愚地独歩vs黒木玄斎 (ロウシ)
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愚地独歩vs黒木玄斎

週刊少年チャンピオン44、10月14日号
刃牙シリーズ30周年記念号に掲載された
「刃牙×ケンガンオメガ」の話の続き……のつもりの二次創作です
※10月17日誤字修正
 というより黒木玄斎の漢字を幻斎と素で間違えてました、お恥ずかしい……
 ご指摘ありがとうございました


 夜道だった。

 

 深夜の河川敷は、人通りが少なかった。

 ごくたまに犬の散歩などをしている年配者がいたり、あるいは何かクスリでもやっているおかしなヤツが通るぐらいである。

 

 静かだ。

 川の流れる音だけがざぁざぁと聞こえて来る。

 自然からすっかり縁遠くなった文明社会の、ほんのいっとき、片隅を占めるこの音の心地よさを知るものは少ない。

 

 男は大きな男であった。

 闇の中に溶け込むような、漆黒の空手着に身を包んでいた。袖のところが破けているのは長く鍛錬に付き合ってくれたおかげだ。

 精悍な顔立ちであった。

 短く逆立てつつも、熊のような毛髪、髭も濃い。しかし、その男の眼光の鋭さは、月明かりのみが照らす漆黒の道筋に、頑とした道を見出していた。

 

 その足取りが、やんだ。ぴたり、と止まった。

 

 男は顔を半分だけ振り返った。

 すると、周囲の空気がぐにゃりと曲がっていく。気のせいではない。男の発する殺気が、周辺の温度を変えている。底冷えするような殺気であった。しかし、空気を歪めているのは男だけの殺気ではない。

 

「そろそろ理由を聞こう。何故この黒木の跡をつける?」

 

 闇の中から、ひたり。と足音。

 月明かりの照らす、黒木の視界のぎりぎりの位置に、足が見えた。

 

 裸足であった。しかし、黒木が驚いたのは、裸足だからではない。

 

 太い──足であった。

 足そのものが分厚い。その皮が分厚い。指が分厚く、丸い。爪すらも、太い。

 それは、並々ならぬ鍛錬の血実である。

 硬いものを蹴り続けたのだ。血が出ても、骨が折れても、健が捻れても、痛みに耐え、ただひたすらに、硬いものを全力で蹴りつける。そういう修練を積んだ足だった。

 

「バレちまったか」

 

 その男は、悪びれもせずにそう言った。

 

「お前さんの背中を見てるとよ、嬉しくって嬉しくって……つい、気配を消すのを忘れちまった」

 

 それは、黒木にとっても、見覚えのある男であった。

 

「愚地独歩か」

 

 男はククッと笑った。白い空手着を着ていた。潰れた鼻、沸いた耳、分厚い唇。頭髪は綺麗に剃り上げている。ぐりっとした丸い目が、嬉しそうに黒木の顔を見つめていた。

 

「えらい色っぽく名前、呼ンでくれるんだなぁ……」

「用向きを聞こうか?」

「用向き?」

 

 愚地独歩は、わざとらしく目を見開いた。

 その目が、空気が、

 

 おいおい、俺がここにいる理由、もうわかってンだろ? わかっていて聞くなんて、ズイブンいじらしいじゃねェか。

 

 黒木にそう、如実に伝えてきた。

 

 黒木玄斎は構えた。

 愚地独歩も構えた。

 

 周囲に人通りはない。

 見物人は月と虫だけ。

 

 月下の元で、2人の男が出会った。

 

 偶然ではない。

 もちろんこれは、愚地独歩が仕込んだことだ。

 しかし、黒木玄斎も、いつどこでも愚地独歩を呼び止めることはできた。

 黒木は、愚地独歩が「地下闘技戦士」と「拳願試合」の交流戦を経てから、日を跨いでも、たびたび視線を感じていた。

 

 愚地独歩の熱烈な視線だ。

 隠す気もないそれを。

 

 で、あるならば、月下での立ち会いを望んだのは、黒木玄斎でもあった。

 

「顔に似合わず、ロマンチストなンだな」

「貴様には劣る」

 

 短い言葉を交わす。

 もうわかっている。

 どちらとも言わずとも、感じている。

 

 俺たちは両想いだ。

 

 ここで、愛の告白の代わりに、互いに正拳を付き合うんだ。

 己の肉体を掛けて、お互いの肉を壊し合うんだ。

 

 おっと、黒木玄斎は怪腕流。

 『魔槍』の名に相応しい、貫き手「も」使うんだったな。

 

 まぁいい。

 

 とにかく、ここには俺たちだけだ。

 

 リングは、いらない。

 審判も、いらない。

 客も、いらない。

 金も、いらない。

 徳川も、滅堂も、いらない。

 なんだったら、この月明かりすらいらない。

 

 必要なものは、2人の空手家。

 愚地独歩と黒木玄斎、ただ2人だけなのだ。

 

 

 

 黒木玄斎は前足を猫足で立て、右手を腰に、左手をやや曲げて、前に出している。

 比較的オーソドックスな空手の構えだった。

 

 愚地独歩は、天地上下。右手を上に、左手を下に、足は肩幅よりやや広く構える。

 

 2人とも、ずしりと重心が地についている。

 受けの構えだ。鏡合わせのように、お互いに攻撃を待つ。

 

 しかし、その表情は実に対照的だった。

 

 黒木玄斎は、無表情に近い。

 口角を閉めて結び、相貌はともすれば怒りを孕んでいるかのようである。

 

 愚地独歩は、笑っていた。

 口角は横に広く伸び、目は鋭くも喜びがあふれていた。

 

 仕掛けない。

 仕掛けない。

 

 しかし、間合いが縮まっていく。

 愚地独歩が詰めている。

 

 互いの制空権がちりちりと引き合っていく。

 近づけば近づくほど、愚地独歩の圧力は静かに増している。黒木は下がらない。2人の間で狭くなっていく空気がひりついている。

 

 そして、制空権が触れ合った。

 同時に、愚地独歩が踏み込んだ。

 

 左の正拳突き。

 モーションがない。傍目から見れば、それは構えを無視して唐突に放たれたように見えた。

 しかし、黒木玄斎は前に出した左手で、これをあっさりと弾いた。

 

 つぅ!

 

 と愚地独歩がわずかにうめいた。

 そこを見逃さず、今度は黒木の右手の貫手──魔槍が独歩の眼前に突き進む。

 

 しかし、魔槍は愚地独歩の眼前で止まった。独歩がほんのわずか、上半身を逸らした。足の重心は前にありながら、その見事な腹筋と背筋の操作で距離感を騙したのだ。

 

 伸び切った黒木の右手を、愚地独歩が掻い潜る。突き出される右拳。正真正銘の正拳突きが、黒木玄斎の胸に突き刺さる。

 

 しかし、黒木は動じない。

 硬い! 愚地独歩の感想はそれだった。硬く、弾力のある岩。あるいは、密度の極まった巨大なタイヤ。とにかく、そういうものを叩いた感触だった。

 黒木は食らっている動作のまま、左足での前蹴りを繰り出した。

 

「ぐうっ!」

 

 愚地独歩の体が真っ直ぐに弾かれる。体の中心線を貫く一撃だった。

 

 少し、間が空いた。

 

「へへ、力剛の胸を凹ませた一撃を、あっさり受けやがったよ」

「やはり、あれはお前であったか……」

 

 黒木玄斎の語る「あれ」とは、『昭和の巌流島』の真実を世間が知るきっかけとなった出来事であった。

 

 孤高の柔道家、範馬勇一郎。

 日本最強の武術家とも噂される男だった。

 それが、力剛山との「試合」で、無惨に敗れた。

 

 しかし、あの試合は観るものが観れば一目でわかった。

 範馬勇一郎はわざと負けたのだ。

 力剛山の攻撃など全く効いていない。

 

 その感想は、黒木玄斎とて同じだった。

 

 そして、範馬勇一郎が敗れたその後、一月もしないうちに力剛山側からある発表があったのだ。

 

『あれは、事前の話し合いによって勝敗の決まっていた、プロレスだったのだ』──と。

 

 会見上に姿を表した力剛山の姿は痛々しいものであった。顔に包帯をぐるりと巻き付け、車椅子に乗っていた。胸骨が砕け、足が動かず、顔の形が変わっていた。鼻をそぎ落とされていたのだ。

 

 前述の言葉と矛盾するかもしれないが──力剛山は決して弱くない。

 

 それは、当時の日本の武術家の共通見解であった。アメリカに渡り、プロレスを持って帰るために地獄を見た男だ。トップは取れなかったとはいえ、元は角界に身を置いていた男だ。

 

 あのプロレスに関しては、力剛山より範馬勇一郎が強すぎるための違和感……やらせだと感じたのは事実ではあるが、並みの武術家ならば例えリングの上でも、路上でも……いや、どこであろうとガチンコでやる力剛山に勝つことは、並々ならぬことなのだ。

 

 黒木玄斎の警戒が一段階上がる。

 愚地独歩が言った。

 

「一つ、試させてもらうよ」

 

 そして、顔、と言った。

 

 次の瞬間、黒木玄斎の右頬に、がつん! と衝撃が走った。

 愚地独歩の左拳が当たったのだ。

 

「……なるほど」

「胸」

 

 愚地独歩の言葉の後、黒木玄斎の胸に前蹴りが打ち込まれた。

 しかし、黒木幻斎はこれを容易く弾いて見せた。

 

「とと……へへ、やっぱり同じぐらい空手に打ち込んでるバカには、通用しねェか」

「買い被るな。この黒木とて、全てが見えていたわけではない……」

 

 愚地独歩が行ったのは、ただの前蹴りである。その前に行ったことは、ただの正拳突きである。

 

 しかし、黒木玄斎にはその拳も蹴りも見えなかった。

 特に一撃目は本当に唐突に打ち込まれた。黒木の頬がじんわり熱を持っている。前蹴りにしても、蹴り自体が見えていたわけではない。蹴る寸前の腰の動き、重心の移り……誤差としか言えない愚地独歩の動作を見切って、攻撃を予測して防御したにすぎない。

 無動……怪腕流の先読みの極意を体得した黒木だからこそ可能なことだった。

 

 なんという修練の賜物か。

 

 怪腕流の修行とは少し分類が違うが、愚地独歩はこの拳境に至るまでに、一体何本の正拳突きを、前蹴りをやってきたというのか。

 技そのものの精度で言えば、これと同じものを使えるかどうかで言えば、黒木にもできないことはないだろう。

 しかし、それを実践の場で効果的な「技」として使えるかと言われれば、おそらく不可能である。

 

「さて、そろそろ本格的にやろうか」

 

 愚地独歩が構えを変えた。

 左拳を黒木に向け、腰を落として中腰に、首が自然のままに前に倒れた。その目は半開きとなり、黒木を見ているのかわからない、上の空めいた視線となる。

 

 黒木は己の構えを変えない。

 

 変える必要がない。

 

 これを、ずっとやってきた。

 三十余年、ひたすらにこれだけをやってきた。

 

 愚地独歩を相手に、付け焼き刃の技など通用しない。

 それは、自分も同じだ。

 

 ならば、やることは一つ。

 もう、できることは、一つ。

 

 黒木玄斎は黒木玄斎を、

 愚地独歩は愚地独歩を、

 

 それぞれ信頼し、信仰し、力を込めるだけだ。

 

 作戦などない。

 あえていうなら、それは己の全てだ。

 

 突いてきた正拳の数、

 蹴ってきた前蹴りの数、

 叩いてきた経験、

 受けてきた経験、

 勝ってきた経験、

 あるいは、負けてきた経験……

 

 あらゆる過去を、拳に乗せるのだ。

 今から放つものは、愚地独歩の人生であり、愚地独歩そのものである。

 黒木玄斎の人生そのものであり、黒木玄斎そのものである。

 

 月明かりの元で、向かい合う2人は感謝していた。

 お互い、これほどまでに武を比べ合わねばならぬ相手に会えたことを、お互い、この戦いを経た果てに、更なる拳の境地に踏み入ることになる確信があった。

 

 制空権が触れ合う。

 

 お互いの拳は、全く同時に、

 鏡合わせのように放たれた。

 

 

<<終わり>>




いつか、原作同士であるといいですね
読んでくださりありがとうございました
※10月1日誤字脱字修正
※10月17日誤字修正


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