彩色うまむすめ (ろぐさん)
しおりを挟む

彩色うまむすめの序章
彩色うまむすめの序章①


 ────何故、人間とウマ娘は共存関係にあるのか。

 

 それは、ウマ娘の魂なる物が関係している。

 

 ウマ娘は、走ることによって其の魂に備え付けられた"競争心"とやらが解消されるのだ。

 

 

 

 なら、走らなければ? その"競争心"を消化しなければ? 

 

 走らなければ、ウマ娘はウマ娘である意味がない。ただの"要らないモノ"が付いた人間となる。

 

 ……そして、その"要らないモノ"によって、私達の……

 いや。"私"の、心も、身体も、全てが壊れていく。

 

 私は物心付いた頃から走ることはさせてもらえず、その度に『私はどうして走れないんだろう』と愚考していた。

 

 毎回毎回毎回毎回幾度となく様々な感情が湧いたものだ。──だがそれも抑制する力が付いてしまったんだ。『無理矢理にでも』とも思った。だが何故か何処かでストッパーがかかる。これも魂なるものの力だ。人間の都合の良いように在る存在。結局中心は人間。これを悟ってからは、何故かストッパーを掛けなくても、ストッパーが掛からなくても感情が抑制されるようになって──『無色』『透明』になったんだろう。

 

 だが今は違う。全てが自由になって、感情が生まれた。

 人間とウマ娘の共存関係がある原因の殆どが、魂によるもの。人間が優位なのだ。肉体能力は大きく勝っていても、精神はお子さま。

 ほら、今だって"別種族"に対する嫌悪心を心の中で露わにしているだろう。こういう事が『精神年齢が低い』というのだろう。

 ──ほら、このように、考えられる。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「お前は一体何がしたいんだ。そんなに足を騒々しくして」

 

「……。」

 

「……あのなあ、単刀直入に言うぞ。お前には何も才能が無い。お前には何も無い。()()()()そのものだ」

 

「わかっています。」

 

「99%の努力と1%の閃き───それは違う。正確には、『99%の努力をする才能と1%の閃きをする才能』。お前には、その肝心な才能が無いんだ。『無色』『透明』なままで良いんだ」

 

「……本能──。」

 

「……はぁ、そうか。お前は『ウマ娘』だ。だが、それはただの種族でしかない。本能であろうがなんであろうが、全て理性で一掃出来る。お前には、そんな事も出来ないのか? まあお前なら、出来ない事より、出来ることの方が少なさそうだがな」

 

 ──彼は私を嘲笑する。出来ないのが当たり前か? 出来るのが当たり前か──?

 

「走ってきても、良いですか。」

 

「まだ理解出来ないのか。───そうだな、自立するか、此処から出て行くか。そうしたら走れるんじゃ無いか? 考えたら解るだろう」

 

「……ええ、解りました。」

 

 ──脳内が明滅し始める──。

 

「……忌み嫌っているがな……」

 

 ──()から抜け出してやる。

 新品のパレットに絵の具を垂らすように、雪化粧に血を垂らすように。

 私はそう、覚悟した。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 深夜三時、軋む脚。

 

 全ての物事を隠密に済ませ、心臓の鼓動音一つ立てずに"()"から出る。木製の引き戸を、当の引き戸すら気付かないようにそっと。

 

 風が舞う。目が霞む。 

 必死に目を擦って、視界を再形成する。

 其処に在ったのは只の汚いアスファルト。草木一つ無い殺風景な道路。

 だが、その死んだような風景でさえも、今の私にとっては、全てから開放された世界なのだ。

 閉鎖的空間から、開放的空間になっただけでも、其れは自由な世界に視えた。視えてしまったのだ。

 

 結局、人間もウマ娘も、本能の前には抗えない。抗うと呆気なく壊れる。

 手で止めた時計も、手を離すと再び動き出す。──父の言葉は間違っている。全て経験と感情から練り出された憎悪に過ぎない。信用なんて微塵もない。している方が可笑しいのだ。

 

 ──我慢の限界だ。

 

 

 気付いたら無我夢中で走っていた。それこそ、本当の"私"のように。 

 

 黒く縮こまった肺を無理矢理膨らませ、機能を忘れた心臓を再活性化させ、何時も朧気になる瞳も、初めて()を燈した。

 血液を循環させ、脚のエンジンを全出力で回す。心臓が破れようとも、肺が傷もうとも、脚がひん曲がろうとも、身体が潰れようとも。

 全ての意識を肉体に集中させる。今迄の溜めていた力を、今迄使う事の無かった意識を、全て。

 

 初めて走った感覚は、それこそ『本当の実家』のよう。此の為に生まれてきたんだな、と実感できる程。

 長い髪が私の後ろ側へ回り込んで、心臓で燃やされた身体を風に打ちつけて冷やして、風の音しか聴こえなくなる。

 

 裸足だろうと足の痛みなど存在しない。痛みは感じなかった。感じるはずがない。

 痛みなんかとうの昔に他の物と纏めて捨てた。今の私には、「初めて走る」という感覚を体感する材料にすらなれないのだ。

 

 意識すらも失うように、黒く、黒い世界を進む。

 遠のく理性、露わになる本能。息をしているかのように、()()()()()走る。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 だが。ほんの少し叶えられた希望も夢も、すぐに全て失う。これこそ当たり前か。

 

「あぁ、やっぱり本能でも……現実には、敵わないんだな。」

 と、その瞬間思った。

 何時の間にか追い越していた、やけに目立つ赤いスーパーカーが、私の前を通り過ぎたのだ。

 それも、ゆっくりと。まるで私が減速しているかのように。其れを見て本能が嫌な予感を察したのか、ふと周りに目をやる。

 何処か、疾走感が足りない。風も足りない。何も足りない。

 

 

 

 

 ──思っていたのと、違う──

 

 

 

 

 それは、走ってすぐの出来事であった。

 それは、私の希望と夢の終わりを知らせる合図でもあった。

 

 勢いによって固く冷たいアスファルトに全身を擦り付けられる。

 

 その時、今迄体感した以上の痛みと、走る動作をしても走れない状況に困惑した。

 肺が再始動を試みる。心臓が身体を起こそうとする。瞳が世界を再認識しようとする。

 ──私は、それらの事実に感動した。

 

 

 

「これが、達成感の痛みなんだ。」

 

 

 

 もういいや、と、ここで終わろうとした。

 私を出迎えるかのように、光が灯る感覚がした。

 そして、それと同時に、何故かエンジン音のような物も聞こえた。

 これ以上この音も聞かなくていい。耳の機能を停止しようとした。

 

「そこの黒いウマ娘ちゃん、大丈夫かしら? ……って! ちょっと!? 大丈夫!? 今救急車呼ぶからねっ!?」

 

 苦しみを味わう必要もなくていい。体中から全てが抜けていくのを感じたから。目を背ける必要もない。私は今から死ぬ。死ぬのを望む。もう周りは関係ない。今からは、これからは私だけの世界なのだ。

 

 焦る声。こんな経験、したことないな。

 

「もしもしすいません、中央トレセン学園前で倒れて血塗れになってるウマ娘ちゃんがっ!」

 

 ……電話? 

 

「わかりました、今直ぐ向かいます」

 

 

 ……電話が切れた。何か会話をしていたが、もう考える気力もない。迎えられる準備は万端だ。

 夢見心地。これ以上ない感覚。

 

「そこのウマ娘ちゃん、大丈夫かしら? 救急車を呼んだから、もう少し待ってて頂戴ね?」

 

 心配したような声色。私に対して言っているのだろう。そんな努力、要らないのに。そんな事、邪魔なだけなのに──。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 煩いサイレン音とそれに雑じる音。

 

 

 優しい眠りに就くかのように意識を委ね、深い、深い海へと沈んでいった……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめの序章②

 ……生きている。

 

 純白(しろ)い天井に、今迄味わうことのないと思っていた、今迄味わったことのない暖かさ。

 身体は動かせない。動かそうとも思わないさ──。

 

 包容。

 何故か涙が溢れる、気持ちが溢れる。感じたこともない感情が私の身体を蝕んで、『生きててよかった』と思わせてくる。心無い心に一筋の光が灯されるように、感情が再生してくる。無いと思っていた感情が、存在しないと思っていた感情が甦る。

 

 でも、根本は変わらない。結局、臆病で無能で努力の一つも出来ない、『生きてる意味の無いウマ娘』なんだ。

 自分が一番解っている。事実は心では変えられない、と──。

 

 

 

 

 昨日の記憶が鮮明に残っている。

 

 固く冷たいアスファルトに全身を擦り付けて、酷く醜い結末を迎えたものだ。本当に、酷く醜く。

 ……醜いと今は抱く感情でさえも、時間が経った事によって"その勢い"が無くなり、それによって考え着いた先だろう。

 自分の"欲"にも打ち勝てなかったなんて、なんて愚かなことだ。しかもそれで大怪我までして。

 

 ──ローファーのような、『コツッ』とした感じの足音、落ち着いた音。

 

 ドアが、ゆっくりと気遣うように開いた。

 

「あっ、ウマ娘ちゃん! やっと起きたのね! 貴女、道端で血まみれになって倒れていたのよ……? 何処か不調はないかしら?」

 

 この声、昨日に聞いた覚えがある。何か焦った様子で電話をしていた人間かウマ娘だ。まあ、ウマ娘だったっぽいが。

 

 鹿毛でスタイルは抜群、赤の雰囲気を纏わせた、如何にも()()()()()()なウマ娘。

 

 それにしても、やっぱり昨日固く冷たいアスファルトで寝て、今、夢心地な純白(しろ)いベッドの上に居る意味が解らない。

 無意識下で動いて病院まで駆けつけたのか、そんなわけがないだろう。現実的に有り得ない。

 じゃあ、誰かが運んでくれたのか? ……いや、態々こんな赤の他人を善意一つで運ぶ、人間かウマ娘は居ないだろう。それならば、金銭か……? 

 生憎持ち合わせて居ないのだが。本当に意味不明だ。

 

「見る限り、多分怪我以外は元気そうね! 朝食はなにがいいかしら?」

 

 何故、このウマ娘はここまで私と会話をしたがる……? 

 私は彼女と面識もなにもない、ただのずたぼろウマ娘なのに。

 

 ……彼女の情報を聞き出したい。一体何故私に会話を申し込むのか、気になってしまった。

 

「……あの……貴女のお名前は……? 何故私に会話を……?」

 

「あっ……! まだ言ってなかったわね。あたしはマルゼンスキー、只のしがないウマ娘よ! あなたに話しかけている理由は……あたし自身で言うのもなんだと思うけれど……貴女、道端で血塗れになっていたでしょう? それを見て、助けてくれる人を呼んだの、あたし。だから、何か縁があるのかも、って思って、話しかけてるの」

 

 なるほど。彼女は私の命をすくった。

 そして、私はいま病院。

 全ての物事に合点がいった。私は道端でアスファルトと同居していたら、彼女……マルゼンスキーさんがたまたま通りかかって、命をすくったと。

 それは誠に有り難い、今この状況では感謝してもしきれないだろう。

 

「そうだったんですね……ありがとうございます、マルゼンスキーさん。」

 

「いえいえ、どうってことない! 問題ナッシングよ!」

 

 中々独特な言い回しをするんだな、このウマ娘。

 昭和みたいな、癖の強い感じの。

 

「それで、朝食の話なんだけど……。」

 

「あっ、おまかせって出来ます……?」

 

「わかったわ! 苦手なものは有るかしら?」

 

「いえ……特に。」

 

「じゃ、取ってくるから、待っててね!」

 

「あっ、はい。」

 

 ドアが閉まった。

 そして、また個室。

 

 

 窓から視える景色は、澄んでいた。夜に視えた暗い綺麗な黒色とは違う。

 全てが透き通っている。私の心と対比できそうな位に。

 

 自分の心を模した様な、長い、長い青毛の中の青毛が、風で、何かを知らせるように靡いた。

 まだ小さい自分の身体に、何かを伝えるように。

 

 

 

「持ってきたわよ! さ、一緒に食べましょ!」

 

 ……? 窓越しの風景に入り浸って時間を忘れていたようだった。

 ふと後ろを見る。朝食を2つ持っているマルゼンスキーさん。

 ……何処かその立ち姿に、心に空洞(虚しさ)を感じた。

 

「サンドイッチにしておいたわよ、これでよかったかしら?」

 

「あっ、はい。ありがとうございます。」

 

 そう言って差し出された無数のサンドイッチを口の中に放り込む。

 こういったまともな食事はいつぶりだろうか。

 無我夢中になって、いくつもサンドイッチを口に放り込み続ける。

 

「そんなにおいしいのね、お腹が減っていたようでよかったわ」

 

「あっ、はい。昨日は特に、何も食べていなかったので……。」

 

「えっ、なにも!?」

 

「あっ、はい。」

 

 驚いている。当たり前だ。

 相手は、自分が家出をして無理やり走ってアスファルトに突っ込んだことを知らない。知っている事実は、血塗れになって怪我をしていたという事実だけ。

 食事を与えられないのは別にもう慣れていたし、寧ろこれほど多い量を食べたのは初めてかもしれない。

 

 ……あれ、もうサンドイッチが無い。いつの間にか食べきっていたようだ……。

 つい無意識的に口に運びきる。

 

「あっ……すいません……無言で食べちゃって。」

 

「いいのよ、満腹になってくれたらそれだけであたしも満足だわ」

 

「ありがとうございます……。」

 

 マルゼンスキーさんも、いつの間にか食べ切っていた。

 ウマ娘は皆食べるのが速いのだろうか、そうとしか思えないくらいの速度で食べきっていた。

 

「さて、朝食も食べ終えたことだし、ひとつ質問をさせてもらってもいいかしら?」

 

「? はい、どうぞ……。」

 

「貴方の名前は何というのかしら?」

 

「名前……ですか……。名前は……知らないです」

 

「えっ?」

 

「私、名前解らないんです。本名で呼ばれたことがなくて。」

 

「……? 本名で呼ばれていなくても、自然とわからないかしら?」

 

「? いえ、わかりません……。」

 

「そんなことってあるのね……」

 

 本名は解らない。本名で呼ばれたこともないし、本名について考えたこともない。

 

「……まあいいわ! とりあえず、今日は安静に、ね? 分かった? 怪我を治すことが一番なんだから!」

 

「わかりました。」

 

「じゃ、あたしはいつも通り学園に行かないといけないから、行ってくるわね、困ったら看護師さんを呼ぶと良いわよ」

 

「わかりました。」

 

 マルゼンスキーさんは出ていってしまった。

 

 ……さて、何をしようか。

 身体は勿論……あれ、動く。

 結構動く。固定概念かなにかに囚われていたのか判らないが、案外普通に動けるし、とても元気とまでは行かないが、家出当時より元気である。

 

 少し、ここを探索することにした。

 

 

 まずはこの部屋を出る。裸足では歩き慣れているから大丈夫。むしろ少し冷たくて心地いい。

 右に壁、左に通路。勿論左に通る。

 左側にもう3部屋くらいあったようだ。

 その3部屋の前を突っ切るように、あくまでゆっくり、歩いていく。

 

 あっ、ちょっと広めの広間。自動販売機とかもある。

 さすがに自動販売機くらいは知っている。辞書に載ってた。

 そこには、一人の人が、寛ぐように落ち着くように座っていた。

 

「? あぁ、ウマ娘か。こんにちは、何か用かな?」

 

 その男性は、私の方向に振り向くなり挨拶をし、──そして脚を厭らしい手付きで触ってきた。

 

「んー、良いトモだ。少し筋肉は未発達だが、これは将来有望株だ……」

 

「あの……蹴ってもいいですか……?」

 

 愛でるように触れられたのは初めて。今直ぐにでも蹴ってやりたい、嫌悪とも取れる微妙な感情。

 

「? あ、失礼……つい癖で……実は俺、トレーナーをやっててな、ウマ娘のスカウトをする癖がどうしても出来るんだ。──そうだ、君、トレセン学園には入学してるのか?」

 

 厭らしい手付きは終わって、さっき居た位置に戻ってはくれたが、その代わりに厭らしい目つきを贈呈された。

 というか。

 トレセン学園って、なんだ? 

 

「トレセン学園……?」

 

「ここだぞ」

 

「ここ…………?」

 

「……まさかトレセン学園を知らないウマ娘が居るとは、びっくりだ」

 

「あ、すいません……。」

 

「あ、いや、謝るものじゃない、ただびっくりしただけだ。トレセン学園の説明は要るか?」

 

「あっ、はい。一応お願いします。」

 

「トレセン学園──まあ、ここは中央トレセン学園なんだが、この中央トレセン学園は、ウマ娘のトレーニングセンターだ。トレセン学園に入学したウマ娘は、トレーナーと契約する権利が得られる。そして、トレーナーと契約をすると、レースに優先的に出場出来る権利が得られる。ここのウマ娘は皆、トレーニングをし、勉強をし、レースをする。そのサポーターがトレーナー、つまり俺たちってことだな。でもって、ここは"中央"だ。簡潔に言うと、優れたウマ娘たちが夢を目指して受験して、受かったのがその中の優れたウマ娘たちの中の優れたウマ娘たちの中の優れたウマ娘たち……あれ、何回言った? ──まあそれが、中央トレセン学園の生徒ってわけだ。あと、他には──あ、そうだ。トレセン学園は寮がたくさんあってだな、ウマ娘の寮である栗東寮と美浦寮、普通の学園として機能してる……あれ、あそこどういう呼び名なんだ……? ……まあそれはいいとして。トレーナーの寮兼その他諸々であるここトレーナー寮。主にこのくらい」

 

「なるほど……では何故私はトレーナー寮に……?」

 

「さあ、体の状況から考えると、多分運び込まれてきたんだろ? ここに」

 

「そうなんですかね?」

 

「多分な。説明の続きは要るか?」

 

「あっはい、お願いします。」

 

「勿論、ウマ娘の上澄みの上澄みしか居ないということは、トレーナーも上澄みの上澄みしか居ないってことだ。自分で言うのも何なんだが、俺たちは世間一般で言う"化物一流トレーナーズ"だ。それによって、ウマ娘は自分の走力がみるみる上がるのを体感できて、どんどん"速いウマ娘"になるわけだ。あーっと、もう話すことがないな……。そうだな……。あっ、そうだ。食堂はウマ娘は基本無料だ。好きなだけ食べて、好きなだけ育て、ということだろう。まあ、トレーナーが食堂を利用すると高いんだがな。こんな感じだ。なにか質問はあるか?」

 

「いえ、特には……。というか、何故私に説明をしてくれたのですか? こんな見ず知らずのウマ娘に。」

 

「それは……俺がトレーナー、だからだな。俺はお前のトモを見て、触って、是非俺のチームに入って欲しいからだ。──というか、トレセン学園に、この中央トレセン学園に入学してほしいんだ。金でも何でも補助はする、困ったことがあったら何時どんな時でも聞いてくれて構わない。だから……かな。」

 

「……勉学面はどうするんです? 私、頭良くないですけど……」

 

「その面も任せろ。実はな、理事長と面接して、能力を認められれば入学できるんだ。トレーナーの紹介でのみ、な」

 

「そうなんですか。なら……「やってくれるのか!?」

 

 一目見ただけで解る、必死で興奮した様子。

 私はその気迫に押された。

 

「は、はい……」

 

「ありがとう! もしよければだが、俺のチームに……いや、早かったな。とりあえず、ありがとう。君みたいな才能の塊、放っておけなかったんだ」

 

 才能の塊? そんなはずがない。前だって、すぐ失速した。

 

 ……いや、でも。ここは、初めて持った()に縋っても。

 

「……ありがとう、ございます。頑張って……みます。」

 

「おう! そうか。俺も、頑張るから、君の夢を追ってやるから」

 

「……はい。」

 

 この時、初めて『きもち』を体感した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というか、お前、名前は?」

 

「ないです。」

 

「……? ない……?」

 

「わからないし、多分無いです。」

 

「なるほど……もう一つ質問良いか?」

 

「はい。」

 

「誰にここにつれてこられたんだ?」

 

「マルゼンスキーさんです。」

 

「怪我した時間は?」

 

「午前3時くらいです。」

 

「マルゼンスキーはなんで深夜3時に外にいたんだ……?」

 

「わかりません。」

 

「……そうか、ありがとな、……名前無いって結構辛いな、こういう時呼べねえ」

 

「はい……。」

 

 このトレーナーとは、仲良くなったのだろうか。親しくなったのだろうか。それだけで心強い。この意味不明な状況下で味方がひとりでも居れば──

 

 

 そうだ。味方。このトレーナーが"味方"である確固たる証拠は無い。

 ……いつから、味方だと錯覚していたのだろう。

 

 

 ──計り知れないなにかが背筋から脳髄へと走り駆ける。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめの序章③

 瞬間、私の脳が事実の拒否を求めるように、無作為に駆け出す。

 

 ──もしあの人間が仲間でなかったら──? 

 ──もしあの人間が私を陥れようとしていたら──? 

 ──もし──。

 

 今までの全てが一気に空っぽのペットボトルに段々注がれていく様に、真っ白のスケッチブックに描かれていく様に描写される。

 

 ──この世は疑ってから何かが始まる。全てを疑い、全ての常識を取っ払い、全ての物事を『無色』として認識して、初めて世界が始まるのだ。その後に、事実という色を無色のパレットに塗りたくり、透明な世界に初めて筆を下ろして、『価値観』やら『自分目線』やら『存在意義』やら『感情』が生まれる。

 そして、どうやら私は『無色である』と錯覚していたらしい。

 私が『無色である』と錯覚できるのも、今考えると透明な世界に筆を下ろした後だからだろう。勿論、無色である必要性は無い。寧ろ、有色の方が『個性的』として一般的に優遇され易いし、コミュニケーション能力や行動力も無限大に広がっていく。──いやまあ、無限大ではないのだが──兎も角、其れに対し無色は、それと言った特徴も、それと言った成長もない。強いて言えば自分自身の心の中の思考が著しく成長する位だ。

 そして今、私は自分自身の心の中の生意気な思考が全てのステータスを覆っている状況であり、その『今まで培ってきた要らないもの』を廃棄でもしないと、これ以上思考の成長はしない。

 ……つまり端的に言うと、『おこさまのまま』ということだ。

 結局、この世に無色と自覚する者は居ないのだ。

『無色である』と自称する者は居れど、実際に『無色である』と自覚して、無色であるケースは存在しない。

 

 そして、私もそうだった。

 今は『無色でない』事を自覚した。

 少し前までは『無色である』と錯覚していた。

 そして、それより前──家出を決意しようとする前までは、私は本当に『無色』だった。

 

 そして今。私は『無色でない』と自覚し、『無色である』ように考えることにした。全てをひとつひとつ丁寧に透明な画用紙で考えるように考えると。

 

 ──────そう決意した。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「すいません……本当に。」

 

「いやいや、別に俺には何もなかったし、大丈夫だぜ。それより、なにかあったのか?」

 

「いえ……はい、まあ……少し決意したくらいです。」

 

「いつでも気軽に相談しろよ、俺はいつでも"お前の味方"だからな」

 

 最も、私が欲していた答え。最も、私が求めていた答え。それが今導き出された。

 彼は、この人間は。私の"味方"なんだ。

 この瞬間、心に一つ、大きな柱がそびえ立つようにして立った気がした。

 この柱は途轍もなく大きく、太く、頼もしい。

 

「寄りかかっても良いのかもしれない……な……」

 

 と思う程頼もしく、そして大きい背中であった。私は初めて、この場で『きもち』の次に『よりかかる』という事を覚えたのだ。

 "ゼロ"から"イチ"へと移行するのには途轍もない大きさの『何か』が必要になる。例えば立つ──四足歩行から二足歩行へ移行することだったら、身体の成長という途轍もない大きさの事実に拠って発生するイベントだ。

 もう一つ例えるとするのならば、走る事。最初までは、走る機会が一度も無かった───というか、走ろうともしなかった───のだが、成長していくにつれて、()()として自然と、息をするように走りたくなる。だが、その心情は鎖で縛り付けられた。『本能であろうがなんであろうが、全て理性で一掃出来る。』とどこかの誰かが、言葉で鎖を巻きつけるように言っていたが、その束縛を解き放ったのは今の私。紛れもない、本能が勝った私。彼奴の事なんて知ったものか、少なくとも今は声すら聞きたくない。今すぐにでも忘れ去って頂きたい記憶だ。味方じゃない。"敵"。

 

「というか、君はこれからなにするんだ?」

 

「いえ……特に何もすることないです。」

 

「うーむ……じゃあ、付いてくるか? ──実はトレーナーってな、兼業じゃない限り午前は基本暇なんだ……」

 

 この学園について大きく知れるチャンス。勿論逃さない手はない。

 心配などはない。彼は『こころのよりどころ』なのだから。

 

「迷惑にならないのであれば……。」

 

「よし、なら行こうか!」

 

 満面の笑みも満面の笑み。

 ……相当暇なんだろうな、この人。

 

「……あ、というか服……か」

 

「私はどんな姿でもどうでもいいのですが。」

 

「その物言いはどうなんだ? ……んまぁ、俺のシャツでも着るか?」

 

「おまかせします。」

 

「じゃ、決定で。取ってくるから、待ってろよ!」

 

「はい。」

 

 さて暇だ。何をするか……────

 

 

 ──────

 ──────

 

 

 あの小柄でやけに変なオーラを纏っているウマ娘。身長は……タマモクロスとかくらい……か? 

 マンハッタンカフェと似ていると感じてしまったが──同じ黒色に見える毛色であること、不思議ちゃんオーラを凄まじく出しまくっている所だけ似ているのであり、何処か、マンハッタンカフェとは違う。絶対的に違うところがある。どう形容すれば良いのだろうか───マンハッタンカフェは、"何か"を見つめているが、あのウマ娘は、"何も"見つめていないような──。

 ううむ、どうも、気になるな。

 

 ──そうそう、アイツの服。

 廊下から程近い、自室というある程度整理整頓されたダンボールとその他は特になにもない所に入って、彼女に着せられる服をーとクローゼットを開けてみたのはいいけれども……あるのはいつものセットだけ。種類なんてない。ガラッガラのクローゼットの中にはほんとそれしかない。

 

 ふと、ダンボールに目をやる。

 

「あっ、ダンボールの中ならあるかもな……」

 

 ある程度整理整頓された段ボールの中身を漁る。

 中にあるのは、昔のアルバム──懐かしいな、これ。新人も新人、研修時代のものだ。隣に居るのは──おハナさん? おハナさんかこれ? ──目を疑うほど綺麗な女性が立っていた。灰色のスーツに、やや目立つ白色の眼鏡。『もうこの時点でオーラが違うな、おハナさんは』と、つい思ってしまった。

 

「って、こんな事してる場合じゃねえ、服だ服」

 

 つい本来の目的を忘れていた。あのウマ娘に着せられる服を探すんだった。

 アルバムをクローゼットの中に丁寧に仕舞い込んで、再びダンボールの中を漁る。

 

「おっ、あったあった」

 

 真っ白の長袖Yシャツとグレーのパンツ、そして昔使っていたベルト。どれも埃一つ被っていない。相当想い入れがあって、大切にダンボールの中に密閉したのだろう。

 ダンボールを少し片付けて、これらを持って部屋を出る。

 

 ──ん、ちょっと待てよ。あのウマ娘の体格と俺の体格……40cmくらい違くねえか? ……まあ、これしかないし、彼女の体格を考えても仕方がない。とりあえず渡そう。

 

 

 ──────

 ──────

 

 

 聞いたことのある乾いた足音。

 服を持ったあの人が、少し何かを懐かしむような瞳で帰って来た。

 

「はい、これ」

 

 手渡されたのは一回りも二回りも大きいYシャツと同じく途轍もなく大きいグレーのパンツ。あとベルト。

 

「あの……サイズ合ってなさすぎじゃないですか……?」

 

 これを着ろ、と。

 まあ確かに、この人は身体が大きい。仕方がないのだろうが、それにしても大きすぎる。アリに犬小屋を与えるようなものでは……? 

 

「別のはなかったんですか……。」

 

「これくらいしかマトモなのがなかったんだ……」

 

「まあ、分かりました……着ますので。」

 

 羽織っているトレセン学園の病衣をすらっと脱いで、とても大きいYシャツとズボンを着ようとする。

 

「少しは恥じらいを持てよ……」

 

 何故か目を隠したこの人が恥ずかしそうにしながらそっぽを向く。

 

「……?」

 

「いやあのなぁ、こんな一歩間違えたら他の人に見られまくる場所でなぁ……」

 

「あー、なるほど。」

 

 理解した。あの人は、私の身体が他の知らない人間に見られるのを案じて私に言っているわけだ。

 まあ別に、別に私は他人に自分の体を見られようがどうでもいいんだけれども……この人がそう言うのであれば仕方があるまい。

 

「わかりました。どこで着替えればいいでしょうか。」

 

「あー、もういいよ、さっさと着てしまおう」

 

 どうやらこの質問は遅かったようだ。

 まずはYシャツから。──暖かい感じがする。包容されるような、そんな暖かい感じ。真っ白で皺一つ無い綺麗なシャツ。──私なんかが着ていいのかな。と考えてしまったが……この人が渡してくれた服。きっと私がこのシャツに適応するさ。というか、してみせる。

 羽織った後はボタンを丁寧に一つずつ掛けて、次はパンツ。

 Yシャツと同じ暖かさを感じて、するっと足に入れていく。最後にベルトをしたら完成。

 

「着ました。」

 

「おう、って想像以上にブカブカだな……」

 

「……。」

 

「……まあとりあえず袖から手が出るようにちょっとだけ捲ろうか……」

 

「はい……。」

 

 袖がいい感じに捲られる。が、すぐ戻ってくる。

 この作業を3回くらい繰り返した。

 

「すまんが、このままでいいか……?」

 

「これは仕方ないですね……。」

 

「じゃあ、外出るか」

 

「はい、付いて行きます。」

 

 初めてのエレベーターに乗った。

 

「便利ですね、これ。」

 

「だな。というか、その口ぶりから察するにエレベーター乗ったことなかったのか?」

 

「ええ、はい……。」  

 

「そうか。なら使い方も……」

 

「あ、大体わかったので大丈夫です。」

 

「おう」

 

 ──────そして、玄関に着いた。とても広く、そして整備され、きれいな場所だ。

 

「靴はあるか?」

 

「いらないです。」

 

 私は裸足に慣れている。別に靴がなくとも歩けるし、走ることだって出来た。だから、不要だ。

 

「いらない……? 足裏は痛くないのか?」

 

「慣れてるので……。」

 

「慣れてる……? とりあえず、靴はちゃんと履こうな」

 

「何を履けば。」

 

 靴を履くのは別に構わないが、抑履く靴がない。どうしろと……。

 

「じゃあレンタルのトレーニングシューズでも履くか?」

 

 靴なら何でもいいと思うが……トレーニングシューズ? 重くないだろうか、それ。

 

「わかりました。」

 

「じゃあそこにあるの一個取って履きな」

 

 やけに綺麗な下駄箱から、白と赤のシューズを取る。相当整備が成されているのだろう、新品と遜色ないほどに綺麗で、傷も殆ど目立たない。──いや、もしかしたら本当に新品なのかもしれない。此処に入学しているウマ娘たちは全員マイシューズをいくつか常備していてもおかしくはなさそうだし、そもそもここトレーナー寮だし。

 ──何故トレーナー寮にこのシューズが……? ウマ娘のトレーナーが居て、そのトレーナーが偶々『走りたい』という時にレンタルする、もしくは軽い怪我から復帰したウマ娘が『早く走りたい』と使う──くらいしか正当な理由が考えられない。

 まあだが、本当にありえるのかもしれないな。

 

 というか……

「重っ……。」

 

 今まで靴から感じたことのない、金属のような重厚感。靴を持つ機会が無かったというのもあるが、それにしても重い。──スリッパしか持ったことがないというのもありそうだが。

 

「あー、蹄鉄付いてるの忘れてた。まいっか、それ履けるか?」

 

「ええ、はい、わかりました。……ところで蹄鉄ってなんですか? なんのために付いてるんですか?」

 

「えっ、あー……そうだな、蹄鉄がある理由か。簡単に言うと、足と靴を守るため、だな。ウマ娘の脚の力で靴だけを介して走ってるとすぐ靴が潰れるんだ──蹄鉄付きでも潰すやつは潰すんだが──それを補強して、足の損傷も減らすのが蹄鉄の役割だな。ウマ娘が走るための靴に標準装備されてるものと思ってもらったらいいぞ」

 

「なるほど、ありがとうございます。」

 

「いいってことよ」

 

 私は別に裸足で走ってても足の損傷は感じなかったが……日常的にずっと走る、此処に入学しているウマ娘たちは損傷もひどくなるのだろう。

 

 この重い靴を履く。靴の中は最初こそ窮屈だったが、ずしりと、脚を上げる度に馴染んでいく。自分の足を覚えていく。此のシューズがあったのが当たり前かのように。

 

「これ、馴染みますね。履き心地いいです。」

 

「そうか、それはよかったな。折角だし、コースの所まで行ったら走るか?」

 

「……その時決めます。」

 

「おう、わかった」

 

 今の脚の調子なら、シューズが足に馴染んでいるおかげか飛ぶように走れそうだが、こけるのはもう勘弁だ。あの時はアドレナリンが出ていたのか知らないが、今考えると痛々しい光景。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 ────────太陽が私達を燦々と照りつけている。

 

「眩しっ……。」

 

「確かに、今気づいたけど今日は一段と天気がいいな。絶好の良バ場だ。……誰も居ないなあ。まあ今の時間ほとんど教室とかだろうから仕方はなさそうだけどな」

 

「そうですね、誰も居ない。」

 

 本当に誰も居ない。広い広場を静寂が包んでいる。──そして何処か、温もりを感じる。何と言えば良いのか解らない、温もり。心の奥底からの温もり。そこに静寂が加わって、まさに"天国"のような空間。──静寂はたまに教室があるであろう方向から聞こえる物騒な物音によって壊されるが……。

 

「まずこれが三女神像だな。待ち合わせ場所になったりするから便利だぞ。場所は覚えておいて損はないと思うぞ。学園内は……ウマ娘が大量に居るから最後にするか」

 

「わかりました。」

 

 …………三女神像、か。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「これが練習コース……ですか。」

 

「そうだな、芝にダート、ウッドチップに坂路……まあいっぱいあるぞ、誰も居ないし走ってくか?」

 

「……そうですね。走りたいです。が……そもそも私ここのウマ娘じゃないんですけど。」

 

「それは大丈夫だ、俺が居る」

 

「そしてもう一つの問題が。この服で走れないんですけど……。」

 

 今の私の服装はぶかぶかのYシャツにパンツ。とても走れたものじゃない。5秒でこける。

 

「あっ、たしかに……どうしようか。……いや、もしかしたらあるかもしれないぞ」

 

「え、どこにですか?」

 

「俺のチームの部屋。」

 

「……? それってつまり、私は貴方のチームのウマ娘のトレーニング用の服を着るってことですか?」

 

「あいや、普通に新品の買い溜めてたやつだな……あー、でも一番小さいのでテイオーのか……。すまん、もしかしたらちょっと大きいかもしれん」

 

「それでもこれよりかはいいので……。」

 

「じゃあ俺は取りに行くけど……付いてくるか?」

 

「はい。」

 

 ここに居ても暇なだけだ。ついていくことにした。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「ついたぞ、ここだ」

 

 指を指されたのは小さな物置小屋のような建物。

 

「これがチームの部屋ですか……?」

 

「うん、そうだ」

 

「なんか……なんというか……しょぼいですね」

 

「ド直球だな! まあ事実だから何も言えないんだがな……。さ、入るぞ」

 

 ドアが手慣れた手付きで開かれる。

 部屋の中は、8つくらいのロッカー、ホワイトボード、テレビ、ダンボール、あとその他諸々。

 

「……その"テイオー"さん用のトレーニング用の服は何処に……?」

 

 多分、ダンボールの中だろうが──。

 

「なんでウチのテイオーの名前を……?」

 

「そんな神妙を体現したような声色で言われても、さっき口にしてたじゃないですか。」

 

「マジか、なんかちょっと恥ずいな」

 

 照れくさそうに頭を掻く。無意識下で自分の担当ウマ娘の名前が出るということは、担当ウマ娘への相当な愛があるのだろう。

 

「確かトレーニング用のジャージとかそういうのはダンボールにまとめてたはず……待っててな」

 

「はい。」

 

 ここの部屋のチームのトレーナーがダンボールの中身を漁り出す。───本当はただ私に貸す服を探しているだけなのだが───その姿は何処からどう見ても不審者。なんか、こう、もっとどうにかならないのだろうか、この人は。

 

「うし、あったあった。ほい、これ」

 

 手渡されたのは赤と白のコントラストが目立つジャージ上下一式。

 私がいざ「着替えよう」と服を脱ぎにかかったら──

 

「ということで俺は外出とくから、着替え終わったら出てこいよー」

 

 ──と足早に部屋を出ていった。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 着替え終わった。案外少しぶかっとしていたほうが着心地がよく、偶に吹く風が服の中に入ってくる感覚が心地よい。

 さっきまで着ていた服をささっと畳んで、ドアを開ける。

 

「お、着替え終わったか。案外フィットしてるな、ブカブカだけど」

 

「わかってます、でも案外これも心地良いです。」

 

「ん、そうか、じゃあコース行くか」

 

「はい。」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 初めての芝、初めての太陽の下での走行。少し心を躍らせ、準備運動を済ませる。

 

「じゃあ、スタートは俺が切るから、──ゴールはどこにする?」

 

「どこでもいいです、スタミナが無いので短めで。」

 

「じゃあ800mあたりでどうだ?」

 

「わかりました。」

 

「何も言わないから、自由に走りな」

 

「はい。」

 

 芝の方へ小走りで向かう。というか、小走りになってしまっている。本能としてなのだろうか、それともただ私が望んでいるだけなのだろうか。身体がどんどん熱くなっていって、集中力が増す。

 ──スタート地点に着いた。スタートの態勢を取って、あの人に合図を送る。

 

(私は準備完了です)

 

(よし、わかった。)

 

 

 

 手が振り上げられる。それと同時に一人のウマ娘が走り駆けてゆく。そのウマ娘は、自由で、そして決意を感じる走りぶりである。

(──靴で走る、芝で走る、太陽の下で走る。これらはどれも私の初めての挑戦。『"ゼロ"から"イチ"へと移行するのには途轍もない大きさの『何か』が必要になる。』この言葉は改めて思い返しても正しい。私は、あの人のおかげで3つもの"初めて"を経験した。そう──だから、私にはあの人の存在が必要不可欠であったのだ。)

 

 真っ先に飛び込んでくるのはコーナーである。

 

 これまた初めてのコーナー。本能的に内を取り、速度を高めて、早く、速く駆け抜ける。そこに競争相手が居なくとも、そこに何もなくとも、本能のままに。

(速い。)

 本能に身を任せて、加速に加速を重ねていく。

(脚の衝撃なんかなくなった。今あるのはふわっと空高く飛ぶ感覚。まるで夢見心地。走ることに恍惚となりそうになる。それほど魅力的。──本能に従うことは、ここまでの快楽を生み、ウマ娘を感動させるのだと、今知った。)

 

 駆ける、翔ける。

 

 二つ目のコーナーも一つ目と同じ様に曲がっていく。

 

(──800mを知らせるあの人が見えた。)

 減速を知らないかのような走りぶり。脳のリソースを全て加速することに割いているかのような走りぶり。800mはもうすぐそこなのに。

 

(幾らでも走っていられる、そう感じる。800mを超えて、どんどん先へ。本能を消化するために──? 脳に快楽物質をより出させるために──? 『理性で抑制』する必要なんて無いんだ。もう自由なんだ。)

 

 その瞬間、世界が『無彩色(アクロマティック カラー)』になる。そしてそこに、風景が、心情("きもち")が、光が。"色"が描かれていく。私が走る度に、世界が彩られていく。そして私も、世界に彩られていく。身体でインクを延ばすかのように、自分ごと、全てを巻き込んで彩られる──。

 そこはまるで自由を体現したかのような空間だった。綺麗で、それでいて儚い。眩しいような空間。"私の世界"────。

 

 

 

 

 だが、現実的にいつまでも走っていられる訳ではない。始まりがあれば、終わりもある。

 

 

 

 自由なまま、自由な状態で、自由に。

 空高く昇るかのように、暖かく、朧気な──



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめの序章④

「ん? あのブラックウマ娘なんか倒れてね? というかあれトレーナーじゃね? 何やってんの? まいっかぁ……」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「大丈夫か!!」

 

 咄嗟に出た一言と、彼女の元へ走り出す脚。

 

 別に人間はこけても大したことはない。だが、ウマ娘は違う。ただでさえ脆いガラスのような脚を酷使して、自動車を優に超える速度を叩き出すのだ。幾ら人間より頑丈な身体をしているとは言え、自動車を優に超える速度で地面と激突すれば大怪我は間違いなし。

 しかも、あのウマ娘は"加速中"だった。進む予定だったのだ。そんな無防備な状態で途轍もない速度で地面に全身を擦り合わせ、無事でいるケースなんか存在しない。するはずがない。

 

「大丈夫か! とりあえず応急処置を……」

 

 身体を仰向けにして、救急箱を取りに行って、救急隊を呼んで…………そんな事を考えてる暇もない。いち早く、真っ先に、あのウマ娘を助け出さねば。

 

「もしもし、芝外側、青毛のウマ娘が大怪我を負いました! お願いします!」

 

「お名前は」

 

沖野です、よろしくおねがいします!!」

 

 焦れ。焦るんだ。

 自分の全てを振り絞り、彼女を助けるんだ。あんな逸材、失いたくない。トレーナーとしても、俺としても! 

 

 救急箱が置かれた場所に行き、すぐさま取る。

 そして、今まで出したこともないようなスピードで戻る。

 ──必死だった。彼女の事しか考えられなかった。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「今包帯巻くからな、消毒痛いかもしれんが我慢してくれ…………!」

 

 消毒液を染み込ませた布を迅速に用意して、彼女の繊細な身体に布を当てていく。

 ──痺れるようで、狂うほど痛いだろうか。罪悪感を抱きつつ、ゆっくりと、痛くないように。

 全身の消毒が完了したあたりで、救急隊の人たちが来てくれた。

 完璧なチームワークで、彼女が運ばれていく。

 

「良かった……」

 

 ほっ、と胸を撫で下ろした。彼女はピンピンしているわけないが、息は全然あったし、そこまでの大怪我にはならなさそうだ。

 

 

 ──────────

 ──────────

 

 

 浮いたような、心地よい感覚。朧気で、暖かく、自由。

 

 ──私は世界に色を塗った。心の中の筆が、色を塗るべき場所へと導いていった。心の中のパレットが、塗るべき色を筆に付けた。息をするように自然に出来る行為であったがために、それが私の性なのだと自然に受け入れてしまったのだ。

 新しいものを創り出す度、私によって世界に色が塗られていく。形容し難い、美しい感覚。世界を観るかのような神秘さ。もう一度観て、そして感じて、色を塗りたい。私はそう感じた。

 私の夢。夢──

 

(新たなる世界を創造する。そして、私の色を作る。)

 

(私の手で彩色(Coloring)するんだ。私の新しい世界(My New Worlds)を、私の新しい色(My New Color)で。)

 

 

 元々ある色なんて要らない。色相環なんてものは必要ない。私の感覚のまま、私の彩度と明度で、脳内で創った色を塗るんだ。

 そもそも、最初から有彩色(クロマティック カラー)の世界なんて存在しない。無彩色(アクロマティック カラー)の世界を創って、そこから色を塗るんだ。

 

 

 無彩色(アクロマティック カラー)から世界は始まる。

 (アクロマ)から私の世界は始まるんだ。

 ──始めるんだ。

 

 

 そう"決意"した瞬間、溢れる声。三人から、同時に同じことを囁かれる。

 

()()()()。それが貴女の名前ですか。全ての色を創造する要素。色のない、全てを透き通す"無"から創り出す。そんな、良い名前ですね。』

 

 美しく、全てを見透かすような声色。神様のようなオーラ。光の、更にその先のような。

 

『──さあ、アクロマ。お眠りなさい。貴女の目覚めを待つ人が居ます。』

 

 瞬間、意識が飛んで──いつもの感覚になる。

 

 

 

 

 

 そして、ぱちり、と目を開ける。

 

「お、起きたか! 大丈夫か? どこか痛みはないか?」

 

 起きた直後に質問。さっきの夢も相まって、色々と情報量が多い。

 ──まあ、ちょっと怪我してるのに痛まないわけがないだろう、というツッコミはさておき、

 

「全然大丈夫です、何故か包帯巻きにされていること以外は。」

 

「いやだってそりゃお前……あんな速度で頭からターフに突っ込んだらそりゃ……」

 

 ……頭から突っ込んだ? 

 怪我をしたのは大体分かっては居たが、まさかあの時、またこけていたのか……? 

 

 どうやら私は相当こけることが多いようだ。走っている回数が少ないのも起因の一つだろうが、多分大まかな原因は『加速に身体が追いついていない』事。加速だけが先走って、するりと頭から落ちて行ってしまう。

 それに拠って今、二日連続、二回目のこけを経験したわけだ。

 全く、困ったものだ。どうしろと。

 

「またこけたんですか……。」

 

「ズザザーッとな」

 

 そこまでの勢いでなんで私はピンピンしてるのか……。

 

「なんで私生きてるんですか、そんな勢いで芝に突っ込んで。」

 

「さあ……? お前の身体が特別頑丈だったんじゃねえかな」

 

「そうですか、ならよかったです。」

 

 そういえば、名前。

 私の名前は"アクロマ"だ。"アクロマ"だったのだ。

 その事実を聞いた直後、魂に自分の名前が彫り込まれて、自分の名前が昔からこれであったかのような感覚がしたのだ。それから私が"アクロマ"であると息をするように解ったし、"アクロマ"でないと思えなくなった。

 ──その事実を伝えよう。

 

「あの……一つ伝えたいことが。」

 

「ん、なんだ」

 

「私の名前はアクロマです。」

 

「……名前隠してたのか?」

 

「いえ、今思い付きました。今考えました。少し話をします。──実はあそこで走っている時、幻覚を見たんです。世界が無彩色になって、それからそこに色が塗られていく幻覚でした。その色と世界は私の心情であったり、目に入る光であったり、感じた風景であったりしたんです。そして、それらに色を加えていくと同時に私も彩られていくんです。私自身で世界に色を塗るようで、全て全てが、無彩色から有彩色になっていくんです。──その世界は、私の"自由"のような、綺麗で、儚く、眩しい、私の求めた"私の世界"だったんです。新しい物を想像して創作する度に、世界がいくつも創られて、それらが、私によってどんどん色が塗られていくようで。そのとき、私の本能であると思われるものが私の脚を支配していました。そして、想像して創作して、その創作物を彩る事が私の本能なのかな、とも思いました。……あとついでに、想像して創作して、彩っていくと同時に現実の方では信じられないくらい加速していました。私の本能と本能がリンクしていたんです。……だから、私の夢は、性は『走って、想像して創作した作品を彩る』ことなんじゃないかな、と思うんです。──想像して創作した作品は、私が色を塗らない限り無彩色なままなんです。そして、"アクロマ"は、無彩色という意味です。そして、無彩色は、私の世界の始まりです。だから、"アクロマ"という名前は、私の世界の始まり、つまり"私"を意味すると思ったので、"アクロマ"を私の名前にしました。」

 

「なるほど、それでな……うーむ……色々気になることがあるんだが、いくつか質問良いか?」

 

「はい。」

 

「お前──アクロマは"領域"って知ってるか?」

 

「……? いえ。」

 

「なら説明するな? "領域"っていうのはだな、ほんの極僅かなウマ娘たちが、何百回も走って、やっと体現化する、まあ謂わば特殊能力だな。んで、その特殊能力の中でも、『周囲のウマ娘たちに影響を与える』タイプと『自分自身にしか視えないタイプ』があるんだ。周囲に影響を与える領域の有名所だと、シンボリルドルフの領域だな。受けたウマ娘曰く、とにかく威圧感がすごかったそうだ。白い神殿? に雷を纏ったシンボリルドルフが居て、そのシンボリルドルフが皇帝の座の前に着くなりなんなり纏った雷を全て放出する──ようなイメージだそうだ。自分自身にしか視えない領域の有名所だと────んー……すまん、思いつかん。マルゼンスキーとかオグリキャップとかそこあたりがそうじゃないか、と噂はされているんだが……生憎本人たちしかわからないことだから話を聞いたことがなくてな、詳しくはわからないんだ」

 

「マルゼンスキーさんが……というか、貴方でも解らないことってあるんですね」

 

「んまあ、全知全能じゃないからな……。んで、多分だが、アクロマのその現象も、多分"領域"によるものだ。序盤とは見違えるほど速度が上がってた事実と、アクロマの言ってることを合わせると、"領域"に酷似してるんだ。何か、その幻覚を見た時にしたことはあるか?」

 

「えーと…………わからないです。強いて言えば、自分自身で彩色したい、創作したい、と心の底から思っていたことですかね?」

 

「うーん……要件が抽象的だな……」

 

 本当に、それくらいしかしていない。

 なぜ、その"領域"とやらが私に発現したのかがわからない。私がその"極僅かのウマ娘たちが何百回も走ってやっと体現するもの"を私が無意識下で自然と使えたのか。

 

「もしかして……その要件が、自然的に使えるものだったらどうなるんです?」

 

「本人が自覚して、移行しようとしない限り"領域"は開かれない……はずだ」

 

「はず……。」

 

 曖昧だ。言い分から察するにこの人自身もあまり良く解っていないのだろう。一番早く解決する方法は、その"シンボリルドルフ"さんに尋ねることだろうが……抑まだここの生徒じゃないから尋ねようにも尋ねられない。

 

「というか、此処ってもしかしてトレーナー寮ですか?」

 

「よくわかったな」

 

「見たことある純白(しろ)い天井だったので……。」

 

「ああ、なるほどな」

 

 ……静寂がこの個室を包む。鳥の鳴き声、透き通った景色、それとこの人。

 ────もしかして、今朝と同じ様に動けるのではないか? 

 

「あの、一回身体動かそうとしてみていいですか?」

 

「ん……俺的にはやめといて欲しいが、まあ好きにしろな」

 

「ありがとうございます。」

 

 一歩間違えたら肉が食い込む、と言った感じの本当に丁度いい締め具合の包帯を緩め、身体を動かそうと藻掻いてみる。

 …………ほら、動いた。

 

「動いた……? えぐいな、お前の回復力」

 

「今朝もそうでした。」

 

「鋼の意思ならぬ鋼の肉体だな」

 

「そうですね、何故私もここまで怪我しないのか不思議です。」

 

「…………じゃ、俺はそろそろ理事長に面接して貰えないか、頼みに行ってくるわ、元気でな」

 

「はい。」

 

 ……暇になった。ひとりで校内探索……か。

 もし変な目で見られても、あの人がいるから大丈夫だろうし、外に出てみるかぁ。

 

 うんしょ、と腰を上げる。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 また三女神像の所だ。

 少し前も感じた心の奥底からの温もり。そして何処か、既視感がある。オーラと言うか、雰囲気というか。あの夢の中の感じととにかく似ている。

 

『また、来てくださったのですね、アクロマ。』

 

 ……今のは絶対聞こえた。夢の中の声。あの響き渡る声。絶対に忘れられない声。

 

『困惑しているようですね、先ずは自己紹介をしますね……。私達は三女神です。』

 

「は……?」

 

『勿論困惑するでしょう。ですが、事実です。私達三女神は一部のウマ娘たちが近場に来てくれた時に意思疎通が出来るんです。そしてその中の一部のウマ娘たちに関しては、テレパシーというものでしょうか、を使うことが出来るのです。──まあ、こちらが送信しないと使えないんですけれど──まあ、端的に言うと、貴女は選ばれたんです。この世界に、この場所に、私達に。だから──頑張ってください。それだけです』

 

「それだけ……? まあ、はい、うん、はあ……」

 

『今後も此処を訪れると良いでしょう。私達は貴女に何時でもアドバイスを贈ります』

 

「はあ……」

 

 何だったんだあの声は。

 ──でも、何処か信憑性がある。私の名前も知っていたし、声質も、暖かさも似ていた。唯一違うのは、私の状態だけ。

 ──まあ、今後もちょびちょび寄るのはいいのかもしれないな。

 

『それはありがとうございます、実は私暇なんです。監視の仕事もあるんですけど、それってテレパシーみたいなのを通じてできちゃって……』

 

 そんな事情があったのか。なら尚更寄ろうか。有益な情報も入手しやすそうだし。

 

『ありがとうございます! …………貴女、"領域"についてさっき説明を受けたでしょう? それに関しての情報、私も沢山持っているんですけど……必要ですか?』

 

「え、いいんですか、是非欲しいです」

 

『分かりました、話しますね。……領域は、私達と意思疎通できる一部のウマ娘たちが、条件を満たすと使える能力なんです。その能力はウマ娘それぞれで、例えばルドルフのやつだと、周囲を萎縮させて、周囲の速度を下げて、自分の速度をどんどん上げているように見せかけるんです。それによりあの威圧感が生まれてるというわけなんですね。次にオグリのやつだと……あれは彼女自身しか解らないことなんですけど、心臓の動きを活性化させて、脚に力を溜めて、単純に速度と加速力を高めます。それを発動したときのオグリと言ったら、芝を抉る勢いで走るんです。正に怪物ですよね。──あとは、そう。タマモクロスさん。タマモクロスさんも最近領域の存在に気付いたんです。彼女の能力は……んー……何というか……フォームを少し変えて、新たな加速を得る、って形なんですかね? 領域を開放してるウマ娘にだけ視える領域で、その姿はまるで"白い稲妻"のようだった、と。……まあ、端的に言えばタマモクロスさんのについては未だ解ってないんです。彼女と私、まだ一度もこのように会話したことないですし。』

 

「なるほど……ありがとうございます。」

 

『だから私、タマモクロスさんに対してはさん付けなんですよ? ね、アクロマ♪』

 

 というか、案外おちゃめなところもあるんだな、三女神って。

 

『うそーん』

 

「というか、貴女最初は敬語の如何にも女神女神しい口調だったのに、いきなりラフになりましたね。」

 

『慣れだよ、慣れー。ンンッ、まあ、やろうと思えば何時でもこの口調に治すことは出来るのですが』

 

「そうなんだ……あ、そうだ。三女神さん。私は何処に行けばいいですかね?」

 

『三女でいいよー! えーとね、もういっそウマ娘がいる場所に行ったら?』

 

「わかりました。そうします。」

 

 目的地は校舎内に決定だ。さあ探検と行こう、とした時。

 

「君、ここの生徒? ……じゃないよね、ちょっと来てもらえるかな? というか、来てもらうけど。」

 

「えっ、あっ、あっあ……。」

 

『アクロマちゃん!? ……あらら、連れて行かれちゃった。……これでも逃げないの、律儀だね……』

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「あの、私許可貰ったんですけど……。」

 

「とにかく、座って、ね。そんな部屋の端っこで震えられてたら僕も結構傷ついちゃうから」

 

 震えるに決まっているだろう。いきなり知らない人間に連行されて、今現在事情聴取されようとしているのだ。

 逃げることだって出来るのだが、逃げても結局印象を悪くするだけ。あまり意味はないだろう。

 

「んで、誰に許可貰ったの?」

 

「名前はわからないですけど、ここのトレーナーです。」

 

「名前わからないのか……困ったな、誰か探しようがない。なにか特徴はなかったか?」

 

「出会い頭に私の脚を舐め回してきました。身長はかなり大きいです。黄色と黒の危険な色です。」

 

「ちょびちょび貴女の主観入ってるね……まあ、だいたい見当がついたよ、ありがとう。もう帰っていいよ。……最後くらいは震え収めてほしかったけど……」

 

「じゃ、さようなら。」

 

「愛想ないなぁー……」

 

 あの重苦しい場にいる必要はない。いきなり知らない人間と一対一で話し合うという苦行を乗り越えた私だった。

 

 

「さて、三女神像のところに戻るか……」

 

『三女でいいですよ!』

 

 そう言えばそうだった。テレパシーだ。普通に喋れるんだった……。

 

『そうですよ! やっぱり楽です、これ!』

 

「そうですか……大事な時はうるさくしないでくださいね。」

 

『わかってますよぉ~、レースとかの時は流石に黙ってみておきます』

 

「それならいいです。」

 

『じゃあ、私達は定期見回りしに行くので! またあとで!』

 

「はい……。」

 

 元気溌溂を喋れるようにしたような存在だったな、彼女。

 私とは真反対の、陽の光と言った感じ。

 ──そんなこと考えても意味ないか。

 

 少し小走りで校舎へ向かった。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「あっ、アクロマ。どうしたんだ、校舎まで」

 

「あっ、どうも……ちょっとこっそり探索しようかな、と思いまして」

 

「案外お前もおちゃめなんだな……おっ、顔が赤くなってる。面白いな、アクロマ、お前ってやつは。じゃ、探索、気が済んだら理事長室に行けよ! 即座に面接OK貰ったからよ!」

 

 面接は受けられるんだ。そこで合格するか否かはわからないのだが……。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 ここが教室……おっと、目が合いそうになった。これ以上見るのはやめておこう。

 

 …………

 

「ここが理事長室、か。」

 

 どんな人が来るのか、どんな怖い人が来るのかと、少々怯えながら、ノックをした。

 

「歓迎ッ! 待ちわびていたぞッ!」

 

 やけに覇気がある、豪快で迫真な声。……可愛らしい感じの声だったのは気にしないでおくとして、入って良いのだろうか、と考えている時間無く勝手にドアが開いた。

 そこに居たのは、ゴツゴツとした怖い感じの人でもなく、目つきの怖い感じの人でもなく、栗毛をした華奢で小さな女の子だった。

 あとなんか緑色の大人。

 

「ささ、そこに座るといい!」

 

「は、はい……。」

 

 これから面接が始まるんだ、と空気感で解った。深呼吸を一回して、彼女と対峙する。

 

「面接の準備は出来たか?」

 

「はい、大丈夫です。」

 

「了承ッ! まず、1つ目ッ! 走ることは好きか?」

 

「はい、ですが、私はどちらかと言えば、走ること単体より、走ることで見ることができる世界が好きです。」

 

「ふむ……理解ッ! 2つ目の質問へと移るぞ!」

 

「わかりました。」

 

「学力を大まかに教えてくれッ!」

 

「えーと、何もわかりません。ですが……自分を知ることは、人一倍長けていると自称しています。」

 

「……理解ッ! 最後の質問だッ!」

 

「はい。」

 

「……"領域"というものを知っているか?」

 

「……はい。私は、それを体験したと思います。私は多分ですが、その領域内で世界に色を塗ったんです。心の中の筆が、どんどんと進んでいくんです。そして、心の中のパレットが、色を決めて進んでいくんです。その世界、色、全てを創造していたんです。無彩色で透明を彩って、有彩色で世界を彩ったんです。──それが私の名前の由来にもなったんですけど。」

 

「……ふむ、それは領域か、それとも幻想なのか?」

 

「私が一番最初に抱いたイメージは幻想だったんですけど、後々あの人──あの変態トレーナーに話したら『それは領域だ、だが、条件が抽象的だな』とは言っていました。

 

「理解ッ! 早速だがアクロマ君の合否を発表するッ! ……──勿論、合格だッ!」

 

 その瞬間、理事長の帽子の上に居た猫が鳴いた。

──その音は、私の始まりを示唆するものだったのかもしれない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ
彩色うまむすめ、入学①


「……寮とか服とかはどうするんですか?」

 

「その辺りはたづなに任せるっ!」

 

 理事長の視点が私から緑色の大人へと変わる。どうやら彼女はたづなと言うらしい。

 それにしても緑色だな、すっごく。

 

「え、えぇえ? ……はい、わかりました、手配しておきます。」

「……はい、この学園の色々な説明は私がしますので、30分後くらいに生徒会室までお願いします。シンボリルドルフさんとも話がしたいでしょう?」

 

「はい、わかりました、たづなさん。」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 疑心暗鬼になっていても、表向きではアットホームでないと、もし信頼出来ると確信した時に相手からの印象を塗り替えるのが難しくなる。これを理解せずにツンとした態度をずっと取っていると、一部からは好まれる可能性もあるが、基本的には人望が薄くなっていく。

 それをついさっき理解した私は今さっきアットホームにたづなさんと会話をした訳だ。──会話なのかはさておき。

 

 30分をどう過ごすか。此処を探索し続けるのもいいが……探索は大体終わってしまった。でもこのまま30分を無駄に過ごすわけにもいかないしな……。

 

 そうだ。あの人。あのトレーナーを探そう。あの人は私とすれ違った後、そのまま外に、何か用事があるように出ていった。

 

 とりあえずまずは、外に出よう。

 

「よう! そこのブラックウマ娘!」

 

 だれだこいつ。

 芦毛で背が高い、そしてなんとも……大きい。何がとは言わないが、色々と破壊力がすごい。

 

「誰ですか……?」

 

「おっと、後ろにサツ。やべえぞ、付いてきな!」

 

 この破壊力の権化さんが私を軽々と持ち上げて、若干舐め腐った速さで逃げる。

 後ろからは破壊力さんの躾役であろう人物が。

 

「こらぁーっ! ゴールドシップ! 待ちなさぁーいっ!!」

 

 その瞬間、この破壊力さん──もといゴールドシップがとんでもない変顔をした。舌をだらんと垂らして、目は明日の方向を向かせて、そして口は半開き。そしてしかもその姿をわざと躾役であろう人物に見せつける。

 

「ん゛ん゛ん゛!!! ゴールドシップ!!!!!!!!!!」

 

 躾役、激昂。もう止められないぞ、ゴールドシップ。

 ……というか何故私は担がれているのだろうか? 

 

「お前がアタシに追いつけるわけないだろ~? ホラホラホラホラ~かかってこいよ!」

 

「………スゥーッ。もういいです。助っ人を頼みます。」

「────ゴールドシップが逃走しました。救援頼みます。」

 

「うえ、やっべ。おい、本気で逃げるぞ、黒いの。」

 

 加速がどんどんかかっていく。──あのー、私なんで担がれてるんでしょうか。

 

「あのー……」

 

「聞こえねえ! 知らねえ! 逃げるぞ!」

 

「…………」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「ここまで来ればもう安心だろ……」

 

「………」

 

 着いた場所はコース。私がほんの少し前に頭から転けたコース。

 

「うひょー、すっげぇ殺風景だな、誰も走ってないコース。……なんか居ね? ん? あれトレーナーじゃね? おい! マッハで行くぞ!」

 

 担がれたままあの人の元へ、芝の元へ近づいていく。……いや、速い速い。そのペースじゃぶつかるが、大丈夫か? 

 

 ……

 

「うえぇーい! どりゃーい!」

 

「!? うだぁ!」

 

 激突する。……ゴールドシップ、わざと激突してなかったか……? 

 

「いったぁ……ゴルシか……どうした?」

 

 え、ピンピンしてる。私はゴールドシップの優しさかなんかで衝撃は緩めだったが、この人に対しては手加減なかったぞ。ゴールドシップもおかしいが、この人もおかしい。私に対して『鋼の意思ならぬ、鋼の肉体』なんて言ってたけど、この人はダイヤモンドの意思ならぬダイヤモンドの肉体だ。本当に。

 

「いや、たまたま見かけたからよ、生きてるか? トレーナー」

 

「もう慣れたよ。というか、その担いでるウマ娘、アクロマじゃないか、どこで知り合ったんだ?」

 

「あぁ、アクロマっていうのかこのブラックオブブラック。こいつはなんか廊下で突っ立ってたからサツから救ったぜ」

 

「なるほど、拉致したのか」

 

「ってことだな」

 

 なんだこの人達。息ピッタリで、漫才みたいだ。

 

「ん、てかトレーナーはなんでこいつ知ってんだ? 浮気か? テイオーが噴火するぞこりゃ」

 

「浮気じゃねえし、そもそも付き合ってねえし。トレーナー寮でトレセン学園の説明してそのついでに紹介して回ってただけだぞ。」

 

「へぇ……え、もしかしてこいつここの生徒じゃねえのか?」

 

「おん」

 

「じゃあなんでこいつトレセン学園のジャージ着てんだよ」

 

「貸した」

 

「誰のをだよ」

 

「テイオーの」

 

「ほんとお前殺されるぞ」

 

「新品だから大丈夫」

 

「そういう問題じゃねえって」

 

「どういう問題だよ?」

 

「ウマ娘って耳だけじゃなくて鼻とか目も結構良いんだぞ。知らん女の匂いがして自分のサイズのジャージ持ってかれてたらすげえ疑うだろ。しかもあのしっとりで有名なテイオーだぜ? 混沌(カオス)が生まれるに決まってるぜ」

 

「まあ、たしかにな……」

 

「もしテイオーに訊かれたらこう答えるんだ。『俺が着た』ってな。」

 

「ただの変態じゃねえか」

 

「じゃあ合ってるな!」

 

「合ってねえよ!」

 

 いや、合ってるだろ。この話題なら、弾丸のような速度の会話でもどうにか入れそう。

 

「合ってます。」

 

「ほら、この漆黒ちゃんもそう言ってるぜ?」

 

「……今朝の事あったから否定できねえ……」

 

「お? 今朝何があったんだ? また痴漢したのか?」

 

「またってなんだまたって! してねえだろ!」

 

「スペシャルウィーク」

 

「うっ……」

 

 この人、前にも痴漢していたのか。

 

「つまり、常習犯ってことですね。」

 

「ちげえ!!!!」

 

「違わねえぞ、合ってる」

 

「ちげえ!!!!」

 

「なるほど……。」

 

「…………んで、なんでトレーナーはここにいるんだ?」

 

「……いや、アクロマについてちょっとな」

 

「痴漢からのストーカーか!」

 

「ちげえ! ……こいつな、領域に入ったらしいんだ」

 

「え、それってマジ?」

 

「多分ですけど……。」

 

「そりゃすげえじゃん! 国宝もんだぜこりゃ! 今すぐとっ捕まえないと」

 

「やめろ」

 

「ういうい」

 

「んで、その領域の条件が曖昧でな、その条件の手がかり無いかなって探してたとこ」

 

「そうですね、曖昧です。」

 

「どんな感じなんだ? ちっとアタシにも教えてくれよ」

 

「わかりました。」「おう」

 

「「…………」」

 

「息ピッタリだなお前ら」

 

 私もゴールドシップとこの人のコンビに対して漫才的だな、と思ってしまったが、それをこうも直接的に言われると恥ずかしいものだな。

 

「……アクロマ、説明頼めるか?」

 

「……はい、わかりました。──ちょっと前にここで走らせて貰った時、最初の方は普通に──それでも初めての体験だったんですけど──走ってたんです。ですが途中から、夢心地というか、世界が変わっていってるような気がして、ふと周りと見渡すと、白黒の世界──無彩色の世界だったんです。そして、それを認識した瞬間に、どんどん私の力か何かによって、彩色されていったんです。それと同時に現実ではとてつもない加速をしていたんです。

 ──まあ、その後加速に身体が追いつかなくて頭からこけたんですけど。」

 

「そりゃ完璧に領域だな、アタシには分からんけど」

 

「んで俺は俺なりに、領域が発動する条件を探ろうとしてたんだが…………まあ当然見つからなかったわけだ」

 

「アクロマは何か知ってんのか?」

 

「いや、それが私にも解らないんです。自然のままに使えたので…………」

 

「これが天才ちゃんか」

 

「天才なんかじゃないです。」

 

 私はただ何故か使えただけ。二回目以降も使えるという確証は無いし、もし二回目以降も使えたとて転けてしまう天賦の才があるから相殺される。

 

「まあまあ……」

「…………」

「もう一回走ってみるか? 時間はあるだろ?」

 

 時計を探す。

 ──ない。まあいいか。

 

「わかりました、走ります」

 

「んじゃアタシも……」

 

「ゴルシお前制服だししかも授業中だろ、抜け出してきたみたいだけど」

 

「ばれてたか」

 

「ゴルシは戻りなさい」

 

「見てていいか?」

 

「お好きにどうぞ。」

 

「……連れてかれても知らねえからな」

 

「よっしゃきた! このゴルシ様が灼熱大喝采な声援を送ってやるぜ!」

 

「秒で連れてかれるぞ」

 

「確かにっ! アタシのアイがホール((目が節穴))だったぜ!」

 

「………走っていいですか?」

 

 何か私のこと忘れられてないか? この二人だけで弾丸どころか光速レベルの速度の会話が繰り広げられている。

 

「あ、忘れてた。いいぞ、スタートは……ゴルシ頼めるか?」

 

「うい」

 

「じゃ、アクロマはそこな。1400mくらいでいいか?」

 

「はい」

 

 ゴールドシップが嫌々とスタートの位置に立つ。それに付いていくように私もスタートの位置へ付く。

 

 全身に酸素を送るように、深呼吸をする。

(さあ。三度目の正直。もう転けたりしない。)

 

 静かに。

 ──集中力が高まる。全ての物事が繊細に描写される。

 

(さあ、私は準備完了です)

 

 目線をゴールドシップに合わせ、あの人の方を見る。

 

「よし、じゃあそろそろ行くぞ~」

 

「……あい!」

 

 その瞬間、私の目の前の視えない壁が、私を遮っていた壁が消失した。

 第一加速、もう学んだ。少しずつ速度を上げていく。でも、ここでは全速力を出さない。今回は自由に走ってるんじゃなくて、1400m。スタミナを出来る限り温存しないと、すぐ力が尽き果てる。

 

 

 さあコーナー。内へ内へ、食い込むように走る。コーナーでは速度が落ちるが、その分技術面や戦略が生かされる場所。私が生かされる場所である。

 ──ちょっと前に走った時より爽快感が少ない。慣れによるものだろうか、それとも抑えてるからだろうか。時がすぐ経つ──。

 

 

 コーナーが終わってまたコーナーがやってくる。一回目と同じ様に二回目も曲がるのだ。滑らかに、美しく。世界は有彩色のまま、私が色を塗る余地すら無い。只の自然の色。只の世界。

 

 

 ──視えてきたのは正面。ゴール前、最初で最後の大きな直線。時を感じる。時が経つのが速いから。

 何故か、時が経つのが速い。何も感じない。

 領域に固執する私。領域でしか私は生きられないのだ。

 ──それにしても、独りで走るのは退屈だ。ともに競い合える仲間でも居ればな。

 

 

 第三コーナー、最後の地点。──なんか、爽快感が無かった。領域に関する何かも全く得られなかったし、本能が滾る様な感覚一つも無かった。淡々と、只走っているだけのような、味気ない、つまらない。走る意味が無かった。楽しくなかった。

 只速度を上げて、只ゴールを迎える。

 ──迎えた。

 ゴール地点の先にはあの人が。

 

「………なんか、味気なかったな。ただ走ってるだけ、みたいな」

 

「……はい、そうですね……何も感じませんでした。」

 

「……ポジティブに考えたら、走ることと領域が構築されるのは直接的な関係がないってことだな」

 

「……はい、そうですね。」

 

 自然と耳が垂れていく。

 

「……まあ、そう落ち込むなって。お前の気持ちもわかるけどよ」

 

「……。」

 

「……というかゴルシ、生徒会に連れてかれようとしてないか?」

 

「……ほんとですね。」

 

 生徒会と思われるメンバー一同に連れて行かれるのを全力で抵抗しているゴールドシップが居る。

 

「あっちの方行くか?」

 

「はい、そうですね……。」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「ゴールドシップ! いい加減その手を放せ!」

 

「お前らは此処で『諦める』選択をしなくちゃあならねえ……ッ!」

 

「"飽きら"れて"諦"められる……か。少し単純だな……」

 

「会長!」

 

「! あぁ、そうだった……ゴールドシップ。速くその手を放すんだ」

 

「──『会長』に言われちゃあ仕方ないね……というとでも思ったかい! アタシは此処に居なくちゃ『いけない』んだッ!」

 

「ゴールドシップ君?」

 

「あ……圧がすげえ……アタシの『意思』は此処で折れたようだぜ……」

 

 ゴールドシップが手を放す。まあ、あんな怖い顔で睨まれたら……そりゃそうだろうな。

 

「さ、会長。私はゴールドシップの後処理をしておくので」

 

「ああ、任せたよ」

「…………おっと。アクロマ君じゃないか、初めまして。此処トレセン学園の生徒会長をしているシンボリルドルフだ。たづなさんから話はある程度聞いているよ。」

 

「……どうも初めまして……。」

 

「君は何故此処のジャージを着ているのかな?」

 

 本ウマ娘は多分威圧感なんて微塵も出していないのだろうが、何故かとてつもない威圧感を感じる。身長差というのもあるだろうが、何処かオーラが違うような感じがある。

 

「この人に借りました。」

 

 指差したのはあのトレーナーの方。トレーナーは僅かにびっくりした表情を浮かべていた。

 

「ふむ、教えてくれてありがとう。そういえば、そろそろこの学園の説明があったね。生徒会室まで一緒に行かないかい? ついでにスピカのトレーナーも揃っているからな」

 

「は、はい……。」

 

「そういえばそんなことあるんだったな……」

 

「むむ……そんなに恐縮しなくていいんだ。此処に居るウマ娘たちは皆一蓮托生。仲間だと思ってくれたら嬉しいよ」

 

「……分かりました……。」

 

 また『仲間』だ。一体本当に仲間なのかどうかはさておき、ゴールドシップと、あのさっきのボブカットのウマ娘。この例があって、今の所悪い例がないから、仲間とまでは行かなくても、最初の判断で『敵』と下すのは流石に自分自身がバカバカしくなるな。──あのボブカットのウマ娘に関しては会話しなかったけど。

 

「じゃあ、早速行こうか。……おっと、そういえば上靴がないようだね。仕方ない、許可しよう」

 

「……ちょっと前もこのシューズで理事長室に踏み入れたんですけど……。」

 

「なんだって? ……まあ仕方がないか……」

 

「すいません……。」

 

 シンボリルドルフさんが少し驚いた表情を浮かべていた。あの人はずっと黙り込んでいる。まるでゴールドシップとあの人が会話していた時の私だ。

 

「まあ、それまでゆっくりと雑談でもしようじゃないか」

 

「……そうですね。」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、入学②

「雑談しようとは言ったが……話題がないな……」

 

「そうですね……」

 

「んー、そうだな……あっ、そうだ! 俺の知ってる限りだけど、トレーナーを紹介しようか?」

 

「お願いします。」

 

「ほう、それは私も興味があるな。ウマ娘に関してはかなり調べているのだが、トレーナーまで調べる暇がなくてな……」

 

「おっしゃ、任せろ。じゃあ説明するぜ。まずはチームリギルの東条ハナ。おハナさんだな。おハナさんはなあ、数々の名バを生み出したすごい人だな。そして俺の同僚でもあるぜ。まあ俺と違ってすっげえ厳しいけどな。ルドルフもリギルだよな?」

 

「そうだな、私もリギルだ。リギルはかなり厳しいが……その分実力がみるみるうちに上がっていくのが実感できる。私が此処まで強くなり、『皇帝』と呼ばれるに至ったのもリギルのお陰と言えるかもしれないな」

 

「『皇帝』はリギルのおハナさんとルドルフ自身の力が掛け合わさった成果だな」

 

「そう褒められても……」

 

 照れたな。生徒会長。案外褒められたりするのには弱いのかもしれない。耳が忙しなく動いて、尻尾もそこはかとなく昂っているように感じる。

 

「もしかして、生徒会長って結構すごい人だったりするんですか」

 

「え、この威圧感感じないのか。トレセン学園の最強格だぞ、ルドルフは」

 

「……こほん。生徒会長ではなくルドルフでいいぞ。──というか、私はそこまで威圧感を醸し出しているのか……問題だな……」

 

 この生徒会長、相当感情が読みやすい。少し前は照れていたし、今は悄然としながら明後日の方向を向き、何かを考えている。

 

「問題、ですか? ルドルフ会長」

 

 威圧感に関して、ルドルフ会長は『問題』と言っていた。レースに於いてマークされるのは仕方がないが、その分相手を恐縮させることが出来るから有利なのでは、と私は思うが……。

 

「ああ、問題だ。────長くなるが良いか?」

 

 長くなる……過去になにかあったのだろうか。

 

「はい」

 

「俺も聞きたい。大体わかるが」

 

「……私の夢についてだ。私の夢は『あらゆるウマ娘の幸福』。────私は、『あらゆるウマ娘の"夢を駆ける"姿を見守り、後ろから支え、後押ししてやれ』と、ずっと昔から言われてきた。そして、あらゆるウマ娘の"夢を駆ける"姿を見守り、後ろから支え後押しする為に、様々な人やウマ娘が私の為に尽くしてくれた。そして、七冠を成し遂げ、生徒会長になり、様々なウマ娘達からの信頼を勝ち取った。後は私があらゆるウマ娘を支えていくんだ。──と思っていたが。結果は、私に畏敬の念を抱いてしまっていて…………気安く接されないから、支えようにも支えられない状況が出来ているんだ。────その原因が、この『威圧感』と言う訳だ」

 威圧感と言った瞬間、ルドルフ会長が、──いや、"中央トレーニングセンター学園生徒会会長シンボリルドルフ"が、全てを地に這いつくばらせ、空をも変化させてしまい、世界を歪ませる程の圧を放出した。それによってか、あの人が引きつった顔をしていた。

 

「──これをどうにかしないと、幸福を求め、助け支えようとしても皆が謙遜してしまい支えられない状況にあるんだ。だから私はこの『威圧感』をどうにかしないといけない。これが『威圧感』が問題である理由だ」

 

「なるほど……」

 

 脚が震える。極力速やかにその威圧感を仕舞っては貰えないだろうか。

 

「なあなあルドルフ。アクロマすっげえ脚震えてるけどさ、威圧感出しっぱだぞ」

 

「あ」

 

 威圧感がすんと消えてなくなった。地上に平和が戻り、空も再び地上を覗き、世界の均衡が再び保たれた。

 

「……申し訳ない。威圧感については私自身が全く体感出来ないからコントロールが苦手でね……気付いたら直ぐ言ってくれ、頼む」

 

「……はい、わかりました……」

 

 まだあの恐怖が消えないのだが。これは、他のウマ娘が畏怖の念を抱くのも解る。

 

「というか、何故ルドルフ会長は外に?」

 

「? ゴールドシップを捕まえるためだが……」

 

「いえ、そうではなくて……ほら、今授業中なはずじゃないですか」

 

「ああ、そっちだったか。ゴールドシップの捕獲に関する救援要請がゴールドシップのクラスの担任から入ったんだ。」

 

「あの躾役さんか……」

 

「おや、あの人を知っているのか?」

 

「いや、知ってるって訳じゃないんですけど、そう言えばゴールドシップに担がれる時に追いかけ回してた人がなんか電話みたいなのしてたな、ってだけです。」

 

「ゴールドシップに担がれていたのか……ご苦労さま。────おや。もうそろそろ着くようだね」

 

「結局トレーナー紹介はおハナさんしか出来なかったな。もっと紹介したいトレーナーいっぱい居んのに」

 

「生徒会室迄はまだ時間はあるが……もう一人位は話せるのではないだろうか? スピカトレーナーが良いのであれば、だが……」

 

「あっ、たしかに時間はあるな。じゃあもう一人紹介するか。んー……誰にしようかな。──そうだ、ミホノブルボンのトレーナーにしよう。──ミホノブルボンのトレーナー……名前は俺も知らないんだが、ミホノブルボンのトレーナーは、ミホノブルボンの夢を認め、一緒に追いかけてる、見た目は怖いけど実はすっげえ良いヤツキャラだな。でも周囲から見て────俺から見てもそうなんだが────かなり厳しいメニューを出してる。しかもほとんど坂路。しかもそれをミホノブルボンは全部"機械の如く"きちんとこなしてる。あのトレーナーは隠れたベテランだぜ。あんなにきちんとウマ娘を指導できるなんてすげえったらありゃしねえ。俺がおハナさんの次に尊敬するトレーナーの一人だな。」

 

「ほう……私も話には聞いていたが、『厳しい人』と『坂路トレーナー』としか聞いてこなかったからな……ありがとう、感謝するよ」

 

「どうってことない」

 

「──あれじゃないですか? 生徒会室。」

 

「おや、もうそろそろ着くようだね。中にはたづなさんが居るだろうから、あまり煩くしないでおこうか」

 

「わかりました」「わかった」

 

「本当に息が合っているな、羨ましいよ」

 

「ルドルフとグルーヴも息合ってると思うぜ?」

 

「おっと……こうして面と向かって言われると恥ずかしいな……」

 

 デジャヴだ。つい最近で何回もこんな場面を見たぞ。皆仲がいいんだな、全員を信頼し合って……私は馴染めるのだろうか……? 

 

「──ここが生徒会室だ。さ、入るぞ」

 

「生徒会室……」

 

 ルドルフ会長に拠って生徒会室の扉が開かれる。

 その部屋は、とても重くずっしりとした色で構成されていた。右に掲げているのは、『Eclipse first, the rest nowhere.(唯一抜きん出て並ぶものなし)』と書かれた看板。意味はよくわからないが、此処の生徒会の事だしすっごい名言なんだろう、わからないけど。

 

 奥に居るのは緑の人、たづなさん。手を静かに前に出して、私達を静かに待っている。

 

「お待ちしてました、アクロマさん。ささ、先ずはここに腰を下ろして楽な体制にしていてください。スピカのトレーナーさんもどうぞ。シンボリルドルフさんはこちらに」

 

 たづなさんは私達から見て手前、たづなさんから見て奥側の赤い──長椅子? ソファ? ──を手で示した。座れということだろう。

 

 ──辺り一面に静寂が走る。耳に入るのは自分の心臓の鼓動と外から聞こえる静かな生物の囁き。自然と赤色と茶色の中に居るよく目立つ緑色に視線が行く。

 

「──では、アクロマさん。今から、この学園の色々な説明をしますね。まず、ここトレセン学園についてです。ここはトレセン学園の中でも特に優秀な──」

 

「あの……もうこの人から聞いてるんですけど…………」

 

「──え。……本当ですか?」

 

 隣の人がこくりと頷く。

 

「……話す事無いじゃないですか……そうだ! 寮についてはどうでしょう?」

 

「わかりません」

 

「なら寮について話しましょうか! 此処は基本的に全寮制です。寮は栗東と美浦があって、その栗東と美浦の中でも何号館か分けられている感じです。あなたがどちらに所属するかは基本的に選べるのですが……希望はありますか?」

 

「特に……」

 

「ではこちらで決めておきます。今日、陽が出ている内に部屋の場所をお伝えしますね。────次に、服装関連についてですが、今ルドルフさんが着ている物が制服、今貴女が着ているものがトレーニング用の服、ジャージです。体操服もあるんですけど……」

 

「あ、忘れてたわ」

 

「だから中に体操服着てないんですか」

 

「……着るものだったんですか……」

 

「はい……」

 

 別にジャージのみでも違和感はないが……汗とかそういう問題で体操服の着用を推奨しているのだろうか? 

 

「まあ、それは別にいいとして……制服と体操服、ジャージなどは、基本は自費で払ってもらう事になってるんですが、実際は理事長のポケットマネーに拠って配布されています……。理事長は凄くウマ娘想いなんです。練習コースの整備をする機械をポケットマネーで買ったりしてしまうくらい」

 

「あの人、あの見た目から想像できないくらいお金持ってるんですね……」

 

 そりゃあ多少なりと困惑する。だって、私と同じくらいの体型の少女が、『ポケットマネーで機械を買う』という事実を所有しているのだ。おかしいったらありゃしない。

 

「まあ……理事長、ですからね……」

 

 そうか、理事長。そういえば、あの小さい、私と同じくらいの子が理事長。……今更思うのもどうかと思うが、大丈夫なのか? この学園。

 

「──次のお話が、トレーナーとウマ娘の契約関係に関してです。」

 

 さっきの少し和んだ雰囲気とは一転、私がこの部屋に入ったときのような雰囲気が感じ取れた。ピリッとしたような、そんな雰囲気。

 

「ウマ娘もトレーナーも、お互いに"スカウト"が出来ます。ウマ娘側からトレーナーに対してアプローチ出来ますし、トレーナー側からウマ娘に対してアプローチすることも出来る、ということです。」

 

「俺がアクロマにしたのもスカウトの一種ってことだな」

 

「そして、そのスカウトの機会を与えるレースがあります。"選抜レース"です。主に春と秋に行われますが、稀に夏や冬に行われる時もあります。四季の初め辺りと思って頂ければ大丈夫ですよ。」

 

「つまり私はその"選抜レース"とやらに出ればトレーナーが付く可能性が高まる、ということですか?」

 

「そういうことですね。……丁度選抜レースが終わった後なんですけど……」

 

「でも、選抜レースが無くても、いつでもトレーナーと契約は結べます。ただしトレーナーは大体選抜レースが終わった時にはウマ娘と契約を終えることが多いのでチームトレーナー以外トレーナー自体が少ないんですけどね……」

 

「ちなみにこの人は」

 

 頭を右に向ける。

 

「俺もチームトレーナーだぞ、いつでも大歓迎だぜっ」

 

 右手のグーサインと渾身の決め顔。他の人がこれをやってもどうとも思わないだろうが、この人がこれをやると何故か無性に腹が立つな。

 

「へぇ……」

 

「なんだそのどうでもよさそうな呆れた目」

 

「知りません」

 

「……あいあい」

 

 右に向けた頭を定位置に戻し、再びたづなさんの話を聴く体制へ。

 

「……あ、そういえば、トレーナーと契約しないとどうなるんですか?」

 

 ふと思った素朴な疑問を投げかける。

 

「レースに出られません。トレーニング用具やコースなどもトレーナーが付いているウマ娘が優先されます。」

 

 ふむ、なるほど。『なんでここに来たの?』状態になるわけだ。そりゃ殆どのウマ娘がトレーナーと契約を結びたがるわけだ。

 ……ん? そう考えたら、今私が取れる手段はこの人と契約してチームの一員になること以外無いのでは? 

 

「あの……もしかして私ってもう選択肢ない感じですか?」

 

「単刀直入に言うとそうですね、チームスピカに入る以外選択肢は無さそうです」

 

「本当か!?」

 

 隣が興奮したようにはしゃぐ。その様子を再び呆れた目で見る私。

 

「はい。チーム結成権限があり、なおかつまだ募集をしているトレーナーでも居ない限り、それ以外アクロマさんがトレーナーと契約を結ぶ手立ては無いかと。」

 

「だってよ、もう加入でいいか!?」

 

「……チーム結成権限があり、なおかつまだ募集をしているトレーナーが居る可能性だって十分にありますし……。」

 

 この人の期待の眼差しが少しずつ萎れていくのが目で見て解った。

 

「……そうか……」

 

「まあまあ、そう落ち込まなくても。──アクロマさん、スピカに入るのが一番近道ではありますが、どうしますか?」

 

「……夜まで考えさせてください」

 

「わかりました」

「…………」

 

 ──その暗い静寂の瞬間、この周囲が、暗く明るい(イカズチ)で覆われる。瞼も開けられないような強大な重力と、五感全てを消失させてしまいそうに成る威圧感。周囲が霞み、風は嵐と舞い、世界が強張る。

 

「……これは、私の"領域"だ。あちらを『神威』と名付けるならば、こちらは『桎梏』と名付けようじゃないか。『神』は舞い降りるものだが、枷は舞い降りるものではない。────『神威』は舞い降りる力だが、『桎梏』は放出する力、だ。」

 

「……ルドルフさん、もう大丈夫ですよ」

 

「ああ、解った。」

 

 ──暗い静寂は明るい静寂に置き換わり、小鳥の囁きも姿を取り戻した。空も落としてしまいそうな重力は光と共に宇宙に追いやられ、頭から肩から膝、足の裏まで重くのしかかっていた威圧は、空気が抜ける感覚と共に無いはずの土の中に潜り込んでいった。そして、霞んだ周囲は陽の光が透き通りはじめ、嵐と舞う風はそのまま天高く飛び上がり、強張った世界は再び平穏を手に入れた。

 

「はぁ……助かったぜ……死ぬ所だった……」

 

 明らかに瀕死。只の威圧がここまで威力を持つものだとは。

 

「すいません、驚かしてしまって。領域の話は私にはよく解らないので……」

 

「領域などについては私が説明するよ。──今使ったのは、私の()()()()()()。『神威』はレース中に条件を満たさなければ舞い降りて来ないのだが、『桎梏』は、私の単純な力によって発生させている領域。条件が存在しない────いやまあ存在はするのだが。だからさっき、レース中でもないのに領域が視えただろう?」

 

「は、はい……」

 

「そんなに恐縮しなくていいんだよ。私は生徒会長であるが、それと同時に一トレセン学園の生徒だ。もうすぐ君も同じ立場に成るのだから、そう恐縮されていると私も困ってしまう。」

 

「……わかりました、ルドルフ会長」

 

「……普通、領域は抑々発現しない。この事はもしかしたら"三女"から聞いたかもしれないな。」

 

「何故三女神の事を……?」

 

「彼女らも言っていただろう? 『領域が扱える者は、私達と会話ができる』と。──三女から領域の話は聞いているのか?」

 

「はい」

 

「なら、省略するよ。──君の領域についてなんだけれども。──君の領域は類を見ない。条件も()()()()()で発現したそうだし、領域の世界も、同じ世界ではなく、()()()()()()()()そうだな。」

 

「はい、そうでした……というか何故それを?」

 

「三女から聞いた──聞かされたよ。」

 

『教えちゃいました!』

 

 脳内に響くお茶目な声色。内容はある意味プライバシーに関わるもの。本当に……。

 

「そうですか……」

 

「──話を戻そう。──その領域は、私の()()()()()の量を増やしたバージョンのように、領域を幾つも幾つも重ね合わせるような領域ではないか、と仮定した場合、今までに類が無いんだ。──私でも、その二つの領域を双方共に意識して、やっと構築できる。──それを、君の領域は一つの条件で構築できる。そうだな────。私の持論を簡潔に言うと、君の領域は『一つの条件で複数の世界を構築できる領域』ではないか、と。──────そして私はその種類の領域に名前を付けた。『変幻領域』とね。」

 

「『変幻領域』ですか……」

 

 その言葉を発した途端、ルドルフ会長が少し悲しそうな顔をした。

 

「気に召さなかったか……? 結構練りに練った名前だったんだが……」

 

 そういうことか。自分のお気に入りネームがその当の本人に、気に入られていない、と感じてしまったらそりゃ悲しくなる。

 

「いえ、違います……ただ感慨に浸ってただけで。」

 

 耳と顔の元気さが二倍ほどになった。単純だ。

 

「そうか、そうか! 気に召してくれたか!」

 

「勿論」

 

 これは世辞でも何でも無く、只の私の本音だ。

 ────走る才能は無いけど、走る以外の才能が生きている。そんなだったら、いいのにな。

 

「練りに練った甲斐があった、というものだな……!」

 

「それにしても、『変幻領域』ですか。もしルドルフ会長の持論が事実だとするのであれば、私は領域さえ使いこなせれば……」

 

「新たな『皇帝』の誕生、かもしれないな! 私は此処で、君の──アクロマの新たな"皇帝"になる"行程"を見ているとしよう……!」

 

 うわ、寒い。今迄の空気が全て台無しだ。────まあでも、私に一つの希望を持たせてくれたウマ娘だし、直には言わないでおこう。

 

「────"選択"に迷ったら、貴女の"宣託"を思い出しますね。」

 

 あー、滑った。滑りました。絶対に。もう今すぐにでも取り消したい……。

 

「ふふっ……君も"中々"やるじゃないか……! 良い"仲"になれそうだな……!」

 

 ──もう終わりそうにないな。ここはスルーが正解であろう。

 

 ──あ、ちょっと元気がなくなったな。スルーと拾いの判断は結構難しいのかもしれない。

 

「────というか、たづなさんは何処に……?」

 

「多分途中で仕事に戻ったな……」

 

「そうですか……。」

 

「まあ、また日が暮れる前にたづなさんが会いに来るだろうから、それまでゆっくりと過ごしていてくれ。私はそろそろクラスに戻らなければ……」

 

 そういえば、今思いっきり午前じゃん。

 少し色々と歩き回っておきたい。地図は無いか……? 聞いてみるか……。

 

「……此処の地図とかって何処にあるか分かりますか?」

 

「? ああ、地図なら入り口の辺りにあった気がするよ。では、また」

 

 ルドルフ会長はそそくさと足早に生徒会室を出ていった。

 さあ、私も、地図を取りに行かなければ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、入学③

 既に開けられていた生徒会室の扉を通る。つい先程まで感じていた畏怖の念は全て抜け切り、残ったのはルドルフ会長の暖かな雰囲気。暖かな残り香。あの神妙な雷のような雰囲気から、ほのぼのと、陽の光のような雰囲気へと、『生徒会長シンボリルドルフ』から、『かいちょー』になったような……? 

 

『実は私ずっと見てたんですけど、雰囲気の変わり具合すごくなかった? 風邪引いちゃうくらいだったよ?』

 

「それは私も思いました。あの雰囲気をずっと出せていれば、あんな悩みも抱えずに済んでいるんでしょうが。」

 

『そうだねえ……というかいちいち口に出さなくても聞こえるんだよ?」

 

 あっ、そうだった。余りにも自然に耳から入ってくる感覚で聞こえるからつい反射的に。

 

『仕方ないよ~、精神? 脳? に語りかけてるからそう錯覚するのもね~』

 

 なんか、訳の解らない力でテレパシーできているらしい。なんだこの世界。

 

『私もよくわかんないんですよね、何かと謎が多いです。ウマ娘の起源とか、ウマソウルとは何かとか、領域の原理とか……』

 

 全部ウマ娘関連じゃないか。

 

『仕方ないじゃないですか~、ホントにウマ娘意味不明なんですから……』

 

 今解ってるウマ娘の情報って一体いくつあるのか。ゼロの可能性も十分に有り得るな。

 

『お察しの通りゼロです……いや私も調べようと必死なんですよ? でも今のこの姿じゃ調べようにも調べられないんだよね~。昔なら調べられたんだろうけど、昔は走ることに必死だったから……』

 

 もしかして三女神って、元ウマ娘……? 

 

『あっ』

『聞かなかったことにしておいてください……』

 

 脳内に響き渡る目が揺れる音。洗脳? 憑依? わからないがとりあえず立っていられない。

 下半身から崩れ落ちる感覚。骨、筋肉、その他諸々が融け始めて液体になるような。

 ……っぽい映像かなにかが頭の中に流れる。

 

『うっそ効かない。ねえ……忘れてよ? 私一応元ウマ娘って隠してるんだよ? ねえー! 聞いてるー!? 忘れなくてもいいからさ!? 広めないでね!? 絶対にね!? わかった!?』

 

 わかりました、はい……

 

『絶対の絶対約束ね! 破ったら知らないんだからね!』

 

 わかりました……

 

『よかったー! ふたりにプロレス技極められる所だったよ』

 

 ……そう言えば三女神って三人か。確かに、初めてであった時は"私達"だったのに、今は"私"単体だけだな。

 

『そうですね。他ふたりは多分なにかしてます。多分メイビー。──というか、もう着くよ? 地図はそこの壁の付近に置いてあるから、取ろうよ、ね。』

 

 視界に入っていた壁に初めて意識を向ける。そこにはトレセン学園の地図が幾つか置かれ、その周りには生徒が貼ったであろうポスターなどが掲示されている巨大掲示板。

 

『"ゴールドシップを捜しています"、"駄洒落倶楽部部員募集"、"学園新聞第五四号:黒鹿毛()・マンハッタンカフェ"、いっぱいありますねえ。あ! スピカの張り紙がありますよ! えとえと? "ステップ・イート アットホームなチームです"……センス無いし怪しい……控えめに言って終わってますね。それに対し隣のリギルの張り紙は? ……"勇往邁進  メンバー募集"……このキャッチコピー、ルドルフが書いたよね? ルドルフの口癖じゃん、勇往邁進。四字熟語。』

 

 "ゴールドシップを捜しています"は、白紙に殴り書きでひたすら慌てた様子。

 "駄洒落倶楽部部員募集"は、落ち着いて平穏な筆。多分ルドルフ会長。

 そして──学園新聞は、私によく似て全く違うウマ娘が一面に張り出されていた。

 

「マンハッタンカフェ……ですか……」

 

『どうかしたの? あっ、マンハッタンカフェ? えーっとね、マンハッタンカフェは確か……寮でオバケと間違われる、とかそんな感じのウマ娘だったけな?』

 

「? ああいえ、特になにもないんですけど。容姿が凄く似てるじゃないですか。気になってしまって」

 

 黒く長い髪、私とよく似たシルエット。だけど、瞳が違う。眼が違う。彼女は、絶対に"何かを視ている"。例えそれがどんなものであっても、たとえ虚無であっても、捉え、捕らえるように見つめている。"絶対的な決意"。

 

『そうだね、すっごく似てる。でもやっぱり目が違うよね~』

『……この子──』

 

 三女神が、何かを言おうとした。だがそれは彼女自身によって塞ぎ込まれた。絶対的な事情がある確信が付くくらい、とても怪しい声の留まり方。

 

『──ん、まいいや! さ、地図取りましょ! 付いてったほうがいい? 案内はできるよ?』

 

「どちらでも」

 

『相変わらず素っ気ないなあアクたんは』

 

 ……アクたん? 

 

『アクロマたん、でアクたん。嫌……?』

 

 嫌ではないが……愛称? あだ名? を付けられた経験を初めてした。これは何ともむず痒い。

 

『そうなんだ! なら今後ともよろしくね、アクたん!』

 

 ……慣れない。アクロマだけでも今朝から呼ばれ始めた名称なのに、そこから半日も経たずに別の名称で呼ばれると、一体私は誰なんだ、と困惑する。

 

『そっか、アクたん今朝名前決まったもんね。そりゃわかんなくなるよね、ごめんね』

 

「──いやいや、私に謝って貰える筋合いも権利も無いです。だから謝らなくていいです。」

 

『そんな訳ない! あなただってちゃんとしたウマ娘、権利も筋合いも皆平等にあるんだよ? そんな卑屈にならないで、下を向くより前を向いたほうがいいよ……ほら、下なんか向いたって何も良いこと無いんだから……さ。』

 

 三女神の声のトーンが、太陽が沈んでいくような声に変わっていく。──そしてその後、三女神は無理やりもう一度太陽を引っ張り出した。

 

『じゃ! 私暇だから付いてくね? いいよね?』

 

 お好きにどうぞ。

 

『はーい!』

 

 ────会話に一区切りが付き、手元に此処の地図が在ることを再確認する。──まず何処に行けば良いのだろうか。ここから一番近いカフェテリアが無難か……。

 

『あ、ここ気になります、旧理科準備室。校舎の端っこの方にある所。行ってみませんか? 決定! 行きましょう! ね?』

 

 声から解るとてつもない圧。カフェテリアに行くのは後にしておこう……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、探索①

 旧理科準備室。今まで歩いてきた道に差していた太陽の明るい光ではなく、妖しい、暗く神秘的な光が旧理科準備室から流れ出てくる。

 

『わあ、いつにも増して禍々しい感じですね……勿論入りますよね?』

 

 ……ここまで来たことだし、と重い腰を上げるように、禍々しく妖しい光が漏れ出ている旧理科準備室へと歩き出す。

 ──彼処の引き戸を思い出す引き戸を、そっと、そっと覗き込むように引く。

 

「おや、君は誰かな? かなり見覚えのあるような外見をしているが……。新しいモルモットになりに来てくれたのかい?」

 

 そこに居たのは栗毛のふわふわなショートヘアのウマ娘。癖が強い口調と、隣に居るのは学園新聞一面に貼り出されていた黒いウマ娘、マンハッタンカフェ。────いやまあ私も黒いウマ娘なんだが。

 

「え……!?」

 

 疲れ果てた顔と瞳をしたマンハッタンカフェが、なにか物珍しい物を見るような目で私を見る。そして、栗毛ふわふわショートヘアの方向を見る。──そしてもう一度私の方を見る。

 

「ん? どうしたんだい、カフェ? そんなに目を見開いて。この子の知り合いなのかい? 確かに、かなり君と外見が酷似しているが、まさかドッペルゲンガー、とでも言うのかい?」

 

「……いきなりですみません……とりあえず、中に入ってきてください。……私は、貴女と少し……お話がしたいです。」

 

 マンハッタンカフェが私を隅々まで見て、私をこの不思議な空間へ呼ぶ。私はその声に吸い込まれるように、自然と脚が前に動き、其れに伴って脳も前へと進む。

 

「……私の名前はマンハッタンカフェです。そして……私の隣にいる、私を今にも実験体にしようとしていた栗毛のウマ娘はアグネスタキオンです。……貴女のお名前をお聞きしてもいいですか……?」

 

「あっ、はい……アクロマです。」

 

「いきなりなんですが……少し私について、お話をしてもいいですか……?」

 

「どうぞ……」

 

 アグネスタキオンが何か言いたげな瞳で私達の事を見ているが……このまま話を聴いておくか……。

 ……そう言えば。三女神は何処に……? 

 

『……』

 

 居ない。さては逃げたな、三女。

 

「……私は、他の皆には視えない物が視えるんです。例えば、ほら……そこに一人、タキオンさんによく似た、ぽつんと佇んでいる栗毛のウマ娘が……」

 

 マンハッタンカフェが、とても退屈そうに顔を上げているアグネスタキオンの方向を指差す。

 その様子に気付くアグネスタキオン。マンハッタンカフェの言葉を聴いて、『カフェ、本当かい……?』と、若干マンハッタンカフェを疑ったような顔をした。

 

「それもしかしなくとも私じゃないかなあ? それ。カフェ……幾ら幽霊と実在している物体の見分けが付きづらいとは言っても、私を見間違えるとは見損なったよ?」

 

 マンハッタンカフェが少し焦りの混じった驚きの顔をした。この少しの会話を聴くに、彼女らはかなり仲が良いのだろうか。

 

「あ……。すいません、タキオンさん。ついアナタの存在を忘れていました……」

 

「存在を忘れるほどの存在だったのか、私は? ……ふぅン、それはかなり私の心情を抉ったよ。こんなにも短い会話で傷付けれるとは、カフェも"そういう才能"が有るんじゃないか? その行為の名称は残念ながら忘れてしまったけれどもね」

 

「すいません……。本題に戻るんですが……。──つい一昨日、昨日まで、私とよく似た姿のウマ娘が走る時に現れて、私を先導していたんです。でも、それが今日昨日になって唐突に消えてしまって……。……貴女の姿と私の姿は酷似してるじゃないですか……。だから、もしかしたら、あの子じゃないのかな……と思って声を掛けたんですが……反応を見るに違いますね……。ご迷惑をおかけしてすいません。私に出来ることはないでしょうか……?」

 

 耳が垂れ、明らかに悄然となったマンハッタンカフェと、その様子に同情する様な瞳でマンハッタンカフェを見るアグネスタキオン。

 

「では……この学園の案内、等は出来ますか?」

 

「はい、良いですよ。……タキオンさんも来ますか?」

 

「ふぅン……このウマ娘の放つ特異的オーラの観測、プランBへの移行とプランAとの並行……。よし、私も付いて行くよ。色々と気になることも有るしね。」

 

 アグネスタキオンがやや意味深で不可解な言葉を小声で発しながら、私達に付いてくることを表明した。──その顔はまるで実験に明け暮れる研究員のようだった。

 

「……では、先ずは何処から行きましょうか……?」

 

「──その前に一つ聞きたいことが有るんですけど。──今って授業の時間じゃないんですか?」

 

「…………」「…………」

 

「……私はタキオンさんに拘束されて行きたくとも行けない状況にあったので無罪です。」

 

 アグネスタキオンとマンハッタンカフェがお互いにお互いの方向を向き合う形。……この戦はアグネスタキオンが圧倒的に不利だな。見なくても解る。

 

「……この話は一旦なしにしようじゃないか、なあ? そろそろ授業も終わってトレーニングしたりする時間に入る訳だし、其処まで大きな問題にはならないだろう?」

 

 自分の不利を悟ったのか、光速よりも速い速度(タキオンの移動速度)で罪を免れようとするアグネスタキオン。それをジト目で見るマンハッタンカフェ。

 

「……そうですか……。……あの……どこ行きます……?」

 

 はっと思い返したかのように、話題を戻すマンハッタンカフェ。それと若干不服そうな顔をするアグネスタキオン。

 

「……任せて良いですか? 何処に行くのが良い、とか解らないので……。」

 

「……カフェテリアに行きましょうか……。」

 

 若干の空白と簡潔な答え。それは私も予想していた、最も一般的な回答。……なはずだ。生憎一般常識には乏しい。自己判断するしか無いのだ。

 

「わかりました。」

 

「……じゃあ、あちら方面なので、行きましょうか……。タキオンさんも早く、そんな落ち込んでないで……来てください。」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ(達)、探索②

「ここがカフェテリア、ですか。落ち着いた雰囲気ですね。」

 

 外の眩しい輝きとはまた違う、静かな輝き。

 暖かな照明から発せられる光は太陽光の情熱とは違い、私達に緩やかな光と少しの美しい微笑みの和みを与えてくれる存在であった。

 

「……私も、ここは好きで……よくここで珈琲をゆっくりと嗜むんです……。タキオンさんはいつも旧理科準備室で紅茶を飲んでますが──」

 

「やはり紅茶こそ至高だよ、カフェ。私はあまり珈琲の良さが解らないんだ。苦いだけの飲料──飲料かどうかも怪しい程苦いが──に思えてしまう。舌の違いだ、どうにも仕方がない」

 

 ──周囲を見回してみたが、これと言ったウマ娘やトレーナーの姿はない。広い空間に三人だけ、微かな特別感と途方も無い広さ。観葉植物と木の自然調の配色。寛ぐためだけに設置されたスペースなのだ、と一目見ただけで解る空気感に私は静かながら圧倒されていた。

 

「……次に行きますか?」

 

「私はどちらでも構わないよ、好きにしたまえ」

 

「……そうですね……。次に行きましょうか。」

 

 名残惜しいこの落ち着く空間を背に、私達は会話を始める。

 

「次は何処に行けばいいですかね……?」

 

「……図書室……とか、どうでしょう……?」

 

 そう、図書室。私も心の隅で考えていた場所。ふと後ろを向いていたマンハッタンカフェと目が合った。その姿は私のドッペルゲンガーのよう。目が黄色くて、私よりも大きいという相違点はあるが……

 

「良いですね、行きましょう。」

 

「良いアイディアを出すじゃないか、カフェ! 丁度研究用の本を再度借りようとしていたのを思い出したよ。」

 

 アグネスタキオンも奇遇ながら、図書室に用事があったようだ。

 ────それにしても、何かがおかしい。誰も居ない筈なのに、視線が肌からピリピリと感じる。──まあ、そんな戯言を言い続け引き摺る理由はないし、ここは円滑に忘れようか……。

 

「では、──あっちです……付いてきてください……」

 

 平然な顔をするマンハッタンカフェだったが、脚が若干早歩きになっている。何か"逃げなければいけないモノ"でもあるのだろうか? 

 ──私達も、其れに釣られるように早歩きになっていた──

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 図書室というものは案外近く、カフェテリアから玄関を経由していけば最も近いのではないか? と思える位の位置関係。最初に覗いた一般教室からはやや離れているが、旧理科実験室よりかは程近い。

 

「……着きました、此処です。」

 

 マンハッタンカフェが指差したのは図書室。図書室の扉は開きっぱなしで、誰も居ない中が少し覗き込みさえすれば見える状況。──何故か、そこは……"歪んでいた"。よく見なくても解る程に、様々な有彩色が混ざりに混ざって、正に意味不明な、ポータルのような空間のように視えた。

 

「此処です……が……。厄介なモノが居座っています……。」

 

「おや、そうなのかい? ……ふぅン……どうするか……祓うかい?」

 

 "祓う"……? 幽霊的な存在が居るとでも言うのだろうか? 不可思議ではあるが、可能性は存在する。この世界に"確実"はないのだ。私達が感じ取る"確実"は、"確実に近い不確実"なのだから。

 

「……祓いましょうか、図書室の為にも……」

 

 ──マンハッタンカフェが歪んだ怪しい雰囲気の図書室に入っていくと、その瞬間明滅する図書室内──。……私は、本能的に瞼を閉じ切ってしまった。

 

「────!」

 

 ──耳鳴りが激しい。五感全てが妨害を受けるような感覚と──、その中から流れ込んでくる言葉「……幽霊に意識を向けず、自分自身の中の意識に集中してください……」。マンハッタンカフェによる警告である。──私はそれを厳守した──が──。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「……大丈夫ですか……?」「大丈夫かい? アクロマ君」

 

 アグネスタキオンとマンハッタンカフェが私を見る。

 

「身体状況全て至って正常、大丈夫そうだねえ。」

 

 さっと立ち上がろうとすると目眩がした。

 

「大丈夫ですか……アクロマさん……。タキオンさんは霊気に慣れているので大丈夫でしたが……霊が直撃したようですね……。」

 

 ふらつく身体を身体で支え、その身体を身体で支える。

 

 ……というか、霊って物体として存在するのか。勝手な妄想で、すり抜けたりする物かと思っていたのだが……。気になるから後でマンハッタンカフェやアグネスタキオンに『物理的に幽霊の実体は存在し得るのか』について聞いておこう。

 

「……では、改めて、図書室に行きましょうか」

 

「はい。」

 

 私達は図書室の中に入った。その空間は、とても静かで整っていて、木漏れ日のような美しく眩しい光が本棚と本棚の間から私の目へと届き、その美しく眩しい光が木製のテーブルや本棚、さらには床にも反射していて、如何にも神々しい空間のように視える。

 

 本棚には様々な本たちもつい笑顔を漏らしてしまうほどの等間隔で並べられていた。此処はスポーツ医学コーナーのようだ。やはり、レースの中央である中央トレセン学園。レース等に関しての情報はすぐに入手出来るようになっているのだろう。

 

 私は丁度取りやすい位置にあった、分厚いスポーツ医学の本を取る。

 

「おっと、スポーツ医学かい。必要であれば教えるよ? どうも私は昔から脚が弱くてね、どうにかして脚の自壊を防げないかと昔からずっと部屋に引きこもって研究の合間に知識を得ていたものだねぇ」

 

「……ありがとうございます。でも大丈夫です、適当に取って少し読もうと思っただけなので。」

 

「おや……そうかい、では私も久々に本を読もうかな」

 

 ──アグネスタキオンが持ってきたのは『光とエネルギーの物理的関係』──……如何にも難しそうな、表紙を見るだけで理解し難く気が遠くなりそうな本だ。

 

「おや、気になるのかい? これは質量とエネルギーの等価性を表す式に関する本でね、私も昔からこの等式は知っていたんだけれどもねえ……久しぶりにちょっと漁ってみたら新しい本があったのでつい気になってしまったら知らない間に手にあった、と言う訳さ。小さい頃からずっと本と、あと実験ばかりだったから本を読むスピードには自信があるんだよ。そう──これくらいの薄い本であればすぐ読み終わるよ。だから時間は大丈夫さ、連行される心配はない」

 

「そうですか……」

 

 アグネスタキオンがすぐさま席に座り、本を異常な速度で読み始める。──私も読もうか。

 

「……二人揃ってすぐ本に入り浸るんですか……。では私も読みましょうか……。」

 

 ふとマンハッタンカフェが喋ったのを感じマンハッタンカフェの方向を見た。

 

 マンハッタンカフェは物語を数冊持っていた。ホラーというか、オカルトというか、兎に角そんな感じを彷彿とさせるような表紙の物語──。

 

「では……私は静かに読んでおくので読み終わったら教えて下さい……」

 

 マンハッタンカフェはテーブルの一番端に座り、ゆっくりとページを捲り始めた。

 さて、私も読むか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、探索③

「走るって結構奥深いんですね、只脚を回し続けるものだと思ってました……」

 

「そうだろうそうだろう! 案外こういう分野に嵌っていくと抜け出せないものだよねえ、自分自身の走りにも適応できる可能性すら有るのだからね。私にも分野に嵌る経験があってね、昔の話なんだけれども……ロマンを追求するための土台としてスポーツ医学の本を読み漁った事があってね、時にウマ娘用、時にヒト用、と日々図書館から数十冊の本を借りてひたすら読んでいた古い記憶があるよ。懐かしいね────まあ、ヒトとウマ娘の出せる速度には大きな差が有るからあまりヒト用は参考にはならなかったけれども、唯一つ解ったことは脚を消耗させない走り方。走行フォームはヒトとウマ娘では大きく違っていてね、基本的には腰と脚は同一直線上に在るべきだけれども身体に受ける空気抵抗が大きく違うからウマ娘はヒトと違い大きく前に傾く姿勢で走る方が速度が出る、と。──まあその分かなり脚の消耗が大きくなったりバランスの維持が難しくなるという難点も有るのだけどね! はっはっはっは! いやぁ、面白いことにねぇ、未だに最も効率の良い走行フォームだけは定義されてないんだ! その最も効率の良い走行フォームを探すのが私の現在の目標かな。おっと────少し話が長くなってしまったね、申し訳なく思うよ。生憎私はこういう自分の分野に特化した話になると自分語りが加速してしまうんだ、許してくれたまえ」

 

「いえいえ。ところで──図々しいお願いがあるんですが、聞いてくれますか?」

 

「なんだい? キミの為なら何でも答えよう」

 

「図書室に来てすぐのときに、『スポーツ医学を教えようか』と言ってくれたじゃないですか……。その……、少し気になったので教えてもらえませんか?」

 

「ふぅン、興味を持ってくれたのかな? 解った、教えようじゃないか!」

 

 アグネスタキオンがやや狂気的な顔を私に向けてくる。そこまで本気で教えなくても良いのだが……。

 

「"ゆっくりやんわりと"お願いしますね?」

 

『ゆっくりやんわりと』を強調して、この何も聞こえていなさそうな耳に届ける。

 

「ああ、解っているよ、解っているとも! 希望通り骨の髄までみっちりと教えようか!」

 

「真逆です。」

 

 ……と言ってみたが……やはりまるで聞いていない。これは他人の仲介が入るまで永久に続くやつだ。アグネスタキオンの顔を見てそう悟った。

 

「……教えるにしても何処から教えようか。まずキミの要望を聞いておこうか?」

 

「じゃあ、まずは転けない走り方とか──

 

 きーん、こーん、かーん、こーん──

 

 私達の声を遮るように、何かを知らせるものであろう音が鳴った。これまでも二度か三度歩いている最中等に鳴っていたことはあるが、その時は『学園内で何かをしている音だろう』とあまり気にせず無視していたが、こう声を遮るように音がなると無視というわけにもいかない。

 

「この音なんですか? 何回か鳴ってますけど。」

 

 アグネスタキオンが不思議そうに私を見る。

 

「おや、チャイムを知らないのか。面白いねぇキミ。──これはチャイムと言ってだね、始業や終業を知らせる音だよ。今鳴ったのは四限終業のチャイム。今日の授業は終了、という合図と、それと同時にトレーナーと合流、昼食の摂取……まあ、端的に言うとウマ娘達の一時的な自由時間の開始を知らせる合図だね。──そして私もこの自由時間の合図を聞いて、今正に『そろそろ昼食を摂りに行かないか』とカフェとアクロマ君を昼食に誘おうとしているよ。というわけでカフェ、アクロマ君。行かないかい? またいつか話すからさ」

 

 アグネスタキオンは、知らない間に私の後ろの椅子に腰掛けて物語を音読していたマンハッタンカフェに目線を送る。

 

「……もうそんな時間なんですか……わかりました。──ごめんね、次はまたいつか読むね。」

 

 気の所為だろうか、なんか無に話しかけていた気がする。

 

「じゃあ行こうか。アクロマ君は勿論付いてくるね?」

 

「はい」

 

 アグネスタキオンとマンハッタンカフェ、あと私で今にも図書室を出ようとした。その時──

 

「ハァ゙ッ゙……ハァ゙ッ゙……匿ってくれ! 状況は説明する! ──あ……ありのまま今起こったことを話すぜ! 『アタシは学園の裏で"アレ"から隠れていたと思ったらいつの間にか"アレ"が居た』……な……何を言ってるのかわかんねーと思うがアタシも何をされかけたのかわからなかった……頭がどうにかなりそうだった……催眠術だとか超スピードだとかそんなチャチなもんじゃあ断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…………よし、これでOKだな、取り敢えず匿ってくれ、エアグルーヴに追われてんだ」

 

「「「は、はあ……。」」」

 

「とりあえずここ借りるぜ!」

 

 ゴールドシップは図書室に入るや否や天井に向かってジャンプし、本棚と本棚に脚をかけ、天井にぴったりと張り付いた。

 

「はぁっ、はぁっ……すまない、ゴールドシップを見なかったか? こっちの方に来ていたような気がしたのだが……本当毎回……。」

 

 ゴールドシップが隠れた直後に訪れてきたのはあのコースでゴールドシップを引きずって歩いて行ったあのボブカットのウマ娘。赤のアイシャドウがよく目立つ。

 声にして伝えると後で恨みを買いそうなので……ゴールドシップの方──天井を見て、もう一度ボブカット赤アイシャドウのウマ娘の方を見て、そして瞬き。

 

「……なるほど、協力感謝する。」

 

 ボブカット赤アイシャドウのウマ娘は私達3人の間の小さな隙間をかき分けて入り、ゴールドシップが天井に張り付いている位置まで向かう。

 ──そして、ジャンプした。

 

「ぐゔぉぇ! からのへぶしッッ!!」

 

 ジャンプがみぞおちに直撃したゴールドシップが苦痛を体現したかのようなうめき声を放ちながら床に激突する。

 

「……そこまでする必要はねえんじゃねえかな! 流石のゴルシちゃんもかなりの痛みを伴いましたわよ!!!」

 

「知らん! 授業中に唐突に抜け出し一般通過ウマ娘を連れ去った挙げ句自慢の脚で逃げる方が悪い! 大人しく授業を受けていれば良いものを!」

 

「くっ! 何も言い返せねえ! 撒ければそのまま昼休みだったのによ! 見逃してくれてもいいじゃんかよ!」

 

 ゴールドシップが床をどんと叩く。そのゴールドシップの表情はとても悔しそうなものだった。

 

「もう既に何回、何十回見逃してると思ってるんだ! ……ほら、行くぞ、立て」

 

「へいへいわかってる……」

 

「何処に行くかは解っているな?」

 

「あいあい……」

 

 ゴールドシップは、耳から尻尾から全部垂れている。ゴールドシップは、ボブカット赤アイシャドウのウマ娘に押されるようにとぼとぼと図書室を出ていった。

 

「……あの人も……大変ですね……」

 

「そうみたいだねぇ……。さて、改めて昼食を摂りに行こうじゃないか」

 

「解りました。」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、邂逅

 私達はついさっき図書室に寄る前にふらりと寄った学園のカフェテリアに着いた。

 ここは食堂とは違うらしい。どうやら朝食や夕食はここで食事を摂っている訳ではなく、寮に併設された食堂があって、そこで食べるそう。だから『カフェテリア』と言ったらここ、『食堂』と言ったら栗東寮もしくは美浦寮の食堂だそうだ。

 カフェテリアの扉を開くと、そこには既にウマ娘が何人か居た。

 ぼさっとした髪質で寡黙そうな芦毛のウマ娘が私の中でよく目立っている。──明らかに胃袋に収まりきらない量の食事をさも当然かのように皿に盛り付けて、それをまたさも当然かのように口の中へすらすらと放り込んでいっている事が原因だろう。

 

「あのウマ娘、食べきるまで途方も無さそうな量の食事を滑らかに口に運んでますけど大丈夫なんですか?」

 

「日常茶飯事だから大丈夫だ、気にしなくていいよ。──というか、アクロマ君は何を食べるんだい? オススメは栄養定食だよ、最も栄養バランスが整っている食事さ。まあ私は昼食はここで摂らないのだけどもね」

 

「……私のおすすめは日替わり、です……。毎日違った味が楽しめますし……とりあえず悩んだら日替わりでいいと思います……」

 

「解りました、ありがとうございます。」

 

 よし、日替わりにしよう。悩む必要はないな。

 

「おやおやおやおやモル……トレーナー君じゃないかぁ~い、私達を一分も待たせるなんて世話係失格だねぇ」

 

 アグネスタキオンが唐突に人を見つけてはその人に向かって歩いて行きながら声をかけた。どうやらあの鞄を持った人はアグネスタキオンのトレーナーのようだ。

 マンハッタンカフェはアグネスタキオンに付いていくように、そのトレーナーの方向に歩いていった。

 よし、付いていくか。

 

「ごめんごめん。ところで……ふたりに聞くけどこのウマ娘は一体誰かな?」

 

「ああ、彼女はアクロマだよ。私の新しいモルモット第三号さ!」

 

 勝手に被検体にされたな。

 

「……一応聞いておくけど一号と二号は僕とカフェってことじゃないよな?」

 

「……まあそれはいいとして! トレーナーくぅん、今日の食事は一体何なんだい? ほらほら世話係だろう? ミキサーをやめろと言ったのは君だろう? 君には私に食事を作る義務があるんだよ?」

 

「……はいはい今出すから」

 

 トレーナーが呆れたように、手に持っていた鞄の中から弁当を取り出す。その弁当は華やかとは言えず、黒い箱3つ。

 その後にマンハッタンカフェとアグネスタキオンに割り箸を渡し、一息ついたところで……

 

「……君も一緒に食べるかい? タキオンの言動から推測するに巻き込まれたんでしょ? 僕からの代わりのお詫びとして、ね。……というかカフェに結構見た目似てるね、間違えてしまいそう。運命なのかもね!」

 

「私は歓迎だよ、カフェが良いのであればだけどね」

 

「……私はどちらでもいいですけど……」

 

「なら食べてもらおう! 割り箸はストックあるから箸は大丈夫、量も文句を言われないように多めに作ってあって、栄養は練りに練って考えて、好き嫌いも考慮して食材は大量に使ってある。食事の不自由はないはず!」

 

 ……やけに早口で必死だ。というか今の話を聞く限りアグネスタキオンって相当な我儘では? 

 ──まあ一緒に食べてもいいか。折角だし、しかもトレーナーときた。もしかしたら担当してもらえる可能性だってある。あと……空腹。

 

「……ありがとうございます。食べさせて頂きますね。」

 

「了解! じゃあ早速食べようか!」

 

 アグネスタキオンのトレーナーとアグネスタキオン、マンハッタンカフェが一斉に黙々と食べ始めた。……ん、マンハッタンカフェ? 

 

「──あ、アグネスタキオンのトレーナーさんってマンハッタンカフェさんも担当してるんですか?」

 

「……え、今更かい? ──食事中暇だし、自己紹介とかするかい?」

 

「それはいい案だねえ、アクロマ君の情報ももっと知りたいし、よくよく考えてみれば私とカフェは元々知っていたけれどもトレーナーの詳しい情報は聞き出していなかったしね。ともかく、私は賛成だよ」

 

「私も賛成です……"お友だち"も気になる、……と言っていますし……」

 

 お友達……? なんか時々何もないところに話しかけてるがまあ突っ込まないでおこうか。

 

「解りました。ではまず私からで良いですか?」

 

「了解!」

 

 さて、ノリか何かで私から自己紹介を始めることに決まったのだが、一体何を話そうか……。

 まずは名前から──。

 

「私の名前はアクロマです。つい今日ここに転入することになりました。改めましてよろしくお願いします。」

 

「私はアグネスタキオン、ただの研究好きさ。改めてよろしくね、アクロマ君。」

 

「……マンハッタンカフェです……。よろしくお願いします……」

 

「僕の名前は加藤未来(みく)、明るい性格が特徴だよ。見て分かる通りアグネスタキオンとマンハッタンカフェのトレーナーをしているよ。最近はタキオンの口調が移っちゃってちょっと困ってるんだ。よろしくね!」

 

 確かに、所々アグネスタキオンのような口調になっている。口調が一定じゃないとは薄々思っていたがそういう理由があったのか。

 

「……すぐ終わっちゃったね。……趣味とか言い合う? ……僕の趣味はウェブ小説を読んだり、音楽を聴いたり……──まあ最近多忙であんまり出来てないんだけどねー……」

 

 ……あれ、多忙? どこかの誰かのあの人は『兼業じゃない限り午前は基本暇』とかなんとか言っていたような気がしたが……。

 つまり兼業しているのか。話題を広げられそうだしこれについて聞いてみるか。

 

「兼業してるんですか? トレーナーは午前は多忙ではない、と聞いたので……。」

 

「そーれどんなバケモノから聞いたの!? 多忙じゃないよむしろギュウギュウだよ! トレーニング内容の確認でしょ? シューズとか蹄鉄とかがあるかの確認でしょ? レースの予定見たりとかライブの振り付けをマスターしたりでしょ? あとあとは、タキオンとカフェのデータの整理とかさ?」

 

「確か……チームスピカ? のトレーナーから聞きましたが……」

 

「スピカトレーナー!? ……アクロマ、一つ言っておくよ。あのトレーナーは、バケモノ。アクロマがもしトレーナーになったりしたらわかるかもだけど、大量の仕事を何もなかったかのように済ますんだよ。放任主義だから仕事が少ないんだ、とか言われてるけど実際放任主義だったとしても多忙なのには変わりないからさ。しかもあの人チームトレーナーだし。」

 

 そうだったのか。ただあの人の主語が大きかっただけだったか。

 

「そうだったんですね……。──アグネスタキオンさんとマンハッタンカフェさんは何か趣味はあるんですか?」

 

「そうだねえ、強いて言えば実験であったり研究であったり……実験であったりかな?」

 

 突っ込みどころしかない。まあ、今までの言動から考えるにアグネスタキオンはそういう性格なんだろうな。

 

「……私は珈琲を嗜んだり、登山をしたり……しています。……アクロマさんは普段何をやっているの……ですか?」

 

 私……か。私の趣味……か。私の趣味はなんだろう────。

 

 

 

 私は、生まれてから──物心がついた頃からずっと走ることを許可されたことがなかった。

 どうも彼奴は頑なに私に走らせたくない理由があるようだが。

 

 ──そんな縛られた環境だった私は、走れなかったので碌に外にも出ず、ひたすらに家の端で自分が持っていた本や彼奴が持っていた本を盗み出して読み、そして挙句の果てには辞書までも読み漁り始めたのだ。

 

 今になっては辞書の内容は鮮明に思い出せないが、それでも鎖に拠って縛り付けられた私にとっては一種の情報入手手段だった。

 他にも、物語や図鑑、絵本や新聞までも置いていたから読んでいたが、特に記憶には残っていない。──強いて言うならば『駆けろ、ウマス』やその辺りだろうか。

 

『駆けろ、ウマス』。中距離レースを走るウマ娘を描いた青春物語である。もう読んだのはかなり前だから詳しい内容はあまり覚えていないが、確かかなり汗と涙が多用されていた気がする。所謂スポ根感動物語。

 

 私はその物語で、私がウマ娘である理由を考えたし、もし私が制限されずに自由に走ることが出来ていれば、なんてことも考えた。──当時は考えただけで諦めていたけれども。

 

 ──そういえば──。読む本が極太の辞書以外無くなった時、私はとうとう自分で本を書いてみようか、とも思い始めたな。

 自分の夢を書き記して未来の自分に託したり、その夢物語の中で自分の夢を叶えようとしたり……。結局は『経験が全く以て存在しない』を理由に初める前に終わってしまったのだが。

 そして最終的には読める本を全て読み終えて生きながらも死んでいる人形のようになっていたのだが。

 

 ──ん? ────初める前に終わる──……か。

 そういえば────

 私が"初めて走った"時は領域が構築された。

 私が"初めて芝で走った"時も領域が構築された。

 "初めて裸足で走った"時も、"初めて靴で走った"時も。

 "初めて太陽の下で走った"時も、"初めて月の下で走った"時も。

 そして、"初めて領域を構築した"時も、"自分の創造した世界に彩色する方法を理解し、実践した"時も。

 

 ……──そうか。"初めて"。これがキーワードか? 

 変幻領域の構築条件は"初めて"がキーワードである、と仮定した時に、二回目に芝の上で太陽の下で靴を履いて走った時に手応え一つ感じず終わったことにも納得できる。

 

 つまり何かを創造すれば良いのだ。"初めて"の何かを創るのだ。そうすれば理論上は変幻領域の構築条件は満たされる。

 そこで出てくるのがさっき思い出した『本を書いてみようか』という感情。本を書くということは新しい世界を常に創造し続ける行為。つまりそれは実質常に"初めて描く世界と文章"を生成し続けることになる。

 

 ……よし、後でやってみるか──。

 

 

 

「アクロマ君? ずっと何も考えていないような虚ろな顔からいきなり希望に満ちたような顔に変わったけれどどうしたんだい?」

 

 ──はっ。つい自分の記憶巡りと思考に耽ってしまっていて本題を忘れていた。

 ──趣味か。──そうだな、これにしよう。

 

「私の趣味は読書や創作です。マンハッタンカフェさんの趣味は何ですか?」

 

「ほうほう読書かい、これは気が合いそうだねえ。──創作、とね。一体何を創作しているんだいアクロマ君? 聞かせておくれよ」

 

 何を……か。抽象的なものしか創作していないからどうすれば良いのだろう。此処は正直に行くか……。

 

「世界です。」

 

「世、世界……? ──まあこれ以上はまあまた後々聞くとしようか。──趣味も言い終わってしまったねえ。そろそろ食べることに専念しようじゃないか」

 

 アグネスタキオンが食事に目を向けると、箸を動かして黙々と食べ始めた。

 それにつられてかマンハッタンカフェとトレーナー、そして私も黙々と口に食事を運び始めた。

 

 ──その作業は10分もしない内に終わっていた。

 

「ごちそうさま、トレーナー君。早速だけど今日の予定を教えてくれるかな?」

 

「……ごちそうさま、でした……」

 

「今日の予定は……レースをしてもらいます! ──あ、レースって言ってもガチのやつじゃないよ?」

 

「ほうほう、それはなかなかに興味深い。走るのは誰なんだい? カフェと私かい?」

 

「……今日は調子がいいので……頑張って追いつきます……お友達にも……」

 

「カフェとタキオンは当たり! だけどもう一人居るんだよねえ、ここに!」

 

 トレーナーが私に視線を向ける。

 

「アクロマ、今日モチロン走れるよね? 見た感じ専属のトレーナーはまだついてないみたいだしフリーでしょ?」

 

 ──走るか。変幻領域の条件の仮定『初めて』に則った時、私はこのレースに参加すると大量の初めてを経験することができる。領域の条件の探査にもなるし、損はないはずだ。

 

「解りました。もう少し詳しい情報をお願いしたいのですが……。」

 

「おっと、ついでだし説明するよ。芝2000m! それ以外言うことはない! 唯一のルールは自由に速く走ることだよ!」

 

 かなり簡潔にばさっと説明したな、このトレーナー。──寮の説明はあれど、時間はある程度あるはず。全然大丈夫だろう。

 ──だが一つ、重大な問題が有る。

 

「2000mを走り切るほどのスタミナがない……。」

 

 そうである。私は2000mどころか1600mも走ったことがない。走ったことが有るのは800mと1400mである。800mはスタミナが少し残っていたが、1400mは領域がなかったのも有るがスタミナが少ししんどかった。600mの差を埋めることは経験的に厳しそうだ。

 

「あー……、その問題があったかぁー……。2000mって走ったことあるかい?」

 

「ないです……。」

 

「なら走ってみなよ! 何事もやってみることが大切だよ」

 

 そうか……。やってみることが大切、だな……。

 

「……解りました。私も参加させていただきます。よろしくお願いします。」

 

「了解! じゃあ軽くアップしてから早速やろうか!」

 

 アグネスタキオンとマンハッタンカフェのトレーナーがそう言うと、コースがある方向にゆっくりと歩き出した。

 

 ──初めて誰かと走る私。少し気分が高揚しているのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、競走①

 芝2000m、目が焼けてしまうほどの快晴の中、3人のウマ娘がただ並んで開始の合図を待つ。

 澄み渡る空、ひりひりと痛感する隣からの緊張。身体が強張る程に澄まされていくこの耳。

 

 ……あのトレーナーが手を上げた。その瞬間に一気に背の筋肉が張り付き、周囲を取り纏っていた空気からより一段と感じられるようになる威圧感。

 光沢溢れるコース上の芝に、若く逞しい木々がよく視える。

 

 始まりを知らせる風の静寂が訪れ、全身の感覚が研ぎ澄まされる。

 私の濁った、無彩色の空のような色をした瞳が、段々と濁りを失い純粋な無彩色へと変わるような気がした。

 

 ──さあ。そろそろだ。

 

 

 

 スターターが挙げていた腕をスターターが下へ勢いよく落とすと、3人のウマ娘たちがとてつもない勢いで駆け出していった。

 

(意識する事がらは二つ……"初めて"、"2000m"ということ。800mや1400mとは大きく違う。──1400mと800mの差と2000mと1400mの差は同じだが、そこにはスタミナの限界値という大きな壁がある。そのスタミナの限界値を如何にして限界まで使い、且つ高速で走るかが重要な鍵となってくるだろう。……マンハッタンカフェとアグネスタキオンは私と違い日々トレーニングによりスタミナや最高速度、加速、コース取り等も鍛えられているはずだ。だから基礎能力は圧倒的に私が劣っている。──だ、がその状態でも勝つ方法なんていくらでもあるんだ。……この今の走り具合を見るにマンハッタンカフェ・アグネスタキオン共に序盤は抑えて終盤で開放するタイプの走法だろうな。彼女らの息もまだまだ全然落ち着いているし。……彼女たちは2000mやそこらではバテないスタミナを持っている可能性すら大いにある。──特にマンハッタンカフェだ。バテるどころか全然微動だにしていない。安定的なフォームと安定的な走法だろう。アグネスタキオンはマンハッタンカフェに比べると若干不安定性があるが、その分脚の力が強く限界速度を出した時の爆発力が大きそうだな……。)

 

 先頭を進むのはアグネスタキオン、続いてほんの少し離れてマンハッタンカフェ。そしてマンハッタンカフェに並ぶようにアクロマが居る状況だ。

 

 それは第一コーナーになっても状況は変わらず。2000mに於いて序盤というのは他のウマ娘の状態や脚質・作戦などの確認であったり、自分自身のコンディションを確認する場でもあるのだ。

 

 アグネスタキオンはいつも通りの最高級の脚と頭脳で正確にレースを運んでいる。

 マンハッタンカフェは常に何かの背中を追うように、ずっと前に前にと夢中で走っている。

 そして……

 アクロマは、ひたすらに周囲の環境を把握しようとし、そこに新たな彼女の世界を上書きしようと模索している。

 

「──そろそろ──……。全ての意識を自分に向け、色々な初めてを描き新しい世界を想像し創造して……。……ほら、視えてきた。」

 

 光合成を感じさせる緑黄色から、太陽の浮かぶ海の空。それらが少しずつ、少しずつ彩りを失い、全て真っ新の無彩色に彩られていく──。

 

(一つ目。今私の近隣に居るこの二人のウマ娘の存在と共にレースをしているという事実。……そして二つ目。私は、つい最近に初めてこの領域という力を理解し、そしてそれの発動を試みようとしている事実。……最後に三つ目。私が、初めてこの有彩色の世界を無彩色に彩ろうと自ら筆を握ったという事実。これらの事実を無彩色の筆の絵具にし、私は勢いよく筆を下ろす。)

 

「……っ!? お友だちがっ……壊れていく……!?」

 

「……ほう。中々に不可思議な現象だねぇ……」

 

 発現したアクロマの変幻領域は遥かな二人の世界にでさえ影響を与え、新しい世界の創造・形成を阻害する。たとえそれが世界でなくても。たとえそれが決意でも……。アクロマの変幻領域は道のりをも溶かし尽くしてしまうのだ。──本人は自分の世界を想像し創造しているだけであるが。

 

(──よし。これで前提条件の構築は完了。)

 

 いつしか有彩色の美しい自然の世界であったものは、無彩色の漫画のような世界へと変貌していた。

 

 自分自身の付近に居る二名のウマ娘の極彩色を薄め混ぜ合わせ溶かし尽くし、ラフの輪郭線をなぞるように丁寧に激しく色を塗り重ねていく。

 

「っ……! 逃げないと……っ! お友達だけじゃなくて……私までも……っ! 無彩の影に飲み込まれる……!」

 

 マンハッタンカフェは、普段の彼女とは大きくかけ離れた大逃げに作戦を変えた。

 ──変えざるを得なかった。

 普段の彼女は基本他人の後ろにつき様子を見た後、お友達と同じタイミングで駆け出し脅威の末脚を発揮しながらゴールを目指す、所謂追い込み・差しの脚質である。

 そんな彼女が逃げ……それも大逃げをかますと一体どうなるか。それは明白で、勿論彼女自身も理解した上での行動である。──そう、落ちるのだ。

 この小さな小さな馬群に。影の沼に。

 

『沼の中で泳ぐより、空を羽ばたいたほうが幾十倍も速い』

 

 こんな解りきっている事を、マンハッタンカフェはたった今初めて実感し、頭の中に思い浮かばざるを得なかったのだ。その元凶は言わずもがな沼の最下部に居る黒い影。もう一度入ると抜け出せなくなる影。

 ……平穏な時の世界が、唐突に終わりを告げるのだ。

 

 アグネスタキオンは、マンハッタンカフェの事を眼中から外し、ひたすらにこの大沼から逃げ出すことだけを考えていた。

 

 彼女自身は判っている。このままではスタミナが保たないこと。

 彼女自身は判っている。このままでは持ち味の走りができないこと。

 

 いつもはとっくの前に出せている勝利の解も、今回は全くの膠着状態。──そう。

 

 彼女自身は判っていない。"このまま"を打開する方法を。

 

 挑むか逃げるか。この単純な只の判断が、彼女の天才的な勝利を阻む。

 

(ほど)けない……ッ! 足掻くことしか出来ない……ッ!」

 

「……どうにか……ふぅン……この状況を打開する方法は一つしか無さそうだね──」

 

 アグネスタキオンは、マンハッタンカフェの真後ろを取るようにスピードを少しずつ上げ、アクロマの謎の領域からいち早く抜け出してやる、と思うのであった。

 

 

 

 

 

 ────「彩色。これは私を修飾する言葉。」

 ────「ならば。渡された役目しか出来ないなら。」

 ────「何にも形容できない。」

 ────「何にも修飾できない。」

 

「そんな世界を──。」

 

 瞬間、無理やり生まれていた無彩と有彩のコントラストが明滅し、全ての情報が混濁する。木々は小鳥の囀りを口ずさみ、自分自身が走っているこの青い何かは一歩一歩を踏み出すたびに赤紫の砂へと変貌した。

 

 そして、私自身も全てがごちゃまぜになって、ただ無意識に彩色する。ただ無意識にひた走る。

 

「っ……ぁ……っ……」

 

「圧倒的な───と圧倒的な───。これは……限界を超えたと仮定したとしても……敵わないね……」

 

 アグネスタキオン・マンハッタンカフェが共に息苦しそうにする。

 

 そう。世界は私のものなのだ。それも一つじゃない。幾つ? そんな事もうわからない。幾つもの無彩と有彩が交差する世界の狭間で私達は走っているのだ。

 世界は一つじゃない。この世界が分岐点で、そして終点。

 息苦しそうにしている彼女らも当然そんな事は考えない。だってこれは"私の"想像であり創造だから。──というか、そんな事は考えさせない。徹底的に縛り付け、『結果的に私が勝利する』。それが必然であったかのように。

 

 そこにはゴール板があり、もう既に彼女らは後ろに居る。必然的な勝利である。

 

 

 

「──?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色の失敗

「──?」

 

 突然世界が明滅する。

 信じられない。信じたくもない。

 脳裏に、自分の虚像が嫌になるほど大量に張り巡らされる。"初めて"に気分が昂ぶっていた私はさっきまでゴール板の付近をじっと静かに冷徹に駆け抜けようとしていた。

 

 新品のパレットに垂らされた絵の具が薄く薄く水で流され消えていくように。

 血が粉雪で覆われるように。

 

 

 

 そうさ、ここまで感傷的に困惑したのは初めてだ。

 ただ唖然とする。実に、これは運命のよう。

 

 瞬きをする。

 そして眠った。

 

 

 ──────────

 ──────────

 

 

(後ろから感じる……影に、呑まれてしまう……。)

 

 圧倒的な無彩色の圧。今までのどのそれよりも、今までのどのそれよりも強大な影。

 ──マンハッタンカフェもまた、恐縮しきっていた。

 

(速く逃げないと……呑みこまれてしまう前に……。)

 

 脚をエンジンの如く速く速く動かし、手を目一杯に振り切る。

 "お友達"はもう呑まれた。残るのは自分だけ。

 "追いかける"ことではなく"逃げ切る"ことをしないといけない、彼女にとって今までで初めての状況だった。

 

(もうゴール前……このまま、逃げ切る……っ! ひたすらに……ひたすらに……っ!)

 

 そう夢中になっているうちに、影はもう隣まで来ていた。

 ──遅かったのだ。

 

(あ……っ。──そうだった……。結局私は──あの子が居ないと──……。)

 

 

 

 ……と彼女が思っているうちに、彼女はゴール板を駆け抜け、アグネスタキオンはゴール板の先で魂を抜き取られたような顔をして、──アクロマはただ一面の蒼い床にひた倒れていた。

 

(はあっ、はあっ……。逃げ切れ……なかった……。影の……。)

 

(あれ……アクロマさん……。え……。)

 

 

 ──────────

 ──────────

 

 

 いつもの、純白い天井。

 いつもの、痛みを感じる身体。

 

 

 

 

 

 私は目を開けた。

 

「あっ……。」

 

「起きた!? 大丈夫!?」

 

「やあやあアクロマ君。起き抜けで悪いが君の身体の容態をある程度説明させてもらってもいいかい?」

 

 響いている頭痛が耳の情報を処理しきれずに痛みを増幅させる。

 

「──簡単に言うと、なぜ生きてるのか問いたくなる程の怪我だね。まあ今後しばらくは動けないだろう」

「身体全体を芝に擦り付けるように倒れて、全身挫創はもちろんのこと、打撲に一部骨折……。復帰できる状態になるまで一ヶ月以上は掛かるだろう」

「──勿論、私達は手伝うよ」

 

 足掻いても足掻いても足掻けない。抑々足掻こうとしても足掻けない。

 一日目でいきなりか。でもまあ──不幸中の幸いだろうな。

 今は全身が痛い。何も考えたくない。

 

「……寝てもいいですか。」

 

「ああ、ご自由にどうぞ」

 

「……はぁ……」

 

 自棄に青かった、自分の心と対比したような空が、憂鬱な気持ちに近づくようにどんどん赤く紅く変わっていっていた。

 

 おやすみ、アクロマ。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 耳を起こす小鳥の囀りに、身体を引き止める白飛びした人肌のように暖かな布団。

 

 心地良いな。転寝気味の脳内が再休止の信号を要求している。

 

「……ふっ。」

 

 脳内の要求を振り切った私は再要求されないようにすぐさま寝そべっていた体を起こし、そのまま伸びをした。

 

 ここ、トレセン学園での生活は二日目のはずなのに、もう何日もここで過ごしたかのような親和感と疲労感。

 

「マルゼンスキーさんは今一体何をしているのだろう。」「そういえばあの緑の人に寮の紹介をしてもらう予定だったな。」「アグネスタキオンさんやマンハッタンカフェさん、そのトレーナーさんは自分が眠りに落ちた後なにをしたのだろう。」

 

 ──沢山の考えが脳裏へと浮かび上がる。

 見飽きたようなものしかない個室。動けない身体。

 

「……あれ、これ……。」──二度寝しても良かったのでは……? 

 

 ほんわかとぼやけた脳内で二度寝と起床の二つの派閥が争い合う。

 

(今起きていても意味がありません、誰かが来た時に再び起きれば良いのです。)

(入ってきてくれた誰かに『寝ているし、そっとしておこう』と気を遣わせてしまう可能性だってあります。──一部例外も居るでしょうが。)

(それにしても、誰も来ない可能性だってあるでしょう。その間、こうやって独り心の中で会話を繰り広げるのですか。)

(──でも、足音がしますよ? つい先日の朝にも体験したような雰囲気の。)

 

 誰かが廊下を歩く音。

 そしてもう少しすると、そこの扉が開いた。

 

「よっ、アクロマ。ぐっすり眠ったか? 大体の容態は聞いてるぜ、一ヶ月以上は走れないんだってな。ほら、朝飯持ってきたぞ」

 

 スピカトレーナーがゆっくりテーブルに歩み寄り、ベッドの横に置いてある小さなテーブルに朝食である食パンと目玉焼きが載った皿を載せたトレイを置いた。

 

「すまんな、特に材料がなくてこんなのしか作れなかったんだ。ま、食ってくれるとうれしいぜ」

 

 この人は自分の後頭部をワシワシとし、テーブルの横に備え付けられている椅子に座った。

 

 バターを引いて焼かれたやや太めの食パンと、すごく綺麗な形の目玉焼き。

 

「──いただきます。」

 

 ささっと身体を起こし、テーブルの側に腰掛けた後にトレイを膝に置いて……まずは目玉焼きから、とトレイにあった箸を使い、裂いて口へ運ぶ。

 

「……美味いか? パッと作ったやつだから味とかイマイチよくわかってなくてな」

 

 ……少し濃い。──が、これくらいがパンには寧ろいい塩梅だろうか。

 

 食パンもゆっくりと頬張る。

 

「味がけっこう付いていてパンとよく合います。十分美味しいです。」

 

 そう言うとこの人は何故か変に驚いたような顔をした。

 

「そ、そうか。結構薄いかなと作ってて思ったんだが、丁度いいなら良かった。ゆっくり食べな」

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

「朝食ありがとうございました、わざわざ。」

 

「いや、いいんだって。俺が自己満足でやったことだしさ」

 

 また後頭部をワシワシと掻くスピカトレーナー。

 

「……ところでさ、アクロマお前……これから暫く暇な時間が続くだろ?」

 

「はい。」

 

「俺が昔読んでた本とか、要るか? 俺が研修になるまでだったり、研修中にひたすら勉強するために読んでた本だからジャンル的には参考になると思うぜ、どうだ?」

 

「では、貸していただけますか?」

 

「了解! んじゃ、持ってくるよ」

 

「わかりました。」

 

 その後、スピカトレーナーは席を立ち、白い扉をそっと開けて自室に向かったようだった。

 

 自分の膝には空っぽの皿が2つ入ったトレイが。

 そっと元あった机へ戻しておいた。

 

「はぁ……。」

 

 ──体が底知れず気だるい。昨日一日中動いては転けてを繰り返していたからか、かなり体には疲労が溜まっているようだった。

 無の時間をひたすらに実感する。小鳥の囀りは数少ない蝉の微かな声に代わり、囁くように鳴り響いていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

彩色うまむすめ、休憩

「すまん、ちょっと遅くなった。適当に選りすぐりを二冊持ってきたぞ。あっ、トレイは片付けておくな」

 

 やや埃を被った本二冊がトレイが置かれてあった場所に代わり置かれた。

 

「んじゃ、俺は今日ちょっと会議があるから離席するぞ。ゆっくりしててな」

 

「はい。」

 

 白い扉を開き閉じる音が部屋中に響く。

 持ってきてくれた本に手を伸ばし、──そっと開いた。

 

 

 ──────────

 ─────────

 ────────

 

 

 ふと目が覚め周囲を見渡すと、部屋全体が茜色に染まろうとしていた。

 ──本を読んでいる途中で寝てしまっていたようだった。

 

 腹部からすごく大きな音が鳴る。

 そういえば、昼食を摂る前に寝てしまったな。

 だが今はただ誰かを待つことしかできない。寝すぎたせいか空腹のせいか本を読み進める気にもなれずただひたすら無心の時間を過ごしていた。

 

 そうして暫くしていると、昨日と同じような、落ち着いた『コツッ』とした音。

 

 しばらくしないうちに病室の扉が開いた。

 

「ウマ娘ちゃん! えっ、その包帯どうしたの!? まさか動いて悪化しちゃったの!? 大丈夫? 晩ごはんきちんと食べられた?」

 

 マルゼンスキーさんがとてつもない心配の眼差しで見つめながら、ベッドのそばまで駆け寄る。

 

「はい……。──実は、あのとき動こうとしたら動けて、それから色々あってもう一回こけてしまって……。」

 

「だから安静にって言ったじゃない! もう、大丈夫なの?」

 

「はい、一応……。体は暫くの間動かせないみたいですけど。」

 

「……それって結構重傷じゃない?」

 

「かもしれません。」

 

 マルゼンスキーさんは相当に私を心配してくれる。

 ここまで他のウマ娘を心配したり尽くしたりできるウマ娘はそうそう居ないのではないか? 心の余裕があるから出来ているのだろうか? 

 

「あっ、ところでウマ娘ちゃん。晩ごはん必要よね、何がいい?」

 

「あっ、良いんですか。……なら……うーん……なんでもいいです。」

 

「じゃああたしのイチオシにしておくわね! 取りに行ってくるから、安静! にね?」

 

「はい……。」

 

 マルゼンスキーはそう言うと、たったと足早に部屋を出ていってしまった。

 

 ……──そうして数十分も経たないうちにマルゼンスキーは若干息を切らしながら帰ってきた。

 

「おまたせ、ウマ娘ちゃん! 待った? はい、あたしイチオシの食堂特製黄金にんじんハンバーグ! 味から大きさから、何をとってもチョベリグなのがこの子! まさに今を行くナウいディナー!!! どう? 初めて? ささ、早く食べてみて! 激ウマ~! だから!」

 

 今にも今にもとその人参ハンバーグとやらを食べてほしそうに見つめるマルゼンスキー。

 

 そこまでのものなのか? 丁度お腹も空いてきはじめた頃だったから、ありがたくいただくとしよう。

 

「じゃあ、いただきます。」

 

「どうぞ!」

 

 はむっ、とマルゼンスキーさんが切ってくれた温かみを帯びるハンバーグをぱくり、と食べる。

 

「んぐんぐ……おいしいです。」

 

「そうでしょそうでしょ!? ……って、食べるの速いわねウマ娘ちゃん、もう半分以上なくなってるじゃない。本当にこれで足りる?」

 

「んぐんぐ……はい、足ります。ありがとうございます。」

 

 そして──もう気がついた頃には皿の上のハンバーグから人参、周囲の彩りのある野菜共々でさえも私の胃袋の中に収まっていたようだった。

 

「ごちそうさまでした。……ところで、一つお話があるんですけど……。いいですか?」

 

「うん、もちろん全然OKよ! 聞かせて頂戴?」

 

「……私がもう一回転けた時のレース中に感じた感覚についてです。まず、アグネスタキオンさんとマンハッタンカフェさんのトレーナーさんから『レースをしないか、アクロマ』と質問されたんです。『うちのタキオンとカフェと一緒に走ってもらいます!』……的な感じで。私は正直暇だったのでそれに応じて、そしてそのままレースをしました。──問題はレース中のことなんです。私が『初めて』であることを意識していくと世界が無彩色……モノクロに見えてきて、彩ろうとすると思い通り綺麗に世界が塗られていくんです。そして自分が塗った世界を走っているうちに自分自身はどんどん加速していって、気づく暇もなく夢中でゴール板を通り抜けたんです。──実際には残念ながら気づく間もなく転けていて、ゴール版は通り抜けていませんでしたが。」

 

「……ルドルフから聞いた"領域"みたいなやつかしらね? 今の話を聞く限り」

 

「マルゼンスキーさんもルドルフさんを知ってるんですか。──はい。実際にルドルフさんから聞いたところ"領域"だそうです。それも特殊な。」

 

「そうなの! すごいじゃない! 才能に満ち溢れてるわね!」

 

 ──才能……。

 

「……ありがとうございます。話はそれだけです。」

 

「わかったわ! じゃ、あたしはそろそろお家に帰らなきゃ。ウマ娘ちゃん、また明日!」

 

「あ──待ってください。そういえば一つ重要なことを言い忘れていました。」

 

「なになに?」

 

「私の名前はアクロマです。」

 

「──……え?」

 

「私の名前はアクロマです。」

 

「……やっぱり名前あったんじゃな~い! 『知らない』って言ってたけど、どこで思い出したの?」

 

「自分でそう名乗っているだけです。転けた時に唐突に"アクロマ"の四文字が名前としてしっくりきたんです。」

 

「……あら、そうなのね! じゃああたしはこれから"アクロマちゃん"って呼ぶことにするわね! じゃ、お家に帰るわね、また明日、ね!」

 

「はい、また明日。」

 

 マルゼンスキーが落ち着いた様子で病室のドアを開け出ていった。

 

 そして、出ていってドアを閉めたすぐ後くらいに、外から何やら話し声が聞こえてきた。

 

「あら、マルゼンスキーさん」

 

「たづなさん! 珍しいわね、たづなさんがトレーナー寮の、しかも病室になんて」

 

「はい。少しアクロマさんにご用がありまして。アクロマさんの病室はここで間違いないですか?」

 

「ええ、中に居るわよ! ……アクロマちゃんと何か話すの?」

 

「はい、ちょっと。昨日の夕方に説明しようとしていた寮のシステムであったりだとか、制服関連であったりだとか、です」

 

「そっか! たづなさんも頑張ってね! チャオ~」

 

「さようなら、マルゼンスキーさん」

 

 そうして間もないうちに、扉が開いた。

 

「こんにちは、アクロマさん。話は聞いていますよ、なにやら昨日にこけて大きな怪我を負ったとか……身体は大丈夫ですか?」

 

「はい、動かしたら痛みますが安静にしていればジンジンくるくらいですかね。あとは……包帯に巻かれている部分が少し痒い、くらいですかね。」

 

「それはよかったです。ところで、昨日アクロマさんに説明しようとしていたことについてなんですが……」

 

「あ、ごめんなさい。昨日行けなくて。」

 

「大丈夫ですよ。……コホン、では、まずは寮のシステムについて説明しますね? まず、寮は栗東寮と美浦寮の二つの寮からなります。それぞれ寮長というものが存在していまして、栗東寮にはフジキセキさんが、美浦寮にはヒシアマゾンさんが担当していらっしゃいます。彼女らはとても面倒見がよく、"お姉さん"ポジションとして寮に居るようですね。……次に、寮内の仕組みもとい学園内での食事についてですが、基本的に朝食と夕食は寮内で、昼食は学園内で、という形になっていまして、朝食・昼食・夕食の三つに共通することとして、"自分で選んで自分で取る"という仕組みです。朝食・夕食は食堂にて食券を購入し提示することで選んだメニューを購入できます。そして昼食はカフェテリアにて食券を購入して提示することで選んだメニューを購入できます。昼食についてはまれにイベントとしてバイキングなども行っております。……ここまでで、なにか質問はございますか?」

 

「いえ、特には……。あっ、寮の部屋ってどんな感じですか?」

 

「そうですね、基本的には同室のウマ娘が一人いて、部屋に入って右と左に分かれて住む感じです。最初からベッドと机、棚が置かれています。他に質問はありますか?」

 

「いえ、特に。」

 

「分かりました。次は制服とジャージ、体操服について説明しますね? 制服は夏用の半袖とスカートに、冬用の長袖と厚めのスカートがございます。夏用と冬用にはデザインの差がございまして、夏用は白を主体とし、冬用には青を主体としたような色使いになっております。ジャージは、赤と白を主体としたものとなっております。体操服については、ハーフパンツとブルマの二つがございまして、それらから選ぶことができます。体操服、ジャージ、制服においては、全ウマ娘同じものとなっております。これらについて、質問はございますか?」

 

「あっいえ……あ、サイズについてなんですが……。」

 

「サイズに関してはですね、いつでも言って頂ければお取替え致しますよ。制服については少々お時間を取らせていただくことになりますが……」

 

「ありがとうございます。」

 

「いえいえ、大丈夫ですよ。では、私は用事が終わったのでこのくらいで失礼させていただきます。またいつか寮について実物を見ながら説明いたしますので、元気になった際にはお声掛けください」

 

「わかりました。」

 

「では、さようなら、アクロマさん」

 

「さようなら。」

 

 静かな音を立てて扉が開いた。

 そして、いつの間にか茜色であったはずの空は暗く、暗くなっていた。

 

 することも何かをする気力もない。私はそのままもう一度眠りにつくことにした──。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ぶらり歩きの日常①

 ……それから、暫くの月日が経った。

 

 湿度が高めな梅雨の日でも、曇りに曇った静寂の日でも、蝉がうるさく鳴き盛る夏の日でも、ちょうどいい暖かさの日向ぼっこ日和でも、朝起きて朝食を摂り、本を読んだり絵を描いてみたり動く練習をしたのち、昼食を摂り、また本を読んだり絵を描いたり、動く練習をしたのちに夕食を摂る。風呂にて、頭だけでもささっと洗ったのちにベッドの中で眠りに落ちる。

 

 超健康的治療生活を過ごしたアクロマは、類まれない回復能力で完治に近づいていったのである。

 

 スピカトレーナーとマルゼンスキーは、私のお世話をしてくれている時によく病室で一緒になり、そのたびに会話をしているうちにどんどん打ち解けていっていたようだ。

 

 

 

「アクロマ、今日の調子はどうだ?」

 

「もうそろそろ普通に動けそうです。」

 

「おっ、そうか! さすがウマ娘といったところか、回復速度もケタ違いだな」

 

「……ウマ娘の中でもケタ違いの回復速度なんだけどね、こんな回復早い子見たことないもの。あたしだって膝の骨折で3ヶ月かかったのに」

 

「マルゼンスキーがそう言うのならウマ娘の中でもケタ違いだな。よかったじゃねぇか、すぐ走られるようになって」

 

「……はい。本を読んだりすることによって得られたものもあります。それを早く実践に移したい、という気持ちが常にこみ上げてきて、身体がうずうずします。」

 

「おっ、そうか。それはよかった。まあまともに動けるようになるのはいつになるか分からんけどな」

 

「アクロマちゃんの回復力ならすぐに走れちゃいそうね」

 

「素直に有り得るのが怖い」

 

「……本、ありがとうございました。おかげで理論に基づいて走ることの大切さなどが理解できました。」

 

「お……おう。そう改まって言われるとちょっとなんだか……なんか変な感情になるな」

 

 彼は後頭部をワシワシする。

 

「……サポート、ありがとうございました。わざわざ毎日ここまで来てくれた上に朝食と夕食も。感謝してもしきれません。」

 

「い、いいのよ! あたしが勝手にやってただけだし、当たり前のことよ!」

 

 あからさまに照れているマルゼンスキーとスピカトレーナーを眺めながら、軋む身体が動くことを確認した。

 

「……んじゃ、俺はそろそろ行かないとな」

 

「あたしも行かないとね、チャオ!」

 

 ちらっと、部屋に置かれたデジタル時計を見る。

 そこには、日付の右側に小さく赤色で"祝"と書かれていた。

 

「……今日、祝日ですよ。」

 

「「ぇあっ……」」

 

「い、行ってくるわね! またね!」

 

「んじゃ俺も! またな!」

 

 恥ずかしいの気持ちでいっぱいだったのだろうか、すごい早口で言葉を発してから早歩きも早歩き、『もはや走っているのでは?』というスピードで病室から駆け出していった。

 

 じゃあ、私も少し散歩にでも行こうじゃないか。

 

 病室から出てすぐ左に歩き出す。

 あのトレーナーと最初に出会ったあの小さな広間。白い壁に色あせた茶色の動かせるタイプのソファ。

 まだ身体が動きづらくて少し疲れてしまった。ちょうどあの人が座っていたソファがあるし、そこに座ろう。

 あっ、見た目に反してふかふか。

 

 使ったことがなくて若干戸惑いながら乗せてもらった、たったひとつのエレベーター。使っているところを見ていたし、流石に使い方は大丈夫だろう。

 

「そろそろ行きますか……。」

 

 ふかふかソファから重い腰を上げ、エレベーターの眼前に立つ。

 

 エレベーターの横に付設してあるボタンを押して、エレベーターを呼び出すのだ。実に簡単である。

 

 ボタンを押して間もなくエレベーターがやってきた。

 アクロマは中にするりと入っていく。そして行きたい階のボタンを押す。

 …………。

 押した。押したのだ。

 だが、ぴくりともエレベーターは動かない。押したら階のボタンが光るはずなのに、光らない。

 もう一度押しても、何度押しても動く気配すら見せない。

 そうしてしばらくしているうちにエレベーターの扉の自動開閉機能で扉は閉まってしまった。

 

 ──アクロマはボタンを押した。だが、それは上矢印のボタンだった。

 アクロマは理解していなかったのだ。『上矢印を押せば上に行き、下矢印を押せば下に行く』という一般人からすれば至極当然のことを理解していなかったのである。

 ここで一般人ならば、『外に出て下矢印のボタンを押せば解決』という判断が取れるかもしれない。だがしかし、アクロマはエレベーターの移動の方法は分かれどドアの開閉方法を理解していなかったのである。

 無知なアクロマは戸惑う。そして、最終手段として順に上からボタンを押していく。

 だが、そこで起こるのはボタンを押したタイムラグによって到着する場所が変わる、いくつか上の階への移動のみ。

 エレベーターが無情にも動き出し、アクロマはより一層困惑する。

 

「1を押しても動かないのに、6を押したら動き出すの……。」

 

 さらに、動き出したことにより困惑し次のボタンを押す手が止まる。

 6階は最上階である。つまり、屋上。

 アクロマは『エレベーターに乗ったら不具合(?)を起こして一番上のボタンを押したら動いてしまって屋上に着く』という結果にたどり着く。

 少し考えられればわかるはずなのだ。だがこのアクロマには不可能だった。焦っているから。

 そうこうあたふたしているうちに、6階もとい屋上に着いた。

 少し遠く見える校舎、照りつける朝日、そして鳴く鳥。

 

「屋上……?」

 

 ただの屋上であったことに安堵感を覚えた。

 エレベーターの外に出てみて、さっき上矢印と下矢印のニ種類あったボタンが下矢印の一種類のみになっていることに気が付いた。

 

「上矢印を押せば上に進めて、下矢印を押せば下に進める……?」

 

 そしてやっと正解にたどり着いた。

 単純明快な正解はずいぶんと短い時間と大きい困惑で解決されたのだ。

 

「つまり……。」

 

 アクロマは下矢印のボタンを押してエレベーターに入り、一階へと繋がるボタンを押した。

 案の定、エレベーターは下へとノンストップで動き出し、そしてスピカトレーナーと歩いたあの玄関へと到着した。

 

「……完全にマスターしましたよ。」

 

 アクロマは エレヘ゛ーター の つかいかた を マスター した! 

 

 サンダルのアクロマはそのまま外に出て、自由気ままに三女神像へと向かった。

 

 

 

 そうだ。そういえば三女神像といえば……

 

『お久しぶりです!』

 

 やっぱり居た。印象が強すぎて休養中も頭の中でちらついていた奴。

 

『奴だなんて失礼ですね、これでも私神様なんですけど!』

 

「神様……?」

 

『そこ、疑問符を浮かべないでください』

 

「というか、他の三女神……二女神? はまたどこに?」

 

『またどっか行っちゃってるの。あの二人はあくまで女神としての立場を重んじてるから仕方ないかもしれないけどね~』

 

 それって貴女が重んじてなさすぎなだけじゃ……。

 

『はーいちょっとそこお口チャックね~』

 

 聞こえるんだったな。

 

『そうですよ~。ところで、どこに行く予定だったの?』

 

 ちょっと久しぶりに外に出ようかな、と。

 

『じゃあ私が案内、してあげましょうか?』

 

 あっ、それは普通に助かる。

 

『じゃあ早速行きましょう! まずはとりあえず今トレーニングしてるウマ娘を見に行きましょうか。ならコースですね』

 

 アクロマと三女神の一人は意気揚々と朝のコースへと向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。