ペルソナⅤ -NOCTURNE (唐揚ちきん)
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プロローグ ターゲット・アンノウン

『代々木公園で起きた暴動事件の犯人を改心させて欲しい』

 

 怪盗チャンネルにそんな依頼が書き込まれたのはつい、今しがたのことだった。

 サイトの管理人である三島はデスクトップパソコンの前で、改心させて欲しい人間をランキングを導入しようとしていた時に、その書き込みを見つけた。

 

「流石にそれは改心とかじゃなくて、警察が逮捕する案件でしょ……ていうか、あれ企業と市民団体の衝突だって話だし」

 

 確かに今夜、渋谷区の代々木公園で通信塔の建設を巡って、暴動事件が起きていた。

 この暴動で辺りは一時騒然となり、建設反対派の市民グループに多数の死傷者が出たとの速報ニュースが、既にインターネット上にもいくつも出回っている。

 心の怪盗団を調べ回っていた警察もこの事態は無視できず一旦調査の手を緩めて、そちらに人手を割り裂いているが、一向に事件の犯人の目星は付いていないらしい。

 

「怪盗団はあくまで法で裁けない悪人を改心させるのが目的なんだから、そんなのよりもブラック経営やってるらしいオクムラフーズの社長とかを改心させる方がよっぽど……」

 

 怪盗団を初期から応援していた支援者として、彼はその依頼を無視してランキングシステムの導入を再度行おうとした。

 しかし、その手を途中で止めて、ふと友人の顔を思い浮かべる。

 こんな時にあの一見大人しそうに見えて芯の強い彼ならどう答えるだろうか……。

 そう考えた三島はスマートフォンを弄り、彼にSNSでチャットを送った。

 すぐに返って来た応答は。

 

『分かった。調べてみる』

 

「二つ返事かよ。でも、あいつらしいな」

 

 怪盗団と違って、身近でそれ故にその強さをまざまざと見せ付けてくる友人。

 だからこそ、三島は彼を指針にしていた。

 

「まあ、俺も俺で怪盗団のためにできること頑張りますかね」

 

 そう言って彼は怪盗チャンネルの更新作業を再開させた。

 

 

 ***

 

 

 チャットを受けた相手、雨宮蓮がSNSを閉じると、屋根裏部屋で共に暮らす同居人が見計らったように話しかけてくる。

 

「蓮。お前も分かってると思うが、ワガハイたちはその犯人の名前が分からない限り、手出しはできないぞ」

 

 同居人、正確には同居猫であるモルガナが彼に言う。

 滑らかに人語を話す黒猫は、今まで乗っていた蓮の肩から床に飛び降りる。

 

「恐らく、パレスやメメントスを使えば、その暴動事件の犯人を改心できるだろう。だが、まずはその相手の名前を特定しなくちゃいけない。警察でさえ、容疑者の特定できてない犯人の名前をどうやって調べるつもりなんだ?」

 

 苦言を呈するモルガナに蓮は眼鏡の奥に灯る真っ直ぐな眼差しを向ける。

 

「頑張る」

 

「具体的なプランなしかよ! それなのに安請け合いしやがって。ホントお前は……」

 

「猫の手も借りたい」

 

「素直に手伝ってくれって言えよ! なんだ、その妙な言い回し。お洒落なつもりか!」

 

 文句を言いつつも、モルガナはどこか呆れたように承諾する。

 

「分かったよ。お前、言い出したら聞かないもんな。なら、早速明日から調査するために今日はもう寝るぞ」

 

 彼は一度決めたことは何があっても曲げない。

 その頑固な性分は、共に幾つもの危機を乗り越えたモルガナは嫌と言うほど熟知していた。

 

「まだ寝ない」

 

「寝ろよ! へそ曲がりか! 他にすることないだろ!?」

 

「寝る」

 

「…………時々、お前、訳分からない対応するよな」

 

 冗談のつもりなのか、はたまた何も考えていないのか、判別に困る返答でモルガナを振り回した蓮は、ようやくベッドに寝そべった。

 布団の上で丸くなるモルガナを眺めながら、ゆっくりと目を(つむ)る。

 するすると思考は闇の中に落ちていき、意識は深い海の底へと潜るように遠のいて行った。

 

『……やがて来る、力を失くした世界。それは無へと、ただ向かうだけ』

 

 朧気に溶けゆく自意識の中、聞き覚えのない女性の声が響く。

 

『ならば、その世界を救うため、その身を母の宿りへと帰そう』

 

 穏やかで静かなその声は告げる。

 

『世界は、また生まれ変わるため、死んでいかなければならない……。世界はその罪で滅び、人は皆消えていく……』

 

 穏やかな日差しで顔を隠された女性は話し続けている。

 だが、その言葉は蓮にではなく、別の誰かに語り掛けているように思えた。

 

『――――私はもう、世界の終わりにも涙を流すことはないでしょう。でも、私は次に生まれる世界でも君を見ていたいと思っているわ……』

 

 愛しさと切なさが入り混じり、絡み合った複雑な想いの乗った言葉。

 それは一体、誰に投げ掛けられたものなのだろうか。

 その疑問を懐いた時、蓮の意識は再び現実世界へと引き戻される。

 

「おい。起きろ、蓮。今日は日曜だけど暴動事件の調査に行くんだろ?」

 

 目覚まし時計の代わりに耳に響くのはモルガナの声。

 上体を起こして未だ夢から覚め切れていない頭を押さえる。

 すると、心配そうにモルガナが顔を覗き込んで来る。

 

「どうしたんだ? 頭、痛いのか?」

 

「……変な夢を」

 

「夢? まだ寝惚けてるのかよ」

 

「いや、何でもない」

 

 蓮はこれ以上、夢の話をしても意味がないと割り切り、そこで会話を打ち切った。

 何故か酷く胸騒ぎがした。

 まるで急がなければ、本当に……。

 本当に世界が終わってしまうような、そんな気がした。

 朝食を適当に済ませた後、居候先の監視者にして喫茶店ルブランの主人、佐倉惣治郎に挨拶をして出て行く。

 

「おい、お前。休日の朝っぱらからどこに行くつもりだ?」

 

「代々木公園」

 

 正直にそう答えると惣治郎は露骨に顔を(しか)めた。

 

「何しに行く気だ。あそこは昨日暴動事件で騒ぎがあったって話だぞ。お前、自分が保護観察中だってこと、忘れてねえか? そんなとこ行って厄介事に巻き込まれたら退学どころじゃ済まねえぞ」

 

 それなりに付き合いも長くなれば、彼が本気で蓮の身を案じてくれていることは分かる。

 もしここで、その暴動事件を調べに行くと言い出せば、惣治郎は絶対に止めるだろう。

 ここは慎重に言葉を選ばなくてはいけない場面だ。

 蓮は悩んだ末に答えを絞り出す。

 

「……モルガナに(つが)いを作ってやろうと思って」

 

「おい。ちょっと待て! ワガハイはニンゲンの女の子が好きなの! 杏殿みたいな!」

 

 肩に乗っていたモルガナは己の名誉のために必死になって、否定するが惣治郎にはニャーニャーと鳴いているようにしか聞こえない。

 

「確かにそいつもオスなら番いにも興味あるだろうが、二匹もウチじゃ飼えねえよ。子供まで作り始めたら手に負えないからな。まあ、なんだ、余計なことに巻き込まれる前に帰って来いよ。双葉が寂しがる」

 

 そう言って、彼はカウンターでコーヒーを淹れる作業へと戻る。

 蓮はホッとした表情でルブランから出て行くと、扉の外で溜息を吐いた。

 

「……切り抜けたな」

 

「『切り抜けたな』じゃ、ねーよ! ワガハイをダシに使いやがって! 名誉棄損だぞ!」

 

「切り替えて行こう」

 

「上手いこと言ったつもりか! 腹立たしい無表情しやがって」

 

 ぎゃあぎゃあと喚くモルガナを、動物愛護団体が見たら卒倒しそうな手付きで無理やり鞄の中に押し込むと、蓮は最寄り駅である四軒茶屋駅まで走った。

 ホームでちょうどやって来た電車に乗り込むと、そのまま代々木公園駅まで向かう。

 その間、鞄の隙間からもの凄く不機嫌そうな眼差しが蓮を睨んでいたが、気付かない振りでやり過ごした。

 駅から出ると、鞄のチャックを開ける。

 恨めしそうな表情で顔を覗かせたモルガナはじいっと突き刺すような視線を送った。

 

「悪かった」

 

「この埋め合わせは銀座の寿司折りで支払ってもらうぞ」

 

「善処する」

 

「胡散臭い政治家か! そこは素直に頷いとけよ! ……ったく、それでどうやって調査するつもりなんだ」

 

 呆れた様子で話題を転換したモルガナに蓮は少し考え込む。

 死傷者が数人も出た代々木公園はまず間違いなく立ち入り禁止になっているだろう。

 何より現場に遺留品が残っていたなら警察が回収していない訳がない。

 となれば周囲の住民に話を聞いて回った方が建設的だ。

 

「聞き込みをする」

 

「まあ、それしかないよな。それにしても聞き込みか。何か探偵の真似事みたいであのいけ好かないアケチを思い出して嫌だな……。ワガハイたちは怪盗なのに」

 

「たまには探偵になるのもあり」

 

 聞き込みに対して乗り気でないモルガナに対し、蓮の方は妙にやる気に満ちていた。

 怪盗というアイデンティティに拘りがあるモルガナと違い、別段、蓮は探偵という職業に隔意を抱いてはいなかった。

 むしろ、夜は怪盗。昼は探偵という二律背反する役割に少し興奮していた。

 意気込んで代々木公園駅周辺の住民に声を掛けに行く。

 モルガナはそんな蓮の姿に、白い目で「変質者みたいな声掛けして捕まるなよ」と鞄の中から冷めた応援を送っていた。

 しかし、予想に反して蓮の手際はよく、行き交う人々に卒なく情報を集めていく。

 喫茶店ルブランや掛け持ちのバイトで(つちか)った社交スキルを惜しげもなく発揮した彼は、さほど時間も掛からずに公園付近での情報収集を終わらせた。

 

「やるな、蓮。伊達にコンビニと花屋と牛丼屋のバイトを掛け持ちしてないな」

 

「ふっ……」

 

 モルガナの賞賛にしたり顔で眼鏡のブリッヂを中指でクイッと持ち上げる。

 

「でも、最近はどのバイトもめっきり行ってないよな。働くの面倒くさくなってないか?」

 

「くっ……まあ、それは置いておいて」

 

 スマートフォンのメモ帳機能に書き留めた情報を再度、整理し始める。

 昨日、代々木公園で起きた暴動事件の全容は以下のようなものだった。

 大手通信企業、『サイバース・コミュニケーション社』が代々木公園に夜間、通信塔建設を行なっていたところ、自然保護を標榜する建設反対派の市民グループが工事中止を訴えて、現場作業員の工事を妨害し、暴動事件に発展した。

 その際、死傷者が三名。いずれ建設反対派のも市民グループから出たとの話だった。

 パトカーや救急車が来て、うるさかったと近隣の住民は証言してくれた。

 ここまでなら、大事ではあるが、あくまで現実的な暴動事件でしかなかった。

 しかし、蓮は聞き込みをしている内に妙な噂話を耳にした。

 

 曰く、『あの暴動事件で悪魔の姿を見た』。

 曰く、『死傷者は悪魔によって惨殺された』。

 

 警察でさえ、まともな証言とは取り上げない様な骨董無稽(こっとうむけい)な話。

 けれど、蓮はその不可思議なものの存在を知っている。

 パレス、メメントス、シャドウ……そして、ペルソナ。

 認知世界。現実とは異なる空間に存在するそれらを知っている彼には、その“悪魔”というものを一笑に付すことはできなかった。

 

「モルガナ。シャドウは……」

 

“悪魔”と言われて真っ先に連想したのはシャドウのことだった。

 シャドウは何故か神話に登場する神々や悪魔、幻獣の名を冠している。

 もしかしたらと考え、モルガナに尋ねたが、彼はあっさりと否定した。

 

「シャドウはあくまで認知世界にしか存在しない。現実に現れて、まして人間を殺すなんてこと……」

 

「有り得ない?」

 

「少なくともワガハイが知る限りではな」

 

「そうか……」

 

 ならば、別方面――つまり、サイバース・コミュニケーション社について調べようと検索エンジンを使おうとスマートフォンを見ると、SNSにメッセージが来ていた。

 差出人は三島。用件は、代々木公園の暴動事件についてだった。

 

『あの後、こっちでも調べてみたけど、あの事件を起こした企業、サイバース・コミュニケーション社ってとこらしいんだ』

 

 こちらでもその企業について調べている旨の返答を送るとすぐに三島から応答が返って来る。

 

『そこのCEO。氷川って男なんだけどさ。結構黒い噂があって、何でも裏でカルト教団と通じてるとかって話』

 

『カルト教団?』

 

『詳しくは知らないけど“ガイア教団”っていう、自然や万物との調和を題目としているカルト宗教組織だよ』

 

 三島のそのメッセージに蓮はふと聞き込んだ内容と重なる部分を見出す。

 サイバース・コミュニケーション社の通信塔建設を妨害しようとした、自然保護を標榜する建設反対派の市民グループ。

 ひょっとすると、この市民グループはガイア教団の人間だったのではないか。

 もしもこの推測が正しければ、単なる自然保護団体と企業の揉め事ではなく、カルト教団の内輪揉めということになる。

 

『他にガイア教団についての情報は?』

 

『どうだろ。一応、ヤバいカルト教団ってぐらいしか表には出て来てないけど……。その(くだん)の氷川も今、行方不明だって話だし、これ以上のことはネットには出回ってないな』

 

 手詰まりか、と思い、一言感謝のコメントを送り、メッセージを閉じようとする。

 だが、ポケットにスマートフォンをしまう寸前、三島からメッセージが飛んできた。

 

『あ、確か“月刊アヤカシ”ってオカルト雑誌でそういうの取り上げてたのを見た気がするけど、書店で軽く立ち読みしたくらいだからあんまり覚えてないな』

 

「月刊アヤカシか……」

 

 近くに本屋でもあれば、探してもいいかもしれないが生憎と付近にその類の店はない。

 今度こそスマートフォンをしまうと、モルガナに今の話をする。

 

「今更、原宿か渋谷に戻って本屋に行くっていうのもあれだよな。ならダメ元で代々木公園に行ってみるのもいいんじゃないか?」

 

「現場に入れるとは思えない」

 

「別に現場に行けなくてもワガハイたちみたいに暴動事件を探ってる奴が近くに居るかもしれないぞ」

 

「一理ある」

 

 少なくとも書店でオカルト雑誌を探すよりは期待できそうだ。

 そう思った蓮は代々木公園の入口へと向かった。

 公園の入口まで行くと誰かが立っているのが見えた。

 一眼レフカメラを持ったその人物はこちらを向いて、どこか皮肉気な笑みを浮かべた。

 

「今日はよく少年に会うな。中高生の中だとやっぱり昨日の事件に興味津々なのかね?」

 

 襟足の長い、口回りに髭を生やしたその男は、初対面にも(かか)わらず、蓮へとそう尋ねた。

 

「そちらも似たようなものでは?」

 

 臆することもなく、一眼レフカメラを見ながらそう返すと一瞬だけ虚を突かれたような表情をした後、クツクツと笑い声を漏らす。

 

「ああ、カメラ(これ)ね。デバガメにでも見えたか? 好奇心があって立ち寄ったが、一応仕事なんだよ。現場の取材。ま、こんななりでもジャーナリストの端くれでね」

 

 ジャーナリストと言われ、自然と知り合いの記者の大家一子を頭に連想する。

 改めて考えると彼女も彼女でラフでフランクな格好をしていた。雑誌の特色にも寄るだろうが、堅苦しい格好は必要ないのかもしれない。

 そんな風に蓮が考えていると男は名乗った。

 

「自己紹介が遅れたな。俺は(ひじり)丈二(じょうじ)。月刊アヤカシってオカルト雑誌を書いてるモンだ」

 

「……! 月刊アヤカシ」

 

 まさか、つい先ほど三島から聞いた雑誌の名前に思わず、反応する。

 

「お、知ってるのか? ひょっとして購読者? だったら、来月号は楽しみにしててくれよ。何たって、あのガイア教団と氷川の謎をクローズアップして書くつもりだからな」

 

 




積んでいたペルソナ5(無印)をクリアした記念に書いてみました。


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第一話 ノンストップ・トリックスター

「ガイア教団に興味があるのか? あそこはまともな宗教団体じゃないぞ。表向きこそ、『自然との共存や万物との調和』を(うた)ってるが、混沌を尊ぶ思想からか反社会勢力だ」

 

 代々木公園の入口に立つ聖は、そう言って蓮に講釈を垂れる。

 説教というよりも自分の知っている知識を開帳することに意義を感じている様子に見えた。

 

「噂じゃ、悪魔崇拝までしてるって話だ。どう考えても危険なカルトだろ? 氷川の奴も何で、こんな奴らとつるんでたのか。理解に苦しむよな」

 

 ――“悪魔”。

 その単語は近隣住民からの暴動事件についての聞き込みの中でも聞いた言葉だった。

 暴動事件を起こした通信会社サイバース・コミュニケーション。そのCEOにしてガイア教団と通じていた氷川。

 比喩や騙りの類で偶然使われたにしては、出来すぎている符合。

 もしも何らかの手段によって、シャドウ、もしくはそれに類似した存在を現実に召喚しているのだとすれば話としての辻褄は合う。

 実際、蓮を含めた心の怪盗団のペルソナ使いは『イセカイナビ』というスマートフォンのアプリケーションによって認知世界へと侵入している。

 ならば、認知世界から現実世界にシャドウを呼び出す技術が存在しても不思議ではない。

 蓮はそう考え、聖に質問する。

 

「悪魔について何か知らないか?」

 

 オカルト月刊誌の記者であれば、非科学的な知識も保持していないかという淡い期待によるものだったが、予想に反して聖の反応は冷笑的だった。

 

「悪魔ねぇ……流石の俺も長年オカルト関連の記事書いちゃいるが、そんな存在は見たことないな」

 

「信じてないのか、オカルト雑誌記者なのに」

 

「ふっ、オカルト雑誌記者だからだよ。自分の目で見たもの以外は信じないのさ。だからこうやって現場に出向いて、確証を持てるものを探してる。ほら、心の怪盗団が捕まらないのも一緒だ。警察だって、奴らの存在を直接現場でも押さえない限りは捕まえられない」

 

 急に怪盗団の話になり、一瞬だけ蓮は言葉を失ったが、よく考えてみれば、世間を騒がせている改心事件もまたオカルト記事で取り上げそうな題材だろう。

 

「……心の怪盗団も信じない?」

 

「予告状を出している奴らが実在してるかって話か?  そりゃ居るだろうさ。だけど、俺は奴らが本当に人の心を自在に変える力を持ってるかって意味なら違う。そいつらの手口が全く判らない内は信じない」

 

「そうか……」

 

「まあ、居たら面白いとは思うけどな。悪魔も人の心を変える怪盗団も」

 

 茶化すようにまとめた意見に、モルガナは不満げな声を上げる。

 

「怪盗団はちゃんと存在してるってのに失礼な奴だな、コイツ。蓮、時間の無駄だ。さっさとこんな場所からおさらばしよう」

 

 自分たちの存在を疑う聖に反感を持った彼は、一刻も早く、この場から去りたい様子だ。

 しかし、蓮としてはむしろ聖のジャーナリストとしての在り方に感心していた。

 確証を得られるまでは不確定な情報は信用しない。

 その在り方は、周りから不確定な情報によってレッテルを貼られた蓮には重く響いた。

 

「……お話ありがとうございました」

 

「何だよ、急に敬語使い始めたりして。調子狂うな」

 

 お辞儀までして誠実に礼を言う蓮の殊勝な態度に、面食らった聖は何とも言えない表情で頭を掻いた。

 それからすぐに付け足すように喋る。

 

「悪魔はどうだか分からないが、新宿衛生病院に行けば、悪魔崇拝の痕跡を見つけることはできるかもな」

 

「新宿衛生病院?」

 

「ここから東に行ったとこにあるガイア教団の息がかかった病院さ。後で俺も向かおうと思ってた場所だ」

 

「何で俺に話してくれた?」

 

 ついさっき会ったばかりの高校生にわざわざそこまで話してやる義理は聖にはないはずだ。

 まして、仕事のネタにする大切な情報を漏洩する危険性まで無視して、親切に教える理由は皆無だ。

 蓮が尋ねると聖は言い辛そうに視線を逸らした。

 

「さあな。ま、購読者になってくれそうな奴へのサービスってとこだ。あーと……」

 

「雨宮蓮」

 

「じゃあな、蓮。そっちに行った時、何か見つけてたら教えてくれよ」

 

「分かった」

 

 聖にそれだけ言うと、蓮は代々木公園前から(きびす)を返して、去って行く。

 その背を見送る聖の表情はどこか柔らかく見えた。

 

「学生ってのはやっぱり活気に満ちてて敵わないね。俺も昔はあのくらい活発だったっけかな」

 

 かつての学生だった己を思い出して、苦笑する。

 蓮はそんな枯れてしまった大人の眼差しも露知らず、新宿衛星病院へと向かう。

 道中、モルガナは聖への文句を言っていたが、大半を聞き流し、目的地へと到着した。

 建物内に入ると、ガランとした空間が蓮を出迎える。

 受付のカウンターにすら人影はなく、病院としての機能を果たしているのか疑わしいほどに静かだった。

 

「この病院、やってるのか? 受付すら居ないぞ」

 

 モルガナの言葉に頷こうとした蓮だが、その前に彼の鋭敏な聴覚が小さく本のページでも捲る微かな音を捉えた。

 

「……誰か居る」

 

 足音を極力消して、待合スペースまで行くと椅子に腰掛けた少女を見かけた。

 センターで分けた茶髪の長髪の彼女は、年頃は蓮と大体同じくらいの年齢だろうか。

 勝気そうなつり目で膝の上に乗せた雑誌に落としている。

 声を掛けてみようかとも考えたが、この状況で男が近付けば警戒されてしまうのではと思い、二の足を踏む。

 

「どうするんだ、蓮。話しかけた方がいいんじゃないのか?」

 

 モルガナに促されて、渋々蓮は彼女へと近付いた。

 

「あの」

 

「え? うわっ、誰! あなた、一体いつからそこに居たの!?」

 

 蓮の存在に気付いた彼女は思い切り、警戒した様子で立ち上がって身を引いた。

 

「……うっ」

 

 初対面の人間に失礼な発言を言われるのには慣れていたつもりだが、完全にこちらのことを知らない相手に変質者のような目で見られるのは流石に堪えた。

 気を取り直して、改めて話そうとしたところ、近くにあったエレベーターが降りて来て、中から二人の少年が現れた。

 

「駄目だ、祐子(ユウコ)先生どこにも居ねぇ……って千晶(ちあき)の奴、ナンパされてる!?」

 

 キャスケット帽を被った揉み上げの長い方の少年は、こちらを見て驚愕の表情を浮かべた。

 

「…………」

 

 もう片方の、前髪の一部が寝癖のように逆立った少年は無表情でこちらを静かに観察していた。

 どうやらこの三人はお互いに知り合いのようで千晶と呼ばれた少女はやってきた男子たちに命令する。

 

「ちょっと、新田君たち! 見てないで助けなさいよ!」

 

「助けるったって……なあ?」

 

 新田というらしいキャスケット帽の少年は困った様子で、隣に居るもう一人の少年の顔を見る。

 助けを求めているのか、同意を求めているのか分からないが、一言で表すなら優柔不断な態度だった。

 対する寝癖頭の少年は、何を考えているのか分からない無表情で蓮を眺めていた。

 少なくとも好意的に思われていないのは間違いない。

 蓮は勘違いを正すために、自己紹介をしてこれまでの経緯を掻い摘んで話した。

 

「そうならそうと最初に言いなさいよ。忍び足で近寄って来ていきなり声掛けたら普通の女の子は警戒するわよ」

 

「おいおい、千晶が普通の女の子だったら、この日本にキツイ性格の女の子しか居なくなるだろ」

 

「新田君が平均的な男子よりもヘタレで臆病なだけでしょ」

 

「何だと!」

 

「何よ!」

 

 二人が言い合いになりそうなところで寝癖頭の少年が無言で間に割って入る。

 仲裁……しているのだろうか。二人はバツの悪そうにそこで(いさか)いを止めた。

 モルガナは鞄の中から小声で「蓮よりも無口な奴、初めて見たぞ」と漏らす。

 

「そっちの名前は?」

 

「ああっと、悪かったな。見っともないところ見せちまって。俺は新田(いさむ)。そっちの気の強い女が(たちばな)千晶。そんで、こいつが……」

 

「……嘉嶋(かしま)尚紀(なおき)

 

 今まで沈黙を貫いていた寝癖頭の少年はそう名乗った。

 決して大きな声量でも高い声質でもなかったが、よく通る澄んだ声音をしていた。

 蓮は彼にどこか自分に似たような印象を懐く。

 

「それにしてもこの病院、おかしいわよね。雨宮君の話でもさっきのオカルト雑誌でもカルト集団と繋がっているとか書いてあったし」

 

「俺はやべー人体実験をしてるって噂聞いたことあんの、思い出したわ……」

 

「ちょっと止めてよ。ただでさえでも人居なくて不気味なんだから」

 

「わりぃ……でも、祐子先生も見つからないし」

 

 千晶と勇の会話に出て来た祐子という女性名が気になり、蓮が尋ねてみると三人のクラスを受け持つ担任教師だと教えてくれた。

 勇によれば、『知識の詰込み』より『人としての重み』を重視する教育方針で、若くて美人なのも相まって生徒に人気のある教師なのだそうだ。

 本名・高尾祐子というその教師がこの病院に入院しているということで三名はやって来たとのこと。

 

「ウチの担任もなかなか可愛い」

 

「へえ、ちょっと見てみたいな。写真とかないのか……いやいや、俺は祐子先生一筋だから!」

 

 蓮がそういうと興味津々で食い付いて来た勇だったが、脱線しかけた話を元に戻す。

 

「なあ、蓮。ここで会ったのも何かの縁つーことで、お前も祐子先生探してくんね? 俺たちで上の階、もう一度探すから地下の方見て来てほしいんだけど。ほら、お前としてもそのガイア教団? っての情報を探してんだろ?」

 

「分かった」

 

 二つ返事をすると、勇は喜んで、探している最中に見つけたという職員用のIDカードを蓮に手渡した。

 尚紀はそれを見て、自分も蓮に同行して地下へ行くと言ったが、勇は反対する。

 

「いや、尚紀は俺と一緒に来てくれよ。屋上だって見ないといけないしさ」

 

「新田君、一人で居るのが怖いんでしょ。情けないわね」

 

「う、うるせーよ。俺はあくまで効率を重視してだな……」

 

 千晶にからかわれ、反論するがどうやら図星を突かれたようで語気が弱々しい。

 あまりに不憫に思えたので、蓮は彼に助け舟を出した。

 

「俺は一人で大丈夫。……千晶はどうする?」

 

「わたしはここで待ってるわ。もしも病院の人たちが返って来たら一言文句でも言いたいしね」

 

 豪胆だな、と思ったが口には出さずに置いた。

 それから彼らと別れて、エレベーターで地下一階に降りて行く。

 鞄の中から頭を出したモルガナは堂々と蓮に話しかけた。

 

「ようやく、単独行動か。あいつらが居るとワガハイが大っぴらに発言できないからな」

 

「猫の鳴き声にしか聞こえないと思うが」

 

「鞄に入れた猫と話してたら嫌でも怪しまれるだろうが。少しはワガハイの気遣いに感謝しろよ」

 

「……マジ感謝」

 

「誠意が軽い!」

 

 下らないやり取りを交わして、廊下の中央で行く手を阻む隔壁に、職員用のIDカードを通す。

 スリットがカードの情報を読み込むと、隔壁の一部が開き、通行できるようになった。

 

「いくら病院の地下って言っても厳重過ぎじゃねーか? これはやっぱりあの聖って記者が言ってたことも(あなが)ち間違いじゃねーかもな」

 

 モルガナの言葉に蓮も頷き、慎重に歩を進める。

 パレス内部で培った潜入スキルを遺憾なく、発揮し、物陰に隠れながら蓮は奥へと侵入して行った。

 廊下の奥には、いくつか部屋の扉があり、床には赤黒い染みを引きずった跡が点在していた。

 極めつけは、血で作れた魔法陣の上に手術台のようなものが置いてある部屋に入った時だった。

 

「おい、何だよ。これは……」

 

 部屋中に残る血液の跡と大きな生き物が付けたような爪痕。

 強烈な鉄錆じみた悪臭。

 モルガナも絶句するほど、凄惨な様相を呈していた。

 悪趣味なホラー映画のワンシーンをそのまま、再現したようなその部屋はとても現実世界の一部とは思えない。

 

「……認知世界よりもひでーな」

 

 モルガナに同調した蓮は、手術室……否、拷問室から退室した。

 ガイア教団が行ったことなのかは断定できないが、この場で非人道的な行いがなされていたことはもはや疑う余地はなかった。

 最後に残された通路の先の一室に近付くと、内側から物音が聞こえてくる。

 耳を扉に這わせると、研ぎ澄まされた蓮の感覚が人の気配を感じ取った。

 

「どうする? 鍵は掛かってないみたいだが、入ってみるか?」

 

 モルガナの問いに蓮は首を横に振った。

 

「考えがある」

 

 心の怪盗団リーダー・ジョーカーはそう短く答えた。

 

 

 ***

 

 

 パソコンのモニターの明かりだけが光源の薄暗い部屋の中。

 サイバース・コミュニケーション社のCEO、氷川は椅子に腰掛け、目を瞑っていた。

 騙し絵のようなMの字型の反り込みのある髪型を揺らし、目の前で回転するドラム缶に似た機械の静かな駆動音を聞いている。

 ――もうすぐ。もうすぐ、世界は生まれ直される。

 ガイア教団で『ミロク経典』を見つけた時から、既に己の目的は一つに集約されていた。

 今ある欲望で汚れ切った世界を破壊し、新たに誰も苦しまない静寂の世界を作り上げる。

 それこそが己が使命であり、この穢れた世界に生まれ落ちた理由なのだと、疑うことなく、そう感じていた。

 世間では“世直し”を行なっている正体不明の『心の怪盗団』とやらが小規模の欲望を消しているようだが、あれでは駄目だ。

 ゴミで溢れた街で空き缶を一つ二つ拾ったところで解決には程遠い。

 

「所詮、怪盗などと名乗っている者にはその程度のことにしか起こせない」

 

 小さく吐息のような呟きを漏らした時、部屋の外で物音が聞こえた。

 何者かが侵入したのか、それとも殺し損ねたガイア教団の生き残りか。

 入って来るなら気なら、殺して置こう。

 氷川は、扉の方を向いたまま、しばらく待った。

 しかし、いくら待てども扉は開く気配がない。

 ――……逃げたのか? 万が一にも“創世”の障害は排除しなければならない。

 椅子から立ち上がった氷川は扉を開く。

 外を覗いてみるが、人影はなかった。

 別の部屋に隠れたか、それともエレベーターを使って上の階に逃れたか。

 どちらにせよ、逃がすつもりは毛頭ない。

 氷川はまず、他の部屋の扉を開き、不躾な侵入者を排除しに向かった。

 

 

 ***

 

 

「うまくいったな。さっすがジョーカー!」

 

 鞄の中から歓声を上げるモルガナ。

 氷川が通った通路のすぐ上で、壁と壁の間に両腕と両足をつっかえて、掴まっていた。

 モルガナの入った鞄の持ち手を口で咥えながら、少しずつ下へと降りて行く。

 日々のトレーニングがこれほど役立ったのは認知世界でもなかったと断言できた。

 廊下に降り立った蓮は、開きっぱなしになった扉の隙間からそっと身を差し込んで室内に入る。

 暗い部屋の中、光るモニターの明かりを頼りに進むと、蓮は壁際にドラム缶のような機械を発見した。

 

「これは……機械?」

 

「何だか分からねーけど、このデカ物にケーブルがいくつも繋がってるところを見ると大事なものらしいな」

 

 その機械に触ろうと蓮は手を伸ばす。

 

「気安く触れてはもらっては困るな。それは大切なものなのだから」

 

 背後から声を掛けられ、振り向くとそこに部屋の入口に立っていたのは氷川だった。

 

「まずいぞ、蓮! あいつ、もう戻ってきちまった!」

 

 モルガナが叫ぶが蓮としてもそれどころではない。

 警戒はしていた。並の高校生とは比べ物にならないほど知覚には長けていた蓮でも氷川の接近にまったく気が付けなかった。

 だが、次の瞬間、蓮はそれすらも些末事だということを理解させられる。

 氷川の手前に空間の揺らぎが起き、山羊の頭と黒い翼を持った人型の化け物が姿を現す。

 

「……ペルソナ!?」

 

 いや、違う。現実世界にペルソナは召喚できない。

 だとすれば、これが悪魔と呼ばれる存在に違いない。

 

「君が何者であってももはやどうでもいい。ただ、私の崇高な目的の障害となり得るなら排除するまでだ」

 

 氷川によって召喚された悪魔、バフォメットは恐ろしい速さで蓮へと鉤爪を振り下ろす。

 回避できない!

 認知世界でなら、身を躱すこともできたかもしれないが、現実の蓮は多少身体を鍛えただけの男子高校生でしかない。

 本能的に後ろに大きく下がった瞬間、背後にあったドラム缶に似た機械――転輪鼓(てんりんこ)へと接触した。

 

「……! それに触れるな!」

 

 氷川が弾かれたように叫ぶ。

 悪魔の爪が蓮の身体を切り裂く、その寸前。

 蓮は世界が激しく振動し、視界が歪むのを認識した。

 

「う、うわああああああああああっ!」

 

 再び、意識をはっきりと保った時、蓮は転輪鼓に背を預けるように座り込んでいた。

 

「おい、起きろ! 蓮」

 

「……モル、ガナ?」

 

 鞄から外に出ていたモルガナの声が耳朶(じだ)を打つ。

 立ち上がって周囲を見回す。

 視界に映り込んだのは、四方を茶色の壁に覆われた洞窟のような場所だった。

 

「ここは、一体……」

 

「ワガハイにも分からない。けど、新宿衛生病院じゃないのは確かだな」

 

 現実に現れた悪魔。

 そして、急に転移した謎の空間。

 混乱する頭で蓮は、ゆっくりと歩き始める。

 この場所がどこかは分からない。

 けれど、この場に立ち止まっていて良いことなど何もないだろう。

 彼は進む。

 例え、何も分からなくてもトリックスターは止まらない。

 




ようやく物語が進んだ感じがします。


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第二話 リユニオン・ファントムシーフ

 茶色の壁は、地殻の断層のようにいくつも微妙に異なる色の層が折り重なって広がっている。

 土でできているのかと思い、蓮は壁に触れるが、想像とは違って硬質で冷たい感触が指先に返って来た。

 

「無暗に触るなよ。ここがどんな場所かも分かってないんだから」

 

 四足歩行で脇を歩くモルガナが珍しく本気で注意する。

 不用意だった、と一言謝った後、蓮は再び通路を進む。

 どこまで続いているのか分からない茶色の空間に嫌気を感じ始めて来た時、大きく開けた場所へと出た。

 

「お、ここは広い空間だな。出口が近かったりしないか?」

 

 閉塞感から解放されたおかげかやや弾んだ声でモルガナは周囲を見回す。

 パレスでもメメントスでもないのはまず間違いない。

 もし認知世界ならモルガナはデフォルメされた二頭身のマスコットのような姿になっているはずだ。

 黒猫の姿のままということは逆説的にこの場所が、現実世界だということになるのだが……。

 

「色彩が地味なパレスみたいだ……」

 

 茶色や焦げ茶色の壁や天井で構成されている空間は、人工物を彷彿とさせる。

 しかし、流れる雰囲気が現実味が薄い。

 浮世離れしたような場所とでもいうべきだった。

 

「……よもや、このアマラ深界に人間の来訪者と会い(まみ)えようとは」

 

「っ!」

 

 蓮の鼓膜が何者かの声音を捉える。

 振り向くと、すぐ近くの床からまるで這い出るように影法師が出現した。

 影法師は一瞬にして、形を真紅の馬に跨った青い鎧騎士へと姿を変える。

 

「これは行幸。その身に満ちたマガツヒを我へ献上するがよい」

 

「シャドウ!? ……いや、こいつも悪魔か!」

 

 三又の槍を携えた騎士の悪魔、堕天使ベリスは兜の隙間から覗かせた眼光を細め、獰猛に笑った。

 認知世界の中で見るシャドウとは違う、根源的に人類とは相容れない雰囲気を漂わせている。

 マガツヒという物が何を指しているのかは不明だが、蓮を見る眼差しは人間がご馳走を前にしたような激しい食欲に満ちていた。

 蓮は意を決して、顔から仮面を剥ぎ取るような仕草で叫ぶ。

 

「来い! デカラビア!」

 

 愚者のアルカナに属するペルソナの名を呼んだ。

 

「何!? 汝、もしや悪魔召喚師(サマナー)か!」

 

 ベリスは突如、己よりも位の高い堕天使の名を叫んだ蓮に警戒し、三又の槍を構える。

 だが、蓮の周囲には一向にデカラビアは現れない。

 

「……!? コロンゾン! アメノウズメ! プリンシパリティ! ピシャーチャ! ネコショウグン! ブラックウーズ!」

 

 ……ペルソナが出ない!?

 保持しているペルソナの名を手当たり次第に叫ぶものの、どれだけ声を枯らしてもペルソナたちは召喚されない。

 困惑してモルガナへ視線を移す。

 

「威を示せ! ゾロ! ……駄目だ。ワガハイのペルソナも出せそうにない」

 

 彼もまた蓮と同じく、ペルソナを出せない様子だった。

 周囲の景色がパレスに似ているから、もしかしたらと期待したが、この場にペルソナを喚び出すことは叶わないようだ。

 一方、ベリスの方はハッタリに踊らされた形になったせいで、激昂する。

 

「人間の分際で、この堕天使ベリスを愚弄するとは……。汝のような愚物は苦しみの果てに死ぬがよい!」

 

 憤怒を(みなぎ)らせたベリスは、槍を大きく振り上げた。

 殺意のこもった一撃は、蓮の腹部目掛けて伸ばされる。

 ……無理だ。避けられない!

 このまま、ここで死ぬのか。

 

「危ねー! 蓮!」

 

 べリスの乗る騎馬の頭へとモルガナが飛び掛かり、噛み付く。

 大した手傷にはならない。だが、今まで視界にすら入らなかったような矮小な獣が絶対的強者たる己が一部に牙を剥いたことでべリスが動揺し、槍の切っ先が蓮から逸れた。

 

「くっ……何のつもりか! この脆弱な畜生風情めがっ」

 

 腕を振るい、拳を叩き付けるようにモルガナを払い除けた。

 

「あうっ……」

 

 正しく人外の膂力(りょりょく)で叩かれたモルガナは床に転がり、血の粒を吐き出す。

 

「モルガナ!」

 

 骨まで砕かれたのか、その場で横に倒れたまま、モルガナは小刻みに痙攣する。

 自分を庇って、傷付き倒れた仲間を蓮は見ていることしかできない。

 今の蓮にはペルソナも便利なアイテムも、武器すらない。

 吐血して転がっているモルガナに止めを刺そうと槍を振り下ろそうとした。

 

「やめろ!」

 

「人間、汝は後程可愛がってやる。しばし待て」

 

「……お前の目的は俺だろう? それとも俺が怖いのか?」

 

 蓮はべリスを睨み付けた。

 恐怖はある。躊躇はある。

 事実、彼の脚は震えている。

 だが、それ以上に大事な仲間を目の前で殺されそうになることを看過できなかった。

 黙っていられなかった。

 

「なれば……汝から死ね‼」

 

 矛先が倒れているモルガナから蓮へと変わる。

 容赦のない三又の槍が蓮の眉間目掛けて、振り抜かれた。

 反射的に目を瞑ってしまう蓮。

 

「………………?」

 

 しかし、いくら待っても何の衝撃も訪れない。

 恐る恐る目を見開くと、鋭利な刃は蓮の顔の数センチ前で静止している。

 三又の槍は、真横から伸ばされた赤い腕に止められ、それ以上先へは進まない。

 

「な、何者だ!? 我の槍を阻む汝は……!」

 

 べリスが突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に声を荒げる。

 だが、現れた存在はべリスではなく、蓮へと話しかけた。

 

「相変わらずのその覚悟。己の信じた正義を貫くためなら死すら(いと)わぬ愚か者。流石は我が元・器と言ったところか」

 

「お前は……!」

 

 響いたのは蓮に似た声音。しかし、高圧的で自信に満ちたこの声の持ち主は彼ではない。

 彼の一部であった仮面。最初に手に入れた強き意志の力。導き手にして冒涜者。

 逢魔(おうま)掠奪者(りゃくだつしゃ)――。

 

「――アルセーヌ!」

 

「再び、お目に掛かれたな。かつての主よ」

 

 丈の短い深紅の夜会服に漆黒の翼。シルクハットと二本角の下に光を拒絶するが如く反射する目鼻。

 その姿はかつて蓮が持っていた愚者のアルカナ、アルセーヌに他ならなかった。

 今もなお武器を突き付けられていることも忘れ、蓮はどこからともなく現れたアルセーヌに目を奪われた。

 べリスは己が存在を無視されたことで更なる怒りの業火を燃やし、魔法を放つ。

 

「我を意にも返さぬ無法者よ! 死を以って償うがよい! 『ムド』」

 

 黒い煙のようなものがアルセーヌに向けて纏わり付く。

 呪殺の魔法により、呪い殺そうと魔力がアルセーヌを襲う。

 しかし――。

 

「呪殺魔法か……、生憎と私には耐性があるのでな」

 

 呪殺の霧を槍を掴んでいない方の腕で薙ぎ払う。

 難なく、呪殺魔法(ムド)を打ち消されたべリスは驚愕の声を上げた。

 

「何……!?」

 

「今度はこちらの番だ。『エイガオン』」

 

 広げたアルセーヌの手のひらから黒い衝撃波がべリスを弾き飛ばす。

 三又の槍すら手放してべリスは騎馬ごと後方へと転がった。

 

「こんなものはオタカラとすら呼べん」

 

 奪った槍の柄を握り締め、圧し折り、転がったべリスへと緩やかな足取りで近付いて行く。

 騎馬に身を起こされ、態勢を立て直したべリスはがむしゃらに大規模な火焔魔法を打ち放つ。

 

「く、来るな! 『マハラギオン』!」

 

 周囲を覆うような炎の波がアルセーヌや背後に居る蓮たちをも呑み込まんと迫り来る。

 僅かにアルセーヌが背後を気にするように顔だけ振り返った。

 忍び寄る炎の津波は彼らは居る場所まで流れて行くだろう。

 それを確認して、べリスは邪悪に笑った。

 やはりこの悪魔はあの人間たちを守るために現れたのだ。

 

「ククク……。これだけの火焔魔法、あの人間たちもたたでは済まぬだろう。彼奴らの傍に行き、庇ってやってはどうだ?」

 

 人間たちを守るために火焔に焼かれて手負いになったこの悪魔を倒す。

 火焔の波から助かった人間たちは僅かな安堵を得た後、庇護者を失った絶望を味合わせることができる。

 屈辱を晴らし、より多くのマガツヒも手に入れる一石二鳥の方法。

 べリスは己の企みに自画自賛する。

 

「お前たち、悪魔の考えは浅はかだな……」

 

 アルセーヌはそれだけ呟くと、指先を真っ直ぐに伸ばし、高く掲げた後、一刀に振り下ろす。

 

「――『ブレイブザッパ―』」

 

 炎の波を手刀が両断し、その衝撃が奥に居るべリスまで切り裂く。

 騎馬ごと真っ二つに斬られたべリスは、激痛による悲鳴を上げながら、消滅する。

 

「ぐ、がああああああああああああ!」

 

 断末魔の叫びがこだますると、舌を広げていた炎の波は吹き消された蝋燭の火の如く一瞬で消えた。

 僅かに焼け焦げた袖を眺めたアルセーヌは、何事もなかったかのように蓮の元へ戻る。

 

「息災か? 元・主」

 

「あ、ああ……」

 

 頷く蓮だったが、声を掛けられるまでアルセーヌの強さに言葉を失っていた。

 今のアルセーヌはペルソナとして共に居た時とは比べ物にならないほど強力な力を持っている。

 だが、今はそれよりも優先すべきは、モルガナの容態だった。

 足元で伏しているモルガナに膝を突いて、触れる。

 辛うじて呼吸をしているが、それでも激しい損傷をしているのは獣医でない蓮でも分かった。

 

「モルガナ!」

 

 アルセーヌはその様子を見下ろしてから、指をパチンと鳴らして呟く。

 

「『ディアラハン』」

 

 淡い光がモルガナに降り注いだかと思うと、弱々しく息をしていたモルガナは何事もなかったように起き上がった。

 

「ん? あれ、苦しくない。っていうか、身体が軽い」

 

 不思議そうに前脚や後ろ脚を見るが、痛みどころか、体力さえも回復している。

 

「治癒魔法を使ってやったのだ。感謝しろ、猫」

 

「うおっ! 何だ……って、こいつ確か蓮が最初に使ってたペルソナじゃねーか」

 

 モルガナが助かったおかげで少しだけ冷静になった蓮は、その言葉に頷きながらも、アルセーヌへ疑惑の目を向けた。

 確かにアルセーヌは蓮のペルソナだった。

 だが、それはあくまでも過去の話。

 ペルソナ同士を合体させて、新たなペルソナに返る『ペルソナ合体』を行なった時にアルセーヌは消滅したはずだ。

 それに加え、この場所ではペルソナを召喚することは叶わなかった。

 故に蓮は断定する。

 このアルセーヌは、自分のペルソナではない。

 

「お前は……何だ?」

 

 そう尋ねると、アルセーヌは楽し気に笑い出す。

 

「フハハハハハ! 窮地を切り抜けても油断せぬ警戒心と、都合のいい状況に流されぬ推理力。見事なものだな。――そうだ! ()はペルソナではない! お前から切り離され、集合無意識の海を漂い、このアマラ深界で新たに個として誕生した悪魔!」

 

 そこで芝居が掛かった調子で一拍置いて言う。

 

「言うなれば……『魔人・アルセーヌ』とでも名乗ろうか」

 

「『魔人・アルセーヌ』……?」

 

「ああ、そうだ。それが今の私を表すただ一つの名だ」

 

 アマラ深界という新出単語も詳しく知りたいところだが、それよりもまずはこのアルセーヌがどういう存在なのか知ることが先決だ。

 今回は助けてくれたものの、彼が先ほど襲って来たものと同じ悪魔であれば、いつ何時、自分たちに牙を剥いて来てもおかしくはない。

 

「お前は……俺たちの味方なのか?」

 

「そうだな……。お前がかつて私に見せた覚悟と信念を変わることなく、見せてくれるのならば、再び難局を打ち破る力を与えてやってもいい。どうだ? 誓えるか?」

 

 己の一部(ペルソナ)ではなく、異なる知的生命体(悪魔)との契約。

 常人ならば躊躇うだろう選択に蓮は迷うことなく、答えた。

 

「誓える。だから、力を寄越せ」

 

「よかろう。契約は成立した。ならば、形式に乗っ取ってこう名乗るべきだな」

 

 アルセーヌは大仰に貴族めいた作法でお辞儀を一つ、蓮に見せる。

 

「私の名は『魔人 アルセーヌ』。これからはお前の力になろう。今後ともよろしく」

 

 




とりあえず、ここまではどうしても優先して書きたかったところです。
これからは他の作品も更新しながらのんびり投稿していく予定です。

ちなみに『魔人 アルセーヌ』のスキル構成は、チュートリアルのやたら強いアルセーヌにそれらしいスキルを足した形になってます。


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第三話 ワールド・デッド

「して、(あるじ)よ」

 

 アルセーヌが仰々しい口調で蓮に呼びかける。

 

「あの程度の悪魔に遅れを取る実力で、悪魔(ひしめ)くこのアマラ深界へどのような方法で到達したのだ?」

 

 蓮は少しだけ考えた後に返答した。

 

「まず……」

 

「ふむ」

 

「呼び方はジョーカーでいい。お前に呼ばれるなら、そっちの方がしっくり来る」

 

 真顔で呼び方に対する注文を付けた。

 口に当たる部分もない癖にアルセーヌは噴き出す。

 

「フハハッ! 何を語るのかと思えば……ハハハッ! 良かろう。ならば、ジョーカー。我が問いの答えや如何に?」

 

 ペルソナだった時に比べ、情緒の豊かになったアルセーヌは蓮に尋ねる。

 すると、彼は包み隠さず、これまでの経緯を説明した。

 あらましを語った上で自分たちも詳しいことは分かっていないと伝えると、アルセーヌは深々と頷く。

 

「なるほど。ならば、ここがどのような場所かも分からないのだな」

 

「ああ」

 

「ならば、語ろう。ここはアマラ深界。マガツヒ……感情を持つ存在の生体エネルギーの流れる道の最深部に存在する深淵だ」

 

「よく分からない」

 

「いうなれば、世界の底。地獄のような場所とでも認識すればいい」

 

 あまりピンと来ていない様子の蓮にアルセーヌがそう答えると、モルガナは顔を(しか)めた。

 

「地獄かよ。そりゃあ、“悪魔”も居る訳だ」

 

「そう言うな、猫よ。ここには頼れる私も居る」

 

「お前だって悪魔なんだろ……って待てよ、ワガハイの言葉が分かるのか?」

 

 モルガナの言葉を理解できるのは、集合認知の世界で“モルガナが話す”ことを認識した人間のみだ。

 先の悪魔であるベリスですら、モルガナのことをただの猫と認識していた。

 本来ならば、会ったばかりのアルセーヌがモルガナの言葉を理解するのは不可能だ。

 しかし、アルセーヌはフンと鼻を鳴らすような声を漏らすと、大袈裟に肩を竦めて見せた。

 

「私はジョーカーの元ペルソナなのだぞ? 即ち、ジョーカーの一側面としての記憶も有している。当然、お前が喋れるという認知もな」

 

「なら何で猫呼びなんだよ。その理屈ならワガハイの名前くらい知ってるだろ」

 

「知れたこと。今のお前はただの無力な猫に過ぎない。そんな畜生風情、わざわざ名前を呼ぶに値しない」

 

 侮蔑を含んだその発言に、モルガナはカチンときた様子でアルセーヌではなく蓮へ叫ぶ。

 

「蓮。お前の元ペルソナ、性格悪いぞ! 何とかしろよ!」

 

 蓮はモルガナの苦言に対し、他人事のように受け流す。

 

「ドンマイ」

 

 真顔でのサムズアップ。

 

「……お前、時々返事が雑になるところあるよな」

 

 もはやこれ以上言葉を重ねても無意味と判断したモルガナは話を切り上げた。

 代わりに蓮がアルセーヌに脱線していた本題を投げかける。

 

「俺たちは現実世界で悪魔に襲われて、偶然あったドラム缶のような機械に触れたんだ。それから周囲が激しく揺れたと思った瞬間、ここに辿り着いていた」

 

「偶発的に転輪鼓(てんりんこ)に触れ、アマラ深界へ転移してきたという訳か。なるほど、合点が行った。ならば、悪魔を一体も使役していないのも当然か」

 

 アルセーヌは己の顎を撫でながら思案する。

 その様子は生えてもいない顎髭を撫でつけるようでもあった。

 

「ちょうどいい。アマラの主たる“閣下”より燭台(メノラー)と共に頂戴したこの御宝(オタカラ)をジョーカー、お前に授けよう」

 

 赤いタキシードのような衣装の懐から、一丁の拳銃を取り出し、連へと投げ渡した。

 それを受け止めると、連は()めつ(すが)めつ眺めてみる。

 一見、大型のハンドガンのように見えたがよくよく見ると上部の辺りに開閉機構が付いている。

 外装からは重火器というよりも、閉じられた電子機器のようにも思えた。

 

「これは銃……じゃない?」

 

「ほう。流石は元・我が主。審美眼は確かようだ。その通り、それは銃火器の類ではない。“GUMP(ガンプ)”と呼ばれる召喚機だ」

 

「召喚機?」

 

「正確には、悪魔召喚プログラムの入った銃型のハンディ・コンピュータだ。ジョーカー、引き金(トリガー)を引いてみろ」

 

 アルセーヌに促され、連は躊躇(ためら)いなく、GUMPの引き金を引く。

 すると、先端のバレルに当たる部分が縦に開き、左右に分かれた内側からはモニター画面とキーボード付いたパーツが展開された。

 端的に表現するなら銃の先端にモバイルパソコンが付いたような形に変形した。

 

「閣下が蒐集(しゅうしゅう)したもの故、中に悪魔は入っていないが、パスワードも設定されていないようだな。これを使えば、悪魔と交渉し、仲魔(ナカマ)にすることができるようになる。もっともこのアマラ深界に住まう悪魔は閣下の下僕故、交渉はできないだろうがな」

 

「さっきから言っている閣下というのは、誰のことだ」

 

「悪魔であれば、知らぬ者は居ない地獄の首魁(しゅかい)とでも言っておこう。それほどの者であってもこの怪盗からは御宝を守り切れなかったのだがな」

 

 自慢げに懐から、先が七本に枝分かれている燭台を連に見せつける。

 もったいぶった言い方で相手を持ち上げたのは、それを出し抜いた自らの手腕を誇るだった。

 連はそれを聞いて、僅かに考えてからアルセーヌに尋ねた。

 

「予告状は出したのか?」

 

「いや、そのような暇はなかったのでな。このメノラーを狙う魔人は私以外にも多かった。危うく、私が盗み出す前に他の者に掠め取られるところだった」

 

「それは……怪盗じゃなくて、ただの窃盗(せっとう)なんじゃ?」

 

「怪盗だ。このアルセーヌが行った盗みだぞ? 断じて窃盗などではない」

 

「でも、何の予告もなく盗むのは窃盗……」

 

「怪盗だ」

 

「……怪盗かも」

 

「いや、そこで言いくるめられるなよ!」

 

 堂々と言い切るアルセーヌに丸め込まれそうになった連を、蚊帳(かや)の外だったモルガナが正気に戻す。

 手段において犯行予告を行ったり、常識的にはあり得ない方法を用いて盗みを行う。

 それが怪盗としての定義。

 単純に人目を忍んで、物品を盗むだけなら、それはもはや窃盗以外の何物でもない。

 怪盗という行為に誇りを持っているモルガナだからこそ、アルセーヌの発言は許し難かった。

 

「何が魔人だ。お前なんか怪盗じゃなく、泥棒だ! やーい、泥棒ペルソナもどき!」

 

「ど、泥棒だと……! この怪盗紳士の代名詞でもあるアルセーヌに向かって、よもや泥棒呼ばわりとは畜生とはいえ、()し難いぞ!」

 

 モルガナの発言にプライドを傷付けられたアルセーヌは激昂し、人差し指をモルガナに向けて何度も振り下ろす。

 猫相手に激怒するその様は、少なくとも紳士にはほど遠い姿だった。

 かつてのペルソナの醜態に目を背けたくなった連だったが、流石に捨て置く訳にもいかず、場を取り持った。

 

「まあまあ、二人とも落ち着け。それより、この場所から出るにはどうすればいい?」

 

 アルセーヌは出るはずもない咳払いで、意識を切り替えると彼に向き直る。

 

「……そうだな。本来であれば、ここへ来た転輪鼓を使うのが正攻法なのだが……。喜べ、ジョーカー。魔人である今の私なら転輪鼓を使わずともアマラ深界から脱出することができる」

 

 先ほどの醜態を誤魔化すためなのか、アルセーヌはやたらと大仰な仕草で自己の有能さを喧伝する。

 直視するのが少し辛くなってきた連だったが、真顔でぱちぱちと拍手をして頼んだ。

 

「それじゃあ、俺たちをここから出してくれ」

 

「お安い御用だ。少し揺れるが我慢しろ」

 

 言うが早いか、アルセーヌは指を鳴らした。

 その瞬間、以前転輪鼓で転移した時にも味わった振動と酩酊(めいてい)感にも似た目眩(めまい)に襲われる。

 気が付くと、周囲の景色は茶色い活断層でできた迷路ではなくなっていた。

 

「何だ、ここは……」

 

 だが、連が知っている世界でもなかった。

 大地はコンクリートでもアスファルトでもなく、黄色い砂が覆っている。

 砂漠としか言いようのない地面からは思い出したかのように不自然に灰色に変色したビルなどの建造物が取り残されて(たたず)んでいる。

 それだけならまだいい。

 強く歪んだ心を持つ者の歪んだ認知が具現化した異空間、〈パレス〉を知っている連からすれば、まだ理解の及ぶ光景だった。

 しかし、その連ですら呆然とせざるを得ないのはそこではなかった。

 ()()()()()()()()()()

 比喩ではない。地球が球体をしていることを述べている訳でもない。

 自身が今立っている大地が、巨大な球体の内側に位置しているのだ。

 球状の空洞の内面に地面が張り付いているとでも言えばいいのだろうか。

 その中央。球体の中心で太陽のように輝く発行体が浮遊している。

 

「おかしなことを言うな、ジョーカー。まるでこのボルテクス界を初めて見たかのような言い草だ」

 

「ボルテクス界……?」

 

 理解が追い付かないまま、アルセーヌの言葉をオウム返しで繰り返す。

 

「そういえば、『東京受胎』をどのようにして生き延びたかまだ聞いていなかったな。ジョーカー、お前はすべての人間が息絶える時空の歪みをどうやって人間のまま、乗り越えたのだ?」

 

 その台詞を聞いた連は文字通り、言葉を失った。

 心の怪盗団のリーダーと呼ばれた男は、己の理解できる範囲を逸脱する異常な事態に呆然としていた。

 知らない内に、彼にとっての世界とも呼べる東京は――死んでいた。

 




久しぶりの投稿になります。
こちらも不定期になりそうですが更新していきたいと思います。


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第四話 トーキング・デビル

 東京受胎。

 それは東京を異界と衝突させ、世界を無に帰し、新たな世界の(はい)へと変容させた。

 文字通り、世界は一度死に絶え、ボルテクス界へと変容した東京を除き、他には何も存在しない。

 そして、そのボルテクス界の中心で太陽のように全てを照らし、月のように陰る発光体こそが――カグツチ。

 

「創世を司るボルテクス界の管理者でもある。理を(ひら)き、あれの元へ辿り着いた者こそ新たな世界を創る権利を得るという話だ。悪魔である私には無関係な話だが、人であるジョーカーならあるいは……。聞いているのか、ジョーカー」

 

 アルセーヌの問いに連ではなく、モルガナが答える。

 

「連なら多分聞いていないと思うぞ。さっきからペルソナが出せないか試してるからな」

 

 モルガナの視線の先には、様々な発音やポーズを取ることで、どうにかペルソナが出せないか試行錯誤している連が居た。

 

「ペルソナッ!」

 

「ペル……ソナッ!」

 

「ペルソーナ!!」

 

「ペ、ぺ、ぺ、ペペぺぺルソナッ!」

 

 ひたすらポージングを変え、イントネーションを変え、己の身に宿した仮面を手繰り寄せようとする。

 しかし、一向にペルソナが出現する気配はなかった。

 猫と魔人に見守られながら、ただただ滑稽(こっけい)な時間を過ごした後、こう告げた。

 

「駄目だった」

 

「駄目だった、じゃねーよ! もっと前に気付けよ! こっちはどう声かければいいか分からなかったぞ!」

 

 激昂するモルガナだったが、蓮の気持ちが分からない訳でもなかった。

 このボルテクス界が現実の東京であると認めるには(いささ)か抵抗があった。

 ペルソナが出現すれば、逆説的にパレスやメメントスのような具現化した認知世界だという証明になる。

 謂わば、頬を(つね)るが如き現実逃避。

 モルガナはあえて苦言を(てい)す。

 

「いいか、蓮。認知世界ならワガハイは猫の姿ではなくなるはずだろ? だけど、未だに黒猫のままだ。認めたくない気持ちは分かるが、ここは紛れもない現実世界なんだよ」

 

 認めたくはなかった。

 だが、仲間であるモルガナからもここまで言われれば、蓮も認めざるを得ない。

 この変わり果てた異界のような空間が元居た現実世界なのだと。

 

「……そうだ。皆は無事なのか?」

 

 東京がこのような有様になったのは受け入れた。

 だが、そこに住まう人々は?

 信の置ける友人、いや、仲間たちは果たして無事なのか?

 今日、出会った三人の知り合いたちも気になるが、それよりもまずは怪盗団の皆の安否が気になる。

 僅かな希望を持って、蓮はアルセーヌへと視線を向ける。

 表情の分からない怪盗の魔人は帽子の(つば)を摘み、顔を隠すように背けた。

 その仕草こそが、元主人の質問に対する答えだった。

 しばらくの間、蓮は呆然と立ち竦み、ゆっくりと(かぶり)を振る。

 

「行こう。この目で確認するために」

 

「……いいのか? 一層、絶望するだけだぞ」

 

 問いかけるアルセーヌに蓮は無言で頷いた。

 希望はないのかもしれない。

 それでも心の怪盗団のリーダーとしての責務を果たさなければならない。

 仲間として、そして、彼らの友人として、蓮はそうするべきだと感じた。

 モルガナはその決断を肯定する。

 

「そうだな。それでこそ、ワガハイたちの……怪盗団のリーダーだ」

 

 しばし無言だったアルセーヌもやがて彼に賛同した。

 

「過酷な現実から目を背けず、突き進む。それがジョーカーという怪盗だったな。いいだろう。ならば、その目で確かめるといい」

 

 一人と一匹と一体は共に足並みを揃えて、その地に向かう。

 ──渋谷駅。

 そこには心の怪盗団がアジトとして使用していた連絡通路がある。

 もしも、仲間たちが無事なら必ず、この状況を打破するためにアジトへと集結しているはずだ。

 そう考え、渋谷を訪れた蓮たちを待ち受けていたのは、悪魔が跋扈(ばっこ)する危険地帯と変わり果てた駅だった。

 地面には亀裂にも似た黒い線が張り巡らされていて、足を踏み締めることさえできない断絶された場所がいくつも散見された。

 もっとも渋谷に来るまでに歩き回っていた砂しかない砂漠地帯に比べれば、まだ文明の名残(なご)りが見て取れるだけマシだと言える。

 渋谷に(たむろ)する悪魔たちは蓮を見かけると、喜び勇んで近付こうとするものの、傍に居るアルセーヌに睨まれ、すごすごと離れていく。

 ボルテクス界において、大量のマガツヒを持ちながら圧倒的な弱者である人間は格好の(えさ)だが、悪魔を連れ歩いている者は事情が異なる。

 連れ歩いている悪魔の所有物であるか、または──。

 悪魔を使役するだけの実力を備えている者。

 (すなわ)ち……。

 

「そこのお前……悪魔召喚師(サマナー)だな?」

 

 ハチ公前交差点まで差し掛かった時、蓮へ声を掛けたのは巨大な星型のヒトデに一つ目が付いたような異形の悪魔だった。

 蓮はその悪魔の名を知っていた。

 無論、悪魔としてではなく、自らが持っていた心の仮面、ペルソナとしてではあるが、まったく同じ姿の存在を認知していた。

 

「お前は……デカラビア!?」

 

「ぬうっ!? 既にこの“堕天使 デカラビア”を知っていようとは、やはりタダモノではないようだな……」

 

 デカラビアは中心から伸びた五本の脚を丸めて、身体を傘のように開閉させて驚いている。

 対する蓮もまた自身のペルソナと同一の見た目の悪魔が自我を持って顕現していることに混乱していた。

 しかし、一点だけ妙な単語に引っ掛かりを覚えた。

 

「堕天使……?」

 

 蓮が保持していたデカラビアは愚者のアルカナに対応するペルソナだった。

 堕天使などという肩書きは初耳だ。

 それに蓮のことを初めて会うような物言いも妙だった。

 アルセーヌのように自身のペルソナだったデカラビアとはどうやらまったく別の存在なのかもしれない。

 訝しげにデカラビアを見る蓮だったが、向こうも戸惑いから脱し、不敵に笑い声を上げた。

 

「ふっ。しかし、我も知っているぞ。黒猫を連れた悪魔召喚師……ボルテクス界とは異なる“帝都(テイト)”とかいう別の世界から来たサマナー、『葛葉(クズノハ)ライドウ』だな?」

 

「…………」

 

 まったく知らない名前の人物が挙がり、どう反応すれば良いのか判断に困った蓮は沈黙した。

 その反応を無言の肯定と勘違いしたデカラビアは一層得意げに語り出す。

 

「ククク。我の情報通ぶりに声も出ない様子だな。このシブヤには様々な情報が入ってくる。葛葉ライドウ、お前がこのボルテクス界にやって来たことも耳にしていた」

 

「…………その」

 

「何だ?」

 

「人違いです」

 

 躊躇(ためら)いがちに蓮が答えると、デカラビアは一旦黙り込み、クルクルとその場で回転する。

 お互いに気まずい沈黙が周囲を支配した後、先に喋り始めたのはデカラビアの方だった。

 

「……今のは。今のは……ジョークだ。いいな? 我の小粋なジョークだ」

 

 冗談だったと(てい)で押し通そうとしてくる。

 鼻高々に語った手前、間違いだったと認めるのは耐えられないのだろう。

 蓮もまたそれを掘り下げるほど非道ではなかった。

 

「面白かった」

 

 冗談と受け入れた上で褒めてみることにした。

 

「そうか! よしよし、サマナー。お前は笑いを分かっているな」

 

 目玉しかないが回転する仕草と声のトーンからして気分を良くした星型堕天使は、すっかり打ち解けた様子で尋ねて来る。

 

「それで、我を知るお前は一体何者だ?」

 

 悪魔に本名を教えていいものかと一瞬だけ悩んだ蓮だったが、嘘を吐き、それが露見した場合のデメリットを考慮し、正直に答えた。

 

「雨宮蓮。もしくはジョーカーだ」

 

「アマミヤ レン……ジョーカー。どちらも知らない名だな。シブヤ方面に来るのは初めてか?」

 

「東京がこんな風になった後の渋谷なら、そうだ」

 

 蓮の脳裏で蘇るのは東京受胎前の渋谷の記憶。

 校舎の屋上を半ば強制的に追い出された心の怪盗団は、渋谷駅の連絡通路をアジトにして作戦会議をしていた。

 人通りもあれば、人目も当然あるような開けた場所。

 しかし、そこは間違いなく蓮にとって、怪盗団のメンバーにとって特別な基地だった。

 

「仲間との思い出の場所だった……」

 

「そうか。ふむ……正直に答えてくれた礼に我も情報を授けよう。何か聞きたいことはあるか?」

 

「聞きたいこと……。この辺りで人間を見かけなかったか?」

 

 蓮の問いにデカラビアは一、二回ほど回転しながら答えた。

 

「見たぞ。少し前に地下街に人間の女が入って行った。その後、ここを出て行ったようだがな」

 

「本当か。どのくらい前だ?」

 

「どのくらい……そうだな。カグツチの光が十五、いや、二十ほど煌天(こうてん)したぐらいか?」

 

「煌天……?」

 

 聞きなれない単語に蓮が聞き返すと、デカラビアはそれについても詳しく教えてくれた。

 ボルテクス界の中央に輝く発光体・カグツチ。

 そのカグツチは一定周期で明滅を繰り返していて、悪魔はその明滅具合で時間の経過を観測しているのだという。

 輝きがまったくない時を静天、一番煌々と輝いている時を煌天と呼び、月の満ち欠けのように少しずつ明滅は繰り返えされる。

 

「煌天の時は悪魔は理性を失い、衝動のままに暴れている。悪魔との会話をする時はくれぐれも気を付けるといい」

 

「なるほど、助かる。だが、それだと人が居たのは大分前だな」

 

「うむ。我が知るのはここまでだが、ギンザならもっと情報があるかもしれないぞ。あそこには『BARマダム』がある。人間の目撃情報も聞けるだろう」

 

「ギンザか。色々聞かせてくれてありがとう」

 

 軽く頭を下げるとデカラビアは一回転して、答えた。

 

「礼には及ばない。待ちくたびれて、暇を持て余していたしな」

 

「誰かを待ってるのか?」

 

「友だ。ハチ公前で待ち合わせをしているのだが、一向に現れない」

 

 それを聞き、今まで沈黙を保っていたアルセーヌが一歩前に出る。

 

「それなら仲魔としてジョーカーと共に来るつもりはないか? 見たところ、貴殿は強い力を持った悪魔。共に主を守ってくれるなら心強い」

 

「アルセーヌ……」

 

 その提案に蓮は僅かに批難するような視線を向けるが、アルセーヌは取り下げる様子はない。

 彼の勧誘を受け、少し考えるように目を閉じたデカラビアだったが、再び開いた瞳には迷いはなかった。

 

「いや。悪いが、友と約束を破る訳にはいかない。奴が来るまで待つ腹積もりだ」

 

 勧誘を断ったデカラビアに対し、蓮はむしろ当然だというように頷いた。

 

「それでいいと思う。……友達と会えるといいな」

 

「うむ。仲魔にはなってやれないが、せめて路銀をくれてやろう。受け取れ」

 

 どこから取り出したのかは判断できないが、蓮に数百枚ちかい金貨の束を渡してくる。

 

「マッカだ。五百はあるだろう。悪魔との交渉、物品の購入。好きに使え」

 

 どうやら悪魔が使うこの世界での通貨のようだった。

 おお、とアルセーヌが喜色ばんだ声を漏らしたことからかなりの額だということが察せられる。

 

「何から何まで悪いな」

 

「気にするな。楽しい時間だった」

 

 デカラビアに別れを告げ、蓮は新たにギンザを目指すことに決めた。

 すると、静かだったモルガナが(せき)を切ったように話し出した。

 

「蓮。お前、よく悪魔と会話できるな。あれはシャドウと違って、本物の生命体なんだぞ? ワガハイ、ずっと心配で吐きそうだったぞ!?」

 

「毛玉をか?」

 

「違うわ! お前がいつ機嫌を損ねて殺されるか、気が気じゃなかったってことだよ!」

 

 モルガナの心配も満更、杞憂ではない。

 シャドウと悪魔。姿は同じでもそのルーツがまったくの別。

 人間の意識の具現であるシャドウは多少不条理な精神構造をしていても、それは人間が想定できる範疇を逸脱しない。

 しかし、悪魔は違う。

 完全に人間とは異なる尺度での思考回路を持っている。

 更に言えば、ここは現実の世界。致命傷を負えば、文字通り、命を失いかねない危険を常に孕んでいた。

 だが、実際に悪魔との会話を行った蓮の感想はモルガナとは異なっていた。

 

「思ったよりも人間と同じだった」

 

 その言葉を聞き、アルセーヌが満足げに笑う。

 

「フハハ、それがジョーカーの強みだな。どの存在であろうとも態度を変えず、対等に会話を行える。だからこそ、惜しい。もう一押しであの悪魔が仲魔にできたかもしれないところだった」

 

「……アルセーヌ。ああいうのは止めてくれ。あいつは友達を待っていると言っていた」

 

 苦言を呈す彼にアルセーヌは帽子を人差し指で掻きながら答えた。

 

「悪かった。ただ、ジョーカー。流石に私以外の悪魔を仲魔にする必要があることは理解してくれるな?」

 

 それについては蓮も頷く。

 如何にアルセーヌが強かろうとも単独では限界がある。

 ペルソナ使いであった時も一人ではなく、背中を預けられる仲間が居たからこそ、やって来られた。

 悪魔との会話もわかったところで、改めて周囲を見渡す。

 

「ギンザに行く前に悪魔を仲魔にする」

 

「よし。ついでにデカラビアが言っていた地下街とやらにも行こう。何か手がかりや有用なものが残っているかもしれん」

 

「お前が仕切るなよ、窃盗ペルソナもどき」

 

「何をいうか、猫風情が! 私は怪盗だ!」

 

 モルガナとアルセーヌの口喧嘩を聞き流しながら、蓮は在りし日の仲間との過去を思い出し、哀愁を噛み締めた。

 



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第五話 ミートアゲイン・シャドウ

「あっ、いっけなーい。急な用事を思い出いちゃったー。……ってことでもう帰るね。バイバーイ」

 

 ひらひらと手を振って去っていく女悪魔を見送り、蓮は膝を突いて、三十六度目の絶望に打ちひしがれる。

 潤沢にあった仲魔勧誘のための資産は既に半分以下にまで擦り減っていた。

 握り締めた拳を何度も地面に叩き付け、魂からの叫びを上げる。

 

「……悪魔だ。……あいつらは皆、悪魔だぁ!」

 

「いや、最初から全員悪魔だろ!」

 

「突っ込み待ちのボケをするとは。意外に余裕があるようだな、ジョーカー」

 

 慟哭する蓮に対し、お供の一匹と一体は呆れた眼差しを向けていた。

 当人からすれば、本気でやっているのだが、端から見れば下手なナンパで金銭を巻き上げれていく哀れな男でしかない。

 主の醜態にアルセーヌは肩を竦めた。

 

「まったく見るに堪えないな。仕方あるまい。ここは私が見本を見せてやろう」

 

「アルセーヌ……」

 

「フッ。今回だけだ。まずは悪魔会話の何たるかを見て学ぶがいい」

 

 這い(つくば)ったポーズで己の仲魔を見上げ、蓮は思った。

 ──じゃあ、最初からやってくれ、と。

 しかし、忠義を見せる己に酔い痴れる魔人には主の恨みがましい視線は届かなかった。

 不甲斐ない蓮に代わり、シブヤの地下通路を徘徊する女悪魔へ話しかける。

 

「そこの悪魔」

 

「え、アタシ?」

 

 アルセーヌが話しかけたその悪魔を後ろで蓮がGUMP(ガンプ)でアナライズする。

 『【地霊・カハク】Lv5 NEUTRAL』。

 “地霊”というのは悪魔の種族名なのだろうと蓮は推察する。ペルソナでいうところのアルカナのようなもの。

 言わばカテゴリーとしての名称。

 そして、この“NEUTRAL”という文字の表記は属性。悪魔が持つ性質を表していると考えられる。

 GUMPから展開された画面から視線を戻すと、アルセーヌが片手を己の胸に起き、もう片方の手でカハクに向かって差し伸べる。

 

「私は今、お前から大切なものを一つ頂いた。それが何だか分かるか?」

 

「えっ? アタシから何か盗んだの? ひどーい。信じられない」

 

 蝶の羽を持つ朱色の地霊はその台詞を聞いて、身に付けているものを確認するように中華風の衣装を(まさぐ)る。

 だが、すぐに何も盗まれていないことに気付くと、首を傾げた。

 

「あれ? 別に何も取られてないけど?」

 

「いいや。私は確かに頂戴(ちょうだい)した。それは……お前のハートだ!」

 

 表情の読み取り難いバイザー状の顔からでも伝わる、したり顔。

 大仰にカハクへ伸ばした手は、握り返されることを微塵も疑ってはいなかった。

 

「……え、何言ってるの? 気持ち悪い……サ、サヨナラ!」

 

 もの凄い速度で飛び去っていくカハクに気取ったポーズのまま固まるアルセーヌ。

 沈黙の後、己が主とほぼ同じ姿勢で四肢を突いた。

 モルガナが冷めた目で吐き捨てる

 

「何が見本だ! 全ッ然駄目じゃねーか。人の集合認知に帰れ、ペルソナもどき!」

 

「モルガナ……それ以上はやめてやれ」

 

 蓮としてもあれだけ自信満々で出向いてのお粗末な成果に思うところはあったが、言動を嫌悪感に溢れた拒絶で返された男へ対して殊更、鞭を打つ気にはなれなかった。

 これ以上続けても時間の無駄だと判断した蓮は、悪魔集めは中断して周囲を見回す。すると、すぐ近くの壁にいくつかの扉が目に付いた。

 

「気分転換をしよう。そこに何かあるみたいだ」

 

 アルセーヌはその台詞を聞いて、むくりと起き上がると何事もなかったかのように喋り出す。

 

「私も丁度そう提案しようと思っていたつもりだ」

 

「こいつ……どういう情緒してんだ」

 

 モルガナが毒づくがアルセーヌはまるで意に介していない。

 というより意識して無視している様子だ。

 

「ふむ。あの扉は……」

 

「知ってるのか?」

 

「まあ、直接己の目で確かめた方が早いだろう」

 

 アルセーヌに促され、蓮は扉の前に近付いた。

 薄紫色の円を三方向から囲うように三日月が張り付く模様が描かれた扉は、触れた瞬間、自動ドアのように左右に動き、内側へと導かれた。

 僅かに動揺した蓮だったが、覚悟を決めて、部屋の中に足を踏み入れる。

 室内は想像の十倍は広い空間が広がっており、傾いた巨大な三本の柱がそれぞれ中心を目指して伸びていた。

 柱の上部は繋がっており、台座のようにも見える。

 視界が上へと向いてしまったが、三本の柱の間……円で作られた段差があるその場所には奇妙な衣装で立つ老人が立っていた。

 

「人間、か……?」

 

 長い髭を生やし、紺色の司祭平服(カソック)のようなものを着込んでおり、サングラスとぴっちりしたフィット感のある中国風の帽子を被っている。

 何故か、開いた右手を突き出した姿勢で直立不動を貫いていた。

 

「悪魔が集いし邪教の館へようこそ……何が望みだ?」

 

 妙にねっとりした喋り方で尋ねてくる老人だったが、蓮としては彼が何を言っているのかも判断が付かない。

 

「邪教の館……。それがこの場所の名前か?」

 

「何だ、お主。ここがどこかも分からず訪ねてきたのか」

 

 老人の問いにこくりと頷くと、彼は「仕方ない」と姿勢を微動だにせず、説明を始めた。

 

「ここは邪教の館……。我々の秘術は悪魔を従えし者の助けとなり得る場所だ。その秘術とは悪魔合体。異なる悪魔を合体させ、新たな悪魔へと降誕させるもの」

 

「悪魔合体……」

 

 それを聞き、蓮はかつて近しいものと関わり合いがあったことを思い出す。

 ようはベルベットルームでのペルソナ合体のようなものらしい。

 

「大体分かった。ギロチンで首を切り落とすヤツだな?」

 

「違うわ! 何を悪趣味な想像しているのだ……恐ろしい召喚師(サマナー)だ」

 

「違うのか……」

 

 悪魔を合体させる邪教の司祭に悪趣味呼ばわりされ、ペルソナ合体の光景がいかに残酷なものだったかを思い知らされる。

 改めて第三者から指摘され、かなり感覚が麻痺していたことを蓮は自覚した。

 隣に立つアルセーヌも同意する。

 

「うむ。あれはなかなかに悪趣味な趣向だった」

 

「そうか。なんかごめん」

 

「まあ、許そう。もっとも、あの時の私と今の私は厳密には別の存在だがな」

 

 アルセーヌとの会話を挟んだ時、邪教の司祭がわずかに反応した。

 

「ほう。お主……不吉な悪魔を連れているようだな」

 

「アルセーヌのことか?」

 

 蓮がが聞くと、邪教の司祭は肯定した。

 

「左様。その悪魔は“呪われし死の使い”……『魔人』。その者ら、善にあらず。とはいえ、悪と断じられる者でもない。いかなる因業をもたらすかは……お主次第だろうな」

 

 不吉な呪われた存在と言われ、気分を害するかと思われたが、アルセーヌはむしろおかしそうに笑ってみせた。

 

「フッ、『呪われし死の使い』か。反逆の魔人である私には相応しい称号だな」

 

 ここぞとばかりに己の特異性を自慢げに誇るアルセーヌだったが、先ほどまでの醜態が記憶に新しい蓮としては肩を竦める他なかった。

 邪教の司祭は言う。

 

「しかし、悪魔を一体しか持たず、邪教の館を訪れるとは奇特な者も居たものだ」

 

「悪魔が全然仲魔になってくれない」

 

 憮然とした態度で蓮が返すと、邪教の司祭は何やら少し考え込む。

 

「ふむ。魔人を連れている割りには未熟な召喚師(サマナー)のようだ。これも何かの縁。お主にこの悪魔を授けよう」

 

 相変わらずの直立不動の姿勢のまま、そう宣言した。

 連は怪訝(けげん)そうしていると、持っていたGUMP(ガンプ)がピピッと受信音を鳴らす。

 上部を開いて確認してみると、悪魔ストック欄に新たな悪魔の名が増えていた。

 

「こ、この悪魔は……」

 

 そこにあった悪魔の名は──『【魔王・マーラ】』。

 蓮には悪魔の種族など詳しくは分からない。

 しかし、“魔王”という存在は地霊や精霊、魔人すらも凌駕しているように思えてならなかった。

 ごくりと生唾を嚥下(えんげ)して、そのLv(レベル)へと視点をずらし……。

 

「……ん?」

 

 二度見した。

 『【魔王・マーラ Lv6 Chaos】』。  

 Lv6……? 60の表示ミスではなく、6……?

 

「その悪魔はどうやら不完全な召喚によって大幅な弱体化を受けているようだ。ほとんど【外道・スライム】と化している。シブヤでとある場所で見つかったのだが……お主、その悪魔を見事元の存在へと戻すが良い」

 

「……(てい)のいい厄介払いでは?」

 

「……うぉっほん。邪教の館は各地にもある。悪魔を集めて、また来るが良い」

 

 露骨に咳払いを一つして、邪教の司祭はそれ以上話すつもりはないというかのように黙り込んだ。

 視線をアルセーヌに向けると、彼は両手を上げて肩を竦めた。

 ここに留まっても無意味かと思い、蓮は邪教の館を後にした。

 外へ出ると、混乱させないために沈黙を保っていたモルガナが(せき)を切ったように話しかけてくる。

 

「なあなあ、蓮。新しい悪魔を仲魔にしたんだろ? 早く見てみようぜ」

 

 あまり気乗りしなかったが、確かに仲魔に加わった以上、会っておく必要はあると考え直し、蓮はストックからマーラを召喚した。

 

「来い、マーラ!」

 

 GUMPから六芒星の魔法陣の光が浮かび上がると共にデータへと変換されていた悪魔が今、解き放たれる。

 

「……ググ…………ギギ……」

 

 顕現したのは黄緑色の溶けた粘液のような存在だった。

 

「ググ……ギ……我は……魔王・マーラ……コンゴトモ……ヨロシク……」

 

 どこか亀頭のようにも思える頭部を持つその悪魔は知性をあまり感じさせない片言の言語で挨拶をする。

 モルガナはそれを見て(ささや)いた。

 

「なあ、ワガハイ。こいつ、どっかで見た覚えがあるんだが……」

 

 連にも見覚えがあった。

 その姿はかつて、蓮がカモシダパレスで出会ったシャドウ……“ちぎれた煩悩大王”に瓜二つだった。

 




久しぶりの投稿。ストーリーはあまり進展していません。


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