故郷は亡く、されど望郷は永く (宇宮 祐樹)
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No way home

 

「思えば、こんな雪の日だったわ」

 

 窓の外で降り続ける雪を眺めながら、ぽつりとブランが呟いた言葉だった。

 

「……なにが?」

「私が女神になった日」

 

 ネプテューヌの問いに短く答えたブランが、白い煙が立つ湯呑を傾ける。

 ()()()のルウィーでは珍しい、大雪の日だった。国の象徴ともいえる紅葉の景色は、今は見る影もない。ただ、どこまでも続く白銀の世界が、窓の外に広がっている。ふと、ネプテューヌがブランの方へ視線を投げると、その表情にどこか不機嫌さが混じっていることに気が付いた。それは忌々しさを前面に押し出すようなものではなく、まるで自分が殺した親の死体を見つめているような、退屈さと哀しさを含んだものであった。

 不思議に思っていたネプテューヌの視線に応えるように、ブランが口を開く。

 

「私の故郷はね、雪国だったのよ」

「そうなんだ」

「ちょうど、あなたの次元のルウィーみたいな」

 

 その言葉に、ネプテューヌは見慣れた方のルウィーの景色を思い浮かべながら、羊羹の欠片を口に投げ入れた。

 

「思えば、退屈な国だったわ。毎年、冬になると呆れるくらい雪が降ってくるし、そのせいで春先は水害が多かったし。夏や秋が過ごしやすいのはよかったけど……それ以上に、冬と春が厳しかった。それに、田舎だったから楽しみも何もなかった。毎日、母親の手伝いや妹たちの世話しかすることが、なかった」

「でも、平和じゃなかったの?」

「確かにそうかもしれない。けれど、未来はなかった」

 

 変わることのない平穏な日常は、しかしながら衰退と停滞を齎すものである。だからこそネプテューヌは未来を得るために変化を望み、おそらくそれは目の前のブランも同じなのだろう。自らがよく知るブランと違って。

 重たい息を吐いて、ブランが湯呑を炬燵の上に置く。そのままじっと机の上を見つめる彼女に、ネプテューヌは胡坐を組み直しながら、問いかけた。

 

「じゃあ、ブランは故郷が嫌いなの?」

「…………」

 

 返答はない。首を傾げるネプテューヌに、ブランがもの言いたげな視線を向けた。

 

「あなたには分からないのでしょうね」

「なにが?」

「故郷というものが」

 

 ネプテューヌにとって、それは至極当然のことであった。国家に依る存在である彼女に、故郷というものなど、分かるはずがなかった。あるいは、それはとても悲しいことなのかもしれなかった。

 

「私は、故郷から逃げ出したかった。あの退屈な国から抜け出して、新しい生活をしたかった。それに私と同じような思いをしてる人々のための国も、作りたかった。だから、こうして今のルウィーがある」

「……それでいいんじゃないの?」

「でもね、ネプテューヌ。故郷ってとても残酷なものなのよ」

 

 湯呑を両手で包み、暖を取りながらブランが続ける。

 

「どれだけ良い国を作ろうとしても、いつまでもあの日々が頭の中で思い出されるのよ。変化も未来も存在しない、あの退屈な日々が。思い出が私の脚を掴んで、向こう側へ引きずって行こうとするの。私はそれに必死に耐えながら、今を生きてる」

「……それは」

「もしかしたら、私は憎むほど故郷を愛していたのかも知れない」

 

 音もなく降り続ける雪が、ルウィーという国を白く塗り潰していく。彼女が作り上げた朱色の景色を、また空白に戻していく。それは、いつまでもブランの心に存在する、未来もなく変化も存在しない純白の景色だった。

 

「……戻りたい?」

「戻れないのよ」

 

 だからこそ、故郷といういものは残酷なのだ。

 

「私が生きていた国は、もうそこには存在しない。確かに、同じ位置にある国に帰ることはいつだってできる。でもね、そこは私の知る故郷じゃないの。変わり映えのしない退屈さも、未来を感じることのできない平穏も、同じ時間を過ごした母親も妹も、もうどこにもいない。私の故郷は、私の思い出の中にしか存在しないのよ」

「ブラン……」

「私の最後の故郷は、そこにしか存在しない。でも、その故郷が私を引きずり落そうとするの。私は……私はもう、戻れない。戻っては、いけない。どれだけあの日常に焦がれようとも、そこに戻ることは許されないのよ」

 

 それは故郷を捨てた者として、そして国を治める女神としての言葉だった。

 静寂。しばらくの沈黙の後、ブランが再び湯呑を静かに傾ける。

 

「……くだらない話をしたわ」

「そんなことないよ」

「あなたには決して分からない、ということも含めてよ」

 

 吐き捨てるブランに、ネプテューヌはばつが悪そうに明後日の方を向いた。

 

「でも、その方がいいのかもしれないわ」

「そうなの?」

「過去に縋り続けることなんて、あなたが一番嫌いそうなことだし」

「まあ、確かにそうだけどさ」

 

 二本目の羊羹に手をつけながら、ネプテューヌが何でもなしに答える。その返しにブランは少し憤りを覚えたが、それと同時に彼女にそれをぶつけても仕方がないということを理解した。同じ女神という存在でもこれほどまでに違うものなのか、という感心もあった。

 いつまでも降り続ける雪を眺めながら、ブランが呟く。

 

「それでも、やっぱり寂しいのかもしれないわね」

 

 その表情はやはり、どこか不機嫌なものであった。

 

 




 もしかしたら、私は憎むほど故郷を愛していたのかも知れない。

 ―― 寺山修司 『田園に死す』


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