剣ノ杜学園戦記 (新居浜一辛)
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プロローグ:現とユメ
彼女から見える世界は、ねじくれて、汚されて、歪んで、そして灼けていた。
頬をつける大地は一秒ごとにその熱を増して、砂利も土もコンクリートも自動車も、転がる無数の死体も、余さず溶かしていく。
その熱が地表に焼きつかせた人の影は、編まれた曼荼羅のようだった。
酸素は消費尽くしてもはや一呼吸分さえないにも関わらず、桜の植樹に灯った炎はますます盛りを見せて、昼夜も季節感も定かでない、亀裂だらけの空を焦がす。
大きく全体が傾いて、今にも倒壊しそうな校舎の向こう側には、それとは逆に冷え冷えとした黒い嵐が暴威を誇っていた。
刻むように大地を飲み込み、みずからが孕む暗黒の中へと有象無象、有形無形を区別なく埋めていく。
そんな中で、どうした訳か彼女自身は、溶けることも、嵐に削られることもなかった。痛みだってない。ただ、立ち上がることができないだけだ。
あぁ、と彼女は思い出す。
そう言えば、わたしの両脚は吹き飛んでいたな、と。
自分に言い聞かせるようにくり返す。痛みは、ない。前後の経緯が吹き飛んでいるから自覚としては唐突にこの崩壊の中に放り込まれた感はあるけれど、パニックだって起こさない。
ただその時点での自分は、己を含めた周囲に起こった総てを理解していた。これは、終幕だと。
悔いはない。だが、せめて最期の刹那は見逃すまいと、顔を上げる。
その視線の先には、黒く大きく伸びる影があった。
長い手足を持ち、すらりと細い体躯を持ち、そして……折り畳まれた、鳥の翼を持っていた。
肩から伸びた両翼は、鋼鉄質の鈍い輝きを放っている。一枚一枚が、ナイフ以上の鋭さを持っていて、触れるどころか接近するだけで引き裂かれそうだった。
察するに、自分の両脚はあれによって両断されたのだろうか。
さながら天使の羽根ならぬ死神の鎌といった塩梅か。
それは、自分の枕元に屈んで寄り添った。夢魔のように。
その翼の奥に、長く高くそびえ立つ、金属の塔があった。
否。
それは天を衝く長大な剣だった。
溶かした宝石を塗り込んだような、分厚い透明感に覆われたそれは、自分の墓標か。あるいは目の前の鳥人が背負う十字架か。
その是非を問う前に、怪人の腕が伸びてきた。全身の感覚が喪われた状態で、恐怖はもはや感じなかった。ただ迫り来る死を、漫然と受け入れていた。
やがてその時が訪れて、ふっつりと、電灯を消すかのように視界はブラックアウトした。
そこまで観て、
崩壊した学園も大剣も死神もそこにはなく、あるのはベッドから手足を投げ出すように転げ落ちた自分のマヌケな姿。意味を成さないスマホの目覚まし用のバイブレーション。
そして、器用に床に衝突した額を苛む、たしかな痛みだけだった。
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第一章:ウヅキ、胎動
(1)
明晰夢、というものを足利歩夢は初めて見た気がする。
おおよその人間が夢を見れば早くて起きてすぐでも見た内容を思い出せない、昼を過ぎれば夢見たこと自体を忘れてしまう。
彼女の十五年の人生においても、そうだったはずなのだが、今回ばかりは違った。今でもその光景は焼き付いているし、しばらくは忘れられそうにもない強烈さだった。
何より異常なのが、世界と自分の命が焼け落ちるというこの上ない悪夢であるにもかかわらず……不思議と、悪い気持ちではなかったことだった。
だからこそ、嫌だった。
(まぁこんなとこに入れられるからかな)
歩夢はやや身の丈に余る、学校指定のコートをかき合わせながら、そのポケットに入ったパンフレットを見た。
――私立
全校生徒および教員が二千人在籍している。偏差値は高すぎもせず低すぎもせず。少なくとも勉強に熱心ではない彼女が入学試験に合格できる程度か。彼女自身にとってはどうでも良い点だった。
長い歴史を持つ学校らしいが、それも別に興味を持たせるに至らない。
施設は数年前の暮れに爆発事故があったとかで改装されたが、今なおどことなく明治大正の趣を持つその校舎の中心に、庭があった。そこが爆心地だった。
パンフレットには在りし日の中庭が映っている。
緑がアーチのように覆い包む白亜の噴水。ゴシック調だかバロック調だか知らないが、そのレリーフは、あの夢で見た残骸のかたちとよく似ていた。
寝る前になんとなしにこんなものを見ていたのが悪いのだ、と歩夢は自分に言い聞かせ、反省を強いた。だから荒唐無稽な夢を見るハメになるのだ。
歩夢は自身を嗤い、そしてパンフレットをコンビニの可燃ゴミの中へと投げ入れた。
「はっ」
失笑。
あんな巨大な剣など、どこに見られると言うのか。そんな物騒なものが刺さっていれば、とうに観光名所になっているかニュースやYouTubeで散々に取り上げられていることになって、悪い意味で有名校でなっていたことだろう。
――そして世の中は、彼女にとってもうすこし風通しの良いものになっていたはずだ。
住宅街に挟まれた、なだらかな、だが長く続く坂道の先に、校舎が見えてくる。
トンネルを越えれば雪国ならぬ、峠を越えれば剣の刺さった異世界でも広がっているとでも言うのか。そんな訳があるか。
あった。
剣が、望む校舎のど真ん中に、それはもう見事に刺さっていた。動かしようも倒しようも、傾きようもないぐらいにブッ刺さっていた。
「いやいや……」
歩夢は自分の目と正気を疑った。
だがいくら目をこすり、意識を集中させても、剣なんだか柱なんだかよく分からない、長細い異物は、変わらず学び舎に鎮座している。まるで何ものかを、待つかのように。
「いやいや、いやいや」
少女は繰り返す。
今自分が見ている光景はやはり夢の延長ではないかと勘ぐった。
現に、ただ半透明の刀身が地に向けて埋められているだけで、その周囲に変化はない。同じ通学路を先行する生徒たちの流れも、淀みなく流動している。
となればそれは、頭がとうとうおかしくなった自分の視る幻覚なのだろう。
だが、そう否定することもできない圧倒的な重量と現実感を、その剣は歩夢に押し付けてくるのだった。
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(2)
「――いやいやいや」
校門からでも、その巨剣が絶えず歩夢の目に映っていた。
何事もなく新入生も先輩も、皆それぞれにクラス表を見て一喜一憂し、自分のクラスへと友達と連れ立って入っていく。
気を取り直して歩夢もまた、自分のクラスたる1-Aにその身をくぐらせた。
誰かいい加減ツッコんでくれないかな、とひそかに期待しながら。
だが、えてして彼女の希望や期待とは、その人生の中で裏切られるものである。
歩夢は久々にそのことを痛感した。
これから苦楽をともにする……という名目のもとに集められた生徒は、早くもコミュニティの形成に躍起になり、教師は窓からのぞく異様な存在に一ミリたりとも触れることなく生徒の他愛ないやりとりに自粛を促し、講堂へと引率する。
「……すでにご存じのとおり、ここ剣ノ杜学園は一五〇年の歴史を持つ伝統校です。創立者である征地鍵祐は、戊辰の役においては旧幕府側として参加し、そして政府に投降したのちに同じ境遇の士族たちに行き場を与えるために私塾を開き、そこに講師として彼らを招きました。それが始まりです。その時に誓いとして立てた刀を森に見立てた。これこそが、文字通り『剣の杜』たるゆえんです」
すでにご存じでないその由来が朗々と、全校生徒を余裕で収容できる広さの堂内を駆け巡る。
――そんなに無意味な長広舌が好きなら、生徒会長じゃなく役者になればよかったのに。
パイプ椅子の上で脚を組みながら、皮肉な気分で、その末裔である生徒会長を見つめていた。
灰色がかった、だが美しい髪。白皙の中にはめ込まれたオレンジがかった宝石のような眼が、弁舌が熱するごとに輝きを増している。静かに熾を孕む炭のようでもあった。
身長こそやや不足がちな気もするが、声の張りと大きさは、それを補って余りある。それ以外は何一つ欠けた部分のない、理智と威容を兼ね備えたリーダーだった。
「と同時に、『杜』は『守』に通じます。すなわち、みずからの力によって、みずからの護るべきを護るということです。廃刀令によって刀は取り上げられたが、だがそれでも突き立てた彼らの剣は今なお誓いとともにここにあります」
――物理的にね。
今なお現実味とともに屹立する大剣を、講堂の窓ガラスから歩夢は見た。
いや、物理的に成立しているものかどうかは、定かではないが。
「今、新入生のみなさんには今私の語ったことは時代錯誤の、つまらない説教に聞こえるでしょう」
トーンを改めた彼女の声は、歩夢の周囲の何人かの欠伸を止めた。
「しかし、君たちにもそれは例外ではない。君たちはその多くが望んだように、理由はどうあれ進学先をここを選んだ瞬間から親や他人の庇護を離れ、そして大人となった」
「望まなくてもとうに離れてるんだけど」
歩夢は低く呟いた。
「今度は君たちが親や自分自身や、自分の夢。道。信念。それらを守り、そして貫くために闘わなければならない。……昨今、世間は不安定でこの学園でも数年前に不幸な事故が起こりました。当時理事長を勤めていた私の父も、そこで亡くなりました。結局のところ、誰かをを助けるにせよ、我が道を行くにせよ、難にあってまず力は必要です。ここでその力たる技術や知識を身につけてもらいたいと思います。これは私の願いであって、説諭ではありません。あるいは……」
整然とした言葉は続く。歩夢はそのまま剣を睨んだままに唇を吊り上げ、生徒会長を嗤った。何を言われようとも、自分の境遇にはどれも的外れすぎて心には届かない。
「この学校にいる中で、今までは見えなかったものが見えるようになるかもしれません。もしそうなれば……喜ばしい。歓迎しよう」
だがその一言が、歩夢の視線を正面へと引き戻した。生徒会長、征地絵草の、眼光と一瞬かち合った。
それも一瞬のこと。彼女の目は、その他大勢の新たな後輩へと細まって向けられていた。
「まぁ、色々とお堅いことを言いましたが、まずは新たな環境に慣れるためにも、よく学び、よく楽しんでください! 私からは以上です」
月並みな締めくくりとともに優雅に一礼。壇上を降りていく。
「
進行役がそう会を押し進めていくのを聞き流し、歩夢は会長のいたあたりを目で追っていた。
置き去りにされたような心地で、困惑し、憮然としていた。
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(3)
教室に戻る列に牧羊のように並びながら、歩夢はそれとなく目で生徒会長を捜した。
だが彼女の姿はすでにどこにもなく、代わりに賀来とかいう副会長が教師と何事かの打ち合わせをしていた。
目が合った時の、挑発的な物言いは、ひょっとしたら自分ひとりに向けられていたものではないか。自意識過剰と半ば思いながら、歩夢はそう思わざるをえなかった。
そして、橙果の光がその瞳の中で閃くたびに、脳の片隅にも同じ色の輝きが電流のようによぎっていく。痛みをともなう。それが刺激となって、様々な幻や現実がでたらめな方向性で瞼の裏をかすめていく。高速カメラで見る首都高のように。
振り上げられた手。喧噪、包丁。燃える剣。地面にこびりついた血。張り紙。机に刻まれた罵詈雑言。カメラのフラッシュ。冠。王宮を開く鍵。囁く声。背を向けた少年。
燃える。燃える。燃える燃える燃えろ。
受け入れる。拒まれる。散らばる黒い羽。
そして手が伸びる。自分の手か、あるいは……
ふと、目が覚めた。
自分の意識が、現実ではなく幻の中を回遊していたことを自覚する。
そして目の前には、ガラス質の刃が迫っていた。
「ッ!?」
歩夢は飛び退いた。
いつから近づいてきた? いや違う。自分が、接近していたのだ。夢遊病のように、幻の中の誰ぞの動きにつられて追従するように、指先をその大剣に伸ばしていた。
気がつけば、彼女を巡る環境はがらりとその色と容を変えていた。
前に並ぶ生徒どころか、教職員もいない。草木が生い茂った、荒れ放題の地。
黒みを帯びた見たこともないような背の高い草花が古代の原生林のように茂る。
黄金の光沢を持つ水の流れが、どこから湧いて出たものか、野放図に伸びる枝葉の下を流れていく。
どこか金属質の響きを帯びたせせらぎは、吹雪いているかのような寒波を歩夢にもたらした。
溶けて焦げ付いた噴水の残骸が、遺跡のような物悲しさで、その異形の大自然の中でしがみついていた。
その中枢に鎮座するのが、件の剣だった。
遠目でさえ校舎を突き抜けて見えるのだから、至近ではその全貌は捉えきれない。
歩夢が五人分横に列しても届かないであろう幅広の両刃は、中央に位置する噴水の、さらにその正中を射ち抜いて、半ばまでその刀身を埋めている。
その純度と透明感は何物をも通さないようでいて、様々な色や世界を内包しているようでもある。
あからさまに無機物であるにも関わらず、脈動めいた光と力と意思の流れを感じる。
幻かと疑いたくなる異様さでありながら、確固たる現実感でそこに在る。
どう考えても人に害をもたらすモノであるはずなのに、ソレは歩夢に奇妙な安らぎとときめきをもたらした。
再び、同じように、衝動的に。
手で触れようとする。
「やめろ!」
少年の声が、それに制止をかける。
鳥の鳴き声にも似た、甲高く、どこか縋るような必死さを帯びた調子。
手を止めた歩夢は、声の出処を目で探る。
ふと、頭上に降り立った気配を感じた。
校舎のものとおぼしき壁。その出っ張りに、小柄な少年が腰かけていた。
「よう」
その彼は、華奢な体躯に見合わない、低く落ち着き払った声音とともに片手を持ち上げた。だが、今の制止の声ではない。
何もかもに困惑しきりの少女に、少年はおもむろに問うた。
「お前、視えるんだな。それが」
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(4)
「おっと、自己紹介が遅れたな。普通科二年の
頭上に座す少年は、端正ではないものの、見ようによっては親しみやすさを感じさせる、人好きのする顔立ちをしている。だが、口の端に浮かべた笑みに、人の善たる部分は感じられない。
あいさつ代わりに挙げた片手を顔の横に固定させたまま、歩夢の反応を待っていた。探っていた。
歩夢はしばらく無言で睨み返していたが、無視して歩き始めた。
校舎のドアを開く。特に意識もせずくぐる。
その刹那、目上にいるその上級生が、忍笑いを漏らした気がした。だが、それを確かめる意味はない。ドアをくぐれば、この異常な夢から醒めて、日常に戻れるはずだ。戻ってどうなるという、是非はともかくとして。
そして校舎に入ったはずだった。だが、自分は校舎から、外へと出ていた。
しばし、絶句。再度押し寄せる混乱。
見上げれば、変わらず桂騎とかいう上級生は、校舎の軒に座っている。
自分は今、間違いなく見るからに不良といった上級生の眼下から脱したはずだった。
にも関わらず、通り抜けた扉の先にあったのは、自分が背を向けたはずの、庭園だった。
「……何を、したの?」
桂騎が、笑う。
「あぁ、お前。そうなのか」
悪童じみた声とともに、持ち上げたままだった手を左右に振る。
「俺のせいじゃねーよ。ここはそういう場所なんだ。下手なとこを開けて空から落ちても知らねーよ?」
脅しなのか冗談なのか、容易に判別しがたい調子で続けた。
「お前さん、要するにアレか。ここがどういう場所か分からないズブの素人。たまたま適性があっただけの、『鍵』の因子を手にして、ここに誘われただけの、『感染者』」
桂騎は、笑う。
言葉を拾えば他者を揶揄するような類のものだった。だが、そこに込められていたのは、純粋に自らの喜びの発露だった。
くつくつと、粥を煮るような不気味な笑い声は断続的に続いていた。
「なに? どういうこと?」
桂騎はもはや、歩夢の問いを動物の鳴き声か何かのように捉えているらしい。
反応は示さず、ただ目だけが興味深げに彼女のうろたえる様子を観察している。
「もしくは、それが演技でバックに『北』だの『西』だのがいる可能性を考えた。別のヤツの声もさっき聞こえたしな。けど、どっちでもいい」
そう言い切った桂騎の腰周りに、蛇が這っていた。
この異常な庭園に相応しい異形。
全身が鉄張りの、いや鋼で造られた、機械の蛇。
鱗一節ごとに黄色と黒のボーダーで塗装されtうぃる。虎柄というか、毒蛇の警告色に近い。
頭部とおぼしき部位には、槍穂にも似た、三角の刃が取り付けられていた。
その蛇が、じゃらりと鳴く。桂騎の腹から伸び上がり、脇へ、右腕へ。手の甲に頭を固定させると、肘から先を巻き込み包む。側から見ればそれは、具足の籠手にも見えただろう。
「転がった金塊を拾うか、出しっぱなしの宝石をかっぱらうか。俺にとっちゃそれだけの差だ」
彼は嘯く。
「何しろ、こういうのなもんで」
左手で上着から鉄片を取り出して。
鍵のようでもあった。短剣にも似ていた。
凹凸がその先端を形作り、半透明なその刃の内部には、何かしらの法則性に則ったかのように溝が彫られていた。
まるでそれは、宝石に伸ばされた手のような……
その逆サイドには、同じようなモチーフなのか、宝石とそれを掴む手のホルダーがついている。
それをくるりと手の内で回転させると、鎌首の付け根、鱗の隙間。それ専用の挿入口と思われる場所に挿入する。
〈
抑揚ない男の音声が、鎌首から漏れる。
すっかり鎧われた右手を握り固める。その拳を、背後の壁へと向けて叩きつけた。
壁は、ガラス細工のように破砕した。その先にあるのは、闇。その中に点在する、星の粒子。
桂騎がゆらりと上体を揺らめかせて立ち上がる。
外へとに漏れ出す星の粒は、彼の右腕以外を覆い包み、形状をまとう衣服を変化させる。古いテレビの砂嵐のような地肌。茶褐色の毛皮のようなものが頭部をフードのように隠し、ケープのように肩周りを保護する。
左肘などの関節部を鋼の外皮に変質し、波打つ灰色の肌を防護する。
だがそれはあくまで最低限。必要最低限の装飾と防御のみに留め、野性的な速さや迷彩効果に重きを置くその姿は、
――賊。
と呼ぶにふさわしかった。
フードと砂嵐と奥にある白い眼が、いびつに眇められた。
「悪いが、これが俺の生業でね。お前の中の『
いっそ快ささえあるほどの傲慢さとともに宣った彼は、軒を蹴って歩夢に飛びかかった。
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(5)
「逃げろ!」
また、あの声が聞こえた。桂騎だったものと、聞き間違うことはない。
妙に耳に馴染む少年っぽいその叫びによって、歩夢はとっさに我を取り戻した。
生存本能が、彼女の身体を転がした。
元いた地点に、怪人と化した桂騎の蹴りが炸裂した。地面が割れる。元は石畳だったと思われる残骸が、完全に砕けて砂塵として散った。
「……たく、声ばかりで姿は見せない飛び出さない。そりゃちょっと男らしくねぇんじゃ、ねぇのかッ!」
くぐもった声とともに、桂騎は右腕を伸ばす。声がした二時の方角へと。その先には、不気味にねじ曲がる大木がある。どこに通じているともしれない校舎の内を除けば、身を隠せるような場所はそこしかない。
鉄の蛇頭を突き立てられた木が、根元から頽れる。
だが、木陰には人影はなかった。元より幻覚幻聴の類だったのか。あるいは貫通した刃によって斃れたのか。
確かめることはしなかった。逃げる隙が生じたから、目もくれずに身を翻す。
意を決して、開けっ放しのドアの内に再び飛び込んだ。
今度こそは、まっとうに校舎の中だった。
朽ちている。錆びた鉄骨は剥き出し。タイルは剥げ、露出したコンクリートからはは、今まで嗅いだことこない濃度の埃臭が、息をつかせることも許さない。
その悪路の中を、歩夢は駆ける。駆ける。駆ける。
だが終わりが見えない。出口が見えない。足を止めるわけにもいかないが、流れ行く視界の片隅に、横たわる人の骸のようなものが見えた気がした。ソレもまた、自分と同じような堂々巡りをした末の末路なのか。
人も草木も無機物も、全てが狂ったこの空間は、普段以上に体力を削っていく。
一歩ごとに、鉄板でも貼り付かせられるかのように、重さとぎこちなさが加えられていく。
脇道に折れることも、部屋に入ることもためらわれた。見えない先をこじ開けようとすれば、より深い混乱が降りかかる。それを身を以て知っている。
足がもつれた。眼前に、突き出た鉄パイプ。とっさに顔を背けて避けたが、その分受け身をとる隙はなかった。平均以下の体躯が無様に転がる。
あわてて顔を上げる。目を左右に配り、状況を確認する。
「見ぃつけた」
桂騎。賊のイメージが象徴化された怪人が、真正面にいた。中腰になって顔を傾けて、歩夢を覗き込んでいた。
今まで、姿が見えないどころか物音ひとつしなかった。ましてや気配など。それでも、彼は冷然たる現実として、そこにあった。
「バケモノ」
諦観とともに、抵抗する力は抜けていく。ただ、驚きと理不尽に対する怒りを込めて、そう吐き捨てる。
「俺が?」
心外そうに、怪物は白い目を歪めた。
ややあって、上体を揺すって、声を大にして笑った。
「滅多なことを言うもんじゃねぇなぁ。たしかに見てくれや稼業こそ因果なもんだが、これ、人助けよ? お前さんのためでもあるし、学校の治安維持でもあるのよ?」
今から害するつもりの相手に、気安い調子で語る。相手に理解とか納得を求めている気配は薄く、あまりにあっけらかんとしていて、まるで初対面の姪っ子を宥めようとしている様子にも似ている。
どこが、と恨み言を返そうとした矢先に、彼は続けた。
「それに、俺なんかよりよっぽどバケモノな連中が、ごまんといるんだよ、このガッコウにはな」
……それ以上、何かを言おうとするのを歩夢は諦めた。いや、抗おうとすること自体を、辞めた。
生存のために為すべきことを、自分はやり尽くした。本当はもっとあるとは思うが、努力と呼べる程度には頑張ったと思う。
だったら後は訪れる宿命を待つだけだ。
――あるよ。
自分の内から、誰かが言った。
――もっと楽に片付く方法が、あるよ。
駆けずり回った末に、鼓動は乱れに乱れていた。その騒がしく不規則な心音にまぎれて、内から誰かが囁く。あるいは、内を介して、誰かが語りかけている。
窓の外に見える剣が、なお、神と悪魔を同居させたような光輝を放っている。
「おいおい、なに気の抜けた顔してんだ。たく、本当に殺すわけじゃないんだが、そういう顔されるとやりにくいだろ」
雑音が、うるさい。
その声が、信じられるかどうかは彼女の中では定かではなかった。
ただ、このまま死ぬ以外の道があるというなら、そっちに流れる。それだけの、シンプルな話だろう。
だから、自分は、足利歩夢は、蛇の刃がその背に突き立つ前にその言葉と、湧き上がる熱と力を受け入れ、
風が、鳴いた。
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(6)
風の塊が、ヒビの入った窓を割る。
内側へと飛び込んできたガラス片は、怪物への側面へと吹きつけられた。飛び退いたのは、ガラスに痛みや驚きを覚えたからではなく、内部に舞い込んできた風の塊の中に、三種の色を見出したからだろう。
やや灰色がかった白。
くすんだ朱色。
剥げかけた黒。
それら年季の入った三色で構成されたそれは、胴体の割に大きな翼を広げて長い首をのけぞらせた。
それは水鳥のような姿をした、傷だらけの鉄塊だった。
「『ストロングホールダー』……しかも何だこのタイプ……?」
今まで余裕に満ちていた桂騎の声音から、初めてそれが抜けた。
「……ストロング……なに? っておわ」
当惑しているのは歩夢も同じだ。聞き慣れない単語に追及するまでもなく、回り込んだ鉄の鳥は歩夢の腰の裏に張り付いた。
格納されていたと思われる鉄の帯が、彼女の腰に巻きつく。
本体たる鳥が変形し、その両翼は左右に分かれてベルトの上をスライドしていく。
右翼は鞘ぐるみの短剣に、左翼はホルスターと銃に。
変形したそれぞれの武器に寄り添うように、割符のようなスロットが広く取られている。
その溝はちょうど、彼の使っていた鍵の構造にも似ていた。
歩夢の肉体の奥底が、流動した。
熱く囁く何者が、身体の外部へと吸い出されていく。量子となって細胞間をすり抜け肌から流れ、シャツとブレザーの繊維の隙間から、こぼれ落ちたそれは固形物となって、ベルトのそのスロットに収まった。
〈
腰の後ろで、抑揚なく、人の言葉で鳥が啼く。
大地を踏み鳴らす足音のようなBGMが鳴り響く。
ブロードソードの幻影が、彼女の背後の空間に、一本伸び上がる。
脳髄に、情報が流し込まれるようだった。
苦痛と吐き気とともに、半透明に控えるソレの扱い方が刻まれる。
歩夢は念じる。みずからが手に入れた刃に、眼前の敵を排せよと。
彼女の声なき声に従って、剣が翔ぶ。
多少制御のきかないきらいはあるが、彼女の想った大体の軌道を描き、彼女の想像以上の速度でもって怪人の側面を突いた。
桂騎は舌打ちしながら、猛犬でも振りほどくように剣をいなしながら、後退し、距離をとった。
「良かった。間に合った」
強く噛みしめるように、深く安堵するように、誰かが言った。
~~~
――この異常な世界は、『黒き園』は、あの剣の周辺は、時間の歪みさえ生じさせるのか。人体に影響を及ぼすのか。
専門知識のない彼女には知るべくもないが、とりあえず所感としては、自分は今、腹が減っている。
チョコバーの包みを開け、口にくわえる。サクサクと噛み砕く音が、ほぼほぼ人気のない校舎の屋上を独り歩きしていた。
口を動かしながらも絶えず視線を配り、校内外を観察する。
もちろん、あてもなくそんな不毛なことをしているわけではない。
新入生が何かに憑かれたように『旧校舎』に迷い込んだ、などという情報さえもたらされていなければ、乞われたってこんな魔境に来るものか。
ゆったりと、だが一分の抜かりもなく四方を見回していた少女は、野ネズミを捉えた鷹のように、その瞳を一点に向けて開いた。
校内の一角、その一階を、一瞬の光が閃いた。
やがてそれは注視するまでもなく断続的なものとなり、ひときわ大きく咲いた光の中から、ふたつの人影が輪郭を持って飛び出した。
並走する一組の男女は、時に空を切る剣を防ぎ、伸びる蛇の牙をしのぎ、雑音を容赦なく発しながら廊下で応酬を繰り広げていた。
「なんだありゃ」
呆れとも驚きともつかぬ声が、咀嚼を終えた口の中から自然とこぼれた。その呟きに反応してか。同じく哨戒していた彼女のCYタイプのストロングホールダーは、足下に寄ってきた。
牛の造形を施されたそれが四つ足を突いて自走する。それこそ、牛の鳴き声のようなモーター音を響かせながら。
その様は、かすがいというか、ちょうど凹の型を上下ひっくり返したようにも見える。
二口、三口と残りのチョコバーを噛み進め、かすかに漂うカカオの香りもろとも飲み下す。
と同時に爪先をその牛型ガジェットに引っ掛けると、自分の目線の高さまでやや乱暴に蹴り上げた。
掴んだ腹側には専用のソケットがあり、そこに、双眼鏡のキーホルダーのついた白い鉄片を突き立てた。
〈
抑揚のない合成音声が鳴るそれに耳と口元を近づける。大昔の携帯のようで不格好だが、通常の電波の動きを阻害するこの領域において、外界とコンタクトを取る手段はこの『転換器』のみだ。
〈見つかりましたか?〉
連絡が取れるなり、第一声がそれである。前置きや社交辞令は一切不要。そんなスタンスの『彼女』に、普通科二年、
「見つかったけど、おかしなことになってる。映像を送るから判断頼む」
こちらも、遠慮や敬意とは無縁の物言いだった。
彼女好みの、ごくシンプルな情報伝達。だがそれに対するレスポンスはいつもに比べ倍以上かかっている。
「おい、ちゃんと届いているか?」
念を入れての、確認。
鳴の背には、彼女の頭ほどあるレンズが展開している。それが、そのままカメラの眼となる。挿し込まれた、いわゆる『鍵剣』状のユニットから抽出したリソースを、通信データを保護するプロテクトとして加工。妨害を受けることなく外部へ転送する。
その通信速度は、あくまで鳴の実感ではあるが素人が飲み会の様子やゲームのプレイ動画を生配信するのと何ら変わりはないはずだった。
音声にも、
とすればこの数秒間の沈黙の理由は、映像データが遅滞しているか。でなければ、
「…………」
――この状況を、彼女もまた呑み込めずにいるか。
おい、ともう一度呼びかけようとする。だが、その前に受話器ごしの彼女は命じた。
「基本的な方針に変わりはありません。その新入生は確保。彼女の因子を狙う賊や『レギオン』はそれぞれ撃退。不可能であれば彼女の保護を優先しその区域を離脱。その時々の判断は、貴女に任せます」
私に迷いなんてない。そう言いいたげな速さと鋭さでもって。
「
忌憚なく毒を吐く。文句が飛んでくる前に、キーを引き抜いて通信を切断する。
自身の肉眼をもって、あらためて視認する。
十数メートル先の窓の向こうで、例の小柄な新入生が足を止めて蛇男と対峙している。
LSタイプに盗賊の鍵。悪さをしているのは二年の桂騎か。
対する彼女は、おそらく体外に精製されたばかりのユニットを使っているのだろう。
肉体そのものはその恩恵によって強化されているが、攻撃方法は突撃一辺倒で、その唯一無二の攻めにしても、愚直きわまりない。
明らかに力を持て余して振り回されている人間の動作だ。
桂騎は防戦一方、という体でありながら、それを適当かつ的確にいなしている。
あの賊徒にしてみれば、今は怖いもの知らずの犬に吠えたてられている熊のような心境なのかもしれない。予想外の反撃に今は当惑しているが、じきに力の限界点を迎える瞬間を、気長に待っていると、そんなところか。
「……」
彼女があの鳥型のストロングホールダーをどこから入手したかは埒の外に置いて、思考する。
鳴の手には、二種類の鍵が握られていた。
矢の飾りのついたものと、弓と矢の飾りがついたもの。
白と赤。
鍵溝とも言うべき回路に一本の矢が直線的に刻まれたもの。弓と矢が十文字を切るように組み合わされた刻印。
これらのユニットから抽出されたエネルギーは位相のズレを修正できるから、狙撃自体は可能だ。
だが、肝心のターゲットが羽虫のようにさかんに動き回るせいで、遠距離から確実に当てる自信はない。
おまけに素人の動きだから、次の瞬間にはどう動くかまるで読みがつかないときた。
鳴は深く息を吐いた。トランプの棄て札を切るようにして赤い方のユニットをしまうと、白羽ならぬ白刃の矢を牛の腹に押し込める。
〈
低く音を鳴らすそれが光の弦を頭と尾の間にくくりつける。
挿した鍵の形に合わせて一張の短弓となったそれを肩に担いで、傍観者を気取っていた少女は短めのスカートを切り返し、校舎の中へと入っていった。
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(7)
幾度とない、衝突が続いていた。
歩夢を守護し、かつ彼女の敵を討たんとする剣は、桂騎を退けた。
いや、そうではないことは分かっていた。
この蛇男は、子どもにじゃれつかれているのを適当にいなしているのと同じ。どうやれば歩夢を無力化できるのか。片手間に歩夢の攻めをやり過ごしながら思案中といったところだ。
昔ドキュメンタリーで見た豹のごとく自分に先を駆け、中空で隼のように身を切り返し、猿のように異形の長腕でもって蛍光灯の残骸にしがみつき、蜘蛛のように壁に両の手足をつけて這いずり回る。
その時々にまったく別の種の動物になったかのような挙動は、おぞましさを超えて感心さえしたいところだ。
だが、何より歩夢にとって驚きなのは、そんな尋常ならざる動きに追いつく自分自身にだった。
飛び道具ではある歩夢の『剣』だが、射程とか飛距離というものは確実に存在しているらしい。見えない綱にでも引かれているかのように、剣が敵を追うたびに、彼女の身体も、ある程度の自由意志は残しつつ。知らず前のめりになっている。
だが、それでも戦い方を知っている。いや、何かによって刷り込まれ、身体もそれに合わせてチューンナップされた。そんな気がする。
逃げる側へ転じた桂騎は、するりと脇の教室へと身を滑り込ませた。歩夢はそれを追撃の機ではなく脱走の隙と見た。
身を翻す。
「ばぁっ」
その退路を、皮膚を半分ほど剥き、変色した臓器を晒した人型が妨げた。
よく見ればそれが古ぼけた人体模型であることは明白だったが、ホラー映画でも多用されるそのインパクトは、一瞬でも歩夢の心身を硬直させるには十分だった。
曲がり角から現れたそれは、樹脂で出来た身体を歩夢に傾けてくる。払いのける。見た目の割に軽い音がして響く。
瞬間、逆サイド、ガラスが破砕する。散らばる欠片が、昼下がりの白日を照り返し、その中央を色形のついた風が突き破る。
奥まった場所へと潜り込んだはずの桂騎が、外から現れた。
横合いから突き出された足が、彼女の鳩尾を突いた。壁際まで飛ばされる。
突起物だらけの脚部に襲われたにも関わらず、濡れたカーテン越しにそれを受けたように、痛みは鈍い。だが、重さは変わらない。呼吸さえ忘れるかのような衝撃が、遅れて歩夢を苛んだ。
「手間かけさせんなって」
腹部でもっとも相手に苦痛を与えるようなポイントをグリグリと爪先で押しながら、蛇は言う。
「その妙ちきりんなデバイスで純化はされたみたいだが、なに、多少後味が悪くなる程度でやることに変わりはねぇ。大人しくその鍵さえ渡してくれりゃあ」
言い切るのを待たず、横っ面に剣をぶつける。
鋼が響く。だがそれは敵に一撃を呉れた音ではなく、蛇の頭がそれを彼方へ弾き飛ばしたためのものだった。
ここに至って、戦闘の素人は理解する。
相手は、場数を踏んでいる。スペックこそそれこそ自分と大差はないのかもしれないが、それでも完全な優勢に持っていけるだけに技量がある。
加えて言えば、地の利も持っている。
まともに前進することさえ容易に許さないこの空間で、どこをどう移動すれば良いのか、我が家のごとくその勝手を把握しきっている。
つまり戦いにおいて今の自分と彼とでは、如何ともしがたい差の開きがあると言うわけか。
――なら、何も問題はない
その程度は大したことじゃない、と自分の中で誰かが言った。
経験を積んだ方が強い。自分の陣地で戦った方がそれをわきまえた効率の良い行動が取れる。そんなことは当然のことだ。校舎の中心に巨大な剣が突き立つより、よほど自然だ。
だったら、自分のとるべき行動は、ひとつだ。
一度大きく首を仰け反らせ、それから歩夢は、額を相手の眉間へと叩きつけた。
思わぬ反撃に、軽く退く。
その間隙に、足を振りほどいた歩夢は自身を割り込ませ、今度は自分から割り込ませた。
肉迫する。
「おいおい、だから暴れると余計に痛いだけだべ?」
相手に大きな動揺はない。ダメージもない。
横面に剣が翻って叩きつけられても、難なくかわす。
だが、初めて彼はおのれから退いた。さらに畳み掛ける。本来かわすべきところでも、あからさまな誘いであっても、まっすぐ突っ込み、罠だろうと偽撃だろうと食い破るように。
力量は、相手の方が上。こちらの手の内をその経験に基づいて万全に対処してくる。
だったら、その思惑からことごとく外れれば良い。
本来ブラフにもならないような誘いにも全力で突っ込み、命や我が身惜しさに体勢を立て直すべき瞬間に、突っ込む。どこかに身を隠させる、隙を与えず。
思うは易し、行うは難しといったところか。
だが今の歩夢には、それを為せると不思議と思えた。過剰な自信のためではなく、客観的な展望として。
それに、他人を嫌がらせることも、誰かの期待を裏切ることも、得意だった。
初めは仔犬をあやすような余裕半分困惑半分といった調子の桂騎だったが、フード越しの目の色から、その余裕の部分が抜けていく。
「っ!」
歩夢の剣が、フードの端を掠める。ここに至って、桂騎もまた明確な敵対行動に出た。
大きくしならせた蛇が、刃の鎌首を歩夢に伸ばす。
歩夢は、左腰のホルスターと化した翼を銃口ごと傾けた。その引き金を絞ると、光と熱の塊が、弾丸となって飛んだ。
だが、弾の形を保ってたのは、わずかな時間だった。空中へと二発、三発。撃ち出されたそれは、円形の盾の形となって空間を埋め、蛇の突きをしのいで弾く。小さな、だが数をそろえて組み合わさったそれは、亀の甲羅や花序のように見えた。
自らの右腕たる蛇が目論見も軌道も大きく外れて、桂騎はバランスを崩した。すかさず再び間合いを詰める。くり出した人生初渾身のストレートが、その異形の顎を捉える。直撃。いや、すんでのところで退がられ、威力を殺された。
「初陣の新兵の割に、ずいぶんとイキが良いな」
衝撃をやり過ごした顎を大事そうに撫でさすり、桂騎が言った。鉄鎖の音を奏でながら、伸びきった蛇首が巻き戻っていく。
その付け根を、左手で開き、中にある鍵を回して再び収める。
〈シーフ・ロブチャージ〉
抑揚のない合成音声。金貨を重ねるような音と、蛇の唸り声が絡み合う。刃に、蛇のようにツタのように盗人の腕のように、ブラックライトのような光輝が巻きつきうねる。
――来る。
肌の内外でひしひしと感じる。
どうすれば良いかは、敵のメカの操作と、ひとりでに動く右手が教えてくれる。
鞘の側に収まっていた鍵を、回す。
〈ライト・インファントリー・アサルトチャージ〉
鳴らされる足音。ケェン、と甲高く謳う機械の鳥。
錠の音ともに解放された腰の剣を抜き放つ。
半透明『剣』はそれに呼応するように、彼女の頭上に回り込み、一本が二本、二本が四本に分裂する。
手に抜いた剣を桂騎へ向けて傾ける。
その動きに合わせて頭上に浮く四口の剣先もまた、前方で身構える蛇を捕捉する。
両者が狭い場でさんざんに暴れまわった弊害か。パラパラと、天井から破片がこぼれ落ちる。
緊迫の場にスパイスでも散らすように。
停止していたのは、一呼吸する間さえないほど刹那の時であったことだろう。
だが、決してわずかな油断さえ許されない、一時だった。
桂騎は踏み込む。
歩夢は迎え撃つ。
そして両者の影は完全に重なってひとつのものとなった。
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(8)
それは、側から見れば大輪の花火のようだっただろうと思う。
風圧が内から窓を揺るがし、割り、そしてその衝撃波と光を生み出したふたりは、反発する磁石のように、互いとは逆方向へと吹き飛んだ。
「がっ!?」
転がる桂騎の身体の砂嵐が大きく乱れ、フードを含めた肉体全体を包み込む。やがて毛糸玉を転がすように、彼の身体が地に擦り付けられるたびにほどけ、星の粒子となって空中に霧散する。
依然巻きついたままの蛇を除けば、小柄な男子高校生の肉体が、露わになった。
「ウソだろ……これがグレード1の出力かよ」
汗ばむ頰をヒクつかせて、桂騎は呻く。
だがそんな賛辞に、歩夢はどう反応することもできずにいる。
風に圧されるままに転がる彼女は、「ぐぇっ」と女子らしからぬ悲鳴とともに、扉に激突した。
背を襲う痛みは、さっきよりクリアになっている気がした。
「まぁ、良いさ……」
立てた膝を支えに、桂騎は立ち上がる。
歩夢も応戦すべく起き上がろうとした。だが、そんな彼女を嗤うかのように、怪人だった少年は手をひらひらと動かした。
「お目当てのものは、すでに頂戴した」
嘯く桂騎の、見せつける掌。その指の間に、見覚えのある鉄片が収まっていた。
それはつい今しがたまで自分の腰元に納まっていたもの。キーと呼ばれるアイテム。自分の力の根本らしき武器。
道理で全身を心許なさが覆っているものだと、他人事のように納得する。
「面倒ごとに巻き込まれそーだし、トンズラだな。じゃあな新入り。それと……ようこそ、いやサヨナラかもなぁ?」
イタズラっけの強い捨てゼリフとともに、桂騎はその身を窓の外へと投げ込んだ。
当然のごとく、その気配はたちまちのうちに消えていた。
「……」
息を抜く。
結局よく分からないままに力だけが奪われた。こんなことなら最初から渡せば良かったと思い、というかそもそも口で言えよと相手を怨む。
だが、背後に突然湧いた気配が、その思考も感情も吹き飛ばした。
反射的に振り返った先には、形容しがたいモノがいる。
四肢がある。直立している。人に似ているかと言えば、そうに違いない。
だが、その顔の中心は、まるでクッキーの生地のように、くり抜かれて空洞となっていた。
「アァ……ヤゥ……マォ」
向こうの景色が見て取れるその穴から、嘆くような鳴き声が洩れ聞こえる。
その両腕は極端に湾曲した刀剣と一体化していて、猛獣か猛禽類の、巨大な爪のようにも見えた。
異形、と言うのであれば腕を鉄の蛇と一体化させた灰色の怪人もそうだが、アレとは明らかに質が違っている。
対話という概念さえ理解していそうにない、虚ろな呻き。明確な殺意しか感じさせない諸手。
それを前にしては、力を失った少女など、ただ肩の力を抜いてみずからに降りかかるであろう死を傍観するほかなかった。
「おい、そこのちっこいの。邪魔」
また、別の声が飛んできた。つい本能的に、ちっこいの呼ばわりされた身体は横に傾いていた。
歩夢の耳元を何か杭のようなものが飛び、彼女めがけて刃を振り上げていた怪物の胴を穿ち抜いた。
断末魔をあげて、射抜かれた先、内部に火と油をまとめて注がれたように、全身から爆炎が吹き上がる。
その肉体から、学校の制服をまとった何者かが、弾きだされるように分離した。
その熱を間近に感じながら、歩夢は振り返る。
死にたいわけではなかったが、助かってうれしい、という気分になれないのが正直なところだった。いちいち恩義を感じなきゃいけないのがわずらわしいし、むしろこの場合、より厄介なことに巻き込まれそうな予感があった。
ふつうよりも速く、炎が収まりを見せた。
まるで焼け遺された炭の欠片のように、真っ白な短剣の鍵が、火元だった地点には転がっていた。
「誰?」
歩夢のしかめた顔の先に、女子高生が立っている。
一七〇センチは軽く超える長身。膨らみがある部分も、へこんでいる部分も。おおよそ女性として求められる条件を完璧なまでに満たしたプロポーション。ウェーブをゆるくかけた、手入れの行き届いた、いわゆるマッシュウルフの黒髪。中性的な顔立ちに、少年じみた表情の作り。
ただその容姿だけでも現実離れした得難い存在だが、左手でつかんだ牛のような弓のような奇妙な機械と、そこにセットされた矢を模した鍵が、異質な存在感を放っていた。
「誰だと思う?」
などと、挑発的に唇を吊り上げる。
歩夢はひとつだけ悟った。
今後付き合っていくにせよそうでないにせよ、自分の人生の中でこいつに感謝することなんて一度もないんだろうな、と。
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第二章:上帝の、ツルギ
(1)
的場鳴との通信が切れて数分。
薄い、と感じさせる少女だった。儚いとは違う。
髪の色が薄い。瞳の色素が薄い。身体が薄い。肌が抜けるように薄い。
言えた義理でないことを承知で言うのであれば、感情の動きも起伏に乏しく、そのため当然存在感も薄い。いや、あえてそう望んでいるのかもしれないが。
ひょっとしたら引率していた教師は、この新入生の姿が見えなくなっていることにクラスに戻るまでに気づかなかったのではないだろうか。
だが目だけは、やたら強い光を持っている。本人がそれを望んでいるかどうかは、ともかくとして。
もう一度鳴から連絡があったのは、そのPCを閉じようとした矢先だった。
通信を開いた瞬間、常にない騒音が洪水となって士羽の耳を襲った。
〈いった!? こいつ、大人しくしろ!〉
雑音。喧騒。嫌いな種をそのままメドレーにしたかのような音声に、彼女は顔をしかめた。
「何ですか騒々しい」
〈や、こいつが噛んでくるんだよっ。無言で、真顔で! オマケにカラスはなんかついてくるしッ! っていうか二人抱えてるしで、いくら肉体の最適化? ってのがされてるにしても、限度があるだろ!?〉
〈……手伝おうか?〉
〈その身体でなにが持てんだよ!?〉
ふだんはめったに取り乱さない鳴が、狼狽している。なんだかよくわからない声も混ざった。
この十分足らずの時間で、事態はより煩雑なものになったであろうことは、容易に想像がついた。
「そのカラスとやらの人物についてはよく知りませんが、数分間無視しておくかポッキーでもくわえさせておけば大人しくなりますよ」
〈ンなアホな……〉
呆れ気味に抗議しようとする矢先に通信を切る。
士羽は、もう一度だけ画面に一瞥を遣った。今更の後悔を自らに禁じ、そのカバーを落とした。
そして紅茶を煎れるべく、申し訳程度の広さしかない給湯室へと向かったのだった。
「……マジで大人しくなったよ」
そんなこんなで、十数分後。
無表情で、さほど美味しくもなさそうにポッキーをぽりぽりとやる少女を脇に抱きよせ、同じくポッキーをくわえた謎の鳥を足下に引き連れ、的場鳴は戻ってきた。
~~~
教室に戻ることも許されず、怪力女に抱きかかえられたままに、歩夢が連行されたのは南に位置する高等部本棟にある保健室だった。
そこに至るまでにどこをどう通ったかは知れない。だが桂騎同様に、どこをどう通れば良いかの手順を、この女もまた経験からわきまえているようだった。角を曲がるにも扉をくぐるにも、迷いというものがなかった。
扉を開けると、薬品の刺激臭……ではなく、ほどよく煎じた茶葉の香りが漂った。その中心にいる、自分よりも年上の少女に、
「……あ?」
足利歩夢は、抱えられたまま忌憚なく不審を顔に出した。
あまり人の美醜に関心を持たない歩夢から見ても、彼女は美少女と呼称するに足る。だが、そこには『氷の』だとか『鉄の』という比喩も付け加えられる。
絹のような、細く長く、そして均一な髪、眉、そして手足。
緑色のかかった、冷たい輝きを放つ瞳。完璧とも言うべき目鼻立ちの造形。
だが、その端正さは隙のなさとの裏返しだ。決して男の食指の伸びるタイプの美貌ではない。
髪の端から爪先まで、その神経質なまでの徹底ぶりは、工業製品とか、あるいはそれを製造する工場に、趣を見出すにも似ていた。
とすれば、その肢体を保護する白衣とブレザーの上下は、包装かコーティングか。
「ただいま」
と鳴は言った。
だが彼女はそれに言葉を返さない。
苦笑しながら、鳴は歩夢を床に置く。
「珍しく大漁だぜ?」
などと茶化す鳴をよそに、起き上がりながら睨み上げる歩夢の咎め視線を無視して、まっすぐに彼女の腰元へと歩み寄った氷の女は、鳥をあしらったその機械を指で操作すると、取り外した。
「何故、貴方がこれを持っている?」
両サイドに展開していた翼が格納されたそれを手に持ちながら、目と同様な冷ややかさで問う。
だが、その答えをあいにく歩夢は持ち合わせていない。これがなんなのか。どういう原理でどんな代物からエネルギーを生み出しあんな魔法を生み出しているのか。どれほどの価値があり、この目の前の女がなにを重要視して問いかけ、どんな関わりを持っているのか。竿竹屋は何故潰れないのか。
要するに逆に聞きたいのはこっちだ、という気分だ。
歩夢は投げやりに視線をカラスに送った。
「そいつの持ち物らしいから、そいつに聞けば?」
女は、初めてその存在に気がついたかのようにカラスへと首を向けた。
「何ですか、この珍妙なレギオンは。……理性を保っている?」
「レギオンじゃないってば。ずいぶんと不躾なヤツだが、そういうお前さんは誰さんよ?」
スネた調子でカラスが口を尖らせる。いや実際問題、嘴は尖ってはいたけれども。
「維ノ里士羽」
簡潔に、淡々と、みずからを意味する五字を口にする。初めて聞いた人間には、それが少女のフルネームだと判断するのに数秒以上要したことだろう。
「…………」
現に、尋ねた側のカラスが、その碧眼を見開いたままに、翼を突っ張らせて硬直していた。
「名乗るだけ名乗らせて、自分はノーリアクションですか」
「いや……聞いた名前が出てきたな、と思ってな」
動揺を抑えきれないまま、カラスは言った。
「そりゃあ、あたし知ってるぐらいなら、そっちの名前もわかるよな」
担いでいた残りひとり、あの顔のない怪物からはじき出された女子生徒をベッドに寝かせながら、鳴が失笑を含ませて言った。
「こいつらの生みの親なんだから」
担いでいた間も絶えず握っていた鉄の牛を、ようやく鳴は床に放り出した。
そのまま自身も、細長い呼気を吐きながらベッドに四肢を投げ出した。
「鳴」
士羽が声の楔を打つ。
それ以上の情報の開示は、不要と。だから
緊迫と、膠着が生ずる。
その中を動いているのは、士羽だけだった。
回収した鉄鳥を手近なトレイの上に置く。自動的、といっても過言でもない慣れた手つきで、ティーポットから一人分の紅茶を淹れている。
だが、相手のことを探りかねているのは、この女も同様のはずだった。
それぞれが、それぞれに知り得ない情報を握っている。
そして極力相手に手の内を見せないよう、かつ相手から情報を主導権を奪えないかと模索している。
まるで互いを意識する男女が、相手の趣味や嗜好や恋愛事情を探るように。
でなければ、真っ暗闇の中で殴り合いでもするように。
「――日ィ暮れるぞ?」
鳴が寝返りを打つ。シーツが擦れる音とともに、呆れ声をあげる。
「あんたがだんまりを決め込むなら、あたしから説明してやってもいいけどな」
「鳴」
再度名を呼ぶ。だが、強制力になるほどの強さはなかった。
「このままじゃ埒が明かねーだろ。それに、あれが見えるようになった時点で、無関係じゃいられない」
カーテンと、その奥の窓越しに伸びる剣の巨影に、鳴は顔を向けた。
「その場合は説明と保護の義務が生じるっていったのは、イノ、お前自身だ。それはたとえ相手が新入生だろうと鳥類だろうと変わりはない、だろ?」
滔々と鳴は道理を説く。
割と強引なきらいはあるが、この場合さらに頑ななのは士羽のほうだ。
本人もそれは認めるところではあるのだろう。わずかに息を詰まらせた。
「俺からも頼む」
ふざけたナリのその鳥類は、外見とは裏腹に、妙にまじめくさった調子で頭を下げた。
「少なくとも、この娘には知る権利があるはずだ。その代わり、あの剣に関して俺が知っていることも話す」
カラスは自身のイニシアチブをあっさり放棄することを選んだ。
全員で情報の共有することを優先した。
歩夢がポッキーを噛み終えるまで待つかのように、ややあって士羽は息をこぼした。
それは、カラスや鳴の提案に、肯定はせずとも妥協をしたということの、意思表示でもあった。
(いや別に、わたしは知りたくもないんですけど)
と言える雰囲気でもなく、話は歩夢を差し置いて進んでいくようだった。
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(2)
「事の起こりは、二〇二一年の暮れ。『
士羽は重たげに口を開いた。
その年に、創立記念のアニバーサリーの名前に、歩夢もまたおぼえがあった。というより、この界隈の住人か、学園に籍を置いている者なら軒並み知っているだろう。
ついさっきの会長の演説でも、取り上げられたばかりだ。
「爆発事故……」
参加者は学校内外の関係者、出資者、理事会、姉妹校、中等部の参加者を含めて実に五百名近くとも言われている。当時の校舎、今で言う旧校舎の中心である庭園で、突如起こった大爆発は、校舎を半壊させ、参加者を含めて七割が、死者、行方不明者となっていた。
その原因は今なお不明。まことしやかに流れる風聞の中には、屋台で使用していたガスへの引火。放火。式典に参加していた要人を狙ったテロなどがあったが、どれにも信憑性が欠けていた。
確かなのは、その年から記念日は、慰霊祭へと変わったことと、旧校舎が完全に立ち入り禁止となったことぐらいか。
「まさか」
この『説明会』に参加するつもりは毛頭なかった歩夢だったが、つい口から呟きが押し出された。視線が、一様に彼女の方向を向いた。
それは彼女の言わんとしたことが正答であることを示していた。
「そのまさかだ」
鳴が言った。
「アレが、空から降ってきた」
彼女の指が、大剣を示した。
「……もっとも、アレは因子を持たない人間には視認できませんからね。当初は、それこそ『原因不明の爆発事故』でしたよ」
士羽が言葉を引き継いだ。
「ところが、事故が収束した後も混乱は続いた。たとえば、『旧校舎のあたりで階段をのぼっていたはずなのにいつの間にか降りていた』『死んだはずの生徒の声を聞いた』『それどころか姿を見た』『怪物の姿になった』……『巨大な剣が事故現場に刺さっていた』。警察や調査チームは事故のトラウマによる集団幻覚、として片付けました」
「まぁ無理もないわな」
嘆息交じりに、カラスは理解を示した。
「そんな非常識なもの、見ても信じられるかどうか」
「……」
「……」
「……」
一瞬の、静寂が訪れた。
腕組みならぬ羽組みのポーズで、あるんだかないんだか分からない首をウンウンと上下させる。
当事者以外の、すべての視線が鳥へと集まった。
「……それ、ツッコミ待ちか?」
「は? 何が?」
「あぁ、もう良い。たく、ただでさえややこしい状況に紛れ込んで来やがって」
あえて聞いてしまった自身の愚を恥じてか。ベッドに横たわったままの鳴は手を振りに、追及を打ち切った。
そのやりとりを、士羽は冷視していた。
「そう、実際こうしてあの剣とか怪物を見るまで……事故の後も行方不明者が続発するまで、私もそう考えていた」
「……あの剣って、なんなの?」
別にこれ以上の関係を持つ気もないが、また妙な力で吸い寄せられるのも気味が悪い。
あの時は、幸福とさえとれるような、全身が熱で浮かされた夢見心地だった。自分の人生の中で考えられないぐらい感情が動き、さらなる刺激を麻薬のように求めた。
だがその情動も、喉元を過ぎれば収まりの悪いうすら寒さへと推移していっている。
「私たちはあれを、『上帝剣』と呼んでいます」
士羽は、紅茶をカップで飲みながら、映画のワンシーンのような隙のなさとキレのある所作で、自身の作業机とおぼしき場所から文庫本を取り出した。さんざん読み尽されてきたのだろう。水色の背表紙は変色し、擦り切れていた。
氷の賢者は語る。
検証して判明したこと。それにもとづく自身の所見。
あれ自体は、人間には本来感知しえない次元に存在すること。
そして胞子のごとく絶えず自身の因子を排出し、それを浴びた人間に自身の姿を認識させる。
それだけであればまだ良い。だが、その因子と適合した人間をなんの処置もしないまま放置すると自我を喪い、異形と化す。いや、封じ込められるといったほうが正しい。
「それが、お前を襲ったヤツ。誰が名付けたのやら、あたしらは『レギオン』と呼んでる」
未だ、悪夢の中にいるのだろうか。
上半身をもたげた鳴は、そのまま隣で眠る女子生徒の前髪を撫でつけた。
「おおかた、お前も因子に触れちまったからあんなところでおかしくなってたんだろ。もう少し、抽出が遅れてたらヤバかったんだ」
「『レギオン』化した人間の中には、在校生だけではない、事故当時の行方不明者も入っているケースがありました」
つまり、死んだと思われている生徒は、生きている可能性がある。
あの異次元と化した事故現場で、幽鬼のように彷徨いながら。
あの時囁きかけた声に従っていれば、自分もそうなっていたのだろうか。考えかけて、やめた。そんなIfに何の意味が……
「……ん?」
ふと、疑念めいたものが脳の神経の片隅をよぎった気がした。
(今の説明、なんか……)
「けど、それをどうにかしたのがこの維ノ里士羽センセイってワケだ」
ベッドから起き上がった鳴は、士羽の背後をとって肩を掴んだ。自身の背を丸めて、その横から得意げな、いやイタズラっぽい顔を覗かせた。
歩夢の一瞬の疑問など気にする暇などないほどに、おそらく凄く簡略化されているだろう説明は流れていく。
まぁいいか、と歩夢は思った。そもそも異常なことなんて、今自分の周囲にまとわりつく全部だ。
「この大天才様は、あの事故の数少ない生存者だ。あの後旧校舎の調査に乗り出し、そして因子を物質化する技術と、それを人体でも利用可能なエネルギーへと転換させるシステムを確立した」
「じゃあ、あの蛇とかその牛とか、この鳥のメカとかって」
「そ。その『ストロングホールダー』の基礎を作ったのがこいつ。ただ惜しむらくは」
鳴。士羽の声が遮った。
沈黙が、再びその場に帳を下ろした。
「でも、上帝だなんて御大層な名前だこと」
薄く揶揄の笑みを作る歩夢に、こともなげに士羽は返す。
「あれが居座ってだいぶ経過している。にもかかわらず、我々はあれの存在意義も未だわかっていない。そに圧倒的なパワーには抵抗するすべを持たない。何も語らぬあの異邦者は、我々の尊厳を奪いながら、同時に次のステップへと否応なしに引き上げる。そして私達は、この異常極まる状況を生活として受け入れるつつある」
とするならば。士羽は自身が手にした文庫本を、歩夢たちに披露した。
「
地球を卵か胎に見立て、そこで丸まりながら眠る嬰児のイラストを。
意味を問う声があがらないところから察するに、おそらくそれは意味が通じて当然と思われるような、本読みであれば初歩中の初歩とも呼べる知識であったのかもしれない。
しかし歩夢にはその意図が読めない。追及するのもアホらしい。
「ここまで話したんです。約束は、当然守ってもらえるのですよね?」
士羽は問う。一同の視線は、再びあの黒い鞠のような物体に集まった。
「もうひとつ、条件がある」
カラスは言った。だがそれはごく自然な響きを持っていて、駆け引きや打算めいたものを感じなかった。
「最終的な判断はお前らに委ねるけど、今から言う情報は、関係者の間で共有してもらいたい。それも、出来るなら全員に」
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(3)
旧校舎、中央庭園。
そこは、『黒き園』と呼ばれている。
見える者には見える、その巨大な剣に二年前に焼き尽くされたためではない。この学園が誕生する以前についた名だった。
戊辰の役の前、旧幕府軍を挑発する目的で新政府軍が略奪や焼き働きをくり返し、人の住めぬ焦土を作った。
それを復興すべく征地鍵祐らはそこに誓いの剣を立てた。
そして今は、そこに厄災の剣が突き立っている。
巨剣はこの一帯の空間を歪め、人々を異形化せしめ、容易に侵入できない迷宮と化していた。
表向きは建て直しのために今なお閉鎖中だし、たとえ対レギオン用装置『ストロングホールダー』をもってしても、ここに来られる者は稀だ。
だからこそ、通常の技術では盗聴や盗撮の必要のないそこは、格好の談合の場でもあった。
だからこそ、その周囲に十人近く人が集まることなど、異例の事態であった。
「っし、一番乗り! ……ってわけでもねぇか」
少年は、意気込みながら校舎に足を踏み入れた。二階の割れた窓から顔を覗かせるなり、その向かいに見える複数人の影に落胆してみせた。
東校舎、特進科二年、
きっちり着こなした制服は、一年前と比べ丈が合うようになってきている。過剰なまでに風紀を気にする学年主任の眼を欺ける程度にセットを抑えたナチュラルなヘアスタイルを指で再調整している。
ふだん、ここに入るときは校舎では決して聴けないようなロックな音楽のリストが保存されたプレイヤーとヘッドホンを持参するのだが、今回ばかりは重要事項だかの清聴へ向けて、外していた。
「花見の席取りじゃないんだから」
その背後で苦言を呈するのが、東校舎の『管理区長』たる
「出遅れたか?」
ふたりに、長大な影が覆いかぶさった。
「あ、
長身の青年が、少女をともなって重いブーツの音を響かせながら、彼らに並んだ。
『旧北棟』、『旧工業科』三年。
冬用の、と言うにしてもあまりに分厚いミリタリージャケットはネックから膝下まで、学生服をすっかり覆い包んでいる。睫毛の長い端正な顔立ちがらも、修羅場を十も二十もくぐり抜けたかのような迫力を帯びていて、服装も相まって高校生というよりかは、それこそ過酷な雪国の一軍人のような雰囲気を持っている。
逆に彼の参謀的立場にある
ややその武人を見つめていた灯一だったが、尋ねざるをえなかった。
「……そのカッコ、いくらなんでも暑くありません? もう春っスよ?」
涼は答えた。
「自分の仲間たちは今こうしている瞬間にも、あの『
――その両肩に重くのしかかる、冷たい雪はそのままに。
だが彼の返答が終わるより速く、眼をいからせた真月がその無礼を咎めるよりも速く、鋭いローキックが灯一の膝裏を襲った。彼の幼馴染であり、主人が放った一撃だった。
「いって! なにすんだこのア……ア、アホ!」
だが輪王寺九音は無視した。そのまま薄くワックスの塗られた後頭部を掌で抑えつけると、力づくで低頭させた。
「この大馬鹿が本当に失礼なことを言いました……!」
「いや、だってさ、ヘタに目ぇ背けるより笑い話にしたほうが良いってこーゆー場合はっ!」
「もう良いからしばらく黙ってて!」
あるいは過剰に過ぎる謝罪は、北棟の彼らの溜飲を下げさせる狙い、つまり他ならぬ灯一をかばう意図があったのかもしれない。ないのかもしれない。
ともあれその狙いは成功したようだ。というよりも、さして気にしないように涼は片手を挙げて制した。
「……まぁ、私たちの境遇はべつにあなた方のせいと言うわけでもありませんので……ホールダーの数を独占しているどこかの連中とは違い」
だが真月のやり過ごした怒りは、そのまま矛先を剣を挟んで向かい側へと転じた。
「つれないことを言うねー、マッキー」
短い蓬髪を後ろでたばねた男子生徒が、ヘラヘラと笑いながらそれに応じた。窓の外に出て、その縁に身を下ろす。
商業科二年。西棟担当の『管理区長』、
長身でブレザーの下に赤いパーカーを着た、いかにも軽薄そうな恰好が、灯一には少しうらやましく思えた。何しろ自分は、プレイベートでさえ自由なファションが許されない。
彼の後ろに控える生徒たちはいずれも西棟の生徒で、中には彼の妹たちもいる。
そのうちのひとり、多治比
「てゆーか、そもそも南部センパイって西棟の新聞部じゃないですか。いつまで戦場カメラマン気取って公表もできない写真なんか撮ってるんです?」
「……あの状況を見て、どうにかしたいと考えない方が人としてどうかと思うけれど」
静かに、だが確実に、今この瞬間にも北棟の副代表者は不満を募らせていく。
だが相対する三竹は、ブラッシングに余念なく、だが的確に言い返していく。
「ずいぶん言ってくれちゃってますけど、あくまで多治比グループはホールダーの生産と品質管理を任せられているだけ。というかそもそも兵器にさえなるような代物を、おいそれと流せるわけがないじゃないですか。あなた方相手だと、流通ルートさえまともに確保できないってのに」
「それはわかってる。けど、それにしたって酷いふっかけようだと思うんだけどね。あの『鍵』が、我々にとっても貴重なものだと知ってるはず」
「じゃあ今度から現金払いにしますゥ? 払えればの話ですけども」
「……っ!」
西棟側にどっと笑いが沸いた。
「……なんでそこまで言うかねぇ……」
愛想笑いから一転。兄の和矢は気まずげに脇へと逃げようとしたが、次女の
前に出ようとする真月を、片腕を突き出して涼が抑え込んだ。
「ていうかやっぱり、楼先輩もあれはないですよ」
「……は?」
「常に危険と隣り合わせなあたしらと違って、東棟の皆さまは『隔離』されてますからね。未来の官僚様に不相応な、不見識な発言だったと思いますけど」
「東が全員エリートってわけじゃねぇ」
むしろ、そうなってたまるかという強い抵抗感が灯一の中にはある。
それ以上触れて欲しくなくて、灯一は不自然を承知で話題を変えた。
「隔離といえば、南洋の連中は?」
「あ、あぁ縞宮サンなら水球の大会の応援で来れないって」
「……あのお祭り好きの脳筋」
ほっと人心地ついた調子で、和矢が話を合わせてくれた。
それはそれとして、いかに離れた姉妹校とはいえ、南洋高校のお気楽ぶりには呆れる思いだ。
「てことは、残りは」
わざわざ数えるまでもない。この『委員会』の統括責任者であり、そのパワーバランスの頂点に立つ存在。
「もったいないことだ」
勇んだわけでもない。気を荒げているわけでもない。それでも彼女の履くローファーは、吐き出す声は、その場にいた誰の発したものよりも大きく聴こえた。
「ともすれば、こちらも大祭になるのかもしれんのに、なぁ?」
彼らを自身の権限でもって呼び出した張本人、生徒会長の征地絵草は、彼らを見下ろすようにして屋上に現れた。
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(4)
「……まぁ、とは言え」
生徒会長は肩をすくめて見せた。
「たしかに委員長権限でもって召集をかけたのは私だが、同時に私自身が客人でもある」
「と言うと……?」
怪訝を示したのは、妹にフードを引かれたままの和矢だった。
「私たちを招いたのは、別にいるということだ。……いい加減、顔ぐらい見せたらどうだ? 『元』委員長」
そう示唆されるや、ちょうど剣の根本。黒々と原始の植物が生い茂る庭園に、それとは不釣り合いなぐらい清められた白衣の女が現れた。
剣の前に回り込んだ彼女を認めた比較的新参のメンバーの中には、釈然としない者もいた。
「誰?」
と、声に出して側の同胞に問う者もいた。
だが、実際に面識のある者、そうでなくともその目を惹く容貌や特徴からその正体を悟った者は、彼女の登場に目や顔の色を変えた。
愛想を母親の中に置き忘れたような白景涼でさえ、軽く目を見開いていた。
維ノ里士羽。
自分たちが用いているシステムの親。
大人たちが
「知らない者もいるだろうから、あらためて紹介をさせてもらおうかしら」
そう、絵草の背から影が進み出た。
和物のテイストを含んだカーディガンを羽織り、長い髪を簪をモチーフにしたヘアピンで髪を結い上げた様は、花魁や傾奇者を彷彿とさせる。
学校生活の中で彼女がそういうものを身につけているところを見たことがないから、自分と同じ理由なのだろうと灯一は推理した。
それが生徒会副会長、賀来久詠だった。
「彼女は維ノ里士羽。この『対策委員会』の、創立者。唯一にして初の、脱退者」
多分な意趣を含んだ言葉にも、氷の美女は表情を変えない。それどころか、一斉に視線を注ぐ誰にも目線を返さない。
「現在もなお我々を取り巻くこの異常現象について、新たな発見があります。その報告をしようかと思いましてね、一応」
身体をあらぬ方向へと向けたまま、ただ口だけを動かしていく。
「……へぇ?」
多治比の末妹は挑発的な笑みを浮かべる。
「今まで隠者を気取ってるだけと思ってましたけど、進捗はあったみたいですね。てゆーか、フツーそういうのって、独り占めにしません?」
三竹の眇めた目に浮かぶのは、猜疑心と純粋な好奇心と、あとは野心か。
おのが妹が衝突を生み出している。その事実そのものから逃げるようにして、和矢は距離を作ろうとしたが、やはり次女の拘束から逃れることに失敗していた。
「よく、わかっているではないですか」
何に起因するものかは知らないが、感情の色のようなものが、士羽の瞳の光に、かすかにさざめいた。
「いかにも私は隠者ですよ」
多くの人間の眼下にある維ノ里士羽は、証言台か、あるいは断頭台に立たされた罪人のようだった。
白衣の少女は、そこでようやく元の同志たちへと視線を返した。
「あなた方の生存競争にも」
雪を積もらせる白景涼や仏頂面の南部真月を冷視した。
「金儲けにも」
多治比兄妹へと無感動に首を傾けた。
「正義だとか秩序だとか興味はないし、いずれに与する気も関わる気もない」
厳然と頂点に君臨する軽蔑するかのように見上げた。
「かと言って完全な部外者面でいることもできない」
そして東棟のサイドに向けられる。
心なしか錯覚か。灯一には彼女の言葉には、おのれを責めているようで九音や灯一たちを咎めるような音韻があった。
「ただ、事を始めてしまった責任感と、純粋に真実への探究のみがある。こうして打ち明けるのは、痛くもない腹を探られるのが嫌だからです」
はっきりと、自身の立ち位置を宣明する。
そこには賀来久詠や多治比三竹のような虚飾や言葉遊びがないからこそ、真摯さは持たずとも真実味があった。
「人嫌いは相変わらずか」
生徒会長兼委員長は苦笑いした。
「だがそんなお前があえて我々に聞かせようと言う。それは余程の重大事と期待して良いのだな?」
重圧のある問いかけに、士羽はYESともNOとも答えない。口をちいさく開く。目は、剣の中を流れる星の閃きへ。
「他でもない、この上帝剣の正体について」
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(5)
維ノ里士羽は思い返し、そして探る。
「あいさつが遅れたな。俺はレンリ。異世界のヒトだ」
……いちいち追求する気も喪失させるあのカラスが、そう名を告げた後に語ったことの真偽を。
だが、今自分たちがあの事故や長大な異邦者について知っている情報は、あまりに心もとなく、信じるかはどうか別にしても、聞くだけ聞く必要はあった。
100パーセントが真実でないにせよ、あるいはそのことごとくがでっち上げだったにせよ、そして椅子に腰かけグルグルと座席ごと回るその珍獣が不信感満載だったにせよ。
虚偽であるならそれは、彼の知り得た事象から生まれたものだ。
それを掴み取る覚悟でもって、士羽は拝聴することにした。
「俺らの世界にも、あれと同じものが落ちてきた。状況はほぼ同じだ。地面に突き立ったそれはある一区画を異界化させ、人々を怪物にしたり超知覚に目覚めさせた。あれが『
「コンキスタドール?」
「あらゆる次元を食らう怪物……いや現象の総称だ。種や形、アプローチ方法こそ違うけど、やることは一緒だ。その世界に干渉し、文明を破壊する」
おいおいおい、と声が飛ぶ。的場鳴がはね起きて、タイルを鳴らした。
「学校の七不思議から、ずいぶん話がぶっ飛んだな」
皮肉を言う彼女に、首を反らすようにしながらカラスは返した。
「けど、その片鱗をお前らだって身をもって知ってるだろ。現にお前たちの学園生活はメチャクチャで、あの一帯は既存の物理法則から外れている」
そう言われれば、反論の余地、というかその材料がない。
「と言って、あれは『征服者』の中でもまだ影響力の弱い方だ。何しろあいつ自体が異次元に在る。出来ることと言えば、自身の因子をキノコみたく吐き出すことと……選ぶこと」
「選ぶ? 何を」
間髪を入れない士羽の問いに、レンリなるカラスは答えた。
「その世界の知的生命のモデル。いったいどういう基準で選ばれるかは知らないが、自身の影響の及ぶ範囲で、自身と波長の合う生物を捜そうとする。因子はそのために飛ばされたものだ」
ついぞじぶんが調査しても分からなかった謎が、丸みを帯びたクチバシから滔々と明かされていく。そこにプライドが傷つかないかと言えば嘘になるが、それでもようやく得られた情報には違いない。
「……まるでタンポポみたい」
今までさして興味を向かなかった足利歩夢は、呆れたようにこぼした。カラスは椅子のキャスターを転がしながら近寄った。真正面から向き合い、受けて応じた。
「そうだ。在り方としては、風媒花に近い。ただ一つの花を咲かすために、あれは無作為に自身の種子をまき散らす。いわば因子は花粉。レギオン化は不適合者のアレルギー反応。空間の歪みは風通しを良くするためだ」
だんだん、話が見えてきた。悪寒とともに。
このカラスはこの侵略者を一現象と言った。そして、風媒花に近いとも。だとするならば、その究極の目的とするところは……
「なんのために、そんな習性が……」
「増殖」
「あ?」
鳴の独語を、士羽は拾った。いや実際には彼女に答えるつもりではなく自発的な呟きだったが、鳴の言葉を受け継ぐかたちになった。
「産み、殖やすこと。ただそれだけが役割。そうですね」
「……さすがに、ここまでヒントをやれば嫌でも気づくよな」
ほぼ断定に近い士羽の念押しに、レンリは鼻を鳴らした。
「そうだ。あの無口なカレルレンは、『征服者』をその地から生み出すために落ちてきた。因子に選ばれた人間は、徐々に既存の自我を喪っていき、あの剣の同胞として覚醒する」
「……じゃ、何か。あたしらは、そいつが選ばれるまでひたすらに被害を被り続けるってのか」
「『被害』って言葉で片付けられれば良いけどな」
そのふざけたナリに見合わない真剣な重みを、カラスの言葉は持っていた。
まさか。士羽は思わず口にしてしまった。見えざる手で、レンリに引きずられるかのように。
危惧は強まる。じわじわと我が身を侵す寒さに、ぐっと奥歯を噛み締めた。自身が手にした本を、引きちぎるかのように掴む。表紙を、食い入るように、見つめる。
「上帝剣……まさにぴったりの名前をつけたもんだ」
カラスは我が事のように、感心して言った。
「その末路はそっくりそのままだよ。『征服者』として目覚めた者は、世界という繭を破壊し、その
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(6)
痛ましいまでの沈黙が、剣と相対した空間を支配していた。
西等の多治比衣更が、呆気にとられたままに腕の力を脱き、危うく兄を取り落とそうになっていた。
「あっぶね!? ……ちょっとォ?」
「ご、ごめん」
慌てて自身と三女の力で持ち直し、和矢は抗議する。次女は謝る。スラリとしたモデル体型の彼女だが、その身の丈に比して性格は控えめで、声も士羽の位置にかろうじて届く程度に小さかった。そんな彼女が率先して行動に出られるという点で、兄妹の仲の良さが窺い知れる。
「つまり、センパイはこう結論づけたワケですか?」
その傍らで、多治比三竹が問うた。
「このでっかいのはこの学園にいる誰かひとりを、世界を滅ぼす怪物に変えるために、落ちてきたと。で、今のところ誰がソレになるか、分からないと?」
「数は絞れますよ」
揶揄するような物言いに、士羽は論を反す。
もっともこれはあのカラスのもたらした情報であり、彼の希望によって自分の発見として伝えなければならないというのが、癪ではあった。
「要するに、今までのレギオンはその成りぞこないということ。であれば、一度レギオン化した人間は『征服者』の適合者たりえない」
「てことは、ウチの衣更は除外だな。良かったなー」
校舎に身を引き戻した和矢は、カラカラと笑いを転がしながら、次女の頭頂を撫で回す。衣更は、赤くなった頰を、ブラウスの襟に沈めるようにした。
一見おちゃらけて情けないように見えた和矢だったが、ふざけている様子はない。むしろ次の瞬間には、その場にいる誰よりも剣呑な面持ちで、士羽を見返していた。
「北棟の大半も『出戻り組』だ。その条件からは外れる」
次いで応じたのは、北棟の管理人たる白景涼だった。
「自分以外は」と付け足して。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
その傍で南部真月が、甲高い声をあげた。
「なんでみんなふつうに受け入れてんですか!? 世界はどうとか異世界だとか! そんなの本当かどうかさえ怪しいじゃないですか!?」
学校を代表する怪人傑物の中において、つい最近まで一新聞部員だった彼女は、この場にいる誰よりも人間らしい感性を保っているとも言える。
「そだねー」
窓の縁に寄りかかって、所在なく腕を遊ばせながら、和矢が同意した。
「おれもそこんとこ気になったんだけど……それ、どこ情報よ?」
三女に似た、抜け目のない狐狸の眼光が絞られる。士羽を捉える。
だが、その視線も詰問も、彼女の動揺を誘うには至らない。
「新しい発見など、そんなものですよ。あるいは真理は、そこらへんに転がっているものかも知れません」
「つまり、気づいたのはまったくの偶然だと?」
東棟代表、輪王寺九音の短い追及が、こちらの真意を探る。
もちろんこれについては、士羽は明確に嘘を吐いている。
上帝剣に対する事の真偽はともかくとして、現にこの情報をもたらし、かつ今なお多くの秘密を抱えているレンリは、それ自体がパワーバランスを崩しかねない存在だ。誰にも察知されてはいけなかった。
「だとしたら」
士羽の頭上に、別の女の声が落ちた。誰よりも、攻撃的な韻を付与して。
「真っ先にその候補となるのは、貴女でしょうね、維ノ里」
副会長の賀来久詠。
多分に揶揄を含ませた彼女は、勝ち誇るようにして続けた。
「だってホラ、その『征服者』でしたっけ? それになると人間性を喪っていくんでしょう? そんな仮説でシラフで吐ける今の貴女もまっとうとは言い難いわよ」
むろん、これは士羽の言に賛同してのことではなく、その揚げ足をとっての皮肉だった。
士羽としては、彼女の挑発にさして嫌悪を抱くことはなかった。というよりも、なんの感情も興味も、この輩には持ちようがなかった。
「べつに、信じてもらおうとも思いませんよ」
そもそも、自分が何かを言ったところで従おうとしなかったのがお前たちだろう、という言葉を裏に隠して、淡々と隠者は告げる。
「ただこれは、ちょっとした約定を果たしに来ただけですよ。あとは、古巣に対するせめてもの温情といったところですか。だから、これを受けてヒーロー気取りで活動しようと怖じて逃散しようと、魔女狩りを始めようと、私は一向に関知しないし、興味もない」
敵意、困惑、詮索、静観。
立場や向けられる情の色は様々だが、士羽に味方をする者はいない。
「信じよう」
――かに思えたが、そこで加担の声明が重みを乗せて発せられた。
誰でもない。今まで自身の懐刀の背後にあって状況を見守ってきた、征地絵草だった。
「会長!?」
諌止しようとする久詠に一瞥をくれて黙らせて、あらためて眼下の白衣へと視線を移す。
「我らに力を与えた天才、維ノ里士羽の言は、いまだ千金に値する。たとえ袂を別っていようとな」
士羽は応えず、ただ帝王気取りの生徒会長を睨み返しただけだった。
「それに、取り立てて大きな方向転換をするわけでもない。各々の領分と権限においてレギオンや因子感染者の予兆を察知し、その芽を摘み、鍵を回収する」
「――雪原から角砂糖をすくうようなものじゃない……」
ぽつり、真月がこぼした。本人には誰かに聴かせるつもりはなかったろうが、会長は耳ざとくそれを拾った。
「だが他に手立てもなかろうよ。だが警戒はより厳に、連携を密に。事の真偽や詳細は、いずれ我らがつまびらかに明かしてみせる。それまで、皆には一層の精進を期待する……以上、これにて解散とする」
美味しい所をかっさらったと言うべきか。それができるからこそこの委員会の現総領たりえると賞賛すべきか。
ともかくとして鶴となった征地絵草の総括の一声によって、少年少女たちはそれぞれの持ち場へと、それぞれの責務を果たすために戻っていった。
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(7)
「おい、大丈夫かよ九音」
「だ、だいじょうぶ……ちょっと立ちくらみ」
「まーあんなトンデモ話聞かされりゃあ頭のひとつも痛くなるわな。でもお前、最近ますます頻度が……」
東棟のふたりを最後に、管理区長たちは軒並み旧校舎から退去した。次は、維ノ里士羽の番だった。
彼女が一番手近な校舎の入り口をくぐった瞬間、その校舎の屋上へと出た。退去の成り行きを見守っていた生徒会と自然、目線の高さが合った。
「征地さん、我々もそろそろ」
自分たちの出入り口を確保し、そう促す副会長に対し絵草は、
「先に行っててくれ」
と、視線を白衣の女に定めたままに言った。
氷の碧眼と、燃える橙光が、組み太刀のように絡み合う。
「……だけど」
賀来久詠は、女でさえたじろぐ美貌を交互に見やりながら、奥歯を噛んで食い下がる。
「良いから行け」
二度命令はしない、と言いたげな強い語気とともに、焔の生徒会長は副会長を視線だけで追い出した。
金属のきしむ音とともに鉄扉が閉ざされる。この異常な空間に取り残されたのは、正真正銘、絵草と士羽の二名だった。
「あぁいう大それた話なら、事前に私を通してほしかったのだがな」
絵草は本音と冗談を織り交ぜるようにして切り出した。
「貴女に?」
士羽は、笑った。絵草の前で、久しぶりに笑った。
だがそれは微笑みというにはあまりに暗く、あまりに敵意が根深いものだった。
「だからですよ。貴女を介するならば、情報は編集される。貴女にとって都合の良い上澄みだけが委員会へともたらされ、重要な部分は貴女が掌握する」
「当たり前だろう。情報統制なくして組織の運営など成り立つものか」
絵草は士羽の憶測にもとづく邪推を、そっくりそのまま肯定した。
「お前のやったことは、無責任に、いたずらに、彼らを混乱させただけに等しい愚行だ」
「ではこの現状が統御できているとでも? よく言って群雄割拠。もっと言えば、兵器が粗製乱造される戦場の直中でしょうに」
「なるほどな」
風が鳴る。両者の間を、冷たい風が吹きすさんでいた。
「まだ、あのことを根に持っている、というわけか」
あおられる白衣のポケットに片手を突っ込んだままに、士羽は横顔だけを、依然旧友へと向けたままだった。
彼女は珍しく感情的になっていた。だが、その情動の根源、自分たちの不和の大元となっているものは、ただその一点なのだろう。
「どうせ聞く耳持たんだろうが、私自身と剣ノ杜の名誉に賭けて何度でも言ってやる。――『ストロングホールダー』のメインシステムが多治比に漏れたのは、私のリークによるものではない」
「……」
「だが、現状の混乱をすべて否定する気も毛頭ない」
士羽はキッと絵草を睨み上げた。ブーツを叩き鳴らすようにして、絵草へと向き直った。
「考えてもみろ。征地や維ノ里だけで、あのシステムが何台用意できたと思う? いかに道理を説いたとて、メリットや見返りがなくば、見えもしない現象の調査への投資やホールダーの量産などに多治比も腰を入れなかっただろうに」
「で、その結果が戦場のケースモデルと化した学園の惨状。ゲーム感覚でホールダーを手にした桂騎などといった無法者の台頭ですか。本来一番に行き渡らなければならない『旧北棟』の配給率は、三割を切っている」
「旱魃で苦しむぐらいなら、嵐も洪水も許容すべきだ」
「それは高台にあって溺れる弱者を見下ろす人間のセリフですよ」
「だが水量は基準値に達した。今は堤を造っている最中だ。今回のお前の仕打ちは、ようやく収まりを見始めていた水を暴れさせたに過ぎん」
「傲慢な物言いですね。神になったつもりですか。それとも王か?」
「玉座に背を向けたのは、お前だ。お前が清濁を併せ飲んでその座についていれば、もっと早められたはずだった」
ふたりの論争は、どこまでいっても交わらぬ平行線のままだった。
そんなことは話しかける前に、いや一年前に決別してからずっと、わかっていたはずだったのに。
おのれの未練を、絵草は哂って首を振った。
――だが、それでも。
「士羽、戻って来い」
諦めきれず、といって素直に従うなどという期待は一片の期待も持てないままに、絵草は誘った。
「何をそんなに意固地になっている? 単身でこの学園や世界が救えるとでも思っているのか? 科学者にしては、ずいぶん感情的で非合理的だとは考えないのか」
士羽はふたたび踵を返した。もはやその碧眼には、感情の波は立っていない。
「貴女はいくつもの勘違いをしている」
剣に背を向け、向かいの校舎に背を向け、そして絵草に背を向ける。
柵の破れたあたりに足をかけた士羽は、抑揚なく答えた。
「ひとつ、私の目的は最初から真実の解明にある。世界や学園がどうなろうと知ったことではない。ひとつ、私がいずれにも与さないのは、遺恨からではなくその目的を果たすためには特定の派閥に在るとかえって不都合な点が多いから。そして最後にひとつ」
つらつらと理由を列挙していく士羽は、上半身を異界の外へと傾けていく。そして最後にこう言い放った。
「科学者ほど、非合理的で感情的な人種はいませんよ」
――果たしてそれは、自虐だったのか諧謔だったのか。
絵草が問い返す前に、白衣の少女は現実世界に戻るべく我が身を投じて消えた。
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(8)
凡人の一生分にも相当する濃密な入学式から、三日が経過していた。
足利歩夢は、それから毎日、昼休みや放課後を利用して例の保健室へと通っていた。
「検査入院みたいなものだ」とは士羽や鳴の弁。
その間血液を採取されたりMRIのような何かをくぐらされたり、糖尿病患者の人間ドックもかくやという苦行のすえ、ようやくレギオン化再発の恐れなし。『
その検査をしているのは、花見とかいう士羽の息のかかった保険医で、付き添いは鳴とレンリだった。
というよりも鳴は番をするために余暇には保健室に詰めなければならず、レンリは情報交換のためにここに泊まり込み、士羽にいたっては滅多に顔を見せない。
「で、わたしはどうなるの」
ベッドの上、足を無意味にバタつかせながら、歩夢は問う。その手には、がんばったご褒美にリンゴジュースのパックが受け渡されていた。ますます健康診断か、輸血の趣が強い。
「……ま、一度関わっちまった以上はな」
涼やかな目をそらしながら缶コーヒーを飲んで、鳴は答えた。
「経過観察も兼ねて、あたしらの手伝いをしてもらうことになると思う。何しろホールダーも足りない、その動力源たる因子結晶『ユニットキー』も足りない。とくれば次は人手不足だわな。まぁ華の学生生活をぜんぶ切った張ったに費やせってんじゃないんだ。多少の融通は利かせるし、支援金も出す。ちょっとしたバイトと思ってくれ」
冗談めいた口調で言ったが、そこには一抹の、だが心底からの申し訳なさと憐憫がにじみ出ていた。
取り澄ました物言いをするが、根は善良な人間なのかもしれない。それを歩夢が好くかどうかは別として。
歩夢は、ストローをくわえ、ジュースを飲んでいた。何も言わなかった。
「……で、どうなんだ?」
それまで沈黙を守っていたレンリが、痺れを切らして問う。まるで我が事のように、あるいは世間一般で言うところの親兄弟のように、彼は歩夢の様子を窺っていた。
「べつに。好きにすりゃ良いんじゃない」
歩夢は答えた。そうとだけ、答えた。
「歩夢」
レンリは初めて彼女の名を呼んだ。
「俺たちは、いまお前のことを話してるんだぞ」
まるでゾンビか幽霊にでもなったような友人と相対するホラー映画の主人公のような悲嘆入り混じるその声が、ふざけた外見も相まって歩夢の失笑を招いた。
「なに? わたしに拒否権なんてあったの?」
歩夢が見せた笑みに、カラスと上級生はたじろいだ。
この状況で笑えることに対してか。それとも歩夢にそんな機能が備わっていること自体へか。
当惑する彼らの言わんとしていることはわかる。
たしかに傷を負うかもしれない。命の危機だってある。自分だって、できることなら死にたくない。
だが彼女は、自分を含めた世界のことごとくに、個人の意思などどうしようもない流れがあることを知っていた。
運命と呼ぶのは口はばったいが、まぁ要するに世界だろうと誰だろうとそれぞれの目標があって、勝手があって、都合がある。
一方で自分は願望とか執着とか、そういうものが薄い。だから他人に食い物にされることは承知しているが、感情の持ちようなんだからしょうがないだろう。
だから、足利歩夢は妥協する。
もちろん降りかかる火の粉を回避するため、一定の努力はする。だが、見積もって手に余るような大火であれば、あぁそういう流れかと割り切って、受け入れる。そうしたほうが世の中は多少住みやすく、分かりやすく、気持ちも楽だ。
それが十五年の人生で得た哲学だった。
「そうかい」
鳴は缶を手元のトレーに置いた。強い金属音が医療器具の間で反響した。かなりの力強さを感じさせるが、攻撃的な意思は感じない。ただ、自身の中でくすぶる、やり場のない感情をぶつけたように思えた。
「それじゃ、最初の仕事だ」
抑揚なくそう前置きすると、椅子に座るカラスの襟首……と思しき部位を、ひょいとつまみ上げ、歩夢の目線の高さへと吊るした。
「こいつ、いつまでも置いてけないから持って帰れってさ」
「よろしくなー」
「は?」
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(9)
その日、学生をやって以来はじめて歩夢は下校時に寄り道というものをした。
放課後、保健室を出たあとに図書館に立ち寄って鳥類の生態やインコの飼い方の本などをコピーし、さらに本屋で同種のものやカラスの生態について立ち読みしてみた。
だが、どれもこの珍妙な鳥について明快な解を示すものはなかった。
そこで今度はアホ面ダブルピース(羽根で)をさらす鳥をスマホで撮影し、その写真を画像検索にかけてみた。だが検索結果は〈Cartoon〉。Google先生は何も答えてくれない。
そこに至って歩夢は、この珍獣について知ろうとすることがこのうえない徒労であることを悟った。
このまま士羽に突き返すなり保健所に蹴り転がすなりいろいろ引きはがす方法も考えたが、それさえも面倒になって、無視して帰ることにした。
拒むことをしなかったが、ついてこいとも言わなかった。だが、馬鹿正直にレンリはぺたぺたとついてくる。雛か何かのように。
自称異世界人は車を鉄の馬だと驚嘆することも、商店街のテレビモニターを動く絵画と仰天することもなかった。交通ルールを守って律儀に信号を待ち、「一緒に生活するんだからせめて歯磨きぐらいは新調しないとな」などとふざけたことを大真面目にぬかす。
ただ、唯一反応らしい反応を示したものがあった。それは剥がし損ねたとおぼしき去年の夏まつりのポスターで、「平成三十四年七月末」云々という日付を見て、なぜだか異常に動揺を見せて挙動不審になっていた。だがそれでも数秒後には落ち着きを取り戻していた。
そんな彼を見て不審に思う通行人ぐらいいてもいいものだと思ったが、まるで喋る鴉など元から存在しないかのように、当たり前のように通り過ぎていく。もしこれが何らかの幻術によるものだとしたら……念動力で動く剣よりもよっぽど欲しい力だと思った。
そうこうとりとめのない黙考をしているうちに、陽が沈む前には家へとたどり着いた。
そこは駅の裏手にあるニュータウンで、一軒家が多く立ち並ぶ中、ぽつんとひとつ頭抜けて建つマンションだった。
一般家庭が賃貸するにはややためらわれ、高級というには少々格不足、といった感じの白亜の城。部屋番号を入力してロビーを抜け、エレベーターに乗る。
四階でドアが開くと、レンリが真っ先に降りた。
405番の、名札のない部屋の前に立つ彼の尻を、爪先で小突く。
「違う。その隣」
「ん、あぁ」
生返事。
「あっちには誰が住んでるんだ?」
「ネクラな女。最近帰って来ないけど」
「……お前が言うのか」
「わたしをして言わせるの」
短く答える。扉の前に立つと、テープの剥がし忘れが目についた。だが、今朝に紙を剥がしてから追加で貼りなおされた形跡がないから、今日はまだおとなしい方だった。
多少の安堵とともに、我が家の鍵を開けた。
「どうぞ。ただし入りたければだけど」
そう断った。怪訝そうなカラスだったが、扉を開けた瞬間に理解と衝撃とを顔に表した。
本来であれば暖かな家庭の場だとか乙女の花園を想像するだろうが、中に広がっていたのは足の踏み場が片足分ほどしかないゴミ屋敷だった。
(いや、それはさすがに卑屈になりすぎか)
いくらなんでも直近の可燃ゴミぐらいは定期的に片づけているから、ビニールや紙袋の中身はすべてプラスチックや雑誌類の資源ゴミだ。
特に紙資源などは、日常的に、飽きもせずポストに投函されていたりドアに張り付けられていたりするから、いちいち始末することがわずらわしくなっていた。
その文面は、きわめて攻撃的かつ感情的に退去を促すものであったり、彼女自身ではなくその身内を糾弾するものであったりするが、以前は扉に直接書かれていたりした。枚数も、以前よりは少なくなった。多少は騒ぎも収まりを見せていたということか。
玄関から、リビングのフローリングにまで達していた。最終防衛ラインはキッチンと私室のベッドくらいなものか。もはや不要な両親の部屋は、とうに物置兼不用品置き場と化していた。
「あ、ちょうど良いや。ここ寝床にしたら?」
レンリをリビングに招き入れ、その紙類が敷き詰められた段ボールを指さし、促す。
「……なんだよコレ……どういうことだよ、親御さんはどうした!?」
レンリは、ここに到るまでで最大級に、困惑していた。
「ママはパパ刺して塀の中。パパは……あ、違うか。父親だと思ってた人は、別の恋に生きることに決めたみたい。まぁお金だけはなんか定期的にくれるから別段不自由はないけど」
碧眼が、大きく見開かれている。そのクチバシは小刻みにカチカチと鳴るだけで、受けたショックを言語化することができずにいる。
しばらく呆然と立ち尽くしたあと、
「――知らなかった」
ぽつりと、重々しく、砂を噛みしめるように彼は呟いた。
「……悪かった。本当に、気づかなかったんだ。お前が、こんなことになってるなんて」
「当たり前でしょ。いつ言うヒマがあったっての」
自身の発言を恥じて詫びるカラスに、こともなげに歩夢は返した。
別段フォローするつもりはなかった。もう全部が終わったことだった。周囲がどうあれ、自分の中では踏ん切りがついていると思っている。
たしかに事故の際には泣いて母を止めようとした。「お互いのためだ」と言い訳をつけて家を出ていこうとする父を、涙とともに見送った。孤独や謂れのない匿名の無数の悪意にさらされ、幾夜も枕を濡らした。
だが、慣れとともに頬も心もとうに乾いた。
なお気が収まらないらしく、やや過剰なほどに身体をすくませ、消沈している。
トボトボとそのままパッシング入り段ボール箱の中に身を投げ入れる。来る時とは打って変わって暗い面持ちで、その中で丸まった。
(いや、半分冗談だったんだけど)
歩夢は内心でそう突っ込みを入れたが、現実に指摘することはしなかった。
本人、いや本鳥が納得しているのなら、あえて自分から面倒を増やすこともなかろうと思った。
「……すまなかった」
最後にもう一度だけ、レンリは静かに謝罪した。
それが、完全に陽が沈むまでに放った最後の言葉となった。
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(10)
足利歩夢は眠りにつく。
脱ぎ散らかした制服にくるまれて。
――地獄が見える。
放り投げたカバンを枕に。
――地獄を夢見ている。
学生として必要なもの、人間として不必要なものは数あれど、自分が欲しいと思えるものはないその部屋で。
――地獄の中で、剣の十字架の前で、自分は燃え落ちる。
痛みはない。悲しみもない。喜びもない。幸福もない。
欲しいものは、いつだって手に入らなかった。
自分が望みを言えば、周囲は、世界は、他者は、逆のものを歩夢に与えた。
家族であり続けて欲しいと願ったら、孤独を。
平穏な日常をと望めば、虐待と偏見を。
せめてその地獄の中で、一抹の理解を、一片でも感情の共有をしてくれる人を求めた。ただ一言、日常的にあいさつをかけてくれるだけで良かった。
友を、あるいは恋人を……神が与えたもうたのは、二、三言葉交わしただけの無関心な隣人だった。彼女は、ある時を境に……自分が本当に声をかけてほしい時に、姿を見せなくなった。
(だから、こうなるのかな)
夢の中で、ぼんやりと想う。
みずからを焼く業火の熱さも、世界の終焉も人類の死滅も。『侵略者』も上帝剣も、今となっては、何も感じない。疑うことも信じることもしない。ただ漠然とそれを受け入れ、やり過ごす。だから地獄さえも、自分を素通りしていく。
ただひとつ、その中で鳴く、異形の王だけが、自分の前に留まっている。
自分に唯一目を向ける存在にも、何も……何も。
ただ他人事のように、想った。
自分に気をかけてくれる相手にさえもう無関心なんて、とんでもない人でなしなんだな、と。
でも、自分とは、誰だ?
誰が思い描いた、心情だ?
目が覚めた。思考の途中で、覚めた。
そこにあるのはすっかり硬く冷たくなったベッドと、無数のゴミと、制服と、カバンと……それに背を向け壁に目を向け眠る、自分。
覚める直前まではこれが明晰夢だという自負があったが、今回は起きてみれば、大部分がすっぱり抜け落ちていた。具体的なヴィジョンを持っていた憶えはある。その具体的情景がひとつも浮かんでこない。
ただそれに対する思考の道筋だけがある。
ともかく、あまりいい気分でないのは確かだった。
水でも飲もうかと寝返りを打って立ち上がろうとした。だが、できなかった。本能的にストップがかかった。
入り口に、誰かが立っていた。長大な何者かが。
闇の中にぼんやりと浮かび上がる影法師の正体を、何故か確かめることはできなかった。それはそうだろう。夢の住人である自分であれば恐怖はないが、現実に忍び寄る恐怖には、今の自分は無抵抗だった。例の鍵とやらもそれを読み取るデバイスも、取り上げられていた。
だから、恐怖は恐怖のままに、受け入れるほかないのだ。
そう結論づけると、とりあえず震えは止まった。
だがいやがおうにも、聴覚に神経は集中する。足音が、人間のそれではない。鉄の軋むような音。それがフローリングに負荷をかけている音。本人は忍んでいるつもりだろうが、その図体で完全にかき消すことは不可能だった。
ゆったりとした歩速で、それは歩夢の背面近くに立った。
ジャラリと、鉄鎖の音を鳴らし、手を伸ばす。壁に浮かび上がるその影が、ホラー映画のようだった。
ここに至っては、自分にできることはただひとつだけ。
覚悟する。諦める。受け入れる。受け入れる。受け入れる。……受け入れろ。世界が命じる。
だが、次の瞬間に少女の背に触れたのは、人の手だった。
その指先は触れるか触れないか、起きないようにという微妙なタッチで、背から肩へ、首筋、髪へ。
その手が離れる直前、留まろうとした。だが、彼自身がそれを許さなかったようだ。ビクリとわずかに痙攣するや、慌てて引いた。
「ぎゃあっ!?」
捨てようと思って床に放置していたキャビネットの、思いっきり角を踏んだようだ。悲鳴が上がった。起こさぬようにという気遣い、台無しである。
すすり泣く声と足音が遠のいていく。小さくなっていく。ペタペタと、軽いものになっていく。
結局正体もこうした理由も確かめることもできず、夢か現かわからないままだった。
そうなると人間、厚かましさというか複雑さというか。何しに来たんだあのバカ、という怒りにほうが強くなっていた。
ただその怒りを抱えたままに目を閉じると、自分でも驚くぐらいに早く、睡魔に襲われた。
そして余計な夢など見ることなく、柔らかな闇の中で、身も心も休ませた。
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(11)
歩夢が朝起きると、全てが片付いていた。
細かいゴミは片付き、勉強机は新品同様に磨き上げられ、制服はハンガーにかけられ、キャビネットは角に血のついたまま資源ゴミとして
憮然としたままリビングに行くとそこも片付けられ、Amazonの段ボールの中に隠遁して久しかったソファ君が顔を覗かせていた。
「おはようさん。よく眠れたか? 今朝ごはん作ってやるから、ちょっと待ってな」
昨晩の歩夢のことなど知ってか知らずか。バカみたいな笑顔を繕って、カラスがキッチンから顔を覗かせる。
ストールを丁寧に折り曲げて額に巻いて三角巾に――
(……三角巾に!? あの羽根で!?)
まぁともかく、家政婦のような出で立ちが、なおさら苛立ちを加速させる。
現状のレイアウトが都合が良かったのに勝手にいじりやがって、と怒ろうとも思ったが、やめた。それは片付けられない女の理屈だ。不満を述べれば、まるで自分が不調法なダメ女のようじゃないかと思った。
「……どういう風の吹き回し?」
動機を、問う。相手にしてみれば、放置しておくと精神衛生上よろしくない程度の、何のメリットもない行為ではないのか。
すると居住まいを正してレンリは言った。
「お前を見て思ったんだ。お前、家庭環境は言わずもがなだが友達もいないし、控えめに言ってコミュ障だし、表情筋が死んでるし目が死んでるし、オマケに片付けられないダメ女だし、角のあるキャビネットは下に置くし」
「片付けられないわけじゃない。あえてやる必要がないだけ」
「で、同じ釜の飯を食うことになった身の上としちゃあ、とうてい看過できるもんでもない。というわけで、余計なお世話を承知でお掃除させてもらったよ」
「……本当に余計なお世話だよ」
「じゃあついでにもうひとつ。まぁこれは決意表明みたいなもんだけど」
皮肉でもなんでもなく、直截に不平を申し立てる歩夢の目を、碧眼が覗き込む。直視する。それを避けて、歩夢は顔を背け
「俺はお前のお兄ちゃんになると決めた」
ようと、した。
「……は?」
思わず聞き返す。
反射的に、流すことができなかった。
「俺が思うに、お前に必要なものは人のぬくもりだと思うんだ。人と関わることで、世界の尊さ的なアレを感じられると思うんだよな。そうじゃないから、お前は良くないものに魅入られたんだ」
などと独り合点。翼を組んでウンウンと自己満足。
……それは、あまりに歩夢にとってクリーンヒットな発言だった。もしくは地雷を走り幅跳びで踏み抜くにも似ている。
自分がとうに諦めていたものを。
期待することを辞めたからこそ、心の平穏を保てていたものを。
どれほど鈍感だろうと鳥類の脳ミソの容量だろうと、今までの自分の言動から察せられるはずだろうが。
それなのに。
今になって。
こいつは。
歩夢は、ギリギリと眦を引き絞る。弓のように。
そんな彼女の様子を気取る様子など微塵もなく、カラスはバカみたいに楽しそうだった。
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第三章:イノチの、物差
(1)
朝食が、盆でダイニングのテーブルに運ばれてきた。
独特の手触りを持つ赤い器。そこに注がれた黄金色のスープに、ほうと歩夢は息を漏らした。
「……いただきます」
「……どうぞ」
箸を手に、頭を下げて、ひとつまみ。
白い平打ち麺をたぐりながら、スープと絡ませながら一気にすする。それを噛んで、味わい、もうひとすすりすると、味に頓着しない歩夢にも、その輪郭が見えてくる。
ダシは、カツオ節、煮干し、昆布が味の三本柱と見た。それを薄口醤油がしっかりと繋ぎ止めている。
カツオ節の削りの荒さといった細かな調整によって関東人にも合う味に調整されている。
馴染み深さえおぼえるその味わいに、朝の重い気持ちも和らいで、二口、三口と抵抗感なく身体が受け入れていく。
するすると箸が進み、一通り麺を平らげて、ほぅと息吹をこぼす。
「いやぁ、君は実に優秀な作り手だよ」
それからあらためて、カラスに賛辞を送る。
「カップうどんのね」
「ありがとう」
「皮肉で言ってんだよ」
「分かってるよ」
「それなら結構」
伝わってないほど鈍感だったら、本気でどうしようかと思っていたところだ。
「しょうがないだろ」
作った張本鳥は、自分の分のうどんをつるつるとやりながら、逆に不本意そうに言い返した。
「だってこの家、カップ麺しかないんだもの。あとナンプラー」
「人間、そんだけあれば生きていける」
「な訳ないだろ。数十年後ぜったい後悔する生き方してんぞ、お前。あとナンプラーなんで買った?」
中年サラリーマンのような説教を、はいはいと聞き流し、もくもくと食べ進めていく。
「……よし、じゃあ今日は食い物買いに行こう」
「行けば?」
「行けばじゃないよ。お前も付き合うんだよ。社会勉強の一環で」
「やだよめんどくさい」
「だめだぞー、好き嫌いしちゃ」
「違いますぅ。ホントにめんどいだけですー」
「いーや、絶対偏食家だろお前さん」
おそらくは自分の今までの言動からの勝手な当て推量だったろうが、的は射ている。
かと言って声にして認めるのは癪だから、明言は避けた。
それがかえって仇となった。やっぱりな、と言いたげな目つきをした。
「成長期なんだからさ。そこはちゃんと食っとけよ。そうすれば」
わずかに視線を落としてカラスは言いかけた。
「多少は……成長が」
彼女のボーダーのパジャマを見た。
「成長が……」
厳密に言えば鎖骨の下の部位を見ていた。言葉を、詰まらせる。必死に何かを言い終えようとしているようだったが、彼の生真面目な気質と本能が、それを安易に口にすることを拒んでいるようだった。
「……」
と言うか、胸だ。こいつは、おおよそ女性にあってしかるべき膨らみ……に当たるであろう箇所を見つめていた。やがて暗澹たる眼差しをすっと伏せ、一筋の落涙を見せた。
テーブルの上に置いた翼は無念を噛みしめるように硬く握り締められていた。
「すまん……そこについては、リカバリーが効くとは断言できない……っ!」
まるで不治の病を宣告する医者のように苦悶の宣告をした。
……歩夢は、天を仰ぐ。
レンリはひとつ思い違いをしていると思った。
彼女は木石ではない。
部屋は壊滅的であったにせよ、乙女としての自覚とコンプレックスを人並みに抱えている。自分には精神的によりも肉体的に、女性として決定的なハンデがあり、そこについてまったく気にしていない、と言えば嘘になる。
本当に余計なお世話で勝手な解釈だが、やはりレンリの気遣いは正しく的中している。
が、世の中常に正論が人のためになるとは限らない。
――彼女は、木石ではない。
表情に乏しいが、当然感情はある。面倒だから表に出さないだけだ。
触れてはならぬ痛みがある。それに触れられた怒りがある。乙女の花園……いや禁忌の平野へ土足で踏み込んだ無法者に対する、断固たる報復心は持ち合わせている。
次の瞬間、自分でも驚くほどのスピードとパワーでもって、レンリのアフガンストールを掴み、殴りかかっていた。
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(2)
早朝の陽が差し込む、図書館。
その地下書庫にのさらに下層に維ノ里士羽の一拠点があることを、一般生徒、教師のみならず『委員会』においても知る者はほとんどいない。
そこには水道、ガス、電気といったライフラインが開通されており、その予備エネルギーや備蓄はたとえそれらが断絶したとしても数年は持ちこたえられるようになっている。
維ノ里士羽はそういった拠点を学園内、それこそ旧校舎内部にさえいくつも持っていた。
(――かつては、それほどの数は必要ではなかった……)
維ノ里士羽は胸中で述懐する。LEDライトに照らし出された中等部時代の彼女と絵草のツーショット写真を見て、追憶する。
事のはじまりはやはり『翔夜祭』。自分も征地絵草も、そこにいた。白景涼も、輪王寺九音も。
わけもわからないままに際限なく広がる炎から逃れ出た自分たち。絵草は遠くにあって生き残りを避難誘導し、涼は当時の北棟とともに飲み込まれ、九音の影が怪物となった。自分は、その業火の中央に在った。
――あれは夢だった。
惨劇から脱した自分は、そう結論づけた。
炎の中、何かの指向性によって組み替えられていく校舎だとか、そんな高熱の中で異常な生長を遂げていく見たこともない植物など、現実逃避の願望が生んだ幻だと。
だが、幻は事故現場の中央になお存在していた。絵草もまた、それを視たという。
そこから、闇の中を手探りをするかのごとき探究が始まった。
まず、体調不良を訴える絵草たちの体内に因子を発見した。
十数年前に死んだ若き天才の遺品から発掘されたものの、冷笑とともに葬られた『トキグニルイ・レポート』。その中に記されていたアンノウンエネルギーの物質化技術の理論を応用し、その因子を濃度やエネルギーの方向性から最適の形状、能力に変換する装置、『ストロングホールダー』を開発した。
そして九音らレギオン化した被害者を救出したことでその有用性を実証し、また『旧北棟』とともに行方不明となっていた白景涼とコンタクトをとることに成功し、異界と化した旧校舎を探索する術を得た。
――本当は、海外の工科大学に内定をもらっていた。先祖代々の母校とはいえ、こんな学校でくすぶっていられるほどに暇ではないと。
だがようやく自分の才能が、目に見える形で人々の役に立つ。必要とされている。認めてもらえる。自分の考えや適性に理解を示してくれる友人たちとともに。それが嬉しかった。
だがそれは、一瞬のことだった。
秘中の秘であったはずの、ホールダーの基本システムおよび上帝剣のデータが何者かによって外部へと流出し、拡散した。
よりにもよって、多治比一族に。この学園、この土地のみに留まらない多大な影響力を持つ、総合商社グループに。
彼らを始めとした大人たちは、事故直後、自分たちが助けを求めても事故と切り捨てて何も手を下さなかった。いや、そのスタンスは今なお変わっていない。あれは事故。巨大な剣など植わっているわけはなく、人から変異した怪物などいるはずもなく、また維ノ里士羽が作ったのはノイローゼのせいで適当に作ってしまった、役に立たない計測器だと。
あくまで、表向きは。
彼らにとって上帝剣、因子、ユニットキー、そしてそれらがもたらす効果は害毒ではなかった。
異次元から飛来したそれは、扱いようによっては間違いなく医薬学、流通運搬、エネルギー問題、そして何より軍事技術を次のステップへと進行させる、黄金の核弾頭だった。
だがそれを公に認めてしまえば、国家として対応せざるをえなくなる。諸外国の介入が始まる。政治の問題になる。
だから彼らは信じようとは決して表明しない。しないままに、ありとあらゆる国内外の勢力がこの学園に蚕食を始めた。
むろん、寄付金という名目の投資によって資金が確保され、異例の早さで学園は復興し再開ができた。絵草の言う通り量産体制が整った。
だが、あくまで彼らが動いたのはそれぞれの利益のためだ。
息のかかった生徒や教員を送り込み、彼らをモルモットとして実地で殺し合いをさせ、あるいは彼らにそうと自覚させないままに扇動し、ゲーム感覚で戦わせている。
だから彼らにとって都合の良い場所にホールダーやキーが集中し、本当に必要な場所へは行き届かない。
むろん、士羽とて抗議はした。改善案を提出した。
だが、大人たちは一笑に付した。酸いも甘いも知らぬ小娘の戯言と、システムのデータある以上もはや用無しと突っぱねた。
もっともらしい道理を説きながら恫喝し、正論をもって頭ごなしに押さえつけながら利己的に振る舞い、親身になるそぶりを見せながら自分からすべてを奪っていった。
自分だって無私の使命感だけで動いたわけではなく、動機に承認欲求が入っていたことは認める。
だが大人たちの欲望はよりドス黒く、奸悪であった。
絵草を頼ったこともあった。だが彼女は言った。
「むしろ自分は賛成だ。彼らに利得を取らせつつ、自分たちが彼らを利用すれば良い」
と。
だからこそ情報を流したのは彼女だと疑った。あれほど熱意に赤く輝いていた鉄塊のごとき信念と友情は、その熱を保てなくなり、冷えて固まるのを待つのみとなった。すべてに嫌気がさした自分は、ほどなくして『委員会』を去った。
救うべき人間や社会に裏切られ、技術を奪われ矜持を踏みにじられた維ノ里士羽に残ったのは、真理の探究のみであった。
隠者として各地の拠点を移動して引きこもり、中立の立場をとりながら、非効率的なちまちまとしたやり方でサンプルを確保し、到達できぬとなかば諦めながらも、上帝剣への探りを入れる。それが主な活動となった。
(まるで始皇帝のようだ)
維ノ里士羽はそう言って自嘲した。
曰く、秦の始皇帝は人間不信のあまり、宮中においても所在を臣下にさえ知らせなかったという。
そして帝国の崩壊は、そうした孤独な帝王による、健全ならざる体制も原因の一端を担っているというのが通説だ。
(ここも、いずれはそうなるのかな)
維ノ里士羽は自嘲する。
そして写真を伏せ、あらためてこのちょっとしたコンビニ程度の広さしかない、閉ざされた空間を見まわしたのだった。
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(3)
維ノ里士羽のアジトに、シャワーの水音が響く。
ユニットキーから還元された自家発電によって温められた湯水が、華奢なボディを濡らしていく。
刀を研ぐようにほっそりとした脚や、反して肉付きの良い腕を磨き、豊満な胴を柔らかなタッチで手洗いし、その身にこびりついたついた液体を落としてきれいにしていく。
「……っ!」
痛めつけられた肌が、熱に触れて疼く。低く掠れた呼気が、喘ぐように口端からこぼれ落ちた。ふだんは露出が多いから、せめて痣となって残らないと良いが。
魚を燻したような、独特の生々しい臭いが、最後の残り香となって鼻腔をすり抜けていった。
だがこれでようやく救われた心地となった。
理不尽な暴力もみずからを侵す異臭も洗い流して、今この一瞬に賭ける活力が整っていく。
それを実感してタオルで我が身をぬぐい、バスルームを出た。
「あーさっぱりした!」
バスルームから、タオルを頭に巻いたカラスが出てきた。
出入り口で固まる部屋の主人、維ノ里士羽をよそに慣れたような気軽さで冷蔵庫のドアを開け秘蔵のフルーツ牛乳を、腰に羽を添えて一気飲み。
そのまま、傍らの戸棚を物色し始めた。
堂々たるまでの傍若無人っぷりにしばし言葉を失っていた士羽だったが、ややあって問いを投げかけた。
「何故、ここにいる?」
「いやー、なんか歩夢にタコ殴りされた挙句、ダシ汁ぶっかけられてさ。急いでお風呂入りたくて」
「……彼女が鳥料理をたしなむとは知りませんでした」
士羽は皮肉を返した。だが追及すべきはそこではない。
生体認証や暗証番号など何重にもかかっていたロックをパスして、誰かがこの場所に侵入したこと自体が、彼女にとって危機的な状況だった。
それも、よりにもよって未だ素性定かならぬ、この鳥に。
「そりゃ、いつか秘密は露見する」
まるで押し隠したこちらの動揺を見抜くように、そのカラス……レンリなる怪物は言った。
「お前はそれをよく知っているはずじゃないか」
「……では次は、貴方の番でしょうね」
「覚悟の上さ。……おい、そう睨むな。ただ、せめて缶詰が欲しいだけだよ。お前の大事なもんには何にも触れちゃいない」
レンリの言うとおり、他に物の配置が、少なくとも重要な資料やシステムに、そして飾られていた特撮の変身セット、あるいはガメラやギャオスのフィギュアや、ガンプラのシナンジュに手が加えられた形跡はない。
士羽はそれ以上、その方面からの追及を諦めた。ため息をこぼし、デスクと対になるデザインの椅子へと腰掛けた。
「そろそろ、知っていることを全部打ち明けてもらえませんかね」
回りくどい言い方で駆け引きを仕掛ければ、この鳥はこれ幸いと適当に韜晦してケムに巻く。
いい加減そのことを理解した士羽は、ダイレクトに言った。
「全部を知れば、俺はただの不信感と可愛さだけしかない無用の長物だろ? となれば、お前は俺を排除しにかかる。つまりは俺の持つ情報はそのまま俺の命綱ってわけだ」
自分の立場と利用価値、そして士羽の合理主義を正確に把握したかのように、レンリは答えた。
「と言って、むやみに出し惜しみしてもお前は切り捨てるだろうな。……まぁ、こっちの要望通り俺を歩夢に近くに置かせてくれた借りもある。ひとつだけ答えてやるよ」
士羽はちらりとデスクの上、CWタイプのストロングホールダーを脇目で見た。
まだまだ、軽く見積もってもこの鳥に確かめたいことは山ほどある。だが、最重要事、早急に答えが求められるのは、この一事のみだ。
「この騒動を根本から断つ方法を」
「……」
「上帝剣を取り除く手段を」
「言っただろ、俺は手遅れだった」
「だが、『征服者』を止める方法は知っていた。そして仮に世界が滅んでいたとしても、貴方は生きている。――手遅れでさえなければ、世界は救えるのでしょう?」
カラスは苦ばしった目つきで、そっぽを向いた。約束だろう、借りがあるのだろう。そう脅しをかけようとした矢先に、丸い嘴が貝の口のごとく開かれた。
「上帝剣それ自体に、自我はない。ただ選ぶだけだ。だが同時に選ばれた『征服者』と密接にリンクする。つまりはそのまま新たに誕生した星喰らいの剣となるわけだ」
「つまり、『征服者』を倒せばそのまま剣は立ち枯れると」
「いいや。上帝剣はあくまで世界終末装置であり、鋳型だ。『征服者』はそれによって造られたコマンドキーと言っても良い。仮に『征服者』を殺しても、上帝剣は異次元にあって新たな鍵を鋳造するだけだ」
「では、そのまま益体もないイタチごっこをくり返せ、と?」
カラスはすぐには答えなかった。だが、あくまでそれは正攻法で言った場合の話だと、そこまでは士羽にも分かっている。このレンリが取らんとしたのは、その法則の間隙、搦め手から攻略法だったはずだ。
「……要するに、『征服者』の持つ高位の因子こそが、上帝剣にアクセスできる鍵だ。通常なら宿主の死亡と同時に消滅するが、それをもしそれを物資化させ汎用性を持たせる手段があるとすれば、上帝剣に主と誤認させられ、そして」
レンリは低い声で言った。彼が答えを言い切る前に、士羽の脳裏には閃くものがあった。自身の白衣に収められていたユニットキーと、部屋にあるホールダーの完成品や試作モデルを見渡した。
――図らずも、自分は最適解に近い場所に、大手をかけていたと言うわけだ。
「あとは、候補者さえ見つければ」
かすかに上ずった声でそう呟いた横を、カラスが通り抜けていく。コンビーフ缶などを抱え、干していたストールと解いたタオルを重ねて二重の風呂敷とし、そこに容れられるかぎりの缶詰を担いで背負ったりして。ますます泥棒じみているが、その程度は世界の救済方法に比して安い情報料だ。
だが、「あ」と声を漏らしたかと思えば扉口で立ち止まり、士羽を顧みた。
「サービスで、もうひとつだけ耳寄りな話をしてやるよ」
「それは?」
デスクと向かい合ってさっそく打開策を描いていく士羽は、カラスの方向を見向きもせずに問い返す。
「足利歩夢の周囲の環境は、崩壊していたぞ」
何気なく放たれたその一言が、PCを立ち上げかけたその手を、止めた。
「――何故、私にそれを言う?」
「いやぁ、少なくとも部下の身の上ぐらい把握しておくのが、上司だろうと思ってな。それとも余計なお世話だったか? 何しろお前なら、ちょっと調ようとすればわかる事だったもんな」
レンリの目と語気には、咎めるような険しさがあった。
それじゃ、と右翼を振り振り、カラスは去っていく。
そのちっぽけな球体が見えなくなるまで睨んでいた士羽は、冷水でも浴びせかけられたような心地とともに、額や目元を両手で覆った。
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(4)
家にさえ居場所のない人間が、学校に居場所がないことはわかっていた。むろん、教室にも。
だから、ここ異界の旧校舎は歩夢にとっては格好の逃げ場所ではあった。
屋上でランチパックを平らげて、オレンジジュースの紙パックをくわえながら、屋上のフェンスにのぼって立ち上がる。
風が、吹いた。文明のある世界じゃ考えられないぐらい、むせ返るほどに濃い緑の臭い。
頭がくらくらする。その一瞬の気の緩みが災いして、バランスが崩れた。手は、思わずつかんでしまったパックのジュースで埋まっていた。手放すという選択肢が、頭から一瞬抜け落ちていた。
ただ、重力に負けて傾く自身の現状を、受け入れようとする。
ブレザーの腰のあたりが引かれ、校舎側に戻される。頭に柔かな弾力に保護されて、自然そのまま腹のあたりに腕が巻かれた。
シリコンの硬さでも、矯正ブラで腹肉をかき集めたものでもない。ありのままといった柔らかさと形状で、頭の後ろにそれはあった。
「自殺でもしたいのか?」
的場鳴が、つまらなそうに自分を抱き留めていた。
「まぁ飛び降りたところで死ねる保証はどこにもねーけどな。特にここじゃ」
「だろうね」
そのことは、迷い込んだ経験のある歩夢自身がよく知っていた。
「べつに突発的な自殺志願者じゃないし。死んで色んなしがらみにカタがつく訳でもキレイに死ねるわけでもないってわかってるよ。キルケゴール聞きかじって傾倒する中学生じゃあるまいし」
「あたしに言わせりゃ斜に構えて利口ぶってるヤツもたいがい痛々しいけどな」
鳴は心をえぐるような忌憚ない意見を、ごくさらりと言ってのける。
イタイのはあんたも相当だよ、と言いたくもなったが、いちいち口論するのもバカらしいので言わなかった。代わりにムニムニと、後頭部を前後させて胸を押し潰す。
別段迷惑がった様子はない。涼しい顔でされるがままになっていた。
「何食ったらこうもデカくなるのさ」
「日々のマッサージ。あとはまぁ毎日の牛乳は欠かせないな」
「やっぱりか、薄々そうじゃないかと。まぁわたしだってちゃんと栄養をとってしかるべきトレーニングをすれば」
「嘘だよ」
「…………」
足利歩夢、十五歳。
世界に失望すべき点がひとつ増え、不信感が強まった瞬間だった
「で、そこで拝んでる鳥公はいったいなんなんだ」
問われて初めて、横合いで翼を合わせて頭を垂れるカラスの存在に気がついた。
「何してんのあんた?」
「いやー、心配でお前の様子を見に来たんだが。中々に尊い光景を見せてもらった。まさかいつも斜に構えて利口ぶってるお前が、こんなにも人にベタベタと触れられるとは。……撮影できる端末を持っていたら、すぐに写メってプリントして神棚に飾りたい気分だ」
今朝から続く、相も変わらぬ保護者面。
そういえば親をカウントに入れても肉体的な接触はあまり多いとは言えない自分が、ごく当たり前のようにこの状況を受け入れている。この同性であっても蕩かしてしまうような、極上のボディが原因か。
かと言って、的場鳴に友誼を感じるかどうかと言えば、また別の話だ。
「いや、別に尊くもなんにもないから。むしろ後頭部でカップ数をランクダウンさせたり、このままなんかの勢いでクーパー靭帯切れないかなとか思ってる」
「あたしはあたしで、そろそろ暑苦しいんでこの小生意気なチンチクリンがどっかに消えてくんねーかな、と思ってる」
そして歩夢は手にしたジュースを、鳴はポケットに入れていたカフェオレにストローを突き立て、ほぼ同時にちうちうと吸った。
「いやいや、やっぱ仲いいだろお前ら」
はぁー尊い尊い。念仏のように唱えながら、レンリは何度も拝んでいた。
そんな新宗教を立ち上げた珍獣を気色悪げに眺めていた少女たちではあったが、ここで慌てて身を引きはがすのも彼や互いを意識しているようでかえってみっともない。
とは言えいつまでもそうしている理由があるわけもなく、やがてどちらがどう行動したというわけでもなく、役目を終えた付箋か何かのように、静かに距離をとった。
「で? そーゆーあんたは何してんの?」歩夢は今度は鳴に問うた。「サボリ?」
鳴は不本意そうに鼻を鳴らした。
「バカ言え。目下勤務中だ。レギオンの出現情報をつかんだから、イノに言われてスタンバってる」
「昼休み中に? は、そりゃあご苦労なこって」
歩夢は笑い飛ばそうとした。だが彼女自身が喜怒哀楽を示すのが不得手なうえ、同じくこうして絶賛巻き込まれ中の我が身を想えば、笑うに笑えない。
「……なんであんた、あいつに従ってるの?」
興味とも言えないほどの微妙な好奇心から、歩夢は問う。
鳴は答えを返さない。かと言って、問いを拒んだ様子もない。
ヤケ酒のようにオレを呷りながら、フェンスに寄りかかる。
「アレには借りがあるからな」
答えは、それだけだった。追及したくもなかったが、どのみち問いを重ねることはできなかった。鳴のくるぶしの辺りで、鉄の牛が啼いた。
「っと、ウワサをすればってところか」
勇み気味にそれを拾い上げた鳴は、早足で屋上を出ようとしていた。
その様子を、果汁を喉へと漫然と供給しながら、歩夢は傍観していた。
途中で、鳴が踵を返してきた。
そして、まるで置き忘れていたビニール傘か何かのように、歩夢の襟首を掴んで、引きずっていった。
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(5)
内側から蹴り込まれた天窓が、地面に落下して割れる。
歩夢とレンリを伴った鳴は、進路相談室の中へとその身を下ろした。
すでに進路に悩む生徒も、職務上応じていた教員もそこにはいない。とうに時期の過ぎた大学別の過去問集だとかパンフレットだとか。あるいは求人などが壁や錆びついた棚の中で朽ちて、蝕まれ、饐えた紙の臭いを発していた。
床のタイルには名前も知らない草花が我が身を伸ばし、机や椅子とかを取り込んで、絨毯のような様相と感触になっていた。
もし人類が滅亡すれば千年後には地球は本来の緑と青さを取り戻して環境問題はあっさり解決するという説があるらしいが、この繁茂っぷりを見ると、さもありなんという気分に陥る。
まぁもっとも、この場には生活の痕跡は残っている。おそらく一時的にここを拠点として使っていた、冒険者を気取った名もなき野心家が食い散らかしたスナック菓子の包みや紙コップなどが、咎める者もいないということで使われたまま放置されていた。
「ねぇ」
先行した鳴の手によって通気口から引き摺り出され、歩夢がむせ込む。頻繁に人が回廊として使っているから、思ったよりかは埃が溜まってはいないが、それでも換気が良いとは言えなかった。
脇を挟むように持たれ、鳴と目線の高さが合った時に、彼女が問うた。
「例の隠者サマって、引きこもってんでしょ。なんでレギオンとやらの討伐なんかやってんの?」
「こっちにも先立つ『鍵』は必要だしな」
「でも『委員会』ってのがあるんでしょ」
至極まっとうな疑問ではあった。同じことを、鳴も士羽に問い質したことがある。その上で、戦闘を重ねてみずからに身をもって実感したことを、彼女は新人へ語った。
「このあたりは、西棟と生徒会の縄張りの間に出来たエアポケット、つまりは緩衝地帯なんだよ。で、ぶつかり合いになりたくないから、そこで問題が起こっても、自分たちの領分に飛び火するまで基本はスルーしてる。あたしらの持ち場は、そんな場所」
「つまりは落ち穂拾いってことだな」
その喩えが最適なのかどうか。レンリが訳知り顔で降り立った。
「あだだ」
と思ったらしりもちをついて着地には失敗した。
やはり、羽ばたいたところで落下の衝撃を和らげるぐらいしか、あの短い翼には能がないらしい。
「で、今からその手伝いをさせようってわけ」
歩夢は問う。問いながら、断定している響きがある。
鳴はそれを呼気のみでもって笑い飛ばした。
「丸腰のお前に何ができるってんだ。先にお前を帰すためにここに来たんだよ。えーと、たしかこのあたりの棚が南棟に……」
「まぁ人柱ぐらいにはなるんじゃない」
だいぶガタのきた書類棚を開こうとした指を、鳴は止めた。
「――マジで言ってんのか、それ」
「それなりに」
この学園の真の姿を知って一年。その短期間で、本来の人生の中で多くの人間と関係を持った。濃密な感情に触れた。
だからこそ、わかってしまう。
間違いなくこいつは、考えなしに思いつくまま言っている。
だが、決してそこには、シンプルで自然な反応であるからこそ、虚勢や嘘の混じる予知がなかった。
つまり、軽微な理由から足利歩夢は、平然と命を投げ出そうとしていた。
「どうせ元々わたしをそういうつもりで引き込んだんでしょ。命日が今日か明日か。そんだけの違いじゃない」
そう言う歩夢は、口の右端をわずかに歪めた。もしこの新入生の精神性はそのままに、表情がもう少し豊かであったのなら、相手も自分も貶めるシニカルな笑いが浮かんでいたことだろう。
「どう考えたって、真っ先に使い潰されるのって、優先順位的にわたしだよね。可愛がられるタイプでもない。実力だってないし、それこそ探せば代わりなんてどこにもいる。身寄りもだってロクなのいないから、死んだって誰も悲しまないし、後腐れなく処分できるってわけだ。入学式からこっち、ロスタイム、オマケみたいな命だし」
「おい、歩夢……」
「まぁそっちの考えに従うけど、殺す時は事前に通達ぐらいしてよね」
棚にかけたままの指が、ぎしりと錆びた軋みを鳴らす。
本人は知ってか知らずか。その減らず口は傲岸不遜は変わらないが、ふだんよりも速く、多い。
話の流れも少し不自然なきらいはあるものの、順当ではある。だが、どうにも別の場所へ向けて発せられた言葉のような、脱線している気配があった。
そしてそれは、鳴も同じだった。
歩夢へ向き直る。感情は、自分のしようとしていたこと、士羽の指示とは別の方向へと動こうとしていた。
「――まぁ、なんだ」
鳴は首筋に手を当てた。
「正直、あたしがお前を招き入れちまった手前、こんなことを言う資格があるかどうかわかんないけど……でも誰かがやらなきゃいけねーのに誰もが放置してるから、あたしがやる」
前置きを告げた。
怪訝そうな歩夢の顔で、かわいた音が鳴った。横を向いた。
鳴が、頬を手で張った。
まさかの不意打ちに、さしもの歩夢も目を見開いて、じんわりと赤くなった頬を押さえた。
「お前、いい加減にしろよ」
彼女の襟を、叩いたその手でつかみ上げる。
「優先順位なんてあるかだと? オマケみたいな命だと? バカかお前は。その命はもう、お前ひとりのものじゃないんだよ、とっくにな」
「……っ、なに? 気遣うフリとかしてるわけ? わたしのこと、なんにも知らないくせに」
「あぁ知らねぇよ。せいぜいお前の中身がそんなボロボロになるほど、ろくでもない環境にいたぐらいは分かる程度でな」
図星だったのか、歩夢も、ハラハラした様子ながらも傍観するレンリも、目を見開いた。
「それに理不尽な環境はここだって同じだ。こんなおかしなコトに巻き込まれたせいで、まだ帰って来れないヤツらがいる。死んじまったヤツだっている。帰れてもその後の学園生活も人生もメチャクチャになったヤツだっている」
「だから? 巻き込まれたのはわたしだってそうだよ」
「けどお前は五体無事で生きてる。そいつらの命を全部背負えっていうわけじゃねーが、それでもカンタンに投げて良い生きる命じゃねぇんだよ」
「……うるさい……」
「ここに死んだ方が良かったヤツだの、代わりのきくオマケの誰かなんてのはいない。お前も含めてだ!」
「うるさい!」
歩夢は鳴を突き飛ばした。
腰が朽ちたデスクに激突する。その痛みで、おのれが熱していたことを自覚する。理性に立ち返る。
顔を伏せた歩夢の表情は鳴からは見えない。だが、初めて露わになった、足利歩夢の感情だった。
「なんで、今さら」
何かを言いかけた歩夢は、息を呑んで押しとどまった。
自分が言ったことの意味を、考えるように、そこが行き着く答えを、望まずして見出してしまったかのように。
そして、そのことに耐え切れなくなったかのように、踵を返して扉口へ駆けた。
「歩夢!」
レンリが制止の声をかける。
だがそれを振り切って、少女はドアに手をかけ外へ出る。
進む道がどこにつながるかさえ、知らないままに。
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(6)
鳴たちが外に出ると、すでにそこには歩夢の影はなかった。
広がる景色はどことも知れぬうらさびれた廊下で、昼下がりだというのに夜闇の帳が余すところなく覆い、敷かれていた。
そこで命を使い果たした霊魂がいまなお彷徨っていそうな様相で、どこまで続くかもわからず、どの階層から切り取られた異空間なのかもしれず、至近の者さえ顔が見えない。一寸先は闇とはよく言ったもので、すぐ眼下にあるはずのレンリの顔でさえ判別がつかない。
「――いや、お前は単純に黒いだけか」
「はい?」
なんでもない。そう首を振りつつ不安げな波を打たせながら輝いている碧眼を、あらためて見返す。
「……怒るなら怒れよ。あたしの受け答えがまずかった」
「いや、むしろ逆に、いやな役目をさせちゃって悪かったな。――本当は、俺が言わなきゃいけなかった」
つい感情に任せた自分の不手際を責めるかと思ったものの、カラスは、噛みしめるように呟き、自責した。
『偵察』の鍵を自身のCYタイプ……牛型デバイスへと差し込む。それを暗視兼望遠ゴーグルがわりにして一帯を目で探り、歩夢の影や痕跡をたどる。
「けどこれで懲りたりしないでくれ。……あいつ、たぶんマトモに叱られたことなんてないんだ。身を案じて、叱ってくれた人間なんていなかったんだよ」
「……あたしだって、べつにあのバカがイラついたからキレただけだ」
「またまたぁ。……あでっ!」
足下で茶化すカラスの腰を、爪先で蹴りつける。
その球体は鞠のように転がって、適当な壁に激突して止まった。
「けどマジな話さ……歩夢を、ちゃんと見てやってくれると嬉しい」
「人に頼まれて仲良くしたって、意味ねーだろ」
むしろ、こじらせた歩夢のことだ。自分の預かりしれないところでそういう根回しがあったと知れば、より強い反発と拒絶を抱くのではないのか。
鳴自身にしたって、そういう、語弊がある言い回しだが女々しいやりとりの先に友情を構築するつもりは、まったくない。
「いや、気に留めておいてくれればそれで良い。あとはお前に任せるよ。なんの気兼ねなく見てくれる『人間』が、あいつには必要だ。」
あらためて前に進め出たレンリは「頼む」と深々と頭を下げた。
「……お前は、なんでそこまで」
鳴が言いかけた時、ゴーグルの片隅で反応が見えた。
自分が知覚する限りマッピングされたこの異空間の見取り図において、動く点が見えた。色はグリーン。上帝剣の粒子を発していない。微量な生体パルスを汲み取った結果を、画面に豆粒のようなサイズと形状で反映されている。
この反応は、人間のものだ。
それはあてもなくうろつきまわった結果、ある一室に侵入し、そこで立ち往生した。
「さっそく見てやった結果が出たな」
皮肉を交えて呟いた鳴に、レンリが食いついた。
「どこだ?」
「ここだ。旧職員室跡」
自身の目元から鉄の牛を離し、表示された画面を披露する。それを見たカラスは、飛ぶようにして走り出した。
「おい!」
「この場所なら俺にも行き方がわかる! そっちは俺に任せて、鳴は士羽に連絡を!」
呼び止めようとする彼女に一方的な指示を飛ばし、あっという間にレンリの黒いボディは闇の中へと溶けていった。
ぺたぺたとタイルに叩きつけられる音は、ある一線を境に完全に消えた。
「あぁ待て、くそっ……!」
鳴は毒づく。毒づきながらも、『偵察兵』の刺さったその牛を、通信モードへと切り替える。
たしかに士羽とワタリをつけられるのは、このユニットキーを持つ自分が適役だろう。
だがあのカラス、異形の敵と渡り合うより、生意気で複雑な下級生を追い回すより、厳格な雪女に不首尾を報告するほうがよっぽど気重だとわかっているのだろうか。
〈倒しましたか?〉
つながった。そしていきなり、銀食器を鳴らすような声で成果を求められた。
あー、と知らず声が漏れる。
そうだった。思い出した。
自分がここに来たのは青春ドラマごっこに興じるためではなく、モンスター退治のためだったことに。
鳴は、前髪をつまみながら咳払いし、覚悟を決めて報告した。
「経緯はすっ飛ばして報告する。足利歩夢が旧校舎に飛び出した」
〈…………〉
「レギオンもまだ倒せてない」
〈…………鳴〉
「……なんだ」
〈いつからそこは託児所となった!?〉
あからさまな沈黙の間があった。前置きもあった。ゆえに構えてもいた。だが、銀食器の鋭い音声は鳴の心の堅陣を突き崩し、鼓膜を響もした。
というかそもそも、士羽が声を荒げるということ自体が、鳴の予測の範囲外だった。
〈貴女ともあろう者が……!〉
そう息を巻く士羽だったが、そこから先は言葉を詰まらせた。自身が感情的になっていることに、ワンテンポ遅れて気がついたようだった。特殊電波越しに、必死に呼吸と気持ちを整えている気配を察知した。
「で、方針をお聞かせいただきたいんだが司令官殿」
空気をあえて読まずに、鳴は切り込んだ。だが、その択一こそが最優先事項だった。
すなわち、予定を変更して歩夢を救助するか。
それとも埒もないことと彼女の存在を無視して、当初の予定に従い怪物退治に専念するか。
士羽がことのほか揺らぐ今、個人的な感情をあえて排して鳴は選択肢を突きつけた。
しばし、沈黙が続いた。
このところ、維ノ里士羽の黙考というものを、鳴は通話越しに体感することが多くなった。
いったい何が彼女をそうさせるのか。ただの一時的なスランプか。あるいは人間的な成長か、それとも手腕の劣化か。
いずれにせよ、尋ねて直答する士羽でもない。
〈貴女に、一任します〉
それが、長く時を費やしたうえでの、回答だった。
〈もちろん、こちらから出来る限りのサポートはしますが、それまでの状況判断は貴女に委ねます〉
その相手の非を詰っておきながら、舌の根も乾かぬうちに信託するという。さすがに鳴も鼻白んだが、何も無責任や無思慮から来るものではないだろうとは思った。
むしろ、『一任します』に込められた力強さや迷いのなさから、自分が出張って解決することを、士羽は極端に恐れているような気がした。
「リョーカイ。それじゃあ我が団体の存在意義にのっとって動きますよ」
そう言って、彼女は通話を絶った。
同時に、大儀そうな息が地面に落ちた。
「どいつもこいつも丸投げしやがって」
ふたたび、毒づく。
問題児と気難しい保護者の間に挟まれるおのれは、それこそ託児所の保母さんといったところだと、鳴は思った。
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(7)
走っていた。いや、逃げ出した。
衝動的に部屋を出た足利歩夢は、勝手のわからない通路を記憶もしないままにくぐり抜け、いつのまにか仄暗いどこぞの一室に立てこもっていた。
一体何が、自分の感情をそこまで逆撫でにしたのか、咀嚼せず、飲み込めないままにここに流れ着いた。
職員室と思しき場に整列した机は、極力上下関係を排そうと躍起になっているかのように神経質で、先の進路相談室とは異なって、それほど荒らされた様子はなかった。だからこそ、用をなさないデスクは障害物となって進路も退路も限定してしまってはいるが。
息が荒い。鼓動が乱れている。
細い髪は、汗でぴったりと首の筋に張り付き、目元が熱を持っている。
(なんて、みっともない)
自分を美しく虚飾する趣味はない。それでも、これは望まざる醜態だった。
あんな安い悪態に心乱して、薄っぺらな説教に背を向けて。
こんなものは、自分のスタイルではない。
もっと世界は自分に無関心で、冷淡であるべきだ。それが自然なのだ。あるべき姿だ。今までと同じように。
どうして、それが、今になって。
(今になって)
また、その言葉だ。
感情がついまろび出た際にも、一番先に転げ落ちた一言だった。
乾いた笑いが、口端に浮かぶ。
何気ない言葉にこそ真理は宿る。他愛ない呟きから正体は露見する。
(あぁ、そうだよ)
つまり自分は、世界に期待を持つことを諦めようとしていたのではなかった。
諦めることを、自分のどこかに期待をしていた。
所詮この世はこんなものだと、中途半端に期待を持つよりは、さっさと見切りをつけて楽になりたかった。
そしてそれを自発的に思うのではなく、あくまで流れに任せようというのがどこまでも受け身だ。
そんなものが、足利歩夢の本性だった。
気配を感じて、歩夢は顔を上げる。
そしてまた軽く笑った。
「ほんとうに、今更だなぁ……」
つくづく、自分と世界とは、間と相性が悪いと見える。
眼前には、異形の怪人がかがんでいた。
たしかペスト医師の肖像だったか。鳥にも似た嘴のついたマスクの奥で、長細い体躯のそれは呼吸を荒くしている。
窪んだ眼窩の奥底でギラギラと光り、左右する目は、淀んだ湖で獲物を待つ肉食魚の、蠢く姿にも似ていた。
頭部以下の全身を、焼け焦げた軍服にも似た詰襟の装束で覆う、突き出した腕からは、メスをハリネズミのように無作為に生やしていた。
「……ヤァ、マッァアアアア!」
しきりに首や腕を痙攣させていたそれだったが、歩夢の姿を完全に視界に捉えるや、脇目もふらずに飛びかかった。
(けど、やっぱりそういうことだよね)
恐怖も、怒りも混乱も。自分の中で基準値を超えた感情のスイッチを、すべてオフにする。そして悟る。
自分に夢の断片を見せてから殺しにくるあたり、やっぱり運命というのは、底意地が悪い。
……
…………
血が、眼前で流れた。
歩夢は閉じていた目を大きく見開き、封じていたはずの感情が、動き出した。鼓動とともに、荒ぶり始めた。
それが彼女自身の流血であれば、そうはならなかっただろう。従容として、死も痛みも、受け入れていただろう。
だが、そうはならなかった。
彼女に代わって、凶器の拳に貫かれたのは、血を代償に苦痛を引き受けたのは、横合いから飛び出したカラスだった。
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(8)
人のものと大差ない血溜まりが止めどなく広がり、歩夢のローファーの先に触れた。
「なに、やってんの。あんた」
庇われた。助けられた。
勝手に、頼んでもいないのに。
熟慮するまでもなく観察するまでもなく、それは理解できた。
だが口からこぼれ落ちた言葉は、感謝でも怒りでもなく、まるで目を離した隙に大怪我を負った子どもを見た母親のような、呆然とした心境から起こったものだった。
「こんなナリでも……血は出るし、痛いんだな」
そしてレンリもまた、誇るでもなく恩を着せるでもなく、ただ他人事みたいに、だが少しだけバツが悪そうに目を笑わせただけだった。
互いに意識を向けるあまり、対外への意識はそぞろになっていた。そして『軍服のペスト医師』の、理性と引き換えに得た獣性は、その間隙を見逃さない。刃を突き立てるべく、再度喰らいかからんとした。
光陰のごとき矢が、歩夢の耳元をかすめた。髪の下をくぐり抜けた。
それが通過した後に風を感じ、肌が裂かれたように錯覚した。
その矢は歩夢をすり抜け、鳥の仮面に命中し、一時的にその怪人をたじろがせ、退かせた。
「何やってんのはこっちのセリフだ!」
的場鳴が弓をつがえてそこにいる。
開けっ広げの窓の縁に足をかけ、もう一発射った。そのレギオンが、さらに後退した。室内に踊り込んだ鳴は、開けられた合間に、敵と被保護者の間に、自身を割り込ませた。
「さっさと逃げ……いや、カタがつくまで後ろに隠れてろ! これ以上ウロチョロされたらたまったもんじゃねぇっ」
鳴の叱責に、理解や反発よりも先に身体が動く。
レンリの首根を掴み上げて、デスクの裏にともに飛び込む。
その間にも、血は絶えず彼の傷口からあふれ、羽毛を赤く濡らし始めていた。
手を指し延ばすことが正しいことかさえ分からず、気遣うことも許されず、ただ息を弾ませることしかできない。
そんな歩夢に、絶え絶えの息の合間でカラスは言った。
「お前のモノサシで考えると、こういうことだぞ」
え、と。
唐突に振られた話題は、今の彼女の虚を突くには充分だった。
「何かに優先順位をつけるなら、それが誰かに必要にされてるかどうかで決めるっていうなら、真っ先に切り捨てられるのは、俺だ……」
なんで、と問うことはできなかった。
理由は、あえて言うまでもなかった。その素性の多くはまだそのクチバシから語られてはいない。それでも、今のことならわかる。
「俺は……全てを失った。いや、俺が何もせずに閉じこもっていたばかりに、世界は滅んで、すべてを取りこぼした」
流れ着いたこの場所では、誰も彼のことを知らないし、必要にもしていない。だから……自分が悪意とともに吐き捨てた主張では、真っ先の犠牲にならなきゃいけないのは自分ではなく彼なのだ。
「なぁ、歩夢」
カラスは目を細めて、優しく、噛んで含めるように語りかける。
「確かにこの世は、理不尽なことだらけだよ……どうやっても避けようのない、運命ってのもあるのかもしれないな……」
それでも、と。
レンリは歩夢の、震える肩をそっと羽で包み込む。
あの夜に現れた影のように、フェザータッチの中に、推し量ることのできない万感の想いを込めて、彼は全霊の言霊を紡ぐ。
「自分の心だけは、手放すな。それを捨てたら、二度と戻ってこれなくなる」
情が込められている。血が流れ続ける。
だからこそ、その忠告は歩夢にとって無慈悲な宣告に聞こえた。二つの道を選ばせているように聞こえた。
風音が、嵐のように彼女たちの空間を揺らしていた。
今なお、怪物と鳴の戦闘は継続している。
歩夢はついに話すことさえ難しくなったレンリを、椅子の上にそっと横たえた。
鉄錆びた囀りが、横合いから聞こえた。
機械の鶴が、降り立った。翼を畳んで、その口端には白い剣をくわえて。
たしか、『ストロングホールダー』とか言っていたか。『ユニットキー』だったか。
その鍵を、血に濡れた膝先へと投げつけた。
かすかに曇る瞳が、その向こう側で自分を見つめる何者かが、無言のうちに問いかける。
どうするのかと。
どうしたいのかと。
どうなりたいのかと。
今のお前は、何者か、と。
デスクが、破壊的な音とともに大きく揺れた。
おそらくは、誰かがしたたかに背を打ちつけたのだろう。
ジャラジャラとした鉄音が伴わなかったから、おそらくは鳴のほうか。
是非の自問自答も、善悪への逡巡も、意味はなかった。
自覚した時には、すでに歩夢は白い剣と機械の鳥を両手に掴み取っていた。組み合わせて自身の腰に取りつけて、机から身を乗り出した。
〈『軽歩兵》〉
浮上した白亜の直剣を、振るう。思念で操るのではなく、自身の手で握りしめて。
その剣先は鳴の心臓に突き立てんとしたそのメスを弾き飛ばし、返す太刀筋が軍服の肩口へと叩きつけられた。
「スネたよーな人生論だか運命論だかは宗旨替えしたのか?」
助けにきたにも関わらず、助けてやったに関わらず、後頭部をさすりながら起き上がった上級生に、感謝の言葉はもらえなかった。
好悪は別として、付き合いは短いながらも「的場鳴らしい」とは思う。
「さぁね」
そして歩夢も彼女に、そっけなく受け答えした。
「正直色んなものが詰め込まれすぎてまだ頭の中グッチャグチャだけど、ひとつだけ言えるのは、そこの鳥に知った風に勝手なことを言われすぎて爆発寸前ってことかな」
だがそのレンリは、気持ちよくひとり何やら満足して、生死の境をさまよっている。
「だったら、鳥なら鳥にこのムカつきぶつけることにする」
鳥のマスクの怪人に剣先を突きつけ、歩夢は覚悟のように言い放つ。
鳴と並び立つ。
前後左右を入れ替えながらまるでリハーサルを何度もしたステージを決めるように。
レンリのためでも、鳴のためでも、まして自分のためでもない。
きっとこれは、この憤りだけは正しく、いつもつきまとっていた自分の
マスクの奥底で眼光が何度閃こうとも、強烈な殺意を注ごうとももう何も感じない。想わない。無条件で受け入れない。諦めない。
ただ自分は、本来この敵に向けるべきではない八つ当たりを、ぶつけるだけだった。
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(9)
舞う。追う。斬られる。弾く。射返す。斬り落とす。
回る。飛び移る。追う。四ツ足。すり抜ける。壁を奔る。走る。走る。走る。蟲のように。
回り込む。射る。かわす。背へと飛びかかる。防ぐ。また飛び退く。
順序は異なるが、そのパターンの繰り返しが、30㎡の世界で行われていた。
(速い)
弓弭となったデバイスをつがえながら内心で鳴は舌打ちした。
だが問題はそれだけではないことを、今までの戦闘で痛感していた。
白く輝く剣が、その胸部を貫く。
野太く呻く。だが敵は自身の身体に、穿たれた傷穴に、メスを突き立てた。血液のような、あるいは薬液のような微妙な粘性を持った液体が、腕をつたい、銀刃をつたいそこへと流し込まれていく。目視できるほどの速度で、傷穴は塞がった。
(やっぱり衛生兵タイプ。致命傷を与えないとジリ貧も良いところだ)
鳴の切り替えは速い。そこが自身も認める彼女の美点だった。
すなわち遠間からの射撃による消耗を目的とする無意味さを悟り、乾坤一擲の致命傷を狙う。
次の瞬間にはそのために必要なフェイズも彼女の内部で組み立てられていた。
〈ライト・シューター ボレーチャージ〉
天井へ向けて引き絞ったエネルギーが、分散しながら空間を埋め尽くす。
そのまま円弧を描いて降り注ぐその中で、自身の胴や肩周りが焼かれるのも構わず、交差した腕を上へと突き出した。
(やはり)
他の例に漏れず、弱点は頭部。
ある程度見当はついていたが、自身の損傷を省みる程度の知性のある相手だ。なまじ仕損じれば敵はこちらの意図に気づいて本命の警戒を強める。
確信が持てるまで無駄撃ちは避けたかった。
「刺さりそうだったんだけど」
鳴の側に退きながら、歩夢が軽く抗議する。
「追い込みはこっちがやる。お前、頭を狙え」
それを流して鳴は一方的に指示を飛ばす。歩夢はイエスともノーとも言わない。例のごとく、受け入れたのだろうか。
鳴は連射し続けて医師の側面へ、そして背後へと回った。
背面からの攻めに弾き出されるように、レギオンは討って出た。その先に歩夢が立っていた。
鳴は身を乗り出し、デスクへと登った。確保した視界いっぱいに矢を撃ち散らかした。
光の雨が、破壊と破砕の限りを尽くす。瓦礫を孕んだ暴風を生み、その進路を狭めた。
医者の向こう脛を、膝裏を、射抜く。だが一向に怯まず、勢いを衰えさせず、膝を突かず、元より道が前進し続けているその一筋しかないように。
レギオンは、歩夢への攻勢を止めない。
〈ライト・インファントリー・アサルトチャージ〉
歩夢が鍵を回す。その後ろに回った剣が輝度と熱とを増していく。
勢いよく再び敵に向かっていくそれは、射角を変え蛇行をし、やがて敵の側頭部へと叩きつけられた。
(……いや!)
弾かれた。金属音。突き出された腕。敵の核を砕くはずだった白刃は、あらぬ方向へと飛んで行った。
ただ防がれるだけならまだ良かった。
だがそれは反撃と防御、双方の手段を喪ったことを意味していた。
医師の形をした、獣が丸腰の少女に迫る。
歩夢は、ふっと息をこぼした。
そして、あろうことか、自身のホールダーからキーを引き抜き、武装を解除した。彼方で転がる剣が消えた。
(――あいつ!)
鳴は失望とともに憤る。
たしかに状況は絶望的だった。
歩夢の背後には瓦礫。それを避けて道を逸れようにも、その前に凶刃が背に突き立つだろう。
かと言って歩夢が剣を引き戻す寸時も、鳴がユニットを〈強弓兵〉に入れ替えて代わりにレギオンを仕留める寸刻もすでにない。
あとは、ただ敵の毒牙にかかるだけ。
ただ死を待つだけ。
その一本道しか、今誰の目にも映っていなかったはずだった。
〈軽歩兵〉
歩夢は、ふたたび鍵を装置へと装填した。
飛びかかったレギオンのマスクの前に、ふたたび白い剣が顕れた。
あえてその切っ先を推し進める必要はなかった。
怪物自体の勢いと自重が、その顔面に刃を埋めた。
甲高い断末魔が室内を震えさせた。
そして歩夢はその脚を高々に持ち上げた。ちょうどいい高さに在った柄頭に、ハイキックが当てられた、その肉体をごと蹴り飛ばした。
根元まで完全に埋まった白刃を中心に、『医師』は治療の暇なく爆散し、その火炎の内より女子生徒を吐き出した。
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(10)
(こいつ……)
こともなげに姿勢と前髪を整える歩夢を横目に見ながら、鳴は軽く驚き、呆れていた。
彼女がおこなったことは、至極シンプルな動作だった。
収拾がつかない動作不良を引き起こしたシステムを、そのハードウェアごと再起動するという。
ストロングホールダーも演算装置である以上、多少乱暴だがトラブルの解決するには手っ取り早い最適解だったはずだ。
(けど、やるか? フツー)
今その瞬間に死が迫っている状況下で。
ろくに原理を知りもしない機械を一旦落とすという冷徹な判断を下し、かつそれをためらいなく実行に移すなどという。
だが、ただの死にたがりであれば、そのまま従容として刃を受け入れていただろう。
鳴が望むような翻意ではなかったにせよ、微妙な心境の変化はあったということか。
倒れ伏した女子生徒の気道を確保すべく、鳴は彼女を助け起こした。
やや化粧っ気のない、憶えのあるその顔立ちに、歩夢に気取られないようわずかに顔をしかめた。
なんて事のないように、結晶化し、精製された鍵を拾い上げる。
赤い鍵の末尾に、聴診器とそれに挟み込まれた注射器の装飾具。翼を広げた天使にも見えた。
やはりグレード3、ユニットは『衛生兵』。
「運が良かったな、そいつ」
レンリを抱え上げた歩夢に、そのキーを投げ渡す。
「さっき見てのとおり、こいつは治療スキル持ちだ。鳥に効くかどうかは知らねーけど」
使え、と投げ渡す。
無言かつノールックでそれを受け取った歩夢は、それをホールダーへとセットした。
背後に生まれた医刀や注射器のヴィジョンがカラスの胴回りの傷口を切開して広げたそこから薬液を注入する。
……などというグロテスクな光景も覚悟したが、そんなことはなく、歩夢の掌の触れた先から生じた光の波濤が、軟膏やゼリーのように傷口を保護して、出血を止めて塞いでいく。
だが眠るカラスを撫でる手つきには、他に別の意図を持っているかのようなニュアンスがあった。
触れるか触れないかという微妙なタッチには、彼女のものとは思えない柔らかさがあった。まるで前に誰かにそうされたのを、模倣するかのような……
そしてその中には、彼女らの間でのみ通じ合う符号のようなものがあるのだろう。
この異空間に長居することはあまり得策ではないが、せめてレンリが持ち直すまでは、逗留を許してやることにしようと、ひとりと一羽を見て鳴は腹をくくった。
「さん、だつの、おう」
声がしたのは、その瞬間だった。
鳴が抱えている少女の口から、覚えのある響きに少し泥を混ぜたような声音で、様々な感情を練り込んだような音調で。
鳴の腕の中で、その下級生の双眸は薄く開いていた。だがそこに正気と生気の輝きはない。濁り曇った水晶体は、ただそれでも前にいる彼女たちに向けられていた。腕を伸ばしていた。
その状態が続いたのは、数秒のことだった。
口にしたのは、ただ一言だけだった。
何者かによって張られていた操り糸が切断されたかのように、少女は一瞬で脱力した。その分重みが増して、鳴の胸部圧迫した。
彼女の異変に、歩夢たちが気づいた気配はない。
「…………」
冷水を浴びせかけられたような心地で、鳴は手元と正面の少女たちへ交互に視線を配る。
目の前の静かな交流を尊べば良いのか。
それとも足下にじりじりと暗雲が迫り来るような不安に、人知れずと向き合えば良いのか。
鳴は、自分の感情や決心さえ定かでないままに、いたずらに時ばかりが流れていくのを感じた。
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(11)
この即席チームの状態を考えればその小憩は正しい判断だっただろう。だが、数分間の停止は、他の人間の興味や好奇心といったものを生み、またそこに付け入る隙を生んだ。
もちろん増えすぎた『ユニット・キー』のユーザー、それにまつわる校内の犯罪の増加や衝突をかんがみて、互いのスペースに『一兵』たりとも立ち入らせぬ不可侵条約は結ばれていて、今なお継続中だ。
しかし、この異常な世界において唯一無二といっていい法度を破ってでも情報を得ようと考える者も当然いた。
この場合、この数分間に、的場鳴と足利歩夢とそして彼女らに介抱される未知の黒い小型レギオンを確認した人物は、ふたり。
ひとりは、生徒会にして『対策委員』副会長。賀来久詠。
『持ち駒』を自立操作できる彼女は、そのうちのひとつを偵察として送り出して、死角より覗かせていた。
展開させたモニターの盤局に映し出されたその光景を眺めながら、口元に指を這わせ、「なるほどねぇ」と独りほくそ笑む。
情報を分析、精査することよりも、生徒会長さえいまだつかみ得ない秘密を自分が、自分だけが手に入れたことへの喜悦を、噛みしめていた。そしてそうして手に入れた極上の材料を今後どう活かしていくのか、料理していくのか。そのことに胸を膨らませた。
もうひとり、西棟の管理区長、多治比和矢はもっと直接的だった。
彼はリーダーという立場でありながら単身、不可侵のエアポケットに乗り込み、身を隠しながら事の始終に手を貸さず静観し、なりゆきを見守っていた。
そして事態が鎮静化されたことを確認した。
カラスを視た。少女たちを視た。見たくはなかったが、知りたかったことは掴んだ。
ドアの裏から身を乗り出して話しかけたくなるような衝動を押し殺して、きびすを返す。彼の知る通路をくぐって『外』へと出る。
旧校舎と西棟とをつなぐ鉄の通路。さながら疫病の隔離地域の、除染スペースのようなその中間地点で、
「和矢」
少女は和矢の帰りを待っていた。
「授業、もう始まってるけど」
羽織ったケープがやや余り気味なその体躯には、次女のような威圧感や三女のような理知の鋭さもない。和也のような軽やかさも。
ただしっとりとした柔和さをもって、多治比
「朔、そういうお前は」
言いかけて、やめた。
朔は身体が弱く、維ノ里士羽と違い本来のニュアンスでの『保健室の常連』だった。だからこそ、多少の抜け出しも大目に見られているフシがある。もっともそれも、多治比の令嬢という肩書きあっての許容だろうが。
「まぁ何事にも息抜きは必要だわな」
自分の言い訳とも相手への気遣いともとれる物言いとともに、和矢は肩をすくめた。
「何かあった?」
単刀直入。朔は和矢の核心に踏み込んで尋ねた。
「……なんで?」
和矢は懸命に笑顔を張り付かせる。
「なんだか、辛そうだから」
愁眉とともに朔の指先が、強張る和矢の頬へと伸びようとしていた。
「なんでもナイナイ。ちょっと気になる娘を射止めようとして失敗ちゃったっちゅーわけですよ」
そう言って、触れられるのを避けて、韜晦する。
あの透明度の高い瞳と、可憐な指先は、自分の繕い笑顔の奥底にある感情さえも映し取って、吸い上げてしまいそうだった。彼はそれを恐れた。
自分が辛そうというのであれば、多治比家の皆にはその辛さを与えてはいけないのだ。
「ほら、お前も行った行った。じゃないと保健室のベッドまでついて行って、一緒に潜り込んでおっぱい揉んじゃうぞ」
今日び飲み屋の酔漢でも言わなそうな脅し文句と、蠕動させた五指は、朔を退けさせることに成功した。
真っ赤になって睨み返す少女は、舌を小さく出して精一杯の反抗を示す。
軍隊のごとき量と質を備えた今の剣ノ杜学園といえど、多治比朔のこうした表情を引き出せるのは、自分だけだという自負が、和矢の中にはある。知恵で三竹で及ばずとも、戦闘センスで衣更に劣るとも、これだけは譲れない。
怒りながらもどこか楽しそうに身を弾ませて、朔は先に帰っていく。
そんな彼女を笑って見送り、姿が見えなくなるまで、街頭演説の議員のように手を振り続けた。
その手が、にわかに止まった。
崩れ落ちるようにその場にうずくまった西棟の王は、頭を抱え、顔を沈めた。
しばらくは、立ち上がることさえできなかった。
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(12)
三日後には、日常も歩夢自身も、すべて元どおりになっていた。いや、厳密には元どおりではない。前の自分の暮らしには、カラスはいなかった。彼を含めたありとあらゆる異常さを内包して、彼女の生活はひとつの流れに、システマチックに収まったと思われた。
それらを拒絶することを諦め、受け入れ、自然帰路を同じくする自分もまた、変質したのだろうか。その機構に組み込まれたからこそ変わったのか。異常さを取り込んだからこそ自分も合わさったのか。
歩夢は考えてみたが、答えの出ない自問をくり返す無意味さを悟ってやめた。
とにもかくにも、この世ならざるモノたちによって再構築されたその日常の一片。なんてことの学校からの帰り道。
そこに、ちょっとした変事が起こった。
いつ帰ってくるともしれなかった隣人が、帰ってきていた。かつてよりも表情が削げ落ちたような冷ややかな眼差しで、歩夢の部屋の前に立って、現代アートよろしくペンキや釘や張り紙で出力された罵詈雑言の数々を見つめていた。
やがて屋主の存在に気がつくと、かつてよりもだいぶ表情の乏しくなった顔を無言で向けてきた。
「へぇ」
歩夢は皮肉げに語尾と口端を引き延ばした。
「もうずっと帰ってこないもんだと思ってた」
士羽
久しぶりに、歩夢はその隣人の名をこの廊下で呼んだ。
「必要があれば、戻ってきますよ」
相変わらず、彼女の態度はそっけない。かつては、もうすこし救いのある性格をしていたはずだが。
(まぁあんなことがあれば、帰りたくても帰れないし人格も歪むか)
歩夢は一定の理解と同情を示した。こっちが必要としていた時にはいなかったくせに、などと独りよがりな恨み言をぶつける気もない。
それはそれとして、相手に気遣われるいわれはない。
「『この件』については、私で対応します。いちいち下らない雑事で足を引っ張られたくないのでね」
そう言って白衣の女子高生は扉の前を空けた。
感謝せずに鍵を差し込み、ドアノブに手をかける。
「歩夢、それでも貴女は」
士羽は続けて言った。
「あの学園に、来るべきではなかった。何も知らず、他の相応の学力の公立校あたりで、ふつうの学生として生活をしていて欲しかった」
「ふつう?」
歩夢は皮肉げに目をすがめた。散々に呪詛が書き連ねられた自室のドアをノックした。
士羽の言葉は思慮の上のものというよりかは、つい素の感情がこぼれ落ちた、といった塩梅の呟きだった。表情こそ見なかったが、彼女らしからぬ、苦々しさと悔恨がにじみ出ていた。
「今更だね、何もかも」
歩夢のほうも、つい声が出た。心ない感謝や赦免や侘びの一言で受け流すより、率直な事実が、喉の奥から押し出されてまろび出た。
「そのようですね」
そして次の瞬間には、士羽もまた冷酷な隠者に戻っていた。
足早に自分の部屋に向かい、やや煩わしげに、手順通りにドアを開けてそして閉ざした。
「……馬鹿野郎が」
足下でレンリが吐き捨てるようにして言った。
彼のふだんの振る舞いや愛嬌ある外見には似つかわしくない険しい一言を、歩夢は少し意外に思った。
だが歩夢としても悪態のひとつはぶつけてやりたかったところだったので、否定も追及もせず、同居鳥を伴って、自室へと入った。
そして足利歩夢は日常へと帰還する。
ちょっとした差異にはとうに慣れて適応した。
大きく違うのは、死と背中を合わせているということだけだった。
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学生名簿(登場人物紹介) ~メインキャラ編~
・
普通科一年生。帰宅部。
本作の主人公(一応)。
ちんちくりんのつるぺったんのルーキー。
母親が浮気をしていた父親を刺して逮捕。実はその父親とも血がつながってないことが発覚、事件性の大きさから歩夢自身がパッシングを受けるはめになるというドロドロな家庭環境を持つ。
元々内向的な性格だったのが、ますます虚無的かつ受動的に変質。そんな状態のまま、親族からの自立を促され(厄介払いのため)地元の剣ノ杜に入学。
学園内に悪夢で見た巨大な剣『上帝剣』が突き立つ光景を目の当たりにし、その異常な世界へと足へ踏み入れることとなった。
地はけっこう図々しい性格をしている。
好きなものはカップ麺。嫌いなものは過干渉とあと巨乳とナンプラー。
【使用ホールダー】CWタイプ
【所有キー】
ライト・インファントリー(グレード1)
・レンリ
自称異世界人。自称カラス。しかしてその正体は黒くてまん丸の怪生物。
『黒き園』にて、『上帝剣』に接触しようとしていた歩夢を遮り、かつ桂騎に襲撃されていたところを自身のストロングホールダーを貸与して救出する。
容姿、目的、経歴すべてが謎めいた存在にも関わらず、本人の性質はお人好しのおせっかい焼き。妙に世慣れているが、勘違いも多い。
その性格のせいで歩夢のことが放っておけず、足利邸に居候をする兄を名乗る不審者。
だが一方で、士羽には塩対応。
趣味は映画観賞とサブカル全般。好きなものはヒミツ(巨乳)
嫌いなものは、自分自身。
【使用ホールダー】CWタイプ(歩夢へ権限を委譲済み)
【所有キー】不明
・
普通科二年。元陸上部。女性として完璧なプロポーションと中性的な美貌。男性的でさっぱりした価値観を持つ。
元々は優秀なアスリート候補だったが、一年前に大会前に『上帝剣』の因子と結びついてレギオン化。士羽により救われるも、大事な日に穴を開けてしまったこと、またサボリや夜遊びを疑われて退部。祖父母以外の家族からも厄介者扱いになる。学校内に居場所がなくなったので、士羽の手足として働くことになる。
それでも、一部ではなお人望を保っているのは、その面倒見の良さゆえであろう。
実は、高校デビューをきっかけに弓道部になろうかとも思っていたが、止めている。
好きなものはチョコレート。嫌いなものは人生の浪費。
【使用ホールダー】CNタイプ
【所有キー】
ライト・シューター(グレード1)
通信兵(グレード1・作中で語られないが士羽により貸与済み)
ロング・シューター(グレード2)
・
普通科二年。生徒会所属だがまったく顔を出していない。
天才的な頭脳を持ち、海外の工科大学に招聘されるほどであったが、中学卒業手前に『翔夜祭』で『上帝剣』の襲撃に被災。その異常な存在の出現に対抗すべく、先の天才
(なお、時州瑠衣自身は十年前に白血病で二十歳という若さで夭逝)
また、『対策委員会』の創設メンバーとなり、事態を打開せんと、当時は精力的に活動するも、その技術データが漏えい。権益を狙う大人たちにより、利権や主導権も奪われ、失意と猜疑のうちに組織を離脱。排他的となり、研究に偏執していくようになる。
その体質にある秘密を抱えているが……?
意外でもなんでもなく、オタク趣味。とくに平成の特撮が好みで、ストロングホールダー自体がその嗜好によるもの。
実は歩夢の幼馴染で、態度には出さないが彼女のことを第一に想っている。
嫌いなものは、今は不明。
【使用ホールダー】CMタイプ
【所有キー】不明
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第四章:激情と、メイド
(1)
そこは高級店というには見栄を張りすぎて、かと言って大衆向けファミリーレストランと呼ぶにはお高くとまりすぎている。そんな飲食店だった。
窓際の席を、一組の男女が占拠していた。
男の方はごくなんの変哲も無い、冴えなく覇気も野心もなさそうな、いかにも無難な半生を送ってきたという感じの四十を間近に迎えた男で、片や女のほうは氷の麗姿を持つ女子高生だった。
一見援助交際や。いわゆる『パパ活』を疑いたくなるような取り合わせだったが、周囲の客がそういう下衆の勘繰りをする様子はなかった。それは彼女の方が、所作や雰囲気が実年齢以上に大人びていたからだろう。
「……では、ご説明したとおりに」
少女、維ノ里士羽は、父親ほど歳の離れた相手に気後れすることなく、話をまとめ始めた。
「詳細は話せませんが、学園においてプロジェクトが発足し、そのモデルケースとして娘さんが選ばれました。以降は我々の財団と文部省より助成金が出ることになります」
……不思議なことにこの話を母方に話したところ、数日後には複数人の血縁者が今更名乗り出たが。
「そちらはおいおい精査するとして、とりあえずは戸籍上は登さんである以上、その一部が貴方に割譲されます。この額を娘さん……本来の未払い分も含めて歩夢さんの養育費として分割して充てる……ということで了承いただけますね?」
そこまで話を詰めたのは、ほぼ一方的に士羽の側からだった。その間この男は「はぁ」とか「ほぉ」とか茫洋な態度で頷き返し、音を立てて珈琲を飲むばかりだった。
だが、話が終わった瞬間、男の口からカフェイン混じりの吐息がほ、とこぼれ落ち、安堵を示した。
「……何か気になる点でも?」
それを咎めるように、士羽は聞き返した。
「いえ、正直に言って助かります。ここのところ、出費がかさんでいて。……彼女への支払いは、手痛かったところでして」
微妙な言い回しがどうにも気にかかり、士羽は眉をひそめた。
パパー、という間延びした、機械的な声が聞こえた。
最初それは、自分たちには関係ない、別の席の声だと思っていた。
だがその声の小さな主は、足利登の足下に駆け寄り、縋り付いた。
「お話、もうすこしで終わるからママのところで待ってな」
微笑みながら彼はその小学校にも入っていないような彼女に言った。少女は無邪気にうなずくと、そのまま一つ先のブロックにいる女性の下へと駆け去っていった。
「あぁ、すみません。話の腰を折ってしまって」
バツが悪そうに、というよりはにかむようにしながら彼は言った。
「今度、再婚するんです」
は? と。
思わず、枯れた声で聞き返した。
「離婚届も無事に受理されましたし、これを期にあの娘たちと本当の家族になりたくて。……ほら、家とかももっとちゃんとした場所に越したいし、家具とかも向こうから持ってきたものは処分して、新しいものに変えたいし……彼女たちには、僕しかいないから、まっとうな人生を歩ませたいんです!」
なにを、言っている。
この男は、いったい、何を、言っている。
士羽の脳裏に、彼が娘と呼んだ少女の顔つきを思い出した。
彼女は歩夢には似ていなかった。だが、化粧をするようになればある程度は誤魔化せそうな茫洋とした顔立ちは、この男には肖ていた。
何より彼女は再婚相手であるはずの男を、ごく自然に父と呼び慕った。その親しさは、一ヶ月二ヶ月で醸成できる関係ではなかった。
「立派なことですね」
思っていることとは正反対の賛辞を、冷えた声で士羽は与えた。それを額面通りに受け取ったのか、足利登は照れ笑いした。
もしこれが無用な衝突を避けるための韜晦だとするならば、とんだ名優だと思う。
維ノ里士羽は、今まで利欲を貪る大人たちの奸邪に振り回されてきた。
その彼らに比すれば、彼は社会的には善良な人物なのだろう。彼らの悪辣さと較べれば、登の不貞など微々たる出来心なのだろう。
ただ、それでも。
士羽の目には、この男は今まで見たどの大人よりも、卑劣で薄汚く醜悪な存在に見えた。
「その家族は」
新たに誕生した家族の去り際に、士羽は言った。
「ご自分で見捨てないと良いですね」
振り返った登は、いまいち要領を得なさげに、はぁと声を伸ばし、
「もちろん、そのつもりですけど」
キョトンと目を丸くしていた。
士羽は彼に舌鋒を向ける愚を悟った。
この男の中では、きっと足利歩夢などは家族という枠組みからとうに外れた、血の繋がりもない他人なのだろう。
「お水のお代わりは、要りますかぁ?」
間が悪く迂闊に近寄ってきたウェイトレスに、干したコップをテーブルに叩きつけるように傾けた。
破砕音にも似た衝撃音。引きつったようなウェイトレスの悲鳴は、その音に向けてか、その眼光の鋭さによるものか。
そしてその怒りは、本当は誰に向けたものなのか。
向けられるべき、ものなのか。
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(2)
「というわけで、なんかそういう血縁関係の都合上、カネ関係でゴタついてるみたいでさ」
「マジかよ、スマホのクソ鬱漫画の広告とか金田一の世界じゃん」
「コラーッ!」
学校の帰り道。
たまたま帰る道と時とを同じくした的場鳴に、足利歩夢はたまたま語るべきではないことを世間話ついでに打ち明けた。思わずレンリは突っ込んだ。
「いやお前らさぁ、もっとオブラートに包もうよ!? 話す方もリアクションも大概過ぎて俺もうドッキドキなんだけど」
「不整脈?」
「血糖値を気にしなきゃいけない年齢か」
「違うわぁ!」
悲しいかな、彼の声は、想いは、少女たちにも通行人にも届かない。
クチバシを尖らせてプンプンと怒る彼に、歩夢は言った。
「別にもう気にしてないよ。前も言ったけど、怒るだけ無駄」
さらりと。虚勢ではなくおそらく本心から。
それはレンリにも分かる。鳴にしたって、そういう気配を感じ取ったからこそ容赦なく踏み込んだのだろう。
そのうえで、それでも、と彼は思った。
「……俺は、お前を切り捨てた連中が都合のいい時だけ擦り寄ることが理解もできないし、赦したくもない」
雑巾のように咽喉を絞り上げて放った言葉に、歩夢は反応しなかった。少し気まずくなった空気の中、十五歩程度進んだあたりで、後ろについてくるレンリ顧みて、尋ねた。
「それ、怒ってくれてありがとう、って感謝すべき?」
問われたレンリは、立ち止まって思考した。
「いや」
あぁ、と腑に落ちるものがあった。
「俺が勝手に、怒ってるだけだ」
そう、と少女は進路へ向き直った。
「これで『お前のためだ』とか抜かされたら、蹴っ飛ばしてやるとこだった」
と言い残して。
たしかに、己の憤懣は身勝手なものだった。それこそレンリ自身が嫌悪した連中と、同程度に。
彼らに怒りをぶつけたところで、歩夢の状況や心が好転するわけではない。逆に悪化させるだけだ。
ただ自分は、彼らを気にせず、彼女自身の幸福を、安寧を、今の自力の及ぶ限りで追求すれば良いだけなのだ。
「で?」
夕陽をバックに、鳴は首を振り向けた。
「それはそれとしてお前が何の気なしに他人に話すとも思えねーけど、なんか狙いがあるわけか?」
「先にイエスと言って欲しいんだけど」
「ノー」
「カネ貸して」
「やだね」
鳴はにべもなく拒絶した。
「なんであたしに無心すんだよ、もうすぐ金はいるんだろうが」
「だからそれはもう少し後になるんだよ。何しろ蓄えがない」
「この間部屋新調のために大量買いしたし、そもそもお前破滅願望でもあるんかってレベルでカップ麺買い込むしな」
我ながら、笑えもしないジョークだったとレンリは言った後に悔いた。だがふたりにそれを気にした様子はない。
「あんただって、金貰ってるんでしょ」
「一応、お前と同じシステムを適用してもらってるよ」
「だったら同僚のよしみで」
「悪いな、持ち合わせがない。余計な分は恵まれない子供たちに寄付してるんだ」
「凄まじく雑な嘘を臆面もなく」
「それ以上に」
鳴は脇に道を逸れて言った。
「あたしがイノに加担してるのは、あいつに借りがあるからだ。金は関係ない」
だが、その借りとやらに言及はしない。踏み込もうという隙を与えないままに、その影が遠のいていく。
「逃げんの?」
歩夢が背に問う。
「おう、逃げる逃げる。……てのはまぁ冗談だが、イノに言われてちょっと寄るところがあってな。そんなに金が欲しけりゃバイトしろ、バイト」
正論でもって追及をガードしながら手を振り振り、少年的な、だが野卑にならない爽やかな所作とともに立ち去っていく。
「……なんなんだろうねアイツ」
小さくなっていく影を憮然と見つめながら、誰にともなく問う。レンリはその誰にともない問いを拾うようにして嘆息した。
「……まぁ、悪い奴じゃないんだろうけど、一筋縄じゃいかないのさ。あぁいうヤツほど案外傷つきやすいんだから、付き合い方を間違えんなよ?」
「あいつの胸、何食ったらああなるのさ。やっぱ牛乳? 都市伝説にワンチャン?」
割と真面目に思案する風の歩夢を前に、レンリはしばしクチバシを閉ざし、夕空を仰いだ。暮色と表現するのが似合う、熟れ柿のような濃いオレンジに、そろそろと群青が夜気を伴い侵入してきていた。
「…………今の文脈で、気にするところそこかぁ」
やっとのことで、レンリは嘆いてみせた。
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(3)
ふもとにある市立病院の一般棟。その病室の一角に、クマのぬいぐるみが顔と手を覗かせた。
「辺見チャン! コンニチワ!!」
甲高い声で挨拶をしたテディベアを、
「的場先輩。お久しぶりです!」
ただの戯れのつもりだったが、一発で正体を言い当てられては面白くもない。
やや興の醒めた顔つきで、背を丸めるようにしながら的場鳴は素顔をさらした。
「お久しぶりはないんじゃねぇ? せっかく助けてやったのに」
「あ……そうでした。先輩が倒れたわたしを介抱してくれたんですよね? ありがとうございます!」
鳴の両手には山盛りのガーベラとぬいぐるみと、そして
「サイズたしか同じだったろ。練習用にでも使ってくれ」
「わ、そんな悪いですよー。うわ、しかもコレめっちゃいいヤツじゃないですか?」
「良いんだよ、もう使わないし」
――アスリート用の、シューズ。
それらをキャビネットに飾ったり、ソーツに埋めた足の近くに置いたりする。
だが自身の行動ながら鳴にはそれが、ごまかしや欺瞞を隠すように思えてならなかった。
「でも、クスリ疑われて検査なんて、ひどい話ですよねー……あ、ホントにやってないんですよ! たしかに気を失う前後のこと、よく覚えてないですけども。なんか気づいたら数日後のベッドの上で」
「分かってるよ。あたしの時も、よく妙な勘ぐりされた」
彼女は中等部以来の後輩に、真実を知ったうえで嘘をついていた。
実際のところ、辺見がそういう嫌疑のために週をまたぎ、念の入った検査にかけられているわけではないことを鳴は知っていた。
どこかしらかの息のかかった警察や医師団が調べたいのは薬物云々の話ではない。いったいどうして彼女がペスト医師の怪物となったのかという、経緯。かつ残留する影響。それらの手がかりとなるであろう記憶の断片。
だがそのいずれも空振りとなったのは、鳴もとうに知っている。それを承知で来たのには、さらなる秘事のためだった。
「先輩、もう部に戻ってこないんですか?」
かつての陸上部のエースは首を振る。彼女の美意識でもって殺風景な病室を飾り付けながら、それを聞き流すように、あるいは気まずい話題を切り替えるように、尋ねた。
「ところで辺見さ……『さんだつのおう』って、知ってるか?」
辺見はキョトンとして聞き返した。
「なんですかそれ? 小説かなんかです?」
(お前が人間に戻った直後に口走った言葉だよ)
などとは口が裂けても言えず、
「そうそう! なんか最近流行ってるらしくてな! 持ってたら貸してもらおうかなーってな」
それ以上の追及は無駄だ。これ以上欺くのも限界だ。
「それじゃあな、早く退院していい成績残してくれよ」
余計な不審を買うのを承知で、鳴はそう話を締めて退出した。
後ろ手でドアをスライドさせた彼女は、気苦労で固めたような呼気の塊を床へと吐き落とした。
「鳴……?」
傍からの呼び声が、鳴の鼓膜を刺激した。
望まずして、本能的にその声の方向へ目線を動かす。
少年と見間違えるような短く刈り上げた髪。最小サイズのジャージさえ余らすほどの背丈に比して長い手足は、良バランスとアンバランスの瀬戸際といった按配だ。
引き締まってスレンダーな体躯は、鳴よりもよっぽど陸上向きと言えた。
目的は、表向きの鳴と同じだろう。その手の中で桔梗の花が咲いていた。
「……よう、久しぶりだな。典子」
的場鳴と、
かつて剣ノ杜陸上部の将来を背負って立つと目されていた双璧は、互いに避けていた本人たちの、その思惑の外で再会した。
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(4)
「何してんの? こんなとこで」
典子のかけた言葉は、ともにトラックを駆け抜けた間柄とは思えない、冷えたものだった。
「いやぁ、辺見の見舞いだよ。発見者でもあるわけだしな」
ひらひらと空いた両手を掲げてみせて、かつてと変わらないように鳴は振る舞った。
かつてと変わらない、ように。
本当にそうだろうかと彼女は自分で考えた。たった一年前のことなのに、現在に至る、死線と隣り合わせの時間が濃密すぎて、もはや薄ぼんやりとした記憶しか残っていない。
「……あんたがへんなことに誘ったんじゃないの?」
現役時代は脳裏を掠めさえしなかった疑念を、少女は容赦なく鳴へと浴びせてきた。
「おいおい、あたしのことはともかくとして、辺見のことは信用してやれって。偶然だよ偶然。ていうかそういうことはもう少し声を抑えて言えよ。聞こえるだろ、辺見に」
鳴は笑ってごまかした。後輩に起こったことの実情や、そして自分のショックを。
「なら、さっさと消えて」
ひとまずは疑念を引っ込めた典子だったが、鳴への態度は仇敵に向けるように冷淡だった。
「この、裏切者」
鳴は典子の言に従い病院に出るべく歩き出し、その典子も、病室のドアノブに手をかけた。
そのすれ違いざま、耳元で吐き捨てられた罵声が、憎憎しげな音調が、今の典子が鳴に向ける心証のすべてだった。
その場は何事もないように聞き流した鳴だったが、エレベーターに乗り、その密室にて自身の鬱屈に耐えかねた。つい、声にしてこぼした。
「あたしは、裏切ってなんかいない」
だが本人に潔白を訴えることは、するつもりもなかった。
今自分が携わっている事業の、荒唐無稽さを想えば真実を打ち明けるのも馬鹿馬鹿しかった。
さらに言えば一年前のあの日、鳴が両親やチームメイトの期待を裏切り、大会をすっぽかし、数日間行方不明になっていたのは事実だ。
たとえそれが、不可抗力で
彼女らの目に映る今の彼女は、人生の絶頂期に調子乗って『夜遊び』をして人生をフイにした、馬鹿な小娘なのだろう。
電源を切っていた携帯を起動させると、そこには何件かの不在着信が通知されていた。
彼女に連絡を入れてくるのは、今となってはただひとりしかいない。
歓談をするような仲ではないが、すぐに鳴はかけ直すことにした。
〈どうでした?〉
前置きも労いの言葉もなく、維ノ里士羽は問い質す。
「どうもこうも、半分は予感してたろ」
他人を慮る能力を著しく欠如させた女だが、今の鳴にはその無遠慮さが心地よかった。
「他の連中と同じだ。変身していた間のことは記憶から抜け落ちてた。つまり、あたしが聞いたあの呟きも覚えちゃいない」
それは鳴自身が体感したことだった。
県大会を間近に控えたあの日、学校に居残って最終調整をしていた彼女は、心臓のあたりに熱と痛みを覚えた。
そこかえあ、激しい痛みが襲った。身体が内臓から裏返っていくかのような苦しみによって、まるでコンセントを引き抜かれたように、自分がどういう状態に陥ったかを知覚する前に視界と意識がシャットダウンした。
ふたたび目を覚ました鳴に待っていたのは、病室と、ぬぐいようのない汚名と、そして彼女を看病していた士羽だった。
〈私としても、貴方の証言だけが頼りですが〉
話は、そこに立ち返る。
「そうなんだよなー」
他人事のように頷く。
すっぱり抜け落ちるということは流石にないが、日時の経過とともに細かい部分があやふやになっていく。
通話は切らず、メモ帳アプリを立ち上げる。
彼女が失神する前に辺見から拾った言葉を打ち込んで、予測変換する。
「やっぱ字面的にこれだけどなぁ」
聞き間違いだった場合の修正を含め、候補はいくらでも出てくるが、文脈として成立しているのは、一番最初の言葉だけだった。
「ていうか、これであの鳥公に当たってみりゃ良いだろ」
〈あのカラスが正直に言うとでも?〉
両者の間で何かあったのかは知らないが、士羽の声は露骨に不信感を示していた。
ただ、外見からして胡散臭さしかないあのレンリを、容易に信じられるかと言えば、鳴もノーと答えるほかないが。
〈そのレンリと歩夢ですが、家に帰るどころかしばらく動いた気配もない。小一時間同じポイントにいるようです〉
「どっかで外食でもしてんじゃねーのか? てかお前、どっからそんな話を」
〈携帯のGPSから〉
「……お前さぁ……まぁいいけど」
鳴は何も言わなかった。自分の良識が世界の常識と信じているフシがある士羽に、苦言を呈する愚を知っていた。
理解はできないが、手の中でひとりでに起動した地図アプリと、そこに表示されたポイントを見て、言わんとしていることは汲んだ。
「つまり、様子を見てこいって? ……ついさっきまで一緒だったんだけどな」
心の中のものを含めれば、今日だけで何度ため息をこぼしたか知れたものではない。
それでも拒否権はないので、促されたとおりに、向かう。
鳴が握りっぱなしのスマートフォン。
アクティブのままになっているメモ帳には、
簒奪の王
……と、刻まれていた。
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(5)
「……何やってんだ?
とうに群青の暮色に沈んだ世界。アーケード街にある広場の一角。
足利歩夢とレンリは、問題の一人と一匹は中腰になった的場鳴の眼前にいた。
店先で路上に脚を投げ出すようにしている少女は、パイプ椅子に腰掛け、いかにもつまらなさそうに上級生を睨み返す。
ふだんの様子からは想像もつかないようなミニスカートとガーターベルトを穿く。外気に曝された白い腿は、本人の傲岸不遜な為人を知ってもなお庇護欲を刺激されるほどには肉づきも薄く、露わになった肩や上腕の骨も細い。
一見して箸も持ったことのないような華奢で可憐な美少女はしかし、今は侍女の装いをやや扇情的にした装束をまとっていた。
要するに、メイドだ。正統とは程遠い、メイド喫茶のメイドだ。
黒い球体の鳥が、脚の内側に添え物のように挟まれていた。
「見てわかんないの? 勤労だよ勤労。奉仕してんだよ」
「悪い。視覚から入ってくるほとんどの情報が勤労とも奉仕とも無縁なんだわ」
従属の気配など微塵も見せない姿勢には、むしろ不撓不屈の気風さえ感じさせる。
歩夢はさらにそこから脚を組み直し、背もたれに腕をかけて身をずらした。
「そうかな、天職だと思ったけど」
「鏡で自分の態度見てモノ言え」
「これがわたしのキャラだから」
「キャラだぁ?」
ひとまず生意気な腕だけはなんとか糺してやろうと、手を伸ばす。嫌がるようにそれを振り払った歩夢は、レンリを抱きかかえるようにしてその頭頂にアゴを載せた。
「ほら、わたしってば控えめに言って綾波の系譜じゃん。だからミステリアスな大胆さこそ最大の持ち味ってわけよ」
「控えめに言って綾波の系譜の人間は、控えめに言って綾波の系譜なんて自称しない」
そこでとうとうたまりかねたのか、レンリがようやく歩夢の図々しい言動に苦言を呈した。
「綾波? ってのはよくわからねーけど、客とれんのか、それで実際」
「通りすがりのおばあちゃんは飴くれたよ」
「……まぁ、絵面は想像できる」
たとえ面の皮が分厚くても、黙って座っているだけで、構わずにはいられない小動物的な憎めなさがある見てくれの良さが、足利歩夢という少女の数少ない美点と言えるだろう。
「てかお前、たしかにバイトするにしてもメイド喫茶って……良いのかよ。校則として」
薄目で見れば純喫茶と認識しないでもないたたずまいの店。そのパステルカラーで統一された内部で行われる萌え萌えキュンキュンな催しを横目で盗み見ながら、鳴は嘆息した。
たしかアルバイトは自体は認められてはいたが、公序良俗に反する職種は厳禁だったはずだ。
職に貴賎なしとは言うが、これは流石にその法度に抵触するのではないか。
「平気だよ」
そう危惧する鳴に、歩夢は言った。
「制服自由な店にたまたまメイドのコスプレが好きな娘が集まってたまたま前世のご主人様と運命の邂逅を果たしてたまたま店内にいろんな遊び道具や食材があってたまたまそのゲーム内容とか食事のサービスとかが純利益に絡むだけだから」
「通るわけねーだろそんな理屈!?」
「特殊浴……ちょっと変わったお風呂屋さんのやり口だコレ!?」
いったいどういう経緯でこんなことになったのか。その想像さえ億劫な心労が、鳴を襲った。あるいはここに至る前の蓄積もあったのかもしれない。
気疲れは元陸上女子の肉体へとダイレクトへ反映される。
どっと疲れた鳴の視線は、どこかに身を休める場所を無意識のうちに求めていた。
「入れば?」
そして正面に戻ると、歩夢が背後の店を顎でしゃくってみせた。
「……まぁ、この際どこでも良いか。ちょっと興味あったし」
ご新規さん一名ごあんなーい。
おそらくはマニュアルには一語たりとも存在しないであろう歩夢の口上に誘われて鳴は入店した。
窓際の席に案内された鳴は、さっき語られた設定はどこへやら。すぐに案内できるメイドとやらのパネルを用意してきた。
鳴はその中の女の子たちからは相手を選ばず、ある一点を指さしてみせた。
「じゃ、外にいる置物どもで」
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(6)
ぞるぞぞぞー、と。
そのメイドは、鳴の対面に腰掛けて、サービスのアイスティーを周囲が引くほどの異音とともにストローですすっていた。
彼女の本名は足利歩夢。メイドとしての源氏名はあゆあゆ。
表情にあまりバラエティを持たない彼女だったが、それでも今、この仏頂面は心底からの不本意からくるものだろう。
「仕事もらっといてふてくされんな」
「せっかく何もしなくて良かったのに」
「お前それパイプ椅子座ってストップウォッチ押してるようなのよりよっぽどタチ悪いぞ」
「いや、あれマジでキツイぞ。退屈を持て余して人生を空費するほうが、下手に走り回るより」
女子ふたりの会話に、テーブルで置物に徹しているカラスが混じる。
鳥類を雇用する業者がいるかどうかはともかくとして、問題は歩夢だ。この就労意識のまるでない後輩を、どう奉仕をさせようか。
ささくれ立った鳴の意識に、ちょっとした嗜虐心と好奇心が芽を吹かしつつあった。
「よし、じゃあさっそくオムライスにおまじないでも」
そう言いかけて、メニュー表を見た時、鳴はわずかに戸惑いを覚えた。メニュー表の価格に書かれていたのは、¥ではなく、Pだった。
「……なんだこの、800Pっての」
「この店はご主人様たちの夢の世界。安らぎの場。現金なんて生臭い無粋なものでメイドたちに命令なんてしない。ここではご主人様の想いの結晶きららスターによって心を通わすんだよ」
「あぁ、そういう『設定』なのな……」
「そしてこれがきららスター」
そう言って歩夢は透明度の高い色とりどりの球体を取り出した。
親指の太さほどの直径を持つ、ゆがみのない球形。気泡の混じるそれらは、歩夢の手の内でころころと弄ばれている。
「……なぁそれビー玉」
「きららスターだよ」
「友達の古めの家に遊びに行ったときになんのご利益があるのかしらんけどトイレの手洗い場にある奴」
「きららスター」
恥ずかしい単語を臆面もなく連呼できるあたり、自身で豪語するとおり歩夢にとっては天職なのかもしれないと思い始めてきた。
「そしてきららスターは一個税込五十円。最低百単位からの購入が可能です」
「おい数秒前の発言」
「そして外にこっそり持っていくとお隣のまったく関係ない妖精屋さんがメニュー表にはないメイドさんのグッズやサービス券に交換してくれるよ」
「大丈夫なんだろうなこの店!? つか高ぇよオムライス!」
他にも日本円としての数字であれば妥当と見せかけて、実際に換算すれば法外な品やサービスばかりが載っているた。
「だから現ナマそのものじゃないって。何なら増やすこともできるし」
「は?」
「ほら、あそこでメイドのシャル先輩とかスルト先輩と遊んで勝てばもらえるよ」
「なぁ、あたしにはただヘッドドレス引っ掛けただけのパチスロの台に見えるんだけど」
「シャル先輩とスルト先輩だよ」
そして鉄の筐体を持つ他称メイドと向き合う形で、チンチンジャラジャラと、小太りのご主人様が触れ合っていた。
「……あれって本来の客層と逆じゃね?」
「そうか? 指向性は同じだと思うが」
誰にともなく呟いた言葉を、レンリが拾った。
「ちなみにテーブルゲームも楽しめるぞ、ほら」
歩夢のコミュニケーション能力の発達が目的なのだろう。レンリに薦められるままにメニュー表を改めて見る。
「きららカードでキャラ揃えゲームと絵合わせゲームと数合わせゲームができるぞ!」
「ポーカーと花札とブラックジャックじゃねぇかッ! ……まぁ、この中でルール知ってるの花札ぐらいだから、とりあえずそれで」
「まいどあり」
「メイドの挨拶じゃねぇな……」
そして一ゲーム分のドル箱……もといきららBOXを購入し、ゲームが始まった。
「て言ってもわたしルール知らないよ」
二本の指でさえ持て余すほどの小さなカードの絵面を見ながら、歩夢が言った。
「は?」
「体験入店だし。仕事入る前にざっとマニュアルは見たけど、秒で忘れた」
「体験入店。なんか……いかがわしい響きだな」
「黙れ鳥。……しゃあねぇな。じゃ、やりながら教えてやる」
「ルールわかるのか?」
「
これでは接待する側とされる側がまるで逆だ。
内心でそうぼやきながら、鳴は自身の手札に目をやった。
「まぁこれは揃える役さえ覚えれば簡単なんだよ。ポーカーや麻雀ほどややこしい手順もないしな」
「なるほど」
「あたしが先行。これからやってながら覚えていこうぜ」
「おー」
「あ、手四だわコレ。ハイあたしの勝ち」
「は?」
四回戦して、そして四回とも鳴が勝利をものにした。
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(7)
「悪いな、あたしの独り勝ちだ」
手の中でじゃらじゃらとガラス玉をもてあそびながら、得意げに鳴は吹いた。
対して利潤をむしり取られた歩夢は憮然とした表情で……といってもいつものことだが、散らばった花札もどきを回収していた。
「この敗けっぷりは即日クビだな」
レンリがどことなくからかうような調子で言った。
「そいじゃこれを元手にもう一戦しよっかなーしないかなー?」
それに乗じて浮かれ気味で歩夢を煽っていた鳴だったが、当の本人は反応らしい反応を見せず、ただいぶかしげに眉をひそめただけだった。
「あんた、なんかあったの?」
――なんとなしに、鳴にとっては残酷なまでに直截に、核心を突いてくる。
「……どうしてそう思う?」
指を畳もうとしてその隙間から、ガラス玉が数個、音を立てて、テーブルの上を転げ落ちていった。
「いや、店先で会ってからこっち、なんか気持ち悪い絡み方してくるし」
「気持ち悪いって」
鳴は苦笑する。だが同時に、それを認めているのは彼女も内心とて同じだった。
少し冷静に立ち返って振り返ってみれば、たしかに距離感を間違えていたフシがある。
それもこれも、思いがけない病院での再会によって歯車がズレたせいだと思った。
とはいえ誰を責めるわけにもいかない。いかないのだが、鬱屈をぶつけるに適当な相手は……目の前にいた。
鳴は深く腰を落とし直して息をつく。そしてやや目を尖らせて歩夢たちを見回した。
「なぁ、あたしが何部に見える?」
問う。
その質問は、歩夢たちにしてみれば突拍子もないものに聞こえただろう。
だが、奇異を唱える声はない。思いのほか真剣な視線を向け返し、歩夢とレンリは答えた。
「バスケットボール」
「いや、バレーボールだろ」
「部っつってんだろ、ボールってなんだボールって」
ただし両者の視線は、鳴の相貌ではなく彼女が組んだ腕に支えられた胸を見ていた。
「冗談だよ冗談。弓道部だろ」
「残念。得物で勘違いしたんだろうが、元陸上部」
「…………え?」
「確かにもともとそっちにもダチに誘われてて興味はあったけど、中学から続けてたからそっち選んだんだよ。結局どっちもダメになっちまったけど」
「――そう、なのか……」
レンリにおいては、よほど自身の推量に自信があったらしい。答えを外したとき、数秒ばかり固まったままだった。
一方でメイドの方はと言えば、さほど興味がなさげに相槌を打ったあとで
「で、その辞めた部活と今のあんたとでなんの関係があるのさ」
とあけすけに問い続ける。
「まぁその辞めた理由ってのは、あたしがレギオン化したからなんだよな」
極力、なんとなしにといったふるまいで応えたつもりだった。ひとりと一羽の心境にさほどの変化はなさそうだったが、重力がこころなしか増した気がした。
「で、そこをイノに助けられた。そのころにはあいつも『委員会』を降りてたけど、個人的な調査研究は続けてたからな。結局その騒動のせいで、あたしは『大会前日に浮かれて遊び歩いてた不良娘』ってウワサが立って、親も友達もそれを信じた。居場所をなくした。それが今日話しかけてたあいつに協力する理由だ。ほかに行き場所がねぇんだ」
自嘲気味に口端を吊り上げながら、一方で「何を他人同然の相手に語っている」と、冷淡な指摘が自らの内より返ってくる。
それでも、口も舌も止まらなかった。
「で、今日その部活時代の友達に会って、イヤミを言われた。……あったことと言えば、そんぐらいだ」
「後悔してるのか? 陸上部でやり直さなかったことに」
レンリは尋ねた。
「どのみち手遅れだ。けどまぁ、そんな想像をすることはある」
人前でストッキングを脱ぐようなくすぐったさと羞恥とともに、鳴は首筋を掻いた。
「悪かったな、しょうもないことで愚痴って。これ、換えるのってたしか外だよな?」
早口で言って席を立とうとする。
「でも」
カードをしまい終えた歩夢が、視線を合わせないままに口を開いた。
「あんたは、わたしを助けたじゃん」
退出しようとしていた、鳴の背と足が止まった。思いがけない方向へと転がったガラス玉が、歩夢の指先にたどり着いて、止まった。
「そういう道を選んだから、わたしはここにいいて、なんかよく分からないままにメイドなんかやってる。それが良いことなのかどうかとか感謝すべきかまだ自分の内でケリはつかないけど、助けられたってのは事実」
それをつまみ上げた彼女は、特に思慮らしいものを見せず、鳴に透かして見せた。
「問題は、あんたがそれについてどう思うかってことじゃないの」
鳴の視線の先で、イミテーションの宝珠は輝いて見えた。
そして、少し意外の念をもって、小柄な下級生を見直した。
まさか彼女が。
この現在進行形で自身の感情の去就さえ決められないような娘が。
多少なりとも他人の心を動かす問いを投げることができるとは。
「そうだぞ、人生万事塞翁が馬。選択の結果なんて、まだまだ出るのは先だ」
レンリがそれに同調した。
もっともこれは、作為めいているというか意図的というか、年長者とか人格者ぶっているようで失笑の対象でしかなかったが。
「どう思うってそりゃ」
鳴は苦笑いを交え、席へと座り直した。
「良い仕事したって、我ながら思ってる」
そして士羽が一度もくれなかった賛辞を、他人から今後一生もらえないであろう称賛を、はにかみながらも自身に与えたのだった。
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(8)
誰よりも速くなければいけない脚が、枷をつけられたように重かった。
会いたくなかった相手に出会した瞬間以来からだ。
他人の客観はいざ知らず、少なくとも井田典子自身はそう信じていた。
おかげで大会間近だというのに記録は自分の平均タイムにさえ届かず、鬱屈した日々を送っていた。
今日も今日とて、部費の件で生徒会より呼び出しを食らった。
(あの、件か……)
その金回りに不審な点があるというのは、部の内外でまことしやかに流れている噂だ。
不正な流用が発覚するのであれば、まだ良い。本来支給されている部費が知らないうちに減っているのであれば。
だが、実情として増えている。いつの間にか入金され、いつの間にか備品が新調されたり、グラウンドが整備されている。
妖精の仕業か、死んだ部員の怨霊か、でなければ部長や自分が学園の理事長と寝ているとかという途方のないデマまで流されているが、真相は不明のまま、今日に至る。薄気味悪さを覚えつつ、その恩寵に甘えている。
土曜日、学園内にいる多くの生徒が部活動にいそしむ中、自分ひとりが呼び出されたのは、どうやらその事情聴取といったところか。
典子は息を吐いた。
自分について回る因果、まったく預かり知らないこと。
ありとあらゆる不条理が、まるで未開封のシューズボックスのように、自分の心の中に乱雑に積み重なって、消費することができないでいる。
「失礼します」
多少の息苦しさを感じながら、陸上のエースは、生徒会室へと入った。
踏み込んでから、彼女は自身を包み込む闇に気がついた。
昼時のカーテンは閉め切られ、体育部のかけ声もどこか遠く、むしろ環境音の遮蔽となってそこだけが、日常から切り離されたようだった。
「時間、間違えたのかな……」
独りごちる。どことなく感じる不気味さを、払拭するために。
「いやぁ、合ってるわよ?」
静寂を破って、低い女の声が返ってくる。
次の瞬間、ドアが完全に締め切られ、かすかに差していた光が消えた。
〈
機械によって組み上げられた音声が、重くこだました。
そして背後から、典子は腕を絡めとられ、地面へと叩きつけられるように組み伏せられた。肺がまともに硬い衝撃を受けて、一気に空気が吐き出された。
〈
同じ合成音声で、ふたたび意味不明な文字列が読み上げられる。
抑揚のないからこそ、その声はぞわりと典子の背を撫でるかのようにおぞましかった。
「実はね、貴女のお友達のお友達が我々に何か隠し事をしているようなの」
靴音。さっきと同様の低く、どこか神経質な女の声。
――であれば、背後にいる者は、誰なのか。
「だけど、正面から問い質したところでどうせ素直に語ってもらえない」
多少なりとも鍛えてきた自負がある典子が渾身の力で抵抗しても、その拘束はほころびさえしなかった。
素人にさえわかる。
武術というか、格闘術というか。単純な力任せな荒業と違い、きっとそれは確かな物理法則にのっとったうえでの拘束ではあるのだろう。
「だからね? ちょっと貴女、あのカラスを吊り出す『餌』になってくれないかしら?」
それでも、思った。
このハスキーな掠れ声で甘く囁く女の冷たい眼差しは。彼女に無言で付き従う背後の従者の拘束は。
まぎれもなく、自分にとっては暴力なのだと。
〈エージェント・コンスクリプション・カルバリー〉
混乱に混乱を重ねる典子の首筋に、冷たいものが触れた。
やがてそれは熱を持たないままに液体のように融けていく。クリームのように、彼女の肌は貪欲にそれを吸収し、血管を通過し、止めようもなく体内へと落ちていく。
声をあげる間もなく、少女の意識は、黒い煉獄へと堕ちていった。
死への恐怖、生に対する執着、人生に対する心残り。
走馬燈が駆け巡る中、少女が最後に追憶したのは、
(め、い……)
いつかの、想い出。
何のわだかまりを持たずに駆け抜けることができた、中等部のグラウンド。
そして常に先を行っていて遠のく、旧友の背中だった。
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(9)
今日も今日とて、鳴は件のメイド喫茶に足を運んでいた。
相変わらずグレーゾーンの二、三歩はラインを踏み越えている様相ではあったが、時間は持て余していたし、金にだけは困らなかった。
そして不思議キャラで売り出そうにもまったく愛嬌というものを向けないメイドになど固定客がつこうはずもなく、足利歩夢ことあゆあゆの指名は容易だった。
「お前ホント見てくれだけは綺麗なのになー、見てくれだけは」
「お触りはおやめくださいお嬢様。おやめください。触るなお嬢」
そう言ってヘッドドレスを引っ張ったり、頬をつねったりする。少女ふたりの慎まやかなやりとりの様子をじっと見守っていたレンリがふいにクチバシを開いた。
「なんかお前……家庭に居場所なくてキャバクラに通い詰めるサラリーマンみたいだな」
「……自分でもチラッと思ったけど口に出すな」
まったくアコギな商売だと常々思うが、ああいう業態やこういう職業がなくならない理由に納得がいった。
「仕方ねーだろ。最近はヒマなんだから」
元々、士羽たち中立派のテリトリーは所詮は猫の額ほどの隙間なのだから、やれることは限られている。
もっともその間、鳴には鳴で私生活としてやることはある。やらねばならないことがある。
ただその活動も今は、諸事情により自粛中だった。
「こらこら、こうもゆったりしてる時間なんて今後滅多にないはずだぞ? 今ある余暇をヒマなんて言葉で片付けず、一分一秒を大切かつ有意義にだな」
そんな彼女の事情を露ほども知らないカラスは相変わらず年長者ぶって説教などした。
「そう言ったってなぁ、レギオンがまさか学校外に出てくるわけねーだろ」
「油断するなよ? まさに今この瞬間、空から奴らが落ちてくるとか」
冗談めかしく脅してみせるレンリに「はっ」と歩夢は笑いを落とす。鳴も声なく笑い、言った本鳥もハハハと喉を鳴らすようにしていた。
次の瞬間、落ちてきた。
レギオンが。
天井を突き破って、テーブルを割り、その残骸を撒き散らして。
警戒色のタテガミ、馬のような長細い面には凹凸はなかった。
それらを護るのは、間隙というものがない、ボディラインそれ自体と一体化したかのような銀の装甲。両手は人を刺殺するしか機能がなさそうな、馬上槍のごとく錐の形をとっていた。
そして吹き飛ばした鳴たちに向けて、前に突き出た鼻とも目ともつかない器官で狙いを定めていた。
さながら火をつけられた養豚場のごとき騒ぎで、客も店員も醜い悲鳴をあげて逃げ散っていく。
取り残されたのは、異形のもの二体と、少女がふたり。
「……」
「…………」
粉塵が中々収まらないなか、レギオンを囲むように対峙した歩夢も、鳴もそれ自体ではなく、自分たちと今まさに歓談していたレンリを睨んでいた。
「……俺のせいじゃないよ?」
カラスが情けない声をあげた。
その彼らの中から、レギオンが最初に獲物として選んだのは、鳴だった。
タイルに鉄蹄のごとき足跡を残し、踏み抜き、予想を超える速度で迫る。
勢いを緩めないまま、槍が突き出される。
すんでのところでそれをかわした鳴だったが、高速で身を寄せた騎兵の怪物自体からは逃れきれなかった。
胸が潰れるまでに押し倒された鳴は、地に転がったスポーツバッグをたぐり寄せた。中にあるストロングホールダーを掴んだ。
「め、イ」
どこかで聴いた呼び声を耳にした瞬間、鳴の全身が硬直した。
ガシャリと鉄音が眼前で響く。
「のり、こ?」
異形の面相が開き、中にいたその正体……否、変異させられ、閉じ込められていた少女と、限界まで見開いた鳴の目が合った。
「たす、け」
と言葉を漏らしたのも束の間のこと。騎馬の形を成した牢獄は、少女をその身のうちに閉ざした。
一瞬前の鳴の指示に応じて、起動したデバイスが主人を拘束する怪物の横槍を突いた。
バランスを崩したレギオンは、そのまま踵を返し、逃走を開始した。
「おい、大丈夫か?」
気遣うレンリの声が、どこか遠い。
立ち上がろうとするも、力が上手く入らない。
「……あれは、典子だ」
だが声にして最悪の事実を認めた瞬間、覚悟と体幹は定まった。
直立すると同時についぞ滅多に使わなくなったその脚をフル稼働させる。
両者が残されるのも構わず、ホールダーを引っ掴んで街に躍り出て、悲鳴が聞こえる方角を探りながら彼女を追った。
(なんで)
あれほど憎まれ役を買って出たのに、汚名も甘んじて受け入れたのに。学園の暗部から彼女たちを遠ざけるために自分が出来る中で最大限の努力をしてきたのに。
(なのになんで、こんなことになる!?)
状況は掴めずとも、理不尽な運命を少女は呪い、さらその足を速めた。
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(10)
「何故自分の身内ばかり……的場鳴は、おそらく今そんなことを考えているでしょうねぇ」
商業ビルの屋上。遊園スペースに設けられた望遠鏡から、一帯の狂乱とその中を駆け巡る一頭と一人を眺めながら、生徒会副会長、賀来久詠は呟いた。
「あの奇妙な鳥を捕獲し、その秘密を探るための作戦なのだから、洗い出して割れるようなら苦労はしていない。一番近しい足利歩夢の家庭は破綻していて友人もいない。その隣人が維ノ里士羽ってのにはちょっと驚いたけど……さすがにこちらの世界で彼女に手を出せば絵草のヤツに勘付かれる」
しかしまぁ、と。
十分に美貌という評価を担いうる顔に苦笑を浮かべて彼女は言った。
「よくもあぁ社会不適合者が綺麗に寄り集まったものね」
その小さく閉じた輪の内において、的場鳴だけが、外部に繋がりをもっている。
たしかに他人と馴れ合うことを良しとしない。レギオン化したことを機に親や友人には誤解され、根も葉もない噂も、彼女は弁解することなく受け入れた。
だがそれは、彼女の潔さと愚直さゆえだ。
飾らないその人格によって噂を信じない生徒が、特に後輩に多く、それ以外の層にも人気が根強い。
井田典子が鳴に辛く当たるのは、未だ執着と未練を捨てきれないことの裏返しであることは明白だった。鳴が何の気なしに振る舞い、陸上部に復帰しないのも、そもそもは自分の戦いに巻き込まないための配慮だということも。
だから彼女を、久詠は自身の『代官』のキーを以て人為的にレギオン化させた。
そのサイズに見合わない大規模な捕獲作戦の、足がかりとして、
「釜底抽薪。見出した弱点は徹底して狙うもの。恨むなら縁を断ち切れなかった自分の甘さを恨みなさいな」
声をくぐもらせて嗤い、彼女は『同伴者』へと振り返った。
「で、かなり走り回っているようだけども、カンペキに制御できているのよね、花見」
一回り以上も年下の女子生徒をファミリーネームで呼び捨てにされて、その保健医は迷惑そうに眉をひそめた。
「物事に完璧とか絶対とかはないんだよ。何なのかさえよく分からないようなもんを操縦させられる身にもなれ」
とにかく陰険な男である。
他人の受け答えに対しては否定から入る。
望まずして苦労を買わされるその性分は眉間に刻まれたシワと人相から汲み取れるものの、それはともすれば自分だけがこの世の不幸を一身に背負っているかのような大仰な厚かましさがあった。
「そう近づける努力はなさい」
「感情を捨てて鬼になる努力をか?」
彼女のFSタイプのストロングホールダー。そのサポートパネルを操作し、今、街中を疾駆する対象のバイタルを管理する彼の指が止まった。
「花見大悟」
久詠はあらためて彼の姓名を呼ばわる。
「CIROからの出向である貴方の役割は?」
「維ノ里派の内偵。『現地スタッフ』であるお前の後援および情報の提供と共有」
「なら、表向きのちっぽけな医療従事者であることより、そちらを優先なさい」
ヘイヘイ、と鷹揚に頷きながらも、その合間に舌打ちをこぼしたことを、久詠は聞き流すことにした。作業さえしていればそれで良い。ホールダー本体からの操作も可能だが、自分は自分で忙しい身の上なのだ。こんな小物に雑用を押しつけることはともかくとして、いちいち突っかかっている暇はない。
「私は本命に渡りをつけてくる。貴方は、引き続き彼らの陽動と、十分に引きつけた頃合いを見計らい『起爆』をなさい」
一方的にそう伝達すると、『委員会』の現副主席は、彼を残して建物から姿を消した。
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(11)
幾度となく接触があった。
何十回も捕捉し、射程に捉え、矢を射込んだ。
だがそのすべてにおいて、功を奏さない。
あるべき所へあれ。戻るべき日常へ戻れ。
そう願いを込めた一矢は失踪する鉄馬の四肢をすり抜ける。
よしんば的中したにせよ、その分厚い外殻は内部への到達を許さない。
やはり軽弓兵では限度がある。
だがそれより高出力の長弓兵では、まず準備に時がかかり過ぎるし、狙いが定められない。街中での連射が許されるような代物でもない。
答えの出ない悔恨と煩悶の中、都合十三度目の交錯。
狭い路地に追い込みをかけ、誰に遮られることもなく対峙する。
隘路をものともせず、鉄馬は進路を塞ぐ鳴へと押し迫る。
ガリガリと異音を左右より立てながら、速度は緩まない。
鳴は正面から射る。一矢、二矢。そのことごとくが跳ね返る。
掘削機のように槍の穂先は触れるものをすべて抉りながら、眼前の敵……いや障害物を除くべく突き進む。
さすがに機は見誤らない。
室外機を蹴り、壁を蹴り、跳ぶ。宙の中で返る。腰を捻る。つがえる。
巡る視界の下を、猛進する井田典子だったものが通過していく。それを、そのうなじを、射た。
だが、虚しい金音をあげただけだった。
反動によって身体を持ち直し、着地する。
その時にはもう、鋼の馬の姿はなかった。アーケード街の大通りで悲鳴が聞こえる。居合わせた群衆のものだけではない。典子の声が聞こえた気がした。それが幻聴だということは、分かっていても胸を締め付けられる。
息を整える。だが、精神は小刻みに動揺をくり返していた。動揺。射手にとってこれ以上にない、大敵。
「くそっ」
舌を打ち、毒を吐く。軽く壁に、ホールダーを叩きつける。
だが自棄になったところで、典子が帰ってくるわけでもない。自分の無力さが反響してくるだけだ。
上着のポケットで、スマートフォンが鳴った。
こんな時に……いやいつにおいても連絡するのは、『彼女』ぐらいなものだ。
もっとも現実世界で連絡を、それも一般に出回っている携帯端末で取り合うのはレアなケースではあるが。
「あぁ!?」
両者の間に挨拶前置き辞儀合い一切が無用の間柄ではあるが、今回の場合それを率先して省いたのは鳴の方だった。
〈今追っているレギオンは放置しなさい〉
かと言って相手側が、維ノ里士羽が礼節を改めるかと言えばそんな訳がなく、結果として怒りの感情と無機質な指示とが飛び交うこととなった。
〈街の監視カメラから状況を確認しましたが、動きは一定。そしてそのゾーンを離れようとせず周回しています。おそらくは何かを釣り出そうとしています。貴女とそのレギオンを餌に〉
「つまり、あれは誰かが操ってるってことか!? できるのか、そんなこと! 一体誰が、何のために!?」
問いを分割し、かつ連続的に問う鳴に、
〈良いから、退きなさい〉
返ってきたのは、冷たい指示語。
〈歩夢たちから聞き出した断片的な情報と貴女の狼狽ぶりから、事情はおおよそ把握しました。そのうえで、あのレギオンは形状からしておそらく他とは違い、人為的に変異させられたもの。つまり、貴女に狙いを絞っている。でありながら、貴女をどこかへ引きずり込む気もない。十中八九、別の反応を待つための餌ですよ、貴女と井田典子は〉
「ほう? じゃあ本命は誰だってんだ」
〈それは断定できません。それを知るためにも、今は傍観に回るように〉
「傍観して、どうなる?」
再度、問いをぶつける。
沈黙する電話越しの相手は、鳴が言わんとしていることもその答えも承知しているはずだった。
「もし餌として役に立たないって判断されれば、典子はどうなる? お役御免でそのまま無事解放されるのか」
攻撃的な質問だったと鳴は自分の言葉ながらに思った。だがそれでも制御もままならないほどに、荒れていた。
答えはそれでもない。破壊をまぬがれた室外機の、異臭を排気し続ける音だけが、やたらと大きく響いていた。
「曲解や風聞から貴女を見捨てた相手を、見捨て返すことになんの不都合が?」
士羽は静かに、そう尋ねた。
まったくそれは道理だった。指示されたことも、大局的視点からは正しいとは思う。
だがそれは彼女一人だけの正しさだ。明白で、かつ血の通わない氷雪のロジック。
だがそれは同時に、感情の発露でもある。人間らしい、ではなく維ノ里士羽らしい。
「……そんな簡単に割り切れる問題じゃねぇ! ましてや足し引きの問題でもねぇだろ!?」
鳴は怒った。今までは、自分の不甲斐なさ、見通しの甘さに端を発する怒りだった。
だがこればかりは違った。
独り冷たい数式に閉じこもる、少女に向けた叱責だった。
「そんなだからお前は……!」
背後に気配が浮かび上がったのは、何か自分でもよく分からない言霊が突き出ようとした間際だった。
弭を翻し、形式ばかりの弦を絞る。
目当てを定めたその先に、怪物は確かにいた。
丸っこいカラスは濃緑の瞳を瞬かせて、その矮躯をさらに縮み上がらせていた。
それをヘッドドレスの上に捧げ持つ形で、メイドが無愛想な顔をして立っていた。
「なんだお前らか、驚かすなよ」
「それはこっちのセリフ」
「いや俺のセリフだよ! わざわざ射線に俺を置く意味なかったよな? お前ちっこいから普通に立ってりゃ当たらないよな?」
「うぜぇ黙れ死ね」
「今日びインターネット掲示板でも使わなさそうな煽り文句を……けど残念でした! そんなもんが今さら俺に効くかよ。そもそも本当にそう思ってるなら日常的に同じことを使ってるはずだし、包丁持ち出して締めてるだろ? それもしないってことは要するにそれが本音じゃないってことだろ。ハイ論破」
「バッチリ効いてんじゃねーか」
鳴は反射的にツッコミを入れた。
言ってからすっかりそんなポジションに収まった自分に気づいて、脱力感に苛まれた。
「……何の用だ? あたしを止めろとかお嬢様がお命じになったか」
「うん、まぁそれがきっかけだが……おい回れ右するな。どう見ても罠だが、止めるつもりはない」
返そうとした、踵を止める。
歩夢を見た。彼女のぼうっとした表情には、賛も否もなかった。その頭上で、レンリはあらためて言った。
「どうせ転がり落ちる球なら、躍起になって空中でキャッチするよりも、落ちる先を見極めてからコントロールした方がマシだ。俺が人生で学んだ結論のひとつさ」
鳥が人生観を語り、その彼に庇護された人間の少女は黙したままだ。
「お前も、同じハラか?」
鳴は語らぬ歩夢に自分から尋ねた。
メイドは眉の一本も動かさずに答えた。
「別にどうでも良い。ただ『優秀な自分のやることは全て正しい』とか考えてるような自惚れ女に従うのもシャク」
それを聞いたレンリは少し複雑そうに目を眇めたあと、
「……だ、そうだ」
と、通話越しに罵倒されたその女に話を振った。
「確かにお前の言うことある意味最短距離で正解に導くかもしれない。でも、それは茨の道だ。獣道を近道とは言わない」
なお募る感情があるのか。レンリは追い討ちをかけるように口撃を続けた。
「そうやって不合理を排除してあらゆる人間の言動を敵として切り捨ててきたのが、今のお前だ。どんだけモニターがあったとしても、そこから見える景色はたかが知れてるぞ」
返事はなかった。
聴こえていない、ということはないだろうが、自分でも思い当たるフシがあるのか。それとも彼の言うとおり、口論自体を不合理と切り捨てているのか。
ただ一言、
〈勝手になさい〉
抑揚なく言い捨てて、通話は切れた。
「よーし、お許しが出たぞ。それじゃ井田典子救出作戦開始。本件を『オペレーションアレキサンダー』と命名……ってあれ?」
カラスの戯言を無視して、少女たちは思い思いの方向へ動き始めた。
「ちょっとー打ち合わせとかは?」
不満げにクチバシを打ち鳴らすレンリを、鳴は鼻で笑った。
「このメンツで打ち合わせも作戦もあるかよ。こいつがが止める。あたしが撃つ。それで十分だろ」
ぐぐぐ、とレンリは呻いた。どうやら大略は鳴の示したどおりの作戦であったらしい。
「邪魔だけはしないでよ」
歩夢が言う。
「お前がな」
鳴は返す。
そして両者は、一気に駆け出した。
同時に足を止めて、一度振り返る。
一点を、一羽のカラスを指して、示し合わせるでもなく言葉を紡いだ。
「そしてこいつは」
「役立たず」
「なぁそれ、あえて足を止めて言うことじゃなかったよな?」
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(12)
一旦歩夢からもレギオンからも距離を置いた鳴は、適当な見晴らしの良い場所へと向かった。
街道沿い、アーケード街の西玄関口。大手質屋が独占しているビルの非常階段を頼りに、一気に屋上へ。
一段飛ばしに階を足で叩く。その間際、妙なものを見た。
数ブロック先の商業ビル。ただの人間であればまず視界に入らない。だが、かすかな違和感があればフォーカスするよう習慣化された鳴の観察眼と、デバイスによって底上げされた死力は、その屋上に立つ男の、どことなく陰鬱な横顔を確かに認めた。
そしてそれは自分も歩夢も、親しくはないが見知った相手だった。
「保健医の花見……? あいつ、どうしてこんなところに」
しかし、視ることは出来るがその場所に飛んでいけるわけでもない。ましてそんな余裕などあるはずもない。
ひとまずはその動向を無視することにし、鳴は足を速めた。
『韋駄天』を意味する英雄にちなんで名付けられた作戦は、鳴が単独でやろうとしていたことの延長線上にあったものの、現有戦力において取れうる常套手段であり最善手と言えた。
すなわち、鳴の高射と歩夢の助攻によって敵を袋小路へ追い込み、そのうえで歩夢が時間を稼いでキーを切り替えた鳴が狙撃する。本当は最低でも観測手のひとりでも欲しいところだが、オペレーターである維ノ里士羽がヘソを曲げて非協力的である以上、この場にいる人材でやりくりするほかあるまい。
(中には役立たずの鳥がいるが)
せめて首根を引っ掴んで歩夢から離し、風見鶏程度に扱った方がマシだったかと思う。
だが、悔しいかなアレが歩夢の外付け良心回路であること
もまた確かだ。奴の意に任せるしかない。
その歩夢たちだったが、端緒から苦戦しているようだった。
ビルからの射撃で目下に追い込みをかけていくものの、肝心の時間稼ぎが上手くできないでいた。
俯瞰している身からすれば、出来の悪い牧羊犬のようだった。
壁に進路を妨げられたレギオンの背後に立つ。唯一無二の出口を塞ぐ。
だが彼女の飛ばす剣は、あくまで点の攻撃だ。典子を取り込んだレギオンはたやすく横に首を振ってそれをかわすと、脚力でもって歩夢の矮躯をたやすく乗り越える。
遠ざかっていくその影を茫洋と目で追う少女たちにたまらなくなって、携帯で歩夢の番号をタップした。
億劫そうに応答した少女に、
「ヘタクソー!」
と、容赦なく罵る。
〈じゃあ、あんたがやんなさいよ〉
歩夢が鳴のいる方角を睨み上げる。
怒鳴り返したり不機嫌になることはなかったが、ふてぶてしくこれである。「ケチをつけるならお前がやれ」という論調は、抗弁の余地がないが、だからこその言ってはならない暴論でもある。
〈まぁまぁ、睨み合ってても拉致があかないだろ〉
レンリがやんわりとたしなめたが、これが一番の無用者のセリフだと思うと、ムカムカとさらに腹が立った。
呼気からそんな気配を感じ取ったのだろう。少し気まずげにレンリは続けた。
〈……奴を確実に仕留める方法はある〉
「はぁ? どうやって」
〈歩夢の『歩兵』のグレードを上げる。そうすれば、盾が作れるはずだ〉
こともなげに提示された打開策に対し、鳴は引きつった冷笑を浮かべた。言わんとしていたこと、その意図は十分に伝わった。そのうえで、女弓兵は自らを無理やりに笑わせた。
〈え、なに? どーゆーこと〉
「意味わかって言ってんだよな、お前〉
〈もちろんだよ、鳴〉
「現実的に物事考えられねーのか」
歩夢を置いてけぼりに、一人と一羽は相互に理解を求めた。
なるほど確かに彼の求めるモノが手に入るのであれば、それに越したことはない。
だがそれが夢想に近いことを、鳴はこの世界における『常識』で知っていた。
レンリの言う現象に必要なのは、一、二ヶ月に近い期間とその中における濃密な経験値。あるいは然るべき設備と専門的な技術だ。この場に、そのいずれもが存在しない。
〈現実的にか〉
にも関わらず、レンリはむしろこちらを咎めるような口調で言った。
〈友を救うためだけに無策で罠に食いついて、決着のつかない追いかけっこに終始するのも、よっぽど非現実的だと思うけどな〉
まるでどこぞの女隠者のような辛辣な正論を口にしてから、意気込む声が聞こえた。
〈しゃーない。俺の言うことが『成る』かどうかはともかく、確実かつ現実的な手段といこうじゃないか〉
うそぶく鳥は、器用に翼で挟んでいた歩夢の携帯を彼女に突き返し、自身は大通りに出た。
すでに騒乱の中、人々が逃散した後で、無人だった。
いずれ異変を聞きつけて『委員会』あたりが出張ってくるだろうが、少なくとも、向こう数分はこの状態が続くだろう。
そのゴーストタウンの中心に、彼は単身立った。
「お前らにひとつ謝っておきたいことがある」
眼下で、ふしぎとよく通るその声で、レンリは言った。
対象が過ぎ去り、訪れた静寂。それが彼女たちの外周より、破られつつあった。
「このタイミングで無関係の井田典子が狙われ、鳴が釣られた。その目的はひとつしか思い当たらないんだよなぁ」
他人事のようにぼやくカラスの目線の先で、土煙が立つ。鳴にも伝わるほどの地響きが、その先で発せられる。
鳴がその言動の意図を察したのは、レンリの正面で煙幕を突き破り、それが再度姿を見せた、その刹那だった。
「敵の狙いは、この俺だ。的になってやるから、そこを射て」
井田典子を呑んだ『鉄騎兵』は、今までにない加速と威風と敵意を帯びて、轟然とレンリへと肉薄した。
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(13)
鉄の音が、聞こえる。
もっともそれは、レギオンの金属質に変異した腕と短剣状に形どられたエネルギーが摩擦を起こした結果、それに近い音響を鳴らしただけのことだったが。
とにかくとして、歩夢の発した剣撃は、怪物の凶刃からレンリの矮躯を守護した。
「このダブスタクソバード」
そのうえで、悪態をつく。
「人には『いのちをだいじに』なのに、自分は良いんだ?」
「俺は良いんだよ」
そして何の悪びれもなく、カラスはそう返した。
「お前には先の人生があるけど、俺はもう自分に対する用事が済んだからな。というか、助けてくれるって信じてたし」
「……あのまま鳴に撃たれてばよかったのに」
本当に憎たらしいカラスだが、まさか保護する対象をシメ殺すわけにもいかないから、持て余した感情は目の前の怪物にぶつける。
不意打ち気味にぶつけた一突きは、避けるまでもないと正面から弾かれた。
だが、逃げることはしない。彼の読み通りに、敵は無防備なレンリに拘泥した。
転身し、穂先を反転させてカラスを狙う。
ギリギリのところで回避した彼に代わり、罪もないタイルが掘削された。
見ていられなくて、歩夢の身体は先に突き出た。
剣が、再び槍と打ち合う。
「良いぞ! そのまま攻撃を捌き続けろ!」
「捌き続けるって……どれくらいさ」
助けてもらっておきながら身勝手な野次を飛ばすレンリを、横目で睨み、問い質す。
小憎たらしいカラスはしばらく碧眼を瞬かせていたが、
「五十合ぐらい、かなぁ」
「今テキトーに考えたでしょ、それ!」
とこんな具合だから、歩夢はますます不審の念を強めた。
ともかくそれを抱え、逃げる。
自分よりも遥かに勝る速さで凶器の塊が距離を詰めてくる。
今追ってきているのは変わり果てた陸上部のエース。
身体能力が腰回りの機材で補強されていると言え、歩夢は小中そして高と帰宅部と幽霊部員の併用でやり過ごしてきたモヤシっ子だ。
こと徒競走において、勝てる要素は皆無だ。その愚を、始めてから悟る。
「止まれ! 屈め! 剣を出せ!」
腕の中でレンリが指示を出す。
疑う余裕はなかった。
止まる。背を丸めてしゃがみ、自身とレギオンの合間に剣を水平に倒して展開する。
三段にシンプルかつ雑に分けた命令を自己解釈のもとに実行した彼女に、騎馬は迫る。
一直線に、脇目も振らず。
だがだからこそ、彼女たちの間に、足下にある剣刃には気づかなかった。
傷こそ負わないものの、転倒した。そのボディが宙へと浮かび上がり、伏せた歩夢の上を通過していく。
やがて派手に過ぎる破砕音が、向こう側で聴こえた。
起き上がって、意思を以て剣を浮かび上がらせる。
エネルギーであるがゆえにまさか刃こぼれはしていないだろうが、念のために確かめる。
普段よりもずしりと重い気がする。
実際に手に持つわけではないが、自分の念と浮かぶ速さに、若干のラグがあった。
その刀身の奥底で、歩夢は閃く光の筋を見た。
回路のような、ナナフシの手足のような、幾重にも分岐した、枝。
あの時、旧校舎の中庭で見たものと、心動かされた超常の存在と、同義のもの。その極小版。それが赤い輝きを帯び始めていた。
それを並んで見ながら「ふむ」とレンリは唸った。
「こりゃ案外早いかな」
と、まるで果実の熟れ具合を確かめる農家のような口ぶりで呟いた。
その意図を問うことも、文句をつける間もなかった。
彼方に転げたはずの鉄騎は、眼前まで間を詰めていた。
「っ!」
起こしかけていた上体を、ふたたび倒す。のけぞったアゴのすぐ真下を、銀穂は通過していった。
避けきれない。もとより逃れる術はない。防御手段はただ一つ、ただ一剣。
それをもって弾く。防ぐ。いなす。捌き切る。受け止める。反撃して次の手を封じる。
ありとあらゆる防御行動を使って、四方八方に攻め手を散らすが、このままではジリ貧も良いところだ。
(撃つならはよしなさいよ)
自分たちの頭上にいるであろう鳴に、声にはせず急かす。
声に出来るのであれば、大音声で罵ってやっただろう。だが今は、その寸刻さえ惜しかった。
実際に手で剣を振り回すわけではないにせよ、息をつかせぬ猛攻は神経を確実にすり減らす。
……はず、だったのだが。
数合打ち合うと、不思議な心境の変化が彼女の中に訪れた。いや、感触の変化であったかもしれない。
負ける気が、しなくなった。
勝てる気などしなくても、少なくとも、命を取られるのではという予感は、一度打ち合うごとにどんどんと薄らいでいった。
それは感覚の鈍麻だったのか。それとも過多な自信だったのか。
いや、紛れもない事実だと、胸の奥にくすぶる火のようなものがさんざめく。
その刃は折れることがなく、むしろ鍛治のごとく、鉄で打たれる都度に強固になっていく。
内を奔る回路は掘り進められていくように拡張され、そこを脈として力が流れていくのを感じ取る。
やがてそれは腰に張りつく鳥のメカにも波及した。
輝度を加速度的に増していくキーは、升に水を満たすように光を溢れさせ、一つのスロットに収まり切れない力のほとばしりは、隣の挿入口に流れ込み、溶岩のように冷えて固まった。
〈
という音声が、腰回りにて響くとともに。
刹那、敵味方の間に迫り上がった大盾が、再度のレギオンの突撃を弾き飛ばした。
「成った」
それを見越していたであろうカラスは、少女の腕の中で満足げにうなずいた。
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(14)
「本当にやりやがった……本当に成りやがった……」
眼下にて行われた光景を見下ろしながら、鳴は唖然として呟いた。
歩夢の急成長も信じられないが、レンリの献身も予測を超えていた。
無論、歩夢は生死にそこまで頓着していないだけだし、レンリにはレンリで思惑があるのだろう。
それでも、ここまでするとは思わなかった。
傍目には自分には何のメリットもないはずなのに、今この瞬間に自分に求められていることを果たしている。
お前はどうだ、その弓はただの飾りか? 友を救わずに右往左往しているだけか?
内なる良心がそう咎める。
それによって、腹を括る。
〈
一対の弓矢が拵えられた鍵。
それを差し込むと、牛の前肢が伸びてアスファルトを突いて固定された。
弦と弭もまた拡張し、一種の固定砲と相成った。
自身も含めた狙撃体勢が整うまでに、所要一分程度。その間にも状況は目まぐるしく動いているが、戦場を移動しなければならないほどではない。目下の歩夢は相手に食い下がり、よくやってくれている。
いったい自分の身に、デバイスに何が起こったのか。そもそもグレードを上げるとはどういうことなのか。
おそらく何も伝えられていないだろうあの小憎たらしい後輩は、それでも逆流現象を利用した肉体のインプットに従い、新たな力と技術を使いこなしていた。
重量感のある盾は、角張った分厚い代物で、半透明でありながらもまるで一個の城塁のようだった。
それを振りかざすと、重くて気持ちの良い風音が鳴の耳にも届く。時折、それが甲冑に打ち当たって、鐘の音を響かせる。
もちろんその鈍重さは筋力由来のものではない。
ただ、突如インストールされた力にホールダーに内蔵された管理AIの処理能力が追いついていないだけだ。順応すれば多少は改善されるだろうが、今その暇はない。
だがそれでも彼らは何とかする。そんな気がする。
現に、人以外の形をしたアドバイザー兼パートナーは、その耳許で何かを助言している。
なら自分も、やらないわけにはいかなかった。
指を弦に懸ける。
念じれば矢は飛ぶ。あくまでも慣習的な動作ではあったが、イメージがつきやすいからこそエネルギーの供給や一極化における効率は良い。
大弓に光輝く矢をつがえると、自身がアルテミスの彫像になったかのような心境だった。
狙いを定める。
――あー、せっかくのお誘いなんですが、すいません。高等部の陸上で待ってる奴がいるんです。
雑念が混じる。
在りし日の自分。運命を分けた瞬間。
――もう一周行っとく? 鳴。
――今度はあたしが先に着く。
――ハイハイ、勝手に言ってなさいよ。
今もそこにあるはずだった、かつての日常。
――アンタ、何やってんの。こんな時期に?
――まぁ、ちょっといろいろあったんだよ……
――いろいろって、なに?
――いろいろさ。
――もう、良い! どこへでも行って勝手にすればいいじゃないっ!
そして覆りようもない、過ち。
典子はきっと裏切られたと思った。鳴自身もそう思えばいいと思っていた。旧友の気持ちがそれで少しでも解消できればと。
しかし裏切られたと思ったのは、実は自分のほうだった。黙してごまかしていたとしても、きっとあいつは察してくれると、甘えていた。そんな考えを持っていた自分は、やはり彼女や周囲を裏切っていた。
鬱屈は晴れない。答えが欲しい。名分が欲しい。
そんな時、ふとひとりの少女の姿を目で追った。
――問題は、あんたがそれについてどう思うかってことじゃないの。
足利歩夢。
自分と同じように、自分の生活を棄てさせられて、あらゆる理不尽を背負わされた女。
それでもなお、自分が今やらなければいけない責任だけは、果たしている。
きっと鳴やレンリが発破をかけてからは、いまだ所在定かでない自分の心からも、逃げることはやめたはずだ。
だから彼女は今、進化させた力を正当に扱っている。
――周囲のすべてが貴女を否定したとしても、貴女自身が自分の正しさを知っているではないですか。ならば立ち上がる理由には十分でしょう。
そして、維ノ里士羽。
今はこの世のすべてに失望して王宮に引きこもっていたとしても、それでも矜持をもって、いや残された矜持だけで今なお世界の危機に挑み続ける無謀な女。だがたしかに、人の上に立つ資質をその言霊に秘めた女。少なくとも、すべてを喪った少女に差し伸べた手を掴ませる程度には。
口元がほころぶ。
余計な緊張から脱し、視界が澄み渡る。
士羽という先達に薫陶を受け、そして後輩の歩夢には教え、逆に教えられた。
そんな合間に立つおのれが、揺らいでどうするのか。
(自分が何だ? 役目はなんだだと?)
言われるまでもない。
自分は士羽の部下で、歩夢の先輩で、そして典子の友人だった。彼女たちがどう思おうとも、自分だけはそう信じて、この矢を引き絞る。
だからせめて、囚われた旧友には口にし忘れていたただ一言を、贈る。
「ごめん、典子」
彼女の手元で、矢が離れた。
放たれた一矢は連射していたものよりも倍の光量を膨らませ、はるかにそれらを凌ぐ速度と圧で地上へと落下していく。
〈ロング・シューター・スナイプ・チャージ!〉
風を巻き、熱を孕み、使命感を研ぎ澄まし、想いを込め、罪悪感を払い、煩悶を振り切る。
〈ヘビー・インファントリー・ファランクス・チャージ〉
それに呼応するかのように、歩夢も打って出た。
腰から抜き取った鍵をホルスターの側へと移し替え、そこに収まっていた短筒を抜き取る。
怪物へ向けてその引き金を引くと、一度消えた障壁が、分裂し、陣形を組んだ。再突撃してきたレギオンの前に立ちはだかった。
敵の足を留める。だがそれだけには終わらなかった。
盾と盾の隙間から、ありとあらゆる角度から、無数の槍が突き出た。
そのうちの何本かは弾かれ、何本かは、鎧の間隙に食い込んでその場に縫いつけた。
狙ったかどうかは定かではないものの、矢が向かう射線上。その中でも特にベストなポジションへと。
鋼の怪物を中心に、輝きが交錯する。
高低からの挟撃は耐久力を上回り、やがて巨大な火柱をあげた。
手摺り越しに靴底を舐めるほどに膨張した光はやがて地上の一点に収斂していった。
不自然なまでに急激に薄れていったそれが完全に消えると、後に残ったのは相変わらず何を考えているのか読めない鳥と少女のコンビと、静寂を取り戻した街と、そして外傷もないものの地に臥したままの旧友だった。
「典子……!」
やるべきことのため、一時的に切り離していた感傷がぶり返した鳴は、たまらず階下へ向かって駆け出した。
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(15)
井田典子の寝顔を、なんとなしに膝を抱えたまま歩夢は眺めていた。特に介抱するでもないし、そんな知識や技術も持ち合わせていない。
先に鳴に言ったとおりに帰ったところで特別な用事があるわけでもない。鳴から無用の顰蹙を買うだけのことだ。
そんなこんなで時間を浪費する少女とカラスの近くに、鳴が駆け寄ってきた。
「典子は?」
「大丈夫だ。他のレギオン同様、彼女の本体は別の位相に閉じ込められていただけだからな」
余裕のない鳴の問いかけにそう答えたのは、もちろんレンリのほうだ。歩夢には答える義理も見識もない。
ほっと息をついた鳴は、典子の上体を掬い上げるように抱き起こした。
「のり」
彼女が呼びかけようと頬に触れた瞬間、制服のボタンの隙間から長大な人影が現れた。
鉄の塊。行李のような筐体を負った、つるりとした鎧の怪人。
〈アンブッシュ。『
そしてその身から重低音を発するや、大きく両腕を伸ばしてきた。
「は?」
と対応しきれない鳴を鷲掴みにし、
「はい?」
レンリのストールを絞り上げ、
「ちょっ」
その翼を反射的に引き留めようとした歩夢を抱き込める。
次の瞬間、歩夢の意識は闇に落ちた。
~~~
足利歩夢は夢を見る。
イメージか現実か。意識が混濁している。自分のうちにあるものが、混線している。まるで雑多にプラグをつなぎ変えたテレビのように。
自分と、別の誰かとの意識が交わった。
その中で、夢だけは明確なヴィジョンとなって見えていた。
いつものように、燃える庭園。人間の骸で描かれた曼陀羅。
またか、と辟易する。
いわれのない痛みや熱さも、逃れようもないので受け入れることにしていた。
その中央で、誰かが泣いている。泣いて、詫びている。
哀れみはしない。憐みもしない。そんな感情はとうに焼け落ちた。
そもそもは、ソレの罪禍だ。ソレが自分を責める通りに。
だから好きなだけ泣けとは思う。
それでも、やはり『自分』は『彼』を捨て置けないのか。あるいは、独りよがりなその感傷が絞め殺したいほど煩わしかったのか。
無意識に指がソレに向けて伸びる。だが、それは意識がクリアなままに、場面が変わった。目の前の孤影がなんの前触れもなく変わった。
士羽。少女が背を向けている。今のような潔癖な白衣ではなく、『あの時』と同じ喪服のままに、長髪を流している。それがレンリに代わり怪物に戻り、そして自分自身の鏡像へと変移する。
「嘘つき」
振り返った自分や誰かが、振り返られた自分や誰かに向かって、人とは思えない声で非難した。
~~~
「……い! おい! 起きろっ、死ぬぞ!!」
次の瞬間、強烈な衝撃が頬を張った。
痛みで逆に意識を飛ばしそうな、鳴のガチビンタであった。
「ったく、ようやく起きたか」
「殴ったね、親父にも……ってあんたにはこのネタ通じないしそもそも親父いなかったわ」
「自虐すぎて笑えねーよ。それよりも周り見ろ」
硬い声で言われて周囲を見渡す。
上体をもたげた横に、鳴がいる。その彼女が真っ白な顔で過剰に抱きすくめた典子は未だ喪神したままで、自分の近くではレンリが困り切った目で、クチバシをカチカチと小刻みに鳴らしていた。
その彼らの外側に意識を向けた瞬間、理解の許容を超える世界が広がっていた。
それでも鳴の顔が白いのも、声が硬いのも、カラスの口が震えるのにさえも総身で納得した。
すべては、この異常な冷え込みのせいだ。
梅雨も手前だというのに、蒸し暑さとは真逆の、吐く息がことごとく凍りついてしまいそうなほどの。
そしてそれが起因するものこそ、目の前の世界だ。
見渡す限りの氷土、雪原。分厚い灰色の雲。
針で刺すような痛みを伴う風の中を、雪や霰が踊り狂う。
その遥か先に、まるで軍事要塞のような平たい方形の建造物が望んでいた。歩夢には、散々に改造されているであろうその施設の基本構造に、見覚えがある気がした。
「……何コレ夢の続き?」
「残念ながら現実だよ」
レンリが答えた。
さすがに薄着に過ぎるので、暖房がわりにそのカラスを抱きすくめる。
「……多分、知ってる限り最悪の場所だ」
鳴も衝撃から立ち直れていない様子で、呆然とした口調で言った。
「ここどこよ」
歩夢の問いかけに、レンリと鳴、どちらが答えるべきか彼らは互いに視線を配り合って探り合っていた。
だがレンリが答えないので言いかけていた鳴がハッキリと答えた。
「剣ノ杜学園」
は? と聞き返す。
学園、というにはあまりにも現実離れしていて、季節感も広さも母校のそれと合致しない。
……と切り捨てかけたが、あの学園にそういう所が一点存在するのを思い出した。
あらゆる物理法則を否定する場所を。
あらゆる神羅万象を覆す異界の存在を。
「旧校舎。二年前に隔絶された、北棟だ」
鳴の言葉を裏付けるかのごとく、あの忌々しくも歩夢の心を動かした巨大な妖剣が、曇天の下にも関わらず異様な存在感を虹のように放射していた。
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第五章:ヒョウリュウの、教室
(1)
「ユニットに『
レンリはおもむろに語り始めた。
「これは特定の事物にキーを埋め込み、それに対してアクションを起こした対象に向けて、そのキーが発動する。今回の場合は宿主は井田典子。対象は俺たちだ。埋め込まれていたのはおそらく『輸送兵』。設定したルート間を自在に転移させるグレード3のユニットだ。ハナからこれを狙っていたな。鳴だけじゃない。俺ら全体を巻き込むように」
「あぁそうかよ」
鳴は吐き捨てるようにして話の腰を折った。
「で、ワナにかかった後で仕掛けについて説明する事に何の意味があるんだよ」
まったくもって正論だった。その知識を持ち得ながら見抜けなかったのは他ならぬレンリの手落ちだ。
だが、それはそれとして、
「いや、元はと言えばあんたらのせいだから」
……レンリの言おうとしたことを、投げようとした視線を、歩夢は鳴と、彼女の背負った典子へと向けた。
彼女は歯を鳴らし唇を青くして震わせながら、レンリを抱いて暖としている。この中でもっともダメージが大きいのは、露出の多いメイド服姿でそこに投げ出されたこの少女だろう。
「悪かったよ。けど死にたがってたんだから、ここでじっとしてるだけで願いが叶うぞ」
「だから別に死にたいわけじゃないし、死ぬにしてもこんなところじゃ嫌だし、むしろこの状況でんなふざけたこと抜かすあんたをそのお荷物ごとチルド冷凍させたろうか」
「あ?」
「は?」
「極限の状況って人間性がよく出るよなー……」
レンリの皮肉めいたぼやきで、少女たちは諍いの不毛さを悟ったようだった。舌打ちして、顔を背け合う。
だが苛立つ気持ちも理解はできる。
都合数十分、歩き詰めだ。
一般的な歩道であれば、さほど苦ではない距離ではあっただろう。
だが、この『八甲田山疑似体験ツアー』のごとき雪の悪路ならば話は別だ。
自重によって足は雪に沈み、逆に雪の重みで足は満足に上がらない。
体温と摩擦は雪を溶かすが、それは肌や衣服に冷水が染み込むことを意味していた。
地平線の先にある基地へまっすぐ向かっているはずなのだが、白く帳の下された世界は、遠近感に欠けて一向に近づいている気配がない。見えているのは集団幻覚なのではないかとさえ疑いたくなる。
「くそっ、このままじゃ」
鳴が吐き捨てる。案じているのは彼女自身のことではなく、背に負う典子のことだろう。
未だ意識を失ったままの、完全なる被害者。
顔を白くして、かすかに漏れ聞こえる呼気は、あまりに弱かった。このまま目を覚さない可能性も、考慮せざるをえなかった。
「おい」
鳴は歩夢に焦燥した声を出した。
「それ、よこせ。それで暖める」
レンリに、目を向けた。
「やだよ、私が死ぬじゃん」
「ホールダー付けてる限り最低限の生命活動は保証されるんだよ。こいつが保たねぇだろ」
「だったら、あんたの牛渡しゃ良いじゃない」
「今度はあたしが動けなくなるだろ。このストッキングが何ディールか知ってんのか。あたしが動けなくなったら、誰がこいつを運べるってんだ? お前のちっこさで引きずってくか?」
「わたしはガーターベルトなんだけど」
「つべこべ言ってねーでいいからよこせ!」
痺れを切らした鳴は、実力行使に打って出た。
片手を伸ばしてレンリの球体をもぎ取り、歩夢がそれを奪い返す。
見てくれそれ自体は美少女たちに挟まれて、揉みくちゃにされながら、レンリはぼんやりと雪降る曇天を見上げた。
彼とて一個の男としての矜恃がある。
女に取り合われているというシチュエーション自体はむしろ喜ぶべきことだろうが、そもそも前提としてこの状況は男として見られてはいない。
いくらなんでも、人権を無視して暖房器具扱いとはあんまりだ。
抗議してやると息巻いた。息巻きは、したのだ。
嗚呼、だがしかし。
ちくしょうこの弾力が、ちくしょうこのスベスベが。
いや井田典子の引き締まった腿も捨てがたい。
それでも、と血涙を呑んでぐっとこらえる。
こんな酷寒の中我を忘れて女体にウツツを抜かしている場合ではないのだ。そんなことに溺れていては彼女たちからの
蔑視は不可避だろうし、自分自身のプライドがそれを許してはおけない。
いくら鳥類に身をやつしているとは言っても、品性まで獣に落とした覚えはない。
――ならば。
取るべき一手は決まっていた。
「おわーっ! やめろーっ! もふもふもふー!」
表面上は抗いつつ鳴の谷間に顔を埋め、
「…………」
歩夢のiPadのごとき同部位からは全力で目を背け、
「おわー! やめろーっ! …………もふもふもふ」
と、身をよじって反転して、鳴のそれを再び堪能する。
これぞまさにレンリ一世一代の名演技、自尊心と欲求を同時に満足させる最善手であった。
だが、そんな蜜月は長くは続かなかった。
どちらの暴力に端を発するものか。気づけばレンリは少女たちの間から弾き飛ばされ、宙を舞っていた。
そのうえで、かなりえげつない角度と速度で雪原に叩きつけられて、沈んだ。
「い、一体いつから……?」
気づいていたのか、と続く前に、鳴は呆れたように着衣を整えて返した。
「そりゃガップリ四つになって鷲掴みにされてりゃ気付くっての」
「あと、私からは全力で逃げてたよね」
「……俺にも選ぶ権利ってもんがあるよぶへぇっ!?」
歩夢のサッカーボールキックが炸裂した。
水切りのごとく、本来は衝撃を吸収するであろう雪の上をバウンドし、さらに数メートル後方へと飛ばされる。
少女たちは、この寒さに勝るとも劣らぬ冷ややかな一瞥をレンリへとくれたあと、前方に向き直って歩き出した。
「あぁ、ムダに体力使っちゃった」
「一瞬でもあんなもんのために争ってたとか、いよいよもってどうかなり始めてんな、急ぐぞ」
つい数分前までの諍いは何処へやら。連れ立って進む彼女たちを、レンリは這って追跡していく。
的場鳴の胸部に執着したのは劣情のみに非ず。
この超低温の世界において温もりを求めていたとか視線誘導の延長線とか母胎回帰の本能にまつわるうんぬんカンヌンとか要するにそう言うアレであってそんな中学生的なドストレートな性欲ゆえではないのだ。
分かれ分かってくれと念じつつも、現実的には内なる自己弁護に終始するよりほかない。
かなしい悲しいかな男性はここに自分ひとり。理解者など得られようはずもなかった。
狼の如き遠吠えが灰色の空の下に轟いたのは、心身ともにレンリが立ち直って歩夢たちに追いついた、その時だった。
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(2)
歩夢たちを取り囲むように、雪を四足でつかむようにして、狼たちは大地を駆けてくる。
視認した時には豆粒ほどの大きさに見えたそれは、瞬く間に彼女たちとの距離を詰めていき、その人間よりも一回り勝る体躯を誇示してみせた。
くすんだ灰色の体毛。酸いとも甘いとも感じられる独特の体臭。血走った眼。
何よりも特徴的なのは皆、首の筋に荒縄を食い込ませている点か。
それはまるで獣の神か。あるいは首をくくった殉教者のようでもあった。
数にして五体ほど。
彼らは一様に敵意をむき出しにし、やすりで研いだかのような牙を剥きだしにしていた。
「ゅ、むぅ……」だの「あ、む」 などと赤子の喃語めいた音を混ぜてしきりに唸っている。
「歩夢。手が空いてない。お前に頼む」
一方的にそう言う鳴を軽く睨みながらも、みずから包囲を破らねばならない必要性は把握している。
ため息ひとつこぼし、歩夢が、腰のデバイスへと手をやった、その瞬間だった。
ぼとり、と重い音を立てて鉄の鳥は地に墜ちた。
展開したままの両翼とか頭部を持ち上げ、細い悲鳴にも似た軋みをあげる。やがて、その抵抗も空しくやがて完全に動かなくなった。
まさか、と目を瞠る鳴は慌てて自身の鉄牛も手に持った。
そしてただの冷え切った鉄塊と化したそれを見て「こっちもか」と忌々しげに舌打ちする。
途端、風の向きや強さが変わったわけでもないにも関わらず、猛烈な寒波が少女たちを苛んだ。
「この寒さで多分動力系がやられたな……」
どうしてこのクソバードは毎度毎度解説が後手に回るのか。そう文句を言うのもバカらしいほど、我が身も頭も、武器同様に凍てついて仕方ない。
そんな無防備な彼女らを嘲笑うかのように、狼たちが周遊する。
やがて高く顔をのけぞらせて一声づつ吠えると、鋭く研ぎ澄ました爪牙をもって、食ってかからんとした。
――食って、かからんと、した。
だが、遥か遠くから響く駆動音が、彼方で舞い上がる白塵が、その四肢を止めた。その場にいた誰もが、一様に音がする方角を眺めた。
決して辿り着けなかった要塞から、見る見る速度を上げて、人が、いやひとりの青年を乗せたバイクが、急接近してきていた。
狼のそれを遥かに超える疾駆とともに、その精悍な顔立ちが見て取れるほどの距離に迫る。
その段になって彼は、前輪を持ち上げて、車体を浮き上がらせた。その脚をシートから突き放すようにして、自身も飛び上がる。
竜のエンジン部分にエングレーブが刻まれたそのバイクはは、彼の靴底が離れると、分離する。浮き上がったパーツが、そのまま彼の右肩口から拳の先まで鎧うようにして囲み、組み上がり、巨大な手甲と化した。
彼はそのまま彼女らと彼らの中心点へと着地した。
その重圧で氷の原が揺れる。雪が躍る。絹糸のように、淡く白い呼気がミリタリーコートをはためかせた、その青年の口端から紡がれた。
「白景、涼……」
レンリはそも碧眼を見開き、青年の名らしきものを呼んだ。
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(3)
「……おい、白景涼って、まさか」
「そう。この『旧北棟』の管理区長だ」
訳知り顔のレンリと鳴がそう言い合っている間に、その青年は右腕を覆い込むデバイスを手動で組み替えた。
〈
取りすました女の調子で鳴った音声を機として、狼たちが一度は退いた距離を一気に詰めた。
飛びかかる獣たちに、その涼という男は、目もくれもしない。ただ正中を見据え、雪を観、世界全体を視ている。
だが、軍用ナイフのような爪がその身体に届かんとした瞬間になって、男はその最先端に視線を移した。
刹那。重低の打撃音とともに、その狼が仲間を飛び越え、吹き飛んだ。
バイクから変じた鈍器が、それ目掛けて振り抜かれたのだ。
だが狼たちは怖じはしない。そんな感情が欠落しているのか。その犠牲も算段のうちか。
倒れたまま動かない同胞を飛び越えるようにして、彼らは殺到した。
鉄によって膨れ上がった上腕が、また振られた。破壊的な音が、響いた。何度となく、響いて歩夢たちの足下を揺るがした。
拡散された音や衝撃は雪によって吸収されるだろうに、それでも。
見てくれ通り、鋼で膨れ上がったその腕は、速度や手数においては敵の速攻より遥かに劣る。
それでも、獣の牙は彼のミリタリーコートの一端を引き裂くことさえ、能わない。
ある者はその鉄塊に阻まれ、横薙ぎに吹き飛ばされ、また別の個体は振り下ろされたそれによって雪原に叩き伏せられ、その後続は、吹き飛ばされたそれら同胞の肉体に巻き込まれて、地を転がる。
このままでは埒が開かぬ。
そう判断したか、獣は一度大きく円を描いて遠巻きとなり、陣形を整えて再度、同時刻、全方位からの全面攻勢に打って出た。
涼は、そのいずれのいずれの一角にも、反攻を仕掛けなかった。包囲に穴を穿とうともせず、ただ一度だけ大きく、深く息を吸って、冷気を自身の肺胞へと送り込む。
次の瞬間、彼は自身の鉄器を白い大地へと叩きつけた。
ダイナマイトでも埋め込まれていたのか、というほどの衝撃とともに、雪がめくれ上がる。迫っていた狼の尽くを、宙へと浮き上がらせた。
加勢も出来ずそろそろと距離を取っていた歩夢たちの地点でさえ、わずかに浮遊感を覚えるほどだった。
〈ドラグーン・フルファイア〉
涼が、自身のデバイス、上腕により近い部分に刺さった『鍵』を回す。
銃が一対、馬が一対。互いに向き合うような装飾が尾に施された、『ユニット・キー』。
すると、さらに機体は変形した。
タイヤの部分が割れて、成熟し切った竹ほどの太さを持つ銃身が伸びる。その砲身を我が身ごと、涼は大きく旋回させた。
轟音とともに発せられた無尽蔵の弾丸が、曇天を埋め尽くす。回避も防御も行動できない狼たちを撃ち抜き、この無色にして不毛な灼熱の蓮華を咲かせていく。
やがてその火の中から、歩夢たちと同様に景観にそぐわぬナイトドレスや礼服をまとった人々がこぼれ落ちて、雪のスポンジへと落下した。
〜〜〜
彼の到着から一拍子遅れて、同じく基地の方角から一台のジープが走ってやってきた。
相当な改造が施されている、というよりも、正規のパーツで構成されている部分の方が少なく、大概は何か別の素材を溶接して、無理やり車に繋げただけのような車体だった。ナンバープレートも、当然のように取り外されている。
まぁこの場所でいちいち論うのもナンセンスだが、鳴曰くここは学園の『敷地内』であるから法にも触れないのかもしれない。
「先輩!」
その歪な車が歩夢たちの手前で完全に停止する前に、小柄な影が助手席から飛び降りた。
真っ白なコートをまとった、もこもことしたサイドテールを持つ女子生徒。
丸みを帯びた童顔をプンプンと膨らませながら、
「もうっ、またひとりで先走って!」
と文句をつける。
口ぶりからすると、涼の後輩だろうか。体格も年功序列的にも上の相手に容赦なく吠えかかる姿は、髪型も相まってマルチーズのような印象を与える。
ただ吠えられる当人はどこふく風。その横をすり抜けて、
「客人だ」
と短く言った。
ここに至るまで一瞥さえ歩夢たちには呉れなかったが、認識自体はしていたらしい。
「……そうみたいですね」
所在なく立ち尽くすメイドとJKとカラスという異種パーティーを、マルチーズの少女は緊張した眼差しで見返していた。
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(4)
白景涼が腕を大きく、かつぞんざいに振る。
〈龍騎兵・
そこに張り付いていた重火器は再びバイクへと変形して雪原に落ちた。来た時には首にかけたままにしていたゴーグルを目に当ててまたがり、そのまま駆け戻って行った。
そして促されるままに、後続のジープ数台に分かれて、歩夢たちは、人間に戻った元
先行するバイクよりはかなり劣るスピードだが、歩く時よりもはるかにマシで、かつ文明に近づいているという実感があった。文句をつけるならば、風もあってかなり冷え込むことか。
そうして着実に要塞に近づいていくと、たしかにそれは古い校舎であったことが分かった。しかし、その外壁はまるで怪獣にでも引きちぎられたかのように無残で不規則な断面をさらしている。
鉄をむりやりにつなぎ合わせて、外的や風の侵入を妨げる門扉。引き開かれてその内部に入ると、校舎の庭園であった場所は仮設テントやプレハブがひしめいて、そこから顔を覗かせた人々や、行きかう人々は乾いた目で、そこで停まった歩夢たちを見返していた。
「目ぇ怖」
「男も女もゲームオブスローンズに出てきそうな顔してんな」
だがその誰もが、何かしら荷物を持っていた。あるいは運搬や工作作業の最中で、手足だけは絶えず動かしている。
テープ張りされた窓ガラスの向こう側でも、絶えず金音が響き、火花が閃いていた。
おそらくは、ここで暮らす人々に休息などあるまい。その全員が作業員で、一日でも誰かが何かを怠ければ、たちまちにその機構は破綻する。そしてそんな暮らしに不平を言ったり作業を放棄したりする人間は、とうに淘汰されて生きていられまい。誰が罰するでもなく、この環境に殺される。
――おそらくは、そういう場所だった。
「二年前、彼らはここに飛ばされた」
南部真月、といったか。
例の小型犬の少女は降車を促しながら歩夢に語りかけた。
そのまま、医務室へと井田典子その他を運び、ベッドで寝かせると、鳴が付き添うと言って一端別れた。
そこからはどこへ向かっているのかは知らされず、黙々と廊下を歩かされ続け、階段を時折上がる。
その道中はもはや学び舎としての原型を留めておらず、魔改造されまくってさながら
「『翔夜祭』に招かれた中高等部の在校生、そしてゲストたち。彼らは難を逃れるために北棟へ逃げた。けれども、その上帝剣の影響でその棟自体が変異してまったくの異空間として隔絶されてしまった。以後、彼らはここでの暮らしを強いられている」
「いや、出ればいいじゃん」
「かんたんに出られたら、苦労はしないわ」
貸与された防寒着にもこもこと首を埋めながら問う歩夢を、見た目に反しておそらく上級生であろうこの少女は厳しい眼で睨み返した。
「貴女たちのようにたまに何かの間違いで本校から紛れ込んでしまう人は結構いるわ。けど、この空間から出るのは難しいのよ」
「なんで?」
「脱出用のワープホールを形成するには、三つの条件をクリアする必要があるの。一つは、ストロングホールダー。第二にグレード3以上の『ユニット・キー』。出る人間がこれらを身に着けて磁場を確保する必要がある」
「グレード?」
「それについては後から説明してやるよ」
歩夢のコートから顔を覗かせながら、レンリが言った。
「話の腰を折って悪かったな。続けてくれ」
「……えぇ」
歩夢は少し気にかかることがあった。
レンリに対する真月の反応が、薄過ぎる気がする。いや、見た目に反して常識的な物言いにはだいぶ戸惑ってはいるようだが、その存在自体に驚き、疑問を呈する気配がなかった。
この酷寒で感情が鈍磨しているのか、その程度で心揺るがないほどの肝の太さが養われていたのか。あるいは前例でもあったのか。それとも……
「そして最後に気候条件。もっとも、ここはいつも曇ってるから吹雪の強さとか風の向きとか、まぁそんなところだけど。その三つがそろったところで、ホールが開けられるのはせいぜい数分程度。その間に脱出できるのは十人出られれば良い方。一度閉じてしまえば、また条件が揃うのを待つしかない」
「おい、話半分に聞くなよ」
胸元でレンリにたしなめられて、歩夢は思索を打ち切った。
そして彼は、とんでもないことをいつものように、さらりと言ってのけた。
「つまりは俺らもここから出られないってことなんだから」
一度、外で大きく吹雪いた。
何かが軋む音が校舎内で響き、窓のフレームが揺れてそこから寒波が室内に忍び込む。
内外の要所要所で、どこからどこから電気を引っ張ってきているのか分からない年代物の暖房器具をフル稼働したり、あるいはもっと原始的にドラム缶に薪をくべたりしているが、それでも文明人、まして夏手前から転移させられた人間にとっては、数日でも耐え難い寒さだ。
「…………まじで」
「マジで、よ」
白い息を虚空に吹きかけながら、真月が答えた。
その足が止まった。
「とりあえず、我らがリーダーにそちらの経緯を説明して。本格的な話はそれからね」
屋上を除けばそこが最上階だった。
歩夢たちの手前の一室には『宿直室』という文字が擦り切れた札が出ていた。その上から乱暴に、『管理区長室』とマジックで書かれたガムテープが貼りだされていた。
それを手の甲でノックする。返事はない。それに構うことなく、真月は「失礼します」と一方的に前置きして、扉を開いた。
あまりに簡素なその部屋は、ストーブひとつなかった。生活に最低限必要な家具や医薬品が場末のスーパーマーケットのように誇りをかぶって陳列されているだけだ。
無趣味不毛な部屋という点では言えた義理ではないだろうが、視覚的に寒々しいその光景に、歩夢もレンリも思わず身震いした。
そしてその中央では、自分たちを救った男、白景涼が、ブラックコーヒーの入ったカップを、両手で抱えるようにしてすすっていた。
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(5)
「――成程。そちらの状況は把握した」
歩夢たちは必要最低限、というよりも現状において理解の及ぶ範疇でこの異世界の支配者に説明をした。
白景涼は短く答え、そしてそのまま窓に背を向け、コーヒーを飲み直した。
十秒が経った。
二十秒が経った。
三十秒が経ち、そのまま一分台に突入した。
沈痛な空気のまま、二分を超えた。
「……あの、なんかリアクションないんスか?」
痺れを切らしたレンリが自分から切り出し、
「コミュ力ゼロだよこのオッサン」
と、歩夢が指を向けながら辛辣な追い討ちをかける。
「しっ、失礼なっ!」
ナチュラルに愚弄されても平静寡黙を貫く男に代わりに、真月が怒った。
「判断が難しいから深い思案の必要があるのよ! あと、先輩はまだ十七歳!」
「いや、先月で十八だ」
「食いつくのそこかよ」
傍目から見て収拾がつかなくなりそうな空気を、レンリの空咳が止め、流れを変えた。
「で、『判断が難しい』ってのはやっぱり脱出の条件についてのか」
真月は頷き、涼が答えた。
「気候条件自体はどうとでもなる。風や天候を操るキーなどは複数種類ある。大体の条件が揃った頃合いに微調整をかければ良い」
「前例があるような口ぶりからすれば、設備面でも問題ないってわけか。となれば問題が行き着くのは」
「グレード3の鍵」
レンリと涼の言葉に割って入って、真月が言った。
「なんで。レギオンなんてそこらを駆けずり回ってたでしょ。狩ってくれば良いじゃない」
「簡単に言ってくれるわね」
外の寒波もかくやという敵意を、真月は迂闊に顔を突っ込んできた歩夢に向けた。
「彼らだって元は人間よ。だから元に戻っても彼らがここを出るためにそれらを使わなければいけないわけで、数に余裕なんてあるわけが無い。一旦出た後に返してくれるなら良いけど、元の木阿弥になりたがるヒトなんていない」
「それにレギオンが排出する駒が必ずしもグレード3であるとも限らない。むしろ稀なことだ。だから大概は育成の必要がある」
また、ここで問題として出てくるのがグレードである。
いったいそれが何を意味するのか。まぁなんとなくは歩夢にも分かるが、それは既知の事実として彼らの間で話は進んでいく。
「……むしろ、質どころか量も不足してるぐらいなんだから」
少し愚痴めいた調子で真月は言い、視線を外へと投げかけた。
「来る途中、不思議に思わなかった? どうして二年も隔絶されたこの空間で、燃料や食糧の補給が維持できているのか?」
「そりゃ……こうしてまがりなりにも出入りできる以上、外から運んでいるとか?」
「そう。でもそれは支援物資だけじゃ足りない」
「それだけじゃなく、運び手もな」
レンリが補足したことで、歩夢もその難点に思い至った。
こんな帰れるかどうかも定かでない場所に、ボランティアで行くような人間はいない。ゆえに、現代社会でどれだけモノが有り余っていようとも、それをここまで送り届けることができないと。
「だから運送料も兼ねて『買ってる』のよ。西棟からね」
目をますますもって釣り上げて、まるで視線の先に見えない仇でもいるかのように小型犬は言った。
「それだけじゃない。彼らが生産・保有してるホールダーも、法外な値で売りつけてくる。最初はみんなで持ち合わせていたお金で買ってたけど、それももう尽きた。だから彼らは、今別のものを代価としている。……この銀世界で彼らが欲しがるものは、ひとつしかない」
まさか、と漏らした歩夢が、実情を理解したと認識し、真月は答えをすぐに出した。
「そう、ここで生じる『ユニット・キー』。それを彼らは代金にしてる」
「本末転倒じゃん、それ」
「……分かってるわよ、そんなこと」
ここから脱出するために鍵が必要なのに、それを彼女らは切り売りしているという。歩夢の忌憚のない所感を、真月は苦々しげに白い息を吐き出しながら肯定した。
「それでも補給が絶えれば明日の命さえ危ういの。たとえ公正な取引とは言えないような、一方的な搾取でもね」
大振りな瞳に、歩夢の知らない感情をめいっぱいに乗せて、それを自分たちのリーダーに注ぐ。
だが冬の王は、眠るがごとく瞼を下ろしたままだった。
「そんなわけだから、判断は難しいと言ったの。貴方たちがグレード3以上の駒を持っているなら話は別だけど」
「……こっちには『衛生兵』がある。けど」
「それだけだ」
レンリの話を遮って、部屋に乱入者が現れた。
的場鳴。どうやら旧友の容体が安堵されたようだ。
かすかな、だが典子がレギオンにされてからずっと続いていた彼女の動揺はすっかりとナリをひそめ、確たる意志がその双眸によみがえっていた。
「残念ながらあたしは持ってない。もちろん典子もだ。――不躾を承知で頼む。せめてもう一個、典子に貸してやってくれ」
そう言って、ふだんは飄々とした女が、マジメくさった様子で深々と頭を垂れる。
当惑と苛立ちをもってそれを出迎えた真月は、決して首を振らなかった。
「『ユニット・キー』それ自体が、生命線なのよ。他人に命綱をちぎって渡す迂闊なのがどこにいるっての」
白景涼が薄く目を見開いた。
中のコーヒーが寒気ですっかり冷めてしまったのか。あるいはすでに干してしまったのか。
陶器のカップをデスクに置くと、重みのある音が響いた。
そして無造作に引き出しを抜いて、奥まった空間をまさぐったかと思えばぞんざいに、鳴へと向けて放り投げた。
それは、騎馬像と雪の結晶二つが飾りとして取り付けられた、群青色の鍵だった。
「『コサック』のキーだ。グレード3に相当する。それを使え。ただし少し待て。お前たちのホールダーを寒冷地仕様に改造する必要がある。でなければ、また凍り付くぞ」
――居た。
命綱をちぎって、見ず知らずの他人に貸与する、真月の揶揄したような愚か者が。
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
「あくまで棟の備蓄ではなく自分の私物だ。問題はないだろう」
「大アリですっ! 先輩が保有しているのは戦力なんですよ!? 今後の作戦行動に支障が出ることは明白ですし、ポッと出の有象無象にくれてやるなんて、みんなに不公平感が出るに決まってるじゃないですかっ!」
身内にも、その部外者にも辛口な評価を下しつつ、頭髪を逆立てるようにして真月は諫める。
そこには副官たつ自分に一切諮ることもせず、独断で重要事を決めた涼に対する憤懣がありありとにじみ出ていた。
だが、その『旧北棟』の長が呈したのは、
「真月」
と少女を呼ぶ名と、
「彼女たちは、ただ巻き込まれただけの被害者だ」
という、必要最低限の情報量ではあるのだが、この決定を覆す意志など今後一片たりともないという、意思表示であった。
「……それは、
真月の反論はかぼそく小さく、でありながら恨み言めいていたが、面と向かって非難するほどの力強さは感じられなかった。ほぼ独語に近いものだった。
その後、何度か同じような語調で繰り言を口の中で反復していた彼女ではあったが、それでも歩夢たちを伴って、生活空間の確保やその周囲の人間へのあいさつ回りなど、細かくサポートを続けてくれた。
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(6)
その『鍵』は、それぞれの色、形を持ち、宝石にも似た光沢を放つ。いや、それは注視してみると、宝石にも勝っているとさえ思う。心の奥底を揺さぶられるような妖しさと光は、白い闇の中、枕下に置いても少しも損なわれることがなかった。
もっとも歩夢は宝石自体を、生まれてこのかた見たことがなかったが。
この悪天候では昼夜の境さえも曖昧だが、疲労を重ねた肉体が早急に床に就くべきと歩夢に訴えている。
特別にあてがわれた教室。そこにもぞもぞと薄い毛布の中に身を埋めてはいるが、布団越しに伝わる床の硬さと冷たさが、幾度となく襲ってくる睡魔をよくも悪くも跳ね除けていた。
仕方なく歩夢は、寝物語ついでに聞くことにした。
そも『ユニット・キー』とは、グレードとは何ぞやと。
レンリは歩夢と同衾しながら、それに応じて小声で答えた。
「こいつらが『上帝剣』の放つ因子をストロングホールダーによって結晶化したものってのは、前に話したっけか?」
「うっすらと、ぼんやりと」
「なら結構。で、どうやらあのバカでかい剣は、どうにも進化に必要なものは『闘争』であると学習してるみたいでな。だから、その惑星の分かりやすい力の象徴、つまり武器や軍事力といった要素を接着したその惑星から汲み上げ、それをキーやレギオンの特性に反映させる。よってホールダーは陣形……八陣図の概念を取り入れている。基になっているのが軍事的なシンボルなわけで、エネルギー循環の相性がいいからな」
はぁ、と歩夢は生返事。
いい感じに頭が重たくなってきた。やはり見立て通り、脇道に無駄に逸れる小難しい話は、絶好の睡眠導入剤となっているようだ。
そもそも、どことなく
「――でまぁ、ここからが本題なんだが……この
「はぁ」
寝落ちしかけの歩夢の脳裏に、多脚を生やして虫の如くうごめく鍵の姿があった。
「『ユニット・キー』には『上帝剣』同様にシナプスにも似た回路が内蔵されていてな。環境や経験によってその形状をユーザーの適性に合わせて書き換え、増殖する。その内部構造の緻密さ、頑丈さや能力の優位性でそこからさらに格付けがされる。それがグレードって奴だ」
「じゃあ、昼にこの駒が増えたのって、いわゆるグレードアップ的な?」
「そゆこと。散々走り回って守りに入ってたからな。それが反映されて、お前の『歩兵』は成ったってわけだ……むぎゅ」
得意げにうそぶくレンリの後頭部を、すらりとした素足が踏み込んだ。
他でもなく、隣で横になっていたはずの鳴のものだった。
もっともそれは害意あってのものではなく、ただ進路の先に黒くて丸くて邪魔な物体があったというだけのことだ。
「講釈はけっこうなことだけどな」
だが、会話の内容については多少思うところがあったらしい。ヒーターの手前に干していた靴下を履きなおし、靴を取り出しながら彼女は言った。
「ソレ光らせるのはやめておけ。ここじゃヘタすりゃ他人の命以上に価値のあるものだ」
そう指摘されて、歩夢はみずからの三種のユニットを布団の中にしまいこんだ。
そして部屋を出ていこうとする鳴の背に「どこに行くの?」問いかけた。
「典子のとこ。夜中に目覚めてパニックになったらいろんなとこに迷惑かかっちまうだろ」
正直に心配だと言うか適当にはぐらかせばいいものを、案じる方向に微妙にズラしつつ言うあたり、鳴の性質が良く出ている気がした。
そのまま部屋を出ていく。
だがそれによって冷風が部屋の中に吹き込み、
「さぶっ」
おかげで余計に目が冴えてしまった。
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(7)
皆が寝静まったその夜、一階の元面談室で、白景涼と南部真月は客人を迎え入れていた。
「ずいぶんと待たせてくれるじゃない」
開口一番不平を漏らした彼女は海外ブランドの黒いファーコートに身をくるみ、爪を磨きながら足を組んでいた。まだ女子高生であろうにその様は、まるで『101』に出てくる悪役のようでさえあった。
「珍客があった。その世話に回っていた」
「その客の存在を教えたのが、私」
生徒会副会長、賀来久詠は涼の方を見ないままに言った。
「そのことについては感謝している。井田典子はもう少しで手遅れになるところだった」
「あぁ、別に礼なんて要らないわよ。だってこれ、予定調和だもの。私が、あれらをここへ招いた」
「なんだと?」
平素より温和ならざる涼の目つきが、より一層険しいものになった。
彼女の背後には、その使役する『輸送兵』が甲冑兵の姿で直立している。銀光を放つそれを手の甲で小突きながら、少女は得意げに吹聴した。
「この『輸送兵』は便利よねぇ。たとえ隔絶された空間でも、条件を飛ばして侵入できる。まぁ、設定した
――それでもその『駒』があれば、この場にいるどれほどの人間が救われることか。
涼はそう思い、それを私物化する女を睨んだ。その悪意が、久詠にとっては不審であり、不満であったようだ。だが、睨み返したのは涼ではなく、その脇に控える少女にだった。
「じゃ、本題に入りましょうか。貴方たちには、あのカラスのレギオンを捕らえてもらいたい。ほかの生死は問わないわ」
「断る」
「あのね、もう少し頭使うそぶりぐらい見せてもらいたいのだけれど」
呆れたような顔をことさら強調して見せて、覇王の補佐は続けた。
「あの異様なレギオンの存在を、維ノ里士羽は今まで秘匿していたのよ。危険があるかもしれないにも関わらず。そして彼女がいちはやく『上帝剣』の真相に近づいたのはアレが情報源であることは明らか。これは前対策委員長に許されざる背信行為でしかないじゃない。そんな奴にアレを占有しておくなんて、許されることではないわ」
まず道理でもって押した。
「もしこの要求を呑んでくれるのであれば、『輸送兵』を含めたグレード3以上のキーを委員会の権限にて及ぶ限り譲渡するし、多治比にも便宜を図る」
そして今度は利でもって釣る。なるほど取引においては常套にして順当の流れではある。
筋も通っている。
「どう? ちゃんと話を聞けば、こんなおいしい話は」
「断る」
「ないと、思うのだけれど」
だがそれでも、白景涼は断固とした態度をもって拒絶する。ふたりの少女の頬が、緊張で引きつる。
「用は済んだか? ならば帰れ。この地は一刻一秒とて惜しまねばならないのでな」
『旧北棟』の長は、この間に着座さえしなかった。
来た態度のままに踵を返し、ドアノブに手をかけた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 副委員長も!」
一秒後には仲たがいのまま別れそうな両者を、懸命な表情で真月は押しとどめた。
だが説得を受け付けない、氷の態度をもって涼は言をもって遮った。
「士羽には借りがある。この設備や技術のほとんどは、奴の提供したものだ。そもそも、この場所はお前にとって都合のよい密談や暗殺の場ではないし、我々は生存者であって汚れ仕事の専門家ではない」
「……そう、じゃあ全員凍死するまでせいぜいマインクラフトごっこにでもいそしんでなさいな」
酷薄に言い放った久詠は、座っていたソファを足の裏で蹴りつけるように立ち上がった。
その強硬な態度は恫喝の意味合いも含んでいたのだろう。まだ、その汚れ役を押し付けようというのを、まだ完全に諦めきれていない様子だった。
そんな彼女に憚ることなく、取り乱した様子で真月は涼を引き留めた。
「ちょっと、何考えてるんですか!? 『委員会』に反抗するなんてっ、ヘタをしたら駒がもらえないどころじゃない……支援さえ打ち切られる可能性だってあるんですよ」
涼は「真月」と、よくこの校舎のために尽くしてくれる少女の名を丁寧に呼んだ。
そのうえで、自分なりの誠意を込めて、言った。
「すまない」
と、詫びの一言を。
理非曲折あろうと従うことが誰にとっても安泰な選択であろうとは思う。真月が、自分たちを想って忠告してくれているということも、重々承知していた。
だがそれでも、その傲慢な態度に、道理から外れた命令に、そしてこの地で必死に生きる者たちを玩弄するがごとき言動に、へつらうように肯ずることなど出来ようはずがなかった。
「頑固者……!」
部屋を出る間際、睨み上げて恨み言をぶつけてくる真月に、涼はもう一度心の中で詫びた。
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(8)
白景涼が退出した。後に取り残されたのは、女子ふたりと、意思を持たない異形の怪人のみである。
「……ちょっとォ?」
テーブルに踵を投げ出しながら、久詠は恨めしげな声をあげる。
「全然ハナシが通ってないみたいなんですけど?」
「……ごめんなさい」
「まぁ言ってもあの調子だときき聞き入れないわよね。いくら貴女の頼みでも」
でも、と久詠は立ち上がった。
そして真月の手を取り、自分の代わりにソファへと座らせながら、首の後ろの背もたれに指を這わせる。
「貴女、事前に内諾したでしょう? 『もし人語を喋るレギオンが現れた場合、「ユニット・キー」と当分の物資や燃料を見返りに捕縛する』って」
「……追い込み役まであなただとは、聞いてませんでしたけど」
「それでも白景涼を引っ張り出してくることも買って出た。だったら、その埋め合わせぐらいはしてもらわないと困るんだけどねぇ」
「……あなたが、あんた達が……!」
一瞬の沈黙の後、真月は震える声を絞り上げて、『委員会』のサブリーダーを睨み据えた。
「そもそもあんた達が、支援を盾にしなければ、こんな不当な扱いが許されるはずが」
「当然じゃない」
真月の鎖骨のあたりに、久詠の指が這う。頭の横にぴたりと彼女の顔が張り付く。
「人材においてはこの二年間を耐え抜いた心身ともに強兵ぞろい。排出される駒は、この環境ゆえに特異性の強い希少種ばかり。けど
少女の薄い肩肉に、痕がつくほどに指が食い込む。反して、耳元を囁きは低く重く、そして甘い。
「だったら、当然搾取するに決まってる。搾取されるに決まってる」
真月は生理的嫌悪から全力で久詠を振り払った。
だが、勢い余ってソファに手をつき、コートは肌蹴る。まるで暴君に押し倒された侍女のようだ。
そんな奇妙な羞恥とをもに、真月は居住まいをただして、強張り揺れる声で問う。
「あんた、ほんとうに学生?」
久詠は撫子然とした、美しい微笑とともに両腕を広げた。
「貴女とおなじ
それからゆったりと襟元をただし、転がすような音調をもって改めて命じる。
「始末の時期は貴女に任せるけど、奴らが里帰りする直前がベストタイミングでしょうね。それまで私は雪見とかして時間を潰しておくから、せいぜい気張りなさいな、『室外犬』さん?」
室外犬、という言葉に二重にかけられた揶揄は、真月を
だが食って掛かる前に高笑いとともに久詠は部屋を出、感情も腕も空振りに終わる。
空間が生まれた。時間が生じた。
それらを少女は、気持ちと思考を整理するために用いた。
だが、それは空費に終わる。
もとより南部真月の中では、選択の余地のない苦悩であった。
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(9)
的場鳴が一階にある医務室まで降りると、すでに消灯時間であって暗闇が広がっていた。
花見大悟の管理する保健室と同様、薬品や消毒液の臭いが闇の中で色濃く浮かび出ていた。
その中で鳴は、光るふたつの宝石めいたものを視た。
それは、ベッドに横たわる患者、井田典子の双眸。覚醒している彼女は、旧友の到来を待っていたかのように、あるいはただ虚空に挑むように生気と正気を保って鳴が開けた戸口の方を見つめていた。
鳴は反射的に、スライド式扉の横のスイッチに手をかけた。
電灯をつけてから、他の傷病者の睡眠を妨げてしまうのではと案じたが、幸いなことに、あるいは不運なことに、ここには鳴と典子、因縁のコンビだけしかいなかった。
「思ってたより、ちゃんとしてそうだな」
少しバツが悪そうに、鳴は彼女の視線から目をそむけて笑った。
「一度起きた時は、パニックだったわよ。鎮静剤? みたいなの打たれてそのまま眠ってたけど」
それは不法な医療行為にあたるのでは、という疑念が鳴の脳裏をかすめたが、その是非を問う無意味さをすぐに悟る。あの巨剣周りの事象も空間もすべて、この法治国家の内に在りながら法外のものだ。
常に稼働させていないといけないヒーターが、空気を沸かす音が聞こえていた。
「あんたの時も、こうだったの?」
その中で、彼女は張り詰めた声で訊いた。
「いつも、こんなことをしてたの?」
「んなわけあるか。今回はとりわけ異常なケースだ」
少しニュアンスを変えて続けて典子は問う。それについては、鳴は正直に答えた。
重く、苦しい嘆息があった。深海でシュノーケリングでもしているかのようなで息遣い、白い息が地へと吐きかけられた。
「まぁアレだ。今回のことは犬にでも噛まれたと思って、まぁ明日明後日あたりには帰れるだろうし」
「鳴はいつだってそう」
話題を強引に変えようとした鳴に先手を打つかたちで、典子は言った。
「なんの話だよ」
「覚えてる? 部活の帰り道、みんなが買い食いしようって時、あんたは「禁止だろ」って笑いながらも賛同した。けど、あんた自身はコンビニでパン一個買わなかった。誰かがかったるいからサボっちゃおって言った時も、鳴は反対しなかった。でも、自分だけはちゃんと部活に出てた」
「……」
「あんたは、他人の失敗や邪道には寛容なくせして、自分には、自分だけは厳しくて正しい道を行く。それが周りには、かえって息苦しいってのに」
毛布に埋めた両脚を畳みながら、ちゃんと聞こえるよう、明瞭な発音のもとに旧友は続けた。
「そんなあんたのことが、嫌いだった」
そうか、と乾いた声で返す。
これで誤解が解けると思った。もしかしたらこれを機に、昔みたいにやり直せるのではないかと淡い期待を抱いていた。
しかしもう自分には何もしてやれることはない。
語れる何かもないほどに、道はとうの昔に外れてしまっていた。
それを再認識しただけの、夜這いだった。
部屋を出ると、白景涼が扉の脇に侍っていた。
長い手足を組んで壁にもたれかかる様は、外部のモデルもかくやという堂の入りっぷりだった。
「なんすか、盗み聞きっすか」
若干機嫌が悪い鳴はつい絡むような言い方をしてしまう。だが自他の言動を別段意識した様子もなく、
「明かりがついていたから寄っただけだ」
と短く答えてコートをはためかせて帰っていく。
その姿にかえって鳴の方が申し訳なく思いながら、自分も帰ることにした。
〜〜〜
部屋に戻ると、ほの暗い中、ぼんやりと鬼火のごとく一点が発光していた。
それは、足利歩夢がスマートフォンをいじってることによるものだった。そのつまらなさげな顔が、うすぼんやりと照らされていた。
「何やってんだ、お前」
「いや、電波がどうにかして届かないかなと。暇だからなんかアプリ入れたい」
「入るわけねぇだろうが」
呆れながらその前を横切ろうとする鳴に、「どうだった?」と歩夢はなんとなしに尋ねた。
「あぁ、見事にフラれたよ。はっきり言われた。『あんたのことが、嫌いだった』ってな」
感傷を冗談めいた口調と肩をすくめるジェスチャーで紛らし、鳴は乱れたままの自分のシーツに向かう。
すると歩夢は、画面を傾けながら、鳴を一顧だにせず問い重ねた。
「今は?」
は、と詰まった呼気がおのれの喉奥から吐き出された。
「いや、『嫌い
一歩、二歩、三歩。
歩夢の質問の意味を咀嚼せず、漫然と身を進ませていた鳴だったが、ふとその意味を悟った。
井田典子の言葉の荊の向こう側に隠されていた意図、その花の所在を今更ながらに知った。
「あー」
自分の鈍感さに、心底呆れかえって嫌悪する声音を漏らす。
おそらくはあの一言が、場面が最後の分水嶺だった。自分たちが絆を結び直せるかどうかの。
だがその分岐はすでに流れた。典子は右に、鳴は左へ。
――いや、それにその時点で気づけないような人間だからこそ、的場鳴という自分本位の人間は、今しかるべき罰を受けたのだ。
さらに深くえぐられる傷に耐えながらも鳴は、同時にそれに気づかせてくれた歩夢を認め、胸中でそれとなく感謝した。
それを素直に伝えることは口幅ったいが、そこで黙したままでは典子の時と変わらない。
代わりに、手を伸ばしてぐしゃぐしゃと、少女の黒髪をまぜっかえす。
べしん、と。
さながら猫のように、歩夢はその手を無表情で強く振り払った。
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(10)
『旧北棟』、二階、映像室。
本来は棟外の監視を主目的とするその暗室では、大型モニターに白衣の女が映し出されていた。
いかにもつまらなさげにそっぽを向き、指は苛立たしげにテーブルの表面を打って鳴らす。
「……経緯としては以上だ。むろんこちら側からの設備で彼女たちを送り返すことができるが、安全性の確保のため、外側からも座標を固定してもらいたい」
白景涼は歩夢ら『遭難者』を伴って、彼女……維ノ里士羽にそう切り出した。
電波、なのかどうかは知らないが、映像が一瞬乱れる。ノイズが奔る。
現世とこの『黒き園』内部をつなぐ通信端末として、歩夢たちにも『通信兵』の駒鍵が貸与されている。だが、この『旧北棟』においてはその波長さえも断たれる。こうして確たる設備でその機能を最大限で出力したとしても、こうして危うさを見せている。
もっとも、その乱調はまるで彼女の、今の機嫌を表しているかのようでもあったが。
〈――私が、やるとでも?〉
この酷寒の地にも負けず劣らず、冷ややかに士羽は言い放った。いっそこいつがここに送られれば良かったのに、と歩夢は思った。
〈自業自得ですよ、それらの苦境は。命令に背いて大局を見誤るような連中は、もはや私の部下でもなんでもない。そちらの部下にするのでも雪原に放置するでも処遇はお任せしますよ〉
「悪かったって、機嫌直せよ」
鳴がそう嗜めたが、雪女は横を向いたまま無視を決め込んでいる。
「無駄だ。こういう女なんだ、こいつは」
レンリが前に進み出て冷たく言い放った。
角度的に互いの顔が見えるかどうかは微妙な塩梅だったが、側からみればちゃんと睨み合っているように見える。
「……が、取引には応じるぐらいの理性はあるだろ?」
通信のスイッチに指をかけた士羽を、続けたその問いが止める。
〈取引?〉
「そう、お前が知らない情報を、俺は知ってる」
〈別に下手に出てまで貴方からそれを知ろうとも思いませんよ〉
「あぁ、俺が元々知ってる情報なら、遠からずお前は真実に行き着くだろうさ。だが、鳴もな、引きずり込まれる前に誰かを見たらしいんだが……な?」
レンリは鳴に目配せする。唐突に話を振られた少女は、
「……まぁな」
などと、憮然かつ漠然と同意する。
歩夢は知らない話だった。真偽も定かではないし、十中八九はハッタリだろう。
だがそれがまさかの奏功。士羽の指はスイッチから退き、音色を操るピアニストのようなリズムで、テーブルを連打する。
「どうせお前にとっちゃ大した作業じゃないんだろう? だったら安いもんじゃないか」
〈……〉
指が丸まり、拳を作る。それでまた机上を打ち鳴らしていたが、最後に一度、大きく強くそれを振り下ろした。
〈……白景〉
「分かった。細かい調整はメッセージで送ってくれ。条件を伝えてくれればこちらで合わせる」
その女のあまりに言葉足らずな態度だったが、同様にコミュニケーションに問題のある男は聡く、その意を汲んでいた。
そして現世との通信は断たれた。
「……そりゃまぁ見るには見たけどな」
鳴は呆れたように、ブラックアウトしたモニターを見つめた。
「たぶんあいつも監視カメラでその男を見てたぜ。良いのかよ」
「良いんだよ」
懸念を示す鳴にレンリはそっけなく言い返した。
「この場合、あいつにとっては情報の中身なんかどうでも良いのさ」
「は?」
「重要なのは情報じゃなくて、許す口実。本当はそれほど怒っちゃいないが、自分が悪くないことに折れることができないから引っ込みがつかなくなってただけだよ。まったく、利口ぶった引きこもりはその実、同じ間違いを繰り返して何の成長も進歩もないからやだね」
カラスは、そう言って小さく嗤った。
距離感を間違えて色々と失礼なことを言うレンリだったが、なぜか士羽に対してだけは、意識的に風当たりが強かった。にも関わらず、彼女をよく知っているようにも思えた。
「はぁ、なるほどねぇ」
相槌を打った鳴は、どことなく物憂げだった。
「ん、どした?」
問い返すレンリに、ため息混じりに上級生は答える。
「いやなに、こうなっちまう前はあたしもそれなりにコミュ力で人望があったんだけど、まさか察しの良さで隠キャ鳥公に負ける日が来るなんて、と思ったんだよ」
「あんたはそのデカイ態度と胸なんとかしなさいよ」
容赦なく罵声を浴びせ歩夢と鳴が睨み合い、涼がそれを傍観する中、レンリは言った。
「歩夢はともかく、俺は察しのいい方じゃないよ」
短い後肢をペタペタと前後させ、出口へと一足先に向かっていく。
「むしろ逆だ。俺はあいつと同じだ。他人の気持ちを察するのが苦手で、そのせいで全部取りこぼして……」
その撫で肩は、いつもより少し落ちているように見えた。
「……怖いんだよ、そうやって自分の殻に閉じこもって、大事なことを見逃しているのが。それが俺が神経質に他人のことを優先させようと努力する理由だ」
その黒くて丸い、刺々しさなど皆無な体躯にそれ以上有無を言わせず、立ち入らせない雰囲気を滲ませて、カラスはその場を退出した。
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(11)
通気性の問題上、最上階に設けられた施設には、退廃的な全体の様相とはかけ離れて厳重な管理者権限が取り付けられている。
生体パルス、虹彩による簡易的な認証。そしてそれらをパスすると、一転してアナログとなって、手打ち式のパスワード入力画面が待っている。
(えーと、なんだったか……あぁ、そうか)
さすがに忘れかけていたから、過去の自分の思考パターンを分析し再現し、二度のミスの後、自動ロックと警備システムが作動する直前に答えに行き着く。
外付けされたキーボートにインド語訳したある怪獣の名前を打ち込むと、扉がスライドして
〈お帰りなさい〉
という一般家庭の自動ロックシステムの音声データの流用が響く。
中に入ると、そこはラボというよりも自動車工場のようだった。
いわゆる機械臭が漂う。使用していない時も定期的に換気はしているようだが、それでも修理加工、分解や解析などの工程をすべてこの場所でしているのだから、染みついてしまう。
奥の台で稼働されている暖房設備の前で、歩夢たちのホールダーが解凍されていた。
もちろん仕様外かつ迂遠な方法ではあるが、ろくに設備のないこの場所では多少の乱暴には目をつぶるべきだろう。
朝になったら防氷用に調整する予定だったのだろうが、それでは遅すぎる。どうにも策謀めいたものが白景涼の意識の外で蠢動しているような予感がある。歩夢たちに早めにこの異界から立ち去らせるか、そうでなくとも自衛の手段は復活させておかなくてはならない。
立てかけられた白衣を肩に打ちかけると、気分が引き締まる。右の五指を鳴らし、左の手首をもみほぐし、コンディションを整えると、彼女たちのホールダーを作業台へと移した。
〜〜〜
ここでは、夜冷たいベッドに入るということは、睡眠というよりも、消耗し切った末の失神と呼んだ方が正しい気がする。そして目覚めはまるで分銅を前頭葉に取り付けられたかのようだ。
その上今日は叩き起こされたときた。
躾けられていないポメラニアンのごとく声をあげる南部真月に引き立てられてきたのは、作業場と称された最上階の部屋。厳重らしいロックは解除されて、開放された部屋の中には、白景涼が立っていた。
「今朝未明に、ここに何者かが侵入したの」
率直に異常を伝える真月に、鳴が眉をひそめた。
「そりゃ、あたしらのホールダーが盗まれたってことか?」
ともすれば自分たちの帰還の手段を失うわけで、その問いは剣呑な響きを帯びている。
だがそうであるなら真月はその直接的な性格上もっと申し訳なさそうな顔をするだろう。
しかしその表情は弱ってはいるものの、こちらに対する配慮は感じさせなかった。
「むしろ、その逆よ」
「逆?」
歩夢が問いを継ぐ。
彼女の足が部屋に至るなり、その頭上を、鉄の鳥がかすめた。
歩夢のホールダーだった。持ち主に害を加えないようプログラムされているにしても、かなり大きな影なのですぐ目の前まで接近されれば軽く驚く。
だがその塗装は色鮮やかになって、元々あったもの、今までの戦闘で負った細かい傷や破損なども補修されていた。
飛び回る動きもどことなく機敏だ。
「誰かがロックを解除した形跡はあった。カメラはその間の記録が飛んでいた。でもホールダーやキーを盗まれてはいなかったし、修理に回そうとしていた貴方たちのデバイスがこの通り見事に仕上がっていた」
「ハードだけではないな」
鳴の装備とPC機器類が、太いケーブルで繋がれていた。
その内のモニターには、一読するだけで気を遠くへ遣りそうな演算式が羅列され、それを見通してから涼は言った。
「プログラムも相当に手が加えられて処理能力が段違いだ。そしてここまで無駄のないコードを構成できる人間は、ここに違反もなく入れる数少ない者たちの中でただ一人しかいない」
立場上なのか、ソフト面にも精通しているらしい彼は、断言に近い調子で答えた。
ファイバーの縛から解放された牛のホールダーは、そのまま鳴の胸元に飛び上がって落ちた。なるほど動きが少なくとも、デパートの屋上遊園地の錆び付いたマシンよりかは俊敏となっている。
「士羽だ。維ノ里士羽が、ここに来て彼らを直した」
まぁ座敷童か屋敷妖精の類でも飼ってない限りそうなのだろう。歩夢も鳴も、その考えに異論はなかった。
「あの根性曲がりめ」
「どうせなら連れて帰ってくれればそれで済むのに」
などとそれぞれに悪態や不平を漏らし
「だな」
とその間でレンリが短い相槌を打った。
「ともあれ、これで手間が省けた。真月、
先輩、と切羽詰まったように真月が呼ぶ。だが常のように、彼女の言外からの訴えは涼の愚直さ、鈍感さには届かない。
『旧北棟』の守護王は、淡々と、だが剽悍な眼差しでもってその場にいるスタッフに命を下した。
「決行は明日に早める。急なことかと思うが、それまで各自準備を頼む」
歯痒げに真月は唇を噛み締める。
この低身長の上級生が、歩夢たちを解放することに懐疑的であることは周知の事実だ。
それでも、その必死さの程度が、歩夢が違和感を覚えるラインを超えているような気がした。
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(12)
かくして、決行の日となった。
当日の朝にさえも、ここでの日課となっていた生活用水の確保も兼ねた雪かきに従事させられ、生き残るための座学を実践とともに強いられた。
(おかげで次回の小テストはおそらく全滅だろうけど、仮に南極で遭難しても生き残れそうな自信と忍耐はついた気がする)
立ち会うのはごく限られた人数だ。それが慣例となっているらしい。
理由は、さすがに判る。少なくとも、この一手の誤りや妥協が明日の死に直結するこの世界で数日間を過ごせば、誰であろうと。
この二年間、地獄のような暮らしを強いられてきた多くの人間にとって、現世への出入り口はどれほど蠱惑的に輝いて見えることだろう。
たとえ今まで共に生き抜いてきた同胞を殺すことになったとしても、と精神的に追い込まれることは目に見えている。
いわばその誘惑に打ち克つだけの精神的骨格を持つ者だけが、この作業に従事できるのだろう。
出渕胡市なる生徒がエネルギー供給を担当し、校舎内で白景涼および側近の数人がタイムキーパー兼総指揮を司り、南部真月がホールの固定ポイントまで案内する。
今回用意された場所は……というか周囲と代わり映えのしない、本部から一キロメートル近く外れた雪原のど真ん中なのだが、事前に機材がセッティングされており、マンホールのような基盤に向けて施設から照射されるエネルギーによってワームホールを作り上げる……細かい理屈は専門知識のない歩夢には理解しきれないことだが……傍から見て得た資格情報からすれば、まるでバットマンに出てくる月夜のシグナルにも似ている。
それが固定され、確立され、輪を形成させる。
その先にはおぼろげながらも、見たことのあるような、保健室があり、その窓からは初夏の緑が差し込んでいた。
「座標の固着化完了……あちら側からのパスも承認……まずはお二人からどうぞ」
呪文のように唱えてから、鳴と典子に促す。
涼より譲り受けた『コサック』の鍵を自身のデバイスに装填すると、薄くモヤのかかったようだった現世への口がよりクリアとなり、その輪郭は確たる実体を持つにいたる。
「鳴……あの、私っ」
その口をくぐる間際、おもむろに典子が鳴へと口を開き、二人は見つめ合った。
だが会話の内容は最後まで拾うことができず、あふれる光の奥底へと彼女たちは消えた。歩夢が見られたのはそこまでだった。
その直後に、アクシデントが生じたからだった。
ゲートが途切れた。自分たちの世界へと帰途が断たれた。
〈どうした?〉
通信機越しに涼が尋ねる。唖然と、あるいは憮然とする歩夢とレンリの前で、インカムに真月が答えた。
「すみません。吹雪の影響か機材が不調みたいです」
口早にそういうと、とうとうその連絡も絶えた。
後に残ったのは少女と、役目を喪った機械類と、鳥と、そして極限の見えない雪景色だった。
「なんのマネ?」
歩夢がつっけんどんに問う。
少なくとも、強く糾弾するだけの刺客が、彼女にはあった。
――何しろ、通信障害もマシントラブルも起こっていない。彼女が、真月が一方的に機会を停止させ、通信を絶やしたのだから。
「……言い訳は、しないわ」
その物言い自体がひどく言い訳めいていて、歩夢の冷笑を誘った。
「ただ、事情があってね。そこのレギオンは渡してもらう」
「やだね」
歩夢は即断即決で返答した。
「こいつには、居てもらわなきゃ困るのよ」
「わたしにはね、世界で有名なネズ公の大演奏会の映画の、あの突然割り込んで横笛吹き鳴らす例のアヒルぐらいに必要なの」
「え? 俺あの絶妙に鬱陶しいヤツと同レベルなの?」
自身が鬱陶しいという自覚はこのカラスにはなかったのか。そう呆れつつ、歩夢は続ける。
「こっちにも事情と経緯があって、こいつにはわたしの側に居てもらう義務と責任ってのがあるってわけよ。嵐の中で一緒に不協和音を奏でてもらうし、それこそこの氷雪地獄の中でもね」
真月の表情が時間とともに、歩夢が語るごとに険しいものに推移していく。
「そもそも、わたしには向こう待ってる人間なんていないし、ここで一生を過ごしてもまぁなんとかなるんじゃない?」
そう、とマルチーズは短く答えたきりだった。
だがその小さな背丈から、周囲が歪んで見えるほどに黒い感情が迸っていた。
おそらくは彼女を人間を害しようとするまで追い込んだこの状況に対するものも相乗した、嫌悪や怒り。
「正直気乗りはしなかった。けど、今の発言を聞いて気が変わったわ」
真月が右腕をかざすと、その先の雪中で、何かが蠢くのが感じ取れた。
顔を、いや、牙のついた頭部を覗かせたそれは、その長細い全身を冷風の中にさらけ出す。
彼女のストロングホールダーなのだろう。かつて襲ってきた桂騎と同じタイプの、寒冷地仕様といったところか。その塗装は判別がつきやすいように真紅に。雪に沈まぬように無限軌道の脚部と、スキーのストックのような多足を持っている。
そして蛇行する姿も相まって、それはムカデのようにも見えた。
それが真月の脚を這い、コートの下をくぐって細腕に巻き取られ、手甲の先に牙を伸ばす。
〈
それとは逆の左手に握りしめた鍵を、ハスキー犬二頭分の横顔を形成する結晶体をムカデの鎌首へと挿し込むと、バリトンチックなネイティブ発音が鳴る。
そして真月は、手甲の牙をもって虚空を切り裂いた。
空間に断裂が入り、そこから漏れだす、粉雪のような粒子が少女の矮躯を包む。
「ここで一生を過ごしても? なんとかなる? ……じゃあ望み通りにしてやるわよっ」
甲高い咆哮とともに、真月の姿が変わる。
人とも獣ともつかない姿。外皮とも装束ともつかない茶褐色のフード。その下に、外殻とも装甲ともつかない硬質の保護。触れるものすべてを雪のように脆く切り裂くであろう、真紅のムカデの爪牙。
「そんなふざけたことを言うようなヤツが……本当に苦しんでる彼らを、心の底から出たがってる人々を差し置いて未練もないという世界へ出て行く。赦せるわけがないでしょう、そんなことッ」
再度の咆哮が、歩夢たちの肌を震わせる。
そして自身の言動の是非や戦う意義を顧みる暇もなく、歩夢は自身の駒を起動させざるを得なかった。
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(13)
湾曲して伸びる獣の爪を、雪原を転がって避けた時、曇天の下を歩夢のデバイスが飛翔した。
寒冷地用に改良されたそれは、機敏な動作で女ワードッグの攻勢を体当たりで防ぎ、旋回し、分離し、主の細い腰に巻き付いた。
〈騎兵〉
〈重装歩兵〉
二つの鍵を両側の溝へと挿し込む。
「二本同時!?」
鍵の口が二孔あったがゆえになんとなしに行った動作であったが、どうやら他のデバイスがそうではないと初めて知った。
だが、戦士としての経験値の差は、もちろんのことながら数と時間をこなしているだろう南部真月に軍配が挙がる。
驚愕しつつ動揺しつつ、その身に刻まれた動作には淀みがない。
蹴り技を主体とする速攻でもって歩夢を攪乱する。西方から攻め来ると取れば東方より。北から急襲を仕掛けるかと思えばいつの間にかその身は南方へと移っている。
その疾さを可能としているのは、異様な足の運動能力だろう。
雪にその身が沈むより早く肉体を推移させ、平地と変わらない速度を維持している。
一方の歩夢はブーツが自重で沈む。それは歩こうと立とうと変わりがない。機動性で真月に後れをとることには。
速度を上げるには、『重装歩兵』がエネルギーのリソースを食いすぎる。『軽歩兵』にするのが常套かつ万難を排した戦法ではあるのだが、
「徒競走じゃないんだ。速さで競っても意味はない。元々地の利はあちらにある。……お前のチョイスは、間違ってない」
カラスが自身の思惑を代弁する。
「だからここはどおおあああ!?」
なので、その賛同に甘えることにする。
ためらいなく獣へ向けてレンリを投げつける。真月はその変容した蟲の牙にて掴まんとする。両腕が持ち上がり、視線が上へと向かい、そして足は止まる。
角ばった盾を平らかに置くと、歩夢はそれを蹴って雪原をスライドさせた。
それにおろそかになっていた真月の足下はたやすく掬われ、飛び上がって突き出された追い討ちの飛び蹴りの直撃を食らって真月は地を転がる。
「こ、の……ッ」
だが獣人の体勢は即座に立て直された。
退きは、しない。
歩夢はレンリを抱え込むと、爪を突き出す彼女の、その足下に据え置かれたままの盾の上へ飛び込む。
歩夢の意思が、盾と地面との角度をにわかに広角化させた。
バネのように跳ね上がった盾は上に乗る少女の肉体を射出する。歩夢の頭突きが、見事に真月の下顎へとクリーンヒットした。
そのまま、宙へと浮かび上がる。ひらりと身を上下に翻す。その足下へ、盾が追いつき移動する。
雪原に身が沈む前に歩夢はそれを足がかりとし、あらぬ方向へと必死の反撃をする怪人に飛び蹴りをかます。
蹄鉄にも似た半月状に展開したエネルギーが、その靴底より発生し、真月を再び彼方へ追いやる。
そして盾を足場とし、当座の地の利を確保。
そこに至ると真月もただ力と速さで圧せる相手ではないと判断。距離を取り、息を整え隙を窺う。
「……最新の
歩夢は反論しなかった。
装備も戦闘技術も、士羽から施された覚えはないのだが、それ以外の面でサポートを受けているのは確かだ。
「でもこの世界にいる人間はそうじゃない……! 生きる為に雑品廃物を持ち寄り、かき集めて自分たちの命綱さえ他人に譲り渡してようやく生活が維持できる……生きる知恵なんて誰も教えてくれない! 誰だって他人に教える余裕はない! 誰かのやることを模倣して、自分から試行錯誤で学んでいくしかない……っ」
マスクの奥の激情が、細かな振動となって総身に顕れる。
「どうしてよ……どうしてあの人達があんな生活を強いられて、あんたや西棟や『委員会』の奴らが安穏と胡座をかいて搾取してるって言うのよ……! こんなの、理不尽でしょう!?」
声を振り絞っての主張。まったくもって正論だった。自己評価も低く、士羽をはじめとする他人に敬意を持たない歩夢にとっては少なくとも、獣と化した少女の憤懣はそう聞こえる。
ただし、と歩夢は内心で付け加える。
ため息を一つこぼす。
少し乱れた前髪が気になって、手袋越しに、指を摘む。
「でも
歩夢がぞんざいに投げ放った一言が、彼女の身体がびくりと大きく震えさせた。おそらくは懸命の秘していた事実。そうでなくとも強い負い目となって言うのをためらっていた己の素性。
氷柱で壁に縫い付けられたかのごとく、凍りついて固まる真月に、歩夢は畳みかけるように言った。
「あんた、『
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(14)
「違うって、まさかコイツ……」
「なんか、違和感あったんだよ。ココのことを結構喋るわりに、自分をそこには含めない。だからピンときてハッタリかましたら、まぁものの見事にドンピシャだったわけね」
レンリの向けた眼差しは、ただ純粋に当惑を示していたものだった。歩夢のそれは、ただの見解に披露でしかなかった。
だが真月はそうは受け取らなかったようで、被害妄想に苛まれ、耐えきれなかったかのごとく、自身の鎖飾りの奥底に隠していた鍵を引き抜いて虚空に持ち上げた。
「『輸送兵』の駒……お前、自由に出入りできたのか」
「そうよっ!」
あえて問われたことで、真月の感情が爆ぜた。堰を切って自分語りを始めた。
「あたしがここに迷い込んだのは一年前! 嘘かほんとかもわからない、『旧北棟』のネタを探っててあの旧校舎に行き着いたっ! そしてあんた達と同じようにこの雪の中に入って『レギオン』化したところを、あの人たちに助けられた……そして、ガゼとかフィクションなんかじゃない、過酷な現実の中で彼らは生きていた……それなのに、貴重な『輸送兵』の鍵をあたしにくれて、帰してくれた……あんた達みたいにね」
怒りを歩夢へ、自分へ、四方八方へと発する。震えながらうつむく。
獣の面の奥底から轟くその声が、涙で濡れていた。
「こんな
「要するに、居心地悪いんでしょ」
歩夢の短い言葉が、ふたたびその場を冷気で支配する。
真月の自分の真情の綴りと、まったく文脈がつながらない。だがそれは、一段飛ばしで核心を突いたがゆえだろう。
事実、歩夢と対する獣の少女は、露骨に狼狽していた。
「自分だけがこの世界から自由に出入りできる。だから、申し訳なさでいっぱいで押しつぶされそうだから何かしないと落ち着かない。そんなとこでしょ?」
「歩夢っ!?」
レンリが制止の声をかける。だが一度切り出したものを引っ込めては、互いに後味の悪さが残るだけだし、そこでためらうような厚情をこの女から受けた覚えはない。
なので、やる。言う。
何しろこれは、一連のこの流れは、正常な判断能力を奪うための露骨な挑発だ。
「その行い自体は否定しないけど、結局は自己陶酔と自己満足じゃんか。それを、白景のおっさんの頑固さにあんたは甘えて、押し付けて、悲劇のヒロインぶって恩を着せようとしてる」
無言。だが明確に呼吸は荒くなっている。彼女とて、それが見え透いた誘いであることは理解しているのだろう。彼女の精神の及ぶ限りの忍耐力で、歩夢の罵詈雑言に耐えていた。
「……あんたが始めた戦いでしょ。あの人らみたく、やるなら自分自身の責任と力でやりな」
「――それをお前が言うなぁッッ!」
が、その制動を打ち崩したのは露悪的な表現ではなく、歩夢としての率直な感想を告げた時だった。
その時にふしぎと頭に思い浮かんだのは、南部真月でも白景涼でもなかった。白衣を翻す、鉄面皮の女、そして両親だった。
女猟犬が雪を足裏でつかんで駆ける。
歩夢は足場の大盾を雪上に滑らせた。
そしてレンリは、彼女らの届かぬ高みへと再び放り投げられた。
高速で互いに肉薄する彼女らは、一瞬の金属音を鳴らしたあと、互いの位置関係を総入れ替えして落下した。
〈ハウンド・ハンティングチャージ!〉
〈ヘビーインファントリー・ファランクスチャージ!〉
互いの背越しに歩夢は腰の翼の、真月は腕の虫の首に差し込まれた鍵を回す。
雪中より、光り輝く白銀の鎖が三条伸びて、歩夢をを絡め取らんと迫る。
歩夢の大盾は、それらすべてを弾き返すような傾斜をつけて展開され、その隙間より槍衾が飛び出す。
雪原を自在に動き回る獣は、その反撃をことごとくかわした。
そして、その拙攻を嘲笑うかのごとくその槍を叩きのめして空中に飛散させた。
だが、
(ぜったいに、食いつくと思った)
それは案のうちだ。負けん気の強い真月のことゆえ、無用の弾き飛ばしをすると思った。
避けられるのであれば、避けるべきだった。敵の立場を想像し、彼女は苦々しく思うとともにその悪手に感謝する。
歩夢は盾の山を駆けあがって、空中へと伸びあがった。合わせて真月も飛んだ。
逃げ場はない。方向転換のすべはない――獲った。落下してくるレンリもろともに。
そう考えただろうが、すでに歩夢の狙いの内だ。
歩夢は飛び散った槍たち。その柄を自身の意思で固定し、手すりとして掴む。
最適化された肉体を、棒競技に挑む体操選手のごとく、あるいは熟練のサーカス団員のごとく、上下前後に回転させ、その勢いを駆って頭部を蹴り上げる。
獣は地に伏した。
それとは対照的に最速、最高度にまで達した時、歩夢は『重歩兵』の鍵を引き抜いた。
大半のリソースを食っていたデバイスが除かれたことで、処理能力がグンと跳ね上がる。むろん、物理的にも。
と同時に、『騎兵』の駒にも変異が起こる。
この寒風の中で馴らされたがゆえか。あるいは歩夢の『確実に仕留めたい』という意志に感応してのものか。
先に『重歩兵』を生み出したのと同様。駒から発せられた光の流れが腰の装置の溝を伝い、逆サイドの挿入口に新たな『騎兵』を生む。
その形状に、覚えがある。白景涼が的場鳴に貸与したグレード3。『コサック』。
北辺を駆け抜け、流浪したコミュニティの名を冠するそれをねじ回すと、冷気を固めたエネルギーを脚へと一極化させる。
「なんで……っ! こんなに速くグレードが成長なんて、あるわけが……ッ」
真月が身を起こしながら呻く。
〈コサック・ジェネラルフロストチャージ〉
球形を取ったそれを、思い切り踵を振り下ろして破裂させる。散った破片が銃弾の嵐となって真月を穿ち抜く。
肉体は破損させず、ただその手足を凍結させ、自由を奪う。
逆の脚に力が移る。その脚で真月の逆胴を強打する。
張り付く氷が、獣の装甲を引き剥がしてチョコ板のごとくもろく砕けさせる。
そして少女の姿に戻った彼女が、雪にまみれながら転がって、やがて動かなくなった。
「ぎゃんっ!?」
ワンテンポ遅れて、レンリが地面に墜落した。
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(15)
「ねぇ、この機械ってどうにかならないの」
「動かせないことはないが……この
「じゃ、叩こう」
「壊れたわけじゃないよ。昭和の人間かよ」
『レギオン化』を解いて倒れ伏す南部真月。それを無視して転送装置の復旧作業をしまいかというところで、歩夢と、雪をクチバシにかろうじて引っかけて残すレンリは停滞していた。
「――それとも」
音を雪が吸う。ただ、それでも至近で人が身じろぎすれば多少なりとも聞こえてくるわけで、歩夢は背後をどこか昆虫じみた動作とともに顧みた。
「やっぱこいつにやらせる? 無理やり引っ立ててでも」
よろよろと起き上がりかけた真月に感情なく視線を向けるが、レンリとしてはその行動は否定したいところだ。もはや彼女は自身の意志力でもってのみ立ち上がり、そして自身のホールダーを再起動させんとしている。
そういう人間が、今更翻意させられるはずもなかった。
「やめておけ」
レンリは歩夢の提案をひとまず黙殺し、あくまで真月に語りかけた。
「CWタイプは最新型のホールダーだ。経験差でカバーできるうちはまだ良いが、対等以下の状態なら最古参のLSタイプがスペック上回ることはまずありえない」
淡々と事実だけをレンリが伝えると、手袋越しの拳がぎゅっと握られる。
「……じゃあ、じゃあどうすれば良いのよ! こんな状態でっ、これ以外に! いったいあたしに何ができるってんのよ!?」
再三にわたる心からの叫びに対して、レンリは明答を持たない。持たないがゆえに、こうなった。みすぼらしいカラスになってこの世界に渡り、コンソールも満足に動かせない。
「何もしなくていいんじゃない?」
目を逸らすレンリに代わり、意外な人物が答えて言った。
――というよりも、消去法でそれは歩夢以外にいないのだが。
「何もできなくたって、良いんじゃないの。少なくとも、わたしは周りの連中に何かをしてくれる人間なんていなかった」
自分の奉仕活動を阻止した女子だ。当然、歩夢に対する真月の姿勢は剣呑なものとなる。
睨み据える犬のごとき先輩にも遠慮する様子もなく、淡々と続けた。
「ポーズだけは一丁前、兄貴気取りの馬鹿。カネは貸さないし正論ばっか言ってくる馬鹿。あんたみたいに裏方で色々動いた気でいる偽善者の馬鹿。そんな馬鹿ばっか」
でも、と雪の上に視線を移し、歩夢は小さな声で続けた。
「そんな連中が、なんかワチャワチャして、あれこれまとわりついてくんのは、それなりにしっくり来てる自分がいる。何かをくれなくても、してくれなくても、これはこれで悪くない……最近そう思い始めてきた」
「歩夢……」
黒い瞳がまっすぐにレンリを見下していた。
レンリの胸に熱いものがこみ上げる。嗚呼、この世界までやってきて自分のしてきたことは、決して過ちではなかったのだと、潤む碧眼で見返した。
「……いや、やっぱ気のせいだったわ」
歩夢は表情と態度を使って全力で前言撤回した。
「えぇっ!? なんで、なんで俺の顔見てそうなった!?」
「だってあんたの浮かれっぷりがマジで腹立ったもの。というか、ホンットーに、クソほどの役に立たないんだもの」
「あー、あー! すぐそういうコト言う! 素直じゃないんだーっ!」
ともすれば雪崩でも引き起こしかねないほどの声量で罵り合い、競り合う。
その様子を呆れながら、結んだ髪の先まで脱力しながら見守っていた真月だったが、ため息をひとつこぼし、額に手をやった。その姿勢のまま、両者の間を通り抜けた。
そして機械にたどりつくと慣れた手つきで再起動させ、
「お待たせしました、復旧作業完了です」
と、打ち切った時と同じように一方的な通達を本部へと言い渡す。
その後で、大儀そうに息をついた。
「え、なに、もう良いの?」
「……もういいわよ。あんたら見てると、マジメに悩んでるのが馬鹿らしくなる」
脱力しきった彼女の向こう側で、ポータルが開く。
それじゃあ遠慮なく、と歩夢は足早に進んで先へとくぐり抜けていく。きっと、その温度差に苦しむはめになるとは思うが、まぁそこは自己責任だろう。
「……あのさ」
レンリもそこへくぐろうとした時、足を止めた。
「ストロングホールダーには、各タイプごとに役割が割り当てられている」
LSタイプは異界の状態が分からず手探り状態の頃であるがゆえ、威力偵察を目的とうした設計思想だ。
対して、歩夢の持つCWタイプは、キーの育成。
これは本人にも伝えていないことだが、グレードの成長を最大効率で促すよう、絶えず微弱な刺激をキーへと送っている。
歩夢の装備する『ユニットキー』がことごとく急速に進化を遂げているのは、そうした機能も一役買っているというわけだ。
「……これが、どういうことか分かるか」
「また、安全なヤツばかりが優遇されているってことでしょ」
偏見から来る真月の批判に、そうではないとレンリは首を振った。
「つまい維ノ里士羽は、まだ『お前たち』を見捨ててはいないってことだ。グレードが効率よく上げることが出来れば、『旧北棟』を助けることにもつながる。まだ量産ラインには乗ってはいないが……もう少しだけ信じちゃもらえないか? あいつらのこと」
真月は答えない。ただ、互いに向けた背越しでその気配から険が取れていくのは感じ取れた。
そのことにほんの少しだけ晴れがましい心地がして、小春日和のような足取りで、レンリもまた雪国を後にした。
――いつか、必ずと自分自身に誓って。
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(16)
――ここに来ると、思い出す。
戦っている最中だって、負けて意識を手放した後だって、夢に現に、その光景を見つめていた。
「……そんな、だって……話を聞く限りじゃ、これって貴重なものじゃ」
握り渡された現世へ戻るための『鍵』。それを呆然と見つめながら、当時の南部真月は目の前の男に問うた。
男は表情を変えないままに、吹雪の中で重々しく首肯した。
「だが、
「被害者なんて、そんなの、ここにいる全員がそうじゃないですかっ!」
確か、こういう場合は特別失踪と言ったか。通常の行方不明者は七年だが、もしそれが大事故によるものだとすると、一年間経過で戸籍からその名が抹消されると聞いたことがあった。
それが今回の場合に当てはまるとすれば、法的にはこの校舎の人間は外界ではすでに死亡したことになっているのではないか。
ひたすらに理不尽で残酷だった。
ただ一つの見落としや手順の入れ違いで簡単に命が失われ、生きていたとしても楽しみのない、牢獄のほうがまだマシという毎日。その果てに生還したとしても、彼らを迎え入れる社会などありはしない。
「だからこそだ」
と彼は、白景涼はその仲間たちを背に負い言う。
「確実に救える誰かがいるのなら、明確に引き返せる者がいるのなら、自分たちは、少なくとも自分はそういう人間をこそ戻したいと思う。ここに来た時から、自分たちは戻れぬ覚悟を決めている。そしてその時に、もう二度と、自分たちに降りかかったような悲劇は起こしたくないとも決めた。……君は、ただ巻き込まれただけだ。自身が居るべき場所に戻れ。その人生に、全力を尽くせ」
などと大真面目に言うものだから、その時はつい笑ってしまった。でもそのおかげで、今日まで罪悪感も後ろめたさも、ごまかして上手く付き合えていたのだと思う。あの娘……足利歩夢に踏み込まれるまでは。
~~~
意識を引き戻した時、そこにあったのは冷たい鉄の装置と嘘のような現実だけだった。
一抹の虚しさが寒風のように胸を通り抜けていく。きっと彼女が本懐を遂げていたのなら、きっとその感傷はもっとヒドイことになっていたことだろう。
「……何やってんだろ、あたし」
「ホントにねェ」
――絡みつくような女の声が、割って入ってノスタルジーを汚す。
痛撃によって吹き飛ばされ、生身の状態で雪原を転がされる。ホールダーによる攻撃ではない。あくまで、物理的なミドルキックだが洗練された軌道を描いて背後から鳩尾を襲った。おそらくは格闘技の一つでも心得ているに違いない。
「……賀来久詠! あんたまだ帰ってなかったの!?」
「やーね、一度帰ったわよ。できることならこんな世界に一秒だっていたくないし」
そこで生活する人間さえもせせら笑う調子で、久詠は肩をすくめ、わざとらしくコートの襟元を掻き合わせた。
「で、温まってから戻ってみたら案の定これよ。まぁ伝言板の役さえ果たせない貴女に、そこまで期待はしてなかったけど」
「だったら、なんで……」
わざわざ自分に陰謀を持ち掛けてきたのか。
そして仕損じたらそのフォローをするのではなく自分を折檻するのか。前後どちらにせよ無意味なのは目に見えているではないか。
その問いに、嘲笑を浮かべて彼女は答えた。
「進行によって脚本の修正が適宜求められるのがリアリティーショーの常でね。そしてどうドラマチックに書き換えていくのかが放送作家の腕の見せ所ってやつじゃない」
「何を、言っている……っ」
「喜びなさいな。本来なら端役どころか裏方の雑用でしかなかった貴女を、メインヒロインに抜擢してあげようっていうのよ。……ただし、悲劇の、だけどねぇ」
謀略的陶酔とともに掲げた左手目がけ、雪中を何かが跳ねて寄って来る。
それは、一尾の魚だった。
古代魚のごとき物々しい鱗を鉄片で形作った魚型のロボット。
おそらくはFSタイプのストロングホールダー。支援、妨害工作に秀でたタイプと聞き及んでいる。
やがてそれは真月のデバイスと同じように左二の腕に張り付き、手甲へと変形する。傘開きになった鱗の側面より五基のスロットが展開する。
〈
彼女同様に偉そうな仁王立ちした人型と、それの左右に侍る三体の兵士。それを飾りとするダークグリーンの鍵を魚の口に装填しつつ、次から次へと、おそらくはグレート3相当の鍵を鱗の鍵穴にねじ込んでいく。
〈
〈出陣・
〈出陣・ロイヤルナイト〉
――これほどの鍵があれば、この世界のどれほどの人間が救われることか。
そんなことなどまるで斟酌しないほど豪快に使用していきながら、彼女は言う。
「貴女が功に逸って足利を襲う。ここまでは筋書きどおり。でも修正を利かせるのはここからよ。返り討ちにあった貴女は事故か故意か、歩夢によってその命を奪われるの。貴女の敬愛すべき棟長サマは、あぁ愛する者を喪って……かどうかは知らないけど? でも責任は必要以上に感じるでしょうから、足利歩夢への復讐を誓う。そして、反維ノ里士羽の急先鋒としてここから頑張ってもらおうってわけ。どう? 泣ける話でしょ」
それに合わせて水平にした真月の腕にも紅の虫型デバイスが絡みついて起動させる。
ここまで得意げに吹聴されればいやでも気づく。
この女は、その目的は……
「先輩を手駒とするためにあたしを殺すっていうの!? そんな、ことが許されるはずがないでしょッ」
あら? と言った調子で眉を持ち上げてせせら笑う。
「もういい加減に気づいてる頃だと思ってたし、足利歩夢を襲撃した時点で覚悟しておいてもよさそうなものだけれども……法治国家から逸脱したこの世界に、許されないことなんてあるわけないでしょ」
低い声で恫喝する久詠の前に、水音や泡の弾けるようなエフェクトとともに、二メートルを超す鉄人たちがそれぞれ民族的な甲冑姿で三体顕現する。
人造レギオン。ユーザーの意のままに従って挙動する、賀来久詠の『武器』。
許さない、というのであればニュアンスこそ違えど真月の方だ。
徹頭徹尾、この陰険な女は、過酷に人々が生き抜こうとしているこの世界を、自分の都合の良いオモチャ箱かゲームだと考えている。
「そんなことは、させない……ッ」
気炎を吐き我が身の熱を保ちながら、再び〈猟犬〉の鍵を装填してねじ回す。
鋼の獣人と化した少女は、低く腰を落として構えを取った。
どのみち逃がしてはくれない。それならば一矢報いるのが正道というものだろう。
――勝てないとは、半ば分かっていながら。
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(17)
南部真月の敏捷さは、敗戦の後の連戦となっても、喪われることがなかった。
熟達のミッドフィルダーのようにグレード3の人造レギオンらの合間をすり抜け、無防備となった本陣……賀来久詠自身へと飛びかかる。
「『
ばちりと女が指を鳴らす。
次の瞬間、くるぶしの辺りの痛覚を鋭く刺激された。
背後から狙った光弾が、真月のその部位を的確に穿ち抜いたのだった。
振り返り射線をたどっていくと、長尺のライフルを指にかけた顔のない狙撃手が、雪の中より這い出てきた。
「事前に準備ぐらいしておくに決まってるでしょ」
風穴は空けられなかったが、それに相当する痛みが少女に悲鳴を上げさせた。
おそらくは、実際にそうすることもできたのだろうが、それでは歩夢たちの仕業に見せかけられない。
そこからはまさに数と質の暴力だった。
元より先手を打っての奇襲以外に、グレードで劣る『猟犬』単独で勝算などなかった。それを読まれて足を撃ち抜かれた。
そして即座に頭を撃たず足を狙ったのは、唯一の長所であるスピードをまず奪うため。
……そのうえで、徹底的に嬲るため。
おそらくは、白景涼の憎悪を過剰に煽るため。
となれば、自分が迎える結末も容易に想像がついたし、その想像に現実が近づきつつあることを、彼女は身をもって痛感している最中だった。
包囲され、リンチされ、精一杯の抵抗も、正攻法となっては敵の一体たりとも通用せず、やがて身ぐるみを引き剥がされるように獣の装甲は耐久ダメージを超えて強制解除を迎えた。
あぁ、とか細い悲鳴と共に、彼女の身体が命ぜられるまでもなく膝を折る。異界にあっても変わらぬ重力により、雪原に身体が横たわっていく。
なのに感覚だけは鈍麻し、あるいは鋭くなったが故に、その視界はスローモーを利かせて、自身の敗北の姿、最期に見ることになる世界の情景を克明に映し出す。
無数の怪物たち。誰にも見送られることない孤独の銀世界。その中心で勝ち誇る悪魔めいた女。
怒りも悔しさも、はや通り越している。
最期に残ったのは、懺悔であった。
(先輩、ごめんなさい……)
足利歩夢の言うとおりだった。独りよがりで自分の後ろめたさのために先走って余計なことをした。その結果、救おうとしていた彼を修羅の道へと落とそうとしている。
それに抗う時間も術もなく、他の者と同じように、眼前に近づきつつある氷雪はその儚い命と体温を奪っていくのだろう。
全てを諦め、投げ出さんとして、目を閉じた刹那、自身の身体はその前に抱き止められた。
支えられたままの腕が真月の腰を巻き込んで、自身のそばに寄る。
それは自分の未練が呼び起こした今際の空想か。
否、それはきっと現のことなのだろう。
あのひとが、来た。
彼は、きっとこの雪と同じだ。
同じように清く、等しく包み、遍く救う。
たとえそれが、見ず知らずの来訪者であっても、自分に迷惑をかけた馬鹿な後輩であっても。
白景涼は、そこに駆けつける。
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(18)
彼がここまで急がせていたSCタイプの『ストロングホールダー』の駆動音が、鈍く唸っていた。
それこそ敵に食ってかからんとする獣のごとくに。
「……そう怖い目で睨まない欲しいわね。貴方の考えてることはただの勘違い……なーんて言い訳、通るわけもないか」
計が破れ、自身の悪事が露呈してもなお、何も悪びれることなく、久詠はふてぶてしく笑った。
「まぁ良いわ。今日のところはここまでで勘弁してあげる」
などと抜け抜けと、あからさまな上から目線にて言って退こうとする。
「このまま帰れると思うのか?」
真月の身柄をそっと下ろしながら、涼が低く問う。
「相応の責任は取ってもらうぞ」
「貴方こそ、止められるとでも思ってるの?」
せせら笑う久詠の前には、屈強な鉄人たちが立ちはだかる。
「言っておくけど、私の『指揮官』はグレード4。あんたの『龍騎兵』と同じ。それに加えてグレード3の『レギオン』。質の上は互角としても、量においてはこちらが上」
そう誇りながら、おちょくるかの如くあえてゆったりと距離を取っていく。
追わねばならない。彼の言う通り、たとえ『委員会』に睨まれることになっても、身柄を抑えて然るべき責任を取らせなくてはならない。
だが、目に見えた挑発でもあった。だからなのか、涼も容易には追撃を仕掛けなかった。
それを見越してなお煽るかのような、得意げな所作と口ぶりは続く。
「戦いにおいては六分の勝ちと四分の負けと最善とするって言うわよね。まさにお互いに退くしかないような今の状況のまま別れることがベストじゃなくて?」
「六分の勝ちが、お前か?」
そう低い声で聞き返し、涼は一歩進み出た。
「勝算など、関係ないほどに、いま自分は怒っている」
おもむろに言い放った、普段の白景涼らしからぬ感情的な言葉にも、久詠は臆することがない。むしろ、彼女は傲然に嗤う。
打算も抜きに掛け値なしに、そして侮蔑的に。
「あらそう怒ってるの? それでどうするのかしら? 貴方たちに配給される擦り切れた少年マンガよろしく、パワーアップでもしてくれるのかしら?」
「自分は、俺はいつも耐えている」
彼女の嘲弄を遮るように、涼は言った
「酷寒にも痛みにも、終わりの見えない戦いにも。お前たちや『西棟』の不当な要求にも。己に対する愚弄にも。ずっと長い間耐えてきた。そして、同胞たちのためならば、幾年でも耐え続けて見せよう」
宣言と共に、彼は自身の『龍騎兵』の駒をバイク型デバイスより抜き取って握りしめる。
割らんばかりの握力で、真月の耳にも聞こえるほどの軋みがあがる。
「……そして同胞たちのためならば、その怒りを、解放しよう」
刹那、彼の手中で、その鍵に、猛獣に噛み跡のごとき大きな亀裂が入った。
「……は?」
脱殻する雛よろしく、そこから溢れ出した流動物が涼の広げた、もう一方の手の平の上に落ちる。外気に触れて結晶化し、凝固した火山丸のような黒い結晶に。そこからさらに無駄な部分から剥離して鍵となる。
「……は?」
呼気から発するに、賀来久詠が世界と自分の正気を疑ったのは、ここに至るまで都合二度。
この冷淡な策士気取りにとって、あってはならぬことだった。
それこそ少年漫画のヒーローのようではないか。
起こりえぬから奇跡という。
起こりえぬから彼女は嗤った。
だが、そう不思議なことではないように、真月はぼんやりとした意識の中で感じていた。
『ユニット・キー』は神経を持つ鉱物、一種の人工頭脳である。
ユーザーの掛けた物質的、そして精神的な負荷。
現実世界では考えられないほどの戦闘経験。
新たな段階に繰り上がるための条件が揃ったのがまさに今。
それこそ、皮肉にも、久詠が彼とその仲間たちを嘲笑したことが引き金となって。
唖然とする彼女をよそにそれは、蝙蝠の如き翼を拡げて飛翔する龍と、騎士。そして三本の剣というシルエットを鍵の尾に彫造した。
新たに生成された鍵を再びデバイスへとスイングする。
強力な磁気でも帯びたかのように、彼の手を離れた紅鍵は寸分たがわずその鍵穴に吸い付き、ホールダーは鈍い唸り声をさらに大なるものとした。
――咆哮。激してもなお寡黙な彼に代わり、その愛馬が荒ぶる。
否、それはもはや龍の名ばかりを借りた騎馬にはあらず。
〈
来るべき次の段階に備えてホールダーのブラックボックス内に忍ばされていた、最強の力を受け入れるためのプログラム。それがスタートアップし、鉄の悍馬は黒鋼の飛竜へと形を変える。
大きく両翼を展開させて高らかに灰色の空へと舞い上がるや、そのまま主の右肩に着地し、鋭く爪を食い込ませ、自身を固定させる。鱗が拡張し、竜の咢はその上をレールのごとくスライドし、手の甲のあたりまで落ちてガントレットとなった。
――グレード5『竜騎士』。
北天の守将が、大いなる責任と力を、再び架せられた瞬間だった。
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(19)
「龍騎士?」
歪な笑みを浮かべたままに、久詠は問い返す。
理屈では、恥も外聞もなく詫びるか、必死かつ全力で離脱するのが妥当だろう。だが先に吐いた己の唾に足を取られるがゆえに、彼女は葛藤を隠さず踏みとどまった。
「どう考えても乗られてる方でしょう、が!」
不意打ち気味に仕掛けた『百人長』の特攻は、大盾で押さえつけるように突撃を仕掛けてくる。
いわゆるシールドバッシュをもって肉薄する鉄人は、そのまま竜の咢を封じた。
そこから狙いを一極化。目当ては装備が施されていない左腕。
体勢を整えるより速く残りの全機が殺到、あるいは射撃を加えんとした。
敵ながらにして抜け目がない。自分を超えた位階に対しても必要以上に怖じることがない。隙がない。瞬時に戦術を打ち立てて一気に勝負を決めようとする。その判断自体は、優れたものだったと言えるだろう。
だが、にわかに灰色がかった青い光輝が、右腕の辺りで爆ぜた。
竜口から発せられた妖しげな色を帯びた爆炎が、その兵を一息で吹き飛ばし、その火力で粉砕したのだった。
それだけではない。その焔は涼の左腕をも飲み食らい……否、保護して爪のような輪郭を形作る。
その腕をまるで慣れたような調子で振り回す。
常にはデバイスを鈍器として戦うのが常ではあったが、その重量が抜けた分、振りが速い。瞬時に、縦横無尽に爪を振るえば、グレード3に冠する精鋭たちが一斬にも耐えることができずに両断され、そして爆散した。
元の鍵に戻った久詠の手駒が、雪上に落下していく。
それを、青ざめた様子で久詠は見つめていた。
緩やかな足取りで、その彼女を追い詰めていく。
「わ、悪かったわよ……ちょっと悪戯が過ぎた。反省する」
口ばかりの謝罪。今度こそ、何女は間違いなく逃走を選択している……はずだった。
だが真月は気がついた。後ろ手に回して見え隠れする彼女の腕部のデバイス。そこにすでに新たな鍵がフルで装填されていることに。
おそらくは『伏兵』。彼女の間合いに入った瞬間、涼の背を刺す腹積りだろう。
あの乱戦で、本当に隙がない。
それが偽りの敗北であることを忠告するべく真月は顔をもたげた。
だが涼の眼差しに容赦も寛容もない。淡々と必殺の準備を組み立てていく。
火の消えた左手で龍の鎌首に据え置かれた鍵を回し、押し出されるように吐き出された火炎が渦巻く。
〈ドラゴンライダー・ヘルファイア〉
常より低く淀んだ音声と同時に、彼は右拳を雪原へと叩きつけた。
その接点から白雪の中に鬼火が埋められる。
刹那。その雪中不覚より青い火柱が上がった。
その熱が今まで積もるばかりだった雪を溶かし、決して肌を見せなかった凍土をめくり、焦がす。
巻き上がる業火の中に、潜伏していた『伏兵』たちの影があった。
無論、彼らは物理的に雪中に隠されていたわけではない。世界の、次元の裏側と言うべき別の位相に在って、一定のリアクションに反応して自動的に攻撃を仕掛けるはずだ。
その次元の壁をも破壊するほどの、純粋なエネルギーの発破。
「俺は怒っている。だが一番、腹が立つことは」
涼の左手に、散った鬼火が結集する。再び燃え盛る。龍爪を形作る。
先より倍に、五倍に、十倍に。
それこそ宙に浮かび上がったレギオン達を、ことごとく呑み尽くすほどの。
「彼女をここまで追い込んでしまった、己が不甲斐なさだっ!!」
いつにない感情の激発。それとともに、爪を虚空に振り下ろす。
二本の火柱に対してレギオン達が逃れられようはずもなく、挟まれ、擦り潰され、焼かれて塵芥と化していく。
「きゃあああっ!?」
そしてその爆風を受けて、彼らを操っていた賀来久詠もまた、彼方へと吹き飛ばされた。
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(20)
想像を絶する熱量と破壊力に、ともすればそのまま眠ってしまいそうであった真月の意識も引き戻された。
完全に覚醒した時にはすでに、状況は一変していた。
永久凍土は一時的に焦土と化し、溶けた氷雪は茹だって溜まりとなって点在している。
爆風に吹き飛ばされた久詠は頭から雪と泥をかぶり、涼に追い詰められている最中だった。
「よ、寄るなっ」
久詠は尻で地を後ずさりしながら、もはや欺瞞も虚飾もなく、みっともなく声を上擦らせる。
「良いの!? これ以上私に危害を加えるなら、『委員会』が黙っていないわよ!」
そして最後のカードを苦し紛れに切ってきたが、それでも涼は足を止めずに
「やってみるが良い」
と低い声で返した。
「ただし、お前の動向を征地絵草が承知しているならばの話だが」
ギクリとした様子で肩を瞬間的に上下させた久詠に、涼は淡々と追い討ちをかけた。
「お前の動きには彼女の覇気と矜持を感じない」
と語るには恐らくはフィーリングとブラフが半々といったところなのだろう。
だが彼女が見せた反応によってそれは確信へと変わった。
そして自身でもその迂闊を悟ったのだろう。
久詠は老婆の如く、足を擦るようにしながら立ち上がり、逃げるタイミングを必死に模索しているようだった。
「……だがしかし」
それを冷ややかに見ながら、涼は腕の鍵を抜いた。
張り付いていた飛龍はひとりでに飛び立ち、元のバイクへと変形して鈍い音とともに彼の傍らに落下した。
涼は新たに手に入れたその鍵を見つめながら、続けた。
「お前のおかげで新たなグレードに到達したこともまた事実だ。今回は見逃してやる」
久詠は露骨に安堵を見せた。だが、礼も詫びもなかった。
一刻も早くその場を脱しようとし、自身の手駒を拾いかけた彼女の背に、
「待った」
と涼は声をかけ
「あぁ!?」
と語気荒く久詠は顧みた。
「だがそれらのキーは置いていけ。迷惑代と口止め料だ」
……なんだろう。要求としてもタイミングも妥当なのに、どこかズレて天然めいていると感じるのは。
ギ、ギ、ギ、と。
剥いた歯を限界まで軋ませる久詠を、一方的な被害者という立場でありながらも真月は、流石にここばかりは同情を禁じえなかった。
拾いかけたキーをふたたびぬかるみに 叩きつけた久詠は、
「覚えてらっしゃい!」
金切声で陳腐な捨て台詞を残してその場を去っていった。
涼はそれを漠然と見送っていた。
「たまには搦手の交渉術というのも悪くない」
「いや、思いっきりただの強請でしたけど……」
思わずツッコんでしまった真月であったが、そもそもこうなった原因が自分にあることを思い出した。
助けられる資格のない、独りよがりで暴走した部外者だ。
そのことが何かを喋らせることも、謝罪させることさえ躊躇わせた。
手足を雪につけたままに項垂れる少女のもとに、涼は歩み寄って膝をついた。合わす顔がなくてつい視線を逸らす真月に手が伸びる。
身を硬くしたその刹那、彼女は涼の腕に抱え上げられていた。
「ちょっ……先輩!?」
「しばらくすれば車両も追いついてくる。それまで雪や泥の上に寝かせておくわけにもいくまい」
「そっそれはそうですけどもっ」
散々に打ちのめされた末に介助されるのとは訳が違う。すっかり意識を取り戻した真月には、彼の腕の逞しさやそれによる力強さ、乱れることのない心音などがダイレクトにつながる。
羞恥はたちまちのうちに頂点に達したが、どうしたわけか力が出せず、抗いきれないでいた。
「……すまなかった」
そうこうしている内に、詫びたのは涼の方だった。
「自分も、的場鳴と同じだ。肝心なことを伝えていなかったばかりに、君には余計な気苦労をかけてしまっていた。そしてそのことを汲んでやることも出来なかった」
そう思い至った経緯こそ要領を得ないが、本心から悔やんでいる様子だったが、むしろそれは見当違いと言えるだろう。
非があるのは真月の側だ。そしてそれを自認していた。
だがあまりにも彼が清廉に過ぎて、いっそ愚直とも言って良いほどで。そのことがなんとなしにムカムカして、つい詫びを返しそびれて、いつものように意地を張る。
「まったくです」
と悪態をつきつつ彼の胸元に、違和感を悟られぬようにそっと頬を当てる。
「いっつも苦労させられるのはあたしなんだから、それこそ猛省してください」
「善処しよう」
平坦な声。そして鼓動。言葉とは裏腹の相も変わらずの朴念仁ぶりに、露骨にため息をつく。
だがその距離感に、幸福を見出している自分がいることに真月は気づき、頬は熱を持つ。
――あぁ、できることなら、願うのなら、せめてこの時間が少しでも続きますように……
「ボースーッ! アネさーんッ!」
願うだけで終了しました。
蜜月な刹那に終わり、
そして彼女らの前で急停止するなり変身を解除し、オレンジのメッシュの入ったぼさぼさの髪と溌剌とした童顔を外気にさらして、その少女は陸軍式の敬礼をする。
「現地のマシントラブルと聞いてリアクター役『ラッセル』の
「あんたは……」
マシンガントークに頭を痛めながら、真月は苦々しく制止した。
「温泉でもないし、湯沸かし器もないから入ったら確実に死ぬわよ」
「あーッ!」
真月の言葉は大口から発せられた声の激流に押し流された。
「アネさんが抱っこされてる! 良いな良いなー! ボス、ワタシも抱っこしてください! アネさんでも良いですよ!」
「こ、これはワケありなのっ、てかあんた自分の図体考えなさいよ!」
気の滅入るような環境でもいささかも曇ることのない、晴れ晴れしさもといやかましさ。
もしもう少し、彼女が今回の一件に絡んでいたらまた経緯や結果に変化は生じたのだろうか。
もはや過ぎた話ではあるし、度を超えたはしゃぎようを目の当たりにすれば、もみくちゃにされてしまえば、それを考えることさえ馬鹿馬鹿しくなってくる。
ふぅ、とマルチーズの少女は少し色の薄らいだ曇天を見上げながら、息をつく。苦々しくも、笑う。
すべては杞憂に過ぎなかった。
たとえ住む世界が違ったとしても、そしてこの先そうではなくなったとしても。
自分がなお絆を保っていきたいと願う以上、この不器用に過ぎる人々との奇妙な生活は、きっと続くのだろうと、南部真月はそう割り切り、信じることにした。
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(21)
――かくして、本人らが認知しているかどうかはともかくとして、大小の謀略と戦闘の果てにようやく歩夢たちの生還は叶った。
だが、過酷な凍土の生活はたった数日と言えども少女たちの肉体を意識せぬうちに蝕み、爪痕を残していた。
それすなわち、
「暑ッつい!!」
……体温調整機能のいちじるしい低下であった。
突如放り込まれた冬場の生活に慣れ切っていたが、現実の時節は間もなく初夏を迎えようとしていた。
その温度差は如実に体調のリズムとバランスを崩し、余計に暑く感じるようになっている。
いち早く夏服へと転じた彼女はそれでもなお拭えない息苦しさがために私的なスペースにおいてはボタンを第二まで外し、タイをたわませ、スカートを校則に抵触しない限度まで切り詰めてソックスを脱いで冷水を溜めた風呂桶に素足を沈める。
そして開いた襟やら裾やらをバサバサと、白鳥が羽を打つがごとく上下左右に往復させる。
もちろんその私的スペースというのは保健室、もとい士羽のアジトの一室なのだが、その部屋の主はと言うと、利かせすぎる空調に辟易しているようで、逆に高デニールのストッキングを履いた両脚を擦り合わせながら、恨みがましそうに当の歩夢と鳴を凝視ながら熱い濃茶をすすっている。
ただその無言の抗議のために部屋から出ていかずにいるのだから、彼女の偏屈ぶりも大したものだった。
あとよくわからないカラスはビニールプールを作ってぷかぷかと浮かんでいる。
生じた渦に従いその身を回転させているが、スタイルのせいでより煽情的に見える鳴の方を見るたびにクワッと緑の双眸を開眼させ、似たような恰好とポーズの歩夢を見ればスンとクールダウンする。
……状況証拠のみで言質を取っていないし正直言って分からないでもないので、今回は放免とする。
そんな折、ドアが無遠慮に開けられた。
長身の青年が、戸の入り口に立っている。厚手のミリタリーコートを身に着け、愛想にはきわめて乏しく、用事があって訪れただろうに容易に口を開かない。
「暑っ苦しいところに暑っ苦しいカッコの奴が」
と歩夢はその男、白景涼に苦言を呈した。今の彼女たちが言えた義理ではなかろうが、少しはTPOをわきまえたコスチュームに着替えて欲しいとは思う。
だが涼はそれにも反応らしい反応を見せず、じっと少女たちのあられもない姿を見返していた。
「……ちょっと」
それとなく居住まいを正しつつ、歩夢は涼を睨んだ。
「えっちな目で見ないでよ」
「お前を見てるわけがないだろ!! ……ぐえ」
これは見事なライン越えである。
突如横合いから無思慮な口を差し挟んできたレンリを足裏でプール深くに沈めていく。
吐き出される泡の量が極少まで減ってから、ようやく解放する。
「す、すまん……身を張った自虐ボケかと」
「んなわけあるかボケ」
「いや、君を見ていた」
「…………マジで!?」
「今だかつてないくらい驚いてんじゃねーか」
このままでは収拾がつかないと判断したのか。あるいはただ単純にうるさかったのか。
士羽がイスを回転させながら
「それで、視姦以外に歩夢に何か用向きがあってきたのではないのですか?」
と尋ねた。
「あぁ、自分がどこでもドアを使ってここにやってきたのは訳がある」
「……」
「……」
瞬間、空気が凍り付いた。
元より和気あいあいとガールズトークにいそしむ間柄ではないが、まず間違いなくこの時間は誰もが言葉を失って、閉口していた。
どこでもドア。なぜこのタイミングで、どこでもドア。
彼女たちの顔色を窺っていた涼は、視線のみを正面に戻して、
「冗談だ」
と短く言った。
「いやギャグでしょーけども、意味が分かんなかっただけっすよ」
「生息環境と同じくめっちゃ寒い」
「……お前ら、毎度ながら辛辣だよな」
切り出すタイミングも、話し方自体も不自然だったから、おそらくずっと言えずに温めていたネタなんだろうなというのは推測できたが、それはそれとしてしょうもなかった。
話の腰を二重三重に折られて、また冷房のせいで士羽は露骨に苛立っていた。
マグカップの縁を指で連続して叩きながら、
「それで、用事」
と短い中に多分に怒情を含ませて眉根を寄せる。
だがそれでも、涼は話さない。代わり、コートのポケットから一本の鍵を取り出した。
ライフル銃と、それに二発の弾丸が尾に取り付けられた、群青色の『ユニット・キー』。
特定の誰かに向けたわけではないだろうが、ぞんざいに放られたそれをキャッチしたのは、彼から見てもっとも手前にいた鳴だった。
「自分の身内が失礼したようだ。その詫びと、そして礼だ」
そして口頭で伝えたのは、本当にシンプルな用件のみだった。
「『エリートスナイパー』……これの出所は……聞いても無駄でしょうね」
「それは、身内の裏に在って君たちを害そうとした人間からの詫びの品でもある。今回はそれで手打ちにしてくれ。それとも約束もあることだし、詮索もしてくれるな」
「……元よりこの馬鹿どもが迷惑をかけたこと。知ったことではありませんが、貰えるものは貰っておきましょう」
鈴の鳴るような声調で散々な言われようだが、たしかにまわりまわって迷惑となったのは自分たちの行動と、そしておそらく狙われたレンリの存在であって、礼も詫びも必要ないとは思う。
あえて顔見せのうえでそれを手渡すあたり、そしてハメられた相手にも筋を通そうとする辺り、律儀というかなんとやら。
「だが、『彼女』はそのレギオンの奪取を諦めたわけではない。目的までは知れないが、遠からずまたその魔手を君たちに伸ばしてくることだろう。今回はその忠告もしておきたかった」
つまり今回の騒動の原因となっているのは、レンリである。
井田典子がレギオン化されたのも、銀世界に放り込まれたのも、そして南部真月の暴走も。
一同の視線が、遠慮しがちに碧眼を伏せるカラスへと集まる。その丸っこい身柄をひったくって、それとなく歩夢は膝の上に置いた。
ひんやりとした濡羽を、掌と脚で感じる。
別に庇い立てしてやるほどのことでもないが、この異形のモノに関わると決めた時に、すでにある程度のトラブルは予期し、かつ呑み込んでいる。交渉や説得ではなく謀略と害意によって奪わんとする相手に、気前よく義理もない。
何より、それで損なうような人間関係でも自分の人生でもなかった。
何しろ、それらはすでに、とうに破綻しているのだから。
少女のやや輝きに欠ける瞳に自身の姿を投影させつつ、北の武王は厳かに、寡黙に首を上下させた。
そして軍靴のごときブーツの踵を切り返して出て行こうとする。
その足が、ピタリと止まった。
「どうしました?」
どうせ自分からは切り出さないだろう。そう見越した士羽が問いかけ、対して涼は
「言い忘れていたことがある」
と答えた。
「さっきのどこでもドアというのは、ドラえもんというテレビアニメに出てくる架空の道具で、どこでも自在に移動できる。だからそれを実際に使ってやってきたわけではなくあくまでものの喩として」
「知らねーよ!! いや知ってるけど知らねーから笑わなかったんじゃねぇよ!」
「ギャグを自分で解説って恥の上塗り過ぎる……」
「何故このタイミング」
「ほんとコイツ、コミュニケーションヘッタクソだな!」
全員から総非難を浴びても、ちゃんと会話ができたと言わんばかりにどこか満足そうな、『旧北棟』の長、白景涼。
彼を見ると南部真月の苦悩と暴走を、ほんの少しだけ理解した足利歩夢、十五の初夏であった。
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(22)
仕様を本来のものへとすべく、歩夢と鳴の持っていたホールダーは一端士羽によって回収されていた。
寒冷地用のパーツは材質も柔らかく防御性に不安な点も多く、熱も逃さないようになっているのでこと今の時期には不向きであるためだった。
「サンキューな」
「……別に、礼を言われるようなした覚えがないのですが」
夕暮れのラボにて歩夢の分も含めてそれを手渡すとき、的場鳴はおもむろに士羽へと謝意を示してきた。
怪訝そうに柳眉を寄せる少女に、鳴は曰くありげに肩をすくめた。まるで「素直じゃねー奴」と一方的に言われているようで、少し腹が立ったが議論を交わしても無駄だろう。
問題が起こったのは……否、すでに発生していた問題が表面化したのは、曰くありげな表情のまま鳴が下校した後のことだった。
いざ『旧北棟』での戦闘データのバックアップを取るべくソフトウェアを確かめていた時だった。
「なんだ、これは……っ!?」
処理速度が格段に上がっている。鳴のみのものではない。歩夢のデバイスのそれのコードも、先のチェックとはくらべものにならないほど、ほぼ別物とさえ言ってよいほど書き直されていた。
そしてそれは、
システム開発者であるはずの自分が及ばないほどに洗練された、無駄のないプログラム。
接続されたモニターに表示されたその羅列を目で一通り追うと、頭痛と妬心が士羽の頭を苛んだ。
一体、誰がこんなものを。少なくとも、これを組み換えたものは、自分よりも数手先の技量とセンス、そして経験値の持ち主だ。
――いや、そもそもこのCWタイプの存在自体がそもそもの最初から異常だった。
何故、これがここに在る?
複製? 否、そんな生易しい答えで解消できる疑問ではない。
深いため息とともに、彼女は鍵付きのキャスターの中、廃材の中から一個のガラクタ、数個の鉄塊の集合体を引き抜いた。
「――やはり、どうあっても。すべての疑問と疑惑は、アレに帰結されるというわけですか……」
そう独りごちて、デスクの上にそれを置く。
翼がひしゃげて全身が焦げ付いた、鋼の鳥の
その尾翼の付け根をあらためて一瞥する。次いで、歩夢のリペイントされたデバイスの同部位を。
そこに刻まれていた
判読できる限りその数値は、まったく同一のものを示していたのだった。
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『旧北棟』脱出レポート(登場人物紹介) ~旧北棟編~
無事に『旧北棟』から出られた。きっかけこそ不慮のことではあったが、事態の現状を知るには現地調査が一番だ。どこぞの引きこもりとは違うのだ。
というわけで、そこで今後は『誤解』が少ないように、レポートを残しておこうと思う。
・
普通科一年。不愛想で受け身体質な我らがチビっ子にしてメイドさん。
「自分は綾波の再来だ」などと寝言を抜かしていた気もするが、多分俺の記憶違いだろう。
日を追うごとに忍耐力と反比例して暴力性が増していく。
甘やかし過ぎだと鳴に時折説教される。
喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。
あらゆる感情の萌芽が、それでも俺にとっては喜ばしい。
【取得キー】
ヘビー・インファントリー(グレード2)
コサック(グレード3)
・
普通科二年。元陸上部。その身体でアスリートは無理やろ、と思うのはライン越えか。
ぶっきらぼうだが、どこまでも善良で寛容な人間。そんな人間が、歩夢には必要だった。
今回どさくさに紛れておっぱいに顔突っ込めたのは、俺のクソみたいな人生の中で、唯一無二の幸福であった。初めてこのレギオン態に感謝した。逆に歩夢にもみくちゃにされた時、その差を感じて神の理不尽に悲嘆した。
でもなんやかやこーゆーセクハラを許してくれるあたり、さては俺のこと好きだな?
……後ろで「キモッ」とつぶやくのは止めなさい。ちょっとした言葉でも、言われた方は傷つくんだぞ。
【取得キー】
コサック(グレード3・後、涼にちゃんと返還した)
エリートスナイパー(グレード3)
・レンリ
俺。いまだこの名前には少し慣れない。
特に語るべきことはない。すべきことはすでに終わった。
・
同じく語るべきことはない。
この先何事も為せず、誰からも愛されない。すべてから背を向けたお前に、そんな資格なんてない。
・
『旧北棟』の管理区長。一応三年生ということになるのか。
高校一年の時にあちら側に飛ばされ、たしか二代目の管理区長だ。
実力もあり、清廉実直公明正大。ハードソフト両面の知識を猛勉強し、ライフラインとも言える設備のメンテナンスも引き受けている。
……なんだけど、地がものすごいバカ。不器用で口下手にもほどがある。
ただそういう性格だからこそ、「私が支えてあげなくちゃ」的に『旧北棟』のみんなが団結するんだろうな。ある意味リーダーの器だ。
【使用ホールダー】SCタイプ
【所持キー】
コサック(グレード3・後鳴より返却)
・
『旧北棟』のサブリーダー的なポジションっぽいが、実は西棟の新聞部二年、らしい。
学園の謎を追ううちに『黒き園』に踏み入れてしまい、そこからレギオン化して『旧北棟』に侵入。
そこを涼に救われたという経歴を持つ。
何事にもきゃんきゃんと噛みついて来る小型犬タイプ。でも彼女が率先して不平不満を言ってくれるからこそ、他の皆が溜飲を下げてまとまっているフシもある。意図してのことではないだろうが、それでもあそこには必要な人材だ。
あと、バレバレだけど涼が好き。
【使用ホールダー】LSタイプ
【所持キー】
・
普通科二年。この学園ではレアな一般生徒。
鳴とは浅からぬ因縁。カッコつければそうなるが、身もふたもない言い方すればめんどくさい女。
この娘たちが何事もなく卒業できることが、鳴の数少ない願いの一つだろう。
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番外編:楼灯一の映画レビュー(前編)
休日である。
その日、歩夢は事前に用意を促された品とともに士羽に呼び出されていた。
もっとも隣人なのだから一緒に出れば良いのだが、関係の冷却し切った今となっては別々の時間帯に出ることが、示し合わせた訳ではない、自然の流れであった。
そこに当然のごとく、レンリが随伴する。
先に最寄りの駅に着いたのは歩夢らが先。しかしその待ち合わせ場所には、的場鳴が立っていた。
「よー。お前らもブツ用意の上呼び出されたクチか」
クールでボーイッシュなイメージどおりの、ジャケットにワイシャツにジーンズという出立ちながら、肉体と生地双方の素材が良いものだから、ヤボったい感じはしない。
そのくせ、肉感的であるところが理想である部分については、物惜しみするところがない。
「何それ、なんでプライベートでもデカイの?」
「女性ホルモンに休みがある訳ねーだろ」
何について言われているのかは視線を追って察しがついたようだ。
嫌悪の様子はないがにべもない正論で返された。
「お前の方は」
そんな冷ややかな態度のまま、歩夢の姿に言及する。
「ブックオフで時間潰してる男子大学生かよ」
と指摘するのは、黒いスラックスに英字入り半袖Tシャツに黒いポシェットというモノトーンコーデだったからだ。
髪も無造作ヘア、というか完全に寝起きのままのそれが偶然ウェーブをかけたように見えるだけである。おまけにプピー、という擬音が鳴るのではないかという壮絶なまでのやる気なさが、その寝ぼけ眼から滲み出ている。
互いの外見にケチをつけ合っているうちに、ややあって発起人たる士羽がやってきた。
こちらも白衣ではなく、らしくもないフェミニンなスタイルで統一している。
当然のように挨拶はない。代わり、隣に男を侍らせて二人と一羽をを瞠目させた。
「なに、彼氏?」
「挨拶もマトモに出来んような非常識な女に付き合える男がいるのか」
「……貴方がたの馬鹿な勘違いですが、常識云々は鏡を見て言え鳥」
ただでさえつまらなさそうな少女が、さらに憮然とした面持ちになる。
その脇を進み出て、隣にいた少年が進み出た。
薄手のジャケットにシルバーアクセサリー。その上からヘッドホンをかけた、ウルフカットの少年に、レンリは碧眼を丸くした。
「おっ、そっちの無愛想な巨乳が的場鳴で、無愛想な貧乳が足利歩夢。で、こっちの通好みの体型が維ノ里士羽、で合ってるよな? まぁ士羽は知ってっけど」
「なに、この喋るたびにゲロの臭いがするゴミカスは」
「お前ら、なんで初手からそんな言葉のナイフで切り結んでんの……」
ドン引きしているレンリだったが、そもそも初対面の相手に喧嘩を売ってきたのは向こうなのだから心外だ。
それを受けて、少年は
「臭くないもん……ちゃんと歯磨きしてるもん……」
と顔を覆う。湿っぽい語調になる。
かと思いきや、引き攣った顔を持ち上げて
「なーんて、冗談冗談。ちょっとしたスキンシップになにマジになってんの」
と言ってのける。
「声震えてるんだよ陰キャ。距離感間違えてんだっつーの陰キャ」
「うるせーぞ貧乳陰キャ。話進まねーだろうが」
鳴からの辛辣な横槍が入り、これ以上の口論は遮られた。
そのうえで彼女は士羽を顧みて言った。
「で、結局コイツはどこの誰さんよ」
「東棟二年、楼灯一」
頼まれもしないのに、と言うよりもあえて本人を避けたつもりだったのに、少年は進み出て名乗った。
「いわゆる、『運び屋』だ」
そしてその役割も、漠然ながら。
「運び屋』? 貴族のおぼっちゃまの間違いだろ」
東棟といえば未来の日本を背負って立つと言われるエリート、才人、サラブレッドの養成所とされている、別次元のコミュニティだ。
だからこその揶揄を込めて返す鳴に、彼は鍵の束を見せた。
やたら見慣れた意匠に、同一化された規格。
中には、『輸送兵』の駒も括られていた。
はぁん、と鳴は得心の声をあげた。
「つまりはこっち側の人間ってことかよ」
「あぁ、それも『旗揚げ』以来の生え抜きよ」
灯一は鍵をさっと上着の内ポケットにしまった。
「そもそもオレは、おたくが思ってるみたいなエリートじゃねぇよ。たまさかお嬢様に引きずられて……まぁともかく、色々と難儀な制約はあるが、色々特権特典もあってな。この稼業もそいつを利用させてもらってる」
「だからその稼業っての、『運び屋』なんなの」
「聞いてないのか? 『旧北棟』へのだよ」
ふと漏らしたレンリのワードに、少女ふたりは反応した。
「そこの鳥公の存在も含めて維ノ里からだいたいの経緯は聞いてる。お前らも行ったように、あの隔絶された空間には日常品さえ送ることが難しい。送るにしても西の連中は法外な値で売りつけてやがるし『委員会』はそれを黙認してやがる。そこでオレや桂騎の出番ってわけよ。あいつらとは別口で、かつ安価で売ったり貸したりする」
なるほどと歩夢は首肯し、鳴はそれなりの重量を持つ紙袋を持ち上げた。
「つまり、お礼として用意させられたコイツは、あんたが持ってってくれるってことか」
『旧北棟』への迷惑料と諸々の手配の返礼。
発案は士羽とレンリ、それぞれ別口からだったが、歩夢にしても迷惑をかけたうえに鍵まで逆に貸したり譲られたりした負い目がないわけではないから、その案に一応は乗った。
「その通り」
灯一はバチリと鳴らした指を鳴に突きつけた。
された側は露骨にイラッとしていた。傍目から見ていた歩夢もちょっとクるものがある。
「でも、素直に食べ物とかの方がありがたいんじゃない」
歩夢は珍しく忖度して話と少年の注意を逸らした。
「まぁそのあたりは、南部のワン子と一緒だな。個人レベルだから大量に運び入れる手段がないし、あまりやり過ぎると睨まれる。運べる品目と量が限られる。いくら治外法権の東棟の、多治比に匹敵する旧家輪王寺の肝煎でもな」
なるほど。今度はレンリが言った。
だからプレゼントを届けるにしても、無難なもの、それも個数で分ける必要なく共有できるものが良いということだ。
すなわち映像。つまりは映画。
その発想の帰結は安直ながらも効果的であるとも言える。
特典なしの円盤なら一万を切らないぐらいでプレゼントとしてはちょうど良い塩梅の金額だろう。
衣食住に関わる物品も欠かせぬものではあるが、娯楽なくしても人は精神を保てない。
ましてや、あんな狂気と隣り合わせの空間では。
ようやく歩夢もそこに来て自分が準備したものの意図を察した。
「とまぁオレの場合は、こういう類専門の取引をさせてもらってるわけだが」
「こと、貴方はその目利きにも長けているでしょうからね。『ゲンタイスイ』の顧問殿」
「減退衰」
「なんか勢い弱そうな組織だな」
また耳慣れないキーワードである。その顧問と士羽に言われた少年は良い顔をしなかった。
「『現代大衆文化研究推進委員会』……まぁギークがナードを当てこすって遊んでる暇つぶしサークルだよ。オレは見ても分かんないとは思うけど隠れオタクでさ」
「意外でもなんでもない。あんたが隠せてる気になってるだけでダッセェ私服と整髪料のきつい髪、早回しの長ったらしいセリフとかどっかのアニメキャラのエミュっぽいジェスチャーとか、どう見ても、徹頭徹尾、クソオタのそれだよ。それも人に嫌われるタイプの」
「それをズケズケ指摘するオドレもたいがい日陰者じゃクソ貧乳ッ! ……とにかく、そんなわけでオレはそーゆーワケの分からん集まりとか『北棟』のレクリエーションのアドバイザーってわけだ」
それで、状況を説明するため、必要最低限の身の上語りは終わったのか。
彼はやや自己嫌悪で気落ちした様子を見せつつも、すでに席を予約したカラオケルームへと向かうべく一行を先導し始めたのだった。
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番外編:楼灯一の映画レビュー(後編)
カラオケルーム。
談合の場としては陳腐な発想ではあるものの、他に代案があるわけでもないのでケチをつけるわけにはいくまい。
(そう言えば、わたしカラオケとか初めてかも)
ずっと孤独な自分が、決して良好な関係とは言えないまでも、皆と連れ立って足を踏み入れた。
そのことに対し、心にむず痒いものが……湧かないでもない。
部屋に入るなり、直前までゲーセンの景品になり切っていたレンリと灯一はモニターの前に陣取って、顔を揃えた。
「あ、この曲俺歌えるわ」
「歌いますか」
「マイクないんだよね」
などと他愛無いやりとりだが、当然曲を入れているわけでもないので流れているのはコマーシャルである。マイクにしてもテーブル上のカゴに入っているではないか。
だがどちらともその違和感を訴えるようなことはしなかった。逆に今の会話で何かしら互いに符合するところがあったらしく、顔を見合わせニンマリする。
「……なんか、そこはかとなく気持ち悪いな、こいつら」
元ネタを知らないであろう鳴でもそのうすら寒さは肌で感じるのだろうか。
歩夢も思わず首肯しそうになったが、その裏で「先を越された」と言いたげに悔しそうな面持ちの士羽に飽きれてそれどころではなかった。
「さてっ、それじゃあお前らの推す映画をさっそく見せてもらおうか」
「いや、今更なんだけどさぁ」
注文をまとめ上げてドリンクを持ってきた鳴は、それらをテキパキと各自に配りながら尋ねた。
「最初っからあんたが選べばよかったんじゃないのか?」
「オレが選んでばっかだとさすがに引き出しが尽きて偏るんだよ」
とは灯一の弁。筋自体は通っている。
何週目かのループを終えたCMの音量を落としてから、まずは手前の鳴からのプレゼントから披露することになった。
「ってもあたし、さっき説明された趣旨知らなかったしテキトーなんだけどな」
予防線を張りつつ難色を示す鳴は、すっと紙袋からそのうちの一本を取り出した。
「『ホームアローン』」
「いくらなんでも雑過ぎねぇ!?」
すかさず灯一はツッコんだ。
「いや名作だけどさァ、選ぶ時三秒以上考えたか!? 今日び遠足の移動のバスでも流さねぇんだけど!」
「だからテキトーつったじゃねーか。他にも用意はしといたぞ。ワンコインのヤツ大量に」
そうにべもなく言った鳴は、残りの品を披瀝した。
コンビニか中古で買ったワンコインとは言え、歩夢でさえ覚えのある有名タイトルが十本二十本とあった。量が量だけに、それなりの金額を使ったことが分かる。
雑なのやら、効率を求めた結果の彼女なりの誠意なのやら。
「……いや、この大量のディスク雪の中持っていくのオレなんだけど」
灯一は嘆息した。
「一番マトモそうなのがこの体たらくって……」
呆れながら少年の投げた視線の先に、クリームソーダをストローで吸引している歩夢の姿があった。
「しゃあねぇ、こうなったら一番酷そうなのから行くか」
「その言われようは不本意なんだけど」
「そうだぞ、歩夢だってその……頑張ったんだ!」
「保護者が努力しか評価してねぇ時点で先行き不安なんだよなぁ! おらっ、ビシバシツッコミ入れてやるからさっさと出せっ」
強引に催促されるまま、歩夢はポシェットからパッケージを抜き取ってテーブルに提出した。
「『南極料理人』」
「お前さん、人間の心がないって良く言われない?」
自らの公約通り、灯一はツッコミを入れた。
「事前に『旧北棟』へのプレゼントって言われてたよな!? そのうえでなんでこのチョイス!?」
「でも、面白いよ」
「自分であの環境を体験しといてそんな理由でコレ出すのはサイコに片足突っ込んでるよ……で、となればトリは」
「呼んだ?」
「
士羽は烏龍茶から口を離して灯一を軽く睨んだ。
「それは構いませんが……私に対してはずいぶんとあれやこれやと注文をつけてくれましたね」
「だってお前、どうせ特撮かSFのどっちか選ぶつもりだったろ。たまにはそれ以外のものを勧めてみろってんだ」
軽くうめいて見せるあたり、完全に図星を突かれたようだった。
ムッとしつつ、
「……別に私にしても、サブカルチャー的な作品ばかりではなく、大衆向けやポピュラーな物にも目を通していますよ」
などと減らず口を叩いて強がって見せ、その自慢の推薦作をバッグより取り出した。
「『ナポレオン・ダイナマイト』」
「サブカル全振りじゃねぇか」
最早慣れたのか。士羽には冷ややかな指摘が返ってきた。
「いやまぁ良い作品だよ? でも大人数で一つのモニターで見るもんじゃないよな?」
「でも、面白いですよ」
「だからなんでお前らの判断基準そこしかねぇんだよ!? 相手の趣味嗜好に配慮しろよ! お前らの方がよっぽどダメなオタクだろうがッ」
先の歩夢の発言をまだ根に持ってるらしい含みを持たせて荒ぶる灯一を「まぁまぁ」とレンリが烏龍茶を勧めて宥める。
「こういう干物ガールズがやらかした時のために俺がいるんだ。控え選手がいて助かったな」
カラスが自分のストールの内より一本のソフトを取り出した。
「『
「一緒じゃっ!」
せっかく潤した喉を枯らして灯一は激怒した。
「邦題か英題の違いだけだろうが! てかなんで『バス男』なんだよ!? 冴えないオタクが公共交通機関使ってるぐらいしか元ネタと共通点ねぇだろ!!」
「それは配給会社に問い合わせろよ」
「そもそも少人数のコミュニティで被るような作品じゃねぇよ! 何なのお前ら、運命共同体なの」
「……不愉快になることを言わないでください」
「……まぁ俺は被るだろうなとなんとなく思ってたから、代案は用意してたけどな」
「予想してたの!?」
「じゃーん、平成ガメラ三部作」
「お前も特撮かよ!?」
「禁止されていなければ私だって推しましたよ」
「いやいや、そこ張り合うことじゃないっつーの!!」
このままいくと灯一の扁桃腺が心配になってくる、ということで、いまいちまとまりには欠けるもののその場はお開きになった。
「やれやれ、オレも用意しておいて良かったぜ」
その別れ際、鳴の紙袋に全員分をまとめあげた灯一は、聞こえよがしな嘆息とともに、部屋を退出した。
「一応あちらさんに品質改善のためアンケートも取るからな。自分らがどんだけダメダメか、客観的見地と確実な数値に基づいて証明してやっからな」
などと、憎まれ口を言い残して。
~~~
――ちなみにその後、アンケートの結果。
実際に人気が高かったのが数撃ちゃ当たるという鳴の品々。次に共感性が高かったと歩夢のモノが評価され、最下位は灯一厳選の日常系アニメで、曰く「寝たら死ぬかもしれない世界に寝そうになるもの持ってくるな」だそうだった。
「おっと相手の趣味嗜好に配慮できないダメなオタク発見伝」
「あんた、もう少し持っていくもんの吟味とかしろよ」
「納得いかねぇ!!」
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第六章:灘と、ナギサ
(1)
夏である。
アブラゼミの合唱と、毎年のごとく何かしらの記録を更新続ける猛暑がじわじわと日常を侵し始めていた。
そんな中、剣ノ杜学園の普通科二年生は、体育の合同授業。体育館ではクラスの垣根を越えて集まった女子生徒が準備運動をしていた。
汗ばむ背を押し合いへし合い手脚を伸ばす彼女たちの内に、賀来久詠はいた。
男子からの視線より保護する代わり、締め切られた室内。いかに広くとも閉ざされたスペース制汗スプレーが充満し、むせ返りそうになりながら、真顔で組まされた相手を見、そして
「なんか、シュールな光景ね……」
とこぼした。
「別段、不思議なことでもないでしょう」
学校指定の体操着をごく普通に着こなす賢人は、常のごとく冷ややかな表情。長い髪のみポニーテールに結上げている。彼女……維ノ里士羽は二人分の道具を受け取り、その片割れを久詠の鼻先に突き付けた。
「私
「……」
久詠は高い鼻筋を逸らすようにしてそれを奪い取った。
競技はバドミントンである。
部に属している一部の生徒は組まされた相手の指導員と化したり、あるいは経験者同士で本格的なラリーをしたりしている。
ではそうでない者にとってこれは果たして将来的に意味のある運動なのかという疑問も当然のように生じてくるが、それでも何も考えずに肉体を駆動させるというのは、シンプルにストレスの発散になり得た。
それにしても、と久詠はチラリ対手を見遣る。
「貴女、ひきこもりのくせに存外動けるのね」
と、冷笑を浮かべつつ、意地の悪いコースを攻めた。
だがこれも士羽はなんなくキャッチした。
「習慣のようなものですよ。『現役時代』の癖で、ある程度身体能力を保持していないと落ち着かない」
「へぇ」
打ち上げたシャトルがどちらともつかない、微妙な距離感で浮かび上がった。明確にエリアを線引きするネットは、彼女たちの間に存在しない。
迅速な片付けが出来る経験者のみに許されているというのが暗黙のルールだ。
「貴方も、たまにはこうして自分の身体を動かしてはどうですか?」
打ったのは、士羽よりだった。
「雪駆け回る駄犬を、エサで釣って動かすのではなく」
横合いから殴りつけるがごとき、強烈なショット。
わずかにテンポを外すも、久詠は難なく撃ち返した。
「……何の話だか」
「別に、聞き流すのならそれでも構いませんよ。私にとってはどうでも良いことです」
一度加速した勢いは、もはや緩めようもなかった。
自然両者の動きも、縦横無尽に飛び交う羽細工も、攻撃的なものに転じていく。
「ただ、あの『
「後ろめたさだぁ?」
久詠は周到に『敵』を出し抜かんとするも、士羽はそれを読んで淡々と返していく。むしろ変則的な自身の動きに、久詠はかえって足を取られているようでさえあった。
「アレを、甘く見るな。自分もまた、ある程度の悪戯を許容された飼い犬であることを、忘れるな」
その応酬が佳境に達した刹那、今度は士羽の側より奇襲的なスマッシュが繰り出された。
直前の無理な姿勢からの不意打ちによって均衡を崩していた両脚の間をすり抜けて、シャトルは体育館の板張りの床に叩きつけられた。
気がつけば、彼女たちのラリーはネット組よりも衆目を集めていた。
薄く沸いた汗を拭い、体操服の裾を軽く整えてから、士羽はゆったりとした所作でシャトルを拾い上げた。
ちょうど組み合わせが隣にスライドする時間だった。
彼女たちの新たな相方は、薄ら寒そうな表情を浮かべて強張った声で「よろしくお願いします」と挨拶する。
だが、久詠はどう見ても文化部な自分の相手役に、柔和な笑みを取り繕いつつも、後ろ手に回したラケットを握力でギシギシと撓ませた。
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(2)
賀来久詠が花見大悟の詰める本棟保険室に早足で乗り込んで来たのは、ちょうど彼女の体育の授業が終わった直後のことだっただろう。
入るなりに椅子を転がしていた大悟を女子高生らしからぬ腕力で吊りし上げ、ベッドへと押し倒す。
「なんだよ」と暴力の理由を問うよりも素早くシャツを搾り上げて、睨み据えて、
「あんた、維ノ里士羽に井田典子とか南部真月の件、漏らしたでしょ」
と、言葉を取り繕う余裕もなく質してくる。
「……話してはいない」
目を逸らし、着衣の乱れを直しながら大悟は言った。
「そうじゃないなら、あんたの迂闊さから漏れたのよ。でなきゃ、露見するもんですか」
だが、そうしている間にも怒れる女の膝が、睾丸を潰す間合いにまでにじり寄って来る。
客観的に見れば薄く汗を発散される体操服の女子高生に詰め寄られるという、なんとも煽情的な構図ではあろうが、当事者としてはたまったものではなかった。
(結構穴だらけだった気もするんだがな)
と言い返せば、その時点で男としての命脈が断たれそうだったのでそれについては黙ることにした。
代わり、遁辞をかます。
「僕と維ノ里士羽は、例の騒動から最近まで接触自体がない。そのことは
久詠の膝が引いた。怒りが引いた。ベッドから後退していく。
そう、といつもの典雅で高飛車な調子を取り戻した彼女は、くるぶしを切り返すようにして出入り口へと向かった。
「――貴方、どっちの味方?」
最後にそう尋ねた『同僚』に、白衣の襟元を正しつつ答えた。
「誰の味方でもない。政府の指示に従い、その時々で一定の勢力に肩入れし、学園内の勢力のバランスを保つ。それが僕の仕事であり……そこに、僕の意志など関係ない」
なんて面白みに欠ける答え。
そう言いたげに、賀来久詠は筋の通った鼻を逸らした。
~~~
そして、彼女が去っていった。
取り残されたのは起き上がった花見大悟と、
「『最近まで』は、な」
そして、カーテンで仕切られた向こう側にいる少女ひとりであった。
自らその帳を払った彼女、維ノ里士羽は着の身着のまま攻め込んで来た久詠とは対照的に、きっちり制服に着替え終わっていた。
『最近』という曖昧な時間的表現の中に今この瞬間を組み込むか否か。
そこを都合よく解釈し、己の言い訳とできるのもまた、大人になった者と特権と言えるだろう。
「保健室の住人同士、私と貴方が接触しないほうがむしろ不自然。少し考えればその嘘に気づけようものだと思いますがね」
「嘘じゃないな」
ケトルで沸かした湯をパック式のインスタントコーヒーに注ぎつつ、大悟は言った。
「実際、僕が意図的にお前との接触を避けていたのは事実だ。何しろ、お互いに中立的立場だからな。相互不干渉、というのは基本的かつ理想的なスタンスだろう」
そう言いつつも、大悟は安っぽいマグカップに入れたコーヒーを士羽に手渡した。
鼻白みつつも、士羽はそれを受け取った。
「今は違う、と?」
「違わないさ。過度に接触を断つというのもまた不健全な在り方だろう」
それに、と言い添えて、自分の分を煎れ始めようとした。
だが湯量が足らず、ケトルに水道水をつぎ足していく。
「お前の観察も仕事のうちだ。政府も多治比も、お前に未だ興味を失っていないからな」
水音にまぎれて告げた語句に、少女は渋く眉根を寄せる。それでいて、皮肉げに口端を吊った。
「……オモチャを取り上げて大人になれと諭した連中が、ですか。今度は向こうが参考書か勉強机でも買い与えてくれるとでも?」
本人としてはクールに余裕を示したいところなのだろうが、未だ彼女の中でくすぶる幼稚さと心的外傷が、それを許さないのだろうというのは精神医学に通じずとも汲み取れることだった。
だが彼女はその興味の由来を、よくわきまえているはずだった。
「むしろ教えてもらいたいんだよ……何故お前は、レギオンとならずに済んだのか」
輪王寺九音、多治比衣更ほか、二年前の『翔夜祭』にて巻き込まれた者、特に中心近くにいてまともに 『被爆』した者は総じてレギオン化した。それでない者も心身の均衡をバランスを崩し、後天的に怪物となった者や、征地絵草や白景涼のようにその寸前でホールダーによって因子を摘出された者がほとんどだ。
にも関わらず、そのシステムの開発者にして至近で上帝剣の余波を受けたはずの士羽だけが、怪物化の兆候さえなかった。
何故なのか、と思いつつも後回しにされていた疑問が、件の『征服者』の話もあってにわかに重要性が増してきた。
――つまり彼女こそが、『剣』に選ばれ、世界を滅ぼすその適格者なのではないか、と。
幸いにして今現在は明確に自我を保ち、かつ『鍵』自体は抽出できている以上、その可能性も否定こそされているが、その兆候を皆の前で説明したのは彼女自身だ……何者からの受け売りであるにせよ。
その士羽が怪しいともなれば、彼女が唱えた前提自体を疑う声も、そろそろ出始めるころだろう。
黒い水鏡にみずからの顔を写し取った少女は、何も答えない。
士羽にしてもその説を確信していなさそうだったし、他の誰よりも真実を知りたいのは彼女自身であるはずだった。
大悟の方からもそこを追及しようとはしなかった。士羽が今、そのことにどう思いを馳せ、苦しんでいるのか。
それこそ、干渉せざるべき乙女の深奥というやつだろう。
――実のところ、例外は
「あの女、またこちらにちょっかいをかけてくるつもりでしょうかね」
問われた側としてはやや強引に過ぎる話題の切り替えであった。
目的や狙いについては、直接的に確認しようとはしてこない。
士羽は大悟が味方ではないということをよくわきまえていたし、そもそも心当たりのあることなのだろう。
そして対する大悟もまた、天井に茫洋と視線を投げつつ、答えた。私見や偏った情報提供ではない。
これは、あくまで賀来久詠の人格から判断した時に誰しもが思いつくような、安易な予想だった。
「またどうせ、ろくでもないこと考えてるだろうよ」
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(3)
――果たして、大悟の推量は的中していた。
(本当はここに来たくはなかったのだけれども……いや、まさに今、ここに来るべきではなかった)
その部屋の片隅で待たされている間、そのろくでもない人格と思われている賀来久詠の心には、時間の経過とともに後悔が重きを増していた。
剣ノ杜学園南洋分校。
今彼女の目の前に広がるのは、資金力にモノを言わせた広大な『私室』。
プライベートな大型プールが併設され、ヤシの木が植樹され、空調はやや温暖と思える程度に調節されていた。
そしてその太く育った幹の合間にかかったハンモックに、一人の男が寝そべっていた。
見るからに屈強な男である。他者と争い、そしてありとあらゆる者たちから勝利も栄光も、富も力も、すべてをもぎ取るために生まれ落ちたかのような漢であった。
丸太のごとき腕には薄く血管が浮き出、濃い陰影と猛禽類にも似た鋭い双眸を持つ顔立ちは存外に眉が細く、その不均衡が逆に本人に凄みを与えていた。
図書館の特設コーナーのごとく、平に積み上げられた専門書や哲学書に囲まれながら、そのうちの一冊を手に取って、ゆったりとページをめくる。
いくらここに来た用件を語ろうとも、まるでその存在そのものを否定するかのごとく無視されていた。
まるで客を待たせているという自覚の一切感じられないそのふてぶてしい所作に、久詠のプライドはいたく傷つけられた。
「……以上のように、維ノ里士羽は中立面で隠遁しているかのように見えますが、方々に介入しその行動には公正さが欠けています。何やら恣意私欲的なものさえ感じる始末で、これを誅罰したいところではあるのですが、その無頼の勢力に『委員会』も手を焼いております。そこで何卒南洋の皆さんに手を貸していただき、学園内に平穏を……」
ついにしびれを切らして二度目の説明を初のごとく切り出した久詠だったが、そこでようやく男にリアクションがあった。
本にしおりをさし挟み、紙の塔の最上段に積み直すと、重たげに口を開いた。
「誰の友にもなろうとする人間は、誰の友人でもない」
「は?」
「植物学者ヴィルヘルム・ペッファーの言葉だ」
などとインテリジェンスをほのめかしつつ、全身を包む暴の気配と威圧感はそのままに、男は横顔を久詠へと振り向けた。
「たくさん『お友達』を作っているようだな、賀来久詠。南部真月もそう説いたか?」
などと口にした時、久詠は心臓をわしづかみにされた気分だった。浮かんだ冷汗を驚きの声をひた隠すのに必死だった。振り返ったその顔を見れば、より動揺を隠せなかっただろう。
――知っている。気づいている。こちらの動向と真意に。
本校の裏側にもおよぶ高度な
己独りが支配する、この王国を。
それこそがこの男、剣ノ杜学園南洋分校校長、
自身も、学園においてさえ稀なグレード5の『ユニット・キー』の保持者である。
クク、と喉奥を鳴らすと、みずからが今まで読んでいた一冊を積み上げ、やおら立ち上がった。
その彼が、自分のすぐ前で止まったことを、その威圧感から久詠は察した。
――まともに、顔が上げられない。
図らずもそれが、まるで圧倒的強者に慈悲を乞う奴隷がごとき構図となり、久詠は死角で唇を噛みしめた。
「いつでも潰せる。時を選ばず壊せる。何時であろうと殺せる。誰であろうとなんであろうと、今この場にいる貴様であろうと。それが我らよ。おのれの肉体の震えをもって記憶とするが良い」
ただまぁ、と語を区切って猛は尻を久詠に向けた。
「蛆虫どもが湧いてはもつれ合う様というのは、見ていて気色の良いものでもないことも確かだな」
「では……」
「クク、今回は貴様の哀願に応じてやる。一息に踏み潰してやるのも一興よ。その後どうとでも処理するが良い……その前に、腹ごしらえだ」
自身への重圧が薄れ、顔を持ち上げた直後に久詠は軽く悲鳴をあげた。
舌なめずりをしながら横顔を向けた猛は、シャツもジーンズも脱ぎ捨てて全裸となっていた。
一分の隙もなくトレーニングと実戦とで鍛え上げられた、たくましい筋骨が露わとなり、鞣した獣皮がごとき、焼けた肌がガラス越しに注ぐ陽光を照り返す。
要するにこちらの眼差しや言い回しから久詠は貞操の危機を感じたわけだが、両腕で我が身を抱えるようにしていた彼女の臆病さを、男は高く筋の通った鼻で嗤った。
「なにを期待している。貴様のごとき蛆虫、抱く価値などない」
と、それはそれで女のプライドをいたく傷つけられる物言いに憮然とする久詠を捨て置き、
「お相手は、コレだ」
と言うや、彼はプールへと飛び込んだ。
高いしぶきが上がり、淡水が飛び退いた久詠の頬にもかかる。
だが、そのしぶきは収まるどころか、より激化していく。
そして水の中で蠢く影は、その大男のものだけではない。彼ほどの肉体に倍する、異形の影があった。
その巨影ともつれ合いながら、猛の肉体が水面へと急浮上した。
「なっ!?」
もうひとつの影の正体に、久詠が声をあげて驚愕することを、何人であっても嘲笑することはできまい。
ついぞ日本の水域では目にすることがない、怪獣の姿がそこにはあった。
岩石のごとき外皮。長い尾。鋭い牙。平たい肉体。
ワニであった。
(それも、イリエワニ……!)
最大にして六メートル、人間を呑み食らったという報告も多々ある、インドやオーストラリア周辺に生息する危険種。
写真で見たものよりは多少小さいが、それでも四メートルはゆうにあろうか。余裕で人間を殺傷できる体格だ。
加えてその眼は血走り、相当に興奮している。薬物によるものか、極限まで食事を抜かれたものか。
一度は猛に喉輪を締められていたそれは、水中でロールするとともに彼を振り切り、その敵、あるいは
だが猛に無念の表情はない。まして、臆した様子など欠片もない。
「は――っ、来いっ」
傲然と笑い、修羅が拳を握り固める。
「あれ? なんか学校の前に救急車とパトカー停まってんだけど」
「なんか校長がワニに食われかけたんだって」
「あと動物虐待とワシントン条約? とかでそのまま逮捕されるんだと」
「あのオッサン、バカじゃねぇのか」
この後本家が動物園のゴリラに負けるという展開に敗北感を味わったのは俺なんだよね
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(4)
猛暑である。
何もせずともじっとりと汗が浮かび、電子機器の数々が発する熱は、強めの冷房をも打ち消す。
「あっづ」
と鳴が短く苦悶の声をあげた。
声にするな、余計に暑いと内心で毒づきつつも、歩夢はあえて言わなかった。良識が働いたからではなく、ただ口を開けばなおさら暑苦しさが増すと知っているがゆえだ。
わずかな労力さえ、惜しむべきだった。
だから歩夢は何も言わず、備え付けの冷蔵庫を開けた。
冷やしたドリンクはとうに使い果たし、入れ直した分もまだ温い。
仕方なく、野菜室を開けた。
そこにあったのは黒い球体である。縮こまって小刻みに震えているそれを抱きかかえると、いい塩梅に冷えていた。
「お、考えたな」
と鳴は何の気なしに感心してみせた。この女、暑さにやられて若干感覚が麻痺してると歩夢は思った。
「……君たちは、人の心をどこに置いて来たのかな?」
その黒い球は訴えるような声をあげた。
言わずもがな、その正体は暑苦しさのあまり十数分前に冷蔵庫にぶち込んでいたレンリである。
「良いじゃん、長門の再来と呼ばれたわたしの膝に座れるんだよ」
「こいつどんどん烏滸がましくなっていくなぁ! お前が読書してるシーンなんて今まで一秒たりとも観たことないんですけど!?」
と訴えかけてくるが、体温が戻ってくるからヒートアップしないで欲しいものだ。
自分でも悪いかなと歩夢は思っていたが、そんな倫理観など塵芥に感じてしまうほどの暑さである。
「いっそ、窓開けちまえば?」
モニターと睨み合って何事かの作業あるいは調査をしている士羽に、鳴はそう提案した。
「蝉がやかましいから、嫌です」
対する答えは、とりつくしまもないものだった。
「締め切って風通しが悪いから余計に暑く感じちまうんだよ」
と鳴が毒づいた、その転瞬。
にわかにその風通しが良くなった。物理的に。
小柄な影に窓ガラスは蹴破られ、その破片を孕んだ暴風が踊り込んでくる。
歩夢は悲惨するガラスを、巧妙的確かつ広範囲に渡るゾーンをカバーして凌ぎ切った。
「あんぎゃー!?」
当然その防壁となるのは手近に存在していたレンリである。
「くそっ、こんなところにまで踏み込んで来ちゃってまぁ!!」
呆気に取られるその他面々をよそに、外から保健室に闖入してきたその影は甲高く声をあげて毒づき、窓の下の壁に回り込む。
とりあえず、窓が開け放たれたものの、蝉の合唱に悩まされることはないだろう。それさえも打ち消す強烈な騒音が、一瞬後には周辺を占領していたのだから。
その乱入者を追ってやって来たのは、二人の凶漢。いずれも口髭顎髭を生やした強面ではあるが、寒色系のカッターシャツを着ているあたり、信じ難いことに学生なのだろう。
彼らのそれぞれの右手には、牛の軛、鎹のような代物が握られている。
色こそマリンブルーに塗装されているとは言え、鳴と同じ形状。CNタイプとか言うストロングホールダー。
死角より軽く覗かせた歩夢の横顔に向け、中央のトリガーを引かれる。光弾が怒涛のごとく押し寄せてくるのをふたたび潜り込んでかわす。
自然、その場に居合わせた全員が、窓の下に列を成して集結することになった。
つまりはこの襲撃者らは自分と『同業者』で、従って推察するならば、この乱入して来た影……ノースリーブのパーカーにショートパンツといういかにも真夏を満喫中という少年もまた、同じ境遇。
「……オレのターンだ!!」
隣接するその少年が突如として大音声を張り上げ、歩夢の鼓膜を揺さぶった。
その声に呼応するかの如く、保健室のタイルを突き破って一つの機影が現れた。
銀色を主体とする、ブリキ質のレトロフューチャーチックな潜水艦。それが少年の左手の甲に吸い付いた。
「オレはグレード3『キャプテン』を出航させるッ」
〈出陣・キャプテン〉
メカニカルな起動音とともに、機体の背から突出するように展開した数基の鍵穴。その手元側に挿し入れたのは、もちろん『ユニット・キー』。
舵輪を背に骨を交差させた髑髏という、海賊お決まりの装飾がついたそれは、ねじ回された直後に光線となって保健室の外へと射出された。
そして光の帳を払って現れたのは、堂々たる体躯を持つ怪人である。銀色のボディに三角帽を被り、擦り切れたコートを羽織る姿は、ミスマッチで異形感が露骨に滲み出ていた。顔のパーツは十文字傷のごときバイザーのみという潔いまでのシンプルさだ。
「『キャプテン』が場に召喚されたことにより、特殊スキル『
(うっさいなぁコイツ)
「この能力はあらかじめホールダー内にセットしていたバトルのルールを、この場の『キャプテン』のグレード以下のユニット全てに『非殺傷モードの設定』『タッグマッチ』『ターン制バトル』、この三か条を適用する!!」
その宣言の直後、彼の使役する『人造レギオン』が、右手に該当する
すると、さっきまで蝉よりも煩かった銃声がピタリと止んだ。
覗き込めば、凶漢どもの口惜しげな表情が見えた。
ガチガチとトリガーを鳴らしているが、一向に発射される兆しが見えない。
「……だが、そのルールはテメェにだって掛かってくる! 『タッグマッチ』が適用されている以上は反撃出来ねぇだろう!」
「
そうがなり立てる連中だったが、すでにして彼ら持ち合わせは無力化されている。
そのことをよく承知しているのか、ヘンと喉を鳴らして胸を反らし、再び彼らの視界に我が身を晒す。
「そいつはどうかな」
そう嘯くや、手を伸ばして歩夢の襟首を掴んで、野良猫よろしく引き立たせる。
「オレは、近くにいたこのオンナノコをフィールドに召喚!彼女とタッグを組むことで、ルールをクリアする!」
プピー、と空気の抜けたビニール人形のような佇まいと表情でいる歩夢の肩しっかと抱き、ニッカリ白い歯を見せた少年は、
「よろしくな、相棒!」
……激流の中、川底に沈む小石の如く、この怒涛の急展開を適当にやり過ごすつもりでいた歩夢は、唐突に巻き込まれたことでその精神的努力が水泡に帰したことを悟った。
そんな彼女に出来ることと言えば、いつものように仏頂面で、フラットな感じに、
「は?」
と聞き返すことだけだった。
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(5)
無理矢理室外へと引っ張り出された歩夢は、とりあえずは外履きのローファーと自身のキーとホールダーを身につけさせられていた。
そして隣には、
「頑張ろうな!」
と、暑苦しいほどに目を輝かせる少年である。
その素性は定かならずとも確かなことは、ひとつ。
「わたし、こいつ、きらい」
「だろうな」
個人的感想に応じたのは鳴である。
「だったら何とかしてよ」
「悪い、今ガラス片付けんのに忙しい」
「おい優先順位」
塩対応ここに極まれり。
頼みの綱はレンリではあるが、こっちもこっちで矮躯を割れた窓べりに覗かせつつ、
「いや、非殺傷設定がルールに追加されたんだろ? 使うのがユニット・キーである以上その
などと完全に他人事ないし無責任な親心の腹積もりのようだった。
「コードの発動によってテメェは行動を消費、よって先行はもらったぁ!」
ひげ面の強盗がそう叫んだ。心なしか、上体と声が前のめりになっている気がする。
「俺様はこのターン、『ガンスリンガー』のユニットを起動させ……
「俺様て」
歩夢のツッコミは妙にヒートアップする場の雰囲気に流され、宣言どおりにかざされた『銃口』は、汀と呼ばれた例の乱入者へと向けられた。
「ブロックだっ、『キャプテン』!」
また小うるさい甲高い声で少年が命じる。通じたのは意思か、音声か。
海賊船の船長じみた格好の怪人は、射線の前に飛び込んだ。発射された光の弾丸よりも速く割り込んできたソレは、その攻撃をすべて受け切った。
火花がその胸板や肩口で爆ぜる。金属質な音が響くも、これといったダメージは見受けられない。
にも関わらず、
「ぐっ!」
と少年は顔をしかめつつ、でありながらも、
「へっ、そんな一辺倒な攻撃が通じるかよ!」
と汀は得意げな表情を浮かべてうそぶいた。
「いや、だったらなんでダメージ喰らった風なの」
このツッコミもスルーされた。
制限されたのは時間か、弾数か。
またある程度射撃を行ったホールダーが、ある時を境にピタリと停止し、攻撃が止んだ。
「……ターンエンド……ッ」
男は悔しげに呻いた。
――それでもやはり、どことなく、興に入っている様子が見受けられた。
その後、しんと沈黙が場に降りた。蝉の声が当然のように蘇りつつあった。だが、ふしぎなことに保健室内で過ごしていた時よりも、気にはならなかった。
その間、全員棒立ち。
やがて痺れを切らしたように、男たちが爪先で中庭の土を削り始めた。
「ほら、キミの番」
助け舟のつもりなのか、汀が耳打ちする。
「いや知ってるけど」
汀が終わり、敵の片割れの手順が終わった以上、自分のターンだ。
順を追い筋道を立てていけば、このゲームのルーキーたる歩夢にも分かる。
だが、軽く両腕を持ち上げて少女は宣った。
「このまま何もせずいれば、戦いは続行できずに平和が生まれる」
……などと。
なるほど、と一瞬少年は理解しそうになって
「いやいや、そんな武道家の悟りめいたコト言って煙に巻かないでよ!」
と苦情を言い立て、「そうだそうだ」となぜか敵側も同調する。
「それじゃ練習になんないだろ?」
と、クソ鳥も背後から他人事のように囃し立てる。
さてはこいつ、ガラス避けに使ったことをまだ根に持っているな、と歩夢は踏んだ。
「…………」
最早言っても無駄なことは何も口にすまい。
『軽歩兵』の駒を差し込み、空中に光の剣を展開させた
むろん、やる気のない攻撃である。標的を定めない雑な攻め口、事務的で単調な軌道。むろんそれはたやすくかわされる。
「へっ、痛くもかゆくもねぇぜ!」
(そりゃあ、当たってないし、当てる気ないし)
最低限の役割を果たして、すごすごと歩夢は靴を履いたままに室内に引き下がった。
「やる気も力量もねぇ相棒を持つと苦労するなぁ、汀! 次は俺様の」
と、言いさした瞬間、早くも後退の兆しを見せる前髪がふわりとわずかに持ち上がった。風を感じただろう。だが次の瞬間彼が感じたのは、硬い鉄の感触と重さだっただろう。
スレッジハンマーのごとく、細い棒に分厚い板の張り付けられたもの。保健室にあるものでその形状と言えば、身長計に他ならない。それが顔面に激突し、ごひゅっ、という不健全な呼気とともに鬚面の男が仰向けに倒れた。
「なっ、なんだぁっ」
とその片割れが驚愕するのも一瞬のうち。今度は彼の鼻面に見舞われたのは、もとい保健室内に入って凶器を物色していた歩夢が投げつけたのは体重計であった。
いずれも身体強化の恩寵を得た歩夢から繰り出された投擲であって、その威力……そもそも持ち上げる腕力自体がもはや一般的な女子高生のそれではない。
とはいえ向こうとて強化されているのだから、昏倒はしても命までは取るまい。『衛生兵』も所有している。
ホールダーによる攻撃が封鎖されているなら、物理で圧せば良い。それが中断もボイコットも許されない少女の解答であり、この異常にお気楽な
「ってオーイ!!」
その歩夢の決断に異論の声をあげたのは、レンリであった。
「なに?」
「ノってやれよ、ルールは守って楽しく試合してくれよ!? こんな残虐ファイト、今日びヒールレスラーでもやんないよ!? だよな、汀……とか言ったか」
「いやまぁ、良いんじゃないの? そんなもんオレが楽しめるように設定しただけだし、マナーを破って奇襲仕掛けてきたのはそもそもこいつらだし」
「あらやだこのコ意外とリアリスト!?」
同意を求めて来たカラスに驚く様子も見せずに、後頭部に手を回しつつごく自然体に受け答えする少年。そんな彼に、室内から士羽は冷ややかに、かつ迷惑そうに声を伸ばした。
「ここは、駆け込み寺ではないのですがね……
「似たようなモンだろー?」
散々に巻き込んでおきながら、悪びれることなく、だがそれら一切が許されて流されてしまうような、嫌味も屈託もない感じで少年は白い歯を莞爾と笑いかけた。
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(6)
オレの名前は深潼汀!
この春、幼馴染の
本校から提供された『ユニット・キー』とそのシステム。それを校内に広めて悪用し、生徒たちを自分の兵士にしようという校長一派の陰謀を知ったオレたちは、それぞれに維ノ里博士の協力を得て立ち向かうべくキーを手に取った!
みんなの自由と楽園はオレたちが守る!!
……だけどその時、灘の口から信じられない言葉が出てきて……
「父さん……ッ」
~~~
「――ってのが、ここまでのカンタンな
「途中の決意表明の下り蛇足じゃない?」
潰した無頼の連中は命を止める程度に『衛生兵』で治療し、庭木に縛って放置。例のごとく、諸組織の息のかかった教員らが荒事に干渉してくる様子もない。
そしてもうひとりの乱入者、深潼汀とやらは悠々と、自分が通気性を良くした保健室で、椅子の上にあぐらをかき、身体をくるくると回す。
その姿を、歩夢は改めてまじまじと見つめた。
本人の活発性を象徴するかの如く方々に跳ね回った、やや襟足の長い、色素の薄い髪。
歩夢ほどではないが、華奢な身体にそれを支える細い手足。
所作そのものは粗野ではあるものの卑しさを感じさせず、むしろ爽やかささえ感じさせるのは、顔立ちそのものは永い睫毛に気品ある端正さを持ち合わせているからであろう。
……もっとも、『図々しくて馴れ馴れしくて厚かましい』という歩夢のファーストインプレッションは、外見的美点だけでは容易に拭い去ることはできないものであったが。
現に視線がかち合った瞬間、にんまりと唇を吊って指先を伸ばしてくる。
ふしゃっ、と荒々しい呼気とともに、歩夢は無表情でその手を払いのけた。
「こら歩夢っ! ゴメンなー、こいつ初対面のヒトには全然懐かなくてな」
「ははは、良いって良いって。帰省するとウチのキーちゃんもこんな感じだし」
懲りずにちょっかいを出してくる汀をフシャフシャと威嚇するも、まるで顧みる様子もなし。完全に猫扱いであった。
白衣の姫君は、そんな彼女を冷ややかに見返した。
「適当に遊んだのなら、さっさと巣に帰ってくれませんかね。ガラスの弁償代だけ置いて」
「悲しいこと言うなよ博士~、ウチがちょっと困ったことになってんだよー!」
と、余人は遠慮し、忌避してしかるべき士羽のパーソナルエリアにもお構いなしに踏み込んでいく。首ったけにかじりつくように飛びついて羽交い締めに。即時振り払われそうなところを食い下がる。
「……博士て」
「まぁ一応もう博士号持ってるしなー」
呆れたような鳴のぼやきを拾って答えたのはレンリである。
なんでも知っとるわぁこの鳥公、と思う傍らで、ついに汀が引きはがされた。
「困ったことと言いますが、トラブルメーカーである巌ノ王京分校長が入院と逮捕された今、何があるというのですか」
「そうそう、あのはた迷惑なオッサン、灘の親父バレした後なんやかやしてたらさー、いつの間にやらワニと戦ってフッツーに負けてたんだよね」
すごすごと自分の席に戻りつつ、人生で一度言うかどうかというパワーワードをさらりと吐く。
それにしても、窓ガラスを割って銃撃戦に巻き込んできた少年のセリフではなかろう。そんな当たり前のツッコミは今更誰も行わないのでスルーされて話は進行していく。
「その後、ようやく平和になると思ったんだけど、逆に校長がいなくなって無法地帯化しちゃったのよ」
「何しでかすか分からない分、図らずも方々への抑止力となっていた、というわけですか」
そーそー、と適当な感じで汀は相槌を打った。
「まぁほとんどゲーム感覚、半ばプロレスみたいなもんだけど、外にるあの連中みたいな問題児ばかりでさ」
「だからあんたが言うなって」
「それでしばらくもオレも灘も、そういったゴロツキ連中の鎮圧に明け暮れていたわけなんだけど」
あぁ、とそこで何かに思い至ったらしく、やや間を置いて彼はパーカーからスマホを取り出した。
マリンブルーの薄っぺらい端末のディスプレイ。その待受画面に、一組のコンビが写っている。
ひとりは言わずもがな汀自身で、もうひとりは同年齢の少年。
頬を擦り合わせんばかりの過剰なスキンシップとともに、自分たちをファインダーに収めようとする相棒に対し、居心地そうな、気恥ずかしげな表情をアンダーリムの眼鏡の裏で浮かべている。線の細い文学青年といった印象で、汀とは好対照だった。
「このメガネが澤城灘ね。さっきも言ったけどオレの幼馴染で、なんとまービックリ、校長の息子だってさ。で、コイツがさ」
と一度間を置くと、少年は落ち着きのなかった膝を抱え込むように折り畳んで、声のトーンを落として本題を切り出した。
「学校の中で行方不明になったから、捜すの手伝って欲しいんだ」
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(7)
「学校で」
「行方不明」
鳴が言葉を発し、レンリがそれを継ぐ。
その連携が妙に気に食わなくて、肘鉄をカラスの頭頂に突きおろし、
「それって、
むぎゅと潰れたそれを上から会話に参加する。
「うんにゃ、
かぶりを大仰なほどに振って答えた汀が言うには、こうだ。
先にも伝えた通り、巌ノ王京なる分校長が話の流れとか衝撃の事実とか来るべき本校への介入だとかまるで無関係のところでワニと戦い重傷を負って後、南洋分校内ではその不在の隙を突いて新興勢力が台頭。キーやホールダーがらみの利権や力を巡って内部抗争が勃発して日々その勢力図を塗り替えていた。
その事態を憂慮した自称自警団、深潼汀と澤城灘は、各勢力の鎮圧に乗り出したのだが、その戦いの最中に、例の灘という少年が姿を消した。
もちろん汀としては学内外を問わず方々を捜しまわった。が、どこにも姿が見えない。
ヘタをすると本校以上の設備システムを導入した分校においては、生徒の入退をも記録、管理がされているらしいが、その下校の記録さえもないままに、一週間、二週間と経過していた。
唯一の目撃情報によれば、ふらふらと、どこかに誘われるように建物の影に入っていったらしいが、その後の消息は具体的なポイントや移動先などはまるで見当もつかなかったという。
「……その後もオレはあいつの行き先を探していた。でも一向に見つからないばかりか、ああいう手合いに襲われる始末だ」
汀はお手上げとばかりに両手を軽く持ち上げ、その姿勢のままベッドへと仰向けにダイブした。
「襲われる心当たりは」
まるで気のない町医者のごとき、平坦でなおざりな士羽の問いに、汀は続けて答える。
「ない! ……って言いたいトコなんだけど、正直怨みは買ってるだろうしなぁ。一応あいつらにも聞いてみたんだけど、金で雇われただけみたいだし」
そう言いかけた時、ふと思いついたことでもあるのか、秒ごとにせわしなく動いていた汀の四肢が、ぱたりと力なく垂れた。
「……ひとつ、有力な心当たりがあった」
「それは?」
士羽が再度問う。いい加減に冷えてきただろうと、冷蔵庫よりカルピスを取り出した。まだ冷えが甘いとは感じるが、それでも渇きを癒すには足る。
「あいつが消えた後、入れ替わるようにひとりの男が現れた。おそらくは本校を入れても有数のホールダーユーザーの灘が消えて、均衡が崩れたせいなんだろうな。そいつはまたたく間に学園内に一大勢力を築いた。オレも一度だけ出くわしたことがある」
「そいつの名は?」
さすがに未知の敵、それも鍵とホールダーを悪用する相手ともなれば、さすがに無視は出来かねるらしい。
いくばくかは興が乗ったような調子で、士羽が尋ねる。
剣呑なその様子に当てられてか、汀の真剣味も増していく。
だが何を思ったのか、クピクピと飲っていた歩夢のカルピスを横合いから奪い、それで唇を湿らせた。
そして腹を括って飛び降りるかのごとく、汀はその人物の名を告げた。
「そいつの名前は、スペクターN!!」
……入道雲が、割れた窓から緩やかに流れていくのが見えた。
この一、二分間は空気を読んだかの如く静まりかえっていたアブラゼミが、再びの合唱を始める。
「いや、ふざけたマスクをつけてたから顔とか分かんなかったけどさ、灘を追っていたオレの前に姿を見せたんだよ。クセの強いボイチェン仕込んでてマジで半分ぐらいしか聞き取れなかったんだけど、『お前を対等に戦うために僕は生まれ変わった』だの『澤城灘は死んだ。だが生きてもいる』だのふざけたこと言って消えちゃってさあ。多分、外のヒゲもそいつに雇われたんだと思うんだけど……くそッ、いったい何者なんだ……スペクターN!」
握る拳を固めて憤る汀。対する三人は、クーラーなど不要なほどに冷ややかな反応を見せていた。
一度は彼の方角を向きかけてきた士羽などは、完全に興味が失せたように機材のお相手に戻っていった。
「放っといていいんじゃない?」
「なんてヒドイこと言うんだ!?」
あからさまなオチを察して適当な調子で締めくくろうとした歩夢に掴みかかって汀は揺さぶる。
殴り返そうかと思った矢先、転身してカラスを抱きすくめる。それを邪険に取り払うと今度は鳴の胸に顔を埋めんとして難なく回避され、今度は士羽に再度猛接近する。
「なぁ頼むよ博士! 『委員会』はいつもみたくチガイホーケン云々カンヌンって取り合ってくれないし、特に副委員長は南洋の名前出した瞬間めっちゃ嫌な顔して門前払い食らわせてくるし、もう博士たちしか灘のこと捜せそうなヤツいないんだよ〜!」
だが生憎にも、抱えて胸板に押しつけているその石頭は、極めつきだ。一度拒んだら徹底的に関わりを断つのが、この維ノ里士羽という女で……
「良いですよ」
という、女、で……
「ってふざけんな」
歩夢の罵声をそれこそ完全に無視して、博士は心の読みにくい表情のままに、汀に諾意を示した。
「えっマジで!? いやー、試しに言ってみるもんだな」
「ダメ元だったのかよ」
突っ込む鳴は冷ややかだが理性的に、さらに疑問点を挙げた。
「でもさっき言ってたけど、警備どうするんだよ。本校の生徒ったって学園自体に簡単に入れないって聞いたことあるぞ」
「夏休み中にオープンキャンパスだかなんだかがあるでしょう。一部施設が一般開放されてるから、そこを足がかりにスペクターNだか澤城だかを探れば良いでしょう」
「おう、サマフェスな! オレもそれが楽しみで入学したんだけど……そうだよ! 良ければゴタゴタ抜きにしても遊びに来てくれよ!」
説明に最中にすでに決意していて、構想を巡らせていたのか。あるいは即興なのか。すぐに作戦案を提示してくる士羽に、自分から持ちかけてきた問題そっちのけで遊びに誘ってくる汀。その温度差に苦い顔を隠さず、鳴はため息を吐いた。
「にしたって、あたしら休日返上かよ」
その苦言はもっともだが、そんな事情に斟酌できるような女なら、もっと円満な人間関係を築いて順風なスクールライフを送っていたことだろう。
「どうせ、大した予定などないでしょうに」
そんな歩夢の見立て通り、まるでそんなことなどお構いなしに、多少の人情があれば言えないことを容易に吐き捨てる。
「そうでもないよ。パリピごと世界を滅ぼす予定が入ってる」
「…………いやいや、冗談でもそういうことを言うなよ!?」
軽く小粋なジョークのつもりだったが、レンリに声を大にして叱られた。
自分でもその声量に驚いたかのように、カラスはつぶらな碧眼を大きくさせつつ俯きがちになった。
「で、そういうあんたはいつものように快適な部屋で引きこもりってわけ」
そのレンリは気にはかかるがひとまず置いておいて、皮肉な調子で士羽に畳みかける。
だが返って来たのは、意外な言葉だった。
「あいにくと私も夏休みを堪能したい気分でね。一緒に行きますよ」
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(8)
士羽の発案をもとにおおよその段取りも決まり、また細かい打ち合わせはLINEでということになった。
自分に一生涯、サービス終了まで縁がいと踏んでいたであろうそのライトグリーンのアプリケーションを勝手に入れられ、グループに入れさせられ、歩夢は憮然と自身のスマホのアイコンを睨んでいた。
「ところで」
と、汀は例のごとくソワソワと微動をくり返しながら、ふとレンリを指差して尋ねた。
「なぁなぁ! なんでコレ喋ってんの」
「今更かよ」
本鳥が我よりツッコミを入れる。
実は士羽も、そのことに疑問を抱いていた。
あの珍し物好きの汀が、今の今までこの怪生物に注意が向かなかったなど、あり得るのか?
たとえ、灘の失踪により漫ろになった集中が、歩夢というニューフェイスに向けられたためだという分かりやすい理由が用意されているにせよ。
だがそれに対しての明確な答えは結局そのクチバシから出ることはなく、その場は割れたガラスの応急処置のみ皆で終えて解散となった。
まるで彼女の疑念を読んだかのようなレンリは、部屋に残っている。
「珍しいじゃないか。お前が能動的になるなんて」
と、自分の生態や素性については一切語らないくせに逆に探りを入れてくる。
風穴を開けられたとして、狭い室内。聞こえないはずもないが士羽は露骨に無視した。
「……まっ、おおよその察しはつくがな」
カラスはそう言って続けた。
「お前の狙いは俺だろ。秘密主義にいい加減に痺れを切らして、歩夢を強引に表舞台に立たせ、あいつを餌に俺のリアクションを探ろうとした。どうせそんなところだろう」
「……まるで私を知った風なクチで語りますね」
そう返してから、士羽はこれは失言だと悔いた。
この返事こそが、図星の証左だ。子どものように即時否定するのではなく、黙殺すべきだった。が、もはや取り繕いようもない。
「知ってるさ」
皮肉っぽく、どこか既視感を覚える瞳が歪む。
「自分のことを分かってないのはお前だけだ。他のみんなは気づいている。お前は自分だけ賢いと思って高見の見物を決め込んでいるフリをしてるが、実際にはただの拗ねたガキだ。引っ込みがつかなくなったせいで居場所を喪ったちっぽけで弱い人間だよ」
そう冷ややかに吐き捨てるレンリの態度もまた、大いに疑問として士羽の胸につかえている。
ふだんは温厚で愛嬌を振りまいているくせに、士羽にだけは当たりが強く、そのくせ今のようにこちらの核心を突いてくる。
その原因がどこから来るのか。直接的な怨恨か間接的な理由からか。
少なくとも、現世の人間になら掃いて捨てるほどに恨みは買っていようが、異世界のカラスに憎まれるような覚えも謂れもない。
「まぁとは言え、俺も歩夢を外に引っ張り出すことには賛成だ。人間らしい関係や環境を作って、感情に負荷をかけて情緒を取り戻していくたとえそれが、非日常的な荒事によるものであったとしてもな」
もはや用は半ば済んだということか。
ベッドの縁から飛び降りたカラスは、羽音のひとつも立てずに出口に向かう。そのうえで、いつでも退出できるような場所で足を止めた。
「だから貴方も疑似家族になろうと?」
「まぁあいつが。怒って拒むなら、それでも良いさ。虚無的にすべてを受け入れるより、大きな進歩だ」
「本当に、それだけが目的だと?」
「あぁ」
一方的に意向を伝えようとも、やはり本意を問われれば適当な感じにはぐらかす。
だからこそ、士羽も一方的に意向をぶつけることにした。
「もし」
「ん?」
「もし貴方が本当の目的のために歩夢を謀略の贄とするというのなら、その時は許さない」
「……お前が言えた義理か。その言葉を本人に伝える勇気もなく、いつも安全圏で誰かを盾や言い訳に浸使ってるようなヤツが、偉そうにさえずるんじゃない」
返ってきたのは、やはり冷ややかな正論だった。
「いちいち俺に突っかかってく必要なんてない。余計で無意味な詮索なんてしなくともな」
と再び足を動かしたレンリは、最後にこう言い放った。
「どうせお前は、俺に行き着く」
いかに夏場の放課後と言っても、すでに斜陽。
差し込む残照によって、レンリの影法師は不自然に伸びて人型となっているようだった。
やがてそれは士羽の足下にまで達し、そろそろと絡め取るかのようだった。
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(9)
ナギサ
『……というわけで』
『海浜緑地エリアからスペクターNの拠点にセンニューすることになる』
『なので水着必須! カチコミ前に遊んじゃおーぜ!!』
めい
『なんでだよ』
あゆむ
『わぁ、楽しそう!!』
『みんなとお出かけ嬉しいな!』
『ところで、メイは水着持ってくの?』
めい
『去年着られなかったヤツ』
『でも着てくかね』
あゆむ
『ちょっと着替えて写真で送ってみせて!』
『いやヘンな意味じゃないんだけどね!』
『あくまで自分用の参考にね!』
『聞きたいんだ!!!!』
めい
『本人のキャラと体型考えろ』
『自分の下心ちょっとは隠せ』
『妖怪エロガラス』
「……くそっ! なんでバレた!?」
すっかり両親のいた痕跡の消えた、足利家のリビング。
歩夢に頼まれて彼女のスマホで『代弁』を行っていたレンリは、完璧と思われていたエミュレートを看破され、悔しさに翼をソファの縁に叩きつけた。
本人はその鳥の茹でた素麺をもくもくとすすっていたが、その嘆きに反応して、
「で、なんだって?」
声を間延びさせて尋ねた。ただ箸は置かないままだ。
「あー、なんか水着持って来いとさ」
「なんで?」
「海で遊びたいんじゃないか? ほらアイツ陽キャだし」
「そんなこと言って、美少女三人の半裸体を視姦したいだけなんじゃないの」
「いやそれはないだろ、多分」
「どうして言い切れるのさ」
なんでって。そう言いかけてレンリは口をつぐむ。
(あぁまぁ――
と言葉には出さず独り合点し、
「だってお前も誘われてるし」
と答えるや、直線的な二筋の閃光がレンリの碧眼を狙う。彼の分の箸が歩夢によって投げつけられたのだ。
タイミングと軌道は分かっていたから、かろうじて寸でのところでキャッチし、歩夢と一緒、食卓へ挟むように就く。
(良かった)
まだ対応としては穏当なほうだった。
しばらくはそのことには触れず、互いに白い麺を生姜を利かせためんつゆに沈めて手繰っていたが、レンリは時機を見てから言った。
「いやだったら、別に断って良いんだぞ。なんか隣の部屋で既読無視してるヤツの発案なんだし」
レンリとしては、歩夢の自主性を獲得させてやりたいというだけが本意であって、別に強制して参加させたり、歩夢がそれを受け入れてしまうことなどは求めていない。
あの士羽の思惑などは無意味だと知っている。探ろうとしている自分の正体や目的にも、もはや何の価値もないと知っている。
究極なことを言えば、澤城灘の安否よりも、歩夢の感情や人生こそが、この偶然に拾った命にとって何においても優先されるべきものなのだ。
「別に」
箸を置いて歩夢は答えた。
「嫌じゃない」
「嫌じゃない……か」
レンリは自分でも情けないほどに弱々しく苦笑いした。
そんな彼の表情をじっと見つめた後、
「…………ちょっとは、楽しみ、かもしれない」
と、絞り出したような声で続けた。
「そうか、そうかそうか!」
レンリは素直に喜んだ。何にせよネガティブな受け答え以外のことが出来るようになったのは良いことだった。
そして一転して喜色を露わにしたカラスを見つつ、
「もういっそ、良い機会だし夏らしくはっちゃけようと思う」
と、さらに彼を喜ばせるようなことを言った。
「おぉ!」とその成長ぶりに感嘆を漏らすレンリの向かいで、一足早く食事を終えた少女は箸を置いた。
心なしか常より目は強く煌めき、その眉根は勇しく吊り上がっているように見えた。
「足利歩夢、初のビキニに挑戦します」
日取りは夏休み初日。時刻は夕方六時半。
カーテンの隙間より侵入してくる西日が、後光のごとく歩夢の上半身、そのフラットなシルエットを浮き彫りにさせる。
「谷間寄せれば、いける気がする」
笑みをパタリと絶やして鎮痛な面持ちに転じたレンリの精神を追い詰めるが如くに歩夢は続けた。
「…………」
天井を仰いだレンリの頬を伝うもの、それは冷たい涙であった。
この世に存在せぬ虚ろなものを誇るがゆえに、人それを虚勢と言う。
今この歩夢は己には決して持ち得ぬ豊潤さを、さも在るかのごとく口端にのぼらせた。
だがそれは、枯野に一夜にして広大な黄金の小麦を実らせるがごとく、夢幻でしかない想像の産物でしかなく、いかな自然の摂理をもってしても実現など出来ようはずもなかった。
いやその儚さを何人に咎めることが出来ようか。叶わぬ願いを夢見ること、それが罪であろうはずもない。
言わせてしまったのは自分だ。己にこそ罪があるのだ。自分の軽はずみな喜びが彼女に、そんな誰も幸福にならぬ、哀しき自虐と冗談を言わせてしまったのだ。
「神よ、何故この少女にかくも酷な仕打ちをお与えになられるのか……?」
「あんた、わたしの胸をいじる時には全力を尽くすよね」
「いや、だからいじれる余地が乳首ぐらいしかないってのが問題でな」
「そして息を吸うたびに
歩夢はフヘッと呼気を鳴らして自嘲した。
「へいへいどーせ冗談ですとも。わたしがそんなもん着たって、海に来るロリコンどもに
「悪かったよ、言い過ぎた。まぁビキニは置いとくにしても、この際だ。なんか良い感じのヤツ買いに行こうぜ。バイト代も振り込まれてくる頃だろ?」
「残念ながら、あのメイドショップに
「……井田典子が突っ込んで以降行ってないから、なんとなくそんな気はしてたよ」
しかしながらすでに、士羽が補助金の手配は済ませたはずだ。そういう事務的な面については、客観視のうえ信頼して良いと思う。
とは言え、歩夢が自主的に動く気を見せたのは良い傾向だ。
存外に 乗り気と言うのであれば、レンリとしても止める理由はない。
ともすれば、本人よりも心と声を弾ませて、カラスは笑いかけた。
「じゃあ明日にでも行くか――西松屋!」
――それが最後の一線であったらしく、レンリは無言かつ無表情の歩夢に、マンションの外へと放り投げられたのだった。
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(10)
そして、当日に至った。
例のごとく別々の時間帯に家を出た歩夢、レンリペアと士羽、そして鳴は、それぞれ現地の最寄り駅に集合となった。
「すごいな、これ全部南洋のサマフェス目当てなのか?」
「校長やらかしたのに?」
そこはすでに大層な賑わいになっていて、若者層を中心とする文字通りの人海をかき分け、地下鉄から地上に出て、目印のスターバックスの前に至る。
すでにその店先で鳴が待っているのが見えた。
猛暑に加え、この人間の密度による温度上昇のためか。露出それ自体は控えめだがいつになくシャツの生地が薄く肉感的だ。
本人が意図しているかはともかくとして、フリーで立っているのだから衆目を集めていることは確かだった。
「あれ……絶対わたしら来る前に声かけられてるよねー……」
「かもなぁ」
「『三十分でいくら? 諭吉何枚でどこまでしてくれんの?』とか」
「……それ、本人が聞いたら殺しにかかるぞ」
そんな鳴だったが、現れた歩夢の顔色を認めるなり、軽く目を見開いた。
「おい、大丈夫かよ」
「ヒトゴミ……」
「にひどく酔ったっぽくてな。ついさっきまで益体もないこと言って気を紛らしてたし」
「『あいつ絶対ナンパされてるぞ』『いや、ウリだと勘違いされたんじゃないのか』とか?」
「すごいな鳴、なんでわかった」
「まぁお前らだしな」
歩夢は青白くグロッキーな面持ちで、覆われた手の裏からシャレにならないレベルの震える呼気を発する。
「で、どうすんだよコレ。本当に学校まで行けんのか、これ」
「飴舐めるか、あんたのおっぱい痕が残るぐらいビンタすれば持ち直すと思う」
「なるほど、すでに正気かどうかさえ怪しいと」
「じゃあ俺が代わりにやろうか?」
「先行カウンターでそのクチバシ叩き折られる覚悟は良いかクソ鳥……しゃーねぇ、士羽が来るまで店入って休むか?」
「無理」
「なんで」
「スタバって海外渡航経験者か、MacPC小脇に挟んでないと泥水ぶっかけられて出禁にされるんでしょ」
「陰キャの構築する世界観はすげぇなぁ」
ボケの連続投球を鳴が迅速かつ的確に打ち返している間に、歩夢も鳴持参ののど飴を口に押し込まれ群衆に慣れたことで持ち直し、そして士羽もやってきた。
「っし、なんだかんだ揃ったところで、カチコミに行きますか」
「でも、こっからどうやって?」
「直通のシャトルバス出てたろ」
と、事前に予習をしていたらしい鳴だったが、その表情は向かいに臨時的に設置された停留所を目の当たりにした瞬間からげんなりとしたものに変わる。
そこはすでに長蛇の列となっていて、どう見ても一時間以上の待ちが必要になり、そもそも近寄ることが出来るかさえ怪しい密度だ。
「そうだと思ったので、代わりの車を用意しました」
と、予定調和のごとく士羽が他の二人一羽に先んじて歩を進め始めた。
「お前、日本の運転免許なんて持ってたか?」
追いすがるレンリはどこか怪訝そうだったが、
「持ってませんし、書き換えもしてませんよ。だから代わりに保険医の花見をこの先に待たせています」
「二重スパイとはいえ体よく使ってんなぁ……」
鳴は呆れながらぼやいた。休日返上で学校行事に駆り出される教職員の悲哀を痛感する一行だった。
果たして士羽の案内どおり、少し外れたあたりの路上に、花見大悟がいた。
さすがに一応のプライベートに白衣は着ておらず、代わりに同系統のジャケットを着てはいた。
――しかし、問題はそこではなかった。
「なっ……!?」
車を見た瞬間、レンリは断片的な呼気とともに絶句した。
丸みを帯びた、前時代的なボディ。
男性的なイメージとは遠くかけ離れたクリーム色。
この人数を押し込むのが精いっぱいという座席は、『ひろびろ快適』だとかのうたい文句で売り出していた時代よりもだいぶ前のタイプだと証明していた。
しかしレトロカーが趣味というわけではなく、ただただ車そのものに興味がない、乗って動かせればそれで良い、といった様子なのは、だいぶガタついたままの整備状況からも明らかだ。
(馬鹿な、こいつ確か三十手前だったよな!? 結婚してガキがいてもおかしくない年齢の男が、中古の軽!? アラサーの乗用車か、これが……っ? 彼女とのドライブデートとかどうするんだよ!? 俺が女だったらコイツに乗せられると理解した瞬間Uターンするぞ!)
しかし士羽は何も言わない。何か言いたげではあったが、さすがに脚代わりを頼んでおいて苦言を入れない程度の分別はあったようだ。
「なんか、ノスタルジックっすね……」
「メルカリで十六万で買えた」
「へー」
(しかも安さ自慢!?)
感嘆を流しこそすれ、鳴の目から光がうっすらと抜け落ちていた。
歩夢はそもそもクルマ自体に興味がない。それこそこの花見大悟と同じ嗜好性の持ち主ではあろう。小学生が市民プールに行くような格好と手荷物で、例のごとく「ぷぴー」と気の抜けた表情をしているが、「窮屈そうだな」ぐらいは考えているかもしれない。
レンリとて、そこは斟酌しなければならない。
今この感情は、非難ではない。嘲笑ではない。
人生を投げ捨てているがごとき車のチョイスに、本気で彼の将来を案じているのだ。
だが、あえて言葉にする必要がどこにある。
(良いじゃないか、三十路の男が軽自動車に乗っても。犯罪なわけがない。笑われる要素がどこにあるというんだ。それぞれの人生じゃないか。そして価値観も時とともに変わりゆくんだ。いつかこの屈折した独身男に彼女が出来た時、素敵なワゴン車とかキャンピングカーで、爽やかにアウトドア生活を送るかもしれないじゃないか)
ゆえにレンリはあえて何も言わない。
代わり、自身を叱咤し笑顔を貼り付けて、ぎしぎしと羽で無理やりにサムズアップを作ってみせた。
「い……いいシュミっすね!!」
「鳥、一番態度に出てたから、お前の座席はボンネットだ」
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(11)
やはりというかなんというか。バスを使わずとも考えは皆同じなようで、行きの道路もまた込み入っていた。
だがそれでも、エアコンの強度よりも四人の体温のほうが上回るような花見のオンボロカーが一般車を出し抜いて校舎入りに先んじることができたのは、士羽が最新の交通情報とそれ以降のシミュレーターを搭載した自作のアプリをもとに、ナビゲートしていたからに他ならない。
かくして城壁のような壁を通過し、海岸線沿いにしばらく走っていると、ようやくにして施設らしい、コバルトブルーの巨大な筺体の群れが見えて来た。
「あぁ、やっとついた」
もはやエアコンが機能していないので窓を全開にし、そこから身を乗り出しながら歩夢は呟いた。
「いや」
それを聞いて花見は声を濁した。
「もう、着いている」
――は? と歩夢は問い返した。言っている意味がわからなかった。
「だから、あの『城壁』からこっち、全部が南洋分校なんだよ」
保険医は捨て鉢気味にそう続けた。
なんの冗談かと思った。
守衛に対しての簡易的な手続きの後、門をくぐって後には野球場があった。野外ライブ会場があり、海水浴場があり、そこに連なる屋外プールがあり、フードコートがあり地産地消の
そしてそれらを、今歩夢たちが走行している幅広の車道が繋いでいて、バスやスクーターが行き交っている。
それらが全て、学校の設備、サービスだと?
「噂にゃ聞いてたが……こりゃどっちが本校か分かんねーな」
さしもの鳴も驚き呆れ、額に浮かべるのが冷汗じみたものに転じつつあった。
その後も
「うわっ、観覧車あるよ観覧車」
だの、
「何のために学校行くんだよ……」
だの、
「元々巌ノ王京校長の私兵や工作員を養成するために設立されたとか、海外のスパイの隠れ蓑のための施設とか、信憑性はともかく黒い噂の絶えない学校です。陽気に当てられて油断しないように」
などと口々に言い合いつつも、何事もなく集合場所に到着した。
駐車場も既にして満杯で、仕方なくロータリーに荷物と歩夢たちを置いてから、花見はさっさと走り去っていった。
「おーい! 博士ー! メイセンパーイ! 足利サーン! あと鳥チャーン!」
そんな彼らの姿を認めるや、大声を放って駆け寄ってくる影あり。
最初は小豆ほどのサイズだったその影が、みるみる間に距離を詰めて、ノースリーブのパーカーから伸びた健康的な腕をブンブン振る深潼汀としての輪郭を得ていくところで、
「やばい」
と歩夢は独りごちた
「どーしたよ」
箱詰めにされていたためか、念入りに屈伸している鳴がその意を尋ねる。
「あの暑っ苦しくて晴れがましいツラにそのままのスピードでカウンターアタック突っ込ませたら、さぞや気持ちいいだろうなって思っちゃった」
「……その罪深い魂が浄化される教会でも併設されていると良いですね」
頼まれもしないのに答えたのは士羽であった。
当然後先の面倒さが上回るので実行には移さず、汀は士羽に抱きつこうとしてかわされ、代わりそれよりも遥かに小柄なレンリの胸に顔を埋めた。
「これはこれで」とでも言いたげなまんざらな汀と、心なしか嬉しそうに目元を綻ばせるレンリ。
なんとなくイラッとして歩夢は爪先で軽く汀の脇腹を小突いた。
「へへへっ、どーよウチの学校? 中々珍しいだろ?」
「多分唯一無二よ、こんなバカげた校内」
跳ね起きた汀に応えたのは、歩夢たちではなく、その汀の背後から現れた二人組のうち、一人であった。憶えのある、向こうっ気の強そうな雌犬である。
「あっ、
「……出だしっから口も態度も愛想も性格も悪いわね、足利歩夢」
その上級生、南部真月は、夏の陽気の下には見合わぬ陰気な目で睨み据えた。
「違いますー! アネさんはポメラニアンじゃなくてマルチーズですー!」
「どっちも違わぁっ!」
本気とも冗談ともつかない差し出口を挟んだのは、真月や歩夢よりも二頭身ほど上の、大柄な女だった。
伸び上がった体躯に「ん?」と眉をひそめたのは、鳴だった。
「お前……長距離の出渕胡市か?」
「おぉっ、そういうアナタは的場のパイセン! そうです、ワタシが剣ノ杜のコリン・スミスこと出渕胡市です!」
「ゴールできねぇだろ、それ」
鳴が珍しく体育会系ネットワークを披露したところで、歩夢は当然の疑問に行き着く。
「ところであんたら、なんでいるの?」
彼女らの反応から察するに、偶然ということはありえない。つまりは汀と一緒にここで待ち受けていたということになる。
「こんな広い場所で、人探し。当然増援を呼んで然るべきでしょう」
その問いに答えたのは、背後から進み出た士羽だった。
しかしその彼女にしても、不服そうな顔を見せている。
「もっとも本来なら、白景涼を呼んだはずなんですけどね」
「……いくら借りがあるって言っても、こんな雑事に先輩を呼べるわけないでしょ」
真月は非難の眼差しを正面から受け止めた。
本当なら『旧北棟』の貸し借りは互いにかけた迷惑を差し引いてとうに清算されているはずなのだが、いちいちそれを持ち出すあたりが士羽らしい。
そもそも、その場にいずにモニタールームや保健室に引きこもっていた女に、何の貸し付けができるというのか。
もっとも、ここでその議論をしたところで無益なので、歩夢は黙っていた。鳴は士羽に代わり、申し訳なさそうに潔く頭を下げた。
「……悪いな、こんな場所まで」
「……別に。そもそもそんな貸し作らせたのがあたしだし。その罪がチャラになったなんて思ってないし」
「そうですよ! 気にしないでください!」
などと、懐の広さを見せた。
「でもボスってばホントは来てるんですけどねぇ! 道中熱中症で倒れて医務室送りです!」
「そりゃあんなカッコで来ればああなるよな」
「ねー」
「ちょっ……言わないでよあんたら!?」
……と思いきや、汀と胡市の会話から汲み取るに、単に涼の名誉のためにカッコつけていただけらしい。
「すげぇな、今のやりとりだけで何考えてどんな服装で来たのか大体察しついちまった」
「理解も納得もできませんがね」
「バカなの、あのオッサン」
「先輩はバカでもオッサンでもない!!」
士羽がさらに進み出る。このまま複数人で立ち止まっていれば、通交の障りとなるでも言いたそうに視線を送りつつ。
それに従い、ぞろぞろと汀を主軸とした集団も移動を始めた。
今日に限っては認証システムがパスされているらしいメインゲートを潜ると、まるで一港湾都市のようであり、それを題材としたテーマパークのようだった。
規則正しく敷き詰められた石畳の上に、多種多様なテナントが立ち並び、物品や食料が売り買いされている。その資格情報の多さに、歩夢でさえ心動かされそうだった。
「じゃ、こっから海浜エリアに向かうからついてきて!」
と、意気揚々と汀が士羽に代わって先導を始めた。
「でも残念だったな、真月」
「……何がよ」
おもむろに自分が狙っていたカラスに声をかけられて、真月は心なしか不機嫌そう、というか負い目を拭い切れていない様子だ。
「涼とデート出来なくて」
「なっ……」
「そーなんですよ聞いてくださいなトリさん! そこはかとなくウキウキしつつめっちゃ気合い入れてこの服とか水着とか選んだのに、いざ集合してみれば例の暑っ苦しいコート姿着てたボスを見た時のあのガッカリ感たるや、そんでそのままブッ倒れたボスを見た時の何とも言えない哀しみと憐れみとほんのちょっぴりの侮蔑の眼差しと言ったら! クロートさんならご飯三倍デス!」
「あんたちょっとは黙ってなさいっ!」
なるほど、義理人情の問題のみでなくそういう下心もあったわけだ。
予想しなかった即席コンビに辟易しつつも、そこにいない当人を想い、真月は大義そうに息を吐く。
「……まぁしょうがないっていうか、ほんとに北棟のこと以外にはまるで頭の回らないダメな
犬の耳にも似たツインテールをいじいじと指に絡ませて、うなじまで血を登らせて、真月は口ごもる。
「あっ、この店鬼滅とコラボってます!」
「冨岡さん、真顔でアロハシャツ着てるよ」
「聞きなさいよあんた達!? ……いややっぱ聞かなくて良いっ!」
まぁその時には、レンリも胡市も興味が別に行っていたわけだが。
歩夢はそんな彼らの脇をすり抜けて、そのグッズショップであるものを購った。
そして、更衣の瞬間である。
海浜エリアは水着のみでの入場可という頭のおかしいルールに則って、歩夢も水着に着替えることになった。
只今より、鳴、士羽、そして新たに加わった胡市辺りから文字通り、虚飾なしの物量差。もって生まれた天性の肉質が、丸裸となった己に襲いかかることは歩夢には容易に想像がついた。
だが足利歩夢。すでに覚悟の上に立っている。
あとは暴風が去るのを待つがごとく、耳目を塞ぎ心を閉ざして祈るのみだ。
「……何持ってんだ、お前」
先に着替えにかかっていた暴風源が一角、的場鳴がシャツを捲り上げた手をパタリと止めて、更衣室に侵入してきた歩夢を見た。
その間隙から覗く武器の圧迫感たるや。
一刻も早く、拷問にも似たこの瞬間を終わらせたい歩夢としては、その問いに律儀に応えるよりほか選択肢はない。
彼女の視線の先、歩夢が小脇に抱えているのは、古式ゆかしいタイプの宝箱だった。厳密に言えば、それを模したクーラーボックスだった。それに二重ロック式の施錠をしたうえで、結束バンドで硬く封をしている。
「レンリ」
歩夢はその梱包容器ではなく、内容物を答えた。
どうせこの色欲の権化はその矮小さと愛嬌を悪用して覗き見を敢行するに相違あるまい。
なので先手を打って、道中のショップで買ったそれに色魔を封じたのだ。どのみちペット持ち込みも禁じられているので、こうするよりほか、レンリが海浜エリアを通過する方法はあるまい。
「……そうまでして持ち込む理由はなんだよ」
一石二鳥の妙案だと思っていたが、鳴の受けは悪い。
「深潼に男子側から持ち込ませれば良いだろ」
なるほどその指摘はもっともだった。基本的に他人に頼み事をしない歩夢の認識からは、抜け落ちていたアイデアだった。
「え? オレがなんだって?」
背後から声がした。
顧みれば女子更衣室に、ごく平然と深潼汀は入室している。
「…………おい」
歩夢の声は、底値を記録した。
「なにフツーに入ってきてんだ」
鳴にとっても、まさかカラス以上の胆力を持つ痴漢がいるとは思いもよらなかったのだろう。らしくもない緊張と動揺が、問いの端々に滲んでいる。
だが、ほかに騒ぐ者はいない。
一般利用者も、周りのメンバーも。
むしろ、こちらの正気を問うがごとく、
(なに言ってんだこいつら)
とでも言いたげな視線を脇目より送ってきている。
「いや、なんでって……着替えるためだけど」
汀の声にいやらしいような響きはない。ごく当たり前のように、接していた。
――ごく、当たり前……
そこにおいて。
未使用のコインロッカーに荷物を投げ込み、パーカーとTシャツを勢いよく脱ぎ捨てた汀の上体を目撃した時点において。
……そこから現れたライトブルーのブラジャーと、その内に押し込まれた――珍妙な箱を抱えてO脚気味に棒立ちになった歩夢よりも――明瞭に分かる胸の盛り上がりを目の当たりにした瞬間。
歩夢と鳴は、自分たちの今日に至るまでの思い違いのようやく悟ったのだった。
「あれっ? ひょっとしてオレって男子だと思われてたの」
キョトンと目を丸くして問い返す汀は、みずからのアンダーバストのあたりをまさぐりながら小首を傾げた。
「オレ、多分足利サンとかマッキー先輩よりスタイル良いと思うけど」
(やっぱコイツあの時殴っとけば良かった)
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(12)
そして
酸欠になりかけていたレンリを救ったのは、他ならぬボックスに押し込めた歩夢である。
「生きてる?」
「おう、ちょっと元の世界の連中が俺を彼岸の彼方へ引きずりこみかけてたけどな」
「シャレになってないよ」
「いや誰のせいだよ」
文句を言いながら箱内より這い出たレンリの目に、海浜緑地エリアの光景が飛び込んできた。
水平線の手前には白浜。異国情緒あふれる並木。テントやsンドラの箱が開かれた。
酸欠になりかけていたレンリを救ったのは、他ならぬボックスに押し込めた歩夢である。
文句を言いながら箱内より這い出たレンリの目に、海浜緑地エリアの光景が飛び込んできた。
水平線の手前には白浜。そこにはルームタイプやタープタイプなど、様々なテントが持ち込まれ、乱立し、思い思いに夏のビーチパーティーを楽しんでいる。
かくいう自分たちのメンツの中でも、鳴などはソロでテキパキと骨組みを組み、パラソルやテントなどで日陰を確保していた。
さすがにバーベキューなど火気類の持ち込みはご法度なようだが、それでも食欲を満たすための屋台やクッキングカーなどが出張ってきている。
状況把握を終えたあたりで、自分たちのための環境を整えた鳴が戻ってこようとしていた。
彼女の水着姿を視界に収めてしまいそうになり、うわっ、とレンリは反射的に両目を翼で覆った。
「なんだよ、らしくもなく目のやり場に困るってか?」
「いや、俺ショートケーキのイチゴは最後まで取っとくタイプだから」
「……周り全員女なのに、臆面もなくクソみてぇなセリフ吐けるコイツの胆力すげぇな……」
鳴はからかうつもりだったようが、浅いんだか怖いもの知らずだかよく分からないカラスのセクハラ発言に、逆に気を抜かれたようだった。
「そうかい、じゃあ期待度薄のほうから行ってこいよ。ほら、まずはこのワン公から」
「はぁっ!? 何が哀しくてこんな珍獣に見せなきゃいけないのよっ」
エントリーNo.1。鳴の手にとっ捕まって突き出された、南部真月。
意外。着用しているのはタンクトップビキニ。通称タンキニだ。
本来は白景涼に見せるため力を入れて来た、というのはあながち虚勢でもなかったらしい。
白いレースで自らのウィークポイントを防護し、すっきりとくびれた腹や腰なり、恥じらいから所在なさげに交差させた脚なりは、魅力として押し出さんと言う心意気を感じる。
まさしく自分の体形に真摯に向き合い、選び抜いた努力がほほえましい、攻防一体の構えである。
そんな彼女が足早に去っていくと、その先向こう、鳴が頑張って組み立てたタープの下では、ひとりの女がさもそれが己のために築き上げられたものと言わんばかりに陣取っていた。
エントリーNo.2。維ノ里士羽。
むろん規則である以上この娘も水着にならざるを得ず、普段の厚っくるしい白衣を脱ぎ捨ててはいるものの、ワンピースタイプの黒い水着の上から薄手のカーディガンを打ち掛けているため、さほど印象に変化はない。
リクライニング用のアウトドアチェアを独占して、分厚い本を読んではいる。知性的にページをたぐる所作から、海外の小説か学術論文でも読んでいるかのような雰囲気を醸してはいるが、この炎天下でそんなものを汗みずくになって読んだところで頭に入って来るわけもあるまい。
おそらく実際は空想科学読本か怪獣大図鑑とかそんなあたりのジャンルだ。
「てか、あいつ水着とか持ってたんだな」
「持ってなかったよ。だから引っ張り出して買いに行ってやった」
「あー、女同士だとそういうこともできんのか」
「まさかお前も連れてけってのか?」
怪訝そうな鳴の眼差しを空咳で打ち払い、次いでさらにその先、水平線の沖合で派手にしぶきをあげている巨大魚が一体。
否、エントリーNo.3。突如として招かれた新星、出渕胡市。
「あはははははは!!」
いっそ狂気的とも感じられるほどのけたたましい、底抜けした笑い声とともにクロールする姿は、まさに圧巻の一言に尽きるパワフルさだ。
まとっているのは競泳水着。しかも水泳選手愛用とか、そういう類のものだろう。
肉体を引きしめるそれはほぼ黒に近い紺を下地に、白いラインが入り、そのコントラストが、派手な泳ぎ方も相まってまるでイルカ、否獲物に今まさに食ってかからんとするシャチを連想させた。
恵まれたプロポーションを持ちながらも色気、という観点においてはぶっち切りのワーストかもしれない。
「あっ! 鳥チャーン! 起きたんだ!」
砂浜を走って駆け寄ってくるのは、エントリーNo.4、深潼汀。
むしろ意外なダークホースとも言うべき絶妙な均衡のスタイル。紺青に白いストライプの入ったビキニは、ともすれば露出度においては一団で最大かもしれない。
「ほらっ、一緒に泳ご! ねっ」
そう誘う自分自身はすでに一泳ぎしてきた後らしい。
開放的な性分に見合わぬ、細やかな絹肌。元より頓着しない主義なのか。それとも自信の表れか。それを惜しみなく陽光に輝かせ、レンリの前で屈み込み、人懐っこい笑顔を弾けさせて手を差し伸ばす。
その際、左右の丘がたわみつつ中央に寄せられたことはあえて語るまでもなかろう。
己にない諸々の眩さを喰らって、歩夢は手で目を覆っていた。
「……もしガキの時分にこの距離感とスタイルの近所の姉ちゃんが居たら俺、確実に性癖歪む自信あるわ」
「今までは歪んでねーのかよ」
「むしろ安直でしょ、コイツの場合。中学生か?」
手を戻した歩夢が棘を含ませ揶揄するところの安易な性癖にとって、ド直球ドストレートな体躯が図らずもそのレンリの視界に飛び込んできた。
No.5。大本命、的場鳴のご来光である。
なるほど上半身こそ黒ビキニだが、下半身はデニムパンツで、露出は汀を下回るだろう。
だが大元の破壊力が凄まじい。
(胸すっご、腰ほっそ、尻ちっさ)
その驚嘆を安易に口にしないだけの分別は、レンリにも存在していた。
「なんだかんだサービスするのは何なの、グラドル気取りなの? ソフマップなの?」
「サイズ合うの店とかウチにこういうのしかなかったんだって」
「あっ、二枚重ねしてるー! オトナー、オシャレだー!」
「いやシャレっけ……では一応あるんだけど、そもそも前提として固定しとかないとまろび出るから」
「二枚重ね……? まろび……?? ?? ??????」
「……理解の及ばない概念に直面して歩夢の脳がバグっている……」
ではその歩夢はどうか。
こちらもマリンボーダーのワンピースタイプ。下にはキュロットを履いている。
普段はすさまじく適当な感じで結わえている髪も、今日は鳴か士羽あたりに弄られたのかお団子ヘアーだった。
コメントもなくそれを見つめていると、
「へいへい、選外がトリをつとめて御見苦しうござんしたね」
フハッ、と自嘲の呼気を漏らし、目元の闇を濃いものとする。
「卑屈だなぁ、あえて挙げなかったのは、お前がオンリーワンだからだよ」
レンリは歩夢の足下に座り直してそう言った。
「歩夢がこうして、水着とは言えあーだこーだと選んだり、友達に髪型を整えてもらって陽の光の下に出て遊んだりする。そのこと自体が、俺にとってはかけがえのない幸福なんだ」
「……それ、あんたが勝手に思ってるだけだから」
「そう、勝手に噛みしめてるだけだ。でも、理屈抜きに、どうしようもなく嬉しいんだ」
と自分の気持ちを率直に伝え、「意味わかんない」とのお言葉を賜り、プイとそっぽを向かれてしまう。
回り込んで顔色を見た鳴に対しても、身をよじって頑なに表情を見せない。
もっとも鳴はその反応自体が何がしかの興となったらしく、意味深かつ愉快げに喉を鳴らした。
その視界から少し外れたあたりで、士羽がチェアから立ち上がってこちらを眺めているのをレンリは見た。
歩み寄ろうともしていたらしい。だが、レンリの眼差しに気が付くとやがて、白砂を踏みにじりながらその身を返していった。
それからして、一同は夏のレジャーらしいことを満喫することにした。
ジャブ程度に波打ち際を走り回ったり、ビーチバレーを交代でやったり、砂にもぐらせ寝かせた身体を頼まれもしないのにグラマラスに体型へと作り替えられたり、
「良かったな、歩夢。たとえ砂の身体でも、泡沫の夢が叶って!」
……スイカ割りに見立てて、不届きなカラスの脳天にゴルフクラブで割ろうとしたり、そしてそれら一切の行事をカメラアプリのファインダーに収めたり。
無理やりに引き立てられた士羽や消極的にだが参加する歩夢を除けば、皆それなりにこの一夏分の娯楽を満喫したと言えるだろう。
掘っ立て小屋風のレストランでやや早めの昼食を取ることになり、動き回った身体は塩分を欲するらしく、ソース焼きそばやラーメンなどを暑さに構わず注文した。
「そう言えば」
せっかくなのでロケーションを重んじてココナッツジュースを注文した歩夢は、
「わたしは割とどうでも良いんだけど」
「なになに?」
歩夢から皆に語り掛ける希少なパターン。それを逃すまいと言わんばかりに、目を輝かせて汀が身を乗り出した。眼前へ向けて押し出された谷間に対しわずかに鬱陶しそうに距離を取った後、椰子の実に貫通させたストローを噛みつつ歩夢は続けた。
「例のあれ、澤城ナントカのことはどうでも良いの?」
あ、と。
汀を中心とする一、二名かが、間の抜けた呼気を漏らした。
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(13)
「いやー忘れてた訳じゃないんだけどさ、ついついはしゃぎ過ぎちゃったよ。我が校ながらキョーラクとタイエーの都だよ、ここは」
などと言い訳がましいことを吐き続ける深潼汀を筆頭に、本道に立ち返った一行は海岸沿いに人気から外れた場所に向かいつつあった。
へいへいそーですか、と適当に相槌を打つ鳴は当然分かっていて黙っていただろうし、士羽も同様だ。少しセカセカした調子の
「まず目標は言わずもがな灘! そしてあいつの失踪に関わりがあるはずのスペクターNだっ!」
一度はほだされた決意を表明とともに締め直し、行き着いた岸はボートやヨットの停泊所
「そして、その灘のアドレスで、スペクターからメールがあったんだ。『裏校』の最奥で、お前を待つ、ってな」
「……それ本人が打っただけなんじゃ」
「あぁ、大方あいつにロックを解除させてそのまま入力と送信を命令したんだろうな」
「いやそうじゃなくて……もう良いや」
さしもの真月もこの上説明する愚かさを悟り得たらしい。
ため息ついて諦める。ただ折られた説明の中で気になる単語と言えば、
「『裏校』」
のそれである。
「実は一見ごくフツーの学校に見える南洋だけど」
「見えねーけどな」
「隠されたもうひとつの貌がある。おたくら本校で言うところの『黒き園』だな。今から向こうのが、そこだ。普段は校舎から行けるんだけど、流石に余所者はそこまで入れないから、もうひとつのルートであるここに来た。別に遊ぶためだけにこの海浜エリアに来たわけじゃないんだよ」
と汀が言いつつも、それらしきポイントは影も形も見当たらない。海は見渡す限りの大海原に繋がり、元来た道を振り返ればパリピの雑踏。周囲にあるのは大小の船ばかりである。
「まさか泳いでどこぞに行けってか?」
「泳ぐんじゃねぇよ。海は使うけどな」
答えたのは、汀ではない。
陸に揚げられた船の影。そこから現れた、覚えのある少年だった。
東棟の楼灯一。
エリート集団の一員であると言うその立場を悪用する、運び屋。
シンプル、無難きわまりないボクサータイプの水着で、彼はその姿と影とを現した。
「ほら、お前らのデバイス諸々。さすがにサイズが大きいタイプのは持ち込めねぇからな、独自のルートで持ち込んでやった」
「……いくつか奪ってないでしょうね」
「信用第一、って言葉知ってるか? この業界でんなコトしたら次の日には廃業だっつの、ワン子」
「ワン子言うな!」
口さがない物言いでさっそく真月と軽い諍いを起こした彼だったが、歩夢は妙な違和感を、カバンを置く灯一から見て取った。
鳴もそこには気づいた。
というか露骨過ぎて気になるらしい。
「なんでも良いけど」
と前置きしてから、訝しげな眼差しを向けた。
「なんでお前、目ぇ合わさねぇの?」
……頑なに一向を視界に入れようとせずに首を海へとねじる少年へと。
「視線向けらんないの! もしおたくら見たら不可抗力的にあれやこれやに目が行っちゃうの!!」
「……まぁ、その気遣いと努力だけは認めてやる」
「わざわざ口にするあたりマジで気持ち悪いけど」
「
「…………きっしょ」
「勢い余って言ってから自分でもライン越えだなと思ったけどさ、溜めてからマジトーンで言わないで!?」
まぁまぁ、と穏健に宥めつつ、レンリは鳴の隣に座り込んだ。
「男が女性のそういう部分に目線が言ってしまうのは、心理的、生物学上やむを得ない部分があるというからな。本人の意思じゃどうしようもならない部分があるんだ。同じ男性としてフォローさせてもらうが、まぁ多少は勘弁してやってくれ」
「お前はちったぁ遠慮しろよ。どこと会話してんだよ」
「とまぁこんな具合で世の女性たちはそういった男の視線に十中八九は気づいているのだ」
「……コイツ、そのまま強引にバックれる気か」
レンリの、明瞭に捕捉対象が分かる視角に、鳴は辟易した様子だ。それで済ませるあたりかなり寛大な女と言えよう。
ただまぁ、重いのか組んだ腕の上にあえて載せて強調するあたり、本人に非があることもまた確かだった。確かだった。確かなのだ。罪なのだ。
「目線はそのままで良いので早く案内を、楼」
「へいへい」
士羽に促されるままに、そして視線は不自然に逸らされたまま、楼灯一が彼女らを先導した。
その船着き場には、白いプレジャーボートが接岸していて、まずそこに乗り込み、
「こいつで行く」
と初端からいきなり不安になるような案を言い出した。
「行くったってお前、どうやって、誰が?」
「オレがだよ。ちゃんと
と得意げにうそぶく。誉めてもらいたさそうに腰を浮かせていたが、全員がそれを聞き流した。
「……まぁ、将来家業を継がされそうになった時、逃走手段は多いに越したこたねぇからさ」
やや落胆した様子でそう言ったが、個人的な経緯も事情もどうでも良いので、皆華麗にスルー。
ただひとり、深潼汀だけは船に飛び乗り、
「サーンキュッ、楼くん!」
などと肩をぶつけるようにして身を寄せて感謝する。
慌てふためきながらもまんざらでも無さそうに鼻を伸ばす灯一とセットで眺めながら、歩夢は
「あいつ、魔性の女や」
と嫌悪も敬意も超越して圧倒されて思わず呟いた。関西弁で。
〜〜〜
ボートに収容された歩夢たちは、さすがに熟練者と比べるとややぎこちない航行によって、規定海里スレスレを迂回。そして少し離れたあたりに海続きの洞窟に行き着いた。
水の力、自然の現象によって作られたように見せかけられているが、その実そうではない。
洞穴の口、その縁に明確に工具か何かでくり抜かれた痕跡が付いている。
「あだーっ!?」
その上辺に胡市が額をぶつけるというトラブルに見舞われつつも、何事もなく侵入を果たすと、さらに奥へと水路が続いている。進むたびにランプや桟橋、果ては用途不明に捨て置かれた裸のマネキンなどの人工物が増えていき、やがてひとりの門番、つなぎを着込んだ老人が、ロッキングチェアをきしませながらもたれていた。
船の侵入に気づくと胡乱気な眼差しを投げかけてきて身を起こすが、青い『ユニット・キー』を掲げてみせた汀を見て、警戒の念をを引っ込めてふたたび椅子の背にもたれ始めた。
船首やスクリューが水をかき分ける音だけではない。滝のような轟音。男の呻き声じみた風音。
進むたびに、静寂は破られ、音も、臭いも濃いものとなっていく。
そして開けた場所に出た瞬間、光と音の洪水が歩夢の顔面へと叩きつけられた。
まず認知できたのは、
「やっちまえ!」
という号令と砲撃音。
だがそれは歩夢たちに向けられたものではなかった。
老け顔だが生徒らしき制服の男たちと水路を挟んで対峙するのは、似たような生徒。
ストロングホールダーを用いて銃撃戦を展開する彼らの流れ弾が、水面に当たってしぶきをあげる。船体が大きく左右に揺さぶられる。減速していなかったら横転していたことだろう。
そんな騒々しい彼らを除いてもまだ、其処かしこに無頼漢たちがひしめいて地上よりも激しい喧噪を生み出していた。
他方では同じことをして敗れたらしい、ボロをまとった縛られて井戸のような場所に浮き沈みさせられていた。
――洞窟に、水上に、一個の都市が出来上がっている。
張り巡らされた水路。行き交う船。艀や組み立てられた鉄骨の足場などで構成されたそれは、そこが穴蔵だということを除けばイタリアのベニスのようでさえある。
罵声と馬鹿笑いを縫うようにして、底抜けに明るい音楽が絶えず流れている。放し飼いにされた犬や鶏、あるいはロバとジンジャエールのようなものを酌み交わしたり、葡萄ジュースのようなもの片手に流れる音楽に節をつけて歌ったりしている。
やや着崩したり独特のアレンジを付け加えたりしている女子生徒を追い回す男子生徒がいたかと思えば、もう一方で逆撃を被ってフライパンを振りかぶった彼女たちから逃げ回る情けないのもいる。
「アネさん、ここ……なんかデジャヴを感じちゃうんですけどっ!」
「言わなくていい」
「でも不思議と塩素の臭いとかがどこはかとなく漂ってきそうなんですけど!?」
「言わなくていいから」
「樽の中からあのおデブちゃんからキー盗もうとしてるヒゲ……あれデップじゃないですか!?」
「違うから」
「ちなみに具体的に言うと千葉の浦や」
「やめなさい!」
そのやかましさに負けないぐらいの大音量で、胡市が姉貴分に何事かを示唆せんとするも、さすがにそう見えたのは通過する一瞬のこと。
先に進めば多少は文明らしさ、もとい人間性を取り戻し、多少は落着きのある地下街がその全容を露わにした。
出店に並ぶは『ユニット・キー』やストロングホールダー。
それをお試しとばかりに1on1の勝負を、わざわざ専用のブースを設けて仕掛けたり、あるいはそれを肴に山海の珍味を屋台で眺めたり、はたまた賭けなどしたりと、自由さ、好き放題さは変わらない。
真月や胡市などはその応酬を羨望と妬ましさで見送り、士羽などは露骨に眉をひそめていた。
「……そりゃ、博士や『旧北棟』のみんなには面白くない光景かもだけど、一応言っておくね」
汀はそう前置きして、船首に立って身を切り返し、両腕を左右に広げて笑って言った。
「剣ノ杜学園南洋分校……その裏庭へ、ようこそ!」
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(14)
所謂『裏校』は、南洋分校が巨大なレジャー施設の地下に用意したアジトだ。
元は某国の活動拠点、あるいは非合法的な賭博による収入源として提供されるはずだったが、それが計画の段階で頓挫し、宙に浮いたところを『ユニット・キー』案件の交流コミュニティとして流用を始めたのが発端だという。
来るべき時代。やがて質量兵器や電子戦に取って代わる新たな戦場を生き抜く多様な部隊。その養成のために。
その一角に、そうした地下都市の全容を一望できるオフィスがあった。
外観こそ他と合わせていかにも荒涼としたヴァイキングの寝床のような塩梅だが、内部は洗練されたデザイナーマンションのごとき様相で、その大部分のスペースを占めるのが、最新の監視システム。動く影を自動かつ極めて精密に捕捉、追尾するそれは、オーダーが入れば水面を跳ねる小魚一匹さえ見逃さない。もっとも、魚よりも、海浜エリアを通過してきた水着連中の肌が自然、どうしても目立ってしまうわけだが。
そのモニターの前に、学生服の少女が陣取っている。
自慢のつややかな髪をブラッシングしたり、ネイルを整えたりしているところに、デスクに置かれた端末が通信が入ったことを報せてくれる。
いかにも無機質で芸のない、耳障りなハウリング音。だがこればかりはどうしようもない。当たり前だが地下の秘密基地。ここでは一般の電話会社の通信機器類はことごとく無効化される。使用できるのはトランシーバーか、でなければそれこそ『通信兵』系統の『ユニット・キー』か。
「……ハイハイ、ミタさん警備会社南洋出張所。夏休み中も休まず営業中という矛盾ー……ハイ?」
その端末を耳元に運び、ゲーミングチェアにもたれかかり、脚を組む。飛び込んできた依頼の内容を聞き返す。
正確にヒアリングをしつつもマルチタスクでキーボードを操作し、依頼対象をモニター越しに認識する。
「あー、ハイハイ。こっちでも確認しました……ありゃまぁ見たことある顔ばっかり並べちゃって」
などと毒づくも、
「とにもかくにも毎度あり。お振込みはいつもの口座にお願いしますね」
一も二もなく依頼を受注し、立ち上がる。
オフィス兼家族にさえ告げていないプライベートルームに入って来れるような不届き者などいようはずもなく、窓ガラスは一方通行のマジックミラー。木乃伊取りが木乃伊になるという具合に監視カメラがひそかに設置されている可能性も考えられるが、そんなものを見落すようなヘマなど彼女はしないと自負している。
よって豪胆に剣ノ杜のブレザーとブラウスを一息に脱ぎ捨て、下着姿となってクローゼットへ。
同じように豪快に開け放つとそこには様々な、様々な職業になぞらえたコスチュームがしまわれている。この制服も含めて、常備させられているものばかりだ。
こと荒事となれば、気が滅入ることも多い。だからこそ、気分に合わせてそれを着分けてモチベーションを維持することが他人が考えるよりも重要だ。防御面はストロングホールダーの展開する防壁が担っているのだし。
だがその服の隙間に、それとは異なる代物もまた引っかけられていた。
リングにくくりつけられた、剣先のごとき、種々様々な異形の『鍵』。『ユニット・キー』。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な……と」
左手でその鍵をまさぐり、右手をコスチュームに這わせる。
「まぁ良いや。ざっくりと持ってっちゃえ」
その一束をざっと手でさらい、偶然止まった右手が、一着を掴んでいる。
ハンガーをつまみ上げて「まぁこれも一つの選択か」とにんまりと口端を押し広げる。
いそいそと着替え始めた矢先に、ふいに目を向けたモニターが依頼とは別に、彼女と関わり合いのある人物が捕捉されていて、ふと手を止めて眉を寄せる。
本来ならばその場所に居ないはずの人間。こんなコミュニティなど近寄りもしないどころか、認知もしていないはずの、昼行燈の青年。
「和兄……?」
奥まった路地から足早にその場を去ろうとしている彼の、クローズアップされたその表情は、いつになく剣呑さを帯びていた。
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(15)
「いよっと」
乗り込んだ時と同じように、降りる時も汀が先だった。
灯一は、停船スペースの中でもなるべく奥まったあたりにボートを着け、自身はその見張りのためその場に居残った。
「ハヤクカエッテキテネ」
着岸してすぐさま、灯一よりも頭ひとつ大きく分筋肉量一回り分多い男が寄り集まってくる。
船なり彼の肉体なりを眺め回し、かつ肩に腕を巻かれるような始末。そんな状況にあって、灯一の声と全身は震えていた。額のあたりから血の気が抜けていくのが目に見えるし、音にも聞こえるようでもあった。
(なんか結果が見てみたいから用事はサッと済ませてもゆっくり帰って来よう)
それにあっさり別れを告げた少女たちは、気の毒そうに見送っていたカラスを引き立たせて連れ立ち、さらに奥に。
そのたびに磯の濃い香りが鮮度を喪い淀んだものになりつつあるし、まるでそれに当てられたかのごとく、彼女たちを見る人間の層はどことなく粗悪なものにシフトしていく。ここは本当に法治国家の一教育機関なのだろうか。
ナビゲートはその都度メールにて送られてきて、言われるがままに道を進んでいく。
不思議とその間、水着の美少女たちは襲われることなく……もっとも並の連中なら返り討ちにされるだろうが……皆遮ることはせず、仮に道を塞いでいたとしても、わざわざ開けてくれる。まるで何か見えないものを恐れるように、目を伏せ顔を逸らしつつ。
だがそれでも、無頼どもの巣窟であることには違いない。
この場における唯一無二の男性として、レンリは前に進み出て言い放った。
「皆……もし万一のことがあったら、俺の影に隠れろ」
「どうやってだよ」
即、鳴からツッコミが入った。
そんなこんなとやりつつも進む一行の前だったが、いよいよもってそういう人種さえも見なくなり、人の気配が絶えると、前方で道が東西の二筋に分かれていた。
執拗なまでに送られてきた指示が、そこに至ってパタリと途絶えた。汀の側より案内を催促しても、無視を決め込まれた。
「これは……」
「二手に分かれろと、まぁそう言うところですね」
真月の独語を士羽が拾う。
増やした人数が自分にとっては不都合ゆえ、そこで削ぎ落とせと、そう言外に告げているのだろう。
「相手の思い通りになるのはシャクだけど仕方ねぇな……元々手分けするのは織り込み済みだ」
鳴はそう言ったが、相手にイニシアチブを取られた上での戦力の分散は、用兵学上ではタブーとされることだ。
とは言え、他に選択の余地などない。ないからこそ、この時点で既に戦略上は負けている、とも言える。
それでも居並ぶのは皆、百戦錬磨、一騎当千の女傑たちとレンリは知っている。並の奇襲などは跳ね除けてしまうだろう。
組み合わせと戦術の次第で挽回も出来るだろう。
ユニットの相性は元より、ホールダーの特性やリーチ。それを扱うユーザーの、個人間の連携や意思疎通能力。それらの適不適を、慎重かつ綿密に吟味して人選を……
「面倒くせーからグとパで半々に合わせるか」
「だねー」
「あらやだ、この娘らこんな時だけ学生のノリ!?」
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(16)
左の道は、鳴が行く。
彼女に引率されるかたちで、真月、胡市がぞろぞろと連れ立つ。
「あのエロ鳥と離れられたことが今日一で嬉しい」
などと冗談とも本音ともつかぬ調子で、彼女たちに聞かせるまでもなく独りごちる。
もちろんこれは運否天賦によるものではなく、
「あー、今日はグー出したい気分だなー、グー」
と思わせぶりにレンリに目くばせしつつ水着のヒモをあえて位置を直したりなどして気を持たせ、いざ手を出す段になってパーを繰り出すという高度な心理戦を展開したがゆえ、文字通り自分の手で掴み取った幸福だった。
レンリは男泣きした。
その一連の流れを知る真月はやや鼻白んだ様子でその背に追従していたが、やがて
「てことはあっち、お守り……ていうかまとめ役がいないんじゃないの」
と、少しばかりの苦言を呈した。
「まぁそれこそあの鳥公がなんとか取り持つだろ。ていうかそれぐらいは役に立て。もしダメでも深潼もいるしな」
あと、と鳴は視線をはるか前方に投げた。
「こっちもこっちで、世話役は必要だろ」
そう言葉を向けたのは、落ち着きのない胡市にではない。そちらは、勝手知ったる真月に任せれば良いだろう。
実のところもう一人、こちら側に振り分けられた人間がいて自分たちを抜き出るかたちで先に進む女がいる。先行はしているが、先導をするつもりもないらしく、白いカーディガンをなびかせて独り我道をひた進んでいた。
「世話が必要なのは、私ですか?」
その少女……維ノ里士羽は、足を止めずに平坦な声で問い返した。
「お前以外に誰がいるんだよ……いったん歩夢たちと離れたからって、そー不機嫌になるなよな」
「別に不機嫌になどなっていませんよ」
(声と態度に出てんだって)
いったい何の動機があって出不精の彼女がここまで同伴してきたのか、それはもちろん鳴には知るべくもないが、それでも露骨に気を悪くしているのは歩夢やレンリと別行動することが決まってからだ。
「あの鳥……あの程度のブラフを愚直に信じるとは……いったいどういう生き方してたらあんな馬鹿になるのか」
などと苦く零しているあたり、どうやら逆に深読みし過ぎて仕損じたらしい。そして士羽自身の判断ミスであるがゆえにこそ、彼女の機嫌はより深く害されたのだろう。
士羽はその足を速めた。
「おい」と鳴が呼び止めるのも聞かず、
「あとは任せます。言わずもがな、私には私の目論見があります。いちいちお遊戯には付き合ってられませんので」
と言い残して、闇の中へと消えていく。
不服そうなのは、そのお遊戯とやらに士羽自身の指示でおのれと朋友、敬慕する先輩が駆り出された真月である。
「……ごめんな。あいつも悪気があってのことじゃない。多分あんたらのことまで頭回ってないだけだ」
「だったらなおのこと腹立つんですけど。あなた、よくあんなのと仲良くできるわね」
「あんたと白景先輩と同じ。恩義があるし、あんなのだからほっとけないんだよ。……まぁ違う点があるとすりゃ、別に恋愛感情はねぇってことか」
「はぁっ!? そ、そ……その言い方だとまるであたしが、せ、先輩のことす……」
「あはは、今日びテンプレラノベのヒロインでもしない反応じゃないですかアネさん!」
「うっさいこの単細胞!!」
仲が良いのか悪いのか。そんな言語的に物理的にと応酬を繰り広げる少女たちをよそに、鳴は一歩進み出た。
そこは、開けた場所である。
様々な国の文字が入り乱れる、野放図な立て看板の電飾が灯り代わりに天を照らし、建築基準をちゃんと満たしているのか分からない、屋台や建造物の数々が四角くく周囲のスペースを確保している。
ちょうど先に取り壊された有名なスラム街、九龍城砦の直中に迷い込んだかのような趣さえあった。
いくつかの小規模な出入り口、抜け道があるが、すでにこの空間自体に士羽の姿はない。そこまでは一本道であったはずだから、間違いなくここを通過しているはずなのだが。
(問題はここからどのルートを採ったのか、だな)
胸中で独りごちる鳴だったが、ふと正中に戻した視線が、ひとりの異様な装束の少女を捉えた。
もちろん、場違いなのは水着姿の鳴たちとて同じなのだが、いったいこの少女の恰好はどういうシチュエーションで用いるのが正しいのか。
肌面積としては鳴の方が圧倒的に上なのだが、それでもオフショルダーの黒い上着や股を剥き出しにしたキュロットは十分に煽情的。だが過剰とも思えないのは、パーティーグッズのような安物ではなく、オーダーメイドらしく彼女の身の丈やボディラインに寸分違わず調整されているからだろう。
しかしなおもってその服装は異質だ。
その頭の、兎耳のカチューシャと、尻についた毛玉さえなければ、まだバニースーツではなくアイドル衣裳と呼称することを出来たものを。
「……申し訳ありません。ここから先は、関係者以外立ち入り禁止ですので、どうかお引き取り願います」
その耳をまざまざと見せつけるように深く恭しく、少女は頭を下げた。
自身のシルエットをすっぽり覆っていた鳴の後ろから少女の姿を覗き見た真月が、気難し気な表情をさらに険しいものとした。
「……あんただって、関係者なんかじゃないでしょ……多治比、三竹」
その名が、厳密に言えばその姓が口端にのぼって時、鳴もまた少なからず衝撃を受けた。
この『業界』で、この地で、多治比の名を知らない者はない。
名家にしてこの街に本社を置く複合大企業グループの経営者一族。そして、今鳴たちが使っているストロングホールダーの量産体制を作り上げた。
……その発案者、設計者からプロジェクトやそれにまつわる権限を剥奪して。
多治比三竹は、現家長の三女だ。
そして一年生にして、その利発さ、辣腕ぶりさはすでに兄姉以上と方々から音に聞こえている。
手入れと生き届いたつややかな黒髪と、そこに貼りつく兎耳が、小刻みに揺れる。先の慇懃な態度とは打って変わって、調子外れた笑い声転がす。気品と可憐さを持ち合わせながら、小悪魔的で挑発的な顔を持ち上げた。
「夏のバイトってやつですよ。ライフセーバーやってるんです。で、深潼汀のオマケを、出来る限りここで足止めしろってさっき指示がありまして」
誰から、とは言うまでもない。例のスペクターNからの依頼だろう。
「そんなことより、真月センパイはどうなんです? 北棟、助けないでこんなトコでお友達と遊んでていいんですかぁ? というかそもそもセンパイ、
激情の少女が、ぐっと唇を歪ませる。
『旧北棟』の協力者として、そしてその苦境を知る者として、自身の本来の所属先である西棟には色々と言いたいこともあるだろう。
だがあえて鳴はその前進と発言を、彼女の腹を掌で押し戻して遮った。
もっともそれは真月を庇うためではない。鳴にしても、言いたいことが二、三はあるからだ。
「だったら、ここを先に通ったヤツがいるはずだ。そいつは無視して良かったのか?」
「あぁ、士羽センパイですか? 良いんですよ、
「あいつを……そんな風にしたのは、お前ら寄生虫だろ。多治比」
三竹はけたたましく笑った。
剥き出しの肩が上下する。その笑い声に紛れて、
「多治比を舐めるな、脱落者の小者風情が」
――上級生を相手に底冷えするような、静かな恫喝が入った。
「もっともこっちにデータが流れて来たのは、ウチらや政府の仕業じゃないんですけどね。でもまぁ良いでしょう、言っても信じないし、これ以上の議論はただの時間の浪費です」
少女はそう言って、指を鳴らした。
闇の奥、家屋の隙間を縫うようにして、無人の小型バイクが躍り込んでくる。
むろん、自走する時点でただの車両であろうはずもない。
SSタイプのストロングホールダー。
白景涼の使うそれよりも一回りほど軽量化小型化が施されているが、それがゆえに小回りが利くようだ。それも一台や二台ではない。視認できるものだけ数えれば、十台ほどはある。
「貴方らはここを通って汀と合流したい。ウチは仕事で通せない。じゃあ闘るよりほか選択肢なんてないんじゃあないですか?」
うそぶくや少女は、鍵束を腰元から抜き取った。
そこに括りつけられていた『ユニット・キー』をもぎ取ると、ぞんざいに四方へと投げ放った。
〈猟犬・
強烈な磁気にでも吸われるように、キーは差し込み口に飲まれていった。
同じ合成音声が鳴たちを囲み、やがて自走する二輪車は、サイズはそのままに獣の、四足の鉄の犬へと変形を遂げた。
残る一台、特別仕様なのか黄金と紅色に煌めく手元のバイクには、三竹手ずから『鍵』を挿し込む。
〈
形状そのものに目立った変化はない。
代わりそれは、横倒しになるや、車輪が虹色の発光を地へと吐き出しつつ宙へと車体を打ち上げた。
軽い掛け声をともに、完全に浮上する前に飛び乗るや、その上に腰を落として脚を組む。
「無駄なこととタダ働きは嫌いなんです。さっさと始めちゃいましょ」
そのコスチュームに着替えておいてどのクチが、と文句を言いたくないでもないが、その主張自体にはおおむね同意だ。士羽や歩夢たちに追いつくためにも、たとえ荒事になってもこんなところで道草を食っている場合ではない。
そもそも、高説を垂れている合間にすでに鳴たちもそれなりに武装を進めている。
鳴の足下には、灯一より返された自身のホールダーが追いつき、それを爪先で拾い上げて
〈軽弓兵〉
鍵を、ねじって回す。
ビキニ姿で力を行使するのはさすがに初だから、なんというか肌寒さにも似た所在のなさを如実に感じてしまうが仕方がない。
真月、胡市の両名の右腕にも、LSタイプと思われるデバイスが装着されている。
〈猟犬〉
〈ラッセル〉
真月とは旧北棟脱出において一悶着あったそうだが、鳴はその力を見ていない。
が、その動きに無駄がないあたりを見ると、ふたりとも素直に戦力として認めてよさそうだ。にっくき多治比が相手ともあって、先とは違って士気の漲りもまた格別なようだ。
それでも、相手に質量ともにアドバンテージがあることは否めないが。
真月はその百足の牙のごときその爪で虚空を裂き、胡市は真正面に正拳を叩きつける。
硝子を割るがごとくに破砕の異音が鳴り響くと同時に、彼女たちの振り抜き、突き出した拳の先で空間に亀裂が奔り、その中より流出してきたこの世ならざる粒子が物質化して少女たちを包み込んで鎧となる。
「よっしゃあ!!」
その名の通り、除雪機関車を想わせる鋼の魔人となった胡市が、その不利にも挫けず強く意気込む。
女性らしさを少なからず残すそのボディを小突きながら、同じく獣とも鉄ともつかぬ身体となった真月が、
「周囲のは任せたわよ、胡市。的場さんとあたしは、あのガキ叩くから」
と方針を定める。
「任せてください! たかだかグレード2程度のザコ、いくらいたって物の数じゃありませんよ!」
「ほーザコか! ちなみに今あたしが使ってるのも同じ鍵なんですけど!?」
「アネさんはザコなんかじゃないですよっ、ほらなんというか、ガッツが違う!!」
「フォローが雑っ!」
……姉貴分にも容赦ない胡市とそれにいちいち反発する真月のコンビネーションにはいささかの不安感は残ったが、それもお互いに忌憚なく言い合える良好な関係とでも思っておこうと鳴は決めた。
「さぁて……じゃあ茶番も終わったことですし、さっさとお仕事終わらせちゃいましょうかね」
という、三竹の生意気極まる宣誓をゴングに、四人の乙女の戦いが火蓋を切った。
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(17)
右の道を、歩夢たちが行く。
もちろん日陰者たる彼女は片割れの深潼汀とはかなり距離をとって、カラスを抱えてとっとこと歩いているのだが、その腕の中でレンリは何度目かもつかない溜息を吐いた。
理由はわかっている。
最初はその落胆をある程度は汲んで辛抱してやろうかとも思っていたが、流石に終わる目処なく続くと、いい加減に限界だった。
「ん?」
自分の頭の上まで、レンリを持ち上げる。
そして短い足を左右に広げると、その間に膝を立てて一気に振り下ろした。
「だァオ!?」
足利流秘技、尾骶骨砕き。プロレス技で言うところのアトミックドロップ。
もちろん、ホールダーの恩恵を受けて一時的に身体能力を強化出来ると言っても、歩夢に格闘技の知識などあるはずもない。
したがって、加減の仕方も当てどころも分からず、結果容赦のない一撃が、備えざるポイントにクリーンヒットする。
馴れ合いのレベルを超過した激痛のあまり、レンリは飛び上がって奇声をあげて突っ伏した。
「あ、ごめん」
これには思わず歩夢も素で謝った。
「ありゃ、どったの」
その声のあまり先行していた汀が顧みて駆け寄ってきた。
実質、この女とのワンペアである。
誰だ、鳥を一人にカウントした奴は。しかも誰も何にもツッコまなかったのか。戦力的には偏り過ぎではないのか。
すでに過ぎたことながら、止めどなく愚痴が脳内を巡る。
その隙に空いていた汀にカラスを引っ攫われた。
汀の腕に抱きすくめられ、まんざらでもなさげに碧眼を細めている。
「おーよしよし、このお姉ちゃんにイジめられたんか」
「バブー、ちょっとこの状態で寝返り打っていい?」
「……」
「おっ、なんだ歩夢。ははん、さてはヤキモチだな?」
「いや、女の子らしくそうしようともしたけど、十代の兄代わりを務めようかっていう、おそらくは中身成人男性であろう人が『バブー』はマジで気持ち悪くて引きました。むしろやめてください」
「うん、ゴメンな! でも大人でも時折童心に返るどころか赤ちゃんになりたい時はあるんだよ! たとえば今みたいに自分の非の割に合わないバイオレンスを受けた時とかな!」
「…………ばぶー」
「赤ちゃんのフリして罪過から目を背けるな!」
「あっはははは!」
汀が笑い声を転がした。その拍子に、レンリは取り落とされて地面に尻餅を突いて、癒えぬ痛みに追い討ちをかけられてまた悲鳴を軽く上げた。
「いやー、やっぱ足利サンたち面白いわ。好き」
「わたしは取ってつけたように好きとか言えるあんたが嫌い」
「ははは、手厳しいなーもう! でもオレは、そーやって真っ向から言ってくれる足利サンが、ホントに好きだよ」
この女、天性のタラシ気質なのか。めげずにこちらの肯定を続けてくる。
「オレは男とか女とか関係なく、好きなもんを好きになって、で、分け隔てなく遊びたいんだ。でもさ、やっぱ体つきはここ一年かそこらでどんどん女っぽくなっていって、胸もおっきくなってくし。そういう点では足利さんみたいな体でいたかったよ」
「レンリ艦長、この女に全力腹パンの許可を」
「不許可です。多分マジメな話だから、本人にとっては」
レンリの言う通り、嫌味抜きの率直な感傷だったのだろう。しみじみと噛みしめるように汀は続けた。
「だから今までつるんできた男友達とかも、妙によそよそしいというかソワソワしてるってかさ」
「そりゃさっきみたいなスキンシップ取られたら距離感がどうにかなっちゃうって」
両翼を組んでしきりに頷くレンリは、どちらかと言えばそのスケベ男子どもの心情に共感しているようだった。汀は嫌悪感を浮かべずも不本意げに唇を尖らせつつも、やがて歩夢の手を取りニッカリと嬉しげに白い歯を見せた。
「だから、博士や足利さんみたいな、取り繕わない正直なヒトが大好きだよっ! 色々と問題はあるけど、もちろんこの学園のハチャメチャさ加減もね!」
このまま輪舞でもしかねない汀の積極性に辟易しつつも、歩夢は強いてそれを拒めないでいる。
自由意志というものを持たないためか、あるいは別の何かに起因するものか。
「あんた自身が、
と、思わず問いがこぼれた。
汀が、一瞬真顔になって顧みた。だが、上ずった声で、
「やっ……やだなーもー! オレは気ままに青春を謳歌する自由人だよ、ウン……そうなりたいと、願ってる」
レンリはそんなふたりの様子を喜悦の眼差しで見ていたが、ただ一言、
「……
とのみぼやいて締めくくった。
~~~
緩慢で、かつさっきのように時折足を止めつつも、一本道である以上なんだかんだ前進自体は続いていて、やがて違う景観へと行き当たった。
囲む障壁は煩雑なものではなくなり、隙間なく溶接されたコンクリートのもの。LED灯が目の痛まない程度に奥まったその空間にあまねく明るさをもたらしている。
取り込まれた海水を、この裏の区間で浄化処理でもしているのだろうか。透明度の高い水が何条もの溝に溝に沿って流れ込んできて、それが中央付近で大きなラインで統合されて流水プールのようになっていた。
「これ、どこに繋がってんの?」
「一応ここ浄水施設になっててさ。ゴミとかを除去して、クリーンな海水にしてこのまま沖に再放出してるんだよ。環境保全に協力してるってこと」
「それ、海水浴とかこことかで、自分たちで汚してるのを自分たちで掃除してるだけなんじゃない?」
「…………それは言わないお約束!」
そこを挟んで、数人の、そして記憶に真新しい男たちがいた。
「見つけたぜっ! 暴力チビ!」
保健室を襲撃してきた学生たちだった。これより手前の、アジト的世界観を持つ空間ならさぞその荒くれた風体は似合っただろうに、多少文明らしいところに出るともうミスマッチ感が凄い。
だが自分たちの姿が客観視できる理性などあろうはずもなく、偉そうに胸を張っている。
「ここに入ってくるのが見えたンで先回りしたんだよっ」
「この間はよくもやってくれたなァ、仏頂面!」
と、唱和するかのごとく別の男が歩夢に
すたすたと歩こうとするも、他のひとりと一羽は足を止めたままだ。
「……で、誰だいそこのイカした女は」
「オレ? いや会ってるだろ? 汀だよ、ナギサ」
自身の肢体へ向けて上へ下へとせわしなく視線を動かす無頼どもに、キョトンとして汀は顔を指さした。
本当に知覚しえていなかったらしく、仰天の表情を浮かべて
「ウソだろ!? お前、オンナだったのか!?」
などと口にする。
――気づかないほうもどうかとは思うが。
途端に、歩夢と汀への敵意は飛散し、どこか所在なさげに、あるいは好奇の目に変わった彼らに、汀はうんざりとした様子で見返していた。
「笑止! 惰弱、柔弱、軟弱!」
暴風の如く強い語気が轟いたのは、その折であった。
「カチコミと息巻いていざ相手が女だと知るや、及び腰だの舐め出すだの欲情するだの! これじゃあ遅れを取るのも道理ってもんだ!」
そう吼えながら、悪漢どもの背後をかき分けて現れたのは、痩せぎすの男である。
身の丈は声ほどには大ではなく、夏服らしき片鱗が覗える改造服を着ているあたり、学生ではあるのだろう。
だが、覇気が他の男どものそれとはまるで異なっている。額に巻いたバンダナは、瞼や眉毛さえ覆い隠すほどだが、その下の獅子のごとき細い瞳は、精悍さと活力に満ちたものとなっている。
程よく日に焼けた手足には無駄な贅肉も筋肉もなく、チーターのようでもあり、その脚の下のサンダルで地面を踏みしめればその圧で薄く張った水面が跳ねてしぶきが舞った。
その大音声にしばし忘我していた一同ではあったが、男たちはただその声量に面食らっていただけで、同行していたことはもちろん知っていたようだ。
「そ、そうだっ! てめぇらをブチのめすために、親分が合宿を終えて帰ってきてくだすったんだ!」
「まーそういうこった! テメェらだな、俺様の子分を体重計でブチのめしたってヤツぁ!」
「……俺様て」
「子分って」
やっちまってくだせぇ親分って。
とまれ、その声の圧を緩和するべく半ば耳を塞いでいた歩夢は、
「誰アレ?」
とレンリと汀のどちらかでも良いので問うた。
「
まとめ役。なるほど牽引力はあるようだが、果たして正しいルートに導くだけの理性があるのかないのか。
手短に答えた汀は、面識があるのかそれともあまりに目立ちすぎて有名なのか。気おくれすることなく進み出て言った。
「縞宮の兄さんっ! 悪いけど、今はスペクターNがこの先で待ち合わせしてるんだ。だから構ってらんないんだけど!」
「おう、人の留守中に好き放題してたってぇ小僧か! 俺様もヤツには言いてぇコトの一や二とあるんだが」
と、猛獣の目線が後ろに回った男どもを見る。
背丈と顔のいかつさではわずかに勝る鬚面たちが、肩をすぼめて委縮する。まぁ自分不在の間に『子分』とやらが新顔に鞍替えしていたら、彼らにこそ言いたいことがあるだろう。
だが直接に罵ることはせず、代わり彼らの肩を小突いて回り、凶猛に犬歯を剥いて縞宮は笑った。
「不出来なヤツらだが、これでも盃交わした仲よ。ケジメはつけさせてもらうぜ。もちろん、返す刀でその覆面野郎もブチのめす」
「……盃って、飲酒」
「多分、スポドリの飲み合いじゃないかな、大会の打ち上げとかで」
「割と健康的だな」
歩夢やレンリのぼやきにも律儀に答えつつも、汀は答えない。むしろ、縞宮の返答を得てかえって退けない状況となっていた。
「悪いとは思うけど、そのどっちもさせない」
「そうかい。じゃあ深潼の、俺様と闘る覚悟はできてんだろうな?」
汀の答えを受けて、縞宮の纏う気配ますます剣呑なものとなっていく。逆に、火に油を注ぎ込んだ感さえあった。
こと戦闘に関しては場数を踏んだ相当の実力者であることは、その気と余裕の失せた汀の横顔から見て取れる。ましてや、数の利も向こうにある。
歩夢はしばしそれを相互に見遣っていたが、息を吐いて汀と並び立った。
「足利サン?」
「集団戦になれば、こっちが数で圧し負けるでしょ。こうなったら、一対一でケリつけるしかないんじゃない」
そう言った歩夢の頭上に、通気口に潜行させていた彼女のホールダーが舞い降りて、くわえていた『ユニット・キー』を歩夢の手に落とした後に裸の腰に取り付いた。
ベルト状に変形し、展開した翼のうち、左の鍵溝に、
〈コサック〉
氷の青白さと透明度を持つ、『旧北棟』で進化させた鍵をねじ込む。
縞宮を除く男たちがそれぞれのデバイスを抜き取って身構えたが、元より狙いは彼らではなく、その足下の大水路であった。
歩夢の射放った凍気を帯びた光弾は、着水と同時にその水面に氷を張った。
「ほう……?」
と、腕組みしながら南の王は、
「
などと独り合点する。
やがて凍結部分はどんどんその面積を広げていき、周囲の気温を下げると同時に氷面自体は人間が複数人渡れるだけの広さを手に入れた。
「面白ぇ、氷の闘技場とは乙なもんを作りやがる。これなら、逃げ場なしのガチンコが出来るってわけかい」
もっとも、とあくまで強気に南の男は嗤った。
「俺様としちゃあ、そこの鳥含めて三匹まとめてかかってきても構わねぇけどなァ」
「鳥?」
「あ、そう言えばなんかいる」
ようやくレンリの存在に気付いたらしい荒くれどもや、鳴と同じく縞宮の遣う得物は、軛型のCNタイプ。
だがそれを絶対的な自信とともに握りしめるあたり、彼らとは違って
〈バルバロイ〉
と読み上げられた『ユニット・キー』は、近接戦闘タイプなのだろう。なおのこと、汀が一騎打ちに応じれば圧倒的に不利な状況といえた。
「いや、わたし一人で良いよ」
「足利サン!?」
「もとは体重計ブン投げたのはわたしだし……多分これが、手っ取り早い」
聞こえよがしにそう言い切った少女に、「ほう?」と言った調子で縞宮は目を眇めた。
てっきり逆上して仕掛けてくると踏んでいたが、そこは王者の器というべきか。愚弄に対する怒りを呑んで我が力として脚にため込む。
そして時とともに己が力が充溢するのを見計らい、
「じゃあ片づけて見せろっ! 今この瞬間にでもなァ!!」
と、獣のごとく吼えた。獅子のごとく跳ね、氷橋を突破すべく強く踏み込んだ。
――もとい、思いっきり踏み抜いた。
「うおっぷ」
一カメ。
「うおっぷ」
二カメ。
「うおっぷ」
三カメ。
……などとありもしない定点カメラを幻視してしまいそうなほど、リアクション芸人顔負けの見事な底抜けっぷりに急流に転落し、そのまましぶきをあげて沈む。再浮上することなく流されていく。
本来、氷橋とは基となる材があってはじめて人や物の往来が可能となる。
いくら超自然の力と言っても、まして絶えず流れる水を完全に凍結して道を作れる理などなし。これは氷橋などではなく、ただの薄氷でしかなかった。
「お、親分ーッ!?」
後に残された子分たちは、目の前から消えた自分たち大将を救うべく、慌ててその流れの先をたどって消えていった。
「……まさかこんなアッサリ引っかかるとは……」
あまりに上手く事が運んでしまったせいで、若干肩透かしを食らった気分にもなり、南洋の学生たちの将来が少し心配になった歩夢であった。
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(18)
「なぁ良いの!? 汀的にはこの勝ち方ありなんです!?」
「うーん、まぁ先客がいるし、兄さんの方は一応起動はさせてて物理防壁が発動した状態だったし、もう浄化処理はされてたから後は沖にシュポーンされるだけだし……まぁオッケーでない?」
「あらまぁやっぱりリアリスト!」
南洋の管理区長を出し抜いて無傷かつ短時間で突破した歩夢たちは、その放水施設を後にした。
鳴たちと分かれてから何度か分岐に行き当たり、その都度再開されたメールナビに従ってきたが、ついにその案内にも終わりの時が来た。そこから先は一本道で、普段は開いていないような鉄の小径を通れば、終点と思しき鋼のドアがある。銀行の証券を閉まっているかのような、分厚いその扉の裏で電子音が響き、内より口を開けた。
存在自体が非常識な地下都市の最奥。
きっとその秘匿性と厳重性の先には、金の延棒のピラミッドとか宝石で築かれた山だとか、密かに開発された最新型の弾道ミサイルだとか、最終戦争に備えて製造されたロボットの兵団だとか、あるいは株とFXとで
だが扉の先に広がっていたのは、非現実的な光景であり、歩夢にとってはそれほど真新しいものではなかった。
それでも、この享楽の一日が消し飛ぶほどに、美しい。
――あの、巨大な剣の形をした終末装置は。
部屋自体は、幾らかの機材が据え置かれた空疎なものだった。コンサートホールや映画館のように、カーブを帯びた壁。その先に、打ち止めと思っていたはずの先が見える。戸口がある。方々の装置から光の縁でくり抜かれた回廊。そこにいわゆる『委員会』の言うところの『黒き園』が広がっていた。
「――これが、巌ノ王京猛が表裏二重の娯楽都市の裏に隠していたものの正体だ」
そしてその機材と異界の合間に、ひとりの髑髏の面をかぶった人物が立ち塞がった。
「そして僕が、君たちをここに招いたスペクターNだ」
そう名乗り上げて、深く辞儀をしてみせる。
折れた体つきは細やかだが男のそれだ。声は涼やかで甲高いが、少年のものだ。
「退場の仕方こそマヌケだが、分校長の辣腕ぶりはホンモノだ。『輸送兵』を主体とするキーの複合利用による、本校旧校舎への
慣れた手つきで装置のコンソールを操作すると、光柱が徐々にすぼんでいって、やがて本校に通ずるワープホールは口を閉じた。機材自体も、床へ壁へと格納されていき、後に残ったのはシンプルなスペースだけである。
「それが、我が校の正体だよ。とんだプレジャー・アイランドだろう。僕らの青春は、そのままあいつの供物として捧げられていたわけだ」
「なるほどねぇ、薄々の予感はあったけど、そういうカラクリだったのかよ」
そう言って汀は、前へと進み出た。
笑みは浮かんでいるが、目つきは剣呑そのものだ。
「……で、オヤジさんの目論見どおりロバになって跳ねまわる哀れな幼馴染に真実を見せるため、わざわざそんな暑苦しいカッコして回りくどい待ち合わせしてたってワケか……灘」
名を呼ばれた少年が、仮面の中でフッと息を抜くのが聞こえた。あるいは軽く笑っていたのかもしれない。
「やっぱ、バレてはいるよな」
そうこぼすや、仮面を下から剥いで髑髏を投げる。現れた素顔に懐から抜き出したアンダーリムの眼鏡を掛ければ、確かに端末の画像で目視した救出対象だった。
「あ、気づいてたんだ」
むしろ意外だったのは歩夢で、そんな少女を汀は心外そうに顧みた。
「足利サン、オレのことどんなふーに思ってたの?」
「拉致された友達そっちのけで遊び惚ける
「ひどい……」
「あと、サイコの頭文字はPな」
咳払いが聞こえる。話の腰が思い切り折られた少年、澤城灘のものだった。
「おっと脱線した。で、わざわざコレを見せるためにこんなとこまで呼んだのか?」
「もちろん、それだけじゃない。用は二つ……いや三つだ」
そう言って灘を指を立てた。
「一つはこれ自体という物証を見せること。もう一つは……ここを、共に破壊してほしい。そしてこの分校長不在の間に、事実を世間に公表するとともに、この学校と言う名の実験施設を、閉鎖に追い込みたい」
いかにも、行き過ぎた正義感や生真面目さによって悪堕ちしたヒーローの掲げそうな信念だった。言いそうな口上で、闇に誘うべく差し出された手だった。
しかしそれは、にべもなく幼馴染に断られた。
「お前らしくもない性急さだな」
呆れながら汀は言った。
「第一、ここを潰したって、あの『剣』がある以上、また誰かが同じような場所を作って、同じことを、よりえげつないコトをする。だったら、おもしろおかしいオッサンが上手いことコントロールしてくれていた方が良いだろ。で、オレたちがそれを未然に防ぐって」
「そう言いながら、本当はお前が手放したくないんだろう」
そう切り込まれて、汀はやや押し黙った。
「その力を、この生活を……そして、自分がヒーローでいられる場所を」
「……」
「お前は幼い頃、入退院をくり返す虚弱なお姫様だった。そして、今もってなお、本来は理知的な人間だ。享楽主義者で正義の味方を演じているに過ぎない。だが、その執着こそが親父の餌食だと何故気付かない?」
おそらくは、長く彼女を知る彼の評は、図星だったのだろう。押し黙った少女に、その片鱗を確かに歩夢も見ていた。
彼女は正直に生きる者が好きだと言った。
何故ならそれは、自分がそれとは程遠い人間だから。
「……否定は、しないよ」
汀はそう言って灘の投げた面を拾い上げた。そして自身の顔にそれを押し当てつつ、くぐもった声で
「でもやっぱりその提案は受けられないよ、灘。今の危なっかしいお前には乗れないって、演じてるオレも、ホントは冷たい自分も告げてる」
それに、と少女が面を投げ捨てた時、その表情はこざっぱりとした、屈託ない笑顔となっていた。
「オレは正義の味方を気取ってるわけでもないし、良いか悪いかじゃない。こんなごった煮の無法地帯でも、オレは好きなんだよ。お前がこの学校に連れてきてくれたから、今のオレがある。だからいずれは去らなきゃいけないとしても、力づくで学校ごとブッ壊すなんて、させたくない」
今度は、それを受けて灘が笑み返した。
「……やっぱり、お前は変わらないんだな、ナギ」
呟くように漏らす。
嬉しさ、寂しさ、そして諦観。
「……どうせ断られるとは思っていた。そしてそれはきっと正しい。ここを潰したところで、『上帝剣』が存在する限りは軍事利用や利権争いは必ず起こる。そしてそれを取り除くにはやはり鍵とホールダーの力は確かに必要だ」
細められた瞳の中には、様々な色が混じっている。
「それで、最後の用は?」
問いかける汀に、笑みを退かせた灘は爪先で床を小突いた。
その一部がそれに合わせて突出し、その裏に格納されていた長柄物を、灘は掴んだ。
「僕と、戦ってほしい」
ストームブルーとも言うべき、深い滋味の青を下地とした、幾何学的な白い紋様の入っている。ベルリンに再建された、イシュタル門のカラーリングにも似ていた。
先端には三角状の突起があり、その付け根には鍵穴があり、大振りのそれを槍と称するのは苦しいだろう。むしろ鋒、あるいは神の射放った巨大な矢のようである。
おそらくがその鋒矢の武具こそが、彼の扱うストロングホールダーなのだろう。
「……いや、意味わかんないんだけど」
すかさずツッコミを入れたのは歩夢であった。
この街を破壊しよう、断られた、じゃあ戦おう。まるで文脈がつながっていない。こんな場で思うことさえバカバカしいが、理論的ではない。
てっきり黙殺されるかと思っていた歩夢な率直な感想に、灘は反応を見せて彼女とレンリを顧みた。
「……別にわかってもらおうとも思わない。けれども、これは僕なりのせめてものケジメで、未練で、そして自己満足で自罰行為だ」
「全然答えになってないんだけど、もうわたしは行って良い?」
歩夢を見返す曰くありがな眼差しには、一抹の未練めいたものを感じさせる。
それが何なのかは伝えないままに、灘はかぶりを振って払拭したようだった。
「足利歩夢、そしてそこの鳥になった男……君たちに、恨みはない。悪かったのは僕達だ」
当たり前だ、と歩夢は内心でツッコミを入れた。
勝手に厄介事に巻き込んでおいて、こちらの非などあろうはずもない。
「けど、せめて君らにはそこで見届けていてほしいんだ。できることならね」
「おい、その『僕達』っての、よくわかんないけどオレも含まれてるわけか?」
汀の問いかけに、灘は曖昧に微笑み返すばかり。汀は大儀そうに息を吐くや、
「良いよ」
とさらに一歩、進み出た。
「でも、ただ戦うばかりじゃ能がない。オレが勝ったら、さっき言ったバカげた考えは捨てること」
「……分かった」
「で、そっちが勝ったら? お前の計画に協力でもするか」
「まさか。無理やり従わせたところで意味はないだろう……けど」
言いよどんで逡巡して、それからうっすらと、少年の頬に朱色が差し込んだ。
「ずっと、お前に言えなかったことがある。それに答えてくれとまでは期待してないけど……でも僕が勝ったら、言わせてほしい」
「ん、なんだよ。今言えよ」
「……勝ってからじゃないと、僕らの関係にケリつけてからじゃないと、意味がないんだよ、ナギ」
そう儚げに、灘は微笑を称え、甘やかな韻を帯びた調子で少女の名を呼んだ。
伝染したかのごとく、少女の頬にも紅が灯る。せっかく進めたその身が、ぐぐっと後ろに引き下がっていく。せわしなく髪の結び目をがしがしと梳ってから、その手を虚空へ向かって突き出した。
「あぁーもー! 調子狂うなぁっ! お前こそ、今なんかヘンなキャラのスイッチ入っちゃってるぞ!?」
荒ぶる少女の足下に、周辺と進路のみ液状化させて、超小型の潜水艦が躍り出る。
それが飛び上がると、少女の左手に固定されて鍵溝を展開させていく。
「まぁ良いや、オレが勝っても、その言葉引きずり出してやるからなっ!」
吼えてみせる幼馴染。彼女の眼前で、灘は奇妙な器具を取り出した。
U字型に鋳造された、鉄具。蹄鉄のようでもあり、プラグを統一するためのアダプタにも見える。
いや、その先端は一本の鍵溝になっているから、アンバランスながらもY字型の鍵ともいえる。
その正体を汀も知らないのか、不審げに眉をひそめていたが、強い反応を示したのは、レンリだった。
「『ユニオン・ユニット』!? 馬鹿な、何故お前がそんなものを!?」
温まりつつある場の空気に当てられたわけでもあるまいに。大仰に反応してみせ、その碧眼をいっぱいに見開く。
だがそんな鳥の狼狽をよそに、灘は銀と金、二色二振りの『ユニット・キー』を、その左右の分枝にそれぞれ突き立てた。
〈
男のものとも女のものともつかない合成音声が響き、そして中央の鍵溝を蒼刃の付け根にねじ入れ、中空に向けて傾けた。
「天駈ける銀の戦船よ! 鋼の竜骨を抱いて星海の果てを拓け!」
それはモチベーション向上のための気炎だったのか、それともこの特殊なキーを動作させるための音声コードだったのか。
いずれにせよ、灘がその祝詞を唱える、その一節ごとに、蒼の矛先は輝度を増し、その頂点から発せられた銀光の塊がやがて鋒の柄を細く長く絡め取っていく。
「抜錨せよ! グレード3.5! 『コズミック・サーペント』!」
締めくくりの宣告を皮切りに、銀色の鎌首が、物質化して鋒矢と一体化していく。
そして生物と兵器が融合したかのようなその長物を両手で傾けて、少年は勇壮な面持ちでみずからの幼馴染と対峙したのだった。
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(19)
出渕胡市に、鉄の猟犬が群れを成して寄せる。その集団行動は機械的にして精妙。されども勢いはその獣性を喪わず怒涛。
一方で鉄人となった胡市もまた人並外れた瞬発性を以て身を切り返し、その攻めの間隙を巧みに縫っていなしていたが、そのうちの一体が背に回り込んだ。
壁を張りついて、生物ではありえない速度と制動とで身体を切り返した猟犬は、そのまま少女の長躯へ特攻を仕掛けた。
それはかろうじて躱したものの、代償として体勢を大きく崩すこととなった。
雪崩を打つように殺到してきた獣たちは、胡市へとまとわりついて瞬く間に折り重なった。
爪で突く。牙を立てる。ワニのごとく噛み付いたままに身を捻り、さらなる負荷を加えようと手管を尽くす。
鉄を掻くがごとき異音が響き、少女のレギオン体からは火花が散る。それも彼女が重装の人外に化身していたからこそだが、もしそうでなければ凄惨な構図となっていたことだろう。
胡市はなんとか隙を見つけては、背を丸め込むように姿勢を推移させつつ、防御面積を増やしていく。
そしてその合間に、回天の布石を打つ。
水気を帯びた外気を我が身に取り込み、限度いっぱいまで蓄積する。
自らの内でそれが充溢した頃を見計らい、
「ズガドーン!!」
胡市は手足を一気に突き伸ばした。
その膂力に数体ほどが跳ね飛ばされる。
爆発的なオノマトペとは裏腹に、その総身から噴き出たのは冷気だった。
鉄人の関節という関節から、内に酸素を取り込むための通気孔から、溜め込んでいた気化された水蒸気が、氷霧を孕んで放出された。
元はリアクターと化した彼女がそのエネルギーの暴走に抗するための冷却システムを、逆噴射したものだった。
たとえばそれが、寒冷地仕様の白景涼のものであれば耐えられただろうが、所詮は量産機である。仕様外の冷風に侵された獣たちは、動力部や機動箇所を機能不全に追い込まれて、急停止した。
「アネさーん! 今行きますよー! アネさーんッ」
猟犬らを一掃した胡市。己はパッションの衝き動かすままに駆けだした。
もちろん、そんな大声を出さずとも通じる距離で、南部真月らは戦闘を繰り広げている。
だがその場に踊り込んだ刹那、
「バカっ!」
……と、真月もまた声を荒げた。
いかつい鉄面から「へ」と間の抜けた声が漏れ出る。
その黒鉄の足下で、地面は明度を高めて輝き始め、ついに爆発を引き起こした。
「ぐわー!」
女子らしからぬ、そして緊張感にも欠ける声をあげて、胡市は地面を削りながら転がった。
「おい、出渕!」
鳴も声をあげた。が、救助に駆け寄ろうとした鳴に「待って!」と制止をかけた。鳴は咄嗟に脇へと飛んだ。同様に、彼女いたあたりで爆発が起こる。そしてその間際にもやはり、その足下の区画は周囲よりひときわ明るかった。
――これが、厄介だった。
その一部のみではない。
この廃墟のごとき空間全体に、テクスチャのように、あるいはプロジェクトマッピングのように、平面の規則的な桝目が色と数字とに分別されて光線で描かれている。そしてそれは断続的に、順を追うようにして明滅を繰り返して、ある一瞬に止まってその区間が爆炎を吹き上げる、という法則性を持っていた。
そしてその元を辿れば、上空に鎮座する三竹のバイクの車輪。水平になったそこから照射される光だ。
「ったく、手足吹っ飛ばす気かよ」
「キャハハハ! ……手足吹っ飛ばされる覚悟もなしに、こんなとこ来ないで下さいよ、センパイ?」
鳴の独語を、頭上の三竹が拾って嗤う。
なんとか無事だった手を切り返すようにして鳴は自身の『小弓』を撃ち出した。
しかしそれは難なく射程外に逃れられ、代わり三竹が車輪のフレームを叩けば、鳴の行く手でまたしても爆破が起こって風が彼女を吹き飛ばす。
「こっち全然本気出してないんですけどー」
などと頭上のバニーガールは曰う。
煽りの意味合いもあろうが、事実でもあるだろう。
このルーレット仕様の『勝負師』なるキーは、ランダム性、ギャンブル要素の強いケレン味ある、非戦闘向きに成長したものだ。それが戦闘に耐えうるものとなっているのは、この多治比家三女のプレイヤースキル……もとい目押しの精度の高さによるためだ。
希少性はありそうではあるが、真っ当に防衛戦を展開するならもっとマシな『ユニット』を使ったはず。つまりはテストプレイも良いところで、あからさまにナメられている。
いつの間にか遮蔽物を利用した真月が、三竹と同じ高さに上り詰めて、爪を立てて飛びかかる。
「おっとお触り禁止ですよー」
彼女のバイクはツイと横へとスライドし、真月の奇襲は甲斐なく空を切って重力に引かれていく。
そして落下するその先で、まさに輝度を高めた五番の『パネル』が待ち受けていた。
が、その身を光の矢が横合いから叩く。軌道をずらす。
ぐぇっ、とあまり可愛げのない呼気とともに獣の少女は、その矢を放った鳴のすぐ横合いに不時着し、自身を直撃するはずだった爆風を浴びた。
「痛いじゃない的場さん!?」
「いや、助けてやったんだよ」
「もうちょっと助け方あったよね!?」
そんな余裕があったのか、と問う間もなく、けたたましい嘲笑が頭上で鳴る。
「センパイがたの『鍵』って、『コメディアン』だったんですか? まぁネタ自体は面白くもないですけど、その必死さが笑えていいセン行ってますよ!」
などと言う揶揄とともに。
「…………クッッッソ腹立つ!!」
「まぁ、そりゃ腹立つように言ってるわけだしな」
何も嗜虐心からそう言っているだけではなかろう。こちらの判断力を削る意図も、そこには多分に込められていた。
そしてそれは南部真月に対しては見事に的中し、冷静さを欠いた猛獣の特攻などすべて徒労に終わり、爆炎に捲かれて彼女の身体は地を転がる。あと、ついでにそれに巻き込まれて胡市も飛ばされた。
「そらそら! どんどんいきますよー! 賭け方はどうしますか!? ストリートベット、それともカラムがお好みですか!? 選ばせてあげますよっ、チップは当然もらいますけどね!」
天に座すゲームマスターは、そう高らかに謳う。その指の動きは、フィナーレを迎えたピアニストのようでもあり、あるいは熟練の音楽ゲーマーやDJのようでもある。
そしてその都度炸裂が起こり、三人は散々に吹き飛ばされた。かろうじて鳴のみが自身の回避のみに終始集中しているためにダイレクトな被害はまぬがれている。
だが性質の悪いことには勢い任せにはしないこと。三人を内へ内へと追い詰めて、一気に屠る戦略を組み立てたうえでの、そうせざるをえない状況へと運行していく計画的な攻勢だった。
そして俯瞰する少女に対しては抗うべくもなく、鳴たちは穴だらけの地面に囲われるようにして、中央に固められた。並列するその有様は、三竹には銃殺刑に処されようとしている虜囚にも見えたことだろう。
「まぁ、ウチとしても命を獲ることがお仕事じゃないんで。頭下げて逃げ帰るならまぁその『鍵』で手を打ってあげても良いですけど?」
などと、すでに勝利を確信した様子で、多治比の女は案を示した。
――増長、ここに極まれり。
鳴は溜息をついて進み出た。それに張り合うようにして、ほかのふたりも前進する。
それぞれの
〈ハウンド・ハンティングチャージ!〉
〈ラッセル・ブロウィングチャージ!〉
めいめいに必殺の構えを取る怪人たちにも、三竹は臆することはない。
あぁはいはい、といった調子で雑に頷き、頬杖を突きながら空中で我が身を固定している。
先駆けて仕掛けたのは、胡市だった。
赤熱を帯びて飛び上がり、勇ましく突っ込んでいくも最小限の動きで避けられた。
間髪を入れず、建物の隙間より真月が回り込ませたであろう鉄鎖が伸びる。
だがそれも、三竹がツイと一指を滑らせるだけでその手前の壁を区切るパネルが爆発し、威力は相殺されてだらしなくたわんで宙で遊ばされる。
「あのねぇ、そんなバラバラな連携でどうこうできる相手じゃないでしょうよ」
などと、三竹がせせら笑う。
「そうだな」
そしてそれは鳴も認めるところだ。
「まったくそう思う。こいつらとは奇しくもさっきビーチバレーでも組んだんだけどさ、本当に息合わせるってコト、しねぇもんな」
などと嘆きつつ、自身の『ユニット・キー』を再装填した。
「すぐ頭に血を上らせる激情家」
南部真月が後輩の名前を鋭く呼んだ。再び飛び上がった鉄人は、たわんだ鎖を一絡げにつかみ取った。
「なんでもかんでも突っ込んでいけばいいと考えてる単細胞」
爆風にもめげず鉄鎖を握ったままに、バニーガールを中心として出渕胡市は四方八方、むちゃくちゃに駆け回る。
「そして」
「必要最低限の仕事しかしない、協調性ゼロのヤツ」
自身の仕事を終えた真月が軽く非難めいた口調で鳴の言葉を継ぐ。憮然とする彼女の眼前で多治比三竹が顔色を変えたがもう遅い。利き手や両脚を、胡市の鎖に絡め取られて三竹は身動きが取れなくなった。
「そんなスタンドプレーしかしねー女ども」
だがそれでもなお、強引に拘束から逃れようとする後背の正中に、鳴は狙いを定めた。
「――でもなんか勝っちゃったんだよなぁ」
〈エリートスナイパー・プレシジョンチャージ〉
群青の光弾が、その合成音声の後に鳴のデバイスから射出された。
かろうじて動く指先を必死に駆使して、三竹はその弾道を阻むべく爆炎の幕を張る。
しかしそれらをすべて、直線的な蛇行でかいくぐり、その紺碧の流星は三竹に迫った。
「腹撃ち抜かれる覚悟もなしに、こんなところに来るべきじゃなかったな……コウハイ?」
返ってきたのは、甲高い断末魔と爆発音。
乗っていたストロングホールダーを中央から穿ち砕かれ、その爆風に煽られながら多治比三竹は、地面に転落した。
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(20)
「っ!」
多治比三竹が爆炎を突き抜けて地面に落ちた。
ただしその衝撃は体捌きによって分散され、無傷だった。
「ひどいじゃないですか。頭から落ちてたら確実に死んでましたよ」
「よくも抜け抜けと……あんだけいきがっておいて、自分だけが例外だと思わないことね……どうかした、的場さん?」
いや、とストロングホールダーの射角を下げて鳴は言葉を濁した。
着弾寸前に何かの影が、自分と三竹の間に割って入った。一瞬の交錯のうえ、人の形をした
それが爆炎の光加減による見間違えなのか、それとも実態をもった存在だったのか。
鳴にはいずれにも自信が持てないでいるし、三竹が認知しているそぶりを見せないあたり、彼女のもたらした幻覚や手駒でもなさそうだった。
不明瞭な鳴の態度に訝る様子を――顔は見えないが態度で――見せつつも、特に問題はないものとして向き直り、あらためて多治比三竹に問いかけた。
「というか、どうせ別のストロングホールダーぐらい用意してんでしょ」
返答は、いわくありげな余裕の笑み。そして掲げられた右手に……場に踊り込んでくる、無数の自走バイク。ここまでは戦力の温存とスペースの問題から控えていたそれらが、ぐるりと三竹を護り、かつそれと敵対する少女たちを取り巻く形で整列した。
「ヤブを突いて、ヘビが出た」
「うっさい!」
さすがに量的に予想外だったのか。鳴のぼやきに、軽く焦った様子で真月が答えた。
「今度は容赦しないですよ。まだまだこの通り、より上位の駒が用意されて……」
得意げにうそぶく多治比の娘の口が、吊り上げられた嘲笑が、そこまで言いかけて止まる。
腰元に伸びた手も、そこにあるはずの何かを掴むはずが空を切って所在なくさまよっている。
鳴には、彼女が何を引き出そうとしたのか、流れから容易に予想がついた。
『ユニット・キー』を収めた鍵束。たしかに鳴たちを目撃したはずのそれらが、ごっそりと少女の持ち物の中から消えていた。
「お探しのものは、これかい?」
――そしてそれは、建物の死角より覗かせた腕にぶら下がっている。
人のものではない。蛇のごときメカを腕に取り付かせた、異形の影。
外見のモチーフは賊とも毒蛇ともつかぬ、衣を被った怪人。
(コイツか)
そのシルエットは、爆発の間際に視た鳴の記憶と合致した。
そして、おそらく自分は彼の正体にも察しがついた。
桂騎習玄。
剣ノ杜本校を巣穴とする、『ユニット・キー』やホールダーを専門とする、泥棒。
「いや、あんまりに隙だらけなもんだったから、ちょいと食指が伸びちまってな。悪いね、多治比の嬢ちゃん」
「……」
「もっとも、コイツらはどうせカネと権力にモノ言わせて収奪したもんだろ。あんたらにとっちゃ大した痛手にもなりゃしない、だろ?」
「…………」
整列するだけして、動かす『鍵』がないのだから、もはやその二輪車は無用の長物に過ぎない。
そのデクどもに囲まれながら少女は、絡むような怪人の物言いに最初、一切反応しなかった。
勝ち誇っていたがゆえに、今の自分が客観的に見て、如何に惨めで滑稽か。それを一番痛感しているのは、他ならぬ彼女自身だっただろう。
「…………そんなに死にてぇのか、この有象無象の痴れ犬どもがあああぁっ!!
多治比三竹の感情の爆発は、何の前触れもなく、不発弾のごとく突然に巻き起こった。
駆動しないストロングホールダーの二基三基、力任せに蹴倒したかと思えば、顔を両掌で覆ってその内で呼気を荒げる。
だが、訴えるだけの暴力は、もはや彼女の手持ちにはない。
いやひょっとしたら秘蔵の一個ぐらいは別に持っているのかもしれないが、その痴れ犬とやらにムキになってそれを持ち出した時点で、彼女の敗けと多治比に泥を塗ることが確定する。
その事実を緩やかに認めていくかのごとく、手の内の呼吸は、次第にその静けさを取り戻していった。
「…………なーんて、ね」
虚勢か、真の余裕か。
手を顔より離した時、彼女の表情には笑みが張り付いていた。
「そもそも、ナメプしてる後輩ちゃんを四人がかりで必死になって叩いてようやくとか、それってそっちの勝ちとも言えないでしょうし、時間稼ぎの任は確かに果たしました。あんたらに給料分以上の仕事すんのもバカらしい」
などという減らず口とともに、少女は身を切り返した。
「逃げんのか」
「好きなだけ吼えといてくださいよ。……ちょっと気になることがあって、今日は早めに切り上げたいところなんで」
そして去り際放ったセリフの調子からすると、少なくともその最後の言葉こそは本心であったような気がした。
……そしておそらくは、本気になればこの四人を打ち倒せるというのも、あながち完全な虚勢でもなさそうだ。
「……素直に悔しがるあたり、
その気配が消えてより、息をついて肩から力を抜く鳴の傍らで、怪人三人が『キー』を抜いてその武装を解いた。
「礼は要らんぜ、姉さんがた。惚れてくれるのは勝手だが」
「そんなワケあるわけないでしょ、火事場泥棒」
「どっちかと言えば、爆心地泥棒ですね!」
少女たちを顧みたその男子は、キザったらしいセリフも辛うじて愛嬌に替える程度には人好きのする、整った面立ちだった。
そして賊という割には卑しさや欲深さといったものを感じさせない。ふてぶてしさは、南洋の制服をまとい変装しているその総身に充溢しているが。
「こんなところまで盗賊稼業の出張か。夏休みがないってのは世知辛いこった」
そう揶揄を飛ばす鳴に、不敵な笑みを称えたままに桂騎は言った。
「むしろ祭りの時こそ稼ぎどきってな……とは言っても、今回ばかりはちゃんとした
「と言うと?」
「多治比三竹がそうだろうと言うように、こっちはこっちで都合がある」
つまりは、それについては口を閉ざす、ということか。
追及より先に、手を振ったのを最後に少年の姿は何処かへと消え去り跡も残さない。
「で、どうする? つっても、歩夢たちと合流するしかないだろうけど」
少し崩れた水着の紐を直しつつ、鳴はふたりに尋ねた。
だが、真月は神妙な顔つきでじっと周囲に捨て置かれたバイクを見下ろしていた。
「どーしたよ」
今度は鳴がそう尋ねる番だった。
いや、と先の彼女のようにやや濁してから、真月は真面目くさって呟いた。
「せめて一台なりとも、かっぱらって『
「火事場泥棒はどっちだよ」
「どっちかと言えば、爆心地泥棒ですね!」
「気に入ったのか? それ」
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(21)
澤城灘と、深潼汀の競り合いは、まるで演武のような、輪舞のような軽やかさと柔らかさを備えた応酬だった。
そのリーチによる不自由さを感じさせない柄の旋回が、少女と彼女の呼び出した『キャプテン』の人造レギオンを追い詰めていく。
その連携を断つべく彼女らの間隙に穂先を突き入れた灘ではあったが、
「よっと」
ひらり、身軽に汀は飛び上がった。
その『相棒』とも言うべき怪人の双肩を両手でつかみ、新体操やサーカスのように
さらに腰をひねってギロチンのように脚を振り落とすが、これは石突で撃ち落とされる。
伸びきったその足首を、銀の蛇が絡め取って引きずり降ろさんとするが、とっさに汀は膝を曲げてその拘束から逃れて着地した。
そんなじゃれあいのような駆け引きを繰り広げているうち、どちらの意図したものなのか、戦場は先の大水路の間に移っていた。
引き戻された銀の蛇が一度、総身をブルリと大きく震わせる。
それこそ生物の蛇が外敵を威嚇するために鱗を擦り合わせる動作にも似ているが、次に起こったことは、牽制でもなんでもなく、明確な攻撃だった。
散らされた鱗が空中に固定し、また別の形へと変形する。
ツツジの花のような形状となったそれは、その中央より光線を射出した。
「『キャプテン』っ、耐えろ!」
人形に精神論を持ち出した汀の無茶ぶりに、レギオンは良く応えて彼女の盾となった。
そしてかれの胸部で光が爆ぜる。多少以上のダメージがあるらしく、その偽りの身体の下肢が大きく後退し、上体は大幅に揺れる。
「ナイスだぜ、相棒!」
(あんたの『相棒』、どんだけいるんだ)
歩夢たちの胸中のツッコミはさておいて、今度は汀が反攻に打って出る番だった。
その『相棒』とやらの組んだ腕に飛び乗った少女は、その怪人をカタパルト代わりとして自らを撃ち出した。
勢いよく飛び出た汀だったが、灘の四方に散らした浮遊砲台の再展開、最充填の方が速かった。
自らを囲んだ鉄の華を、脇目で見ながら、少女は
「『
と鋭く命を発した。
虚空に向けられていたものと思われたそれに、応える影があった。
張り巡らされた水路。その下より浮上してきた、青と白とを基調とするレギオンの軍隊が、銛とも銃ともつかないようなものを構えてその先端から水流を射出した。
ドリルにも劣らぬ鋭利さで、かつ的確に、『コズミック・サーペント』とやらの浮遊砲台を撃ち落としていき、自然流れは光線と鉄砲水と撃ち合いに推移していく。
だが、灘サイドの方が後手を取られながらも数において優位に展開して、水流に潜むレギオンたちを撃沈させていった。
「くっ」
その爆発で巻き上がる飛沫。それを浴びながら、汀は灘を攻めきれないまま落下した。
その下にスライディングしてきた『キャプテン』が、主人の身柄を掬い上げてからゆっくり地面に下ろした。
「さすがは汀だ。ここに戦場が移ることを想定して、事前に『伏兵』を配していたか」
「でもそんな妙なユニット持ってくるとまでは読めてなかったんでね、不意打ちで一気にケリつけるはずだったのに力負けちゃったよ。ハンパにグレードまで底上げしてくれたせいでルール適用もできないし」
簡単な感想戦のあと、苦味を奔らせつつもどことなく楽しげな笑みを称え合う。
だが優勢となっている灘の蛇もまた、武装たる鱗をこそぎ落とされて、コードとも血管ともつかない部位を剥き出しにしている。
それを一瞬見た彼は、『宇宙飛行士』の側の鍵を抜き取り、代わりの一基をあらためて差し込んだ。
〈〈
「百鬼夜行の軍勢よ、その黄金の爪牙を研ぎ澄まし不沈の太陽を噛み落とせ! 撃滅を開始せよッ、グレード4.2! 『アンチ・イモータル・ガレオン』!」
火花を孕んだ黒煙が鋒の総身より噴き出る。
それがやがて実体を作り輪郭を象り、銀の蛇に取って代わり、強力な咢で柄にかじりつく竜へと変貌する。その後頭部からは、バグパイプかガトリング、あるいはバイクのマフラーのような部位が突出し、唸り声とともに黒煙を吐き出した。
その圧、その熱。先のものと勝るとも劣らない。
汗を弾けさせながら、汀はじりじりと後退していく。
のこのこと、歩夢とレンリがやってきたのはその時だった。
ふたりの世界に没入しているふたりに向けて歩夢が
「がんばえー」
と、童女のごとき声援を送る。
「おうっ! 応援ありがとな!」
汀が屈託ない笑みとサムズアップを向けてくるので、歩夢はますます憮然となった。
「困ったな、イヤミが全然、通じない」
「……いや、よしんば通じてたとしても同じ反応を返しただろ。これが陽キャの余裕というやつだ」
「むかつく」
「
歩夢の足下から、何者かが会話と間に割り込んで来た。
べしゃり、と水音とともに、激流の内より、海洋に投げ出されたはずの縞宮舵渡が現れた。
「え、どうやって戻ってきたの?」
「そんなもの、遡上してきたに決まってるだろう!」
「鮭かよ」
「鯉だ!!」
レンリの呟きに鼓膜を痛ませるほどの大音声をもって返し、ぼたぼたと、汗とも海水ともつかぬ液体を落としつつも己の腕で拭いつつ、舵渡は続けた。
「俺様は小川で奢る鯉だった! だが、海の広さと激しさ、そして雄大さを知り、その流れと一体になることで龍と成った! 登竜門とはまさにこのことだな!」
「それ、比喩だと思うぞ」
「そして小娘、無手勝流の何たるかを心得ているとはな! 怒りを通り越して感嘆の域だ!」
「むてかつりゅー?」
「……きっと国語だけ成績良いタイプなんだろうな、うん」
思想から知見まで隔たりがあってズレまくっているせいで、まるで異星人とのファーストコンタクトのごとくコミュニケーションが成立していないが、とりあえず無用の怒りと関心を買ってしまったことだけは確かなようだった。
「――しかし」
と、舵渡は歩夢たちの横を素通りして、じっと水向かいの少年少女の立ち合いを、もっと絞れば澤城灘を中止した。
「あの軟弱者、いつの間にあれだけの技量を身に着けやがった……?」
などと珍しくも思案顔。だが刹那的にその理性と忍耐は飛散し、
「おおかた、狐か何かにでも憑かれたんだろ! 叩いて直すしかねぇやな」
などと物騒な納得とともに足を彼らの方へと向けた。
その進路に、歩夢は知らず足を運んでいた。
「邪魔する気?」
「当たり前だ。スペクターNもとい澤城灘は施設最奥まで多くを引き連れて侵入した。管理区長相当の権限と義務ってもんがあるんでな、一応掣肘を加えなきゃならん」
「それは
「深潼汀じゃあ今の澤城には勝てねぇ」
断言するような調子で縞宮は答えた。
「あの妙ちきりんなアダプタだけのハナシじゃない。俺様の知る澤城灘はあんな攻めに出られる男じゃない。野郎を灘と見ている限りはあの小娘に勝ちの目はねぇよ」
だから退け、そう言わんとする南洋の長の前に、なお歩夢はその身を留めたままだ。
「正直汀がどうなろうと知ったことじゃない。負けりゃあんたがやれば良い。でも、あの勝負がつくまでは、手出しはさせない」
「ほう? さっき見た限りじゃあ、それほど仲良しでも気心の知れた感じでもなかったがな」
それはそうだろう、と歩夢は頷いた。
「たしかに出会ってこのかた、アイツには散々引きずり回された」
何やら一方的に懐かれている――というか誰にでも満遍なくあの距離感なのだろうが――歩夢はその公言どおり、
「深潼汀は、好きじゃない」
のだ。
散々引っかき回して、トムソーヤやジェームズボンドの真似をさせておきながら、結局は巻き込んだ周囲はそっちのけで彼女の世界に没入する。そのくせ巻き込まれた方は「仕方ない」と彼女の横暴を受け入れる。
しかも汀は恐らくある程度計算でそうしたキャラクターをロールしている。
その理不尽と悪辣に腹が立つ。
「あと、ナチュラルにスタイルの良さを自慢してくる」
「嫌いの理由の大元、そこじゃないですかね……」
カラスの疑念を黙殺し、歩夢は言葉を進めた。
「そんなアイツだけど、散々迷惑かけられてひとつのことを身をもって学んだ」
「ほう? そいつは何だ?」
「お楽しみを邪魔されると、気分が悪い」
その教訓を憚ることなく口にした時、縞宮舵渡はしばし呆れた様子であった。
だが、野生的に頭の巡りは早い方らしい。歩夢の言わんとするところを汲んで、肩を揺すって大笑いした。
「うわはははははは! つまり何か!? 『自分がやられたら嫌なことを他の人にやっちゃいけません』ってか!? した側に同じ報復をしてやるのを筋ってところを、お前は道徳の授業よろしく考え、彼奴らの本懐を遂げさせてやるってのか!?」
「気が向いたら、
だが足利歩夢の心の賽は、この目を指した。
それは猫よろしく、あるいは泡沫のごとき、
(いくらアイツでも、なんか楽しそうに試合してるところを邪魔されたら可哀想だな)
という、我ながら妙なお節介。
「……良いぜ、俄然お前にも興味が涌いてきたところだ」
その結果この男のどういう反応を呼び起こすのか。
半ば悟りながらも、そう決断し、行動してしまった。
「その啖呵の下のあるのは菩薩の慈悲か、義を知る士魂か? あるいはそれらを
にわかに沸き立つ血の熱が、掌に握り固めたままの鉄器と鍵の煌めきが、男の表皮から水蒸気を立ち上らせていく。
そしてホールダーを歩夢に向けて定め、悪童よろしく笑いかけるのだった。
「前座の余興代わりに確かめてやるから、今度こそ逃げてくれんなよ!」
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(22)
「……なんだ、これは」
ようやく歩夢たちと接近で来た維ノ里士羽を待ち受けていたのは、二方面の理解しがたい戦闘の光景だった。
片や竹馬の友たる汀と灘が互いに争い、しかも製作も設計も覚えのない、奇妙なモジュールを灘が使用している。
もう一方では南洋の管理区長代行、縞宮舵渡相手に、歩夢が応戦している。
ここから踏み込んだものには、まるでその
灘のホールダーの柄にかじりつく竜型のレギオン。その首の付け根から、黒煙が噴き出した。
それは汀の周りを侵食していき、それを腕で振り払った彼女の周囲では、機雷のごとき球体のエネルギーが展開されていた。
「くっ!」
汀が後方に飛んだ。その前方に立ちはだかったキャプテンが女主人の意志に応じて彼女の身柄を足蹴にして距離を稼ぎつつ、自分は盾となってそれら機雷の暴発から彼女を庇った。
『キャプテン』が膝を突いた。当然レギオンに痛覚などあろうはずもないからして、肉体的に限界が来ている証左だろう。
灘のFAタイプのストロングホールダーの特性は、非人型人造レギオンを構成し、サポートボットとして、一つの『鍵』でバリエーションに富んだ戦術が可能なところにある。
一方でその出力ゆえに制御は難しく、ユーザーの性格やセンスによっては低グレードのものに使用が限定される。
そしてまさに、澤城灘がそのタイプだった。
――にも関わらず今、あの出力はグレード4相当。いやそれ以上。
それを可能としているのは『提督』の駒だ。それ単独では、グレードの割に大した火力も発揮できない彼らしい『大人しめの良い子』。だが、あのU字型の強化パーツがそれを制動役として機能させて、ハイグレードの『駒』のエネルギーを安定化させている。
作ったのはいったい誰だ、多治比か?
それに、他の『ユニット・キー』自体が、澤城灘の行動や精神性の延長線上にない。
誰か提供したものがいるのか。
問いは尽きない。考えようはいくらでもあるが、無数にある可能性から絞ることはできない。
もう一方はダイレクトかつ明快な
何をどう血迷った結果か知らないが、まさか歩夢が単身南洋最強の男に挑むこととなろうとは。
雄声勇ましく、手斧のごとく縞宮はCNタイプのホールダーを振るう。
赫光を放つエネルギーの半円の刃は、リーチこそ短いが、その分振りと切り返しの速い連撃に形勢は歩夢の防戦に傾いている。
何を考えているのかわからないぬぼっとした表情は常のままだとしても、疲労は相当に蓄積されているはずだ。
それでも桂騎習玄と争った初陣よりかは、はるかに
手数は最低限。だが防御のタイミングとポイントは的確。体力を温存しつつ反撃の機をうかがっている。
だが、如何せん男女の体格差、体力差というものがある。場数の差というものがある。『キー』の性能差、出力差がある。
「もらったぁっ!」
唐竹割りに、縞宮はホールダーを振り下ろす。
その一撃は割けるまでもなく、少女の前をかすめた。
だが、彼にとってはそれで良い。その空を切って地面を断つその行動こそが、『バルバロイ』にとって正しい運用方法だった。
迸るエナジーを叩きつけられた地面が割れる。だが、散らされたコンクリート片に、飛散したエネルギーが乗り移る。やがてそれはナイフに短槍、鏃、斧といった
『重装歩兵』の大盾を用いて致命的な被弾は避け、かすめた分のダメージも防壁が遮断する。
だが少なからず命中していた。はじめて歩夢の表情が変わり、眉根が寄った。
これが縞宮舵渡のメインウェポン。
破壊すればするほどに、暴れれば暴れるほどに、その戦術の幅が増えていく。
士羽は援護をすべく、カーディガンより自身の『ユニット・キー』を抜いた。
ほかよりも一回り大きい。特別仕様のそれには専用のモジュールが改造で施されていて、そこに取り付けられたスイッチで、同じく専用のホールダーの
だが、彼女はそのスイッチを押すことを躊躇った。
乱戦であるというのもある。
全体に効力を及ぼすこの一式を使うには、不安定な局面ではあった。
そもそも、あの灘のモジュールが厄介だ。おそらくは自分のそれと、噛み合わせが悪い。
だからこそ、今この一時は静観して、
「――静観して、またお前は大事なものを見逃すんだ」
痛烈な皮肉が、横から飛んだ。
気が付けば至近。すぐ足下に、レンリはいた。
「結局お前の本質はそれで、最大の欠陥もそこだ。やたら分別面で超越者を気取って他人を見下してるくせに、その実自分が現実からも本質からも真実からも程遠い」
「知ったふうな口を利きますね、鳥」
「……そりゃ、お前みたいなしくじりをしたことある人間を知ってるからな……俺が自分の人生の中でもっとも嫌いな、最低の裏切者にな」
「では」
彼らしからぬ、しかしある意味士羽にとっては平常どおりのカラスの冷淡な態度に、彼女もまた『鍵』を上衣に押し戻しながら、熱を込めずに問いかける。
「そういう貴方はどうなんです? 今こうして、私と並んで歩夢たちの戦いを傍観している、無能者は」
「……そうだな」
レンリは短い脚をぐっぐと屈伸しながら答えた。
「俺は無能者だ。よしんばお前さんが疑るように秘めた思惑があったとしても、それを公に出来ない卑怯者だ」
けど、とストレッチを終えたカラスはなお続ける。
「それでも、この身の賭けどきは知っている。たとえ貸してやれるほどの力がなくたって、心を尽くすことはできる。そうでなきゃ、救えない魂があることを学んだんだ……そして今が、その時だッ」
ズアアアア、と裂帛の気合いとともに、レンリは戦いの渦中。肩で息をする歩夢の下に馳せ参じようと我が身を滑らせた。
「邪魔ッ!」
「あひん」
「……」
ちょっと機嫌が悪くなっていた歩夢に、レンリはあえなく踏み潰された。
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(23)
「何やってんのさ、あんた」
「お前のあんよに、潰されている」
レンリは自らに置かれた足と状況を客観的かつ冷静に答えた。
だが歩夢は、圧迫そのものは加減してくれた。もぞもぞと身じろぎすれば、簡単に抜け出すことが出来た。
屈みこんで首を傾げつつ、
「何しに来たのさ」
などと問い直す。
「いや、だから……助けに」
「どうやって?」
よくよく考えれば嫌なヤツと口論の末なんかヒートアップして無策に突入しただけだった。
そう正直に打ち明けることができず、口ごもるレンリだったが、
「……おい、もう良いか」
焦れたように、縞宮舵渡が両人の背に向けて問いかける。
屈みこんだ歩夢は、じっとレンリの碧眼を見返していた。
いや、少女の眼差しは彼を見返しているようで、意識はそちらにない。ふと軽く目を見開いて、縞宮の声を聴いた後、その瞳が別の動物のように動いた。
縞宮の死角より、彼の破壊した床の跡を見た。反面傷のついていない壁に、そして水路の淵をそれに沿った一帯を。
「いや、やっぱ役に立ったわ」
歩夢は表情を変えず言った。
「え、ほんとにか」
自分でも驚きの反応に碧眼をパチクリとさせるレンリに
「ホントホント」
と歩夢はお墨付きを与える。
そしてレンリの頭頂に歩夢の掌が落ちてくる。
くっ、とかすかに曲げた指を食い込ませながら、
「お陰で、算段がついた」
と小さく呟いた。
転瞬、天へと向かってレンリは投げつけられていた。
虚を突かれた縞宮の視線が反射的にそれを追う隙に、両腰の『キー』を入れ替える。
〈軽歩兵〉
〈騎兵〉
火力よりも処理速度を優先した、低グレードの両翼。
今となってはごくありふれた光弾を連射しつつ、高速で移動して歩夢は縞宮の背後に回り込んだ。
「ほう?」
呼気を漏らす南洋の王の玉体はその場に不動。眼だけが素早く身を切り返して蛇行する歩夢を追っていた。
みずからに肉薄する弾幕がその実、当てる気がない牽制であることを読み切っている。そして彼のホールダーが狙うのもまた、少女そのものではなく床。
大雑把に地面に何度も叩きつけ、それを槌とし、コンクリートを素材に武器を鍛造し、それに猟犬のごとく歩夢の背を追尾させる。
さながらミサイルのような光と土煙の尾を引いて歩夢のくるぶしを掠め、床を穿つ。
中空より俯瞰しているレンリにはその弾道がよく読めた。
より速く、より鋭く、より切れを持ちより数を増していく。やがて歩夢を追い越して逆に回り込んで前途を遮ったので、彼女もまた翻って急転身。水路の側へ逃げんとする彼女だったが、そこで縞宮が始めて動いた。
間合いとしては半歩。だが彼の手はその実寸よりも伸びあがったような錯覚を覚えた。
掴むところがないので歩夢の二の腕を。
骨を割らんばかりに強く握りしめて拘束するや、
「機動戦の展開、遠距離攻撃。どれも近接相手にはセオリー通りの戦運びだな」
嘲りながら少女の痩躯を引き寄せ、凄んでみせる。そしてその手に握りしめた得物の、異様なパターンの光輝が密着したその構図に艶というものを感じさせない。
「だが言い換えれば凡手も良いとこだ。そして最終的な目的はこの俺様を誘い込んでまた勢い余らせて水流の中へ突っ込ませようてハラだったろうが、二匹目のドジョウは食わせねぇよ」
そううそぶく縞宮舵渡は事のほか冷静だ。ただの三枚目ではない。この荒くれどもの巣窟の管理を任せられているには、暴力的なカリスマだけではない、ということか。
「――半分は、正解」
だが歩夢の目にも、目の前の凶漢に対する畏れはない。
「必要なのは最初からここに全部あった。手段、材料、環境、条件、動力、目的、そして賭ける
「……あ?」
そして歩夢はおもむろに天を仰ぎ、
「それをあいつが教えてくれた」
と、落下してくるレンリに曰くありげな目くばせをした。
彼女の真意は何が何やら見当もつかない。だが自分を歩夢が呼んでいる。求めている。だったら理屈も逡巡もなく、自分はそれに応えるだけだった。
「歩夢ーッ!」
軌道を調整して体重をかけて下に我が身をせり出し、レンリは急降下した。
不審げに両者のやりとりを見守っていた縞宮の顔色が、自身らの周囲に視線をふと投げた瞬間ににわかに変わった。
生々しい床の傷跡。歩夢を追尾して地面を穿ち抜いた弾痕は、ミシン目のごとく、断続的な線となって水路の溝を底辺とする三角形を描いていた。
「……おい、まさかてめぇ!!」
「勝つ必要なんてない。競り合う必要もない。要するに、あんたをここから追い出せればそれで良い。あいつらの戦いを見届けるかどうかなんて、わたしの知った
縞宮は逃れようとしたがもう遅い。
捕らえたと思っていた歩夢に、逆に拘束されている。
次いで彼女自身を妨害しようとしたが、判断が遅い。順序を逆にすべきだった。すでに動揺とレンリへの視線誘導の隙を突いて、歩夢は腰の『騎兵』を回している。
〈カルバリー・ブレイクアウト・チャージ!〉
本来加速に、敵の突破に用いられるべきエネルギーを、歩夢は足裏から垂直に地面へと叩きつけた。
刹那、轟音を立つ。歩夢と縞宮を基点として、弾痕によって切り離されるかたちで、区画が割れる。それはまるで、ケーキに乱暴にフォークを突き立てて切り分けたかのようでもある。
「お、おぉぉぉぉ!?」
縞宮がふたたび水路に落ちていく。もちろん、歩夢も落ちていく。
その手がふいに伸びて、
「は?」
がっしと、レンリの羽根を握りしめた。
「ぎゃあああああっ!?」
一人の少女と男と、そしてなぜか巻き込まれた一羽のカラスは、大飛沫をあげて奔流の中へと沈んだ。
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(24)
(うお、オ)
縞宮梶渡は、ふたたび水に呑まれた。
人工的に作られた潮流は、彼を否応となしに、施設外へと押し出さんとしていた。
彼の『バルバロイ』は固形物を破壊してその残骸を武装化させる。
よって今この状況、流動物の只中に在っては、その特性は無用の長物と言って良い。
だが先に彼自身が実践してのけた通り、肉体のみを駆使しての遡上が不可能な程の勢いではない。
『足利サン』なる闖入者など無視して、このまま戻れば良い。
巌ノ王京猛の秘匿物が何なのか、彼には知るべくも無い。だがそれを存在ごと守ることが、警察病院にあって身動きの取れない分校長から直々の任務だ。
そして一度受けた務めは必ず果たすからこそ、この無法の世界にて信を勝ち取れるのだ。
そのことを、荒くれどもが真に理解していなくとも、彼らの楽園を維持するためにやったことを判っていなくとも、彼らを守るためにやる。
(だから、この程度で俺様を止められるものかよ!)
そう大音声で気炎を吐きたいところだが、代わりに出るとすれば肺の中の酸素であろう。なので胸中で吼える。
――足利。
そう言えば、自分を引きずり込んだ娘はどうした?
着水の直前、泡にまみれて沈んでからか、いつの間にか彼女の姿と感触は消えている。
(さては不意打ちでも狙ってんのか、このナカで)
かっと目を見開き、覚悟を決めて四方を見渡す。
目視できた。
だが、その有様は彼の期していた状態ではなかった。
あの球体の黒鳥を腹の内に抱え込んだまま、ぐったりとうなだれて、抵抗もせず流されるままになっている。
そしてその口は、息をしていないかのようであった。
(あの、ヤロ……ッ)
舌打ち。これも心中での表現のみに留める。
水を蹴って方向を変え、勢いをつけて少女の身柄へと迫る。水圧に揉まれ、全身を揺さぶられながらも流れを我が物とし、距離を詰めていく。
捕捉した。
伸ばした片腕でカラスもろともに少女の身体を抱きすくめる。
しかし確保した段階で、もはや引き返すだけの距離ではない。我が身を躍らせ二人と一羽分の質量をどうにか制動しつつ、出口へと急いだ。
一気に沖合に出た時が、衝撃がもっとも大きかったがそれでもホールダーの恩恵に保護された肉体に痛打を与えるほどではない。まして水泳の達者である縞宮のバランスを崩すほどでは。
海面へと一気に浮上した縞宮は「おいッ」と呼吸を整える時さえも惜しみ、荒げた声をあげて少女の意識を確かめる。反応がないので慌てて浜まで引きずり泳ぎつき、砂の上に寝かせてあらためて呼吸を確かめようとした。
が、カラスを抱えたまま離さなかった足利は、うっすらと目を開けた。
ぼんやりとした表情といい行動といい、元より尋常とは思えなかった小娘だが、それでも縞宮に向けた澄んだ瞳は、明確に自我を保っている。程なくして、自力で身を起こした。
相手が無事だと知れるや、むかむかと怒りが沸き立った。
「正気かテメェー!?」
などと一喝して、肉付きの薄い肩を掴む。
「やっぱりか」
対して少女は、何やら得心のいったような調子で、
「だと思った」
などと独り合点している。
だが、目はしっかり縞宮の側へとまっすぐに向けたままに、言い放った。
「あんた、バカだけどクソマジメでしょ」
虚を突かれた。ふと、余計な分も含めた力が縞宮の上肢より抜けた。
その隙に彼の握力から脱した少女は、淡々と続けた。
「壁を壊せば良いのにそれをしなかった。あんたはあの施設が崩壊するのをできる限り回避しようとしてたし、わたしらがしょーもないやりとりしててもそれを律儀に待ってた。だから、溺れてる
「……そのために、俺様を」
「そのために、俺は浮袋になったわけですか」
足利の腕の中から、呻くような怨嗟が聞こえて来た。
見ればカラスの方も意識を取り戻し、半目で飼い主を睨んでいた。
「うんまぁ、それについては素直にゴメン。説明の時間がなかった」
「にしてももうちょっと段取りとかですね」
「だって……考えはしたけど、不安だった。だからせめて、レンリに側にいて欲しかった」
「歩夢……あぁ、そうか。だったらしょうがない、な!」
「こいつチョッロいわぁ」
「せめて一秒でも夢見させてくれませんかねっ!」
足利歩夢は適当な感じでお茶を濁したが、その相棒を締める腕にかすかな震えがあったのが傍からも見て取れた。
おそらく、不安は少なからず本心なのだろう。
やはり、自分から求めたこととは言え、不意の着水と奔流に揉まれるということは、虚心ではいられないはずだ。
だがそれでも、躊躇なく実行に移した。
心身を賭した。嫌いな相手の楽しみのために。一時の気まぐれのために。
「どうして、そこまで」
あえて問うような無粋は侵したくなかったが、それでも不意に疑問と当惑が
歩夢の視線がふと縞宮から外れた。思案していた風な沈黙が続き、やがて平素と変わらない調子で答えた。
「一度、あんたをあそこに落としたし」
「は?」
「だからまぁ、自分も一回落ちとくのが筋かなって、なんとなく」
――それが、決定打であった。
まったく答弁になっていない。理屈ではない。そもそもそれで二度その相手を水中に落としては世話がない。
だが、その間抜けさが、抗しがたく笑いを誘った。
「ふっふふふ」
最初は含み笑いだったが、やがて肩が震えるようになり、
「ぶわっはははは! なんだそりゃ、ワケわからんぞ!!」
耐えきれずに吹き出し、一気によく分からない感情のすべてを大笑いに換えて決壊させた。
彼が豪放に笑い飛ばすのは珍しからぬこと。
だが、今回はいつに増して、欺かれたはずにも関わらず痛快であり、笑い終えたあとには四クォーター分の試合を終えた後のような気持ち良い疲れだけが残った。
その疲弊を、敗北感として受け入れねばなるまい。
だがせめてもの、南洋の守護者としての矜持として、肉体を叱咤して立ち上がる。
「……しゃーない、ヤツらの仕合が終わるまでは、手出しは控えておいてやる。どのみち、ここまで流れ着いちゃあ戻るまでに決着ついてらぁ」
明確な取り決めがあったわけではないが、敗者として、一時身を退く決意をする。
そう宣いつつ、砂浜を踏みしめて
「オイ鳥ィ!」
と歩夢本人ではなく、その腕のレンリを呼ばわる。
「そのお嬢のこと、ちゃんと見てやれ。そいつは他人や物事に興味がないくせして、
「……言われるまでもない」
返ってきたのは、重みがある男の決意であった。
一応はそれに納得しつつ、足を止めて今度はその目利きの歩夢に
「お前さんから見て、深潼汀は澤城灘に勝てるのかい」
と、問いを投げかけた。
「勝つよ」
これもまた予言者じみた、断定的な即答だった。
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(25)
深潼汀も、そしておそらくは澤城灘も。
足利歩夢が乱入しかけた縞宮舵渡もろともに水落したことは、さすがに気づいた。
「どうする? 見届け人落っこちちゃったけど、まだこれでも試合続行か!?」
「死んではないだろう。それに」
「それに?」
汀本体と互いに背中を衝突させながら、灘は口をつぐんだ。まるで別人のように好戦的となった少年が、普段らしい逡巡と気弱さを背越しに垣間見せた。
「それに……人のことを気にしている場合かッ!」
灘はその本心を露骨に隠して矛を回した。
振り返りざまに旋回する矛先が、汀の防壁の膜を削って火花を放つ。
「僕はお前のことを良く知っている。お前は誰よりも打算的で、狡猾で、他人に自分がどう見られているかを客観視できる。熱血漢……というのが正しい呼称かどうかは知らないが……その表層を、体よく利用して周囲の人間を利用する」
間合いを的確に図った汀の周囲にはしかし、既にして『暗雲』が設置されている。
中に隠れた機雷が起爆して、その火炎が少女と、それを保護する
熱、衝撃ともにすでに耐久の限界値を超えている。あと数発もこの爆発をまともに受ければ、四散するであろうことは、方々に刻まれた亀裂より見て素人目にも明らかだった。
その損傷から相手の注意を逸らし、弱みを見せまいと、汀はあえて強がって胸を張った。
「ずいぶんとまぁ、好き勝手に言ってくれちゃって」
「もし自身が望むような正義のヒーローであったなら、僕の計画はともかくとしても、あの奥の施設は破壊していた」
きっぱりとして正論をもってそう非難し、黒煙を突っ切った鋒矢が鋭い突きとともに汀を追い詰めていく。接近戦ともなればハッタリは通用しない。レギオンに攻撃を受け止めさせるより、回避を優先させることが多くなれば、当然隠さんとしていたことは露見する。
「お前は、海賊だ」
物理的に、そして精神的に、灘は追い立てていく。
「いかにも義賊的、ヒロイックに振る舞っているが、結局その正体は利己的な悪党。それがその正体だ」
〈『トリックスター』〉
〈『提督』〉
そう語りながらもきっちりと鍵を付け替える。
「奇手を以て天命を尽くせ、王城の守護者! 直撃せよッ、グレード3.7、グレイテスト・ホレイショ!」
黄金の竜に代わって展開されたのは、鋭い四肢で柄を鷲掴みにする巨獣。赤銅色と鉄片の交互のパターンで構成されその姿は、虎。
その
一直線。発射にも軌道にも一瞬の揺らぎもない。
彼らしからぬ、不惑の一条。そして自分の精神からきっと遠い一筋。
それは回避もごまかしも出来ずに少女の人造レギオンを打ち砕き、その身柄を呑み込んだ。
「――これより先、きっとひどい嵐が来る」
気が付けば、汀の身柄は地に伏していた。吹き飛ばされた汀は、壁に叩きつけられ、防壁で相殺できぬほどのダメージによって刹那的に喪心していたらしい。熱源に晒されたはずの床は、ふしぎと頬には冷たかった。
「半端な強さや覚悟、ただの虚勢では乗り越えられない高波が、僕らを襲うだろう……悪いことは言わない。降りろ、ナダ。お前には向いていないんだ」
突然跳ね上がった彼との力量差と、厳格な宣告が、抵抗するすべを喪った汀に染みこんでいく。
だが正気と混濁の境目に、一人の少女が立っている。
足利歩夢。
――わたしは取ってつけたように好きとか言えるあんたが嫌い。
――あんた自身が、
どうしてあの娘は、明確な理由を、それもこちらの本質を的確に突いてまで嫌っている自分を助けたのか。
(ほんとうに、憧れちゃうんだけどな)
気分屋で、愛想とかお世辞なども言わず、でも時としては自分が嫌い抜く相手でさえ、その確執に捉われることなく心が赴けば助けに動ける。その自由な精神を、言えばまた顔をしかめられるだろうが、一方的に気に入っている。
しかしそれでも自分は今、あぁはなれない。
これからもずっと、灘の言う通りに打算的な海賊なのか。あるいは不自由な深窓の令嬢なのか。
(それは、いやだ)
いっそこのまま寝てやり過ごしてしまおうかという、自らの弱腰を強く否定し、膝を立てて灘は身を起こした。
「本当に、好き放題言ってくれるよな……っ、どいつもこいつも!」
まさか本当にこのまま気絶でもするかと思っていたのか、軽く瞠目する灘に、不敵な茶目っ気を見せた。
「たしかに……っ、自覚もないところもあるけど、オレってば結構な冷血動物なのかも」
でもと言葉を区切りつつ背を反らすようにして完全に起き上がり、床に散った『キャプテン』の『キー』を拾い直してそのガントレットに再接続する。
「でも、成りたいって気持ちは本当だからさ」
ふたたび目の前に現れてくれたその相棒の背を支えに、少女はうそぶく。
「正義を気取りたいんじゃない。ただオレは自由な人間でいたいんだ。そんでもって、夢を与える楽しい人でいたいし、あとはまぁ、海賊らしく欲しいものは欲しいと言い張ってこの手に掴めるような悪党にもな。今は無理でも、仲間とならきっと……だからお前のことも取り戻すよ、いつものお前も」
そう言って片目をつぶって見せる幼馴染に、複雑そうに少年は顔をしかめた。
「……その自由も結局、親父の作った水槽の中だけのことだろうがっ!」
眼鏡の奥の眉間にシワを寄せた彼は、ふたたび光線を一直線に射放った。
ただ一度、ただ一度だけそれを避けられれば良い。
みずからがあえて命じるまでもなく、『キャプテン』は少女の身体を上へと打ち上げた。
天井すれすれまで跳ね上がった少女のすぐ下を熱源が通過し、船長の鋼の肉体はふたたびそこへと呑み込まれた。
「もはや地に転がる手駒を拾わせるゆとりなど与えない! これで仕舞いだ!」
灘が吼える。意気に応じた虎口が、汀目がけて輝度を増す。
それこそ正義のヒーローよろしく、空中で制動することなど出来るはずもなし。手持ちの駒も使い果たして地に伏した。
だが、目的は果たした。過程を通過し、自身に課した役割も十全にこなした。
少年の意識は、攻め手は、頭上に舞い上がった相手の本体に向いている。
「そいつはどうかな!?」
一度は言ってみたかったセリフ回しである。
「
と灘が返し、視線と照準は彼女に定まったまま。
が、その彼の足下で、水晶質の閃きが奔った。
「なっ……」
驚く彼の周囲に、熱線により舞い上がった水蒸気がダイアモンドミストとなってまとわりつき、慌ててそれを振り切らんとした矛の挿入口を霜が下りて封じた。
「『アンブッシュ・コサック』」
グッとホールダーと腕を差し伸ばした先、氷霧の中に、ダークグリーンの軍服と、朱色の腰巻き、高い帽子が浮き出てくる。
「『コサック』だと!? それは……っ」
「足利サンの持ち物だ。狙ってかどうかは知んないけども、落ちる直前にこっちに投げつけて来た。で、お前が黒煙と機雷撒き散らしてるドサクサに拾って、さっき『キャプテン』を回収するついでに『伏せて』おいた。」
待望にして念願のネタバラシ。ニッカリ歯を見せて、汀は浮遊感を味わっていた。
「言っただろ? 『仲間とならきっと』って」
「――その妙に現実的なところが本当に腹が立つ!」
いくら吠えたところで、これで終局だ。
灘のそれは広範囲ではあるが、一極集中であり、どちらかを狙うよりほかない。
そして『アンチ・イモータル・ガレオン』のようなレギオンへ換装させようにも、その方法を封じてしまったのだから不可能だ。
〈コサック! ジェネラルフロスト・オールアウト!〉
ストロングホールダーを操作して出力を最大に、かつそのエネルギーを自信にも転換し、冷気をまとわせた両脚を突き出す。同じポーズで『コサック・レギオン』も氷霧を突っ切って跳び蹴りを繰り出す。
いずれを討つべきか。その一瞬の逡巡が、結果そのいずれもを受ける羽目へと陥った。
その『十字砲火』を喰らい、雄叫びをともに矛を手放し、吹き飛んだ。
澤城灘の胸元から銀細工の首飾りがこぼれ落ちて、穿たれた床を、音を立てて転がった。
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(26)
氷霧の幕が開ける。少年少女の青春活劇の一幕が下りつつある。
「おー、今どこよ……は? どっかの浜? いやなんで外出てんだよ。外出るついでに拾ってくから、ヘタな場所うろつくなよ」
外野からなお様子を窺っていた士羽に、追いついて来たらしい鳴が並び立った。どこぞと通話しているらしく、『通信兵』の『ユニット・キー』を収めたホールダーを耳元に当てていたが、それを適当に打ち切って士羽に目を向けた。
「知らないかもしれないから一応言っとくと、歩夢たち無事だと」
頼まれもしない余計な気遣いをする協力者に、「そうですか」と努めて平静な声で返した。知らず、吐息が漏れた。
鳴や、追いついて来た真月や胡市にそれを気取られることのないように、士羽は戦いを終えた者たちに近寄った。
もちろん彼女らを気遣ってのことではなく、地面に散った、出処不明のデバイスを回収するために。
「お前、なんでわざわざオレを待ってたのさ」
汀は、自分が無力化した相手を助け起こして、その頭を自らの膝の上へと置く。
「最初っからあの装置、壊すだけ壊しておきゃ良かったろ。そうすれば、オレを味方に否応なしに引き込むことだって出来たはずだ」
意思が希薄な少年は、弱々しく儚げに、目と口を綻ばせた。
「……僕の感情は、ともかくとして」
灘は言った。
「あんなクソ親父の野望の道具なんて焼き払いたかったけど……やっぱり、アレはお前たちに、今後の備えとしてアレは必要だ。だから壊すか壊さないか、お前に決めてもらいたかった」
「何だそりゃ」
汀は当惑と呆れを隠さなかった。だがそれでも、切り離せない親愛の情がそこにはあった。
「まったくお前は、オレがロマンチストのフリしたリアリストなら、お前はリアリストのフリしたロマンチストなんだよ。へんなとこで形式や流儀に拘る、カッコをつけたがる」
「そう、なんだろうね。でも、だからこそ、躊躇したからこそ、ずっと見ていなかったものもわかった……そうだろう? 士羽」
奥に何があるのか。その正体を知らない士羽は、ふいに名を呼ばれてそこへと向かう足を止めた。
「あっ、博士ー、メイセンパイたちも、来てたんなら言ってよー」
「いや、あたしらは今来たとこだ……コイツはずっとボッ立ちしてたみてぇだけど」
「中立的立場からの静観と言って欲しいですね」
「ハイハイ」
適当にあしらわれる士羽の前で、灘はまるで臨終の間際の老人のような、寝息めいた呼気を吐き出した。
「だから、これで、良い」
と低く呟き、そっと目を閉じた。幼馴染の腕の中で、少年の全身から力が抜けた。がくりと首も垂れて、頬が少女の腿へと押し当てられた。
場は静まり返り、潮騒にも似た水音のみがその古戦場の如き空間に断続的に響く。
汀はその音と、灘の感触を噛み締めるように強く瞑目していたが、
「浸ってんじゃあないッ!!」
と、その彼の頬にビンタをかました。
「あだぁっ!」
快音だった。相当に痛かろうことは、悶絶して覚醒した灘の過剰な反応から明らかだった。
「だからそーゆーとこだぞ、灘! お前は何やら謎めいたクールキャラロールで独り満足してたみたいだけど、こっちは消化不良で全ッ然良くないんですけど! せめて何が言いたいのかぐらいハッキリしろって!」
「いや、だからそれは勝ったら言うってハナシで負けたから……ってウワー!? なんだお前そのハレンチな格好は!?」
「何って……ただの
灘は一転、耳を覆いたくなるようなけたたましさで跳ね起きた。
そして谷間を無意識に寄せたり、半ば破損した右の肩紐を弄って気にする美少女の所作一つ一つに、真っ赤になってひゃあひゃあと女のような奇声をあげて、眼鏡ごと顔を覆って逃げ回る。
その騒々しさに顔をしかめた真月が、
「結局あたしらは、何に巻き込まれたのかしら……?」
という至極真っ当な疑問を率直に口にしてから、
「はい、分かりません!」
と胡市が全霊で無知を表明するのに、
「いや、あんたが答え持ってるなんて思ってないから」
と冷たく返す。
もっとも士羽にしてみれば、どちらも同程度のノイズでしかない。
そして彼女は自身のミュールのそばに打ち捨てられた銀細工を発見した。
否、それは鍵である。
規格から察するに、『ユニット・キー』。だがそれも彼女が今まで見てきた種類のいずれにもカテゴライズされない。
尾につくのは、兵科や概念を象った装飾ではない。
方形の板。幾何学的な文様の中央には、艦船らしきものが描かれて、それが巻き起こす波間に何か年号めいたものが記されている。
まるでそれは、鍵やアクセサリーと言うよりかは
(ドッグタグ、のような……)
しかし惜しいことながらそれ手に取ろうとした矢先に、砂糖細工のごとき脆さで風化し、風と水気に吸われていった。
「――あれ?」
まるでそれに同調したかの灘が不意に立ち止まり、
「そもそも、なんで僕はこんなことをしたんだっけ?」
などと呟き、追いかけていた汀をまた呆れさせた。
「ふーん、そうやってトボケる気なんだなー」
「いや、誤魔化してるわけじゃないんだって! そもそもこの場所のことなんて、一体どこから、どうやって……!?」
正気に立ち返るにつれ、動揺を強めていく灘のストロングホールダーから、例の強化パーツが弾け飛んだ。
そして『ユニット・キー』の一部とともに、表層に砂嵐のようなものが奔り、摩擦音めいたものを立てながら消滅した。
――まるでそこには、最初から何もなかったかのように。
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(27)
その地下都市の船着場では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
いや、喧騒それ自体はこの裏の『校舎』では日常茶飯事、一秒とて欠くことのないものではあったが、そこの中心は少し毛色の違う動揺であった。
『ユニット・キー』を公然と売買し、それをもって日夜戦闘に興じる荒くれどもが当惑し、声量はいつになく控えめにして囁き合って、中心地から距離を置いている。
ちょうどそのエアポケットに、屈強な男たちが倒れ臥して山を作っていた。
見るからに素体としても鍛え上げられ、こういう場でいかにも自身の腕力を誇張しているのだから、実戦経験も豊富であっただろう。
停泊していた新品同然のクルーザーを強奪すべく強襲したらしいその彼らを打ち倒したのは、その所有者たる一人の、体格的に一回り以上劣る少年だった。
「おう」
その彼……楼灯一は、人垣の向こう側に的場鳴の顔を認め、片手を掲げて見せた。
「ずいぶんと遅かったじゃねーかよ、なんか面子がビミョーに違うし」
歩夢レンリのコンビと入れ替わりに加わった澤城灘は、戦闘によるダメージと、あと記憶の混乱によって多少憔悴しているようだった。
それでもやや気抜けしたような柔和な笑みとともに、面映ゆげに頭を掻いてみせた。
「歩夢たちはあとで拾ってくれ。まぁそっちもそっちで愉快そうな祭りがあったみたいだな」
「てっきり、船は奪われて水着が剥がされ、膝を抱えて尻から血を流してさめざめと泣いているかと思いました」
「その想像は愉快でもなんでもねーよ!? オレが遅れも後ろも取られるわけねーって、お前も知ってるだろ、士羽!」
「冗談ですよ」
言わなくても良い冗談である。
だがあっさりと彼の抗弁を受け入れるあたり、やはり灯一の実力は見た目に反して相当のレベルなのだろう。
(まぁあの『旧北棟』をはじめ、『委員会』が渋るような修羅場に運び屋として飛び込んでいくような男だからな。それなりに腕に覚えがあるんだろう)
そう見直した鳴であった。
「ところで、視界に入れると目が行く云々のアレ、もう良いのか?」
「おわっ! 忘れてたのに言うなよ、意識しちゃっただろ!? アレか、新手のハニトラか!?」
(……ホントに絶妙に気持ち悪いなぁ、コイツ)
そして一瞬後には、株は元の位置の下のあたりまで下落した。
~~~
そんな彼の操船によって裏の南洋を出立した鳴たちは途上の浜で砂遊びをしていた歩夢たちを回収した。そして無事海浜エリアの埠頭までたどり着いた。
神経衰弱気味の灘はそのまま医務室へと送り届け、さらに念のため契約を結んだ大病院にそのまま搬送されていった。
「あっしかがサーン!」
メーンイベントも終わり、女の園、更衣室。
まるでイタリア人のごとき陽気さで後ろから羽交い締めにせんとしてきた汀を、残像を残すほどの見事なスライドで歩夢は回避。空振りしてつんのめった汀だったが、さしてショックを受けた様子もなく、『コサック』のキーを差し出して白い歯を見せた。
「あんがとっ、助かった!」
「別に、あんたを助けたわけじゃない。落ちた拍子に手放しちゃっただけ」
「んじゃ、そーゆーことにしとく! ……本当に、有難う」
最後に神妙に素のトーンで礼を述べた汀に、感情の乗ったようなそうでないような塩梅で歩夢は見返し、その貸したらしい自身の『コサック』を掴み取った。
「ま、これで一夏分のレジャーを一気に片づけたわけだし、これで後腐れなくこのガッコともあんたともオサラバできるってわけよ」
「え」
「え?」
鳴にしても歩夢にしても、深潼汀から視線を外したのはほんの一瞬だった。
だが聞き返された時、彼女は浴衣を完璧に着付けていた。白く、裾に船のイラストがあしらわれたもの。
そして、半開きのロッカーには人数分借り受けたとおぼしき、色とりどりの浴衣と帯が畳まれていた。
「なに言ってんの。花火大会もあるし、何ならナイトプールも開放されるんだよ? まだまだ本番はこれからだよ?」
ずいずいとあらためて歩夢に距離を詰めていく汀の眼は、本気そのものだ。
「……マジかよ」
という鳴の呟きも、絶望に近い深さに在る。
いくら体育会系とは言え、この夏休み強行軍は肉体に堪える。
「どのみち、花見大悟が急な職員会議とやらで迎えが遅れるそうです。適当に時間をつぶすほかないですよ」
士羽が余計なことを言った。
適当に理由をつけられたら、最悪タクシーで帰ることも出来たものを。捕まえらない公算も高いが、この一言で逃げ口が塞がれ、汀は好都合とばかりにますます眼を輝かせ、それぞれに見合った生地の着物を有無を言わせない手際の良さで押し当てていく。
同じく無尽蔵の体力を持つ胡市は「わー、夏祭りです盆踊りですー!」などと無邪気にはしゃいでいた。
「ま、ここまで来たら腹括るしかないわね、先輩も雪山に帰らせるまでに体調を万全にしないとだし……て、胡市……帯締め逆というか左前! あぁもう貸しなさい」
「アネさんお母んみたいですね!」
「姉なのか母なのかはっきりして!?」
などととやかくやっている傍らで、鳴もまた観念して着物に着替える。
祖母に一応は受けていた手ほどきを肉体は憶えていて、一所作ごとにその流れを思い出しつつ、濃紺のモダンチックな生地を身にまとう。
対して歩夢はどうか。
彼女にしてはやや派手にすぎる黄色地の衣を打ち掛け、直立。
他と比べて薄めの生地に浮き彫りとなった後ろ姿はサマにはなるが、察するに、そこから先の段どりがさっぱり掴めず、あるいは着る気も起きずに立ち尽くしているのだろう。
「……仕方ねーな」
鳴はその着替えを手伝ってやるべく動き出す。
だが、それを押しのけるかたちで、さっさと自身は着付けていた士羽が割り込み、歩夢の背に回り込んだ。おや、と鳴が目を瞠る間に、士羽はその着替えを手伝い始めた。
ただ自分自身にする分には知識と慣れはあるのだろうが、他人にすることなどはないのだろう。その手つきはぎこちなく、不器用そのものだった。
「……ヘタクソ」
すかさず歩夢の苦言が飛んだ。
「じゃあ自分でやってください、やれるものなら」
と挑発的に受け流しつつ、士羽はそれでもなんとか形にはしていく。
やや伏し目がちになりつつ、
「――何もしない、できない、しようともしない。あの鳥にも、貴女にも、そう思われるのは心外です」
などと呟き、やや胸紐をきつめに締めたせいで、歩夢は「ぐえ」と低い悲鳴をあげた。
そのことに気づいているのかいないのやら、はしょりの辺りにそっと掌を当てて、
「私だって、考えがあるし、都合があるし、裏で助けているし、心配だってしてるんですよ。別にそのことに忖度だの感謝をしろとは言いませんが……せめて知っていてください」
決して歩夢からは見えない位置で、今までに浮かべたことのない複雑そうな表情を浮かべる。
この突発的な善意は、この引きこもりの中では一応の経緯があって、道理の通った結果の行動なのだろう。
そんな奇妙な距離感の幼馴染たちを横目に見ながら、鳴は苦笑まじりに腰掛けた。
「なぁ、何かあったのか?」
声がその身の下より聞こえて来た。
「うーん、お前流に言えば『エモい』だとか『尊い』だのってことなのかね」
と、曖昧に鳴は答えた。
そうか、と声が返ってきた。
「ところでその光景見たいから、コレ開けてくんない?」
「ダメに決まってるだろ」
鳴が尻に敷いているのは、レンリの入ったクーラーボックスであった。
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(28)
「いらっしゃいませー!」
学生の社会奉仕の一環なのか、あるいは大学生のバイトなのか。
溌剌とした歩夢よりもいくらかは年上の少女が、額に汗して屋台のかき氷屋としては極上のスマイルを見せた。
「何味にしましょうかー?」
などと問うその背の後ろ側ではフル稼働する全自動の氷削りマシンと、個別ブランドらしい容器に入った色とりどりのシロップが置かれている。
さて問題は、肝心かなめのそのフレーバーである。
王道を攻めてイチゴやメロンをチョイスするのが真っ当なチョイスではあろうが、それはそれで陳腐に過ぎて「あぁこいつは友達とかき氷もロクに買ったことがなくてこんなありきたりな味しか選べないのか」などとナメられる可能性がある。かと言ってグアバ茶やグレープフルーツ味など、新参者やマイナーどころを選べばそれはそれでミーハー気取りと侮られるのではないか。
ここは古くから馴染みがありながらかつ、いかにも粋な――プロ――の注文をしなければならないところだろう。
「かき氷、
結わえられたお団子ヘアをそろりと撫で上げ、意を決した少女はいつにもまして気の入った表情でオーダーを伝えた。
「ハーイ、白蜜ですねー、店長ー、白蜜ひとつー」
「…………」
「他にご注文はございますかー?」
迷惑にならない程度の沈黙の時間。何事かを目で訴えようにも、それが通じる間柄でもないので歩夢は今度は率直に伝えた。
「あ、ブルーハワイでお願いします」
~~~
「どした? いつになく憮然としたツラで?」
「失望していた。グローバリズムと普遍性を求めるあまり固有の文化と言語を淘汰していく日本と言う国に」
「早口で倒置法まで使うほどかよ」
問うたのは、灯一である。頑なに視線を脇へと逸らす方向とは真逆に、鳴がいた。
さすがに露出は控えめだが、絶妙なプロポーションは秘めたるからこそ普段よりも蠱惑的かつ肉感的に浮き彫りになっているところはあると歩夢は思った。
その鳴は、胡乱気に歩夢の両手にあるカップを見つめていた。
「お前、さすがに二個食いはハラ壊すぞ」
「わたしが全部食べるわけないでしょ。レンリは?」
「…………レンリ?」
――鳴は、本心からの不可解気な表情を形作った。
だが、すぐにはたと目を瞠り、
「あぁ、そういやさっきから姿が見えないな。まぁあんな目立つナリなら、そう遠くには行かないだろ……思い出したくなさ過ぎて一瞬、完全に頭の中から消えてたわ」
冗談なのか本心なのか分からない調子で答えた。
ふぅん、と我ながら面白くなさげに相槌を打つ歩夢だったが、その会話を曰くありげな眼差しで、半歩距離を置いたあたりで聞いている士羽の姿を認めた。
そのまま踵を返してどこかへ赴こうとする彼女に、我から歩夢は近寄って、カップの片割れを突き出した。
「食べる?」
「……奢られるいわれはありませんが。というかその金の出所はそもそも私なんですが」
「要らないの?」
「その理由が判らない、と言ってるんです」
たとえ瀟洒な浴衣に着替えたとして、維ノ里士羽の態度は常と変わらない。
遊び心というものを完全に押し殺した、鉄と氷の女。たしかにそんな女に、こんなチープな氷菓など不必要かもしれないが、理由が知りたいというのなら答えてやる。
「別に大したことじゃないよ、あの鳥に渡そうと思ったけど、いないし」
「……あいつのついでですか、私は」
「は?」
「他の連中にでも渡してください。私には用が出来ましたので」
士羽は目を伏せながら冷えた語調で言った。
「もう一つ。こっちはあんた向けの理由」
再び去ろうとする兆しを見せた幼馴染に、歩夢は付け足した。
「お礼。着付けと……あとここに連れてきてくれたことへの」
「……」
「めちゃくちゃ動き回ったけど、そのおかげで少なくとも退屈はしなかった……から」
「そう、ですか」
「あと、好きだったよね? イチゴ味」
「いったいいつの話をしてるんです?」
「じゃあ今は嫌いなの?」
なんとも不毛で、とりとめのない会話だろうか。
しかし、再会してすでに数か月。その間、今までにないぐらい長い対話であったとは思う。
「あ、要らないならオレにちょうだい……フガッ」
「いやいや自分が……ホガッ」
「そこは頼むから空気を読め」
「あんたも、もうたこ焼き二箱いったでしょ」
しゃしゃり出てくる余計な連中を、もう二人の外野が黙らせた。
「別に、嫌いとも要らないとも言ってません」
と言いつつ、士羽の手はまっすぐに歩夢に伸びた。そこで初めて、歩夢に目を合わせた。
そして彼女にのみ分かる、微妙な変化で、目を細めてみせた。
「好きですよ――今だって、ずっと」
ふたりの少女のかすかに触れた指先。
その熱が伝えられ、氷の一角がほんの少しだけ融けて、器の中でほどけて崩れた。
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(29)
この南洋分校の夏祭りは、地方の花火大会と日程を合わせているらしく、その打ち上げ花火が夜空に大輪の花を咲かせている。
その色彩豊かな明滅の下、祭りの総仕上げたるライブ会場の裏手から少し外れた森林に在って桂騎習玄は、『取引相手』を待ち受けていた。
そして鞠のごとき小型のシルエットがのそっと近づいてきたのを見て、
「驚いたな」
と多少大仰に目を開いてみせる。
「あんた、ここまでそのナリで来たのか」
対する球体は、その問いかけに答えて曰く、
「この
というものだった。
もっとも、彼自体がその事実を全面的に受け入れているとは言い難い。その語調は、どこか物寂しげでもあった。
「へぇー、盗賊としちゃあ是非にもご教示もらいたいスキルだが……でもそれだけじゃ完全なカモフラージュじゃないんだろ? どうやってあの人だかりを抜け出て来た? 効かない人間がいるような口ぶりだが、あの人数だ。一人でもそういう体質のヤツがいれば、一発で動物園や実験施設送りだろ」
桂騎の質問は我ながら至極真っ当なものであったと思う。
だが、それは多分にその異形も予期していた問いであったらしい。
バリウムと塩化化合物由来であろう、青緑の花火が夜空に閃く。
それに照らされた一瞬、カラスの立っていた場所には、一人の若い男が立っていた。
その双眸、その顔つき。それらを見逃さなかった桂騎は、不敵な彼らしからぬ動揺を覚えた。
「まさか……
という呟きが、遅れてやってきた爆発音にかき消されたのは、僥倖であったのかもしれない。
交渉では、感情の露見はそのまま弱みとなるのだから。
「なるほどな」
男の像は、苦笑を浮かべたままふたたび闇の中へと沈んだ。
頬を伝う冷汗を残暑によるものだと誤魔化して拭いながら、桂騎は唇を意識的に吊り上げた。
「たしかにあんたがそのザマなら、俺のメアド知ってた理由もつくし、そこに送り付けられてきた大ボラにも、ある程度の信憑性が生まれる」
顔の高さまで持ち上げたスマホ。そこに表示されたメッセージウインドウの発光によって、桂騎の横顔が照らされた。
「そして俺は、あんたに少なからず借りがあるってことになるわけだが……で、一体何を見返りとして期待している?」
「別に大したことじゃないよ」
カラスの男はそう前置きした。
「俺の目的は、足利歩夢に俺のホールダーを与えたことで半ば達成されている……が、細かいところで不測の事態が起こりつつある。今日の澤城灘の件も含めてな。だから、何が起こってるのか正確に把握するためにも、もう少し自由の利く『手足』が要る、ってなところだ」
カラスの黒い右翼が、少年へ向けて伸ばされた。
「協力してくれ、桂騎」
だが桂騎は容易に握り返すことはしなかった。
太々しい顔つきで半歩身を退き、
「どうにも釣り合わねぇなぁ」
と言った。
「不足、と? まだ信じ切れないのは無理ないかもしれないが」
「いや、その逆だ。ぶっちゃけた情報量の見返りとしちゃあ、あんたのお願いは漠然とし過ぎている……信じたほうが、面白そうだとは思うがね」
そう言って桂騎は、相手にもうワンプッシュ求めた。
「あるんだろ? 他に欲しいもんが」
元より、腹芸をするつもりがないのか。あるいはそもそも交渉事は不得手なのか……おそらく後者寄りの両方なのだろう。
「そういうお前さんこそ、そう自信たっぷりであるところを見ると、薄々は察してるんだろ?」
と、試すように問い返した後、いよいよフィナーレへと向かうべく派手に、かつ間隔を短くしつつある花火の合間に、その異形は先にはない強い口調で強請った。
「――を返せ。それはお前には過ぎた品だ」
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番外編:第一回剣ノ杜有識者による品評会(前編)
剣ノ杜近郊、最寄りの駅に隣接する繁華街を、一組の男女が連れ去って歩いている。
目を惹く取り合わせである。
男……というよりかは青年と言った方が良いだろう。彼は線の細い、人より頭一つ抜けた長身の美形ながら、昨今の日本には見られない古武士か山男のような勇壮な雰囲気を醸している。
もう一方はそれとは対照的に小柄な少女は、向こうっ気の強うそうな小型犬といった塩梅である。
いずれにしても兄妹のごときこの取り合わせはたしかに衆目を寄せる取り合わせではあったが、今の青年を……白景涼のいで立ちを見て驚くのは、彼を知る人間であったことだろう。
彼は平素のミリタリーコートを脱ぎ捨て、灰色の、ペンギン柄のアロハシャツを羽織っている。
どうにも落ち着かないのは他ならぬ本人であって、彼女にのみ読み取れる微妙な申し訳なさを垣間見せつつ、
「多くの朋友がなお、永久凍土で戦っているのに、自分だけが、このような軽装でいるわけには」
などと、隣の少女に押し着せられた後も、お決まりの口上を理由に未練がましく抵抗を続けていた。
そんな彼に、随伴者南部真月は膨れっ面を下から突き出してずいと身を寄せた。
「あのですねぇ先輩。またあんな暑っ苦しいカッコしてたら、倒れる倒れない以前に、お巡りさんに捕まりますよ。先輩の立場上、職質でもされたら一発アウトなんですから。そうなれば、むしろみんなに迷惑がかかかるんです」
そう滔々と説かれれば、「む」と声を詰まらせ眉を顰めるのみで、反論の余地などない。
――まったく。しょうのない人。
胸中で毒づきながらも、その調子はどこか明るい。
最初に倒れて南洋の救援に赴けず、逆に足を引っ張ってしまったという負い目もあるのだろうが、変なところで意固地になる涼に押し勝ち、こうして普通の服でデート……もとい買い出しに繰り出すことが出来た。『旧北棟』に持ち込むための大荷物を背負っているのは、今は全力で見ないことにする。
表面的にはつっけんどんな態度に終始しつつも、沸き立つ多幸感に頬が緩みそうになる。
赤らむ顔を隠すべく、彼の隣に並び立ちながら、歩く。不器用ながらも、彼が自然車道側に身を移し、歩調を合わせてくれるだけで嬉しかった。
「あれ、白景さんとワン子じゃねーの」
そんな彼女の幸福がむなしく破られるのは、彼女の体感、二秒後のことであった。
楼灯一が、渡ろうとしていた横断歩道の前で立ち止まっていた。
奇しくも、ツツジが全身にプリントされた濃紫のアロハシャツをヘッドホンの下に着込んでいた。
「うげ……なんであんたがここに」
「お前らの娯楽物提供者様に酷い態度じゃねぇ? だいたい、オレだけじゃないっつーの」
そんな灯一の苦い顔に、朗らかな青年の笑顔が並ぶ。
いかにも軽薄で軟弱そうなその弛緩しきった面構えには、覚えがある。
「どうもー、多治比……て、苗字だけでそんな苦虫噛み潰したよーなカオしなくても良いじゃない」
多治比和矢は、露骨な態度に苦笑した。
別段彼が悪いわけではないことは承知している。せいぜいこの『逢瀬』を意図せず邪魔されたことぐらいだ。
「いやまぁ、キミらがうちの三竹とやり合ったらしいってのは知ってるけどさ。おれ相手にそれ持ち込まないでちょーだいよ」
「じゃ、アコギな商売は止めてください」
「……それだって、おうちの意向だし俺に言われても」
などと煮え切らない返事。
毒気は抜かれたが、それでのこんな情けない男が、西棟の管理区長兼多治比の次期家長なのか、と不安に思う。
フードパーカーの上から重ねているパイナップル柄のアロハシャツが、ますます頼りない雰囲気を作り出している。
図柄からして、灯一と同じブランドで、ペアルックじみている。
「いや、多治比はともかく和矢には良くしてもらっている」
フォローを入れたのは、意外にも涼だった。
「秘密裡に横流しをしてもらっているし、そこの楼を仲介してくれたのも彼だ」
「わーぁー! しぃーしぃー! 言わないからこその秘密裡でしょうがよ!?」
ほとんど言い切ってしまってから、和矢は口元に人差し指をやって、涼の口元をふさぐ。
「おっと、俺のことも忘れてもらっちゃ困る」
と、さらに涼の荷袋の真後ろで声がした。
茫洋とした表情から一転、凛々しく顔を引きしめた涼は、素早く身を切り返して和矢を振り切って体勢を整えた。
その青年、桂騎習玄は薄笑いを浮かべて間を取った。
……またしても、アロハシャツである。
グレーの生地に、ミミズクだかフクロウだがの顔が無数にひしめいている。
「俺もそいつの口車に乗せられた人間でな……ほれ、今回は大収穫だぜ? グレード3以上もいくつか混じってる」
と、桂騎は見覚えのある『ユニット・キー』の鍵束を、涼に手渡した。
「いつも分けてくれて感謝する。だが」
「おっと、出処は聞きなさんな? まぁ強いて言うならどっかのマヌケの落とし物だ」
賊徒は曰くありげに真月に目くばせした。
「あっはっは、そんなにキーを手放すなんて、マヌケなヤツもいたもんだなぁ」
さすがに仔細までは知らないのか。まさか妹の遺失物だとは思っていないらしく、能天気に和矢は笑い声を立てた。
「おう、なんだか見知った連中が雁首並べてんじゃねえか」
と、豪放な声を憚りなく轟かせ、青信号に切り替わった横断歩道の向こうから顔を出した。
いかにも、良く言えば好漢、悪く言えばガラの悪い粗暴なヤンキー、といった若い男。彼とは逆に大人しめの眼鏡の少年が控えめに追従している。
最初、その取り合わせに真月は既視感めいたものを感じていたが、その答えが出てくる前に涼が頭を下げた。
「お久しぶりです。縞宮さん」
「良してくれや白景の。俺様たちァタメじゃねぇか」
「いえ、自分は十八ですから」
「……俺様だってそうだよ、来月からだけど」
思い出した。縞宮舵渡。南洋の管理区長代行だ。その従者よろしく後ろで縮こまっているのは、自分たちが捜索していた澤城灘だ。
しかし、やりとりの雰囲気から時代劇か、でなければVシネマのテイストを感じさせる。
……着用しているものは、涼もアロハシャツ。相手も真っ赤な太陽のアロハシャツだが。
「ちょいと前までこいつの頭がおかしくなっちまっててよ、検査入院してたのがようやっとシャバに出られるようになったから、快気祝いにな」
などと腕の中に巻き込まれた灘もまた、言わずもがなアロハシャツである。
彼の趣味ではなさそうだからおそらく無理くりに買ってもらったものであろう、真っ赤なハイビスカスの映えるマリンブルーの生地のもの。
――なんなのだろうか、こいつらは。アロハシャツ愛好会か? それしか夏用の服を持っていないのか?
ロングTをワンピ代わりに、ショートパンツの夏用コーデで挑んでやってきた自分が馬鹿みたいじゃないか、と真月は軽い自己嫌悪に陥った。
「いや、そういう言い方はちょっと……まぁ皆さんに迷惑かけちゃったけど」
と、まったくもってその通りの謙遜とともに、灘は拘束を解いた。
その時、和矢と目が合って、遠慮がちに微笑みかけた。
「えーと、西棟の和矢先輩ですよね?」
――多治比和矢は、一瞬目を丸くして、その上の眉間にシワを作った。
「ほら、憶えてません? 前に親父に連れられたパーティーで一言二言話した気がするんですけど」
「……あ、あぁ……うん……そう、だったかな」
和矢はトーンを低めてやや張り詰めたような相槌とともに、ぎこちなく笑み返した。
まぁ和矢にしてみれば、そんな友達の友達的アピールをされても、反応に困るだけだろう。
微妙な空気になりかけたところで、再び縞宮が灘の肩に腕を置いた。
「まぁこうして集まることなんざあのクソッタレな『庭』以外じゃ滅多にねぇんだ。一緒になんか飯食いに行こうぜ」
「おっ良いっすね」
「しかし、持ち合わせが」
「あ、白景さんは良いの良いの。ウチが迷惑かけてるんだから、奢らせてよ」
「じゃ、俺は澤城くんに奢ってやるよ」
「あの……ひょっとしてそれ僕のサイフじゃ」
――かくして、慎ましやかな少女の蜜月は、この『アロハシャツ同盟』によって完膚なきまでに粉砕されたのだった。
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番外編:第一回剣ノ杜有識者による品評会(中編)
南部真月と『アロハシャツ同盟』は、ゾロゾロと連れ立ちながら、多治比和矢の先導のもとにファミレスに入った。
そこは全国規模ではないものの、地元ではこの駅前のビルやショッピングモールのテナントなどでそれなりに見かけるフランチャイズ店である。
「いらっしゃいませぇー、うげっ」
「客に向かってその態度はないでしょ」
「お前十数分前オレにどんなだったよ、犬っコロ」
うげっ、と再び漏らしそうになったのは真月も同様である。
何しろ出迎えたウェイトレスは、既視感ありまくりの小悪魔通り越して小憎たらしい金の亡者。和矢の妹三竹であったからだ。
「多治比の御令嬢ともあろうお方が、色々と手広くアルバイトしてるのね」
「社会勉強の一環ですよ。あっちも、こっちもね」
早速に揶揄を飛ばす真月に、三竹はいわくありげに返す。
「社会勉強する態度じゃないでしょ。店長に言いつけるわよ」
「どうぞどうぞご勝手に」
などと謎の強気な態度に訝しむ真月。その裏から和矢が口を挟んだ。
「ここのオーナーが他ならぬその三竹なんだよ」
「は?」
「もっと言えば、このブランドの大元が多治比の外食部門なんだよ。で、三竹の会社はそのフランチャイズとして数店を受け持ってる。おれも株買わされたよ」
「…………」
多治比の資本主義、ここに極まれりである。
「まぁ株主優待持ってるからここ選んだんだけど。この食事券って使えるよね?」
「……スゴイんだか世知辛いんだか」
「というか、三竹。いくらお前が経営者だっても、そんなんじゃ皆に示しがつかんでしょうよ。ホールに立つ以上はしっかりしなさいよ」
「ハーイ……六名さま、ごあんなーい」
そこは普通の兄妹の距離感なのか。
やや口喧しげな和矢の物言いを適当な感じで流しつつ、奥の席へと案内される。
すでに入り口のメニュー表に目を通していたらしく、注文そのものはスムーズであった。
「かき氷」
と涼。
「毎日見てんのに食うのか……オレ、汁無し冷やし坦々麺の点心セット」
と灯一。
「じゃ、和風御膳で」
と和矢。
「……カルビ丼定食、二人前」
と真月。どうせ涼が「こんな時に自分だけが」と云々カンヌン、例のごとく痩せ我慢しているのを悟ったゆえだった。
「ヘルシーベジササミ丼とシーザーサラダだ! 澤城の、なんでも頼んで良いぜ!」
と舵渡。
「えーと、じゃあ僕はウニのクリームパスタとオムライスで」
と灘。
……南国感も統一感も皆無であった。
「スマイル頼めますか」
とかのたまった桂騎は華麗にスルー。注文伺いに来た三竹は、悪戯っぽく灘に、
「追加注文はいかがですかー? なんなら、こないだみたいな羽振りの良い依頼も大歓迎ですよー」
などと顔を寄せる。
「い、いや! もう大丈夫だよウン!? ……正直、僕もなんであんなことお願いしたのか……」
汀以外の女性慣れしていないというのと、その当惑が本心というのもあるのだろう。灘は可愛そうなぐらい慌てふためいてみせた。
へぇー、と呼気を伸ばして底の知れない薄笑いを浮かべつつ、
「ところで和兄は、この夏休みどっか行ったんです?」
などと兄に唐突に話題を振った。
「ん? べつにどこも」
和矢はナチュラルに返した。
「このてりやきマックのクーポン、今日までだけど使えますかね」
「はーい、ご注文承りましたー。ごゆっくりお待ちくださいませー」
空気を読まない桂騎の二度目のトンチキな発言も無視し、三竹はやや短めのスカートを翻して立ち去った。
「……よぉ」
聞き耳を立てられていないか確かめた様子を見せた後、舵渡は脚を組んでソファにもたれた。
「こうして珍しいツラ突き合わせてんだ。そろそろハラ割って話そうじゃねぇか」
先の微妙に緊張ある流れを汲んでのことだろう。南洋の王者はそう切り出した。
「あ、それはおれも賛成」
と、和矢も同じた。気づけば彼らを筆頭に各棟や分校の代表や実力者たちが、一堂に会しているのだ。
そのことに改めて気づいた時、さしもの真月もその身を強張らせた。
毛色も戦闘スタイルも身を置く環境も、主義主張も異なる、強者たち。
果たして彼らは、どのような言葉を交わすのか。それとも探り合うのか、諍いを起こしてしまうのか……?
「第一回ー、ミス剣ノ杜決定会議ー!」
「イェーイ!!」
真月は、言葉どおりの肩透かしを食らって、上体のバランスを大きく崩した。
いきなりそんなことを切り出した灯一と、彼に合いの手を打つ和矢。その隣で舵渡は呵々大笑。
「モノの道理が分かってんじゃねぇか、楼の!」
「もちろんっすよ、縞宮のダンナ! いやー、ウチのガッコウってなんのかんの魅力的な女が多い分、その勢力が強いからなぁ! こんな男同士のダベりの場でもなけりゃ、気兼ねなく下世話なコトできねぇのよな」
みずからを指さし自己アピールをする真月であったが、悲しいかな舞い上がった男連中の視界には彼女の矮躯は入らなかった。
「要領があまり掴めないが……要するにこの場で異性として学園内でもっとも魅力を持つ女子生徒を私的に決定しようということか?」
「先輩!?」
「バッチバチに分かってるじゃないスか白景先輩! 実はけっこうムッツリだったりして」
「先輩はムッツリじゃない!」
「いや、我ながら存外なほど乗り気だ」
「先輩!?」
真月の懸命の訴えも空しく、涼は茫洋とした表情のままに鎮座している。
「それじゃあ、俺の学園内美少女データベースからランダムにピックアップしてくから、良いなと思うヤツを挙手で。で、立てた指がポイントな」
「……なんて
「売れるからだよ」
身もふたもない返答とともに、この不毛なコンクールの幕が開く。
エントリーNo.1。
的場鳴。
「……いっきなり最有力候補出すんじゃねーよ。後が可愛そうすぎるだろ」
「知らんよ、ランダムだって」
呆れながらも灯一、立てた指はまごうことなき五本である。
同じく体育会系の舵渡、とにかく挙げたという感じの涼、桂騎は五本。和矢が四ポイントで、灘は腕の角度と同様に控えめ、三ポイント。こうなれば理由はむしろ低い方が気になるところ。疑惑の視線が灘に集中する。
「いや……僕あのサマフェスで初めて会いましたけど、美人だけどちょっと性格キツそうなのが僕的に苦手で」
「あー、まぁ確かによく知らない人はちょっと距離感じちまうよな」
灯一が一定の理解を示す傍らで、舵渡は
「だがそれが良い!」
などと大言を吐く。それにも灯一は理解を示した。
「面倒見は良いんだよ、アレで」
「あと胸デカイしな」
「……身もフタもねぇな、
「じゃあお前さんがたは嫌いなの?」
「好きですよ。えぇ大好きですよ」
「あと、灯一の言う通り何だかんだ面倒見が良くて甘いから、天下の往来で泣きわめいて嘆願したらおっぱい吸わせてくれそう」
「…………最っっ低だよ、この男。というかこいつら」
呆れる真月をよそに、エントリーNo.2。
足利歩夢。
「……本当にランダムなんだろうね、それ。AIに指向性持たせてない?」
ディスプレイに表示された表情は第一走者と同ベクトル。体形は真反対。
和矢が疑念を持つのも無理らしからぬことではあっただろう。
その和矢は、手を下ろして頬杖をついている。
「おや、意外な低評価。和兄さん会ったことあったっけ?」
「んー、まぁ彼女じゃないけど、似たようなヒトに良い思い出ないからさ」
「へぇ……まぁオレも良い思い出ないけどな、他ならぬ本人にッ!」
そう吼えて灯一は画面に向かって中指を一本立てた。
ほか、「おもしれ―女」枠ということで舵渡が高評価の五ポイント、桂騎が四ポイント、同情票なのか灘が四であった。
涼、変わらず五本の指を立てている。
……ちょっとムッとした真月であった。
エントリーNo.3。
生徒会長、征地絵草。
「……お前、こんなもん登録してるとか怖い者知らず過ぎるだろう」
「そう? あれで案外かわいいところも……なきにしもあらず」
そう言って桂騎は四ポイント。
「俺様がいずれは挑んでみたい覇者だ!」
「武井壮かよあんたは」
豪語する舵渡、これまた五ポイント。涼はもはやルールを分かっているかどうかさえ怪しくなってきた。安定と信頼の五ポイント。画面越しの圧に屈したのか、灘も和矢も最高点を付与。
「……ノーコメント。悪魔の噂をすると悪魔が来るしな」
とよく分からない口上とともに、灯一はシビアに二本指であった。
エントリーNo.4。
深潼汀。
「な、な、な……」
見慣れているはずのその溌剌とした笑みが浮かび上がった時、灘は過剰なまでに紅くなった。
「なんっっ、で、汀が入ってるんですかぁっ!?」
と訴える少年に、スマホを持った本校の上級生は、
「そりゃ入れるだろ。美少女なんだし」
と、反省の様子を欠片も見せない厚かましさだ。
「べ、別に大したことなんてないでしょ。あんなデリカシーもないヤツ」
と灘。上ずった声で精一杯の強がりを見せる。
それを承知で灯一はおちょくるように汀をフォローして五ポイント。
「だから、女友達的なあのノリとプロポーションで身体密着させてくんだぜ? 距離感どうにかなっちまうよ」
「あんた、元々距離感なんてつかめてないでしょ」
「ワン子、なんで今オレをバックファイアした?」
「あぁ良かった。ちゃんと聞こえてたのね。あと、そうやって人が嫌がってるのに気づかずに仇名で呼び続けるところ、割と本気で引くんですけど」
「そういうガチなお説教止めてください。心臓とお腹が痛いです」
ほか、桂騎四ポイントで、舵渡は厳しめの三ポイントであった。
涼に関しては……もはや言及するだけヤボというものだろう。
「意外な高評価だな」
と灯一。桂騎はそれに同調した。
「やっぱ隙の多さもポイントだよなー」
「そうそう、それこそ泣いて縋ればお尻くらい揉ませてくれそ……へぶっ!?」
「あいつはそんなふしだらな女じゃないっっ!」
灯一の顔面の正中を、灘の拳が射抜いた。
くっきりついた手形は、文句なしの五本指であった。
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番外編:第一回剣ノ杜有識者による品評会(後編)
誤字報告、ご感想、評価、作品内外のリクエスト等ございましたらお気軽にどうぞ。
「――へぇ、ずいぶんと面白い会話してるじゃないですか」
灯一の危惧したとおりかどうかは知らないが、ゲスな話に誘われて、悪魔が舞い降りた。
出来上がった料理を提供しに来た、多治比三竹である。
「良いっしょ、別に。おれだって外じゃハメ外したいの」
和矢が悪びれずに言った。
「そういう色恋沙汰チラつかせようもんなら朔姉が圧加えてきますもんねぇ。いやまぁ、別に良いんですけど……西棟のメンバーが、というか多治比が出てこないのは、ちょっと不満ですよねぇ。っていうか、ウチ?」
というわけで、飛び入り参加。
エントリーNo.5。多治比三竹。
「じゃあまぁ、自己アピールどうぞ?」
「ハーイ! 多治比三竹十六歳の高校一年生!」
兄に適当な感じで促されるまま、
「趣味はぁー……構造主義的映画評論。ちなみに現時点でTOEIC900点。中等部の時にディベートコンテストで全国一位取りました。今は本社の三次団体として主にフランチャイズ経営に従事しておりますが、数年後には地歩を固め、弊社の独立したブランドイメージを社会に確立していきたいというヴィジョンを持っています……とか合コンで言うとぉー大概の男ドン引きして逃げていくのでぇ、趣味はスイーツ巡りとアニメ鑑賞にしてまーす! タピオカ大好きー!」
「んー、お兄ちゃん的にはその捨てきれないプライドの高さがダメだと思うなー」
言い方こそ柔らかいが、評価はシビアである。和矢、三本指。
「……彼氏の年収を一日で上回りそうな女子とか、男受けするわけもなかろうよ」
しみじみとした調子で言う灯一は二点。
「賢しい」
一刀両断。縞宮舵渡、一点。
「……なんというかその、ごめんなさい」
灘、謝罪と怯懦の四ポイント。
涼、五ポイント。いい加減腕下ろせ。
「おい、これひょっとして今まででワースト記録するんじゃね?」
「え!? 嘘でしょ!? 頭と同様に目ん玉も腐ったんですか!?」
「……これがディベートコンテスト優勝者の語彙力」
三竹、思わず素であった。
「店員さん、さっきウーバーイーツでビッグマック注文したんで、来たら受け取りしてもらえますか」
「お客様ー? 喧嘩をお求めでしたら、お手数ですがどうぞ外にてお待ち下さいませー?」
果たして掲げられた桂騎の手は、点数か注文のためだったのか。
とにもかくにも、これで歩夢と並び仲良く同率最下位であった。
エントリーNo.6。維ノ里士羽。
「オレは好きだぜ。テキトーな距離感でオタトークできるヤツは得難い」
などと渋い点数も多かった灯一がここにおいて最高点。涼も言わずもがなだが、自分たちの拠点設備を整えてくれた大恩という明確な理由があるだけマシであろう。
さすがに性質が合わない舵渡は二点であったが、汀と自分が迷惑をかけた負い目からか灘は四点。桂騎は五点満点。
(その為人とは別のところで高評価を得ている気がする)
と真月は思ったが、ここで意外にも、和矢が手を挙げなかった。
「へぇ、意外だな」
「多治比とは因縁持ちですからねぇ、彼女」
「いや、怨まれる筋合いはあっても、嫌うのは違うんじゃねぇのか?」
舵渡が意外に鋭い考察で切り込む。
和矢は自身の料理に箸をつけながら、
「嫌いだね」
と涼やかに嫌悪を鮮明に表した。
エントリーNo.7。
副会長、賀来久詠。
「……ないわ〜」
開口一番、灯一の声である。
「いや顔は良いんだよ、ウン。でもなぁ……」
と腕を組んで難色を示すあたり、その強権の悪評は東棟にも轟いているのだろう。概ね真月も同感だが、同時にコイツには品定めだの批評だのはされたくなかろうとは思う。
「一生懸命なのは分かるんだけど、あいつ……というよりあの人か。アプローチしにくいよな、色んな意味で。せめて女教師で入ってりゃあな、なんで教員じゃないんだろうな、枠なかったのかな」
他の彼らも同じか、それに類する意見なのか。
皆、一様に腕を下ろしている。
「まぁそりゃそうか。いくらなんでもアレに女を見出すヤツなんて」
と言いかけた灯一の眼に、まっすぐに伸びる一本の腕と五本指が映った。
「性欲モンスター!?」
――他ならぬ、白景涼のものであった。
「う、嘘でしょ先輩!? こないだのこと忘れたんですか!?」
「いやいやシラさん、そりゃあないよ?」
「やっぱ腐ってましたね、眼」
「ファミ通クロスレビューかよ」
等々、囂々と非難が飛ぶ中、本人はケロリとした表情で、氷を食べている。
「どうして訝る? 彼女はある意味芯の通った人物だ」
などと逆に問い返す始末だ。
「あのポルトガルのサッカー選手じゃねぇんだから……」
「まぁ趣味は人それぞれですけど涼センパイがた? だーれか挙がってないの、忘れちゃいませんか?」
「誰かとは?」
余計な茶々を入れる三竹は、一瞬にやりとした笑みを浮かべてから、真月の背に素早く回り込み、その肩を捕まえた。
――というわけで、エントリーNo.8。
多治比三竹推薦の、南部真月。
「…………あー」
異口同音。抑揚のない感嘆が、それぞれの口から漏れた。
「『あー』ってなんですか『あー』って!?」
自身が祭り上げられたその是非はともかく、その微妙な反応はいたく少女の心を傷つけた。
だが、そんな彼女の感傷をよそに、舵渡はしみじみとした調子で腕を組んだ。
「……今にして思えば、乙女に対してやれ点数だの順序だのをつけることなんざ、最低な行いことだったな」
「え? なにキャラ捨ててまで掌返して殊勝に締めに入ろうとしてるんです?」
「それもこれも、灯一がアホなことを言い出したばかりに」
「おいコラかっちゃん、何ヒトに全部押し付けようとしてるんだ?」
わざとらしいほどに胡乱気な桂騎の眼差しに、言い出しっぺの灯一は反発した。
しかし桂騎はどこ吹く風といった調子で、薄く笑いながら流し目で言い返す。
「俺は灯一みたく、悪しざまに言ったり低く見積もったりなんかしてねぇからな」
「や、野郎……! こうなることを読んでやがったな!?」
「気持ち悪いことは結構言ってましたけど……」
そう悔しがったとて後の祭り、いつの間にか独り女の敵がごとき衆人環視の中、灯一はますます逆上した。
「だいたい、女だって寄り集まったら同じこと話すだろーが! しかも、生涯年収とか学歴とかもっとえげつないこと搦めてよ!? そうだろ多治比三女!」
「いや、さすがに学生でそこまで考えてる娘はいませんよ。せいぜい顔面偏差値と足の長さとファッションセンスとトーク力がジャニタレ並でいて欲しいって程度ですってば」
「せいぜいのハードルたっけぇなぁ!」
真月そっちのけで醜い責任のなすりつけ合いを始めた男連中に、三竹はどこか面白くなさげだ。
どうやら真月を巻き込まんとしたのは、過日の意趣返しらしい。それなら桂騎も来ているのだからそちらに鬱屈をぶつければ良いものを……と思ったが、そもそもあの盗人が今目の前にいる上級生の一人だとは、気づいていないのか。
――だが、一方で。
真月は涼の反応を盗み見る。
どっどっどっ……と、知れず、悟られず、心臓が早鐘を打つ。
聞くに値しない、ゲスな話題。それでも、本来ならこんな場で耳に入れて良いものでもないことは分かってはいる。
でももしかしたら……という淡い期待が、彼女自身に明らかな拒絶をすることを許さなかったw
果たして彼は、何を想う? 何を言う?
「……」
すっ、と涼はそこで初めて腕を下ろした。
「ウワーッ、真月ちゃんがシラさんをマウントポジでタコ殴りに!?」
「オイ落ち着けワン子! 好きとか可愛いとかにも複数種類あってだな……そうっすよね先輩!?」
「というかこの先輩……やっぱりちゃんとルール理解してなかったんじゃ」
「ルールつってもちゃんとした線引きなんざハナからなかったがな」
「うわははは! 良いぞ、青春の一ページに存分に傷を刻み合えィ!」
「お客様ー? 店内ではお静かにー」
「あのー、俺のビッグマックまだかかりそうですかね」
「知らないですよこのスッタコ」
終わり。
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なつやすみのにっき(登場人物紹介) ~南洋編~
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。
というわけで情操教育うんたらかんたらと鳥に言われたので、夏休みの日記を書くことにします。
学園祭遊園地海水浴花火大会、一日でやりきりました。
もう当分海には行きたくないです。
・
わたしです。
語るほどのものはありませんが、ミステリアスな雰囲気を持つスレンダーな類い稀な美少女です。座って文庫本を開けば、控えめに言ってほぼ長門です。
その容貌と独特の価値観から他人を寄せ付けない孤高のろんりーうるふです。
……とは前は考えてたんですが、南洋のバカどもと比べれば自分はずっとマトモな人間なんじゃないかと思いました。
・
みんなのお母さんです。
後輩にタメ口許してくれる時点でかなり懐の深い奴ですが、イヤミったらしい身体つきしてます。身体だけに関して言えば、この夏でもっと嫌いになりました。
カンペキ過ぎて男にとっちゃハードルが高すぎると思うので、付き合うのはともかくとして案外結婚は遅いかも知れません。
・レンリ
カスです。カラスじゃあありません。カスです。
人間様に欲情する鳥類の恥。
本人はそれとない感じだったと思ってんでしょうが、この夏休みの三分の二はオンナの胸見てました。
かく言うわたしもえっちな目で見られてました。嘘です。くそが。
あとこないだ、ランボーとかいう古い映画見た時、ラストに上官っぽい人に主人公が射殺されて声出して驚いてました。
続編が出てないことにもめっちゃショック受けてました。
いや、主人公死んだんだから無理やろ。
・
腐れ縁です。
身内のゴタゴタ色々と片付けてくれたけど、感謝を伝えづらいのは本人の為人でしょう。
距離感を掴むのがヘタクソなのは変わんないけど、昔はあんなんじゃなかった。
・
南洋の一年生。わたしの敵。懐いてくるけど宿敵です。
自分をホビーアニメの主人公と勘違いしてイタイセリフを連発するサイコ野郎です。
訳の分からんタイミングで理性のブレーキを掛けてくるあたり、サイコ感マシマシです。
あと野郎じゃなかったです。女子です。
ボーイッシュなくせしてビキニが似合う体格と性格で、多分にそれを自覚してるのがタチ悪い。無自覚なあざとさがあるのがなおさらハラ立つ。
ちなみに、実はいいとこのお嬢さんで元は病弱だったらしい。
……クソどうでも良いわ、そんなギャップ。
【使用ホールダー】FSタイプ
【所有キー】
キャプテン(グレード3)
・
汀の幼馴染で同じく一年生。ワニと戦った分校長の息子で今回の事件の原因に当たるメガネです。会ったことのない親父の方がキャラ濃いと思います。
訳分からんこと言って因縁吹っかけてきたけど、後日会った時にはキョドりながら、菓子折り持参で平謝りしてきました。
まぁ、ブルボンアソートが美味しかったから許すが。
初見でわかるレベルで汀に惚れてるけど、当分進展はないと断言できる。
【使用ホールダー】SAタイプ(強化モジール『ユニオン・ユニット』は出自不明のまま消失)
【所有キー】
以下のキーは出自不明のまま消失
トリックスター(グレード3)
謎のドッグタグ(グレード不明)
・
三年生。管理区長相当、だそうです。
というか白景のおっさんと同じく、どう見ても未成年の貫禄じゃありません。
子分を引きつれて大海賊ぶってますが、本質的にはマジメなヒトだと思います。声を出すとき若干の照れが見え隠れしています。
【使用ホールダー】CNタイプ
【所有キー】
バルバロイ(グレード4)
・
本校の新設された北棟の一年生です。めちゃうるさいです。例に漏れずバカですが、陸上で特待枠を勝ち取ったみたいです。
真月先輩と同じようにして『旧北棟』の存在を知った口ですが、手に入れた鍵が空間転移とか可能なヤツだったらしく、割とフリーダムに行き来してるみたいな変人です。
【使用ホールダー】LSタイプ
【所有キー】
ラッセル(グレード3)
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第七章:カラの、玉座(前編)
(1)
夏の終わり、足利宅。
足利歩夢の前に、積まれたテキストの山がある。
そして彼女自身は、めくり上げた上唇にボールペンを載せて弄んでいた。
「……なんつー古典的な勉強の行き詰まらせポーズだよ」
それら夏休みの課題に根気よく付き合っていた鳴は、呆れながらその様を睥睨した。
「よくもまぁここまで溜め込んだもんだ。小学生でももうちょっとマトモに計画を立てて取り組むぞ」
もう数日となく二学期というのに、ほぼ手つかずだった課題を見遣りつつ、吐息をひとつ。
とは言っても、実のところ歩夢に問題があるとすれば、『面倒だから人に指摘されるまでやってない』というただその一点のみであって、鳴に叱られて強引に付き合わされてより後は、姜維的な飲み込みのペースで消化していき、積まれた教本は軒並み
だが、ある課題を前にした時、少女の手と眼が止まった。
これこそすなわち、歩夢にとっての鬼門――自由課題。
一日で済ませられないことであるのはもちろんだが、主体性のない彼女にとっては、その選択肢の多さこそが他の学生よりも苦痛なのだろう。
「ちなみに、あんたはなんにしたの?」
「あー、ドーナッツ作ってその時に起こった化学反応の解説入りレシピ書いた。人ン家で堂々茶を啜ってるヤツに手伝ってもらってな」
そう紹介されたのは、マンションを訪れていた鳴を見咎めて、隣室より介入してきた維ノ里士羽である。さも当然のごとく上がり込んで来た彼女は、珍しく分かるレベルで渋い顔をした家主を置いて、自分で煎れた茶を飲んで菓子を摘んでいる。
何の用事なのかさえ、明らかにしない。ただ単純に自分が頼られなくて寂しかったのかもしれない。
「ちなみに今お前らが食ってるのがそれの切れっ端」
「マジか」
歩夢の、なんとも気のない感嘆である。
テーブルの上に置かれた皿の、ボール状の焼き菓子をもしゃもしゃと無造作に口に運んでいく。
「その程度で良いんですよ、夏休みの課題なんて。アメリカだったらレポート一枚で終わりです」
と、士羽が菓子を摘む合間に口を挟んだ。
「そういうイノは……いや、やっぱ良いや、聞いてるだけで頭痛くなりそーだから」
「心外な。ちゃんと学生のレベルまで落とし込みましたよ」
士羽は不安げな鳴に続けた。
「平成ライダーのスペックから基づいて、一話ごとのエネルギー放出量の平均値を算出してグラフ化。かつ、それをランキングにしました」
「だから聞いてねぇって……というか教師がドン引きして教室が冷え込む未来しか見えないんだけどな」
「暇人」
心なしか、どことなく得意げな士羽に対し、辛辣なリアクションを見せる鳴と歩夢。
士羽も曰くありげに寄せられる眼差しに何かしら汲み取れないほどに鈍感ではなかったらしい。
少し無念そうに眼を伏せる彼女はしかし、虚勢を張るが如くに付け足した。
「無駄だ暇だの思われるのには慣れてます。そもそも、研究だとか科学だとかなんてのはね、実生活や実益に直接結びつく方が稀なんです。私も学会でそのあたりを質疑される度に『うるせぇ教授! お前は黙ってろ!』と腕組みして苦虫を噛み潰すこと、一度や二度じゃありません」
実感を交えてしみじみ呟く士羽ではあったが、珍しくレンリが彼女の意見に同調し、うんうんと頷いている。
「実際、ストロングホールダーのメインシステムの基礎となった時州氏の理論は学園があの様になるまでは無用の長物、変人の妄想に過ぎなかった。それがこうして今は我々にとっては欠かせぬ」
「イノ、脱線してるんだが」
「……失礼」
士羽は羽織る薄手の白いカーディガンの襟元を引き寄せた。
「まぁ何事にも探求があります。公序良俗に反しない限りは、漫画の感想だろうが、蟻の観察だろうが洋楽の和訳だろうが、なんだって良いんです」
「そういうのが、一番困る」
そのいずれにも、歩夢が興に乗った様子はない。
「困るぐらいだったら、南洋に行ったときに何かしらネタを持ち帰れば良かったでしょう。あそこは、日本でも有数の、海洋生物の研究機関でもあるんですから」
「あぁ、なんか帰る時水族館あったよな」
「いや、どう考えたってお勉強できる体力じゃなかったでしょ」
その時の疲弊はまだ歩夢の矮躯に根強く残っているのか。
思い返しただけで、歩夢はくたりとアゴをテーブルに置いた。
「今からでも、汀に頼んで資料ぐらい借りて来させるとか」
「やだ」
鳴が士羽に便乗するかたちで提案するも、歩夢は横にかぶりを振った。
「あとアレの名前、出さないで。沸いて出てきたらどうすんの」
「悪魔かなんかか、あいつは」
否、少なくとも歩夢にとっては魑魅魍魎の類扱いに違いはあるまい。
とは言えアレも駄目コレもイヤとなれば、八方ふさがりも良いところである。
「先に言っておきますが、ウィキペディアのコピペで仕上げようなんて私の前でしたらはっ倒しますよ」
「じゃああんたが消えたらやる」
「じゃあ今はっ倒します……と言いたいところですが、貴女が興味が持てて謎だらけの存在なら、そこにいるでしょう」
そう言って投げた視線の先に、鳴も歩夢も追従する。
彼女たちの視界に、バランスボールの上で我が身を持て余すようにしている黒い球体が、居る。
さすがに遠慮もあってか、ここまでは必要最低限しか女の園には介入して来なかったそのカラスはようやく彼女たちの方へと顧みて、
「え、俺?」
と、羽で自身を示したのだった。
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(2)
\これが淫獣レンリだ!/
・レンリブレイン
脳内シミュにかけると多分半分以上Hに占領されてる。
下半身に直結している。
・レンリアイ
あらゆる谷間も見逃さない。
脳ではなく下半身に直結している。
・レンリクチバーシ
喋ればセクハラ発言のオンパレード。握りしめてへし折るだけの余地がないのが腹が立つ。
多分下半身からの命令に従っている。
・レンリウイング
実は結構器用。スマホで購入したエロ同人を時折見ているが一瞬でシークレットにすることも可能。
得意料理はエスニック。
触覚から受けた刺激は下半身に直結している。
・レンリボディー
愛くるしさを口頭で強調してくるが、ただのデブの露出狂。愛嬌は皆無。アフガンストールが絶望的に似合っていない。
言うまでもなく下半身が行動基準。
・レンリレッグ
意外と速い。低身長を利用してスカートに滑り込まんとする習性故だろう。
言うまでもなく下半身。
「――とか、こんな感じ?」
「碌でもねぇ畜生だな」
「害鳥も良いところですね」
「風評被害ってこんな感じに虚実入り混じって作られるんだなぁ。あと俺の下半身混線しすぎじゃない?」
「じゃあ、あんたからスケベを取ったら何が残んのさ」
「…………ないなぁ、なんにも」
「熟考した結論がそれっていうのがまた悲しいな」
歩夢のノートに描かれた雑な図説をつらつら眺めながら酷評を好き放題に下していく少女たちを、レンリは虚無の表情で見渡していた。
「……で、結局お前はなんなんだ? レギオンか、それとも人か? 鳥か?」
「そのどれもだ」
バランスボールから飛び立ってカラスは、そんな曖昧な答え方をした。
反射的に、士羽の眉根は険しく寄った。
「惰性にこうして過ごしていて、貴女たち、コレのことを何もつかめていないのですか?」
あえて挑発的に吹っ掛ける物言いをすると、案の定この二人は乗ってくれた。
「んなことねーだろ、さすがに……えーと、スケベ、飛べない、穀潰し」
「容赦ないなチミ! これでもアフィリエイトで稼いどるわ!」
「時折わたしをえっちな目で見てる」
「……歩夢、おはん寝ぼけちょるんか」
レンリのツッコミの最後の一言は蛇足のうえ藪蛇であった。
後ろ気に蹴られたレンリは、鳴の言を否定するがごとく部屋の端まで綺麗に飛翔し、壁にぶつかって墜落した。
「まぁどーでも良いんじゃない? ていうかこんな存在、研究発表に出せるわけないでしょ」
「冗談ですよ」
「どうせなら笑えるヤツにして」
歩夢は席を立った。
「サボリか?」
「ヒマワリの種買ってくる」
「いや、今更育たねーよ」
「煎って塩まぶしたらおいしかったですって書く」
「おっさんのツマミかよ」
毒は吐きつつも、いいガス抜きにはなったのか。
何にせよ、自発的に動く気になったことには違いない。
部屋から出て行った歩夢を静かに、何となしに席を外す体で追う。
「イノ」
が、その背に鳴が声をかけてきた。
頬杖を突いて流し目で。その横顔は、同性から見ても、芸術性を感じるほどに様になっている。
「上手くいってるところに波風立ててやるなよ」
と、妙に年長者ぶるがごとき、分別くさった
うつぶせに倒れたままのレンリも、何か言いたげな気配を押し出してくる。
あるいは探られたくないことがあればこそ、あぁしてふざけた発言で話題をずらしたとさえ邪推できる。
「私には、互いの関係性を定義づけないままこんな生活を続けていることの方が、不健全に見えますがね」
「んなもん、今に始まったことじゃねーし、あいつらに限ったハナシでもねーだろ……あの学園じゃ」
まったく鳴のいうことは正論だった。詮索しても、きっと朗報などただ一つもないのだろう。あるいは、肩透かしな真実しか待っていないのかもしれない。
だが、それでも。
現状を是とするには、士羽の眼には歩夢とこのカラスの関わり方は、あまりにグロテスクに思えたのだった。
~~~
結局、やんわりとした鳴の諌止を振り切って、士羽は歩夢を追った。
マイペースゆえか、それとも何かしら予期するところがあったのか。思いのほか彼女は進んではいない。階段手前のすぐに小さな背に追いつくことができた。
億劫そうに顧みる幼馴染に、士羽は前置きなく言った。
「このところあのカラス、外出や姿をくらますことが多くなったそうですね」
「そーらしいね。まぁ、一心同体てワケでもないから、どうでも良いことだけど」
「気にならないはずがないでしょう。曲がりなりにもアレは、貴女が関心を強く持つ唯一の存在だ」
「何が言いたい?」
「では単刀直入に言いましょう。貴女、何か奴の正体に察するところがあるのではないですか?」
歩夢が胡乱気に目元を歪めた。少なからず、思い当たることのある証左であろうと、士羽はさらに畳みかけた。
「貴女は魯鈍なように見えてその実、怠惰なだけで地頭自体は聡明です。私には見えないところも、あるいは」
「それを聞くためだけの雑な前フリどうもありがとう。でもそれ、単刀直入じゃなくて迂遠っていうの」
「貴女こそ、そうやって重箱の隅を突くように言葉尻をあえて捕まえるのは、意図的に避けようとしているところがあるからではないのか」
歩夢は押し黙って、背を向けた。
「真実から目を背けていては、いつまで経ってもカラスについても、あの『剣』についても影さえ踏めないばかりです。ここまでは騒動の渦中にレンリがいなかったからこそまだ看過できた。しかしアレが自主的かつ不鮮明な行動が多くなったとなれば、貴女たちの環境についても再考しなくてはならない」
「だから、あいつのことを探れって?」
背を向けたままでは見えないだろうが、士羽は首肯した。
「それが、貴女のためですよ」
「……まぁ確かに気にはなる。と同時に、それから避けてる自分もいる、らしい」
存外に冷静に自己分析をしていた。筋を通せば話は通る。
何せ、主体性がなく、他者から何か頼まれれば、面倒がりつつも受容するのが彼女なのだ。
「でも、あんたの思い通りに動くのは、いや」
――その、はずなのに。
ふたたび士羽の方へ振り返った歩夢の顔には、薄い笑みが浮かんでいる。
眠る猫のように細められたその瞳の奥底に、ぞっとするような輝きを帯びて。
「つまんない脅しかけてきたり、わざとらしくあいつを担ぎ出したり……わたしはあんたの都合の良い奴隷でもスパイでもない」
そう言い捨てた歩夢は、つまらなさそうに踵を返して階段を下りていった。
「私は……っ、本当に、貴女のために」
という弁解も、彼女の耳と心に届かなければ、空しい独語に過ぎなかった。
そして果たして自分は、本心から彼女の身を案じているのか。
鳴の言う通り、他にも思い煩うべき案件は数多あるのに、何故かくもあの鳥に――否――彼と彼女に執着するのか。
それぞれに課題と
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(3)
学園南側、本棟生徒会室。
最大の収容人数を五十とし、プロジェクターなど最新の設備を、取り揃えたこの場所は、あたかも大企業のミーティングルームのようでもあり、白亜の城のごときでもある。
だが今、その室内にいるのは、くたびれた感じの養護教諭と指を噛みながらその視界を左右にうろつく女のみである。
部屋に比してあまりに少なく、あまりに小さい。
「……迂闊に維ノ里一派に手を出し、しかも
花見大悟はそう冷ややかにぼやき、
「うるさいッ」
という賀来久詠の怒号をもらった。
「くそっ、澤城の件……もう少し早くに知っていれば」
挟撃騙撃、カラスを確保する手段はいくらでも整えられたものを。おそらくはそう続くのだろうが、大悟はそれをため息で妨げた。
「相談に来た深潼汀を突っぱねたのは、お前だろ」
「やっかましい!」
また、ヒステリーな怒号が飛んだ。
痺れる耳朶をそっと押さえながら、大悟は続けた。
「まぁ何にせよ、夏休みにあいつ不在の隙を突いて、これ以上独断専行を続けるのはまずかったんじゃないのか? 彼女の力と権能のもとに、正当性を以て維ノ里とあの鳥を抑える方が」
「それじゃあ遅すぎるのよ。あの脳筋が介入なんてしたら、結果は一つしかないじゃない。雑草取りにヘリに除草剤どころか
おのが指を噛みながら、呻くように言う。
「手柄を横取りして交渉もしくは弾劾の材料にしないと、その爆撃機を引き摺り下ろせないからな、維ノ里士羽のように」
久詠の足が、声が、ぴたりと止んだ。
その喧しさは転瞬の後に霧散し、わずかな残響が尾を引いた後に人数相応の静けさに立ち戻った。
そして花見大悟を顧みたその眼差しは、底冷えのするものだった。
彼女の小者らしいポジショニングと所作は、ある意味においてはロールプレイのようなものだ。
動揺や怒りは、偽らざる本心なのだろう。だがあえて実態よりも過剰に騒ぎ立てることで、奥底にある自己は冷静さを保ったままに打算する。
だがそういう『素』を見せたればこそ、大悟の指摘は的を射ていたことを示している。
(いい加減、『あちらさん』は学園の主導権を譲らない征地の家と、その家名をもって切り回す絵草に辟易しているようだな)
花見大悟の所属する
この怪奇に際しての国内外の諸勢力の動静に注視し、かつそのパワーバランスを崩さないために調停や一部の情報共有こそするが、基本的には中立的立場を貫く大悟と久詠の『それ』とは、同じ宮仕えではあるが目的を等しくしていない。
大悟を冷たく見据えたまま、電池の切れた人形のように動かなくなった彼女の眉が、センサーのように反応する。
そしておそらくは彼女は自分でも無意識のうちに、足からその身を引き戸の方へと切り返した。
転瞬、その視線に先で威勢良くドアがスライドした。
その勢いに比して、現れたのは年相応に華奢な少女の影である。
だがその総身から迸る威圧感……言い替えれば生命としての強靭さが、彼らの背筋を冷たく伸ばした。
「やぁ、どうも」
その女子生徒の、穏やかな口調に反して燃えるような双眸が、彼らを射すくめる。
別に怒っているわけでも気を張っているわけでもない。この無尽蔵の覇気の放出こそが、彼女の常態なのだ。
件の『爆撃機』、生徒会長にして現『対策委員会』の長、征地絵草の帰還であった。
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(4)
絵草は、ことのほか上機嫌である。
というか、浮かれてさえいる。
制服は未だ夏の装い。その上にカーディガン、というか浅葱のだんだら模様の羽織を纏っている。
「いやぁ、夏休み中に修学旅行の下見に行ってね。ついその気分を持ち越してしまった」
と、土産物らしきその上衣の裾をくるり回って翻して見せる。
苦笑を引き攣らせる久詠に対しては、
「プライベートの時だけだ。許せ、時として私も年相応にはしゃいで見たくなる。第一お前だって、あの『園』では和の小物を好んで用いているじゃないか」
などと言ってのけるが、それこそ女子生徒のセリフではあるまい。
はぁ、と生返事を吐く補佐役に、表情を締め直して絵草は尋ねた。
「時に、私の留守中に何か変事はあったかな」
久詠の顔に、緊張が奔る。だが、予想された質問ではあるので、一瞬で体面を繕った彼女は、すらりと情感を交えて答えた。
「南洋の巌ノ王京分校長の騒ぎ以降は大人しいわね、平穏無事」
「あぁ、御仁にも困ったものだ」
絵草は苦笑とともに相槌を打った。
「その分校長殿だが、晴れて来週には復職されるそうだ」
無造作にもたらされた情報に、「は?」と久詠は思わず問い返した。
「征地の方で手を回しておいた。問題の多い男ではあるが、喧騒はより大きな喧騒により、怒りはより荒ぶる怒りによってこそ鎮まる。南洋の躁病はあの人でなければ治まらん」
「だけども……ッ」
「復帰して、何か気にかかることでもあるのか?」
絞られた絵草の目元が久詠へと向けられ、彼女はぐっと言葉を詰まらせた。
絵草の言葉には遵法精神や倫理観はともかくとして、一応の道理はある。事実、猛のいなくなった南洋では灘の件も含めて騒動が多発した。
それでも久詠が難色を示したのは、あくまで個人的な事情……彼女が会長を飛び越して自分の目的によって分校長に接触していたからに他ならない。
「……ただ、少し心外だわ。あんな男なんて頼みにしなくとも、私でも征地さんの役に立てると思ってるから」
ややあって彼女は情に訴えて話をはぐらかす方針に切り替えたようだった。
(よくもまぁ、寄せてもいない親愛を情感たっぷりに演出してみせるものだ)
大悟は呆れながらも、空気となって成り行きを見守っていた。
まぁ職業柄というものだろうが。
絵草はまんざらでもなさそうにフッと唇を綻ばせた。そして浅葱の羽織を脱ぎ、久詠に打ち掛けた。
「その気持ちはありがたい。だが、自身の分限をきちんと把握することだ。私と違い、お前たちに出来ることはそう多くはないのだから」
……大悟は、思わず失笑しかけた。そう言い放たれた久詠の真情、如何ばかりか。
だが、それを笑い飛ばすことは出来なかった。
嫌味でも奢りでもなく、自然とそう言わせるだけの力量の開きが、年齢や人生経験を超えてこの一女子高生と自分たちの間にはあるのだから。
「では、久々に生徒会の務めを果たすか。報告書は後で持ってきてくれ」
そう言って絵草が出て行くのを、二人はややぎこちなく見送った。
「……修学旅行先って、沖縄だったよな。なんで新撰組?」
などと久詠に譲られた土産物を見つつぼやいているうちに、その足音と気配は室外から完全に絶えた。
「……図に乗るんじゃないわよ『裸の王様』がァ!」
その瞬間、久詠は羽織を地面に叩きつけた。
(その『裸の女王様』を図に乗らせたのは、お前らだけどな)
士羽を引きずり下ろさず適当に宥めて手元に置いて絵草の対抗馬として擁していれば、彼女の一強化は防げただろうに。
冷ややかに彼女を見つめながら、
「だいたい言いたいことがあるなら、背後に戻ってきた会長殿に言えよ」
と、言い添える。
「ぅえっ!? い、今のはですね征地さん! つい思わず衝いて出たデタラメというかそういうアレでしてねッ!?」
などと狼狽えながら慌てて向き直る久詠。だが翻した視線の先にあるのは、彼女の去ったきりの扉だった。
「嘘だよ」
あまりにも知れ切ったベタな反応に、仕掛けた大悟も呆れ半分である。
「…………死ねっ!」
怒りと羞恥で真っ赤になりながら久詠はその背を蹴りつけた。
「ふわーぁ」
……直後、間延びした欠伸が後方から聞こえた。
今度こそ久詠は、そして大悟は、四肢を凍りつかせて固まった。
部屋の片隅。
用意されたテーブルの末席の向こう。椅子を並べて寝台に。
その上から起き上がって伸びをした少年は、被っていたフードを剥ぎ取って、瞼を猫のように手の甲で摩る。
「あれ、漫才はもう終わった?」
西棟管理区長、多治比和矢が、いつの間にやら生徒会室に忍び込んでいた。
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(5)
「……貴方、いつからそこに居て聞いてたの」
という問いの無意味さを、久詠自身よく弁えている。
そもそも今この瞬間の叛意を目撃された時点でアウトだ。
久詠の
命までは獲るまいが、それを脅かして緘口を強いることは十分に選択肢に入っている。
「あ、あれれー? なんか顔怖いなー」
それを肌で感じ取ってか、あるいは
険しい顔をする久詠の前で、和矢はワタワタと身振り手振り、最終的にはハンズアップのポーズを取る。
「ね、なんかお互いに勘違いがあるようなんですけど」
「勘違いも何もないわよ」
「こっちのハナシ聞いてくんないかなー?」
「黙れ。話はこっちが握る。貴方が今この瞬間のことを黙っていられるか。イエスかノーか。それだけ答えて誓えば良いだけの話よ。もしこのことを会長ないし多治比に告げ口するつもりなら……」
そう脅しの圧をかけていく。両手を掲げたままに、和矢は息を吐いて天井を見上げた。
次の瞬間、二筋の閃光が和矢の背を抜けて疾った。
あり得ないほどの不規則な軌道を描いて蛇行し、一本は久詠とそのホールダーの中間を牽制するかの如く刺し込まれ、もう一方は久詠の頬をかすめてから壁に突き立つ。
驚愕する久詠は恐る恐る、脇目で自分の顔のすぐ横を見た。
エネルギーの凝縮体が、ナイフの切先のごとき形状を取って、壁を溶かして焼いている。
「だから、落ち着いて……ね」
今まで彼より聞いたことのない低音の声で、和矢は言った。圧を加えられたのは久詠の方だ。
「別におれは、あんたらの身内争いなんて興味ないよ。これは多治比とも関係ない、おれ個人からの申し出」
いったい今の攻撃は、いつから仕込まれ、どこから仕掛けられたのか。その弾道が見えたのは一瞬にして、歴戦の久詠をもってしても皆目見当がつかない。
いや、そもそもはこの西棟の管理区長の戦闘データというものが殆ど存在しない。矢面に立って戦ったことが、あるかないかというほどなのだ。
それゆえ、家名の威を借りたお飾りの区長と思われていたのだが……
しかしながら、彼がホールダーを装着した様子はない。遠隔操作でデバイスが駆動する異音もなかった。
「あんたらが今追ってるカラスさ、おれにとっても色々と引っ掻き回してくれて邪魔なんだよね。だから、切り離してくれるってんなら協力は惜しまない。捕まえたのなら、解剖なり何なりすると良いさ」
「はッ、そんな都合の良い譲歩を信じろって? そうやって横から旨みだけを掻っ攫うのが、多治比の十八番じゃない。今回だって、人に苦労だけ押しつけてそのレギオンを手中に収めるって寸法でしょうよ」
両腕を掲げてみせたまま、和矢は首をすぼめてみせる。
だがその所作はどこか挑発的で、まるで
――お前らは、根本的に、何もわかっちゃいない。
とでも言いたげであった。
「ホントのホントに、おれはあいつの排除だけが目的で、これは多治比の預かり知らないことだよ」
「へぇ、じゃあその多治比とは無関係の和矢くんは何をしてくれるのかしらね」
わずかの間に、和矢は目を伏せた。だがそれも一瞬のこと、すぐに含みを持たせた、曰くありげな笑みを作り直して、扉に視線を流した。
「彼らを」
と言った。
「貸してあげるよ。実力は、すでに承知のとおりだと思うけども。あんたらは場所のセッティングとノイズの除去さえ手伝ってくれたら良い」
そこでようやく、和矢が単独で居眠りしていたわけではないことを久詠は知った。
こちらの不意を打ってきたのは彼自身ではなく、その背後に控えた影だと。
まるで花見の場所取りか合コンの根回しのような気軽さで言ってのける彼は、片腕のみを下ろした。
自然その立ち姿は、今まさに伏兵に斉射を命じる指揮官のような構図となっていた。
「どのみち、お久さんたちにそれほど選択肢も時間もないと思うけれど」
そして、彼女は、主導権も生命も、この若者に握られていることを悟ったのだった。
「……
窮したままに問い返した久詠に対し、和矢は口元はそのままに、困ったように眉尻を下げてみせた。
「あぁ、実はなんか、デカいオマケつきなのよね」
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(6)
放課後、その少年が廊下を歩くと、常に好奇の目が集まる。男子女子を問わずに色めき立つ。
やや外に跳ねた感じの銀髪は青みを帯びた輝きを帯びて秋風になびき、北欧人であることを加味すれば大分に身長にこそ恵まれないが、すらりとしている手足。抜き身の刃か、氷柱のような鋭さと冷たさのある目元を、少女と見まごう中性的な目鼻立ちと、やや丸みを帯びた輪郭が和らげる。
「あんな娘、いた?」
「馬鹿ッ男だよ」
「でも、かわいーかも」
生徒たちは、彼の歩く姿を盗み見ながら、スズメの如く囀る。
「何だったっけ……えーと、そうライカ! ライカ・ステイレット。留学生二年」
「え? アレで二年? 一年生じゃないのか?」
「留学生てことは、新北棟か」
二年前に突如として『消失』した部分を埋め合わせるべく増築された新北棟は、すでに惨劇から立ち直り、無事復興したと対外的にアピールする、という名目のもとに国内外の留学生編入生はここが積極的に受け入れていた。
『王子様の行幸』に居合わせた生徒がそう推察するのは自然の連想と言えた。
だが、一方で教員は違う。
彼らよりももっと巧妙に視線と気配を隠す大人たちは、
「……おい、まだあの『余所者』の素性は掴めないのか?」
「はい……バックにこれといった組織がいるような形跡は認められませんでした」
「となると、正真正銘ただの留学生か?」
などと、善意ならざる語調をもって囁き合う。
そんな彼らに、ライカ少年は、あえて自ら歩を進めた。
「あの、スミマセン」
目元の鋭さでに似合わずおずおずとした調子で尋ねる。
「ホントーの、図書館、探してます。どこにありマスか?」
「本当? ……てああ本棟ね。それだったら、この先をまっすぐだから」
「ありがと、ゴザイマス」
辿々しい言葉遣いとともにお礼を言い、唇を綻ばせて笑みを称えると、異性であろうと同性であろうとはっと胸を詰まらせるような、魔性めいた引力がある。
「あ、あぁ」
渦中の人物自身に不意を突かれたことも相まって、やや動揺を見せる教師たちを後に、ライカは踵を返した。
そして彼は距離が空き、周囲に気配が絶えたところを見計らい、
「――ハッ」
その微笑を、皮肉めいたものへと変える。無垢な道化を演じる己の、茶番じみた振る舞いを嗤った。
「だが、それもここまでだ」
別途設けられた図書館に続く渡り廊下。
その途上の窓の外へと視線を鋭く投げつけ、本邦人よりも余程はっきりした口調とともに、先へと手を伸ばす。
「惨劇の夜より帰ってきたぞ、忌まわしき悪魔……ッ!」
焔の氷像、という矛盾した比喩が似合う、純度の高い鋭く激しい眼差しの先には、真っ直ぐに聳え立つ巨剣の姿があった。
~~~
剣ノ杜学園、その別館たる図書館。
災害の影響か、ボランティアで多くの本が寄贈されたそこは、今となってはジャンル、質を問わず言えば国公立の大学並の蔵書量を誇っている。
人気のあるファッション雑誌や五年前程度のコミック、あるいは感想文や朝読用の手ごろな文庫本などはカウンターの手前付近の目立つコーナーに置かれ、反して洋書など足の遠のくものは奥まったところに陳列されている。
ライカが他に目もくれず向かったのは、その棚である。
そのうちの一冊、彼の指数本分の厚みのあるファンタジー小説を無造作に抜き取ると、それを紐解いて、英語圏内の人たちでも少し苦戦しそうな、固有名詞のオンパレードの文字の羅列に目を落とす。
言わずもがな、この銀髪の少年にも容易に読める代物ではないが、時間潰しと
しばらく立ち読みを続けていると、棚の反対側で軽やかな、だが確実に男のものだと分かる足音が聞こえてきた。
その少年の、足音同様に重苦しさのない顔が棚の、ライカが抜き取った部分のスペースから覗いて来る。
「やぁやぁ」
と、その上級生、多治比和矢は気抜けするような挨拶をした。
ライカは本を閉じてその隙間へ戻した。その西棟の主とのコミュニケーションを拒絶したわけではなく、待ち人こそが彼であり、熱心な読書家を演じる必要がなくなったためだ。
「さっきはありがとね。わざわざ出張ってもらって。あと、ちゃんと紹介してあげられなくてさ」
その辺りの心情もこの昼行燈を気取る男は読んでいたのか、さして気にした風もなく礼を告げる。
「べつに。レスラーやボクサーじゃあるまいし、いちいち名を挙げる必要もないだろ。強いて言うなら、あの『投げナイフ』が挨拶がわりだ」
「あれまぁ頼もしいコト言ってくれちゃって」
「……けど、俺を呼んだってことは状況を動かす。そう考えて良いんだな?」
和矢は、ライカが爪先立ちしてやっとという高さの本を引き抜いて
「まーね」
と言った。
「てことで不本意ではあるとは思うけど、彼女たちに協力して、例のレギオンを捕獲してもらいたい」
「……別にそれは良いが」
「おっ、日本人ぽい曖昧さ。消極的肯定」
からかうような調子で、和矢は言いつつ、
「何か詰まってるモンがあるなら、吐き出しちゃいなよ」
などと促す。
「……その人語を操るというレギオン、俺たちで確保することは出来ないのか」
「うーん、お久さんと約束しちゃったしねー」
「でもっ」
「よしんばアレを捕まえたところで、得るもんは少ないと思うけど。そもそも個人レベルで捕まえてどうすんのさ。拷問なり解剖なりする?」
ライカはぐっと口を引き結んだ。あるいは、道徳倫理観と言ったものを全てナーフしてでも執り行うべきかもしれない。
「そもそも、アレを捕まえたところで君の求めるもんなんか持ってないさ」
「どうして分かる?」
「勘かな」
和矢は、いつになく突き放したような調子で、そう付け足した。棚の向こうにある表情がどう言った種のものなのか、彼には分からない。
「『切り離す』」
「ん?」
「アンタはさっきそう言った。あのレギオンを切り離せればそれで良い、と。……いったい、
棚の向こうの息遣いが、絶えた。
人知れず去ったにではないか。そう勘繰りたくなる程度の静寂の時間が流れて後、
「ライカ」
と姿の見えない少年は言った。
「ニホンゴ、発音もニュアンス聴き取るのも上手くなったねえ」
「アンタからは、色々教わったからな。この複雑怪奇なマイナー言語、ホールダーや『キー』の扱い、それを応用した戦闘技術……そして、腹の探り合いも」
そしてまた沈黙が訪れた。痛みを伴う時の浪費だった。
だがライカはその無言に意味を持たせている。
アンタこそ、手の内も全部曝け出してぶっちゃけるのは今の内だぞ、と。そうであって欲しいと。
――が、ライカは奇妙な浮遊感を足下から覚えた。
ふと気づけば目線はふだんは届かない高みにあって、両腰に圧が加わっている。
要するに、誰ぞに抱えあげられていた。
そしてクラスメイト達ともやや遠めの適当な距離感を維持している自分相手に、そんなことをしでかすのは、ただ一人しかいなかった。
「何してんだ……レイジ」
「え?」
冷ややかに睨まれ、名をぞんざいに呼ばれた男子生徒は、きょとんと眼を丸くしていた。
綿菓子めいた髪の色と造形、ハンサムながらもどこか抜けたような表情とは裏腹に、一九〇センチをゆうに超える体格の持ち主である。ライカをさほど苦でもなさそうに掲げ続けながら、
「いやだって、本棚の前でじっとしてるのが見えたし、またライカさん身長足んなくて届かなかったのかなって」
「んなわけあるかっ、『また』ってなんだ!? 裏にカズヤがいるんだよ!」
手足をばたつかせて逃れようとするも、「こら、危ないから」と、
ホールダーの試運転中に助けて以来、この本棟の二年に妙に懐かれてしまった。まるで聞き分けの無いゴールデンレトリバーにじゃれつかれているかのような、徒労感を押し付けられる羽目になった。
「どうもー」
おかげでお茶も濁され、いつもの軽薄さでもって和矢が棚の裏から顔を出した。
「あッ、どうも先輩!! ちわっす!!」
「ウン、密談中というかそもそも図書館ではお静かにねー」
こういう風に、自分も適当にいなすことが出来たのなら、どれほど楽であったのか。
今までに、そして今日この瞬間に、何度思ったことか。
「まぁ立ち話もなんだしさ、ダベんなら外のカフェ行こうよ」
「はいっ、ゴチになりますっ」
「いや、奢るとは言ってないからね」
そのまま、ぞろぞろと出口へと向かう。
そのまま。嶺児に抱えられたまま。
「…………離せやぁっ!」
ごすん、と音を立てて、ライカの足裏は嶺児の顔面へと叩きつけられた。
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(7)
真紅の外国車が、夜の山道を疾走する。
テールランプが光帯の尾を引いて流れていく様は、まるで獲物を夜求めて飢え走る獣のごとくでもある。
「ハ、あの雌鼠、またぞろウロチョロと這いずり回り始めたか」
男は、車内で嘲弄を浮かべた。
ハンズフリーの携帯からその報告をもたらしたのは、秘書の鈴木。『笑い話』に耳を傾ける男は、手ずからその高級車を操っていた。
もはや日本国内の独立城塞都市と呼んでいい施設の盟主でありながら、その顕職に甘えることはなく、自身で愛車の手綱を握り締めて。
独立独歩の気概でもって、自らの肉体手足を他者に委ねることを良しとしない。
生きるも死ぬも、責任を負うのは己の身一つ。
それこそが彼の……剣ノ杜学園南洋分校長、巌ノ王京猛の侵すべからざる金科玉条であった。
〈そして共闘を持ち掛けたのは、多治比和矢。どうも独立した動きのようですが、さらにその彼が組んだ相手というのが〉
「ライカ・ステイレットか」
〈……驚きました。どうして御存知で?〉
「欺瞞に対する最大の防御こそが、詐欺だ。己が他者を欺いているという後ろめたさ、欺きおおせているという奢り。それこそが、有象無象の眼を曇らせる。好んであの学園に踏み入ろうとする者が、只の異邦人であろうものかよ」
くつくつと、己もまた傲慢にほくそ笑みながら、男は愛車を対向車のいないその道を邁進していく。
「だが別にライカのことを看破したからといって、お前の諜報能力が優れていたというわけではないぜ、鈴木」
〈……は〉
「牙を研ぎ澄ました獣は、もはや獲物を射程に捉えて身を隠す必要性がなくなったというだけのことだ。あるいは隠せなくなる事態が生じ、みずから鬼札を切る決断をしたか……あるいは表舞台に立たせることで、得られるメリットが生じたか」
まったくどうして、本棟の無能どもも楽しませてくれる。
猛は、唇を吊り上げ、湧き上がる皮肉な感情を酷薄に表出させた。
「欺瞞、隠匿韜晦、そして己自身の利益の追求……まったく面白いもんだな。そうした多治比の特性をもっとも色濃く受け継ぐのが、血のつながりのない
――え? と乾いた問い返しが端末越しに狭い車内に響く。
だがそれを無視し、傲然に男はハンドルを切り返した。
「鈴木よ、俺も
と、猛は宣った。
ただし、いずれに味方するか、言及することはなかった。
その時になってみなければ、未来の彼自身でなければ、その答えは知り得ぬことであったからだ。
鬼と対せば組み合い、龍と逢わば殺し合う。
より勁き者と。
より烈しき者と。
より誇り高き生命へと。
衝動的な、だが決して褪せることのない貪欲な闘争の追求こそが、彼の求道であった。
猛はアクセルを強く踏み占める。
彼の昂る野生と野心に呼応するかのごとく、その愛車もまた、高らかにうなりをあげて勢いづいた。
――が、そのすぐ目の前はガードレールであった。
「なにっ」
曲がる、という概念が消え失せたかのように、直進、急加速する車はカーブに激突する。
何者にも縛られない男は、シートベルトにも縛られることを厭うていた。そしてついには、地球の重力にさえも叛逆した。
フロントガラスを突き破って外へと放り出された彼の身体は、いかな理によるものか直立の姿勢であった。
硝子に傷をつけられおびただしく出血したその巨躯が、斜に傾けられたままに、そしてにわかな衝撃によって白目を剥いたままに、坂を転落し、滑落し、やがて闇の森林へと呑み込まれていった。
〈あ、灘お坊ちゃまですか? 鈴木です。お父上が再入院なされました〉
「なんで!?」
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(8)
その日の放課後、歩夢と鳴と、そしてレンリは
どこかひりつく空気が、どこか郷愁じみた懐かしささえ感じさせる。
「……こちら鳴。なんか、ここにちゃんと来るのずいぶん久しぶりな気がするな。メイド喫茶帰りに雪国に放り出されたり、南洋のゴタゴタに巻き込まれたり、ロクに行けてなかったから」
校舎屋上にて鳴がそう語る相手は、歩夢たちではない。
相も変わらず
「けど、一通りぐるっと見回ったけど、人っ気もレギオンの影もねーよ? ホントのネタなんだろーな? 新北棟の留学生がここに紛れ込んだって」
〈たしかに一人踏み入ったところまでは確認できていますし、捜索依頼自体も生徒会自体から出ています……が、何故それを自身で実行せず、こちらにわざわざ話を寄越すのか〉
士羽はそう訊いてきたが、鳴へ意見を求めたわけではなく、自問の独語に近い。
「まーたナワバリ争いのゴタゴタじゃねーの?」
しかし聞いた以上は返さざるを得ない、という律儀さのもとに、鳴は私見を述べた。が、
聞いてはいるだろうが、彼女の凡庸な答えはわざわざ取り上げるほどの価値はなかった、もしくはとうに思いつく程度のものだったのだろう。
誰に見せるでもない苦笑を称える鳴に、士羽はさらに問うた。
〈で、そちらに動きは?〉
「だから無いって」
〈留学生の件じゃありません。あの鳥のことですよ。歩夢にも言いましたが、ここのところ行動に不審な点が多い。今に始まったことではないにせよ、警戒は解かないように〉
「……そんなに気になるなら、自分から寄って、聞いて、確かめれば良いだろうが。『事態の現状を知るには、現地調査が一番』なんだろ?」
軽い沈黙の時間のあと、トーンの低い、士羽の確認が飛んできた。
〈……その言葉、どこで?〉
「ん、言ったのお前じゃなかったっけか? 悪い、つい最近どっかで聞いた気がしてな。でも、それがどうかしたか?」
〈別に。とにかく内外への警戒を怠らないでください〉
そう口早に念押しされて後、通信は絶えた。
「……他人の詮索には熱心なくせに、自分のことは言わねーのな」
口に中で酸く苦く呟いたが、言われた通りに歩夢らの方へと何となしに視線を注ぐ。
「どーしたもんかね」
鳴の眼下の一区画。
校舎の中心地、『黒き園』。
そこに士羽がご執心のペアが歩哨に立っている。
〜〜〜
その巨剣は、久々に見ても衰えることのない力を奔流を発揮していた。
全容が見えないからこそ、至近で見ればこそ、大地に食い込む強さと深さが解ってしまう。
その妖光は、寄れば肌が炙られるような熱さではなく、内の芯より焼かれる類のものだ。
一個人との圧倒的なエネルギーの出力差、否物体としての格差に打ちのめされる。
だが、この力だ。
この光輝が、この熱が、今の自分には必要なのだ。
「――危ないっ!!」
『上帝剣』へと差し伸ばされた歩夢の腕に、レンリが飛びついた。必死に引き戻そうとするその力は尋常ならざるもので、バランスを軽く崩すかたちで、少女は魔巨剣と距離を取った。その拍子に、カラスもまた地面に尻もちをついた。
「だから、それに触れるなって言ってるだろ! 本当は、接近することさえも危険なんだ! いくら……っ」
そう言いさしたレンリは、緩慢に自身を振り返った歩夢の手に握られた棒を認め、ハッと息を呑んだ。碧眼を瞠った。
「お……お前!」
否……棒と言うよりかは、そこらで拾ったと思しき、小枝であった。
その先端で刺し貫いたのは、紫色の外皮に包まれた、小ぶりながら長細い物体。サツマイモであった。
「……『上帝剣』で焼き芋するんじゃありません!!」
レンリはそう叱りつけた。
「いや、なんかお腹空いちゃったしイケるかなって、秋だし」
「季節関係あるかァ! というか学校に芋持ち込みってどういうシチュエーション想定しての備えなんだよ!?」
歩夢に鋭くツッコミを入れて後、カラスはゼーハーと息を整える。それでもなお言い足りないらしく、
「だいたい、そんなんで焼けるわけないだろ。よしんば焚き火でも直火で熱が通るかよ」
と、掠れた声で付け足した。
「でも、色変わったよ」
「え?」
枝から引き抜いた芋を、歩夢は披露した。
「虹色に」
「Gaming sweet potato!?」
歩夢の誇張ない表現通り、燦然と色彩豊かに煌めく芋を前に、レンリは愕然として声を張った。
やたらねっとりしたイントネーションで。
「ウッソだろ……こんなことがあっていいのか……」
「焼け頃なのかな」
「口にするなよ、絶対!」
釘を刺される歩夢は、
「で?」
と、レインボーポテトを片手に尋ねた。
「触れたら、やっぱなんかあるの? アレ」
「……なんでって、見るからに触れちゃいけないもんだろ、あれ」
レンリは返した。だが、答えも視線も、どこかはぐらかされている感触がある。
そのことを多分に自覚しているのか、気まずそうにクチバシの先をかち鳴らし、ややあってから声を低めて言った。
「お前から見ても、俺のことをウソつきだと思うか? その正体が気になるのか?」
「……正直」
歩夢はそれこそ焚火を前にするかのように、膝を抱えて放置していた学生カバンを手繰り寄せた。
「あんたの正体について考えたことは、一度や二度ならず、あるよ。私なりに」
そう言って、おもむろにカバンの中から授業に用いるリーフレットを取り出した。
【レンリ、実はペンギン説濃厚! ~北棟や冷蔵庫に入れても平気な理由~】
【レンリ、亡霊説 ~アピールしてください~】
【レンリ、Vtuberで決定! ~同情するならスパチャくれ!~】
【レンリ、手塚作品の倒錯したファンだった! ~奇子で抜いた~】
【レンリ、自動追跡型スタンドだった!? ~スタンド名はビッグティトチェイサー~】
【レンリ、上弦の零で確定か ~劇場版で待ってるぜ!~】
【レンリ、ほら、あのマイクラの……なんか緑の、爆発するヤツ】
【レンリ、そもそも存在しない! ~それは貴方の勘違いじゃないでしょうか~】
「とか」
「すごい数の俺のクソコラが量産されている!」
ページごとに張り出された種子様々なコラージュ。それらを閉じて再びしまい直しながら、歩夢は息を溜めて吐いた。
「一生懸命、思いつく限りは考察した。けど、納得いく答えは出なかった」
「いや、割と最初から飽きてたよな!? というか、確定翻り過ぎだし、そもそもその案の時点でアヤフヤなのあるしっ!?」
「だから別に良いよ、言いたくないなら。聞いたって、教えてくれないだろうし」
「……っ、そんなことは」
じゃれあいのようなおふざけムードからシームレスに一転。言いさして、レンリは再びクチバシをつぐむ。目線を歩夢から外す。それを打ち明けることは、彼にとってよほどの蛮行なのだろう。ともすれば互いに傷つき、この関わりが破綻するほどの。
どこぞの引きこもりのように、それを無神経に暴くことは、さすがの歩夢にもためらわれた。
(そもそも、知りたい訳ない)
知りたい訳ではない。しかし、己の内に問いかける。
士羽が勘繰ったように、本当は知っているんじゃないか? 知ってたんじゃないのか?
我ながら的外れでしかないような考察ばかり思いつくのは、己の内にすでにある答えに、無意識下にセーフティをかけているためではないか……と。
「いつか」
顔を上げて
「ちゃんとそういう時が来たら、ハナシをするから」
あぁ、
その『いつか』というのは、自発的には決してやって来ない。
父親……を演じていた男もそうだった。母が『いつか』誤解が歩夢を迎えに来ると言い含めておいて、自分自身がついには逃げ出した。
そういう
「――いや、今聞いておきたいんだがな」
声がした。
歩夢自身の心の声が漏れてきたわけではない。
少女とも少年とも取れる麗しい侵入者が、地面の木の葉を踏み鳴らして寄ってくる。
白銀の髪を沈み切らない陽光に照らし、颯爽と新風を孕ませ、靡かせて。
華奢な体躯が足早に進む姿は、ケーキか何かにナイフを切り込ませるのに似ている。
「どうせ、お前らにその『いつか』は訪れないんだからな」
その異邦人は、レンリに指を突きつけて冷ややかに宣告した。
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(9)
的場鳴からも、その銀髪の侵入者が目視で確認できた。
「あれか……例の迷子って? けどあれは」
眼下の少年が握りしめているのはストロングホールダー。対峙する歩夢らに投げかけるのは迷いない、ナイフの質感の眼差し。
「……イノか? 留学生を見つけたんだが、ヘンな塩梅だ。あいつ、もう『キー』のユーザーで……」
鳴が士羽にふたたび連絡をつけるのに、躊躇いはなかった。
だが『偵察兵』の鍵を差し入れたホールダーからは通信の途中、ノイズが奔る。
あちら側からの状況の仔細を求める、音声の断片らしきものは拾えていたが、それも程なくして聞こえなくなった。
……異変は歩夢たちだけに限った話ではない。あからさまに、誰かしらからの妨害を受けている。
というよりも、『委員会』からの委託それ自体が罠である可能性が高くなってきた。
それと入れ替わるように、屋上に青年がひとり、乗り込んできた。
校舎に通じるその戸口から侵入したこの男子生徒は、一九〇はゆうにある長躯を利用するかのように身を置き、そのまま封鎖してきた。
そして心底より申し訳なさそうに眉を下げて、気弱げに笑いながら
「悪い、あの娘らや維ノ里さんとは合流させられない」
……しかして確固たる口調で、長矛のホールダーで足場のタイルを突いた。
~~~
「……誰だ、お前ら」
「誰、あんた」
異口同意。鳴と歩夢はそれぞれの対峙者を誰何した。
歩夢の側からも、屋上で張っていた鳴が長身の少年と向かい合うという、類似したシチュエーションの最中であることは見て取れていた。それすなわち、何者かに嵌められたのだということもすでに承知している。
先んじて傲然と返してきたのは、銀髪の少年だった。
「答えるまでもない。これから敗れる連中にはな」
答えはしたが名乗らずじまいのまま、少年は手の軛に似た鉄器をちらつかせた。
鳴と同じCNタイプのホールダー。それで不意を打つことも出来たはずだがあえてしなかった。
フェアプレイを重んじる、というタイプでもないだろう。正攻法でそちらを打倒してみせるという、絶対的な自信の顕れ。それこそが何よりも雄弁な自己紹介だと言わんばかりの。
――そして、裏で糸を引いている人間どころか自分の出自さえ得意げには吹聴しないという、堅牢な意志がためか。
「ライカさん、おーい、ライカさーんッ」
……が、彼自身がいかにそれを貫いたところで、相方が無邪気にあっさり開示しては、元も子もない。
というか、シリアスにカッコつけてこの顛末なのだから、赤っ恥もいいところである。
「彼女、足止めしてれば良いんだよね? ライカさーん」
憮然として固まるライカ少年をよそに、手すりから身を乗り出して庭におおらかに声を伸ばしてかける。
丁寧に三度目の名を呼ばれたあたりで、くわっと目を見開いて顔を赤くして、ライカは頭上のバディを睨み上げた。
「今の俺の受け答えはなんだったんだよ!? 余計な茶々入れるんじゃないよッ」
「いや別に茶々入れる気ないんだけどさぁー? やっぱ名前ぐらいはハッキリさせとかないと、オレとさえもコンタクト取りづらくない?」
「勝手についてきといてコンタクトとか取る気なんて毛頭あるか、このバカッ! 手伝う気あるなら黙ってソイツ足止めしてろ!」
何やら漫才めいた小馴れた感じの応酬の後、銀髪のライカは太刀筋めいた身の切り返しで改めて歩夢らと向き直った。
「……で、何の用? 『ライカさん』」
「知れたことだろ。そのカラスを渡せ。そうすれば無事にここから返してやる」
「またかいな」
どうやら彼の雇い主も、『旧北棟』で南部真月を指嗾した人物か、もしくはそれに類する派閥であるらしい。
「人気だね」
歩夢は、傍らのレンリに揶揄を投げかけた。
だが、いつものような軽口は返ってこない。いや、異変の兆しはすでにこの異邦人が出現してからあった。それが顕著になったのは、ライカの名が上から落ちて来た時であった。
「ライカ・ステイレット」
と、じっと少年を凝視したまま、いつになく硬い口調でレンリは言った。
「馬鹿な、なんでお前……
その問いかけの意味するところを、歩夢は知らない。ライカもまた、怪訝そうに眉をひそめていた。
だが、その眼差しはますます険しい、堅固で冷たいものになっていく。
「……俺はお前なんて知らない。だからこそ、俄然お前の正体に興味が涌いてきた。どうしてお前は俺のフルネームも、そして生死を彷徨う目に遭ったことを知っている?」
問い返されたレンリは、歩夢や士羽に追及された時よりも露骨に、黙秘を貫いていた。
そして元よりライカも答えてくれるとは期待していなかったらしい。
「まぁいずれにしても、俺のやることに変わりはない」
などとうそぶきつつ、キーとそして、見覚えのあるU字型のデバイスを取り出した。
『ユニオン・ユニット』。澤城灘の持っていた、あの『キー』を並列処理、展開する強化モジュールだ。紫をベースとしたカラーリング、微細な意匠こそ異なるが、その披瀝自体がなおさらに、レンリの驚愕と動揺とを大きくしていく。
〈リベリオン〉
〈ダガー〉
次いで取り出したのは、二本の鍵剣。
色は紫紺と銀。取り付けられた装飾は、二筋の交差する矢印のものと、単純明快に短刀のごときもの。
それを左右に差し込まれたユニットを、さらにホールダーへと弾倉のごとくに装填。
〈
「共同戦線、白兵革命2.20」
抑揚のないコードの読み上げとともに、指先に懸けたホールダーのトリガーを押し込む。
瞬間、中央の射出口から閃光が迸る。
白い輝きが直線を描いて拡散して後、中央で収束して諸刃となり、紫の妖光は伸びる蛇か腕のような放物線で空を引き裂く。刃を絡め取って、何重にも絡みつく不気味な刻印となる。
そして
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(10)
白刃の閃き、紫紺の妖光。
だが、歩夢はその新種のニ光にも、いささかの動揺を見せてはいなかった。
未知の敵と相対した彼女の手にも、それに抗するかの如く、同量の輝きが存在していた。
「それは……っ!?」
ライカは愕然と呟いた。
瞠られた美少年の瞳に映り込んだもの。
それは、虹色の彩を放つ、紫芋であった。
「主張が激しい芋だな! こっちは真面目な話してんだよ!?」
「いや、そうは言われても」
処遇に困っているのは歩夢も同じで、ちょうどそこに来襲してきたのがこの外人だ。咎められる謂れはない。
さてどうしたものかと芋の腹を指で突いてみるとその接点から光輝は一際大きなものとなった。
やがてそれが一点に収束すると。現れたのは、一本の濃緑の鍵である。
「あ、『ユニット・キー』出たよ」
「Gaming sweet potato!?」
「なんか光ってたのってレギオン化っぽいしそれで抽出できたんじゃない?」
「Gaming sweet potato!?」
「なんか芋戻ったし」
「Gaming sweet potato!」
「気に入ったの、それ?」
歩夢たちの前方から、「おい……おい!」という呼びかけと、わざとらしい咳払いが聞こえてくる。
それほど忍耐に許容量がある方ではないらしい。苛立たしげにガラス質の眼を釣り上げる。
「いつもか、いつもこんな調子なのかお前ら!?」
などと問われれば、
「まぁ概ね」
と答えるよりほかない。
それが少年に対してどれほどの心理効果を発揮したかは、表情を見れば何となくわかる。
少なくとも、お互いにとって喜ばしいことではなさそうだった。
「……あぁ、そうかよ。よーっく、わかった」
額にそっと手を当てて呻くように言ったライカは、そのまま銃口を、切っ先を、歩夢たちへ向けた。
紫紺の絡む白刃がホールダーから離れて射出される。
だがそれは、天空より飛来して来た歩夢のストロングホールダーの挺身によって妨げられ、鉄の鳥はその衝撃を利用した旋回とともに、歩夢の腰へと張り付いた。
〈軽歩兵〉
〈ドルイド〉
最初の駒と最新の駒。それらを組み合わせて挿入した歩夢を見ても、美少年の表情に揺らぎも淀みもない。
「そんなおふざけが出来ないよう、ここからは本気でやらせてもらう」
掌中のデバイス。その同じ部位によって再形成された刃を突きつけて銀色の狼は静かに吼える。
~~~
ようやく戦闘らしいムードになった眼下の様子を、鳴は半ば呆れながら見届けていた。
「相も変わらず緊張感のない連中だな」
ぼやいた視線の先に、まだ手すりから身を乗り出した長身の少年がいる。
「あいつとあんたとかち合ってたら、案外意気投合してたかもな」
「かもね」
と答えた後、その自身の呟きに納得しかねたように、首を捻った。
「……ん? いやいや、それだったらライカさん目的果たせないからダメじゃないかな? ぼらアレ……なんだっけ。年末どうのこうのって」
「本末転倒か?」
「そうそれ! よく分かったねぇ」
何とも気抜けするような相手である。
その体躯と純朴な性格、そしてご主人が俗世離れした容姿の魔少年であることも相まって、何やらファンタジーの巨人かゴーレムめいた雰囲気を醸していた。
(だが)
鳴がそれとなく擦り足で身を移そうとすれば、扉の手前に陣取ったままの身体の向きを合わせて推移させる。
決して愚鈍ではなかった。
「どけよ」
ストレートに脅しをかけても、当然の如く動かない。
手を腹の前で交差したまま、だが指先は相当に修練を積んだであろう慣れた手つきで、握る鋒矢に灰色の鍵をねじ込む。
その尾飾りの四つの山峰が、だらりと揺れた。
「ごめん、無理」
にべもなく言ってのけた手元で、『キー』を読み取ったホールダーは重低音で、
〈ジャンダルム〉
と名乗り上げた。
「ちなみにこの『無理』ってのは、詫びというよりかは……君が、オレを抜くことが
いくらか声のトーンを落として大きく振った切っ先のあたりに、白く層の厚い雲霧が漂う。
その人工雲こそが、少年の人造レギオンと言ったところなのだろう。
「意外と言葉が強いな」
と感心をしてみせる鳴もしかし、そのホールダーにはちゃっかりと『軽射手』の鍵がセットされていた。
そして髪をかき上げる仕草をブラフに、そのままシームレスに矢を放った。
不意打ちの一発。だが敵の打倒が目的ではない。それで生じた隙に我が身をねじ込み、そのまま扉を突破。これが狙い。
しかし少年の長躯は身じろぎしなかった。一切の回避行動を取らず、自身の正中へ急進する光矢を瞬くもせず見つめる。
代わり、動いたのは雲である。
軟体生物の捕食のように、一部が伸び上がるや、その弾道の前に立ちはだかり、そして矢を呑んだ。
貫通はせず、呑まれたきりである。代わり、光芒めいたものがその雲の中で幾度となく濃淡明滅をくり返して閃いていく。
動揺しつつ、経験に馴らした鳴の指は二の矢、三の矢をつまびく。
軌道にわずかに変化や緩急をつけながら加えた射撃はしかし、そのいずれをも上回るスピードで雲が捉える。
その反応速度は、人間の知覚できる範疇を超えている。おそらくはあのキーの特性は、全自動による全方面防御。
少年自身は石突きで屋上のタイルを叩いて仁王立ち。不動の構えである。
「どうした? 防戦できても攻めは出来ないってか?」
力技で押し通れない、と判断し挑発による心理的揺さぶりに転ずる。
だがそれにも泰然と彼は微笑んでいる。
「山は、何者をも傷つけない」
と意味深な言葉を紡ぎつつ、
「山に死神がいるとすれば、それはいつだって人間自身の過ちによるものだ」
などと宣う。
転瞬、視界を何かが掠め、脇腹を貫いていった。
ついで二度、三度……自分が射放った分だけの光矢が、同じ色彩、同じ速度をもって返って来る。
鳴は一発は打ち落とした。二度目は弓弦を引き切れずにホールダーの本体で弾いて起動を反らした。
凌ぎ切って、ワンテンポ遅れてじんわりとした痛みが腹部を苛んだ。
もちろん皮膜のごとき防壁は働いているが、それでも相殺し切れぬほどの直撃を初手で喰らった。内出血を起こしているようなうすら寒さもあった。
鳴は、脳裏に描かれた言葉をわずかに修正した。
すなわち、全自動防御ではなく、全自動反射。
ただ攻撃を呑むばかりでなく、谺のごとくそれを返す。
(いつ以来だ? 被弾したの)
鳴は自分の力量や身の程をよく弁えている。自力でグレード3以上に到達するような才覚者たちとは程遠い。だが、それでも凡人なりに、
苦笑しつつ、後ずさる。
それを追わず、優しさ憐れみさえ伴った眼差しで、少年は
「悪いとは思うんだけど、仕事だからさ。諦めてくれ」
と、加圧してくる。
「そーだな……たぶん、真っ当にやっても勝てないんだろうな」
少年は動いていないにも関わらず、知れず手すりに寄りかかる体勢にまで鳴は追い詰められていた。
「うん、認めるわ。それは」
鳴は自分の内で、くり返す。
身の程は、弁える。
敵の打倒が目的では、ない。
鳴は添わせた手すりに力を込めて飛び上がる。
そして、片腹を抱えるようなかたちで、ひらりと屋上から飛び降りた。
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(11)
躊躇の様子なく、的場鳴が我が身をさくっと放り出したのを、嶺児は茫然と見送った。
パチパチと目を瞬かせて、何秒間かのフリーズの後、
「うええぇえぇ!?」
という頓狂な声を上げて柵に駆け寄る。
だがその眼下には何者も影もない。自殺を図った少女の身柄もしくは遺体など、どこにもなかった。
「た、大変だァライカさん!! 女の子が、飛び降りて、でもなんかいなくてッ」
嶺児の言語能力と心理的現状においては、そう説明するのが精一杯であった。
ターゲットと絶賛戦闘中の相棒から返ってきたのは、
「アホーーーーーッッ!!」
……という、ダイレクトにしてダイナミックな罵声。
「忘れたのかお前!? ここがどういう場所なのか!」
〜〜〜
旧校舎。『黒き園』。
この世ならざる、森羅万象の理から外れた
扉の向こうに部屋があるとは限らず、屋上より身を投げても正しく地上に落下とは限らない。
常識の通用しない魔境において頼りになるのは、自分自身の経験と記憶力である。
(やっぱり連中はその辺りの土地勘がない素人だ)
旧視聴覚室の通気口を蹴破る形で着地した鳴は、足を止めずに廊下へと躍り出た。
回り道ではあるが、中庭へ通じる道を彼女は知識として知っている。
問題は、何故そんなこの空間で見覚えのない新参者が、能力からして高ランクのキーを所持しているかである。
だが、その思索と逃走は、前方の曲がり角の死角からの襲撃によって遮られた。
突き出た直剣の切先を言葉通りの寸毫の間で躱す。自身の防壁と太刀筋との摩擦が、火花を散らす。
咄嗟に瞼を伏せて地面を転びながらも、鳴は次の瞬間には受け身を取った腕一本で身を起こして一帯を刮目した。
少し開けたあたりの踊り場。
そこに、重厚な装甲を持つ戦士たちが十体ほどひしめいている。
中には変わり種もいて、パラボラアンテナを頭部に持つ者も奥まったスペースで遠巻きに蠢いている。
「こいつら、典子の時と同じ……いや」
彼らの内には人の意思やそれをエネルギーとする猛々しさは感じない。感情のない鉄人形……鍵そのものを媒体とする自動操縦型の人造レギオン。
つまり敵はふたりの少年のみではなかったということになる。
「おいおいイノ……あたしら、一体誰にケンカ売ったんだよ?」
通信が妨害されていることを承知で、この場にいない少女に鳴は嘆いた。
〜〜〜
ニコンの双眼鏡で眺望すれば、向かいの棟に悪戦苦闘の的場鳴の飛び跳ねる姿が見えた。
「……虎の子の『ユニット・キー』、維ノ里の使い走りごときに使うのは癪なんだけど」
自身の手駒を遠隔操作し、鳴を質と量の両面で圧迫していくも、賀来久詠の口ぶりには不満がありありと浮かび上がっていた。
「まぁまぁまぁ。デカイものを手に入れたきゃ、デカく投機しないとね」
いかにも多治比の人間らしい物言いとともに、身を寄せてくる和矢を白眼視しつつ、距離を取り直す。
「じゃあ貴方も投機とやらをしなさい」
「はーい」
無邪気に返事をしつつ、彼は自らの後方に控える軽量バイク型のホールダー達に向かって、砲塔の飾りを持つ数本のホールダーを投げつけた。
〈
腹に響く重低音とともに、車輪をそのままにバイクたちの上体が変化する。
ハンドルが組直されて、砲身へと変形する。
「それじゃあ足止めよろしくねー」
緩い感じで自走砲たちを送り出した和矢。その横顔を盗み見つつ、久詠はあえて皮肉っぽく言ってみた。
「足止めが万全でも、あの少年が破られれば破算なんだけど、もしそうなった場合の補償はどうしてくれるのかしらね。それとも、トドメは譲ってくれるってこと?」
「お久さん的には、極力姿見せない方が良いでしょ。あ、だからおれをそうやって煽って更なる手の内晒させよーってのか」
和矢はサラリと言い当てた。
「んでもって、おれと彼女らを共倒れにさせて、陰謀に絡んでて他にも色々訳知りのヤツも本命も一網打尽ってわけかね」
「まっさか。考え過ぎよ」
久詠はそう言って一笑に伏したが、
(可愛げのないガキ)
内心では思い切り舌打ちしたのは言うまでもない。
「心配しなくとも、ライカはそうは負けないよ。そんなヤワな子に育てちゃいない」
本気か冗談か、親めいた目線で和矢は言うが、久詠はブラフではなく、力量不足ではないかと思った。
威勢の良かったのは最初だけ。
速攻は大したものだが、いかんせん攻撃が直線的に過ぎる。飛ばす
(いや、それにしても足利の順応が異様に速い、というのもあるが)
その足捌きにも余裕が出てきた辺りで、
〈コサック〉
歩夢は自身の駒鍵を換装した。
(一気にケリをつけるつもりか)
彼女が新たに手にしたドルイドの駒の効果か。銃型デバイスで撃ちまくって作った方々の弾痕から、蔦が伸び上がって少年の四肢を絡め取った。
〈コサック・ジェネラルフロストチャージ〉
銃口が氷気を帯びていくのが、遠目からも見て取れる。
無造作に、容赦なくトリガーを引いた少女の手元から、凍気の塊が放たれて、身動きの取れない矮躯に直撃した。
その戦術はシンプルながらも抜かりはない。油断もない。逡巡もない。普通ならばこれで片がつくはずだ。
だが、和矢は加勢に入るどころか、眉一つ動かす様子を見せなかった。
そうして彼が傍観している間に、少年のいたあたりに散った氷霧が薄れていった。
しかしそれが晴れていくと同時に、内に潜んでいく影が濃く浮き彫りにされる。輪郭がはっきりとして霧中の内で様子がはっきりしていくと、歩夢の鉄面皮にも少なからぬ動揺が顕れ、そして目が見開かれた。
ライカは冷気の幕を破って、地に足をつけた。
なんてことも無さそうに、否。
周囲に散ったエネルギーの残滓を彼のホールダーから伸びる紫の魔手が絡め取る。そして白刃へと取り込むと、その輝度を増していく。
無意識かそうでないのか。半歩退いた歩夢を追って、銀髪の美少年はまだ自身に弱々しく絡め取る蔦を振り解いて地を踏んだ。
次いで繰り出されたカウンターは、その反射神経、射速、手数威力、全てが先とは較べものにはならなかった。
「革命の刃は、敵が熾烈であるほどに長く鋭く研ぎ澄まされる」
思わせぶりなことを、久詠の横で和矢は言った。
「『リベリオン』の特性だよ。あれは、敵の『ユニット・キー』のエネルギーの飛沫を取り込んでその性能を向上させていく。つまり敵が強大であるほどに、戦闘が激化し持続するほどに、強くなっていく」
なるほど、と久詠は口の中で呟いた。
だが彼女の見立てるところ、一転して優位に立てたのはそれだけではなかった。内心で指摘していたところの、緩急や変化を攻撃に持たせ始めつつある。
おそらく先の単調な攻撃は歩夢の攻めを誘発するための、餌。
しかし奇妙なのはもう一つある。
そのことに、あの助言者のカラスがアドバイスしていないのがおかしい。久詠の目撃した先の二度の戦闘でも、彼は歩夢を節介なほどに補佐していたではないか。
(そう言えば、あいつ戦う前になんか叫んでたけど)
心なしか彼は、その時の動揺から立て直し切れていないように見えた。
そのことには言及せず、だが確かに沈黙を守るカラスを冷視して和矢は、
「読めなかったろ、あんたにこれは」
と、いつになく低い声で言った。
その横顔にはありありと侮蔑と嫌悪が見て取れた。
だが、久詠の意識は少年が逆手に武器を持ち替えたことによってそちらへと戻った。
彼の身体から不自然な強張りが抜け、すっと自然な構えを取る。おそらくはそれこそが本来のスタイル。
今度は逆に、ライカが詰めの一手に出る気だろう。
だが強襲は、彼と彼女の中間地点、その横合いよりの破砕音によって留められた。
「まさか……的場鳴がもう!?」
と危惧した久詠ではあったが、ぶち破られた校舎の壁の隙間、生じた土煙の中より現れたシルエットが、屈強な男のそれであったことが彼女をより当惑させた。
「ったく、あのおっさんの頼みはいつも唐突で無茶苦茶だな!」
久詠たちの耳朶をも震わせる、雷のごとき剛声威勢。
着崩した詰襟の制服の下の、焼けた肌は秋になっても容易にその色素が抜け切らない。
誰ぞの無茶を非難する口ぶりであったが、彼の方こそが登場からして破天荒そのもの。
こんな特徴的な男子は、バラエティ豊かな学校関係者の内でもそうはいない。少なくとも、その豪放な気質から、
「とりあえず、参加枠はまだ埋まっていないようで何よりだッ」
……手斧に変形したホールダー引っ提げ南洋分校の管理区長代行、縞宮舵渡、ウハハハという快笑とともに参戦。
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(12)
巣穴から飛び出て来た荒くれ者の登場に、さしもの歩夢も困惑した。
「なんだってこんな時に……」
とぼやく一方で、傍らのレンリに目を向け、言葉を傾ける。
「どうすんの、この状況?」
しかしいつもは口やかましいカラスは、その碧眼を泳がせたままにまともに言葉も操れない状態のままだ。本人はいたって平常心を取り繕っている、もしくはそのつもりなのだろうが、あのライセという少年が現れてから明確に挙動不審になっている。
(この状況、自分でなんとかするしかないっての?)
と面倒がった矢先、眼前で縞宮舵渡は元は植樹だったらしい針葉樹の幹を武器で削った。
木片が赤い発光を帯びて鎹の形状を盗り、歩夢の顔の横を高速で過った。
「ぐっ……!」
その凹みの部分にちょうどレンリの首筋が納まって、勢いに押されて壁へと叩きつけられ、標本の虫のように縫い付けられる。
「悪いな、お嬢。別段俺様はお前さんの味方ってわけでもなくてな。むしろ、鳥を回収して本校への牽制に使わせろとのお達しだ」
などと嘯きつつ、転じてその
「というわけで、お前もお前で諦めてもらおうか」
対する銀髪の少年の反応は、冷ややかだった。
「ハイエナ風情が、吼えるなよ」
蔑むがごとく目を眇めつつ、手は淀みなくキーを入れ替えていく。
〈
『ダガー』の代わりに、三筋の稲妻のエンブレムを持つ鍵が装填される。
「共同戦線、神速反攻3.30……何人沸いて出ようと、俺には無意味なことだ」
低く呟くとともにホールダーの引き金を絞ると、中央に伸びていた白刃が爆ぜ飛んだ。周囲にエネルギーの粒子と化したそれが四散した。シャワーのように少年の痩躯に浴びせかけられ、紫電となって纏われた。
ダガーという宿主を喪った紫の腕は、そのまま少年の四肢を制服の袖口やスラックスの裾を絡め取って縫いついた。
刹那、一秒たりとも外していなかった視界から、ライカの姿が消えた。
刹那、歩夢の体は横合いから痛打された。肺から酸素が絞り出され、臓腑が痛みで一時的な機能不全に陥り、身体がきしむ。独りでに首が傾く。
数秒、その速攻で意識を手放していたかもしれない。
わずかに垣間見得たのは、視界の端に映る雷光の尾。そして場数の差か、それをきっちりと防いでのける縞宮の姿。
だが彼が踏みとどまっている合間に、自分たちの隙をすり抜けた
ちょうど都合よく拘束された彼へと手を伸ばす。歩夢は声をあげようとしたが、もはやそれすらも一手遅い。
が、その手は青い何物かに防ぎ止められた。
……あ? という感じに眉をひそめたライカを、直線的な刺突が襲う。鋒先の直撃に、彼の纏っていた電光が散る。
「これは……予想以上に混沌とした状況だな」
と独語して割り込んできたのは、トルコブルーの長鋒を手にしたメガネの少年。
澤城灘であった。
彼は唖然とするレンリの拘束を一閃で斬り外し、落下するカラスをキャッチすると、立ち上がりかけの歩夢の手元に投げて寄越した。
「……それに、あのデバイスは」
と、かつての自分も使用していた、ライカの武器の補助装置に目を凝らしつつ。
「よう、澤城の」
と、すでに体勢を立て直している縞宮は同校生に声をかけて、ぞんざいな手つきでホールダーを傾けた。
「なーにトチ狂ってこんなとこまでしゃしゃり出てきやがったんだ? また頭の具合でもおかしくなっちまったか!?」
「それはこっちにセリフですよ、先輩」
それとなくライカと縞宮を牽制する立場に身を移しつつ、灘は言った。
「あのクソ親父、また懲りずに本校にちょっかい出そうとして入院したって鈴木さんから聞いて。けどどうせ誰か別の人間を差し向けるとは踏んだんで来たんですけど……あんな男に良いようにアゴで使われて管理区長代行として恥ずかしくないんですか?」
「管理区長代行、相当……肩書きだけは御大層なんだが、まぁ雇われ店長が良いとこよ。オーナー様の意向にはよっぽどじゃない限りは逆らえねぇさ。お前こそ、こないだ奢ってやったろ?」
「ぐ……それを言われると中々に辛い立場ですけど」
(世知辛いやら情けないやら)
灘の揺らぎを見越してのものか。縞宮は校舎の壁をホールダーで殴りつけた。コンクリート片が短槍となって、灘の喉首を狙う。
だがその弾道上で、火球がそれを迎撃し、落下させた。
その出処を辿れば、灘の鋒。その刃の付け根に抱きつく、鉄甲船とも鰐ともつかぬ半生物の口腔からであった。
「でも、これは干犯も良いところだ。だから僕が貴方と親父を止める」
口調は気弱ながらもハッキリと表明し、地に足をしっかり着けて鋒を構えた。
「足利さんにも借りがあるからね。ここは僕に任せて、君らは早く離脱した方がいい」
「こないだもらったブルボンのアソートで返したつもりだと思った」
「……別に、菓子折り一つでチャラに出来たとは思ってないよ」
「まぁ、ありがとう」
自分でも驚くほど、いつになく殊勝に歩夢は礼を述べた。と言うよりも、礼を代弁していたレンリが絶賛不調子で、多少は社会的にならざるを得なかった。
軽く頷き返してあらためて逃げるよう促す灘に、歩夢は一度足を止めて顧みた。
「あの小うるさい相棒は来てんの?」
「いや、これは僕の問題だし汀には伝えてないけど」
小うるさい、で通じる方もどうかと思うが、歩夢の尋ねたいことは伝わったようで、躓くことなく灘は答えた。
「でもあと一人、ここに来てるのは途中に見かけたよ」
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(13)
〈ライト・シューター・ボレー・チャージ〉
鳴の射放った矢が、天井すれすれまで伸び上がって、落下の最中で分岐して降り注ぐ。
それを浴びせかけられた怪物たちのうち、何体かが蓄積されたダメージが耐久性を超え、爆散する。
が、その数は一才の減退を見せない。
(むしろ、数が増えているような……)
そんなはずはない、見間違いだとと甘い期待を寄せたいところだが、見慣れない砲台が現れたあたりで如何ともし難い現実だと解らせられる。
さらに悪辣なことには、彼らは積極的には手を出さない。ただ数で押し包んで、鳴の挙動のみを封じる。距離を詰め、戦術の幅を狭めていく。
「熱ッ」
それとなく装填したキーとホールダーも、さすがに
気がつけばコーナーの壁際。袋小路。脚の届く範疇に窓や扉もなく、一歩もこの領域から離脱できない。
その圧倒感はさしもの彼女も、軽い恐れを抱くほどだ。
ここまでの物量を敵に回したことは一度もなく、そこまで敵を作らないよう立ち回ってきた鳴にとっては、初めて陥る窮地らしい窮地であった。
恨むべきは火力不足の己の才覚か、そこまで追い込まれてしまった自身の不明か。
心身ともに窮した鳴の耳が、ある異音を敵の囲いの向こう側より捉えた。
幻聴か。否、明確な質量を伴った、車輪がタイルを踏み締める音。
〈コサック・フルファイア〉
その車体が人を乗せて、異形たちの垣根へと突っ込む。
その後輪が巻き上げるダイアモンドダストに、轢かれた個体も避けた者も、あまねく凍結させてガラス細工のごとくに破砕させる。
呆気に取られる鳴の手前で停止したそのライダーは、何食わぬ顔で、
「大丈夫か?」
至極日常的な調子で尋ねた。
「……どーも」
知れた顔である。
精悍とも芒洋とも取れる、バリエーションに乏しい表情。唯一ふだんと違うポイントを挙げるとすれば、何故かアロハシャツを秋ごろにも関わらず着ていることだけだ。
夏には厚着してぶっ倒れ、肌寒い季節に腕を外気に晒す。とことん季節感というものを知らないその青年、白景涼はまたがっていたバイクより足を下ろした。
「助けてくれたのはありがたいんですが」
鳴は氷片と残骸のロードを見つめながら、肩をすくめて言った。
「一瞬でカタつけられると苦労してたあたしの面目丸潰れっすね」
「卑屈になる必要はない。世論調査では君がナンバーワンだ」
「はい?」
よく分からないことを真顔で返しつつ、涼は虚空を見上げた。
「にしても先輩、あんた割かし頻繁に外に出て来ますよね」
呆れた調子でぼやいた鳴の方へと軽く向き直り、
「今日は物資の受け取りに来ただけだ。そこに君と出くわした」
とかいつまんで経緯を説明したあと、ふたたび中空へ目を向けた。
「そもそも、まだ終わっていない」
と言うが早いか、ダクトより、天窓の隙間より、白くガス状の流動体が侵入してきた。
雲。長細く蛇のように形を作ると、網目を張り巡らせながら廊下内を充たす。
次の瞬間、涼に鳴は小突かれた。
よろめいて、突き放された間を、鋭く旋風が通り過ぎる。
後から来るぞっとした感情に突き動かされて自身の足下を見れば、曲刀……俗に言うククリナイフが突き立っている。そして鳴の視線の先で、それは霧散した。
〈龍騎兵・突撃形態〉
その脇で換装を経て腕とバイクを合体させた涼は、おもむろに雲へと砲撃を加えた。
どうやらその雲に吸収反射の特性はないらしく、穿ち抜かれて切断される。
だがその中に潜んでいた影が飛び出して、天井の電灯に取りついた。
それは、小人とも猿ともつかぬ怪物。
長い両腕の一方は曲刀を握り、もう一方で白熱灯の残骸を支えとしてぶら下がる。
ネパールの土産じみた、独特の意匠の面をかぶった頭部を時折思い出したように左右に傾ける。
そしてふたたびつながった雲の中へと我が身を隠す。
「また妙なのをひっつけて来たな。非定型の人造レギオン……
「別に好んで連れて来たわけじゃないっすけど……多分、上のヤツのですよ。あいつ、『鍵』を変えやがった」
「いや――もう追いついたよ」
ふたりの会話に混じる、男の声。
鳴と同じように天井から飛び降りた長躯が鋒をたずさえ落ちてくる。
「この『ハイランダー』に君の匂いを覚えさせて追わせたんだ。不慣れな山には優秀な『トップ』の先導が
不可欠だ。……なんか増えてるけど、状況はそうは変わらない!」
新参の相手が『旧北棟』最強の男と知ってか知らずか、物怖じの様子もなく大口ともに、石突でタイルを小突く。
瞬間、ククリナイフがふたたび彼女たちを襲った。
充満する白雲の中、猿が一声低く啼いて走り回る。投擲されるククリナイフ。その軌道はブーメランの要領で変幻自在、縦横無尽。
視野の大半を埋め尽くす廊下内のあらゆる場所から、レギオンは奇襲を断続的にくり返す。
ただし――消耗させ切った鳴よりも、涼を削り取ろうというのだろう――彼を中心に、短刀は巡る。
さしもの涼も、完全にはその軌道が目で追い切れていない。何度か被弾していた。
「白景先輩ッ」
「問題はない。君はホールダーのクールダウンと自身の防備に専念しろ」
言われずとも、鳴にしてみれば流れ弾的に仕掛けられる、ついでのごとき攻撃に対しての自己防衛がせいぜいである。
「ったく、時間食ってる場合じゃねぇってのに」
片割れでさえこの戦闘スペックと技術なのである。本命がみずからぶち当たった歩夢たちサイドも、相当の苦闘を強いられているのが容易に想像がつく。
「――分かった」
敵の連撃の直中にいる涼が、鳴の嘆きを拾った。
「短期でカタをつければ良いんだな?」
とも言った。
転瞬、鳴の前へと涼は進み出た。もっぱら防御に使っていた涼のホールダーが、高々と持ち上げられた。
そして、砲口が唸りをあげ光を放つ。火を噴いた。
辺りの損壊も、ともすれば鳴へのフレンドリーファイアさえもいとわないような、苛烈な弾幕。
単純な重火力のみならず、恐るべきは限られたスペースでの、跳弾。それらが内外より挟み込む形で、雲を破り、乱舞していた刃を撃ち落とし、レギオンを射落とす。
「なにっ!? くっ……」
不動の鉄壁であった長躯が初めて退いた。が、彼の鉄壁たるゆえんは、この『ハイランダー』がためではない。
「なんてね。オレも、ライカさんほどじゃないけど攻撃が激しければ良いってカンジでさ」
――当然彼は、その本来のスタイルへと切り替える。
〈ジャンダルム〉
バリトンの声とともに、『ユニット・キー』が換わる。迎撃されて昏倒していた怪人の身体が、発光とともに変形していく。
仮面は二本の円筒が飛び出て、さながら二本角のヤクのように。そこから吹き出る雲は、厚みを加えて色も濃く。長い腕はわずかに胴体に戻されて四つん這いになり、雲の帳に沈んでいく。
「気をつけてくださいよ、あれ、全部吸ってはね返すヤツですから」
攻めから守りに転じた刺客の佇まいは、余裕そのもの。それを、涼へと忠告した。
「わかった」
と涼、これも汲んで二つ返事。
だがその砲口は依然男子の図体へと向けられたままだ。
ふたたび、『龍騎兵』が無数の弾丸が吐き出された。
「ははッ、いくら火力や変則的な跳弾で押し切ろうとしてもっ」
対するのっぽの表情にありありと窺える、余裕の笑み。
だが、その表情は、にわかに口先を転じた涼のホールダーを見て、剣呑に歪む。
一塊に力が集約された砲弾が、地面へと叩きつけられた。
「コイツ……オレごと崩落させようと……いや!」
引き退く少年が目撃したものは、衝撃の余波で乱れて吹き飛ぶ、雲の防壁。
涼は、直接相手に攻撃を掛ける愚を、鳴の忠告によって知った。ゆえに、爆風によって、雲を退けるという手段を取った。
もちろん、並の攻撃であれば雲を吹き飛ばすには至らない。
だが、グレード4の高火力を一極化させた衝撃波であれば、それが能う。
事実、その風圧の中では涼が風避けになっていなければ、鳴も立っていられたかどうかといったほどだ。
〈ドラグーン・フルファイア〉
追い討ちとばかりに、威力を倍加させた連射が加えられた。
「……まだだ!」
そして暴風を浴びながらも、なお踏み留まって少年は耐える。
千切られた雲を取りまとめ、方々に散った光弾をも取り込んで、自身の手勢へ加えんと、蛸足蜘蛛糸のごとく張り巡らされる。
「今だ。奴の『戦線』が伸び切った」
涼は短く抽象的なことを、発射の爆音にまぎれて鳴に言った。
目の前の敵に劣らぬ体躯は、風避けでもあり、敵の視界から鳴を遮る庇でもある。
準備はすでに出来していた。
その死角で、少女は頷き、そして矢をつがえて天へと放った。
〈エリートスナイパー・プレシジョンチャージ〉
音と雲と弾幕に隠れていた一矢は、薄まり細まり伸び切った雲をかいくぐる。
どれほどの攻撃をも凌ぎ、取り込みはね返す防御と言っても、その手数には限度があった。動揺が生じていたがために、なまじ自動的な防御から手動に切り替えていたであろうことが彼にとって災いした。
そして涼の献身と力攻めあればこそ生じた隙であり、導き出された最適解であり、逃すべからざる格好にして絶好の機であった。
「しまっ……!?」
た、と最後まで言い切る前に、鳴の射撃は吸い込まれていくようにして少年の肋骨のあたりへと叩きつけられた。
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(14)
つい先頃まで余裕をもって全面的な優勢を静観していた賀来久詠ではあったが、一転して今は乱入者たちの登場に当惑し、取り乱していた。
「南洋の連中に、白景涼まで……っ!? ちょっとどうなってんのよ! 多治比、貴方ちゃんと」
と顧みた時、すでに少年はその地点にいなかった。
目を離したのは眼下と対向を見回したほんの一分前後。だがそこには一片の痕跡や一抹の影さえ見当たらず、
「ふ……ふ」
その徹底ぶりがなおさらに久詠の怒りを煽り立てた。
「っっざけんじゃないわよ!!」
彼女はその感情に足を任せて駆け出した。
その逃走ルートを推察し、かつそれに回り込む形で追いつかんとする。
頭隠してなんとやら。
廊下の曲がり角より伸びる人影を、彼女は認めた。
顔面に嘲笑と怒り、両面を浮かべた彼女は勢いのままに、その影の下へと飛び込んだ。
「見つけたわよ! 逃げ打とうったってそうはいかな……」
と同時に、絶句もした。
そこにいたのは、多治比和矢ではなかった。
いや、そうであったらどれほどに救われていただろうか。
だがそれよりは小柄なその正体が網膜に映り込んだ瞬間、瞬きや呼吸の仕方を忘れた。数秒、心臓さえ止まっていたような気さえする。
「……やぁ、妙なタイミングで妙なところで会うな。『副会長』」
凡そ生物として欠かすべからざる機能の一切を放棄して固まる久詠に、その少女はうっすらと微笑んだ。
〜〜〜
歩夢は、逃走の最中にあって自分の狼狽を冷徹に認めていた。
矛盾する表現ではあったが、そうとしか例えようがなかった。
実際、即時の判断力の下に退路を選んでこそいるものの、常に自分が迂回路を意図せず
こんな肝心時こそ、このカラスは役立つべきなのに、歩夢の腕の中で凍り固まったまま身じろぎしない。
良い加減痺れを切らした。腕も、堪忍袋も限界だった。
いい加減放り出して単身逃げだそうかとした矢先に、
「『リベリオン』だ、あれは……相手のエネルギーの余剰余波を吸い上げ、我が物とする」
ようやくにして、レンリは言葉を苦痛の音韻を伴って紡いだ。
「……俺の、『ユニット・キー』とホールダーだ」
え、と歩夢は立ち止まってレンリを見た。
その精神的かつ物理的な停滞と間隙を縫うようにして、横合いの窓が蹴破られた。
ガラス片の隙間を、紫電が駆け巡る。
彼女らのいるどこぞの物置部屋へと踊り込んできた美少年、ライカは踏み抜いた窓のフレームを爪先で引っ掛けて、歩夢に向かって飛ばした。
胸へと叩きつけられた歩夢は肋骨に衝撃を受けて昏倒し、そのままライカの足と窓の枠組みで肺を圧迫された。レンリもまた巻き込まれて、一様に苦悶の声をあげる。
思えば、死地はあっても敵の攻めでここまで苦痛を与えられることはなかったはずだ。
「ようやく、追いついたぞ……!」
肩を上下させるほどの疲労と、白い肌をわずかに紅く色づかせる大小の手傷とに、澤城灘と、あとついでに縞宮舵渡の健闘の痕跡を感じ取らせる。彼らを無能と非難するのは酷ではあるだろう。
「いったい、何が、そこまで……」
あんたを掻き立てるのか。レンリのどこにそこまでの価値があるのか。
まともに息も吸えないがために言外に問う歩夢に、血走った目で少年は答えた。
「俺は、あの『夜』の真実を知るためにここにいる。この学園に帰ってきた……『あいつ』の思惑など知ったことか。そのカラスは、な!」
歩夢に対する圧迫はそのままに、かがんだライカはレンリを隙間より引き摺り出した。
強く睨みつけてから、
「こいつは、確実に何かを知っている! 人語を解する特殊な
何に起因するものか、興奮の最中にあってライカは声を荒げる。首根を掴むその力には、制御できているとは思えない握力が加えられている。レンリは足をばたつかせながら、苦しげに喘いでいる。
真実を暴くことを主目的としていながらも、ともすればそのターゲットを今この場でくびり殺しかねない。
だが歩夢への拘束もまた何らの呵責もなく続けられていた。
特にご丁寧に利き手の首はフレームの角を添えて。彼の意に沿わぬ行動の兆しを見せた手首の動脈を突き破るために。
それでも、渡すわけにはいかない。殺させるわけにもいかない。
真実なんて、歩夢にとってはどうでも良いことだった。少なくとも、自分に対してここまで引っ掻き回した責任のある鳥が、自分以外の他者に生殺与奪の権利を握られて良い理由とはなり得なかった。
だからこそ、たとえ実際に指先を動かせずとも心では腕を懸命に伸ばす。
首を締めあげられるレンリの先、ぶち破られた窓の奥向こうで、巨大な剣が忌々しいほどに神々しい煌めきを発していた。
――瞬間、指先を何かが掠めた気がした。
実際にではない。懸命に伸ばした心の指に、何者かが接触した。
すれ違いに誰かと手が行き当たったかのように、あるいは落下の寸前、伸びていた木枝を掴み損ねたかのように。
軽い違和感と痛み痺れが一様に、刹那的に歩夢の指先を襲った。
それは電流のように歩夢の内面から自身の指から掌へと移り、やがて硬質の感触へと変化した。
その過程で生じた深い緑の怪光線に、ダメージはなくともライカが軽く怯んだ。
ふしぎと、それが何なのかは解った。どういう種類なのかも手を介して伝わってきた。ゆえに彼女はそれを、腰の裏に強引に手を回し、そこにある鍵の挿入口へとねじ回した。
〈リベリオン〉
少しノイズの交じ入った調子で読み上げられた抑揚のなさとは裏腹に、
「……な……っ!」
と、ライカが目を大きく開き、露骨な動揺を明らかにした。
今度は歩夢がその一瞬の思考停止をチャンスと捉え、隙を突く番だった。
少し腰をのひねりを中心として、習ってもいない見よう見まねのブレイクダンスの要領をもって下半身を左右に大きく振り、靴底で少年の脇腹を叩いて退かせた。
その勢い余った調子で身を回しつつ、抜き放った短剣を刃を下にして地面へと叩きつけた。
差しっぱなしの『ドルイド』の特性でもって、コンクリートのブロックの亀裂に根が張り巡らせられ、呼称も由来もよく分からない深緑が生い茂り始める。
「なんだそれは……っ、なんでお前、どこから俺と同じ『ユニット・キー』を……くっ」
口よりも身を動かすべきだと、蔦に囲まれてから悟ったらしい。
歯噛みし、逃れようとする。
だがその動力は、先に『リベリオン』の特性でもって歩夢から収奪したエネルギーが大元である。それを奪い返す形で、植物たちは振りまかれる雷光を吸い上げ、さらなる生長を続けていく。
『電撃戦』と駒鍵と自身の小柄さと俊敏さで機動戦を展開していたライカも、逃げるだけの
やがて森のように草木が場を制圧したのを見計らって、歩夢は『ドルイド』サイドの鍵をひねった。
〈ドルイド・オルダーチャージ〉
歩夢は踵で地面へと叩きつけて鳴らした。
樹木の垣根を突き破る形で、新たに地面を突き破って生じた柱のごとき幹が、ライカの胴体を正中より殴りつけた。
今度はライカが内臓を圧迫される番だった。
「かはっ……」
か細く呼気を吐き出して吹き飛ぶ彼は、そのまま壁を突き破って、今なお南洋の二人が争い、『上帝剣』の突き立つ中庭へと押し戻される。
その途中でレンリは解放され、ちょうど屋内外の、雑につなぎ合わせたかのようば不自然な境界に転がっていた。
「あんたさ」
それをあえて助け起こす気も起きず、歩夢は冷ややかに見下ろした。
「さっきあいつに首絞められて殺されるって時、ちょっとホッとしてなかった?」
その問いかけに、レンリは言葉もなく項垂れがちに顔を背けた。
「……まだだ!」
直撃を受けつつもライカはまだ戦意が衰えていないらしく、よろめきながら立ち上がる。
このまま逃げたところで、また追いつかれるのは必定。さてどうしたものかと思案する歩夢だったが、その視野の片隅で、何かが閃いた。
歩夢の正面、ライカの背にある西棟側の校舎。その中間のフロアが、爆風により吹き飛んだ。
巻き上がる噴煙の内から、長く細く断末魔を引き伸ばして、女性の影が落下した。
ライカも驚き見開いた目で、その落下物を追った。
何度かバウンドしながら地上に失墜してきたのは、一人の女生徒。どことなく大人びた雰囲気と陰険さを感じさせる彼女は、手に嵌めたストロングホールダーの恩恵か、あるいは本人のしぶとさゆえか。意識を保ったまま身体を引きずって呻いた。
「副会長の、賀来久詠?」
身を持ち直したレンリの一言で、歩夢もまた既視感のあったその女子の正体を知った。
が、次の瞬間、歩夢の身体には電流じみた悪寒がはしった。
それは歩夢のみならず誰しも感じているものらしい。全員が手足を止め、次第に大きくなって近づいてくるその存在感の地点に注視した。
久詠を吹き飛ばしたそれ自身は、堂々と、校舎の階段を下りて中庭へと足を踏み入れた。
灰色がかった髪。太陽の灼熱を想起させる、圧倒的な眼力。
対して、口元に浮かぶ笑みは、極寒の冷たさを帯びている。
「やぁ」
その異世界に乱入してきた人間の所在地を的確に見渡し、
「諸君、おはよう」
生徒会長、征地絵草は、戦場にはそぐわない穏やかな口調で、講堂に立つ時と同じように挨拶をした。
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(15)
歩夢の反撃がライカを押し返したのに前後して。
「オラオラ、どうしたっ! こないだの押しの強さはどこいったよ!?」
「ぐっ……あの時は、『キー』が揃っていたから……」
「いいや違うなぁ! アン時のお前には、なにがなになんでも願望を押し通そうっていう意志があった! テメェ自身を賭け金に捧げても事を進める覚悟があった……お前の中にいた『誰か』とお前を隔てるもんがあるとすりゃあ、それだ」
遠近と緩急を織り交ぜて、言葉と武器による応酬を、中庭で南洋のふたりが繰り広げていた。
「カーッ! いったー……案外やるじゃん、お姉さん」
「……マジかよ、グレード3相当のチャージ攻撃だぞ」
「悪いけど、この程度でくじけるようなヤワな生まれ方も育てられ方も鍛えられ方もしてないもんでね……けど、久々にガツンと来たね。ちょっとスイッチ入ってきた」
などと、西棟の半ばで鳴と涼とが嶺児と対峙している。
「――さぁ、ここまで役者揃えてお膳立てしてやったんだ。いい加減厚いツラの皮剥がしてくれよ……バケモノ」
と、久詠の下から離脱した和矢が、対する棟の下層でその対峙を模様見する。
戦力、勢力、武装、エネルギー……等々等。
ありとあらゆる事物がその異界で飽和に至った時、閉塞したその場に風穴を穿つがごとく、爆発が起こった。
やや可憐さには欠ける悲鳴を伸ばしながら、生徒会兼『委員会』のサブリーダーが転がった時、その場にいた誰もが困惑し、その彼女をゆっくりと追って中央に進出して来た娘の登場に、凍り付いた。
彼らを余さず見渡しながら、
「やぁ諸君、おはよう」
と、征地絵草が挨拶をしたのが、この瞬間であった。
~~~
ほんのりと見覚えのある上級生の登場に、歩夢は面食らっていた。
それと同程度のショックと当惑を、小脇のレンリも受けているようだった。
「あれって確か……誰だっけか」
「生徒会長の征地だ」
律儀に本人が答えた。
「おはようって、もう放課後だよね」
「いわゆる社交辞令というやつだ」
と、これまたいちいち拾って受け応える。
「……今更、何しにしゃしゃり出て来た」
まだダメージが残るのだろう。軽く上体を揺らしながら、ライカが立ち上がって言った。
「生徒会長サマには関係のない話だ、部外者はすっこんでろ」
そう脅しつける少年に、征地会長はふっ、と微笑んで手の甲をかざした。
「この学園内で起こったもめ事である以上、この私が部外者であるということなどありえない」
そう言った次の瞬間、ライカの身体が不自然な体勢を取って浮かび上がった。真後ろの校舎へと叩きつけられた。
破砕音とともに壁が崩落し、首を反らしてライカはそのまま地に沈む。
「ライカさん!」
棟の窓からその様子を望んだ高身長の少年が、悲鳴じみた声をあげた。
何が起こったのか……傍らでその一部始終で見ていた歩夢にさえ分からなかった。見えなかった。
強いていうならば、視えない獣のごときモノが、彼の襟元を掴んで壁へと放り投げたかのような、そんな印象がこの信じ難い視覚情報を元に刻みつけられる。
「だが、部外者が多すぎるというのは確かに問題だな。少し間引いておくか」
そう宣い、征地絵草は指で灘と舵渡を示した。
彼らが目を見開いて間もなく、ライカと同様に不可視、不可抗の力により樹木の幹や壁に叩き込まれた。
不可視? 否、その瞬間を注視していた歩夢には、コンマ数秒の世界に飛翔する、何者かの影が彼らに激突する瞬間を捉えた。
「案ずるな。状況はすでに把握している」
と言った征地会長の示す先が、横へとスライドしていく。
怯えて引き攣った声をあげる久詠を通過して向けられた先は歩夢、その手中のレンリ。
「それ」
と彼女は言った。
「騒乱の種たるそれを消し飛ばせば、争奪戦の意味など無くなり、万事カタがつくだろう。盛る篝火を消したくば、くべられた薪を蹴り飛ばせば良いだけのことだ。たかがそれだけのことに、何をまごついているのか」
平然とそう続けられた。反射的に身構える歩夢の隣で、
「ま、て」
と、ライカが起き上がって掠れた声を振り絞った。
「そいつは、この『剣』に対する何かしらの秘密を握っている……それを知らずして、あんたは殺すっていうのか!?」
「そ、そうよ!」
平伏するかのような、半端な姿勢で上体をもたげた久詠が同調の声をあげた。
「維ノ里士羽は彼を隠していた! その不正の証だし、そうであろうとなかろうと何かしらの謀略の尖兵かもしれない! だから、何も調べずに消し去るなんて、そんな乱暴な……」
「必要ない」
久詠の媚態は生徒会長の脚にかじりつかんばかりの見え透いたものだったが、それをきっぱりと跳ねつけて、絵草は晴れがましいばかりの笑みを浮かべていた。
「私が問題としているのは、今、まさに、ここで起こっているこの馬鹿騒ぎのことだ。そこに如何なる陰謀が付随していようと、あるいは後続に何者の姿があろうとも、私にとって知ったことではないし、さして問題でもない」
「なっ……!?」
「陰謀も敵も、すべて、その時になって私が破壊すれば良いだけの話だ」
歩夢を閉口させるほどの暴言、ライカをして絶句させるほどの暴論。
それを紡いだ自身にいささかの疑問を挟む様子もなく、レンリに向けられていた腕はおのが頭の横へと水平移動していく。
その手首のあたりに、鈍色の影が停まる。
「とは言え、だ。私は有意義な提言に耳を貸さないほど狭量ではないし、そしてここは剣ノ杜だ」
紅玉の質感と色の瞳を持つ、鋼鳥。シャープなクチバシに噛まれているのは、幾重にも直線を交差させた
おそらくは、それこそが、このストロングホールダーこそが、南洋の連中やライカを吹き飛ばして回っていた物の怪の正体なのだろう。歩夢のCWタイプとは形状が似ているが、あちらの方が一回り小ぶりに見える。
「君らの野心、夢、欲望、信念、悲願。それらの成就がためにこのカラスを欲し、手にした力を行使するのも大いに結構。私の主張に否を突きつけ、翻意を促したいというのならば身を張り明澄な道理をもって説き伏せると良い」
鍵を口から主人の掌へ落としたホールダーが、翼を展開して絵草の腰周りへと滑空する。
やがて左の腰に、列を成す雁の群れの如く斜に構えた感じで取り付いたそれは、平面的に変形するとともに、内蔵していた群青色のベルトで彼女と接着する。
まるでそれは、それこそ鳥の横顔を象った壁画のようでもあり……鞘のようでもある。
「哀願などするな、薄っぺらな人倫など並べ立てるな。そんなヒマがあったら才を振り絞れ、死力を尽くし、おのが士魂と理念を示せ」
〈クルセイダー〉
透き通ったバリトンとともに、彼女が『鍵』をセットする。ホールダーが上に向かって開けた口へと。
捻り回されたそれが、神秘の輝きとともにホールダーから離れて浮かび上がる。
鍵の先端は柄頭に、把手に、両刃に。
飾りはそのままに、墓標にも似た幅広の直剣……所謂クレイモアへと変身を遂げたその『ユニット・キー』を握りしめた絵草は、戦乙女か女荒神よろしく、それを担いで天へと向ける。
「それこそが、そしてこの私こそが、剣ノ杜である」
『上帝剣』を背に回して高らかに宣言を放った暴君の頭上に
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(16)
「建物の中に逃げろ……」
「え?」
「速くッ」
レンリの鋭い声が飛び、それの合理性を確認するよりも速く、歩夢は裏手の校舎へと駈けだしていた。
刹那、天の十字が各一基ずつ、光の筋を地上へと垂らす。
寄り集まったそれは、傍目には流星群に見えないこともない。だが、明確にそれらと隔てるのは、この星々には明確な質量と熱量を伴っていたことであった。
地に触れ、物に触れ、人に触れる瞬間、それは爆ぜて一個ごとに尋常ならざる光を放出する。
天地がひっくり返るのかと錯覚せんばかりの地割れが起こり、地表は捲れ上がる。
咄嗟に急進した歩夢でさえ、あわやその投下に巻き込まれるところだった。が、図らずも爆風に押し出されるかたちで、校内に飛ばされて難を逃れた。
~~~
「……南洋、ナメんなよ」
その範囲攻撃の中、ゆらりと立ち上がる男の影があった。
南洋分校管理区長相当、縞宮舵渡。
その爆音の中、再覚醒した彼の足下には、すでに全力をもって防戦と迎撃に当てていたであろう破片類が散在していた。
だが『バルバロイ』の攻勢とホールダー自体の防御性をダメージは貫通し、服は擦り切れ生皮は裂けて出血し満身創痍。それでもなお、右に提げるのはホールダー。左肩を喪心中の灘に貸して立ち上がって吼えた。
「こんな雨あられなんぞ屁でもねぇやなッ、俺様たちを倒したけりゃあもっと」
……正確には、吼えかけた。
次の瞬間には、通りすがり様の絵草より放たれた神速の裏拳が、その横っ面へと炸裂した。
激流さえも乗り切ったその体躯が、小娘の一撃によって地を離れる。爆風に破られた窓へと灘もろともそのまま投げ込まれ、還って来る気配がなかった。
それを追い討つでもなく、さして歩夢を執心して追い回すでもなく、絵草の、ただ夕陽の煌めきを照り返す双眸が、暮色の中に浮いている。
「面倒だ。全員来い。横暴な生徒会長さまに直言ないし直撃を呉れてやれる、希少なチャンスだぞ?」
などと挑発的に笑い掛けつつ、絵草が付け足した。
「――もっとも、私の至近まで参上できれば、の話だがな」
~~~
十字型の小型機が、とうとう鳴たちのいる棟にまで侵入してきた。
舌打ち交じりに迎撃せんとする鳴だったが、あのノッポをはるかにしのぐ物量と個々の火力には一矢とてねじ込む隙がない。這う這うの体で逃げるのが精いっぱいであった。
外から伝わってくる振動は命の危険を感じる。まるで唐突に戦争映画の中に放り出されたか、学校がテロリストに占拠されただとかという益体もない妄想が現実化したかのような、そんな絶望感がある。
(イノから為人と聞いた時は話盛り過ぎだろと思ってたが、色々ととんでもねーな、あの会長)
一秒とて足を止めることは許されない。だがふと観察もかねて窓の外を見た瞬間、ある所感が生まれた。
「なんか……」
本来は容易に自分の感情を口にはしない鳴ではあったが、これは忘我とともに呟かざるをえなかった。
「殖えて、ないか……?」
そう認識してから、把握するのは早かった。
一基からまた一基、間断なく地上に射撃を投下しながらも、その都度小刻みに震えつつ、左右に割けるようにして分裂していく。
時間経過による、増殖能力。
――これが、『クルセイダー』。これが、征地絵草。
個にして無敵の軍容、無尽蔵の兵器庫、不抜の王城。
一たび発動すれば、余人に留めることは、できない。
それを悟った時、諦観は知れず鳴の膝から気力を奪い、停まり、頽れようとしていた。
次の瞬間、鳴は後頭部に、風音を感じた。浮遊する気配がかすめた。
――反転と反撃は、間に合いそうになかった。
だが、その間に大柄の人影が割り込んで来た。その手に握る棍のごときものから発せられる雲が十字の砲撃を絡め取り、そのまま飛び込んで来たままの勢いを借りて、フルスイングによって相手へ投げ返す。
「お待たせ、いやーはぐれちゃってたねー」
小気味良い破裂音とともに砕け散った十字架を背を向ける形で、今まで敵として対峙していたはずのその長身の男子は笑顔を振り向けた。
「見晴嶺児、足を止めるな。すぐに後続が来る」
と、彼のフルネームらしきものを呼ばわり追いついてきた白景涼は、足早に鳴たちを素通りしていった。
「……ほんの少し見ない間に、仲直りでもしたんすか?」
「アレが現れた以上、自己防衛のための停戦共闘もやむを得ないだろう」
鳴の皮肉に対し、さしてしこりを残した様子もなく言ってのけると、当の少年も「そーそー」と相槌を打った。
「それに、ケンカに水差してきたヤツに一矢報いることもできずに雑に片づけられるのもシャクだしね」
一見、優男風なこの見晴嶺児とやら、言葉の端々から感じられる通り、存外に我の強い、ワイルドな面も持っているかもしれない。
闘争心、恐怖心、克己心エトセトラ。
それらをない混ぜにして細められた目も吊り上がった口端も、容易に笑みというものにカテゴライズして良いものではなかった。
「で、どうするんすか? あんなメチャクチャなのに、勝てるとでも」
今度こそ足を止めず、互いに背を守るかたちで移動しつつ、かつ全体的な防御は嶺児がカバーする。
「……対抗手段は、ないでもない」
自身も適度に敵機を撃ち落としつつ呟いた涼は、黒い鍵をその龍の飾りごとに握りしめた。
〜〜〜
「うう……」
気がつけば、澤城灘は縞宮舵渡とともに、散乱する絵画や石膏の像だの彫刻刀とともに仰臥していた。
おぼろげながら、憶えている。南洋最強だったはずの男に対し、挑まれた絵草は武器さえ用いず拳一発で自分たちをここまで吹き飛ばした。
そのダメージによるものか、あるいはプライドさえも打ち砕かれたがためか。背を丸めて舵渡は蹲っている。
視界がぼやけるのは、自分もまたその余波を受けているせいだと灘は考えた。
だが、目元に手を遣れば、眼鏡がない。ガラスが眼球を抉らなかっただけマシと考えるべきか。
ひょっとすれば近くに落ちていないかと、指を顔から足下へと移してまさぐる。中指のあたりに硬い感触がかち合った。
乱視気味のあやふやな視界。像も記憶も朧げながらも、そのフォルムには既視感がある。
『ユニオン・ユニット』。カラーリングからしてあの留学生が用いていたものだろうが、
「どうして、ここに」
無意識化に拾っていたのか。あるいは……なにかに導かれるようにして誘い込まれたのか。
だがこれを使えれば、ともすれば事態を打開できるのではないか。半ば夢の中にいた、あの夏の時のように。対抗は無理でも、足利歩夢たちを離脱させるだけの手立てがあるのかもしれない。
そう考えて震える手を伸ばした。
――止めておけ。
ふと、己の内より声が響いた。
お前には、何も出来ない。何もするな。
お前は自分と、『彼女』の幸福を優先するべきだ。
どこかで、聞いたことのあるような声。だが、記憶のそれよりも低く淀んで枯れた音。
呪詛のような言葉が脳に染み入るたび、ふたたび意識が遠のいていく。
――青春を、謳歌しろ。
これ以上その拙い情動のままにあの娘たちに関われば、お前は必ず後悔する。
夢か、現か。
網膜の内側に、独りの青年がいる。自分自身の唇を借りて、戒める。
それを聞きながら、灘の視界と意識は完全にシャットダウンした。
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(17)
「それって……」
「グレード5だ」
「うわっ、すげぇ。初めて見ましたよ、オレ」
まじまじと黒い鍵を注視する鳴と嶺児に、生真面目に答えた。
「どっからくすねて来たんすか」
「そう容易に盗難できるものでもないだろう」
と、鳴の悪態に対しても、天然かついたって真摯である。
「手から、生み出された」
「毎度のことながら、もっとマシなギャグかましてくださいよ」
「厳密に言えば、握りしめた『龍騎兵』の駒から生成された」
「あぁ、はいはい」
それならば、分かる。
あくまで士羽からの又聞きだが、『ユニット・キー』は思考する。ユーザーの思考や行動のパターン、あるいは体質にに合わせて変容し、成長する。
苛烈な戦闘経験と過酷なサバイバル環境が情報として『キー』に入力され、その結果としてグレード5の駒が出力されるのは不思議ではなかった。
何も持たざる手に、本来の自分のそれとはまったく別系統の『ユニット・キー』が派生することなど、まずありえるはずもないのだから。
「……というわけで、単純な出力であれば、同グレードである『クルセイダー』への拮抗は可能だろう」
と、涼は言った。
「ただ、それにはまずあの弾幕をどうにかしなければならない。射程にあの女を収めるまで肉薄する必要がある」
今更に言うまでもないことではあるが、涼の言葉はそれほどに多くはない。表情にも乏しい。だからその眼光に言外の意図を乗せる。
この場合、誰に何を求めているかは、鳴にも分かった。
彼の視線に先にいる長身に、彼女もまた目を向けた。
「……オレに、盾になれと」
「頼めるか」
「良いっすよ」
二つ返事で、嶺児は笑って答えた。
「最初っからあんたらのことは嫌いじゃないし、ライカさんもそろそろ無茶やらかしそーだし、この場はさっさと状況を打開しないと」
「良いんすか?」
と、今度は鳴が問いただす番だった。
「そいつをぶっ放せば、完全に先輩はあの女を、学園中央を敵にすることになる。南部がまたキレ出しますよ」
そう言われて、少し困ったように涼は眉尻を下げた。
(……まさか、そこまで考えてなかったわけじゃないよな?)
と軽く疑ったのも束の間のこと。
「認めて欲しければ自分に力を示せ、とは奴自身が言ったことだ。それを反故にする卑劣さを、彼女が持っているとも思えない……賀来を野放しにしておいてこう言う時にばかり暴力を行使する今の姿勢が、正しいとも思えない」
やはり、無感情のようでいて、『旧北棟』の今の処遇については虚心でいられない部分も多いのだろう。
(まぁ、本人が納得と覚悟の上で決めたことなら)
と思い直した鳴は、その背でぼんやりと光熱が膨れ上がるのを感じ取って振り返った。
〜〜〜
このデタラメな状況のせいで、どこかに『ユニオン・ユニット』がパージされていた。
それでも拾い直したホールダーを握る腕を引き摺りながら息をひそめ、ライカ・ステイレットは状況を静観している。
彼がいるのは、未だ中庭。早々に離脱したと見せかけて、巧みに爆撃をやり過ごしつつ喪神している久詠を回収して手近な窓へと落とし込む。
そして自身は壁に影に移り、あるいは留まり、機を窺っていた。
(あいつをどうにかしないことには、あのレギオンどころじゃない……俺はまだ、諦めてはいない)
見たところ、あの生徒会長の直接的な武器は、剣の一振りのみ。そして加えて言うならば、あれこそがあの無数の爆撃機を統率する本体なのだろう。
つまり『電撃戦』の駒をもって奇襲を仕掛ければ、いかに最高位グレード言えども勝機はある。
余裕か熟慮のためか、征地絵草は中央に陣したまま。
剣を提げて直立する姿は、女神像のごとく見える。
距離にして八十メートル足らず。彼の能力をもってすれば踏み込めば勝てるが、迂闊に仕掛ければあの南洋の乱入者と同じ憂き目に遭わせられる。
狙うのは動き始めた時。自分に楯突き、かつ建物の中に逃げ込んだ誰ぞのいずれかを、狙って追いかけ出してこちらに背を晒した、そのタイミングだ。
「まったく、ぴいちくぱあちくと、不満要望を好き好きに口にする割には、仕掛けてくる気骨もないと見える。まぁ民草とは所詮そういったものか」
挑発か、聞こえよがしにそう嘯く少女はしかし、ライカの予想に反し、その場を動こうとしない。
代わりに、その手のクレイモアの切っ先をつい、と中空へ浮かばせた。
外部に展開していた十字たちが、大きく二方向に分かれて整列する。一陣は彼女と東棟の間に。もう二陣は、その棟の上空に砲口を向けて。
さながら魚を掛けた竿のように、あるいは大楽章を始める間際の指揮棒のように。
少女の剣はふたたび軽く上下した。
転瞬、砲火が棟へと集中的に叩きつけられた。
爆火爆風が校舎が見えなくなるほどに覆う。離れていても鼓膜が破られんばかりの轟音が包む。
唖然とするライカの前で、天地よりの十字砲火が、それに呼応した内側の誘爆が、少年少女と、おそらく彼らの中で交わされていたであろう回天の密儀もろともに学舎を打ち壊していく。コンクリートの壁も、それを支えていた鉄骨も、粉砕されてみるみるうちに崩落していった。
後に残ったのは、瓦礫の山である。
――否、濛々と立ち込める土煙の奥に、見慣れた長細いシルエットが伸びあがる。
依然、彼の手には長柄物が握りしめられている。
だが、光弾と砂塵の幕が薄れていくに従い、その惨状が露わとなる。
雲はその許容を超越する猛攻を浴びせられて千々に乱れ、本来であればその内に在って防壁を形成する蜘蛛型のレギオンは散々に破壊されて転がっている。
かろうじて守り切ったであろう的場鳴なる少女はその近くで力なく倒れ伏し、瓦礫の下敷きとなっている。
唯一屹立している少年、見晴嶺児もまた、武器こそ手にしているが信じられないという茫洋とした目つきで絵草を見返したまま、血を口端より吹き零して、どうと音と立てて斃れ伏した。
「…………レイジィィィィッ!」
その一連の流れを目撃したライカは、潜伏も方策もかなぐり捨てて、電光石火の速攻で絵草の背に向けて飛び出した。
「気づいていない、とでも思ったのか?」
しかしその攻撃の瞬間、嶺児たちを見据えていた絵草の横顔は、ライカへと向きを転じた。
伸びる少女の手が撃ち出さんとしていたホールダーの持ち手を握りしめ、
「そのまま何も仕掛けて来なければ、見逃してやったものを、な!」
少年の身柄を背負い投げた。その落下の間際、きっちりと膝蹴りを鳩尾に叩き込んで。
取り繕うこともできないか細く情けない悲鳴とともに、ライカは吹き飛ばされて嶺児に折り重なるかたちとなった。
その後の追い討ちはなかった。それは温情からではなく青黒い火焔が、彼女の脇で立ち上がったからだった。
「――ほう?」
傲慢さがはじめて絵草の表情から薄れた。火焔を孕むは鋼龍の口。それを肩と上腕にかけて一体化させた男を、ライカは資料で知っている。
白景涼。かつての北棟からこの異界に取り残された生存者グループのリーダーだ。
おそらくは乱入者として足利歩夢たちの援助していた彼をも、全力で嶺児は庇い切ったのだろう。大小の負傷は見受けられるが、表情も足取りも、しっかりとしている。
「素晴らしい。先輩もようやくにしてグレード5に達しましたか」
「あぁ、そして彼
年長者に一定の敬意を払った物言いをするも、絵草の調子はやはり相手を下に見ていた。
涼はそれに対し不快感を見せることなく、ライカの拙劣な攻めも勘定に入れたうえで、素朴だが淡麗な声調と眼差しで少年たちに謝意を示した。
「ただ惜しむらくは、先輩はその力を、全身全霊の不意打ちに行使すべきでした。そうすればその事実を知らない私を、打倒することも可能でしたでしょうに」
薄笑いをしつつ客観的な見解を述べる絵草に、涼の返答はなかった。
「もしやフェアではない、と甘いお考えをお持ちでしたか?」
「そしてお互いに無事では済まなくなる」
「それは今とて同じことだ」
「だから手を引け。もう充分だろう」
「それは私が決めることだ。従わせたくば、私に勝ってからにしていただきたい」
不毛な問答が続いた。
その後に、荒涼とした無言の時間が過ぎ去った。
だがその間に、両者はもはや回避あたわぬ衝突に備え、着々と準備を推し進めていく。
〈クルセイダー・
剣の基となる鍵が絵草の指さきによって回されるや、空中の十字が光の帯となって解けていく。水平に向けられた刃身に吸い寄せられて燦然たる輝きを放ち、肥大化させていく。
〈ドラゴンライダー・ヘルファイア〉
涼はそれとなく自分たちを守るポジションを確保しながら、その飛竜の首元に手を遣った。
龍の劫火はより一層の昏く、深く、そして矛盾しているようだが冷ややかな色味とともに膨張する。
仕掛けたのは、絵草が先だった。涼はそれに対応する
絵草の黄金の一閃と、涼の劫火の放射は、今までに見たこともないような規模の力の激突を引き起こした。
温度差で蜃気楼が生じた、などという生半な余波ではなかった。実際に、その衝突点では磁場が歪んでいた。空間が引き裂かれ、聴いたこともないような宇宙言語のごとき異音を発していた。
初めて絵草の顔から余裕が消えた。涼はそこで歯を食いしばって眉間に皺を刻み、ここまでの誰もが見たこともないであろう表情を浮かべていた。
傍から見れば、その様相は暴虐の邪龍を撃ち破らんとする女聖騎士の健闘にも見えただろう。だが実像はまるで逆だ。正道は龍の側にあり、そしてむしろ圧されているのは彼の方だ。
あるいは、全力を出し切れていれば拮抗し切れていたのかもしれない。
だが、これ以上『ドラゴンライダー』とやらの出力を上げれば、その反動は計り知れないものとなる……足下にいる、ライカたちを焦がしかねないほどに。
よって彼はセーブする必要に駆られ、かつその目的は征地絵草の打破ではなく、彼女の断撃をいかにしていなすかということに主眼が置かれていた。
対して絵草はまるで容赦というものをしない。彼もライカたちももろともに、殺す気で攻撃を仕掛けてきている。
それでも涼は、渾身の膂力と火力を用いて、自分たちに押し迫る一斬を、弾き返した。
「チェストォォォォア!!」
――だが、それは刹那の時を稼いだに過ぎなかった。一瞬の無意味な安堵でしかなかった。
奇声とともに絵草は再び光の剛剣を袈裟懸けに振り下ろした。
校舎の残骸を溶断する。炎を引き裂き、その奥にいた涼はその余波を避け損ねてかすめた。
余波を、かすめた、だけ。
にも関わらず涼の身体は吹き飛び瓦礫の海まで吹き飛ばされ、沈んだ。
「最後まで彼らを庇い切る、その心意気や見事。だが如何せん清くこそあれ、スケールが卑小だ。いかに力を得ようとも、その力に信念が見合わなければ半端に終わる。それでは私は倒せない」
そう説教じみた絵草は額の汗を制服の袖口で拭い、そして苦笑とともにおもむろに視線を持ち上げた。
「しかし、最高グレード同士の衝撃であればあるいは……とも思ったのだがな」
その苦々しい眼差しの先には、あれほどのエネルギーの放出を浴びてもなお、焦土に無傷で突き立つ『上帝剣』があった。
「この旧校舎にしても、な」
と独白するに合わせてか、破壊された校舎の破片が浮かび上がる。まるで映像の巻き戻し、あるいはSFXのごとく、基礎から積み上がって、修復されていく。
――もっとも、修復といっても元の建造物としてではない。破損箇所も、焦げた草木も、あの惨劇の夜の直後と同じ。そこで時が留められたかのように。
浮上する破片を避けつつ、絵草はライカたちに歩み寄った。
「まぁ、お前の攻撃それ自体はまったく無意味で無価値で浅はかだったが、良いヒントにはなったよ。ライカ・ステイレット」
一瞥もくれずにそう声を落としつつ、トドメを完全に刺すべくでもなく素通り。
「私とて、いくら再生するといっても愛する学び舎を無暗やたらに破壊することは本意ではないし、生徒に無用の負傷者を出すことも望まない。叶うならば最短の手順で事を収めたいのだよ」
代わりに、その先にいた少女……的場鳴の前で屈みそのブレザーの襟を掴み上げ、引きずり出した。
「まだ離脱していないのだろう? 足利歩夢」
と、校舎の内外に声を朗々と響き渡らせ、そして爪先で剥き出しになった鳴の股を小突いた。
「出てきてそのカラスを引き渡せ。さもなくば」
しばしその美しい脚線に這わせていた絵草の靴先が、にわかに力を込めて足首を圧迫しながら言った。
「的場鳴の脚を、叩き折る」
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(18)
的場鳴の、脚を折る。
聞こえよがしに発せられたその宣言に、物陰より歩夢は眉をひそめた。
冷静な部分で、
(そこは、殺すって言うとこじゃないの?)
と首をひねったはいたが。
「こう思っているのだろう。『ダイレクトに殺すって言った方がより危機感を煽れるのではないのか?』と」
当たらずとも遠からずといったところの先読みとともに、中央に陣する生徒会長は言った。
「だが、今までゲーム感覚で『鍵』を弄んできた者に生死をちらつかせたところで、にわかには説得力を持たないだろう……対して痛みというのは身近なものだ」
強く足裏に力を込めれば、未だ意識は戻らないながらも、鳴の口端からは苦悶の声があがる。
迫真とも言うべきその断末魔に、反射的に歩夢の身体も反応した。
「そして人体というのは丈夫なようで意外なところで繊細でな。たとえ『衛生兵』を使ったとて、折られた骨が完全に修復できるとは限らないぞ。まして、スポーツなどするのであれば元のように動けなくなる」
この女は、知っている。
今自身が足蹴にしている同学年生の素性も。歩夢たちとの切っても切れない関係性も。
そのうえで、さらに加圧しつつ
「彼女がまだ陸上に未練を持っているか、聞いてみるかな? 全て終わった後に『アスリートとして君は再起不能になったけど、まぁどうせ使わない脚だし大丈夫だよな?』とか」
と脅し文句を平然と垂れ終わる前に、レンリは校舎に飛び出した。
歩夢は引きずられる形でそれを追った。
外に出ればそこはすでにして死地。出てくるのを待ち受けていた十字の浮遊砲台が、三方を取り囲んで今まさにレンリを打ち砕かんとしていた。
「っ!」
〈重装歩兵〉
一足遅れて追いついた歩夢がその軌道上に割り込む。
展開したエネルギーの大楯はただ一撃で打ち砕かれ、その反動で実は転がり落ちる。直撃は避けたにもかかわらず、重い痛みが身体の節々に負荷をかけて、刹那的な自分の判断と行動に猛省を促してくる。刃向かったことが馬鹿馬鹿しくなってくる。
これが、最高位。これこそがグレード5とのスペック差なのだろう。
……だとしたら、それに丸腰で突っ込んでいったこのカラスは、いったいどういうつもりなのか。どこまで自分の身を粗末にすれば満足するのか。
「おい、歩夢! 大丈夫かっ」
だが、それでもレンリ自体の救出には成功していた。
逆に彼女の身を案じるカラスの頭頂を手のひらで押さえつけて、それを支えに立ち上がる。
「そりゃこっちのセリフ……てか、こんなんに突っ込んでくとか頭に心配したくなるわ」
「……俺は、良いんだよ。俺の命に、鳴の脚とかお前に釣り合うほどの価値はない」
――また、これだ。
何もない時に率先して身投げしようとするわけではないものの、いざ目の前にロープが掛けられていたのなら、迷わずそこに首を絡ませる。命の投げ出すタイミングを常に求めている。
そしてそのことに、
「その程度の『キー』しか持たずこの私の前に立つ度胸は認めてやるが」
呆れるような絵草の顔は目前。
見上げれば、整列した第二陣。
気がつけば、すでに第二射間近。
「せめて意思統一ぐらいは図ってから挑め」
無慈悲な声調はさながら死刑宣告をするがごとく。
その彼女の意図に応じて乱射された光が歩夢もろともにレンリを貫かんと無数の放物線を描いた。
――が、次の瞬間それは霧散した。幻影であったかのように、十字の砲台もろともに、そして絵草の握るクレイモアごと消えた。
〈
絵草が心変わりして情けを持った、というわけではないらしいことは、振り上げかけたまま宙に持ち上げられた腕と、虚を突かれたように見開かれた眼から明らかだった。
そして、その直前に鳴り響いた大鐘の音と、それに交じ入る、透き通った男の人工音声。
何者かの意図がそこに差し挟まれたのは、明白だった。
「……ほう?」
絵草は一度、剣を握りしめていた手を開く。そこには元に戻っていた鍵があった。
「ようやくのお出まし、というところか」
と、距離を置こうとする歩夢らは捨て置き、おもむろに絵草は視線を中空へと持ち上げた。
その眼差しの先、二階の窓の手前に一人の少女が器用に踵のみで立っている。
白衣といい、右手に持った三日月をあしらった細柄の杖といい、どこか中世の裁定者もしくは大神官めいた雰囲気を持っている。
しかしてその実態は、隠者の振る舞い。維ノ里士羽は、上衣の裾をはためかせながら地上へ、歩夢たちのと降り立った。
「ストロングホールダーにはそれぞれに役割がある」
あるべき話の流れを断ち切り旧友の言葉をまるで無視して、彼女は淡々と解説を始めた。
「威力偵察用のSCタイプ。有害な環境下で生命活動を維持するLSタイプ。汎用性を持たせたCNタイプ。レギオンを支配下に置きそれをもって難所の調査に当たらせるFSタイプ。さらにより侵入困難な場所へと探査のために非人型レギオンを生成するSAタイプ。『ユニット・キー』促進と増産を目的とする
碧の混在する瞳で冷ややかに絵草の腰の装置を睨み据えた。
「対して私の専用機CMタイプは、鎮圧……起動した一帯から、セットした『ユニット』と同グレードの『キー』を無力化する」
手持無沙汰ぎみにみずからの凍結されたデバイスを指で弾きながらも、泰然と絵草は構えている。
「貴方のような、本来の役割も忘れ暴走した自浄機械を制圧するためのストッパーですよ」
そううそぶく士羽に対し、絵草は肩を揺すって笑い声を立てた。
「ではお前は自身の役割を果たしていると言えるのか?」
と問いを投げ返す。
「今だってそうだろう。お前はその力により私と白景涼の戦いを停止することも可能だったはずだ。だがそれを静観していた。大方、グレード5同士が全力でやり合った場合のモデルケース、『上帝剣』に及ぼす影響を観察する好機、とでも考えたのだろう」
「……いや、単純に出る機会見失ってただけだぞ」
ボソッとレンリが歩夢の腕の中で呟いた。
渋い表情を作る彼女に、絵草は畳みかけるように言った。
「役割を放棄したのはどっちだ? 私は私のすべきことをしたまで。学園の剣として、その害となるものを排除する。だがお前はどうだ? 背を向け閉じこもった先に、真実とやらは視えたか?」
挑発的な物言いに、士羽は返す言葉もない。もはや問答は無用とばかりに一方的に会話を打ち切って、杖の頂にある三日月を突きつける。
「このまま鳴たちを置いて立ち去れば見逃してあげますよ。貴女の天敵である私が現れて『キー』を展開した以上、勝ち目はない」
だがその恫喝めいた持ちかけを、絵草は一笑に付した。
「――お前こそ、忘れていないか?」
ブレザーのポケットからまた別の『鍵』……銀色に輝く刀と三筋の剣閃を模した飾りのそれを見せつけつつ、問いを重ねる。
「確かに最高位を含めた各グレードを封じられるお前の能力は脅威ではあるが」
と、鍵を腰の鞘に納めれば、
〈
と低い音が文言を綴り、新たな武器……一口の日本刀を鍛造した。
「私もまた、お前にとっては天敵なのだよ。士羽」
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(19)
士羽が杖を大きく横に振るえば、再生した学舎の壁から、あるいは散らした残骸や地面から、円柱状のものが迫り上がる。
それはまるで聖堂を飾り支える宝塔であり、要塞に敷設された砲塔である。
その側面が回転を始める。と同時に内より浮かび上がった光の散弾が、絵草へと向けて放出される。
一度はそれを首の動きのみで避けた絵草ではあったが、避けたその弾が不自然なカーブを描いて彼女の背に狙いを定めると、さすがにその身を動かさざるを得なかったようだ。
地を蹴って駆け出した彼女を、左右後背より弾が並走、追走する。その裏手で鳴の身柄を引き取り安全な場所まで下がろうとする歩夢たちを、斜線から器用に外す。
顧みざまに剣光が閃いた。それが絵草が代用する駒の特性なのだろう。錯覚ではなく、明らかにその太刀筋は伸び上がっていた。
弾幕の内、自分に着弾するであろう幾つかを斬り落とし、絵草はさらに加速して士羽へと肉薄せんとした。
が、踊るが如く白衣の少女が杖を振るえば、その左右に砲塔が整列する。
次の瞬間、弾と砂塵の嵐の中に、絵草の姿は掻き消えた。
しかし内より膨れ上がった風の圧が、その暴風を突き破った。
肩を突き出すように迎撃網を噛み破ってきた絵草の切っ先は、すでに射程内。掬い上げるような円弧を描く。
自らの顎を撫で上げるような太刀筋に、士羽がやや大げさなほどに半身を仰け反らしてみせた。
直後、彼女の痩躯は消えた。否、背後に現れた光壁――虚空を切り取る窓口へと飛び込んだのだった。
確実に捕捉すると思われていた絵草の太刀筋は旧友が居たはずの空を切った。
当ての外れた衝撃波が、彼方の枯れ枝を断ったのみであった。
完全に、火力物量ごとに、形勢は逆転していた。
「ようやく、本気を出した、ってわけか……さすがの会長サマも開発者相手には形無しらしいな」
歩夢の腕の中で、ようやく意識を取り戻したらしい鳴が、やや毒のある苦笑を浮かべている。
だが、対してその傍らのレンリは、
「――いや」
と言葉を濁した。
「なるほど」
絵草は目線を持ち上げた。
「グレード3に到達した時点で、『ユニット・キー』は空間や自然現象に影響を出すだけのポテンシャルを得る。そしてグレード5に至れば、ある程度はこの『旧校舎』へ干渉も可能というわけだが」
中空に留めた眼差しの先に、維ノ里士羽は座している。
絵草らの頭上に展開させた
「その『クレリック』はそれに特化した鍵。まさに引きこもりのお前には似合いの能力だな」
「その引きこもりの能力を、天敵と号しながら何もできていないではありませんか。貴女の方こそ、『クルセイダー』が使えなければ棒振りしか能がないでしょう」
表情こそ変化はないものの、その言葉はあまりに挑発的なものであった。
だが、絵草の顔には怒りはない。それどころか敵意でも喪失したか、刃先を地に向けて傾けた。
「様子見をしていた」
と、視線は士羽を捉えたままにぞんざいに言い放った。
「が、正直のところ……失望したぞ、士羽」
嘲った士羽の側が、絵草の所感を聞いてむしろ柳眉を怪訝に歪めた。
「攻撃パターン、戦術、ホールダーの基本スペック……それらことごとく、訣別した時とまったく変わっていないじゃないか」
そう嘆いてから一瞬後、破裂音が周囲を震わせた。
気がつけば、絵草の影も形もなくなっていた。一時たりとも目を離していなかったはずの士羽も歩夢も、その姿を見失っていた。
次に彼女が現れたのは、士羽の真正面。大上段に振り上げた刀が、士羽の肩口に吸い込まれていく。
「くっ……っ!?」
咄嗟に得物でそれをいなした彼女ではあったが、『天上の玉座』からは退かざるをえなかった。
最寄りの屋上に飛び移った士羽は、すぐさま己の四方に砲台を敷き、絵草へ向けて斉射を仕掛けた。そして自身はすぐにでも転移できるよう、背後に窓を出現させる。
「しゃらくさい!!」
当たり前のように空中で加速し、絵草は再上昇して追撃を仕掛けた。凡その女子高生が口端に乗せることはまずないであろう一喝。一閃。
鞭のように、あるいは
「莫迦な……っ、『剣豪』はグレード4相当のはず……!」
動揺を知れず口にする士羽は、崩されに崩され、押されに押され、体勢を立て直し切れずにふたたびの接近を許した。
「笑止! 最高位に至ればそこで力は打ち止めと信じて疑わぬことにこそ、お前の限界がある! 研鑽を積み、工夫を凝らし、功夫を練り、発勁を効かせれば、低グレードの駒でも十分にグレード5の『キー』への対抗が可能となる! 我々の置かれた状況は刻一刻と変化している、にも関わらず、その高みに胡坐をかいて己のみ安穏を求め、保留と維持にのみ終始しているのが……お前だ!」
絵草の大音声と凶猛な笑み、そして一呼吸も許さない猛攻は、自身の力や優勢を誇るというよりもむしろ、かつての同志の不甲斐なさを詰るような烈しさが滲む。
レンリは痛ましげに目を背けたが、歩夢は完全にその応酬を追えずとも、絶えず見守り続ける。
さっきから何かが、デジャヴめいたものが、頭の片隅をちらついている。この有様を、どこかで、見た気がする。それが何なのか、ロケーション的なものなのかシチュエーション的なものなのか、あるいは人物の構図なのか。確かめるために。
一度肉薄した相手を今度はみずから大きく弾き飛ばし、間合いを取るや、刀を鞘へと納めた。
〈ソードマスター・
柄頭の鍵の回せば、終焉を告げる死神の音声。
足場にしている校舎そのものを踏み砕かんばかりに駆け出した絵草の、通り過ぎる軌道は、轍のごとくに地が割れる。
「キエェェェェ!!」
さながら、
けたたましい気炎とともに、絵草が士羽と交錯する。通りすがりざま抜き放つ一太刀は、まるで重石でもくくりつけられたかのような重量と重圧を伴っていた。
解放されたのは、横薙ぎの一閃。
しかし士羽の身を襲ったのは、四筋の、明確な質量を持つ斬撃であった。
声もなく、音も立てずに崩れる士羽。その意思の剥奪により、凍結されていた『クルセイダー』が再起動を始めた。
飛び降りた絵草の意気に呼応したその鍵が、再びクレイモアへと形を変え、主人の左手に吸い付く空中に展開された十字架の編隊を率い、和洋の双刃を構え、学園の剣を自称する少女は歩夢たちの退路にあらためて立つ。
そしてこの時こそが、歩夢の脳裏のインスピレーションと、目の前の光景とが重なり合った瞬間だった。
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(20)
足利歩夢は、夢を見る。
臥した人々で描かれる曼荼羅。砂土を焦がす熱。破壊された庭園。崩落する校舎。
そして為す術もなく倒れる自分自身。
――まさに、目の前に広がるこの光景そのものであった。
いつかの夢と今この現とが、多少の差異はあるにせよ重なった時、煉獄の炎の渦底に、死者の貌を見た。
的場鳴がいた。
白景涼がいた。深潼汀がいた。澤城灘がいた。楼灯一がいた。
他にも数え上げたらキリがない。見覚えのない顔触れもいる。
ただ共通して言えることがある。
死んだ。皆死んだ。
誰一人として生きてはいない。誰しも、五体満足ではない。人の形を保てているだけでも半数を割れる。いや、一人最後立っている。
目の前の、征地絵草。
同じように自分を睨み、迷い、躊躇一切なく剣を振る。
それがあの夢の前のことなのか後のことなのかは、定かではないが。
「その鳥を渡せ。もしくは責任を取って貴様が殺処分するというのなら、それでも良い」
その絵草の恫喝が、遠く濁って聞こえる。
結局のところ、あれは何だったのだろう。
ただ一つ、確かなことがある。
ユメであろうと現だろうと、フェイクだろうと真実だろうと。
常に『
変わらない威容を顕示している。
『そいつは他人や物事に興味がないくせして、
いつかの
まったくもってその通りだと自分自身でも思う。
その性質が言っている。
やはり総ての真実は、あの剣の中にこそあると。
(まぁそれは、誰にとっても明らかだけど)
それでも、触れれば、受け入れれば、あるいは判然とするのかも知れない。
わざわざ手順も理路整然とした解も必要なく、手っ取り早く。
そうして掲げて見せた手が、無言が、反抗の表れと見て取れたらしい。
「そうか」
短く言って合点した生徒会長は、双剣を振り上げて
「ここに足を踏み入れたうえ私の温情を拒むか。それで蒙昧に掲げられた両腕が穏便に済むと思うなよ」
無慈悲な宣告とともに、歩夢の手へと叩きつけられようとした。
もはやそのことにも、恐れもなく、現実味が薄い。屋上で敗北した士羽や、鳴が、意思と気力を取り戻してあらん限りに声を振り絞るが、それも遠い。
この瞬間、足利歩夢の感覚は二極化していた。
すなわち、『上帝剣』に漠然と向けられた陶酔と、自身の腕の中よりすり抜けた、カラスへと。
歩夢と絵草の間に割り込んだレンリの身体が、一瞬の光芒の後に輪郭を変えた。人の姿になった。細やかな男の影となった。
逆光の中で男の手には、黒い金属質の筐体が握られていた。
胞胚のように、いくつもの分裂体が緑の閃光で区切られて分かれている。そのうちの一個を親指で押し込むと、
〈オルガナイザー・アーカイブ〉
と、その物質の個体名らしき単語と起動音を人工音声が唱え、一個一個のがプラネタリウムのように空へ『ユニット・キー』の名称と思しき
その画面の内に手を突っ込んだ後に引き抜くと、そこには孔雀の羽のごとく極彩色の焔が渦巻く『鍵』が握りしめられていた。
〈コンキスタドール・ロバンド〉
それを手にする自体が苦痛であるかのように、わずかに髪の隙間から覗く奥歯を軋らせ呻き声を絞り上げ、青年は箱の本体へとそのキーを叩きつけてねじ回した。
箱が切れ目に沿って分化する。一個一個が形を変えて、男の全身を覆い包み、変形させる。
爪に翼に、肌に、羽毛に、嘴に。
武器に。外骨格に。無数の鍵に。兜に。
異形の総身をもって、彼は迫り来る斬撃を受け切った。
絵草の双眸が共学に見開かれたのも束の間、
「そうか、貴様が、貴様の如き者を言うのか……!」
と納得してみせた。
その感情の推移は、この刹那を目撃した生徒全員と同じものであったことだろう。
あぁ、それについても。
気づく機会はいくらでもあった。推察することは容易に出来たはずだ。
出来てなお、自分はその答えから目を伏せた。
当然の疑問であった。行き着くべくして行き着いた帰結であった。
彼は、カラスは、レンリは、異なる世界より来訪してきたという。
『上帝剣』が選び、変貌させられた
――であれば、その地獄からやってきたこいつは、一体なんだ?
「『
夢にあって現に欠けていたもの。
その最後のピースが当てはまった時、誰の目にも明らかなほどに、真実の絵図が示されたのだった。
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番外編:重き、ヨスガ
「ハーイ、ネコカブリ」
授業後の新北棟。まだ新築の生乾きの木材のような匂いがかすかに残るその廊下にて、ライカ・ステイレットは同じ留学生のカルーア・マルクスに声をかけられた。
振り返れば、クラスメイトの西洋人はブルーの瞳を揶揄に歪ませて、薄い唇を歪めていた。
「そう、お前のことだよ、ネコカブリ。日本の諺ではお前のように周りに良い顔する性悪をそう言うんだとよ」
悪意たっぷりにそう言う彼は、ずいと顔を寄せて探るような目つきで言った。
本邦の人々のコンプレックスもあるのだろうが、持て囃されるだけはある美男子であり、またそれが故の自信とプライドの高さもそこからは滲み出ている。
「気付いてないとでも思ったのか『お嬢さん』? 言えよ、そのナヨナヨした風体の裏っ側に、なに隠してる?」
恫喝と難詰を織り交ぜて言うに対し、
「オマエこそ」
ライカは取り澄ました物言いとともに自身のスマホをポケットより抜き出した。
「高校デビューしたいなら
「のおおおぁぁぁぁぁ!?」
さっきまでの余裕から一転、自身のTwitterの画面が映る端末を慌てて取り上げようとする。だが、自分の携帯を破壊されることを承知で容易に渡す馬鹿も、恥部を晒された相手がどういう行動に出るか読んでいない馬鹿もいない。
ヒョイとそれを身軽かつ最低限の動作にてかわし、ひたすらに相手の消耗と諦めを待った。
「てめっ……どっからそれを! やっぱかぶってやがったな、ネコ!」
だがそれがいけなかったようだ。ついには直接的な暴力に訴え出ようと拳を振り上げたカルーアだったが、
「おーい、おーい! ライカさーん!」
学校指定のリュックサックを背負って手を振る男の、気抜けするほど間延びした声がその緊迫の瞬間を差し止めた。
この学園内において、銀髪の留学生をそんなフランクな呼び方で止めるのは、ただ一人しかいない。
普通科二年、見晴嶺児である。
しつけのなっていない大型犬よろしく駆け寄ってきた彼の、カルーアから見ても相当な図体に圧倒されて、後退り。
「お……」
「え?」
「覚えてろよーっ!」
そして振り上げた腕は涙を覆うために用いながら、猛烈な勢いでUターンしていった。
無用な諍いを、さほど労力も必要とせず回避できたことを、ひとまずライカは安堵した。
「お前のデカい図体と声も、たまには役に立つな」
「えーと、それ褒めてる?」
「褒めてるよ。今回はな」
わーい、と両手を掲げて無邪気に喜ぶ嶺児。その単純な思考回路に呆れつつ横を抜けようとすると、さもそれが当たり前のように追従してくる。
「いや、会話の内容までは分かんねーけどさ。ダメだよ、仲良くしなきゃ」
「知るか。向こうが勝手に突っかかってくるんだよ。あいつの親父の会社、ここへの参入を狙ってるからな。俺の事を同類かなんかだと疑ってて、それでああして挑発かけて内情探ろうってハラなんだよ」
首をすぼめながら言ったライカの手には、U字型のユニットが握られていた。
「……多分こいつのことまでは、知られてはいないだろうけどな」
「なんなんだろうね、それ」
「さぁ」
嶺児は適当にあしらいつつも、ライカは知っている。
『ユニオン・ユニット』
その名もごとく、結び合わせるもの。
機能に限った話ではない。
それこそ嶺児。あるいは多治比和矢。そしてここから先、真実へ到るための
あるいはそれは呪いであるのかもしれない、とふとライカは思った。
過るのは耐え難い苦痛。ベッドに束縛された我が身。揺らぐ視界の片隅でたなびく包帯。幻肢痛にも似た狂おしくもどかしい喪失感と虚無感。
ひとりの少年から差し伸べられた地獄へと誘う手。
きっとロクな
それでも、握り続けて前進することしか、今の自分にはないのだときつく言い聞かせる。
ライカ切羽詰まったような横顔を、嶺児はじっと見守っていた。
だがやおらその細腕を掴むと、ぐっと身をかがめて顔を寄せた。
「な、なんだよ」
いつもならカルーア同様、ひらりと避けてこんな馴れ馴れしい触らせ方はしないし、狼狽も見せなかった。自分の内に埋没し過ぎていたようだ。
真剣そのものといった感じで唇を引き締めていた少年は、
「ライカさん、ウチ遊びに来ない!?」
「……ハイ?」
……男子高校生にはまぁあり得るセリフを、非日常的なまでに緊迫感あふれる面持ちで告げたのだった。
〜〜〜
見晴嶺児の家を訪れるのは、今日が初めてのことではなかった。
いつだったかも、今のように腕を引かれて連れて来られた。
もっとも、その趣は一般的住宅とは多少異なっている。
一軒家には違いないのだが、そのうちの大部分の区画は開放されて湯気が充満し、味噌と魚介出汁の匂いが立つ。掲げているのは表札ではなく、『麺房みはらし亭』なる屋号。
家族以外の人間がそれなりに入ったカウンターの奥、調理場に立つバンダナ姿の、ややシャープな目元を持つ女性が、嶺児たちの姿を認めるなり「はいらっしゃ」と声をあげかけ、それが息子の姿だと知るや顔をしかめた。
「ちょっと、客じゃないんだからこっちから入って来ないでよ」
「るっせ、ババア。客だっつの、お客さん」
と、嶺児。
ライカに対するものとはまるで違う、ラフなリアクションで母である
「あら、ライカ! いらっしゃい!」
「……どうも」
「ごめんね、ちょっと混んでるけど、奥の座敷空いてるからそこ使って?」
と、舞依はごく自然体でこの銀髪の外国人に応じると、座敷の方を手で示した。
それに倣って二人がそちらへ行きかけたところに、嶺児だけが舞依に捕まえられた。
「まぁちょうど良かった。あんた、ちょっと買い出し行って来て?」
「はぁ~? マジかよ、だからオレら客だっつてんじゃねーかよ」
嶺児は難色を示した。
「あんたは違うでしょ」
「違わねぇ。オレにはライカさんとまっずいラーメン食ってスマブラするっつー大事な用があんの」
「そうなの、ライカ?」
「いえ、全然。俺は飯食いに来ただけですから」
「えぇ~!? ひっどい、そこはハナシ合わせてよ、ライカさあーん」
シナを作って上体にもたれかかってくる嶺児を、今度こそライカはきっちりといなして跳ね除け、冷ややかな目線を呉れてやった。
「……ネコかぶってんのはコイツの方だよな。どう考えても」
「え、え、なんのコト?」
「なんか俺にだけ『さん付け』だし、キャラ違うし」
「なんかよくわかんないけど、ホラそこはオレ、ライカさんのことはマジで齢とか身長とか関係なくリスペクトしてるから……あ」
「なんだよ」
嬉しげにはにかんだ後、嶺児が
「ライカさん、ひょっとして距離感じて寂しかった?」
と己惚れた気持ち悪いことを抜かしたので、ライカはその爪先の、特に神経の集中しているであろう部位を思い切り踏みつけてやった。
「あだぁ!?」
「バカなこと言ってないでさっさと行けっ! マイさんが困ってるだろうが!」
と何故か他人の母親を助けるためにその息子の方真っ赤になって怒鳴りつけるという奇妙な構図となり、キッチンに取り付けられていたメモ用紙を額に貼り直された嶺児はキョンシーのようになって不貞腐れながら買い物へと出掛けていったのだった。
そうして通された奥の間でしばらくぼんやりとしている。
注文してからだいぶ経つが、それは慣例のうえ承知のことだ。
ある程度客を捌いてから、初めてライカの分が回ってくる。息子の言動は差し置いても、彼の学費のためにひとり店を切り盛りし、かつ自分のような余所者にもよくしてくれている真依へ、せめて迷惑にならないようにと、ライカ自身がのぞんで望んでの配慮だった。
(まぁ、無理矢理に連れてこられただけで晩飯にもまだ早いしな)
などと考えているうちに、注文していた味噌ラーメンが運ばれてきた。
「ハーイ、お待ちどうさま。ごめんね、こんな日にばっかり客入り良くてね」
「あぁいえ、大丈夫です。こっちが押しかけちゃっただけですから」
この謙虚さは、嘘やネコカブリではない、とライカ自身はそう信じたかった。
目の前に置かれたラーメンは、洋の東西を問わず野菜を煮込み、あるいは鶏そぼろとともに炒めて盛り付け、それなりにボリュームがありながらもよくまとまっている。
「どう? 美味しい?」
客も一通り捌き終えて手が空いたのか、そのまま真依は居座った。
「美味しいです」
そう問われ、不味いと答える者はよほど肝が太いだろう。
だが、この場合は一口食べたライカの、正直な感想だった。
味噌の裏に隠れがちだが、根菜をふんだんにダシに用いたスープは、どことなく故郷のエッセンスも感じさせて舌に合った。
「これを不味いとか言うレイジは、味音痴かとんだ親不孝モンですよ」
麺を箸でたぐりながらそう零すと、我が子のことを言われているにも関わらず、舞依は噴き出した。
「ごめん、あはは! よその国の美少年が達者な日本語と箸使いで『親不孝モン』て!」
「すみません。息子さんのことそんな風に言っちゃって」
「良いの良いの! しっかしホント日本語上手いわね。麺も気持ちよく音たてて啜ってくれるし」
「一応叩き込まれましたしね。長く腰を据えることになるからって」
「それは……今嶺児が手伝ってるって、何かのこと?」
――喋り過ぎた。
やはり今日は、我ながらどこか油断が目立つ。
「……すみません」
その秘事を打ち明けられないこと。首を突っ込んだのは嶺児とは言え危険なことに一人息子を関与させてしまっていること、二重の意味を、ライカは一言の謝罪に込めた。
「良いわよ、無理に言わなくて。むしろ、感謝してるくらいだから」
返ってきたのは、意外な、だがある種舞依らしいさっぱりとしたリアクションだった。
「あれでもアンタと会ってから、だいぶ丸くなってくれたしね」
「そうなんですか?」
「そうよー、それこそ手伝いなんてとんでもない。触る者すべて傷つける孤高のロンリーウルフだったんだから」
(……それだと二重表現だよ)
いずれにせよ、今の馴れ馴れしい嶺児からは想像もつかない。
「だから、ウソじゃないよ」
「え?」
「さっきのあいつの言ったこと。本当にあんたのことを
そう言うと、嶺児の母は少し寂し気に目を細めた。
「嶺児、アンタを初めて連れてきた時に言ってたわ。『初めてオレより強くてでっかい人に出会えた』ってね。それが久々の親子の会話」
「……」
「あと、こうも言っていた。『強くて、でっかくて……でも、時にはそれ以上の荷物を独りで背負っちまう人。だから、オレがその荷物のいくつかを肩代わりできねーかなって。持て余していたこの図体が、初めて、使ってほしい人の役に立つのならこれほど嬉しいこともないよ』ってね」
知っている。判っている。容易に想像がつく。
その時の晴れがましく吊り上がる唇も。そのくせ困ったような下がり眉ではにかみも。
決して、見向きもされないくせに。冷たくあしらってやるのがせいぜいなのに。
馬鹿みたいな献身を止めもしない。
「ライカ、アンタが何を想い詰めてこの国まで来て、何をしようとしてんのかはあえて訊かない。でもあんなヤツでも、肩が少し軽くなるなら少しぐらいは頼ってあげたら良いんじゃない? あのバカ息子だって、それを言いたいがために今日もその前も、ここに連れてきたんじゃないかな」
それだけ。そう短く言い切って、舞依は席を立った。
おそらくはその『それだけ』のために彼女は、息子を不要不急の買い出しに行かせ、かつ自身とライカとの語らいの場を設けたのだろう。
いよいよ本格的なディナータイムに入り、ふたたび客の出入りが多くなる。
その間に、厄介な少年がうるさく駆け寄ってくる前に、食べ終えたライカも暇乞いすることにした。
カロリーを摂取して身体が熱を持ったせいか。
秋も初めの口だというのに、店を出て外気にさらされた肌は心なしか寒く感じる。
「――なにが、肩代わりだ」
その帰途にあってライカは、きゅっと唇を引き結び、深く項垂れた。
「むしろ余計な重荷なんだっての。でかい身体で寄りかかってきやがって」
そう毒づいた少年は、異国の夕空の下、目元を袖口で拭い上げると足を速めた。
そしてその数日後、ライカ・ステイレットは盟友多治比和矢から、互いの目的達成がため、事態を進展させる旨の通達を受けたのだった。
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第八章:カラの、玉座(後編)
(1)
二年前。剣ノ杜学園本校中庭。
いつの四季でも美観を楽しめるようにと季節の違う植物が植えられ、その夜はその合間に電飾や旗が吊るされていた。
「ほら、来いよクリス!」
「待ってよぅ、ライカ」
その葉や輝きの合間を縫うようにして北欧人の若い兄妹はこの片隅に侵入していた。
この日、学園で執り行われていた創設祭は最終日を迎えていた。昼のパートは一般開放されていたが、夜のパーティーは学校関係者のみの祭典となっていた。
彼らも彼らで昼の部までは出店を学園の出資者であるという親と共に回っていたりしたのだが、夜は子どもの寝る時間だとかで締め出されてしまった。
かといって二人でホテルの部屋に押し込められても、やることなんてあるはずもないし、あったとしてこのきらびやかな会食、大人な世界に勝るものがあるとも思えない。
「パパたち、来ちゃだめって言ってたでしょ?」
「父さんたちだけでずるいんだよ。だいたい、七時に寝る子なんていないっつーの。ほら、あっちにも、こっちにも俺たちと同じぐらいの子いるじゃんか」
嬉しそうに飛行機の模型を取り出して相棒に自慢する白衣の少女。それに呆れながらも話に応じてやる、妙に威圧感のある灰色の髪の少女。
独り何をするでもなく直立無表情で棒立ちになっている詰襟の制服の少年。
会話の内容までは日本語ゆえに聞き取れずとも、大人たち相手に見事な受け答えをしているらしい中性的な子ども。それをつまらなさそうに見ている近侍の少年は、他の仲間たちが横から入れてくる茶々にも適当にあしらって答えている。
引っ込み思案な妹はそんな彼ら相手にも気おくれしているようだったが、兄の方は恐るべきだとは思わない。いつも勝手に腫れもののように距離を取るのは日本人の方だ。言葉は伝わらなくとも態度とは伝わるものだ。
ふと目を遣れば、その喧騒の中心に少年少女がいた。
自分たちと同じく兄妹だろうか。聴き取れずとも、そのやりとりには慣れたようなテンポがある。
その内で一番年上らしい少年と、目が合った。
視線が重なるなり彼は、何か言いたげに目と口を半開きにした。だが結局は何も言わずに、首を振って俯いた。
その思わせぶりな態度に、腹が立った。
「よし、そうやってどいつもこいつも無視を決め込むならもっとハデなことしてやる」
そう息巻いた兄が目をつけたのは、中央に座する、剣を持った人型のオブジェ。その頭頂に掛けられた楓をあしらった帽子である。
妹の制止と腕を振り切ってそれを奪い取ろうとよじ登る彼にしかし、
「危ない!!」
と張り裂けんばかりの声が飛んだ。
意味は分からないが、それが危機を伝える迫力を帯びているのは理解した。
え? ……と顧みた次の瞬間、悲鳴が上がる。会場全体にどよめきが満ちる。誰も彼もが、天を仰いでいた。
流星か、衛星か。極彩色の尾を引きながら、剣のごとき異形が、夜空を引き裂いて落下してしてきていることに、少年も気がついた。
それは瞬く間に像を大きくしつつ、右往左往の人間たちとの間を詰めて、地表へと突き立った。
その夜が、この爆発が、全ての始まり。
そして少年、ライカ・ステイレットが妹と言葉を交わした、最後の日となった。
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(2)
空気の張り詰め方は、征地絵草が現れた時に匹敵する。
だがそれ自体の発する気配そのものが、まるで違っている。
絵草は曲がりなりにも人間の形を取っている。人の言葉を話し、一応は筋の通った思考を組む。
レギオンは人間を宿主とする異形だ。だが、習性は獣のそれで、明確な自我はない。
が、この全身を凶器と換えた怪人は、明確な理性がある。絵草の言葉に反応し、ゆるやかに首を巡らせるゆとりと情緒がある。
異物感は、そこから来る。
まるで宇宙人が突如目の前に飛来してきたような心地を、その場に居合わせる全員が味わったことだろう。
「あ」
誰かが声をあげた。誰しも、その怪物を一時も怠ることなく注視していたはずだった。
にも関わらず、その誰の視界からも消えた。
次にレンリが現れたのは、絵草のすぐ左手であった。
「なっ!?」
驚く間もなく、無敵の生徒会長の身体が不意打ちの横槍によって飛んだ。この場に並居る実力上位者相手にさえ苦戦というものをまるでしていなかった女が、まともに攻撃を喰らった。
高速移動。否、軌道が見える見えないどころか風の流れさえ感じない。
瞬間移動。否、時空が歪む、と言うよりかは壊れる、隔てるものが砕けて割れる、という
とにかくレンリを名乗っていたこの怪物は、一度この世界から間違いなく消失していた。そして間も置かずして再び現れた。
「大丈夫か?」
瓦礫の山に突っ込んでダウンした絵草から自分たち、というよりも歩夢の無事を確保したレンリは、その腕を差し出した。
だが、脳裏を過ぎるのは悪夢。差し出した彼の手で心臓を貫かれる間際の幻影。
咄嗟に歩夢が伸ばした手は、レンリを拒絶し振り払うために使われた。
「……」
強かに打たれた自身の掌をじっと見下ろすレンリの表情は、その凶悪な鳥のマスクに隠されている。
だが、感情を押し殺し声を絞る。
「鳴……この娘を、頼む」
言わずもがな、鳴は動いた。
よろめきながらも立ち上がり自身の小脇に歩夢を抱えて間を置いた。それは、両者の戦いから、というよりもレンリ自体からという向きがある。
絵草の埋もれていた瓦礫の山が、内側から消し飛んだ。
閃光の速度と輝度をもって、たちどころに体勢を立て直して討って出たきた絵草の刺突は、レンリの外殻を掠めて火の華を咲かせた。
有効打ではない、と判断した彼女は咄嗟に二転、三転と身を切り返し二種の太刀筋を閃かせ、肉薄する。息をつかせる間もなく切り立てていく。
「妙な術を使うようだが、所詮は士羽の延長線! ならば転移する暇を与えず攻め抜くのみ!」
と気炎を発し、その猛攻には一瞬時の緩みもない。
果たしてその読み通り、世界を越える暇はない。代わりにレンリは、尋常ならざる飛距離と速度で飛び退いた。
だがそれさえも、絵草の案の内である。
いつの間にか頭上には、十字の砲台が展開されていた。光線を放つ。それも直接的な落下ではなく、互いが互いを弾き、跳ねさせ軌道を変えて。不規則な弾道が檻のごとくにレンリを捉え、捕らえ、やがては彼を終着点として集約されて爆ぜた。
攻勢成れり。だが、絵草の表情は晴れない。その眩さの向こう側で、何かを認め舌打ちする。
全弾、カラスの異形には届いていなかった。
彼が突き出した掌を起点として、異空間が彼の周囲を覆っていた。
ヒビ割れたガラスのように。古ぼけた遊園地のミラーハウスのように。多元的に広がる色と景色。
その中に、断片的にこの世ならざる何かが差し挟まれている。その場所に、必中必殺であったはずの絵草の砲撃は裁断され、乱反射しつつ飲み込まれていく。誘い込まれ、深淵へ沈められて、消滅した。
「くっ」
歯噛みしながらも、絵草はなおも攻勢を諦めない。第二第三と弾幕
一時でもそれを絶やせば、この未知の怪物の反攻を受けることを、肌身で感じ取っているがゆえに。
なるほど確かに、その絶え間ない猛攻の甲斐もあって、またそれが空間にさえ干渉するという最上級の『ユニット・キー』によるものであるがために、レンリを保護するその断片が貫かれて破砕された。
だが、それでもレンリには届かない。
その絶対的な隔絶の先で、おもむろにレンリは腕を持ち上げて軽く手を畳む素振りをした。
転瞬、絵草の周囲の世界が一転した。
赤くひび割れた大地。燃える草。焦げ付いて散らばるコンクリート片。彼女の周囲だけが、まるで切り取られたかのようにその地獄の様相を呈している。ついには飛ばす斬撃砲撃それ自体が、まるでテレビの前の出来事であるかのようにその境界を隔てて無力化される。どこかなりに消えていく。
その絵草の攻撃が、ついに止んだ。
諦めたわけではなく、にわかに総身を震わせ、苦しみ出していた。
「か……はっ……!?」
喉元を押さえて必死に呼吸をくり返し、喘ぐ口元からは血が吹きこぼれ、内から襲う苦痛に背を丸めていた。
「無駄だ」
その攻勢を、抵抗を、カラスの怪物はそう断じた。
「『征服者』は世界をみずからの色へと塗り替える力。ホールダーの恩恵で最低限の生命維持は出来ているが、本来であればそこは人の棲めない領域。息を吸うたびに肺は焼かれ、身じろぎの都度に血管は破れる……悪いことは言わん。退路は用意してやった。諦めてくれるのなら、俺からは何もしない」
その言葉通り、絵草の背の領域、その線引きがあいまいになっている。
勝ち目がない今、撤退あるのみ。レンリも、そして歩夢たちを含めた周囲にいる人間もまた、そう考えていたし、むろん絵草にも同様のヴィジョンが一端なりともあったことだろう。
「――舐めるなよ、
が、むしろその気遣い遠慮が、彼女にその選択肢を捨てさせた。
「うだうだと理屈ばかりを並べる、愚かさ、よ!」
吐き捨てる呼気はひゅうひゅうと悲壮な音を立てる。
なお刀剣を揮う。すべてが拒絶され虚無に呑み込まれていこうと、代わり己の内外が焼かれようとも、彼女は攻撃を再開させた。
「グレードだの特性だのと異常な世界で論じたところで、何の意味もない! 道理などない! 無理を通せばそんなものは引っ込む!」
「……それ最初にここで言ったの、あんたでしょ」
指導者が言うべきではない暴言に、歩夢は思わず小さくぼやく。
〈クルセイダー・制圧爆撃〉
捨て鉢の特攻か。絵草のクレイモアが再び砲台を吸い上げて輝度を増す。
「キェェェェェェェ!」
地を揺るがす膨れ上がった黄金の一太刀を大上段から片手で振り下ろした。
最大出力で放たれる斬光は、さすがに消却しきることはできないようだった。が、それでも絶対的な隔絶を前に防がれ、むしろその反動により絵草の身体が望まずして後ずさり、真空状態にさらされて肌には無数の刀痕のごとき裂傷が生じていた。
「おい、やめろ! 本当に身体がバラバラになっちまうぞ!?」
と、気を揉んだのはむしろレンリの方だった。
だが当人はお構いなしに、
「退ぁぁがぁぁるぅぅなぁぁぁ!」
などと、横暴で無謀な陸軍士官のように己の肉体を叱咤する。もっとも、声だけ強めても効果などなく、むしろ体力を消耗するだけだったが。
みしり、みしりと音を鳴らして軋むのは、果たして世界の境界か、彼女の骨か。
そこに来て生徒会長は、左手に在る大刀を振り上げた。
そしてあろうことか――自身の足の甲に刀身を突き立て楔とし、後退していく己と地面とを縫い付けた。
「はぁっ!?」
愕然とするレンリの動揺が、自身の能力を撓ませたのか。
あるいは、それこそ無理を押し通さんとする絵草の一念か。
「良いからとっとと、
獅子哮とともに、絵草は最大級の剣閃を振り切った。
そして不抜の障壁であった世界の垣根を突破し、斬撃は勢いそのままに『征服者』の肩口へと吸い込まれるようにして軌道を描いて直撃した。
まばゆい輝きつんざくような音とともに爆炎が彼を覆い包んだ。
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(3)
剛剣一撃によって溢れ出た力と光の洪水を、切り返した一閃とともに絵草は振り払った。
その眩い帷が裂かれた先にはしかし、すでに一同の姿はない。
あのレンリとやらとか副会長賀来久詠以下、居合わせた全員の影もなかった。
「諸共に消し飛ばしたか? いや、直撃をくれてやったのはあの怪物のみだ」
地上に立つ覇王はそう独りごちつつ、左右を見渡していた。
「とは言え奴にこの場の全員を救出する義理も
あれほどの異形、あれほどの暴威に曝されてもなお、前進と攻勢を諦めてはいない。内情はどうあれ余裕と強硬を示す。
これこそが、征地絵草。
文字通り、地を征する覇者の姿。
「ん」
だが、そこで絵草の足が止まった。いや、元々縫い止められていた。自分自身の手により、その愛刀で。
「あいたたた、ついテンションがブチ上がってやってしまった。太い血管は避けたはずなんだが」
……こむら返りでも、もう少しはリアクションを見せるだろう、という調子でその柄から鍵を抜くと、刀身が霧散消滅して、傷口から溢れ出た血が靴下やローファーを濡らす。
いそいそとその止血を行いつつ絵草は、
「――それで、貴方は高みの見物か。多治比和矢」
手を止めないままに、屋上に陣する上級生へと言った。
「そもそも我々を個別に招き寄せ居合わせるよう仕向けたのは、先輩でしょうに」
場所を変え潜伏先を転じ、それでもこの場に居残って事の始終を観察していた和矢は、しかし応答は避けた。確実に存在自体には気が付いているだろうが、今いる場所までの特定には至っていないはずだった。こちらに背を向けて屈み、ハンカチで足を縛っているのが何よりの証拠だ。
「あるいは、寸前であのカラスを助けたのは貴方かとも考えましたが、どうやら違うようですね」
それは絵草の推測通りである。そんな死地にみずから赴けるはずもない。あの
せめてもの義理立てとして、久詠はそのどさくさに救出して、今足下に転がせている。
生まれたてのバンビのごとく、四肢をびくびくとさせて横たわった彼女以外は皆、第三者が『輸送兵』の駒を使い転移させたのだろう。
「まぁ良いでしょう。先輩の意図も、あれの正体も、いずれすべて明るみに出る……私が剣を振るえば、真実を隠す障害などすべて破壊されるのだからな」
そううそぶく絵草には何も返さず和矢は、誰にも見せることのない冷厳な面持ちのまま、その場を後にしたのだった。
~~~
ある者は言葉のごとく這う這うの体で。また立つことさえままならない者はそうでない者に引きずられて。
征地絵草という生きた暴風雨から逃れてきた避難者たちが転がり込んだのは、打ちっ放しのコンクリートの壁に囲まれた部屋だった。
生活感、というものが何もなく、ただ生きていくのに最低限必要な物資だけが積み上げられている。
実は核戦争に備えて造られたシェルター、と言われても、なるほどなどと納得するだろう。
「よう、剣ノ杜ナンバーワン令嬢。ご無事で何より」
訝しむ鳴に、先導してきた少年は軽やかに声をかけてきた。
見憶えのある顔、というよりもふてぶてしい表情で、手をひらひらとさせて。
「桂騎……て、なんだそのナンバーワンってのは」
「オレも居るぜ、ミス剣ノ杜」
そう名乗りを挙げて自身の顔を指さしたのは、東棟の運び屋、楼灯一であった。
「……いや、だからなんだよそれ。つか何処だここ?」
気が付けば、全員この空間にいた。おそらくは転移させたのはこの二人だろうが、それにしても全員まとめてとは……『キー』とホールダー、桂騎か灯一か。いずれが優秀だったのか。
一番絵草と競り合っていたがために、まだ意識の戻らない涼の長躯を相方とともに引きずってベッドに寝かせながら、桂騎は答えた。
「維ノ里士羽のねぐらの一つ。一度旧校舎のポータルを介してからじゃないと通過できないようになってる学外の地下倉庫さ。これはマサ……会長殿でも知らん」
その言葉を証明するかのように、慣れた手つきで電灯のスイッチをオンにした士羽はしかし、その白熱灯の下で怪訝な表情を隠さなかった。
「何故、その会長の知らないここを貴方が知ってるのです?」
「さぁてな。もしもの時は使って良いって、カラスのダンナが」
手の塞がった桂騎が顎でしゃくった先、いつもの球体のフォルムに戻ったレンリがいる。
壁と向かい合いながら寝かせられた彼は、内部には相当なダメージを負っているらしい。その矮躯が呼吸のたびに弾むがごとく大きく揺れる。
「お前ら、どういう関係だ?」
「ついこないだから、色々事情があって雇われてるんだよ」
「楼、お前もか?」
鳴の視線が別の少年に向けられるが、桂騎とはまた別種のふてぶてしさで灯一は、涼を寝かせたその両腕を掲げてみせた。
「オレは面白い仕事があるってんで、『運び屋』としてかっちゃんに誘われただけだ……そしたら怪物と会長が戦ってるわ、全員ズタボロだわ……見たこともねぇ連中はいるわで」
灯一は鳴に視線を投げ返さず、代わり一同から距離を置いて固まっている二人に目を向けた。
ライカと、そして見晴嶺児なる少年がへたり込んで、鳴たちを睨み返していた。
「聞いてないんだけど、色々と」
「そいつは悪かった……何しろ、こっちもこっちで今日だけで聞いたこともないようなハナシが目白押しでな」
鳴はあえて大きく靴音を叩き鳴らしながら、レンリの前に立った。
「お前のことだよ、レンリ。意識あんだろ、鳥のクセに狸寝入りしてんじゃねぇよ」
ストレートにそう踏み込んで問えば、レンリは気の抜けたような調子で寝返りを打った。
「だったら、今はこのままそっとしといてくれ。俺がこれ以上何か言えば、いよいよ頭パンクしちゃうだろ?」
なお遁辞をかまして誤魔化そうとするその態度に、ついに鳴は切れた。
胸倉に当たる部位を掴み上げて、吊し上げ、互いに引き吊った顔を寄せる。
「お前がそうやって秘密を抱え込むからこんなふざけた事態になったんだろうが。あたしらはともかくとしても、せめて歩夢には何か打ち明ける責任と義務が、お前にはあったんじゃねぇのか……あ?」
「――やめてよ」
そこで歩夢が重く口を開いた。カラスや鳴から距離を置き、膝を抱えたまま蹲る少女の身体は、いつもよりも一層こぢんまりとしたものに感じられた。
「下手な同情で、分かったような調子で代弁しないで」
「お前もお前で、いつまで自分の気持ちから逃げてるつもりだよ?」
歩夢への不満は、そのままレンリを締め上げる腕力へと転じられる。
「知りたくない訳ねーだろ……自分が足の上に載せている相手が、どんな存在なのか」
そう吐き捨てた鳴は、灰色の壁にレンリを叩きつけた。
いつものじゃれ合いとはわけが違う。本気で負傷者相手に痛めつけ、尋問するための暴力。
彼女がやらずとも、片隅で腰を浮かせて臨戦態勢に入っている転校生がそうしただろう。
だから、彼女がやった。聞きたくないことを、今までずっと踏み入ることを躊躇ってきたことを、せめて関わってきても逃げ続けてもいた側の人間の責任として。
力なく地に伏して咽こみ、そしてゆっくりと物憂げな顔を持ち上げた。
「――そうだな」
とレンリは自嘲気味に呟いた。士羽や歩夢を見て、碧眼を歪ませた。
「あの頃から俺は、何も変わっちゃいない。クソどうしようもないほどにな」
彼のみが解しうる納得ともに短い両脚を投げ出し、壁にもたれかかりつつカラスは、静かに息を整えていく。
やがて瞳の動揺が収まって荒い呼気も止んだ後、レンリは正面を見据えてそのクチバシを開いた。
「お察しの通りだよ。俺は、自分の世界を破壊し、そこに住まう人類を全滅させて此処へと流れ着いた……『征服者』だ」
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(4)
その備蓄庫は、一人が寝起きする分には申し分ない広さだったが、十人近い人数が押し込められると、身動きに難儀する。
だが、その限られたスペースの中にいるほぼ全員が、渦中のカラスからは出来るだけ間を置きたかったところだろう。
「そうだ、俺は自分の世界を滅ぼして、ここにいる。『征服者』となってな」
あらためてレンリは、匕首で心臓を再度刺し貫くがごとく告げた。
皆が固まる中、動いたのはライカと嶺児、そして南洋の澤城灘が動いた。正確には、激発したライカを、比較的手近にいた二人が止めた。
「ライカさん、落ち着いて!」
「まだ彼は、全てを語り切ってはいない! ここで彼を殺せば、本当のことが分からない!」
本当のこと。真実、ライカ・ステイレットの探し求めていたこと。
それが少年に最後の一線を踏みとどまらせた。浮かしかけた腰を地べたへと落とし、荒々しく息まく。
「そもそもそいつが世界を喰らう化物だというならばよ」
と、縞宮がその始終を眺めつつ言った。
「どうして、それを実行に移さない? 今更とは言え、こうして俺様たちと対話している?」
「そもそも、一度『上帝剣』に選定された人間は自我が崩壊する。そう言ったのは貴方ではありませんか。あれは嘘だったのですか」
彼や士羽が口にしたのはもっともな疑問だった。今、南洋やライカたちコンビが望んでいるのもまさにそこだった。
「……そこについては、嘘はない」
なお尋常ならざる殺気を滲ませるライカの視線にも臆することなく、カラスは答えた。
「お前たちとは違い、あの『剣』が来襲した時、俺たちにあれに対する前情報なんてのは無かった。ただその膨大なエネルギーとそれを結晶化させた魔性の鍵に心奪われ、国内外でここよりも激しくそれを求め、争った」
「その本質に気が付いたのは、すでに手遅れとなった後だった。『上帝剣』が選んだのは、当初研究の第一人者として前線で参加していた…………俺だった。自身の心身の異常をもってそのことを知った俺は、必死に自我の制圧に抗いながら、その因子を摘出する技術の確立を求めた。だがすでに時間は残されていなかった。ある時を境に、俺の意識はふつりと途絶えた」
そこから、長い沈黙が続いた。抱えた膝に顔を埋め、もしかすればそのまま黙秘を決め込むかと皆が疑り始めた頃になった時、伏せた顔からふたたびか細い青年の声が漏れた。
「次、俺が意識を浮かび上がらせた時、そこは地獄だった。『上帝剣』の基盤たる校舎を除いて世界は吸い上げられ、それに抵抗しようとしていた知人たちは皆死んでいた。俺は守りたいと願った奴の命を奪い、この手はその血にまみれていた」
渇いた声の、告解。歩夢の脳裏にもその光景が鮮明に浮かび上がる。
もちろん、彼の世界を知らないのだから思い描けるはずもないのだが――あるいは、と。
「そして俺は我に返った瞬間に、自身のデバイスで『征服者』の因子を『ユニット・キー』として抽出した。でも、もう世界の崩壊は防ぎ止めようがなく、『上帝剣』を除外すると同時に完全に崩れ去って俺はその衝撃に巻き込まれ、ここに辿り着いた」
すさまじい話ではある。その場に居た学生たちに容易に吞み込める道理はない。
しかしそれでも歩夢には、血を吐くようなレンリの後悔と慙愧に、偽りがあるとは歩夢には思えなかった。
「でも、おたくが支配権を手に入れたんなら、もうそれで終いじゃないのか? それとも、やっぱり野心が芽生えて、俺たちの世界にあの『剣』を」
不穏当なことを言いさした灯一に、棘のある眼差しが四方より寄せられる。こと、銀髪の異邦人の烈しさは半端なものではない。
「悪かった。ただ、気になったもんで」
首をすぼめた灯一だったが、対するレンリは真摯に応答した。
「……『上帝剣』へのアクセス権限は、その因子を体内に持った、その星の知性体しか行使できない
。世界が崩壊している時点で、俺の『キー』はその大部分を失効していた」
「あれで、残りカスかよ」
鳴が口端を引き吊らせる傍らで、士羽が疑問を引き継いだ。
「では、『上帝剣』の玉座は依然空位のまま、と?」
レンリは顔を上げた。だが歩夢とは頑なに目を向けず
「そうだ」
と、ややあって答えた。
「おそらく『上帝剣』は『征服者』の再選定にかかっている。そして……適性者であれば、一度因子を摘出したとしても再度認定される可能性は著しく高い」
そこでまたライカが立ち上がった。
今度は静かに落ち着き払って、いやそう取り繕おうと必死に自制のうえで。
「……つまり」
手に取ったデバイスの射出口をレンリの額に押し当てながら、燃える双眸で見下ろす。
「オマエが『上帝剣』の始末を上手くできなかったせいで、こうなってると?」
「そうだ」
「そして……オマエがまた破壊者として返り咲くことも、十分にありえる?」
「そうだ」
レンリは眉間を今まさに焼き貫かれるおそれもあるのに怖じもせず、二度即答して付け加えた。
「最有力候補である俺を殺し、過去の、あるいはすでに芽生えつつあるかもしれない新たな因子を強制的に奪うことは、そう悪い選択じゃない。それが完全に失効する前に『上帝剣』へ干渉が出来れば、もうけものだろう?」
歩夢はそこで堪らなくなって思わず立ち上がった。
自分でも驚くほどに靴音を鳴らし、背後でかかる何種かの制止の声も振り切って戸を開けて、その場をあとにする。
その場に居たくなかった。何も耳に入れたくもなかった。知るもんかと思ったし、正直なところ、そのままライカ・ステイレットに射殺されてしまえとも念じた。
いくつもの大それた
こんなことなら、何も知らないままで居たかった。何者にも興味も関わりも持たず、ただ与えられた環境を受け入れるだけの、人形で良かった。
――つまるところは何もかも、自負する通り
~~~
ライカが身を退いた。興奮してぶり返してきた痛みのために、退かざるをえなかったのだろう。憎悪によるしかめっ面が、さらに苦悶と悔しさで歪んでいる。
「……ライカさん、今はムリでしょ。色々と」
案じて伸びる相棒の手を振り払って、歩夢に追従するかたちで彼も倉庫を後にした。
ややぎこちなく笑みを取り繕い、嶺児も退出する。
「まぁなんだ。お互い言いたいことは色々あるだろうが、今はアタマ冷やしとけって。オレも実は今、思いがけず情報の洪水ワッと浴びせられてめっちゃテンパってるし」
「あと、時間とルートは分けて出てった方が良い。まとまって動いてると会長に捕捉される」
という灯一と桂騎の提案に従って、一同が解散という運びとなった。
もっとも後に出て行こうとする鳴を呼び止めたレンリは、
「鳴、あの娘のことを頼む」
と念を押すように頼み込んだ。
下げられた黒い頭を冷ややかに見下した少女は、
「言えた立ち場か、アンゴルモア大王」
と声を低めて返した。
いつものような暴力を振るわない辺りに、本気の怒りと呆れと感じさせる。
言えと迫られ、言えばこういう対応を取られるのは多少の理不尽感が伴うが、冷遇されても仕方のない裏切り者だと自嘲する。
最終的に後に残ったのは、士羽とレンリ、そして意識があるのかないのか判然としないままに仰臥する白景涼である。
「……お前は出てかないのか? 士羽」
「さすがに白景涼をこの状態で『旧北棟』に送り返したら、南部あたりが激怒しますよ。不可抗力とはいえ、詫びも兼ねて看病ぐらいします」
殊勝な物言いだが、どうしても褒める気にはなれないのはいつものことだ。
それのみが、本心ではないと知っているためでもある。
「……話すべきことは話したぞ。命綱はすべて投げ出した。殺すなら殺せ」
「さて、どうでしょうね。私の見立てるところ、まだはぐらかしている部分がある」
士羽は椅子ごと身体を移動させて、レンリと向かい合う形を取った。
膝を揃え、上体を曲げる姿は、さながら海外の刑事ドラマにおける拷問シーンのように気取ったものだった。
「ほー、例えば?」
「先に貴方がふいに漏らしたことですよ」
「何を?」
これについては韜晦ではなく、本気で判らなかった。自分でも必死に軌跡や考えを整理して、なんとか理が通っているかのように語ってみせたのだ。どこまでのことを語ったのか、正直レンリ自身に実像が掴めないでいる。
「貴方は、『上帝剣』の基盤を
意図的に節を区切って士羽が言った時、その迂闊さをレンリは悔やんだ。
別にそこまで強いて秘していたことではないにせよ、不覚な失言であったことは確かだ。
「……ずっと、疑問に思っていた」
と士羽は名探偵よろしく続けた。
「貴方はその異形、異世界からの来訪者にも関わらず、最初から妙に世慣れしていた。その一方で、一部の認識にわずかなズレや、本来起こり得ない見当違いが散見された……まるで、別のどこかではそれが既定の事実であったかのように」
双方の息遣いが、一瞬完全に合致した。
そのことに忌々しく碧眼を絞る異境の使者に、この世界の探究者は初めて深くその真実に踏み入ってきた。
「異世界は異世界でも貴方が居たのは、
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(5)
「……別に隠していたわけでも、予言者を気取ってたわけでもない」
苦み走った目元を絞り、レンリは言った。
「ただ、言ったところで信じるわけも何かを変えられるわけでもない。お前が言ったとおり、
いよいよ外は暮色が濃くなってきたようだ。
窓から放たれる夕陽の輝きが失われ、電灯だけでは手元を見るにも多少心もとない。
「平成がまだ続いている。兄妹の順序が逆。性別が逆。死んだはずのやつが生きている。選んだ部活が違う……俺の知っている奴より三割増しで図太くて厚かましくて言動のパターンがかりあげ君みたいな奴。あと『ランボー』が単発映画で終わってたの、地味にダメージでかい」
ここに至るまでに見たもの。己の知るそれとの乖離。それを淡々と、だが奥歯で噛み締めるように紡ぐレンリは、
「……戦争も起こらなかったしな」
と締めくくった。
そこまで極力虚心で耳を傾けていた士羽は、そこで表情を変えた。
それでも顔なじみの鳴でさえ気取れるかどうかの変化だったはずだが、薄闇の向こうでカラスはその真情を読み取り、
「そうだよ、俺たちの世界では『上帝剣』の利権を求めて学園の、国の内外で本物の戦争が行われた。多治比を通じて外部に流出したストロングホールダーと『ユニット・キー』はお遊びなしの軍事兵器に転用され、純正化せず戦場にバラまかれた因子はそのまま軍人民間人を問わずレギオン化させ、世界は異形が蔓延る地獄と化した」
……夢想するだに、恐ろしい。
権限を奪われて拗ねていた士羽の状況よりも、よほどひどい状況ではないか。自分がその場に居たら……という想像に行き着いた時、士羽は疑問を抱き、率直に口にした。
「維ノ里士羽は……」
「ん?」
「ストロングホールダーが存在する以上、そちらにも維ノ里士羽がいたでしょうに。『彼女』は、それを止めなかったのですか?」
一度、レンリは目を丸くした。
だが程なくその瞳も歪に歪み、撫で肩を揺すり総身の瘧へと転じ、やがて彼はけたたましく嗤う鳴禽と化した。
それこそ鳴き声は、生者を死へといざなう凶鳥のものだ。
時間をかけて嘲笑を己の内へと収めていったレンリは、険のある目付きを士羽へと向けた。
「あぁ、いたよ。もちろんな」
低い声で答える。
「けど、お前と同じさ。最初こそ止めようと動いたが、結局心折れて、奴は自分の生み出したものの恐ろしさに耐えられず、身を隠した。全部投げ出して耳を塞いで目を背けて引きこもりやがった! 世界が終わりを迎えようってその時でさえもな!」
先に自問しかけたことに対しての
今でさえ、そうなのだ。きっと、こちらの自分も、たとえ知っていたとしても同じ道を歩むのではないかという見立てがつく。
「だからそのことを思い出すたびに、俺は考えるんだよ」
蔑むような、憐れむような表情で直線的に、レンリは士羽を見上げた。
彼のその眼に彼女が映る。彼女のその眼に彼が浮かぶ。
「なぁ士羽……なんでお前が真っ先に死ななかった?」
自身の像を投影する士羽の瞳に、レンリは静かに語りかけた。
「お前が生み出したもののせいで、お前が投げ出したことのせいであぁなったんだ。みんな救いを求めていた。お前が協力していれば助けられたんだ。どうにかできたはずだった。お前が戻ってくると最期まで信じてた。なのにお前は、その伸ばされた手を振り払って、手前勝手な感傷に浸って見捨てたんだ。お前のせいで、みんな、みんな……」
それは、こちらの士羽にしてみれば謂れのない逆恨みだった。
だが、彼の呪詛は胸に重石となってのしかかる。
並行同位体として『彼女』の行動に相通じるところを感じるためか。あるいはレンリの独語の、あまりに鬼気迫る嫌悪感がためか。
「――なるほど」
ようやく絞り出した士羽の第一声が、これだった。
「貴方が私に常に向ける憎悪の理由がよく分かりました。ですが、見当違いもはなはだしいですね。恨みもぶつけるのなら、そちらの士羽の亡霊にでも向けるのが筋でしょうに。もっとも、『彼女』にしても世界を滅ぼした悪魔には言われたくもないことでしょうが」
そう皮肉を返す士羽に、
「……んなことは分かってるんだよ」
レンリは辛そうな声音で返した。
「そうさ、結局は全部、俺が悪いんだ」
それでも、世界を滅ぼしてしまったという大罪を前にしては、誰かを共犯者として肩代わりさせなければやっていられない。
その心境は理解できるし、同情もしないでもない。
「最後にひとつ……『上帝剣』を倒すには、その因子を抽出した『キー』が必要……先ほどの説明からすると、過日私に言ったその解決案は嘘ですか?」
「嘘じゃないさ」
底まで落ちて後戻り切らないトーンのまま、レンリは答えた。
「要は再選定のインターバル中に、未だ権限を持つユーザーとその鍵で『剣』に接触すれば良い。でもその場合、『上帝剣』と距離は至近になるから、当然候補者だったその対象は、鍵ごと取り込まれてそのまま『征服者』化する可能性が格段に高い……俺だったら絶対にしないし、させない」
断定、というか宣誓じみた物言いをした辺りで、レンリの周囲の闇が濃くなった。
意識を離したのは、瞬きにも満たない寸時。だが、闇が薄らいだ時には、レンリの姿はそこにはなかった。
「心配するな……自分の身の処し方ぐらい、考えてあるさ」
その短躯を目で追う士羽と、ようやく起きて寝ぼけ眼を擦る涼の合間に、何処からともなく声が落ちて、やがてその気配は完全にかき消えたのだった。
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(6)
あの後、自分が何を考え、どうやって帰ったのか。
歩夢には判然としない。まさしく夢現の心地で気付けば自宅のカーペットの上で寝そべっていた。
一応は寝巻きに着替えてこそいたが、制服は脱ぎ散らかしていた。シャワーぐらいは浴びていたのだろう。が、乾かさずにそのまま臥したものだから、癖毛になり放題のボサボサである。
……などと事件現場の探偵よろしく自身の状況を整理した歩夢は、次に自身を眠りの淵から呼び起こした原因が、カーテンから差し込む朝日と外で鳴りづめのチャイムだと知った。
昨日の今日である。そして、いつもであれば当然、まして早朝に来客などあろうはずもない。
逆恨みからのライカ一党や会長一派の来襲を警戒して、普段は使わない室内カメラでドア向こうの様子を探る。
そこには人影らしいものはない。
だが、その画面の片隅にちらつく黒い球体を認めた瞬間、知れず歩夢はドアを開けて外へと身を乗り出した。
そこにいたのは、カメラの死角から黒い毛糸玉をチラつかせていた的場鳴であった。
その掛け値無しに無機物のそれと上級生の不遜な顔つきと胸とを交互に無言で見遣っていた歩夢であったが、その半開きの口にツナ味のランチパックが捩じ込まれ、取り込まれた制服や下着は段取り良く準備されていたスポーツバッグに詰め込まれ、そして自身は小脇に抱えられる。
その所要時間、実に一分足らず。
あらん限りに抗議する歩夢の目線を露骨に無視し、
「よし、学校行くぞ」
と何の臆面もなく家を出たのだった。
〜〜〜
行きがけの多目的トイレで着替えをさせてから、予防注射のペットよろしく逃げようとするところを再び確保され、そしてまた小脇に抱えられて登校させられる。
行き交う人々に奇異の眼差しで見られようとも羞恥もない。今更抵抗もしない。それでも精一杯の嫌がらせとして、歩夢は鳴のクーパー靭帯を執拗に貫手で攻め続けた。
さしてダメージがあるような素振りを見せなかったが、それでも痛みはそれなりにあるらしく、
「……振り落とすぞ、お前」
と脅しつけてきた。
「良いから、学校にだけは出とけよ」
「連れてってくれだなんて頼んでない」
「あたしは頼まれた。あの鳥にな」
「だから?」
返しつつ、歩夢は自身の足で立ち上がって歩き出す。
一度顧みると、鳴は呆れたように肩をすくめ、
「お前、さっきの玄関口の対応の時もそうだったけど、たいがいにめんどくさいけど分かりやすいよな」
ため息まじりに毒づく。
ここで引き返せば、それこそムキになった子どものようだった。
代わりに登校しつつ
「前は、こんなんじゃなかった」
と小さくぼやく。
「前のわたしは、早見さんチックな声質がよく似合うような、ミステリアスでクールな美少女だった」
「その根拠不明に図々しく肥大化した自信は、割と元からだった気もするけどな」
その隣に、身軽になった鳴が並んで歩いた。
自身のパーソナルスペースが侵されたことに睨み上げる歩夢に、その上級生は言った。
「そして前の足利歩夢なら、学校に行けと言われれば自分の感情なんぞ挟まずすんなり受け入れただろうし、今みたく自分で立って歩き出すなんてことはしなかったけどな」
氷の壁にでも行き当たったかのように反射的に、その歩みを止める。
そんな彼女の様子とはお構いなく、鳴の方はずんずんとスポーツバッグを背負って坂道を登っていく。
呼吸も乱さず確かな足取りで進んでいく彼女は、まるで遍路を往く修験者のようだ。
「あんたもね」
そのペースを乱してやりたくなった歩夢は少し意地の悪いことをぶつけてみた。
「前だったら、説教がましいことは言ったけどここまで踏み込んではこなかった」
「……だな」
鳴はあっさりと歩夢の指摘を受け入れた。
「誰かが手に入れられなかった健康や時間をためらいなく浪費する。そんなお前のことが、嫌い
「だから、わたしの方は
「本当にそうか?」
試すような遠い眼差し。気に入らない。だが、確かな反論とできるような武器はない。何を言っても意地の張りになるだけだ。
「変わったんだよ。お前もあたしも。良くも悪くも。あいつを始め、おかしな連中と出会ったばかりにな」
その細められた笑みは自嘲するようでいて、どこか楽しげで、誇らしげでもある。
駄作と断じながらもどこか楽し気にZ級をレビューするかのように、自分たちの軌跡を振り返っている。
「そして、もう元の自分には戻れない。何かを得たならその事実そのものはなかったことには出来ないし、喪ったものは戻って来ない……その中で立ち止まれば、置いてけぼりを喰らうだけだぞ」
そう歩夢に伝えた時にはもう、鳴の背は遠のき始めていた。
また、意地を張る。足を速め、彼女に追いつき、追い抜く。
「……そういうのが説教くさいっての」
歩夢が悪態をつくと鳴は追い抜きざま、はにかむように歯を見せたのだった。
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(7)
「で、その例の鳥のことだがな」
校門の前に至った時、ふと鳴が世間話のように渦中のカラスに言及した。
「逃げたそうだ。イノの目の前から消えて、行方知れずだとさ」
「カントクフユキトドキ」
慣れない語感の所感をぼやいた歩夢だったが、昨日一人で寝ていたことを鑑みればそのことに非難はあっても驚きはない。
むしろ、何食わぬ顔でのこのこと戻ってきていたら、顔面にキックを見舞っていたことだろう。
「まぁあんまし咎めてやんなよ。あたしだって、今朝がたまでなんで会長にボコられるハメになったのか、いまいち思い出せなかったんだからな」
とはいえ歩夢も、さすがに鳴のその告白には軽く瞳孔を開いた。
記憶をたどるようなわずかに険しく怪訝な目は、南洋での花火大会、レンリの所在を尋ねた時と被る。
まるであの時も、あの忘れようがない異形の球体が、記憶から抜け落ちていたかのような――
「察するに、あの大魔王サマにはあたしらには隠してた特殊能力があるんだろうさ。だからあんな妙チキリンなフォルムが違和感なくまかり公衆の場で咎められることなくまかり通ってたし、今副会長様が気を吐いて捜索を命じてるらしいのに空振りしてる」
冗談めかしく言ってのける鳴ではあったが、その口調はかなり手厳しい音を帯びている。
「……で、あんたはどう思うの? あいつのこと」
問われれば鳴はしばし押し黙った後、
「さぁな」
と答えた。レンリの失踪を知っている時点で、あらためて士羽と接触し、かつ治療を受けたのだろう。外傷は塞がっているものの、痛みは残っているらしく、二の腕の辺りを摩り上げた。
「ただ一つ言えるのは、次に会ったら確実にしばき倒すってことだけだ」
それには歩夢もおおむね同意である。
そういうお前は、と問われることはなかった。一朝一夕で答えや覚悟が決まるような命題ではないことを、鳴の方はよく弁えていた。
それでも、やはり考えてしまう。
もししばき倒してその後は? 世界を破壊したあの男を、今まで通り受け入れ、元の生活に戻ることが出来るのか、と。
唇を薄く噛む歩夢の横顔を、曰くありげに鳴は見つめていたが、ふと正面にその目線はスライドした。
眼前には、長短二つの影。取り合わせとしては少女二人と似たようなものだが、こちらは逆に男。そして身の丈の開きはもっとえぐい。
「もっとも、あいつらの答えの方は決まり切ってるけどな」
自分たちの登校を待ち構えていた少年、ライカの硝子の双眸には、容易には消すことのあたわぬ焔が閃いていた。
~~~
あらためて彼らと話を交わすことになったのは、放課後の図書館でのことだった。
よく密談の場に利用しているらしい。慣れた様子でライカは四人分が不自由なく同居できるだけの、開けたスペースを確保した。
だが、その手際の良さとは裏腹に、彼自身の口は重い。
呼び出すだけ呼び出しつつ、むっつりと黙っている。
「……ほら、ライカさん」
見晴嶺児、という長身の上級生は、本人の口から切り出すように督促する。絵草との戦闘でだいぶダメージを負っていたはずだが、ピンピンとしている。代わり、有事の為予備を仕入れている鳴と異なり、制服は擦り切れたままだったが。
ぐいぐいと容赦なく背を押し出すその様は、男友達というよりかは身長差も相まって親子に見えた。
そのボディタッチを鬱陶しげに拒み、その反発の勢いそのままに、ライカは口を開いた。
「悪かったな」
……と、少女ふたりにしてみれば意外な詫びを。
「オマエらだって、あの鳥に良いように利用されてただけだってのに、いきなり仕掛けて」
「いや、別に利用とか」
そう言いかけた歩夢の口を、鳴は塞ぐ。
何か言いたげに睨み上げる歩夢をさておき、鳴は本題を切り出した。
「悪いが、あのカラスの行先はあたしらにも見当がつかない。なにしろずっと、このちんちくりんに付きっきりだったからな」
「そうか。呼び立ててすまなかった」
先回りした鳴の返答を疑る様子も見せなかった。またさほど期待もしていなかったようだった。
「で、訊くのもバカらしいが……あいつを見つけて、どうする気だ?」
「本当に分かり切った、バカらしい質問だな……ヤツの望みを、叶えてやるのさ」
つまりは、
――自分を殺せば、『上帝剣』を暴く鍵となるかもしれない
という、レンリの提案を実行に移すと言う、彼の意向。
「そいつはまた、穏やかじゃねーな……その意味が解ってんのか?」
掌の内で口をもごつかせる歩夢を解放してやり、鳴は眉を持ち上げた。
「あいつの言うコトをそっくりそのまま受け取るのなら、あいつが『世界破滅病』を再発させるのはまだ可能性でしかない。腹をかっさばいて、その時に何も出なかったら? そもそも誰からあたしらの吹き込まれたか知らねーけど、そいつに体よく利用されてるだけだったら?」
と揶揄を飛ばし、喋られるようになった歩夢もそれを同調した。
「あんたの求めたことは、真実とやらでしょ。いつからそれが、殺しに変わった?」
「先のことなんて知るかッ!」
激したライカが声を張る。その甲高さに周りの学生が驚き、戸惑い、あるいは煩わしげに目を向けたが、やがて無関心に戻った。
「すでに俺の答えは出た! この時点で、あいつは取り返しのつかないことをしている……! 奴を殺す理由は、それだけで十分だ!」
と荒ぶるも、論議の無意味さを悟ってか息を整えてから踵を返した。
「先の戦闘は誤解だった、と思っておく。だけど、オマエらがまだ愚直にアレを信じ守ろうとするのなら……その時こそ、オマエらは明確に俺の敵だ」
そんな捨て台詞を吐き落として足早に去っていく。
呼び止めようか追従しようか、迷う嶺児に鳴は尋ねた。
「なんで、あいつはそこまでレンリを憎む?」
嶺児は少し言いよどんだ様子を見せた。というよりも腕組みし、首をひねりうんうん唸りながら露骨に悩んでみせていたが、
「まぁ、良いか。どうせライカさん、死んでも自分から言わないだろうし。オレとしてもライカさんが誤解されんの、やだし」
少女たちの顔を覗き見ながら、ため息まじりに応じた。
「オレもある人から聞いただけなんだけどさ、ライカさん……コレの時、妹さんと一緒に居合わせたらしいんだよね」
と、嶺児が裏拳で小突いたのは、壁に貼り出されていたポスター。その内容は、『翔夜祭』の再開を嘆願する署名の呼びかけ。
「で、空から剣が降ってきて、例の惨劇が起きた。ライカさんは奇跡的に助かったんだけど、妹さんは帰ってこなかった。それからの二年間、あの人はずっとあの一件について調べ、準備を整えてきたってわけ」
なるほど、と鳴は相槌を打った。聞いてしまえば、実にシンプルな動機だ。
だがシンプルであるからこそ目的も手段も明瞭で、かつ何者にも覆しがたいほどに強固な意志を感じさせる。
だが根底にあるのが復讐心というのなら、なおさらレンリにすべての責任を負わせるのは酷なことではないのか、とも思う。
この世界に何をしたというのでもあるまいし、別に意図して、この学園に『剣』を落としたわけでもないだろうに。
「うわっ、物陰から超睨んでる」
かいつまんで経緯を話し終えた嶺児は、ふと棘のような眼差しを感じ取ったらしく後ろの本棚を顧みた。その裏から半分のぞくライカの顔は、冷たく険しいものだった。
「あぁなるとメンドーなんだよね、あの人。悪いね、じゃそゆことだから」
何が『そゆこと』なのかはさておき、ライカさーん、と情けない声音を室内にあまねく引き伸ばすように響かせて、嶺児は去っていく。
山に吹きすさぶ嵐のようなコンビの気配が消え、静寂と秩序を取り戻した図書館。その一隅で憮然とする歩夢に、鳴は少し躊躇ってから頭に手を置いた。
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(8)
「ライカさん」
声を掛ければ進み出す。追いかければ足を速める。
そして足を止めれば、立ち止まって眉根を寄せて振り返る。
焦燥と怒りに掻き立てられてはいたものの、基本的にはいつもの『ライカ』さんだ。
「……あまり、奴らに余計なことを話すな。仲良くなるな」
「それは……つまりヤキモチ、てコト!?」
廊下で追いついた嶺児は調子良くからかった。しかし対するライカは、いつものように激して声を荒げるでもなく、侮蔑の冷たさを帯びた眼差しで刺してくる。
(あ、だめだ。コレはマジな
素直に反省を見せて俯く嶺児に、ライカはようやく険を和らげて背を向けた。
「……あいつらは、おそらく敵になった。そいつらに加担するなら、オマエも敵だ」
と、溜息混じりに言い置く。
「敵とか加担とか、そういうのは違うでしょ?」
冗談はかなぐり捨てて、口を酸くして諌める。
「きっと、それだけ強い繋がりを持っていたんだよ、あの鳥と。鳥だって、足利さんのためにあの会長さんの前に庇って立つなんて」
「……それは、あいつが」
「いくらとんでもない力とか何かしらの思惑があるったって出来ることじゃない。現にそれでモロに食らってるし……大切なんだよ。お互いがお互いに想い合ってる。オレとライカさんみたいにね」
「だとしても、俺があの化け物を許すことはない。妹との仇は、絶対に討つ」
そっか、とほろ苦く微笑を浮かべて嶺児は頷いた。
すでにその決意は固い。いくら言葉を尽くして説き伏せたとしても、容易に翻すことのない声質と背筋の硬さだ。
もはや引き留める材料もなく、嶺児としては遠ざかり、さらに小さくなっていく背を傍観するばかりでしかなかった。
……かに思えたが。
ライカは真っ赤になって目を尖らせて、足早にUターンしてきた。
あり? と小首を傾げる嶺児に対し、
「な・ん・で! オ・マ・エ・が! お・れ・の! た・い・せ・つ・な・ん・だ・よ! ふ・ざ・け・ん・な!」
……と、その脛に容赦なくローキックを連発した。
「いたた! いった!? オレ、割とマジで立ってるのがやっとの状態なんですけど!?」
「じゃあ家帰って寝てろっ! いつもいつも頼まれもしないのにしゃしゃり出てくんな!」
とどめとばかりに突き出された拳骨を、嶺児はその手首から掴んで防いだ。
「……いや、付き合うってば」
と、真剣なトーンで告げた。
「ここまで来たら、最後まで。君がそうすることでしか人生を再開できないってのなら。必要なら、あの娘たちともまた戦う」
「なんで、そこまで……っ」
「だって、アレコレ悩むより自分でブチ当たんないとライカさん納得しないヒトでしょ?」
と表情を綻ばせる嶺児に
「だから! そうじゃなくて……!」
と食い下がろうとしたライカが、物悲しげに目を伏せる。合わせて下がる睫毛が震える。
「もういいッ、好きにしろ!」
嶺児の胸板を突き飛ばしたライカは、小走りに駆け出した。
「ばぁか!」
と、言いそびれていたらしい罵声を軽く浴びせてから。
「……だから、そういうとこだっつの」
思わず素のトーンで呟き、頭を掻いた嶺児だったが、あらためて追うことはしない。
あまりしつこいとかえって頑なになって自分で退くに退けなくなってしまうのが、あの繊細で難儀な少年なのだから。
〜〜〜
見晴嶺児が、ライカ・ステイレットにそれ以上付き纏うことはなかった。
この上追いかけられては、間違いなく意固地になって突っぱねて、嶺児の言葉に二度と耳を貸さなくなっていただろうことは自身でも想像に難くない。勢い余って断交もあり得た。
だから、この対処自体はきっと正しい。
(でも妙に気心の通じた感じはハラが立つ……ふだんは距離感バグってるくせに)
だが、追って来なくて良い。真実があらまし知れた今、もはや残されたのは無益な復讐劇だけだ。嶺児が言うような、人生の再開など期待してはいない。あるのは不毛で味の無い虚ろな時間だけだろう。
最初から救いなど望んではいない。誰かに愛されることも捨てた。幸福になる資格も喪った。
二年前、肉親を見殺しにした、あの日から。
誰かを、信じてもいない。
あの時、『剣』の落下に先んじて動いて自分
(けど、それでも)
あのおちゃらけた恩人の内、ただ一つ信じられることはある。
眼。
あの惨劇の直後にて、半ばレギオン化――もっともその時は原因不明の高熱と神経痛とされていたが――に途中にあったベッドの自分に注がれた、瞳。
自身も事故に遭い治療を受けていただろう。非難の最中に額でも切ったのか、顔に包帯を巻いて。その下から覗く虹彩は渇いていた、燃えていた、餓えていた。
熱病とやり場のない喪失感と復讐心に心身を焦がすライカ自身もまた、同じ色相をしていたに違いない。
『お前と、お前の妹に何が起こったのか知りたいか?』
『妹の仇を、取りたいか?』
『だったら――おれと共に戦え……!』
といったニュアンスのようなことを二、三言、軋らせた歯の奥から怨嗟のごとく漏らして。
奇妙な機材と紫紺の鍵を差し出して。
そしてその時の言の通り。
奴の指示通りに準備し、奴の読んだタイミングで実行したら、果たして真実が明るみに出た。
(だから)
たとえそこにあったのが、思っていたものとは違う、拍子抜けするようなものであったとしても。
たとえここから先にあるのが、虚無の穴倉であったとしても。
「俺は最後まで、信じ抜くだけだ。あいつの
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(9)
生徒会室に付随する会長室。そこから覗く学校は、すでに暮色に包まれていた。
まさしく誰そ彼と互いの影に問い合い、魔と出逢う時分である。
しかしてそうした趣に反して、件の魔物は昨日の衝突以来姿を消したままだ。
「で、では……学内外に関わらず捜索範囲を拡げ、南洋にも問い合わせます」
先に手酷く折檻を受けた賀来久詠はおっかなびっくりと言った塩梅でそう会長の背に告げた。
『衛生兵』による治癒を受けてもなお、身体に刻まれた真新しい痛みの記憶は、副会長を必要以上に萎縮させる。
もっとも、自身からそれを持ち出すことはしなかったが。
「あぁ、成果に期待している」
心無く宣うとともに鷹揚に見送った絵草はしかし、それほどあの怪物を意識してはいない。敵の術理はだいたい感覚で理解した。細かい内容まではわからずとも、それを形作る『筺』を破壊できることを把握した以上、もはや二度は通じない。
「……いくら上手く潜り込んだとて、いずれは息継ぎのために浮上しなければならないはず。もしそれが我が眼前であれば、一太刀に斬り捨てるまでのこと」
そう呟き、薄く笑んだ絵草ではあったが、ふと自らのデスクを見遣った時、そこに立てかけられた写真に目が留まる。
そこには数年前の彼女自身と、その時の相棒であり、今は訣別したままの少女。身の丈に余る白衣をまとい、貴人要人たちに囲まれて居心地が悪そうに肩をすくませている。
「……お前は、いつも考えに考え抜いた挙句、思い切って悪手に出るな」
内心ではその才を惜しみつつも、口からついて出たのは、致命的な欠点。
だが頭の裏、その片隅に気配がちらついた刹那、その感傷をすぐさま退かせた。
そろりと壁に手を這わせ、そこに立てかけられていた槍を掴み取るや、
「曲者!」
と鋭く声と穂先を天井へと叩きつけた。
ぎゃあっ、と甲高い悲鳴とともに、天板から逃げ出るように、黒い球体が転がり落ちてきた。
言わずもがな、渦中のあのカラスである。
「――お前だけさぁっ、なんかさ! 生きてる世界観が違うんだよなぁ!? つか、なんで学校にモノホンの大身槍があるんだよ! 法律はどうなってんだ法律は!?」
「……自分でもちょっぴり生まれる時代を間違えちゃったと思わんことはないが、人語を話す鳥に言われたくないわ」
上下逆さまにひっくり返って恨み言をぼやくレンリなる鳥獣に、それとなく写真を前倒しにしながら尋ねた。
「で、何しに来た。夜討ちにも夜這いにも、まだ早かろう」
「よば……お前にオンナを感じたことなんぞただの一度もないわ! まして襲う気ならとっくに不意打ち仕掛けてる!」
「では、何の用だ? まさか大人しく斬られにのこのこ敵前に現れたなど」
言いさして後、絵草は押し黙ってまっすぐにカラスを見下した。
皮肉を飛ばしたつもりだったが、それ以外に理由が見当たらないことに気が付いた
「まさか……そうなのか?」
「……あぁ、逃げきれないと観念したのさ。他の連中をお咎めなしにしてくれるなら、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
自らの体勢を正常なものへと戻し、両翼を揃えて突き出すポーズをするレンリに、絵草は鼻白んだ。
(今の今まで消息が欠片も掴めなかった輩が、何をぬけぬけと観念などと)
と思わないでもないが、その提案に策謀の臭いは感じない。本心からの投降と見た。それを拒む理由もない。何かしらの作為があったとしても、常のように真正面から封殺すれば良いだけの話だ。
「……元より、責任を追及することなどしない。逆らえば叩き伏せる。意志を衝突させようとも相手を否定せず遺恨は持ち越さない。それが私の、剣ノ杜の信条」
である、と締めくくろうとしたのを待ちきれなかったかのように、レンリの身体から異音が轟いた。
どこからどこまでが、人体のどの部位に相当するのかは判別しかねるものの、恥じたように胴体の前部を撫でさすり、
「いや、昨日からなんも食ってなかったから」
と言い訳する辺り、どうやらそれは腹の虫であるらしかった。
思わず肩から脱力をした絵草は、ため息交じりに槍を元の位置に戻し、デスクに立てかけてあった学校指定のカバンを担ぎ直した。
そして何となしに倒した写真のフレームに指を這わせつつ、きょとんと碧眼を丸くするカラスに横顔を傾けた。
「ついてこい。その覚悟を賞し、飯ぐらいは奢ってやる」
~~~
征地絵草、行きつけの中華飯店『天仁房』。
その片隅で人目を避けるように向かい合った彼女と、黒い球体。レンリは彼の身の丈ではやや持て余す椅子の上から足を投げ出し、初めて見るような――否、懐かしむような眼差しを閃かせ、店内を目で探っていた。
「案じるには及ばん。ここの店主の娘、劉藍蘭は『新北棟』の学生でおおよその事情も把握している。異形を客として受け入れる程度の融通は利く」
「……知ってる」
「最後の晩餐だ。せいぜい好きなものを頼め」
と気前の良さを見せつつも絵草自身は先に、天津飯と餃子をセットで頼んでいる。
「ちなみにオススメはAセットだ。ここの小籠包は絶品だぞ」
「俺、小籠包苦手なんだよ。嫌いじゃないんだけど」
「――ほう? そうなのか」
とぼやきつつも彼は、担々麺と麻婆飯をオーダーした。
「実のところ、私は店の空気も含めて中華料理屋が好きだ。中国語で飛び交う店員同士の私語。やたら水滴まみれの水のピッチャー。暴力的に振るわれる鍋の音」
「……それ、褒めてんのか?」
持論を展開していると、先に頼んだ絵草の分が先に卓上へと運ばれてきた。
何故か付け合わせについているナムルの小皿を一口で平らげてから、メインの天津飯を崩しにかかる。
紅ショウガと飯と餡とをレンゲでかき混ぜて一口、混然としたその味に舌鼓を打つ。
「そしてやはりここは天津飯もいけるな。特にこの餡の優しい味付けは、本場天津の酷寒を優しく包み込む情景を秘めている」
「……いや、日本発祥だから。多分その思い起こさせる本場の情景って浅草かどっかの大衆食堂だから」
などと小言をこぼしていたレンリのテーブルにも、件の劉藍蘭が手ずから配膳し、チャーミングなウインクをついでに送った。
「貴様とその世界にまつわる事情は途上に説明されたが」
士羽たちに伝え聞かせたという身の上話を聞いても、絵草に特に驚きはなかった。
所謂
「だとしてもなお、疑問はある」
と絵草は前置きした。
「まず第一に、何故貴様、あの時私の前に立った? みずからの正体を晒すリスクを承知で、この私に挑みかかった? あれではまるで」
「勝てると思った」
レンリはこの時ばかりは即答した。
しかし即答して後、麺をすすり
「超然としたこの力でお前だろうとねじ伏せる自信があった。まぁそれは間違いだったけどな」
「……そうか。ならば次の質問に移ろう」
自身も食を健啖に進めながら、絵草は問いを重ねた。
「では何故、その私の前に再び現れた?」
小皿に酢を注いで正体がわからなくほどその表面に胡椒を振りかけ、それに焼き餃子を浸して二個、三個とまとめて口の中へと放り込んでいく。
「諦めて命を絶つというのであれば、海に身投げでもすれば良かろうよ」
その一部始終の過程においても絵草は、この黒き異形に視線を注ぐことを惜しまなかったし欠かさなかった。
レンリはその短い
また水を飲んだ。
「俺はお前……いや、お前に似た奴に借りがある」
「ほう?」
「そいつだけじゃなく、数えきれないほどの多くの人間に対して、償いようのない罪を負った。だから、せめてお前にその借りを、この愚かな命をもって返したい。俺のこの身が『上帝剣』の解体に役立つのなら、使ってくれ」
「殊勝な物言い、と言いたいところだが……勝手なことだ」
「じゃあ勝手ついでにそいつの代わりに言わせてほしい」
「何を?」
また、レンリの右翼がコップに伸びた。だが、躊躇いがちに引っ込められ、強く握りしめてテーブルの上へと置かれた。
「――悪かった。お前たちに、全てを背負わせて」
告解するが如くに低く呟き、深々と頭を下げる。
「特にお前はめっちゃ頭悪いのに、分不相応な無理をさせた」
「……私も、そいつに代わってブン殴って良いか?」
誰の、何に対しての謝罪かさておくとして、本当に謝る気があるのかはともかくとして。
あらためて絵草は相手の食卓を眺めた。
確かに辛いものをずらりと揃えたが、その辛さに比しても水の減りが早過ぎる。それを認めつつ、絵草は
「成程」
と、独り合点して呟いた。
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(10)
的場鳴は放課後のグラウンドを走る。
部活を辞めた後も方々を駆けずり回ることは散々にあったが、授業以外で特に目的もなく、ユニフォームに着替えてただ走るのは久々のことだった。
もっとも、ここまでの悶々としたものを振り払って完全に虚心、というわけにもいかない。
腕や脚を前後させるその合間にも、つい益体もないことを考えてしまう。もう少しで出口が見えそうな気もする。そうした思索における余計な部分をこそぎ落として、納得まで行き着くために、もう一周、とトラックを廻る。
「何やってんの、部外者」
と、横合いから声をかけられたのは、少し息が上がり始めた辺りだった。
気まずさに、口元の汗を拭って誤魔化す。
陸上部の練習時間よりも後。練習日とも違うはず。あえて両方外して忍んできたわけだが、よりにもよって見られたくない相手に会ってしまった。
のっけから辛辣な呼び名だ。しかし、まさしく鳴は部外者だった。少なくとも、そう呼んだ彼女の中では『裏切者』ではなくなったらしい。
「勝手に使って悪かった。整備してから帰るから」
「良いよ、このぐらいで」
そう返した少女、井田典子は一拍子置いてから、ほんのりと苦味を加えて続けた。
「未練あるなら、
「未練ってほどでもねーよ。ただ、時々は馬鹿になるのが好きなだけだ」
そう迷いなく答えた鳴は、これ以上やれば明日に響くと見切りをつけて、クールダウンのストレッチに入った。
「まぁきっかけこそとんでもなかったけど、中学の時点で色々キテたんだよ。身体は競技向きじゃなくなっていくし、動画とか撮ってネットに上げるバカとかいやがったし」
「……それだって、あんたが悪いわけじゃないでしょ。あの時だって、あんたがきちんと否定さえしてくれれば」
あの時、というのは恐らく、『レギオン』化して大会をすっぽかした後、顧問たちに難詰されたあたりのことを言うのだろう。
「言ったところで、信じてもらえるわけもなかったしな」
シニカルに苦笑を浮かべつつ、鳴は大きく伸びをした。そもそも、相方が『アレ』なので、最初は自分の身に何が起こったのかさえろくすっぽ説明してくれない。だから、皆に弁解をしたり誤魔化すだけの材料などあるはずもなかった。
「お前とか一部のヤツはともかく、周りの大人はアタマっからこっちが悪いって決めてかかってたし、そいつら相手に必死になって言い訳すんのもみっともなくてめんどくせーし。あとはまぁ、あたし一人ワルモノになることで他の全部が丸く収まるってんなら、それで良いか、と……」
ふと最後に、図らずも言い淀んでしまった。
「鳴?」
唐突に黙りこくった旧友を、典子は訝しげに見つめた。
「――だからあいつも、
宙に吊るように挙げていた腕をゆっくりと、大きく息を吐きながら下ろしつつ、鳴は低く呟きを地面の影へと落とした。
腹はますます立ったが、腑に落ちるものはあった。
鈍感な自分でもようやく悟り得たのだ。士羽はともかくもう一人は、いやおそらく最初から、きっとそんなことは些末なことで……
帰り支度を始めた鳴を、典子は訝しげに眉をひそめた。
「もう良いの?」
「まーな。走りに来て良かった……ありがとな、典子」
「……勝手にスッキリしてるところ悪いんだけど、ちょうどこっちもあんたに言いたいことあったんだけど」
なんだよ、と体操着の上からジャージを羽織りながら尋ねた鳴に、呆れたような調子をわざわざ作って、旧友は
「部活に戻る気ないんなら、ずっと匿名で部費を払い込むの止めてね、『足長おじさん』?」
と言った。口端に浮かぶ揶揄の笑みを、必死に押し殺しながら。
「そこはせめて、『おばさん』にしといてくれ」
彼女を通り過ぎた鳴は、横顔だけ見せてはにかみ、そして迷いなくグラウンドに背を向けた。
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(11)
それがいつ頃のことだったかはすぐには思い出せないが、エピソード的な記憶ははっきりと刻み付けられている。
――そう、父親と母親がいつまとめて死んだかは覚えていない。大事なのは、その告別式でのことだ。
その死顔さえ、本当に彼ら自身だったのかさえ定かではない、縁遠い両親だった。
が、隣にいる伴侶に拘わらず自身の研究に没頭する、とさえ言われていた偏屈な人達であったらしいところは、いかにも血のつながりを感じる。
そして生と死によって永遠に分かたれたその親子はしかして、一括して奇異の目で見られ、囁かれた。
「……気味が悪い。あの子泣きもしないしずっと黙りこくったままよ」
「なんか別辞もよそよそしかったし」
「まぁ滅多に家にいなかったらしいし。親も子も」
「じゃああの子どうしてたの、ていうかこれからどうなるの」
「なんか本家の……えーっと、時なんとかってのが本家でそっちが後見してたみたいだけど」
「じゃあ引き取り手で揉める必要もなくて安心だな」
「まぁそれはそれで上手くいきすぎて薄気味悪いけど」
「親も親なら、子も子で不気味か」
……聴こえないだろうと、聴こえていてもどうせ大した繋がりもないから遺恨にもならないとタカをくくった、弔問客たちの節操のない囁き声。
別に怒りはない。たかが遺伝子で繋がった関係というだけで、その性質に類似点を見出そうと躍起になる。自分たちの人生に無意味な推理ごっこに熱を上げる。それが凡百の大衆の好むところで、耳を傾けるのに値しないとよく弁えている。
もっとも、今の自分が親の死に何の感慨も浮かべていない、というのは当たっていたが。
――孤高で良い。
――孤独が良い。
打算にまみれた、穢らわしい大人たちに諂いの笑みを向けられるぐらいなら。
天は、そうした彼女の気丈さを汲まずして、葬式という場の空気を読んだようだ。
気象予報上は半々といった確率だった雨が降り始め、外の地べたに黒ずんだ染みを作りやがて帳を作るほどになった。
これは幸いと、帰る名目を得た客人たちは焼香を済ませた者から足早に帰っていく。
雨の中立つ娘を不気味げに見やりながら。
どうせ労わる価値などない。重宝されるべきは頭脳や手先であって、肉体ではない。
水槽に浮かべられた脳髄が彼女であったとしても、その思考パターンがインプットされた演算装置に置換されていただけだとしても、自分を亡き瑠衣の
(本当に気遣う者など、気にかけて欲しい人間など、生まれた時からどこにでもいなかった)
――そう思い定めかけていた、矢先だった。
彼女の頭上を、一筋の陰が覆った。
いかにも父親のを勝手に借りてきましたという濡れ羽色の傘。現れた少女は、精一杯背を伸ばして高さを年上の彼女に合わせ、
「濡れちゃうよ?」
と声をかけ――あどけなく笑った。
おそらくは少女にとっては、自分が喪主だとは露知らず、
「ただ濡れて可哀想だな」
程度の幼稚な感慨からの施しだったのだろう。
それでも、いや――きっと理屈や経緯などどうでもよくて。
その等身大で精一杯の慈悲が、差し出された一本の傘が、始まりだった。
あの時に嘘偽りなく向けられた無垢な微笑みこそが、すべてとなった。
~~~
軽い物音が鳴った時、士羽の断片的かつ衝動的な追憶は中断された。
占領している保健室のデスクに目を落とせば、茶色いパッケージのカップアイスが保険医の手によって置かれていた。
「割引だからって大量に買い過ぎた。消費手伝ってくれ」
と、悔いを口にする花見大悟自身の手にも、同様のアイスとスプーンが握られている。
「アイスクリームに賞味期限はありませんよ。自分で時間をかけて消費してください」
「アイスに賞味期限が無かろうとも、数か月先に自分が食える保証などどこにもないだろう。とりわけ、この学園においてはな」
と言うあたりに、彼の悲観的、というよりも虚無的な人生観が良く顕れている気がする。
「だいたい、『ほうじ茶味』って……コーヒーに合うフレーバーではないでしょうに」
マグカップに入ったエスプレッソを波打たせながら、呆れて見せる。
「アイスで思い出したが、白景涼はどうした? 負傷はお前が癒しただろうが、疲弊したまま帰したのか?」
「南部真月の家に預かってもらっています……送り届けた私は思い切りビンタと難詰をされましたがね」
ははぁ、と曰くありげに花見は瞼を半ば下ろす。その眼にはきっと、未だ腫れの引かないか細い少女がいたことだろう。
「相変わらず頼まれもしないのに、損な役回りをするものだ」
「私を悪人にすることで、皆が円満だというのならすれば良い」
「『ユニット・キー』システム開発者兼『委員会』の発足者が、ずいぶんな卑屈さだな」
……よく勘違いされがちだが。
士羽は己が誰よりも優れている、などと考えたことはない。そのシステムにしても、本物の天才が遺したアイデアをサルベージして流用しているに過ぎない。『委員会』にしても、絵草が結局作り出すことになっただろう。
自分は、何処にでもいるような幼稚で低俗なガキ。
大人に良いように扱われて、ようやくその事実に気づかされた。
「――で、その卑屈なパイオニア殿に朗報だ……お前の後釜、さっき例のカラスを確保したぞ」
「絵草が? その情報は、どこから」
「本人が各所に通達を出した。手柄を自慢したいのか、あるいはあえて触れ回ることで不穏分子をいぶり出すのが目的か」
「後者であれば、あの致命的に頭の悪い女、ようやく髪の毛一本程度のマキャベリズムは理解できるだけの知性を獲得したというわけですか」
「……お前ら、本当に元は友達だったんだよな?」
花見は呆れたように問う。続けて問い続ける。
「で、お前はどう動く?」
「どうもしませんよ。あんな怪物が待ち受けていると承知で、行く馬鹿がどこにいるんです」
「お前のお友達とかな」
「まさか」
士羽は一笑に付した。
相手が世界を滅ぼした怪物と知りながらなお救いに行くほどに、歩夢は愚かではないだろう、と。
……しかし、その否定の早さは楽観と願望の裏返しだろう。
もし万が一、足利歩夢がそうするつもりなら、どうする?
身を挺してその無謀を止めるか。それとも、歩夢を護るべく再びあの絵草と対峙するのか。勝算も立てられないままに感情に身を任せて。
『あんたの思い通りに動くのは、いや』
……かつてとはまるで違う笑みとともに、そう言い放って自分の善意を拒絶してきた彼女を。
口を紡いで塞いで、さらに深く椅子に腰掛ける。
「なぁ、維ノ里」
自身の定位置を奪われた花見大悟は、ベッドへと腰掛けた。アイスの冷たさを持て余すように手のひらで遊ばせながら、
「若いうちの懊悩は、動いた方が大凡は正解だ。躊躇いがあるなら、それは動きたいという意志の顕れでもある」
と言った。
「貴方にしては珍しく、分別くさい物言いをするではありませんか」
「そうだな。たまには僕も、教師じみたことをしたくなるし、大人らしく振る舞いたくもなる……自分というものを、出したくなる。そしてえてしてその手の話は本人の成功談もしくは失敗談へとつながる」
今まさに自分が言わんしている話を他人事のように語る花見に、士羽は呆れる。そもそも、体験談が成否のいずれかに分かれるのは当たり前ではないか。
「では、貴方はどのような『失敗』してきたことを説諭してくれるつもりですか」
「失敗も成功もしてこなかった」
士羽の揶揄への答えは、意外なものだった。
「何も行動を起こさなかった。人生を変えるような何者とも出会えず、他人に言われるままに流されてきた。だからこそ僕は、つまらない人間と君に見なされている。それこそが、僕の……
これと似たような話を、士羽は先頃に聞いている。
曰く、レンリの世界の『維ノ里士羽』は、世界の破滅に何もしなかった、と。
手前勝手な傷心を抱え、仲間や人類が死に絶えるのを傍観していたと。
それと同じ轍に沿って進むのか、自分は。
「お前には、僕の人生にはなかった出会いがあったんだろう。だったらそれを大切にするべきなんじゃないのか」
と締めくくった花見が想起している『出会い』とは、おそらくはこの学園の中央に突き立ったあの剣のことを言っているのだろう。
たしかにあれは自分たちのその後を一変させた。自身の無力さを教えてくれた。
だが、目を伏せた士羽が想うのは、ただひとりの少女の笑みだ。
過日の冷笑とは違う。剣が振るより前に自分が運命を感じたのは、あどけない笑みだ。あの微笑が、差し出された一本があれば良い。それ以上は何も望まない。見返りなど求めない。彼女の苦衷を察し得なかった自分に、そんな価値はない。
ただ歩夢にもあったその出会いのために、彼女が歩み出すというのであれば、その路傍の石を除く。
……たとえその出会いの対象が、自分ではなく、己自身に匹敵するほど反吐の出る怪物であったとしても。
「あぁ、あとそれ、きちんと食ってくれよ。今さら冷凍庫に戻すことも出来ないだろう」
ひどく俗っぽい言い草とともに、花見は士羽の掌中の氷菓を示した。
どれほどの煩悶とそれに伴う時間があったのか。カップごとに柔らかくなったアイスを、士羽は平らげ、冷えた胃の腑をぬるい珈琲で温め直した。
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(12)
歩夢はその日、特にすべきことも語るべき相手もなく家へと帰った。
レンリのいない、空っぽの部屋。
かつての 日常。空疎な人生の象徴。
だが、そこには彼の生きた証がしっかりとある。
かつて人の悪意と己の無気力に満たされていた部屋は片付けられ、代わりに怪獣のフィギュアが棚に並べられている。
ゲーム機も、漫画も、映画や海外ドラマのDVDも、まるで情操教育の絵本やオモチャのように種々部屋を彩っている。
それらを指先で触れて回る。
そしてPCのネット閲覧履歴は不自然に消されているが、表示される広告は全てエロ関連。よく見るサイトにはdとかFで始まる例のサイト。
目を閉じても、確かにそこには彼とのつながりを感じる。
まざまざと、彼がかけてくれた言葉の数々が脳裏に甦る。
『おいおい、そんなに肉まん買っても食い切れないだろ? それとも豊胸用か~?』
『おい歩夢……すごいことに気づいてしまったかもしれない! ……お前より俺の方が胸大きくないか!? 鳩胸だし!』
『歩夢、カップ数というのはただ
『なに? ちょっとおっぱいが大きくなっただと? ……アブにでも刺されたのか……?』
『歩夢……お前の言い分はわかる! でも、スレンダーと幼児体型はまた違うんだ!』
――歩夢は薄く目を開いた。
茫洋と虚空に視線を浮かせ、物思いにふける。
「あのクズ、べつに見殺しても良いんと違うか」
そう自問する歩夢、心なしか関西弁のイントネーションを含んでいた。
~~~
そのまま部屋に籠っていると、かえってろくな考えを抱けない気がしてきた。
なので出不精な少女ではあったが、仕方なしに街に繰り出した。
すでに夜と呼ぶに等しい様相の繁華街へと足を向けるも、これといって目的もない。
――あるいは、それでも。
誰ぞの影を、捜して目を追っている。それせずにはいられない。
だが会ってどうする? 何を望む? 何をさせる? 何を言う? 何を説く?
あの黒いものが彼女の視界から消えたのは、レンリ自身がそう望んだがゆえのことだろうに。
それでも、自分にとっては長くいる時間が長過ぎたようだ。
ふと顧みれば、そこにいる気がして……
――した。
――居た。
電飾を逆光とする影の形は鳥のものではなく人のもの。男のシルエットではなく少女のもの。
初めての邂逅の時は、溌剌とした少年だと思っていたが、こうして濃紺に白いラインが好対照の南洋の
「おぉーい、あっしかっがサーン!」
そんな彼女が屈託なく、駄犬の尾のごとくせわしなく腕を振り回して急接近してくる。
歩夢の眉は逆八の字に、口はへの字に。しかむ目元は二の字のごとく。
とっさの構えは蟷螂拳。
「……いや、そこまで嫌がらんでも」
さしもの深潼汀も、ここまで露骨なアピールすれば、自身が拒否されていることに気が付いたようだ。
「なんだよー、オレたち相棒だろー? せめてスマイルの一つぐらい気前よくくれてもいいじゃんかー」
「断る。わたしが笑うのは、傷つき苦しむ誰かを助ける時だけ」
「オレは足利サンの塩対応に充分傷つけられた!」
ぷぅぷぅとあざとく唇と尖らせて抗議する汀はしかし、所在なさげに持ち上げたままの腕をかすかに上下左右に揺らしている。
危ないところだった。先に牽制をしておかなければ、あの手で顔周りを撫でられまくっていたかもしれなかった。
「つーか、なんでオレをそこまで嫌うのさ?」
「声がデカイ。距離感がおかしくて馴れ馴れしい。大勢いるだろう相棒呼ばわりがシャク。ナチュラルに煽ってくる。スタイルが良い。あと、拳を突き出してダッシュする姿がイラッとくる」
「…………うん? 最後のはやってないよね? ひょっとしたら一回ぐらいやったかもしんないと軽く悩んだけど、やってないよね!?」
まぁやっていようがやっていまいが、それ以外はおおむね事実で、率直な所感だ。
「で、なに? 用があって寄ってきたんでしょ」
「あぁ、えーとそれは」
らしくもなく、一転して少し言いよどんだ様子だった汀ではあったが、
「……あッ、そうそう! 飯! 偶然見かけて声かけただけなんだけどさっ、夕飯まだなら、一緒にどう?」
いかにも引き留める理由を今思いつきました、といった感じの間とともに、彼女は歩夢を誘ったが、それに乗じる理由は、歩夢の方にはない。
「断る。晩飯ならもう都合ついてるから」
「えっ、なに食べたの?」
どこか疑わしげな汀の問いかけに、ようやく構えを解いた歩夢は小脇からちょっとした袋を取り出した。内容物を手づかみで引き上げると、口いっぱいに放り込んだ。
「わたしには、このヒマワリの種がある。あと、ウチにはナンプラーが残ったまんまだし、隙はない」
「ナンプラー!? でも種頬張る姿は解釈一致!」
もぐもぐと咀嚼した後、頬が元の丸みへと戻るのを待ってから、呆れた汀は軽く怒った様子で、
「もー、園芸用だったら農薬に気を付けないと危ないよ?」
と叱った。
どこかピントがズレているツッコミはともかくとして、これ以上は付き合う義理はない。
正直言えば意地を張っただけで、当然これのみでは不足だった。だが、それでもプライドというものが、他はともかくことこの娘に対してのみは、ある。
それじゃと足早に立ち去らんと
「じゃあ回転寿司。すぐそこのお寿司屋さんで奢ったげるから」
「行く」
――立ち去らんととしたその身を急速回頭。汀のもとへと立ち返る。他人の金で寿司が食えるとなれば、プライドや相手への好悪などあえて秤にかけるまでもない。
莞爾と微笑んだ汀に、内心(チョロイ)などと思われてでも、だ。
「うし、じゃあ行こうぜー!」
と、拳を突き出して先行しつつ汀はダッシュした。
「結局やってんじゃん」
「えへへ、足利サンの期待に応えてみました」
(こういうところもハラ立つ)
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(13)
「トロづくし」
「ウニ」
「アワビ」
「茶碗蒸し」
「海鮮三種盛り」
「伊勢海老ラーメン」
「シーフードカレー」
「クリームブリュレ」
etc……
矢継ぎ早に注文していき、レーンからテーブル席を埋めていく黒い寿司皿とサイドメニュー。自分でオーダーしたそれらを憮然と見下ろしながら、歩夢は呟いた。
「そういやわたし、そんなにちゃんとご飯食べる方でもなかった」
「だろうね!?」
これだけ山のように高級品を頼んでも、まだ三千円足らず。
大手チェーンの回転寿司屋のコストパフォーマンスに、歩夢は素直に感心した。
「しゃーない、二人で分け合いっこして食べよっか」
「入口のガチャ全制覇してくるからお金貸して」
「足利サンはそんなにオレに経済的打撃を与えたいのかい」
というか、最早それが主目的になっている。
ところがその深潼汀、なおも余裕げで、含み笑いとともに黒いカードを取り出して見せびらかす。
「ところがどっこい、『トレーディング』はオレの十八番でね! 多少の出費なんて怖くはない!」
「『世界を破滅させる怪物の居場所や素性とかに探りを入れるためなら』?」
歩夢は本題を切り出し、その余裕はたちまちに消し飛んだ。
偶然。そんな訳がないだろう。南洋に通う生徒の生活圏内にはない。
そしてそういう風に奇遇を装う以上、その邂逅には意図があり思い当たるフシはただ一つしかない。その情報の漏れどころも。
「あのメガネ、存外に口が軽いな……」
「ごめんッ、でもあいつを責めないでやってくれ!」
誤魔化すことを観念したのか、申し訳なさげに汀は下げた頭の前で手を打った。
「夜フラフラになりながら寮に戻ってきたアイツをとっ捕まえて、正直に何があったか話すかオレにカードゲームで勝ったら解放してやるって迫ってわざとやらんでも良いデッキ切れとか狙って一プレイに二時間以上かけてからずっと負かし続けたのはオレなんだ! アイツは朝日が上り切って挙句には泡吹いて白目剥きながら『かごめかごめ』を口ずさむまでは義理堅く口を割らなかったんだ、信じてやってくれ!」
「本当に責めらんないヤツじゃん……」
少し背筋をぞっとさせた歩夢は、いかにも神妙げに詫びるクレイジーサイコデュエリストから距離を置くのだった。
もっとも、
「で、まぁそれはともかく、鳥チャンのことも勿論重要なんだけど、足利サンが心配でさ。だからこないだの礼も兼ねて、元気づけにメシに誘ったってワケ」
「……別に、あんたに心配されるようなことでもない。あんあろくでもないヤツのことで」
本当に、ろくでもないヤツだった。
世界を破壊した。あれだけの力を隠し持っていた。それを伏せて、いつも弱者のフリをして自分の膝で傍観者を気取り、自分たちがどれだけ傷つこうとも苦しもうともくれたのは声援と、大したダメージなんて無いだろう自己犠牲だけ。
そのうえできっと、まだその秘密には――先がある。
もう、そのことで振り回されるのはたくさんだ。
「だけど」
テーブルの一皿を歩夢の目の前から攫いながら、汀は微笑んで言った。
「それでも君は、彼を助けたいんだよね」
と。
「その理由を探している。だから、こんな時間にわざわざ街を彷徨いて、彼の影を追ってる」
知った風な口を、とは思うものの、当たらずとも遠からずなところは認める。
「……理由なんかないよ。本当に」
考えれば考えるほどに、知れば知るほどに、あのカラスを助けるだけに大義名分はなくなっていく。
少なくとも、世界に叛いてまたあの怪物たちの戦いに挑むまでには。
そのことを、どうしようもなく歯痒く思う自分がいたとしても。
「良いんじゃないかな、理由なんてなくたって」
マグロの二貫を容易く平らげてから、汀はまた一皿を奪っていった。
「理由なんてなくたって、適当に動けるのが足利サンの良いところだと思うんだけどなー」
「テキトーなのは、あんたでしょ」
「ん? あぁ違う違う。適当ってのは、雑な感じとかじゃなくて、適切ってニュアンスで」
旺盛に食べていく彼女に釣られて、歩夢もまた自然に茶碗蒸しへと手が伸びた。
「ほら、南洋の時そうだったけど、足利サンはオレのこととか顔に出るぐらい嫌いで、助けてくれる理由なんてなかったのに助けてくれたじゃんか」
「あんなもん、それこそ『テキトー』だよ」
「そう。でも物事の本質がその
「……やっぱあんたの発言の方が、よっぽど無責任だと思うけど」
「どのみち、生きてりゃ誰かが灰を被る。大いなる力には云々ってのも、どれだけのしくじりをやらかそうとも結局はその大いなる力分の責任しか持てないし、頼みすぎた寿司も自分の食欲と胃袋の分しか入らないんだよ、手に余る分はみんなで補えば良いのさ」
あまりに身も蓋もないその開き直りは、果たして彼女自身のことを言っているのか、歩夢への後押しなのか。
(だけど、そうか)
と、歩夢は静かに納得した。手早く食事を済ませるべく、スプーンで茶碗蒸しの残りを口の中に流し込むと、ウニの軍艦とトロを掴み取って頬張った。
頬張って、青い顔をしながら固まった。変な悪寒も伴う震えも起こった。
「……いや、ホントーに食細いな! 間食ばっかしてっからだよ!」
などと茶々を入れられつつも、最低限の義務としてなんとか喉の奥へと飲み込んだ。
「いーよ、無理しなくたって、こっちで美味しくいただくから。オレの名演説で、ついギア上がっちゃった?」
「アホか。んなワケないでしょ」
即座にそう斬り捨てた歩夢は、息を整え胸を反らすようにして立ち上がった。
「でも、おかげで気づけた。あんた相手にこんなところでクダ巻いたって、自分のことは何も変わりなんてしないって」
「……そっか。それなら良かった」
「だから、これだけは言っとく」
テーブルに手を突いたまま、まっすぐに視線を外さずきらめく少女の双眸を見据えて言った。
「ありがとう。あと、ごちそうさま」
我ながら、到底謝礼を述べる態度ではないとは思うが、性分だから仕方がない。
――そう、自分も、周りも変わろうともこの性分は変わらない。変わってなんていなかった。
父親だと思っていた男の放棄も、母親の服役も、それに伴う周囲の眼差しも。
友人の欺瞞も、レンリの欺瞞も。ままならない自分自身も。
すべてを受け入れ、前へと進む。
~~~
「助けるだけの理由がない、ねぇ」
残された汀はそう呟きながら、寿司を頬張った。
「オレの見るところ、そんな理由、分かり切ったもんだと思うんだけどな」
そう、それはこの世でたった一つ、あらゆる社会正義に勝る理由。
とてもシンプルで、だからこそ世界に叛けるほどに、力強い。
「ま、千里眼めいた洞察力の足利サンでも、自分にはそのレンズを向けられないってことか」
とぼやいてカレーをスプーンでかき混ぜる汀は、傍らで複雑そうな表情を浮かべて眼鏡の少年が立っていることに気が付いていた。実は、後ろの座席で聞き耳を立てていたことも知っている。
「なんだよ、盗み聞きかよ。趣味悪ぃ」
「悪かったよ。心配だったし足利さんに申し訳なかったからから来てみたんだ」
と呆れる汀の対面に、澤城灘は居心地悪そうに腰を滑らせた。
「けど、いくらなんでも話盛り過ぎじゃない? 白目剥いただの泡吹いただの……」
「そう? 割と見たまんまを語ったけどな」
「だいたい、時間をかけたってことはそれぐらい接戦を繰り広げたってことじゃないか。それをワンサイドゲームみたいに言うのは、ちょっとフェアじゃないなァ」
そううそぶく幼馴染だったが、その震え声からなけなしのプライドからくる虚勢であることは丸わかりだった。
「……やー、言って良い?」
「なにを」
フェアを求めるのならあくまで本人のため、あえて心を鬼として、汀は言った。
「ことカードゲームに関してのことなんだけどさ……ぶっちゃけお前へったくそなんだもの」
ゴン、と快音を立てて灘はテーブルに額を打ち落とした。
「まともにやると果てるの早いし」
ゴン。
「
ゴン。
「テクニックへの自信の無さがモロ出てるし」
ゴン。
「だから力任せにするにしても、攻め方もただただ単調でつまんないんだよなぁ」
ゴン、ゴン、ゴン。
「あんなプレイで、オレを満足させられるはずもないだろ」
汀が所感をぶっちゃける都度、重石を積載されたかのように沈み込んでいった灘だったが、これがトドメの一言となった。
「……おーい、いつまでもダウンしてないで、こいつら食べるの手伝ってくれよー」
本当に泡を食って喪心しかけている彼の頬を叩きながら、汀は無邪気にそう促したのだった。
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(14)
その夜、通して夢を見た気がした。
朝が来ればその内容はさっぱりと抜け落ちてしまっていたが、とても重苦しい想いをした気がする。
だが、寝覚めはそれほど悪くなく、むしろいつになく頭が軽かった。
経験はないが泣ける映画で思いっきり涙を流した後に寝つきが良くなるだとか、いつだったか鳴がらしくもなく熱っぽく語った、一生懸命に、思い残しなく走り切った後の快眠というのが、ちょうどこの感覚に相当するのではないだろうか。
いずれにしても、問題はないコンディションだ。
小憎たらしい浮浪カラスを救い出し、おそらくそこに立ちはだかる学園最強のメスゴリラをぶちのめすには、良い日和だ。
学校は休みだが、自然決戦の衣裳として選んだのは、剣ノ杜の制服だった。
警戒しながらドアの向こうを覗き込む。幸にしてか、黒い毛玉を偽装するような不届きな巨乳の元アスリートはいないようだ。
安堵して開けたその矢先、隣の部屋からほぼ同時に白衣の少女が顔を覗かせた。
「意気揚々と出陣するのは結構ですが、行先ぐらい把握したらどうです?」
と、傲岸な物言いとともに見せつけてくるスマホ。そこに表示されている地図アプリには、どこかしらの港湾のマークが示されている。
おそらくはそこにレンリが、そしてあの女が待っているのだろう。
教えてくれたことに素直に謝意は見せたいが、問題はその魂胆である。
「どういう風の吹き回し?」
この隣人、維ノ里士羽ではあるまいし、直截に問う。
彼女は眼を伏せながら端末をしまい、
「貴女のために」
と言いさしてから、ひどく表情を淀ませた。
だが、一転して氷の女に戻るや、取り澄ました調子で、
「などと体の良いことは言いません。私は私の都合と感情で動いている。そのために貴女を利用し、行動を共にすると決めた……そう言えば、少しは信じてもらえますか?」
「押しつけがましいことを厚かましく言われるよりはね」
そっけなく言い捨てて、歩夢は自身の足で階段を下りる。エレベーターも使わず、士羽もそれに従った。
拒みもせず、歩夢はそれをあくまで事実とスタンスとして受け入れる。
階下までたどり着くと、件の不届きな巨乳が入り口の手前でスカジャンを羽織ってストレッチをしていた。
「よう、遅かったな」
的場鳴はさもここで待ち合わせでもしたいたかのようなリアクションとともに出迎え、残りのふたりを呆れ、憮然とさせた。
「……どういう風の吹き回しですか」
先ほどの歩夢の問いをリレーするが如くに尋ねる士羽に、鳴は嫌味もなく
「走りかけでリタイアするのはもう二度と御免でな。ここまで来たら、良くも悪くもゴールを踏むしかねーんだって思った」
と答える。
キザったらしくならないのは、本人の容姿ゆえの役得か。
とにもかくにも、無謀な戦い。
戦力と頭数は大いに越したことはない。
互いに今更確認の言葉は要らず。ただそれぞれの歩幅で戦装束で、だが競り合うかのようになるせいで並び立つように歩き始めた。
そして道中の分かれ道で、白景涼が合流した。
白景涼が合流した。
……白景涼が、合流した。
……
…………
「おい、おいっ」
鳴が小声で呼ばわるのを合図に、少女三人は歩道の隅に寄って額を突き合わせた。
それに律儀に合わせて、アロハシャツの上にミリタリージャケットを負った涼も、ピタリと数歩分後ろで足を止めた。
「いやいや、なんかヌルッと入って来たんだけどなんだアレ……!?」
「てか、まだ『北棟』に戻ってなかったんだ……」
「帰れないってことはないと思うんですが……加勢してくれるってことなんじゃないですか」
「いや、だとは思うんだけどせめてなんか言えよ! 電車乗るあたりのカオナシかよッ」
などと囁き合うも、本人はその対話に踏み込むこともせず、不思議そうに小首を傾げるばかりだ。
仕方なしに歩夢は会話の輪から外れて、直接本人に歩み寄った。
「手伝ってくれる?」
涼は拒むでも韜晦するでもなくこくりと頷き、
「陰キャに気遣われてる……」
と鳴を呆れさせた。
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(15)
ライカ・ステイレットは歩きながら、朝を迎えた。
眠る気にはなれなかった。寝て、目が醒めた時にはきっとその時に自分は冷静さを取り戻している。あれほど知りたかった真実が、ふと掌の中に落ちてきたことを自覚してしまう。
妹の死が過去のものとなる。過ぎ去ったこととして、自分の過ちごとに受け入れられてしまう。
「眠れない夜を過ごしたようだね、ライカ」
あてもなく彷徨いていたアーケード街。
両サイドの店舗はシャッターがまだ上がらず、さながらアメリカの刑務所の如きその間を進むライカを、多治比和矢が出迎えた。
「だから言ったじゃん。あいつ捕まえたところで、なんの意味もないって」
目を細めた彼の言い分にそれは違う、とライカは内心で反発した。否、したかった。
結果としてあの告解の場に立ち得たことは事実として、結局自分は蚊帳の外。何かを取り戻せたわけではない。
残されたのは、ただ復讐の一点のみ。
「……別に。奴の行方を探してただけだ」
「あれ? さっき君の携帯に送ったと思うけど。君の仇は会長が確保済み。位置情報も書いてあるよ」
その
「ハイ、『ユニオン・ユニット』の
そう押し付けがましく言ってくるのを、揺れる横目でライカは見返した。
「……無意味なんじゃなかったのか。何故今更協力する気になった?」
「無意味だよ。けど、奴を殺さないと君が妹を喪った後の人生に意味を見出せないのなら、おれはそれを応援したい。だから君の独断専行も黙認したじゃないか」
と、ライカの手から腕へとなぞり上げ、そして肩に手を置く。
「……まさか今更、『捜すフリして実は見つけたくなかった』なんて言わないよな?」
軽やかに笑声は、底の冷えたものだった。掴むその手は猛禽の爪のように食い込む。
あの会長やカラスなどは、直接的な脅威だった。だが、今自分と並び立つ少年には、得体の知れない、妖怪じみたおぞましさをライカは感じ取っていた。
「……アンタに、聞きたいことがある」
「ん? どうぞ?」
どうぞ、と言いつつそこにはうっすらと拒絶の色が滲んでいる。自らを励ましてそれを意図的に黙殺したライカは、息を詰まらせて訪ねた。
「アンタはレギオン化しかけていた俺を救ってくれた。このデバイスと『ユニット・キー』をくれた」
それは目的のため、あえて踏み込まないようにしていた、当然の疑問。相手にしてもだから強気に出られないだろうとタカを括ってあえて説明をしてこなかったこと。
「……だが、維ノ里士羽がストロングホールダーシステムを開発したのは、その
「そうだね」
あっさりと和矢は認めた。認めつつ、それ以上は自ら口を開くことはしない。
「アンタ、いったい誰なんだ……とは訊かない。俺は、あの時のアンタの憎悪を信じている。正体も動機も、俺に関係ないことなんだろう。けど、代わりにこれだけは答えてもらうぞ!」
肩を握る手を掴み返し、ライカはあらん限りに声を張った。
「本当は知ってたんじゃないのか!? あの『翔夜祭』に、何が起こるのか! だから俺を救い出せた! でも、だったら……どうして妹は、クリスは!?」
蛮勇とともにそう問い質した瞬間、和矢は笑った。天を仰ぐように背を仰け反らせ、壊れたように声を轟かせた。
「やだなぁ」
するりと和矢の細腕がライカの拘束を外す。追いかけることも出来ず立ち尽くす彼を最後に一度顧みて、少年は渇き切った目を細めた。
「――もし知ってたのなら、もっと賢く立ち回ってるよ」
あの時と、同じ眼をしていた。
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(16)
ライカは、件の場所。埠頭へと足を踏み入れた。
おそらくは、このコンテナ群を越えた先に、件の会長とカラスはいる。
もう間もなく、処刑が始まるのだろう。
ならば、あえて手を下すこともなく復讐は終わる。それに異議を唱えて殴り込んでも、返り討ちになるのがオチだ。
だったら、ただ何もせずこの場で立っていれば良い。
何も見届けることなく、事が成就する。あるいは失敗する。その成否を聞かないまま、結果がどう出たか思いを馳せないままに、仇の影を追う。
「……シュレディンガーの猫かよ」
自嘲とともに、ライカは呟いた。
今更ながらに、なんて不毛な自己満足。
残されたのは、空っぽの自分だけ。そんなザマになった自覚を得て、ようやくに気づく。
「ライカさん」
存在自体が空気を読まない。それとも彼なりに必死に読んだうえで、これなのか。
妙に耳に馴染む声が背後に掛かる。
顧みれば、見晴嶺児があどけなく笑みを浮かべて手を振っていた。
「なんで、ここにいる?」
どうせ、5W1Hを履き違えて「バスで」だとな頓珍漢な答えを言うんだろうな、という予感のもと、あえて問う。
「だってライカさん、ほっとけないからさ。せめて一緒に戦うよ」
それが、自身の問いの的を射ていたのか。それはもはや判別つかない。
其れでも、心がぐらりと揺さぶられる。
ここまでくり返されると、ここまで馬鹿を貫かれると。
「余計なお世話なんだよ! 俺は……っ」
「良いよ。オレが勝手にしてることだから」
さっぱりと笑って、彼が言う。
「オレは勝手にライカさんが好きで、一方的に何かしてあげたくて来たんだからさ。だから、ライカさんはそんなオレを都合よく捨て駒にしても、毛嫌いしたり、憎んでくれても良いよ」
後光も相まって、屈託のなさが、己には勿体ないほどに眩くライカには思えた。
「憎む、憎むだと……っ」
誰かを憎む資格などなかった。恨むことなど出来ようはずもなかった。
あぁ、そうだ。レンリがどうか、なのではない。
妹をあんな目に遭わせたのは。
認めたくなかった真実は……
「ライカさん」
名を呼ばれて、顔を上げる。表情には、相当に苦渋が浮かんでいたのだろう。それを気遣うように目を細めた嶺児は、
「何かに思い至ったみたいだけど、今は優先すべきことがある。だろ? ……彼女たちも、来てることだしね」
そう促されて振り向いた先には、件の三人娘プラスのっぽがいる。
揃って無造作に、大豆のバーをもそもそと朝食として食べながら。
「……空気読めよ」
「いや、読んでるだろ。黙って見守ってやったんだから」
と、事もなげに的場鳴が返し、
「ていうか、そこ通るのに邪魔なんだけど」
と足利歩夢が言う。あの怪物どもの間に割り入ると、明確に示唆して。
「本当に、色々と、正気を疑いたくなる連中だ……」
顔を袖口で拭ったライカは、冷たく取り澄まして言った。
「化け物と対してでも、助けに行くのか、化け物を」
と言いながらもライカは、心のどこかで彼女らが来ることを予感していた。いや、期待と言って良かった。止めて欲しかった。
「何故だ」
本音が、疑問となって口からこぼれる。
「何故、そこまでしてヤツを救う? 世界を滅ぼすような怪物を信じられる?」
と。
すでに、問われることは読んでいたらしい。その煩悶は、彼女たちの間でとうに通り過ぎたものらしい。
「その信じられない珍獣が言うことこそ、眉唾もんなんだよ。ここまで来たら、最後まで付き合うって決めた」
揺らぐことのない眼光とともに、吠える。
「真実如何はともかく、絵草の増長は止めるべきだ。その責任は私が負います」
淀みない口ぶりで答える。
「なんとなく」
なんとなく……なんとなく?
「……ちょっと待った、お前待った」
茫洋とした表情と舌っ足らずな口調で答えた歩夢の肩を抱いて、顔を寄せた鳴はひそひそと囁く。
「お前さ……一晩考えてそれか? もう一声なんとかならなかったのかよ」
「じゃあ、愛でいいよ。愛で」
「そんな妥協の愛があってたまるか」
声を立てて苦笑する嶺児の臑を蹴り、自身の前髪をかき回す。
「緊張感のないヤツらだな毎度毎度……!」
そのたびに脱力する。自分の悩みなんか馬鹿らしいもののように思えてくる。
「……正直、あんたの言うところの真実なんかどうでも良い」
と、鳴に揉まれながら歩夢は言った。
「あいつが世界の滅ぼす怪物かもどうでも良い。そもそも、世界そのものに未練も執着もない。滅びるなら勝手に滅びれば良い。あいつの都合や思惑もどうでも良い」
一転して過激なことを言い出すや、鳴の身体をすり抜けて前へと進みだした。
「だからそれは、わたしが足踏みする理由になんて、ならない。わたしは理解よりも納得がしたいから先へと進む。立ち止まったあんたを突っ切って」
と、ライカ自身ではなく、その背の先にある道を指で示しながら。
「……そういうそれっぽいことは、最初に言っとけっての」
悪態をつきながら、鳴もそれに並ぶ。複雑そうな表情を浮かべつつも、士羽もまた。
「オマエらの行動こそ、理解はできない。が、どうしても先へ進みたいっていうことは承知した」
もはや自分には見届ける気概さえ残されてもいない。それでも、
「昨日言ったばかりのことを、撤回するつもりはない」
あらためてただずまいを直したライカは、得物を構えた。
だが対峙するべく進み出たのは、白景涼だ。
「この連中は自分が相手をしておく。君たちは絵草と決着をつけるといい」
「あ、喋った」
「……元より望外な助力であったといえ、ここで抜けられると絵草戦が厳しいものとなるのですがね」
「いいや、そいつの判断は正しいさ」
そう嘆く士羽の声に応えたのは彼女の頭上、気づけばコンテナの上に腰掛けていた影だった。
いかにも無頼然とした出で立ちの男子が、士羽の至近に降り立つや、周遊する鮫のごとく少女たちの前をゆったりとうろつく。
「この間の貰い事故的な遭遇戦じゃなく、意図して征地の大将に敵対するとなりゃあそりゃ明確な謀反だ。加勢するにしてもここらがボーダーってェ、そういう処世だろう? 白景の」
彼の乱入にわずかながらに目を見開いた歩夢は、硬い声をあげた。
「そのDr.Stickの広告に出てきそうなビジュアルは……南洋の縞宮」
「いや、その一言はわざわざ要らねぇよな? つか、つい二日前会ったばっかだし紹介自体要らねぇよな?」
呆れる縞宮舵渡に、そもそも話を振られた涼が答えた。
「そんな賢しいことは考えていませんでした。ただ、絵草にも彼女たちにも情も恩義もある。ならばこの決着、彼女たちの間でつけるべきだ」
「そしてお前さんは、容易に翻す旗を持っちゃいないってわけか。征地の大将と直接闘り合うことは出来ずとも、援護はしてやるためにわざわざ居残ったと。はッ、意固地なことだな!」
「そういう縞宮さんは、絵草の私刑に賛同をする、と」
舵渡は不敵な哄笑とともに、ライカの横へと身をつけた。
「まさか卑怯とは言わんよな? 新兵ふたりだけにお前さんの相手をさせるわけにもいかねぇだろうよ」
「いえ、勢力間を自在に入れ替えながら自身の信念を貫く柔軟さ、同じ指導者として見習いたいものです」
「はッ、嫌味なんだが誉めてるんだか。いや、お前さんに腹芸なんぞ出来やしねぇから純粋に後者なんだろうな……まぁ、正直白景のは指導者ってぇより球団マスコットみたいなもんだが」
それこそ返された苦笑と皮肉に小首を傾げた白景涼だったが、その構えには隙がない。
水平に伸ばした腕に呼応するかのごとく、彼の後方を自走するバイク型のデバイスが彼と少女たちの間に盾代わりとして割り込んだ。
しかし、数の上では三体一を受け持つという。質においても相手がグレード5持ちだとしても、容易に遅れを取る訳がない。おそらくは的場鳴あたりも残って、その援護をするつもりだと彼女自身の所作を通して予測した。
……その時だった。
「待った待った待ったァ!」
元気よく、小柄な影が別のコンテナからヒーロー
「さすがに一対三はルール違反でしょ! オレらもこっちに加勢するよ!」
多治比和矢から渡された資料に、見覚えがある。
深潼汀。多治比に比肩しうる旧家の令嬢。そんな彼女が自身の眼前に現れた歩夢は、口をへの字に眉を逆八の字に、そしていからせた双眸の形が二の字となった。
「助けてあげるんだからその顔やめて!?」
という抗議を無視して歩夢は、
「『オレら』?」
と訊き返す。
「――まぁ、というわけで」
と、汀に遅れながらも追従するかたちで、コンテナの隙間から憶えのある眼鏡の少年……澤城灘が現れた。
「僕らはこの人たちにつきます」
「これで頭数はプラマイゼーロってコトで!」
部外者のライカたちにさえあえて言うまでもなく、彼らと縞宮舵渡の所属先は同じ。自然、彼の
「お前ら……こないだとはワケが違うんだぞ」
「……わかってます。先輩なりに、僕らや南洋のことを考えたうえでレンリさんは会長に預け……そしておそらく処分させた方が良い、と判断したって」
そのうえで、灘は舵渡の前に立った。
「でも僕らは、レンリさんが元の世界を滅ぼしたからって、そのことを後悔する彼を断罪する資格はその世界の人間にしかないはずですよ」
「……カタブツめ」
「今度、僕から飯を奢りますから」
そう言って灘が苦笑するのに、舵渡もまた野暮ったくもどこかほろ苦い面持ちで笑い返した。
――つまりは。
あるいは理屈を曲げられないため、あるいは正しいと信じることのため、あるいは仲間とも言えぬ相手のため。友情でさえないエゴのために。
自分には直接的な利得など何もないことのために、彼らはふたたび戦うという。
乱戦の苦痛は、いやというほどに知っているだろうに、性懲りもなく。
「ふふ、ははッ」
「ライカさん……?」
「ははは、ハハハハ!」
ライカは笑った。極度の緊張ゆえか。いや、そのあまりに連中が、荒唐無稽であるがゆえに。
「バカばっかだな! 剣ノ杜ってところは!」
「だからあんたも、ここにいる」
当てつけんばかりのライカの独語に、歩夢が辛辣に返す。
今更にそれを否定する気はない。
「――そうだな」
嶺児に指摘されるまでもなく。
和矢に揶揄されるまでもなく。
「俺もまた、ブチ当たってみないと前に進めないような大馬鹿だからな!」
ライカは吼えた。吼えて、鍵とデバイスとを手に取った。
〈リベリオン〉
〈ダガー〉
〈ジャンダルム〉
〈ドラグーン〉
〈バルバロイ〉
〈キャプテン〉
〈アドミラル〉
装填し、起動させた各々の『ユニット・キー』が、狂騒し共鳴する。
その音と光の奔流の中を、三人の少女が突っ切っていく。
せめてポーズなりともその突破を食い止めんとするライカの銃撃を、涼の重装が食い止める。
その金音を合図として、この乱痴気騒ぎの最終戦が始まった。
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(17)
遠く汽笛の音が聞こえる。
如何に通信技術が発展しようとも、実際に人々の営みを支えているのが質量を持つ食糧や資材である以上、ましてそれが大重量であればなおさらに、海運はなお現役の輸送手段だ。
いかに技術が飛躍しようとも人は依然水陸に縛られたままだ。
(……なーんて、途方もないことに考えを巡らすより)
少なくとも、直近で考えねばならないことがあるはずだ。
文字通り、このレンリ自身の身を取り巻く状況について。
彼は、結束バンドで胴回りを縛られている。
結びこそ雑だが、こちらの都合などお構いなしに力いっぱいに締め上げられたそれは、逃れようもないというかこのまま鬱血死しそうである。
「……よりにもよってこんな殺し方とは、お前存外に残忍だな」
「何を言っている?」
当の本人……征地絵草にはそんな自覚はないらしく、
「私に貴様を殺す理由はない」
と、平然と言ってのける。彼女の眼は、レンリ自身にではなく、彼の所持していたものを押収したデバイス『オルガナイザー』へと注がれていた。
理屈も機構も解さぬままに手の中でまさぐるさまは――失礼を承知で例えるなら――ルービックキューブに挑むチンパンジーといったところか。
「でなければこんなところまでわざわざ引き立ててくるものか」
「そもそも、ここどこ?」
可動できる範囲で一帯を見渡せば、水平線に遠く船影。
それが手近になるにつれ、均された緑地や煙吐き出す工場とが切り分け、入り組んだ水路となっている。
そしてレンリたちの場はその中でももっとも遮蔽物のない、空母の甲板の如き材質のプレートの敷かれた平地である。
それと本土を繋ぐのは、一本の橋のみである。
「この一帯は我が財団の所有でな。こと、今我々が立っている場所は、元は材木を国内外へ輸出するための保管所だったが、大雨でそれらが流出事故が起こって以降今は空き地となっているところを流用させてもらっている」
キューブ状のデバイスを置き、目を上げた絵草は、胸を反らして偉ぶった。
「いいや、将来的にはここを『ユニット・キー』ユーザー同士の決闘場として提供するつもりだ。いつまでも異界や南洋の地下施設でバトルするというのも不健全だからな……名付けて、『ネオ巌流島』!」
「『ネオ巌流島』!?」
やっぱり、こいつ、壮絶に、頭が悪い。
会話するだけで痛みが増してきそうなバカバカしさに、レンリはため息をこぼした。
「して、どう思う?」
「なんか……お前ってやっぱどこでもスゴイなって……悪い意味で」
「なんだそれは? そもそも、秘密裏に処するつもりであれば、わざわざこのような場所を明示してまで関係各所に触れ回る必要など微塵もない。その理由に、思い当たるフシはないのかと聞いているのだ」
「……それは、確かに」
そこまでこの絵草が考えを回していると思えなかったので、とうに打ち捨てていた疑問だったが、そうではないらしい。
「食は、よろずの道に通ず」
背後の死角に回った彼女は、意味深な前置きとともに、冷ややかにその答えを落としてきた。
「先の会食で、貴様……お前が
「…………」
「となれば、お前を殺さず、縛り上げて放置するというこの私の行動も理解できるはずだが?」
「……絵草」
「なんだ?」
「お前のそういうヘンなところでだけ勘が働くところ、昔っからほんっっと嫌いだわ……」
「そういうお前は、自分を卑下する以上に他人を考えなしと見下すのを止めたらどうだ? 他人を理解できていると思ってるようだから毎度、事態が己の埒外に転がっていくのだろうが」
耳の痛い指摘だ。
もっとも、その指摘自体よりも自身の本質をよりにもよってこの脳筋に見抜かれていたことの方が屈辱だったが。
「けど、俺を餌にしたって無駄なことだ。助ける理由なんて、あいつにはどこにも」
「ほら、言ったそばからすぐそれだろうが……良かったな、そんな誰も信じていないようなお前を愛してくれる相手がいて」
揶揄して絵草が指で示す先、そこには橋を渡る三人の娘がいた。
維ノ里士羽。的場鳴。そして――足利歩夢。
こと歩夢は、かなりの意気込みで、シャドーボクシングなどしている。
(いや、違う!)
いかに人の機微に疎いレンリにも、瞭然である。いかにして彼を
やがて、その到着の時点でレンリの思惑を破綻させた三人娘は、レンリの前に身を戻した、最強の女子高生の視線の先に立った。
「一応確認しておく。貴様ら、何故ここに来た?」
「あんたをブン殴りに来たんだよ」
別々の想念を秘めたであろう少女たちの共通の目的を、代表して歩夢が答えた。
「あと、そこのクソ鳥を踏みつけて地面に沈ますために」
「俺の方がダメージデカくないかな……」
大方予想はしていた言い回しゆえに、レンリは驚くでもなく受け入れていた。
そのうえで、彼の方からも言った。
「帰れよ、今すぐ」
ことさらに、心が痛むほどに冷たく。
「やだね」
歩夢の返答は、にべもない。他の二人も、身じろぎしない。
「今更引き返すようだったらそもそも来てねぇよ」
と鳴が毒づき、士羽はそっぽを向きつつ転身の兆しさえ見せない。
(くそっ、何があったのか知らないが、妙な腹の括り方しやがって)
いつもだったらとうに見限ってもしょうがないではないか。そうするのが妥当な手切れをしたではないか。
それが正しい流れのはずだ。少し考えれば分かるはずだ。
なのにどうして、こうも余計なことが続く? 思い通りに事が運ばないのか。
「――あんたさ」
と、懊悩するレンリに、歩夢が目を向けた。
荒んだ環境の中でも決して輝きを喪わなかった、澄んだ瞳。どこまでも見透かされそうな双眸が。
「わたしに、なんでも言うことを聞く人形になって欲しかったの?」
その問いかけが、レンリの胸を突きえぐる。
「違うでしょ。だから、兄ちゃんぶって死ぬほど余計な世話を焼いて、こんな状況も読めずについてくる連中とか、そこにライブ感とお祭り気分で乗ってくるようなバカどもとつるませたんじゃないの?」
レンリは、仮初の肉体の奥底で歯を食いしばる。
「わたしはねレンリ、ここに至るまでの喜びも苛つきも、悲しみも楽しさも、全部ひっくるめてここに立つって決めたの。それをくれたあんたが、否定するな。このバカ」
嗚呼、そうだ。
彼女には、人でいて欲しかったのではないか。
せめてただ一日でも長く、一瞬でも良いから、少女らしい情緒を持って、高校生活を送ってほしかったのではないか。
「……つくづく、俺という奴は」
今まさに求めた彼女の姿が、そこにあったというのに。
「で、あんた。会長」
歩夢はうっすらと眇めた目を、絵草へとスライドさせた。
「あんたをブッ倒せば、そいつは返してもらえるんだよね」
「そんな約束はしていないが?」
「いいや、言った……欲求を通したけりゃ、実力でねじ伏せろって」
「なるほど、たしかにそれに類することは旧校舎で言ったな」
薄く笑いながら、絵草は半身をせり出した。
天から降り注いで一筋の光、彼女のストロングホールダーの描く軌道。それが彼女の腰にまとわりついて、鞘と変わる。
「――だが、出来もしないことは口にしない方が身のためだぞ」
そううそぶく彼女の手にはすでに、十字の鍵が握られている。
「まぁ、ちょうど私も貴様に確かめたいことがあったところだ」
〈クルセイダー〉
鐘の音にも似た金属音とともに荘厳な輝きが浮かび上がり、上空にひしめく。
あれらは、絵草の擁する交響楽団だ。
「足利歩夢、何も知らない聞かされない哀れな小娘。かつて入学式で目が合ったが、依然その奥底に眠るのは虚無そのものか、あるいは別のものに変異したか……この私が、見極めてやろう」
という宣言一下、征地絵草は洗礼とばかりに展開させた十字剣を振り下ろし、砲撃を浴びせかかった。
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(18)
乱戦だった。
異なる色、異なる戦術、異なる手管、力の根幹を同じくして、しかし非なる設計思想の武具を回す。
文字通りの種々様々な手段をもって、彼らは二陣営に分かれて戦う。
むろん防壁はある。限界点に達した時には、デバイスはエネルギーを放出してユーザーをパージする。だが一歩間違えれば死ぬ。あるいは殺される。
そんなことは望むべくもない。だがそれでも、手を抜かない。
――楽しい
と、そう思えるのは彼らの業だろう。
「おらァ、どうした白景の! こっちに長く居過ぎて鈍っちまったか!?」
歴戦にして最年長の縞宮舵渡が、もっぱら白景涼を相手取っている。リーチの長短と剛柔を織り交ぜて乱撃する。
木片一つでさえ強力な飛び道具へと換えられるその物量と、それに比例する火力により、彼の攻めの手を封じんとする。
むろん、涼が自身の苦戦に際してグレード5を起動させてばすべての優勢は覆る。ゆえにそれを出す暇を与えず、決着をつける時は一瞬で。それを見越しての連打であった。
だが涼も普段の抜けっぷりはともかくとして、戦時においては機敏だ。舵渡のトリッキーな猛攻の内、虚々を見抜き、実々を防ぐ。逆転のための火興しを、降り積もる雪の如く静かに整えていく。
その彼らの応酬の余波。衝突によって生じた流れ弾やエネルギーの残骸を、触手のごとく可変の雲が絡め取っていく。
「いただきっ、と!」
さながら露天のアクセサリーでも掏り取るかのような悪戯ぽい調子で笑い、見晴嶺児はピッケルにも似た自身の長柄を天へと向けて捻り上げた。
「行ったよ、ライカさん」
ゆったりと後退しながらのその声を受けて、彼の頭上をライカ・ステイレットが跳んだ。
〈リベリオン〉
〈電撃戦〉
「共同戦線、神速反攻3.30」
嶺児の腕捌きに従い打ち上げられたエネルギーが、北欧人の少年の肉体と手の内のデバイスとに余さず吸い上げられていく。
それを雷光へと変換し、地表へと殴りつけるがごとくに打ち出す。
まさしく、落雷だった。
空気を引き裂きながら降り注ぐ紫電は、先に退避した嶺児を除く全員を襲った。
迎撃に注力する他の一同だったが、その内の一条の電光が、澤城灘の身体を貫いた。
一部の人間が、そのショッキングな光景に刹那的に一瞬意識を奪われた。
だが彼らの目前で、灘の影はノイズめいた異音を立てて骨格ごとにぐねりと歪んで変貌する。
灰色の手足胴体はひょろ長く、頭だけには編笠を被った痩せ浪人がごとき、無貌の亜人。
「『
と、一部ならざる深潼汀が自身の『キャプテン』と背合わせとなりながら得意げにうそぶく。
さらにその『キャプテン』の裏から、本物の灘が飛び出した。
狙うは偽者と涼とに意識が分散した舵渡、その背の死角。
空中に火砲を展開して撃ちつけ、牽制。しかる後に青槍を振るう。
取った、と灘が断じた瞬間、直接のリーダーの横顔が、ぎろりと灘の方へと向けられた。
「初撃が甘ェ、太刀筋が単調」
低い声で指摘しながら、彼は最低限の動きで、顧みもせず飛んできた火球をかわし、
「
と真顔で吐き捨てて、みずから灘の懐へと潜り込み、ホールダーをその胴へと叩きつけた。
それ単体でも手斧の鋭さを帯びた一撃を喰らい、かすれた呼気とともに灘はつんのめった。
「やっぱ憑いてないお前じゃあ、この中で戦力になるどころか足を引っ張ってる」
揶揄の響きさえないがゆえの、無慈悲な指摘。
だが多分に自覚のある、事実だ。
蹲る彼を先に脱落させんという腹積もりか。舵渡は完全に標的を灘へと切り替えて来た。
「灘ッ」
援護に入らんとする汀を着地したライカが、涼を嶺児が抑えこむ。
その切り替えた方針はきっと正しい。指摘も正しい。
動きも鈍い、太刀筋も単調。今更にその愚鈍さを覆すことなど出来ようはずもない。
――となれば、採るべきは一つ。用いるべきは、この一基。
自身の懐から転がり出たU字型のデバイスを、『提督』を抜き取ったデバイスへと代わりに挿し込んだ。
「『ユニオン・ユニット』……! オマエが盗ってたのかッ!?」
というライカの驚嘆は、どこか遠い。
大きく心臓が、ひとりでに跳ね上がる。成長痛じみた鋭い痛みがゆっくりと、ねっとりと神経に刺し込む。
――だから、止めておけ。
脈打つ鼓動の間隙を縫い、声が聞こえる。
この強化アダプタの不具合や副作用ではない、と本能で分かる。これはただの機械に過ぎない。
これをトリガーとして囁きかけるのは、彼自身の内にしがみつく影法師だ。
――彼女らにこれ以上肩入れをするのは、よせ。
――ありふれた青春を、謳歌しろ。
――それは間違った道だ。だからお前の手足は魯鈍となる。
――その選択を、お前は後悔する。
先に喪心した時と似た忠告と宣託を、彼の内面から
そのたびに頭に余韻が異音と痛みとなって響き渡り、何かを思い出しそうで思い出せないジレンマに苦しめられる。
『彼』の危惧するところは、仔細は知らずともその真剣みと暗澹を称えた声音を通じて分かる。
そうでなくとも、あの生徒会長を敵に回してのこのゲームは危険きわまる。
「それでも」
と、少年は背を丸めたままに立ち上がる。
「退く気なんてあるものか。僕はすべて承知で、ここにいる」
震えるその手で、『キー』を『ユニオン・ユニット』へと再挿入した。
「僕は、足利歩夢への負い目を少しでも返す。汀の友人に少しでも手助けがしたい……あいつの願いに、寄り添いたい」
背を伸ばして立ち上がった灘は、サブのキーを握りしめながらコンクリートを踏みしめた。
「南洋の学生が、今この胸の
自身の理念に真っ向から対立するその声があったればこそ、むしろ灘は猛り、そして挑むが如くに迷いを振り切った。
痛みは潮となって引いていく。心の煩悶は靄となって明けていく。
その奥にいた誰かの孤影の姿は、自分と同じ貌をくしゃりと歪ませながら、
「やっぱ、そうなんだよな」
と。
諦観とも同調ともつかない調子で泣き笑い、そして泡沫となって消えた。
自身の内にあるものが淘汰され、意識を現に戻して見渡す景色は眼鏡さえ要らないほどに澄んでいる。掌の内、異形異能の武器から伝わる反発は消えて、自身の器量に収まっているのを感じた。
〈〈
〈『
〈『
灰色に光を燻らせる鍵を捻じ回すと、鋒の柄より吹き出した蒸気が色を成し、形を作る。
「開明を告げる黒き群れよ! 号砲をもって欺瞞の春眠を破る時!」
白い蒸気を先んじて突き破ったのは、歯車に排気パイプ。
胴回りにそれらをまとわりつかせながら、木造とも鉄製ともつかぬ謎の材質の、黒く長い身体が蟠を巻く。
「黎明の鐘を鳴らせ! グレート3.9! 『ブラックシップ・サスケハナ』!」
穂先の辺りに絡みつけば、抜いた錨が船体を擦るが如き鳴き声をあげて、精製された蛟竜型レギオンが、船首にも似た三角首が齧り付いた。
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(19)
〈ライト・インファントリー〉
〈
〈ライト・シューター〉
〈クレリック〉
挨拶代わり、というにはあまりに度を越えた、絵草の『クルセイダー』の爆風に煽られながら、三人の娘たちは活路と進路を開くべく、それぞれの鍵を愛機に入れて回す。
爆撃の中、それに抗する武具が光を放ちながら展開する。そして士羽が『
その隙に、鳴が速者を連発した。
「笑止! 莫迦の一つ覚えかっ!」
〈剣豪〉
絵草は喝破とともに新たに呼び出した剛刀を手に剣閃を飛ばす。
鳴は質より量で、弾幕を厚くしてそれを防ぎつつ、
「行けッ」
と鋭く促し自らの横を歩夢にすり抜けさせた。
それでも防ぎ切ることの出来なかった刃が、歩夢の前途を塞ぐ。
歩夢が騎馬の速さでそれを捌くも、通り過ぎたはずの斬撃は燕が宙を切り返すようにターンし、彼女の背を襲わんとした。
だが、さらにその背を追尾する光線が、叩き落とす。
士羽がその杖より発したものである。学外であるがために自在に砲塔を展開することは出来ないが、それでも単純な出力の迫合いにおいては今の絵草に勝る。
そうして彼女たちに送り出されながら、歩夢は絵草へと迫る。
当然、自身もまたエネルギーとしての刃、デバイス付属の短剣、二種の刃と銃を用いながら、飛来する斬撃を弾いて僅かながらに軌道を逸らす。その間隙をかいくぐり、彼女の足元に達した。
だが、狙いは彼女そのものではない。今のところ。
目的は――その後ろに控える、レンリの身柄。
絵草の隣を素通りし、カラスの球体を抱える。
「取った」
「取ったのではない。取らせたのだ」
が、その目論見もこの武辺の生徒会長には見通されていたらしい。
そして、それは温情がためではない。
腕の塞がった歩夢に、翻った刃が迫る。
しかし……それこそ、歩夢の予測の通りだった。歩夢たちの。
〈ロング・シューター〉
遠間からの一撃が、彼女たちの間を素通りする。
鳴が第二の強矢をつがえて放ち、次いで士羽が雨あられのように追い討ちをかける。
「鳴!」
迎撃に力を割いた間隙に、歩夢はレンリをミドルの高さから、シュートの威力で蹴っ飛ばした。
あー、と間の抜けたそれを、鳴も慣れた扱いで靴底で踏みつけて抑えつける。
だが、奪還された処刑対象に、絵草は執着することはなかった。
いかなる戦略によるものか。自身への有効打を見もせず的確にいなしつつ、歩夢へ明確な殺気をたぎらせて刃を振るう。
〈コサック〉
〈ドルイド〉
容赦なく間合いを伸ばして迫る二つ胴。
寸毫の間合いとタイミングでそれを躱しつつ、二つの駒鍵を装填するや、即座にその内の一つを間髪入れずねじ回す。
〈ドルイド・オルダーチャージ〉
茂り自らの下へと殺到する樹木の群を、絵草は冷ややかに見返した。
「たかが小枝程度で!」
一喝、一閃、両断。
実にシンプルな思考の下に寸断せんとする。否、させはしない。
〈コサック・ジェネラルフロストチャージ〉
という二の矢……否、二の弾丸をその樹木に埋め込み、凍結させた。
より硬く、より鋭く、より長く。
氷樹の剣山がさらに絵草を取り巻き、閉じ込める。
「下らんわ!」
一喝とともに、絵草はその剣圧で薙ぎ払わんとする。
〈エリートスナイパー・プレシジョンチャージ〉
〈クレリック・インペリアルチャージ〉
そのわずかな隙間を蛇行して、二筋の流星がその氷林の内に踊り込む。
跳弾を利用した鮮やかな乱舞が外野の歩夢からも見て取れる。対応に追われ、余裕を失った絵草の姿も。
「成程」
しかし、その虜囚の表情は、口調に焦慮はなく、あくまで冷厳そのものである。
「日陰に住まう小娘どもが、非力を束ねて、工夫を凝らし、急ごしらえの連携をよくやる」
という一応の称賛のもと、彼女は袂から鍵を抜き取った。
「だが! 手ぬるい!!」
〈
その駒を武器に換えた彼女は、発破がごとき声をあげた。
手にしたのは中世の競技で用いるような青く輝く馬上槍を無理やり剣の柄に当てはめたような得物である。
だがなお人の半身ほどはあるそれを、軽々と片手で持ち直した彼女は、剛刀との二刀流で構えるや、突き出して挟撃を測った鳴と士羽の射撃を弾き飛ばして霧散させる。怒号とともに、振りかざす。
それは武気の切れ味、という問題ではない。
嵐だ。腕を基点として生じる乱気流が、四方を囲む氷の拘束を抉り取っていく。
とどめとばかりの大振りで、彼女を脅かす攻めも、遮る要害も完全に取り去られた。
が、その間歩夢も無為に傍観していたわけではない。
この女修羅相手には足止めにさえならなかったわずかな時。それを利用して
〈リベリオン〉
〈ヘビー・インファントリー〉
の二つと換装する。
斬り散らされたエネルギーを余さず吸い上げ力に還元した歩夢は
〈ヘビー・インファントリー・ファランクスチャージ〉
と、倍化された力をもって槍衾で畳みかけた。
〈ソードマスター・
〈ランサー・|制圧槍撃〉
――が、二種の秘技を並列して用いることは絵草とて同様だ。
逆手からの居合い斬りによってたやすく弾き返され、反撃の槍撃が人口の土台を抉りながら避ける歩夢を追った。
その間に、槍剣を絵草はぞんざいに擲ち、懐かしくも見覚えがある『ユニット・キー』を鞘に納めた。
〈シーフ〉
多少癖のある、短い曲刀を手にした絵草は、その柄と一体化した鍵を回して釣り竿の要領で振り下ろした。
〈シーフ・
いや、それはまさしく釣りだったのだろう。
ノールックで投げ放たれた輝く放物線が狙ったのは、維ノ里士羽。そのホールダーに装填された、駒。自分たちを現状、この征地絵草と渡り合わせたり得ている制約。
不意を突かれた彼女の手から、『クレリック』が奪われ、グレード制限は解除された。
と同時に、クレイモアが彼女の手へと戻る。それ以外の武器を投げ捨て、究極の一口を、両の手に握る。上天に、砲が満ちる。
「健気な努力も最早品切れだろう。終幕の時だ。……」
何かを言いさしたようだったが、歩夢は口の動きを見ぬままに動いた。絵草に、肉薄した。
「おい、歩夢!」
らしくもない狼狽を見せる鳴の足下、レンリもまた動揺し切った声をあげた。
あれほどの破壊力を持つ覇王の砲撃斬撃、その大元への接近は、すなわち死途であると。
だがしかし、違う。
彼らも、そして直接的に挑んだ白景涼も、そこを見誤ったと思う。
〈ライト・インファントリー〉
〈コサック〉
『ユニット・キー』を再装填した歩夢は、その懐中へと飛び込んだ。横合いに左手に持ち替えた短剣で斬りつけるも、たやすく弾かれる。だがそれで良い。元より、強く握ってはいなかった。この程度の不意打ちで倒せるとも考えていない。
振り切られたその手に、自らの掌を重ね合わせる。指を絡ませる。
――その二つ重ねた手の甲を、歩夢はエネルギーの剣で貫いた。
「貴様……ッ!?」
絵草が痛みと驚きに歯を剥く。
だが、剣を振らない。砲撃は、降っては来ない。
その威があまねく戦場に及ぶ広範囲であるがために。
その力がすべてを破壊に至らしめるがために。
征地絵草は、自分と至近の相手に、『クルセイダー』は使えない。
加減を知らない火力を使えば己をも破滅させるがために。だから、ライカや舵渡に対しては徒手で制圧した。
これこそが、唯一無二、真に彼女を封じる一手だった。
当然、こっちだって痛い。
足だって、『コサック』の特性で互いに凍結させた。
両脚と片腕は自ら封じた。動くのは右手。銃を納め、手を開けて。
「言ったでしょ、『あんたを殴りに来た』って」
そう宣うと同時に、歩夢は絵草の横っ面に拳を叩きつけた。
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(20)
〈アドミラル・スチームエンジン・コンビネーションチャージ〉
攻撃を正面から受け、そして流しつつ、澤城灘は地を滑る。滑走の最中に、武器を短く持ち直してその穂先の付け根の鍵を回す。
竜の顎より一気に吐き出された息吹が煙と化した。嶺児の雲と混ざり合う。互いの視界を塞ぐ中、灘は駆けだした。
「さらに混戦を誘う気か……させるかよッ!」
〈バルバロイ・ランペイジチャージ〉
『キー』を回したホールダーを、舵渡が地面に叩きつける。
衝撃によって浮き上がった破片が武気を纏いて武器へと変わり、八方に飛び散る。
それらが乱雑に、致命的な威力を伴い飛散する。まともに目も利かない中、跳弾も自爆もフレンドリーファイアも辞さぬその様相は、まさしく
(けど、先輩はやはりマジメな人だ)
初動の軌道には地に足がついたような法則性がある。
被弾にさえ気を付ければ避けることそれ自体は困難ではない。
駈ける灘に流れる短槍たちもまた、
「――あ?」
蒸気の中に忍ばせた鉄鎖が、その追撃を防ぐ。
ぐわりと押し広げた海竜の口から漏れ出るのは、蒸気だけではない。アンカーと、それに連なる数条のチェーン。そして、そこに数珠のごとく括りつけられた無数の火砲。
機動しながらそれらが、あらゆる敵をつるべ撃ち。オレンジ色の爆炎を鈍く孕む白煙の中、灘が狙ったのは敵の功性防壁を担う、見晴嶺児。そのカウンターに乱れが生じた今こそ、攻め切る。
「へェ、オレ狙うんだ?」
ライカ、舵渡への砲火は牽制程度の最低限に。対して嶺児へは手数を増やしつつも散らして放つ。そうして雲の幕を薄くさせつつ、近接戦で一気に撃ち破る。
その、つもりでいたが意外にも嶺児はノーガード。軽くステップをしつつ、直線的な刺突を避けてのけ、
〈ハイランダー〉
そして、曲刀で正方形を形作る飾りの、薄いグレーの『ユニット・キー』を換装した。
先のものとはわずかに濃く見える雲が、蒸気の中を駆け巡り、その中で猿のような奇声があがった。
転瞬、鋭い風切り音ともに何かが雲の内より旋回し、張られた鎖を断ち切っていく。
そこに意識が寄った瞬間、自らの正面に圧を感じる。
「ケンカは、ビビったら負けだ」
とうそぶきながら、嶺児がその長躯を灘のすぐ前に移していた。
ただでさえ迫力あるそれが長柄物を大上段に振り上げれば、それは人以外の長大な何かに視える。あるいは、土砂崩れに巻き込まれる直前の光景か。
灘の工夫、小細工など無為無用とばかりに、真っ向から落とされる一撃は間違いなく灘を倒すに足る一撃を秘めていた。
「まったくもってそのとーり! 『
その灘の背を、小さな拳が小突く。
まるでその拍子に――といった調子で。
まろび出た。水兵風の怪人が。灘の
彼は身代わりとなって嶺児の鈍器を受けた。完全に粉砕される際、手にした
「あぶっ!? そんなんアリかよ」
「こんなんアリなのよ。というかで、コレもアリ中のアリ! 『キャプテン』の『アクアコード』発動! この
自身のレギオンにより嶺児を退け、灘の救援に駆け付けた汀、その彼女の本命たる人造レギオンが叩きつけた鉤爪の衝撃を浴びたライカのデバイスの、膨張していたエネルギーが収縮していった。
「なんだそのインチキ効果!?」
とライカが呻く。敵方の抗議ながらまったく同情と同意しかない。
「……効果の宣言を土壇場にやるんじゃない。あと僕に知らない内に気持ち悪い仕込みしないで!?」
「でも、楽しかったろ?」
「ちっっっとも愉快じゃないっ」
反省の色のない汀であったが、みずからと灘の背を自分から重ね合わせながら、至近で
「お前も、きちんと楽しみなってば」
と囁きかける。
「お前自身が啖呵切ったんだ。理屈も打算をひっぺがして、遊べ……そのためのオモチャだろ? そのユニットは」
晴れたいに横顔を向ける汀の言葉に、しばし唖然としていた灘だったが、やがてそれは苦笑に変わる。知らず口角が吊り上がる。
――嗚呼まったくどうして、彼女には敵わない。
「……全身ズブ濡れになっても、知らないからな!」
灘は『キー』を取り換える。ただ、換えるべきは片方ではなく、左右双方。本来統制に欠かすべからざる『提督』の駒さえも外す。
普段の自分では、決してやり得ないこと。だからこそ、今使う。決死の賭けなどではなく、
(たまには、帰り道に裏道に潜ってもいいだろう。雨の中を傘を差さずに走り回る日があってもいいだろう)
という、汀の言葉で解き放たれた、軽やかな気分で。
〈〈
ホースを三つ折りに畳んだ水色の鍵、鹿のような船のような表現し難い形状をした黄金色の鍵。それらを『ユニオン・ユニット』に再挿入。
「狩りの夜は来た! 暗礁を砕く、魔の海嘯よ! 鬼よ哭き踊れ! グレード4.995! 『ワイルドハント・ゴールデンハインド』!」
アンカー、鎖、蒸気、それを吐き出す船の怪物。
それらがその号令とともに四散し、まったく別の怪魔へと作り替わって鋒穂へと収束する。
鹿のごとき角と四肢を持つ、赤錆色のレギオンへと。
〈プライヴェティーア・ハイドロポンプ・コンビネーションチャージ〉
――初手から禁じ手。約束破りの必殺技。
その背に無数を生やした砲口が、灘が『ユニオン・ユニット』を捻り回すのに従って一斉に火を噴く。
轟音とともに飛翔していく砲弾たちはしかし、彼が背にする海面へと着水した。
統制機構を失ったがゆえの暴発か、とその場に居た者の大概は思っただろう。灘自身、今この身に伝わる力を自分でコントロール出来ているという自覚はない。まるで手放しでスキーでもしているかのようだ。
だがこの見当外れの弾道に限っては、そういう狙いだ。
次の瞬間、海が内よりオレンジに色づき、膨れ上がった。
一度ならず二度。二度ならず三度。段階ごとに天へと海水を打ち上げていき、しかもその水量は蒸発するのではなく、勢いと共に増していく。
一度巻き上がったそれが、天高くより落下していく。豪雨……否、大瀑布。逆しまとなった、荒れる大海原。
「ちょっ、おいおいおいおい!」
その性質が同一のものであるがゆえに。その防壁は面的なものではなく縦横に移動していく点であるがゆえに。
見晴嶺児は、展開させたその雲ごとに真っ先に流された。
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(21)
ともすれば自らも巻き込まれるその鉄砲水の中で、ふたたび灘は舵渡と肉薄した。
戦場へと乱入する暴れ水を刃で絡め取り、圧力へと換える。その力を持て余し、前のめり気味ながらも、打算を捨てて、力任せに。
ギッ、と歯を食いしばりながら、正面で攻撃を防ぎ止める自分たちのリーダーは、
「この、イカレが……!」
と呻きながらも、どこか楽しげに唇を歪めた。
何合かの迫合いの後、両者の間を暴流が妨げる。
そこへ乗じるかたちで、汀が割って入る。それを追うのは、一度は水中に呑まれかけた嶺児だ。
その
だが、臆することなく身を翻した汀は、その長躯へと挑みかかる。
灘はそんな汀を案じてはいない……彼女が、あの妙なところでリアリストとなる幼馴染が、分の悪い正攻法になどで応戦するものか。
果たして、咄嗟に身を屈めた彼女は、その股下をスライディングでくぐり抜けた。
「下!?」
「いんや、正面」
と言うが早いか。自身の足下に気を取られた隙突いて、後続の『キャプテン・レギオン』が上段回し蹴りで嶺児の側頭部を叩いた。
ぐらりとよろめく彼はふたたび洪水の中へと叩き込まれた。
舌打ちとともに、全力全速で後退しつつ、舵渡は未だ侵されざる地面を抉る。
エネルギーを帯びた土塊はしかし、反攻のためには使われない。互いを平坦につなぎ合わせ、大ぶり一枚のパネルと換えて、かつそれの上に両脚を載せる。
追いついてきた水流は彼の身柄を浚うことなく、作られた簡易的な筏をもってやり過ごさんとした。
させじと動いたのはまたも深潼汀。水と駆けっこでもするかのような溌剌な疾走。だが指先は機械のように精妙そのもの。自らのデバイスを操作する。
〈キャプテン! フルセイル・オールアウト!〉
その必殺の号令を受け、三角帽の魔人が、守るべき主人を離れて水圧で浮き上がった舵渡の筏の進路に、一息飛びに回り込む。その途上、銃を汀へと投げ渡した。
ニンマリと口角を吊り上げた汀は、彼女自身が波に奪われない内に素早く身を切り返しながら、そのトリガーを弾いて連射する。海賊は、残り鉤爪で舵斬り立てていく。
遠近からの挟み撃ち。だが、流石に南洋の主はそれに耐えた。的確に有効打の軌道を呼んで両面からの攻めに応対していく。
だが、彼自身は傷を与えられずとも、即席の筏の方はそうはいかない。
唯一無二、かつ不安定極まりない足場が大きく揺らぎ、舵渡が落水する。と言うよりも、完全にバランスを崩すよりはと自分の意思で飛び込んだ、といった方が良いかもしれない。熟練者ならではの判断だ。
だが、彼を安全圏から叩き落としたのは確かだ。
「してやったり」
とガッツポーズをする汀だったが、その背に迫る波濤の中、海蛇のごときものが伸び出てきた。
それは、長い人の腕。そして握られた長柄の鋒先。まるでそれ自体が生物であるかのような挙動とともに、上下すると、その振動に促された穂先の猿が、自身の足下の鍵を回した。
〈ハイランダー・フォーリングチャージ!〉
野太い音声に発破をかけられた異形の猿が、並々ならぬ闘志を滾らせて一鳴き。曲刀を放り投げる。
勢いよく旋回するそれが『キャプテン』の胴体を真っ二つにして破壊。返す刀で虚を突かれたかたちとなった汀の背を掠めた。
「汀!」
一瞬、灘は彼女を顧みた。だが、気丈に明るく歯を見せた彼女は、
「良いから前! 何も考えんと、思いっきりブチかませ!」
と焚きつけて、自らは相棒の爆風に煽られながら、仕留めた相手――おそらく見晴嶺児の腕と同時に海中へと沈んでいった。
……彼女のことが気がかりではあるが、その口端に如何ともしがたい苦笑が浮かび、前に目線を戻す。
仮にも好ましい相手に尻を叩かれては、最後まで意地を張り通して恰好をつけるよりほかないだろう、と。
「よくやった、デカブツ……っ、これで!」
水泳競技者として、というよりも南洋の荒事に慣れ切った舵渡があっという間に体勢を立て直しつつある。
だが、その横に妖しき輝きがじんわりと浮かんだ。
それが何者による発光なのかは、その色と圧とで灘たちにとっては明らかだった。
「あぁ、しまった」
――そう、舵渡は歪に笑った。己が取り返しようのない失念をしていた。その失態の重さを自覚した時、人はやはり笑うしかないのだろう。
白景涼。
マークの外れた彼の右の脚部に、飛龍の形を成したデバイスが地面に頭を向ける形で張り付く。脚甲と化す。聞いた話によれば肩上にしがみついていた、とも聞くがこれはそれとは別のパターンと思えば良いのか。
その熱が、水流が彼に到達することを許さない。舵渡は表情を引き吊らせたまま、一度は支えとなっていた筏を自ら踏み砕いて分解した。
「……ったく、隙が出来ればすぐ全力か……少しは忖度しろよなァッ!」
浮かび上がったそれらは、デバイスを握る拳の動きと咆哮に合わせて、涼へと向けて射出された。
だが、『北』の鎮護者は『南』の大元締の攻勢に、無反応。
代わり、黒龍に抱かれた右脚をゆらりと持ち上げ、そして突き出した。
ぐわりと蒼黒の火焔が、放出された。
灘によって地上を侵さんとしていた暴水が、割れた。
さながらモーセの奇跡のごとく。
真一文字に海原を切り裂いた焔、いや熱線は、その軌道上にいた舵渡をその投擲武器ごと吹き飛ばした。津波と共に、海原へと押し出した。それでも一瞬間は耐え抜いたのは、舵渡の尋常ならざる根気根性がためだろう。
……そして、その熱量のいくつかを引き裂き、天へと打ち揚げた。
「いけ、異人の小僧」
と、悪童の笑みを浮かべながら。
先の嶺児と、要領は同じである。
〈リベリオン〉
〈ダガー〉
その割れた海原の中央に立つライカ・ステイレットはルールの制約から解き放たれた武器をメインの武装と入れ替え、流星のように雪ぐエネルギーの残骸に、デバイスより裏拳の振りを放って吸い上げる。
〈リベリオン・ダガー・コンビネーションチャージ〉
さながら弓矢を引き絞るがごとく、吸い上げた力は彼の手元で短剣として鍛造され鉤型の軌道を描いてライカの周囲を巡る。対峙しているのは、灘である。
「……こんなことしても、無意味なのにな」
だがその表情は、どこか虚ろで浮かない様子だ。
「いや、今までやってきたこと自体がそうだ。こんなことをしても、クリスは」
「クリス、それが君の喪ったひとの名か」
灘にはその気持ちがよく分かる……とは口が裂けても言えない。
この少年と、自分の中にいた者には相通じる部分があるからこそ、なおさらに。
(去ったあいつも、きっと多くを喪ってここにいたはずだから)
あの亡霊がもはや何を想って、灘に取り憑いていたかは知るべくもない。しかし彼が遺した感傷の爪痕だけは、今なお灘の内に残っている。
――それでも。
「無駄なんかじゃないよ」
はっきりと分かることもある。
「たしかにそれ自体は何の成果も得られなかったものかもしれない。ろくでもない自己満足だったのかもしれない。それでも、きっと君が前を向くためには、必要なことだったんじゃないかな」
もう一人の自分は、後悔していた。だがそれは、何かをしてしまったことへの悔いではない。何も出来なかったことを、彼は苦しんでいた。
内から殊更に自重を求めていたのは、その裏返しだったのではないか。
「喪ったものは取り戻せないかもしれないけど……でも、それとは別に得られたものだってあっただろ? 楽しかったんじゃないのか、
唇を噛んで俯く転校生に対したまま、なお灘のチャージ攻撃は持続している。
狂い乱れる水の何筋かはその穂先に集約される。
「……さぁな、知ったことか」
一瞬、灘の後ろに目を向けながらライカは返した。
短刀を取り纏めた彼は、深く腰を沈めて
「それをハッキリさせるためにも、もう終わりにしようか」
「あぁ、こんな下らない争いは、さっさと終わらせる」
もはや、小細工も地の利もチームワークもない。
最後は残された個と個。力と力の衝突だけだ。
それを悟った瞬間、ほぼ同時に駆け出した。
蛇行しながら短剣が飛ぶ。竜の背の砲口が前へと傾き火を吹く。
それぞれに向けられた射撃を相殺しながら、刹那の交錯。互いの感情が合致したがゆえの、理想的な幕引きの図だ。
その位置を入れ替えながら地を滑る少年たちは、己に問う。
顛末は如何、勝敗は如何、と。
そして結果は己の身の変調ですぐに分かった。
灘の、得物を握る手に痺れが奔る。鋒先のレギオンは叩き潰され、ひしゃげてスパークしている。
指先に感覚が戻らず、そのまま地面に取り落とす。
だが灘の方にしても、確かに相手の障壁を斬り破った手応えはあった。
つまりは、相討ち。
だが後悔はない。力と技術を出し尽くした結果だ。
そして、ライカにとってもそれは同じらしい。
倒れ伏すその間際、わずかに傾けられた彼の横顔もまた、どこか安堵感さえある、それこそ憑き物が取れたかのように穏やかなものだった。
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(22)
確実に、歩夢の拳は絵草の頬へとクリーンヒットした。
だが、生徒会長が頽れることはない。膝を屈さない。
ひしゃげた顔肉の内で、ギョロリとその目が歩夢を睨む。
「踏み、込み、が」
と、空いた手が高々と掲げられる。
「まるで足りんわぁッ!」
と、握り固めた拳が歩夢の横面を殴り返す。
ただ一撃。一発。無数の光弾を浴びるよりはずっと良いと構えていたはずだ。
だが、それだけで、歩夢の脳は揺れ、その拍子に誤作動でも引き起こしたかのように、全身の末端神経にまで電流が流された。
「
という勇ましい声とともに、二度、三度と組み付く歩夢の背を叩く。剣を封じられ、あるいは同士討ちを避けるために援護も期待できないその中で、絵草は殴打を繰り返し、歩夢は反撃の拳を繰り出すべくもなくしがみつくのがせいぜいだった。
「この私を誰だと思っている!? あの惨劇の夜から勇を奮い、剣を振るってきたのが征地絵草だ! たまさか選ばれて力を括りつけられた小娘如きとは、場数が違う!」
(小娘て)
言っていることは、身をもって理解できる。
自分は偶然に旧校舎へと足を踏み入れたが故に力を手に入れた人間。つい春先まではふつうの側に立っていた人間だ。征地絵草が彼岸の修羅どもと戦っていた合間に、自分はまさにただの中学生活を安穏と送っていたのだから、
ただの。
安穏と。
あぁ、と歩夢は天を仰ぐ。
「それは、違うか」
独りごちた歩夢の顎目がけすかさずアッパーが繰り出される。
喰らえばいかに保護されようとも骨が砕ける。
だから、受けた。
下顎ではなく、くんと折り曲げた額で。
ぐらりとしたが、敵の指先の衝撃と苦痛がその数倍することは、表情を見れば分かる。
反撃の時は今だった。
膝を脇腹にめり込ませ、顔に猫よろしく爪を立てて、眼球や鼻腔を狙う。
当然
「この……っ、クソガキがぁ!」
「勝つための努力をしろ的なコト言ってたの、あんたでしょうが……!」
そういう反骨心を源に、歩夢はアウトローな戦法で暴力尽くの絵草に抗う。
そうだ。
ただ一つ。一点。足利歩夢がこの無敵の生徒会長に負けないことがある。
すなわち、すべてに劣るという点、それ自体。
(わたしは、ずっと痛みに耐えてきた)
わずかな力さえ持たなかった頃から、ありとあらゆる理不尽に曝され、誰も救ってくれなかったその中で。苦痛を当然のものとして受け入れた。
だから、絵草の暴力などどうということもない。慣れている。ずっと食らいついて、離さないという自負がある。
力にも運にも才能にも環境にも恵まれてきた女相手に、そこだけは負ける道理はないし、敗けてやる義理もない。
「チビ猿風情が! 生き汚いにも程がある!」
「
……が、えてして物事は本人たちの熱中とは異なり、実像は卑小なものであるらしい。
傍観するよりほかない他の三者の眼は、罵り、殴り合う絵草と歩夢を案じつつもどこか呆れ気味で、かつ冷ややかでもある。
その彼女らの表情が変わったのは、次の瞬間だった。
「チェェェェェ……ストォァッッ!」
甲高い気合いとともに、絵草は凍り付いた脚を強引に持ち上げた。
股の牽引力だけで二つに割れた氷塊にまとわりついた脚でミドルキックを繰り出し、歩夢の横腹を突く。
その衝撃を利用して氷塊を砕き、生じたわずかな隙で光の剣を掌から引き抜く。
「歩夢ッ!」
たまらずといった具合に士羽とレンリが駈けださんとするのを、空中からの爆撃が妨げる。
それは彼女のみならず、歩夢たちの円周に及び、外野からの一切の介在を拒絶する。
「もう良い。貴様は、今ここで殺す!」
戯れ合いでは済まない物騒な口上とともに、片手でクレイモアを突き上げる。
十重二十重に層が加わっていく、爆炎のリング。その内側で、歩夢は自分でもらしくないほどに諦めてはいなかった。
すべきことはすべてする。打つべき手は打ち尽くす。そうでなければここに来た甲斐がない。
だが、それは無策や蛮勇とは違う。もはや相手に懐に飛び込むことを許す油断はない。
不意を打つことはまず不可能だろう。
だから、それ以外の部分に勝機を見出すよりほかない。
そして即時に視線を巡らせた歩夢は、視界の片隅にそれを捉えた。
反転した彼女がそこへと向かう。逃避と錯覚した絵草の爆撃が、その背を襲う。
あまりに早い焔の巡りは彼女の身にわずかに届き、爆風が彼女の痩躯を躍らせる。
途中、限界に達したストロングホールダーは歩夢の身体から離れていく。だが問題はない。むしろ意図せずして軽い身体は爆風に焦がされながらも乗ることに成功し、目指す地点への到達が叶った。
そこは、それは、一個の筐体。
レンリが隠し持ち、そして絵草に鹵獲され、今捨て置かれていた別のホールダー。現状、唯一絵草に対応できた武装。
曰く、『オルガナイザー』。
あれほどの激戦の中で置かれたにも関わらず、まるで空間ごと固定されたかのように微動だにせず鎮座していた。
だが、歩夢が飛びつくように掴むと、自然とその腕の中に収まった。
(物は試しか)
否、生き残る術はその奇手のみ。
歩夢は爆破の衝撃で転がった『軽歩兵』の駒鍵を拾い上げると、レンリがそうしたように、鍵を筐の隙間へと差し込んだ。
〈エラー〉
――などという
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(23)
〈エラー〉
本人の落胆など知ったことかと言わんばかりに、あるいは嘲笑うかのように。
その筺体は膨らんで離散の気配を見せたかと思えば、元の形へと収縮する。明滅のたびにエラーを吐き続ける。
それは本来のユーザー、レンリではないためか。あるいは単純に自身の
そして状況は、そうした考察の余地など残してはいない。
「幕切れとは、いつだって呆気なく無常なものだな」
揶揄にも似た調子とともに、絵草が傷より吹きこぼれる血を払うように掌を振るう。それをサインに、上空より光の砲丸が投下される。
避けるべくも防ぐべくもない。容赦呵責もない弾の雨が、歩夢を陥すべく、落ちる。
〈エラー〉
そんな状況などお構いなしに、『オルガナイザー』は淡々と自身の異常を訴えるのみだ。
(さすがに死んだか)
と歩夢をして少なからずそう思った。絵草に至ってはそれを確信していたことだろう。
――だが状況の急変は、次の瞬間、その筺体から起こった。
〈エラー。エラー。エラー〉
機材はくり返す。うわごとをくり返す病人のように。
その断裂の隙間から照射される光が、虚空に窓を開き、文字の羅列と鍵と色とが綾を成す。
そして明滅の感覚が狭まりそれがピークに達した時、箱は一気に爆ぜて破片として散った。
ただその一片一片は、さながら短剣のごとく、あるいは鍵のごとく。
〈エラー。エラー。エラー。えらー。エラー。ERROR。ERROR。えらー。エラー……〉
ニュアンスを変え音声それ自体を変え、鳴り響くエラー音。
やがてノイズがひどくなって、聴き取ることができなくなったかと思えば、
〈シングルアクション〉
――と、一転して明瞭な音声で再起動した。
〈リベリオン〉
〈ロング・シューター〉
〈クレリック〉
〈メディック〉
紅く、白く、黒く、青く。
代わり散った金属片がその窓を貫き破砕していく。そのたびに色を重ね、変化させていく。
虹、というよりもどこか玉虫めいた、極彩色の妖光。
やがてそれは高速で動きながら歩夢の身に到達する前に光弾を撃ち落とし、一体化した。サーフボードほどはあろうかという、彼女の細腕が手にするにはややためらわれる大きさの剣となって。宙を漂い、彼女に寄り添う。その目線と意思に従い、細やかに空を滑る。
「なんか、できた」
短く呟きながら、歩夢はその剣把に手をかける。見た目の大きさに反し、持て余すような重さはない。かと言って、心許なくなるような軽さでもない。まるで、その重量や密度さえも、歩夢に意図的に合わせて打たれたかのような手ごたえを感じる。
触れた瞬間、これとは比べ物にならない、学園に突き立つあの巨剣の姿が脳裏に浮かんだ。そして、燃える煉獄も。そこで斃れ伏す学生たちの姿も。
振り払うようにそれを握り直し、歩夢の側から馳せて絵草へ突撃をかけた。
奥歯を噛むような表情を浮かべ、絵草は一度は捨てた『剣豪』の刀を拾い上げ、斬光を放って迎え撃つ。対して歩夢の剣閃もまた、赤紫の光輝を帯びて飛んで衝突した。
その衝撃で、歩夢の剣自体が掌中からすり抜けて割れて四つに分かたれた。
壊れたか。否、違う。この身を通して機能が十分かつ存分に生きていることを理解する。
――紅く、白く、黒く、青く。
四色の光に分かれた剣は、軌道を描いて上空の砲台群を撃ち落とし、あるいは砲塔と成って四方の火力を逆制圧し、あるいは降り注ぐ白い一矢が周囲を巻き込みながら地上を穿つ。青い雨が砲台を融かす。
その衝撃と弾幕から袖口で顔を保護する絵草に、歩夢は再び自分の手元で一体化した剣を握って肉薄する。
逆転攻勢。このまま応戦を許さず、押し切る――と言いたいところだが。
二度三度と顔合わせしただけの、短い付き合いだが、それでもこの濃密な諍いの時間を通じて分かることはある。
(それでもこいつは、押し切ってくる)
今は軽い動揺を見せているだけだ。おそらく、間合いに至るよりも先に体制を立て直し、また最大出力で斬りかかって来る。
本当に、策も細工もない。あとは、天運と勢いに身を任すのみだった。
~~~
まったく、忌々しいことだった。
征地絵草にとって、足利歩夢当人は取るに足らない相手だった。
活力がなく、信念がなく、執着もなく、ともすれば己の命さえもどうでも良い、と言わんばかりの目つきに佇まい。それがただ、僥倖に恵まれただけのことだった。
その、はずだ。
短い付き合いだし、これで終いとする腹積もりだが、剣を介して理解したことがある。
(それでもこいつは、しがみついてくる)
どれほど追い詰めても、痛めつけても、そのどうでも良いはずの命も執着も捨てきらない。諦めない。
そのうえで、奇策奇跡を引っ提げて生意気にもかじりついて来る。
――だからこそ、こいつはありとあらゆる意味で度し難い。
信念も無しに、なんとなしで、低空飛行で生を食いつなぐこの娘の在り様は。
本人は気づかずとも、いずれは許容しがたい存在となるだろう。
「だからこそッ、今! この場で!」
絵草の咆哮に突き動かされるかたちで、上空の残存兵力はエネルギーに還元されてクレイモアに吸い上げられていく。
〈クルセイダー・制圧爆撃〉
「チェエエエストォォォ!!」
喉が裂けんばかりに気炎を吐いて、絵草は膨張し切った両刃剣を真っ向から振り下ろす。
間合いに入る手前の歩夢を、その一帯の空間ごとに圧し、刈り取る。
空気の壁を破る轟音。天をも焦がす光の柱。その中に、少女と従者となった剣は呑まれていった。
十字砲はあの奇妙な剣に削られ、絵草自身もダメージが蓄積している。万全ではないにせよ、それでも全力だった。あのストロングホールダーによる防壁があろうとなかろうと、人ひとり消し飛ばすには訳ないほどに。
だが、その立ち昇る力の奔流の中を、影が游ぐ。
荒れる大海を進む回遊魚のように。あるいは風雨の中、それでも羽ばたく小鳥のように。
少しずつ、だが着実にその影は大きく近くなっていく。こちらへ向かって速くなっていく。
やがてその剣は、光の柱を突っ切った。
その勢いのまま、絵草の腰元を貫き、その足下へと突き立った。
つまりは、彼女のホールダーだけを。綺麗に。見事に。絶対者たるために必要な、その力の因を。
「最強のあんたは、何の力も持たない、恵まれないわたしに負ける」
と言う声が、大きく穿たれたデバイスの穴から聞こえてきたような気がした。
「それがあんたの、認めがたい真実、ってヤツだよ」
機械の雁の悲鳴の代わりにほとばしるスパーク。
やがてそれが爆発へと、取って替わる。
次の瞬間、怒りと無念を乗せた断末魔とともに、剣ノ杜学園の王者は爆風によって地を転がったのだった。
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(24)
征地絵草が倒された。
剣ノ杜最強の女が這いつくばった。
その衝撃は、士羽と鳴の鉄面皮さえも動かした。
「ウソだろ、勝ちやがった」
と夢見心地のような語調で呟きを零した。
そして遅れて現れた歩夢の仰向けに倒れ伏す姿を見た時、鳴とレンリの一人と一羽は彼女に駆け寄った。
「歩夢!」
という悲壮なレンリの呼びかけに、目線で応じる程度の気力は残っているらしい。
ため息混じりに手をひらひらと前後させると、埋立地に突き立った剣が抜けて彼女の手元に引き戻された。
だがすでに手に取る気力も体力もなく、虚しい金属音を立てて地を滑る。
代わりにそれをシャットダウンさせたのは、レンリだった。
筺へと戻ったホールダーから鍵を抜いた彼は、その形状を見るなり、碧眼を歪ませた。
「……『アポカリプス』……」
かつて『軽歩兵』だった『ユニット・キー』は、剣に弓と杖と注射器が四色に、歪に組み合わさった駒となっていた。
ひどく悩ましげにその名称らしきワードを漏らしたカラスの頭越しに、鳴が歩夢を抱き起こした。
「おい、大丈夫かよ。つかお前の『キー』、なんかえらくゴツいもんになってんだけど」
歩夢は俯くレンリの横顔を見つめて、口を開きかけた。だがそれより先に、彼が口を利いた。
「よく知りもしないデバイスで無茶するからだって。今度からは用法用量を守って、正しくお使いください」
と分別くさったことを言いながら、自身のストールの内へ、その異形の鍵と『オルガナイザー』を押し込んだ。
一方で完全に出遅れたかたちとなった士羽は、伸ばしかけたその手を引っ込めて自身の『クレリック』を拾い上げて白衣のポケットに突っ込み、向きかけた足を、旧友へと切り返した。
わずかなジレンマを、薄く氷の表情に滲ませて。
絵草は、持ち前の強靭さで完全な喪心には至ってはいなかった。
震える手を懸命に、元に戻った『クルセイダー』の鍵へと伸ばす。
だが、その指先が触れようとした矢先、最強の『ユニット・キー』はあろうことか――音を立てて砕け散った。
「オーバーヒートによって『ユニット・キー』に過剰な負荷がかかり出力が不安定なったところを、まぐれ当たりでホールダー本体を貫かれた、といったところですか。数年来の無茶の結果、自業自得とはこのことですね」
冷ややかに辛辣な言葉を落とす士羽だったが、返された眼差しを染めるものは憤怒の色ではなく、揶揄とそうと同量の憐れみだった。
「……なにが可笑しい?」
「貴様の、その鈍さがだ――いや、本当は気づいてるのではないか?」
かえって不機嫌に尋ねるかつての友に、絵草は立ち上がって言った。
「いずれにせよ、その弱さは滑稽そのものだな」
そして絵草は、遠く残るメンツを眇めた目でもって望んだ。
「おわぁーっ!? 歩夢、手の傷、傷!」
「いたぁーい、めっちゃ血出てきた」
「そんな彫刻刀とか包丁で指切っちゃった的なリアクションに留めないで!? 『
激闘を経て、自身で貫いた掌の出血が激しくなったらしい歩夢。わたわたと半分パニックになって右往左往するレンリ。そんな彼女らに呆れるようにしながらも、慣れた調子でテキパキと止血に入る的場鳴。
低いテンションで自身の負傷や治療を受け入れる歩夢は、どこかまんざらでも無さそうで、秘められた事情に気づきかけた絵草にしてみれば滑稽ではあったが……それでも賑やかだった。
その始終を見届けた絵草は、自身の手傷はそのままに歩き出した。
「……己の主義は枉げられん。敗者に通す正義無し。あいつはしばらく、お前たちに預け置くこととする」
と、士羽にしてみれば捨て台詞にしか聞こえないことを言いつつ、最後に絵草は
「お前は、逃げるなよ……士羽」
――おそらく本人には遠く響かぬ戯言だっただろうが。
最後になるかもしれない、友としての忠告を残し、征地絵草はその場を去りゆくのだった。
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(25)
「――本当は、気づいてたんだ」
遠方からでも肌を痺れるほどの、高次元エネルギーの柱が霧散した。
おそらくは、そして信じがたいことに、足利歩夢らと征地絵草の戦いは、前者の勝利で終わったのだろう。
だが海水にまみれて寝そべるライカが開口一番に放ったのは、それについての悔恨や怨み節ではなかった。
「憎かったのは、あの『剣』でも、カラスでもない。俺が本当に憎むべきだったのは、あの時本当に罪を犯したのは」
唇を上下をぐっと強く結び合わせた少年は、震える睫毛を伏せながら、声を絞って
「
……そう、告解した。
あの時、自分が両親の言いつけを守って留まっていたなら。
興味本位であの学園に忍び込んでさえいなければ。
「俺が求めていたのは真実でも仇でもない。俺は……自分の罪を肩代わりしてくれるモノが、欲しかっただけだったんだ」
たったそれだけのこと。
子どもとしての、軽はずみな悪戯で済むはずだった過ちが、その代償があまりにも大きすぎて。
どうしても、受け入れることができなくて、その理由を別の誰かに押し付けたかっただけだった。
「ライカさん……」
当時の記憶とともに甦ってきた心痛を抱き、胸の上からぎゅっと拳を押し当てるライカを、嶺児や灘は気遣わしげに見つめている。その眼差しは、有り難くも今のライカには辛いものだ。
「じゃあ、どうするんだ。お前さんは。墓守にでもなって、贖罪の半生を送るのか」
「……それも悪くない」
海面に漂ったままそう揶揄を縞宮舵渡に、ライカは薄く笑い返して上体をもたげさせた。
「それでクリスが許してくれるとは、思えないけどな」
と自嘲を交えて。
「そう悲観することもないだろう」
と、すでに両脚で立つ余裕のある白景涼は、おもむろにそう慰めを入れた。
「そうだよ、せっかく剣ノ杜に入ったんだ」
「過去の錨に絡み取られて沈没するより、前を向いて生きるのを、妹さんも望んでるって」
と、灘と汀もそれに同調して手を差し伸べた。
それに強く頷いた涼は、表情を変えないまま言った。
「少なくとも、自分はこの二年間、クリス・ステイレットから
「そうそう、妹さんも恨んでないって」
え、と。
異口同音。『旧北棟』の主を除くほぼ全員が、呆気にとられた声をあげ、表情で彼を見返した。
「――今、なんて?」
「だから悲観することはない、と」
「なんでそこからリピートすんの!? ベタなボケしなくて良いからさァ!」
汀の抗議を受けて、涼は茫洋とした眼差しでライカを見下した。
「何を勘違いしているかは知らないが、クリス・ステイレットは生きている。あの夜我々とともに『北棟』に飛ばされて。最初こそ言語が通じないゆえ難儀したが、命に別状なく、日々を生き抜いている」
「え、え、え」
口を半開きにしつつも、声が出せないでいる異邦人。
そのあまりに呆気なくもたらされた真実に、
「白景のよォ……」
と、海べりに泳ぎ寄せた舵渡が咆哮を爆発させた。
「言えや!! そういう肝心なことは! ハナっから!」
「彼がクリスの縁者だと知ったのはついさっきのことだ。そもそも、説明の余地などなかったと思うが」
「筋は通っているのになんか釈然としない!?」
独特のテンポに、思わず灘もツッコミに回る。その彼の肩を、はにかみながら汀がつついた。
「そーいや今気づいちゃったんだけど、なんかさっきのノッポさんの攻撃でブラのホック切れちゃったみたいでさ。というかそもそもびしょ濡れだし、換えの下着持ってない?」
「今このタイミングで!? てかなんで僕が汀の下着を持ってるって思うの!?」
もはやライカ当人をほったらかしにして丁々発止のやりとりを展開していく学生たち。
凍り付いたままだったライカに、のそのそと遠慮がちに嶺児が歩み寄り、
「えーっと……なんつーか……良かったね、ライカさん」
その控えめな気遣いが、底抜けに人の良さそうな屈託ない笑みが、どうしようもなくライカの羞恥心を刺激して、反射的に向う脛を蹴り上げた。
嶺児は予期せぬ奇襲に悶絶する。キックの拍子にライカもまた、再び地べたに仰向けに倒れ込んだ。
「――本当に……どいつもこいつも、バカばっかりだ」
押し当てた手の甲の裏で瞼を潤ませ、こらえきれない笑みを浮かべて。
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(26)
「あいつらも引き上げたみたいだな……にしても、なんでココ、こんなビチョビチョなんだ?」
三人と一羽は、今にも沈みそうでさえあるほどに破壊された湾岸から出立した。
負傷こそ治癒したものの、全員ともに疲労困憊なのは言うまでもなく、その帰途の会話はあまりに少ない。
まだ体力に余裕がある方の元スポーツマン、的場鳴が気を利かせたらしく話題を振るが、引きこもりや陰の者たる二人が、反応を返すことはなかった。
もっとも、レンリが黙秘しているのはまた別の理由だろうが。
いったい何を考えているのか。どういう素性なのかは不透明なままだと。むしろ、あの強敵との一戦以降、沈思黙考の具合はさらに深刻なもののようになった気がする。
最後尾で俯きがちだったレンリだったが、その目線が何かを決したかのように持ち上げた瞬間、姿が揺らめいた気がした。
頭から、その存在が抜け落ちていく。たしかに今振り返った先にいるはずなのに、その存在が希釈になっていく。
そして消える間際、伸ばした手の向こうで、レンリは淡く微笑み、その姿は朝日の中へと溶けて、消えて
「そこかぁっ!!」
……などということを、ここまでこの鳥のために骨折りしてきた歩夢が許すはずもなかった。
軌道、角度、タイミング全てが完璧なキックであった。
「ぶエェッ!?」
その一撃はステルス状態にあったレンリの黒い球体の真芯を捉え、鉄柱に飛ばして激突させた。
「なに、満足げに消えようとしてんの」
「いや……俺にも事情とか覚悟とか色々ありましてですね……」
レンリは倒れて軽く痙攣を起こしつつ、クチバシをモゴモゴと動かした。ここまで兄を気取って無遠慮に踏み込んできた畜生が何を世迷言を吐かすのか。
「……本当に、良いのか?」
少し息を整えながら、レンリは言った。
「いつ世界を滅ぼす爆弾に変わるかもしれないヤツを、野放しにしていても」
彼女からは頑なに目を背けたままに身を起こし、
「俺はかつて、許されないことをした。それと同じことをくり返すことになったとしても、俺は、お前の近くにいて、良いのか」
と、独語めいた問いを投げかける。
「お前は強くなった。能力も心も、俺なんて必要ないほどに……ここから先、自分が生きて何をどうすべきか……正直俺にはもう分からない」
瞳の中の緑が、揺れながら黒い闇の中に堕ちていく。
彼が何を言わんとしているのか、よく分からない。たとえ真実が分かったとしても、きっとその苦しみは彼がずっと胸に抱いていくものなのだろう。
「……今更だけど」
歩夢は彼を見下ろしながら口を開いた。
「わたしは世界の行く末なんか知ったこっちゃない。その時にならないと、その時のわたししか判断できないことだもの」
そもそも、と歩夢は膝を彼の前で折って言った。
真っ直ぐに、ゆっくりと顔を上げた彼に目線を合わせた。
「始めてもいないことを、わたしは諦めたくない」
そして一つだけ、この時点で確かなことがある。見た夢がある。
眠りと覚醒に狭間で、刹那的に見た光景。煉獄の悪夢の続き。
それを、あの筐に、剣に触れ何者かと接続したことをきっかけに思い出した。
あの時カラスの怪物が突き出した腕はしかし、斃れ伏す少女を貫かなかった。貫けなかった。
代わり、人のそれへと戻った二本の腕は、彼女の身柄を狂おしいほどに掻き抱く。
泣いた、などという生優しいものではなかった。
絶望の魂から搾り出された、悲痛な慟哭。自身の心も体も押し潰す痛みに、耐えかねて発する絶叫。
それ以外の全てを砂として取りこぼした。
最後に残った一握さえも、今指の中から抜け落ちていく。
その痛ましさがあまりに見ていられなくて。
その献身があまりに報われなくて。
その生涯にあまりに救いがなくて。
だから――
その彼女と同じように――見下ろし、見上げる立場は逆でも――その手を差し伸ばし、掌で頭を包む。
「レンリは、それでも最後には、わたしの側に居てくれるでしょでしょ」
たとえ何も出来ることが無くても。
たとえそれが燃え盛る煉獄の中でも。
たとえお互いに身を滅ぼし合ってでも。
そして、数年のブランクがあるのも感じさせない自然な感じで、歩夢は歯を見せて笑った。
その直後のレンリの心境は、推し量るべくもない。
ただその感情の激動は、彼の閉じ篭もる偽りの身体を突き抜けて、歪む目元から伝わってくる。
「あぁ……あぁ!」
声は掠れて上ずり瞳揺れ、万感の思いを込めてレンリは頷いた。
彼の震えが、手を通じて伝わってくる。
その間際、視界の片隅で士羽が物凄い、らしくない表情をした気がした。
しかしすぐに白衣を翻して足を速めたので、確かめようがなかった。
〜〜〜
「……わかった。俺も覚悟を決めたよ、歩夢」
歩夢が自身の下から離れた後、レンリはひっそりと立ち上がって、静かに呟いた。
「この先にどんな運命が待っていたとしても、俺はお前の味方でいる……今度こそ」
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(27)
今、流血はそのままに港を悠々と巡る。
これは果たして敗走なのだろうか。
その通り。この満身創痍の姿が、一歩ごとに砂粒のごとく噛み締める苦味が負け犬のそれでなくて何なのか。
端から見ればそんな征地絵草の姿は、虚しい孤影であっただろう。
慢心があった。馴れがなかったかと言えば嘘になる。だが後悔はない。それらを含めてのこの敗退であり、納得の代償だ。
そして常勝の武を布いて他者を制圧してきた女がひとたびその力を剥奪されれば、後に残されたのは徒手空拳の己と、積もり積もった周囲の恨み、といったところか。
だがそれもまた小気味良い。
力が足りねば努めて積み上げる。不明があれば智を研ぐ。命を磨く。
その信念だけはまだ彼女自身の中に生き続けている。己で実践し得ないことを他人に強制してきたつもりはない。
それに、と先を思い返して蒼天を仰ぐ。
風向きは、それほど悪くはないのかもしれない。
感覚的にそう思った絵草は、何故かそれに連なるように、あのカラスと、彼の言葉が浮き上がる。
――悪かった。お前たちに、全てを背負わせて
「……謝るな。そんなザマになってから」
ふと、言葉が自身の口からこぼれてから、ハッと噤む。唇をなぞり上げれば、苦笑めいた形が作られていた。
今の言葉は自分のものではない。何者かの思念が、一瞬挟まれた。
果たしてそれは、誰の感情だったのか。
自己の内部を探究せんとする絵草だったが、それはついに中途に終わる。
「お前だけが、邪魔だった」
という、背後からの声によって。
わずかな思考のブレ、注意力の欠如。それが決定的だった。そうでなければ、例え装備を失っていても遅れを取ることはなかったはずだ。
だが現実はそれを許さなかった。
彼女の背から腹は、異形の繰り出した貫手に突き抉られた。
血反吐を口からこぼす少女は、残る生命力を搾り出して、背後を顧みた。
彼女を貫いたのは異形の怪人。
管楽器のごとく、あるいは太陽を象るかのように、獅子の鬣にも似た、無数のパイプが頭部から隆起し、あるいは肩まで流れ、黄金の攻殻を紫紺の狩衣が覆う。
「お前さえ始末できれば、あとはどうとでもなる。そう、『アレ』は思し召しだ」
顔面の、V字を刻む赤いバイザー越しに、くぐもった声が漏れる。
金属質の装甲によるハウリング、そしておそらくは意図的な変声とノイズによって、本来の声質こそ分からないが――何処かで、聞いた覚えがあるものだった。
「きさ、ま……何……者……っ!?」
だが誰何を唱える絵草にはもはや応えることない。元より、殺害対象であること以上の関心がないのかもしれないが。
血濡れた腕を彼女から引き抜くと、無情に海へと向けて蹴りつける。四肢をもがれるような衝撃……いや、実際そうだったのかもしれない。二の腕から下の
己の状態を顧みる余力ももはや無く、その心身は海の闇へと深く、深く沈んでいく。
〜〜〜
それより、その現場、少し経って後。
そこに立っていたのは、一人の少年だった。
彼……多治比和矢は、海へと直線的に伸びる血の軌跡を、忌々しげに見下ろし、舌を打ち鳴らした。
そしてそれを踏みにじると、踵を返してそこを後にしたのだった。
〜〜〜
剣ノ杜学園東棟。生徒会。
本棟から分離し、独自の組織体系を確立するその構成員たちは、エリアの
「……ってな感じのことを、レンリとかいうそのレギオンが語ってたが」
そんな彼らが一堂に会する暮色の生徒会室。
望まずしてその一員となっている楼灯一は、みずからが伝聞した『真実』とやらを発表した。
「まァ、あのカラスは存在自体が不審の塊だからな。どこまで信じていいか分からねーけど、真実に一歩前進ってことで良いだろうから、一応伝えておく」
そう断った灯一だったが、影となって潜む生徒たちは無言のまま反応を返しもしない。その様子を、彼は訝しんだ。
外部の下賎者には不干渉……という名目を陰ながら破って、秘密クラブを結成し、ピントの外れたレンズでもって俗世のあれやこれやに興味を抱く連中。こちらから乞うまでもなく首を突っ込みたがり、大した家柄でもないからと、ある程度自由の利く灯一を連れまわしたりアゴでこき使っては奔走させる紳士淑女たちが、ここまでリアクションを示さないなどとは、いつもならあり得ないことだった。
こと、そのリーダーである管理区長兼東棟生徒会長、輪王寺九音などは、不必要なまでの義侠心をたぎらせて真っ先に飛びついても良さそうなものだが。
「っておい、お前ら体調でも悪いのか? たしかに突拍子もないハナシだが」
「――あぁ、聞いてるよ。きちんとね」
案じる灯一に、九音は答えた。だがその横顔は、どことなく虚ろげだ。
たしかに九音の体調は、あの春先の会合以降から低空飛行の状態が続いているが、今日は特に顕著だ。そしてそれが伝染したかのように、うるさ方の他のメンバーも。
「……とにかく、伝えたからな。対応はそっちで考えてくれよ」
心配よりも、薄気味悪さの方が上回り、灯一は話を打ち切って部屋から出ようとした。
だが、触れたドアノブはぴくりとも動かない。
施錠された、訳ではない。内側から出ることを拒むシステムなど、聞いた試しがない。そもそも掌に返ってくる抵抗は――人の力や技術によるものを感じさせない。
「灯一」
反射的に扉を背にした灯一の眼前で、音も立てず九音は俯いたまま立ち上がった。
「ボクも、ボクたちも分かったんだ……真実というものが」
「は? お前、なに言って」
灯一の開きかけた口が止まる。その三方を、影が囲む。
「自分が、何をすべきかも」
伸びるシルエットはやがて人型の範疇を越えて肥大化していく。
後ずさりをしようとするも退路はない。迎え撃つにも、この所有物への検査が厳しい東棟でホールダーも『ユニット』も常備しているわけがない。
――それは、今相対する彼らとて同じはずなのに。
「そしてそのベクトルは、今までと何ら変わるところがない」
そう言い切った幼馴染の影は止まることなく少年の知らない形態へと歪められていく。
部屋の中を黒く塗りつぶしていく。
やがて、灯一の実体さえもその抵抗も空しくして呑み込んでいった。
――まるで時の砂が満ちるのを待っていたかのように。
征地絵草という不抜の楔が抜け落ち、タガが外れるのを見計らったかのごとく。
異変は続く。
変異は拡がる。
剣は、より一層に強い妖光を放ちつつ、なお学園の中枢に鎮座していた。
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番外編:いもうと(前編)
……その少年は、ある休日に、ふと偶然に、遠目、駅前の雑踏の中にいようとも目を惹いた。
そして足利歩夢は、興に乗るままなんとなしに、鳴を伴ってその北欧人へと接触した。
「ライカさんじゃん。なにやってんの、こんなところで」
見返す透明度の高い瞳は、やや複雑そうな表情で歩夢に視線を返した。
「……オマエ、俺はついこの間まで敵だったんだぞ」
「いや、あんたが先走って一方的に突っかかって来ただけだから」
「まぁ……そうなんだけどさ」
歩夢の辛辣な指摘にさして逆上するでもなく、その少年ライカ・ステイレットはあっさりと折れて素直に認めた。
憑き物が取れたようでもあり、またあるいは歩夢たちに構っている余裕がないようにも見受けられるその様子に、小首を傾げる。
いずれにしても、過日の抜き身のナイフのような物々しさは、排他的な振る舞い、頑なな拒絶が、今の彼には既になかった。
「つか」
とそのやりとりに後ろから割って入ったのは、鳴だった。
「なんで、あたしは呼び捨てタメ口なのに、敵だったこいつにはさん付けなんだよ」
もっともな疑問だと歩夢自身思わないでもないが、
「その呼び名でイメージ固まっちゃったんだからしょーがない」
のだった。
「だって、アレが毎度連呼してるし」
と、歩夢は指を西の方へと突きつけて言った。
「おー、ライカさーん! おーい!」
その示す先には、大型犬のごときだらしない表情で大手を振りつつ駆け寄ってくる、見晴嶺児の図体があった。
ぎゃあっ、と濁った悲鳴をあげながらライカは後ずさった。
やや大仰とさえ思える後退ぶりだったが、歩夢はシンパシーを感じずにいられなかった。
「なんでオマエがここにいるんだよ!?」
「いやー、だってここはほら、相方として是非とも先方にご挨拶をだね」
「要るかバカ! ていうか俺の言いたいところはそこじゃなく、なんで報せてもいないのにここにいるのかってことだよ! どこで知った!?」
「LINEの既読無視でオレを袖にするって日は、つまりはそういうことだと思ったからさ。学園近辺のライブカメラ片っ端から開いて見て、ライカさん見つけたってわけよ」
「ひい! 気持ち悪い!」
ライカが少女のごとき裏返った悲鳴をあげた。
先のものと較べて声域広いなぁ、と感心する歩夢であった。
「で、何してんの? あんたら」
どうやらこの日はライカにとっては大事な日で、そして大事な日であるからこそ嶺児には教えたくなかったことはなんとなく汲めた。
……もっとも、その守秘も嶺児のストーカー根性の前には意味がなかったようだが。
だが、そこまでの用事がここまで他者と関わりを持たず、プライバシーを犠牲にしてきた異国の男の子に、そうはないと思うのだが。
訝る少女たちの眼差しにも、ライカは応答するつもりはないらしい。
「ライカさんの妹さんがさ。こっち帰ってくるんだって」
……だがその黙秘もまた、ライカの隣に立って気安い感じでボディタッチする男子の前では、また虚しい努力だ。
一瞬物凄い形相で嶺児を睨み上げたライカではあったが、やがて観念したようだ。吐息を交えて、
「まぁ買い出しも兼ねた、一時的な帰還ではあるらしいけどな。リョウからの話だと、本人がまだ『北棟』での責任を果たすまでは戻る気がないらしい」
と言った。
「それはなんとも……おめでとう、で良いのか? 事情はセンパイらから聞いちゃいるけど」
「疑問形になるなって。生きてただけで、嬉しいんだから」
鳴の問いかけに、ライカは噛み締めるように言った。
「で、オマエらはなんでここに?」
「や、なんか暇で」
「例の秘密主義者どもはまた裏でコソコソやってるみたいだしな。余り物同士連んでるってワケよ」
「せっかくクソゴリラと殴り合ってでも助けてやったのに」
歩夢は表情を変えないまま奥歯をギリリと噛み締め、内なる怒りの打ち震えた。
「……まぁ、なんだ。とりあえずそっちはそっちでよろしくやってくれ」
じゃあな、と雑に手を振り、ライカはその場を後に待ち合わせ場所に向かわんとした。
そして三人は後に続く。
ぞろぞろ
ぞろぞろぞろ
ぞろぞろぞろぞろ……
「……て、なんなんだよオマエら!?」
結構距離を行ったあたりで、ようやくライカが振り返った。
「や、なんか暇で」
「あんな必死こいて仇討ちしようとしてた妹のツラぐらい、ケンカふっかけられた身としちゃ拝んでおきたいだろ」
「家族の再会をヒマつぶしにすんな! ていうか元々ふたりで遊ぶつもりだったんだろ!?」
「いやそうだったんだけどさ、いざ二人きりで遊んでみると何にもやることなくてブラついてただけなんだよね」
「元々全然趣味合わなねぇしな」
「互いに歩み寄る努力をしない連中だなぁ……!」
怒り呆れるライカをまーまーと宥めつつ、歩夢は
「そりゃ拒まれればこのまま引き返すけど……良いの?」
と尋ねた。
どういうことか、と眉を顰める異邦の美少年に、
「こいつと二人きりで妹さんに会って」
と、見晴嶺児を指差した。
「ライカさん、オレ……妹さんに気に入られるように頑張るからね!」
と彼なりに殊勝に意気込む長躯の相棒を、ライカはこのうえなく不安そうな横目で見つめた。
「…………」
その懊悩は深く、しかし時間としては短かかった。
「お願いします。一緒に来てください」
「え、地味にショックなんだけど」
ライカは頭を沈めて頼み込んだ。
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番外編:いもうと(中編)
ライカ・ステイレットの妹とやらは、『旧北棟』の仕入れも兼ねてこの先の電気街にいるらしい。
「ここのところタカドノとかいう奴と連絡が取れないし、『委員会』の管理の目も甘くなっている。だから北の連中が自発的に動く機会が良くも悪くも多くなる……らしいが」
と道すがら説明するライカは饒舌でもあり、しかし歯切れが悪い。
直接口にこそ出さないにせよ。
彼にしてみれば、死んだはずの妹が実は生きていたとして、氷に閉ざされた異界に縛られてるという状況は、決して完全には受け入れることのできない状況だろう。
鳴が覗く横顔には、二年越しに再開する妹に対する不安が隠し切れていない。
あの頃自分の半身とさえ思えた少女は、果たしてどういう成長を遂げたのか。肉体や精神に傷を負ってはいないか。コミュニケーションもままならない環境下で、どれほどの過酷さや孤独を強いられてきたことか。
兄としては、想像するだに恐ろしいことだろう。
彼女らしきシルエットを探しているのか、あるいは逡巡か。ライカの彷徨う目線が、並び歩く歩夢たちとかち合った。
「……なぁ、オマエらは『北棟』とかいう場所に行ったことあるんだよな? そこで、オレに似た女子とか外国人だとかに見覚えはないのか?」
おずおずと尋ねてくるライカに、歩夢は首を捻った。
「どうだったかな……あ、あれかな。徐倫みたいな顔のヤツいたよね」
「誰だよそれ。むしろアイツじゃねーの? 警備担当にいたララクラフトみたいな面構えの女」
「なんで出てくる女がイカツイのばっかなんだよ!?」
ライカは思わずツッコミを入れた。
「ちゃんと思い出せって! 十代半ばぐらいの女の子だぞ!?」
「そうは言ってもね」
「アンダーソン監督作品のミラ・ジョヴォヴィッチみたいな豪傑ばっかで、むしろそれしか記憶に残ってないんだよ」
「『旧北棟』って、ポストアポカリプスな場所なんだ……妹さん、マジで大丈夫かな……色んな意味で」
不安を紛らすための会話だったのに、かえって煽る結果となってしまった。というかもっぱら最後の嶺児のせいで。
あの歩夢でも、多少は後ろめたさや申し訳なさを感じるらしい。方向性を明るいものへ転換するために、
「でも、全員見たわけじゃないし、まぁ中にはちんまくて可愛らしいのもいたよ」
(可愛らしいかはともかく、お前がちんまいとか言えるか?)
話を聞いていた鳴は内心ではそう思ったが、それを口にするような無粋はしない。
「ほら、この犬子みたいに。ぶっちゃけ部外者だけど」
「……ホント、初手から人をイラつかせることについては天才的だね、このチンチクリンは」
歩夢が指差した正面には、南部真月がいた。
アーケードからの出口あたりのカフェテラス。どうやらそこで待ち合わせていたのが、彼女らしくライカの足が止まっている。
「まさか妹ってのがあんただったとは。どうりでイジられキャラがサマになってると思った」
「んなわきゃないでしょ! ただの付き添い! ていうかなんであんたらがここに来てんの!?」
「どうしてもとライカさんに乞われて」
「違うっ! ……と言い切れないのがシャクだ!」
例の如くキャンキャンと感高く吠え立てる上級生を適当にあしらいつつ、
「でも付き添いってならさ」
と歩夢はその背後を見回した。
「一応この件の関係者なんだし、あのヒトが付き添いなんじゃないの?」
「あのヒト?」
「ほら、あのちいかわのクソ強バージョンみたいなおっさん」
「……先輩はおっさんでもちいかわでもないッ!」
「そもそも、ちいさくもかわいくもねーだろ」
「先輩は……かわいいでしょう!?」
「お前、時折変な暴走して脱線するよな」
「脱線暴走は自分のオハコですよっ!」
とそれを聞きつけて、テラス席についたままの出渕胡市が顧みた。どうやら彼女もまた付き添い人のようだ。
(だったら別に二人きりじゃなくね?)
と鳴はふと思ったが、それでも自身の隣にいる嶺児の抑え役がいないのは限りなく不安、という判断だったのだろう。
「ちなみに、ボスは長らく棟を空けた懲罰として、発電作業に強制従事中です!」
「えっ、
「……なんか勝手に気にして、周囲の反対を押し切って自分から責めを負ってるだけ」
「それ、別に強制じゃなくない?」
胡市の補足に嶺児が慄然とし、ため息混じりに真月がフォローを入れ、歩夢が呆れ返る。
とっ散らかった脱線ぶりに、ライカは焦燥とともに眉根を寄せ、
「で、妹は?」
と直裁に問いかけた。
表情をあらためた真月が、身をずらした。
ちょうど死角になっていた胡市の対向。そこで物音とともに一人の少女が、立ち上がった。
なるほど、ライカ・ステイレットの妹、と言われれば疑いなくそうだろうと答えられる。決してとっつきやすいとは言えないものの、万国に通じる十二分の美貌のパーツは彼に酷似している。
この二年の環境の違いか。むしろ彼女の方が僅かながらシャープでクールな雰囲気がある。
そして、微妙に髪色も異なる。銀色の味を帯びている兄に対して、妹の髪色の下地には金が混じる。
あるいは元はライカの頭髪こそ、『上帝剣』の間近でその衝撃を受けた影響で変色したのかもしれないが。
何より、彼ら兄妹を大きく隔てる特徴がある。
……女物にしてはやや物々しいデザインのコートに包まれた身の丈は、妹の方が頭二つ分はゆうに優っていた。
おそらく妹の頭を撫でることを想定していたライカはその身長差に半端に固まった面持ちで見上げることになった。
一方で妹……クリス・ステイレットの方は、
「兄やん! 生きとったんかワレ!!」
と、その神秘的な容貌とは対照的な、弾けるような笑顔を浮かべて、兄の小柄な肉体をすっぽりと抱擁した。
「……『旧北棟』に、エセ関西弁になる要素あったか?」
「皆無ですね!」
「まぁ、ベタっちゃベタだよね」
鳴らはしみじみと頷き合いながら、自分たちも席に着いて追加の注文をしたのだった。
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番外編:いもうと(後編)
果たして、兄妹は、素直に再会を喜ぶことができるのか?
この二年間はそれぞれにとって荒涼と、殺伐とした時間で、彼らの間にはクレバスのごとき隔絶が生じてしまっているのではないか?
「いやー、兄やんホンマ変わっとらんなぁー。ジブン、ちっちゃいまんまやな」
「うっさい! オマエがデカくなり過ぎなんだよ!?」
……が、ライカが案じていただろうその心配も、杞憂に終わったようだ。
その隔たりは、クリスの雪崩の如きトーク力と押し寄せぶりで瞬く間に埋められ、たしかにその応酬は兄妹のそれである。
もっとも、髪の毛を混ぜっ返されるライカを眺めると、どちらが年長者か分からなくなるが。
「オマエの方は」
両手で包み込んだホットミルクティーを一息飲み干してから、ライカはクリスを、呆れたように軽く睨みつけた。
「ずいぶんと、成長したな……」
「ん? そうか?」
「そうだよッ、てか何食ったらそんなに大きくなるんだよ!?」
「あ、それわたしも知りたい」
と、歩夢が割り込んで手を挙げた。
「まぁ、お前には切実な問題だよな」
と、鳴もまた皮肉を挟む。
「んー? いやまぁ、特に何かしたっちゅうワケやないけど」
と、腕組みしながら首を傾げるクリスは、
「適者生存っちゅうか。こないならんと逆にあっちじゃしんどいっちゅうか」
なるほど、実現可能かどうかはともかく、理には適っている。
思えばこの胡市に白景涼などは、あの酷寒の中でも十全に働けることを求めたかの如く、堂々たる体躯の持ち主だった。
「……まぁ、そうだよね」
歩夢はやや落胆の眼差しを真月に向けた。
「事あるごとにチビネタと部外者ネタであてこすんの止めない? 今この場でリターンマッチ所望して良いのかしら?」
「なんも言ってないじゃん」
ぐぎぎ、と真月は歯を剥くも、歩夢はもう興味を失ったかのように適当にいなしている。
それを見つつ、クリスはケラケラと笑いを転がした。
「なんやジブン、おもろい友達に囲まれとるやんか」
「違うッ!」
「でも安心したわ、相も変わらずイジられ役のお兄様でな」
「は!?」
「あぁー、やっぱ昔からそうなんだ」
頓狂な声をあげるライカの後ろで、嶺児が手を打った。
「やっぱ!? やっぱってなんだよッ!? 昔は俺がリードしていく役だっただろうが!」
「いやいや、アンタ毎度威勢の良いのは最初だけやろ。そんでさんざヒトを振り回しといて、先走って勢い余って転んだり迷ったりした挙句に泣き出すのがいっつも兄やんやんけ。今やから言えるけどそんな兄やんが毎度やらかすのを見るたびに『いやジブン、ツッコミ待ちかい!』て思うことあったで? ってその時分から関西弁なワケあるかーい! 雪の妖精ちゃんやったろうがーい……ってそんなキャラちゃうってやっかましいわ! にゃはははは!!」
早口で捲し立てるクリスを、歩夢は一歩引いた目戦で見つつ、
「綺麗な声質で関西人トークンとかノリツッコミされると、脳がバクリそうになる」
と零した。隣席に在って鳴も静かに頷いた。
「あー分かる分かる! そーゆーとこあるよねぇ、ライカさんは。ちっちゃい頃から愛らしい!」
「せやろ? ってヒトの兄貴愛らしいとか言うなや!」
「あははは」
「にゃはは!」
けたたましく大笑いする二人に前後から挟まれて、ライカは気の毒なほどに悄然としていた。ただでさえ華奢な体躯が、なおさらに細まって見える。
「やっぱ……キャラ変わってるって、オマエ」
「んなことないやろ」
「いーや、変わってる! そもそもさぁ、オマエだってアンヌ叔母さんの家でさぁ!」
「ほー、それ持ち出すんか? それかてアンタ、物置に顔から突っ込んで……」
こいつら本当に外人か、と言いたくなるようなそれぞれ別のベクトルで達者な日本語遣いで応酬。
それを眺める嶺児の目付きは、穏やかなものへと移っていった。
「……さて、オレ実は店番ほっぽり出して来たからさ。ライカさん、名残惜しいけどオイトマするね」
「はい、帰ってくれ。とっとと。あと、お袋さんにはよろしくな。オマエのことは心底どーでも良いけど」
「いちいちひどーいー」
文句を垂れつつも帰り支度を始めた嶺児は、鳴へとそれとなく目配せする。
その意図を受けた彼女もまた、
「……さて、じゃあま、見るもん見たしあたしらも帰るか」
と歩夢を引き立たせて、その場を後にしたのだった。
〜〜〜
「あんた、空気読んだな」
帰りの道すがら、先頭を行く嶺児を、鳴は素直に見直していた。
おそらくあのやりとりは、ライカの想定していたものではなかっただろうが、北棟の両名は監視と帰りの足としてあの場に居座るとしても、それでもかけがえのない兄妹の再会と交流であることには変わりない。
それを目の当たりにして慮って、彼は身を退いたのだろう。
「あー、まぁ君らがいた時点で正直引き返しても良かったんだけどさ」
と、嶺児ははにかんだ。
「でもライカさんはご存知あんなヒトだし、妹さんにへの負い目をまだ拭えていない。だから状況によっちゃ、オレが潤滑油にならなくちゃって来たんだけど……余計なお世話だったかな?」
「あんたにも、人間の心があったんだ」
歩夢がまるでフランケンシュタインの怪物を相手にしたようなコメントで感心した。
「はっははは……ヒトがここまで穏当に出てやりゃあツケ上がりやがって、ツブすぞ
「悪い、こいつは口の悪さ汚さが基本コミュニケーションってなだけだ。別にあんたをナメてるだとか調子乗ってるだとかいうことは全くない」
笑顔を張り付かせて脅しと圧をかける嶺児に、鳴はため息混じりにフォローを入れた。
「え? あー、ゴメン。早とちりしちゃったね」
「いや、ナメてるどころか……その感情の切り替えのポイントとスピードが、より一層のサイコ感あって怖いて」
「怖いなら余計なこと言うな、アホ」
それ以上は不用意な刺激を与えないよう、鳴は歩夢を背後から羽交い締めにして口を塞いだ。
何を得心したのか、軽く頷く長躯の男子は、にこやかに
「まぁ君らとは色々あったけどさ。ようやく丸く収まりつつある。これからも、どうかライカさんをよろしくね」
と、手を振りつつ道を逸れた。
「あれ、学校への帰り道そっちじゃねーだろ?」
「あぁ、うん。ちょっと行くところがあって」
嶺児は再びはにかんで見せて、言った。
「こっちにある百貨店の連絡通路から、さっきのカフェのテラスが良く見えるから」
「……コイツが刑務所の中にいないの、司法の敗北以外の何物でもないよね」
自身の掌の内に吐き出された歩夢のぼやきを、鳴は外へ漏らさないようにしながらも否定自体はしなかった。
~~~
「さて、あたしらも帰るか」
なんとも言えない気分を切り替え、鳴は解放した歩夢にそう促した。
だが、彼女の目の前の少女は、その言葉にどこか不服そうというか、らしくもない躊躇いを見せた。
「……なんだよ。どーせ趣味合わないんだから、長居しても時間の無駄遣いだろうが。暇つぶしにも限度があるって」
にべもなく言うのを、歩夢は
「べつに」
と切り返した。
「たまには、合わせても、良いけど」
と続けた。
「んでもって、冬物の服の買い物とかー、あんたに連れ出されたからカフェでマトモなもの食べられなかったし、どこかで食事とか?」
訝しむ鳴の前で、半目の歩夢は頭を左右にゆるやかに揺らし、もどかしげに言葉を紡ぐ。
どこか煮え切らない娘にずいと顔を寄せ、目線を合わせながら、鳴は探る。推理する。
そもそも自分がこの『お出かけ』に同行したのは、らしくもなく歩夢からのお誘いがあったからにほかならず、そしてそのことを加味すれば、今の彼女の求めていることを紐解くことはそれほど難しいことではなかった。
鳴は、歩夢の前で指を鳴らした。
その脳裏には、面憎いカラスの姿が浮かんでいた。
「なに?」
「つまりアレか。これは、『予行演習』兼『下準備』か。あたしは当て馬ってわけだ」
答えはなかった。図星だった。
「……お前な」
「何も言ってないじゃん」
「あぁ、あぁ。良い。もうわかったから」
だが、良い風にダシに使われたとして、別に悪い気自体はしないのが、本人の秘めたる人徳というものか。
――いや、そうではないだろう。
「しゃーねーな」
大義そうに息を吐き、鳴は歩夢の背を押して大通りに反転した。
「デートに行く服がないなんて、それこそシャレにならないからな……付き合ってやるよ、不肖の妹殿」
「なにそれ。あんたもレンリに毒された?」
「とんでもねぇ風評被害やめろ」
たとえ趣味嗜好がまるで別だとしても。
互いに対して情けや遠慮というものが無縁だったとしても。
それでも、ライカとクリスの兄妹がそうであったように。
並び立って連れ歩く、このふたりの少女もまた、同じなのだろう。
秋は出会いと別れの季節。
姿を消した者。新たに姿を見せた者――そして、想いもしなかった再会。
それぞれの思惑が、新風となって吹き込む学園祭。
何かを求めるように、あるいは迫り来る何かから目を背けるように喧騒にあふれた宴は、新たなる始まりか。それとも終わりの始まりか――
次回『祭りの、シマイ』
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たまにはマジメ(?)な登場人物紹介(新北棟+生徒会編)
【いつものメンツ】
・
一年生。主人公。
感情に乏しく、苦も楽も等しく受け入れる空虚な人間……と思われていたのも過去の話。
ボディランゲージはかなり饒舌。たまに開く口はとてもワルワル。
少数の好事家にはおもしれー女と思われているが、大多数にとってはクソ生意気なちんちくりんである。
【新規獲得キー】
ドルイド(グレード3)
リベリオン(グレード2)
アポカリプス(グレード4)
・レンリ
本作の愛する価値の無いマスコット。マスコットというか諸悪の根源だった。
良かれと思って行動すればことごとく裏目に出る。だいたいコイツのせいでアクシデントが起こり、それを黙って解決しようとするから余計に事態がこじれることとなる。
【使用ホールダー】オルガナイザー
【所持キー】
コンキスタドール・ロバンド(グレード?)
ほか、かつて自分が使っていた『キー』の戦闘データを専用デバイス『オルガナイザー』にアーカイブ化させていて流用が可能。
だが、歩夢な無理な運用により、大部分が破損する。
・
一同の
ぶっきらぼうだが面倒見が良い。一同の中で己が一番マトモだという自覚がある。それは事実ではあるものの、口が悪く絶対的には正常とは言い難い。
・
歩夢の幼馴染兼若き科学者。二年生。
やっていることはどちらかと言えば技術者寄りなのだが、本人の意向で上記のごとく称している。
歩夢に屈折した情愛を抱き、彼女の環境の改善のために陰で動いてはいるが、本人の社交性とメンタルの方が余程問題があるのは言うまでもない。
【使用ホールダー】CMタイプ
【所持キー】
クレリック(グレード5)
【新北棟】
・ライカ・ステイレット
北欧からの海外留学生。二年生。
実際は二年前の事故以降、ずっと多治比和矢の個人的陰助のもと日本に滞在して訓練を重ねてきた。
この二年間ですっかりやさぐれてしまっていたが、素の性格は基本的には好奇心旺盛で少年っぽく、それでいて臆病で泣き虫。他人に感情移入しやすく、よく絆される。
作者の嗜好と性癖を詰め込んだキャラ。
【使用ホールダー】CNタイプ
【所持キー】
ダガー(グレード1)
リベリオン(グレード2)
これらを複合して用いる。
・
新北棟にカテゴライズされているが、普通科の二年。
元は一般生徒だったが、戦闘テスト中のライカに救われたことで惚れ込んで付き従う(付きまとう)。
実は鳴の同じクラスだが、ある事情でそのことは互いに知らない。
ちょっとサイコ味があるだけの普通の高校生。
【使用ホールダー】SAタイプ
【所持キー】
ハイランダー(グレード3)
ジャンダルム(グレード4)
【生徒会】
・
二年生。生徒会長兼、『対策委員会』創設メンバーにして二代目委員長であり、理事長の娘。
要するに学園の表裏両面のヒエラルキーにおいてトップに立つ存在。
そしてそれは出自のみではなく、実力と研鑽あってのもので、紛れもなく最強の存在。
……が、その実態は脳筋ゴリラで戦国武将である。
【使用ホールダー】WGタイプ
【所持キー】
クルセイダー(グレード5) ※歩夢の攻撃によりホールダーごと破壊される
・
二年生。現生徒会と『対策委員会』副会長。
絵草の腰巾着として知られており、その陰険な性格は多くの人間に嫌われている。イッツ小物。
が、実際には彼女に忠誠心があるわけではなく、あくまで職務上必要なだけで、本当の目的は民間組織でしかない征地一族から『上帝剣』がらみの主導権を奪取することが目的である。
そう、お察しの通り彼女はすでに立派な
もっとも、歳下にナメられたり上司や同僚に密かに揶揄されたりセクハラまがいの発言でイジられたりすることへのストレスが、その陰険さを助長させる一因かもしれない。
【使用ホールダー】FSタイプ
【所持キー】
他、多数所持
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第九章:祭りの、シマイ
ここまでの剣ノ杜学園戦記
ごくふつうの私立校に過ぎなかったこの学園は、ある夜祭りのl 最中に巨大な突き立ったことで一変した。
中庭の一帯は異界化し、その余波を浴びた人々は理性なき怪物『レギオン』と化した。
その事故に居合わせた若き天才科学者、
また、
だが程なくして技術流出と、それに伴う外部組織の介入めぐって士羽と絵草は対立。その摩擦を厭う士羽は『委員会』に見切りをつけて脱退する。
そして勢力は五つに大別されることとなった。
生徒会長となった絵草が圧倒的な暴威で中枢を支配。
異界化して氷雪の大地に閉じ込められた、
流出した技術とストロングホールダーの量産を資本に、学内外に商売の手を広げていく
我関せずと中立を貫く将来を約束されたエリート集団『東棟』。
学外にありながらその力の恩恵に食い込もうと目論み、海洋都市と化した
それぞれの思惑の下、互いへの牽制や暗躍が続き、そして二年後。一人の少女が入学してきてきた。
彼女の名は、
ごく普通の一般生徒だった彼女は、何かに誘われるように『上帝剣』突き立つ旧校舎『黒き園』へと迷い込んだところを、新人狩りの
それを救ったのは、奇妙なカラス型のレギオン、レンリ(デリカシーゼロ・無能・おっぱい星人)だった。
彼にストロングホールダーを与えられた彼女は、桂騎との小競り合いの後、幼馴染であった士羽、そしてその協力者である
そしてレンリから伝えられたのは、『上帝剣』の真の役割。
それは、接触した世界の、一個の知性体を高次的存在『
その自我を奪い、世界を喰らう怪物へと変貌させることだった。
それを止める方法はただ一つ。ホールダーをもって対象から『上帝剣』の因子を抽出することだった。
その情報をもたらしたレンリの存在は当初こそ伏せられていたものの、ある人間がその存在を嗅ぎつけた。
生徒会副会長、
『旧北棟』ならびに南洋分校をけしかけようと試みるもことごとく失敗。
だが、その影で異変の兆候が波立っていた。
進退極まった久詠に協力をもちかけたのは、多治比家の長子であり養子である和矢だった。
彼の協力者たち、ライカ・ステイレット(ちっこいの、かわいいの、美少年)と
そして収拾がつかなくなった現場に、征地絵草が姿を見せる。
敵味方の分別なく、自身の物差しのままに断じ、一方的に蹂躙していく絵草の前に、抗する術はなく、歩夢もまたその剣にかかろうとした、その矢先……レンリはその真の姿を見せたのだった。
それは、歩夢が幾度となく見た悪夢の中に立つ、鳥の怪物だった。
レンリの超然たる力さえもなお打ち破る絵草からかろうじて逃れた一同に、彼は『真実』を語る。
彼こそが、自身の世界を滅ぼした『征服者』であること。人間性を取り戻した時には、世界の崩壊は留められなかったということ。
一度選定された人間は、たとえその因子を抽出したとしても再度選定される可能性が高いこと。
そして、その世界とは……維ノ里士羽が全ての責任を放棄してしまったがゆえに破滅した絶望の並行世界、剣ノ杜のもう一つの未来だということ。
全てを語り終えたレンリは、みずから裁かれるべく、絵草の下へ出頭する。
本来ならば、救うべき理由など何もない。世の流れを受け入れてきたのが自分の生き方だったはずだ。
そう考え、そして思い悩む歩夢だったが、南洋にて親友となった
全てを使い切る激戦を制したのは、歩夢だった。
何かを悩み、そしてある決意を新たにしたレンリを伴い、少女たちは日常へと戻っていく。
だがその裏で、敗走の最中にあった絵草は謎の怪人に襲撃され、その身を貫かれた彼女は海中に沈む。
東棟でもまた、生徒会メンバーに運び屋の
多治比和矢の暗躍も続く。
――そして、あの災害からちょうど二年。
それぞれの打算と思惑が蠢動する、学園祭が始まろうとしていた。
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(1)
今でも、夢に見る。
燃える校舎。焼け落ちていく世界。黒炭となっていくいきもの。交錯する閃光。死にゆく人々が折り重なって描かれる、地獄曼荼羅。
煉獄の光景。
それら全てから背を向けて、逃げ出した自分の、早鐘のような鼓動。卑怯者の呼吸。噛み締める無力さ。
鋼鉄の隔たりの冷たさ、固さ。
「そこにいるんだろ!?」
と、必死にその奥にいるだろう人間に呼びかける。
「灘にいちゃんが死んだ! 九音さんも、西棟や東棟のみんなも! 絵草さんが抑えてるけど、もう無理だ! みんな、みんな死んじゃうよぉ!」
扉に打ちつける拳の痛み。皮膚が破れるほどに殴りつけても、反応のない虚しさ。
「おれが悪かったなら謝るから! どんな償いでもする! だから……だから許してよっ! みんなを……おねえちゃんたちを助けてよぉ!!」
どれほど哀願しようとも。
どれほど自身を傷つけて謝罪の証としても。
その扉を開かない。
奴は心を開かない。
それでも、世界が破滅を迎えるその時まで。
涙も声も枯れ果てる、その時まで。
彼の名を、叫び続けた。
〜〜〜
「……っ!?」
レンリは、自身の
早鐘を打つ心臓を押さえながら、辺りを見回す。
時計が示すのは午前二時半。そしてここは煉獄などではなく、この世界の足利歩夢の寝室だ。
去来したのは、戸惑いだった。問題なのは忌まわしい過去を夢の中でリフレインしたことではない。
「寝てたのか、俺……」
世界が滅んでよりこの方、満足に眠ったことなどなかった。
そんな自分が、ただの一瞬でも意識を虚に沈むことなど。
レンリは、闇の中で左右に目を配る。
巨大な芋虫がごとき、異形の影がすぐそこまで伸びていた。
驚き飛び退くレンリだったが、それは両腕を前方に投げ出して突っ伏す、足利歩夢の寝姿だった。
「いや、どんな寝相だよ」
と呆れながら、自身は
悪夢で悲鳴をあげて起こさなくて、良かったと思う。
たとえ一瞬でも、微睡があったのはきっと彼女のおかげだ。
港でのあの表明、あの眼差し。
自分の
「助けられるつもりが、まさか助けられることになるなんてなぁ」
などと独りごちた矢先、ふと鏡に自分の顔が、表情が映り込む。
「……『助けられる』だと? お前、まだ自分が許される気でいるのか」
鏡像の顔に、そう問いかける。
綻びかけた表情は、自身への失望の真顔へと変わった。
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(2)
その日、中華飯店『天仁房』では奇妙な取り合わせが食卓を挟んで向かい合っていた。
立場やキャラクターも違えば年も実のところ一回り以上異なる。ゆえに共通の嗜好などまずあるべくもない、犬猿の仲ともいうべき女たち。プライベートで街中華を囲うなどまずありえない間柄。
維ノ里士羽は、運ばれてきた麻婆丼を挟んで対する賀来久詠を冷ややかに睨みつけた。
「それで、下校時にわざわざ顔見せで呼び出しとは……いったい何の用ですか?」
万年神経質なこの副会長が、イニシアチブをとれない相手に対し不機嫌なのはいつものことだが、様子は明らかに常と違っている。それが、この相手の招きに応じた理由の一端でもあった。
自ら誘っておきながらなお、話を切り出すことを躊躇っていたようだったが、やがて自棄酒を呷るように一息でお冷を干して、
「征地絵草が、消息を絶った」
と言った。
は? と思わず士羽は切り出した。
絵草がらみのことではないかという推測は立てていた。彼女と自分たちとが、正面衝突したことへの警告ないし制裁措置かとも。
だが彼女の口から出たのは、信じがたい報せだった。
「ここに来たことへのウラ取りは出来てる。その後、貴女らと埠頭で事を構え……そして、信じがたくも敗北したこともね」
自身の料理に手をつけることも忘れて絶句する士羽だったが、それが冗談や虚報のたぐいではないことは、なお苦々しげに前髪の生え際を抑えて口端を引きつらせた久詠の表情からも明らかだった。
そして、相手の表情から情報を引き出さんと試みていたのは、久詠の方も同様だったらしい。
ちらりと士羽の表情を盗み見つつ、
「たった今知った、みたいな顔するじゃない」
と探るように言った。
「……初耳ですから。私たちを疑っていたのなら、心得違いも甚だしい。戦い破ったのは事実として、手にかけまでする動機がない」
「そのようね」
らしくもない聞き分けの良さで、久詠は首肯した。
「カマかけただけよ。居合わせた数人からの証言も取ったわ。それぞれの言い分に矛盾も食い違いもないし、残念ながら、信頼して良いでしょうよ」
殊更にニュアンスを強めて吐き捨てた『残念ながら』に引っかかることはあるものの、士羽の中では動揺が軽く尾を引いていた。
(――あの絵草が、消えた?)
確かにあの時、『ホールダーの暴発』によって、彼女のデバイスならびに『キー』は破損した。
誰かしらがその弱みにつけ込んで奇襲を仕掛けたとして、さして不自然でもない。恨みは山の数ほど買っている。
だが、むざとやられるあの女だろうか、とも思う。
「……『消えた』のなら、死体は、見つかってないというのですね」
「夥しい血痕は見つかったけどね。母親から捜索願が出たことですし目下捜索中でね……そして、同じ日に消えたのがもう一人いる」
「……それは?」
「東棟二年、楼灯一」
覚えのあり過ぎる名だ。
軽薄で重要ごとには到底無縁そうなあの面立ちを思い浮かべながら、
「この学園の独裁者とその陰で彷徨き回っていた運び屋が、同じ日に」
とあらためて確かめた。
いつものように、一般生徒が
「もっとも、こっちは元々父親との関係が良くなくて、しょっちゅう家出と外泊をくり返してたみたいだから、そこまで重く受け止められてはいないようだけどね」
「……彼が、失踪に関わってると考えていると」
言いさした士羽を、突き出された久詠の掌が制する。
その彼女の前に、ラーメンが運ばれてきた。
専門店よろしく洗練されていない、実に野暮ったい感じの『ショウユラーメン』。それをすすり込む様は、妙に堂に入ったものだった。
「ここから先は捜査機密。地元の有力者の娘が消息を絶った。これが本当に『ユニット・キー』に関連することなのかも不明。かつ学園外のこととなれば、貴女が首を突っ込む余地はない。
「……では何故このことをわざわざ話したいことのですか」
「これからお願いすることのために、事情ぐらいは把握させてあげた方が良いと判断したからよ」
「お願い?」
人に頼み事をする態度とは到底思えないが、という言葉を呑み込み、士羽は久詠の言葉を待つ。
「知ってるとは思うけど、今年の学園祭は日程を調整し、復活の『翔夜祭』と兼ねて開催される」
「生徒会長不在の、この状況でですか」
「だから、その不在を埋めて欲しいのよ。一時的に元鞘に戻って、少なくとも、この祭典の間には何事もないように。私は県警への捜査協力で手が離せなくなるから」
「すでに、起こっているでしょう」
「世間的には二年前の事故以降、今回の絵草さん不在を含めて何も起こっていないことになっている。理由は色々あるけれど、主には対外的な復興アピールと目眩しのため、今更中止にはできないというのが、上やその周囲の判断なの」
「……ずいぶんと図々しいお願いですね。今日に至るまで、人を散々コケにしておいて」
「嫌なら良いのよ」
久詠は薄っぺらい笑いを貼りつかせた。
「でもその場合、我々の側の人間が管理に乗り出すことになる」
「願ったりではないですか。絵草派の勢力を排除できる口実ができて」
「世間知らずね。事情もよく知らないのに口だけ挟んでくる上司や余所者が現場に乗り込んでくるなんて、私たちにしてみても鬱陶しいだけよ……別に主導権を奪いたかっただけで、彼女自身を排除したかったわけじゃない」
椅子の肘掛けに半身をもたれさせながら、久詠は嘆息した。
その表情同様に、置かれた立場も複雑なようだった。
「……そして私たちには、『余計な手出しや詮索をせず敷地内でオモチャ遊びに徹してろ』と」
その久詠の依願を、士羽はそう解釈した。
彼女の言う通り、学園祭の開催には多くの理由が伴うのだろうが、そういう釘刺しも、そのうちの一つには含まれているのだろう。
仕事柄か、それとも好きこのんで共に長居したい相手ではないためか。彼女の食べるスピードは著しく早い。あっという間にラーメンを平らげた彼女は、
「さすがはストロングホールダーの開発者様。聡明でいらっしゃるわぁ」
いつものカサにかかった調子を取り戻して言った。
「そんなことを口にして突っかかってくるところが子どもだって言うのよ」
それじゃあ後はよろしくと、こちらが承諾する前提で言い添えて、『女子生徒風の女』は足早に、伝票はきっかり二人分そのままに退店していった。
終始、相手のペースに乗せられっぱなしだった。あの久詠に。
いつも余裕がなく、野鼠のように忙しなく蠢動と陰謀をくり返してきたあの女に。それがにわかに余裕のある腰を据えた物言いで、士羽を押し切らんとした。
……いや、違う。
いつも以上に余裕はないのだ。いつもの、大仰な身振り手振りの小悪党的キャラクターをかなぐり捨てるほどに。
言うまでもなく、公にされていないだけで、圧政者征地絵草の消失は、彼女に留まらず学園にとっての痛恨事なのだろう。
……居た時は、そうは思わなかったが。
そしてこのことに思い巡らせる時点でおそらく、士羽自身の中で、答えは決まっていた。
以前と同じように、良い様に大人たちに利用されていると、知った上で。
「……そっちは大人だって言うなら、食事代ぐらい奢るなり経費で落とすなりしたらどうです」
毒づきながら、レンゲを手に取った士羽だったが、その手元に、蒸篭が置かれた。ふと視線を持ち位あげれば、学生服の上から料理着をまとった看板娘、劉藍蘭が愛嬌たっぷりに笑いかけて、
「オ姉サン、久々に来たカラ、サービスヨー」
と、あからさまで雑な片言とともにいわくありげに目配せする。
……そもそも、前に来た時は流暢な標準語を操っていたはずだが。
会話の内容は聴き取らせなかったまでも、その重苦しい雰囲気から気を遣われでもしたのだろうか。
蓋を開ければ小籠包が三つばかり、湯気を上らせていた。
レンゲを持った手が止まった。しきりに角度を変えつつ、じっと包を見つめる。
やがて明晰な頭脳と判断力を以て最適な角度、タイミングを見出した。
その内の一つを、敷かれた薄紙から丁寧に掬い上げると、中のスープをこぼさないよう、慎重かつ一息に、口へと運び入れた。
「……あちゅい!!」
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(3)
学園祭の準備、始まる。
その空気を肌で感じ取った生徒たち。
反応は学年ごとに、たった一、二年の差だというのに、様々だった。
三年生はこれが最後とある種の悲壮さと覚悟を帯びて。
二年生はある程度の慣れによる安堵と余裕で。
そして一年生は、手探りゆえの溌剌さと活気でもって。
「……だが、その
と豪語するのは、歩夢のクラス委員である。
「昨年は事故の影響で、地元の商店街とか南洋のスペースとか借りてやったらしいけど、今年からはちゃんと学園内でやるんだ! つまり、二年生にとっても同じく不慣れな状況。加えて三年は受験とか進路相談とかで足並みが揃わない! 一年の勝機も十分にあるぞ!」
教壇に在ってさながら軍事作戦のように意気揚々と説明をする彼に、歩夢の四方からは囁き声が聞こえる。
「ヤケに気合い入ってるねー」
「なんか最優秀賞もらえれば、かかった費用を肩代わりしてくれるらしいよ」
「マジで? じゃあ浮いたお金でみんなで打ち上げカラオケとかさー」
その熱に当てられたか。教室にやる気が充溢していく中、歩夢ひとりは己を保っている。所詮自身には関わりのない、ただの学校行事と割り切って醒めた目で眺めていた。
我こそは、孤高にしてミステリアスな
「でも、いまいちパッとしないアイデアだよなぁー……ありきたりというか」
と、誰ぞ男子が指摘した通り、黒板に書かれたラインナップはメイド喫茶やお化け屋敷など、
「だからって稼ぎに行くなら鉄板は避けんないだろ」
「て言うか、売り上げだけでその最優秀賞とやらって貰えるもんなの?」
「インパクトももちろん必要だけど、それよりも大事なのは中身だよ中身! リピート性とかバズりとかも、きちんと念頭に置いてだな……」
議論は紛糾する。あれやこれやと詮議しつつ、無造作に膨れ上がっていた案は絞られていく。
そしてやはりというかなんというか、残っているものの大半は飲食関係、それもいわゆるコンセプトカフェ的な形態のものである。
「でも、こういうのやるにしてもさぁ」
そのうちの一つを指差しながら、一人の男子が言った。
「華みたいなのが欲しいよな。たぶん他も同じ考えだろうし。ウチならではってのが」
「ウチならでは……て、南洋じゃあるまいし、どこにでもあるフツーのクラスなんですけど」
訳を知る歩夢には、皮肉としか聞こえないコメントだ。
言わずもがな、学園の生徒教職員の何割かは、どこぞから遣わされてきた『上帝剣』絡みの人間か裏の事情を知る人間だろうが、歩夢のクラスは一般編入の生徒ばかりだ。もっとも、それでもやはり数人は紛れ込んではいるだろうが、それをみずから曝け出すほど愚かでもないだろう。
「華、名物……」
思案顔で教室内を見回していたクラス委員の男子生徒の視線が、普段は振り向けることのない位置……最後列の一角、足利歩夢の席にて留まった。
「居たァー!?」
と、頓狂な声をあげてその男子は歩夢を指差した。その動きに誘導されて、視線が集中し、一部はハッとした。
「そーだよ、脳と目が理解を拒んですっかり忘れてたけど足利がいたじゃん! 無駄に顔だけは良い!」
「体型も、詰め物と上げ底すればどうにかいけるって!」
「照れる」
「あのトンチキな言動さえ封印すれば、十分に客寄せパンダとして行けるって!」
「黙っててくれさえいたらそれでいいからっ」
「そうかなぁ」
「足利さん、前にメイド喫茶やってなかった? 経験あるよね!?」
「居た店ではリゼロのレム並のメイドヒロインと言われてました」
「根拠のない数段飛ばしの増長ぶりが、ここにきて頼もしい!」」
そう言ってやんやんやと、ともすれば胴上げしかねないほど持ち上げていくクラスメイトたち。
「やってくれる!? 我がクラスの看板娘!」
と口を揃えて言うのに対し、しばし歩夢は口と目を半開きして見返していたがやがて、無表情のままサムズアップを両手で掲げ、
「任せて」
と快諾した。
【朗報】足利歩夢、学園祭に意欲。
「今年のミス剣ノ杜は、わたしのものだ」
〜〜〜
「と言うわけでわたし、おだてられてやることになっちゃった。とんだシンデレラガールだよ」
「いやそれは……もう隠すことなくおだてられてさえもいないな!?」
「シンデレラというか、裸の王様の間違いだろ」
だが現実は常にして非情なもの。
その後、保健室の溜まり場にてレンリと鳴に正論という名の冷水をぶっかけられた歩夢であった。
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(4)
新北棟の二年のAクラスでは、生徒の豊かなバラエティに反して、いやだからこそ催し物は早々に決まった。
それぞれの国の文化や民話などをモチーフに研究発表をしたり伝統料理を振る舞ったり、コスチュームを作る。しかもその担当はその国の本人ではなく、クジを引いてランダムに決めるというものだった。もちろん、必要とあればクジを入れた本人が資料やレシピ、衣装などを提供、協力する。
ライカ・ステイレットが当てたのはブリティッシュのメイジー・モーリス。しかもご丁寧にテーマまで希望されていて、題材は『不思議の国のアリス』。そのキャラクターに扮しての、
とりあえずその衣装合わせて、ライカは仕立てられたコスチュームに身を包む。
ゴシック調の燕尾服に、ほっそりとした脚のシルエットを浮き彫りにさせるタイトなズボン。腰にはこれ見よがしに大ぶりな懐中時計。
そして頭には、
気恥ずかしさ半分、居心地の悪さ半分といった塩梅で兎耳をまさぐるライカの前で、当のメイジーはきゃあっと黄色い声をあげる。
「カワイイカワイイカワイイ!」
と、歓喜の色をそばかす顔に浮かべてしきりに手を打ち鳴らす。
しかも、「So cute」ではなく、「Kawaii」ときた。この『時計ウサギ』の格好にしても、原典に忠実なものであろうはずはなく、ソーシャルゲームに出てきそうなデザインである。
ジャパニーズサブカルチャーに染められた、典型的なナードだった。
「やー、ライカ君が参加してくれて、しかもクジが当たってくれてラッキーだったよ〜。倍率めっちゃ高かったしねー」
「そう、デスカ? ありがとう、ゴザイマス」
早回しのブリティッシュ英語で捲し立てる彼女に、訛る英語で応じる我が身は、なんとも滑稽だ。
過去に呪縛されていた頃は、今の我が身など顧みる余裕はなかったが、あらためて
(……疲れるし、無理あるよな。このキャラ)
などと思い直したライカである。
それを面白がってクラスメイトの劉藍蘭が真似し始め、もう是正したくも引き返せないタイミングになってしまっていると思う。
そんな兎ならぬ猫を被った状態で彼女のマシンガンOTAKUトークに付き合うのはいささか骨が折れるが、
(まぁ、アリスとかの女装させられなかっただけでも、幸運と思うか)
とポジティブに思考することにした。
多少気取った意匠には違いないが、それでも男性的、控えめに見ても中性的という表現で収まる程度のスマートさには仕上がっている。彼女の服飾技術は見事なものだ。ドクロのTシャツを着ただけでパニッシャーのコスプレなどと称する、どこぞの御坊ちゃまにも見習って欲しい。
いや、まさかろくに話をしたこともない男子生徒に女装を強要することなどまず常識的に考えてありえない。どこぞのノッポの距離感に毒され過ぎだと苦笑する。
「あ、ひょっとして今、アリスのカッコさせられるとでも思ってた?」
「エ?」
言い当てられて、ドキリと心臓が跳ねた。
「やー、私もさ。最初はオンナノコの服着せても絶対似合うと思ってたんだよね。何よりやっぱ
(思ってたのかよッ!? ろくでもない女だな!)
「でもね、天からの啓示が降ってきたのよ」
「ケイジ? ホワッツケイジ?」
興奮のためか。英語のイントネーションは本場というので完璧なのだが、時折何故か日本語でアウトプットされる。その同時翻訳とキャラ作りに腐心しながらも……なんとなしに、嫌な予感が首筋の裏をよぎった。
それこそ天主に祈るがごとく手を重ね合わせて、宙を仰ぐメイジーはその時のことを、声真似で再現した。
「最初はアリスにしようと思ったんだけど、どうしたわけかパッとくる感じがないんだよね。それでコンセプトデザインで教室で悩んでると、たまたまそこをじーっと覗き込んでる背の高いジャパニーズがいたのさ。そしたらラフスケッチをじーっと見つめてね。『え? なに、ライカさんにオンナノコの服着せんの? なんで? ライカさんもともと可愛いじゃん。付け加える必要ないぐらいカンのペキに可愛いじゃん。そこに可愛い衣装付け加えても、そりゃあ意外性はないでしょうよ。ショートケーキにいちご大福乗っけて食うやつ居るか? ライカさんはね、背伸びしてカッコつけようとするからより可愛くなれるんだよ。だからカッコいい男の子のカッコさせて、必死に自分を合わせようと健気に頑張ってる姿を愛でてナンボってもんでしょう?』ってね。まぁこれでも半分ぐらいしか聴き取れなくてその三倍ぐらいめっちゃ早口で語ってた気もするけど。身体のサイズも小数点単位で教えてくれたし、おかげで採寸要らずだったよ!」
「すみません、その天からの啓示、今この瞬間から出禁にしてもらって良いですか」
ライカ・ステイレット。皆に素が露見した瞬間だった。
〜〜〜
「って訳でさ。あのバカのせいでまた恥かいたよ」
などと愚痴を溢すと、スマホ越しに軽やかな苦笑が返ってくる。
〈それ、むしろ逆じゃないかな。見晴先輩がライカ先輩の最大の理解者だったから、変なコスプレはさせられずに済んだ、とか考えません?〉
「おぞましいことを言うな」
苦り切った声を絞り出すと、また端末の向こうで失笑が零れる。
相手は、南洋分校の澤城灘だった。
少年漫画ではないが、あの戦いの後、奇妙な連帯感と常識人ゆえの共感とが芽生え、連絡先を交換し、その後も何かとプライベートで交流を持つことが多くなった。
ライカ個人としても、ただ年長者として慕われるというのは、生き別れていた妹にさえ格下に見られる彼にとっては新鮮で、かつ好ましかった。
「オマエは? 南洋って何するんだよ」
〈ウチは派手ですよ。僕は裏方に回りますけど。ていうかそうしないと回らないし〉
「あぁ……なんか年中ずっとフェスティバル状態だって聞くな、そっち」
〈はっはは……むしろね、お金の流れが止まると死ぬんです。ウチの学校〉
「マグロか。オマエの学校は」
電話越し、アンダーリムのメガネの向こう側で、灘がそれこそ死んだ魚の目をしているのが、容易に想像できた。
「まぁ、時間があれば小資本に協力しに行ってやるよ」
〈ありがとうございます。楽しさは保障しますよ。見晴先輩とどうぞ一緒に……〉
「誰が連れて行くかっ」
そう怒声を飛ばし、電話を切る。
だが、ふと口端が吊り上がっている自分に気がつき、顔を赤くする。
悪い気は、しなかった。なんだかんだで、あの長躯の少年を南洋に連れ歩く己が、容易に想像できてしまった。
「あーらら、すっかり牙が抜けちゃって。まぁ元々無理やりとってつけただけの牙だったけど」
……その背より投げかけられた声が、ライカの神経に冷たく絡みつく。
「……カズヤ……」
すぐ向かい側のベンチ、その背もたれに多治比和矢は腰を落とし、ライカ自身へは目を向けないままに背を向けている。
「妹さん、生きてたんだって? 良かったねぇ」
「あぁ……アンタに頼り切らなきゃ、もう少し早くに気がつけてたかもしれないけどな」
ライカの皮肉に、和矢は身体を背けたままに答えを返さない。
「アンタが妹のことを知らなかったわけがない。都合良く俺を利用したいがために、協力するフリをして耳目を塞いでいた。そうだな?」
「心外だなぁ。とりあえず安全とも危険とも言い難い状況だったから、言い出すことができなかっただけなのに。それに君は君にはそれを上回って余りあるものを、提供し続けて来たじゃない」
「……そうだ」
『リベリオン』の駒鍵を握り締めて、ライカは答えた。
「アンタには、力も知識ももらった。それが無ければ、俺は何も知らないまま、自分と世界の理不尽とを恨みながら怪物に成り果てていただろう。そのこと自体には、今でも感謝してる」
でも、と腰を上げてライカは続ける。
「そうはならなかった。そして今日この時に至るまでの、選択と失敗から、自分の人生から、もう逃げない。他者のせいにはしない。始まりから関わった人間の一人として、俺なりに義務を果たすつもりだ」
そして、横顔を傾けて、和矢へと声を投げかけた。
「――アンタのことも、出来るなら助けたいと思ってる。俺に出来ることがあるのなら」
それに対する返答は、なかった。イエスともノーとも言わない。
だがその沈黙には、今までの韜晦の中には決してなかった、絶対零度の拒絶を感じる。
「……今は無理だったとしても、いつか報われる時が来るといいな」
たとえこの好意と義理立てが通じなかったとしても。
率直な決意と祈りを残し、ライカはかつての盟友を置いて歩き始めた。
「――おまえに、おれの気持ちが分かるものか」
周りに誰もいなくなった後、多治比和矢は血の滲むような呪詛を虚空に吐き捨てた。
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(5)
「おーぅい、的場ちゃーん」
大柄な男子が、これまた振れ幅大きく腕を左右させながら、下校途中の折に、駆け寄ってくる。
そのインパクト、圧迫感たるや。的場鳴はライカ・ステイレットの苦さの一端を味わえた心地だった。
「何か用か? ライカ
「うわー、さっそくのイヤミ。待たせごめんて。北棟のコに衣装のことで捕まっちゃって」
バツが悪そうにするでもなく、かと言って逆上するでもなく、見晴嶺児は自然体で受け流した。
「あんたがムリ言って出し物の仕切り役買って出たんだろうが。その責任はちゃんと果たしてくれよ」
「ハイハイ」
愛想よく相槌を打ちつつ、並び歩いて校門を出る。
「にしても世間は狭いねぇ。まさか、的場ちゃんと同じクラスだとは思わなかったよ」
「あたしだって、自分の腹打ち抜いた奴と机を並べる羽目になるとは思わなかった……ずっと見たことなかったんだけど、今まで何してたワケ?」
「あぁ、オレついこないだまで
「……想像以上に暴力的なことサラリと言いやがって」
だが今の端的な身の上話で、ようやく腑に落ちるところはある。
今まで血生臭い事情で登校していなかった
『あ、オレんち飲食店だから色々融通利くし、任せてちょーだいよ!』
などと大きな声でにこやかに、学校行事への積極的な参加表明などすれば、誰も異を唱えられる者などいるはずもない。
その時のクラスの死んだ空気、是非にも第三者的にこの嶺児には感じてもらいたいものだった。
そして、料理がある程度できる鳴がその補佐役を頼まれたわけだが、
(いや、どう考えても抑止力的に考えられてるだろ)
誰にもフラットに接することの出来る度胸を買われてのことであることは、明白だった。
「にしたって、なんだってあんた、あんなこと言い出したんだ?」
その彼女にしても、当然その辺りの疑問に無関心ではいられない。
ライカに絡む案件以外でこの男子が動くことなど、短い付き合いながら稀なことだと理解はしている。
その長躯をさらに一度大きく伸び上がらせてから、嶺児は言った。
「いやさ、まぁ今のライカさんを見ていてさ。オレもこのままじゃいかんと思ったわけですよ」
――訂正。結局発端はあの少年がらみだった。
もっとも、それがどう繋がるのかわからないから、鳴は黙して話を聞く。
「オレが最初に逢った時のライカさんはさ、こないだ以上に張り詰めてて、まるで自分を傷つけるように戦い続けてて、自分から一人になろうとしたり、それはもうヒドイ状態だったのさ」
「……」
「あの小さな躰を、めいっぱい痛めつけて、自分で追い込んで……ひょっとしたら、あのまま死んでしまいたかったんじゃないかと思う。オレも自暴自棄になってた時だったからさ。そんなあのヒトに感情移入しちゃってね」
鳴もまた、どことなく己に置き換えて重なるところがある。
彼女にとっては、維ノ里士羽の邂逅が、それだった。
巻き込まれ、被害者だったはずの自分が、友人を含めたすべてに失望し、孤立を望む彼女の心身を案じ、迷惑踏み込み、寄り添わなければならなかった。
「切なさのあまり、あの細い腰を後ろからこう……ぎゅーって抱きしめたくなることもあったよ」
「……」
何故この男は、節々でクソほど気持ち悪くなるのか。そう思わずにはいられない鳴であった。男とか女とかではなく、ただただその距離感とねっとりとしたこいつ自身の言動が恐ろしい。
「彼を助けたい気持ちに、嘘はなかったと思う。でも、ようやく希望が見え始めて、変わり始めた最近のライカさんを見て、気づいたんだ」
想いを馳せていた嶺児の横顔に、ほろ苦い陰がにじんでいた。
「オレは、心のどこかで自分を救いたいがためにライカさんにつきまとっていたんだ。一生懸命に贖罪と過去の清算に生きるあのヒトの背中を護ることで、自分がマトモな人間でいられる気がした。ライカさんを勝手に憧れにして持ち上げて、口実にして、自分自身の人生と向き合うことから、逃げてきたんだって」
だからさ、と背中のカバンを負い直し、少年ははにかむ。
「オレも変わんないとさ、ライカさんに失礼なハナシじゃない。これから幸せになっていくライカさんを……あいつを、胸張って見ていきたいんだ」
「……そうか」
「なーんて。ま、これもオレの自己満でしかねーけど」
「良いんじゃねぇの」
照れ隠しとともに自嘲する嶺児に、鳴は言った。その真情に触れて初めて、彼を見直した。
「
もっと言葉の選びようはあったと思うが、これも性分だ。もっともらしく取り繕うより、よほど自分に合っているし、後味も悪くない。
「――ありがとう」
そして見晴嶺児は神妙に、かつて暴力沙汰を起こしたとはとても想像できない調子で微笑を浮かべて謝意を示したのだった。
「あ、でもオレはライカさん一筋だからね! どれだけ巨乳のサバサバ系美少女に不意に見せたやさしさに触れても、男見晴嶺児、推し変はしません!」
「…………」
「え? 何、そのめっちゃ複雑そうな表情?」
「いや…エモさとキモさと間をシャトルランみたく全速で往復すんなっつの。こっちの情緒が追いつかねーわ」
「えぇ、そんなつもり無いんだけどなぁ」
「自覚ねぇあたりもっとタチが悪いわ」
……傍目には、それなりにつり合いのとれたように見えるカップルではあるが、その実互いの感情や印象は、恋愛のそれとは程遠い。
しかしながら下校の間際よりはほんの少しばかり距離を詰めた少年少女は、学園祭に向けてのメニューの打ち合わせと検証のため、最寄りのファーストフード店へと連れ立って入っていくのだった。
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(6)
「珍しく自主的に身体動かしたな」
「うん。クラスのアイドルとして、身体を絞っておかないとね、しゅっしゅ」
「絞るところがあるのか?」
人が気持ちよくダンスゲームを終えるなり、間髪入れずに無礼な口をきくレンリを爪先で小突き、ゲームセンターを出る。
「でも、ちょっと安心したな」
と、レンリはおもむろにまじめくさって言った。
「お前、鳴たちとしか絡まないと思ってたからさ。クラスにも自然体で馴染めてるようで何よりだよ。珍獣枠でだけど」
「世界滅ぼしたカラスに、社会性でどうこう言われたくないんだけど」
「…………そーね」
歩夢は他意なく言ったのだが、当のカラスは想像以上の落ち込みようだった。人にはズケズケ不躾で説教じみたことを言うくせに、打たれ弱いという面倒臭さが、この鳥にはある。
気を遣うのは、いつだって自分の側なのだと歩夢は考えている。
「まぁ、わたしは愛されキャラだからね。平成以来、誰もクールでミステリアスな美少女を嫌う人間はいないよ」
「いや、だから本人がそれ言うなって」
歩夢の言ったことを冗談と解釈したらしいレンリは、いくらか気を取り直して軽く返す。
このいかにも凡庸的、もとい人間的なリアクションをしてみせる奴が、本当に感情を無くして世界を食らったのか。疑わしい。
「でも気をつけろよな。人間、どこで恨みや嫉妬を買ってるか分かったもんじゃない」
「まさか。そんなことあるわけないでしょ」
「いーや、分かんないぞ? ある時不意に道端でバッサリなんてことも」
言いさしたレンリが、ふいに正面から響く足音に、首を巡らせた。
すっかり陽が落ちるのも早くなった黄昏時。真向かいに対していたのは、学生らしい少女である。
らしい、と歩夢の所感を曖昧にさせたのは、並の男子生徒に勝るその身の丈を、物々しい黒いライダースーツとジーンズで包んでいるがゆえだった。
「多治比、衣更?」
その面を知っているらしいレンリが、訝しげに首を傾けた。
多治比といえば、たしか西棟の主軸となる家だったか。
暗く濁らせた双眸が歩夢を捉えると、眉間を絞った彼女は、
「足利、歩夢……ッ」
と、剥き出しにした歯から、明確な憎悪を込めてその名を零した。
そして何もない空間に右手を遣ると、その指の隙間からより集まった光の粒子が、彼女の身の丈にも等しい長尺の棒状を、ストロングホールダーを形成する。
〈
そして地響きにも似た合成音声が、把手の中央の口に装填された『キー』の名を読み上げる。
地表へ向けた棒の先端に馬の顔と車輪を合体させたガジェットが現れた。
荒々しい彼女の呼気に応じるかのごとく、両輪が馬首を離れ、水平となりながら旋回し、歩夢目掛けて飛ぶ。
即座に理解しかねるその状況、風を切る異音は、ただでさえ夕暮れ時で少なくなった通行人を、その場から逃避させるに十分な説得力があった。
まずは脚を潰す。その意図を急落した軌道から読み取った歩夢はその場で跳躍して車輪を避けた。次いで顔面に。辛うじて着地が間に合った歩夢は、咄嗟に伏せて回避する。
身を起こしかけたところを、レンリに体当たり気味に頭を下げさせられる。
そのすぐ上を、旋回して戻ってきた車輪が背後より襲い、ぶつかり合いながら元の杖へと納まった。
いずれも致命傷。不意打ちであったがために未だホールダーをセットできていない歩夢が受ければ、間違いなく肉は千切れ、骨は砕ける。
そもそも、天下の往来に姿をさらし、初手から自由を奪うことを狙った時点で、本気の度合いが窺える。
……明らかに、命を取りに来ている。
「訂正。あんたの
「いやだから俺にそんな力はないからな!? だいたい、明らかにお前の名前呼んで襲ってきたじゃないか、身に覚えないのか!?」
「ない」
普段は自分を持ち上げるたびに何かの冗談とみられることの多い歩夢ではあったが、真実こればかりは覚えがない。
そもそも、今の今まで、相手が多治比の次女であるどころか名前さえ知らなかった。言葉も交わしたことのない相手だ。
――が、覚えはないはずなのに、既視感はある。
殺意を、遠くどこかで感じたような気さえしてくる。
上手く表すことは出来ないが、デジャヴ、というのが一番近い感覚だろう。
「……そっちは?」
今度こそ起き上がりながら歩夢は、試みに尋ねてみる。
「わたしが恨まれるようなことに、心当たりは?」
「――ない……はずだ。
含みのある言い方ではある。だが、それを歩夢に詮索される前に、あるいは自分で深く思索するより先に、レンリは両翼を必死に掲げて飛び上がった。
「そんなワケだ! 俺ら二人とも、お前に攻撃される覚えはない! お互い誤解があるようだからここは話し合いでっ」
「誤解……? そんなもの、あるわけあるかァッ!」
怒号一喝。
今度はレンリに矛先を転じた車輪が地を馳せ、歩夢の小脇に抱きかかえられるかたちで、レンリは間一髪でそれをかわす。
「アタシはお前たちを許さない! たとえお前たちが忘れようとも、逆恨みと言われようともだ!」
「だって。複数形になっちゃったんだけど」
「……どうやら、俺もターゲットにカウントされたみたいだな」
先の言葉の意図を、レンリは説明する気はないらしい。
その時間もないし、言葉に出来ない違和感を抱えているのは、歩夢とて同じだ。
だからこの件については見切りをつけて、歩夢は一気にこの事態を打ち払うべく、
「ほら、あのデカイサイコロ出して」
とねだる。
「『オルガナイザー』は、お前がムチャな運用したから故障中」
「直せないの?」
「無理。オペレーティングシステムは俺が組み立てたけど、ハードそれ自体は共同制作者の受け持ちだ」
「じゃあサポセンで呼んでよ、サポセン」
「呼べるか! Amazonのカスタマーセンターだって、直接は来ないだろうが!」
仕方なしに歩夢はいつものCWタイプのホールダーを腹に回した学生カバンから取り出し、腰の裏に取り付ける。ようやく、防御面と身体能力面で互角となった。
しかしながら、ふだん使用している『キー』は、『オルガナイザー』と接続したことによって変質した影響を案じた士羽が強引に回収、検査をしている。
「今、
そこはさすがにレンリも考慮はしていたらしい。
歩夢の携帯を片翼で握りつつ、もう一方で別の『ユニット・キー』を投げ渡した。
自分のものではなかった。だが、記憶はある。ほのかにぶり返す痛みとともに。
「これって」
「あぁ、士羽のヤツがあのゴリラから押収したもんだとさ」
「なるほど」
性能は我が身をもって体験済みであるがために、歩夢はためらわず展開した鍵穴にそれをセットする。
〈
と大層なその識別名を告げると、歩夢の背に、銀色に光る四口の大太刀がずらりと並び浮かんだ。
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(7)
長蛇の列を成して、大太刀が突き立つ。
その間をくぐり抜けて、一対の車輪が駆け巡る。
縦横無尽、浮沈自在。遠近両用。
多少のグレード差を旺盛な戦意で覆しながら千変万化の攻め口でもって猛攻を仕掛けてくる多治比衣更に、歩夢は不慣れな鍵の有用方法を模索しながら苦闘する。
――今は、『見』に回る。
この速度に目が慣れ、軌道の癖を見極めるにはざっと五分程度は要るか。
それまでに防戦に徹していれば、おっつけレンリが呼んだ増援も来るだろう。
だが敵は、一向に疲れも勢いの衰えも見せない。
『剣豪』で展開した大太刀を、攻めではなく防壁として用いる。
しかし車輪が尋常ではない全速でそれにぶち当たり、撓ませ、二撃目がその間隙をかいくぐって歩夢に迫る。
散らされた太刀を、歩夢は横に、段違いに並べ直す。
車輪の重撃をやり過ごした彼女は、その上を階段のように駆けのぼって上空へと退避する。
が、横合いからの破砕音が、風音が歩夢の肌と鼓膜を震わせる。
それは、防壁の突破に用いられた初撃の車輪。店舗に突っ込ませ、その中を迂回させて歩夢に横槍を突けるべく、差し迫る。
〈電撃戦〉
〈リベリオン〉
――転瞬、歩夢の頭の後ろから放たれた紫電が、その奇襲を妨げた。
ライカ・ステイレット。異邦の少年は対向の屋根から、飛び移った歩夢とともに地面に着地した。
「間に合ったか!」
片側の車輪を引き受けていたレンリと、そして隣の歩夢をそれぞれに呆れたように見遣りながら、
「何の救難信号かと思って来てみれば……オマエら、今度はどんな無礼を働いたんだ?」
と胡乱気に尋ねる。
「向こうが一方的にふっかけて来たの」
と歩夢が弁明するも、半信半疑の体で、
「……とりあえずは手伝ってやる。言い訳はその後にしろ」
などと放言しつつ共闘を約す。
態度こそ不遜そのものだが、頼もしい来援ではある。
気心、とまではいかずとも、見た目によらない実力のほどは我が身をもって確認済みだ。
何より、この猛威に対するに、それを自身の力へと換えることのできる『リベリオン』こそ適当だろう。
防御と陽動をライカに一任し、歩夢は攻勢に転じた。
散る紫電と火花、それをかいくぐり、四口の太刀を十字に組み合わせて投擲する。
「ぐっ!?」
歯を食いしばり、衣更は車輪の片割れでしのぐ。
さらに歩夢は銃撃をもって畳みかける。それはホールダー自体で弾かれる。
だが、光速の蛇行で車輪をすり抜けたライカが華奢なその背をさらに低めてそれに追い討ちをかけた。
軽い苦悶を漏らして地面を転がる衣更は、しかしてなお攻めの姿勢を諦めてはいない様子だった。
……ともすれば、我が身さえもどうでも良いと言いたげに。
いったい何をすれば鎮圧できるのか。どれほどの手数を叩き込めば、無力化できるのか。
(最悪追い返すだけで良いんだけど)
正直恨まれる筋合いなどない歩夢には、他人の事情などどうでも良いことだ。
だが、それさえこの多治比の少女の念頭には無さそうだった。
一度両輪を引き上げて立て直した彼女は、切歯しつつ我が身もろとも再突入を試みる。
だが、その愚直な進路の先に、光矢が突き立ち爆ぜる。
自身の軛型のホールダーを天へと掲げた的場鳴が、衣更の背後から威嚇として高射したものだった。
「おい、なんだよこの状況? お前、また何かやらかしたのか?」
「……なんで、どいつもこいつもわたし側に非があるように言うのか」
しかし問うた鳴は、責任の所在などどうでも良さそうな顔つきである。
なんだかんだと悪態をつきつつも、どちら側に加担するかは今更確認の必要もない。
「で、そこの人は何してんの」
鳴の後ろにはさらに、長躯を屈ませて自身のバッグをまさぐる見晴嶺児の姿がある。
「あぁ、ごめん。今オレのホールダー組み立て中だからもうちょい待ってて?」
「加勢に来るなら最初から用意してから来いッ!」
身内の恥であるがためか、声を張って怒鳴ったのはライカだった。
「……あんたら……揃いも揃って邪魔するなァァァ!」
だが、偏りつつある戦力比に対しても、怯まない。退かない。
それどころかますます猛り狂い、所かまわず、あらゆる器物の損壊もいとわず、車輪は乱舞する。
命の取り合いではなく、制圧を目的としている周囲の一同は、自らの護身に徹し、後退する。
それによって生じたわずかな隙に衣更は突撃を開始する。
狙うは歩夢と、そしてレンリ。一直線に棒を傾け、喉笛を抉らんとする。
その、間際であった。
〈
荘厳な鐘の音とともに空間に浸透する無色の波。それが、車輪を虚無へと融かす。棒先の馬首を霧散させる。
――相変わらず、良いのか悪いのかわからないタイミングだ。
白衣の少女、ならぬ白いコートを制服の上から羽織った維ノ里士羽は、悠然とした足取りで杖で叩いて自身の来着を告げる。
憮然と見つめる歩夢に一瞥をそれとなく呉れた後、
「学園関連施設以外での、『ユニット・キー』の使用は御法度中の御法度……それを破る以上、相応の覚悟はしているのでしょうね? 多治比、衣更」
などと、場を仕切り始める。
だが、決め手となったのは、間違いなく彼女のホールダーによるものだったことは認めるしかない。
制圧用とうそぶいたその特性の通り、『キー』を凍結させられた衣更は、俯くよりもはや術はない。
あとはデバイスを強引にでも取り上げるだけだ。数を恃んで距離を四方から詰める士羽たちに、
「……覚悟?」
と、多治比の次女は静かに問い返す。
やがて彼女は肩を左右に揺らす。笑っているのか、度を越えた憤怒のゆえか。
そのいずれかにせよ、感情の振れ幅が限界を超えた時、彼女の手には鈍色の鍵が握られていた。ドッグタグのようなものに、車輪の図柄と来年の年号が刻まれた、無骨な金属片。
どこからともなく、その手首には無骨な手錠と、千切れた鎖が取り付けられている。ストロングホールダーではない。何の機能も帯びていないような形状をしている。
その鍵穴に、握りしめた鍵を差し入れた。
「そんなもの、とうに出来ていた……でなけりゃ、
咆哮が轟く。鍵穴からあふれ出した極彩色の泥が彼女の総身を覆いつくす。
だが、変化は多治比衣更のみにとどまらない。
空は赤く染まり、一瞬後には左右に並んでいた店舗は一瞬で掻き消え、代わり、崩落したコンクリート塀や信号機、サッカーのゴールポスト、噴水のオブジェなどが無作為に乱立する。地面からはコンクリートの硬さが消え、不毛な砂地が靴底に触れる。
そして少女自身は、いくつもの車輪が横に組み合わさってかろうじて人の形を成したかのような、異形の姿へと変貌していた。その腹部には、生々しく打ち砕かれた大きな空洞が広がっているが、それを苦痛に感じているようなそぶりはない。
それが、多治比衣更であったことを示す唯一の痕跡は、左の手首に収まったままの、手錠とドッグタグつきのキー。
「足利歩夢……維ノ里士羽……!」
――そして、言葉。
「私は、お前たちを、決して許しはしない!」
疎通こそできずとも、言語と意志を明らかに示し、
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(8)
見たことのない
瞬間、見たこともない世界へと放り込まれた。
そして、多治比衣更は怪物と化した。
その事実のいずれをとっても、容易には飲み込めない事実だった。
胸の
再び。否。速さも威力も、初動からして人間であった頃とはまるで段違いの別物だ。
スポーツカーや新幹線を相手取って鬼ごっこでもしているようだ。
しかもその軌道は直線ではなく変幻自在の曲線。いや、曲直混合の乱雑な動きだ。
それを可能としているのは、脚部、くるぶしから先に位置する車輪が変形し、その回転をもって不安定な地面を常以上の加速を以て踏破する。
そしてその機動性にのみ留まらず、攻撃性も倍加する。
錆色の無骨な形状に変容した手になおも握りしめた鉄棒は、その機能を封じられているにも関わらず、光輪が幾重にも展開した。
数と勢いを増したそれらは攻防一体となって誰一人として寄せ付けず、かつそれぞれの寄せ手を逆に攻め立てる。
「ぐっ……! レイジッ、準備まだか!?」
「あ、ごめん。今組み立てる順番間違えてたのに気づいたわ」
「アホがぁぁぁ!!」
まるでキャンプ初心者がテント設営に四苦八苦しているが如くにまごつく嶺児を面罵しつつ、さりげなく彼をフォローする立ち位置に回る辺り、よほどに人が好い。
虚を突かれ、機先を制された一同の動きが精彩に欠くのもあって、戦局のウェイトは多治比衣更に大きく傾きつつある。
(あんなのでも、せめて戦闘に加わってさえくれれば、この空気も変えられそうなものを)
ゼロからやり直し始めた見晴嶺児に対し、呼吸を整えるついでため息をこぼしながら、士羽は杖を前方へと傾けた。
投槍を模したエネルギー体が三筋の閃光となって怪人の首筋を狙うが、そのいずれも、新たに生じた車輪が噛みつくがごとくに弾き飛ばす。時を経るごとに、その物量は数を増やしていく。
「また何か隠していることがあれば、正直に打ち明けてもらいたいんですがね」
「これに関してはないって、こんなの初めてだ! てかお前が言うなッ」
緊急回避的に歩夢から離脱し、たまたま脇に滑り込んで来たレンリに皮肉めいた問いかけをすると、不本意気に声を荒げて返す。
だがその碧眼は、凝らしてその尋常ならざる形態と光景に目線を絶えず配っている。
「――ただ、この
と、カラスはこぼす。
曖昧な見識。だが、一応の傾聴には値する偽らざる所感ではある。
「なるほど」
忌み嫌い合う仲ではあるが、軽く頷いた士羽は、自らの
〈
衣更が変化に用いたのは、おそらくいずれのグレードにも属さない規格外品。
だがこの場合は、敵の能力を停止するホールダーの機能よりも『ユニット・キー』自体の特性にこそ用がある。
先端で異形の地面を小突くと、彼女の周囲から法塔であり砲塔たる円筒がせり上がる。
斉射。弾幕が少女たちの間を瞬く間に埋める。そのうちの何発かが有効打となって衣更に命中して仰け反らせた。
(やはり)
と士羽はこの空間が剣ノ杜の異界に近似する位相であるという、レンリの直感と己の見立てが当たっていた。その結果を我が目で確かめ、そして、
「戦力再編!」
鋭く声をあげて号令を飛ばす。
「ステイレットと鳴はそれぞれの射線に気を付けつつ散会して私と共に各車輪を牽制! 本体の攻撃は歩夢はいなす! レンリ、貴方も並行世界であってもストロングホールダー開発に携わった研究者なら、組み立て方ぐらいは解っているでしょう。戦力にならないのだから見晴の代わりにやりなさい」
それぞれに向かい来る脅威と対しつつ、学生たちの一瞥が士羽に集まる。
らしくない、とは士羽にも自覚はある。
だがただでさえ別方向を向いている三人娘と一羽に加え、つい先ごろまで敵だった男子ふたりの混成部隊。まとまりを著しく欠く中で叱咤できるのが士羽しかいない。
いやそれよりも、征地絵草消息不明の間、彼女の破壊的に巨大な穴を少しでも埋めなければという使命感が、己が心境にわずかながらの変化をもたらしたか。
とまれ、今は自己分析の余地などなかった。
ここにいるのは、いずれも歴戦。感情はともかく、経験で士羽の方針に理があることを察し、一言もなくそれに従って左右に散った。
互いに交わることなく、だが邪魔などはせず、それぞれの動きに多少の齟齬を生みつつも柔軟に挙動する。
そして、徐々に滑らかな連携が取れるようになった辺りで、
「……そう、そこでカチッと音が鳴るまで回すっ!」
「なるほど、こうでこうでこうか!? できた!」
というレンリの差配のもと、ようやく嶺児が体勢を整えて立ち上がった。
「できたよー、ライカさんできたよー!」
「知るかッ、遅い!」
どっちが本音が分からない調子で、怒鳴りつけたライカはしかし、大手を振って自らの長柄を掲げてみせる相方に、自らの鍵を抜き放ち、ノールックで投げ渡す。
〈
準備の要領の悪さとは対照的に、何一つ惑うことなく嶺児は鍵を転用する。
瞬間、彼の得物の鋒先に、鳥のガジェットが展開された。
例えるならば、モノクロの雷鳥を民族的にデフォルメしたかのような、特徴的な形状の。
そのクチバシや翼の隙間から黒雲が吹き上げ、細長くその身を伸ばしながら網のように周囲を駆け巡り、車輪たちを絡めとる。
〈ブリッツ・ライトニング・チャージ!〉
必殺を
――それが、反撃の狼煙だった。
「メイ!」
〈ダガー〉
〈リベリオン〉
ライカが鋭く声をあげる。諮らずとも、換装した鍵でもってライカの意図するところを読んだ鳴が、ぞんざいなようで、だが確かな手捌きで弓を衣更と、そしてその先のライカ目掛けて射出した。
〈ライト・シューター・ボレー・チャージ〉
光の斉射が車輪とその主人を穿つ。
その流れ弾をライカは弾き、吸い上げ、我が物とする。寄り集めてダガーに換えたそれらでもって、あらためて挟み込んで攻め立てる。
だが、それでもなお、異形と化した少女を討つことは能わず。
それで良い。元より彼女自身を害することが目的ではない。車輪の数を減らし、歩夢が準備をするだけの時と間合いを稼ぐため。
〈ソードマスター・スラッシュ・チャージ〉
腰の鍵を回した歩夢は、ホールダー付属の短銃を抜き放ち、飛び退きながら真正面の衣更へとトリガーを弾く。
奇異なことに、弾丸は直線には飛ばない。銃口から放たれた閃光は四方に散ってダイレクトに車輪の怪物を襲うことはなかった。
不発。否、弾丸それ自体が攻撃手段ではない。
それは、剣閃ならぬ、弾閃。
乱雑に描いた軌道がそのまま熱線と変化し、空間ごとに焼き切りながら迫り出し、激しく怪人の総身に叩きつけられた。
「おのれ……足利歩夢、維ノ里士羽!」
悶絶と共に転がり、呻きながらも多治比衣更は両名の名を繰り返す。万代に渡る呪詛を掛けるような憎念を込めて。
その怨讐の理由を探る。知らねば、繙かなければならない気がする。そのために、トドメの一撃をもって無力化するべく、士羽は後方支援者の姿勢を捨てて前へと進み出た。
太陽が、異空に閃いたのはその間際だった。
否、太陽光がこの煉獄に届くべくもない。だが次元を突き抜け飛来したのは、それに匹敵する熱量と圧。
それが現世とこの
その眩さ、熱さに士羽たちが一瞬、だが不可抗的に目を瞑った合間に、その異形の世界も多治比衣更も消えていて、人気を失った天下の往来に、彼女たちは放り出されていた。
~~~
――多治比衣更とはまた異なる怪人が、商店の屋根より士羽たちを見下している。
その姿の異質さは、むろん衣更の形態とは比べるべくもないものの、私立高校のブレザーとコートの上から、十字のバイザーが特徴的なフルフェイスのヘルメットで頭部を覆った女を、一般人とは到底呼べまい。
外部より異界の殻を打ち砕いた彼女は、それを成したクレイモアを血ぶるいのように振り抜いた。
その動作の終わりに合わせ、剣はその手から空気中へ分解されて消失した。
一体何が自分たちに、そして多治比の次女に起こったのか。
一切の理解が及ばず惑う少女たちを捨て置き、ヘルメットの女は、擦り切れたスカートの裾を翻したのだった。
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(9)
かの戦場より、一駅分ほど離れた先にあるハンバーガーショップ。
多治比衣更に襲撃された一同は、彼女が姿をくらまして以降も一名たりとも離脱解散することもなく、連れ立ってそこにたどり着いていた。
おそらく立ち去った現場は今なおパニックが続いているだろうが、そこは歩夢の隣をキープしている維ノ里士羽や征地絵草、彼女たちとつながる影のお偉方が、なんとか処理をつけてくれることだろう。
とにかく今は、自分たちの身に降りかかったことをどう解釈するかだけでも手一杯なのだ。
「いやー、なんか『ユニット・キー』使った後だとすげーハラ減るよね」
山盛りのハンバーガーをその長い腕の中に抱え込みながら、見晴嶺児はのほほんと言った。
野暮ったくテーブルの上に積まれた種々様々なハンバーガー。少しばかり歩夢が憧れていたシチュエーションだ。
「……オマエ、良くこんな時に食えるな」
ライカは、相棒の健啖家ぶりに心底から呆れかえっているようだった。
「えー? こんな時って?」
チーズバーガーを包みを解きながら、嶺児は尋ね返す。
「いや、キサラタジヒのことだよっ。ゴチャゴチャした状況なのに、一人平然としやがってっ」
「いやいや、そんな難しいことある?」
バーガーを頬張りながら、指折り数え、
「むぐ、まず足利ちゃんが多治比の次女に襲われた。で、彼女がバケモンになった。なんか一瞬ヘンテコな世界に転移させられた」
と、挙げるたびに大口でパティやバンズが、胃の中に収められていく。
「ほら、カンタン」
「なワケあるか! どこまで単細胞だ!?」
ライカはそう怒鳴ったが、図らずともその思考の単純さが、ライカとのコントじみた応酬が、混沌に沈む自分たちの気分を、場の空気を、緩めさせたのは確かだった。
「……ま、ワケわかんねーことを今ここでどうこう考えたって……てのはその通りなんだが」
ため息を吐きながら、鳴もまたハンバーガーの山の一角を崩して掴み取る。
「そうでもありませんよ」
コーヒーカップに口づけ、士羽は言った。
「前例が無いでも無い」
何気ない調子で吐き出されたこの言葉に、周りの目が集まる。
士羽は平静を装っているが、付き合いの長い歩夢は、そのカップを下ろす手がわずかに強張っているのを見逃さなかった。
「憶えていますか? 南洋の澤城灘」
「ナダ? アイツがどうした?」
「ステイレット、貴方と出会う前に、多少の衝突がありましてね」
「あぁ、言ってた借りってそのことか」
戦闘に乱入して来た折、そんなことを言っていたことはライカも記憶に残っていたのだろう。
「歩夢、レンリからの報告では、その際彼の様子も、不審な点が多かったという」
不明瞭な発言、見えない動機、出処の分からない強い感情。そして戦いを終えてみれば、本人は自身の行いについては記憶があるものの、それ以外のことを忘れていた。
そしてそれは、今この事態を想えば、
「……今回のケースと、ダブるってわけか」
と、鳴がそこで理解に追いついてきた。
「そこで私は、根拠はないものの一つの仮説を立てた」
と思わせぶりに言いつつ、士羽はその鳴におもむろに首を傾けた。
「鳴、水疱瘡に罹ったことがありますか?」
「は? いや、多分ない、けど」
「記録を見ましたが三歳の時に罹患してますよ。自分の病歴ぐらい把握しておいてください」
「じゃ、なんで聞いたんだよ……」
唐突に無関係と思える質問と説教が飛んできて辟易したような彼女を無視して、
「あれのウイルスは、根治できません。終生、脊髄の神経に潜伏し続ける。だからこそ抗体も作られるが、体力の低下や加齢を原因として免疫力が衰えると、今度はヘルペスとして発症することとなる」
コーヒーの飲み残しにスティックシュガーをすべて投入し、かき混ぜながら淡々と。
そして掬い上げたマドラーに溶け損ねた砂糖の残骸がこびりついていた。
「『ユニット・キー』を扱えるユーザーになるには、大きく分けて三つの手立てがあります」
それをじっと見ながら、本題に転じる。
「一つ。一度完全に『レギオン』化した者がホールダーの攻撃によって元の人体へと戻ること」
マドラーで鳴と嶺児を指し示す。
「一つ。『レギオン』になりかけた者が、ホールダーの抽出機能を使って『キー』を精製・純正化させた者」
そのプラスチックの先端が歩夢とライカへ向けられた。
「そして私や南洋の連中のように、人為的に因子を埋め込んだ者。いずれも、無害化された因子の一部が体内に残留することで再度の『レギオン』化を防ぐ抗体となり、かつ『ユニット・キー』を起動させる資格を得ることになる」
と、そこまで語った辺りで、先の水疱瘡の話と絡めれば、察しの良い連中は理解できただろう。少なくとも、そう求めて、士羽は一同の顔を眺め回した。
ややあって、ライカがおずおずと答えた。
「つまり、同じことがナダやキサラの体内で起こった? 何らかの要素が引き金となって、体内の因子が再活性化した結果、ああして再度『レギオン』化したと」
「先にも言ったとおり、根拠のない仮説ですが」
そう断った士羽だったが、自らの仮説に自信は少なからずあるらしい。そして、確かに説得力もあった。
「でも、それと足利ちゃんへ向けられた殺気とかとどう関係があるのさ?」
天性の勘働きでか。嶺児はその疑問を見逃さずに指摘した。
その点については、明確な答えがあるわけではないらしい。少しばかり言いよどんだあと、士羽は肩をすくめてマドラーをトレーの上へと放り投げた。
「一番可能性として高いのは、『レギオン』への変異による弊害、自律神経が失調した結果、何かしらの幻覚症状に陥っている、ということですが」
その歯切れの悪さを擦り付けて誤魔化すように、彼女はある一点へ冷ややかな目を向けた。
「もっとも、その秘密主義者のカラスが何かしらの情報を知っていながら独占していれば、話は変わってくると思いますが」
その言葉に促されて、また皆の目線が歩夢の太股に、もっと言えばそこに乗るレンリへと集まった。
同時に
(お前が言うな)
と当人以外の全員が思ったことだろう。
「……知らない」
そのレンリはふざけた姿形からも伝わるほどに、苦り切っていた。
そして我が身に集まる視線の鋭さに、軽く両翼を掲げてみせて、
「いや、ほんとに知らないんだよっ!? あんなモノ、俺たちの世界じゃなかったはずだ!」
と言った。その狼狽ぶりから察せられるに、事実なのだろう。
「でも心当たりはあるんじゃないの?」
と、歩夢はその丸頭に手を遣りながら囁くように尋ねた。聞き逃したかのような反応だったが、わずかならず身が硬くなったのが掌を通して伝わってくる。
「――俺も、何かを知っている人間に心当たりがないでもない」
答えに窮したレンリを見かねてか、逆に見ていなかったがためか。助け舟を出したのはライカだった。
いったんナプキンで指先を拭ってから、端末を操作してテーブルの中心に滑らせた。
決してレパートリーの多くない連絡名簿の内の一つを示す。
「キサラの、兄貴だ」
そこには、北棟の留学生とは接点があるはずのない、多治比和矢の名があった。
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(10)
件の『影のフィクサー』とのアポイントは、意外なほどにあっさりと取れた。
直接的な通話こそ叶わなかったものの、多治比の長男はショートメッセージで了承の返事を送ってきた。そしてその反応の早さを思えば……妹の異変を当然彼も承知していたことになる。
対面の日取りはそこから二日後。学園祭における出し物がそろそろ決まり始め、その準備に追われる中、歩夢たちは西棟へと招かれた。
本棟との間を繋ぐ、二階の連絡通路。
そこで立ち止まった歩夢は、ふむと行先の建物を見た。
薄くカーブの入った、どことなく授業で見たローマ元老院のイラストを思わせるハイセンスな外観はともかくとして、中自体は常識の範疇を出ていない。
「どした?」
自らを抱えたまま立ち止まった歩夢を見上げ、レンリは尋ねた。
「いや、なんかフツーかなって」
「どんなの想像してたんだよ」
その彼女の脇を通り過ぎつつ、鳴が問い返す。
「金の壁、絹のカーテン、入り口にガネーシャの像。ボヤーってデータが映し出る感じのタッチパネル式黒板。そして購買には成城石井」
「……南洋に感覚を狂わされたか。あそこが飛び切りイカれてるだけで、傍目からはフツーだったろうが。まぁ、中身まではあたしも良く知らねーけど」
「…………フツー、かもな」
妙に気になる沈黙の後、仲介人たるライカ・ステイレットが重たげに相槌を打った。
歩夢と鳴、見晴嶺児は疑問符を浮かべていたが、レンリも士羽も、同じようにわずかに引き気味の面持ちだ。
そして西棟に入るとすぐ改札口的な装置があり、さらにその手前には、小型犬を思わせる体躯と
「あ、
「会うたび会うたびに上級生に対するリスペクトを無くしてくわね
「て言うか、あんた『北』の人じゃん。なんでいんの? あの庭先にこっそりドングリ埋めてそうなおっさんは?」
「先輩はおっさんでもなければ今週の桑田みたいな生態もしていない!」
「彼女、元は西の人間ですよ」
見るに見かねてか。士羽がそっとフォローをいれる。
「……つーか、アンタが見破ったのにそこ忘れないでよ」
激していた彼女、南部真月は水を差されてため息混じりに落ち着いた。
「あたしは出迎え役をちょっと頼まれただけよ。じゃないと、ここ通れないから」
「? いや、
訝しむ鳴に、
「西棟以外の生徒はそれとは別に要るのよ」
と、フラットなニュアンスで真月は答えた。
「利用料は電子マネー決済。大概の媒体で行けると思うけど」
「おい、初手からアコギな臭いがしてきたぞ」
いきなりの洗礼を浴びせかけられ、知らなかった一同は憮然と固まった。見れば、出入り口を塞ぐゲートは二口。スキャナも二種類。
真月や士羽は学生証を通すだけで両方とも開いたが、歩夢が試しに追従してみれば、奥のゲートに阻まれる。
「俺、戸籍も電話番号も持ってないからBitCashしかないけど、行けるかな」
「あんたそれ、10円セールとかでAVとエロ同人買った時の使い切りのヤツじゃん」
「な、何故それを!?」
「わたしのアカで買うな。というかなんてネットリテラシーのない元研究者だよ」
すったもんだとしている内に、嶺児がその横の別の入り口をすり抜ける。そして同じように、奥側の有料分で阻まれた。
「ん〜?」
嶺児は目を細めたまま、意外なほどの柔軟性をもって打点高く踵を持ち上げ、自らを遮る柵へとギロチンの如く振り下ろさんとした。
「ちょちょちょ!? アンタ何してんの!?」
慌てて止めに入った真月に、嶺児は首を傾げて逆に尋ね返す。
「いやいや、呼びつけといてカネ取るとかイミフでしょ?? なんでそんなモン払わねーといかんのよ?? ねぇライカさん」
「目の据わった薄笑いで俺に振るなッ! こっちまで危険人物だと思われるだろうが!」
ライカは苦源を呈したが、彼ら自身も含めて『ユニット・キー』絡みの人物はだいたい真っ当と言い難い精神性の持ち主ばかりだろう。
(わたし以外は)
「冗談で言っただけで、今回はちゃんと新聞部用のSuica用意してるわよっ!」
「通るのにカネかかんの自体は冗談じゃないんだ……」
「なんだ、それを早く言ってよ……て、一人分足りなくない?」
「あんたは呼ばれてないだろ」
鳴は抜け目なく自分の分のSuicaを真月から受け取った。
「え、オレはライカさんと一心同体だし、和矢パイセンとはマブだからカウントされて然るべきでしょ」
「お前が一方的にそう思ってるだけだ」
という断定の元、ライカもカードを受け取る。
しかしそれ以上暴力に訴えるようなことはせず、涙ながらに嶺児は見送った。一体この男の情緒はどういう塩梅になっているのか。
「て言うか、良いの? 部費でしょ、ぶっちゃけ」
「……まぁ、後で実費は和矢先輩に請求するけど」
なんとなしに問う歩夢に、真月は軽く咳を交えて答えた。
「とりあえず取材費と交際費として予算にねじ込むから」
「うわ、シャカイの闇ー」
〜〜〜
初手から面食らうことはあったにしても。
内装それ自体は、清潔感のある、洗練された校内には違いなかった。三階層をぶち抜く吹き抜けのホールは、まるで商業施設のようではあったが、テーマパークのごとき南洋のそれと較べればまだ学び舎の体裁を整えている。
もっとも、多くの教室が競うがごとく出し物の作成に専念しているので、ふだんの様子があまり想像しがたいというのもあったが。
「……まあ、金の亡者、て面もあるし、学費も高いし、あたしもどうかと思うけどね。それでも、
まだゲートでのネガティブなイメージが払拭しきれず疑心暗鬼になっている一同を顧みながら、真月は言った。
「MITとかの海外受験も資格取りも、下手な塾通うよりしっかりサポートしてるし、留学ビザ取りも手配してくれる。必修科目以外の特別講義も見られる……フィールドワークはさすがに南洋に負けるけど、でも剣ノ杜に限って言えば、帝王学で官僚コース一直線の東棟よりかは自由度も高い。図書館も講義も、本棟の生徒も利用できるしね。いろんな習い事で金ばら撒くより、ここで一本化する方が安く上がると思う」
「カネさえ積めば、か?」
鳴が皮肉げな笑みを称えた。
ちなみに歩夢が思い浮かべた言葉は『地獄の沙汰も金次第』である。
「でも、チャンスは平等よ」
一応取材という名目からか、ぶら下げたカメラで学園祭の準備の様子を撮影しながら、真月は言った。
「奨学金は在学中は全額負担。卒業までに返済できれば良いし、今回の学祭でも、受賞できたクラスや部活はその一部を免除される」
なるほど、と鳴が頷いた。
「毎度の異様な士気の高さは、そういうワケか」
「で、あそこの相談所で各銀行から融資が受けられる。十万単位からスタートで」
「すまん、ちょっとは真っ当な理屈と思ったあたしがバカだった」
真月の指差す先、相談所なるどう見ても金融ローンの窓口にしか見えない浮いたスペースには、それでも長蛇の列が並んでいる。
おそらくは出し物の資本金を求めてのことなのだろうが、文部科学省に真正面から喧嘩を売るが如き制度と、高校生らしからぬ金額の桁と、そしてそれが当たり前に受け入れられている現実に、歩夢たちは開いた口が塞がらなかった。
常識的に振る舞う分、南洋より狂気じみていると歩夢は思った。
「『レギオン』関係なしに、卒業までに何十人か原因不明の失踪してそう」
という歩夢の独語に、ライカとレンリが無言で、かつ実感の多分に籠った首肯を返した。
「校舎見学に来たわけじゃないんだから、ガイダンスはここまで。あとは『彼女』にお任せするから」
と真月が促した先、そこには購買として併設された成城石井があり、そしてその入り口の横に、すらりとした女子生徒が立っている。
濃い紅のケープを羽織った彼女の佇まいは、ここまでに披露させられた、良くも悪くも貪欲な棟の雰囲気とは真逆の、気品に満ち、俗世離れした儚さがあった。
「はじめまして。私は、多治比朔。和矢の身内です」
柔らかい口調とともに、多治比家の長女は手を差し伸ばした。
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(11)
多治比朔。多治比家の長女。
今まで見て来た中で、もっとも最上級生らしい三年生だ。
「あ、そこ段差あるから、気を付けてね」
細やかな気配りも出来、慈しみを向けることはあっても下級生を見下すことはせず、また不必要に偉ぶることをしない。
「……歩夢も、こんな母親や姉がいたら、少なくとも他人の痛みが分かる人間にはなれたのにな」
「え、なんでわたし手遅れになったヴィランみたいな述懐されてんの」
「育児放棄しないでください、『お母さん』」
「お前の面倒見るのだけでも手いっぱいなんだよ、イノちゃん」
「だっから何でお前らオブラートに包まないの!? ノーガードで殴り合うの!?」
割とブラックなことをしみじみと呟く鳴が引率するかたちで、朔の先導のもとに歩夢らは、最寄りのエレベーターに乗る。
武器の飛び出す鍵や装置より、こういう現実寄りの文明度に妙に感心してしまう歩夢だった。
五人と一羽が同乗すると、中は僅かながらに窮屈と思える程度の面積だった。
そんな中で無言が続くと、痛ましい空気でも流れようものだが、話題の種が無いわけがなかった。
「きーちゃ、衣更のこと、ごめんなさいね」
と、朔は姉として妹の襲撃を詫びた。
「私たちも、あの娘がどうしてあぁなってしまったのか、分からない。和矢はたぶん、見当をつけていて、だからこそ貴方たちに会おうと考えたんだろうけど……そもそも、あのライカくんと交流があったなんて、まったく知らなかったし。今回だって自分一人でやろうとしたのを知った私が、無理言って案内役を申し出たし」
名を挙げられたライカは、溜息をこぼし、
「アイツのキツネぶりも筋金入りだな」
と言った。
それから剣呑な目線で
「カズヤが、何らかの目的のもとにキサラをおかしくした、とは考えないか」
最上階のボタンを押した朔へと切り込んで言った。
朔は首を振った。感情的な所作ではなく、あくまで理性的に。
「あいつ、きーちゃんが突然あぁなっちゃった時、人目を忍んで何か言い争いしてたんだけどね、あの時、あの和矢が目に見えて動揺してて、悲しそうで……飛び出したあの娘のために、何日も探し歩いて倒れそうになるぐらいだったんだ」
まるで面識のない歩夢にはピンと来ないし話にもついていけないが、どうやらそれは彼を知る者にとっては意外な行動だったらしい。ライカは少なくとも、戸惑っていた。
「にしても、呼び捨てなんだ、
歩夢はふと引っ掛かったところを、率直に口に出した。
「て言うか弟? ん、そもそも同じ三年ってことは」
「養子なんですよ、多治比和矢は」
歩夢の素朴な疑問に答えたのは、士羽だった。
「社会奉仕の一環だとかで、多治比家は一代に一人、孤児を養育することが習わしだとか。もっとも、その孤児は汚れ仕事専門の構成員とするべく幼い頃から訓練を受けさせられる、なんて荒唐無稽な噂も立っていますが」
朔は肯定も否定もせず、無言のまま聞き流した。
「でも、だからだよ」
歩夢の足下で、レンリがポツリと零した。
「血のつながりがないからこそ、あいつは家族のまとまりを大事にした……いや、輪の外にいる自分一人が、家族にしがみつこうと必死だった」
思いがけない存在が漏らした所感に、一同の視線が集まる。
それに気付いたレンリは、
「いや、悪い。地元に似たやつがいるって話」
と言い足した。
もちろんその似た誰かは、彼の
「もっとも、こっちは末っ子だったけどな。姉たちの、特に三女の顔色を常に窺ってるような子だったよ。俺のラボにも、よく遊びに来ていて、それで……いや、うん。まぁ俺とも仲良くしてくれたんだ」
誰にともなくそう呟いたレンリは、その彼に含むところがあるのか。細めた目の碧には、どこか苦いものが混じっていた。
「……和矢も、それに近いのかも」
意外なことに、一番にそれに反応したのは、朔だった。
「私とあいつが逢ったのは、忘れもしない、八年前の雪の日。でも不思議と寒くなかった日。初めて見た時、あいつ泣いてたの。初対面の相手に怯えて癇癪を起こすんじゃなく、ただ頬に涙を伝わせた。でも和矢が涙を見せたのはそれっきり。あの日の落涙の理由を知りたくて、ずっとその姿を追い続けた。けれどもいつも笑って、明るく笑って、みんなのために身を削って……でも、いつもどこ寂しそうだった」
穏やかだった彼女の周りの空気が、徐々に怪しくなっている。
心地よいはずだった沈黙の間が、刺々しいものに移る。
すでにエレベーターは止まって開いている。
「あの、着いたみたいすけど」
朔は反応しない。何のボタンを押すでもなく、自然一度は目的の最上階に着いたエレベーターは平易なアナウンスとともに下へと下がっていく。
二階で一度停まった。どうやら下に降りたのは、そこで学園祭の準備道具を持った生徒が利用しようとしていたかららしい。
和気藹々と友人たち同士で談笑しながら同乗しようとしてきた彼らは、その人数の多さに戸惑い、
「なんでッッッ!?」
……声を荒げ壁に拳を叩きつける、多治比朔の形相に気圧されて退散する。
もちろん、中にいた歩夢たちも例に漏れず肩をビクリとさせた。
「ぴゃっ」
ライカに至っては可愛い悲鳴まで漏れた。それを恥じるように真っ赤になって俯いてしまった。
外にいた生徒らが去り際、
「やっべぇ、朔先輩だよ」
「また劇場始まってるっぽかった?」
「うん……」
「スイッチ切れるまで近づかないほうがいいな」
と呟いたのを見て、歩夢は言葉にできない何某かを悟った。
「なんで何も打ち明けてくれない、どうして何でも一人でやろうとする!? 話してくれないと、私はどうにもしてあげられない! 尽くすだけ尽くして、一方的に与えられても私、返せるものなんて何もないよ!?」
……おそらく、訴え自体は真っ当な感情と道理だろうし、それを吐き出す彼女も本心からそう言ってるし、真面目で善良な人物なのだろう。
だが、なんだろうか。
この共感性羞恥とそれを上回る圧倒的な恐怖感は。
ドアが再び閉まり、上がるでも下がるでもない停滞した閉所と沈黙が、それらの感情を倍加させる。
「お兄さんのこと、好……大切なんだね……」
所々詰まらせつつも何とか言った歩夢に、知れず目元に浮いていた涙を拭いながら、
「うん……好き……辛いぐらいに……」
と告白した。
「あ、そうですか。頑張ってください。応援してます」
「あのアユムが空気を読んでかつ他人に敬語と社交辞令を!?」
「でも片手剣ばりのバックステップを連続させるのをやめような。壁向けバグとか発生しないから」
〜〜〜
地獄のごとき時間は、意外にもあっさりと終わった。
ボタンを操作せずに上昇したエレベーターは本来の目的であった最上階に到達した。
ドアの開いた瞬間、空中庭園になっていた外から陽が差し込み、
「あ、戻ってきた戻ってきた」
と、それを逆光にした女子高生が嘆息まじりに出迎えた。
「お前は……多治比三竹」
「その節はご指導いただきどうもありがとうございました、的場センパイ?」
ブランド品らしい小物を身につけた瀟洒な彼女の名を鳴は呼び、その少女は多分に含むところのあるニュアンスで応じる。
澤城灘捜索の折、別働隊として彼女たちが衝突したことは歩夢も知っている。
そしてこの女子が同学年生ながらも多治比らしく利己的に、『旧北棟』などから搾取をする死の商人であることも。
小悪魔的に、かつ値踏みするようにその他大勢を見回した三竹は、最後に自身の姉を認め、
「あ、朔姉さんってばまーた爆発させたんですか。んもー、ホント泣き虫」
「ちょっ……やめて、恥ずかしい」
と妹らしい振る舞いでからかい、姉を赤面させた。
「……いや、泣き虫とかそういうレベルじゃなかっただろ……」
とライカがぼやくような、先に見せた暴発を考えなければ仲睦まじい姉妹の一場面ではあった。
「というかあなた、学祭の準備は良いの?」
「ほとんど準備は済ませてますよ。それに今は、せっかくのビジネスチャンスですから」
と曰いつつ、三竹は天を仰いだ。
「そもそも、この人がヒトが表に出てきたって時点で、レアにも程がある」
彼女の視線を追えば、給水塔の上に、腰掛ける少年がいる。
学生服のブレザーをフードパーカーでカジュアルに彩り、茶髪を束ねた上級生。
「別に珍しいことなんてないよ。この景色、好きだからわりと良く来るし」
彼はニュートラルな調子でそう言うと、振り返った。
確かに養子と言うだけあって、顔のパーツは三姉妹いずれとも似ない。
ただそれ以上に、歩夢は彼に違和感……否、異物感のようなものを嗅ぎ取った。
外見から来るものではない。曖昧ながらも今日に至るまでに、時々で憶えのあるもの。隔絶と、孤独。
「分かります。負け犬どもが足下で必死にあがくせせこましさが眺めていて楽しいですよねー」
「いや、別にそんなことは思ってないよ……」
「そんなことを常日頃からシラフで考えてる女子高生とか、めっちゃイヤだな……」
和矢は末妹の過激な発言に半ば呆れ、かつ辟易していた様子だったが、顧みた彼の瞳は、別のモノを捉えている。
「ここは、西棟で唯一、金の臭いを風が飛ばしてくれる場所――そう、言ってたんだよね。アンタが」
と、カラスに向けて。
「……まさか、お前……」
頭部を反らしたレンリの総身は、氷像のごとく固まり、声と瞳だけが、激しく揺れていた。
「やぁどうも、
彼の前に降り立った多治比和矢なる少年は、聞き間違え、聞き逃しなど決して許さない確かな語調で、世界からの外れ者にそう言葉を投げかけたのだった。
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(12)
最初に、給水塔に上げられたのは、レンリだけだった。
多治比和矢と一人と一羽。並んで座っているのを、テーブルを挟んで少女たちが見つめている。少女のくくりの中に、ライカも含まれてはいたが、あまりの溶け込みよう馴染みっぷりに、異性という意識は持たれてはいなかった。本人は不服そうではあったが。
彼らは未だ何を話すでもなく、沈黙の時間を送っているようだった。
「秘密主義者どもが、仲良く頭並べてなにやってんだか」
「秘密主義者どもだからこそ、腹の探り合いなんじゃないですか」
その机上に広げられた、朔による手製のビスケットやシードケーキなどをつまみながら鳴と三竹は好き放題に言う。
「けど羨ましいな……私には、何も言ってくれないのに」
穏やかに苦笑する朔はしかし、自らの握り拳に際限ない負荷をかけているのが、傍目から見ても分かった。
「朔姉さんは重すぎるから、いちいち言いにくいんじゃないですか」
「重い? どこが?? 何が?? あいつが直に言ってたの?? 教えて?? 直すから」
「……とりあえずそーやってクエスチョンマーク連発するところですかね……」
姉から無自覚に発せられる重力には、妹でさえ辟易するらしい。
軽く引いた様子の三竹を見遣りつつ、ライカが
「まぁでも、これで知りたかったアニキの素性は何となく分かったじゃないか」
とフォローを入れる。
人生の因果から片足分程度は抜け出せた異国の少年は、あるいはこの場の誰よりも、落ち着いて真実を受け止めているのかもしれない。
「……でも、それが和矢にとっての救いになるのかな」
儚げな視線を給水塔に送りつつ、朔は嘆息する。
確かに、自身の正体はこれより先んじてカミングアウトできたはずだ。レンリとは再会出来ていたはずだ。
だが今までそれを、してこなかった。
その事実は彼の周囲への不信感と警戒心の表れであり、あえて今回その禁を水から破ったのは、情に絆されたということではなく、現状がそれを許さなくなるほど悪化しているということに他ならないのだろう。
あの上級生に上滑りする笑みやその内に潜む陰影は、そうした心境に起因するものか。
では逆に、レンリはどうか。
全てが滅んだ世界。自分以外の誰も彼もが殺し尽くされた世界。皆殺しにしてしまった。
そんな中で、『同郷』に出会った。痛みを共有できる人間との再会。
それは果たして、彼にとっては救いなのか。
いや、それはむしろ……
そう、思いめぐらす歩夢の頬に、鳴の指が無遠慮に刺さった。
「ぬあぁ」
口腔より、溜めた酸素とともに奇声が押し出された。
何をするんだと目で訴える彼女に、不遜な上級生はビスケットを摘みつつ、
「別に、そこに膨れた頬があったから」
と悪びれずに言う。
「ほっぺたアルピニスト宣言」
と訳の分からない返しとともにそっぽを向く歩夢の前に、回り込んで来たのは朔だった。
「……似た者同士だね、私たち」
控えめな笑いと共に同意と共感を求める。
やめてくれ あんたみたいに 重くない
かけられる圧を受け止めるべく、表情を変えないまま黙認する歩夢ではあったが、平らな胸の裏では拒絶の一句を落とすのだった。
~~~
聞きたいこと、かつて、そして現状問わねばならぬこと。数多くあるはずだった。
だが一気に吹きこぼれたそれが心の入口で渋滞を起こして、同時に出かかっては互いに争い、そして引っ込む。
そうした無意味な煩悶を反復しつつ、次第にレンリの動揺は収まり、
「……いつから、ここに来た?」
順序を整理して端緒から問う。
「八年前。そう朔は言わなかったかな」
八年。尋常ならざる鬼手で時空間を転移させた反動による、時間軸のズレ。本人の口からあらためて聞けば、重く遠い時間だった。
それでも、
「生きてて良」
「生きてて良かった、なんて言うつもりじゃないよね。
他の誰でもない、世界を滅ぼした男が。
「一人だけ命を助けてやったことに、感謝しろって?」
「――そんな資格は、俺にはない」
その事実を認めつつ答えるレンリに、
「良かった」
と多治比和矢はかつての面影を残す笑みを傾けた。
「もしンなふざけたことを抜かすつもりだったら、自分を抑えられる自信がなかったからさ」
レンリは答えなかった。答えられなかった。言及さえも、許されない十字架を、自分は背負っているのだから。
「けど、納得はしたよ」
だから代わり、首を歩夢達の方角に背け、話題を転じる。
「ライカ・ステイレットが俺の『リベリオン』や『ユニオン・ユニット』を所持していた理由も、そもそも犠牲者第一号だった彼が、今日にいたるまで生き延びた訳もな」
「あぁ、嫌でも覚えていたさ……あの夜、目の前で人が圧し潰された光景なんて、そうそう忘れられるもんじゃない」
「……だが、まだ現状に謎は残っている。多治比衣更、お前の姉妹についてだ。いったい何が彼女に起こってる?」
「それ、本気で言ってる?」
笑みを揶揄と軽蔑の
「あんたは、気づいてるもんだと思ってた」
そして立ち上がり、レンリの背後に回り込む。金縛りに遭ったかのように矮躯を強張らせるカラスの頭を掌で上から抑えつけ、その耳元にあたる部位に呪言のごとく囁きかける。
「多治比衣更が面識のないはずの足利歩夢に尋常じゃない殺意を傾ける動機。澤城灘が『ユニオン』を携え、深潼汀との決着に執心した訳……あんたには、ただ一つしか思い浮かばないはずだ」
分かっている。分かろうとしている。だが分かるがゆえに、飲み込むことが許容できない。
腸が裂かれると知って刃を腹に収める者など居はしない。
「そんなの、そんなのあまりに救いが無さすぎるだろう……ッ」
道化の衣の内で悲痛に嘆くレンリから少し離れた辺りで、和矢は立ち止まった。
「救いなんて求めない。許しも乞わない」
と自らに言い聞かせるように呟いて。
「でも彼女は救いたい。そのためならおれは何でも利用する。この八年、そう生きてきた……たとえそれが、どんな度し難いクソ野郎でもな――あんたとは今更語ることなんてないけど、それだけ伝えておきたかった」
そう吐き捨てた一瞬後には、好青年然として朗らかな笑みを浮かべ、足下の妹たちへと手を振りながら話が終わったことを伝え、皆で寄り集まったのを見計らってから、本題を切り出したのだった。
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(13)
「『ハイレギオン』」
関係者の目の集まる中、多治比和矢はおもむろにその言葉を口にした。
その前後に何かしらの前置きがあったような気もするが、憶えのあるようで微妙に聞き慣れないワードを、皆飲み込めずにいた。
「ん、なに。自我を持った高等のレギオンだから、ハイレギオン。シンプルが一番だよ」
つまりは、今の次妹の状態を便宜上そう呼ぶことにしたらしい。
「とは言っても、おれもそんなに多くを知ってるわけじゃない。彼女や澤城灘と接触した時に断片的な情報を掴んだってだけでね」
と、真実にもっとも近いであろう少年は謙遜を交えて言った。
「そこまでは察してると思うけど、そもそもの原因は、体内の『上帝剣』由来の因子の暴走。でも、彼らは発狂したとか、全くの別人格に取り憑かれたってわけじゃない」
「……じゃあ、何だって言うんだ」
ライカの問いに、掌を首筋に沿わせつつ、和也は答える。
「強いて言うなら、外付の
「記憶って、誰の」
「さぁ、それはまちまちじゃない? 自分の中の因子にもよるんだから」
嘘は言ってないだろうが重要なことから話を逸らしてもいる。
「どうすれば戻せる?」
それを言及する前に、まるで示し合わせたかのようにレンリが前に進み出て尋ねた。
「君らも見ただろ? あのドッグタグみたいな鍵。あれがそのHD本体だ。あれに過剰な負荷をかけるか、もしくは時間経過と共に摩滅すれば、いずれは元に戻る……それと同時に、外付けの記憶も消滅するけどね」
そのカラスを無視して、その頭越しに和矢は答えた。
士羽は、そこについて彼が嘘を言っていないことを知っている。
澤城灘戦の後、触れようとしたあの
もっとも、何故灘は衣更のように変身しなかったのかは謎だ。
すでに時間経過で限界に来ていたのか、あるいは付与された記憶そのものが、彼に化け物にすることを拒ませたのか。
「だったら、事は単純じゃない」
と歩夢は言った。
「妹さんと戦って、ブッ飛ばせば良い。汀が澤城君にそうしたみたく」
「さすがァ、理解が早くて助かるね」
さすが、と褒めつつどことなく棘がある言い回しだった。
「……良いんだな、和矢?
レンリは奇妙な念押しを旧友に向かって投げた。
「……問題は、その戦う場だ」
またもレンリを無視して、和矢は話を振る。
「彼女は一度襲撃に失敗している。まして、今こうしておれが君らと接触していることにも気づいているはずだ。ただ追跡や待ち伏せをしていても、気取られ、さらなる警戒を招くだけだ」
「あの娘、昔から人見知りだから」
「いや。姉さん、そういうハナシじゃないんで」
ズレたことを言ってお茶を濁す朔をさておいて、
「どのみち元には戻るんだろ? ほっといて時間切れを待つってのはどうなんだ」
そう鳴が意見した。
「あの状態の衣更姉さんを長々と放置してるわけにはいかないでしょ。多治比の沽券に係る。ましてや、学祭前だってのに」
「彼女は多分、その学祭で確実に仕掛けてくるよ」
おもむろにそう言った和矢に、また視線が集まった。
「根拠は?」
士羽が問う。
「それは彼女にとって……と言うより、この学園にとっての始まりが学祭、と言うより『翔夜祭』にあるからさ」
と、具体性には欠ける返しをした。
「その夜の前に、彼女は足利さんやそのカラスを狙ってくる。時と場所がある程度定まっているなら、確保はカンタンでしょ」
「いやいや、和兄さん、いやいや」
そこに待ったをかけたのは、三竹だった。
「ヒトもカネも大量に動くんですよ? そんな中で、あのキサ姉さん相手の戦闘スペースを確保するのは」
「大丈夫だよ。ライカの報告信じるなら、戦闘になればあっちが空間切り離してくるらしいし。それに多少のアクシデントもエンターテイメントに換えるのが、一流のプロモーターってもんでしょうよ」
「もうちょっと良い作戦立てられないんですか」
「ムリ。だって凡人だもの。無い知恵絞って必死に考えたのが、それ。嫌なら対案出して頂戴よ」
そんな身勝手な物言いとともに、和矢は皆の合間をすり抜けて去っていく。
「じゃあまぁ、あとは細かい打ち合わせをみんなでしておいてね」
などと手を振る彼の背に、維ノ里士羽は尖らせた目を向け続けていた。
〜〜〜
多治比和矢はエレベーターを使わず、非常用の階段を足を使って降りていく。
頃合いを見て、踊り場で足を止めた。
「怖いなァ」
声を伸ばして頭上を顧みる。
「そんな睨まれると、ビビり切って君が訊きたいことも訊けなくなっちゃうよ? ……維ノ里さん」
名を挙げられた彼女は、死角にて様子を窺っていた無意味さを悟り、身を彼の視線の前に晒した。
「っていうか、盗聴器とか仕込んでないよね? うわ、怖」
などとわざとらしくフードをまさぐる彼を無視して、少女は冷視を続けた。
「まるで追ってくることが分かってたかのような口ぶりですね」
「君には質問がわんさかあるだろうからね。今のことも、これからのことも」
「貴方が、徹底して私を避けていましたからね」
「……負い目があるからね、君には一応」
「負い目?」
ピエロじみた所作を停めた和矢は、だが士羽の方角へ身体を向けないままに言った。
「ストロングホールダーの技術を多治比に流出させたのは、おれだよ。と言っても、君からパクったわけじゃなく、おれの世界の技術をリークしただけだけど」
そのカミングアウトは、士羽にとっては思いがけない方面から殴りつけられたに等しかっただろう。目を見開き、靴底で激しく床を叩いた彼女は、
「なぜ……っ」
と声を震わせた。
「何故も何も、早い段階からそうしないと生産が追いつかないからさ。その一点については征地絵草は正しいよ」
「だがそのせいで格差が生まれた。学園が貴方がた多治比の都合の良い、搾取の場となった」
「いや、いずれはバレてたよ。もっと酷く、多くのことが手遅れになった状態でね。それにおれが主導したからこそ、色々と融通も利かせられた」
「見てきたようなことを……と言いたいところですが、見てきたのでしょうね。実際に」
士羽はため息とともに、自分が引き篭もるきっかけとなった事案に対して色々と飲み下したようだった。
「多治比和矢。それでも貴方は自分の出自を含め、多くのことを秘匿してきた」
「言ったところで信じてもらえないし、受け入れられるはずがない。真の敵にも、おれの存在が気取られる」
「混乱を承知で、打ち明けられたこともあったでしょうに。……それこそ、あのカラスの正体も知っていたはずだ」
和矢は笑い声を軽く漏らして、手の甲で口元を押さえた。
その仕草が、女隠者のプライドをいたく害したようだった。
「……どうやら、私の疑問や探究心というのは多くの人間にとって滑稽なのでしょうね……絵草にも笑われた」
それは、笑うだろう。絵草が事実に気づいたが故に消息を絶ったのであれば、士羽がレンリの素性を探るという行為など、笑わざるを得なかっただろう。
「だって君は、アレの正体に気づいているはずでしょ」
目をすがめ、少年は言った。
「君は意固地で気難しく、エゴイズムの権化であることを除けば聡明な娘だ。にも関わらず君はアレに対してだけは魯鈍に足踏みをしている。自分でもおかしいと思わない?」
「……何を、言っている」
「そして君は恐れているのは目先の真実じゃない。それが明らかになった時、そこに連なるもう一つの結論だ。だから君はさもそれに執着しているようにポーズを取りつつ、そこから先に進むことを無意識のうちに拒んでいる」
それこそ『知った風な口を』と言いたげに士羽は睨みつけてくる。その碧眼を和矢は静かに、だが烈しく悪む。
「――本当に、そっくりだよ。あんたらは」
彼女の足下に伸びる黒い影を見つめつつ、嘆息をこぼす。
「けどまぁ良いだろう。そんなに真実とやらが気になるってんならさ、明確に答えてやろうじゃないの。ただし、衣更の件を片付けた後だけど」
そう言いながら、和矢はある金属片を投げつけた。
無言のうちに士羽が受けとったのは、ストロングホールダーも『ユニット・キー』も関係ない、盗聴器。ただし、盗み取る側ではなく、傍受する側の機材だった。
「せいぜい覚悟を決めなよ。ここまで自分が築き上げてきた全てを否定する覚悟をさ」
それに揺らぐ視線を落とす少女に、まるで毒林檎を勧める魔女の如き表情と声音で、異邦人は宣告したのだった。
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(14)
時変われば、色も変わる。
昨日まで学園祭の準備もしてきた。その時点ですでに、準備自体はほぼ出来上がっていた。
しかし実際に開催となって、人が入ると勝手が違う。
普段は決して入ることのない一般の来客。その期待と好奇に満ちた顔つきは、校内それ自体をも鮮やかなものにする。
そしてそれを迎える側も同じだ。
衣装合わせはしてきたが、実際に客の前でそれに袖を通せば、気の入りようもまた違ってくる。
あからさまにウケを狙ったもの。あるいはここぞとばかりに自身のプロポーションや容姿を個性的かつ扇状的な衣装で披露する女子。そしてどちらかといえば、歩夢は後者に位置していた。
彼女のそれは、あえて言うなればアイドル衣装に近い。
紫とピンクを組み合わせた、フリルのついた丈の短いスカートで唯一無二の長所である客船美を強調。逆に上半身の露出は抑えて清楚さもアピール。
そんな彼女に誘われ、いざ教室に入ってみれば……
「はーい、楽しい輪投げゲームだよ。あそこのトイレットペーパーの芯に100均で買ってきた輪っかが引っかけられれば、常温のオレンジジュースの紙パックをゲットだ」
「売り子の見てくれはいいのに内容物がゴミ!」
ライカは思わず声をあげた。
彼も彼とて手製のファンシーな衣装に身を包んでこそいるものの、文化交流として意義のある展示物や催しをしているからこそ、その侘しさが際立つ。
「いや、なんでオマエらのクラス、こんなことになってんだ……」
「この衣装で予算の大半を使っちゃってさ。オマケに西の連中の買い占めが酷いのなんのって。気付いた時にはちゃんと企画決まる前に一帯資材とか売り切れだったんだよね」
「料理マンガの敵キャラの妨害かよ」
だがそれで、ここの異様な士気の低さと、クラス委員らしき男子が片隅で頭を抱えて椅子に座り込んでいる光景にも納得はいく。
「……そういう状況なら、今抜け出せるよな?」
「デートのお誘いか」
「抜かせバカ……初日からキサラが襲ってこないとも限らないだろ。一応、囮捜査と見回りだ」
「良いけど、ついでに見てく? あんたの相棒とこの出し物」
「……様子でも見ておくか。メ・イの! クラスのな」
決して嶺児の頑張りを見に行くためではない。そう己に言い聞かせつつ、ライカは言った。
「というわけで、ちょっと宣伝行ってくるよ、いんちょー」
「……何がというわけなんだか分からないけど、良いよ……どうでも」
「まぁそう気を落とさず」
宥めつつ、華麗なアイドルターンと共にスカートの裾を翻した歩夢に、
「変わったな、君」
とその男子は声をかけた。
「前だったら、そんな気休め絶対言わなかったろ」
「それ、嫌味?」
「いや、素直に社会性の成長に感心してるんだよ」
振り返った歩夢に、ほろ苦く笑って彼は続けた。
「相変わらず変人のナルシストで、クラスのどのグループともつるまないけど、そうだな……なんというか、壁が無くなったよ」
ライカにとっては、歩夢とはこのクラス委員と比較すれば濃くも短い付き合いだ。だが彼の言わんとしていることはその中でなんとなく汲み取れる。
ちょうど自分たちとの戦いの間に、彼女の心境は変わったように思える。
「別に、大したことじゃないよ」
そんな己の変化に対し、無自覚でも謙遜するでもなく、淡々と歩夢は言った。
「身近で施し護ってるつもりのくせに、変わらなきゃ分からないヤツがいる。言葉を多くしなけりゃ拒絶したままのヤツがいる。こっちから歩み寄らなければ、助けられないヤツがいる」
恐らくそれは。
そこまでの決意を固めさせた気持ちは。
「……行くぞ」
あえてそこには触れず、少し表情を緩めながらライカは下級生に少女を促した。
〜〜〜
「おー」
ダンボール製の看板を小脇に抱えつつ、中庭に出てきた歩夢は、鳴のクラスの出し物の盛況ぶりに感嘆を発した。
軽く見て回った程度ではあるが、ここまで見た中で本棟中ではかなりの善戦と言えるだろう。
その屋台そばの幟には『オリエンタルラーメン』の力強い文字。
はてと歩夢は小首を傾げる。ラーメンなのにオリエンタルとはこれいかに。
「お、キタキタ来たー!」
と屈託ない笑顔でキッチンから出迎えたのは、件の見晴嶺児である。
(うわバンダナ巻いてるよ。うわ黒シャツだよ。うわ文字入れてるよ)
これで腕組みでもしようものなら、ステレオタイプの『意識高い系ラーメン屋店長』である。
ただでさえイカツイ男が体育会系ファッションにコーディネートされれば迫力満点。この格好で場所の交渉に赴けば、当然良い立地や材料を譲ってもらえたことだろう。
「ライカさーん、可愛かっこいいよー! と、足利ちゃん。どもども、調子はどうよ」
「……お前の方は、やっぱり芸もなく家業のラーメン屋ってわけか」
相棒の素性を皮肉混じりに言うウサ耳少年に、嶺児は得意げに胸を逸らし、
「ふふふ、実はオレ監修の完全新作よ? まぁ論よりショウコってなわけで、食ってみてちょうだい!」
そう意気込みつつ差し出されたのは、紙の容器に注がれた白く泡立つスープ。その上にクルトンが乗り、パセリが散らされ、チャーシューは鶏。
「オマエ、作り置きかよ」
「違うって、さっき上の廊下通ってくライカさんのウサ耳見えたからさー、時間見て準備してたんだって」
「いやナチュラルにキモいな」
といういつもの応酬はさておき、麺類に一家言あると自負する歩夢は看板を適当な場所に置いて割箸を手に一口すする。
予想外の味に少し面食らったものの、まろやかに仕上がっていて抵抗なく箸が進む。
ライカも追従して口にしたが、脊髄反射的に不平や揶揄が飛ばない辺り、相当に気に入った味だと思われる。
「……スープはコーンか」
味の良し悪しについては明言を避け、ライカは素材を当てに行った。
「ちょっと惜しい」
嶺児は嬉しそうに言ったのが、歩夢にも意外だった。彼女もまた、トウモロコシの味を舌先に感じていたのだが。
「トウモロコシはトウモロコシでも、芯からダシとってんだよね、それ」
「芯?」
「そ。最初はコーンチャーハン出そうって話になってたんだけどさ。その芯を捨てるの勿体無いじゃん? で、牛乳とかと混ぜてポタージュ風のスープにしたってわけよ。そしたらそっちのがウケて、ご覧の通り! いやここまで来るのにすげー苦労したよ」
なるほど、と歩夢は相槌を打つ。
そこからあえて自らの得意分野であろうラーメンに転用するという、その発想のインパクトもさることながら、基本はしっかりしているので安定した美味しさで楽しめる。
ラーメンとは認め難くはあるものの、
(クリームパスタ的な)
なんとも言えないコクがある。
洋の東西を合体させたからこそのオリエンタル、なのだろう。ネーミングセンスはアレだが。
本人が嘯く通り、それを目玉商品にするために並々ならぬ注力があったのだろう。その労苦、察するに余りある会心の出来だった。
それを噛み締めて歩夢は、比率としては男性が多めの来客を見回し、店頭と、その奥にいる店員を認め、そして彼女をおもむろに指差した。
「でも決め手
「あ、やっぱり!?」
歩夢の示す先にはチーパオ……いわゆるチャイナドレスを死んだ目で着こなす的場鳴の姿があったとさ。
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(15)
屋台の前を、様々な格好に扮した生徒たちが通り過ぎていく。
元より、東西折衷をコンセプトにした飲食ブースというだけあって、適当な民族衣装をまとった店員が行き交うのに加え、冷やかしや昼休憩、あるいはそれに視察を兼ねたレイヤーたちも入り乱れており、一帯は混沌とした様相となっている。
……もっとも、一頭身のカラスなどは、レンリよりほか誰もいないが。
「そんな辛気臭いカオで座り込むな。ついうっかり蹴りそうになるし、蹴りたくもなる」
隣に拠ってそんな物騒な苦言を呈したのは、チャイナ服の的場鳴だった。
いや、伝統的な意匠と呼ぶにはスリットがえぐいし、胸元の結び目の数も少ないし隙も多くなっている。
中にはシャツを着ているそうだが、それでもロマンを求めてやまぬ男連中が、わずかな希望にすがってその胸元を覗きこもうとしているのが覗えた。本人もそれは承知しているだろうが、馴れ切った自然体だ。
「良いだろ。どうせここにいるほとんどの人間には、俺は認識できない」
いっそのこと、許されるのなら、このまま消えてしまいたいとさえ思う。
「……学祭当日まで引きずったあげく、この格好に反応しない辺り、相当ダメージデカいらしいな、和矢先輩の件」
「……」
「ま、世界を滅ぼした以上のウソや隠し事があったところで、どーでも良いけど」
と前置きしたところで、鳴は言った。
「あいつの傍にはいてやれよ」
レンリは、屋台の骨に背を預けた。投げた碧の視線の先、見晴嶺児、ライカのコンビとラーメンの試食会をしている歩夢の姿があった。
「……悩みは、したさ」
と、鳴からの釘刺しとはズレた引っ掛かりから、答え始めた。
「お前らが俺を絵草から救った時からな。これから先、後悔も苦しみもするだろう……でも、歩夢の言葉と行動で、覚悟自体は決まっている……分かってる。俺は、最後まであいつの側に立つよ、鳴」
彼女は胸の下で腕組みしつつ嘆息した。
「どこぞの引きこもりみたく、
それに答えずにいると、
「まぁとりあえず説教はやめとくか。なんか奢ってやるからそれで気を持ち直せ」
隣の少女はそう言って気前の良さを見せる。鳴はやはり、懐の深い女なのだろう。かつても、そして今も、その器量にどれほど救われてきたことか。
あらためてそのことを噛み締めつつ、また甘えるべく、レンリは目線をその豊かな懐に向けた。
「じゃあ、ジャンボ肉まんください」
「人の胸ガン見しながら言うな」
「違います。首に角度でそう見えるだけです」
「詭弁をぬかしやがって。言っておくが、他と違って冷凍だぞ」
台所事情をぶっちゃけつつも、程なくして業務用店で大量買いしてきたと思しき、大ぶりの肉まんが紙皿に載せて渡された。
「ぢゅううううう」
「うわきっしょ、マジきっしょ!?
鳴が嫌がろうと何であろうと、
なけなしの人としての尊厳がいよいよもって根底から崩れ去ったような気もするが、それもこの多幸感とは較ぶべくもない。
「……ありがとう。お前にバブみを感じて少し、楽になった」
「あたしが受けた精神的ダメージに対してその安いお礼って、コスパ最悪だけどな」
「いやいや、決して安くはないよ」
などととぼけつつ、レンリは肉まんをクチバシで啄んで立ち上がった。
「おい、どこに行く?」
「んぐ……最終調整。和矢と打ち合わせに行ってくる……向こうは極力会いたくはなかろーがな」
巨大点心を一息に飲み下すさまは、我ながらカラスというより鵜のようだな、と考えつつ、レンリは手を振り翼を揺らし、その場を離れた。
そして、初日には結局多治比衣更は現れることなく、学園祭は二日目へと突入するのだった。
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(16)
学園祭、二日目。
一日目をつつがなく終えた『多治比衣更捜索隊』は、ついに総本山たる西棟にその範囲を広げる。
この日ばかりは阿漕な『関所』も流石にそのスイッチが切られ、本棟からの通行が容易になっている。
準備の際もかなり活気と商魂に満ちた様子だったが、熱量がまるで異なる。世界からして、入れ違ってしまったようだ。
並ぶブースは本格的なもの。本物を一から作ったとさえ想われるような衣装や出し物の精緻さ、さながら大学教授がTV番組用に用意したかのような、好奇心を刺激するようなエンタメ性に富んだ研究発表。パントマイムじみた芸当を披露する客引き。二日目ともなれば生徒たちの体力や馴れから、どうしても初日とは熱意が削げてしまうことがあるようだが、それを感じさせない活気に満ちている。
ありとあらゆる技術や創意工夫を凝らしている。本棟とはレベルが違う。確実に勝ちを、取りに来ていた。
「すごい……」
思わず歩夢も嘆を発した。
世界だ。生徒たちが生み出すあらゆる世界観、自由な視点が、来客を歓待し、金を生み出すという目的がために相諮らずして集合し、組み合わさり、一つの銀河を創り出している。
そう、そこはまるで……
「駅からちょっと離れたところにある、おっきめのイオンみたいだ……」
「歩夢! ……もっといろんなところに行って、表現力を磨こうなっ」
このボキャブラリーの貧困さは、ひとえに劣悪な家庭環境がため、社会経験の乏しさがため。
それを想えば、涙せざるをえないレンリであった。
「やれやれ、お祭りだってのを鑑みても、小うるさい人たちで」
と横合いから悪態をついていたのは、通路口で待ち受けていたらしい多治比三竹だった。
「そういうお前も、ずいぶんな浮かれようで」
皮肉を言った的場鳴も、昨日と同様に客寄せを兼ねたチャイナ服なのだが、それと対する多治比の末妹も、紺色を基調とした、軍服とも警官ともつかない、ミニスカートの腕章と制服姿だ。
「失礼な。こうして身を引き締めてるのが見て分かりません?」
と軽く彼女は憤ってから、
「皆が骨休みの時にこそ粉骨砕身。ハメを外す時こそ我が身を引き締める。これが商売の鉄則ですから。厄介ごとは愚姉のことばかりとも限りませんので」
と悩ましげに嘆く。
歩夢と同学年ということもあって、その容姿こそ可憐なものだが、愚痴めいた嘆息をするその背には物々しい護衛らしき男子が同じような意匠の腕章と制服を着て整列している。
そしてその中心で、和装をしている一人の男子生徒が組み伏せられていた。
「たとえば、前日まで何の届出もしてないのに、いざ当日になって版権物のコスプレだとか展開し出す大馬鹿者とかね……連れて行け」
「サー、イエッサー」
「俺は市松模様の半纏を着て人間対吸血鬼のミュージカルカフェを開いていただけだ! 額の痣はたまたま昨日天ぷらを揚げていた時に火傷しただけなんだ! それの何が悪い! 何を嗤う!?」
一転して声を低め、上背は自分よりも遥かに勝る男たちに命じると、男子生徒は引き摺られていった。
「炭治郎のカッコしたヤツが炭治郎みたいな声で炭治郎みたいな口調と表情で炭治郎ならまず絶対に言わない弁解しながら引きずられていく……」
「個人レベルの露店でやるならしょっ引かれる覚悟でどうぞご勝手にってなるんですけど、さすがに学校の看板背負ってる行事ではねぇ」
「で、ああ言うのはさて置くとしても、本命は?」
「もし来てたら『こんな浮かれよう』じゃ済まないことないですか?」
おそらくは意図的に。
カンに障るような物言いで、三竹は鳴に返した。
ロックピックで氷を砕くような音で、鳴のヒールが鳴った。
「一応、火の粉のかからないよう、手は打ってありますけども」
そんなことはお構いなしのどこ吹く風。他人事のようにぼやく三竹の横で、メロディが突如として鳴り始めた。
おそらく何かしらの特撮番組の挿入歌らしい、ハイテンポな音調の呼び出し音。
レンリは、一瞬自分のものから発せられたものかと思ってその身をまさぐったが、それは右向こうの、士羽の端末の音だった。
「もしもし」
と平坦な声で通話に応じた彼女は、二、三言相手と交わした後、そのまま切ってしまった。
何事かと訝る皆の前で、
「ライカ・ステイレットからでした。今、彼のいる南洋分校に、多治比衣更らしきレギオンが現れたようだ、と」
氷の女は、なんてこともないような語調で、平然と宣ったのだった。
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(17)
――多治比衣更、南洋に現れる。
その報は、その場に居合わせた一同を凍り付かせた。
活気と熱気にあふれた何も知らない周囲との温度差は、まるで夏日にガラス張りの冷凍庫にでも閉じ込められたかのようで、自分たちの異物感を強烈に覚えさせる。
「正しくは、彼女の使役していたあの車輪ですが。多治比衣更自身の姿は確認できていません」
「……だが、鳥や和矢先輩の目当ては外れたってわけだな……まぁ、そこの妹はどうか知らないがな」
士羽の補足を受けて鳴が睨んだ先、誰よりも泰然とした様子で自身の端末を弄っている、多治比三竹がいる。
「あれまぁ、失礼な言い様ですね」
と心外そうに眉をひそめつつも、その表情は、そう疑われることもすでに承知と言わんばかりの、余裕の訳知り顔。
「そもそも、なんだってライカがあっちにいる?」
「それは偶々ですよ」
フォローを入れるつまりではないのだろうが、士羽は言い添える。
「どうにも澤城灘と遊びに行く約束をしていたようだったので、見回りも兼ねて私があちらに回しました」
「お前にしちゃ気のつくことで」
と皮肉気味に褒めつつも、なお鳴の双眸からは疑惑の色は抜けてはいない。
韜晦は時間と労力の無駄と悟ったのか、小悪魔じみた赤い舌先を出して、三竹は言った。
「まぁその動きに乗らせて貰いましてね。内通者のフリして愚姉に漏らしたんですよ。『ライカ先輩と一緒に足利歩夢が南洋に来てるから、各個撃破のチャンスですよー』ってね。で、その虚報に見事ひっかかったって訳でして」
なるほど、と一同は頷いた。だが、それは彼女の言動をポジティブに捉えたゆえではなく、
(お前はクソだ)
という軽蔑の念で合致していたがゆえである。
「なんですか、そんな悪い策ですかね?」
冷たい視線の斉射を浴びても、末妹はどこ吹く風だ。むしろ、彼女らの見識の狭さを
「別に自分個人の身の安泰を図ったわけじゃないでしょ? いくら有事の際の隔離体制が整ったって、一般人も無作為に来場してる状況下でドンパチなんて正気の沙汰じゃないですってば」
「条件なら南洋だって同じだろ。あっちだって超大規模な学祭の真っ最中だ」
「あそこはまぁ、カオスというかタフというか。多少の荒事なら受け入れる度量があるじゃないですか。そこで無駄足踏ませて時間切れになればこっちの勝ち。仮に対応し切れずメチャクチャになったって……その分あっちの客がこっちに流れればもっけの幸い。ホールダーや『キー』の貸し出しで儲けられる」
なるほどこいつは、内通者を装った味方なのかもしれないが、獅子身中の虫であることには違いないだろう。
「……ま、そんなことだと思ってさ」
業深い妹を苦笑交じりに眺めつつ、和矢はスマホ片手に言った。
「すでに、追加で忠犬を送り込んどいたよ」
「忠犬だ?」
「分かるでしょ、ホラ。あのライカの犬」
表し方は酷いものだが、言わんとすることは通じはする。
なるほど見晴嶺児の抜けた図体が、この場にはない。
そしてなるほど、彼ならばライカとの連携も専守防衛も可能だ。これ以上なく適当な人選と言えるだろう。
「へぇ、ずいぶんと手際が良いですねぇ和兄」
「そう? 偶然じゃない? ただライカだけだと、あっちのお友達と仲良くお話とかできないかなーとか考えての、おれなりの配慮」
「配慮、ね。ま、そういうことにしてあげます」
「どうも、ありがとう」
言葉としては飾り気ないながら、とても高校生の兄妹の間柄とは思えない不穏な空気が醸される中、
「なんか、よく分かんないけど」
挙手と共に歩夢は口を挟んだ。
「とりあえず、こっちの学祭は安泰、てことで良いの?」
「……あぁ。南洋にしても、あの二人が粘れば、まぁそんなヒドイことにはならないって! あそこ、三竹の稼ぎ場でもあるからさ、いくらクズでも、そこが損なわれるような小細工はしないし、その程度は矜持はあると思う」
そう答えたのは、レンリだった。
こころなしか硬い声でそう言った彼に、ふぅんと相槌を打つ。
「さっきから散々な言われようじゃありません?」
張り付いたような笑顔とともに抗議する三竹を無視して、首を巡らせた歩夢は、
「じゃ、その分遊び時間空く訳だ」
と聞こえるような独り言をこぼした。
さりげんなく、だがしきりに上体と両腕を揺らし腰をひねる様は、そしてレンリを盗み見るようにしながら「ふーん」と繰り返し呟くのは、あからさまに何かを訴えんとしているようでもあり、直接それを口に出すことは憚られるがために汲み取って欲しいと願うようでもある。
そしてそんなレンリの読みはおおむね当たっていることを、背を小突く鳴の沓先が教えてくれている。
ふむ、とレンリは推察する。
まず考えられるのならば、まずお手洗い。それなりの時間、立ちっぱなしで中座を言い出すタイミングを逃し続けていた、という可能性がもっとも高い。だがそれはあまりに安直すぎる、素人考えというものだ。
ヒントとなるのは、自らの身体でアピールするその姿。歩夢は根拠皆無の自身家であるようであり、存外に自分の分は弁えている向きがある。まさか、貧相な痩躯を今更拝ませたいわけではないだろう。
となれば、答えは一つだ。
くわりと円い双眸を開眼し、親指に相当する部位の羽根を無理やりに押し立て、疑似的なサムズアップとともに、
「そのアイドル衣裳、似合ってるぞ」
と笑いかけた。
げしげしげしげし。
鳴の蹴りが「そうじゃねーよ」と言わんばかりに激しさを増す。そこに何故か士羽が緊急参戦し、さながらリンチもしくはフットサルのごとしだった。
「……わぁー、さすが歩夢ちゃん博士、ナンデモキヅイテクレルナー」
だが歩夢は半目半笑いで誉めてくれた。
「ほら、本人正解だって言ってるじゃないか」
「……陰キャに気を遣わせるレベルなのがなんかもう終わってんな、こいつ」
鳴はそうレンリを冷罵したが、そもそも陰キャとは過剰に他人の耳目に対し気を遣うがゆえに何もできない人種ではないのか。
という思考の脱線はさておき、どうにも見当が外れたことらしいことは受け止めるしかない。
だが、正答を模索するより早く、歩夢は溜息交じりに
「まぁ、たしかにそれも言ってもらいたいコトではあったんだけどさ……初見の段階で」
「……ごめんな。あの時は色々いっぱいいっぱいでさ」
「それは今もでしょ」
歩夢にあっさりと返されて、レンリはぐっと声を詰まらせた。
「許す。行ってきなよ」
彼女の求めていたことは分からずじまいだったが、おそらくは――こっちの考えは、読まれている。
「じゃ、わたしは折角だしこの
「だからイオンじゃねーってんですよ」
そう言って立ち去る少女の背は、鳴たちに囲まれていながら、どこか、寂しげなようにも見えた。
そして程なくして、その一行からいつの間にか、レンリと和矢の姿が消えていた。
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(18)
――剣ノ杜学園南洋分校。
すでに、戦闘状態に入って久しい。
突如襲来した車輪軍団をかろうじてメイン会場から引きはがし、海岸エリアさらに端へと誘導したライカと澤城灘ではあったが、気がつけば囲まれていた。
この分校に、どこからともなく突如飛来して来た
彼らを仕切るように包囲していたのは、人である。学生である。益荒男どもであった。
傲然とした面構えを並べた男たちが皆一様に腕組みしつつ彫像が如くにライカたちを孤立せしめている。
階段やブロック帯による段差も相まって、さながらコロッセオが如き様相。その玉座に相当する位置に、誰よりも驕慢に、椅子を用意して腰を据える男が居る。
黒いロングコートで包んだ、堂々たる体躯。遠くからでも獣臭が立つがごとき、圧倒的な存在感。
それこそが、南洋の王、分校長たる巌ノ王京猛だった。
「なんの真似だっ、父さん!」
睨み上げる灘に、父と呼ばれた男は嗤う。
その場にいる誰よりも不遜に、不敵に。そして肘掛けで頬杖を作りながら、口を開く。
「知れたことよ。獣と戦巧者はまず敵を見定める。新型のレギオンに貴様が如何に対処するか、教育者としてこいつらに観て学ばせ、親としてその成長を見守るのみだ。ある種、愛とも言えるだろうな」
「愛だと!? 息子を噛ませ犬にすることが、父親のすることだとでも!?」
口を挟んで怒鳴るライカを煽り立てるが如くに、なお猛はその嘲りを強めていく。
「憎悪と愛は表裏一体。執着無くして愛は生まれない……負った傷が痛むたび、俺への憎悪
ククク、と猛は喉奥を鳴らす。
無論、議を重ねる余裕は、この場にはない。だがそれを於いても、暴王の理屈を前にしてはライカは絶句せざるを得なかった。
これが、巌ノ王京猛。
南洋の、魔王。
いかなる急転に対しても揺るがぬ胆の太さ、むしろ我が子さえも己がより巨大になるための糧として差し出し、より高みを目指す狡猾さと尽きることのない上昇志向。
さしものライカも、その怪物を前にしては、勢い呑まれるしかあるまい。
その魔王の背より、突如として夥しい影が蠢いた。
猛が新兵器でも投入したのかと思ったが、そうではないらしく、やがてそれらは地響きとなってライカたちの鼓膜や肌を震わせた。
「
その正体は、人。南洋の生徒たちであった。
「俺も混ぜろ!」
「やっぱ南洋はこうでなくったあなッ!」
「ワシの『ファイアーブースター』が火を噴くぞ!」
「血が足りないわッ、流血沙汰を見せて頂戴!」
う お お お お
……と、轟声が間延びする。
それぞれのブースから抜け出して来たのだろう。気力体力願力を
お手余すほどに漲らせた若者たちが、
その数、発生した
「なんだぁっ」
と声をあげたのはその場の誰だったのか。おそらくは猛自身だったように思える。
いずれにせよ、その声ごとに彼は取り巻きごと、背後から押し寄せる人の海へと呑まれていった。
……ごしゃ、と。醜い骨の音を鳴らしながら。
「やれやれ。こうなると思ったから、秘密裏に処分したかったのに」
灘はそう言って嘆息しつつ、鋒矢を奮う。
「なぁ、オヤジさん潰れたぞ!? 良いのか!?」
「いやまぁ……ある段階までなら付き合ってあげられますけど、いちいちあの人の奇行にリアクションしてたら、身も心も保たないっていうか……」
流石に憂えるライカに、にべもなく答える灘の目は、心なしか力無く渇いていた。
とは言え、これで数の上では互角以上……
(いや、むしろ混沌としてきて厄介になったな)
なるほど数においては敵に勝るが、いかんせん多すぎる。戦力の過剰投入も良いところだ。
機動力、破壊力においてこの戦車の輪は、殺到した有象無象を超えるものだろう。
だが、さながら群がる蟻。いや、義務感ではなく嬉々として死地に我が身を捩じ込むことに熱をあげるその様は、ネットゲームのレイドボスに挑みかかる無数のユーザーのよう。
自然、車輪の数は擦り減っていくが反面、流れ弾飛び交う乱戦となった。始末に負えないのは皆、それを当てることもそれに当てられることも覚悟も承知も上のことだという点。
これでは、多治比衣更本体を探し当てることなどできないではないか。
「ったく、『ワールド・ウォーZ』かっつーの! ……次回からは、どこぞの花火大会みたく全席有料にでもするー?」
そう嘆いたのは、深潼汀だった。正統派から外れた浴衣服姿の彼女は、やや丈の短いスカートの裾を浮かばせつつ、破られた包囲の外周に在って、
「これ、イベントじゃなくてアクシデント! あと、そういう危ないネタは使わない!」
そんな幼馴染の姿に、平常時には狼狽えもしただろうが、灘も説教じみた怒号を飛ばすのもせいぜいである。
「ウオオオ」
もはや敵も味方も区別ない暴徒のひとりが、ライカと同型のホールダー片手に背後から殴りかかる。
「くっ」
こうなれば、明らかに殲滅戦、対集団に特化した灘と異なり、素の状態ではリーチの短いライカは不利だ。裏拳の風味にて繰り出した反撃は、易くかわされた。
だが、敵の不意打ちが彼に当てられることはなかった。
それよりも速く、鋭く、その男子生徒目がけて蹴りが飛んできた。
「お待たせぇ」
その長躯に見合わぬ身軽さでもって、数人飛ばしで包囲の外から、見晴嶺児がやってきた。
「……この状況下でまた厄介なヤツが」
「えぇ、そのリアクション違くない?」
互いに不平を垂れつつも、唇も、その端からこぼれる息も、心なしか軽い。
やがて、強かに飛び蹴りを喰らった強面の男子生徒が、
「なんだ、この余所者ども……俺たちの狩りの邪魔、しやがって……お呼びじゃねぇんだっ、失せやがれッ」
と、ライカたちに怒りの声を浴びせかけた。
「……はーぁ?」
応じたのは、嶺児だった。
ライカに振りまく犬じみた愛想とは一転、据わった目で未だもたげ切らない頭を見下し、やがて――その額が上を向いた瞬間、ヘッドバットを見舞った。
「がっ……てめっえ!」
「同レベルの相手と群れるしか能のねぇってのに、一丁前にいきがんなボケが」
調子こそ冷静そのものだが、凶気を帯びた声で、嶺児は鼻柱を押さえる男に痛罵を飛ばす。
だがそれでも気を萎えさせることなく、その不良はなお聴き取り不能な早口で食って掛かる。
その様子に触発され、周囲の血に飢た悪漢たちもまた、連鎖的にライカたちを取り囲む。
「――ピーチクパーチク囀ってねぇで、まとめて来いやぁッ」
その獣眼を爛々とたぎらせて吼える。構えた長柄物から、ライカは溜息交じりに『ハイランダー』の鍵を抜き取り、自身のホールダーに装填されている『リベリオン』を取り換えた。
「あぁん、ヒドイ」
狂猛さからさらに反転。シナを作って泣き言をこぼす嶺児に、
「オマエが動くと阿鼻叫喚の血の池地獄になるだろうがっ、俺がやる!」
「ライカ先輩、本当に日本語堪能ですよね……いてっ」
感心しているのか呆れているのか分からない反応を示す灘の肩に飛び乗り、跳躍、飛翔。
「山岳戦線2.85……っ!」
地上から離れる間際に、嶺児に目くばせする。
信頼の下に軽く頷いた彼は、もう一つのメイン『ユニット・キー』たる守りの『ジャンダルム』を展開した。
発生した質量を伴う雲に飛び乗り、孫悟空よろしく天へと舞い上がる。
〈ブリッツ・ハイランダー・コンビネーションチャージ〉
身体を上下逆さまに翻したライカは、『ユニオン・ユニット』を捻り、雷光を撃ち出す。
無数のブーメランとなって、めいめいの指向性のもとに、稲妻は地表へ降り注いだ。
車輪らを、暴徒どもを、狙った相手のみを、それは直撃してダウンを奪っていく。
この混然とした状況に、物理的に埒を開けたライカはそのまま着地せんとして――ライカの差し出した腕の中に、自然すっぽりと腰を落ち着かせるかたちで受け止められた。
「……おい、ふざけんな」
「あ、ごめん。やりたいじゃん、こういう時こそ」
「どういう時こそだよ!?」
と怒鳴り散らしつつ、あらためて着地。未だ各所で戦闘は続いているが、今の見た目も派手な大打撃で一部勢力は逃散し、さらにはやってきた南洋の代表、縞宮舵渡が高笑いとともに場を制圧していくのが見えた。この奇才も、にわかに畳まれ始めつつあった。
――しかしてなお問題は、多治比衣更の所在。
三竹の誘導策により、突如として南洋に来襲した『チャリオット・ハイレギオン』の末端たち。
駆逐されていくそれらを見ると、その一角が何の攻撃も受けていないというにも関わらず、前触れなく霧散していった。
まるでそれは、『役目は終えた』と言わんばかりの、あっけない消えようで……
そしてライカの脳裏に閃くものがあり、そして引いていく血の気とともに、
「アユムが、危ない」
呆然と、呟いたのだった。
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(19)
多治比衣更は、己の
変容した『鍵』と同化して異形に変じる。それがために『ユニット・キー』との同期はデバイスを介するより深いものとなり、100%に近いポテンシャルを引き出すことが可能となり、そして能力の一部を空間を跳躍させることさえ可能となった。
南洋に送り込んだ車輪を自らの手元に引き戻し、戦車の怪物は城壁がごとき西棟の屋上より大地を俯瞰する。数多の催し、展示物、それに興じる人がいるが、衣更が視るのはただ一人。
足利歩夢。
祭典を楽しんでいるのかいないのか分からないのは、遠目に望んでいるからではなく、本人の表情作りの拙さゆえだろうが、その足取りは気持ち軽めで柔らかい。
――だからこそ、彼女が憎い。
そしてその憎悪は別としても、あれは今すぐにでも死なねばならない。
澤城灘はあくまで人間として、深潼汀に挑むことを本懐としたようだったが、彼とは別の路を行く。
ここまでの過去と、残された
(あれは、死ぬべきだ。殺してしかるべきだ)
そう決意を新たに、あるいはしきりに言い聞かせるように。
ハイチャリオットレギオンは虚空にその先に居る歩夢に手を差し向ける。
狙うは奇襲による即時決着。そのための陽動。戦力を削り、残るメンバーを油断させたのは全てこの一挙がため。
己が抱く空間の中に奴を引き摺り込み、孤立し動揺の中で一息に屠る。
「死ね、足利」
呪詛と共に彼女の指先から亜空間が広がる。
ターゲット含めた余人が感知することも出来ないまま、空にドームを作り上げるように拡張を続ける。
やがて造作もなく、彼女を取り込むだろう。
……と、見込んでいたそれが、突如として停まった。
押し戻される。否、逆側から塗り潰されていく。
世界が燃える。地獄が、彼女の混沌の空間を業火で焼いていく。
まるでパネル状に区切られたモニターが一基ずつ切り替わるように、正確に規則正しく、炎天が覆い、黒き木々が植わり、死の途が敷かれる。
気が付けば逆に衣更がその世界に、校舎の狭間に呑まれていく。
そして中央にそれを為す何者かが、いる。
黒い外殻外皮、そして翼。碧の光を湛えた相貌が、名状しがたい感情を、彼女へとぶつけてきている。
カラス。レンリ。姿を変え、名を変えた男。
「お前の狙いは読めていた。彼女の下へは行かせない」
彼は衣更と同じように手を前方の中空にかざしながら、低く枯れた声音を使った。
「お前の居場所はこの『学園』で、憎むべきは俺だ」
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(20)
「三竹の策だけどさー、乗ると思う? 彼女は」
「……ありえないだろうな。妥協で済むなら
「それに多治比三竹がどれだけロクでも無いか、身をもってあの人は知ってるはずだ。十中八九、本校にいるあんたらを狙ってくる」
「来ると分かっているのなら簡単だ。オルガナイザーの修復は終わっている。俺が迎撃に行く」
「あんたに、その権利があるのかい?」
「……無いよ」
「でも、覚悟と答えは、決まっている」
〜〜〜
「お前が何者なのかは察しがつく。気持ちは、その憎しみは理解している……それでも、どうしてもこの先へ進むというなら、俺を倒してからにしろ」
人の姿を棄てた者たちが、人の棲めぬ魔界にて対峙している。
常世の事物、その痕跡が所々に見受けられる。
だが、全てそれは過去の遺物だ。幻想となってしまったモノたちでしかない。
「決めたんだ」
車輪の怪物は、少女の気配を多分に残した声で、そう問うた。
鷹揚にカラスの魔人は頷いた。
「今更だね」
多治比衣更はそのレンリが何かを反論めいたことを言わんとするのを遮るかのように、すかさず返した。
「最低だよ。あんた」
非難というよりも、憐みさえ感じさせる語調でもって。
「……それは、俺があの日からずっと、自分自身で思い続けてきたことだ」
だからこそ、彼は退かない。揺るがない。
確かにあの時自分は、選ばなかった。
そして今は誤った道に進もうとしている。
絵草の処断を乗り越え、死に殉じるのを止めて、そして歩夢の言葉を受けて、全て呑み込んでここに立っている。
「今更は、お互い様だ。あいつには、俺と違って何の罪だってないはずだ……お前が、何をしたところで……俺たちの世界は」
「それをあんたが言うな!!」
読み取れる表情など、あろうはずもない。
だがその奥底にある少女の表情は、間違いなく憤怒と悲壮に染まっていたことだろう。
焦土を踏み締め、にじり潰す異形の足裏が、それを物語っている。
「あんたには分からない! そして、澤城くんや輪王寺さんとは違う! 誰かがやらなきゃいけないんだ。たとえこの魂が一片でも残っている限り、あたし達の生きた証を、爪痕を、その轍をっ! 残さなきゃいけないんだ!」
金属質の響きを帯びた怒号を放つや、衣更はレンリへ飛びかかる。
レンリはそんな彼女を正面から受け止め、そして組み打つ。
地を削る踵から生じるは、極彩色の火花。果たしてそれは、摩擦のためか。両者の激する感情がゆえか。
創り出された運命の地で、取り残された者たちが激突する。
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