硝子の聖女~スケベ猿が薄幸美少女に転生した結果~ (三上 一輝 )
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第一章 スラム街のHENTAI少女
01 猿山 平助はHENTAIである


 猿山(さるやま) 平助(へいすけ)は今年18歳になった都内在住の男子高校生である。

 顔面偏差値中の下・学力下の上・運動神経上の下、そんな一見どこにでもいるような高校生である平助であったが、そんな彼には他の同年代と異なる特殊性が存在していた。

 平助は――HENTAIだった。

 小学生の時に性に目覚めて以降、彼の迸るリビドーはまるで宇宙開闢(ビッグバン)の如く留まるところを知らず広がり続けているのだ――ビッグバンに謝ったほうが良いのでは???

 年頃の男子など、皆(けだもの)だろうと言う諸兄もいるかもしれないが、平助のそれは一般レベルとは一線を画すのである。

 具体的に言えば、TVの海洋番組に映ったタコやイカに興奮を覚えるレベルなのだ――未来に生きてんな。

 趣味は日に十数度の自家発電!将来の夢はA〇男優!年中無休で恋人募集中!そんな少年が平助なのである。

 さて、そんな平助だが今現在、陽が落ちて暗くなった学校からの帰り道を駆け足気味に帰宅していた。

 現在の時刻は夜9時32分。

 

(随分遅くなってしまった……)

 

 特に部活動に入っている訳でも、友人と遊んでいた訳でもない平助がこんな時間に帰宅しているのには、深い理由(わけ)があった。

 平助の自宅から学校までの途中にある河川敷沿いの土手。そこを通っている際に平助の無駄に良い視力が河川敷に生えた背の高い草の中にとある物を見つけたのである。

 ――それは不法投棄された大量のエロ本であった。

 スマホで簡単にエロ画像を見れる昨今、あまり見かけなくなった捨てられたエロ本の姿に平助の理性は消し飛んだ。

 男子高校生から、河川敷に出没する不審者にジョブチェンジを果たした平助は、それから数時間、時間を忘れて一心不乱にエロ本を読み続けていたのであった――全く深い理由(わけ)では無かった。

 そんなこんなで連絡なしに門限をぶち破ってしまった平助は急いで帰っているのである。

 

(む!?)

 

 土手を通り抜け、静まり返った住宅街を進んでいた平助の目が、またしても何かを発見した。

 それは子供の背。

 平助が見るに中学生くらいの男の子であった。

 

(子供がこんな時間に一人で出歩くなんて危ないな)

 

 自分の事を棚に上げながら平助は子供に注意を向けた。

 するとなんという事だろう!男の子からすすり泣くような声が聞こえて来たではないか。

 まさか、怪我でもしているのだろうか?

 そう心配になった平助は男の子に声をかけようと歩を進めた。

 夜中に一人出歩く子供に不審者(HENTAI)が声をかける事案…………お巡りさんこっちです。

 しかし、幸か不幸か平助が町内の回覧版の不審者情報にデビューする事態は避けられることとなる。

 

「こんなものっっ!!」

 

 平助が声をかけようとしていた男の子が、泣きながら手に持ったチラシの様な一枚の紙切れを投げ捨てた。

 そしてその瞬間、まるで狙いすましたかのように突風が吹きすさんだのだ!

 都合よく吹いた向かい風が、ヒラリヒラリ宙を待っていた少年が投げ捨てた紙切れを高速で飛翔させた――それも平助の顔面に目掛けて。

 

「わぷっ」

 

 ピシャリと小気味良い音を奏でて紙切れが平助の顔に叩きつけられた。

 所詮唯の紙切れであるため痛みなどは皆無であったが、まるでコントのように出来すぎた事態に、平助は数瞬の間、我を忘れた。

 その僅かな間で、横道にでも入ったのか駆け出した少年の姿は見えなくなっていた。

 

 

「むう」

 

 機を逃した平助は、その代わりという訳ではないが、自分の顔に当たってきた一枚の紙切れを見てみることにした。

 

「これは……」

 

 少年が投げ捨てたのはチラシなどでは無かった。

 それはA4のコピー用紙。

 本来真っ白なはずのコピー用紙の上部に、赤い線で幾何学模様――魔法陣が描かれている。

 所々が歪んでいるのを見るに、赤マジックでの手書きなのだろう。

 そして、その魔法陣のしたには鉛筆で『僕をブレファンの世界に連れて行ってください』と書かれている。

 

「悪魔でも喚ぼうとしていたのだろうか?」

 

 怪しげな魔方陣に願いの記入。

 色々と拙くはあったが、自らの願い事を叶えてもらうための儀式でもやろうとしていたのは確かだろう。

 紙の内容を確認して平助は思った。

 

(悪魔って、アク○って伏せ字にするとなんかエロいな)

 

 もっと他に思うことはなかったのだろうか???

 そしてそのまま、平助の妄想は留まることを知らずに広がっていく。

 そして、彼の思考が触手を召喚するタイプの悪魔にまで逸れていた、その時。

 ――異変は発生した。

 

「な、何ぃぃィィィイイイイ!?!?!?」

 

 平助が手に持った、子供が描いたであろう、ちゃちな魔法陣が赤く、紅く、発光し始めたのだ‼

 それも、蛍光塗料などといった微かな明かりではなく、強力な懐中電灯を使用したような強烈な明かりである上に、時間が経過するたびにその光が増していくのだ。

 わずか数秒後には、発光などというレベルではなく、光の爆発とでも言うべき極めて強い明かりが発生し、平助は目を開けていられなくなった。

 その強い光が収まるまでには数十秒間の時を有した。

 そして、漸く止んだ光の爆発に平助が瞼を開いたその時――

 

「――――――」

 

 月と星と街灯のみに照らされた薄暗い夜の住宅街。

 先ほどまで誰も居なかった筈の平助の隣に()()はいた。

 山羊の角、狼の顔、蝙蝠の如き羽に、細長く先端が三角形に尖った尻尾。

 そして、おとぎ話の人狼(ライカンスロープ)のような、毛皮に覆われた二足歩行の体。

 そんな怪物は、しかし剣呑な見た目とは裏腹に理知的に話し始めた。

 

「契約者よ――大悪魔デザベア契約によりここに顕現した」

 

 悪魔、ああ悪魔だろう。そう言われれば納得するより他にない怪物だ。

 流石の平助もこの邂逅には開いた口が塞がらなかった。

 ここまでの驚愕を平助が覚えたのは、未だ彼が子供だった頃に友人と登り棒で遊んでいて偶々股間を擦りつけた際「あれこれなんか気持ちいいかも」と性に目覚めた時以来であった。

 ははーん。さては意外と余裕あるなコイツ。

 そんな驚いているんだか無いんだかよく分からない平助であったが、彼には現れた悪魔に対し言わなければならないことがあった。

 

「済まないが、人違――」

 

「ク、クハハ、クハハハハハハハハハッッ‼それにしても驚きだ!真逆、真逆、あらゆる神秘が消え果てた今の世で、未だに俺たち(悪魔)を喚ぶに足る魂が存在するとは!それもこんなちゃちな契約で‼」

 

 ほんの少し前まで確かに平助が所持していたはずの魔法陣が描かれた紙をいつの間にかその手に持ちながら、悪魔は極めて愉快そうに笑った。

 人の話を聞かない奴だな。平助はそう思った。

 

「しかし、そうだな。で、あるのならばこの奇跡なる出会いに何らかの祝いをするべきだろう。……ふむ。よし!では特別サービスだ‼元の願い以外にも貴様の願望を後一つ叶えてやろう。何、安心するが良い。二人の出会いを祝福して、という奴だ。さあ貴様の望みを、胸のうちに秘めたる願望を曝け出せッッ‼‼」

 

「エッチなことがしたいですッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!」

 

「お、おう……」

 

(ハッ、しまった口が勝手に⁉)

 

 常日頃から平助の胸を突き破らんばかりに膨張し続ける彼のリビドーは、考えるよりも先に彼の口を動かしていた。

 

「ま、まぁ要は色欲。有り触れた願いだな。よし、いいだろう‼」

 

 これはまずい。平助は焦った。

 

「いや、待ってくれ。だから人違――」

 

 平助が言い終わるよりも早く、彼の足下に子供が描いた稚拙なものとはまるで異なる精巧な魔法陣が描かれた。

 その魔法陣が翠色に輝きを放ち、それと同時に平助の体から力が急激に抜けていく。

 

「ちょっ!?」

 

「ハハハハハハハハハハッッ‼愚かなる契約者の新たなる人生にとびっきりの祝い――いいや、呪いをッッ!!」

 

 最後の最後まで全く自分の話を聞かなかった悪魔の高笑いをBGMとして聞きながら、平助の意識は深い深い闇の底まで堕ちていった。

 

*****

 

 

 ――翌朝。

 閑静な住宅地にて、都内在住の男子高校生、猿山 平助が遺体で発見された。

 死体に外傷などは一切無く、その近辺で不審者などの情報も見られなかったため警察からは事件性なしと判断された。 

 少年の葬儀は速やかに執り行われ、その変態性にも関わらず家族と多くの友人たちに惜しまれた。

 



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02 悪魔よ人間の可能性を舐めるなッッ

(風邪でもひいてしまったんだろうか……)

 

 平助が目を覚ました時、彼の体調は『最悪』の一言に尽きた。

 頭が痛く、意識が朦朧とする。体の節々から痛みを感じ、力が上手く入らない。

 お腹が減って、喉が渇いている。

 今まで18年間生きてきて、一度も体調を崩したことがない健康優良児というのは平助の密かな自慢であったのだが、残念ながらその称号は今日で返上かも知れないな、と平助は思った。

 未だに朦朧とする意識の中、平助は何とか立ち上がり――そして気がついた。

 

「…………ここ、どこ?」

 

 平助が寝ていたのは見慣れた自分のベッドでは無く、そもそも自分の家ですら無かった。 

 見知らぬ他人の家――いや、これを家と言って良いのかどうか。

 防音性など欠片も存在しないであろう薄いベニヤ板のような木材で作られた壁と屋根は、所々腐蝕や破損によって穴が空き、雨風を防ぐという役割すら十全と果たすことが出来はしないだろう。

 何故だか天井だけはやけに高いが、これなら犬小屋のほうが遥かにマシな造りをしているだろうと平助は思った。

 そんなボロ家の中、剥き出しの地面に、申し訳程度にばらまかれた藁の上に、平助は寝ていたのである。

 そりゃあこんな場所で寝ていれば体調の一つや二つ崩すというもの。

 はて自分は何故こんな所で寝ていたのだろうか?と未だに上手く回らない頭で、平助はそう考えて――

 

「わたし、昨日、どうしたの?」 【俺、昨日どうしたんだっけ?】

 

(??????)

 

「なに、これ、おかしい」【何だこれ!?おかしいぞ!!】

 

「あ、あ。私の、名前、――」【あーあー。俺の名前は猿山 平助!!】

 

 ――突如として自分の身に降りかかった不可解な状況に激しく困惑した。

 入力と出力が一致しない、とでも言えば良いのか。

 ニュアンスこそ同じではあるが、喋ろうと思った言葉と、実際に口から出てくる言葉が異なっているのである。

 また声の調子もおかしく、普段の良く通る快活さは欠片も無く、か細く途切れ途切れにしか喋る事が出来なくなっている。

 オマケに自分の名前を発することが何故か出来ないのである。

 全く意味の分からない極めて異常な事態であったが、平助にゆっくりと自分の身に降りかかった出来事を考察している時間は与えられなかった。

 

「よう、オハヨウさん。実に清々しい朝だな?クハハハハハッッ」

 

 なぜならば、突然己の隣に現れた『悪魔』の姿に全てを思い出したからである。

 

「……夢じゃ、なかった?」

 

「夢を叶えてやったんだぜ?」

 

(夢?…………あぁ、あの紙に書いてあった文章の事か)

 

「だから、あれは」

 

「おっと、楽しい楽しいお話合いの前に、確認する事がある」

 

 相も変わらず話を聞いてくれない。平助は思わず嘆息した。

 しかし、平助は変態ではあるが、心の広い変態であったので、悪魔の言葉に根気強く乗ってあげた。

 

「確認。何?」

 

「お前が未だに気が付いていない、驚愕の事実に対してさ。しかし、当然の前提条件が狂っている場合は、どれだけ特異な出来事が起こっていても意外に気が付かないものだなぁ」

 

 迂遠な言い回しで、人を食ったような態度を続ける相手に平助が眉を顰めた。

 それを受けた悪魔デザベアは、見てみろよ。と平助に一声かけた後に指をパチン!と鳴らした。

 するとどうだろう。僅か数秒前まで何も無かった筈の空間に突如として大きな姿見の鏡が現れたではないか。

 手品では説明出来ない超常現象に瞠目した平助だったが、現れた鏡を覗き込んだことで、そんな()()()驚きは容易く霧散した。

 鏡に映った()()――いいや映っていない()()に平助の驚きは全て持っていかれたのだ。

 平助を驚愕させた()()。それは()()()()()姿()であった。

 鏡を真正面から見ているのにも関わらず、当然映っていて然るべき己の姿が欠片も見えないのである。

 そして、本来であれば平助の姿が映る筈の場所に見えるのは、初めて見る他人の姿。

 

 老人のような白色の長髪。不気味な紅い瞳。土と埃で薄汚れた肌。栄養失調で青白く痩せこけた体躯。

 不健康で体が上手く成長出来ていないため予測が難しいが、凡そ10歳前後であろうかという子供の姿が、平助の見た鏡に映る唯一の人間の姿だった。

 

「この、女の子、誰?」

 

「へえ、女だってよく分かったな」

 

 鏡に映った子供の姿は極めて男女の判別がし難かったが、女性の姿を服の上から見るだけで、その女性のスリーサイズを誤差±1の精度で看破してのける、平助の二重の意味で変態的な眼力の前では可愛らしい女の子にしか見えなかった。

 さり気なく醸し出される平助の変態性に気が付くことなく、悪魔デザベアは得意げに説明を続ける。

 

「その餓鬼の名前はクリス。娼婦の母親から生まれこのスラムで育った、死にかけの餓鬼で――お前の新しい体だよ」

 

「――何?」

 

「何って、お前自身が願ったんだろう?ブレファンの世界(異世界)へ行きたい!って。ああ。もしかして自分自身の体で来たかったとか?いやぁそういう事は契約に含めて貰わねえと――」

 

「そんなこと、どうでも、良い!!」

 

「あ?」

 

「――この子を、どうした!!」

 

 怒り。ああ、それは怒りだった。

 得意げに喋り続けるデザベアの語りを遮る平助の声に込められた険は、今の今まで見せてこなかった彼の怒気を表していた。

 しかし、その怒りの声を受けてもデザベアが怯むことは一切なく、むしろ嘲りを込めた返答がなされる。

 

「オイオイ。オイオイオイ。悪魔召喚なんぞに手を染めておいて今更善人面かよ?流石の俺たち(悪魔)でも呆れる面の皮の厚さだなぁ、ハハハハハハハハハハッッ」

 

 笑う。哂う。嗤う。

 

「あーハイハイ。そう怖い顔をするなよ。まあ安心しろよ契約者と契約者が影響を及ぼした者以外の無関係な奴を雑に巻き込むのは俺様の流儀に反しているんだ」

 

 そう言ってデザベアは、己がどれだけ今の平助の体の元の持ち主であった少女に配慮してやったのかを語り始めた。

 

「そもそも、だ。お前の新しい体を選ぶ際に、俺は幾つかの条件を満たした上で。もう死んで良いとこの世に絶望している奴を選んだんだ」

 

「そんなの、理由に、ならない!」

 

「まあ聞けよ。そして俺様は、その餓鬼の目の前にじきじきに現れて契約を持ちかけたんだ」

 

「契約?」

 

「ああ。お前が自分の体を明け渡したのならば、その代わりにお前の魂を転生させて、優しい両親がいる幸せな家庭に生まれ変わらせてやるってな」

 

「――――」

 

 追及の言葉が止まる。

 

「結果、どうなったか?まあ言うまでもないことだが、二つ返事で首を縦に振ったぜ?」

 

 デザベアはとてもとても愉しげに語り続ける。

 

「そりゃぁそうさ!糞みたいな人生にオサラバして幸せに生まれ変われるっていうんだから誰だって願ったり叶ったりだろうよ」

 

「……本当に、その契約、叶える?」

 

「ああ、俺たち(悪魔)は契約に嘘は吐かない。数日中にその餓鬼の魂は優しい両親の元に生まれる手筈になっているよ。まあ殊更に裕福な家庭に生まれ変わらせてやるほどサービスしてやる気はないがな」

 

 それでも現状に比べれば遥かにマシだろう?とデザベアは笑った。

 

「それで、どうだ?俺様としては文句を言われるどころか、お礼を言われて然るべき程の親切をその餓鬼には与えてやったつもりなんだが?」

 

「そう、かも」

 

 その言葉に返す答えを平助は持ち合わせなかった。

 だからせめて祈った。

 

(――どうか、少女の新しい人生が善き物でありますように)

 

「で、善人ごっこは、もう満足しただろう?俺としては異世界に行って、無条件に自分が活躍出来るとでも思っていた阿呆の現状に対する感想を聞きたいんだが?」

 

 それこそ己が待ち望んだモノ(絶望)なのだから。とデザベアは好物を目の前にした獣の様な形相で平助に語りかけた。

 

「それ、だけど」

 

「さあ、なんだ言ってみろ!怒りか?不満か?それとも泣き言か?」

 

 まくし立てる悪魔に、漸く伝えられるなと平助は思った。

 

「人違い」

 

「…………え?」

 

「だから、あの魔法陣、用意、私じゃ、無い」

 

 ただ紙を拾っただけだ。と平助は続けた。

 

「よ、良く、そんな出任せを、い、言えたものだな」

 

「嘘じゃ、ない。何度も、説明、しようと、した」

 

 そういやコイツ何度も、何かを言おうとしてたなとデザベアは今更ながらに思い出した。

 デザベアの狼面に、人間が焦ったときと同じ様に、冷や汗が浮かぶ。

 

「………………」

 

「………………」

 

 無言。互いに無言。

 

「ざ、残念だったなぁ~。あ、悪魔の被害ってのは災害みたいなもんさ。巻き込まれちまった自分の運を呪うんだな。うん。」

 

 デビル・イヤー。

 都合の悪い事実を聞かなかったことにするデザベアの必殺技だ!

 

「無関係な人、巻き込む、流儀に、反するのでは?」

 

「………………」

 

 しかし、平助の無慈悲な言葉(マジレス)の前には意味が無かった。

 

「し」

 

「し?」

 

「知らねえなぁあああああああ!?!?!?そんな事はよぉぉオオオッッ!?!?!?」

 

「ええっ……」

 

 必殺、デビル・逆ギレ。

 キレるぞ。怖いぞ。

 

「大体ヨォッッッ!?!?!?テメェだってエロイ事がしたいって言ったじゃねぇかッッ!!あれは何だったんだよ、ォォォォオオオオオンンン??????」

 

「む」

 

 それを言われると痛い。

 平助は口を噤んだ。

 それを見たデザベアは、我が意を得たりと畳みかける。

 

「そう!それだ!!確かに契約者を勘違いした俺様にも、悪いところが少し、ほんの少し、僅か極小にッッ!あった可能性は無きにしも非ずッ!!」

 

 だが、しかし!と演説染みたまくしたては続く。

 

「だが、俺はお前に追加の望みを聞き、お前は確かにそれに答えた!で、あればそこに新たな契約が発生するのは明白!!」

 

「むぅ」

 

「よって俺様はそちらのほうの願いを叶えただけ!!異世界云々は唯のオマケッッ!!」

 

「随分、無理やり……」

 

「うるせえ!この話はこれで解決!閉廷ッッ!!」

 

 反論の言葉が無い訳では無かったが、そもそも何を言ったところでこいつ(デザベア)は耳を傾ける気は無いな。と平助は悟った。

 

「だけど、私の願い、今の状況、何の関係……?」

 

 死にかけの子供の体に生まれ変わり、上手く喋れなくなることと、エロイ事をしたいという望みに如何なる相関が存在しているというのか。

 

「お?それを聞くかぁ?聞きたいのかぁぁぁ???」

 

「いや、別に……」

 

「よし、教えてやろう!!」

 

 待ってました!!とばかりに話し始めるデザベア。

 本当は自分の悪意に満ちた仕掛けを語りたくて仕方が無かったのだろう。

 

「お前の体の本来の持ち主であるクリスって餓鬼はな。生まれも育ちもスラムで、体も弱い。オマケに頭を働かす才能も体を動かす才能も並み以下。ついでに運も悪い」

 

「酷いこと、言わないで」

 

「ハッ、唯の事実だよ。だがまあ人間、何か一つくらいは長所があるもんだ。そんな無い無い尽くしの餓鬼にも一つだけ他人より優れた才能ってのがある」

 

「才能?」

 

「それはな――」

 

 デザベアはそこで焦らすように息を吸い込んで、一旦間をおいた。

 

「――美貌だよ」

 

 美貌。美しさ。綺麗さ。可愛らしさ。

 薄汚れた今の平助――というよりクリスには不釣り合いな言葉がデザベアの口から漏れだした。

 

「それもただの美貌じゃない。所謂、魔性、傾国。そんな言葉で表されるレベルの物だ。ま、今は流石に環境が悪すぎてまるで発揮出来ちゃいねぇがな。どれほど高い素質だろうが0を掛ければ0だ」

 

 如何に優れた素材を用いて料理しようと、肝心の調理で火加減を大幅に間違えれば出来上がるのは黒焦げのゴミであり、粗悪の素材を使った場合と何も変わらない。

 しかし、成程確かに。クリスという少女のぱっと見の悪印象を除いて、顔の各パーツなどを観察してみればかなり整っているように見受けられる。 

 最も、平助からしてみれば元々最初に見た時から可愛らしい子だなぁと思っていたので特に驚きは無かった。

 心が広いと言うべきか、ストライクゾーンが広いと言うべきかは、評価に悩むところである。

 

「……それで、その美貌、才能、どうする?」

 

「ん~?お前だって薄々気が付いているんじゃないかぁ?力も金もコネもねェ餓鬼が、その生まれに不釣り合いの美しさを持っていればどうなるか」

 

 デザイアはその手を大仰に振り上げた。

 

「体を身綺麗にして、少し化粧でもすれば、直ぐにでもお望みの通りの目に遭えるだろうぜッ、ハハハハハッッ、実に嬉しいだろう?それともなんだ、もしかして男のままでエロい目に遭いたかって?おいおい、そういう事は最初に言ってくれなくちゃ分かんねぇなぁああああ」

 

 満願成就の時。

 自分はこの瞬間のために生きているんだ。とばかりに一人盛り上がるデザベアに、しかし平助は大した反応を示さなかった。

 自身に向けられる大量の悪意を右から左へと受け流しながら、平助はデザベアが創り出した大きな鏡の前に立つ。

 そして、そこに映る自分の姿を見つめ、確認するように顔や体をペタペタと触りながら、ふむ。うむ。と満足げに頷いた。

 

「……よしっ!」

 

「よし。じゃないが?」

 

「ぐぇっ」

 

 そのまま、部屋の外へと出て行こうとした平助を、その身に纏う汚れとほつれと穴開きでボロ布同然の、麻で出来た服の襟を後ろから引っ張ることで、デザベアは止めることに成功した。

 突然、首を締められて、平助の口から勢いよく息が漏れだした。

 

「人の話ちゃんと聞いていたか?外はスラムだって言っただろう」

 

「コホッ、けほっ。そんな事、分かってる」

 

「じゃあ何しに行く気だったんだよ?」

 

 その疑問に、平助は何ら事もなげに――まるで昨日の朝食の献立を話すかのように答えた。

 

「何って?……ただ、スラムで、浮浪者に。【自主規制】、されてくる」

 

「……………………?………………!?!?!?何?え?なん、なんて??????」

 

「だから、気持ち、良くなる、おくすり、体に打たれる、大量の、男たちと、【自主規制】パーティー、開催。一生、【自主規制】っ!飼われるっ!!」

 

「最初より酷くなっているんだが??????」

 

 へーすけのかいでんぱ!

 デザベアは混乱した!

 

「ゲイなの????」

 

「ゲイ、じゃないよ」

 

「じゃあ何で???????」

 

「――私は、バイ!!」

 

「ヘァッッ!?!?!?」

 

 驚愕の渦に叩きこまれたデザベアへ、更に平助の攻撃、ならぬ口撃が襲い掛かる。

 平助は誇らしげに胸を張る。子供の体らしく無い胸を。

 

「ろうにゃくなんにょ。犬、猫。植物!全部、大丈夫!!悪魔さん――人間(ヒト)の可能性、舐めちゃ、ダメッ!!」

 

「そういうセリフはもっと別のシチュエーションで聞きたかったなぁ!!聞きたかったわぁーー!!!!!!」

 

 もっとこう普通に、悪魔の誘惑と姦計を、愛と勇気で打ち破る時とかに聞きたかったとデザベアは強く、強く思った。

 平助のそれも愛は愛だが、性愛である。お呼びじゃねぇすっこんでろ。というのがデザベアの率直な感想である。

 

「そ、そんなに誰でも良いのであれば、悪魔に願わずとも相手なんていくらでもいたんじゃねぇのか」

 

 混乱する頭でデザベアが絞りだせた言葉はただそれだけであった。

 

「……そもそも、願って、無い。つい、うっかり。それに、相手、いくらでも、居る、それは、間違い。」

 

 そう言って平助は悲しそうに首を振った。

 

「昔、近所、河原、男の人、何人か、【自主規制】している、と噂、あった。私、仲間、入りたい、探した」

 

「あるのか……」

 

「そして、幸運!出会えた!!」

 

「本当にいたのかよ!」

 

「……でも。兄ちゃん、まだ若い、色んな道がある、諭された。結局、【自主規制】、参加すること、出来なかった。後、兄ちゃん、目、必死すぎ、怖い、って」

 

「ええ……」

 

 平助に悲しい過去――

 いや、悲しいかこれ?

 

「また、別の時。金、あかせて、若い男、貪るマダム、存在する、噂!会いに、行った!!」

 

「分かった、もういい!もう喋らなくていい!!」

 

「……やっぱり。これで、良い物、食べてきなさい。お金、無理やり、渡されて、帰った。……後、ついでに、貴方の、相手、目が必死すぎ、怖い、イヤ。とも、言われた」

 

「もういい、つってんだろうがぁあアアアアアアアア!?後、どんだけ怖い目で迫ってんだよ!?そんなんだから悪魔(オレ)を呼ぶ羽目になるんだろうがッッッ!!!!!!」

 

 デザベアは永き時を生きる悪魔である。

 遥か古代から、悪魔を相手に己に都合の良い契約を結ぼうとする欲深い人間たちを、多数相手にしてきた。

 その経験もあり、デザベアは相手の人間が本気で語っているのか、それとも此方を惑わそうと出鱈目を吹いているのか大体は判別できる観察眼を見につけていた。

 そのデザベアから見て平助の言葉は――本気(マジ)であった。

 こいつ(平助)の言葉には、やると言ったらやる!……いいや、ヤラれると言ったらヤラれる!と、言う凄味があるッッ。

 目の前に居る人間が、自分の数千年に渡る生の中で、初めて邂逅するレベルのド変態であると、デザベアは漸く認識した。

 

「そん、な。馬鹿な……」

 

 平助に召喚された直後、デザベアはこの出会いは奇跡だと言った。

 その言葉は、基本的に人間に対して多大な悪意をもって、言葉巧みに罠を仕掛けてくるデザベアにしては珍しく嘘偽りのない本心であった。

 悪魔(自分)を召喚してその身に余る願いを叶えようとする欲深い人間を罠に嵌め、地獄の底に叩き落すのが、彼の人生ならぬ悪魔生における最大の幸福であり、故に、あらゆる神秘が消えかかり悪魔を呼べる者など皆無になった現代社会は彼にとって地獄であった。

 で、あればこそ。平助による召喚は、悪魔であるデザベアが思わず神に感謝をしてしまうほどの奇跡だったのだ。

 つまり何が言いたいのかというと、そんな奇跡に対してデザベアは、少し――いいや大分はしゃいでしまったのである。

 同世界ならば兎も角、異世界に魂を転生させるなどといった所業は、強力な悪魔であるデザベアをして消滅を覚悟するレベルの難行であり、事実彼は消えることこそ無かったものの数百年に渡って貯めてきた自身の力の殆どを使い果たすこととなった。

 だが、それでいいのだ、と。ただ徒に無為な生を貪る、地獄の平穏を過ごすくらいであるのならば、最後にやりたいことをやって華々しく散る方が良い。

 そうデザベアは思っていたのだ――ほんの少し前までは。

 その結果がこれである。

 変態暴走特急機関車ヘースケとの正面衝突。

 デザベアの長い永い生の旅路は、ド変態による轢殺の結末を迎えんとしていた。

 

「ガッ、糞っ、ぁぁ……」

 

 今のデザベアの状態を人間で表すのならば、老後の為に貯めておいた貯金を全てFXにつぎ込んだ挙句、見事に全額溶かしたようなものである。

 致命傷ッ、圧倒的な致命傷ッッ。

 目の前がぐにゃぁぁあああと歪むような感覚にデザベアは思わずたたらを踏む。

 彼の心は割と限界であった。

 これに困ったのが平助である。

 

(一体どうしたのだろう?)

 

 狼面を器用に真っ青にするデザベアのことを平助はそう心配に思っていた。

 明らかに自分に対して悪意を持っている相手に対して度量の広いことである。

 心の広い良い奴なのだ平助は。性的嗜好と恋愛対象のストライクゾーンも広いのが割と致命的なだけで。

 ふらふら、と。デザベアが、まるで貧血のように足取りの悪い理由を平助は少しの間思案して、分かったぞ!とばかりに目を輝かせた。

 そうして平助は、か細い両腕をバッ!と開き、デザベアに対してハグをするようなポーズを取った。

 

「………………なんのつもりだ、それは」

 

「悪魔さん、気持ち、考えなくて、ごめんなさい!!最初に、愉しむ、自分が、良い。そういうこと、でしょ?よしっ!さあ、きてっ!悪魔さん、触手【自主規制】で、私の【自主規制】、破るっっ‼」

 

 デザベアは激怒した。必ずこの変態星人エロスに良い空気を吸わせてなるものかと決意した。

 

「誰がテメェの好きにさせるかよぉおおおおおっつつつ!!!!!!」

 

「な、何、するっーーーーー????」

 

 デザベアの怒号と決意に反応するかのように。

 平助の足元に、異世界に転移させられた時と同じく、光り輝く魔法陣が突如として描かれた。

 しかし、今度の魔法陣は平助を転移させる物では無かった。

 魔法陣から光の縄のようなものが現れて、平助に巻き付いたのである。

 

「ま、魔法陣、プレイ。そういうのも、ある――」

 

「黙ってろやぁあああああ!!!!!!」

 

 平助に纏わりついた光の縄が、乾いた雑巾に水が染み込んでいくかの如く、平助の体の中へと溶け込んでいった。

 

「こ、れは?」

 

「ハ、ハハハ、ハハハハハッッ。やってやった。やってやったぞ!!よく聞けド変態。たった今お前に不犯(ふはん)の加護をかけてやった」

 

「不犯、加護!?」

 

「いいか?これよりお前は、この世界で起こる動乱が解決するまで、他者よりその体を犯されることが無くなるっ!」

 

「何、でっ!????」

 

「もし仮に、無理矢理しようとした場合――」

 

「どう、なるのっ!!!!!」

 

「――相手の男の【自主規制】が爆発するッッ」

 

「explosion!?!?!?」

 

 驚愕する平助。しかし、その時平助の脳内に一筋の光明、たった一つの冴えた方法が浮かび上がった。

 

「あ、でも。女の子、相手、なら」

 

「その場合は、相手の女の【自主規制】が火を吹くっ‼」

 

「fire!?!?!?」

 

(そんな、馬鹿な…………)

 

 絶望の事実に、平助は思わず地面に手をつき、嘆きの声を漏らした。

 

「どうして、どうして?そんな、酷いこと。あなた、悪魔???」

 

「悪魔だっていってんどぅぅろぉおおおおお!?!?!?」

 

 てんやわんやと大騒ぎの二人だが、それはさておき、重要な事がある。

 先ほども述べたが、デザベアは平助を異世界へと転移させるに辺り、その身に宿した超常の力を殆ど使い果たしている。

 ゲームチックに述べるのであれば、MP(魔力)が0の状態であると言えるだろう。

 さて、そんな状態にも関わらずデザベアは、平助に不犯の加護を与えたわけである。

 それは、10割嫌がらせの為であったわけではあるが、それでも加護は加護。

 どちらかと言えば神聖な力に近く、悪魔であるデザベアの枯渇しかかった魔力で発動できるほど容易い物では無い。

 故に、デザベアはMP(魔力)以外の、()()を代償に支払ったわけであり、MPの代わりに使われるような力と言えば当然――

 

「ぐ、ぐわあああああああああ」

 

「!?!?あ、悪魔、さあああん!!!!!!!」

 

 

 ――HP()である。

 限界を超え、生命を振り絞って使った力の反動により、デザベアは苦悶の叫び声をあげ、白煙をまき散らして爆発した。

 

 

 ………………悪は滅びた!

 

 

 

 

 



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03 ははーん。さてはこれ無理ゲーだな?

 例えば、クレーンゲームの景品を取るのに、何十回もコンテニューをする。

 例えば、ソーシャルゲームで新キャラが可愛かったから、少しだけだからと思いつつ、結局引くまでガチャを回してしまう。

 要は、熱くなってついやってしまった。という奴であり往々にしてある失敗である。

 そしてこの類の失敗の一番厄介な点は、そこまでして手に入れた物、或いは成し遂げた事柄が、本人にとってさして重要なものではないことが多いということだろう。

 もし、手に入れたものが、心底に欲しているものであったのならば、大体の人間は、それを手に入れるために掛かった出費や労力を惜しまない――勿論、限度はあるが。

 しかし、それがそこまで欲しいものでは無かった場合、話は途端に別物となる。

 入手したものと、それに掛かった労力を見比べて、自分はどうしてこんなものをそこまで欲しがってしまったのだろう?と後悔するのである。

 さて、長々と何が言いたかったのかというと、そういったついカッとなってやってしまった失敗というのは、古今東西、老若男女――そして人外であっても、よくある話だということなのである。

 

「ドウシテ……ドウシテ……」

 

「そ、その。元気、だして?」

 

「コレハユメダ、ユメナンダ……」

 

 家、という言葉を使うのが憚られるほどのボロ小屋の中、一体の人外が死んだ魚のような目でうわごとのように言葉を呟いていた。

 何を隠そう、つい先ほど力の使い過ぎから爆発のコンボを決めた、悪魔デザベアである。

 消滅したかに思われたデザベアだが、何とかその命を繋ぎとめることに成功していた訳だ。

 だが、その代償が途方もなく大きいものであった事は、彼の姿を見れば一目瞭然であった。

 山羊の角、狼の顔、蝙蝠の如き羽に、細長く先端が三角形に尖った尻尾。

 それら元々のパーツの形に変化は無い。……()()()

 では何が変化したのか、と言えば、それは大きさだった。

 鍛えに鍛え上げたボクシングの世界チャンピオンですら、視認して1秒で自分の死を悟るほどの大熊の如き体格が、見るも無残なことに、幼い女児に抱かれるお人形さんの様に小さくなってしまっていた。オマケに体全体が半透明に透けている。

 分かり易く言えば、魔法少女アニメに出て来るマスコット枠である。

 

 僕と契約して、魔法(何か使える訳も無い、死にかけの)少女になってよ!!

 無能少女リリカル☆へースケ、始まりませんッッ――!!

 

「クソっ、しかも、これはっ。ああっ!?」

 

「ど、どうした、の?」

 

 千年を超える悠久の月日を生きてきた大悪魔が、小っちゃなマスコットキャラクターに変貌してしまったのも、大問題だが、デザベアにとっては不幸なことに、更なる問題が彼には控えていた。

 

「…………………………お前が死ぬと、俺様も死ぬ」

 

「…………!?なん、で?」

 

「無理矢理、契約やら加護をかけた反動で、消滅寸前だったのを、お前との繋がりを利用してギリギリ回避してな……。使った力が回復するまで、お前から余り離れられないし、お前以外に干渉できない」

 

 背後霊的なアレである。

 

「どうして、そんな、なる、のにっ!変な、加護、を????」

 

「ついカッとなってやった。今は後悔している」

 

「ええっ……」

 

(コイツ色々、ダメすぎでは?)

 

 平助はそう思わざるを得なかった。

 第三者視点だと、笑える展開かもしれないが、渦中の平助からして見れば、たまったもんじゃない。

 

「わたし、生きる、なんとか、平穏、それなら、問題、ない?」

 

「そうだな、取り敢えず危うきに近づかず――――――あっ」

 

「何っ!?」

 

 古今東西、こう言うタイミングでの「あっ」が碌な事で合った試しは無い。

 

「いや、その、あー、何だ。俺様はお前を、ゲームの世界に酷似した世界に送った訳なんだがな。……その、転移させる時に、色々と細工をしたんだ」

 

 ブレイジングファンダジア。

 山とか消し飛ばせるような敵が出て来るような剣と魔法のゲームである。

 

「――――――」

 

 平助と言うより、クリスの紅い瞳が小さく成ってプカプカと浮いているデザベアを睨みつける。

 込められている感情は、一体何しやがったテメェ、だ。

 

「その、はい。運命的な、あれをね。ちょちょい、としたと言いますか、何というか」

 

「――わかり、やすく」

 

「いわゆるゲームで起こったような大事件に、限りなく関わりやすくなってるぜ!」

 

「なんで、そんな、こと、した!!いえっ!!!」

 

「無根拠に、自分が異世界に行けば活躍出来ると思っている馬鹿が、地獄に突き落とされるのを見たくて、へへっ」

 

 流石に平助の堪忍袋の緒が切れた。

 平助は、小さくなった手で持って、デザベアの体をむんずっ、と掴んだ。

 

「おい、俺様の体を掴んでどうす――」

 

「ふんっ!」

 

(日課の自家発電で鍛えた、腕の振りを喰らえっ!!)

 

「がぁああああああっっっっっ――!!」

 

 腕の上下運動なら誰が相手でも負けない!そんな自信を持つ平助の右手により、デザベアの体が勢いよくシェイクされた。

 デザベアの視界が高速で揺れ動き、三半規管に大ダメージが与えられる。

 普段であれば、何ら問題とはならなかっただろうが、今のデザベアは消滅寸前である。

 

「ぐぇっ。ごはっ。分かった。悪かった、俺様が悪かったっ!だから、手を、止めろ」

 

「はーっ、はーっ」

 

(す、凄い疲れる!!)

 

 強制フリーフォールの刑に処されたデザベアは当然だが、やった側の平助もかなりの疲労に襲われていた。

 余程、体の運動能力が低いのだろう。

 元の体であれば、鼻歌交じりで出来た動きに体力の大部分を持っていかれて、心臓が痛いほどに鼓動を早めていた。

 

「うぇっッッッ」

 

「ふひゅー、ふひゅーっ」

 

 リバースしかけているマスコットと、呼吸困難に陥りかけている小汚い餓鬼。

 色々とカオスな状況が落ち着くまでには、それなりの時間が必要だった。

 

 

 

*

 

「よしっ!じゃあ現状を纏めてみよう」

 

「………………」

 

 自分をジト目で見つめる紅い目から逃れる為にか、デザベアが殊更に明るい声で言い放つ。

 

 状況!!

 ゲームに似たような世界にTS転移した上に、そこで発生する事件に巻き込まれやすくなってるぞ!

 

 現状!!

 お金――無い!!

 コネ――無い!!

 健康――無いっ!!!!!!

 

「あの、何か、特別な、パワー、とか、無い、の?」

 

「ハァ?地獄、見てもらう気だったのにそんなの付ける訳ないんだけどぉおお――ま、まて、ついウッカリ本音が出ただけだ、俺様の体を握ろうとするな!!そ、それに一応申し訳程度に死ににくくは成ってるくらいのサービスはしてある!出来るだけ長く地獄を楽しんで貰うため――もとい、親切心で!!」

 

 こいつ、終いにはシバいたろうか?平助はそう思った。

 

「コホン。こう言うときは知識だ。お前は、この世界を元にしたゲームとやらをやった事が有るのか?」

 

「一応、ある。けど、止めた、途中」

 

「なんだ、つまらなかったのか?」

 

「ううん」

 

「じゃあ、何でだ?」

 

「少しやった後、わたし、誕生日、18。Hなゲーム、買える!!そっち、やってた!!!」

 

「あー、わかった。もういい!!」

 

「楽しかった、です!!!!!」

 

「もういいってんだろぉが!!!!!!」

 

 勢いよく返答する平助に、頭を痛くして叫び返すデザベア。

 ボケと突っ込みがあっという間に入れ替わる、奇妙な空間がここに存在した。

 取り敢えず、原作知識は曖昧!!と言うのが残った現実である。

 

「…………まあ、詳しい説明は面倒だから省くが、ゲームに酷似した世界ってだけで、ゲームの世界その物って訳じゃねえからな」

 

「そう、なの?」

 

「ああ。だから当然、全てが全てゲーム通りに運ぶなんて訳も無いし、ここは前提知識があり過ぎるが故の落とし穴に引っかからなくなった、と前向きに考えよう」

 

「うん」

 

 それでもあるに越したことは無かったが、とデザベアとしては後ろ髪を引かれる思いである。

 

「だが、知識ってのは何もゲーム知識だけじゃねえ。むしろ普通の知識――現代日本で過ごして来た知識が利用できるはずだ!!」

 

「わたし、頭、あんまり、良くない」

 

 今までの人生における学校の通信簿の平均は3くらいである……保健体育だけは、常に5を取っていたが。

 まあ、そもそも例え秀才と呼ばれるような人種であったとしても、金もコネも無い状況から、異世界で知識チートを行えるかは大いに疑問が発生する話である。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 何とも言い難い気まずい雰囲気が、1人と1体の間で流れる。

 

「……まあ、そもそもの話、もう気が付いていると思うが、お前には過去の事を喋れなくなる呪いをかけているしな」

 

「!!そういえば、そもそも、これ、なに!?」

 

 色々とふざけた展開が続いていた所為で、問い詰めるのをすっかり忘れていたが、今の平助は、満足に喋ることも出来ないのである。

 

「いや、何。万が一にでも、現代知識で大活躍!!とかされたら悔しくなるだろ?だから、転移前の事を話せない様に呪いをかけておいたんだよ、……ああ、筆記や念話だったら伝えられるなんて穴も当然塞いである。その副作用で普通に喋る時すら自動的に言葉が変換される様に成っているみたいだな。まあ、これからはクリスとして心機一転頑張ってくれ!!」

 

「ふんっ!!!」

 

「がああああああああああああっっっ」

 

 自身の名前すら失わせられた、平助――もとい、クリスによる、怒りの全身シェイクがデザベアを襲う。

 如何にド変態と言え、家族や友人と、いきなり永遠の別れをさせられて何とも思わない訳が無いのだ。

 常人だったら、絶望して心が砕け散ってもおかしくない話である。

 

「はぁーっ、ふぅーーっ」

 

「は、吐きぞう」

 

 しかし、まあ。こうして現状を整理してみると、だ。

 

「――これ、無理、では?」

 

「はい」

 

「はい、じゃ、無い、けど!!」

 

 どう見ても詰んでいる。

 ゲームの事件云々以前に、普通に生きていけるのかすら怪しい。

 このままでは共倒れは確実だろう。

 

「一緒に、死ぬ?」

 

「い、いやだ。そんな終わりは嫌だぁあああああ」

 

 死が怖いと言う訳では無い。

 もし仮にこれが普通の死に方であるのならば、例えそれが自分が陥れようとした契約者に反逆された結果であったとしても、デザベアは己の邪悪さを誇り、笑いながら死んだだろう。

 ……が、しかし。それが、ド変態相手に対する自爆死となると話は変わってくる。 

 そんな死に方なんぞ、良い笑いものであり、縄張り争いで蹴落としてきた同業の悪魔や、かつて自分が地獄に叩き落とした契約者たちが、草葉の陰で片腹大激痛している姿が、デザベアの脳裏には、安々と浮かんできた。

 何故なら、逆の立場だったら大爆笑するからッッ――!!

 

「いいか!テメェは、この世界で絶対に生き抜くんだ!!俺様も協力してやるっっ」

 

「ええ……」

 

 自らの所業を棚上げにして勢いよく語るデザベアの、正しく悪魔的な態度に、クリスの本日何度目かになる嘆息が響き渡る。

 しかし、とはいえクリスとしても、こんな訳の分からない状況に放り込まれて死にたくない、という思いは当然ある。

 故に考えなくては成らない。この詰んだ状況を何とかする、冴えたやり方――!!

 

「はっ!思い、ついた!!」

 

「何をだ?」

 

「やはり、しょうふ。体、うるっ!!!!!!」

 

 これが、クリスの答え、たった1つの冴えたやり方――!!

 

「客の大事な部分を破壊するゴールデンボール☆ブレイカーの称号を得たいなら止めないが」

 

「…………」

 

「…………」

 

 妙案――無し!!!

 

 

 

 



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04 至高のオカズ

「芸、します。見て、下さい」

 

 薄暗い路地裏――スラム街から少し外に出た、大通りとまでは呼べないが、そこそこ人が通る道の中、1人の子供が地面にボロボロの食器を置いて、おひねりを貰うべく芸を披露している。

 芸、と言えば聞こえは良いかもしれないが、実際の所、その子供がやっている行動は、実にお粗末な物であった。

 丸めたゴミによるお手玉。今にも切れそうなボロボロの糸による綾取り。

 腕も稚拙なレベルであり、言ってしまえば、子供のお遊びの域を少しもはみ出るものではない。

 はっきり言って、こんなお遊戯に金を出す人間など1人も居るはずが無く、だがしかし子供の前に置かれている壊れかけの食器に、僅かばかり小銭が入っているのは、その子供の様子が余りに哀れに過ぎるからだろう。

 

 服と言うのも烏滸がましい、穴が開きに開いた麻の服に身を包んだ、栄養失調で痩せこけて、埃と泥で薄汚れた髪や顔、体の所為で、男か女かすらもハッキリとしない子供。

 幼子ですら簡単に行える様な動作ですら、行ったその後に肩で息をしている姿は余りにも痛々しい。

 その姿を哀れんだ通行人による、僅かばかりの施しが食器の中の小銭であった。

 

 しかし、酷な話ではあるが、この国――いいや、この世界において現在、その様な不幸は決して少なくない話なのだ。

 国は荒れ、人心は乱れる。

 各国で、このような光景が散乱しており、そしてそれに手を差し伸べる余裕を持つ人間も少なく成っている。

 だから、件の子供に与えられた救いの小銭も、小銅貨と銅貨が数枚。

 日本円に換算すれば数百円程度の物であり、無一文の子供が生きて行ける稼ぎには程遠い。

 こんな生活を続けていれば、遠からず死んでしまうのは明々白々で、であればそんな詰んだ状況で生きている子供は、一体どれほどに絶望しているのだろうか――

 

 

 

 

 

 

 

(あ、あの人Gカップだ!!凄い!!!!!!)

 

 ――何かメッチャ余裕ッッ!!!!!

 子供――異世界転生初心者であるTS幼女のクリスは、道行く人々を視姦しつつ、早数週間となる異世界における日課を繰り返していた。

 一体どうしてこんな事に成っているのか?

 それを語るには数週間前、クリスとデザベアの現状確認にまで時を戻す必要がある。

 

*****

 

「まず非常に業腹な事だが、俺様たちは大分詰んでる」

 

「はい」

 

 金もコネも健康も学も才も常識も無いTS幼女と、力を使い切って消えかけの、絞り滓マスコット悪魔。

 そんなド底辺が簡単に一発逆転出来る程、世界は甘く出来ていない。

 何かしらしっかりとした生存戦略をイメージして生きていかなければ、1人と1体の命が異世界の土に消えるのは自明の理であった。

 

「じゃあ、孤児院、貰われる、のは?」

 

「ん」

 

 大体、人が思いつく生きていく為に有効な、長所・特技・手段を殆ど持っていないクリスだが、そんな彼女の持っている数少ない物が【子供】と言う身分である。

 どこかの孤児院などに身を寄せて、そんなに頭が良くないとはいえ、中の人が一応高校生なのを活かし、利発な子供として生きて行く、というのは然程悪くない案に思える。

 しかしながら、その案を聞いたデアベアの顔は、気難しいままであった。

 

「最終的には、その賭けに出るしかねぇんだが……。理由は後で言うが、ハッキリ言って分が悪い。出来るなら別の手段を試してからの方が良いだろう」

 

「うー、む」

 

 ある意味、正統派と言っても良い手段を封じられては、クリスとしてはもうお手上げであった。

 

「あ。そう言えば、加護、どれくらいの、効果・範囲、なの」

 

「あ?加護ってーと、不犯の加護の事か?」

 

「うん」

 

 不犯の加護。それは、デザベアがついカッとなってクリスに掛けてしまった、クリスに対する性的な行為を禁ずる効果を持った加護(呪い)である。

 しかしながら、性行為を禁ずる。と一口に言っても、その範囲は様々だろう。

 所謂、本番とそれに近い行為のみがアウトなのか?はたまたクリスを邪な視線で見ただけでアウトに成るのか?

 前者と後者では、危険の桁が違う。

 

「……そうだな飽くまで大体の目安だが。まず、本番とそれに準ずる行為は総じてアウトだ。要は、手だろうが、口だろうが、尻だろうが、アウトって事だ」

 

 それらを使って何をするのが駄目って?

 ナニ、ですかね…………。

 

「残念」

 

「グレーゾーンなのは、身体接触だ。事故で胸を揉んでもセーフだが、性欲に任せて胸を揉んだらアウトと言った感じだ。まあアウトの場合も、直ぐに爆発する訳じゃなく、まず痛みを感じて、それでも止めなければ……って具合に成る筈だ。正直、ここら辺は加護を掛けた俺様からして曖昧なラインだから、やってみて実際にどうなるかのチキンレースだな」

 

「むう」

 

 ラキスケ無罪。ラキスケ無罪です!!

 

「完全にセーフなのが、視認だ。まあ、流石にな」

 

 それがアウトに成ってしまったら、素っ裸で街中を爆走することで、周囲の人間の性器を爆発させまくる脅威の性器特攻兵器が誕生してしまう所だった。

 それらの話を聞いたクリスの顔に、何かを思いついた様な、閃きの色が浮かび上がった。

 

「ひら、めいた!」

 

「………………大体予想がつくが、何だ、言ってみろ」

 

「公開、スト〇ップ、ショー!!」

 

 これが起死回生の策だ!!ウォオオオオオオオオーーっ、とばかりに荒ぶるクリス。

 

「……………………」

 

「あれ?反対、しない?」

 

 クリスが変態発言をして、デザベアがそれに突っ込む。

 短い付き合いではあるが、それが2人の間のある種お約束の展開だったが、しかし今回デザベアがクリスの発言に返したのは、何とも言えない無言であった。

 

「まあ、実際の所。有りと言えば、有りな手段なんだよな……」

 

「!!」

 

 先ほどは意図的に省いたが、クリスと言う少女には数少ない――いや、たった1つだけ、と言っても過言ではない長所がある。

 それは美貌。

 今でこそ、唯の小汚い餓鬼であるクリスだが、磨けば磨くだけ輝く素晴らしい美の原石であると、大悪魔が直々に保証をしている。

 であればこそ、その1つだけの長所である美を売りに出していく、と言うのは極めて筋の通った話ではある。

 

 そもそも、デザベアがクリスの肉体を転生先に選んだのも、色欲の願いを悪魔に願った男が、美貌の才以外は何も持っていない無力な女児に転生させられて、それを食い物にされていく様を観覧し「いやあ、願いが叶って良かったなぁああ!?」と嘲弄してやる為だったのだ……まあ、相手がド変態であった所為でややこしい事に成ってはいるが。

 そう言う意味では、クリスにアレな行為をさせて金を稼がせ、それによって生きて貰うと言うのは、当初の予定通りであるとも言える。

 まあ、デザベアとしては、自分を散々虚仮にしてくれたド変態野郎が、満願成就して人生を謳歌するのは、非常に悔しい所ではあるのだが、しかしそれを邪魔することばかりに拘って自分の命を失う事の方が、余程、馬鹿らしい。

 だから、クリスの案は悪くない――いや、悪くなかった(・・・・・・)のだが(・・・)…………。

 

「……だがしかし、やっぱりそれは無しだ」

 

「なん、で!?」

 

 上げて落とす。

 期待させておいてからのデザベアの否定発言に、クリスはガーンと肩を落とした。

 

「なんでって?だから、不犯の加護の所為だよ」

 

「?加護、範囲外、って話、では?」

 

 そもそも、加護の範囲外になるからスト〇ップショーを例に挙げたのに、加護を理由に却下されるのは、可笑しい話だろう、というのがクリスの言いたいことだ。

 

「ああ。確かにテメェの裸がどんだけ見られようが、不犯の加護には抵触しねぇぜ?だから、まあ。接触を禁止して、視姦だけで金を稼ぐ、ってーのは、まあ一応筋が通っている様に見えるさ」

 

 だけどそもそもな、とデザベアは彼からしてみれば当然の道理である事をクリスに告げた。

 

「スラムの屑どもが、そんなルール(接触禁止)なんか守るかよ」

 

「私、なら、ルールは、守る、よ!」

 

「テメェならどうするか、なんてのはこの場合、何の意味もねェ情報なんだよ。重要なのは周りがどうするか、だろ?」

 

「むう」

 

 十中八九襲われることに成る。デザベアはそう断言した。

 

「そうなりゃどうなるか?テメェを襲おうとした奴らの性器が爆発して、テメェは晴れて危険人物の仲間入りって訳だ。その後どうなるかは、まあ展開次第だが、碌な事にはならねぇだろうさ!」

 

「うー」

 

「さっき言った、孤児院なんかに貰われる、って方法を取りづらい理由ってのも、それなんだよ」

 

「??」

 

 いまいち話の本質を理解していない様子のクリスに、デザベアがやれやれ、と首を振りながら説明をする。

 

「いいか。テメェは軽く考えているだろうが、テメェの肉体の【美の才能】は、決して甘く見て良いもんじゃねぇ。現状の完全に才能を無駄にしている状態から、少しでも磨き始めれば、頭角を現しちまう。そんなレベルだ」

 

「可愛らしい、子、だと、思ってる、けど」

 

「テメェのガバガバストライクゾーンなんて、何の参考にもならねぇんだよ!!!」

 

「……酷い」

 

 敬遠球ですらストライクになるクリスのセンスに、意味は無い。デザベアはそう断言した。

 

「貰われた先が善人であればいいが、もしも悪人だったらどこぞに売り飛ばされて人生終了。そういう話なんだよ。ああ何だ、親ガチャって奴だな。今流行りだったんだろ?」

 

「そういう、言葉、好きじゃ、ない」

 

「そんなこたぁどうでも良いんだよ!!要は、人生を賭けた丁半博打なんてやって堪るか、って話だ」

 

 何せ、クリスが死ねば、デザベアも道連れで死ぬのである。

 それを考えれば、運否天賦の生き方など勧られる筈も無い。

 しかしながら何というか、不犯の加護が最高に邪魔に成っている。

 まあそれも当然と言えば、当然の話。

 たった1つ(美貌)の道以外を潰した人生を用意しておいて、その1つすら塞いだら詰んだ!!なんて話、「当たり前だろ……」以外に何と言えば良いのか。

 

「でも、原因、全部、そちらでは?」

 

「………………」

 

 まあ何が一番アレかと言えば、こうやってぐだぐだと文句を吐いているデザベアこそが、脱出困難な深い深ーーーーい落とし穴を掘って、それに自分が落っこちた間抜けな張本人って事なんですけどね!!!!

 そう言った意味も籠めたクリスのジト目による視線に貫かれて、デザベアはサッ、と顔を逸らした。

 

「い」

 

「い?」

 

「何時までも過去の遺恨を引きずったままでは互いの為に成らない!!!!ここは、全て水に流して、未来の事を考えようじゃ無いか!!!!!」

 

「ええっ…………」

 

 そういうのは、遺恨を作った側が言って良いことでは無いと思うんですが??????

 

「コホン。まあそれに関しては、俺様としても、少しは悪いと思ってる」

 

「……少、し?」

 

「そ・こ・で・だ!!!!!!その詫びとして、俺様がこの詰んだ状況を何とかするスッペシャァァ~~~~ル、な案を考えた」

 

「どん、な?」

 

 最早、来世が良いものである事をお祈りするだけが、正答に成りかけていると言ってすら良い程の、絶望的なこの状況をどうにか出来る秘策とは何か?

 デザベアはそれを得意げに語り始める。

 

「良いか?確かに今、お前は自信の唯一の長所である美の才能を、悪目立ちし過ぎるが故に封じられて、寧ろ足枷にすら成ってしまっている。が!しかし!!逆に言えば!!!それは、目立たない状況で有るのならば、使っても問題無いということだ!!」

 

「目立、たない?」

 

「そう!!つまり、身寄りがなく、知り合いも少ない男を見つけて、そいつを誘惑して性器を爆発させて、その隙きに、相手をぶち殺して金目の物を――」

 

「やらない」

 

「あ゛?」

 

「そう、いうの、やら、ない」

 

 取り付く島もない、とはこの事だろう。

 デザベアの言葉を遮った、クリスの強い語気と視線には一切の逡巡すら見られない。

 その様子を確認したデザベアは、呆れた様子で首を横に振った。

 

「あーはいはい。そりゃあご立派な事で!それじゃあ別の案を出しますよ!っと」

 

「まだ、有るの?」

 

 意外にも、と言ったら失礼かもしれないが、デザベアは自分の提案が断られた場合の対案も、しっかりと用意していたらしい。

 

「ま、オススメなのは最初の案なんだけどな。だがまあ。別の方法も無い訳じゃあない。いいか、クリス。お前、これから街で芸でも見せて物乞いしろ」

 

「???私、自信、無いけど、それ、意味、ある?」

 

 自分に出来る特技など、精々が道行く人のスリーサイズと、一物の大きさを言い当てる位で、所謂一般的な大道芸なんかをやれる自信は無く、そもそもが体力が殆どないこの体である。とクリスはデザベアの提案が余り有効な物だとは思えなかった。

 

「ああ、安心しろ。それで大金が稼げる――なんざ俺様も思っちゃいねぇ」

 

「じゃあ、なんで?」

 

「ふっ。良いか、クリス。お前は気がついちゃいねぇ様だが、お前には今、【美の才能】以外にも使える強力な長所(・・)が存在している!!それが何か分かるか?」

 

「…………諦めない、心?」

 

「誰がそんな精神論を言えっつたぁ!?」

 

 果たして今のクリスが持っているもう1つの長所とは何なのか。散々に勿体ぶった上で、とてもとても得意気にデザベアは答えを宣言した。

 

「――俺様だよ、お・れ・さ・まっ!!分かるか?お前にはこの大悪魔たるデザベア様が付いているんだ。これは、世に数多いる凡百の輩どもを大いに引き離す、圧倒的な長所と言って良い!!!」

 

「……………………………………」

 

「オイ。なんだ、その顔と沈黙は。怒らないから何を思っているか言ってみろ」

 

「あんまり、役に、立たなそ――」

 

「シャァアアラップッッッッ!!!!!ぶち殺すぞ、糞餓鬼ッッッ」

 

「怒ら、ない。言った、のに!」

 

 すぐに脇にそれてしまう会話に、コホン。とデザベアは一息入れた。

 

「まあ要するに、だ。俺様(大悪魔)が認める【美の才能】に、厄介な加護を持ったお前は、イザって時に何とか出来る【自分だけの武器】って奴を持たなきゃ、運が少し下向いただけで人生終了のお知らせだ。だが、お前の肉体に美貌以外の才能なんて無いし、中身は唯のド変態だ。そんな状況で、他人に無い武器と言ったら、俺様が力を取り戻すより他に無いだろう?」

 

「一理、ある」

 

「百理ぐらいあるぜ」

 

「でも、私、芸、見せる。力、戻る。何の、関係?」

 

 論に疑問があらずとも、方法に疑問が生ずる。

 クリスがお遊戯レベルの芸を披露するのと、デザベアが力を取り戻すという事に、如何なる相関が存在していると言うのか。

 

「いいか?悪魔ってのはな――人間(ヒト)の感情を食らって、【力】を得られるんだよ」

 

「感情、食べ、られる?」

 

 悪魔たるデザベアが語る、悪魔の生態・性質。

 それは、悪魔というおどろおどろしい看板に偽りの無い、実に幻想的な代物であった。

 

「まあ本来は、自分に向けられた感情以外は食べにくいんだがな。だが不幸中の幸いと言うべきかな。今、俺様とお前には一蓮托生の繋がりがある。だから、お前に向けられた感情でも、俺様が力を取り戻すことが可能なんだよ」

 

「そう、なんだ」

 

「まあ、効率の良い【感情】は、恐怖や憎しみだから、最初の爆発殺人こそが、一番割の良い手段――」

 

「やらない」

 

「はいはい。なので、この対案って訳だ」

 

「それが、芸、する、こと?」

 

「ああ勿論、お前の芸が素晴らしい物で大注目される!!なんて展開は一切期待してないぜ?寧ろ中途半端に良い物を見せるくらいなら、ダメダメな物であってくれた方が有難いくらいだ!」

 

「なん、で?」

 

「その方がお目当ての感情――同情や、哀れみを誘えるからな」

 

 だから、精々頑張らずにやれよ、とクリスに話したデザベアだが、その狼面が少しばかり面白く無さ気に歪む。

 

「まあ、それらの感情による力の取得の効率は、悪いも悪いんだけどな。人間で例えるなら、糞不味い上に、栄養も殆ど無い食べ物って感じだ。――ただ、背に腹は代えられねぇ」

 

「そう、なんだ」

 

 そうしてデザベアは具体的な生存戦略を語っていく。

 

「先ずはそうやって多少なりとも俺様の力を取り戻す。その後、その取り戻した力を使ってより注目される様な事を行う。それにより更に俺様の力を取り戻して、またその取り戻した力で注目を浴びて…………ってな具合に、自転車操業的な具合になるが、そうやって少しずつ得られる力と、人生の安全を確保して行くってのが、現状取り得る最良の手段だと俺様は思うんだが――異論や対案はあるか?」

 

「…………」

 

 デザベアの案を頭の中で吟味してみたクリスであるが、彼女にとっては人を傷つける手段と比べれば遥かに良い物であったし、それ以上に良い対案も思い浮かばなかった。

 

「う、ん。わかっ、た。それが、良い、思う。一緒に、頑張、ろう、ね。ベア、さん!!」

 

「なんだ、その呼び名」

 

「愛、称!!」

 

「いや、まあ何でも良いけどよ…………」

 

 と、まあ。こんなやり取りが有った次第である。

 

*****

 

 ――そうして場面は再び現在へと戻る。

 デザベアと一緒に決めた案を数週間。

 それこそ、そろそろ1ヵ月も見え始めて来るくらいの期間、クリスは律義に行い続け、今日もまた行っていたと言う訳である。

 本日も、朝に物乞いを始めた時は明るかった空が夕焼けに染まり始め、道行く人々の種類も変わり始める頃合い。

 

「はふぅー。はひゅー」

 

 軽い芸を披露し続けだけとは言え、体力・健康、共に皆無のクリスからすれば途轍もない重労働で、大分疲れが見え始めていた。

 しかしながら、地面に置かれたボロボロの食器に入っている小銭は、先ほどから少しも増えていない――今日は運が悪かった様だ。

 

『おし、それじゃあそろそろ帰るぞ』

 

 クリス以外には見えないデザベアが、虚空に浮かび上がりながら、クリス以外には聞こえない声で持って語り掛けた。

 クリスはそれに、こくり、と軽く頷いた。

 僅かばかりの小銭と、壊れかけの食器を大事に持ちながら、路地裏――スラム街へと歩いて行く。

 そうして向かうのは自分の住まい――では無かった。

 

 暗く剣呑なスラム街を静々と歩いて向かったその先には、ボロボロの――しかしクリスの住まいに比べれば遥かにマシの、あばら家があった。

 ここに、クリスの待ち人が居るのである。

 元気な若者が思いっきり叩けば、それだけで壊れてしまいそうな木造のドアを、クリスは軽くノックした。

 

「こん、ばん、わ!」

 

「クリスか」

 

 気怠るげな足音が鳴り響き、ドアからにゅっ、と顔を出したのはスキンヘッドの強面の男だった。

 服の上からでも分かる鍛え上げられた筋肉と、片目が潰れて縦に大きく傷が入っている顔面は、いかにも(・・・・)と言った具合だ。

 見た目荒くれ者と、現在幼児と化しているクリスの間に、どんな関係が存在しているのか。

 

「アー、ノルド、さん。これ、今日の、お金、です」

 

「……おう。悪いな」

 

 強面の男――アーノルドと言うらしい――に会ったクリスだが、何と今日手に入れた僅かばかりのお金を、全てアーノルドに手渡してしまったではないか!?

 それにアーノルドが、クリスのその行動に何ら驚いていない事を鑑みるに、これが初めてではなく、幾度と行われている物だと判断出来る。

 本当に何をしていると言うのか?

 その答え。クリスの行動の真意は、正確には異なるものの、所謂【ショバ代】という奴である。

 

 始まりは、やはりデザベアからの提案だった。

 スラム街と言う危険な環境で虚弱極まる存在であるクリスが、お金を持っていれば、それがどんなに少量であっても強引に奪い去られる可能性は高い。

 どうせ奪われ危険に晒される可能性が高いなら、最初からスラム街の中である程度の影響力があって、多少はマシな人間に取り入って、安全を確保したほうがマシ!という考えであり、デザベアがその為に見繕った対象こそがアーノルドであった。

 

「じゃあ何時も通り、全部こちらで貰った、って事にしておくぜ。それじゃあこれがそっちの取り分だ」

 

 そういう事にしておけば、それなりに腕っぷしのある者のツバ付き相手から、危険を犯してまで小銭を奪おうとする様な人間は少なくなる。

 そんな単純な損得計算すら行えず、尚も小銭を奪いかかろうとするような危険人物に関しては、クリスから離れられないと言っても、100m位は距離を取れるデザベアが、クリスと鉢合わせない様に周囲を警戒している。

 それなりに話の通じるアーノルドを見つけた事と言い、永い間人間と鎬を削って来たデザベアの、人間――特に悪人に対する嗅覚は、成程確かに自分が付いている事が長所である!と言うだけの事はあり、クリスの役にとても立っていた。

 それは兎も角、アーノルドの手からクリスに対して、最初に渡した小銭の凡そ半分ほどが戻された。

 それを見たクリスは、微かに驚いたような表情を顔に浮かべた。

 

「何時も、より、多い、です」

 

「何だかんだ、雨が降った時以外は、毎日律儀に来てくれてたからな。これからは半分持っていって良いぜ」

 

 元々の取り分は、驚くことにアーノルドが7のクリスが3であった。

 大した額でも無いが、臨時収入という事に成る。

 クリスは薄く微笑んだ。

 

「ありがと、ござい、ます」

 

「いいって事よ」

 

 あまり長居をする場所でも無い。

 そんなやりとりを済ませた後、クリスは早々とアーノルドの家を後にした。

 そうして今度こそ向かうのは自らの住まい…………ではやはり無く、食事の調達であった。

 

「良い、人」

 

「馬鹿か、お前は」

 

 道を歩きながら、小さな幸運に対して呟きを放ったクリスに対して、上空から周囲を警戒していたデザベアが、態々クリスの近くまで降下してきた後に、突っ込みを入れた。

 

「な、に?」

 

「本当の善人だったら、そもそも餓鬼から金なんて受け取んねぇよ」

 

 いいか、クリス。とデザベアは得意げに話を続行する。

 

「そもそも、こんな場所(スラム街)にまともな人間なんて居ねぇんだよ!居るのは、唯の屑と、少しはマシな屑と、どうしようもない屑の3種類だけさ!」

 

「ベア、さん、口、悪い」

 

「何時だって正論ってのは、耳に痛い物さ」

 

 じゃれ合っているんだか、喧嘩しているんだか分からない会話を続けつつ、暗い道の中クリスの足は食料調達へと動く。

 

「ん、よし。今回はそこのカドだ」

 

「わかっ、た」

 

 クリスがたどり着いたのは、1軒の料理屋の裏手、そこにある生臭い臭いの漂うゴミ箱の前だった。

 そして、クリスはそのゴミ箱をそそくさと漁りだす。

 折角施された小銭を使わないのか?と思うかもしれないが、これもやはりデザベアからの提案だった。

 どれだけ巧妙に誤魔化し、警戒しようとも、人の目と耳はどこにでもある。

 食べ物の購入などを行っていれば、ひょんなことから、多少なりとも金がある事がバレかねない。と言うのがこの行動の理由だ。

 施されたお金はイザと言う時の貯金に回されて、クリスの食料は大体ゴミ漁りで賄われていた。

 

「そこら辺のが、多少はマシだな」

 

「これ、とか?」

 

「そうそう」

 

 これまでの行動を見て分かる様に、クリスのスラム街における生活方針は「命を大事に」だ。

 よってゴミ漁りですら、他の浮浪者とかち合わない様に慎重に行われており、必然的に旨味(・・)のある獲物は既に取り尽くされている。

 所謂、食べ残しなんて上等な物がクリスの手に渡ることは無く、彼女が入手するのは、デザベアの目利きによって辛うじて食べられ無いことも無い、ほぼ骨だけになった肉などと言った類の物が殆どだった。

 こんな物を食べ物と称するのは食に対する冒涜であり、ハッキリ言って【ちょっとだけ栄養の取れる生ゴミ】以外の何物でも無い。

 

「キチンと、片付け、します。ありが、とう」

 

「いいからとっととずらかるぞ」

 

 お店に余計な迷惑を掛けない様に、しっかりと後片付けをして。漸くクリスは自らの住まいへの帰路についた。

 危険な目に遭わないように、デザベアの先導に従いながらスラムをすいすいと進んで行き、見慣れたボロ小屋にまでたどり着く。

 

「ただ、いま」

 

「誰も居ないがな」

 

 寧ろ居たら大ピンチである。

 天井に穴が開いていてしかも床すら無いために、数日前に降った雨の影響で水たまりが出来ている家の中。

 辛うじて居住空間と言えなくも無い、地面に敷かれた藁の上に、クリスは腰を下ろした。

 僅かばかりの小銭を、決まった隠し場所に保管した後、漸く食事だ。

 

「それ、じゃあ、ベアさん、よろ、しく、お願い、します」

 

「……………………ああ」

 

「いた、だき、ます」

 

 こんな状況ですら食前の挨拶は忘れずに。クリスは手に入れた生ゴミに口を付ける。

 鼻孔と口内に酸っぱいような甘いような、吐き気を催す強烈な味と臭いが充満する。

 

「う、ぐっ」

 

 同じ浮浪者たちですら、余程切羽詰まっている状況でも無ければ、手を出さないような代物。

 現代日本の美食に慣れたクリスに、そんな物が受け付ける筈も無く、彼女の胃は生ゴミを外へと戻しかける。

 が!!大丈夫!!!!

 クリスにはこんな生ゴミでも、美味しく食べられる最高の魔法が存在しているのだ!!!

 

「……………………何、吐きかけてるんだ、この雌豚がぁ!!!!」

 

「――!!」

 

 ひっじょぉおおおおおに、嫌な表情をしたデザベアから、突如としてクリスに投げかけられる罵倒の言葉。

 それを聞いた瞬間。クリスは果て無い気力で、吐き気と生ごみを強引に胃に流し込んだ。

 

「テメェみたいな変態には、生ゴミがお似合いだろぉ!???」

 

「!!」

 

 繰り返される罵倒に、クリスは食事の手を動かし続ける。

 そう、これこそがクリスの秘策ッッ!!

 

 そういうプレイ(・・・・・・・)であると言う妄想をすれば、イケる……!ギリギリ……!生ゴミッッッ…………!!

 寧ろご褒美ッッ…………!!

 罵倒こそが最高のオカズ……!!色んな意味でッッ…………!! 

 

「おら、返事はどうした雌豚ぁぁあああッッ!!」

 

「は、い!」

 

「どぅぁあああれが、人間様(ヒトサマ)の言葉を喋って良いって言ったぁ!??」

 

「!!!!ぶ、ひぃ!!」

 

 何故か、罵倒している側のデザベアがとっても疲れた表情をしているが、些細な問題だ!!!

 兎に角、普通であれば嘔吐確実な食品でも、こうやればクリスは食べられるのである。

 

「ごち、そう、さま、でした」

 

 ――色んな意味で。

 まあ、そんなこんなが、異世界転生したクリスの現状であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

「糞、糞ッ、糞がッッ!!ありえねぇぞ、オイ」

 

 夜も深夜。

 寝心地の悪い藁の上で、クリスがすぅすぅと寝息を立てて寝ているその横で、デザベアが感情を激しく荒らげている。

 クリスの変態趣味に付き合わされたからだろうか?いいや、違う。

 …………いや、それはそれで、デザベアの気力や正気度を大いに削っているのではあるが。

 だがしかし、現在、彼の頭を悩ませている問題はそれでは無いという話だ。

 

「糞っ。予想外だ……」

 

 デザベアが嘆いているのはクリスの異世界生活。それその物であった。

 ――だか、それは可笑しくないだろうか?

 何故なら、クリスはデザベアが提案した行動方針に従って行動している。

 諸々の問題の解決策に、ちょっと変態的な手段を使いをしたが。

 ……ちょっと?……ちょっと!????

 まあ取った手段の事は一旦脇に置いておくとして、今日1日を見て分かるように、クリスはデザベアが提案した、普通の人なら直ぐに限界が来そうな生活を、必死にこなしている。それは間違いない事だ。

 だと言うのに不満を持つという事は、そもそもの前提条件に何らかの虚偽や、欺瞞があったという事か?

 それは、半分正解で、半分外れだ。

 

 

 悪魔が人の感情を受け取る事によりパワーアップ出来、かつ今、クリスとデザベアの間に大きな繋がりがある為、クリスに向けられた感情によってデザベアの力が上がる。

 よって物乞いをして哀れみを受ける事により、デザベアの力を多少なりとも取り戻す。

 その説明自体に嘘は存在しない。

 ……が、その行動がデザベアの真意であるかと言われれば否だった。

 デザベアには、クリスに説明していない本当の目論見、行動指針が存在していた。

 

 順を追って説明しよう。

 まず、繰り返すようだが、今日1日のクリスの行動を見れば、それが現代人にとってとても辛く耐え難い物である、と感じたのでは無いだろうか?

 その意見はデザベアも同じだ。

 彼の目論見では、クリスはそう時間の経たない内に、今の生活に音を上げる筈だったのだ。

 そしてその時こそが、デザベアの本当の行動方針――人を傷つける悪徳に満ちた行動をクリスに取らせてより効率的に自身の力を取り戻す――を伝える時間(とき)である筈であった。

 それにしては、最初クリスに局部爆発強盗殺人を断られた時に、アッサリ引いたな?と疑問に思うやも知れないが、それも簡単なこと。

 デザベアとしても、良く言えば平和主義、悪く言えば日和見の現代人、それも日本人に行き成り殺人何て意見が受け入れられる、等とは欠片も思っていなかった。

 最初に受け入れがたい大きな提案をしておいて、その次にそれに比べれば小さな提案を行う――要は詐欺の常套手段である。

 

 

 極めて厳しい生活に苦しむクリスに対して、デザベアはいくつもの甘言を伝えた。

 お前は、こんなに厳しい状況にあるのだから、少しずる賢い事をするくらい仕方が無いのではないか?

 自分の命が懸かっているのだ、多少他人を害してもしょうがないだろう。

 殺人や傷害が嫌ならば、それら以外の悪徳を考えよう。

 相手が悪人であれば構わないだろう。

 

 そんな風にクリスが、いいや、仮に他の人間が見ていたとしても「それなら仕方が無いよね」と言うような言い訳が出来る程に、デザベアは様々な案を提供してやった。

 一度でも道を踏み外せば、後はどんどん堕ちていくだけだ、と彼は知っていたから。

 それは正しく悪魔の囁き。

 だが、ここでデザベアにとって予想外な事が起きる。

 

 ――クリスが、自分の甘言に全く耳を貸さない。

 誰かを傷つけて自分の生活を楽にする。そんな意見には全く乗らないのだ。

 可笑しい。絶対に可笑しい。

 クリスは客観的に見て凄まじいまでに可哀想な被害者であり、デザベアの出した意見の中には普通の人間であれば「まあ、それくらいなら……」といった具合になる、軽い物だってあったのだ。

 だけど、乗らない。

 

 悪意によって、家族や、友人と引き離されて天涯孤独の身にさせられた。

 健康だった元の体を失って、少し動いただけで息が切れるような、虚弱な体に成った。

 見世物の如く無様な物乞いをして、それでも尚、数百円しか稼げないし、その稼ぎも殆ど他人に持っていかれる。

 人間の食い物とはとても言えない様な生ゴミを食して、何度も嘔吐した。

 それでも尚、クリスは一度たりとも人を傷つける案に乗らず、そして迷いすらしなかった。

 

 それどころか!である。

 例え悪魔の囁きに耳を貸さずとも、こんな状況に叩き込まれれば、普通、デザベアに対して莫大な怨嗟を持つことだろう。

 それは、僅かにも可笑しいことでも無ければ、恥ずかしい事でも無い。寧ろ正当なる怒りであるとすら言える。

 だと言うのに、クリスにはそれすら無かった。

 ここまで来ると、【頑固】や【人が良い】なんて言葉では到底言い表せない。その域に無い。

 これは、【異常】だった。

 

「チッ。だが、それにしては狂人特有の雰囲気が無ェ……」 

 

 永い時間(とき)を、悪魔と契約をして願いを叶えようとする人間と過ごしてきたデザベアは、所謂狂人と呼ばれる類の人間を幾度も見たことがある。

 だが、それによって鍛えられた嗅覚に、クリスは引っかかっていなかった……いや、色欲はヤバいが。

 

 

 自分という物の価値が低すぎて、他人を尊重しすぎる?――いいや、特に自らを卑下するような行動を見せてはいない。

 元の世界が大嫌いで、異世界に来れた喜びに溢れている?――いいや、家族などを思い出して寂しそうにしているのを、幾度となく目撃している。

 実は感情を失っていて、怒りを感じない?――いいや、デザベアが他者を馬鹿にしたときは普通に怒る。 

 

 変態性と言う表面上の事以外にも、クリスは何かが可笑しい。ボタンが掛け違っている。重大な見落としがある。

 だがしかし、その正体が掴めない。

 

  

「それに、可笑しい事はまだ有る」

 

 デザベアから見て、クリスには性格の事以外にも、予想外の事があった。

 

「アイツ、何でこんなに、元気なんだ(・・・・・)?」

 

 それは、クリスの体調であった。

 少し動いただけで、息切れをおこして、2日に1度は高熱を発しているクリス。

 そんな状態で元気?と思うだろうが、デザベアの目算では、それよりも更に悪い体調である筈なのだ。

 それこそ、こんな生活をしていれば、命など直ぐに消えてしまう程に。 

 だと言うのに、クリスは曲がりなりにも、この生活を1ヵ月近く続けている。それがそもそもデザベアからして有り得ない事だった。

 だから、精神的にも身体的にも限界が来て悪の道へと踏み外すだろう。という目算が外れたと言うのもある。

 

「糞っ。せめて大きく体調を崩せば、それを理由に別の生き方を提案できるってのによ」

 

 それよりも問題なのは、クリスを悪の道に走らせると言うのを一旦置いておくとしても、自分の提案が表面上は上手く行ってしまっている現状、別の日和った提案を行えない事だった。

 謎に体調がもっているクリスだが、それが何時まで続くかは分からないのだ。 

 ある日突然、アッサリと死んでしまうかもしれず、そうすれば自分も道連れだ。

 そんな風に不安に思いながらの生活は、正しく真綿で首を締められている様で、死へと少しずつ近づいている踊りを踊っている様でもあった。

 

 ――何とかしなければならない。

 だが、その方法が思いつかない。

 クリスの妙な倫理観の高さと、妙な体調の良さの所為で、デザベアの思惑は滅茶苦茶であった。

 

 

 

 

 

 

 ……だがしかし、この時の彼の不安は、良くも悪くも解消されることになる。

 それは、クリスが大きな、とても大きな事件の波に呑まれ始めたからである。

 その始まり。予兆は僅か数日後。クリスがとある人物と邂逅したことであった。

 

 



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05 逃げるショタ、捕まえる変態

 1日目。

 

『おい、クリス。お前を観察している奴が居る。ゆっくりと視線を彼方(あっち)へ向けてみろ』

 

 クリスと【その人物】との邂逅は、何時もの物乞いの時間。

 危ない相手が居ないか、周囲を警戒しているデザベアの、クリスにしか聞こえない声によって始まった。

 クリスは、デザベアの言う通りその相手とやらにバレない様に、指し示された方向へひっそりと視線だけを向けた。

 

「男、の子?」

 

 自分を観察、等と言われたものだから、どんな怪しい黒づくめの男が居るのか。と勝手に想像していたクリスであったが、デザベアに示された視線の先に居たのは、そんな想像とは掠りもしない人間だった。

 そこに居たのは、クリスと同じくらいの体格の少年。

 幼い頃は女の子の方が成長が早く、しかしクリスは栄養失調で小柄な事。その両方鑑みると、差引0でクリスと同年代程度――つまり、10歳にも満たないくらいだろうか。

 ただし、至って普通の少年か?と問われれば、少し気になる点が存在した。

 

 まず1つ目。

 それは少年の髪色だ。

 他の通行人などを見ていれば良く分かるが、この世界はファンタジー世界らしく、金髪や銀髪、それに赤やら青、黄、緑などと言った、日本では余り見かけないような地毛の人間が多い。

 それに対して件の少年の髪色は、真っ黒であった。

 まあ別に茶髪なども時折見かけるので、そういう物だ。と言われれば、そうか。と言う話なのだが、クリスとしては少々気になる点であった。

 

 2つ目。

 それは少年の両腕だ。

 少年の両腕は共に、素肌が見えないように覆い隠されていた。

 右手はまだ良い。ただ白い手袋を着けているだけである。

 問題は左手だ。

 少年の左手は包帯によって全て覆われているのである。

 それも、怪我をしてぐるぐる巻きにしていると言ったような巻き方では無く、こう何というか……解くと黒い炎の龍が召喚出来そうな感じの、全国の少年のハートに直撃しそうな巻き方である。

 そう言った巻き方の包帯で、少年の左手は、指先から少なくとも服の下で見えなくなる腕の位置まで覆われているのである。

 

『何か奇抜な格好をしちゃあいるが、少なくともスラムの餓鬼では無さそうだな』

 

「そう、だね」

 

 少年の恰好は些か珍しくあるが、しかし着ている服や体の汚れなどを見るに、同じスラムにいる子供である可能性は無さそうだった。

 少なくとも、同じくお金に困っている子供が、クリスに施されたほんの少しのお金を奪いに来た、と言う線は薄そうだ。

 

「あ、いっ、ちゃっ、た……」

 

『近所の悪餓鬼が、此方に悪戯でもしに来たって線もこれで薄いか。……一体なんだったんだか』

 

 そんなこんなをデザベアと話している内に、件の少年はクリスに背を向けて小走りで去って行ってしまった。

 結局その日はもう戻って来ることも無く、クリス・デザベア共に、微妙に疑問が残る所ではあったが、だからどうするという訳でも無かった。

 

 

『オイオイ、あの餓鬼、また来てるぞ』

 

「本当、だ」

 

 しかし、少年との出会いはそれだけでは終わらなかった。

 2日目、3日目、4日目と、また同じ様に少年が現れたのである。

 何をしてくる訳でも無く、遠くの方からクリスの事を観察して、少し時間が経ったら去っていく。

 少年の行動を纏めればそうなるが、しかしそうしている理由は不明瞭なままであった。

 

『何がしたいんだか』

 

「わか、らない」

 

 肩を竦めるデザベアと、首を傾げるクリス。

 1体と1人が少年の謎な行動の真意を悟るのは、意外にも早く、次の日の事であった。

 

 5日目。

 

『あ゛ー。あの餓鬼また来てやが――オイ、気を付けろ、アイツ此方(こっち)に来るぞ!!』

 

「……え?」

 

 5日連続でクリスの前に現れた謎の少年。

 しかし、今日は何時もと違い、観察しているだけでは無く、クリスの方に走って来たでは無いか!

 それも、周囲に誰も居ない瞬間を見計らって、である。

 相手は自分の事をただ見て来るだけだ。という思い込みが有ったのと、少年の動きがとても素早かったのも有り、クリスは少年の行動に全く対応できなかった。

 少し前まで、離れた場所に居た筈の少年の姿が、気が付いた瞬間にはクリスの目の前にあった。

 

「わ!」

 

 驚くクリスを尻目に、目の前に来た少年は勢いよく屈み、クリスの前に置いてある物乞いで施された小銭を入れておく、壊れかけの食器に手を伸ばした。

 食器の中に少年の手が差し入れられて、チャリン、と小気味の良い硬貨がぶつかる音が聞こえる。

 

「あ」 

 

 そして電光石火、と言わんばかりに少年が踵を返しその場を走り去る。

 止める暇など無かった。

 あっという間に少年の姿は、クリスが目視できる範囲から消え去っていた。 

 

『なんだ。結局大した額でもねぇ、小銭が欲しかったのかよ』

 

 馬鹿にした様に、そして拍子抜けした様に言い放つデザベアの言葉は、しかし今の場面を見ていた者が共通して抱く感想だろう。

 だが――

 

「違、う」

 

『あん?』

 

増え(・・)てる(・・)

 

『うぉっ!あの餓鬼、マジか……』

 

 何が増えているのかと言えば、それは当然、食器の中に入った硬貨である。

 元々入っていたのは、銅貨と小銅貨がそれぞれ数枚程。

 そして現在、それはそのままに、銀貨が複数枚も食器の中に入れられていた。

 先程の少年が入れていった物であるのは、明白だった。

 

『なんだ、普通に施すのが恥ずかしかっただけかよ。驚かせやがって』

 

「良い、子!!」

 

 日本で例えるのなら、小学校低学年くらいの子供が、募金箱に数千円突っ込んだ様な感じか。中々に出来ることではない。

 人の善意が好きではないデザベアはつまらなそうに、大好きなクリスは嬉しそうに、と少年の行動に対し互いに正反対の反応を示していた。

 

(ん、あれ?あの子??ん~~~?????)

 

 その時、クリスは脳内に微かな引っ掛かりを覚えた。

 あの親切な少年。彼に何故だか見覚えが有る様な……。

 歯の奥に物が詰まったかのような、もどかしい感覚。

 せめてもう少し少年の事を見られれば、この引っ掛かりが解消されそうな気がするし、それにそもそもそんなことよりキチンとお礼を言いたいから、また少年に会いたい。

 クリスはそう願った。

 その願いが天に叶ったからか否かは定かでは無いが、少年は、次の日も、そのまた次の日もクリスの前に現れた。

 

 6日目。

 

『お、来たぞ』

 

「!!」

 

 すっかりどうでも良くなったデザベアが、少年がやって来た事をクリスに雑に伝える。

 クリスはキチンとお礼を述べる為に、少年の方へ微笑みながら歩いて行き――  

 

 

「!?」

 

 その瞬間、脱兎の如く少年が踵を返して逃げ出した。

 

『逃げたな』

 

「何、で!?」

 

『さあ?変態が急に近づいてきたら怖いからじゃないか?』

 

「酷、い!」

 

 走って逃げられてしまうと、運動能力ゴミクズのクリスでは決して追いつく事が出来ない。

 折角のお礼を言うチャンスを不意にしてしまって地団駄を踏むクリスだったが―― 

 

『オイ、また来てるぞ。あの餓鬼』

 

「ほんと、だ!!」

 

 大分時間が経った後、夕方近くに成った時。

 再び、件の少年が隠れるようにしてクリスの元へとやって来ていた。

 

(よし、今度は待ち構えよう!)

 

 また、話しかけに行って逃げられては堪らない。

 だったら、今度は相手が近づいて来るのを待とう。と考えたクリス。

 その考えは上手く嵌り、少年が昨日と同じ様に、周囲に人が居なくなった隙に、クリスの目の前に走ってやって来た。

 そのタイミングを見計らって、クリスは少年に声を掛けた。

 

「あ、の」

 

「――――」

 

 ダッ!と勢い良く走ってきた少年は、パッ!とお金を素早く置いて、そのままダッ!と走り去って行ってしまった。

 

「どう、して!?」

 

『やっぱり、溢れ出る変態性が――』

 

「ふ、んっ!!」

 

『ぐぁあああああああああああああああ!?』

 

 傍目に、何も無いのに突如腕を振り始めた子供と見られる事と、息が凄く苦しくなるというリスクを背負ってでも放たれた、クリスによる全身シェイクが久方ぶりにデザベアを襲う――!!

 

 7日目。

 

「あの、あり、が――」

 

 ダッ!パッ!ダッ!

 

「………………………………………………」

 

 

 

 その日の夜。隙間風が吹きすさぶ、ボロ小屋にて。

 

「む~~~~~~~~~~~~~~~」

 

 荒ぶっている。大分荒ぶっている。

 何度も少年に逃げ去られたことにより、荒れ狂う内心を反映してか、クリスの体は、地面に敷かれた藁をぺたん、ぺたん、と踏んでいた。

 尚、デザベアの方は極めてどうでも良さ気に、欠伸をしながら宙に浮かんでいる。

 

「どう、してっ!逃げ、るの!!」

 

 少年が置いて行ったお金は、銀貨数枚から銀貨1枚、銅貨数枚と少なく成ってきていたが、それは寧ろ少年が、限りある資金の中で何とか此方に親切にしてくれたという事を表していて、クリスの頭の中には多大なる感謝の念しか存在しなかった。

 その感謝をキチンと伝えたいのだ!

 それに、少年の姿を見て抱いた気に成った事も、少年と話せれば、解決しそうなのだ。

 その2つの理由の割合は999:1くらいであり、最早疑問の方はどうでも良かったが、兎にも角にもお礼をしたかった。

 

「とに、かく。明日!明日、こそ、お話、するっ!!」

 

「がんばれよ~~」

 

 意気込むクリスとは対照的に、デザベアは耳をほじりながら浮いていた。

 

 そして運命の8日目。

 石造りの道の上、今日もやって来た少年の姿が、クリスの目に入る。

 

(とにかく、大声!大声で呼び止めるしかない!!)

 

 運動神経/zeroと成ってしまった自分が、少年を止めようとするのなら、とにかく大声で呼びかけるより他に無い。クリスはそう決意していた。

 そして、遂に決戦の時が来る。

 

『はいはい。そろそろ走って来るぞ~~』

 

(来た!!)

 

 デザベアのやる気の無い合図と共に、少年がクリスの元へと駆け出した。

 それと同時に、クリスは大きく息を吸い込んで、大声を出す準備を始めた。

 今、ここで限界を超えろ――!!

 

「すぅ~~~!!けほっ!?かひゅっ!!はひゅっ!??」

 

 クリスが大きく咳込んだ。

 そんな体で無理しようとするから…………。

 呼吸の流れが激しく乱れて、まるで喘息の様に、大きな咳と呼吸困難がクリスを襲う。

 

「だ、大丈夫!?」

 

「こひゅ、へうっ、ぁ!」

 

 だが、それが逆に功を奏した。

 苦しむクリスを心配して、少年の足が止まったのだ。

 このチャンスを逃せない!と思ったクリスは、絶え絶えになる息と、困難になった呼吸の所為でクラクラする頭を気力で強引にねじ伏せて、少年へ話しかけた。

 

「ぁ、にょっ!こほっ!!!はな、はひゅっーーーー!!話っ!かふっ、けほっ!!!きい、てっ!こほっ、こほっ、ほひゅー、ふひゅー。帰ら、へふっ!!ないでっ!!ふーっ、ふーっ!!」

 

 クリス、お前死ぬのか……?

 

「わかっ、分かったから!ちゃんと話聞くから!いったん落ち着いて!!」

 

 明らかに命を削って話しかけて来ているクリスの剣幕に、少年が折れた。

 ぶっちゃけ、このまま無理をさせたらコロッと逝ってしまいそう感が溢れていた。

 とにかく一旦息を落ち着けてくれ!と言う少年のお願いは、もはや懇願の域であった。 

 結局その後10分近く。

 少年は、クリスがぜー、はー、ぜー、はー、と息を落ち着かせるのを見守る羽目になってしまったのである。

 

「もう、落ち、つき、ました!心配、させて、ごめ、んね?」

 

「…………まだ、苦しそうだけど」

 

「うう、ん。これ、元、から。私、上手く、喋れ、無いの」

 

「――ぇ。ご、ゴメン」

 

「大、丈夫!気に、して、無い、よ!!」

 

 ここ1ヵ月の間でデザベアとアーノルドに続く3人目の会話相手。

 前の1体と1人とが色々特殊な関係性である事を踏まえれば、こんな風に純粋な会話をするのは久方ぶりで、クリスのテンションは上がりに上がっていた。

 

「まず、あり、がとう!お金、一杯、くれ、ました!いっぱい、感謝!嬉し、かった、です!」

 

「べ、別に、大したことじゃないよ」

 

「うう、んっ!とっても、親切!凄く、優、しい!!」

 

「ど、どういたしまして」

 

 ど真ん中ストレート150キロで飛んでくる、クリスの感謝の言葉に少年の頬が紅く染まる。

 

(か゛わ゛い゛い゛な゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛)

 

 お巡りさん!こっちです!!こっちに不審者が!!!!

 クリスは非常に昂った。

 

「一杯、貰い、ました!だから、もう、大丈夫!あん、まり、無理は、しない、で?」

 

 これは少年のプライドを傷つけるような発言かもしれないが、しかしクリスとしては少年に無理はして欲しく無かった。

 それに、お金よりも、もっと別の事を少年に頼みたかったと言うのもある。

 

「……分かった」

 

 別に怒る訳では無いが、少し思う所はある少年の様子。

 親切を断る形になって、本当に申し訳ないとクリスは思った。

 

「でも、他に、頼み、あります」

 

「……?何?」

 

「お友、達。成り、たい、です!!また、お話、しに、来て、くれ、ますか?」

 

 女、クリス。

 ショタと仲良く出来る権利と、1億円。

 どちらか選べと言われれば、ノータイムで前者を選ぶ所存。

 

「!!……べ、別に、良いけど」

 

「嬉、しい!!私、クリス!貴方、は?」

 

「僕――コホン。俺はアレン。アレン・カサ――、アレン・ルヴィニだ」

 

 少年――アレンの様子は、育ちが良い男の子が、無理をしてわんぱくな子供を演じている様な、そんな感じであった。

 それに自己紹介にも色々と突っ込み所が存在していたが、しかし相手が隠したがっている事は全力で見ない振りをしてあげるのがクリスである。

 

「よろ、しくね!あれん、君!!」

 

「よ、よろしく。でも、今日は俺、もう帰らなきゃならないから」

 

「う、ん。わか、った!また、ね!」

 

「ま、また」

 

 飼い主が家に帰って来た時の、犬さながらに詰めよって来るクリスの態度に押されたのか、はたまた本当に時間が無いのかは知らないが、その日、クリスとアレンはそうして別れる事に成った。

 

 

*****

 

「~~~♪」

 

 夜。

 昨夜とは打って変わって、クリスはご機嫌だった。

 体調はとても悪く、体感的に熱が40度を超えている感じだったが、正直1週間に3、4日はそうなるので、もう慣れたし、何より心が弾んでいたので問題無い。 

 

「チッ。……人の気も知らねぇで」

 

「……?ベア、さん。何か、言った?」

 

「別に何でもねぇよ!」

 

「そ、う?」

 

 反面、イラつているのはデザベアだ。

 自分が、自らの命運に悩んでいる時に、ド変態がショタとお友達に成ったぞ、わ~い♪とかやっているのはムカつくのである。

 

「まー、可愛らしいオトモダチが出来て、とぉぉっってもご機嫌だな!!って思ってただけだよ」

 

「う、ん!凄く、嬉、しい!!!」

 

「…………」

 

 悟れ、デザベア。

 そいつに皮肉は大概通じない……!

 

「アレン、君と、お友達、成れた、し。正体(・・)も、分かった、から、満足!!」

 

「へーへー。そりゃぁようござんし――あんだって?」

 

「?お友達、成れて」

 

「違う。あの餓鬼の正体って何の話だ」

 

「アレン・かさる、てぃりお、君!!」

 

 クリスの口から発された名前は、先ほどアレンが名乗ったフルネームとは異なっている。

 しかしそれは流れ的に、アレンが最初に名乗ろうとしていた名前に相違あるまい。

 ……問題は、何故クリスがそんな事を知っているのか?だ。

 

「お前、何でそんな事を、いや――」

 

 一瞬だけ呆気に取られていたデザベアだが、直ぐに気が付いた。

 クリスがそんな事を知っている理由など唯1つだけだし、そうであるのならば、アレンの正体も大体絞れる、と。

 だから、そう。

 デザベアはクリスに、たった一言。たった一言だけを問いかけた。

 

役割(・・)は?」

 

主人公(・・・)!!」

 

「カハッッ――!!」

 

 ボロ小屋の中に響いているのは、風の音と、家が軋む音だけ。

 それでも確かに、大きな時計の針が動く音を幻聴して、デザベアは獰猛な笑みを浮かべた。

 

 

 

 



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06 デザベア先生の世界講座とクリスちゃんのガバガバ原作知識

設定回?です。

最初にデザベアがごちゃごちゃ言っているのは、作者の別の作品からそのまま持ってきた設定で(コチラの作品では)そんなに重要な設定でも無いので、あんまり気にしなくて大丈夫です。


「何だ、何だ。お前も結構やるじゃないか」

 

 空中にぷかぷかと浮かぶデザベアは、先ほどまでの不貞腐れた態度が何のその、ニヤニヤと意地の悪い笑みを顔に浮かべて、非常にご満悦だった。

 

「なに、が?」

 

「何って?あのアレンって餓鬼の事だよ!!良く重要人物と繋がりを持った!上手くやったじゃぁないか!!」

 

 この世界を元にしたゲームの主人公。

 デザベアはアレンがどんな人間か知りもしないし、これから聞き出す所だが、しかし主役に抜擢される以上、何かしら英雄めいた点があるのだとは推察出来る。

 そう言った人物に擦り寄って、甘い汁を頂戴する。

 金も健康も、一般人が持っているであろう大抵の物は何も持っていない小汚いスラム生まれの餓鬼が、厳しい異世界で生き抜くには?と言う疑問に対する回答としては、満点に近かった。

 難点として擦り寄った人物が抱えている問題に巻き込まれやすくなる、というものがあるが、クリスは元々(デザベアの所為で)大きな事件に巻き込まれやすい運命に成ってしまっているので、実質ノーリスクと言って良い。

 兎に角、閉塞していた己の人生に一筋の光明が差したようで、デザベアの気分は実に上々であった。

 

「そう、いう、つもり、じゃ、ない、けど!!」

 

 対称的に一気に不機嫌に成ったのはクリスだ。

 何故なら彼女にそんな意図は一切存在しなかったからだ。

 クリスがアレンと友人に成りたかった理由に、相手が主人公で目覚ましい活躍をするから、何て(よこしま)な打算は無く、そこにあったのは可愛らしいショタとお友達になりたいっっ!!!!!と言う純粋な――

 

 純粋。

 純粋……?

 じゅん……す……い?。

 ………………………………………………………………。

 純粋にいやらしい気持ちだけだ!!!

 

 打算の方がまだマシなのでは???????

 

「まぁ、まぁ、そう怒るなって。普通に仲良く成りたい、とは思っているんだろ?」

 

「それ、は、そう」

 

 主役だから仲良くしたいなんて思いは無いが、逆に主役だから距離を置きたい、だなんて考えもまた、クリスには存在しない。

 色欲云々はさておいても、クリスにとって人と仲良く成る事は、大好きな事であったし、そうして出来た友達には出来る限りの親切をしたい、とも思っている。

 

「それならそれで良いんだよ!お前さんに出来た新しいオトモダチは、ちょっと運命の激流に流されやすい奴で、だから力に成ってやりたい!って思うだろ?」

 

「う、ん」

 

「そうしてお前が相手を助けて、相手もお前を助けてくれる。オトモダチってのはそういうもんだろ?嗚呼!仲良きことは美しきかな!!」

 

「うーん?」

 

 何となく詭弁ではぐらかされている様な感じがする。クリスはそう思った。

 それは言っている事は正しくとも、それを述べているデザベアに打算的な感情が見え隠れするからだろう。

 まあしかし、言っている事は正しいので、クリスとしては粛々と自分の倫理観に従って仲良くするまでの事だ。

 

「それと、だ!!こう成って来るなら、お前に色々説明することと、質問することがある」

 

「何?」

 

「まあこの世界自体の事やら、お前が持っている知識なんかについて、だな」

 

「?」

 

「まずこの世界が、お前の世界でゲームに成っているのは何故かっていう話と、それに関連する注意事項だな。まあ前にも言ったが、そもそもお前がそのゲームとやらを大して知らない様だから、そんなに意味の無い話では有るんだが……。まあ全く気にならない訳でも無いだろ?」

 

「ま、あ」

 

 形式的にはゲームの世界に転生!と言う形のクリスだが、そのゲームの知識を殆ど持っていない所為で、感覚としては唯の異世界転生に近く、今までは特に気に留めることもなかった。

 しかし目の前に、その物語の登場人物が現れた、とあっては、それで相手に対する対応を変える気はサラサラ無くとも、一体どういう事なのか気になるのが人の性と言うもの。

 

「とは言っても、実はそんなに難しい話じゃあ無い。世の中には、別の世界で起こる・起きた事件の内容を観測出来る。そんな能力を持った奴が結構な数居るんだ」

 

「他の、世界、知れる?」

 

「まあ知れるって言っても、大多数はそんな詳細に、映像か何かとして受信出来る訳でも無く、頭の中にふっ、とアイディアとして湧き出るみたいな感じで、自分たちが別の世界を観測しているなんて風には、露とも思っていないんだがな。だから、そいつらの中には、その受信した情報を元に物語を作ったりする奴も居る」

 

「そう、なの!?」

 

「ああ。だから世の中に存在する【物語】の中には、他の世界で実際に起った出来事を記した物ってのが、実は結構存在する――勿論、全部が全部じゃねぇけどな?だからそうだな……。例えば今この瞬間、俺様たちの事を観測している存在も、どこかの世界には居るかもな?」

 

「びっ、くり!!」

 

 冗談めかして笑うデザベアの発言に、クリスはふと気になって頭上を見上げた。

 其処にはボロボロの屋根しか見えず、当然他の物は見えなかった。

 

「ま、此処らへんの詳しい事は、さして重要じゃねえ。鶏が先か、卵が先か。この場合が、世界が先で、物語は後だ、って言うのだけを覚えとけば良い」

 

「わか、った」

 

「で、だ。問題はそれによって発生する注意事項だ。言ってしまえば当たり前の話ではあるんだが、勘違いしているとエライ目に遭うからな」

 

 世界が先に存在することによって発生する注意事項。デザベアは、その具体例を幾つか挙げ始めた。

 

「例えば、この世界を元にしたゲームに、特定の手順を取ることでキャラを無敵化出来るバグがあったとしよう。だけどこの世界で同じ手順を取った所で、そんな事は起きない」

 

「当たり、前、では?」

 

 現実的に考えればそれはそうだろう。

 クリスの言葉に、デザベアも深く頷いた。

 

「そ。当たり前の話だ。要は、ゲームでは〇〇出来たから、コチラでも出来る筈!何て風には思い込むなよって事だ」

 

「うん、他にも、あるの?」

 

「応。今のは飽くまでちょっとした注意で、本当に重要なのはこっちの方だ。そもそもゲーム――というか【物語】の知識自体が其処まで信用できる物でも無い。って話なんだよ」

 

「良く、分から、ない」

 

 この世界にやって来た直後もデザベアが、そんな話をしていた様な気がするが、いまいちキチンとした理解には至っていなかった。

 

「何、少しずつ整理していけば単純な話だ。まず先程も言ったがな、別の世界で起こった出来事を観測出来るって言っても、詳細かつ完璧に知ることが出来る!なんて奴は余程の例外を除いて居ないんだ。大概は途切れ途切れ、歯抜けの情報をふと思い付くだけ、とそんな感じだ」

 

「あんまり、当て、なら、ない?」

 

「そういう事。それに其処から更に、その物語を世に出す奴の都合も入ってくる訳だ」

 

「都合?」

 

「これも先程言ったが、大抵の奴は自分が別の世界を観測している、何て事に全く気が付いて無くて、それが自分の頭から出たアイディアだと思っている。そしてソレを【物語】として世に出そうとするのなら出来るだけ(・・・・・)面白くしよう(・・・・・・)と頭を捻る(・・・・・)訳だ(・・)

 

 それが問題なのだ、とデザベアは続ける。

 

「例えば陰惨なバッドエンドの事件を観測した奴が居るとしよう。そいつはそのままじゃ一般受けしないと考えて、色々とその物語に自分なりの解釈を加えてハッピーエンドにした上で、世に発表する訳だ!さて、この場合物語の元となった世界でも、発生する事件がハッピーエンドに成ると思うか?」

 

「なら、無い?」

 

「大正解!世界が先で、物語が後な以上、物語に新たな要素を付け加えた所で、世界には何の影響もない――当然の話だな?だがしかし、例えばその物語の読者の1人が、元となった世界に転生したとしよう。その場合、彼はこう思うわけだ。この世界は、ハッピーエンドの大団円で終わった物語の世界だから安心だな。ってね!」

 

 すると、どうなるか。とデザベアは大仰な動作と共に答えを言い放つ。

 

「嗚呼哀れ。彼は陰惨なバッドエンドに巻き込まれて死んでしまいましたとさ。とこんな感じに成るわけだ」

 

「怖、い!」

 

「纏めれば、お前たちが見る他の世界の出来事を元にした物語ってのは、唯でさえ歯抜けの知識に、更に作者の独自改変が入った情報、って事だ」

 

 だから、完全に信用しきれる情報では無い。とデザベアは再三言っている訳である。

 

「だけどその上で聞くが、お前の持つ所謂【原作知識】ってのを、ここで纏めて言って貰う」

 

「さっき、までの、聞くと、怖い、けど」

 

「少し大げさに驚かしたが、まあ全部が全部役に立たない、って訳でもねぇからな。実際に【主人公】の役割だったアレン何某が居た以上、お前が知っている程度の大雑把な知識は比較的参考になる筈だから、ここで聞いておく」

 

 プレイしている最中で他のゲーム(18禁)に浮気した所為で、殆ど無いクリスの原作知識。

 だが逆にその程度の知識しかもっていない方が、下手に変な思い込みをしないかもな、とデザベアは笑う。

 

「まあゲームの知識を隅々まで知った上で、何が役に立って、何が役に立たないかって検証出来るのが理想なんだけどな。とはいえ知識があり過ぎると、どうしても先入観が入るから、実際そう上手くはいかねぇ」

 

「そう、だね」

 

 原作知識だ、未来の知識だのと言った重要な情報は、どうしても持っている人間の目を曇らせる。

 言わば、バイアスがかかるという奴である。

 

「で、実際お前はどの程度の知識を持っているんだ?」

 

「えっと、ね。まず、あらすじ!後、公式、サイトに、あった、PVと、キャラの、紹介!最後に、ゲームの、序盤、だけ」

 

「本当に殆ど知らねえんだな……。まあいいや、それを教えてくれ」

 

 うん、と返事をして、クリスはゲーム知識を語っていく。

 

「まずね!この、世界、剣と、魔法の、ファン、タジー!!」

 

 タイトルはブレイジングファンダジアである、と此処までは前にも1度言っている。

 

「それで、主人公、アレン君!結構、偉い、貴族の、子供、だった」

 

「ほー。だった、って事は勘当か何かされた訳か?」

 

「アレン君、呪わ、れた、みたい。それが、原因で、家、居られなく、なった」

 

「……呪い?」

 

「左手、黒い、ウロコ、生えてる。ドラゴン、みたいに。後、黒い、炎、使う。そういう、人、【呪い憑き】いう、らしい」

 

「ああ、それであの腕か」

 

 アレンの包帯が巻かれた左手を思い出して、デザベアは納得したように呟いた。

 

「上手く喋れないお前の代わりに纏めると、だ。体が異形化する現象が【呪い憑き】。貴族のアレンは、その呪い憑きに成っちまった所為で家を追い出されたって事でいいな」

 

「うん」

 

「貴種流離譚って奴だな。よし、続けてくれ」

 

「えと。アレン君、成長。王を、決める、戦い、巻き、込まれる、らしい」

 

「――あん?」

 

 自分はそこまでやってはいないけど、と語るクリスの言葉にデザベアが大きな反応を示す。

 

「王を決める戦いってのは、どういう意味だ?国が荒れて、跡継ぎ候補の王子同士の勢力争いに巻き込まれるって事か?それとも――文字通り(・・・・)の意味か?」

 

 デザベアの言葉に、クリスはえーと、えーと、と頭を悩ませながら記憶の海に深く潜る。

 そして実際にその場面までプレイしていなくとも、あらすじやPVなどから推察できる情報で答えを導き出す。

 

「多分、言葉、そのまま。勝つと(・・・)王様(・・)成れる(・・・)戦い(・・)

 

「――へえ」

 

「えと。えと。アレン、君。右手に、証、ある。他にも、体の、どこかに、証、ある人、一杯。その人達、戦う、100年、1度?勝つと、神様(・・)に、認め、られる、らしい。王様、成れる!!」

 

「そう言えばあの餓鬼右手も隠してやがったな……。それにしても、()ねぇ。本当の意味での神かは知らんが、まあ納得だ」

 

 通常、王なんて権力の象徴に、唯の切った張ったで成れる訳も無い。

 だがそれは、科学知識で発展した所謂現代社会的思考においての話だ。

 そう言った世界においては、人間のスペック差などほぼ無い――とまで言うのは言い過ぎだが、力が強い人間でも殴って山を消し飛ばすことなど出来ないし、頭が良い人間だって、スパコンより早く計算など出来ないだろう。

 だから国のトップに成れる方法など凡そ相場が決まっていて、しかしそこに【魔法】やら、【超常存在】が絡んでくると話は別だった。

 例えば、国のトップが守護神を笑わせる事で、一定期間の平和と繁栄が約束される――そんな世界があったとしよう。

 その世界での王様を決める方法はお笑いグランプリになる筈だ。

 現代社会から見れば、それはギャグに見える光景だろうが、やっている当人たちにとっては至って真面目で道理の通った方法だろう。

 

「100年に1度、神の名のもとに王を決める戦いが繰り広げられる世界。そんな世界の中で、尊ばれるべき戦いの証と、虐げられる呪いを持った少年による貴種流離譚、ってか?大体煮詰まって来たな」

 

 右手に祝いを、左手に呪いを。そんなアレンの境遇を聞いたデザベアは、成程いかにも(・・・・)だな、と笑った。

 

「うん。大体、そんな、感じ――」

 

 自分が覚えている事を大体伝え終わって、まだ他に伝え忘れが無かったかな?と記憶をもう一度深く思い返していたクリスの元々悪い顔色が、更に青くなった。

 

「オイ。何か思い出したのか?」

 

「だ、だめ。死、死ん、じゃう!!アレン、君の、お母、さん!!」

 

「…………取り敢えず、詳しく話せよ。対応はそれからだ」

 

 下手をすれば、このままアレンを探して町まで出て行きかねない剣幕のクリスに、デザベアが待ったをかけた。

 それを聞いて、多少冷静さが戻ったクリスが、思い出した情報を整理して語りだす。

 

「アレン、君。貴族の、家、出て、いかされた。でも、1人で、じゃない。お母、さんと、一緒!その後、アレン、君、お母、さん、それと、お母、さんの、お兄、さん。3人で、旅を、するの!!」

 

「それが、お前がプレイしていたゲームの序盤なのか?」

 

「うん!でも、思い、出した!あらすじ、書いて、あった。アレン、君。王を、決める、戦い、参加、する理由、子供の、時、殺、された、お母、さんの、敵、探す、為、だって!!」

 

「……成程な。お前自身は、その母親とやらが殺されるシーンをプレイした訳では無いんだな?」

 

「う、ん」

 

 だからこそ、思い出すのが遅れてしまったのだ、とクリスは頷いた。

 でも……と話を続ける。

 

「ゲーム、止めた、シーン。アレン、君の、おじさん、用事で、一旦、故郷に、戻った。だから、多分、その後……」

 

「ん。確かにそれはきな臭いな」

 

 母親が子供の頃に殺された、と言った設定があるゲームで、その母親と旅をしているシーンが序盤にあるのならば、その章の終わりは十中八九、母親が殺される場面だろう。

 そしてそんな中、頼れる保護者の1人が居なくなる状況が発生したのなら――そこが、()の起こるタイミングと見て、まあ凡そ7、8割方は間違いあるまい。

 

「取り敢えずそのタイミングで、あの餓鬼の母親が殺されると仮定しよう。で、お前はどうしたいんだ?」

 

「助、ける!!」

 

「そう言うと思ったよ。それで、方法は?」

 

「説明、して、警戒、して、貰う!!」

 

 貧弱極まり無いクリスが、何か出来る事と言えば、それは話す事だけだ。

 故に、現実的な考えではあるのだが……。

 

「まあ、そんな所だろうな。――勿論、却下だ」

 

「なん、で!?」

 

 クリスが唱えた案をデザベアが、ピシャリ、とにべも無く切り捨てる。

 更に、呆れたようにやれやれ、と首を振った。

 

「まず、そもそもお前。前世の知識を他人に話せないのを忘れてねぇか?」 

 

「あ」

 

 クリスは基本的に自分が異世界に転生したことや、前世の知識などを他人に伝えられないようになる、呪いがかけられている。

 デザベア相手に対してだけは、極めて強い繋がりがある為、その呪いの例外となっていたので、逆にその事実について忘却してしまっていた。

 

「まあ、前世でプレイしたゲームの知識云々は喋らずに、予知か予言か何かを得たという事にすれば、ギリギリ伝えられないことも無いだろうが……」

 

「それ、なら!!」

 

「信じられる訳がねぇだろうが」

 

 そもそもの話。とデザベアは断言した。

 

「仮に前世知識を話せる状態だったとしても、だ。スラム住まいの小汚い餓鬼が、私、未来の出来事を知っていて、これから貴方のお母さんが殺されちゃうの、ウフフ。ってか?馬鹿か、そんなもん(未来の知識)持ってるなら、御大層な予言をかます前に、テメェの境遇をマトモにしてみろ、って話しだろう」

 

「うぅ」

 

 簡単に言えば、説得力が無さ過ぎる。

 魔法なんてものが存在する世界なのだから、厳かで神秘的な予言者などが言えば、信じられる可能性が無い訳でも無いだろう。しかし今のクリスの現状では到底…………。

 

「まず間違いなく一笑に付されるし、最悪質の悪い悪戯だと思われる。そうなっちまえば、もう終わりだ。お前の言葉は何も届かなくなる」

 

「…………」

 

 先ほども似たような事を言ったが、人間1度でも先入観・バイアスを持ってしまうと、それが解ける事は中々に無い。

 だから、クリスの言ったことが悪質な悪戯だと判断されれば、大きく信用を失ってしまうだろう。

 そしてそうなれば、アレンの母親が殺される事件までに挽回は難しいだろう。

 

「まあもしも、ゲームの知識をもっと沢山持っていて、かつそれがこの世界においても正しい物であったのなら、話はまた別だったんだが……。お前の持っている【原作知識】はもう終わりだろ?」

 

「……う、ん」

 

 生まれも育ちもスラムの子供が、本来ならば知り得ないであろう知識を数多く持っていたのであれば、それを上手く用い限定的ではあるが、自分が未来の知識を持っている事に、説得力を出せた可能性はある。

 だが残念ながら、クリスが持っているカードだけで、他人をそこまで納得させるのは極めて難しいと言って良い。

 

「だから、次にあの餓鬼と会った時に、直ぐに事件の事を話すなんて、馬鹿な事はしてくれるなよ?」

 

「……わか、った」

 

 残念ながらデザベアの言っている事はド正論以外の何物でも無く、クリスはそれに頷くより他に無かった。

 

「まあ。となると、取れる手段は限られてくる」

 

「!!何か、良い、案。有るの?」

 

 これがチェスや将棋であれば王手(チェック)が掛かっているような状況で、未だどうにかしようが有ると言うのか?

 クリスは期待と共にデザベアの話の続きを待った。

 

「良い案、と言うよりは、消去法で残る案でしかないがな。先ずどんな事件・事故が起こるにせよ、俺様たちが力づくで止めるってのは不可能だ」

 

 それが出来れば話は一番早いが、階段を上るのすら激しい運動に入る不健康幼女と、魔法少女物のマスコットみたいな体に成っている絞り滓悪魔の2人に、力で物事を解決するのは難しい。

 

「俺様の力が全快していれば、どんな相手だろうが2秒でぶち殺してやるし、どんな事故だって完璧に止めてやるんだが……。まあそれは置いておこう」

 

 その場合(力が回復している)、デザベアはアレンを助ける事に力を貸さないので、本当に意味の無い仮定である。

 

「だからお前(クリス)が何か出来るとすれば、精々が話だけだっていう考えは間違いじゃねぇ」

 

「でも、駄目、なんで、しょ?」

 

「ああ。残念ながらお前の話の内容(・・)が信じられることは無いだろう。信じさせるに足る材料が無い。口八丁で真実に出鱈目を混ぜて騙して動かすってのは無しでは無いが……そもそもお前が予測した時期に事件が本当に起こるとは限らないからな。1度外せば終わりな以上リスクが大きい。――故にここは正攻法だ」

 

「正、攻、法?」

 

「ずばり信頼(・・)を得る事だ」

 

「信、頼」

 

「まあ言ってしまえば、極々普通で真っ当な手段だ。お前の話は信じられなくとも、お前自身の事は信頼出来る。故にそのお前が不安がっているのなら、それを解消するのに多少は面倒な事をしてみても良いだろう――とそんな信頼関係を築ければ良い」

 

 デザベアが言っている通り、それは極めてマトモな解決手段だった。

 

「おお!でも、間に、合う、かな?」

 

「急がば回れ、ってお前の国の諺では言うんだろ?あの餓鬼の母親が殺される事件が、本当に発生するのか、起きるとしても何時なのか。それすら未だ不明確なんだ。最終的に他の手段を取るとしても、先ずは正攻法で挑むべきだろう」

 

 悪魔らしからぬ真っ当な助言は、デザベア自身の命も懸かっているからに他ならない。

 これがもし自分の身に無関係な場合であれば、一見すれば上手く行くような、それでいて実は大きな落とし穴があるような案でも出していた所だ。

 

「つま、り。小っ、ちゃな、男の、子と。仲良く、なろう、大、作戦!!!!」

 

「……………………いや、間違ってはいねーけど。もう少し別の言い方があんだろ」

 

 ――ショタの信頼を得よう大作戦の始まりである。

 お巡りさん、こっちです!!!!

 

 

 

 

 

 

 



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07 ショタと仲良くなろう大作戦!!

 さて、新しくお友達に成ったショタと、より親密になろう!!と、「おっ。青少年保護育成条例違反か?」とでも言いたくなる決意を固めたクリスだが、しかし彼女が、その為に何か特別な事をしたか・するのかと言えば、話は別だった。

 

「おは、よう。アレン、君!」

 

「おはよう。クリス」

 

 1日の間の僅かな時間。

 物乞いをしているクリスの目の前に現れるアレン。

 そんなアレンに対しクリスが行ったのは、彼と楽しくお喋りすることだけだった。

 そしてそれをかれこれ1週間以上継続して行っているのである。

 勿論それは思考を放棄したからでは無く、しっかりとした考えがあっての事である。

 人と仲良く成りたいと思うのならば、変に策略を練るよりも、自分が相手と仲良くなりたいと思っているのだと伝える。

 それはクリスの信念――とまでは言いすぎだが、こだわりだった。

 そしてそうやってアレンに接する事をデザベアも止めなかった。

 

「また、アレン、君の、旅の、お話、聞き、たいな!!」

 

「うん。良いよ。この街に来る前はアントスって街に居たんだけどね。そこは綺麗な花で有名な街で、街中に大きな花畑の広場があるんだ!」

 

「花畑!見て、みたい!」

 

「まあ今の時期だと、どうしても花畑の規模も小さく成っちゃってるんだけどね……。本当だったら、街の外にも辺り一面を埋め尽くす大きな花畑があったみたい」

 

「残、念」

 

「でも、10年後。神託祭が終わって神託王が決まれば、直ぐに花畑も元に戻る筈さ!

その時、一緒に見に行こうよ」

 

「楽、しみ!!」

 

 和気藹々と微笑みながら会話をするクリスとアレンの2人。

 その姿は、どう見ても仲の良い友人同士のそれだった。

 

 ――人の気持ちとは、良くも悪くも他人に伝わる。

 楽しい事を気分良く行っている時の弾んだ気持ち。

 気の乗らない事を嫌々行っている時の沈んだ気持ち。

 そう言った気持ちは大抵他人に悟られている――本人が隠しているつもりであっても、だ。

 だから、表面上は他者に良くしていても、内心で相手の事を小馬鹿にしているような人間は、余程上手く、それこそ役者レベルで自分の本心を隠せない限りは、他者に嫌われる。

 しかし、その逆もまた然りである。

 

 そう言った意味で、クリスと言う人間は他人に好かれやすい性格だった。

 人と仲良く成る事が大好きで、他者の為に自分の骨を折る事を苦にしない。

 そして何よりも大きいのは、自分が相手に好意を抱いていて、仲良くしたいと思っている事を隠さないという点だろう。

 だからクリスは最初(ハナ)から自分に悪意を持っていて、隙あらば貶めようとしてくる相手――それこそデザベアの様な奴以外とは仲良くなりやすい。

 相手にもクリスと仲良くしようと言う意思が見られるのであれば、尚更である。

 故にこそ、日頃は色々と口煩いデザベアも、クリスのアレンに対する接し方に文句は付けなかったのであろう。

 おべっかや媚売りなんて物は、そう言った態度を計算して行う物であり、天然で出来るのならば不要どころか邪魔でしかない。

 

「アレン、君、には、夢とか、ある、の?」

 

「……笑わない?」

 

「笑わ、ない、よ!」

 

 自分の左手と、そして右手に、それぞれ一瞬ずつアレンは視線をやった。

 

「俺にどこまで出来るかは分からないけど、差別や偏見を少しでも無くせればな、って」

 

「凄、い!おっきな、夢。応援、する!」

 

「そ、そんな大した事じゃないよ。まだ全然力だって足りてないしさ!」

 

 元々、スラム街に住む子供の、友人に成りたい発言をアッサリと受け入れる程、同年代の知り合いに飢えていたアレンである。

 彼自身もクリスと仲良くしようとしており、そういった訳で、先ほど述べたクリスの素直な態度に、大分絆されていた。

 家を勘当された事だとか、左手や右手のことだとかと言った余りに重すぎる話題は別だが、自分の事をそれなりに話すくらいには、クリスに対して心を許し始めていた。

 

「アレン、君。優、しい、から、きっと、大丈、夫」

 

「ん。んんっ。そ、それはそうと、クリスの夢は!」

 

 真正面から褒められて、顔を赤くして照れるアレンが話を逸らす。

 夢、と言われてクリスも少しだけ考え込んだ。

 

「ある、よ!」

 

「へぇ。どんな?」

 

 余りディープなのを言って、幼い男の子を引かせる訳にはいかない。

 クリスはライトな夢を語る事にした。

 

「あの、ね!結婚、相手、一杯、欲し、い!!可愛、い、お嫁、さん、とカッコ、イイ、だん――」

 

「え?」

 

「え?」

 

「「え?」」

 

 軽い(ライト)とは一体……?

 そんな風に質問したくなるクリスの夢に、空気が凍る。

 

「あの?クリス?それって……」

 

「?家、族、一杯、欲し、い、から」

 

「!!そうか。うん。クリスならきっと叶うよ!」

 

「???あり、がとう?」

 

 クリスの爆弾発言を、アレンはスラム生まれで家族が少ないが故の純粋な夢、と判断したらしい。

 違うんだ、アレン君!

 そいつは普通に、男女問わずのハーレムが欲しいだけの変態なんだ!!

 

 そんな突っ込みが届く事も無く、2人は時々「ん?」と思うような展開はあったものの、概ね仲良く和やかに会話を続ける友人同士に成っていた。

 

 

 

 

 

 

 ――そして、それを上空から見つめる悪魔が1匹。

 勿論、デザベアである。

 

「足りねぇな」

 

 そう不満気に呟くデザベアに、しかしこれまでクリスが取って来た手段に対する文句は無い。

 先ほども述べたが、クリスの天然故の他者から好感を持たれやすい態度は、デザベアから見ても中々な物だ。

 だからこそ止めなかったのだし、度し難いド変態お人好し馬鹿にしてはやるじゃないか、とすら思っている。

 或いはこのまま数年、いや1年も時間があれば【親友】と、そう呼ばれるだけの親密さを築けたことだろう。

 だが、残念ながら時間が足りない。

 アレンの母親が死ぬイベント。それがいつ起こるのかは分からないが、1年も2年も余裕があると考えるのは、流石に楽観が過ぎるだろう。

 ……まあデザベアとしては、アレンの母親が命を落とす事、それ自体はぶっちゃけどうでも良いのだが、それによって釣った魚(アレン)を取り逃がして、クリスの生活環境改善が成らず、自分が巻き込まれては適わないのである。

 よってクリスとアレンの仲を更に進展させるのは、デザベアにとって急務と言えた。

 だが正攻法の極みで攻めているクリスにより良い結果を出させようとするのなら、何かしら裏技めいた手段が必要だろう。

 

「ケケケ。ま、俺様が力を貸してやるさ」

 

 デザベア的に無駄に倫理観の高いクリスにそう言った真似をさせるのは難しいし、何より慣れないことをやらせても成功率が低い。

 ならばここは自分の出番だろう。と楽し気に話す子供2人を眼下に収めながら、デザベアは空中で邪悪な笑いを浮かべた。

 

*****

 

「ふ、ん。ふ、ん。ふ~、ん」

 

 数日後、クリスは何時もと同じ様な日常を過ごしていた。

 即ち、起床して物乞いに向かい、少しの間アレンと喋り、その後夕方まで物乞いを続けた後、そこで稼いだ金をアーノルドに半分渡し、その後食料となる生ゴミを漁る。

 そんな生活である。

 現代日本人には辛い、いやそうでなくても心が挫けそうになる様な生活であったが、クリスは精一杯元気に毎日を過ごしていた。

 今も、生ゴミを片手に元気に帰宅した所で、今日はそこそこ状態が良いご馳走であったので、鼻歌交じりで喜んでいたのだ。

 つまりこれからお食事の(生ゴミ食わせ)時間(SMプレイ)なのだが……。

 そこでクリスの心中に1つの疑問がふと、浮かび上がった。

 

(……?ベアさん何か機嫌が良い?)

 

 何時もこの時間になると、ひっじょーーーーに嫌そうな顔をし出すデザベアが、何故だかニヤニヤと顔に笑みを浮かべて、ご機嫌な様子なのだ。

 はて?何か良い事でもあったのだろうか?とクリスはデザベアに話しかけようとして、しかし先に口を開いたデザベアの方であった。

 

『おい、クリス。お客さんだぜ?』

 

「え?」

 

 デザベアの発言に、反射的に鍵なんて上等なものが付いている筈も無い自分の家の入口に目を向けたクリス。

 その視線の先には――

 

「アレン、君?」

 

 愕然とした表情でクリスの方を見つめるアレンの姿。

 その視線はクリスの持つ生ゴミに対し、特に向けられている。

 

「………………ねえ、クリス。その手に持っているのは、何?」

 

「…………?晩、御飯」

 

「ッッ~~~~~~~」

 

 ぼそり、と何事も無く返されたクリスの返答に、アレンが何とも言い難い激情を覚えたかのような悲痛な表情を浮かべた。

 

「それ食べないで、少しの間待ってて」

 

「どう、して?」

 

「いいからっ!!」

 

 それだけ言って怒るように、悲しむように、大声を発したアレンは、持ち前の大人顔負けの足の速さで、どこかへと駆け出した。

 そうして時間としては30分から1時間の間程度だろうか。

 言われた通りに律義に食事を行わずにいたクリスの前に、アレンが再び現れた――両手に幾つかのお皿とコップを持って。

 

「――これ!」

 

「え?」

 

 強い口調で言い放って、アレンが、持って来た物をクリスに渡そうとした。

 それは、橙色の香辛料らしき物が掛けられたお粥っぽい何かに、良い匂いが香るまだ温かいスープ。

 そして何か柑橘系の果物のしぼり汁らしき飲み物であった。

 急いで行っていた割に戻ってくるのに時間がかかったのは、帰りはスープや飲み物を零さないように慎重に戻ってきたからだろう。

 

「そんな物じゃなくてコッチを食べて!!」

 

 

 そう言ってアレンは恨むように、クリスが手に持つ、95%食べかけの食事を睨みつけた。

 いつもは99%食べかけなので、当社比ご馳走である。

 一般的には?勿論、生ゴミである。

 

「え、でも、悪い、よ」

 

「そんな物食べられる方が辛いよ!!」

 

「…………わか、った。あり、がとう」

 

「ううん。気にしないで」

 

 ここまでされて断るのは逆に失礼で、アレンの矜持を傷つける行為だと、クリスにも分かる。

 それに、クリスだって何も好き好んで生ゴミを食したい訳では無いのだ。

 ここは有り難く親切に甘えさせて貰う事にした。

 

「いた、だき、ます」

 

 都合1ヵ月以上振りのマトモな食事である。

 漂ってくる良い匂いに、頭より先に体が反応して、クリスのお腹がくーと可愛らしく鳴った。

 敷かれた藁の上にちょこんと座って、クリスがまず手を付けたのは、お粥らしき何かであった。

 碌な食生活を送っていなかったクリスにも食べやすい様に、流動食を選択してくれたのだろう。

 その気遣いに感謝しつつ、クリスは僅かな持ち物の1つである粗末で小さな木のスプーンで、食事を口へと運んだ。

 

「美味、しい」

 

 お米では無い様で、一体何が原材料かは分からなかったが、掛けられた調味料のピリリとした辛さが良い感じに食欲を引き立てて、とても美味しかった。

 まあそもそも、「空腹が最高のスパイス」だの、「限界まで喉が渇いた時は、水が一番美味しい」なんてのは良く聞く話で、そう言った意味でこれまで拷問染みた食事を続けて来たクリスにとっては、この素朴な食事が何よりのご馳走に思えた。

 少なくとも日本に居た時に、何十万円とかかる贅を尽くした美食を食したとしても、その感動は今の100分の1にも満たないだろう。

 

「良かった――!」

 

 クリスが満足そうに食事に手を付ける様子に安堵しているのはアレンだ。

 その姿。久方ぶりにデザベア以外の他者と、食事をしている時に一緒に居られるという事実が、クリスに尚のこと食事を美味しく感じさせた。

 食が細い故に素早くは食べられなかったが、しかし一度も手が止まることは無く、クリスは久しぶりのマトモな食事を完食した。

 

「ご馳走、さま、でし、た。あり、がとう。アレン、君」

 

「良いんだよ、クリス。このくらい。それよりさ、少し話があるんだけど」

 

「何?」

 

 そう言って話し出したアレンは、非常に緊張した様子で続きの言葉を発した。

 

「その、さ。明日、俺のおじさんに会って欲しいからさ、絶対何時もの場所に来てくれよ」

 

「…………わか、った」

 

「本当!?絶対。絶対だからね!!」

 

「う、ん」

 

 元々時間が無い中で急ぎながらも来てくれていたのだろう、それだけ伝えるとアレンは、絶対だからね!と何度か念を押しながら走り去って行った。

 

『慌ただしい奴だな』

 

「………………」

 

 その様子にデザベアが何の気なしに呟いた。

 しかし対照的にクリスは無言だった。

 今の一幕と、明日の約束。

 その意味はクリスにも分かる。

 要は尾けられていたのだろう。そして友人の生活レベルが惨憺たる物であると知ったアレンが、それを何とかしようと奮起した訳だ。

 ただ1つ、それにはおかしな点がある。

 

「――ベア、さん」

 

「何だ?」

 

知ってた(・・・・)よね(・・)?アレン、君の、尾行」

 

「…………………………」

 

 ――そう。デザベアはクリスの外出時に、物騒な相手に絡まれないように、周りを警戒している。

 それこそ前に、アレンがクリスの事をこっそりと観察していたのに気が付いた様に、尾行などされれば気が付かない筈が無いのだ。

 けれども今日、デザベアはクリスに1度もそんな事を伝えなかった。

 都合が良かったから見逃した?

 或いは、そもそもアレン君が自分を尾けた事自体が、デザベアが何かした結果である可能性もある、とクリスはそう思った。

 

「――――まあ、これであの餓鬼の懐により潜り込める訳だ。アイツの母親を救える可能性が上がって良かったじゃないか!!」

 

「…………」

 

 クリスの質問にデザベアは直球の答えを返さなかったが、しかしその発言はクリスの予想が当たっていると答えたような物だ。

 その事実。人が友人と仲良くしようとしている時に無粋な横やりを入れられた。

 クリスはその事に怒っている――――――――訳では無かった。

 

 無論、良い気分はしない。

 ……しない。が、人の命が懸かっているのだ。時に策略めいた行動が必要であると認めるくらいの融通は、クリスにだって有る。

 だけど――

 

「何か、する、なら、先に、言って?」

 

 ――それは自分で決断して、自分が責任を負う事だと、クリスは思うのだ。

 

 これではまるで。やらなければならないが自分が嫌な事を、デザベアに押し付けた様で、それが何よりもクリスには悲しかった。

 例え、デザベアにそんな殊勝な気持ちが一切無かったとしても、だ。

 

「…………へいへい。分かりましたよ」

 

 怒るのではなく、悲し気に喋るクリスの態度にデザベアが不承不承に頷いた。

 まあ色々あったが、何はともあれクリスの生活に、また1つ変化が出るであろう事だけは確かだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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08 アレンの素晴らしい友達

 アレン君の事情回。
 主人公の出番が少なくなると一気にギャグが無くなる不具合。


 アレン・ルヴィニ。旧姓アレン・カサルティリオは、アナトレー王国伯爵位カサルティリオ家の長男としてこの世に生を受けた。

 そんな彼の人生で特異な点をまず1つ挙げるとするのならば、それは彼の母親が平民、つまり貴族では無いという事だろう。

 それも妾やお手付き、駆け落ちという訳では無く、正妻では無いが第2夫人と言う地位であり、彼女の子供――つまりアレンがカサルティリオ家の跡継ぎと目されるなど確かな権力を得ていた。

 しかもそれは、カサルティリオ伯爵の愛ゆえのごり押しなどでは無く周囲――それこそ正妻も含め――の了承の下で、である。

 一体何故そんな事が?

 貴種の血と家系に、平民の物が混じる事が許容されたのか?

 それを説明するには、この世界特有の行事の説明からしなければなるまい。

 

 【神託祭(しんたくさい)】それはこの世界において、100年に1度発生する王を決める祭事である。

 その結果によりアナトレー王国の王位が決定される――などと、そんな小さな(・・・)話では無い。

 神託祭によって決定される【神託王(しんたくおう)】とは、アナトレー王国を含めた数々の大国――それこそ海を隔てた国も――そしてそこに属さぬ小国・部族、それら全ての上に立つ統一王(・・・)である。

 簡潔に述べるのならば、世界王と言って良い。

 

 そんな重要な物がたった1度の行事で決まるのか?文句は出ないのか?

 そう言った疑問は当然の事だろう。

 その疑問に答えるのならば、その前に1つの問いを投げかけなければならない。

 

 国王・皇帝・大統領。呼び名はどれでも良いが、国のトップに最も求められる事とは一体何か?

 

 乱世であれば戦争に勝つための 戦上手か?

 太平の世であれば、様々な方策を考える知恵か?

 それとも人間関係を円滑にするためのコミュニケーション能力?

 はたまたそう言った能力を持つ部下を従えるためのカリスマ?

 

 そのどれもが正解であって正解では無い。

 何故ならそれらは飽くまで手段であって結果では無いからだ。

 集団のトップに求められるのは言ってしまえば1つだけ。

 どのような手段を使おうとも、属する集団を富ませる事、それに尽きる。

 

 極論を述べるのならば、仮に先程挙げた能力、武才だの知略だのと言った全ての能力に極めて優れた王がいたとして、彼が非常に間の悪い人物であり何をしても国が貧して行くのならば、そんな彼の王としての才能は、ただ突っ立っているだけの案山子にすら劣るだろう。

 そして逆説的に言えば、ただ存在しているだけで国を富ませる、そんな王が居るのならば、それは歴史上の如何なる国王であれ及びの付かぬ、至高の王に他ならない。

 そしてそんな王こそが、【神託王】なのである。

 

 各国に残る幾つもの文献。

 そして前回の神託祭の時より生きる生き証人。

 彼らが語るには、神託祭を勝ち抜き神の寵愛を受ける神託王の座。

 それによって得られる恩恵は、名誉だの、名声だのと言った概念的な物ではなく、もっと即物的な物であるらしい。

 曰く、神託王がその座に就いたその時より、世界が変わる(・・・・・・)そうだ。

 世に光が満ち溢れ、【廃呪(カタラ)】――この世界に存在する人を襲う呪いの固まり・人類の天敵――は一掃され。

 作物は豊かに実り、水は澄み渡り、天候は穏やかに、大地の震動も消え失せる。

 まるでお伽噺か何かで夢の様な話だが、そもそも世界王等と言った絵空事が成立するのには、そんな夢の様な話がなければ成らないと言うことだろう。

 よってこの世界において時代は100年を1つの区切りとして、更にそこから3つに分かれている。

 

 新たな神託王がその座に就き、世界に繁栄の夜明けが訪れる【黎明期】

 加護の太陽が徐々に薄くなり、やがて来る暗黒の時に備えなければならない【日没期】 

 加護の光が消え失せて世界が暗黒に包まれ辛く苦しい日々を送りながら、次の黎明期を迎える為の神託祭の準備が始まる【暗夜期】

 この3つである。

 

 そして、神託王を決める祭事である神託祭であるが、神託祭が開始される時期より大体30年程前から10年程前の間、体に【聖印(せいいん)】と呼ばれる特殊な紋様が刻まれた赤子が誕生し、それが参加の資格となる。

 聖印が刻まれる条件だが、飽くまで傾向ではあるが、優秀な素質を持つ赤子程刻まれやすいとは言われている。

 神託祭の内容は、加護の影響で100年の間不老不死となった今代の神託王が決定する訳であるが、廃呪の狩猟や武闘祭など、命を懸けた戦いが選ばれることが多かった。

 

 これらの事実を踏まえた上で、漸く最初の話題に戻る訳だが、暗夜期において貴族などの上流階級の婚姻相手は血筋よりも能力が重視される傾向が多く見られた。

 理由は言うまでも無く、神託祭を見据えての事だ。

 世界の統一王を決めると言う極めて重大かつ重要な祭事。

 出来るだけ良い形で関われる手札が欲しいと言うのは、俗ではあるが理解しやすい話だろう。

 それにまかり間違って自分の家より神託王が排出されれば、その瞬間世界のトップの家へと早変わりである。

 乗るしかないのである。そのビックウェーブに――!!

 そう言った訳で、この時期に限り平民であっても能力が優れた者が貴族の一員と成るという光景は、さして珍しい物では無く、アレンの母親も、平民でこそあるものの冒険者、或いは廃呪狩りとして名うての存在であった。

 まあそうやって能力を期待して結婚した結果、子供に聖印が浮かび上がらなかったりすると割と辛いことになるのだが、そこはリスクとリターンの問題だろう。

 

 そして、こう言った言い方は少し下品だが、アレンはそう言った能力を期待された婚姻における当たり(・・・)であった。

 聖印の発現は元より、母親譲りの火の属性の魔法に強い適性がある事を示す鮮やかな赤髪(・・)

 運動神経に優れ、性格も真面目で学習意欲旺盛。

 このまましかと成長すれば、一門の人物に成るのは明白で、カサルティリオ家の関係者に、或いは彼が王位を運んでくる事もあるやも知れぬ、と期待させる程の才気に満ちた少年。

 彼の生誕より暫くして、カサルティリオ家の第一夫人にして貴族の出である正妻が、アレンと同じく聖印が刻まれた赤子――形式的にはアレンの妹――を出産したが、それでアレンの立場が弱くなるという事も無かった。

 これもやはり言い方は余り宜しくは無いが、極めて重大な難事である神託祭に挑むための()は幾らあっても足りないからである。

 それに、世界のトップの座が懸かった争いが控えているのに、高々伯爵如きの権力を求めて家中争いをしている場合でも無い。

 そう言った訳で、アレンと言う少年の未来は華々しく輝く物であった――――筈だった。

 

 

 アレンの未来に重大な、そして最悪な転機が訪れたのは、丁度彼が6歳の誕生日を迎えた日であった。

 その日、何があったのかアレンは覚えていない。

 ただ事実だけを述べるのならば、次の日の朝、荒れた部屋の中で、ベッドでは無く床に倒れているアレンが発見され、その身が呪われていたという事。

 

 【呪い憑き】。それは、暗夜期に近づくほどに発生しやすくなる、出産された赤子の身体の一部が異形化する現象である。

 或いは、廃呪から極めて大きな深手を負った人間が発症するという場合も有ったが、アレンはそのどちらのケースにも合わない。

 ただ、理由はどうであれ事実としてアレンは呪い憑きになってしまっていた。

 

 母親譲りの綺麗な赤色の髪は漆黒に。

 至って普通の人間の腕であった筈の左腕は、まるで竜の腕の様なウロコと鋭い爪が生えて来た。

 そうして輝かしく祝福されていた筈のアレンの立場は、一転して微妙な物と成った。

 呪い憑きは、凶兆・厄災の象徴として忌避される物である。

 本来であるのならば、それを突如として発症してしまったアレンは蔑まれて直ぐに家から追い出される筈だったのかもしれないが、事態をややこしくしたのは、彼の右腕だ。

 そう聖印(・・)である。

 世界の頂点に立つ戦いに挑むことを許された聖なる証。

 それは未だ問題無く、アレンの右手に刻まれていたのである。

 そんなアレンをどう扱うべきか、周囲も計り損ねたのだろう。

 結果としてアレンは腫れ物に触るかの様に周囲から扱われることとなった。

 時間が流れる事1年。恐らく家中では喧々囂々としたやり取りが有ったのだろうが、その詳細はアレンには分からない。

 ただ、アレンとアレンの母親が、カサルティリオ家から縁を切られて放逐されたと言うのが最終的な顛末であった。

 

 そうして貴族の立場から平民の立場に落とされたアレン。

 彼は普通の平民の子供としての生活を送る――――訳では無かった。

 貴族で無くなった筈の彼に訪れたのは、貴族であった時以上の勉学と修練、そして流浪の日々であった。

 アレンが呪われて以降、めっきりと体調を崩しがちになった母親から勉強を。

 昔の母親と同じく強力な冒険者として名を馳せた母の兄、伯父より武芸を。

 それぞれ教わりながら、街から街を移動する日々。

 貴族でなくなったにも関わらず繰り返される厳しい鍛錬の毎日に、アレンは多大なる苦痛と不満を――抱いてはいなかった。

 何故なら、それが自分の為に行われていると、アレンは分かっていたから。

 

 体が呪いに侵された。

 貴族の地位を剥奪された。

 しかし先程も述べたように、他の部分が変わった訳ではないのだ。

 神託祭に挑む為の聖印も、親譲りの才覚も、未だ全てアレンには残っているのである。

 ……伯爵家と言う庇護が無くなったにも関わらず、だ。

 貴族で無くなったのに厳しい訓練がある?

 いいや逆だ、貴族で無くなったからこそ厳しい訓練が必要なのだ。

 ああ、だけどもしかし。貴族で無くなったという事の穴埋めとして王の座を取ることを強要されていると言うのなら、確かに不幸だったかもしれない。

 だが違う。アレンの母は一度たりともアレンにそんな事を言わなかった。

 

「良い、アレン?いざという時にせめて逃げられるだけの知識と力は持たなくてはなりませんよ」

 

 そう言って優しくアレンを抱きとめる母親から、アレンを王にしたい等と言う気持ちは微塵も感じられない。

 そこにあるのは、巨大な争いの中で我が子が危険な目に遭わない様に、という親心だけ。

 だからアレンは幸せだった。

 

 確かに自分は色んな物を失った。

 しかし、怒ると怖いが優しい母親が、寡黙だが強くてカッコいい伯父が傍にいてくれるのだ。

 ならば勿論幸福だろう。

 そう強く断言することに、アレンはほんの僅かな迷いも無い。

 

 ああ、だけど。

 それでも。

 ただ1つ。たった1つだけ不満を、いいや願いを言うとするのなら――友人が、友達が欲しかった。

 

 

「人との付き合いは慎重にしなければなりませんよ、アレン」

 

 分かっている。母の言葉の意味は伝わっている。

 呪い憑きに印持ち、どちらか1つだけでも人付き合いを慎重にしなければならない要素を、自分は2つも持っている。

 加えて、何か問題が起きるのが自分であるのならば自業自得で済むが、相手を巻き込んでしまう可能性だってあるのだ。

 母の言葉は曇り一つ無く正しいと、アレンも理解している。

 それにそもそも街から街を転々と移動する生活だ。

 元より親しい人物を作るのは難しい。

 

 だけども1人。たった1人で良いのだ。

 親しい友が、裏切らない友人が欲しい。

 …………元々友人だと思っていた人間は、皆アレンの立場が変わると同時に離れて行ってしまったから。

 

 そんな願いが、神に、或いは悪魔に届いたのだろうか。

 アレンの前に待ち人が現れた。 

 

 

 時は1ヵ月ほど前、華美な花畑で有名なアントスの街から、何日か掛けて移動する必要のあるヒュアロスの街へ。

 何時もの様に街から街を移動しつつ鍛錬に勤しむ毎日。

 最早慣れすら感じ始めたルーチンワークに、変化が発生したのは、些細な出来事からであった。

 アレンが厳しい鍛錬や勉学を日々を送っていると言っても、いくら何でも休みや休憩が皆無なんて事は無い。

 その日アレンは、特に何か目的がある訳でも無く、ブラブラと街を散策していた。

 だからその出会いは偶然だった。

 

 

 「あの子……」

 

 

 裏通り、とまでは行かないが、表通りから少し外れた通り道。

 辛うじて治安を維持している大通りより外れると、街の雰囲気は一気に薄暗くなった。

 スラムに突っ込んだ訳では無いので、未だ光と影が入り混じった状態ではあるが、ちょっとしたゴロツキや、浮浪者、物乞い等と言ったガラの悪い人物も目立つようになっていた。

 こう言った光景は、ヒュアロスの街特有の問題という訳でも無く、今の時期、どこの地方・どこの国でもよく見られる景色だった。

 天の加護が消えかけた【暗夜期】は、これまでにしっかりと貯えをしていなかった者、社会より足を踏み外した者に対して非常に厳しい。

 誰も彼もが余裕が無くて、幸せな笑いが聞こえてくる頻度も、明らかに少なかった。

 ある程度の大きさのある街の惨状など、全体から見れば未だマシな方で、小さな山村などでは【黎明期】より何十年後を見据えて備えをしておかなければ、ある日、廃呪の群れによって、村ごと地図から消え失せる事も珍しくは無かった。

 そう言った意味で、今アレンの眼前に広がる光景は、様々な街を観て来たアレンにとっては見慣れた光景だったが、しかし今日この時に限ってアレンはその光景の一部に注目する事となった。

 

 

 気になったのは、相手が自分と同じ年代くらいの子供だったからだ。

 顔を隠す程に伸びた、永い間手入れがされていないであろう白髪・泥と埃で元の色が見えない程に薄汚れた肌。

 着ている服装は襤褸切れの如く、それに包まれる体は栄養が足りていないのか、華奢で、吹けば飛んでしまいそうな程であった。

 全体の雰囲気に、髪の隙間より時折覗く紅色の瞳は、口さがない者であれば、不気味と吐き捨てるかもしれない。

 地面に直で置かれている壊れかけの食器に、遅々とした辛うじて芸のつもりである事が察せない事も無い動きを見るに、物乞い、なのだろう。

 

 アレンはこれまで人生で受けた仕打ちにも関わらず、未だ確かな優しさを持った子供であった。

 自分と同年代の子供が、斯様な状況に陥っている光景を見て、自分が持たされている小遣いを渡そうと、直ぐに決意した。

 そうして白髪の子供に近づきながら、渡す時に上手く話せば友達に成れるかもしれない!なんて考えて、いや考えてしまったから――

 

 ――これではまるで、友人を(・・・)金で買おうと(・・・・・・)している様(・・・・・)では無いか(・・・・・)、と思ってしまった。

 

「………………」

 

 物乞いの子供へと向かっていたアレンの足取りが、ピタッ、と止まる。

 1度自らを疑う思いを抱いた途端、似たような考えが次々と溢れるように噴出し始めた。

 

 そもそも物乞いや、浮浪者は、他にも居るのに、目の前の相手にだけお金を渡そうと思ったのは何故だ?

 見返りを期待する卑しい気持ちがあるからだろう。等といった具合である。

 

 もしその様子、思考を見ている者がいれば。

 

「いや、そんなに自分を悪く思うような話では無いだろう」とか

 

「そもそも友達が欲しいと言う思いは卑しくも何とも無い」だとか

 

「卑しいではなく、いやらしいのは、君ではなく、目の前のソイツだ!!」なんて言うことだろう。

 

 しかし、アレン自身はそうは思わなかった。

 それは裏切らない友人等と言った綺麗な物を他者に求めているのだから、自分自身も潔白で在るべきだ、なんて思いから来るものだった。

 ブーメランを投げるのを躊躇する、色々な方々に見習って欲しい考えである。

 

 そうした次第でアレンの動きは完全に止まってしまった。

 1度思い立った以上、相手にお金は渡したいが、ただそのまま渡すのは、自分の恥ずべき思考の通りに動くようで気分が悪い、と。

 そうしてアレンは、考えて、考えて、その結果として――

 

 ――相手を何日か観察した後、お金を置いて逃走すると言う行為をやり始めた。

 

 …………正直、後から冷静になって思い返せば、アレン自身も、何故自分はこんな普通に渡すよりもよっぽどアレな行動を……!?と言わざるを得ない謎行動であったのだが。

 まあ、あーでもないこーでもないと悩みまくった挙げ句に、頓珍漢な結論を出してしまう事ってあるよね。という話である。

 

 そして、アレン君の若さゆえの暴走は、結局相手の子供に止められる形で終了した。

 但し、その果てにて、

 

「お友、達。成り、たい、です!!また、お話、しに、来て、くれ、ますか?」

 

 自分の望みが棚ぼた的に手の中に転がり込んできて、アレンは思わず目をパチクリとして、呆気にとられてしまった。

 その日アレンには、クリスと言う名の友人が出来た。

 

 

 

 アレンに取って、クリスは理想の様な友人であった。

 

 此処まで見ていれば分かる通り、アレンは心優しい少年だ。

 しかしアレンには、母親と伯父を除いた他人に対し、ほんの少しだけ相手を疑う、猜疑心が有った。

 ただそれは、世の中を斜に構えた小生意気な考えに依るものでは無く、ある日突然周囲から手の平返しを食らったが故の代物である。

 最初から疑いを抱いていれば、本当に裏切られた場合の精神的ダメージが少なくて済む。

 そんな風にアレン本人ですら無自覚の、悲しき一種の防衛反応だった。

 

 だから例えばクリスに対しては、何れ自分に対してお金の無心があるやも知れない。そんな思いが心の内側に数%くらいは有ったのだ。

 それはクリスの人間性を疑ったと言うよりは、クリスの現状を見たが故という方が大きい。

 何せクリスときたら、気がついたら倒れていそうな程にフラフラな様子なのだ。

 そんな状況であれば、大概の人間は周りに助力を求めると思うし、寧ろ自分に出来る範囲の手助けは行おう、とすらアレンは思っていた。

 だけども結果として、そんな事には一切ならなかった。

 

 クリスはお金の無心どころか、自分が辛いという態度すらおくびにも出さなかったのである。

 アレンと話す時のクリスは、何時だって笑顔で楽しげで、そして明るかった。

 その態度は何と言うかこう、アレンの心に非常に刺さった(・・・・)

 お金だとか立場だとか、そう言った物に左右されない友人関係。

 それはアレンが夢にまで見た物で、だからこそ出会ってから1週間と少し程度だと言うのに、アレンはすっかりとクリスに絆されてしまっていた。

 チョロいと言うよりかは、需要と供給が一致したと言った感じだろう。

 だからだろうか、あんな事をしてしまったのは。

 

 

 その日、アレンは何時ものようにクリスと会って、友人との暫しの会話を楽しんでいた。

 その時間・内容に問題は何も無かった。

 異変が生じたのは、談笑が終わってクリスと別れた直後、その時だ。

 

『なあ、クリスの奴が心配じゃあ無いか?』

 

「え?」

 

 微かに、風の音かと思ってしまう程に僅かな声が聞こえた気がした。

 驚いて辺りを見回したアレンだが、周囲には誰も居なかった。

 ああ、ならばきっとこれは自分の内側から発された心の声なのだろう、とアレンは思った。

 謂わば、悪魔の囁き(・・・・・)と言う奴だろう。

 

『クリスは我慢強い。明るく振る舞っていても、実は無理して居るんじゃ無いか?』

 

 そう思うと確かに。アレンは不安に思い始めた。

 辛い時でも明るく振る舞う相手だから、直ぐに此処まで仲良くなったのに、仲良くなれば弱音を吐かないことが気になる。不思議な物だ。

 

『一度後を尾けてみた方が良くは無いだろうか?確かに褒められた事では無いけれど、もし想像以上にクリスが無理をしていたら、直ぐに助けないと取り返しが付かなくなってしまうかも……』

 

 ああ、それもやはり確かに。

 勿論やってはいけない行為だとは思うが、しかしそれで躊躇して、もしも折角出来た友人が死んでしまったりしたら、それこそ耐えられない。

 だから1度。1度だけ。

 アレンはその後、伯父に頼んで今日の訓練を中止にして貰い、空いたその時間でクリスの後を尾けてみることにした。

 

『はい、一丁上がり!!』

 

 尚、そうやってクリスを尾行し始めたアレンの姿を確認して、悪魔の囁きとやらが、遠くでそんな風に言っていたが、残念ながらアレンに聞こえる事は無かった。

 

 

 そうしてクリスを尾けたアレンだったが、その僅かな時間で衝撃的な出来事が2つも発生した。

 

 まず1つ。

 クリスが謎の男に、折角稼いだお金を渡している光景を目撃したのである。

 

 ――脅されているのか?

 

 その光景にカッとなったアレンは、直ぐに出ていこうと考えたが、すんでの所で踏み留まった。

 どんな事情が在るにせよ、今此処で飛び出して、クリスの境遇が良くなることは無いと、気がついたのである。

 この件については、何をするにせよ、後でしっかりと事情を聞いてからの方が良いと考えた。

 

 そうして再び尾行を再開して、アレンの目に飛び込んできた2つ目の衝撃的な光景。それは1つ目すら超える驚きと衝撃をアレンへと齎した。

 

「………………ねえ、クリス。その手に持っているのは、何?」

 

 

 

「…………?晩、御飯」

 

 

 

「ッッ~~~~~~~」

 

 

 クリスが生ゴミを、スラムの食糧事情がよろしくない事は分かっているが、それを鑑みても尚、人が食べるものでは無いゴミを、食事としていることを知ったのである。

 アレンの心に、叫び出したいほどの激情が溢れ出した。

 

 何がお金の無心があるかも知れない、だ!!

 自分は友達がこんな状況にあるのに、何をぼけっと馬鹿みたいに日々を過ごしていたのか、と。

 

 ひとまずその場でクリスにはマトモなご飯を買ってきたが、アレンの激情はそんな事では収まらなかった。

 

 絶対に、絶対に助ける。

 悔しいけれど、今の自分ではどうしようも無いから、伯父に頼ろう。とアレンはそう決意した。

 

 

 

 

 ――約束を破った形になってちょっと怖いけどお母様、じゃなくて母さんにもキチンと言おう!!………………………………その、少し時間をおいてから。

 

 そんな風にも思うアレンであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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09 第一印象:ムラムラします!!

長くなりそうな雰囲気だったので、キリの良い所で一旦切りました。


 クリスとアレンが何時も会っている道の上。

 そこには1人の男が居た。

 

 

「君が、クリスと言う子か」

 

 

「は、い!」

 

 

 その男は(おお)きかった。

 背丈は元より、圧巻されるのはその肉体だろう。

 鍛えに鍛え上げられた筋肉の鎧は、大きく、それでいて引き絞られている。

 その上全身に刻まれた戦闘によって付いたであろう傷跡は、その肉体が飾りで無い事を示す、男の勲章だった。

 しかも事も無げに背中にしょっている大剣など、人の身長ほどの大きさで、常人ならば持ち上げられるだけで賞賛されて、振り回すなど、とても、とても、と言ったレベルの代物だ。

 きっと、ドラ〇ン殺しとか、そんなカッコイイ銘があるに違いない。

 それに加えて漂わせる雰囲気の鋭いものと来たら!

 もしも色んな人間に、この男を一言で言い表すのなら?と聞けば、一番多く返って来る答えは【戦士】だろう。

 

 

 そんな雄々しい男、ルーク・ルヴィニ――アレンの伯父がクリスの目の前にいた。

 

 クリスはルークに対して、強い第一印象。1つの感情を抱いた。

 そうそれは――

 

 

(ムラムラします!!!)

 

 

 自重しろ変態ッ……!!

 

 

 人の容姿に然程拘りの無いクリスだったが、それでも敢えて好みを挙げるとすれば。

 女性の場合は、おっぱいが大きくてお尻が安産型の人で、男性の場合は、逞しい人であった。

 

 

(背負ってる剣も大きいけど、股間の剣♂も大きいんですね、ウフフ)

 

 

 自重しろと言った筈だが……!?だが……!!

 まさか眼前の子供がそんな事を考えているとは思う筈も無く、ルークの視線は、クリスを紹介したアレンの方に向いていた。

 

「あ、その、伯父さん……」

 

 あまり他人と不用意に関わらないという、母からの言いつけを破った罪悪感から、アレンはどこかバツが悪そうに目を泳がせていた。

 そんなアレンの様子を見てルークは、優し気にふっ、と笑った後、その大きな手でアレンの頭をわしゃわしゃと撫でた。

 

(家族じゃなかったら、ナデポが見られそうだった!)

 

 お呼びじゃねぇ。座っていろド変態。

 

「そんなに、緊張する必要は無いさ、アレン。俺もお前と同じくらいの頃は、親の言いつけなんて破ったもんだ。それに(アイツ)だってお前に意地悪したくて厳しくしている訳じゃ無いんだ。友達の1人、2人作るくらい何ともないさ」

 

「おじさんっ」

 

 友達が困っている。どうにか助けて欲しい。

 それが昨夜、ルークがアレンから打ち明けられた相談だ。

 我儘なんてまるで言わず、毎日努力しているよく出来た甥からの、珍しいお願い――それも他人の為の、だ。

 断る気も、怒る気も、ルークには欠片も無かった。

 

「おっと、放っておいて済まなかったな。俺はルーク、ルーク・ルヴィニと言う。アレンの伯父だ。君は、アレンの友達なんだって?」

 

 クリスは笑顔で返答した。

 

「は、い!仲、良し、です!!」

 

「それは良かった。これからもよろしくしてくれると、俺も嬉しいよ」

 

「勿論、です。こちら、こそ、よろしく、お願い、します!!」

 

「礼儀正しい子だ」

 

 無いとは思っていたが、変な相手にアレンが誑かされている可能性も殆ど無くなって、ルークは軽く微笑んだ。

 ……いや、そいつは変(態)な相手なのですけどね。

 

「まあ、何時までも立ち話は何だ。アレンと一緒に俺の借りている宿まで来ると良い。少し体が汚れているようだしな、一度洗い流した方が良いだろう」

 

 控えめに言っても、クリスの身なりは酷い物だ。

 それが、嫌だ。不愉快だ、と言う話では無く。

 年端のいかない子供が、ずっとこんなに体を不衛生にしていたら、何時・どんな病気に罹っても可笑しくは無い、と言う判断からだった。

 

 

 お風呂大好き日本人の魂のクリスとしては、わーい、お風呂だ~♪と、飴玉に釣られて誘拐される児童の如く、ホイホイと付いて行く心算だったのだが……。

 空中に浮かぶデザベアが、手をバツマークの形に交差させながら、首を凄い勢いで横に振っている。

 何せデザベアときたら、クリスが体を清める事に異常なまでに厳しかった。

 風呂に入るな。体を拭くな。水を浴びるな。雨の日は家の外に出るんじゃ無い。いっその事、体に生ゴミの臭いを擦り付けておけ。等々、それは酷い話である。

 

(ベアさんも大袈裟だな~)

 

 そうは思うクリスだったが、他者のお願いはなるべく叶えてあげたいと思っているので、デザベアの望み通りにすることにした。

 視線を悲し気に伏せて、ルークにたどたどしく返答する。

 

「ごめん、なさい。スラ、ムで、体、綺麗、危ない、ので……」

 

「――――」

 

「…………クリス」

 

「?」

 

 クリスのその言葉を聞いたアレンが悲痛な表情を浮かべ、ルークも一瞬、顔を歪ませた。

 そう言った意見、発想が出る為には、実際に危険な目に遭遇した経験が有るからでは?そう思ったからだ――――勿論、勘違いなのだが。

 

「ねえ、クリス」

 

「ど、したの?アレン、君」

 

「知らない男の人にお金を渡してるのも、そう言う理由?」

 

(ああ、そちらも見られてたんだ)

 

 否定する意味も無いので、クリスは正直に答える。

 

「お金、持ってる、知ら、れる、危、ない、ので。全部、渡した、事に、して、貰って、るの」

 

「ちょっとした用心棒代と言うことか……」

 

 ルークは、子供ながらに良く考える、とクリスの発言に対し、そう感じた。

 成程、アレンから少しは聞いていたが、利発で人懐っこいと言うのも正しいようだ、とも判断した。

 で。あるのなら、とルークは昨夜アレンから相談された後から考えていた提案を、クリスへと持ち掛けた。

 

「なあ、そう言う事であれば、君に頼みたい仕事があるんだが。その男には、俺からも話すから、頼まれてはくれないか?」

 

 

「??それ、は、大丈、夫、です、けど。どんな、事、です、か?」

 

「アレンは毎日、戦いの訓練をしていてな。その手伝いをして貰いたい。お金を持つのが危険なら、一先ず代わりにご飯を保証しよう」

 

 無論、そういう口実の下、クリスの生活環境を改善する為の方便だ。

 それを察して、アレンの表情もパァっと明るくなった。

 最善は、住み込みか何かで住居も保証するのが良いのだろうが、こう言った物は性急に進めようとしない方が良い、とルークは考えている――相手が、明らかに善人で、他の人の手を借り過ぎるのを、悪く思いそうなタイプであれば、尚更。 

 勿論そう言った気遣いは、クリスにも伝わっていた。

 

 

「良い、の、です、か?」

 

 

「さて、な。こちらこそ、頼まれてくれると、助かるよ」

 

 

 飽くまで自分から頼んでいるという体を崩さないルークに、クリスは大きな感謝と、カッコよさ、そして沢山のムラムラを感じた。

 ……ムラムラはしないでいただけますか???????

 

 それは置いておくとして、自分の境遇で同情を誘った感じになって、クリスとしてはバツが悪いのだが、しかしアレンの母親に起こるかもしれない悲劇を防げる可能性が最も高そうなのが、アレンの伯父――つまりは、ルークである。

 そのルークとの繋がりはクリスからしてみれば、奇貨であると言えた。

 そもそもここまで心配させて、行動させた以上、今更断るのも逆に……。という感じもする。

 

 

 

「あり、がと、ござい、ます。よろ、しく、お願、い、出来、ます、か」

 

 

 クリスのその言葉に、ルークは柔らかく微笑んで、アレンは顔色を明るく光らせた。

 

 

「ああ、良かった。こちらこそ宜しく頼むよ」 

 

 

 何か良い感じに終わったが、宙にぷかぷか浮かんでいるデザベアが、してやったり、とニヤついているのには、イラッとするな、とクリスは思った。

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 クリスの同意が得られた途端、後の話はとんとん拍子でサクサクと進んで言った。

 まず、アーノルドとの件だが、ルークがクリスを連れて、「この子に頼みたい仕事があるから、これからは金を持ってこれなくなる可能性が高い」と伝えたら、簡単に了承された。

 大した金額でも無いお金の話で、明らかに強者の風格を漂わせるルーク相手に争うのは馬鹿らしい、と言うのもあるのだろうが。

 それ以上に、クリスが普通に好感を持たれていたというのが大きいだろう。

 難色を示される所か、「何の仕事かは分からないが、体に気をつけて頑張れよ」と、激励を貰ったくらいであった。

 クリスの人の良さによる利点が、大いに出た形だった。

 

 

 その後クリス達は、ご飯を食べに街へと繰り出した。

 やはり、クリスの胃に配慮された食事はとても美味しく、クリスは思わず微笑んだ。

 まさか2日連続で、マトモな食事が取れるとは――!!なんて、日本に居た時だったら絶対に感じなかったであろう驚愕を、クリスは覚えていた。

 食べ物の味とか、栄養だとか以前に、他者と一緒に食事を取れる事がクリスには何より嬉しかった。

 

 え?デザベアとの食事?

 アレは、食事枠では無く、SMプレイ枠なので……。

 

 

 そうして、諸々の準備を済ませた後。

 クリスはこの世界に来て1ヵ月以上経って、遂に初めて街の外へと足を踏み出した。

 空は澄み渡るような青空。

 新たな門出には相応しい1日だった。

 



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010 奇跡の魂

漸く主人公の秘密回前編です。
此処まで長かった……


「街の近郊にいる【廃呪(カタラ)】は、【球体(スフェラ)】くらいだが、侮って良い相手では無い。俺やアレンからは決して離れない事。いいな?」

 

「は、い!!」

 

 雲一つない澄み渡る青空。

 まるでピクニックにでも行っているかの様な陽気の天候で、少し弛緩した雰囲気を引き締めるべくルークがクリスに注意を投げかけた。

 一見、長閑に見えようとも、ここは酔っ払って外で眠っても大概何とかなる日本と違って、治安が余り良くない異世界だ。

 決して能天気に気を抜いて良い場所ではない。

 

「でも、俺が居れば大丈夫だよ、クリス!!【球体】くらいだったら何とも無いから!」

 

(アレン君可愛いな゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛)

 

 

 しかしながら、友達の身の安全は自分が守るんだ!!と意気揚々としたアレンの様子を見るに、ルークやアレンがいれば何も問題は無い程度の危険性ではあるのだろう。

 そもそも、そんなに危険な場所であれば、最初から明らかに体力の無いクリスを連れて来る事は無いし、空に浮かびながら無言で付いて来ているデザベアも、クリスに注意を促した筈だ。

 だからと言って何も警戒せずに野原を元気に駆け回られては困る――ルークの注意の意図としてはそんな所だ。

 当然クリスとしても、そんなに無警戒になる気は無かったし、そもそもの話、悲しいかな元気に野原を走り回る様な体力が、クリスには無い。

 

 

「街中だと迷惑になっちゃうから、大体何時も外で魔法や戦いを伯父さんに教えて貰っているんだ!!」

 

「お、おっ!魔、法!!」

 

 アレンのその言葉に、クリスの紅色の瞳が興味深げに輝いた。

 良くも悪くも普通からかけ離れていたクリスが、「お前、そんな平凡な所あったんだ…………」と言いたくもなる様に、魔法と言うファンタジー要素に興味を惹かれていた。

 初めて普通の男子高校生ぽい所を見せましたね……。

 魔法そのものは、デザベアに自分の魂をぶっこ抜かれて異世界転生させられたり、目の前で大きな鏡が出現したりで、見たことはあるのだが、どちらも行き成りの事であったので、イマイチ見た気分には成っていなかった。

 だから至って普通に、変態的思考とは関係なくクリスは魔法を見るのが楽しみだった。

 

「クリスは魔法に興味あるんだ!そうだ、クリスも俺と一緒に伯父さんに魔法を――」

 

「――待っ、て」

 

「――クリス?」

 

「?どうかしたのか、2人とも」

 

『なんだ、お前。突然どうした?』

 

 楽し気に話していた筈のクリスから、突如として表情が消えた。

 いつもいつも楽し気に元気でいる分、突然無感情に成られると大いに目立つ。

 その様子に、アレンとルークどころか、デザベアですら言い様の無い不気味さを覚えた。

 しかしながら、クリスはそれらの言葉に一切返答をしなかった。

 

 だって誰よりも(・・・・)早く(・・)クリスはソレ(・・)に気が付いたから。

 クリスは、壊れたマネキン人形の様に、首をギギギ、と横に回して、斜め前を向いた。

 そしてその後、小さな自分の腕で以て、前方を指さした。

 

 

「あ、れ」

 

「え?」

 

「……あれは」

 

 ソレ(・・)は一言で表せば、黒い丸だった。そう言い表すより他にない。

 大きさとしては砲丸投げの玉くらいだろうか。

 そんな大きさの、絵の具の黒で空間を塗りたくった様な、蠢く不自然な球体が、青々とした草の上を、コロコロ、コロコロと転がっていた。

 

 

「【球体(スフェラ)】、か。良く気がついたな」 

 

 ルークの発言によって謎の球体の正体が発覚する。

 これこそ廃呪(カタラ)

 命を呪い、生命を冒涜するモノ。

 その証拠として、【球体】に踏まれた草だけでは無く、横を通り過ぎられただけの草が、突然元気を失って萎びれ掛けている。

 そこまで大きくは無い故に圧倒的なインパクトこそ無いが、何とも言い難い不気味さを見る者に与えてくる光景であった。

 

「………………」

 

 しかしながら、不気味と言うのなら此方もだろう。

 廃呪と現実で初めて遭遇したクリスは未だに不気味な沈黙を続けている。

 それこそ先程見せた元男子高校生らしい情緒よりも珍しく、異世界に連れてこられて糞みたいな環境に置かれても明るさと優しさを失わなかったクリスが、廃呪(カタラ)に対しては負の感情を抱いていた。

 

(許せない)

 

 と、言うか。

 有り体に。とても端的に、分かりやすく述べるのならば。

 

 ――クリスは今、ブチギレていた。

 

(許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、許せない、1つ残らず消し飛ばして――)

 

 自分が何故これ程までの凄まじい怒気を抱いているのか。

 それは、クリス自身にすら分かっていなかった。

 いやそれ以前の話として、怒ったことはあっても、激しくキレた経験などこれまで無かったクリスは、自分がキレているということにすら気がついていなかった。

 

 ただ、何か。

 何か途轍もない事が起きようとしている。

 そんな重苦しい雰囲気だけが辺り一面に充満していて――。

 

 

「大丈夫、クリス。俺が直ぐに倒すから!!」

 

 

 ――しかし、クリスの沈黙を廃呪を怖がっているからだと誤解して、何とか元気づけようとするアレンの態度で、クリスの緊張感は吹き飛んだ。

 怒りが収まったからと言うよりは、自分の情緒が可笑しく成っている事に気が付いて、周りに心配を掛けないように抑え込んだ感じではあったが、しかし充満していた重苦しい雰囲気は消え去った。

 

 

「頑、張っ、て!!」

 

 

 ルークが止めようとしていないし、アレンに取ってはそこまで危険な相手では無いのだろうと判断して、クリスは微笑を浮かべて激励の言葉を投げかけた。

 アレンはコクリ、と力強く頷いて、【球体(スフェラ)】に向き合った。

 未だに【球体】はコロコロと緩やかに移動していて、つまり前準備の時間などいくらでもあった。

 

 

「【種火(リノンクロスティ)】――」

 

 

 声変わり前の少年特有の高い音域による発声が、野原の中で響き渡る。

 紡がれたのは、体内で魔法の使用を補助する為の回路を作成する詠唱――火属性の第一段階。

 アレンの体の中に不可視の、しかし確かに存在する魔力を焼べる溶鉱炉が形作られる。 

 ここまでは飽くまで前準備。

 真に超常たる業が発現するのは、これより後。

 

 

「【(フロガ)(クシフォス)】」 

 

 

 その言葉が空に落とされると同時に、アレンの右手に真紅(・・)の炎が出現した。

 

 

(んー?赤色の炎?)

 

 

 微妙に釈然とせず、クリスは頭上に疑問符を浮かべていたが、しかしそれと時を同じくしてアレンの右手に出現した炎が、その形を変化させていく。

 時間にして僅か数秒の出来事だろうか。

 形なき炎が瞬く間に、剣を型取っていた。

 熱された鋼鉄の様な赤熱する刀身を持った、綺麗な真紅の宝刀へと。

 持ち手の部分は未だに燃え盛る炎のままで、アレンの右手に纏わり付いているのだが、しかし流石は魔法と言った所だろうか。

 アレンの右手の白手袋には焦げ目一つ入ることは無く、当然熱がったりもしていなかった。

 

 燃え盛る剣を手に持ったアレンは、【球体】へと向かってゆっくりと歩きだした。

 その歩みは堂々と。実に様に成っていて、今のアレンからは、普段の大人ぶっている子供特有の微笑ましさと、しかし同時に感じる頼りなさが一切見られなかった。

 

 アレンがゆっくり、ゆっくりと歩み寄る。

 【球体】がコロコロ、コロコロと進む。

 そうして1人と1個?の彼我の距離が一定の近さに成った、その時。

 

 【球体】がアレンに向かって飛び跳ねた。

 その速度は一定以上の実力を持つ野球のピッチャーが、ボールを投げた時と同じくらい。

 まあ少なくとも100kmは軽く超えている事は間違いない。

 成程、これは確かにルークがクリスに気を抜かないように、と注意する訳である。

 どれほどの威力があるのかは【球体】の硬度にもよるだろうが、仮に普通の石ころ程度だとして。

 こぶし大の石がこれほどの勢いでぶつかってくれば、単純な物理法則の運動エネルギーだけで考えても、当たり所が悪ければ大人でも死ぬだろう。

 草の生気を奪った謎の呪い的パワーも考えれば、その危険性は更に上と考えて間違いなく、少なくとも虚弱極まりないクリスが相対して良い相手では無い。

 

 しかして、アレンはどうだろうか?

 跳び上がった【球体】はアレンの頭部目掛けて飛んできている。

 あっという間に両者の距離は零に近づいて、しかしその瞬間、アレンの炎の剣を持つ右手が、かき消えた。

 それと同時に、高速で近づいてきた【球体】をなぞる様に空中に綺麗な真紅の軌跡が描かれたのを、クリスは目撃した。

 

 

「――ふっ」

 

 

 交差の時間は正しく一息の間だった。

 アレンの息を軽く吐く音と同時に、アレンの頭に迫っていた筈の【球体】が、真っ二つに両断されて地面にこてん、と力なく落ちた。

 しかもそれで終わりでは無く、切断面から炎が湧き出して【球体】だった物の残骸が延焼していく。

 それこそやはり一息の間に、【球体】の姿は野原より消失した。

 

 

 

「お、おっ!す、ごい!!」

 

 

「あはは、ありがとう」

 

 

 鮮やかなその手並みに、クリスは笑顔でアレンに近寄りながら、賞賛の言葉を投げかけた。

 照れた様子でそれを受け取るアレンの姿。

 

 

「あ、れ?これ?」

 

 

 そうしてアレンに近づいたクリスだったが。

 アレンの近くの地面。丁度【球体】の残骸が少し前まであった地点に、白く輝く小さな石を発見した。

 首を傾げるクリスに、アレンがその小石の正体を説明し始める。

 

 

「ああ、それは【聖輝石】って言ってね。【廃呪】を倒すと落とすんだ。作物の実りを増やしたり、水を綺麗にしたり、傷を治したり、後は魔法の力を増幅させるアクセサリーの材料に成ったりね。冒険者はこれを売ってお金を稼ぐことが多いんだ」

 

 

「おお~~!」

 

 ドロップアイテムと言う奴か。

 倒しても明らかに素材を剥ぎ取れそうに無い【廃呪】にも、倒す利点はしっかりと存在するらしい。

 

 

「でも【球体】1体からとれる【聖輝石】くらいじゃ、お小遣いにも成らないんだけどね。あ、それじゃあ見ててよ!」

 

 

 そう言ってアレンは拾い上げた【聖輝石】を、【球体】の影響で枯れかけた草へと投げ込んだ。

 放り投げられた【聖輝石】が萎びた草に到達したその途端、【聖輝石】が一瞬強く輝いたと共に、その姿が草に吸い込まれるように消失した。

 しかしそれと同時に、色が薄くなって草臥れていた草が、元の青々しい色と、天に向かう強さを取り戻した。

 

 

「元気、なった!!」

 

 

「ね。こうやって使うんだ」

 

 

 元気に成った草を見て、クリスはそれはそれは嬉し気に微笑んだ。

 

 

「どう、クリス?これが、魔法や、冒険者の特訓なんだ!」

 

 

「カッコ、良い、よ。アレン、君!」

 

 

「えへへ。そう?コホン、それでさっきの話なんだけどさ。クリスも教わってみればどうかな、魔法」

 

 

「…………わた、し、も?」

 

 

 何だかんだで中途半端な所で遮られていた話題を、アレンは再び口に出した。

 クリスが驚いたような声を上げる。

 

 

「クリスだったら、きっと直ぐに使えるようになる筈さ」

 

 

 魔法と言う技術は決して簡単な物では無いし、無論アレンとてそれは重々承知している。

 しかし過酷な経験をしたとはいえ、未だ子供なアレンには、子供らしい純粋な考え――夢があった。

 それは、頑張る者は報われるのだと言う…………いや、報われて欲しいという夢。

 あれほど、優しく素晴らしいクリスには、神様だってきっと微笑んでくれる筈。アレンはそう信じている。

 

 

「そうだな。何事も実際に試して見てこそ、だ」

 

 

 アレンの言葉を肯定する様に2人に話かけるルークは、しかし言葉とは裏腹に、内心厳しいだろうな、と思っていた。

 前提として、アレンは天才だ。

 両親の才能を期待通りに――いいや、期待以上に受け継ぎ。

 その才を不断の努力で順当に伸ばし、頭でっかちでは無く、経験もしかと積んでいる。

 それに加えて厳しい境遇を経験したが故の、粘り強い精神力も持っている麒麟児。それがアレンだ。

 

 

 この世代(聖印持ち)の子供の平均値(アベレージ)は、他の世代よりも高いのが通例だが、しかしその中にあってもアレンは間違いなく最上位の能力と将来性を持ったグループの中の1人だと、ルークは伯父の贔屓目無しで断言出来た。

 だから同じくらいの年齢で、例え同じくらいの努力をしたとしても、クリスがアレン程に上手く魔法を使うのは、どう考えても不可能、それがルークの結論だ。

 しかしながらそんな夢の無い正論を楽し気に笑い合う、甥とその友人に躊躇なくぶつける程、ルークの性格は悪くは無かった。

 そもそも別にアレン程上手く出来る必要は無いのだ。

 友人がやっている事なら、手慰み程度に習うだけでも面白く感じるだろう。

 それにアレン程では無くとも、確かな魔法の才がクリスの中に存在する可能性も零では無いのだ。

 何事も試して見てこそ、と言った言葉は決して全てが誤魔化しでは無いのだ。

 それがルークの大体の考えだった。

 

 

 ここに居る後の1体のデザベアはどうしてるかって?

 まっっっっっっったく興味を持たず、鼻をほじって、大欠伸をかましてますが何か?????????? 

 

 

 夢のあるアレンの考えと、夢の無い残り2人の考え。

 対照的な2つの考えだが、残念ながら正解なのは後者だろう。

 ……いや、それはそれとしてデザベアの態度は普通にカスだが。

 

 

 都合の良い奇跡が罷り通る程、現実は甘く作られてはいない。

 ガラスの靴を与えてくれる魔法使いは現れないし、毒林檎を食べたお姫様は、王子のキスでは蘇らない。

 それと同じように、純然たる才能の差と言う物は確かに存在して、それは頑張ったからといって乗り越えられる物では無いのだ。

 

 

 ああ。けれども。しかし。

 今日。

 この時。この場においてのみは――

 

 

 

 

 

 

 ――正しいのはアレンの意見だった。

 

 

 

 

「それじゃあ、基本は俺が教えてあげるよ!えっと、まずはね――」

 

 

「あ。大、丈夫。()()分かっ(・・・)たから(・・・)

 

 

「――クリス?」

 

 

 クリスが自分の右手の、その小さな手の平を空へと向けた。

 

 

「【炎】」

 

 

 

 ――瞬間。

 空が赤く染まった。

 

 

「――え!?」

 

 

「――何っ!?」

 

 

『――ハァッ!?』

 

 

 アレンの、ルークの、デザベアの。

 三者三様の。しかし皆一様に驚愕を意味する叫び声が長閑だった筈の野原に響き渡った。

 

 

 

 何が起こった?

 ――クリスが手の平から天まで届く炎を発生させた。

 

 

 それはどの位の規模の?

 ――空に届くまでの炎柱(えんちゅう)は、100円ライター程の、しかし天空で燃え広がり数百メートル、いや数キロメートルに渡って空を真紅に染め上げている。

 

 

 奇跡。

 ああ、奇跡だ。

 目の前の光景を端的に言い表すのなら、それ以外に無い。

 

 

 

 

 ――最も早く驚きから立ち直ったのはアレンだった。

 

 

「凄い!凄いよ、クリス!!!」

 

 

「そ、う?あり、がとう!」

 

 

 彼の心の中の9割は、友人の才能に対する賞賛の念と、友の未来が明るく開けたことに対する喜びの思いで溢れていた。

 残る1割は、同年代の子供が明らかに自分より優れた力を持っている事に対する対抗意識だったが、嫉妬と言う程、暗い物では決して無かった。

 そもそも、自分を上回る才能をポンっと見せられて何も思わないのも、年頃の少年としてどうなの?と言う話なので、良いバランスの心中だと言えるだろう。

 

 

「………………これは」

 

 

 ――深い驚愕を覚えているのがルークだ。

 豊富な人生経験――それも特に、魔法を使った戦闘に関して――を持つルークには、目の前の光景が如何に有り得ない物であるかとても簡単に理解できた。

 まず繰り返しになるが、アレンはこの年代の最高峰だ。

 それを易々と超えて来るのが、まず可笑しい。 

 それでも例えば魔力量に限ってのみ等の前提条件付きならまだ考えられなくも無いが、クリスがただ馬鹿魔力に物を言わせて魔法を発動している訳で無いのは明白だった。

 

 

 何故なら、こんなに激しい炎(・・・・・・・・)が燃え盛っている(・・・・・・・・)のに全く(・・・・)熱さを感じない(・・・・・・・)のだ(・・)

 

 

 見た目だけ派手な虚仮威しなどでは無い事は、それこそルークであれば見れば分かる。

 これは、クリスがこの莫大な量の炎を全てしっかりと自分の制御下に置いている事の証左だった。

 

 

「~~♪」

 

 クリスが陽気に鼻歌を奏でる。

 それと同時に、空で燃え上がる炎が、その形を変化させていく。

 それは花の形に。それは猫の形に。それは星の形に。数秒おきに炎の形が鮮やかに変化していく。

 

 ああ!!まるで青空と言うキャンバスに、炎の絵の具で絵を描いている様!!

 

 

「ていっ!」

 

 

「――!?」

 

 クリスが何とも気が抜ける様な掛け声を発した。

 しかし、それを合図として発生した現象は、決して気を抜いて良い物では無かった。

 (そら)で燃え盛る業火より、こぶし大の炎の塊が四方八方へと流星の様に降り注ぐ。

 その数、凡そ100以上。

 その様子に尋常成らざるモノを感じ取ったルークは、舞い落ちる炎の塊の中から、最も自分の近くに落ちる物の軌跡を咄嗟に目で追った。

 炎の着弾点には【球体(スフェラ)】の姿が。

 墜落した炎は見事に【球体】へと着弾し、その存在を延焼させる。

 次の瞬間には【球体】の姿は燃え尽きて消失していた。

 

 

 ――狙撃(・・)したのか!?

 

 ルークの内心が更なる驚愕へと彩られた。

 100以上あった炎の塊の中で、偶々ルークが見た1つが、偶々【球体】へとぶち当たった…………そんな風に考えるのは、流石に頭が空っぽに過ぎる。

 間違いなく狙ったのだ。恐らく他の炎の塊も同様に。

 何という制御、何という感知。

 無論ルークとて名を馳せた冒険者。同様のことが出来ないのか、と問われれば答えは、否だ。

 しかし、自分がその境地に達したのは一体何歳(いくつ)の事だった?

 少なくとも今のクリス程に幼い頃で無かった事だけは確かだ、とルークは衝撃を受けている。

 

 そして更に恐ろしいことは、ルークを最も驚愕させた要素は、今までの描写とは別の箇所にある、という事だった。

 

 ――法則(ルール)が合わない。

 科学社会の人間から見れば滅茶苦茶をやっている様に見える魔法だが、しかしその実、キチンとした法則の下に発生をしている。

 望めば何でも出来るような力では決して無いのだ。

 しかしだと言うのに、今しがたクリスが使い続けている力は、アレンが使い、自らも使える魔法の法則より完全に逸脱していた。

 感覚としては魔法よりも、神官たちが扱う【法術】に近いように感じるが、それもどこまで確かな物だか……。

 まるで、クリスだけ(・・・・・)別種の法則の下(・・・・・・・)動いている(・・・・・)様だった(・・・・)

 そうした次第でルークの心中は驚愕で満たされていたのである。

 

 

 ――そして驚愕を超えて、最早狼狽しているのがデザベアであった。

 

 

『有り得ない、有り得ない!有り得ねぇぞ、オイ!!!!』

 

 目の前で巻き起こった理不尽に、先程までの余裕は一体何処へやら。

 うわ言の様に眼前の光景を否定する言葉を吐いているが、しかし当然それで目の前の光景が消え去りなどはしない。

 ただしかし、本当に有り得ないのだ。

 

 ――デザベアは大悪魔である。

 今やすっかり驚き役兼、おもしろツッコミおじさん(悪魔)と化しているデザベアであるが、その本性は邪悪で、狡猾で、人間を不幸のどん底に叩き落とす事に長けた、文字通りの悪魔である。

 嵌めようとした獲物の選定が完全にミスっていたと言う、そもそもな致命的間違いを除けば、その方策は決して間違ってはいなかった。

 もしもその悪意と策略に巻き込まれたのがクリス以外であったのなら、その対象とされた人物の末路は、とっくに周りに玩具にされて壊されているか、そうなるであろう人生に絶望して自ら命を絶っているかの2つに1つであっただろう。

 

 ――美貌の才以外には何の取り柄も無いと思われていた少女に、実は凄まじい魔法の才能が有り、それを使って大活躍?

 

 デザベアにとって、そんな展開はカスもカス。

 欠片たりとも見たくなく、絶対に引き起こしてはならない事象である。

 だからこそ、そんな事だけは起こらないように可能性を念入りに、念入りに潰しておいたのだ…………何せその所為で自分が巻き込まれて絶望した位である。

 だからデザベアは迷い1つ無く断言できる。

 クリスの肉体に、魔法の才能なんて欠片も無いのだ。

 

 そう――肉体(・・)には。

 

『あ』

 

 気がついた。

 いいや、思い出した。

 

『あああああああああああああッッッ!?!?!?!?!?!?』

 

 クリスが変態すぎて忘れていた。

 クリスが変態すぎて忘れていた!!

 大事なことなので2回言ったが、とにかくクリスが変態すぎて忘れていたのだ(3回目)。

 

 そもそもクリス――いいや、この場合は中の平助か――はデザベアを(・・・・・)召喚しているのだ(・・・・・・・・)

 

 他ならぬデザベア自身が、その出会いは奇跡だと、悪魔である彼をして祝福すべき物だと、皮肉ではなく本心から言っている。

 いや、もっと早く思い出せよ!?と言う指摘は完全にご尤もでしか無いが、デザベア君は、クリスの度重なる変態行動により、その……。心が……。少し……。

 

 

 ……とにかく、科学という光の下に、あらゆる幻想が駆逐された現代社会において、デザベア程の大悪魔を完全に顕現させようとすれば、それに必要な力は如何ほどか?

 ちょっと悪魔召喚の才能があれば行える――そんな容易い物では断じて無い。

 

 先ずは歴史の裏に消え去った、悪魔召喚の方法を、間違いなく完璧に再現する必要がある。

 ある部分は完全に消え去って、ある部分は逆に無駄な情報が多数入り込んでいる。

 そんな中から正しい情報を1つ1つ拾い上げて、正しい絵を完成させる。

 それは大きな情報収集能力と天運が必要な、極めて困難な作業である。

 

 それに悪魔召喚の才能を持つ人間を探す必要がある。

 デザベアを召喚()べる程の才の持ち主など、数億人に1人いれば運が良い方で、全世界を探しても数が100人を超える事は恐らくあるまい。

 

 そして、その2つを揃えても未だ足りない。

 最後に必要なのは生贄(・・)だ。

 召喚士の才能にもよるが、必要なのは最低でも数百万人から数千万人。

 それだけの人数を短期間で虐殺して、その血と怨嗟で地上を満たし、世界を覆う科学という法則に穴を空ける必要がある。

 

 そこまでやって漸く召喚出来る。それが大悪魔と言う存在の筈なのだ。

 

 ……それを、何だ。

 何処かの子供が作った適当な魔法陣で?

 ただテンションが上っただけで?

 そもそも呼ぼうとする意思もなく?

 そんな状態で簡単に召喚する。

 有り得ないことだろう、それは。

 

 もしもそんな本来あり得ざる滅茶苦茶が成立するのなら。

 それは召喚()ぶ者が、単身で世界法則を崩しうる奇跡の魂であった時のみ。

 ああ、それはつまり――。

 

『【超越者】か』

 

 己の祈り1つで、世界を変革させ得る有資格者。

 生命の答えに辿り着いた解答者。

 世に数多いる凡百の地を這う虫けら共とは違う、空を飛ぶための輝く羽を持った鳳凰。

 それがデザベアが漸くたどり着いたクリスの正体だった。

 

 常軌を逸した変態性、我慢強さも納得だ。

 思いの量が違うのだ。

 願いの桁が異なるのだ。

 祈りの深さが比較にも成らないのだ。

 

 クリスの扱う力が既存の法則(ルール)に当てはまらない?

 それも言ってしまえば簡単な事。論ずるに値しない。

 だって彼女は法則(ルール)に従う者では無く、法則(ルール)を作る者なのだから。

 

 恐らく平和な日本に生まれ、大きな不満も無く過ごしていた所為で、これまでは目覚めていなかったのだろう。

 如何に空を飛ぶ羽があろうとも、飛び方を知らなければどうしようも無いから。

 だけどデザベアに魂を別の世界の別の体に移されて目覚めて、たった今飛び方を覚えた。

 だからもう。クリスは自分が望めば何処へだって飛んでいける。

 デザベアはそれを理解したから、クリスに対して早急に言わなければならない言葉があった。

 

『その、はしゃいでいるのを今直ぐ止めろ。死ぬぞ(・・・)

 

「え?」

 

 デザベアの言葉に、クリスが炎を消した。

 

『ああ、後。医者に行っても意味がないし、面倒な事に成るだけだから――気合で(・・・)耐えろよ(・・・・)?』

 

 

「何、を、ぁ――」

 

 瞬間。

 クリスの身に今まで感じたことが無い、膨大な苦痛が襲いかかってきた。

 

 



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011 奇跡の代価

 その時クリスに襲いかかってきた感覚を一言で表すのならば苦痛であったが、しかしその程度で片付けて良いレベルの代物では全く無かった。

 敢えて例を挙げるとするのなら、体温が血液すら蒸発する100度以上になり、全身の骨と言う骨が粉々に砕け、スピリタスを10本位一気飲みさせられ、その状態でマラソン・自転車・水泳、全てが100kmのトライアスロンをやらされた感じだろうか。

 途轍もない熱さと激痛と吐き気と倦怠感のオンパレード。

 常人ならば失神――いや、苦しすぎて気を失う事すら出来ない苦痛だろう。

 しかも、それが底では無く、刻一刻と苦痛が増してきていた。

 

 

「――――んっ」

 

 

耐えられる(・・・・・)けど……)

 

 

 しかしクリスは唯の気合だけでその苦痛を耐えていた。

 何かしか自分の身に発生している異常の原因を知っているらしいデザベアが、耐えるしか無いと言っていたので取り敢えず耐えている。

 常人であれば最悪、発狂死すらしかねない苦しみの津波を、根性論だけで耐え凌ぐその姿は成程確かに精神力の怪物、超越者の名に恥じない。

 とは言え、耐えられるからといって問題無く受け入れられるかと言えば、それはまた別の問題だろう。

 SMプレイのM役は好きなクリスだが、別に普通に過ごしている時に痛いのは好きでは無い。

 これでもし周りに困っている人とかが居たのなら、自分の痛みとか知ったことでは無いと動き出すクリスだが、そうで無いなら流石に勘弁してほしかった。

 

 

「どうしたの、クリス?」

 

 出来る限り心配を掛けない様に耐えてはいるが、それでも多少は様子が可笑しくなっているクリスに、アレンが心配そうに疑問を投げかけた。

 ルークもその様子をしっかりと伺っている。

 

「あの、ごめん、なさい。少し、疲れて、しまった、みたい、です。今日は、もう、休ん、でも、良い、ですか?」

 

 滅多に弱音を吐かないクリスの言葉に、ルークが優しく答えを返す。

 

「初めてで、あれ程の魔法を使ったんだ。疲れるのも無理はないさ。遠慮することは無いからしっかりと休むと良い。良ければ、俺が借りている宿屋の部屋を貸すが」

 

「そこ、まで、迷惑、を掛け、られ、ない、ので。大丈、夫。です。少し、休め、ば、回復、する、思い、ます」

 

 有難い気遣いではあったが、自分の身に何が起きているのかをデザベアに聞かなければならない以上、お世話にはなれなかった。

 

「……そうか。それならせめて2人で家まで送っていこう。ああ、それに少し待っていてくれ」

 

 そうしてクリスはルークとアレンに連れられて自分の家に戻ってきたわけだが、その帰路の途中に、ルークがクッションや毛布など、クリスが良く休める様な寝具の代わりになる物を買い与えてくれた。

 

「あり、がと、ござい、ます」

 

「そんなに高い物でも無いから気にしなくて良い。ああ、綺麗な水を此処に置いておくから、喉が渇いたらきちんと飲むんだぞ?」

 

「は、い」

 

 

「ねぇ、クリス。本当に大丈夫?」

 

 

「大丈、夫、だよ!アレン、君。大分、良く、なって、きた、から」

 

 そう言ってクリスは全然大丈夫!というのを証明する様に、アレンに対して微笑みを浮かべた。

 因みに体調は良くなる所か悪化の一途を辿っており、現在は全身のあらゆる所に五寸釘を打ち込まれているかの様な激痛が体を襲っている最中である。

 

「明日は俺たちの方から迎えに来るから、調子が悪いままだったら遠慮しないで言ってね!!」

 

「う、ん。また、明日」

 

 そうして2人は家を去っていった――かの様に見えたが。

 

『もう少し耐えろよ、外で2人とも様子を伺ってる』

 

 デザベアからの注意喚起がクリスに飛ぶ。

 クリスが本当に無理をしていないのか、しっかりと気にしてくれているのだろう。

 その気遣いが嬉しくて、クリスはもっと頑張って耐えよう!と気持ちを新たにした。

 そして時間にして凡そ20分近くが経過しただろうか。

 

 

『良し。もう我慢しなくていいぞ』

 

 デザベアから許しがでた、その途端。

 

「こほっ!けほっ!!かふっ!ぁぐ、ぅうっ!!ぅえっっ!!」

 

 歯止めが一気に壊れたかのように、クリスの口から大量の咳と苦悶の声が漏れ出した。

 

「ぉぇっ!」

 

 しかもそれだけでは無い。

 何とか折角貰った毛布などを汚さない様に地面に向かう事は出来たが、大量の吐き気を抑える事が出来ずに、クリスは嘔吐をしてしまった。

 

 

 ………………いや、違う。

 そうしてクリスの口から出て来たのは、赤黒く鉄の錆びた臭いのする液体で、つまりこれは嘔吐では無く、吐血だった。

 

「ごぼっ!ごほっ!」

 

 止まる事の無い大量の吐血は、誰か他の人間が目撃していたのなら、クリスに死神の迎えがやって来たと確信する様な光景であったが、しかしデザベアの考えは異なるようだった。

 

『まあ、それなりに休みさえすれば、全快するかは微妙だが、キチンと回復する筈だ。説明はその時にしてやるから寝れる様になったら寝とけ』

 

 

 クリスは何度も吐血を繰り返し、漸く気を失うことが出来たのは天高く昇っていた日が、地面に沈み始めた時だった。

 

 

*****

 

 

「んっ」

 

 

『起きたか』

 

 

 外は暗く、未だ深夜の時間帯。

 デザベアの目算通り天に召されること無く、クリスはしっかりと目を覚ました。

 そしてクリスは恐る恐る自分の体調を確かめる。

 多分熱が40度以上あって、息をするだけで体に激痛が走る。そんなコンディションだった。

 

 

(言われた通り、とっても体調が良くなった!!)

 

 

 つまり何時もより(・・・・・)少し悪い程度(・・・・・・)の体調なので(・・・・・・)何も問題はない(・・・・・・・)

 これなら話を集中して聴けるから良かった~♪、とクリスは安心して胸をなでおろした。

 

 

「それで、私、一体、どう、なって、たの?」

 

 

『ああ、一から説明してやるからよく聴いてろよ?いいか、先ずはだな――』

 

 

 そうしてデザベアは、話の前提条件。

 クリスが奇跡の魂【超越者】である事を説明した。

 

 

「超、越、者?ん~~~?」

 

 

『なんだ、何か納得がいかないか?』

 

 

 自分が特別な魂だというデザベアの説明からして、どうにもクリスにはイマイチ実感が湧かなかった。

 だがまあ仮にそれが真実だとして話を進めるのなら、それはそれで看過できない当然すぎる新たな疑問が湧いてくる。

 

 

「じゃあ、何で、こんな、成った、の?」

 

 

 曰く、他より優秀な魂であると言うのなら、先ほどまでの自分の様は可笑しいだろう、とクリスが至極真っ当な考えを口にした。

 あれでは特別に優れているのでは無く、特別に貧弱であると言うべきだろう。

 その疑問に対してデザベアは、突然の不調の理由も含めた原因をアッサリと言い放った。

 

 

『――器と中身が釣り合ってねぇんだよ』

 

 

「うつわ、と、なか、み?」

 

 

 それこそお前の不調の原因だ、とデザベアはそう断言した。

 

 

『ああ、さっきの大きな異常だけの話じゃねぇぜ?お前がこの世界に来てからの、体の不調全ての原因だ。要はその体が不健康な事は、体調の悪さに何の関係も無かったんだよ。というか寧ろその所為で俺様まで勘違いさせられてたぜ。例え至って健康な人間の体に入っていたとしても、お前は同じように糞みたいな体調になってたはずだ』 

 

 

「そう、なの?」

 

 

『普通の人間の肉体に、規格外の魂が入れられている。重要なのはその1点だけだ』

 

 

 いや、まあ入れたの俺様なんだけど。とデザベアは口には出さず心中で呟いた。

 

 

『小さなコップの中から海が――いいや、宇宙(うみ)が発生した様なもんさ。想像してみろよ?一体どうなるのか』

 

 

「………………」

 

 

 ……それは、もう。コップが割れるだとかそんなレベルの問題では無いだろう。

 その瞬間にコップは原子すら残さず消滅するに決まってる。

 しかしだとすると、またしても当然の疑問が発生した。

 デザベアの説明には穴がある。

 物理的な穴ならなんか興奮するクリスだが、説明の穴はただ気になるだけだった。

 

 

「じゃあ、私、何で、生き、てる、の?」

 

 

 デザベアの話が正しいのなら、自分はとっくのとうに爆発四散している筈だ。クリスはそう思った。

 そりゃあそうである。

 無論、少し考えれば当たり前の疑問であるので、それに対する回答をデザベアは当然用意していた。

 

 

『それはな。お前自身の力のお陰だよ』

 

 

「私の、力???」

 

 

 なんのこっちゃ、と頭上に疑問符を浮かべるクリスにデザベアが詳細な説明を始めた。

 

 

『良いか?お前がアッサリと馬鹿デカい炎の魔法を使えたように、【超越者】ってのは普通の人間が努力して行う様な事をアッサリと実現できる。何故ならお前たちの1歩は、他の奴らの何千万、何億万歩をも凌駕するのだから』

 

 

 だがな?とデザベアは話を続ける。

 

 

『【超越者】が全知全能にすら思えるのは、飽くまで地を這う虫けらから見た場合だ。同格域同士での尺度なら、当然それぞれに、得意な事・苦手な事が存在する』

 

 

「得意、な、こと――」

 

 

『そう。それこそお前を超越者に至らせているもの。願いの根源。お前自身の本質だ。まあ少なくともお前の本質は、誰かと争って、ドンパチがどうのこうのってことでは無いのは確かだな、その位は少し見てれば分かる』

 

 

 クリスのこれまでの行動と考えを見れば、その本質、その願いが誰かを傷つけ、奪おうとする物で無い事は一目瞭然だろう。

 廃呪(カタラ)に対してだけは何故か異様な攻撃性を発生させていたが、あれは飽くまで特殊な例外と見るべきだ。

 

 

「私、の、本、質……」

 

 

 そもそもの話、自分の本質、願いなど考えるまでも無く決まっている、クリスは自信を持ってその答え(・・)を力強く発声した。

 

 

 

「エッチ、な、事!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

『――ではねぇ』

 

 

 

「えぇっ!????????????????????????」

 

 

 今世紀最大の仰天。驚愕のどんでん返しに、クリスは大きく目を見開いた。

 え?????自分の本質、性欲じゃなかったんスか?????と驚きで一杯だった。

 

 

『一見、そう見えるのも、その思考に至るのも、俺様としても同意しかないが、だけどキチンと考えれば不正解だってのは分かる。いいか、性欲こそが本質で、何よりの願いなら、お前はとっくに、誰彼見境の無い史上最悪のレイパーと化している筈だろ?質問だが、お前は誰かを傷つけてでも自分の性欲を満たしたいのか?』

 

 

「ううん」

 

 

 それは確かに違う。

 他の誰かが傷つくことの方が嫌だ、とクリスは一瞬の迷いすら無くそう回答した。

 

 え?それにしては嫌がるデザベアにSMプレイを強要していただろって?

 

 …………いくらお人好しのクリスでも、家族や友人と引き離されて天涯孤独の身にされた事を全く怒ってない訳ではないので。

 

『それが答えだ。それがお前の一番の願いだったら、多分前の世界の時点で――いやまあ、これは良いか。とにかく、お前の本質は性欲じゃねぇよ。無論とは言っても異常に過ぎるから、願いの源泉から零れ落ちた物である事は確かだがな』

 

 

「じゃあ、私、には、何も、分か、らない…………」

 

 

『性欲以外に自分の本質だと思う物を考えつかねぇのかよ……。お前の頭の中にはエロい事しか無いのかよ』

 

 

「う、ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

『自慢げに断言するような事じゃ無いんだが???????????????』

 

 

 隙あらば脇道に逸れていくのを止めろ、とデザベアは溜息を吐いた。

 

 

『話を続けるぞ。飽くまで俺の予想だが、お前の本質は――』

 

 

 そこまで口に出してデザベアは言葉を止めた。

 何故なら、デザベアの予想するクリスの本質は、彼にとっては余り面白い物では無かったから。

 

 

「私、の、本、質は?」

 

 

 

『…………生命(いのち)に対する愛情だろ』

 

 

 

「――ぁ」

 

 

 デザベアのその言葉は、クリスの胸の中にストン、と収まりよく落ちた。

 まるで巨大なジグソーパズルの最後の1ピースが埋まったかの様な爽快感。

 

 

 ――そうだ。自分は生命(いのち)が大好きなのだ。

 

 誰も彼もが輝いて見えて、愛いのだ。

 だから好きなのだ。生命を育んだり、愛を確かめる行為が。

 

 その思いが自分の中にある一番だと、今ならクリスは迷いなく断言出来た。

 

 

「ぁ。でも」

 

 

『ん?』

 

 

 それが自分の本質だと語るデザベアの言葉に、異議は全く無いが、ちょっとした疑問があるとクリスは思った。

 

 

「機〇、姦、とか、も興味、ある、けど……」

 

 

 生命関係ないじゃん!とクリスは思った。

 

 

 コイツ、なんて疑問を口に出しやがるッッ――!!

 

 

 

『それは、願いとか本質とか関係無しに、お前がドスケベなだけだろう』

 

 

「成、程。そっ、か~~。納、得~。」

 

 

 

 成程じゃないが???????????

 

 

 そっかーじゃないが!??????????

 

 

 納得じゃないが!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

『コホン。また話が逸れたな。まあ此処で重要なのは、お前の本質がそう言ったものだとするのなら、お前の得意な事も自ずと予想が付くって事だ』

 

 

「それ、って?」

 

 

『浄化や、祝福。そして恐らく――――治癒』

 

 

「治、癒」

 

 

『時系列順に最初から説明して行くか。まずは現代に居た時。お前は自分の力に目覚めてはいない状態だった』

 

 まあ俺様を喚べた以上、時折影響が漏れ出してはいたんだろうが、とデザベアは補足した。

 

『そして俺様の手によりこの世界に魂を送られ、その影響でお前は覚醒()ざめた。……完全に目覚めたのは俺様が呪い――じゃなくて加護を掛けた後だろう。そうじゃなきゃ、あそこまで簡単にかからんからな』

 

 此処まではこれまでの話の纏めであり、重要なのは此処からだ。

 

『そして小さな器の中に、規格外の魂が誕生する。当然器たる肉体は直ぐに消し飛びかけて――しかしそこでお前の力が待ったをかけた』

 

 

「それ、が、治癒?」

 

 

『ああ。かつて無い危機に、恐らくお前の祈りは全力で駆動した。死んでたまるか、壊してなるものか!ってな。結果、お前は壊れて弾け飛ぶ器に、規格外の治癒を掛け続け、それで発生したのが均衡、だ』

 

 

「均、衡」

 

 

『お前の魂の影響で壊れようとする器と、それを治そうとする力。それによって発生した生と死の天秤は、ギリギリ生の側へと傾いていた』

 

 かつてデザベアが疑問に感じた、肉体の健康状態の割にクリスが元気だった事に対する疑問の答えも、それだ。 

 

『ただ、そのバランスは本当にギリギリも、ギリギリ。表面張力で耐えているだけで、今にも中身が零れそうなグラスが如し、だ』

 

 ほんの少しでも刺激が生ずれば、中身の()が溢れ出す。

 そんな危うい状態が今のクリスであるのだ、とデザベアは語った。

 

『そして魔法や超常的な力の使用は、その刺激足り得てしまった、と。それがお前の身に起こった出来事だよ』

 

 天秤が、死の側へと傾いた。

 言ってしまえばそれだけの話しだ。

 

『それにしても勿体ねぇ。器に治癒なんか間に合わなければ良かったのに』

 

 

「酷、い!」

 

 

 死ねばよかった、とでも言うのか!とぷんすか怒るクリスに、勘違いだ、とデザベアが答える。

 

 

『ああ、そういう意味じゃねぇよ…………いや、俺様としては別に、変なことになる前に死んでくれてても良かったな』

 

 

「やっぱ、り、酷い!!」

 

 

『ああ、だから違ぇって。死んでくれても一向に構わなかったが、今の言葉の意味はそういう意味じゃねぇよ』

 

 

「じゃあ、どう、いう、意味?」

 

 

『【超越者】なら肉体が滅びて魂だけの状態でも生存出来ただろうし、上手く行けばそこから新たな肉体を形作る事だって可能だったはずだ。そうすりゃ、今みたいなややこしい制限がかからずに、お前は好きなように力を振る舞えたはずだ』

 

 だと言うのに、やれやれ、とデザベアは首を振る。

 

『それをお前。変に、壊れて治して、壊れて治してを繰り返したせいで、肉体と魂が完全に混じり合っちまってるじゃねぇか』

 

「それ、何か、問題、なの?」

 

『要は今の俺様とお前の関係と似たようなものが、お前の魂と体で発生してるのさ。本来だったら同等域の存在に殺されでもしない限り不老不死な筈の奇跡の魂が、小さな肉の檻に完全に取り込まれてる。ああつまり、肉体が死ねば魂も死ぬって訳だ』

 

「それ、は」

 

 クリスが少し深く考え込んだ。

 

『お、流石にショックか?そりゃあそうだろうな。折角魔法を使えて万々歳って時にこの様だもんなァ!!』

 

 

「い、や。肉の、檻、って、言葉、なん、だか、エッチ、だな、って」

 

 

『やっぱ死ねよ、テメェ!!!!』

 

 

 ブチギレたデザベアに、言い訳するようにクリスが話す。

 

 

「いや、だって、元から、魔法、使え、る。思っ、て、無か、った、し」

 

 

『……まあ、それもそうか』

 

 魔法なんてお伽噺の中にしか存在しない科学社会で生きてきたクリスだ。

 元々自分がそんな力を使えるなんて思ったことは無い。

 此方の世界にやって来てからも、デザベアに才能が無いと言われていたので、そういうものか、としか思っていなかったのだ。

 

 

 使えないと思っていて。

 でも何故か使えそうになって。

 やっぱり使えなかった。

 

 始まりと結論だけを取り出してシンプルに考えれば、使えないと思っていた物が、やっぱり使えなかった、と言うだけの話で、特にショックを受ける内容でも無かった。

 と、言うよりショックと言うのなら、これまで問題なく出来ていた事が出来なくなった事――つまりは元気に走り回る事すら出来ないと分かった時の方が、余程ショックであった。

 

 

「まあ、でも。力、づく、で、アレン、君、助け、られ、ないの、だけ、は、残念」

 

 何か凄い力を自分が使えたのだとしたら、まだるっこしい事をしなくても自分で直接アレン君の母親を助けることが出来たかも知れないのに、とクリスがこの件で残念に思うとしたら精々その位である。

 

 

「それ、で。結局、私、これ、から、どう、すれば、良いん、だろ、う」

 

 

『魔法は使えると思うなよ、って位だな』

 

 

「あの、それ。結局、昨日、までと、同じ、では?」

 

 

 何か、色々と衝撃的な事実が分かった!!的な雰囲気を醸し出していたが、無駄に遠回りしただけで、結論的に、これまでの生活と何も変わらないのでは?とクリスは思った。

 

 気づいてしまいましたか……。その事に……。

 

 

「…………………………」

 

『…………………………』

 

「もう、1回。寝よ、っかな」

 

『寝坊すんなよー』

 

「はー、い!」

 

 

 ええ、つまり。何も変わらないのである。クリスの動きは。

 360度回って結局元の位置に戻っただけだったのだ……。

 



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012 お義母さん!息子さんとお兄さんとお義母さん自身を私に下さい!!!

 衝撃的事実が発覚したような、と思ったらそうでも無かったような、そんな1日。

 

 取り敢えずその翌日に、殺人事件の現場みたいになっていた家の中を、クリスはなんやかんやして上手い事片づけた。

 

 

 なんやかんやとは一体何か?と聞かれれば、なんやかんやは、なんやかんやなのですが!!

 

 ……まあ、地面を掘り返して埋めたり、そこに泥水をまき散らしたりとか、その辺だ。

 

 

 そうやって、やって来たアレンやルークの視線を誤魔化しつつも、日常生活に戻ったクリスだったが。

 予想通りと言うべきか。驚愕の事実が判明した割に、その後の生活が特に何か変わることも無く、至って普通の日々が流れて行き始めた。

 自分の正体がどうだこうだと言われて、それを自覚したとしても、クリスとしてはそもそも昔から自分の気持ちに正直に生きて来たので、今更何か態度が変わる訳も無いのだ。

 

 

 まあ精々その間にあった事と言えば、魔法の使用や練習の誘いは遠慮願いつつ、アレン君の特訓時の応援係になっていたくらいか。

 それはもう、がんばれ♥がんばれ♥と、必死に応援していた次第のクリスである。

 

 後ついでに、【廃呪(カタラ)】を見る度に、

 「これらの存在、要る??????????」とか

 「全部、全部消し飛ばしたいんですけど!!!!!!!!」とか

 やっぱり何故だかイライラしていた訳だが、理由も定かでは無いし、魔法も使う訳にもいかないし、で何がどうなる訳でも無かった。

 

 

 そうしてもう本当に、特別何かある訳でも無く、幾日もの時が経過した次第であった。

 

 

 

*****

 

 

「あ、あの……ク、クリス?今日は、その……。伯父さん以外に、その……。クリスに、会いたいって人が、い、いるんだけど……」

 

 

 固まっている。緊張している。張りつめている。

 その日、邂逅一番からアレンの様子が、誰がどう見ても可笑しかった。

 明らかに緊張が目に見えて、体がカチコチに固まっている。

 その様子を見ているルークなんかは、仕方が無いな、と苦笑していた。

 

 

(固くなるのは、筋肉と息子(意味深)だけでいいのに……)

 

 

 クリスはそう思った。

 そのところてんみたいに柔らかい思考も、もう少し固くするべきでは?

 

 

 

「会い、たい、人?全、然、大丈、夫、だよ?」

 

 

 様子が可笑しいとは言え、アレンが変な人物を紹介するとも思えない。クリスは何ら躊躇なく快諾した。

 というよりも、そもそも仮にそこら辺に居る脂ぎったエロ親父を紹介されたとしても、問題ない所か、寧ろバッチ来い!な無敵の人がクリスである。

 つまり、実質的にはノーリスク――!!

 

 

 

「そ、そう?それじゃあ、お母様――んんっ!!母さん!」

 

 

 そのアレンの言葉を合図に、会話を隠れて聞いていたのだろう、物陰からピョコッ、と可愛らしく、もの凄い美少女(・・)が現れた。

 現代人の魂を持つクリスに対し、存分にファンタジー世界らしさを感じさせてくれる、無理矢理染めた物では無い自然で綺麗な真紅の長髪。

 たおやかでかつお淑やかそうで、それでいて悪戯気に微笑むその姿はとても魅力的で。

 実際道行く男の視線を欲しいがままにしている。

 着ている服は普通の物で、特に高いアクセサリーを身に着けている訳でも無いのに、少女からはどこか【気品】の様な物が漂ってきていて、まるでどこかの貴族のお嬢様が、お忍びで街に繰り出したかの様だった。

 

 

 

「初めまして!貴方がクリス?私はエレノア。エレノア・ルヴィニって言うの。宜しくね?」

 

 

 

「私、は、クリ、ス、です!よろ、しく、お願、い、しま、す!!」

 

 

 

 子供のクリスが相手だからか、赤髪の美少女は元気で朗らかに自己紹介をした。

 エレノア・ルヴィニ――つまりはアレンの母親である。

 

 

 もしも、彼女に見惚れた通行人の男たちが、この自己紹介の意味を正しく理解したら、その瞬間、!?と、彼らの頭上に大きな感嘆符と疑問符が同時に浮かび上がる事だろう。

 主に、これで一児の母?これで経産婦だと!?と言った意味で。

 

 

 実の兄であるルークは、しっかりと30歳前後に見えるし、彼女自身、結婚して1子を設けているので、前田利家された(隠語)訳でも無ければ、それなりの年齢である筈なのだが…………。

 見えない。全くそうは見えない。

 現代社会的な見方で言い表せば、女子高生くらいの歳にしか見えない。

 或いは若い女子大生くらいには何とか見えるかもしれないが、どちらにせよティーンであり、然して変わりは無いだろう。

 

 クリスは衝撃的なその事実(実は1児の母)を踏まえた上で、一体何を思い何を為すのか(定型文)。

 

 

(とってもムラムラします!!!!!!)

 

 

 ――馬鹿な。コイツ、無敵か!?

 

 クリスにとってこの世のあらゆる出来事はシンプルに2つに分類出来る。

 つまり、ムラムラするか、しないのか、である。

 分かりますか???私には分かりません!!!

 

 

「それにしても酷いわ。アレンもお兄様も私に秘密で、こんな可愛らしいお友達と仲良くしているのだもの!」

 

 

 そう言ってエレノアは、およよ、とわざとらしく悲しむ真似をする。

 下手な人間がやったらダダ滑りするが、顔の良いエレノアがやると、とても可愛らしく様になっていた。

 ――これが、圧倒的顔面偏差値の暴力!

 

 ルークの方は、それを見てもやれやれ、と首を横に振るだけだったが、どうやらアレンの方には効果覿面であったらしく、その体がぎこちなく動き、態度に焦りが見え出した。

 

 

「ち、違っ。別に、そんなつもりじゃ……」

 

「ねえ。アレン?」

 

 先ほどまでのはしゃいだ可愛らしい声では無く、落ち着いた綺麗な声がエレノアの口から出て来た。

 同時に警戒する猫の様にアレンの背筋がピーン!と伸びる。

 

 

「な、何?か、母さん」

 

 

「確かにあまり人とは関わらない様に、とは言ったけれども。だからと言ってそれでも出来た大切なお友達の苦境を、それを理由に見逃せ、なんて私は教えて無いわよ?」

 

 

「ぁ、ぅっ……」

 

 固まるアレンに、エレノアは優しく微笑んだ。

 

 

「なーんてね。私に対しては秘密にしていたようだけど、お兄様の手を借りて、キチンと仲良くしていた様なので花丸を上げましょう!でも単純に仲間外れにされてて、お母さんは悲しいのです……」

 

 

 そう言うとエレノアは、背の小さなクリスと視線を合わせるように、クリスの前でしゃがみ込んだ。

 

 

「だから私とも仲良くしてくれるかしら?」

 

 

 とても優し気な匂いがした。

 どこか安心感を誘うような、そんな匂いだ。

 

 

「は、い!!仲、良し、嬉、しい、です」

 

 

「良い子ね」

 

 

 そう言ってエレノアは、クリスの髪をその綺麗な指で、優しく梳いた。

 その行動に、クリスの心がポっ、となる。

 見えますか?これが異世界名物のナデポという奴です――。

 いや、お前がされる側なんかい!

 

 

 そのナデポの破壊力と、目の前で屈まれたことによって、より強調されるエレノアの胸囲(きょうい)の戦闘力(誤字に非ず)にクリスの心はとても弾んだ。

 

 

「ママぁ………………」

 

 

(ハッ!?口が勝手に――!?)

 

 

 感じていけッッ――母性!!

 クリスにとって父親や母親は、前世の両親だけである。

 だがパパ(意味深)やママ(意味深)は幾ら居たって良い、それが世の中――!!とそう思っていた。

 先生、それは違うと思います!

 

 

 元の高校生の体でやってたらギリギリアウトの通報コースだったが、今のクリスなら、なんかこう……。親の温もりを知らない孤児が初めて母性を感じた的な感動のシーンに見えない事も無い。

 だからだろうか、エレノアは優し気な表情を顔に浮かべた。 

 

 

「あらあら、可愛らしい子供がもう1人出来てしまったわ」

 

 

 くすくす、と楽し気に笑ってエレノアは冗談交じりで、クリスを胸で軽く抱きしめた。

 胸で!!そう胸でですよ!!!!!!

 

 見た目からは余り分からないが、クリスのテンションが凄まじい勢いで上昇したのを、近くで観察していたデザベアは察した。

 

 

『テンション上げまくってんじゃねぇよ……』

 

 

 

(だってベアさん!!おっぱいが!!!!!!!!!!!!!!)

 

 

 クリスの気分は正に大航海時代。

 母性と言う名の大海原に、お宝を求めて船を浮かべて漕ぎ出し始めた気持ちだった。

 探せ!そこ(おっぱい)に全てを置いてきた――!!

 

 

(これが……。ワン〇ース――?)  *違います

 

 

(これが……。男性にとっての天国(エデン)――?) *諸説ある

 

 

(だったら実は自分はもう既に死んでいて、天に召されていた――?) ♰成仏して、どうぞ♰

 

 

 大変が変態な事に――じゃなくて変態が大変な事に……。

 猿に勝手に餌をやってはいけません。動物園でのマナーですよエレノアさん!!分かっていますか?????

 

 

 テンションの上がりまくったクリスは一旦置いておくとして、今のクリスの身なりは大分汚く、臭いだって酷い物で、貴族のご令嬢であれば近寄りすらしたく無い筈なのだが……。

 しかし、そんなクリスを抱きとめるエレノアは、僅かに顔を顰めることすら1度たりともしていなかった。

 やけに緊張しているアレンの様子も含め、見た目通りの可憐なだけのご婦人、と言う訳では無いのかもしれない。

 

 

 少しの時間と共に、エレノアはクリスを抱きとめていた手を放し、クリスにとっての黄金時間(ゴールデンタイム)は終わりを告げた。

 

 

「それでね?今日は少しお兄様からお話があるの。ね?お兄様」

 

 

「?」 

 

 

 エレノアを紹介されるだけかと思っていたが、何か他に用件があったらしい、とクリスは察する。

 妹に促された形で、ルークがその口を開いた。

 

 

「知っての通り、俺たちはこれまで色んな街を転々としてきたんだが。そろそろ腰を落ち着けようと言う話になってな。信頼できる友人がいる街に、近々移動しようと思うんだ」

 

 

「え」

 

 

 それではお別れ、と言う事なのだろうか……と、悲しくなって、しゅん、としかけたクリスだったが、どうやらルークの話には続きがある様だった。

 

 

 

「小さいが良い街さ。――それで、クリス。良ければ君も一緒に来ないか?」

 

 

「…………」

 

 

 ――それは、つまり。

 

 

「子供1人を追加で養う程度の甲斐性は、俺でもあるんでな。もし俺と暮らすのが嫌なら、その街の教会を紹介したって良い。そこの神父も俺の友人で、気の良い奴だから安心してくれ」

 

 

 そういう事なのだろう。

 

 

「折角仲良くなれたのに、直ぐにお別れなんて寂しいわ。それに――アレンとも長く友達でいてあげて欲しいもの」

 

 

 そう言って優しい瞳でクリスを見つめるエレノアは、恐らくルークやアレンから事前にクリスの情報を聴いているのだろう。

 まず間違いなく、親から見捨てられて独りぼっちになっている、という事を。

 

 

「その、クリス。俺もクリスと別れ離れになるのは寂しいな」

 

 

 アレンも意を決して、自分も折角出来た友人と、別れたくないという本心を曝け出した。

 

 

 

「アレン、君」

 

 

 クリスとしては普通に嬉しい提案だ。

 嘗ての家族や友人などと、もう二度と会えなくなった中で、新しく出来た仲の良い人たち。

 出来る事なら離れたく無いと、心の底からそう思う。

 受けて良いだろうか、とクリスは不安げに横目でデザベアの方へ視線を向けたのだが――

 

 

『フィーーーーーーーーーーーッシュ!!!!!!!!!これで身の安全を確保だぜ!!!!あ゛~物事が思い通りに運ぶと空気が美味いなぁああああ!!!!Foo~~~♪♪♪』

 

 

 

 ――そこにはテンションを爆上げしたデザベアの姿が!!

 

 

 

(………………………………受けて問題ないみたいだけど、コイツは後で〆る。絶対に、絶対にだ!!)

 

 

 こんな優しい人たちを、釣った魚に見立ててんじゃねーぞ、と。

 女、クリス。デザベアに対し、怒りの全身シェイクを決意。

 奸佞邪智の悪魔が異世界でリバースするまで後、数時間――!!

 

 

「お、願い、して、も、良い、です、か?」

 

 

「!ああ。勿論。こちらから言い出したことだ、二言なんてないさ」

 

 

「クリス。良かった!」

 

 

「アレン、君。ルーク、さん。エレ、ノア、さん。本当、に、あり、がと、う」

 

 

「ふふっ。どういたしまして!」

 

 

 やさしいせかい。

 

 

 これがアニメであれば、感動的なEDソングが開始して、エンドクレジットが流れ始めている様な雰囲気の中、クリスはふと、思った。

 

 

 

(このまま他の街に移動するなら、結局警戒していた事件は起こらないのかな)

 

 それとも移動した後の街で起こるのか?

 或いは嘗てデザベアが説明した、ゲームにはあったが現実には起こらない展開、と言う奴だったのかも知れない。

 例えば主人公の戦う理由を補強しようとして、母親を失う展開を入れたとか。

 そうだ。きっとそういう事だ。

 そう、クリスは考えて――

 

 

「ああ、そう言えば。その前準備の為に、俺だけ先にその街に行ってくるから、少しの間(・・・・)お別れになるな(・・・・・・・)

 

 

「――――」

 

 ――ルークのその発言に、表情を凍らせた。

 

 

 先ほどまで確かに存在していて感じていた筈の、柔らかく温かな空気が、今のクリスにはやけに冷たく、身を刺すようにしか感じられ無くなっていた。

 

 



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013 元ヤン

幕間です。


 

「……全く。お兄様まで、黙っていなくても良かったでしょうに」

 

 夜。

 とある宿屋の一室にて、赤髪の美女――エレノア・ルヴィニの僅かに不貞腐れたような言葉が空気に溶けた。

 自分の息子であるアレンや、その友人であるクリスの前では気にしていない風を装っていたエレノアだが、その実、息子が自分にだけ隠れて友人と会っていたのが大層ご立腹であったらしい。

 とは言え子供たちに当たる気など、エレノアの中には欠片も無かったので、結果として彼女の不満は全て兄へと向かっていた。

 そう言った訳で、ルークが借りている部屋でお酒を片手に兄に対して愚痴を吐き出している次第のエレノアであった。

 それにしても寝間着に薄手のストールを巻き、酔いで顔を赤らめているエレノアの姿は何処か扇情的で、そんな姿で夜中に男の部屋を訪ねるとなると、それはもう大変なことになるだろう。

 ……まあしかし今回訪ねているのは実の兄の下であり、2人は禁断の関係でもなんでも無いので、何も起こらないのだが。

 

 

「なに。折角アレンが自分で決意した事だ。出来る限り見守ってやるのが心意気と言う物だろう」

 

 

「それにしたって、こっそり私に教えておいてくれるとか、やり様は幾らでもあるでしょうに!そうしたら私だって聞いてない振りくらいキチンと行います」

 

 

 頬をぷくーと膨らませながらエレノアは文句を発する。

 手に持ったグラスを傾けて、自分の髪色に似た赤ワインを口へと流し込む。

 まあ色々と言ってはいるが、要は自分の子供に怖がられて除け者にされていたという事に拗ねているだけなのだ。

 それを分かっているから、ルークも顔に苦笑を浮かべていた。

 

 

「まあ何だ。少しアレンの事を脅かしすぎたな」

 

「あそこまで気にしているとは、思いませんでしたもの」

 

 

 何が、と言えば、アレンに対して人との関わりは慎重にしなければ成らないと、言ってきた件についてである。

 基本、ルークやエレノアの前で良い子にしているアレンだから、そこまで気にしていたとは気がつけなかった。

 そのアレンの心に気がつけなかったのは、確かに自分の怠慢であり正さなければならない事ではある。だけどもしかし、とエレノアは言う。

 

 

「別に私だって、アレンに意地悪したくてあんな事を言っている訳じゃ無いですのに……」

 

 

 子の苦しみを分かって上げられなかった事は猛省するが、しかし注意自体は間違ったことをしたとは、今も尚思っていない、とエレノアは述べた。

 そしてその言葉をルークも肯定する。

 

 

「それは俺も分かっているさ――勿論、アレンだってな」

 

 

 子供の時の失敗は恐れるものでは無い、と人は言う。

 寧ろ失敗を恐れて何も行動しない事こそ、気を付けるべきだと。

 

 その意見は概ね正しいだろう。

 大人になって、年を重ねていけば行くほど失敗は許されなくなっていくし、迅速な解決や、相応の補填が求められるようになる。

 だから未だ失敗が許される子供の内に、その対応などを含めた経験をしておくことが重要なのだ、と言う訳である。

 

 だがしかし、何事においてもだが、限度、という物が存在する。

 若気の至りで人を殺しても許されるのか?

 些細な不注意で一生、死ぬまで後遺症の残る大怪我をして、いい経験をした、等と本心から胸を張れるか?

 勿論、答えは否、だろう。

 

 子供だろうがなんだろうが、起こしてはいけない失敗・取り返しのつかない問題と言うのは存在する。

 そう言った意味で、エレノアの注意はアレンにその様な致命的な事態が起きないようにする為に、と熟考された末の物である事は明白だった。

 場合によっては、大げさでは無く世界の命運が双肩に乗る事すらあるのが、【聖印】持ちである。

 何かがあってからでは取り返しが付かない可能性がある以上、慎重に、慎重に、となる感情は理解出来るだろう。

 その愛情は、アレンにだって伝わっている。

 

「ふん。まあそんな心配を、お前やアレンがしなければならないのは、アイツ(・・・)の所為だがな……」

 

 

「……はぁ。またその話ですか」

 

 

 話のターンが切り替わったかの様に、今度不満を漏らしだしたのはルークの方であった。

 ただし、その不満の対象はエレノアでもアレンでも無く、彼の元義弟(おとうと)――つまりはエレノアの元夫に対してである。

 ルークからしてみれば、妹や甥を捨てた男であり、それに対する不満も何度か吐き出していた。

 なにせ、今のエレノアやアレンの境遇は、貴族としての庇護を失ったことが大きな要因であるが故に。

 それに、その所為かどうかは定かでは無いが、カサルティリオの家を追放されて以降、エレノアの体調がメッキリと目に見えて悪くなっていると言うのもある。

 一見、元気な様に見えるかもしれないエレノアだが、それは元が強靭であったお陰であり、日常生活はともかく、戦闘能力や魔法の腕などは、往時と比べると見る影も無くなっていた。

 そんな状況に、兄としては一言いいたくもなるだろう。

 

「何度も言いましたが、私は恨んではいませんよ、お兄様。あの人はあの人で良くしてくれました」

 

 ただ、肝心要の捨てられた張本人であるエレノアには、元夫に対する恨みつらみは無かった。

 お酒が大分回り始めたルークとしては、それも逆に癪に障った。

 

 

「ハッ、どうだか!俺から見てみれば、都合が悪くなったら、自分の妻や子供を簡単に切り捨てる冷血漢にしか見えないがな」

 

 

「はぁ、全く……」

 

 自分を心配しての事だとは分かるが、流石に耳タコだと、エレノアはため息を吐いた。

 

 

「あのな、良いか?兄貴。そんな展開だったなら、アタシが泣き寝入りする訳ねーだろーが」

 

「しかしだな……」

 

 もし仮にこの2人の会話を、作業用BGMとして聞き流している者が居たのなら、今この瞬間、「ん?」「んんんんんんん!?????」とばかりに2人の方を二度見した事だろう。

 深窓の令嬢といった風情だった筈のエレノアから、なんか凄い言葉遣いが飛び出した。

 何が奇妙かといえば、その突然の変貌に対し、兄であるルークは何の反応も示さない事だ。

 

 

「伯爵サマが兄貴の言う通りの腐れ【自主規制】野郎だったら、アタシが出て行く時に玉を潰してるってーの。つまり、伯爵サマの玉が今も無事な事実が、何も問題なかったことを証明しているッッ――――!!」

 

 

 …………エレノア・ルヴィニ。

 知っての通り、平民の冒険者から貴族の妻となった女性である。

 現役時代の二つ名は【鮮血鬼(せんけつき)】。

 得意の炎の魔法を身に纏いながら、廃呪(カタラ)(はらわた)をぶち抜く光景が、相手の血で体を染め上げている様に見える事から付けられた通り名である。

 

 現役時代の態度や評価?

 二つ名が【鮮血()】では無く、【鮮血()】な所からお察し頂きたいですね……。

 

 

 それでも彼女の事を分かりやすく言い表すのなら。

 ……ええ。はい。そうです。

 ――元ヤンです。

 

 

 数奇な縁に導かれ、大分こう……突っ張っていた感じだった女冒険者エレノアは、現カサルティリオ伯爵と出会い、互いに恋に落ちた。

 そうして行われた両者の婚姻は、エレノア側の知り合いである平民たちと、カサルティリオ伯爵側の知り合いである貴族たち、その両側に対して並々ならぬ衝撃を与えた。

 

 主に、冒険者仲間からは「……え?アイツ結婚出来んの????」

 貴族側からは「確かにこの時期に優秀な者を家に迎えることはあるけども……。それでもこのレベルの荒くれ者で大丈夫???」と言った感じだった。 

 

 だが、彼女が真に周囲を驚愕せしめたのは、結婚して以降の事であった。

 

 エレノア・ルヴィニ。

 彼女の性格を簡単に説明するのならば、負けず嫌いで、それと同時に筋をキチンと通す人間だった。

 

 

 貴き青き血の中に、言語を解さぬ猿が混じって来た。

 率直に言えばそんな風であった周りの態度に対し、エレノアは自分が平民出である事を言い訳にせず、更に決して暴力的な手段や、反発的な態度を取らなかった。

 それどころか寧ろ、心の底で自分のことを蔑んでいると、ありありと分かる相手に対して頭を下げてでも、教えを乞うた。

 

 それは決して貴族の権力や嫌がらせに臆したという訳では無く、彼女自身の信念による物であった。

 曰く、自分から望んで入ったのだから、相手の側に合わせる努力するのは、当たり前のマナーで、通すべき筋でしょう?との事だった。

 その信念は、裏切らない友人が欲しいから、自分も潔白でいたいと願ったアレンによく似ていると言えるかも知れない――順序としては逆な訳だが。

 そうしてエレノアは凄まじい集中力による不断の努力を続け、結果として未開の地の女戦士(アマゾネス)の様であった女が、数年と経たない内に立派な淑女となるミラクルを達成した。

 そうして彼女は莫大なる衝撃を周囲に与えつつも、貴族社会に受け入れられることとなったのである。

 ……最も、それでも尚エレノアに当たって来るような相手も居なかった訳ではないが、そちらには泣き寝入りせずに、成程それはつまり喧嘩を売ってるってことだな?とばかりに対処をしていた。

 

 因みにだが、その変貌ぶりは兄であるルークからして予想できなかったらしく、初めてその姿を見た時には、こんな一幕もあった。

 

 

 

「お久しぶりですわ、お兄様」

 

「エレノア……なの、か!?」

 

「……?他の誰に見えるのです?」

 

「――――何という事をッッ」

 

「お兄様???????」

 

「確かにエレノアは、がさつだった!暴力的だった!女らしさなんて欠片もなかった!!!!!」

 

「……………………」

 

「仲間の男冒険者内での、『女に見れない女性冒険者ランキング』『ヤル時にちん○ん噛みちぎられそうな女性冒険者ランキング』堂々の二冠だった!!!!!!」

 

「……………………………………………………………………」

 

「だが!!!それでもッッ!!!洗脳はッッ、洗脳は無いだろう!!!!これがッ、これが貴族のやり方かッッッ――」

 

「ワタシ、オマエ、ブッコロス」

 

「おお!エレノア、意識が戻ったんだな!?」

 

「上等だ、クソ兄貴ィィッッッ!!!そんなに死にてぇなら、今此処で息の根止めてやらァアアアアアアア!!!!!!!!」

 

 (エレノア)はキレた。

 然もありなん。

 

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 何だかんだ久方ぶりに(エレノア)の素を見た(ルーク)は暫し考え込んだ。

 

「…………確かにお前の言う通り業腹だが、奴を認めなければならない部分も存在するようだ。奴が居なければルヴィニ家の血は途絶えていた――!!」

 

「もうお兄様ったら!喧嘩売ってます?ん?どうなんだ???………………全くもうっ、そんなに言うのならお兄様が結婚して、血を繋げば良かったじゃないですか」

 

 (エレノア)のその言葉に(ルーク)は、やれやれと首を横に振った。

 

「良いかエレノア?簡単な話だ。俺には分からん。女性との接し方――!」

 

「胸を張って言うことではありませんよ????」

 

「仕方がないだろう、生まれてこの方、性別が女の相手と接する機会があまり無かったのだから!!」

 

「あらヤダ、うふふ。お兄様ったら。目の前の可愛い❤可愛い❤妹の性別をお忘れになって?」

 

「お前は、お前だろう――?」

 

「なんか良いこと言ったような雰囲気出してるけど、この流れでその発言、普通にサイテーだからな?兄貴」

 

 ルークはコホン、と一度、咳払いをした。

 

 

「まあ冗談はこの位にしておいて、それだからアレンに怖がられてるんじゃないか」

 

 痛いところを突かれて、エレノアは、うぐっ、と声を漏らした。

 だけど!と早口で弁解の言葉を述べ始める。

 

「ですけど、結婚してから、特にアレンが生まれてからは、殆ど素は出して無いんですよ!?それにそもそも私、アレンに怒った事なんて殆ど無いのに!!だって、とっても素直で良い子に育ってくれましたから。私に!!!良く!!!!似て!!!!!」

 

 

「確かにアレンはお前に似ずに素直で良い子に育った。だが戦闘の才能はお前によく似た」

 

 

「………………まあ、言いたいことは一先ず置いておきます。それが何故、私が怖がられる理由になるのですか?」

 

 

「簡単なことだ。つまりアレンの奴は、本能的に分かるのさ。怒らせたらヤバい、血に飢えた獣の事を――!!」

 

「やっぱり喧嘩売ってんだろ。クソ兄貴ィイイイイ!!!!」

 

 

 尚、深夜のプロレスごっこ(意味浅)は隣の部屋からの壁ドンで止められました。

 

 

*****

 

 喧騒が終わり、今度は2人とも静かに己の髪色によく似たワインを飲み交わしながら。

 

「ねぇ、お兄様?」

 

「何だ?」

 

「もしも――。やっぱり、何でも無いです。ごめんなさい」

 

「気になる所で話を止めるな」

 

「本当に何でも無いです、少し血迷っただけです」

 

 

 ――もしも、私に何かあったら、アレンの事、よろしくお願いします。

 

 そんなエレノアの思いは、言葉にされること無く、夜の闇の中に消えていった。

 



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014 悪意

3話前後シリアスが続きます。


 走る。走る。走る。

 息を荒らげて。心臓が破裂しそうになりながらも。

 アレンは、ヒュアロスの街の中、石造りの道の上を、必死に駆けていた。

 

 

 ――あれ?自分はどうして走っているのだろう?

 

 なぜだか理由が分からない。頭が妙にボーッとする。

 時折視界が波打つように揺らめいて、天地すら曖昧に成ってくる。

 

「ひぃいいいいいっっ」

 

「外だ!とにかく街の外に出るんだ!!」

 

 今まで気づいて(・・・・・・・)いなかったが(・・・・・・)、アレンが何故だか焦りながら走っているのと同様に、道の上を走っている人間が、周囲には数多くいた。

 悲鳴と怒号を響き渡らせて、助けをひたすらに求めている。

 周囲を走っている人間の特徴的な点を1つ挙げるとすれば、彼ら彼女らは、アレンとは正反対の方向へ向かって駆け出している、という事だろう。

 街の中へと駆けているアレンの反対、即ち街の外へ、だ。

 まるで街の中(・・・・・・)に居る何か(・・・・・)から逃げている様だ(・・・・・・・・・)

 

 

 ――彼らは一体何から逃げているのだろう。

 

 息を荒らげて疾走している筈なのに、どうにもこうにもぼんやりとしたままの意識の中、再びアレンは疑問に思った。

 自分が走っている理由すら分からない以上、周囲の人間の事も分かる筈も無し。

 しかしその時、定まらない意識のアレンに対し、周囲の叫び声の1つが飛び込んで来た。 

 

「どうして、街の中に【廃呪(カタラ)】がっ!?」

 

 

 ――そうだ。そうだった。 

 

 叫んだ声が男だったか、女だったかも定かでは無いが、とにかくその声を聞いて、アレンは現状を少し思い出した。

 【廃呪(カタラ)】だ。

 廃呪(カタラ)が突如として街の内部に湧き出したのだ。

 理由は分からない。ただし、今度の理由が分からないと言うのは、不自然に頭がぼーっとするから、では無く本当の意味で原因の予想が付かないからである。

 

 通常、全ての街や、村には廃呪(カタラ)除けの結界が張られている。ここヒュアロスの街もまた、当然に。

 廃呪(カタラ)を倒した際に取得できる【聖輝石】を用い、神父やシスターなどが人の住む拠点に張る廃呪(カタラ)を拒絶する聖なる防壁。

 その強度は、結界を張った人間の力量と、使用した聖輝石の量と質に左右される為、しっかりとした備えをしていなかった街や村が、結界を破られて廃呪(カタラ)の群れに滅ぼされること自体は、無い事ではない。

 だがその場合、結界は()から破られる。

 理由も何も、結界が健在な内はその中に廃呪(カタラ)が沸くことは無いのだから、当然のことだろう。

 だからこそ、内から外に混乱が伝わっていっている現状は明らかに可笑しくあった。

 だけどもしかし、自分の現状すら曖昧模糊としている癖に、そんな不思議な事態が発生しているという事には、アレンは確信を持つことが出来て……。

 

 

 そう思った瞬間に(・・・・・・)、自分の視界が広まった様な気がした。

 先ほどまでは何故か(・・・)見えていなかった筈の廃呪(カタラ)の姿が、目に入る。

 

 

 蛾。

 長い糸の様な触覚に、鱗粉をまき散らす羽。

 街に現れて人に襲い掛かっている廃呪(カタラ)。その姿に一番近い生物は?とそこいらに居る人間に問えば、返って来る答えは、ほぼ間違い無く蛾であった。

 

 ただし、至って普通の蛾の姿その物――なんて事は当然ながら有り得ない。

 まずその全身は、嘗てクリスが出会った【球体(スフェラ)】と同じく、正体不明の黒い何かで構成されている。

 そして何より目を引く最大の相違点は、その身長。

 普通の蛾は通常、どれだけすくすくと成長しようとも、人間の手より大きくなることなど無いが、この廃呪の蛾のサイズは、人間大を確実に超していた。

 個体差はあるが、凡そ2m超から3m程まで。

 そんな巨大な蛾が、幾匹も頭上を飛び回って、襲い掛かって来る事に対する恐怖は一体如何ほどか。

 普通の人間であっても震えあがる代物である事は確かだが、特に虫が苦手な人に対しては、冗談抜きで一目で失神や失禁しかねない恐怖だろう。

 よって街中に広がる阿鼻叫喚も納得だろう。

 

 とにかく一体何が起きているのか、それは把握出来た。

 街の内部に突如として発生した廃呪(カタラ)の襲撃である。

 では次の問題点を考えよう。そんな状況で、アレンは戦うでも無く、他の人と同じく逃げるのでも無く、街の中側へ走り続けているのか。

 

 ……頼りになる伯父(ルーク)は今、この街にいない。

 次に移動することになる街への下見に旅立ってしまっているから。

 だから今、日頃から体を弱くしている(エレノア)は1人で居るから、それを心配して、自分たちが住んでいる宿屋へ向かっていると言うのが、自分(アレン)が街を駆けている理由――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………………………あれ?そうだったっけ?

 

 

 再びアレンの頭がぼぉっ、とする。

 地面に足がついている感覚が、薄くなった。

 街を廃呪(カタラ)が襲い始めた、と言う周囲の混乱の原因は、自信を持って断言できるのに、走っている理由は全く定かにならない。

 それ以前にそもそも。

 先ほどからずっと、ずっと、ただひたすらに走り続けている筈なのに、ちっとも進んだ気がしないのは、何故なのか。

 

 

 ……分からない。何も分からない。

 アレンの胸中が晴れない濃霧で覆われる。

 だけども、しかし。

 

 

 ――とにかく、母さんの所に行かないと。

 

 どれだけぼーっと、頭が回らなくとも。

 この状況下(廃呪の襲撃)において、母親(エレノア)の事が心配だという思いは、確かにアレンの心にある真実だ。

 だから、余計な事を考えずに、宿屋に向かおうと、そうアレンが決意した、その時、その瞬間。

 

 

「ぎゃっ、だ、誰か助け……」

 

「っ!」

 

 

 目の前で、誰かが倒れた。 

 アレンが咄嗟に足元に目を向けると、それは白髪の老婆であった。

 街の外へ向かって走る最中に、足を縺れさせて転倒したに違いない。

 

 

 ………………アレンはその瞬間を見ていないし、加えて老婆が近くにいた事にすら気付いていなかった。

 ああ。まるで。目の前に突然(・・・・・・)人が現れた(・・・・・)かのようだ(・・・・・)

 でも、そんな事は有り得ない。

 きっと自分が見逃しただけだ。アレンはそう結論付けた。

 

 

「――大丈夫ですか」

 

「ぁぁ、どうも、ありがとね」

 

 周囲には目もくれず、母が待つ筈の宿に向かって疾走しているアレンだが、流石に目の前で人が倒れて何もしない訳が無い。

 転んだ老婆を助け起こすために、アレンは自身の腕を老婆へ差し伸べた。

 そう。

 左腕(・・)を。

 

 

 

 

 【呪い憑き】となって人間の物から変質したアレンの左腕。

 だからアレンは基本的に人と接触する際に、左腕を使わないようにしているというのに、何故か今この瞬間だけ、咄嗟に左手を差し出してしまった。

 だけども問題は無い。

 アレンが常日頃から左腕に巻いている包帯は、聖なる祝福を得た特殊な代物だ。

 これを巻いている限り、包帯の上からアレンの左腕は通常の人間の物になっている。

 だから何も問題は無い、嗚呼!その筈だったのに!!

 

 

 

 ――何故か(・・・)包帯が解かれていた。今まで巻き忘れた事など、ただの1度たりとも無いのに。

 

 時間の流れがとてもゆっくりになったように、アレンは感じた。

 とても人間の物とは思えぬ、爬虫類染みた鱗に覆われ鋭い鉤爪を持った腕。

 そんな恥ずべき自身の左腕が、老婆に伸ばされていく光景が、止めようも無くコマ送りでアレンの視界へと飛び込む。

 鋭い爪が触れた老婆の腕を僅かに出血させた、その途端――

 

 

「触れるなぁぁあああああああッッッ!!!」

 

 

「――――――っ」

 

 

 響き渡る怒号。

 凄まじい勢いで振りほどかれる差し伸べた手。

 数舜前まで倒れて慌てていた筈の老婆が、機敏に立ち上がりアレンを強く睨みつけている。

 その瞳に映るのは、アレンに対する溢れんばかりの軽蔑の念。

 

 

「汚らわしい【呪い憑き】の分際で、人様に触れるんじゃない!」

 

 

「………………」

 

 

 鬼の様な形相となった老婆は、そう吐き捨てた。

 そして、アレンが触れた部分を、まるで汚物に接触してしまったかのように、執拗に汚れを払い落とす動作を行いながら、そそくさと走り去って行ってしまった。

 

 

 分からない。何も考えたくない。

 今はただ、母に会いたい。

 それがアレンがぼやける頭の中で、抱いた思いであった。

 

 …………とにかく、急ごう。借りている宿屋へ。

 

 傷ついた心を誤魔化す意味も多分に含まれていたが、それでもそう決意を新たにしたアレンは、止まっていた足を再び動かし、目的地へ向けて強い一歩を踏み出した。

 

 

 その瞬間(・・・・)アレンは宿屋に(・・・・・・・)たどり着い(・・・・・)ていた(・・・)

 

 

「――――ぇ?」

 

 

 一体いつの間にこれ程進んでいたのだろうか。

 場面(シーン)が突如として切り替わったかの様な感覚。

 凄まじい違和感がアレンを襲うが、しかしそれを深く掘り下げているような時間は無かった。

 

 

 住まいとしていた宿屋が倒壊していたから、である。

 

 

「なんでこんなっ!?」

 

 

 取り乱して駆け出したくなる衝動を、アレンは必死に堪えた。

 とにかく母の安否を確認しなければならない、一刻も早く!!!と強く思うアレンに対して声が掛けられた。

 

 

「おおっ、アレン君!来てくれたか!!」

 

 

 声の主は年を重ねた白髪の男性。

 知り合いでも無い筈なのに、老人はやけに親しげにアレンに話しかけてきた。

 

 

「申し訳ないですが、どちら様ですか……?」

 

 

「何を言っておるんじゃ!?儂じゃ!マバティじゃ。近所に住んでいてお主たちと良く親交のあったマバティじゃよ!」

 

 

 そうか?そうだったろうか?そうかも知れない。そうに違いない!

 一体どうして忘れていたのだろうか?アレンはしっかりと思い出した。

 この老人の名はマバティ。そしてこの近隣の住人であり、自分たちと親交があったということを。

 具体的にどんな関わりがあったのかは欠片も思い出せないが、そう言っているのだから、そうなのだろう、とアレンは未だ上手く働かない頭で、そう認識した。

 

 

「そうじゃ、こんな事を話しておる場合では無い!お主の母親の身が危険なのじゃ!」

 

 

「母さんが!?一体どう言う――」

 

 

「話は後じゃ、とにかくコッチに!!」

 

 

 マバティ老に連れられてアレンは直ぐ近くの、しかし瓦礫によって死角となっていた場所まで移動した。

 そしてそこには――

 

「母さんっ!?」

 

「――――――ぅ」

 

 

 意識を殆ど失いながら、半身を瓦礫に押しつぶされている(エレノア)の姿があった。

 無意識に体を魔力で強化しているのか、まだ完全に体が潰れているような状況ではなかったが、このままではそれも時間の問題だろう。

 

 

「エレノアさんは、周りの人間を守ろうと、廃呪と戦い、見事倒してくれたのじゃが、その結果こんな事に」

 

 

「そんな……」

 

 

「なんとか助け出そうとはしたんじゃが、1人ではどうしても力が足りずにの…………。だから良い所に来てくれた」

 

 

 母に覆い被さっている瓦礫の量は確かに莫大で、1人で退かすのは厳しい。アレンはそう認識した。

 …………確かに素の力では厳しくとも、魔力で身体能力を強化すれば十分に可能な筈なのだが、今のアレンには何故だかその手段がまるで思い浮かばなかった。

 故に母の救助には他者の手を借りようとした。

 

 

 

「すみません。では、母さんを助けるのに力を貸してくれますか?」

 

 

「うむ。もちろんじゃ。直ぐに助けよう」

 

 

 アレンの言葉を、マバティ老は快諾した。

 2人でエレノアに圧し掛かっている瓦礫に近づいて行く。

 

 

「母さん。直ぐに瓦礫を退けるからね。後少しだけ頑張って!」

 

 

「――ぁ」

 

 

 少しでも母を元気づける為に声を掛けつつ、アレンは瓦礫に手をかけた。

 正常な右手と、そして呪われた左手を。

 

 

「――――お主、その腕」

 

 

「ぇ?」

 

 

 エレノアの救助に手を貸してくれると快く言ってくれた筈の、マバティ老の助けが何時まで待とうとも来ない。

 不審にて振り向くアレンの目に映るのは、自分の左腕をじっ、と見つめている老人の姿。

 

 

「その腕、【呪い憑き】か。貴様、儂を騙しておったか」

 

 

「一体何、を。今はそんな事を言っている場合じゃ」

 

 

「――騙しておったかぁああああああッッッッ!!!!!!!」

 

 

「っ」

 

 

 嫌悪。隔意。敵意。

 アレンに親し気に話しかけていた好々爺の姿は、最早何処にも存在せず、そこに居るのは穢れを許さぬ1人の老人であった。

 常なら、これ以上相手の機嫌を損ねない様に、そして互いに傷つきあわない為に、アレンは引き下がっただろう。

 しかし、今は――

 

 

「ぁ、れん。たすけ――」

 

 

 傷ついている母が居る。

 助力が要るのだ。何としても引く訳には行かなかった。

 

 

「お願いしますっ!腕の事を隠していた件ならば謝ります!!自分なら後で気の済むまで殴っても構いませんっ!だから、今は!今はどうか!!母さんを助けるのに協力して下さい!!!!」 

 

 

 

「ほざけッッッ!!汚らわしい呪い憑きと話しておったと言うだけで、虫唾が走るわッッ!!」

 

 

 アレンの必死で悲壮感に溢れる懇願も、何ら効果は無かった。

 目の前の老人は決して自分を助けてはくれない。アレンはそう悟らざるを得なかった。

 

 

 一体どうすれば。

 どうすれば。母を助けられるのか。

 

 その時アレンは気が付いた。

 

 いつの間にか(・・・・・・)周囲に人が大勢居る。

 何故か皆(・・・・)顔がぼやけているが(・・・・・・・・・)、10や20ではきかない多くの人たちだ。

 そもそも街の住人は、街の外に逃げ出していた筈なのに、今になって街中にこんな人数が居るのは道理に合わなかったが、しかし今のアレンにはそんな事を疑問に感じている余裕は存在しなかった。

 この中の誰か1人でも手助けしてくれれば、母を救出する事が出来る!今、アレンの頭の中にある考えはただ1つ、それのみであった。

 

 

「誰か!お願いします、誰かっ!!母さんが瓦礫に埋まってしまっているんです!!どうか、助け出す手助けを!!どなたか、お願いします!!!!」

 

 

 自分の生涯でここまで真剣に、他人(ひと)に助けを求めた事は無いだろう。

 そう思えるほどのアレンの叫び声。

 

 ――しかし、返って来たのは承諾の声では無く、石であった。

 

 

「――痛っ。な、なんで……」

 

 

 眼。眼。眼。眼。眼。

 アレンを見つめる幾つもの(まなこ)は、どれ1つ例外なく侮蔑の念に満ちていた。

 

 

「【呪い憑き】……」

 

「【呪い憑き】だ……」

 

「汚らわしい!」

 

「恐ろしい!」

 

「憎らしい!!」

 

「きっと今日の騒動だって、アイツの所為に違いない!!」

 

「そうだ!その通りだ!!」

 

「【呪い憑き】が穢れを運んで来たんだ!!!!!」

 

「責任を取らせろ――」

 

「産まれてきて、生きて来た責任を取れッッ!!!!」

 

 辺り一帯に零れんばかりの罵倒の雨。

 アレンの味方になってくれそうな人物なんて、ここには1人も居なかった。

 

 

 どうして。

 なんで。

 一体なにが。

 

 

「――――!!」

 

 

 でも、母が助けを求めている。

 

 なんとかしないと。

 なんとかしないと。

 

 

 なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。なんとかしないと。

 

 

「――――ン!!」

 

 

 炎。

 そうだ、炎が必要だ。

 母を苦しめている障害と、周りのゴミ(・・)を燃やし尽くすために。

 何物をも燃やし尽くせる、地獄の業火が必要なのだ。

 

 

「――――レン!!」

 

 

 

 左腕が熱い。

 血液がマグマと化したかのようだ。

 でもきっと。

 この熱に身を委ねれば、求めた炎が手に入る。

 理由は分からないけど確信できる。

 だから、寄越せ――

 

 

 

 そして、アレンの精神が何処か彼方へと繋がりかけた、その寸前――

 

 

 

 

「――――アレン!!」

 

 

 

 自分に対する必死の呼び声で、アレンの意識は(・・・・・・・)覚醒した(・・・・)

 

 

 

「……………………ぁ、れ?」

 

 

 

 頭が重い。体が怠い。

 しかし、脳内を覆っていた霧の様な感覚は全て消え去っていた。

 今、ここにアレンは正常な思考を取り戻していた。

 

 

 ぼんやりと、ハッキリしなかった意識。

 突如、脈絡も無く切り替わる場面(シーン)

 絶対に外してなどいない筈なのに、何故か外れていた左腕に巻かれた包帯。

 会った事も、見覚えも無いマバティ等と言う老人。

 そして、考えついて当然の解決策を何故か全く思いつけない自分。

 

 

 それら全ての疑問点に納得がいく答えをアレンは見つけた。

 

 

 ――夢、だったのか。

 

 

 ただの幻。確かな物など何も無かった。それだけの簡単な答えだ。

 そして最後に自分を救い上げてくれた声の正体(・・)も、容易く分かる。

 

 

「ごめん、伯父さん。ちょっと、夢見が――」

 

 

 そう。夢。

 ただの悪夢。

 目が覚めれば、直ぐに消え去るだけの――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「  違  う ! ア  レ  ン  !  !  夢  じ  ゃ  な  い  !  !  !  !  」

 

 

 

 



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015 複眼

主人公の登場は次話までお待ち下さい。


「――え?」

 

 

 

 ルークの叫び声を聞いて、寝ぼけていた(・・・・・・)頭が覚醒して漸くアレンは現状を思い出した。

 

 

 

「ッッッ~~~~~~~~~~!!!!!」

 

 

 

 声にもならない叫び声を上げながら、アレンは大慌てで周囲に視線を走らせた。

 もしもアレンがただ悪夢を見ていただけだったのなら、今居る場所はベッドの上で、目に映る光景は、自分たちが借りている部屋だった筈だ。

 しかし、違う。そんな平和な光景では無かった。

 今のアレンが居る場所、それを簡潔に言い表すのなら、それは。

 

 

「――繭?」

 

 

 或いは蜘蛛の巣、か。

 とにかく、虫が出す真っ白な糸のような物で編まれた謎の空間だ。

 それこそ超、超、超巨大な蚕の繭の中に居ると思えば、イメージがしやすいだろう。

 糸自体が光を発しているのか明るくはあったが、出口の見えない密室であった。

 いや、正確に述べれば、1つだけ焼け焦げた様な穴があったのだが、こうして観察している間に塞がってしまった。

 そんな怪し気で危機感が煽られる不可思議な場所の、床でアレンは倒れていたのである。

 そして、倒れていたのはアレンだけでは無い。

 

 

「母さんっ――!」

 

 

「――――」

 

 

 アレンの直ぐ近くには、アレンと同じ様に虫の糸の様な材質で出来た地面に倒れ伏すエレノアの姿。

 先ほどまで見ていた夢?の映像と違って、怪我こそしてはいなかったが、代わりに意識を失っていて、アレンの声に反応しない。

 

 

 

「アレン。一体何があった?」

 

 

 そして、意識を失っているエレノアと、目を覚ましこそしたものの上手く体が動かず立ち上がれないアレンの2人を庇う様に背にし、同時に身の丈ほどもある大剣を構えながら、ルークが厳しい表情で立っている。

 その口から、出て来たのは現状への疑問。

 

 

 

「いきなり、街に廃呪(カタラ)が」

 

 

「ああ、そこまでは分かっている。だが、少し距離を離された瞬間に、お前たちはこんな場所に閉じ込められていた」

 

 

 そうして、アレンは今日起きた本当の出来事を思い返す。

 

 

 

 まず、ルークが次に住むことになる街へ先に移動して、暫くの間アレン達と離れ離れになった。

 そこで、その間クリスも自分たちと一緒に暮らそう。と言う話になって、今日アレンは、エレノアと一緒にクリスを迎えに行こうとしていたのだ。

 そして2人で待ち合わせの場所に向かっていた時、突如として街の内部から巨大蛾の廃呪が現れて、人を襲いだした。

 そう。それは、真実だったのだ。

 しかし、夢とは違いエレノアと2人だったアレンは、廃呪を退けながらクリスと合流しようという話になって、大急ぎで移動していたのだが…………。

 

 

 

「そこでアイツ(・・・)が」

 

 

「そうか……」

 

 

 そう言って、アレンは前を見た。

 ルークは話を聞いている最中もずっと視線はそちらにあった。

 

 

 

「あらあら。そんな熱い眼差しを貰うと、照れてしまいますわ」

 

 

 

 そこには1人の(・・・・・・・)女が居た(・・・・)

 

 

 艶やかな()の長髪。

 整った顔立ち。

 抜群のプロポーション。

 鮮やかで派手でそして露出度の高い紅いドレスに身を包んだ女。

 

 美女と、そう言い表しても過言は無いだろう。

 その顔も、その身体も色っぽくて妖艶で、街を練り歩けば幾らでも男を捕まえられるに違いない。

 

 

 ――ただ1点(・・)を気にしないのなら。

 

 

 女の体には1箇所だけ、その美貌を台無しにする様な、誘われて期待を持って付いて行った男たちが悲鳴を上げて逃げ出す様な、そんな部分があった。

 

 

 それは目。より正確に言えば眼球。

 

 

 目つきが悪いなんてレベルの話ではない。

 女の眼球は人間の物では(・・・・・・)無かった(・・・・)

 本来正常な物があって然るべきその場所は、真っ赤でかつ小さなレンズの様な物の集合体で構成されている。

 

 つまり女の眼球は、昆虫の複眼だった。

 

 

 なまじ他のパーツが整っているだけに、そこだけが異様に目立ち、そして不気味であるとしか言いようが無い。

 

 

 

「俺と母さんの前に現れたアイツの、あの目をみたら意識が遠くなって、後は倒れて夢を見ていたんだと思う……」

 

 

 複眼女に出会った後は、先ほどまで見ていた趣味の悪い悪夢を見て、そうして今に至るという訳だ。

 実際何があったか説明すると言っても、アレン自身、今日の経緯はそれ以上説明出来そうにない。

 

 

「――【邪視】だ」

 

 

「邪、視?」

 

 

「瞳を通じて、相手の精神に変調を与え、幻覚や幻聴を生じさせる能力だ。基本的に一部の廃呪に見られる力だが……真逆、人間が扱うとはな」

 

 

「じゃあさっきのは夢じゃなくて…………」

 

 

「ああ。幻覚でも見せられていたんだろう。体内で魔力を回せ、アレン。それで大分マシになる筈だ」

 

 

 目の前の女による攻撃であった。ルークの説明が正しいのなら、そう考えるのが妥当だろう。

 アレンは、ルークの言う通り自分の体の中で、魔力を操作する。

 未だ、体は満足に動かないままではあったが、それでも大分楽になった。

 

 

「うふふ。バレてしまいましたか。まあちょっとした悪戯の様なものです」

 

 

 複眼の女はアッサリと、それでいてとても愉しげに、自分がアレンに幻覚を見せていたことを白状した。

 その姿に全く悪びれる様子は無い。

 

 

「人の甥に一体なにをしてくれている」

 

 

「くふっ、申し訳ございません。アレンさんと久方ぶりの再会(・・)でしたので、少々悪戯心が騒いでしまって…………」

 

 

「再会、だと?」

 

 

「ぁ――」

 

 

「アレン?」

 

 

 女のその言葉。そして何よりその複眼を見て、アレンは思い出した。

 そうだ。自分がこの女と会ったのは、初めてのことでは無い――と。

 

 

 

「あ、あの時。ぼ、俺が【呪い憑き】になった夜っっ。あの目を確かに見てっ――!!」

 

 

「なんだと!?」

 

 

 アレンが呪いに身を侵され一夜にして輝かしい未来を絶たれた事件については、ルークも当然聞き及んでいる。

 その原因、或いは下手人が未だ不明なままであることも、また。

 

 

「――貴様」

 

「ああ、あの時は自己紹介も出来ず、どうも申し訳ございません。(わたくし)、ニフト、と申します。どうかお見知りおきを」

 

 

 アレンの怯えた視線に、ルークの強く睨みつける視線。

 その両方ともを意にも介さず、それどころか優雅に一礼すらして、複眼の女――ニフトは、自己紹介を行った。

 

 

「最初からアレンの事が目的か」

 

 

「そう思って下さって結構ですわ」

 

 

 聖印を持ち、大きな才能にも恵まれているアレン。

 その価値はとても大きい。

 故に、アレンの身柄が目的である事は、まず間違いないだろう。

 身柄をどのように使おうとしているかは不明だが、まあ碌な事ではあるまい。

 

 

「…………随分と素直に認めるんだな」

 

 

「私、あなた方とは仲良くしたい、とそう思っているのですよ?」

 

 

「そうか。それならアレンを狙っている理由を全て話し、ここで何もせずに帰り、ついでに自首してくれ。そうすれば、親友とでも呼んでやるさ」

 

 

「それは。それは。随分、魅力的な提案で心躍りますわ。ですが、私もさるお方に仕える身でして、そこまでの裁量権は無いのです。よって断腸の思いながら、断らせて頂きますわ」

 

 

「それなら仲良くは出来んな」

 

 

 大剣を握るルークの手に、更なる力が加えられる。

 辺りに戦意が充満して、爆発寸前の火薬庫の如き緊張感が満ち溢れる。

 

 

「まぁっ!でもそう言った展開も嫌いではありませんわ。ただ、その前に色々と喋ったお礼に、浅学な私に1つだけお教え下さいます?私、貴方が居ない隙を狙って事を起こしたつもりだったのですけど、一体どうして気付きましたの?」

 

 

 

 怪しい女の質問ではあるが、確かに。と両者の会話を聞いていたアレンは思った。

 そもそも、ルークは別の街へ移動していた筈なのだ。

 つまり、今ここに居るのは可笑しい。

 

 

 その疑問に、ルークは肩を竦めて答えた。

 

 

 

「なに。小さなお友達――小鳥が注意喚起の囀りで教えてくれただけの事だよ」

 

 

 

「はぁ。真面目に教えてくれる気は無し、と。残念ですわ」

 

 

 

 茶化した様に語るルークの言葉を、ニフトは態度通りの出鱈目、と認識した様だった。

 しかし、傍で聞いていたアレンの意見は違う。

 アレンに交友関係の制限を強いているからか、ルークやエレノアは、自身も人付き合いを最低限に留めている。

 よってこれまでの友人関係などはともかく、この街における知り合いの数は、アレンとルークの間でそこまでの差が無い。

 そんな中、小さなお友達などと聞けば、思い浮かぶのは――。

 

 

 ――まさか、クリスが?でも、なんで?

 

 

 自分の最近出来た友人(クリス)が、ルークに注意を促したのか?とそう予想したアレンの思考の流れは、決して不自然な事では無いだろう。

 しかしながら、その予想が当たっているにせよ、外れているにせよ、今この場で考える話では無いだろう。

 それこそ、全てが無事に終わった後に、ルークからゆっくりと話しを聞けば、それで済む話だ。

 今、アレンに求められているのは、そんな平和な未来に到れる可能性を少しでも上げるために、体の自由を出来るだけ早く取り戻すこと、そして伯父(ルーク)の戦いをしかと見届ける事だ。

 

 

「はぁっ……。仲良くしていただけないとなれば、仕方がありませんね。――――暫しご退場願いましょう」

 

 

 そう言うが早いか、ニフトの体の周囲から黒いモヤの様な物が溢れ出した。

 それは大蛾の廃呪が出していたものと同質の粉。即ち鱗粉であった。

 その鱗粉が、撒き散らされるというより、充満すると言って良いほど空間全体に放たれ、最早ニフトの周りは、黒色の濃霧で覆われているようだった。

 そしてその不吉な霧が全てルークへ向かって、勢いよく殺到した。

 

 

「毒粉かっ!?」

 

 

「ハ・ズ・レ♪」

 

 

 廃呪の鱗粉は強い毒性を持つ事が多い。

 よって、ルークは鱗粉の霧が自分たちの方へと放たれた瞬間、自身の魔力を操作し、自分とアレン、そしてエレノアに対状態異常の魔法を無詠唱で付与した。

 歴戦の戦士という前評判に違わぬ咄嗟の判断と言える…………が、この場においてその行動は功を奏さなかった。

 鱗粉の濃霧は、毒と言う間接的な攻撃方法では無く、もっと直接的な――具体的に述べれば、ルークと接触した瞬間に爆ぜた(・・・)

 

 

「伯父さんッッ――!!」

 

 

「【爆炎香】…………とでも呼びましょうかね」

 

 

 ルークが立っていた場所を中心として大きな火柱が立ち昇る。

 その炎の色は、人の血の色。

 ただし、鮮血の鮮やかな紅色では無く、体外に出て何時間も経った後の血のどす黒い赤であった。

 ルークの近くにいるアレンには一切の熱や衝撃が加わっていなかったが、それを持って大したことの無い攻撃だと結論付けるのは早計だ。

 寧ろ、全ての威力と熱が1点に集中している、と見るべきで、事実現在ルークがいる地点に対しては、現代兵器による爆撃もかくやと言った衝撃が加わっていた。

 少なくとも一般的な成人男性1人如き、跡形も無く消し去ってしまう威力があることは疑いようも無い。

 

 

「――っ!?」

 

 

 だがしかし、とぐろを巻いて轟々と燃え盛る血炎(けつえん)の竜巻の中。

 どす黒い赤を切り裂いて、オレンジ色に近い明るい赤の炎の一閃が、ニフトへと放たれた。

 それはさながら、ルークが持っていた大剣を横に薙いだ軌跡を炎で形にすればこうなるであろうという烈火の鎌鼬。

 焼却と斬滅を望む緋の一閃がニフトの顔面を目掛け、空気を燃やし尽くしながら高速で飛翔する。

 すんでの所でその一撃に反応したニフトだが、完全に躱しきる事が出来ずに、頬に大きな切り傷が刻まれた。

 切断と同時に傷口が焼かれて出血が発生しなかったのは、果たして良かったのか、悪かったのか。

 どちらにせよ、かなりの痛みがあった事は間違いない。

 

 

「【防壁】に【付与】ですか?あはっ。咄嗟かつ無回路、詠唱破棄で大した物ですね。ですが、それはさておき女の顔を躊躇なく狙うなんて……それではモテませんよ?」

 

 

 炎の竜巻が止む。

 その中から、無傷のルークが現れた。

 そして、その手に構えられていた大剣の刃が、かつてアレンが炎の魔法で剣を創った時の如く、赤熱して紅く発光している。

 

 

「さて、な。生憎それは否定しかねるが、まあ安心しろ。どの道、人の皮を被った化生を女扱いする気は――――無いッッ!!!」

 

 

 そう叫びながらも、ルークの手は常に動いていた。

 手に持った大剣を高速で振りぬいて、先の様な、飛ぶ炎の斬撃を放つ。

 更に今度は1発だけに非ず。

 横薙ぎ、縦薙ぎ、斜め薙ぎ、それに突き。

 人智を超えた速度を持って、絶えず放たれる斬焼(ざんしょう)の熱線。

 

 

「お生憎ですが、肌を焼く趣味は無いものでっっ」

 

 

 こんな物にクリーンヒットしてしまえば、肌が小麦色どころか炭色になってしまう、とニフトは華麗なステップで炎刃を躱していく。

 ひらりひらりと、夕焼け色の炎を避ける様は、まるで舞踏の如く。

 

 ルークが放つ焔の太刀風は、威力・速力ともに優れているが、最も特筆すべき点は、それを放っているのが歴戦の勇士であるという事。

 即ち、やたらめったらと阿呆の如く適当に振るっている訳では当然なく、しっかりとした計算の下、相手の回避を潰しながら放たれている。

 つまり、これは焦熱の檻だ。

 入れば最後、消し炭になるまで出てこられない。

 

 

()ゥ」

 

 

 余裕を持って攻撃を躱していたはずのニフトから、その余裕がいつの間にか消え去っていた。

 徐々に回避がギリギリに成り始め――遂には、炎の刃が掠り、その身を少しづつ焼き切られていく。

 華麗な舞踏が、血と暴に満ちる武闘へと変じていく。

 

 

()った――!!」

 

 

 そうして遂に茜色の刃がニフトの体を捉えた。

 

 

 

「■■■■■■■■――!!!!」

 

 

 人の物とは思えぬ断末魔が辺りに轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………チッ。これで決まるとは思っていなかったが、またふざけた手段を使ってくれた物だ」

 

 

 

「楽しい、楽しい踊りを、こんなに簡単に終わらせてしまったら、損でしょう?」

 

 

 あわや真っ二つか、と思われたニフトだが、全くの無事であった。

 それでは、響いた断末魔は一体?と思うかもしれないが、簡単な話である。

 人の物とは思えぬ断末魔も何も、そもそも人の物ではない(・・・・・・・)断末魔(・・・)であったと言うだけの事。

 

 

 ニフトの眼前には、焼き切られて真っ二つとなった、大蛾の廃呪の姿。

 コイツが、代わりに攻撃を受けたことで、無事に済んだというのが、事の真相であった。

 ではそもそも何故イキナリ廃呪が出現したのか、その答えも直ぐに分かることとなった。

 

 

 ニフトが再び先程の鱗粉の濃霧を辺りへと撒き散らす。

 振り撒かれたそれは、今度は爆発すること()無かった。

 しかし、鱗粉が寄り集まり、霧の中より幾体もの大蛾の廃呪が現れだす。

 その量は莫大で、白繭の天蓋が僅かな間で巨大蛾で埋め尽くされた。

 

 

「どういった絡繰りかは知らんが、街の廃呪はやはり貴様の仕業か」

 

 

 廃呪除けの結界が張られている中で、街の内部に廃呪が発生した理由。

 その答えが目の前の光景なのだろう。

 

 

「あら。大して驚いていない様ですね。衝撃の展開を演出したつもりだったのですが」

 

 

「抜かせ。関係ない、と思う方が寧ろどうかしている」

 

 

 本来起こり得ない街の混乱に乗じたニフトの凶行。

 何かしらの繋がりがある、と思うのは当然の予想だろう。

 最もその繋がりが、此処まで直接的な物である事には多少の驚きはあったが、それをルークが正直に見せる筈も無し。

 よって精神的動揺による、ルークの戦闘能力の低下は皆無であった。

 

 

「ですが、多勢に無勢ですわ――――よっ!!」

 

 

 天井を埋め尽くす廃呪の群れが一斉にルークへ向かって殺到する。

 しかもそれだけでは無く、鱗粉の霧も同様に近づいている。

 廃呪の処理に手間取えば、諸共に爆撃されるであろうことは、想像に難しくない。

 一見、絶体絶命のピンチ。

 されど、ルークの表情に焦りは無い。

 

 

 何故なら、彼の方も準備は済ませている。

 

 

「【種火(リノンクロスティ)】――【点火(アナフレクシィ)】――【燃焼(カーフシ)】」 

 

 

 火の魔法回路の作成――それも3段階目まで。

 ルークの体内で、魔力が高速で純化していく。

 より上位の回路の作成もルークならば可能であったが、それをしなかったのは決して手を抜いているからではない。

 上位の体内魔法回路の作成は、諸刃の剣だ。

 魔法の威力・質ともに上昇するが、その分自身のエネルギーを素早く消費していくため、継戦能力は極めて落ちる。

 故に、持続的な戦闘活動を踏まえた場合、この3段階目の回路がルークには最も適していた。

 

 

「【火炎津波(フロガプリミラ)】――燃え尽きろ」

 

 

「――!!」

 

 

 そして放たれるは、読んで字のごとく炎の津波。

 溶岩めいた炎が空中を覆いつくしながら、廃呪の群れを飲み込んでいく。

 それに対抗する様に、ニフトも鱗粉を廃呪ごと爆発させる。

 

 

 一連の戦闘行動を元に、ルークは彼我の戦力差を大体は把握した。

 

 

 ――コイツ(ニフト)は、俺より格上か。

 

 

 楽観的な思考を許さぬ冷静なる戦士の計算が、自分の力量より敵対者の力を上においた。

 感じられる魔力量。廃呪の力を使い、廃呪そのものを召喚するという、普通の人間では有り得ぬ不可思議な戦闘方法。そして確かに感じられる力量。

 それらを総合して考えれば、残念ながら自らより勝っていると、認めざるを得ない。

 

 そんな結論に達しているルークだが、ならば諦めているのか?

 いいや、勿論。否、である。

 

 

 ――()勝てる(・・・)

 

 

 希望的観測などでは無く、確かな勝算がルークの瞳には見えていた。

 

 炎と爆発の拮抗が終わり、その中からそれなりのダメージを受けたニフトの姿が現れた。

 

「どうした、随分と戦い方がぎこちないな?」

 

 

「私、スプーンより重いものを持ったことのない、手弱女でして……。こういう事には慣れていませんの」

 

 

「ほざけ」

 

 

 表面上はふざけているニフトだが、その体捌きなどは戦闘者としてのそれだ。

 素人が与えられた力を適当に振るっている様な不安定さは感じられず、積み上げた鍛錬の跡が見て取れる。

 だが、それでいて戦い方にぎこちなさが見られるのも、また、真実だ。

 考えられる可能性はパッと思いつく限り2つ。

 

 

 ――数年以上のブランクか、新たな力に目覚めたばかりか、そのどちらかか?

 

 

 前者は、怪我から復帰したばかりの場合や、一線を退いて久しい場合等。

 後者は、まだ自分の戦い方が定まっていない新人等。

 

 ルークの長い冒険者生活の中で、そういった人物たちが、今のニフトと同じ様な状態になっているのを見たことがあった。

 とはいえ、理由其の物は現状どうでも良い。

 重要なのは、ニフトの戦い方に確かな隙が見られるということ。

 例えカタログスペックが自らより上の相手でも、その力を十全と扱えていないのなら、やり様は幾らでも存在する。

 

 

 勝てる。いいや、勝つ。

 

 

 自らだけではなく、妹や甥の安全もかかっているのだから、とルークは戦意を新たに、眼前の敵を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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016 光の星

 ルークとニフトの戦いが始まってから、凡そ半刻程の時間が経過した。

 半刻と言っても、その間に両者の間で高速で繰り返された攻防は、数百にも上ろう。

 そしてその多数の攻防の全てにおいて、ルークは先に固めた決意の通り、見事優勢を勝ち取ってみせた。

 分かりやすく比率で表すのなら6:4、いいや、7:3程の優位を取り続けたと言って良い。

 例えばこれが、柔道の試合であったのなら、全てが技ありをもぎ取っており、合わせ技一本で100度以上ルークの勝利が宣告されているだろう。

 ボクシングであっても、判定勝ちだ。

 

 

 強かったのはルークだった。

 熟達(うま)かったのもルークだった。

 

 

 

 …………だが、勝っているのはニフトだった。

 

 

「――っ、き、さまっ……」

 

 

 

「ああ、痛いですわ」

 

 

「お、おじさんっ」

 

 傷らしい傷は見えないルークに対し、寸前の攻防でも押し負けて、体に幾つもの焼き傷が見えるニフト。

 されど、前者は苦し気に息を吐き、後者は得意げな笑みを浮かべている。

 その様子を見比べれば、どちらが優勢であるのかは、瞭然であった。

 未だ完全に、邪視の影響から逃れられていないアレンなどは、その様子を心配げに見る事しか出来ない。

 

 問題は何故その様に不可思議な事――常に優位に戦闘を進めている者が、最終的に劣勢を強いられている――が起こっているのか?と言う点だろう。

 その原因となった要素は、大きく分けて3つ。

 

 

 まず1つ目。最も直接的理由かつ、重要な要素。

 それは継戦能力の差。簡単に言えば、スタミナの差と言い換えても良いかもしれない。

 

 たった今、少し前までニフトにあった筈のルークが与えた傷が、跡形も無く消え去っている。

 再生能力か、治癒魔法か。

 どちらにせよ、ある程度の傷は自動で治っていくようで、これまでルークが何度も攻防を制してきたと言うのに、それによる負傷が積み重ねっていない絡繰りは、これだった。

 しかし、その回復能力自体が問題、と言う訳では無い――自己回復程度ならルークにも可能である。

 

 

 当然の話だが、人間が活動するには、体力なり・精神力なり、何らかのエネルギーを消費する必要がある。

 それが魔法であるのならば、魔力だ。

 戦闘ともなれば、使うエネルギーは膨大となり、すぐさま決着のつく瞬殺劇を除けば、戦いとは即ちリソースの削り合いだ。

 よって一連の攻防により、ルークはかなりの消耗を強いられている。

 それは、当たり前の話で、正常な事象である。

 だと言うのに対するニフトには、その消耗が欠片も見られないのである。

 攻撃にせよ、回復にせよ、それによって魔力及びその他のエネルギーが減少している様子が、まるで見えない。

 

 

 だが、底抜けのエネルギーを持つ怪物か……と言われるとそれも違う。

 供給。そう、敢えて形容するのならば供給だ。

 消費したエネルギーが、その端から直ぐに補給されている――ルークの目にはそう見えた。

 

 

 まるで巨大なナニカ(・・・・・・)と繋がっている(・・・・・・・)様だ(・・)。 

 

 

 

 

 よって厳しい。

 酸素ボンベを背負った相手と、潜水勝負をしている様な物で、正攻法では、まず勝てない。

 

 

 ただし、それだけだったのなら。

 この第1の理由だけならば、大幅に不利になりはするが、決定的とまではいかなかった。

 何故ならルークは歴戦の冒険者。

 この世界における冒険者とは、主に廃呪(カタラ)を狩る者たちであり、そして上位の廃呪とは、人間を大きく上回るスペックを有するものである。

 故に、自らを上回るエネルギーを所有する敵との戦闘など上級の冒険者には当然の事であり、相手のスタミナが自分より上だったので手も足も出ませんでした、等と言う(さま)に簡単に追い込まれるような冒険者には、歴戦という枕詞は付きはしない。

 よってルークの劣勢を決定的した要因は他にある。

 

 

「さあ、まだまだいきますよ?」

 

 

「――チィッ!?」

 

 

 ニフトの周囲から、本日何度も繰り出された、爆発する鱗粉が噴出し、ルークへと殺到する。

 先のリソースの削り合いと言う観点に立って考えるのならば、この攻撃に対し、ルークは最小限度の力で切り抜けるべきだろう。

 それが自身を超えるエネルギーの持ち主に対する戦い方の1つであり、ルークにはそれを可能とするだけの力量がある。

 

 

 

「――ッ。雄々ォォォォォォォォォオオオッッ!!!」

 

 

「ああ、痛いィィ。また、負けてしまいましたわね。フフッ」

 

 

 だが、ルークはその対処を選択しなかった。

 鱗粉の濃霧を、真っ正面から完全にねじ伏せる。 

 そしてまた、ニフトにそれなりの傷を負わす事には成功したが…………直ぐに回復される上に、残り少ない魔力を、更に消費したという意味で、確実に敗北の足音が近づいて来ていた。

 何故、こんな負けに行くような対処の仕方を?

 何故、最小限の力で切り抜けようとしなかったのか?

 それらの疑問の答えは簡単だ。

 

 

 そうしなければ(・・・・・・・)アレンとエレノア(・・・・・・・・)に被害が(・・・・)及んでいたからだ(・・・・・・・・)

 

 

 そう。それこそが、ルークが劣勢にある理由の、その2つ目。

 アレンとエレノアを庇っている所為で、戦闘方法を制限されていることであった。

 露骨に人質であると、ニフトが宣言した訳では無いが、そういった意図を持っているのは、疑いようも無く明白であった。

 ルークが、一撃で相手を倒せる大技を使う。或いは、攻撃を小さな労力で凌ぎ、隙を狙う。

 そういった効果的な戦法を取った場合、倒れているアレンやエレノアに被害が及ぶ様な戦い方を、ニフトは繰り返していた。

 それが、エネルギーの補給を活かしたリソースの削り合い勝負へと自分を追い込むための罠である、とはルークも分かってはいる。

 しかし、ニフトに勝つことでは無く、アレンとエレノアを守り切ることが勝利条件のルークとしては、乗らざるを得ないのだ。

 

 ああ、つまり――

 

 

「うふふ。貴方1人でしたら勝てたでしょうに。なんなら今からでも、やってみます?」

 

 

「ふざけろっ!!」

 

 

 ――そういう事だ。

 

 ニフトの言葉は、適当にふかした物では決して無い。

 もしもこれが、1対1でかつ、よーいドンの掛け声で始まる勝負であったのなら、もっと厳しい戦いになっていたであろうことは、ニフト本人からして、認めざるを得ない。

 無論、ニフトとて未だ出していない奥の手の1つや2つは持っている。

 持っているが……、しかしそれはルークも同じことだ。

 アレンやエレノアを気にしなくて良かったのなら、取れた戦法、使えた技は幾らでもあっただろう。

 それを鑑みれば、1対1ならどれだけ上手くやったとしても相打ちまでしか持っていけず自分の勝利は無いだろう、と言うのがニフトの目算であった。

 

 しかしながら、人生に、たらればは無い。

 タイマンであったのならば云々は置いておいて、ルークが極めて劣勢な状態にある、と言うのが現在の変わる事の無い真実だ。

 

 

「――ならばッッ!!」

 

 

 

 ここでルークが勝負に出た。

 前述した2つの理由でかなりの不利を背負っている状況ながらも、相手にバレぬ様慎重に、そして僅かずつ体内で魔力を練り上げて、大技を放とうとした。

 

 

 

「ああ、それは通しませんわ」

 

 

 

「ッッ!?貴様、またッ――」

 

 

 

 そう。しようとしたのだが……。

 

 

 その攻撃が放たれる直前。

 正に、其処しか無い!と言える様な神憑り的タイミングに、ニフトの爆炎による攻撃が加えられた。

 

 その攻撃その物は防いだルークだったが、機先を制される形となり、起死回生の一手となる筈であった攻撃は放たれることすらなく、潰された形になった。

 

 

 これが、ルークが劣勢になった第3の理由。

 何故だかルークの呼吸・癖がニフトに読まれているのである。

 

 

 しかし、スタミナ差・人質、と言ったある意味分かり易かった2つの理由に対し、この3つ目の理由だけは、イマイチ腑に落ちない。

 これまでの戦いを見れば一目瞭然だが、戦闘の技量その物は、ニフトの動きにぎこちなさが見られることもあり、ルークの方に軍配が上がっている。

 態と手を抜いているという事も無さそうである以上、ルークの癖や呼吸をニフトの方が一方的に見抜く、と言うのは道理が合わないだろう。

 逆なら、兎も角だ。

 

 

 …………これではまるで、ルークの癖を(・・・・・・)最初から分かって(・・・・・・・・)いたかの様だ(・・・・・・)

 そう。ニフトがルーク(・・・・・・・)の知り合いであれば(・・・・・・・・・)この話は成立する(・・・・・・・・)

 ルークの側に思い当たる節が無い以上、確認のしようも無い事だが。

 

 

 

 とにかく、こうした次第でルークの不利は形作られていた。

 一手、一手と、詰め将棋の様に戦況が詰んでいき、それを覆す手段が存在しない。

 そして、遂に――。

 

 

「つ・か・ま・え・た♪」

 

 

「しまっ――――」

 

 

「ッッ!おじさんッ!?おじさぁああああんッッッッ!!!!」

 

 

 絶えず繰り返されていた攻防に、遂にルークが敗北する。

 それも唯の敗北では無い。

 これまでニフトがやられてきた、優位を取られるだけの物では無く、力と技を絞りだした末での敗北である。

 

 

 赤黒い爆炎がルークの体を包み込み、その中から炎に焼かれたルークが現れて、地面に倒れ伏した。

 ギリギリの所で、最小限の防御が成功したのか、命だけは助かった様だが…………最早、勝負は決していた。

 

 

「あ、レン。逃げろっ。お前……。だけ、でも……」

 

 

「あ、ああっ。うぁぁぁっ」

 

 

 倒れたルークの意識が闇に消える。

 それは、アレンの守り手が居なくなったことを意味していた。

 

 

 アレンの体は未だ満足には動かない。

 スペック上の数値でだけならば、アレンならばニフトの邪視の影響を跳ね除け得る筈なのだが、現実とは何事もスペック通りにはいかない。

 ニフトに対する過去のトラウマがアレンの才を縛り、回復を遅らせていた。

 

 それでも何とか。小鹿の様に震える足で、立つことは出来たアレンではあったが……。

 

 

「あら、可愛らしい」

 

 

「ぅぁっ!?」

 

 

 ニフトの複眼がアレンの瞳を捉える。

 それだけで再びアレンの体は地に伏せた。

 今度は意識を奪われはしなかったが、果たしてそれが良かったかどうか。

 ともかく、これで詰み、だ。

 

 

「う、うぁぁぁ……」

 

 

 こつん。こつん。とニフトの靴が、繭の床を歩く音が反響する。

 その音は徐々に、徐々にと、アレンの方へと近づいてくる。

 

 

「や、やめっ――」

 

 

 遂に、アレンの間近まで音がやって来て。

 そして、そして――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「怖がらなくても大丈夫、何もしませんわ」

 

 

「………………え?」

 

 

 ――何もせずに(・・・・・)通り過ぎた(・・・・・)

 助かったのかと、一瞬だけ安堵したアレンだったが、次の瞬間にはその顔色を真っ青にしていた。

 

 

 

「――!?や、やめろぉおおおおおッッッッ!!!!!!!」

 

 

「うふふ。だからぁ。そんなに叫ばなくても何もしませんわ。――貴方には(・・・・)ね?」

 

 

 だって、ルークにも、そしてアレンにも何もしなかったのなら、ニフトの狙いは唯の1人に絞られるのだから。

 ニフトの足はゆっくりと意識を失って仰向けに倒れるエレノアへと向かっていく。

 

 

「俺が目的なら、俺に手をだせ!!!母さんに手を出すなッッッ!!!!!」

 

 

「これは、随分と勇ましい事。でも残念。私の狙いは最初から、この糞女なので」

 

 

 その言葉の通り、ルークやアレンを相手にしている時は、どこか親し気さすら感じたニフトの語気が、エレノアに対してだけは、極寒の凍土の様であった。

 その様子を見れば、ニフトをエレノアに接触させては絶対にならないと、否が応でも理解出来る。

 だから、アレンは必死に体を動かそうとした。

 

 動け、と。

 動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、動け、と。

 

 

 そうやって全神経を集中させているというのに、アレンの体は彼の意思に反してちっとも動いてはくれなかった。

 動かせるのは、目と鼻と口だけで、今のアレンに出来ることは自分の母親に危険が迫っているのを叫びながら見ていることだけだった。

 

 

「お願いだから!母さんには何もしないでくださいっ!!代わりに俺が何でもしますからッッ!!!!!」

 

 

「嗚呼。漸くこの時が来ました……」

 

 

 恍惚とした様子のニフトには、アレンの懇願が届いているのかすら分からない。

 しかし、届いているにせよ、無いにせよ、そのアレンの言葉をニフトが聞き入れることはまるで無く、彼女は意識を失い倒れ伏すエレノアの前まで、たどり着いてしまった。

 ほんの少しの間、エレノアを侮蔑するように見下したニフトは、その足をエレノアの顔の上で静止させた――まるで、汚らしい害虫を踏み潰そうとしているかの様に。

 

 

 

「やめろ、やめろ、やめろ、やめて、やめて、やめて、やめて――――」

 

 

「あはっ」

 

 

 

 そして、アッサリと。余りに呆気なく。ニフトの足が振り下ろされた。

 何か(・・)が砕ける、嫌な音が辺りに鳴り響いて、何か(・・)赤い液体が辺りへと飛び散った。

 その液体の一部が、アレンの頬にぴちゃり、と降り掛かった。

 

 

 

「ぁ、ぇ――――」

 

 

「ずっと、ずぅーっと、こうしたかったぁ」

 

 踏む。踏む。踏む。踏む。

 飛び散る何か。エレノアだった(・・・)物。

 

 分からない。何が起こっているのか、アレンには理解できなかった。

 脳が理解を拒否していたのだ。

 どうして、寝ている母の顔がある筈の部分が良く分からない何か(壊れた肉塊)になっているのか。

 

 ワカラナイ。ワカラナイ。ワカラナイ。

 アレンの頭はおかしくなりそうだった。

 

 

「ゴミはキチンと燃やしておかないといけませんね?」

 

 

 茫然自失としているアレンを他所に、ニフトがエレノアの体に燃える鱗粉を放った。

 直後、爆発。

 エレノアの身体が、赤黒い炎に包まれて、僅かな時間で塵も残さず燃え尽きた。

 

 残っているのは、焼かれなかった頭部のみ。

 最も、それも原型を留めない程に破壊されて、ただの辺りに飛び散った肉塊となっているが。

 

 

 エレノアは死んだ。

 それが現実。

 そう、理解せざるを得なかった。

 

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッ!!!!」

 

 

 空間そのものを震えさせるような、アレンの絶叫が轟いた。

 脳みそが、怒りと憎しみで沸騰する。

 過去のトラウマ?そんなもの、最早どうでも良い。

 ■さなきゃ。直ぐに目の前のコイツを■さなきゃ、とアレンの頭にあるのは、ただそれだけだった。

 動かなかった筈の身体が、少しずつ動いていく。

 溢れ出る感情の儘、無理に肉体を動かそうとしている影響で、アレンの体中から血が流れ出して、全身の骨が軋む。

 だけども構わない。コイツを■した後なら、自分などどうなって良い、とアレンは思っている。

 

 

「ああ、駄目ですよ。そんなに無理をしたら怪我をしてしまいます。だから、止めましょう。ね?」

 

 

 

 その言葉が。

 嘲りも、揶揄いも感じられず、ただ自分の身を案じているのだと理解(わか)るその言葉が。

 まるで母親の(・・・・・・)物の様であったから(・・・・・・・・・)――

 

 

 

「――――――――――――――殺す」

 

 

 ――――アレンの思考は完全に焼き切れたのだ。

 

 

 

 先ほどまでの重さが嘘の様に消え失せて、アレンの体は軽やかに地面より立ち上がった。

 ふと、アレンが自身の左腕を見やると、そこに巻かれていた筈の包帯が無くなり、竜の様な腕が露出していた。

 それが何故かは明白だった。

 アレンの左腕から、腕に巻き付くように炎が発せられていて、それが包帯を燃やし尽くしたのだ。

 その炎の色は、黒。

 ニフトの放つ、赤黒い等と言う中途半端な代物ではない。

 アレンの抱く憎悪と殺意を具現したかの如き、光を吞む漆黒。

  

 

 自らが突如としてニフトの呪縛より逃れ得たのは、この力のお陰である、とアレンは感覚的に理解した。

 そして、自身の左腕は、何処か彼方に居る、何か途轍もなく不吉なナニカに繋がっていて、自分は今、そのナニカから力を引き出しているのだ、とも。

 

 

 ――構わない。後でどうなろうとも。

 

 

 されど、その事実を理解して尚、アレンの心には一片の躊躇も、恐れも沸き起こりはしなかった。

 業腹な事だが、自身の力は目の前の怨敵に遠く及ばない。

 その如何ともしがたい差を埋められる可能性が少しでもあるのなら、悪魔とでも契約しよう、と。

 事が終わった後でなら、自身の魂だろうがなんだろうが、好きに持っていけば良い、とも。

 

 

 ――だから、ありったけを寄越せ。

 

 

 アレンは、そう、強く、強く、自身の左手に祈った。

 その願いに応えるかのように、噴き出す黒炎の勢いが増した。 

 

 

 

  

 

 嘗て少年は夢見た。

 他者の親切に報いる事の出来る人間に成りたい、と。

 受けた恩を忘れずに、そして自分からも思いやりの輪を広げていける、そんな人でありたい、と。

 

 

 ああ、だけどもしかし。

 受けたのが恩では無く、(あだ)ならば?

 決して許すことの出来ない、深い深い仇ならば?

 

 

 決まっている。

 論じるまでも無い。

 

 

 罪には罰を。

 仇には咎を。

 因果応報の報いを此処に。

 

 

 

「――焼き殺してやる」

 

 

 釣り合いなんて取れやしないけど。

 コイツを殺した所で、母さんが戻って来る訳でも無いけれど。

 それでも、同じ目に遭わせなければ、道理が通らないだろうと、アレンは固く、強く、決意を抱いた。

 

 

「ああ。素晴らしい。なんて素敵な黒い炎――」

 

 

「なら、その身で受けろ――ッッ!!」

 

 

 多分これが始まりで終わり。

 アレン・ルヴィニと言う少年を主役として綴る英雄譚の、始まりの終わりを飾る最後の1戦。

 その決戦の火蓋が切られようとした、正にその瞬間。

 

 

 

 ――白繭の壁が強い衝撃で破壊された。

 

 

 崩れ落ちた壁の外から、1つの人影が現れる。

 それは、ルークもエレノアも倒れ伏した今、アレンが唯一反応を示す人間だった。

 

 

「――――クリス?」

 

 

「う、ん」

 

 

 汚れた襤褸切れに身を包んだ白髪の子供――クリスが絶望に包まれたこの場にやって来た。

 クリスは、とことこと歩いてアレンへと近づいて行く。

 

 

「なんで、此処に?いや、それよりも――――」

 

 

 自らに近づくクリスの姿を見てアレンの脳内に、ニフトの邪視で見せられた自身の左手を罵倒する人間たちの情景がリフレインする。

 あれは幻で、本当にあった事ではないと、頭では分かっている。

 しかしそれでもアレンは、今の自分の姿をクリスに見られたくはなかった。

 もし、クリスの瞳に怯えや蔑みの色が見えたら、きっと耐えきれないだろうから。

 

 

「これは…………」

 

 

「大、丈夫。怖く、ない、よ」

 

 

「だ、駄目だ!炎が!!」

 

 

「それ、も、平気」

 

 

 僅かに怯えた様子のアレンに対し、その左腕をクリスはそっと優しく自身の両手で握りしめた。

 必然、黒い炎がクリスの両手を焼くが、クリスに怖がる様子も熱がる様子も見られなかった。

 その光景を前に、ニフトが笑う。

 

 

「あらあら、これは。随分と可愛らしい騎士(ナイト)だこと!うふふふふふふっ」

 

 

 その表情は余りに余裕だった。

 それはやって来た手助けが、余りに小さく頼りなかったから――――では無い。

 

 

 ルークとニフトの戦闘の余波で破壊されていないのを見れば分かる通り、白繭の檻は極めて堅固である。

 その壁を破壊してやって来た以上、クリスに見た目より反した何かしらの特異性がある事はニフトにも分かる。

 しかし、その上でどうでも良いのだ。

 

 

 何故なら彼女の目的は、アレンの目の前でエレノアを惨殺して、その憎しみを持ってアレンを黒炎に目覚めさせる事。

 つまり、もう目的を達しているのである。

 

 最早、現状は詰み(チェックメイト)ですら無く、決着(ゲームセット)

 当に勝敗は決している。

 

 

 よってニフトにとって、今の時間など唯の暇つぶし。

 仮にここで、突如として神から力を渡された英雄が現れて、ニフトを惨たらしく殺したとしても、彼女は楽し気に微笑んで死ぬだろう。

 ああ。だから。もしも、アレンを救わんとするのなら、エレノアが死する前までに来なければならなかったのだ。

 その事実を把握しているのか、いないのか。

 惨憺たるこの場の光景を見て、クリスは軽く目を閉じた。

 その動きに呼応する様に、辺りに飛び散っていたエレノアの頭部だった物の残骸が、淡く光り輝き始める。

 それを見たニアスが堪えきれない、とばかりに大笑する。

 

 

「ぷっ。くふっ、くふふふふふふふふふふふっ。あらあら、これはこれは。小さな騎士(ナイト)では無く、神官様だったのかしら」

 

 

 まあ、確かに?

 それを(・・・)――――エレノアの蘇生を為せるのなら話は別だろう。

 全てを覆す神の一手と言っても良い。

 ああ、けれどもそんな事は起きないのだ。

 

 

「ですが、ごめんなさいね。その阿婆擦れには個人的な恨みもありまして。絶対に蘇れないように、念入りに殺してありますの。だから、無駄な事はお止めなさいな」

 

 

「――ッッ!クリス、良いよ。ありがとう、でも母さんは蘇らない。俺は敵を取るから、クリスは逃げてくれ」

 

 

 ニフトにとってエレノアの殺害は絶対に成し遂げなければならない事柄だ。

 しかもニフト自身が何度も言っている様に、個人的な恨みもある。

 だから、その殺害は極めて念入りに。

 それこそ、この世界における回復魔法の使い手の上位10人がこの場に突然現れる、なんてふざけたご都合主義が起こったとしても問題の無い程に執拗に行われている。

 それは息子であるアレンですら、一欠片の希望を抱くことすら出来ない位の惨状の物なのだ。

 

 

 死んだ者は蘇らない。

 それが、世界の法則(ルール)だ。

 医術や魔法などで多少の誤魔化しは利くが、飽く迄それは結末を先延ばしにしている程度の事。

 誰であろうと、絶対に逃れ得ぬ摂理なのである。

 

 

 

 よって此処に断言しよう。

 それこそ、奇跡が起きない限り、エレノア・ルヴィニが生き返る事はない。

 

 

 

 ああ。つまり、それは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――何も問題が(・・・・・)無いという事だ(・・・・・・・)

 

 

 

 

「――【治癒】」

 

 

 死んだ者は蘇らない? 成程。

 それが世界の法則(ルール)で摂理? 成程。

 

 成程。成程。

 

 …………嗚呼。それで?だからどうした。

 

 

 己が治れと言ったのだから、疾く治れよ。

 それが法則(ルール)で摂理だ。

 

 そもそもの話。数分前に頭を砕かれて、全身を燃やし尽くされた程度(・・)、死んでいる内に入らんだろう。

 

 故に、紡いだ祈りは蘇生(・・)ですら無く、治癒(・・)

 

 

 そんな風に、傲慢さすら感じさせる神聖な祈りが、此処に奇跡を巻き起こす。

 

 

 炎に焼かれて塵すら残さず消え去ったはずの体が元に戻った。

 原型を留めない程、グチャグチャにされていた頭部が、綺麗に治る。

 物理的に心臓が焼失して、止まっていたはずの息が吹き返された。

 それは、まるで動画の巻き戻しを見ているようであった。

 

 

 時計の秒針が1度動ききるよりも早く。

 そんな僅かばかりの時間で、余りにもアッサリとエレノアは元通りに生き返った。

 

 

 

「――――ん?これ?……ま、あ。一緒、に、治せ、ば、いっ、か」

 

 

 いいや、元通りでは無かった。

 体を病弱にしていた原因も簡単に治されて。

 エレノアは死ぬ前よりも、元気な体になっていた。

 

 

 

「――――え?」

 

 

「――――はぁ?」

 

 

 被害者と加害者。

 正反対の立場である筈の2人が、目の前で巻き起こった出鱈目に、同じ様に呆気に取られた声を上げた。

 呆然自失となっているアレンに対し、クリスは朗らかに微笑みかけた。

 

 

「お母、さん。治っ、たよっ!」

 

 

「――――――っ」

 

 

 その時のアレンの表情と感情を一体何と言い表せば良いだろうか。

 急転する絶望と希望によって彼の情緒は滅茶苦茶になっていた。

 どこまでも深い絶望から、とても呆気なく救い出されて、喜びよりも先に呆然としてしまっている。

 歓喜の声を上げたいと思うほどに幸福が溢れ出して来ているが、余りに奇跡染みた救い方をされて、目の前の光景が信じきれない。

 だけど、本当は直ぐにでも信じたい。

 そんな、かき乱れる心模様がアレンの心中だった。

 

 

 恐る恐る、慎重に。

 ゆっくりと確実に、確かめるように、アレンの手がエレノアに触れる。

 その鼓動が、熱が、アレンに伝わる。

 生きているのだ、確かに。

 突然の展開に麻痺していたアレンの脳みそに、漸く実感の灯が点いた。

 

 

「ぅ、ぅぁぁぁっ。母さんっ、母さんっっ」

 

 

 感極まったアレンは、生き返った母の体に顔を押し付けて、大量の涙を流していた。

 先程まで、激しく燃え盛っていた黒い炎はいつの間にか、すっかり消え去っている。

 その様子を、クリスは嬉しげに、そして少しばかり申し訳無さそうに見ていた。

 

 

「遅れ、て。ごめ、んね」

 

 

 エレノアの治癒に抜かりは無いが、そもそもこんな状況になるまで間に合わなかったことをクリスは悔いていた。

 治るからと言って、傷ついて良い、だなんてクリスにはちっとも思えないのだ。

 最悪の事態は回避したとは言え、もっと早く来られるようにするべきで、アレンが受けた精神的苦痛を思うと、クリスの胸は張り裂けそうなほど悲しくなった。

 だが反省するのは、後だ。

 未だこの事件は終わっていない。相対しなければならない相手が居る。

 クリスは、ニフトの方へ視線を向けた。

 

 予想が付かないのが現在のニフトの反応だ。

 彼女がした事は決して許されることではない。

 しかし、事の善悪を除いて今のニフトの状況を考えれば、必死に組み立て、大きな困難と試練を乗り越えて達成した目標が、突如現れた意味不明な怪物にぶち壊された様な物である。

 それ自体は些か哀れではある。

 

 だからこそ、ニフトはどんな感情をクリスへ向けているのか。

 理不尽に対する怒り?憎悪?悲しみ?

 

 

 否、そのどれでも無かった。

 

 

「嘘……。こんな事、が」

 

 

 ニフトのその顔はアレンにそっくり(・・・・・・・・)だった(・・・)

 無論、顔の造形と言う意味では無く、浮かべた表情が、と言う話である。

 

 

 それはつまり、絶望的な状況で、救いが目の前に現れた時に浮かべるような表情である。

 例えば、仄暗い水の底で溺れて、溺死しかけるその寸前に、地上に引っ張り上げられたかの様な。

 ぽかん、と呆然としながら、しかし今にも泣きだしそうな、そんな顔だった。

 妖艶で大人らしい筈のニフトの姿が、今はまるで迷子の童女の様にすら見えた。

 

 

 しかしそれでは話が通らない。

 彼女は今、曰く恨みに恨みぬいて漸く殺した怨敵を、簡単に蘇らせられたと言う状況である。

 怒るべきだろう。憎むべきだろう。

 だと言うのに何故、ともすれば母親が生き返ったアレンよりも尚、救われた表情を浮かべているのか。

 

 

 

「貴方、は、何に、絶望、して、いる、の?」

 

 

 取り敢えず分かる事は1つだけ。

 ニフトは何か(・・)に深い深い絶望を抱いている。

 そして、クリスの存在がその絶望に対する救いとなる可能性があるのだ。

 でなければ、こんな表情を浮かべる筈も無し。

 

 

 

「――ぁ。っ!ま、まだですっ!!」

 

 

 

 クリスに問いかけられて我に返ったニフトは、大慌てで現在の状況に対する行動を開始した。

 勢いよく後ろに飛び下がって、クリスから距離を取る。

 それと同時に、クリスに一部が破壊されたとは言え、未だ健在だった白繭の檻が溶ける様に消えていく。 

 諦めた?いいや、これは寧ろ逆。

 本気を出すための準備であり、他者の横やりが入るまでの間に決着を付けると言う決意のあらわれでもあった。

  

 

 

「【廃呪王】より賜った力。此処でその全てを見せてあげましょう――――!!」

 

 

 

 気合の言葉と共に、ニフトの周囲より、これまでで最高の量と濃度の黒い鱗粉が発生する。

 その鱗粉より1体の蛾の廃呪が顕現する。

 これまで何度もやっていた事?確かに行為その物はそうだろう。

 しかし、違う。

 顕れ出でる廃呪の質が余りにも違い過ぎる。

 

 

 これまで、ニフトが発生させていた蛾の廃呪の大きさは、人間大から大熊程度だった。

 数字で表せば、2mから4m超の間と言った所か。

 無論それでも、怖気が走るような怪物である事は言うまでもないが、 しかし今、正に顕れようとしている1体は桁が違い過ぎた。

 どう少なく見積もっても、全長数百m超。下手をすれば、kmにすら達しているだろう。

 

 

「これ、は……」

 

 

 その姿を見て、クリスは一寸した既視感を覚えた。

 

 

(モ〇ラ…………?)

 

 

 特撮映画に出てくるような巨大怪獣ならぬ、巨大怪蟲

 この廃呪を簡単に言い表せば、それであった。

 映像世界の中では1国を存亡の危機に貶めるレベルの戦いに参戦する怪蟲、問題はそれが現実に顕れたという事である。

 

 

「■■■■■■■――!」

 

 

 召喚された巨大怪蟲が、奇妙なる雄叫びをあげて、その羽根を羽ばたかせる。

 それと同時に強力な毒と呪いに満ち溢れた鱗粉が、余りにも大量に周囲へと振りまかれる。

 

 

 

「回復には随分と自信がお有りの様ですが、戦いに関してはどうでしょうか!!」

 

 

「……………………」

 

 

 クリスに対して、挑みかかるような言葉を投げかけるニフト。

 しかし、その言葉の勢いの割に、そこに自らが勝利したいという意思を感じ取ることは出来なかった。

 

 抱いた希望が張りぼてでは無かったと、信じたいから。

 だから、どうか倒して欲しい。ニフトがそんな風に思っているようにすら、クリスには感じられた。

 

 

さぁっ!!(お願い)貴方の力を(どうか)見せて下さいッッ(救って下さい)――!!!!」

 

 

 クリスにはニフトの言葉がそんな風に聞こえたから。

 

 

「――いい、よ。救っ、て、あげる」

 

 

 だからこそ、その祈りは歌うように、唄うように、詠うように。

 淡々と、平然と。

 されど何処までも深々と、澄み渡るように世界へと落とされた。

 

 

「【星よ、星よ、星よ――」

 

 

「う、そ」

 

 

 ニフトが呆然と空を見上げた。

 これから戦闘を始める時に、途轍もない隙であるが仕方がないだろう。

 何故ならニフト以外もそうだったから。

 

 

 エレノアに縋り付いて泣いていたはずのアレンも。

 襲撃から避難していた街の人間も。

 遠く離れた街や村の人間も。

 動植物、果ては廃呪まで。

 この国に存在している全ての命が、誰も彼も呆気にとられて空を見上げていた。

 

 

 ――だって(そら)に星が浮かんでいた。

 何十万キロもの大きさの輝く星が、天蓋に悠然と鎮座している。

 その星は、目を眩ませる程に、白く、白く清らかに光り輝いて、ありとあらゆる穢れを祓い清める聖性に満ちていた。

 されど、危険性は一切感じられず、見ている者の全てが、まるで母親の胎内にいる時の様な安心感を味わっていた。

 

 

「は、はは……。あはは……」

 

 

 見せつけられた驚天動地に、ニフトが乾いた笑いを零す。

 自らが召喚した、巨大怪蟲めいた蛾の廃呪ですら、これと比すれば唯の蛾、いいやプランクトンにすら劣る程度の存在感すら持てないだろう。

 

 

 嗚呼。だがしかし、これでどうやって攻撃するのだろうか、そんな風にニフトは疑問を抱いた。――いいや、自分を誤魔化した。

 

 分かっている。ニフトにだって分かっている。

 上空に浮かんだ巨大な物体による極めて原始的(・・・)で、それでいて効果的な攻撃方法を。

 ………………けれども、本当に?

 本当にそれ(・・)をやるのか?やってしまうのか?

 そんな風にニフトが放心する最中。

 クリスはアッサリとそれ(・・)を言い放った。

 

 

「――――墜ちろ】」

 

 

「――――ぁ」

 

 

 天より、星の鉄槌が振り下ろされた。

 地上が白白と塗りつぶされる。

 その(のち)、確かに在ったはず巨大蛾の廃呪の姿は、跡形もなく消え去っていた。

 

 

「こんな……。こんな事、って」

 

 

 白昼夢でも見ているかの様な光景。

 しかし、ニフトを真に驚愕せしめたのは、今の天体墜突(メテオストライク)の威力、そのものでは無かった。

 確かに今の一撃の威力は凄まじかった。

 どう少く見積もったとて、同等の質量の隕石による衝突の威力は下回らないだろう。

 即ち、国の消滅どころか、惑星(ホシ)の危機レベルの威力と言って良い。

 けれども本当に恐ろしいのは、それほどの衝撃があった筈なのに、自分の身に何も影響が無い事だ、とニフトは思う。

 召喚された巨大蛾や、周囲に居た廃呪は跡形もなく消し飛んでいるのに、それ以外の者は、それこそ虫1匹にすら危害が加わっていないのだ。

 いや危害が加わっていない所か、これは――

 

 

「う、そ。癒やしの力も込められて――」

 

 

 アレンや、その傍に倒れているルークの体についていた傷が完全に治っている。

 言わずもがな、今の一撃の効果だ。

 あろうことか、攻撃と同時に回復すら為していたのだ。

 

 

「あ、の」

 

「!?」

 

 クリスの呟きに、ニフトがびくっ!と体を震わせる。

 しかし、震えているのはクリスも同様だった。

 

 

 

「攻撃、あま、り、得意、じゃ、なく、て。ご期待、沿え、なかっ、たら、ごめん、なさ、い」

 

 

「――――――――――――――――――――――ぇ?」

 

 

 クリスは震えていた。

 自分の攻撃のあまりのショボさ(・・・・)に恥ずかしがっているのだ。

 今しがたの一撃の効力は、日本列島を覆い尽くす位の面積に居る廃呪を分子レベルで浄滅させて、ついでにその範囲内に居る人間の瀕死レベルまでの怪我や病を完治させた程度(・・)だ。

 

 しょうもない。余りにもしょうもなさ過ぎる。

 自分は攻撃が得意では無いと分かってはいたが、それにしたってこれは酷すぎる、とクリスは戦慄していた。

 

 救ってあげる(キリッ)とか言っておいて、この体たらくは余りに酷い。

 まるで、「自分、パンチングマシンで150くらい出せるから」、とかイキった挙げ句、微妙な結果に終わった様な感じだ。

 やだ、私の攻撃ショボすぎ――!?

 そんな風にクリスは激しい羞恥に襲われているのである。

 

 

 だって範囲内の廃呪を排除したと言えども、精々地表を焼き払った位の事で、また暫くすれば出現してしまうのだ。

 幾ら攻撃が苦手と言っても、せめて元の体のままで、全力を出せる状態だったなら、惑星(ホシ)全体に輝く星を落としまくって、全ての廃呪を根本から消し飛ばして、99%出現しない様にした上で、ついでに全世界の人間の欠損レベルの外傷や病を治しつつ、土地や水を清めて祝福すること位は出来たはずなのに――!!と、クリスは忸怩たる思いだった。

 

 

 恥ずかしい。これは恥ずかしい。

 街中でストリップしても、興奮はするだけで全く恥ずかしくは無いクリスだが、今は羞恥で顔を紅く染めていた。

 

 

 何?十分凄い一撃だったと?

 その証拠に、巨大怪蟲を倒せただろう、と?

 

 

 ――――蟻1匹踏み潰した程度の事を誇らしげに語る人間など居ない。

 それと全く同じ事。

 ()が違うとは、そういう事だ。 

 

 

 

「アハハ、アハハハハハハハハッッッ――」

 

 

 泣き笑い染みたニフトの大笑が辺りに響く。

 此処に救いの奇跡がある事は、最早疑いようもなく。

 

 

「本当に、本当に感服致しましたわ。心の底から、誤魔化し無く」

 

 

「なら、色、々。説、明。して、くれ、る?」

 

 

「そうしたいのは、本心から山々なのですが、残念……お迎えが来たようです」

 

 

 そう呟いた直後、ニフトの存在その物が、引っ張られ始めた。

 転移の兆候。何者かがニフトを呼び寄せているのだ。

 

 

「させ、ない」

 

 

 対抗するようにクリスがその力に干渉する。

 ――だが、此処で今日はじめてクリスが動揺を見せた。

 

 

「!?――こ、れっ」

 

 

 拮抗している(・・・・・・)

 

 あろうことか、クリスと何者かの間で、ニフトを呼び寄せる力の鬩ぎ合いが発生しているのだ。

 それは、ニフトを呼び寄せている何者かが、クリスと同格、或いはそれに伍するレベルである事の証明である。

 じりじり、と少しずつニフトの存在がクリスから離れていく。

 全力を出せる状態なら話は別だっただろうが、現状ではクリスのほうが不利だった。

 しかし、ここでニフトを逃せば何も分からなくなってしまう。

 そう思いクリスは気合を入れ直したが――。

 

 

「ぅぁっ――」

 

 

「!?」

 

 

 大岡裁きの如く、存在が引っ張り合いになっているニフトが苦しんでいる光景を目にして、クリスが慌てて力を弱めた。

 その事実に、ニフトが弱々しく微笑んだ。

 

 

「本当に、お優しいんですね」

 

 そうして、ニフトの体が虚空に消え始める。

 だけど、最後にニフトはクリスに言葉を残した。

 

 

「もし、もしも貴方が、皆を救ってくれるなら。どうか人の希望を集める立場に成って下さい。そうすれば、全てが――」

 

 

 そうしてニフトの姿がかき消える。

 最後に彼女が見せた姿と声は、憑き物が落ちたかのように穏やかで、優しげで。

 まるで何処かで見た覚えがあるような感覚をクリスは覚えた。

 

 

 未だ分からないことは沢山ある。

 しかし、一先ず事件は終了したのだ。

 

 

 

 

 

「――クリス」

 

 エレノアの体を、そっと優しく地面に置いて、アレンがクリスへと近寄る。

 未だ、生き返った母親との触れ合いは足りていないが、しかし自分たちを救ってくれた友人に対する感謝も同様に大きかったからだ。

 

「アレ、ン、君……」

 

 

 その声にクリスは答え。

 

 ――そして、血を吐きながら地面に倒れ込んだ。

 

 

 

「クリスッッ!!!!!!!!!!」

 

 その華奢な体が完全に地面に落ちるよりも前に、アレンが体を受け止めた。

 しかし、血が。吐血が止まらない。

 ゴボゴボとクリスの口から溢れ出す紅い血が、滴り落ちて、体を支えているアレンの服を濡らした。

 クリスの赤い瞳が弱々しくアレンを捉える。

 

 

「なんっ。なんで、こんな――ッッ」

 

 

「ごひゅっ。ちょっ、と。かひゅー。無理、ぎゅぁ、しち、ゃった」

 

 

 クリスのその言葉に、アレンはどうしてこんな当たり前の事にすら思い当たらなかったのだ!と自身の考えの浅さを恥じた。

 自分の母親の蘇生。星を落とすという一撃。

 あれ程までに凄まじい力を、何のリスクも無く使える筈が無いだろう、と。

 

 

 実際には、力の使用その物では無く、それによって器の崩壊と治癒の天秤が崩れたが故ではあるが……しかしそれはどうでも良いだろう。

 過程は兎も角、結論は合っている。

 

 

 ――即ち、クリスは死ぬ。

 アレン達を救った、その所為で。

 

 

「う、うぁぁぁっ、どうしてっ!どうしてそんなになってまで、僕たちを助けてくれるんだっ」

 

 

 最早、男らしくあろう、と常日頃張っている虚勢を維持する気力すら無い。

 アレンは自分の腕の中に居るクリスに、まるで縋りつくかのように問いを投げかけた。

 

 

「だって。――だって!!こんなにして貰えるほど、僕は君に何も出来ていない――!」

 

 

 慟哭めいたアレンのその叫びを聞いて、クリスは少し目を丸くした後、苦し気に、儚げに、ぎこちなく、しかしそれでも確かに、僅かな笑みを顔に浮かべた。

 

 

「――ごほっ!友、達。助け、る。理由、要、る?」

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 その言葉に、アレンは雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

 

 

 分かった。理解(わか)ったのだ。

 クリスだ。

 クリスの様な人間こそが生きるべきなのだ、報われるべきなのだ。

 自分などよりもずっと――!、と。

 

 

 友人として、クリスと釣り合うような人間に成りたい。

 クリスの様な人が報われる世界を作りたい。

 

 

 そんな一生を懸けるに値する目標が、アレンの心の中で爆発的に溢れ出す。

 

 

 だというのに。

 

 

 

「ぁ、少し。眠、い。――か、な」

 

 

 

「駄目だ!クリスッッ、駄目だっ!!!!」

 

 

 

 眠る様に、クリスの瞳が閉じられていく。

 腕に感じている筈の体温が徐々に、しかし確かに消えていく。

 

 

 叶えたい夢の目標である相手が。

 生涯を懸けて恩を返したいと、決意した相手が。

 

 

 何も、まるで何も出来ずに、自分の手の届かない遥か彼方の取り返しのつかない遠い所に逝こうとしている。

 こんな不条理があってなるものか。

 アレンは強く、深く、真剣に祈った。

 

 

 

「お願いだ、クリス、死なないで!!僕、なんでもするからっ――――!!」  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な   ん、   で、     もっ!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 クリスは起きた。

 そりゃあもう、バッチリと。

 

 

「……ぇ?…………ぇっ??」

 

 

 

「今、なんで、もっ、て、言っ、た、よね???????」

 

 

 

 勢い良く喋る所為で口から血が飛びまくるが、しかし今のクリスにとってはどうでも良かった。

 寝てる場合じゃ無いのである、吐血している場合じゃねぇのである。

 

 

 

 だってなんでもだ。なんでもなのだ。

 なんでもって事はつまり――――なんでもって事だよ??????????

 これは大変な事ですよ。とばかりにクリスのテンションはアゲアゲだった。

 

 

 

「あ、あのっ。く、クリス……………………?」

 

 

「あ」

 

 

 

 可哀そうなほど混乱しているアレンの態度に、クリスが漸く少し冷静さを取り戻した。

 

 

「……………………………………………………………………………………」

 

 

「……………………………………………………………………………………」

 

 

 何とも言い難い無言が、2人の間で流れる。

 

 

 

「…………あ、れ。私、なん、で、生き、てる、の!?????」

 

 

 

 知らんがな。

 

 

 

 …………一応補足しておくと、ふざけている訳ではなく、クリスには自分が生存できている理由が、本当に思い当たらなかった。

 

 なにか、こう……、ギャグ補正的な感じで生き残った様に見えるが、当たり前の話だが現実にそんなもの(ギャグ補正)など存在しない。

 幾らクリスが存在と思考のふざけたお笑いキャラでも、駄目な時は普通に駄目なのである。

 

 アレンの言葉でテンションが上ってその意志の力で生き延びた、と言うのも無い。

 そもそも、エレノアを生き返らせた時点で、クリスはとっくに限界を迎えていて、気合だけで終わりを先延ばしにしている状態だったのだ。

 意志の力で起こせる奇跡など、とっくのとうに起こしていて、だからこそ更に意思を焚べた所で意味など無い。

 よって結論を述べれば、クリスに自身の終わり(結末)を変える手段など無い。

 

 

 そう。

 クリスには(・・・・・)

 

 

 

「――――あ」

 

 

 よってクリスは気付いた。

 そもそも、自分の状況を知っていて、かつそれに対応できる者など、消去法で1人?だけだった。

 

 

 

「ふふっ」

 

 

「クリス?」

 

 

 どうやったか。どうしてなのか。

 それらは未だ全く分からないが、それでもクリスは自分を助けてくれた相手を理解した。

 その答えが無性に可笑しくて、嬉しくて。

 まだ混乱の極地に立っているアレンに、クリスは微笑みながら答えを伝えた。

 

 

 

「小さ、な。お友、達、が、助け、て、くれた、みた、い!」

 

 

 少し離れた所で此方に背を向けながらプカプカと浮かんでいるその相手を見て、きっと不満げな表情をしているんだろうな、とクリスは笑った。

 

 

 

 雲の切れ間から差し込む陽の光が、クリスには無性に気持ちよく感じられた。

 




次話は多分1000字にも達しない可能性のあるデザベアの行動の解説になると思います。


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017 悪魔の誇り

 

 ここで少し時間を戻そう。

 

 ニフトが街を襲い始める直前。

 クリスとデザベアは、アレン達との待ち合わせ場所に移動しようと、家を出る所であった。

 

 天気は曇り。どんよりとした雲が空を覆い陽の光を遮っていた。

 天気予報なんて便利な物は無いので確証は全く持てないが、何となく雨が降り出しそうな気配があった。

 

 

 これが、無口系不思議ちゃんキャラであれば「風を……。感じるわ……」的な事が出来るかもしれないが、呪いで上手く喋れないせいでなんかそれっぽく見えているだけで、本質的に唯のあっぱらぱーなクリスに、そんなスキルは無かった。

 ただし、目の前にスカートを穿いた女性が歩いている時は、悪戯な風さんの発生を感知できるぞ!!

 う~ん、このド変態。

 

 

 まあそれはさておき、折角新しい生活が始まる目出度い日だと言うのに、なんとなく嫌な物を感じているクリスであった。

 巨大な隕石でも落ちてきて、雨雲を吹き飛ばしてくれれば、晴れるかもしれないが、流石にそんな事は有り得ないだろう!!!

 

 

 

「それ、に、して、も」

 

 

 

『あん?なんだ?』

 

 

 

「本当、に。今日、から、お風、呂。入っ、て、良い、の?」

 

 

 

『ああ、問題ないぜ』

 

 

 

 ここ最近の大きな話題として、デザベアがこれまで散々に止めて来た、クリスが身を清める事を了承した。

 曰く、これから一緒に暮らそうと言われるまで、懐に入り込んだ以上、そろそろ解禁しても良いだろう、との事だった。

 

 

 そう言った言い方をされるのは不服なクリスではあったが、体を綺麗に出来るのは普通に嬉しい。

 汚れを落とすのもそうだが、何より一番は臭いだろう。

 クリス自身はもう慣れてしまったと言えばそうなのだが、付き合わせるアレン達に申し訳なかった。

 きっと生ごみの臭いがしていると思うし。

 

 

 そうして、熱々のお風呂に浸かるのを楽しみにしながら、アレンとエレノアに会いに行こうとしたクリスだったが、その時に丁度、異変が発生し始めた。

 

 

廃呪(カタラ)だぁっっ!!!廃呪が出たぞぉおおおおおお!!!!!!」

 

 

「な、なんで街の中にぃぃいいいい!?!?」

 

 

「死にたくない、死にたく無いィイイイ」

 

 

 平和――と言って良いのかは微妙だが、静かではあったスラムに、多数の人の叫び声が響き渡る。

 

 

 

「これ、は!?」

 

 

『チッ。クリス、あっちだ。あっちを見てみろ!!』

 

 

「廃、呪?」

 

 

 デザベアに促されてクリスが見た先には、大きな蛾の姿をした廃呪。

 この時点のクリスには知る由も無いが、ニフトの襲撃が始まったのであった。

 

 

「これっ、多、分!!」

 

 

『ああ、まず間違いねぇ。テメェが警戒していた、起こるかもしれないナニカ、だろう』

 

 

 ルークが別の街に行ってくると、旅立って直ぐにこれだ。

 エレノアの命が失われる理由になる事件だと考えるのには十分過ぎた。

 

 

「取り、敢え、ず。周り、を――っ!」

 

 

 まずは周囲の襲われている人たちの安全を確保しようと考えた、クリスだったが、その行為が実行に移される直前で、不自然に止まる。

 その瞳が、何かしらに不安を感じている様に左右に頼りなく揺れていたが、しかしその逡巡の合間にクリスはある事に気が付いた。

 

 

「この、廃呪、たち。人、あま、り。傷、つけ、ない、よう。して、る?」

 

 

『――言われてみれば、確かに』

 

 

 街を襲った蛾の廃呪だが、その動きがどうもおかしい。

 人を襲い、追い立ててはいるのだが、逃げ出す人間や、戦闘を行えない人間などと言った相手には手を出していないのだ。

 まるで、そう。

 出来る限り人の被害を出さないように戦っている様な――。

 

 

 

『というか、咄嗟に力を使おうとしてんじゃねぇ!流れで俺様まで死ぬ所だったわ!』

 

 

「ぅ。ゴメ、ン……」

 

 

『なんだ、やけに素直だな……?』

 

 

 どうしてかはサッパリ分からないが、廃呪の謎の戦い方のお陰で、周囲の人間は無事に逃げ出せたし、クリスも見逃されているかの如く襲われない。

 ひとまず、ある程度状況を整理する時間は作れそうだった。

 

 

『何が起こってるのかは不明だが、こうなるとルークの奴が、間に合っているかが重要か』

 

 

「う、ん」

 

 

 ナニカ、が起こる可能性を危惧して、怪しまれるのを覚悟の上でクリスはルークが街から出ようする時に、出発したフリをしてアレンを見守っていて欲しい、と頼み込んである。

 いざとなれば、必殺のDO☆GE☆ZAを使ってでも頼みこもうと思っていた、クリスの必死さがルークにも伝わったのか、そのお願いはしっかりと了承されている。

 だからアレンには今、しっかりとした守りがある筈だ。

 

 そんな風に2人で会話をしていたが、そこで、ふと。デザベアは1つだけ気になった。

 

 

『なんだ、お前なら直ぐにでも飛び出していくと思ったんだが』

 

 

「…………」

 

 

 クリスの様子がおかしい。

 何時もの彼女の思考からすれば、先ほども躊躇せずに周りを助けようとしただろうし、ルークの守りが期待できるとはいえ、それでも危険が迫っているだろうアレンの救出に一も二もなく飛び出していただろう。

 それこそ、デザベアの制止の言葉を振り切ってでも、だ。

 だと言うのに今のクリスからは、躊躇の意思が確かに感じ取れた。

 

 

 ――ははぁ~ん、成程。成程。

 

 

 デザベアはある予想に辿り着き、心の中で、そうほくそ笑んだ。

 

 

 ――流石のコイツでも、自分が死ぬのは怖いか。

 

 

 クリスの躊躇の理由を、死ぬのを恐れているからだ、とデザベアは考えたのだ。

 そう思ったデザベアは、非常に上機嫌になり、こんな時にも関わらず、クリスを煽ってやる事に決めた。

 

 

『オイ、一応ルークの奴を助けとして送っているとはいえ、何が待ち受けているか分からねェ。念のため、俺様たちもアレンの元に行こうぜ?――――いざって時には助けられるかもしれねぇしな』

 

 

 

「それ、は…………」

 

 

 

『オイオイ!どうした?どうしたぁっ?何時ものお前だったら、とっくに飛び出してるだろ?まさか今更、自分の身を惜しんでる訳じゃァネェよなぁっ!?』

 

 

 

「…………」

 

 

 

 これだけ言われても何かに悩むクリス。

 これはいよいよ間違いねぇっ!とデザベアのテンションが急上昇であった。

 

 

 

「…………あ、の。私。死ぬ、と。ベア、さんも。死ん、じゃう、よ?」

 

 

 

 クリスから絞りだされたその言葉に、「自分が怖がってるのを誤魔化すのに、俺様を使うんじゃねぇっ!!」と更なる煽りを反射的に言い出しかけたデザベアだったが、寸での所でそれを言い留まった。

 そして妙にキリッ!としたキメ顔をしながら、デザベアはクリスに優しく語り掛けた。

 

 

『――なあ、クリス。俺様の事は気にしないでも良い。ふっ、アレンと出会ってから1ヵ月。なんだかな、俺様もアイツの事を少し気に入っちまったらしい。だからイザって時は躊躇わなくて良いぜ――!』

 

 

 

 無論、お分かりだと思うが、デザベアはそんな事、本心ではまっっっっっっっったく、これっっっっっっっっっぽっちも思っていない。

 クリスみたいなタイプにはこうした方が効く(・・)だろう?と思ってやっているだけの事である。

 

 

 クリスの身の安全、ひいては己の安全に関わって来る相手だから、多少は気遣っていただけで、本質的な所でデザベアは、アレンやルーク、そしてエレノアになんの好感も抱いていない。

 なんなら自分の安全に関わらない状況下なら、エレノアが惨殺されている映像をポップコーンを片手に笑いながら鑑賞出来るくらいだ。

 

 

 屑である。

 真正の屑である。

 悪魔デザベア~貴方って最低の屑ねっ!~である。

 

 

 そんな事を言って、お前。それでクリスが覚悟を決めたら、お前も死ぬんやぞ。と思う人も居るかも知れないが、何度も言っているがデザベアとしては死ぬこと自体はそこまで怖くは無いのだ。

 嫌なのは、変態が織りなすギャグ空間に巻き込まれた挙句、糞みたいな終わり方を迎える事。

 シリアスな時であるのなら、自分の命より愉悦優先がデザベアのスタンスだった。

 基本、凄まじい力に人を陥れる智も持っていると言うのに、時折やらかすのは、そういうとこだぞ。

 

 

 では、今回のクソみたいな煽りの結果を見てみましょう。

 

 

 

「ほん、とっ?良か、った!!」

 

 

『……え』

 

 

 

 クリスはとても良い笑顔で走り出した。

 そこに自分の命を惜しむ躊躇は、微塵も感じられなかった。

 

 

 

 ――最早言うまでもないが、クリスは善人である。

 

 

 嘗てクリスが日本に居た頃、何故【超越者】として目覚めていなかったか?と言う疑問に対しデザベアは、自分がそういった者だといった自覚が無かったからだ、と言うと同時に、他にも理由があると言いかけて、止めていた。

 今、その他の理由を説明しよう。

 それは、クリスが超常的な力で他者をどうこうする事を欠片も望まなかったからである。

 

 

 例えば、もしも。他者の意思などどうでも良いからエロイ事がしたい!なんてクリスが欠片でも思っていたのなら、彼女は地球に居た時から、周囲に対する魅了・発情・催眠・洗脳、そんな力に簡単に目覚めていただろう。

 もっと簡単に、気に入らない誰かが消えてくれれば良いなんて思っても、また然り。

 つまりクリスは、ほんの少し心の中で思っただけで、勝手に押されてしまう独裁者に成れるスイッチをいつ何時でも持っていたのだ。

 

 だが、そのスイッチは地球に居る間一度たりとも押されなかった。

 人間(ヒト)のまま、一度生を終えたとは、つまりそういう事。

 その事実が何より、クリスの善性と聖性を物語っている。

 

 さて、そんな人間が自分が傷つく事を恐れて誰かを救うのを躊躇するだろうか?

 

 答えは勿論、否。

 

 別に自分の命を軽く見ている訳ではないが、自分の命と友人の命が天秤に乗った場合、後者が重くなるのがクリスであった。

 天秤が釣り合い迷う時があるとすれば、それはどちらにも自分以外の命が乗っている時のみ。

 

 しかし、幸いにも――と言う言い方は余りに皮肉が過ぎるが――クリスは現在天涯孤独の身だ。

 その身は軽く、アレン達に釣り合う相手など居ない――1人?を除いて。

 

 

 嗚呼、そもそもこんなに長々と説明するような疑問でも無いのだ。

 だってクリスは最初から答えを言っているのだから。

 

 人の悪意には鋭いが、善意にはサッパりな何処ぞの馬鹿が、下衆の勘繰りでそれを信じなかっただけ。

 

 

 クリスが迷っていた理由は、自分が死ぬとデザベアも死ぬから。

 ただそれだけ。

 

 

『……………………』

 

 

 幾らデザベアでもその結論に辿り着かざるを得なかった。

 走るクリスの背を見ながら彼は決意する。

 

 ――クリスの命を救うことを。

 

 

 ……情に絆された訳ではない。

 

 いや、照れ隠しで言っている訳では無く、本当に違う。

 もしも、これをツンデレとか言われよう物なら、デザベアは憤死するだろう。

 

 だから絶対言ってはいけない。

 いいか、絶対だ。

 絶対だぞ!!!!!!!

 

 

 では、何故かと問われれば、誇り(プライド)

 そう。誇り(プライド)の問題なのだ。

 

 

 自分の100分の1も生きていない糞餓鬼が、己の命を案じていた所為で迷っていた?

 嗚呼、許せんだろう。そんな事。

 自らを信じている相手を騙して殺すのは良い。

 それで、屑だと罵られようが、お褒め頂き恐悦至極と笑い飛ばそう。

 だが、勝手に慈愛をかけられて、その相手が勝手に死んでいく等といった事を許して良い筈が無い。と、それがデザベアの悪魔としての誇り(プライド)だった。

 

 

 勝手に死ぬ気でいる糞餓鬼を颯爽と救った上で、「オマエ程度が俺様を心配するなど1000年早えぇッッ!!」と分からせてやらねばならぬのだ。

 

 

 ――成程。これがメスガキ分からせちゃんですか?

 

 

『見てやがれよ、ド変態がっ!誰を甘く見たか分からせてやるぞ』

 

 

 さて、そんな風に決意を固めているデザベアだが、実際どんな風にクリスを救うのだろうか。

 それを説明するには、まず1つ諸兄らの勘違いを正さねばならない。

 

 嘗て、デザベアは言った。

 クリスと自分は現在一蓮托生であり、クリスが死ぬと己も死ぬ、と。

 それは、嘘ではない。……無いのだが、しかしそこには隠している事があった。

 

 

 ――ずっとその状態の(・・・・・・・・)ままだなんて(・・・・・・)一言も言って(・・・・・・)いないのだ(・・・・・)

 

 

 簡単に言えば、多少力が戻りさえすれば、デザベアはクリスとの繋がりを断つことが出来た。

 前にクリスの生存戦略として、自分の力を取り戻させるように指示し、その戻った力でクリスを助けると言っていたデザベアだが、そんな物真っ赤な嘘である。

 本当は、力が戻った時点でクリスを見捨てて、後は勝手に死んでけよ!じゃあなっ!!!と見捨てるつもりで満々だった。

 

 やっぱりド屑じゃねえか!!!なんて言ってはいけない。何故なら喜ばせてしまうからだ。悪魔に餌をやってはいけません。

 

 さて前置きは此処までであり、デザベアがクリスを救う手段を述べよう。

 とても簡単な事だ。

 【超越者】では無くとも、それに追随出来るレベルの存在であるデザベアが、クリスの魂と器にかかる反動を一時的に受け流すのだ。

 

 但し、それをするためには1つ条件がある。

 それは、クリスとの繋がりを更に深めること。

 そしてそれをすれば、今度こそ本当の意味での一蓮托生。

 最早、クリスと離れることは能わなくなる。

 

 

『…………仕方がねぇか』

 

 

 それでもデザベアはやる事を選択した。

 後悔しないなんて事は決して言えない。

 と言うかやる前の時点で既に後悔している。

 

 後に悔いるから後悔なのに、前に悔いるとはこれ如何に?

 前悔とでも言えば良いのか。

 

 だけどもしかし。仮に何度選択を繰り返すとしても、デザベアは同じ答えを選ぶ。

 だってそれが誇り(プライド)と言う物だろう?

 

 となると残る問題は1つだけ。

 命懸けの難行となるクリスにかかる負荷の軽減を成し切れるのか。

 

 だが、まあ心配はいらないだろう。

 

 だってツヨツヨ悪魔が変態メスガキに負ける訳が無いんだが???だが!!!

 

 

 

*****

 

 

 やっぱりメスガキには勝てなかったよ――とはならずに、ご存知の通りデザベアはクリスが死ぬのを防ぎきった。

 だが、何の問題も無かったか、と言われると話は別だった。

 

 

『あ、あの馬鹿っ!!どうせ死ぬと思って滅茶苦茶やりやがって!!!』

 

 

 なんか感動的な、或いはお笑い的なシーンをやっているクリスとアレンを背にして。

 ハッー。ハッー。と息を荒らげながら、デザベアは産まれたての子鹿の様に、もしくはボディーに良いのを貰ったボクサーの様に、全身をプルプルと震わせていた。

 それもこれも、どうせ最後だから、とクリスが残る力を絞りきって、無駄にオーバーキルをした所為であった。

 これには、デザベアもほぼ逝きかけた。

 

 ……まあ、事前に負担を軽減するって伝えておけば、発生しない問題だったので、結局は自業自得なのだが。

 

 

 報連相は基本ですよ?デザベアさん!!!

 

 

 

 

 




次話が一番書きたかった話となります。


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018 アレン君の天国な地獄。或いは1人のいたいけな男の子の脳味噌が破壊されるお話。或いは勘違いタグはこの為に付けました。或いは変態「あ゛れ゛ん゛く゛ん゛か゛わ゛い゛な゛あ゛あ゛あ゛」

ずっとアレン君の脳味噌を破壊してやりたいと思ってました(唐突な殺害予告)


 

「~~~~♪」

 

 

 すりガラスの向こう側。

 浴室にて、ご機嫌に鼻歌を歌いながら、体を洗っているクリスの影が踊っている。 

 そして、アレンが脱衣所にてその光景を心配そうに見ていた。

 時間はニフトの襲撃を乗り切ってから少しした後、未だ陽が沈み始めるよりも前である。

 何故、こんな状況になっているのか。

 まずはそれを説明しよう。

 

 

 爆弾発言(なんでもする)を行ったアレンだが、別に勢いで適当な事を言った訳ではない。

 自分以外の者に迷惑が掛からない行為なら、凡そ本当になんでもする気であったし、その決意が大袈裟だとは別段思わなかった。

 何せ人の蘇生である。

 クリスが金銭なんて即物的な物を大量に欲しがるとは今更思ってはいないアレンだが、それでも敢えて金銭的価値で考えるなら、それは計り知れないほどだろう。

 人によっては、一国を買える程のお金だって、躊躇わずに払う程の奇跡だろう。

 それを考えれば一生を懸けて恩を返すなんて、やって当たり前の事であり、寧ろそれでも返しきれるかどうか……、と言うのがアレンの気持ちだった。

 何も言われずともクリスに恩を返して行く決意のアレンだが、しかし余計なお世話と言う言葉もある様に、出来れば本人の希望を叶えるほうが望ましい。

 寧ろ、頼むから何でも言ってくれ、という感じですらある。

 

 

 さて、そんなアレンに対し、クリスはたった1つだけ早速望みを伝えた。

 それはとても簡単な事。「お風呂に入りたい!…………アレン君と一緒に」と言う事だった。

 その要望を聞いたアレンは、そんな簡単な事(・・・・)、全然構わない。と快諾(・・)した。

 その言葉を聞いたクリスが、あれ?本当に良いの?????と何故か困惑していたが、別に構わないに決まっているだろう。

 というか、そんな簡単な要望を断るほど、自分は狭量に見えるのだろうか?と少しショックを受けたアレンであった。

 

 

 ただ、まずは血を一杯吐いていたことだし、医者に体を見せるのが先では無いだろうか?とクリスに提案したアレンだったが、その途端クリスが何かすごい剣幕でまくし立て始めた。

 曰く、今直ぐ入りたい!!!!ほら、体を清潔にしてからじゃないと治療も出来ないでしょ!!!!それに医者に見せるより、一緒にお風呂に入ってくれる方が回復するから!!!!!なんて事だった。

 まあ、確かに色々と規格外のクリスがそう言うのなら、そうなのかな?と思わないでも無いアレンであった。

 少なくとも出来るのなら体を清潔にしておいた方が良い、と言うのはそうだろう。

 無理して風呂場で倒れたりしないか、キチンと見守らなければと言うのを考えれば、一緒に入るべきだとすら思った。

 

 

 それに、こんな事は恩返しの内には入らない。

 何故ならアレンだって、ワクワクしないでも無いのだから。

 アレンは元貴族であり、貴族を追放された後も一般的な子供の物とは無縁の生活を送ってきた。

 それ故に、何と言うか所謂庶民的な事にちょっとした憧れがある。

 だから、ほら!如何にも普通の子供っぽい事で、面白そうだろう?――同性(・・)の友人とお風呂に入るなんて事。

 

 

 まず、体を綺麗にするから、アレン君はその後入って来てね、と言われたので、クリスが体を洗っている間、待機している次第。

 その合間に、アレンはクリスの事について思い返していた。

 

 

 ――クリス。()は凄い奴だ。同じ男(・・・)として羨望すら覚えるし、友人である事が誇らしい。そんな風に、アレンは思う。

 クリスの夢は、沢山の人と仲良くなる事だったが、彼なら直ぐにそれが叶うだろう。

 そう思えば、こうやって体を清めるのは、その夢の第1歩になるとも思う。

 

 

 人間大事なのは見た目では無いが、それでもやはり第一印象に見た目は大きく関わってくる。

 最低限、体を清潔にしておく事が、他者に悪印象を与えない上で大事な事であり、素晴らしい心の持ち主であるクリスが、見た目で他者に敬遠されてしまうのは、アレンとしても心苦しい。

 それなら、後で髪も切ったほうが良いかも、と考えた。

 

 髪を切る余裕も無かったからだろうが、クリスの髪はかなり長い。

 それに栄養が殆ど取れていなかった所為か、体も華奢だ。

 あれでは場合によっては女の子だと勘違いされてしまうかもしれない!

 ――いや、流石にそれは無いか。HAHAHAHA!とアレンは微笑んだ。

 

 

「アレ、ン、君。入っ、て、いい、よ」

 

 

「分かった今行くよ」

 

 

 体を洗い終わったのか、クリスから声が掛けられた。

 

 

「足。元。気を、つけ、てね!」

 

 

 成程確かに。相手の体を心配している筈の自分がはしゃいで、すっ転んで怪我でもしたら良い笑いものだろうと、アレンはしっかりと足元を見ながら風呂場に入る。

 

 

「ああ、クリス。怪我は大丈夫だった?辛く、無――――――――――――」

 

 

 そうして、アレンは前を向いた。

 ……向いてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そこに、【天使】が居た。

 

 

 老人の如き、乾いて水気の無かった白髪は、艷やかに滑らかに光沢を放ち、光り輝いている。

 そうなることによって、何処か不気味に感じられた赤い瞳が、それ自体はそのままに、されど妖艶で妖しげな魅力を放ちだす。

 埃と泥で薄汚れていた肌は、しかしそれが洗い流された途端、新雪の如き白さを現し、傷も、シミも、ましてや吹き出物1つ見えはしない。

 長い前髪で隠されていて、それを後ろに纏めたことで露わになった顔面は、神が直々に創り出したもうたと思わんばかりに整っており、あんな食生活を送っていたというのに、歯並び1つすら崩れておらず、その色も綺麗な純白だった。

 こびりついていた腐った生ゴミの臭いはすっかり消え去って、アレンと同じ石鹸を使ったはずなのに、少し嗅いだだけで頭がクラクラしてくるような、そんな芳しい甘い香りが辺りに漂っている。

 目の錯覚か何かか、最早全身が淡く発光している風にすら、アレンには見えた。

 

 

 

「――――――――――――――――――――――――――――――――ぇ?」

 

 

 

 そして何より。思わず見てしまった体の下の方に、アレンにも勿論付いている、男には必ず付いているモノ(・・)の姿が影も形も無かった。

 

 

 

 アレンの脳が活動を停止した。

 しかし、心臓は正反対に、爆発しそうなほどに、鼓動を早める。

 頭が途轍もなく混乱する中、アレンはそれでも何とか言葉を絞り出した。

 

 

「……クリ、ス。…………女の子。…………だったの??」

 

 

 言ってしまってから、自分はなんて失礼な事を!と慌てたアレンだったが、当のクリスはまるで気にした様子が無かった。

 ただ一瞬、目を丸くして驚いたような表情を浮かべ、その後に納得した!とばかりに、手をポンッ、と叩いた。

 

 

「一、応?」

 

 

 一応ってなんだ。一応って、とクリスのその答えを聞いて、アレンの思考が高速で、自分にすら制御できないほどに明後日の方向へぶっ飛び始める。

 

 

 ――クリスが女の子だった。それは分かった。自分が勝手に勘違いしていた。

 確かにそれは……、勘違いした事は自分が悪い。

 それは認めよう――認めざるを得ない。

 同年代の男友達が欲しいという自分の思いが、無意識的に目を曇らせていたのだろう。

 周りもそんな自分の態度に釣られて勘違いをしていたのだろう。

 だから、その事については、何の言い訳も無く自分が悪い。

 

 けれど!けれどもだ!!!!

 男の子か、女の子か判断が付きかねる容姿であったのは確かなのだ。

 勿論、それはクリスの所為では無い。余りにも酷い生活水準に追い込まれてしまったが故の物だろう。

 たとえば自分の母親(エレノア)も、凄い美人ではあるが、仮にクリスと同じ生活を10年続けたとしたら、その美しさは無残にも枯れ果てるだろう。

 そして、その後に失った美しさを取り戻そうとしたら、少なくとも同等の歳月が必要な筈だ。

 だって美は1日にして成らず。

 男である自分ではそこまで理解が及ばないが、だからこそ世の女性は必死に美しくなるための努力を続けているはずなのだ。

 例えば、かつて読んだ大衆小説で出てきたシーンの如く、奴隷をお風呂に入れたからといってイキナリ美少女に変貌するはずが無いのだ!

 仮にその素質があったとしても、結果に至るには、それ相応の時間がかかる――それが現実というものだ。

 だから、こうは成らない。

 成らないのだ!!!!!

 

 

 ……………………チラッ。

 

 

 

 成  っ  て  る  じ  ゃ  ん  !!!!!!!!

 

 

 何?何なの???????

 人間は乾いたタオルじゃ無いんだけど?????????

 水をかければ直ぐ元通り!!じゃないんだけど???????????

 5分。5分だぞ!?

 クリスが体を洗っている時間は、そんな程度の物だったんだぞ!?

 どうしてそんな僅かな時間で、一応元貴族の自分が、一目しただけでこんな事になる美少女に変貌しているんです??????

 美の化身か何かでいらっしゃる????????

 おかしい。こんなの絶対におかしいよ!!!!!!!!!

 

 

 ――ハッ!真逆、幻覚!?幻覚なのか。

 

 そうだ、きっと未だニフトの【邪視】の影響下にあるのだ!そうに違いない!!

 くっそ~~~。あの野郎、なんて物を見せやがる!!

 

 

 あ  り  が  と  う  ご  ざ  い  ま  す  ッ !!

 

 

 ……い、いや違うっ!そんな風に思っていない!!!

 

 

 

 ――ここまで5秒。まるで死を間近にした走馬灯の様に、アレンの思考は荒ぶっていた。

 だが仕方の無いことだろう。

 大悪魔がオマエ絶対に体綺麗にするなよ!!とフリではなく何度も念入りするレベルの美貌。

 産まれる時に手違いで、全てのステータスを魅力値に極振りしてしまったかの様な、と言われるレベルの女だ――面構えが(文字通りに)違う。

 しかも恐ろしいのは、これで未だ完成形では全然無いということだ。

 栄養が足りなくて、痩せすぎであるし、顔色だって悪い。

 多分、磨ききった場合の美しさを100とするのなら、今の数値は10位だった。

 やはり美の化身…………?

 

 

 尚、アレンの意識が明後日に飛んでいるその間に、クリスがこっそりと素早く浴室のドアを締めて鍵を掛けた上、ドアとアレンの間に立って、簡単には出られないようにしていた。

 

 

 自分の部屋に、騙して子供を連れ込んだ不審者の手口を止めろ!!!!!

 

 

 

 最早、思考がグチャグチャに成っているアレンであったが、しかし現状をマズイ!とだけは認識した。

 まだ湯船に浸かってもいないのに、脳味噌が鍋で沸騰させられているかの様に茹だって、何がマズイのか上手く考えられなかったが、とにかくマズイ!!とだけは思った。

 

 

「ああああああああああああああああ、のののののののののののののののののの」

 

 

 もしやア○ルにバ○ブでも挿れてらっしゃる?ってぐらいに言葉が震えるアレンだったが、何とかかんとか言葉を形にする。

 

 

「やややややっっぱぱぱぱぱ。オオオレレレ、出出出出てててて――」

 

 

「私、友、達と、一緒。お風、呂、入り、たい、思っ、た。だけ、ど。アレ、ン君。私、と、入る、のヤ?」

 

 

「かひゅっ――――」

 

 

 目を伏せて悲しげに話すクリスの様子に、アレンが呼吸困難になったかの様に息を吐き出した。

 異性だから不味いと言う当然の話を、さり気なく友達としてどうかという話にすり替えているのが、ポイントが高い部分である。

 だがしかし、そんな部分に気がつけるほど今のアレンに余裕は無かった。

 

 

 ――きっとクリスは純粋なんだ。

 

 あろうことか、アレンはそんな答えにたどり着いてしまった。

 未だ子供のクリスに男女云々なんて関係なく、ただ純粋に友人と楽しみたいだけなのだと……。

 そう考えると、焦って出ていこうとしている自分の方が過剰反応で、逆に恥ずかしいことに思えてしまう。

 

 

「……べべべべつに。嫌では無いけどっ…………」

 

 

「じゃ、あ。体、冷め、る、から。早く」

 

 

「わっ!く、クリス。押さないでっ!」

 

 

 言質を取ったその途端に、クリスが強引にアレンの体を浴槽へ押し込んだ。

 そして自分も、そそくさとお湯に浸かりだす。

 さて、此処でアレン君曰く純粋らしいクリスちゃんがどう思っているか見てみましょう。

 覚悟の準備は宜しいですね?

 

 

 

 

(あ゛れ゛ん゛く゛ん゛か゛わ゛い゛な゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛)

 

 

 ポリス!ポリィィィィィィス!!!コッチです!!!コッチに不審者が!!!!

 子供を襲っていますっ。早く来て下さい!!!

 間に合わなくなっても知らんぞぉオオオオオオ!!!!!!!!

 

 

 

 最早、当然分かっていると思うが、ある意味純粋(に変態)だとは言えるが、アレン君が考えているような意味での純粋では無い。

 こんな変態が美少女の体に入っていてとても残念――と言えないのが、ある意味更なる残念な点であった。

 

 どう言う意味かと言えば、クリス(魂)は非常に癪ではあるが【超越者】であり、その魂に秘められた力は一般人と比べて桁が違う。

 つまり、なんと言うかだ……。乗ってしまっているのだ。

 こう、超常的な威圧感とか、神様めいた神聖さ的な物が。

 先程アレンはクリスの全身が輝いている様に見えると思ったが、それは違う。

 様に(・・)では無く、実際に淡く神々しく発光しているのだ。

 

 結果として今のクリスは、普通の意味での可愛いや綺麗、と言った人間的な美だけではなく、偉大な芸術や広大な自然を鑑賞した時に感じるような美すら獲得していた。

 

 

 今の彼女の状態に、最も近い言葉を1つ挙げるとするのならば【美の女神】である――いや、比喩でも何でも無く。

 例え重度の女嫌いですら、彼女の姿を見て嫌悪感を抱くことはない、そんなレベルである。

 さてはて。そんなレベルの魅力を、元から容姿だとか関係無く心底親しみを感じている人間が、超至近距離から不意打ちでブチ込まれると一体どうなってしまうのか――。

 

 

「ん、お湯。熱、かっ、た?」

 

 

「……ぅ。……ぁっ」

 

 

 半ば無理やり入れられた風呂の中、アレンが「茹で蛸かな?」って位に顔を赤くしていた。

 彼の瞳は基本的にクリスから逸らされているが、割と頻繁にクリスの方へチラチラと向いてしまっていた。

 いや、バレない様に盗み見ていると言う意味ではなく、アレン自身の意思に反して、勝手に視線がクリスの方を向いてしまうのである。

 しかも、それに気付いて直ぐに目を逸らす様にしていると言うのに、その僅かな時間で目に入ったクリスの姿が、網膜に焼き付いたかの様に、頭の中で鮮明に再生されるのだ。

 

 ……もう彼はダメかもしれませんね。

 何と言うか、脳が破壊されかけていた。

 

 

『可哀想に…………。体がガチガチじゃねえか』

 

 その様子を空中から観察していたデザベアが、流石に哀れそうに言い放った。

 それに対しアレンに聞こえない様に、デザベアとの同調率が更に高まったことで使えるように成った念話で、クリスが答えた。

 

 

『嫌、がっ、て、ない、から、大丈、夫!!』

 

 

『いや、まあ…………。今のお前を相手に嫌がる男なんて殆どいないだろうけどよ……』

 

 

 

 一応、クリスを擁護?しておくのなら、彼女の認識的には現在、然程猥褻的な行為をしている気は無かったし、する気も無かった。

 え~?ほんとでござるか~~~~???と思う人が多いだろう。

 しかし、これまでを見れば分かるように、クリスは変態ではあるが、現代日本的倫理を弁えた変態である。

 ストライクゾーン的には大丈夫でも、子供相手に手を出す気など、最初から無い。           

 これでも条例は守る女である。

 そもそもの話、ヤってしまうと、アレン君のアレン君(意味深)がアレン君(動詞)して、アレン君がアレンちゃん(TS第二号)になってしまうので、仮にアレンから手を出されてもやんわり躱すだろう。

 

 

 例えばこうやってお風呂に入る事だって、今の体なら女湯にだって入れるが、「自分的には女も男も無いけど何かズルっぽいから止めておこう」と思っている位なのである。

 だけども、じゃあ逆に男湯ならOKだよね!!!!とか思ってはいるのだが。

 

 

 現  在  の  姿  を  考  え  ろ  ! ! ! !

 

 

 まあその自分の容姿に関する認識でも、もし仮に自分が男の姿のままこの世界に来てこの変貌を見たとしても、ほんの少し驚くくらいでなんにも態度を変えないので、そこまで大した事だと認識していないのだ。

 

 

 お 前 の 認 識 で 物 事 を 測 る な ! ! ! ! ! !

 

 

 結果、クリス的に現状は、(精神的には)年下の男の子を、ちょっと揶揄いながらスキンシップを取っている位でしか無かった。

 仮にアレンが少しでも嫌がっていれば直ぐに止めたことだろう。

 なに恥ずかしがってるのは、良いのか、だって?

 ――知らん。それは管轄外だ。

 

 

 そこまで贅沢に金を使う訳にも行かないアレン達が借りている宿屋なのだから、そこに付いているお風呂もあるだけマシ程度の物である。

 その浴槽は狭く、子供と言えども2人一緒に入ると大分近づかなければならない。

 クリスはアレンが自分から目を離した隙を付いて、その首筋に息を吹きかけた。

 

 

「ふぅ~~」

 

 

「ほひょぉぉああああああああ!?なななな、なんで!?なんでっ!?????」

 

 

(あ゛あ゛~~~~。心がぴょんぴょんするよお゛お゛お゛お゛~~~~)

 

 

 クリスは凄い勢いで自分のHPが回復していくのを感じていた。

 え?HPとは何かって?

 

 Hentai Pointの略ですよ?常識です。次のセンター試験で出る可能性があるので受験生の皆は覚えておきましょう。

 

 

 しかしながら心の中はこんなクリスなのに、表情として出力されるのは、嫋やかな微笑だった。

 それを見て、アレンの表情が一段と紅く染まる。

 

 

「ふふっ」

 

「ぅぁっ」

 

 

 もうダメだった。殆どお湯に浸かっていないが、これ以上居ると、アレンは色々とダメになってしまいそうだった。

 

 

「ももももももう、体あたたたたたまったから、オレレレレレ、もう出るからららららららら」

 

 

「背、中。流す、よ?」

 

 

「大丈夫だからっ!!!!!」

 

 

 そんな事をされようものなら、自分の心臓はショックで止まってしまう。

 アレンは決死の否定を繰り出した。

 

 

「分か、った。私、も、出る!!」

 

 

 そう言うとクリスは浴槽から立ち上がった。

 アレンの!!!目の!!!!!!前で!!!!!!!!!!!!!!

 

 

「わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 

 絶叫するアレン。

 これは、目の前で母親を惨殺された時と同じくらい声が出てますね……。

 

 

「俺が先に出るからクリスは後から来てっ!!!!!!!!!!」

 

 

「え~」

 

 

「えー、じゃないっ!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 そう言ってアレンは大慌てで浴室から飛び出していった。

 それは、それは、必死に。

 

 

 しかし、まあ。それで騒ぎが収まったかと言えば……………………。

 

 

「おい、アレン?風呂で騒いでどうした」

 

 

「いや、それは――」

 

 

 ドアが開く音。

 全裸で飛び出してくるクリスの姿。

 

 

「私も、出た、よ!!」

 

 

「――――は?」

 

 

「ああああああああああああああっ!?????おじさん見ちゃだめぇえええええええええええええええええええええええええええええっ!!!!!!!!!!!」

 

 

「ちょっと、皆。私に安静にして寝ていろと言った癖に何を騒いで――は?????アレン、兄貴。私の見てない隙に見知らぬ女の子を誘拐するなんて、余程玉ァ~潰されたい様だな?????????????」

 

 

「ま、待て。エレノアッ!!!俺にも何が何だか分かってない!!!!」

 

 

「ちがっ、母さん。違うんだよおおおおおおおおおオオオオオ」

 

 

「着替、え。どう、すれ、ば、いい、の?」

 

 

 あ~。もう滅茶苦茶だよ。

 

 

 

 



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019 目指せ聖女!…………おい、待て。何だそのルビは?????

 

 ニフトの襲撃事件より1ヶ月の時間が経過した。

 時間経過によって生じた変化を挙げると、まずルークが今度こそ次の街への移動を開始した。

 色々とありすぎて、事件直後も数週間はヒュアロスの街に留まっていたルークだったが、流石にずっとは居られない、という事である。

 そうした次第で現在、アレンとエレノアと3人暮らしであるクリスであった。

 

*****

 

 ――街の中を1人の少女が歩いている。

 その足取りは軽やかに、されど同時に密やかに。

 別に我が物顔で道の真ん中を闊歩している訳でも、周囲の迷惑も考えず大声で叫びながら練り歩いている訳でも、或いは人の目を悪い意味で惹きつける奇抜な格好をしている訳でも無い。

 言ってしまえば普通に歩いている、ただそれだけ。人の注目を浴びる要素など欠片も無い。

 ……だというのに、少女は街の視線を独り占めにして集めていた。

 

 

 一体何故そんな事に?その少女に何らかの特殊性があるのか?と聞かれれば、答えは有る。だって。

 

 

 ――少女は美しかった。

 

 ただ、それだけ。それ以上の言葉を使う必要性が無い程に、只々美しい。

 美、と言う言葉が、意識と実態を持って、この世に降臨したのなら、きっとこうなるのだろう、と断言できるほどの美しさ。

 

 

 あらゆる穢れから解き放たれたかのような純白の長髪は、陽の光を受けて燦々と煌めき、まるで、頭上に天使の輪が、背に天使の羽が生えているかの様!

 目に浮かぶ赤い瞳は、どこまでも深く妖しげで、その瞳に見つめられれば、それがほんの僅かな時間であろうとも、意識が遠い場所に連れていかれてしまう気がする。

 顔の造形の精工さなど最早語るまでも無く、例え歴史に名を残した芸術家の技術の粋を集めて彼女の彫像を作ったとて、そこにある美を1割再現できるかどうか。

 体格は凡そ10代中盤くらいといった所か、仮にこれで10に届くかどうかの年齢であるのなら、相当発育が良いと言えるだろう。

 着ている服装は至って平凡なワンピースであったが、彼女が着る事で天上の法衣も斯くやとばかりに引き立てられていた。

 

 人とはここまで美しく成れるものなのかと思わんばかりの、美の極点がそこにあった。

 

 

 そんな、少女が街を歩いていれば、周囲の男の視線を集めるのは、火を見るよりも明らかで、道行く男の誰も彼もが、少女を認識した瞬間に惚けた様に足を止めていた。

 中には女性の連れが居る男性も存在したが、何一つ抗う事が出来ずに少女に注目してしまっていた。

 だがそれによって諍いが起きる様子は無かった。

 

 

 何故なら、女性すら(・・・・)見惚れて(・・・・)いたからである(・・・・・・・)

 

 

 

 そしてその事実は少女の美が、人間的領域を踏み越えている物である事を示していた。

 

 

 別に女性に限らず、人は自分の能力を上回るものを見せつけられると、それがどれだけ自分より優れていたとしても嫉妬をするもの。

 それ自体は決して恥ずかしい事では無いし、正常な感情の動きだと言える――無論、自分の身を滅ぼさない程度なら、と前提条件は付くが。

 寧ろ、全く何も感じない方が、向上心やプライドに欠けるとすら言えるだろう。

 

 ただ、それは飽くまで同じ人間の範疇に収まる能力に対しての話だ。

 

 如何な力自慢とて墜落する隕石を砕こうと思うか?

 駆け足に自信があっても吹きすさぶ竜巻と並走出来るか?

 

 それらと同じく、どれほど自分の美しさに自信がある女性だとて、例えば遥か高い山の頂からの景色や、澄んだ大海原の景色と言った大自然と、自らを比べるだろうか?

 

 勿論、する筈も無い。

 冗談ならば兎も角、真面目に勝っただ、負けただと言う様なら、周りから頭の可笑しい人扱いされるだろう。

 よって、少女の美とは最早そう言う領域。

 

 

 連れの男の視線を奪われた女が、屈辱に身を震わせるでも、嫉妬で拗ねるのでもなく、「凄い物見たね!」と隣の男と朗らかに談笑しているのだから、言葉も無い。

 

 

 老若男女、それこそ絶対に道を譲りそうにない厳つい男とて、少女の歩みを邪魔しないように、恭しく道を空ける。

 別に少女が何らかの命令や威圧感を出している訳では決してなく。

 敢えて言うのなら、綺麗な花が沢山咲き誇った花畑、だろうか。

 余程、捻くれた人物でも無ければ、花を踏みつけつつその真ん中を横断などしないだろう。

 これは、つまりそういう事。

 

 

 さあ、そんな可憐な少女は一体今、何を思って道を歩いているのだろうか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(皆、離れる所為で【自主規制】の観察がやり難いじゃん!!!!!!!!!)

 

 

 ――ええ。はい。

 何時ものクリスちゃんです。

 

 

 

*****

 

 ――何もしていないのにこうなった。

 

 

 クリスとしてはそう言うしかない。

 

 

 何もしていないのに○○になったというのはね……、何かした大嘘吐きの言葉なんですよ……。と全国のカスタマーサービスにお勤めの方々は言うだろうが、今回に関して言えば、本当に大した事はしていなかった。

 

 まず例えば肉付きや体格だが、アレン達と同じく過度に贅沢な訳でも無い一般的な食事を取っていただけなのだが、それだけで欠食児童その物だったクリスの肉体はすくすくと育っていった。

 その時点ではまだ、「お肉が付きやすい体なのかな?」程度の感想だったのだが、ある程度均整がとれた体になるまでは速攻で肉が付いた癖に、その後はどれだけ食べても胸以外は欠片も太らなくなっていた。

 

 これには流石の能天気人間クリスも「ええっ……?」となっていた程である。

 

 

 髪や肌に関しても同様で、健康的に過ごしているだけで、どんどん艶と張りが増していき、じゃあスキンケアとか効果無いのか、と言えばそんな事も無く、エレノアが使っている化粧品やら何やら使おうものなら次の日に髪や肌が光り輝いたかと思わんほどに調子良くなった。

 エレノアの呆気にとられた「うそぉ……」という言葉は今もクリスの耳に残っている。

 

 しかも、何が不味いって、美しさが一定以上を超えた段階で、彼女の意思に反して、魅了や魅惑的な力が流れ出すようになってしまったのである。

 ある日突然、自分を見た人間が老若男女問わず鼻血を噴き出して傅いてくる様は、流石のクリスをして「ふぁっ!??????」と成らざるを得なかった。

 しかもこの魅了、人から人に飛沫感染どころか存在感染していくらしく、1人クリスに魅了された人間が出ると、後はクリス本人が居なくとも感染者が倍々ゲームで膨れ上がっていく様だった。

 多分、何もしなかったら数か月以内に世界全員が感染していた。

 

 

 歩く新型ウイルスか何か?

 

 

 これは流石に不味い、と大慌てで血反吐を吐きながら治療した後、自分の力を必死に抑えている次第である。

 今のクリスの状態を普通の人間で例えるのなら、呼吸を殆どしない様に我慢している状態であった。

 それでも、先ほどの様に周りの目線を惹きつけまくるのだから、大概おかしいと言わざるを得ないだろう。

 

 しかも、だ。

 クリス自身が、洗脳やら魅了と言った人の意思を捻じ曲げる力をまっっっっっっっったく欲しいと思っていない為、この程度(・・・・)で済んでいるのだ。

 もしもクリスにそれらの力を使う気が、ほんの僅か、刹那ほどでも存在していたら、多分数秒以内に世界の全てがクリスの恋の奴隷に堕ちる。

 

 

 ……気軽に世界征服完了しないで頂けますか?????

 

 

 

 今の体になった事で、基本ゴミみたいに弱くなっているクリスだが、こと魅力関係に関してのみは、魂と肉体が変な相乗効果を発揮してヤベー事になっていた。

 しかし、それが役に立っているのかと言えば、先程述べたように唯でさえ悪い体調の中、自分の力を必要以上に抑えなくてはならなくて、デメリットにしかなっていないのが、辛い所である。

 

 

 

 そんなこんなで、色んな人の脳を自動で破壊する兵器と化したクリスだが、街を歩きつつ、人目の少ない広場へと辿り着いた。

 気持ち良さげに吹いた風が、白い髪を靡かせる。

 その様は風を受けている奴の内面さえ考えなければとても絵になっていて、もし見物人が入れば雑に心を奪われていただろうが、幸いにも犠牲者は居なかった。

 

 

「――――ベア、さん」

 

 

「応」

 

 

 クリスの呟くような問いかけに、デザベアが応える。

 態々こんな所まで、クリスが出かけてきたのは、デザベアと話をするためであった。

 別に話自体は念話を使えば、どこだろうとバレずに出来る。

 ……出来るが、大事な話はやはり口で喋りながらしたい、と言うのがクリスの思いだった。

 

 

「それにしても、最近は随分幸せそうじゃねえか」

 

 

 しかしながら、話の口火を切ったのはデザベアの方だった。

 獣の牙を震わせて、笑いながらクリスに話を投げかける。 

 

 

「う、ん。そう、だね」

 

 

 元の世界での家族や友人の事は忘れていないし、忘れる気もない。

 しかしアレン達は自分に非常に良くしてくれて、そういった意味で自分は幸せだとクリスは断言できる。

 

 

「――だけど、心に引っ掛かる点がある、と」

 

 

「………………」

 

 

 或いは、このまま安寧に浸り続けても、誰も何も言わないだろう。

 別にこの世界でクリスが何かを果たさなければならない責任がある訳でも無い。

 けれどもしかし、喉に刺さった魚の小骨の様に、クリスの心に引っ掛かる物があるのだ。

 

 

「あ、の。ニフ、ト?さん、の言って、いた、こと」

 

 

「やっぱり奴、か。だが敵だろう?」

 

 

「う、ん」

 

 

 基本、他人に怒気や敵意を余り抱かないクリスではあるが、そう言った感情が無い訳ではない。

 友人であるアレンにあんな真似をされれば、普通に怒るし、許せないとも思う。

 けれども何故か、ニフトに対してはそんな思いが余り湧いてこないのだ。

 寧ろ――

 

 

 

「でも。――救い、たい。思う。」

 

 

「ふぅん。その気持ちは分からんが、奴の行動に色々な疑問点があるってのと――この世界に、なにかある(・・・・・)ってのは同感ではあるな」

 

 

 襲撃時のニフトの態度や言動からして、あれが唯ニフト個人が怨恨や浅い考えで動いていただけには到底思えないのだ。

 背後に――より詳細に言えば、この世界に巨大なナニカが蠢いている。

 そう思わざるを得ない。

 色々と感覚で探って半分くらいは(・・・・・・)察しているが(・・・・・・)、クリスとしては放っておけない、とそう思う。

 

 

「だか、ら。あの、人が、言って、いた、こと。やって、みたい。思、う」

 

 

「人の希望を集める立場云々って奴か」

 

 

 皆を救ってくれる気があるのなら、どうか人の希望を集める立場になって欲しい、ニフトはそう言った。

 普通に考えれば敵の言うことなんて信用するに能わないのかも知れないが、クリスにはあの言葉が、なんとか自分の為に絞り出してくれた言葉であり、罠では無い様に思えるのだ。

 だから、それを目指してみても良い、そう感じる。

 

 

「――ま、良いんじゃねえの」

 

 

「ベア、さん!」

 

 

「お前ならなんとなくそう言うかもって思ってたしな。なに、乗りかかった船だ、俺様も今更降りやしねえよ。……いや、降りたくても降りられないんだが」

 

 

 何時になく殊勝なデザベアの言葉だが、珍しくそこに他意は無い。

 一般的な道徳観念なぞ、豚にでも食わせとけと思っている彼だが、だからこそ自分のルールにはよく従う。

 今更クリスを邪魔するのなら、そもそもニフトとの戦いの時に助けなければ良かっただけの話であり、だからこそ今の所はクリスに何もする気は無かった。

 デザベアの肯定を受けてクリスの顔が綻んだ。

 その喜びのまま、彼女は此処に宣言する。

 アレンたちから色々と話を聞いて、ピッタリな物を見つけたのだ!

 

 

「だか、ら。私、成る、よ!人の、夢を、集め、る、存在――」

 

 

 そうそれは祈りと希望をその一身に集める存在。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――(オナ)(ペ○ト)、に!!!!!!」

 

 

 

「そうか、やはり聖女に――――あんだって?????????????????」

 

 

 

「オナペ○ト!!」

 

 

 キリッ、とキメ顔でクリスは宣言した。

 言っている内容は最低だった。

 

 

「アレン達から、聖女云々について聞いてたよな?それを目指すんじゃないのか????」

 

 

「う、ん。そう、だよ?」

 

 

「じゃあなんで?????????????????」

 

 

 何だコイツイカれてやがんのか?デザベアはそう思った。

 割と今更である。

 

 

「聖、女、って、良く、分かん、ない、けど。アイ、ドル、みたい、な、物、でしょ?」

 

 

「いや、違うと思うが……。だとしても何故オナペ○トなんて話に……?」

 

 

 

「え?だって、アイ、ドル、って、年、頃の、異性の、子供を。性に、目覚め、させ、る、物で、しょ?」

 

 

 

「なんて事言いやがるッッ――!?」

 

 

「私も、嘗て、は、アイ、ドルが、夢、だった。でも、友達の、女の子、に、自分、その子、がファンの、アイ、ドル、グループ、にピッ、タリ、思わ、ない?聞い、たら、何日、か話、聞いて、くれ、なく、なった」

 

 

 クリスに悲しき過去――。

 

 

「でも、今なら、大丈、夫!きっと、全ての、子供の、(下半身に)夢を、与え、られ、るっ――!!」 

 

 

 世の年頃の男子を精通させて行け。

 

 

「定期的に頭おかしくなるの止めて貰って良いスか?」

 

 

「一番、搾りっ――!!」

 

 

「クソみたいなセクハラ発言を止めろ!!――もっと、こう……。あんだろ?傷ついたり悲しんでいる人を救うだとか!!!!」

 

 

「それ、は。やって、当然、の、前提、条、件、では?」

 

 

 

「急に真面目になんなや!!!!!!!!!!」

 

 

 

「ずっと、真面、目、だけ、ど?」

 

 

 至って普通の救済を為す気はクリスにもあった。

 遍く人々の希望と夢を守り叶えて、平和にしたい、と。

 ただ、その上でエッチな事を考える余裕があるのが更なる平和って事だよね!!!!!って真面目に思っているだけで。

 

 

 聖人と性人を同時に出さないで貰えますか????

 

 

「大、丈夫。ベア、さん。私、分かっ、てる!」

 

 

「絶対何も分かってないと思うが、なんだ。言ってみろ」

 

 

「――ガチ、エロは、駄目、だと」

 

 

「はい、分かってない!分かって無いよ~~~~」

 

 

「姫、騎士、には、姫、騎士の。娼、婦には、娼、婦の。エロ、がある」

 

 

 クリスは語る――別に聞かれてもいないのに。

 エロにはその人の立場に応じたエロがあるのだ、と。

 多分イメクラとかそんな感じ。

 

 

「聖、女に求め、られ、るの、は。清純、さ!よって、理想、は――」

 

 

 敢えて一般的なイメージより離していくという【外し】と言う技術があるにはある。

 しかし、正道あってこその邪道。ここは王道を行くべきだとクリスは決めていた。

 クリスのドスケベIQ180以上の頭脳が、此処に答えを導き出す!!

 

 

「――少年、漫、画の、お色気、枠っっ!!!!!!!」

 

 

 数多の男の子を精通に導いた偉大な作品達こそ、自分が目指すものだと、クリスは決意した。

 

 

「取り敢えず全ての聖女やアイドルに謝ったほうが良いと思う」

 

 

 悪魔が聖女の擁護をしているとか言う異常事態を起こすな。

 

 

「Iで、いちごで、トラ、ブって、いく!!!!」

 

 

「話聞けや」

 

 

「先生、方。その、節は、愚息が、お世話に、なり、まし、た――!!」

 

 

「お前の下事情なぞ聞きたくない!!!!!!」

 

 

「あや○し、トラ○、アン、グル。異世界、より、応援、して、おり、ますっ!!」

 

 

「丁度、お前もTSしたことだしな――ってうるせぇわ!!!!!」

 

 

 日本の男の子達の性的嗜好はきっと神が壊してくれるから、異世界の男の子達は私が導かなくては。クリスは天命に身を震わせた。

 

 

「どう?ベア、さん!これが、私の、決意!!!!!!!」

 

 

「………………………………取り敢えず」

 

 

「取り、敢え、ず?」

 

 

「やっぱあの時死んどきゃ良かったんだよ、テメェはヨォオオオオオオオオオオ」

 

 

「どう、して!?」

 

 

 目を丸くしてビックリするクリスと切れるデザベア。

 

 

 これから1人と1匹の旅路がどうなるかは分からないが、しかし騒がしくなる事だけは確実だった、

 

 

 

 

 

――――第一章 完

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




この後は幕間的な短い話を挟みつつ、2章以降の話を練ってきます……。


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第一章幕間
湯上り珍騒動


 

 

 

 アレンの脳味噌が破壊された入浴の直後。

 

 アレン達が借りている宿屋の部屋の中。

 エレノアが大慌てで買って来た女物の服を着て、クリスが楽し気に佇んでいた。

 着ている服はサイズが大きめで丈が余っていたが、クリスの体の正確なサイズをエレノアは知らないので、万が一にも着れない事が無い様にある程度大きめの物を買って来たから仕方が無いだろう。

 

 

 尚、エレノアが衣服を買いに行っている間のクリスだが、タオル一丁で部屋の中に居させる訳には行かないと、再び風呂にinさせられていた――無論、全裸など論外である。

 そうして一先ず、すっぽんぽんお化けからクラスチェンジを果たしたクリスの事を、呆然とした表情でエレノアとルークが、真っ赤っかで上の空な様子でアレンが見つめていた。

 

 

 ――美少女だ。

 美少女なのである。

 だってもう体が光り輝いている。LED化工事完了済みなのだ。

 これはもう美少女でしか無かった。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

「なん、だろ?この、空、気」

 

 

 無言。痛いほどの静寂が部屋の中に溢れている。

 もはや、頭がクラクラと熱に浮かされているアレンを除けば、エレノアもルークも何を喋って良いのか分からないような状態だった。

 だからクリスが代わりに喋りかける事にした。

 

 

 

「え、と。2人、とも。アレン、君、と、同じ、勘、違い、です、か?」

 

  

「……う」

 

 

「それは……」

 

 

 

 こんな変な空気になるって事は2人とも、自分の現在の性別の事を勘違いしていたのだろう、とクリスは推察した。

 気まずげに目を逸らす2人だが、この場合の沈黙は肯定と同様だ。

 

 

 男か女か分からない容姿であったクリスの性別をアレンが男と判断し、残る2人に同性の友人だと紹介した。

 だからと言って性別を勘違いするか?と思うかも知れないが、君って性別どっち?と聞くのはそれはそれでアレであるし、クリスの行動の端々から少年っぽさを感じられたと言うのもある。

 クリスの中の人を思えばそれは正解であり、アレンを含めた3人の事を鋭いと言って良いか、鈍いと言って良いかは微妙な所だった。

 

 

 と言うかだ!

 ただ単純に男と女を勘違いしていただけであったのなら、ここまでの空気にはならないのだ。

 もし、孤児スタイルのまま女児であると判明していたのなら、驚きはせども皆冷静に対応しただろう。

 いや、その場合でもアレン君の心は持っていかれるやも知れないが、残る2人はそれを微笑まし気に見る筈だ。

 

 

 だと言うのに、変態の変態が余りに変態的過ぎた。

 

 

 芋虫が蝶に、どころでは無い。

 芋虫が鳳凰になったかの如き変化である。

 

 

 ホラーかな??? 

 

 

 

「その、ゴメンね。クリスちゃん?」

 

 

 

「ああ、俺も気遣いが足りなかったようだ」

 

 

 

「気に、して、無い、から、大、丈夫、です!」

 

 

  

 クリスからしてみれば今の自分は男でもあり女でもある様な状態であったので、どちらとして扱われようが別段文句は無かった。

 ぶっちゃけ、親から貰った体を失った事自体は悲しんでいるクリスだが、女になった事は、どうでも良かった。

 嬉しがるのでもなく、嫌がるのでもなく、どちらでも良いのである。

 何故なら、男であっても、女であってもクリスの取る行動に大した変化は無い。

 勿論、相手の迷惑にならない様に性別に応じた気遣いなどはするから、そう言った意味での変化はあるのだが、しかし本質的な所――クリス自身の感情は何も変わらない。   

  

 

 TS物の醍醐味その1、性別が変化したことによる感情の変化。をガン無視していく奴なのでTS物に自慢ニキに謝ってほしい。

 ただし、TS物の醍醐味その2、元々の性別が同じ相手への距離感の近さ、に関してはアレン君に存分に味わって貰った次第である。

 

 

 

(それにしても、そんなに判り難かったかな)

 

 

 別に気にしてはいないが、そんなに間違えられているのがクリスとしては不思議だった。

 子供や老人、赤ん坊やらひよこの性別なんて、見ればその瞬間に判別出来るだろうに、と。

 

 

 

 ひよこ鑑定士にでもなれば良いのでは????  

 

 

 

「それにしても……。クリスちゃん?駄目よ、女の子がみだりに肌を晒しちゃ」

 

 

 エレノアが告げた言葉に、クリスでは無くアレンがビクゥッッ!!と背を震わせる。

 気分はさながら、死刑執行を待つ囚人だった。

 

 

「確かに、子供の頃に男の子に混ざって遊びたくなる気持ちは分かるし、別にそれが悪い事だとは言わないわ。でも、大きく成ってきたら、分別はつけなければいけませんよ」

 

 

 

 それは差別ではなく、区別である。

 

 

 エレノアも子供の頃は、女の子同士遊ぶよりも男の子に混じって遊んでいた性質である。

 だから、女の子は女の子らしくしなさい!だなんて事を言う気は毛頭無い。

 それに、クリスやアレン位の年頃なら男女が同じ様にしていても、ギリギリセーフではあるだろう。

 

 

 ……がっ!……ダメッ!!……今回は別ッッ!!!!……認められないッッッッ!!!!!!

 

 

 だって顔がッ。顔が余りに良すぎるのだ!!なんか光っているのだ。

 こんなん、この距離感で放り出したら、秒で修羅場が起きてしまうっっ!?っとそんな具合にエレノアは嘗てない戦慄に身を震わせていた。

 

 

 

「でも、友達と、お風呂、楽しい」

 

 

 

「それなら、私と入りましょう。ね?」

 

 

 

 息子(アレン)の自制心が死ぬ。

 クリスを放っておいた場合の、もはや確定された未来とすら思える光景を避けるべく、エレノアは言葉を発した。

 …………正直、もう既に遅いような気がしないでも無いのだが。

 

 

 

「うー、ん」

 

 

 対するクリスとしてはエレノアの提案自体は嬉しい物である。

 おっパイ!おっパイ!!のうっほほ~~~いだ。

 

 

 だがクリスとしては前にも言ったが、自分自身的には男女どちらに対する壁が無くとも、一応元々男であった以上、肉体が女になったからと言って、それで女性とスキンシップ取り放題!!と言うのは気が引けるのだ。

 よってクリスは返答に些か困っていた。

 

 

 

 その配慮をアレン君にもしてあげて欲しかったですね……。

 

 

 

(あ!逆に丁度いいかな?)

 

 

 どうしたものか、と悩んでいたクリスだが妙案を思いつき、自分の頭の上で電球がピコン!と点灯するのを感じた。

 そもそも、クリスとしては自分が元々男であった事を隠す気など大して無いのだ。

 普通そういうのって隠そうとするものでは……?と思うのが普通の考えだろうが、クリスの思考は基本アレだ。

 別に声高々に吹聴する気は無いが、厄介な呪いさえなければ親しい人たちには包み隠さず話していただろう。

 だからこの話の流れは寧ろ僥倖。

 女の子になった事を正確には伝えられずとも、それっぽい話をしておこう!とクリスは考えた。

 

 

 

 止めてくれないか!君がそうやって香車みたいに真っ直ぐにしか動かないせいで、呪いだ加護だをかける便利キャラにさせられたデザベアさんがいるんだぞ!!

 

 

「あ、の!!」

 

 

「ん、どうしたの」

 

 

「私、男、の子、として、育て、られ、ました!!」

 

 

「え?」

 

 

 そういう事にしておくのが、言える範囲では一番真実に近いだろう、とクリスは思った。

 聞いていた3人は驚くと同時に、それで男の子っぽく感じたのか……、と納得も覚えた。

 

 

「それは……。あんまり良くはないわね」

 

 

 自分たちも性別を勘違いしていた手前、言い難い所ではあるのだが、それでも親としてそれはどうなのだ、とクリスの生みの親に怒りを向けるエレノア。

 冤罪ではあるが……まあ、元から死にかけの子供を捨てて出て行く親なので構わないだろう。

 

 

「だか、ら。そう、言う、風に、扱、って、くれる、と、嬉しい、です!!」

 

 

「そうね」

 

 

 エレノアは微笑んだ。

 

 

「駄目よ」

 

 

「え」

 

 

 目は笑っていなかった。  

 

 

「だけど」

 

 

「駄目よ」

 

 

「あの……」

 

 

「駄目です」

 

 

「で」

 

 

「駄目」

 

 

「…………………………はぃ」

 

 

 取り付く島も無かった。当たり前である。

 

 

「さ、いい子だからね?」

 

 

「わーい」

 

 しょぼんとするクリスをエレノアが優しく撫でる。

 それだけで、クリスの機嫌は簡単に直った。

 自分の髪やら肌やらが優しく撫でられるのを、クリスはむふーと堪能する。

 

 

「凄くサラサラっ、凄くもちもちっっ。これが、これが若さ――!?ちょっと体を洗っただけでこれなら、本気を出したら一体どれほどの――!?」

 

 

 それはそうと、エレノアはエレノアで更なる衝撃を受けていた。

 どうして1時間も経たない時間でこんなになるの?????と頭の中が疑問符で一杯である。

 

 

「いや、変貌と言う意味ではお前も人の事を言えた義理では――」

 

 

 

「お・に・い・さ・ま??????????」

 

 

 ルークは黙った、然もあらん。

 そうして、呆然としながらクリスを撫でまわしていた、エレノアだが、ある事に気が付いた。

 

 

「あれ?クリスちゃん?熱がありそうだわ」

 

 

 先ほど死にかけたばかりのクリスの体調は最悪である。

 しかし、とは言っても気力を色欲で満たして平然と動いていたためクリス自身、自分の体調が悪い事を言われて思い出したくらいであるのだが。

 だけども、丁度いいからこれも伝えとくか、とクリスは口を動かした。

 

 

 

「えと、私。持って、る、力の、影、響。体、弱い、ので、この、位、良く、あり、ます。だから、気に、しない、で、下、さい」

 

 

「クリス、それって……」

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 

 脳味噌がやられていたアレンが、真面目な雰囲気により復活した。

 ニフトとの戦いを直接見ていたアレンは元より、意識を失っていた2人も、クリスの力が規格外極まる事はアレンから聞き及んでいるため知っている。

 ルークはその片鱗を一度見ているし、エレノアもこれまで散々悩まされて来た自分の体調の悪さが欠片も残らず消え失せている。

 よってどちらも、アレンの話を疑いはしなかった。 

 故に、クリス自身が言う通り、クリスの体調は早々にどうにか出来る物では無いのかも知れないな、と3人とも思う。

 

 

 

「それでも一度は――これから癒手(いやして)に見て貰いに行きましょう?それでも分からなければ、クリスちゃんの話に納得するから」

 

 

 

 だからと言って、自分たちの恩人が苦しんでいるのに対し、何も行動しないのを是とはしたくない。

 エレノアの発言は、そんな思いから口に出た物だった。

 そしてそう言った思いやりをクリスは無下にしない。

 

 

 

「わか、り、ました!」

 

 

 無駄になる可能性が高いとは思いつつも、一度くらい見て貰っても良いだろう、と了承する。

 

 

 

「ん、良い子ね。戻ってきたら、皆で一緒に暮らしましょうね?」

 

 

「は、い!」

 

 

 

 そう言えば、そもそもそんな話だった、と思い出すクリス。

 そこでふと、疑問が生じた。

 

 

 

「部屋、ルーク、さん、と一緒、です、か?」

 

 

 本来は、別の街に移動する予定だったルークだが、あんな事があった以上暫くはこの街にいるだろう。

 そして元々アレンとエレノアで一室、ルークが一室と部屋を取っていたので、単純に考えればルークの所にクリスが入る形になるだろう。

 

 

「いや、それは――」

 

 

 

「わ・た・し・と!!寝ましょうね。クリスちゃん」

 

 

 

「…………異論は無いが、兄を信用しろ……。」

 

 

 妹から勢いよく否定されて、少ししょんぼり、とするルーク。

 いや別にエレノアも兄を信頼していない訳ではないのだが、先ほどまでのクリスの様子を見ていれば、兄とは言えども異性に任せられる気はしなかった。

 後、息子(アレン)の脳味噌が更に破壊されかねない。

 

 

 

「ルーク、さんが、別の、街、行った、後は、3人、一緒?」

 

 

 元はその予定だった。だがしかし……。

 

 

 

「…………………………………………………………………………アレンはそろそろ、1人でも大丈夫だから」

 

 

 絞りだされた母の言葉に、アレンがブンブン!!!!とそれはもう勢い良く首を縦に振る。

 クリスと一緒の部屋で生活するなんて事になったら、多分自分は3日も持たずに心臓が爆発して死ぬ。

 そんな、嘗てない危機感がアレンにそうさせたのだ。

 

 尚、チラッ、と、でも残念だな、と思ってしまい、煩悩退散!とヘッドバンキングさながらに頭を振るアレンを、エレノアとルークはせめてもの情けで見ない振りをしてあげていた。

 …………だけど肝心要のクリスは、ア゛レ゛ン゛く゛ん゛か゛わ゛い゛い゛な゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛と観察している。

 

 

 お前の所為やぞ。

 

 

 

 因みに、その日の夜の感想について、変態は「柔ら、かかっ、た!」等と供述しており、警察としては余罪を追及していく方向である。

 

 



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降臨 ♰ 大天使 ♰

幕間は次の章までの期間にあった出来事を思いついた端から、投下していく短編になります。


 

 

「そう言えばクリス。どうしてあの日、アレンの身に危機が迫る事を知っていたんだ?」

 

 

 

「!?」

 

 

 

 ルークの問いかけに、ビクゥゥゥゥゥゥウウッッ、とクリスは体を震わせた。

 ギギギ、と壊れたロボットの如く首を動かした上に、視線を右往左往と泳がせる。

 しかし、ルークだけでは無く、アレンやエレノアも興味深げに自分を見ていて、逃げ場が無い事をクリスは察しざるを得なかった。 

 

 

 

「あの、それは……」

 

 

 

 そもそも何が問題なのか、と言えば。

 起きるかもしれないアレンの身の危険を防ぐため、理由も言わずにルークに街に残ることを頼み込んだ件である。

 ニフトの襲撃は綺麗に終わり、なんか、物語完!!と言った感じではあるが、キリが良かろうがなんだろうが、人生はそこでは終わらない。

 行った不自然な行動の説明責任は無くなりはしないのだ。

 

 

 

(そ、そうだ!ベアさん――!) 

 

 

 

 事情を知り悪知恵が働く、自分以外の人には不可視の友人に、助けを求めて視線を動かすクリス。

 

 

 

『ザッマァァァァァァァアアアアアアアアアアッッッッ――!!後先考えずに動くからこういうことになるんだヨォォォォォオオオッッ!!カーッ、美味(ウメ)ェ、美味(ウメ)ェわぁああああっっ。変態の不幸で空気が美味い!!!Foooooooo~~~~~~~♪』

 

 

 

 

 煽   り   全   一

 

 

 

 ここぞとばかりに日頃の鬱憤を晴らすデザベア。その表情は非常に清々しい。

 

 

 コイツ、アトデ、〆る。クリスはそう決意した。

 

 

 

「クリス?」

 

 

 

「………………」

 

 

 

(ど、どうしよう――!!)

 

 

 

 しかし、後の事は後の事である。

 今は、どうやってルークたちを納得させるか、それが重要だ。

 前世の事を話せない呪いの所為で、本当の事を言えない以上、なんかそれっぽい話で誤魔化すより他に無い。

 

 

 

 

 ……いや、仮に呪いが無く、本当の事が言えたとしても「ゲームの知識です、テヘ三☆」が通用したかは怪しい所だが。

 

 

 

 

(どうして知っていたかなんて、こっちが教えてほしいよ!!) 

 

 

 

 しっかりと筋の通る説明をどうすれば出来るのか、寧ろクリスの方が問い合わせたい位だった。

 しかしだからと言って投げ出すわけにも行かない。クリスは自分の脳味噌をフル回転させる。

 

 

 

 高校の通信簿における国語の評価が5段階で2だったクリスの説明力を信じろ――!!

 

 

 

「…………………………………………………………………………て、」

 

 

 

「て?」

 

 

 

「天、使、様、のお告、げ。的、な?」

 

 

 クリスゥゥゥウゥウウウウウウウウ!?

 

 

『て!ん!しっ!!天使っスか、クリスパイセン!!!!どうしちゃったスかぁ~~~??????変態キャラを止めて、電波ちゃんキャラに転向を狙ってるんスかあああああ?????????』

 

 

 

 お前、そんな口調ちゃうやろ、と思いクリスはデザベアを睨んだが、しかし暖簾に腕押しであった。 

 

 

 

「天使、とは?」

 

 

 ルークの疑問が、無慈悲にもクリスへと突き刺さる。

 一度放った言葉は取り消せない以上、クリスはたどたどしく恥ずかしい言い訳を重ねていく。

 

 

「え、と。え、と。……………………神、様の、遣い、みた、い、な?」

 

 

 

『神  降  臨  !  ! あれあれ????もしかしてあれですかぁああっっ?神の啓示受けちゃったんですかぁ~~~????これからは♰聖騎士♰クリスと呼ばなければならない様だな……!♰悔い改めて♰』

 

 

 

 

(うううううううううううううううううううう!!!!!) 

 

 

 

 世紀の煽りストと化したデザベアに、クリスは返す言葉も無い。

 なんせ、言ってるクリス本人が、余りに苦しすぎる言い訳だと思っている。

 電波だ。純度100%の電波なのだ。

 日本に居たら5年後には黒歴史になっている類の発言である。

 容姿的には電波キャラも行けなくも無いが、しかしクリスとしては遺憾だった。 

 羞恥プレイは好きだが、こう言った恥ずかしさは求めていないのだ――!! 

 

 

 

(それにこんなの絶対に納得されない――!!)

 

 

 

 自分の言い訳のアレさは、クリス本人が一番感じている。

 こんな説明で納得される、とは欠片も思えず、これだけ恥ずかしい思いをしたのに、無駄になるのか……とクリスは激しい徒労感に襲われた。

 

 

 だが、しかし――。

 

 

 

「やはり、な」

 

 

「クリス、やっぱり君は特別な――」

 

 

(あれえええ??????納得されてる??????)

 

 

 以外にも自分♰聖騎士♰説がすんなりと、納得されてしまい、目を丸くするクリス。

 

 

『ハぁ~~っっ。笑った、笑った。こんなに、愉快なのは久しぶりだぜ。俺様300歳は若返った気分だ。んで?お前は、なに鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしてやがんだ?納得されるに決まってんだろ?』

 

 

 そんなクリスに対して、デザベアは言う。当たり前だろう、と。

 

 

 自分には天使が憑いていて、お告げが云々かんぬん。

 普通であれば、まず信じられないだろう発言である。

 だが、発言と言うのは、何を言ったかも大事だが、誰が言ったかも同様に重要だ。

 

 例えば、普段嘘ばっかり吐く人間のトラストミーと、これまで必ず約束を果たしてきた人間のトラストミーでは、同じ言葉でも重みが天と地ほどに違う。

 今回だって同じこと。

 もしも、何の力も無い普通のスラム育ちの少女が今回の発言をしたのなら、「可哀そうに、辛い生活でそんな妄想に縋るしか無くなってしまったんだな……」と哀れまれること間違いなしだろう。

 涙ちょちょぎれ、ぎれ太郎だ。

 

 しかし、ここで今現在のクリスのスペックを列挙していってみよう。

 

 顔が良い。

 なんか、聖なる感じに発光する時がある。

 顔が良い。

 ドデカい光の隕石を墜とすことが出来る。

 顔が良い。

 死者を生き返らせることが出来る。

 顔が良い。

 とても慈愛に溢れている様に見える。

 顔が良い。

 

 後、特筆すべき点としては、顔が良いのと、顔が良いのと、顔が良いと言う所が挙げられるだろう。

 ああ、それに顔が良いと言うのも外せない。

 

 

 これは間違いなく♰啓示♰キメちゃってますね…………。

 寧ろ逆に、その位のハッタリを利かせないと信じてくれないまであるだろう。

 

 と言うかそもそも。

 目の前で人一人サラッと生き返らしといて、今更、一般人です!!なんて言われても……。その……。困る……。

 

 

 そんなこんなで、クリス、♰神の使徒♰説は簡単に受け入れられてしまったのである。

 

 

「でも、天使か。ねぇ、クリス。その天使さんって名前とかあるの?」

 

 

「……名、前」

 

 

 アレンの何気ない質問が、クリスの頭の中で核融合反応を起こした。

 これだ!!と言わんばかりの妙案がクリスの脳内で爆発する。

 

 

 

「――大、天使、デザ、ベアル、ッッッ!!!!!!!」

 

 

 

『ふぁっっ!?????????????????????????』

 

 

 

「大天使」

 

 

 

「デザ」

 

 

 

「ベアル――!?」

 

 

 

 デザベアが驚愕の声を上げていると同時に、ルークの、アレンの、そしてエレノアの声も同様に響く。

 

 

 

「そ、う。彼は、嘘、と争い、が嫌いで、人の、幸せ、を、何、より、願う、大、天使――!!」

 

 

 

「そう伝えられると、デザベアル……。確かに、こう、荘厳な名前に聞こえるわね」

 

 

 

「うん、母さん。俺もそう思う」

 

 

 

『ヤメロー。オレサマヲケガスナー!!!!!!!』

 

 

 

 

「彼は、私、以外、には、見え、ない、けれ、ど。確か、に、存在、して、いて、私に、啓示、と、加護、を、くれ、るの」

 

 

 

 

「そうか、クリス。それで君は、アレンの危機を知ったんだな」

 

 

 

 

「う、ん」

 

 

 

 

『トリケセー、イマスグ、トリケセーーーーーーーー』

 

 

 

 

 クリスは何故だか騒いでいるデザベアに、念話で語り掛けて上げた。

 

 

 

『どう、した、の?♰大天使♰デザ、ベア、ル、さん、っっ――!!』

 

 

 

『Fuck you』

 

 

 

 

『HA、HA、HA!!Please、Fuck、Me!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 

 一人で♰神の使徒♰にされて堪るか、貴様も道連れだ。

 逃がさん、逃がさんぞ、お前だけは!!と言うクリスの執念がデザベアを襲う。

 

 人を煽って良いのは、煽られる覚悟のある奴だけなのだ。

 

 

 

「それにしても啓示に、加護……。ねえ、クリス?俺たちを助けてくれたあの凄い力が、加護って奴だったの?」

 

 

 

 アレンが目撃した、明らかに人智を超えていたクリスの力。

 だが、神から授かった力だというのなら、納得が出来る、とアレンは思った。

 

 

 

「? 違、うよ?」

 

 

 

「そ、そうなんだ……」

 

 

 

 だが、そんな事実は全くないのでアッサリと否定するクリス。

 素であれ程なんだ……、と心中で驚愕するアレン。

 そんなアレンを余所にクリスは、あ!これも丁度いいかもっ!ともう1つ話をすることにした。

 

 

 

「加護、って、言う、のは、不犯(ふはん)の、加護!!」 

 

 

 

「ふはんの加護?それってどういう――?」

 

 

 

 文字で見ていればそれこそ一目瞭然だが、声で聴くだけでは予想がつかない。

 アレンは何気なく問いかけた。

 

 

 

「え、と。【自主規制】、され、そう、に、なる、と、相手の、局部、が、爆発、する、加護!」

 

 

 

「ふへぇ!?」

 

 

 

 アレンが噴き出した。

 ルークとエレノアも同時に驚愕している。

 

 

 

「な、な、な、な、な、な、な――」

 

 

 クリスの色んな意味での爆弾発言に、アレンの顔が赤くなったり、青くなったりを繰り返す。

 ついでに、玉がヒュンってなっていた。

 

 

 それを見てどう思ったのかは知らないが、クリスが微笑んだ。

 

 

 

「あ!でも、普通、に、お風呂、位、は、大丈、夫、だから!!安、心、して!!」 

 

 

 

「ほひゅっ――!?」

 

 

 

 色々と思い出がフラッシュバックしてアレン君の脳味噌がイッターーーーーーーーー。

 

 

 

 そんな様子を虚ろな目で見つめる♰大天使♰デザベアルの姿があったとさ。

 

 

 

『フザケルナ、フザケルナ……』

 

 

 

 ♰ 悔い改めて ♰



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聖印

 

 聖印――それは、この世界における神の代理人にして統一王たる、神託王となり得る者に与えられた祝福である。

 その印が与えられる条件は不明確だが、印持ちの傾向として、体力・知力・魔力そして――意思力。そう言った能力に秀でている者が多い。

 つまり、この時期に産まれた子供で、頭角を現した子供には、聖なる印が刻まれている可能性が高い。

 

 

「ねぇ。クリスには聖印が刻まれていないの?」

 

 

 よって偶々二人きりで宿屋に居て(正確にはデザベアも居るが)、話しをしている時に、アレンの口から飛び出したその疑問は、当然だった。

 アレンからしてみれば、クリスを差し置いて他の人間に聖印も何も無いだろうと言う話だ。

 まあ、星落としだの、死者蘇生だのを見ている者からすれば、当たり前の感想だろう。

 しかし、とは言え――。

 

 

「無い、よ」

 

 

 ――無いものは、無い。

 

 

 自らの両手を、ひらひらとさせながら、クリスはアレンに答えた。

 晒された手の平と手の甲は、ただ只管に真っ白で柔らかいだけで、アレンの右手に刻まれているような印は、影も形も無い。

 

 

 

「うーん。手の甲以外に刻まれていたりしない?」

 

 

 

 しかしながら、聖印とは別に手の甲だけに刻まれる物ではない――まあ、そのパターン一番多いのは事実だが。

 腕や足。額や背中。極めて特殊な例としては瞳の中に浮かび上がった者も過去の資料から確認できるらしい。

 故に、クリス自身が気付いていないだけで、その身に聖なる印が刻まれているやも、と考えるのは飛躍した思考では無い筈だ。

 

 

 

「んー」

 

 

 

 そう言われて、クリスは考え込んだ。

 そもそも、アレンに見せた力は、後からこの世界にやって来た()が持って来た物であるが故に、この身に印が刻まれているという可能性は殆ど無いと思うのだが、と。

 さて、それをどう説明したものか、と暫し思考していたクリスだったが、直ぐに、ああ。簡単な解決方法があったな、と良い案を思いついた。

 

 

 

直接(・・)確認して貰えば(・・・・・・・)早い話か(・・・・)

 

 

 

 本当に自分が見逃していただけで、実は聖印が刻まれている可能性もあるのだから、と。

 そう思い立ったが吉日、クリスは早速行動を始めた。

 

 

 

「じゃ、あ。は、い」

 

 

 ものぐさな男性がやるように、クリスはガバッ、と乱雑に己が来ていたワンピースを脱ぎ捨てた。

 服によって隠されていた肢体と、エレノアに選んでもらった可愛らしい下着が惜しげもなくその場に晒される。

 クリスはあろうことか、下着にまで手を掛けて――

 

 

 

 

「わあああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 ――大慌てのアレンによって、その手を止められた。

 

 

 

「ど、どうして、服を脱ぐの!?」

 

 

 

「……?印、確認」

 

 

 

 自分の目だと、確認出来ない場所もあるんだから、先の話を確かめる意味でも、見てくれれば良い、とクリスは特に恥ずかしがりもせずに、アレンに体を見せつける。

 その言葉に顔を真っ赤に変えながらも、アレンは何とか反論する。

 

 

 

「だ、だから駄目だよ!女の子がそんなに簡単に肌をさらしちゃ!!と、とにかく早く服を着て――!!」

 

 

 

 そう言いつつも、その視線がクリスの姿を捉えて離さないのは、アレン君も男の子なのだと見逃してあげて欲しい。

 口で制止出来るだけでも立派な方だろう。

 

 

 

「むー」

 

 

 

 それに不満なのがクリスである。

 そんな言い方をされると、まるで自分がどこでも所構わず脱ぎだす露出狂か痴女の様では無いか!!と。

 確かに、人通りの多い街中でストリップさせられようが、羞恥どころか興奮しか覚えないクリスではあるが、表社会においては日本の法律や条例的倫理観は守っていく所存だ。

 誰彼構わず目の前で露出したりはしないのである。

 ただ、信頼できる人間を相手に、話の流れで脱げそうなチャンスは逃さないだけだ――――ッッ!! 

 取り合えず勘違いされては堪らないので、そこの所をクリスはキチンと伝える事にした――半裸のままに。

 

 

 

「アレン、君が、相手、だか、ら。特別、だよ?」

 

 

 

 尚、その特別な相手には、ルークやらエレノアやら、前世の家族・友人、それにこれから仲良くなるであろう相手も含まれているが、別にそこの所は敢えて言う必要もあるまい、と伝えなかった。

 

 

 

「うぁっ」

 

 

 

 小首を傾げて自らを見つめて来るクリスに、アレンの体が揺れる。

 頭も酩酊しているかの様にクラクラとしてきて、なんだかとても暑い。

 今更ながら部屋に二人きりだという事実が無性に気になって、脳内で何度もリフレインされ続ける。

 

 

 

 

「そ、それでも、だ、駄目だから……!服を着てくれっ」

 

 

 

 

「ちぇっ」

 

 

 

 そんな状態でも、アレンは必死に自制心を働かせた。

 絞りだすようなアレンの言葉に、クリスは脱ぎ捨てた服を着直した。

 尚、その際、アレンの瞳に残念そうな色が宿ったのもやはり見逃して上げて欲しい。

 

 

 

「まあ、でも。私に、聖、印。無い、と、思う、よ」

 

 

 

 アレンの事を揶揄っているんだか、天然でやっているんだか判別の付かないクリスがそんな風に締めくくる。

 余り悪く言いたくは無いのだが、客観的に見て自分の今の体に、世界の王様なんて大それた物に挑戦できる様な力は無く、別に隅々まで確認せずとも聖印など無いだろう、と。

 いや、正確に言えば、美貌というか、魅力というか的な才能は人の限界を超えちゃってる位にあるのだが、それが力になるのは、それを活かせる別の力を持っていた場合であり、単体だと寧ろ狙われるだけのご馳走でしか無いのである。

 

 

 

 

「…………クリスがそこまで言うのなら、確かにそうなのかも知れないね」

 

 

 

 再び疑えば、今度は真っ裸になられかねない、とアレンがクリスの言葉に同意を返した。

 そうなってしまえば、次は自分を止められる自信が無かったからである。

 

 

 

「いや、でもまあ。クリスは唯の聖印持ちに収まらない器の持ち主、って事なのかも知れないね」

 

 

 

 色々と心臓に負担がかかる様な、役得な様な時間を過ごしたアレンだったが、最終的にはそんな結論に至ったらしかった。

 

 

 

 ――その日の夜。

 

 

 

『で?結局、オマエ。聖印とやらは欲しかったのか?』

 

 

 

 アレンと話している時は特に何も言わずに静観していたデザベアが軽い調子でクリスへと話しかけた。

 その言葉に、クリスは少しだけ考え込んだ後、念話で答えを返す。

 

 

 

 

『んー。貰え、る、なら、欲しい、かな?』

 

 

 

 クリスのその答えに、デザベアは意外そうに目を見開いた。

 

 

 

『ほー。なんか珍しいな。オマエがそう言った権威的なモンを欲しがるなんて』

 

 

 

 不思議がるデザベアに対し、とても簡単な事だよ!とクリスは自分の考えを伝えた。

 

 

 

 

『だっ、て。【自主規制】に、印、刻ま、れ、たら。淫〇ん、みた、い、だか、らっっ!!』

 

 

 

『真面目に聞いた俺様が馬鹿だった』

 

 

 

『感、度、3000、倍――!!』

 

 

 

 

『タトゥーでも彫っとけ!!』

 

 

 

 

『え。プレ、イ、でも、なけ、れば、体、傷つけ、る、気、ない、けど』

 

 

 

 

 何言ってんの?と言わんばかりのクリス表情に、デザベアはイラッ、と来た。

 

 

 

『うるせぇ!変な所で常識人ぶるな!!それなら、シールでも貼っとけ――!!!!!』

 

 

 

 

『ナイ、ス、アイ、ディア!!!!!!!!!!!!』

 

 

 

 何時かやろう!!クリスはそう決意した。

 デザベアはふて寝をキメた。

 

 

 

 尚、同時刻――アレンとルークの部屋にて。

 

 

 

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっ――!!!」

 

 

 

「アレン、どうし……………………いや、何でも無い」

 

 

 

 枕に顔を押し付けながら、ゴロゴロとベッドの上を転がりまくるアレンの奇行に対し、ルークは見ないフリをして上げていた。

 

 

 彼は、空気の読める大人なのである。

 



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解呪

幕間は次話で終わりでそう時間はかかりませんが、2章に関しましてはプロット作成中の為、もう暫くお待ち下さい。


 

 

 

「ね。アレン、君。それ(・・)。解こ、っか?」

 

 

 ある日の事。クリスがアレンに対し、軽い口調でそう言い放った。

 クリスの視線は、包帯が巻かれたアレンの左腕、つまりはアレンを【呪い憑き】に至らしめている所以へと向けられていた。

 余りに突然の発言すぎて、アレンもルークもエレノアも、全員が目を見開いて驚いていた。

 

 

「えっと、クリス?それ(・・)って、もしかして、この左腕の――いや、呪いの事」

 

 

 

 その可能性は高い、と思いつつも念の為、確認の言葉を投げかけるアレン。

 クリスはその言葉に、コクン、と頷いた。

 

 

 

「うん、そう、だよ」

 

 

 

「…………解けるの?」

 

 

 アレンにとって、呪われ異形と化した左腕は、その所為で家を追い出され、自身の運命を決定づけた物であり、嘗ては切り落としてしまいたいとすら思っていた。

 ただし、誰に、とは敢えて言わないが、そうして外に出たことで出会えた人がいるので、今では寧ろ感謝してすらいる。

 だが、それはそれとして、一度刻まれた第一印象と言うのは、中々消えてはくれないもの。

 この左腕は、どうにもならぬ理不尽な物であるという認識が、無意識的にアレンの心の中に存在していたのである。

 

 

「解ける、よ」

 

 

 しかしながらアレンのそう言った認識は、クリスの一言でアッサリと砕かれた。

 目の前で母親が惨殺されて、もはやどうにもならぬと諦観に支配され、怒りと憎しみに身を震わせる事しか出来なかった時に、蘇生の奇跡を見たのと同じ感覚だった。

 いや、そもそもの話。人体蘇生に比べれば、解呪の方が簡単に見える為――勿論、簡単に比較を出来るものでは無いと思うが――出来て当然なのかもな、とアレンは思った

 

 

 そして、その考えは正しい。

 クリスにとって、少なくとも光る星を上空に顕現させて、辺り一帯を攻撃する事に比べれば、アレンの呪い憑きを治す事は、容易であるとすら言える。

 

 

 

『また、お前は勝手な事を……』

 

 

 最も、決して少なくない反動が来ることも事実なので、空中でデザベアが呆れた様に呟いてはいたが。

 

 

 

「……………………」

 

 

 

 クリスの提案をしっかりと理解したアレンだが、直ぐに頷いたりはせず、深い思案の海に引きずり込まれていた。

 ある種、強制的で、アレンが考える間もなく行われたエレノアの蘇生と違って、自分の今後の人生を大きく変える選択を、突きつけられたからであった。

 

 

「別に、今、決める、必要、無い、よ?」

 

 

 悩むアレンにクリスが、そう声を掛けた。

 別に、クリスとしては今すぐ決めて貰う気も、決めなくてはならない理由も、存在しなかった。

 それに、クリスとしても悩ましい所なのだ。

 アレンの呪い憑きが、唯デメリットしか無い物であったのなら、それこそ有無を言わせずに解呪しただろうが、実際は違う(・・)のだ。

 そして、それは自分よりもアレンの方が分かっているだろうというのが、クリスの目算だった。

 よってこの件に関しては、アレンの意思を一番に尊重して行くつもりのクリスだった。

 

 

「少し、散歩、して、来るね」

 

 

 何にせよ、自分が居ない方が決めやすかろう、とクリスは暫し部屋を離れる事にした。

 全く素早くは無いが、淀みは無い足取りで、トコトコ、と部屋の外へと歩いて行く。

 

 

「俺も一緒に行こう」

 

 そのクリスに声を掛けたのが、ルークだった。

 自身も席を外す、とクリスに付いて行く。

 

 

「?」

 

 

 ――良いの?と言う意味を含めて、可愛らしく小首を傾げたクリスに対し、ルークは微笑しながら頷いた。

 アレンの呪い憑きに関しての話は、元々貴族であり、それが原因で元の立場を追われる事となった、アレンとエレノアが2人で話し合った方が良いだろう、と言うのがルークの考えだったからだ。

 勿論、2人が話し合って出て来た結論は、尊重する気だった。

 

 

 そうして、クリスとルークの2人が静かに部屋から退出した。

 残されたのは、アレンとエレノア――親子の2人。

 変わらない筈の部屋が、やけに広く閑散として感じられた。

 

 

「それで、アレン?アレンは、自分の【呪い憑き】に関してはどう思っているのかしら?」

 

 

 口火を切ったのはエレノアの方だった。

 これまでは敢えて聞いてこなかった事だが、こうなってしまえば避けては通れない質問である。

 真剣な表情の(エレノア)に、アレンも自分の思いを正直に述べる事にした。

 

 

「――――正直、神様を恨んですらいたよ。どうして、俺はいきなりこんな事になってしまったんだろう、って」

 

 

 神を恨む、と一言で言うが、それらの存在が確認されていない現代社会の、それも宗教に馴染みが余り無い日本人が言うのと、【神】と呼ばれる存在が確かに確認されていて、実際に加護や恵みなどが与えられるこの世界の人間が言うのには、比較にならない程の差がある。

 

 

「そもそも自分の体に、人間の物では無い部分があるってのが気持ち悪いしね」

 

 

 周りから見ていれば、それこそ場合によってはカッコ良くすら見えるかも知れない、龍の如きアレンの左腕。

 だけど、実際に呪われた本人に言わせれば、自分の体が異形化しているというのは、多大なるストレスでしか無かった。

 何度焼き切ってしまいたいと思った事か、とアレンは自身の過去を振り返る。

 

 

「それに、周りの反応だって良くは無いしね。この街にやってくるまで、この左腕の事を良く思った事は無かったよ」

 

 

 呪い憑きと言うのは、基本的に周りから忌避される物だ。

 嘗てニフトの邪視で見せられた幻覚の様に、露骨に差別される事は流石に早々無い事例であり、アレンも経験していないが、それでも蔑視の視線などは幾度となく受けて来た。

 それに……これは(エレノア)には絶対に言えない事だが、この街に来るまで、アレンは自分が母の重荷になっていると思っていた。

 色々と厄介な事情を持つ自分が居るから、母や伯父が苦労しているのだ、と。

 そしてその厄介な事情を構成している3つの要素が、元貴族・聖印持ち、そして呪い憑きだ。

 どれか1つでも無くなってくれれば……と言うのがアレンのこれまでの正直な気持ちであった。

 

 

「そう、ね」

 

 

 息子(アレン)の独白をエレノアがそう呟いた。

 しかし、言葉はそれだけでは終わらなかった。

 

 

「じゃあアレン。貴方はどうして今、迷っているのかしら?」

 

 

 それは、そうだろう。

 今までのアレンの話を聞くに、彼が解呪を迷う理由など、それこそ欠片も無い。

 寧ろ、諸手を挙げて、目に涙を浮かべながら歓迎したっておかしくは無いだろう。

 

 

「それは………………」

 

 

「クリスちゃんの体が心配だから?」

 

 

「それは、勿論。理由の1つだよ、母さん」

 

 

 クリスの体調を案じて、と言うのは理由の1つだ。

 嘗て、ニフトから自分たちを救ってくれた後に。クリスが倒れた事をアレンは決して忘れていない。

 クリスを失いかけた時に覚えた喪失感は、今もアレンの心に刻まれている。

 先程話したクリスの様子を見るに、流石に今回は死にかけたりはしないのだろうが……しかし、まるで負担が無いとは思えなかった。

 それにクリスは、本当に限界の時以外は、自分の苦しみなんて周りに全く見せないのだ。

 だからこそ、アレンとしてはクリスの力に頼りすぎるのは避けたかった。

 

 

「1つね。じゃあ他にも理由がある、と」

 

 

「うん」

 

 

 しかし、アレンが迷っている理由はもう1つあった。

 ただし、此方は些か感覚的な部分も入っているので、アレンとしては説明し辛いのだが。

 

 

「……ちょっと、自分でも纏めきれて無いんだけど、良い?」

 

 

「ええ。話してみなさい」

 

 

 言葉を促す(エレノア)に対し、アレンは分かった、と頷き、そして包帯が巻かれた自身の左腕を強調するように己の胸の前に掲げた。

 

 

「この左腕だけど……。多分大きなナニカと繋がってる」

 

 

「繋がり?」

 

 

「うん。そして、そのナニカから、力を引き出せる」

 

 

 それは、ニフトとの戦いで発現した黒い炎。

 あの時、感じた何処か彼方に居る途轍もない存在との繋がりは未だ途切れてはいなかった。

 

 

「それなら尚更、解呪()いて貰うべきじゃないかしら」

 

 

 その言葉もやはり尤もだろう。

 正体不明で底知れないナニカとの繋がりなど、断っておくに限る。

 しかし、アレンはその言葉に反対した。

 

 

「ここが感覚的な話になってしまうんだけど。力を引き出す時に、俺に負担がかかってはいないんだ。なんと言うか、別の何かに守られている様な…………」

 

 

「……………………」

 

 

 イマイチ不明確なアレンの答え。

 しかし、力を引き出すことが明らかにアレンに負担を掛ける事象であるのなら、有無を言わせずにクリスが解呪している以上、その見立ては一定以上は正しいのだろう。

 

 

「では、アレン。貴方は、その力が惜しくて解呪をしたく無い、と?」

 

 

「ううん。それは違うよ、母さん」

 

 

 そもそもの話、とアレンは言葉を続ける。

 

 

「ニフトって名乗ったアイツは、唯の雇われのゴロツキなんかじゃあ無かった。多分、今この国――或いはもっと広い範囲で、何か大きな陰謀が蠢いている」

 

 

 

「……そう、でしょうね」

 

 

 

「そして、そいつらの目的に近づく手がかりの1つがこの左腕だ。だからニフトは本来、俺の因縁の相手の筈なんだ」

 

 

「………………」

 

 

 最終的にその因縁はクリスに行ったが、それは飽くまで偶然であり、ニフトの本来の目的は、自分と自分の左腕であったとアレンは断言する。

 

 

「だから俺は逃げたくない」

 

 

 自分の因縁を全てクリスに押し付けて、それで何食わぬ顔をしたく無い。

 それが、アレンが解呪を拒む理由であった。

 その決意を聞いてエレノアが溜息を吐いた。

 だって要するに――。

 

 

「はぁっ……。嘘じゃないけど、本当でも無いわね。要するに、クリスちゃんを守りたい、って事でしょう?」

 

 

「――ぅ」

 

 

 なんか色々と言ってはいたが、要は好いた女の子を守りたいという事だろう、と見も蓋も無い直接的な言葉だった。

 瞬時に顔を赤く染めたアレンだったが、コクリ、と控えめに頷いた。

 

 

 ――我が子ながら微笑ましい事。とエレノアの心の中に、ほっこりとした感情が生まれる。

 普通であれば、小さな子供の恋模様としてここで話を切り上げて、後は見守っていても良かったのだが……。

 しかし、今回の場合は、更に問わねばならない事が、エレノアにはあった。

 

 

 

それ(助力)を、あの子(クリス)が必要としていなくても?」

 

 

 

「――っ」

 

 

 嫌な役割ではあるが、やらぬわけにもいかない。

 エレノアは心を鬼にした。

 

 

「アレン。貴方の言っている事が正しいとしましょう。今、この世界で何かとんでもない事が起きようとしていて、その鍵が貴方の左腕にある、と」

 

 

 だけれども、とエレノアは続ける。

 

 

「その鍵をクリスちゃんは、必要としていない。もっと言うのなら貴方の助力も、同様にね」

 

 

 

 証拠など特に挙げる必要も無い。

 何故なら、そもそも無くても大丈夫だから、クリスは解呪を提案したのだから。

 

 

 

「彼女としては、自分の力だけでどうにか出来るから、貴方の腕を治して上げたい、とそんな考えなのでしょう。それでも貴方に選択を委ねたのは、まぁ………………男のプライドを慮ってと言った所かしら」

 

 

 

 ぽやぽやして見えて、あれで意外と男を乗せる才能があるのかも、とエレノアは少し空恐ろしくなった。

 

 

 しかし、それは一先ず置いておいて。

 エレノアだってこんな事は言いたくない。

 当たり前だ、何が悲しくて息子の春に、冷水をぶっかけなければならないのか。

 だけど、それで済ますには、クリスが余りにも特別過ぎた。

 

 

 

「……ねぇ、アレン。貴方も分かっているでしょうけど、クリスちゃんは、桁外れだわ。私は、あの子が力を使う所を直接見た訳では無いけど、時折感じる気配だけで、それが良く分かるわ」

 

 

 

 ニフトとの戦い以降、クリスから時折、常を逸した存在感が放たれる様になっていた。

 それこそ、クリス自身が自分の気配を消そうとしない限り――常人の尺度で言えば、息を止める行為に近い――彼女の特異性はとても分かり易かった。

 感覚としては、隣に強大なドラゴンが居るかの如き威圧感が発せられる時がある、とでも言えば良いか。

 過小表現(・・・・)だが、ニュアンスは伝わるだろう。

 

 

 

「これでも私は色んな人間を観て来たつもりだけど。彼女程並外れた雰囲気を感じたのは――――いえ、1度だけあったわね」

 

 

 

「クリスみたいな人が他にも?」

 

 

 

 驚くアレンに、エレノアは頷いた。

 

 

 

「ええ。神託王様より、ね。かの御方とお目通りが叶った際にも、同じような感覚を受けたわ」

 

 

 この世界における最高権力者。神の代理人。

 エレノアは、そんな大人物をクリスの比較対象へと挙げた。

 

 

 

「神託王様とクリスが似たような雰囲気を……?」

 

 

 アレンは、神託王と謁見の誉を得たことが無く、未だ遠目に姿を確認した事しかない。

 よって、その詳細な雰囲気などに関しては、把握していなかった。

 

 

 

「似たような、と言うより、寧ろクリスちゃんの方が――いえ、何でも無いわ」

 

 

 

 言いかけた言葉をエレノアは途中で止めた。

 これ以上は話が脱線するし、それに余りにも不敬が過ぎた。

 

 

 

「とにかく、クリスちゃんは、果てなく特別だわ。貴方の助力なんて全く必要が、無いほどに。その上でアレン、もう1度聞くわ。貴方は彼女を守りたくて、その腕の呪いを解かないの?」

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 問うているのは覚悟の程。

 

 

 ちょっとした恋心に浮かれて出した程度の選択ならば、考え直せ。とエレノアはそう言っている。

 アレンはその言葉を噛みしめるかの様に、一度瞼を閉じ、そして開いた。

 

 

 

分かっているよ(・・・・・・・)、母さん。俺とクリスの間に、どれほどの力の差があるか、なんて」

 

 

 

 きっと己の生涯を捧げたとて、クリスの足元にすら及ばないだろう、とアレンは理解している。

 守りたい、なんて言葉が、どれほど大言壮語で現実が見えていないかも、百も承知だ。

 

 

 

「じゃあ、どうして?」

 

 

 

「――憧れたんだ」

 

 

 

 (エレノア) は、この思いを恋だと言った。アレンとしてもそれを否定する気は無い。

 ああ、けれども。その根源は。最も深い部分は違うのだ。

 あの日見た奇跡が、今も尚アレンの心の中に刻み込まれている。

 その光景に追いつきたいと、例え生涯を懸けても届かないとしても、追い続ける努力は欠かしたく無い、とそう思うのだ。

 

 

「だから、俺はクリスに少しでも近づきたい、それが無茶な願いだったとしても」

 

 

「――――」

 

 

 今度は、赤くならずに、動揺することも無く、アレンはそう言い切った。

 その言葉を聞いて、エレノアは微笑んだ。

 

 

 

「そう。そこまでの考えがあるのなら、私は何も言わないわ」

 

 

 

「……良いの?」

 

 

 

「えぇ。息子の一世一代の決意を邪魔立てするほど野暮ではないもの。頑張りなさい」

 

 

 元々、エレノア自身クリスに好感を抱いてはいるし、心情的には賛成だったのだ。

 覚悟の程を確認出来たのならば、これ以上物申す必要も無し。

 

 

「ただし、アレン。最後に1つだけ大事な事を言っておくわ」

 

 

「なに?母さん」

 

 

 ただならぬ剣幕の母親に、アレンはゴクリと唾を飲み込んだ。

 一体、どのような言葉が飛び出すのか、と体を緊張で強張らせる。

 

 

 

「――――――――――我慢できずに手を出して爆発しちゃ、ダメよ?」

 

 

 息子の息子♂が爆発するはちょっと……。とエレノアはぼやいた。

 アレンの顔色がやっぱり紅く染め上がる。

 

 

「母さんっっ!!」

 

 

 

「いや、ほんと。女の私でも、怪しい気分になる時があるくらいだし…………」

 

 

「母さんっ!?」

 

 

 

 最後にオチを付けつつも、母子(おやこ)の時間は和やかに過ぎていった。

 

 

 

 

*****

 

 

 閑話休題(それはさておき)

 

 クリスが呪いを解くことが出来る。という事実を前に思いつくことがあるだろう。

 それは――

 

 

『お前、自分に掛けられた呪い、解こうとしないの?』

 

 

『………………』

 

 

 やはりこちらも2人きりの時に、デザベアがクリスに話しかけた。

 そう。そうなのだ。

 呪いが解けるのならば、そもそも自分の身に掛かった呪いを解くのが先では?とは、誰もが思う疑問だろう。

 

 

 しかし、クリスの返答は言葉ではなく、ぎろり、とデザベアを睨みつける事であった。

 

 

(わ、分かっている癖に!!!)

 

 クリスは内心で怒った。

 

 

『あっれーーー????もしかして解けないですかぁぁ???クリスさん????????』

 

 

『……………………解ける、よ』

 

 

 まず、最初に答えを述べておくと。

 クリスは、デザベアから掛けられた呪いやら加護やらを解ける。

 ……解くこと()出来る。

 

 

『あれ?あれあれ?あれれれれれえれれれれぇっ???それじゃあどうして解かないんですか!そこの所どうなんですかぁあああ??????』

 

 

『……………………………………ぬから』

 

 

『えぇ~~~?今、何て言いましたぁぁ????』

 

 

 

『解いて、る。最中に、死ぬから。だから、解け、ない』

 

 

『カァッーーーー。そうか、そうか!!それなら仕方ねぇな。すまねぇな!!俺様が凄すぎて!!!!カァッーーー、憎いわーーーーーーー!!!!自分の能力が凄すぎて憎いわーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!』

 

 

『……………………』

 

 

 大分、ムカつく態度のデザベアではあるが、残念ながらこの場合、彼の言葉が正しかった。

 別の肉体になって大幅に弱体化している。自身の魂にこびりついてしまっている。等と他にも理由はあるが、クリスが自らに掛けられた呪いを解呪出来ない、最たる理由は、デザベアの腕にあった。

 

 今の状態であっても、国を覆う呪いを吐息一つで祓ってのけるクリスが、解呪しきる前に、限界を迎えて死ぬのを覚悟しなければならない程に、デザベアの腕は優れている。

 

 

 デザベアは決して、ただのツッコミ&便利キャラでは無いのである!!

 とても強い(・・・・・)ツッコミ&便利キャラなのである!!!!

 

 

 

『カーッ。俺様がもう少し弱かったらなぁぁっっ!!強すぎてスマン!!悪ぃなド変態!!!!!』

 

 

『むーーーーーー!!!!!!』

 

 

『やめろぉぉおお!!!体を掴むな、腕を振るな!!!ぐあぁあああああああああああ!!!!!!!!』

 

 

 

 1人と1体の時間は、オチだけつけて、全く和やかには過ぎて行かなかった。

 



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これがvtuberちゃんですか

 

 ニフトの襲撃から1ヵ月以上が経過した。

 その間に、ルークが今度こそ別の街に向かったり、クリスが「いや、そうはならんやろ!?」と言いたくなるような、急成長を見せて、アレンやエレノアを驚愕させる等と言った出来事があった。

 日々、指数関数的に跳ね上がっていくクリスの魅力に、周囲(特にアレン)の脳味噌が破壊されていった。

 

 

 だが、しかし。

 クリスは全く自重することなく、更なる驚愕がアレン達に待ち受けていた。

 

 それは、何の変哲もない朝の出来事であった。

 

 

 何時もの様に、クリスとアレン。そしてエレノアの3人で集まって、朝食を食べようとする時分。

 やって来たアレンに対し、急成長のお陰でアレンより背が少し高くなったクリスが微笑みながら、朝の挨拶を行った。

 

 

「おはようございます。アレン君。いい天気ですね」

 

 

「ああ。おはよう。くり――――」

 

 

 

 ピタっ!とアレンの動きが止まる。

 同時に、思考も停止した。

 

 

「??どうかしましたか?アレン君」

 

 

「いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや、いや――――――!??????????????????????く、クリス??」

 

 

 クリスは優雅に微笑みながら返答した。

 

 

「はい。私ですよ?」

 

 

「……………………………………」

 

 

 喋ってる。それはもう流暢に喋っている。

 なんか、凄い女の子っぽく喋っている。

 アレンの思考は、途轍もない驚愕に陥った。

 

 

 例えるなら、カタコト言葉で売り出している外国人タレントが、とても滑らかに日本語を喋る場面に遭遇してしまった位の衝撃であろう。

 

 

 因みに、その驚きを先に体験していたであろうエレノアは、生暖かい目で自分の息子を見ている。

 

 

「ええと、その。喋り方…………」

 

 

 何と言って良いのか分からず、しぼりだしたアレンの言葉に、クリスが軽やかに答えを返す。

 

 

「ああ、そのことですか!これには、理由(わけ)がありまして――」

 

 

 そう言うと同時に、クリスは己が急なキャラチェンに至った理由を思い出し始めた。

 

 

 

 

*****

 

 

 時は、クリスが聖女的なナニカを目指す決意をデザベアに打ち明けた時まで遡る。

 聖女と書いて別の読み方をしていた所為で一波乱はあったが、基本的にはデザベアの同意を得られてクリスはご機嫌だった。

 

 

「それ、じゃあ!!これ、から。皆、を、一緒に、助けて、行こう、ね!ベア、さん!!」

 

 

 デザベアの協力の下、自身の力を使っていければ、嘆きと苦しみの暗雲が立ち込めたこの世界に光を齎すことが出来る筈。

 輝ける未来を思い描いて、クリスは嬉しくなった。

 その言葉を聞いて、その様子を見て、デザベアもまたうん、うん、と微笑んだ。

 

 

『協力しないが?』

 

 

「…………………………………………?????????」

 

 

 

『そんな鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をされてもな』

 

 

 

「でも、乗り、かかった、船、だって…………」

 

 

 自分が、ニフトに言われた皆の希望を集める存在を目指したい!と言った際に、デザベアはそういった筈だろう、とクリスは問いかける。

 それにデザベアは、頷いた。

 

 

『そうだな。確かにそう言った』

 

 

「じゃあ、協力――――」

 

 

『せんが?』

 

 

「????????なん、で!??????????」

 

 

 あっれ~~~~????何か思っていた展開と違うぞぉ!?と目をパチクリとさせるクリス。

 そんな混乱中のクリスに対して、デザベアは冷静に自分の考えを伝えた。

 

 

『確かに俺様が力を貸して反動を軽減し、お前が超常の力を使えるようにすれば、世界でも何でも救えるだろうさ。大袈裟でも何でもなくな?』

 

 

 それはそうだ、と肯定をした上で、だがな、とデザベアは言葉を続ける。

 

 

『しかし、俺様なら失敗せずやってのけるとは言え、お前のアホみたいな力の反動を軽減するのは、客観的に見れば命懸けの所業な訳だ。そして今、お前はその難行を俺様に何度も繰り返せ、と言っている訳だが、それを理解しているか?ん?????どうだ????????????』

 

 

「ぁぅっ――!?」

 

 

 確かにデザベアの技量を持ってすれば、クリスがある程度の力を使っても、死なないようにする事は机上論的には(・・・・・・)可能だ。

 ただし、理屈的に可能なのと、実際に出来る・やれるかは、また別の話だろう。

 

 例えば、文武両道で他者を思いやれる人徳者に成ることが、可能か不可能か、と言われれば、答えはまあ、可能だろう。

 特別なチートもなにも必要ではなく、ただ一生懸命に勉強して、一生懸命に運動し、一生懸命に他人に優しくし続ければ良い話で、誰にだって理論的には可能な筈だ。

 だが、それを実践できる人間は少数だろう。

 そんな人に成れるのが理想だと、誰もが知っている筈なのに、だ。

 

 それと全く同じことだ、とデザベアは語る。

 

 

『お前の望みを叶えるのに、俺様が一番苦労するのは道理に合わない、と思わないか?』

 

 いや、そもそもクリスが現在の状態に成っているのがデザベアの所為なので、正しい発言とも言い切れないのだが。

 しかし、言われたクリス当人は、デザベアの発言が正しいと思ってしまった。

 基本、ドがつく程に善人なクリスは、情に訴えかけられると弱いのだ。

 

 

「ぅぅっ……。ごめん、ね。ベア、さん………………」

 

 

 先程までの明るい様子は何処へやら。

 クリスはすっかり、しゅん……、と落ち込んでしまった。

 

 

『だから、俺様は力を貸さない――と言いたい所だが、今回の話の結論は違う』

 

 

「?」

 

 

『前にも言ったとおり、確かにこれは乗りかかった船だ。お前の生き様にまるで協力する気が無いのなら、そもそもあの時助けなければ良かった話だからな』

 

 

「結局、どう、いう?」

 

 

 力を貸してくれるのか、くれないのか?結局どちらなのか分からないデザベアの言葉に、クリスの頭が混乱する。

 

 

『つまり、俺様が言いたいのは、だ。お前が力を使うことによるデメリットを回避するための行動に対し、俺様だけではなくお前自身もそれ相応の労力とリスクを背負え、と言うことだ』

 

 

「……ま、あ。出来る、のなら」 

 

 

 そもそも他人が苦労するよりは、自分が苦労したほうが良い、と考えるクリスである。

 それが出来るのならそうしたかった。

 ただし、力を使うこと自体が死へのトリガーになってしまっている以上、単純に力の出力を調整すれば良いという話でも無いので、これまでクリス自身には対応が出来なかったのだ。

 

 

『ならば安心しろ!この俺様が特別に、お前の力と努力で問題を解決することの出来る術式を編んできてやった!!』

 

 

「おおっ!!」

 

 

 クリスがやることを見越してか、デザベアに何らかの解決案があったらしい。

 便利キャラの面目躍如と言ったところだろうか。

 

『その名も【聖華化粧(せいかげしょう)】――!後はお前の力を流し込むだけで、発動する様になっている!!発動する際の反動は俺様が処理してやるし、お前に対してそこまで害が無い物なのは感覚的に分かるだろうから、試しにやってみろ!!』

 

 

「わか、った!」

 

 

 確かに、己の中に急に湧いてきた何らかの力は、感じる限りそこまで悪い物では無さそうだった。

 よってクリスは、デザベアに言われたままに【聖華化粧】なる物を発動させてみた。

 

 

 ――途端。

 何か、着ぐるみを着用した様な感覚が彼女に訪れた…………が、それ以上、何が変わったかはクリスには分からなかった。

 

 

「ん?これ、なにが、変わっ――い、いたっ!!」

 

 

 そして、何が変わったのか?と何時もの調子でデザベアに問いかけようとしたクリスだったが、そうして語りかけた瞬間、口の中に痛みが走り、言葉を中断する事となってしまった。

 その時走り抜けた痛みを表すのならば、物を食べる際に間違って口内の肉を噛んでしまった時の様な痛みであった。

 

 

「ぅぅっ…………」

 

 

『ああ、そうじゃない!何時も通り喋るんじゃなくて、もっと女らしい、そうだな…………これぞ聖女!って口調で喋ってみろ』

 

 

「?」

 

 

 何でそんな事を言われるのか、意味は分からなかったクリスだが、取り敢えず言われた通りにやってみた。

 

 

「はあ。それは構いませんが、そんな事に何の意味が――!?」

 

 

 喋れる。

 この世界に来てから一度たりとも自分の思い通りに動いた試しがなかった口が、滑らかに動いて、クリスは驚いた。

 

 

「喋、れ、た!い、いたっ!!あ、あれ?なん、でっ!いたっ――!!」

 

 

 その勢いのまま、喋り始めたクリスだが、今度は最初と同じ様に口の中に痛みを感じた上、何時も通り上手く喋ることは出来なかった。

 

 

『口調、口調』

 

 

「そ、そうでした!これで大丈夫でしょうか?………………やっぱり、こうすると普通に喋れますね。ベアさん、これは一体――?」

 

 

 どうやら今の自分は普通に喋ろうとすると上手く行かない代わりに、口調を変えると問題なく話せる状態らしい、と流石にクリスも察した。

 

 

 

『【聖華化粧】の作用だ』

 

 

「やはり、そうですか。…………でも、これに一体なんの意味が?」

 

 

 突然、普通に――と言ってよいのかは微妙だが、クリスが一応は喋れるようになった訳が、今しがた発動した聖華化粧なる物の作用だと答えるデザベア。

 それは、まあ、そうだろうな。と納得するクリスだが、問題はそれに何の意味があるのか、だ。

 そもそも今、課題としていたのは、普通に喋れるようになる事ではなく、力をキチンと使えるようにする事の筈なのである。

 

 

『何か勘違いしている様だが、お前が喋れる様になったのは、聖華化粧の縛り……どちらかと言えば副作用だ。術式の効果自体は別にある』

 

 

 

「副作用……。それに本当の効果、ですか?」

 

 

 

『今の状態のままで、思いっっっっきり出力をセーブしながら力を使ってみろ。ただし今回、俺様は力を貸さない』

 

 

 

「そこまで言うのなら、やってみますけど……。【治癒】」

 

 

 自分が死ねばデザベアも死ぬ以上、何も考えなくそんな事を言う訳も無い、とデザベアの言う通りにしてみる事を決めたクリス。

 極めて出力を抑えて、それこそ全力から比すれば無いも同じなレベルの力で回復の力を行使する。

 

 

 そしてクリスの右手に、神々しい治癒の光が現れる。

 問題はその後。

 何時もならば直ぐに来る筈の反動が………………少し待ってみても全く来ない!!

 

 

 

「すご、っ――いたひっ!……コホン。凄い、凄いです!!ほんの少しですけど、力を使っても大丈夫ですっ!!」

 

 

 たった今、使用した癒やしの力は、本当に微々たる物。

 精々、10から20箇所の粉砕骨折を瞬時に治す程度にしか使え無いが、それでも全く使えない状態から見ると、雲泥の差だと、クリスは嬉しくなった。

 

 

『ふふふ。それこそが、【聖華化粧】の効果な訳だ』

 

 

「おおっ!!ですが、一体どういった理由で力を使えるのでしょうか?」

 

 

 また口の中が痛くならない様に、口調に気をつけながら問いかけるクリスに対し、デザベアは得意げに事の絡繰りを説明し始めた。

 

 

『まず、聖華化粧を発動した場合のお前の状態から説明しようか。今のお前は、そうさな…………敢えて形容するのならば【聖女】と言う名の皮をかぶっている状況だ』

 

 

「聖女という皮、ですか?」

 

 

『より詳しく説明をするのであれば、悪魔である俺様と強い繋がりがある事により使える様になった他者の感情を己の力とする権能を弄って作った能力だ。万人が思い描く【聖女】と言う外殻を纏うことが出来る様になる』

 

 

 

「分かる様な、分からない様な…………。えーと。それで結局その外殻?を纏う事で私が力を問題なく使える様になるのは何故なんでしょうか?」

 

 

 詳しい理解にはいまいち至れなかったクリスだが、取り敢えず一番重要なのはそこだろう、と再度の質問を投げかけた。

 

 

『それについちゃ簡単な話だ。この聖女の皮を纏うことによる効力は、お前の肉体と魂の間にある格の差を埋める事だからな』

 

 

 デザベアの説明に対し、クリスは自身の左手の人差し指を下唇の当てながら、え~と、と考えた。

 

 

「つまり、肉体にかかる負担を肩代わりしてくれるクッションの様な物、なのでしょうか……?」

 

 

『そう考えて問題は無い。ただし、【聖華化粧】の効力は、能力を発動中にお前が他者から聖女としての感情を受ける程に強化されて行くから、現時点では大したものでは無いがな』

 

 

 

「……………………………………えーと?」

 

 

『ハァ。お前にも分かりやすく俗に言えば、今の【聖華化粧】のレベルは1。能力を使用中に他者に優しくしたりして感謝されることによってレベルアップ出来て、より多くの力を副作用無く使うことが出来るようになるって事だ』

 

 

「分かりやすいです!」

 

 

 すっかりチンプンカンプンだった様子のクリスに、デザベアがゲーム風の説明をした。

 すると、さらり、と理解するクリス。こういった所で現代っ子だった名残が発揮されていた。

 

 

「それにしても………。これは、凄い!凄いですよ、ベアさん!!この力があれば、これからの行動が格段に楽になりそうですっ!!」

 

 

 聖華化粧の効果に、満面の笑みを浮かべるクリス。

 デザベアに過度な労を負わせずに力を使えるようになり、更にその条件が他者に優しくする事という、どうせ元よりやるつもりだった事柄である聖華化粧は、クリスが今まさに欲していた能力その物だった。

 だが、喜ぶクリスに対し、デザベアが水を差す様な注釈を加え出す。

 

 

『大喜びの所悪いが、この聖華化粧にはデメリットもある。先程も言ったが、お前が今も体験している物がな』

 

 

「デメリット……。今も体験していると言えば、この口調の事ですか?ですけど、これは奇妙とは言え、役に立っているような……?」

 

 

 聖華化粧を発動してから変わった事と言えば、少し変な形ではあるが、キチンと喋れる様になった事位である。

 だがクリスからすれば、これは寧ろメリットにしか見えなかった。

 

 

『そもそも喋れる様になっているのは、デメリットの内の飽く迄一部だからな。その全容を説明するとなれば…………。そうだな、クリス。お前、なにかエロい事でも喋ってみろ』

 

 

 

「イキナリ何を?でも、分かりました!!」

 

 

 デザベアの突然の発言に驚いている割に、笑顔で了承するクリス。

 

 

「先程から何度か思っていたのですが、皮をかぶるって表現、何だかとてもエッ――」

 

 

 クリスがそこまで言いかけた、その途端。

 彼女の頭に締め付けられる様な痛みが襲いかかってきた!

 

 

 

「――!?い、いたっ!なに、これ!?頭、いたっ!ぁっ!口も、いたっ!」

 

 

 突然の頭痛に、口調も乱れて口の中も痛くなる地獄絵図。

 クリスが落ち着けるまで、暫しの時間が必要となった。

 

 

 

「うぅっ……。酷い目に遭いました…………」

 

 

 涙目になっているクリスにデザベアが笑いながらに話しかける。

 

 

『ハハハッ!身を持って体験した事で良く分かっただろう?今のが聖華化粧を使用する際の制限さ!』

 

 

「今のが……?でも一体どういった理屈で、何が起こったのでしょうか?」

 

 

『良いか?今のお前は聖女という皮をかぶっている様な状態にある、と先程話したばかりだろう?そしてならば当然、その皮に見合った所作・立ち振る舞いが必要となる訳だ』

 

 

「皮に見合った立ち振る舞い、ですか」

 

 

『ああ。要は能力の発動中は聖女然とした振る舞いを心がけなくてはならないって事だ。本来ならば一番重要で、最も難しいのは、慈愛に溢れた行動を取らなきゃならねぇって事なんだが………………。これは、まあ。お前にはどうでも良いな』

 

 

「はあ」

 

 

 何せ、クリスの場合、思うがままに行動するだけで満たせるし、とは口には出さなかったがデザベアの率直な感想である。

 

 

 

『お前にとって重要なのは本当だったらオマケの部分。清純かつ清楚な振る舞いをせねばならないって事だろうな』

 

 

「清純で、清楚…………」

 

 

『分かりやすいのは言葉遣いか。聖華化粧の発動中は、楚々とした言葉遣いをしなければならない。ただし、言葉に関しては、呪いが呪いで上書きされる様な感じになって、しっかりと喋れる様にもなるから悪いだけじゃあ無いがな』

 

 

「ああ!それで突然、普通に?喋れる様に成ったのですね!いえ、まだ全然慣れはしませんけど」

 

 

 軽い謎が解けて、ポン!と手を叩いて納得するクリス。

 しかし、そんなクリスにデザベアから無慈悲な事実が告げられる事となる。

 

 

『ああ。それと。清楚たる訳だから、エロいことは言えんし、出来んぞ』

 

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」

 

 

 間違いなく本日一番となる衝撃がクリスへと襲いかかった。

 

 

 

「申し訳ないですが耳にゴミが入って何を言ったのかよく聞こえませんでした。一体何と言ったのでしょうか!!」

 

 

 

『エロい事は駄目だぞ』

 

 

 

「は???????????????????????????????????????????????????????????????????????」

 

 

 全く予想だにしていなかった事柄に、クリスの頭の中が真っ白に塗りつぶされる。

 

 

「そ、それっ、て!あ、口、痛っ!!ええ、い、まま、よ!!つま、り。此処、で、服を、脱い、だり、する、のも駄目、って、事!?ぅぅ……。頭も、痛い……」

 

 

 口の中が痛くなるのも気にせずに、大慌てでデザベアに詰めかかるクリス。

 その剣幕に対し、デザベアが呆れた様子で応対する。

 

 

『なんか俺様が無茶な事を言っている様な態度だが、そもそ街中で突然脱ぎだす事が選択肢に入るお前の頭の方が可笑しいと思うんだが?』

 

 それは、そう。

 

 

「そんな事ありません!!!つまり、ベアさん!私に死ね、と…………?」

 

 

『エロい事出来なくなると死ぬんか己は』

 

 

「はい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

『そんな訳無いだろうが!!!!』

 

 

 まくし立てるクリスに、動じないデザベア。

 街中と言っても人目が無い場所であるため、2人の喧々諤々としたやり取りが落ち着くまで割と時間が必要だった。

 

 

『とにかく、だ!!聖華化粧中にエロいことなぞ言おうものなら【緊箍児(きんこじ)】と言う能力が発動し、お前の頭が痛くなる』

 

 

「……………………緊箍児ってなんですか」

 

 

『西遊記の方の孫悟空の頭に付いているアレだ』

 

 

「……人をお猿さん扱いしないで下さい」

 

 

『お前はエロ猿だろうが』

 

 

「むー!」

 

 

 頬をぷくー、と膨らませて不機嫌を表すクリスに、デザベアが呆れた様に諭す言葉を投げかける。

 

 

『良いか?よく聞け。そうやって何時ものアホな態度を我慢し、聖華化粧の強度を上げていく事が俺様がお前に求める苦労だ。そもそもお前は唯の苦痛なんざ簡単に耐えるんだから、背負うべきリスクって言ったらそういう方面になるのは当たり前の事だろ。俺様がお前の力を制御するのは命懸けなんだぞ!!』

 

 

 直訳すれば、自分も苦労したんだから、お前も苦労しろ、とシゴキの辛い運動部の上級生の、糞みたいな言い分の様な事を言ってのけるデザベア。

 しかしながら、クリスには割と有効な文句であった。

 

 

「まあ、それはそう、ですけれど…………」

 

 

『お前がしっかりと、この労力を負うのならば。聖華化粧だけでは足りないイザって時の力の制御は文句無くやってやろう。それでこそ対等って物だろう?』

 

 

「………………………………分かりました」

 

 

 元より自分の楽しみより、他者の喜びを優先するクリスに、応じる以外の選択肢は無い。

 嫌だけど!凄く嫌だけど!!とても嫌だけど!!!!クリスはデザベアの言葉に頷いた。

 

 

『よし来た!!何、安心しろ。全ての騒動が無事に終わって、呪いも解けたのならば、そこからは好きにすれば良いだろうさ。さて、それじゃあ術式の最終調整をして数日後には本格的に使い始めるぞ!!』

 

 

「はぁ。まあこうなってしまった以上は仕方がありませんね。なるべく早く皆さんのお悩みを解決出来るよう頑張って聖女(アイドル)を目指します」

 

 

『何度も思ってたが、お前の聖女像は何か可笑しい』

 

 

「それにしても、皮をかぶってアイドルを演じる………………。成程、これが流行りのVtuber――!!」

 

 

『人が真面目に作った能力を、俗な言い方するの止めてくれない???????』

 

 

 これが、数日前にあった出来事である。

 

 

 

*****

 

 

 そうして時間軸は現在に戻る。

 己の様子の突然の変化の理由を回想したクリスだったが、デザベアとの会話をそのまま話す訳にも行かないので、アレン達に対し、どう説明したものか?と少し頭を悩ませた。

 

 

(まあ、こんな感じで良いかな?)

 

 

 出来る限り嘘は少なめに。そして、分かりやすい説明を考えたクリスは、それを披露し始めた。

 

 

 

「今更の話ですが、そもそも私は自分の力の影響で、言葉遣いや体調に色々と悪い影響が及んでおりまして」

 

 

「やっぱりそうだったんだ……」

 

 

 分かっていた事だが、改めてクリスから断言されて、アレンは納得の頷きを返す。

 

 

 

「これは、なんとかせねばならない!とは常日頃から思っていた次第でして。その対策が遂に完成したのです」

 

 

 

「その結果が今のクリスの様子、って事?」

 

 

「はい!イメージとしては身を守る鎧を着込んだ、とでも思って頂ければ。まあこの場合、外から身を守るのではなく、内から身を守っているのですけどね」

 

 

 そういう意味では例として不適切だったかも知れないですね。とクリスは微笑を浮かべた。

 

 

「鎧……」

 

 

「ただし、それを使っても何もかも思い通りになる訳では無く、ちょっとした制限が発生してしまうのが難点ではあります」

 

 

 

「制限……。鎧らしく動き難くなる、と言った所かしら?」

 

 

 

 今のクリスの様子を見て、エレノアがそう推察を行った。

 そして先の通り、その推察は当たっている。

 

 

「はい!その通りです、エレノアさん。この状態ですと、一応普通には喋れるのですが、この様な言葉遣いや、所作を心がけなくてはいけなくて…………」

 

 

「それって大丈夫なのか?」

 

 

 クリスのその説明を聞いたアレンが心配そうに問いかける。

 その質問に、クリスはアハハ……、と少しバツが悪そうに回答した。

 

 

「まあ正直な所、違和感の有りや無しやと問われれば、有ると答えざるを得ないのですが」

 

 

 今までは普通に喋っていた言葉が勝手に変換されていたが、今は意識的に普段とは違う口調で話さなければならない。

 その違和感が少ない、とは残念ながら口が裂けても言えそうには無い。

 

 

「ただ、口調に関してはまだどうとでもなります。大変なのはどちらかと言えば、細かい所作などに関してですね。それも咄嗟の時の」

 

 

 言葉遣いに関しては、頭は良くは無いが、礼儀は持っていたクリスである。

 元々、目上相手に使っていたなんちゃって敬語を女性に寄せた感じで使えば、なんとか対応出来なくも無かった。

 意識的に喋るようにしておけば、数ヶ月もあれば多少は慣れるだろう、と予想出来る。

 

 

「確かに、クリスちゃん。ちょっと動作が雑な時があったものね。でもクリスちゃんみたいな可愛らしい子が何時までもそういう隙を見せているのも勿体ないから、丁度よい機会じゃないかしら」

 

 

 アレン達が性別を勘違いしたことからも分かる様に、クリスの所作は現在の見た目に反して、男の子というより、野生児っぽかった。

 ……まあ中身を考えれば当然の話しだが。

 それを矯正して行かなければならないと言うのだから、大変な話しである。

 

「なるべく早く慣れることが出来る様に頑張りますね?」

 

「私も、貴族になった時に少しだけ(・・・・)立ち振る舞いを変えたから、その時の経験を元に協力するわ」

 

 

「ぁ、ぁはは……。お手柔らかに……」

 

 

 口調と違って此方は大変そうではあるが、余りにも楚々とした物よりかけ離れた動作を行うと、柱の角に足の小指をぶつけた様な痛みが発生するし、否が応でも1年位あれば慣れるかな?とクリスは思った。

 

 まあ、それに――。

 

 

「でも、まあ。違和感と言うのなら、前の状態もそれはそれで違和感がありましたから」

 

 

 自分の喋った言葉が、ニュアンスこそ似ているものの、別の言葉として出てくると言うのも、それはそれでストレスが大きいものである。

 長い目で見れば、慣れる事が出来るだけ今の方がマシだろう。 

 

 

「どちらにせよ違和感があるのでしたら、人の役に立つ方が良いでしょう?ほら、見て下さい!」

 

 

「――っ!」

 

 

 クリスは元気よくそう喋ると、突然、近くで話を聞いていたアレンの手を握った。

 柔らかく温かい感触にアレンが頬を染めていると、クリスの手から神々しい白い光が溢れ出し、アレンの全身を覆い尽くした。

 瞬間、アレンに大きな安らぎが訪れた。

 

 

「――これは、回復?」

 

 

「はい!まだまだ本気は出せませんが、多少ならば使える様になりました」

 

 

「……体は、大丈夫?」

 

 

 心配そうなアレンに対し、クリスはへっちゃらです!と柔らかな笑みを浮かべつつ溌剌と答えた。

 実際、やせ我慢でもなんでも無い。

 最も、現状、問題なく使用できる力は、全力からすれば、ミジンコ以下の大きさである。

 それでも得意な回復などであれば、欠損レベルの怪我は治すことは出来よう。

 

 

 

 ――因みに、回復の発動に手を握る必要性は皆無である。

 

 

『ベアさん!まだまだ試して見ないと確信は出来ないですけど、やはり場合によっては緊箍児が発動しませんよ!!』

 

 

 

『………………そりゃあ、ようござんしたね』

 

 

 クリスは、アレン達にバレない様に、近くで不貞腐れた様に浮いているデザベアに念話で話しかけた。

 クリスのエロ行動を完全に封じたと思われた緊箍児だが、きちんと精査してみた結果、幾らかの穴がある事が分かった。

 簡単に言えば、雑に聖女っぽいムーブを挟めば良いのである。

 例えば、突然脈絡もなく人前で脱衣し始めるのは当然アウトだが、凍える幼子を相手に、我が身を省みず自らの着衣を貸す――的な動きなら可能なのだ。

 

 

『やはり参考にすべきは、少年誌のお色気枠ですねっ。如何にエッチな感じを挟んでいくか――!ベアさん、一時はどうなる事かと思いましたが、私、これはこれで興奮してきました!!』

 

 

『…………』

 

 

 こんな発言をしつつ、表では嫋やかに微笑んでいるのだから、新手の詐欺である。

 

 

『ベアさん相手の念話なら緊箍児が発動しない事も分かりましたし、風は私の方に吹いていますね!!』

 

 

『ドウシテ……』

 

 

 色々とごちゃごちゃ建前を並べてはいたが、結局の所、自分が振り回されないために聖華化粧なる力を作ってクリスの色欲を封じようとしたデザベアであったが、クリスとの間に極めて強い繋がりがある所為で、寧ろその被害を一手に引き受ける始末になっていた。

 世界が彼に、ツッコミ役からは逃さんぞ?と言っているのである。

 

 またしても自爆して落ち込んでいるデザベアを尻目に、新生クリスのお披露目会は継続していく。

 

 

「それにしても……」

 

 

「?」

 

 

 サクッと人知れず悪魔退治を終えながら、優雅に微笑むクリスを見ながら、エレノアがそう呟いた。

 

 

「こう見るとクリスちゃん、だいぶ大人っぽく見えるわね」

 

 

 栄養不足で小柄過ぎた体に、呪いのせいでたどたどしくしか喋れ無かった為に、非常に幼く見えていたクリス。

 

 しかし若竹かな?と思わんばかりの驚異の成長に、今回の件が重なった結果、今度は逆に歳以上に大人びて見える様になっていた。

 

 なんとなくおねショタの波動を感じる位だ。

 

 

「ふふっ。お姉さん、ですね」

 

 

 中身、高校生の面目躍如だと胸を張るクリス。

 その様子も、ほんの1ヵ月前であれば、無い胸を張る事になっていたが、今だと有る胸を張っている位だ。

 

 

『…………頭の中、性に興味深々の永遠の中学男子の分際でドヤってんじゃねぇ』

 

 

『何か言いましたか?ベアさん』

 

 

『いいや、何も』

 

 

 

 ぼやいているデザベアは放っておいて、クリスは話のまとめに入る。

 

 

 

「まあ、色々とお騒がせしてしまいましたが、少し表現方法を変わる程度で、私は私のままなので、これからも仲良くして頂けると嬉しいです」

 

 

 

「それは勿論」

 

 

 

 大変は大変だが、別に無理をしている訳では無いのだ、と語るクリス。

 彼女は、それに、そもそも――と話を続けた。

 

 

 

「別に、戻る。思え、ば。何時、でも、戻れ、ます」

 

 

「確かに何時ものクリスちゃんね」

 

 

 クリスはササっと簡単に、聖華化粧を解除した。

 なにせ一度発動したら解除不能と言う訳ではなく、別に解こうと思えば、いつだって解くことは出来るのである。

 それこそクリスの感覚的には、気温に合わせてコートを着るかどうか、程度の話である。

 

 

「ただ、余り外してばっかりではいつまで経っても慣れないままですし、折角この力を作った意味も無いので、基本的には常に使っておきます。ただ、この様に何時でも外せる物なので、そんなに心配なさらないでくださいね?」

 

 

 

「ああ。分かったよ、クリス」

 

 

 実際に見本を見せながら話すクリスの様子に、無理をしていない事を納得したアレンが笑顔で応答した。

 

 しかしその横で、デザベアが小声で呟く。

 

 

『お前にとってはそうかもしれねぇが、実際言う程安全な術でも無いんだけどな』

 

 

(全く、ベアさんは大袈裟だなぁ)

 

 

 呆れた様に吐き出されたデザベアの言葉に、クリスはそう思った。

 だがしかし、この場合に正しい事を言っているのはデザベアの方である。

 

 

 クリスからしてみれば、簡単に着脱可能な聖華化粧であるが、常人からすればそうでは無い。

 普通の人間が使用すれば、一度発動したが最後、死ぬまで外せず、善人である事を強要される上に、気を抜けば自分と言う物が無くなって仮面に乗っ取られる可能性がある程だ。

 悪魔であるデザベアが作っただけはある、聖なる呪い。とでも言うべき恐ろしい代物なのである。

 

 まあ最も、クリスからすれば、心の赴くままに行動すれば何の問題も無い上に、そもそも彼女が使う事だけを想定して作られているのだから、大袈裟と言う言葉も正しいと言えば、正しい。

 

 

 

「それに、もう少しで新しい街に向かいますし、心機一転頑張っていくには、丁度良かったです!」

 

 

 緊箍児の制限に引っかからない様に、控えめに、えい、えい、おーと動作を繰り広げながらクリスは話をそう締めくくった。

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、この聖華化粧。クリスが気が付いていない、気にしてもいない大問題がある。

 

 

 

 それは――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――表面上だけでも変な行動をしなくなると、いよいよもって慈愛に溢れて距離感の近い意味の分からんレベルの美少女になるのである。

 

 

 

 何だか、良くも悪くもどんどんレベルアップして行くクリスを見て、エレノアは、この先、息子の息子は本当に大丈夫かしら……?と冗談抜きでそこはかとない不安を覚えた。 




表面上は素晴らしい聖女だけど、心のなかではドスケベという勘違い物をやりたくてこの作品を書いていましたが、言葉を奪った程度だと全く変態性が隠れてくれなかったので、2章の展開に向けてデザベアさんに頑張って貰いました。


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第二章 ポンコツ神官と氷の令嬢
01 意識高すぎ高杉くん


 お待たせしました!2章スタートとなります。



 

 アナトレー王国の片隅にある小さな町アルケー。

 その中に存在する、唯一神パンタレイを奉ずる聖神教の教会。

 更にその中に用意された1室にて、2人の人間が対峙していた。

 

 

 1人は腰の曲がった老婆。

 彼女はこの教会に体の治療を求めてやって来た。

 聖神教の神官の役割の1つに、心身を癒す法術を持って、人々の怪我や病を治療する、癒し手と言う物がある。

 小さな町などでは、それのみが医療の核となっている事も珍しくなく、老婆はそれを求めて教会へやって来た、と言う訳だ。

 

 

 よって当然、老婆と相対している相手は、聖神教の神官であった。

 黒と白を基調とした、聖神教の法衣に身を包んだ1人の女神官。

 年の頃は、見た目からすれば10代中頃に届くか届かないか位に見える。

 

 彼女の着ている法衣の、その右肩の部分。

 黒い布で作られたその場所には、淡く輝く白い横線が7本も描かれていた。

 それは【位階線】と呼ばれる物であり、神官の身分を表す役割を持っている。

 1本から7本までの間で地位を表し、数が少ないほどに身分が高い。

 つまり少女の法衣に描かれた7本の線は、彼女の神官としての身分が低い事を表しているのである。

 察するに、聖神教の神官になりたてなのであろうか。

 

 

 しかしだとすると奇妙な事柄が1つ、存在した。

 老婆が神官の少女に対し、やけに畏まっているのである。

 無論、体を治療して貰いに来ているのだ。

 例え、相手が年若く、身分がそう高く無い相手でも、きちんと礼儀を知っている人間ならば礼は逸さないだろう。信心深ければ猶更だ。

 だが、それでも尚、奇妙と書いたのは、ただそれだけにしては、老婆の態度が度を過ぎているからである。

 それこそ、放っておけば数珠や十字架を握りしめて拝み始めかねない程に、老婆は女神官に対して恐縮していた。 

 一体、少女の何がそこまで老婆を畏まらせているのだろうか?

 

 

 まず、一目見ただけで分かる少女の特徴。

 それは美貌、であった。

 それも、そんじょそこらに存在するレベルでは無く、間違いなく絶世の美少女として歴史に名を残せると、誰もが確信出来る程の。

 白い髪に紅い瞳という、ともすれば不気味と思われかねない少女の容姿であったが、神が手ずから作り上げた様な容姿の黄金比が、そんな感想を一切抱かせない。

 男ならば、いいや女ですら、一度視界に入れれば暫くは目を外せなくなる程の、惑星(ホシ)の引力の如き魅力を少女は持っていた。

 

 

 ……が。今回の老婆の態度にそれ(美貌)はそこまで関係が無い。

 何故なら、美貌とは愛でるものだ。拝むものではない。

 よって少女が他者を傅かせているのは、その他の部分。目には見えない特徴が故であった。

 それは少女から流れ()でる雰囲気の様な物である。 

 

 

 圧倒的でかつ、神秘的。

 全身から後光が差して見える程に、少女から流れ出す雰囲気は凄まじい。

 華奢で可憐な少女と相対している筈なのに、雄大な大自然を前にしている感覚を受けるのだ、祈りの1つも捧げよう物である。

 少なくとも、少女の法衣に刻まれている位階線が1本のみであっても、老婆はまるで不思議に思わなかっただろう。

 

 

「手を――」

 

 

「は、はい!」

 

 

 少女より、その可憐な容姿に見合った透き通った声が出された。

 その声に従い老婆がおずおずと自らの両手を少女の前に差し出した。

 それを少女は自らの小さく柔らかな手で、優しく包み込んだ。

 そして次の瞬間、少女の手から神々しい白い光が放たれて、瞬く間に老婆の全身を覆い尽くした。

 

 

 

「ああっ……」

 

 

 

「――――」

 

 

 その時、老婆に訪れた感覚を述べるのならば。

 丁度良い温度の温泉に浸かっている様な、或いは最早朧げにしか思い出せない己が幼子だった昔日に、母に抱きしめられた時の様な、そんな心地良く安らぐ感覚であった。

 その感覚に安らぐ老婆の様子を見て、神官の少女は嬉しそうにはにかんだ。

 時間にすれば、僅か数秒の出来事である。

 

 

 

「終わりました」

 

 

 

 少女の手から放たれていた光が止まる。

 どこか幻想的ですらあった時間が終わりを告げ、日常の光景が戻って来る。

 

 

 

「お加減はいかかでしょうか?」

 

 

 

「全身がすっかり楽に――!これほど体が軽くなったのは久しぶりです!」

 

 

 

「それはとても良かったです」

 

 

 

 少女の問いに、老婆が弾んだ声で返答した。

 しかしその直後、老婆の表情がバツの悪そうな物へと変化した。

 

 

 

「その……。ごめんなさい。神官様のお手をこんなくだらない事で手間取らせてしまって」

 

 

 やけに仰々しく感じられた老婆の治療だが、別に行われていた事は大した物ではない。

 不治の病や大きな怪我の治療という訳では無く、肩こりや腰痛などの治療である。

 そしてそんな行為を、溢れんばかりの神聖さを醸し出している女神官にやらせてしまった事が老婆の恐縮の理由であった。

 

 

 ……少女の神官としての地位が7本線である事を考えれば至って妥当な行為であるし、そもそもそう言った施術に対する寄付と言う名の料金も、教会の飯のタネなのだから遠慮された方が困る話ではある。

 しかし、老婆の心境を現代地球的な例で分かりやすく説明すれば、マッサージ屋に行ったらロー○法王が出てきてマッサージしてくれた。位の感覚なのである。

 恐れ多い所の話ではない。

 そんなこんなで只管に低姿勢になっていく老婆に、神官の少女は優しく微笑んだ。

 

 

「そんなことありません!皆様の笑顔を見る事こそ私にとっての至上の喜びです。それにお婆様が必死に生きて来た軌跡への手伝いですもの、くだらない事である等と私は欠片も思いません。ささやかながらも力になれた事をとても嬉しく感じます」

 

 

「神官様……!」

 

 

 告げられた少女の言葉に、老婆が大きな感動に包まれる。

 勿論、言葉でそう言っていても、実際にどう思っているのかを知る術は老婆には無い。

 しかし少女の浮かべる柔らかい笑顔は、本当に心の底からそう思っている者でなければ浮かべられない物だと、老婆には思えたのだ。

 少なくとも、少女の正体が素晴らしい善人か、凄まじいまでの女優のどちらかなのは確実であろう。

 なにせ、未だアルケーの街に来てから1ヵ月半程度の女神官であるが、誰が相手でも心優しいその態度と、卓越した回復術の腕で、既にかなりの信用を得ている。

 良くも悪くも注目されやすい容姿をしているのに、これと言って悪い話が聞こえてこないというのは、かなり信頼性の高い情報だろう。

 

 

「本当に、今日はありがとうございました」

 

 

「また何かありましたら、何時でもいらして下さいね」

 

 

 

 最後まで恐縮しながら老婆が部屋を退出した。

 これで、表面上は(・・・・)部屋の中に神官の少女が1人となる。

 人目が無くなったにも関わらず、少女の顔から楽し気な笑みが消える事は無かった。

 つまり少女の本性は、女優の方では無く、善人の方であったのだろう。

 少女は自分がたった今、感じている思いを傍にいる(・・・・)友人に率直に伝えた。

 

 

 

『回復の術に心地よくなる効果を付与して大正解でした。気持ち良くなっているお婆様の顔、とってもエッチでした……!』

 

 

 

『無敵か?お前?????????????????????』

 

 

 

 ええ。はい。

 何時ものクリスちゃん(ド変態)です。

 ほう。と頬を紅潮させるクリスの姿は、どことなく扇情的で魅力に満ち溢れていたが、そんな印象が軽く吹き飛ぶほど発言がヤバい。

 新しい環境に来ても、本質的には何にも変わらずに平常運転を続けるクリスの様子に、デザベアは、はあ、と溜息を吐いた。

 

 

 

*****

 

 

 

「それにしても……」

 

 

『あ?』

 

 

 何時もの発作(変態発言)を終え、クリスが少し憂鬱気に呟いた。

 

 

「ああやって、こう、なんと言うか……。偉そうな雰囲気を出して誰かと話すのは、やはり少々気が乗りませんね。私としてはもっと親しみやすさを重視して行きたいのですけれど」

 

 

 そもそも、この町に来た当初はそう言う感じで人と接していたのだ。

 そしてその態度は上手く行き、元気で人懐っこい神官の少女として周囲の人間に受け入れられた。

 そう、受け入れられていたのだが…………。

 

 

『仕方が無いだろう。お前自身が皆の前で、本当の雰囲気を出しちまったんだからよ』

 

 

「うぅ……」

 

 

 日にちにして、丁度2週間前の事。

 このアルケーの街でとある事件(・・・・・)が起こった。

 そしてその結果、それなりの人数がかなりの重傷を負うことになったのである。

 その怪我人ら自体はクリスが治療したことで何ら問題なく完治した。

 後遺症が残った者も、死亡した者もいない。

 それにより事件自体は解決したが、ちょっとした問題?も発生した。

 

 

 そもそもクリスは、周りに無用な混乱や威圧を与えないように、このアルケーの街にやって来て以降、神がかった雰囲気や魅了の力が己から勝手に出てくるのを、意識的に封じていた。

 しかし事件により発生した怪我人たちの治療が、デザベアの協力抜きで使える力的にギリギリであったため、それらを封じている余裕が無くなってしまったのだ。

 それでも、問題がより面倒なことになる魅了の方は必死に封じたのだが、その所為で超常の雰囲気はダダ漏れになってしまった。

 結果、それを目撃した人の中で、信心深い者たちは、先程の老婆の様な神々しい者に接する様な態度をクリスに取り始めたのである。

 

 

 クリスとしては、そうやって敬われるよりは気安く接して貰える方が嬉しかった。

 呼び名1つをとってもそうである。

 クリスとかクリスちゃんだとか、卑しい雌豚だとか、親しげに呼んで貰った方がクリスとしては嬉しい――特に一番最後の呼び方がオススメだ。

 

 

 

『ハッ!あの手の輩は偉い者に傅くのが大好きなドマゾなんだから、好きにさせてやれよ!!』

 

 

 

「口が悪いですよ。ベアさん」

 

 

 

 相も変わらず口を開けば皮肉が飛び出してくるデザベアに、クリスが苦言を呈す。

 信心深いのは決して悪いことでは無いし、しかも……と話を続ける。

 

 

 

『それに、マゾとして跪きたいのはどちらかと言えば、私の方です!!』

 

 

 

『あの、態々念話を使ってまでセクハラ発言をしてくるの止めて貰って良いスか?????????』

 

 

 天使と悪魔的な、片方が良心で片方が悪心で話しているのに、良心側が突然ヤベー奴になるのは止めろ!!とデザベアは疲れた様に呟いた。

 そして、クリスのこう言った発言に付き合っていると、それこそ永遠に止まらないと分かっている為、話の路線を強引に元に戻した。

 

 

 

『とにかく、だ!!悪いことじゃ無いってんなら尚更注文通りにしてやれよ。この程度で音を上げてちゃ、【聖女】なんて遥か遠いぜ?それに、ああやっていた方が、心身的には楽だろう?』

 

 

 

「まぁ、それはそうなんですが……」

 

 

 

 一見、庶民的な性格の人間が、偉い人間の性格を演じている勘違い物的に見える構図。

 確かに、性格的な面で言えば、正しくそうなのだが、魂の性質的に言えば、ああやって超然としている方が本質に近いというのがクリスのややこしい所である。

 それに性格の面も偉そうにするのが苦手、と言うだけで、発言そのものは思ってもいないことを言っている訳では無いのだ。

 勘違い物なのか、そうで無いのかの境界線を行ったり来たりする女。それがクリスであった。

 

 

『ま、結局の所、なるようにしかならんだろうさ。そんなに気安げに接されたいなら、今現在そう言う態度を取ってくれてる者たちが変わらない様に気を付けるんだな』

 

 

 

「確かにそうですね。相談に乗ってくれて、ありがとうございます。ベアさん」

 

 

『へいへい』

 

 

 最後には意外にもまともなアドバイスをしてくれたデザベアに、クリスはお礼を告げる。

 時間にしては数分そこらか、これはこれでクリスにとって楽しい時間であった。

 

 

*****

 

 デザベアとのちょっとした会話を楽しんだ後、クリスは更なる仕事を求めて個室から退出した。

 こうして聖神教の神官となるまでは、一体神官たちがどんな仕事をしているのか説明を聞けども実感は湧かず、日本でのイメージだけで、祈ったりしてるのだろうか?と漠然と思っていたクリス。

 しかし、実際に神官と成って分かったのは、この世界のこの時代において、神官と言う職業はかなり忙しい、という事だった。

 

 

 まず前提条件として、この世界においては人間に対する特殊な外敵が存在する。

 廃呪(カタラ)。人を、地を、水を、汚し穢す呪いの塊。

 聖神教の神官の仕事とは、基本的にその廃呪の悪影響を取り除く事と言って良い。

 

 世に満ちる悪い気の所為で、治りの遅い怪我や病の治療。

 廃呪を近寄らせない聖なる結界の展開と、その管理。

 穢れた土地や、水の浄化。

 軽く例を挙げただけでも、どれだけ重要な役割であるのか説明するまでも無いだろう。

 仕事など幾らでも存在していて、常に手が足りていない状況である。

 よってクリスに何時までも休憩している気など皆無であった。

 

 

「神父様。午前の治療が終わりました」

 

 

「どうもご苦労さまです。クリスさん」

 

 

 先の老婆を含め、幾人かの治療を終えたクリスを出迎えたのは、男物の法衣に身を包んだ優し気な初老の男性であった。

 名前を、ジャン・スィニス。

 聖神教の信徒であり、このアルケーの町の教会の管理を任されている神官である。

 位階を示す線は5本。

 柔らかい物腰で、町の人間に信用されている人格者である。

 

 

 因みに、この町に居るルークの知り合いと言うのも彼の事である。

 アレン達が移住するのに骨を折ってくれた上、聖神教の神官と成った己の事を何かと気にかけてくれるジャン神父に、クリスとしては頭が上がらない。

 

 

 

「もっと休憩をとって頂いて、構いませんよ?」

 

 

 

「ありがとうございます。でも、じっとしていると落ち着かなくて……」

 

 

 

 えへへ……。と笑うクリスにジャンが苦笑する。

 

 

 ジャンにとってクリスは、良い意味で少し困った子であった。

 教会の仕事……と言うより、人の役に立つ事に対する意欲が高すぎるのである。

 それ自体は間違いなく良い事で、クリスの美点ではあるのだが、放っておいたら延々と仕事を止めない為に、周囲としては彼女の体調が気にかかるのは当然の事であった。クリスの体が弱いと知っていれば、尚の事。

 

 

 それに体が弱ければ、普通は激務など体力的に出来ない筈なのだが……。

 普通の理由では無く、魂と肉体の格の差と言う前代未聞の理由で弱っているのがクリス。

 よって彼女は、体が弱いが頑丈で、体力が無いがスタミナがある。なんて意味不明な状態なのである。

 簡単に体調を崩し、少しの運動で息を切らす癖に、回復力は高く、馬鹿げた精神力も相まって激務だろうがなんだろうがこなせてしまうのである。

 周りが心配するのも分かろうという物。

 

 

 

「ふむ、そうですね……」

 

 

 だからといって無理矢理休息を取らせれば良い、と言う訳でも無いのが困った所だ。

 勿論、流石に度が過ぎている場合は制止するが、そうで無い限り、人の為になりたいと言う優しく清らかな思いを無下に押さえつけるのもどうか、と言う話である。

 それに、世知辛い話ではあるが、アルケーの様な小さな町の教会に、意欲も実力も高い人材を遊ばせておく余裕は余り無い。

 結局の所、ジャンに出来るのは、意志の強い若さに満ち溢れた少女に、年長者として彼女が潰れてしまわない様に、しっかりと考えて仕事を割り振る事であった。

 

 

 ――結局、彼女(・・)の言う通りになりましたね。

 

 ジャンはそんな風に内心で苦笑しつつ、クリスへと話しかけた。

 

 

「ではクリスさんには、町の結界の見回りに言って貰いましょう――彼女(・・)と一緒に」

 

 

「――彼女」

 

 

 ジャン神父の言葉にクリスがオウム返しをしたその瞬間。

 彼女に対して、背後から極めて楽し気な声色の声が投げかけられた。

 

 

「クーリス~ぅ♪」

 

 

 同時にクリスの背中に与えられる柔らかい感触。全身を包み込まれる感覚。

 要は誰かに突然、背後から抱きしめられたのである。それにより、クリスの口は可愛らしい小さな悲鳴を発した。

 

 

「きゃっ!」

 

 

 尚、表面上はこんな感じのクリスであるが――。

 

 

 

『わーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!!柔らかいですっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いい匂いがします!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 

『うるせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!』

 

 

 口では静かにしつつ、念話では大騒ぎすると言う、この1ヵ月で無駄に鍛えられた無駄のない無駄なスキルが炸裂していた。

 脳内で鳴り響く大音量に、デザベアが怒鳴り返した。

 

 

 それは、サラッと流した上で、クリスは抱き着いてきた相手の対応を笑顔で始めた。

 

 

 

「どうしたんですか?カナリア」

 

 

 

「えへへ。クリスと長い時間離れ離れになってたから寂しくなっちゃって」

 

 

 

 突如、クリスに抱き着いてきたのは1人の少女であった。

 やはり、聖神教の法衣を着た、クリスより高い160cmに近い身長の、どこか活発そうで、それでいて少女らしさも損なわれていない可愛らしい茶髪の少女。

 名前をカナリア・カフェ。

 今年で15歳になるこの町産まれの聖神教の女神官である。位階線は5本。

 

 

 クリスがアルケーの町にやって来て凡そ1ヵ月半。

 様々な人と親交を結べた訳であるが、その中で最も仲良くなった相手を選べと言われた場合の答えが、このカナリアと言う少女であった。

 基本礼儀正しい筈のクリスが、(肉体的には)年上のカナリアを当人たっての希望で呼び捨てにしていることからもそれは伺える。

 

 

 

「長い時間って、今朝会ったばかりじゃないですか」

 

 

 

「私、数時間おきにクリス成分を摂取しなければ命が危ないカ・ラ・ダになっちゃったもの。だからこうやって補給させて?」 

 

 

 

「もうっ。そんな冗談ばっかり!はい、どうぞ。では、しっかりと補給して下さいね?」

 

 

 クリスの体に擦りつくカナリア。

 内面はさておいて、絵面だけで言えばとても華やかであり、仲の良さが伺える。

 ……いや、これは仲が良い、と言うより仲が良すぎる、と表現した方が適切かもしれない。

 この僅かな時間のみで、もうスキンシップの量が過剰に見える。

 

 

 内心で狂喜乱舞している事が、最早説明するまでも無く明らかな変態大魔神(クリス)の方は平常運転なのでさておくが。

 一般人の筈のカナリアの態度には些か疑問が残る。

 最終的には人に寄るが、同性であっても、いいや同性だからこそべたべたと距離感が近すぎるのは珍しい部類だろう。 

 ではカナリアがその珍しい部類の人種であるのかと言えば、それも違う。

 

 

 クリス以外に対するカナリアの距離感は、同性異性問わず、普通である。

 もっと言えば、ほんの2週間程前まではクリスに対する態度も、こんなものでは無かった。

 ぶっちゃけその時の彼女はクリスの事を嫌っていたので、普通どころか険悪であり、その態度も無視までは行かないが、かなり刺々しかった。

 

 

 その時期の彼女のクリスに対する態度の一例を見てみよう。

 

 

 

 

「私、忙しんだけど。大した用でも無いのに話しかけないでくれる?」

 

 

「ふんっ。悩みも何も無さそうで羨ましいわ」

 

 

「幾ら女同士でもベタベタ、ベタベタと……。貴方には、”節度”と言う物が無いのかしら?」

 

 

 等々、である。

 

 

 これはキレている。キレまくっている。触るもの皆傷つけるキレたナイフである。

 私、貴方の事。気に入らないんですけど??????と言う感情が、とても良く伝わって来る。

 

 

 尚、現在――

 

 

 

 

 

 

「えへへ、クリスぅ~」

 

 

 

「もうっ!カナリアったら甘えん坊さんですね」

 

 

 

 ベタベタだ。ベッダベタだ。髪にくっついてしまったガムぐらいベタベタだ。

 2週間前の彼女がこの光景を見たら、???????????????????と大量の疑問符を頭の中に浮かべて卒倒するだろう。

 私、貴方の事が大好きです!!!!!と言う感情が、とても良く伝わって来る。

 

 

 と言うか、有り体に行ってしまえば、友情のスキンシップでは無く、恋情の触れ合いだった。

 もう、何か目の色が明らかに違う。コイツ、絶対発情してるんだ!って感じである。 

 

 

「コホン」

 

 

 仲良きことは美しきかな、と静観していたジャンだったが、流石に何時までもそうしている訳にもいかず、2人の注意を引くために1度咳ばらいをした。

 

 

「あ、申し訳ありません。神父様」

 

 

「ごめんなさい。ジャン神父」

 

 

「いえいえ。仲が良いのはとても宜しい事です。ただ、少し私に話す時間を下さい」

 

 

「はい」

 

 

 ジャンは、中断されていたこれからクリスに割り振る仕事の話を再開した。

 

 

「先ほども言いましたが、クリスさん。街に張られた結界の巡回をカナリアさんと一緒にお願いします。何せカナリアさん当人からのお願いでもありますし」

 

 

「カナリアが?」

 

 

 きょとん、と小首を傾げたクリスに、悪戯がバレた子供の様な笑みを浮かべながらカナリアが事のネタ晴らしをした。

 

 

「クリスったら絶対追加のお仕事がしたい!って言うと思ったもの。だから神父様に、クリスがそう言ったら、一緒に見回りをさせて貰えないか?って頼んでたの!」

 

 

「言う事が簡単に予測されていたみたいで、少し恥ずかしいです」

 

 

 ぷく、と頬を膨らませるクリスに、もじもじと己の指と指を絡み合わせながら、カナリアが答える。

 

 

「容易い事ではないわ。深く、深く、心が通じ合っている私たちだから出来るのよ」

 

 

「仲良しさん、ですね!」

 

 

『この馬鹿の性格を知っていれば、誰でも予想出来るぞ』

 

『ベアさん、ステイ!』

 

 

 クリスとカナリアの姦しいやり取りを微笑まし気に見つつ、ジャンが締めの言葉を発した。

 

 

「という事なので、お2人で仲良く結界の見回りをお願いします」

 

 

「はい!分かりました!」

 

 

「はい。”とても仲の良い”私たちに任せてください!」

 

 

 クリスが無理をし過ぎない為の気晴らしも兼ねて、2人で楽しく見回りをしてくれれば良い、と考えてジャンは2人を送り出した。

 いや、勿論とても重要な仕事であるから。気を抜いて良い物では無いのだが。

 

 しかし、基本真面目で、仕事に手は絶対に抜かないクリスと、(クリスの事以外は)品行方正なカナリアの2人である。

 少し気楽にやる位で、漸く他者の真剣と同じだろうと、ジャンの心の中に心配は全く無かった。

 

 

そうして、町を歩き回る2人だが――。

 

 

 ――ある時は、アラサーくらいの主婦が、溢れんばかりの感謝と共にクリスに話しかける。

 

 

「ああ!クリス様。その節は、癒しの奇跡をどうもありがとうございますっ!貴方がいなければ、夫は――」

 

 

 クリスは笑顔で応答する。

 

 

 

「いえいえ、力になれたのであれば嬉しいです。何時までも夫婦仲良く幸せで居て下さいね?」

 

 

「本当にありがとうございました!」

 

 

 去っていった主婦の様子に、カナリアは我が事の様に喜んだ。

 

 

「流石だわ、クリス。あれからクリス指名の治療を求める人が一杯だものね!」

 

 

「(エッチな顔が見たいから)少し心地よくなる様にしている以外は、他の方の治療と然して変わりは無いのに、私だけが賞賛されるのは少し居心地が悪いのですが……」

 

 

 

「いいえ!そんな事ないわ。回復の腕以上にクリスからは一緒にいるだけで安心する空気が流れてるもの」

 

 

 大袈裟に褒め称えてくるカナリアに、少々困ったような笑みを浮かべるクリス。

 

 

「それこそ、そんな事は無いですよ」

 

 

『そうだよなぁ、お前から出てくる空気なんざ、変態イオン位だぜ』

 

 

「……………………」

 

 

「ううん。だって今、こうしてクリスと話しているだけでも、体の奥底から熱が溢れてきて、全身がポカポカしてくるもの!」

 

 

「もうっ!大袈裟ですよ!」

 

 

『それはただ、サカってるだけなんだよなぁ……』

 

 

『ベアさん。うるさいです!!』

 

 

 

 

 ――ある時は色とりどりの野菜と果物を並べて売っている店の、店主に呼び止められる。

 

 

 

「おう、2人とも!結界の見回りかい?精が出るねぇ」

 

 

 

「こんにちわ。おじ様。はい。そうなんです。カナリアに色々と教わっているんです」

 

 

 

「へえ、カナリアちゃんも良い先輩をやってるんだなぁ」

 

 

「この町で”1番”クリスと、”深い仲”の私としては当然の事よ、おじさん」

 

 

 

「ははは、そうかい!それじゃあその仲を祝して2人に俺からのプレゼントだ」

 

 

 そう言うと店主は、2人に瑞々しい赤色の果実を差し出した。

 

 

 

「あれ、良いの?ありがと!おじさん」

 

 

「そんな、悪いです」

 

 

「いやいや、貰ってくれよ。正直、クリスちゃんに”おじさま”なんて呼ばれた日にゃ金でも払わなきゃ悪い気になるんでな。この位は安いモンよ!いや、マジで!!」

 

 

「もうっ、大袈裟ですよ!ですが、ありがとうございます。おじ様」

 

 

 

「そう、それ!!もう1個あげちゃう!!それにその、出来れば上目遣いしながら、もう1回言って貰えると」

 

 

 

「ええ、勿論構いま――」

 

 

 クリスが言い切る前に、カナリアが冷たい声で、ボソッと呟いた。

 

 

「…………おばさんに、言いつけるよ」

 

 

 店主の親父が大慌てで、カナリアへ詰め寄った。

 

 

「ちょっ!?冗談!冗談だから!!ほら、カナリアちゃんにももう1個やるからな、なっ!!」

 

 

「全く、油断も隙も無い…………」

 

 

 

 コント染みたそのやり取りに、クリスがくすくすっと、笑みを零した。

 

 

「あまり、おじ様をいじめては駄目ですよ、カナリア?」

 

 

「はーい」

 

 

 

 ――ある時は、挙動不審気味の、カナリアと同い年位の少年に声を掛けられる。

 

 

 

「あ、あ、あ、あの!く、クリスさん――」

 

 

 

「はい!なんでしょうか?」

 

 

 

「こここここここ、今度、僕と――」

 

 

 2人の間に、ギロリッ、と目を鋭くしたカナリアが立ちふさがった。

 

 

 

「ゲッ、カナリア――」

 

 

 

「私たち、結界の見回りと言う”重要な仕事”をしているので邪魔しないで貰えます?」

 

 

「邪魔なんて――」

 

 

「な に か ??」

 

 

「……何でも無いです」

 

 

 逃げ帰る様に少年は退散していった。

 

 

 

「カナリア?」

 

 

 その強硬な態度に対するクリスの疑問の言葉に、カナリアは勢い良く答える。

 

 

「ふんっ、良いのよ、あんな奴!アイツ、少し前までしつこく私に粉掛けておいてアレだもの。全く、良い性格してるわ!!」

 

 

 

「それは……」

 

 

「あ!クリスはまっっっっったく気にしなくて良いのよ!寧ろ、面倒な奴を押し付ける形になって、此方の方が悪い気がするわ。ただ、何が言いたいかっていうと、クリスにはあんなのじゃなくて、もっとお似合いな人がいると思うの!」

 

 

「お似合いな人、ですか。例えばどんな人でしょうか?」

 

 

 

「え、えぇっ~。そうね!」

 

 

 体をくねくねと、くねらせながらさせながら、カナリアが自分の意見を述べる。

 

 

 

「クリスは、しっかりしているけど、人が良すぎる所があるから、やっぱり似合うのは同じくしっかりしている人じゃないかしら、他意は無いけど!!」

 

 

「しっかりとしている人」

 

 

 因みに関係があるかは知らないが、カナリアは産まれて15年、しっかりしてるね。と言われ続けて来た。

 

 

 

「それに、頼りになると言ったらやっぱり年上で先輩よね!でもあまり年が離れすぎているのもどうかと思うから、5歳くらい年上の先輩が良いんじゃないかしら!他意は無いけど!!」

 

 

「5歳年上の神官の先輩」

 

 やはり関係があるのかは分からないが、カナリアはクリスの5歳年上だ。

 

 

「あと見た目的な話で言えば、クリスの綺麗な白髪に似合う相手は茶色だと私は思うわ!他意は無いけど!!」

 

 

「茶髪」

 

 きっと関係ないとは思うが、カナリアは茶髪である。

 

 

「でもやっぱり一番重要なのは気が合うかどうかよね。性別問わず!!!!気が合う相手なのが重要だと思うわ。例えば楽しく一緒に散歩出来る人とか!!他意は!!!!!無いけど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

「性別問わず」

 

 

 関係無いったら無いのだ。

 

 

「有難く参考にさせて貰いますね」

 

 

「!!!!!!!ええ!是非、参考にしてね!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 

 

 そんなこんなで、結界の見回りを続けていたクリスであるが、見ての通り極めて人気が高かった。

 行く先々で好意的な言葉を次から次へと投げかけられる。

 感情の種類は様々であったが、表に見える限りはどれも良い物ばかりで、この町に来てから未だ1ヵ月半程度だとは思えない程に、クリスは町に受け入れられていた。

 

 

 

*****

 

 そして結界の見回りを終え、その後にも細かな仕事をし、クリスが帰路についたのは、結局陽が沈んでからの事であった。

 その足で向かったのは、町の外れにある一軒家であった。

 

 この家は、元の持ち主が居なくなって空き家だったのを買い取って、アレン達と共にクリスが住んでいる家であった。

 街に来た当初は蜘蛛の巣が張っていて、中もすっからかんだったが、今となってはかなり住みやすい家になっている。

 

 

「ただいまですっ!」

 

「お帰り、クリス」

 

「ああ、お帰り」

 

「お帰りなさい、クリスちゃん」

 

 

 アレン、エレノア、ルーク。見知った顔ぶれがクリスの帰りを出迎えてくれる。

 アルケーの町に来て、クリスは神官になり、アレンとルークは冒険者として町の外へ、エレノアは基本的に家中の仕事、とそれぞれ別の役割を果たし始めた。

 故に、かつて居たヒュアロスの街で程、互いにコミュニケーションを取れてはいない。

 

 しかし、それで疎遠になったか?と言えば、当然、否だ。

 この4人に、少し忙しいからといって他者を邪険にする者など1人もおらず、なればこそ未だ変わらぬ温かい関係がそこにはあった。

 

 唯一、変わった事があるとすれば、新たな町に移動するのにおいて、クリスの事をルークの娘だという事にした位だろう。

 なので、クリスは彼の事をお父様と呼び始めた。

 ……ついでに、娘としてお背中流します!!!!と、これ幸いと風呂に乱入しようとして、勿論取り押さえられた。

 

 

「さ、ご飯出来てるわよ。一緒に食べましょう?今日はどんな事をしたのか聞かせてね?」

 

 

「はい!今日はカナリアと一緒に――」

 

 

 笑顔に溢れる、光り輝く時間が過ぎていく。

 

 

*****

 

 そして、夜も更けてクリスは自分に与えられた個室に入った。

 

 因みに、極めてどうでも良い情報だが、スラム街や宿屋での生活では我慢していたが、クリスは寝る時全裸派である。

 薄いコンフォーターを体に掛けただけの状態で、ベッドの上でゴロゴロとしながら、クリスはふと、この1ヶ月半の総括をデザベアに吐露した。

 

 

「ベアさん。皆さんの役に立って沢山の希望を集めると言う目標が、全然達成出来ていません!一体どうしたら良いのでしょうか……」

 

 

『意識高すぎィィイ!!!!!』

 

 

 デザベアは吹き出した。

 訳の分からんことを言い出したクリスに、身に染み付いてしまったツッコミ癖と生来よりの煽り癖が炸裂する。

 

 

『え、何?お前、いつの間にか盲目と難聴になったの?散々慕われてたけど見えてないの、聞こえてないの???それともあれか、そういう謙遜風の自慢か何かか??』

 

 

「いえ、そういう訳では無いんですが……」

 

 

『じゃあどういう事なんだよ』

 

 

「そりゃあ昔の、力を自覚していなかった時の事を思えば、自分がしている事が普通に考えれば凄い事だと知識では分かります。ただ……、全く己の力を出し切れていない現状を思うと、感覚的には自分が上手く出来ていると全く思えないんです」

 

 

『ほーん。成程。そういう事ね』

 

 

 日本に居た頃は力に目覚めておらず、(自分の認識的には)一般人だったクリスだ。

 その時の常識と照らし合わせれば、自分がしていることが他の人にとっては凄まじい事だと知識では分かるし、そこの所をすっとぼけている訳でもない。

 しかし今の彼女は、本来出せる全力から見れば極めて弱体化した状態にある。

 仮に今の体で扱える限度の力だけでも反動を考えずに使えば、(デザベアが幾度も死線をくぐり抜ける羽目になるが)時間はかかるだろうが極めて危うい状態にあるこの世界の現状を、救うことが出来るだろう。

 元の体で本当の全力を出せるのならば、おそらく秒もかかるまい。

 それが分かっている所為で、クリスは感覚的には自分の行動の成果を凄いことだとは、まるで思えないのだ。

 

 

 例えば普通に教養の有る大の大人が、小学校低学年の算数の問題を解いただけで、君は天才だ!!!と大袈裟に褒められて喜べますか?という話なのだ。

 もし仮に、そう言った知識の無い異世界に転生して、周りから見ればそれが本当に凄い事であったとしても、だ。

 

 

「正直、皆さんに褒められる度に、嬉しさより申し訳無さと恥ずかしさが湧いてきて……」

 

 

『ふむふむ』

 

 

 

 今のクリスの現状を、常人の尺度で語るのなら、1+1は2!と答えただけで、町中から祭り上げられた様な物だった。

 羞恥で死ぬ。

 

 そんなクリスの考えを、デザベアも理解した。

 

 

『そうだな、俺から言えるのは1つだけだ――』

 

 

 そう。そんなクリスにデザベアが伝えるのは、たった1つのシンプルな答えだ。

 

 

『ザッマァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!Foooooooooooooooo~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!』

 

 

 それはもう良い笑顔を浮かべていた。

 完全に頼りにならない時のデザベアである。

 むかっ!と、頭に怒りマークを浮かべた姿が幻視出来そうな状態のクリスが、デザベアの体を掴んだ。

 何時もならば全身シェイクをされる流れ。

 しかしデザベアも何時までも成長しない訳では無い。

 この状況に対する対策は講じてきたッッ――!!

 

 

「…………」

 

 

『おっ!なんだ暴力か!DV(デビルバイオレンス)か??クリスさんわぁああああああああ、都合が悪くなると腕力に訴えるんですかぁあああああああああああああああああっっ?????????????????????????????』

 

「むぅ」

 

 

 先んじて煽るッッッ!これがデザベアの秘策――!!

 たった1つの冴えたやり方――!!

 そしてデザベアの思った通り、クリスの手が止まった。

 

 

 ――勝った!!第2章完――!デザベアは己の勝利を確信した。

 

 

「そんな事言うベアさんはこう、ですっ!!!」

 

 

『わぷっ!?テメェ、一体何を――』

 

 

 しかし、何を思ったかクリスがデザベアの全身を抱きしめた。

 

 

「ストレス解消の抱き枕――!!」

 

 

『ヤメロォオオオオ!!胸に!!挟むな!!暑苦しい!!息苦しい!!!!!!』

 

 

「あははっ。あんまり暴れないでくださいベアさん。くすぐったいですっ!…………………………いや、でもこれ何か気持ちが良――――」

 

 

『サカるナァアアアアアアアア――!!!キャァアアアアアアア、誰か!誰か、男の人を呼んでぇええええ!!!変態に!!ド変態に犯されるぅううううううう!!!』

 

 

「し、失敬な――!!そんな事しませんっっ!!!」

 

 

『じゃあ、とっとと離せやあああああああああ!!!!!!!!!!』

 

 

「だ、だからそんなに暴れると、んっ!やっぱりこれ気持ち良………………………ベアさんとはもっと仲良くなりたいと常日頃から思っていました――!!」

 

 

『調子の良い事言ってんじゃねぇえええええええええ!!!!!!!!ウォオオオオオオオオ、唸れ!俺の魂ィイィイイイイイ!!!!!』

 

 

「あっ!逃げた!!!もっと気持ち良く――コホン。仲良くなりたいのにっっ!!」

 

 

『やめろ!!追ってくんじゃねぇっっ!!!!!!!!』

 

 

「何もしませんから!!!!!一晩中抱きしめるだけですから!!!!!!!!」

 

 

『シねぇえええええええええええッっ!!!!!』

 

 

 2人のとても仲の良い夜は、穏やかに?過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 




 町に来てからこれまでにあった出来事については次話で描きますので少々お待ちください。



○カナリア=カフェ
 15歳。女性。
 聖印持ちで年の割にかなり優秀な神官。
 私服の時に見せてくれるポニーテールが、しゃぶりつきたくなる(クリス談)
 真面目で変な所など無い少女だったが、どこかの変態に脳味噌を破壊された(次話ネタバレ)


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02 レギュレーション違反

 

 カナリア・カフェはアナトレー王国の中にある、小さな町アルケーで産まれた少女である。

 農業を営みながら町の自警団――主に町の周辺に出没する廃呪を掃討する、領主の兵の協力を得ずらい小さな町や村では特に重要な役割――に所属する父親と、それを支える母親の間に産まれた第一子である。

 その産まれ自体は、ハッキリ言ってとても良くある、珍しくも無い平凡な物である。

 しかし故に彼女も平凡な人間か?と言えば、答えは否であった。

 

 彼女の特別性を語るには、その出産まで時を遡る必要性がある。

 出産それ自体は何ら問題なく行われ、母子ともに健康であった。

 しかしそうしてこの世に生を受けたカナリアの体には、この世界の者であるのならば、絶対に見逃せないある特徴(・・・・)が存在していた。

 その特徴(・・・・)が体のどこに現れるのかは、赤子によって様々であるが、彼女の場合は、右肩と右胸の間であった。

 そこに刻まれた聖なる証。つまりカナリアと言う少女は【印持ち】――いずれ来たる神の代理人を決める闘いへの参加資格を持った人間であるという事だ。

 

 

 ここで重要なのは、彼女が貴種の産まれでは無く、いたって普通の平民である。という事だ。

 身分に関係なく――それこそ大貴族の子弟でも、スラム街に住む孤児でも、刻まれる事のあると言う触れ込みの聖印ではあるが、傾向として優秀な素質を持つ子供に刻まれやすいという物がある。

 そして優秀な素質を持つ子供と言えば、やはり何百年以上の単位で血を厳選している貴族に多く、結果として【印持ち】は貴族、若しくはそれに匹敵する血筋の持ち主が多くなるのは必然と言えた。

 国や世界といった尺度で語ればそれなりの人数が居るが、実際の現場の感覚では珍しい――それが、平民の印持ちであった。

 

 

 そして、そんな境遇の産まれを経たカナリアだが――その前評判通り優秀な子供に育った。

 法術に対する適性が高かったため聖神教の神官と成り、齢15にしてもう5本線。

 アルケーの町に居る5本線の神官は、彼女とジャン神父のみで、ジャン神父の5本線が長く真面目に勤めてきたことに対する年功序列的な物であるのに対し、彼女のそれが純粋に才能を評価されての物であると言えばその優秀さが伝わるだろう。

 性格も些か男勝りにキツイ所はあるが、礼儀はしっかりと弁えており、利発で他者の教えはキチンと受け取る性格である。

 容姿も、両親のパーツの良い部分ばかりを受け継いだのか、可愛らしいと言われるに足る物だ。

 そして何より彼女の一番に優れた所は――――この境遇で然して天狗に成っていない、という事だろう。

 

 

 特別だ、優秀だ、等と散々言った前言を翻すようだが、カナリアは特別な少女ではあるが、”特別の中の特別”では無い。

 魔法やらなにやらのファンタジーと関係の無い、現代社会においても良くあることだが、特別な人間が集まると、その中で更に特別か?という観点で篩にかけられる。

 

 

 例えば、極めて偏差値の高い大学の生徒。例えば人気スポーツのプロ選手。

 彼ら、彼女らは皆須らく天才で、努力家だ。その枠内に入れた時点で、その他大勢の一般人など及びもしない。  

 しかしとても夢の無い事に、彼らが至ったその場所は、往々にして到着地点(ゴール)では無く、開始地点(スタート)なのだ。

 周りから天才だと持て囃されて良い大学に入ったものの、その中で大した成績を残せなかった者がいる。

 子供からの夢を叶えてプロのスポーツ選手になったものの、万年2軍で一度もめざましい活躍を出来ずに引退した者がいる。

 そしてそれらは大して珍しい話では無いのだ。

 一般人から見て、華々しいなんて思われがちな職業は大体そうで、その実態は華々しい所か、数多の天才の屍の上に立つ、一握りの天才中の天才にのみ生存が許された極寒の大地である。

 

 

 そして【印持ち】もその例に漏れない。いや、その最たるものと言ってすら過言ではない。

 なにせ彼らをより集め、最終的に決めるのは、神の代理人・以後100年間に渡り世界を背負う神託を受けた統一王。

 簡単に決まる筈など無く、寧ろ簡単に決められては困る。

 唯の天才では遥かに足りず、天才の中の天才ですらまだ遠く、そのまた更に天才の、普通であれば歴史に名が残るのが確実の、上澄みの上澄みの更に上澄みだけが頂きに登れるのが【印持ち】である。

 まあ、その少し聞いただけで身が震える様な特別of特別の具体例がアレンだったりする訳だが、話が逸れるのでそれは置いておこう。

 

 

 そんな厳しい印持ちの中で、金もコネも無い平民の境遇は中々に厳しかった。

 なまじ、周囲の一般人よりかは優れた才能を持ってしまっている所為で天狗になってしまい、そんな甘えた性根と実力で”本物”同士が戦う地獄に放り込まれる。

 或いは本人より周りが舞い上がってしまった上、頂きと己の間にどれほどの差があるかを知ってしまい、その重圧(プレッシャー)で本番が始まる前に潰される。

 そんな事が珍しくも無いのである。

 そんな中、カナリアは周囲の人に恵まれた、と言って良いだろう。

 彼女の両親は、聖印が刻まれた自分たちの娘が、華々しい活躍をするよりも、とにかく無事で居てくれることを望んだ。

 彼女に法術を教えてくれたジャン神父は、教え子が傲慢や重圧で潰れてしまわぬ様に、バランス良く指導を行った。

 そしてカナリア自身に、それらの愛情や気遣いを確かに受け取るだけの、素直さと利口さがあった。

 よって彼女は、自分の立ち位置を良く分かっている。

 

 

 聖印持ちの中というくくりでは、下の上…………甘く見積もっても中の下の彼女だが、平民の聖印持ちという条件ならば、かなり上位に位置する。

 そして無事に【神託祭】を終えられる可能性に至っては、変に実力がある所為で戦いの中心に巻き込まれやすい貴族の聖印持ちより、程々の実力で現実が見えている彼女の方が高いだろう。

 

 

……まあ完璧な現実主義者(リアリスト)かと言えば、そうでは無く。

 

 

 ――もしかして、【神託祭】の中で、白馬に乗った王子様に見初められちゃったりして!!

 

 

 なんて甘い夢を見ることもあったが、年頃の少女の可愛らしい夢の範疇だろう。

 それに、身分の差を超えて命懸けの戦いが行われることが多い神託祭においては、あながち無い話でもない。

 

 

 ――さて、色々と長くなったが、最終的な総括をするとすれば、アルケーと言う町において、最も綺羅びやかに輝いている人間がカナリアで間違いなかった。

 

 

 ……………………………………少し前までは。

 

 

 

*****

 

 

 ――その日覚えた衝撃を、カナリアは、いやアルケーの町の住人は一生涯忘れることは無いだろう。 

 事の発端は、アルケーの町に新たな住人が加わった事である。

 言ってしまえば、ただ引っ越ししてくる人がいる、と言うだけの話だが、よくある話ではない――少なくともこの時期(・・・・)においては。

 

 世界を覆っていた、神の加護という名の陽の光が殆ど消え失せる【暗夜期】。

 これまでの蓄えを消費しながら、夜明けが来るのを待ち望んでいるこの時期においては、どこの場所にも余所者の席は無い。

 当たり前と言えば当たり前だろう。

 自分たちの明日すら定かならぬ状況で、先に居た者より後から来た者が優先されるのもおかしな話なのだから。

 よって、この時期に引っ越しを行う人間と言うのは、殆ど2種類に分けられる。

 

 1つは元いた場所が滅びるなどして、辛い立場になると分かっていながらも、否応なく引っ越しせざるを得ない者。

 もう1つは、引っ越しによって発生するリスクを跳ね除けられるだけの実力を持って居る者。

 

 今回、アルケーの町にやって来た4人(・・)の人間は、後者の例であった。

 

 1人目は凄腕の戦士である事が明らかに分かる赤髪の大男。

 彼に関して言えば、少し前にアルケーの町に滞在していたので、その実力や人格のほどは既に明らかだ。

 

 2人目は、彼の妹であるらしい同じく赤髪で、貴族の令嬢のような麗人。

 どう見たって20歳位にしか見えない若々しさなのに、10歳の子供が居ると言うのだから驚きだった。

 

 そして彼女の息子だと言う左手に包帯を巻いた黒髪の少年。

 その極めて特異な風貌は、この世界において、【印持ち】とは逆の意味で見逃せない特徴を思わせたが、しかしそれを鑑みても尚、後数年も経てば周囲の女子から黄色い声を浴びそうな整った容姿の少年だった。

 

 何れの3人(・・)からも、小さな町には到底収まりきらない強烈なキャラクター性を感じられる。

 少なくとも暫くの間、アルケーの町は彼らの話題で一杯になるだろう。

 カナリアも、色々と厄そうではあるが、自分の理想の王子様の様な成長を見せそうな少年に、心躍らせる事になったかも知れない。

 

 

 ………………………………本来だったら。

 

 

 しかしながら実際、そうはならなかった。

 何故ならその3人に付いてやって来たもう1人が、話題と注目の全てを掻っ攫ったからである。

 

 

「綺、麗…………」

 

「――――――」

 

 カナリアの隣で、彼女と共に、自分たちの町へ引っ越しをして来る人を、見物しに来た女友達が、呆然として呟いた。

 カナリアは声を上げなかったが、それは彼女が驚かなかったからではない。

 彼女と、彼女の友人の間にある違いは、”思わず声が出てしまうほどに驚いた”か、”全く声が出なくなるほどに驚いた”か、というだけの事だ。

 どちらも生涯最高の衝撃を受けた事に変わりはない。

 引っ越ししてきた最後の1人は若い少女。

 

 

 ――その少女は美しかった。ただひたすらに、どこまでも。

 

 

 腰まで伸びた長い白髪は、陽の光を受けて揺らめいて煌めいて、まるで頭に天使の輪が、背中に天使の羽が生えているかの様。

 鮮やかな赤い瞳は、所有者を魅了する呪われた宝石の如く怪しい魅力を放っていて、ずっと見ていると魂を吸い取られそうにすら感じる。

 肌は新雪と比するほどに白く、繊細で、あらゆる不浄を祓い清める、清らかさと無垢さを周囲に覚えさせる。

 顔の造形など、最早怖いくらいに整っていて、話をする前からきっとこの子は変な事など一切考えない、天使の如き浮世離れした子なのだろう、なんて普通だったら絶対しない予想を考えさせる。

 

 

 しかし、それにしても不思議なのは、事前情報ではやって来る子供は年が近く、どちらも10歳前後だと聞いていたのに、少女の姿はカナリアと同じか少し下くらいの年齢に見えるのだ。

 10歳でこの発育とか、余程良い物を食べているのか、美の化身なのかのどちらかだろう、と戦慄せざるを得ない。

 ――尚、後程本人より、「成長期だったみたいで、1ヵ月半くらいで、こう(・・)なりました」と聞いた時、カナリアは思わず「いや、成長期ってそういう物じゃ無くない!?」とツッコんだ。

 

 

 まあそれは一先ず置いておこう。

 重要なのはこの日、アルケーの町に比類なき程に美しい少女――クリスがやって来たという事である。

 

 

 

 

 アルケーの町に新たにやって来た住人(クリス)に対し、カナリアが――と言うより、彼女と同世代の女子が感じた思いは、”気に入らない”だった。

 然もありなん。当然と言えば、当然の話だろう。

 それをもって彼女らを、狭量だ、心が醜い、だの詰るのは些か可哀そうだろう。

 

 そりゃあ長い人生、何が起こるかは分からない。

 時には、自分の住む町に、顔が良すぎる同性がやって来る事だってあるだろう。

 だがいくら何でも、これは無い。童話に出て来る妖精か何か?と言いたくなる様な奴が出て来るのは酷過ぎる。

 まるで、既存の生態系を破壊し尽くす外来生物の来訪だった。

 よって彼女らは極めて憤慨した。

 

 ――見てみるが良い。クリスに微笑みかけられた、自分たちと同年代の男の顔を。

 鼻の下なんて伸び放題で、頬に至っては溶け落ちるんでは無いかと思わんばかりに下がっている。

 何が酷いって、もし仮にクリスが男の子であったのならば、その顔を晒しているのは自分たちだったと、断言出来てしまう事だった。

 何の変哲も無い小さな町にやって来て良い人間じゃ無い!と言うのが彼女らの総意だった。

 まだクリスが、かつてお風呂場でアレンの脳味噌を破壊した時の、年齢よりも幼く見える栄養不足の幼女状態であったのなら話は別だったのだろうが、悪魔をして傾国と言わしめる美の才能を持った肉体の上に、超越者の魂が入った今のクリスは、成長が早い!発育が良い!老いない!のエルフか何か?と言いたくなる状態である――いいえ、神です。

 それこそ最初の生ゴミを食っている様な最悪な環境下で、漸く現状維持(・・・・)であり、普通に生活しているだけでどんどん魅力的に成長していくのである。

 まあ、デザベア曰く、

 

 

お前(クリス)魂の年齢(18歳)に体が引っ張られているのもあるだろうから、もう暫くすれば落ち着くだろうさ」

 

 との事で、そう考えれば寧ろ華奢に成長している方なので、最終的に身長的には日本人女子の平均位かそれより少し下で成長は極めて緩やかになるだろう。

 尚、胸はでかい。傾国に生命力に長けた魂が入っていたら、そらそうだと言う話だ。

 しかし、何にせよ現時点で既にクリスが男性の脳味噌破壊兵器である事は疑いようもない事である。

 

 

 

 ただ、しかし。この時点においては、アルケーの町の少女らには、多少の余裕があった。

 特にカナリアに至っては、クリスに食って掛かろうとする少女らを止める程にも。

 それが何故かと言えば、クリスが病弱で、非力に見えたからだろう。

 

 

 男の目を惹く”お人形さん”としては負けるけど、”人間”としては勝ってる――とまで酷い事を思っている子は居なかったが、ニュアンス的にはそんな感じである。

 この場合はいくら何でも規格外に過ぎるとは言え、人間の魅力は顔だけでは無いのだから、それだけで敗北感を感じる必要は無いだろう、と。

 多少、負け惜しみが入っているのは否定できないだろうが、延々と劣等感を感じるよりかは、マトモな結論だ。

 …………問題は、その余裕もわずか数日で崩れ去る事になった、と言う事である。

 

 

 ――クリスが聖神教の神官となった。

 

 小さな町である。噂は直ぐに町中を駆け巡る。

 これに対し、少女らの反応は冷ややかだった。

 激務で知られる神官の仕事を、あんなスプーンよりも重たい物を持ったことも無さそうな少女(クリス)にこなせる筈が無い、と。

 

 悪印象から来るこの予想だが、当然の如く大外れ。

 神官となったクリスは、初日から頭角を現した。

 アルケーの町の神官の大半が、聖輝石――廃呪を倒した際に取得できる聖なる石――の補助が無ければ使えない術を、クリスは何ら問題なく独力のみで発動してのける。

 僅か数日、たったそれだけでアルケーの町において、カナリア以外では比肩することの出来ない実力をクリスが持っていると言うのが、町中の共通認識になってしまった。

 

 

 これに更なる衝撃を受けていたのが、カナリアである。

 彼女はなまじ本当に実力があった所為で、他の子では感じ取れない。クリスとの彼我の実力差を感じ取れてしまったのである。

 差がどれだけかは彼女にも分からないが、まず間違いなく己より上。今辛うじて互角に見えているのは、クリスがその実力を発揮する様な場面が来ていないからだ、と。

 いずれ、神託祭が近づいて、他の印持ちと関わる様になった時に漸く出会うはずの”本物”がそこに居た。

 

 

 この時点で死屍累々の有様な、カナリアwith町の女の子達であるが、無慈悲にも更なる追撃が彼女らに加えられる。

 類稀なる実力と容姿で噂になったクリスだが、その性格も噂になり始めたのである。

 曰く、老若男女誰にでも笑顔で優しく、ひたむきで努力家だと。

 

 

 虐殺だ。大虐殺である。

 やめて…………。と言う嘆きの声が響き渡る。こんな怪物と比較される身にもなって欲しいと。

 頼むから童話の登場人物は童話に帰ってくれ、と言う悲痛な思いが少女らの本音であった。

 

 

 そして事此処に至って、カナリアの状況に変化が訪れた。

 周囲の少女たちが、カナリアの事を褒め称え始めたのである。

 

 

 「カナリアって凄いよね」 「カナリアって努力家だよね」 「カナリアって真面目だよね」

 

 

 なんて感じである。

 

 

 何故、そんな事になったか。その理由は簡単だ。

 クリスへの”当てつけ”である。

 気に入らない何かを貶すのに、直接的に罵倒するのではなく、他の何かと比較して、それを為す。

 まあ、良くある話だろう。

 クリスに対抗出来そうなのが、カナリアだけだったから、その対象に選ばれただけの事。

 元からカナリアと仲の良かった友人たちは兎も角、現在クリスに覚えている反感を、少し前まではカナリアに覚えていた子も居ると言うのに、虫の良い事である。

 

 

 そんな同輩たちの思惑をカナリアは当然察していた。

 彼女らの称賛は、自分を透過してクリスへと向けられていると。

 故にカナリアは、それらの声に対し受け入れの意を示さなかった。

 …………けれど、拒絶も出来なかったのだ。

 傷ついたプライドに称賛の言葉はまるで麻薬の様に甘く染み込んで、どうしても断固とした拒否までは出来なかった――それが形だけの嘘っぱちだと分かっていても。

 そうやって周りの声を否定しないでいたら、カナリアはいつの間にかクリスと一番に敵対している様な立場になっていた。

 寧ろ、最初は周りを止めていたにも関わらず、である。

 

 そんな不本意な立場にカナリアがおさめられた、その後。

 またしても状況に変化が訪れた。

 そうやってクリスに反感を覚えていた子たちが、1人、また1人とその意思をなくしていったのである。

 

 

 その原因はクリスにあるが、彼女が何か特別な事をしたわけではない。

 彼女がしたのは単純な事で、アルケーの町に来た最初からずっと、自分を気に入っていない相手だろうがなんだろうが、相手を慕って話し続けただけである。

 特別なことでは無いが、だからこそ特別な事と言えるかも知れない。

 

 

 無論、すぐに効果が出た訳でも無い。

 人は、気に入らない相手がやっている行動には、どうしても悪いバイアスがかかる。

 クリスの態度も、当初は”良い子ぶっちゃって、心の中ではどうせ自分たちを馬鹿にしているんでしょ?”と冷めた目で見られた。

 だが彼女らにとっては恐ろしい事に、そう言った化けの皮が剝いでやろう!と言う荒探しの視線で見ても尚、クリスの態度に嘘が見えてこないのである。

 寧ろそうやって隅々まで注目したからこそ、クリスの態度が本物だと認識せざるを得なかった。

 中には――

 

 

「嫌味を言われてる時も笑顔にしちゃって、罵倒されるのが好きな変態なんじゃ無いの!!」

 

 

 なんて言う者もいたが、流石に発言した当人ですら邪推が過ぎると思ったのか、”ま、まぁ、そんな事ないよね……”と気まずそうだった。

 それはそうだろう。

 あんな性欲の”せ”の字も無さそうな!!!!!!可憐で!!!!!!!!!清楚な!!!!!!!美少女が!!!!!!!!!

 そんな”救いようの無いド変態”みたいな事を思っている訳が無いんだから――――――――!!!!!!!!!

 

 

 とにかく、クリスが自分たちの事を本気で慕っていると、アルケーの町の少女たちは徐々に理解していき、それによってクリスへの反感が薄れて言った訳である。

 人間、自分の事を真摯に慕ってくれる相手に、何時までも悪感情を抱き続けるのは、存外に難しい。

 懐いて擦り寄って来る子犬を蹴飛ばせるのは(悪い意味で)特別な人間だけだろう。

 ……これが、ストーカーだとかヤンデレだとか言った倒錯した愛情の持ち主が相手になると、また別の話になるが。

 

 

 それにそう言った感情的な話だけでは無く、実利的な話もある。

 今の時代において、聖神教の神官が担う役目の重要さは説明してきた。

 そしてその上で、明らかに実力者で、少し頼んだだけで力を貸してくれそうな相手に態々敵対する必要があります?という話なのだ。

 

 

 結果、感情と利益の方向が一致して、クリスは少女たちに受け入れられた訳だ。

 真摯にやっていれば報われるのである。めでたしめでたし――――――――では流石に終われない。

 

 この一連の流れで最も割を食ったのは、間違いなくカナリアだ。

 周囲から勝手に高い所に運ばれて、その直後に梯子を外されて置き去りである。

 明確に拒絶しなかった彼女にも、非が全く無いとは言わないが、それにしたってこれは酷過ぎで、間が悪いにも程がある。

 

 クリスは最初から分け隔てなく、カナリアとも仲良くしようとしていたが、流石にこの状況ではその手を取る事が出来なかった。

 如何にカナリアが年齢の割にしっかりしているとはいえ、この屈辱を飲み込むには若すぎた。

 これで、他の子と同じく素知らぬ顔でクリスと仲良くしたら、いくら何でも道化(ピエロ)に過ぎるじゃないっ!!と。

 

 この話の何が悲しいと言えば、この時点でカナリアはクリスの事を、もう嫌っても疎んでも無い事だろう。

 自分を慕ってくれるクリスの態度は、他の子と同様にカナリアに刺さっていたし、何ならコロッと立場を変えて自分をこんな状況にした周りの子より、何度も冷たい態度とったのに、一貫して自分を慕い、思いやってくれるクリスの方が信頼出来るまであった。

 相手の事が本当に嫌いで、嫌っているのならともかく、これは状況が拗れ過ぎである。

 

 

 

 

 

 さて、話は一旦逸れるが、どれをとっても重要な聖神教の神官の役割だが、それでも敢えてこれが一番重要だ!と言う物を選ぶとしたら何だろうか。

 人によって答えは様々だろうが、多くの人の答えは”結界の作成”になる筈だ。

 

 廃呪を退ける聖なる結界。

 結界内に廃呪を入れない効果と、弱い廃呪には効果が無い代わりに、一定以上の強さの廃呪を結界の周辺に近寄らせない廃呪除けの効果を併せ持つ結界は、人類の生存圏における生命線と断言できる。

 小さな町や村が滅びる原因の殆どを占めるのが、結界を破られた事なのだから、その重要性は改めて説明するまでもない。

 それほど重大な結界の展開と言う仕事は、どこの場所においてもそこで一番優秀な神官が行うのが普通であった。

 

 アルケーの町において、数年前から今までの間にその役目を担ってきたのはカナリアだった。

 凡そ1ヵ月に一度の間隔で彼女は結界に力を注ぐ。

 勿論、彼女に全責任を負わせている訳では無く、経験豊富なジャン神父が補助についてはいたが。

 

 与えられた役目の重さに、カナリアはかなりの重圧(プレッシャー)を感じていたが、それと同時にそんな大役を任されたという事に充足感を覚えてもいた。

 

 

 そしてここで話は元に戻る。

 クリス達がアルケーの町にやって来て、なんだかんだ1ヵ月近い時間が経過した。

 前回の結界の展開作業がクリスが来る少し前だったので、次の作業の時間がやって来たと言う訳だ。

 己の状況に、日々悶々としていたカナリアは、その事に考えが至った時愕然とした。

 結界の展開のお役目をクリスに取られると、思ったのだ。

 何せクリスには実力がある。それにジャン神父の覚えだって良い。

 …………それはただ、町にやってきたばかりのクリスが上手く周りに馴染める様に、ジャン神父が気を使っているというだけの事なのだが、今の余裕が無いカナリアには、贔屓の様に見えてしまっていた。

 ただでさえ情けない己の現状。この上、重要で光栄な仕事まで取られたくない、とカナリアは思ったのだ。

 

 

 だから彼女は、ジャン神父に直訴した。

 

 

「どうか、今回も私に結界を張らせて下さい――!!」 と。

 

 

 その結果――――彼女の要望は通った、それもかなりの難色を示されると思っていた彼女の予想に反してアッサリと。

 それに要望が通ったも何も、ジャン神父としては最初からそのつもりだったようで――

 

 

「勿論です。貴方以上の適任なんていません」

 

 

 ――と、そもそもクリスに任せる気は無かったのだ。

 

 

 嬉しかった。これまでの努力が報われたような気がして、この信頼に何としてでも応えよう、とカナリアは思った。

 そして迎えた結界展開のお役目の当日、彼女は今まで以上の集中力を持って、事に望んだ。

 

 

 ――会心の手応え!!

 

 

 心意気に比例して増大する重圧(プレッシャー)を跳ね除けて、カナリアは自分が過去最大のパフォーマンスを発揮出来た事を確信した。

 心地よい達成感が彼女を包み込む。

 そうやってスッキリとしていると、途端に自分が意地を張っているのが、とてもくだらない事である様に思えた。

 今すぐには、難しいかも知れないけど、周りの目など気にせず自分もクリスと仲良くしていこう、なんて前向きな考えも持てた。

 悪い流れが変わりだした様な、そんな気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 ……さて。

 この後の顛末を語る前に1つだけ。

 1つだけカナリアの名誉の為に断言しておこう。

 今回の結界の展開の作業において、彼女はミスをしていない。

 プレッシャーと、気合の入れすぎで空回ったなんて、ありがちな事は一切無かった。

 彼女は、彼女に任せられた仕事を十全に、100%果たしたのだ。

 いや、カナリアが小さな町に収まらない才の持ち主であることを鑑みれば、100%以上の仕事だったと言える。

 少なくとも、アルケーの町と同程度のコミュニティにおいてと言う条件下であるのなら、カナリアの張った結界の性能は、世界中と言う基準で見ても五指に入るだろう。

 だからこの後発生した出来事は、不幸な事故だった。

 それも、起きる可能性が絶無であるとまでは言えないが、限りなく0に近く、現実的に考えて殆ど考慮しなくて良い類の。

 

 

 

 ――数日後。アルケーの町の中に、町の自警団のメンバーが強力な廃呪と交戦し、大怪我を負ったとの報が駆け巡った。

 それも、結界の廃呪除けの効果の範囲内である筈の町の周辺で、だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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03 クソコンボ

文字数がかさみ過ぎたのでキリの良い所で一旦投稿します……


 体が重く、上手く息が出来ない。まるで全身が水中に沈められたかのようだ。

 しかし、止めどなく溢れ出す焦燥に押されて、足はかつてないほどに早く動く。

 何時もの様に教会に居た時に、当然飛び込んで来た自警団負傷の情報に、カナリアは自分でも驚くほど素早く飛び出した。

 理屈で考えるのなら、怪我人は治療のために教会に運ばれてくるのだから、その場で待っていた方が良い。

 ただ……。居ても立ってもいられ無かったのだ。

 

 

 怪我を負って教会へ運ばれてくる自警団の大人たちの姿は直ぐに見つかった。

 カナリアと同じく、この情報を知った町の人間たちが集団となっていたからである。

 野次馬――と言うのは違うだろう。

 結界の周辺で、強力な廃呪に襲われて自警団が怪我を負ったと言うのは、町にとって極めて重大な事件である。

 事によっては、町を捨てて逃げ出さなければならない可能性すらあり、誰にとっても他人事では無かった。

 ならば当然の事、その場は数多の悲鳴と怒号が響き渡る修羅場だった。

 

 

 

「あなた!?ああ、どうしてこんな!!あなたっ!お願いだからしっかりして!?」

 

 

「パパぁーーーッッ!パパぁーーーッッッ!!!!!」

 

 

「どうして町の近くにそんな強力な廃呪が出るんだ!?」

 

 

「クリスちゃんとこのルークさんを呼んできて退治して貰ったらしいけど、もしも彼が居なかったらどうなってたか…………」

 

 

 人ごみを掻きわけて、カナリアは負傷者たちが見える位置取りに移動した。

 途端、まだそれなりに距離が離れているのにも関わらず、彼女の鼻孔を鉄が錆びたような、血の嫌な臭いが突き刺した。

 そうやって見る事になった自警団の怪我の程は、カナリアの予想を超えて悪い物だった。

 

 

「う、ぁ……」

 

 

「腕が、腕がいてぇよぉ……。もう、無い筈なのに……」

 

 

「頼む、痛み止めを……」

 

 

 突然現れた相手に、逃げる暇も無かったと言うのも勿論あるだろうが、それ以上に万が一にでも結界を破られて、自分たちの生まれ故郷を蹂躙されぬ為に、必死で戦ったのだろう。

 鋭い爪や牙で付けられた彼らの傷は、とても深い。

 最早、体を削られている、と表現しても過言ではない有様で、実際に四肢を欠損している者すらいた。

 その惨状に目を逸らしたくなりながらも、カナリアの視線は負傷者たちの間を彷徨っていた。

 何故ならその中に探している人が居たから。一体誰を?――父親を。

 カナリアの父親も、町の自警団の一員である。

 そして彼女の記憶が定かであったなら、今日の見回りのメンバーに父も入っていた筈だった。

 

 

「お父さんっ――!」

 

 

「ヵ……な――」

 

 

 幸か不幸か、父親の姿は直ぐに見つかった。

 意識が朦朧としているのか、カナリアの叫び声に僅かな反応を返すばかりであったが、これで父親の生存は確認できた。出来たのだが…………。

 

 

「ぉとう、さん…………」

 

 

 カナリアの口から、呆然とした声が勝手に飛び出した。

 彼女の目に入った、教会へと運ばれていく父親の姿。

 

 

 何時も自分の頭を優しく撫でてくれる、大きくて温かい腕が一本無かった。

 小さい頃に自分をおぶさってくれた時に、しっかりと大地を踏みしめていた頼もしい足が一本無くなっている。

 彼女の父親は、その四肢に欠損が見られたのだ。

 

 

 ――ゎ、私の、所為だ……。私が無理やり、結界展開の役目になったからっっ!!

 

 

 頭を棍棒で思いっきり殴られたかの様な大きな衝撃に、カナリアの頭は咄嗟に事の原因を追求した。

 そしてよりにもよって、その原因を己に求めてしまった。

 クリスでは無く自分が、無理やり結界展開の任に就いた事が原因だ、と。

 

 

 それは、違う。

 先に言った通り、彼女の展開した結界の性能に不備も不足も有りはしなかった。

 それに、無理やり、とカナリアは言っているが、それも違う。

 彼女が”今回も、自分に結界の展開をさせて下さい!”とジャン神父に頼み込んだ時に思った通り、神父は最初からカナリアに作業を任せようとしていた。

 町を覆う結界の展開は極めて重要な役目であり、その人選には確かに腕が重視される。

 しかし、それと同等、或いはそれ以上に重視されるのが”信用”だ。

 町の生命線たる結界を、信用できない相手に任せられるはずも無い。

 カナリアの実力が、結界展開の任に大幅に足りていない等といった状況であったのなら話は別だが、そうで無い以上幾ら実力がありそうでも、最近町にやって来たばかりの少女と、これまで役目をしっかりと果たしてくれていた少女、どちらを選ぶかは明々白々だ。

 カナリアのこれまでの頑張りは、しっかりと周りに通じている。

 彼女自身が思うほど、周囲の大人はカナリアとクリスの間に差を感じてはいなかったのだ。

 

 

 だが、現在。教会から1人で素早く飛び出して来たカナリアの傍に、その事を伝えてくれる人間は居なかった。

 それに、例えその事実を伝えられたとしても彼女の心を蝕む罪悪感は一切減ずる事は無かっただろう。

 もし仮に、クリスの実力がカナリアの思っているほどでは無く、カナリア以下の性能の結界しか張れないなんて事が分かったとしても、だ。

 何故なら、今彼女が感じている自責の念の争点はそこには無い。

 

 少なくとも自分は、己よりクリスの力の方が上だと感じていた。

 そしてその上で、自分に結界を張らせて欲しいと頼み込んだ――それがどれほど重要な役目であるか知っていたのに。

 それらの動きは、簡潔な一言に纏められて、それがカナリアの心に突き刺さった物の正体だ。

 

 

 すなわち、自分は町の安全より、自らのプライドを優先した、と。

 そしてその結果がこれだと。

 

 

 勿論、先にも言った通り、カナリアの張った結界に不備は無く、今回の様な事件が発生する可能性など、殆どゼロに近い。

 これで、やれ原因がどうだ、だの、やれ責任がどうだ、だのは完全にズレた話であり、元からカナリアに悪意を持っている者以外は、誰も彼女の所為だ、などと言わないし、思いもしないだろう。

 しかしながら、目の前の惨憺たる光景が、他ならぬカナリア当人の思考に、そう言った逃避を許さなかった。

 

 

 

 ――なんとか、私がなんとかしなくちゃ。

 自分の所為なのだから、と彼女の頭の中が、そんな考えで一杯になって、真っ白になり―― 

 

 

 

 「ぁれ、私……」

 

 

 

 ――次にカナリアが気が付いた瞬間、いつの間にか彼女は、町の近くからいける森の奥を歩いていた(・・・・・・・・・)

 

 

 何も行き成り場所を、転移(ワープ)したという訳では無い。

 茫然自失になって、ふらふらと夢遊病の様に歩いていたカナリアが向かった先が、偶々(・・)ここであったのだ。

 幾ら周囲が喧々諤々としていたとは言え、そんな感じで町を出て行こうとすれば誰かに呼び止められそうだが、カナリアが居た事は偶々(・・)町の誰にも気が付かれなかったのである。

 それに、森の中には廃呪が居る。普通であれば、こんな奥深くに向かう前に、弱めの廃呪に襲われるなどして、正気に戻りそうなものだが、偶々(・・)簡単には戻れない場所に来るまで、邪魔が入らなかった。

 

 

 いやはや、偶然とは怖い物である。

 

 

 ――そんな訳がない。一体どんな確率だ、これは?

 偶然、本来発生しない筈の町の近郊での強力な廃呪の出現があり。偶然、呆然として歩いた先が森の奥底で。偶然、誰にも気づかれず。偶然、邪魔が入らなかった?

 

 

 1つだけならば、まだ偶然として片づけられよう。

 2つ重なっても、まだ悪い意味で奇跡だと思えるかも知れない。

 だが3つ、4つと重なるのなら、それは間違いなく何者かの意識が介在している必然だろう。

 

 もしもカナリアの人生が賽子(ダイス)の出目で決定されているのなら、それが何度も連続で最悪の出目(ファンブル)を出したかと思わんばかりに、彼女を取り巻く流れは酷かった。

 こうなって来るのなら、そもそも彼女が孤立する様になった流れすら怪しく見えて来る。

 周りの子だって彼女を孤立させようとしていた訳では無く。

 クリスなどは、自分が来た事で引き起こしてしまった事態を何とかしようと必死で動いていたのだ。

 それなのに、こうなった。

 その時には、ただ間が悪かったというだけの話だと思ったが、こうなって来ると、怪しい物だ。

 

 

 そうこうしている内にも、カナリアは未だ妙にハッキリとしない頭で、森の奥へ、奥へと進んでいく。

 今の所、彼女の身に危険は訪れていないが、何かの意思で彼女に都合の悪いことが発生し続けているという予想が正しいのなら――。

 

 

「此処は…………」

 

 

 薄暗い森の中を進んでいたカナリアは、木の密集が薄く光が差し込む場所にたどり着いた。

 自然が偶然に産んだ小さな広場、とでもいった物か。

 そこで、カナリアは気づいた。

 

 

 ――何かに囲まれてる。

 

 

「■■■■■■■■――!!」

 

 

「――――ぁ」

 

 

 そうして彼女を取り囲む様にして現れたのは、10匹以上にも上る廃呪の群れであった。

 見た目は真っ黒な熊だったが、自然動物のそれとは巨大さが違い5mは明らかに超えていた。

 それに、中に1体、周りより巨大で明らかに力強いであろうものも存在していた。

 

 

 【暴乱熊(メガーリアルクトス)】。そう呼ばれる種である。

 かなり危険な廃呪であり、幾ら森の奥底とは言え、少女の足で行ける様な範囲に現れる事はそうそう無い筈なのだが……。

 ああ、これも偶々(・・)現れたのだろう。

 

 

 カナリアだって聖神教の神官として、廃呪を浄化する術は収めているし、弱い廃呪を祓った事はある。

 だがそんな僅かな経験で、どうにか出来る様な種では無い。

 カナリアが普通の状態であったのなら、当に腰を抜かして怯え切っていただろう。

 

 

 しかし今の彼女は違った。

 恐ろしい相手だと言う考えはある。

 しかし、心の奥底から体中に、不可思議な熱が伝わるのだ。

 今の彼女の状態を極めて分かり易く例えるのなら”酔い”だろう。

 

 全身――特に頭の奥が熱くなって、妙に強気になる。

 恐怖心が麻痺して、危ない事を危ないと認識できなくなる。

 そうしてとんでも無い事態を引き起こす所など、”正に”である。

 しかしながら、酒を飲みアルコールに酔わされるのが酔っ払いならば、カナリアは一体何に(・・)酔わされていると言うのか。

 

 

 

 あろうことか今のカナリアは、この危険極まる廃呪たちとの邂逅を、チャンスだ!等とすら思っていた。

 多数の傷の深い怪我人が出てしまったアルケーの現状。そこで最も必要とされるのが聖輝石、それも極めて質の高い物だからである。

 欠損レベルの大怪我は、カナリアレベルの法術の使い手であっても、全快どころか命を繋ぐのにすら質の高い聖輝石のサポートがあって漸くなのだ。

 そして、アルケーの様な小さな町にそんな質の高い聖輝石の蓄えなど――実はある。

 ある……が、それはおいそれと使って良い代物では無い。何故なら町を覆う結界の展開に必要な蓄えだからである。

 少しだけならば兎も角、今回発生した怪我人全員を癒やすほど大量に使用するとなれば、町の今後に支障をきたす。

 しかし、町の近郊に現れる弱い廃呪を定期的に掃討する役目を担う自警団の治療を行わなければ、それもそれで当然支障が出る。

 或いは、クリスの回復の腕ならば話は別かもしれないが、そんな楽観をするべきで無い、と言うのがカナリアの考えだ。

 よって今のアルケーの町は、心臓か手足か、どちらかを捨てろと言われている様な状況なのだ。

 しかし、今此処で目の前に居るような強力な廃呪を倒し聖輝石を入手する事が叶ったのなら話は別。

 心臓も、手足もどちらも捨てること無く乗り切れる。

 

 

 

 ――そう。これぞ汝の過ちにより発生した惨劇を、汝自身の手で濯ぐ絶好の機会。望外の幸運。

 

 

 

「――え」

 

 

 嗚呼。胸の上部に刻まれた聖なる証が。聖印が。とても熱い。

 無機質な声で、何かが脳に直接語りかけて来るのだ。

 

 

 ――これぞ、試練。汝が魂を研磨し、器を広げるが為の。

 

 

「試練」

 

 

 ――意思を振り絞れ、命を燃やせ。汝の働きこそが、己が大切な物を守る唯一の(すべ)だと魂に刻め。

 

 

 そうだ。傷ついた父の姿を想え。

 自分が助けるのだ。自分が救うのだ。

 

 

 語りかける無機質な声が、カナリアをさらなる”酔い”――トランス状態へと導く。

 思考がどこまでも純化して、どんな困難でも乗り越えられそうな気分になる。

 そしてそれは唯の錯覚では無い。

 未だ嘗て無い集中力は、カナリアの実力を此処に数段上へと導いていた。

 恐れが麻痺した心も含めれば、【暴乱熊】たちに対する勝率は、本来の何倍にも、何十倍にも膨れ上がろうと言うもの。

 ああ、これが神懸ると言う物だろうか?

 

 

 ………………まあ、0.01%が0.1%になった所で、どれほど意味があるのかは知らないが。

 

 

「■■■■■■■■」

 

 

「――――」

 

 

 暴乱熊の内、特に巨大な個体がカナリアに向けてゆっくりと、しかし確かな戦意を身に迸らせて歩き出した。

 群れで襲う必要も無い、ということか。他の個体は動かない。

 対するカナリアも示し合わせた様に、距離を縮めていく。

 此処に、死戦の幕が開くのだ。

 今のカナリアに、その事実に対する恐れは無い。

 

 …………ただ、脳の片隅に残ったほんの僅かな冷静な部分が、まるで他人事の様に、”ああ、そう言えば。こんな状況で、カッコいい男の人に助けられるのが夢だったな”なんて考えていた。

 

 

 ――まあ、全く意味の無い戯言だ。

 

 

 距離が埋まる。

 少女が、無残に死ぬか、英雄に成るかの二者択一を迫られるまで後、数秒。

 

 

 ――何故なら、白馬に乗って地を駆けて、彼女を助けに来てくれる王子様など現れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だって、救いは天から(・・・・・・)降りてきた(・・・・・)

 

 

 

*****

 

 

 (そら)から白黒の流星が降ってきた。

 カナリアの目には最初、そう見えた。

 だが、違う。

 凄まじい勢いで落ちてきて、しかしどこまでも優雅に、柔らかく着地したそれ(・・)は、星などでは無かった。

 それは、この1ヶ月間良くも悪くもカナリアの心を乱し続けてきた存在。

 

 

「ク、リス……!?」

 

 

「カフェさん!!無事で良かった――!!」

 

 

 降ってきたのはクリス。聖神教の法衣を身に纏い、カナリアを助けにやって来たのだ。

 

「貴方、どうして……」

 

「余り時間が無さそうでしたので、思いっきりジャンプしちゃいました。少し、はしたなかったですね」

 

 えへへ……と笑うクリスに、カナリアは”いや、やって来た方法を聞いたのでは無いんだけれど”と思った。

 

『どこにも居なかったこの雌餓鬼を探した所までは分かるが、どうやって居場所を確かめたのかは俺様にも分からなかったんだが』

 

 因みに、一緒に居たデザベアにすら、クリスがどうやってカナリアの場所を知り、その危機を確かめたのか分からなかったらしい。

 

 

『ふふっ。ベアさん。聴力を強化して確かめたのですよ。――カフェさんの乳揺れの音をね!!そうしたら、明らかに町の外に居ましたから。これは危ない、と思った次第です』

 

 

『変態染みてやがる…………』

 

 

 色んな意味で。デザベアはそう思った。

 尚、上記のコントが見えていないし、聞こえていないカナリアには、クリスが唯真剣に佇んでいる様に見える――詐欺にも程がある。

 

 とにかく、やって来たクリスに何かを言わなければ、と考えたカナリアだったが、その時、ふと、気がついた。

 

 ――地面が揺れている。

 それも、かなりの揺れだ。

 

「地、震――!?」

 

 しかしながら可笑しい。

 そんな揺れに、クリスも廃呪も、他の全ても全く動じていないのだ。

 これは、一体どういう事か?

 

「カフェさん。怖がらなくて、大丈夫です」

 

「何を…………ぁ」

 

 クリスにそう言われて、カナリアは気がついた。

 揺れているのは地面じゃ無い。自分自身だった、と。

 

「ぅぁ……、わ、私……。何でこんなっ――!?」

 

 クリスがやって来た衝撃で、カナリアの体中を覆っていた不可思議な熱が完全に消え去っていた。

 心の麻酔が切れて、分かっていなかっただけで、ずっと感じていた痛み(恐怖)が一斉に湧き出してくる。

 自分に語りかけて来ていた謎の声の事を何故か忘却し、カナリアは混乱と恐怖の極地にあった。

 

 一体どうして、自分はこんな馬鹿な事をしてしまったのか。

 殺される。周りの廃呪たちの牙と爪で、全身を引き千切られて殺されるのだ。

 

 先程までの戦意は欠片すら残っていない。

 最早、今のカナリアに出来るのは、襲われる寸前の哀れな子羊として、只々震えることだけで。

 体中の体温が、どんどん下がっていっている様に感じる。

 そしていよいよ、卒倒すらしかねない程に、その震えが高まった時、カナリアの体を柔らかいものが包み込んだ。

 

「安心して下さい。貴方は私が守ります」

 

「く、くりしゅっ!?」

 

 クリスが怯える我が子を安心させるが如く、カナリアの事を抱きとめたのだ。

 互いの心臓の鼓動が混ざり合い、顔と顔とが近づいた。

 今までとは別の意味で、カナリアの脳味噌は混乱しだした。

 

「こ、こんにゃことっ!してる場合じゃ――!!」

 

「良いから、私のことだけを見て――――ね?」

 

「はひゅっ――!?」

 

 呂律が上手く回らない。心臓が早鐘を打つ。

 理想に近いシチュエーションやら、吊り橋効果やらが合わさって、下がったはずのカナリアの体温は、オーバーヒートしかけていた。

 

 カナリアの脳内を言い訳染みた戯言が止めどなく流れ出す。

 何だ、この顔の良さは、ふざけているのか!!

 眉毛なんか綿毛か雪の結晶かの様で、こんな物を至近距離で見せられたら、誰だって可笑しくなるだろう――!!と。

 

 まあ、クリスは”長けている”から仕方がないだろう――顔面偏差値に。

 取り敢えずカナリアの感じている怯えは殆ど払拭された様である。

 代わりに脳味噌がぶっ壊れかけた様な気がしないでも無いが……、今は気にしないでおこう。

 

「■■■■■■■■――!!」

 

 襲いかからんとしていた己を無視されて、意味の分からんやり取りを繰り広げられた事にさぞやご立腹だったのか、抱き合う2人に向けて、巨大な暴乱熊が猛然と駆け出した。

 僅かばかりの距離を四足歩行で瞬間的に縮めて、2人の前で立ち上がり、腕を思いっきり振りかぶって、その爪で2人諸共引き裂こうとする。

 

「………………」

 

 そんな暴乱熊に対し、クリスがやったのは指を丸めながら、そっ、と右手を前に差し出す事だけだった。

 所謂、デコピンの構えである。

 

 空気を、轟ッ!と切り裂きながら、巨大な鉄の塊をも容易く両断する暴乱熊の一撃が放たれる。

 ぴょこっ!と可愛らしいらしい音を奏でながら、赤ん坊すら痛がりそうにないクリスのデコピンが放たれる。

 2つの攻撃が交差して、

 

 ――――暴乱熊が消し飛んだ。

 

 

『見ましたか、これが”聖女神拳”ですっ――!!』

 

『ただの、格の差のゴリ押しじゃねーか』

 

 ドヤァ……!と、得意げな笑みを浮かべながら、自分にしか聞こえない声で、はしゃぐクリスにデザベアがツッコんだ。

 唯でさえ攻撃が得意ではない上に、現状の聖華化粧では使える力が少ないクリス。

 そこで編み出したのがこの戦い方である。

 

 いや、”戦い方”なんて言えるほど上等なものでは無く、普段は抑えている自分の巨大さによる周囲への影響を限定的に開放し、その圧倒的な質量の差で相手を消し飛ばすのだ。

 デザベアの言う通りただのゴリ押しである。

 しかしまあ、元の能力値が圧倒的な事もあり、ただのゴリ押しが必殺の一撃と化していた。

 ただし、全く弱点が無いか、と言われればそうではない。

 

 

「■■■■■■■■!!」

 

「む――!!」

 

『まっ、そうするわな』

 

 自分たちの中で最も強力な個体が跡形も残らず消し飛ばされたのを確認した直後、残った暴乱熊たちが一斉に飛び退いて、クリスから距離を取った。

 しかし、逃げ出す素振りは見せず、クリスを囲み、その隙きを伺っている。

 デザベアの言う通り妥当な行動だろう。

 

『こうされると、少し困るんですよね……』

 

『身体能力貧弱だからな、お前』

 

 核兵器の雨が降り注ぐ中、のんびりお散歩出来る癖に、少し急な階段を上っただけで息を切らす矛盾した状態が、今のクリスである。

 曰く”聖女神拳”なる物の決定的な弱点は、逃げに徹されると当てれない事である。

 特にクリス自身が狙われるのなら大丈夫なのだが、今回のカナリアの様に、守る相手が居る時は、隙きを付いて狙われないように注意を払わなければ行けないのだ。

 クリスが急にカナリアを抱きとめたのも、落ち着かせるため、廃呪が消し飛ぶ衝撃的な光景を見せない為に加えて、こうされた時にしっかりと守る為だ。

 決して、”可愛らしい女の子の体を合法的に抱きしめられるぞ、わーい!!!”なんて思ってやった訳では無いのだ、馬鹿にしないで貰いたい!!!!!

 そんな疚しい思いは、クリスの中には2割くらいしか無いッッ――――!!!!

 

 

『身体強化して、ちゃちゃっと終わらせたらどうだ?』

 

 因みに上記の弱点は、身体能力を強化すればある程度解消される。

 カナリアを助けに、町から意味の分からない跳躍をした時のように、強化すれば驚異的な身体能力を発揮出来るのだ。

 

『これで終わりなら、それでも良いんですけど……。出来るだけこの後(・・・)の為に力を残しておきたくて』

 

 

『まあ確かに、それもそうか』

 

 しかしながら体を強化するのにも当然力を使う。

 此処に来る前に(・・・・・・・)力を使ったし(・・・・・・)この後も(・・・・)力を使う予定がある(・・・・・・・・・)クリスとしては、出来る限り無駄遣いは避けておきたかった。

 

 

『んー』

 

 暴乱熊たちが自分を警戒して攻めてこない為に、クリスはゆっくりと攻め手を考える。

 彼女の頭で思いついた戦い方は3つだった。

 

 まず1つ目。このまま睨み合いを続けて、相手の隙を伺って倒す。

 1人の時であればこれを選んでも問題は無かったが、守る対象が居る以上取れない手段である。

 何せ、元々ただの高校生。戦闘技術など無いに等しいのだ。

 

 2つ目。身体能力を強化して一気に倒す。

 正攻法はこれだろう。ただしこの手段を取ると、この後必要となる力が用意出来ずに、聖華化粧抜きの本気を出さざるを得なくなり、デザベアに死線を潜って貰わなくてはならなくなる。

 出来ることなら避けたい、と言うのがクリスの本音だ。

 

 3つ目。ある手段(・・・・)を使って、余計な力を使わずに倒す。

 そんな夢の様な手段が、あるにはある。

 ただそれは、クリスの気持ち的には取りたくない手段なのだが……。

 しかし、相手が廃呪という事と、他の手段との天秤に、カナリアやデザベアの命が乗っていることを考慮に入れると――

 

「――仕方がありませんね」

 

 クリスはカナリアをもっと強く抱きとめた。

 これから自分が使う”力”に、まるで台風の目の如く彼女だけは影響を受けさせないために。

 それを伝えるために、クリスはカナリアの瞳を至近距離で見つめながら話した。

 

 

「良いですか、カフェさん。もう暫くの辛抱ですから、絶対に私から離れないで下さい」

 

「ひゃ、ひゃいっ!!」

 

 カナリアの顔が更に紅く染まったが、まあ言いたいことは伝わっただろう。

 そして、クリスは”力”を使う。いや、正確に言えば、力を使わないようにするのを止めた。

 彼女の魂はほんの少し呼吸を――つまり”魅了”と力を解き放とうとした。

 

『見なさい!これが対廃呪用聖女神拳奥義!その名も――』

 

『ああ。ゴキ○リホイホイな』

 

『…………奥義!』

 

『だからゴキ○リホイホイだろ?』

 

『もうっ!カッコつけさせて下さい!』

 

『カッコつけるほどの物でもねーだろーが。いいからとっととやれ』

 

 クリスがやろうとしている事は単純。

 ”魅了”の力で廃呪を惹き寄せて、そのまま先程の格の差ゴリ押し拳法で倒す事だ。

 その様は正しくゴキ○リホイホイ。少し格好良く言ったとしても、飛んで火に入る夏の虫が精々だろう。

 

 

『もうっ!!では行きますよ』

 

 締まらない雰囲気の中、クリスは魅了の力を極僅かだけ解き放った。

 

 

 ――瞬間。世界が鳴動した。

 

「――え?」

 

『――は?』

 

 そもそも、クリスの身に宿る魅了の力は彼女本来の力では無い。

 肉体が持つ人類最高レベルの美貌の才能に、中に入った魂の、生命に愛を注ぐ性質が乗ってしまい、偶発的に生じた力である。

 素質の深度その物は極めて深い物の、クリス当人が他者の心を操るこの力を完全に拒絶している事もあり、出力その物はそこまで高い訳ではない。

 

 嘗て、クリスが美しくなるにつれ、勝手に発動した時を例に挙げるなら、感染確率100%、感染範囲1km、予防策無しの魅了ウイルスがまき散らされると言った所か。

 交通網の発達した現代社会であれば、下手をすれば1週間もしない内に、世界全土が恋の奴隷に落ちるだろう。

 そう書けば凄まじく感じるだろうが、そもそも力を使えさえすれば、攻撃が苦手にも関わらず、世界中に光の星を降らせて、惑星を更地にすること位は出来るのがクリスである。

 その尺度からすれば魅了の力は、クリスにとって唾棄すべき力ではあるが、そこまで警戒が必要な力では無かった。

 だからこそ、命を持たない呪いの塊である廃呪に対して切った訳であり、それを制止しなかったデザベアも、同じ認識である事が分かる。

 

 だが、この時。

 極めて希釈されて放たれた筈の力は、その質・出力ともにクリスとデザベアの想定を完全に超越していた。

 端的に言えば、”魅了”と呼んで良いのかすら分からない、全くの別物と化していた。

 

 

 ――0.00000000001秒

 

 まず最初に、対象となった暴乱熊たちが、消滅した。

 

 クリスが魅了以外の何かをした訳では無い。

 愛しい女神(クリス)から直々に、浄滅すべしと思われた幸福に、彼らの体が耐えきれなかったのである。

 

 この時点で異変を察知したクリスは、まずカナリアに絶対影響がいかない様に、防護を強めた。

 

 ――0.0000000001秒

 

 クリスを中心として、地面に大量の花が咲き乱れる。

 ある雑草は伸び、ある雑草は自ら千切れ飛び、人工芝の様に整った芝生が完成した。

 周りの木々の根っこが触手の様に蠢いて、木々が自発的に移動して、偶然出来ていた筈の数mの隙間が、数百mの空き地に早変わりした。

 木々の葉に付いていた露が滴り落ちて、それが何百倍にも、何千倍にも膨れ上がり、 瞬く間に湖が出来上がった。

 風の音が女神を称える讃美歌に早変わる。

 

 

 自然の悪戯で偶然出来ていただけの木々の隙間が、女神へ捧げられる庭園へと自発的に変化してしまった。

 

 

 この時点で、魅了の力を止めたクリスだが、その影響は直ぐには止まらない。

 

 

 ――0.000000001秒

 

 

 先ほどまでに起こった尋常ならざる変化。

 しかしながら彼ら(・・)にとっては余りに現実的で微々たる物だったらしい。

 斯様な醜い姿を女神の御前に晒すのは我慢ならぬと、誰も彼もが本来何億年も・何十億年もかかる筈の進化を行おうとしていた。

 方法?理屈?

 無限に湧き出す女神への恋情を前に、その程度の事が不可能である訳が無い。

 

 1匹の羽虫が、虹色の羽を持つ、不死鳥となった。

 周囲に咲き渡り、伸び渡る草花が、煎じて飲めば万病を癒やす、黄金色の植物へと変化した。

 辺りの木々に、1口齧れば1年間は飲まず食わずでいられるようになる仙桃がなった。

 湖の水は神聖に光り輝き、振りまけばあらゆる魔を浄化する聖水に。

 

 

 焦るクリス。現時点で相当にマズイが、更に致命的な現象が起きようとしていた。

 

 ――0.00000001秒 

 

 (そら)に浮かぶ星々が、自分たちも女神の傍に侍りたいと、彼女が住まう惑星と同化しに、墜落の準備をし始めた。

 女神の住まう場所をこのままにはしておけぬと、大気中に無尽蔵にエネルギーが発生して、星の全てを浄化する波動が放たれようとした。

 病が、穢れが、呪いが、死が。闇に属する概念達の全てが自分たちの存在は不要、と世界から消え去ろうとした。

 

 全てが終わり、全てが始まる。

 此処に神話の時代がやって来ようとして――

 

「――ダメッ!」

 

 その声に、全ての変化が一瞬止まる。

 その僅かな時間が全てを分けた。

 魅了だった筈の力の影響が漸く止まった。

 世界に静寂が戻って来る。

 

 

「あの……。クリス?どうしたの?」

 

 クリスの動揺を感じたカナリアが不安げに呟いた。

 彼女を安心させるべく、クリスは穏やかに語りかけた。

 

「ええと。もう大丈夫ですよ、カフェさん。…………………………………………ぃちぉぅ」

 

 

「そ、そうなの?」

 

 

 その言葉を聞いたカナリアが、どこか名残惜しそうにクリスから離れる。

 そして、周りを見渡した彼女だったが、その目に入り込んで来た光景は――――。

 

 

「ゎぁっ……。綺麗……。凄いっ――!これ、クリスがやったの?」

 

 

 ――辺り一面に咲き渡る黄金色の花畑!!

 清浄に光り輝く湖!!

 一目見ただけで尋常ではなく美味だと分かる桃がなっている周囲の木々!!

 そして”キーーーーーーーッッッ”と元気よく鳴き声を発しながら、クリスの頭上を飛んでいる七色の羽を持つ幻想的な鳥!!!!!!!!!!!

 

 凄い……。なんて綺麗な光景なんだ……、とカナリアはウットリとした。

 

 

「ぇっ……。ぁの……。その……。確かに、やったか、やっていないかの二択で言われますとやってしまった様な気がしないでも無いと言うか、その。ですが、あの。そうやって何でも2択で迫る世の中なのはどうでしょうかと思う感じもありまして、こう、もっと良い別の選択肢があるやもしれぬと…………………………。ごめんなさい、私がやりました…………」

 

 

「?どうして謝るの?」

 

 言い訳の高速詠唱の最中に気まずくなったクリスが謝罪の言葉を口にした。

 そのまま内心で涙目になりながらデザベアに念話で話しかける。

 

 

『べ、べ、べ、ベアさん!!さっきのあれ!一体何なんですか!?』

 

『……正直、俺様でも直ぐには分からねぇ。

ただ、1つだけ言える事がある』

 

『なんですか!?』

 

『多分、お前なんかバグったぞ』

 

『バグっっ!????????????』

 

 出力が可笑しい。効果が可笑しい。明らかに暴走している。

 そもそも使用者のクリス自身が分からないのが変。

 

 何らかの異常事態が発生しているのは、確定的だった。

 

『あの、これどうしましょうか…………』

 

『どうしましょうって言われてもな…………』

 

 突然と、出来上がってしまった聖域的なナニカの始末に困るクリス。

 そんな彼女が出した答えとは――

 

「そ、そのぉ……。カフェさん?色々と気になる事はあるでしょうが、一旦街に戻りませんか?自警団の皆様方を診なければなりません」

 

 

「ぁ…………」

 

 

 ――SA☆KI☆O☆KU☆RI!!

 明日の事は、明日の自分に任せるッッ。

 週刊少年漫画の作者も扱う由緒正しき戦法――!!

 

 いや、違うのだ。

 決して見て見ない振りをする訳では無く、本当に時間が無いのである。

 ”絶対!絶対、後でまた来ますから!!”と心の中で叫びつつ、クリスはこの場を一旦離れる事を決めた。

 

 因みにその間のカナリアだが、先ほどまでの衝撃的展開で頭の中から吹き飛んでいた自警団の怪我の事を思い出し、赤くしていた顔を青くしていた。

 

「取り合えず、最低限この場所を隠し――――!?」

 

 何とか、この聖域?を人目に付かない様にだけはしておこうとしたクリスだったが、その時、衝撃の光景が発生した。

 辺りの木々がまたしても勝手に移動して、この場所を隠すように動いたのである。

 しかも――

 

『こりゃあ、人払いの力も発生してんな。一定以下の力量の奴は許可が無いとたどり着けんぞ』

 

 ――デザベア曰く、そんな感じらしい。

 

『森が……。生きてる――!』

 

 大自然で育った、精霊の声が聞こえる少女的な台詞を発したクリスだが、この場合は、概念的な話では無く、森が一目瞭然で命を持っていた。

 何せ、早足で町へ向かっていく、クリス達に木々が敬礼するかの如く、自らしなっていくのである。

 大丈夫!?折れないよね!???と心配になりつつも、クリスはカナリアと町への帰路についた。

 

 

 

 

 




○《生命の権能(詳細不明)》
 クリス――と言うか、その魂の猿山 平助が持っていたと思われる権能。
 覚醒する前に体を変えられたため、詳細は不明だが現在のクリスが持っている力と同様に、生命に対する回復や加護を得意とする力であったと予想される。
 ただし、男性の(サガ)として、現在の力より攻撃性や征服性に若干寄っていた可能性がある。

○《両極の(アンドロギュノス・)(フィーリア)》 
 クリスの所有する力。権能。
 方向性自体は元の肉体であった時とは変わっていないが、肉体が女性の物に変じた事で、適正に変化が見られる。
 女性の肉体に、男性の魂と言う己単体で雌雄が揃った事により、男性であった時は勿論、もしも最初から女性として生まれた場合よりも『命を生み出す』事に対する適正が遥かに上昇している。
 今の彼女にとっては、無機物やエネルギー、果ては概念などと言った本来は命を持たない物に、生命を与える事すら容易いだろう。


○《人界の(ヘスティアー)(・カロス)
 人類最高峰の魅力の才能を持つ肉体に、生命に愛を注ぐ超越者の魂が入った事で、後天的に発生してしまった権能。
 生命体に対する強い魅了効果を発生させる。
 ただし、クリス当人がこの力を極めて忌避しているため、出力・効果共に大幅に減少しているので、そこまでの危険性は無い。
 ただし、予想外の形で発生したばかりの、未だ形が完全に定まっていない権能であるため、クリスの状態によっていかようにも変化しうる為、注意が必要だろう。


○《生界の(デメテル)(・カロス)
 肉体と魂の格の差による死を己の癒やしの力で覆し続けているクリス。
 よって彼女は、常に生と死を繰り返している状態であり、しかも彼女ほどの格の魂の変化は周りに強い影響を発生させてしまう。
 その生の面。
 生・誕生とは、生命が本能的に目指す場所であり、生命体からの強い注目を得る効果を持つ。
 しかも、生とはクリスの属性であるため、注目効果が更に増している。
 結果、この力は生命体に対する極めて強い魅了効果を発生させる効果を持つ。

○《死界の(ヘカテー)(・カロス)
 肉体と魂の格の差による死を己の癒やしの力で覆し続けているクリス。
 よって彼女は、常に生と死を繰り返している状態であり、しかも彼女ほどの格の魂の変化は周りに強い影響を発生させてしまう。
 その死の面。
 死とは、生命が本能的に避けようとし意識する物であり、生命体からの強い注目を得る効果を持つ。
 しかも、死とはクリスの反属性であるため、逃れるためにクリスを求める様になり、注目効果が更に増している。
 結果、この力は生命体に対する極めて強い魅了効果を発生させる効果を持つ。 


○《三界の(アフロディーテ・)(カロス)
 《人界の美》がクリスの特異な状態により成長してしまった形。
 魅了が極まりに極まって、もはや生命体に対する特効とすら言える領域に到っている。
 ただし、クリス当人の忌避感による出力制限は未だ有効である。
 しかも、あまりにも生命体に対する効果に寄りすぎた為に非生命体に対する影響は皆無となった。
 よって、(あり得ない事ではあるが)クリスがこの能力を使って戦いだしたとしても、彼女と同格域の存在ならば、投擲や魔術などと言った非生命による遠距離攻撃を魅了の効果範囲外から繰り返す事で十分に対処が可能だろう。
 ただし、極めて分の悪い魅了との対抗ロールを強いられる為、接近戦は絶対に挑んではいけない。


○《極点の(ガイア・)(フィーリア)
 クリスの肉体と魂が生と死の繰り返しによってぐちゃぐちゃに混ざりあった結果、本来の権能である《両極の愛》と、後天的な権能である《三界の美》とが融合して発生してしまった権能。
 基本的には《両極の愛》と、《三界の美》が同時発動するだけだが、
 
 『本来の権能と結びついたことによる《三界の美》の出力制限消失』
 『2つの巨大な権能が掛け合わさった事による出力の異常上昇及び暴走』などの変化がある。

 不味くない点が何1つとして存在しない本権能だが、最も猛悪な点は『生命特攻の魅了』と『あらゆる物に対する生命付与』が同時に発動する事である。
 クリスによって命を与えられた非生命は、そもそも彼女を母として慕う上、そこに更に魅了が乗る形となる。
 結果、『生命特攻の魅了』が非生命に対してより効果を発揮すると言う意味不明の異常事態が発生する。

 この権能を展開したクリスと戦う場合、彼女と同格域の存在であっても、投擲や魔術などの非生命による遠距離攻撃と言った一見有効に見える戦法を取っては絶対にならない。
 もし行えば、放ったはずの攻撃がクリスに魅了されて、彼女に利する様に進化して、跳ね返って来る。
 基本的に有効となるのは、開戦直後に『生命特攻の魅了』を食らう事を覚悟して、超接近戦の肉弾攻撃を全力で放ち初手で殺しきることだろう。
 ただし、決めきれなかった場合にまず終わる上に、クリスを殺害しても魅了の効果は消えないので、魅了の効き目によっては愛しい者を手にかけた衝撃で自死させられるという実質的な相打ちに持ち込まれる可能性が高い。
 
 唯一の救いは、これまでの弱体化状態による経験で、クリスが権能のオンオフ出来るようになっている事だけである。


 尚、この権能を後程知ったデザベア曰く『クソコンボ』らしい。

 


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04 何をどう纏めたのか小一時間問い詰めたい

 

 

 ――私は、馬鹿だ。大馬鹿だ。

 

 クリスと共に、アルケーの町に帰還している最中、カナリアはそう激しい自己嫌悪に襲われていた。

 明らかにナニカの意思に突き動かされていた事を覚えていられずに忘却し、自分の意思のみでこんな時に森に行ってしまったと思っているが故である。

 病も怪我も、早期発見からの早期治療に勝る物は無い。

 だと言うのに、怪我人を放っておいて癒し手である自分が、何処ぞへ行く?許される理由(わけ)が無いだろう、そんな事。とカナリアは自分を責める。

 更に最悪なのは、そんな自分を助けにクリスに足を運ばせてしまった事だ、とカナリアは思う。

 自らを遥かに上回る治療の腕を持つクリス。彼女が自分を助けに来るのに使わせてしまった時間の所為で、どれだけの助かる可能性があった人が亡くなったのかを想像すると、カナリアの心は今にも張り裂けそうだった。

 …………そしておそらく、彼女の父もその中に入っているのだ。

 

 

 ――あのまま、死んでしまえば良かったんだ。私なんて。

 

 なんて風にすら、カナリアは思ってしまった。

 そんな沈んだ様子のカナリアにクリスは優しく声を掛ける。

 

「大丈夫です、カフェさん。安心してください。貴方の思っているような事は起きていません」

 

 

「……え?クリス?それってどういう――」

 

 

「多分、直接見た方が早いです」

 

 

 駆け足――クリスの体力に合わせた所為で遅めだが――で教会へ向かっていた2人の足が遂にその前にまでたどり着いた。

 教会の前には大きな人ごみが出来ていた。

 現在、教会の中に入れるのが神官と怪我人、そして怪我人に近しい人だけであるが故に、周りから様子を伺っているのだろう。

 町の人々による集まり。しかしそれを見たカナリアの脳内にある疑問が生じた。

 

 ――どうして、皆もっと焦ってないの?

 

 それがカナリアが感じた疑問だ。

 見知った人の命の危機で、最悪町の存亡に関わって来る事態。

 焦って然るべきだろう。騒いで然るべきだろう。

 実際、運ばれてくる怪我人を見ていた時の周りの雰囲気は、そうだった。

 だと言うのに、今の町人の集まりからはその時の雰囲気が全然感じられないのである。

 流石に朗らかに笑っている者こそいないが、誰も彼もがほっ、としていて、”不幸な事があったけど、最悪の事態にならずに済んで良かったね”と言った感じである。

 

「さ。カフェさん、中へ」

 

「う、うん……」

 

 その町人の異様な雰囲気に答えが得られぬまま、クリスに促されて教会へ入るカナリア。

 そんな彼女を、少し怒った様子のジャン神父が出迎えた。

 

 

「カナリアさん。一体何処へ!」

 

「……ぁ。その、ごめんなさい。神父様」

 

 唯々、小さくなるしか出来ないカナリア。

 そんな様子に、ジャン神父は、ふぅ、と一度息を吐いた。

 

「…………お説教は後です。さ、ご両親が待っていますよ」

 

「――ぇ」

 

 ジャン神父は、父親を亡くした()に、こんな事を言うような人では無い。

 ならば父は生きているという事か?あの怪我で?と激しい混乱に陥りながら、カナリアは、教会の中の病室代わりになっている部屋に、ジャン神父とクリスと共に足を踏み入れた。

 そこには――

 

 

「カナリアッ!」

 

「ああ、カナリアっ!」

 

「お姉ちゃん!」

 

 部屋に響き渡る男女と子供の声。

 それは、カナリアの両親と、彼女の弟からの物だった。

 

「ぁぁ……。無事で……」

 

 生きていてくれたのだ父は。と、カナリアの心は満天の青空の如く晴れ渡った。

 ベッドに寝かされている彼女の父親は、無くなった手足こそそのままだが、命に別状は全く無さそうで、苦痛も感じていないようだった。

 それはとても良かったが、しかし一体どうやって?カナリアのその疑問の答えは彼女の母親から直ぐにもたらされた。

 

 

「クリスさんが、治してくださったのよ」

 

 

「クリスが……?」

 

 

 その言葉を肯定する様にクリスが微笑んだ。

 

 

 

「取り急ぎ、応急手当と痛み止めだけはやっておきました」

 

 

 

「でも、聖輝石が……」

 

 

 

「大丈夫です」

 

 

 私これでも治癒(ちから)持ちなんです!と少し得意げに笑うクリス。

 その可愛らしさに、カナリアの胸が非常にときめいた。

 

 それに……自分はあんなにクリスに冷たく当たって来たのに、そんな自分や自分の周りも分け隔てなくクリスは助けてくれたのだ、と思うとカナリアの頭の中は感謝で一杯になった――ついでにキュンキュンもした。

 

 

「あ、あのっ!クリスっ――!」

 

 

「はい。なんでしょう?」

 

 

「ほんとにっ、本当にありがとうっっ!!」

 

 

 カナリアの口から反射の領域で放たれた感謝の言葉。

 しかし、その返答をすぐに聞く事は叶わなかった。

 何故なら、そうやってクリスに感謝しているのは、カナリアだけでは無かったからである。

 

 

 

「嗚呼っ!クリスさん!私もっ!本当にありがとうございました!!貴方が居なかったら主人は…………」

 

 

 自らの家族にだけ注意が行っていた所為で、カナリアは気が付いていなかったが、この部屋には他の自警団の怪我人と、その見舞いも居た。

 例えば今、感極まって涙を流しながらクリスに話しかけた女性は、子供の頃から思い合ってきた幼馴染と、つい最近結ばれたばかりの若奥様である。

 幸せの絶頂の新婚生活から、不幸のどん底の未亡人生活へ叩き落される寸前で救われたことを考えれば、この態度も大袈裟では無いという物だ。

 彼女の夫は片腕を失っていたが、しかし彼女は生きていてくれただけで嬉しい!と、これからは自分が腕の代わりになる!とそんな前向きな意気にだけ満ちていた。

 

 同じ様に家族を亡くしかけた人は他にも。

 それら皆がクリスに感謝の意を向けていた。

 カナリアを皮切りに、クリスへ向けられる感謝の言葉は、まるで柔らかく温かい一陣の風の様。

 そんな素晴らしいものに当たったクリス。

 

 

「――えっ」

 

 人が喜ぶのが大好きで、普段であれば大喜びしている様が容易に想像出来るクリスが、奇妙な反応を示していた。

 いや、不快に感じているとかそういう事では無い。

 ただ、何かこう”ん?んん???あ、あれ?あれれ??”みたいな感じで腑に落ちない事が存在するようである。

 そんな様子のまま、クリスは数瞬、何事かを思案した。

 

 

「………………あ゛」

 

 そうして放たれた『あ゛』は、確実に何事かをやらかした奴が、それに気がついた時の『あ゛』であった。

 それを裏付ける様に、クリスはとても気まずそうに、自分に感謝の意を向ける人たちの勘違い(・・・)を正す言葉を口にした。

 

「あ、あのぅ……。皆さん?治療するのは今から(・・・・・・・・・)ですよ(・・・)?」

 

「え」

 

 クリスとしては、最初からそのつもりであったのだ。

 ただ、怪我人全員を完治させると、聖華化粧で使える範囲の力ではギリギリになるので、とりあえず応急手当と痛み止めをしておいて、カナリアを助けてこようとしただけで。

 ただ、なにも知らなければ、それが治療に見えるかも知れないと、クリスは今更ながらに気がついた。

 或いはアレンたちが居れば話は別だったが、彼らは邪魔にならないように教会の外に居る。

 

「あ、あの」

 

「と、とにかく!パパっと治しちゃいますね!そう、チャチャっと!!」

 

 周囲の困惑の感情に耐えきれなくなったクリスは思った。

 

 ――とにかく勢いで誤魔化しきる!!と。

 

 

 慌ててで怪我人たちへ治療を施そうとするクリスの様子はどこかギャグシーンの様ですらあったが……。

 しかし、そこから巻き起こった展開は、周囲の人間にとっては笑い話などでは決して無かった。

 

「――――」

 

 慌てて気の抜けた表情から、真剣な表情に切り替えたクリス。

 途端、彼女から発せられる”圧”が急激に膨れ上がった。

 

 空が、海が、大地が。

 そう言った人知の及ばぬ大自然が人の形に押し込められたかのような存在感。

 カナリアやジャン神父、それに他の神官や、怪我人とその見舞い人。

 そう言った周囲に居る者たちはおろか、教会の外に集まっている人たち、果ては町の端にいる人にまで、クリスの存在感は届いていた。

 誰も彼もが圧倒されて慄いている。

 信心深い者等は、地面に跪いて天に祈りを捧げている始末だった。

 

 クリスとしては、(元からするつもりは無かったが)魅了?の力の方は万が一にでも少したりとも漏れ出させる訳にはいかないので、雰囲気については諦めた形だった。

 

 

「では行きます――」

 

 先程までの狼狽えていた様子から一転し、神秘的な態度で言葉を告げるクリス。

 彼女は、そのまま怪我人の治療へと移った。

 まずは、件の新婚さんからであった。

 クリスから放たれた、神聖で暖かく柔らかい白い光が、片腕を欠損した男を包み込む。

 

 

「お、俺の腕が――」

 

「あ、貴方っ!?嘘っ、こんなことがあるなんて…………」

 

 

 二度と元に戻ることが無いと覚悟していた失くした腕が再生した。

 男は回復した手を何度も閉じたり開いたりして、漸く実感が湧いたのか耐えきれぬ喜びに思わず目に涙を浮かべていた。

 そんな夫を、妻は嬉しそうに抱きしめていた。

 その様子を確認して微笑んだ後、クリスは他の人の治療も続けていく。

 

 

 体の奥まで刻まれた深い傷が、粉砕していた筈の骨が、えぐり取られた肉が、欠損した四肢が。

 どれも1つ残らず治されていく。

 

 

「凄い……」

 

 その様子を見て、カナリアは思わず呟いた。

 そも、欠損クラスの怪我の治療は難易度が高いが、それが廃呪に付けられた物となると更に条件が悪くなる。

 何故ならアレらは呪いの塊。

 廃呪に付けられた傷は、悪化しやすく、癒やしを拒絶する性質を持つ。

 その治療難度は、普通の怪我の10倍でも足りないだろう。

 にも関わらず、聖輝石の補助も無しに患者を回復させて行くクリスの腕は凄まじい。

 同様の事が出来るのは、卓越した法術の腕を認められ、教会より聖女や聖人と言った敬称を授かった者たち位では無いだろうか?とカナリアは思った。

 どこまでも限界無く怪我人を癒やして行くのでは無いだろうか、とすら思えたクリスの様子だが、そこで異変が生じた。

 

 

「ぁっ……」

 

 カナリアはまたしても思わず呟いた。

 何故なら癒やしの力を使っているクリスの、その口の端から、っっっ、と血が流れ落ちるのを目撃してしまったからである。

 ”こんな凄まじい力、何の代償もなく使えるわけ無いじゃない!”と思ったカナリアは、次に治療されようとしているのが、己の父親だった事もあり、居ても立ってもいられずに、クリスへと近づいた。

 

 

「あのっ!クリス、邪魔だったらごめんなさい……」

 

 

「いえ、全然構いませんよ。どうかなさいましたか、カフェさん?」

 

 

「そのっ!私、私にも何か手伝える事は無い?クリスの負担が少しでも和らぐ事があるなら、私何でも(・・・)するわ!」

 

 

 クリスは穏やかに微笑んだ。

 それはまるで、カナリアの真心に胸を打たれた様であった。

 尚――

 

 

『やったあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』

 

 

『うるせええええええええええええええええええええええッッッ!!!!!!

 だから!騒ぐのに!!!念話を!!!!使うな!!!!!!!!!!!!!』

 

 

『ベアさん!だって、だって!!何でもですよ!?何でもって言ったら何でもって事ですよ!?つまり、カナリアさんが私服の時にしているポニテをしゃぶらせて貰うことも可能ということ――――!!』

 

 

『例え、命を捧げても良いと思っている相手からでも、それを頼まれたらぶん殴ると思う』

 

 

『確かに……。治療中と言うTPOを弁えないお願いでしたね……。反省します』

 

 

『違う。そういう問題じゃない』

 

 そんな会話している事を全く悟らせず、クリスはカナリアへ語りかける。

 

「では……。傍に身を寄せて体を温めて貰っても構いませんか?体温が下がってしまって人肌が恋しいのです」

 

「そ、それって」

 

 カナリアの頬が紅く染まる。

 

「ゎ、私で良ければいくらでも……」

 

 そう言って近づいて来たカナリアをクリスは優しく抱き止めた。

 互いの柔らかな感触が混じり合う。

 カナリアの脳味噌は沸騰しそうだったが、幸い?他に気になる事が出来て、多少気がそれた。

 

 

「大丈夫、クリス?無理してない?」

 

 

「え?どうしてですか?」

 

 

 一見、平静にそして穏やかに微笑んでいるクリスであるが。

 

 

「だって、鼻から血が――!」

 

 

 クリスの鼻の片方からたらり、と血が垂れていた。

 これは流血ですか?いいえ、それは興奮です。

 大慌てで血を拭い去り、クリスは喋る。

 

 

「これは……。大丈夫です!少し”元気”が溢れただけですから!!体調はすこぶる良好ですっ。だからもっと身を寄せ合いましょう!!!!!!!!!!!」

 

 

『溢れたのは、元気じゃ無くて性欲だろ…………』

 

 

 呆れた様に呟かれたデザベアの言葉は無視した。

 そうして不犯の加護に抵触しない程度に、カナリアとの触れ合いを楽しんでいたクリスであったが、そんな彼女の脳裏に、とても素晴らしいアイディアが思い浮かんだ。

 

 

「そうだ!折角カフェさんのお父さんを治すのですし、一緒に力を使いましょう!」

 

 

「えっ、でも邪魔にならない?」

 

 

「大丈夫です!私がカナリアさんの力を操作しますから!」

 

 

 成程、確かにそれなら問題は無いだろう。

 ただ1つだけ疑問がある。

 

 

『お前、そんな事出来たの?』

 

 

『カフェさんともっと触れ合いたいと思ったら、出来るようになりました!』

 

 

JCとの触れ合いが出来るなら新しい技術の1つや2つ、瞬時に出来るようになって当然なんだが?だが??と胸を張るクリスにデザベアは乾いた笑いを浮かべた。

 

 

『エロの化身かよ……』

 

 

 勿論、無視した。

 カナリアとの接触の感触に集中するのに忙しいのである。

 

「さ、ではカフェさん。私と呼吸を合わせて、力を使ってください」

 

「う、うん。わかったわ」

 

 クリスの言葉に従い、カナリアが癒しの法術を使う。

 その瞬間、クリスがカナリアの力を誘導し、彼女の内側から全身に向かって、くすぐったい様な、気持ち良い様な感覚が流れた。

 

 

「あっ、んんっ……」

 

 カナリアの口から思わず色っぽい吐息が漏れ出した。

 それによって羞恥で、紅い顔を更に紅く染めたカナリアだったが、幸い?またしても気がそれる事態が発生した。

 

 

「く、クリス!?また、鼻血が!」

 

 今度は両方からだった。

 またしても、法衣の袖で顔を拭うクリス。汚い。

 

 

「大丈夫、気にしないで下さい。さ!力の放出を続けて下さい」

 

「う、うん」

 

 

 その後、クリスが何度も鼻血を流しつつ、カナリアの父親の治療は無事に終了した。

 割と血を流した筈なのに、クリスの様子は、それはもう幸せそうな笑顔であった。

 

 

*****

 

 

「クリス。今まで本当にごめんね」

 

 

 すべての治療が無事に終わった後、クリスとカナリアの2人は夕陽を背に、町の外れに居た。

 カナリアが、色々とお説教をされる前に、クリスと2人で話させて欲しい、と周囲に頼んだからだった。

 彼女はこの1ヵ月間クリスに冷たく当たったのを謝りたかった。

 

「カフェさん。私は何も気にしてはいません」

 

 

「――クリスならそう言うと思ったわ。でも私が私を許せないの」

 

 クリスならば仮に何もせずに、しれっ、と仲良くしようとしても、何も気にせず受け入れてくれるだろうことは分かっていた。

 しかし、そんな相手だからこそ、仲良くなりたいと願うのであればキチンと自分の過ちを清算したい、とカナリアは思ったのだ。

 それに、そうやってクリスの事を想うだけでカナリアの体は熱くなる。

 彼女に少しでも良くしたいと思うし、良く思われたくもあったのだ。

 

 

「その、もしクリスが許してくれるのなら、私に何かお詫びをさせて?私に出来る事なら何でもするから――」

 

 

「カフェさん……」

 

 

 そう言う事ならば、とクリスは考えた。

 カナリアがクリスに思っている事が色々ある様に、クリスがカナリアに思っている事も色々あるのだ。

 

 例えば――

 

 ”ハァッ、ハァッ。お嬢ちゃん、今どんなパンツ穿いてるの?”とか

 ”君かわうぃーね!!てか、LI○Eやってる?”とか

 ”自分見抜きいっすか?”とか

 ”貴方と合体したい……”等だ。

 

 それらを纏めた上で、クリスはカナリアに求める事を口にした。

 

 

「では、カフェさん。私と……お友達になってくれますか?」

 

「はいっ!喜んで!」

 

 そう答えたカナリアの顔は、どこまでも嬉しそうにほころんでいた。

 



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05 エロバード君!?

 町を襲った危機を乗り越えつつ、カナリアと仲良くなったクリス。

 その後の2週間ほどで、女子同士だったら多少スキンシップのアウトカウントが緩い事が分かったり、クリスの相手が嫌がらない限りガンガン行く性格の所為でカナリアの脳味噌がどんどん破壊されていったりしたが、まあそれは置いておこう。

 一先ず、そんなこんなでアルケーの町にクリスは受け入れられた訳である。

 

 しかしながら、全てが完全に解決した訳ではなく、多少のやり残しが残っている。

 その1つを片付ける為に、クリスは少し暇を貰って、1人――デザベアは居るが――で町の近くの森深く、自分の力の所為で意味不明の聖域と化した場所の前までやって来ていた。

 

「ここ、ですか……」

 

 一見、何の変哲も無い森に見える場所。

 しかし、クリスがやって来た途端、森が蠢いた(・・・・・)

 一片の隙間もなく密集していた筈の木々が自ら脇に動き、クリスを歓迎する様に通路が作られた。

 クリスはその道をゆっくりと進んでいった。

 

「や、やっぱり大変な事に……」

 

 そうして進んでいったクリスを出迎えたのは、やはり先日と変わらず聖域と化した空間であった。

 光り輝く湖。食欲をそそる桃がなった木々。黄金色の草花。七色の羽を持つ鳥。

 何も知らない者が見たのなら、幻か天国かとでも思い幻想的なその光景に心奪われる事間違いなしだろう。

 しかしながら、クリスはどうにも微妙な顔をするしかなかった。

 目の前の光景が凄まじければ凄まじいほど、自らのやらかし度合いが上がるからである。

 

 

『取り合えず……。歓迎はされているようだな』

 

 

『そうですね……』

 

 

 森に歓迎されるというのも変な話だが、今回の場合はそうとしか言え無かった。

 何せ、明確に森が命と意思を持っているのである。

 それに歓迎されていると言うのも簡単に理解できる。

 

 

『随分と豪華なカーペットだな。こんな贅沢はどこの王様もしたことが無いじゃねぇの』

 

 

『宝石にはそんなに興味が無いんですけどね……』

 

 

 クリスが道を歩くたびに、その地面が色とりどりの宝石で舗装されていく。

 デザベアの言う通り極めて豪華なカーペットで、森からの歓迎の証であった。

 

 

『金・銀・ダイヤにその他普通の宝石は良いとして、いや良くは無いが置いておくとして。ミスリルにアダマンタイトに、オリハルコンと。伝説の武器でも作れそうな具合だな』

 

 

『こんな雑に作られる伝説の武器は嫌ですねぇ』

 

 

 更に歓迎はそれだけでは終わらない。

 クリスがある程度歩いたところで、宝石の地面が盛り上がり粘土細工の様に混ぜ合わされて、何も無かった筈の地面にいつの間にか豪奢な机と椅子が完成していた。

 どうぞお掛けになって下さい。という事だろう。

 

 

 

「では、失礼して」

 

 

『宝石の椅子って、見た目豪華だけどスッゲェ座り難そう』

 

 

 正直な所クリスとしても同意見だったのだが、折角作ってくれたので少し腰かけてみる事にした。

 

 

「わ!」

 

 

『どうした?』

 

 

 

『いえ……。座ってみたらクッションみたいに柔らかかったので、驚きまして。これは一体』

 

 

 鉱石の硬く冷たい感触を覚悟していたクリスの体に訪れた感覚は、ビーズクッションも斯くやとばかりの柔軟性であった。

 クリスの体の形に椅子が変形して、そのまま眠れそうなくらいに座り心地が良かった。

 

 

 

『想像するに、進化したんだろうな。お前が座りやすい様に』

 

 

『そんなに気を遣って貰わなくても良いんですが…………』

 

 

『それは同意見だが、こいつらは脳味噌がお前の事一色になってるだろうからな、いや脳無いけど。取り合えず褒めてやれば喜ぶんじゃね?』

 

 

「コホン。ありがとうございますね?」

 

 

 デザベアのアドバイス通りお礼を言った後、犬猫にやる様に座った椅子を撫でてやる。

 途端、聖域の地面が大きく揺れる。

 地面が赤色系統の宝石で染まった所を見るに、照れているのだろう。

 

 

『撫でただけでこれなら、口づけでもしたらどうなるんだろうな?』  

 

 

『やってみましょうか?』

 

 

『気にならんでも無いが……。それ以上に面倒な事になりそうだからいいや』

 

 

 そんな風に2人が念話で喋っている間も、聖域のお・も・て・な・しは続いていく。

 テーブルの上に、水晶で出来たグラスとお皿が生えてくる。

 辺りの木々に、桃以外にも様々な果物が実った上、木の蔓が触手の様に蠢いて、自ら果実をもぎ取って、お皿の上に盛り付けた。

 しかも、ジュースでも作ってくれる気なのか、グラスの上で”どれが良いでしょうか?”とばかりに、様々な果物を浮かばせている。

 

「では、葡萄で」

 

 クリスがそう言うと、グラスの中に葡萄が幾つか入れられる。

 そして次の瞬間、その実が溶けた。

 グラスの中で葡萄ジュースが出来上がり、辺りに芳醇な匂いが広がった。

 

「至れり尽くせりですねぇ。では、いただきます」

 

 クリスは出された、果物とジュースに手をつける。

 何か手に持つと勝手に良い感じで皮が向けていく果物を、口の中に放り込む。

 

「んっ。とても美味しいです」

 

 口から出たその言葉は決して出まかせなどでは無かった。

 自然のエネルギーが凝縮された様な、とでも言えば良いのか。

 何十億年もかけて美味しくなるように品種改良を繰り返したのでは、と思わんほどに果実は美味だった。

 そうして、果物やジュースを食べたり飲んだりしていると、その度に森が鳴動する様に感じる。

 

 

『なんか、喜ぶにしても反応が大きくありませんか?』

 

『恐らくだが……。お前に自分を食べて貰うのが堪らなく嬉しいんだろうな』

 

 女神に食されたい!なんて感じだろうか。

 

『レベルが高いですね』

 

『その言葉には同意するが、お前が言うな』

 

 そんな風に会話をしながら、果実を口に運ぶ優雅な時間が過ぎる。

 図らずも穏やかな時間が出来たわけだが、何時までもそうしている訳にもいかない。

 

 

『さて……。そろそろ本題に入りましょうか』

 

『おう』

 

 色々と面倒な事もあるので、念話のままで。

 クリスは本題を切り出した。

 

これ(・・)結局なんでしょうね』

 

『せやな』

 

 この状況及び、カナリアを助けた時に発生してしまった意味の分からん現象。

 その調査と対策。

 それがこの場所にクリスがやって来た理由(わけ)である。

 

 

 

*****

 

 

この現状自体(森に命が宿った)は私の本来の力です。……いえ、本来のと言うと多少語弊があるかもしれませんね。本来の力がこの体になって完成した力です』

 

 

 意外な事に口火を切ったのはクリスの方だった。

 色々と厄介な事になったとはいえ自らの力だ。

 分かる事は多くある。

 

 

『命を与える権能か。確かに雌雄の獲得により完成するってのは納得だ』

 

 

 生命体は勿論、無機物・エネルギー・果ては概念にまで命を与える力。

 元の体であっても似たような力に目覚めた事は間違いないが、男の魂に女の体と言う己単体で雌雄が揃った事により、”命を生み出す”適性がより強化されたと感覚的に分かる。

 

 

『或いは今考えてみれば、私の魂がこの体に入った時、咄嗟に己に回復の力を使ったのは、そうすることで自分の力が望んだ方向に完成される予感があったからかもしれません――勿論、肉体を壊さない為に、という理由もありますが』

 

 

『本能的に、自分の権能()を高める道を選んだ……か。まあ無い話ではねぇな』

 

 

『正直、この”生命付与”の力に関しては、普通の人間として生きていた時の常識で、自分が滅茶苦茶をやっているのは分かるのですが、どうしても悪い、とまでは思えないんです。私の魂はこの力を是としています』

 

 

『ふん。まあお前の最も芯にある誓い・欲望だからな。頭でどう考えたってそうそう止められるものでは無いさ』

 

 

 クリスの魂の格は、どう取り繕っても常人を遥かに凌駕している。

 その思考・行動はどうしたって余人には計りきれない所があり、その核となるのが己の魂に結び付いた権能であった。

 

 

『この力を自覚して以降、どうにもこの世を命で満たしてしまいたい欲求が消えません』

 

 

 普通の人間で言えば3大欲求に属するレベルで、クリスは万物に命を分け与えたいと思っている。

 生命の営みと言う物がとてもとても大好きで、世界が命で溢れれば良い、と心の底から願うのだ。

 それは明らかに普通の人から外れた【超越者】の(さが)であった。

 

 

『それにしちゃ、何も行動を起こしちゃいないようだが?』

 

 

『それは……。皆さんにあまり迷惑を掛けてもいけませんし』

 

 

 しかしながら、人から外れてはいるが、外れているなりに他者に合わせようとする気があるのがクリスである。

 根底に、他者に笑顔になって貰いたいと言う思いがあるが故に、頭では滅茶苦茶な事を思っていても実際に行動に移す際は割とマトモな事をするのである。

 根本的に格が高すぎるのと、凄い頭が良いわけでも無いので誤解されがちだが、クリスは意外にも思慮深い人間である。

 そういった意味で、彼女が【生命付与】の力を自覚したからと言って、急に世界を変え始めるなんてことは心配せずとも良いことであった。

 

 

『それに、今の力の場合は、そんなこと以前の話ですから』

 

 

 そもそも、今までの話はクリスの権能が、彼女の望む様に【生命付与】だけであればの場合である。

 実際問題、今のクリスの権能は彼女が望んだものとはかけ離れた代物と化しているのだから、それを世に放つなど論外でしかなかった。

 

 

『ま、それもそうだな。しかしまさか【魅了】の力があんな事になるなんてな』

 

 

『ええ。本当に』

 

 

 先天的に所持していた生命を与える権能では無く、後天的に得てしまった万物を魅了する権能。

 それこそが現在、クリスの頭を悩ませている原因である。

 

 

『誓って、ああ言った力を望んだことは無いのですが、どうしてあんな事に……』

 

 

『お前ならそうだろうな』

 

 

 クリスは催眠や洗脳、そして魅了などと言った他者の意思を無理やり曲げてしまうような力を望んだことは決してなかった。

 だと言うのに、あんな強力な力を得てしまったのは、非常に不可解で遺憾な事であった。

 

 

『あっ!ただ1つだけ、言っておかねばならぬ事がありました!!』

 

 

『重要な事か?』

 

 

『とっても重要な事です!』

 

 

 どうやら魅了の力について、クリスの方から何か言っておきたい事がある様だった。

 彼女は、とても真剣な表情でその事実をデザベアに伝えた。

 

 

『他者の意思を捻じ曲げたり、危害を加えたりするのが嫌いなのは飽くまで現実での話で合って、エッチなゲームや本のジャンルとしては普通に好きですよ!!!!!』

 

 フィクションであるのなら、純愛だとうが凌辱だろうがイケる。

 クリスとしてはそれだけは伝えたかった。

 

 

『重要な事かって確認したよな??????????????????????』

 

 

『ええ。だから、とても重要な事です。現実とフィクションを混同して、やれ青少年に悪影響を及ぼすだのと言った意味の分からない理屈で崇高なる性の探求を邪魔する方々と同一視されたくありませんし……。ああ言う意見は普通にイラッ!としますよね!!!!』

 

 女。クリス。

 迫真の主張である。

 

 

『突然、顔面ぶん殴られても簡単には怒らない奴の、貴重な怒りをそんな事で見せないでくれますかね………………』

 

 

『まさか、魅了の力が強まったのには、私のこのエッチな創作物に対する熱い思いが関係していた……!?』

 

 

『絶対、なんの関係も無いので少し黙っていてくれ』

 

 

 いきなり明後日の方向に動いた話を強引に元に戻す。

 クリスと出会ってからデザベアが取得せざるを得なかった悲しき必殺技である。

 

 

『いいか、分かり易く最初から話をしていくぞ。まずお前が魅了の力を得てしまった理由からだ』

 

 

『はい』

 

 

 

『俺様が、お前の魂をぶっこ抜いてこの世界の人間にぶち込もうとしたときの話だ。その時、俺様はその候補となる肉体を、幾つかの条件を設定した上で探した』

 

 

『幾つかの条件』

 

 

 

『 ①女である事

 ②不幸な境遇にある事

 ③顔の良さや、雰囲気などを総合した【魅力】の素質が高い事

 ④【魅力】以外の素質が出来るだけ低い事 

 これら4つを満たした上で、なるだけ不幸になりそうなのを最終決定にしようと思っていた訳だ』

 

 

 触りの説明はこれまでもされていたが、異世界転生先にクリスの肉体が選ばれた詳細な理由は以上であった。

 まあデザベアの目論見が、エロイ事をしたい!と願った男を、魅力だけは馬鹿みたいに高くて、他の能力が低い女性の肉体に突っ込んで、これで存分にエロい目にあえるぞ!良かったね!!!と煽る事だったので、それに特化した条件と言えるだろう。

 

 

『サラッと言ってますけど、相変わらずろくでもない考えですね』

 

 

 対象となったのが他でもないクリスだったから、ギャグの様になったものの、実際問題ゲスofゲスな考えである。

 

 

『まあ済んだ事だし、置いておけ』

 

 

『済んでないですし、許してもいませんので、ちゃんと反省してください』

 

 

 何度でも述べるが、デザベアから反省の念が見られないので、身勝手な悪意によって家族や友人と一生会えなくされた事を、クリスは全く許していない。

 とは言っても、デザベアが心から反省したのなら、(自分がされた事に関しては)キッパリ許すし、怒っていると言ってもそれで恨み言をぶつけたり復讐を画策する訳でも無く、自分の力の制御で命をかけさせる事は心苦しく思うなど、激甘甘太郎なのだが。

 但し、他の人相手には嫌がっていたらやらないセクハラは遠慮せずに行う。

 

『チッ、うっせーな。ハンセイしてマース』

 

『はぁ……。仕方がないから話を進めて下さい』

 

『最初からそう言っときゃイーんだよ。ま、そう言った条件の下に探した結果が今のお前の肉体、元クリスって訳だ』

 

『今でこそ、肉体と魂が混ざり合ってしまった影響なのか、自分の体だと認識してしまうので、鏡で裸を見ても全く興奮しませんが、最初に見た時は、とっても可愛らしかったですものね!』

 

『いや、流石に最初の小汚い状態を本心から可愛いと言えるのは、お前みたいに頭の可笑しい奴だけだが、しかし少し水をやっただけで咲き誇ったのを見れば分かるように、元クリスの魅力の素質は、人間の限界を僅かにだが踏み越えている』 

 

 

『むむ、ある意味私と同じ、という事ですか』

 

 

『全っっっっっっ然違う。元クリスの方は人の枠内にあって、一部の能力の素質が飛びぬけているタイプだ。力が強いだとか、足が速いとか、頭が良いとかな。それの魅力バージョン。対してお前は人の枠なんて踏みつぶしている化け物だ。さり気なく人間ぶるな』

 

 

『ベアさん、酷い……』

 

 

『今、この場所の惨状を見て、異論があるなら聞くが?』

 

 

 タイミング良く、七色の羽を持つ不死鳥(元羽虫)が”キーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!”と勢いよく鳴いた。

 クリスは目を逸らした。

 

 

『…………コホン。それで、そう言った一部の能力が高い人って結構居るんですか?』

 

 

『露骨に話を逸らしやがったな、オイ。まあいいけどよ。そう言ったタイプだが、稀に良く居るって感じだな』

 

 

『どっちなんです?』

 

 

『数は少ないが、そう言った奴は特定の分野で目覚ましい活躍をする事が多いからな』

 

 

『成程』

 

 

 総数としては少なくとも、その少しが目立ちやすい為、印象には残りやすいと言うことか、とクリスは納得した。

 

 

『で、話を戻すと、だ。元クリスは美貌の才能が飛びぬけていて、それでいて他の才能が味噌っかすと言う、正しく俺様が探していた条件に合った存在だった訳だ。ソイツを見つけた時、俺様は思わず神に感謝しちまったね。おお!偉大なる主よ!偉大なる貴方様のお陰でまた1人迷える子羊を地獄にぶち込めます!ってな』

 

 デザベアはとても皮肉気に笑った。

 

 

『実際、地獄に叩き落せましたか……?』

 

『うるせぇ!』

 

 

 そうやって散々イキった結果が、変態少女クリスちゃんのツッコミマスコットとなった現状なのだから、因果応報である。

 

 

『とにかく、人の枠をはみ出した美貌ってのは、それだけで魅了の力を持つ訳だ』

 

『つまり、それが私が最初に発現させた魅了の力と言う訳ですね』

 

 今までの話を纏めれば、そう言うことになるのだろう、とクリスは思ったのだが。

 

 

『いや、違う』

 

『あれっ?』

 

『肉体単体の魅了の力なんて、周囲を強烈に惹きつけたり、多少邪な考えを持たれやすくなったりする位だよ。まあそれだって決してショボい力な訳じゃ無いが、最初に発現した広がりまくっていく魅了ウイルス的な力と比べれば大きく見劣りするぞ』

 

『ではどうして、そんな力を発現したのでしょうか?』

 

 

『まあ、【魅了】と言う力が、お前の性質に極めて合っていたからだな』

 

 

『私の性質……』

 

 

『二心なく他者に命や愛を注ぐ性質。相手を魅了しようなんて欠片も思っていないからこそ、逆に魅了の力が強まったんだ』

 

 皮肉な事にな、とデザベアは言った。

 肉体の才能に、魂の性質が乗った結果が、最初の魅了であるという事だ。

 

 

『ただ、お前の思想には合っていなかったから、出力が大幅に落ちていたがな』

 

 

『なのに何故、あんな事に……』

 

 

『それは魅了の権能が、非常に変化しやすい状態にあったからだな』

 

『変化しやすい状態とは、具体的にはどの様な?』

 

『まず、偶発的に発現した赤子のような力であること。もう1つはお前が魅了の力を拒絶していたからだな』

 

『拒んでいるのが駄目なんですか!?』

 

『能力を認めていなかったから出力は落ちたが、逆にその所為で能力の形が定まりきらずに曖昧で変化しやすかったんだ。固体にならず気体だった、と考えれば分かりやすいか』

 

 気体であるが故に、他者を押しつぶす重量は無くなっているが、固体と違って形が全く定かならないと言う事だ。

 

『うぅっ……。酷い罠ですね』

 

 あまりにもあんまりな裏目り方にボヤいたクリスに、デザベアからちょっとした訂正が入る。

 

『とは言え、だ。今挙げた条件は、普通だったら然程問題にはならない。産まれたばかりの力でも、権能クラスの能力はそう変わらないし、拒絶による曖昧な状態ってのも普通だったら望み通り能力が消える方向に動く』

 

『では、どうして?』

 

『そりゃあ、お前が普通の状態じゃないからだよ』

 

『…………』

 

『魂と肉体の格の差による自壊とそこからの再生。お前という存在は、一瞬の間に幾度も生誕と滅びを繰り返しているようなものだ』

 

 そして、とデザベアは話を続ける。

 

『強大な存在の生と死ってのは周りを強烈に惹きつける。ま、簡単な話、阿呆みたいに強力な光が点いたり消えたりを繰り返していたら誰だって気になるだ ろう?』

 

『それは確かに』

 

『そうした性質に沿って魅了の力が変化した結果、生命体に対する特効とでも言うべき代物と化した訳だ。虜になった存在が少しでもお前に相応しい存在になるべく溢れる恋情で限界を飛び越えて進化しちまう位に』

 

 それこそなんの変哲もない1匹の羽虫が不死鳥へ変ずるが程に。

 

『しかもそれで終わりではなかった、ですね?』

 

『ああ。最後にダメ押しだ。お前自身も言っていたが、今のお前は肉体と魂が歪な形のままグチャグチャに混ざりあった。おそらくその過程で、魂由来の【万物に対する生命付与】の権能と肉体由来の【生命特攻の魅了】が融合したんだ』

 

 

 そうなるともう大惨事である。

 

『そうして、最後に完成したのが無機物にも、エネルギーにも、果ては概念にすら、あらゆる物に生命を与えて、同時に生命特攻の魅了をぶち込むふざけたクソコンボだ。オマケに暴走していると来た』

 

 デザベアが先程にも述べたように、性質的な相性が良かったのが悪かったのだろう。

 合わさった結果、大変な事になってしまった。

 

『その事なんですが……』

 

『何かあるのか?』

 

『ええ。まず私本来の力である、生命を与える能力なんですが、我ながら中々の物だと思うんです。概念とか良く分からないものにも触れられますし』

 

 珍しいことに、クリスが自分の力を自慢した。

 自身の望みの力であるが故に、誇らしい部分もあるのだろう。

 

『直接的な攻撃性を持たない代わりに、干渉性に秀でたんだろうな。悪魔的には好みじゃねーが、実際大したもんだと思うぜ』

 

『えへへ。ありがとうございます。結構、色々出来る力だと思うんですが、分かりやすい弱点もあるんです』

 

『ほう』

 

 それは興味深いとデザベアは身を乗り出した。

 

『感覚的に燃費があまり良くなさそうなんです。直ぐにガス欠になるって程ではないですけど』

 

『成程、燃費か。ま、疑似的な生命付与じゃなく、完全に一個の存在として独立させるんだ、容易く出来る事では無いか』

 

 

『ただ……、カナリアを助けた時に使った際は、力が全く減らなかったと言いますか、寧ろそれどころか回復していたんですよね。今、この場に居る時も気持ち、力が増えてる気はしますし』

 

 

『それは――。いや、考えれば当然の話か。虜にして進化した存在が、お前に力を献上するのか。この小さな場所くらいの範囲じゃ少し空気が澄んでいて気持ち良い程度の気休めだろうが、あのまま色んな物を呑み込んでいったら、全回復どころか元より強力な全てを魅了する存在として完成されてたかもな』

 

 

『…………』

 

『…………』

 

 

 デザベアが呆れた様に呟やく。

 

 

『互いが互いを補完し合い過ぎだろ……』

 

 

『こんな気持ちになったのは、友人とカードゲームで遊んだ時に、私のイラストだけを見て作ったアイドルデッキが、友人の環境デッキに何も出来ずに倒されて”この効果のカードたちを一緒に刷ったら大変な事になるって、刷る前からわかりますよね!?”とカード会社に感じた時以来です……』

 

 

『なんかお前、時折普通の人っぽいエピソードを差し込んでくるよな』

 

 

『うぅ、私の最高に可愛かった、触手&オーク&ゴブリンデッキが消し飛ばされるぅ』

 

 

『急に変態に戻るな』

 

 

 アイドル(竿役)デッキ。

 お値段648円(税込み)の紙束であった。

 

 

 

*****

 

 

『さて、と。起こっちまった物、なっちまった物は仕方が無い。問題は、それにどう対処していくか、どう活かしていくかだろう』

 

 

『ええ。確かにそうですね』

 

 

 色々と話し合っていた2人だが、これまでの話は全て現状確認だ。

 より大切な事は、現状を踏まえた上でのそれによる影響である。

 

 

『まず、お前の権能は絶対に使用禁止だ。今回は偶々運よく止めることが出来たが、あんなもん使ったら比喩じゃなく世界が終わる』

 

 

『肝に銘じます』

 

 

『そう言う意味で、お前の権能が意味の分からん事になっている事を、この程度の被害で知れたのは不幸中の幸いだった』

 

 

『ですね…………』

 

 

 踏めば世界が終わる地雷が、自分に仕掛けられている事を、ここで知れなかったらと考えると、クリスの背筋はゾッ!となった。

 元より軽々と使う気は無かったが、それでも何かの拍子で全てが終わっていたと思うと、乾いた笑いしか出てこない。

 

 

『それに、だ。今回、お前が力を使った事で、結果的に分かった事がある』

 

 

『なんですか?』

 

 

『この世界に居る【超越者】及びそれに準ずる存在は、簡単に動ける状態に無い。或いはお前の事を極めて歓迎している』

 

 

『その心は?』

 

 

『いいか?お前が今回使った権能()は世界に致命的な影響を及ぼす類の力だ。軽々しく動ける同格域の存在がいるのなら決して見逃したりはしない。もし仮に俺様やお前が元居た世界で、あの力が発動したなら、その瞬間に天界や魔界から数多の神々や悪魔が、僅かに残った導線を利用して地上に顕現し、勢力の垣根を越えてお前に総攻撃を仕掛けただろう。幻想の消え失せた地上に神や悪魔が何の準備も無く顕現するのは存在消滅の危機だが、それでも尚、だ』

 

 しなければ、全てが終わるのだから致し方あるまい、とデザベアは語った。

 

『うぅ……。怖いですね』

 

 その仮定の話に背筋を震わせたクリスだったが、その態度に対するデザベアの反応は呆れた様な溜息であった。

 

『あの効果に、あの出力だから、そうやって行った決死の総攻撃がお前の愛の奴隷になって反逆する上に、攻撃した本人たちも返す刀で虜にされるだろうから、お前の方が余程怖いんだよなぁ』

 

 

『…………』

 

『…………』

 

『か、』

 

『か?』

 

『仮定の話をしていても仕方がありません――!!ここは、実際の話をしていきましょう!!!!!!!!』

 

『いや、まあ良いけどよ……。つまりそれほどの対応をされて然るべき程危険な権能だった訳だ、お前の力は』

 

 そして逆説的に、とデザベアは話を続ける。

 

『で、あるのなら。お前が力を使った際に、他の存在から何のコンタクトも無かった以上、最低でも1柱は居ることが分かっているこの世界に存在する【超越者】かそれに準ずる奴は、簡単に身動きが取れない状況にあるって事が分かる訳だ。一応、薄くお前の支配下に入ることを受け入れたっていう可能性もあるがな』

 

 

『むむむ、成程……』

 

 

 実際の所どうなのかは兎も角、推論としては筋の通ったものだろう。

 しかし、少し考えた所、別の可能性もある事にクリスは気が付いた。

 

 

『私の力を物ともしない程の強さを持っている、と言う可能性はありませんか?』

 

 

『可能性が全く無いとまでは言わんが、あの権能を苦にしない程の存在が相手なら基本どうにもならんからな。そんなもん可能性が高くなってから考え始めれば良い話だ』

 

 

『確かにそうですね』

 

 

 もし、巨大隕石が落ちてきて地球が滅びるならどうする?みたいな話だ。

 そりゃあ可能性が皆無とまでは言い切れないが、そんな事を真面目に考えていたら何も出来ないだろう。

 最も、その疑いが濃くなってくればそうも言ってられなくなるが。 

 

 

『推論は飽くまでも推論だから妄信は出来んが、この世界で起こっている事件の全貌を考察する材料の1つにはなるだろう』

 

 

 ニフトと戦った時に俄かに存在が仄めかされた、クリス以外の【超越者】の域にある何某かの存在。

 実在するかはまだ定かでは無いが、この世界で信仰されている神、パンタレイ。

 それらは、自由に動けない状態にある可能性が高い。これは大きな情報だった。

 

 

『とても有意義な話でした。これで推理が捗ります』

 

『ま、今すぐに得するような話じゃねーけどな』

 

『それでも、そう言った考えが有るのと無いのでは大違いです』

 

 クリスは微笑んだ。

 そして、では次は私の番ですね!と元気よく話し出し始めた。

 

『実は私の方にもあの力を使った事による良かったことが1つあるんです』

 

『ほう』

 

 興味深げに呟くデザベアにクリスは見ててくださいね!と行動を続ける。

 

「あの、空に放り投げたいので、石ころを1つ頂けないでしょうか?」

 

 クリスは森に語り掛けた。

 普通であれば、何も起きる筈がない行動だが、生憎、現状はまるで普通ではない。

 聖域と化した森が愛しの女神からの要望に、狂喜乱舞する。

 クリスのお願いは直ぐに叶えられて、木の蔓が彼女にこぶし大のダイアモンドを手渡した。

 

「ありがとうございます」

 

 普通の石ころで良かったですのに、と少し思わないでも無かったが、クリスは森に優し気なお礼の声を投げかけた。

 周囲の木々が嬉し気に騒めいた。

 

『それで?その宝石で何をするんだ?』

 

『まずは、上に投げます』

 

 

 言うが早いが、クリスは己の腕を強化して、手に持ったこぶし大のダイアモンドを上空へとぶん投げた。正しく世界一豪華な石投げである。

 かつては、お手玉1つにすら苦心していた細腕から、巨大熊の猛撃も斯くやと言わんばかりのパワーが発生する。

 放り投げられた宝石は、いとも簡単に音の壁を突破して、比喩でもなんでもなく一発の弾丸となって、遠く、遠く、空の彼方へと消えていった。

 

 しかしこれでは、豪華な宝石をただ無駄にしただけ。

 重要なのはこれからだ。

 

 

 ダイアモンドが上空に消え去ったのを確認して、クリスは何事かを呟き始める。

 

 

「【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)】」

 

 

 それはどこまでも厳かに。

 世界の理を告げるが如く。

 

 

「【”距離”の生誕――我が手はあらゆる物を掴む】」

 

 

 ぱっと見何かが起きた様には見えなかった。

 しかしながら、クリスは少しばかり得意げに自分の手をデザベアに見せた。

 

 

『どうですか?』

 

 

 何も握られていなかった筈の手の平に、何かが乗っている。

 そう、それはこぶし大のダイアモンド。

 新しい物を聖域から再び貰った訳ではない。

 正真正銘、空の彼方に消え去った筈のそれと同一の物である。

 

 

 単純に考えるのならば”移動”した訳だ。

 常人には視認も出来ない上空から、クリスの手の中へ。ほんの僅か、一瞬で。

 

 

 目を疑うような異様な光景であるが、デザベアはその絡繰りを瞬時に見抜いた。

 流石は自らを大悪魔と称するだけの事はある。

 

 

『それは――”距離”と言う概念その物の掌握か』

 

 

『はい、そうです。なので、こんな事も出来ますよ?』

 

 

 瞬間。やはり何の前触れも無く、クリスの体は何十mも離れた場所へと移動した。

 ご丁寧に、身に着けた衣服や、座っていた椅子やテーブル、そこに乗っていた果物や、ジュースなども同時に。

 

『ふふっ、それにこんな事も出来るんですよ』

 

 クリスが両手で何かを抱きしめるかのような形を作る。

 その途端、その腕の中に宙を飛んでいた七色の羽を持つ不死鳥(元羽虫)が、抱き留められていた。

 

「キッ!?」

 

「よしよし、良い子ですね」

 

 驚いた様子の鳥であったが、決して嫌がってはおらず、寧ろ恍惚とした表情でクリスに撫でられていた。

 

 

『あっ!』

 

 

『どうした?』

 

 

 色々と見事な手際だったが、本人的には何かミスがあったのか、クリスが声を上げた。

 そう、彼女は己の痛恨のミスに気が付いたのだ。

 

 

 

『着衣も一緒に移動させる必要に気が付かなければ、真っ裸になれたのに!!!!!!!!』

 

 

 気が付いてしまった以上、【聖華化粧】の清楚たらねばならぬ縛りの所為で、知らない振りは出来ないのだ、とクリスは嘆いた。

 

 

『真面目にやって下さる???????????????体を転移(ワープ)させたからって、話の流れまでワープさせてんじゃねぇよ』

 

 

『わぁ、上手い事言いますねっ!座布団一枚!!』

 

 

『シネ』

 

 

『もうっ。そんなに怒らなくても良いのに……』

 

『いいから、真面目にやれ』

 

 

『【聖華化粧】の縛りを抜けて如何にエッチな事を起こすのか、というのは私にとって飲食や睡眠より重要な事なので、ふざけている訳では無いのですが』

 

 尚も言い募るクリスを、デザベアがギロッ!と睨みつけた。

 

 

『わかりましたってば!ちゃんと説明しますから!』

 

『とっととしろ!!』

 

 怒鳴らなくたっていいじゃないですか……。と未だ腕の中で大人しくしてくれている不死鳥の、柔らかな毛並みを撫でながらクリスは説明を始めた。

 

『あの日、カナリアを助ける時に権能を使った事で、私は私自身の力の事を知る事が出来ました』

 

 当然、魅了の事では無く、生命付与の力の事だ。

 勿論、実際に使ってみる前から、大体の予想は出来てはいた。

 しかし、こう言った自身の本質から使用する力において、多分、そう。という仮定と、確実に、そう。と言う確信の間には、決して乗り越える事の出来ない大きな隔たりが存在しているのだ。

 つまり、あの日。

 クリスは己の本質を完全に理解した。

 

『ですが、残念ながら私の権能はいらない魅了と合体して、意味不明の使用出来ないものになってしまいました。しかし!完全に意味が無いかと言われると別です。権能そのものは使えなくとも、それを模した模造品(デッドコピー)位は問題なく使えます!!!!』

 

 

『それが、今しがた使った力、って訳か』

 

『ええ。【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)】。一時的にではありますが、色々な物に命を与えられる私の力です!』

 

 クリスはドヤった。

 超絶劣化品とは言え、自らの願いの本質からの力だ。

 割と誇らしいのである。

 

『で、今は距離の概念に命を与えたって訳だ』

 

『はい!”距離さん”が協力してくれるので、今の私にとってあらゆる間合いは思いのままですっ。あ、流石に今の能力だと範囲や時間に制限があるので、暫くするとまた掛け直さなければならないですし、星の裏側や、宇宙の果てまで届く訳ではないんですけどね』

 

 

『………………』

 

 

 私もまだまだですねっ!と可愛らしく笑うクリスだったが、デザベアは全く笑えなかった。

 なぜなら、クリスの今の発言は逆に言えば、全力――権能の方であるのなら、制限時間など存在しないし、世界のどこにだって届く様になると言っているのと同義だからだ。

 クリスの暴走権能は、彼女を中心として広がる【生命付与】と【魅了】の瀑布である。

 その展開速度も、効果範囲も、超越者たるクリスの力だけあって天文学的数字な訳だが、しかし、現状、影響を受けているのが聖域の狭い範囲なのを見れば分かるように、効果範囲に関してはクリスの意思である程度の設定が出来る。

 ならばこそ、と。

 デザベアとしては、クリスに語っていた言葉とは裏腹に、本当にどうしようも無くなった時の”爆弾”としてクリスの権能を使えないか?と言う考えがあった。

 倫理的にどうなのかはさておくとして、考えとしてはそう突拍子も無いものではないだろう。

 

 

 しかし、ダメだ。

 ああ、ダメなのだ。

 あのクリスの暴走権能だが、最悪な事に一定時間(1秒未満)が経過した時点で距離概念がクリスに魅了されて、その瞬間に効果範囲が∞に跳ね上がるのである。

 そうなれば、終わり、だ。何もかも。

 

 

『…………やっぱ、世界の危機だったじゃねーか』

 

 

『ベアさん?』

 

 

『なんでもねーよ』

 

 

 爆弾案は使えんな、とデザベアは自分の考えをそっ、と空の彼方へと投げ捨てた。

 まあ結局のところ、使えないと思っていた物が使えなかった、と言うだけの話だ。何時までも引きずる様な事では無い。

 寧ろ劣化品の力が使えただけ良かったと思うべきだろう。

 劣化、と言えど今しがたクリスが使った力は、デザベアをして有用に見えるものであったのだし。

 そんなデザベアの考えを知ってか知らずか、クリスはやはりちょっと得意げに話し始めた。

 

 

『とにかく、この力があれば色々と出来るようになることが増えます。今は無理ですが、いずれはこの身に掛けられた呪いも解けるやもしれません。…………ああ、一応加護、でしたっけ』

 

 

『ああ、不犯の加護な』

 

 

 クリスの魂にはデザベアからの色々な呪いが掛かっている。

 元の世界での事をデザベア以外には伝えられなくなり、転じて上手く喋る事すら出来なくなる呪い。

 色々な騒動に巻き込まれやすくなる呪い。

 そして、形式的には加護だが、クリスに明確な悪意を持って掛けられた不犯の加護、だ。

 

 

 まあ喋れない呪いに関しては口調が限定されるが解決済みであるし、元の世界の情報もそれっぽい誤魔化しである程度は伝えられる。

 騒動に巻き込まれる呪いも、アレン達と都合よく知り合ったあたり機能はしているのだろうが、それ以降に関してはアレンや他の人の為になるのならば、そもそも自分から困難に突っ込むクリスなので、呪いの意味が全く無い。

 そう言った意味で、普通に生活する分には呪いの影響はかなり薄いクリスであったし、その2つの呪いの解呪は、そこまで重要視していないクリスだったが、残る1つに関しては別だった。

 

 

『この身を縛り付ける悪しき加護……!!いつか絶対に解いて見せます!!!!!』

 

 この呪いと加護の厄介な点は、デザベアの腕が普通に卓越している事と、クリス自身の魂に絡みついてしまっている事である。

 そのため、クリスの力が回復すると、解呪の難易度も連鎖的に上がってしまい、力任せで解くことが出来ないのである。

 よって解呪に必要なのは力の量より、腕。

 で、あれば、この色々と出来る生命付与の力が増して行けば、解ける可能性は大いにあった。

 

 

『なんかカッコイイ事言ってますけど、要はエロイ事したいだけですよね???』

 

『はいっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 勢い良く返事をしたクリスにデザベアは実に嫌そうに顔を歪めた。

 

『なんです、ベアさん。その顔は?』

 

『いや、お前の呪いが解けるのは俺様の生存確率にも影響するから良い事ではあるんだが…………。そうであってもお前が目的を達成するのは普通に嫌だな、って』

 

 

『どうしてですか!?』

 

『いや、だって……。お前の事だからどうせ不犯の加護が解けた瞬間に、スラム街に行って【自主規制】されたりするんだろ?いやー?キツイっす』

 

 

『そんな事、しませんよ!?』

 

『なん、だと……!?』

 

 絶対に外れる筈の無い予想が外れ、デザベアは生涯最高クラスの驚愕を覚えた。

 

『なんですか、その驚き様は?』

 

『なら、お前。加護が解けたらどうするだ?』

 

 聞いてしまってから、デザベアは後悔した。

 どうせ目の前の変態の事だ。自分の想像の斜め上の、耳に毒な答えを出してくるに違いない、と。

 しかし――。

 

『まあ、そうですね……。アレン君に、お突き愛を前提とした、お付き合いを申し込みますかね』

 

『馬鹿な、普通だと!?』

 

 普通の基準が可笑しくなっているし、アレン君がショック死するだろうが、デザベアの反応も分かる。

 何せ、クリスだ。

 最早、概念とファックしても可笑しくない変態の答えにしては、些か常に寄り過ぎている。

 しかしながらクリスからしてみれば、その反応は面白く無かった様だ。 

 

『あのですね……。ベアさん、私の事を見境の無い変態か何かだと思っていませんか?』

 

 クリスは問うた。

 

『応ッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

 

 デザベアは答えた。

 彼の人生の中で最も元気よく、そして一片の迷いも無く。

 

 

『いや、私にだって…………いや、じゃあもうそれで良いです。ふんっ』

 

 何事か説明しようとしたクリスだったが、流石に頭に来たのか拗ねた。

 普通だったら、機嫌を取るところだが、デザベア的にクリスの機嫌なんてどうでも良かったので放っておいた。

 その様子を見て、クリスもはぁっ……と溜息をついて気持ちを切り替えた。

 

『まあ、分かった事、出来るようになった事はこの位でしょうか……?』

 

『だな』

 

 なんだかんだ、よい時間である。

 そろそろ帰宅するか、と2人は思い始めた。

 

『あっ』

 

『ん?』

 

 しかし、最後にちょっとしたことを思いついたクリスが声を上げる。

 

『そうだ!最後に、この子に名前を上げましょう!!』

 

『あん?そいつに、か?』

 

『ええっ!』

 

 そう言ってクリスは、未だに自身の腕の中で大人しくしてくれている不死鳥を指さした。

 自分の力で進化してしまった新種の生物。

 ならば、名前の1つや2つ上げて然るべきだろう、と思ったのだ。

 

『めんどくさっ……。付けんならとっととしろよ』

 

『もうっ。ベアさんったら。仕方がありませんね、私だけで考えます。そうですね……。きーって鳴くから、きー君とかどうでしょうか!!』

 

 良い名前じゃないですか!?と得意げに語るクリスの言葉を、デザベアは鼻で笑った。

 自分でアイディアを出す気なんて欠片も無い癖に。

 

 

『ハッ!安直にも程があんだろ!』

 

『むむむっ!そんなに言うのなら、ベアさんに良い案が浮かぶんですか!!』

 

『まあ1つだけ凄いピッタリな名前があるな』

 

『本当ですか!?それは一体……?』

 

 明らかに考える気がないと思っていたデザベアから予想外の言葉が飛び出してきて、クリスは驚いた。

 そしてデザベアの思う腕の中の不死鳥にピッタリな名前とやらをワクワクして聞き届けようとする。

 そして、デザベアの口からその名前が飛び出した。

 

『エロバード、ってのはどうだ?実にピッタリで素晴らしい名前だと、俺様は思うぜ?』

 

 ガンジーでも助走をつけて殴りかかってきそうなフザケた名前に、しかしクリスはきょとん、としただけであった。

 

『それは……。確かに素敵な名前ですが、どうしてそれがピッタリだと思ったんですか?』

 

 本気でそう呟いている様子のクリスに、あ、これ。煽り方間違えた奴だ、と悟ったデザベアはどうでも良くなって、とっとと会話を打ち切るために、理由を教えた。

 

 

『だってそのエロ鳥、お前に抱えられてからずっとエロい目でお前の事見てるし』

 

『え?』

 

 クリスの視線咄嗟にがチラッ、と抱きしめている鳥へと向かう。

 自身の腕の中で大人しく安らいでくれていると思っていた不死鳥だったが、その様子は、クリスの想像とは全く異なっていた。

 

「キッ、キーっ!キー!」

 

「……………………」

 

 目はとろん、と陶酔した様に、口はだらしなく垂れ下がる。

 ”え、鳥の顔で此処までエロさを表現できるの!?”と思わんばかりの、最早逆に芸術的とすら言える表情。

 よくよく観察してみれば、息は荒いし、時折不自然に体を擦り付けてきているし、何より視線がクリスの胸部の膨らみをガン見していた。

 これはまごうことなきエロバード。

 

「きゃーーーーーー」

 

「キッ!?」

 

 その驚愕の事態に思わず悲鳴を上げたクリス。

 その声はそれこそ着替えを覗かれた女の子の様な声で、エロバード君は”やばっ!バレた!?”と言わんばかりの反応を返す。

 ”女神に嫌われてしまう!?”と焦りだすエロバード君だが、しかしクリスがそんな玉で無いことは最早誰もが承知しているだろう。

 

『すごいっ!すごいですよ!ベアさんっっっ!!!!!!』

 

 明らかに自分に欲情しているエロバード君の様子を認識したクリスの次の行動は、彼を投げ放すのではなく、寧ろ愛おしげに抱きしめると言う行動だった。

 上げた悲鳴も、今の反応を見れば悪感情ではなく、歓喜から飛び出た物だと断言できる。

 それもその筈、クリスは現在、とっても感動していた。

 

『これは、本当に凄いですよ!?ベアさん!!ノーベル賞物の発見です!!!!』

 

『まずはノーベルに謝れば?』

 

『動物とのエッチなことに興味はあれども、普通に動物虐待なので今まで何もしたことが無く、精々動物図鑑をみながら獣○の妄想をしていた程度の私ですが!まさか、異種である私に欲情してくれる凄い良い子がいるなんて!!!!!』

 

『聞けや』

 

 デザベアが冷静に突っ込むが、長年の悲願の1つを叶えたクリスに対し、その声は素通りするだけだった。

 

『まず間違いなく今日1番の素晴らしい出来事です!!』

 

『おい』

 

 色々と分かった重要な情報は一旦頭からポイ捨てされた。

 クリス的に、色々と分かるより、エロエロと分かる方が重要だからだ。

 

「よしよし、びっくりさせてごめんなさいね。いくらでも甘えてくれて良いですからね?」

 

「キー!!」

 

 優しく鳥を撫でるクリス。

 見た目だけは、動物と戯れる聖女の絵画とすら見える幻想的な光景。

 されどその内実は、異種に性的興奮を覚えるエロ鳥と、それを嬉しがるエロ人間によるエロエロ大決戦だ。

 女子であるカナリアに不犯の加護が多少緩かったのと同様に異種であるエロバード君も、この程度のスキンシップは問題無いようだ。

 

「ふふっ。貴方に名前をつけさせて下さい。エド、そうエド君です!どうですか、これから貴方の事をそう呼んでも構いませんか?」

 

 

「キーッ!」

 

 

「ふふっ。気に入ってくれた様で嬉しいです」

 

 

 不死鳥改めエド君が、女神から直々に名前を賜った幸福に、今度はエロイ感情抜きで感動に打ち震える。

 なお、その名の由来は健やかにエロく育って欲しいと願いを込めてエロバード、略してエドなのだが知らぬが仏とはこの事である。

 いや、彼にとって耳元で女神から己の名前を囁いて貰える女神ASMRを受けられる幸運に比べれば、他の全てが些事であるので、名前の由来を知った所でどうとも思わないのだが。

 

 

『ベアさん、ベアさん!この子飼いましょう!!そうしましょう!!!!』

 

 

『ええっ……』

 

 

『これで異種枠が、エド君とベアさんでバリエーションが増えました!!』

 

 

『俺様をその枠でくくるなコロスゾ』

 

 

『よーし、頑張ってエレノアさんを説得します、おー!』

 

 

『人の話聞けや!!!!!』

 

 

 そう言うことになったのである。

 

 

 

*****

 

 その日、ルヴィニ家の食卓は何とも言い難い衝撃に襲われていた。

 微妙な表情で困惑するアレン、ルーク、エレノア。

 対称的に、わっくわく!わっくわく!!と目を輝かせているクリス。

 この時点で下手人が誰か理解できる。

 

 事の発端は、クリスがペットにしたい!と1匹の動物を連れてきたことである。

 まあ、それ自体はアレン達にとって何の問題も無いのだ。寧ろ、歓迎する、と言っても過言ではない。

 何せ相手が、どれだけ返しても返しきれない恩があるのに、中々我儘の1つも言ってくれないクリスである。

 そんな彼女の望みとあれば、ペットの1匹や2匹安い物である。

 それにクリスであれば、生き物を粗雑に扱ったり、飼育に途中で飽き足りする事など絶対にないと断言できるのでそう言う意味でも問題は無い。

 そう問題は無い、問題は無いのだ。

 …………クリスが連れて来たのが普通の動物だったのなら、何も。

 

 では、ここで満を持してクリスが連れて来た動物――1匹の鳥について説明しよう。

 全長は80cm以上。大きさとしては鷲に近い。

 その時点でペットには不釣り合いな特徴であるが、そんな部分は他の出鱈目な特徴に比べれば寧ろ常識的ですらあった。

 まず、何よりも目を惹くのはその身体を覆う七色の羽だろう。

 宝石の如く煌めいてそれでいて高級カーペットの様に柔らかいその羽は、1本だけでも金貨幾枚もの価値があるだろう。

 次いで、明らかに知能の高さが伺える所作も外せない。

 クリスに連れられて、全く騒がず恭しくその場に留まる彼の姿は、並みの動物を遥かに凌駕する”知恵”を感じさせる。

 オマケに最後のダメ押しは、時折口から小さく黄金色の炎を吐いている事だろう。

 火の筈なのに、何も燃やしていないその炎は、見る者に危うさよりも感動を与えて来る。

 全身という、全身で、自分”伝説”っスよ?と語り掛けているかのような、意味の分からない幻想的な生物であった。

 

「あの、クリスちゃん?」

 

 

「はい、なんでしょうか」

 

 色々と疑問に耐えきれなくなったエレノアが、遂に意を決してクリスに突っ込んだ。

 

 

「その、ペットは良いんだけど…………。その子、何?」

 

 不躾な質問ではあるが、そうとしか言えない。

 その問いにクリスは元気よく笑顔で答えた。

 

 

「エド君です!!!!!!!」

 

 

「名前を聞いた訳じゃ無いんだけど」

 

 

 クリスちゃん底なしに良い子なんだけど、時々ズレるのよね、とエレノアは困ったように笑った。

 

 

「ええと。まず、そのエド君はどんな種族なのかしら」

 

 今日日生きてきて、こんな質問をする事があるとは思ってもいなかったエレノアである。

 

 

「とり、さん……でしょうか??」

 

 

「いや、私に聞かれても」

 

 困っている様子のエレノアを見て、クリスは自らの恥を晒す事を決意した。

 

「その、お恥ずかしい話なんですが、元々は1匹の羽虫だったんですが、私の力の影響でこう(・・)なってしまいまして」

 

 

「ええっ…………」

 

 そうして語られた説明は、やはり、と言うべきかエレノア達にとって驚天動地の代物だった。

 クリスが嘘を吐いているとは思わないし、吐くならもっとマシな嘘を吐くだろうが、だからこそ困惑が抑えきれない。

 何がどうなれば、虫が鳥になるのだ。

 

「で、でもでも、とっても良い子なんです!!私の力の所為で変化してしまったし、私の手でお世話をしたいなと。ダメ、ですか?」

 

「うっ」

 

 クリスの上目遣いを受けてエレノアが呻く。

 圧倒的魅力値から放たれるおねだりは、同性ですら思わず頷かせてしまう破壊力を持つ。

 男相手だったら多分、一瞬で素寒貧に出来る事だろう。やらないけど。

 

 

「まあ、クリスちゃんが飛びぬけているのは今更よね。分かりました。余り騒動にならない様に気を付けてくれれば、飼っても良いわ。………………目を離しておくのもそれはそれで怖いしね」

 

 

「ありがとうございます!エレノアさんっ!!大好きです!!!!!」

 

「もうっ。普通のおねだりならいくらでも聞いて上げるのに…………。それにしても、確かにとても賢そうな子ね」

 

「きー」

 

 そう呟いたエレノアは、何かを怖がるように、恐る恐るエドに手を伸ばす。

 彼女の細く白い指が、エドに到達し、その身体を優しく撫でた。

 その感触をエドは心地よさそうに受け入れていた。

 

「わぁっ」

 

「?」

 

 その光景に何故だか感動している様子のエレノア。

 その何となく様子の可笑しい態度を疑問に思ったクリスだったが、その答えは近くに居るルークからアッサリと齎された。

 

「ほぉ……。流石にクリスが連れて来ただけの事はある。エレノアを怖がらない動物は久しぶりだ」

 

「そうなのですか、お義父様?」

 

 対外的に自分の父になってくれているルークにクリスが問いかけた。

 その質問にルークは、少し悪戯気に答える。

 

「ふ。昔からエレノアは動物と相性が悪くてな。過剰に吠えられたり、怯えられたりするんだよ。本人は可愛い物が割と好きなのにな。まあ野生の本能で分かるんだろうさ、怒らせると不味い猛獣の事がな」

 

 

「お・に・い・さ・まぁ?????」

 

 お淑やかなご令嬢にしか見えないエレノアの顔に、怒りマークが透けて見える。

 

 

「もうやだ、お兄様ったら、ダイエットで1ヵ月間ご飯を抜きたいなら、素直にそう言ってくれれば良いのにっ!」

 

「そう言うとこだぞ、ハハハ」

 

「あら、やだ、ウフフ」

 

「うーん。仲良し」

 

「あはは……」

 

 兄弟のスキンシップをクリスとアレンが穏やかに見守る。

 まあアレンの方は苦笑していたが。

 基本的には年相応の落ち着きを見せるエレノアとルークの2人だが、2人でじゃれ合っている時は非常に若々しい。

 特にエレノアなど容姿も相まって、仲の良い兄と戯れているJKにしか見えない。

 

 

 

「それにしても、本当に大人しいんだな」

 

 

 お遊びは終わりにして、ルークがそんな風に呟いて、自らもエドに触れようと動いた。

 その時の事である。

 

 

「キーっ!!」

 

 

 自分の体にルークの指が触れようとした瞬間、エドがそれをひょいっ!と飛んで躱し、そのまま窓際へと移動した。

 そして彼は、とても器用な事に自らの羽で窓を開けると、あろうことか窓の外にぺっ!と唾を吐いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 

 試しにクリスが撫でてみる。

 

 

「キーーーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 狂喜乱舞して喜んだ。

 それはもう、極楽気分に見える。

 

 お次は、エレノアが撫でてみる。

 

 

「キーッ!!」

 

 心地良さそうに体を預ける。

 実に嬉しそうだ。

 

 

 次はアレンが触ってみる。

 

 

「………………」

 

 

 一応逃げたりはせず、体に触れさせてはいる。

 しかし、明らかに嫌そうな表情をしている。

 

 

 最後に、問題のルークがもう一度トライしてみる。

 

 

 ひょぃっ! バサバサッ!! ガラガラッ!! カァーッッ、ペッ!!!!!!!!

 

 

 擬音だけで分かるこの拒絶っぷり。

 実際は、此処に更に両翼を器用に持ち上げつつ、首を振りながら小憎たらしくやれやれ、とするジェスチャー付きである。

 女性と、それ以外に対する態度に差がありすぎである。

 これは正しく、エロバード。

 

 

「……………………」

 

 ルークは穏やかに笑った。

 

 

「今日の晩飯は、焼き鳥、か」

 

 エレノアがぷふっー!と吹き出した。

 随分とツボに入ったらしい。

 

「ふ、ふふっ、ふふふふふふふふっ。だ、だめっ。お、お腹痛い、あははははははっっ」

 

「…………尊敬する兄が鳥類に馬鹿にされてその反応で良いのか?ん?」

 

「ふふふっ。嫌だわ、お兄様。動物相手にみっともない。きっと彼も馬鹿にして良い相手が分かるだけなのでしょう、そう野生で!!……………………兄貴だって私が動物に怯えられた時笑ったじゃない、偶には動物に避けられる悲しみを味わってみれば良いのよ」

 

 何だかんだ口ではじゃれ合っているエレノアだが、兄が馬鹿にされると普通に不機嫌になる。

 しかし今回は、相手が動物であり、自分だけが避けられるのを今まで気にしていたので腹が立つより笑いのほうが勝ったようだ。

 そう言った訳で、エレノアはエドの行動を気にしなかった。

 しかし、その行動にとても悲しむ物が1人居た。

 

「エド君、私は悲しいです……」

 

「きっ!?」

 

 そう、クリスである。

 彼女はエドの首をむんず!と掴むと、その体を持ち上げた。

 

「お義父様、ごめんなさい……。彼には私から言って聞かせます。エド君、後でお説教ですからね」

 

「あ、ああ……」

 

 割と普通にショックを受けているクリスの様子に、ルークが黙る。

 そもそも、そこまで怒っていた訳でも無いのだ。

 そんな彼を尻目に、クリスはエドを自室まで運んでいった。

 

 

*****

 

「エド君、少し話しましょう……」

 

「きー」

 

 あの後、きちんとご飯やお風呂に入って寝る準備をした後、クリスは自室でエドに話しかけていた。

 あれだけの剣幕のわりに、直ぐに話さなかったのか、と思うかもしれないが、寧ろ逆だ。

 場合によっては夜通し話し合う覚悟だからこそ、クリスはキチンと準備をしてきた訳だ。

 

「エド君、貴方が女性に興味があるのは全然構いません。私であればどのような目で見て貰っても構わないですし、他の人でも、相手を不快にしなければ何も言いません」

 

『いや、まずそれを構えよ』

 

『それを駄目だって言うなら、私は自分の両目を潰さなければならないですし……』

 

『お!それ良いな。早速、潰せば?』

 

『ベアさん、黙って……!』

 

 エドとの会話に集中するクリス。

 

「ですが、女性を好きなのと、男性を邪険に扱うのは別の話です。何も老若男女、全てを愛せとまでは言いません、しかし自分に友好的に接してくれる相手には優しく出来る子に育ってくれると、私は嬉しいです」

 

「きー……」

 

 ただただ悲しそうに喋るクリスの姿は非常に心に来たようで、エドはとても反省して俯いた。

 優しく、されど甘くはなく、相手を諭すクリスの姿は、正しく万人を愛する聖女のそれであった。

 なので、デザベアは問いかけた。

 

『で、その心は?』

 

『エド君には、女の人のおっぱいや、お尻だけでは無く、ショタのお○ん○や、良い男の胸板に興奮する。そんな健やかな成長をしてほしい――!それだけが私の望みです!』

 

 そうやって真面目に語るクリスの姿は、正しく万人をエロい意味で愛する性女のそれであった。

 聖女と性女って似通ったところがある、これってトリビアになりませんか?

 

 しかし、残念ながらそんな内心はデザベア以外には分からない。

 エドはクリスの言葉をとてもシリアスに受け止めた。

 そして、心の底からわかりました、と頷く。

 元より彼に、女神の言葉を跳ね除ける気など一切無いのだ。

 

「きーっ」

 

「分かってくれましたか、では話は終わりです。偉そうなことを言ってごめんなさい。まだ私と仲良くしてくれますか?」

 

「きーっっ!!!」

 

「ふふっ、良かった。じゃあ、一緒に寝ましょうね」

 

 そう言ってクリスは、とても自然素早く、着ていた寝間着を脱ぎ捨てた。

 前にも言ったが、彼女は寝る時全裸派だからだ。

 見慣れているデザベアは最早何とも思わなかったが、新たな同居者にとってはそうで無かったようだ。

 

 

「きっ!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 愛しの女神の突然の裸体に、エドの脳味噌が破壊された。

 眼前に広がるとても白い肌が、彼の鼻を刺激し、大量の鼻血を噴出させる。

 ぶっちゃけ致死量だった。

 エドは死んだ。

 死因は出血多量。

 でも、彼の死に顔はとても幸福そうだった。

 

「エド君!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 突然エグい量の出血をして死んだエドの姿にクリスが悲鳴を上げた。

 

「た、大変っ!!なお、治さなきゃ!!!!!!!」

 

 そう焦るクリスだったが、其処に更なる驚愕の出来事が重なる。

 死んだ、エドの全身が黄金色の炎に包まれて燃えだしたのである。

 哀れ、エドは瞬く間に、灰になってしまったのです。

 

「エド君!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 しかし、エロバードの命運は其処で尽きることは無かった。

 床に散らばった灰が独りでに動き、より集まり、なんと其処から無傷のエドが復活したではないか!?

 そう彼は不死鳥、死より蘇る者――――!!

 

「きー」

 

「エド君!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 不死鳥じゃなかったら即死だったぜ……、といった感じで鳴くエドを、感極まったクリスが抱きしめた。

 全裸のままで。

 

「き!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 柔らかっ!!!!そしてエッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 それがエドの抱いた感想だった。

 彼はあまりの幸福に、全身のあらゆる所から出血した。

 当然致死量。

 エドは死んだ。死因は出血多量……いや、血管爆発。

 

「エド君!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」

 

 

 結局、この夜。

 彼はなんとか死なない程度に興奮を抑えられるようになるまで、何十回も死んだ。

 でも、その顔はとても幸せだったので、良かったのでしょう。

 

 

*****

 

 ――翌朝。

 

 

「きーーーーー」

 

 

「む、まさか1日で、懐くとは。一体どんな躾をしたんだ、クリス?」

 

 

「あ、あはは……。色々とありまして」

 

 

 へへっ。旦那。昨日はすいやせんでしたねっ。とばかりに自分に擦り寄るエドの姿にルークが驚愕していた。

 最早、今のエドは男性相手でも邪険に扱う気は皆無だった。

 なんなら、足だって舐める覚悟である。

 

 万が一にでも!!!!女神と一緒に寝れなくなったら困るからである!!!!

 裸が!!!!!!!!!!!見たいのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「そ、そういうつもりじゃ無かったんだけど…………」

 

「キーっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 なんか違うな?と首を捻るクリスは横に、早く夜が来ないかなっ!!!!とエドは目をキラッキラッと輝かせていた。

 これは、名誉エロバード君。

 

 

「まあ、でも、別に良いのかな?」

 

 エッチな目で見られるの嬉しいし。

 クリスは、色々と真面目な考えを投げ捨てた。

 これは名誉エロ人間。

 

 似た物同士であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 




○【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)
 自らの力の本質を理解した事でクリスが使える様になった能力。
 権能を模した物。
 あらゆる物に命を与える力。
 非生命に使った場合は一時的に生命を与え、生命に使った場合は主に加護を授ける。
 劣化品、劣化品と言っているが飽くまで権能と比べれば、であり普通にとんでも能力。
 ただし、相応に力を消費するので、今のクリスでは、そこまで考えなしに使える訳ではない。

○【”距離”の生誕――我が手はあらゆる物を掴む】

 距離と言う概念その物に生命を与え、協力して貰う術。
 これが発動した途端、一定範囲においてクリスに間合いの概念は意味をなさなくなる。

 尚、権能の方で発動した場合、範囲制限など消え失せて、世界の何処であろうともクリスの力を届ける窓となる。
 しかも、そこに恋情による進化が加わるので、更に酷いことになる。


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06 英雄譚①

 

「カナリア、上をはだけて貰っても構いませんか?」

 

 真剣な表情で自分にそう話しかけてくるクリスの表情を見た時、カナリアの感情は、遥か天高くまで上り詰めた。

 場所は教会の中。

 怪我の治療などに使っているベッドが置かれた一室。

 神官としての仕事の合間に、クリスから少し話したい事があると連れ出された形だ。

 

 

「ク、クリス!」

 

 

 カナリアは思わず、ゴクッ!と唾を飲み込んだ。

 部屋には粗末な物とは言え、鍵がかかっている。

 つまりは、密室だ。

 そう、密☆室なのだ!

 その妖しくも甘美なる響きが、カナリアの脳味噌を蛇の舌がチロッ!と這いまわるように刺激するのである。

 

 

 女二人、密室の中。何も起こらない訳が無い――――!!

 

 

 そんな場面で脱衣を求められる。

 これはつまり、そう言う事(・・・・・)なのでは!?と、ここ最近故障気味のカナリアの頭の中の計算機が、そんな答えを弾き出した。

 

 

「と、言うのもですね――――」

 

 

 クリスが追加で何事かを喋っていたが、残念ながら己の出した答えに衝撃を受けるカナリアにその言葉は届いていなかった。

 

 

「だ、駄目よ、クリス。私たち女同士なのよ、きゃっ♪」

 

 

 そうやって恥ずかし気に首を振るカナリアだが、一体いつの間にやったのか分からない程爆速で、既に上着をはだけていた。

 言葉と手の動きがまるで合っていないがしょうがないだろう。

 何せ今、彼女の頭の中では、自分とクリスが互いにウエディングドレスに身を包み、教会で愛を誓いあっている未来予想図(妄想)が展開されていた。

 

 

 ともあれ、カナリアの健康的な肌と、物の少ない小さな町なりに頑張ったのが見て取れる可愛らしい下着が露わになった。

 その光景に、クリスが困ったような笑みを浮かべた。

 

 

「あの、カナリア?ですから、聖印を調べたいので、少しはだけてくれるだけで良かったんですけど……」

 

 

「えっ?」 

 

 

 カナリアの聖印は、胸と肩の間に刻まれている。

 アレンの手の甲と言う、見せて貰いやすい場所ではなく、多少色っぽい恰好をして貰わなければならない故のクリスの頼みだった。

 

 

「…………」

 

 

「…………」

 

 

 沈黙。

 二人の間で一瞬の()が流れる。

 

 

「あ、あはは……。聖印、うん、聖印。そ、そうだよねっ。ご、ゴメンね、クリス。変なことして」

 

 

「いえ、私の言葉足らずでした」

 

 

 自分の勘違いと言うか、勇み足に気が付いたカナリアが恥ずかしそうに服を着直した。

 その様子をクリスは、穏やかな表情で見守っていた、が。

 

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛!!!!お゛っ゛ぱい゛がぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛っ゛!!!!!』

 

 

 

『うっせぇ…………』

 

 

 此方は此方で表情と内心がまるで合っていない。

 逃した魚の大きさに、地獄から湧き出した亡者か、藤原○也かのどちらかにしか許されない叫び声を念話でぶちかましている。

 桃源郷の如き、至福の光景が目の前から去ってしまい、血反吐をまき散らして死にかねない程の絶望であった。

 そんなクリスにデザベアが呆れた様に声を掛ける。

 

 

『そんなに、後悔するんだったら黙って見ときゃ良かっただろ……』

 

 

『いえ、勘違いにかこつけて、良い思いをするのは違いますし』

 

 

 クリスの声が、す――、と平坦な物に戻る。

 恐ろしいまでの落差である。

 

 

『急に冷静に戻るな。ったく、無駄に律義な奴だな』

 

 

 喋る事になんの制限も無かった元の世界において、ぶっ飛びにぶっ飛んだ性格のわりに友人が多かったのは、この律義さ所以だろう。

 まあ今回の場合に関しては、勘違いさせたまま突っ走っても幸せなゴールインだっただろうが、それはそれだ。

 

 

「コホン。聖印だったわね。勿論、良いわ。さあ、どうぞ」

 

「ありがとう、カナリア」

 

 今度はマトモに、少し胸元が見える程度のはだけ方を行うカナリア。

 右胸の上部に刻まれている件の聖印が露わになる。

 神の代理人を決める祭事に参加を許される証。それは1つの球体とその中を回る幾本もの線からなる奇妙な紋様だった。

 その印の由来は諸説あるが、聖神教の教典曰く、世界とその中に存在する流れを模した物、らしい。

 

 さて、聖印を調べると言った訳だが、こうやってただ普通に見ているだけで分かる事など高が知れている。

 より詳しく視る(・・)ために、クリスはカナリアへ声を掛けた。

 

「カナリア」

 

「??何、クリス?」

 

「聖印をもっと詳しく調べさせて貰えますか?他の余計な事は見ないと誓います。どうか私の事を信じてくれませんか?」

 

「――――」

 

 クリスが何をしようとしているのか、カナリアに詳細は分からなかった。

 しかし、クリスが真剣な思いは痛いほどに伝わった。

 ならば、カナリアが出す答えは決まっている。

 

 

「正直、良く分かってない所もあるんだけど……。でも、構わないわ。クリス、貴方を信じてる。それが答えよ」

 

 

 微笑を浮かべながらそう答えるカナリアの姿は、どこまでも凛々しく綺麗だった。

 …………先ほど、勘違いからの妄想、暴走、露出を決めたのと同一人物にはとても見えない。 

 

 

「嬉しいです」

 

 

 向けられた強い信頼に、クリスは嬉し気に笑った。

 ならば、自分もと真剣な表情を顔に浮かべる。

 

 

「では失礼して――【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)】」

 

 

「っっ」

 

 

 そしてクリスは己の権能を模した能力を使う。

 それによりクリスから放たれた神聖な雰囲気に、カナリアは息を呑んだ。

 元から肉体単体で、見ていると同性ですらクラクラしてくるような容姿のクリスだが、そこに人の枠を超えているが故の超然とした雰囲気が加わると更にレベルが上がる。

 そんな溢れんばかりの聖性を漂わせ、クリスは更に力の糸を紡ぐ。

 

「【”鑑定”の生誕――我が(まなこ)はあらゆる物を見抜く】」

 

 そうして発生した変化は分かりやすかった。

 カナリアの体に刻まれた聖印を真剣に見つめるクリスの紅い瞳。

 その両眼が、光の反射などでは決して説明できないほど明確に、紅く、紅く、光り輝く。

 白い髪に、光る紅い瞳。

 それはまるで、御伽話で語られる吸血鬼と、その目に在る魔眼の様。

 そしてそんな印象は、さほど的外れでは無い。

 何故ならたった今、クリスが行ったのは、”鑑定”と言う概念に一時的に命を与え、自らの視線に宿って貰う御業。

 その結果、今のクリスの目は、正しく鑑定の魔眼とでも言うべき代物と化していた。

 見たものの情報を取得する鑑定の魔眼。

 その結果について語る前に1つだけ記しておこう。

 

 紅く、紅く、光る魔眼――――光っている意味はまっっっっっっっったく無い。

 それで性能が上がっている訳でもなければ、何なら光らなくったって発動できる。

 しかし、仕方がないだろう

 クリスの元の世界での職業はDANSHI☆KOUKOUSEI。

 所謂、中学生的な妄想から卒業したと見せかけ、実は興味津々なお年頃。

 だから、仕方がない、DANSHI☆KOUKOUSEIならッッ。

 光らせる……!目の1つや2つ……!何か格好良いからっ……!

 それだけは伝えておきたかった、現場からは以上です。

 

 閑話休題(それはともかく)

 真剣にカナリアの聖印を見つめるクリス。

 そんなクリスとついでにデザベアへ、命を与えられた”鑑定”が忖度し、見やすいようにその情報を、与えていく。

 

 

○【聖印】

 『■■■流■■■(パンタレイ)。人よ■■■■■に』との接続の証。

 その発現は、世に溢れ出す呪いの量が一定以上となった際、条件を満たした赤子の誕生時に付与される。

 その条件は、魂の容量が一定以上で有ること、パンタレイとの接続率もしくは同調率が10%を超えていること。

 

○【接続率】

 パンタレイと接続し、その力を取得することが出来る素質。

 

○【同調率】

 パンタレイと同調し、その力を一時的に使用することが出来る素質。

 

○【カナリア・カフェ】

 同調率:20%

 

 クリスに伝わる様々な情報。

 それは、それで有用な物ではあったが。

 

 ――違う、これじゃない。

 クリスが今、求めている情報では無かった。

 よって彼女は探す、あるかどうか未確定な、しかしその可能性が高いと踏んでいる物を。

 

 

 ――ミツケタ。

 

 そして彼女は、それを見つけた。

 

 

○【英雄譚(パラミシア)】 

 聖印に付与されている能力。

 聖印の所有者に、その魂を成長させる機会が起こる可能性が1%でも発生した際に自動発動。

 世界の運命を操作し、その出来事を強制的に発生させ、更に魂にかかる負荷を増幅し、乗り越えた際に大きな成長が出来る【試練】を開始する。

 

 

○【カナリア・カフェ】

 試練:未達成

 

 

 確認した情報に、クリスの拳が知らず握りしめられた。

 その発する感情に怒気が混じり、少しではあるが外へと漏れ出した。

 

 

「く、クリス?」

 

 

「ああ、ごめんなさい、カナリア。少し考え込んでしまって」

 

 

 少し不安そうなカナリアの声に、クリスは内心の憤りを封じ込めて、いつも通りに振舞った。

 今知った情報。そしてそこから推察できる事実に感じる不愉快さは、今も尚。

 しかし、それで不機嫌になって、何も悪く無い者を不安がらせて良い筈も無い、とクリスは自省した。

 それに、許せない事だからこそ、冷静に見極める必要がある、とも。

 

 

 そもそも、クリスが今回、急にカナリアの聖印を調査し始めた理由とは何か?

 それは先日の、町が廃呪(カタラ)の群れに襲われた事件。

 その事件に感じる不可解さの、調査の為であった。

 事件の後片付けの1つと言っても良いだろう。

 

 

 不可解さと言うか、あの事件、何から何までおかしいのだ。

 そもそも、廃呪除けの結界がしっかりと張られた町の周辺に、強力な廃呪が群れで出没するのが普通では考え難い。

 その後に起きた、カナリアが人知れず森へ行き、そこでやはり強力な廃呪たちに襲われた事も、余りに出来過ぎだ。

 それは偶然で済ませて良い事では無いし、実際それで済ませる気はクリスには無かった。

 何か発生するに足る理由があった筈だと考えて、幾つか予想を立てた上で、調査を始めた。

 そして一発目からビンゴ、と言う訳だ。

 

 

 曰く、試練。

 それが、町とカナリアを襲った事件の正体であるらしい。

 ふざけるな、とクリスは思った。

 分かった以上見逃してやる気など――――欠片も無い。

 

 

「カナリア。印に触れて、少しおまじない(・・・・・)をさせて貰っても良いですか?」

 

 

「う、うん」

 

 

「では――【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)】」

 

 

「――ぁ」

 

 

 クリスの細く、柔らかい指が、カナリアの聖印が刻まれた肌の上を這う。

 別段、凄く変な事でも無いのだが、そこはかと無く感じるインモラルさに、カナリアは思わず赤面した。

 

 

「【"カナリア・カフェ"の生誕――我が加護を貴方に】」

 

 

「んっ」

 

 その言葉を合図に、自らの聖印の部分が熱くなる感覚、をカナリアは感じ取った。

 しかし決して嫌な感覚では無い。

 まるで目の前の少女に優しく抱きしめられているかの様な――。

 

 それもその筈だ、クリスがやっているのはカナリアに己の加護を与える行為。

 そこに悪意など欠片も無いのだから、嫌な感覚など生じはしない。

 ただ1つだけ補足するのなら、クリスはただ単純に加護を与えている訳では無く、今しがた発見した聖印に付いていた能力【英雄譚(パラミシア)】 を上書きする形で加護を掛けていた。

 

 何が、英雄譚だ、何が試練だ、自分の友達に良くも好き勝手してくれたな、と思いを籠めて。

 やろうと思えば聖印ごと上書きしてやることも可能――と言うよりそちらの方が余程やりやすいのだが、それは止めておいた。

 今となっては色々ときな臭い聖印ではあるものの、世間的には神に認められた実に有難い証である。

 それが突然、消失したとなれば、とんでもない騒動になる事は目に見えていたし、カナリアが周りから悪い目で見られる可能性も高いだろう。

 自分を信じていると言ってくれたカナリアなら、それでも構わないと言ってくれる気はしたが、なればこそ尚更、彼女に出来るだけ利する様にこの問題を抑えるべきで、それこそ信頼に応えると言う事だ、とクリスは思った。

 そして時間にしてみれば、僅か数秒。

 クリスの加護が、掛かり終わった。

 

「終わりました。色々と変な事を頼んでごめんね、カナリア?ありがとう」

 

「う、うん。それは良いんだけど、今のは……」

 

「ふふっ、ちょっとしたおまじないです。カナリアが困った時に役立つ筈です」

 

 それは、多少はぐらかした様な話であったが、そう話しながら微笑むクリスがあまりにも可愛らしかったので、ぶっちゃけ他の事はどうでも良いかな、とカナリアは思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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07 英雄譚②

 

『ベアさん、先ほど見た物に関してベアさんの意見が聞きたいです』

 

 カナリアの聖印に仕掛けられていた能力を確認した後、傍目には1人きりとなったクリスは、傍らのデザベアへそう問いかけた。

 とは言っても念話(テレパス)による会話であるので、周りからはただ単に優雅にくつろいでいる様にしか見えないのだから便利な物だ。

 こうやって、表面上の態度を取り繕いながら、こっそり会話するのにも、すっかり慣れてしまったな、とクリスは思った。

 

『さっき見た物ねぇ。実に趣味の良い(・・・・・)能力だったな?』

 

『…………』

 

『名前も洒落が聞いていて、実に愉快だ。古今東西、あらゆる英雄(ヒーロー)と呼ばれるのに一番必要なものは、無双の力でも、折れない心でも無く、解決するべき悲劇だからな!いやはや、英雄譚とは上手い事言ったもんだ』

 

『ベアさん』

 

 このまま放っておくと、何時までも趣味の悪い言葉を吐き続けるであろうデザベアを、クリスは一言で制した。

 

 

『へーへー。真面目にやりますよ、っと。しかし、とは言っても大体は今言った事の表現を変えるだけだけどな。運命操作の力で、超えるべき試練(悲劇)を用意して、それを乗り越えた際に大きく成長させるっつー英雄の養殖。それが、答えだろう』

 

『やはり、そうですか……』

 

 まあそこまでは、解析した情報を素直に受け取れば、順当にたどり着ける答えだ。

 クリスは、こくり、と小さく頷いた。

 

『いくつか疑問があります』

 

『なんだ、言ってみろ?』

 

 強力な力を持っていても、異能者として生きて来た経験はほぼ皆無のクリス。

 よって幾ら正しい情報を解析出来たからと言って、それで全てが分かる訳でも無かった。

 

 

『運命を操作して悲劇を起こすと言いますが、それはつまり、ベアさんが私に掛けた呪いの様な物でしょうか?』

 

 

『ああ、そういやそれがあったな』

 

 

 運命を操作する力など、創作物(フィクション)では兎も角、現実ではまず体験することの無い力だ。

 しかし幸運にも――いや、不運にも、クリスにはその体験があった。つい最近、話題にもしたばかりである。

 それは、デザベアがクリスに掛けた呪いの1つ。

 曰く、大きな騒動・事件に巻き込まれやすくなる呪い。

 クリスが聖人で性人な所為で、不犯の加護に全部の話題を掻っ攫われて空気だが、普通であれば平穏に過ごすことが許されなくなる、極めて下衆で下劣な呪いだろう。

 それはそれで置いておいて、その呪いと、聖印に掛けられている【英雄譚】なるものの相似が気になるクリスであった。

 

『そうさな…………。確かに目的や、結果と言う大きい括りにおいては似たようなもんだ。どちらも、運命を操作して悲劇に突っ込ませるのが目的だしな。だけど、方法って観点で見た場合は違う』

 

 

『方法、ですか?』

 

 

『ああ。運命操作、因果改竄、等と一口に言っても、その方法は多岐に渡る。まあ詳細に上げていくとキリがないが、非常に大雑把に分けたとしても2種類には分けられる。それが何かわかるか?』

 

『ちょっと分からないです』

 

『だったら考えてみろよ、そのご立派な頭は飾りか?』

 

 

『む、確かに私の怠慢でした、ごめんなさい』

 

 

 分からないことを聞くのは悪い事では決して無い。

 しかしだからと言って、自分で何も考える気が無く、ただ教わるがままにしているのは、駄目だろうと、クリスは己の態度を反省した。

 その様子にデザベアは、煽り甲斐の無い……と、自分の意見が受け入れられたと言うのに微妙な顔をしていた。

 

『それにしても、方法の違いですか。うーん』

 

 一生懸命に知恵を絞るクリス。

 話の流れからするに、デザベアが掛けた呪いと、聖印に掛かっている術を比較すれば良い、とアタリを付けて思考を進めていく。

 そうして程なく、彼女は自分なりの答えにたどり着いた。

 

『えっと、事件に向かうのか、事件を起こすのかの違いでしょうか?』

 

『正解だ。より正確に言うのなら、元からある流れを利用するのか、新しい流れを作るのかの違いだな、1つ例を挙げようか』

 

 そうしてデザベアは、分かりやすい例を喋っていく。

 

『例えば、ある男に運命操作の力を使って、飛行機墜落事故に遭わせるとしよう。前者の元からある流れを利用する場合、最初から墜落する運命の飛行機に男を乗らせる訳だ。偶々、引いたくじ引きでその飛行機のチケットが手に入る、とかな』

 

『成程』

 

『逆に、後者の運命操作を使うなら、男の乗った飛行機を墜落させる訳だ。その日、偶々整備に問題があり。偶々、天候が悪く。偶々、パイロットが操縦ミスをした。って具合にな』

 

『周囲の運命を操るという訳ですね』

 

『ああ。この場合に重要なのは、前者の例の場合は、男が乗ろうが乗るまいが飛行機は墜ちるが、後者の場合は男が乗ったからこそ、墜ちるって訳だ。当人の運命を操るか、周囲の運命を操るか、って言い換えても良いな』

 

『この場合ですと、ベアさんが私に掛けた呪いが前者で、聖印が後者なんですね』

 

『大雑把に分ければ、な。ただ、聖印に仕掛けられていた術式は、極めて後者の面が強いが、一応前者の要素も併せ持った複合系ではある』

 

 

 印の持ち主であるカナリア当人も操作していたり、一応極々僅かであろうとも発生し得る可能性の事件を発生させているからな、とデザベアは補足した。

 

 

『ふむふむ、因みに大体予想は付きますが、前者と後者ではどちらの方がより難しいのでしょうか?』

 

 

『お察しの通り、基本的には後者の方だよ。まあ、個人と、その周囲の世界とじゃ、簡単な算数な問題で後者に軍配が上がるのは当然だろう。ま、覚醒前ならともかく、覚醒後のお前みたいな単体で世界に匹敵するような化け物に掛ける場合は別だがな?』

 

 

『だから、化け物って…………。はぁ……、もう、いいです。ええと、つまり聖印に仕掛けられた術は、かなり凄い物って事ですね?』

 

 

『………………まあ、それなりにやる、ってのは認めよう。だが、勘違いするなよ!俺様が、呪いに前者の運命操作を使ったのは、飽くまでその方が効率的だからだ。やろうと思えば、後者の術だって使えたし、その場合、よりドラマチックに!よりエンターテイメントに!人間を地獄に叩き落せる。それを覚えておけ』

 

 

『いや、そんな事で張り合わないでくださいよ……』

 

 悪魔的には譲れなかった部分なのかもしれないが、クリスから言わせれば、そんなの何の自慢にもならない事である。

 

 

『ふっ、お前みたいな餓鬼にはまだ、分からない領域の話だ』

 

 

『一生分かりたくないです。それで、まだ少し疑問が残るのですが』

 

 

『あ?』

 

 

『そもそも私、実際に事件が起こるまで、カナリアの異常に気が付けなかったのですが、私の運命も操られていたんでしょうか?そう言う気配はしていなかったんですが。勿論、私の精進が足りなかった、と言われれば返す言葉もありませんが』

 

 

 カナリアが孤立してしまっているので、何とかしようと動いてはいた。しかし。こんな大事になっているとは、実際に事件が起こるまでは気が付けなかったと、クリスは語った。

 

『ふむ。その答えは、Yesでもあり、Noでもあるな』

 

『?』

 

『さっきも言ったがな、今のお前に何らかの術を無理やり掛けるのは、容易な事じゃねぇし、例え掛けられたとしても、それに気が付けないってのは余程じゃない限りはない筈だ』

 

『はい』

 

『しかし、ちょいと工夫を凝らせば不可能って訳でも無い』

 

『そうなんですか?』

 

『ああ。例えば、お前の体を10m程前に何らかの術で移動させたいとする。しかしそんな程度の事でさえ、お前相手には容易な事じゃ無い。今の非常に弱体化している状態だとて、巨大な山脈を相手に同じことをするくらいの難易度はあるだろう』

 

 しかし!とデザベアは声を大にする。

 

『だけど、俺様なら多少力を取り戻しただけで、同じ結果(・・・・)を出すことは可能だ』

 

『同じ結果』

 

 何となく、その言い回しに答えがある様に、クリスは感じた。

 

『簡単な話さ。お前が乗っている地面を移動させれば良い』

 

『そういう事ですか。周囲を動かせば結果的に私も動く場合がある、と』

 

『ああ。今回もそうだろうさ。お前自身の運命は操作されていないし、だからこそ異常に気が付けなかった。しかし、お前の周囲の運命が操られていたから、結局の所お前も誘導されている様な物だったんだ』

 

『成程、それで……』

 

 納得した様子のクリスに、だけどな?とデザベアからの指摘が飛ぶ。

 

『しかしだ。先の例に合わせるなら、自分の乗っている地面が動けば、普通に気が付く。それが運命というあやふやなものだとて、周囲の異常に気が付くのは決して不可能では無かっただろう。というか、俺様がお前と同じ程度に力が戻っていたのなら、簡単に気が付いただろうし、対処も出来る』

 

『う、あの。つまり、それって……』

 

『まあ、色々と言ったけど、ぶっちゃけお前の経験不足。つい最近まで一般人だった奴に難しい話であるのも事実だがな』

 

『うぅ……。精進します……』

 

 今更いう事でも無いが、クリスの能力は頭抜けている。

 全力においては”神”と、そう呼んでも決して過言ではない程であるし、極めて弱体化している現状ですら、常人では影すら踏むことは出来ない。

 しかしながら、そんなクリスとて、明確な弱点が存在する。

 それが、経験不足。

 つい先日まで(性欲を除けば)普通の高校生だったクリスに、異能を使ってドンパチする才能は皆無である。

 いや、異能を使った戦いどころか――

 

『闘争の才能がある奴ならそこら辺を、経験なしでも感覚でこなせるもんだが……。お前、殴り合いの喧嘩の1つでもしたことあんの?』

 

 

『人を殴るのはいけない事ですし……』

 

 

 根本的に、戦闘の才能という物がクリスには殆ど無い。

 

 

『ですよねー。まあぶっちゃけ、あの光る星ぶっぱとか、力の総量が多いから様になっているだけで、呆れた物だしな。あれじゃあ、100万の力使って1の戦果を出してる様なもんだ。相当甘く採点しても、な』

 

『うぐぅ…………』

 

 デザベアの口撃が、クリスの心を滅多刺しにする。

 当人としても自覚があるので、全く反論は出来なかった。

 世に在る人間を、戦う者と作る者に二分するのなら、クリスは完全完璧に後者である。

 力の量自体が高いため何とかなっているが、戦いのセンスと言う意味では、そこらのチンピラ以下である。

 

 

『ただ、しかし。善し悪しではある。反対に、他者を癒したり、命を与えたりすることに関しては逆に天才的ではあるからな』

 

『えへへ……。なんか、照れちゃいますね』

 

 仮にクリスに戦いの才能があったのなら、その分他者を癒す才能などは低下していただろう。

 そちら側に特化しているが故の結果で、 一概に欠点と言い切れるものでも無い。

 

『まあ、出来ないもんは出来ないと割り切って、気を付ける位にしておけ。お前レベルに適性が偏っていると、下手な対策では逆効果になりかねん』

 

『肝に銘じます』

 

 幸いにも、応用力の高い力が手に入ったばかりだし、元より回復が大の得意だ。

 キチンと気をつけておけば、一時的に出し抜かれる事は合っても、手遅れになる可能性は低いだろう。とクリスは思った。

 

 

『まあ、こんな所か』

 

『そうですね。ああ、そういえば』

 

『まだ、何かあったか?』

 

『いえ、この聖印を作った方は、ベアさんと気が合いそうだな、とふと、思いまして』

 

 効果の性格の悪さが、特に。である。

 クリスのその発言を聞いたデザベアが心外そうな顔をした。

 

『いや、そうでもねぇよ』

 

『それは、同族嫌悪……的な事ですか?』

 

『俺様には遠慮ねぇよな、お前。まあ確かに、俺様と同じ様な性格の奴が居たら、殺し合うだろうが』

 

 

『そこは否定して欲しい所でした』

 

 

『ただ、今回に関しては、そもそもの前提が違う。多分この聖印を作った奴、或いは奴らは、俺様と似たような性格じゃねぇよ』

 

 

『何故そんな事が言えるのですか?』

 

『お前と一緒に、掛けられた術を解析した。それだけで、十分だ』

 

『あの解析内容だと、どう考えてもベアさんみたいな性格にしか思えないんですが』

 

 印の持ち主の心と体を極限まで追い詰める鬼畜の所業。

 ストレートの考えれば、クリスの言う通り悪魔染みた性格の持ち主が作ったと思うだろう。

 

『違ぇ、違ぇ。見るのは術の効果じゃなく、それを作った時の感情だ』

 

『作った際の感情?そんな物を見る事が可能なのですか』

 

『技術としては、そう大したもんでもない。そうだな例えば、文字だ』

 

『文字って、普通の字の事ですか?』

 

『ああ。ただし手書きのな。例えば、色んな手書きの文字を見れば、それを書いた奴が、急いで適当に書いたのか、丁寧にしっかりと書いたのか、なんてのはある程度分かるだろう?』

 

『それは、確かに。はい』

 

 個々人の字の上手い下手はあれども、その人が丁寧に書いたのか、適当に書いたのか、なんて事はなんとなく分かる物だ。

 

『それと同じことさ、魔術やらなんやらも、その構成を見れば作った奴がどんな思いを抱いていたのか、ってのがある程度は分かる。勿論、誤魔化す事も出来るから妄信は出来んがな』

 

『そういうものなんですね』

 

 デザベアは簡単な技術だと言っているが、少なくともクリスにはただ見るだけでは出来そうに無かった。

 流石の経験値、と言うべきだろう。

 

『例えば、あの聖印に仕掛けられた【英雄譚】なる術式を俺様が普通に作ったら、そこに籠められるのは、余裕や愉悦だ。如何に、相手を華麗に地獄に叩き落せるか、ワクワクしっぱなしだろう』

 

『控えめに言って屑ですね』

 

 クリスは、無表情で毒舌を吐いた。

 デザベア相手には割と容赦が無いのである。

 

『褒めるな。褒めるな』

 

『……ハァ。しかし、そういう風に前置きするという事は、実際に聖印から読み取れる感情は違うという事ですね?』

 

『その通り!とても分かり易かったぜ?件の文字の例で言えば、今にも猛獣に食われそうな人間に無理やり書かせた字みたいなもんだ。あの術の構成から読み取れた感情は――焦燥、そして怯え』

 

『焦燥と怯え……』

 

『端的に言って余裕が無い。まあ少なくとも、楽しんで作ったものでは無いのは確実だろう』

 

『そうなると――』

 

『ああ。術の効果も鑑みれば、作った奴の思いが見えて来る。つまり、あの術を作った奴ら(・・・・・・・・・)は助けて欲し(・・・・・・)かったんだ(・・・・・)

 

『…………』

 

『何かにどうしようも無いほどに怯えていて、それから自分たちを救ってくれる英雄を欲した。大体そんな感じだろう』

 

『――そもそも、聖印とは神の代理人たる神託王になれる証の筈です。そうしますと、より強い王を欲した、と。そういう事なんでしょうか』

 

『恐らく大枠としてはそれで間違いない。ただ、偉大なる王を育てるための誉有る仕事って風には見えんがな』

 

『ベアさんが読み取った感情が正しいのなら確かに』

 

 聖印と、それに掛けられた術を作った者たちが欲した王とは、一体どのような存在だったのか。

 彼らは一体何から(・・・)自分たちを救ってほしいと願っていたのか。

 色々ときな臭い事が多すぎる。

 

『まあ、この場でこれ以上分かる事は無いだろうが、神パンタレイだ、神託王だなんだって辺りの話に、何かしらの裏があるってのは確かだろうな』

 

『そう、ですね。色々と気を付けて見ておこうと思います』

 

 この世界に渦巻いている何かの影。

 クリスとデザベアは、それの正体に、少しずつ、少しずつ近づいていた。

 

 そして、ならばこそ。

 事態の核心に更に近づける情報を持っているであろう人物。

 確認しなければならない相手が、クリスには未だ残っている。

 

*****

 

 ――夜。ルヴィニ家にて。

 

 こんこん、と控えめなノックの音が廊下に響く。

 叩かれたドアは、アレンの部屋に通じる物で、音に反応したアレンがひょっこりと顔を覗かせた。

 

「――クリス、どうしたの?」

 

 ドアの外に居たのはクリス。

 寝巻に身を包んだ彼女が佇んでいた。

 

「こんばんは。先ほどぶりです。少しアレン君にお願いしたいことがありまして。少々、お時間よろしいでしょうか。あ!勿論、都合が悪ければ日を改めますし、場所も、私の部屋でも構いません」

 

「いや、今で良いよ。入って」

 

「ありがとうございます」

 

 特に、忙しい訳でも、眠たい訳でも無かったアレンは、快くクリスを部屋の中に迎え入れた。

 最も、クリスの頼みとあらば、非常に忙しくて3徹している状態であっても、一切の逡巡無く、笑顔で招き入れただろう。

 年頃の少年の部屋だと思えない程に、整理整頓と清掃が行き届いた部屋に、クリスが足を踏み入れた。

 この家の住人は皆、そこら辺はしっかりとしているので、掃除が楽。とはエレノアの談である。

 

「楽な所に座ってよ」

 

「はい。では、失礼しますね」

 

 アレンに促されるまま、クリスがベッドの端にちょこん、と腰かける。

 それを見届けたアレンは、備え付けの椅子をクリスと対面する様に移動した。

 

「長くなりそうな話だったら、飲み物とか持ってこようか?」

 

「いえ、そこまで長くなる予定では無いので、どうぞお構いなく。夜も遅いですしね。あ!でも折角、同じ家に住んでいるんですし、お友達同士泊まり合いっこなんて良いかもしれませんね!」

 

「――っ」

 

「アレン君?」

 

  

 クリスからすれば何気ない発言に、アレンの心が大きく揺れ動く。

 受けた恩を全身全霊で返す主人公マインドが、初恋の女の子を前にした男の子マインドに切り替わってしまう。 

 クリスから、何かしらのお願いと言う事で意気込んでいた為に気にしていなかったが、よくよく考えれば意中の相手と夜に自室で2人きりと言う状況が、アレンの心をかき乱す。

 

 

 勝手知ったる我が部屋だと言うのに、何時もの3倍増しで良い匂いがするし。

 お風呂から上がって間もないからか、クリスの肌が赤みを帯びているし。

 そもそも寝巻だから普段着より薄着だ。

 状況を意識した途端、そういった細かな点が気になりだしてしまったアレンである。

 

 

 怖い映画なんかを見た後、なんて事は無い家鳴りなんかが気になるのと同じ現象である。

 

 

「そ、それは、また今度。うん、そう、はい。今は、ほら!何か話があるみたいだしさ、あはは……」

 

 

「はい。ではまた今度」

 

 

 完全には断れなかったのを、心の弱さと言うのは流石に酷だろう。

 クリスもクリスで、今回に関して言えば別に変な意味で言った訳ではなく、仲の良い友人の家に泊まって遊べたら~位の話であったので、特に何事も無く引いていた。

 愛情も友情も性欲も底なしで、性別が面倒な事になりついでに天然が入っている所為で、大した事のない所で凄まじい変態思考をしている癖に、時々、誘ってるの?レベルの言動・行動を無垢な子供の様な思考でぶっぱなしてくるのがクリスである。

 野球のバッティングで緩急を付けられると途端に難易度が上がるように、そういった態度の緩急がアレンの心を大きく揺れ動かす1つの要因となっていた。

 

 

「それで、その。話って何かな」

 

 変な事を考えていると、どんどん変な気分になっていってしまう。

 こういう時は、無理矢理にでも真面目な話をするのが一番だ、とアレンは己の頭の中のピンク色を強引に押し出した。

 

 

「はい。アレン君の手の聖印を()せて貰いたいんです」

 

「聖印って、この聖印の事?見せるのは全く構わないけど、どうかしたの?」

 

 聖印が刻まれている右手の甲をひらひらと揺らしながら、アレンはそう問いかけた。

 

「はい。実は――」

 

 特に隠す事も無く、クリスは訳を語り始める。

 自分が物を解析する事が出来る様になり、聖印を調べている事を。

 そしてそれにより、アレンのプライバシーに踏み込むことになるので、許可を貰いに来たのだと。

 

「へぇ、解析。そんな事が出来る様になったんだ」

 

「はい。つい最近の事ですが」

 

 アレンとしては、その事実には然程驚きを覚えなかった。

 他の人間なら兎も角、クリスが出来ると言うのだから、出来るのだろうとしか思わない。

 そして、質問の答えなど当に決まっている。

 

 

「うん。別にどれだけ見てくれても構わないよ。別に、俺の情報がどうだってのも気にしなくて良いし」

 

 

「ありがとうございます!」

 

 

 元より見せびらかす物でも無いので隠してはいるが、異形になった左手と違って、見られたくない物でも無い。

 解析云々に関して言えば、結局の所相手が信用できるかどうかの話で、ならばアレンの返答がこの形になったのは当然の事であった。

 

 

「それじゃあ、はい。どうぞ」

 

 

 自室、それも寝る前に手袋なんて付けていないので、アレンは自分の右手の甲をクリスが見やすい様に突き出した。

 そこに刻まれた聖なる印。

 

 

「では――【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)】【”鑑定”の生誕――我が(まなこ)はあらゆる物を見抜く】」

 

 

「――っ」

 

 

 解き放たれる【解析の魔眼】。

 クリスの両の瞳が(意味も無く)紅く光り輝き、何時も優し気な表情が無機質で真剣な物になる。

 真剣になるといっそ恐ろしい程美しいクリスの姿に、アレンが息を呑んだ。

 そうこうしている間にも、アレンの情報が抜き取られていく。

 

 

「………………」

 

 

 そして、クリスの脳内に浮き上がる情報の羅列。

 

○【アレン・ルヴィニ】

 接続率:100%

 

 まず分かったのはアレンと、神パンタレイの接続率。

 飽くまで聖印と言う枠内における値であり、神の力をその比率で持ってこれる訳では無いだろうし、他のサンプルがカナリアしかいない為、平均値も分かっていないが、それでも尚、驚異的な100%と言う値。

 クリスが関わらなければ発生していたであろう何かしらの事件において、アレンが主役とされたのは、まず間違いなくこの才が原因だろう。

 

○【アレン・ルヴィニ】

 【英雄譚(パラミシア)】:機能停止。廃印(はいいん)を持つ者は、この術式の対象外となる。

 

「………………」

 

 何となく予想は付いていた。

 クリスがカナリアの聖印による騒動を見逃した理由の1つに、アレンに見せて貰った聖印に不穏な物を感じていなかったと言う理由もあったのだ。

 そして、俄かに浮かび上がった廃印なる物のアタリも凡そついている。

 

「……アレン君、すみません。もし宜しければ左手(・・)も同じように視させて貰っても構いませんか」

 

「それ、は」

 

 その言葉に、アレンの声が一瞬震えた。

 彼にとって、右手の聖印の方は極論、見せるだけならクリス以外にだって快く見せる程度の物である。

 しかし、左手の呪い憑きの方は話が別だ。

 出来る限り触れて欲しくない部分であり、相手がクリスでも、いいや相手がクリス――好きな女の子だからこそ、醜い怪物の物となった自身の肉体を見られたく無いと言う思いがある。

 無論、クリスがそんな事を思わないのは、百も承知ではあるが。

 

「――構わないよ。これで良い?」

 

「ごめんなさい。そしてありがとう」

 

 だと言うのに、アレンはそれ以上の躊躇を見せなかった。

 左腕に巻かれた包帯をアッサリと取り外す。

 鋭い爪に、爬虫類染みた鱗。異形の腕が空気に直接晒される。

 

 やはりこれも信頼が故だ。

 クリスが単なる好奇心やちょっとした確認程度で、他者の傷を抉る事は無いとアレンは確信している。

 だから、そんな彼女が自身の左手を確認したいと言ったのなら、それは彼女にとって極めて重要な事であり、ならばこそ見せる事への躊躇いは無かった。

 

 

 ――ありがとう。アレン君。

 

 そんなアレンの想いはクリスにもしっかりと届いている。

 その想いに報いるべく、クリスは解析の魔眼より送られてくる情報に更なる集中を行う。

 そして、此処にアレンの左手の情報が晒される。

 

 

○【廃印】

 『■■■停■■■。廃■■■()■■呪■()■■■■()』との接続の証。

 【呪い憑き】とは似て非なる物(・・・・・・)

 その接続率若しくは同調率は、聖印のそれと等しい。

 『■■■停■■■。廃■■■()■■呪■()■■■■()』より力を引き出す事が可能になるが、その代償に心身が極めて強力な呪いに侵される。

 

○【呪怨身代】

 廃印を通じ『■■■停■■■。廃■■■()■■呪■()■■■■()』から力を引き出すことにより受ける呪いを、身代わりとなって受ける存在。

 

 明らかに厄いアレンの左腕に、クリスはおろか、アレン当人ですら危機感を覚えなかった理由が明かされる。

 なんて事は無い単純な話だ。

 アレンに危害が行かない様になっていると言うだけの事。

 

「…………」

 

 

 そして恐らく。この次に見る事になる情報こそが。

 アレン・ルヴィニという少年の物語において、最も重要となる情報だ。

 クリスはそう予想した。

 

○【アレン・ルヴィニ】

 【呪怨身代】:ニフト(――――

 

 

*****

 

 

「えっ。く、クリス!?」

 

 

 その瞬間、アレンの胸は未だ嘗てない程に高鳴った。

 何故なら突然、クリスが己の腕の中に飛び込み、抱きしめて来たからだ。

 全身に感じる柔らかい感触。思わず理性が飛んでしまいそうな程の良い匂い。

 それらの刺激が、好いた相手から齎された物である事を考えれば、正しく桃源郷に昇るが如しだ。

 

 しかしながら、そんな風に浮ついたアレンの心は一瞬で収まる事になった。

 ある事に気が付いたのである。

 

 

 ――クリスが泣いていた。

 

 大量の血を吐くほどの、激痛(いたみ)を味わって尚、己を案じて笑みを浮かべた少女が泣いているのだ。

 

 

「……っ!……ぅ!」

 

 

「クリス、大丈夫。無理しなくて良いから」

 

 声を押し殺して、表面上だけは平静に見せようとしているクリスの背を、アレンは優しく撫でた。

 今だけは、胸に秘めた恋情もどうでも良かった。

 辛い事、悲しい事は我慢せずに吐き出して欲しい。

 クリスには、そうして心の底からの笑顔で、ずっと幸せで居て貰いたいと言うのが、アレンの願いだ。

 どうして泣き出したのか、無理に聞き出すことも無く、アレンはずっとクリスを慰め続けた。

 

 

 ――酷い。こんなの酷過ぎる。

 

 そうやって、アレンに慰められているクリスの心中は、大雨で満たされていた。

 アレンを心配させまいと、何とか感情を落ち着かせようとするも、溢れ出す悲哀はまるで止まる気配を見せない。

 解析の魔眼により、知った重大なアレンの情報。

 実は、他の理由にて何となくそうでは無いか、と予想は付いていた。

 しかしそれでも、沸き上がる悲しみは僅かも減じてはくれなかった。

 

 クリスは思う。

 今知った情報を元に、原作――いいや、己が関わらなかった場合、アレンがどんな道筋を歩むのかを。

 

 母親(エレノア)を無惨に殺されたアレンは、その身を復讐者へと変えるだろう。

 受けた恩を忘れずに、人に優しくあれる彼の性質は、とても素晴らしい物であるが、同時に修羅の素質でもある。

 そんな彼だからこそ、大切な人が無惨な目に遭ったのならその恨みを時間で風化させる事は無い。

 彼は、ニフトと名乗る女に対する復讐鬼に変じるのだ。

 

 そして、恐らく。いいや、間違いなく。

 その復讐の刃は届く。届いてしまう(・・・・・・)

 何故ならアレンには、才能があり、意思があり、特別な力がある。

 そして何より――ニフトにアレンを(・・・・・・・・)傷つける気が(・・・・・・)一切ないのだから(・・・・・・・・)

 だから、彼の復讐の炎はニフトの命を燃やし尽くしてしまって、そうなれば後はもう。

 

 ――そんなのあんまりでは無いか。アレン君が一体何をしたと言うのか。

 

 

 自分ならばどれだけ傷ついたって良い。

 嫌ではあるが、そんな程度のことなら幾らだって我慢して見せよう。

 しかし、大切な人が傷つくことは、クリスにとってまるで我慢ならなかった。 

 

 己が居る限りそんな未来は絶対に起こさせない。

 というより、ほぼ間違いなく既に悲劇の根本は折れている。

 だから今、クリスが想像しているのは、飽くまでもIF(もしも)

 有り得たかもしれない、しかしこの世界においてはもう起きないお話。

 けれどもだからこそ、涙は止まらないのだ。

 

 

 最早、綴られることは無い物語。発生しない悲劇。

 それは良い事だが、しかし発生しないが故に、それが起こり得た可能性を知れるのもクリスだけなのだ。

 今も自分を元気づけようとしてくれる、とても良い子。

 そんな子に起きるかも知れなかった理不尽な悲劇を、もう本人ですら悲しめない。

 だから代わりに、己が悲しむのだ。クリスはそう思った。

 その悲劇を誰も嘆かないなんて、嘘だと感じるのだ。

 

 

「アレン君……っ。アレン君……っ」

 

 

「クリス、大丈夫。大丈夫だから」

 

 

 クリスは情が極めて深い。

 だから人の為に悲しんだ場合、それが大きくなり過ぎてしまいがちであった。

 基本的にまずは相手の状況を、自分の力で少しでも良く出来ないかに奔走する為、悲しむ前に原因が無くなることも珍しくは無いのだが――死者すら蘇らせられるようになった今なら尚の事。

 しかし、いよいよどうしようも無いとなれば、こんな風に悲哀に沈んでしまうのだ。

 今回もそう。

 さしものクリスだとて、もう起こらない悲劇を解決することは出来ない。

 だってもう起こらないのだから。

 よって沸き上がる悲しみを止める術が無いのである。

 

 最も、こうして人の痛みを自分の痛みの様に感じられるのは、他者に好かれる要因の1つであったので欠点であるとは決して言えないが。

 ただ、1つの事実として、結局クリスの涙が止まったのは、かなり深夜になってからの事であった。

 

*****

 

 翌朝。

 それで、何がどうなったかと言えば、同衾からの朝チュンである。

 因みにワイセツは無い。ただ普通に慰めていた結果こうなっただけだ。

 何かあったらアレン君の局部が爆発しているので、本当である。

 

「…………ん?」

 

「んぅ、んんっ?」

 

 まるで図ったかのように同じタイミングで起床したアレンとクリスの2人は、自分たちが同じベッドで仲睦まじく寝ていた事に気が付いた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 一瞬の沈黙の後。

 顔を真っ赤に染め上げて、大慌てでベッドから跳ね起きた――――――クリスの方が(・・・・・・)

 

 

「あ、あのっ!ごめんなさいっ」

 

「あはは、元気になってくれたなら、良かったよ」

 

「その、あの……。色々とありがとうございましたではあるんですが、昨晩の事は忘れて頂けると……」

 

 お前は一体誰だ???と問いたくなるような、まるで主人公とムフフイベントを共にした純情なヒロインの様な態度で、クリスがまくし立てる。

 演技でもなんでもなく、普通に照れているのである。

 

 別に、仮に裸で抱きあって寝ていようが、一夜(意味深)を共にしようが、そんな事では全く恥ずかしがらないクリスなのだが、精神年齢的に1回り近く下の子を相手に、一晩中泣いているのを慰められるのは、普通に恥ずかしかった。

 顔から火が出そうとは、これこの事である。

 

 アレンの方も、アレンの方で、心臓が飛び出しそうなくらいではあるのだが、相手がそれ以上に焦っていると言うのと、クリスの元気が戻ってくれて良かったと言う気持ちの方が大きかったので、耐える事が出来ていた。

 後、照れるクリスの様子が可愛らしくて、そちらに意識を割かれたと言うのもあった。

 

「そうだね……。辛い時とか悲しい時に、またこうやって我慢せずに吐き出してくれるなら、忘れても良いかな」

 

「ぅぅ……、アレン君が何時もと違って意地悪さんです」

 

 珍しく正当なラブコメの波動を感じる。

 基本、クリスに脳味噌を破壊されっぱなしだった、アレンがこれとは珍しい話で、なんだかんだ成長しているんだと分かる物である。

 

「それで、気分はもう大丈夫?」

 

「はい!お陰様で落ち着きました」

 

「うん。それなら良かったよ」

 

「……何も聞かないんですか?」

 

 状況的に、クリスが何か尋常ならざる情報を得たのは瞭然だ。

 しかしそれを問い詰める気は、アレンには無かった。

 クリスが隠すのなら、それ相応の理由があると言う考えが故である。

 

「クリスが話したくなければ、無理に聞き出す気は無いよ。勿論、俺の力が役立ちそうな事なら、幾らでも言ってくれて良いし、言って欲しいけどね」

 

「アレン君」

 

 向けられる信用が心地よくて、クリスは思わず笑みを浮かべた。

 

「では、1つだけ聞いて貰っても良いですか?」

 

「うん」

 

「詳細はまだ伝えられません。今言っても証拠が無くて、要らぬ混乱を色んな人に与えるだけになってしまいますから」

 

 

 クリスとて、このような勿体ぶった情報の出し方は行いたくない。

 しかしながら今この情報を出しても、本当に、ただ人の仲を無意味に悪くさせるだけなのだ。

 

「分かったよ。君がそう言うのなら」

 

 

「ありがとうございます。では、話とはニフト――彼女についてです」

 

 

「――っ」

 

 クリスの口から飛び出した名前に、アレンが息を呑んだ。

 忘れていない。忘れられる筈が無い。

 己に、呪いを掛けた相手。己の母を一度は殺した相手。

 

 

「……彼女に何かあるのかい?」

 

 

「ええ。ニフト、彼女は必ずもう一度アレン君の目の前に現れます。直ぐになのか、10年近く後――神託祭の時なのか、それは分かりませんが、その時は必ず来ます。そうであればこそ、私と1つ約束をして欲しいのです」

 

 

「それは、一体?」

 

 

「彼女と雌雄を決する前に、もう一度私の話を聞いて欲しいのです。その時こそ、全てをお話しします。そして、それを聞くまでは彼女の事を不必要に傷つけないで欲しいのです」

 

 

「………………」

 

 クリスの頼み事にアレンは黙る。

 アレンはニフトの事を許してはいないし、許す気も無かった。

 クリスが居たお陰で結果的には事なきを得たとは言え、彼女のしたことは、結果良ければ全て良しで済ませてよい事では無いだろう。

 それは別に、アレンの目が憎しみで曇っているからではなく、極々一般的な意見である。

 

 だからこそ、彼女の事を許して、と言われたのなら、例えそれがクリスからの願いであったとしても、アレンは首を縦には振れなかっただろう。

 しかし、クリスはそんな事を言わなかった。

 ただ、話を聞いて欲しいと。

 聞いた上で、どう思うかは自分の自由であると。

 意見の押し付けではなく、寄り添ってくれた様に、アレンは感じたのだ。

 

 

 ……それに。

 一見、ニフトの事を心配している様に見える、クリスの言動だが、実際は、その心配が己にも向けられてもいる事に、アレンは気が付いていた。

 ニフトには何かしらの真実があり、それを知らないまま決着を付けたのなら、己が必ず後悔することになる。そう心配してくれているが為の言葉である事は、今までのクリスを見ていれば、アレンにとって簡単に分かる事実だった。

 ならば、アレンが出す答えは、やはり今回も決まっている。

 

 

「――分かった。約束するよ。俺も、疑問が残ったまま決着を付けたくは無いしね。……ただ、そうだな。代わりという訳では無いけど、俺の方からもクリスに1つ頼み事をしても良いかな」

 

 クリスは、ほっ。としたような表情を浮かべた後に、それを困惑に変えた。

 

 

「お願い、ですか?私に出来る事でしたら何でもお手伝いしますが」

 

「それなら頼みたい。クリス、君が俺に因縁のある物も、そうで無い物も含めて、この世界で起きている何かの事件を解決しようとしているのは分かってる。――どうか、俺も一緒に戦わせて欲しい。烏滸がましい話だけど、君の事を守らせて欲しいんだ」

 

「それ、は……」

 

 アレンの言葉に、クリスが息を呑んだ。

 ……本音を言うのなら、クリスはその言葉を受け入れたくない。

 争いも不幸も、自分1人で動いて解決してしまいたいし、己ならばそれが出来る。

 アレンに限らず、誰にも辛い思いなんてして欲しくなく、みんな箱の中に閉じ込めて、幸福の揺り籠の中で安らいでいて欲しい。ずっと、ずっと、永遠に。

 それが、まごう事なき本心で、しかしそれでは駄目だという思いも確かにあった。

 

 それは超越者だ、神だなんて超然とした物ではなく、親子なんてあり触れたものでも言えるだろう。

 幾ら自分の子供の事が可愛いからと言って、子供が大人になって死ぬまでずっと自分が何でもやって上げる親なんて、そうは居ないし、居たとしてもダメ親と言われる部類だろう、それは。

 例え、それを可能とする財力と権力を持っていたとしても、だ。

 それと、全く同じこと。

 アレンの身に降りかかる火の粉を、全部取り除く事がクリスには出来る。

 そうすれば、彼の命は守られる。肉体的には完全無欠の安全だろう。

 だが、精神は別だ。

 

「全て私が解決するのでは、嫌ですか……?」

 

「うん、嫌だ。君にだけ全てを背負わせる、自分の弱さに吐き気がする。ましてや自分の因縁が含まれているのだから、尚更に」

 

 その気持ちはクリスとて理解できる。

 仮に力が足らずとも、女の子の前に立って、相手を守りたいと言う男心は、クリスとて分かるのだ。

 それに、自分の事を守りたいと言ってくれる気持ちそのものは、純粋に嬉しい。

 

「わかり、ました。少なくとも、アレン君の因縁を勝手に解決したりはしないと、誓います。ただ、本当に危ない時は、絶対に私を頼ってください」

 

「――ありがとう。そして、意固地にはならないと、約束するよ」

 

 ただ、やっぱり心配ではあるのか、クリスはちょっとだけむくれた顔をした。

 だから少しだけ意地悪を。

 

 

「ですが、少しだけ――手を。祈りを捧げさせて貰うのと、誓いを立てて貰っても良いですか」 

 

 

「その栄誉を許してもらえるのならば、有難く。クリス――貴方を守り、貴方の元に必ず無事で帰ると誓います」

 

「――――っ」

 

 珍しく出した年齢相応の稚気を大真面目に返されて、クリスの頬が僅かながら紅く染まった。

 まるで、どこかのお姫様に誓いを捧げる騎士の如く、アレンの右手がクリスに差し出されている。

 

「――【万物に(オノマ)名を付ける(スィンヴァン)】【"アレン・ルヴィニ"の生誕――我が加護を貴方に】。貴方の無事を祈ります」

 

 

 差し出された手。そこに刻まれた聖印の上に、そっ。と軽く唇を触れさせる。

 機能停止しているとは言え、残しておく必要が全く無い【英雄譚(パラミシア)】を上書きする形で、己の加護を与える。

 口づけをする必要なんて欠片も無いが、心配させられるのと、びっくりさせられた仕返しに、この程度の事は許して欲しいとクリスは思った。

 いや、嫌がりそうだったら、やらなかったが。 

 

「じゃあ、色々と約束、ですっ!」

 

「うん。約束」

 

 こうして、クリスとアレン。

 2人の間で約束が結ばれた。

 それはとても小さな、しかしとても重要な約束だった。

 

 

*****

 

 最後に1つだけ。念のために確認しておかねばならないことが有る。

 クリスは、アレンの部屋から出た後に、また別の相手の部屋の前に来ていた。

 控えめに、そのドアをノックする。

 少しの()の後に、件の相手は現れた。

 

「はーい、ってクリスちゃん?どうかしたの。まだ朝食の準備には早いから、寝てても大丈夫よ?」

 

 出て来たのはエレノアだ。

 クリスはエレノアに教わりながら、共にルヴィニ家の食事を作っており、それに早くやってき過ぎただけだとエレノアは思った様だ。

 

「おはようございます。エレノアさん。いえ、少し質問したいことがありまして。ご飯の前に、お時間宜しいでしょうか」

 

「ええ。勿論。そういう事なら、入って」

 

 その言葉を快く受け入れて、エレノアは自室にクリスを迎え入れた。

 仲良く部屋に入っていく2人。

 こう見ていると、仲の良い姉妹の様にも見えた。

 

 

「ニフトと言う女性に対して知っている事……ね」

 

「ええ。前も聞いたのに重ね重ねすみません。何か僅かでも構いません。心当たりなどは無いでしょうか」 

 

 世間話もそこそこに、エレノアの部屋に入ったクリスは、本題を切り出していた。

 内容はズバリ、ニフトに関する事。彼女の事で何か知っている事が無いかという話である。

 

「うーん」

 

 質問を受けたエレノアは、困り顔だ。

 別に不機嫌になっている訳では無く、純粋に申し訳なさと困惑を感じている。

 

「ゴメンなさいね。やっぱり、心当たりは無いわ。前にも言ったけど、私がまだ伯爵家に居た頃から調べていたのだけれど、全く情報が出なかったのよ。だから、そうね。あえて言えるとしたら、貴族の家の警備を抜けて、その家の嫡男に危害を加えられる実力と、貴族の調査力から逃れ得る裏を持っているってくらいかしら」

 

「そう、ですか」

 

「せめて直接この目で姿を見れれば、何か分かったのかもしれないのだけれど……」

 

 残念な事に、ずっと意識を失っていて、挙句の果てに命まで失っていたから確認出来ていないのだ、とエレノアは言った。

 

「辛い事を思い出させてごめんなさい」

 

「ううん。アレンの為に調べてくれているのでしょう?寧ろ私の方こそ何も力になれなくてゴメンなさいね。もし何か思い出したら、どんな小さな事でもクリスちゃんに教えるわ」

 

「ありがとうございます」

 

 そう伝えるエレノアの言葉に、一切の嘘偽りは感じられない。

 彼女はニフトに心当たりが全く無い。

 

 

 ――分かっていた事だ。とクリスは思う。

 今の(・・)エレノアがニフトを全く知らない事は、ほぼ確信していた。

 だからこそ(・・・・・)クリスは、アレンにニフトの真実を伝えなかったのだから。

 故に、これは唯の最後の確認。

 石橋を叩いただけの事。

 

「聞きたかったことは、それだけです。でも、折角ならエレノアさんともっとお話ししていっても良いですか」

 

「ええ、当然よ。少しだけど、女子会しましょうか」

 

「ふふっ。はい」

 

 エレノアと和やかに談笑しながらも、クリスは頭の片隅で考えを纏めていた。

 

 

 ニフトと名乗る女が廃呪(カタラ)を引き連れて、ヒュアロスの街を、そしてアレン達を襲ったあの事件。

 あれには幾つもの不可解な点があった。

 それは、クリスで無くとも分かる物や、クリスだからこそ分かった物などがある。

 

 まず1つ、これはクリスでなくとも分かる不可解な点だ。

 実力伯仲の筈のルークをニフトが圧倒した点。

 ルークの癖と戦い方を完全に見切っていたそれは、ニフトがルークの事をかなり深く知っていた事を意味する。

 

 そして、ここからはクリスだからこそ気が付けた不可解な点。

 

 2つ。ニフトがアレンに向けていた感情である。

 クリスは、デザベアとは正反対で、人の善意を理解することに優れている。

 そんな、彼女から見て、ニフトと言う女性は、ずっとアレンの事を気に掛けていたのだ。

 それも、病んだ人間の歪んだ愛情では無く、真っ当で温かな物を。

 彼女がアレンにした許されざる仕打ちを考えれば、全く意味の分からない話だろう。

 

 

 3つ。あの時のエレノアの状態である。

 知っての通り、クリスは死したエレノアを蘇生した訳だが、その時に幾つか不可解な点があったのだ。

 まず、その肉体と魂が、不自然なまでに強い呪詛に毒されていた。

 それはクリスから見れば吐息一つで吹き飛ばせるレベルで、デザベアのいっそ見事ですらある知恵の輪みたいに複雑な、悪意に満ちた呪いに比べれば些か力押し感が拭えない物ではあるが、一般的な視点から見ればとんでもないレベルの代物である。

 常人であれば、100度狂死しても尚足りず、エレノア程の傑物でもそう長くは持たないであろうと、そんなレベル。

 そんな呪いに、エレノアは侵されていたのだ。

 

 更に不可解な点はまだある。

 そんな呪いに侵されたエレノアの魂だが、その量が明らかに足りていなかったのだ。

 体をぐちゃぐちゃにされた上で、燃やし尽くされて殺されれば、当然では?と思うかもしれないが――違う。

 それが原因での損傷であるのならば、その魂は無造作にバラバラとなっている筈なのだ。

 しかし、クリスが見たエレノアの魂の状態は違った。

 それはまるで、ナイフか何かで切り分けられたかのように、綺麗な切り口で半分になっていたのだ。

 自然にこうは決してならない。

 エレノアの体調が事件以前から悪かったのも、恐らくこれが原因で、事実クリスが魂の欠損を治療して以降、エレノアの体調はあっさりと快癒した。

 

 

 そして最後の4つ。今度はニフトの魂である。

 クリスから見たニフトの魂は、エレノアと鏡合わせ(・・・・)だった。

 同じ呪いに同じ欠損。そしてその魂の切り口は、重ね合わせれば、恐らくエレノアの魂とピッタリ合うであろう断面。

 オマケに、クリスがエレノアの魂を治療した際、ニフトの魂も(・・・・・・)同時に癒されたのだ(・・・・・・・・・)

 これは、エレノアとニフト。両者の魂の間に、極めて深い繋がりがある事を示している。

 

 

「あら、もうこんな時間。それじゃあ、そろそろ朝食の準備に行きましょうか?」

 

 

「はい。今日も、ご指導お願いします!」

 

 

「アレンったら、すっかりクリスちゃんのご飯を食べるの楽しみにしちゃってるもの。だから、出来れば頑張ってね?」

 

「あはは。はい、勿論。出来る限り美味しい物を食べて貰える様に、頑張りますね!」

 

 クリスは最後に、先ほどアレンの部屋で得た情報を思い返した。

 

 

 

○【アレン・ルヴィニ】

 【呪怨身代】:ニフト(エレノア・ルヴィニ)

 

 

 ――ああ、つまり。

 

 2人(エレノアとニフト)は同一人物だ。

 

 

 

 

 

 

 





○クリスが関わらずに運命が進んだ場合。

 復讐者になったアレン君は、自分の母親を殺した癖に、時々母みたいな言葉を言って煽ってくるクソ女(しかもムカつくことにかなり似てる)を見事ぶっ殺せるんだ!!
 しかも、親切な黒幕さんがそのクソ女が息絶える直前に、彼女の正体を明らかにしてくれるから、いろんな疑問もスッキリ解決しちまうんだ!!
 良かったね、アレン君(*´ω`*)


 クリスは泣いた。
 デザベアは大爆笑した。


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08 だからあれ程、平均値では無く中央値を参照しろと言ったんだ……系アイドル

 

 

 

「と言う訳で、そろそろ歌って踊るべきだと思うんです!!」

 

 

「……えっと?」

 

「……その?」

 

 とある日。クリスの部屋の中。

 部屋の主から発せられた言葉に、アレンとカナリアは困惑の声を上げた。

 クリスから”相談があります”と言う言葉を掛けられて、喜び勇んで来た結果が、これ。

 

 何が、という訳で。なのか、何で歌って踊るのか、全く意味が分からない。

 これがデザベアであれば、”薬でもキメてんのか?テメー”と罵倒して終わりだろう。

 何故なら、真剣な時とぶっ飛んでる時の落差が激しいのがクリスで、今回は明らかにぶっ飛んでる時のパターンだからである。

 真面目に対応すると疲れるだけだ。

 

 

 ああ、しかし悲しいかな。

 今回集められた2人はとても良い子であり、オマケにそのぶっ飛んでる奴に心を持っていかれている。

 ”あ、これ天然の時のクリスだ……”と薄々察していても、邪険に扱えないのが、惚れた弱みという奴なのだ。

 

 

 因みに、アレンとカナリアの2人だが、2ヶ月近くも経っていれば、当然の様に知り合いだ。

 友達の友達であり、恋敵と言う関係性の2人だが、どちらも礼儀正しく真面目であるので、仲は悪く無い。

 

 

「あの、クリス……?もう少し詳しく説明してくれると嬉しいかな」

 

「――ハッ!?ごめんなさい、アレン君。少し勇み足だったようです」

 

 

 少し……?と、聞いていた2人とも思ったが、どちらも口には出さなかった。

  

 

「まず、ですね。私がこのアルケーの町にやってきてから、そろそろ2ヵ月が経ちます。町の皆さんには、とても良くして貰っていますし、過分な評価も頂いています」

 

 しかし!とばかりに、クリスは声の口調を強めた。

 

「ですが、私の目指す所を考えるのならば、もっともっと精進して、皆さまに認めて貰わなければならないのです」

 

「クリスの目指す所って?」

 

 その疑問の声の主は、カナリアだ。

 名声――人からの評価を求める。何かと悪いイメージを持たれがちだが、それ自体は悪い事では少しも無い。

 他者から認められれば余程のへそ曲がり以外は嬉しい物で、その為にあくどい真似さえしなければ、非難される謂れは無い。

 しかしながら、クリスの利他的な人間像と合わないのも事実で、それ故の疑問であった。

 

「聖女の位を受け、浄化行脚の任に就きたいのです」

 

「それって……」

 

 それはどちらも聖神教で与えられる身分と、仕事だ。

 カナリアは、己の脳より知識を絞りだす。

 聖女・聖人は簡単だ。教会より類稀なる法術の腕と、清廉なる心を認められた者。 

 階級その物は、認定されただけでは上から3番目の3本線であるが、ある種、教会の広告塔的な役割を持っているので、民衆からの評価は非常に高い。

 聖神教の門を叩く女の子は誰だって一度は憧れるものだ。

 

 浄化行脚は、そんな聖人・聖女が任されるお役目。

 その内容は――

 

「えっと各地を回って、廃呪除けの結界の強化や、怪我人や病人の治療。汚染された土地や水源の浄化を行う任よね」

 

「はい。その通りです」

 

 それは正しく浄化の旅路。

 しかし、1つの疑問がカナリアの脳裏に浮かび上がった。

 

「でも、それって確か。基本、黎明期や日没期の最初の辺りまでしか行われない物じゃなかったっけ?」

 

「それも、はい。危険性を鑑みて、ですね」

 

 前にも述べたが、この世界。神託王と言う王の名の下に統治されるシステムは、王の任期である100年を1つの区切りに、そこから更に3つの時代に分かれる。

 

 新たな神託王がその座に就き、世界に繁栄の夜明けが訪れる【黎明期】

 加護の太陽が徐々に薄くなり、やがて来る暗黒の時に備えなければならない【日没期】 

 加護の光が消え失せて世界が暗黒に包まれ辛く苦しい日々に送りながら、次の黎明期を迎える為の神託祭の準備が始まる【暗夜期】

 

 

 後者になればなるほどに、世界を覆う危険と悲劇は増していく。

 よって、各地を回る浄化の旅路が、この時期には行われていないのも当然と言えば、当然の話だった。

 どこもかしこも、周りに貸せるほどの余力が無いのだ。

 

 

「だけど、それは飽くまで基本の話だ。卓越した実力を示せばこの時期に行う事も決して不可能じゃない、というのがクリスの考えなんだよね」

 

「ええ。それが私の願いです」

 

 そこら辺の思惑は、一緒に住んでいるアレン達には当然伝えてある。

 よってアレンが代理する形で説明して、クリスはそれを肯定した。

 

 

「クリス……!」

 

 

 語られた願いに、カナリアは大きな感動と得も言われぬ興奮を覚えた。

 目の前の浮世離れした美しい少女は、本気で世界中の悲しみを救い上げるつもりで、しかもそれに足るだけの力を持っているのだ。

 まるで壮大な御伽噺の、その始まりを目撃しているような、そんな感覚。そんな感動。

 隣を見れば、予め知っていたアレンですら感じ入る物があるのか、深く頷いている。

 

 

「ですがその為には、更に皆さまの役に立てる所を示さねばなりません。そう!つまりは歌って踊る必要があるのです!!!!」

 

 

「なんで????????????????????????????????」

 

 

「どうして????????????????????????????????」

 

 

 アレンもカナリアも同時に疑問の声を上げた。

 いや、幾ら感動していても、分からんもんは分からないっス。それが2人の、まごう事無き本心――!!

 

 

 

 中々伝わらない己の意見。クリスは懇切丁寧に順序だててもう1度説明して行くことにした。

 

 

「私は聖女の位を得て、浄化行脚の任を受けたい。ここまでは良いですね」

 

「うん。前々から言っていたよね」

 

 アレンが肯定した。可笑しいところは無い。

 

「その為には、もっと皆様に認められる必要があり、今まで行っていない貢献をする必要があります」

 

「正直、一部の人からは崇められてる位だし、私はもう十分だと思うんだけど……。まあ、話の流れとしてはわかるわ」

 

 カナリアとしては、そこから多少の疑問が残るところではあるが、しかし話の流れ自体は通っているだろう。

 

「つまり歌って踊る必要があります――!!分かってくれますね!?」

 

「いや、分からないよ」

 

「いいえ、分かりません」

 

「どうしてですか!?」

 

 突如として明後日の方向にぶっ飛ぶクリスの話。

 順番通りに聞いても、なぜその頓珍漢な答えに至ったのか理解が出来ない。

 

「ええと。聖女(そういうの)って普通だったら、こう何というか……全身全霊を尽くして人々の傷を癒やす。とかじゃない?」

 

「いえ。そういうのは、そもそもやって然るべき物ですし」

 

「あ、うん。確かにそうよね」

 

 他者を救うために全力を尽くし、時には己の命すら懸けるなんて事は、クリスは既に体現しているな、とカナリアは納得した。

 クリス当人としても、そういった事柄に関してはこれ以上、何をかければ良いのか分からなかった。貞操だろうか?かけて良いなら、かけるけど……とクリスは思った。

 

「だとしても、何故歌と踊りを……?」

 

 アレンから齎された当然の疑問に、クリスは自信満々に答えた。

 

「良いですか、アレン君。――聖女(アイドル)ってそういうものなんですよ?」

 

「ええっ……?」

 

 何せ、自分がやっていた進化絵が際どいソシャゲの聖女キャラが期間限定イベントでアイドルになっていたのだ!!

 完全に限凸したから間違いない、私は詳しいのだ。とクリスは自信満々に胸を張った。

 

「ふふふ。もう既に衣装も作ってあります。とっても可愛いですよ!」

 

 今も、部屋の中で大人しくしている七色の羽を持つ不死鳥のエドより、幾本か羽を貰い受け、それを原料とし幻想的な染料を作り上げ!

 糸や、裁縫と言う概念そのものに命を与えて、そのプレイしていた聖女キャラが着ていた衣装を再現してみたのである!!

 

 尚、ひとりでに動いて服になっていく糸を横で見ていたデザベアは”この光景を見せた方がよっぽど効果があると思うが”と考えていたが、面倒くさくて放っておいたので、誰もクリスを止められなかった。

 

 そうして見事、衣装は完成した。

 ただ、ゲームの衣装を現実に再現してみたら、こんな物を着て踊ったら、パンチラどころか、パンモロする代物となったが、まあ些細な問題だろう!とクリスは一人頷いた。

 何せ聖華化粧サンもそう言っている!!

 

 ……因みに、作った衣装をクリスが最初に着て見ようとした時は、聖華化粧が”良い訳がネーだろ。頭沸いてんのかタコ”とでも言っているかの様に、頭と全身に痛みを与えてきたのだが。

 ”あれあれ?良いんですか。この服はAp○leの審査を通ってるんですよ?全年齢対象なんですよ?セルラン1位なんですよ?これが駄目って言うことは、つまりAp○leに駄目って言ってるのと同じことなんですよ?”と強く念じていたら、いつの間にか痛みが消えていた。

 サンキューAp○le。フォーエバーAp○le。クリスは今は遠き故郷に向かって、そう感謝した。

 

 とにかく!!これでクリスの覇業(アイカツ)を止められるモノは何も無い――!!

 

「あ、アレン。とりあえずこの服、燃やしといて」

 

「了解」

 

「ああああああああああっっっ!!!!なんて事するんですか!!!!!!」

 

 止められた。

 

 

「服は弁償するわ。でも、クリス。貴方があんな恰好で踊ったら、冗談抜きで死人が出るわよ!私の目の黒い内はそんな事絶対にさせないわ!!」

 

「同感だよ」

 

 

 好きな相手だろうが何だろうが、本当に駄目だと思った事にはNoと言える2人からの否定の言葉。

 オマケに、鳥のエドですら同意見なのか、コクコクと頷いていた。

 まぁ彼の場合は、試着したクリスをとっくに見ていて自分だけは満足しているから、と言うのもあるだろうが。

 

 

 (彼女的には)まさかの全否定に、クリスがガーン!と肩を落とす。

 

 

「うぅ……。そんなぁ。じゃ、じゃあ衣装は諦めますから、せめて歌のアドバイスを下さい。今から歌いますから!!」

 

 

「歌うのは諦めないのね……。まあ、そのくらいはお安い御用だけど」

 

「俺もそれは全然、構わない」

 

 

 頑なにアイドル路線を諦めないクリスに少し困惑しながらも、2人は肯定の意を示した。

 まあ、それがどれ程、目標に対する意味があるのかは分からないが、ア(タマの可笑しい)イ(カレタ)ド(ル箱をユーザーから搾り取る目的で作られた男性の下半身を)ル(ンルンにさせる)衣装を着たりしない限りは、クリスの歌は2人とも聞いてみたいからであった。

 

 

「でも、部屋の中で歌ったら迷惑にならないかしら?」

 

 

「安心してください。既に部屋の外に音や振動が出て行かない様に、術を掛けてあります!!」

 

 

「そこまで準備が良いって事は、最初から何としてでも歌う気だったんだね、あはは……」

 

 

「では歌います。聞いてください――!!」

 

 

 そうして意気揚々とクリスが歌い始めたのは、元居た世界での歌をアレンジしたものだ。

 勿論、この様な練習の場ではなく、本当に見知らぬ人たちに歌う場合は、オリジナルの曲を作る心算だ。

 女、クリス。異世界の壁を隔てても、著作権は守る所存。

 

 

*****

 

 

「~~~~~~♪と、これで終わりです。ご清聴ありがとうございました」

 

 

 時間にして約3分半。

 クリスの歌唱が終わりを迎えた。

 アレンとカナリアの2人は、ハッ!と気が付いた様に、軽い拍手をクリスへと送った。

 

 

「聴いていただきありがとうございます。それで!どうでしたか?私の歌は、是非忌憚のない意見を聞かせてください!」

 

 

 わくわく!わくわくっ!と明らかに心を弾ませている様子のクリスからの質問に、一瞬2人ともがウッ……!とバツの悪そうな表情を浮かばせた。

 

 

「え゛っ゛。そ、そうね……。す、素晴らしい声だったわ。天使の歌声ってああいう物の事を言うのね」

 

 

「そ、そうだね。とても素敵な声だった。天上に響き渡る歌声と言っても過言じゃなかった」

 

 

「も、もうっ!2人とも、そんなに大袈裟に褒められたら、照れちゃいますよ、えへへ」

 

 

『……………………良く聞けよ、2人とも、声しか褒めてねーぞ』

 

 

 色々とスルーを決め込んでいたデザベアが、つい我慢出来ずにツッコミを入れた。

 

 

『――――――ハッ!?確かに……!』

 

 

『ちなみに、ついでだから俺様の感想も聞かせてやろう――ドヘタだったぞ、普通に』

 

『そ、そんな!これでも、通信簿の音楽の欄では”とても大きく元気な声で良いと思います”って書かれてたり、音楽祭の時にクラスの女子から”凄く、真面目に参加してくれて嬉しいわ。え?歌の感想?……大きくてとても元気が伝わって来るわ”って褒められていたんですよ!?』

 

『声量以外褒められてねぇーんだよなぁ』

 

 

『ぅぅっ……。良いですっ。何時も揶揄ってくるベアさんでは参考になりません!2人に聞きますっ』

 

『どーぞ。どーぞ。お好きなように』

 

 

「あの……。アレン君、カナリア。声を褒めて下さるのは嬉しいんですが、歌の腕はどうだったでしょうか?」

 

 

「う゛っ……」

 

「ええと……」

 

「2人とも!?」

 

 答えに詰まる2人の様子に、クリスがビックリした声を上げた。

 

 

「あ、あの。下手だったのなら、下手だったと正直に言って貰って構わないんですよ?それならそれで、これから精進していけば良いだけの話ですし。寧ろ、言って頂けた方が嬉しいです」

 

 デザベアの様に真面目に言っているのか、揶揄っているのか分からない場合は別だが、そうでなければ駄目なものは駄目と言って欲しいというのが、クリスの考えだ。

 勿論、ショックは受けるが、聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥と言うやつである。

 と言うか、アレンとカナリアなら、そう言った風にしっかりと指摘してくれるだろう、と思っての相談だったので、2人のこの反応はクリスからすれば、全くの予想外であった。

 

「そうだね。正直に言えば、そんなに上手く無かったと思う。所々、音程が外れていた……様な気がする」

 

「うん。初めて聞いた曲だけど、歌のリズムがズレている時が結構あった…………かもしれない」

 

「???????????????????????」

 

 観念した様に語り始めた2人だが、その言葉を聞いてクリスは更に困惑してしまった。

 本当に自分の歌が駄目だったのはそれとして、2人の言葉が曖昧なのは何故だろうか?と。

 しかしながら、今混乱しているのはクリスだけでは無く、アレンとカナリアの2人もであった。

 

 

 

 ――まず前提としてクリスの歌は下手だ。

 フザケている訳では決して無いのだが、単純に技量が低いし、センスもあまり無い。

 しかして、ならばそんな彼女の歌は聞いていると嫌な気分になってくるような、不快な雑音なのだろうか?

 それは違う。いいや、寧ろ正反対とすら言っても良い。

 

 クリスの【魅力】が肉体単体ですら人類の限界を超えていて、魂の影響でそれが更に強化されているのは、最早言うまでもない話だ。

 そして【魅力】とは単なる顔の良さに留まる話ではない。

 大凡、クリスの特徴から細かな所作。それら全ては良きにしろ悪きにせよ他者からの好感を極めて得やすくなっている。

 声なんて正にその1つで、彼女の歌はそれこそ船を難破に導く人魚(セイレーン)のそれだ……下手だけど!

 

 アレンやカナリアが最初に述べた感想は、煽てた訳でも誤魔化したわけでもない。

 クリスの歌を聞いていたらまるで極楽に登っているような気にすらなって夢心地になっていたのだ。下手なのに!

 特に、カナリアはともかく、アレンの方は元貴族で上質な音楽や演奏を聞く機会も多かったのに、である。

 2人が抱いた歌への感想を纒めれば、”聞いているだけで幸せになり心が安らぐ、今まで聞いたどんな音楽も及ばない素晴らしい、下手な歌”である。

 訳が分からなすぎで一体どんなアドバイスをしろと言うのか。

 と言うかこれは、アドバイスして良いものなのか?上手くなったら、聞いた人の魂抜けちゃわないか?と2人が困惑したのも無理はない話だろう。

 

「ええっ……」

 

 そう言った自分の歌声の意味不明さを説明されて、クリスが混乱した声を上げた。

 

 要はあれである。

 格闘マンガや何やらで、フィジカルモンスターが技量系キャラを身体能力だけで蹂躙する展開。

 それの歌バージョンである。

 圧倒的魅力値から放たれる意味不明な歌唱!

 

 もしもクリスがアイドルゲームのユニットだったら、そのステータスはこん

な感じだろう。

 歌唱力:ゴミ!

 踊り:ゴミ!

 魅力:∞!

 平均値∞!No1アイドル!!

 明らかにバグである。

 他のアイドルに謝って欲しい。

 

「と言うかそもそも、ジャン神父がクリスの聖神教での位階の上昇を、進言してくれたって言うのは聞いてるわよね?」

 

「はい。有り難いお話です」

 

「単に7本線から6本線になるだけなら、神父様への信頼もあって殆ど結果の通達だけでしょうけど、今回神父様は相当強く進言なさったみたいだから、この町に審査官が来るか、大きな教会に招喚される事になると思うわ。その時にクリスの力を見せる方が、歌や踊りより目標への近道なんじゃないかしら?」

 

 カナリアのど正論パンチ。

 クリスに反論の余地は無かった。

 

「そう、ですね。頑張ります。ぅぅ……。」

 

 結局、クリスのアイカツ!1回目は失敗に終わった訳であった。

 

 

 

*****

 

『で?結局なんでそんなに、歌と踊りに拘ったんだ?』

 

 アレンとカナリアが帰った後、デザベアが欠伸をしながら問いかけた。

 

『カラオケ、好きだったんです…………』

 

『要はただ、歌いたかっただけじゃねーか』

 

『しゅんっ…………』

 

 反論の言葉はやはり無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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09 彼方よりの使者

 クリスのアルケーの町での生活は、最初のゴタゴタとカナリアの身に起こった事件を除けば概ね平和であった。

 思う存分他者の為に動けて、有難いことに感謝の言葉を投げかけて貰える毎日。

 それだけではなく、時折友人たちと過ごす何でも無いような時間は、しかしクリスにとっては何物にも代えがたい宝物の様であった。

 生ゴミを漁っていた頃とは比べ物にならない程に充実した日々。

 今は遠き、遠き、嘗ての故郷。突然、もう二度と会えなくなった大切な人たち。

 誰であろうと、誰かの代わりにはならない為、その寂しさが癒える事は無い。

 だけどそれは、新しく出会った縁も、変えられない大切な者という事で、今のクリスは幸せだった。

 

 

 しかし、光陰矢の如し。

 時間は止まることなく流れていき、人を取り巻く状況もそれに応じて変わっていく。

 クリスの穏やかで幸せな日々にも、突如として大きな流れと変化が訪れる事になった。

 その始まりは、ジャン神父の言葉からであった。

 

 

 

「審査官様、ですか」

 

 

「ええ。あなた(クリス)がより上位の位階に相応しいかどうか、それを調査する為の人員がこの町に送られてくると通達がありました。ああしかし、安心してください。決して悪い意味ではありません。6本線への上昇はほとんど確定していて、より上位に値するかの見定め、と言った感じになるでしょう。そしてそれも、クリスさんであれば、普段通りの姿を見せるだけで問題無い――私はそう確信しています」

 

 

「とても、光栄です。これも、ジャン神父のご推薦あっての事。誠にありがとうございます。」

 

 

 聖神教において、上の地位を取得するための幾つかのルートの内の1つが、一定以上の地位を持つ者からの推薦だ。

 小さいとは言え、1つの教会を任されて。人柄も信用に足ると認められたジャン神父は、その一定の地位に入っている。

 そしてそんな彼は、約1ヵ月前に町を襲った事件の後、クリスにより上位の地位を与えるべく上へと強く進言を行っていた。

 今回の事は、その行動が実った形、と言えるだろう。

 ただし、ジャン神父の裁量だけで、殆どノーチェックに近く与えられるのは6本線の地位までなので、其処から更に上に相応しいか見定めるための人員が送られてくる、とこれはそういう話だ。

 

「私はただ、評価されるべき者が評価される様、神に誓って真実だけを伝えただけです。その結果、他者より良い評価が下されたのなら、それはクリスさんの頑張りに他ならないでしょう」

 

「いいえ。例えそうだったとしても、誠実な神父様の言葉だったからこそ、ここまで早く評価を頂けたのだと、私は思います」

 

 話し合う2人はどちらも笑顔で、大した緊張も見られない。

 ”審査”等と言えば重苦しく感じるが、かなり上位の位階の者に対する物ならばともかく、片田舎の7本線の少女に対する物など、そこまで仰々しい物にはならない。

 カナリアが5本線に認定される時も、似た様な流れがあり、何も問題なく終わったのだ。

 完全に気を抜いてダラけて良い訳では無いが、この世の終わりの如く緊張する物でも無い。

 

「日時や、いらっしゃる人数などは、追って連絡があるそうです。詳細が決まりましたら、失礼にならない様に準備を整えましょう」

 

「わかりました」

 

 ほんの少しだけ特別な思いを抱いて、この話はここで終わり――――にはならなかった。

 

 

「クリスっっ!!ジャン神父っっっ!!!!」

 

「カナリアさん!?」

 

「カナリア!?」

 

 和やかに話が終わりそうな時分に、クリスとジャン神父が話していた部屋へカナリアが血相を変えて飛び込んで来た。

 いや、飛び込んできたのはカナリアだけでは無かった。

 

「それに皆さん。これは一体何事ですか!?」

 

 他の神官や女神官など、教会に勤めているものが、誰も彼も不安そうな顔で、カナリアの後ろに居たのだ。

 明らかに尋常ならざる事態が発生した証拠であり、ジャン神父は先頭のカナリアへ一体何があったのかを問いかけた。

 

「そ、そのっ!他の教会の方がいらっしゃって……!!」

 

「教会の?伝達ミスでクリスさんの審査官の方が、もういらっしゃってしまったのでしょうか……?」

 

「そ、そんなレベルの話じゃ無いんです!!とにかく外に出てくれれば、分かります!ほら、クリスも!!」

 

「…………」

 

「…………」

 

 明らかに可笑しい皆の様子に、クリスとジャンは互いに顔を見合わせながらも、言われた通り教会の外へと出て行った。

 

 

*****

 

「――馬鹿、な。一体、これ、は…………!?」

 

「――――」

 

 カナリアの言葉通り、外へと出ればその異常(・・)は直ぐに分かった。

 ジャン神父は激しく動揺し、クリスも言葉には出なかったがかなりの衝撃を受けていた。

 町の外に、教会の印が付いた馬車が止まっている。

 言葉にすれば、それだけ。それだけでも多少は可笑しいが、ジャン神父が言った通り、日時の伝達に不備があったと考えれば納得できる範囲だろう。

 しかしながら、何よりも可笑しく異常なるは()だ。

 

 町の外に、教会の印がついた馬車が、周囲を埋め尽くす(・・・・・・・・)程に止まっている(・・・・・・・・)

 一体、何百?或いは何千?

 終わりの見えない馬車の隊列は、正確な数を数える作業をジャン神父の脳より放棄させた。

 更に、乗り物があるという事は、当然それに乗って来た者も存在する。

 聖神教の神官服に身を包んだ数多の神官たち。そしてそれを護衛している聖銀の鎧に身を包み、一糸乱れぬ隊列を組んだ教会騎士たち。

 

 

「何故、こんなっ!?」

 

「わ、分からないんです。誰に聞いても気が付いたら(・・・・・・)突然現れた(・・・・・)って」

 

「そんな、事が……」

 

 カナリアの言葉に、ジャン神父が絶句した。

 しかしながら、こんな数の馬車が遠方から列をなしてやって来たのなら、もっと早くから騒動になっている筈で。

 ならば、本当に突然現れたのか?とジャン神父は混乱するばかりであった。

 事の真偽がどうであれ、明らかに尋常では無い。

 まるで”戦争”でもしに来たようだった。

 

「――っっ!」

 

 そんな風に思っている内に、町を覆う喧騒が更に増した。

 こんな騒動になっているのだから、ジャンやクリス、カナリアなどといったこの町の教会の面々以外も当然気がついていて、外に出て動揺している。

 その困惑の波を押しのけながらも、幾人もの神官と騎士で構成された一団が、ジャン神父たちの前までやって来たのだ。

 ジャン神父は、震えそうになる体を押し留めながら、クリスや他の子たちを背で隠すように動いてから、気丈に声を張り上げた。

 

「これは一体どういう事か!?どうか納得の行く説明を頂きたい!!」

 

 悲鳴じみたその叫びに1人の伝令の騎士が答えた。

 

「ジャン・スィニス神父殿とお見受けする!この度、其の方の進言に従い神官クリスの審査に参った。当方に、危害を加える意思は無い。ご安心召されよ!!」

 

「――――――は?」

 

 

 帰ってきた答えは、ジャン神父が最初に予想した。しかし、今ではあり得ないと切り捨てた答えだった。

 

 

「審査……?審査と言いましたか?これが、審査の為だと!!なんて無茶苦茶な、有り得ない!!」

 

 

 激したジャンの言葉の正しさといったらない。

 なんなら、目的を告げた伝令の騎士すら、その言葉に口にこそしない物の、同意しているかのように瞳を泳がせていた。

 それほどに滅茶苦茶な事態なのだ。

 しかし混迷した状況に、更なる爆弾が投下される。

 

 

「スィニス神父。その困惑・憤り、全てが正しい。連絡が事後になった事も含め、全ての非は此方側にある。しかしどうかこの老骨の顔に免じて、抑えて欲しい」

 

 

「なっ!?な、な、なぁ――」

 

 

 その声は、静かに、しかしどこまでも深く響き渡る老人の物であった。

 声と同時に1人の老神官が、一団の中より現れた。

 かなりの高齢に見える、がっちりとした体格の老神官。

 刻まれた幾本もの皺が過ごしてきた年月の重さを感じさせ、しかし僅かたりとも曲がっていない背が未だ溌剌とした生命力を感じさせる、そんな老人。

 そんな彼の姿を確認した途端、唯でさえ青かったジャンの顔が、更に真っ青となった。

 ぱくぱく、と声にならない音を繰り返すその様は、まるで陸に打ち上げられた魚のそれで、ジャンの混乱する感情を痛いほどに周囲へと伝えていた。

 

 

「ジョージ・エクシノ枢機卿猊下(・・・・・)――!?な、何故。貴方がっ!!」

 

 

「……………………」

 

 

 絞りだされたジャンの声に、アルケーの町の住人の視線が、全て老人の衣服へと向けられた。

 聖神教の法衣。その右肩に刻まれた位階線。

 その数は――1本(・・)

 

 この世界、この星の、あらゆる国、小さな部族にすら行き届く神パンタレイ信仰。

 その元締めたる聖神教。その頂点、1人1人が大国の元首に匹敵、いいや凌駕する権力を持つと言われる3人の枢機卿。

 この老人が、その内の1人であると言うのか。

 そんな人間が、片田舎に住む小娘1人を直々に見に来たと言うのか。

 

 

 あり得ない。あり得てはならないだろうそんな事。

 町の周囲を埋め尽くす馬車の壁、そこに乗っているであろう幾人もの人間。それら全てを合わせてなお、目の前の老人1人の存在の方があり得ない。

 ああしかし、神官の身分の詐称――正確に言えば、下が上を騙るのは――重罪だ。

 それが枢機卿の物ともなれば、死罪になっても何ら可笑しくない。

 それにそもそも、ジャン神父を含めて枢機卿の顔を直接見たことがある者たちの反応は、どう見たって本物に対するそれで。

 

 

「こ、これは貴方の命令なのですか、猊下」

 

 

 明らかに意味の分からぬ異常な現状。

 しかしながら枢機卿ともなれば、それを引き起こすことは可能だろう。

 あり得ない事とあり得ない事。それが2つ重なって逆に少し理解が及ぶと言う珍事。

 そんな風にジャン神父の心の中に生じた微かな納得は、しかしすぐさまぶち壊された。

 

 

「申し訳ないが、その問いに対する回答は、否、だ。今回の1件における儂の立ち位置、与えられた裁量は伝令の鳥、唯の使いに過ぎない。言ってしまえば、この場において、儂と他の神官や騎士の間に、然したる違いはない」

 

 

「――――は?」

 

 

 なんだこれは、何が起こっていると、ジャンの思考が再び宇宙の彼方へと飛ばされる。

 しかし、時間は止まらず、事態は進み続ける。

 

さるお方(・・・・)がクリス・ルヴィニ神官の到着を待っている。…………儂から言える事はそれだけだ」

 

「ば。ま、まさかそれは」

 

 枢機卿を唯の使いとして用い、この様な態度を取らせる相手。

 そんな人間は、ジャンの知るところ1人しかおらず――

 

「……さるお方(・・・・)だ。如何に分かり易く瞭然であっても、彼の方がそうおっしゃったのならば、それ以上の詮索は出来ん。わかるだろう、神父」

 

「――っっ」  

 

 ジャンは口に出しかけていた予想を止めた。

 枢機卿の言葉は優しくはあったが、否定することは許されない深みに満ちていた。

 

「く、クリスさん」

 

 そして絞りだされた声は、ジャン神父の善良さを表すものだろう。

 枢機卿。そして仄めかされたその裏に居るらしい人物。

 それらはジャンからしてみれば、天からの言葉も同然で。

 しかし声と苦渋の表情に籠められているのは、クリスに対する心配だ。

 易々と否定できるものでも、自分程度が否定して何か変わる物でも無い。

 されど現状は明らかに異常で、クリスをそのまま連れて行かせて良いのだろうか?そんな苦悩が痛いほどに伝わって来るよう。

 

 だからクリスは微笑んだ。

 ジャン神父だけではなく、アレン達やカナリア、他にも心配してくれている人たちに対して、心配ないよ。と示す様に。

 そして、ジャン神父の背より離れ、枢機卿の前へと歩みを進める。

 他の町の人から注意を逸らす為に、何時もは抑えている雰囲気を少しだけ開放しながら。

 

「お話し中に申し訳ございません。只今、話に上ったクリス・ルヴィニと申します。この度は私の審査の為などに皆さんにご足労頂いたとの事。実に光栄で感謝の念に堪えません」

 

「――ッ」

 

 真昼に星が輝いた。

 

 話題に上がっていたとは言え、枢機卿の会話に割り込むと言う無礼。

 そして、脈絡もなく近づいてくると言う危険。

 止めるべきだろう。

 無礼討ちはやり過ぎだとしても、一言位は言って然るべきだ。

 けれど誰も、何も行いはしない。そもそもそんな考えすら浮かばない。

 

 

「――――」

 

「――――」

 

「――――」

 

 

 枢機卿の周りに侍る幾人もの教会騎士。

 詳しい所は分からないが、精鋭だろう。

 仮にも枢機卿に付く事を許された者たちなのだ。性根も、実力も、凡庸では勤まる訳も無し。

 しかしそんな彼らの、誰も彼も。兜の下に隠れた顔を紅く染め、ぼぉっ、と惚けて案山子の如く突っ立っているばかり。

 誰もが10もそこらの少女に惚けて、心を溶かされていた。中には女性の騎士すら居たと言うのに!

 

 

 モノ(・・)が違う。

 

 

「ああ……!クリス様」

 

 

「なんて神々しい……」

 

 

 そして無論。その影響はやって来た者たちにだけに留まらない。

 意味不明で異常な事態に、困惑し怯えていたアルケーの町の人々。

 しかし今の彼らの心の中にそんな感情は欠片も無い。

 

 町が教会の馬車に包囲されている?

 枢機卿がやって来た?

 そんな雑事(・・)どうでも良いだろう。思考を割く価値すら見いだせない。

 今の己たちが行うべきは、目の前の少女の形をした神々しい”美”そのものの姿を目に収め、魂に焼き付ける事。それを置いて他に無い。

 心が蕩ける。なんて幸福。満たされた時間。この世の全てが此処にある。

 

 やはりこちらも、皆が皆惚けている。

 中にはこの様な状況下にも関わらず、滂沱の涙を垂れ流し、地に膝をつき両手を握りしめ、祈りを捧げている者すらいる始末。

 

 

 完全に正気が残っているのはアレンやカナリアと言った元からクリスと親しい面々。

 しかし彼らは効果が無いと言うよりは、既にもっと深い所まで心を奪われているから、今更この程度では効きはしないと言うだけ。

 そういった意味で、逃れ得た者は誰1人として存在しなかった。

 

 これは一般的に言えば、魅了されたとでも表す状態だろう。

 しかしクリスにその気は無いし、そもそも彼女の”魅了”がこんなちゃち(・・・)些細(・・)な代物で無い事は言うまでも無い。

 

 

 ともかく、異常は更なる異常で塗りつぶされた。

 最早この場の主役はクリス。彼女の独壇場。誰も彼女から目を逸らせない。

 

 

「なるほど。貴方が……」

 

 

「お目にかかれてとても光栄です。エクシノ枢機卿猊下、とお呼びしても?」

 

 

 話しかけられた枢機卿の態度は比較的ハッキリとしている。

 少なくとも最早ただの置物と化している彼の周囲の人間たちとは雲泥の差だ。

 流石は枢機卿と言うべきか、或いは同じレベルの(・・・・・・)雰囲気を味わった(・・・・・・・・)事でもあるのか(・・・・・・・)

 

 しかし流石に余裕までは持ててはいない様子。

 よってこれで彼らのクリスに対する対応(スタンス)がハッキリする。

 友好か、敵対か。それが分かる…………その筈だったのだが。

 

申し訳ないが(・・・・・・)我々は貴方に対し(・・・・・・・・)如何なる態度を(・・・・・・・)表す事も許されて(・・・・・・・・)いないのです(・・・・・・)。1つだけ許されているのは、彼の方の前まで貴方を連れて来る事、ただそれのみ。無礼は百も承知、それに対する罰も後程であれば、幾らでも。しかし今だけ。今だけは我らの事を空気や、木石と扱って、ただ後ろを付いて来て貰いたい」

 

 なんぞ、これ。

 

 クリスが思わず心中で、そう雑にツッコんだのも無理は無いだろう。

 しかしながら、どうやら目の前の老人は決して冗談を言っている訳では無いようだ。

 ならば、仕方が無い。

 

「……いえ。そう言うことでしたら、分かりました。ただ付いて行けば宜しいのですね?」

 

「寛大なる態度、誠に痛み入ります。町の少し外に天幕を張っております。彼の方はそこに。宜しければ、お体を運ばせていただく籠を用意しますが」

 

「い、いえ。そんな距離で無いのなら、歩かせていただいた方が、嬉しいです」

 

「分かりました」

 

 これが、枢機卿の態度か?

 積み重なる疑問。しかし、考えるよりもそれを命じた者にあった方が早いだろう。

 クリスはもう一度、アレン達に心配ないと笑いかけた。

 

 誰かは分からないが、逃げも隠れもする気はない。

 そんな風に思いながら、クリスは枢機卿の後を付いて行った。

 

 

 

 

 

 



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010 自分怪しいんで、怪しんで下さいっス!!!!!

 

「此方です」

 

 枢機卿の道案内と言う普通に生きていれば体験することの無い状況を味わう事10分程度。

 最初に宣言された通り、町の直ぐ近くに張られた大きな天幕に、クリスは辿り着いた。

 用意する時間など、殆ど無かったであろうのに、見事な物である。

 

 

「此処より先はお一人で。彼の方が待っておられます」

 

 

「分かりました。案内、ありがとうございました」

 

 

 一体誰が自分を呼んだのか。遂にそれが分かる。

 クリスは息を呑んだ。

 

 

『気を付けろよ、クリス。最大限に警戒しろ』

 

『ベアさん?』

 

 

 頭の中に直接鳴り響くデザベアの声。クリスは咄嗟に視線だけを動かして、彼の姿を探した……が居ない。

 何時もであれば、ぷかぷかと周囲を浮いている筈なのだが。

 

『探さなくて良い。普段と違って、存在濃度を極限まで下げて、お前に憑いている。後、ひと段落するまで基本的に返答もするな。お前の隠蔽技術だと最悪察知される』

 

 

『…………』

 

 

 今までにない対応。

 デザベアもかなりの緊張感を持っているという事が、クリスに伝わった。

 クリスはその言葉に返答しないことで、了解の意思を返答した。

 

 

 そして彼女は天幕の入り口に手を掛ける。

 かなり老齢の枢機卿を顎で使える様な人物。

 一体どんな長老の様な人が待っているのか、そんな予想をしながらクリスは天幕の中へと入りこんだ。

 

 

 

 ――しかし、その予想は完全に外れていた。

 

 

「………………」

 

 

 天幕の中。その中心に、1人の若い男が立っている。

 聖神教の法衣に身を包んだ若い男。

 恐らく詳細な年齢は、20歳から25歳の間といった所か。少なくとも30に届いている様には見えない。

 咄嗟に右肩の位階線を見るが、そこには何も無い(・・・・・・・・)

 身分を隠すためか、或いは(・・・)

 

 

 身につけているのは法衣だが、世の年頃の女の子たちに彼の第一印象を問いかけたのなら、一番多く返って来るであろう答えは神官では無く、“王子様”だろう。

 教科書に乗せたいくらいに絵になる金髪碧眼。

 しっかりと切り揃えられたサラサラの金の短髪。透き通るような瞳。当然の権利の如く整った顔立ちに、高身長。

 ついでに、ゆったりとした法衣の下の肉体が鋼の如く鍛えられている事を、クリスの(変態的な)眼力は見抜いた。

 オマケに、何と言うか言葉にし難い妖しい魅力すら放っている始末。

 産まれる前に幾ら賄賂を積めばこんな容姿になれるのかという話だ。

 

 

 …………まあ、そんなこんなで相対しているクリス当人が(魅了とか神聖な雰囲気とかを使わない状態で)目の前の男で漸く足元に及ぶくらいの、頭の可笑しいステ振りの魅力をしているのだが。

 

 

 しかしそれは一先ず置いておく。

 ともかく重要な事は、目の前の男が若く生気と魅力にあふれている事。

 そして、にも関わらず。クリスには目の前の男が今にも死にそうな、いいや何故死んでいないのか分からない程の、老人の様にしか見えなかった。

 表面的な見た目なぞ気にもならない。

 見ているだけで、涙が溢れそうになる。

 これは。これはあまりにも――

 

 

『おい、クリス。力を貸してやる。コイツが少しでも怪しい動きを見せたら、速攻で潰せ。何もさせるな、蹂躙しろ』

 

 

 嘗てない程に、物騒なデザベアの言葉。

 いつもであれば、窘めただろう。

 しかし今回はしなかった。何故なら同意はしないが、デザベアがどうしてそんな事を言いだしたのか、理解が及ぶから。

 

 

 ――この人、強い(・・)

 

 

 クリスに戦いのセンスは無い。

 そんな彼女ですら理解できる。幾ら何でも蛇と龍は見紛わない。

 今にも消えてしまいそうな命の灯とは裏腹に、感じる強さは今まで出会った人間(・・)の中では圧倒的で、他に並ぶ者無し。

 唯一、伍するのは人外たるデザベアのみ。

 ……そう聞くと途端に大したことなく思えて来るが、面白ツッコミマスコットのデザベアでは無く、人の魂を世界の壁を越えて移動させ、運命すら操作する呪いを掛ける大悪魔デザベアと同格である。笑い話では無い。

 

 今の聖華化粧で使える程度の力では間違いなく勝てないだろう。

 デザベアの力を借りて、ある程度本来の力を使えても“戦い”を挑んだのなら、万が一があり得る。

 確実にどうにかしたいのなら、デザベアの言う通り初手から“蹂躙”するより他に無い。

 それがクリスの見解で、覚えた危機感だった。

 

 そんなクリスの緊張を知ってか知らずか、男は柔和に微笑んだ。

 そこに敵意は――少なくとも表面的には――見られない。

 

「まずは、此方に呼び寄せてしまった無礼への謝罪を。そしてようこそおいで下さいました。クリス・ルヴィニ様。私はボロス――偽名です」

 

「あっ!申し訳ございません。これはどうもご丁寧に。私は――って偽名?????」

 

「大変な無礼と承知しますが、今は明かせぬ理由が。我慢ならぬという事であれば、この場で首を切り落とされても仕方が無いと覚悟しております」

 

「い、いえっ!別に気にしません。その。そういう事でしたら、そういう事で……。はい」

 

「寛大なるお心に、尽きぬ感謝を」

 

 ――やっぱりどう考えても可笑しい。

 

 クリスはやはりそう思った。

 それは、彼らの行動が常識知らずだから――では無い。

 強い力や権力を持つ者の行動が、時に滅茶苦茶になるのは分かる。

 そもそも、行動の突拍子の無さと言う意味では、クリスだって人にどうこう言える立場では無い。

 しかしながら、それを踏まえても彼らの行動は可笑しい。

 ちぐはぐ(・・・・)なのだ。一貫性が無いと言い換えても良い。

 行動から、目的がまるで見えてこない。

 

 大きな力と兵力を見せつけて、威圧・脅迫するのが目的?

 だったら態度が可笑しいだろう。

 そもそもそんな事をせずとも彼らには圧倒的な権力がある。

 

 枢機卿は枢機卿である。

 目の前の男の正体は分からないが、正直お察しだろう。

 そんなに脅したいのなら、自分たちの下に呼び寄せて、足でも舐めさせれば良い。

 そうすればクリスも“くっ!殺せ!!”や“体は好きに出来ても心を自由に出来るとは思わないでください!!”や“貴方って最低の屑ね!!”と言って目を輝かせて舐めるしか無いだろう。

 それはもうしゃぶり尽くすしかない。しゃぶしゃぶだ。ご飯が欲しい。

 

「その、ボロス様ですね。私は、クリス。クリス・ルヴィニです。お目に掛かれて光栄です」

 

「ボロス様……ですか。出来れば、呼び捨てて頂きたく、貴方に敬われるほど、大した者ではございませんので」

 

「いえ、その。こういう性分なので、出来れば許していただきたく」

 

「分かりました。貴方がそう言うのであれば、クリス様」

 

「あのっ……!私の方こそ気楽に呼んで頂ければ!」

 

「申し訳ございません。こういう性分ですので」

 

「ぁぅっ……!」

 

「ふふっ」

 

 しかし現実は、これだ。

 権力を傘に偉ぶるどころか、寧ろ敬ってくる始末。

 

 では逆に、歓迎?

 仲良く友好的にしたいと言うのか。

 それも考えにくいだろう。

 突然の、町の包囲と来訪。これで友好関係を築きたいと本気で思っているのなら正直頭がアレだと言わざるを得ない。

 ド天然でアーパーなクリスですら、もっとマシな歓迎方法を幾つでも思いつく。

 

 

 ならば、観察か。

 こう言った態度を取って、どう対応してくるかを見極める。

 ……他の考察に比べれば正答に近くは思える。

 朗らかな態度の中に、冷静に此方を見極めようとする意思が微かに見える時が、確かにある。

 しかしそれが真の、一番重要な目的では無いだろう。

 それだけが目的なら、もっと上手いやり方が幾らでもあるだろう。

 

 

 そうそれだ。“もっと上手い方法がある”これに尽きる。

 何が目的にしろ、子供の浅知恵ですらより効果的な方法を思いつける。

 これでは怪しんでくれと言っているような物だ。

 いや或いは。怪しまれる(・・・・・)事が目的(・・・・)?馬鹿な、それこそ一体何の意味がある。

 

 

 訳が分からない。 

 理解という面でだけ言うのなら、出会った瞬間に殺しに来られる方が、未だ分かり易いくらいだろう。

 

 

「あの、ボロス様。それで今回は、私の審査の為に態々いらっしゃって下さったとの事ですが」

 

 

「しんさ………………?……………………ああ、審査!ええ、はい。その為に参りました、勿論」

 

 

「…………」

 

 

 ほら。こういう事を言う。

 

 

「では、回復の力などをお見せすれば宜しいでしょうか?」

 

「いえ、それには及びません。そうですね、より上位の位階を手に入れて、何を為さるのか。それをご教示願いたい」

 

 

「浄化行脚の任を。世界中に蔓延る呪いと悲劇を浄化する。その一助とさせて頂きたいのです」

 

 

 ボロスと名乗る目の前の本名不詳の男の思惑を、クリスは知らない。

 されど己の目標を問われたのなら、誠心誠意伝わるように話すだけだ。嘘を吐く気はない。

 勿論それですんなり通る話では無い。それは理解している。

 

 

「それは素晴らしい!では今より、その様にしましょう」

 

 

「はい。勿論、すぐにお認め頂ける様な軽い話で無い事は承知しております。ですので、これから信頼に足る態度と力量を示していけるように精進を――を、ヲッ!?え、えと。認めて頂けるのですか!?」

 

 

「当然の事です。確かにこの世は呪いと悲劇に溢れております。それを少しも解決できないこの身の不甲斐なさには、何時も憤りを覚えるばかり。しかしだからこそ!世を良くしようと言う動きの邪魔をする様になる訳には行きません。卑小であれど、卑怯にはなりたくないのです」

 

 

「そ、そうなのですか」

 

 

 なんだ、これは。

 本日何度目になるか分からない呟きが、クリスの心中で為される。

 つまり目標が叶ったと?これはそういう事なのか?こんなにアッサリ?

 そんなクリスの困惑を余所に、ボロスのどこまで本気なのか分からない滅茶苦茶な提案は続いて行く。

 

 

「浄化行脚は、聖女・聖人が担う任。敢えてそこを崩す必要も無いでしょう。では、これから聖女という事で。位階は……直ぐにご用意出来るのは1本線となります。力不足で申し訳ございません」

 

 

 前にも述べたが、聖女・聖人は権力者と言うより広告塔の側面が強く、認定されるだけで与えられる位階は3本線である。

 クリスとしては全く構わない。いや寧ろ貰い過ぎと思うくらいだ。

 ニフトの言葉や、浄化行脚に必要だから目指しているだけで、権力・地位その物に対する興味は、ほぼ無い。

 だから、ボロスの言う通り1本線でも何も問題は――1本?1本!?

 

 

「いえ、寧ろ過分な評価で恐縮するばかりで――ん?んんっ?んんんんんんん?????????????????????????????????????」

 

 

「ああ、そのお怒り、反論の余地もありません。高々、枢機卿如き(・・)と同じ立場。何たる失礼!何たる無礼!!千度殺されても仕方のない不敬と承知しております。迅速に相応しい特別な立場を用意致しますので、どうか此処はお納め頂きたい」

 

 

「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 

 

 権力の閉店在庫処分セールか何かか?

 中学生の妄想でも、もう少し段階を踏むだろうとクリスは思わざるを得ない。

 

 

「違いますっ!低いのでは無く、高いのです!高すぎるのです!!規定の3本線ですら私の身に余る程なのに、何も為せていないと言うのにその様な立場・評価。頂く訳にはまいりません!!!」

 

 流石に我慢できなくなったクリスの叫び。

 それを受けてボロスは、成程、成程。と何度か繰り返した。

 

「見目同様、心もお美しくいらっしゃる様だ。実に謙虚で清廉であられる」

 

 

 いくら何でも、ヨイショ、おべっかが過ぎる。

 此処まで来ると逆に馬鹿にされている様で、人によっては怒りだしても不思議では無いだろう。

 ただ不思議なのは、ボロスの向けて来る感情に態度ほど大袈裟ではないが、“感謝”や“敬意”が確かにあるという事。

 それが分かるが故に、クリスは更に混乱する。

 心にも無い事を言っている訳でもないが、狂信故の本心と言う訳でもない。

 結果、やっぱり分からない。

 

「その、私の様な何の実績も無い小娘がそんな地位を頂く事は、誰にも納得されないと思います」

 

「ああ。それはご心配には及びません。私がそうしろ(・・・・・・)と言えば(・・・・)そうなりますので(・・・・・・・・)

 

「………………」

 

 温和に物騒な事を述べるボロス。

 彼は、それにそもそも……と話を続けた。

 

「実はクリス様の地位に関しては、3枢機卿以下、教会の主要な面々の同意は既に取っているのです」

 

「……えっと」

 

「流石に言葉だけでは信じて頂けないかとも思い、その証拠に(・・・・・)1人枢機卿を連れてきました。お望みでしたら残り2人も呼びましょう。今すぐ(・・・)この場所に(・・・・・)

 

「い、いえ。結構です」

 

「そうですか」

 

 高が話に説得力を持たせるためだけに、枢機卿をガキの使いにしたと、ボロスはそう言った。

 クリスとしてはもう乾いた笑いを浮かべるより他に無い。

 非常に考えづらいが、聖女やら1本線やら、どうにも本気で言っているらしい。

 

 

「と。そう言う訳でして。差し支えなければ受け取って頂ければ光栄です。そして、どうか世界に蔓延る呪いを解いていただきたい」

 

 自ら目標と言った手前、非常に断りづらい。

 それに、欲しいとは思わないが、あれば役に立つ物であることは疑いようも無い。

 悩んだ末、クリスはボロスの提案を受ける事に決めた。

 

 

「……分かりました。精一杯務めさせて頂きます。与えられた立場に相応しく在れるよう心がけます」

 

 

「それは良かった。新たな法衣は持参しておりますので、後でお着替えください」

 

 そうして結局。何が何やらわからぬまま、クリスの目標は必要以上に叶うことになった。

 聖女・1本線の地位に。そして浄化行脚の任に就く許可。

 棚から牡丹餅どころか、棚から徳川埋蔵金が雪崩落ちてきたようなものである。

 普通であれば下手をすれば、重圧(プレッシャー)で潰れても何ら不思議ではない。

 しかし、そこはクリスもさる者。

 突然、世の行く末を左右するほどの権力をポン!と手渡されて、心にあるマイナスの感情は、“今まで真面目に仕事をされてきた他の方々に申し訳無い”と言う事だけ。

 与えられた立場に対するプレッシャーなどは殆ど無い。

 あろうことか、“切り替えて浄化行脚で世界中の呪いと悲劇を解いて、裏で発生している事件も解決したら、職を辞すれば良いか!”なんて思っている始末。

 

 よってここに、聖女クリスが爆・誕!した訳であった。

 ……しかし、話はこれで終わりではなかった。

 

「では早速、と言う訳ではないのですが、聖女クリス様。1つ、どうか御慈悲を賜りたい願いがあるのです」

 

「願い、ですか?」

 

 或いはその願いとやらを確実に通す為が故の、これまでのハチャメチャな行動であったのか。

 咄嗟に湧き出たクリスの考察を否定するように、ボロスの声が天幕に響く。

 

「1つだけ。どうか誤解されず頂きたい。これは交換条件などと言うフザケた代物では決してございません。先の話は先の話。今よりの話がどのように進んだとして、先の話に一切の変更はございません。これよりの話は、どうかお助けいただきたい、とそれだけなのです」

 

 それは実にクリスのツボ(・・)を押さえた話だった。

 万の黄金を積まれるよりも、尽きぬ権力を約束されるよりも。

 ただ一言。助けて、と言われる方がクリスには余程嬉しい。

 エッチな事をしてくれると、もっと嬉しい!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「では、私も先の話とは関係なく1つ。まだ詳細が分かりませんので、無責任に成功の確約は行えませんが、私の力が及ぶことであれば、精一杯協力させて頂きます」

 

「感謝を」

 

 そのまま願いの詳細を話し始めるかと思われたボロスだが、そうではなかった。

 

「本題に入る前に少しだけ。クリス様はドニス・サピロスと言う男を知っておられますか?」

 

 この世界にやって来たばかりの頃であれば、絶対に答えられなかったであろう質問。

 しかし、今のクリスには回答が可能であった。

 神官として忙しく働く傍ら、エレノアに家事や、この世界の事をしっかりと教えて貰っていたからである。

 結果として、知識。ついでにエレノアからの好感度と、息子のお嫁さんポイントが非常に上昇していた。

 

「このアナトレー王国の、公爵閣下であられる方で間違いないでしょうか?非常に残念なことに、直接お顔を拝見する幸運を預かった事はありませんが、国王陛下からの信任も篤い素晴らしい方であると聞き及んでおります」 

 

 

「その通りです。では、その息子であるジーク・サピロスについてはどの様に?」

 

 

「獅子から生まれし龍。後少し産まれるのが遅ければ、必ず聖印を得て、次代の神託王陛下の最有力候補に上っていたであろう事が間違いない程に優秀な方、と」

 

 

 【神託王】――その言葉を己の口から出した瞬間(とき)。クリスは今までで一番注意深く、じっ。と目の前の男の顔を観察した。

 浮かべる微笑に一切の変化なし。

 ポーカーフェイスが上手いことで、とクリスは心の中で大きな溜息を1度だけ吐いた。

 

 

「それも、間違いありません。重ね重ね申し訳ありませんが、これで最後になりますのでどうかご容赦を。では、その妹であるアリス・サピロスに関しては如何なる見識をお持ちでしょうか」

 

「それは……」

 

 これまで流暢に答えていたクリスの口が止まる。

 前2人と比較して、新たに話題に上った人物の情報を、クリスは殆ど持っていなかった。

 

 

「聖印をお持ちであるという事。年が私と同じ十であるという事。お体が弱く、あまり表に出られない事。申し訳ございませんが、それ以上の事は……」

 

「いえ、十分すぎる程です。それ以上の情報が無いのは当然なのです、何せ彼女の情報は秘されていますから」

 

「隠されている、ですか?」

 

「ええ。アリス・サピロス。公爵家の令嬢。病弱故に、表に出てこないと言われている彼女ですが、真実は異なります。彼女は【呪い憑き】なのです」

 

「呪い憑き……」

 

 アレンを友人に持っているクリスからすれば、他人事ではない話だ。

 まあ、アレンの物は厳密にいえば【呪い憑き】では無い事が最近分かったのだが、それは一先ず置いておく。

 

「それも、後天的に呪い憑きとなったパターンでして、それ故あまり表に出てこないそうです」

 

「…………」

 

 聖印持ち。貴族。後天的な呪い憑き。ますます、アレンと似て来る境遇である。

 クリスは何とも言い難い表情で沈黙した。

 

「そしてここからが本題となります。そんなアリス嬢ですが、厄介な呪いを掛けられてしまった様なのです」

 

 クリスは、ボロスのその言い分が気になった。

 つまりそれは――。

 

「呪い憑きとは、また別に。と言う事でしょうか」

 

「正しく。詳しい事は分かりませんが、どうも奇行を繰り返している様ですね。父親である公爵はがそれを解くために水面下で動き回っております」

 

「奇行……」

 

 デザベアが何時ものテンションであれば、“お!奇行のスペシャリストとしてアドバイスしてやれば?”とでも揶揄いを飛ばしてくる頃合いだろう。

 しかし今は完全に沈黙している。未だ、強く警戒しているのだろう。

 

「その呪いを解いて頂きたいと言うのが、私が乞う慈悲となります」

 

「何故、ボロス様がそれを願うのか、お聞きしても?」

 

「勿論です。公爵とは知らぬ仲でもありませんが故、彼の我が子を思う心に胸を打たれたのです」

 

「それは、素晴らしい事ですね」

 

 本当であるのならば。

 

「して、お受け頂けるでしょうか」

 

 そう問いかけるボロスの言葉は怪しい事この上ない。

 何で、公爵の隠している情報を知っているんだ、正体隠す気あるのか!なんてクリスとしては言いたいことが山ほどある。

 だがしかし、返す答え自体は決まっていた。

 

 

「引き受けさせて貰います。良いお知らせを返せるように全力を尽くします」

 

「おお!ありがたい!!これでもう全ては解決したも同然でしょう」

 

 困っている人が居て、助けを求めて来たのであれば、クリスに断る選択肢は無い。

 幾ら怪しかろうと、自分が出来る限りの事はするつもりだった。

 

「大変失礼な話ですが、これは内密な話であるが故に、お一人での解決をお願いしたい――と言う所なのですが、エレノア・ルヴィニ。アレン・ルヴィニの両名であれば、問題ないでしょう。彼女らであれば信用が出来ますので」

 

 前半の提案は、予想の範疇。

 しかし、後半は聞き流せなかった。

 

「2人の事を知っているのですか?」

 

「エレノア・ルヴィニとは何度か会った事がありまして、彼女の事は信頼しております。アレン・ルヴィニ、彼に関しては……返せぬ程の借りがありましてね。出来る限り彼の要望は叶えてやりたいのですよ」

 

「借り、ですか。それはどのような……?」

 

「申し訳ございませんが、個人的な事でして」

 

「は、はぁ……」

 

 怪しい。どうやったらここまで怪しくなれるの?と言いたくなるくらいに怪しい。

 しかしながら、何か悪事を働いている明確な証拠があるわけでもない上に、礼儀正しく接してくれる相手にクリスはそれ以上の追求は出来なかった。

 ドが付く程の善人であるクリスの弱点が出た形となる。

 これがデザベア辺りであれば、貰える善意は貰った上で、躊躇なく恩を仇で返す位は軽くやるだろう。

 いや、全く褒められる事ではないが。

 

「私の方からの話は、これで以上となります。大変名残惜しいですが、そろそろクリス様のご友人の心配も大きくなっている頃合いでしょう。クリス様の方から何かあるでしょうか?」

 

「私の方もこれ以上は――いえ、最後に1つだけ質問をさせて貰っても良いでしょうか?」

 

「ええ、勿論です」

 

 そこまで聞く必要がある事でも無いのだが、クリスの脳裏に少し気になる事が浮かんだ。

 

「アリス様は【呪い憑き】との事ですが、具体的にはどのような……?」

 

「気になりますか?」

 

「繊細な部分ですので、お会いした時に失礼をしてしまってはいけないな、と」

 

「ああ、そういう事ですか」

 

 特に変なことを言っている訳でもない。

 ボロスはクリスの質問を簡単に回答した。

 

「彼女の場合は、運悪く非常に分かりやすく隠しにくい場所に呪いが出てしまっています。頭に生えているのですよ――兎の耳が、普通の耳とはまた別に」

 

「…………そうなのですか。では、今日は本当にありがとうございました。与えていただいた名に、実が追いつくよう精進していきたいと思います」

 

「いいえ、こちらこそ。この数十年でもっとも充実した時間でした」

 

 どうやらボロスの方に、表に姿を晒す気は無いようで、2人は少なくとも表面上は笑顔で別れを告げた。

 

 警戒していた様な事態は発生しなかったが、あまりに、あまりにも状況が動きすぎた時間であった。

 考えなくてはならない情報・疑問が星の数ほど存在する。

 しかしながらクリスは思う。

 底知れず、最後の最後まで本心が見えなかった男、ボロス。

 されど、そんな彼も気がついていないであろう重大情報が、彼自身の話の中に隠されていたのだ。

 

 

そうそれは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

USMM(ウサミミ)だああああああああああ!!!!!!!ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)

 

 

 

 尚、最後の最後でシリアスをやめた天罰か。

 聖女就任をいつの間にか伝えられていて、天幕を出た瞬間にやって来た神官&騎士Withアルケーの町の人々から“聖女様万歳!!”と持ち上げられて、大慌てするクリスの姿が見られた。

 

 



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