く分からないのよ。恋人とかなら告白してオッケーしてはい関係成立ってなるけど友達はそういう契機がないじゃない。サイレントで友達とかいう、その、自分のプライベートに無遠慮に侵入してくる属性を名乗ってこられたら不気味じゃない。実際、私は小学生の頃にクラスメイトから気が付いたら友達扱いされてたことがあって焦ったわ。その時は正々堂々「貴方はただのクラスメイトよ」と面と面を突き合せて言ったら分かってくれたけど」

「そ、そうですか」

「敬語禁止」

「そうか……」

 

 お嬢様の思考回路は理解できるが、直接クラスメイトに言うのはどうかと思う俺。思わずドン引きして敬語になった。綺麗な顔してやることがエグい。怖い。でも綺麗な花には毒があるとかよく言うし、間違ってはいないのか……?

 

「でも弥衣、貴方はそんな有象無象とは違う。貴方とは友達になれそうだわ」

「俺と? でも、俺とお嬢様は側仕えとその主人という関係性だからな……」

「別に公私を分ければ問題ないでしょうに。特に今とか弥衣は仕事のつもりでも、私からすればプライベート同然よ。それとも、私は嫌かしら?」

「そんなことはないが」

「なら決まりね。今日から私と弥衣、友達だから」

 

 ええっ……。そんな強引でいいのか?

 まあお嬢様がそれで良いならいいか。諦めて流された訳じゃない。ただお嬢様と友達というのも別に悪くないと思ってしまったのだ。別に美少女相手だから傅くわけじゃないからね!

 

「そっか。じゃあこれから宜しく」

 

 俺が手を差し出すと、お嬢様は俺の手を優しく握った。

 

「そうね……弥衣。ずっと、私が死ぬまで恒久に、私の傍にいなさい」

 

 友人関係としては重すぎるにも程がある誓いだったが、きっと俺とお嬢様の関係ならこれが正しいのだろう。俺はお嬢様の手を優しく握り返した。

 





感想ありがとうございます。
忙しくて返信できてませんが全部読んでます。


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お嬢様には逆らえない

月一でごめんね
遂行してないから後でします


 

 側仕えとなって一か月が経った。

 

 俺は相変わらずお嬢様の我儘な命令により男装をさせられ、その姿のまま毎日鳳燈家の屋敷を闊歩していた。

 側仕えとしての業務内容はほぼ毎日お嬢様と遊んだり、時に勉強したり。本当に友達みたいな事しかしていない。いや少しだけ嘘だ。一応お母様から暗黙的に下された試練を乗り越えるべく課題を探しているのだが、それについては全く見当も付かない。

 

「弥衣? どうしたの、天井なんか見て」

「いや……何でもない」

 

 例えば天井裏にスペースがあってそこから間者が忍び込んでいるとか考えてみたが、天井にはパカリと開きそうな隙間は無さそうだった。当たり前だ。忍者か。

 

 お嬢様は俺の視線の先に一瞬だけ目を移すが、直ぐに興味を無くして俺の頭をポフポフと触り始めた。俺はネコじゃないぞ。短い期間ではあるけどお嬢様は俺のことをホストか何かと勘違いしてないか? もう慣れたから良いけどさ。

 とはいえ、美少女に触れられて何も思わないほど男を捨てきれない俺は手持ち無沙汰気味に周囲を見渡す。珍しく今日は室内にメイドが一人もいない。まあお嬢様は俺と二人きりに拘る節があるし、そこまで疑問じゃないな。

 

 優しく横に撫でられる感覚と同じくして、お嬢様は言葉を零した。

 

「それにしても弥衣と一緒に外に出れないのは暇ね」

「お出かけのことか。まあ別に許可を頂ければ出れるだろ?」

「違うの。弥衣は男装できないし、それに二人っきりにはなれないじゃない」

 

 そう言って溜息を零した。

 お嬢様の立場を勘案すれば当然のことだが、その待遇に不満があるらしい。流石に外でまで俺が男装するのは鳳燈家の面子的にあまり宜しくないことであるし、たった一人の娘であるお嬢様に何かあれば取り返しが付かないので護衛は絶対に必要だ。

 

「それに弥衣、私と同じ中学に来るのよね?」

 

 お嬢様の通っている中学は財閥令嬢らしく私立の名門だが、側仕えとしての教育を受けた俺ならば学力に問題ない。辛かった日々が報われたと思うべきか、報われない方が良かったと思うべきか悩ましいところだ。

 

「多分そうなるだろうな」

「でもいつもの弥衣として入学するんでしょ? それじゃラブコメ出来ないじゃない、全く困ったものだわ」

「お嬢様の発言の方が困ったものだと俺は思う」

 

 お嬢様は今度は強めの溜息を吐いた。本当に残念な気分で胸が一杯らしい。我が主人ながらこれで大丈夫なのだろうか。

 

「弥衣、折角だから私の理想を教えてあげる」

「……手短にな?」

 

 凄くしょうもない内容な気がした俺は話半分で聞く構えを取った。

 

「まず進級式の朝、パンを咥えた私と弥衣が曲がり角でぶつかるわ」

「少女漫画かよ……しかも今どきテンプレートな」

 

 この世界にもこういった漫画はかなりの数存在する。中身としては前世の男性向けコンテンツが全て女性向けに変化している時点でお察しである。

 まだ続ける気らしく、お嬢様は意気揚々と口を開く。

 

「テンプレートではなく王道よ。続けて、倒れた衝撃で弥衣と私はキスをしちゃうの。そこで赤面した弥衣が『ぷえ……!? ば、馬鹿! こんなことした、せ、責任取れよな!』と言ってハッピーエンド。どうかしら?」

 

 何だその内容。

 

「どうかしらじゃないが……チョロすぎるだろ俺」

「そう? こんなもんじゃない現実」

「いやそれは二次元だ。まごうことなき画面の中だ」

 

 あまりにも真顔で言うお嬢様に一抹の不安を感じる。

 俺はこの世界のラノベや漫画をほぼ読んだことはない。だが、これが前世の男性向けラノベをあまりにも簡単に裏返したそれであることは容易く理解できる。

 や、それでも初対面でぶつかっただけの相手にそのセリフが出てくるのはおかしいわ。お嬢様って普段何読んでんだよ……俺の中の不安が指数関数的に増大していくんですが?

 

「でもママもそれは良くないとか言うし……何で理解できないのかしら」

「心底安心した。お嬢様はもっと見習うべきだ」

「酷いわね。あのね弥衣、人は他人にはなれないのよ。私は私でママはママ。ママが何を好きになろうと私は弥衣が好きだし弥衣はもっと男装をするべきだわ」

「論点が太平洋を泳いでアメリカまで行ったと思うんだがお嬢様」

「真理を語っただけよ」

 

 お嬢様はコーヒーカップに唇を付けると優雅に傾けた。

 洗練された仕草も相まって見た目は清楚に見えるのに、中身はこんな男子高校生なのが本当に質が悪い。詐欺すぎる。清楚系ギャル……とはまた違うけど、とにかく詐欺だ。

 

「でもそうね……やはりやるしかないのかしら」

「危ないことはよしてくれよ」

 

 不穏な呟きに思わず身構える。あのな、お嬢様に何かあったら俺が殺されるんだからな。お母様に。頼むぞお嬢様、早まらないでくれよ……!

 お嬢様は一度瞬き───もしかしたらウインクだったのかもしれないがそれにしては下手だった───をすると、声を響かせた。

 

「危なくなんかないわ。下校中に姿を晦まして弥衣と合流してデートするだけだもの」

「お嬢様……護衛の方をそう蔑ろにしないでくれるか。お嬢様はまだ当主ではないが、それでも次期当主という点からして存在価値は高いんだからな」

 

 少し眩暈がした。

 お嬢様の立場は当然ながら一般人と比べて軽いものではない。一度誘拐されたら利用され放題だ。鳳燈家を脅迫することにおいて、これ以上の手札は存在しない。

 

「分かってるわよ。でもそれを理由に弥衣との青春を切り捨てるなんてそれこそ馬鹿よ。人生で一度の学生生活にやりたいことをせず、願望を押さえつけながら悶々と押さえつけるなんて私のスタンスじゃないわ。分かったなら作戦を練るわよ弥衣」

 

 どうやら本気らしい。マジか……いや本当にマジか。

 今気づいたが、この話をするためにお嬢様は人払いをしたのだろう。自分の周りのメイドは信用しているとか言っていたが、この短期間で絵美様と繋がっているのに気づいたのか。用意周到なこって。

 

「お嬢様、せめて護衛は付けてくれよ。何かあった時に俺だけじゃ守れるか分からない」

「あら、弥衣は私と二人きりになりたくないの? ねえ、弥衣」

 

 お嬢様は言いながら立ち上がり、俺の耳元で囁いた。ASMRみたいで、少しこそばゆい。

 お嬢様と二人きり、そのシチュエーションは問題ない。寧ろ美少女と二人でデートとか大歓迎だ。何もなければ俺だって諸手を挙げて歓迎してると思う。

 

「お嬢様に従うさ」

「そ。なら早速献案してくれるかしら」

「俺が考えるのか?」

「私の側仕えでしょ。良いから気軽に言ってみなさい」

 

 と、言いつつも明らかに期待を寄せた目でこちらを見てくるお嬢様に俺は肩を竦めた。

 

「護衛を振り切れば良いだけなら、選択肢は二つだな」

「二つ?」

「一つは適当なところで抜け出す。例えば公衆トイレに立ち寄って、窓から脱出するとかな。二つは入れ替わる。誰かにお嬢様の代わりをやってもらって、お嬢様もまたその誰かの変装をする。良くミステリーでありがちなチェンジリングってやつだ」

「じゃあ一つ目で決定ね。メイド以外に替え玉なんていないもの」

 

 そんな気軽に頷かれても……。勢いで決めてしまっていいのだろうか。

 

「その、お嬢様? 側仕えの俺が言うのも良くないが、こういうことはもっと慎重を期した方がいいんじゃないか」

「弥衣のことを信用してるもの。いえ、正確に言えば信用しようとしてるが正しいかしら。新羅家の主人とは斯くあるべき、ママもそう言ってたわ。失敗をすればまた別だけどね。だから弥衣の提案は鵜吞みにして、私は前を歩くのよ」

 

 なんだかカッコイイことを言ってお嬢様は手を組んだ。

 あの……母様? 俺、鳳燈家が新羅家に対してこんな思想を持ってるなんて知らなかったんですが? メチャメチャプレッシャー掛けられてるんですが!?

 

「あら、何で後退るのかしら弥衣?」

「い、いや。何でもない。何でも無いからそう強く手を掴まないでくれないか」

 

 想定外過ぎる言葉に、思わず一歩後ろに踏み出した俺を目ざとくお嬢様は指摘する。

 

「いいじゃない手くらい。私たち友達でしょ?」

「友達がいないから知らないのかもしれないが、その言葉をこの状況で使ったらもう友達じゃないんだよお嬢様」

「なによ面倒臭い。友達ってもっと密な関係じゃないの。暇な時間を一緒に潰したり、学生時代の苦楽を共にしたり、お風呂に入っては男の好きな部位やポーズを語るのが友達という概念だと私は認識しているのだけれど?」

 

 具体的すぎる。主に三つ目が。

 

「お嬢様。大方は間違ってないが、友達と言っても弁える一線はあるからな。身体的接触は特に嫌がる人も多い」

「そうね。弥衣にしかやらないから平気よ」

「そういう問題じゃないけどな……」

 

 友達に対する遠慮は……ないですよねー。友達以前に俺とお嬢様は側仕えと主人の関係だ。良い感じにごちゃ混ぜになってる気がするけど、まあ今のところ問題でもないか。

 お嬢様はコホンと息を付くと、再び口を開く。

 

「話を戻すけど、一つ目にするなら短時間でも良いから護衛の監視の隙を突かないとね。どうすれば良いと思う弥衣」

「そうだな」

 

 聞かれた瞬間、俺の中で一欠片の閃きと同時に出来心が沸き上がった。

 

「お嬢様も男装すれば、隙を簡単に作れるんじゃないか?」

「私が……男装を?」

 

 ポカンと口を開いたまま、間抜け顔を晒すお嬢様に頷く。

 

「そうだ。お嬢様はかなり容姿が華やかだからきっと男姿も似合うはずだ。いつかバレるにしても秒単位でバレることはないと俺は思う」

 

 いつも男装を強いるお嬢様に、思うとこがあるかと問われれば否定できない。それにしてもお嬢様がここまで予想外といった顔でフリーズするのは俺に初めて男装をさせた時以来じゃないだろうか。何かいつも男装関連でフリーズしてるなこのお嬢様。性癖大丈夫か?

 

 再起動したお嬢様はどもりながら言う。

 

「そ、それはそうだけどもっと方法あるわよね? 護衛の気を引けばいいんだから私が男装をする必要は無いじゃない」

「それとも男装に興味が無いと? 隣の部屋には男装の道具や衣装があるのに?」

「そういう繊細な部分を突くのは卑怯よ弥衣。女なら分かるでしょ?」

 

 すみません。良く分かりません。当方中身が男なので。

 

「お嬢様の俗的な感性は理解に苦しむな」

「何よ悪い? 女子中学生が異性に興味を持つのは極自然なことでしょ。道具を揃えたのも気まぐれよ気まぐれ」

「気まぐれ……ね」

「何かしら。その何か言いたげな生意気な目は」

 

 目敏いお嬢様は俺の内心を透かしてくる。

 前世でも女装する人間は大概女の子に興味があるが現実では縁がなく感性が捻くれてしまった人ばっかだった。気まぐれなんてありえない。

 

「酷いな。ただ俺は、そういう道具は男装に興味がない人間は購入しないと思っただけだ」

「まあ……ママには内緒にしててほしいんだけど、興味が無いかと言われたら嘘になるわ。でもね、私は鳳燈家の次期当主だから。変な噂が流布されると家名に傷が付くと思って流石に男装するのは自重したのよ。思慮深いから」

「俺にもその自重を分けてくれよ……」

 

 胸を張りながらお嬢様は宣った。補足しておくと、俺のお嬢様は既にこんなことを堂々と言えるくらいには捻じ曲がってしまっているようだった。しかしこれも一概にお嬢様が悪いかと言えば少し違う気もする。男女比が偏っているこの世界、この程度の歪みで済んでいるのならば恐らく可愛いものなんだろう。

 

「ま、いいけどな。ただその自重心があるならもっと別の形に活かして欲しいよ俺は。例えば護衛の目を出し抜くのもやめないか?」

「それは嫌よ。トレードオフは得意な方なの私って。男装と違って、これくらいなら周囲からの目もお転婆お嬢様くらいで済むじゃない」

「はあ……。仕方ないなお嬢様は」

「仕方がないなら付き合いなさい。私たち友達でしょ?」

 

 だからそれは友達が言ったらダメな種類のセリフなんだって。

 そう思いつつ、俺はお嬢様と視線を合わせて渋々頷いた。

 

 

 

─── ─── ───

 

 

 

 準備はさして必要ではなかった。

 何せ、護衛を撒く計画といってもその中身は単純明快。数秒の隙を作って抜け出すだけだからだ。

 

 そんな事情もあり、加えて楽しみでうずうずと震えるお嬢様が時間を置くはずもなく、作戦はお嬢様から初めて話を聞いた二日後に決行された。

 

 作戦当日は平日で、放課後であった。

 

 俺はお嬢様の通う中学の近くのコンビニで待機。お嬢様は道中にある公園の公衆トイレで花を摘む(この世界でもこの表現はあるようだ)ふりをしてトイレの窓から逃走。そのまま約230m先にあるこのコンビニを目指す手筈になっている。

 

 そして肝心の対戦相手となる哀れな護衛の方々なのだが、野村と橋川という女性らしい。共に数年前から鳳燈家のSPとして採用され、お嬢様の護衛となったのは2年前の話だそうだ。どちらも優秀なのだが「護衛なんて男ならともかく女で付けられても物々しいだけよ。だからせめて離れた位置からやってくれないってお願いしたわ」などとお嬢様の我儘により様々な制約が課されている。似た立場の人間として同情してしまう本当に。

 

 午後3時27分。お嬢様がコンビニに到着する予定時刻まで残り3分となり、雑誌を片手に窓ガラスの外をさりげなく観察していると見覚えのある姿が来た。俺は雑誌を閉まって、店員のあざしたーという言葉を背に受けながら店外に出た。

 

「……なんだ。男装しなかったか」

 

 いつも通りの美少女なお嬢様に思わず俺は目を伏せた。

 正直、お嬢様の男装姿を見てみたかった。当然男装するには胸が邪魔になるだろうけど、そういうのを含めて男装の良いとこだと思うしお嬢様なら男装をしつつも美少女フレーバーを醸し出せる最強の男装令嬢になれるだろうしこれ以上語ったら俺の人間性が凋落するので口を噤みますハイ……。

 

 割と期待していた俺を白けた目でお嬢様は見た。

 

「当たり前でしょ。側仕えですら外で男装する許可が下りないのに私が出来るわけないじゃない。次それ言ったらパン咥えながら曲がり角でぶつかるわよ」

「それお嬢様の願望だろうに……」

「言霊よ。……そんな変な目で見ないでくれる。冗談だから」

 

 さしものお嬢様も忌避の視線には堪えたようだ。現実問題、今の言動はセクハラに該当してもおかしくない。お嬢様と男を出会わせたら本当にどうなるんだか……。

 

「護衛の人は上手く撒けたんだな」

「勿論。今頃私が失踪したことに気付いて家に連絡が行ってる頃合いじゃないかしら。同情するわ」

「お嬢様は本当に後で謝っておけよ。そんで叱られてくれ」

「そろそろ移動しましょ。こんなとこじゃ目立つもの」

 

 明らかに話題を反らして目も逸らしたお嬢様は俺の手を掴むと強引に引っ張る。見た目の割に力が強く、俺のバランスは若干崩れる。人、それを現実逃避という。

 

「まあ今は良いけどな……それでどこに行くんだ?」

「どこって、決まってるじゃない。ショッピングよ」

「ショッピング? お嬢様はウォークインクローゼットに大量の服を貯蔵してるだろ。まだ増やすのか?」

 

 その数おおよそ100着ほど。庶民からは考えられないほど膨大な量だが、別にお嬢様がファッション狂いというわけではない。その貯蔵の8割は家柄が原因だった。正装からカジュアルな正装、それから来賓用の私服など。言われるがまま季節感や成長に合わせた服を仕立てていたらそれだけの数になってしまったようだ。

 

「何言ってるのかしら。弥衣の服を見に行くのよ」

 

 また新しい服を買うのかと辟易しながら考えていたが、どうにも違うらしい。

 俺の服か……でもお嬢様のことだからどうせ男用のもんを見に行くんだろうな。滅茶苦茶使えないわ。お嬢様の傍にいる時しか使えないじゃん。

 

「あのなお嬢様、そんな汎用性が低いものを買うより普通の服を見に行かないか?」

「嫌よ。あのね弥衣、教えてあげる。彼氏と異性の服屋に行く、これすなわちデートの鉄板だそうよ」

「彼氏じゃないしどこの鉄板だよ……」

「それに婦人服なんて見てもしょうがないじゃない。大抵の服屋よりウチのウォークインクローゼットの方が在庫があるのに、今更店舗に行っても時間の無駄よ無駄」

「貴族だなほんと……」

「当然じゃない。私はお嬢様ですわよ?」

「似合わないからやめてくれ」

「酷いわね。事実を言っただけなのに。セバスチャンを呼ぶわよ」

「いないだろセバスチャン」

 

 この男女比無茶苦茶世界でセバスチャンなんて存在は基本的に存在しないのである。創作の産物だ。まあ、敢えて言うなら今の俺は第三者から見たらセバスチャンに値するのかもしれないけど……いやどちらかというと執事かもな。

 

 お嬢様は俺の手を引っ張りながら、駅前のアーケードへと向かい始めた。

 

 



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強制送還系お嬢様

 これから行こうとしている洋服店は学校からもほど近い駅前だった。

 お嬢様が言うには学校帰りに遠出するのは面倒だし、何より一駅離れると本格的に護衛に迷惑が掛かることを懸念したらしい。なるほど。それを言うならば絶対にこんなことをやるべきではなかったと思いますがどうでしょうか。

 

 兎にも角にも、護衛の目を振り切った俺とお嬢様は駅前の賑やかな通りまでやってきていた。

 

「騒がしいわね。あんまり好きじゃないのよこういうとこ」

「じゃあ来なくてよかったんじゃと思うが……」

「嫌よ。私は弥衣と出かけたかったんだもの、二人きりで」

 

 本当に我儘だけども、これでも俺のお嬢様である。あまり悪く言うのはやめておこう。

 そう思いつつも気は緩めず、お嬢様の周囲を警戒しながらストリートを進んでいく。護衛がいない以上、今お嬢様を守れるのは俺だけだ。銃や護衛用の武器を持っているわけでもなければ格闘が出来るわけでもないが、それでも手を引いて最短ルートで逃げることくらいは出来る。この日のために駅前周辺の地形は記憶しているし、人目の多い場所や交番の場所も調査済み。いざとなれば……まあその話は縁起でもないから止めておく。

 

 と、お嬢様の視線がふと一つの集団に止まる。その集団の中でリーダーらしき女が拡声器を手に群衆に呼び掛けていた。その背後には【男女平等反対!】という看板が掲げられている。

 

「お嬢様、アレはあまり見ない方がいい」

「へ?」

「メニズム、その中でも恐らく過激派に分けられる奴らだ」

 

 大丈夫だろうが、一応忠告する。それでも首を傾げる様子からお嬢様はご存じないらしい。まあネットとかだと有名なんだが、意外とテレビで取り上げられることは少ないからな。こんな集団を見てていいことなんて一つもない。

 

「男性至上主義者ってやつだよ。お嬢様。希少な男は社会で共有されるべき。アレもそういう考え方を持つ女が集まって出来た組織だろうな。ただそういう組織は大抵ネットか地下で活動していて、ああいう表に出てくる活動家集団は割とヤバい奴らと専らの噂だ」

 

 前世でもフェミニズムというものがあったが、またそれとも違う。フェミニズムは女性の平等な権利を主張するのに対してメニズムは男性に特権的な階級を与えて、代わりに男性は男性的役割を全国の女性に平等に提供すべきという非常にアレな思想だ。当然、いくら男女比が偏ってるとはいえこんな過激的な思想に共感する女性は多くない。カルト的だしな。それでもいるところにはいるというのだから、余程根っこのリーダーはアジテーションが上手いのだろう。

 

 お嬢様も理解してみたいに頷くと、視線をそらした。

 

「そうなのね。下らない。そうやって作られた社会に未来なんてないじゃない。権力の腐敗が目に見えてるわ」

「そうだな。俺もそう思う」

「それに今時特権階級とか何て時代錯誤なのかしら。そうやって現実味が無い空虚な思想で何も成し遂げず、野垂れ死ぬなんて全く哀れね」

「お嬢様、それくらいにした方が……」

 

 俺からすれば財閥だって特権の塊だけども、この世界の常識としては平等の枠内に入る価値観である。兎にも角にも、こんな集団に目を付けられたって百害あって一利なしだ。

 

 気づけばメニズムを主張していた集団の一部が俺たちの会話を聞いてしまったようで、睨みつけるように此方を凝視する。お嬢様にこれ以上ここで話をさせるのは流石に不味いだろう。ただでさえ歯にものを着せない言葉を使うが、今回のことはよっぽど合わなかったのか言葉の端々から嫌悪感すら伺える。

 

「そうね。あんな侘しい喪女集団に付き合う必要なんてないわね。ほら、ちゃっちゃと歩くわよ弥衣」

「気になったのはお嬢様だろうに……分かったから引っ張らないでくれ」

 

 お嬢様に引っ張られる俺の姿を認めたからか、より活動家集団の視線が厳しくなる中でお嬢様だけはいつも通りオンマイウェイに街灯を横切っていく。頼もしいというか、肝が据わっているというか。

 

「全く、世の中には変な人たちがいるものね。みんながみんな弥衣みたいだったらいいのに」

 

 角を曲がり、集団から向けられていた視線が無くなるとお嬢様はジョーク交じりに零した。

 

「恐ろしいことを言わないでくれるか? あのな、俺みたいに表情が乏しい人間で溢れたら世の中は相当面倒臭いことになることが目に見えてるだろ」

「そうかしら。私としては弥衣は何人いても困らないけども。友達用の弥衣に恋人用の弥衣でしょ。それから側仕え用の弥衣におやすみ用の弥衣ね」

「お嬢様。俺としても非常に心苦しいが言わせていただこう。とっても気持ち悪いから止めてくれ」

「段々遠慮が無くなってきたわね……でもそれが独特な高揚感に繋がらないと言われたら否定できない……! 流石弥衣、男が何かを抑えているのね」

「そんな特殊性癖のツボの押し方なんて知らないが」

 

 お嬢様と会話していると前世を思い出す。確かに男子高校生だった頃の俺は良く友達とこんな馬鹿話をしていたかもしれない。俺も全くお嬢様のことをとやかく言えないんだよな……。

 

 グダグダといつもお嬢様の室内で交わされる会話を外でしながら、数分ほど歩けばすぐに目的の服屋に辿り着いた。

 男性用衣料店。この世界においてそれは特別な意味を持っている。何せ女性10人に対して男はたった1人の世界だ。だから男性専門の衣料店なんてあまり街には無いし、ターゲット層の男性は何かと優遇されており金持ちが多いため、その店構えは中々に高級な様相を呈している。つまり何が言いたいかと言えば、前世で今世でも一般人な俺からすれば非常に入りづらい雰囲気を醸し出しているということだ。

 

「お嬢様、本当にここに?」

「今更何を怖気づいてるのよ。らしくない。女は度胸、男は愛嬌でしょ?」

 

 いやそれ逆……でもないのか。この世界換算なら。ややこしいなクソ。

 でもそう考えると、今の男装している俺は後者ということになるな。

 

「それなら俺は後者ってことか。お嬢様……俺……恥ずかしいよ……」

「やめて。本当にそれはやめて。弥衣は私を犯罪者にするつもりなの?」

「理論の飛躍が凄いな……」

 

 この世界の女性が見る男性観としては極めて正しい言動(というか理想の言動?)をしてみれば、真顔でお嬢様がそう言った。理性が耐えられないということらしい。何なのこの人。記憶の限りではお嬢様は俺様系の男が好きだったはずだが……まあいいや。お嬢様だし。本当に襲われたら困るから取り敢えず今後はこの手の行動は慎もうと思う。

 

「行くわよ、弥衣」

「お、おう」

 

 一歩。

 絢爛な店内に足を運ぼうとして、お嬢様が俺の左手を捕まえる。それは甘い空気が漂うようなものじゃない。がっしりと、電車の連結部分みたいに絶対に外れない力で握り締めていた。

 奇妙に思ったが、落ち着いて考えればその真意も理解出来る。

 お嬢様の現状は、要するに女性用ランジェリー店に男が入るような感じだ。勿論これは前世の価値観での話だが。異性がそういった店に入れば、他の客や店員から忌避の視線が大量に突き刺さることになる。そう考えるとなればお嬢様も災難だよなぁ……、と一瞬同情しかけた俺だったがそもそもこうなったのはお嬢様が原因であることに気付いてすぐに思考を振り切った。同情の余地、ナシ。ここでこの手を振りほどいても許されるんじゃないか俺。

 

「い、良い空気感ね。凄いなんか、良いわ」

 

 お嬢様はぎちぎちと途絶え気味に店内を観察する。

 確かに、店内は高級感で弾けている。美麗なインテリアに、空間をたっぷり使って並んだショーケース。佇む店員の身だしなみもファッションセンスに富んだカジュアルなものながら礼儀作法に通じている印象を受ける。これは新羅家で教育を受けてなかったら俺も空気に呑まれていたかもしれない。

 

 このくらいで店内の観察は一先ず置いておいて、俺の関心は隣でブリキ人形と化しつつあるお嬢様へと移る。

 

「お嬢様……緊張して語彙と声が出てないぞ」

「そんにゃことないわよ! 私は財閥令嬢なのよ、このくらいの雰囲気は幾にゃでも経験してきたもにょ……だもの!」

「申し上げにくいが滅茶苦茶噛んでるぞお嬢様。勢いで誤魔化せないくらいには」

 

 何と言うか、想像通りテンパってるらしい。お嬢様は場数はそこらの小金持ちよりよっぽどあるはずだが、こういう場所は駄目なようだ。案外ピュアである。

 ただここまで普段と様子が違うと少し俺の手にも余る。

 

「お嬢様……もう少し自然体にできないか? こういう時は深呼吸をするのが良いと俺は思う」

「もう五月蠅いわね。全くもう。あのね弥衣、いいかしら? 幾ら世間的には希少な男とは言え、細かいことを気にする人間は性格的に難ありと思われて良い人と結婚できないらしいわよと言おうとしたけどその時は私が貰うから一応薬指のサイズ教えてもらっていい?」

 

 あ、駄目だこれ。我がお嬢様ながら本格的に脳髄までイカれちゃってますね。

 

「服を見るんだろ、お嬢様行こうか」

「ねえ流さないでくれない。私は、今、本気で、貴方の主として、薬指のサイズを聴いてるのよ」

「店員さん、お勧めの服とかありませんか?」

「ちょっと弥衣? 無視は酷くないかしら? ねえちょっと?」

 

 申し訳ないがまだ側仕えとして未熟な俺では今のお嬢様に対する対処法を持ち合わせていない。恐縮だがそこで待っていてもらおう。

 手に負えないと判断した俺は店員さんに案内されて今のシーズンのおすすめとして何着か渡される。どうでも良いけど店員からも何の疑いもなく男と思われてるな、俺。

 

 店員に話しかけた辺りから俺の背後にピタリと黙ってくっ付くようになったお嬢様を尻目に、俺は試着室に入る。

 

「それじゃあお嬢様、取り敢えず着替えるから待っててくれ」

「ええ……なるはやでお願いできるかしら」

「了解だ」

 

 ほんのり不安そうなお嬢様の視線に頷く。流石にそろそろ可哀そうだから、お嬢様の要望通り早々と着替えてしまおう。

 

 店員セレクトのシャツとズボンにアウターを羽織って、一度等身大の鏡で自分の姿を確認する。

 相変わらず俺の容姿は中性的なようで、自分で確認してその出来に頷いてしまう。実際、俺の今の出で立ちは完全に男のそれという訳ではない。それでも男装した女性というよりかは、女装が似合いそうな男に見えるのだ。正確には12歳だから男の子と形容した方が正しいか。

 子供であることが理由で男女の境界線がぼやけてどちらとしても取れるのもあるだろう。それでも第二次性徴を既に果たしている俺が普通に男として見えるのは中々傑出した才能かもしれないと思う。お嬢様がこんなんじゃなかったら一生発揮されなかった才能だろうけど。

 

 一回りして変なところが無いか確認すると、試着室のカーテンを開く。

 お嬢様は試着室の前でスマホを弄っていて、俺が着替えに終わったのに気づくと顔を上げる。どうやら自分の世界に入ることで自分の心を防衛していたらしい。こうなるのは自分では理解してただろうに難儀な……。

 

「お嬢様。こんな感じになったが」

「……うん。いいじゃない。でもアウターで黒色はちょっとね、大人っぽくていいけどまだ早いように思えるわ」

 

 俺はお嬢様の前でゆっくり一回転すると、意外と普通な指摘が飛んできた。そろそろ中学生とはいえ身体は全然成長しきってないから、そういった服装が上手くハマらないのは仕方ない。それでも元の容姿が良いせいなのか、服に着られてるという事もなくそこそこ見れるものである辺り俺は美少女だった。

 

「じゃあ弥衣。少しだけそのまま立っててくれるかしら」

「うん?」

 

 お嬢様はそう言うと手に持ってたスマホをこちらに向けて、パシャリと鳴らす。……あーはいはい。

 

「良い感じに撮れたわね……写真として見たら最ッ高ね……。私の写真フォルダが潤うわ……!」

「その、お嬢様? もの凄く帰りたくなってきたんだが?」

「帰るなんてとんでもない! もっと服を選ぶわよ、ここからが本番なんだから!」

 

 あ~。完全に調子取り戻しちゃったなこれ。

 俺は出そうになった溜息を押し戻して、そのあと機械のように何着も服を変えることになる。

 

 

 ───だからこの時、俺には余裕が無かったから気づかなかった。

 試着室から出入りする俺に目を見開く人影があったことなど。そのことを知るのはその後、すぐのことである。

 

 

 

────── ────── ──────

 

 

 

 その後、二時間ほどお嬢様によって着せ替え人形とされた俺は完全に疲弊しながら帰宅していた。手にはお嬢様によって購入された何着もの服。重い。

 

「良い買い物だったわね弥衣」

「ホクホクしてるのはお嬢様だけだって……」

 

 満足げに笑みを浮かべるのはお嬢様。当人は何も買ってないのに、何故か一番満足している。その様を見ていると更に疲労感が増してきて肩が下がりそうになる。

 

「一緒に選ぶってこんなにも楽しいのね。世間一般的な友達という概念はこんなにも良いものだったなんて私は知らなかったわ」

「それは良かったな」

 

 また何か仰っているお嬢様の発言を適当に流す。友達がこれまでいなかったのも道理かもしれない。自分だけ楽しんでるものこの人。俺のことあんまり考えてないよ絶対。

 ただ、美少女で権力まであるとなれば自己中心的な性格が育つのも仕方ないともいえる。だってまだ中学生だ。あんな環境にあればもっと傲慢になっていてもおかしくないのに、お嬢様はよくこの程度に収まったとも言える。

 

 そんな風にお嬢様の横顔を見ながら考えて、ふと思い出す。

 ……もしかしたら、俺に与えられた最初の仕事はこれなのかもしれない。具体的には、お嬢様の悪癖を直し鳳燈家当主に足る人格を芽生えさせる。

 

 いやいやまさかそんなことをさせる訳が……。

 そう否定しようとしても否定できる材料はない。逆に肯定できる材料ならある。自己中心的な性格もそうだし、周囲が見えないのも欠点だ。そういった部分を残したまま成長して当主になってしまった鳳燈家は恐らく長くはない。

 

 でもそんなの本来、成長と共に自覚的に直すものだ。他山の石という。反面教師から学んで、自分はああはなるまいと自分自身に釘を刺す。そうやって精神と立ち振る舞いは成熟し、幼さが削ぎ落される。

 自主的に行うのが自然のもので、それを早めるは至難の業だ。俺は教育者じゃないし、お嬢様の導師にはなれない。加えてお嬢様より年下の俺がそう諭したところでマトモに聞き入れてくれるかという問題もある。

 

「弥衣? どうしたの疲れた顔して」

「ホントに疲れてんだよお嬢様」

「軟弱ね。でもそういうところも素敵よ」

「そうですか」

「淡白ね。今のは『そんな俺なんか……テレテレ』って赤面するところじゃない」

「そういうのはゲームと漫画で我慢してほしい」

 

 相変わらず口説いてるのか何なのか分からないお嬢様に余計に疲れが増した。てか口説くのはおかしいだろ。お嬢様は冗談半分のはずとはいえ、第三者に勘違いされたらどうすんだか。俺しーらね。……って出来れば良かったんだけどな。

 

 衣料店を出て4分ほど歩くと、俺は立ち止まる。

 

「どうしたのかしら弥衣? そんなに疲れてるんならどこかで休憩する?」

「お嬢様、お迎えみたいだ」

「……そう。遅かったわね」

 

 お嬢様も気づいたようで、視線を俺と同じ場所に合わせる。

 たった今右折してこっちに向かってきている黒い車、見覚えがある。間違いなく鳳燈家で所有しているやつだ。ということは護衛の2人が乗っているのだろう。タイミング的に、偶然って訳でもない。何時からかは知らないけど少なくとも10分以上前から俺とお嬢様の居場所を知ってたんだろうな。

 

 車は予想通り俺とお嬢様の前で停止すると、ドアが開いて女が出てくる。こっちは橋川……さんだったな。ということは運転士はもう片方の野村さんだな。

 面と面を向かって話したことは無いのだが、それでも橋川さんの人となりは何となく知っている。確か、言葉はちゃらんぽらんなのに結構真面目に働いているとお嬢様は言っていた。なので前世の夢女子御用達な掴みどころのない雲みたいな感じだと勝手に考えてる。女性だけど。これってもしかして風評被害?

 

 SPというのもあり、恵まれた体躯をしている橋川さんはお嬢様を見下ろす形になりながら細く目を見開くと口を開けた。

 

「花凛様~困りますよ無断外出は。ちゃんと私たちに言ってくれませんとね」

「ちょっとくらい良いじゃない。別に危険も無かったんだから」

「またそういうことを言うんですか花凛様ってば。困った子猫ですね~」

「鬱陶しい……次舐めたことを言ったら解雇するわよ橋川」

「はは、怖いですね~なのでさっさと仕事を済ませましょうか」

 

 思った以上にお嬢様と護衛、というか橋川さんの仲は険悪っぽいな。良く知らんが多分お嬢様が悪いんだろう。見てる限り。

 そうしていると橋川さんはお嬢様から俺へと視線をスライドさせる。

 

「初めましてだね。私は橋川坂里(はしかわさかり)。お噂はかねがね、花凛様の歪んだ感性のせいで男装してるんだってね。ま、気苦労が絶えない仲間として宜しくしてくれると嬉しいよ」

「よろしくお願いします」

 

 立場的には側仕えである俺の方が上だが、雇用年数的にも年齢的にも上である以上ここで溜口を使って人間関係を拗れさせても何の意味もない。男装しているとはいえここでは敬語を使っておくに越したことはないな。

 俺がペコリと頭を下げると橋川さんは薄い笑みを浮かべる。その笑みを見てお嬢様が言っていたことが何となく分かった。この人、なんだか少し胡散臭い。

 

「ふふ。それにしても花凛様に引けを取らないくらい君も可愛いね。どうかな、今度一緒にお茶でも」

「橋川。殺すわよ」

 

 橋川さんのナンパに、俺が反応するより早くお嬢様が毒舌を飛ばした。まるで毛を逆立てて威嚇する猫だ。ここまでお嬢様が敵意を示す相手なんて初めて見たな……。

 そんなお嬢様を意に介さず、橋川さんは肩を竦めた。

 

「おや怖い怖い。でも花凛様のその身体じゃ私には勝てませんよ」

「私がいつ貴方の得意な土俵で戦うと言ったかしら。私は嫌な奴には財閥令嬢としての権威を以てして社会的に殺すだけよ」

「残念ながら私は絵美様が雇用主なので、お嬢様では手が出せないかと。危ないところでした、ねえ花凛様?」

 

 チッ、と美少女が鳴らしてはいけないような舌打ちがお嬢様から漏れる。どちらかと言えば橋川さんはお嬢様の天敵なんだろう。

 

「いい加減仕事に戻ろうかなと。そういう訳で花凛様、お迎えに上がりました。ご自宅までその身柄を丁重にお連れ致しますよ」

「はいはい。さっさとなさい」

「それから絵美様より伝言です。芍薬、と」

 

 それを聞いたお嬢様の顔がげんなりしたものに変化する。

 傍から聞いたら回りくどい表現だが、これは花言葉だ。絵美様はそういった暗喩のような表現が好きなのかよく多用されている。

 またこれも新羅家の教養として、家庭教師から習ったことがある。芍薬といえば思いやりとか謙遜とかそういった意味があるが、この状況下なら恐らく怒りだろう。分かりやすい。まあこれについては自業自得だから受け入れてくれ。

 

 お嬢様は車の後部座席のドアを開けようとした橋川さんを手で制して、自分で開くとそのまま座席へと腰を下ろす。それから俺の方へと顔を向けた。

 

「弥衣も乗りなさいよ。せっかくタクシーが来たのだから帰るわよ」

「おっともう一つ伝え忘れていました。新羅様は今日はもうお帰りいただいて結構とのこと。そのお荷物は家には持って帰れないと思うので、お預かりいたします」

 

 お。ラッキー。早帰宅とか久々だな。うし、適当な場所で化粧を落としていつもの洋服に着替えたら、帰ってベッドに転がるか。

 と思ったのだが、その言葉に黙っているお嬢様ではなかった。お嬢様は自身の護衛に対してメンチを切る。

 

「は? どういう意味よ。私の側仕えに対して何故貴方が命令を下せるのかしら?」

「花凛様もお分かりでしょうに。今宵は長くなる、それだけです。その時間を一人で無為に過ごされるのは酷でしょう」

 

 お嬢様は黙った。つまり、主人の親からの説教が長くなるから今日は早上がりで良いよとのことらしい。あざーす!

 

「それでは私たちはこれで失礼しますよ。新羅様、お疲れ様です」

「はい。お疲れ様です」

 

 大量の服の入った袋を受け取った橋川さんは車の助手席に座ると、不機嫌そうなお嬢様を乗せて車が発進した。

 

 車が見えなくなるまで見送ると、どっと疲れが湧いてきた。もう2度とあんなことしたくないな。そのためにもお嬢様、滅茶苦茶怒られて猛省してくれ。ってことで頼みます神様絵美様仏様。

 

 俺は夕焼けの消えた午後6時半の暗がりの中、男装を解除するために適当な公衆トイレに入った。

 

 

 





わはは。多忙です。
もう連載にした方が良いのかな


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男装しなくていいらしい

 その日、帰宅後。

 俺は特にやることもなくテレビを眺めていた。

 

 テレビを見ながら、お嬢様は今頃怒られてるんだろうなぁ、とか詮の無いことを考えてみる。恐らくさっきの会話からして、絵美様が直々に説教なさっているんだろう。うーん、大変そうだ。お疲れ様です。

 

 母様は今日も今日とて仕事らしく帰る予定は無いそうだ。まあ帰ってくる日の方が最近じゃ珍しいし、別にそこに思うことはあんまりない。にしても母様は具体的にどんな仕事をしているんだろうか。いや側仕えってのは分かる。でもその仕事内容は割と抽象的だ。他の人間には任せられないような仕事を色々と手広くやっているんだろうという予測は簡単に付くけど、その色々と言う点をイマイチ理解していない。側仕えになるために幼い頃から教育を受けていたのにな。……マジで俺って何をさせられるんだろう。こわ。人殺しとかさせられないよな……?

 

 とか銃で撃ち合うスパイ映画を見ながら冗談半分で考えていると、室内のドアがノックされた。

 

「はい。どうぞ」

 

 現在夕方六時を回ったところ。こんな時間に訪ねてくるのは一人しかいない。

 

「ね、姉さん。ちょっといいか?」

「はい。勿論いいですよ」

 

 ドアが開く。俺の予想通り、入ってきたのは暁人だった。

 見れば暁人は、複雑そうな顔をしながら俺のことを見ていた。俺の顔を凝視して、目を強く閉じて、また凝視していた。

 ……えっ。何ですか。あの。

 

「どうしたんですか? 私の顔に何か付いてますか?」

「いや別に付いてないけど……付いてないよな?」

 

 何故付いてない確認をするんだ。

 そう思って暁人の視線を追ってみると、その視線は俺の下半身をエイムしていた。

 詳らかに言おう。

 股関節だ。

 

「あの。もしかして」

「……待ってくれ姉さん。これは独り言だから。今の発言に他意は無いからな!」

 

 必死に否定をする暁人に、俺の想像は一つの回答を導いた。

 10歳ということは、子供ながらもそろそろ思春期として走り出しても良い年頃だ。ならば異性のそういった部位に興味を持つのは如何せん、仕方がない生理現象でもある。俺も前世で経験はあるしな。

 

 とはいえだ。

 ここまで露骨に見られると流石に良くないものがある。前世基準で言えば男の股間を狙う女がいたらそれはもうビッチである。俺は自分の弟をそんな風に育てたくはない。

 

「暁人。気持ちは理解しましょう。ですが暁人の見ようとしているそこは性的にデリケートな部分です。私だから良いものの────」

「いや違うから! 変な趣味とかないし、というか姉さんも姉さんでその良く分からない自己肯定感の低さ! 止めた方がいいと俺は思う!」

「他人に目を遣るのは────そうですか?」

 

 口車が止まる。

 暁人は恥ずかしそうに頬を赤らめながら否定の言葉を口にすると、ついでに俺に意見を陳情する。確かにこういう事を言うのは良くないな。反省だ。俺は弟が立派に成長してくれて嬉しいよ。

 

「それで改まってどうしたんですか?」

「あの……さ。えっと」

「はい。どうしましたか。男らしくないですよ。男ならもっとバシッと言ってください」

「五月蠅いな!! そもそも姉さんの男性感、若干おかしいだろ!」

 

 的確に意見を言えば、暁人は強い口調で反駁してきた。まさか……反抗期? 年齢的にもそのくらいだし、でも最初に当たってくるのが一番家族で仲の良い俺だなんて。

 

「私は悲しいですよ暁人。家族に対してそんなことを言うなんて……」

「表情筋動かなさ過ぎて全く悲しそうに見えないんだって! 全く……こんなんで将来結婚相手いるのか……?」

 

 よよよ……、と泣きそうな目で言ってみたが相変わらず鉄の表情筋だったようで暁人に効果は無かった。流石俺。ポーカーとかやれば滅茶苦茶勝てるかもしれないな。

 それと小学生の弟に将来を心配されてしまったが、この点においてはめちゃめちゃ安泰だったりする。

 

「大丈夫です。いざとなればお嬢様に貰われるので」

「ぜんっぜん大丈夫じゃねえ!」

 

 お嬢様、本当に男装した俺を無理矢理性転換手術受けさせたり戸籍の性別を変えたりして俺と結婚しようとしそうだしなぁ……もしかして俺、出家した方がいいのかもしれない。友達と主従関係のみでお願いします。

 そんな暢気なことを考えていると、暁人は大きな声で反論を口にした。あれぇ。

 

「そうだよ! 俺は見たんだ! さっき姉さん、服屋にいたよな! しかも男向けのとこで、姉さんが言うそのお嬢様とかいうアイツも一緒に!」

「暁人。新羅家の人間としてお嬢様をアイツ呼ばわりするのは止してください」

「あんな女に忖度する理由なんてねえよ!」

 

 ……まさか、あの場にいたとは。

 俺は思い返してみる。あの店内にはほとんど人影は無かったが、もしかしたら女性であるお嬢様が入店したことで店員が気を利かせて暁人を別のフロアに隔離させたのかもしれない。男の中には女性が苦手という人も少なくないからだ。社会的な役割としては生殖機能しか価値が無いと考えている女性もこの世にはしばしば存在し、それを考えると女性恐怖症になる男がいるのも無理もない。

 

「しかも姉さん、あの恰好……一応聞くけど俺にそういう趣味を隠してたとか」

「無いです」

 

 とんでもない勘違いだ。

 

「ならあれ、そのお嬢様とかいう野郎にやらされてるんだよな。弱い立場の姉さんに命令して、それも無理矢理……」

「……あの、暁人?」

 

 俺の困惑を無視して暁人は拳を強く握りしめる。姉弟だからこそ分かる。この子、絶対勘違いしちゃってるよこれ。いや勘違いじゃないけど。ただ俺と暁人でとんでもなく熱量の差異があるのは事実で。

 弁解しようとする俺の口より先に、暁人は俺の手を握り締めた。

 

「姉さん、俺分かった。直談判してくる。幾らウチが鳳燈家と密接な関係つってもこんなのありえねえよ、絶対。俺の姉さんは芸者じゃねえんだぞ」

「暁人? 直談判なんてしなくても良いですからね? 私はお嬢様には良くしていただいている方ですからね?」

「分かってるって。姉さんは何もしなくていいからさ」

 

 全然分かってない。全然分かってないからな!

 そう思いつつもどう誤解を解こうかと考えようとして、暁人に頭を撫でられる。因みに身長としては二歳下の暁人の方が俺より高いので、普通に腕を伸ばして髪の毛を雑に撫でられている。おかしい。俺の方が上のはずなのにまるで妹みたいな扱いをされている気がする。今までこんなこと、一度も無かったのに。ジゴロになりそうな将来が見えて姉ちゃんは悲しいよ。

 

「俺がなんとかするから姉さんはいつも通りでいいから。じゃあ俺ちょっと行ってくる!」

「暁人、ちょっと待ってください!」

 

 引き留めようとしたが駄目だった。

 俺の声は暁人の耳には入れなかったみたいで、そのまま部屋から出て行ってしまった。はあ……まあ鳳燈家に行ったところで門の前で追い返されるとは思うから大丈夫だとは思うけど。変な勘違いをされてしまったのが些か面倒だし、頃合いを見計らって訂正を入れなきゃな。

 

 なんて思っていたのだが。

 20分後、機嫌悪そうに帰ってきた暁人に話しかけられなかった。チキンか。

 

 

 

──── ──── ────

 

 

 

「酷いと思わないかしら弥衣? 幾ら一計を図ったとはいえ、ママのこの命令はやりすぎだと思うのよ」

 

 その次の日、俺はいつも通りお嬢様の元へと出勤していた。ただし、普段と違い俺は男装をしていない。本来ならこの時間なら既に俺はドレスチェンジをして可憐な男子(笑)にメイクアップボーイズする時間なのだが、お嬢様に課せられたペナルティーによってそれはない。

 端的に言えば絵美様からお嬢様は脱走の罪を問われ、俺に対して男装を指示する事を一か月間禁じたのだった。そらそうなる。寧ろお嬢様は何で想像してなかったのか頭を捻りたくなるからなマジ。

 

「いえ。お言葉ながら、妥当な判断だと愚考致します」

「あら? 弥衣の主人は誰かしら?」

「お嬢様がイエスウーマンを欲されているのならば、そのように致しますが」

「何よその返答。あーもうつまんない。……この子に性転換手術でも受けさせようかしら」

 

 とんでもないことを宣いやがるぞこのお嬢様。ペット感覚か? 前世が男だった俺でもそれは受容出来ない。それは生まれ持った性別というのもあるが、それ以上に社会的地位を考えてのこと。言うなればニューハーフみたいなもんで、そういった属性の人間に対する社会の目は厳しい。しかも今世では壮絶たる男性不足というのもあって、男になろうとする女性に対する世間の風は冷たいのだ。じゃあ男装は良いのかと言われると俺は答えられる立場にないけど、少なくとも趣味でやる分には問題ないと言える。男女比が偏りすぎているからこそ生まれた歪みだろう。まああまりにも違和感があれば周囲からの誹謗中傷は免れないだろうから一般的な神経を持っている人間はやらないと思う。思うが。お嬢様は逸般的な感性なのでしょうがない。

 

 それにしても、と俺はお嬢様の顔を窺う。

 本音として、お嬢様が俺のことをどう思っているのかが分からない。や、男装をした弥衣としてなら痛いほどの愛情(というにはあまりにも気持ち悪いオタクみたいな言葉を用いがちだけども。もっとしっかりしてくれ)を感じているから語る必要はない。問題は本来の俺に対するお嬢様の感情で。

 

「お嬢様は私のことをどう考えていらっしゃいますか」

「結婚したい。突然どうしたのよ弥衣」

 

 脊髄反射で返答してきたぞこのお嬢様。この世界に女を捨てるという言葉は無いが、もしあるなれば普通にお嬢様のことなのかもしれない。

 じゃなくて。

 

「それは承知しております。ですがお嬢様、違います」

「違うの?」

「はい。同性としての私がどう思われているか、それが気になったのです」

「友達であり側仕えよ。私はアブノーマルじゃないんだから」

 

 アブノーマルじゃない人は同性を男装させて疑似デートを楽しんだりはしない。決してだ。

 

「ですがお嬢様。冗談でも性転換手術と仰られると少々傷付きます」

 

 と表情を変えずに言うが事実、俺はお嬢様に疑念を持っている。

 お嬢様は男装をした俺が好きだ。それはまあ分かる。火を見るよりも明らかだ。

 だからこそ、男装をしていない俺はお嬢様にとって価値が無いんじゃないかと考えてしまう瞬間がどうしてもある。友達という関係性を疑っているわけじゃないけど、お嬢様にとっての俺の存在意義は普段の姿じゃない。

 

「あー……悪かったわよ。ごめんなさい弥衣。少し距離感がバグってたかしら」

「お嬢様。謝る必要性は皆無です。お嬢様がそういう残念な側面を有していること、理解しております。理解した上で私は友人関係を承諾しました」

「何よその理解のされ方。年齢を弁えなさい。私の方が二年も多く人生を知っているんだからね」

「二年間でそれですか……」

「何かムカつくわね。やっぱ男装しなさい弥衣。男装することでしか私の怒りとパトスは収まらないわよ弥衣」

「流石でございますお嬢様。気持ち悪いですお嬢様」

「弥衣の毒舌ってこんな自由闊達だったかしら……」

 

 お嬢様は俺の顔を見て、若干怪訝な顔をする。

 言われてみれば、自分でも驚きだ。きっと男装をした時の自分に引きずられているのだろう。お嬢様と会った時ならいざ知らず、既に男のふり(てか素)で俺はお嬢様に対して気安い言動を繰り返してきている。無意識に俺は素でお嬢様に接していたのだ。

 本来なら立場上不味いものの、お嬢様は気を害した様子は無い。何よりこの場はプライベートだ。TPOさえ弁えていれば大丈夫だろう……母様以外になら。母様にバレたらガチでどうなるか分からん。ヤバい。でも俺にできるのはバレないことを祈るのみである。頼むぞマジで。

 

 脳裏を過った悪寒にぶるりと肌を震わせつつ、俺はお嬢様に視線を配る。お嬢様は一度口を結ぶと、いつもと変わらないガワだけは清楚な表情で唇を戦慄かせる。

 

「私にとって、弥衣は何があっても弥衣よ。確かに男の方が良いけど、それが本来の弥衣を除外する理由にはならないわ」

「因みに恐縮ながらお聞きしたいのですが、二者択一ならどちらでしょうか」

「男装弥衣」

 

 即答だった。駄目だこのお嬢様。早く何とかしないと。

 自然とジト目になっていたのだろう。お嬢様は俺の顔を見て、不満そうにツンと唇を尖らせた。

 

「しょうがないじゃない。まあ弥衣は子供だから分からないかもしれないわね。いつか分かるようになるわ、男の魅力」

 

 お嬢様の言葉にムッと来た私は直情的に言い返す。

 

「お嬢様、大変心苦しいながら陳情させていただきます。お嬢様もまだまだ子供です。私のようなちんちくりんな少女に男を見出している女子中学生が大人のはずが無いと私は思います」

「言ってくれるじゃない弥衣。だけれどもこれは私がおかしいわけじゃないのよ。おかしいのは弥衣、貴方よ」

「はあ」

 

 言うに事を欠いて俺のせいにする気かお嬢様。お嬢様だけには奇天烈扱いされたくないんだが。

 お嬢様はまるで分からず屋を相手にしたみたいにため息を吐くと、澱み一つない白く綺麗な人差し指を立てた。

 

「良い? 弥衣の男装は魔性なのよ。年齢なんて関係ないわ。将来有望なショタとも言えるし美麗な少年とも言える、そんな容姿なのにあの性格。女を食って、二次元の男まで食ってしまうようなあの魅力は私じゃなくても惹かれるに決まってるじゃない。杜撰な言葉遣いに隠れた気安さと優しさ、加えて理想の姉みたいな面倒見の良さよ? これに勝てる女はいるかしら? いやいないわね。ねえ弥衣?」

「女性に希求されている時点で間違っているかと」

「ふふ、何を言ってるのかしら。間違ってるのは現実よ。シビアな男女比率に過度な経済格差。私の生まれは世間的には勝ち組と言えるけど、男はそれ以上に勝ち組よ。望めばベーシックインカムだって受け取れるんだもの」

 

 お嬢様が言っているのは男を保護するために施行されている法律のことだろう。

 男性の生存に関連する法律。その一部にベーシックインカムというのがある。まあ前世でも草案としてはあったものだが、この世界では状況が状況とあって既に現実にある制度だ。俺は女だから対象外ではあるが、家庭教師から軽く教養として教わった。家庭教師の話によれば世帯や一親等の年収など、様々な条件があるもののこの世界にもある生活保護の申請と比較したらかなり容易だ。ただ一つ物事を語るなれば、以上の話は会話の論点から大きく外れている。またまた論点が泳いで世界一周してしまっている。お嬢様の話は義経の八艘飛びよりもぴょんぴょんする節があるからなぁ。俺と話しているときはすくなくともそうだ。まだ俺は公の場でのお嬢様を見たことは無いけど、こうはならないと思いたい。

 

「お嬢様、話がズレています。重要なのはお嬢様が世間一般的な価値観と大きく外れているということです。折角神様から素晴らしい容姿を頂いているのですからそれに見合った云為(うんい)を心掛けてもいいかと」

「気持ち悪い言い方ね……ホント男装しているときとは別人みたい。まあいいわ。弥衣、二つ年上として貴方には忠告するわ」

「なんでしょうか?」

「確かに私の容姿が清楚で、さながら箱入りの令嬢みたいなのは自覚してるわよ。でも容姿と性格が比例することなんてないわ。こう見えても私だって性格は凄い善人でもないし、エロイことも沢山考えるもの」

「お嬢様が性に旺盛なのは存じております」

「殺すわよ」

 

 正直な意見を述べればギロリと殺害予告をされてしまった。おかしい。俺のお嬢様がこんなに凶暴なはずがない。うーん、ラノベ化すれば10万部は固そうなタイトル名だがしかし、昨今のラノベ業界は暴力系ヒロインを敬遠する節があるので100部売れるかどうかだろう。つまりお嬢様にはラノベ化される才能が無いと。残念でしたね。

 

「ふふ……でも弥衣だから今のぶしつけな発言は許してあげるわ」

「寛大な処置に感謝いたします」

「思っても無い癖に。まあ、弥衣の上っ面の敬語に慇懃無礼でクールなオスの顔が見えるから良いけど」

 

 そう言ってお嬢様が頬を若干赤らめた気がした。正直気持ち悪いぞお嬢様。それと男のことをオスと表現するのは是非やめていただきたい。お嬢様の口からその言葉が出るたびに慣れているはずの俺でも引いてしまう。

 そういや。

 ……オスと言えば、なんて連想からこの思考が浮き出てきたのは自分でもどうかと思うけど、そういや昨日暁人がお嬢様に直談判しに行ったはずだ。結局追い返されたっぽいけど実際そのあたりどうなったのだろうか。

 

「話から外れてしまうんですが、お嬢様、一つお聞きしても良いでしょうか?」

「ハネムーンならサルデーニャ島にある別荘で優雅に過ごす予定だけど」

「誰もそんな話はしておりませんお嬢様」

 

 なんで俺の質問が結婚旅行だと思ったんだこのお嬢様は。具体的な地名を出されると本気っぽく感じてしまうから勘弁してほしい。……本気じゃないよね?

 

「昨日弟の暁人がこの屋敷に訪ねてきたと思うんですが、お嬢様は何かご存じでしょうか? もし警備員の方に迷惑を掛けていたなら謝罪しに行きたいと考えているのですが」

 

 暁人のことだ、多分この屋敷には押し掛けた形になったことだろう。またあの時の暁人があんまり冷静じゃなかったことを考えると多方面に癇癪を振るった可能性もある。まあ何だ、俺は姉だしこれくらいのフォローはしないとな。

 しかしお嬢様はどうにも初耳らしい。円らな瞳を大きく見開いて、意外そうに目じりを上げた。

 

「知らないわよ……え、弥衣の弟が来てたの? なんで私にその話通ってないのよ? おかしいじゃない? 弥衣の弟は私の男同然よ?」

「お嬢様の男ではございません。私の弟ですので」

「冗談よ冗談。そんな怒らないで頂戴。私の男は弥衣だけなんだから」

 

 お嬢様ならふとした瞬間に暁人を手籠めにしたいと考えてもおかしくない。贔屓目で見ても暁人は容姿が良くて、性格にも瑕疵は無い。こういうお嬢様の発言には多少過保護気味に反駁してでも牽制を入れておかないと、もしもの時が怖い。気に入ったものに対しては権力を全力で行使して獲得しにきそうだしお嬢様。仮に暁人がお嬢様のお眼鏡にかなってしまった時は……その時はお嬢様の側仕えを辞して遠くに逃げるか。

 まあそんな宙にぶら下がったしょうもない思考は置いておいて。

 

「そうでしたか。恐らく警備の方々が追い返したのかと思われます」

「全く。友人の弟を追い返すなんてクビにしてやろうかしら」

「お嬢様」

「分かってるわよ。私だって良識はあるわ」

 

 良識がある人間はそういう発言をしないんだけどなぁ。それ以前にこのお嬢様は良識という概念を正確に理解しているかも怪しい。

 

「でも、それとは別に会ってみたいわね。弥衣の血が混入した男の子ってどんな感じなのかしら。私気になるわ」

「お嬢様、その言い方は品性がございません」

「何よ。事実じゃない」

 

 事実だろうと言い方が酷いんだよ。気持ち悪いんだよ。

 拗ねるようにお嬢様は言って、何がおかしいのか上品に喉を鳴らして笑った。そういう無意識な仕草だけは品性を伴ってるのが若干ズルいと思う。言葉を紡げば酷い語彙や表現ばかりだが。

 

「……ふぅ。ねえ弥衣」

 

 お嬢様は一頻り笑うと俺の名前を呼んだ。

 

「何でしょうかお嬢様」

「私、こうして話していると弥衣としか友人でいられる自信が無いの。だからこれからも宜しく頼むわよ」

「勿論でございます」

 

 頭を下げつつも、冷静に考えるとこれは良くないことだと思う。お嬢様は友人として俺に依存している節が既にある。それは一個人としては良くとも、お嬢様の将来の立場を鑑みたら何とかしなくてはならない課題の一つになりうる。

 

 ただそれと同時に、まだ深刻に考える段階でもないと俺は結論付ける。

 

 お嬢様はまだ大海を知らないだけだ。お嬢様みたいな人間を受け入れられるコミュニティーなんて、多分探せばすぐ見つかる。そこでなら友人を作ることくらい訳無いと思う。俺以外にも友人を作り、依存気味になりつつある現状を解消することは易い。

 まあ、しかし。

 それまではお嬢様のことは俺が支えようと、お嬢様の言葉を聞いて俺は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして二週間後のことだった。

 鳳燈財閥の次期当主である鳳燈花凛が男を飼っていると三流タブロイド紙にすっぱ抜かれた。

 



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