ウマ娘三部作Firstシーズン             片翼の撃墜王 ~イカロスの黎明~【完結済み】 (DX鶏がらスープ)
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プロローグ

はじめまして。
ウマ娘二次創作どころか執筆活動すら初めてですが、
頑張って書きます




彼女が駆けつけた時には、全てが終っていた。

 

「…っ!トレーナーちゃ―――…!!」

 

降り注ぐ夏の陽気の中を全力で駆け抜け、ようやくのことでたどり着いた病室の中はしかし、外のうだるような暑さとは対照的にとても冷え冷えとしており、そしてとても静かだった。そのあまりの落差故に、ドアを押し開けた彼女は息を飲むが、そうして一瞬でも頭が冷えたからこそ、彼女の視線は何のバイアスもなく病室の中央のベッドに向けられる。向けられてしまう。

 

そう、彼女は天才だった。大抵のものは見ただけでわかってしまう。面倒くさい学校の宿題だろうが、自身の生涯を掛けた負けられないレースの展開であろうが、そこに差異はない。目の前にある事象の本質を、あらゆる虚飾に惑わされずに正確に見通し、完全に理解する、わかって・・・・しまうことこそが、彼女の最大の強み。だからこそ…

 

「…トレーナーちゃん?」

 

一目それを見た瞬間に、彼女は当然わかって・・・・しまった。

自分が間に合わなかったことを。そして、もう二度と大好きな彼が目を開けてはくれないということを。

 

「…嘘…だよね?」

 

目の前にある事実を否定したくて、わかって・・・・しまいたくなくて、彼女の口から漏れた呟きに、しかし答える者は誰もいない。

顔を伏せ彼女を見ようとしない医師も、何も言わずにベッドまでの道を開けてくれた看護師も、痛ましいものを見る表情で彼女を見るそれ以外の人達も。誰も何も言わない。だがそれ故に、彼女は理解してしまう。どうしようもなくわかって・・・・しまう。

 

「…ねぇ、起きてよトレーナーちゃん。どうせいつものつまんないギャグなんだよね?キミの考えることなんてぜんぶわかっちゃってるんだよ?だから…」

 

そう、だからこそ、それを認めなくなかった彼女が震えながらも握りしめた彼の手が…

 

「…ひっ!」

 

思わず手を離してしまったそれが、そのままベッドのはしに力なく放り出されるそれが、記憶にあるそれよりもあまりにも、あまりにも冷たくて…

 

「…ぁ」

 

あの暖かい笑顔を、もう二度と見ることが出来ないことを、今度こそはっきりとわかって・・・・しまって…

 

「…っっっ!!うあああああぁぁぁぁぁぁあああっっっっっ!!!!!」

 

…その日の空は、憎らしいほどに青く染み渡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

「はい、ネイチャ。今日もお疲れ様」

 

「はぁっ、はぁっ…

…うん。ありがとう、トレーナーさん」

 

グラウンドの片隅、今日の最後のトレーニングのメニューをこなして息を整えていたアタシは、トレーナーさんの差し出したスポーツドリンクを受け取り礼を言う。

 

季節は秋。ついこの間までの茹だるような猛暑が嘘のように収まり、過ごしやすい気温になっていたとはいえ、それはそれ。

夏であろうが、秋であろうが、運動をしたら体が熱くなるのは当然のことであるし、ましてやここはトレセン学園。

レースを志すウマ娘にとって日本一の名門校であると共に、日本中から集められた輝く才能達。それこそ天才、秀才、神童、怪物、その他諸々が日々鎬を削り合う日本屈指の伏魔殿でもあるこの場所では、生半可なウマ娘では存在すら許されない。

故に当然の帰結としてそこで行われるトレーニングも熾烈を極めるものであり…

 

「んっ…んっく……はぁ、染みますなぁ~」

 

だからこそ、過酷なトレーニングで体中の水分を出しきり、加熱しきった体に入れるスポーツドリンクは至高の一言に尽きる。サラリーマンの人じゃないけど、毎回この瞬間の為に生きてるって感じる。

…まぁ、本音を言えば常温なのが惜しいところだけど、そこはほら、アタシ達仮にもアスリートの端くれだしね。

 

と、そんな益体もないことを考えてると、手に持っていたタオルをアタシに渡しながら、トレーナーさんが話しかけてきた。

 

「調子良さそうだね。ネイチャ」

 

「うん。良い感じだよ、トレーナーさん。

…これなら次のレースでもネイチャさんに期待してくれても良いかも~、なんて?」

 

「あぁ、勿論だ。俺はいつでも君に期待してる。君なら、君がいうところのキラキラしたウマ娘になれるって、俺は信じてるよ。」

 

「…」

 

そんなアタシの軽口に真顔で返すトレーナーさんの目を直視できず、アタシはつい目を反らす。顔が赤くなってるのなんて自分でも分かってる

…あぁ、またこれだ。この人は本当にもう。

 

そう、この人は何時だってこんな感じ。どんなにアタシが自分のことを卑屈に言っても、そんなことはないと言ってくれるし、どんなにアタシが荒唐無稽な位に高い目標を建てたとしても、キミならできると心の底から信じてくれる。

いくらアタシが出来ないって言っても関係ない。この人は本気で心の底から、アタシのことを信じてくれている。

 

…正直な話、どうしてアタシなんかをそこまで信じてくれるのか、アタシには未だに分からない。それなりに長い間一緒にいるけど、それでもこの人の善意100%の信頼は、何て言うか、ちょっとアタシには眩しすぎる。…と言うか、あんまりにも純粋すぎて、なんならちょっと引く。

 

…でも、そんな人の言葉だからついつい耳に入れてしまうし、そんな人の応援だからこそ、その期待に応えたくなってしまう。…うん、そうだ。こんなにも純粋にアタシを信じてくれるからこそ、アタシはその期待に応えたいって思っちゃうし、無理かもしれない、駄目かもしれないって思っても、それでもあと一歩だけ頑張れる。この人がいたから、アタシはもう一度だけ頑張ろうって思えたんだ。でも…

 

(…うぅ、でもだからと言って直球すぎるよ~…。)

 

…そう、とは言うもののしかし、この人はあまりにも直球勝負が過ぎる。

…いや、まぁね。勿論感謝はしてるし信頼もしてる。この人がトレーナーさんで本当に良かったと心の底からアタシも思ってる。

でもあまりにも堂々とこの人がこちらにぶつけてくる恥ずかしい言葉の数々は、本当にアタシの心臓に悪い。

…うら若き乙女であるところのネイチャさんの心臓にはちょっと悪すぎるんですよぅ…。

そして何より…

 

「…?どうした、ネイチャ?」

 

「…なんでもない」

 

すーっ、と目を反らしたアタシの顔を、不思議そうに回り込んで覗き込もうとするトレーナーさんから、さらにすーっ、と目を反らす。

…そう、何よりこの人の困ったところは、自分の言葉がアタシにどんな効果をもたらすのかなんてまるで分かっちゃいないところ。今だってきっと、アタシの顔が赤いのも、もう沈み始めてる夕陽に照らされたから、だなんて思ってるに違いない。

 

(…トレーナーさんのアホ)

 

…だから、心の中でそう呟いたアタシはきっと悪くない。地震も火事も、雷も、全部全部きっとトレーナーさんのせいなんだから…

 

…なんてアタシが内心もんもんしてるのを不思議そうに見詰めていたトレーナーさんだけど、気が付くと、彼は少しばつが悪そうな顔になっていた。はて、どうしたのだろう?と少し不思議に思っていたアタシに、トレーナーさんは話しづらそうに私に問いかけた。

 

「…それで、そろそろ一月経つけど…、その…彼女は…」

 

「…」

 

気が付くと、周囲にはもう誰もいなかった。秋の夜長を寝て過ごす、なんて子は流石にトレセン学園にはいないだろうけど、それでも日が沈んできたら外を出歩かないなんて常識だし、寮の門限も夏の日が長い時期よりは早くなってる。だから、今この場にいるのはアタシとトレーナーさんの二人だけ。

 

「…相変わらずだよ。」

 

「…そっか」

 

誰もいないグラウンドを風が吹き抜けていく。そしてその後を追うように、沈み始めた太陽の光が、佇む私たちの影を長く、長く伸ばす。

自身の足元から伸びる長い影を見つめていたアタシは、ふと後ろを振り返る。すると当然そこには沈みつつある太陽があるわけで…

 

(…)

 

アタシはどうしてか、ゆっくりゆっくりと沈み行くその赤く大きな太陽から、目を離すことが出来なかった。

 

 




・〇outubeでMTR怪文書を見る
・一本では足りなくなり、色々なチャンネルのMTR怪文書を見る
・体が怪文書を求める
・気が付いたら怪文書(自作)が目の前にある ←今ここ


マヤちゃんのMTRが少ないな~、と怪文書を書いてみたら、明らかに怪文書で処理できる量じゃなかったので、小説にしました(何を言ってるのか(ry)

加えて言えばこの話多分MTRですらない(困惑)

…しかしどうして1話から、主人公ではなく君達がイチャイチャしてるのかな?
ナイスネイチャさん?





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第一部 トレーナー喪失編
開かぬ扉


まだ本格的に物語は動きません
もう少しだけネイチャさんの日常(?)にお付き合いください



世間的に見れば、まだ齢10年とちょっとしか生きていないアタシが若造であるというのは、まぁ客観的な事実だ。

でも、確かにまだ人生の酸いも甘いも噛み分けたってほどに生きた訳ではないけど、それでもアタシはアタシなりにこの人生を生きてきたし、その中で多くの人々に出会ってきた。

それは例えば実家のバーや下町の商店街で出会った人の良いおじちゃんやおばちゃんだったり、トレセンで出会った同じように夢を追うウマ娘の仲間達だったり、はたまたアタシのことを信じて応援してくれるトレーナーさんだったりするんだけど…とにかくそんな風に、アタシはアタシなりにその人生の中で沢山の人々と出会ってきたという自負がある。

 

でも、そんな中でもこれからの人生でもう二度と出会うことのないだろうと思う人間、所謂本物の天才という種類の人間との出会いはまだたったの2回しか経験していない。

 

一人目は、トウカイテイオー。残念ながら怪我で菊花賞に出場することは出来なかったけど、それでも皐月賞、日本ダービーという、1回勝てただけでも偉業とされるレースを含め、春の天皇賞で初めて敗北を知るまで、1度もその戦績に黒星を刻まなかった稀代の才能を持つウマ娘。レースの神に愛された本物の天才であり、いつか倒さなければならないアタシの終生のライバル。

 

そして、奇しくもそんなテイオーと同室のルームメイトであり、全く別の種類の天才であるもう一人は――…

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

アタシがトレーナーと別れ、寮に帰る頃にはすっかり日は落ちていた。

あの後夜ご飯の材料の買い出しに商店街に行ったのは良いが、ちょうど食材を切らしていたらしいトレーナーさんもついでに連れていったのが運の尽き。

一応以前トレーナーさんを連れていった時にも商店街が大騒ぎになった時のことを踏まえ、二人とも変装していったのだが、せいぜい10年、20年程度しか生きていない若造達の小手先の技など、人生の酸いも甘いも噛み分けた商店街のおじさんとおばちゃん達によっていとも容易く看破され、結局商店街をあげての大宴会と相成ったのだった。

お陰でアタシ達は、せいぜい晩御飯の材料程度の買い物しかする予定が無かったのに、商店街の人達にご馳走責めにあった挙げ句、結局大量のお惣菜やらお菓子やら野菜やらを持たされて帰宅することに。

 

(応援してくれるのはありがたいけど、こんなにもらっちゃって悪いな…)

 

なんて、さっきのことを思い出しながら夜道を歩くアタシだったが、

 

(…でも多分、商店街の人達はアタシを励まそうとしてくれたんだろうな)

 

なんてふと思う。

夜風がちょっぴり肌寒い。もう秋の虫が鳴き始めたな、などと思いつつ道を歩いていると、段々と寮の明かりが見えてくる。

…確かに商店街の人達は自分を応援してくれるし、トレーナーさんのことだって大切にしてくれる。でもあの人達だって商売だ。初めてトレーナーを連れていった時はともかく、そうそう何度もあんな大宴会を開けるほどに裕福というわけでもあるまい。だからきっとそう。自覚はなかったけど、最近元気のないアタシとトレーナーさんを少しでも元気付けようとしてくれたんだと思う。もっとも…

 

(確かにアタシも大なり小なり疲れてるんだろうけど…)

 

誰が今一番ツラいのかっていうと…

 

「やぁ、おかえり。ナイスネイチャ。君のトレーナーさんから連絡はもらったけど、あんまり遅くならないようにな」

 

「たはは…、すいません」

 

ようやく辿り着いた寮の扉を開けると、待っていてくれたのかフジキセキ先輩が迎えてくれる。

 

「全く、商店街の人気者というのも困ったものだね。まぁ、確かに善意で応援してくれるものを、無下にはできないからね。」

 

「たはは…いや~、全くその通りで…」

 

「今回は許すけど、他の寮生たちに示しがつかないから、ほどほどにね?まぁでも、どうあれそうやって君のことを支えてくれる人達がいることは、本当に得難いことだ。頻繁にこういうことがあるようでは困るけど、大切にするんだよ」

 

「…はい、先輩」

 

突如として始まった商店街の大宴会に巻き込まれ、帰りが遅くなってしまったアタシ達だったが、一応予めトレーナーさんが先輩に連絡を入れておいたため、許可は取ってある。だから、寮長としての肩書きゆえに、少し諌めるようなことを口にはするものの、口調とは裏腹に多分先輩はそこまで怒ってはいない。少し呆れたような顔ではあるものの、その言葉にどこかこちらへの慈しみが溢れているのがその証拠だ。

 

そんな彼女に謝罪をしながらも、しかし私はさっきの思考の延長線上、何となく解答は分かっていてもついつい聞いてしまう。

 

「…それであの、…彼女は…」

 

「…駄目だね。いまだに出てこない。」

 

すると先輩は少し疲れたような顔でそう返す。

困ったポニーちゃんだよ、と先輩は改めて首を竦めて言うが、いかに栗東寮の寮長とはいえ、彼女とてせいぜい10年ちょっとしか生きていないいち女学生。下手に手を出すとどうなるか分からない厄介な問題に対して、常に最適解を打てるほどに人生経験があるわけではない。それだけに、彼女だけにその責任を押しつけるというのはあまりにも酷なことであるし、口では困ったことなどと軽く言ってはいても、実際はどうして良いか分からず途方にくれているというのが現状だろう。ましてや…

 

「…ありがとうございます。それじゃ先輩、アタシはもう部屋に帰りますので。遅くなってしまって申し訳ありませんでした」

 

「…あぁ。お休み、ネイチャ」

 

改めて遅くなってしまったことの謝罪を述べてから、アタシは先輩と別れる。手に持つ買い物袋には、商店街でもらったお土産がこれでもかといわんばかりに詰め込まれており、それなりに重量がある。でもアタシ達ウマ娘にかかれば、この位の重量は別に重荷にはならない。特に苦労することなく寮の階段を上りきり、自身の部屋がある階にたどり着いたアタシの足を止めたのは、だからそんな物理的な重量なんかではなかった。

 

「…」

 

廊下の途中で足を止めたアタシの目の前にあるのは何の変哲もない扉。ここ栗東寮ではありふれたデザインの扉であり、そしてその扉の中の部屋の構造も、別に特別なものではない。だがその住民は別だ。なんせこの部屋では、何の因果か全く別種の天才が二人、一つ屋根の下で暮らしているからだ。すなわち、あのシンボリルドルフ先輩の再来とも言われた世紀の麒麟児、トウカイテイオー。そして、もう一人は…

 

「…マヤノ」

 

そう、トウカイテイオーをレースの天才とするなら、それとは全く別種の天才。すなわち、レースに一点特化したテイオーのそれとは正反対に、あらゆる道に通じる万能の天才。度重なる激戦の果てに、あの三冠ウマ娘ナリタブライアン先輩を討ち取り、その勢いのままに初代URAファイナルズ女王にまで上り詰めた恐るべきウマ娘。

 

「…もうそろそろ、出てきても良いんじゃないかな…」

 

そんなもう一人の天才、マヤノトップガン。一月の間その部屋から出てこない…大切なトレーナーさんを亡くして以来、その悲しみから部屋に引きこもってしまっている彼女のことを考えると、アタシはその固く閉ざされた扉の前に佇むしかなかった。

 

 

 




次回から物語の背景が見えてきます。ちなみにネイチャさんは主な視点人物兼サブ主人公的な人物なので、この後もかなり頻繁に出てきます。お楽しみに。


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あの日の夢は

※注意

鬱っぽい展開です。苦手な方はご注意ください。




…あの頃のマヤは、世界ってとってもつまんないものだって思ってた。

 

昔からマヤは、大抵のものは見るだけでわかった。それは例えば学校のテストだったり、かけっこの走り方だったり、まわりの友達が本当は何を考えてるかだったり色々だったけど…何でか分かんないけど、とにかくマヤはなんでもかんでも見るだけでわかっ・・・てた。

 

だから、何をしても何を見ても、すぐに理解できたし、すぐに自分でも真似することが出来た。

 

…でもね、まわりの皆はそれを凄いって誉めてくれたけど、マヤにはそうは思えなかった。だってわかっ・・・ちゃったから。どこかの国では、悪い人に穴を掘っては埋めさせて、また穴を掘らせるっていう刑罰をさせるって聞いたことがあるけど、それと一緒。一度でもわかっ・・・ちゃったら、もうそれ以上そこから理解できるものなんて何もない。それに気付いた時には、もうマヤのまわりの世界のほとんどはわかっ・・・ちゃったものばっかりになってて…

 

…だからマヤはトレセン学園に入学することを決めた。

マヤのまわりの、マヤがわかっ・・・ちゃってて色を失った世界の中で、数少ないマヤが完全にはわか・・らないもの、それがレースだったから。

 

カッコいいオトナなオンナのウマ娘さん達が、キラキラと輝くそれだけは、マヤがいくら見ても、わかっ・・・たって思っても、次から次へとわか・・んないものが出てきた唯一のものだったから。あんな風になりたい、マヤもあそこで走りたいって思ったから、マヤもトレセン学園に来たんだけど…

 

「ヤダヤダヤダ―!マヤもレースに出たいっ!出してってばぁ~!!」

「だからマヤノトップガンさん!勝手にコースへ出るのは止めてください!」

 

模擬レースが行われる学園のコースの端っこ。みんなみたいに模擬レースに出ようとするマヤを、係員の人達が必死になって止めようとしてくる。

…そう、トレセン学園も思ってたのと違った。ここに来れば思いっきり走れるって、マヤの見たこともない景色を見れるって思ったのに…

 

(トレーニングに出ないと模擬レースも走れないなんてぇ~!)

 

出なきゃいけないっていうから一回だけトレーニングには出た。でも一目見てすぐわかっ・・・た。そして、わかっ・・・ちゃったら後はただ退屈なだけ。

 

(おかしいよ!トレセン学園はウマ娘が走るための場所なんでしょ!?)

 

だからここに来たのに!なんでレースにすら出してくれないの!?

 

「ヤダヤダヤダヤダぁ~!

マヤもワクワクしたいのに~!」

 

マヤが今いるのは本当に端っこのほうだから、あんまり人はいないけど、それでも通りかかる人達は何事かと様子を伺っている。

しかし、

「どうしてキミ達はそんなことすら分かってくれないの!だったらマヤは何のためにここに来たっていうの!?」

そんな理不尽を訴え暴れても、彼らは特に何もしようとしない!係員の人達も全然マヤの言うことを聞こうともしない!

 

「あぁ、もう!マヤノトップガンさん、本当にいい加減大人しくしてください!」

「ヤダヤダヤダヤダ!

絶対にヤダぁ!!」

 

だからマヤは考える。というか、…わかっちゃった・・・・・・・

…正直に言うと、係員の人達を突き飛ばして強引にコースに出ることは不可能じゃない。マヤはまだ子供だけど、それでも基本的にはウマ娘は人間よりも強い。それはわかっ・・・てるけど、流石にマヤでもそんなことしたら係員の人達が怪我しちゃうってこともわかっ・・・てる。だから…

 

「きゃっ!なっ、なんてすばしっこいの!」

「おい!誰か応援呼んでこい!」

 

マヤは暴れるのを止め、その代わりに係員の人達の間を縫うように走り出した。当然係員の人達はマヤを捕まえようとするけど、そんな係員の人達の手は悉く空を切る。そう、係員の人達を突き飛ばせないなら、全員躱してコースに出れば良いんだ!これなら係員の人達に怪我をさせることもないし、マヤも安全にコースに出られる!ふふん、そうと決まったら話しは早いね!いっくよ~!マヤちん、テイクオ~フ☆

 

「へへ~んだ、捕まらないよ~!!……わひゃ!?」

「…?…ぐぼあぁぁっっ!?」

 

…と思って係員の人達の手を躱してコースの入り口まで走り出したんだけど、あまり前を見ていなかったマヤは運悪くそこで誰かにぶつかった。しかも、当たりどころが悪かったのか、その人はひゅーんって音を立てて、まるで漫画みたいにふっ飛んでいく。

 

…そう、思えばこれが始まり。

 

「わわわ!ねぇ、キミ大丈夫!?」

 

「ぐ、ぐふっ…まさかトレーナー人生の開始しょっぱなからスカウト10連敗、そして仕上げに誰とも知らぬウマ娘からのタックルを土手っ腹に喰らうとは…ま、まさに役満って感じだな…ぐへっ…」

 

「わー!?しっかりー!!」

 

…あの時はいくらマヤでもわか・・らなかった。これが自分の運命を大きく変える出会いであったことなんて。

そしてこの時、マヤのタックルで潰れたカエルみたいにひっくり返っていた男の人。くたびれた黒いスーツに黒いサングラス、黒い中折れ帽子と、全身黒ずくめな、10人中10人が怪しいって断言しそうな格好をしてのびていた彼が、後のマヤのトレーナーになる人だなんて、この時には夢にも思わなかったんだ…

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

ハッと目を覚ます。今自分がどこにいるか分からず、少しの間ぼーっとしちゃったけど、それが終わるともぞもぞと寝返りをうって周囲を見渡す。

 

まず目につくのは、壁のコルクボードにでかでかと張られたシンボリルドルフ会長のポスター。コルクボードには他にも何枚か紙が貼ってあるけど、やっぱりこれが一番インパクトがある。次に反対の壁を見ると、これまたでかでかと壁に飾られた戦闘機のポスター。向かいの壁のポスターに勝るとも劣らない存在感を放つそれには、マヤが好きなF14が印刷されている。そして、なんとなく布団をかぶったまま回転して仰向けになると、上の方の天窓から光が差し込んでいる。

 

うん、ここは間違いなくマヤたちの部屋だ。だとしたらさっきまでのは…

 

(…あぁ、夢だったんだ)

 

そう気付くとガッカリしてしまう。せっかく良い夢だったのに…。それにしても…

 

(…懐かしいな)

 

思えばあれから3年だ。

そう、あれは確かトレーナーちゃんと初めて会った時のこと。結局あの後追い付いてきた係員の人にこってり絞られて、マヤは模擬レースには出られなかった。

まぁ幸い、トレーナーちゃんが無事だったから良かったけど、それでも今でもあの時走れなかったのはちょっとムカ~って思ってる。今なら係員の人達の言うこともわかるけど、それはそれ、これはこれ。とは言え…

 

(…うん。あれがマヤとトレーナーちゃんとの出合い。マヤとトレーナーちゃんの旅路の第一歩)

 

我ながら、馴れ初めがトレーナーちゃんの鳩尾へのダイレクトアタックというのが、ロマンの欠片もなくて悲しい限りだけど…しかし、それでもマヤにとってそれはとっても大切な記憶の一つ。キラキラと輝く過去の思い出の一欠片。だからこそ…

 

「…っ」

 

朝日に照らされて、キラキラと輝く空気中の塵に急に焦点が合わなくなる。正確には、目の前の景色が歪んで、目の焦点が合わなくなる。

 

(…なのに…どうして)

 

時間が経つにつれて、歪みはどんどん大きくなる。パジャマの裾で目をぬぐっても全然治らない。ただただ裾が濡れるだけ。

 

(…ねぇ、どうしてなの?)

 

頭から布団を被り、枕をぎゅっと抱き締める。目を閉じても、後から後から涙は溢れてくる。つらくて、悲しくて、苦しくて仕方がなくて…でも、そんな時にマヤの頭を撫でてくれるあの人の手はもうどこにもなくて…

 

(…どうして、マヤをおいていっちゃったの!?トレーナーちゃん!!)

 

…だから止まらない。止まれない。嗚咽を押さえるのが精一杯だが、果たしてそれもどこまで効果があるのか正直分からない。

 

そう、どんなに過去の思い出が暖かく、優しく、輝いているものであろうと、結局それは過ぎ去ったものでしかない。今ここに、この場所に、この世界に、あの人は…トレーナーちゃんはもう、どこにもいない…

 

(マヤの夢を叶えてくれるって言ったのに!ずっとマヤのことを見ていてくれるって言ってたのに!)

 

それなのに!トレーナーちゃんはひとりで先に行ってしまった!マヤを…マヤだけを残して!

 

(嘘だ嘘だ嘘だ!こんなの絶対に嘘だよ!!)

 

ぎゅっと目をつむる。

何度も、何度も、自分に言い聞かせる。何度も、何度も、自分を騙そうとする。それでもマヤは、マヤだから。他の誰かなら誤魔化せたとしても、この世で唯一マヤだけは、自分を誤魔化すことができない!例え感情を騙せても!理性を騙せても!他でもないマヤだけは、どうしようもなく本能でわかっ・・・てしまうから!

 

(…こんなのって!こんなのって!!)

 

それなのに!どうして!?

もうわかってるのに!トレーナーちゃんがもういないことなんて、もうマヤはとっくにわかっ・・・てるのに?!

頭をよぎるのはトレーナーちゃんとの楽しかった日々ばかり!辛くなるってわかってるのに!悲しくなるってわかってるのに!!それなのに、あの懐かしい日々が、暖かった日溜まりが、頭から離れない!

 

(…トレーナーちゃんは…トレーナーちゃんは!!)

 

もう…いない。もう…いないんだ!

 

他ならぬマヤの手で、マヤは実感したはずなんだ!

 

あの夏の暑い日、何処までも染み渡った空の下、あの静まり返った病室で握った手は、あまりにも、あまりにも冷たくて…

 

(…っ!?)

 

そこまで考えたとき、一瞬でマヤの全身に怖気が走った。思わずマヤは抱き締めた枕をより強く抱き締める。布団を被ってるはずなのに、寒くて寒くて堪らない。

あまりにも寒くて、震えるマヤの歯がカチカチと音をたてている。

 

でもそれで感情が極度に高まっていたマヤの、爆発するような激情は収まって…だけど、代わりに深い水の底に沈んでいくような、静かで、だけど重い悲しみがマヤの胸に降りてきて…

 

布団から出たマヤは、近くにあったくまさんの人形を抱いて、ベッドの縁に体育座りで座り込む。さっきので体力を使いきったからか、もう泣き叫ぶ気力もない。だから、ただただ静かにマヤは座っている。

 

あんなにも泣き叫んだのに、珍しく朝早くに起きちゃったのか、周囲はとっても静かだ。聞こえるのはせいぜい鳥の鳴き声くらいで、その他の音はなんにも聞こえない。

 

「…ねぇ、トレーナーちゃん」

 

だから、マヤの口から漏れた呟きは

 

「…マヤ、もうどうすれば良いのか、わか・・んないよぉ…」

 

自分の体を抱き締めながら溢した蚊の鳴くような小さな呟きは、やけに大きく聞こえたんだと思う。

 

 

 

 

 

…だからなのかな?

 

「…!!…!!」

「…」

「…!!…!!」

 

「…?」

 

不意に部屋の外がうるさくなったと思ったら…

 

バァンッ!!

 

「!!」

 

いきなり部屋のドアが吹き飛んだ。

流石に驚いて吹き飛んだドアを呆然と見ていると、入り口から何人かの人達が部屋に入ってくる。

 

マベちんに、テイオーちゃんに、ネイチャちゃん…久しぶりに見たみんなの顔はとても心配そうで、同時に戸惑ってるみたいな顔で…

 

それに比べて一緒に入ってきたフジキセキ先輩は、一番最初に部屋に入ってきた一人を咎めるような顔をしてて…

 

…そして

 

「…ふん、しばらく見ない内に、随分とつまらない顔をするようになったな」

 

…そしていの一番に部屋に入ってきたこの人は…

 

「…ブライアン…さん?」

 

「…そんな顔をしているお前に朗報だ」

 

…日本のすべてのウマ娘が憧れるクラシックロードの3つの頂点、皐月賞、日本ダービー、菊花賞。かつてその全てを根こそぎその手で勝ち取った三冠ウマ娘。マヤが知る限り最強のウマ娘の一人と言っても良い人は今…

 

「…マヤノトップガン。今すぐわたしと模擬レースをしろ」

 

瞳に極大の怒りの炎を灯して、マヤにそう告げた。

 

 

 




個人的な妄想ですが、たぶんマヤちゃんはトレーナーが死んだら相当ダメージ負うと思うんですよね。

誰よりも死が理解できていないにもかかわらず、誰よりも死をわか・・っちゃうから、幼い感性と冷酷すぎる理性のせめぎあいで、下手すると他のウマ娘たちよりもやばいことになると思うんですよね…




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停滞と銀弾

前回の話の別視点です。
今回の話で現在の状況が大体わかると思いますが、
相変わらず空気が重いです。

もしかしたら今回の方が鬱っぽいかもしれません。
あと、少しだけ流血表現があります。




…別に作者は愉悦部ではないですよ?
単純に展開上必要だからこうなっているんですよ?




―時間は少し遡る―

 

 

「あっ、ナイスネーチャン!」

 

「ナ イ ス ネ イ チ ャ !!

何回言えば分かるのよ、アンタは!?」

 

「にひひっ、今日も絶好調だね!」

 

寮の廊下で出会うなり、ふざけたことを抜かしおったお気楽極楽娘、トウカイテイオーの頭に、アタシは無言でチョップを喰らわす。

 

「イッターイ!何すんのさネイチャ!!」

 

「だまらっしゃい。次同じこと言ったらネイチャさん必殺の右ストレートが飛ぶからね」

 

「ぶーぶー。ネイチャのいけずー」

 

…そりゃアタシだって、1回2回言われた程度ならこんなことはしないけど、この元気溌剌娘はことあるごとにそれを言うものだから、流石に温厚なネイチャさんもキレるというもの。

仏の顔も三度までとはよく言うけど、逆に3回越えたらその顔は地獄の閻魔もかくやというものになっていてしかるべきなのである。よってアタシは悪くない。ノットギルティ!

…まぁ、それはさておき

 

「テイオーは朝練?」

 

「勿論!サイキョーのウマ娘たるテイオー様は、休日でもトレーニングを欠かせないのだ!」

 

「へいへい、それはご立派なことで…。でも珍しいね、朝練にしてはまだちょっと早いと思うけど?」

 

言いながらアタシは廊下の窓を見る。一応日は出てるけど、時刻はまだ6時にもなっていない。まぁ、平日なら別に珍しいことでもないんだけど、流石にテイオーでも休日はもう少し寝ている。大切なレースが近いなら話は別だけど、いくら私たちウマ娘がレースに全力を尽くしているとは言え、年がら年中気をはりつめている訳でもないのだ。

 

「いや~、実はフジキセキ先輩がもう起きててさ。別に気にしなくても良いって言ってくれてはいるんだけど、流石に先輩が起きてる横でボクだけ寝てるわけにもいかなくてさ~」

 

「あ~…なるほどね」

 

言われて納得する。確かに寮長である先輩なら休日でも早起きしててもおかしくないし、いかに気にしなくても良いと言われても、自分達の先輩が起きて色々していたら、流石にそのまま寝ているというのは心情的に気まずいだろう。まして、今のテイオーのように一時的に同じ部屋に住まわせてもらっている立場なら尚更だ。

…そう、今テイオーはこの栗東寮の寮長であるフジキセキ先輩の部屋に一時的に部屋を移している。諸事情でしばらく部屋から出ていかざるを得なかったテイオーに、ちょうど一人部屋だった先輩が部屋を貸しているという状態なのだ。そして、そのテイオーが期間限定とはいえ部屋を移さなければならなかった理由は…

 

「そういうネイチャこそ随分早いじゃない。別にボクみたいに朝練って訳でもなさそうだけど、キミこそどうしたんだい?」

 

なんて考えていたら、テイオーもアタシに質問をしてくる。

まぁ確かに、朝練ならまだ納得できる理由ではあるが、そうでなければ休日の早朝から何してるの?と不思議に思うのは別におかしなことではない。

 

「別に大したことじゃないよ。アタシは…」

 

「マーベラス☆待たせてごめんね、ネイチャ!!」

 

アタシが答えようとすると、後ろから声が聞こえてくる。振り替えると、こちらに走ってくる同室のマーベラスサンデーが見える。見えるが…

 

「ちょっとマーベラス、しっー!まだ朝早いんだから、あんまり大声だしちゃダメ!!」

 

「あっ。ごめん、ネイチャ」

 

流石に休日の早朝から大声でマーベラスするのだけは止める。ちょっとだけマーベラスが凹むが、こればっかりは寮なので仕方がない。

 

「あっ、おはようマーベラス!キミも今日は早いね!」

 

「あっ、テイオー!おはよう!マーベラスはね、今からネイチャととってもマーベラス☆なことをしに行くんだ★」

 

「…へー、マーベラスなこと?」

 

「そう!マーベラス☆なこと★」

 

とそこで、マーベラスに気付いたテイオーが彼女に挨拶をし、マーベラスもそれに応えて二人は話し始める。

まぁ、さっきの大声を反省して声のボリュームを落として話してるのは偉いんだけど、いかんせん彼女の発言がマーベラス過ぎて、テイオーは途中でついていけなくなる。そんな彼女のために、アタシはすかさず説明した。

 

「大したことじゃないよ、テイオー。ただ二人で散歩に行くってだけだから」

 

「散歩?」

 

「そう。たまたま二人とも全く同じ時間に起きちゃって、でも寝直すには微妙かな~、なんて思ってたからね。ちょうど二人とも今日は予定がなかったみたいだから、たまには二人で朝の散歩なんてのも乙なものかなって思ってさ」

 

「マーベラス☆」

 

そう、かくいうアタシも休日は普段ならこの時間帯はまだ寝ているのだが、何故か今日はふと目が覚めてしまった。

そして、それは同室のマーベラスも同じだったようで、全く同じタイミングで目を覚ましたアタシ達は、せっかくだから二人で一緒に何かしないかという話になり、その結果として、天気も悪くないので二人で朝の散歩に行くことにしたのだ。

 

「へー、仲良いんだね二人とも」

 

そういう諸々のことの経緯を一通り話すと、テイオーはどうやら感心したらしく、しきりに頷く。

 

「まぁね。それにせっかくの休日なんだから、たまにはこのくらいはね」

 

「マーベラス☆

そうそう、ネイチャはとっても良い子なんだよ!

マーベラスが忘れ物したときはいつも届けてくれるし、マーベラスが調子が悪いときも、しょうがないな~、なんて言いながらも助けてくれる!ホントにホントにマーベラス☆な子なんだよ!」

 

「ちょっ!?マーベラス!そんなことは言わなくて良いから!!」

 

「…ほほぅ?」

 

慌ててマーベラスの口を塞ぐが、時既に遅し。話を聞いていたテイオーは、非常にいやらしい笑顔でニマニマしながら話しかけてくる。

 

「にひひっ、いや~本当に仲が良いんだね~、ネイチャ達は」

 

「…~っっ!!」

 

恥ずかしさで顔が赤くなる。別に何か悪いことしている訳じゃないんだけど、それはそれとして普段のマーベラスとのやり取りをからかわれて、顔から火が出そうなほどの羞恥に襲われる。

 

…だから、本当に悪気はなかったんだ。

 

「そ、そうね。まぁ、確かにアタシとマーベラスは仲良く過ごしてるよ。

…で?テイオー自身はどうなのさ?別にケンカしたとかは聞いたことないけど、マヤノとはうまくやってるの?まぁあの子は結構気分屋だから、今のアタシ達みたいに一緒に朝の散歩なんてことは…」

 

「…!ネイチャ!!」

 

「…!!」

 

そこで気が付き、慌てて自分の口を押さえるが…もう遅い。

そう、別にアタシには悪気なんてこれっぽっちもなかった。ただ、普段の自分の行動をからかわれて恥ずかしくなり、そのちょっとした仕返しにテイオーにも同じことを聞いてみただけ…

 

アタシが恥ずかしがらされた分、テイオーも恥ずかしがらせてやれ、という悪意のない、ちょっとしたイタズラみたいなもののつもりだったんだけど…

 

「…うん、そうだね。マヤノは確かに気分屋だし、おまけに結構な寝坊助だから、今のネイチャ達みたいに早朝から一緒に散歩をする、っていうのはちょっと難しいかもしれないね…あはは…」

 

「…ご、ごめんテイオー!…アタシ…そんなつもりじゃ…!!」

 

「…ううん、ネイチャは悪くないよ。…むしろこっちこそ、からかちゃってごめんね」

 

 

アタシは慌てて謝るけど、普段の生意気な雰囲気が消え、困ったような笑顔で言うテイオーには、もう何も言えない。アタシ達以外誰もいない廊下に静寂が満ちる。

 

…あぁ、そうだ。自分はなんてバ鹿なことを言ってしまったんだろう。テイオーは今マヤノと一緒の部屋にいないことなんて、分かっていたことじゃないか。そして、その理由だってアタシは…

 

…その時だった。

 

「…ぁぁああぁぁぁぁぁぁああああァァァっっッッッ!!!!」

 

静まり返った廊下に絶叫が鳴り響き、アタシ達は硬直する。それは今いる廊下に繋がるとある部屋の中から聞こえるものだったが、比較的防音がしっかりしている栗東寮において、部屋の外にまで聞こえるそれは、恐らく部屋の中でなら尋常ではないものに違いない。聞く者の魂を削るような、血を吐くような絶望と後悔と悲しみに溢れた絶叫。それはちょうど今、目の前で話をしているトウカイテイオーが元々いた部屋から漏れ出すものであり…

 

「マヤノ…」

 

「…っ!!」

 

「…!テ、テイオー、あんた…!!」

 

マーベラスがそれを聞いて悲しそうに俯くが、ふとテイオーを見たアタシにとっては、正直それどころではない。慌ててテイオーに駆け寄り、アタシがとった彼女の手は、血で真っ赤になっている。…簡単な話だ。彼女はあまりにも手を強く握りすぎて、爪で自分の手の平を傷つけてしまったのだ。

 

「…?

…あ、あはは。ごめんネイチャ。こんなカッコ悪い姿見せちゃって…

…迷惑ついでに頼みたいんだけど、この指外してくれないかな?自分じゃ力抜けなくて…」

 

「…っ、あんたって奴は本当に…!」

 

力を入れすぎて自分で元に戻せなくなったテイオーの指を、一本ずつマッサージしながら元に戻していく。その間もテイオーの手からは血が流れ続け、ぽたっ、ぽたっ、と廊下の床に落ちていく。それはまるで彼女の悔し涙のようで…。

 

「…うん。ありがと、ネイチャ。」

 

「まったく…あんたにまで何かあったら困るんだから…気を付けてよね、本当に…」

 

なんとか全部の指を元に戻し、マーベラスに頼んで部屋から取ってきてもらった包帯を巻くと、テイオーはアタシにお礼を言ってくれる。だが、その笑顔にはやはりまだ何処か影があるし、本質的な問題は一切解決していない。廊下にはまだ、胸をかきむしりたくなる位悲しい泣き声が響いている。すると、アタシがテイオーの手を診ている間ずっと黙っていたマーベラスがぽつりと呟いた。

 

「…ねぇ、ネイチャ。アタシ達に出来ることって、ホントに何もないのかな…?」

 

大きな目にいっぱいの涙を貯めて答えを待つマーベラスに対して、アタシは…

 

「…」

 

何も…言うことが出来ない。気が付くと廊下は静まり返っている。あれだけの絶叫が響いていたのにも関わらず、それでも誰も出てこないのは、流石に廊下越しなら扉を閉めれば音を遮断できるのと、もう一つ。皆がこの絶叫にそろそろ慣れはじめているからだ。

 

…そう、テイオーのルームメイトであるマヤノトップガンが自分の部屋に引きこもり、泣いて暮らすようになってから、もう一月が経つ。そして、彼女がこうなってしまった原因はただ一つ。彼女のトレーナーさんが亡くなったからだ。

 

…正直、学園内での彼女のトレーナーさんの評価はそこまで高くなかった。真夏であっても長袖のくたびれた黒いスーツに黒いサングラス、黒い中折れ帽子という、全身黒ずくめの不審者スタイルを貫く彼は、はたから見るとあまりにも胡散臭く、それに加えてそのどこかカッコつけた言動からはダメな男の匂いがはっきりと漂っていた。顔は悪くなかったが、誠に遺憾ながら、その第一印象は残念な人というのが、学園のトレーナー、及びウマ娘達の総意であったのは間違いない。

 

また尚悪いことに、良いウマ娘を見かけると、すぐに走っていってそのポンコツ臭溢れるハードボイルド(笑)な言動で勧誘することから、学園の大半のウマ娘たちに気持ち悪がられ、ぶっちゃけ奇人変人の類いとして、学園内では有名だった(なおこれに関しては、マヤノが不機嫌になるため、ある時期から控えるようになった模様)。

 

でも、アタシやマーベラス、テイオーのような、マヤノと親しいウマ娘は皆知っている。

確かにあのトレーナーさんは正直かなり残念な人だった。

…と言うか彼の愛バのマヤノにすら、

 

「ねぇ、トレーナーちゃん。トレーナーちゃんはいつも、どうしてそんなダサい格好してるの?」

 

などと、たまに不思議そうに聞かれていたあたり、そこに関しては誰も否定できないだろう。

 

…だけど、それでも彼と一緒にいる時はいつも、マヤノは幸せそうだった。

 

勿論二人の道のりが常に順風満帆だったわけではないだろう。レースに負けて二人で悲しむことだってあっただろうし、意見が噛み合わずに喧嘩をすることだってあっただろう。実際、アタシも偶然そんな場面に出くわしたことはあったし、トレーナーさんと喧嘩したマヤノの相談にのることも何回かあった。

 

だけど、それ以上にアタシがマヤノの口から聞いたのは、彼女のトレーナーちゃんがすごいって話や、彼との楽しい思い出ばっかりだったし、何より彼と一緒にいた3年間、マヤノは常にレースを楽しんでいた。

 

また彼も、言動こそふざけていたが、常にマヤノのことを考えて行動していた。それは彼の行動を少し見れば誰にでも分かることだったし、彼の数少ない友人の一人であったアタシのトレーナーさん曰く、模擬レースに出られなかったマヤノを模擬レースに参加させるために、彼はあらゆるところを走り回って、最悪土下座も辞さずに、色々な人に頭を下げてまわっていたらしい(もっともこれに関してはマヤノも知らないみたいだけど、本人も秘密にしているみたいだから、アタシたちも敢えてマヤノの前では話題に出していない)。

 

それほどまでに、あのトレーナーさんは自分の愛バであるマヤノの幸せのために尽くす人だったし、それが分かっていたからこそ、マヤノも彼を心から信頼していたのだと思う。

大多数の人達から見たらとんでもない人だったかもしれないけど、マヤノにとって、彼は最高のトレーナーさんだったのだ。

 

…だからこそ、そんな彼が死んだ時、マヤノはこれ以上ないほどにショックを受けた。

 

彼女のトレーナーさんの死因は交通事故だったそうだけど、それを確認しに行って病院から帰ってきたマヤノは、普段の天真爛漫な様子が嘘のように、びっくりするくらいの無表情で、アタシやテイオー、マーベラスがいくらなだめすかしても完全に上の空。それはもう酷い有り様だった。

 

でも、多分その段階ではマヤノ自身が混乱して何が起こったのかが分かっていなかった。いや、本当は分かっていたけど、それを心が必死に認めまいとしていたんだろう。だから、お葬式が終わり彼の死を彼女の心までもが受け入れてしまった瞬間に、マヤノは決壊した。

 

…それでも最初は皆彼女を励まそうと必死だった。アタシもマーベラスも、そして何よりテイオーが必死に彼女を励ました。

 

特にテイオーの献身は本当に凄かった。ルームメイトっていうのは勿論あったのだろうけど、声が枯れるまで泣き、力尽きるように眠りに落ち、そしてまた起きて獣のような声で慟哭する彼女と、同じ部屋で1週間も過ごし、その間彼女を慰め続けるのと並行して、食事から風呂から何から何まで、彼女の全ての世話をたった一人でやりきったというのは、筆舌に尽くしがたい快挙だ。アタシでも同じことは出来ない。

 

本人曰く、

 

「ボクが三冠を取れなかった時、無敗記録を破られてしまった時、3回目の怪我でウマ娘としての人生を諦めかけた時、マヤノはそんな一番辛かった時でもいつもボクの側に何も言わずにいてくれた。

後からマヤノに聞いたら、ボクならきっと立ち直れるって信じてたから、あえて何も言わずに、それでも一人ぼっちにしないために側にいてくれたんだってマヤノは言ってた。

だから次はボクの番。一番辛い時に一緒にいてくれた恩人を、今度はボクが助けるんだ!」

 

とのこと。

 

そんな真っ直ぐすぎるテイオーのお陰で、本当に一番危なかった時期をマヤノはなんとか乗り越えることができた。あの乱れようから察するに、もしテイオーがいなかったら、あの時点でマヤノは狂い死んでいたかもしれないと考えると、本当に彼女には頭が上がらない。

 

だけど、いくらテイオーでも流石にそれが限界だった。1週間本気で狂い暴れる続けるウマ娘を押さえ込みきったテイオーは完全に憔悴し、このままでは共倒れになると危惧したフジキセキ先輩が、強制的に彼女をマヤノから引き剥がし、自分の部屋に放り込んだあたりから、マヤノは一人部屋になった自分の部屋に引きこもるようになった。

 

もちろん、アタシやマーベラス、他にも皆でマヤノのことを励ましに行ったし、フジキセキ先輩も寮長としての立場も込みで、彼女を外に出そうとあれこれ手を尽くして頑張った。でもアタシ達の努力も空しく、日に日にマヤノは衰弱していく。何時間もずっとベッドに座り込み、じっとひたすら虚空を見つめ続け、そして時たま感情を爆発させては、また死んだような目で座り込む…そんな状態ではアタシ達も手の付けようがなくて、結局今はそっとしておいた方が良いということで、現状維持に甘んじるしかないという状況だ。

 

…一応ドアの前においた食事だけは、少しだけだけど食べてくれるから、当面の餓死の心配はないと思うけど、それでもそんな状況で必要カロリーを十分に摂取できているはずもなく、またたまにマヤノの世話に行っているフジキセキ先輩曰く、どうもろくに睡眠もとっていないという話らしい。正直そろそろお医者さんを呼ぶレベルかもしれない。そんな明らかにトレーナーさんの死から立ち直りきれていないマヤノを外に出すのはまだ無理があって…

 

 

アタシはマヤノの部屋の扉を見つめる。その扉は今同じ廊下にある別の部屋の扉と全く同じものだけど、アタシにはそれでいてマヤノの部屋とこちらの廊下を区切る、絶対の境界線に立ち塞がる固い固い壁のように思える。それが悔しくて、情けなくて、アタシもテイオーほどではなくても、両手をぎゅっと握りしめる。

 

…アタシだってマヤノの友達だ。だから、友達が苦しんでいると言うのなら、助けたいと本心から思う。でも乱れ狂うマヤノを一週間も押さえ続けたテイオーでもマヤノを救えないというのなら、他に一体誰があの子を救えるというのだろうか…?

…分からない。アタシ達はどうすれば良いんだろうか…。

そうしてアタシ達三人はその場に立ち尽くす。あたりには静まり返り、聞こえるのは鳥の鳴き声くらい…そのはずだった。

 

(…ん?)

 

遠くから人の声が聞こえる。

最初に気付いたのはアタシだったけど、テイオーとマーベラスもすぐに気付いたようだ。

別に会話が聞こえること自体はおかしなことではない。確かに少し早い時間だけど、フジキセキ先輩のように、起きている人は起きているだろうし、そんな人達が廊下に出て話していても、これもまたおかしなことではない。ウマ娘の耳なら、静かな場所なら別の階の会話がある程度聞こえるということも可笑しくはない。

 

しかし、その声は明らかに争っている声であり、しかも段々と今アタシ達のいる階に近づいているような…

 

「…!!」

 

「…!!」

 

謎の声は、どうやら上の階からするらしく、次第に階段を下りる音も一緒に聞こえてくる。

 

「や…、ブラ…!そ…こと…!マヤ…が…、お前…わか…!?」

 

「…だ…こそ、…意味…あ…」

 

声がこちらに近づいてくるのは間違いないようで、階段を下りる音も、話し声も段々と鮮明になってくる。

 

(…え?一体何事?)

 

突如として近づいてきた謎の声に、思わず顔を見合わせるアタシ達の反応を無視して、事態は進行する。

 

「だからって、まだ早すぎる!もう少し待つべきだ!!」

 

「…これ以上待っていては手遅れになる。第一…もうわたしが待てん。」

 

階段を下りきり、ついに謎の声の主がアタシ達の前に姿を現す。一人はここ栗東寮の寮長であり、現在テイオーが居候させてもらっている部屋の主でもあるフジキセキ先輩。そしてもう一人は…

 

「…!!

あぁ、ネイチャ、テイオー、マーベラス!!

出会って早々悪いんだけど、このバ鹿を止めるのを手伝ってくれないか!」

 

「…誰がバ鹿だ」

 

そう、もう一人は意外なことにナリタブライアン先輩だった。予想外の人物の登場に困惑するアタシ達だったが、そんなアタシ達を無視するかのように、ブライアン先輩は1人でずんずん廊下を歩いていく。それを見て、まずは状況を把握しなければならないと、慌ててアタシは二人を追いかけ、フジ先輩に状況を確認する。

 

「えっ?えっ?一体どうしたんですか、フジ先輩!?」

 

「どうもこうもないよ!ブライアンがさっきいきなりワタシの部屋に押し掛けてきたと思ったら、マヤノの部屋の鍵を貸して欲しいだなんて言い出してね!理由を聞いたら、マヤノを外に連れ出してレースをさせるって言うんだ!」

 

「えぇっ!?」

 

そんな無茶な!只でさえ今のマヤノを外に出すことすら危ういのに、そんなマヤノにレースなんて出来るわけがない!

 

「なんでそんな無茶を…」

 

「知らないよ!理由を聞いても、”だからこそだ”、とか、”やればわかる”、だとかそんなことしか言わないんだ!!」

 

「そんなむちゃくちゃな…」

 

この人は一体何を考えているのだろうか…?それはともかくブライアン先輩を止めないと!フジ先輩の説明を聞いたアタシはブライアン先輩に後ろから抱きつく。

 

「やめてください、ブライアン先輩!マヤノはまだ…」

 

「…うるさい、邪魔をするな」

 

「うわぁっ!!」

 

そうしてブライアン先輩の足を止めようとするけど、逆にアタシは引きずられてしまう。駆けつけたマーベラスとテイオーも加勢してくれるけど、結果は同じ。確かに廊下を歩くスピードは落ちたけど、三人まとめてブライアン先輩に引きずられていく。

 

(な、なんなのこの人は!?)

 

いくらウマ娘だからって、同じウマ娘3人の妨害をものともせずに歩き続けるなんて、普通ではない!一体なんなのだ、この先輩は!!

 

そうこうしている内に、ブライアン先輩はマヤノの部屋の前にたどり着いてしまう。だが、先のフジ先輩との話から察するに、彼女はマヤノの部屋の合鍵は恐らく持っていない。なら…

 

「…ここまで来て、一体どうやって部屋の中に入るつもりですか?先輩」

 

「…フッ、知れたこと。中に人がいるなら部屋の鍵は開けられるはず。であるのならば話は簡単だ。出てくるまでノックをするだけだ」

 

「あなたはっ…!」

 

こんな局面でなんてふざけたことを!

 

「いい加減にしてください!マヤノはまだ、外に出られるような状態じゃないんです!」

 

「そ、そうだ!いくら先輩だからって、マヤノを傷付けようって言うんならボクも許さないよ!」

 

「マヤノを傷付けないで!」

 

三人で叫ぶが、ブライアン先輩は一顧だにしない。そのままノックをしようと…

 

(「…マヤ、もうどうすれば良いのかわか・・んないよぉ…」)

 

…え?

 

「い、今のって」

 

「…マヤノ?」

 

「な、なんで…?」

 

とても、とても小さな声だったが、確かにあれはマヤノの声で…でもなんで?さっきの絶叫並みの大声ならまだしも、あんな小さな声が聞こえるものなの?周りが静かだから?ドアの前に立っていたから?それとも…?

 

突然聞こえてきたマヤノの声にアタシ達3人は困惑しきりだ。だが…

 

「お、おい!ブライアン!お前一体何をするつもりだ!!」

 

「…そこまで」

 

「えっ?」

 

「そこまで堕ちたか!マヤノトップガァァンッッ!!」

 

気合一閃

 

爆音と共にマヤノの部屋のドアが吹き飛ぶ。その光景に、アタシ達は呆然とする。

 

…確かに、確かにウマ娘の力でならドアを蹴り飛ばすことは出来ないわけではないだろう。だけど、普通そんなことする?この人ホントになに考えてるの!?

 

呆気にとられるアタシ達だったが、そんな状況でもノッシノッシと部屋に入っていくブライアン先輩を追ってアタシ達は慌てて部屋の入り口をくぐる。

 

すると当然その部屋の主がいるわけで…

 

「…ブライアン…さん?」

 

「…そんな顔をしているお前に朗報だ」

 

マヤノトップガン…

久しぶりに見るアタシ達の友達は…

 

「…マヤノトップガン。今すぐわたしと模擬レースをしろ」

 

何故かブライアン先輩に、無謀な勝負を挑まれているのだった。

 

 

 




うちのトレセン学園にはナリタブライアンがいないので、正直この人のキャラクターはかなり難しい…

メインストーリーと個別ストーリーを見て勉強はしているのですが、こういうキャラクターで大丈夫なのかが心配ですね…



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パンドラの箱

前回のあらすじ

突撃今日の晩御飯!

…実際あの世界のセキュリティ技術ってどうなっているんでしょうか?
ウマ娘なら鍛えてなくても、木造のドアくらいなら粉砕できそうですよね?

流石に設定的にウマ娘がそういう乱暴なことをすることはないと思いますが、
それでも生半可なセキュリティなら蹴破ってきそうですよね。物理的に。




「ブ、ブライアン!これはいくらなんでもやりすぎだ!流石にここまでされると寮長として見過ごす訳にはいかない!!」

 

部屋に入ってきたフジキセキ先輩がナリタブライアン先輩の腕を掴む。外には早くも大勢の野次ウマが詰めかけており、すでに騒ぎになっている。当然だ。いくら連日のマヤノの騒ぎで絶叫には慣れているとはいえ、早朝から寮の一室でいきなり謎の爆音が鳴り響いたのだ。気にならないはずがない。

 

「キミにはしかるべき罰をうけてもらう!覚悟は良いな!」

 

だからフジ先輩が激昂するのは無理もないが、ブライアン先輩は特に動じた様子もない。

…というか、フジ先輩を無視してマヤノに話始める。

 

「…どうした?何とか言ったらどうだ?」

 

「…」

 

「おい!聞いているのかブライアン!!」

 

無視されるとは思っていなかったのか、フジ先輩はブライアン先輩の腕を引いて向き直らせようとするが、それでも全然彼女は先輩の方を見ようともしない。その視線は一点のみを見ており…

 

(…マヤノ)

 

そして、その燃えるような視線にさらされて、久しぶりに会うアタシ達の友達はベッドの縁に座り込んでいる。

…その状態はハッキリ言ってヒドイものだった。もともとくせ毛だった髪はさらにボサボサになっており、枝毛もあっちこっちに出来ている。頬は痩せこけ、目の下にはひどい隈があり、堕ちくぼんだ目には以前のような明るい輝きは一欠片も残っていない。

…だが、生きてる。そんな状態であろうと、マヤノは、アタシ達のかけがえのない友達はまだ生きてる。

そんなマヤノを見てアタシは…

 

(…マヤノ!)

 

…アタシは思わず涙ぐんでしまう。

周りを見ると、マーベラスやテイオーも、同じように涙ぐんでいる。

…あぁ、思えば最後にあったのはいつになるのか…たった一月の話でしかないはずなのに、随分長い間彼女と会ってなかった気がして…

 

でもそんなアタシ達の感傷などお構いなしに事態は進行する。

 

「…っ!いい加減に…」

 

「…ごめん、ブライアンさん」

 

だから、流石にこの状況で無視され続け、いい加減我慢が出来ず本気でブライアン先輩に掴みかかろうとしたフジ先輩も、その言葉で動きを止める。

 

「…マヤね、わか・・んないんだ。

今までどうやって走ってきたのかも、これからどうやって走れば良いのかも…」

 

マヤノは構わず続ける。

 

「…トレーナーちゃんが死んじゃってから、マヤわか・・んなくなっちゃった…」

 

何時しか部屋は静かになっていた。あんなにざわざわとしていた野次ウマたちも、気が付くと押し黙っており、外にもその静けさは伝染している。そんな針を落とした音さえ聞こえそうな静寂の中で、マヤノは言葉を紡ぎ続ける。

 

「…だからきっと、こんな今のマヤと走っても、きっとブライアンさんは満足できない…キラキラできない…

だから…」

 

マヤノが手元にあるくまの人形を握りしめる。人形に隠れてその顔は見えないけど、その声は少し震えていて…

 

「…ごめんなさい、ブライアンさん。…マヤ、もうなにがなんだかわか・・らない。もう走れないの…」

 

…それは明確な拒絶。マヤノはブライアンさんの誘いを明確に拒絶した。

 

「マヤノ…」

 

そんなマヤノの告白を聞いたアタシ達は二の句が継げない。そう、今マヤノが言った言葉は、実質的に引退も考えて良いほどの現状を表す言葉。

 

「もう走れない」

 

…マヤノがトレーナーの死で心に大きなダメージを負っていたのは十分に理解していたつもりだったけど、そんなアタシ達でもまさかここまで深刻な話が出てくるとは予想も出来ず、絶句するしかない。

 

そして、それを聞いてどう思ったのかは知らないが、これまでじっとマヤノのことを睨みつけていたブライアンさんのプレッシャーが不意に消失する。

 

「………そうか」

 

そしてそれまで頑なに無視し続けていたフジキセキ先輩の方に向き直ると、ブライアン先輩は不意に頭を下げた。

 

「…この度の件、まことに申し訳ありませんでした。責任の所在は全てわたしにあります。どのような罰も受け入れます」

 

突然のブライアン先輩の謝罪に、周囲がざわめき始める。それは、いままでろくに相手をされなかったにも関わらず、いきなり素直に謝罪されたフジキセキ先輩も同様であり、

 

「あ、あぁ。…理解しているなら良いんだ。…うん」

 

さっきまでの激昂を維持できず、少々動揺しながらも、彼女はブライアン先輩の謝罪を受け入れる。

…と

 

「どけどけぇ!ヒシアマねぇさんのお通りだぁっ!!一体全体なんの騒ぎだいこりゃあ!!」

 

野次ウマたちの中からよく通る声が響き渡る。人の波を掻き分け、野次ウマの群れの中から出てきたのは、この栗東寮と対になるもう一つの寮の寮長であるヒシアマゾン先輩だ。

 

「うちの寮の子達から、隣の寮で何か騒ぎが起きてるって聞いてね!フジ!一体これはどういうことだい!!」

 

「…ああ、ヒシアマ。実は…」

 

気が付くと、事態は沈静化しかけていた。ブライアン先輩はドアを蹴破ってまでマヤノの部屋に突入し、マヤノにレースをさせようとしたが、結局それはマヤノに拒絶され、ブライアンさんの思惑はくだけ散った。

部屋の入り口では相変わらず野次ウマたちがざわめいているが、部屋の中ではフジ先輩とヒシアマ先輩が情報整理とこれからの対応について話し合っている。それにこれほど事が大きくなったからには、じきに生徒会のメンバーも話を聞き付けてやってくるだろう。

まだ誰も具体的な行動は起こしていないが、状況はすでに終わりを迎えつつあった。

 

そんな中、フジ先輩に謝罪を終え佇んでいたブライアン先輩はもう一度振り返り、マヤノに話しかける。その顔はどこか悲しそうで、それはまるで何かを諦めきれないようで…

 

「…本当に、それで良いんだな?」

 

「…」

 

水を向けられたマヤノは答えない。彼女はただ人形を抱きしめ俯いている。そんな彼女の様子をしばらく見ていたブライアン先輩は、ふとマヤノから目線を反らすとポツリと言う。

 

「…そう…か」

 

「…」

 

一瞬だけ。本当に一瞬だけ、先輩の顔にはまるで泣き出しそうな、親に捨てられた子供のような表情がよぎるが、次の瞬間にはもうその顔はいつものクールな顔にもどっている。

 

「皆下がれ!生徒会のエアグルーヴだ!」

 

「…それじゃあブライアン。生徒会室まで同行を願おうか」

 

「…ああ」

 

事態を聞き付けたのか、副会長のエアグルーヴ先輩がその場に駆けつける。そしてフジ先輩とヒシアマ先輩の話し合いは終わったらしく、事態の収集を図るべく、ブライアン先輩を駆けつけたエアグルーヴ先輩と共に生徒会に連行しようとしている。野次ウマ達も、事態の終息を察したのか、その内の何人かは既に解散の準備に入っている。世はなべて事もなし。早朝に起きた事件は、特に何か厄介な妨害に会うこともなく、順当にエンドロールまでの道のりを辿っていく。

 

「…ちっ、これではこちらの骨折り損だ」

 

「…」

 

だから、もし…

 

「…トレーナーが死んでしまったことには同情するが…まさかそれだけでここまで腑抜けるとはな…」

 

「…」

 

もしブライアン先輩がこのまま大人しくフジ先輩達に連行されていたら…

 

「…全くあのトレーナーも罪な男だ。せっかくの愛バを、才能の塊を自分の死で台無しにしてしまうなど…トレーナーの風上にも置けんやつ…」

 

「…」

 

この話はこのまま綺麗にエンドマークを…

 

「…本当に度し難い。思えば以前から悪い噂のあるトレーナーだったが…はっ、まさしくその通りだったわけだ。あんなダメ男、もしかしたら実はアイツには釣り合いがとれていな――…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ねぇ…今…

 

 

 

    なんって…言った?」

 

 

 

 

              

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――…!!」

 

「…なっ!!」

 

「…えっ!?」

 

弛緩し始めていた空気が一瞬で凍りつく。部屋の中にいた面子は勿論のこと、部屋の外にいた野次ウマたちまで即座に何も言えなくなる。先程マヤノが話していた時の沈黙とは違い、その場には動いたら死ぬと感じるほどの、恐ろしいまでの緊迫感が満ちる。

そのあまりにも異様な雰囲気に、アタシ達はもちろん、ブライアンさんや寮長達、あの生徒会副会長エアグルーヴ先輩でさえ、その場から一歩も動けない。そして…

 

 

 

「…ねぇ、ブライアンさん…

 

…マヤ、よく聞こえなかったから…もう一回言ってよ…」

 

 

 

 

そんな張り詰めた空気の中で、小さな声があたりに響く。その穏やかな、それでいて地獄の底から響いてくるような声には、今まで感じたこともないような純粋濃縮された憎悪と憤怒と殺意がこれでもかっていう位にパンパンに詰まっていて、

思わず声の方向を向いたアタシは…

 

「ひっ!」

 

…そこに修羅を見た。

いつの間にかマヤノはベッドから下りて立ち上がっている。そしてとても静かに、連行されかけているブライアンさんの背中に、(言葉遣いだけは)この上なく穏やかに質問を投げ掛けているのだが…

 

(ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい!!

 

これはヤバい!マジでヤバいって!!)

 

アタシの背中から冷や汗がダラダラ流れる。人間ってこんなに体に水分があるんだって、人体の神秘を実感できるほどの量の冷や汗が流れたような気がするが、だからといって、今迂闊なことは出来ない。絶対に出来ない!何故なら…

 

(怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!

 

えっ、何?何なのマヤノ!?あんたマジでキレるとそんなになるの!?)

 

…何故なら立ち上がったマヤノの顔が「無」だったから。無表情ではない。感情があまりにも高ぶりすぎて、逆に顔に何の表情も浮かんでいないように見える。言わば激昂の臨界点を余裕でぶち抜いてしまったが故の、次元が違いすぎて認識ができないからこその完全なる「無」がその顔に浮かんでいたから。

そのぽっかりと口を開いた洞窟のような、あまりにも空虚な目を見ることが出来ず、思わず近くにいたテイオーやマーベラスを確認すると、彼女達もアタシと同じく全身から脂汗をダラダラ流しながら硬直している。

 

…そう、基本的にマヤノは怒ってもあんまり怖くない。無論程度にもよるが、わりと子どもっぽい性格のマヤノは怒り方も比較的単純で、せいぜい「ネイチャちゃんのばーかばーか!」なんて可愛らしい悪口を吐くのが関の山。また怒ってもちゃんと謝れば許してくれるので、いや~、チョロいな~、なんてこれまでは思ってたんだけど…

 

(こ、これはちょっと洒落にならないよ…

いくらネイチャさんでも、これは流石に…)

 

それだけに、今のマヤノの怒り方は、普段のそれとあまりにも落差が大きすぎて…

…この子だけはマジで絶対に本気で怒らせちゃいけないと自分の認識を全力で訂正しつつも、ここでアタシはふと気付く。

 

…あれ?

確かにこの怒り方は本当に予想外で、あまりにも怖すぎるけど…そもそもなんでここまでこの子は怒ったんだっけ…?

そんな疑問がふと浮かび…

 

「…ねぇ、ブライアンさん。前言を撤回するね…」

 

「…ほぅ?」

 

などと考えていると、マヤノがまた何かを言い始める。それを聞いて、大瀑布のようなとんでもないプレッシャーをマヤノから一身に受けるブライアン先輩は、冷や汗を流しながらも口の端を少し上げた。何故なら…

 

「…するよ…レース…」

 

「…!!」

 

「…マヤ…ブライアンさんとレースするよ…」

 

それはブライアン先輩がマヤノに言って一度は拒絶されたことであり…

 

「…そこでマヤは…ブライアンさんを倒すよ…」

 

…その時のマヤノの目には、あまりにも危険すぎる狂気に由来するものとは言え、その目に炎が宿っていたからだった。

 

 

 




Q.死ぬ前に言いたいことはある?

A. え、えっとですね。

ナリタブライアンさんはアプリと同じくマヤちゃんとライバル関係にあったんですが、その間マヤちゃんだけを見ていたんです。
自らの渇望を満たしてくれたマヤちゃんのことを、心の奥ではものすごく高く評価していたんです。

ただ、その分彼女はマヤちゃんのトレーナーちゃんのことはアウトオブ眼中だったんです。もちろんマヤちゃんにトレーナーが付いていることは知っていましたし、普通に学園内でも出くわすことはあったので、お互いに面識もありました。でも、ナリタブライアンさんは、マヤちゃんには興味があってもそのトレーナーちゃんには興味がなかったんです。

ですからマヤちゃんと距離が近く、彼女のトレーナーちゃんと直接話す機会もそれなりにあったネイチャさんやテイオーさん等と違い、彼女はマヤちゃんのトレーナーちゃんについてよく知らなかったし、だからこそ、その評価もトレセン内の噂に聞く程度のものでしかなかったんですよ。はい。

Q.なるほど?つまりは彼女があんなことを言ったのは、彼女がマヤちゃんのトレーナーちゃんについては悪評しか知らなかったからだと、そういう人物だと思い込んでいたからだと、お前はそういうのだな?

A. へ、へい!おっしゃる通りで!!

Q. だが許さん。死ぬがよい

A. そ、そんなー!ギャ、ギャアァァァッッッ!!





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暴走の終着点

今回少しだけ、マヤちゃんの亡くなったトレーナーちゃんが出てきます。

厳密には違いますが、大体のイメージ的には、ウマ娘の2期でトウカイテイオーが変装したときの格好に近いものを想像していただければ…




 

「なぁ、マヤ。お前の夢って何だっけ?」

 

ある日の昼下がり。マヤが木陰で休憩をしていると、トレーナーちゃんがマヤにそんなことを聞いてきた。

 

「?…マヤの?」

 

「あぁ、マヤの」

 

その日は天気が良くて、雲一つない快晴だった。

マヤが座ってた木陰に一緒に座り込んだトレーナーは、マヤにタオルとスポーツドリンクを渡しながらそんなことを聞いてくる。たまたま他のウマ娘が近くでトレーニングをしてなかったからか、あたりはとても静かだ。頬を撫でる風の音と、遠くから聞こえるウマ娘たちの声以外に音は聞こえてこない。青い空のキャンバスに、どこかの飛行機の軌跡が白い線を引いていく。

 

う~ん、前にも話したことあったはずなんだけどな~、って思いながらもマヤはその質問に答える。

 

「もう!トレーナーちゃん、わすれちゃったの?

マヤの夢は!ワクワクするようなレースをたっくさん走ること!!

それでそれで!!いっぱいそんなレースを走って、キラキラ輝くステキなオトナのオンナになることだよ!!」

 

そう!マヤの夢はキラキラしたオトナのオンナになること!!

おっきなレースを走ってるスッゴいオトナなお姉さん達みたいに、マヤもキラキラしたオンナになる!それがマヤの夢!!

 

「いきなりどうしたの、トレーナーちゃん?前にも話したことあったよね?」

 

「あぁ、勿論さ。…いやなに、その言葉をもう一度マヤ自身の口から聞いときたかったんだ」

 

いぶかしむマヤに、トレーナーちゃんは苦笑しながらそう答えると、一転して真面目な顔になってマヤに向き直る。

 

「…良いか、マヤ。

これから君はいよいよクラシック戦線を戦っていくことになる。そこではこれまでのジュニア期以上の激戦が待っている。特に、皐月賞、日本ダービー、そして菊花賞。この3つの王冠は、日本中のウマ娘達が奪い合う究極の栄誉の一つ。最高のウマ娘達が、命を削り、死力を尽くしてそれでもなお、取れるかどうか分からない至高の王冠だ。」

 

「…」

 

…そう、トレーナーちゃんと契約し、メイクデビューを果たしてから1年。マヤ達の戦いの舞台はついに、クラシック戦線に移ることになっていた。実際あと少ししたら、マヤは早速そのクラシックの至高の王冠の一つ、皐月賞に挑むことになっている。

 

そんなマヤに、改めてクラシックロードの過酷さを説こうと思っているのか、普段のおちゃらけた様子が嘘みたいに、トレーナーちゃんは真面目な顔で話し続ける。

 

「…分かっているとは思うが、その戦いは決して楽なものじゃない。マヤもこれまでジュニア戦線をよく戦ってきてくれたと思うけど、むしろこれからが本番だ。」

 

「…」

 

「…勝負の世界は残酷だ。世間がなんと言おうが、1位以外の人間は皆敗者だ。それが現実で、それが罷り通る世界を、俺たちはこれから、これまで以上に力強く走らなきゃならない。だからこそ…」

 

そこでトレーナーちゃんは言葉を切る。そしてマヤの頭の上に手を乗せる。

 

「…だからこそ、マヤ。

君の夢を忘れるな。それを強く、強く抱いて走るんだ。

これから先、辛いこと、苦しいこと、悲しいことなんて、それこそ山のようにある。いちいち数えていたらきりがないくらいだ。

だからこそ、そんな困難を乗り越えて行くためには、レースの強さだけじゃなく、それに負けないだけの心の強さが必要になってくる。」

 

「…心の…強さ…」

 

「あぁ、そうだ。

そしてそんな心の強さの元になるのが夢だ。

自分はこうなりたい、こういうことがしたい、そんな自分だけの夢を持っているやつは強い。何故なら、そいつらはそれを叶えるために努力するからだ。

辛いこと、苦しいこと、悲しいこと…そんなことがあっても、そいつらは夢があるから立ち上がることが出来る。堂々と胸を張って、俺はこんなことがしたい!俺はこんな風になりたい!って言い続けることができるんだ。だから…」

 

そこでトレーナーちゃんはにかっと笑う。

 

「マヤ。どんなに辛くても、苦しくても、悲しくても、夢だけは絶対に手放すな。君がそれを自分から手放さない限り、俺は君の側にいるし、ずっと君のことを支え続けるよ」

 

「…うん」

 

マヤがそう答えると、そのままトレーナーちゃんはマヤの頭を撫でる。おっきくてあったかい、オトナのオトコの手…オトコの人に頭を撫でられるなんてパパ以来だけど、トレーナーちゃんの手はちょっとだけきもちいい…

 

…だけど

 

「ブーブー!!トレーナーちゃんまたマヤをこどもあつかいしようとしてるでしょ!!」

 

「おっと、こりゃ悪かった!

さぁ、そろそろ休憩も終わりかな?残りも張り切っていくぞ~!」

 

「む~!トレーナーちゃんのいじわるぅ!!」

 

マヤ知ってるもん!オトナの人が人の頭を撫でるのは、こども扱いする時なんだって!誤魔化そうったってそうはいかないんだから!!

 

そう思って文句を言うと、トレーナーちゃんはたちまち逃げていく。う~、やっぱりそうだったんだ!

 

「マヤはこどもじゃないもん!」

 

「ははっ、そう言うことを言ってる内はまだ子どもだよ!

ほら、文句はトレーニングが終わってから!

はい、まずはグラウンド10周!!」

 

「むむむ~!」

 

雲一つない空が高く、高く、どこまでも高く続いている。さっきまでその翼でコントレイルを空に描いていた飛行機は、いつの間にかどこかに行ってしまったようで、青空にはそんな飛行機が残していった白い軌跡がうっすらと残っている。

 

 

 

…これはある晴れた日の一幕。マヤノトップガンがクラシックロードに挑み、菊の王冠を勝ち取るに至る前の、ほんの些細なある日の記憶…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

マヤノトップガン。レースの展開を正確に見通す優れた目と、どんなレース展開であっても最適なコースを瞬時に導き出す卓越した直感を持つ天才ウマ娘。

菊花賞ウマ娘、URAファイナルズ初代王者等々、彼女の偉業を表す二つ名はいくつかあるが、そんな数々の偉業を持つ一流のウマ娘である彼女は今…

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はあっ…」

 

「…どうした?その程度か?」

 

「…ま…まだぁ………ぁっ……」

 

「…!!マヤノ!!」

 

疲労困憊、満身創痍の状態でここまで走ってきたが、遂に耐えきれなくなったのか、マヤノが膝をつく。そしてそんなマヤノにアタシ達は駆け寄る。

 

「…うぅっ…」

 

「もう無理だよマヤノ!身体がボロボロだよ!このままじゃ…」

 

「…ど…いて、テイ…オー…ちゃん…」

 

「…!!」

 

「…」

 

一番近くにいたテイオーがマヤノを抱え起こし、静止を促すが、マヤノは止まらない。震える足にムチ打ち、それでも立ってブライアン先輩に挑もうとするけど…。

 

「…ぁっ…」

 

「…マヤノ!!」

 

「…駄目。気絶してるみたい…」

 

今度はマーベラスが抱え起こすが、本当に限界だったらしく、マヤノは再び倒れると今度こそ気を失ってしまう。それはつまり…

 

「…結局、わたしの勝ちは覆らなかったな…」

 

この人…ナリタブライアン先輩の勝ち、ということになる。

 

…あの後マヤノとブライアン先輩は結局レースをすることになった。当然エアグルーヴ先輩やフジキセキ先輩は猛反対したけど、当の本人であるマヤノが反対意見を一切聞かなかったこと、ブライアン先輩と普段から仲が良いヒシアマゾン先輩が、ブライアン先輩の様子を見て何か感じるところがあったらしく、擁護に回ったこと、最終的に話を聞いた生徒会長のシンボリルドルフ会長がなぜかレースの開催を容認したことで、急遽レースが執り行われることになった。

 

幸い、たまたま丸1日使用予約が入っていなかったコースがあり、レースはそこで執り行われたのだが…結果はマヤノの惨敗。

 

…実際無理もない話なのだ。

何故なら、ブライアン先輩は、全盛期ほどの勢いはないとはいえ、それでも史上5人目の三冠ウマ娘。そうそう簡単に倒せるほど甘い相手ではない。

 

対するマヤノも、かつて一度ブライアン先輩に勝ったこともあり、ポテンシャル自体は決して彼女に劣るものではない。だが、約1ヶ月もの間部屋に閉じ籠っていた彼女の身体はそれ相応の衰えを見せており、加えて精神的にもボロボロな今の彼女では、最初から勝負は見えていた。

 

だが、それでもマヤノは諦めなかった。もう一回、あと一回、これで最後…本当は走れる状況ですらないはずなのに、鬼気迫る様子で再戦をせがむマヤノを、そのあまりの迫力から誰も止めることが出来ず、またブライアン先輩も律儀にも毎回それに応え、そうやってマヤノに勝ってはもう一戦…

 

そんなこんなで昼から行われた突発的な二人の模擬レースは、結局夕方まで続き、遂にマヤノが体力的にも精神的にも完全に力尽き、終了。

 

最初はそれなりの数がいたギャラリーも、10回、20回と結果の分かりきったレースが繰り返されるのに流石にうんざりして、時間と共に減っていき、最終的に残ったのは、アタシとテイオーとマーベラス以外は、フジキセキ先輩とヒシアマゾン先輩のトレセン学園の寮長二人と、エアグルーヴ先輩とシンボリルドルフ会長の生徒会メンバーだけだった。

 

…レースが始まったころには空の一番高いところにあった太陽も、この時間帯になるとすっかり落ちて、もう地平線の彼方に沈もうとしている。赤く染まった景色の中、黒い影を伸ばして佇むブライアン先輩に、別の影が近づく。

 

「…ブライアン、気は済んだか?」

 

「…あぁ」

 

「…ならば行こう。君の処遇を決めなければならない」

 

そっと彼女の肩に手を乗せたルドルフ会長がブライアン先輩を促す。それに頷き、ブライアン先輩が踵を返すが、一度だけ彼女は立ち止まり、アタシ達の方を振り返る

 

「…そのバ鹿が起きたら聞いておいてくれ。お前はなぜ走るのか…とな」

 

それだけ言ってブライアン先輩は行ってしまう。そして取り残されたアタシ達にはフジキセキ先輩が近づいてきた。

 

「…まずは謝罪しよう。巻き込んでしまってすまなかった。すべてわたしの責任だ…」

 

「い、いえ!先輩のせいじゃ…」

 

「そ、そーだよ!ついていったのはボク達だし!」

 

「マ、マーベラス達は別にそんなこと思ってないよ!」

 

頭を下げる先輩に慌てるアタシ達に、先輩は困ったような顔で笑う

 

「…ふふっ、ありがとう。君たちは本当に優しい子達だ…

…それじゃあ急いでマヤノを保健室に運ぼう。ただ、流石にこの憔悴具合だと、今晩は寮長としてマヤノの様子を見なければいけない。泊まりになるから、この中の誰かに私とマヤノの分の着替えを取りに行くのと、今日の私の不在を寮の皆に伝えてほしいんだけど…」

 

「あっ、ハイハーイ!先輩の服は僕が取ってくるよ!!

ちょうど今先輩と同じ部屋だし!多分他の人が行くより早いと思うんだ!ついでに寮の日誌とかの寮長の仕事に必要な物も持ってくるよ!確か机の棚の3段目だったよね?」

 

「…助かるよテイオー。じゃあついでにベッドの横の引き出しに入っている赤いシールが張ってある書類も持ってきてくれないかい?」

 

「了解!じゃあ行ってきまーす!」

 

「あっ、待ってテイオー!マヤノの部屋の鍵持ってるよね?マーベラスはマヤノの服持ってくるから、一緒に行こう!」

 

「OK!…でも今ってブライアン先輩が壊したから、あの部屋ドアがないんじゃ…」

 

「あっ、そう言えばそうだったね。ってことは別に鍵がなくても…ってテイオー?」

 

「あぁーっ!!最近フジ先輩の部屋で過ごしてたから忘れてたけど、よくよく考えたらあの部屋ボクの部屋でもあるじゃん!ドアがふっとんでるってことは中が丸見えってことじゃん!ちょっと行って片付けてこないと!!」

 

「あっ、ちょっと待ってよテイオー!マーベラスを置いてかないでよー!!」

 

「…」

 

…で、出遅れた。

元気に去っていくテイオーとマーベラスが去った方向に手を伸ばすが、時既に遅し。気が付くと、アタシはフジ先輩と二人きりに、なっていた。

 

「ふふっ、元気な二人だね」

 

「あ、あはは。まぁ、あの子達はあれだけが取り柄なので…

…えっと、アタシに何か手伝えることはありますか?」

 

「…え?え~っと…じゃあネイチャ!私がマヤノをおんぶするから、マヤノが寂しくないように一緒に保健室に行くのについてきてくれないかい?

…ほら!マヤノと仲が良い君ならマヤノの様子も気になるだろ?」

 

「…」

 

…つまりアタシ、今やることないんですね…?先輩の遠回りな優しさに感動のあまり涙が出そうになるが…しかしマヤノの様子が心配なのも本当なので、マヤノを背負った先輩と一緒にアタシは保健室を目指す。

 

太陽はまだ完全には沈んでいないらしく、アタシ達の周りの風景を赤く照らし出す。しかし、それでも空を見上げると深い青っぽいところが出てきており、両者の境で色が混じり合い、紫色になっている。

 

そんなちょっと不思議な空の下を歩きながら、アタシは先輩と少しだけ話をする。

 

「…マヤノ大丈夫ですかね…」

 

「…まぁ、生命に影響するってことは流石にないと思うよ。多分ね。ただ、ここまで無理をしたなら、この一月の間に溜まった精神的な疲れも合わせて、最低でも数日間は目を覚まさないかもね…」

 

「…まぁ、そうなりますよね…」

 

今日のマヤノは明らかに異常だった。だが、無理をするということは、その分のツケを何処かに押し付けるということだ。そう考えるなら先輩の言うような感じになるのが現実的に可能性として高いだろう。

 

太陽は刻一刻と地平線に沈んでいく。さっきまで赤い空と青い空が交わり紫色になっていた空は、もうすっかり赤の勢力が衰え、深い青の勢力が幅を効かせている。今はまだ、ほんの少しだけ赤が残っているが、もう少し時間がたてば完全に深い青の勢力が勝ち、そして辺りには夜の帷が降りるだろう。

 

そうやって暗くなっていく歩みの中で、アタシは結局よく分からなかったことを先輩に聞いてみる。

 

「…結局ブライアン先輩は何がしたかったんですかね?」

 

マヤノをおぶって歩き続ける先輩はしかし、困ったような顔で微笑む。

 

「…さあね…推測はできるけど、結局のところそれは彼女にしか分からないよ。ただまぁ、冷静に考えてみれば本来彼女は嫌がる相手にこんな強引なことをするような人じゃない。それを考えるならば、ここまでしてでもマヤノに伝えたいことがあったってことだろうし、それを察したからこそ、ヒシアマや会長も、彼女の行動を止めなかったんだろうね…」

 

「…」

 

太陽はいよいよ地平線に沈みつつある。劣勢に追い詰められた太陽光は、それでもなお、いやむしろ追い詰められたからこそ一際目映い輝きを放っている。

 

「…だとしたら、それがマヤノに伝わってると良いですね…」

 

「…きっと伝わってるさ。何せこの子は…」

 

保健室へ歩みを進めながら、アタシ達はブライアン先輩の伝えたかったことが、マヤノに伝わっていますように、と話しながら思うのだった。

 

 

 




それにしてもタマモクロス実装されませんね?
シングレ含めてあんなに人気のある良いキャラクターなのに…



毎回Twitterのトレンドを騒がせるのに、頑なに(育成には)実装しないあたり、
そろそろ作者は、源氏物語の雲隠みたいなものなのではないかと思ってきましたよ…






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国破れて

このお話で第一部完って感じですね。

…自分で書いといてなんですが、
ここまでしないとマヤちゃんをスタートラインに立たせることすらできませんでした。

…おい誰だよ、こんな死ぬほど重い話書いたやつは!!





( ´・ω・)⊃(鏡)スッ




 

「…あっ、マヤわかっちゃった。これ夢だ」

 

「…いくらなんでも理解が早すぎるんじゃないか?マヤ…?」

 

気が付くとなんかよくわかんない空間にいて、目の前に立っていたトレーナーちゃんを見たマヤの第一声はそれだった。そしてそれを聞いたトレーナーちゃんは流石に面食らったのか、一瞬びっくりしたような顔をした後、苦笑いを浮かべる。

 

夢…そうこれは間違いなく夢だよね。だって周りの空間はまっ白で、色というものが一切なくて、さらにマヤとトレーナーちゃん以外にはなんにもない。…ホントにただただなんにもない空白だけが無限に広がっているだけなんだもん。おまけに、その状況で足場もないのに普通にマヤ達が立っていられるあたり、こんなむちゃくちゃなことが成り立つのは夢の中くらいだろうってことは、例えマヤじゃなくてもわかっ・・・ちゃうと思うんだ。

そして、何より…

マヤは改めて目の前にいる人物を見つめる。

 

…くたびれた黒いスーツに黒い中折れ帽子、そして黒いサングラス...相変わらずの不審者ファッションで、困ったような笑みを浮かべてマヤの前に立っているその人の姿は、マヤの知るトレーナーちゃんとそっくり同じものだ。

 

…そうマヤの知るトレーナーちゃん。その姿は一月前に、車道に飛び出した子どもを庇って、トラックに轢かれたトレーナーちゃんの姿そのもので…そして、マヤがずっと会いたくて仕方がなかった人の姿そのもので…

 

「はぁっ、まったく…こういう時はまず驚くのが定番って奴だろうに…本当昔から空気が読めない奴だよなぁ~マヤは。

もうちょっとこう、こういう場面ではまず、"嘘っ!"とか、"信じられない!"とか言う台詞が飛び出すところ…ってマヤ?」

 

「…」

 

「ははっ、おいおいまだ俺が喋ってる途中だろ?台詞を途中で遮らないってのは、古今東西全ての物語のお約束って奴で…」

 

「…」

 

「………えっと……マヤ?マヤさん?」

 

…トレーナーちゃんが何か言ってるみたいだけど、全部無視してトレーナーちゃんを抱き締める。すると深い森の中みたいな、落ち着く香りがする。

…それはトレーナーちゃんの好きだった香水の香り。

 

マヤ達ウマ娘は、普通の人間より鼻が良い。だから匂いには敏感で、それを知っているトレセンの関係者や一般のトレーナーちゃん達は、無香料の香水なんかを付けて、マヤ達に不快な思いをさせないように気をつかってくれている。でも、トレーナーちゃんは違う。

 

この人は、「良い男は匂いにも気をつかうものだろ?」って言って、いつもこの香水をつけてた。もちろんそこは腐ってもトレーナー。マヤ達が不快に感じないギリギリのラインを見極めてつけてたんだけど、それでも一人だけ変な匂いがするって、他のウマ娘のみんなから避けられてて…

 

「…」

 

「…お~い、マヤ?マヤさんや?無視してないで、いい加減喋ってくれませんかね?…流石にそこまでガン無視されると、いくら俺でもちょっと傷つくというか…なんというか?…」

 

…トレーナーちゃんを抱き締める。自分が夢を見ているかどうかを知りたい時には、自分のほっぺを引っ張ると良いなんていうけど、確かにそれは正解かもしれない。だってこんなにも強く抱きしめてるはずなのに、マヤの腕にかえってくる感触は、そのわりには随分と鈍い。

 

でもそれでも、固くて、ゴツゴツしてて、ほんのちょっぴり暖かいそのおっきな身体は、間違いなくオトナのオトコのもので…

 

…そして、そんな身体から香る、年をとったおっきな木みたいな、トレーナーちゃんの年には全然合わない、静かで、落ち着いた香りは間違いなくトレーナーちゃんの匂いで…

 

「………った」

 

「…?」

 

…だから…それを実感しちゃったら…わかっ・・・ちゃった…ら…

 

「………………………さびし…かった」

 

「…」

 

「…さびしかったよ…トレーナーちゃん…」

 

…あぁ、もう止まらない。止まれない…

…口からぽつりぽつりとあふれ出すのは、これまでずっとトレーナーちゃんに言いたかったことで….

 

「…マヤの夢を…いっしょに叶えてくれるって…いってたのに…」

 

「…」

 

「…ずっと…マヤと一緒に…いてくれるって…いってたのに…」

 

「…」

 

「…それなのに…トレーナーちゃんは…突然いなくなっちゃって…マヤ…ひとりぼっちになっちゃって…」

 

「…」

 

「…マヤ…ホントにつらくて…くるしくて…かなしくて…」

 

「…」

 

「………もう…どうすればいいのかぜんぜんわか・・んなくって…!」

 

「…」

 

「…だから………だから!……………だから!!………………っ!?」

 

…マヤが言えたのはここまでだった。なぜなら…

 

「………すまなかった」

 

トレーナーちゃんがマヤの身体に手を回す。その手はいつかみたいにおおきく、そして暖かくて…

 

「…寂しい思いをさせて…本当にすまなかった」

 

優しく、まるで壊れ物を扱うように、トレーナーちゃんはそっとマヤを抱き締める。

 

…そうして懐かしいトレーナーちゃんの温もりと匂いに包まれていると、マヤも何だか我慢が出来なくなってきて.…

 

「……………どうして?…どうして死んじゃったの?…トレーナーちゃん…」

 

「…」

 

「…ねぇ…なんで…?」

 

「…」

 

「…こたえてよ…トレーナーちゃん…こたえてよ!!」

 

「…」

 

「…マヤは!…マヤは!!…マヤ…は…

 

………うあああぁぁぁぁあああぁぁあっっっっっ!!」

 

涙が、後から後から湧いてくる。相変わらず感覚は朧気で、抱き締めたトレーナーちゃんの身体の感触や温もりも、何となくしか感じることが出来ない。

 

それでも、何となくでしか感じられなくても、それは確かにトレーナーちゃんの感触と暖かさで…

そして、しっかりと根を下ろした大木のような、どこか安心してしまうトレーナーちゃんの匂いは、確かに本物で…

 

「…本当に、本当にすまなかった…マヤ…」

 

…でもこれは夢だから。

 

「…トレーナーちゃん?」

 

「…でもさ、忘れないでくれ」

 

マヤを抱き締めていたトレーナーちゃんの手が背中から離れる。気が付くと、抱き締めていたはずのトレーナーちゃんが遠ざかっていて…

 

「…!?トレーナーちゃん!?」

 

「…俺はいつでも、君の側にいる。トレーナーだからな。愛バの近くにいるのは当然だろ?」

 

「…っ!!」

 

遠ざかるトレーナーちゃんにマヤは必死に手を伸ばす。だけど、どんなに手を伸ばしても、その手は届かなくて…

 

「トレーナーちゃん!!手を!!」

 

「…だからさマヤ、そろそろ周りに目を向けても良いんじゃないか?」

 

真っ白な空間に溶け込むように、トレーナーちゃんの輪郭が薄くなっていく。それなのに、そんな状況なのに、トレーナーちゃんはいつもみたいに呑気に笑ってて…

 

「待ってトレーナーちゃん!まだ、まだマヤは!!」

 

「…大体URAファイナルズ初代女王ともあろう君が、いつまでもメソメソ泣いてたら沽券に関わるぜ?

 

…だがまぁ、大丈夫だ。マヤの周りには、マヤのことを大切に想ってくれる人達が沢山いる。そんな人達なら、きっとマヤのことを支えてくれるさ。

 

…だからな?一つだけ約束してくれ」

 

トレーナーちゃんの姿は、もういよいよ消えかけてる。そんなトレーナーちゃんに、もうマヤは触れることすら出来なくて…

 

「…次に会った時、もう一度だけ、マヤの走る理由を聞かせてくれ。

 

それができたならきっと…」

 

言い終わる前に、トレーナーちゃんの姿が消える。あたりには真っ白な空間がどこまでも広がっていて…

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

「…トレーナーちゃん!!」

 

「…うわぁっ!?」

 

「…へっ?」

 

気が付くと、マヤはさっきまでのだだっ広い真っ白な空間じゃないところにいた。

 

「…」

 

夢?…なんて疑問は今さら湧かない。あんな意味の分からない場所が夢じゃないはずがない。だから、マヤがこれまで寝ていて、今この瞬間に目を覚ましたということに関しては間違いない。だけど…

 

(えっと…ここ、保健室?)

 

広い部屋に、何個かの白いベッドが置いてある。その一つにマヤは寝ていて、窓辺だからか、カーテンの隙間から漏れでる日の光が、白い掛け布団におちている。そして、壁の棚には、何かの液体が入った瓶がたくさん並んでいて、周りからは独特な薬の匂いがする。

…普段あまり行くことがないからすぐにわからなかったけど、周囲の様子から考えるに、ここはトレセンの保健室?

 

(だとしたら…なんで?)

 

最近はマヤ、自分の部屋から出たことなかったはずなんだけど…

起き抜けでぼんやりする頭で記憶を呼び起こそうとした時だった。

 

「…マヤ…ノ」

 

「…ん?」

 

…そう言えばさっき起きた時に、何か近くから誰かの声が聞こえたような…

…そう思ったマヤが声のした方を向くと…

 

「マヤノォォオっっっッッ!!」

 

「きゃっ!?」

 

いきなり何かが抱きついてきた!

しかも、その腕は完全にマヤの首を極めていて…

 

「やっと起きたんだね!マヤノ!!

 

…良かった!良かったよぉぉっっ!!うわぁぁぁぁあん!!」

 

「…ちょ…く、くるし…」

 

「…あっ、ごめん!」

 

起きたばっかりなのに、危うくまた眠りに落ちそうになったマヤだったけど、幸いにも抱きついていた何かはそんなマヤの様子に気付いたらしく、慌ててマヤから手を離す。

 

「はぁっ、はぁっ…」

 

「ご、ごめんね、マヤノ。大丈夫?」

 

息を整え、再びマヤに突撃してきた何かの方を見ると、そこにいたのは…

 

「…マベちん?」

 

「マーベラス☆」

 

目を真っ赤にしたマベちんだった。

 

「ど、どうしてここに?」

 

「マーベラス☆それはもちろん、マヤノが心配だったからに決まってるよ!

最初はテイオーとネイチャも一緒だったんだけど、流石にずっといるわけにもいかないし、3人全員でいると他の人に迷惑かかるから、今日まで交代でマヤノのこと見てたんだ★

 

…ホントに無事に起きてくれて良かったよぉ!マヤノ~!!」

 

「…え?マヤそんなに寝てたの?」

 

またマヤに抱きつきながら泣き出すマベちんだったけど、流石に聞き逃せない。何故ならマベちんの言葉からは、マヤが何日も眠っていたことがわかる。一体どうして…

 

「一週間だよ、一週間!ブライアンさんと模擬レースをしてから一週間マヤノは目を覚まさなかったんだよ!!マーベラス心配で心配で…」

 

「…!!」

 

その後も何かマベちんは喋ってるけど、マヤの耳には聞こえない。一週間も自分が寝ていたということは驚きだけど…そうだ、思い出した。

 

(…ブライアンさん…)

 

そう、マヤはあの日ブライアンさんと模擬レースをして…

 

(…っ!!)

 

途端に沸き上がるのは、純粋な怒り。そうあの人はレース前、マヤの部屋に押し掛けてきた。そこで…

 

(…許さない)

 

…あの人はマヤのトレーナーちゃんを侮辱した。

…マヤのことなら別に良いよ?元々トレーナーちゃんと契約する前は、何回もトレーニングサボってたから、文句を言われることとか、陰口を言われることには慣れてる。でも…

 

(…絶対に、許さない…)

 

「それでね!…マヤノ?」

 

拳を握りしめる。しばらく喋り続けていたマべちんだったけど、マヤの雰囲気の変化に気付いたのか、言葉が止まる。

 

…そう、マヤの悪口なら別に良い。でも、トレーナーちゃんの悪口だけは絶対に許さない。

 

胸の奥で燃え盛る怒りのままに、マヤが布団から立ち上がろうとしたその時…

 

ドサッ

 

「?」

 

保健室のドアの方で何かが落ちる音がしたと思ったら、

 

「…マヤノ?」

 

「…あっ…」

 

「…テイオーちゃん…ネイチャちゃん」

 

そこには手に持っていた鞄を落とし、口をポカーンと開けたテイオーちゃんと、感極まった顔で手で口を押さえるネイチャちゃんがいて…

 

「…!…マヤ――…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    「 …マヤノ  」

              

 

 

 

 

 

 

 

…空気が凍った。

最初は信じられないという顔をしていたテイオーちゃんの顔に段々と涙が滲み、ついに弾かれたようにマヤのところに駆け出しかけた瞬間に、その隣から低い声が響き、その場にいた全員が硬直する。そしてその声の主であるところのネイチャちゃんの顔は、明らかに憤怒に染まっていて…

 

「…聞こえなかったの?」

 

「ひゃ、ひゃい!!」

 

 

…なんて悠長なこと考えてられない!

ネイチャちゃんの纏う鬼みたいなオーラにあてられて、さっきまであれほど強く抱いていたブライアンさんへの怒りなんて一瞬で忘れ、マヤは慌てて返事をする。

 

「…今日の日付は分かる?」

 

「え、え~と…」

 

「…アンタがブライアンさんと模擬レースをしてからちょうど一週間後よ…」

 

「…へ、へぇ~...そうなんだ…」

 

こちらを睨むネイチャちゃんの目を直視出来ない。

マベちんがいきなり抱きついてきたのにも驚いたけど、まさか出会い頭にネイチャちゃんにここまで怒られるとは流石に予想できない。

…マヤ何かやっちゃったっけ?

 

「…そうよマヤノ…あれから一週間たってるのよ…」

 

なんて考えていると、ネイチャがツカツカとこっちに向けて歩いてくる。誰も止められない。ネイチャちゃんの隣にいたテイオーちゃんはもちろんのこと、今までマヤの隣にいたマべちんも、ネイチャちゃんのあまりの怒りに顔を真っ青にしておびえている。そして、ネイチャちゃんが近づくと、慌てて道を空ける。

 

…誰も何も話さない。

 

保健室の入口からマヤが寝ていたベッドまで大体数メートル。ネイチャちゃんはそれを無言で歩ききり、マヤの隣に回り込むと、マヤの胸ぐらをいきなり掴んだ。

 

「…ネイチャ!」

 

「…!マヤ――…」

 

 

 

 

「マヤノ!

あんた自分がどういうことしたのかわかってるの!? 」

 

 

「…!?」

 

あまりの迫力にマヤは声も出せない。

テイオーちゃんやマベちんも、ネイチャちゃんがマヤの胸ぐらを掴んだ時点で流石に咎めようとしたけど、普段あんまり怒らないネイチャちゃんの大声を前にして、絶句している。

そんな状況の中でネイチャちゃんは続ける。

 

「百歩、いえ百万歩譲ってブライアン先輩と模擬レースをしたことは良いわ!

 

確かにあなたはとても走れるような状態じゃなかったけど、それでもあそこまでブチキレるってことは、それなりのことをブライアン先輩がやらかしたってことよね?

 

正直それでもアタシはあんたに走って欲しくなかったけど、そこまでされたのなら、それに関しては仕方がない。でも!!」

 

ぐいっ、とネイチャちゃんはマヤの顔を自分の顔に近づける。一気に近くなったネイチャちゃんの目には、堪えきれない怒りが燃えていて...

 

「ねぇ、マヤノ答えて。ブライアン先輩とレースをしたのは良い。全然良くないけど、それは良い。

 

…だったらどうして、あんたはぶっ倒れるまでブライアン先輩とレースをしたの!?」

 

「…そ、それは…」

 

…ブライアン先輩がトレーナーちゃんをバ鹿にしたからで…絶対負けるわけにはいかなかったからで…

 

そんなマヤの理屈などどうでも良いといわんばかりに、ネイチャちゃんは怒り続ける。

 

「ねぇ、マヤノ分かってたでしょ!?自分が走れる状態じゃないって!!

 

確かに負けて悔しかったってのは分かる!絶対に勝たなきゃいけなかったってのも、あんたの様子を見てれば何となく分かる!!

 

でもそれにあんたの身体が耐えきれないってことくらい、分かってたでしょ!?」

 

燃え盛る烈火の如き怒りを湛える目が、マヤの目を正面から見つめる。

 

しかし…

 

(…?)

 

不意にマヤの足元の掛け布団に何が落ちたような気がした。

一瞬それに気を取られてネイチャちゃんの顔から目を反らしてしまうけど、もう一度ネイチャちゃんの顔を見てぎょっとする。なぜなら…

 

「一週間!そう、一週間よ!!あんたが倒れて目を覚まさなくなってから!!

 

ねぇ、分かってたでしょ!?自分の身体がボロボロだったってことくらい!

 

あのトレーナーさんが亡くなってから、ずっとその悲しみに捕らわれていたあなたの身体は、自傷行為こそしなかったけど、本当にもうお医者さんを呼んだほうが良いかもしれないところまで弱ってた!

 

…そんな状態でレースをしたら…しかもあんな体力が尽きて倒れるまで何回も何回もレースをしたら…自分の身体が壊れちゃうって!

 

もしかしたら…死んじゃうかもしれないって…自分で…わからなかった…の…?」

 

気が付くと、あんなに怒っていたはずのネイチャちゃんは泣いていた。その瞳からぽろぽろ涙をこぼしながら、泣いていた。そしていつしか、その言葉はマヤを責めるものじゃなくなっていて…

 

「…アタシ…心配だったんだよ?

 

だってマヤノ…一週間も…目を覚まさなかったんだよ?…どんなにアタシ達が声をかけても…目を覚まさなかったんだよ?…ホントに…ホントに…心配で…

 

…もしこのまま…グスッ…目を覚まさなかったら…ヒック…どうしようっで…

 

…大切な友達が…ヒック…このまま死んじゃったら…グスッ…どうじようっで…」

 

気が付くと、保健室は静まり返っていた。誰も何も言わない。ネイチャちゃんがたまにしゃくりあげる音だけが、やけに大きく響いている。

 

「…だがら…良がった…グスッ…

 

ホンドに…良がった…

 

マヤノが…ヒック…目を…グスッ…覚まじで…ぐれて…

 

ホンドに…ホンドに…」

 

…そこが限界だった。

 

「…うわぁぁあああああぁぁぁん!!

 

マヤノォォォォっっっっ!!

 

無事に…無事に起きてくれて、ホントによがっだよぉぉぉおおおおっっっ!!!」

 

ネイチャちゃんがマヤの足元の布団に突っ伏して号泣する。

 

「…ネイチャちゃん…」

 

…そしてマヤは、そんなネイチャちゃんを呆然見ていることしか出来ない。だってこんなネイチャちゃん見るのは初めてだったから。

 

人が良くて、おせっかいで、それでいて優しいネイチャちゃんは、いつも冷静な子だ。だから、そんな彼女の取り乱すところなんてマヤは今まで見たことなくて…

 

だからマヤはどうすれば良いのかわか・・らない。すると…

 

「…ちぇっ、ボクの言いたかったこと全部言われちゃった。

全くズルいよね~ネイチャは」

 

と言いながらテイオーちゃんがマヤのベッドに近づいてくる。

 

「…まぁ、ネイチャがあそこまでぶっちゃけちゃったからボクも言うけど、正直ボクもマヤノ、キミに怒ってる。」

 

そしてベッドの反対側に来ると、そこにあった椅子に座りながら続ける。

 

「それはもちろん、ブライアン先輩とのレースの件もそうだよ?

ネイチャが色々言っちゃったからボクからはもうこれ以上言わないけど、概ねこれに関してはボクもネイチャと同意見だ」

 

「…ごめんなさい」

 

思わず謝るマヤだったけど、テイオーちゃんは特に気にせず続ける。

 

「…でも、ネイチャと同じようにボクにも君が無事に意識を取り戻してくれて嬉しいって気持ちはある。そしてそのことを素直に祝福したいって気持ちも当然ある。

 

…だからこそ、他の言いたいことを全部飲み込んででも、一番最初にキミに言わなきゃいけないことは、間違えないつもりだよ」

 

そう言ってテイオーちゃんは一旦ことばを区切る。そして改めて笑顔でマヤに言った。

 

「…だからね、マヤノ。

 

     …お帰り

 

  戻ってきてくれて嬉しいよ 」

 

「…ぁ」

 

だからわかった。わか・・っちゃった。マヤがこれまで見えてなかったものが、夢の中でトレーナーちゃんが言っていたことの意味が。

 

「…マヤは」

 

そう、マヤはトレーナーちゃんが死んでから、一人ぼっちになったと思ってた。…思い込んでいた。だから寂しくて寂しくて堪らなくて、一人で部屋に籠ってた。外のトレーナーちゃんがいない景色が、怖くて怖くて仕方がなかったから…

 

「…マヤは」

 

でも違った。本当はマヤの周りには沢山の人がいて、その中にはマヤのことを大切に想ってくれる人も何人もいて…

 

「…マヤは!」

 

…だから、だからきっと、マヤは…

 

 

 

 

 

 

 

 

「…マヤは、みんなの友達でいても…良いの?」

 

 

 

 

 

 

 

マヤの言葉を聞き、無言で3人は顔を見合わせる。そして同時に頷き、同時に口を開く。

その答えは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「あたりまえでしょ!(だよ!)(★)」」」

 

 

 

 

 

「…っ!!」

 

それを聞いた瞬間に、何かが一つの線で繋がったみたいで…

マヤの悩んでいたことの一つがストンと胸に落ちたみたいで…

 

 

「わっ!マヤノどうしたのさ!!」

 

「?…別にマヤは何もないけど…」

 

「そんなわけない!だってマヤノ泣いてるじゃん!ものすっごい泣いてるじゃん!!どこか痛いの?もしかしてさっきマーベラスが抱きついたのが悪かったの!?」

 

「…え?」

 

言われて目元に手をやってみると、確かに目の縁が濡れている。

 

「お、落ち着きなさいあんた達!えぇっと、マヤノ本当にどうしたの?どこか具合でも悪いの?何かあるなら相談にのるよ?」

 

「ハイハーイ!それならボクが相談に乗るよ!なんせボクはサイキョームテキのテイオーさまなんだから!!」

 

「ハイハイ、あんたはそれが言いたいだけでしょ、テイオー。ちょっと下がっときなさい。

…ねぇ、本当に大丈夫?アタシで良ければ相談に乗るよ?」

 

「ムッカー!そんなことないもん!ボクは純粋にマヤノの力になりたいと思っただけだもん!!

ネイチャこそ、さっきはあんな鬼みたいな顔してたクセに、人の相談にのるなんて出来ないんじゃないの?相談に行った瞬間に食べられちゃうよ!!」

 

「なっ!?テイオー!あんたちょっとそこになおりなさい!!」

 

「ヤダよー!ナイスなネーチャンなんかに捕まるもんか!!」

 

「あっ、言ったわね!テイオー!!お望み通り、ネイチャさん必殺の右ストレートを喰らいなさい!」

 

「もう!二人ともケンカしちゃだめぇ!!」

 

「…あははっ」

 

あれだけ静かだった保健室は今や混沌の坩堝と化している。テイオーちゃんがひたすらネイチャちゃんを煽り、それを鉄拳制裁しようとネイチャちゃんが追いかける。そして、普段は皆を振り回すことが多いマベちんは、珍しく二人に振り回されて、必死に事態を修めようとしている。騒がしいなんてレベルではない。恐らく少ししたら、近くの当直室にいる保健室の先生が乗り込んでくるに違いない。でも…

 

 

(…あぁ、そっか)

 

 

マヤはそんな三人を眺めながら微笑む。ひたすら逃げ回っていたテイオーちゃんだったが、ついに部屋の端っこまで追い詰められ、そこにネイチャちゃんが乗り込もうとしてるのを、マベちんが必死に止めている。

 

「どいてマーベラス!そいつ○せない!」

 

「ネイチャなんか変な電波受信してない!?マーベラス☆じゃないから駄目だよ!!正気にもどってぇ!!」

 

「いくらうま娘だからってその右ストレートは規格外過ぎるよ!そんなのまともにもらったらボク死んじゃうよ!ワケワカンナイヨ!!」

 

(…マヤ…一人じゃないんだ…)

 

「あんた達!ここを何処だと思ってんの!?保健室で騒ぐんじゃないよ!!」

 

「げぇっ!?先生だ!!急いで逃げなきゃ…ってここ3階だ!ひぇ~どうしよう!」

 

「逆に考えるんだ…逃げられないなら突破すれば良いと…引かぬ!媚びぬ!省みぬ!帝王に逃走はないのだぁぁああっっっ!!」

 

「駄目ぇっ!やめてぇ!!お願いだからもとのネイチャに戻ってぇぇ!?」

 

…いよいよ混沌としてきた保健室の室内から目線を切って、マヤは窓の外を眺める。そこには秋の鮮やかな青空が広がっている。

 

「最初から誰も天に立ってなどいない

故に、これからは

…アタシが天に立つ」

 

「くそっ、帝王は僕なのに!僕じゃネイチャに勝てない!どうすれば!!」

 

「はいはーい!そこのうま娘ちゃ~ん、力を求めてるのはあなた~?

今なら~この(自称)天才笹針師、安心沢刺々美が~、ブスッとあなたの秘孔(的なもの)をついて~、(多分)力をあげちゃうわよ~!

ワォ、あんし~ん☆」

 

「面白くなってきたぜぇ!!」

 

「もうマーベラスだけじゃツッコミきれないよぉ!誰か助けてぇ!!」

 

(…トレーナーちゃん、マヤもうちょっと頑張ってみるよ…)

 

…正直なところ、まだ少し怖い。

いくら皆がいてくれるからと言っても、トレーナーちゃんがいなくなってしまったことは事実で、変えられない。だからきっと、マヤはまた寂しくて泣いちゃうだろうし、落ち込んじゃうだろう。

 

…そして、トレーナーちゃんが最後に夢で言っていたことの意味もまだはっきりとは「わか」ってない。

 

無論キラキラなオトナのうま娘になりたい、という夢は今も変わっていない。だけど、いつかのやり取りのように、この質問にもまた何か別の意味があるように思えてならない。

 

「マヤは何故走るのか?」

 

あの日、実は完全に意識を失う前に聞いていたブライアン先輩の言葉と、奇しくも同じそれについて、マヤは多分向き合わなければならない。

 

それでも…

 

(…歩いてみるよ、トレーナーちゃん)

 

そしていつか、問いの答えを持ってトレーナーちゃんの前に立つ。その時こそ、全てが終わり、そして始まると思うから…

 

秋の澄んだ空気は、どこまでも、どこまでも天高くまで続いているのだった。

 

 

 




マーベラス「お願いマヤちん!一人だけモノローグに逃げてないで助けてぇぇぇ!!」





…というわけで、これで無事に第一部が完結しました。
マヤちゃんが何を見て何を感じ、そしてどういう答えを出すのかはここからですね。

ですが、まずはここまで読んでいただいた方々に感謝を。
もしよろしければ、ここからの彼女達の物語も楽しんでいただけると幸いです。




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第二部 ナイスネイチャ 有マ記念編
Re:live



それでは第二部の始まり始まり!!





 

…あの日、アタシは天才に出会った

 

「さぁ第四コーナー、各ウマ娘たちが一斉に上がってきました!

ここから最終直線!

一体誰が抜け出してくるのでしょうか!?」

 

ウマ娘達が地を蹴り砕く轟音と共に、レースは最終局面に突入する。生憎の雨だが、そんな悪天候に怯む者など、この場には1人として存在しない。地を蹴り砕き、全身で降り注ぐ雨粒を受け止めながら、アタシ達は疾走する。

 

逃げを打つウマ娘が特にいなく、全体として特に際立って前に出る子がいないレース展開になった今回のレースにおいて、勝負はここからラストまでの直線ということになる。

 

「…っ!!」

 

故に前に出る。今、この瞬間が勝負だ。それはアタシだけでなく他の子も同じことで、それ故に多少のタイミングの誤差はあっても、ここで全体が前を目指して一直線に加速する。

 

「おっと!ここで上がってきたのは3番ナイスネイチャ!ぐんぐんと順位を上げていくぞ!だが、後方のウマ娘達もペースを上げていく!さぁ、果たしてこのまま刺しきれるのか!?」

 

大地をしかと踏みしめ、そして渾身の力で蹴り上げる。すると目の前を流れる景色が、更に早いスピードで後に流れ、同時にアタシの身体にこれまでとは比べ物にならないほどの空気抵抗がかかる。

 

…息が苦しい。肺が潰れそうだ。限界をこえて稼働する手足はもうバラバラにくだけ散りそうだし、極度の集中によって感度が最大まではね上がった五感から脳に叩き込まれる周囲の莫大な情報量に吐き気がする。

だけど…

 

(…そうだ、だけど!!)

 

 

歯を食い縛る。あまりにも強く食い縛ったためか、ギリッとアタシの歯から音が鳴る。

 

…だけど負けない!アタシはキラキラな主人公みたいになるためにここに来たんだ!こんなところで負けるわけにはいかないんだ!!

 

限界を超え、極限を超え、それでもなおアタシは加速し続ける。この手に勝利を掴むため、いつか見たウマ娘達のようなキラキラをこの手に掴むために!気が付けば、そんなアタシの身体は目の前のウマ娘達の群れを抜け出していて…

 

「あぁっと!ここで上がってきました!2番トウカイテイオー!すごい足だ!1人、2人、3人…いやそれ以上だ!一気に5人も抜かし、それでもなお加速を続けていくぞ!これは見事なゴボウ抜きだ!すごい!すごいぞ、トウカイテイオー!このまま最後までいってしまうのか!?」

 

瞬間、歓声が爆発する。

会場の熱気が物理的な衝撃となって叩きつけられる。一瞬だけそれに呆気にとられ、慌てて目の前を向くとそこには…

 

 

 

…気が付けば、先頭に立ったはずのアタシの前には誰かがいて…

 

 

 

(…っ!!)

 

気が付くと同時に必死に足を動かす。だが…

 

(…届かない!?)

 

そのウマ娘との距離は縮まらない。むしろ、段々とその子の背中はアタシから遠ざかっているような…

 

(…嘘)

 

そしてそれは気のせいなんかじゃなくて、間違いなくアタシとその子との間の距離は開いていって…

 

(なんで!どうして!?)

 

さっきまでアタシがそこにいたはずなのに!?さっきまでアタシが一番だったはずなのに!!さっきまで…アタシはキラキラしていたはずだったのに!!

 

限界を超え、極限を超え、そしてそこから更にアタシは加速しようとする。でも、届かない。走っても走ってもアタシの手は目の前を行くあいつに届かない!

 

(…そんな、そんな!?)

 

努力すれば報われる、なんて言葉がある。成功した奴は努力した奴だけだ、という言葉がある。確かにそれらは綺麗事だ。努力したからといって報われないことなんて、失敗することなんて、世の中にいくらでも存在する。でも…

 

(それでも!)

 

そうだ、そんなことは百も承知だ。そしてそれを分かっていてなおアタシは努力してきた。それも頑張ったなんて言葉が生ぬるいレベルで。それこそ、泥水をすすり、血反吐を吐く、そんなレベルで自分を追い込んだ。もう、これ以上できない、人間に究極があるとするならば、今自分はそこにいる。そう確信できるまでアタシは自分を追い込んだ。なのに!!

 

(待って…待ってよ!…お願いだから!!)

 

アタシはそいつに追い付けない。走っても走っても、むしろそいつとアタシとの間の距離は遠ざかるばかり。

…なんで!どうして!?アタシ頑張ったのに!?もうこれ以上ないってところまで頑張ったのに!?それなら、それなら…

 

 

 

…そんなアタシを軽々と追い抜いていくこいつは!一体なんだって言うんだ!!

 

 

 

…それはまるで結果が決められた物語。前髪しかないという幸運の女神に人間は決して追い付くことができないというどこかの国のお伽話に似ていて...

 

 

 

「ゴォォール!!一着は2番トウカイテイオー!!他の追随を許さない圧倒的なキレの末足をもってして、今堂々ゴールイン!!帝王の名に恥じぬ圧巻の走りをこの会場に見せつけたぁぁあ!!」

 

ワァァァアアアアアァァァァッッッ!!

 

 

 

レース場の歓声が、はるか遠くに聞こえる。レースを終えたアタシは、ふらふらとその場にへたり込み、掲示板を見上げる。

 

…3着

 

それがアタシの順位、このレース上におけるアタシの価値…

 

だけど今、アタシにはそんなことどうでもよくて。まるで羽根が生えたように、軽々とアタシ達の前を飛んでいったあの怪物の名前を、アタシはせめて知りたくて…

 

自分の名前のすぐ上に目を凝らす。電光掲示板の一番上。アタシの名前の2つ上にあったその名前…

 

「…トウカイ…テイオー…」

 

それを見たアタシは、初めてその名前を知る。そしてアタシは顔を上げ、その姿を瞳にとらえる。

 

ワァァァアアアアアァァァァッッッ!!

 

いまだレースの歓声は鳴り止まない。むしろ今こそがピークだと言っても良い。そんな中、それを一身にその身に浴びて、観客席に手を振る1人のウマ娘。それこそが…

 

「…トウカイ…テイオー…!!」

 

噛み締めた歯の奥が、またギリギリと音をたてる。レース開始直後から降り注いでいた雨は、今や叩き付けるような豪雨になっていて…

 

そう、だからこそあの日アタシは天才に出会った。凡人の努力など鼻で笑うかのように、軽々と壁を飛んでいく才能の塊、常識外の化け物に、アタシは出会ってしまったんだ…

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

日本。

 

ユーラシア大陸の極東の、更にその端にちょこんと存在するこの島国には、大陸の国々とは違った様々な特徴がある。

 

そして、その中でも比較的珍しい特徴として上げることが出来るのは、四季の移り変わりを楽しむ文化があるということだろう。

 

無論、日本以外の国々に四季がないわけではないし、それらを感じないわけでもないだろう。例えば極寒の地として知られる、大陸一の面積をほこる北の大地にも、短いとはいえ春や夏は来る。そしてその間は別荘でのんびり過ごすというのが、彼らの文化だ。

 

だが、それでもやはりこの日本ほどに、季節の移り変わりやそれに付随する行事を楽しむ国はないだろう。

 

春はお花見、夏は海水浴、秋は紅葉狩りに行き、冬は雪合戦。一般的なものを上げてみただけだが、この他にも日本には季節に因んだイベントがそれこそ山のようにあり、日本の人々は季節が移り変わるごとに、それらに参加し、存分に楽しむ。

 

気候的に、季節の区分がはっきりしているからこそ、このような文化が育まれたのだろうけど、どんな理由であれ、この日本に住む人々は人一倍季節のイベントを大事にする傾向がある。

 

だからこそ、そんな季節のイベントは、日本の商売人にとっては絶好の書き入れ時であり、故に…

 

「ヤダヤダヤダヤダー!マヤもこれ食べるのー!!」

 

「ちょっ、マヤ!流石にこれは駄目だって!どう考えてもこんなの食べたら太るって!!」

 

アタシ達が訪れた喫茶店のメニューに書いてあった、『冬季限定スペシャルグレートクリスマスDXパフェ~季節のフルーツと練乳をそえて~』などという毎年のクリスマス商戦にのっかった驚天動地の魔物に魅せられたマヤを止めるのに、アタシは必死になっていた。

 

「だってだって、こんなに美味しそうなんだよ?それにこのメニュー冬限定なんだよ?だから、ね?良いでしょ、ネイチャちゃん?」

 

「確かに美味しそうなのは認めるよ。でもね…」

 

そう、季節は冬。アタシ達は今、都内のとある喫茶店にいる。たまたま二人の休みが重なったので、二人で出かけることにしたアタシ達は、午前中はウインドウショッピングを楽しみ、お昼ご飯もかねて、休憩ということで近くのオープンテラスの喫茶店に入ってくつろごうと思ったのだが…

 

「まず一つ。これ一個、15000円。いくらなんでもこれは高すぎる。そして…」

 

 

…そこで問題が発生する。なんとマヤノがその喫茶店のメニューにのっていた限定メニューに興味を示したのだ。

 

まぁ、確かに気持ちは分かる。何だかんだ言って、日本人というものは期間限定という単語に弱い。今じゃないと食べられない、その言葉は大多数と同じくアタシにも響くし、またアタシ達とて今をときめく花の乙女。三度の飯よりスイーツが好きなアタシ達にとって、限定パフェというのはこう…すごくそそるものがあるのは事実だ。

 

それに加えてマヤノは結構新し物好き。それを考えると、マヤノの気持ちも痛いほど分かる。アタシだって本音を言えば、可能なら便乗したいくらいだ。

 

…しかしだ。高すぎる。普通のパフェにちょっと毛が生えた値段くらいならいざ知らず、一つのパフェを頼むのにこれはあまりにも高すぎる。流石にこのクラスの買い物をしてしまうと、必然的にアタシ達の財布はパンクしてしまう。それに…

 

アタシはチラッと店の奥を見る。そこにはこの高額メニューを1人で食べている猛者がおり…

 

「…そして、いくらなんでもあれはデカすぎるよ!たとえ二人で分けて食べても、絶対あんなの太るって!!」

 

そう、最大の問題はそのパフェがあまりにも大きすぎることにある。

 

『冬季限定スペシャルグレートクリスマスDXパフェ~季節のフルーツと練乳をそえて~』

 

スペシャルなのかグレートなのか、はたまたデラックスなのかはっきりしない、名前の偏差値が低すぎるそのパフェは、そのご自慢の名前の修飾過多さに恥じることなき特大のパフェだった。

 

まず、器がおかしい。接地部分だけでテーブルの半分近くある。いや、なんだそれは?ふたりがけの席でそんなの頼んだら、相方は他に何も頼めないだろう?いや、そんなことよりも、問題はそこに盛られたモノにある。

 

まず、器の中には見る限りでは8層構造のパフェがこれでもかと詰め込まれている。これだけでもとんでもないが、問題はそのトッピング。チョコにアイスに苺にメロン、ぶどうにりんごにみかんにキウイなどなど、こちらから見えるだけでもゆうに10種類以上のトッピングがパフェの上に鎮座しており、そしてそれらの上に、仕上げと言わんばかりに並々と練乳が掛けられている。

 

…いや、いくらアタシ達がスイーツ大好きなお年頃っていっても限度があるでしょ!あんなの味覚破壊の領域だし、あんなカロリーの化け物を喰らった日には、一生体重計に乗れなくなっちゃうよ!

 

「…だから、マヤノ。流石にこれは止めときなさい。本当に悪いこと言わないから…」

 

アタシは頭を押さえながらマヤノにそう言う。

…本当にどうしてこうたまたま入った店で、こんなに頭が悪いメニューに出会ってしまったのかと頭を抱えながら。

…ついでに今思えば、さっきまであの人外魔境の領域にあるパフェを、「おいしいですわ!パクパクですわ!」とか言いながら、たった1人で食べていた葦毛のウマ娘は、なんかどっかで見たことがあるような…

 

そこまで考えて頭を振る。まぁ別にそんなことはどうでもよいのだ。

例えそんなかなり頭の悪いメニューがあっても、他のメニューまで同じように狂っているわけではない。それならば何の問題もないし、さっきの葦毛のウマ娘とてそう。

…例え次に会ったときに、彼女が東京銘菓メジ〇饅頭になっていたとしても、それはアタシのせいではない。

…恐らくガイアだ。ガイアが食べろと彼女に囁いたのだ。

故にアタシは無罪。ノットギルティだ。

 

…それに

 

「…それにさ、マヤノ。あんたアタシに何か相談がしたくて今日アタシを誘ったんでしょ?」

 

「…!…な、何のことだかマヤには…」

 

「…別に誤魔化さなくても良いよ。アタシ達友達なんだから。隠しても、その位わかるっての」

 

「…」

 

そう言われ、目の前のマヤノはバツが悪そうな顔をして、耳を垂れながら俯く。

 

…そうなのだ。最初から違和感があったのだ。

 

確かにアタシとマヤノは友達だ。だから普通にいつも仲良くしてるし、一緒に遊びに行ったりもする。でも、どちらかというとマヤは特定の一人と遊ぶというよりは、みんなで遊ぶことが好きなタイプだ。

別にこれは愛情が薄いとかそういうことではなくて、マヤノが単純に皆でワイワイ騒ぐ方が好きなタイプなのと、誰かと二人きりで出かけた場合、マーベラス(例外的に辛うじてマヤノのトレーナーさんも)以外にマヤノのハイテンションに着いていけないからなのだが…

 

ともかく、そういうタイプだから、誰かと二人っきりで遊びに行くというのは意外と珍しい。

 

それに、確かにマヤノは新し物好きな方だが、そこまでスイーツに執着する方でもない。もちろん人並みには好きだろうけど、少なくともどこぞのパクパクお嬢様ほど食い意地が張っているわけではない。そんなマヤノが喫茶店に入るなり、あんな無茶苦茶なメニューを頼むなんて、流石に怪しすぎる。

 

それらのことから鑑みるに…

 

「…よっぽど話しにくいことなの?」

 

「…」

 

マヤノは答えないが、恐らく図星なのだろう。耳がさっきよりもしょんぼりしている。

 

…思えばマヤノは午前中もどこか集中していなかったような気がする。色んな店を回っても、どこか上の空で、そして一瞬で反らされるけど、なんだか妙に視線が合うような…そんな気がしていた。だから鎌を掛けてみたんだけど…

 

そこまで考えてアタシは頭をふる。そして大げさな位のため息をついて言った。

 

「はぁっ…だとしたら悲しいなぁ…アタシ、信用されてないってことだよね?」

 

アタシがそう言うと、マヤノは慌てて頭を上げる

 

「ち、違うよネイチャちゃん!マヤ、別にネイチャちゃんを信用してないわけじゃ…」

 

「でも、話してくれないんでしょ?」

 

「うぅ…、それは…」

 

必死に否定するマヤノに少しだけ意地悪なことを言うと、マヤノは面白い位に言葉につまってまた俯く。

 

そんなマヤノにアタシは苦笑しながらも言葉を紡ぐ。

 

「あんたってさ。なんでもかんでも一目見ただけでわかっちゃうスゴい天才だけど、あんまり人の心がわかってないよね?」

 

「…」

 

「…だからあんたはまだまだお子様なのよ、マヤノ」

 

そしてアタシがため息をつきながら言ったのは

 

「…言いにくいことであっても、アタシがあんたの話を聞いてあげたいって思ってることが分からないようならね?」

 

「…え?」

 

責められるとでも思っていたのだろうか?暗い表情をしていたマヤが、意外そうな顔でこちらを見つめる。その驚いたような表情がちょっと面白くて…

 

「…ふふっ」

 

「…!…ちょっとネイチャちゃん!?」

 

「あはは、ゴメンゴメン。あんたの顔がちょっと面白くてね」

 

「む~…」

 

唐突に笑われて文句を言うマヤノに謝る。でも、結局のところ…

 

「ねぇ、マヤノ。もう忘れたの?アタシはあんたの友達なんだよ?」

 

「…!!」

 

「だから、友達が困っていたら助けたいし、悩んでいたら相談にのってあげたい。

それはアタシにとって、全然迷惑なんかじゃないし、むしろマヤノの悩みを共有できないことの方が、アタシには悲しいよ」

 

「…」

 

「…だからね」

 

そう、だからアタシはマヤノの頭に手を置く。そしてその頭を撫でながら言うのだ。

 

「…ねぇ、だから話してみなよ。アタシじゃ心許ないかもしれないけどさ、誰かに話せばスッキリするし、何か思いもしなかった解決法が見つかるかもよ?」

 

…この小さな天才少女に、人一倍物事が分かるくせに、何よりも自分のことが分かっていない小さな小さな女の子に、一人で抱え込まないで欲しいって、アタシ達にもあんたの悩みを共有させて欲しいって、アタシはそんな思いを込めてマヤノの頭をなでる。

 

昼過ぎだからだろうか、周囲の人通りは多い。この喫茶店も、入った時にはあまり人がいなかったが、昼食の時間帯になると、流石に人が増えてくる。それは当然テラス席もそうであり、アタシ達の周りには色んな人が腰かけて、皆思い思いの時間を過ごしている。でも、そんな騒がしいところにいるはずなのに、アタシとマヤノがいるところだけは、まるで時が止まったように静かな気がしていて…

 

 

 

 

 

 

 

「…ネイチャちゃん、マヤを子供扱いしないで…」

 

…しばらく頭を撫でられるままになっていた。マヤが抗議の声をあげる。

 

「おっと、そりゃすまんかったね。ゴメンゴメン」

 

「…む~…」

 

それに答えて手を離すと、マヤノはなんとも言いがたい顔でじとっとこちらを見てくる。

 

でも…

 

「…うん、でもね。ネイチャちゃん」

 

少しするとその表情は明るくなり、

 

「ありがとう」

 

ちょっとだけ笑ってくれる。

…うんうん、それでこそアタシの知ってるマヤノだよ。

あんたに悲しい顔は似合わない。

天真爛漫いつでも笑顔、それでこそあたしの友達、マヤノトップガンなんだから!

 

「それで?話してくれる気にはなったの?」

 

そう聞くと、マヤノはそれを肯定する。

 

「うん。ネイチャちゃんが良ければマヤの相談にのってほしいな。良いかな?」

 

「もちろん!ささっ、話してみな。みんなのネイチャさんがなんでも答えてあげるよ?」

 

だから、あたしもおどけたように答える。基本的にあんまり人に遠慮しないマヤノが、これほどまでに話しにくそうにしていた話題だ。だからむしろ、今回に限ってはそういう風な感じで接した方が話しやすいだろう。そう考えたアタシにマヤがしてきた相談は…

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、ネイチャちゃん。ネイチャちゃんは…

 

 

    …どうして走るの?」

 

 

 




ちなみに次の日トレセン学園では、白くて丸い謎のUMAが出没してニュースになり、その一週間後に、しばらく家庭の事情で学園を休んでいたとある名家の令嬢が、その話を友人から脂汗を流しながら聞いていたそうな。



ゴルシ「一体何マックイーンてやつなんだ!?」←お店を教えた張本人






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失ったものと


なぜ彼女は走れなくなったのか



「マヤノー。シャワー空いたよー。」

 

「はーい。ありがと、テイオーちゃん。」

 

 

先にシャワーを使っていたテイオーちゃんに声をかけられたマヤは、いじっていたスマホを勉強机の上に置いていた充電器にさして、シャワールームに向かう。

 

「...」

 

シャワー室の周りのカーテンを締めてから服を脱ぎ、ドアを開けて部屋の中に入って、壁からシャワーを外す。

 

トレセン学園の寮のシャワーのバルブは、水とお湯がそれぞれ独立している。だから、水のバルブを捻ったら水しか出ないし、お湯のバルブを捻ってもお湯しか出ない。それはつまり、どちらかのバルブを止めるともう片方から出るものしか出なくなるということで、要するに、ちょうど良い温度でシャワーを止めておくことができない。

シャワーを止めるには、結局両方のバルブを締めなければならないからだ。

 

「...」

 

シャワーを外して床に向ける。お湯は出るのが水よりも少し遅いから、先に気持ち多めにお湯のバルブを捻るけど…

 

(…熱っ!)

 

しばらくは水しかでなかったシャワーだったけど、やっぱりお湯の方が少し多かったのか、足元に流れてくる水が段々熱くなってきて、慌ててマヤは水の量を調節する。

 

そう、これが寮のシャワーの面倒な点。シャワーを使うときは他の人が入ったあとでもまた一からシャワーの温度を調節し直さなくちゃいけない。…まぁ、確かにルームメイトが極端に熱いお湯が好きとかいう場合とかなら良いんだろうけど…

 

(…フツーちょうど良い温度って、人によってそんなに変わらないと思うんだけど…)

 

と思いながら、シャワーがちょうど良い温度になるのを待つ。

閉めきられたシャワー室には、シャワーが流れる音だけが響く。

 

…しばらく待つとシャワーはちょうど良い温度になったので、改めてシャワーを壁に戻して、頭からシャワーの水を被る。この頃には、すでに湯気がかなり出ていて、周囲の景色はそれでぼんやりとしている。

 

「…」

 

そんな湯気でぼんやりとした景色を眺めながら、マヤは数日前の出来事を思い出していた…

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「…う~ん、どうして走るのか、ねぇ…そうきましたか…」

 

マヤがした質問を繰り返しながら、

ネイチャちゃんは、手に持ったフォークでスパゲッティをくるくると巻く。

 

あの後、とりあえずまずはご飯ということになり、各々注文をしたんだけど、

ネイチャちゃんは食べている間にもずっとマヤノ問いに対する答えを考えてくれていたみたいで、食事中もブツブツと何か呟いていた(ちなみに注文内容はネイチャちゃんはナポリタンで、マヤはオムライス)。

 

「…アタシの場合は、こんなアタシでも応援してくれるみんなの期待に応える為、なんだけど…」

 

「…う~ん…」

 

「…いや、言わなくても良いよ。それじゃ納得できない、もっと深いところにあるものが聞きたい、そうだよね?

まぁ、改めてこんなこと人に語る機会なんてなかなかないからね…う~ん、走る理由ね…」

 

がくりと頭を落とすと、ネイチャちゃんはまたフォークでスパゲッティを巻く作業に戻る。

ウマ娘用のメニューは大体量が普通よりも多めだけど、

それを考えても結構な量のスパゲッティがフォークに巻き込まれ、束になっていく。

 

…結局、その量一口で食べられるのかな?

と心配になるくらいまで、

ネイチャちゃんはフォークをくるくるしていたけど、

やがてマヤにも水を向けてくる

 

「…えっと、ちなみになんでそんな質問をしたの~?…とかって、聞いても大丈夫?」

 

…まぁ、いきなりこんなことを理由もなしに聞かれても困るよね。

と言うわけで、マヤは話すことにした。

 

「…わからなくなったの」

 

「…?」

 

「…だからね、わか・・らなくなっちゃったの…走る理由が…」

 

手に持ったスプーンに映る自分の顔が、ぐにゃりと歪んでいる。

 

…そう、もともとマヤが走っていた理由は、キラキラしたオトナなウマ娘になりたかったからだ。

 

昔からなんでもちょっと見るだけでわか・・っちゃうマヤにとって、かつて世界は灰色一色だった。何故なら、一度見てしまえば、それを極める過程の全てを吹っ飛ばして、マヤはその本質が全てわか・・ってしまうから。

…RPGのゲームを買ったとして、レジでお金を払った瞬間に、隠しステージのものを含めて、ストーリーの始まりから結末まで全てを理解してしまう、っていう例えが一番分かりやすいかな?

 

だから、その数少ない例外であるレースに、マヤは憧れた。

初めてレースを見た日のことは今でも忘れない。あの時も、最初はマヤ、見た瞬間にレース展開が全部わかった。わか・・ったと思い込んでいた。でも、実際にレースが始まると、それが思い違いだったって思い知らされた。

…あの時、レースに出てたお姉さん達は、マヤが今まで見てきた人達の中で、一番キラキラしてた。そして、そんなキラキラしたオトナのお姉さんたちのレースは、マヤがわか・・ったと思ってたレースよりも、遥かにスゴくて、カッコいいものだった。だから…

 

「…マヤもね、そんなキラキラしたオトナのうま娘のお姉さんになりたいって思ったんだ。マヤがわか・・ったはずだったレースを、もっともっとワクワクしたレースにした、そんなキラキラしたオトナのお姉さん達に、マヤもなりたいと思ったんだ。

この気持ちは今も変わってないよ。

 

…ただね」

 

水が入ったコップの中の氷が、カランと音を立てる。

 

うん、そうだ。マヤはそのためにトレセン学園に入り、いくつものレースを駆け抜けた。その中で沢山の出会いがあった。テイオーちゃんに、ネイチャちゃん、マベちんにブライアン先輩、そして何より…

 

「…いつからかな?マヤにとって走るのことって、それだけじゃなくなっちゃったんだ。

…確かに、マヤは今でもキラキラなオトナのお姉さんになりたいって思ってる。でも…」

 

…駆けて駆けて、駆け抜けた。

数多の困難に直面し、いくつもの挫折を乗り越えて、その果てにマヤはいくつものモノを手に入れた。

クラシックの頂点のひとつ、菊の冠をこの手に抱き、ブライアン先輩とワクワクするような、一生の思い出になるようなレースをすることが出来た。そしてそれらの果てに、ついにはURAファイナルズの初代女王にまで登りつめた。そして、そんなマヤの隣にはいつもあの人がいて…

 

「…マヤが勝ったらトレーナーちゃんは一緒に喜んでくれた。マヤが負けたらトレーナーちゃんは一緒に悲しんでくれた。マヤが駆け抜けた日々の中には、いつでも隣にトレーナーちゃんがいたんだ。」

 

…だからかな?

 

「…トレーナーちゃんが笑ってくれると、マヤはすっごく嬉しくなった。トレーナーちゃんが悲しんでいると、マヤは胸がきゅってなって苦しくなった。

…気が付いたらマヤね、レースに勝ったときに、トレーナーちゃんが喜んでくれるのが、今まで以上に嬉しくなっちゃってた。そして、トレーナーちゃんの喜ぶ顔がもっと見たい、って思うようになってたんだ」

 

正確にいつからと断言するのは難しいけど、少なくともそれをハッキリと意識し始めたのはURAが終わった頃だったと思う。勿論、前からトレーナーちゃんがマヤのレースに喜んでくれるのは嬉しかったし、これまでも何度も一緒に勝利の喜びを分かち合っていた。

だけど、この頃からなぜかトレーナーちゃんが喜んでくれるのが前よりもずっと嬉しくて、そんなトレーナーちゃんを見てると、胸の中が熱くなってきて…

 

この気持ちは何だろう?別にトレーナーちゃんは何か変わったわけじゃないのに…一体なんでこんな気持ちになるんだろう…?

でも、そう思っていた矢先にトレーナーちゃんが死んじゃって…

 

「…だから、トレーナーちゃんがいなくなってから、その顔をもう二度と見ることが出来なくなってから…マヤ、わか・・んなくなっちゃったんだ…」

 

「…」

 

空の皿を見つめながら、マヤは続ける。

 

「…おかしいよね?

別にマヤは自分の夢を忘れた訳じゃないんだよ?…でも、走ってるとふと思うんだ。」

 

そう、マヤはもう身体的には十分に走れる。

 

あの後…ブライアン先輩とレースをして倒れた後、マヤはネイチャちゃんやテイオーちゃん、マベちん、そして皆の助けもあって、マヤはなんとか立ち直ることが出来た。

もちろん、いくら精神的に少し楽になったからといって、1ヶ月もトレーニングをしてなかった上に、限界を超えて倒れるまで走った代償は重く、そうやって弱りきった体を元に戻すのには、それなりの時間と労力をかけてリハビリをしなければならなかった。

だけど、それも何とか乗り越えてマヤは最低限走れる位までには回復していた。

 

でも…

 

「…グラウンドを走って、トレーニングが終わって、そしたらそこに、トレーナーちゃんがいる。

 

…そんな当たり前の光景が、当たり前でなくなったってわか・・った時に、寂しくて寂しくて堪らなくなったんだ…」

 

…いない、いないのだ。

マヤが勝った時に嬉しそうに喜んでくれる。トレーナーちゃんが…

何度子供あつかいしないでと言っても全然聞いてくれず、マヤの頭を撫で回していたトレーナーちゃんが…

 

どこにも…どこにもいない…

 

だから…

 

 

「…わか・・んなく…なっちゃったんだ。マヤはキラキラしたオトナのオンナになりたい。それは変わらない。…だけど、いくらマヤがそうなったとしても、走り終えたところにトレーナーちゃんはいない…だったら…マヤは…マヤは…」

 

途端に涙が出そうになるけど、我慢する。

…決めたんだ、もう少しだけ歩いてみるって。いつかきっと、自信を持ってトレーナーちゃんの前に立てるように頑張るって。だから泣かない。今はまだ、その時じゃない。

 

「…マヤノ…あんた…」

 

…それでも、我慢したはずなのに、一滴だけ涙が頬をつたい…

 

「…マヤ…いったい何のために走れば良いんだろう?」

 

 

 

・・・・・・

 

キュッ!

 

バルブを締めると、軽快な音をたててシャワーが止まる。

 

一旦ドアを開け、外に置いてあったタオルを取ると、体をしっかりと拭いてから、もう一度ドアを開けて今度は着替えを手に取る。用意していたルームウェアに着替え、換気扇を回してシャワー室の周りの閉じていたカーテンを開けて、マヤはテイオーちゃんに言った。

 

「おわったよー」

 

「んー、りょーかーい」

 

テイオーちゃんはベッドにうつ伏せに寝っ転がり、雑誌を読んでいる。よほど面白いのか、マヤが声をかけても生返事。そんなテイオーちゃんの揺れるしっぽを尻目に、マヤは自分のベッドに腰かける。

 

…そう、テイオーちゃんは久しぶりに元々の自分の部屋であるマヤとの相部屋に戻ってきていた。マヤがブライアン先輩とレースをして倒れ、そして目を覚ました日から、マヤは少しでも前に進もうと頑張ることに決めた。そしてまずその第一歩として、皆に一人一人迷惑をかけたことを謝って、それから改めてテイオーちゃんに、マヤの部屋に戻ってきてくれないかと頼んだのだ。そしてその結果…

 

「…?…どうかした?」

 

「…ううん、何でもない」

 

何となく目の前のテイオーちゃんを見つめていると、視線に気づいたのか、テイオーちゃんが不思議そうにこっちを向いてくる。それに何でもないと答えながら、マヤはベッドに寝転がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チック、タック、チック、タック…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…部屋に時計の音が響く。マヤもテイオーちゃんも何も言わない。聞こえるのは、定期的に時を刻む時計の音と、時折テイオーちゃんが雑誌のページをめくる音くらい。夜という時間帯もあって、外からも特に音は聞こえず、マヤとテイオーちゃんの部屋では、ただただ静かに時間が流れていく。

 

…それはお互いに気まずさを感じるような痛々しいものではない。むしろ逆に、それは穏やかでのんびりとした心地よいものだったから…

 

「…ねぇ」

 

「ん~?」

 

「…テイオーちゃんは、どうして走るの?」

 

 

 




ちなみに、一応書いておきますが、流石にナリタブライアンに破壊されたドアはとっくに修理してもらってます。

そりゃぁまあ、いくら同性の女の子しか住んでいないところとは言え、プライバシーの面でも防犯の面でも扉は必要ですからね…

ただアニメに出てくるようなウマ娘なら、多分ドアの一枚や二枚程度のお金はポンと出せると思います。
なかなかにすごいことですが、そのあたりにもトレーナー制度、一流のアスリートではあっても未成熟なウマ娘達に、彼女達をサポートする大人をつける理由があるんでしょうね。





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帝王の矜持

テイオーとマヤちゃんの絡みが見たい、そう思う今日この頃

せっかく同室なのにアニメではマヤちゃんほとんど出番なかったですしね…
生活リズムもかなり違いますし、この子達普段はいったいどんなやり取りをしてるんですかね?



「ふふん!そんなの簡単な話さ!」

 

マヤの問いに、さほど間を置かずテイオーちゃんは答える。

 

「ボクはサイキョームテキのテイオーさまだからね!その事実を証明するために走るだけだよ!!」

 

ふんす、ふんす、と鼻息が聞こえる。恐らく実際にテイオーちゃんの方を見れば、ものスゴいドヤ顔をしているところだろう。

だから…

 

「…じゃあ」

 

「ん?」

 

「…じゃあどうしてそれを証明しなきゃいけないの?」

 

マヤは質問を重ねる。

 

「…サイキョームテキ…うん、スゴいことだと思うよ。

別にそれ自体を貶めようだなんてマヤは思わない。」

 

…マヤだって、これでも競技者の端くれだ。テイオーちゃんの言うそれが、どれだけの血と汗と涙の上に築かれているのか、なんてことは流石に分かる。

現にマヤとてURAファイナルズの初代女王、ある意味では一つの最強の座を手にしているだけに、それが陳腐なものだなんて絶対に言えないし、言わない。

 

…一番でなくても良いなんて言う人もいるし、別にその考え方が間違っているとは思わない。何かに真剣に打ち込むことは、それだけで価値がある。それは誰にだって否定できるようなことじゃない。

 

けど、だからと言って一番であることに価値がないわけじゃない。

むしろそれは、限られた人にしか辿り着けない至高の頂。

頑張って頑張って頑張って…そうして自分の全てをかけて挑んでも、それでも誰にでも手が届くようなものじゃないからこそ、そこには価値がある。そうして勝ち取ったものだからこそ、誰が何と言おうとそれは尊いんだ。

だから、それ自体に何か言いたいわけじゃない。

 

「…でも、それって何の意味があるの?」

 

…そう、だからこそマヤは思う

 

「最強になりたい。それ自体は別に良いよ?それが立派なものなことくらい、マヤでもわかるよ?

 

…でも、それは何で?何でわざわざ最強なんて称号を、テイオーちゃんは手に入れようとするの?」

 

例えば、何か欲しいものがある。だから、それを手に入れる為に最強にならなけらばいけない。そういうのなら分かるよ?

それが必要だからこそ手に入れなければいけない、何かの目的のための手段であるというのならば、それは別におかしなことじゃない。誰でもやってることだ。

 

「…でもさ、最強を証明するために走る…それは…」

 

…それは因果の誤謬…本来何かを手に入れるべき手段であるものが目的に刷り変わっているようで…

 

「…それって、テイオーちゃんの自己満足なんじゃないの?」

 

…URAファイナルズで優勝した時のことを思い出す。

あの時、トレーナーちゃんはマヤの優勝を泣いて喜んでくれた。普段はマヤを子供扱いして、いつもふざけた態度だったあのトレーナーちゃんが、唯一あの時だけは泣いていた。

良かった、良かったって。だからあの時、それを見ていたマヤもなぜか涙が出てきて…結局ウイニングライブが始まるまで、二人で抱き合って大泣きしたのは、今となっては良い思い出だ。

 

でも、もしその時そこにトレーナーちゃんがいなかったら?

確かにマヤがしたことは偉業だと思う。でも、その喜びを本当の意味で共有してくれる人はどこにもいない。そしてマヤが成した偉業は、皆にそれを自慢できるもの以上の価値はない。だったらそれは、そんな自己満足でしかないものを追い求めることって、空しいだけじゃないの…?

 

そう問うマヤに…

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、そうだよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

そうあっさりテイオーちゃんは答える。

 

…流石に即答されるとは思わなかったから、テイオーちゃんの方を見るけど、特にテイオーちゃんは変わらない。最後に見た時と全く同じで、ベッドに横たわって雑誌を読んでいるし、その表情も特に変わらない。そして、雑誌のページをめくりながら続ける。

 

「ボクが最強であることを求めるのが自己満足?

それはまさしく、その通りだよマヤ。だって、ボクが最強になりたいのは、他ならぬボク自身がそうなりたいって思ったからさ」

 

また1ページ、テイオーちゃんが雑誌のページを捲る。

 

「…でもさ、それの何が悪いの?」

 

「…!」

 

「ねぇ、マヤノ…

 

なんでボクにそんなこと聞くのか知らないけどさ、君だって夢を叶えるってことが、他の誰かの夢を壊すことで成り立つものだってことぐらい分かってるよね?

 

…少なくともキミは…他ならぬ菊花賞ウマ娘であるキミは、それを誰よりも分かってるはずだ」

 

「…」

 

…ああ、そうだ。クラシック三冠、生涯で一度しか挑めないその王冠は、日本中のウマ娘の誰もが一度は夢見たことがある、全てのウマ娘にとっての究極の栄誉の一つだ。

そして、その至高の冠の一つである菊花賞、それを手にしたマヤは、その過程で多くの対戦相手の夢を葬り去った。

 

…亡くなったお母さんとの約束のために走るウマ娘がいた。自分を応援してくれる皆のために走るウマ娘がいた。幼い頃から憧れ続けた夢を掴もうとしたウマ娘もいたし、病気の妹を元気付けるために走ったウマ娘もいた。

そんな十人十色、その場に集まった全てのウマ娘達の、様々な夢、思惑、祈り、願い、その全てを叩き潰した屍の山の上に、マヤが獲得した菊花賞の王冠はある。

だからこそ、この王冠は血に塗れている。

この王冠、マヤの持つ菊花賞の冠は、偉大なる栄光の証であると同時に、マヤが自分の夢を叶えるためだけに、立ちふさがる他のウマ娘すべての夢を壊したという証明でもある。

だからこそ…

 

「…それならさ、分かるでしょ?

 

大なり小なり、ボクたちは生きている限り、誰かの夢を自分の都合で壊さなければならない。それがどんな立派なものであろうと、尊いものであろうと、素晴らしいものであろうと、ボク達は時としてそれを壊さなければいけない、壊さなければ生きていけない。

 

…そう、ボクたちは自分が生きるため、自分の夢を叶えるため、ただそれだけのエゴ丸出しの自分本意な理由で、そんな誰かにとっての大切なものを、守りたかったものを叩き潰さずには生きていけないんだ」

 

故に

 

「…ならさ?そんなボクらの生き方を自己満足の生き方と言わずして、一体なんて言うんだろう?

 

たとえどんな理由があったとしても、人を殺すことは罪だし、その夢を、誰かの大切なものを壊すこともまた罪だ。

でもボク達はそうしなければ生きていけない。ボク達はね、生きている限りは絶対に誰かを傷つけなきゃ、生きていけないんだよ。

 

そう考えるなら、程度の差はあっても、この世に自己満足の為以外に生きる人間なんて、はたしているのかな?」

 

「…」

 

「…あはは、いじわる言いすぎちゃったかな?

 

でもね…」

 

そこでテイオーちゃんは、雑誌を畳んでこちらを向く。その目は、一切の迷いがないもので…

 

「…だからこそ、たとえ誰が何と言おうと、ボクはこれを貫く。

 

確かに、今のボクは無敗でもなければ三冠ウマ娘でもない。

だから…本当はムテキでもサイキョーでもない。

そんなことはボク自身が一番分かってる。

 

…でもボクはボクであるかぎり、ボクなんだ。だからこそ、目の前にどんな困難が立ちはだかっていたとしても、ボクがボクであり続けるために、それを乗り越えていかなきゃならない。ボクはボクはだって言い続けなければならないんだ。

 

…でないと、今までボクが進むために壊してきた色んなものにも、顔向けができないしね」

 

そう言ってテイオーちゃんは微笑んだ。

 

「だからボクは走る。自分はサイキョームテキのテイオー様だ、って言い続ける。それがボクの走る理由だよ!…これで良いかな?」

 

「…うん。ありがとう、テイオーちゃん…」

 

そう言うと、テイオーちゃんはベッドから立ち上がり、読んでいた雑誌を片付け始める。

 

「にししっ、どういたしまして!

…じゃあ、今日は早いけどもう寝よっか!電気消して良い?」

 

「…うん」

 

パチリという音がすると、部屋の電気が消える。隣からはテイオーちゃんが布団に潜り込む音が聞こえる。

 

「よしっ、それじゃあお休み~」

 

「…うん。お休み、テイオーちゃん」

 

お休みの挨拶を言い終わると、テイオーちゃんはそれっきり何も言わなくなる。マヤも何も言わない。電気を消した部屋は、もう真っ暗で何も見えない。ちょっと前の季節なら、そんな状況でも虫の声がしたものだけど、この季節は流石にどの虫も春を待つ眠りに入ったのか、外からは何の音も聞こえない。ただただ静かだ。

 

(…ボクがボクであり続けるために、か…)

 

テイオーちゃんの走る理由、それを心の中でもう一度呟く。

…成る程、確かにテイオーちゃんらしい理由だと思う。幻の三冠ウマ娘、その走る理由は、実に単純明快でサッパリしたものだ思う。

流石は皇帝を越えると言いきったテイオーちゃん。その生きざまは、まさに自身の覇道を突き進む、帝王というありかたに相応しいものだろう。

 

…そして、だからこそ思う。その理由は、才能に恵まれた彼女と正反対の立場にいるはずのネイチャちゃんのものにもよく似ていて…

 

 

 

 

「…ねぇ、マヤノ」

 

 

 

 

「…!な、何?テイオーちゃん?」

 

いきなり声をかけられ、慌てて返事をする。

 

「あはは、ごめんごめん。もう寝てた?」

 

「…ううん、まだ寝てなかったよ」

 

「それなら良かった。ごめんね、ビックリさせちゃって」

 

「ううん、それは別に良いよ」

 

「そう?それなら良かった。

 

…それでね?色々話したけど、最後にもう一つだけ良いかな?」

 

そう言うと、テイオーちゃんは語り始める。

 

「…あのさ、マヤノ。さっきはああいうこと言ったけど、別にボクは自分一人で走ることが良いことだとは思わない。

確かに、人間だれもが多かれ少なかれ独りよがりで、最終的に一人で歩かなければならないってのは事実だよ?

でもそれは、だからといって周りをぞんざいに扱って良いってことじゃない。そんなどうしようもない現実で、それでも手を取り合うからこそ、僕らは強くなれるんだ。だからこそ…」

 

そう言うとテイオーちゃんは言葉を区切る。そして言った。

 

「…だからこそ、マヤノ。ボクは思うんだ。

確かに、君が走る理由の一つはもう戻らない。君を強くしてくれた、君の言うところのトレーナーちゃんは、もうどこにもいない。今まで、君が走ってきた理由はもうなくなっちゃったのかもしれない」

 

「...!?」

 

思わずテイオーちゃんの方を見るが、電気が消えた部屋では何も見えない。テイオーちゃんがベッドに仰向けで寝ていることは分かっても、その表情までは見えない。

 

「…でもね。かつて確かにそれがあったことだけは事実なんだ。そして、一つだけ言えるのは、今走ることを止めたら、キミはそれすらも否定してしまうことになる」

 

「…」

 

「…それだけは、忘れちゃいけないよ、マヤノ」

 

「…テイオーちゃん…」

 

「…なんてね!さぁ、明日も早いんだから、いい加減寝るよ!ボクなんて、もうすぐ有マだから、もっと頑張らなきゃいけないしね!!

 

お休みマヤノ!!」

 

そう言ったきり、テイオーちゃんは寝返りをうつと喋らなくなる。すると、当然部屋は静かになるわけで、辺りにはまた静寂が満ちる。今度こそ、誰も何も言わない、真の静寂だ。

 

そんな暗い部屋の中でマヤは天井を見つめる。暗さに目が慣れてきたのか、見上げたそこの様子が少しだけ分かる。何も言わずにじっと上を見つめるマヤの目の前には、電気の付いていない電灯が、闇の中にぼんやりと浮かんでいる。

 

(「…だからこそ、マヤノ。ボクは思うんだ。

確かに、君が走る理由の一つはもう戻らない。君を強くしてくれた、君の言うところのトレーナーちゃんは、もうどこにもいない。今まで、君が走ってきた理由はもうなくなっちゃったのかもしれない」)

 

頭の中を、最後にテイオーちゃんが言ったことがぐるぐる回っている。

 

(「…でもね。かつて確かにそれがあったことだけは事実なんだ。そして、一つだけ言えるのは、今走ることを止めたら、キミはそれすらも否定してしまうことになる」)

 

どうしてか、それが頭の中から離れない。

 

(「…それだけは、忘れちゃいけないよ、マヤノ」)

 

それは、何かのヒントになるような気がして…

 

(…マヤは…)

 

布団を頭から被る。基本的に早寝遅起きなマヤにしては、珍しく眠気が全然沸いてこない。目がさえて眠れない。恐らく、しばらくは眠れないんだろうな、と思いながらそれでも寝返りをうつ。

 

…のたうち回るような熱い夏が過ぎ、その余熱が秋で冷め、季節はもう、凍えるような寒さの冬に移り変わっている。

そして、師走。誰も彼もが走り回る、年納め。一年という時間が終わりを告げつつあるこの時期は、もちろんウマ娘にとっても、その年の走り納めの時期であり、そしてその年の最後の栄誉を掴む最大の好機であり…

 

 

 

 

      有マ記念

 

 

 

…中山の地、そこで今年最後の戦端が開かれようとしていた…

 

 

 




しっとりテイオーもがきんちょテイオーも好きですが、
個人的にはやっぱりイケメンテイオーが一番好きですね。

作者としては、普段はふざけていても、本質的にはテイオーには帝王であってほしいと思っています。




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開戦前夜


Q.これいつの有馬記念?

A.URAファイナルズの後の有馬記念です。
本作ではURAファイナルズはマヤちゃんの育成3年目で開催されたことになっておりますので、去年の有馬記念ではナリタブライアンとマヤちゃんが激突しています。

ですので、ナイスネイチャのアプリストーリーにおけるトウカイテイオーに勝った有馬記念は、この世界には存在していません。トウカイテイオー復活の有馬記念は存在しているのですが、この世界ではナイスネイチャはまだ一度もトウカイテイオーには勝てていないのです。

…え?それならテイオー復活の有馬記念はいつか?
そんなあなたにはシングレ1巻のこの言葉を送りましょう。



この世界に生きる彼女達の運命は
    
まだ誰にも分からない



…アニメ2期の終わり方からして、アプリ版における3年間を超えても、彼女達は走り続けるのではないかと作者は思っていますので…



 

「では、1番ナイスネイチャ選手。

続いて2番…」

 

前に出てポーズを取り、それが終わると後ろに下がって、次の選手に場所を譲る。

今日のレースを走るウマ娘達の顔見せ兼、コンディションなどの確認の場であるパドックは、実際にレースを走るアタシ達ウマ娘や、敵陣営の偵察を行うそれぞれのトレーナー、そしてレースを観戦する観客達など、多くの人にとってとても重要な意味を持つ場であるが、それでも突き詰めて言えばやることはそれだけだ。

 

そんな意味や意義こそ重要なものの、それ自体は特に何ら負担にはならないパドックを終え、アタシは地下バ道を歩く。

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

靴の底に付いている蹄鉄が、コンクリートの地面に当たって音をたてる。そして、周りが壁に囲まれた空間のために、その音がとてもよく反響する。

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

中山競バ場の地下バ道は、他のレース場のものに比べて比較的短い。だから、こうして普通に歩いていても、出口にはすぐに着いてしまう。

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

心臓の音がうるさい。外は凍えるほどの寒さであり、その冷気はここ地下馬道にも一部流れ込んできている。

でも、今のアタシにはそれが特に寒いとは感じない。なぜなら、緊張と高揚で、アタシの体が熱くなっているから。吐く息の白さとは裏腹に、アタシの内側は赤く燃え盛っているから。

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

目の前に、光が見えてくる。あれをくぐった先は地上であり、そこから先はアタシにとっての戦場。

有マ記念…年末最後のG1であり、今年最後の栄誉を得るチャンスを巡り、全国から集まった精鋭達が、血で血を洗う争いを繰り広げる、人外魔境にして、死地。そして、アタシにとっては…

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

光はもう目の前だ。あれをくぐった瞬間に、アタシの戦いは始まる。

アタシは一度だけ立ち止まる。そして、胸の中の猛りを鎮めるように、深呼吸をする。

 

(…大丈夫。アタシならできる)

 

深く、そして大きく深呼吸をする。レースに出るのは別に初めてではないけれど、やはりこの瞬間は一番緊張する。だからこそ、それに囚われて動けなくならないように、それを力に変えて精一杯走れるように、アタシは一度だけ立ち止まる。

 

スゥー…ハァー…スゥー…ハァー…

 

ゆっくりと息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。それだけで、胸の中の狂おしいほどの熱量が、次第に落ち着いていく。

 

「ふぅー…」

 

強張っていた体から程よく力が抜け、全身に力が満ちていく。これで、もう大丈夫だ。

 

(…今なら)

 

…何だって出来る気がする。そこで脳裏をよぎったのは、今日までの日々。何度も負けて、何度も泣いて…それでもトレーナーさんと歩いてきた今日までの日々。だから…

 

(…今日こそ、アタシは…!!)

 

両手を握りしめる。ようやくここまで来た。そして、今度こそ、今度こそアタシは…

そんな思いを込めて、地下馬道の先に待つ光に向けて、一歩を踏み出そうとした時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   「ネイチャちゃん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

中山競バ場の地下バ道。そこから地上へと向かうネイチャちゃんを、マヤは引き留める。

 

…あと一歩、あと一歩のところで地上に出るところだったネイチャちゃんは、そんなマヤに対して特に怒ることもなく振り返った。

 

「…来てくれたんだね、マヤノ」

 

その顔はとても穏やかで、そして、今から戦いに行く顔には、とても思えないほどにキレイで…

だから…

 

「…!!」

 

ここに来るまでに、マヤの中には色々な思いが渦巻いていた。直接会って話したいこと、言いたいこと、ネイチャちゃんの話やテイオーちゃんの話を聞いて思ったこと、兎に角いろんなものが、全部ごちゃごちゃになってマヤの中で暴れていた。

 

だから、直接会いに来た。この胸の内にあるものを、ネイチャちゃんに聞いてもらいたくて。でも、その顔を見た瞬間にわかった。わかっ・・・ちゃった。今、マヤが言うべきこと。大切な友人に言うべきことは…

 

「…って」

 

誇り高き挑戦者に言うべきことは…!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…勝って!ネイチャちゃん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あいよ!ネイチャさんにまかせときなさい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とびっきりの笑顔でネイチャちゃん

が親指をたてる。そして、今度こそ地下バ道の先の光の中に消えていく。そして…

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

「3枠1番ナイスネイチャ選手、4番人気です」

「未だG1で勝ち星をあげることが出来ていませんが、それでも菊花賞や宝塚記念など、名だたるレースで常に入着をしている安定感のある子です。今回こそ、一着になれることを期待したいですね」

 

出走するウマ娘達がゲートに入っていき、一人一人の枠順、番号、その日の人気、そしてそれに対する解説の一言が読み上げられていく。

 

アタシは自分の番号が読み上げられているのを聞きながら、少しだけ目をつむる。そして、少し前にテイオーと話したことを思い出す…

 

 

・・・・・・

 

 

「ずる~い!ネイチャはマヤノに直接応援に来てもらえるなんてぇ! 良いな良いな~!!」

 

ゲートに入る前のわずかな時間、アタシがさっき地下バ道にマヤノが来たことを話すと、テイオーはぷくっと頬を膨らませながらそう言った。

 

「でもあんた達同室でしょ?それなら、地下バ道には来なくても、朝には流石に応援のメッセージくらい直接もらってるでしょ、テイオー?」

 

「うぅ~、それはそうだけどさ…」

 

だから、別にマヤノがアタシだけを贔屓しているわけではないことを言ったんだけど、テイオーはそれでも納得のいかないというような表情をしている。

 

「それでも、同室のボクを差し置いて、マヤノがネイチャを応援しにいったのがなんかく~や~し~い!!」

 

そしてプンスカという擬音が出そうな感じで腕をバタバタさせる。そして…

 

「ふんだ!こうなったら、ボクがこのレースで一番になって、ネイチャの応援に行ったことを、マヤノに後悔させてやるんだ!!

 

…だからネイチャ」

 

そこで、今までの子供っぽい行動が嘘のように、テイオーは闘志に溢れた顔をしてこちらに向き直る。そして…

 

「…絶対に負けないからね!」

 

そう言ってくるから…

 

「…アタシだって負けるつもりはないよ。むしろ…」

 

同じく闘志を剥き出しにして答える。

 

「…今日こそは、アタシが勝つ。テイオーこそ、負けた時の言い訳考えといたら?」

 

 

 

 

 

 

「…へぇ?」

 

 

 

 

 

 

そう答えた瞬間に、全身に重いプレッシャーがのし掛かる。

 

「…へ!?」

 

「…何!?」

 

「…っ!!」

 

近くでストレッチをしていたウマ娘が、あまりの怖気に何事かとあたりを見回す。その他のウマ娘も、テイオーの放ったプレッシャーに当てられて、大なり小なり混乱している。

 

(…すごい)

 

そして、それを直に当てられたアタシは、それに耐えながらも内心感嘆する。

そう、ここは有マ記念。日本全国から集まった精鋭達が、年末最後の栄光を手にするために争う場所。そして、当然その場に集まる精鋭達も、レースの格付けの中で最も上の格付けであるG1の常連ばかりであり、中にはそれらのタイトルを取ったことが有る者だって何人もいる。

 

(そんな選りすぐりの猛者達さえも恐怖させるなんて…)

 

やはり、このウマ娘はただ者ではない。レースの天才、そして幻の三冠ウマ娘。歴史にifはないけれど、もしこの子が怪我をしていなかったら…

 

 

 

…していなかったら…なんだ?

 

 

 

…ガッ!!

 

 

 

「…えっ!ちょっとあなた何やって!?」

 

「だ、大丈夫!?係の人呼んでこようか!?」

 

「…」

 

直後にとったアタシの行動に、周りのウマ娘達が狼狽える。慌てて係の人がアタシに大丈夫かと聞いてくるが、別にこんなものなんてことない。

…ちょっと拳が当たる場所が悪くて、歯で口の内側を切ってしまっただけだ。

 

アタシは自分の口から垂れた血を拭い、改めて目の前の相手に向き直る。そこには、目を細めたまま無言でこちらを見るテイオー…帝王がいて…

 

「…何度でも言うよ、テイオー…。

今日は、今日こそは…アタシが勝つ」

 

「…」

 

…そうだ、何を弱気になっているんだ。アタシはテイオーに勝つ。そう決めたんだ。その為に頑張ってきたんだ。なら…

 

「…だから!アンタは負けた時の言い訳でも考えときなさい!!」

 

…口にするべきは諦めなんかであってはならない!絶対に倒す、その覚悟だけで良い!!

間違えるな!アタシはアンタの獲物なんかじゃない!アンタの喉笛を引きちぎる狼だ!!

 

そう決意を込めて、テイオーの目を真っ正面から睨み付ける。

 

周囲が静まり返る。

…一秒か、一分か、一時間か。実際にはそう大した時間ではないにもかかわらず、それでも永久に近い時間がたったその時。

 

「…あはっ」

 

 

 

 

 

 

 

「あははははははははははははっ!!」

 

 

 

 

 

突如テイオーは爆笑した。可笑しくて、可笑しくてたまらないとでも言うように、心の底から嬉しそうに、楽しそうに。そして…

 

「…いやぁ、ごめんねネイチャ。別にキミのことを笑った訳じゃないんだ。もし気に触ったなら許してくれないかな」

 

そう断ったあとで

 

「そっか、ネイチャ。ようやく、ようやく本気でボクに勝つって、そう言えるようになったんだね?なら…」

 

 

 

 

ノ ゾ ム ト コ ロ ダ ヨ

 

 

 

 

「…ひっ!?」

 

「…なっ!?」

 

「…」

 

先ほどまでのプレッシャーとは比べ物にならないほどの、あまりにも桁違いの圧が周囲に放たれる。その圧力は、普通の人ならまともに浴びれば一瞬で気絶してしまうほどのものであり、流石にここまで来るほどのウマ娘達の中に、それで体調に異変をきたす者はいなかったが、それでも皆顔を青くしたり、冷や汗をかいている。

 

「…ネイチャ」

 

そんな圧力を放ちつつ、アタシの方に近づいてきたテイオーは…

 

「勝つのはボクだよ」

 

そう小さくつぶやく。そしてアタシの脇をスッと通り抜けて、後方のゲートに向けて歩いていく。気が付けば、ゲートへの入場の時間になっており、他のウマ娘達も慌ててゲートへ向かう。

 

そんなテイオーの後ろ姿を見ながら、アタシは…

 

「…それでも、アタシは勝つよ」

 

そう呟いて、彼女の後を追った…

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

「さぁやって来ました5枠11番トウカイテイオー選手、今日の一番人気です!」

 

「あの有マ記念の奇跡の復活劇から向かうところ敵なし。今日も今日とて絶好調です。今回のレースでも、その天才的な走りを存分に発揮してもらいたいところですね。」

 

 

…目を開ける。すでに出場ウマ娘は全員ゲートに入っている。となると、後はスタートするだけだ。

 

スタートの体勢をとって、じっと待つ。さっきまで歓声が上がっていた客席も、今は静かだ。そして静まり返ったレース上を、一筋の風が吹き抜けた瞬間に…

 

「…!!」

 

ゲートが開く。

 

…今、この瞬間、年末最後の大一番、有マ記念が始まったのだった。

 

 

 




Q. 作者さんはさ、自殺が趣味なの?(真剣を肩に担いでトントン)

A. ままま、待ってください!これには訳があるんです!!(縄でぐるぐる巻き)
  
この作品におけるネイチャさんは、他の作品のネイチャさんよりも覚悟がガンギマリなんです!そしてアニメ2期の菊花賞の描写からもわかる通り、彼女はテイオーさんのいない菊花賞でも全身全霊で走り抜けたという自負があるんです!

ですから、テイオーさんの威圧に一瞬怯み、その矜持を自身で壊しかけた憤り、自分への情けなさからあのような行動に出たんです!もう一度テイオーさんに立ち向かう覚悟を決めるため、いわばその証明としてのあの行動なんです!!決していたずらにあんなことをさせているわけではないんです!!

Q. へぇ~…

A. (…もっとも最大の原因は、気が付いたら作者の手から離れて、帝王ムーブどころか魔王ムーブをかまし始めた、どこぞのテイオーさまなんだけど…)

Q. …作者くん、聞こえてるんだよ?つまりキミはボクのせいだって言いたいのかな?(釘バットを構えてニッコリ)

A. ぁ…



※なお、残りはスタッフがちゃんと処理(意味深)しました。





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前触れ

はーい!お客様ご注文でーす!!
ナイスネイチャとトレーナーさんのと出会い、一丁入りまーす!!
(よろこんでー!!)


…書き始めた当初はプロローグでしか出てこないちょい役の予定だったのですが、
気が付いたらキャラ設定が出来ていました。

まぁ、それでも本当に出番はちょっとしかないですが、楽しんでいただけると幸いです。



 

 

 

 

 

今でもそうだけど、特にあの頃のアタシほど、その数字に愛された人類は、有史以来いなかっただろう。

 

トレセン学園に入り、最初にもらった生徒証に書いてあった生徒番号は、333333だったし、出席番号も33番。くじ引きをすれば、大体出るのは3等賞だし、小テストを受けても、その順位は大体3位。

…挙げ句の果てには、卵を割ると、最初の一回はほぼ100%の確率で三つ子が出ることに気付いた時には、変な笑いが出た。

 

3、さん、サン、参、三、弎…

 

他にも色々あるけど、ここまで3が続くと、呆れを通り越して笑いが出てくる。祝福と呪いは紙一重だとはよく聞くけど、まさにそれは至言だとアタシは思う。だから、それは勿論トレセン学園に来た目的であるレースにおいてもそうで…

 

「あ~…また三着か。

…本当に縁がある数字だよね、アタシにとって」

 

…その時もう何度目か分からない3着のレース結果を見るアタシは、流石にもう疲れていた。

どんなに足掻いても、努力しても、アタシでは決して一番になれない。それなのに、周りの子は皆キラキラしてて、まるで物語の主人公みたいにぐんぐん実力を伸ばしていく。

 

それを見ている内に、何だか全てがどうでも良くなっていく。このままでも良いんじゃないのか、と心の中の誰かが囁き始める。3位だって十分に凄いことだ。ならそれでもう良いじゃないか、と。

 

だから、それ以来アタシは自分に対して一切希望は持たないことにした。どんなに頑張っても才能には叶わない。そう思うようになった。

 

…ほどほどでも良いじゃないか、別に1等賞にならなくても死ぬわけじゃない。それなら、モブはモブらしく、立場を弁えて、それなりをキープし続ければ良いじゃないか。あの頃アタシは、本気でそう思いかけていた。だからもし、あの時…

 

「き、君!ちょっ、ちょっと待ってくれ!ってうわ!!」

 

「…へ?アタシですか…って、ひっ!?」

 

そう、もしあの時、転んで水溜まりにダイブした挙げ句に、上から降ってきたペンキのバケツを頭から被り、何だかよく分からないドロドロのお化けみたいになったあの人に出会わなければ…

 

「お、お願いだ!は、話を…」

 

「きゃっー!化け物ー!!」

 

「ぐはっ!!」

 

…多分アタシは、今ここにはいなかったんじゃないかな?。

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「さぁ、各ウマ娘達が一斉にスタートしました。特に出遅れた子はいないようですね」

 

「そうですね。皆キレイにスタートしましたね。それでは現在の状況を見てみましょう。まずはメジロパーマー選手が先頭集団から抜け出し、トップを独走しています」

 

「彼女の基本戦法は大逃げですからね。序盤から力強い走りで、全体のペースを作っていきます」

 

「続いて、その後にワールドレガシー選手、続いてダイタクヘリオス選手が続いています」

 

「一番人気のトウカイテイオー選手はどうですか?」

 

「彼女は後方集団と真ん中の集団の間あたりに着けていますね。普段の位置よりは少々後ろ目の場所に着けているような気がしますが、彼女の脚質を考えると、あそこからでも十分に先頭集団をとらえることができるのではないでしょうか?」

 

解説の人の声がレース場に響く。

レースはまだ序盤だけど、周囲の人々も、自分達が応援しているウマ娘達に声援を送っている。そんな熱狂に包まれたレース場の片隅で、マヤはレースを見守る。

 

「…」

 

レースはまだ最初の4コーナーを過ぎたあたり。

解説の人が言った通り、宝塚記念でも大逃げで逃げきったパーマーさんが、先頭集団を引っ張り、それに追随する形で他のウマ娘達が続いているという形だ。逃げウマ娘である彼女が出てくるレースならそこまで珍しくない立ち上がりであり、まだレース序盤ということもあり、そこまで大きな動きはない。

 

気になるのは、一番人気のテイオーちゃん。あの子は先行だけでなく差しもできる子なんだけど、差しを狙うにしては少々後ろ気味に付けている。何か意図があるのかもしれないけど…今のところはまだ何も動きはない。

 

そこまで考えて、マヤはパーマーさんの後ろに着ける先行集団に目を向ける。そこにはクリスマスカラーの勝負服を身に付けた一人のウマ娘がいて...

 

「…ネイチャちゃん」

 

内枠故にインコースを懸命に走る彼女を見ていると、あの日の彼女との会話が脳裏をよぎった…

 

 

 

・・・・・・

 

 

「…アタシねマヤノ、実はメイクデビューする前、トレセン学園辞めようとしてたんだ」

 

お互いに注文の品を食べ終え、デザートが来るまで沈黙していたネイチャちゃんは、唐突に口を開いた。しかも、その内容は初耳かつ、衝撃的なもので…

 

「…えっ?そうなの!?」

 

「…まぁ、もちろん昔の話だよ?別に今はもうやめようなんて思ってないから、そこは誤解しないでね?」

 

内容が内容なだけに驚くマヤに、ネイチャちゃんは慌てて手を振る。だが、流石に今まで聞いたことすらない話だったために、思わず追及してしまい…

 

「な、なんで…?」

 

「あ~、それ聞いちゃう?

…まぁ、大した理由じゃないよ。単純に成績不振。どんなに頑張ってもレースで良い結果を出せない。何度やっても1着になれない。

…トレセン学園ではよくある話でしょ?」

 

「…ぁ」

 

…故に、その言葉に沈黙してしまう。

…そう、マヤ達が通う中央トレセン学園は日本一のウマ娘達の名門。故にその生徒達はレースをするにあたり、最先端のトレーニング設備や、豊富なサポートを受けることが出来るが、逆に言うとそんな素晴らしい環境で練習するために、日本中から集まってきたウマ娘達と鎬を削らなければいけない。そしてそれ故に、当然その争いについていけずに脱落する者も中にはいる。いやむしろ、それが大半だ。

 

トレセン学園の校訓は「唯一抜きん出て並ぶものなし」であり、正しくは「Eclipse first, the rest nowhere」。

これはつまり、輝くことができる者以外は、取り残されるということに他ならず、それ故に毎年多くの入学者を向かえるトレセン学園は、同時に毎年多くの退学者も排出する。そして

 

「…その…」

 

「あはは、別にマヤノが悪いんじゃないから気まずく感じる必要はないよ。

まぁ、確かにこう言うこと言ったらそう聞かれるのは当然だよね。

…アタシこそごめんね」

 

それについて少なくともマヤは何も言えないし、言うべきではない。何故なら、マヤは才能があった側、それこそ他者を蹴落とした側であるからだ。間違っても同情の言葉などかけてはいけないし、それについての批判などもっての他だ。だからこそ、マヤは何を言って良いのか分からず、黙りこむしかない。

 

マヤが食後の飲み物として頼んだオレンジジュースとは違い、ネイチャちゃんの頼んだコーヒーは、暖かい飲み物だからか、薄く湯気を上げている。

 

流石にお昼のピークは過ぎたのか、先程に比べればお客の数は随分と減っていて、残っているのはマヤ達みたいな女性客ばかりだ。まばらになった客席にちらほらと腰掛けた彼女達は、皆雑談に花を咲かせている。

 

そんな光景を尻目に、気まずい沈黙を強いられたマヤに、ネイチャちゃんは語り続ける。

 

「3着…レースを終えたアタシが見上げた先の掲示板には、あの頃いつもその順位が書いてあった。何度頑張っても、結果は同じ。本当に呪いか何かなのかと言いたくなるくらいにその数字はいつもアタシの隣にあった」

 

「…」

 

「だからかな、入学当初は絶対にここで成り上がって見せると思っていたはずなのに、気が付いたらそんなハングリー精神はなくなってた。

むしろ、もう良いんじゃないか。三着も立派な順位だ、頑張ったじゃないか。

…そんな言い訳の声が、自分の心の中で段々と大きくなっていって…」

 

「…」

 

「だからね、あの頃のアタシは途方もなく疲れていた。手を伸ばしても理想に届かない、むしろ現実は足掻けば足掻くほどに泥沼みたいにアタシを飲み込んでいく…

本当にもう心が折れかけてたんだ」

 

それは、絶望の記憶。

テンプレで凡庸で、それでいて世の中にありふれている類いのものではあるが、それだけに本人にとっては深い深い苦しみと悲しみの記憶。

…自分で言うのもなんだけど、間違いなく天才の類いであり、故にそんな数多の絶望の山の上を駆け抜けてきた側のマヤには、到底想像もつかないような壮絶な記憶がネイチャちゃんの口から語られていく。

 

そう、だからこそ…

 

「だったら…どうして、ネイチャちゃんは諦めなかったの?」

 

そんな質問が口をつくのは当然のことで…

 

 

 

・・・・・・

 

「…?少し全体的なウマ娘達の速度が速くないですか?」

 

「…そうですね。確かにかなりハイペース気味なような…あっ、後方の子が仕掛けましたよ!…えっ?このタイミングで!?」

 

「…いえ、それだけではありません!全体が突如として速度を上げていきます!トップを走る、メジロパーマー選手、ダイタクヘリオス選手達が手にしていた後方集団とのリードが急速に詰まっていきます!一体何が起こっているのでしょうか!?」

 

…レースの実況の声で唐突に意識が覚醒する。

気が付けばレースも中盤、先頭はパーマさんとヘリオスさんの二人が大逃げをしていて、後の子達がそれを追いかけるという形だったはずだけど、まだスパートをかけるタイミングでもないはずなのに、一人のウマ娘が急速にスピードを上げたと思ったら、それに釣られるように全体のスピードがいきなり上がった。そしてそのせいで、ただでさえハイペース気味だったレースがさらに高速化し、先頭の二人の保っていたリードも徐々に消えていく。

 

その一種異様な光景にレース会場がざわつき始める中、マヤは再びコースに目を向ける。すると、いきなり後方から上がってきた集団に巻き込まれて自分のペースを失いつつあるネイチャちゃんが見えて…

 

(…ネイチャちゃん!)

 

マヤはただ、その姿を見ていることしか出来なかった。

 

 

 




…おかしいなぁ、ウマ娘の脚力って文字通り馬力が違いますよね?

厳密に言えばマヤちゃんのトレーナーちゃんはちょっと違いますが、
それでも、うちのトレーナー連中は、なぜそれをまともに喰らって普通に生きているのでしょうか?

やっぱりあれですかね?この世界の人間は誰もが潜在的にウマ娘因子を持っているから、現実世界の人間よりも強いんですかね?
それだとやっぱり幕末とかは、この世界の人間達は皆リアルる〇剣みたいなことしてたんですかね?




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災厄と覚悟

※注意
このレースは1992年の有馬記念をもとにしていますが、出場ウマ娘やレース展開を改変しています。
ですから、メジロパーマーやダイタクヘリオス、その他このレースに出場するウマ娘、並びに馬が好きな方には、先に謝罪しておきます。

また、作者にはあまり競馬知識がありません。ですから詳しいレースの状況には多分に妄想や独自解釈などが入りますので、ご注意ください。



 

~メジロパーマーside~

 

 

 

 

「…っ!」

 

思えば、このレースは最初から何かおかしかった。

 

何の前触れもなく後方から迫ってきたウマ娘達の一群達との距離を必死に引き剥がすべく、普段以上に足を回す。

思っていたよりもハイペースなレース展開、それは確かに予想外ではあったけど、それでも自分なら走りきれる、逃げきれる、そう思っていた。なのに…

 

(これは一体何?何が起きてるの!?)

 

後ろから爆音が聞こえる。それは間違いなくウマ娘達の足音であり、自分とそれらとの距離は、すでにレース開始から今まで必死に稼いできた安全距離を確実に割っている。それはとりもなおさず今までの大逃げが無駄になってしまったということで…

 

(なんでこんなタイミングで!!)

 

故に足を回す。本来ならスパートをかける時に使うべきスタミナを使い、必死に逃げる。

何故なら自分の逃げという戦術は、最初から最後まで先頭を走ることによってのみ成り立つ戦術。一番早く走れば一番であるという正論を愚直なまでに遂行する戦術であり、故にもしも馬群に飲まれてしまうと、その真価を発揮することが非常に困難になる。

最初から最後まで一番前を走るということは、最初から最後まで他のウマ娘達の先頭に立ち続けるということであり、それだけにスタミナ消費は後ろから機会を伺う他のウマ娘達よりも明らかに多い。そして何より余力がないため、もし抜かされた場合抜き返すのが非常に困難になる。

 

故に逃げる。いや、逃げるしかない。後ろから近づいてくる集団に飲まれないよう、死に物狂いで逃げる。だが逃げながらも私の頭の中にはひたすら疑問が浮かぶ。すなわち

 

(まだ、まだ皆が突っ込んでくるには余裕があったはずなのに!!)

 

そう、確かに今私は後ろから来る集団から逃げている。だが、レースである以上どこかのタイミングで後ろの子達が自分を抜かしに来るのは当然のこと。だからこそ、後ろとの差を限界まで開ける大逃げという戦法を取ってはいても、その走りは決して無計画なものではない。むしろ、最後でバテて刺されないように、いわんやバテても、稼いだ距離で強引に押し勝てるように、そのスタミナ管理は非常に綿密に行っている。そして他の子もそれは同じ。どこでスタミナを使えば良いのか、なんてことを考えるのはレースにおいて当然のことであり、それ故に多少の違いはあれど、どこで全体が加速するかということは、ある程度決まっている。だからこそ…

 

(おかしい!こんなタイミングで皆が上がってくるなんて絶対おかしい!)

 

私は内心叫ぶ。心の内で絶叫しながらコースをがむしゃらに駆け抜ける。

そう、おかしいのだ。スタミナ管理を考えるなら、このタイミングで全体が上がってくるなど明らかにおかしい。なるほど、確かにこれがレースの終盤なら別におかしくはない。だが、これではロングスパートをかけるにも早すぎる!こんな走りをしたなら、間違いなく途中でスタミナが切れる!こんなの自殺行為だ!

 

「…っ」

 

歯を食い縛る。必死の逃げによりなんとか後方集団から抜かされずにすんだものの、スタミナを大幅に減らされる。それでも、まだゴールは遠い

 

「…一体、何が…」

 

疲労と混乱から思わず口から疑問がこぼれた瞬間…

 

ヒュンッ、ヒュンッ

 

「…え?」

 

そんな私の横を、二筋の流星が駆け抜けていった。

 

 

・・・・・・

 

 

(…やられた!)

 

全体が急に加速し始めた瞬間に、アタシは何が起こったのかを察する。だが、先頭で大逃げしている2人のすぐ後の集団にいたアタシは、気付いていても抗うことは出来ず、そのまま後からの勢いに押されてしまう。

 

(…やってくれたね、テイオー…)

 

その場の勢いに流され、スピードを上げざるを得ない状況下で、チラリと後ろを見たアタシの目に写ったのは、獰猛な光を目に宿し、後ろから上がってきたテイオーだ。

 

…恐らく起こったこと自体は単純だ。

誰かが後ろからプレッシャーをかけて後方集団を加速させる。そして加速した後方集団の勢いを自身のプレッシャーに上乗せすることで、先行集団も焦らせて加速させることにより、先頭の逃げ集団も焦らせる。

そして、加速させられた全員が、予想外の加速により疲弊し、スタミナを奪われる。こんなところだろう。

 

まぁ、勿論言うは易しという奴で、こんなことを行える人物はそうはいない。だからこそ、普通ならもっと混乱するのだろうが…

 

(恐らく今のテイオーなら…)

 

可能だろう。というか、テイオーしかいない。

そう思った時、こちらの視線に気付いたのか、テイオーはその剣呑な雰囲気を保ったままに、にっ、と口の端を上げる。

 

そう、こんなキツツキが木を叩いて中の虫を出させるようなこと、普通ならそうそうできない。何故なら、ここは有馬記念、G1だ。

 

百戦錬磨の猛者達が集うこの場において、他者からのプレッシャーなど日常茶飯事のもののはずであるし、仮にそれにあてられても、集まっているのは一流のウマ娘達であり、普通はここまで理性を失うことなどないだろう。

 

だが、何ものにも例外はある。

例えば、学校でテストをしている時にチャイムが鳴ったとしたらどうだろう?いきなりそれが鳴ったなら誰もが驚くだろうが、あらかじめ鳴ることを知っていれば、精々邪魔な音程度にしか感じないはずだ。また、もし日常的にそんな環境でテストをしていたなら、それについて意識すらしなくなるだろう。

だが、テストをしている教室に、ドアを蹴破っていきなり完全武装の男達が現れたら?あまつ、「動くな」とその銃口を頭に向けられたら?…そんな状況でテストを続行できるだろうか?

 

つまり…

 

「…っ」

 

瞬間に叩き付けられたプレッシャーにあてられなかったのは、恐らくアタシがこの場にいる誰よりもこいつを倒そうという意志が強かったから。負けてたまるかと根性を燃やしたから。それでも、萎縮しそうになる心を、アタシは必死に叩き直す。

 

そう、この有マ記念という場所において、テイオーの放つプレッシャーは並みのものではなかった。一流のウマ娘の中にはオーラじみたプレッシャーを放つ者もいるというが、その中でも今日この場のテイオーは、明らかに格が違う。

近くにいるだけで、まるで死神の鎌を首にかけられているような、そんな度外れた恐怖と怖気を感じるような、得体の知れないプレッシャーを放っている。

 

故に、その尋常ではないプレッシャーにあてられたレースは誰もが意識しない内に高速化し、そしてそれまで無造作に放たれるだけだったそれを、指向性を持って自分の前にいるウマ娘達に放ったテイオーは...

 

(…他の子のスタミナを削りつつ、ここまで上ってきたって訳ね!)

 

だからこそ、アタシはここで覚悟を決める。テイオーから目線を切り、前を向く。

確かにアタシも皆に巻き込まれてスピードを上げざるを得ず、スタミナを削られている。ただ、アタシは理性だけは保てていたために、他の皆に比べて少しだけスタミナを残すことが出来ている。だからこそ、

 

(…仕掛けるなら)

 

今しかない、そう思い改めて周囲を見渡す。

 

レースは既に大詰めだが、全体的に、スタミナを削られてスピードが落ちている。

先頭は相変わらずパーマー先輩みたいだけど、先程の強襲によりスタミナが尽きたのか、ヘリオス先輩はすでに垂れており、パーマー先輩にしても気合いで先頭を保っているような感じに思える。先頭との距離にしても、先程までのような圧倒的な大差ではなく、十分に先頭を差しに行ける常識的な距離であり…

 

(あぁ…)

 

そこでアタシはテイオーの意図を知る。どうして先行もできるテイオーが今日はわざわざ後ろの方に着いたのか。正統派なレースを好むテイオーが、どうしてこんな邪道に近いレースを行ったのか。

 

そう、似ている。この状況はあの時にとてもよく似ている。ペースの遅くなったレースに、逃げが垂れて極端に突出したウマ娘がいないこの状況。それはまさしくあの雨の日の…アタシがテイオーと始めてあった時のレースにとてもよく似ていて…

 

(…っ!!)

 

気付いた瞬間に理性は全て残らず消し飛んだ。そして、胸の内から沸いてくるのは、これまで感じたことのないほどの歓喜と闘争本能。故に…

 

「…こんどこそ」

 

大地を踏み砕く

 

「…こんどこそ!」

 

肺を最大まで膨らませ、膨大な量の酸素を血液に取り込む。心臓が力強い鼓動で血液を身体中に送り出し、力を受け取った身体中の筋肉が音を立てて躍動する。

 

そして、あまりにも強く踏みしめ過ぎ、足の形に陥没した大地が、その反作用でアタシの体を前に押し出す瞬間…

 

「勝負だ!トウカイテイオォォォっっっ!!」

 

アタシは腹の底からの咆哮と共に、星になった。

 

 




たかだかプレッシャー程度で一流のウマ娘達がここまで動揺するはずがないとお思いの皆様は、首筋に日本刀を突き付けられた状態で、一日生活しろと言われたというシュチエーションを想像してみてください。
いくら何もされないとわかっていても、絶対にどこかの地点で発狂すると思います。

…自分でも中々に無理があるとは思わないでもないのですが、本作のトウカイテイオーは帝王というより魔王なので、このくらいのことは出来そうだなと思い、こういう展開になりました。どうかご容赦いただけると幸いです。





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きっとその先へ

第二部 ナイスネイチャ有マ記念編

完結です。


~トウカイテイオーside~

 

 

 

 

(…あぁ、やっと、やっとなんだねネイチャ…)

 

前にいるウマ娘達を次々にかわし、先頭のパーマー先輩にさえも食らい付かんとするネイチャを見ながら、ボクは歓喜する。

 

(やっと、その目をした君と戦うことが出来るんだね!)

 

そして、自らも最後のスパートをかけるべく、体勢を整える。大地を深く、深く踏みしめ、力を貯める。

テイオーステップ、そう呼ばれるほどの跳ねるような足裁きを可能にする自らの足のバネに、限界まで力を貯める。

 

(…それなら)

 

そしてそれを解き放った瞬間…

 

「全力で行くよ!ネイチャァァァっっっ!!」

 

ボクもまた、流星となる!

 

「おおっと!ナイスネイチャ選手がメジロパーマー選手を抜き去って、先頭に躍り出ました!だが、後方からトウカイテイオー選手もスゴイ足であがってくる!!」

 

1人、2人、3人…誰もボクについてこられない!

何人かはボクに対抗してスパートをかけようとするけど、それも無駄。ボクにスタミナを削られた子達のスパートは、普段の半分の切れ味も出せず、ボクの影を踏むことすら出来ない。

 

だから、そんなボクが目指すただ1人の相手は…

 

「ネイチャァァァっっっ!!」

 

「…っ!!テイオォォォっっっ!!」

 

「おおっと!並んだ!並びました!!1番ナイスネイチャ選手と3番トウカイテイオー選手が先頭で並びました!!激しい競り合い!一体どちらがこの争いを制するのでしょうか!?」

 

一気にネイチャへと肉薄し、並び立つ。だけど、ネイチャは簡単には抜かさせてくれない。ボクが全力を振り絞っても、全く怯むことなくついてくる!

そして…

 

(…あぁ、その目だ。その目なんだよ!ネイチャ!!)

 

絶対に負けたくない。意地でもお前の首筋に噛みついて、噛みちぎってやる。そんな殺意と闘争心に溢れたこちらを射殺さんとするような目でボクを見てくるから…

 

(そんな目をしたキミと、もう一度ボクは戦いたかったんだ!!)

 

全力をさらに越える、その覚悟でさらにボクは加速する。それはネイチャも同じようで、ボク達は2人ともさらにスピードを上げる

 

…そう、ボクの1番始めのキミとの記憶は、あの雨の日のレース場。いつものようにレースに勝ったボクを見つめるキミの目だった。

 

あの頃、ボクは天才と言われレースで負けなしだった。色んな子と、色んなレースを走ったけど、ボクは負けたことがなかったし、それを当然だと思ってた。

だから、自分が負けた時のことなんて考えたこともなかったし、ましてや敗者のことなんて気にかけたこともなかった。実際に、悔しそうにしてても、天才に負けたならしょうがない、そういう子ばっかりだったしね。

 

(…でも、キミは違った)

 

そうあの雨の日、正確にはトレセン学園の新人レース、そこでボクはキミに出会った。いつものようにレースに勝ち、当たり前の歓声を浴びるボクは、ふと自分を見る誰かの目線を感じた。それがあまりにもおぞましく、冷たいものだったにも関わらず、同時に燃えるように熱いものだったから気になって振り向いたボクは、あの時始めて真の意味でキミに出会ったんだ。

 

 

「さぁ、ゴールまであと200メートル!200メートルです!これは二人の一騎討ちだ!一位争いはまだ続いている!これはどちらが勝つのでしょうか!?」

 

ワアアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァアアアアアッッッッ!!

 

 

実況の言葉にレース場が震える。すでに観客席の熱狂は最高潮だ。そんな周りを尻目に、ボク達は互いに競い合う。もう周りには誰もいない。一対一、それこそが今のボクとネイチャの状況だ。

 

(だからボクは待ってたんだ)

 

そうだからこそ、ボクは望んでいたんだ。もう一度、あの目をした君と戦いたいって。

今は違うけど、あの頃ボクは、勝つっていうのがどういうことか、よく分かってなかった。

相手の夢を壊してでも、自分の夢を叶える覚悟、それがあの時のボクにはなかったから、正直な話ボクはあの後キミの目が怖くて部屋で震えてたんだよ?

だからこそ、それに気付いたときにボクは思ったんだ。絶対無敵の帝王になるには、あの目をしたキミを正面から倒さなきゃならない。ボクが今まで砕いてきた夢に責任を持たなきゃならない。

それになにより…絶対にそんな目をした人間は強い。だから、正面から戦い、そして勝ちたい、そう思ったんだ!

 

大地を踏みしめる。今この瞬間、ボク達の実力は完全に拮抗していた。お互いがお互いに相手を抜き去ろうとするけど、実力が完全に同じために、それが出来ない。堂々巡り。それは忌むべき停滞ではあったけど、同時にそれは…

 

(…強く、なったんだね。ネイチャ…)

 

あの時ボクに歯が立たなかったキミが、ようやくボクと同じステージに上ってきてくれたってことで…

次は絶対に勝つ、そんな目をしていたキミが、やっと約束を果たしにきてくれたってことで…

 

だから…

 

(…!!)

 

瞬間的に脳裏に閃くのは火山のイメージ。何億年もの時間をかけて力を溜め込んだ火山。それが一気にその内に溜め込んだ力を爆発させるイメージで…

 

 

 

「…おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!」

 

 

 

「!!テイオー!テイオー選手だ!!僅かに、ほんの僅かずつだが、ネイチャ選手を引き離し始めているぞ!!」

 

「しかも徐々に、テイオー選手の勝負服が姿を変えていきます。これは…!!」

 

そんな灼熱の大地の中で、ボクは目の前に現れた光る羽をつかみ取る。

するとその羽から膨大な力と光があふれてくる。そして…

 

 

 

 

「...!!」

 

 

 

 

 

オオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオ!?

 

 

 

 

 

 

隣を走るネイチャからの驚愕の視線と共に、観客席から驚嘆の声が上がる

 

…そう、故に今のままなら共倒れになりかねないということであり、その突破方法は…

 

「こ、これは!テイオー選手の勝負服が変化しました!」

 

「驚きましたね。こんな土壇場でウマ娘として新たなステージに到達するなんて…」

 

全身にあふれるその力を開放するとともにボクは炎に包まれる。そして、

それを突っ切った僕の勝負服は、以前のものとはまったく違うものになっている。

これまでの白と青を基調とした、貴公子然とした勝負服が、煮えたぎる灼熱の大地

の力をそのまま凝縮したかのような赤い勝負服へと変わる。体の底から無限の力が湧いてくる。

 

「おおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!」

 

…簡単だ。実力が拮抗しているのなら、どちらかが片方よりも強くなれば良い。端的に言うならば覚醒すれば良い。そしてボクには、レースの天才たるボクにはそれが可能であり…

 

「さぁ、ゴールは残り後わずか!先頭はトウカイテイオー選手!このままいってしまうのか!?」

 

「うおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

炎をまとい、ボクは吠える。

 

僅かに、ほんの僅かに空いたネイチャとの距離は縮まらない。縮まらない!ならば!

 

「最強はぁぁぁぁっっっ!ボクだぁぁぁぁっっ!!」

 

ゴールまであとわずか数十メートル。そこにボクは叫びながら…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あぁ…またか)

 

僅かに、本当に僅かに自分よりも前に行くテイオーを見ながら、どこか冷静にアタシは思考していた。

 

(…また、届かなかったのか)

 

時速60キロを越えるスピードでレースをしているはずなのに、どこか時間の進みが遅い。乾いた風の匂いも、踏み砕いた地面から跳ねあがる土の感触も、自分の異常なまでに跳ねあがった体温も、客席の歓声も、全部分かるのに、どこか時間が止まったかのような感覚…

 

恐らくは一般に言うゾーンという感覚の中で、アタシは静かに絶望する。

 

(…あんなに、あんなに頑張ったんだけどな…)

 

若駒ステークスに皐月賞、そして日本ダービー。どのレースでも、アタシはテイオーに勝ちたいと願い走り続け、そして負けた。だからアタシは頑張った。地方に遠征して、色んな重賞レースに出て経験を積み、宝塚記念みたいなG1でも、1番にこそなれないけど結果を残せるようになった。だから、勝つ。今回こそ勝ちたいと思ってたのに…

 

(…結局、こうなるのか…)

 

それでも伸ばした手は届かない。ほんの僅か、それこそあと少し手を伸ばせば届く距離、それが届かない。

 

(…まぁ、いつものことか)

 

だからもう、アタシもいい加減疲れちゃって…

 

(結局無理なんだよ…天才に勝つなんて…)

 

アタシ、頑張ったんだよ?だからさ、もう、良いよね?もう、諦めても――…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネイチャちゃん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その言葉で我にかえる。世界の時間が進み始める。弾かれたように声の方を見たアタシの目に映ったのは

 

 

 

 

「頑張れぇ!ネイチャちゃぁぁぁぁん!!」

 

 

 

マヤノ、あたしの大切な友達。その時、必死にアタシを応援するマヤノを見た瞬間に、アタシの脳裏にいつかの喫茶店での会話が甦る。それは間違いなくアタシが話したことで…

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

「…あたしが諦めなかったのはね、トレーナーさんに出会ったからなんだ」

 

「ネイチャちゃんのトレーナーさんに?」

 

「そう。多分あの人がいなかったら、アタシいまここにいないと思うんだ。」

 

そう答え、アタシは続ける。

 

「言ったとおり、あの頃のアタシの成績は3位ばっかり。どんなに頑張っても1番になれない。だからもう限界だって思ってた時にあの人に出会ったんだ」

 

今でも思い出す。トレセン学園からの帰り道、声をかけられ後ろを向くと、何だかよく分からないドロドロのお化けみたいなのがいて、流石にびっくりしたアタシはそれに思いっきりキックをかまして…

 

「…で、それがよく見たら人間だって言うんだからアタシも大慌て!

急いで救急車を呼ぼうとしたんだけど、すぐに飛び起きてまた話しかけてくるもんだから、本当に妖怪か何かと思ってアタシその場から逃げちゃってね。

後日正式に話すことが出来たんだけど、それがアタシとトレーナーさんとの出会い」

 

そう話すと、マヤノはかなり微妙な顔をする。

 

「えっと…初対面でトレーナーちゃんを弾き飛ばしたマヤが言うのもなんだけど…すごい出会いだね…」

 

「でしょ?よく言われるんだ」

 

「…ちなみにその、ネイチャちゃんのトレーナーさんは…」

 

「うん、無傷。

…正直何で?って今でも思うけど、あの人どうも昔からかなりの不幸体質みたいでね…色々な目に会ううちに体が丈夫になって、今ではうま娘のキックに耐えられるくらいにまでなったんだって」

 

「…ねぇ、それ本当に人間なの?ネイチャちゃん?」

 

アタシに聞かないでほしい。と少し話題が逸れたところで、アタシはまたマヤノに話を続ける。

 

「…で、そういうわけでアタシは今のトレーナーさんと出会ったんだけど、契約する時にあの人はアタシに言ったんだ」

 

そこで、コーヒーを一口含む。

 

「…俺は何があってもネイチャを信じてる、ってね」

 

そして、それは文字通りのものだった。

 

「…アタシはメイクデビューまで何回か未勝利戦を戦わなきゃいけなかった。そして、いざメイクデビューしてもこれといった成績は…少なくともG1勝利は今まで一度も達成できていない。それに、ライバルだって思ってるテイオーにも未だに勝てていない。だから、トレーナーさんの負担はかなりのものだったと思うし、今でも迷惑をかけている」

 

なにせ勝てないのだ。トレーナーという職業は、極論ウマ娘を勝てるように育てる仕事だ。

だから彼らには担当ウマ娘を勝てるようにする義務があるし、逆に言えばそれが出来なければ職務怠慢といっても良い。

それを考えると、アタシのような中々勝てないウマ娘を担当するのは、自身の評価を上げることが出来ないために不利であり、また勝てるように育てる方法を他のうま娘よりも多く試さなくてはならないため、トレーナーにとっては負担ばかりが大きく、自身の評価にも繋がりにくい、嫌な仕事ということになる。

 

今でこそ重賞をいくつか取っているからまだ良いが、実際にトレーナーさんが同僚に陰口を叩かれているのを見たことがあるし、彼が他のトレーナーよりも夜遅くまで仕事をしてるのもアタシは知ってる。詰まるところ、アタシはトレーナーさんにとっては不良物件なはずなのだ。

 

「それなのに、あの人は嫌な顔一つしない。それどころか、どんなにアタシが負けても、「ネイチャなら大丈夫!次は必ず勝てるって信じてる!」って笑ってるんだ」

 

だから、アタシは一度聞いたことがある。あなたはどうしてアタシのトレーナーをしてくれるのか、どうしてアタシをそんなにも信じてくれるのか、って。

 

「…なんて言ってたの?」

 

「…アタシの目を見たから、だって」

 

「…目?」

 

ぱちくりと目を見開くマヤノにアタシは続ける

 

「実はトレーナーさんが始めてアタシのことを見たのは、トレセン学園の新人レースだったみたいで、その時にアタシを見たんだって」

 

もっとも、その時はアタシの名前を知らなかった上に、いつも通りトラブルに巻き込まれて、不幸にもアタシに声をかけることすら出来なかったようで、アタシが始めてあったと思った時にはかなり時間がたってたみたいだけど…

それはまあ、それはともかく、

 

「その時に見たアタシの目に一目惚れしたんだって」

 

トレーナーさん曰く、あの時のアタシの目は正直ヤバかったそうだ。腹を空かせた狼のように、相手の首筋に噛みつくことだけを考えてる。次こそは絶対に殺ると、そういう決意に満ち溢れた闘争本能と殺意に溢れたギラギラした目

 

「…それって誉めてるの?」

 

「まぁ、これだけ聞くとヤバイよね?

…でもトレーナーさんは最後に言ってたんだ」

 

そんな目をした奴は、絶対に自分の狙った獲物を逃さない。血反吐はいて泥水すすろうと、自分に対して嘘だけはつかない。どんなに苦しくても、自分の目指すものだけは絶対に諦めない。そんな自分の夢に対する並々ならぬ覚悟を称えた目に惚れたんだ、ってトレーナーさんは言ってたんだ。

 

「…正直な話、女の子に話す内容じゃないよね?でも、トレーナーさんがそう言ってくれたから、アタシは頑張れた。アタシが夢を見ることをあの人は肯定してくれた。だから、アタシはもうちょっとだけ走ってみようって思ったんだ」

 

そう言うとマヤノは私に聞いてくる。

 

「へえ~、じゃあトレーナーさんがネイチャちゃんの走る理由なの?」

 

だから私は答える

 

「…ちょっと違うね。あたしの走る理由は…

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頑張れぇ!ネイチャちゃん!!」

 

「もうちょっとだよ!ネイチャちゃん!!」

 

「大丈夫だぁ!俺達がついてる!!」

 

「…!!」

 

気が付くと、マヤノの他にも観客席には沢山の人達がいた。レース場の一角を埋めるその人達は、アタシの家族だけでなく、商店街のおじさんやおばさん、そしてトレセン学園の下町のおじさんやおばさん、他にも、他にも沢山の人達がいた。そして、そんな沢山の人達がアタシのことを一生懸命に応援してくれている。

 

…そう、それはまさしくアタシが今まで頑張ってきた集大成。今までの人生の中でアタシと出会い、そして応援してくれるようになった人達が皆そこにいて…

 

「…ぁ」

 

そして最後に目に入ったトレーナーさん、こんなアタシのことを信じ、ここまで付き合ってくれたアタシのトレーナーさんが、

 

「…!!」

 

いつもと同じ、アタシの勝利を微塵も疑っていないような目で見るものだから…

 

 

 

 

 

 

「…アタシ」

 

…燃え尽きたはずだった

 

「…アタシは」

 

…諦めるはずだった

 

「…………………アタシは!!」

 

…だけど!!

 

 

 

 

「勝つんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」

 

絶叫と共に大地を踏みしめる。

 

「あっ、1番ナイスネイチャ選手!僅かに空いた距離を詰め、今トウカイテイオー選手と並びました!!」

 

「…なっ!?」

 

実況により盛り上がる客席の熱狂も、隣で驚くテイオーの驚愕も、今のアタシには何の関係もない。ただアタシは走る。

 

もう、アタシには何も残ってない。ゴールまで走りきるだけのスタミナも、土壇場で覚醒することができるだけの才能も。アタシにはもうホントに何もない。だけど!!

 

再び大地を踏みしめる。

足よ砕けろ!

そんな覚悟で踏み込んだ大地は、その表面を見事に陥没させながらも、力強くアタシを押し出してくれる。

 

「…く!?」

 

隣でテイオーが慌てたように加速する。だが!

 

「うおおおおおおおおおっっっ!!!」

 

知らない!そんなこと知ったことではない!!ただただ、アタシはがむしゃらに走り続ける!

 

そうだ!アタシには何にもない!マヤノのような天才的な直感も、テイオーのような溢れんばかりのレースの才能も、アタシには存在しない!

アタシは本当に普通の、どこにでもいるウマ娘だ!だけど!!

 

足が痛い、胸が痛い、頭が痛い、腕が痛い。辛くないところなんてどこにもないし、体中が痛くて痛くてたまらない。だけどアタシはそれでも前を向く。ゴールの先、大切な人達を見つめ続ける。

 

そうだ!それでもアタシには応援してくれる人がいる!こんなアタシのことを大切に思ってくれる人達がいる!だったら!

 

(気合いでも根性でも何でも良い!)

 

だったら!その人達のためにも!自分に残ったもの全部かき集めてでも!

走りきらなきゃ嘘じゃないか!!

 

「さぁ、いよいよゴールが近づいてきましたが、両者横並びで一歩も譲りません!これは一対どうなってしまうのでしょうか!!」

 

不意に実況の声が遠くなる。自分が今どうやって走ってるのかさえ分からない。本日二回目のゾーンに入ったアタシはしかし、あまりにもレースに集中し過ぎて、逆に自分の感覚を知覚できない。

 

だが、それでもアタシは前に進む。ボロボロの肺で息を吸い込み、ズタズタの足を一歩踏み出す。

 

時間感覚も曖昧だ。あれから一秒たったのか、それとも一年たったのかすら、アタシには分からない。ただ、それでもアタシは足を前に出す。

 

そうだ、例えこれから100万光年の先にゴールがあったとしても、アタシは変わらず足を前に出す。進み続けてみせる!

 

なぜなら、アタシの走る理由は――…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…気が付けば、アタシはゴールしていた。極限まで体を酷使したせいか、座り込むことや寝転ぶことはおろか、その場から一歩も動くことができない。ただ、その場に佇むことしかできない。

 

「...」

 

故に不思議で仕方がなかった。もう終わってしまったのかと。現実感というものが皆無だった。だから、アタシはバカみたいにその場に立ちすくみ、辺りを見回す。

 

するとふと、これまで一着争いをしていたトウカイテイオーが、隣で芝に寝っ転がっているのを見つける。彼女は腕で顔を覆っているため、表情は読めない。だからアタシには、彼女が泣いていることくらいしか分からない。

 

そう、アタシにはこの時なぜテイオーが泣いているのか、それが分からなかった。だからこそ、何となく上を見上げたアタシは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………ぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして掲示板に記された自分の名前の横に記された文字を見て…

 

「あぁ…そっか…」

 

全てを悟る。それが今年の有マ記念の結末。アタシのこれまでの努力の集大成。掲示板に書かれていた数字はつまり…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「1着ナイスネイチャ!ナイスネイチャ選手です!

ついに、ついにナイスネイチャ選手が初めてのG1の王冠を!年末最後の冠をその手に掴みました!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場が一気に沸き立ち、熱狂に包まれる。

 

それはあの雨の日、アタシではなくテイオーが浴びていたもの、いやそれ以上のものであり…

 

(あぁ…)

 

だからこそ、アタシは気が抜けて膝から崩れ落ちる。そして空を見上げる。その空は、どこまでも、どこまでも青く、青く晴れ渡っていて…

 

…その日、アタシは遂に因縁のライバルに、初めての勝利を収めたのだった。

 




少女は走った。傷ついても傷ついても、それでも走り続けた。



…そして遂に、彼女は天蓋へと至る。
羽を持たない少女は、それでも執念だけで空へと至ったのだ。



それを見た別の少女は、そこに何を思うのか…
次回後日談を挟んでから、第三部開幕です。




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第三部 マヤノトップガン 天皇賞(春)編
旅人と皇帝


実はこのシーン書くためだけに中山競馬場まで行ってきたんですが、
コロナで予約している人以外は入れなかったので、泣く泣く退散しました。


おのれ〇ィケイドォォォ!!(逆恨み)


正門のゲートの前には生徒会長がいた。

 

「ふむ、もう良いのかね。せっかくの友達の晴れ舞台だろうに」

 

「…ルドルフ会長?」

 

今はウイニングライブの真っ最中。だから会場から出ても誰もいないだろうって思ってたのに、思いもよらない人と出会ってしまった。

 

「…どうしてここに?」

 

「別におかしなことでもないだろう?私はトレセン学園の生徒会長だ。

故に、できる限りその生徒達の活躍は生で見ておきたいと思っている。まぁ、もちろんそうは言っても全部見るのは無理だが、それでも最低G1くらいはなんとか見れるように努力していてね。今日もその一貫だよ。」

 

「…はぁ」

 

なんて言葉を交わすけど、流石に相手が予想外過ぎて、話題が続かない。だから必然的にその場に満ちるのは沈黙。コンクリートの床は、その冷たさと同じくらい強固に静けさを保っていて、クリスマスのイルミネーションで飾られた正門は、薄闇の中でもぼんやりと明るい。遠くからわずかに聞こえる、いまだに熱狂が冷めないライブ会場の歓声が、その場の静けさを余計に際立たせているようにも思えた。

 

「それで」

 

そんな静けさを破るように、会長はマヤに問いかける。

 

「もう一度同じことを聞くようだが…良いのかね?最後まで見ていかなくても。」

 

会長がさっきと同じ質問をする。

…何を?…なんていうのは流石に野暮かなってマヤも思うけど、まぁ言いたいことは分かる。

 

ワアアアアアァァァァッッッ!!

 

後ろからまた歓声が上がる。今マヤが抜け出してきた会場では、まだネイチャちゃんが頑張っているみたいだ。

ウイニングライブ。レースの勝者のみがセンターに上がることができるそれは、マヤ達ウマ娘の憧れであり、同時にレースと同じくらい大事な時間。そして、そんなウイニングライブの今日の主役は、この有馬記念を制したネイチャちゃんだ。

 

「マヤノトップガン、君は彼女の友人だろう。最後まで見てあげてはどうだね?その方が彼女も喜ぶと思うのだが」

 

だからこそ会長の言ってることも分かる。別にマヤだってネイチャちゃんが勝ったことを喜んでいないわけじゃない。むしろ、あんなに頑張ってたネイチャちゃんが、やっと望んだものを手に入れることが出来たんだ。マヤも心からお祝いしたいって思ってる。だからさっきまでマヤもウイニングライブを見てたんだけど…

 

「…ううん、もうこの場所にマヤがいる意味はないよ、会長」

 

「ほう?」

 

でもそうやってネイチャちゃんのライブを見てて、マヤは思ったんだ。

 

「あそこには今、たくさんの人達がいる。そして、そこにいる人達は皆ネイチャちゃんを応援してくれている。

だったら、わざわざマヤが残ってる意味はないかなって」

 

そう、今行われている有馬記念のウイニングライブ。そこにはネイチャちゃんが今まで走ってきた中で、彼女の走りに惹かれ、応援してきたすべての人達が集まっている。

それはネイチャちゃんのトレーナーさんや家族はもちろん、彼女の実家のバーの常連客や、トレセン学園の下町の商店街の人々、遠征先で仲良くなった人々や、これまで彼女を応援し続けたファンの皆、その全てが今あそこにいる。そして、そんな全ての人達と一緒にネイチャちゃんは今、生涯最高のキラキラを共有している。それはまさに彼女の今まで歩んできた証そのもの。幾度もの苦難と試練を乗り越え、今この場にたどり着いた、彼女の生きざまそのものなのだ。だからこそ…

 

 

「…別にマヤはネイチャちゃんが嫌いなわけじゃないよ?

ただ、マヤがあそこからいなくなっても、他の皆がマヤの分までネイチャちゃんの晴れ姿を見守ってくれるって話。

それならマヤが途中で抜けても大丈夫。

きっと今マヤがいなくても、ネイチャちゃんはこれまでで1番キラキラできるから…」

 

…だからこそ、マヤはそんなウイニングライブの会場から途中で抜け出してきた。

なるほど、確かに自分は彼女の友達だし、彼女が祝ってほしい人達の中に確実に自分も入っているのは分かってる。

事実、マヤも本心から祝福したいと思ってるけど…それでもやはり、今回の主役はネイチャちゃんなのだ。ならその勝利の喜びは、いつも近くにいる友達よりも、これまで純粋に彼女を応援してきた人達に譲るべきだろう、そう思うのだ。

 

それに、今ここにいる人達に比べて、マヤはまたネイチャちゃんに直接会う機会はいくらでもある。そして、直接その時にお祝いを言うこともできる。それなら、別に今という時に拘る必要はない。

 

もちろん、ウマ娘にとって最高の晴れ舞台であることは分かっているから途中まではマヤもちゃんと見ていたんだけど…そういうわけで、マヤは途中で抜け出すことにしたのだ。

 

それに…

 

「…それにね、会長。マヤわか・・っちゃったんだ」

 

真っ直ぐ会長の目を見てマヤは言う。会長は何も言わないけど、目で続きを促してくる。

 

「あのレースと、そしてライブを見て、ようやくマヤもわか・・ったんだ。マヤが今まで何のために走ってきたのか、マヤがこれから何のために走らなきゃいけないのか。そして…」

 

イルミネーションが静かに光る正門の前の空間にいるのは、今はマヤと会長の二人だけだ。だからこそ、必然的にそこは閑散としていて寂しい場所なのだが、目の前に立つ会長の存在感はそんな場所であっても微塵も揺るがない。それこそまるで、荒涼とした野原の真ん中に佇む広大で頑強な門のようだ。

 

汝、証を見せよ。然らずばここは通さぬ。

 

そんな確たる意志を持って目の前に立っている会長の目を真っ直ぐ見つめて、マヤは言った。

 

「…今、マヤが何をしなければならないのか、それがわか・・ったの。だからお願い会長、そこを退いて」

 

「…」

 

ワアアアアアァァァァッッッ!!

 

またも歓声が上がる。会場の熱狂までは流石にここまで届かないが、それでも声だけは届く辺り、本当にライブが盛り上がってるのは分かる。

 

ネイチャちゃん、恥ずかしがりすぎて爆発してなきゃ良いけど…

そんな思考がふと脳裏をよぎる。

…ネイチャちゃんは強いウマ娘だ。でも、それをネイチャちゃん本人は頑なに認めようとしないから、ネイチャちゃんはいつも自己評価が低い。だから、ちょっと誉められただけでも彼女は顔を真っ赤にして全力で否定してくる。

それを考えると、目の前の何万人という観客からエールを送られているであろうネイチャちゃんは、今頃どうなっているのかな…なんて考えた時だった。

 

「…なるほど」

 

ポツリと呟くと

 

「わかった。ならば行くが良い」

 

そう言うと会長はすっと脇により、道を開ける。

 

「…いいの?」

 

「良いも何も、ここは天下の公道だ。別に私の私有地でもなんでもない。故に私が君の通行の邪魔をして良い理由など、もとからない。それに…」

 

そこで、会長はフッと微笑む。

それは、現れてから今に至るまで、一切の感情の色をマヤに見せなかった会長が始めてマヤに見せた笑顔で…

 

「今の君なら、きっと大丈夫だ」

 

「…!!」

 

会長の前を通りすぎ、正門のゲートを潜り抜ける。ここを抜ければ後は走るだけだ。だけどその前に、マヤは一度だけ振り返ると

 

「会長…ありがとう!」

 

「あぁ、健闘を祈ろう」

 

佇む会長に頭を下げると、今度こそ外に向かって駆け出していく…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

シンボリルドルフside

 

「…これで良かったんですか?会長…」

 

マヤノトップガンが出ていくのを見つめていると、後ろから声がした。

だから私は振り返ってその声の主の問いに答える。

 

「あぁ、これで良かったんだよ。エアグルーヴ」

 

「…」

 

そう言うと声の主、生徒会副会長のエアグルーヴは何とも言えない表情を浮かべ、私と同じようにマヤノトップガンが去っていった方向を見つめる。外はもうすっかり暗くなっている。

したがって、とっくに寮の門限も過ぎているが…まぁ、流石にこういう時に外出届を出していないということはないだろう。とすると、後は無事に帰り付くことを祈るのみだ。

 

「…正直、私は彼女が心配です」

 

私がぼんやりと彼女のことを考えていると、エアグルーヴがぽつりと呟く。

 

「…確かに、彼女とトレーナーのケースは珍しいものです。

トレセン学園ではトレーナーとウマ娘の契約破棄はそれなりにあることですが、それでも流石にどちらかの死別という形でのものは滅多にありません」

 

それはそうだ。トレセン学園は日本一のウマ娘の名門にして、同時に日本屈指の伏魔殿。故に、そこで行われるウマ娘達の生存競争は熾烈を極めるものであり、途中で脱落する者も多い。

そしてこの場合、当然その脱落者はレースに勝てないものであり、それは例えトレーナーが付いていても変わらない。故に途中で心が折れ、自らトレーナーに引退と契約破棄を提案する子は毎年一定数存在する。

また、トレーナーの方にしても一身上の都合などによりやむを得ず契約破棄に至るケースもそれなりに存在する。それらを考慮すれば、ウマ娘とトレーナーの契約破棄というのは、そう簡単に行えるものではないが、実は全体として見れば珍しいものでもないのだ。

だが、それでもその契約がどちらかの死亡により破棄されることは滅多にない。だからこそ…

 

「ですから、それにより彼女が部屋から出てこなくなったと聞いた時も、驚きはなかったというのが私の感想です。

むしろ同情しました。

まだ精神的に幼いところがみられる子だっただけに衝撃は大きかったでしょうし、彼女は件のトレーナーにかなり懐いていたそうでしたから、なおさらです。

 

…ですが」

 

そこで彼女は一度口ごもると、また話し出した。

 

「…だからこそ、心配です。

正直私は普段は彼女と関わりがあまりないので、彼女を深いところまで理解できているかと聞かれると、疑問が残ります。

ですが、以前ブライアンが彼女にレースを挑んだ時の状態はひどいものでしたし、最近はようやく外に出ることが出きるようになったとはいえ、彼女の知り合いからは、彼女から以前ほどレースへの情熱が感じられなくなっていると聞きました」

 

そして心配そうな顔をして私にエアグルーヴは問う。

 

「本当に我々は彼女を行かせて良かったのでしょうか…

ともすれば最悪…」

 

「いや、彼女は大丈夫だよ。エアグルーヴ」

 

彼女はもう二度と走ろうとしなくなるのでは…

 

そう言いかけたエアグルーヴを私は遮る。

 

「さっきの目を見たかい?あれは自分の道を見つけた者の目だよ。あれならきっと彼女は大丈夫だ」

 

そう、確かに最初彼女に言ったことは本当だ。

我々はトウカイテイオーやナイスネイチャ、彼らのようなトレセン学園の生徒達の戦いを見るためにこの中山を訪れ、そして偶然彼女を見つけた。

だから我々は彼女を観察していたのだ。トレーナーを亡くし、走る理由もなくした不安定なマヤノトップガン、彼女と直接話し、その現状を確かめるために。もっとも…

 

(あれなら大丈夫だな)

 

と密かに嘆息する。

あぁ、もっとも私が声をかけた時、彼女はすでに何かを決意していたように思えた。そしてそれは、後ろ向きなものではなく前向きなものであり、故に前に踏み出すことを決めた挑戦者の目を彼女はしていた。だから私は彼女を信じる。信じられる。

 

それに…

 

「それにな、エアグルーヴ。あの子はかつて、ブライアンを救ったんだ。私でさえも救えなかった、あのブライアンを」

 

そう、それがもう一つの理由。あの子はかつて、自身の限界を悟ってレースの世界から去ろうとしたナリタブライアンを、その純粋さと走りで救ったことがある。何度私が説得しても、考えを変えることが出来なかったブライアンを、彼女はいとも容易く救ってしまったのだ。私はそれを覚えている。だから…

 

「例え翼を失っても、イカロスにはまだ足がある。地平線の彼方にある太陽に向かって、歩き続けることができる足がね。ならば…」

 

私もまた、マヤノトップガンが通っていったゲートをくぐり、正門の外に出る。12月の空気は冷えきっており、骨の髄まで染み入るような寒さが私を襲う。だが、見上げた広大な夜空には星が輝いている。ひとつひとつは小さくても、それが無数に浮かぶその空は、まさに星の海といった言葉が相応しいもので…

 

「信じよう。彼女もまた、歩き続けられることを。

なに、かつてあの子はブライアンを救ったんだ。そして、それが出来る子だから、ブライアンは彼女に惹かれたんだ。ならばそんな彼女がこのまま起き上がらないなんてことがあるはずがないだろう?」

 

私は詠う。満天の星空の下、翼を失い地に落ちた、かつての勇者の復活の預言を朗々と寿ぐ。

 

…そうだ皇帝とはすなわち王の中の王。そして、王とは古来より神から王権を託された者をさす言葉。それならば、皇帝と呼ばれる私の言葉は、神より授かった神聖なる預言の言葉でなくて何であろう。そして神の言葉、すなわち福音の役割は…

 

「自分を幸せに出来ない者に、人を幸せにすることは出来ない。

ならば逆説的に、人を幸せにすることができる者は、自分をも幸せにすることができるという言説が成り立つはずだ。であれば…」

 

冬の空はどこまでも、どこまでも透き通っていて…

 

「君ならもう一度立ち上がれるよ、マヤノトップガン。

心配するな。ダイダロスだって相当しつこく生き続けたんだ。ならば、息子のイカロスもそうでない道理はないだろう?」

 

ピークを迎えたウイニングライブの歓声が、そんな空に吸い込まれていったのだった…

 

 




ちなみにとある事情のため、
この世界のエアグルーヴとマヤちゃんにはほとんど面識がありません。

理由は…直接描写することはありませんが、そのうち分かると思います。
まぁ勘の良い方はもうお気づきだと思いますがね…

それから、そこ!ルドルフ会長のことを黙示録の偽預言者みたいとか言っちゃダメ!
(実は作者もちょっと思ったけど)せっかく頼れる皇帝として頑張ってくれてるんだから、ちゃんと肯定・・してあげないと…

あっ…










エアグルーヴのやる気が下がった!!









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もう一度


少女は走り出す。

その瞳にもう迷いはない。



 

 

走る 走る 走る

 

静まり返った夜の町。凍えるような空気を切って、マヤは道路を走る

 

(…速く)

 

幸いにも道路を走る車は少ない。忘れていたけど、今日はクリスマス。年に一度の救世主の誕生日を、皆で祝っているところなのかな。

それで外を出歩く車が少ないんだとしたら、この世界は随分と平和なんだな、っていう取り留めもない思考が、瞬く間に後ろに流れていく。

 

(…もっと速く)

 

吐く息が白い…

暗く静まり返った闇の中、それだけがマヤの回りに色づく唯一の色彩。

しかし、どのみち後ろに流れて見れないのなら、そこにないのと同じって言っても良いかもしれない。

 

(…マヤは!!)

 

そのとき信号が赤になった。いくらウマ娘専用レーンを使っているとはいえ、それは道路交通法を無視できる訳ではない。慌てて交差点の線ギリギリで止まると、横合いから車やウマ娘が駆けていく。

 

(う~…早く青になれ早く青になれ早く青になれ…)

 

足踏みしながら信号が変わるのを待つ。しかし、信号は一向に変わらない。ノロノロと横合いから車が出てくるだけだ。

 

(早く青になれ早く青になれ早く青になれ…)

 

必死で念じるけど、やっぱり青にならない。それどころか、走るのを一時的にでも止めたことで、体が寒くなってきた。

 

(早く青になれ早く青になれ早く青に…)

 

体が震える。確かにウマ娘は普通の人間よりも丈夫だから、これで風邪をひくことはないだろうけど、それでも寒いものは寒い。だから、必死に祈っていると…

 

(…!青!!)

 

文字通り光の速さで目に写った信号機の色を認識した瞬間、足を大きく踏み込み…

 

ダンッ!!

 

「うわっ!姉ちゃんあぶねぇぞぉっ!!」

 

「あっ!ごめんなさーい!!」

 

一陣の風になる。途中で横断歩道の前でぼーっとしていたおじさんを驚かせて怒られちゃったけど…

謝りながらも足を止めない。走り続ける。

 

駆けて、駆けて、駆け抜ける。

 

そうして走っている内に思い浮かぶのは、やっぱり以前ネイチャちゃんが話していたことで…

 

(…)

 

ふと周りを見ると、雪が降り始めている。ホワイトクリスマス…そんなことを考えている内にも、その勢いはどんどん増していく。

 

だからかな、軽く思い出した程度だったあの日の情景が、吹き荒れる白いスクリーンに具体的な像を伴って浮かんでくる。それは、あの日の最後の会話。ネイチャちゃんとお出かけに行った時の記憶の最後の断片で…

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

…あたしの走る理由はね、振り返った時に自分で自分を認めることができるようになるため。つまるところ、自分で自分に納得するため、そういうことだね」

 

そう言いきったネイチャちゃんを前にして、マヤは何も言えない。って言うのも…

 

「あはは、正直に言って良いよ?意外だって」

 

「えっと…」

 

「まぁ、そりゃそうだよね。今の話の流れなら、トレーナーさんや応援してくれる人達のためっていう答えになるのが当然だよね?」

 

反論しようとするが、図星なだけにぐうの音も出ない。

そうなのだ。正直ネイチャちゃんの口からこういう系統の理由が出てくるのは本当に意外だった。

何故なら、ネイチャちゃんはすごく面倒見が良くて愛嬌がある子だ。だからこそ、皆に好かれるし、現にレースの時にもトレセンの下町のおじちゃんやおばちゃんとかみたいな近所の方々が沢山来る。そして、そんな人達への感謝を忘れずに走る姿を見てきたからこそ、てっきりそんな人達の期待に応えることこそが、彼女の走る理由だと、マヤは思っていたのだ。

 

だからこそ

 

「…違うの?」

 

そう聞かざるを得ない。

確かに本来人が何を心のなかで思おうと自由だし、それはウマ娘の走る理由にしてもそう。そういうものは、本来外野が口を出すようなことではない。

しかし、ことネイチャちゃんに至ってはそうも思えない。彼女には、自分で言ったように彼女のことを心から信じ、見守ってくれるトレーナーさんがいる。そして、そんな彼女のことを精一杯応援してくれる人達が沢山いる。

無論状況だけなら、これは別のウマ娘達にも当てはまることではあるんだけど、特にネイチャちゃんの場合は、そういった人達との距離が非常に近い。なんなら、普段から彼女と関わりがあるトレセン学園の下町の人々など、彼女のことを娘や孫みたいな感覚で応援しているんだと思う。

それを考えれば、彼女の走る理由というのは少し自分本意な気がする。もちろん、理由自体は問題ない。そういう理由があっても良いと思う。だけど…

 

「…トレーナーさんや、商店街の人達のこと…」

 

どう思ってるの?…なんて言葉は最後まで続けられなかったけど、つまりはそういうこと。

あんなにも沢山の人に応援してもらってるのに、その人達に対する気持ちはないの?

ううん、感謝してるのは知ってる。でも、それにしてもそんなあの人達に対して、その理由は淡白すぎはしないだろうか?そう思わざるを得ない。だから…

 

「…これ以上なく大切に思ってるからこそ、だよ。マヤノ」

 

そんなマヤの問いの言葉を引き取るような形で、ネイチャちゃんは静かに語り始める。

 

「アタシがトレセン学園に入った理由ってね。キラキラしたかったからなんだ。レース場やテレビで見るウマ娘達、そこで走ってる子達は皆、昔のアタシにはキラキラ輝いて見えて…だからアタシもそうなりたかった。物語の主人公達みたいに、とびっきりキラキラしたウマ娘になりたい、そういう夢を抱いてアタシはここに来たんだ」

 

そう語るネイチャちゃんだが、不意に視線を落とす。

 

「でも現実は残酷だった。地元ではそれなりに名前が知られていたアタシだったけど、ここではそんなものは一切通用しない。どれだけ頑張っても1番になれない…

当然だよね。ここは中央トレセン学園、日本一のウマ娘の名門なんだ。地元でブイブイ言わせていた程度のアタシなんかじゃ、そう簡単には上に上がれない」

 

そう、別に珍しい話ではない。何故なら地方と中央では集団のレベルが違う。かたやピンからキリまで玉石混合なのに対して、中央はそんな全国に散らばる玉の中から、更に選りすぐられた上澄みの中の上澄みの集団。故に、中央の競争率は非常に高く、それで心を折られるウマ娘達は毎年何人もいる。

 

「だからアタシは折れそうになった。そして、ギリギリのところでそんなアタシをトレーナーさんが救ってくれた。これはさっき話した通りだね」

 

そう言うと、ネイチャちゃんは目の前のチーズケーキにフォークを突き刺し、口に運ぶ。

彼女がチーズケーキを咀嚼している少しの間、マヤ達の間に沈黙が満ちる。

そして、ケーキを飲み込んだネイチャちゃんは、また話し出した。

 

「だからこそ、アタシは思ったんだ。強くならないといけないって。

自分で自分を誇れるように、正確にはアタシを応援してくれる皆が、アタシのことを胸を張ってすごい子なんだって言うに足る、そんなキラキラしたウマ娘にならなきゃいけないって」

 

「...」

 

「知ってると思うけど、アタシは沢山の人に応援してもらってる。それこそ親兄弟、トレーナーさんはもちろん、アタシの実家のバーの常連さん達や、トレセン学園の下町の商店街の人々、遠征に行った時に仲良くなった地方の人々。その他にも沢山の人達がアタシのことを応援してくれている」

 

指先でフォークをつつきながら、彼女は続ける。

 

「だからこそ、アタシはそんな彼らが胸を張って、この子は凄い、自分達が応援するだけのすごい価値があるんだ、って思わせられるようなウマ娘になりたいって思うんだ。そう…」

 

そこでネイチャちゃんは、マヤの目を真っ直ぐに見て言う

 

「皆が応援してくれるから頑張れるんじゃない。そんな皆に感謝してるから、心の底からのそれを皆に届けたいから、アタシは頑張る。

間違えないで欲しいんだけど、他ならぬアタシ自身が皆の誇りになりたいと思うからこそ、アタシはそんな自分になるために、皆が自慢できる最高にキラキラしたウマ娘になれたって、自分で認めることができるようになるために走るんだ」

 

「…ネイチャちゃん」

 

がしかし、ネイチャちゃんはマヤのことをじとっとした目で見つめる。

 

「大体、アタシ最初にも言ったよね?アタシはみんなの期待に応えるために走るんだって。厳密にはそれは違うけど、概略としてはアタシの走る理由はそういうことなんだよ?それをトレーナーさんや他のみんなのことどう思ってるかとか…

アタシがそんな恩知らずな人間に見えるのかな?マヤノには?」

 

「うぅ、それは…」

 

そう言われると弱い。マヤは慌ててネイチャちゃんから目をそらすが、流石に気まずくてもう一度合わせる気にはなれない。

…と

 

「はぁ~…ほらマヤノ、こっち向いて」

 

ネイチャちゃんの声におずおずと顔をあげると

 

「そんな悪いマヤノにはこうだ!」

 

「んむっ!?」

 

いきなり口に何かを突っ込まれる。

慌ててネイチャちゃんを見ると、ニヤニヤしながらフォークに何かを突き刺して、マヤの口に突っ込んでいる。そしてテーブルを見ると、マヤの頼んだイチゴのタルトがなくなっている。

 

「うりうり~。早く自分で食べないと、もっと奥まで突っ込んじゃうよ~」

 

「んっ!んむむっ!!」

 

慌ててマヤが身をひくと、案外あっさりネイチャちゃんもフォークを引いてくれたので、しばらくは口の中のタルトの咀嚼に集中する。

…美味しい。イチゴの甘さと中のカスタードクリームの甘さが絶妙に噛み合っている。そして、その下にあるクッキー生地のサクサク感が堪らない。

そうして口の中のタルトを良く噛んでから飲み込むと、マヤはネイチャちゃんに文句を言う。

 

「な、なにするの!?ネイチャちゃん!!」

 

「あはは、いや~慌てるマヤノが可愛くてつい、ね。ゴメンゴメン」

 

そう言いながら、ネイチャちゃんは自分のコーヒーに口をつけて笑う。

 

「でも、落ち着いたでしょ?」

 

「…」

 

そしてネイチャちゃんは、コーヒーカップをテーブルに置くと、マヤにもう一度真摯な顔で向き直る。

 

「それで話の続きなんだけど、こういう感じで、アタシはアタシのなりたいものになるために走る。これがアタシの走る理由」

 

「…」

 

「でもね、アタシも最初からこんな理由で走ってた訳じゃない。一番最初はさっきも言った通りキラキラしたいって理由だったし、素直に自分を応援してくれる人達の期待に応えたいっていう理由だったこともある。まぁ、これに関しては今でも同じことは思ってるけど、それでも今のアタシにとって、みんなの期待は応えるものじゃない。越えるものだよ。

 

つまり何が言いたいかって言うとね」

 

そこでネイチャちゃんは一度言葉を切ると、言った。

 

「マヤノ。変わっても良いんだよ、走る理由なんて。いやむしろ、変わるものなんだよ」

 

「…!」

 

「アタシは幸いにもまだトレーナーさんが一緒にいてくれる。あの人を亡くす経験なんてしていない。だから、マヤノの悲しみや苦しみを真にわかってあげられるなんて、絶対に言えないし、言っちゃいけない。

 

それでも、あまりこんな言い方はしたくないけど、アタシには、天才のあんたが足掻いたレースの泥沼よりも、遥かに深く暗いレースの泥沼で足掻いてきたという自負がある。その上で言わせてもらうなら…」

 

そう言ってネイチャちゃんは静かにマヤを見る

 

「マヤノ、アタシ達は進むしかないんだ。

どんなに傷つき、どんなに泣いても、それでも現実は待ってくれない。そして、それは別にウマ娘だけに限った話じゃない。

アタシ達はね、生きてる限りは生きなきゃいけないの。だから…」

 

そこでふっとネイチャちゃんは微笑む

 

「だから、マヤノ。

良いんだよ、変わっても。

 

確かにアタシ達は、生きている限りは変わり続けるし、変わり続けなきゃいけない。

それは仕方がないことで、誰も止められないこと。

 

だけど、だからといってそれは本質が変わる訳じゃない。1週間後も1年後も、そして100年後も、生きている限りはアタシはアタシだし、マヤノもマヤノだよ。だからね」

 

そう言うと

 

「確かにあんたのトレーナーさんはもういない。だから、これまでのあんたの走る理由はなくなってしまったのかもしれない。

 

でもあんたが走っている限り、トレーナーさんがあんたに教えてくれたことは、あんたの走りの中にある。なら、もしあんたの走る理由が変わったとしても、あんたのトレーナーさんはそこにいる。マヤノの中にずっといるんだよ」

 

「…マヤの…中に」

 

「そして、今まで走ってきた理由を変えることは、過去を捨てることなんかじゃない。今を掴み、未来に行くためのものなんだよ。ならさ…」

 

ネイチャちゃんはニッと笑った。

 

「マヤノが走り続ける限り、あんたのトレーナーさんは今、そして未来でも、ずっとマヤノの側にいる。そう思わない?」

 

 

・・・・・・

 

走り続けてどのくらいたっただろうか?やっと見えてきた寮の扉に思いっきり突撃する。

 

「たっだいまーーー!!」

 

ドアを蹴りとばす勢いで開けると共に、一応帰宅したことを告げるために大声を出す。

近くにいたウマ娘達がビクッとするけど、関係ない!

 

「…!

あ、あぁ君かマヤノ。おかえり。

時間も遅いんだから、あまり大きな声は…」

 

「あっ、フジ先輩!ただいま!!

マヤちょっとやらなきゃいけないことがあるから、もう行くね!!」

 

「えっ?あ!ちょ、ちょっと!!」

 

奥からフジ先輩が出迎えてくれるけど、今は一瞬一秒が惜しい。最低限の挨拶だけ済ませて、マヤは一気に階段を駆け上がる。

 

(…あと…すこし!)

 

目的の階に着いたマヤは早速お目当ての部屋の前に立ち、ドアをノックする。だが、返事はない。鍵もかかったままだ。もしかしたら誰もいないの?そう思ったときだった

 

「…!」

 

わずかに、だけど確実に部屋の中から気配がした。しかも恐らくは今部屋の中にいるのはその人物だけ。それなら迷うことはない。

 

ふいに脳裏を赤い勝負服を纏った葦毛の長身のウマ娘がよぎる

 

(逆に考えるんじゃ…鍵が閉まっているなら、開けてしまえば良い、との。ホッホッホッ!)

 

だから迷わずマヤは一旦ドアの前から離れる。そしてギリギリまで距離を開けた上で、猛ダッシュ。そこから跳躍しながら助走で貯めた加速力を最大に利用し…

 

(いっくよ~!これがゴールドシップちゃん直伝!!)

 

両足を伸ばして強烈なドロップキックをドアに叩きつける!すると、見事にドアは吹き飛び、無事に解錠が完了する。

 

(見事じゃ…お前さんに教えることはもう何もない…達者での…)

 

なんてサムズアップしながら消える、どこぞのゴルゴル星人の幻影を無視して、部屋の中に入ると…

 

「…久しぶりだね。ブライアンさん」

 

「マ、マヤノトップガン。お前…」

 

以前とは逆に、マヤの到来に驚くブライアンさんがいる。だから…

 

「…そんなブライアンさんに朗報だよ」

 

あの時と同じように、でも今度はマヤが

 

「ナリタブライアンさん、あなたに勝負を挑みに来たよ!」

 

ブライアンさん、最強のウマ娘の一人に挑戦状を叩きつけるのだった。

 

 

 




この話書いてから思ったんですが、中山競馬場から暫定トレセン学園までって電車で一時間半位かかりますよね?これを走って帰ったって、マヤちゃん相当頑張ってますよね…


まぁ、アニメ1期でスピカの方々がもっと走ってたと思うので、それに比べればまだマシな方ですし、現実的ですよね?




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見届ける者たち

※注意
今回のレースが何のレースかは、次の話で明示しますが、
それでも描写から感づく方はいるかと思います。

ですから先に謝罪しておきますが、
そのレースの一番人気の馬をナリタブライアンと交換しています。

そのとある馬のファンの方々には申し訳ありません。



それから、誤字報告をしてくださる皆さん、
いつも本当にありがとうございます。

作者も可能な限りチェックしているつもりなのですが、
それでも見落としがあるのは本当に申し訳ありません。

そんなこの小説ですが、
是非今後も読んでくださるとうれしいです。



 

 

ジリリリリリリリリリリリッ!!

 

…目を開ける

 

今が朝だということを認識すると共に、目覚まし時計を止める。

 

基本マヤは朝起きるのが苦手だ。だから、普段なら目覚ましを止めてもそのまま二度寝に持ち込むんだけど…

 

(…今日はそういうわけにもいかないよね)

 

そう思うと共に布団をはね除け、ベッドから立ち上がる。

 

ここは京都のとあるビジネスホテル。自分の部屋ではないから、当然同居人のテイオーちゃんもいない。

つまり、カーテンの隙間から差し込む朝日が、同室のテイオーちゃんの睡眠の邪魔になるということもない(もっとも、いつも朝早くから自主練しているテイオーちゃんが、マヤより遅く起きることなんて絶対ないけど)。

 

だからこそ、マヤはカーテンを一気に開け放つ。一瞬眩しさに目が眩んだものの、そこに広がるのは雲一つない青空。

日本晴れ。まさにその言葉通りの空をしばらく眺めていたマヤは、くるりと後ろを向く。するとテーブルの上に置いてあったカレンダー、4月27日と書かれたカレンダーに目が行く。それはとりもなおさず今日の日付であり、そして…

 

(…ブライアンさん)

 

それを見てマヤは少しだけ、数ヶ月前の彼女とのやり取りに思いを馳せるが、しかし途中でやめる。何故なら…

 

(…色々と迷惑かけてごめんね、ブライアンさん…だけど)

 

着替えを終え、荷物の準備も終えて、ドアの前に立つ。

扉とは、古来より境界を仕切るものだ。吸血鬼が招かれなければ家の敷居を跨ぐことが出来ないように、それそのものが内と外を区切る境界であると言っても良い。であるならば、ビジネスホテルの固く冷たい扉が、言葉通りの意味で、外の世界と部屋の中を隔てているというのも当然のことだ。

だからこそ、マヤはドアノブを捻る。閉じきった世界から、外の世界へと一歩踏み出す。そして…

 

(…マヤは勝つよ。ブライアンさん)

 

そう思いながら、マヤは光溢れる外の世界へと一歩を踏み出す。それは今日の戦い、マヤにとって自身の運命を定めるための最後の戦いもまた、今この瞬間から始まったということであり…

 

 

 

・・・・・・

 

 

「お~い!テイオー!こっちこっち~!!」

 

「ちょっ、ちょっと待ってよネイチャ~!」

 

恐ろしいまでの晴天の下、ごった返す人混みをかき分け、こちらにやって来たテイオーが、肩で息をしている。

 

「ぜぇっ、ぜぇっ」

 

「ちょっとなに息切れしてるのよ、テイオー。ずいぶんとまた大げさね?」

 

いつも生意気で、元気一杯のテイオーにしては珍しく弱っている様子だったから軽口を叩いてみたんだけど

 

「ぜぇっ、ネ、ネイチャこそ…

ぜぇっ、ど、どうしてそんなに平然としてるの…ぜぇっ、わ、ワケワカンナイヨー!」

 

などと言われたので、流石に困惑する。

 

「え?いやだって、別に長距離のレースをしてるわけでもないんだし、このくらい余裕でしょ?」

 

そう言うと

 

「この人混みを!一切止まらず!普通にすり抜けるネイチャがおかしいんだよ!」

 

とテイオーが言うので、アタシは周囲を見回す。確かに、周囲には本当にものすごい数の人がいる。それこそ東京の朝の通勤ラッシュに勝るとも劣らない状態で人々がすし詰めになっている。

 

そう、アタシ達は今京都競バ場にいる。

と言うのも、今日この場所で行われるレースにアタシとテイオーの共通の友人が二人も出場するからだ。

と言うわけで、ちょうど週末なのを良いことに、新幹線や電車を乗り継いで、アタシ達は泊りがけでここ京都の地にいると言うわけだ。

そして、いよいよ今日のレースのパドックが始まるということで、少しでも前の方に行こうと二人で人混みに飛び込んだ結果がこの有り様なのだが…

 

「まぁ、確かに物凄い人混みだけど…単に人が多いだけだし、殺意や憎悪が飛んでこないだけでも大分マシだよ。このくらい血で血を洗うあの商店街のバーゲンセールに比べたら全然…ね?」

 

「…ネイチャ、キミの言うバーゲンセールって、一体どこの魔界の一丁目のことなんだい?」 

 

テイオーが真顔で聞いてくるが、アタシは答えず、つーっと目線を反らして遠い目をする。そしてそんなアタシを見てテイオーが怯えているが…いや、本当にあれは、あの戦場に立ったことのある人間にしか分からないし、分かってはいけない。少なくとも、あんなラグナロクじみた地獄の戦場のことなんて、一般人が知る必要は一切ない。

 

…テイオー…世の中にはね、知らなくて良いこともたくさんあるんだよ?

 

…まぁ、それはともかく

 

「でもちょっと普段見ないくらいに人がたくさんいるってのはそうね。一体何人の人が今日のレースを見に来てるのかな?」

 

そう言ってアタシは再び、周りを見渡すが、人の数が多いのは変わらない。むしろ全体を見たことでいかに人が多いのかがより理解できる。

 

人 人 人

 

天候に恵まれた今日の京都競バ場には、それこそいちいち数えていたら人という文字がゲシュタルト崩壊しそうなほどの人数が詰めかけ、レースの開催をいまかいまかと心待ちにしている。

 

「どうだろうね?さっきそこに置いてあったリーフレットだと、ここって約12万人を収容出来るらしいんだけど…この様子じゃその倍くらいはいるかもね」

 

そして、やっと復活したらしいテイオーが言うように、その人数は並みのものではない。実際12万人が収容できるレース場がギッチギチに詰まってるなんて、流石にそうはないだろう。それは余程このレースに対する世間の関心が高いということであり…

 

「あ!ネイチャ、パドック始まるよ!!」

 

隣のテイオーの声で我に帰る。そして、アタシがパドックに目を向けると

 

「4番マヤノトップガン選手」

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

パドックの中央に進み出て、マヤノがポーズを決めている。その様子は特に気負うところのない自然なもので、笑顔で観客の人達に手を振っているところからも、精神的にも絶好調であるところがうかがえる。

 

「あっ!マヤノがこっちにも手を振ってるよ!お~い、マヤノ~!!」

 

「ちょっ!テイオー!恥ずかしいからそんな子供っぽいことしないでよ!」

 

そしてそんなマヤノに周囲を気にせず大声を出してマヤノに手を振るテイオーを、アタシは慌てて諌めるが

 

「おっ、出てきた!頑張れー、マヤノトップガン!!」

 

「応援してるぞー!!」

 

そんなテイオーの様子が気にならない位には周囲の人々も応援に熱が入っている。

そう、これが今日のレースに世間の注目が集まる理由の一。URAによって新設された、史上始めての試みであるURAファイナル。その初代女王にして、最近ほとんど表舞台に出てこなかったマヤノがようやく表に出てきたのだ。ウマ娘ファンなら絶対に見に来る。ましてや…

 

「8番ナリタブライアン選手」

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

そのウマ娘がパドックに現れた瞬間、マヤノの時に勝るとも劣らない歓声が爆発する。

 

「よっ、三冠ウマ娘!!」

 

「今日も良いレースを見せてくれよ!!」

 

そしてこれが理由そのニ。ミスターシービー、シンボリルドルフなどに次ぐ、最新の三冠ウマ娘ナリタブライアン。間違いなく最強のウマ娘の一人にして、同時に幾度もマヤノと激突を繰り返してきた終生のライバル。そんな世間でも有名な二人の、最高のライバル対決をしばらくぶりに観戦できるのだ、ウマ娘を知る人物ならこの対戦カードは絶対に外せない。

 

そしてそれに加えて…

 

「14番マーベラスサンデー選手」

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

「良いぞー!マーベラス!」

 

「今日もマーベラス(?)な走りを楽しみにしてるぞー!!」

 

その他の出場者にしても、かなりの精鋭ぞろい。錚々たる顔ぶれが集っており、その中でも特に最近調子の良いマーベラスが先の二人に次ぐ注目を集めている。

 

(なんと言うか、まぁ…)

 

そんな風に盛り上がるパドックを見ていると、流石にアタシでもため息が出てくる。そう、今日のレースはまさに、ウマ娘ファンにとって垂涎ものな対戦カードと選手達、それらを全部詰め込んだ、ファン必見の豪華欲張りセット。

だからこそ、今日のこの競バ場の熱狂も納得が出来る。今日のレースではすごいものが見られる、誰もがそう思うのも無理はない。が…

 

「…マヤノ大丈夫かな?」

 

隣でマーベラスにも手を振っていたテイオーがぽつりと呟く。

 

そう、それこそが問題なのだ。

マヤノはトレーナーさんが亡くなってからしばらくの間、レースから遠ざかっていた。そして、その最初の方は、練習どころか命に関わるレベルで体調を崩していたので、そのリハビリにより健康な体を取り戻すための時間が必要だったのだ。

 

無論彼女が今日までに練習をしていないわけではない。むしろ、これまで以上に熱心に、まるで何かを掴んだかのような強い意思を宿して彼女は今日までただひたすらにトレーニングを積み重ねてきた。それを他ならぬアタシはよく知っている。

だけど、そこに至るまでにあった衰弱期間とリハビリ期間が確実にそれらに割くための時間を削っている。有り体に言えば、同じぐらいの期間休んで復帰したウマ娘達よりも、実質的には練習時間が取れていないということなのだ。だからこそ…

 

(…)

 

アタシもテイオーに心配するなと安易に返すことが出来ない。

 

…誤解しないで欲しいのだが、アタシはマヤノのことを信じてる。

あの子はきっともう大丈夫。何故なら目が違う。トレーナーさんの死の悲しみに囚われ、光のない目をしていた時よりも、自分の走る理由を失い悩んでいたときよりも、ずっと生気に溢れた力強い目を、今のマヤノはしている。それこそ、何か偉業でも成し遂げてくれるのではないのか、そんな風に思うほどに今の彼女は気迫に満ち溢れている。だから、精神状態に関しては全く問題ないし、それこそ一皮向けて前よりも頼もしくなったとさえ思える。

 

それだけに、身体のコンディションが完璧でないのが悔やまれる。恐らくURAファイナルズ当時、いやそこまで行かなくても、最低でもブライアン先輩と死闘を繰り広げていた頃、そのくらいに身体が仕上がっていれば、マヤノはこのレースを圧勝できただろう。それは推測ではなく確信。そのくらいマヤノの精神的な成長は著しく、だからこそ…

 

(…マヤノ)

 

アタシは両手を握りしめる。

パドックを見る限り、今日のマヤノは絶好調だ。身体に無駄な力みがなく、ほどよい緊張感と気迫がその身体に漲っている。それはほとんど完璧、ないし理想に近いコンディションと言えるだろう。今のマヤノなら、自分の実力を100%フルに発揮することも不可能ではないだろう。

 

 だが、それだけでは足りない。仮にも今日のレースはG1クラスであり、集うウマ娘達も精鋭ぞろい。であるならば、その戦いは心技体の全てが満ち足りていなくてはならず、逆に言うとそのどれかが欠けているだけでも大きなディスアドバンテージを被ることになる。そして、その点マヤノの仕上がりは完全とは言えない。心と技は全く申し分ないが、体があと少し、ほんの少しだけ足りない。例え100%の実力を出すことが出来たとしても、力の絶対値に不足がある状態では、それは本来の全力を出せないということと同義である。故に…

 

 

 

 

「…その在り方を信じてはいるものの、彼女が潜在能力を十全に発揮しきれるかどうかが心配で安易な返答ができない、か。

成る程、確かに客観的かつ正確な分析だ。

流石といったところだね、ナイスネイチャ」

 

 

 

 

突然後ろから聞こえてきた声に驚き、慌てて後ろを振り向く。するとそこには…

 

「…ルドルフ会長!?」

 

「え!?カイチョーなんでこんなところにいるの!?」

 

アタシと一緒に振り向いたテイオーも驚いているが、アタシ達の周囲の人々も流石にざわついている。

 

そう、今アタシ達に後ろから話かけてきたこのルドルフ会長、シンボリルドルフ先輩は、今パドックにいるナリタブライアン先輩と同じ三冠ウマ娘であり、かつそれを無敗で成し遂げたという偉業を誇る、まさにウマ娘の中のウマ娘。

皇帝、七冠ウマ娘などとも呼ばれる彼女は、まさに生きる伝説のようなうま娘なのだ。そんな人がなぜここに、というアタシ達の思考を読んだのか、ルドルフ会長は苦笑しながら答えてくれる。

 

「何、深い意味はないよ。私はトレセン学園の生徒会長であり、それはつまりトレセン学園の生徒達全員の代表であると言っても良い。そして、それを名乗るためにはそんな生徒達のことを知っておかなければならないと思い、レースを見に来たというだけのことだよ。

流石に私とて全員のレースを見るのは不可能だが、それでもウマ娘にとって至上の価値を持つレース、最低でもG1はどうにか隙を見つけてこうして見に来ているのさ」

 

そうルドルフ会長は嘯く。

 

「そしてだからこそ、私は昨年の有馬記念も直接この目で見せてもらった。故に…」

 

そこで言葉を切り、ルドルフ会長は私に向き直ると微笑む

 

「おめでとう、ナイスネイチャ。素晴らしいレースだったよ、誇ると良い。君は我々が尊敬すべき立派なウマ娘だ」

 

「…!…あ、ありがとうございます…」

 

そう真っ正面から誉められたものだから、アタシも流石に少し照れてしまう。

まさかあのルドルフ会長がアタシのレースを見ていてくれて、しかも直接その祝福の言葉をかけてくれるなんて、と思うと歓喜と誇らしさで胸が一杯になる。

だからそれ以上何も言えなくなってしまったアタシの代わりに…

 

「…それで?そんなカイチョーはボク達になんのようなの?」

 

頬を膨らませて、いかにも不機嫌です、と言わんばかりのテイオーがルドルフ会長に問いかける。

…まぁ、確かにルドルフ会長が大好きなテイオーからしたら、自分が負けたレースのことで、大好きなルドルフ会長が自分以外のウマ娘のことを褒めているのだ。テイオーからしたら面白くはないだろう。

 

そんな膨れっ面なテイオーの若干の抗議交じりの質問に、またもルドルフ会長は苦笑しながら応えた。

 

「いや何、今日のレースのパドックを見物していたらたまたま君達が視界に入ってね。何やら興味深い話をしているようだったから、声をかけてみたということだ。驚かせてしまってすまなかったね」

 

「い、いえ!そんな滅相もない!!」

 

そう頭を下げるルドルフ会長に、アタシは慌てて手を振る。確かに彼女が話しかけてきたのには驚いたが、話を聞いてみれば至極まともな理由だったし、その上アタシなんか直々に先のレースの結果を褒められたのだ。そんな人を邪険にする理由など一切ない。それに…

 

「…それで、ルドルフ会長は今日のマヤノのことどう思いますか?」

 

「…ふむ」

 

アタシがそう聞くと、ルドルフ会長はそう呟くと、少し思案する。

そう、それにルドルフ会長がアタシ達の会話に興味を持って話しかけてきてくれたというのなら、是非とも彼女の意見も聞きたいというのが本音だ。今のマヤノが彼女にはどう見えるのか、それは果たして…

 

「…まぁ、概ね君が分析したものと同じだな。気迫は十分だし、経験も豊富。だが体が本調子でない以上、彼女にとって苦しい闘いになるということは誤魔化しようのない事実だろう。

だが…」

 

そこで彼女は一旦言葉を切ると、アタシ達を改めて見ると

 

「君達だって知ってるだろう?あの子が今日ここに至るまでにどれほど頑張ってきたのか、どんな思いで戦ってきたのか。

 

…ならば、我々がするべきことは一つだ」

 

そう言ってパドックが終わり、その場から去っていくマヤノの後ろを見ながら彼女は言った。

 

「祈ろう。彼女が全力を発揮してその不利を覆せることを。自らが出した答えが正しかったのだと、私達に最高の形で証明してくれることを。

 

…他の誰がどう言おうと、それを心の底から信じてあげることが出来る。それが友人というものではないのかね?」

 

気がつくと、あれほどいた周囲の人達はすでにほとんどいなくなっていた。それも当然のことで、今行われていたのはあくまでもパドック、今日のレースに出走するウマ娘達の御披露目に過ぎない。故にそれが終わった以上ここにいる意味はなく、後はレースが始まるのを観客席で待つのみ。だからこそ、多くの人はすでに移動を開始しており、この場にはすでに人がほとんど残っていない。

 

そして、ルドルフ会長の言葉を聞いたアタシとテイオーはまるで天啓でも授かったかのような衝撃に、思わずはっと彼女の方を見る。

…確かに考えてみればその通り。なるほど、確かに今日のマヤノは完全な本調子という訳ではないだろう。だが…

 

「…ルドルフ会長、ありがとうございます」

 

そう言ってアタシは、姿勢を正して彼女に頭を下げる。

その通りだ。それでも、アタシは彼女が今日まで歩んできた苦難の道のりを知っている。そして、その中で必死にあがき、答えを得たこともまた知っている。であるのならば…

 

「…お陰で目が覚めました」

 

アタシがマヤノの為に、大切な友人の為に出来ることなど一つしかない。

 

「…アタシはマヤノを信じます。きっと大丈夫だって、自信を持って言い切ります」

 

それは無根拠な類推でも、高慢ゆえの過信でもない。アタシがこれまで、自身の目でマヤノを見てきたからこそ言える、彼女の生きざまに対する絶対的な自信。それでこそ…

 

「…アタシはマヤノの友達ですから」

 

そう、アタシはルドルフ会長の目を見ながら言う。

 

そうだ。友達のことを信じてあげられなくて、何が友達だ。アタシはマヤノのことを掛け替えのない大切な友達だと思っているし、多分マヤノもそう思ってくれている。だからこそ、彼女はアタシに自分の悩みを打ち明けてくれたし、有馬記念でもアタシのことを応援してくれたんだと思う。

ならば、次はアタシの番だ。他の誰がマヤノを否定しようと、アタシはマヤノを肯定する。その悲しみを、嘆きを知っているから。そして、そこから這い上がろうと、必死にあがく姿を知っているから。だからこそ、アタシはマヤノを信じる。マヤノがアタシのことを信じてくれたように、今度はアタシもマヤノを信じるんだ!

 

そんな覚悟を込めた目で見つめると、ルドルフ会長は微笑む。

 

「フフッ、良い目をしている。

…あの子もこんな友人を持てて、本当に幸せ者だな」

 

そう呟くと、どこか遠い目でここではないどこかをルドルフ会長は見つめる。

 

それはまるで、過去の自分を見ているような、得ることが出来なかった日々に思いをはせるような、そんなどこか寂しげな目で…

 

「…ありがとう、カイチョー。お陰でボクも目が覚めたよ。

それでそれで!当然カイチョーもマヤノのことを応援してくれるんだよね?じゃあせっかくだし、ボク達と一緒にレースも見ようよ!!」

 

そう明るく切り出したテイオーの言葉に、ルドルフ会長は我に帰り、申し訳なさそうに話し出す。

 

「…ありがとうテイオー。気持ちはありがたいし、一緒にレースを見るのも構わないんだが…

 

すまない。今の私はシンボリルドルフである前に、トレセン学園の生徒会長なんだ。だから、特定の子だけに入れ込み過ぎるわけにはいかない。

無論彼女のことを応援していないわけでもないんだが…立場上ハッキリと彼女を応援すると公言するわけにはいかないんだ」

 

とルドルフ会長は申し訳なさそうにしている。

 

まぁ、確かに彼女の言うことはもっともだ。一個人としてならともかく、今の彼女にはトレセン学園の代表としての立場がある。それを考えれば、公平性という観点から特定の選手だけを応援するということは避けるべきなのだろう。

 

「え~、そんな~…」

 

そのあたりの理屈を聞き、テイオーはしょんぼりする。具体的に言うと、さっきまでブンブン振られていたしっぽが力を失って垂れており、ペタンと耳も垂れている。それに対して慌ててルドルフ会長も言葉を足した

 

「まぁ、特定個人の応援という立場を取れないだけで、さっきも言った通り一緒にレースを見るのは問題ないんだ。

だからテイオー、君からの誘いは嬉しく思うし、ぜひ一緒にレースを見させて欲しい」

 

「ホントッ!?」

 

「あぁ、本当だ」

 

そうルドルフ会長が返すと、テイオーは途端にその場でピョンピョンと跳ねて喜び始める。

 

「わーいわーい!カイチョーと一緒だー!!」

 

さっきまでの落ち込みようが嘘のように、テイオーはしっぽを勢いよく振りながら全身でその喜びを表現している。

 

…知ってたけど、本当にこの子ルドルフ会長のことが大好きだな~、と感慨深くその様子を見守っていると、アタシと一緒にそんなテイオーの様子を見守っていたルドルフ会長が、ふと何か思い出したような顔をしてこちらを向く

 

「…あぁ、そうだ。一緒にレースを見るのは良いんだが…ナイスネイチャ」

 

「あっ、はい。なんでしょうか?」

 

そう声をかけられ、慌ててルドルフ会長に向き直るアタシだったが、声をかけてきた彼女の顔は、どこか優しげで…

 

「…実は私には今日何人か連れがいてね。まぁ、別に最初から一緒に来たのではなく、ここで偶然出会ったのだが…ともかく、私だけでなくその子達とも一緒にレースを見たいのだが、構わないだろうか?」

 

「…?

 

えぇ、別に構いませんが…」

 

「そうか、恩にきる。…それでは少し待っていてくれ、呼んでこよう。実は君達の姿を見て、その子達を置いてここに来てしまってね。断りは入れてあるから、近くで待っているはずなのだが…」

 

いぶかしむアタシに背を向け、ルドルフ会長がその連れ達を探しに行こうとした時のことだった。

 

「カイチョーさ~ん!どこですか~!パドックはもう終わりましたよ~」

 

「会長ー!会長ー!早くしないとレースが始まっちゃうぜー!」

 

「うーん、どこ行っちゃったんだろう?この辺って行ってたのになー?」

 

何人かの集団の声がこちらに近づいてくる。そして、ルドルフ会長を見つけるなり、彼女の周りを取り囲む。

 

「あ~、カイチョーさんこんなところにいたんですね~?探しましたよ~?」

 

「いや、すまない。つい話が盛り上がってしまってな」

 

「全くだな。これからは気をつけてくれよな?会長。

それよりも会長!早く観戦席に行こうぜ!もうちょっとしたらレースが始まっちゃうぜ!」

 

「あぁ、そのことなんだが、ほら。また知り合いを見つけてね。彼女達に一緒にレースを見ないかと誘われたんだが、皆も良ければ彼女達と一緒にどうだ?」

 

そうルドルフ会長がその集団にアタシ達のことを告げると、彼女達の目が一斉にこちらを向く。そして…

 

「あ、あんた達は…」

 

「あれ?キミ達は…」

 

アタシとテイオーは、思わぬ顔との遭遇に呆気に取られるのだった。

 

 

 




ちなみに、ナイスネイチャの通うバーゲンセールはマジもんの人外魔境です。
明らかに世界観が違います。

具体的に言うと、一見すると普通の優しそうなおばちゃん達が、卵1パック(税込み105円 6個入り)を固有〇界っぽい力やら“創〇”ブ〇アーっぽい力やら、〇解ばん〇いっぽい力やらを駆使して奪い合うような場所です。
個人的には星〇光〇ステリズムとか破段顕〇の方が好きなのですが、他にも小宇〇〇スモっぽいものを燃やすおばちゃんや、一子相伝の暗殺拳法である北〇神拳っぽいものの使い手のおばちゃん、〇タンドっぽいものを使うおばちゃんなどなど、より取みどりです。
…ここウマ娘の世界だよね?

なお、そんな修羅道みたいなところからこぶし一つで生還するネイチャもネイチャですが、
このバーゲンセールの常連であるアイネスフウジンは、
オーバー・トップ・〇リア・マインドっぽいものの使い手で、リミット・オーバー・アクセル・シンク〇っぽいもので呼び出したシューティング・〇ェーサー・ドラゴンっぽいものと共に、戦場バーゲンセールを最速で駆け抜けるそうです。
…ここウマ娘の世界だよね?





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怪物との一幕

少女は再び立ち上がる

それを見ていた怪物は、本当は何を考えていたのか?



~ナリタブライアンside~

 

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

 

地下バ道に蹄鉄の音が響く。

 

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

 

ゆっくりと、だが確実に外の光が近付いてくる。

 

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

 

それと共に、自らの内側が熱く熱くなっていくのを感じる。それは他ならぬ私の渇望。もっと、もっと強いやつと戦いたい。私はもっと、強くなりたい。それ故にレースの前はいつもこう。沸き上がる高揚が私の胸を焦がし、身体の奥の方がカラカラに乾いていく。

 

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

 

乾く、どうしようもなく乾く。いつからかは分からないが、私は常に乾き続けている。もっと強く、もっと早く、私を満たしてくれる者を求め続け、気が付けば三冠ウマ娘などと呼ばれるようになった。だが…

 

 

カツンッ、カツンッ、カツンッ…

 

 

だが、そんな称号に意味はない。正確に言うならば、それは通過点の一つに過ぎない。

私が戦えば戦うほど、強くなれば強くなるほど、私の前に立ちふさがる者達もまた、強くなる。だからこそ、そうやって強くなった奴らを蹴散らして、また私は強くなる。その先に、私の癒えない乾きを満たしてくれる者がいると信じて。故に…

 

 

 

 

「…来てくれたんだね、ブライアンさん」

 

 

後ろからの声に、足を止める。今まで地下馬道に響いていた足音がピタリと止まり、あたりは無音となる。音がない故に無音。そのはずだが、それにも関わらず耳鳴りがする。静かで、あまりにも静かだったからか、聞こえない音が聞こえる気になってしまうのは、いったいなぜなのか?

 

 

 

 

「…先に勝負を持ちかけたのはこちらだ。ならば、お前が持ちかけた勝負を断るなど道理が立たない」

 

 

「あははっ、ブライアンさんそういうところは真面目だよね?」

 

 

 

 

こちらの返事に嬉しそうに応える少女の声に、だが私は振り返らない。それは傲慢だろうか?否。なぜなら…

 

 

 

 

「…だからね、マヤそんな真面目で良い人なブライアン先輩に、ずっとお礼がしたいって思ってたんだ」

 

 

カッカッカッカッカッカッ…

 

 

後ろにいた少女が蹄鉄を響かせて歩き始める。

 

 

「…マヤね、最初は本当に怒ってたんだ。

どうしてブライアンさんはあんなことするのかなって、マヤはあんなに辛くて辛くて仕方なかったのに、どうしてそんなに意地悪するのかなって。

だから、最初はブライアンさんが何をしたかったのか、マヤにはまったくわか・・らなかったし、わかりたくもなかった」

 

 

カッカッカッカッカッカッ…

 

 

「だけど、みんなといっぱいお話しして、リハビリも頑張って…マヤが考えられることを全部やって、ちょっとずつ、ちょっとずつでも進もうと頑張っている中で、マヤわか・・っちゃったんだ」

 

 

カッカッカッカッカッカッ…

 

 

さっきまでそれなりの距離があった少女との距離は、もうほとんど詰められている。このまま進めばいずれは少女は自分のすぐ近くまで来るだろう。だが、私は動かない。決して後ろを振り返らない。そんな状況をまるで気にせず少女は喋り続ける。

 

 

「はじめからよく考えるべきだったんだよ。

 

そもそもブライアンさんは弱いものいじめなんて絶対にしない。

ブライアンさんは、いつも強くなることだけを考えてる、まるで修行者みたいな人。弱い子に一切の感心を持たない強さに純粋すぎるほど純粋な人。

 

そんな人が弱いものいじめをするなんて、天地がひっくり返っても本来ならあり得ない。そんなことをするくらいなら、ブライアンさんはもっと強くなる方法を探すはず。そう、だから普通ならあり得るはずがないんだよ」

 

「…」

 

 

カッカッカッカッカッカッ…

 

 

「だからね、それならなんでマヤにあんなことをしたの?

それがずっと引っ掛かってたんだけど、まぁつまりはそういうことなんだよね」

 

 

足音が止まる。

少女は自分のすぐ後ろ、それこそ触れれば届くほどの距離にいるのを感じる。そして…

 

 

 

 

「ねぇ、ブライアンさん。ブライアンさんは多分、マヤのことを心配してくれてたんだよね?だからあんなことをしたんだよね?」

 

 

 

 

「…!」

 

決定的な一言に思わずピクリと反応しかけてしまうが、気合いで押さえ込む。そしてその間も少女の弁は続く。

 

「ブライアンさんってさ、ものすっごく強いウマ娘だけど、走ること以外は結構不器用だよね?だからあんな方法しか取れなかったんでしょ?」

 

…正解だ。不器用な自分にはあれ以上の解決策が思い浮かばなかった。

 

「ピンチからの覚醒、もしくは安寧を脅かす敵への反抗心の芽生え…そのあたりが狙いでマヤに強引にレースをさせたんでしょ?

少年漫画みたいだけど、あれ以上マヤを放っておいたら身体より先に、マヤの心が死んじゃう。

そう思ったからこそ、例え負の感情由来のものになったとしても、まずはマヤを奮起させるところから始めないとって思ったんだよね?

多分、最終的には自分が皆から悪役として罵られる覚悟で」

 

…正解だ。例え後に周りから罵られようとも、私はこの少女を再び奮起させたかった。

 

「だってそうじゃないと説明つかないよ。フジ先輩から聞いたけど、ブライアンさんマヤが茫然自失になってた時も、部屋の中で暴れてた時も、果てはマヤが部屋に閉じ籠ってる時も、何回もマヤの部屋に尋ねて来てくれたんでしょ?

…正直なところトレーナーちゃんが亡くなってから1週間位は本当に記憶がないんだけど、そんな中でもネイチャちゃん達と顔を合わせないようにこっそりお見舞いに来てくれてたんでしょ?」

 

…正解だ。いくら私でも、流石に身内の死で悲しむ人間に対して同情できないほど情がないわけではない。故に、最初は人並みに普通にこの少女のことを心配していたのだ。

 

「そんな人がたかだかマヤを壊すためだけにあんなことをやるはずがないよ」

 

そう締め括るこの少女の言葉に、アタシは薄く微笑む。

 

…なるほど?確かに天才と言われるだけのことはある。私の思惑はほとんど全て読み解かれている。ここに関しては素直に流石と言っておこう。

 

だが…

 

「…だったら」

 

「…」

 

そう、だったら…

 

「…だったらなんだ?マヤノトップガン」

 

そこで私は始めて後ろを振り向く。そこには静かな目でこちらを見つめる、マヤノトップガンがいて…

 

「なるほど、確かに貴様の言っていることは全て正しい。私はお前が心配だったからこそあんなことをした。それは事実だ。だがな…」

 

改めて私はこの少女の体を見る。

マヤノトップガン。私と死闘を繰り広げてきた至高のライバル。

長きに渡る巡礼の旅。強者を求めて彷徨い歩き続けた、苦難の道のりの先に得た、私の渇望を満たしてくれた少女。その少女は今…

 

「マヤノトップガン、一つ答えろ。お前本当に私に勝つ気があるのか?」

 

「...」

 

一目見ただけで分かる。こいつは精神的には完全に立ち直っている。そして、私を一度下しただけに、その内にあるレースの理を侮ることも出来まい。だが…

 

「結局お前は全盛期の頃まで身体の調子を戻すことが出来なかった。いや、恐らくそれもあと1ヶ月もあれば完全に戻すことが出来ただろう。だが、今この瞬間においてそれは叶っていない。8割、良くて9割程度しか復調していない。それはつまり、今日のお前は本気ではあっても全力ではないということに他ならない」

 

そう、潔くこの世界から去ろうとした私に、レースへの未練を生んだこのウマ娘は、今日のレースにおいて全力を出すことは敵わない。

9割方復活しているなら良いではないかというか?それで勝てるほどレースは甘くないし、何よりそんな腑抜けた覚悟で来るような奴を、私は許さない。

 

だからこそ…

 

「それで私を倒すつもりなのか、倒せるつもりなのか?」

 

だとしたら…

 

私は目の前の少女を睨み付ける。それこそ普通のウマ娘なら、いや歴戦のウマ娘でも震え上がるほどの眼光をもって私は目の前の少女を睨み付ける。

 

「…以前お前自身が言った言葉をそのまま返してやろう」

 

…あぁ、そうだ。こいつのことが心配である。それは事実だ認めよう。私とて人の子、敬愛すべきライバルに対してそのくらいの情はある。だが、私にとって本当に大事なのは…

 

「今のお前と走っても、私は自分を燃やし尽くせる気がしない…お前の言葉を借りるなら、キラキラすることが出来る気がしない」

 

故に

 

「…去れ、マヤノトップガン。全身全霊で挑めない状態で勝てるほど、このレースは甘くない」

 

そうだ。私にとって大切なのは、強いウマ娘と全身全霊で戦い競い合うこと。だからこそ、私はトレーナーを失い、自分の道をも同時に失いかけたこいつに酷くイライラした。

 

どうしたんだマヤノトップガン!?あの日のお前はもっと輝いていた!熱く燃え盛っていた!だからこそ、私はお前とのレースが楽しかった!またこいつと燃えるような時間を楽しみたい!そう心から願ったからこそ、私はまだ少しだけ走り続けようと思ったのに!?

 

詰まるところ、私の考えていたことはそういうこと。だからこそ、私は奴の部屋に乗り込むようなバカな真似まで試みた。全ては、私の渇望を満たしてくれた、この小さな少女に立ち直ってもらうため。こんなところで折れるには、その才気はあまりにも惜しかったから。

 

故にこそ、今度は私がこいつを拒絶する。勝負それ事態を否定する。お前ではその場に上がることすらおこがましい、そう言っていると言うのに…

 

「…」

 

こいつは一瞬きょとんとしたかと思えば

 

「…ふふっ…ふふふ」

 

「…」

 

「あはははははははははっ!!」

 

腹を抱えて笑い始める。

 

「…何がおかしい」

 

それはそれは嬉しそうに、年相応の笑顔で笑い続けるこいつに問うも、なかなか回答は帰ってこない。しかし、一通り笑い終えたこいつの第一声は…

 

「…ブライアンさん、あなたは本当に優しい人なんだね?」

 

「…なに?」

 

今の話のどこにそんな要素があったというのか、

そんな疑問はお見通しなのか、こいつは続ける

 

「だってそうでしょ?要するに、今のお前では全力は出せん。

今回は見逃してやるから、次までに調子を整えてこい。こういうことでしょ?

 

勝負を挑んだのはマヤの方なのに、

今のマヤの状態を見て自分からそんなこと言ってくれる人なんてそうはいないよ」

 

そう言うとこいつは微笑み

 

「うん、だからこそだよ。そんな優しいブライアンさんだからこそ、マヤはずっとお礼を言いたかったんだ」

 

そして

 

「ありがとうブライアンさん。マヤのことを気にかけてくれて。経緯はどうあれ、あなたがマヤを模擬レースに引きずり出していなかったら、今のマヤはいない。だからこそ、マヤはブライアンさん、あなたにとっても感謝してるんだ」

 

そう言い、頭を下げたこいつはしかし…

 

「…だからブライアンさん。マヤは今日も負ける気はないよ」

 

次に頭を上げた時には、その目はまるで別人のような強い意思の光に満ちていて

 

「ついでにさっきの質問にも答えるね。今日のマヤに勝つ気があるか?当然YESだよ。だから…」

 

そう言ってこいつは歩き出す。私の後ろから私の横、そしてついには私の一歩手前に出てふりかえる。そして

 

(…!!)

 

それは久しくこいつから感じてなかった威圧感。絶対にお前を逃がさないという思いの込められた重圧。

あぁそれこそまさに、あの忘れもしない有マ記念の時に、こいつが放っていたものそのもので…

 

「ブライアンさん、先に行ってるね・・・・・・・

 

傲慢にも私に勝負を挑んだ挑戦者のくせに、自分ではない。お前こそが挑戦者だと背中で語るその姿は正しく私の求める強者の姿そのもので…

 

故に

 

「…面白い」

 

知らず頬を伝っていた冷や汗を私は拭う。気が付くと奴はすでに消えていた。あたりには、まるで今のやり取りが夢か幻だったかのような沈黙が漂っている。恐らく言葉通り先に行ったのだろう。であれば…

 

「その状態でも私に勝てると、あくまでもそう言うのなら…」

 

…容赦はしない

 

私はさっきよりも遥かに熱く滾るものを抱えて、地下バ道の外へと踏み出す。

 

そして…

 

 

・・・・・・

 

 

「さぁ、2枠4番マヤノトップガン選手、今日の2番人気です」

「菊花賞ウマ娘にして初代URAファイナル女王の冠を持つ強豪ウマ娘です。しばらくレースに出てこなかったためか、2番人気の位置に甘んじていますが、その実力はまさにトップクラス。間違いなく今日の主役の一人と言えるでしょう」

 

マヤノがゲートに入るのをアタシは見守る。解説が言うように、彼女の今日の人気は2番人気。実力と実績だけなら1番人気に選ばれても可笑しくないのだが、ブランクと今だ現役の三冠ウマ娘ナリタブライアンの存在から、今日はこの位置に収まっている。それでも…

 

(…マヤノ)

 

アタシは信じる。そうだ、それでも彼女ならやってくれるって、アタシは信じてる。なぜならアタシは彼女の友達だから。あの子の今日までの道のりを、アタシは見てきているから。故にアタシは信じる。あの子のことを。だから…

 

(マヤノのトレーナーさん…)

 

あなたも見るべきだ。自分の愛バの走りを。

あなたがいなくなって、それでもあがき続けた彼女の出した答えを、他ならぬあなただけは見届ける義務がある。

だからお願い、マヤノの走りがあなたにまで届きますように…

 

そんなことを考えている内に、全ての出場するウマ娘達がゲートに入る。後はスタートするだけだ。

 

緊張の一瞬。数万人が集う今日の京都競バ場も、流石にこの瞬間ばかりは静まり返る。気が付くと誰もが声も出さずに黙り込んでいる。ごくりと、誰かが生唾を飲む音が聞こえた気がする。そして…

 

「…来る」

 

ルドルフ先輩がそう言った瞬間

 

「…!!」

 

ついにゲートが開く。

そう、今この瞬間に始まったのだ。

 

あらゆるG1の中でも特に長い歴史と権威を持つ春のG1レース。

中央競バの平地G1の中でも最も長い距離を走らなければならない、とある名家の悲願でもあるレース。

春と秋、その二回に渡って栄誉と伝統を併せ持つたった二つの盾を競い合うレース、その一つである今日のレース。すなわち…

 

 

 

春の天皇賞

 

 

 

その火蓋が切って落とされたのだった。

 

 

 




個人的なナリタブライアンのイメージって、
基本的にあんまり他人に興味がないけど、一度認めた相手にはものすっごいツンデレになるっていうイメージなんですよね。

具体的にいうとツン99%でデレが1%くらいの(そこまで行くともうツンデレではなくツンドラなのでは?)。要するに、かなり不器用な人ってイメージなんです。だからこそ、ああいうやり方でしかマヤちゃんを心配できなかったんだと思うんですよ。

…だからね、ブライアンさん?とりあえずその拳を下ろしましょう?
作者だって、別に好き好んであなたを意地悪な人みたいに描きたかったわけではないんですよ?だからね、話し合いましょう?お願いだから話し合いま――…






…音声記録はここで途絶えている










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始まりの記憶

これは、とある少女の青春の一ページ

全ての因果が終結する原点のお話



今でも思い出すのは、始まりの記憶。

 

それは、マヤとトレーナーちゃんとの出会いの少し後の話。本当の意味で、マヤとトレーナーちゃんの歩みが始まった日の記憶…

 

 

・・・・・・

 

「よっ。邪魔してるぜ」

 

屋上の貯水槽の上に登ると、いい加減見慣れてきた男の人が、こちらに振り向いて笑顔を浮かべる。

くたびれた黒いスーツに黒い中折れ帽子、そして黒いサングラスのその男の人は、ホントに楽しそうにしてたから、

 

「あ~!またいる!!

ねぇ、キミトレーナーなんでしょ!お仕事は良いの?」

 

そう質問してみたら、

 

「ふふっ、クールな男は仕事も一流、華麗に終わらせるものなのだよ!

…もっとも今はスカウトに失敗しまくってて、事務や雑務以外の仕事は全くないんだけどね!はははっ!!」

 

なんて格好をつけようとして盛大に空回った台詞(しかも弱冠涙目)を返されたものだから、マヤも呆れてそれ以上は何も言えずに、その人の隣に腰を下ろす。

 

そして

 

「もぅ…ホントにダメダメな新人トレーナーちゃんだね?」

 

「はっ、お前も人のこと言えないだろ?

トレーニング全力ボイコットウマ娘さん?」

 

「むぅ~...」

 

「ふふん、大人をからかおうなんて、百年早いぜ?マヤノトップガン?」

 

そんな会話をしながら、二人で夕日に染まる眼下のグラウンドを眺める。赤く染まった地平線の向こうに太陽が沈もうとしていた。

 

…そう、ここは元々マヤの特等席。トレーニングをサボったマヤは、いつも屋上から皆が走ってるのを眺めてたんだけど、ある日なんとなくこの貯水槽の上に登ってからは、ずっとここからグラウンドを見るようになっていた。

ここが一番この辺りでは高いところで景色が良いし、屋上と違って座って下を眺めることができる。何より、ここにいればもし下から先生がマヤを探しに来ても、身を隠すことができる。

…意外と人間は、上下軸には目が行かないものなのだ。だからマヤにとってここはお気に入りの場所だったんだけど…

 

「...」

 

「…ん?なんだ?」

 

何となく隣に座る男の人を見ていると、目線に気付いたのかこっちに話しかけてくる。

 

…それが何時からか、たまにこの人が出没するようになった。まぁ、最初はお互いにびっくりしたけど、マヤとしても初対面で数秒間の空の旅をプレゼントした手前、あまり強く追い出すこともできず、そして何回も合うものだからそのうちお互いに慣れちゃって、今こういう状態になってる。

 

だからこそ、今さらこの人に対して遠慮なんかない。そう言うわけで、マヤも遠慮なくさっきから気になっていたことを聞いてみた。

 

「…トレーナーなんでしょ?それでタバコって良いの?」

 

そう、こともあろうにこの人はタバコを口に咥えている。人間以上に鼻がきくウマ娘達が、その匂いを気にしないように禁煙になっているこの学園でだ。

火を付けていないのか、匂いこそしないけど、それでも禁制品を持っているのには違いない。

 

だからこそ、そこにちょっとした非難の目を向けたんだけど、そう聞くとこの人はニヤリと笑う。

 

「…なんだ?気になるのか?じゃあお前も試してみるか?」

 

「え?いやマヤは…きゃっ!」

 

そしてこっちに何かを投げてくる。慌てて掴むとそれはタバコの箱で…違う?これって…

 

「あのなぁ、俺だって一応トレーナーの端くれだぜ?タバコなんか本当に吸うわけがないだろ?そもそも俺タバコ吸わないし」

 

そう言いながら、この人は口に咥えたタバコを、いやココア〇ガレットを噛み砕く。

 

なら…

 

「どうしてかって?そりゃ格好良いからに決まってるだろ?

夕日が落ちる屋上で、一人タバコの煙を燻らせる…もちろん実際にはそんなことできないが、そんな渋い大人の気分にさせてくれる最高の菓子だ。いかしてるだろ?」

 

この人がそんな風にからからと笑うものだから、マヤはさらに呆れてしまう。

 

そう、この人はいつもこんな感じ。一応本人は真面目にやっているみたいなんだけど、やることなすこと全部空回り。

多分能力がないわけじゃないと思うんだけど、変に格好を付けたがるせいで、微妙に最後の詰めが甘くて失敗ばっかり。それでも、いつも明るく楽しそうにしてるから憎めない、そんな人。

 

だからこそ、今日もマヤはこの人と一緒に貯水槽の上から眼下のグラウンドを眺める。

トレーニングをサボってばかりのマヤだけど、この人だってスカウトに失敗してばかりのポンコツ新人トレーナー。

そう考えると、どこか親近感が湧くし、なによりこの絶妙に格好がついていない人といると退屈しない。少なくとも、一人でここからグラウンドを見てるよりはずっと楽しい。だから、普段ならこんな取り留めもないやり取りをしながら、日が沈んで皆が帰り出すまでおしゃべりをしてるんだけど…

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

不意に下から歓声が聞こえてくる。それは校舎の屋上の、さらにその上にいるマヤ達にまで聞こえてくるほどのもので…

 

「おおっ!あの子かなり良い感じの走りをするな!」

 

興奮するこの人の視線を追うようにマヤも下を見ると、下にはたくさんの人達が集まって、何人かのウマ娘が走るのを応援している。

 

そう、いつもたくさんのウマ娘達が走ってるグラウンドだけど、今日は模擬レースの日だから、いつもよりもっと多くの人達が集まっている。

 

「…」

 

時刻は夕方。もうそろそろ今日予定されていた模擬レースのプログラムは全部終わるはず。

だからか、昼に比べるとグラウンドにいる人は少し少ない。

それでもたくさんの人が走るウマ娘達を応援している。そして、その声援を一身に浴びて、何人ものウマ娘達が、グラウンドを駆けていく。

その軌跡はまるで、空ではなく大地に走るコントレイルのよう。緩やかに、それでいて確実に地上に彼女達の走った後が、その道のりに刻まれていくから…

 

「…良いなぁ…」

 

そんな言葉が口のはしから溢れてしまったのだろう。

 

あぁ、そうだ。普段ならマヤはこんなことを言わない。いや、少なくともここで、この人の前でだけは、マヤはこんなこと絶対に言わない。何故ならそれがここでの暗黙のルール。

最初からマヤはもちろん、この新人トレーナーちゃんも、一度として自分の深い話を話題に出したことはない。

何故ならここは止まり木。かたやトレーニングから逃げたくて、かたやまったくスカウトが上手く行かない現実から逃げたくて、そんなまったく違う理由で、だけど今目の前にある辛いことから逃げ出した問題児達が、ほんの少しの間だけお互いに身を寄せ合う、そんな場所。だからこそ、必要以上にお互いに詮索をしない。お互いの理由に口を出さない。それがルールだったはずだったんだけど…

 

「…ねぇ、トレーナーちゃん」

 

その日、目の前で行われていた模擬レースが、あまりにも盛り上がっていたものだから…

 

「…トレーナーちゃんも、マヤはトレーニングすべきだって、思う?」

 

そこで走るウマ娘達が、あまりにもキラキラしていたものだから…

 

「…マヤも本当はね、トレーニングした方が良いのかなって思ってるんだ。でも…」

 

…つい、そんな迷いが溢れでる。それは、ここに来てからずっとマヤが悩んでいたことで…

 

「…どうしてもつまんないの。一回やったらどんなトレーニングも全部マヤはわかっちゃう・・・・・・。つまんなくなっちゃう。

だから、マヤはトレーニングが出来ない。やらなきゃいけないことは分かってるのに、どうしてもマヤにはできないの…」

 

そんな言葉が口をつく。そして…

 

「…ねぇ、これってマヤが普通と違うからいけないのかな?みんなみたいに、例えつまんないものであっても、トレーニングを出来ないマヤが悪いのかな?…マヤは…」

 

いつの間に模擬レースは終わっている。あれだけ集まっていた人達も今はほとんど残ってなくて、眼下のグラウンドからはもう人がいなくなり始めている。そんな中、いつの間にかこちらを向いていたこの人に、マヤは問いかけていた。

 

「…マヤは、キラキラな大人のウマ娘に…なれない、のかな?」

 

沈黙があたりを包む。誰も何も喋らない。目の前にいるこの人の表情は変わらないけど、サングラスで目が見えないから、その真意まではマヤにも読めない。貯水槽の壁に映るマヤ達の影の長さだけが、ゆっくりと伸びていく。だが…

 

「…あぁ、そうだな」

 

重い沈黙の中でこの人は口を開く。

しかしその表情は固い。

…それはそうだ。何故ならマヤは一歩踏み込んだ。二人の間にあった暗黙のルールを破ったのだ。であるのならば…

 

「…この際だからハッキリ言っておこう」

 

ゆっくり、ゆっくりとこの人は口を開く。

そうだ。ルールとは守るためにあるもの。そして、それを破ったものには罰が与えられるもの。だから…

 

「マヤノトップガン」

 

…だからこの結果も、考えてみれば当然のことで…

 

 

 

 

 

「君の夢は…叶わないだろう」

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

「おおっと、ここでレースが動き始めました!本日の1番人気ナリタブライアン選手が徐々に加速していく!続いてそれを追うように、3番人気のマーベラスサンデー選手も上がっていきます!」

 

「有力な選手が二人も動いたことで、他のウマ娘達も動き出し始めていますね」

 

「一方本日の2番人気マヤノトップガン選手はいまだに馬郡の中で動きが見えません!果たしてここから逆転の目はあるのでしょうか!?」

 

レースは既に半ば。実況の解説を聞き、隣で見ているテイオーが狼狽えながらアタシに話しかけてくる。

 

「ネ、ネイチャ!これってちょっとヤバイんじゃないの!?」

 

「...」

 

「ネイチャ!」

 

「…テイオー」

 

そしてそれに答えないアタシに業を煮やし、思わず声が大きくなってしまうテイオーを、ルドルフ先輩が諫めてくれる。

 

「…まだレースは半ばだ。十分に逆転の目はある。そんなに焦るな」

 

「でも!でも!!」

 

それでも心配なのか、テイオーはルドルフ先輩に食って掛かる。

 

「でもカイチョー!マヤノは先行ウマ娘だよ!なのにあんな位置に閉じ込められて…不味いよ!あれじゃあ!」

 

「…」

 

そう、問題はそこなのだ。例えばマヤノが差しや追い込みを得意とするウマ娘なら、この展開でも今ほどテイオーは騒がなかっただろう。

それらの走り方の特徴は、後出しジャンケン。

つまり、抜群の末脚で最後の最後に、今までの遅れを精算する、そんな走り方だからだ。だからこそ、その走り方を得意とするウマ娘は、そのためのスタミナと脚を温存するために、比較的後方に陣取るという特徴があるからだ。

 

しかし、先行。これまでマヤノが使ってきた戦法は、これらとはまったく性質が異なる。差しや追い込みが後出しジャンケンとするならば、これはとても順当なジャンケン。

なるべく前の方に陣取っておき、最後に先頭集団から抜け出して一着になるという、とても分かりやすい戦法。

恐らく、最初から最後まで1番であれば良いという逃げよりも、一般人が想像しやすいタイプの戦法、所謂王道というものなのだ。

 

それゆえに使うウマ娘も多くいるのだが、問題なのはこの戦法の特徴だ。

最初から最後まで前の方に陣取り、最後に一番になる。それは、逃げほどに一番前に拘りすぎる必要もないが、同時にそれでも前提条件としてなるべく前の方にいなければならないということでもある。

 

何故なら、先行ウマ娘には差しや追い込みのウマ娘ほどの加速力がない。無論逃げよりはマシだが、それでも最後の最後に盤上をひっくり返せるほどの、圧倒的なロケットブースターがない。とは言え、逃げに対抗出きるほどに、高いスピードを長い間維持できるわけでもない。

 

だからこそ、先行ウマ娘は前にいなければならない。逃げほどの尖ったスピード継続力も、差しや追い込みほどの圧倒的な加速力もない。だが、その代わりに全ての能力にムラがない。

 

故に勝てる。垂れた逃げを、差しや追い込みほどではないが、それでも貯めた脚で刺す。追いすがる差しや追い込みから、逃げほどではないが確かに保ったリードで逃げきる。それこそが、先行という戦法の極意である。

 

だからこそ…

 

「このままじゃ、マヤノの能力を発揮しきれない!マヤノの本質を発揮しきれないよ!」

 

テイオーの言うことは正しい。

実際に馬群の中に沈んだウマ娘が、それも逃げや先行などといった戦法を駆使するウマ娘がそこから抜け出して一着になるのは、非常に難しい。

 

何故なら、彼女らには差しや追い込みほどのパワーがない。目の前に立ち塞がるウマ娘達を力ずくで押し退けていくだけのパワーがないからこそ、逃げや先行という戦法が存在するのだから。

 

だからこそ、テイオーの指摘はとても正しい。今までのレースにおいて、マヤノは全て先行策を使って勝ってきた。

もちろん、彼女だってトレセン学園に入れるほどの実力者なのだから、その過程で他の走り方にも触れているだろうし、実際に練習などでは使うこともあっただろう。だが、それでも本番の、ウマ娘達が本気で互いに潰し合う戦場でそれらを使った経験は、少なくとも記録上彼女には存在しない。

 

それゆえに、テイオーの心配はもっともだ。だけど…

 

「…なるほど、確かに君の言う通りだ。テイオー」

 

そう答えるルドルフ会長は、しかし

 

「だがね、テイオー。あの子の顔を良く見てごらん?」

 

テイオーにもっとマヤノを見るように言い、その言葉に従ってマヤノを見たテイオーは…

 

「…あの子の目は、まだ死んでない。そうだろ?」

 

目を見開く。そう、確かに今マヤノは絶望的な立ち位置にいる。得意の先行策は潰され、体の調子も万全ではない。おまけに馬群に取り残されている。

まさに王手といった状態で、普通に考えるならば、マヤノにもう逆転の目はない。だと言うのに…

 

「それにあぁ、君は一つ忘れてはいないかい?

まぁ、君はある意味同類だからこそ、余計に分からないのかもしれないが…」

 

そう、そんな絶体絶命の危機に立たされているというのに、不安で不安で仕方がないはずなのに、マヤノの目はまだ死んでいない。こんな状況でもただ前だけを向いている。なら…

 

(…マヤノ!)

 

アタシは信じる。どんなに絶望的な状況でも、友達が諦めていないなら、アタシはその友達をこそ信じる。なぜなら…

 

「…テイオー、君と同じだ。同じなんだよ」

 

アタシは、マヤノの友達だから!

 

その真実を改めて思い直し、ぎゅっと目を瞑ったときだった。

 

 

 

「…マヤノトップガン。

彼女はね、天才なんだよ?」

 

 

 

ルドルフ会長の言葉と共に…

 

 

 

「…!!な、なんということでしょう!?

お、大外から一人のウマ娘が突っ込んで来ます!」

 

 

その言葉に弾かれたようにアタシは目の前のレースに目を向ける。

 

 

「外から!外から!外から!

恐ろしいスピードで突っ込んで来ます!もうすでに、先頭争いをしていたナリタブライアン選手やマーベラスサンデー選手も目と鼻の先です!!

あれは…あれは!!」

 

 

そして、そんなアタシの目に飛び込んできたのは…

 

 




次回
 第三部 マヤノトップガン春の天皇賞編


         完結



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そして伝説へ

1997年4月27日
…その日を決して忘れない。

※注意

史実だとこのレースの後にけがをするウマ娘が、
その未来を先取りしてケガをします。

その際ケガの種類が少し変わっているため、
少しショッキングな描写になっているかもしれません。

ご注意ください。

それから、お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。
それではどうぞ!!


「はぁっ、はぁっ」

 

「おおっと、ここでレースが動き始めました!本日の1番人気ナリタブライアン選手が徐々に加速していく!続いてそれを追うように、3番人気のマーベラスサンデー選手も上がっていきます!」

 

…体が重い、脚が動かない

 

「はぁっ、はあっ」

 

「一方本日の2番人気マヤノトップガン選手はいまだに馬郡の中で動きが見えません!果たしてここから逆転の目はあるのでしょうか!?」

 

…肺が痛い、呼吸が苦しい

 

そんな中マヤは走る。

得意の先行策は、スタートに出遅れてしまい、潰えてしまった。

それならと思いブライアンさんをマークするも、解説の人が言うように、あの人はもうここにはいない。

 

今ここにいるのはマヤだけ。バ群に阻まれ、インコースに閉じ込められたマヤにとって、さながらここは棺の中で…

 

(…無理…だったのかな?)

 

そんな棺の中で、マヤは空を見上げる。だけど…

 

(…やっぱりマヤは…)

 

棺の中にいるマヤに、青空を掴むことはできない。だから、マヤにはあの憎らしいほどに青い空に、手を伸ばすことさえも出来なくて…

 

(…一人じゃ、走れないのかな?)

 

レースが始まる前の、ブライアンさんとの地下バ道でのやり取りを思い出す。

 

(「…去れ、マヤノトップガン。全身全霊で挑めない状態で勝てるほど、このレースは甘くない」)

 

ブライアンさんがそう言うのも無理はない。

確かに、今のマヤは全力を出せるような状態じゃない。

 

まず第一に、体の調子が戻りきっていない。

ここ数ヶ月、マヤは頑張った。ネイチャちゃんやテイオーちゃん、他にもたくさんの人達に頭を下げて、なんとかして体調を戻そうと、頑張った。でも、URAファイナルの頃の状態まで、マヤは身体の調子を戻せなかった。これが第一。

例えば100m走をしたとして、小学生が大人に勝てるのか?そういう問題だ。万全の状態のG1ウマ娘と、今のマヤの体には差がある。それは流石に小学生と大人ほどのものじゃないし、それも本当にわずかなものだけど、それでも確実に差がある。だからこそ、力の絶体値という意味合いでそれが一つ。

 

もう一つはレース勘の鈍り。マヤはトレーナーが亡くなってから今日まで、一度もレースに出ていない。もちろん、練習で皆に併走を頼んではいたけど、それでもこのレースという戦場から半年以上離れていたのは致命的だ。だからこそ、久しぶりに体感する戦場において、以前ほど勘が働かない。わか・・らない。だから、これが2つ目。

 

そして最後の一つは…

 

(あぁ、やっぱり…)

 

そう、最後の一つは、ここまでの日々で、マヤが克服したと思い込んでいたもので…

 

(…やっぱり…やっぱり)

 

今日のレースにおける、最大の敗因となるであろうものを思うと、胸が張り裂けそうなほどの悲しみが襲ってくる。涙が内から溢れてくる。

 

…あぁ、なんてマヤはバカだったんだろう。

 

それは簡単な真実。子供でも分かるほどの、実に簡単な真実。それは…

 

(…トレーナーちゃんがいないレースは寂しいよ…)

 

「さあっ!いよいよナリタブライアン選手が2番手に上がってきました!

流石は三冠ウマ娘!果たしてこのまま行ってしまうのでしょうか!?」

 

解説の声がどこか遠くから聞こえてくる。世界から色がなくなっていく。

マヤの死を看取るバ群の棺は相変わらずの強固さを誇り、空だけが、憎らしいほどに青く透き通っている。

 

だから…

 

(あぁ…このまま)

 

そうこのまま…

 

(…マヤもトレーナーちゃんのところに行ければ)

 

只でさえ力が入らない脚から、致命的なまでに力が抜けかける

 

…このまま終わってしまえば…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(「マヤノが走り続ける限り、マヤノのトレーナーさんは今、そして未来でも、ずっとマヤノの側にいる。そう思わない?」)

 

 

 

 

 

 

 

 

「…!?」

 

世界の色が戻ってくる。踏み散らかされた土の匂いも、マヤ達の横を通り抜けていく風の感触も、ナリタブライアンさんとマベちんのデッドヒートを実況する解説の声も、マヤの体を走る熱も、全てが、全部が戻ってくる。

 

そしてマヤの脳裏に溢れ出すのは…

 

 

 

(「だから、友達が困っていたら助けたいし、悩んでいたら相談にのってあげたい。

それはアタシにとって、全然迷惑なんかじゃないし、むしろマヤノの悩みを共有できないことの方が、アタシには悲しいよ」)

 

 

たいせつな友達が…

 

 

(「やっと起きたんだね!マヤノ!!

 

…良かった!良かったよぉぉっっ!!うわぁぁぁぁあん!!」)

 

 

マヤノのことを…

 

 

(「…それだけは、忘れちゃいけないよ、マヤノ」)

 

 

想ってくれた記憶で…

 

 

「…!!」

 

 

そして、刹那にも満たない永遠の瞬間を駆け抜けた、最後の記憶は…

 

 

 

・・・・・・

 

 

風が吹く

 

グラウンドのわきの森の木々が、葉を揺らす。

いつしか、誰もいなくなっていたグラウンドは静かで、それを見下ろす校舎、その屋上にある貯水槽もまた、静寂に包まれている。だが…

 

「あ、あはは…」

 

そんな静かな場所だからこそ

 

「そっ、そっか。マヤが、マヤが悪いんだね?マヤが普通のウマ娘じゃないから…」

 

この人が告げた言葉を、まるで世界が肯定しているみたいに思えて…

 

「う、うん。ごめんね、トレーナーちゃん。こんなこと聞いて。

 

じゃ、じゃあマヤはそろそろ…」

 

マヤは立ち上がる。

そして、歪む視界に映るこの人から逃げるように、その場を去ろうとした時に…

 

「…まぁ、待てマヤノトップガン」

 

「な、何!?マ、マヤは…マヤは…!!」

 

「…何か勘違いしてるようだから、もう一度だけ言うぞ?」

 

後ろを振り向く。この人はまだこちらに背中を向けたままだ。

そう、マヤを引き留めたこの人の言葉は…

 

「そうだ君の夢は叶わない。

 

 

 

…あくまでも、今のままならな」

 

 

 

 

なぜかやけに大きく聞こえた。

だからこそ

 

「…どういうこと?」

 

マヤはついその言葉の先に興味を持ってしまう。立ち止まり、振り返ってしまう。だからこそ、マヤはその言葉の先を聞いてしまう。

 

「なぁ、マヤノトップガン。君の夢はキラキラな大人なウマ娘になること…さっきの言葉から察するに、これで良いんだな?」

 

「…うん」

 

「なら一つ聞きたいんだが、どうしてその夢を信じてやらないんだ?」

 

「…え?」

 

思いもよらない言葉にマヤは驚愕するも、

 

「そ、そんなことないもん!マヤは自分の夢を疑ったことなんてないもん!」

 

慌ててマヤは反論する。

そうだ、マヤにとってそれは本当に大切なもの、たどり着きたい到達点だ。

あの日見たウマ娘のお姉さん達は本当に輝いていたから。天才だって誉められても、灰色一色でつまらないものだったマヤの世界に、初めて色を与えてくれたものだから…だから!

 

「マヤもあんな風になりたい!キラキラした大人のウマ娘になりたい!」

 

マヤはあの日から一度だって…

 

「その夢を!信じなかった日なんてないよ!!」

 

そう心から言えるからこそ…

 

 

 

「だったらどうして!!」

 

 

 

こちらを見ないままに、続くトレーナーさんの言葉に

 

「君はこんなところで!泣きそうな顔しながらレースを見てるんだ!!」

 

二の句が告げない

 

「そ、それは…」

 

マヤが模擬レースに出れないから…と言いかけたマヤの言葉を遮るようにこの人は続ける。

 

「模擬レースに出れないからか?

それなら出れば良い。飛び入りでもなんでも無理矢理に出て、そこを走ってる奴ら全員ぶち抜いて実力で黙らせれば、他の奴らは何も言えなくなる。

現に一番最初に会った時、君はそれをしようとしていただろう?」

 

「そ…」

 

それは確かにそうだけど…

 

「む、無茶苦茶だよ!トレーナーちゃん!!」

 

そうだ。そんなの力業が過ぎるし、仮に成功したとしても、責められこそすれど、誉められることなんて絶対にない。

確かにマヤが一度それと似たようなことをしようとしたのは事実だけど…それだってあまりにも学園がレースに出させてくれないから、それに対する鬱憤からあんなことをしただけで…

 

「あぁ、そうだな。

それなら正規の手段で出るしかないな?」

 

そう考えていると、この人はそう続ける。

 

「模擬レースに出るにはトレーニングをしなければならない。それならトレーニングをする、当たり前のことだ。

じゃあマヤノトップガン、君は何故それをしない?模擬レース、出たいんだろ?」

 

「それは…」

 

…トレーニングがつまらないから、そんな言葉が脳裏を過るが…

 

「なるほど?確かに君は天才だ。しばらく一緒にいてそれは嫌と言うほどにわかった」

 

またしても、その言葉を遮るようにこの人は続ける。

 

「だからきっとマヤノトップガン、君には普通のウマ娘達以上に、トレーニングがキツいんだろうな。

そのなんでもわか・・ってしまう抜群の才能、それこそが逆に君の首を絞めている。

なんでもすぐに理解して、真似できてしまうからこそ、トレーニングというある意味では無為なことの繰り返しに意味を見いだせないんだろうな」

 

そう、この人の指摘は当たっている。

マヤは大抵のものはなんでもわかっ・・・ちゃうから、すぐにそれが真似できるようになる。どころか、全体が理解できてしまうからこそ、改良すらできてしまう。

 

だからこそ、マヤは思う。

 

(この人も…怒るのかな)

 

そうだ。マヤはこの言葉の後に続く言葉を知っている。

 

「やらなきゃいけないんだからやりなさい」

 

「みんなやってるんだからやりなさい」

 

「君にはやる気がないんだね」

 

マヤの境遇を知った人は皆がこういう。皆がそうやってマヤを責める。

 

マヤだって頑張りたいって思ってるのに。それでも何度試してもあまりにも退屈すぎて、出来なくて…そしてそれをマヤにやる気がないからだと言われて…

 

だからこの人もそんなことを言うんだと、マヤは思ってたんだけど…

 

 

 

「だったらさ、なんでそれをつまらなくないものに変えないんだ?

意味があるって分かるものにしようとしないんだ?」

 

 

 

そんなぜんぜん予想すらしていなかったことを言われたものだから…

 

「………え?」

 

思わず呆けてしまうマヤに、この人は更に語る。

 

「だってそうだろ?

教科書読んでるだけが勉強じゃない。

 

歴史の教科書ひっくり返すよりも、歴史の漫画を読んだ方が楽しいし、楽に覚えられる。

 

辞書とえんえんにらめっこするよりも、何かどっかで小説でも買って読む方が、簡単に言葉を覚えられるし国語の勉強にもなる。読む本次第では、社会の勉強にだってなるかもな。

 

俺はおかしいこと言ってるか?」

 

「…う、ううん」

 

そんなこと、マヤは一度だって考えたことがなかったから…

 

「だからな、マヤノトップガン要するに君の一番の欠点は考え方なんだ」

 

思わずこの人の背中をまじまじと見てしまう。

相変わらずまだこの人は後ろを向いてるけど…

 

「君は良い子だ、マヤノトップガン。

 

だからこそ、君は現実に絶望した。

 

普通のやり方に自分を合わせることができない。だから、現状を打破できない。そう、心のどこかで君は思ってる。

 

故に、俺は今のままじゃ君は自分の夢を叶えられないと言った。

自分を信じれないやつに、夢を叶えることなんてできないからな」

 

その背中が語る話は、なぜか理に敵っていたから…

 

…だからこそ

 

「…それじゃあマヤにどうしろって言うの!?」

 

マヤは問わずにはいられない。

 

「そうだね!トレーナーちゃんの言う通りだよ!!

 

確かにマヤは現実を諦めてたかもしれない!普通のやり方に合わせようとしすぎてたかもしれない!

 

だけど!!」

 

そうだ、確かにこの人の言うことには一理ある。環境が悪いなら、その環境を変えれば良い。それは真理で、今まで思ってもみなかったことだ。それでも…

 

「実際に模擬レースに出れないのは事実だし、トレーニングがつまらないのも事実なんだよ!それなら…!!」

 

そう、それでも現実は残酷だ。どんなに取り繕ったって模擬レースにマヤが出られないのは変わらないし、トレーニングが退屈を通り越して苦痛なのも変わらない。どれだけ都合の良いことを言ってもそれだけは変わらない。だからこそ…

 

 

 

「あぁ、だからこそ俺達がいるんだ」

 

 

 

そう言ってこの人はマヤの方に始めて振り向く

 

「模擬レースに出れない?OK、わかった。出られるようにしてやろう。

 

トレーニングがつまらない?OK、わかった。とびっきり楽しいトレーニングを山ほど用意してやろう

 

他にも悩み事や心配事があったら遠慮なく言ってこい。全部聞いてやる。

 

それが俺達トレーナーの仕事で、それこそが俺達の存在意義だ」

 

カツカツと靴の音を響かせながら、この人はマヤの方に近づいてくる。

 

「だからさ、マヤノトップガン」

 

そして、珍しくサングラスを外したその瞳は、本当にまっすぐにマヤのことだけを見ていて…

 

「君が本当に夢を敵えたいと思うなら、キラキラしたオトナのウマ娘になりたいというのなら、

 

俺と契約してくれ

 

この手を取ってくれ」

 

そう言ってマヤに手を差し出すものだから…

 

「…どうして?」

 

思わず漏れるのは

 

「…どうしてマヤのために、そこまでしてくれようとするの?」

 

純粋な疑問。

 

あぁ、そうだ。確かにマヤはこの人としばらく同じ時間を過ごした。だからこそ、この人はマヤにとって知らない人じゃないし、この言葉にうそも偽りもないことなんて、とっくにわか・・ってる。だけど…

 

「…マヤは優等生じゃないよ?

他にもいっぱい良い子はいるよ?」

 

そう、客観的にマヤのことを見るなら、勉強の成績こそトップなものの、授業中にはよく居眠りしてるし、宿題だって全然出さない問題児。

おまけにトレーニングもサボりまくって、模擬レースにも出れない不良生徒だ。多分気性難ってやつなんだと思う。

 

だから、それを考えればもっと良い子はトレセン学園にはたくさんいる。きっとマヤより性格が良くて強い子だって、探せばいるはずだから…

 

「…ホントにマヤで良いの?ホントのホントに?」

 

聞きたい。ホントにこんな自分でも良いのか。つまらない、それだけの理由でトレーニングをさぼりまくる放蕩娘を、なぜわざわざ選ぶのか、その理由を。

 

だからこそ、この瞬間をマヤは良く覚えている。

 

「当たり前さ。

そもそも君ほどの才能の塊を放っておくなんてあまりにももったいなさすぎる。トレーナーなら誰もが自分で育てたいって思うはずさ」

 

沈み行く夕陽をバックに、佇むトレーナーちゃんの姿を

 

「それに、そこそこの時間を一緒に過ごしてみて、お互いの相性も悪くないって思った。

正直最初は初対面で俺を吹っ飛ばしたウマ娘ということで戦々恐々としてたんだが…話してみると根は素直な良い子だってことがわかった。

それなら多少気性難でも、話せば分かる。きっとうまくやっていけるって思った。そして、何より…」

 

サングラスを外したその目の優しさを

 

「俺はな、君達ウマ娘に夢を諦めて欲しくない。

かつて俺に夢を与えてくれた君達が、自分の夢を諦めるところなんて絶対に見たくない。その為にトレーナーになったんだ。

だから…」

 

そして…

 

「マヤノトップガン、だからこそ俺は君と共に歩みたい。君の夢を応援したいんだ。

 

…キラキラしたオトナのウマ娘になりたいって?上等だ!すごい夢じゃないか!!

 

どうせなら、見たやつの目が焼けるくらいの光を放つ、スーパースターウマ娘を目指そうぜ?

 

だからさ」

 

トレーナーちゃんが微笑む

 

「一緒に夢を叶えないか?」

 

誰もいない屋上の更に上、貯水槽の上でそうマヤに自分を売り込むトレーナーちゃんのその姿に、この人となら何かできるんじゃないか、ってマヤは思ったから…

 

 

・・・・・・

 

 

「…!!」

 

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

 

「さあっ!先頭ではナリタブライアン選手とマーベラスサンデー選手が競り合っている!すごい接戦だ!果たして勝つのはどっちだ!!」

 

 

会場に響く実況の声と、待機を震わせる観客席の熱狂。

長かったレースも既に終盤。はるか前の先頭ではブライアンさんとマベちんが鎬を削り、一方マヤはいまだにバ群のなかだ。

 

だけど…

 

(…関係ない!)

 

スッとマヤは後ろに退く。すると、マヤの位置が下がる代わりに、マヤの体はバ群の包囲から解放される。

そう、無理に前に行こうとするから馬群に囲まれるのであって、後ろにいく分なら道はある。

 

そしてだからこそ、バ群を抜け出すことが出来れば…

 

(…見える!)

 

そう、行き止まりでなければ道はある。だからこそ…

 

「いっくよぉぉぉぉおおおおおおっっっ!!」

 

大地を目一杯踏みしめ、それで得られる推進力で、前に出る!

 

「うおおおおおおおおぉぉぉぉおおおっっっ!!」

 

「ああっと!ナリタブライアン選手が少しずつですが前に出始めています!マーベラスサンデー選手ここまでか!?」

 

前の方ではついにブライアンさんがマベちんを破ろうとしているらしい。だけど!

 

1人、2人、3人、流星となり地を翔るマヤの視界の端を、何人ものウマ娘達が流れていく。そして…

 

「…!!な、なんということでしょう!?

お、大外から一人のウマ娘が突っ込んで来ます!」

 

遂に先頭を射程圏内に納める!今まで差しや追い込みなんて、練習でしかしたことがなかったけど、それでもぶっつけ本番で成功させる。それが、マヤにはできる。何故なら…

 

(...わか・・る...今のマヤにはぜんぶがわか・・る!!)

 

自分の体の動かしかたも、どのルートが最適なゴールまでのルートなのかも、周りのウマ娘たちがどんな風に筋肉を動かしてるのかも、なにもかもぜんぶがわかる!だから…

 

「外から!外から!外から!

恐ろしいスピードで突っ込んで来ます!もうすでに、先頭争いをしていたナリタブライアン選手やマーベラスサンデー選手も目と鼻の先です!!

あれは…あれは!!」

 

先頭との差が縮まっていく。あれほど遠くにあったブライアンさんの背中が、もう触れれば届きそうなほどに近くにある。

だからこそ、勝てるってマヤは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぼきっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…え?」

 

 

 

世界から色と音が消える。時間がいきなりスローモーションになってゆっくりになる。

 

突然の出来事に愕然とするが、不意に悟る。今の音がどこから来たのか、分かってしまう。だからこそ…

 

(…ここまで…か…)

 

10000分の1の早さで流れる時間の中で、マヤは思う。

 

(…ごめん、トレーナーちゃん)

 

それはトレーナーちゃんへの懺悔であり、そして自らへの後悔。そして、ようやくトレーナーちゃんのところに行けるという安堵――…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…くやしいな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…では…ない。

 

(…やっと…わかったのに)

 

そうだ

 

(…マヤの…走る理由)

 

マヤは

 

(…だから)

 

まだ………………走りたい!!

 

 

 

 

 

 

だからこそ…

 

 

 

 

 

 

「頑張れぇぇえ!!マヤノぉぉぉっっ!!」

 

 

 

 

 

 

あぁ、そうだ。有マ記念の時とは逆に、今度はネイチャちゃんの声が、

 

 

 

 

「いっけぇぇぇ!!はしれぇぇぇええ!!」

 

 

 

テイオーちゃんの声が

 

 

 

 

 

「ぶちかませぇ!マヤノぉぉっっ!!」

 

「マヤノちゃーん!ボーノだよー!!」

 

「もうちょっとだよぉ!頑張れマヤノちゃーん!!」

 

 

 

 

かつてブライアン先輩を倒すために協力してもらったヒシアマゾン先輩や、ネイチャちゃん達と一緒にマヤのことを気遣ってくれたボーノちゃんとカレンチャン、他にもたくさんの友達や、応援してくれる人達の声が聞こえるから…

 

 

 

ダンッ!!

 

 

 

言葉と共に、おそらく折れているであろう足を、それでも強引に地面に叩きつける。

 

「…!?!?」

 

当然その瞬間に、稲妻のごとき痛みの奔流が全身を駆け巡る。あまりの痛みに、頭が真っ白になり意識が飛びかける。

 

…だけど!!

 

不意に視界に広がるのはどこまでも続くような青い青い蒼穹。

そしてそんな蒼の世界の真ん中に浮いているの一束のブーケ。

色とりどりの、幸せな二人の未来を祝福するその幸福の花束は、

今まで気が付かなかっただけで、ずっとそこにあったものだから…

 

(あぁ、そっか…)

 

それを見た瞬間にマヤは理解する。わかっ・・・てしまう。

 

(ずっと…そこにいたんだね…)

 

夢を自分から捨てない限りは…そんないつかの言葉が脳裏をよぎる。

 

ならマヤの…マヤがしなければならないことは!!

 

目の前のブーケをマヤはつかみ取る。

同時にそこから空がさらに高く、蒼く、どこまでも澄み渡っていく。

それはまさしく無限の空。

鳥でさえも自らの居場所を見失う、そんな一人で飛ぶにはあまりにも広すぎる空。

 

けど!!

 

マヤはつかみ取ったブーケを握りしめる。

強く、強く握りしめる。

そして――

 

(お願い!力を借して!!)

 

目はつぶらない。

その代わりにマヤはしっかりと顔を上げ、無限の彼方をまっすぐに見据える

 

もうマヤは迷わない!だから!!

 

そんな爆発する青の色彩の彼方に向けてマヤは…

 

 

 

 

 

 

「テイク…オォォォォォォフ!!」

 

 

 

 

 

 

飛び出す!!

 

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

 

「マヤノトップガン選手!マヤノトップガン選手!大外から突っ込み今ナリタブライアン選手と並んでおります!ここからどうなるのか!!」

 

足が痛い!

折れた足は痛すぎて感覚もなくなってるけど、

それでも一歩大地に踏み込むたびに、全身に稲妻のような白い衝撃が走る!

 

「…おおおおおおおおおおおおお!!」

 

隣にいるブライアンさんが吠える!

もうこの人は前だけしか見ていない。

絶対にマヤなんかに負けない、そんな意思がひしひしと伝わってくる!

 

だけど!

 

「あああああああああああああっっ!!」

 

痛みを押し殺し、動かない足を無理やりに動かして、マヤは進む!

 

マヤだって負けるわけにはいかない!なぜなら!!

 

(決めたんだ!前に進むって!!)

 

――その瞬間にマヤの体が光に包まれる。

 

そして、その答えを見つけたんだ!

だから!!

 

――そして、その光を突っ切った先で、マヤが着ていたのは…

 

(ここでそれが正しいって!!)

 

――淡いオレンジの、幸せなお嫁さんが着るような、きれいなウエディングドレスだったから――

 

 

 

 

 

「証明、するんだぁぁぁあああ!!」

 

 

 

 

 

「…!!」

 

その最後の叫びとともに、ついにマヤは――

 

 

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

 

 

「か、かわした!かわした!かわした!

ついにマヤノトップガン選手がナリタブライアン選手をかわしました!!」

 

ブライアンさんをかわし先頭に躍り出る。

 

「…っ!!」

 

もう体は限界だ。

全力の果ての、さらにその先を出したマヤは、

もうほとんど気力だけで走っているような状態だ。

正直、いつ倒れてもおかしくない。

 

けど…

 

「いっけぇぇぇ!!」

 

「マヤノォォォォォォ!!」

 

「頑張れぇぇぇえ!!」

 

みんなの声が聞こえるから…

観客席の皆はもちろん、一緒にレースを走っているマベちんや他の子からの声も聞こえるから…

 

「…ああああああああああああああああああ!!」

 

倒れるわけにはいかない!

絶対にゴールしなきゃいけない!

 

その思いだけでマヤは走り続ける!!

 

 

 

…そして

 

 

 

ワアアアァァァァァァァッッッ!!

 

 

 

そして、そんなみんなの声に背中を押され、遂にゴールに飛び込む瞬間…

 

「…!!」

 

誰かと、すれ違ったような気がして…

 

(…これって…)

 

かすかに、どこかの森の中みたいな匂いがした気がしたから…

 

「…見事だ」

 

すぐ後で小さく微笑みながらブライアンさんが言ったことなんて、マヤにはその時全然聞こえなくて…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一着マヤノトップガン選手!!マヤノトップガン選手!!激闘を制したのはマヤノトップガン選手です!!

伝統と栄光の春の盾!それを手にしたのは!最後ですべてを持って行ったこの小さな撃墜王!マヤノトップガン選手です!!」

 

 

ワアアアァァァァァァァアアアアアアアアアァァァァァッァァアァァァァァァッッッ!!

 

 

大歓声の中、マヤはその場に崩れ落ち、意識を失ったのだった。

 

 

 




少女は走り切りました。



これで第3部完結です。ここまでお付き合いくださりありがとうございます。
さぁ物語もいよいよ終盤


もがき苦しみ走りぬいたその果てに、少女が手にした答えとは?


次回より、かなり短いですが、最終章第4部開幕です。お楽しみに。




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第四部  完結編
小春日和


さぁ、ここまで読んで下さった皆様とのお別れも近づいて参りました。

最終章第4部の開幕です。

少女はいったいどんな答えを出したのか、
これからどこへ向かうのか、
彼女達の物語をどうか最後まで見届けてあげて下さい



 

「…」

 

気が付くとマヤは知らない場所に立っていた。

 

 

その場所の特徴を一言で言い表すとしたら、その単語だけで十分で、同時にそれ以上の単語は必要ない。むしろ余計だと言っても良い。

 

上も下も横も目の前も、360°見渡す限りの全ての空間が白く、それ以外のものは何もない。いや、むしろ白という色さえ存在しないのかもしれない。そんな不思議な空間。

 

だからこそ、マヤはそんな時間も空間もない本当に真っ白な空間に自分がいるということを理解した瞬間に、全てを悟った。そして、振り向き様にいつの間にか後ろにいた人物に呆れ気味に声をかける。

 

「…もうちょっとお洒落な空間にできないの?トレーナーちゃん?」

 

「…おいおい、無茶言うなよ。そもそもここお前の夢なんだから、むしろ出来るとしたらお前だろ?マヤ」

 

そう言いながら苦笑するのは、くたびれた黒いスーツに黒い中折れ帽子、そして黒いサングラスをかけた男の人で…

 

「…久しぶり、トレーナーちゃん」

 

「…あぁ、そうだな。マヤ」

 

トレーナーちゃん。マヤのたった一人のトレーナーちゃんだった人物は、変わらない笑みをうかべてそこに立っていた…

 

 

 

・・・・・・

 

 

…目を開ける。

 

知らない天井…ではなく、よく知っている天井が見える。

 

壁に備え付けられた窓の隙間から漏れでる光が、うっすらとあたりを照らしていて、外からは鳥の囀りが聞こえる。

 

つまり…

 

(…夢…か)

 

ここが現実であり、さっきまでのことが夢であることを認識すると、マヤは掛け布団を退かして起き上がる。

 

基本的に寝坊助なマヤにしては、かなり早く目が覚めたようで、外はまだ明るくなり始めたばかり。いつも朝早くに起きて自主トレをしているテイオーちゃんがまだ起きていないあたり、相当早い時間のようだ。

 

ううん…

 

「…んんっ…ふぁ~もう朝か…

 

…あれ?マヤノ?…えっ?えっ?なんで?…も、もしかしてボク寝過ごした!?」

 

隣のベッドから起き上がったかと思えば、マヤの顔を見るなり、混乱して目を白黒させ、急に青ざめるなり慌てて目覚まし時計を確認するテイオーちゃんを見て、マヤは少し笑ってしまう。

すると、自分が寝坊したわけではないことを確認し、安心していたテイオーちゃんが、こちらの様子に目敏く気付いて、じとっとした目を向けてくる。

 

「…な、何さマヤノ」

 

「ううん、テイオーちゃんが慌ててる様子が可愛くて、ね♡」

 

「なっ!そ、そりゃ起きたらいっつも遅刻ギリギリまで寝てるマヤノが、ボクより早く起きてるんだもん!ボクだって驚くよ!!」

 

真っ赤になって怒るテイオーちゃんを見ていると、ふと妙案が浮かぶ。それは、見たところ外の天気が良いためにできることであり、基本的に寝坊助な自分の為に普段は出来ないことであって…

 

「…ねぇ、テイオーちゃん?」

 

「な、なにさ!」

 

「…一緒に散歩に行かない?」

 

 

・・・・・・

 

 

「なるほどなるほど。

それでテイオーの機嫌が今日は良いってことなのね」

 

「ふっふ~ん!その通りさ、ネイチャ!」

 

「マーベラス☆

良かったね★テイオー☆」

 

食堂でマーベラスと朝食を食べていると、やけに機嫌が良さそうなテイオーが入ってきた。だから同じ席に誘って事情を聞いてみると、どうも珍しくマヤノが早起きをしたので、一緒に散歩をしてきたようだ。

それを聞き、アタシは感心しながらご飯を口に運ぶ。

 

「ふふふ、これでネイチャにもう、一緒に散歩もできないような仲なんて言われることもないもんね!ボクとマヤノは仲良いんだから!!」

 

「あんたあの時のこと、まだ根に持ってたのね…」

 

どうもテイオーはいつかアタシが言った、マヤノと一緒に散歩なんて出来ないでしょ、という言葉を覚えていたらしく、そのせいかアタシにものすごく威張ってくる。めっちゃドヤ顔である。

…正直ちょっとだけアタシの右ストレートを解禁しても良いんじゃないかって思うくらいにはウザい顔である。

だがまぁ、実際この二人は中々生活リズムが合わず、そういう同居人としての交流らしきことがあんまりしにくいらしいのは本当だ。だから、今日のことはなかなかできない、珍しくて良いことではあるので、苦笑で受け流す程度にしておく。

あぁ、美しきかな友情ってやつだしね。

 

「でも本当に珍しいね、マヤノが早起きするなんて。明日は槍でも降るかもね?」

 

そんなことを思いつつ、アタシはふと思ったことを口に出す。

実際珍しいのだ。マヤノが早起きするなんて。基本的にあの子は、寝る子は育つを地で行く子なので、本当にいつも良く寝ている。

朝だっていつもギリギリまで寝ていて遅刻すれすれまで粘っているし、授業中でもたまに教科書を手に持ったまま寝ている。もちろん寮に帰れば、一番に布団に入って寝てしまう。

実はこの子ウマ娘じゃなくて、ナマケモノ娘なんじゃないかと、少し疑ってしまうほどに良く寝ているのだ。そんなマヤノが早起きなんて、朝起きたら太陽が逆から昇ってました、くらいの結構な珍事なのだ。

 

「そうだね~☆マヤノは寝起きも弱いからね★

テイオー実は引っ掻かれたりしてない?」

 

「やだなぁ、そんなことされるわけないでしょ?

そもそも今日はマヤノの方が先に起きたんだよ?

そういう理屈なら、引っ掻くのはボクのほうじゃないか」

 

「え?マヤノ、テイオーよりも早く起きてたの?」

 

流石にびっくりして思わず聞いてしまう。アタシはてっきりテイオーが起きてる時にマヤノが起きたんだと思ってたんだけど…

 

「...これは明日は、槍の代わりに爆弾くらい降ってもおかしくないかもね...

マーベラス、明日は鋼鉄製の傘がいるかもね」

 

「マーベラス☆

確かネイチャ持ってたよね?

ホントに降ったらマーベラスにも貸してね★」

 

「いや、大袈裟な…ってなんでそんなもの持ってるのネイチャ!?」

 

「う~ん、でもまさかテイオーよりも早く起きるなんてね…よっぽど楽しみなことでもあったのかしらね?テイオーは何か知ってる?」

 

「いや無視しないでよ!それよりボクはネイチャの持ってる傘の方が気になるんだけど!」

 

アタシがテイオーに心当たりを聞いてみると、しばらくアタシの傘について騒いでいたテイオーだったけど、その内少し考えるとこんなことを言い始めた。

 

「う~ん、そう言えばマヤノは今日どこかに行く予定があったみたいだよ?」

 

「あぁ、そう言えば確かに。

テイオー、今日もあんた1人ね」

 

マヤノは学園の先生と、遅刻か否かのスレスレのバトルを毎日している。

だから、テイオーが一人で朝ごはんを食べにくるのに慣れていたから気付かなかったけど、確かに一緒に散歩に行ったという割には彼女は今日も一人だ。

とすると

 

「それでマヤノは?もしかして出掛けるまで時間があるからって二度寝したの?」

 

「いや、どうも少し遠いところに行かなくちゃいけないみたいで、散歩から帰ってきたらすぐに出掛けていったよ。

朝ごはんはコンビニで買うって」

 

「ありゃ、それは本当に遠いところに行くんだね」

 

アタシはちょっと驚く。

確かに今日は休日だけど、朝は普通に食堂も空いてる。それでもコンビニで買うあたり、よほど早く行かなくちゃいけないんだろう。恐らくは、電車かバスか…

 

「でも、じゃあどこに行ったんだろうね☆マヤノは★テイオーは知らないの?」

 

「う~ん、実はボクも知らないんだ。今朝散歩から帰ってきて、いきなり言い出したことだから、聞く暇もなかったんだ。ただ…」

 

一旦言葉を切ると、テイオーはアタシ達を見て言った。

 

「…マヤノね、ブーケを持っていってたよ」

 

「...ブーケ?」

 

「うん。

そして恐らくあれは普通のブーケじゃない」

 

そう言うと、テイオーは少し遠い目をする。

 

「キミ達も見たでしょ?

あの天皇賞で、マヤノの勝負服が変わったところ。多分あの勝負服でマヤノが手に持ってたブーケなんじゃないかな?あれ」

 

「…それは」

 

そう、あの天皇賞においてマヤノの着ていた勝負服は全くの別物になっていた。

 

もともと勝負服とは、G1に出るウマ娘達のために作られる特別な衣装で、一人一人オーダーメイドで作られるため、文字通り世界に一つしかない、自分だけの衣装だ。

だからこそ、多くのウマ娘達にとっても憧れで、これを着ることができるだけでも、一流のウマ娘の証明になるほどの代物なのだが、実はこの勝負服にはもう一つ役割がある。

 

それは、勝負服を着るウマ娘の魂に込められた力を引き出す補助をすること。だからこそ、勝負服は一人一人に合わせて作られるし、端から見ると走りにくそうな格好でも、普通に走ることができる。

 

だが、この勝負服には更に特性がある。それは、ごく稀に変化することがあるというものだ。

 

それは簡単な話で、魂に秘められた力を引きだすのを補助するという特性上、勝負服はウマ娘の魂に最もフィットした形になっていると言われている。だからこそ、ウマ娘がレース中に急成長し、その魂の可能性が開かれた時に、魂の形の変化に合わせて、勝負服がレース中にアップグレードされることがあるのだ。

 

もちろん、そうそうあるようなことではない。だが、それでも数年に一度程度はあることのようで、現にこのテイオーも、有馬記念でそれをやった口だ。そして…

 

「勝負服の変化にはね、鍵になるものがあるのが普通なんだ。例えばボクならこの光の羽」

 

そう言ってテイオーがポケットに入れていた手を広げると、その中には確かに光る不思議な羽がある。

 

そう、この勝負服の変化は言ってみればウマ娘に開けた可能性を形にするもの。だからこそ、その発現にはそれを暗示するアイテムが必要なようで、覚醒の際には必ずそれが目の前に現れるのだという。

 

さっき見せてもらった羽もそのひとつであり、勝負服を着た状態でそれを握り混むことで、勝負服を変化させることができるという仕様らしい。だからこそ…

 

「…きっとマヤノは」

 

そう何か遠くのものを眺めるような目をするテイオーの姿を見て、アタシはマヤノの新しい勝負服を思い出す。

 

それは、ウエディングドレス。淡いオレンジのその衣装は、流石に本物と比べると簡素なものであり、走りやすいようにできているが、間違いなく花嫁衣装だった。そしてそれ故に、彼女がゴールした時に持っていたブーケが、恐らくテイオーのいう鍵になるアイテムであり、それを持っていくということは…

 

「…えぇ、そうね。きっと今の季節なら、桜も綺麗に咲いているでしょうしね」

 

そこまで考えて、アタシはテイオーにそう同意する。

 

休日の朝なので、少し遅い時間でもそれなりに人がおり、思い思いに食事をとっている。窓から差し込む春の陽気が、そんな彼女達を暖かく包んでいる。その光景はまさに平和そのもので…

 

「よしっ!じゃあご馳走さま!!ボクはこの後少し休んだら軽くトレーニングをするつもりなんだけど、2人は?」

 

朝食を食べ終えたテイオーがそう聞いてくる。

 

「マーベラス☆マーベラスは特に予定はないよ★」

 

「そうなの?じゃあせっかくだし、ちょっと一緒にトレーニングしない?」

 

「いいよ☆いつからにする?」

 

「う~ん、そうだな...じゃあ9時にグラウンド前に集合で!」

 

「マーベラス☆」

 

特に予定がなかったらしいマーベラスは、テイオーと一緒にトレーニングをすることにしたようで、少しご飯を食べるペースを上げている。

 

「それで、ネイチャは?」

 

するとすかさずテイオーはアタシも誘ってきたので

 

「あ~ごめん。今日はちょっと出かける予定があってね」

 

「そうなんだ。どこ行くの?」

 

そう断ると、行き先を聞いてくるので、

 

「あぁ~…ちょっとね。まぁ大した用じゃないよ」

 

「ふ~ん、まぁまた暇があれば一緒にトレーニングしようね!」

 

「ん、ありがとう」

 

そう言ってお茶を濁す。と

 

「ご馳走さま☆食器下げてくるね★」

 

朝食を食べ終えたらしいマーベラスが席を立ち、席にはアタシとテイオーだけになる。

 

「んん、じゃあボクも行こうかな?またね、ネイチャ」

 

「ほいほい」

 

そう言い席を立つテイオーに手を上げながら、お茶を飲んでいる時だった

 

(「トレーナーとのデート、うまくいくと良いね」)

 

「ゴフッ!!」

 

去り際に耳元で告げられた言葉に、アタシは思わずむせる。

 

「ゲホッ!ゴホッ!テ、テイオー!!あんた、何で!?」

 

「あっ、鎌かけてみただけだったんだけど…

その反応はアタリだね?」

 

「~ッ!!」

 

はかられた。そう認識した瞬間に、アタシの顔は真っ赤になって…

 

「いや~、良いですな~若者は~。

どうぞ、わたくしのことなど気にせず、よろしく励んでくださいね~オホホ~

 

…ってうわっ!危な!!」

 

「…ト ウ カ イ テ イ オ ー…!!」

 

「ま、待ってネイチャ!ここ食堂!!からかったのは悪かったけど、ここで暴れると…」

 

「うるさい!大人しく一発喰らっときなさい!!」

 

「ヒェッ!

だからネイチャ!キミのパンチはウマ娘でも規格外なんだってば!そんなの喰らったら死んじゃうってば!!誰か助けてー!!」

 

うるさい!うるさい!

人の恋路を邪魔する奴はウマ娘に蹴られる、って古事記にも書いてあるんだ!だから腹くくって一回死んどきなさいぃぃぃっっ!!

 

 

 

 

 

 

…ちなみに、最終的に「食堂で暴れるな」とオグリキャップ先輩が珍しくマジ切れし、後に言う第一次食堂大戦が勃発。

白眼流・黄金錨術の正統後継者であるゴールドシップをも巻き込み、トレセン学園の歴史に刻まれる、三つ巴のラストバトルを繰り広げた結果、盛大にデートに遅れた。

 

…テイオーいつか絞める

 

 

 

 

(ワケワカンナイヨー)




この世界なら多分ネイチャの言ったこと、ガチで古事記に書いてあると思います。
というかあっちの世界なら、どこの国の神話にも同じこと書いてありそう。

…そう考えると、アニメの沖野Tって、実は我々が思ってるほど、あっちの世界では特異な存在ではないのかもしれませんね。
ほら、もしネイチャの発言が全世界に昔からある格言だとしたら、確実にギリシャ神話の主神とか、えらいことになってますしね…



※ちなみに前回の天皇賞でマヤちゃんがケガしたのは、
 現実の天皇賞でもレース後に、屈腱炎を発症したのでその再現です。
 
 まぁ、流石にこれが出るとその後の復帰が絶望的なので、
 コンディションも史実に比べてかなり悪かったのも込みで、
 レース中の骨折程度で済んだということでどうか許していただければ…

 …え?それでも十分にヤバい?ギルティ?
 はい、それはもう本当におっしゃる通りで…
 (ぷかぷかと脳みそが浮いている水槽に取り付けられたスピーカーから声がする)
 (なお、詳細が知りたい方は「ミ=ゴ 脳みそ缶詰」で検索検索ぅ!!)

 …あっ、待ってマヤちゃん!
 お願いだからそのコード抜かないで…いやぁぁぁぁぁっっっ!!

 ???「アイ・コピー♥」



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お墓参り

少女が向かうのは終わりの地。
彼女にとっての大切な人が眠る場所…


「つきましたよ、マヤノトップガン殿」

 

そう言って足をとめる前方のお坊さんに、マヤはお礼を言う。

 

「ありがとうございます、和尚さん。わざわざ手桶まで運んでいただいて」

 

「ははは

なに、困った時はお互いさまですよ。それに…」

 

ここまで運んできた手桶を地面に置きながら、お坊さんは言う。

 

「…この人のお墓には、あまり訪ねてくる人がいないんですよ。

 

ですから、そんなところにお参りに来てくださる、あなたのような奇特な方を放ってはおけませんよ…」

 

「和尚さん…」

 

そう言って遠い目をするお坊さんだったけど、すぐに微笑んでマヤに頭を下げてくる。

 

「では、私はこれで。

お帰りになられる時には声をかけてくださいね。

手桶なんかは私のほうで片付けておきますので」

 

「何から何までありがとうございます。和尚さん」

 

だからマヤも、松葉杖ではあっても頭を下げようとしたんだけど

 

「いえいえ、良いのです!

なに、せっかくあの撃墜王、マヤノトップガン殿が訪ねてきてくださったのです。都の有名人に会えただけでも、この老骨には勿体ないくらいですよ!」

 

とそれを止めると、お坊さんは朗らかに笑い

 

「それでは、後はどうぞごゆるりとお過ごしください。

本当に何もない場所ですが…その代わりあなた方を邪魔するものもまた、なにもありませんので」

 

そう言ってくるりと背を向けてお坊さんは去っていく。50、いや60位の方なのかな?何にせよ、そのお坊さんの後ろ姿に、しばらくマヤは頭を下げる

 

「…本当にありがとう、和尚さん」

 

電車をいくつか乗り換え、何とか目的のお寺まで来たところまでは良かった。

でも、そう言えば今松葉杖だから、水を入れた手桶をお墓まで持っていけないと気付いて慌てるマヤに、あのお坊さんは声をかけてくれ、それだけでなくここまで来るのを手伝ってくれたのだ。

マヤ一人ならどれだけ苦労したか、と考えると頭が上がらない。

 

だからその感謝を込めて、しばらく頭を下げていたマヤだったんだけど、やがて頭を上げて振り返る。

すると、当然その場所には一つの墓石があるわけで…

 

それを見ると、少しだけ口の端が上がってしまう。なにせ…

 

「…今朝ぶりだね、トレーナーちゃん」

 

そう微笑むマヤが向かい合うお墓の主に、マヤは今日の夢で会っていたのだから…

 

 

・・・・・・

 

 

「ところでさ、トレーナーちゃん」

 

久しぶりに向き合うトレーナーちゃんに、マヤは質問を投げ掛ける。

 

「…今マヤが話してるトレーナーちゃんってさ、多分本物だよね?」

 

そんなことを言うものだから…

 

「おいおい、なに馬鹿なこと言ってるんだ?

ここが夢だってことくらいお前だって分かってるだろ?なら、そこに出てくる登場人物だって…」

 

「夢、って言いたいんでしょ?トレーナーちゃん?」

 

トレーナーちゃんが慌てたように言葉を紡ぐのを、あえてマヤは遮る。

 

「でもね、別におかしなことでもないんだよ?

夢の中で死んだ人に出会うなんて話。別に珍しくもないでしょ?」

 

わざわざ夢幻能なんて古典を持ってこなくても、せめて夢の中でだけでも死んだ人に会いたいっていう想像力は、世界共通のもの。

だから、メジャーなものからマイナーなものまで、その手の話は探せばいくらでも出てくる。

 

「まだあるよ?

夢は記憶の整理だっていう説が成り立つなら、その夢の中でトレーナーちゃんが言う台詞も、これまでマヤが聞いたことある台詞のリフレインになるはず。

でも、以前マヤが見た夢の中のトレーナーちゃんの台詞はそのどれにも該当しない」

 

「…」

 

「流石にマヤでも、今までにトレーナーちゃんと交わした言葉の全部を覚えている訳じゃないけど…

少なくとも、もしあの時のトレーナーちゃんが夢だったとしたら、あの時みたいにマヤの現状への言及なんて絶対にできない。

だって、もうその時にはトレーナーちゃんは死んでるんだから。

知ってるはずがないんだよ」

 

そう言うと、トレーナーちゃんはすかさず反論する。

 

「…い、いやマヤ。夢ってのは荒唐無稽なものだろ?それなら…」

 

だから

 

「うん、そうだね。

確かに夢で死者に会えるって話があるからって、今ここにいるトレーナーちゃんがそうであるっていう証拠はないよ。

 

それに夢が記憶の整理なんてのもあくまでも一説。予知夢や白昼夢なんていう、それでは説明がつかない現象もある以上、根拠としては弱いよね?」

 

あえてその反論を肯定すると、トレーナーちゃんは安心したように胸を下ろす。

 

「…ハァッ、全く相変わらずヒヤヒヤさせるな、マヤは」

 

そして

 

「大体マヤ、お前が今言ってたのはあの時の俺の話だろ?

そもそもあの時の俺と今の俺が連続している根拠がない以上、前提からして間違ってるぜ?」

 

そんなことを言うから…

 

「うん、そうだね。トレーナーちゃん。ならさ

 

どうしてその、今目の前にいるトレーナーちゃんが、前の夢のことをあの時・・・、だなんて言えるの?」

 

「!?」

 

絶句するトレーナーちゃんにマヤは追撃する

 

「そうだね。確かに夢は荒唐無稽なもの。だから、その中でトレーナーちゃんが何を言っても、どんな行動をしてもおかしくはない。だけど…」

 

「…」

 

「おかしいよね?確かに夢は荒唐無稽であることが本質だけど、だからこそ、一つ一つの夢に連続性なんてない。

良い夢を見ていたから、もう一度眠ってその夢の続きが見たい。そう思っても、基本的にできないでしょ?

ならさ…」

 

そう言ってマヤはトレーナーちゃんの方を見る

 

「どうして今目の前にいるトレーナーちゃんは、前の夢の記憶を持ってるの?」

 

「…そ、それは…」

 

さっきまでは、まるでピンチを免れたとでもいうように心底ほっとしていたトレーナーちゃんが、今度はまるで、秘密がバレて怒られる前のように、冷や汗をだらだら流している。

 

「言っとくけど、言葉のあやなんて言っても無駄だからね?

そもそも最初にマヤは言ったよね?

 

久しぶり・・・・、って。

 

今更取り繕っても言質は取れてるんだよ?」

 

「!!

お前、すでにあの時から!!」

 

トレーナーちゃんが再び絶句するのを尻目に、マヤは最後の証拠をトレーナーちゃんに叩きつける。

 

そう、それこそがマヤが今目の前にいるトレーナーちゃんを、マヤの夢でなく本人だと確信した理由で…

 

 

「…それにね、トレーナーちゃん知ってる?夢の中って感覚が曖昧なものなんだよ?」

 

そう、夢かどうかが分からないときに、自分の頬をつねるという表現があるが、それこそまさにその典型。夢の中では感覚が鈍いことを逆手に取った事実確認の方法であり、故に

 

「それを利用してわざとマヤの感覚を欺こうとしていたみたいだけど…不思議だよね?その割にトレーナーちゃんの香水だけははっきりと香ったんだ」

 

「…!?」

 

そう、確かにあの時トレーナーちゃんを抱き締めた時、マヤの腕に返ってきた感触は希薄なものだったけど…

 

「ホントに不思議だよね?トレーナーちゃんの腕の感触、抱き締めた体温、その全てが希薄だったにも関わらず、それだけはビックリするくらい鮮明に感じられたんだよ?ならさ…」

 

あの匂いを、トレーナーちゃんの匂いを、他ならぬマヤが間違えるはずなんてないから…

 

「その匂いはどこから来たんだろうね?」

 

だからマヤは…

 

「…ねぇ、もう良いでしょ?トレーナーちゃん。いい加減素直になろうよ?トレーナーちゃんは…」

 

決定的な一言を…

 

「今目の前にいるトレーナーちゃんの正体は…」

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

「ふぅ、これで綺麗になったかな?」

 

墓石に水をかけ、雑巾で汚れたところを拭いたマヤは、そうひと心地つく。

 

確かに足を怪我している今のマヤの状態では普段ほどには動くことができないけど、それでも膝立ちになれば墓石の掃除くらいはできる。

だから、ついさっきまで一生懸命手桶に入っている水を墓石にかけたり、雑巾でその水を拭いつつ、細かいところにつまった埃やゴミを取っていたんだけど…

 

 

ぐ~

 

 

「…あ」

 

周りには誰もいないとはいえ、女の子としては恥ずかしい音がお腹から鳴ったので、少し顔を赤くする。

 

ふと時計を見てみるともうお昼であり…

 

「…じゃあ、ちょっと休憩しようかな?」

 

そう言ってマヤは少しお墓から離れたところにハンカチをひいて座る。そして持ってきたリュックサックに入れていた、途中で買ったおむすびを食べ出すんだけど…

 

「…ホントに良いところだよね…ここ…」

 

その途中で心の声が思わず口から出てしまう。

 

マヤが今いるこのお墓は小高い丘の天辺にある。

だからこそ周りが良く見えるんだけど、そうは言ってもここは結構な田舎。だから見渡す限り田んぼや畑しか広がっていない。でも、だからこそ静かで落ち着いた場所で…

 

 

 

ピーヒョロロロロロロロロ…

 

 

 

見上げると、遮蔽物がないせいか、いつもより遥かに広く、そして高くまで広がる青空を、一匹の鳶が気持ち良さそうに飛んでいる。春の陽気の下、晴れた空はどこまでも、どこまでも、青く深く澄み渡っている。

 

そんな気持ちの良い空を眺めていると、ふと視界に薄桃色の花びらが映る。だから、その花びらが飛んできた方向を振り返ると、マヤのななめ後ろ、すなわちトレーナーちゃんのお墓の後ろにある桜の木に行き当たる。その桜の木があまりにも見事に咲いていたから…

 

「…まったく。ホントにトレーナーちゃんは、いつこんなところを見つけていたのかな?」

 

なんてちょっと呆れる

 

そう、ここは実はトレーナーちゃんの実家の墓ではなく、生前にトレーナーちゃんが死んだらここに埋葬してくれと遺言を残していた場所だ。

 

マヤも直接会ったことはないけど、トレーナーちゃんは両親とかなり仲が悪かったらしい。

だから生まれ自体はかなり良い方だったらしいけど、完全に両親とは絶縁状態にあり、死後その墓に入ることを許してもらえなかったらしい。トレーナーちゃんのお墓に人が来ない理由のひとつがこれだ。

 

だから、当初は彼をどこに埋葬するかということで紛糾したらしいんだけど、何故かトレーナーちゃんはこの土地にすでにお墓の権利を持っており、発見された遺言状にもここに埋めてくれと書かれていたから、トレーナーちゃんは今ここに眠っているのだ。

 

吹き抜けていく爽やかな風を感じながら、マヤはおにぎりを頬張る。眼下にはホントに田んぼや畑しかなくて、何にもない。

だけど、だからこそこうして静かにのんびりするには最適な場所で…

 

(…オトナの人たちは、あの人が死後に親の墓に入れてもらえないことを見越して用意をしてた、って言ってるけど…)

 

マヤが思うに、それは多分半分間違ってる。

もちろんそういう理由もあったんだろうけど、あのトレーナーちゃんのことだから恐らく…

 

(「良い男なら、人生の終着点にもこだわるものだぜ?マヤ。

 

どうよ、良い場所だろ?ここ?

こういう平和で静かな場所こそ、良い男の墓標に相応しいところなんだぜ?」)

 

なんて言うに違いない。

 

(カッコつけだったからな…)

 

まぁ、あんまり本人が思ってるほどにはキマってなかったけど…

でも、そう言い張るトレーナーちゃんの姿がありありと目の奥に浮かぶ。

だからこそ、それが少しおかしくて

 

「…ふふっ」

 

思わず笑ってしまう。

 

あぁ、だからこそ…

 

「…けじめはつけなきゃね」

 

そう言ってマヤは食べ終えたおにぎりの包装を、コンビニでもらったビニール袋の中にいれて口を縛る。

そしてそれをリュックサックの中に入れると、また松葉杖を使って立ち上がり、敷いていたハンカチもまたその時に回収してリュックサックの中に入れ、さらにその中からまた道具を取り出す。

 

こんな風に、昼御飯の片付けと午後からの作業の準備をしていると、気が付くと、空を飛んでいた鳶はどこかに飛び去っていた。

 

だけど、

 

(このために、マヤは今日ここに来たんだしね)

 

そう思いながら、マヤは早速作業に取りかかる。

とは言え、一番大変な墓石の掃除が終わっているのだ。後は古い花と新しい花を交換して、お線香をあげるだけだから、言ってもそんなに時間はかからない。

 

(…ホントはお墓の周りの掃き掃除もしたいけど…)

 

流石に今の状態では無理だ。残念だけど、そこに関してはさっきのお坊さんに頼んでおこう。

 

そう思いながら、線香に火をつけ手を合わせる。

 

 

 

静かだ

 

 

 

元々周りに何もないのと、参拝客がマヤしかいないのを合わせて、周囲からは人工の音が一切しない。だからこそ、木々のざわめきの音くらいしかしないため、あたりはとても静かだ。

 

そんな中

 

「…ねぇ、トレーナーちゃん」

 

マヤは口を開く。

 

「…マヤね、今日はトレーナーちゃんに話したいことがあって来たんだ」

 

これまでのことを、今からのことを話すために、そして…

 

「…聞いてくれるかな?」

 

何よりも、前に進むためのケジメをつけるために

 

ザァッー

 

と風が吹く。それに揺られる桜の木から、無数の花びらが飛んでいく。

 

その様子を見ながら、マヤは今朝の夢の続きに思いを馳せた。

 

 

 




大切な人の墓前で彼女は何を語るのか。

短いですが、次回で第4部完結です。

…そして、本当に申し訳ないですが、
また日が空きます。
次回は24日の夜の予定です。
度々日が空いて申し訳ないですが、よろしくお願いいたします。



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テイクオフ

彼女の出した答えは…

※すいません。
24日に出すと言いましたが、
諸事情でその日は出せなくなりそうなので、
予定を繰り上げます。



「夢、なんだよね?」

 

「……………………は?」

 

マヤの決定的な言葉を聞いたトレーナーちゃんは、今までに見たことのないくらいポカーンとした顔をしている。

そのあまりにもアホッぽい顔が、マヤには面白くて面白くてたまらなかったものだから

 

「あはははははっ!

トレーナーちゃんなにその顔?い、いくらなんでも面白くすぎるよ!!

あははははははっ!!」

 

「…え?…いや、ちょっと…」

 

「ふ、普段はカッコつけてるくせに…あははははは!な、なにその顔!!…ふふふっ!ちょ、ちょっとダメ!マヤ限界!!あははははは!!」

 

「…あ…あのー…」

 

「あははははははははははは!!」

 

流石にトレーナーちゃんも戸惑ってるけど、ちょっとこれは無理!!

 

「…マ、マヤさーん?」

 

だってここまで面白い顔したトレーナーちゃん始めて見たから!笑いが止まらない!!

 

と言うわけで、マヤはひたすら笑い続ける。そしてその間ずっとトレーナーちゃんは状況についていけず戸惑ってる。でもそれも当然で…

 

「…あぁ、面白かった。

それで、トレーナーちゃん?

なにか聞きたそうな顔してるけど?」

 

「ま、まぁそれはな…」

 

ようやく笑いが収まったマヤに、少しひいてるけどトレーナーちゃんが話しかけくる。そしてその話題は当然…

 

「…マヤ、君は俺が本物だと思ってるんじゃなかったのか?」

 

 

そう、これに尽きる。

ここまでマヤは、トレーナーちゃんに完璧な証拠を叩きつけ、トレーナーちゃんがマヤの夢ではなく本物であることを証明した。

だからこそ、トレーナーちゃんもそれを直接言われると思ったんだろうけど…

 

「…ううん、全然」

 

だからこそ、そう返したマヤにトレーナーちゃんはまたも唖然とした顔をさらす。

 

だから、マヤもまた少し笑ってしまいそうになるのを堪えて答える

 

「だって、さっきのだって状況証拠を積み重ねた穴だらけの当てずっぽうな推理だよ?究極的なところ確証はないんだよ?」

 

そう答えるものだから

 

「で、でも俺は前の夢の記憶を持ってて…それでいて香水の匂いは誤魔化せなくて…」

 

「トレーナーちゃん自分で言ったじゃない。

夢は荒唐無稽なものだって。それならそんな記憶があるトレーナーちゃんが出てくる夢だってあり得るし、香水の匂いだってマヤの勘違いな可能性は高いよ?」

 

そう反論してくるトレーナーちゃんの意見を封殺する。

 

「だが…」

 

「そもそもさ、ここが夢の世界であるかどうかすら確証持てないんだよ?

もしかしたらここはマヤの脳の中じゃなくて、どこかの異世界かもしれない。

もしかしたら、実はマヤはもう死んでて、ここは黄泉の入り口なのかもしれない。

目覚めることが出来れば、これは夢だったって証明できるけど、逆に言うと、目覚めない限りはここが本当はどこかなんて証明できない。

だからね」

 

そう言いながらマヤはトレーナーちゃんの目を見つめる

 

「証明できないんだよ。本質的に。ここがどこで、マヤが誰で、そして目の前にいるトレーナーちゃんが誰なのか、マヤには本当は証明できないんだよ」

 

その目が困惑に揺れているからこそ…

 

「だから、今目の前にいるトレーナーちゃんは、マヤの夢。

本物じゃない。」

 

受け入れてはいけない。この人が本物だなんて、絶対に言ってはいけない。

 

「マヤの妄想で、本物じゃない。

そう、本物であるはずがない」

 

夢じゃないって思ってしまったら、本物だって認めてしまったら…

 

「…だからね、トレーナーちゃん」

 

マヤは今からでもこの人の元に駆けて行って泣いてしまうから

 

もう絶対に離さない、そう言って一生トレーナーちゃんから離れられなくなるから

 

「…マヤ、君は…」

 

だから…

 

 

 

「そう、キミはマヤの夢…なんだよ。トレーナーちゃん?

ユー・コピー?」

 

 

 

そう言ってマヤは目の前のトレーナーちゃんに微笑む。

 

しばしの沈黙。文字通り、時間も空間もない場所に、マヤとトレーナーちゃんは無言で立ち尽くす。

そして…

 

「………あぁ、分かったよ。マヤ」

 

そう言って

 

「……アイ・コピー。君の覚悟は分かった」

 

目の前にいるトレーナーちゃんも、自分が夢であることを認めてくれたから…

 

「…だからこそ、聞かせてくれ。

俺に、自分の言葉で聞かせてくれ」

 

やっとマヤも、本当のことを…

 

 

 

 

「マヤノトップガン、君はなぜ走るんだい?」

 

 

 

 

 

マヤが見つけた走る理由を、ようやくキミに伝えることができるから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「…マヤね、トレーナーちゃんのこと好きだったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

なにも語らない墓石の前で、今朝見た夢で話したことと、まったく同じことをマヤは口にする。

 

「…いっつもバカなことやって…他のウマ娘の皆に気持ち悪がられて…格好をつけようとしても絶妙に格好をつけられていなくて…そんなバカでバカで、どうしようもなくバカな人。それがマヤのトレーナーちゃん」

 

そう、客観的に見てマヤのトレーナーちゃんはバカだった。本当にバカな人だった。

 

くたびれた黒いスーツに黒い中折れ帽子、そして黒いサングラスとかいう、10人中10人が怪しいと言うような正統派不審者ファッションを本気でカッコ良いと思ってたし、嗅覚が鋭いウマ娘のために匂いものを付ける文化が排斥されているトレセン学園で、ひとりだけ香水をプンプンさせているような人だった。

 

いつでも自分のカッコ良いに素直で、お洒落に必要以上に気を使ってたせいで、毎月の給料日の前には常に金欠でピーピー言ってたし、それでそろえたお洒落も、絶妙にダサくて全然カッコ良くないものばかり。

 

能力はあるのに詰めが甘いせいで、何回も何回も失敗して、おまけに良いウマ娘に目がなくて、マヤと一緒にいても、いつの間にか目についたうま娘を、怪しさ満点の勧誘で誘おうとしてたよね。

 

…思い出すと、ちょっとイラッとしてきたけど、それでも、それでも…

 

 

「…それでも、マヤはトレーナーちゃんのことが、好きだった。大好きだった」

 

 

そうだ。それでもマヤは、そんなどうしようもない人が好きだったんだ。

 

 

「マヤがレースで勝った時、一緒に喜んでくれた。マヤがレースで負けた時でも、一緒に悲しんでくれた。

どんなに辛いときでも一緒にいてくれたし、一度だってマヤのことを疑うようなこともなかった」

 

…そうだ。マヤは知ってるんだ。

 

「サングラスなんかしてるのは、目付きが怖いから。

ウマ娘が怖がらないようにだったの知ってるし、いつもバカやってるって思われてたことも、大抵はマヤか他のウマ娘のためのことだった」

 

それで逆にウマ娘に避けられてしまうのは、本人のセンスが壊滅的なのが悪いんだけど…少なくともその行動の根本には

 

「格好をつけようとしてたのだって、少しでもマヤ達が親しみやすく、気軽に話しかけられるような人になれるようにだったのも知ってるし、実はいつも買ってた化粧品とか服だって、本当はすごい安物で、給料の大半をマヤのトレーニングの為に使ってたのだって知ってる」

 

いつもウマ娘、敷いてはマヤへの思いやりがあったのを知ってるから...

 

「いつも夜遅くまでマヤを勝たせるためにお仕事してたのだって知ってるし、マヤを模擬レースに出すために、色んな人に頭を下げて回って、人によっては土下座だってしてたのだって、マヤは知ってる!」

 

そして何より…

 

「自分の夢を諦めかけてたマヤに!諦めないでって初めて言ってくれた人だから!!」

 

そんなキミが…

 

「好き!好き!大好きだった!!

 

いつからか分からないけど!

そんなどうしようもなくバカで!ダメで!おっちょこちょいで!それでいて、本当はすっごく優しくて!誰よりもマヤのことを真剣に考えてくれて!いつもキラキラした目で前だけを見ていた!

 

そんなトレーナーちゃんのことを、マヤは好きになっちゃったの!!」

 

口に出せば出すほどに、思いが溢れてとまらない。言いたいことが、胸の奥から次々に溢れてくる。

 

「いつからか、レースに勝った時のトレーナーちゃんの顔を見るのが好きになった!

笑顔で喜んでくれるトレーナーちゃんの顔を見ると、心臓がドキドキして嬉しくて嬉しくてたまらなくなった!

レースに負けた時のトレーナーちゃんの顔を見るのがつらくなった!マヤの敗けを悲しんでくれるトレーナーちゃんの顔を見ると、胸の奥がキュ~ってなって苦しくなった!」

 

思いは止まらない

 

「バカなこと考えているトレーナーちゃんの横顔を見るのが好きになった!

どうしようもないことばっかりやらかすけど、それでもいつも楽しそうなトレーナーちゃんの顔を見ていると、マヤもなんかドキドキした!

トレーナーちゃんに頭を撫でてもらうのが好きになった!子ども扱いされるのは嫌だったけど、トレーナーちゃんの、オトコのヒトの大きな手は暖かくて気持ち良かった!!」

 

ふと気が付くと目の前が歪んでいる。涙が、後から後から溢れてきて止まらない。それでも、マヤは続ける。トレーナーちゃんへの恋を語り続ける。

 

「トレーナーちゃんの匂いが好きになった!最初は変な匂いって思ってたけど、いつの間にかトレーナーちゃんの匂いに包まれてると、落ち着くようになった!

トレーナーちゃんと二人でいるのが好きになった!あの貯水槽の上で、二人で食べたあのお菓子は世界で一番美味しかった!!」

 

あぁ、だからこそ…

 

「こんな気持ち初めてだったから、あの時はマヤわか・・んなかった!この気持ちが何なのか、マヤにはまったくわか・・んなかった!!

 

でも、トレーナーちゃんが死んじゃって、いっぱい悩んで苦しんで、そしてマヤはわか・・った!この気持ちがなんなのか!マヤはわか・・っちゃった!!」

 

そしてマヤはお腹の底から絶叫した。それが、それこそが、マヤの中にある真実。たった一つのシンプルな答え。それは…

 

 

 

「マヤはトレーナーちゃんが好き!大好きなの!!」

 

 

 

そう、結局はそういうこと。確かにトレーナーちゃんはマヤにとって大事な人だ。

だからこそ、その死別にダメージを受けるのは当然のこと。

でもマヤはこの気持ちに、自分のトレーナーちゃんへの初恋に気付いていなかったからこそ、あそこまで傷ついてしまったんだ。

 

 

 

 

 

…でもだからこそ

 

 

 

 

 

「…うん、だからこそ」

 

墓石の前で絶叫していたマヤは、手で涙を拭う。そして墓石に向き直ると…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

 

「マヤは、この恋をここに置いていく」

 

 

 

 

 

目の前のトレーナーちゃんに向き直ると、マヤは話し始める。

 

「トレーナーちゃんが死んでから、マヤは悲しくて辛くて仕方がなかった。多分皆がマヤのことを助けてくれなかったらホントにマヤは死んでたと思う」

 

それは事実だ。

自身の初恋にすら気付かずに、トレーナーちゃんの死を知ったマヤは、完全に人間として壊れる寸前までいった。

損失の苦しみがあまりにも大きくて、自分はこの世界に一人ぼっちになったんだと思い込み、走る意味どころか生きる意味まで失いかけた。

 

「だからこそ」

 

トレーナーちゃんの目を見る

 

「マヤはね、マヤが皆からどれほど大切にされてるか、皆がどれだけマヤのことを想ってくれてるのか知ったんだ」

 

そうだ。ネイチャちゃんにテイオーちゃん、マベちんにブライアンさん。他にもたくさんの、ホントにたくさんの人達が、マヤに手を貸してくれた。マヤのことを助けたい、その一心で。だからこそ、マヤは立ち直ることができた。彼女達がいたから、マヤはトレーナーちゃんの死を乗り越えることができた。

そして同時に、自分がどれだけ彼女達に愛されているのか、彼女達がどれだけ自分を大切に想ってくれているのかを実感したんだ。

 

「そんな人達の想いを、マヤは裏切れない。

…ううん、そんなマヤのことを大切にしてくれる人達のために、マヤは走りたいって強く思うんだ」

 

そう、テイオーちゃんもネイチャちゃんも、一見正反対の理由に見えて、その理由の本質は似通ったもの。

つまり、他ならぬ自分の為に走ること。自分らしく生きるために走る。これが本質なんだ。それならマヤもきっとそうすべきだし、そうしたい。

マヤもまた二人と同じく、自分が大切に思うもののために走りたいって、そう思っちゃったんだ。

 

「だからね、トレーナーちゃん。マヤはね、走る理由を見つけたんだ」

 

そう、苦しみ抜いた先にマヤの得た走る理由は…

 

 

 

「マヤが走る理由はね…キラキラなオトナのウマ娘になること。

 

…でもね、ただマヤだけが輝くんじゃない。

マヤが大事に想う人、マヤのことを応援してくれる人、マヤに関わる人達全員を、マヤの走りで幸せにしたい。キラキラさせたい」

 

 

 

それこそが、マヤが出した答え。

 

だからこそ…

 

「…辛く、苦しい道のりだぞ?」

 

トレーナーちゃんはマヤに問う。

 

「自分に関わるすべての人達を幸せにする…それは言うほど簡単なことじゃない」

 

その覚悟を、自らが決めた道を完遂することを誓えるかどうかを

 

「君は、本当に走り抜けるのかい?」

 

聞いてくる。

 

あぁ、そんな真っ直ぐな瞳にマヤは恋をしたんだ。だからこそ…

 

 

・・・・・・

 

 

マヤは、一束のブーケを墓石に供える。

それは、あの天皇賞でマヤが手に入れたもの、魂の可能性の一つの到達点で…

 

「…だからこそ、トレーナーちゃん。これをトレーナーちゃんに預かってて欲しいんだ」

 

そうマヤは呟く

 

誰もいない丘の上は静かで、目の前の墓石も何も語らない。

だけど…

 

「これはウェディングドレス。マヤの初恋が詰まった祝福のブーケ。

これをマヤはここに置いていく。だからトレーナーちゃんにはこれを預かってて欲しいんだ」

 

信じてるから…

 

「いつかマヤが走りきったその果てに、そのブーケを持って待ってて欲しいんだ」

 

今はまだ、キミのところに行けなくても…

 

走り続ける限り、キミはそこにいるから…

 

マヤは立ち上がる。

そして荷物を持って帰ろうとする時に、一度だけ振り返る。

 

そこには、確かにトレーナーちゃんが眠る墓石がある。

春の陽気を受けて、静かにそこにたたずんでいる。

 

だからマヤは、最後に一度だけほほ笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…だって、ウェディングドレスは結婚する時に着るものでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きっと想いは届くって、信じてるから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・

 

~お坊さんside~

 

「…これは…」

 

突然寺に訪ねてきたマヤノトップガン殿の帰りを見送り、手桶を回収に来ると、そこには一束のブーケが置いてあった。そして、それが何なのか、ここに眠る人物が誰なのかを知っているからこそ、私はその意味を即座に悟る。

 

…そう、実を言うと私はこの墓に眠っている者のことを知っている。

まぁ、自分の寺にお墓があるなら、そこにどこの誰を埋めたかぐらいは知っていて当然なのだが、この場合の意味はそういうことではない。

 

私はこの墓に眠る人物の生前の姿を知っている。あぁ、よく知っているとも。何故なら私は彼の叔父なのだから。

 

両親から虐待同然の扱いを受けて育ったあの子を、途中で引き取ったのは、他ならぬこの私だ。だからこそ、あの子はこの寺に縁があったし、実は彼の墓を用意したのもこの私だ。

 

あの子の両親、正確には実家と私の兄の家は、恐らく絶対にあの子を自分達の墓には入れないだろう。

そう思ったからこそ、流石に早すぎるなと苦笑しながらも、本人も気に入っていたのでここを用意していたのだが…まさかこんなに早く使うことになるとは思わなかったな…。

 

そんなことを墓石を見ながら考えていると、生前彼が、たまにここに里帰りしてきてくれた時のことを思い出す。

 

私は詳しく知らないが、トレーナーというのはかなりの激務で、だからこそ、あの子がここに帰ってくるのも年に一回あるかないかではあったが、家に帰ってくると、彼はいつも自分の愛バの話しばかりしていた。

 

だからこそ、私もたまにテレビでその件の愛バの姿を見ており、今日も初対面であったがなんとか対応できたのだが…

 

「…ふむ」

 

墓前に供えられたブーケを見る

まだ瑞々しいそれは、間違いなくあの天皇賞で彼女が手に入れたものだろう。そして、それがウェディングブーケだとすれば…

 

「存外幸せ者だな、お前も」

 

甥っ子の墓の前で私は苦笑する。

そして手桶を回収して丘を下りながら思うのは、帰省していたときのあの子のことだ。

 

あれは確かURAファイナルとかいう大会で優勝した直後だったか。あまりにもあの子が自分の愛バのことばかり話すので、一度そこまでその子のことが好きなら告白でもしてみたらどうだ、とからかったことがある。

まぁ年齢が年齢なので、当時は本当に単なるからかいであり、私もあの子から「俺はロリコンじゃないんですよ!叔父さん!!」という言葉が帰ってくるものだとばかり思っていたのだが…

 

「…本当に良い子だったな。

まぁ、あれなら確かにお前が惚れるのも無理はない」

 

そう思いながら丘を下っていく。が途中でくるりと振り返る。するとそこにはすっかり遠くなった墓石が丘の上に立っており…

 

「あそこまで慕われているんだ。

お前にもその気があるというのなら、いつかの時には絶対に迎えに行ってやれよ?」

 

そう言って再び丘を下るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これで第4部は完結です。

…答えを見つけ、歩きぬくことを決めた少女は、再び立ち上がります。
彼女はこれからも困難に遭遇することでしょう、悲しむ日もあるでしょう。
それでも、彼女はきっと歩き続けます。
…なぜなら、彼女は一人じゃないから。
例え片方のつばさを失っても、みんながいるから。
傷ついても、傷ついても、それでも歩んでいくことでしょう。

…これは、そんな始まりの物語。
終わりから始まる、新たな始まりの物語なのです。

さて、そんな物語のプロローグは終わりました。
残念ながら、そこから始まる偉大なる本編に関しては、このお話の管轄外です。
彼女がこの後どんな道筋を歩んだのか、それは読者の皆様のご想像に委ねます。

ですが、ものごとは始まらなければ終わらない。逆もまた然り。
このお話が物語である以上、エンドマークを付ける必要があります。

ですから、これは些細な蛇足
ある少女が見たとある少女の記憶。今でも記憶に焼き付いている、とある少女の歩いた轍。

それを持って本編を締めさせていただきます。







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エピローグ

※注意

あらすじにも書きましたが、
この話で、一人のウマ娘が明確に死亡します。

残酷な描写などはありませんし、
苦しむことなく穏やかに息を引き取ります。

それでも確実に一人のウマ娘が死亡します。

批判もあるでしょうし、
物語としては一つ前のお話でエンドマークをつけることも不可能ではないので、
もしそれを受け入れることができない、ウマ娘の死など見たくないという方は、
ここで引き返していただいても全く問題はありません。

ここまで本作を読んでくださってありがとうございました。
本当に感謝しております。

それでも良いという方だけ、どうぞ。



数十年後

 

 

 

ドタバタドタバタ

 

「ねぇねぇおばぁちゃん!これなあに?」

 

部屋の外から足音が聞こえたと思ったら、今年で7歳になる孫娘が古いアルバムを持って入ってくる。

 

「うん?

…あぁ、これかい。懐かしいねぇ。」

 

それを貸してもらい、タイトルを見たアタシは、思わずそう言ってしまう。なにせこれは…

 

「これはねぇ、まだお婆ちゃんが若かった時のアルバムなんだよ?」

 

そう教えてあげると、孫娘はキラキラした目でアタシを見てくる。

 

「これおばぁちゃんのおしゃしんなの!?ねぇねぇ!見てもいい?見てもいい?」

 

そうしっぽを振りながら聞いてくるものだから

 

「えぇえぇ、勿論ですよ。

…折角だから、おばちゃんと一緒に見ましょうね」

 

「わーい!わーい!おばぁちゃんといっしょだー!!」

 

とはしゃぐ孫娘と一緒にアタシはページをめくる。

 

ちょうどトレセン学園に通っていた当時の写真だからか、アタシもまだまだ未成年。それに懐かしい顔もたくさん載っている。それを見てつい、自分も年をとったものだなと思っていると

 

「うわー!すっごーい!きれいなお姉ちゃんばっかりだー!!おばぁちゃんはどれなの?」

 

「アタシかい?アタシはこれだねぇ」

 

そう言って、もうすっかり骨張ってしまった指で、かつての自分の写真を指差す

 

「おおー!おばぁちゃんわっかーい!すっごくきれいだね!!」

 

すると孫娘がそう言ってくれるものだから、アタシもつい嬉しくなって、ありがとねぇ、と孫娘の頭を撫でる。いくつになっても、そうやって誉められるのは嬉しいものなのだ。

 

そうして孫娘と一緒にアルバムを見ていると、当然

 

「ねぇ!おばぁちゃん!これはだれなの?」

 

「これかい?あぁ、これはフジ先輩だねぇ。この人はトレセン学園の栗東寮の寮長でねぇ…」

 

などと、孫娘からの質問があるので、それにひとつひとつ答えていく。

多分言ってることの大部分はこの子には分からないだろうが、それはそれ。

この子にしてみれば、アタシの言っていることの意味が分からなくても、大好きなお婆ちゃんに構ってもらえて嬉しいのだろうし、アタシにしてみれば孫を可愛がりながら懐かしい思い出に浸ることができる。まさにWin-Winという奴である。

 

そうして二人で楽しくアルバムをめくりながら、中の写真についてあれこれと言い合い、おじいちゃんの写真が出てきたところで…

 

ブワッ

 

「わっ!」

 

パラパラパラパラパラパラ…

 

開けていた窓から突然強い風が吹き込み、アルバムが一気にめくれる。

 

「大丈夫かい?」

 

窓を閉めながら孫娘に聞くと、

 

「う、うん!だいじょうぶだよ!!」

 

そう元気な答えが返ってくるが…

 

「…?

ねえおばぁちゃん、この写真は?」

 

そう問われて見ると、アルバムの最後のページに2枚の写真が張り付けてある。

 

一枚は何かの集合写真らしく、アタシを含めて3人のウマ娘が写っている。そしてもう一枚は…

 

「…おやまぁ、随分と懐かしいものが出てきたものだねぇ…」

 

思わず感嘆するアタシを、孫娘が引っ張ってくる

 

「ねぇねぇ!だれなのこのひとたち?」

 

「これこれ、そんなに引っ張らなくても教えてあげますよ」

 

そう言って孫娘を宥めて、アタシはまず集合写真の方から説明する。

 

「まずこの子はマーベラスサンデー。アタシがトレセン学園の寮にいた時に、同じ部屋に住んでいた子ね」

 

「へぇー!そうなんだ!

じゃあじゃあ!こっちのお姉ちゃんは?」

 

「こっちの子はトウカイテイオー。すっごく強いウマ娘で、トレセン学園にいた頃のアタシの最大のライバルだったんだよ?」

 

「ふーん!そうなんだ!!おばぁちゃんのライバルだったんだね!?」

 

「そうなの。卒業までずーっと争い続けたのよ?」

 

そんなことを話しながら二人の話をする。格好から見るにトレセン学園の卒業式の写真なのだろう。アタシも含めて写っている子達の笑顔が眩しい。そんな一枚だ。

 

そして…

 

「じゃあおばぁちゃん!このお姉ちゃんはだれなの?」

 

孫娘が指差したもう一枚の写真を見て、少しだけ躊躇する。

 

写真は何かのレースのもので、フライトジャケットを来たオレンジ色の髪の毛のウマ娘が、1着でゴールした瞬間の写真といったところ。

 

それはアタシのとある友人の写真であり…

 

「…おばぁちゃん?」

 

…それを見て、今まで忘れていた記憶の扉が開くと共に、本当に時間が経ってしまったと感じてしまう。

 

もう、この子のことを直接知っている人間が、果たしてどれほどいるだろうかと悲しくなってしまう。

 

だからこそ…

 

「…あぁ、ごめんなさいね。つい懐かしくなっちゃって…

 

…この子はトレセン学園に通っていた時に仲の良かった友達の一人で、アタシが一番尊敬しているウマ娘なのよ」

 

「へぇー!そうなんだ!!すごいひとだったんだね!?」

 

キラキラと目を輝かせる孫娘。

そんな彼女にアタシは語る

 

「そうなの!彼女はとっても強いウマ娘でね。

三冠ウマ娘でこそないけど、当時は撃墜王なんて言われるほどの強さだったのよ?」

 

「ゲキツイオウ?なんだかよくわからないけど、かっこいい!!」

 

かっこいい二つ名にテンションを上げる孫娘に、アタシはさらに続ける

 

「この子はアタシ達の中でも一番長くレースを走り続けた人でね。何回か怪我をしてたんだけど、毎回必ず頑張って直して走ってたから、その絶対に諦めない姿から、ファンも多かったのよ?」

 

「ふーん!すごい人なんだね!!」

 

そう言うと、ますます孫娘のテンションは上がる。そして…

 

「ねぇねぇ!このひとはいまなにしてるの!!」

 

ついに、そう聞かれたから…

 

「…残念なことに、この子はもう亡くなっているの。最後のレースを走り終えた後、その帰り道で車に跳ねられそうになった子どもをかばってね…」

 

「そうなんだ…」

 

そう聞かされると孫娘もがっかりする。

まぁ、アタシの友達だから、年齢的に流石にこのアルバムに載っている人間の全てが生きているわけではない。

現に、このページに至るまでのアルバムの中でも、何人かは亡くなっていて、それを孫娘に説明した場面もある。ただ…

 

(…そう、この子の直接の死因は車との衝突じゃない。車に吹き飛ばされてから強く頭を打ったことによる脳震盪、これが直接の死因だ)

 

だからこそ、実は死ぬ前に彼女は一度だけ目を覚ましているのだ。

 

 

・・・・・・

 

 

「あはは、ごめんねネイチャちゃん。心配かけちゃって」

 

「まったくよ!軽傷で良かったわよ!!」

 

病室のベッドに横たわるマヤノを、アタシは涙目で睨む

 

「いくらあんたがあのトレーナーさんに操をたててるからって、

まったく同じ死に方までする必要は無いんだからね!」

 

「もー!ネイチャちゃん!!恥ずかしいこと言わないでよ!!」

 

そんなことをアタシ達は話す。

そう、あの時確かにマヤノは車に追突されたが、当たりどころが良かったのか、比較的軽傷ですんだ。

 

だからこそ、本人も含めて誰もがマヤノが頭を打ったことをあまり強く意識していなかったのだ。

だが、その時はまさか誰も、少し後に事態が急変するとは思ってなかったから、病室にはのどかな空気が流れていた。

 

「まぁ、それでも最後のレースの後で良かったわね?これでもう多少怪我してもゆっくり休めるわね?」

 

「まぁね。そこは本当に幸運だったよ。三女神様に感謝だね!」

 

今思えば噴飯ものの会話を繰り広げるアタシ達だったが、ふとマヤノは病室の外を見る。そこにはすっかり暗くなった夜空があり…

 

「…ねぇ、ネイチャちゃん」

 

「ん?何?」

 

だから彼女がそんなことをアタシに聞いたのは…

 

「マヤはさ、キラキラしたウマ娘になれたのかな?皆を幸せにすることができたのかな?」

 

もしかしたら、無意識の内に自分の死を悟っていたからなのだろうか…

 

 

・・・・・・

 

 

「…でもね、この子は本当に強いウマ娘だったの」

 

落ち込む孫娘にアタシは言う。そう、ただレースが強いウマ娘ならいくらでもいる。だけど…

 

「レースが強かったってのは本当よ?でもそれ以上にこの子は心が強かったの」

 

「…?

こころ?」

 

「そうよ、心よ」

 

そう言ってアタシは孫娘を見る

 

「実はね、この子には昔トレーナーさんがいたんだけど、そのトレーナーさんは途中で亡くなってしまうの」

 

「え?そうなの?」

 

今でもトレーナーとうま娘との死別というものは珍しい。だからこそ、孫娘は目をぱちくりとしてこちらを見る。

 

「えぇ、そうなの。でも、この子のすごいところはここからでね、それでも彼女は走り続けたの」

 

「え~!うそだぁ!!」

 

流石に孫娘も疑いの眼差しを向けてくる。

 

実際ウマ娘はその性質上大切な人を失った時の精神ダメージが人間よりも大きくなりやすい。

そのため、トレーナーとの死別というケースが生じてしまったウマ娘のほとんどは、一気に気力を失いレースの世界から引退するものがほとんどだ。

 

そのため、世間ではトレーナーの死はその担当ウマ娘の引退と同義であるともとらえられているし、自身もうま娘であるが為に、この子も信じられないのだろう。

 

だが…

 

「えぇ、確かに普通なら信じられないことよ。

でも、この子は走ったの。自分がウマ娘として走ることができなくなるまで、この子は走り続けたの。

それがなんでだか、わかる?」

 

そう聞くと、

 

「う~ん、わかんないよ…」

 

そう耳をペタンと頭につけて、孫娘は答える。

 

だからこそ、

 

「それはね、彼女が皆を幸せにできるようなウマ娘になりたい、と心の底から思ってたからよ」

 

アタシは孫娘の頭を優しく撫でながら話す

 

「確かに、この子にはたくさんの辛いことがあったわ。

この子のトレーナーさんの死は、確かにこの子にものすごいダメージを与えたし、それからのレースでもあの子は何回も怪我をしたわ。苦しいって、止めたいってそう思ったことだって多分何回もあったと思うわ、でもね」

 

少しでも、あの子のことをこの子に知って欲しいから

 

「それでも、彼女は諦めなかった。」

 

少しでも、あの子が強かったことを知って欲しいから

 

「キラキラしたオトナのウマ娘になる。それが彼女の夢で、彼女の走る理由だった。

自分が関わったすべての人達を幸せにしたい、彼女はそのためだけに走り続けたの。

自分が走ることで皆を幸せにできるって信じて、誰よりも強く、誰よりも長く…

 

そうして彼女は、いくつもの記録を塗り替えたわ。

大切だったトレーナーさんの死、それを乗り越えて限界まで歩き続けたの

…もちろんとびっきりの笑顔でね」

 

だから…

 

「どう?すっごく強い子だと思わない?」

 

どうか伝わって欲しい、そう思いながらアタシは自身の孫娘にあの子の話をする。すると…

 

「…すごい」

 

それまで黙って話を聞いていた孫娘が震えだしたと思うと

 

「すごい!すごいよその人!!

うわぁー!そんなひとがいるんだね!おばぁちゃん!!」

 

目をキラキラした孫娘はひたすらにすごいと言い続ける。そして…

 

「ねぇねぇ!おばぁちゃん!!

もっとその人のことくわしくきかせてよ!わたしその人みたいになりたい!!」

 

そう、孫娘が騒ぐものだから

 

(…ねぇ、マヤノ…)

 

アタシはまた思い出す。

あの日の病室で交わした会話を。生涯最後のマヤノとの会話を…

 

 

 

・・・・・・

 

 

「何言ってんのよ、マヤノ。

そんなの当たり前でしょ」

 

間髪入れずにノータイムで答えると、流石にマヤノは苦笑してこちらを向く

 

「ネ、ネイチャちゃん、流石に即答できるようなことじゃないと思うんだけど…」

 

「いいや?アタシじゃなくても、テイオーやマーベラス、他のどんなウマ娘でも同じことを即答すると思うよ?」

 

そう言ってアタシはマヤノに微笑む

 

「あんたはアタシ達の中で、誰よりも長く走り続けたんだよ?

だったら必然的に、あんたはアタシ達の中で、

一番長く人々に夢や希望を与え続けたってことなるでしょ。

もうちょっとそれを誇りなよ」

 

「でも…」

 

いまだに自信がなさそうなマヤノにアタシは言った。

 

「…少なくともアタシは救われたよ。マヤノ」

 

「…ネイチャちゃんが?」

 

「うん、そう。

アタシ達はマヤノより早く引退しちゃったけど、それでも別の舞台で勝負をしなければいけないのには変わらない。人生は戦いの連続だからね」

 

そう言いつつアタシはマヤノが眺める窓の方に向かう。

 

「慣れない生活で諦めそうになったことは何回もある。もう嫌だ、全て投げ出したいって思ったことも何回もある。でもね、マヤノ」

 

アタシは窓をあける。すると夜空には無数の星が煌めいている。

 

「そんな時、マヤノが走ってるのを見てアタシは救われた。

戦う場所は違っても、マヤノがまだ頑張ってる。

そう思えば頑張れた。だからね」

 

そんな無数の星達をバックに、アタシはマヤノに最高の笑顔を送る

 

「ありがとう、マヤノ!アタシは、あんたの頑張ってるところを見て救われた。

間違いなくアンタは最低一人救ってるんだ!!そしてそれだけじゃない!」

 

そしてアタシは腕を広げる。そこにあったものを見てマヤノは目を見開く。それは、マヤノの最後のレースについて書かれた新聞の速報記事であり…

 

「見なよ!マヤノ!!

単に一人のウマ娘が引退するだけなのに、この新聞全部マヤノのことしか書いてない!!

今までマヤノがどれだけ頑張ってきたのか!どうやって歩いてきたのか!そんなマヤノの人生の集大成を、何千何万もの人々がこぞって買い求めている!これこそが、マヤノがみんなを幸せにしたことの証拠なんじゃないの!?」

 

そこには「今までありがとう!マヤノトップガン!!」というデカデカとした大見出しと共に、全てのページに今までのマヤノの走ってきたレースとその総評、ファンからの感謝の言葉がしるされていた。

 

それは間違いなく今までのマヤノの人生の全肯定だったからこそ…

 

「…そっか」

 

静かに…

 

「…マヤは」

 

目から溢れんばかりの涙を流して…

 

「…夢を…叶えられたんだね?」

 

マヤノは泣いていた。

嬉しくて嬉しくて仕方がない。そんな歓喜は確かにあったものの、それは、まるでやっと何かの約束を果たすことができたという安堵のような、そんな涙で…

 

ブーブー!!

 

「うわっ!」

「ひゃっ!」

 

突如鳴り響いたスマホの振動音に、アタシもマヤノも驚く。慌ててアタシがスマホを取り出すと、どうもテイオーとマーベラスが病院の前に着いたという連絡だった。

 

「あはは、じゃあアタシは二人を迎えに行ってくるね」

 

「…うん、分かった。気を付けてね」

 

そう言って部屋を出ようとするアタシを

 

「待って!!」

 

マヤノは引き留める

だから振り向いたその時、

 

「ありがとう」

 

その時のマヤノの笑顔は、女のアタシでも見惚れるような、あまりにも美しい笑顔だったから…

 

「…もう!気にする必要ないってば!!

じゃあ行ってくるね!!」

 

照れてその場を慌てて飛び出したことを、いまだにアタシは後悔し続けている。

そう、それがアタシとマヤノの本当に最後の会話。

アタシがテイオーとマーベラスを連れて病室に帰ってきた時には、マヤノはもう死んでいた。

まるで眠っているような、安らかな顔で、遅効性の脳出血で息を引き取っていたから。

 

 

・・・・・・

 

 

(それでもね、マヤノ…)

 

 

彼女の話に感動し、もっと話してとせがむ孫娘の頭をなでながら、アタシは思う。

 

(アタシはあんたに言ったことを、間違いだと思ったことは一度もないよ)

 

だって話を聞いただけのアタシの孫娘でさえもこうなのだ。きっとアンタの走りは、あの時を生きていた人々だけでなく、未来にそれを聞いた人達をも救っていくんだろうね。

 

(…それだけのことを、アンタはしたんだよ)

 

だから…

 

「ねぇ!おばぁちゃん!!まだその人の話はないの?もっとききたいよ!!」

 

アタシはいつまでだって語り継ごう

 

「えぇえぇ、いくらでも聞かせてあげますよ」

 

アタシの友達、マヤノトップガンの物語を

 

「はやくはやく!!」

 

翼を失ってもなお、太陽に向かって歩き続けた、そんな誇り高きイカロスの物語を

 

「はいはい、次は…」

 

そう…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…片翼の撃墜王の物語を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




以上で『片翼の撃墜王~イカロスの黎明~』の本編は・・・終わりです。
ここまでお付き合いしてくださった皆様、本当にありがとうございました!

作者は二次創作とはいえ、執筆活動が初めてだったので、
拙い部分もあったと思います。





トレーナーちゃんが亡くなってマヤちゃん落ち込む 
           
         ↓

    ナリタブライアンが活を入れる

         ↓

  なんやかんやあってマヤちゃん立ち直る

         ↓

  トレーナーちゃんがいなくても走り続けて
  片翼の撃墜王と呼ばれるようになる




という、ガバガバどころか最早穴といって良いほど雑なプロット(実際のプロット)からここまでやってきたため、何度も展開を書き直しました。
時には考えすぎて頭がトチ狂い、一瞬だけ「テイオーによるマヤちゃん百合監禁ルート」とかいう訳の分からない次元に接続しかけたこともありました。

ですが、そんな作者でもなんとかこうして作品にエンドマークを付けることが出来ました。

これも今日まで応援してくださった皆さんのおかげです。
本当に本当にありがとうございました!!




さて、これで本編は終了したのですが、
まだあと少しだけ続きがあります。

それはおそらく誰にも語られることのない物語。
しかし、ある意味ではこの物語の本当のエピローグです。

ここまで読んでいただいた皆様には、あと少しだけお付き合いいただけると幸いです。





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エピローグ2

これで本当に最後です



~???side~

 

「…え?」

 

気が付くとマヤは知らない場所に立っていた。

 

 

その場所の特徴を一言で言い表すとしたら、その単語だけで十分で、同時にそれ以上の単語は必要ない。むしろ余計だと言っても良い。

 

上も下も横も目の前も、360°見渡す限りの全ての空間が白く、それ以外のものは何もない。いや、むしろ白という色さえ存在しないのかもしれない。そんな不思議な空間。

 

だからこそ…

 

「あれ?マヤさっきまで病院にいたよね?」

 

記憶を辿ると、確かにそうだ。

マヤは自動車に轢かれそうになった子どもをかばって怪我をして、それで病院に運びこまれて、それでお見舞いに来たネイチャと話して…

 

「…確かそれから頭が痛くなって…うぅ、そこからが思い出せない。いったいどこなのここ…」

 

と言うか、なんかここどこかで見たことがあるような…

 

そうして何かを思い出しかけたその時だった。

 

 

 

 

 

「それだよ、それ!

いや~やっとお前もお約束のなんたるかが分かってきたんだな?マヤ!」

 

 

 

 

 

そんな意味の分からない声が後ろから聞こえてきたから…

 

(………………え?)

 

ドクンと心臓が跳ねる。

 

 

 

「いや~、これはあれだね、三度目の正直って奴だね!やっぱりこういう立場に立った以上?

一回位はこういうことやってみたかったんだよ!

本当に感無量だな!!」

 

 

 

そんなバカみたいな事を言う声を、マヤは確かに聞いたことがあったから…

 

(…うそ…だよね?)

 

ドクンドクンと心臓の音がうるさい。でも…

 

 

 

「前とその前はすぐに気付かれちゃったからな…

まぁ、それでこそ我が愛バって感激するところではあるんだけど、やっぱりお約束ってやつは大事!これ常識!!」

 

 

 

聞いてるこっちが恥ずかしくなるような、その声は確かにマヤの後ろから聞こえるから…

 

(まさか!まさか!まさか!!)

 

もう心臓は破裂寸前。だからこそ…

 

 

 

「…それじゃあ自慢の愛バがやっとお約束を守ってくれたことだし、今度は俺の番だな」

 

 

 

振り向いたマヤの目に飛び込んできたのは…

 

 

 

「…よく頑張ったな。マヤ」

 

 

 

くたびれた黒いスーツに黒い中折れ帽子、黒いサングラスの、白いブーケを持った男の人で…

 

 

 

 

「ぁ…」

 

 

 

それはずっとずっと……

 

 

 

「…お疲れ様」

 

 

 

珍しくサングラスを外して両手を広げたこの人は、マヤがずっと会いたいって、心から思ってた人だったから…

 

「…!!」

 

駆け出す。

一歩進む度に周囲に色とりどりの花が溢れ、足元は茶色のレンガの道になっていく。今まで何も無かった空間に青い空が滲みだし、そこに七色の色彩で虹が描かれる

 

「…!!」

 

恥も外聞もなく、全力で駆け抜ける。そして進むごとに、病院着が溶けて、淡いオレンジ色のウェディングドレスへと変化していく。どこからか、鐘の音が聞こえる。

 

そして…

 

 

 

マヤがトレーナーに抱きついた瞬間に…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「トレーナーちゃんっっっっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…全ては完成した。

あたりには一面に、赤、青、黄、その他様々な色の花が咲き乱れ、レンガで作られた道の向こうでは、白いチャペルから祝福の鐘が鳴り響いている。

青く晴れ渡った空には虹がかかり、飛び立つ白いハトの群れが、二人の幸せな門出を祝福している。

 

そして…

 

 

「…長い間待たせてすまなかったな、マヤ…」

 

舞い散る花吹雪の中、マヤを抱き締めるトレーナーちゃんの服装は、白いタキシードになっている。それは、普段あんなにダサい恰好ばかりしていたトレーナーちゃんには珍しいほどに、ビックリするほど似合っている。そして…

 

「ううん!ううん!トレーナーちゃんがいてくれれば、もう何もマヤはいらない!!だから!だから!!」

 

ポロポロ涙を溢しながら、トレーナーちゃんに抱きつくマヤの服装も、いつかの日の淡いオレンジ色のウェディングドレスになっていたから…

 

「…あぁ、そうだな。だからこそ、今度は俺からだな、マヤ」

 

そしていつかのブーケを渡しながら…

 

 

「マヤ、俺もお前の事が好きだ。だから、これからは…」

 

 

トレーナーちゃんがマヤに、マヤに…

 

 

「ずっと、一緒にいてくれるか?」

 

 

プロポーズしてきてくれたから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アイ・コピー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでいただいて本当に、本当にありがとうございました!

それでは、またいつかどこかで!!



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