勝ち逃げツインターボ (TrueLight)
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最速のリビングデッド

 幼い頃、俺は誰よりもかけっこが速かった。鬼ごっこで俺に触れるヤツなんて居なかった。

 

 小学校も高学年になると、俺より足の速いヤツが出てくるようになった。そいつらはサッカーや野球と部活動に励み、休み時間や放課後、友達と遊ぶときにしか運動しない俺より運動能力が高くなるのは当たり前の話だった。今考えれば、の話だが。

 

 部活動に入るという選択肢は無かった。ただ、通学する時。教室を移動する時。家に帰る時。スクールバスが出ているにも関わらず、俺はどんな時だって遮二無二走るようになった。本能的に、やればやるだけ伸びるものだと悟っていたのかも知れない。

 

 周りから変な目で見られても気にならなかった。そんなことより、50M走なんかで俺より先にゴールするヤツの存在が許せなかったんだ。そして小学6年時のリレー大会にマラソン大会、運動会の競技全てで俺は誰よりも早くゴールした。それだけで俺にとって、小学生時代というのは最高のモノだったと断言出来た。

 

 中学生に上がり、俺は絶望することになった。陸上部なるものが存在したのだ。最初は気にも留めなかった。1年1学期の体力テスト、その部活に入った同級生より俺のほうが速かったからだ。中学に上がっても俺は暇があれば走っていた。教師に止められなければ廊下でだってそうだ。俺が速いのは当たり前だった。

 

 しかし二学期を迎え、持久走なるものが体育の授業で行われた。俺は……同級生に負けたのだ。それも、それなりの差をつけられて。少なくともまぐれだなんだと難癖をつけられるような僅差じゃなかった。

 

 俺とアイツの違いはなんだ? 簡単な話だった。翌日、俺は陸上部に入部することになった。夏休みに俺がしていなくて、アイツがしていたこと。取り返さなきゃならなかった。

 

 それからは早かった。そして速かった。中学生の陸上記録、それも短距離においては何度もタイムを塗り替えていった。陸上部に入るまでは奇異の目を向けられていたが、それらは全て称賛に変わっていた。卒業する頃にはスポーツ特待生としての高校進学も決まっており、中学時代もまた最高の思い出だと振り返る事ができる。

 

 高校生になってもやることは大して変わらなかった。俺より速いヤツに出会うことは無かったが。強いて言えば走るという行動を医学的に捉えることが出来るようになった、という点だろうか。どういう姿勢で走るのか。そのために必要な筋力はどこか。食事バランスだって大切だ。最速であり続けるには最高の身体であり続ける必要があるのだ。

 

 大会に出た後で身体を酷使するワケにもいかない時には、スポーツトレーナーやマッサージ師の方々に施術をお願いする傍ら軽く師事したりと出来ることはなんだってやった。

 

 小中学生の、世界が家と学校だけで満たされていた時分とは違って、高校生の陸上競技ともなればインタビューを受けることや雑誌に載せていただくことだってあった。そんな記事を、俺以外の選手について目を通すことだって勿論だ。世界の広さを少しずつ知った俺は、手が届く場所にある、走ることに繋がる知識を貪欲に求めていった。

 

 いくつもの優勝トロフィーを掻っ攫い、お誘いいただき進学した大学でも期待に応え続けることが出来た。国内の大手企業がスポンサーについているスポーツチームから卒業後は来ないかとスカウトがかかっていた4年時にはすでに何度か世界陸上を経験し、オリンピックに出場する誉れにすらあずかっていた。

 

 ……そう、オリンピック。ここで俺は再び世界の広さを知った。出場した100M、200M、4☓100Mの3種目。俺が持ち帰ることが出来たメダルは、銀、銀、銅だったのだ。両親も恩師も友人も、みんな喝采し喜んでくれた。俺のことを誇りだと言ってくれた彼らに、俺は内心を隠して苦笑することしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悔しい! 悔しい!! 俺より速いヤツがまだ居た!! 驕っていた!! 高校、大学と負け知らずだった俺はきっと天狗になっていたんだ!! ゼロコンマ1秒の差も無かった!! 相手は知っている選手だった!! 世界陸上でゴールを競ったことのある相手だった!! 今まで負けたことのない相手だったんだ!!

 

 俺は十分に向き合い続けてきたと自惚れていた『走る』ということに再び挑み始めた。上には上がいる、それを常に忘れないよう心に刻みながら。敗北を喫したオリンピック、相手の記録どころか俺の記録だって世界新記録だった。0.5秒……そう、ゼロコンマ5秒、先へ行こう。その気持ちで走ろう。じゃなきゃきっと、気持ちで勝てやしない。また肩を並べるだろう世界陸上、その舞台で相手がまた新記録を樹立しない保証なんてないのだ。

 

 翌年、金、銀、銀。大学を卒業し、晴れてプロスポーツチームの陸上選手となっていた俺は100Mで一矢報い、そして世界新記録を樹立した。最短距離の最速、これを以て俺は一旦満足した。ただ貪欲になって、盲目に走ったって3冠は成し得ない。まずは自分を認め、そして2冠を制した相手を讃えよう。その上で次こそは。来年こそは、全て獲ってみせる……!

 

 さらに翌年……銀、銀、銀。惜しくも、と言っていいだろう。俺と相手にほとんどタイムの差は無かった。悔しい、という気持ちは消えない。だが同時に誇らしい気持ちにもなってしまう。初のオリンピック以前、彼は俺よりずっと後にゴールしていたはずなのだ。凄い人物と競い合うことが出来た……。

 

 色々と知識をつけ、がむしゃらに走るだけの子供心は少しずつ忘れかけていた。俺のピークはもう何年も続かないだろう。次の勝負では100Mを奪取することに全てを費やそうと覚悟した。200Mも4☓100Mも国内に俺以上の選手は居ないため勿論出場するが、俺が賭けるのはそこだ。そこしかない……。

 

 翌年、金、銀、銀。当然のように世界新記録だ。だが彼もほぼ同時にゴールしており、俺が居なければ彼が更新していたことだろう。……正直、満足だった。

 

 あのオリンピック以降、彼が成した3冠を俺はこれまで達成したことが無かった。でも、そんな凄い相手から1つは奪ったのだ。それに……来年走ったところで、彼と競う自信が無かった。

 

 我ながら自身の肉体のメンテナンスに関しては狂気じみた執着を見せてきた。誰よりも分かっていた。翌年、俺はきっと今の俺より遅いだろう、と。

 

 だが、彼は目に炎を宿していた。俺と彼の競い合いはそれなりにドラマティックで、並んでインタビューを受けることも何度かあった。互いに母国語でない、慣れない英語でなんとか応答し、少しばかり親近感が湧いたものだ。そして伝わってくる想い(もの)があった……まだ走りたいと。競いたいと。今度こそ、と。

 

 言葉を通わせなくとも彼が抱いているだろう気持ちは理解できた。俺も彼も、人類最速としての矜持があった。俺は彼を誰よりも知っていたし、彼も俺を誰よりも知っていた。

 

 最後、と決め。俺は翌年に向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界陸上競技選手権大会。いつもの舞台。もちろんトラックには間に数人を挟んで彼も並んでいる。100Mだ。今は俺の、と言って憚らない。俺が間違いなく最速の距離。

 

 身体の仕上がりは悪くない。……以前までのように、仕上げてきた、とは言い難いが。最善を尽くし、保てる水準を保ちきった、と断言できる。

 

 胸はいつもより高鳴っている。反して精神は凪いでいた。やけにトラックを彩るライトが眩しく感じるが、叩きつけられるような歓声はどこか遠くに感じる。コンディションは……ここ最近じゃ最高、と言っていいだろう。

 

 ――アナウンスが流れた。俺たちも流れるように屈み、その時を待った。

 

 ついさっきの歓声が嘘のような静寂の中、鼓動だけがやけにうるさい。

 ドクン――ドクン――ドクン――慣れ親しんだ()だ。来る(・・)

 

 ――号砲(パァン)!! 弾かれたように俺たちは走り出す。

 

 走る。走る。走る――。隣なんて見ない。当たり前だ。でも左右に目を向けても並んでるヤツなんて居やしないだろう――1人を除いては。

 

 走る――風を感じる、心地よい。

 

 走る――足が軽い、まるで羽根みたいだ。きっと勝てるぞ。

 

 走る――気持ちいい、コレ以外要らないとすら思える。

 

 走る――だからこそ渡せない。コレは俺の、俺だけのものだ。

 

 走る――……どうしてこんなに走り続けてきたんだっけ? 何故かこの時になって、幼い頃のかけっこが脳裏を過ぎった。

 

 全身を振り回して……風を切って……前へ、前へ。

 

 嗚呼――そうだ。今更になって実感した。走ることってのは――こんなにも、楽しい!!

 

 しかし……走り、抜けて……終わってしまった。体感で、わかる。ゴールラインを踏み越えた。さぁ、何秒だ。どっちが最速だ……? 勝っても、負けても、笑い合えるだろう。だってこんなにも、苦しくて、悔しくて、楽しかった。

 

 来年は会えないけど、頑張ってくれって、健闘を讃えよう。

 

 そう、したいのに。なんで……俺は他人の足なんて、見てるんだ……?

 

 視界がじわじわと白んでいく。あれ、おれ、たってるよな……?

 

「――……。――――!!」

 

 聞いたことのある声で、聞いたことのない言葉が耳に入る。なんて言ったんだろう……それを考えようとした時、パチリと頭の中で何かが弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナー!!」

「んがっ」

 

 パチリと鼻提灯が弾けた。広大な敷地を誇るトレセン学園の隅、寂れた訓練場でうたた寝していた俺の顔を覗き込むツインテールの快活な声で目を覚ました。懐かしい夢を見たような……なんだったか。まぁいい。

 

 ハァハァと少し呼吸を荒くしている待ち人の様子を見るに、どうやらきちんとココまで走ってきたらしい。トレセン学園の隅というのは比喩表現ではない、紛れもなく端も端だ。チームを結成せずウマ娘1人しか指導していない俺が管理手入れすることでなんとか手に入れた施設だが、使い勝手は非常に悪い。主に距離的な意味で。しかしそれも受け取り手の考え方次第だ。

 

「よう、ちゃんと全力で走ってきたみたいだな。どうだ、ちょっと休むか?」

「もっちろんトレーニングするよっ! 走れば走るだけ走れるようになるっ! だよね? トレーナー!!」

 

「そのとーり。軽く身体ほぐしてからいつものメニューだ。昨日よりセットこなせるよう、気合い入れろよ」

「うんっ! そしたらターボ、ダービーでテイオーに勝てるよねっ!?」

「当たり前だ。俺は人類最速の男で、そしてお前は最速になれるウマ娘だ。お前が止まらない限り、お前はどんどん速くなる。俺がしてやる」

 

「えへへっ……うんっ。ターボやるよ! めざせっ! 最速のウマ娘~~!!」

 

 気合を入れ、俺がメイクデビューに向けて組んだ特訓メニューに取り組むウマ娘。ツインターボ。楽しそうに揺れる3つの尻尾に頬を緩ませつつも、少しずつ赤みを帯びていく空に独り()ちた。

 

「……どーしてこうなっちまったんだ」

 

 何の因果か輪廻転生とやらを経験したらしい俺の今生、その世界には馬が居らず。ウマ娘なる少女たちが世を盛り上げていた。

 

 ――そしてこの世界には、俺にとって最も大切なモノ……陸上競技が栄えていなかった。

 



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燻る魂

 小学生の頃、俺はインフルで凄い熱を出してぶっ倒れた。40度を超える発熱が3日ほど続き、意識がないまま意味不明な言葉を口走る俺の様子に両親は心底肝を冷やしたらしい。

 

 だが4日目にはケロッと回復し、普段どおりの生活を送れるようになった。表面上は。……俺はその時、前世とやらの記憶を取り戻していたのだ。家族が快復を喜ぶ様子と対照に、俺は絶望感に苛まれていた。

 

 この世界にはウマ娘という存在が居る。彼女たちが色んなコースで、得意な距離で、一着でゴールしようと懸命に競う様は世界的な娯楽として浸透している。

 

 レースレコードを塗り替えたり、権威あるレースで優勝したウマ娘はトップスターと呼んでも過言ではない。華々しい世界だ。一見して人間にしか見えない彼女たちが、自動車レベルの走りで覇を競い、アイドルのように応援されているのが俺が生まれ変わった世界なのだ。

 

 そんな世界で人間の陸上競技が発展するだろうか? 答えは否だった、少なくともただ走る競技に関しては。

 

 物心(・・)がついた俺は、どうして自分がこんなにも走ることが好きなのかを理解した。その体に不相応な(エンジン)を載せているからだ。

 

 しかし家族には、俺がウマ娘に影響され、彼女たちに憧れて野を駆け回っていると思われているのだ。ヒーローごっこをするようにウマ娘ごっこをする子供、それが周囲の俺に対する認識だった。

 

 載せた魂から湧き出す衝動に蓋をせねば……俺は大っぴらに走ることをやめた。前世の記憶が想起されようが、新しい世界に生まれ落ちて十年を過ぎていた。

 

 両親は優しく、彼らに自分の子供がおかしくなったなどと思われたくはなかったのだ。俺の両親は誰だ? と聞かれて前世の親と今生の親を並べられれば、今の親を指差すくらいには心がこの世界に根付いていた。

 

 まともに生きよう。客観的に見て前世の俺の人生はぶっ飛んでいたし、それはどんなに人間として不可能な記録を出そうがこの世界で受け入れられることは無いのだ。安定した職に就いて、親孝行が出来る普通でまともな人間になるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんつってな……」

 

 19で資格を取得した俺は、ウマ娘のトレーナーとして中央のトレセン学園に配属されていた。ウマ娘が好きだから? 申し訳ないがそんなことは無い。ではうら若い彼女らに邪な考えでもあるのか? そんなヤツは訓練校段階で弾かれるくらいには色んな組織が根回ししてる。では何故かと聞かれれば……。

 

「ここでなら最速を追求出来る……!」

 

 ウマ娘の、ではない。俺の、である。まともに生きようと思ったが、どうしても無理だった。寝て起きた時鮮明に覚えていたりあやふやだったりの違いはあれど、何度も何度も夢に見てしまうのだ。

 

 あの瞬間、最速だったのはどっちだ?

 

 もう肩を並べることは出来ない()。最期の瞬間、果たして俺は彼に勝てたのだろうか? 誰に聞いても答えちゃくれない。

 

 なら答えを出してしまおう。俺も彼も目指していて、それでも超えられなかった壁を超えるのだ。100M短距離走において9秒3を切る……! 俺の今生における人類最速の定義であり目標だ。

 

 ウマ娘のトレーナーになったのはその資格があらゆる権利を有しているから。コレが無いと入れない施設、読めない文書、回ってこない情報が山ほどある。

 

 身体能力の違いはあれど、ウマ娘は非常に人間に似ている。であればその走りを研究した内容は、人間(おれ)が速く走るためのトレーニングに活かせる部分が必ず有るはずだ。そして走る訓練においてウマ娘養成施設以上の場所はない。その上そこは一般人男性が利用できるようなモノでも決してない。トレーナー資格は必須だった。

 

 安定した職、当然ながらウマ娘大好きな両親に対する孝行とも矛盾しないと考え、俺自身がしれっとトレーニング施設を利用するために資格を手に入れたのだ。配属希望先は当然トップクラスの才能と施設が揃う中央トレセン学園。やっとこさスタートラインに立ったのだ。

 

 トレーナーに必要なのは結果を残すこと。それはウマ娘のレースに限らない。求められる仕事さえすれば、担当ウマ娘なんて居なくてもトレセン学園に所属できることは下調べ済みだ。

 

 トレーナー業が俺の走りに活かせるように、前世で俺が培い、この世界で発達していない分野を逆に活かしてもらうことが出来る、と俺は画策していた。走りに特化した陸上選手用のトレーニングやケア、怪我をしたときのリハビリ方法などがそれに当たるだろう。食事制限なんかは微妙なとこだが。

 

 ウマ娘ってのは人間よりも個体差が激しく、トレーナーは一人ひとりにしっかり向き合って怪我の治療だったりリハビリを行い、その成果を記録し、同じような事例が起こったら適合する記録を活かすというような非常に効率の悪い積み重ね方をしている。

 

 しかもそれらを各々の研究成果として秘匿することが当たり前だし、おかげでトレーナーの名門なんてものまで存在する始末だ。まぁ自分らが目にかけたウマ娘が可愛すぎるあまり、それを超えるために利用されたくないから隠す、という考えは分からんでもないが。レースレコードなんかは永遠に自分のウマ娘のままであって欲しいだろう。

 

 しかし競技選手としてはそのせいで治る怪我が治らなかったり出たい大会に出られなかったりするのだ。たまったもんじゃない。

 

 つまるところ俺は、どんなウマ娘でも、どんな怪我だろうが最低限この部位のこのトレーニングは出来る。練習後はこんなケアをして、任せられる人が居るならこんなマッサージが有効だ、とか。そういった研究成果として秘匿されているだろうことを体系化してバラ撒くことをトレセン学園のトレーナーとしての実績にしようと考えたのだ。

 

 中央のトレセン学園のライセンス取得は、その過程に地方の学園で研修と称し、実際にウマ娘を短期間トレーニングする実地訓練がある。1人に集中したり、最初からチームを組む意気で複数のウマ娘を担当したりとコースはあるが、俺は後者において自分の知識や経験が多くのウマ娘に通用することを確認済みである。

 

 これを毎月小出しにしてトレセン学園上層部に研究成果として提出し、日々の雑務を片付ければ他の時間は己のトレーニングに費やすことが出来る……! 俺の計画は完璧と言って良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「甘かったか……」

 

 1年。それが俺の知識が研究成果として通用した期間だった。目論見は概ね正しかった。俺が提出した論文や資料は学園の理事長やその秘書が大騒ぎするほど認められ、今年度から教科書に組み込まれるまでになった。ウマ娘用にも、トレーナー用にも、だ。

 

 だが、ついに俺はウマ娘を担当しなければならなくなった。理由は簡単だ、これ以上研究成果として提出出来るものがない。そして、件の理事長と秘書からここまでの研究が出来るのにウマ娘を担当しないのはあまりにも勿体無いから1人でも受け入れて欲しいと言われてしまったのだ。

 

 言われたというか頭を下げられた。上司に、である。給料も増えると言われれば心情的にも貯蓄的にも断ることは出来なかった。両親からも、自分の息子が担当したウマ娘のレースを見に行くのが楽しみだと何度も連絡が来ているのだ。トレーニング時間は減るが、覚悟を決める時が来た。

 

「せめて気の合う娘が居れば良いんだが……」

 

 今居るのは広大な敷地を誇るトレセン学園でも最も広く施設が充実したレース場だ。なんと言っても職員室やら校舎やら寮と言った主要施設から近い。数あるチームが模擬レースを行うという事もあって尋常じゃない人だかりが出来ている。

 

 なんとか人混みを縫ってレース場の中に足を踏み入れれば、たくさんの目がこちらに向けられるのが分かった。レースに参加しないウマ娘は中まで入ってこないし、入れるのは参加者を除けばスカウトする気のトレーナーだけだ。目立つのは仕方なかった。

 

 これから走ろうというウマ娘たちから値踏みするような視線が向けられるが、それは他のトレーナーからもそうだった。前者はトレーナーに値するか、後者はライバルとなり得る存在かどうか。そんなところだろうか。

 

 個人的には名義貸し状態でも構わないからトレーナーが欲しいと言うようなハードルの低いウマ娘が理想なので、そんなに注目しないで欲しいんだが。いくつかのレースを見て最下位の娘に話しかけるだけだから許して欲しいもんだ。

 

 そんなことを考えつつそれなりの人数トレーナーが並んでいる場所、つまりこれから模擬レースが行われるんだろう場所に歩を進めると、場を仕切っているらしい女性トレーナーが近づいてきた。知り合いでも居るんだろうか?

 

「随分珍しい顔ね。ようやくスカウトする気になったのかしら?」

 

 親しげに話しかける様子に、周囲がざわつくのを感じた。遠巻きに様子をうかがっているウマ娘は勿論、レースに参加するだろう娘たちも少しソワソワしているように見える。話しかけられているトレーナーは有望株なんだろうか? 口ぶりからするに新人では無さそうだが。

 

「……? え、自分ですか?」

 

 どれどれと思って参加者から女性トレーナーの方に視線を向けるとなぜだか俺と目があった。あれ、面識あっただろうか?

 

「あぁ、失礼したわね。チームリギルの東条よ、はじめまして。一方的に名前を知っていたものだから……貴方の論文、拝見したわ。もちろんチームに取り入れもした。いつライバルが増えるのかとソワソワしていたものだから、不躾を許して頂戴」

 

 なんと、チームリギルのトレーナーさんらしい。女性であることや顔は知らなかったが、トレーナーならチームリギルは知ってて当然だ。間違いなく現役トレーナーでは彼女がトップと言えるだろう。

 

「こちらこそはじめまして、新人トレーナーの最上です。……自分の研究がリギルに取り入れていただけたのなら、上層部が認めてくれたのは東条さんのおかげです。ありがとうございました」

 

「フフ、新人とは謙遜が過ぎるわね。貴方が新人なら、今年入ったトレーナーがあまりにも不憫だわ」

「しっかりウマ娘の1人も担当したことがありませんから。自分と彼らとで大きな違いはありませんよ」

 

「……まぁ、そういうことにしておきましょう。貴方がどんなウマ娘を育てるのか、楽しみにしているわ……。それじゃあ、模擬レース、しっかり見ていなさい。一着の娘をスカウトするのは難しいだろうから、全体の様子を俯瞰的に見ることをオススメするわ。先輩からのアドバイスよ」

 

 安心して欲しい、多分最下位しか見ないだろうから。

 

「ありがとうございます。参考にします」

「えぇ、それじゃあまた時間が有る時に。ゆっくり話を聞かせてちょうだい」

「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」

 

 俺の返しに頬を緩めて、東条さんはレースの仕切りに戻った。……周囲の俺に対する関心が高まっている気がするが、これはきっと東条さん効果だろう。やりにくい、と感じる手前、実績がないと侮られることは減るんじゃないかと思う。プラマイゼロとしておこう。いや、トップトレーナーと顔が繋がった分プラスだな、うん。

 

 視線の圧力をなんとかポジティブに捉え、今始まろうというレースに集中するべく、緊張に全身を強張らせるウマ娘たちに向き直った。

 

 ――その中に、2つ。楽しそうに笑みを浮かべるウマ娘がひどく印象的だった。

 



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バカで天才

 

 一着のウマ娘をスカウトするのは難しい、という言葉の意味はすぐに分かった。何のことはない、俺が見学させてもらった模擬レースはチームリギルのテストだったのだ。東条さんが仕切ってるんだから当たり前だが。当然一着の娘を先にスカウトする権利は彼女にある。それを蹴ったウマ娘も居たが、その娘は他のトレーナーの誘いもすべて断っていた。実力のある娘はトップトレーナーですら選択肢の一つらしい。

 

 その上レースで5着くらいまでの娘は他のトレーナーが近寄って声をかけているところが散見されたが、それも顔をあわせる程度でその場でスカウトが成立している様子はあまり見られなかった。彼女らはリギル加入を目標としてここに来ていて、東条さん以外のトレーナーだと即決とまでは行かなかったんだろう。

 

 リギルが各距離の模擬レースで無事スカウトを終えると、参加していたウマ娘たちは落ち込んだ表情を浮かべながら帰ったり、あるいは他のチームの模擬レースに足を運んでいった。特に、一着を獲ったウマ娘がスカウトを断った時に一緒に走っていた娘たちは表情に影を落としている。才能の差に打ちひしがれているようにも見えた。

 

 だから、だろうか。そのスカウトを蹴ったウマ娘と、逆に全てのレースで最下位になり誰からも誘われなかったウマ娘が特に目についた。両極端の順位だからというのもあるが、それ以上に表情だ。同じ(・・)だった。どちらも笑顔を浮かべていたのだ。

 

 とりわけ気になったのは後者の全レース最下位娘だ。初めから最下位の娘に話しかけようと思っていたがそれ以上に、そのウマ娘に興味が惹かれた。負けても息が整えば笑みを浮かべてみせるウマ娘。他のトレーナーが気にもかけていないその娘の後を追って、俺は模擬レースを見て回った。

 

 3時間も経った頃だろうか、全ての模擬レースを終えて、集まっていたウマ娘もトレーナーも引き上げる中、レース場には俺の他に1人のウマ娘だけが残っていた。

 

 注目していた2人……リギルを始めあらゆるトレーナーのスカウトを袖にしたウマ娘はトウカイテイオーと言うらしい。周囲が騒いでいた。しかし彼女はある程度のレースで一着になると参加しなくなった。ほぼ全トレーナーと顔を合わせて模擬レースへの参加理由が乏しくなったんだろう。徐々に俺の意識からは外れていった。そして今、俺は残ったもうひとりに意識を傾け続けている。

 

 彼女から目を離せない理由は何か? それはそのウマ娘が短距離も、マイルも、中距離も、果ては長距離まで全模擬レースに参加したバカだからだ。リギルを含め参加した模擬レース全てで一着を奪ったトウカイテイオーだってそんな無茶はしなかった。

 

 しかし視線の先にいるウマ娘はやった。褒められたことではないだろう、体力が保つうちはまだいい。彼女のスタイルは逃げで、最初から全力疾走だった。だが後のレースになればなるほどスタミナは枯渇し、いくらかのレースでは終始最後尾でぽつんと、ヘロヘロと走る様だけを見せつける結果に終わった。

 

 明日からの模擬レース全てにおいて彼女が出禁になるのは間違いないだろう。控えめに言って邪魔でしか無いからだ。その参加枠に入り、結果を残してスカウトされたウマ娘が居たかも知れない。トレーナーからしても、全てのウマ娘の実力を見比べる機会なんて有るわけもなく、可能な限り有力な娘に参加して欲しい。自明の理だ。

 

 だが、俺は彼女と話がしたかった。最下位だったからじゃない。そんな理由はとうに忘れていた。

 

「なぁ、ちょっと良いか?」

「ハァッ……ハァッ……へぇ? あにぃ?」

 

 レース場から外に繋がる芝の坂。大の字で息を荒げるウマ娘に声をかければ、どう見てもまともに応答出来る様子じゃなかった。そりゃそうだ、この数時間で何km走ったんだって話だ。

 

「いや、しばらくここで休んでてくれ」

 

 返事を待たず、近場の自販機でにんじんジュースを購入し、彼女の下へ戻った。ちなみにこの世界のにんじんジュースには2種類ある。人間用の野菜ジュースに分類されるものか、ウマ娘用のスポーツドリンクみたいなもの。買ったのは当然後者。

 

「ほら、ジュース買ってきたぞ。飲めるか?」

「ハッ……ほ、ほんとぉ? ターボ、もう、ハァッ……のどっ、カラカラ……」

 

 そう言う割に起き上がりもせず、苦しそうに胸を上下させるのが精一杯の様子のウマ娘……ターボが名前だろうか。

 

「肩触るぞ。背中から支えるから、少しずつ飲め」

 

 小さい身体を起こして、立てた右足と右腕で姿勢を支えながら、左手でジュースの口から直接飲ませてやる。……しかし、この小柄なウマ娘のどこにあんな無茶を通す根性が宿っているのか。他のウマ娘と比べてもこの娘の身長は低い。目算だが150cmには達していないだろう。

 

 前世の短距離走者(スプリンター)時代とほぼ同じく、俺の身長は190cm近いが、この小さな身体に俺以上の肉体的スペックが備わっているのだから恐ろしいことだ。

 

「んっ、んっ……ぷはっ。ハァ……おいし……ハァ……もう一口っ!」

「あぁ、ほれ」

 

 それから10分ほどかけて息を整えて、やっと本題に入れるくらいには回復してくれた。

 

「今更だが名前、聞いても良いか?」

「んぇ? ターボはターボだよ! ツインターボ!!」

 

 さっきチラッと言ってた気がしたが、一人称がターボなのか。幼い言動と言いまるで無邪気な子供だ。

 

「そうか、よろしくツインターボ。それでレース、見せてもらったんだが……お前、逃げが好きなのか?」

「うん! 最初から最後まで一番で走り切るのが気持ち良いもん!!」

 

 なるほど、気持ちはよくわかる。どんなトレーナーより俺が理解できる感情だ。

 

「でも逃げにしたって最初から全力疾走することはないだろう? 二番手との距離を考えて、スタミナを温存して最後にスパートをかけるとか工夫のしようはあるはずだ」

「ターボは最初から全力が良い!」

 

 なんて衝動に素直なヤツなんだ。薄々勘付いてはいるがバカなんだろうか。

 

「レース全部に参加したのは? 休憩もせず走ったのもあっただろ。まさか勝てると思って走ってないよな?」

「えー!? ターボ負ける気で走ったことなんかないもん! ちょっと疲れたまま走っちゃったけど、全部勝つ気で走ってたんだから!!」

 

 このウマ娘の中でヘロヘロのまま走ることとレースで一着を獲ることは矛盾しないらしい。

 

「お前バカだなぁ」

 

 勘付いていたとか現実逃避していたが、実際話す前から確信していた。コイツはバカだと。

 

「なにぃー!? ターボバカじゃないもん!!」

 

 しかし、そんなバカだからこそ。俺はちょっと揺れているのだ。理事長や両親に対する義務感や使命感で担当ウマ娘を決めるという本来の意図以上に、このツインターボに心動かされてしまった。

 

 自分で上体を支えて座れるくらいには回復していることを把握し、俺はツインターボの正面にまわってしゃがみ、ズイッと顔を近づけた。額がくっつきそうな距離だ。

 

「良いか、よく聞けツインターボ。お前はバカだ。大バカだ。みんな絶対そう思ってる」

「……ターボ、バカじゃないもん」

 

 俺が真面目な表情で静かに語りかけているからか、ただ貶している訳じゃないとなんとなく気づいたらしい。唇を尖らせて認めようとはしないが。聞いてくれるなら何でも良い。

 

「お前はスタミナが無い。客観的に自分の状態を把握もできない。自分がレースに参加することで周囲にどう見られるかも予想出来てない。明日からの模擬レース、お前は参加しようとしても全部断られるだろう。間違いなく」

 

「マジで!?」

 

 ガーンというオノマトペが幻視出来るほど愕然とした表情を浮かべ、ツインターボのオッドアイにじわじわ雫が溢れ始める。

 

「だが、もう模擬レースに参加する必要なんざ無い。俺が居る」

「……へっ?」

 

 言葉の意味がわからないらしく、バカみたいに大口開けてポカンと間抜けな表情を浮かべた。

 

「バカと天才は紙一重だ。お前にはスタミナが無くても諦めない根性がある。自分の状態がどうだろうが走り抜く気概がある。周りなんて気にせず突っ走れる突き抜けた才能がある。周りはお前をバカだと思ってるが、俺に言わせりゃ全部才能だ。お前は天才なんだよ」

 

「ターボが……天才……?」

 

 嘘なんか言ってない。上っ面だけの欺瞞でもない。コイツはトレーナー次第で無能のバカにも突出した天才にもなり得る素材だ。俺の本心は伝わったのだろう。少しずつ言葉の意味が浸透したのか、徐々に頬を赤くして高揚しているのがわかる。

 

 ……喜びようを見るに、やはり負け続けている以上は手放しに自分が一着を目指せる立ち位置に居ないのはなんとなく分かっていたんだろう。

 

「多くのウマ娘は戦略を練って走る。自分のスタミナや加速力、最高速度と相談して、出るレースに勝てるかをトレーナーと相談して一着を目指す。でも、それが必ず上手く行くとは限らない。自分の気質にあっていないと自覚できずに作戦を立てたり、他のウマ娘が予想外の走りを見せて実力を発揮できなかったり。戦略がただの寄り道になっちまうこともあるだろう」

 

「うん……? うん……」

 

 ちゃんと全部伝わってる気はしないが、とりあえずは良いだろう。言いたいのはそんなことじゃないんだから。

 

「しっかり頭に刻め、ツインターボ。伝えたいことはな、お前は()()()()()()()()()()()()()()()()ってことだ。他のウマ娘が仕掛けどころを探ったり、スタミナを温存するか早めに前に出るかとかを考えて実力を発揮出来ないこともある中で。お前だけが、絶対に実力を最初から最後まで叩きつけられるのさ」

 

「ターボだけが……!」

 

 意図を酌めてるかどうかはともかく、俺が「お前は特別なんだぞ」って言ってることは理解できるらしい。非対称の大きな目がキラキラと夕日を反射している。

 

「でもそれはリスクでもある。お前は一着になれなかった時、"全力を出せなかった"、"実力を発揮できなかった"って言い訳が許されない。誰よりも自分の実力に向き合い続けなきゃならない」

 

「実力に向き合う……」

 

 オウム返しばっかりだが聞いてるよな? ……うん、ちゃんと聞いてそうだ。しっかり俺の目を見て反芻しているように見える。多分大丈夫だろう。

 

「一着になれりゃ天才だ。それ以外じゃお前はバカにされちまう。だからこその俺だ。俺はお前を天才にしてやれる唯一のトレーナーなんだ」

 

「……えっ!? トレーナーなの!? マジで!?」

 

 なんだと思ってたんだコイツは。ちゃんと自己紹介……してなかったか、そういや。俺も思いの外テンションが上がっていたらしい。同類(・・)を見つけたんだから。

 

「名乗るのが遅くなったな、トレーナーの最上だ。そして……人類で一番足が速い男でも有る。だからこそ俺はお前の気持ちがわかるし、お前が望む通りの結果に導いてやれる。どうだ、そんなトレーナー欲しくないか?」

 

「欲しいっ! めっちゃくちゃ欲しい! ほしいほしいほしいー!!」

 

 セールストークは上々だ。では契約だ。ここからはしっかり聞いてもらうぞ。

 

「なら条件だ。良いかツインターボ、()()()()()()。そのことを受け入れろ」

「えー、ターボ……」

 

「真面目な話だ。他のウマ娘には思いつくことが、お前には考えられない。でもそれは悪いことじゃない。考えるべきことは俺が考えてやる。周囲にお前は天才だと認めさせてやる。だからそれまで、お前は自分がバカであることを覚えておけ」

 

「………………うん」

 

 認めるのは難しいらしい。でもなんとか受け入れようとはしてくれている。十分だ。

 

「ツインターボ、難しいことを言うぞ。俺を信頼しろ。()()()()()()()()、トレーナーの言うことを聞けば間違いない。そう信じてくれ。べらべら喋ったが本当に言いたいのはコレだけだ。俺はお前を天才だと信じている。だからこそお前に信じて欲しい。会ったばかりの、名前も聞いたばかりのトレーナーを自分自身と同じくらい信じてくれ」

 

 ツインターボの手をとって両手で握り、熱意が伝わることを願って言葉を尽くす。

 

「契約だ。俺がやれって言ったことは全部やれ。やるなと言ったことは絶対にやるな。その代わりに俺は、お前を誰よりも早くゴールさせてやる。心の底から挑戦したいと願ったレースで一着を取らせてやる。信頼関係が必要だ……俺はお前を信じる。お前は俺を、信じられるか?」

 

 青とピンクの虹彩が、透き通った双眸が俺の瞳を貫く。まるで何かを探すように……あるいは、もう見つけたように。

 

 そしてニカッと満面の笑みで、それが当たり前だと言わんばかりの表情で。出会ったばかりの俺に、何の迷いもなく見せてくれたのだ。信頼の二文字を。

 

「うんっ! ターボ、トレーナーを信じる!! にんじんジュースくれたし!!」

 

 がくっと頭が落ちたことを誰が咎められるだろう。これだけプレゼンして決め手がにんじんジュース……やっぱりコイツは子供だ。そしてバカだ。

 

「はぁ……契約成立だな。行くぞ、()()()。まずは担当になるためにアレコレ手続きしなきゃならない。もう立てるだろ? ついてこい……最後まで、な」

「もっちろん! えへへ、よーしっ。やるぞーっ!!」

 

「……言っとくが、今日は諸々提出する書類を書くだけでトレーニングは明日からだ。お前にもいくつか書いてもらうぞ」

「…………マジで?」

 

「当然だろ。返事は?」

「ううう……やるっ! ターボバカだから! ホントは違うけど今はバカだからね!」

 

「それで良い。じゃ、行くぞ」

「おーっ!!」

 

 そのやり取りに。今日出会ったばかりのウマ娘との会話で、なぜだろうか。久しぶりに、心の底から楽しくなれたような……笑ったような、そんな気がした。

 

 快活な笑みで俺のまわりをちょこちょこ動き回るターボの姿に、スタートを切ったのはこの娘だけじゃないのかも知れないと。そんなことを考えた。

 



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職権乱用トレーナー

 トレセン学園に配属され、己を鍛えるためだけに取得したトレーナーライセンスの恩恵に与って早くも1年が経過し、2年目にしてようやく俺は1人のウマ娘を担当することになった。そしてそれも早数ヶ月だがトレーニングは順調だ、光陰矢の如し。

 

 理事長にトレーナーとしてウマ娘を担当して欲しいと頭を下げられた時は気が進まなかったものだが、いざ指導するようになってしばらく経ってみればそう悪くない……いや、むしろ良いことのほうが多いように思えてきた今日この頃だ。

 

「んぁ~……ぽかぽかしてきた……」

「頭痛とか無いか?」

 

「ん~ん、だいじょうぶ!」

「そうか。ちょっとでも違和感覚えたり体調悪くなったら言えよ」

 

「わかった!」

「じゃあ続けるぞ。眠くなったら寝てもいいからな」

 

 学園指定の水着姿でマッサージベッドにうつ伏せになっているウマ娘、ツインターボ。その背中やトモ、四肢の先までオイルを使ってじっくりと筋肉をほぐしていく。ついさっきまで激しいトレーニングに取り組んでいたため、全身ガチガチで疲労物質が停滞しやすくなっていた。しっかりと回復させ、さらに強靭な肉体を作るためにせっせとマッサージしてやれば、現状にすっかり慣れきったターボはいつの間にか浅い眠りについていた。

 

 思わず笑みがこぼれる。やはり、想像以上にターボの指導を楽しいと感じていた。鍛えれば鍛えるだけ成長するターボの姿にトレーナーとしての充実感を覚えるのだ。

 

 ターボは同年代のウマ娘に比べて頭が回らないところがあるが、それを補って余りある才能がある。スカウトする時に直接伝えたアレコレもあるが、特筆すべきは驚異的なまでの回復力だろう。

 

 初めて出会った日、ターボはその日開催された全ての模擬レースに参加した。この時点で明らかにおかしかったのだ、普通は疲労で歩くことすらままならない筈である。最終的にはそうなったものの、ターボはやり遂げた。得意な距離も不得意な距離も、ヘロヘロでシンガリとは言え最後まで走りきった。

 

 レースからレースに移動するほんの少しのインターバルで、最低でもそれだけ回復するスペックを最初から備えていたのだ。ダイヤの原石にもほどがある。実際に試さないと断言出来ないのでスカウトする時には話さなかったが、俺がしっかりケアしてやればその才能を活かして効率よくトレーニング出来る確信が最初からあったのだ。

 

 正直、普通のウマ娘なら俺のケア……とりわけ今行っているオイルを使用したリンパマッサージや血行促進なんて断固拒否されてもおかしくない。ウマ娘相手だからトモと濁しはするが、それは臀部から大腿にかけてを無遠慮に触れ回るということだ。状況によっちゃ出るとこ出られても不思議じゃない。

 

 しかしこれも短所と考えていた子供っぽさゆえに受け入れてくれたのだとすればそれすら僥倖、俺にとって最高に相性の良いウマ娘だったと言える。走ることへのこだわりもそうだ……ターボの担当となってからも自身のトレーニングや短距離の目標記録達成に挑戦しているが、これも以前より身が入っている自覚がある。

 

 ――似たような場所に立って。至りたい場所があって、そこから見える景色を共有したいと思える存在は貴重で……ありがたいものだ。

 

「……どーしてこうなっちまったんだ」

 

 トレーニングを始める前、ターボと合流してから少しして漏らした言葉を意図して繰り返した。陸上競技が栄えていないと知った時は絶望していたのに。今までは孤独に、自己満足だけで自身に課していた人類最速。

 

 それが今ではターボの指導に時間を割き、十分な鍛錬は行えずにいる。にも関わらず、モチベーションは上がり、そのおかげか進捗として満足に足るタイムが出せるようになってきた。

 

 一回の人生と、さらにそのロスタイムとで自分のことはよく知っているつもりだった。走ることに関しては言わずもがな。けれどターボと出会って、まだまだ俺なんて浅かったのだと思い知らされた。

 

 どうしてこうなってしまったんだろうか? 今までの俺は……少なくとも自覚している限りもっとストイックだった筈なんだが。ぬるま湯につかっているような居心地の良さに反して、肉体は冴えを取り戻し、見当違いな願望すら抱いてしまっている。

 

「……お前が最速のウマ娘に成った時、隣に立つ俺もまた……」

 

 そんなことを考える日が来るなんて、思ってもみなかった。だがやってみせよう。自分を鼓舞する理由はきっと多いに越したことはない。ターボがいずれ最速と呼ばれるようになると確信している点については、担当トレーナーゆえの贔屓目に見られるかも知れないが。俺はいたって本気だ。

 

「……とれーなーも……たーぼつけよう……」

「?」

 

 物思いに耽りつつマッサージしていれば、何やらよく分からんことを言われた。顔を覗き込んでみるとよだれを垂らして、心底幸せそうに寝息を立てている。呆れて笑ってしまった俺は許されて良いはずだ、誰だって笑っちまうに決まってる。

 

「もう立派なヤツ、付けてもらったよ……さ、ターボ起きろ! 飯にするぞ!」

「んぇ? ……ご飯っ!?」

 

 バッと起き上がってキラキラと目を輝かせるターボ。だが塗られたままのオイルと、口から垂れていた涎がいくらか勢い余って飛び散ってきた。台無しだ。

 

 マッサージのためにトレーニング後はタオルで汗を拭くだけに留めていたターボが風呂に入っている間に、アイツが学園で勉強中に下ごしらえを済ませておいた食事の準備に取り掛かる。

 

 ちなみにトレーニング施設にマッサージベッドを始め調理器具やら果ては冷蔵庫まで持ち込んでいるが全て自費、かつ施設そのものの管理を担っているからギリギリなんにも言われていない。走る以外に趣味のない人間で本当に良かった。去年の給料ほとんど手つかずだしな。

 

 ……担当しているからってここまで担当ウマ娘に干渉するのは良くないかも知れないが、ターボがレースを勝ち抜くためには必要だと判断したのだ。

 

 俺が競技選手時代に気を遣っていた食事制限なんかの知識や経験は、ウマ娘に対しては意味を成さないとこれまで考えていた。今でもそれ自体は変わっていない。走るために必要なモノだけを摂取し、余計な食事をせず減量が必要だった人間(おれ)に比べ、ウマ娘にはそんなもん必要ない。

 

 いやまぁ食べた分がただ脂肪になってしまっただけなら身体を絞る必要があるウマ娘はいるだろうが。基本的にはたくさん食べて、体重を増やして、体力を付けて。それがレースを走り抜くことに直結する。だから食事に関して俺の知識が役立つことはそうないだろうと思い込んでいたのだ。

 

 しかし、これもまたターボに限っては知識を役立てることが出来た。

 

 というのも、ターボは偏食かつ少食なのだ。学食に行っても他のウマ娘に比べるとあまり食事をとらないらしい。そしてそれは非常にマズイことだった。

 

 ウマ娘は人間とほとんど外見に差異が無いにも関わらず、その肉体スペックは雲泥の差である。俺はその理由の一端に貯蔵エネルギーが関わっていると予想していた。

 

 医者でもなんでも無いので確かなことは言えないが、ウマ娘は大量に食事をとることで、人間よりも効率的に、そして長期的に筋グリコーゲンやそれに準ずるエネルギーを貯蔵しているのではないか、という考えである。

 

 これが的はずれでないのなら、ターボの偏食や少食は致命的と言っても過言じゃない。体力の回復速度から考えるに肉体的スペック、今の話に繋げるなら食事によるエネルギー貯蔵のパフォーマンスは化け物じみているターボだ。これが日々十分な食事をとらないことで損なわれていくとしたらあまりにも勿体無い。どんな良い素材も使わなきゃ錆びつくのだ。

 

 だからこそ、差し出がましいかもと思いつつも俺はターボの食事を毎日用意することにした。少なくとも夕食は必ず、トレーニング後に一緒に食べるようにしている。本人が断れば無理強いはしないけどな。

 

「あっ、カレーだ! やったー!!」

「お、上がったか。しっかり噛んで、たくさん食べるんだぞ」

「うんっ。トレーナーのご飯がいっちばん美味しい!!」

 

 そりゃお前の好みに合わせて作ってるからな……と口には出さず考えるのみに留める。手早く盛り付けて手を合わせると、二人一緒に「いただきます」。

 

 ターボと出会ってから痛感したが、リラックスする時間は必要だ。過酷なトレーニングを毎日のように課すのであれば尚更。

 

 栄養バランスは俺が考えれば良い。ちゃんと咀嚼して流し込めるだけ流し込んでもらうためにちょっとしたお小言は言うが、味に気をつけてやれば言わずともたくさん食ってくれるしな。ただ楽しく食事して欲しいと思う。

 

 たまに不味いモン出しても根は良い子だ、俺が料理に気を遣ってることに勘付いてか時間をかけても食ってくれる。泣きそうな顔で食べてたり、食事が終わると死にかけてたりするが、よく食えたと褒めてやれば、にへらと笑って次も食ってくれるので問題ない。デザートにちょっとした甘味でも用意してやれば言うことなしだ。

 

 ……あれ、俺の職業ってトレーナーだよな? 保育士じゃないよな?

 

 まぁとにかく今日の飯はお気に召したようだし、献立に悩むのはその日の昼で良い。……それより、近々ターボはメイクデビューだ。正直、これそのものに勝利することは容易だろう。出会ってから数ヶ月、その確信に足る努力をターボは続けてきた。

 

 最初はとにかく走った。どこまでなら全速力でスタミナが保つのか……逃げられるのか。タイムを測り、それが同世代のウマ娘とのレースに通用するのか、実力がどれくらいの水準にあるのか把握することに努めた。

 

 適切なケアと食事で少しずつ身体を仕上げ、ターボが走りたいように走れる性能に近づけた。より速く、より長く。全模擬レース最下位がなんだ、成長度合いで言えば他のどのウマ娘より圧倒的に右肩上がりだ、と自信を持って言えるほどである。

 

 ……さすがに、走り方の矯正までは出来なかったが。ターボは感覚派で、実のところこれに一番時間がかかるだろうから後回しにしていたのだ。最終的には走る距離ごとに変えてもらう可能性もあるし、場合によってはスカウトの時に説明した"寄り道"になっちまう。今回は基礎能力の向上に注力し、それは十分に成果が出た。間違いなく行けるはずだ。

 

「ターボ」

「んご?」

 

 口にスプーンを突っ込んでリスみたいに飯を食っていたターボに一瞬思わず苦笑し、意識して勝ち気に笑ってみせた。

 

「メイクデビュー、勝つぞ」

 

 俺の言葉に目を丸くすると、ターボは……まずはもぐもぐと口の中のカレーを咀嚼し、よく噛んでごっくんと嚥下した。うん、偉いぞ。

 

「うんっ! トレーナー見ててね、ターボが一番にゴールするところ!!」

 

 あぁ、見せてくれ。……そして、見極めなきゃならない。強さはもうよく分かっている。これから知るべきは……ツインターボの弱点だ。

 



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ロケットスタート

 6月下旬になり、俺とターボはメイクデビューに挑むべく中山レース場に赴いていた。俺は免許を持っていないのでどう移動したものかと考えていたが、そこは天下のトレセン学園。当然のように送迎バスが用意されていた。

 

 有難い反面、同乗していたウマ娘やトレーナーの中にはライバルもきっと居たことだろう。行きはともかく帰りは少し気まずくなりそうだ。なぜならターボがぶっちぎりで一着を奪ってしまうからである。

 

 そんな皮算用にも似た杞憂を抱いているのは少しばかり現実から逃避したいからだ。バスから降りてレース場に向かう道すがら、周囲には人、人、たまにウマ娘、そして人である。メイクデビューとはつまり新人戦だ。輝かしい経歴を持つ訳でもないひよっこのレースにも関わらず、これほどまでに人が集まっているところを見ると改めてとんでもない世界に生まれ変わったものだと実感する。

 

 もしくはメイクデビューだからこそ、だろうか。一番最初のレースから応援していたウマ娘が、誰の記憶にも記録にも残るような栄光をのちに掴み取ることがあればそれほど鼻が高いこともない。はたまた応援していたウマ娘が先日引退してしまい、新しい希望(スター)の出現を夢見て。そんなところだろうか?

 

 まぁどちらでも期待を裏切ることは無いと思う。今日一人のウマ娘が華やかなレース人生の一歩目を踏み出すことは間違いないのだ。ぜひとも目に焼き付けてほしい。最速のウマ娘の誕生を……!

 

 柄にもなく高揚した内心を自覚しつつ今日の主役に目を向けた。

 

「うぅうう~……燃えてきたっ!!」

 

 うずうずした様子で体を縮こまらせて震えたかと思えば、我慢できないとばかりにバンザイしてやる気を爆発させるターボ。緊張していないようで何より……なんだけど恥ずかしいからやめてほしい。周りのお客さんにクスクス笑われてるぞ。

 

「やる気十分だな。さ、すぐにレースが始まるぞ。もう控え室に行ってこい」

「うん! よぉしっ、ターボぜんかーーいっ!!」

 

 言うや否や控え室の方へ文字通り爆走して去っていくターボ。無事スタッフに捕まって大人しく案内されていくところまで見届けてから俺もコースへ足を進めた。出走するウマ娘のトレーナーであることを示すネックストラップを下げていれば、みんな言わずとも最前列へと道を空けてくれるのだからモラルの高さが窺える。前世では考えられないことだ。

 

 この世界でウマ娘のトレーナーと言えば、子供でも知ってる名誉ある職種だと考えれば観客の対応も当然かも知れない。小学生に将来なりたい職業を聞いたら3割以上はトレーナーと答えるらしいしな。どこ調べか分からんが。

 

 印籠でも掲げているような気分に浸りつつ観客席の最前列まで通してもらえば、アナウンスがバ場状態は良好だと伝えていた。中山レース場、芝の1800Mコースがターボのメイクデビューを勝利で飾る舞台。ターボはダートもある程度適性があるんだが、今後の進展を考えると芝に舵を切るのが良いだろうと判断した。

 

 続々コースに現れるウマ娘たち。その中にちょこんと交ざっている、さっきまで着ていたジャージを脱いで体操着と短パン姿になったターボへと視線を向け、無意識にほっと胸を撫で下ろした。

 

 外では気負わなかったウマ娘がコースに入った途端緊張でガチガチになるってのはそんなに珍しいことじゃない。ましてやメイクデビューなんて言わずもがな。

 

 そんな中、観客席から見てもターボは心身ともに良い仕上がりだ。他の娘と見比べるとより顕著で、騒がしい観客たちの声にターボの活躍を期待する声が耳に入り、口角が上がるのを自覚した。

 

「あっ、トレーナー! ちゃんと見ててねー!!」

「ああ! お前の速さ見せてくれ!!」

 

 偶然かそれとも俺を探していたのか、視線が重なるとパッと表情を明るくしてターボが声を上げる。少し気恥ずかしいがここに至って注目されたくないなどとは思うまい。ターボは選手で俺はトレーナーなのだ。一蓮托生、俺も声を振り絞って激励した。

 

 ニカっと歯を見せてサムズアップし、アナウンスに従ってゲートに向かう他のウマ娘にターボも続いた。コースを走るのはターボを含めて9人で、うちターボは8番のゼッケンをつけている。スタートは外枠から2番目の位置だ。

 

『――続きまして8枠8番、3番人気となりましたツインターボ。スタートの瞬間を今か今かと待ち焦がれているのがハッキリと見て取れます』

 

『緊張しているようには見えませんが、前のめり過ぎるとレースを焦ってしまうこともあります。とはいえ楽しそうな笑顔は見ていて気持ちが良いですね、どのような走りを見せてくれるのか。期待しましょう』

 

『そして8枠9番に――』

 

 ゲートインと共に実況が紹介してくれるが、やはり傍目から見てもターボに緊張の色は無いらしい。掛かってしまうのでは無いかと不安の言葉を頂戴したが、むしろ後学のためにそういった経験もしておきたいものだ、と思うのは流石に驕りが過ぎるだろうか。

 

 不遜なことを考えている間に9人のウマ娘はゲートインが完了。さぁ、始まるぞ……!

 

『出走準備整いました。そして――ゲートが開き、スタ――』

 

 その瞬間、時間が引き伸ばされたように感じた。注目するのはもちろん8番ゲートに控えたターボ。開門をしっかりと見届けるため注視すれば、その一挙一投足が鮮明に見て取れる。

 

 スタートと同時……上体を倒し、芝の大地を踏みしめるターボ。ゲートが開ききるのとほぼ同時に0からトップスピードに乗り、いの一番に疾走を開始した。土を大きく後方に飛び散らせながら文字通りのロケットスタートである。

 

『ートっとぉ!? 真っ先に飛び出したのは8番ツインターボ! 全速力でハナを突っ切ります! 2バ身、いや3バ身後ろを続きますのは3番――』

 

 実況が各ウマ娘たちの位置を早口に伝えてくれるが、その間にもターボはどんどん2番手に差をつけて前へ前へと駆けていく。誰がどう見てもマトモな走りとは言えないだろう。……ゲート訓練の賜物だな、管理させてもらってる訓練場の片隅でホコリを被っていた訓練用ゲートを引っ張り出した甲斐があるってものだ。

 

 ターボは脚質上最初から先頭を奪って駆け抜けることを前提にしている。間違ってもスタートで出遅れる訳にはいかないのだ。そこでクラウチングスタートを模したスタートダッシュを叩き込んだのである。0から100……とは行かないまでも、先行争いに負けることは無いだろうレベルまで鍛えることができた。開幕の加速力はダントツだろう。

 

 訓練の成果に頷いている間にもどんどんレースは加速し、同様にターボも後続を引き離しながら容易に第2コーナーを駆け抜けて行く。

 

『ぐんぐんと先頭を行きますツインターボっ。さぁ1000メートルを超えて――と、とんでもないペースです! ラップタイムは信じ難い数字をマークしています!』

 

『オーバーペースに見えますが……まだ表情には笑みを浮かべていますね。このまま走り切ってしまうのか期待してしまいます……! 2番手とはすでに10バ身以上の差がついていますが、果たして』

 

 唖然とした声音の中にも興奮を滲ませて後続のウマ娘たちの戦況も続ける実況と解説の両人。呆れるのも無理はない、このまま最終コーナーにも届かずスタミナが切れるのは誰の目にも明らかなのだろう。

 

 ――普通に考えれば。

 

『未だハナを突っ切ります8番ツインターボ、ついに第4コーナーを過ぎて310メートルの直線に入りましたがッ――落ちません! 速度が落ちないツインターボ! 名が体を表しているのか、2つのターボに背を押されているかのようです!!』

 

『後続はいま第3コーナーから第4コーナーへ。ツインターボの大逃げに惑わされず冷静にラップタイムを刻んでいましたが、これが仇となるでしょうかっ……』

 

 メイクデビューの緊張に加え、全速力で先頭を突っ切るターボの存在に、たしかに他のウマ娘たちは冷静に対処したと言えるだろう。ターボにはいずれ限界が訪れ、容易に追い抜くことが出来るだろう、と。

 

『あぁっとツインターボ、ついに足が鈍りました! がっ、すでにゴールまで100を切っています! 後続が激しく2番手を争いながら第4コーナーを抜けますがツインターボ、ペースを落としつつも前に前に進んでいきます!!』

 

 たしかにその時は来た。でもそれはもっとゴールから離れた場所で起こると思っていたはずだ。すでに100M地点を通過し、そしてそんな距離はウマ娘にとってはあってないようなモノだ。実際には100Mもバカにしたものじゃないが……少なくとも、あと数秒後には先頭がゴールに飛び込んでもおかしくないと、後続がそう考えてしまうほどには絶望的な距離。

 

『非常に苦しそうな表情ですツインターボ、しかし足を止めません……! 後続も必死に追いすがりますが10、いや9バ身覆らず――』

『逃げに逃げて今ゴールイン!! ツインターボついにハナを譲らず駆け抜けました!! 続いて飛び込むのは――』

 

 ――気づけば、大きく息を吐いていた。勝ちは確信していたが、しかしなんと言っても自身が指導したウマ娘が初めてレースに参加するのだ。殊の外俺も緊張していたらしい。視線の先では大の字に倒れて胸を上下させるターボの姿が見えるが、その表情にはわずかに笑みが見えている。……多分、全力で走りきったという充足感だけが胸にあるんだろう。結果には考えが及ばず、ただただ駆け抜けた清々しさだけが。

 

 ターボの後にゴールしたウマ娘たちのほとんどは多少の余力は残しているはずだ。少なくとも倒れ込んでるような娘は他にいない。中には全力を出しきれなかったか、悔しそうな顔をターボに向けるも、勝者とは思えないほどヘロヘロな清々しいまでのバカ面を見て思わずと言ったように頬を緩めていた。

 

 ……でも、そろそろ結果に向き合ってもらわないといけない。自分が何着だったのか、タイムはどれくらいだったのか。自分の今の全力としっかり向き合ってもらわないと、次には進めないからな。

 

 着順掲示板を一瞥してから思わず笑みを浮かべ、俺は今日の主役に向かって声を上げる。

 

「ターボ! よくやったぞ!!」 

 

 ある程度息は整ったのか、ターボは上体を左腕で支えて起き上がり、空いた右手でピースサインを見せる。満面の笑みは俺の言いたいこと、成し遂げたことを理解していると言わんばかりだが、残念ながらまだ足りない。

 

「お前が――最速だ!!」

 

 俺の言葉の意味を考える間もなく、実況からアナウンスが入る。その内容はと言えば……。

 

『着順が確定しました……一着は8番ツインターボ! タイムは――1分43秒7!! レコードタイムです! コースレコードを更新しての一着となりました!! 1分44秒9を1秒強縮めてツインターボがレコード勝ち!!』

 

『メイクデビュー戦なのでレースレコード更新とはなりませんが、現在の1800メートル芝のレコード1分43秒8を、わずかコンマ1秒とは言え超えて駆け抜けましたね……!』

 

 その言葉に観客席が少しばかり静まり返る。でも……数秒後には、鼓膜を破るような喝采が聞こえるのだ。

 

「――……っ、や! やっったぁあーーーーっ!!」

 

 未だ尻を地面からあげずに、それでも両手を掲げて喜びを露わにするターボに向けて。祝福と期待を込めて大きな拍手と祝福の声が贈られたのだった。

 



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心配事と取引と

 

「さすがに新人では全てを完璧に、とは行かなかったようね」

「面目次第もありません」

 

 ターボのメイクデビューを無事に勝利で飾ってから数日後、俺は学園内に有るトレーナー専用の共有スペースに東条さんから呼び出しを受けていた。ちなみに間を取り持ったのは理事長秘書の駿川さんだが、用件自体は聞かされていない。

 

 そこそこの面積を誇るフードコートのようなその場所で、挨拶を交わしてすぐに突き出された新聞の一面を見て、俺は言い訳のしようもなく頭を下げるしか無かった。

 

 ありがたいことにターボのメイクデビューを取り上げてくれているその記事では、レコードの更新に触れていたりとターボを持て囃している。しかし熱心に特集を組んでくれている紙面には俺にとって都合の悪いこともしっかりと記載してあったのだ。

 

 曰く、

 "ツインターボ、疲労が色濃く残る中ウイニングライブを完遂!"

 "笑顔の歌声で観客の声援に感謝で応えた"

 "ダンスはお預けとなってしまったが、次のレースではセンターで踊る姿にも期待したい"

 

 抜粋するとこんな感じだ。ものすごく好意的に捉えてくれているが実情は全く違う。ターボはウイニングライブを行う頃にはある程度回復していた。ではなぜ踊らなかったのか? 疲労を抜きにしても踊れなかったからだ。ウイニングライブの存在を欠片も覚えていなかったトレーナーの指導不足が浮き彫りになっただけである。

 

 幸いにも寮でターボと同室の娘が、お互いにマッサージを行う時にウイニングライブに使用される楽曲のアルバムを毎回流すらしく、歌うだけなら苦労しなかったというのが事の真相だ。

 

「冗談よ、座ってちょうだい。むしろ貴方にも苦手な分野があって安心したくらいだわ」

「失礼します」

 

 可笑しそうに頬を緩めて対面の席に促してくれるので、それに従って俺も腰掛ける。さて、互いに担当するウマ娘が居て、それぞれにデビューしているのであれば基本的にトレーナーもライバル関係になるはずなんだが。一体どんな用件だろうか……まぁ俺を敵視してるとも思えないので、世間話と言われても不思議ではないが。

 

「まずはツインターボのデビュー戦、おめでとうと言っておこうかしら」

「ありがとうございます」

 

「でも……ウイニングライブを疎かにするのはいただけないわね。ライブは謂わば応援してくれた観客への。レースを支えてくれたスタッフへの。この業界を盛り上げてくれる方全員に対する感謝の証なのよ。デビュー戦でのことだし、ゴール後の疲労を鑑みて悪し様に捉えている人はほとんど居ないでしょうけど……今後も続くとなると話が違ってくるわよ」

 

「仰るとおりです。恥ずかしいところをお見せしました」

 

 トップチームを率いる優秀な先輩からの忠言だ。しっかりと心に刻み、今後精進します……と謝意を込めて頭を下げれば、呆れたような、それでいて愉快そうな笑いが東条さんの口から溢れた。

 

「真面目なのは美徳だけど……何も私は説教するために貴方を呼んだ訳ではないわ。もちろん同じ学園のトレーナーとして、品位を下げないよう注意して欲しいとは思ってる。でも本題は別にあるの」

 

「それで、本題とは?」

 

 俺が先を促すと、東条さんは何やら手元にバインダーを取り出し、それに目を通しながら言葉を続けた。

 

「メイクデビューで後続に大差をつけての大逃げ……それもレースレコードにも匹敵するコースレコードの更新を成し遂げての大勝利。私は、チームリギルの加入テストを兼ねた模擬レースの記録はすべて残しているわ。もちろん貴方がスカウトしたツインターボの記録も」

 

 なるほど、分厚いバインダーは今まで見てきたレースの記録を収めたものらしい。トップトレーナーである東条さんの研究の一部とも言えるだろう。一般的なトレーナーからすれば垂涎モノの宝なのは間違いない。

 

「脚質は貴方の指導を受ける前から逃げ、それは変わっていない。でも以前はその走りを支えるための要素……特にスタート時の加速力、走り切るためのスタミナ、コーナーで速度を落とさず曲がり切る体幹。言い方は悪いけれど、あらゆる点で同世代のウマ娘の平均値を下回っていたはず。今ではそれが大きく成長……いえ、進化したと言っても過言ではないでしょう」

 

 バインダーから視線を挙げた東条さんの眼鏡がキラリと光を反射した。

 

「自称新人トレーナーの貴方がそれを成した。そのことに疑いはないわ」

「ターボの努力があったからこそですよ」

 

「もちろん、それを否定する気も毛頭ないわ。けれど努力だけでは結果に結びつかないことを、トレーナーであれば当然理解しているでしょう? そしてツインターボは間違いなく、外的要因が無ければここまで進化することは無かった……。考えるまでもなく、その要因は貴方よ。最上トレーナー」

 

「はぁ……」

 

 気の抜けた声が漏れ、少しばかり居心地が悪くて頬をかいてしまう。トレーナーとしての指導力を褒めてくれるのは嬉しい。が、何を見極めようというのか言葉とは裏腹に視線は厳しく細められている。ここまで持ち上げられれば何か裏があるのではないかと疑ってしまうのは前世故の悪いクセだろうか。この世界の人間は皆驚くほど人が好いんだが。

 

「常識はずれの記録でデビューしたターボを。そのトレーナーである貴方を見込んで、一つ取引をしたいと思っているの」

 

 それが本題らしい。今までの会話の流れでなんとなくその先を予見した俺は、一つ頷いて姿勢をただし、聞き逃すまいと手帳を取り出す。

 

「そこまで大それたことでは無いわ。貴方は今困っていることがある。そうよね?」

 

「はい。ツインターボのウイニングライブについて、ダンスを基礎から手ほどきできる施設、あるいは指導者を探さなければなりません」

 

「実は私も困っていることがあるわ。……レースに挑む前に、きちんと身体を休ませる事ができずに。疲労が残ったまま目をかけているウマ娘を送り出さなければならない。そういうことが何度もあって……そして、これからまたやって来る。目標にしてきたレースに勝たせてあげたい。それと同じくらい、怪我をせずに帰ってきて欲しい……私達のような人種には尽きない悩みだわ」

 

「……手前味噌ですが。自分の研究を役立てていただけたのなら、多少はその心配も減ったのでは?」

 

「残念ながら、疲労を回復させる手段を手に入れればさらに特訓に精を出すのがウマ娘という生き物よ。貴方が広めてくれた技術や知識はウマ娘の成長に一役買ってはくれても、今の所怪我の可能性まではそこまで抑えてくれていないの」

 

 ……なるほど。例えば俺はターボに対し、俺の見えないところでのトレーニングは絶対にするなと言い含めているが。それは俺がターボ1人に注力出来ているからであって、チームを率いる東条さんでは陰で訓練する全てのウマ娘を見咎めるというのは現実的じゃないということだ。

 

 チームでのトレーニングにと定めた時間があり、そのあとで疲労が抜けるようケアを徹底したとしても。間近に迫ったレースに緊張や興奮を抑えられず、自己トレーニングで発散しようとしてしまう。それ自体は別に悪いことでは無いのだ。だがそのせいで自覚できない疲労が蓄積されているのだとすれば本末転倒であり、東条さんは近くそれが起こることを懸念している。

 

「……それで、自分に直接話を持ってきて下さったと」

 

「ええ。貴方の研究は十分に革新的だったけれど、まだ"先の技術"があると確信しているわ。例えば貴方が体で覚えているような、感覚的な技術はどうしても文書にして提出なんて出来ていないでしょうから。その"先の技術"がツインターボの進化に影響を与えたことに疑問はない」

 

「では取引というのは?」

 

「ツインターボのダンス訓練、私が請け負うわ。チームリギルのウマ娘全員、私が実技の指導を受け持っていると言えば腕に不満は無いでしょう? その代わりに……ツインターボに施している、研究として提出していない技術を提供して欲しいの。こちらの娘がレースに出る直前だけで構わないわ。ツインターボがウイニングライブで文句なく踊れるように指導できた曲目一つにつき、そうね……3回ほど。そのチケットを用意してもらいたいの。どうかしら?」

 

 願ってもない話だ、こちらにとっての利が大きすぎるとすら言える。ダンス一曲といえば楽そうに思えるかも知れないが、その立ち位置や振り付けはレースの着順で変わる。一曲につき3つ、あるいはそれ以上の振り付けを実践レベルで教えなければならないということだ。これからターボに指導してくれる人、あるいは場所を探そうという時に渡りに船だと言える。

 

 こちらとしては大歓迎なので、諸手を挙げて取引成立と行きたいところ。……なのだが、事前に一つ、しっかりと説明しておかないといけないことがある。

 

「……東条さん、そのお話は前向きに考えさせていただきたいんですが……おそらく東条さんは、自分の持つその技術がマッサージであると考えていますよね?」

 

「ええ。だからこそレースに挑むリギルのウマ娘に、直前に施術してもらうことで疲労を回復できないかと考えているわ。……まさか、見当違いだったかしら?」

 

「いえ、ご慧眼だと言わせていただきます。……ですが、自分がターボに行っているマッサージとは、オイルマッサージなのです。学園指定の水着を着てもらって、およそ30分ほど全身のケアをしています。自分は男ですし、正直嫌がるウマ娘の方が多いと思いますが……それでも構いませんか?」

 

 東条さんは目を見開いた後、眼鏡を外して眉間を軽く揉み。難しそうな顔で天井を仰いだ後、少々厳しそうな表情を浮かべてこう言った。

 

「…………一度、そのマッサージを見学させてもらえるかしら?」

「もちろんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンコン、と。昼に話を取り付けた東条さんだろうノックが俺とターボの耳を打った。さすがのタイムスケジュールと言うか、俺がターボに対しマッサージを行うと伝えた時間ピッタリだ。リギルのトレーニングもある上で学園の中心部から遠く離れたこの訓練施設に足を運んでくれたことを思えば、来るまでに少々無理をしたのかも知れない。

 

「お待ちしてました」

「ええ、お邪魔するわね」

「だれか来たの? トレーナー」

 

 俺の背中からひょっこりと現れた水着姿のターボに、東条さんは伝えていたにも関わらずギョッと目を丸くした。しかしそれも一瞬のことで、一度目を閉じて軽く息を吐くとすぐにいつもの様子に戻る。……そのリアクションも仕方のないことだろう、彼女が何を問題視しているのかは想像に難くない。

 

「あれ? リギルの……?」

「はじめまして、では無いわね。模擬レースに参加してくれてありがとう。改めて、チームリギルの東条よ」

 

「こんにちっ……こんばんわ? ターボはターボ! ツインターボ!!」

「もちろん知っているわ。デビュー戦おめでとう。レコード更新も凄かったわね」

 

「へへ、ありがとー! ターボがいっちばん速かったんだから!!」

「そうね、びっくりするくらい速かったわ」

 

 意外なことに、ちょっと相性悪いんじゃないかと懸念していた東条さんとターボは爆速で仲良くなっていた。というか東条さんの接し方が上手いんだな。おそらくウマ娘一人ひとりに合わせたコミュニケーションを取っているんだろう。さすがはトップトレーナーだ。

 

「それでそれでっ? なんでとーじょートレーナーが?」

 

 笑顔ながらも首を傾げて俺を見上げるターボに、本題をわかりやすく教えてやる。

 

「ああ、ターボの指導を東条さんにお願いしようと思っているんだ」

「へっ……?」

 

 その瞬間、ビシリと。ターボが表情を固定したまま硬直し、まるで石が割れるような音がどこからか聞こえたような気がした。なんだどうしたと疑問を抱く間もなく、今度は顔面全体で悲しみを露わにしたターボがバッと俺の腹に抱きつき、顔を見上げてボロボロ涙をこぼし始める。

 

「ひぐっ……なんでぇ? ターボ、なんかわるいことした……? やだよぉ、ターボ、ぐすっ……ドレーナーがいいよぉ……」

 

 そんなに東条さんにダンスの指導をされるのが嫌なんだろうか? 確かにリギルのトレーニングは厳しいイメージがあるが。今のやり取りでも東条さんは周りが思っているより親しみやすい方だって分かったと思うんだが。

 

「すまないターボ。俺には教えられることがないんだ」

 

 ターボと同じく俺も速く走ることにしか興味のない性質だ。トレーナーとして未熟もいいとこだが、流石にダンスを教えてくれと言われても俺には無理なのだ。

 

「うぇ……やだやだっ! ターボもっとトレーニングするからっ! たくさん練習して、いっぱいG1でいちばんになるからぁ……!」

 

 どうしたもんかと助けを求めて東条さんに視線を送ると、当の東条さんは微笑ましそうに俺とターボの様子を観察していた。いやこの状況なんとかしないと、東条さんが持ちかけてくれた取引云々どころじゃないんですが。

 

 と思っていたら、東条さんの何気ない一言で呆気なく場は収まるのだった。

 

「ツインターボ、私が指導するのはウイニングライブの歌とダンスだけよ。担当トレーナーは今まで通り最上トレーナーだから。安心なさい」

 

「………………ほんとっ!!??」

「当たり前だ。最後までついて来いって言っただろ」

 

「……へ。えへへ………うんっ! ターボずっとトレーナーについてく!!」

 

 どうやら俺の言葉足らずで大きな誤解があったらしいが、鶴の一声で無事に解けたらしい。そんな一幕はあったものの、その後のマッサージでは俺の技術に驚いてくれたのか東条さんが真剣な表情で施術を観察していたこと以外は特筆すべきこともなく、穏便にことが進んだ。

 

 無事に取引は成立し、俺はターボのウイニングライブ指導を東条さんにお願いすることに。そして俺はリギルのメンバーが出走する際に触診、疲労が見られればマッサージを施すということで合意したのだった。

 

 触診やら施術やらと医者でもないのに大層なことになったとは思うが、この世界に当たり前に存在するウマ娘専門のマッサージ師に伝手の有る東条さんが認めてくれたのだ、これを武器と自覚してしっかり駆使していこうと考えを新たにした。

 



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約束

 

「ふぅむ……」

 

 6月のメイクデビューから早3ヶ月。学園の授業を終えて来るであろうターボを待ちつつ、俺は手元のバインダーを眺めていた。東条さんをリスペクトして用意したターボに関するトレーニングとレース結果をまとめた資料である。

 

 この3ヶ月は引き続きターボの基礎能力の向上と、そして実際のレースにおいてどれだけのパフォーマンスを発揮できるかの把握に努めてきた。ちなみにチームを組んでいるトレーナーは夏合宿と称して海に繰り出したりしたらしいが、もちろん俺とターボには無縁の話である。

 

「脚質は逃げ一択として……距離的には……うーむ」

 

 思考を口に出しつつ頭の中を整理しながらターボが出場したレースの戦績に目を通していく。6月後半のメイクデビューではぶっちぎりで勝利したターボは、翌月の中京ジュニアステークスでも同様にコースレコードを叩き出し、レース場に集まった観客を大いに沸かせてみせた。もちろん東条さん仕込みのウイニングライブも大盛況に終わった。

 

 メイクデビューは1800M、残り100Mを切ってからは足が鈍ったものの中京ジュニアステークスの1600Mでは終始爆速で逃げ切ったこともあり、マイルでの強さを証明したと言っても良かっただろう。……この時までは。

 

 8月前半に行われたフェニックス賞。1200Mの短距離レースで、ターボは残念ながら18着と最下位に終わってしまった。ちなみに出場を希望したのはターボ自身だが、その理由はレースの名前がカッコイイからである。

 

 そして同月に行われた新潟ジュニアステークス。重賞、GⅢのレースではあるものの1600Mと1着が期待できるこのレースで、先の一戦が尾を引いてか13着と着外になってしまった。

 

『ここでツインターボ、まさかまさかの大失速! まだ第3コーナーにも関わらず目に見えて足が鈍ってきましたが!?』

 

『今まで掛かっているのかと疑うような大逃げで勝利してきましたツインターボ、今回は特に鬼気迫っているように見えましたが、今度こそ本当に掛かってしまっていたようです』

 

『第4コーナーに差し掛かる前にッ――ハナを譲ってしまいました! ターボの向きが反転してしまったかのようです!! ターボエンジン逆噴射ッ!! 入れ替わって先頭から――』

 

 ターボの失速を実況解説に逆噴射なんて揶揄されたのは苦い記憶だ。だがしかし、今日に至るまでのレースでメイクデビューの時から注力していた、ツインターボというウマ娘の特性を掴む研究……とりわけ弱点については概ね把握できたと言っていいだろう。

 

 まず大敗を喫した短距離レース。これはターボの他に複数の逃げウマ娘が居たことによるところが大きい。スタートダッシュの加速力でハナを奪って気持ちよく大逃げ、というのがターボの得意とする戦法だ(と言えるほど選択肢には恵まれていない)が、レースの距離が短くなるほど脚質が逃げや先行のウマ娘は多くなる傾向にある。少し考えれば当然ではあるが。

 

 つまり、マイルやそれ以上の距離で走ることに比べ、短距離だとどうしても他のウマ娘と先頭を競り合う形になってしまい、それが2人3人と増えて囲まれてしまえばそこから抜け出すのは至難の業だということだ。なかなか前に出られないストレスもあってスタミナの消費も尋常じゃなくなってくる。速度は落ちるのにスタミナの減りが早くなるというとんでもない事態に陥るのだ。

 

 これまで長所を伸ばすことに尽力し、前のウマ娘を躱したり、ここぞという場面で差せるよう足を溜めたりと言った戦術を度外視してきたターボに短距離レースは適性が低かったと言わざるを得ないだろう。

 

 続くGⅢのマイル戦、これは解説の人も言っていたようにターボは間違いなく掛かっていた。短距離戦の時のように囲まれることを恐れ、どうにか後続と距離を開こうと――まるで怯えるように、がむしゃらに前へ前へと駆けて行き。気負った状態で実力を発揮できるはずもなく、揶揄されたように逆噴射とも呼べるような失速を見せてしまった。

 

「4、5バ身ってところか……」

 

 ターボはレースに挑む際、前しか見ていない。後ろなんて気にせずに、気持ちよく大逃げすることしか考えていない。が、後ろのウマ娘のことが丸っきり頭から無くなっている訳ではないということは観戦していれば理解できた。

 

 ターボは後続のウマ娘の接近を足音によって感知している。コンディションにもよるだろうが、それがおそらく5バ身前後といったところだ。サンプルには乏しいが、敗北した2戦ともにこの圏内に他のウマ娘が追いつくと、ターボは目に見えて苦しげな表情を浮かべる。掛かる、と言っても良いかも知れない。

 

 1200Mの短距離レースでそれを初めて経験し、続くマイル戦ではそれを嫌って大逃げしようとした結果、焦りとなってレースに表れてしまった。

 

 ターボの弱点をまとめると、だ。

 

 一、脚質の同じウマ娘と競り合うと、終盤までスタミナが保たず失速する。

 二、一によって起こり得ることだが、失速し囲まれると前に出る手段がない。

 三、一と二を嫌い、後続に迫られるとレースを焦る癖がある。これが起こる二番手とのバ身差がおよそ5バ身である。

 

 まぁ負けたレースから学んだ点がこれだけなのであって、弱点や改善点はもっといくらでもあるんだが。例えば勝利したレースであっても負けたレースであっても、なんなら練習中の走り込みですら起こっている悪癖がターボにはある。本人にはまだ伝える気はないので俺の胸に秘めておくつもりだ。

 

「トレーナー!!」

 

 ガチャッ!! と勢いよく扉が開かれ、学園の校舎から走ってきたんだろうターボが肩で息をしながら現れた。……? ここしばらく、出場したレースの順位の落差からかちょっと落ち込んでいた様子だったターボだが、今日は元気に……というか以前のような快活さに戻ったような気がする。

 

「よう、勉強おつかれ。何か良いことでもあったのか?」

「へへっ、うん!! ここに来る前トウカイテイオーとちょっと話したんだー!!」

 

「ほぉ」

「ターボ最近勝ててないから、次のレースは絶対勝つのが目標なんだーってトウカイテイオーに言ったの! で、トウカイテイオーは何か目標あるのかーって聞いたんだ!」

 

「トウカイテイオーはなんだって?」

 

「そしたらね、無敗の三冠ウマ娘になるんだーって言ってた! ライバルのトウカイテイオーがすっごい目標立ててるんだから、ターボも次のレースだけじゃなくて、これから出るレース全部1着!! だからターボ全力で頑張る! 今までも全力だったけど、もっと全力全開でトレーニングするからねっ!!」

 

「……そうか、トウカイテイオーに負けないように、一緒に頑張ろうな」

「うん!!」

 

 ……トウカイテイオーには感謝しないといけないな。今日訓練場じゃなく、一旦マッサージルーム兼キッチン兼会議室であるここに集まったのは、今後ターボがどんなレースに出たいのか、どういう結果を残していきたいのかを、今までのレースを鑑みて話し合うためのミーティングが目的だからだ。

 

 8月後半のレースから日をおいて、すでに9月に突入した今になって何故ようやくミーティングをしようと思い立ったのかと言えば、2連敗して以降はターボがしばらく落ち込んだ様子でトレーニングに取り組んでいたから。そして月を跨ぎ、そろそろターボも自分のレース結果に折り合いがついたんじゃないかと、今日まで接していて感じ取ったからだ。

 

 それも確かじゃなかったが、トウカイテイオーと接したことで前を向くためにいちばん重要な精神面は以前にも増して充実しているように思える。懸念していたレースに対するモチベーションは上々のようで一安心だ。

 

 やはり、ライバルってのは良いものだなと、当人でもないのに身に染みる思いだ。ある種懐かしさすら覚える。……ライバル関係ってのを果たしてトウカイテイオーも同じように思ってくれているのかは少しばかり疑問が残るが。模擬レースでは多分眼中に無かっただろうしな……。

 

 まぁ大事なのはターボが前を向いて走ることが出来るかどうかだ、そこは深く考えないでおこう。

 

「それじゃ、今後のレースについて方向性を決めていくから座ってくれ」

「了解!!」

 

 ただ座るのにも元気よく返事をし、俺の対面に座ったターボは身を乗り出してワクワクと話の続きを態度で促してくる。やる気満々なようで何よりだ。

 

「まずはターボに聞いておきたいんだが……トウカイテイオーがライバルだって言うのなら、そのトウカイテイオーにはもちろん勝ちたいと思ってるよな?」

「もっちろん!!」

 

「具体的にはどう勝ちたい? 同じレースで一回でも勝てれば良いのか? それともトウカイテイオーの目標である三冠を獲り合いたいのか?」

「えーっと……じゃあ三冠の方!!」

 

「……無理だな」

「えぇーーっ!!??」

 

 俺のにべもない返しにコミカルな驚きを見せるターボ。ちょっと面白いのでからかいたい気持ちもあるが、以前言葉足らずの勘違いで悲しい思いをさせたこともあるし、言葉を尽くすとしよう。

 

「いいか、一言に三冠と言ってもいくつかある。クラシック三冠、トリプルティアラ、秋シニア三冠、春シニア三冠……おそらくだが、トウカイテイオーが言っているのはクラシック三冠の方だろう。無理だ、と言ったのは、トウカイテイオーと同じクラシック三冠を狙うのは、という意味だ。クラシック三冠のレースには3000Mの長距離レースも含まれている。これ自体は来年の話だが、1年で長距離を大逃げで勝ち抜けるよう仕上げるのはあまり現実的じゃない」

 

「じゃあ……トウカイテイオーと勝負できないの……?」

 

 俺の説明を全部は理解できなくてもニュアンスは感じ取ったのだろう、悲壮感を醸し出すターボに、俺は否を返しておく。

 

「出場した模擬レースから察するに、トウカイテイオーの得意距離は中・長距離だ。そしてターボは現状マイル、これから伸ばせば間違いなく中距離でも勝負出来るようになる。そこで、だ……ターボはトリプルティアラを制してトウカイテイオーと同じ三冠ウマ娘として土俵に立ち。その後に開催されるジャパンカップ、あるいは有マ記念で直接対決する……どうだ?」

 

「………………なんかすごそう! ターボそれが良い!! トウカイテイオーとおんなじ三冠になって勝負する!! ターボの目標はッ――えーっと?」

「トリプルティアラな」

 

「それ! トリプルティアラのターボになって……」

「……クラシック三冠のトウカイテイオーか?」

 

「クラシック三冠のトウカイテイオーとレースで勝負する!! これがターボの目標ね!!」

 

 俺の提示した目標を大きな身振り手振りで受け入れてくれるターボ。……乗ってくれて安心した感情とは裏腹に、言いくるめているような罪悪感に襲われ、思わず続けてしまう。

 

「……ターボ。トリプルティアラを獲るために走るのは桜花賞、オークス、秋華賞のGⅠレースだ。そしてクラシック三冠の場合……皐月賞、ダービー、菊花賞と同じくGⅠレース。そこにもちろん貴賤は無いが……お前、前に聞いてきたよな。ダービーでトウカイテイオーに勝てるようになるよね、って。それに俺は当たり前だ、って返したんだ。でも……この路線で行くと、ダービーでトウカイテイオーと勝負すること自体ができなくなるんだ。俺は……ターボとの約束を破っちまうことになる。本当に、それで良いのか……?」

 

 正直なところ、ダービーで勝つことだけを目標に据えればトウカイテイオーに勝てるよう指導することは出来ると思う。だがそのライバルが掲げた三冠という偉業に挑戦するのであれば、当初願っていたダービーでの勝負を諦めなければならない。情けない話だ、先の読めない話だったとはいえ、結果的に俺はターボの信頼を裏切る形になってしまったのだから。

 

 どんな言葉も受け入れようと。もし納得できない、やっぱりクラシック三冠で競いたいと言うのであれば全霊を以て……俺自身の目標も放り出してその勝負に尽力しようと覚悟を決めてターボの言葉を待った。

 

 しかし、返ってきたのはいつものようなちょっと考えなしなワガママや、信頼を裏切ったことに対する失望の言葉などではなかった。

 

「ターボ、バカだから! 大逃げしかできなくて、それでトレーナーが大変だって知ってるのに変わんなくって……でもトレーナーはターボのこと凄いって、誰より速くなれるって言ってくれて……それでホントに、誰よりも速くゴールできた!」

 

 いつかのように目をキラキラと、そして頬を染めて。思い出しているのはきっとメイクデビューと、続く中京ジュニアステークス。コースレコードを破って歓声を浴びた瞬間なんだろう。

 

「ごめんトレーナー。ターボ、レースの種類もちゃんとわかんないし、ダービーだって、GⅠのでっかいレースでトウカイテイオーと勝負するんだ! ってことしか考えてなかったのに……トレーナーはいっしょうけんめい、ターボのために考えてくれてたのに……」

 

「いやそれは……ターボとの約束を破ったのは俺の」

 

「まだ破ってなーい! それよりすごい約束してくれただけ! うわがき!! ターボバカだからそれでいいんだ!! ターボがやりたいこと、トレーナーはぜんぶ叶えてくれてるんだ!! だから……ターボは、それでいいんだ!!」

 

 ニカッと。ギザギザの歯を見せてターボは不敵に笑った。

 

 ……たぶん、俺はとても情けない表情を浮かべていたんだろう。もともと自分が走ることしか考えていなかったのに。いつの間にかターボのトレーナーであることを第一に考えるようになって。でも結局魂に焼き付いた未練の存在は大きくて、捨てるとわざわざ覚悟しなきゃならないほど勝手に切羽詰まっていた。

 

 優しい子だ。俺が言ったことを受け入れて。バカだから自分が間違っていたんだと。ターボに道を示す俺は間違っていないんだと言葉足らずながら伝えてくれた。俺を気遣って満面の笑みで提示した目標を肯定してくれた。

 

 うじうじと考えるのはやめにしよう。ターボのために……俺のために。これからもきっと難しい局面に当たることはあるだろうし、その時になって初めて選択を迫られることもあるだろう。

 

 でもきっと大丈夫だ。ただ一本のにんじんジュースで手に入れたようなものだが、俺とターボの間には一つ、手に入れがたい最高の宝物が存在しているのだ。信頼の二文字が、最初から確かに宿っていた。

 

「そうか……ありがとうな、ターボ。じゃあ改めて約束だ。トリプルティアラを獲って三冠ウマ娘になって……そしてトウカイテイオーと大舞台で勝負しよう。それまで……今まで通り、俺についてきてくれ。お前を誰よりも長く、誰よりも速く走れるようにする。その日まで」

 

「……っ、うん!! トレーナーもターボのこと見ててね! どんなウマ娘よりも速く走れるようになるまで! ……いーや、その先も!! ずっと、ずーっと! ね!!」

 

「……ああ! よし、じゃあ早速トレーニング行くぞ!! 今月も後半にはレースに出場するからな! 芙蓉ステークス、初めての中距離戦だがトウカイテイオーとの勝負に向けての実戦経験になる! まずはそこに向けて一直線だ!!」

 

「おー! ターボエンジン!! 今日も全開だァーーッ!!」

 

 こうして俺たちはまた走り出した。翌年挑むことになる多くのGⅠレース、そこで待つトウカイテイオーとの対決を目標に。

 



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茨の道

 ターボの目標であるトウカイテイオーとの勝負に向け、中距離レースの土俵に上がるべく試金石として出場を決めた芙蓉ステークス。マイルで卓越した疾走を見せたターボをして、そのスタミナが保つと期待できる1600Mをさらに400Mも走らねばならないレースだ。

 

 メイクデビューでは1800Mのコースを後続に大差をつけて勝利することができたため、2000Mでも十分に勝負できるだろう……などと楽観視は出来ないのが正直なところだ。

 

 人間の俺の尺度で語って良いことではないが、短距離選手における100M走と200M走は断じて違う競技だ。距離が2倍だからだ、なんて子供の算数の話がしたい訳でもない。現実の100Mとは数字に見えるより遥かに覆し難い現実だと言うことだ。

 

 維持するべき速度、温存すべきスタミナ、レースを冷静に運ぶ精神力。距離が違えば相手も違う。しかしその差異を十全に把握した上で、周囲に惑わされず距離など関係なしに自らの限界を叩きつける。自身の発揮できるパフォーマンスを常に最大値に調整する。

 

 ターボにとって1600Mから先は茨の道だ。スタミナは枯渇し、速度は逆噴射などと揶揄されるほど落ちる。それでも前を走り、そしてゴールするんだという意思だけで進んでいかなければならない。

 

 俺がやらなければならないことは、茨の道そのものを取り除いてやること……ターボのスピードを鍛え、スタミナを付けること。結局はそこに帰結する。

 

 他のトレーナーであればそもそも茨の道とならないよう舗装してやったり……具体的には戦術や作戦を授けたりするんだろうが、ターボの衝動に共感しちまっている俺には到底無理な話だ。

 

 そして、ターボの強みを伸ばすことと並行して、最近明らかになった弱点を克服しなければならない。弱点には無視できるものとそうでないものがあるが、今回はもちろん後者だ。レースにおいて他のウマ娘に追われることに恐怖を覚えるなんて状態を放置して良い訳がない。逃げウマ娘なら尚更だ。

 

 囲まれると抜け出せないことは良い。囲まれなきゃ良いだけだ。それで前に出られなくても焦ってスタミナが保たなくなっても構わない。最初にハナを奪い、後はずっと一番。問題ない。だが後続に怯える現状は打破せねばなるまい。俺はターボが気持ちよく走れるようにしてやりたいのだ。

 

 真っ先に思い付く訓練法は本番レース同様に他のウマ娘と走って慣れることだが、残念なことに俺が指導しているのはツインターボただ1人。チームであればメンバーと並走させてレースと似た状況を作り出すことが出来るんだろうが、俺はターボとマンツーマンでレースに挑まなければならないのだ。

 

 もちろんそれで諦めたりはしない。追われることを無自覚に恐れているターボは、自身のそんな弱点を知らないまま、楽しく、そして全力でレースに邁進していくのだ。俺はずっと、その横を一緒に走ってやるだけ。

 

 ――そう、一緒に走ってやるだけだ。

 

「さぁターボ! あと400Mだ! 気合入れろ!!」

「だぁりゃあああああああああああああああ!!」

 

 毎日少しずつ負荷を増やし、セット回数を増やし。合間に一息入れた後で中距離レースを視野に入れての2000M走。いつものように全力で走るターボは1600Mを駆け抜け、そして茨の400Mを掻き分けていく。

 

「――行くぞっ!!」

 

 そしてその後を俺が(・・)追って走り出した。併せてくれるウマ娘が居ない? そりゃ問題だ、まともな状況を想定してレースの訓練なんて出来やしない。――でも、ターボには関係ない。今の所1600M、ここまでは相手が居ようが居まいが関係ない。その先……克服しなきゃならないその先は、俺が一緒に走ってやる。スタミナが付いて得意な距離が伸びても、足りない分は俺が。俺が隣で伸ばしてやる……!!

 

「ぁああ――えっ!? ハァッ、とっ、トレーナーッ!!??」

「フッ――フッ――何振り返ってるんだバカ! 本番でも後ろ向いて走るつもりか!? ほら後続が迫ってるぞ!!」

 

「くっ、負ぁけるもんかぁあああああ!!」

「遅い! もっと前に! 前に行くんだ!! ――トウカイテイオーなら、とっくに走り抜けてるぞ!!」

 

 逆噴射しようがウマ娘。そもそも逆噴射とは並んで走るウマ娘の速度に対して相対的に後ろへ下がっているように見えることから実況されたモノだ。人間の俺にとってはスタミナが尽きたターボでさえ決して遅いなんて言える速度じゃない。

 

 ――だが、俺にも人類最速の矜持がある。一番遅いウマ娘とならいくらでも勝負してやる。その土俵に上がってやる……それが導くべきウマ娘(ターボ)相手なら無茶なことなんざ無い!!

 

「ハッ――並んだぞ! お前は! 人間よりッ! 遅いのかッ――!?」

「はっ、はぁっ、ぐ、う、う、うぅ~~っ!!」

 

 俺がターボを追って走り出し、並ぶまでに200Mほどだろうか。驚くべきことだ、まさかこんなに早く効果が出るとは――ターボが負けん気を見せて、少なからず速度を維持して走ってくれるとは思わなかった。

 

 だが残念ながら残り200M、俺はターボを置いてどんどん前へ疾走する。俺が最速を誇ったのは100Mのみにとどまったが、競技選手時代は世界陸上において200M走の選手でもあったのだ。今走っている400Mはさらに倍の距離ではあるものの、俺もターボに似た気質とはいえ距離によって速度やペースを変えるくらいのことは出来る。ヘロヘロのターボに負けるほど腐ってはいないつもりだ。

 

 そして……俺が2000Mラインを超えてから十数秒経ってから、もはや歩くこともままならないと言った様子でターボはよろよろとゴールを通過した。まぁ仕方ないだろう、俺と並走しての数十メートル、間違いなくターボは限界を超えて駆けた。それが出来れば上々だ、あとは基礎のスタミナを伸ばして茨の道を縮め。その先を掻き分ける根性は俺と競うことで培ってもらう。

 

「よく走ったぞターボ。芙蓉ステークスに向けて悪くないタイムだった。この調子で伸ばせば――」

「ハッ、ハァ――、すっ。すごかったっ!!」

 

「うん?」

 

 ちゃんと聞いてはいないだろうと思いつつも労おうとしてみれば、それを遮ってターボが声を上げた。首を傾げて座り込んだターボのつむじに目を向けると、ちょうどバッと俺を見上げたターボと視線が重なる。

 

「トレーナーッ、ハァッ――。は、速かった! トレーナーなのに! ハァ、ハァ……す、すごい!! ターボより速かったよ!?」

 

 そりゃ同じ距離走った訳じゃないからな……と内心苦笑するも、そもそもこの世界では人間よりウマ娘のほうが速く走れて当然なのだ。距離がどうとか疲労がどうとか関係なく、スペックとしてウマ娘のほうが優れている。常識だ。

 

 道交法においてウマ娘が明らかに不利な法律がいくつもあり、そのことを誰も、当のウマ娘たちでさえ疑問に思っていないことからもその認識がどれほど浸透しているか分かろうというものだろう。ウマ娘は人間より圧倒的に速い生き物なのだ。

 

「言っただろ? 俺は人類最速だってな。スタミナが切れたウマ娘より速く走るくらいのことはして見せるさ」

 

 正直言ってて恥ずかしいレベル、己の誇りにヒビを入れるようなセリフだったが、これがターボからのさらなる信頼に繋がるなら受け入れるほかない。現にターボはいつも以上に瞳を輝かせて俺を仰いでいる。

 

「それで……どうだ、ターボ。後ろから俺が追っかけてくる時、怖かったか?」

「はっ、はぁっ……へ? ううん、びっくりしたけどっ。はぁ……負けるもんか! って、はぁ、思った!!」

 

「そうか、頑張ったな。負けたくない、一番を渡したくないって気持ちはとっても大事だぞ。これから毎日一緒に走るから……その気持ち、忘れないようにな」

 

「ほっ、ほんと!? トレーナーっ、ふぅ……また、一緒に走ってくれるの!?」

「あぁ、ターボが頑張れるように、俺も一緒に走るからな。あとついでに言えば……俺もターボとおんなじで、走るのが大好きなのさ。でもターボ、お前は最速のウマ娘になるんだろ? 人間より遅いウマ娘は果たして最速か?」

 

「んー……ちがう! ターボ絶対、トレーナーより速くゴールできるようになる!!」

 

「よしっ、その意気だ! もう少し休憩してから、またトレーニングをローテーションするぞ。で、最後にもう一回勝負だ。今よりももっとスタミナが減ってキツくなるだろうけど、最後まで諦めず走りきるんだぞ」

 

「わかったっ! よぉし、トレーニングだぁーーっ!!」

「休憩だって言ってるだろ」

「ぅわっ! んへへ、りょうかーい!」

 

 後でまた一緒に走れると知るやバッと立ち上がり、今にも走り出しそうなターボの頭を掴んでわしゃわしゃしてやると、猪突猛進娘はへらりと笑って頭上の俺の手を両手で掴む。……相も変わらず小さな身体だが、着実に実力は伸びている。レースにかける情熱も同じく、あるいはそれ以上に。

 

 あとは、俺次第だ。潜在能力は十分、それを引き出す訓練も順調。実際のレースで培ったモノを発揮できるかどうかは、俺の指導にかかっている。ターボが気づいていない弱点を、気づかせないままに矯正していくのだ。

 

 後ろから迫るウマ娘が怖いなら、俺が背中を押してやる。それで足りなかったら横を走って励まそう。力尽きたら前を行き、背中で語るのだ。ついて来い、そうすればお前が最速だ、ってな。

 



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カムバック

ターボ寄り三人称視点


 

 9月、芙蓉ステークス。ツインターボは中山レース場のターフを再び踏みしめていた。帰ってきた、そんな感覚が胸に訪れる。

 

 6月のメイクデビュー、このレース場で浴びた喝采はいつまで経っても忘れられないものだ。全力で走り、燃料が尽きても前に進み、ヘロヘロになっても後続に影を踏ませなかった。

 

 またここで、一番になりたい。

 

 デビュー戦を勝利で飾って続くレースでも、コースレコードなんていう考えてもいなかった結果を出し、トレーナーと喜びを分かち合った。けれど次の短距離レースでは、自分が出たいと言ったにも関わらず惨敗に終わってしまった。

 

 またトレーナーに、喜んで欲しい。

 

 新潟ジュニアステークス、GⅢのマイルレース。多分トレーナーが、ツインターボに自信を取り戻させるために用意してくれた重賞。結果は残念の一言に尽きるだろう。実力を誰よりも発揮できたはずの作戦(逃げ)舞台(マイル)で、見事に逆噴射してしまった。

 

 ここからまた、始めるんだ……!

 

 誰よりも先に前に出て、その後もずっと一番を走りたい。全力で走り切って、大逃げでゴールしたい。最初から最後まで一番が気持ちいい。そんな衝動の中に、一つ情熱が加わった。

 

 いつだって背中を押してくれるトレーナーに、一着でゴールするところを見て欲しい……!!

 

 まだトレーナーが見つかっていない同じクラスの子たちが、よく口にする不安がある。担当になってくれるトレーナーは欲しいけど、自分の走りたいように走らせてもらえなかったらどうしよう? それはツインターボがトレーナーに声をかけられるずっと前から、何度だって聞いてきたありがちな心配事だ。

 

 ツインターボは誰に何を言われようと、逃げ以外の道を選ぶ気はなかった。でもやはり、ちょっぴりの不安はあったのだ。トレーナーがずっと見つからなかったらどうしよう? レースに出ることすら出来ずに学園を去ることになってしまうんじゃないか? そんな漠然とした不安がずっとあった。

 

 トレーナーは、ターボが走りたいように走らせてくれた。

 

 どんな距離だって全速力のツインターボを、叱るどころか褒めてくれた。天才だと。すごいヤツだと。あまりたくさんご飯を食べられないと言うと、無理に食事を勧めたり、食べないことによる弊害を説教したりせず。美味しくたくさん食べられる料理を考えるところから始めてくれた。

 

 ターボが出たいレースに出られるようにしてくれた。

 

 今までも、そしてこれからもそうなのだろう。今日走る芙蓉ステークス、これもまたツインターボが希望した、トウカイテイオーとの対決に備えて出走させてくれたものだ。この日のためにトレーニング内容を一新してくれたどころか、競り合いを意識してトレーナー自ら並走までしてくれた。

 

 ターボは幸せだ。だからトレーナーにも、同じだけ幸せを返すんだ!

 

 ゲート裏、ツインターボとゴールを争う17人のウマ娘が共にゲートイン。呼吸を整えようとする様子や、ライバルとしてかツインターボを意識しているような雰囲気を感じ取る。でも、ツインターボが意識するのは目前のゲート。その先に有るゴールだけだ。

 

『ゲートイン完了、出走の準備が整いました』

 

 一斉に体勢を整える。アナウンスと同時に観客席が静まり返るのがわかった。反して、鼓動は他のウマ娘に聞こえそうなほどに大きく感じる。緊張かも知れない。気負っているかも知れない。頭のどこかにモヤのように漂うそれを、しかしツインターボは意識しようなどとは思わない。

 

 そんなモノは全部ターボエンジンの燃料にしてしまえばいいんだ。いつも通りに、走りたいように走ればいい。それを願って、それが出来るようにしてくれた人がいるんだから。

 

 ――ターボエンジンは、今日も全開だ!!

 

『ゲートが開き、一斉に』

 

 前傾姿勢、バタンとゲートが開く音は顔の左右で聞こえ、終わる頃には後ろへ吹っ飛んだ。――いや、ツインターボが射出されたように飛び出したのだ。

 

『スタートです!!』

 

 ツインターボはこの瞬間がたまらなく好きだ。トレーナーが教えてくれたロケットスタート。誰よりも速く前に出るためにと、手動で開閉する訓練用のゲートを引っ張り出して。何度も何度も扉に頭をぶつけるターボを咎めたりせず、頭をなでて怪我の確認をして。無事だと分かれば根気強くフォームを正してくれた。

 

 大地を踏みしめて。ゲートが開く瞬間に飛び出せばツインターボがハナを突っ切れる。最初から最後まで一番が良いと願った少女に、当たり前のように手段を授けてくれた。

 

「っ――!!」

 

 スタート直後にトップギアまで加速し、最高速度に達すると前傾姿勢からいつものスタイルで全速前進。前に出る方法は教える。その後は走りたいように、気持ちよく走れ。トレーナーがツインターボにかけてくれた言葉の一つだ。

 

『先頭は2番ツインターボ! 3バ身ほど後に続くのは――』

 

 急坂を快調に登りきって第1コーナーを迎えてからも、どんどん後続を引き離して前に出ていることをツインターボは実感した。足音が遠ざかっていくからだ。目の前に広がるのはターフと快晴の空だけ。もちろんそこに他のウマ娘の姿はない。大逃げしている時しか味わえない絶景がそこにはあった。

 

 でももっと。もっともっと、もっとだ。最後まで燃やし尽くすんだ。一番でゴールするまで。ターボエンジン全開だ……!!

 

 とうの昔に全速力。坂で速度が落ちても、それを超えればすぐさま加速し、また最速に達すればあとは維持するだけ。あっという間に単身第2コーナーを通過し、第3コーナーに向けての坂路を駆け下りていく。

 

 これ以上は出ないと思っていたスピードが増すこの瞬間もツインターボは大好きだ。そうトレーナーに伝えた時は難しい顔をしていたが、ならばと坂を駆け下りるトレーニングを追加してくれた時は嬉しかった。下った先でマットを用意しつつ待機していたことには首を傾げたが、その甲斐あってか重力を味方につけて早々に第3コーナーへ。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ――」

 

 息が荒くなってきた。でもまだまだ走れる。弧を描いて内ラチを攻めていく。誰にも踏み荒らされていない、ツインターボだけに許された最短距離。――次のコーナーを超えれば、トレーナーが待っている。

 

 一着でゴールするターボを、トレーナーが待ってる!!

 

 ターボエンジンは全開だ。まだ、まだ。いまだ脚は衰えず前へ前へと突っ走る。比較的ゆるやかな丸みを帯びた第4コーナーを、1番のままに走り抜ける。

 

『先頭は変わらず2番ツインターボッ。いま第4コーナーを抜けましたが――!』

 

 ツインターボがホームストレッチに駆け込むと、途端に視界が開けたように感じた。視線の先、急坂をもう一度駆け上がればゴールはすぐそこだ。

 

「だぁりゃあああああああああああああああ!!」

 

 何かを振り切るように声を上げ、最後の燃料を投下した。叩きつけられるような歓声は聞こえているようで一切耳には入ってこない。実況の声など言わずもがな。――しかし、確実に聞こえてくるものはある。

 

「っ――――!」

 

 なぜだか耳をふさぎたくなるような、背後から近づいてくる音。遠ざかるように。近づかれないようにターボを噴射する。前に。もっと前に。

 

 脚が重い。心臓がうるさい。いくら息を吸っても空気が入ってこない。でも景色はぐんぐん後ろに飛んでいく。いまだに自分は走れているらしいとツインターボは他人事のように感じた。

 

 そして心臓破りの坂に足を踏み入れ――その瞬間、ガクリと脚が鈍ったのがわかった。スタート直後、あんなにも簡単に登りきった急坂はまるで壁のようにそびえている。

 

「~~~~っ!!」

 

 ――近い。歯を食いしばって前に進むものの、背後に迫る音がただでさえ早い胸の鐘に叩きつけられる。全身の感覚は希薄になっていくのに、焦りが、心臓の跳ねる音だけがツインターボの身体を支配していく。

 

 もう……。

 

 その先が頭を過りそうになった瞬間、誰かがついに隣にならんだ。

 

 数秒並走したその人は、綺麗な姿勢でツインターボの前に出た。

 

「っ――――!?」

 

 それは見慣れた背中だった。人間の、背の高い男の人。――トレーナーの、背中だった。いつも決まった距離から追いかけてくる、ツインターボの……ツインターボだけの競争相手だ。

 

 1600Mから始まり、ツインターボに並び、そして抜き去って駆けていく最速の人間。追いついてみせろと。最速ならこれくらい駆け抜けろと。何度だって励ましてくれたヒトの影が、目の前を走っている。

 

「ハッ、ハァッ――、~~~~~~~~っ!!」

 

 全身に力が戻る。バクバクと心音がペースを上げるが、同時に四肢の感覚を取り戻す。もう後続なんて呼べない、すでに間近に迫っているのが分かる。

 

 でもッ――もうとっくに、トレーナーはゴールしてるッ!!

 

 最速のウマ娘は、最速の人間に負けるわけにはいかないんだ。トレーナーに追いつけないターボは、きっとまだ最速じゃないんだ。

 

 それでもッ──トレーナーの次にゴールできないなんて絶対ヤだ――ッ!!

 

「ぁああああああああっ!!」

 

 呼吸も忘れ、ただただ全身を振り回す。身体に染み付いた動きを繰り返す。蹴っているのがまだ坂道なのか、平地なのかすら定かではない。けれど――もう、ゴールは目の前だった。

 

その時――。

 

「――――行けっ! ターボォオオオオ!!」

 

 走り抜けたはずの、トレーナーの声が聞こえた。

 

「ぐぅっ――!!」

 

 大きく開いていたギザギザの歯をガチリと噛み合わせ、倒れ込むように。教えてもらったスタートを切るように、残り僅かな燃料を燃やして土を蹴る。そして――。

 

『追いついたマーベラスサンデー! ツインターボに並んでッ――並んで……並んで今ゴール!!』

 

 ふっと力が抜け、芝生に倒れ込むツインターボ。抜かせなかったはずだ。最後まで1番だったはずだ。トレーナー以外に背は、見えなかったはずだ。

 

 ――そうだ……トレーナーは、喜んでくれたかな?

 

 そこに考えが至り、ツインターボは荒く息を吐きながらも、軋む腕に活を入れて上体を起こし、その姿を探した。背が高くただでさえ目立つトレーナーは、その後ろにいるとまともに観戦出来ないからという理由で周囲にぽっかりと空間が出来る。コースから探せば一目瞭然なのだ。

 

 トレーナーの表情は分かりづらい。真面目な顔をしてることが多くて、ターボ以外には怖がられそうな感じがする。でもターボの脳裏には焼き付いていた。初めてのレースで、ターボが最速だと言ってくれた。笑って、お前が1番速いんだと言ってくれたのだ。

 

「トレー、ナー……」

 

 座り込んだまま首を動かす。すぐに居場所は見て取れた。目を凝らそうとするも、滴った汗が邪魔をして上手くいかない。ベタついた髪をかき上げて、袖で雫を拭い。今度こそとトレーナーの様子をうかがった。

 

「あっ――――?」

 

 笑っていた。間違いなく口元を緩めて笑顔を浮かべていた。嬉しそうに――しかし、同時に両目から溢れるモノがあった。なぜかは分からない。でも一つだけ分かることがあった。

 

 あの笑顔はターボの1番を喜んでくれたからで。あの涙はターボのことを応援してくれたから流れたものなんだってことだ。

 

『写真判定の結果! 一着はツインターボ!! マーベラスサンデー惜しくも二着!! ツインターボがレースを制しました!!』

 

「トレーナー!!」

 

 息が整わないまま、一言だけ大きく声を上げ。やってやったぞと拳を握り、ニカッと笑って親指を自分の顔に向けた。

 

 対してトレーナーも。歯を見せつつ慣れない笑みを浮かべてぐっとサムズアップし、ツインターボの勝利を讃えてくれる。

 

 熱を帯びた全身を風が撫でる心地よさと同時に。身体が冷えすぎないようにと、胸にポッと。温かい明かりを灯してもらったような気がしていた。

 



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お祝いと保護者

 無意識というのは恐ろしいものだ。習慣化している作業の中、ふとした違和感に気づかなかったり。あるいは考えるよりも先に身体が動いてしまったり。誰しもが少なからず経験したことがあるだろう。

 

 そんなことを改めて実感したのは9月に行われた芙蓉ステークスにおいて、ターボが迫りくる二番手……マーベラスサンデーというウマ娘に対して写真判定に持ち込まれるほどの接戦を演じ、その上で勝利を掴み取った際に思わず涙してしまったことを思い出して。

 

 そのことに我ながら動揺したからだ。直後にターボが声をかけてきた時には、誤魔化すように笑ってサムズアップなぞ返してしまった。舞い上がっていたな、と今更に思う。

 

 自らの目標は未だ根強く魂に焼き付いているが、それでもいよいよ(もっ)てターボのトレーナーであるということが俺という人間の根幹を成し始めているらしい。()()()()()()()()()()には欠片も理解できなかった、人々がウマ娘たちへ夢を託す、ということが心底理解できた。この世界の住人の1人としてようやく生まれ変わったような心持ちだ。

 

 そう、俺もターボに夢を託し始めたのだ。俺が人類最速を、そう誇れるタイムを記録することと同等以上に。ツインターボというウマ娘に最速の二文字を冠して欲しいと。ともに最速を戴こうという、そんな夢を。

 

 ジュニア級のマイルでは確かな実力を見せつけ。いずれ挑むだろうトウカイテイオーとの対決の舞台(コース)となる可能性がある2000Mの中距離でも、己の弱点や手強いライバルに競り勝ってみせた。そんなターボは今もなお、鍛えれば鍛えるだけスピードが、スタミナがどんどん伸び続けているのだ。

 

 ターボは自らの目標を口にし、それを現実にしようと努力している。俺が出すトレーニングに文句一つ言わずついてきてくれる。ターボは心から俺に信を置き、指導には結果で応えてくれている。俺の夢を乗せて全力で走っているのだ。

 

 ターボへの想いを無意識に、などと言うのはひどく傲慢なことに思えてならなかった。だからこそ俺は心を新たに、ターボに夢を託すことを決意した。俺と一緒に最速になってくれ、と。

 

「さ、今日はよく頑張ったぞターボ。遠慮なくたーんと食え」

「うわぁっ……!!」

 

 10月のとある日、俺とターボはいつものようにトレセン学園の隅で……いや、あえて"ガレージ"という言葉を使わせてもらおう。先日のレースで勝利した際、こんな実況がされたのだ。

 

 『中央トレセン学園というガレージから勢いよく飛び出しましたツインターボ! 変わらずの大逃げで初の重賞勝利!! 新潟ジュニアステークスの無念を晴らしました!!』

 

 詳しくは無いんだがツインターボとは実際に存在する自動車の機構を指す言葉らしく、そこから連想してターボというウマ娘が走り出す場所=ガレージと洒落た言い回しをしてくれたらしい。トレセン学園では規模が大きすぎるから、俺たちが間借りしているトレーニング施設一帯をガレージと自称することにした。ターボは大喜びだった。

 

 それはともかく。そう、重賞勝利だ。今日はその祝勝会で、サウジアラビアロイヤルカップ……と、アルテミスステークスの一着を祝うべくガレージに舞い戻った。なんとターボは、この10月中に2つのGⅢマイルレースを制してみせたのである。

 

「ねっ、ねぇトレーナー! もう食べていいっ!?」

「あぁいいぞ。それじゃあ――」

「「いただきます!」」

 

 揃って手を合わせると、ターボは勢いよくテーブルの上のアップルパイに手を伸ばす。ここしばらくは特に食生活に気をつけさせていたから、祝勝会には特別にと用意していたものである。これもまぁ色々誤魔化してはいるが……リスのようにほっぺたを膨らませて、満面の笑みを浮かべるターボに俺も思わず頬を緩めた。無意識に、というやつだ。

 

 芙蓉ステークス以降、ターボに夢を託した俺は再びGⅢレースに挑むべくターボの指導を開始した。トウカイテイオーはライバルだ。だが彼女に勝ちたいのであれば、逆にトウカイテイオーにばかり目を向けてはいられない。まず見極めるべきはトリプルティアラを獲る上で乗り越えなければならないウマ娘たちの存在。

 

 翌年4月の桜花賞は1600Mのマイルレースだ。そこにはどんなウマ娘が出場するのか? 当然マイルに適性が、あるいは自信のある娘たちが出てくるだろう。逆算して年内12月に行われるG1マイルレース、阪神ジュベナイルフィリーズ及び朝日杯フューチュリティステークスに出てくるウマ娘たちへのマークが必要になる。

 

 ターボに後ろを気にせず走ってもらうには、その分俺がライバルたちを見極めて、それに応じたトレーニングを課す必要があるのだ。そのために年内はマイルレースを制しつつ、スタミナを重点的に伸ばしていく方針だ。

 

 特に、ついさっき制したGⅢアルテミスステークスはGⅠ阪神ジュベナイルフィリーズの前哨戦と言われている。このレースでポテンシャルを感じさせたウマ娘は今後確実にマイルレースの強敵として立ちふさがることだろう。中でもウオッカというウマ娘は要注意だ。

 

「んぐ、ごくんっ。~~~~! めちゃくちゃおいしい!!」

「そりゃ良かった。ほらにんじんジュースも飲みながらな。ちゃんと噛むんだぞ」

「うんっ!!」

 

 恍惚としながらバクバクアップルパイを飲み込んでいくターボ。サウジアラビアロイヤルカップ、アルテミスステークスと東京レース場のコースレコードを続けて塗り替えてみせたと誰が信じられるだろうか。

 

 しかし、今日のアルテミスステークスにおいてウオッカはターボに肉薄してみせたウマ娘だ。2バ身ほど離れての2着とはなったが先月までのコースレコードに迫っている上、ターボもウオッカも未だジュニア級と伸び盛り。今日勝ったからと慢心できる相手じゃないのは間違いない。

 

「ウオッカか……」

 

「んぐ? もぐ、んぐ……ごくん。ウオッカ凄かったね! ゴールするとき足音聞こえてたもん。でも今日はターボの勝ち! ターボの大逃げがウオッカのカッケーに勝ったんだから!!」

 

「カッケーに勝った?」

 

「そう! ダッセーことはしねー! 誰よりもカッケーウマ娘になる! っていつも言ってるの。ターボがレコードで勝ったときもね、カッケーって褒めてくれたんだよ!!」

 

「へぇ……同じクラスなのか?」

 

「んーん、となり! だから授業いっしょになったりするの。そん時にね、トレーニングの調子はどうだー? とかっ。同じレースではしる時は真剣勝負だぜ! って。ふふーん、今日のところはターボの勝ちね!!」

 

 両腕を組んでフンスと鼻息を漏らすターボに、俺もそうかと頷いて頭を撫でた。どうやらターボもトウカイテイオーだけを意識している訳じゃないらしい。そりゃそうだ、同じ学園で、中には同じクラスで勉学に励む仲間たちがライバルなのだ。俺には見えていないだけで、きっとターボにはターボにしか見えていない世界がある。

 

 ウオッカに迫られたとき、ターボには足音が聞こえたという。トレーニングで追われることに対する怯えを無くそうと努力し、それは芙蓉ステークスで実を結んだように思える。だがレースに対する意識なんて水物だ。緊張やコンディションによってスパートの距離が伸び縮みしたり。後続の追い上げが負けん気に繋がることもあれば、怯えや焦りとなって垂れてしまうこともあるだろう。

 

 今日のアルテミスステークス、第4コーナーを抜けて最後の直線500M強。追い上げるウオッカに対しターボは焦ってしまうんじゃないかと危惧したが、聞く限りは認め合うライバルの存在に鼓舞されていたように思える。目標は打倒トウカイテイオー。しかし共に励み競うライバルはたくさんいる。そのことをターボ自身が意識しないまでも理解している。すごいウマ娘が常に後ろに居るのだと。

 

 もしかしたらいつか、ターボにも驕りから相手を侮るような日が来るかも知れないと思っていたが、この分なら大丈夫そうだ。ターボにあるのは凄いライバルと競い、そして逃げ切った自分はさらに凄かったのだという誇り。俺がいつかなんどもへし折られたように、天狗になることなく。尊敬と誇りを以てターボは走りきったのだ。

 

「……お前は凄いヤツだなぁ。分かってるのか、GⅢ二連勝。重賞だぞ? 重賞。最初に言ったとおりだ、やっぱり天才だったな」

 

 そう思うと無性に嬉しく、いや誇らしくなってしまい、俺は撫でられるままに目尻を下げてアップルパイを頬張るターボの頭をわしゃわしゃ掻き回した。すると対抗するようにぐりぐり頭頂部をこすりつけて、ターボもこう返してくる。

 

「いーや、まだだもんね! ターボはまだバカだから! ホントは天才だけど、まだバカだからね! だからトレーナーの言うことバッチリ聞いて、もっともーっと速くなるの!! それでクラシック三冠テイオーにレースで勝って、そしたら大逃げの天才のとり、とりぷる……」

 

「……トリプルティアラ?」

「トリプルティアラターボ爆誕!! そしたら誰にもバカになんかさせないんだから!!」

 

「……あぁ、そうだな。そこまで行ったら誰もバカになんか出来やしないさ。これからも頑張っていこうな」

「うん! よぉし、これ食べたら早速――」

 

「今日は! ……これ食ったら寮でゆっくり休むんだぞ。あまり遅くならないようにって言われてるだろ?」

 

「えへへっ、はーい!!」

 

 ターボも本気で言った訳じゃないんだろう、早速トレーニング、と続きそうな言葉を遮ると。イタズラが成功したような子供のように肩を揺らして笑った。俺にとっては笑えない冗談なんだが……。重賞レース直後のトレーニングなんて論外というのはもちろんのこと、ターボが入っているトレセン学園の美浦寮。その同室のウマ娘からたびたび心配の連絡を受けるのだ。

 

 ヴー……ヴー……。

 

 と、そんなことを考えていたら。噂をすれば影がさすと言うが、当の彼女から着信が入った。何度か連絡はとっているんだが、ターボを心配して不定期に入るこの着信はなぜだか落ち着かない気持ちになってしまう。

 

「……はい、最上です」

『おう、ターボのトレーナーさん。ヒシアマ姐さんだが……用件は分かるかい?』

 

「ターボへの祝いの言葉なら直接かけてやったほうが喜んでもらえると思う」

『そりゃあもちろんさ! そう、早くお祝いしてやりたくてたまんないよ……本当に、一刻も早く祝ってやりたいねぇ』

 

「……いつも遅くに帰して悪いとは思う。けど今後のミーティングも兼ねての祝勝会なんだ、大目に見て欲しい」

 

『ちぇっ、仕方ないねぇ。でもいいかい、アンタの他にもターボのこと応援したり心配してるアタシみたいなのも居るってこと、ちゃんと覚えといておくれよ? 最近はいっつも譲ってばっかりなんだ、たまには早めに帰してくんなきゃ。大体ターボの食わず嫌いだってアタシがあんなに気をつけて直してやろうとしたってのに、アンタがついてからすんなり食べるようになっちゃってさ、それに』

 

「わかった! わかったから……今日は少し一緒に祝ったらすぐに帰すつもりだったんだ。それで良いだろう?」

 

『いやぁ急かしちゃったみたいで悪いね! いつもは走らせてるみたいだけど、今日くらいはちゃあんと送ってやっておくれよ』

 

「もちろんだ。それじゃあな、何かあればこっちから連絡させてもらう」

『あぁ! アタシも何か気になったらすぐ連絡するよ! じゃあねっ!』

 

 言外に何度も連絡してこなくて良いと伝えたつもりだったが、それも無駄に終わった。このターボのルームメイト兼美浦寮の寮長を務めているヒシアマゾンというウマ娘は、姉御肌で面倒見の良いサバサバとした性格で多くの後輩に慕われているらしい。

 

 が、彼女が特に目にかけていたターボのトレーナーであり、そして長時間トレーニングで拘束した挙げ句晩飯の時間まで一緒にいる俺に対してはどうも当たりが強い。いや俺の見えないところで子供っぽいターボの面倒を見てくれている存在が居るのは非常に有り難いことなんだが……基本的にターボを心配して電話をかけてくることが多いので俺も強く出られず、やりづらい相手だ。

 

「トレーナー、ヒシアマはなんて?」

「……暗いとターボが心配だから、早めに帰せってさ」

 

 俺がヒシアマゾンと電話でやり取りしているのを知っているターボは相手が彼女だと決めつけていたが、内容までは聞いていなかったようだ。お祝いとやらがサプライズだったら教えてしまうのはマズイと思い、心配していたとだけ濁す。

 

「えーっ? まったくヒシアマったら、ターボは子供じゃないのに! それにトレーナーが居れば大丈夫だもん! ねっ? トレーナー!!」

 

 にっこりとギザギザの歯と信頼を見せるターボに、俺はヒシアマゾンへの共感を抱いた。自分が大人だと言い張る子供。さらにヒシアマゾンの目から見れば、トレーナーだからという理由で全幅の信頼をいとも容易く預けてしまうほどの無邪気さ。俺が逆の立場でも連絡先が分かれば何度も電話を掛けるに違いない。

 

 ちなみに彼女はチームリギルの一員であり、東条さん経由で番号を知ったそうだ。実は俺にマッサージを依頼する例のチケットは、新しく用意するのが面倒なので名刺で代用している。チームリギルのメンバーなら誰が俺の番号を知っていてもおかしくはないのだ。

 

「……そうだな、でももうすぐ学内バスの巡回時間だ。早く食べないと間に合わないぞ」

「っ!! はぐっ、ばくっ。もぐもぐ……」

 

 ヒシアマゾンの胸中を思って早めに帰そうとバスの時間を一巡早く伝えれば、食い意地を張ったターボは無言でパイを平らげ始めた。用意した身としては嬉しいんだが、どんだけ甘いものに飢えてたんだと少し申し訳ない気分になる。

 

 だがそんなターボが、好物を我慢してストイックにトレーニングを重ねたことで着実に実力を伸ばし、レースで結果を出すことが出来たのだ。これからも締めるところはしっかり締め、そして緩めるべきところは緩められるよう意識しようと。口の周りに食べかすを付けたターボを眺めつつ胸に刻んだ。

 

「もぐ、もぐ……ごっくん。ごちそうさま!!」

「はいお粗末さん。美味かったか?」

 

「めちゃくちゃうまかった!!」

「そりゃ良かった。それじゃ、心配性な寮長のとこに帰るか」

 

「うんっ! へへ、ヒシアマったら驚くかな? ターボGⅢ連勝なんだよって教えたら!」

「きっと驚くさ。ターボがどれだけ頑張ったか、自慢してやると良い」

 

「トレーナーが一緒に走ってくれたことも、もっとくわしく教えるね!」

 

 それは若干反応が怖いような……というかもっと? つまり簡単にはすでに教えた後なのか。ウマ娘の身からしたらトレーナーが一緒に走るのは不信感が増すかもな……ヒシアマゾンと直接話す機会があったら弁解したいもんだ。

 

 なんでもないことを話しつつ、思い出したように連勝の重賞レースの喜びを再燃させつつ。学内バスの停留所に向けて、俺とターボはゆっくりとガレージから出発した。

 



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お客様第一号

 GⅢアルテミスステークス、その後のターボとの祝勝会を終えて翌日。俺はターボがいないトレーニング場を走っていた。レースでの疲労を考えて今日のターボはお休みだ。そんなトレーナーとして手空きになった時間はもちろん自分のトレーニングに当てている。今まで通りのことだ。

 

「ハッ――ハッ――」

 

 やはり走るのは気持ちが良い。合成ゴム(タータン)のトラックを駆けている時、自分が何者であるのかを思い出すような気すらする。この全天候型のトラックが整備されているのは中央トレセン学園くらいだ。目標のためにここを就職先に選んだ過去の自分を褒めてやりたい。

 

「ハッ――ハッ――」

 

 そしてそれ以上に、ターボと出会うことが出来た幸運に感謝しよう。己の限界を超えようと藻掻いてきた俺は、どこか悲壮感を伴って走り続けていた。しかし今ではどうだろう、自分が走るとき、常に近くに別の誰かを感じている。ツインターボというウマ娘の存在を、自分の走りの中に確かに感じるのだ。

 

「ハッ――ハッ――」

 

 最初から最後まで全力で駆け抜けたい。その方が気持ちいい……間違いない。後ろに過ぎ去っていく景色が、開けた視界が、全身を撫でる風が。自らに迫る限界と、それを超えたと実感した時の喜びが。その何もかもがこの世の全てに勝るほどの快感だ。

 

 

「ハッ――ハッ――」

 

 俺にはもう競うライバルはいない。()と直接肩を並べ、最速を奪い合うことは出来ない。だがターボにはたくさんのライバルが居る。好敵手と最速を争ってレースに身を投じることが出来る。

 

 俺とターボは同志だ。同じ気持ちを共有できる仲間だ。俺は直接走れないがターボには出来る。そして俺にはターボに無いノウハウが有る。それをもとに指導することが出来る。……一緒に、最速を目指すことが出来る。

 

「ハッ――! ハッ――! ――――ふぅっ――……」

 

 何度目かのタイム計測。ストップウォッチを預ける人が居ないので大体は三脚に立てたビデオカメラで確認する。……今回も、残念ながらタイムは縮まらなかった。しかしターボに出会うまでは常につきまとっていた焦燥感はない。ターボと共に打倒トウカイテイオーを目指す道程で、自然と走り抜けることが出来る。そんな予感がしているから。

 

「――驚いた。ホントにトレーナーも走ってるんだねぇ」

 

 さてもう一度トレーニングローテを最初から……というところでそんな声が聞こえた。視線を向ければ1人のウマ娘が興味深そうにこちらを見ている。直接会ったことはないが……その存在はトレーナーならもちろん知っている。声も聞き覚えのあるものだった。

 

「ヒシアマゾンか。はじめまして、と言ったほうが良いのか?」

「おうっ。はじめましてだね最上トレーナー。ちょっくらお願いしてみようと思って訪ねてみたんだけどさ」

 

 不敵な笑みでピッと何かを掲げてくる。2本の指に挟まれているのは俺の名刺だった。

 

「マッサージ、してくれるんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ~こいつはっ……効くねぇ……っ」

「……言うほど凝ったりはしてないが、まぁ気持ちいいなら何よりだ」

 

 場所をガレージ内のマッサージベッドに移し、早速施術を開始した。水着を持参の上、終わった後の入浴用の着替えも準備万端だったヒシアマゾンから名刺を受け取り、東条さんとの約束通りオイルマッサージを施していく。

 

 東条さんがしっかりケアしていることもあってか、その肢体からはあまり疲労は感じられない。それでも手探りに老廃物の溜まりやすい場所をなぞれば少ないながらリンパの滞っている箇所があった。指圧でほぐせばヒシアマゾンは気が抜けたように声を漏らす。よほど自身の不調に敏感なのだろう、些細な疲労の癒えを自覚出来るのは稀有な才能だ。

 

「しかし、来るなら先に連絡して欲しかったな」

「したさ、走るのに夢中で手元に置いてなかったみたいだけど」

 

「……そりゃ悪かった。でも当日の、来る直前に連絡するのはどうなんだ?」

「そりゃあ悪かったよ。昨日にでも言っておこうかと思ったんだけどさ、どうも早く電話を切りたがってるように感じたもんでね」

 

 ……どうも口で勝てる気がしないな。それに言葉の端々にチクチクとしたものを感じる。やはりターボのことで心配をかけているからだろうか。

 

「ところで、アタシ以外にリギルから誰か来たりしたかい?」

「いいや、ヒシアマゾンが初めてだな」

 

「ふぅん……ま、それもそうか。おハナさんもどっちかって言うと脅しみたいな感じだったしね」

「脅し?」

 

「そうさ。もしレース前に疲れが残ってるようなら問答無用でアンタんとこに放り込むってね。男のトレーナーにマッサージってのは遠慮したいって子の方が多いだろうからさ?」

 

 なるほど。道理でチケットの用意なんて頼んできた割には客が来ない訳だ。こっちとしてはタダでターボのダンストレーニングの面倒を見てもらっていることになるので好都合ではあるが。

 

 そうなると東条さんの不安の種は今のところ芽を出していないらしい。レース前にトレーナーの目がない場所でトレーニングし、担当ウマ娘に疲労が残ったまま大一番に挑むというようなことは回避出来ているんだろう。脅しに自分の名前とマッサージが使われているということに思うところもあるが、先輩の役に立てているのなら不満はない。

 

「まぁ、そうだろうな。にしては自主的に来た珍しい例もあるみたいだが」

 

 もちろん眼下で背中を見せているヒシアマゾンのことだ。この娘も口ぶりからするに、見知らぬ男に水着とはいえ簡単に肌を触らせるほど軽い訳でも、ターボのように無邪気な訳でもなさそうだが。

 

「近々レースが控えてるもんでね。それに……相手(アンタ)はターボのトレーナーだろ? 聞いてるよ、ゴールまで粘れるよう一緒に走ってやってるってさ。 今だってターボは休みにしたってのにわざわざ自分は走り込んでんだ、マッサージにかこつけて怪しいことされるなんて思っちゃいないよ」

 

「……ウマ娘と競り合うっていうのに、その相手が遅いんじゃ話にならないからな」

 

 言外に"ターボのためにトレーニングしている"とヒシアマゾンの話を肯定しておく。俺が俺のタイムを縮めるために走ってるなんて言っても困惑させるだけだからだ。

 

「そういうところだよ。初めて聞いた時はどんなトレーナーだって思ったもんだけどさ……担当してるウマ娘のために、誰にどう思われようとやれること全部やるって気概が見えてきたのさ、ターボから聞いててね」

 

「それはどうも……少し、右脚の方が疲労しやすくなってるな。比較的、ってレベルだからそこまで気にしたもんじゃないが。蹄鉄のメンテナンス、左右のバランスに違和感が無いか念入りに見たほうが良いかもな」

 

 気恥ずかしさと、都合よく解釈されていることへの仄かな罪悪感を誤魔化すようにマッサージの所感を口にする。担当トレーナーでも無いので出過ぎた口かと言ってから思ったが。

 

「本当かいっ? しっかりメンテはしてるつもりなんだけど……せっかく聞いたんだ、帰ったらいつもより時間かけて見てみるよ。メンテ不足で転んだり、そうでなくたって斜行で降着なんてしたくないからねぇ」

 

 ヒシアマゾンは小言にも似た忠言に神妙に頷いてみせた。

 

「今度のレースに向けて、気合入ってるみたいだな」

 感じたままを伝えれば、表情を引き締めて彼女は瞑目する。

 

「G1だよ。エリザベス女王杯、連覇がかかってるんだ。去年は勝てたけど……同じレース、同じ相手と連戦したって勝てるかどうかは分からない。1年も経ってれば尚更さ、そうだろ? もちろん負ける気はないけどねっ! おハナさんはアタシたちのために他所のトレーナーにまで頭下げてくれてんだから。恩、返してやりたいよ」

 

 お互いに納得して取引って形にはしたものの、リギルのウマ娘からはそう見えても不思議じゃないか。東条さんが俺みたいな新人に頭を下げて、チームのウマ娘が万全の状態でレースに挑めるよう手を尽くしている。

 

 俺はターボのダンス指導をどうするか切実な問題だったが、今までトップチームとして君臨してきたリギルはわざわざ新しい取り組みをせずとも結果を出せたはずだ。でも東条さんは現状を良しとせず、担当ウマ娘により良い環境でレースに挑戦させるべく邁進している。己の立場に驕らず、常にヒシアマゾンたちウマ娘のことを想い行動している。そして、ヒシアマゾンたちもそれを理解して東条さんの努力に報いようとしているのだ。

 

「負けられない理由、か」

 

「そうさ、最初はもっと単純だったんだけどねぇ。強い連中と。アタシを強くしてくれる連中と競い合ってさ? タイマンに勝って負けて、嬉しくて悔しくて、それだけで満足だったんだ」

 

 ヒシアマゾンの口調は穏やかだ。しかしどこか、その言葉は重い。ネガティブな意味じゃなく、言葉にどうしようもなく宿った感情が心に確かな跡を残す。

 

「でも……自分自身に負けちまいそうになった時、支えてくれたのはおハナさんさ。それまでと同じように一緒に走ってくれた。立ち上がる力をくれた。けどその時分かったんだ、どれだけおハナさんが有り難い存在なのかってことがね。当たり前に隣にいたおハナさんが、アタシってウマ娘を何度だって最高峰のレースに送り出してくれてたんだって気づいたのさ」

 

 うつ伏せになりながら顔の前でぐっと拳を握り、彼女は続ける。

 

「負けられない理由……そうかもね。後ろ向きに聞こえるけどそんなことは無い。勝ちたいってのは自分のため。それだけなら、負けた時自分が悔しいだけだ。でも負けられないってのは……もっと切実だよ。負けたらおハナさんに顔向け出来やしない。自分が悔しいってだけじゃ済まないんだ」

 

 聞く人によっては言葉遊びのようなものだろう。しかし俺もヒシアマゾンに共感出来る。勝負に対するモチベーションは当人にとって絶対の基準がある。

 

 自分のために勝ちたい。誰かのために勝ちたい。

 俺も彼女も、より実力を発揮できるのは前者の欲求だ。勝ったら嬉しい、気持ちいいから勝ちたい。

 

 そして……自分のために負けたくない。誰かのために負けたくない。

 

 最後に限界が訪れ、勝ちたいという想いが風にかき消されそうな時。歯を食いしばってライバルとゴールを競う時、きっと風前の灯にくべられる薪は後者の情動。自分が負けるだけなら良い、だが自分を送り出してくれた人のために諦めるわけにはいかない。

 

 ずっと1人で走り続けてきた俺には、誰かのために負けたくないという想いを心から理解することは出来ない。だがターボのトレーナーとして走り出したからか察することくらいは出来る。俺とターボが培った数ヶ月。それ以上にヒシアマゾンと東条さんには積み重ねた時間が、通わせた想いがあるのだ。

 

 去年、今年と続けてエリザベス女王杯に出走するヒシアマゾンはシニア級だ。レースは11月……トゥインクル・シリーズを走り出して3年目、そのラストスパートに入っていると言えるだろう。気合が入らない訳もない。

 

「……東条さんが羨ましいな、ヒシアマゾンがそこまでの想いでレースに挑んでくれるんだから。トレーナーとしてこんなに嬉しいことは無いだろう」

 

「なっ、なんだよ急に。アンタにだってターボが居るだろ? あの子だっていつも一生懸命走ってるさ」

 

「そんなこと誰よりも分かってる。でも俺もターボもまだまだこれからだ。ヒシアマゾンと東条さんが積み重ねてきた時間には届かないだろう」

 

「トレーナーがそんなんでどうするのさっ? いいかい、アンタはアタシが認めてやったターボのトレーナーなんだ。ちゃあんと行けるとこまでターボのこと連れてってくんなきゃ、後で痛い目見ることになるよ?」

 

「当たり前だ、今はまだまだってだけの話だ。2年後、ターボの戦績を楽しみにしているといい。きっと最速のウマ娘に相応しい記録を見せてくれるだろうからな」

 

「へぇ……最速とは大きく出たね。分かってるのかい? たった1人に与えられる称号だよ、最も速いなんてのは。このヒシアマ姐さんだってそうなろうと努力してきたけど、甘くなかったんだ。生半可な覚悟じゃ背中に触ることも出来やしないよ」

 

「あぁ、安心してくれ。()()()()()()()()()()。そこにたどり着く道のりも知ってる。全く同じ道を辿れば良いってわけじゃないが……立ち塞がった壁はターボが一緒にぶち破ってくれるさ」

 

「…………ふっ。はっはっはっは! はっ、ふふっ……! 面白いねぇ最上トレーナー! 最速に触れたことがあるって? 道のりを知ってる? とんだほら話だけど……なんでだろうね、疑う気になれないのは。本気で言ってるんだとしたらそんなに楽しみなことはないね……ターボのこと、頼んだよ。バカだけど可愛い妹分なんだ」

 

「――――ああ。2年後、みんなターボのことを知ってるのが当たり前になる。最速の天才ウマ娘ってな」

 

 マッサージを続けながらのとりとめのない会話。施術の中で脇に触れると、敏感な部分だったのか驚いたヒシアマゾンに蹴られかけたりしたが、特に問題なく終えることが出来た。

 

 風呂に入って着替えると、また頼む、ターボのことですぐ連絡を寄越すからと言って彼女は立ち去る。

 

『アンタの他にもターボのこと応援したり心配してるアタシみたいなのも居るってこと、ちゃんと覚えといておくれよ?』

『ターボのこと、頼んだよ。バカだけど可愛い妹分なんだ』

 

 色々と話した。レースに懸ける想いも心に残っている。でも……結局のところ、ただそれだけを直接伝えに来たんだろう。ターボのことを導いてやってくれと、それだけのために。

 

「……任せてくれ」

 

 誰も居なくなった室内で、日課になった研究に着手する。言われるまでもない、もう俺は自他共に認めるツインターボのトレーナーなのだ。最速に導くべく、ずっと俺も走り続けよう。ターボが走り続ける限り。

 



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継がれる想い

 11月後半を迎えたある日、俺とターボは普段どおり……いや、普段以上に気合を入れてトレーニングに臨んでいた。天気はあいにくの雨だが、レース当日空が泣き出すことも多々ある以上、それを理由に走り込みをやめることはない。

 

 タイムを計測しているコースはいつものガレージではなく、比較的学園の中心部に近い別のトレーニング場だ。我が物顔で陣取っているガレージはそもそも俺が管理手入れしており、かつ他に利用者が居ないために確保出来ているだけであって。学園内のあらゆるコースはどのトレーナーやウマ娘、そしてチームに対しても門戸を開いている。

 

 10月のアルテミスステークス以来、俺はターボをレースに出走させていない。全ては来月に控える阪神ジュベナイルフィリーズ……初のG1レースに全力を注ぐためだ。この頃走り込んでいるコースも阪神レース場の外回り、芝1600Mを意識して性質が寄ったものを選んでいる。

 

 第3、第4コーナーが比較的ゆるやかな弧を描いており、そしてゴール前には急坂が待ち構えているこのコースは阪神レース場に臨むためのトレーニングにうってつけだ。脚質上"上がり最速"なんてものは手が届かないだろうターボであっても、同じコースを何度も走り込めば効率の良い走り方に寄せられる。毎回計測している上がり3ハロンのタイムは、着実にターボがG1勝利へ近づいていることを教えてくれていた。

 

「よしっ! 良い走りだったぞターボ! ゴール前よく踏ん張った!!」

 

 目前で本日何度目かの計測を終えたターボを労うと、十数秒息を整えたターボはすぐにこちらへ駆け寄ってきて尻尾をブンブン振りながら満面の笑みを見せる。……まるで犬みたいだと思ってしまったことは胸に秘めておこう。

 

「どうだったトレーナーっ? ターボ速かった!?」

 

「ああ、坂で足を取られそうになった時もしっかり持ち直していたしな。本番でバ場状態が悪くても勝負できる証拠だ。よく頑張った」

 

 雨に湿った髪をわしゃわしゃ撫でると、押し返すように前のめりにターボは続ける。

 

「じゃあじゃあっ、ターボもヒシアマみたいにG1! 勝てるよね!!」

「もちろんだ。ヒシアマゾンにもターボのカッコいいところ、見せてやろうな」

「うんっ!!」

 

 そう、ターボのルームメイトであるヒシアマゾンは、先日のエリザベス女王杯で見事に連覇を成してみせたのだ。当人の誘いもあり、ターボが直近のレースに参加しないこともあって二人で観戦に向かった京都レース場。

 

 スタート直後は中団後方に構えて機を窺っていたヒシアマゾンは、レースが中盤を迎えると先行集団に張り付き好位をキープ。第4コーナーを過ぎれば早々に二番手争いを脱して先頭のウマ娘と激しい競り合い……タイマンを繰り広げた。

 

 レース開幕からその時まで逃げ続けていた先頭のウマ娘――シーズグレイスも強い粘りを見せるが、ヒシアマゾンが少しずつリードを広げた。しかしそれを許すまいと、ヒシアマゾン同様に仕掛けどころを探っていたダンスパートナーが一着争いに参戦。三つ巴の戦いになるかと息を呑んだところでフェアダンスが激しい追い込みで突っ込んでくる。

 

 トレーナー資格を取得するにあたり、もちろんG1のレースは何度も直に観戦してきた。しかし、当時はそこまで彼女たちの走りに興味はなかった。資格のために必要なその場しのぎの知識を得られれば良いと、出走ウマ娘の脚質とレース運び、その末の結果をデータとして残す程度の意欲でレースを見ていたのだ。

 

 でもその時……ヒシアマゾンが走ったエリザベス女王杯で、初めてG1レースの重みを知った。――誰も諦めたりはしなかった。団子状態で一着を争ったヒシアマゾン、シーズグレイス、ダンスパートナー、フェアダンス……それだけじゃない。最後の最後まで前をかわして先頭に躍り出ようと。歯を食いしばって勝利に手を伸ばす歴戦のウマ娘たちが、ヒシアマゾンを、先頭集団をずっと捉え続けていた。

 

 あの中に今のターボを放り込んだらどうなるだろうか? なんて戯れに想像してみれば、その答えは一瞬にして思い浮かぶ――()()()()()()

 

 誰にも恥じない努力をした。レースで勝って笑い、負けて悔しい思いもした。強いライバルが出現し、辛くも勝利することができ。相手のウマ娘とまた走ろうと称え合うことすら出来た。()()()()()()

 

 どれだけ努力しただろう。血反吐を吐いただろう。折れんばかりに歯を食いしばり、悔し涙を流しただろう。ターボと出会い、トレーナーとして歩み始めたからこそ感じ取れた、勝利を渇望する濃密な意思。16人がたった一つの栄冠を戴こうと、己の培ったすべてを懸けてコースを駆ける姿。

 

『ちゃあんと行けるとこまでターボのこと連れてってくんなきゃ、後で痛い目見ることになるよ?』

 

 覚悟が足りなかったと言わざるを得ない。ヒシアマゾンは勝ってみせた。エリザベス女王杯、G1のレースを連覇してみせたのだ。彼女は俺なんかよりも遥かに難しさを知っていただろう。

 

『一度触れたことが有る。そこにたどり着く道のりも知ってる』

『とんだほら話だけど……なんでだろうね、疑う気になれないのは。本気で言ってるんだとしたらそんなに楽しみなことはないね……ターボのこと、頼んだよ』

 

 安請け合いしたものだ、と今では思う。その時の俺は考えが至らなかったのだ、ターボと栄冠を争うまだ見ぬ彼女たちが胸に秘めているだろう覚悟に。渇望に。もちろん、それが勝負を降りる理由になんぞなりはしない。俺にもターボのトレーナーとしての矜持がある。

 

 それに……もし尻込みしたなどと言ってしまえば、どこぞの姉貴分にそれこそ食い殺されるだろう。レースが終わった日の夜、ターボは寮でヒシアマゾンの連覇を祝ったという話だが、こんなことを言われたそうだ。

 

『ターボ、次はアンタの番だ。ヒシアマ姐さんに続いてG1、しっかり走り抜けてきなっ!』

 

 勝ってこい、ではなく。走り抜けてこい。G1の価値を知っている彼女だからこその激励であり、そして1年以上ターボと同室であったが故の侮りとも言えるだろう。

 

 ターボは中央トレセン学園の中等部二年であり、入学してからすぐにヒシアマゾンと同じ部屋で生活している。ヒシアマゾンにはデビュー前の、独りで逃げに拘り藻掻いていた時のターボへの印象が今でも拭えていないのだ。

 

 でも――大丈夫だ。ヒシアマゾンは俺にもターボにも火を付けた。俺にG1レースで己を取り巻くライバルたちとの争いを見せつけ、ターボにはその勝利でもってバトンを渡してくれた。

 

 本人からは聞いていないが、ヒシアマゾンはおそらく年末の有マ記念に出走することだろう。去年のデータを確認したところ惜しくも2着となっており、今度こそはとトレーニングに励んでいるはずだ。つまるところ……本当なら、ターボにかかずらう余裕などそこまで無いはずなのだ。けれど彼女はターボを応援してくれている。可愛い妹分にも勝利を掴んでほしいと願っているのだ。

 

「大逃げがいっちばん気持ちいいけど、ヒシアマみたいにいきなり、後ろのほうからドカーン! って前にでてくるのも気持ちよさそうだった!」

 

「そうだなぁ……あんなの見せられたら、ターボも一番にゴールしないとって張り切っちゃうよな?」

 

「うんっ! ヒシアマがゴールしたとき、ターボ走りたくてウズウズしたもんっ!!」

 

「あぁ、きっとヒシアマゾンは俺たちに一番でゴールするところを見せて、『お前たちも頑張れ』って応援してくれたんだ。……だからターボ、次は俺たちの番だぞ。俺たちが挑む阪神ジュベナイルフィリーズ、その後にはヒシアマゾンの有マ記念が控えてる。今度はターボが勝って、ヒシアマゾンを応援してやろう」

 

「……~~~~っ! うん! ターボ、トレーナーのためにもヒシアマのためにも、G1で一番にゴールするっ!!」

 

 ヒシアマゾンの想いがしっかりと伝わったのか、ターボは興奮に頬を染めて意気込んだ。ぴょんと跳ねてバンザイする様子に気負いはなく、早く当日になれ、ならないなら衝動はトレーニングにぶつけようと。これ以上無いほどにモチベーション、コンディションは良好だ。

 

 ばしゃっ、と。足元がお留守になって水たまりに両足をぶち込むくらいには絶好調だ。芝の下層、土を含んで濁った水が勢いよく飛び散ると、もちろん周囲に居る人間はそれをひっかぶることになる。

 

 一拍遅れて「やっべ」という顔をしたターボは、恐る恐ると言った様子で俺の顔を覗き見た。……まぁ走り込みはこれで最後だったし、最初から雨天でのトレーニングってことで、汚れることを前提とした服装だから問題は無いが。次からは気をつけるんだぞ、なんて小言で終わらせるのも癪なので――。

 

「ふんっ!」

「だわぁっ!?」

 

 やり返すことにした。脚力で勝るのはウマ娘であるターボだが、足のサイズは俺のほうが一回り大きい。飛び散る濁った水滴は俺が被った以上の被害をターボのロングタイツに及ぼす。

 

 ……しかし、こうして雨の中、水たまりに足を突っ込むのは存外に楽しい。()()()()かは定かじゃないが、幼い頃はこうして汚れなんぞ気にせずに水たまりを駆けて(はしゃ)いだものだった。

 

「はは、俺の一歩のほうが大きかったな。じゃあ、そろそろ帰るか」

 

 暗に怒ってないことを伝えてガレージに帰ろうと促せば、じわじわと表情に喜色を浮かべたターボはバシャバシャと水を跳ねさせて俺の横を歩く。負けじと水溜まりに踏み込めば「おっと」と剽軽(ひょうきん)な仕草で避けてみせた。

 

「ひびけファーンファーレ~♪ とどけゴールまっで~♪ かがやく未来を~きみと見たいから~♪」

 

 怒られなかったことに安心したか、あるいは一緒に雨の帰路を楽しんだからか、ニコニコと歌を口ずさむくらいにはご機嫌な様子だ。――どんな時だって、ターボと一緒なら楽しみながら目標(ゴール)に向かえるだろうなと、漠然とそんなことを考えた。

 

 ふと視線を感じてターボに目を向ければ、ワクワクした様子で――何かを期待しているようなオッドアイと目が合って。その意図を察して俺は頬を緩めた。気持ちが通じたことを感じてか、ターボも更に笑みを深める。

 

「かけ出したら~♪ きっと、始まるストーリー♪」

「夜空も「それ2番め!!」……すまん」

 

 どうやら間抜けを晒したらしい。珍しくターボに教えを請いながら、俺達は雨の中、ガレージに向けて歩いた。

 




参考資料:1996年 エリザベス女王杯(GⅠ) | ダンスパートナー | JRA公式
https://www.youtube.com/watch?v=3Q8Pns6nANY


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これがターボの一張羅

 

 ターボが初めて挑むことになるG1マイルレース、阪神ジュベナイルフィリーズを一週間後に控えた12月上旬。いつものようにトレーニングに励もうと学園の校舎からやってきたターボに待ったをかけ、ガレージの会議室に招いてから重要な用件を伝えた。

 

「ターボ、テストの結果が返ってきたぞ」

「げぇっ」

 

 げぇってお前……ターボが学園でしっかり勉強しているのか不安になってきた。基本的にトレーナーは担当ウマ娘の成績不振に対して、勉強を教えたりといった干渉はしない。トレセン学園という一つの組織とはいえ教員には教員の、トレーナーにはトレーナーの領分というものがあるからだ。まぁ、この世界じゃウマ娘のレースは他の何にも優先される。極端な話、レースで結果を出していれば、成績がどんなに悪かろうと関係ないのでそこまで目くじら立てることでも無いんだが。今のところは。

 

 それはさておき、テストというのは比喩表現だ。どちらかといえばアンケートのようなもので、その結果が返ってきた。成果物に点数がつくのはこれから。そしてそれは俺がつけるものでもテストを実施した某組織でもない。ターボ本人が採点するのだ。

 

「さ、これだ。確認してくれ」

 

 すでに梱包を解いた状態で待っていたので、ターボにその正体を勘付かれることなく全容を見てもらうことが出来た。コーディネートハンガーに下げられて上下セットのそれを見て、ターボはポカンと口を開いたまま硬直。しかし目前にあるのが何なのかに思い至った瞬間、花開くようにぱぁっと笑みを浮かべ、ほっぺたを興奮に赤らめた。

 

「こっ! これ! ターボの!? これターボのだっ!?」

「あぁそうだ。ツインターボの──勝負服だ!!」

「わぁああああああ!!!!」

 

 頭上に掲げた勝負服に声を上げるやいなや、こちらが言うまでもなくバタバタと風呂の脱衣所に向かっていった。慣れない衣装にしばらく時間がかかったものの、数分後には誇らしげな態度でターボが現れる。

 

「ふふーん。どうっ? どうトレーナー!? ターボカッコいい!!??」

「ああ、似合ってるぞ」

 

 その言葉に嘘はない。ピンクとグリーンの非対称な蛍光カラーが袖を覆い、所々に差された黒がターボの躍動感を表現している。耳飾りや胸元から広がる星、レギンスにかけてもあしらわれた黒が番狂わせのダークホースを体現しているかのようで、心底ターボに似合っていると感じられる。

 

 そう、ターボにテストと偽って受けさせたアンケート内容というのは勝負服の発注にあたっての要望書のようなものだったのだ。ウマ娘の特徴・特性を把握するために年月をかけて最適化されたそのアンケートに偽りなく答えれば、そのウマ娘にとって最高の勝負服を贈ることが可能だ、とはあらゆるスターウマ娘の衣装を手掛けた仕立て屋の謳い文句である。

 

「どうだ、着てて違和感とかあるか?」

「ううん、最高! なんか力がわいてくる感じがする!!」

 

「そうか。百点満点か?」

「ひゃくおくまんてーん!!」

 

 冷静に陸上競技者の視点から見ればダボついてていかにも走りづらそうな服装なんだが、ここは人間とウマ娘とで大きな相違点になるだろう。ウマ娘個々人に合わせて作られたこの勝負服は、傍から見ていてどんなに走りづらそうでも結果を見ればタイムは縮まっているのだ。そういうものだと認識するしか無い。

 

 しかし……ウサギのぬいぐるみってのはどうなんだ? 努めて意識から外していたターボの胸元に視線をやると、青と白で縫い合わされたパッチワーク丸出しのウサギと目が合った。絶対邪魔だと思うんだが……これはあれか、俺のせいなんだろうか。実は件のアンケート、"トレーナーから見て担当ウマ娘を5文字で表すと?"というような設問があり。たった一つトレーナーに求められたその問いに俺は"脱兎の如し"と答えたのである。その結果がこのぬいぐるみならターボの回答には関与しないので、取っ払ってしまっても問題無い気がするんだが。

 

「そのぬいぐるみはどうする? 邪魔だったら外した状態で申請すればその勝負服で通ると思うが」

「んー? ……いーや、つれてく! えへへ、トレーナーだとおもって一緒にゴールするからねっ!!」

 

「っ……、そ、そうか。今日は勝負服でトレーニングして、よりレース当日とのギャップを無くしていくからな。邪魔になったらいつでも言うんだぞ?」

「わかったー!」

 

 しかしこの日のタイム計測、ターボは走りづらそうにするどころか目に見えて好調であり、勝負服を纏った喜びだけでは説明がつかないほどやる気に溢れていた。ゴール後にはぬいぐるみを抱きしめながら「どうだ!」と言わんばかりに勝ち気な笑顔。取り上げるなんて許さないと言うような態度に、苦笑しつつも認めるしかなかった。この勝負服はその全てを以てツインターボというウマ娘に最適なものであると。仕立て屋さんには脱帽だ。

 

「よし、じゃあこれで決まりだ。その勝負服で、初めてのG1。一番にゴールしてこい!」

「うんっ! よぉーし、ターボやるぞぉー!!」

 

 おー! と二人して同時に拳を掲げ、来週に迫った阪神ジュベナイルフィリーズへ闘志を燃やす。ここからが本当の勝負。ターボが最速を冠するための、その第一歩だ……!

 



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阪神ジュベナイルフィリーズ

 ついに迎えた12月上旬の某日(Xデー)、場所は阪神レース場。何をしに来たのかなんて言うまでもないだろう。ターボを控え室に送り届けた俺は、観客席の最前列で開始の時を待っていた。

 

 学園からバスで発った時、ターボはいつもどおり元気よく、これから挑む格式高いレースにも怯んでいる様子はなかった。しかし……今まさに行われているパドックでのお披露目では、ターボに普段の笑みはない。緊張しているんだろう、当たり前といえば当たり前だ。

 

「──ふぅーっ……」

 

 そしてそれは、実際に走るわけでもない俺でさえ例外じゃない。阪神レース場、収容人数8万人。10月に挑んだサウジアラビアロイヤルカップ、アルテミスステークスはどちらも東京レース場で行われたが、収容人数20万人以上を誇るその場所は満員には程遠い来客数だった。しかし今、ターボを含む18人の少女たちには8万、いやそれ以上の注目が集まっているのだ。中高生の少女に緊張するなという方がバカげた話である。

 

 メイクデビューの時からレース場に訪れる人の多さは毎度のごとく体感してきたが、それでも今日この時。今までのレースとは文字通り格が違うのだとまざまざと見せつけられている。

 

「……勝てる」

 

 じっとりと手のひらに浮かぶ汗を余所行きのスーツの袖で拭い、思わず震える声で一つ呟いた。ターボは緊張している、間違いない。だがそれは他のウマ娘たちも同様、あるいはターボ以上にコンディションが悪い。ヒシアマゾンの応援にと観戦したエリザベス女王杯、そこで俺たちは確かにG1というレースの空気に僅かながら触れることが出来た。

 

 しかしターボと競う17人のウマ娘たちのほとんどから、シニア級のヒシアマゾンを含め、あのエリザベス女王杯で走った優駿のような気迫は感じられない。それも仕方ないだろう、この阪神ジュベナイルフィリーズは他のG1レースに比べると出走条件がかなり緩い。

 

 もちろん申込みが多ければ、出走したレースやその勝利数を鑑みて参加が叶わないウマ娘も出てくるだろうが、今日走る娘の中には"ダメ元で申し込んだ結果出走できてしまった"という場合も有るだろう。おそらく顔面蒼白で落ち着かない何人かのウマ娘はそのパターンだ。

 

「大丈夫だ、勝てる」

 

 ウオッカ。アルテミスステークスではターボに次いで2着でゴールし、前月のコースレコードに肉薄したウマ娘。ターボがこのレースを走り抜く上で最も手強いライバルになると予想された彼女でさえ、万来の観客に、この日のためにと仕上げてきたライバルの存在に気圧されているのがひと目で分かる。会場の雰囲気に呑まれているのは間違いない。

 

「一番仕上がってるのは間違いなくターボだ。勝てるぞ……」

 

 ほとんどのウマ娘は緊張に顔を強張らせている。けれど……"ダメ元で申し込んだ結果出走できてしまった"、これがプラスに働いているウマ娘も何人か見受けられる。G1レースというのはある種の夢だ。地方から中央トレセン学園に繰り出し、一つでも獲って故郷に凱旋すればヒーローと言っても過言ではない。

 

 挑戦が許されるウマ娘はほんの一握り。ゆえにたった一つ、もう二度と参戦すら叶わないかもしれない大舞台で勝利を手にしたい。この先トゥインクル・シリーズを駆け抜けることが叶わなくても、送り出してくれた家族のもとに胸を張って帰りたい。栄光を、届けたい。このレースに己の人生すら賭ける。そんな気迫でレースに臨むウマ娘は、少なくとも確かに目前に存在するのだ。

 

 だが大丈夫だ。レースに対する覚悟は大切だ、しかしそれだけで勝利できるならトレーナーの存在なんて不要だ。独りじゃどう頑張っても届かないレースがある。ウマ娘とトレーナー。歩幅の全く違うそれぞれが互いを信頼し、二人三脚で進むからこそ届き得る栄光がG1だ。俺とターボには届く。その確信が、積み重ねた時間がある。

 

「勝てるんだ。だから……笑ってくれ、ターボ」

 

 祈るように、口を真一文字に引き結んだターボへ視線を向ける。阪神レース場の芝1600Mは向こう正面半ばからスタートとなる。俺が立っている観客席、ホームストレッチ側から発走地点に向かおうとしているターボもまた、G1という舞台に普段の快活さは鳴りを潜めていた。

 

 ──こっちを見ろ、ターボ。いつもみたいに笑って……楽しんで、そして勝って来い……!

 

 レースが始まる時、ターボはいつだって俺を見た。勝ち気に笑って、任せろと。勝つところを見ていろと言わんばかりに胸を張っていた。負けたレースだってそうだ、レースの中で焦ったり、恐怖に負けてしまうことはあれど。始まる前はいつだって笑ってレースに臨んでいた。

 

 しかし目前のターボは、あれだけ手にした時(はしゃ)いでいた勝負服に身を包んでいても悄然(しょうぜん)としている。俺の存在に気づくこともなく、目の前を気難しい表情で通り過ぎようとしている。

 

 ……思えば、そうだ。楽しそうにレースに挑む時、いつだってターボは俺を見た。ギザギザの歯を見せつけて、嬉しそうに笑っていた。──俺の信頼に、無意識に応えてくれていたのだ。俺を信じている、だから怖くはないと。

 

 ギリ、と。悔しさに歯が軋んだ。そうだ、今までだって緊張でガチガチになってもおかしくない場面は何度もあった。敗北を喫したフェニックス賞や新潟ジュニアステークスでは焦りや恐れから実力を発揮することが叶わなかった。あの時は仕方がなかった。誰あろうトレーナー()が、負けるかもしれないという考えを常に持っていたんだ。むしろそれが良い経験になるし、いずれトウカイテイオーとG1で肩を並べるための研究に役立てることも出来るだろうと。

 

 けれど──勝利するために力を尽くした時。その確信でレースに挑む時、俺はターボをレースに送り出すことが出来ていただろうか? 俺は……一度でも、自分からターボに声をかけてやっただろうか。

 

「──っ、ターボォ!!」

 

 今まさに俺の前を通り過ぎようとしたターボが、ビクリと肩を揺らす。周囲でレースの開始を楽しみに待っていた観客も同様に。そしてざわめきが止み、申し訳なくも有り難いことに、少しばかりの静寂が訪れた。

 

「と、トレーナー……?」

「――ターボ」

 

 意識して真剣な表情を作る。俺の顔を見てターボがゴクリとつばを飲んだのが見てわかった。あぁ……伝わっている。俺の気持ちが、ターボに伝播(でんぱ)している。それが嬉しくもあり……だからこそ、情けなくもある。故にニッカリと、俺の記憶の中で一番輝いている笑顔を模倣した。誰よりも気持ちのいい笑みで俺の心を震わせてくれた――ツインターボというウマ娘の笑顔を。俺は浮かべてみせた。

 

「勝って来い! ツインターボ!!」

 

 うまく笑えただろうか。俺の気持ちは、信頼は伝わっただろうか。……その答え合わせはすぐに。胸元に下げたウサギのぬいぐるみをギュッと抱き寄せて、そのウマ娘はうつむき加減で居た顔を上げて返してくれた。

 

「──見ててね、トレーナー。ターボがいちばんにゴールするところっ!!」

 

 思わず涙しそうになり、ぐっとそれをこらえた。まだ早すぎる。スタートラインにすら立っていないのにトレーナーの俺がそんなんでどうする? 見届けなければ。一瞬たりとも見逃しはしない。瞬きなんて許されない。

 

 ツインターボ初挑戦となるG1レース、阪神ジュベナイルフィリーズが。やっとこれから始まるんだ……!

 

『寒空の阪神に熱き心の若駒(わかごま)が揃う! 来年のティアラ路線に向けて新たな女王の誕生が期待されます、クラシックへの道──阪神ジュベナイルフィリーズ! 芝1600M、バ場状態は良と発表されております!』

 

 ファンファーレが鳴り、ジュニア級の数少ないG1ということもあってか気合が入ったアナウンスが響く阪神レース場。ターボが打倒トウカイテイオーを目標にトゥインクル・シリーズを駆け抜ける、本当のスタートラインとでも言うべき重賞レースが幕を開けた。

 

『注目の一番人気、1枠1番ツインターボ。パドックでは緊張した面持ちでしたがどうでしょう、今日も逃げ切ると言わんばかりに不敵に笑っています』

 

『すでに重賞レースを二度勝利している逃げウマ娘です、一番人気は実力の通りでしょう。しかし噴射口の向きによってはまさかの展開もありえます、色んな意味で注目のウマ娘ですねぇ』

 

『歓声に応えて駆け抜けることが出来るでしょうか、あるいは逆噴射を見せてしまうでしょうか、その走りに期待が高まります。続きまして──』

 

 実況、解説の両人が同じ方なのかは定かじゃないが、いつかのレースで揶揄された逆噴射というワードを取り上げられて思わず苦笑が漏れた。ここまでイジられるのであればただのからかいじゃなく、ツインターボという逃げウマ娘が愛されているということに他ならないだろう。甘んじて受け入れ、そしてその期待を良い意味で裏切ってみせるしかない。

 

 続くウマ娘の紹介でどんどんボルテージが上がっていき、ゲートインが済むと観客の熱狂とは反比例してレース場は静まり返る。まさに嵐の前の静けさというやつだ。──慣れ親しんだ、と言える()だ。()()──。

 

『──スタートしました』

 

 瞬間、会場が歓声に揺れた。それぞれがそれぞれに夢を託したウマ娘たちが走り出す。ゲートが開く瞬間を肉眼で捉えることは距離的に出来なかった。しかしターフビジョンが真っ先に映し出すウマ娘、先頭を突っ切るのはもちろん──ツインターボ!!

 

 スタートダッシュは成功している。トレーニング時の計測と相違なく、第3コーナーに向けて後続を置き去りに最高速を叩きつける。

 

「いいぞ……!」

 

 思わず笑みが溢れる。ターボの他に逃げが居ない……! ターボと開幕から競り合うことを嫌ったか、あるいは他のウマ娘と潰し合うことを前提としてレースに臨んだのか。どちらにせよレースを走る彼女たちは、ターボが失速することを前提として走っているのだ。予想外の僥倖(ぎょうこう)、ターボにとって最も走りやすい――気持ちよく大逃げできる状況が形作られている……!

 

『ハナを奪ったのはツインターボ。続くのは3バ身開いてジュエルルビー、それに並ぶようにモイストアイズ。更に1バ身下がってウオッカ、少し後ろをブラボーツヴァイ、リボンヴィルレーも続きます。内にナイスネイチャ、争うようにシャレミーリズムはここ──』

 

 ターボを大逃げと別にカテゴライズしてしまうと、2番手を争っているジュエルルビー及びモイストアイズが逃げと捉える事ができる。すると続く、中団を率いているウオッカが先行のように見えるが──、やはり、このレースでターボを捉える可能性があるのは彼女だと再認識した。

 

 ウオッカが出走したレースとその走りから、彼女の脚質は差しであると判断できる。現状、彼女は一見して先行集団に位置しているように見えて、唯一ターボを先頭とした伸びたバ群において好機に差せるよう仕掛けどころを探っているのだ。

 

 しかし他のウマ娘は、ジュエルルビーとモイストアイズを先頭としていつも通りに走ってしまっている。ターボの失速という運任せにも似た状況を前提にしてしまったために。

 

『第3コーナーを抜け、ゆったりしたと弧を描きながら走ります、先頭はいまだツインターボ。モイストアイズ、ジュエルルビー並んで続きますがすぐ後ろにウオッカ、シャレミーリズム外から上がります。リボンヴィレ―、ブラボーツヴァイ、ナイスネイチャ横に並びます──』

 

 実況が中団の混戦から最後尾までを慌ただしくアナウンスする中、その間にもターボは全速力でコーナーを駆ける。()()が第3、第4コーナー中ほどを通過したときにはすでにコーナーを抜けてゴールを視界に捉え、最後の直線500M弱を全力で駆けていく。

 

 しかし。いややはり、というべきか。ここで仕掛けてきた……!

 

『さぁツインターボが4コーナーから直線に入った! しかしここで、ここでウオッカ、大外からウオッカがジュエルルビーを捉えます! 2番手に躍り出たウオッカが差を詰めていきます! 粘りますツインターボ、追いすがるウオッカ!』

 

 G1の、会場の雰囲気に呑まれていた。他のウマ娘の気迫に圧されていた。だが彼女にも培った努力があり、それは疑いようもなく走りに(あらわ)れる。アルテミスステークスでターボを(おびや)かしたウマ娘が、今回もその背中に食らいつく。残り200Mを切り、間違いなくその距離は短くなっていく……!

 

『ウオッカが来た! 4バ身3バ身、ツインターボも衰えない! 脚が伸びるウオッカ! 落ちないツインターボ!』

 

「行け……!」

 

 ゴールは目前だ、G1だ、ターボの一番だ……! 柵を両手で握りしめ前のめりに、真っ直ぐに駆けるターボを見て歯を食いしばる。勝てる……! あの日の模擬レース、全てのウマ娘にお前は負けた。でも今日まで走り続けて来たんだ。折れることなく、腐ることなく。……勝てる。勝てる! 絶対に勝てる……!!

 

『1バ身! ツインターボ! ウオッカ!! 並んだ!! ツインターボウオッカ!! わずかにツインターボっ、いやウオッカ!』

 

「「ツインターボだぁああああ!!!!」」

 

 届くわけがないと思いながら、それでもと滾る心のままに叫んだ。そして今──。

 

『並んでっ、いやツインターボッ!! わずかにツインターボがッ!! ツインターボが駆け抜けました!! 最後までターボエンジン全開ッ! ジュニア級にしてG1レース1勝を成し遂げました!!』

 

 ――――勝った?

 

 ツインターボが。俺と一緒に走ってきたウマ娘が、G1で……ジュニア級とはいえ最高峰のレースで勝った……。

 

「…………ぁぁ……」

 

 思わず、柵を握りしめたままに顔を俯ける。平静を取り繕う自信がなかった。現にぽつぽつと、雫が足元に吸い込まれるのが分かる。……勝ちを、信じていた。それに見合う努力をしてきた。文句の一つも言わず、ターボは一緒に走ってくれた。この勝利は当然と言えるはずだった。

 

 なのに……どうしてこんなに心が熱くなる? こうなるようにと頑張って、こうなるだろうと確信に至ってこの地に立ったのに。どうして俺はこんなにも涙するんだろう。

 

「とれーなぁっ!!」

 

 頭を上げる。俺がこんな顔を晒しているっていうのに、どうせお前は笑ってるんだろうな。トレーナーを信じてたから、なんて簡単に言うに決まってるんだ。あぁそのとおりだ、俺を信じろ。そしていつでも、いつまでも笑顔で走り続けてくれ。

 

 そんなふうに、ぐちゃぐちゃな頭で考えていたのに──。

 

「ぐすっ……とれーなー。ターボ、かったよ。G1、勝ったよ……!」

 

 うさぎをギュッと抱きしめて。あぁ、笑ってるといえば笑ってる。鼻水を垂らして、目元を真っ赤にして。口角はうにうにと震えてるが確かに笑ってるんだろう。……俺も、そんな顔をしてるんだろうなぁ、ターボ……!

 

「ああ……やったな、ターボ。よくやったな、ターボ……! お前は……本当に、最高の……最速のウマ娘だ……!!」

 

 誰に咎められると考えもせず、勢いのままに柵を越えてターフに立つ。衝動のままに膝をついて両腕を広げれば、同時に胸の中に熱を帯びた少女が飛び込んできた。

 

「トレーナー……とれーなぁっ……!」

「何も言わなくていい、なんにも……!!」

 

 お互いに言葉にはならなかった。ただ胸に抱く想いは、その情動はきっと一緒だった。今すぐに抱きしめ合いたい。喜びを分かち合いたい。あぁ……言葉なんか、いらないんだ。ただそれだけで、今は良いんだ……!!

 




参考資料:2006年 阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ) | ウオッカ | JRA公式
https://www.youtube.com/watch?v=VvFKg3bweII


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クリスマス作戦

 12月24日。世間ではクリスマスイブらしい日に俺は、普段どおりターボの育成方針の調整や、同世代のウマ娘をはじめとしてライバルになり得る少女たちのレース研究に精を出していた。今日も日中はレース観戦に行っており、少し寄り道はしたが帰ってからその結果を分析していた。それも一段落つくと、ちょっとした用があって美浦寮に向かっているところだ。

 

 ちなみにターボとは本日別行動である。トレーナーとはいえ成人男性と中学生女子が、クリスマスなんて浮ついた日に行動を共にしていたなんてどんな噂が流れるか分かったもんじゃない。特にターボは現ジュニア級ウマ娘の中じゃダントツに注目されているし、それを決定づけた阪神ジュベナイルフィリーズからは3週間近く経っているとは言え、その件絡みでインタビューも受けさせてもらった後だ。慎重に行動するに限るだろう。

 

 ターボにも学生として普通に友達付き合いとかあるだろうしな……なんて考えていたら携帯の着信音が鳴り響いた。端末を手にとって画面を確認すると、それはある計画の立案者からだった。

 

「はい最上です」

『おう、最上トレーナー。ターボはもう寝たよ、ぐっすりとね。──作戦決行だ!』

「──はぁ。了解した、扉を開けてくれ」

 

 その計画とは……クリスマスらしくヒシアマトナカイと最上サンタによるプレゼント作戦である。慎重に行動するに限るなんて考えとは真逆を行く作戦に我ながら苦笑を禁じ得ないが、ともかく俺はサンタ衣装に身を包んでターボが日々過ごしている美浦寮に足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……最上ですが」

『やあやあ最上トレーナー! いま、ちょっと時間もらえるかい?』

 

 レース観戦の帰り道、ヒシアマゾンからの快活そうな電話でその計画を持ちかけられたことがきっかけだった。

 

 曰く、ターボは未だサンタの存在を信じているらしい。

 

 曰く、「去年はプレゼントが無かったから悪い子だったかも知れないけど、今年はトレーナーの言うことをしっかり聞いてG1まで勝ったんだから、良い子のターボには今度こそとどくはず!」と言われたとか。

 

 曰く、忙しくて自分では準備が間に合わないのでサンタ役を務め、プレゼントを用意してほしい。それを美浦寮のターボの部屋に届けてほしい。

 

 というのがざっくりとした通話の内容だ。ちなみにトレーナーはその性別に関わらず、基本的にウマ娘たちの寮へ立ち入ることを禁止されている。ヒシアマゾンからの言葉は保身を考えれば絶対に受けてはならない類の誘いだった。が、俺はこれを一も二もなく快諾した。すべては打算の上だったが、せっかくのクリスマス。ターボにサプライズしたいという気持ちだけは俺たち二人を問題なく結びつけたのだ。

 

「……ぶっ! くくっ、お、思ったより似合ってるねぇ最上トレーナー……」

「そりゃどうも……」

 

 美浦寮の入り口が開き、中からヒシアマゾンが周囲を窺っているところを確認してから物陰を出ると、開口一番そんなことを言われた。電話をもらってから半日とない時間で準備したっていうのに、ヒシアマゾンは俺のサンタ衣装を見てしばらく笑っていた。

 

「ふー……しっかし、背が高いとなかなか様になるねぇ? 恰幅はちょいと物足りないけどさ」

「中に着込むと動きづらいしな……さ、もういいだろ。早めに終わらせよう」

 

「はいよ、アタシが先導するからついてきてくれ。中に入ったらお喋りはナシだ、2階に上がってからは特にね。1階は共有スペースだから今は無人だけど、2階から上は他の子たちが寝てるんだ。できるだけ物音も立てないでおくれよ?」

 

 了解の意を込めて指でOKサインを作ると、ヒシアマゾンもコクリと頷いて、手でチョイチョイとついてくるよう指示しつつエントランスへ入った。現在時刻は23時を少し回ったところだ。寮の消灯時間は22時で、かつ見回りを担当しているのは寮長であり首謀者のヒシアマゾン当人である。他のウマ娘たちにさえ見つからなければ問題にはならないとのことだ。

 

(階段を上がるよ)

(OK)

 

 ハンドサインと目配せだけで短く意思を伝達し、俺達はそろりそろりと足を進める。ヒシアマゾンとターボの部屋は、寮長という立場もあって共有スペースとウマ娘たちの入っている部屋からアクセスしやすい2階にあるらしいんだが、いかんせん寮そのものが大きい。音を立てず移動することを意識するとそれなりに時間を食ってしまう。

 

(待て)

 

 踊り場を過ぎ、2階に足を踏み入れる直前でヒシアマゾンが手のひらをこちらに向けた。次いで手のひらを下に向けて水平に、そして地面に下ろすジェスチャーを見せる。この場で待機しろということだろう。誰か居るんだろうか? その疑問にはすぐにヒシアマゾンが行動で答えてくれた。

 

「やぁこんばんは。トイレにでも行くところかい?」

「ひぃっ!? ね、姐さん……」

 

「そんなに驚くこと無いじゃないか。それとも、見つかっちゃマズイ事情でもあんのかい?」

 

 どの口が言ってるんだろうかと思うと同時、口調から違和感を悟らせない声音に少し感心してしまった。寮長ともなればこういう強かさも培われるものなんだろうか、はたまた歴戦のウマ娘としての実績がそうさせるのか。

 

「……じ、じつは他の部屋でパーティを終えた帰りで、へへっ。……す、すみません姐さん! 悪気はなかったんっす! ただ楽しくて、いつの間にか消灯時間すぎちゃっててぇ~~!!」

 

「コラ騒ぐんじゃないよ、他の子が起きちゃうじゃないか。はぁ、しょうがないねぇ。この事はヒシアマ姐さんの胸に秘めといてやるから、早く部屋に戻って寝な?」

 

「姐さん……っ。ありがとうございますっ。……あ、そ、それと今日の……」

「良いから。気遣い無用だよ、楽しい気持ちのまんま、今日は部屋で休みな」

 

「──、ハイっす……お、おやすみなさい……!」

 

 するとパタパタと駆ける音が俺の方へ近づき、しかし脇目も振らず上の階に向かったのかこちらの存在を気取られることは無かったようだ。数秒経つのを待ち、階段から2階に頭を出すとヒシアマゾンが再びサインを出す。どことなく頼もしさを感じつつこちらも頷き、俺は彼女の後を追ってじりじりとターボがサンタを待つ寝床へと向かった。

 

(着いたよ)

 

 ヒシアマゾンを姐さんと慕う後輩のウマ娘以降、特にアクシデントもなく目的地へと辿り着いた。ゆっくりとドアを開けて中に入る後ろ姿に続くと、すぅすぅとおとなしい寝息を耳に捉える。寝入っているのは間違いないようだ。

 

(アレ)

 

 ちょいちょいと袖を引っ張るヒシアマゾンに目を向けると、その彼女はターボが眠るベッドのヘッドボード端に下げられたモノを指差していた。その正体は即席で作ったと思しき大きめの紙製靴下。……今日クリスマスだということに気づき、急いで自作した、というような背景が(うっす)らと脳裏を(よぎ)った。確かにこれを知れば是が非でもプレゼントを用意せねばなるまい。普段から雑念を抱かずにトレーニングに励んでいる証拠とも取れる。……贔屓目が過ぎるだろうか? いや、きっとそんなことは無いだろう。

 

 見栄えのために用意した白い袋からラッピングされたプレゼント箱を取り出すと、ターボが下げた靴下の中にそっと投下した。サイズ的にもピッタリだったらしい。中に手紙とかは無かったので、欲しい物があるというよりプレゼントが贈られるというイベントそのものが大事なんだろう。開けたものが気に入ってもらえるようなら上出来だ。

 

 用が済んだのでヒシアマゾンへ視線を戻せば、満足そうに笑顔を浮かべていた。しかし直後、ピクリと耳を揺らして部屋の扉を凝視。すぐに入口付近に近寄ると、何やら部屋の外へ耳をそばだて始めた。

 

(アンタも)

(……?)

 

 ハンドサイン(こっちこい)に従い俺も耳を澄ますと、何やら話し声のようなものが聞こえてきた。

 

「ねぇ、ホントに寮長居ないの?」

「先程話し声と階段を上がる音が聞こえました。声を潜めていた様子もありませんし寮長で間違いありません。おそらく3、4階を見回っている今がチャンス……!」

「ターボにプレゼント届けてすぐ戻ろ? 見つかったらマズイよ~……」

 

 二人してギョッと顔を見合わせてしまう。まさか同じ考えのウマ娘が他にもいるとは……! 多分人数は3人、いま出ていけば間違いなく俺は見つかり、ヒシアマゾンも男性トレーナーを連れ込んだとなれば追及は避けられないだろう。室内に隠れる場所もないし、部屋の前で3人を入れないよう問答すればターボが起きる可能性がある。

 

 ……仕方ないか、強硬策に出よう。ヒシアマゾンの肩を指でタップし、俺は室内の窓……の外、ベランダを指差し。手元の袋を彼女に預けて一つ頷いた。

 

「ちょっ……」

 

 思わずと言ったように発して手をのばす素振りを見せたヒシアマゾンに対し、俺は静かに窓を開閉すると──そのまま外に向かって飛び降りた。

 

「ぐっ……!」

 

 慣れない衣装に低い外気温で危うげなく、とは行かなかったが、それでもたかだか2階から降りたくらいで怪我をするような鍛え方はしていない。さて出入り口はどっちだったか……と視線を巡らせようとしたところで、足元にライトが向けられるのが分かった。

 

「…………ふっ、ふしっ──?!」

 

 不審者、とでも言おうとしたんだろうが、それを言い終えるのを待つ余裕はなく。顔をそちらに向ける愚を犯すこともなく、俺は正反対の方向に向けて遁走を始めた。

 

「まっ! 待ち──はっや!? ウマ娘!? いやでもっ……!!」

 

 混乱の中鬼ごっこが始まった。寮を含めたエリアの巡回警備員のようだがウマ娘なのだろう、運がない。なかなか振り切れないが、俺が建物の隙間を縫うように右左折を繰り返しているため追いつかれることもなく、徐々に距離は離れていっている。直線をほぼ作らないようルート取りをしっかりすれば、短い距離で加速・横道へ矩手(かねて)に曲がりを繰り返す分には人間()のほうが有利だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かなり遠回りを強いられたが、なんとか捕まることなくガレージに帰還することが出来た。世間はクリスマスイブに、昼にあったレースの結果にと浮ついているのに。どうして俺は不審者丸出しで逃走劇を繰り広げてしまったのだろうか……。後悔はしてないが、きっと来年は反省を活かしてもっと上手くやるだろう。

 

「ふぅ……うん?」

 

 衣装を脱ぐ時に携帯を取り出してから、ヒシアマゾンから着信が入っていたことに気づいた。向こうは上手くやったんだろうか? とりあえずこちらの無事を伝えるために発信してみることにする。

 

「……もしもし? 最上だが」

『あっ、最上トレーナー? 無事に帰れたかい?』

 

「なんとかな……はぁ、疲れた」

『はっはっは! 随分派手に逃げたみたいじゃないか? 警備の人から連絡があったよ、"サンタ服の不審者を美浦寮付近で発見、全出入り口をロックされたし"ってさ!』

 

「笑い事じゃないぞ、危うく捕まるところだった」

『いや笑い事だよ、どうやって逃げ切ったんだ! ウマ娘相手に人間のトレーナーがだよっ? くっくっくっく……』

 

 他人事だと思って随分楽しそうだな……でもまぁ、ヒシアマゾンの方に不都合が無かったのなら何も言わないでおくか……。

 

『はぁ……悪かったね。正直なところ、最悪見つかってもアタシが申し開きすれば処分とかって話にはならないと踏んでたもんでさ。一応それくらいには信用がある立場なんだ。でもそれを教えちまうと緊張感に欠けるかなと思って隠してたのさ』

 

「さいで……」

 

 つまり俺は1人だけ、バレたら懲戒免職も免れないって心配しながらサンタごっこしてた道化というわけだ。返答が投げやりになるのは許されてしかるべきだろう。走り回って疲れたしな……。

 

『いやぁでも結果オーライだったよっ。ターボのこと、しっかり見てくれてる友達もいるみたいだしね。安心したし……ふふっ、面白かったねぇ』

「……警備に追い回されるのはもう御免だけどな。楽しめたなら何よりだ」

 

 最初から、ターボへのプレゼントってだけなら俺が用意する必要もなし。直接寮に潜り込んで枕元に置く必要もなし、さらに言えばサンタ衣装に扮する必要もなかったのだが。俺はこの一切を口に出さず、ヒシアマゾンの計画に乗った。純粋に、ターボへのプレゼントを俺が贈りたかったという理由もあるにはあるが。

 

『はぁ、今日はさすがに疲れたよ。今1階の……宿直室みたいな場所なんだけどさ? とりあえず警備からも部屋に戻って休んで良いって連絡来たからさ、そろそろ横にならせてもらうよ』

「警備の人には悪いことしたな……。──なぁ、ヒシアマゾン」

 

『……なんだい?』

「来年の今頃。世間が真っ先に名前を思い出すのは……マヤノトップガンだろうな」

『……っ。そう、だろうねぇ……』

 

 12月24日。世間ではクリスマスイブであり、同時に多くのウマ娘やその関係者、ファンにとって重要なレースの日でもあった。──有マ記念。最高峰のレースに挙げられることも多い伝統あるG1レースだ。そして今日、その有マ記念で……ヒシアマゾンは5着に終わり。勝利をマヤノトップガンというウマ娘に譲る形になった。

 

 ターボにサプライズでクリスマスプレゼントを贈りたいという気持ちに疑いはない。しかし、それだけじゃなく……きっと何かに集中していたかったんだろう。でなければ、()()()()()()から。姉御肌と噂のヒシアマゾンは、自分から溢れるそれを他人に見せまいとして、こんな突拍子もないイベントを思いついた。

 

 ターボの姉貴分でもある彼女に対して、ほんの少しでも恩返しになればいいと。俺もその提案に乗ったのだ。

 

「来年、俺はターボと有マ記念に臨むつもりだ。その時に……きっと俺たちは、ヒシアマゾンのことを思い出す。その強さを知っていて、それでも届かなかった偉大なレースに挑むんだと。──俺とターボが無念を晴らす、なんて見当違いなことを言うつもりはない。でも……ターボの走りに、必ず今日のヒシアマゾンは息衝(いきづ)く」

 

『──はは、嬉しいこと、言ってくれるね……』

「だから今日は、ゆっくり休んでくれ。お疲れ様、ヒシアマゾン。これからも俺とターボが迷わずレースに挑めるように、背中を追わせてくれ」

 

『…………あぁ。……っ、ヒシアマ姐さんも、まだ立ち止まる気はないからね! これからも走り続けるよ、自分に負けちまわないようにね……! それじゃあ、寝るよ。その……ありがとう、最上トレーナー』

 

 こちらの返答を待たず、ヒシアマゾンは通話を切った。

 

「……有マ記念、か」

 

 来年の12月。目標ではターボがトリプルティアラを、そしてトウカイテイオーがクラシック三冠を制し、勝負する舞台の一つとして見据えていたレース。出られるかどうかすら現状では定かじゃない。それでも……また一つ、挑まなければならない理由が出来た。

 

「……俺も、風呂入って寝よう」

 

 走り回ったおかげで体温が低い自覚はないが、寒空の下で汗をかいたのだ。しっかり流しておいて然るべきだろう。そのうえで体調を崩さないよう、ゆっくり休もう。来年挑む最高峰のレースのために、それに続く目の前のレースのために。それを築く明日のために……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『トレーナー! サンタさんからプレゼント貰ったんだよ! たんぶらー? あったかいのも冷たいのも入れられる水筒だって!! 色がねっ、ターボの勝負服といっしょなの! 水色でねー、ピンクと黄緑の線が入ってるんだから!!』

 

「……それは……良かったな……。ターボ、良い子にしてたもんな……」

『えへへー、うんっ!!』

 

 翌日、俺は携帯の着信音で起き、ターボの嬉しそうなプレゼント開封報告で一日を始めることになった。ちなみに午前4時の出来事である。

 

『トレーナー各員へ、緊急連絡。昨晩23時30分頃、学園敷地内、美浦寮付近にて不審者を確認。サンタ服の大柄な人物で、外見上は男性に近いとのこと。しかし、逃走した当該人物は警備員の追跡を振り切っており、男性に扮したウマ娘の可能性も否めないとは直接視認した警備員から。現在も捕まっておらず、依然として行方を調査中。この一件に関係すると思われる情報は随時共有するよう留意されたし』

 

 そしてターボの電話を終えて確認したメールの内容を確認して、事の大きさに頭を抱えた。ほとぼりが冷めるのを待つしか無いと項垂れたその日、俺は好調とはとても言えない気分で仕事に励んだ。

 



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来年もよろしく

 クリスマスが過ぎて一週間、暦は12月31日を迎えていた。最近学園内のトレーナー向けに送られてきた連絡によると、サンタ服の不審者が現れたりしたらしく情報を募っていたが、残念なことに俺から報告できるようなことはなかった。早く捕まることを陰ながら応援させていただこう。

 

 ここ数日で他に特筆すべきことがあるとすれば、数少ないジュニア級G1レース、ホープフルステークスが開催されたことだろうか。中山レース場を2000M走るこの競走、ツインターボの参戦は見送らせてもらった。理由はいくつかあるが、そのレースにトウカイテイオーが出てくるだろうことを予想していたのが大きな要因だ。中距離レース、今勝負するのは得策ではないだろう、と。

 

 しかしそれは取り越し苦労だった。トウカイテイオーのトレーナーの意向なのか、そのホープフルステークスに彼女の姿はなく。優勝を飾ったのは、9月に芙蓉ステークスでターボとゴールを競ったマーベラスサンデーというウマ娘だった。今月開催された他のレース記録も漁ってみると、トウカイテイオーは別のオープンレースに出走していたようなので、完全にクラシック三冠への調整に舵を切っていると見て良さそうだ。

 

 ターボは翌年4月に行われるG1マイルレース、桜花賞に向けて。そしてトウカイテイオーも同じく、4月の中距離レース。皐月賞に備えて調整していくことになるだろう。今日という日を跨げばジュニア級という枠を抜け、激化するレースに身を投じていくことになるのだ。気を引き締めて行かなければならない。

 

 しかし、だ。締めるべきところがあるということは、緩めるべきところがあるということでもある。どのような分野においてもメリハリをつけるのは大切なことだ。それがトレーニングに対する熱量に繋がるだろう。

 

 という賢しい建前は実際のところではなく、今日はただ話の流れでターボと年越しすることになった。ガレージ内にある、学園の校舎で例えるところの宿直室のような部屋。六畳一間のそこに炬燵(こたつ)を用意し、年末特番なんぞ流しながら鍋をつついている。いい加減、監査が入ると職権乱用で何かしらペナルティーを受けるかも知れない。

 

「きゃははははっ! みてみてトレーナーっ、あの人すごいかおしてるー!!」

「めちゃくちゃ熱そうだな……」

 

 テレビの中では芸人さんが二人羽織に挑戦しており、ひょうきんな言動で周囲の人たちを大いに笑わせていた。あまりこうした番組を見たことは無かったんだが、軽快なトークや話題の緩急に笑みがこぼれてしまう。もっとも、どちらかと言えばテレビの内容へいちいちリアクションするターボに微笑ましさを感じる頻度のほうが多かったが。

 

「ねぇねぇ、ターボもあれやってみたい!」

「ん? うーん……」

 

 どうやら自分もやりたくなったらしい。しかし二人羽織というのはカテゴリで言えば宴会芸のハズだ。誰も見ていないのにやるのはどうなんだろうか……それに間違いなく、鍋の汁が服や炬燵(こたつ)布団にかかる。正直俺は遠慮したいところだ。俺もターボもお揃いの半纏を着ているが、これも最近買ったばっかりだしなぁ……。

 

「……ちょっとだけだぞ?」

「ほんとっ? やった!」

 

 心のどこかでは駄目と言われるものだと思っていたようで、許可を出せば予想以上に喜んでくれた。まぁ、鍋の中身は残り少なくなっているので火を止めているし、火傷の心配はないだろう。それに服や布団は俺が洗えばいい話だしな……普段はトレーニングやら食事制限関係で窮屈な思いをさせていることだし、こういう時くらい気ままに楽しんでもらおう。

 

「で、どっちがいい」

「後ろ! ターボがトレーナーに食べさせたげる!!」

 

 にぱーっ!! と、音が聞こえそうなほど楽しそうな笑みでお椀と箸を掲げてみせるターボ。思わず苦笑を漏らしつつ半纏の前を緩めてターボが入れるように腕を上げた。もぞもぞと俺の背中に侵入すると、ターボは意気揚々と腕を振るうのだった。

 

「よぉしっ、いくぞー!」

 

 びしゃあ!

 

「あれ、トレーナーこれ取れてる?」

「あぁ、まぁ、そうだな」

 

 躊躇なく汁に突っ込まれた箸は奇跡的に輪切りの人参を捉えていたが、中の液体は当然のごとく器から飛び散った。分かっていたから特に思うことはない。むしろ思い切りの良さに清々しさを感じるかも知れない。だが次の瞬間、嫌な未来を予想してしまったために咄嗟に手で両目を覆った。

 

「それじゃあ! ここだぁーーっ!!」

 

 ぺたーん!!

 

「どうっ? トレーナーおいしい!?」

「ターボ、そこはおでこだ」

 

 場所を探るとかしないのな、とは呑気な感想かも知れない。この勢いで目を刺されていたら失明まった無しだった。あまりにも狙いが見当違いすぎて腕は空を切り、箸から放たれた人参は俺の額を彩ってくれた程度で済んだが。つぅ、っと汁が鼻の付け根で枝分かれして滴るのがわかる。

 

「外れたからお終いな、畳に落としたら勿体ないし」

「えーっ? ターボ、もっと……」

 

 これ以上は洒落にならんかもな、と考えターボを背中から追い出すと。人参手裏剣の使い手はぶーたれようとして俺の顔を見て……ぷるぷる震えだした。しかし次の瞬間、

 

「だぁーっはっはっはっは!! とっ! トレぶふぅっ!? おっ! おでこにっ、にっ! ニンジンが! きゃっはっはっは!!」

 

 ちょっと聞いたことのないバカでかい声量で笑い出したではないか。一体誰のせいで額で日の丸表してると思ってるんだ。ついには腹を抱えてゲラゲラ転がりだした。抱腹絶倒とはこのことか。

 

「おい犯人、こっち見ろ。これがお前の所業だぞ、人参農家に悪いとは思わんのか」

 

「ひっひゃっはっはっ! ヒィ、とっ、トレーナッ。あーっはっはっは!! だっ、だめぇ! こっち来ないで!! ぃいっひっひっひっひ……!」

 

 バカ笑い続けるターボにずいっと身を乗り出しておでこの犯行跡を見せつけると、さらにツボって涙を流し始める始末。身を捩って呼吸が細くなったところで俺も悪ノリをやめて距離をとった。こちらを指差してゲラゲラ笑い出した瞬間は少しイラッとしたが、ここまで喜んでくれるならまぁ許してやらんでもない。本人は息を荒げて苦しそうにしてるしな。

 

「鍋は下げちまうからな、こぼれた汁も片すから、それまでに落ち着いとくんだぞ。いつまでもそのままだと冷えるぞ」

 

 炬燵で暖を取る前提なので今日は暖房を切っている。なので畳の上、ぷるぷる震えるターボは寒いはずなのだが、そんなことより笑いを治めるのでいっぱいいっぱいらしい。何度目かの苦笑を浮かべつつ、おでこに刺さったターボの手裏剣を口の中に放り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つかれたぁ……」

「こっちのセリフだ」

 

 30分ほど経って、ターボは胡座をかいた俺の上で落ち着いていた。さっきまではこたつで隣り合って居たんだが、俺が座っていた場所の布団が汚れてしまったので移動。しかしテレビ側を除くと対面に座る形になり、こたつを隔てて座り合うのが距離を感じて不満だったらしいターボの希望でこういう形になった。お前は背もたれも出来て楽かも知れんが、俺は普通に居心地が悪いぞ。主に体裁的な意味で。

 

「…………」

「…………」

 

 それからしばらくはボーッと二人してテレビを眺めていた。別段雰囲気が悪いということはなく。それどころか、どことなく弛緩した、安心するような雰囲気が流れている。実家のような、と例えていいかも知れない。

 

「……トレーナー」

「ん?」

 

 外から聞こえる学園内放送やら、テレビからの音声が遠く感じられるような空気感の中、不意に俺の胸に頭をあずけたターボが口を開いた。

 

「見つけてくれて、ありがとうね」

「…………」

 

 普段のテンションとはかけ離れた、静かな声音。しかし口調からは、いつにも増して熱が込められているように感じられた。俺がターボの言葉に返せずに固まっていると、身じろぎしてターボは俺を見上げた。

 

「あの日、全力で走ってよかった。レースはぜんぶ負けちゃったけど。ぜんぶ走ったから、ターボ、()()()()

「────」

 

 その言葉の意味は、間違いなく伝わった。あの日の、俺とターボが出会った日の模擬レース。俺のスカウトは、ターボにとって勝利そのものであったと。そう言ってくれているのだ。

 

「…………そんなもん、お互い様だよ」

「えへへっ」

 

 なんとなく、理由は我が事ながら分からなかったが悔しくなり。それでも気持ちは同じだとわしゃわしゃ頭を撫でつければ、ターボは嬉しそうに俺の手を受け入れた。きっと俺の気持ちも、寸分違わず伝わったのだろう。

 

 胸中はずっとこそばゆいままだったが、それから0時を過ぎて年を越えるまで。俺とターボはいつまでも身を寄せ合っていた。

 

『消灯時間はとっくに過ぎてんだよー! さっさと帰しなサンタクロースッ!!』

 

 心配した保護者(ヒシアマゾン)から怒りのメッセージが飛んできたのは言うまでもない。というかサンタクロースはお前が原因だろう、とはもちろん返信しなかった。火に油を注ぐ趣味はないつもりだ。

 



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前を向け

ウオッカ寄り三人称視点


「ヒマだ……」

「はぁ……何回目よそれ、鬱陶しいわね。そんなに暇なら宿題終わらせなさいっての、どうせやってないんでしょ?」

 

「気分じゃねー」

「あっきれた。始業式に間に合わなくても見せてあげないからね」

 

 机に向かってカリカリとペンを走らせていたダイワスカーレットは、ベッドに寝転んでくだを巻く、寮で相部屋のウオッカにジト目を向けた。それを察してか、視線から逃れるようにウオッカは背を向ける。

 

 先月12月に初めてG1レースに出場し、惜しくも2着に終わった悔しさも晴れぬままに新年を迎えてはや数日。トレーナーから訓練は軽めに抑えるよう言われており、ここ最近は胸中の靄を散らすことも出来ずにウオッカは悶々とした日々を送っていた。

 

「……チッ、少し出る」

 

 無意識に出た舌打ちが、何に向けられてのモノかは自覚出来ていた。口うるさいルームメイト……ではなく、いつまでも前を向けない自分に対して。

 

 ──このままじゃ腐っちまう。

 

 大した実績も残せずにトゥインクルシリーズからフェードアウトしていく未来の自分を幻視して、それを振り払うようにジャージに着替える。

 

「……ん? 何やってんだよスカーレット」

 

 衣服を替え、気持ちを新たにすべくドアに向かおうとすると、いつの間にか同じジャージに身を包んでいたダイワスカーレットが腕を組んでいた。その表情は、眉を寄せつつもどこか晴れがましい。

 

「トレーナーにオーバーワーク禁止って言われてるでしょ。アンタ1人行かせたら何するか分かったもんじゃないんだから。付き合ってあげる」

「いらねーよ……」

 

「アンタの意見なんて聞いてないの。戻ったらどうせアタシがケアさせられるんじゃない。一緒に走ってアンタにもマッサージさせた方が公平でしょ? ……アタシも、少し走って気分を落ち着かせたいしね」

 

 その言葉に、ダイワスカーレットも数日後には初となる重賞レースへの出走が控えていることをウオッカは思い出した。

 

「勝手にしろよ、ちんたら走ってっとおいてくからな」

「流す程度に決まってるでしょ、バッカじゃないの? 一人で突っ走ったら尻尾掴んで連れ戻すからね」

 

「うぜー……」

「ふんっ、うざくて結構よ」

 

 寮の部屋から玄関に至るまで、歯に衣着せぬ物言いで互いに不満をぶつけ合うウオッカとダイワスカーレット。傍から見れば犬猿そのものであったが、よく見れば不思議なことに肩を怒らせている様子もなく、歩調を合わせて外に出て、そして自然な流れで走り始めた。

 

「…………」

「…………」

 

 しばらく走り、学園の敷地を出てなお言葉は無い。まだ気温の低い日が続く寒空の下を、二人は同じペースで走っていく。日暮れまではそう遠くなく、ウオッカがふと見上げた空は深い青と茜色にグラデーションを描いていた。

 

「で? なんだってのよ」

 

 するりと。頭上の美しさに少しばかり心洗われたように感じられたその瞬間に、見計らっていたように隣から声が聞こえた。そちらに視線を向けることはない。それでもどういう表情で、何を問いかけているのかは正確に伝わった。今までは不調の理由を問われても口を(つぐ)んでいたのに、何故か今は聞かせても構わない気分なのがなんとなく腹立たしく思えた。

 

「俺は……アイツに勝てねーのかな、ってさ……」

「……ツインターボのことね」

 

 ただの一言で、意識しているのが誰か伝わったことに不思議はない。ウオッカとダイワスカーレットはスピカというチームに共に所属している。誰がどのレースに出たかは共有しているし、どのレースに勝ち、そして負けたのかは当然のように把握していた。競った相手についても例外ではない。

 

「最初は……ただの目立ちたがり屋だと思ってた。教官のトレーニングでも、模擬レースでも。一人だけペースガン無視でバカみたいに突っ走ってさ」

「そうね……アタシも正直、真面目にレースを走る気があるのか疑問だったもの」

 

「でも違ったんだ。目立ちたいんじゃなくて、ただ真っ直ぐなヤツだった。全力で駆け抜けたいなんて、それだけのハナシだった。できるワケねーって考えながらさ……ずっと走り続けて欲しいって思ったよ。こんなヤツが最後までいて欲しいなって……」

「……」

 

 ダイワスカーレットは口を挟まない。ここまで聞いただけではツインターボというウマ娘を、その走りを認めていると、そんな美談に思える。けれど、それだけで話が終わらないのは明白だった。ウオッカの悔いた顔を見れば。

 

「下に見てたんだッ……! 授業でも、訓練でもっ、模擬レースでも! ずっと後ろに居たアイツが、最後まで学園に居られるようにって……! ()()()()()()()()()()()んだろうなって!! どっかでそう考えちまってた……」

 

「ウオッカ……」

 

 肩を並べて走る二人の速度はいつしか一定とは言えなくなり、そして止まった。ウオッカが無意識に足を向けていたのは、いつだって自分の心を落ち着かせてくれた河川敷だった。漫画に影響されて、カッコつけているだけだと思われているのは知っていた。それでも気にしなかったのは、穏やかな川のせせらぎが何度だって苛立ちを洗い流してくれたからだ。

 

 しかし、この時ばかりは心の淀みが溢れて仕方なかった。

 

「授業で一緒になった時、デビューでレコード出したって自慢してただろ? 嬉しかったよ、んでカッケェなって思った。ずっとドンケツでも腐らねーでさ。振るわなかったレースもあったみてーだけど、そのあとの重賞は逃げで連勝だろ? そんなスゲェヤツを、俺は……」

 

 これ以上は口にしたくなかった。無意識だったし、もし言葉にすればあまりにも驕った考えだと自ら否定さえしただろう。それがツインターボと競う前であれば。けれど今では、己の醜い思考を受け入れなければならなかった。故に。

 

「自分より劣ってるって、そう考えちゃってたワケね」

「っ……! その通りだよッ……!!」

 

 ダイワスカーレットの優しくも残酷な指摘に、ただ頷くしか無かった。

 

 昨年10月、アルテミスステークス。いつか真剣勝負をしようと言葉を交わしたツインターボといざレースで競えば、差しきれずに一着を譲る結果に終わってしまった。

 

 なんで俺が負けた? 当時芽生えたそんな感情と、もっと向き合うべきだったのだ。だから気づくのが遅れた。ウオッカ(おれ)ツインターボ(あいつ)より優れている、という根拠のない自信で増長していたことに。そして、そんな自分に対する嫌悪感を未だに引きずっている。

 

「勝負は水物だって。今回は運が無かったってッ。初めて負けた時に納得しちまった。受け入れちまった……無意識にツインターボを見下してるって、その時気づけなかったんだ! だからまた繰り返したッ……G1で。大事なのはここだから前に負けたのは関係ねーって……! 今度こそ本気で勝ちに行くなんて甘えてた……クソッ! くそっ……ダセェよ、俺は……」

 

 12月、阪神ジュベナイルフィリーズ。G1の競走で、阪神レース場の熱狂的な空気に呑まれた。GⅢなんて比較にならない、最高峰のG1レースにさえ勝ってしまえば良いのだというそんな驕りが、覚悟の無さが露呈した瞬間だった。

 

「あのツインターボでさえ面構えが違ったんだ、誰だって緊張してんだなって。ジュベナイルフィリーズの、芝の上でだってそんなこと考えてた。でもよ……ゲートに入る直前、アイツ笑ってたよ。そのおかげで、あぁやっぱり、こいつから意識外しちまったら終わりだなって。その時になって、ツインターボが本当に……間違っても下だなんて思っちゃいけねー相手だって、ようやく実感したんだ」

 

 あの時ツインターボを。他のウマ娘を度外視して、ツインターボこそを差し切ると決めていなければ、レースに集中すら出来ず、ましてや入着なんて夢のまた夢だっただろう。ウオッカはそう自己分析していた。

 

「俺はどうすりゃ良い……? 次もまた勝つぞって、拳を突き出してきたツインターボにッ……俺を認めてくれてたアイツに、どんなツラでまた挑めば良いんだよ……!?」

 

 ウオッカにとって、今までの自分からツインターボに対する考え方は、理想とする在り方とあまりにかけ離れたモノだった。

 

 ──ダセェ真似はしねぇ! 誰よりもカッケーウマ娘になる!!

 

 阪神ジュベナイルフィリーズでツインターボに敗れて。また勝負しようと声をかけられて以来、ウオッカはずっと沈んでいた。ツインターボに勝てるのか? ──あのカッコいいウマ娘より、自分はカッコよくなれるのだろうか?

 

「──バッッッッッッカじゃないのッ!?」

「ッ!?」

 

 ビクリと肩を跳ねさせて驚いたウオッカを責めることは出来ないだろう。それほどにダイワスカーレットの声は大きく、そして鋭くウオッカの耳朶を打った。

 

 目を見開くウオッカにずいと体を寄せ、腰に両手を当てて彼女を睨みつけるダイワスカーレット。下から睨めつけられて思わず上半身を反らすウオッカに、逃しはすまいとダイワスカーレットはさらに詰め寄った。

 

「いい!? デビュー前、間違いなくツインターボは弱かったわ! アンタよりも! アタシよりもね!! でも努力して、レースで実績を出して! アタシたちの評価を覆した! それだけのことじゃないッ!! アタシたちは勝負の世界に居るの! 自分より遅い子が居たら、自分のほうが速いと思うのは当然のことなの!! 違うッ!?」

 

「そうかも知んねーけどッ! でもっ……!」

 

「でももカカシも無いッ!! アンタがだっさいのは認めるけどね! それはツインターボを下に見てたことなんかじゃないわ!! ()()ぐだぐだ言い訳して前を向かないことよ!! アタシたちはレースを走ってるのよ!? 前を向かなきゃ一生ゴールに辿り着きやしないじゃない!! 一着なんてそれこそ、がむしゃらに前を向いて走り続けなきゃ不可能だわ!!」

 

「──前を……」

 

「そうよっ。どのレースで誰が凄くて。自分はその時どう思っててっ。だから負けました──そんなのクソ食らえだわ! 反省は大事よ、でもアンタがやってるのはどう好意的に見てもそんなモノじゃない! 後ろばっかり見たって何も変わったりしない……変われなんかしないわ……!」

 

 やっと、ウオッカは気づくことが出来た。ダイワスカーレットの剣幕を間近にして。大声で浴びせられる叱咤を耳にして。──頬を伝う涙を、目にしてしまって。ようやく気づいたのだ。彼女が最近のウオッカを、どういう気持ちで見ていたのか。

 

 ──アタシとの勝負は、もうどうだっていいの?

 

「今すぐにでも前を向かなきゃ誰にも追いつけなくなるっ。これから追い抜かれるばっかりで、アンタはそれでいいって言うの──!?」

 

 ──やっと走り出したのに。これから追いついて、レースで一番を競い合うつもりだったのに。アンタはもう……諦めちゃったの?

 

 同じ学年、同じチームと言えど、ウオッカとダイワスカーレットはメイクデビューの時期が違う。少し早くデビューしたウオッカを、ダイワスカーレットは追いかけて来たのだ。早く一緒に、同じレースで競いたいと。首を洗って待っていろ、と。ライバルとして。

 

「スカーレット、お前……。ははっ、俺、2回も負けたんだぜ? ツインターボにさ、勝てると思ってたヤツに、情けねーこと考えながら負け続けてんだ。そんな俺と、まだ競いたいって──」

 

「──ふざけないでよ」

「────」

 

 ひゅっ、と。ウオッカは短く息を吸う自分の喉の音を、他人事のように聞いていた。ダイワスカーレットが、ウオッカの胸に額を預けて抱きついてきたからだ。

 

「アタシのライバルはアンタなのよ……? ツインターボでもないし、ツインターボに勝ったウマ娘でもない。ウオッカ、アンタはアタシが認めたウマ娘なの。アンタをバカにするヤツはたとえそれがアンタ自身だって許さない。確かにツインターボは強いわ、でも……それを超えて、アンタとゴールを競い合えるって、アタシはそう信じてる……!」

 

 完敗だった。自分のことは卑下もしよう。過去の自分が、今に続いた轍が格好悪いと嫌悪もしよう。でも……ダイワスカーレットに。彼女が認めてくれるのと同じく、自分が何度も意地になって競い合ってきたダイワスカーレットにそこまで言われてしまえば、ウオッカは前を向かざるを得ないのだ。

 

 ダイワスカーレットの、自分のたった1人のライバルの言葉を。自らの振る舞いで嘘にすることだけは、到底認められそうにないのだ。

 

「…………競走」

「……なによ、急に」

 

 赤くなった目元を隠そうともせずウオッカの顔を見上げるダイワスカーレットに、視線をそらして続ける。気恥ずかしくて──どうにもしばらくは、ライバル(恩人)の顔を直接見るなんて出来そうにもなかった。

 

 吹っ切れてなんかいない。でもとにかく、前を向かなければならなかった。ダサいままだろうがなんだろうが、求めるものはその先にしか無いのだ。

 

「寮まで競走しようぜ。お前が負けたら宿題写させろよ」

「────フンッ。ま、いいけど? そのかわり、アンタが負けたら持ち回りのトイレ掃除一回やんなさいよね」

 

「へっ、上等だ! いくぜ……」

「よーい──」

 

「「ドンッ!!」」

 

 二人は来た道を走って戻る。何倍も速く駆けていく。その背中を沈みかけの太陽がもう少し、もう少しと照らし。緑閃光が見送るように瞬くと、肩を並べて走る姿はどこにも見えなかった。

 



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チューリップ賞

 年が明けてジュニア級からクラシック級へと歩を進めたターボは、予定通り4月に行われる桜花賞を制すためのトレーニングに明け暮れた。クラシック三冠、その1つ目である皐月賞を目標としているらしいトウカイテイオーの存在が良い刺激となっているようで、こちらもトリプルティアラを勝ち取るのだと常にやる気に満ちていた。

 

 トウカイテイオーはメイクデビュー以降オープンレースにしか出走しておらず、競走成績だけで言えばターボが頭抜けていると言える。しかしどのレースも余裕を持って危なげなく一着でゴールしており、涼しい顔で前をかわし、そして突き放す走りはその名の通り"帝王"の威風を感じさせるものだ。

 

 ターボの暫定ライバルであるトウカイテイオーの活躍を追いながらも、阪神ジュベナイルフィリーズの時と同じく、阪神レース場の外回り、芝1600Mを意識して鍛え続けてすでに3月。あっという間に次のレースはやってきた。

 

 挑むのはチューリップ賞。阪神ジュベナイルフィリーズ、そして桜花賞と同じコースで行われるGⅡの重賞レースで、何より桜花賞の前哨戦となるマイル競走だ。このチューリップ賞で3着までのウマ娘には桜花賞へ優先的に出走できるチケットが与えられる。

 

 もっとも、ターボはこのレースに出ずとも桜花賞への参加は認められるだろうが、当然ながらチューリップ賞で実力を見せたウマ娘は桜花賞にも出走するはずだ。文字通り前哨戦、トリプルティアラの一歩目を危うげなく踏み出すためにも、実際に競っておきたいと言うのが心情だ。

 

 この点においてはトウカイテイオーの、あるいはそのトレーナーの意向とは逆を行っていると言えるだろう。皐月賞に向け、おそらくトウカイテイオー側は可能な限り出走するレースを抑え、消耗せずに勝ち切ろうと考えている、と予想される。去年12月に姿を現すと思っていたジュニア級G1レース、ホープフルステークスに出場しなかったことがその考えを助長させていた。

 

 レースの結果は水物だ。実力が物を言うのは間違いないが、運が絡まないなんてことは無い。皐月賞に、ひいてはクラシック三冠に向けて勢いを落とさないために、あえて今は強敵との勝負を避けている。そんなスタンスなんだろう。

 

 一方でターボは、大一番での勝負根性を養うためにできるだけレースに参加させたい。それを可能にしてくれる驚異的な回復力が有る。レース中にスタミナが枯渇するのは早い方だが、それが終わってから回復するのもまた早いのだ。たくさん食べるようになってくれて本当に偉い。

 

 なによりレースに勝利することでやる気が充実し、さらに意欲的にトレーニングに励むことはあっても、逆は無いだろうと言えるのが強みだ。去年は連敗してしばらく落ち込んだこともあったが、あれはターボに合わない短距離戦でボロ負けした後に、その感覚を引きずったままGⅢのマイルレースに挑んだことに起因している。

 

 そこから持ち直した理由がクラシック三冠を目標とするトウカイテイオーを意識してのことだと言うのだから、そのライバルがトゥインクルシリーズを駆けている以上、間違いなくターボが以前のように落ち込んでしまうことはない。そう思い込んで悩みに気づけないなんて言語道断なので、もちろんターボの調子にはよく注意する必要があるが。

 

 つまるところ、トウカイテイオーは意識すれどそのローテーションスタンスに寄せる必要はなく、むしろその間に何度も強敵とぶつかり、牙を研いでおこうということだ。そのための桜花賞トライアルレース、チューリップ賞への出走である。

 

 やはりと言うべきか、目前に迫ったそのレースにはウオッカが出走することが確認出来ている。他にも阪神ジュベナイルフィリーズで競ったウマ娘が何人か確認出来ているが、やはり強敵となるのは彼女だろうと、激戦を覚悟しつつ当日に備えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『さぁツインターボ! ツインターボが先頭! すぐ後ろにダイワスカーレット! ツインターボダイワスカーレット並んでッ、外からはウオッカ! ウオッカが伸びて参りました!!』

 

「…………マジで?」

 

 阪神レース場の観客席にて。いつぞやのターボのように、目を見開き思わず漏らしてしまった。正直、彼女は眼中に無かったと言わざるを得ない。

 

『シャレミーリズムッ、シャレミーリズムも前に接近する構えを見せているが! あぁっとここでツインターボ逆噴射! ウオッカが更に伸びる! ダイワスカーレットッ! ウオッカ! リボンヴィルレーも三番手に上がってきた!』

 

 脚質は逃げだろうか。もしくはターボを意識して逃げウマ娘を演じてみせたのか。第4コーナーを曲がったところで急激にターボへ接近し競り合ったのはダイワスカーレットというウマ娘。他のウマ娘たちが次々にスパートをかける中で、ターボはそのプレッシャーに負け失速し、バ群へ沈んでしまった。

 

『ウオッカか! ダイワスカーレットかッ!? ダイワスカーレットウオッカッ! この二人が競り合うがッ!? ウオッカ身体半分のリードッ! ウオッカ先頭! ウオッカ先頭!! ウオッカ先頭でッ……今ゴール!!』

 

 桜花賞前哨戦、チューリップ賞。強敵の存在を確認しつつも勝利することで弾みをつけたいと考えていたレースで、全くマークしていなかったダークホース、ダイワスカーレットに競り負け。その横から掻っ攫うように、やはりウオッカに負ける結果となってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「うぉおおおおおおおお!!」」

 

 そしてチューリップ賞から二週間ほどが経った3月末。ダイワスカーレットに、ウオッカに、その他の何人ものウマ娘に前を許して9着に終わったあのレース後も、変わらずスピードと根性を養うために今までと同様のトレーニングに励んでいた。

 

 今から特訓内容を変えたところで付け焼き刃にも及ばないし、仮にダイワスカーレットがターボをマークしなかったとしたらチューリップ賞を一着で駆け抜けることは可能だったはずだという考えのもと、基礎を鍛える方針を転換しなかった。故にあの日のダイワスカーレットを強く意識しつつも、奇策に転じるのではなく王道で乗り越えるべく日々を積み重ねている。

 

 より速く前に。背後に迫られても、前を走るのは許さないと確固たる意思で走れるように。

 

 阪神レース場のコースを意識したマイル競走のトレーニング、つまるところ走っている際のフォームの最適化、及びスピードの強化に力を入れる傍ら、勝負根性をつけるために2000M地点からの俺との併走を続けていた。

 

 半年前、昨年9月時点では、ターボのスタミナが保つと自信を持って言えるのは1600M、贔屓目に見て1700Mというところだった。それが現在、トレーニングにおいては1900Mに伸びている。最初から全力疾走の大逃げウマ娘のペースで、と言えば目を剥いて驚く人もきっと多いだろう。

 

 もっともこれは相手が居ないトレーニング時の話で、実際に走るとなれば開幕の先頭争いの時点でかなりスタミナを消耗する。ゆえにこの1900Mは理論値に過ぎないのだが、それでも2000Mの大逃げを期待するには十分な数字だろう。

 

 だが、まだ足りないのだ。トウカイテイオーと勝負する舞台になると仮定しているレースは2400M以上も走らなければならないのだ。今集中すべきはマイルレースの桜花賞。しかし年末の舞台に向けて、この半年と同様に、あるいはそれ以上にスタミナが伸びてくれる確証はなく、急ぐに越したことはない。成長期真っ只中で曲線右肩上がりな成長データを見せてくれるターボだが、どこまで伸びるかは本人と俺次第なのだ。

 

 それを加味した上で桜花賞だけでなく、ジャパンカップや有マ記念も意識した結果が2000M以降の併走である。というか、それ以降でなければターボがヘロヘロになることはなく、結果的に俺が併走相手をしてやれる距離が2000Mの地点からというだけの話なんだが。

 

 人類最速を誇りとする身としてウマ娘になりたいなんて一抹たりとも考えたことはなかったが、ターボを最速のウマ娘に導くことを目標としたトレーナーとしては、この身がウマ娘であればと無い物ねだりしたことは数知れない。

 

 チューリップ賞後にしっかり調べたところ、なんとダイワスカーレットはあのウオッカと同じチームに属しており、それどころかそのチームスピカにはトウカイテイオーまで居る始末。向こうはいくらでも併走相手が居るのだ。少しばかり羨みつつも策を講じないわけもない。けれどそれが実るまでは俺自身がなんとかターボの競走相手として食らいつくしか無かった。

 

「はぁっ、ぜぇ……はぁっ……」

「ほらニンジンジュースだ。息が整ったらしっかり汗も拭うんだぞ?」

 

「はっ、んぐ……。ぷはぁっ! はぁ、うまーいっ! はぁ……トレーナー拭いて!」

「えぇ? 仕方ないやつだな。ほら……ん?」

 

「んぶばばばばっ」

 

 

 甘えるように顔を寄せてきたターボの顔面をふかふかのタオルでわしゃわしゃしていると、ポケットの携帯が短く震えた。本当は邪魔だからトレーニングの時は持ちたくないんだが、走っている時でなければ常に持っておかないと怖い。どこぞの保護者が。

 

 でもこの時の着信は相手が違う確信があり、その一報は喜ばしいものに間違いなかった。堅苦しくもどこか親しみを感じさせる文面のメールを確認し終えると、されるがままに汗を拭われていたターボに視線を合わせる。……いやもういいから目開け。あと口を開けたまま上向くのやめろはしたないから。

 

「今日のトレーニングはここまで、早めに切り上げるぞ」

「んぇーっ?」

 

「不満そうな顔するんじゃない、明日のためだ。明日は……チームリギルのメンバーと併走してもらうぞ」

 

 策を講じたなんてカッコつけてみたが、話はそれだけだ。トップチームのメンバーと併走を。これ以上G1レースを意識した特訓は他にないだろう。なんせ相手はそれこそG1ウマ娘ばかりなんだから。

 

「ホント!? やる! リギルと競走だぁーっ!!」

「走り出そうとするな。明日って言ってるだろ」

「ぐぇっ!」

 

 もしかしたら怖気づくかも、なんて思ったが、それはやはり取り越し苦労で。ターボはやる気満々と言った様子で駆け出すのだった。襟を掴んで引き止めたが。

 




参考資料:チューリップ賞(G3) ウオッカ
https://www.youtube.com/watch?v=7pdFHyDAY24


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皇帝の強さ

「だぁりゃあああああああああああああああ!!」

「遅いデース! 追い抜いてしまいマスヨー!?」

 

 場所はチームリギルがホームとするトレセン学園の一角。東条さんとの折衝によって実現したターボの併走は順調に消化されており、今はタイキシャトルを相手にスピードを、そして根性を鍛えられているところだ。

 

 タイキシャトルはG1レースを5勝している実力の持ち主だが、なんと言ってもマイルレースの王者を決するレースに数えられる、マイルチャンピオンシップを連覇した記録を持つウマ娘なのだ。他にマイルチャンピオン決定戦に位置づけられる安田記念も制しており、正真正銘の短距離最強ウマ娘である。

 

 そんな彼女は俺からの要望でターボの背中にピッタリと張り付き、模擬レース開始直後からゴール直前まで全く離れることなくマークし続けていた。しかもターボに発破をかけている言葉はブラフでもなんでもなく、彼女はそれを平然とやってのけるパワーを持っている。

 

 タイキシャトルの脚質は先行だ。どういうことか端的に言えば、彼女はターボの速度に合わせていながら全速力で走ってはいないのである。ターボの大逃げに付き合いながら、それでいてターボが垂れてしまえば容赦なくかわして前を奪うことが可能なウマ娘。桜花賞に向けてこれ以上無い併走相手と言えるだろう。

 

「やぁ最上トレーナー。少しいいだろうか」

「君は……シンボリルドルフか。さっきはありがとう、もちろん構わないぞ。見ての通りそこまで忙しくはないんだ」

 

 ターボが走るコースを見てデータを取っていると、先程ターボと走ってくれたシンボリルドルフが声をかけてきた。……当然のように相手をしてもらったが、彼女は皇帝と称されるウマ娘。未だドリームトロフィーシリーズを駆けるシンボリルドルフを史上最強のウマ娘と呼ぶ人も少なくない。ターボは得難い経験をしたものだ。

 

 それはさておき、どういう用件で話しかけてきたんだろうか? 今回のトレーニングは俺から願い出たものの、ターボと併走することはリギルにとっても貴重な機会になるからと東条さんが全て仕切ってくれている。今日の俺はただのターボの付添人という表現が適切だ。

 

 しかしターボの面倒を丸投げしている現状に罪悪感が無くも無いので、リギルのメンバーから頼まれれば多少の面倒事は引き受けるつもりだ。いやまぁ、まだ話しかけられただけの段階なんだが。皇帝シンボリルドルフに声をかけられるというのは、それほどには気が引き締まるということだ。

 

「ふふ、そう固くならないで欲しい。少し話を聞いてみたいと思っただけなんだ……なにせ、学園に配属されてわずか一年で教本に載るような人物だ。その教えを身を以て実践し、助けられている者からすれば気にならない訳も無いだろう? そうだな……私は貴方のファンのようなものさ」

 

「皇帝にそう言われると自信になるな」

 

 そう返すと、シンボリルドルフは涼し気な笑みに少しばかり苦みを見せた。どうやらこの場では、実績がどうのという目線で話をして欲しくないらしい。雑談しようと思った相手があまり畏まっていると、そりゃあ話しづらいか。そう自責して可能な限り口調を軽くしようと意識した。今日は東条さん、ひいてはリギルのメンバーにお世話になっているんだ、恩には報いなければならない。

 

「それで? まさかお互い褒め合うために来たんじゃ無いだろう。もっとも、それが目的でも俺は全然構わないんだが。おだてられればその辺の木に登ってみないでもないぞ」

 

「はははっ、興味はあるが遠慮しておこう。それをすれば貴方を貶めることになってしまう」

「そう難しく考えたもんでも無いけどな。男ってのは割と単純な生き物らしいぞ、少なくとも褒められて悪い気はしないだろうさ」

 

「まるで貴方が男性ではないような物言いだな?」

「一般的な男とは多少違う自覚があるんだ。例えば……担当ウマ娘と一緒に走ってみたり、とかな」

 

 適当に話を広げてみれば思ったより食いついてくれたので続けると、雰囲気が柔らかくなってきた。なので話しかけてきた理由はこの辺りの話題だろうかと当たりをつけて口を開けばヒットしたらしく、シンボリルドルフは我が意を得たりと頷いた。

 

「なるほど、それは確かにあまり聞かない話だ。ヒシアマゾンから聞いた時は耳を疑ったくらいだよ。どうしてツインターボと共にターフを駆けたのか……駆けることが出来るのか。差し支えなければ聞いてもいいかな」

 

「どうしても何もな……こうして他所のチームに頼むくらいには併走の当てがないんだ。それでも強いライバルが居る。相手を意識せずに、対策をせずにターボをレースに送り出すなんて出来ないだろ? だから一緒に走っただけさ。十全にとはいかなくても、ほんの一瞬でもターボがレースを駆け抜ける力になれればいい。それだけの気持ちだよ」

 

 それは本当に、ただのトレーナーとしての力不足だ。チームの結成とはいかなくても、あと一人ウマ娘を担当として指導するのであれば、俺自身が走るより効果的に併走を取り入れたトレーニングに取り組めるだろう。それが出来ないから俺が走るだけ。なんとも情けない話だ。この話の裏には、実のところ俺も走るのが好きなだけという誰にも理解されない事情があるんだが、もちろんそんなことは口にしない。

 

 いや、ターボには話したことがあるから知っているか。なら尚の事、俺の都合なんて担当ウマ娘であるターボだけが理解してくれていれば良い話だ。

 

 そんな考えが脳を過ぎっていると、シンボリルドルフは俺の力不足をそうとは捉えなかったらしく、とても良い笑顔を浮かべてみせた。

 

「素晴らしいことだ……トレーナーとしてウマ娘のために。不可能に挫けず、してやれることを模索する。ツインターボのために自らも身体を鍛え、必要とあれば他のトレーナーに頭を下げることも辞さない。その姿勢は誰がなんと言おうとも気高く、そして誇り高いことだ。私は貴方を尊敬するよ、最上トレーナー」

 

「……やっぱり褒め殺したいのか? 一応、ありがとうと返しておこう」

 

 多分だが、シンボリルドルフはある噂話と言うか、一部のトレーナーのやっかみを耳に入れたんだろう。俺はターボのダンスレッスンを委託している都合上、東条トレーナーとは親しくさせてもらっている。

 

 それが一部の先輩方から見れば、新人トレーナーがトップトレーナーに取り入っているように映っているらしく。初めて担当したウマ娘であるターボが驚異的な実績を積み重ねていることが輪をかけて噂を加速させているらしい。ダンスレッスンをお願いすることで、空いた時間を研究に当てていることを考えればあながち間違っているとも言えないので、俺としては反論する気はないが。

 

「……あまり気にしてはいないんだな」

 

 俺の表情から風評に頓着していないことを見抜いたらしく、どこか驚いたようにシンボリルドルフは言った。こちらとしては、そもそもトレーナー業に興味のない身の上だ。自己中心的にも程がある理由でトレセン学園に侵入した、いつまでも過去に囚われた人間。そんな俺の目を奪い、手を引いて前を向かせてくれた小さな女の子と、同じ景色を見たいと思ってしまっただけなのだ。

 

 そのためなら周りにどんな目で見られようが心底どうでもいい。ターボにその目が行くことは容認できないが、俺自身の評価なんて興味のない話だ。

 

「俺が白い目で見られる程度でターボが気持ちよく走れるなら、俺にそうしない理由はないな」

 

 なぜならその先で、俺もまた気持ちよく走り抜けることが出来ると、そう信じているから。言葉には出せないが、結局のところ俺は俺のためにそうしているだけのことだ。

 

「──貴方に心からの敬意を。最上トレーナー」

 

 続けなかった言葉のせいというかおかげというか。シンボリルドルフは俺のセリフにいたく感動したらしかった。凛とした表情にも瞳が輝いているのが目に見えてわかるくらいだ。

 

「生徒会長という立場で教本が一新されると知った時、貴方の存在を認識した。一顧万両(いっこばんりょう)の研究結果を、あくまで学園所属トレーナーという名義で提出し、多くの目に留まるよう広げてくれた」

 

 いっこ……? 価値があるとかそんな意味だろうか。そもそも研究結果をより利益になるよう効果的に世に出す手段なんか知らないから学園の上層部に直接提出しただけなんだが。

 

「貴方が担当するとしたらどんなウマ娘だろうか。そんな疑問が解消された時の感動と言ったらどう表現したものか……。去年、リギルの加入テストレースはもちろん私も見ていたよ、チームの後輩になるかも知れないウマ娘たちだからね。そんな中、どのレースでも振るわない彼女は……ツインターボは、私の記憶にも鮮明に残った」

 

 確かに、あの日のターボは多くの人の記憶に残ったことだろう。もちろん良い意味じゃない。もし次の模擬レースに顔を出せば、参加を拒否されるだろうとさえ思えるほどに最下位を重ねた日だった。

 

「どのトレーナーも一顧だにしなかっただろう。あの日コースを後にした私も、デビューは運が良くても今年には叶わないと、そう考えた。しかし蓋を開ければどうだ、わずか数カ月後にはメイクデビューを、それもコースレコードを更新しての勝利……! あんなに胸が踊ったのは久しぶりだった……」

 

 あの頃は俺も探り探りだったから、メイクデビューでの勝利はもちろん記憶に刻まれている。ひときわ感動したことと言えば、ターボがたくさんご飯を食べてくれるようになったという点だが。それが勝利に繋がっているんだから的外れでもあるまい。

 

「貴方の存在を知り、ツインターボのレースを見るたびに、私はある期待を寄せるようになった。もしかすると……最上トレーナー。貴方は私と同じ理想を抱いているのではないか、と」

 

「同じ理想?」

 

 それがシンボリルドルフの用件らしかった。

 

「そう、理想だ。私は……あらゆるウマ娘が幸福でいられる世界を目指している。そのために全力で励んできたんだ」

 

 噛みしめるよう一度瞑目し、次いで彼女はその視線を真っ直ぐに俺に向けてきた。その瞳に、情熱を灯して。

 

「故に、貴方に期待してしまう気持ちを隠せない。多くのウマ娘が身体を壊さないよう、壊してしまっても早く回復できるよう、教えを広めてくれた。誰もが手を差し伸べることを躊躇ったウマ娘をすくい上げてくれた。そんな貴方は……私の青く、遠い夢に共感してくれるのではないか……?」

 

 まったくもって共感できない……とは、実のところ言い難かった。なぜなら研究成果をバラ撒くと決めた時、俺は確かにこう考えたのだ。

 

 トレーナーたちが研究を秘匿することで怪我をしたり、適切なケアが出来ずにレースに出場出来ないことがあれば、競技選手としてたまったもんじゃない、と。ターボのトレーナーになる前から俺は、陸上競技選手として間違いなくウマ娘の立場に共感していた。

 

 そして、彼女の言う"ウマ娘の幸福"という漠然とした命題にもなんとなく察しが付く。レースで勝つことが幸福であり、それをどのウマ娘も味わうことが出来ること。そんな理想以前の腑抜けた世界では断じてないだろう。

 

 それはウマ娘たちが望むように走り、そして競い合うことが出来る世界、ということだ。そこでの勝ち負けは後から付随するただの結果だ。

 

 トレセン学園に入り、トレーナーに担当してもらうことすら出来ず去るウマ娘が居る。怪我をして涙ながらにレースを諦めるウマ娘が居る。そうした現実を覆すことこそが彼女の理想なのだ。

 

 努力することを許され。それを発揮し、ライバルとレースで競い合うことを許されたい。個性豊かなウマ娘たちに間違いなく共通する幸福とは、そういうことなんだろう。

 

 だからこそ、俺は共感できた。何度も悔しい思いをした。それを努力で乗り越えて、また手強いライバルと出会って。負けて、努力して、勝って──。

 

「あぁ……シンボリルドルフ。俺にそれを実現できる力なんて無いけれど──」

 

 未だに引きずっている。その理由はそれこそ、走り抜けた前世が幸福であったからに他ならないのだ。

 

「俺は君の理想に、夢に。心から共感するよ」

「──そうかっ!!」

 

 皇帝という称号からは想像がつかないほどに、花開くような笑顔でシンボリルドルフは俺の手を握った。偽りでなく、その夢を実現させる一助になれればいいと、そんなことすら思う。

 

 まぁそれも、俺の最速と。それ以上にターボの最速を成し遂げてからの、遠い未来の話だが。

 

「気張りなターボォー! へばったら晩飯はピーマン祭りだよーっ!!」

「ぎゃあああああああああああああああああ!?」

 

 保護者に追い立てられるターボを尻目に、俺は皇帝と名高いウマ娘の強さに触れたのだった。

 



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桜花賞

ターボ寄り三人称視点


 4月上旬、阪神レース場。ツインターボは不敵な笑みでターフに仁王立ちしていた。腕を組み、ぐるりと周囲を見渡せば、自分と同じく勝負服に身を包んでいる見知ったウマ娘たち。ほとんどのウマ娘に負けたことがあり、そして勝ったことがあった。

 

「トリプルティアラ、その1つ目だ。今日のために頑張ってきた。……勝ってこい、ターボ。そしてトウカイテイオーに並び立て。──ここからが、お前とトウカイテイオーの勝負だ」

 

 両肩に手を置き、額を突き合わせてトレーナーはそう言った。ツインターボはそれに言葉で返さず、ただ笑みを浮かべてぐりぐりとおでこを擦り付けた。鏡合わせのように、ツインターボと同じく挑戦的な笑みを浮かべたトレーナーを見て、自分の気持ちが伝わったのだと嬉しく、そして心強く感じた。

 

 言うまでもない。勝って帰るから安心して見てろ。ただそれだけのことだ。

 

 背中をポンと一つ叩かれ、コースに送り出された。不安はない。緊張も気負いも多分ない。ただ熱量だけがある。身を焦がすような気持ち(エンジン)が、早く走らせろと身体を震わせる。

 

『咲き誇る桜が女王の誕生を待ち望む! クラシック第一弾、桜花賞!! 一番人気はウオッカ! トライアルレースのチューリップ賞を制しました!!』

 

『マイルレースで疑いようのない実力の持ち主です。G1は二戦目となります、初勝利となるでしょうか』

 

『虎視眈々と上位を狙っています、三番人気はダイワスカーレット!』

 

『チューリップ賞ではウオッカに譲り二着となりましたが、前のめりな姿勢と粘り強い走りが魅力です。少々気負っているように見えますが、果たして』

 

『対抗する二番人気はツインターボ! 真っ向勝負に注目です!』

『すでに言わずと知れた逃げウマ娘でしょう、今日の噴射口が最後にどちらを向いているか、その瞬間まで目が離せません』

 

 ウオッカ。直近のレースでツインターボを負かしたウマ娘。しかし大舞台で勝ち切ったこともある。相手にとって不足はない。

 

 そしてダイワスカーレット。学園ではあまり話したことがなかったが、同じく直近のチューリップ賞で負かされた相手だ。背後からかけられたプレッシャーを思うと、さすがのツインターボも気が抜けない。

 

 けれど。

 

「今日のために頑張ってきた。……勝ってこい、ターボ」

 

 それが全て。チームリギルの面々との併走が、模擬レースが。ツインターボの心の何処かで燻っていた苦手意識を、恐怖心を薄れさせていた。今日のために。ツインターボのためにトレーナーが心を砕いてくれていることに疑いはない。

 

「──勝つ」

 

 目を見開き、その口元はやはり笑んでいる。しかし今までとは雰囲気が違った。例えるなら──獰猛な。獲物を捕らえる肉食獣のような、威嚇する意思を隠さない。そんな笑み。

 

 おそらく、実際にG1レースを制して。それ以上に、歴戦のG1ウマ娘に揉まれることで培われた精神性。今回のレースを。この桜花賞を競う17人のウマ娘たち。その全員が──()()()()のだ。

 

 見下しているのではない。驕りは負けに直結するだろう。しかし、やはり怖れはないのだ。彼女たち(リギル)から叩きつけられたプレッシャーが、ツインターボの心に落ち着きを。それ以上に"ぶっちぎってやる"という闘争心を植え付けていた。

 

『各ウマ娘、ゲートに入って体勢整いました』

 

 空は薄い雲が青を覆い隠している。ツインターボの鼻先、ちょんと雫が弾けた。けれど──瞬き一つせず。その視線はただただ、眼前を塞ぐゲートに注がれている。

 

『スター』

 

 バタンと一斉に開門(オープン)

 

『トです!』

 

 レース開幕がアナウンスされたその時には、すでにたった1つの青がロケットのごとく飛び出していた。

 

『まずはツインターボ! 良いスタートを切りましたッ。続くのはジュエルルビー、しかし外からモイストアイズが二番手を競います!』

 

 阪神レース場、ゆったりとした弧を描く第3コーナーへと疾走するツインターボ。チューリップ賞ではダイワスカーレットにプレッシャーをかけられ続けた。そして今日、そうなっても良いようにとトレーナーがトレーニングしてくれた。抜かりはなかった。

 

 しかし──幸か不幸か、背後に迫る足音はない。されど拍子抜けする暇はなく、どのみちやることに違いはない。

 

 ただ全力で。最初から最後まで、一番前を走るのだ。

 

『二番手集団固まっておりますが、最内からはスッとニシノフラワーが単独二番手、ユキノビジンと共に上がって行きますッ。ジュエルルビーモイストアイズ、さらに外からはシャレミーリズム、ブラボーツヴァイも好位の一角!』

 

 小雨が身体の前半分を濡らすが、後ろ半分は湿りすらしない。ツインターボが気持ちよくハナを突っ切る中、その背後では絶え間なく二番手争いが繰り広げられている。

 

『外からさぁナイスネイチャッ。抑えきれない感じで先団に取り付きます! 続いて上がっていったダイワスカーレット! これを後ろから見るようにスイープトウショウッ──さぁ3コーナーカーブしたところでウオッカが追走!』

 

 相変わらず忙しい実況も当人たちの耳には入らず、その先頭を駆けるツインターボは早くも第4コーナー半ばを過ぎようとしていた。

 

『先頭はツインターボッ! リードは10バ身以上!! ニシノフラワーが単独二番手の位置に上がっています!! ダイワスカーレットは三番手ッ。そしてその後方、六・七番手の位置にナイスネイチャッ、虎視眈々です! そして最内にはユキノビジンが追走しております! スイープトウショウも間から直線コースへと向かいましたッ!!』

 

 先頭から先行集団の様子を興奮した様子で続ける。それが中団に差し掛かろうというところでターフビジョンは再び先頭のウマ娘──ツインターボを映し出した。

 

『未だ先頭は大きなリードでツインターボ! しかしッ、外に持ち出していったダイワスカーレットとウオッカが足を伸ばしてくる!! 続いて間からは懸命にナイスネイチャも前に接近してくるが!?』

 

 直線500M。ツインターボの脚は──鈍らない。

 

「だぁりゃあああああああああああああああ!!」

 

 ゴールに向けて吼える。今までは自らを奮い立たせるように、背後に迫る()()を振り切るように叫んでいた。しかし今日のソレは、過去にコースで響いたモノとは一線を画していた。

 

 ただの雄叫びだ。意思の発露だ。()()に辿り着くという、それだけの決意表明だった。

 

『ダイワスカーレットッ、ウオッカッ! ナイスネイチャ! この3人が先頭に食らいつきます! 5バ身! ダイワスカーレットここで抜け出して4バ身!! ウオッカ三番手、四番手! ナイスネイチャまだ伸びる!!』

 

 後ろに迫っている強敵たちの存在に、ツインターボの心は躍る。

 

 ──まだ、こんなにリードしてる!!

 

「ターボ、俺はゴールで待ってる。ただ真っ直ぐ走って、俺の前まで駆け抜けろ。──1番最初に、俺のところに帰ってこい」

 

 それが出来ると確信して、大きな手は優しく頭をなでてくれた。それだけで十分だ。それだけが、他の何より重要だ。

 

 最後まで駆け抜けるためにッ──!!

 

「ターボはッ! ここだぁああああああ!!」

 

 目前のゴールに。すぐそこの観客席に。似合わないスーツで前のめりに自分を見つめているトレーナーに。何度だって伝えたいのだ。

 

 ここがターボの帰る場所だって。

 

『まるで鈍らないツインターボッ! ダイワスカーレットが追い込むッ! ダイワスカーレット追い込むがッ──ツインターボ今ゴールインッ!!』

 

 どうだっ、ターボが勝ったぞ! って!!

 

『桜花賞制覇ッ! ツインターボ!! ダイワスカーレットが二着となりました! G1レース二勝ツインターボッ、メンテナンスはエンジン・噴射口共に良好──!!』

 

「フッ──、フッ──!」

 

 ギザギザの歯を噛みしめる。全身が熱い。きっと頭から湯気が出てるだろうと確信した。余裕なんて無い。いつも通り全力で走りきった。

 

 でも今だけは、これまでのようにターフで転がる訳にはいかなかった。

 

「ハッ、ハァッ……。ふぅ……あっちゃぁ、また3着かぁ……。相変わらず凄いねぇターボは」

 

 かけられた馴染みのある声に振り返ると、そこには友達でありライバルの一人でもあるナイスネイチャの姿。勝利した喜びを共有したい衝動に駆られたが、ツインターボはぐっとこらえて。肩で息をしながらサムズアップのみに留めた。

 

 ツインターボの様子に何かしらの意図を察したのだろう、ナイスネイチャは一瞬キョトンとするも、次の瞬間には苦笑しつつどうぞどうぞと身を引く。

 

「これは挑戦状だぞ、ターボ」

 

 そうしてトレーナーに入れ知恵された、一つのパフォーマンス。

 

「まだ勝負は先の話だ。でも、桜花賞で勝って。観客に向かってこれをやれば、トウカイテイオーは絶対にお前を無視できなくなる」

 

 本当だろうか? そんな疑問は微塵も浮かばない。トレーナーがそうだと言えば間違いなくそうなのだから。あのトウカイテイオーが。自分の名前をいつも間違えるライバルが。コレをすることで自分を意識する。それならば叩きつけない理由はない、いつかの勝負に向けた挑戦状を。

 

 普段のレースと様子が違うことに勘付いたのはナイスネイチャだけではなく、観客席に向き直るツインターボの姿にコースは徐々に静まり返っていく。そして──。

 

「にっ」

 

 ツインターボは満面の笑みで、ギザギザの歯を見せつけながら右手を掲げた。左手は腰に当てて胸を張り、疲労で震えそうな脚で真っ直ぐターフに立つ。その右手を見た観客は、実況解説は──トゥインクルシリーズを駆けるウマ娘は。その形に何を見ただろうか。

 

 喜びを表すピースサイン。勝利を誇示するヴィクトリー()サイン。

 

 あるいは……G1レースの勝利カウント──?

 

「「「ぉ……ぉおおおおおお!!!」」」

 

 そのいずれにせよ、今年の桜花賞を制した小さな桜の女王に。観客席からは惜しみのない祝福の雨が降ったのだった。

 

 雲はいつの間にか晴れ。しかし天上の青とは交わらず、小さくも大きな青は堂々と地上の緑を彩っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナー!」

 

 薄闇に包まれつつある阪神レース場、その関係者用の駐車場。ウイニングライブも大盛況に終わってすでに一時間ほどが経っており、統制されたように帰路に就いて行った観客もない一帯は、数時間前の光景を思うと閑散として物悲しく感じるかもしれない。

 

 けれど高揚した声を上げる少女の存在が、周囲に降りかかっている帳に似つかわしくない明るさを感じさせた。疲労がそうさせるのか、ばたばたと足音を立てて駆け寄ってくるその姿に、背の高い男は苦笑しつつ忠言を黙殺する。

 

 頑張ってきたのだ。今日のために努力して、そして勝ち取って帰ってきたのだ。最初に贈る言葉が小言の類だなんて冗談ではない。しかし外で立ったまま、レースの勝利を祝ってやるのも空気が読めていないだろう。なんせ周りには同じトレセン学園の、ついさっき負かした女の子やそのトレーナーも居るのだから。

 

 だからとりあえず、一言だけ。

 

「よっ。おかえり、ターボ」

 

 その言葉に、ツインターボは鼻をふくらませて瞳を輝かせる。

 

 だって、何度伝えたって足りないのだ。

 

「ただいまっ! トレーナー!!」

 トレーナーの隣(ゴール)に早く帰りたいって、心がずっと叫んでるのだ。




参考資料:桜花賞(G1) ダイワスカーレット
https://www.youtube.com/watch?v=oMerGqtp2lI


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スタミナトレーニング

 4月。ターボが目標とするトリプルティアラ、その1つ目である桜花賞を制覇することが叶ったが、その翌週にはこちらもまた想定通り、トウカイテイオーが皐月賞を一着でゴールした。

 

 ターボ自身からも、学園でなにやら「カイチョーに続くのはボクだからねっ!」なんて言われたらしいと聞いたが。皐月賞を制覇した際、まずは一冠目と人差し指を掲げてみせたことからも、()()()()()()()()()()、トウカイテイオーはターボを意識してくれていると感じられた。

 

 G1レースを制した際のパフォーマンス。それをすることでトウカイテイオーに挑戦状を叩きつけることが出来る。俺はそうターボに伝えたが、元はと言えばこの提案はシンボリルドルフにされたものだったのだ。

 

 チームリギルの面々と併走して貰う際に親交を結んだ彼女に、いずれトウカイテイオーにライバルとして意識してもらえるようトリプルティアラに向けて励んでいると俺は(こぼ)したが、ならばと助言してくれたのが例のパフォーマンスだった。どうやらトウカイテイオーはシンボリルドルフに憧れているらしく、これをすれば間違いなく刺激出来るだろうと。

 

 結果は目論見通り、マスコミも同様のパフォーマンスからかターボとトウカイテイオーを紙面に並べることが増え、いずれどこかで競うことを望んでいるファンも増えてきたようだ。シンボリルドルフがどういう意図でアドバイスをくれたのかは分からないが、とにかくターボは以前よりの願い通り、自称ではなく自他共に認めるトウカイテイオーのライバルになってみせたのだった。

 

 そして5月を迎えた今も、次のレースに向けてトレーニングに励んでいる。トリプルティアラの2つ目、2400Mを走るオークスである。スピードとスタミナを兼ね揃えた女王を決めるクラシック競走。スピードは十分、ならばとスタミナを鍛えている真っ最中だった。

 

「うぉおおおおおおおおおっ!!」

 

 場所はいつものガレージ……ではなく、学園の中心部にあるトレーニング施設の一つである共用プールだ。桜花賞を制してからはほとんどまともにコースを走る練習をしていない。もちろん勘が鈍らないように定期的に走らせるが、費やせる時間のほぼ全てをスタミナ育成に当てていた。

 

 バシャバシャと楽しそうに水を掻いてレーンを往復するターボの姿に頬が緩むが、ターボの身体能力の推移をまとめたデータに視線を移すと少しばかり眉を寄せてしまう。

 

 ──間に合うか?

 

 正直なところ、俺は焦っている。次の目標であるオークスは2400M、ターボにとって未知のステージであるからだ。昨年9月に出走した芙蓉ステークスの2000Mがターボの経験上最長の距離。当時でスタミナの維持できる理論値が1600Mだったことを考えると、それが2000Mに迫ろうとしている現状はそう悲観したもんじゃない……が、やはり最後の最後にターボが踏ん張れるかどうかという神頼みにも似た状況になってしまう。

 

 その最後を。踏ん張れたかどうかを。その結果走りきれたかどうかを、ターボ一人のせいになんてしたくはない。だから出来るだけその距離を縮めるべく奮闘している。スタミナが保つ距離を伸ばす。ターボが孤独に掻き分け進まねばならない茨の道を可能な限り取り払うのだ。

 

「はっ、はぁっ!」

「! よしターボ、ラストだ! ここまで来たら休憩にするぞ!」

 

「はっ、うんっ!! う、お、お、おぉお~~……!」

 

 バテた様子を見せ始めたターボが泳ぐレーン、その反対側に入り待つ。俺のところまで帰ってこい、と。果たしてターボは、沈みそうになる全身に活を入れ、苦しそうにしつつも顔を水面につけず犬かきを続けた。

 

「うぅ~~っ……ごぉーーるっ!!」

 

 俺の胸に飛び込んだと同時に全身を弛緩させるターボ。俺も露出が少ない水着を着ているとは言え共用の施設であり、周囲には他にもウマ娘やトレーナーが居る。このままでは見咎められる可能性があるためすぐさまターボの脇に手を差し込んで水面から持ち上げてやり、プールサイドに腰を下ろさせた。

 

「よく頑張ったな。また往復距離が伸びたぞ?」

「はっ、はぁっ……えへへっ! はぁ、たーぼ、泳ぐの好き!!」

 

 人目のある場所で、それも互いに水着という状態でベタベタするのは良くないんだぞ、なんてお小言をくれてやりたい気持ちはあるんだが。やはりトレーナーとしては、真っ先にその努力を、その結果を労ってやりたい想いが勝ってしまう。そのせいでいつもタイミングを逃すわけだが。

 

 これまでのトレーニングでは桜花賞に向けて、とにかくスピードと。競り合った際のプレッシャーに負けてしまわないよう、勝負根性を鍛えることに腐心してきた。ターボは泳ぐことが好きなので、プールへはどちらかと言えばトレーニングの息抜き程度に連れてきていた。

 

 しかし、最近のトレーニングは坂路で鍛えるのが2割。ウッドチップコースで走るのが3割。そして実に4割をこのプールで過ごしている。残り1割は今までのトレーニングを総合的に復習するに留めており、つまるところスタミナを伸ばすことに注力しているのだ。

 

 俺の焦りは他のトレーナーに訓練メニューの推移を見てもらえば一目瞭然だろう。それほどにオークス、2400Mのレースはターボにとって難しい競走なのである。中距離の範疇とは言え未経験の長さ。間違いなく途中でスタミナが切れ、背後からはG1レースに相応しいウマ娘がスパートをかけて追い上げてくる。

 

 やれることはやってきたつもりだ。その上で、どうしても間に合わなかった部分。当日までの期間は三週間を切った。どこまで伸ばすことが出来るか……。不安が鎌首をもたげる内心が表情に出ないよう押し殺し、息を整えるターボにちらりと、思わず視線をやってしまう。この子は大丈夫だろうか、と。間に合うだろうか、と。

 

「ふーっ、ふー、ふふー♪ ふふふふ~ん♫」

 

 当の本人は、そんなことは知らんと。ニコニコと上機嫌に水面をぱしゃぱしゃ蹴り、息も整わないまま身体を揺らして鼻歌に興じていた。……心にネガティブな感情が過ぎった時、ついターボを見てしまうのはこれが理由だろうか。どこまでも楽観的な……そう。()()()()な。笑顔だけで不安も苦悩も吹き飛ばしてしまうような明るさが、俺の目を惹きつけて止まないのだ。

 

「……まっ、なんとかなるか」

「? なぁーに、トレーナーっ」

 

 泳ぎやすいようにと後ろに結った髪を手で梳いてその気楽さに与れば、ターボはこっちが受け止めることを疑いもせず後頭部から体重を預けてきた。

 

 実際のところ、ギリギリ間に合う目算ではあるのだ。ウマ娘それぞれに合った育成というものがあるが、ターボにとってスタミナを伸ばすのに最も効率が良いのがプールでのトレーニングだ。その上本人は泳ぐのが大好きと来た。プールに来た途端ストレッチもせず飛び込もうとするくらいだ。モチベーションという意味でも、適性という意味でも最高の状態、最高の環境に身をおくことが出来ている。

 

 きっと俺とターボにはこのくらいが丁度いい。俺は可能な限り悲観論であらゆる準備をする。それをターボは信頼して、俺についていけば絶対に大丈夫なのだと突き抜けて楽観的に歩んでくれる。

 

 考えなしなターボを俺が諌め、考えすぎな俺をターボが癒やしてくれる。だからまぁ、きっと大丈夫だろう。俺とターボなら。

 

「いや、負けてられないなって思ってな」

 

 ターボの信頼に負けないよう、俺もターボに信頼を。それを可能にするくらい考えて、そしてターボを育て上げる。それを繰り返せばきっと、不可能なんて無くなるのだろう。

 

「うんっ! ターボ、ぜったいテイオーに勝つんだからっ! そのためのトレーニングだもんね!!」

 

「あぁ、そうだな」

 

 そういう意味じゃなかったんだが、いちいち訂正することでもない。この真っ直ぐなウマ娘を、最後まで真っ直ぐ走れるよう。その道を整えられるよう。

 

「よしっ、ある程度は回復したな? ちょっと疲れはあるだろうが、今度はその状態で泳ぐぞ──最後まで、頑張ろうな」

 

「おーっ! こんじょぉおおーーっ!!」

 

 周囲の生暖かい視線は意図して無視し続けた。



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素人アウトドアチャンネル

モブウマチューバー視点


「配信開始、っと……。あー、テステス、みんな聞こえてるー?」

 

 アウトドア系ウマチューバーとして活動している僕は、愛用している機材のセッティングを終えて生放送を開始した。すると、告知を見て待機してくれていたらしいリスナーたちがコメントで問いかけに反応してくれる。

 

コメント

    :キターー!!

    :聞こえてるよー

    :なんか雑音すごくね?

    :いつものことやろ

    :外だからね、しかたないね

 

「オッケーっぽいね。さてさて、僕はいまどこにいるでしょーぉか!?」

 

コメント

    :うーん、空!w

    :せめて建物映せや

    :もうそのネタ飽きた

    :カメラ掲げて声張ってる姿想像すると滑稽

 

「君ら辛辣すぎじゃないっ!? 良いのかコラァ、今日はめちゃくちゃハッピーな配信になる予定なんだぞ! ナメた口叩いてると枠閉じちゃうからな!!」

 

コメント

    :と、いうことでね

    :ご視聴ありがとうございました

    :おもんな、登録解除するわ

    :次はバンジージャンプ配信で頼む

 

「フッ、読めていたさ……君らの反応なんてね……。だがっ! これを見ても同じことが言えるかなっ!?」

 

 次の瞬間、僕は空に向けていたカメラを今日の目的地にフォーカス! 何を映し出したかって? それは視聴者の声に応えたとある建物……! その出入り口……!!

 

「ドカーン!! 見よっ!! 中央トレセン学園様にやってきたぞぉーっ!!」

 

コメント

    :は?

    :!!!???

    :マ!?

    :うぉおおおおおおおおおおお!!!!!

 

 瞬間、スマホに表示しているチャット欄が爆速でコメントを流していく。はっはっは驚いたようだね! 僕だって内心なんでここに居るんだろってビクついてるさ!!

 

 ちなみにカメラを右手に、左手にスマホを持ち、生配信を成立させるためのノートPCを始めとした周辺機器を無理に突っ込んだリュックを背負っている僕はどう見たって不審者だろう。アポ取ってなきゃ警備員に即通報されていただろうね!

 

「それでなんだっけ? えーと……ご視聴ありがとうございました。次はバンジージャンプが見たいって? 善処します。じゃ、今日はこの辺で」

 

コメント

    :チャンネル登録しました

    :トーシローさんかっけー!!

    :今日ほどお前のこと尊敬した日はない

    :ってか許可とったの?

 

「ふ、まぁいいさ、許してやるさ。なんせ僕は気分がいいからねっ! 許可? 取ってるに決まってるだろ!」

 

 と、僕が今日お邪魔することになっている場所が中央トレセン学園だと分かって盛り上がるリスナーと絡んでいると、内部を案内してくれることになっていた警備員さんが話しかけてきてくれた。

 

「あ、どうもどうも、本日お邪魔させていただきます、素人アウトドアチャンネルの知郎(しろう)トーシローです。えっ、もう学内バスの準備が出来てる? すみませんお待たせしてしまったようで……僕専用!? いやもうホントすみませっ、いやありがとうございます! お世話になります!!」

 

コメント

    :警備員さんもウマ娘なんやな

    :ウマチューバー1人にバス出してくれんのかよ

    :トレセンって結構メディアに厳しいイメージあったわ

 

    :こいつ何故かこういうとこ平気で潜り込むよな……

    :知らぬは亭主ばかりw

    :トーシローは知らない。配信内容より、なぜか行く先々で有名ウマ娘が映るラッキー目当ての視聴者が多数を占めることに

    :700人くらいしかいないけどな

 

 警備員さんに引き連れられてからはあまりリスナーコメントを追えなくなり、流されるままトレセン学園内を案内してもらう。当初の配信内容としては『トーシローが行く! 人間は中央トレセン学園のウマ娘用トレーニングをこなすことが出来るのか!?』って感じで、その許可を取ろうと連絡させてもらった。

 

 するとどうだろう。安全性の観点からトレーニングの許可は出せないが、スタッフ主導のもと内部を撮影してもらうことと、先方が指定するウマ娘限定での対談を配信するという代案を頂戴したのである。もちろん僕は仰天し、飛び跳ねながらその提案を呑ませてもらった。当然僕もウマ娘のレースが大好きだからね!

 

 誰とお話させてもらえるのかは分からないけど、粗相がないように直近のレースや、今も現役で走り続ける有名なウマ娘の戦績なんかも目を通させてもらった。向こうを不快にさせることなく対談出来るだろうかという少しの不安と、それ以上に期待が高まっていく。もしかしたら、僕が応援しているウマ娘に会えるんじゃないか……!? そんな期待が……!

 

コメント

    :当たり前だけどウマ娘しかおらんw

    :リアルタイムで内部見れることとかないからなぁ

    :記事とかも大体無人だったり構図作った上で撮ってるからね

 

    :たまに居るヒトはトレーナーさん?

    :トーシローガチガチで草生える

    :恥ずかしいからもっとシャキッとして?

 

 学校案内パンフレットに載ってるような要所を次々に案内してもらい、どんどん"その時"が近づいてるんだと緊張する胸を落ち着けるべくチャット欄を覗くと、そこには無責任に僕の態度を咎めるコメントの数々……!

 

「いや君たち、このバスが今どこに向かってるか知ってて緊張するなとか言ってる?」

 

コメント

    :?

    :いや知らんが

    :教えろ

    :どこなん?

 

「僕も知らないんだけどさ」

 

コメント

    :????

    :もしかしてケンカ売ってる?

    :4ねよお前

    :今画面に向かって中指立ててるぞ

 

「冗談じゃん! 殺伐としすぎでしょ! いやあのね……なんとこの後、とあるウマ娘と対談させていただくのです! お相手は僕も知りません!!」

 

コメント

    :まーじででじままじんが?

    :ファーwwww

    :どういうコネ使ったらそうなんねん

    :そら緊張するわw

 

「でしょ!? だから緊張するのも……えっ、着いた? アッ、ハイ、ヨロシクオネガイシマス……」

 

 僕の百面相を見ていた警備員さんが苦笑しつつ教えてくれる。導かれるままバスを降りれば、少し寂れた外観のトレーニング施設に降り立った。とは言え校舎付近に比べれば経年劣化が目立つくらいで、小綺麗と言うか、しっかり手入れされてるんだなという印象だ。

 

「それで……えっ、中? 警備員さんはバスで待ってる……えっ? 一人で入るんすか!?」

 

 にっこりと頷かれ、そしてこちらの困惑は意に介さずと言わんばかりに、警備員さんはバスの中で運転手さんと話し始めてしまう。そこに割って入り文句を言える訳も無し、僕はその建物に入るしか無いようだった。

 

「ッスー……よし、行くぞお前ら。準備は良いか……? 僕はよくない」

 

コメント

    :よくないんかーい

    :相手誰だ? 流石に現役だよな?

    :有名どころなのは間違いないだろ

    :学園側が指定したならそりゃそう

 

    :行ってみればわかんべ

    :せやな

    :逝けトーシロー! 君に決めた!!

    :骨は見届けるね

 

「いや殺すなよ! 見届けるってなんだよ!? 拾えよ!! あーもういい、君たちが頼りにならないことは百も承知さ! よぅし……たっ! 頼もう!!」

 

 リスナーとの慣れたやり取りで少しばかり心の平穏を取り戻した僕は、意を決してその扉を開いた……!

 

 すると。

 

「あぁ……はじめまして。トレーナーの最上と申します。今日はよろしくお願いします。ウマチューバーの知郎(しろう)トーシローさんですね?」

 

 巨漢が、いた。身長160ちょっとの僕だが、にしたってこうも他人を近くで見上げたことはない。対談と聞いてなのかスーツを着て下さってる彼は、その下にある肉体が引き締まっていることは服の上からでも見て取れた。……えっ、トレーナーさん?

 

 鍛え上げられた身体の威容に竦んでいた僕は、数秒遅れて眼の前の巨漢……最上さんの言葉が耳に入った。トレーナーと仰ったか。そうだ、そもそもウマ娘との対談だった。それなら、この中に最上さんが担当してるウマ娘も……?

 

 その疑問に答えるように、ひょこっと。最上さんの背中から、両手を半端に広げた女の子……ウマ娘が現れた。……エッ。えぇっ!!??

 

「はじめましてっ! たー……ワタシハツインターボトモーシマス!」

 

「ターボ……失礼の無いようにとは言ったけどな。無理に敬語で話す必要はないぞ、そこまで畏まった場じゃない」

 

「そーなの?」

「あぁ、いつも通りの方がインタビューもやりやすいだろう。トーシローさんも構いませんか? ……トーシローさん?」

 

 ハッ! 最上さんに顔を覗き込まれて僕は意識を取り戻す。そうだった、最初に言うべきことがあるんだった……!

 

「ふぁっ! ファンです!! ツインターボさん!! いつも応援してます!!!!」

 

コメント

    :おぉおおおおおお!!

    :ツインターボ!? G1ウマ娘!!??

    :本物だぁああああああああああ

    :ちっこい……

    :対比物がデカいだけでは(天才)

 

 きっとコメント欄も大盛りあがりだろう、見なくても分かる。

 

 ツインターボ! あの!! 国内現役ウマ娘で逃げウマ娘と言えばの!! 先日の桜花賞を制覇した!! あの!!!!

 

「だってさ、良かったなターボ」

「へへっ、うん!!」

 

 こっちはトレセン学園に連絡を取った際、ツインターボのファンだなんて一言も言ってない。それは最上さんにも伝わっているだろう。だからきっと、最上さんは僕の言葉をお世辞と受け取っているに違いない。こちらの発言に何を思った様子もなく、傍らのツインターボの頭を撫でている。

 

 これに対し、ツインターボは心から喜んでくれたらしく、最上さんの手を受け入れてニコニコと笑顔を見せてくれた。な、なんだこの気持ちは……!? なんだか言い表せないけど、このままずっと見ていたいような、この空間を汚さないよう今すぐ逃げ出したいような、そんな感情に襲われる……!! 助けてリスナー!! ちらり。

 

コメント

    :かわー

    :かわー

    :ターボたんprpr

    :↑はい逮捕

    :気持ちは分からんでもない

 

    :守りたい、この笑顔

    :きゃわいーん!

    :もがみ? トレーナーかっけぇな

    :このヒトめっちゃすこ

    :ちっちぇー。でけぇー

 

 リスナーは配信者に似る。同じ穴のムジナ。つまりそういうことだ、僕の気持ちを落ち着ける一助になんてなる訳がなかった……! 自分でどうにかせねば……そう、そうだ! 何のためにここに来た!? 今僕はどういう状況で、どう相手に見られてる!? お邪魔させてもらってるんだ、失礼のないようにしなきゃ……!!

 

「ん"ん"っ、ごほんっ! えぇと、すみません、取り乱しました……。改めまして、素人アウトドアチャンネルの知郎(しろう)トーシローです。今日はインタビューを受けてくださり、ありがとうございます……! 今、お二人はカメラで僕の配信に映ってるんですが、問題ありませんか?」

 

「ええ。事前に伺ってますので、問題ありません」

「テレビってこと!? イェーイ!! ターボのこと見えてるーっ?」

 

コメント

    :見えてるよー!!

    :かわいいぞツインターボー!!

    :コメント見えてないだろww

    :ピースピースしとるw

    :クソガキムーブで草

 

「はは……視聴者も喜んでると思います。それでその……インタビューということではありますが、ご存知の通りツインターボ、さん、だとは思わなかったので……それに僕も記者とかではなくて、ホント、いちファンとしての素人質問ばかりさせていただくことになるんですが……本当によろしいんでしょうか?」

 

 自分で弁解しつつ現実を直視し、少し僕は青ざめた。そうだよ、なんで僕はツインターボと、そのトレーナーと一人で直接対談なんて状況に居るんだ? 記憶違いじゃなければ独占インタビューなんて記事見たことがない。どこかで情報の行き違いがあったんじゃ……?

 

「構いませんよ。正直なところ、ターボはこういったインタビューの経験があまりないので……トーシローさんのような方とお話させてもらえるのはこちらとしてもいい機会でした。むしろこちらの都合で振り回してしまったようで、申し訳ありません」

 

「いやいやこちらこそ! あのツインターボさんと、そのトレーナーさんと直接お話させてもらえるなんて光栄です!」

 

「ありがとうございます。立ち話もなんですから、どうぞこちらに。ターボ、お茶菓子持ってきてくれ」

「やったー!!」

 

「お前のじゃないぞ」

「ガーン!!??」

 

 巨躯と第一印象の威圧感からは想像できないほど最上さんの腰は低く、とても丁寧に来客用と見られるソファに案内してくれた。テーブルを挟んで同じソファに腰を下ろす最上さんとツインターボのやり取りに思わず笑ってしまい、緊張が幾ばくか軽くなるのを実感する。

 

 こうしてついに、今日のメインイベントであるウマ娘との対談……G1ウマ娘のツインターボへのインタビューが始まったのだった。

 

「えー、では、色々質問させていただければと思いますが……まずは先日の桜花賞について! 率直に、勝った瞬間のお気持ちはどうでしたか? あっ、まずはツインターボさん、次にトレーナーさんの順にお答えいただけると嬉しいですっ」

 

コメント

    :無難だけど気になるのきたな

    :いっちょ前に質問するやんw

    :どうせチラチラコメント見るんだろうし、質問してほしい内容とかチャットしていくか

    :有能

    :初のG1勝利になった阪神JFのこともヨロ

 

「見てたかトレーナー! ターボが勝ったぞー!! って思った!!」

 

「お前は……もちろん嬉しかったです。ウマ娘とトレーナーは二人三脚だとはよく耳にしますが、ターボが勝ったときは自分がゴールを走り抜けたような気持ちになりますね」

 

「なるほど、ツインターボさんだけで勝ったのではなく、最上さんと一緒に勝ったんだと。どちらかが勝った、勝たせてもらったと言うより、レースの勝敗は2人のものだ、ということですね」

 

「その通りです」

「そう! トレーナーも一緒に走ってるんだから!!」

 

「なるほど……!」

 

 いっぱしに質問や、その答えに対して考えを述べることが出来るのはツインターボとそのトレーナーが相手だからだ。じゃなきゃこんな風に知った口はきけなかっただろう……なんせ僕は知っている。いつかのレースでツインターボが勝利した時、最上さんが……そのときは顔を覚えられなかったけど。涙ながらにレースを制したツインターボを胸に迎えて喜びを分かち合ったところを。ツインターボファンなら知ってて当然なのだ。

 

 普段の雑談配信なんかでこぼすこともあって、リスナーは僕がツインターボのファンだと知っているし、彼らも大多数がそうだ。こうなればなんとなくコメントの流れは予想でき、思惑通りいくつかピックアップ出来そうな質問が流れていくのが見て取れた。

 

 失礼にならないようツインターボと最上さんに断ってから、スマホ片手にコメントを見ながらお話させてもらうことになる。

 

「じゃあ次の質問なんですが……」

 

 はじめの質問が終わり、リスナーコメントを頼りに話を進めることが決まれば、後はスムーズにインタビューすることが叶った。

 

「ツインターボさんが一番気になっているウマ娘は?」

 

「トウカイテイオー!! いずれ勝負して勝ぁーーつ!!」

「というのが目標ですが、その勝負は年末になる予定です」

 

「なるほど、年末に……楽しみですね!!」

 

コメント

    :あっさい感想やな

    :本人からライバル意識してるって初じゃない?

    :どうしてトーシロー枠で知ることになるのかw

    :年末トウカイテイオーに合わせてレース出るってことか

    :どのレースか分からんけどスクープだぞww

 

「トレーニングはどうですか? 厳しいこと、逆に楽しい場面とか」

 

「ターボトレーニング好き! トレーナーの言うことちゃんと聞いたらめちゃくちゃパワーアップするんだから!」

 

「本人がこの調子なので、トレーナーとしては有り難いですね。逃げるのが好きな娘です、それが厳しくもあり、楽しくもありますね」

 

「ファンとしては最初から最後まで全力でずっと先頭でゴールする姿はすごく爽快ですよ! 難しいことも多いと思いますが期待してます!!」

 

コメント

    :オタク特有の早口

    :でも気持ちは分かるw

    :序盤から中盤の楽しそうな顔も好きだし、最終コーナー過ぎて疲れが見えてからも、諦めず全力でゴール目指す姿は誰だって感動する

    :長文ニキに同意

 

「ツインターボさんから最上さんはどういうヒトですか? あと、普段言わないけど伝えたいこととか。最上さんからも、ツインターボさんにあればお聞きしたいです!」

 

「んー? トレーナーはねぇ、ターボのトレーナー! めっちゃ速いし、ターボのことめっちゃ速くしてくれるのっ!! ターボのトレーナーはトレーナーだけなんだから!!」

 

「えぇと、速い……? トレーナーはトレーナー……」

「いやぁ色々なトレーニングローテーションを組みますが、その切り替えが速いと言ってるんでしょう。それを経て結果が出ているので、ターボにとってトレーナーという言葉は自分を指すのだと。嬉しい話です」

 

「なるほど! 最上さんからツインターボさんに対しては……?」

 

「真っ直ぐな娘ですね。ひたむきで、疑うということを知りません。厳しいトレーニングメニューを課すこともありますが、一度だって弱音を吐いたことも無ければ、練習に疑問を持ちません。もっとも、無理をさせていないかはより注意する必要がありますが」

 

「ツインターボさんがG1レースを制してきた強みはそこにあるんですね……!」

 

「ふふーん」

 

「そうですね。あと伝えたいこと……特に無いですかね、普段から思ったことはすぐに伝えるようにしてますから。ターボが信頼してついてきてくれるからこそ、自分が言葉を濁すことはありません」

 

「信頼しあってるんですね、なるほど……!!」

 

コメント

    :てぇてぇ……

    :ドヤ顔ツインターボかわいい

    :アホの子っぽいけどワガママ言わないんやね

    :理想の親子は? って聞かれたらこの二人の名前出すわ

 

    :親子じゃないぞ。あれ、親子だっけ?

    :お義父さん娘さんをくd

    :↑連れてかれた?w

 

 途中からは緊張も忘れ、ファンとして思うまま質問を投げかけてしまった僕に、ツインターボも最上さんも嫌な顔一つせず答えてくれた。リスナーの盛り上がりも陰ることなく、配信は大成功と言っていいだろう。最初の企画とはまるで構想が違ったけど、人生最大の幸福だったことは間違いない……ありがとうトレセン学園!!

 

「では最後に、次のレースに向けて意気込みをいただいても良いですか?」

 

「めちゃくちゃ体力つけてねー、次のレースもずっと一番で勝つ!! ねっ? トレーナー!!」

「そうだな」

 

 ツインターボが両腕を上げて溌剌と言えば、最上さんは微笑ましそうにその頭を撫でた。癖なんだろうか、今日一日しか接していないのに、何度もこの風景を見た気がする。……不意に実家の父を思い出したのはなんでだろうか。父ちゃん……。

 

「ターボの言葉通り、スタミナを鍛えています。次のレース……ご存知の方もいるかも知れませんが、オークス。2400Mの競走に向けて」

 

 それを耳にして、ゴクリとつばを飲んだ。最上さんの雰囲気が、変わったような気がした。

 

「2400……たしかツインターボさんが今までに走ったレース、最長距離が2000でしたよね? かなり強気な挑戦に思えますが……」

 

「はい。問題なく勝てると思っています。仮に他の逃げウマ娘が競ってくれば、折れることなくハナを奪います。マークされてプレッシャーをかけられることも考えられます。それも関係なく、前に前に引きずり、最後には突き放します。2400M、ターボの大逃げを見ていてください」

 

 ゴクリと、再び喉を鳴らした。その雰囲気は、どこかで経験したことのあるものだ。そう──G1の。格式高いレースで、今まさに走り出すウマ娘たちが居並ぶコースの、その観客席。

 

 目の前の最上さんはヒトであるはずなのに、優駿たちが放つのと同様のプレッシャーを発しているように感じられた。ちらりとその隣にちょこんと座るツインターボに視線を移す……あらぁめっちゃキラキラした目で最上さんを見上げてらっしゃる! そりゃそうだよね、ウマ娘として、担当トレーナーにここまで言われたら嬉しいだろうね。

 

コメント

    :背筋ゾクゾクしたわ

    :オークス逃げ勝ったらいよいよ本物やぞ

    :とっくに本物だけどな

    :逆噴射ちょっと期待してるw

    :まじで見せてくれ

 

「──ありがとうございます。一人のファンとして、ツインターボさんのオークス。観客席で見届けさせていただきます……!!」

 

「今日は、ありがとうございました」

 

 この時になって、ようやく信じてくれたんだろうか。頬を緩めて最上さんは僕に手を差し出してくれた。すぐに僕もそれを取り、ガッチリと握手する。あぁ……今日まで生きててよかった……!

 

「ターボも! ターボともあくしゅ!!」

「えっ!? あぁっ、その……はっハイ!」

 

 にゅっと前のめりになったツインターボに、最上さんとの握手を解いた手をゴシゴシとズボンで拭い、恐る恐る差し出した。

 

「へへ、ありがとートーシロー! テレビのみんなも見ててね! ターボが一番でゴールするところ!!」

 

「あああありがとうございます! ホントッ、応援してます! ありがとうございます!!」

 

コメント

    :見てるぞぉおおお

    :トーシローまじ羨ましい

    :登録者700人くらいのチャンネルがなんでこんなことに

    :リアタイしてた俺ら勝ち組やぞw

 

    :ターボちゃんカワイイ……トレーナーさん結婚して……

    :婚活ネキ!?

    :ついでに子供まで得ようとするな

    :最上トレーナーと結婚したらツインターボ子供になるってマ?

 

 こうして、後に『トーシローが行く! トレセン学園!! 対談! ツインターボさん!!』とタイトル付けする動画の生配信は終了したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………なぁにこれぇ」

 

 中央トレセン学園にお邪魔して翌日。僕の"素人アウトドアチャンネル"は、登録者数が700人から30万人に増えていた。きっと表示バグに違いないと思い、同様のケースが起こってないかウマッターで調べようとした。

 

 フォロワー数が200人から10万人に増えていた。

 

「…………………………………………………………なぁにこれぇ」




参考資料:独自視点で穴馬推奨!競馬予想支援情報【サラブレモバイル】
ツインターボはなぜツインターボになり得たのか。笹倉先生にお聞きしました
https://sarabure.jp/articles/nishiduka/16695


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オークス

モブウマ娘視点


 走るのは好きだけど、青春懸けてるかって聞かれたら、まぁ……うん、まぁ。そんな感じ。だからってワケじゃないけど、必死にトレーニングして、走ること以外興味ありません、みたいな顔で頑張ってる同級生を、アタシはちょっと冷めた目で見てた。

 

「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」

 

 特にこのちんまいの。距離とかペースとか考えもせず、とにかく最初から最後まで全速力で走ろうとするバカ。中央トレセン学園は、言っちゃえばエリート校なのに。こんなのが入って来てるのにちょっとイラっとした記憶がある。

 

 進学する時は同級生も応援してくれたし、親もよく合格したなって褒めてくれた。そこまで熱心じゃないけど、アタシだってウマ娘だ。自分が特別な学校に入れたっていうちょっとした誇りがあった。それを、その価値を貶めてる()()()()が居る。首を傾げずにはいられなかった。なんで入れたの? コイツ。

 

「ぜぇ……はぁ……ひぃ……ふぅ~……」

 

 チームリギルのテストレース。一緒に走って、最初は一番前を走ってたそのコ。でも当たり前にビリでゴールしたちんまいのがのっそり息を吹き返したのを見て、思わずアタシは問いかけた。

 

「……ペース配分とか考えないワケ?」

 

 するとちんまいのは、だらだら汗を流しながら、不思議そうにこてんと頭を揺らして。次いでにっこりこう答えた。

 

「だってっ、ふぅ……最初から最後までいちばんの方が気持ちいいもん!!」

 

 それはアタシの質問に対する絶対の答えじゃない。だって、最初から最後まで一番前を走ることとペース配分を考えることは両立できるから。

 

 つまりこのちんまいのはやる気が無いのだ、アタシ以上に。思考を放棄して、やりたいことだけやって、ソレがハマればラッキー、なんて。

 

「ふーん……まっ、がんばれば?」

「──うん!!」

 

 まぁわざわざ嫌味ったらしく言ったりはしないけど。どうせ遠くないうちに学園を去ることになるんだろうな、なんてことをぼんやりと考えて。一言声をかけて背を向ければ、後ろから無駄に元気な返事。ちょっとだけ嫌な気持ちになった理由は、その時には分からなかった。

 

 それからちょくちょくソイツの活躍は耳に入った。別に気にかけてたワケじゃないけど。何かあるたびに教室で騒いでるもんだから、どうしたって聞こえてしまうのだ。

 

 メイクデビューでコースレコードを出した。……ふーん、ってかトレーナー見つかったんだ。物好きなヒトも居るもんだ。レコードねぇ……思考停止の全力ダッシュが刺さることもあるんだなぁ。

 

 それから二連敗して、次は勝った。ふーん……なんて、頭の片隅にスペースを割く程度にしか意識してなかったちんまいの。その存在をハッキリと脳裏に焼き付けたのはそれからだった。

 

 GⅢレース、サウジアラビアロイヤルカップ優勝。フロック(まぐれ)か? なんて思いもしたけど、たとえそうでもその価値は揺らがない。まぁ、もし仮に運が良かっただけだとアタシが断じたとしても、大して意味はなかっただろう。なんせ、それからひと月も経たないうちにまた、アルテミスステークス……GⅢレースで勝ってみせたんだから。

 

「アンタのトレーナーってどんなヒト?」

 

 そう聞いてみることは不自然じゃないだろう、それを裏付けるように、教室のどこかしこから視線が集まるのを感じた。当の聞かれたちんまいのは注目されていることに気づいた様子もなく、満面の笑みで答えてくれる。

 

「ニンゲンさいそく! あとでっかい!!」

 

 このバカの発言内容を追及する気は欠片もない、このタイプのコは同じ言語を使っていても話が通じないのだ。だから想像するしかなかった。

 

 ……なんだ人間最速って。そういう実績があるってこと? いや、そんなことはないハズ。実のところ、そのトレーナーは生徒の間でも有名だ。なんせ教科書に載ってるんだから。だからこそ、トレーナーとしてウマ娘を担当しての実績が無いことも知られてる。

 

 結局のところ、ちんまいのの答えではそのトレーナー像はまったく掴めなかった。でも間違いなく、このコはラッキーなウマ娘だと思った。

 

 だってそうでしょ? ──阪神ジュベナイルフィリーズ。年が明けて、桜花賞。アタシと同じ模擬レースを走ってドベだったあのコが、今では有名なG1ウマ娘になった、なんて。トレーナーのおかげに違いないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんでこんなところに居んの? それは果たして誰に対する疑問だっただろう。少なくとも自覚の上では、そのちんまいのに向けられたモノだったハズだ。

 

『樫の女王を目指すウマ娘が府中に集いました。オークスで戴冠するのは果たして誰か──』

 

 G1クラシックレース──オークス。大した実績も無いアタシが、トライアル競走(フローラステークス)で2着に入り、なんとか出走権を勝ち取った2400Mの中距離レース。

 

 そこに、あのちんまいのは当たり前みたいな顔で居た。

 

「………………!」

 

 遠く聞こえるファンファーレの中、18人のウマ娘がゲートインするため足を進める。アタシとちんまいのもその一人。後ろ姿を視界に捉えたアタシは、思わず息を呑んだ。

 

 ──大きい。

 

 身長は相変わらずチビのままだ。アタシのほうが頭一つは高いだろう。でも確かに、ちんまいのからはそうとしか言いようのない……そう、威圧感を覚えた。

 

 ダボついた勝負服から覗く引き締まった手足。──本当に? このちんまいのは本当に、あの模擬レースで一緒だったウマ娘だろうか?

 

 その疑念に囚われかけた思考を振り払い、アタシもゆっくりとゲートに加わった。

 

『威風堂々とスタートを待つのはこのウマ娘。桜花賞を制しましたツインターボ! 一番人気です。オークスをも制し、ティアラに王手となるでしょうか──?』

 

 18人。その中にはちんまいのだけじゃない、重賞を勝ってきたウマ娘がたくさん並んでる。でも……わかる。間に何人も挟んでいるのに、あのコがどこに居るのかが、わかる。それだけの存在感が、普段学園では感じられなかった()()があった。

 

『ゲートイン完了。出走の準備が整いました』

 

 いよいよ、その時が来た。ふと、トレーナーからの指示を思い返す。

 

「良いですか、自分のペースで走ってください。最も警戒すべき相手は明白ですが、それは最も意識から外すべき相手でもあります。まともに相手取って、仮に競り勝てたとしても、機を窺っていた他のライバルに漁夫の利を許すことに繋がるでしょう」

 

 あのコはレース後半、間違いなく垂れる。だから相手にせず、アタシも他のウマ娘たちと同様にチャンスを待つんだ、って。そのアドバイスを疑いもせず受け入れた。その、ハズだった。

 

 本当に、脚が鈍るのか? この威圧感、その中心に居るあのちんまいのは。レースの後半、アタシが、アタシたちが差す余地を与えてくれるのか? 今になって、不安になってしまう。

 

『──スタートしました』

 

「あっ──」

 

 思わず声が漏れた。出遅れた──その焦り以上に、瞠目する。()()()()()()()()()。瞬間、確信した。あのコはきっと、そのままゴールしちゃうんだろう、って。

 

「くっ──!!」

 

 歯を食いしばって、少し遅れながらもスタートを切る。

 

 ──どうしてだろう? 走るのは好きだ。でも正直、レースでの勝ち負けにはあまり頓着しないほう。入学して仲良くなった先輩には口酸っぱく、そのままじゃやっていけないって注意されたけど。いつまで経ってもそれは変わらなかった。

 

 でも今は……少なくとも、あのコがゴールするその瞬間まで。ゴール(いちばん)を目指すために全力で走ることを、諦めたくない気分だった。

 

 ……アンタは、どうしてここに居るの? 2400M。当たり前みたいな顔で走ってても、今前を走るまでに、諦める理由はいくらだって転がってたんじゃないの?

 

『第1コーナーのカーブに入りましたのはツインターボ。リードは6バ身、二番手ニシノフラワー、そのあとユキノビジンは三番手。そのあと4バ身開いてスイープトウショウ外目から四番手に上がって行きましたッ。内にイクノディクタス五番手です!』

 

 伸びたバ群の後ろになんとか食らいつく。前が詰まって誰がどこに、アタシが今何番手なのかも判然としない。でも──視界の先でコーナーを曲がったのが。誰がこの長いバ群を引っ張ってるのか。それはあまりにも簡単にわかってしまった。

 

「っ──!」

 

 周囲の状況に気を配って、最善の位置取りを模索する。みんなきっと作戦を立てたハズ。()()()()()()()()()って。相手にせず垂れるのを。他の逃げウマ娘と競り合って潰れるのを。マークしてプレッシャーをかけるコが居ることを。そのどれかを期待して、自分のレースを展開しようと考えたハズだ。

 

『バ群は3コーナー手前、坂の上りにかかりましたッ。いま1200M、ちょうど半分を切りましたが先頭、ツインターボ早くも4コーナーに差し掛かろうとしておりますッ!』

 

 視界に映る背中は焦ったように外へ外へ、どうにか前をかわして先頭に躍り出ようと藻掻いている。その内をひっそりと、ここから更にフリーになるだろう内ラチを攻める。4コーナーを抜けた時、空隙(くうげき)を差せるように。

 

『二番手ユキノビジンッ、600の標識を通過し第4コーナーのカーブに入ってまいりました! 競うようにスイープトウショウ続きますが──先頭ツインターボ独走状態ッ! 急坂を落ちることなく駆け上がります!! まもなく200Mの標識へ──!!』

 

「ふっ」

 

 なんて。思わず笑ってしまった。叩きつけられるような大歓声が、なんとなくレースの状況を教えてくれる。目の前で、死にものぐるいで駆けていくウマ娘たち。こんな状況でもアタシは、冷静ぶって周りを観察してる。作戦を遂行しているつもりでいる。

 

 内がフリーになる? 隙を縫って前に出る? この()の中を。アタシが? 仮にそれが出来たとして、先頭はどこに居るんだろう? 二番手に躍り出た目の前で──そう。噂の逆噴射状態、とか?

 

 ──ばっかみたい。

 

『ツインターボ先頭! ツインターボ先頭!! 脚が鈍るも逃げ切って──いまゴールインッ!!!!』

 

 レースの勝者が決まったのは、コースを走っていればすぐに体感できる。それでも気を抜いたりはしない。アタシだってウマ娘だ、一着が決まったからちんたら走るなんて、恥知らずなことはしない。クールを気取ってようがレースは終わってない。立てた作戦が的外れでも、それを途中で自覚しても。これでも真剣に、懸命に走っているつもりなんだから。

 

『桜花賞・オークスの二冠制覇! ツインターボッ、トリプルティアラに王手となりました──!!』

 

 結局、アタシは10着でのゴールとなった。座り込んだりはしないけど、汗を拭う余裕もなく膝に手をついて息を整える。

 

「ハッ、ハッ……さすが、ですね、ターボさん。──けれど、次は負けません」

 

 ふと聞こえたつぶやき。そちらに視線を向けると、イクノディクタス──アタシの一つ前を走り、ゴールしたウマ娘が。大の字に倒れて胸を上下させるレースの勝者をじっと見つめていた。

 

 ──凄いな、と思った。

 

 バカにしたつもりなんて無い。1着と9着。正直言って惜しくもなんともない差だと思う。でも……それでも、イクノディクタスは言ったのだ。誰に向けた言葉でもない、ただの決意表明。次は勝つ、って。

 

 ──やっと、分かった気がした。アタシに足りてないモノが。取り返すには大きすぎる、その差が。

 

 どうしても一つ言ってやりたくなって、アタシはそのコに近寄っていく。……もう、アタシだってフラつかずに歩けるくらいには回復してるのに。まだターフに座って肩で息をしてるのは、それだけ全力を尽くしたって証なんだろうか。

 

「……ツイン、ターボ」

 

 口に出して気づいた。多分初めてだ、それを形にしたのは。同じ教室に居ることはあっても。ちょっとした質問をしたことはあっても。アタシはこのコの友達でもなければライバルなんて立派なモノでもない。けどどうしてか、今更になって名前を呼んだことが、ひどく滑稽に思えた。

 

「はっ、はぁっ……なにっ? ()()()!!」

 

 目を見開いて驚いた。……名前、覚えてくれてたんだ。

 

「別に、大した用もないけど。……ただ、がんばったんだな、って。それだけ」

 

 急に気恥ずかしくなって、アタシは背を向けた。なんでそんなことを言いたくなったのかは自分でも分からないけど。それだけ言えれば十分だった、この場を去ってしまうには。

 

 ──でも。

 

「へへっ、うん! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

「──!!」

 

 ──なんで? なんでそんなこと覚えてんの? そんな、その場で適当に言っただけの、社交辞令みたいな言葉が。本当にアンタが、がんばれる理由の一欠片にでもなってたって?

 

「……ホント、かなわないな」

 

 足を止める理由もない。ウイニングライブまで顔を合わせる理由も、あらためて話す理由もない。でも……ほんの少し、泣きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、アタシの。デュアリングステラというウマ娘の、最後のレースは幕を下ろしたのだ。

 




参考資料:1993年 オークス(GⅠ) | ベガ | JRA公式
https://www.youtube.com/watch?v=LkbmRBwnG9Q


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暗雲

 オークスで勝利をつかむことが出来た。それは俺にとって深い安心をもたらしてくれる結果だった。ターボのスタミナを誤魔化すことが叶ったからだ。

 

 2400M競走に向けたターボのスタミナトレーニングは()()()()()()()()()()()()()と言えるだろう。理論値……他のウマ娘に序盤から先頭争いを仕掛けられず、後半もノーマークで走れた場合のスタミナが保つ距離。それは平均して2100M、調子が良くて2300Mに及ぶか否かというレベルだ。

 

 そこに渡りに船とばかりにチャンスが舞い込んだ。外部で動画配信活動をしている方の撮影に参加させてもらう機会を得たのである。

 

『2400……たしかツインターボさんが今までに走ったレース、最長距離が2000でしたよね? かなり強気な挑戦に思えますが……』

 

『はい。問題なく勝てると思っています。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。マークされてプレッシャーをかけられることも考えられます。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。2400M、ターボの大逃げを見ていてください』

 

 これを誰の目にも留まるよう発信することこそが、知郎トーシローさんによるインタビューを快諾した狙いだったのだ。ターボは主にマイルレースで実力を見せてきたものの、ゴール後の様子を見たことがあれば、いずれも余裕を持っての勝利とは言えないことがトレーナーたちの目には明らかだったことだろう。

 

 つまり、あのインタビュー配信を見たトレーナーたちは、俺の言葉を強がりだと断定したはずだ。ターボは放置したとしても、いずれは垂れるだろうと。しかし序盤の競り合いを譲らないことは間違いないため、競って潰し合う結果になることを嫌い、なおさらまともに相手はするまいと作戦を立てた。結果、ターボは気持ちよく走り切ることが出来た。理論値を叩きつけることが叶ったのである。

 

 桜花賞、そしてオークス。この2つを制したことにより、ターボの目標に向けてついに……トリプルティアラに王手をかけたのだ。

 

 しかし、俺とターボの狙いは、予想外のところで暗礁に乗り上げることになってしまった。

 

『トウカイテイオー骨折! 全治六ヶ月の見込み、菊花賞出走絶望的か?』

 

 ターボがオークスを制して2週間と経たないうちに、ファンの期待通り、そしてライバルたちの予想通りにトウカイテイオーは日本ダービーを制覇した。が、その直後。ウイニングライブの様子からトウカイテイオーの挙動に違和感を覚えた担当トレーナーが病院へ連れて行ったところ、骨折が発覚したとのことだった。

 

 トウカイテイオーが狙っているクラシック三冠、その最後は10月後半に開催される菊花賞だ。5月末に骨折し、完治するのが半年後となればもはや出走が叶わないのは明白だ。このニュースには俺も激しく動揺することになった。

 

『トウカイテイオー言ってた! あきらめないでリハビリしてっ、無敗の三冠ウマ娘になるんだって言ってたもん! だからターボもつぎの……そう、それ! しゅーか賞に勝てるようがんばる!!』

 

 だが、ターボのその言葉で励まされることになった。いや、そもそも俺が動揺したのは、トウカイテイオーの故障によってターボのメンタルに影響があるんじゃないかと危惧したからなので、順序が逆の気がするが。とにかく、学園でターボが接した上では菊花賞出走に向け、リハビリに励んでいるところらしい。

 

 であれば、俺も下手に心配してターボのトレーニングを疎かにする訳にはいかなかった。実際のところ、ターボも心の何処かでは心配している筈であり、今まで以上に調子を見定めて訓練する必要があった。秋華賞に向けて弾みをつけるために、そして中距離でのライバルたちをさらに見極めるためにと出走を考えていたレースの一切を捨て。

 

 間違いなくトリプルティアラを冠することが出来るよう、決意を新たに俺とターボは走り出した。2000M、秋のG1レースに向けて。ターボが確信している、トウカイテイオーの再起を。その先にある対決に向けて。

 

 だからこそ。9月に入ってすぐの来訪に、俺は目を丸くする事になった。

 

「どうか、力を貸してほしい──最上トレーナー……!」

「あなたは……」

 

 俺はトレーナーとして見識が浅いことを自覚している。初めて会った時、チームリギルの名は知っていてもトレーナーの東条さんのことは知らなかったように。けれど、ガレージの戸を叩き、開けてみれば額を地面に擦り付けているこの男性のことだけは、俺が……ツインターボのトレーナーである俺が知らない筈がなかった。

 

「とりあえず顔を上げてください、中にご案内します。沖野トレーナー」

「あ、あぁ……」

 

 沖野トレーナー。スピカというチームのトレーナーであり……誰あろうトウカイテイオーの担当トレーナーであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トウカイテイオーの復帰プランについての相談、ですか……」

 

 疲れが隠せていない沖野トレーナーの用件は、端的に言えばそういうことだった。5月末に骨折してからここ3ヶ月、チーム恒例ともされる合宿の企画もせず、彼とそのチームは学園内の施設でトレーニングに……それ以上に、トウカイテイオーのリハビリに全力を注いできたそうだ。

 

「手は尽くしてる、間違いなく快復に向かってはいるんだ。でも……それだけだ。医者に言われた6ヶ月が覆る見込みは薄い……」

 

「……」

 

 かける言葉は見つからない。沖野トレーナーの表情からは疲労、焦り、迷い……いくつもネガティブな感情が見え隠れしている。

 

「最初、テイオーは諦めないと言った。だから俺も諦めず、テイオーを菊花賞で走らせてやると誓ったんだ。けど……ひと月、ふた月時間が経つにつれてさ、テイオーの不安や焦りが目に見えるようになってきた。俺やチームのメンバーには見せまいとしてるけどな、俺はトレーナーだ。それくらい、分かって当然だ……分かっちまうんだ……ッ」

 

 それは彼も同じなんだろう。むしろトウカイテイオー本人より、沖野トレーナーのほうが苦しんでいるかも知れない。担当ウマ娘を骨折させてしまい、その目標を叶えることが出来ないかもしれない。自らに対する遣る瀬無さはあれど、しかし導くべきウマ娘たちにそれを悟らせる訳にはいかない。彼がこの3ヶ月間、孤独に奮闘していたのは明らかだった。

 

 もちろん、その戦いは今でも続いている。沖野トレーナーは伏せていた顔を上げ、瞳に僅かな期待をのぞかせて俺と視線を合わせた。

 

「──おハナさん……東条トレーナーからな、君の名前を聞かされた。最上トレーナー、君なら……テイオーを菊花賞に間に合わせることが出来るかもしれない、って……!」

 

「……ずいぶん、買い被られているようですね」

「恥知らずなのは重々承知だッ。その上でッ、頼むッ……!!」

 

 恥知らずと言うのは、ターボがトウカイテイオーをライバルとして意識していることを彼も知っているからだろう。敵に塩を送れと要求している。そしてターボがトウカイテイオーとの対決を望んでいる以上、俺に力を貸さないという選択肢は無いのだ。ある意味強かとも言える来訪である。

 

 でも、少し接しただけで理解できた。彼はとんでもなく不器用な人間だと。断れないだろう俺を頼るという考えは推論の上にたどり着いただけのものであり、彼は()()()()()()()()協力を要求している訳では決して無い。仮に俺が、ターボを勝たせることで富だの名声だのを求める人間だったとして、その上で彼の頼みを断ったとしても、それをターボや他の人間に吹聴したりはしないはずだ。

 

 それでも、やはり断りづらい類の頼み方をしてしまっているという客観的事実に基づいて、彼は心底申し訳無さそうに頭を下げる。俺が受ける、あるいは断るという選択をするまでは、誰に対しても必要とあらば助けを乞うて見せる。トウカイテイオーを菊花賞で走らせるためには何だってやってみせるのだと、その態度が物語っていた。

 

「……まずは、今日までに沖野トレーナーが実践してきたプランを確認させてください。あとはトウカイテイオーの骨折の詳細を。可能なら普段の食生活や、メイクデビューからの……それ以前からでもトレーニングメニューの内容とその成果の推移。ここまで見せていただいて、ようやく助けになれるかどうかの判断が下せます」

 

「もちろんだ、要点を絞ったものではあるが、あらかた資料をまとめて持参した。受け取ってくれ」

 

 さすがに渋るだろうなと思いつつ、参照したい資料を要求すれば……なんとそのいずれもが綴じられたバインダーを渡されてしまった。

 

「──言っておいてなんですが、良いんですか? 一応、トウカイテイオーのライバルのつもりですよ、うちのウマ娘は。もちろん、自分もそのつもりです」

 

 これはトウカイテイオーの、今までのレース人生の全てと言っても過言じゃないモノだ。まだクラシック級と道半ばとは言え、今後にも通用する重要な資料……間違っても同じレースを走る可能性があるウマ娘のトレーナーに見せて良いものじゃない。

 

 だが、そんな心配は彼にとって、あまりにも的はずれなものだったらしい。

 

「問題ない。大事なのは菊花賞までに復帰できるかどうかだ。その資料が誰に見られようが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 何の気なしに言っただろうその発言に、俺は背筋に粟が立つような恐ろしさを感じた。……なるほど、これが一流トレーナーたる所以なんだろう。この資料の重要さを理解した上で、()()()()()()()()()()()()()と断言できてしまう豪胆さ。あやかりたいものだ。

 

「わかりました。拝見します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ありがとうございます」

 

 資料をめくりつつ、疑問点を沖野トレーナーに補足してもらい、どれくらい時間が経っただろうか。俺は長く長く息を吐いたのち、そう一言漏らした。

 

「それで……どうなんだ?」

 

 俺がトウカイテイオーの菊花賞出走に向けて、力になれるのか否か。それを問われている。

 

 資料は非常によく纏まっていた。トウカイテイオーというウマ娘の性質をこれ以上無いほど正確に、わかりやすく理解することが出来た。最も重要な点である骨折についてもそうだ。患部は左足、中指の付け根。すでに歩行は可能であり、快癒を妨げないよう全身運動と上半身のトレーニングに注力していること。

 

 一点眉を寄せたのは、そのリハビリにメジロ家が介入しているらしいということだ。一般的に、ウマ娘一人に対しトレーナーを二人以上つけるのはご法度とされる。いいとこ取りの指導なんて夢のまた夢で、それぞれの指導方針から足の引っ張り合いになったり、ウマ娘からしてもどちらの言うことを優先すれば良いのか分からなくなるからだ。

 

 このリハビリに関しても、名門たるメジロ家と密接に連携して治療にあたっているとは到底思えない。どういう投薬をしたのか。どういう運動をさせたのか。それがどういった理論に基づいて成されたのか。名門であるほど研究は秘匿するものだ、説明してもらえる訳もない。まぁ、資料を読む限りは同じチームメンバーのメジロマックイーンが、個人で用意できる人員だけを用いて善意から協力しているみたいだが。これについてはメジロ家の()の人間と直接折衝するか、あるいは一切の手出しを断るべきだろう。

 

 閑話休題、今すべきなのは沖野トレーナーが心を砕いてきたトウカイテイオー復帰プランと、その可否について議論することじゃない。後々はそれこそが最も重要になるが。まずは一言、こう告げるべきだろう。

 

「菊花賞までに自分が治す、なんて分不相応なことは言えません。でも、()()()()()()()()()()()()ことであれば、間違いなくお力になれると思います」

 

「──信じて、いいんだな……?」

 

 その言葉を待っていただろうに、あるいは理想でしか無いと頭の片隅では冷静に諦めてしまっていたんだろうか。沖野トレーナーは震える声で、つぶやくように問いかけてきた。

 

「ここまで用意していただいたんです、不義理な真似はしません。それに……自分にとっても、うちのターボにとっても。トウカイテイオーには三冠を獲って貰わないと困りますから」

 

 そう言って右手を差し出した。沖野トレーナーは意図を違えることなく、同じく右手で……いや両手で。固く強く、俺のそれを握る。

 

「よろしく頼むッ……!!」

 

 深々と下げられた頭。彼の頬を伝ってこぼれた涙を、俺はきっと、いつまでも忘れないだろう。

 



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蒼天

 10月も半ばを過ぎようとしていた。沖野先輩がこのガレージを訪ねてすでに一ヶ月以上が経っている。今日まで俺はターボのトレーニングを指導する傍ら、沖野先輩と連携してトウカイテイオー復帰に向けてプランを練ってきた。

 

 今日は、その成果が問われる土曜。トウカイテイオーは骨折の際に触診してもらった病院を訪ねているらしく、そこでドクターストップがかかるか否かで彼女の菊花賞出走が……無敗の三冠ウマ娘という目標への挑戦が叶うかどうかが決まるのだ。

 

「……大丈夫、だとは思うが」

 

 誰もいないガレージの中、椅子の背もたれに深く身を預けて。天井を仰ぎつつ息を吐いた。俺と沖野先輩の目には、トウカイテイオーは九分九厘快復したように映る。もちろん、今までと全く同じように走れるかと聞かれれば首を横に振らざるを得ないが、それは悪いことばかりではない。

 

 不安を振り払えない頭をなんとかしようと、俺はこの一ヶ月で何度もめくったバインダーを改めて開き、視線を落とした。左足、中指付け根の骨折。その治癒を早めるべく、俺と沖野先輩は思いつく限りの療法を試みた。

 

 例えばタオルギャザー。これは地面にタオルを敷き、それを足の指で掴むように引き寄せるというもので、足の障害に対するリハビリ運動だ。指の付け根に負担がかかり過ぎないようアレンジする必要はあったが、当初は除外していたらしい患部そのものの運動機能維持・あるいは鍛えるという選択肢を提示できた。トレーニングの基礎である超回復を応用すること、つまり()()()()()()()()()()()()ことで治癒促進を期待したリハビリである。

 

 さらに食生活の改善。骨折してからは有酸素運動の継続が困難なために、間食を控え、好物のはちみつドリンクを飲む回数も減らしたらしいトウカイテイオーだったが、結論から言ってこれらは患部の回復に寄与しないどころか悪影響を及ぼしている可能性があったため、その管理にも口出ししたのだ。

 

 本格的なトレーニングをしなくなったことでその合間に摂らなくなった食事……これは補食と呼ばれるが、その影響でトウカイテイオーは空腹で居る時間が増えるようになった。怪我をして運動をしなくなろうが内臓機能は変わらず、当然のようにそれまでと同じ食事をよこせと腹の虫が鳴くのである。無論トウカイテイオーは運動もしないのに食べて太ってはいけないとこれを我慢した。

 

 しかし、空腹が続くと血糖値が上昇し高血圧になる。結果として血液循環に悪影響を及ぼすことに繋がるのだ。骨折の回復には、患部周辺の血流が豊富であることが重要だ。もっと言うならトウカイテイオーが我慢してきたはちみつドリンク。これは1500円もする学生の財布にはなかなか痛い高級飲料だが、それはウマ娘向けの商品ということで、つまるところアスリート向けの嗜好品なのだ。はちみつには食後の血糖値上昇を抑えてくれる効果もある。

 

 結論だけ言えば、トウカイテイオーの食事を一日5回に増やし、1回ごとの食事量をすこし減らした。そして食後には好物のはちみつドリンクを欠かさず飲んでもらい、そしてタオルギャザーに集中して取り組んでもらった。上半身のトレーニングのついでに行ってもらったリハビリではあるが、あれはそれだけに取り組もうとすると中々の苦行である。成果を実感できないし、何より地味だからな。好物を我慢しないことは多少モチベーションを上げてくれたことだろう。

 

 他にも細々としたプランを実践してきたが、概ね俺が口出ししたのはこんなところだ。最初は少しばかり嫌悪感を滲ませていたマッサージも、憧れているらしいシンボリルドルフの口添えもあって受け入れられた。

 

 特にタオルギャザーについてはそれなりに効果があったと思うが、その副次的効果と言おうか、トウカイテイオーの足先はこれまでにない強靭さを獲得した。これは骨折の原因ともなったトウカイテイオーの柔軟性を多少失わせるものであり、今後の骨折に対する懸念が軽くなったことに対し、少なからず走法に悪影響を及ぼしただろう。

 

 これをデメリットとするか、はたまた新たな武器としてトウカイテイオーの成長に繋げるのか。無責任ながら、これは沖野先輩の手腕にかかっていると丸投げする他無い。

 

 と、トウカイテイオーの今後とそれを導く沖野先輩に思いを馳せていると。ドンドン、ドンドンッ、とガレージの扉が強く叩かれた。考え込みすぎて人が来る気配に気づかなかったようだ。そして誰が来たのかは考えるまでもない。結果がどうあれ、その報告には直接足を運ぶと連絡は受けていたのだ。

 

「最上くんッ、居るか!? 開けてくれ、報告に来たッ!!」

 

 興奮した様子の、扉越しに立つ沖野先輩の姿を幻視した。その表情は見ずとも予想できる。大きくとも震えた声が、そこに滲んでいる喜びが、彼の顔を見ずともわかるようだった。

 

 そして──扉を開くと、沖野先輩の姿は俺の脳内とまるで違わないのだ。

 

「最上くん……! ありがとう、本当にッ……ありがとう……!!」

「……その様子ですと、結果は聞くまでもないようですね。──やりましたね、おめでとうございます」

 

 俺の顔を見た途端、一も二もなくいつかのように深々と頭を下げ、感謝を示してくれた沖野先輩。そして……その半歩後ろに並び立ち、居心地悪そうに頬をかく少女の姿が、何よりも雄弁に朗報を語っていた。

 

「とりあえず出走登録の許可は出たんだ、レース直前にまた問診を受ける必要はあるが、ドクターストップは無かった。……君のおかげだ、感謝する……!」

 

 バッと顔を上げて簡単に顛末を聞かせてくれると、沖野先輩はまたも直角に頭を下げる。……4ヶ月もの間、トウカイテイオーのために必死で打開策を探ってきた彼だ、力添えした身としてその気持ちは十分伝わった。けれど。

 

「頭を上げてください、沖野先輩の構築したプランと資料があったから口出しできたことです。あまりそう手柄を押し付けられても困りますよ」

 

「君はそう言ってくれるけどなぁ……」

 

 彼の肩に手をおいて顔をあげるよう促せば、渋々ながら沖野先輩は視線を合わせてくれる。その顔に相変わらず疲れは見えたが、それ以上に燃えるような情熱を瞳に宿しているようだった。

 

「とにかく、テイオーはなんとか菊花賞に間に合った。改めてありがとう、最上くん。ゆっくり話したいところなんだが、出走登録の期限が明日でな。今日はすぐに戻ることにするよ」

 

「分かっています。というか、わざわざこんな所まで来なくて良いって言ったじゃないですか」

「そういう訳にもいかないだろ……直接礼を言いたかったし、それにテイオーも一言伝えたいって聞かなくてな」

 

「君が?」

 

 沖野先輩が言いつつ視線を向けた先、トウカイテイオーに目をやると、彼女は気まずそうに頷いてからジトっと沖野先輩を睨んで口を開いた。

 

「……そうだけど、トレーナーいいの? バス降りてすぐ走り出しちゃうんだもん、運転手さん、待っててくれるの? ボク、トレーナーが運転手さんに何か言ってるとこ見てないけど」

 

「……マズい! くっ……すまん最上くん、今日はこの辺で失礼させてもらう! 今度メシでも奢らせてくれ!! テイオー! 早めに戻ってこいよっ、それまでバスを足止めしとくからなぁあああ……!!

 

 言いつつ沖野先輩はバスの停留所に向け駆けていく。ここからじゃバスが待っててくれてるのかは見えないが、運転手が気を利かせてくれていることを願うばかりだ。

 

「それで、何かなトウカイテイオー」

 

 沖野先輩の後ろ姿から視線を戻せば、トウカイテイオーはどこか上の空といった樣子で言う。

 

「……トレーナーと仲良いの?」

「? 悪いってことは無いが、どうだろうな……今回の件があるまで先輩って呼ぶことも、最上くんなんて呼ばれることもなかったしなぁ……」

 

 この一ヶ月連携し、それなりに親睦を深めた自覚はあるが。仲がいいかと聞かれると首を傾げるところだ。今後ライバルトレーナーとしての関係はあれど、実際食事なんかに行く機会が訪れるかは定かじゃない。もちろん、誘われれば断る理由はないが。

 

「ふーん……あっ、その、違う違う……。そんなことが聞きたいんじゃなくて……その。あ、ありがとうね、最上トレーナー。担当じゃないのにこんなに助けてもらって、おかげで菊花賞に出られる。……ボクはまだ、目標に向かって走ることが出来るんだ……」

 

 謝意は感じたが、ついでのように続けられた言葉尻からはそう嬉しそうな様子は見られない。……まだ、その実感が湧かないんだろう。沖野先輩も不安だったろうが、当の本人がどれほど苦しんでいたかは、結局のところ協力者の立場にすぎない俺には計りかねるところだ。しかし、さらに口をついた言葉には間違いなく強い感情が宿っていた。

 

「……トレーナー、さ。病院から帰って会いに行ったら、全然待ってなんていなかったんだ。いつもお金がないって言ってるクセに、高い本たくさん買って散らかして……床なんて栄養ドリンクの瓶がいくつも転がってるんだよ? ボクには身体を第一に考えろ~なんて言っといてさ、ホント勝手だよね……」

 

 言われるままに想像しようとすれば、その様はありありと脳裏に浮かんだ。むしろ似たような場面は何度となく見てきたのだ、今日もまたそうであったことに不思議はない。けれどトウカイテイオーにとってはそう簡単に受け入れられる状況でもなかったのだろう。その瞳は潤んで、どこか儚げに映った。

 

「──勝手なのはボクだったんだ。お医者さんの言うことも、トレーナーの言うこともイヤだイヤだって。絶対諦めないんだって。……トレーナーがあんなに頑張ってくれてるって。よそのトレーナーにまで頭下げてくれるなんてさ。考えもしなかったよ、ボクが諦めずに頑張れば良いなんて……そんな簡単なことじゃなかったのに」

 

「……沖野先輩は、君が諦めないと言ったら自分も諦めないってさ。その言葉に責任を感じるなとは言わない。でも……()()()()()()()()()()()()()()。君が勝手なら沖野先輩も勝手だっただけさ。簡単な道じゃなかったろうけど……その一点に関しては、もっと気楽に考えて良いと思うよ」

 

 自分のために己をすり減らして頑張る沖野先輩を目の当たりにして、罪悪感を覚えてしまったのだろうか。悪いことじゃない。でも決して良いことでもない。

 

「……きっとトレーナー、ドクターストップがかかっても諦めないつもりだったんだ。だからボクが戻るまでの間も、ずっと復帰プランのこと考えてた。……もしドクターストップがかかってたら、ボク……諦めないで菊花賞に出るって、言えなかったよ」

 

「君たちの間の話だ。俺が偉そうに口出し出来ることなんて無い。でも……もしそうなったらきっと、沖野先輩は悔いたことだろうな。君に諦めさせてしまったことを」

 

「トレーナーは何も悪くないのに? 骨折させたのはトレーナーが悪いんじゃないかなんて言うヒトも居たけど、そんなこと無いのはボクが一番わかってるんだよ」

 

「それでもだ。トレーナーってのはきっと、そういう生き物なんだろう。ウマ娘(君たち)ゴール()に向かって走り続けるように。トレーナーってのも、それに夢を重ねて諦めないことそのものを、諦めたくないんだろうな」

 

「──ははっ、なにそれ。意味わかんないよ……」

「そうだな、俺だって分からん。なにせ新人なんだ……俺の言葉なんかより、沖野先輩の背中を見てる方が、よっぽどわかりやすいだろうさ」

 

「そっか。じゃあ──そうするよ。ボクの夢が叶う、その瞬間まで」

「ああ。さぁ、行ってらっしゃい。あらためて骨折完治、おめでとう。菊花賞で無敗の三冠を達成できるよう応援してるよ」

 

「──うんっ。ありがとう最上トレーナー……じゃあ、ボク行くから!」

 

 そうしてトウカイテイオーは沖野先輩の背を追って駆け出した。その後姿に力強さは感じられない。でも……沖野先輩の背を追うことの自然さが見て取れた。

 

「……強敵復活、だな」

 

 ひとつ呟いてポケットから携帯を取り出す。トウカイテイオー復活の一報を待っていたのは当然ながら俺だけじゃない。

 

『──トレーナー!? テイオーなんて!?』

 

 発信音がいくつ鳴ることもなく繋がった通話。受話口からはひび割れた音質で聞き慣れた声が耳朶を鋭く突いた。

 

「ターボの言う通りだったよ。トウカイテイオーは諦めなかった。きっと無敗の三冠ウマ娘になるぞ」

 

 持って回った俺の言い草に、それでも珍しくターボは意味を悟ったらしかった。……いや、最初から信じていたんだろう。

 

『~~~~っ! えへへっ、じゃあ最初はターボの番だっ!!』

「あぁ、絶対勝つぞ……()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 トウカイテイオーの三冠と同じ土俵に立つべく掲げた目標。トリプルティアラの最後の一つは、明日に迫っていた。

 



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信頼

三人称視点


 最上トレーナーと出会い、トゥインクル・シリーズを駆け始めてからツインターボの生活は激変し、それはツインターボ本人にとって全てが歓迎すべきものだった。しかしここ数ヶ月で起こった出来事は、それまでの爛漫さを曇らせるに十分なものであった。

 

 級友であるデュアリングステラという少女の自主退学。本人の希望でひっそりと行われたそれは、数日にわたる欠席を心配した級友たちが教員に直接確認するまで知られることはなく、故に知った時には別れの言葉を交わすなど出来るはずもなかった。ただただ寂しさが時間とともに胸に染みるのみだった。

 

 どうして退学したのか。なんで教えてくれなかったのか。そんな胸中のモヤモヤをツインターボが振り払う間もなく、さらに衝撃的な事件は起こる。ライバルたるトウカイテイオーの骨折。デュアリングステラの例もあり、ツインターボも本人に突撃して話を聞こうとした。この時にはデュアリングステラの退学理由がレースの成績不振との推測が生徒の間で流れていたが、骨折を始めとした怪我も退学の理由になり得るのはツインターボにも明らかだった。

 

 トウカイテイオーが退学するかもしれない。ツインターボが血相を変えるには十分すぎる懸念。だが、その心配はあっけなく解消された。当の本人が否定したからである。諦めずリハビリし、無敗の三冠ウマ娘になるのだ、と。ツインターボは破顔してこれを喜んだ。あのトウカイテイオーが言うのだ、間違いなくトウカイテイオーは怪我を治し、復帰することだろう。そう確信した。

 

 それからは今までと変わらず、ツインターボは秋華賞に向けてトレーニングを重ねた。なぜだかレースに出走したいという欲求は鳴りを潜めたが、それを察したのかトレーナーはレースの予定を組まなかったし、ツインターボも異を唱えることはなかった。

 

 秋華賞。ツインターボには走行経験の無い京都レース場が舞台であるために、ひと夏をその対策に費やすことになった。

 

 不安は無かった。トレーニングはいつも通り苦しくも楽しかった。何の問題も無い──その筈だった。けれどなぜだか、やはり。それまでにトレーナーにねだったように、レースに出たいという衝動を覚えることの無い日が続いた。

 

「ターボ。トウカイテイオーの怪我なんだけどな……あまり良くないらしい」

 

 学園が新学期を迎えてすぐのことだ。授業を終えてまっすぐガレージに向かったツインターボに伝えられたトレーナーの言葉。自覚せずとも薄く胸に広がっていたモヤモヤは一息に溢れ出した。

 

「退学するのっ!?」

 

「退学……? いや、そんなことにはならない筈だ。けど、菊花賞に出られるかどうかが怪しい。だからって訳でもないんだけどな、ターボ。スピカの……トウカイテイオーのトレーナーからリハビリの協力をお願いされたんだ。しばらく、スピカの方に顔を出しに行くことが増える。お前のトレーニングに支障は出さんつもりだが……一応、相談しておこうと思ってな」

 

 最上からすれば、少しばかり決まりの悪い内容だった。事後報告である上に、客観的に見れば利敵行為そのものだ。ツインターボには万に一つも考えの及ばないことだろうが、一応は一般的な感性を持つ彼にとって、担当ウマ娘を放置してライバルウマ娘に目をかけると言うのは後ろめたさを覚えることだった。

 

 そして申し訳無さそうな最上に対し、ツインターボは一瞬ポカンと口を開き、次いで爆発することで答えた。

 

「トレーナーがテイオーに……ほっ! ホント!? トレーナーがテイオーのケガなおすの!? すごいすごい!! じゃあ絶対だいじょうぶだ!! だってトレーナー、ターボも走れるようにしてくれたもんっ!!」

 

 無論、不平不満からではなく、心底からの全肯定で。それは思わず最上の顔も綻ばせるものであった。

 

「──そうだな。お前の信頼に応えられるよう、頑張るよ」

 

 ツインターボの言葉にプレッシャーを覚えなかったとは言えない。でもそれ以上に、その信頼が不可能を打ち破れるような自信に繋がった。その返礼に、あるいは小さな身体に秘められた揺るぎなさへ触れたくなり。最上はツインターボの頭を大切に撫でた。自らの感動が少しでも本人に伝わればいいと。

 

「うん! がんばれトレーナー!! ターボも特訓がんばる!!」

 

 もちろん最上の想いなど伝わるはずもなかったが、ツインターボに最も必要だったものは当然に授けられた。自分の走りたいようにレースを走らせてくれるトレーナーが居る。そんな安心感が。

 

 ライバルをきっと治してくれる。レースに対する向き合い方も、トレーナーがいずれ察して、いつの間にか支えてくれている。そこまで明確に自覚できてはいなかったが、トレーナーの存在は精神的支柱となって、たしかにツインターボの心を安定させたのだ。

 

「トレーナー!? テイオーなんて!?」

「ターボの言う通りだったよ。トウカイテイオーは諦めなかった。きっと無敗の三冠ウマ娘になるぞ」

 

「えへへっ、じゃあ最初はターボの番だっ!!」

「あぁ、絶対勝つぞ……明日の秋華賞で、トリプルティアラだ」

 

 トレーニングの最初と最後には必ず側に居たが、それでもトレーナーが席を外すなか訓練する日が続いた。けれどその孤独な時間の重なりは奇跡への道筋であることをツインターボは信じていたし、やはりそれは間違いなく成ったのだった。

 

 トウカイテイオーは菊花賞に出走できる。そして無敗の三冠ウマ娘を現実のものにするだろう。それに先んじて、トリプルティアラを冠するのだ。ツインターボは秋華賞に向けてターボ全開だ。

 

 少なくとも本人はいつだって、そのつもりなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぁ、ターボ。やっぱり、何か不安なんじゃないか?」

 

 秋華賞当日。この日を迎えてから、トレーナーと合流して、バスに乗って。そして京都レース場に着いてなお、その問いは何度もツインターボにかけられた。

 

「えー? だいじょうぶだってばトレーナー! ターボ今日もエンジン全開!!」

 

 両腕で力こぶを作りニカっと笑うツインターボに、やはり最上はどことなく不安を拭えなかった。何がと言い表すことが出来ずとも、幾度と勝利を重ねたレースの直前と、今のツインターボと。両者が異なっていることは彼の目には明らかだった。

 

「……ターボ、今日のレースに勝ったらトリプルティアラだ。どんな気持ちだ?」

 

 最後の確認にと。このやり取りでツインターボの違和感をどうにか明確にしようと、最上はツインターボと視線を合わせるように腰を落とし、その両肩を優しく包んで言葉を続ける。

 

「んー? ウオッカとダスカに勝ーつ!! おーか賞では勝ったけど、その前にダスカと勝負して負けちゃったし、けっきょくウオッカに持ってかれたからなー……今日も全力で逃げ切ってゴールする!!」

 

 最上の言葉にうぅむと腕を組み、今日のライバルたちへの抱負を述べるツインターボ。ウオッカとダイワスカーレットの他にも、どのウマ娘にも負けたことがあるだとか、あるいはまた勝って見せるだとか、そんな言葉が続いた。

 

 それを聞いて、最上は内心感動していた。実のところ懸念はあったのだ、いつかの己のように天狗になり、いずれ戦うトウカイテイオーのことばかり考え、今日の秋華賞を制してトリプルティアラを獲ることを当然と思ってやしないかと。ツインターボに限って、という思いはあれど、それに目が曇って見誤ってはいけないと問いかけた。

 

 だがどうだろう? 自分とは違い、やはりツインターボは今日のライバルを侮ってなど居なかった。この娘を担当出来たことは幸運であったと、そんな想いを敬意とともに、あらためて抱くことになった。

 

 ゆえにこそ、ならば大丈夫だろうと。万感の想いを信頼にのせ、最上は小さな巨人にその言葉を告げるのだ。

 

「……そうだな。俺が見れなかった時間もしっかり特訓してたってちゃんと知ってる。()()()()()()()()()()、お前ならきっと走り抜けられる」

 

 ツインターボの違和感には(つい)ぞ気づけなかった。でもこの娘ならやり遂げられるだろうと、最上は信じて問答を打ち切った。

 

「うん! ターボがんばっ──」

 

 ──その言葉が、意図せずツインターボの天啓となる。

 

『ふーん……まっ、()()()()()?』

『──うん!!』

 

『……ツイン、ターボ』

『はっ、はぁっ……なにっ? ステラ!!』

 

『別に、大した用もないけど。……ただ、()()()()()()()()、って。それだけ』

『へへっ、うん! ステラががんばれって言ってくれたし!!』

 

『──……ホント、()()()()()()

 

 一緒にレースを走ったデュアリングステラ。走り抜けた後の、彼女との記憶。トレーナーの言葉で想起したそれと、自分が続けようとした言葉。

 

 ──ターボがんばって特訓したんだから!!

 

 その瞬間、ツインターボは級友が退学した理由を直感した。きっとデュアリングステラは、()()()()()()()。あるいは、頑張ったと胸を張ることが出来なかった。ツインターボの努力を応援してくれた彼女は、誰よりも己の努力を認めることが出来なかったのだ。

 

 漠然とした不安の正体が、ツインターボの中で像を結ぶ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そんな──杞憂であった。

 

「……ターボ?」

 

 途中で口を止めたツインターボへの心配。それ以上に、彼女の雰囲気が様変わりしたことを肌で感じ取って最上はその名を呼んだ。

 

 それに対し、ツインターボは──。

 

「……うん。そうだ、ターボがんばったんだから。だからね、トレーナー。──今日、ターボ、ぜったい勝つからね」

 

 ()()()()()とともに、そう答えた。

 

 自分が勝ったことで誰かが負ける。当たり前のことだ。その結果、誰かが学園を辞めるかもしれない。たしかにそれは寂しいことだ。しかし、その誰かが居なくなった原因を自分だと断じることの愚かさを、ツインターボは本能で悟っていた。

 

 それはレースで競った相手に対し、最大限の侮辱であったから。

 

 みんな勝つために努力し、レースを走り、願いを叶えるのだ。もし自分が負けた時、勝ってしまって申し訳ないなんて本心から言われたらどうだろう? きっと大声で発言の撤回を求めるだろう。

 

 デュアリングステラが学園を去った。果たして彼女はツインターボを恨んでいただろうか? そんな訳が無いとツインターボは知っている。自分を応援してくれた友達(ステラ)は、決してそんなウマ娘ではないと知っているのだ。

 

 鬼気迫る様子のツインターボに最上は返す。

 

「──ああ。全力でぶっちぎって、一番で帰ってこい!」

 

 さっきまでよりも明らかに。目に見えて様子の変わったツインターボに、これで大丈夫なのだと何の根拠もない確信を以て。表情を交換するように、真剣な表情のツインターボを最上は笑顔で見送った。

 

 そのどちらにも、もはや名も無い不安など存在しなかった。

 



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秋華賞

 ツインターボにとって、競走というのは楽しく、そして悔しいものだった。

 

 スタートしてしばらくは最高の気分だ、なにせ自分が一番前を走っているんだから。しかし、コーナーを一つ過ぎて、二つ過ぎて。あるいはそれより前に、誰かが自分の横を駆け抜けて、それを奪って行ってしまう。

 

 勝ってる時間があって、その間は最高に気持ちが良くて。でも最後には負けたという結果だけが残る。ツインターボにとって競走というのは、勝利と敗北が両立する複雑なモノだった。

 

「へへっ、1番はボクがもらうよ──ッ!」

 

 あの日、チームリギルの選抜を目的とした模擬レース。ツインターボはそのウマ娘に目を奪われた。横から余裕の表情で一番をかっ攫って行ったウマ娘──トウカイテイオーに。

 

「ま、ボクなら当然の結果だねっ!!」

 

 ツインターボがヘロヘロとゴールして、ぜぇぜぇと息を荒らげる中で。観客の声援にトウカイテイオーは、声を弾ませて胸を張っていた。

 

 トウカイテイオーは──キラキラと輝いていた。

 

 羨ましかった。憧れた。余裕でなくたって良い。最後にはヘロヘロで、立ち上がれなくなっていたって構わない。自分だって一番で。ずっと一番前を走り続けて。ゴールを駆け抜けてみたかった。

 

 あんな風に、キラキラの中で笑ってみたかった。

 

 ツインターボの目に映る勝利は、無色透明だ。青い空、緑の芝。たくさんのウマ娘を視界に入れず、一番前でその境目に手を伸ばす。目に見えないけれど、必ずそこにあるはずだった。透明で──それでもキラキラとした何かが。

 

 だから我武者羅に、何度だって手を伸ばす。最初から最後まで全力で。目に見えないソレを掴み取ることがきっと自分にも出来ると、そう願って。

 

「良いか、よく聞けツインターボ。お前はバカだ。大バカだ。みんな絶対そう思ってる」

「……ターボ、バカじゃないもん」

 

 運命の日。出会ったばかりの大きな男性に、自分でも薄々勘付いていながら目を背けていたそんな事実を突き付けられた時。唇を尖らせて耐えたものの、ちょっぴり泣き出しそうになってしまった。

 

「周りはお前をバカだと思ってるが──お前は天才なんだよ」

 

 けれど、そのヒトは認めてくれていた。みんながツインターボをバカだと思っていると。そう指摘しながらも天才だと言ってくれた。

 

「ターボが……天才……?」

 

 トウカイテイオーのことじゃなくて? レースを見ていたヒトもウマ娘も、みんなトウカイテイオーをそうだと言っていた。だからあまりにもその言葉は現実離れしていたのだ。この自分が、あのトウカイテイオーと同じ? ツインターボは別の意味で泣いてしまいそうだった。お腹の底からじわじわとこみ上げる喜びが、それまでの疲れを吹き飛ばしてしまうようだった。

 

「ツインターボ、難しいことを言うぞ。俺を信頼しろ。自分はバカだから、トレーナーの言うことを聞けば間違いない。そう信じてくれ。べらべら喋ったが本当に言いたいのはコレだけだ。俺はお前を天才だと信じている。だからこそお前に信じて欲しい。会ったばかりの、名前も聞いたばかりのトレーナーを()()()()()()()()()()()()()()()

 

 でも、そう言われた時。ツインターボは思わず硬直した。自分と同じくらい、このヒトを信頼する?

 

 ──無理だ。

 

 なぜならツインターボは、自分のことなんて少しも信じていなかったから。このヒトはツインターボを()()だと言ってくれた。だからこそ、その前に突き付けられた()()だという事実を受け入れられた。ゆえに──目を背けていた、もう一つの強がりも受け入れざるを得なかった。

 

 ツインターボにとって競走というのは、勝利と敗北が両立する複雑なモノだった。──()()()()()()()()()

 

 強がってきた。スタートして全力で駆けて。しばらくは自分が一番だったと、そう言い聞かせてきた。負けて負けて負けて。負けて負けて負けた。何度も何度も、何度だって。最初に先頭を走っているだけ。終わってみれば一着になんて手が届かない着順でヘロヘロゴールする。それがツインターボというウマ娘だった。

 

 信じられなかった。自分のことなんて欠片も信じてなんかない。全力で走ることしか出来なくて。それで一番になれなくて。最初は勝ってるなんて言い訳をして、強がって。それを自覚すらしようとしなかった。

 

 そんな自分と同じくらいこのヒトを信じることなんて、到底出来そうになかった。

 

「俺はお前を信じる。お前は俺を、信じられるか?」

 

 でも、それを伝えたくなかった。このヒトはツインターボを天才だと言ってくれたのだ。自分を信じられないから無理? バカ正直にそれを伝えて、もしそのままこのヒトが立ち去ってしまったら? そんなことは絶対に嫌だった。

 

 でも──だったら。自分を見つけてくれた。トウカイテイオーより自分を選んでくれた。天才だと言ってくれた、このヒトをこそ信じよう。ツインターボは素直にそう結論付けた。

 

 自信はない。自分を見つめる勇気もない。現実から逃げるように、考えることもやめて走ってきた。それでも信じられるモノが、たった1つ信じられる何かがあれば。

 

 トウカイテイオーの持っているキラキラを。無色透明なソレの正体を確かめることが出来るんじゃないか。

 

 だったら、信じよう。このヒトを。真っ直ぐに自分を、ツインターボの目を見てくれる、目の前の大きなヒトを。

 

「うんっ! ターボ、トレーナーを信じる!! にんじんジュースくれたし!!」

 

 悠々と立ち去るトウカイテイオーを追ってコースを離れたヒトが多い中で。たった一人、自分にジュース(元気)を。それ以上に、希望を与えてくれた、このヒトを。

 

 ツインターボ(じぶん)を見つけてくれたトレーナーを、何があっても信じよう。

 

 そうして走ってきた。──トリプルティアラ。三冠に手が届く場所まで、トレーナーと二人で。あの日からずっと、トレーナーを信じて。

 

 嬉しいことがたくさんあった。悲しいことも辛いことも、少なからず。この日のツインターボは、今までと同じだとは言えないだろう。

 

 それでもやっぱり、あの日からツインターボの熱量は地続きだ。嬉しいことも悲しいことも。身に覚えのない自分への怒りでさえ、全て収まる場所は決まっている。

 

 秋華賞。心を燃やしてツインターボは走る。エンジンは今日も──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全開だぁぁああああああッ!!」

 

『スタートッ! ツインターボ真っ先に飛び出しましたッ。ダイワスカーレット前に躍り出ようと続きます! さぁ早くも先頭争い!! 内からはトロピカルスカイッ、シルバーサザンカも行っております! ウオッカはちょうど中団そしてそれを見るようにスイープトウショウ──!』

 

 京都レース場にて、ついに秋華賞が開幕した。ホームストレッチ側から一斉に駆け出すその先頭、ツインターボはひとまず観客席のトレーナーに別れを告げ、第1コーナーへと突っ込んでいく。

 

「逃がすッ……もんですか──ッ!!」

 

 その独走を阻むのはダイワスカーレット。チューリップ賞ではツインターボとの競り合いに終始しウオッカに差された。桜花賞ではウオッカを警戒し過ぎたために、最後の直線に間に合わず、ツインターボの逃げ切りを許してしまった。

 

 三人の出走するレースを制したことの無い彼女は、今度こそ、と。ひときわ闘志を露にツインターボをマークしている。

 

 対して、静かに。先頭で競り合う二つの背を睨みながら、内に熱を溜め込んでいるウマ娘が居た。

 

(スカーレット、気合入ってんな……へへっ。今に見てろよ……!)

 

 ツインターボにダイワスカーレット。二人が率いるバ群は早くも第3コーナーへ向かっていく。逸る気持ちを抑えて、ウオッカは虎視眈々と機会を窺っていた。

 

 あのカッケェウマ娘と、いつだって熱くさせてくれるライバルを。差し切ってもう一度勝利してみせると、そう心に誓って。

 

(桜花賞でターボに負けた。ダービーじゃあテイオーに負けたッ! それでも!!)

「今日! 勝つのはこの俺だッ──!」

 

 何度敗れても、それに腐らないと心に決めた。不屈の闘志を抱いて、そのウマ娘は少しずつペースを上げていく。

 

『さぁ早くも3、4コーナー中間に差し掛かっています! 先頭は相変わらずツインターボッ! ツインターボが先頭! そしてダイワスカーレット二番手!!』

 

 京都レース場、坂路を乗り越えて第3コーナーを過ぎ、まさに第4コーナーをも駆け抜けようという瞬間──ダイワスカーレットはツインターボのマークを外し、息を入れて背後のライバルに備えた。ツインターボの失速を予感したからである。

 

(ツインターボに末脚は無い! 間違いなく垂れる! さぁ──来なさいッ!!)

 

 ダイワスカーレットの作戦は正しく、ツインターボは単身で第4コーナーを抜け、ゴールへの直線に入っていたものの──そのスピードは間違いなく最高には及ばなかった。そして今日までのレースにおいて、失速したツインターボが持ち直したことは一度として無いのだ。

 

『さぁ直線に入った! 先頭はツインターボしかし苦しい様子!! 二番手ダイワスカーレットも好位置からゴールへ向かいます!! 間を突いてスイープトウショウ!! 外からはウオッカが襲いかかってくる──!!』

 

「待ちわびたぜッ……勝負だァ──!!」

 

『ウオッカが来たッ!! 走れるか!? 残り100!! ターボ粘るか!? 外からスイープ!! ダイワターボに並ぶ──!!』

 

 徐々に速度を落とすツインターボをダイワスカーレットが捉えた。外からは驚異的な末脚を誇るウオッカが一直線にゴールを目指す。三人の間隙を、まるで予期していたようにするりとスイープトウショウが駆け抜けた。

 

 観客席の誰もが()()に注目した。ダイワスカーレット、ウオッカ、そして……スイープトウショウ。逆噴射したツインターボの、トリプルティアラが叶わなかったことを嘆きつつも。誰が秋華賞を制するのかと、その瞬間を見届けようとした。

 

 その場に居た多くの人々がツインターボから目を離した。それは今まさに横に並んだダイワスカーレットと、外から迫るウオッカも例外ではなく。それは決して間違いではなかった。最も勝利に近いウマ娘に目を向ける。あるいは、最も脅威となるウマ娘に注意を払う。それはとても自然なことだった。

 

 それでも。この期に及んで、ツインターボの勝利を信じて疑わないヒトが。たった一人、そこには居たのだ。

 

「ターボォオオオッ!! がんばれぇええええッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつもより、足が重いような気がした。感覚が無くなるのが早かった。それはきっと、いつかのように。すぐ近くで追いかけ続けてきたダイワスカーレットが原因かも知れない。

 

 スタートしてから第3コーナーを抜けるまでは絶好調だった。自分への怒りも燃料にして。全力全開で走り続けた。けれど第4コーナーを抜けて、ゴールへと真っ直ぐ進むにつれて。

 

 近づけば近づくほど、ゴールは遠ざかっていくような錯覚に陥った。

 

(ターボ……()()()()()()()()()()()

 

 トリプルティアラに王手をかけた。そんなツインターボに対する世間の評価は、ピーキーな面はあれど疑いなくエリートの一言で表せるだろう。しかし、そんなツインターボの記憶にあるレースというのは、その大部分が敗北で締めくくられる。

 

 負けるかもしれない。その予感というのは、大した抵抗もなくツインターボの意識に入り込んでしまう。トゥインクルシリーズを走り始めてからはあまり呑まれることのなかった諦念。

 

 絶好調だったハズなのに。どうして負けそうになってるんだろう? そんなことを悠長に考えてしまうほどに。ツインターボのエンジンはガス欠寸前で──頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 

 勝ちたい。負けたくない。勝ったらトリプルティアラだ。勝ったら……誰かが、いなくなる? 負けたら……負けたら。悔しい、けど──。

 

 激しかった筈の己への怒りは、レースの中で燃え尽きようとしていた。今更になって頭をよぎる。そんな訳はないのに。デュアリングステラは。友達は、もしかしたら──。

 

「ターボォオオオッ!! がんばれぇええええッ!!!!」

 

 ──じゃあ、がんばらなきゃ。

 

「ッ、りゃあああああああああああああああ!!!!」

 

 刹那、ツインターボの思考はクリアになった。そうだ、頑張らなきゃ。だってトレーナーが言ってる。それに──そう、応援してくれたのだ。

 

 あの娘もツインターボに、そう言ってくれたのだから。

 

「ずでらぁああああああああああああ!!!!」

 

 トウカイテイオーに憧れたあの日。頑張れと言ってくれた友達が居た。信じてついてこいと手を差し伸べてくれたヒトが居た。

 

 諦めていい理由なんて無くて。最後まで頑張る理由が確かに在った。

 

「マジかッ!?」

「うそ──っ!?」

 

『先頭入れ替わ──らないっ!? ターボ粘る!! ダイワウオッカ横並びっ……もつれたままゴールイン!! スイープトウショウ一歩及ばず!!』

 

 実況が慌ただしく着順を口にするが、掲示板に結果が表示されることはなく。まもなくその理由がアナウンスされた。

 

『三人同時でのゴール! 写真判定となります!! 今しばらくお待ち下さい──!!』

 

「かヒュッ……ぜぇ……ぜぇーっ……」

 

 ツインターボの両足はがくがく震えていた。叫びながら必死で駆けたからか、泡立ったツバがだらりと口から溢れる。立っているという感覚すら無く、虚ろな視線は足元の芝に向けられている。何かを確かめるように。

 

「ターボッ!!」

 

 切羽詰まったその声が、ズキズキ痛むツインターボの頭を刺激した。思考は靄がかっている。しかし──考えるべきことは、驚くほどクリアに。あるいは直感的に理解できた。

 

 がくがく震えたままの両足をなんとか肩幅に広げる。ぷるぷると内股になってしまっているが知ったことじゃない。両手を腰に当てて、胸を張ってやるのだ。

 

 ──だって、観客席のトレーナーが。こんなにもキラキラしてるのだから。

 

「とれ、なぁ……。たーぼ、えほっ。ぜぇ……えへへっ……」

 

 満身創痍のその笑みに重ねるように。見計らったように、掲示板は。そしてアナウンスはレースの結果を告げた。

 

『一着は──ツインターボッ!! ツインターボが秋華賞を制しました!! 二着ダイワスカーレット! 三着ウオッカと続きます!! ツインターボ──三冠達成っ!! トリプルティアラを成し遂げました──ッ!!!』

 

「たーぼの、ぜぇ……かちっ!」

 

 余裕なんて無くて、今にも倒れそうで。それでも──ツインターボは、キラキラを掴み取った。トウカイテイオー(あこがれ)に並んでみせたのだ。

 

 そして。

 

(ばいばい──ステラ)

 

 見ているかどうかも分からない友達に。直接伝えることが叶わずとも別れを告げる。頑張れって言ってくれた、大事な友達へ。

 

(ステラの分も、ターボ……さいごまでがんばるから。だから──ばいばい)

 

 自分では吹っ切れた気になっていた。けれどレースの最後、やはり彼女を意識してしまって。自らへの怒りで諌めた筈なのに、思い返してレースから目を逸らしかけた。

 

 だからお別れだ。想いは、思い出は背負っていく。

 

 その先でいつか、笑顔で会えることを願って。

 

 ツインターボはこの時ようやく。居なくなってしまった友達とさよなら出来たのだ。

 




トリプルティアラおめでとう(評価)

参考資料:「外からダービー馬が襲ってくる!牝馬最強世代の頂点はダイワスカーレット」【秋華賞2007】
https://www.youtube.com/watch?v=iPB_PWMwnQI



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素人アウトドアチャンネル②

モブウマチューバー視点


「……えーっと、始まったかな? みなさんこんにちはー、知郎(しろう)トーシローですー」

 

コメント

    :やっとかよおっそ

    :なぜ野外配信より室内配信のが手間取る?

    :手際✕

    :お前と違ってこっちは忙しいんだぞ

 

 配信開始の告知時間を少し過ぎて始まった僕の配信に、数ヶ月前に爆発的に伸びたチャンネル登録者、つまり初見さんが増えたにも関わらず優しくないコメントの嵐が吹き荒れる。

 

 ちなみに、最上さんとツインターボと対談した一件以前から僕のチャンネルを登録している視聴者は原住民と呼ばれているらしい。口が悪いからね、自業自得だね。しかし、その原住民のせいであまり初見さんがコメントしてくれなかったり、してくれたと思ったら郷に入らば郷に従えの精神なのか内容が辛辣だったりする。そんなとこマネしなくて良いのに……。

 

「はいということでね! タイトル通り我らの星! ツインターボについて語っていこうぜーということで今日は僕の部屋からお届けしておりますよー」

 

コメント

    :外でも隙あらば語ってるやろ

    :アウトドアチャンネルとは

    :誰もトーシローの野外活動に興味ないから良いのでは?

    :外出しないとウマ娘とエンカウントしないだろ!

    :確かに。外行け外

 

 いつも通り好き勝手言ってくれるリスナーに、少し口元が引きつるのを自覚した。ぐぬぬ……知ってるけどね! 僕のチャンネル登録者があんまりアウトドア実況に興味ないことは! なんでか配信中に出会うことが多い、レースで活躍した実績のあるウマ娘たちを目当てにしてることも!! でも僕にだって信念があるんじゃい!!

 

「ふーんだ、僕は僕のやりたいように配信するもんね! なんせ最上さんとツインターボがそうしろって応援してくれたし!! ……おっと、こいつはオフレコだったぜ。辛辣なリスナー諸君に聞かせるべきでは無いな、うん」

 

コメント

    :そここそ配信しろやks

    :トーシローさんカッケーっす!!

    :生まれた時からファンでした

    :乗るしか無い、このビッグウェーブに

 

    :いつも配信楽しみにしてます!!!!

    :今日肌艶良くない? 化粧水変えた?

    :なんか良い匂いするくね? これがフェロモンか

    :投げ銭機能ONにしてくれ、スパチャします

 

「うんうん、君らはいっつも手のひらクルクルだねぇ。まぁ仕方ないから話して……オイ誰の肌艶が良いって? 気をつけたこと無いよ! 画面越しにフェロモン感じ取ってるヤツはもはや怖いし!! あ、諸事情により今配信は投げ銭切ってまーす……ふぅ。ではその時のやり取りを再現してやりますか……」

 

コメント

    :イラァ

    :はよ言えや遅漏がよ

    :みんなステイ! ステイよ!!

    :暴言は全部聞いてからにしようね

    :止める気なくて草

 

「そう、あれはチャンネルとウマッターが爆伸びして数日、僕が困惑から抜け出せない昼下がりのことだった……トレセン学園の番号から一件の着信が。誰かは言うまでもないね? そう、ツインターボのトレーナーである最上さんその人!」

 

コメント

    :うるさ

    :要点絞って

    :端折るってこと知らんのか

    :これだから底辺ウマチューバーは

    :底辺(チャンネル登録者40万)

 

「ちょっとした挨拶のあと、最上さんは言葉をかけてくれたよ。"自分たちと対談したせいで、望まない形で名が売れてしまったのではないか"。"ファンからの問い合わせとかで迷惑をかけてしまってないか"。そんな感じの、急に跳ねた僕のチャンネルを心配する言葉をね……」

 

コメント

    :かっこよ

    :真面目人間すぎんか?

    :しゅき……やっぱり結婚するしか……

    :婚活ネキ!?

    :ネキは街コン行け

 

「当時混乱していた僕はもう感極まっちゃったよね! 最上さんとツインターボのせいでは無いんです、でも急に見てくれる人が増えて気負っちゃってるのは確かで、どうしたら良いのかなって……。そんな泣き言のあとに、きっと視聴者は今回みたいな対談とか、ウマ娘本人やその関係者との絡みがある配信を期待してるから、その方向に舵を切ったほうが応援に応えられるんじゃないかって悩んでいます……そんな相談をしたんだ」

 

コメント

    :わかってんじゃん

    :それは本当にそう

    :お前叫んでばっかでレポしないし

    :リスナーからフォロー無さ過ぎてもうおもろいw

 

「そしたらですよ! "トーシローさん、ターボにはたくさんファンが居ます。ありがたいことです。でもファンの皆さんが例えば、逃げで戦うのは厳しいから作戦を変えたほうが良いと。そんな意見が多数を占めたとして。そこに確かな理屈があったとして。自分はそれでも、ターボの意思をこそ尊重します。自分が惚れたのはターボの真っ直ぐな走り方であり、生き方なんです。ターボ自身が望まない限り、ファンからの善意を、確かな理屈を以てしても、意思を違えることは断じてありません"。そう教えてくれた……!」

 

 今でも鮮明に思い出せる、最上さんの声。こちらを諭すようでいて、それは彼のツインターボに対する愛情表現そのものだったように思う。ファンが増えるのは嬉しいけど、それはあくまで最上さんとツインターボが一緒に走り始めたスタート地点。その延長で得られたものでしか無いんだと。最初に抱いた意思こそが大切なのだと。そう教えられたんだ。

 

「"トーシローさんは、アウトドア配信が楽しいですか? それとも、有名になったことで増えたファンの方。その応援に応えることに充実感を覚えますか? 配信活動で、どちらかを切り捨てて、どちらかを選ぶ必要は無いと思います。気が向いた方を配信すれば良いと。でも、トーシローさんの心がどこにあるのか。それをハッキリ自覚して貫くことが、貴方にとっても、長く応援してくれているファンにとっても幸せなことなんじゃないかと思いますよ"……どうですか!? 泣けるでしょ!? 僕は泣いたね!!」

 

コメント

    :良い言葉だけどお前はうるさい

    :最上トレーナーツインターボ尊いね……

    :言いたいことは分かるがトーシローと最上&ターボで同列に語れる類じゃないだろ

    :人生懸けたレースと道楽の配信活動じゃあねぇ

 

「君たちは本当に人の心が無いねぇ……。続き! 最上さんに僕が、ありがとうございます、後悔だけはしないよう頑張りますって返したら。"ターボ、聞いてただろ? ターボからもトーシローさんを応援してくれ"って……心臓止まるかと思ったよね! え!? 一緒に電話かけてくれてたの!?!?」

 

コメント

    :ファンサの鬼すぎるww

    :よく静かに聞いてたねって最初に思っちまうわ

    :お利口で偉いねぇ^^

    :後方母親面多すぎやろ

 

「一言一句逃すまいと僕が黙った瞬間! "トーシロー! 元気ー? ターボはねぇ今日も特訓……"まで聞こえたと思ったら、そこで最上さんが軌道修正したみたいで通話が途切れたんだけど。"ターボは走るの気持ちいいし、レースも楽しい! トレーナーが応援してくれるから!! だからターボもトーシロー応援する!! 好きなことやって、気持ちよく走れるよう応援してるからね!!"。途端に泣き崩れる僕。嫁は居ません」

 

コメント

    :ツインターボ;;

    :羨ましいがすぎる……

    :突然のコピペやめろやww

    :最後で台無しすぎる

    :情緒とか風情とか知らんのか

 

 実はこの後、鼻垂れながら年下の女の子に、嗚咽混じりでありがとう……頑張る……ありがとう……と繰り返す僕の姿があった訳だけど。そこまで配信で生き恥晒すのは嫌なので茶化させてもらう。へへ、でも最強のメンタルケアだったぜ……!

 

「まぁそんなワケなんでね! 僕は僕のやりたいように配信するぜ! なんてったって憧れの人たちがそう背中を押してくれたんだから!! そしていい加減、その憧れの人たちについて語っていくぜ!! いっつもリスナーのせいで本題から外れるぜ!!」

 

コメント

    :はい冤罪。訴訟。有罪。実刑判決

    :スピード感がすごいw

    :今のこれも十分ツインターボについて語ってはいるが

    :まぁ普通にレースのことやろなぁ

    :ウマ娘についてならいくらでも語り合えるからヨシ!

 

 そこからは改めて、予定通りツインターボのメイクデビューから直近の秋華賞までについて視聴者と思い返していく。僕が以前からツインターボについて言及することもあって同じように推してくれたのか、はたまた後から同士が合流してくれたのか分からないけど。ツインターボを応援しているファンが多い視聴者との語り合いは心が弾む。それが原住民であっても同じことだ。

 

 リスナーとそれぞれのレースを、その時の感動を共有しながら、その結果を画面上に開いたテキストにまとめていき、もちろん配信に乗せてみんなで眺める。応援しているウマ娘の輝かしい戦績は、何度見ても心震えるものだよね!!

 

★ツインターボ戦績

○ジュニア

6月後半メイクデビュー  :1着/マイル1800

7月後半中京ジュニアS   :1着/マイル1600

8月前半フェニックス賞  :18着/短距離1200

 

8月後半新潟ジュニアS   :13着/マイル1600

9月後半芙蓉S       :1着/中距離2000

10月前半サウジアラビアRC :1着/マイル1600

 

10月後半アルテミスS   :1着/マイル1600

12月前半阪神JF      :1着/マイル1600

 

○クラシック

3月前半チューリップ賞  :9着/マイル1600

4月前半桜花賞      :1着/マイル1600

5月後半オークス     :1着/中距離2400

10月後半秋華賞      :1着/中距離2000(トリプルティアラ!!)

 

コメント

    :バケモンで草

    :これが上澄みか……

    :逃げ切れば勝ち。わかりやすい

    :入学した時から強かったんだろうなぁ

 

    :リギルとか行かんかったんかな? なんで最上サンと組んだんやろか

    :そういや最上トレもどっちかというと新人だしな

    :新人(教本に載ってます)

 

「いやぁこうしてまとめて見るとやっぱり圧巻だよねぇ……メイクデビューを現地で見れたのは未だに幸運すぎた……。さて、そろそろお時間なんだけども、最後に一つ告知をして終わりたいと思いますよー。と言っても、直接僕にかかわることじゃないんだけど」

 

コメント

    :珍しいな

    :いつもウマッターで告知してるのに

    :次の対談決まりましたって言え

    :いい加減バンジーしようぜ

 

「前からバンジー見たがってるヒトなんなの? まぁ良いか……ゴホン! 重大はっぴょーう! デン!! なんと、今回語り合いましたツインターボ! ライバルのトウカイテイオーと勝負するため、ジャパンカップに挑戦するそうです!! ヒューッ!!」

 

コメント

    :え!?!?!?

    :マジかよ

    :だからなんでこの配信が初出なんだよww

    :ソースだせソース

    :謎の情報通やめろや

    :ジャパンカップマ!?

 

「やぁ驚いてるようだね! ほら、例の電話の後に連絡先交換してさ、ちょくちょくメッセージもらってたんだよね。迷惑になるといけないからこっちからは送らないようにしてるんだけど、トリプルティアラの時は流石にお祝い送ったんだよね。そしたら、配信のネタになりそうならって教えてくれたのさ。えーとね……"ジャパンカップと有マ記念、トウカイテイオーと戦うならどっちにしたいかターボに聞いたら、どっちも! とのことでした。別日にインタビューの場が設けられるとは思いますが、先にお伝えしておきます"……とのこと!」

 

コメント

    :前の対談の時も年末に勝負とは言ってたしな

    :だからってなぜトーシローに教えるww

    :謎の人徳の持ち主である

    :クラシック三冠とトリプルティアラの対決……ってコト!?

    :うおおおおおおおお!!!!

 

「だからみんな分かってるよね!! しばらく先だけど万全を期してツインターボの応援に駆けつけるぞ!! 社会人のみんなは有給申請しっかりね!!」

 

コメント

    :どっちが勝つんやろなぁ

    :2400は流石にトウカイテイオーじゃね?

    :菊花賞の3000は流石にキツそうだったけど、2400なら順当にトウカイテイオーでしょうね

    :普通に海外勢が勝ちそうな気もするがな

 

    :流石に3000は余裕綽々感は無かったけどダービーでも余力残してたっぽいしテイオーに軍配が上がりそう

    :そのダービーで骨折ってるけどな

    :走法を見るに怪我の影響も残ってそうだし、今までのレース結果がどこまで当てになるのか

 

 加速するコメント欄にウンウンと頷きつつ内容を追っていると……あれ? こやつらツインターボの一着は厳しいと思ってない?

 

「おいおいしっかりしてよみんな! ツインターボ! 我らの星ぞ!? みんなで勝利を信じて応援しないでどうするの!!」

 

コメント

    :だれぇ?

    :なんか厄介なおじさん出たな

    :そりゃツインターボに勝ってほしいけどな

    :そもジャパンカップだったらどの国内勢が勝っても嬉しいよ

 

「ぐぬぅ……まぁとにかく! 最上さんの予定ではジャパンカップでぶつかることになりそうなんでね! それを踏まえてみんなもこれからのレースを一緒に楽しんでいこうな! それじゃあ今日はこの辺で!!」

 

コメント

    :ういー

    :お疲れさん

    :ノンストップ大逃げガールが勝つのか、無敗の帝王が勝つのか、はたまた海外からの刺客か

    :ターボ推しだけどどう転んでも盛り上がるのは間違いない

    :楽しみやね



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皇帝の思惑

 月末にジャパンカップを控えた11月上旬、俺とターボはガレージを離れて学園内にある別の訓練コースを訪れていた。オークスに向けて特訓していた春頃にもお世話になっていた、東京は芝2400Mを模したコースである。

 

 もっとも、当時はスタミナを充実させることに焦点を当てていたため、コースの走り込みにはそれほど時間を割けなかったが。ターボはすでにオークス優勝と実績を残しており、秋華賞をも経た今は余裕とはいかないまでも、持久力はジャパンカップを戦うのに見劣りしないはずだ。

 

 それにターボはサウジアラビアロイヤルカップ、アルテミスステークス、そしてオークスと、東京レース場を舞台とする出走レースすべてに勝利している。マイルレースに至ってはコースレコードをたたき出したほどだ。本人の意識としても、得意なコースだと胸を張れることだろう。

 

 これらの点を考えればジャパンカップでの優勝はそこまで分の悪い勝負では無いように思える。しかし、そう楽観的に構えられないのが現実だ。

 

 前提として、クラシック三冠を成し遂げたトウカイテイオーが出走するということ。シンボリルドルフに憧れ、その背を追っていると公言して憚らない彼女がジャパンカップを通過点としているだろうことは容易に想像できたし、実際その裏は取れている。

 

 トゥインクルシリーズデビュー当初からトウカイテイオーとの対決をこそ目標にしていたんだから居るのは当たり前なんだが、やはり難しい戦いになるのは間違いないだろう。骨折から復帰した彼女の菊花賞は誰もが目を見張ったに違いない。

 

 俺も口出ししたリハビリの成果としてレースに間に合いはしたものの、脚部の柔軟性が陰ったトウカイテイオーはスタート直後からほぼ最後方に位置取った。皐月賞・日本ダービーでは先行策を取っていたことを考えれば、従来の走法でのカムバックが叶わなかったことは誰の目にも明らかだった。

 

 しかし、トウカイテイオーは勝った。第2コーナーを通過した直後に加速を開始、外へ外へ膨らんだままに第3コーナーを、速度を落とすどころかアクセルベタ踏みで第4コーナーに突入して先団を捉える。

 

 あとはもう、文字通りの根競べだった。シガーブレイド。ケーツースイサン。イブキマイカグラ。皐月賞や日本ダービーで見せたストライドの伸びは見る影もなく、それでも力強い走りで着実に目の前を行くウマ娘たちを追い込み、ついにナイスネイチャに、彼女に並んでいたリオナタールに追いついてみせた。

 

 写真判定までもつれ込み。それでも優勝したのは──余裕なんて欠片も感じられない、満身創痍の帝王だった。

 

 菊花賞は、怪我を治すのに精一杯で。それでも憧れに手を伸ばし、そして掴み切ってみせた。続くジャパンカップに向けては、十分な時間とは言えないだろうが、あの沖野先輩が出来る限りの調整を施すだろう。

 

 復活したトウカイテイオーがジャパンカップに出走する。簡単に勝てるわけがなかった。

 

 当然、他にも懸念点はある。言うまでもないがトウカイテイオー以外のライバルたちだ。ジャパンカップは国際招待競走、つまり国外の実力あるウマ娘を招いて行われる。そして近年、ジャパンカップの優勝者の多くは日本のウマ娘ではない。トウカイテイオーだけを意識していられる余裕は無いのだ。トウカイテイオーと同等以上のウマ娘が数多く参加するんだから。

 

 さて、そんなライバルたちに対抗すべく、俺たちも手を打たなければならなかった。それは実戦を想定したコースの走り込みであったり、国外のウマ娘たちと並ぶようなウマ娘との併走に他ならない。

 

 その走り込みというのが、今日このコースに足を運んだ理由だ。そして幸いなことに、併走相手についても当てがあったのである。

 

「ぜぇーっ! ぜぇーっ!! ぬぉおおおおお!!」

「そうだ、()を絶やすな。熱こそがお前のレースだろう……!!」

「アタシのことも忘れんじゃないよっ! うらぁああああああ!!」

 

 まぁリギルなんだが。桜花賞に向けたトレーニングでも併走相手となってくれた強豪チームのウマ娘たちが、今回も協力してくれたのである。頭が上がらない思いだが、実のところ俺から東条さんに願い出たのではなく、リギルの一員であるシンボリルドルフからの申し出だった。

 

 曰く、『テイオーのリハビリに協力してくれた恩を返したい』とのことだ。トウカイテイオーが彼女に憧れていることは知っていたが、シンボリルドルフもまたトウカイテイオーには並々ならない想いを抱いているらしい。シンボリルドルフの胸の内は分からないが、渡りに船と有難く受けさせてもらった。

 

 ジャパンカップ優勝者のほとんどが海外のウマ娘だが、何を隠そうこのシンボリルドルフこそ数少ない国内優勝者の一人だ。そして今ターボの併走に付き合ってくれているナリタブライアン、そしてヒシアマゾンもジャパンカップ出走経験の持ち主。ローテーションを組んでの併走なので今は控えてくれているエアグルーヴもまた経験者の一人である。本当に有難すぎて涙が出るな。ここまで実践級の訓練をするにはリギルに加入する他ないだろう。

 

「それで……何か思惑があるなら聞いておきたいところだな、ルドルフ」

 

 併走を買って出た当人なのだからと先んじてメニューをこなし、走るターボのデータ収集に勤しむ俺の手元を覗き込んでいたシンボリルドルフに問いかけた。ちなみに愛称で呼ばせてもらっているのはシンボリルドルフから言い出したことだ。以前彼女の理想を聞かせてもらってから何度か連絡を取っており、その過程でフランクに接してもらいたいと頼まれたのである。

 

「思惑とは大げさだ。今回の申し出に陰謀詭計など存在しないとも」

「だが一人のウマ娘に過度な肩入れもしないはずだ。生徒会長としての立場もあるし、リギルのメンバーとしてのメンツもあるだろう」

 

 桜花賞の際に併走に付き合ってもらったのは、あくまで俺と東条さんの間で取引があったからだ。今回の件でシンボリルドルフを始めとしたリギルのメンバーにこれと言ってメリットは無い。だから何かしら別の理由はあると見ているんだが。

 

「私はチームの看板というものをそこまで神聖視してはいないんだがね……まぁ、その通りだよ。しかし、肩入れとはいかなくとも気にかけている後輩くらいは居るんだ。察しはついているだろう?」

 

「トウカイテイオー、なんだろうな」

 

 俺の言葉にシンボリルドルフは頷いた。まぁ今までの話の流れでそれくらいしか思い至らなかったというだけで、実際のところどういう関係なのかまでは知らないんだけどな。

 

「テイオーは、私に憧れてこの学園に入学したんだ」

「そうみたいだな」

 

 それなら、あそこまでシンボリルドルフの戦績に固執するのも納得だ。無敗の三冠を成し遂げたトウカイテイオーはインタビューで、次は無敗の七冠を獲ると明言している。G1レースで優勝を飾った際のパフォーマンスも鑑みれば、誰をどれだけ意識しているのかは明らかだ。シンボリルドルフこそが、トウカイテイオーがレースを走る理由なのだ。

 

「私からしても、トウカイテイオーが私に憧れてくれている、その背を追ってくれているというのは嬉しい限りだ。私は──あらゆるウマ娘の幸福を願った。そのために、皆を率いるに相応しい王の座を望んだんだ。大願成就、それは成し遂げられた……テイオーこそが、その証なんだ」

 

 自分を慕ってくれる可愛い後輩のことを口にするシンボリルドルフは、けれどその表情に一抹の寂しさを覗かせた。

 

「でもね……ダメなんだよ、今のテイオーは。あの娘は私の記録に並び、そして超えることばかり考えている。テイオーには皇帝シンボリルドルフではない、レースに挑む他の理由が必要だ。憧憬ではなく情熱が。憧れ追いかける背中ではない、肩を並べ覇を競い合えるライバルが、ね……」

 

「……なるほどな、ようやく分かったよ。だからアドバイスをくれたのか」

 

 桜花賞で勝利したとき、ターボが掲げたVサイン。トウカイテイオーに、ツインターボというウマ娘を意識させるために取らせたパフォーマンス。その発案者こそこのシンボリルドルフだったが、当時の俺はなぜ彼女がそんなことを教えてくれるのか不可解だった。けれど、今更合点がいった。シンボリルドルフもまた、ターボがトウカイテイオーのライバルになってくれればと願っていたんだ。

 

「ウマ娘のレースはその全てが一度限り、全身全霊を以て挑むべき勝負。しかしテイオーは、格式高いG1レースであろうとも、私に追いつくための通過点だと考えてしまっている。だから心配だった……一度でも敗北を味わってしまえば、その時点で折れてしまうのではないか、とね」

 

「型にはめて考えちゃいけないかも知れないが……天才ほど挫折に弱い、なんて言うのはそれなりに聞く話だな」

 

 目を閉じて肯定の意を示すと、シンボリルドルフはターフを駆けるターボを目で追いながら続けた。

 

「怪我についてもそうだ。骨折したと聞いた時。そして菊花賞には間に合わないというニュースが耳に入った時。まさに私は、テイオーが折れてしまうのではないかと危惧したよ。雨過天晴、結果的には杞憂に済んだがね。誰のおかげか、私がどれほど感謝したことか。その人はきっと知るべきだと思うんだ」

 

「つまり、今回の件が?」

「恩返しさ」

 

 皇帝シンボリルドルフの思惑がどこにあるのかと、ほんの少し緊張を伴いながら話に乗った今回の併走だったが。それは大いに的外れで、結局のところ以前に理想を話してくれた彼女と変わらない。底抜けに人の好い生徒会長が、謝意と善意で融通を利かせてくれたというだけの話だった。

 

「テイオーのリハビリに協力してくれてありがとう、最上トレーナー。ジャパンカップに向けて、良ければ引き続き協力させてほしい」

 

「……本当に、心の底からありがたいんだけどな。いいのか? トウカイテイオーに恨まれるかも知れないぞ。それに恩返しというのなら沖野さんやトウカイテイオーから受け取るべきで、ルドルフがそう気にする必要もないと思うが」

 

「寂しいことを言わないでくれ、この感謝は私だけのものだ。それにテイオーが私を恨むようなことになったら、きっとそれは悪いことじゃないよ。寂しい気持ちはあるけれど、巣立ちというのは祝うべきことさ。さらに言うなら、ツインターボのことは個人的にも応援しているからね。テイオーがライバルと認める存在になって欲しいのは間違いない。しかしそれ以上に、あの小さなウマ娘に期待しているんだ」

 

 シンボリルドルフが細めた目の先。ナリタブライアンとヒシアマゾンに挟まれて必死に逃げるターボを見る。海外のレースは日本よりもポジション争いが激しいらしく、過去のジャパンカップの記録を見ても疑いようはない。両サイドから接触上等でコースを取ろうとする二人に苦しめられながら、息も絶え絶えにターボは走り続けていた。実際のレースでこうなってしまえばターボの敗北は必至なんだが、それでもゴール直前にこれが現実になった時、最後まで粘れるかはこの特訓にかかっていた。

 

「地の底から這いあがるなんて、誰にでも出来ることじゃない。たくさんのレースを、ウマ娘たちを見てきた。だからこそその難しさを、気高さを知っているんだ。私も……そして、ブライアンも。こうして手を貸すことに躊躇いは無い」

 

「ナリタブライアンが?」

「珍しいことに、ツインターボのことが気に入ったらしい」

 

 コースでターボに肩をぶつけるナリタブライアンに目をやる。……表情は見えないが、そのラフプレーすれすれのコース争いに手心といったものは見受けられない。本当に気に入ってもらえているのか……? いや、本番を想定して厳しく指導してくれていると考えるべきか……。

 

「まぁ、そういうことなら今後も有難くお願いする。こっちも、実のところ腹を探って辞退するような余裕はないからな。代わりと言ってはなんだが、また何かあれば気軽に連絡してくれ、ルドルフ」

 

「あぁ! これからもよろしく頼むよ、最上トレーナー」

 

 俺の差し出した手に、シンボリルドルフはにっこりと笑って応じてくれた。先輩トレーナー方に、俺がリギルに取り入っていると思われても仕方がないな、良縁に恵まれすぎている。

 

 これを当然のことと考えず、今後ともよい関係を続けられるよう努力しようと、俺はターボに視線を戻して決意を新たにした。

 

「…………」

 

 シンボリルドルフを挟み、少し距離を置いた場所で、ジロリと。言葉を発さずにいつまでも俺を睨みつけるエアグルーヴの眼光には、疲労で立てなくなったターボを負ぶって退散するまで目を背け続けた。

 



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