白雪聖女様と7人のオーク (槍刀拳)
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【プロローグ】
『プロローグ』


 「走れ! 止まるな!!! 走り続けろ!」

 

 ——男の恐怖に彩られた怒声が背後から聞こえてくる。

 

 ——続けざまにアサルトライフルを連射するかのような銃声。

 

 ——闇の中から聞こえてくる他の生存者の絶叫や祈る声。

 

 ——母親を呼ぶ子供の叫び声、無慈悲な断末魔。

 

 ——子供が生きたまま引き裂かれて上がる母親の悲鳴。

 

 ——聞くに堪えないマナーのない食卓で、肉と皮が咀嚼されている食事音。

 

 ——粘着質な液体が水鉄砲のように飛散する水音。

 

 もう何十年も人が手入れのしていないアスファルトの地面はひび割れて、ところどころ陥没や亀裂によって歩きにくい地形となっていた。

 

 ——足を取られ誰かが転ぶ音が背後から聞こえてくる。

 

 ——悲鳴。

 

 この闇の中で活動するには、頼みの綱である月明りすら暗雲に隠され5フィート先も見えないこの場所で、微かな視覚情報と足が縺れて転んでしまわないような体幹だけが頼りだった。かつて大繫栄を遂げた日本の首都東京都心は今は荒廃をして当時の賑わいは見る影もない。そんな廃墟の中心で必死に生き残るため体力の続く限り足を動かして背後から迫る “感染者” から逃げ続ける。この深淵にも近い闇の中で私ができたことは、両手で両耳を塞ぎながら聞こえてくる助けを乞う声に対して『聞こえないフリ』をして、すぐ目の前を走る人物に振り切られないように食らいつく事だった。

 

「!!! 正面にサキュr——」

 

 それは唐突な出来事で、無力で僅かな私物以外何も持たない私にはどうすることもできない。

 突然、目の前を走っていた男が聞きたくもない恐ろしい怪物の名を叫んだかと思えば、前方から飛んできた青い閃光とも球体とも呼べるエネルギー弾によって、頭の中で爆弾が爆ぜたように体内の内容物を撒き散らせた。

 その男の背後に居た私は体液を頭からかぶる。最悪だ。最悪だけど、咄嗟に目を瞑ることができたから、男の体液や内臓によって視界が閉ざされるということは無かった。しかし、今の状態は地獄への片道キップを強制的に握らされたこととさして変わらない。

 足を止めた状態でそっと薄目を開けた先には、私の衣服にはつい先ほどまで正面のソレが生きていたことを証明するかのような生暖かい体液や細かく寸断された白くて柔らかい欠片が付着している。『ゴトンッ』とまるで石のような重いものが地面に倒れ込む音がした。先ほどまで先行していた人だったものがうつ伏せに転がり、その奥。その荒廃した都市部では、二度と見られることのない光が闇の中でネオン街のようにカラフルに光っていた。それは、おおよそ人間の形をしていて、私とそれらとの距離関係上小さいがおそらく人間であることは理解できた。

 更にその更に後方には、まるで廃墟に浮かぶ亡霊のような、そのネオン街のような光を放つ存在より2倍も背丈のある人型実体がたたずんでいる。蒼くほのかに光る滑らかなプラスチック製のような姿と顔や胴体には人として必要なはずの器官のない出来損ないのマネキンのようで不気味だった。それが、両肩から締め殺しの木のような幾本もの触手を絡ませながら、触手の先端をこちらに向けていて……私達はその青白く発光する出来損ないのマネキンを『サキュラ』と呼んでいた。

 

ヒャハハハハハ! 見ろよ! こんなところに群れからはぐれた獲物がいるぜェ!? “保護” してやってもいいが、反乱分子だったら面倒だ! ここで1匹残らず駆除してやる!」

「ただ狩るだけじゃ、つまらねえ! 何人ぶっ殺して、難点稼げたか競争しようぜ!」

「それはいい! 勝者は“吉原”で……ゲヒャヒャヒャッ! 感染者は1点! 生存者は3点。武器を持った奴等は5点だ! 精々楽しませてくれよ!」

「それじゃ……死ねェッ!!!!

 

 その言葉をきっかけに、たちまちその場は混沌めいた地獄と化した。

 正面から放たれるネオン街のように光る人型実体……ブレインフレーヤーに従う『ハンター』たちの銃撃によって、先に逃げていた生存者たちが踵を返してこちら側に走ってくる。おかげで生存者同士でぶつかって転び、うまく生存者同士衝突せずに抜けられても、私達を追いかけ今も集まり続けている感染者たちが、ハンターから逃れたエサに食らいつく。

 私も正面から逃げてきた人に衝突して尻もちをつく。でも、そのおかげでハンターから放たれた凶弾が私を感染者のエサに変えることは無かった。何も見えない暗闇で、這いつくばって銃弾の届かない廃墟の中に逃げようとする。——ザクリと脚に焼け付く様な痛みが走る。きっと荒廃した道路に突き出たガラス片か何かで太ももを引っかけて切ってしまったのだ。

 

 ——“感染者”は血の匂いに鋭い。

 

 感染者と生存者で入り乱れる混沌の渦から感染者の数匹が全身から臭いを漂わせる私に気が付き、その四肢で繋がれただけのような手足をバタバタと首を絞められたニワトリがもがく足のようにバタつかせて追ってくる。

 建物の中に入ったら、少しでも感染者の追跡を遅らせられるように入ってきた扉へ金属製の棚を立てかけてバリケードにする。扉が激しく叩かれる。

 どうやら逃げ込んだ先はコンビニのようで、陳列棚には混乱の最中やスカベンジャーが回収して行かなかった未回収の腐った食べ物やドロドロに溶けたアイスクリーム、缶詰のようなものがあった。しかし、そんなものを拾っているような猶予は私にはない。足を消毒するための度数が高いバーボンを手に取って、まるで手負いの鹿のように痛む足を引きずりながら店の奥であるバックヤードへと逃げる。

 

 ——ガシャン! ガシャン!

 

 店の奥に逃げたところで続けざまに窓ガラスが割れる音と、感染者が高台から落ちてくるような粘着音が聞こえてくる。恐らく私を追って入り口からではなくガラス張りの雑誌売り場のガラスを叩き割って入ってきたのだ。バックヤードの家具をできるだけ足止めとなるように引き倒して物音を響かせながら裏口から外に抜ける。

 幸いにも抜けた先に感染者の姿はなかった。表通りからは、まだ人々の悲鳴や銃声、ハンターたちの嘲る嗤い声、サキュラの砲撃音が響いていた。そして足元には腐乱死体。私の足とは別にむせかえるような血の匂い。目の前の死体は感染者ではなかったが、腕に噛み傷があって頭から落ちたのか首は綺麗に90°に折れていた。

 1人だけ無事にサキュラやハンターの銃撃から逃れたことを他の生存者たちに謝りながら、更なる裏路地の奥へと進む。最低な発想だと思いつつも、私を追い詰める感染者たちが腐乱死体の血の匂いに誘われて死体に食らいついて私の事を忘れてくれるように祈りながら。

 

………

……

 

 混沌の合唱祭からかなり離れたところで、唖然とするほかなかった。

 表通りに逃げたとしても私は死んでいただろうが…………結局のところ結末は変わらなかったようだ。

 目の前には3mもの高さの壁があり、この壁は崩落した建物の一部の様だったが……1階に付けられた窓には外敵が勝手に侵入してしまわないようにと板が目張りされていて、武器も道具も持っていない私にはどうすることもできなかった。

 

「ゔ……ゔぅ゙ゔぅ゙ぅ゙ぅ゙…」

「ぁ゙ぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙……」

「ぇ゙ぇ゙ぇ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙……」

 

 背後を振り返れば、追跡者である感染者とは別の感染者が3体。こちらの退路を防ぎながら迫って来て居た。いずれの感染者もブレインフレーヤーのBC兵器(生物兵器)に感染してから時間経過しすぎたものや、足を潰されるようにして損傷しているものだった為、こちらへの接近は酷くのろまだったが……それでも足を負傷した私にとって、それが十分脅威であることに変わりはなかった。

 五体満足ならば、一瞬の隙を見て逃げ出せたかもしれないが……今それはできない。

 ……この感染者達に貪り喰われて死ぬことが、苦痛を感じさせない一瞬の出来事であればどんなに良かったことか……。

 恨み言を頭の中で呟きながら、壁に背中を預けて中身の入ったバーボンを最後の武器として感染者に構える。

 

 ——日が上るまで残り3時間以上。救援も来ない、味方は壊滅状態。万事休すだった。

 

………

……

 

————ドンッ!!!

 

 感染者が私に食らいつくまで残り10フィートを切った時。突如として頭上から銃声が響き渡った。

 思わずその身を強張らせる。このご時世にそんな散弾銃を使用している人間なんてならず者のレイダーぐらいだ。降り注がれる銃弾による痛みに備えていたが、いつまでたっても身体には痛みは走ることはなく……。

 

——ドンッ!!!

 

 それどころかゆらゆらと首を動かしていた感染者の顔面に大粒の穴がいくつも開いていて、次の銃声では完全に感染者の頭蓋骨の上部が後方に吹き飛んだ。

 

 ——感染者は頭の吹き飛ばされたからと言っても、その生命活動を途絶えさせることはない。

 

 いいや。生命活動自体は感染者となった時点で、とっくの昔に終えているのだろう。ただ、ブレインフレーヤー達のBC兵器によってその死体が生き血を求める状態で動かされ続けられているだけであって。しかし、感染者の感覚器官である約0.6214マイル先の血の臭いを嗅ぎ分ける嗅覚や、処理能力が備わっている脳を吹き飛ばされることは、感染者の動きを大きく鈍らせることには違いなかった。

 その場でビクビクと全身を痙攣させながら、ひきつけを起こした人間のようにその場に倒れ込む。しかし、まだ機能する手足は頭を捥ぎ取られたゴキブリのように四肢をカサカサ忙しなくと振り回している。

 だが、そのおかげで他の感染者の注意が私ではなく、最寄りの腐敗した血液を流しながら頭を吹き飛ばされ暴れる感染者にとターゲットが切り替えられた。

 

 バリバリと。雀の丸焼きを食べて居るかのような骨をかみ砕く音。

 ベリベリと。肉が引きちぎられるような音が正面から聞こえる。

 そして、複数いるうちの最後の感染者が頭を吹き飛ばされた感染者に食らいつくために重なった時、私の目の前に一人の大男が、飛び降りて来て目の前に立った。

 

 ……彼について、後ろ姿でもわかったことは本当に大柄な男だった。

 肩幅は2フィート以上あるように見えたが、幼いころ動画サイトで見たことのある肩幅オバケのような逆三角形の姿ではなく、レンガブロックのような全体的に長方形な姿で全体的に体幹ががっちりしているように見える。上半身には鋼鉄の鎧をまとい、肩にも棘の突いた肩パットが付いていた。両腕にはガントレット、背中にはまだ硝煙が立ち上る2連ソードオフショットガンと、錆びて一部がドブ色になった巨大な斧、腰には革のベルトと腰巻を撒いて、足は安全靴のようにも見えるローマサンダルのようなブーツを履いていた。

 

「……大丈夫か? ……助けに来た」

 

 その人物は私の方を増えることもなく日本語の渋い声でひとり、3人の折り重なる感染者を見つめている。

 私は正面に現われた男の乱入に声も出せず、暗がりの中で 尻もちをついてただただ頷くことしかできない。

 

「…………すぐ終わらせる」

 

 それだけ呟いたかと思うと力強い足で地面を蹴りつけ、感染者に向けて素早く飛び掛かる。手に持ったトゲ付きの棍棒をまるで野球選手がホームランをするときのように振り抜いて……強い踏み込みと共に、感染者に齧りつく感染者の胴体目掛けてフルスイングした。

 まるでゴルフボールのように打ち抜かれたソレは綺麗な弧を描いて吹き飛び、ビルの窓ガラスを突き破ってホールインワンを達成した。内部から物が倒れる音と、肉が圧縮された音が聞こえてきて……。おそらくアレは私達から少し離れたところで潰れて活動を完全に停止しただろう。

 だが今の行動で、自ら近寄ってきた真新しい獲物に感染者が感づき、噛みつこうと動く。

 

——感染者に噛まれたものは、平均48時間で新たな感染者の仲間入りとなる。

 

 それでも、噛みつかれるよりも早く。まるでスイカ割りのように彼の頭上まで天高く振り上げられた棍棒が、うどんの生地を何度もまな板に叩きつけられるように振り下ろされ……その噛みつこうとした感染者もまた活動を停止させた。

 

 




~あとがき~
 本作は対魔忍RPGXにて、五車祭プチガチャにて念願の上原 鹿之助くんを入手したのちに信頼度Lv.MAXを果たし、回想も見たところで……作者がその回想内容に致命的なダメージを受け、その意気消沈したところから誕生した作品でございます。
 『それがなんだ?』と言われてしまえば、それまでなのですが……本作作品誕生のきっかけ経緯をこのあとがきに記したかったわけです。

~補足~
 1フィート=30㎝
 0.6214マイル=1㎞

 なぜ、作者がヤード・ポンド法を使って作品を描いているのか、作者にもわかりません。何があったんだ……? 余程、致命的な心的ショックだったのは察せます。



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【春】
上編 『ファースト・コンタクト』


「…………終わった」

 

 男はぶっきらぼうにそれだけ告げて、感染者の肉片と広がっていく血だまりの気にする様子もなく踏み越えてこちらに歩み寄ってくる。

 誰だか分からないが、命を救われ、非業な死を遂げることもなく、生きながらえることができた。まるでよくできた夢のようだ。

 ホッと安堵したこともあってか私は腰を抜かして立ち上がることができなくなっていることに気が付く。でも妙にガラス片によってできた足に走る痛みだけは、私をここが現実であることを知らせているようであって……。

 

「ぁ、あ、ありが……ひぃっ」

 

 そんな状態でも、助けてくれたことに関してお礼を告げようとして顔を上げる。振り返り、私の方へ歩み寄ってくる人物に視線を合わせようとする。

 でも、それが誰なのか何なのかを理解してしまった瞬間に目前の存在に助けて貰うぐらいなら、感染者に食い殺された方がよっぽどマシであるようにも考えてしまった。

 近づくにつれて見えてくる男の人相。

 ——邪悪なゴブリンのようにとがった耳に、イノシシのような下あごから突き出た口端の4本の牙。上唇のない口からは歯茎とキザキザのトラバサミのような鋭利な歯が見えていて。鼻は見えないフックで釣り上げられたかのように2つの鼻の穴を覗かせていた。全身が苔に覆われたかのような血色の悪い抹茶色で染まり、上半身や胸部を堅牢な鎧で守っていようとも、腰巻との隙間からでもわかるようなでっぷりとした……だらしない腹の贅肉。そして、何よりもその種族の特徴的な要素であったのは、暗闇の中で白目や黒目のない単一色の目が赤く光って……その男が近づく度に私はメスとして、その男の陰茎にしゃぶりつきたいという性欲を刺激されて、緊張とは裏腹に口の中によだれが溜まっていくのを実感していた。

 遭遇して、そんなことができる。そんなことになる。そんな外見の種族は1つしかない。

 

 ——……オークだ。私の目の前にオークがいる……!

 

 オークとは。魔族に位置付けされた種族の1つ。

 性欲旺盛で、如何なるメスであっても交わることにより子を成すことができる。生まれてくる子供はすべてオークであり、オークの如何なる体液には、あらゆるメスを発情させるための媚薬成分が含まれているとされていた。またの名を生殖猿。この世紀末となった世界で、感染者やブレインフレーヤーの次にぐらい、ハンターと同じぐらいには忌み嫌われるおぞましい生命体……!

 それが、今。私の目前に姿を現わした。

 

「…………お前」

「ァッ……ヒッ」

 

 悠々とその巨躯と巨根でこちらに近づいてくるオークに対し、恐怖で思わず手が。身体が震えてしまい、手に持って武器として構えていたバーボンを転がり落としてしまう。焦って拾おうとするが、そのままオークの足元に転がってしまい回収はできそうにもなかった。壁を弱々しくカリカリとひっかきながら、みっともなく小さな悲鳴を上げることしかできない。

 

「…………顔の血は……返り血か。……。……脚を……怪我しているのか」

 

 いつでも私のファーストキスを奪える位置にまで顔を近づけ、私が目を固く閉ざし顔をそむけても、私の顔半分程もある大きな掌で顎を掴んで無理やり正面に向き直らせてきた。

 それから、負傷した足が乱暴に握りしめられる。握り絞められたことによる痛みなのか、それとも引き裂いてしまった足が純粋に痛みを発しているのか分からないが、それでもこのオークに私が逃げることができないという弱点を知られてしまったのだ。これから蹂躙されるにしても、この傷を玩具のように、良いように弄ばれることが想定できる。『痛みと快楽は紙一重だぜ? ゲヘヘへ……』と言いながら、傷口をその未使用のポンタンの2倍の太さのある極太な指でいじくり抉られながら、きっとレイプされるに違いない。

 この世紀末な世の中で贅沢な夢だとは思うが、キスもウチャヌプコロも初めてこそ好きな人が良かった。しかしそれは叶いそうにもない。だから足と処女膜への痛みへ耐えるように固く強く目を瞑って上半身を強張らせて、その瞬間を待った。

 

「……」

「…………」

「……」

「…………」

「……?」

 

 ……何も起きない。

 乱暴に掴まれた足はジンジンと痛むままだったが、着ている衣服を引きちぎられチンパンジーのように剥ぎ取られる様子はない。

 …………まさか『初物の相手を認識できるまで、俺はヤらねえ! その眼にたっぷりと俺の姿を焼き付けな! グギャギャギャギャッ!』と言う更に残虐なタイプだったのだろうか?

 恐る恐る目をうっすらと開けてみる。やっぱり目の前にはオークがいた。手を私の血で真っ赤に染め上げて、1.5フィートもない場所に片膝を付いたオークの姿があった。立てられた片膝の腰巻から下着によって覆い隠されているが、立派で美味しそうな極太な恵方巻が浮き立っている。私の視線は恵方巻に釘付けだ。

 

「……りんご」

 

 ……。……え?

 怯えながらもうっすらと開けた目で、腰巻の下の恵方巻を凝視する私に、今。目の前のオークは『リンゴ』と言った気がする。

 ……いいえ、今たしかに『りんご』と言った。

 ……え、えっと。……こ、これは……えっと、あれかな? 助けた対価としてリンゴを寄こせという……。いやきっと違う。生殖猿のオークの考えることだ。『リンゴのようにうまそうだな。お前。ギュヒュヒュヒュ』というオーク流の口説き文句に違いな…………いやでも……。

 

「りんご」

「……ご、ごめんなさっ……りんごは持ってませ」

「違う」

 

 日本語で話される渋い声が私に苛立ちを覚えたかのようにしかりつける。私が答えを誤る度に、このオークに握られた命綱が少しずつ手放されるような心が締め付けられるような心的状態になる。

 ……なにを。なんて。どのように答えれば……。

 

「りんご」

 

 また『リンゴ』だ。手汗がじっとりとする。答えなきゃいけないのにどう答えればいいか分からない。そもそも、相手が何を求めているのかもわからない。やはり服を脱いで、この身体を……自ら差し出して——

 

「わ、わか、り、ました……」

「……ハァ……」

 

 そっと服のボタンに手を掛けて自ら胸元から1つずつ外していく。

 だが正面のオークは溜息をついたかと思えば、背中に背負っていた斧を手に持つ。なんで?! こ、殺される……っ! 服を脱げってことじゃなかったの!?

 

「…………りんご」

 

 もう頭の中は滅茶苦茶だった。

 リンゴが欲しいわけでもない。服を脱げという意思表示でもない。

 それでも、この状況で私にわかったことが一つあった。この次の回答を誤ったら、後ろの感染者同様に私もその鋭利な斧で頭を叩き割られて、夏の砂浜のスイカのように路上で朽ち果てることになるのだと。

 必死に頭をひねる。唾液量が減る。心拍が早く鼓動を刻む。掌がビチョビチョになる。でも代わりに火照って広がっていた子宮が縮んでいく。

 りんご? りんご? りんご? 正面にはオーク? 手には斧? オーク? オーク? オークと言えば? 怪力で、生殖猿で、レイプ魔で……?

 

「…………ハァ……」

「ご、ごりら!」

「……!」

「ごりら! ゴリラ!」

 

 大きなため息。腕がゆっくりと持ち上げられ、私の瞳孔がいつも以上に開いたような気がする。

 だから、それゆえに私に出来たことは……せめて一矢報いるつもりで頭を叩き割られて死ぬ前に言葉の暴力で正面のオーク見てなじることのできる暴言を吐き捨てることだった。

 その暴言に赤い目が大きく見開かれる。黒目も白目もない、赤い光を放つ目が私を捕らえる。私は表情を読み取るプロではないが、それでも突然なじられたことで正面のオークは驚いているようだった。

 

「ゴリラか。……ラッパ」

 

 だがすぐに粋の良い獲物を見つけたと言わんばかりに、オークは少し満足そうに笑ったかと思えば、今度はラッパと言った。ラッパ?! 裸っ剥!? やはり裸になれということなのか。

 それとも、これは俺の恵方巻にラッパのように『しゃぶれ』という意味だった、り……?

 っ……!! オークっていつもそうですよね! 異種族の女性の事を何だと思っているのですか!!

 えーっと…………怪力をゴリラとして結びつけられたから、今度は生殖猿を暴言として変換した場合は……。ウコチャヌプコロ。動物園で中国製のパンダがウコチャヌプコロ……。そうだ……!

 

「パンダ!」

「達磨」

 

 だる……っ!? 四肢を捥ぐって意味!? 恐ろしい! オークこわい! えっと、あとのオーク的特徴で暴言となる言葉は……。

 

マントヒヒ!((このさるぅ!))

「火だるま」

「っ……! まんまる目玉!」

「マゾヒスト」

「鳥頭!」

「マゾヒズム」

「村八分!」

「ぶ……ぶ……。……ぶた」

「たぬきじじい!!!」

「い……い……」

 

………

……

 

 一体、私は何をしているのだろうか?

 背後は壁。正面にはオーク。そのオークの背後には、活動を完全に停止させた状態の感染者の死体が2つ……。

 目前のオークと『私のこれからの処遇』と『オークに対する暴言』を言い続けて早20分。生存者の物資を略奪するハンターでも、“保護” 目的で生存者を襲うブレインフレーヤーの傭兵でもいいから、この地獄を終わらせて欲しいと願いながら単語をお互いに吐きあいを続けていた。

 

「大潮」

烏滸(おこ)の沙汰!(意味:無礼で侮辱的な態度)」

「対魔忍……あ」

「……」

 

 だがそれでも、始まるがあれば終わりも来る。

 オークが私に対して潮吹きアクメを命じ、私がクッソ無礼な輩とオークをののしり、悲惨な目に遭いがちな対魔忍と言及したところで、オークの方が『しまった』という顔をした。

 

「俺の負けだな」

「!?」

 

 それだけ言うと正面のオークは立ち上がる。それから斧を背中に背負いなおし、床に置かれていたトゲ付きの棍棒を手に持ち直すと、何も持っていない方の手で私の手を握ってその怪力任せな力加減で引き上げた。まるで大人がその場に座り込む子供を引き上げるように軽々と持ちあげられる。そのせいで、自然と私は立ち上がることになった。

 

「……丁度、迎えも来たようだ」

 

 そういってオークは私の腕を握りしめたまま先ほど飛び降りた場所を見上げている。私も自然とそちらに視線が向く。

 ……私の悪夢は終わっていなかった。そこには更なる数体のオークの姿があったからだ。いずれもオークや、ハイオークで混成された……さながらオーク部隊と言えばいいのか。いずれのオークも手にカタールのような歪曲したナイフや、ショットガン、斧を携えている。中には魔術を扱うものもいるようで……手から炎を……。

 いずれのオークも私の事を見ていた。赤く黄色く茶色く、黒く、青色に光る眼がらんらんとこちらを見つめて…。

 

 



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中編 『オーク! オーク! オーク!!!』

「ぁ……っ。ぁっ……」

 

 罵倒し合いなどしている暇があれば、一か八かで逃げれば良かったと悔いる。痛む足をかばいながらも、その場からなんとか逃げ出そうと四肢を動かす。しかし腕を握りしめられている以上、抵抗は虚しく私は空中で振り子のように左右に揺れることしかできない。そんな私を見てオークは満足そうに口角を上げ、片方のトゲ付きの肩パットを外して、その肩へと乱暴に私を担ぎあげる。更に私の落としたバーボンを拾い上げると懐にしまい、瓦礫の上から他のオーク達によって垂らされた縄梯子を黙々と登り始めた。

 遠くなる地面。今、ここで暴れようものならば、私は頭から落ちて死ぬことに違いはなかった。だから、この時の私に出来たことは死ぬのよりはましと考えながらオークの身体にしがみついて、これからの事を考えるのだった。

 

「ヘイ、急に居なくなったから、死んじまったかと思ったぜ」

「…………すまない。朝日が昇ったわけでもないのに感染者共がコンビニに入って行くのが見えてな。……それで、そっちの首尾は?」

「残念ながら。流石にブレインフレーヤーのハンター、サキュラ、感染者の三つ巴の中での人狩りはうまく行きませんでした」

 

 ——人狩り!?!

 やはりこのオーク達は自分たちの子供を孕むメスを狩るために……!

 これから男と交わったこともないこの身に、降りかかるであろう境遇と興奮でガタガタと震えてしまう。そんな震えは、目の前のオーク達にしてみれば自分達を楽しませる最高のパフォーマンスしかならないとわかっているのに……! 反射的に震えが止まらない……!

 私を肩に担いだオークは縄梯子で瓦礫を上り終えると、床に私を降ろした。先ほどまで頭上からこちらを見つめていたオーク達が私を中心に円陣を組むように囲み、私の7フィート頭上で話を始める。

 見ていることが気づかれないように震えながらもゆっくりと見上げれば、本当によりどりみどり(・・・)なオークだらけだった。

 緑色で全体的に丸いオークよりも細身で、そして整えられていないくすんだ金髪モヒカンのハイオーク。

 深緑色の肌に衣服と一体化した小豆色のマント、獣の皮で出来た腰巻がずり落ち、オーク達の中で最も背丈が高い。体には黒い炎を描いたような刺青をいれたハイオークチーフ。

 ハイオークと同じく細身で青髪タイプのモヒカンで、目もサキュラの砲弾を濁らせたかのような色をさせた 肌は真っ赤に染まったフレイムオーク。

 革製の防具を纏い肩から散弾銃のショットガンシェルベルトを掛けて、禿げ頭を隠すかのようにカウボーイハットを被ったオーク傭兵。

 この場にいるどのオークよりも筋肉質かつ関取のような横幅を持ち、私と同じくらいの巨大な斧と胴体には赤いベルトで固定されている胸当てを着けた羅刹オーク。

 膿が溜まったかのような黄色の瞳に、この集団の中で唯一真面な服らしい服……くすんだ黒のスーツに茶色のワイシャツを纏ったネクタイの付けていない……赤い鞭と小型の拳銃を手にした奴隷商人オーク。

 そして私をここまで連れてきた鎧の纏ったオーク。

 ……右を見ても、左を見ても、前後左右、全て、オーク、オーク、オーク。オークだらけだ。

 そして呼吸をするたび。彼等から発せられる体臭を肺に取り込むたびに。先ほどまで死の恐怖で凍っていた芯が融かされて、また肉壺が疼きだし子宮が子作りのために広がっていくのを感じる。

 

「ハッ。ナラ戦利品はそのメスだけカヨ」

「おい。オイオイオイオイオイ、このアマ! 足を怪我しているじゃねーか! ふざけんな! 感染者にやられたのか!?」

 

 私はそんな状況ではあったが、話の雲行きは怪しい方向へと進んでいた。戦果に呆れ返る片言で喋るフレイムオーク。

 また更に私の足に関して、ハイオークの指摘と共に私を肩に担いだオーク以外のオークが後ずさりをし、各々得物を私に向けてきた。

 

 ——ち、違う。この怪我は瓦礫片で引き裂いたもので。感染者にやられたものじゃない……!

 

 弁明しようとするが声が出ない。突き付けられた、振り下ろされそうになっている得物をどのように扱われ凌辱されるのかと少し期待をしながら、ハァハァと息を荒げながらただ期待の眼差しで見つめることしかできない。

 

「…………大丈夫だ。……感染していない。……簡易チェックをした」

「本当か?! 嘘はやめろよ!? 外部からやってきた難民を受け入れた基地が、感染を隠していた難民によって壊滅した噂は何件も聞いてンだろ!」

「おいおいデカい声を出すなよ。先ほどまでドンパチ賑やかだったから、コイツが銃を撃ってもサキュラが見向きもしなかったが、今は流石に感づかれる。クールに行こうぜ。クールに。感染しているかどうかについては、俺達も再確認してみればわかる話じゃないか?」

 

 ギャーギャーと喚く金髪のハイオークに対して、カウボーイハットを被ったオーク傭兵が宥めに入る。そしてオーク傭兵の提案に他のオークも乗った様子で、お互いにお互いの顔を見合わせると今度は私を値踏みするかのようないやらしい目でまじまじと見つめてきた。熱烈な視線によって更に興奮が増していく。これが視姦プレイというものなのか。初めての経験に心臓がトキドキする。本当に、このオーク達は私をどうしようというのか。

 いや、オークの考えることだ。1つに決まっている。集団レイプだ。輪姦だ。オーク7匹、性器祭、人間の女。何も起きないはずがなく……。

 でも、いくらこれから初物レイプ強姦輪姦が繰り広げられるからと言って、私も黙って犯られるだけではなくいうべきことは言わねばならないだろう。

 やめて! 私に乱暴する気でしょう? エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!

 

「チッ。おい、アマ! 木偶のぼうからだ! でくのぼう!

「……え?」

 

 ハイオークが鬼のような形相で私に詰め寄り、唾を顔面に浴びせかけてくる。唾は歯磨きなどしていないオークらしく黄色に変色し薄汚かったが……飛ばされた唾が、唾液が口の中に入った時、それが甘く。もっと舐めたいと……。

 でもなんか、この流れはおかしいようなそんな気がしてならない。

 え? ところで、なんで、私罵倒されているの? 世紀末な性器祭なレイプは? え? え?

 

「『え?』……じゃねーよ! しりとりだ! しりとり! 俺達が到着するまでの間。コイツとやったんだろ!?」

 

 え? しりとり? ……えっと、今、ハイオークその甘い唾を私に吐きつけながら、背中に多彩な武器を背負ったオークを指さしている。

 そういえばさっきの会話の流れで、簡易チェックがどうとか……言っていたような気が……。

 ……。……あ。さっきのやり取りって……。

 

「次はねーぞ! 答えられなかったら、オメーをここでぶっ殺す! でくのぼう!」

「う、烏合の衆?」

「ウサギ」

「銀色」

「ろうそく」

「クリスマス」

「スラッシュ・アックス」

「すずめ」

「メスブタ」

「立て板」

「竜田揚げ」

「下駄」

「対魔忍……あっ」

 

 しりとりが一巡したところで私を助けたオークがまた対魔忍で締めた。ひとまず、1周のしりとりが繋がったことで、私が感染者ではないことを検査していたらしい。

 あ、あぁ……なるほど? 確かに彼等のやり取りは理にかなっている。感染者へ変貌するまでの時間は、平均48時間で変貌を遂げるが、もしも私がわずかにでも感染していれば思考力が低下し、満足に『しりとり』もできなくなってしまうような人の形をした獣へとなっていたはずだ。

 

「テメー、いつも対魔忍で締めルヨナ」

「…………すまない。……最後に『た』が付くと、反射的に対魔忍って言葉が思いついて……な」

「感染はしてねーみたいだが、そもそもの話! またオメーは勝手に貴重な物資を使って治療しやがって! これが感染していたら、その物資はこの前みたいに無駄になってたっつーの! 学習能力はねーのか!? 馬鹿がァ!?」

 

 ハイオークが私の足を指さす。気が付けば、私の足には丁寧に包帯が撒かれ、止血が施されていた。先ほど乱暴に足を掴まれていたと思っていたが、アレは私を逃がさないため……などではなく治療のために掴んでいたことに今気が付く。

 

「す……すまん……」

「こればかりは儂の部下を咎めることはできないな。主はいつも単独行動が多すぎるぞ。儂達は一つの部隊だ。もっと報連相をしてだな……」

「…………」

 

 ハイオークやフレイムハイオークを取り纏めている様子のハイオークチーフにもくどくどと説教をされ、私を助けて手当してくれたオークはシュンとしょんぼりとした顔をした。

 ……私としては、レイプ魔で生殖猿で有名な悪名高いオークもそんな顔をすることにただ驚くばかりだ。……外見から言ってしまえば言えば鎧を着たオークの方が強そうだが、やはり “ハイ”オーク“チーフ”と色々オプションが付いていることもあって、総合的な能力を鑑みた場合にはこっちの方が強いのだろうか?

 

「まぁまぁまぁまぁ。現状、彼女は感染者ではなかったようですし、物資も無駄にはならなかったのですから、物資の事で彼を責めるのはお門違いではありませんか? 確かに仲間に何も知らせず、勝手に居なくなったことは罰則に値するかもしれませんが……」

「……チッ」

「とにかく。今日のところはこれ以上感染者を寄せ付けないように彼女を拭いてあげて、例の基地へ向かってみましょう。君が彼女を手に入れたのですから、彼女の事は君が責任をもって基地まで連れて帰るように」

「……おう」

 

 膿が溜まったかのような黄色一色の目をした奴隷商人オークの仲裁の言葉に、ハイオーク達は悪態をつきつつも彼に詰めよるのを止める。それから、私が誰の所有物であるのか明白に他のオークへ知らしめるように話した。

 オークは私を『妙な真似をしたら突き落として殺す』と言わんばかりに崖の端に立たせる。それから他のオーク達からは見えない形で、少しの沈黙ののちにオークらしく血の付いた服をぶっきらぼうに脱ぐように指示してきた。もちろん、正面のオークの所有物となった私は恥じらいながらもそれに従い、下着を含め全ての衣類を脱ぎ捨てる。すべての服を脱ぎ終えたところで、少しオーク側が困ったような顔をした後、一旦、背後を振り返って奴隷商人オークの指示を煽っていた。

 ……しばらくの間ののちに、歩み寄ってきた奴隷商人オークとオークが言葉を交わす。それから私の方を見てオークに怪訝な顔をしながら血の付着していない下着は付けるように促してきた。下着をつけたあとは私の着ていた血に濡れていない肌着を水筒の水で濡らし肌に付いた血を拭き取り始め。

 最後には彼が持っていた大きな布で私と私の荷物を包み込み、プラスチックの紙で飴玉を包むような形で私を拘束するとショルダーバッグのように背負い他のオーク達と合流して、その例の基地とやらがある方向へ歩みを進め始めたのだった。

 

 



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下編 『レジスタンスの巣窟』

「こんにちは。以前、こちらに物資交換でお伺いいたしましたオーク分隊です。地表にて難民がブレインフレーヤーに襲撃されているのを発見しまして救助活動にあたったのですが……現場はサキュラ、ハンター、感染者、生存者の混戦となっており助けられたのは混戦から逃れられた身寄りのない彼女だけでした。私達が遭遇したときには足を負傷していたため、簡易感染チェックは行いましたが、念のため監視房の手配とこれを機に私達も基地への入設を許可していただきたいのですが……よろしくお願いできますでしょうか?」

 

 瓦礫で囲まれ、人の手が入っていない茂みや線路を抜け、崩落したビルの地下、停止したエレベーター等を更に下って最深部へと脚を運んだ先に、私が知らなかった初めて見る生存者の基地があった。

 私が真っ先に意外だと思ったのは、見張りに立っている兵士の姿だった。てっきり、オークが来た拠点のことだから、きっと見張りもオークだと思っていたのだが……。それは明らかな人の姿をしていた。

 OB色の戦闘服を身に纏い、両耳にはヘッドホン状のインカムを付けている。腹部にはベージュ色の弾薬ポーチをいくつも付けており、両手には日本……世界がこうなる前。米連の軍隊が採用していた最新式のアサルトライフルを手に持っていた。

 向こうは負傷したという私や見るや否や露骨に嫌そうな顔、私を見た後にオークには蔑んだかのような……厄介者が現れたと言いたげな様子でこちらを見ていた。しかし先頭で話を付けている奴隷商人オークは愛想のよい、にこやかな様子で事のあらましの報告及び、私が収容される独房の手配を済ませてくれる。

 

あ、あの……

「テメーは黙ってナ」

「次余計なことを言ったら、オメーの唇を俺のナイフでそぎ落とすぞ?

「……」

 

 見張りの兵士たちがインカムを使い、何処かに連絡しているのが見え辺りがドタバタと騒がしくなる。見張りを行っていた兵士たちは、オーク達よりも私の事を何度も横目で確認し、私には聞こえないような声ではあるが、それでも小声で何かを話していることがこちらも分かるような様子でボソボソと連絡を取り合っている。

 まるで、私はここに居ることがとても面倒なような……そんな素振りだった。恐らく、オークに巻かれた布切れ1枚の性奴隷らしい服装から垣間見えた足の怪我が感染者にやられたものだと思われているのかもしれない。

 そう思って、オーク達に囲まれながらも見張りの兵士の方に、足に出来た傷の事を説明するために一歩前へ進もうとすると左右の肩を私の背後にいたフレイムオークとハイオークが押さえつけてきた。ハイオークに至っては私の口元に切れ味の悪そうな分厚いナイフを当て、ペチペチと頬を叩いてくる。

 

「おいおいおい、お前等。このお嬢は商品だと思って丁重に扱えよ。クールだ。常にクールになることを忘れんなよ。…………悪りぃな、ハイオークってのは血気盛んでさ」

「だがこの場では黙っているの正解だぞ、小娘。お前が余計なことをして殺されそうになっても、オレの斧が弁明のためにお前の頭を叩き割るよりも先に、あいつ等のチャチな銃がオレ達の眉間を貫く方が素早いからな」

「……とにかく。うちの大将と総大将に任せておけば、“吊るし屋” だって黙らせられるんだから安心しな」

 

 思わず口を紡ぎ、体を強張らせる私に馴れ馴れしく2連ショットガンを背負いおどけた口調で接してきたカウボーイハットを被ったオーク傭兵と、オーク達の中で最も大きな斧を持った羅刹オークが厳格な口調で警告しながら私の両脇を固めてくる。

 正面では、私の事を助けてくれたオークと、その更に前には奴隷商人オーク、ハイオークチーフが通路の奥から増えつつある兵士たちの対応をしているのが見えた。

 聞き耳をそばだててみるが、具体的に何の話をしているのかは分からない。それでも辛うじて聞き取れたのはオーク等も避難民として受け入れて欲しいという交渉のようなものをしていることは聞こえてきた。

 

「ヘイ、新兵。お前も彼女に何か安心できることの1つぐらい言ってやれよ。今、お嬢の周りはむさ苦しいオークまみれ、最後尾のハイオークにはナイフを突きつけられ、俺の反対にいる羅刹には脅迫されてんのに。お前の所有物だってガッツを見せてみろよ」

「……」

「…………」

 

 新兵と呼ばれた鎧をまとったオークは何もしゃべらない。それどころか、振り返った瞬間に私と目が合うと、そそくさとすぐに正面へ向き直ってしまった。

 

「やーい、シャイボーイ」

「チェリーボーイ! チェリーボーイ!」

「……これだから童貞(新兵)は……」

「玉無し野郎」

「…………」

「うるせぇぞ!!! テメェ等ッッッ!!!!!」

 

 やいのやいの背後から囃し立てるハイオーク達とオーク達の野次に、奴隷商人オークと共に交渉していたハイオークチーフが振り返り、百獣の王とも呼べるようなビリビリとした咆哮を私達に向けて一喝した。

 私の身体が恐怖でより一層強張るのと同時に、私を囲んでいた4人も口を固く閉ざし、バツが悪そうにそっぽを向いたり、口笛を吹き始めたり、ナイフで爪と指の間の垢でを取り始める。それでも、正面の新兵の彼だけは……やはり何度か私の方を見た後でやっと口を開こうとする素振りが見られて……。時間の有り余っている今、私は顔を見上げて彼の言葉をゆっくりと待つことにした。

 

「……」

「…………」

「……」

「…………ぁ」

「……」

「…………そういえば」

「はい」

「……お前の荷物。返す」

 

 そういって手渡されたのは私が手を滑らせ落とし、このオークが懐にしまったバーボンだった。ひびが入った様子が無ければ、勝手に封を開けられた形跡もない。……そのままの綺麗な状態だった。

 

「あ。ありがとうございます」

「…………」

 

 オークは軽くを挙げて、しまうように私へ促してくる。ふと彼の赤目がこの基地の兵士たちに向いたようなそんな気がした。

 彼の指示通り、私は私の最低限必要な私物が入った荷物の中に、そのバーボンを片付けた。

 

………

……

 

「ほら、お前はこっちだ!」

 

 やがて基地の兵士によって、私が感染者へ転化したときに備えた準備をされる。口には猿轡。頑丈な手錠と足枷が付けられた。足を怪我しているということもあり、このようにガチガチに拘束された状態では満足に歩くこともままならないため、棒と衣類だけで作ることのできる簡易担架に乗せられ、しばらくの間そこで生活することになる監視房へと連行させられる。

 連行される間、同じく基地内部へ入って行くオーク達がこちらを見つめていることに気が付き、私もそちらに目を向けた。

 

「ふふふっ。これからオークだらけのオスクサいタコ部屋に連れ込まれ肉便器調教されるとでも思いましたか? あなたは調教し甲斐がありそうなのと、調教後は高値で売り飛ばせそうですし世界がこうなってしまう前ならば、確かにそうしていたのですが……残念ながら今はそれどころではない世界情勢ですからね。これからあなたは適切な観察時間の後、感染者に転化しなければ、自宅の割り当て及び作業所の紹介が行われるそうです。だから安心してくださいね」

 

「この配布資料曰く……作業割り当ては、得意分野をアピールすることで、その特技に関連した作業に割り当てられやすくなるらしい。お嬢のできること、思いっきりアピールしていけよ」

 

「お前は青臭いチビの小娘にしては可愛いし、その清潔感のある白い肌は充分なウリだ。尻と胸の脂肪も十分にある。おすすめは胸元の開けた服で食堂のウェイトレスが適しているだろう。客もチップを弾んでくれるはずに違いはない。……そのか細い身体じゃ、オレ達のような戦士には向かん。ウェイトレスになっても、勝手に客のメシは抓むな。……独房に入るよりも恐ろしいことが起きるぞ」

 

「アダミハラ近郊の監獄収監経験のある先輩からアドバイスをくれてやる! よーく耳をかっぽじって聞きやがれ! 独房で流動食の食うときは、男のチンポを名残惜しそうに啜りな! お恵みの飯がたっぷりと食えるって話だぁっ! れろれろれろ じゅるるっ じゅるるぅっ ちゅぱちゅぱ♥♥♥ってな! ついでに釈放後、看守共のチンポもしゃぶれば当分生活には困らねー、観察期間中にオメーのケツから放り出すクソになる予定のメシ代も返済出来て一石二鳥だぜぇえぇぇ?」

 

ソウダ! ソウダ! 釈放後、俺達モトで極太チンポをしゃぶればペットとして飼ってやるヨ! 娼婦が一番稼げるシゴトだからナ! テメーに温かい肉のベッドと栄養価の高いアツアツで貴重ナたんぱく質をプレゼントダ!」

 

「「ギャッハッハッ――痛ッテェ!!!」」

 

「……ワシのバカ共がすまん。……監視房では荷物を預けるな。先ほど汝がオークから受け取った酒を盗もうとしている兵士がいろいろ画策しているのを小耳に挟んだ。儂のように腕っぷしが強いなら、割に合わないツケを支払わせることもできなくはないだろうが……。女が独房に入るとロクな目に遭わない。ここの兵士は儂等より野獣だからな……ヨミハラとほぼ変わらない……いや、魔界や地上への逃げ場が無いことを考えると、ヨミハラよりひどい場所だから覚悟をしておけ」

 

 余程、私が不安そうな目をしていたのだろう。看守に運ばれながらも、私を囲んでこれから何をすればいいのか、小声で、大声で、普通の声で、下品な舌使いを混ぜながらそれぞれ説明をしてくれる。

 視線を合わせたのちに6人のアドバイスに頷き返し、最後に私を感染者から守ってくれたオークにも視線を向ける。他のオーク達も顎や目を使って、私に何か言葉をかけてやれと言いたげな顔をしていた。

 

「……元気で」

 

 やがて、かろうじて絞り出されたような小さく短い言葉が発せられ、彼の周りにいたオーク傭兵とハイオークチーフがそれぞれ、軽く拳と膝蹴りをオークに入れる。

 

カハ、ハハハハハ……オークだけにおおく(・・・)は語らずってかぁ? ウギャッ!

「うんまイ!       (テーレッテレー!) ザブトン1枚! オゴッ

 

 反対側ではハイオーク、フレイムオークが、先ほど殴られたお腹を抑えながら奴隷商人オークと羅刹オークから、強めに頭を叩かれお尻を蹴り飛ばされていた。

 

「ンフっ。オフフフフ……

 

 そんな7人のオークの姿を見て、笑いながら私だけは監視房行の通路へと続く道へ曲がる。

 あのオーク達にお礼を言うだけの時間もなかったが、最後に励まされたような……そんな気がして。

 あんなオークも居るんだと自分の視野の狭さに反省しながらも、感染状況確認の独房から開放されるまでの間。下品なハイオークが最後に言ったギャグを思い出し笑いしながら解放されるのを待つのだった。

 

 




~あとがき~
 次回は18時投稿になります。でも次回だけで、それ以降は12時までに投稿します。
 タイトルを変更しました。やっぱり小説のタイトルはインパクトが大事。
 処女作と今作の真面目なお話を見比べて、そう思いました。

・次回予告。
 作者の処女作である『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい。』(現行)を読んだことのある閲覧者兄貴姉貴達はちょっとした考察ポイント(謎解き)があるようにシナリオを組んだので是非とも読んで行って欲しいゾ~。



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【夏】
前編 『スティール・ロータス教団』


 あれから私は数日の観察期間ののち、特に警戒されていた感染者へと転化することもなく、このレジスタンスが大勢存在する新しい(基地)で与えられた役割をこなしていた。

 与えられた役割と言っても、今の仕事は衣類を洗濯して。干して。綺麗にしたら持ち主へ返すという一見、単純で簡単そうに見える仕事。

 しかし意外にもこの仕事は、基地に蔓延るホームレスや変質者に衣類を盗まれる危険性や、衣類に付着した感染者の血液を確実に落とさなければいけない重労働であった。それでもこの仕事は基地にとって必要不可欠な役割でもあり、私個人の理由としてもこの仕事を続けることは外からやってきた傭兵、レジスタンスのメンバーである兵士、避難民、対魔忍、魔族、獣人のような様々な人々と適度な距離を保った状態での交流ができるため、最初に与えられた役割であるカンザキ食堂のウェイトレスとして勤めるよりは嫌いな仕事ではなかった。

 それに、この役割なら……あの時、私を助けて、この基地に護衛してくれたオークさん達にも会えるような……そんな気がしてならなかったことのもあって……。もちろん、待つだけではなく休日は積極的に基地内を歩き回っては、自ら彼等に会おうと行動をしていたが……そう会えることも無かった。

 あの時は猿轡を巻き付けられ、満足にお礼も言えないような状態ではあったが今はそんな私を縛るものはない。だから、今度……もし仮に店に訪れて会うことができればちゃんと伝えよう。そう思って。

 

――カランカラン

 

「はぁーい!」

 

 簡素な扉に付けられた鈴が鳴る。誰かが洗濯屋に入ってきた合図だ。泥水に浸けた衣類を一旦引き上げ、盗難に遭わないよう洗濯物を一旦ザルへ移して、濡れた重い衣類ごと店先に入る。

 現在、店内には私1人しかおらず。他の同僚は先に仕事を終えて、あがってしまっている。

 店内へ戻ると、そこには赤黒いローブに顔の上半分をすっぽりと覆うことのできるフードを被った人物が立っていた。わずかに見える顔にはペストマスクを着用しており、視界を確保するための目元にも色フィルムが貼られたレンズでその人物の目元すら見えなかった。それは男とも女とも取れるような人物で、ライトノベルや小説サイズの本を片手に店内を見渡している。

 この基地にやって来てから初めてみる姿と異質な気配に少したじろいでしまうが、ここには様々な避難民が地下で肩を寄せ合って生活している。きっと奇抜な服を着用している避難民だっているだろう。第一印象は大事とはいうが、付き合ってみれば意外といい人、良い客かもしれないと思ってその人物の対応に入った。

 

「いらっしゃいませ! 洗濯屋ウォッシャーへようこそ!」

「……」

 

 赤黒いフード付きローブを纏ったペストマスクの人物は、その少しでも歩いてしまえばローブが揺れてしまうような格好にも関わらず、衣服を揺らすこともなくまるで幽霊のように滑るような足取りでカウンターに付いた私の元まで歩み寄ってきた。

 挙動不審で何もしゃべらない様子が、余計に私の不気味だったが……割と避難民の中には人間不信であったり、シャイな客は少なからず存在するので、こちらとしては敵意のない朗らかな笑顔を向けながら自作したメニュー表を見せて、ざっくりと一通り洗濯物のプラン説明を行う。

 

「……あなた様は今、幸せですか?」

「……はい?」

 

 だが、プランの説明とは裏腹に帰ってきた言葉は私が予想していたものとはかけ離れていた。思わず笑顔を作るのをやめて首をかしげてしまう。

 

「閉鎖された空間。絶えない争い。避難民同士の諍い。先の見えない未来。いつ拠点襲撃に現れるかわからぬ感染者やブレインフレーヤーの恐怖。我々は今、人類史上最悪の困難に直面しています。……もう一度、問います。あなたは今、幸せですか?」

「あ、え」

 

 ……うまく言葉が出て来ない。このタイプの客は初めてだった。

 でも、ここで邪険に扱ってしまえば、店の悪評を立てられ悪い影響が出てしまいかねない。……洗濯屋ウォッシャーの怒りっぽい店長に怒られてしまう。それゆえに正面の相手が望んでいるような言葉を探りながら、適切に適当な回答を告げる必要があった。

 

「そ、そうですね……。幸福か、不幸か……と聞かれたら、どちらでもない……ですかね?」

「……」

「えっと……?」

「では、そんなあなた様を更に幸福にして差し上げる方法がございます」

「は、はぁ……」

 

 そういって正面の人物は、手に持っていた本を差し出してカウンターに乗せてきた。机上に置かれた本を見る。そこには黒を基調とした表紙に、銀色の縁取りをされた赤色の蓮の花と緑色の葉が開いて浮かんでいる絵が表紙を彩っていた。

 

「迷える子羊よ。我等『スティール・ロータス教団』に入信致しませんか? 世界は不幸に満ちています。ですが。信仰を持つことによって、我等は心の支えを得て、信者たちは結束し、世界に蔓延る邪や悪、不平等をを払いのける力を手に入れることができるのです。今 入信していただければ、きっとあなた様には教祖様から素晴らしい力を見せて頂けることでしょう」

 

 う、うん……。困ったな。これは宗教の勧誘で、明らかに洗濯屋ウォッシャーに用がある様子ではない。仕事もまだ中途半端な状態残したままだし、ここから穏便に話をどのように持って行って解散を促すか……。悩みが深まるばかりだが……。

 

「……ここだけの話。あなた様は教祖の選ぶ優秀な素材……いいえ、教祖様曰く。教団の再頂点に君臨しすべし、清らかな聖女様に相応しいお方なのです」

「わ、私が? ですか?」

「はい。あなた様は3カ月前の春。この地へは、外から避難民としていらっしゃられましたね?」

「え。えぇ、そうですが……」

 

 なんでこの人はそんなことを知っているのか。不思議に思いながらも適当に相槌を打って、帰ってもらえるような話へもって行ける方法を模索する。

 

「その際。あなた様は“あの”オーク共に囲まれながら、ここに連れて来られたそうじゃないですか! 凌辱されることなく、それも純潔たる印である処女膜を保った状態で。これがどういうことか分かりますか?」

 

 ペストマスクさえ着けていなければ、唾が飛び散ってきそうなほどにカウンターから身を乗り出して顔と聖書を近づけてくる。聖書から思考が鈍ってしまうような、何か甘い香りが鼻孔をくすぐり、少し頭がトロンと溶けるような感覚がする。……危ない匂いで思わず、一歩後ずさった。

 それと同時にこの人が何を言いたいのか、わかった気がする。

 

あなた様はロータス教団に入信し聖女様として君臨するにはふさわしい人物なのですよ! あの下卑で野蛮、不潔でこの世界から一匹の残らず屠殺工場行きにして民族浄化されるべきオーク共に囲われながらも汚されることなく純潔を保つことができたのですから! オーク……否、あの害獣共は邪教徒(カルティスト)同様、宇宙の彼方までぶち殺されるべき存在なのです!!!」

 

 ……。正直な話。あのオークさん達の事、何も知らないくせに酷い言い方だと思った。

 ペストマスクのレンズ越しにロータス教団の信者の目が私の瞳に映ったが、その目は私の目を見ているはずなのに焦点が定まっていないように見えたのも気味が悪かった。それなのに自分の信じるモノにひどく心酔して、覚せい剤でも服用しているかのような目が異様にギラギラと燃え滾っているのが分かる。……はっきり言って『この人は狂っている』そう、感じた。

 ……今すぐにでも、外にいる警備員を呼び寄せて、この無礼な狂信者を追い出してもらいたかったが……今の言葉によって私の腹は決まり、この邪教徒に“聖女様”として神託を突き付けてやろうと後ずさってしまった足を一歩踏み出した。

 

「さぁ! さぁ! さぁ!!! 聖女様! 聖書を手に取って! 私の手をお掴み下さい! あなた様を欲しています! あなた様が入信したときこそ、我等の信徒は更に救われ、聖女様も含め皆で幸せを掴むことができるのです! 極楽浄土の道「入信する気はございません。出ていってください」

「…………はい?」

「『出て行ってください』っていったんです。オークさんたちの事を何も知らないくせに好き勝手言って。私を感染者から守ってくれて、足の手当てをしてくれて、このレジスタンスが大勢いる場所へと送ってくれて、監視房での過ごし方を教えてくれた私の命の恩人に『屠殺工場行きになるべき存在』だなんて。私は貴女に聖女様なんて持ち上げられようと、私の命の恩人を貶す人がいるスチール? ロータスなんかに入信する気はないです。どうぞ、お帰りください! これ以上、居座るなら警備員を呼びますよ」

「……あぁぁ……あぁぁぁ……」

「……っ!」

 

 形勢逆転したように、先ほどまで私を入信させようと流暢に喋っていた邪教徒を押し黙らせるように捲し立てながら感情をぶつける。私の剣幕に恐れ慄いたのか、正面の人物は二、三歩まるでよろけるように後ずさった。

 それから、まるで感染者に転化する直前のようなうめき声を上げ始め、聖書を落とし、両手でペストマスクを抑えながらフラフラと左右に身体を揺らし始める。

 こちらとしてもこれには驚いて、カウンターの下に隠してある強盗除けの拳銃を突き付けた。

 

「あぁぁぁ……あぁぁぁぁ……あぁぁ、なんておいたわしや……聖女様……! 教祖様のおっしゃる通りだ! そのご身体こそ汚れておらずとも、心はあのオーク共に誑かされ闇の奥底に沈んでしまっているのですね! あぁぁぁぁ。あぁぁぁぁ、なんとおいたわしや……」

「出て行ってください! この銃は玩具じゃないですよ! 店長から発砲許可は頂いてます! 最終通告です……っ! 次は撃ちます! 早く出て行ってください!」

「……大丈夫ですよ聖女様。今、ロータス教のわたくしめが救い出して差し上げます。すぐにその身元を教祖様の元へ……」

 

 正直、銃の扱い方なんてわからない。扱ったこともない。

 でも、銃の威力は誰でも知っているから、これでけん制にはなって一旦はその身を引いてくれるとは思った。

 しかし、それは思い違いでしかなかったことに気づかされる。

 邪教徒はゆっくりと落とした聖書を拾い上げ、顔に着けているペストマスクを取り払った。仮面の下には女性の顔があり、ボタボタ、ボロボロと大粒の涙を流していて……。その顔を見て、彼女は……まるで自分の事のように。私の境遇について嘆き悲しみ、あまつさえ救おうとしようとしているのを察することができた。そんな気迫を察することができてしまった。

 そのまま、拳銃を突き付けられているにも関わらず その場で許しを請うかのように両膝を地面に付き、聖書を差し向けて両手指の親指から薬指までの4指の先を突き合わせ、人差し指は右側に倒し、中指は左側、薬指で二等辺三角形を作って、小指を外側に大きく開き、紋章のようなものを指し示した。最初はロータス教団での仕草かと思っていたが、直ちにそれが何であったのか気づきを得られる。邪教徒が照らされて発生した影。影に映るその奇妙な紋章を形作っている影がロータス……蓮の花の形を作っていた。それからぼそぼそと何かを呟き始める。

 私としては、一刻でも早く、客から誰かが入ってきてこの異常事態に気が付き、警備員へ報告しに向かってほしいと願ったが、誰も来ることが無かった。

 

「ボソボソボソボソ」

「……!」

 

 こんな、にらみ合いが続くかと思われたとき。唐突、背後の扉が開かれ、複数人誰かが入ってくるような音が聞こえてくる。瞬時に、その方向に銃口を向けようとしたところで身体の異変に気が付いた。

 

(身体が……っ!? 動かない…っ!!!)

 

 まるで頭のてっぺんから、足のつま先まで見えない透明な蝋でもかぶせられたかのように、何か巨大な触手の触肢に巻き付かれ絡めとられたように腕がピクリとも動かない。声も出そうと試みるが、声も出ない。出せない。

 まるで、私の身体がマネキンに入れ替えられて、魂だけがその中に閉じ込められてしまったかのようだ。

 

——カランカラン

 

 それでも、やっと私の祈りが届いたように正面の扉から店長が店の戸締りのために店内へと戻ってきて——

 

「なんだテメ——」

 

 されど、ほっとしたのもつかの間。私の背後からスティール・ロータス教団の赤ローブと同じような黒ローブを纏った人物が、まるで私の影から生まれたように擦り抜けて現れる。店長が怒り狂いながら大声を上げるよりも先に飛び掛かって、口元を抑え押し倒す。それから彼等の体重も掛けるようにしながら、店長の眼球目掛けて包丁のような鋭利な刃物を突き立てているのが見えた。

 それは何度も。何度も。何度も。何度も。刃物が眼球に突き立てられるたびに店長の足が脊髄反射で激しくビクンっ。ビクンっと跳ねて。その反応が無くなるまで。何度も刺して。

 

 ——36秒後。

 

 ……黒ローブが店長に圧し掛かるのをやめた時には、店長は既に事切れているのが理解できた。執拗にその箇所だけ何度も刺されたであろう両目が真っ赤な血の池地獄になっていて、血液が涙のように横から流れ零れ出ている。

 

「……教祖様は言われたでしょう。獲物を即死させるなら脳に外傷を与えられるよう視神経か上眼窩裂を狙いなさいと」

「……」

「ですが、大声を出される前。それも抵抗される前に邪魔者を葬り去ったことは評価に値します。作戦完了後、あなたの事は教祖様へ報告させていただきますね。他の者も彼を見習うように」

 

 目の前で店長を殺したばかりだというのに、赤ローブはまるで慣れているかのような口調で店長を殺した人物に賞賛と評価の言葉を送っている。明らかに普通じゃなかった。

 更に私の背後にまだ大勢いるであろう残酷な暗殺者にも声をかける。私はいずれにしろ動くことはできない。やがて背後からその黒ローブたちが姿を現わした。現れた彼等は、全員闇に溶け込むかのような黒色のローブを身に纏って、顔にも表情が分からない黒い無表情のデスマスクを着けている。

 彼等は手に様々なものを持っていた。私の頭をすっぽり包み込むことのできる布製の黒い袋。ダクトテープ。革のベルト……それが何に使われるかなんて、正面で赤ローブが嫌にニヤついていることから簡単に思いつくことができる。

 手から銃が奪い取られ、正面から更に厄介な侵入者が入ってきた時の武器として持ち帰られる。構えて突き出されたままの不自然な腕にダクトテープがグルグルと巻きつけられ、足も同様に固定される。叫べないようにと入念に口元にも巻かれ、不自然な格好のまま正面出入り口側であるカウンターの反対側に引きずられた。そして、やっと身体が動くようになるが、ダクトテープで頑丈に拘束されている以上、私にできることは少ない。くぐもった声で悲鳴を上げることだけだ。

 赤ローブの邪教徒がゆっくりと私に近づき、胸元で馬乗りになって顔を寄せてくる。動けない私の両手を乱暴に掴んで甘い危険な香りのする聖書を無理やり握らせる。投げ捨てようとする前に、それもダクトテープでミイラのように身体に巻き付けられ投げ捨てることさえ許されない。

 

「ご安心くださいませ。聖女様。必ず、信心深い我が信者達と教祖様の手であなた様を“正気”へと戻して差し上げます。……例え、傀儡にならず(正気に戻らず)ともその肉体さえあれば私はどうとでもできますので。……怖いことなんて何もございませんよ。最初は確かに怖いかもしれませんが、身を委ねて快楽に身を任せることで瞬時に信仰度3000倍になれます。嫌なことはすべて忘れましょう。そして1つになり、(みな)で幸せになりましょう」

「~~~~っ゙!!!」

 

 赤黒色ローブの彼女は、その狂気的な笑顔を更にニタニタと歪ませて 鼻頭がくっつきあうほどの距離で諭し始める。散瞳している瞳の中でぐるぐると闇が渦巻いていた。それから、他の信者には聞こえないような小声で脅し文句を吐いた後に、その指先で滑らかに胸や胴体をなぞりながら額にキスまでしてくる。まるで、この身体は私のものだとでも言いたげに……。

 

 



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後編 『大悪党の推参』

――カランカラン…

 

 これから拉致をされる絶体絶命な時、再び扉が開かれる。店長が目の前で惨殺されたのを目撃した私は、ホッとするどころか新たに表れた犠牲者に必死に逃げてと祈り続ける。当然、暗殺者部隊のようなローブ全員の視点がそちらに移され、私から奪われた拳銃も扉の先に付きつけられるが……。

 ……そこには誰の姿もなかった。ただ避難所に繋がる通りが広がっている。

 

「おい」

「はっ」

 

 赤ローブが、先ほど店長を惨殺した黒ローブに指示をして扉を閉めさせる。

 今度は邪魔立てが入らないようにと、鍵まで念入りに施錠をして。他の黒ローブも裏口の扉を同じように……閉じて……。

 

「ライトニングパニッシャー! フルコネクト! ネイキッドォッ!!!」

 

 しかし、鍵を掛けたその時。表の扉が眩いサキュラが集団を殲滅させるときに放つ分厚い閃光のような雷撃が、入り口の鍵を閉めた店長殺しの黒ローブの一人を溶かし、床で寝転がっている私と咄嗟に伏せることのできた黒ローブ、そして店長の死体を流れるように盾として流用した赤ローブ以外の店内のあらゆるものが閃光の雷撃で黒く焦がす。

 私はこの雷撃がどういうもので、誰が発しているのかよく知っていた。それは服に付着した感染者の血を落とすためにうちの店へ顔を見せに来てくれる対魔忍の……。

 

「今 で す っ !」

 

「喧嘩の話の時間だ! コラァッ!!!

「“待”ってたぜェ! この“瞬間(トキ)”をよぉ!!!」

「オレサマ、オマエ、マルカジリ!

ヒャッハー! 新鮮なカルティストだー!!!」

「テメェらガタガタうるせぇんだよ! バカヤロー!」

 

 邪教徒達が正面の閃光に怯んだのと同時に裏口の扉が蹴り折り破られ、突き出た足によって黒ローブの1人が吹き飛ばされる。その蹴り飛ばされた衝撃のまま、後頭部を鋭利な机の角に強打させて転がった。

 他にも窓ガラスのない窓枠だけの窓や薄い天井を突き抜けて、武器を片手に乱暴者の蛮族たちがこの洗濯屋に乗り込んでくる。

 全員見たことのある顔だった。正確には最後に見たのは3カ月前。監視房前の通路で分かれたのが最後だ。そう、奴隷商人オークさん、羅刹オークさん、ハイオークチーフさん、フレイムオークさん、オーク傭兵さん、ハイオークさんの姿である。

 

「チィッ! 対魔忍にクソオークども……ッ! 恐れるな! 我々は神に護られし、純潔の血族で構成された信徒だ! 魔のものどもと交わった悪鬼羅刹共に劣る我らではない! 魔の手に堕ちた聖女様を救助するのだ! いあ!! いあ!!!

 

 またたく間に店内は戦場と化した。

 店の外からオークさん達によって破壊された窓や、正面出入り口を通過して黄色のエネルギー弾が飛び交う。黒ローブが閃光によってひるんだ隙をオーク達が鞭や、斧、ナイフで撫で切りにしていく。黒ローブたちもローブの下に隠し持っていた針のような武器などで応戦するも、所詮はヒト。ヒトとオークとでは体の造りが異なればその体格も異なり劣る。オーク達にかなわない生命力や怪力に押し負けて、一人。また一人と力尽きて倒れていく。

 私にできたことは、オークさんたちの戦闘の邪魔にならないように尺取り虫のように拘束された体を動かし、部屋の隅でこの乱闘が終わるのを震えて待つばかりだった。

 ……だが、ある時を境にその震える必要すらなくなる。

 正面出入り口から雷撃がライトマシンガンのように放たれ続けていたのだが、わずかにその射撃が停止する時間があった。その際、1つの巨躯がこの戦場に遅れて登場した。

 

「…………推参ッ」

「やっと真打ち登場か!」

「おせーよホセ! 単独行動はやめろとあれほど!!!」

「レイプは俺達の専売特許だぞ!!! こんな人族のクソ共に出し抜かれそうになってんじゃねーよ!!! クソボケがぁ!」

「まぁまぁ、いいじゃないですか。雷神の対魔忍を援軍として連れてきたことは評価に値します……よっと!」

「お嬢は左の壁だ!」

「……応ッ!」

 

 私に覆いかぶさる巨大な影。ふわりと浮かび上がる身体。呼吸するたびに胸の奥がきゅんきゅんと熱くなる性欲を刺激される体臭。お姫様のように抱きかかえられ、ごつごつとした鎧が頬にあたる。

 雷神の対魔忍による一撃で暗闇となった店内で、仄かに赤く輝く2つの黒目も白目もない瞳。彼だった。

 しかしその顔は、通路に出て私の視界が天井から吊るされる眩いライトに照らされたことによって見えなくなってしまう。

 

聖女様が奪取されたぞ! 取り戻せ!

「「「「「いあいあー!!!」」」」」

「行かせないわ! ライトニング・ボルトッ!!!

 

 逃げる私達に追っ手が迫ったものの、再び連射される雷神の対魔忍による黄色の閃光によって黒ローブは店から出ることもかなわず地に伏せていく。

 

「アスカ! 先導をお願い!」

「分かってるわよ! 聖女様にオーク兵……。まさに美女と野獣って感じね。ホラホラ! 退いて、退いてー! 警備員(みんな)は洗濯屋ウォッシャーの店に向かって! “また” スティール・ロータス教団絡みよ!」

 

 洗濯屋ウォッシャーから抜け出した後は、雷神の対魔忍に代わって風神の対魔忍が引き継ぐ。

 彼女が先導して走ってくれることで、どうやら私達の姿は『オークに拉致されそうになっている女性』ではなく『ロータス教団から逃げるのを補助しているオーク』として見られているようだ。また、風神の対魔忍の言葉によってアサルトライフルを担いだ兵士が慌ただしく駆け足ですれ違っていく。

 

………

……

 

 風神の対魔忍を先頭にした逃走劇は、私達が兵士が集う駐屯地に到着したことで終わりを告げた。すぐに大きな机の上に寝転がされて、風神の対魔忍が手に持ったナイフやオークさんがダクトテープのつなぎ目を見つけて口の周りに巻かれた拘束具を外してくれる。

 

「もうここなら安心よ。ここなら私の信頼できる兵士たちがいっぱいいるし、仮にこの中に兵士の格好をしたスティール・ロータス教団の人間が混じっていても、すべて私の風遁の術で守ってあげるわ」

「あ、ありがとうございます。アスカさん……」

「…………」

「それに、オークさんも危険な乱戦の中飛び込んで、私をここまで連れて来てくれて…。助かりました。ありがとうございます」

「…………気にするな」

「……あらら。そっぽを向いちゃって。まったく素直じゃないんだから。ここに私とゆきかぜに助けを求めてきた時のような饒舌で見事な狼狽っぷりを見せてあげたいわ」

「…………」

 

 やれやれと首を横に振るアスカさんに、オークさんは私達二人に完全に背中を見せてしまう。まるでもう喋りかけるなと背中で語っているようにも見えた。

 にししっと悪戯をする子供のような笑顔を浮かべたアスカさんが、オークさんに関して更に何か弄ろうとするような素振りが見えたため、助けてくれたオークさんをフォローしようと私は私の方で拉致しようとしてきたあのローブ集団について尋ねてみることにした。

 

「あの、アスカさん “スティール・ロータス教団”って何なんですか?」

「あー……。最近、レジスタンスの拠点で蔓延っている宗教よ。人間こそ至高で、ブレインフレーヤーや魔族に打ち勝てる最後の希望の星だって盲信している連中なの。信徒の話によれば教祖様がいるらしいけど、その教祖についての本名や素顔は不明。それでも最低限わかっていることは、ある時外から流れてきた避難民でその正体は見たこともない呪文を扱う魔術師。彼女を知っている避難民は、彼女の事を敬語で話す愛想のよい日本人で、教団を開く前は炭酸BARの店主だったとか。大工道具で機械いじりが得意というところまでは分かっているのだけど……」

 

 アスカさんはその表情を曇らせる。アスカさんにとっても、そのスティール・ロータス教団の教祖は気味の悪く厄介ことばかり引き起こす問題児として見ているようだ。そしてオークさんの方をチラチラと見ながら言うべきか、言わないべきか悩んでいる。

 

「……俺のことは気にするなと言っただろう。彼女が知りたがっているなら教えてやった方がいい」

「……スティール・ロータス教団の特徴として、オーク族を目の敵にしているところがあるのよ。……確かに世界がこうなる前は、彼等は乱暴者で傍若無人の限りを尽くしている過去があるけどね。だから、そのスティール・ロータスの教祖は世界滅亡前にはオークに対してひどく恨みを抱えている人物だと睨んではいるわ」

「ひどい話。オーク族にもオークさんみたいに良いオークだっているのに……」

「…そうね。でも頭が固くてその道理が通じないのがスティール・ロータス教団の連中よ。その話しを持ち出すと口を揃えて『良いゴブリン問題』『良きオークとは人前に姿を見せないオークだ』というの。覚えておいて」

「…………」

 

 その言葉を区切りに誰も言葉を発さなくなる。誰かが咳払いするぐらい以外の物音がせず、少し通夜のようなムードになる駐屯地。

 その時、出入り口の扉が荒々しく開かれた。兵士の数人が即座に立ち上がり銃口を向け、背を向けていたオークさんもショットガンを構えるが……。すぐに全員武器を降ろしてくれた。

 当然の反応だ。そこに立っていたのは……。

 

「ゆきかぜ!」

「こっちは無事に制圧が済んだわ」

「あのスティール・ロータス教団の幹部は?」

「駄目。また捕まえる前に、笑いながらいつもの意味不明な言語を叫んで……自分の額に釘を打ち込んで……」

「そう……」

 

 ゆきかぜさんの言葉に再び場は静まり返るが、その静寂も瞬時に終わりを告げた。

 

「任務終了。ここに服に付いた血液をクリーニングしてくれるベテランの店員さんがいるって聞いたんだが……」

「お嬢。安否確認とお迎えに上がりました」

「ゲヒャヒャヒャヒャ! オメー、カスカルトから聖女様って呼ばれてるんだってぇ? クソ芋おぼこ娘がよォォオォオオ! オゴッ!」

「だから私の目に狂いはないって普段から言っているでしょう? あの子は輝く原石だって……! こんな時代じゃなければ二つ名と調教次第で一千万はくだらない商品だって……!!!」

「すみません。すみません! いや、ほんとにうちのモンがすみません!!! ちゃんと儂が後で言って聞かせますから! 総大将! アァーッ! 首の骨は折らないで! お願いします! 何でもしますから! 電気鞭で電流は! 電流はああああああああああ!!!」

「バカばっかダナ」

 

 全員、あの邪教徒の返り血で血まみれだったが全員無事な様子だった。

 血の付いた毛皮のコートを脱いで半裸になった羅刹オークさん、気さくにこちらへ敬礼するオーク傭兵さん、汚い言葉で真実を語ったがゆえに首を絞められるハイオークさん、ハイオークさんの首を鞭で締め上げる奴隷商人オークさん、奴隷商さんに必死に謝罪するハイオークチーフさん、あきれた様子のフレイムオークさんの順で入ってくる。

 みんな恐ろしい牙を歪めて駐屯地にいる兵士さん方の顔は緊張の趣だったが、ゲラゲラと賑やかで楽しそうだと私は思った。

 6人は兵士に囲まれても気にする様子もなく、私の元まで歩み寄ってくる。それから最低でも約8フィートもある巨漢な壁がぐるり取り囲んだが、初めて会ったあの時とは違って別段恐怖を感じることはなかった。

 

「んで? お嬢、アレはコイツから貰ったか?」

「アレ? アレって?」

「ンだヨ。サッサと渡しチまえヨ」

「そんなんじゃ、いつまで経ってもオークから、オーク兵にジョブチェンジしないぞ」

「オラッ! イケッ! 恥ずかしがってんじゃねー! 出せ!」

 

 私が首をかしげると、オークさんをのぞいた他のオークさん達が『なんだよ。まだ渡してなかったのかよ』と言った様子で肘や膝で、オークさんをつつきまわされる。

 オーク基準の殴打がどれほどの威力が普通なのかは分からないが、彼等に肘打ち、膝蹴り、頭を叩かれたオークさんはその巨体をまるでドラム式の洗濯機で脱水されるときのようにぐるぐると打ち回される。オークさん基準では、痛そうな顔はしていないので、きっと彼等にとっては小突きあうぐらいなのかもしれない。

 洗濯機で遠心力脱水状態が終わらない彼を見ながら、ゆきかぜさんやアスカさんの二人を見ると、アスカさんは子供っぽく『ニシシっ♪』と楽しそうに笑い、ゆきかぜさんは肩を竦めて呆れた顔をしていた。

 

 5分ぐらい小突き回されたあと、オークさんがオーク族らしくないもじもじとした様子でポーチを開ける。

 そこから出てきたのは、枝で一束にされ、芽吹いたばかりの若葉と、未開花のつぼみをいっぱいつけた小さな白い花の集合体の花束だった。

 その花は弧を描く様な咲き方をしており、まるでアジサイのように広がっている。でも、花弁の形としては桜に似ていて、桜よりも小さな白い花だった。

 

「…………外で咲いていた……感染者やハンターに踏み荒らされてなくて綺麗で……採ってきた……お前にやる」

「あ、ありがとうございま……す」

 

 この花を受け取り、オークさんの言葉に思わず顔が赤く染まっていくのを感じる。この赤くなってしまったのは、彼の体臭で性欲を刺激されたからではない。純粋に彼の取ってきたこの花を貰ってから自然にこうなってしまったのだ。

 だって……。

 

「「「「「ヒューヒュー!!!」」」」」

 

 オークさんの背後で、他のオークさん達がこの白い花の花束を手渡してきたオークを囃し立てる。……大体、この囃し立てているのは、オーク分隊の総大将である奴隷商人オークさん以外の他のオーク達なのだが。

 

「あーあ、渡しちゃったわね」

「でも良いんじゃない? 彼女が嫌がってなければ、それで」

「それに、これは突き返してないしぃ~? つ・ま・り?」

 

 アスカさんも、オークさんから受け取った小さな白い花束を両手で抱える私を囃し立ててくる。ますます、私の顔が真っ赤に染まっていく。この花を渡してきたオークさんの顔が見れなくなって、でも心の中はうれしくて。

 

「…………な、なんだ。……も、もしかして、この花……人間の女にとって毒だったのか!?」

 

 わたふたし始めるオークさん。オークさんの言葉に、えっまじかよ、そんなモンを渡したのかよとでも言いたげに驚愕し、明らかな動揺を見せ始める様子の他オーク達、生暖かい目でこちらを眺める奴隷商人オークさん。誰もこの意味を理解していないような顔をした駐屯所の兵士さんたち。それでも、アスカさんとゆきかぜさんは奴隷商人オークさんと同じように、意味が分かっているようでこちらを見てきている。

 

「言っちゃっていい? ねぇ、言っちゃってもいい?」

「それを決めるのは彼女よ。アスカはこう言っているけど、あなたはどうなの? このままだと、その花についてアスカが説明しちゃうけど……?」

「…………いいえ。自分で……言います……」

 

 おろおろ、わたふたするオークさんに、私は先ほどまで寝転がされていた机から降りて一歩、歩み寄る。

 そして何とかして、彼の顔を見ようと顔を上げるも、どうしても顔がどんどん真っ赤に染まってしまって、顔が上げられず少し俯いた。結局。上目遣いで話してしまう事になる。

 

「あの……ですね……オークさん」

「お、おう!?」

「この花は自体は別に毒じゃないです…………」

「…………おぉ」

「……このお花は、『ナナカマド』という……木に生えるお花で……木の材質が堅くて7度かまどに入れても燃え残るという語源があって、ナナカマドって言うんですけど……」

「……」

 

 私の説明にオークさんは耳を傾け、真剣な様子でこっちを見ている。

 オークさんだけじゃない。この部屋にいる全員が私の言葉に耳を傾けて、事の成り行きを見守っている。

 

「えっと……。…………えっと……」

 

 頭から湯気が出てしまいそうだ。

 ナナカマドの花に鼻を突っ込んで匂いを嗅ぐ。ナナカマドの花の香は、バラの花びらが腐ったようなひどい臭いだったけど……それでも、この火照りが引く様なそんな気がして。

 

「あ゙ぁ゙! もうっ! じれったいわね!!! ねぇ、言っても良い!? もう言っても良いわよね!?」

「アスカ」

「言うわよ! 言うんんんん゙ん゙ん゙~~~~っ!!!

 

 暴走するアスカさんの口を抑えるゆきかぜさん、再び訪れる静寂。

 深呼吸して、オークさんを見て。

 

「……どの花にも……ほとんどの場合……は、花言葉ってものがあって……」

「…………花言葉」

 

 自分の心拍音が周囲に聞こえているんじゃないかと思うほどに鼓動が高鳴る。

 だから、その心拍音を搔き消せるように声を振り絞って。

 

「……ナナカマドの花言葉は、『あなたを守る』って意味があるんです……」

「…………」

 

 赤い瞳をまんまるにするオークさん。

 もうこれ以上ないくらいに顔が真っ赤になってギュッと目を瞑る私。

 ふたつの赤い実を挟むように存在するナナカマドの白い花。

 

——ウオオオオオオアアアアアアアアアア!!!!!

 

 周囲の状況は、分からないけど沸き上がる歓声。

 これが目を瞑った状態でも、赤い目をまんまるにしたオークさん以外のオークさん達の声や、兵士たちの歓声ということは分かった。私の隣と正面から、ゆきかぜさんから開放されて動き回るアスカさんの『ヨシッ! オッシ!』との言えたという歓喜の声が混じって聞こえる。

 そしてゆきかぜさんと奴隷商人オークさんの拍手の音も。その音は、どんどん増えて行って……。

 

 



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【秋】
始編 『洗濯屋ウォッシャーの一日』


 あれから夏が終わり、秋がやってきました。

 旧洗濯屋ウォッシャーは、ゆきかぜさんの奥義とオークさん達の大乱闘によって消し炭になってしまいましたが、基地の皆の協力もあり季節の変わり目には再建設を果たし、リニューアルする形で再復興を果たしました。その再建設時にはオークさん達も手伝いに来てくれて、最初は何かと洗濯屋ウォッシャーの再建設に来てくださったの皆さんと壁があったのですが、対魔忍のゆきかぜさんやアスカさんの弁解や作業をしているうちに打ち解けてくれたようです。

 そして、このナナカマドの花が掘られた看板こそ、みんなで作った新しい店です。

 

 ……出会いの春。ついに私を助けてくれたことに対してオークさん達へお礼を言うことが叶いました。探したにも拘わらず、ずっと会えなかったことを告げたところ、どうやら騒動と波乱の夏の間に私とオークさん達が合えなかったのは、オークさん達が私と会うことを積極的に避けていたことが分かりました。理由としては、自分達オークと私が関係を持っていることが避難民にわかってしまった場合、村八分にされてしまうのは私であり、私を思ったからこそ会うことを避けたとオーク分隊の総大将である奴隷商さんから聞いて……。

 でも、今回の共同建設で『完全に』ではないですが、少しだけ壁が溶けたので彼等の事を特別に敵対視する人も減ったのは大きな進展だと思います。

 

――カランカラン。

 

 今日も来訪客を知らせる出入り口のベルが鳴る。お客様が入店した時のチャイムだ。

 私は話に来た兵士さんに洗濯物の見張り番を任せ、店内へと戻る。

 

「ヘイ、よう! お嬢! 新兵の奴、お嬢と一緒の時ぐらいは喋るようになったか?」

 

 店内にはカウボーイハットを被った傭兵さんの姿がありました。外で物資調達に出かけていない時の彼の周りには、いつも避難民の子供たちの姿があって、彼の身体にしがみついたり、連れ添って歩いていることから子供たちに信頼されていることがよくわかります。

 

「あいかわらずです。でもオークさんは、確かに口数は少なくてぶっきらぼうですけど、優しいですよ。それに力持ちですし、洗濯物を運ぶときなんか真っ先に濡れた衣類を運んでくれますし……あ、そうだ! 最近は、オークさんが見張りをしてくれるおかげで衣類、下着泥棒も減ったんですよ! 私はその間、安心して接客もできるようになって……オークさんが嫌でなければ、ずっとこのままここで働いて貰いたいぐらいです」

「……スッゲー馴染んでんな新兵。……この戦争が終わったら、お嬢の元で洗濯屋を開いた方が様になってんじゃねぇのか? ……で、俺は? 俺はお嬢から見てどんな感じよ?」

「傭兵さんは、すごくフレンドリーで皆さんの中で一番いろいろ話しやすいですよ。子供達にも人気があって、この前は魔界のカウオークごっこをされてましたよね! ヨミハラのアンダーエデンで工具を片手に暴れまわる大悪党を退ける魔界騎士団のシチュエーションで!」

「ハッハー! 見てたのかよ! なんだよ。それなら声をかけてくれたっていいじゃねぇか」

「いやぁ……。あの後 子どもたちの銃弾によって西部劇のガンマンのように倒れ込んだのはかっこよかったですが、転んだ拍子に民家の壁に穴をあけて子供達と逃げていくところまでセットで見ちゃいましたからね」

「OK. わかったお嬢。それ以上はいけない。お口チャックだ」

「うふ、んふふふふふ……」

 

 避難民との壁が溶けたおかげで、こうして時間のある時にオークさん達の誰かが店に顔を出してくれるようになりました。この洗濯屋ウォッシャーに立ち寄る初見さんはオークが来ることに対して驚いて逃げちゃったりするのですが、衣類が惜しいと思う場合は必ず兵士さんたちを引き連れて帰って来るので、洗濯屋にオークがたむろしていてもすぐに誤解を解くことができます。

 それに彼等が出撃や物資調達のため外へ出かけた際でも、スティール・ロータス教団の襲撃があってからというものオーク分隊の中で必ず1人は残って私の警護をしてくれます。そして、ただ警護するだけじゃなくて仕事も手伝ってくれて……。

 オークさんなら、洗濯屋の手伝い全般。

 傭兵さんなら、子供たちの遊び相手。

 羅刹さんなら、高温乾燥室の室温を保つために、竈に入れるためのくず木材の調達や運搬。薪割り。火の番。

 フレイムさんは、洗濯屋で待つお客さんへの外国語の授業や、日本語を離せないお客さんの通訳。

 チーフさんは、兵士さんたちへの素手での近接戦訓練。チーフさんに兵士さん達が勝てば、洗濯屋の無料利用券が贈与されます。

 奴隷商さんだと、私の仕事の合間に私が知らない様々な知識を授けてくれます。

 ……何か、1人足りないような気がしなくもないですが……それはきっと気のせいです。人に得意・不得意、好き嫌いがあるようにオークにだってそれぐらいありますから。

 

「そうそう! 以前、新兵の奴がお嬢の御守で残った時、俺達でお嬢が棲んでたっていう拠点に行ったんだよ!」

「えっ! 今はかなりの感染者が徘徊しているはずのあの拠点にですか!?」

「応よ。でも安心しな。突入したのは夜だったし、総大将の作戦で、以前お嬢が逃げていくのを見たコンビニエンスストアで、残っていた爆竹をうまく使って十分に感染者の大多数をブレインフレーヤーのハンターども共にぶつけてやったみたいでよ。賑やかにドンパッチやってくれたおかげで、そんなには殴り合ってねぇな」

「オークさん達の “そんなに” は少し信用できないですね……」

「ハッハー! お嬢、それは言いっこなしだぜ!」

 

 ゲラゲラと笑う傭兵さんに釣られるように、周囲の子供達もカウンターの向こう側でゲラゲラと笑う。しかも笑い方だけではなく、片腕を腰に当てて腹筋を使って笑う様子までそっくりそのまま真似をしている。

 ……子供達から話を聞いたところによると、傭兵曰く、この笑い方は 自身を元気づけるときや喝を入れるとき、憂鬱な気分を吹き飛ばす時、覚悟を決めるときに使える笑い方でなのだそうだ。

 

「でだな! まぁ確かにお嬢のいたコミュニティは、ここに比べちまったら小さなコミュニティだけど物資はそのまま残っててよ。宝の山の何の……とにかく物資がどっさりだったわけよ。チーフ(大将)なんかさ、『この物資を全部持ち帰ったら、奴隷商(総大将)が物資調達係りなんてやめてこの物資を使った商店を開き始めるぞ……』なんて元々真っ青な顔を更に青くしちまってよ!」

「確かに、奴隷商さんは外で働く武闘派というよりも、内政している方が性にあっていそうですもんね。……チーフさんのお気持ちわかります」

「それでもやっぱり宝の山をそのままにしておくことはできないってことで、俺達が持てる物資を持って帰っちまったんだが…………」

「……もしかして?」

「あぁ。奴隷商(総大将)が案の定、商店を開くって言って聞かねえの」

 

 今の情報でなんとなく、最近の奴隷商さんの行動がいろいろと読めてきた気がする。外での活動後に疲れているにも関わらず、私の店に入り浸って色々と会計士としての資金帳簿の付け方とか……この世紀末世界での物価の変動とか価値とか、洗濯屋の売り上げ金の状況とか……きっと私を洗濯屋から引き抜くつもりなのかも……。

 奴隷商さんは口八丁手八丁だから、今の情報が無ければ確実にあの人の口車に乗せられていたに違いない。でも私としては奴隷商さんと働くのは楽しそうだし、毎日が刺激的で新しい知識を得られると思う分、嫌ではないけど……今はまだ、この洗濯屋ウォッシャーで様々なお客さんと交流を深めることのできる場所で働いては居たいと思っていた。

 

「……だからよ。お嬢からも言って聴かせてくれねえか? 俺達は総大将が居なけりゃ、ただの荒くれモンなオーク衆だって。確かに大将(チーフ)が居れば分隊は回るかもしれねぇけどよ。総大将が居なけりゃ、切り抜けられない場面だってあってさ……」

 

 いつも元気な傭兵さんが本当に困ったような顔をする。こんなことを思ってしまっては失礼とは思うが……確かにあのメンバーでは奴隷商さんが欠けてしまったら分隊機能に支障がでると私も思う。

 

「ま、切り抜けられない場面っつっても、主にバロネスシティで盛大にやらかしちまった時の出来事や、この基地に安心して腰を落ち着けることができるようになったぐらいの出来事だけどな!」

 

 私の神妙な顔にも気が付いて、わざと明るく振る舞ってくれる傭兵さん。

 ……別にそんな気遣いしなくてもいいのに。傭兵さんは、オークさんのように直接感染者の脅威から助けてくれたわけじゃないけど、あのキレ芸で自分を強く見せようとしているとあるオークを宥めて、道中もこの身を護ってくれた命の恩人だもの。そんな人物の頼みを聴かないわけがない。

 

「大丈夫ですよ。任せてください。今度、2人っきりで奴隷商さんが私に色々勉強を教えてくれる時に、さりげなく聞いて私の言葉で傭兵さんの気持ちをちゃんと伝えますね」

「本当か……! いやあ、お嬢! 流石、お嬢! 頼りになる!!! よっ! 第二の奴隷商!」

「おだてるのは奴隷商さんの説得がうまく行ってからにしてください。それと、第二の奴隷商は元の意味から考えると誉め言葉になってないですよ」

 

 シンバルモンキーのように手を叩きながら喜ぶ傭兵さんを思わず居酒屋で酔っぱらうおじさんをあしらうウェイトレスのようにあしらう。まったく、この人は……。

 

「ねー! ねー! おじさん、まだー?」

「お、お。お。悪い悪い。少し長居し過ぎちまったかな? じゃ、お嬢。俺はこの後、坊主どもと行くところがあっから、またな!」

「はい! また!」

 

 子供達を連れて傭兵さんは店を出ていく。子供たちが私に対してお別れの挨拶である『さようならー』と挨拶をするように促していることから、ちゃんと教育係としても子供たちの面倒を見ているようだ。

 彼等の後ろ姿を見送ってから、バックヤードへと戻ろうとしたとき傭兵さんが、まるで録画したBlu-rayを逆再生するかのような動きで戻ってくる。……あのお茶目で陽気な動きは忘れ物かな?

 

「……ちなみに、ガキどもは俺の事をおじさんって呼ぶが、俺はお嬢と同じく人間でいうところの20代前半だ。お嬢は勘違いするなよな」

「……はいはい」

 

 オネエのように掌の裏を口元に寄せヒソヒソと私に内緒話をする。私は半分あきれたような微笑んだ顔で、返事をすると今度は指を指しながらウィンクをした後に後ずさりしていく。新築の出入り口の梁に後頭部をぶつけながら退場していく笑いを誘う彼にエンターテイナーだと思いながら、その日の洗濯屋としての忙しい一日は いつも通りの業務でまるまる潰れて行った。

 

………

……

 

 



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続編 『就労後の寄り道』

 一日の業務を終え、店の戸締りを終えた後はゆきかぜさんが考案した通貨を利用して晩御飯の買い物を済ませる。夕食としてはごく一般的に普及していてかなり質素なものだが、以前の拠点で暮らしていた時とあまり変わらないようなそんな食事だ。

 家に帰ったところで1人っきりということもあって、今日も私は日課の場所に向かうことにした。

 

――コンコンコンッ

 

 木材とコンクリートで建築されたボロボロの一軒家の扉をノックする。この家の周りには心のない避難民によって酷い絵や言葉が書かれたラクガキがされているが、訪れるたびにコンクリートで壁が上塗りにされており、壁だけは以上に分厚い。でも、近所の子供達が描いたであろう絵だけは塗りつぶされずに残されている。そんな居住者の優しさが滲み出ている民家だ。

 

「だだいま」

 

 ――返事はない。

 返事は無いが、それでも気配はある。だから親の顔よりも見た流れで、私は扉を開けて室内に入る。ここでは、他人の家に入る『お邪魔します』ではなく実家に帰ってきたような言葉を発しながら。

 私が電気の電源スイッチを探して点けるよりも先にパッと辺りが明るくなる。……そして。

 

っせーんだよ! オメーはよ!! つまみを買ってくんのに何時間かかってんだ! ゴル……キャン!」

「何を偉そうニ! テメーは、ナベかき回して座ってたダケダロ!」

「やめろ。その言葉は居住スペースの拡張だけをしていたオレにも効く」

「総大将! お嬢が帰ってきたぞー!」

「汝。メシを食う前は手を洗えよ」

「夕食の支度はできていますよ。お勤め、お疲れ様でした」

「…………おかえり」

 

 みんなが出迎えてくれた。

 普通の人なら、こんなオークまみれのオーク臭のするタコ部屋に自ら入るようなことはしないだろう。でも私は彼等なら安心も信頼もできるから。いつものように入り口で靴裏の泥を落として靴のまま上がり込んだ。

 ここはいつも賑やかだ。内装は外装ほどひどくはなく床には木製の板が敷き詰められてフローリングの役割を果たしている。改築前では、オークさんが3人。寝そべってしまえば眠るスペースもないような屋内も、現在では壁が掘られて洞窟の先に拡張スペースが広がっていた。

 チーフさんに促されるまま、流し台で綺麗に手を洗って、オークさんが手渡してきた手ぬぐいで手を拭く。

 ガタガタ口だけは達者なガソリンくんに、私の1食分になる携帯保存食(Eブロック)をつまみとして差し出す。彼は本当に口が悪くて、オーク分隊の中でボコボコにどつきまわされるような悪い子だけど、しつけ甲斐があることが観察しているうちに理解できたので、8フィート級のチワワがキャンキャン喚いていると思えば、彼の事も怖くはなくなっていた。

 肌の色も顔も真っ赤にしているフレイムさんを宥めた後に、私がいつも座っている席に着くと、台所の奥からリビングと台所を繋ぐ扉を開ける羅刹さんと、両手に可愛らしいミトン、頭には黄色の三角巾、胴体には花柄のエプロンを付けたアツアツの土鍋を運んでくる奴隷商さんも現れる。

 あとは出来立ての食事をみんなで囲むように座って。

 

『いただきまーす!!!』

 

 本来、食事を取るという行為は、この世紀末な世の中では、生命活動を維持するうえで端的に行われる儀式だったり、外敵に狙われやすくなる危険な行為であり、楽しむようなスペースはない。

 それに現在、このブレインフレーヤーが支配する世界では、以前のような “動植物生物” を用いたなじみ深い食事は高級品となっており、それよりも普遍的に食べられているのはEブロックなる携帯簡易食の食事で、気持ち程度の味はつけられているものばかりだ。生き永らえるだけの栄養はあるが、まぁ、美味しくはない。

 だがそんな食事の時間も、今では彼等と共に雑談しながら食卓を囲むことによって、この世紀末では味わうことのできない楽しいひと時。息抜きをして人生を楽しむうえでは欠かせないイベントに早変わりしていた。いつまでもこんなひと時が続くことを願いながら、皆と食べるのだった。

 

………

……

 

 食事も終わり、8人分の食器も洗い終えた私は団らん室で好きなことをしている7人の元へ足を運ぶ。

 食事のスペースとは異なり、団らん室のスペースは羅刹さんが拡張した土の中にある。このスペースは本当に広く先ほどまでのギチギチとした食べ方に気を付けないと誰かの肘が誰かの頬にめり込むような狭さは払拭された7人が十分に各々の好きなことができる広さだ。

 ここでは、オークさんは日用品の補充や整理、傭兵さんは全員分の銃火器の整備、羅刹さんも全員の近接武器を研いでいて、フレイムさんは植物に熱意のこもった言葉を話しかけながら家庭菜園。ガソリンくんは私が入ってきたのと同時にこれ見よがしにナイフを取り出して感染者を模った模型にナイフを連続で突き刺して誇らしげな顔をしている。残りのチーフさんは地図を広げて今度の物資回収の目星を付けて、奴隷商さんは眼鏡を掛けながら手に入れた物資のリストアップをしているようだった。

 ここへ遊びに来た最初こそ適正にあった役割分担であると見ていたが、よくよく観察すれば本当にそれぞれの性格や思考にあった行動を取っているだけなのだと気づきを得られる。だからと言って何だという話ではないのだけど。

 

「あぁ、洗い物。お疲れ様でした。もしもまだお帰りになられないようであれば、この前、回収してきた物資の整理を一緒に手伝ってはくれませんか? 新兵くんも、そちらの片づけが済みましたらお手伝いにこちらへ来てください」

「喜んで!」

「…………あぁ」

 

 奴隷商さんは物資の中から、座布団とちゃぶ台を取り出して隣へと置いてくれる。私はそれに座って、右に並べられている物資を手に取り、その物資の名称を声に発して左へ置く奴隷商さんの言葉をノートパソコンにデータとしてブラインドタッチ入力する。入力が済んだものは、印刷機でプリントアウトされて数回は書き直し、書き込みの可能な紙媒体の資料となるのだ。

 世界崩壊から約10年。最初、パソコンを手渡されたときには未だに電化製品が動くことには驚くばかりだったが、どうやらこの地下の建物は地下鉄のデパート街にもつながっており、奴隷商さん曰く ここの電気はゆきかぜさんの電撃をかすめ取って備蓄したもの……ではなくヨミハラのようにデパート街から盗電している電気らしい。テナントの持ち主は、パンデミック発生と共にどこかへ逃げたか、感染者と化したかで居ないそうだが、電気代金は今もなお支払いが続けられているためこのようにして使用することができるらしい。

 

………

……

 

「……今日のところはこんなものですかね。貴女が手伝ってくださるおかげで荷物整理の作業効率が2倍です。人間の中では物覚えも早いですし、本当に助かりますよ。この調子なら世界が元通りになった後でも、私の仕込んだスキルで何処に行っても通用するに違いありませんよ」

「それは奴隷商さんがいろいろ仕込んでくれたおかげでもあって……でも褒め得頂いて、ありがとうございます」

「ふふっ。そうですね、さて夜も更けてきました。あぁ……今日のところは、そろそろ帰った方がいいかもしれません」

「え。あ。本当ですね」

 

 ふと天井に備え付けられた時計に視線を移すと夜の20時を指していた。

 世界がこうなってしまう前であれば、大人は夜の繁華街を散歩していても裏路地にさえ気を付けてさえいれば遊び歩いてもよい時間帯ではあったが……。今の時代これ以上に夜が更けると夜勤の兵士さん達が辺りを巡回しているとはいえ、避難所であれスティール・ロータス教団に拉致される危険もあり、私は別段彼等から必要以上に狙われている以上安心できないこともあった。

 ……あれ? でも、いつもなら傭兵さんやチーフさんが私の分の布団を敷いて、川川儿の字でになって泊っていくかどうかの話を奴隷商さんが持ちかけてくるのに……。今日は何か予定でもあるのだろうか?

 団らん室のスペースで各々の作業を続けるオークさん達に別れの挨拶を済ませて、出口まで歩いていく。出口のところで振り返るが、帰るときにはいつも見送ってもらっているせいか今日はオークさん以外に姿を見せないことに少しだけ寂しさを感じていた。

 

「それじゃ、オークさん。また明日ね」

「…………」

 

 別れの挨拶を告げる私に、彼は少し唇をもにょもにょと動かした。彼が下唇を動かすときは、彼なりに何かを言いたい時だ。オーク分隊の中で口数が少ない彼だが、無口で口数が少ないわけではなく、言葉を選んでいる間に他のオークさん達が先に言葉を発してしまうからそう見えてしまっているだけであって……本当はもっとお話しすること自体はできるはずなのだ。

 

「……?」

 

 だから私は彼が言いたいことをゆっくりと笑顔で待つ。

 

「…………外は危ない。送ろう」

 

 それから、数十秒後。ゆっくりと口を開いた。

 

「本当? 是非ともお願いしたいな。オークさんと一緒なら心強いし、安心できるから」

「…………」

 

 誰も見送りに来てくれない不思議な秋の夜。

 今ならオークの誰にも悟られずに二人だけで抜け出せると思って、こっそり家を出た。

 

 



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終編 『ふたりきり』

 すれ違う兵士さん達に夜の挨拶をしながら、閉店している商店街をオークさんと2人で並んで歩く。私達2人だけ以外にまるで人が居なくなってしまったかのように、辺りは閑散していて足音だけが響いていた。

 オークさんは木斧を手にしながら辺りを警戒してくれているようだ。たまに暗闇の先をじっと見つめ、そんなオークさんに気付かずに私が先を歩いてしまいそうになると、そっと私の胴体並みに太い木の幹のような腕を伸ばしてきて、私の身の安全を確保してくれる。

 初めて見たときにこの腕は恐怖を煽り、気色の悪い肌の色だと思っていたが今は違う。彼の腕にそっと手を触れて、身を寄せることで性的興奮の他に、安心できるようなぬくもりがあって……。ナナカマドの花の花束を貰い、最初は意図こそしていなかったようだがその花言葉である『あなたを守る』という彼の意思の強さを感じることができた。

 

「ここまでくればもう大丈夫だね、ありがとう」

「…………」

 

 そんなやり取りをしながら、早30分。帰路がいつも以上に時間はかかってしまったが、オークさんのおかげで何事もなく居住区の自宅に辿り着くことができていた。

 スティール・ロータス教団の襲撃後。私の自宅は場所が替わり隣の小屋の前に見張りが付く様な場所になった。私が直接的に守られているわけではないのだが、結果的に警備が厳重となり気軽にスティール・ロータス教団の信徒が私へ手出ししてくる心配はなくなっていた。

 オークさんは自宅の前まであと数メートル進んだところでその足を止め、私は彼の腕と胴体の間から顔を覗かせる。こちらを見ている爛々と光り輝く赤い目。透き通るルビーにLEDライトを押し当てたかのような光で、悪鬼羅刹を退かせるかのようなそんな強い彼の目が私を捕らえる。

 私の言葉に彼は逞しい腕をそっと開き、大きな掌で背中を押してきた。彼の腕の長さを考えるならお尻を押したほうが楽にも関わらず、押してこないところから彼がウェイトレス時代に出会ったセクハラする客よりもずっと紳士であることがわかる。

 ここで心の奥底で、オークさんの家で他のオークさん達が見送りに来てくれなかったときのような寂しさが胸をジクジクと蝕む。……きっと、役目を終えた彼はこのままでは帰ってしまうだろう。いいえ、帰ってしまうに違いない。

 

「……えっと。お礼をせずに帰しちゃうのも悪いし……お茶でも飲んでいって欲しいな」

 

 …………私は彼には帰ってほしくなかった。

 だからそっと押された背中の腕に私の腕を回して、彼の手を自宅に誘うようにして手を引っ張る。

 

………

……

 

「…………」ゴンッ

「!? だ、大丈夫!? 怪我してない?!」

「…………頑丈だから大丈夫」

「ご、ごめんね。人間用の家だから入り口の梁が低いの。帰るときには潜って帰ってね?」

 

 入り口の梁に頭をぶつける彼に対して謝りながら、お茶を入れるためのお湯を沸かす。

 私の家は、春に紹介されて以来ほとんど家具は何もない。新築祝いとして家の前に置かれていたやや大きめの椅子と机が1組と壁に木の板を打ち込んだだけの簡素な本棚に格安で取引されていたボロボロの小説がぎっしりと詰まっていること。1人用の食器分と衣装タンスに数着の服、洗面台にはオークさんが物資調達の度に摘んできてくれるナナカマドの生け花が飾られている。本当にそれだけの室内だった。

 彼は少し屈んだ状態になりながら、本棚に向かう。

 

「…………本、読むのか?」

「少しでも賢くなろうと思って」

「…………」

「……私ね。最初のパンデミックが起きたとき、まだ小学生だったの。……昔から本当に学が無くて噂話ばかり信じていてね。……今こそ、奴隷商さんに色々、様々なことを教えて貰えたから知識として習得できたけど、避難民の中で私だけが生き残って貴方達に護られてここに来た当初もどうしようかって、自分で道を決められないほどに痴愚で……でもある時、前の避難所で働いていた時に店長から賢くなりたいなら読書して人付き合いを増やすことを勧められて」

「…………それで本を読んで、洗濯屋に働くようになったのか」

「うん。……でも洗濯屋で働くようになったのは、人付き合いの為じゃなくて……あの職場ならオークさんに会えるかもしれない。会ってお礼を言えるかもしれないと思ったからかな」

「……ウェイトレスの方が会える確率は高いとは思わなかったのか?」

「…………店に来てくれるお客さんにオークさん達の事を聞いても、オーク自体 見たことが無いっていうお客さんが多くて。常連の外食客が見てないとなると、オークさん達は人目の付かない内食されているんじゃないかと推測して……。それに洗濯屋なら自宅で落とせない血の汚れを落としに来訪してくれるんじゃないかと思ったの。あと、洗濯屋に就職してからはセクハラもかなり減ったしね!」

「……賢いな」

「私なりにたくさん本を読んで勉強しましたから」

 

 やかんに入ったお湯がぐつぐつと煮えたぎったので火を消し、戸棚からマグカップとお茶っ葉の粉を取り出して出来立てのお湯に浸ける。高価な未使用のお茶っ葉だった為、お湯に浸けたのと同時にお茶の成分が広がっていく。

 それを誤って落としてしまわないように平皿に乗せると彼にとっては小さすぎる机の上に置く。

 

「冷めないうちに、どうぞ」

「…………すまない」

「これは夜に家まで送ってもらって、私のわがままに付きあって貰ったお礼ですよ。お礼。……だから『すまない』だなんて、こんな時まで謝らないでください。オークさんは何も悪いことなんかしてないんですから」

「……ありがとう」

「ふふっ。その言葉の方が私は嬉しいです」

「……! ……」

 

 ズズズっ。という、彼がお茶を火傷しないようにゆっくりとお茶を飲む音が室内に響く。彼にとって私のマグカップは小さいが、それでもティーカップほどの分量にはなるはずだった。

 私がニコニコと微笑み、椅子に座って彼がお茶を飲む様子を見ていると彼はそっと視線を逸らす。でも、そんな彼の仕草も愛おしくてよりまじまじと見てしまう。

 

「……そ、そうだ。…………この前、ナナカマドの花を見つけてきただろう?」

「はい。あの花であれば、まだ生花としてあの場所に飾っていますよ。枝も大切に保管してあります」

「……そうか。……そろそろ枯れてしまうだろうから、新しいナナカマドの花を持ってこようと思ったんだが……あいにくすべて枯れててな」

「あら……」

「……だが実はあって。…………でも、いっぱい取りすぎて。……その良かったら一緒に……食べないか?」

 

 そういって彼はポーチの中から赤い木の実を取り出して、私に見せてくれた。彼の両目と同じ赤色の細かな筋子のような粒が、ナナカマドの花と同じように大量に付いている。彼はそれをマグカップ置き場として転用していた平皿に一房分ちぎって乗せて差し出してきた。

 そして、食べられることを証明するかのように数粒を掌に載せて、その竜牙の生えた口の中に……——————

 

「——駄目っ!」

 

 間一髪、彼の腕を両腕で飛び掛かるように掴んで彼の口に入ってしまうことを阻止した。今の衝撃で、ナナカマドの実は掌から零れて床に転がる。目は赤いけど、白黒させ困惑する彼は私が止めた理由が分かっていないようだったが、私がその腕を掴んで止めた理由をなんとなく察した様子ではあったようだ。

 平皿に並べられたナナカマドの実と私を交互に見て、唖然としながら細かく震えている。

 

「……冬ならまだしも、この時期のナナカマドの実は微量ですが『シアン化合物』が含まれています。食べるのは身体に毒ですよ!」

「…………あぁ……そんなつもりは……すまない……すまない……。……俺は……危うく毒物を……」

「……良いんです。知らなかったんですから。次から気を付けましょう? そんなことよりも、オークさんこそ、大丈夫ですか? この実をいっぱい食べちゃったり、避難所の交易所で食べられる木の実として物々や貨幣交換していませんか?」

「…………それはしていない……いっぱい取ってきたのに……まさか、毒だっただなんて……」

 

 そう告げ狼狽える彼のポーチには沢山のナナカマドの実が詰め込まれていた。きっと街中にある木の実で鳥類にも啄まれていないことから、味気のある木の実として幸運だと思って取ってきてしまったのだろう。

 でもその中にはオレンジ色で、ブルベリー大のナナカマドも入っていて……。

 

「……。オークさん、オークさん。そんなに嘆く必要はなさそうですよ」

「…………え……?」

「そっちのポーチに入っているオレンジ色のナナカマドは食べられます。ジャムとかにして……。……と言っても、もう少し成熟……そうですね。1月に入ってからじゃないと食べられないのですが」

「……こ、これか?」

「それです。それはセイヨウナナカマドと言って、ヨーロッパ原産の外来種のナナカマドですね。日本のナナカマドと違って、木の実がオレンジ色なのが特徴です。それと、そちらの大量のナナカマドですが、もしも不要でしたら私にくれませんか? 対価は……そうですね……」

 

 室内をぐるりと見まわして何かあげられそうなものを見渡すが……本当に生活に必要最低限なものしかなく、床下に隠してあるバーボンぐらいだろうか?

 

「た、た対価なんてとんでもない!」

「?!」

俺は君を危うく殺しかけたんだ! むしろここは俺が慰謝料を払うべきだ! この木の実なんかで良ければタダで受け取ってくれ!」

「!!?」

 

 いつもなら少し考えてから言葉を発するのに、すごいびっくりするぐらいの勢いと大声で彼が流暢に話して出して私が目を丸くする。それから彼は余程申し訳なく思っているのか、大量の木の実を机の上に置いた。

 

「……こんなにいっぱい取ってきちゃったんですね……。……ありがとうございます、この木の実は有意義に使わせて頂きます……?」

 

 興奮するオークさんを宥めながら、貰ったナナカマドの木の実を全て戸棚にしまう。でも彼のおかげで良いことができそうなのも確かだった。

 ふと、そんなやり取りをしてから少し外を覗いてみる。すぐ隣の民家では、見張りの兵士さん達が2人とも丸い目をしながらこちらを見ている。彼等には別に何でもないという合図を送って、ジェスチャーで謝罪したのちに周囲を見回した。時間帯的にも、どこの民家からも光が消えて消灯されている。見える範疇で電気が点灯しているのはこの家だけのようだ。

 すごすごと自宅から半身を乗り出すのをやめて扉を締める。そして簡易的なものだが、こっそりと鍵を閉めた。

 

「えっと、オークさん?」

「……大声を出してすまない……なんだ?」

「もう夜も遅いですし……今日のところは泊っていきませんか?」

「……。…………オークに対してそのセリフはやめたほうがいい。『襲ってくれ』と言っているようなもんだ」

「……」

「……いいですよ」

「……え?」

「いいですよ。オークさんになら、襲われても」

「……」

「……布団は一枚しかないですし。いつでも入ってきていいですからね」

「…………」

 

 こうして仲秋の昼は残暑が残り、人とのぬくもりと共に夜の少し肌寒くなる日は過ぎていく。

 

 




-閑話-
「……ただいま」

「ゲヒャヒャ! 朝帰りかよ! それで~?」

「…………なんだ」

「オレだって言わなくても分かるぞ。彼女と昨日はしっぽり……」

「……するわけないだろう」

「マタまたァ~」

「…………」

「……ヘイヘイヘイ……本当にヤってないのか?」

「…………」

「お前の事だ。自らから家に上がり込んではいないだろう……つまり、だ。……合意があった(彼女から自宅に招いた)のにか?」

「…………」

「……あの、私達がどうして彼女の見送りに行かなかったのか……わかっていますよね?」

「…………」

「…遅漏インポ」
「オークの面汚し」
「カマ野郎」
「Very funny(棒読み)」
「新兵のイチモツはやはり新兵」
「君はあんなかわいい女の子を見ても陰茎が勃たないフレンズなのですね!」

「そこまで言わなくたっていいだろう!!!!!!」


~あとがき~
 今回は、作者の予測が入っています。
 大人ゆきかぜの作画資料は23歳ぐらいをイメージして描かれたそうですが(対魔忍RPGwikiのデータ参照)。
 本編を遊ぶ限りコンビニのバックヤードに残されたフルーツの缶詰の賞味期限が7年経過していること。缶詰商品が品出しの前にダンボールの中に入っていたということから、状況としては入荷した直後。賞味期限の最長だとして+3年。ですので、パンデミック発生から10年前後は経過していると作者は考察しています。
 また、この時。大人ゆきかぜさんの年齢ですが、作中 変異アルサールと争ったのがふうま君が五車学園2年生の頃なので、16+10=26歳ぐらいですかね。



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【冬】
起編 『一抹の不安を煽る者』


 ブレインフレーヤーの侵略から早10年が経過し、11年目に入ろうとする孟冬。

 地表は氷点下-10℃という極寒の地ではありますが、それでも私達は地表よりも温かい地下で、今日も元気にレジスタンスのメンバーやオークさん達はブレインフレーヤーに反旗を翻しながら生きています。

 

「あれー? 店長。それハンドクリーム? いいなー。交易所にいるおじさんから買ったの?」

「これ? これはね——」

「あっ! 言わないで! 当てるから…………オークでしょ! オークから貰ったんだ!」

「えへへ……あたりです。これからの季節、冷水や最近見つけた強い洗剤を使うようになって手が荒れるだろうからって少し早めのクリスマスプレゼントで」

「うわぁ、いいなぁ……」

「私も何かクリスマス前に返したいと思うんだけど、中々タイミングと似合いそうなプレゼントが思いつかなくって……」

 

 洗濯屋ウォッシャーは今日も大忙し。特に冬場は夏場と比べて、冷水に触れなきゃいけないし、洗濯物の種類によっては重い衣類を扱うし、重ね着するから衣類自体も増えるし……で、時機的にも仕事量が増えることで更に人手まで減っちゃって……。

 気が付けば私が洗濯屋ウォッシャーの店長になっていました。晩夏に立て直ししたときには勝手にナナカマドの絵を掘ったもの看板に組み込んでましたが、あの時はまだ副店長の身分ではありました。

 今日も、レジスタンスを支える一日が始まると思ったその時、通路が賑やかなことに気が付いて洗濯を纏め通路へと従業員と一緒に出る。

 

「一体、何の騒ぎですか?」

「ふうまだ。英雄のふうまが仲間達を連れて、またこの基地にやってきたんだよ!

 

 一瞬、聞き覚えのある名前に顔をしかめる。どこかで聞いたことはあるような気がするけど、いったいどこだったか。

 

「ふうま!? でも、ふうまは死んだはずじゃ……」

「だから過去から、ゆきかぜさんとアスカさんが連れてきたみたいだぜ!」

「今、交易所(市場)で医療品と交換する形で、対魔忍2人と一緒にコーラをまた買ったって!」

「基地の外でサキュラとハンターの小隊をぶっ飛ばしたって話だ!」

 

 『ふうま』。そうだ。思い出した。ある日の夏場……ゆきかぜさんとアスカさんが洗濯屋ウォッシャーに来て、対魔忍スーツに付着したシミ取りで少しの作業の待ち時間の間。聴かせてもらった名前だ。

 確か、2人の友人で彼の指揮の元、決行した作戦は必ず成功に導くことができて、そのようなことができるのは古今東西あらゆる魔族や魔獣知識がある人物で、その知識量は動植物の生態から雑学まで全てを網羅しているって言っていたような気がする。

 でも、ブレインフレーヤーがBC兵器をバラ撒く前に、アルサールというブレインフレーヤーの1人の罠に掛かって命を落とした……って2人から聞いていたけど……。過去から来た……って、避難民は言っていたし、タイムトラベルしてきた……とか、そういう話だろうか?

 

 ——でも、どうして?

 

 チクリ……と嫌な予感が胸を突く。今すぐにでも洗濯屋の仕事を投げ出して、この場から立ち去りたくなるような気分になってしまう。

 

「あれ? 店長。英雄ふうまを見に行かないんですか?」

「……私は仕事があるから、あなた達だけで行ってきて」

「何言っているんですか。仕事なんて臨時休業にしちゃえばいいんですよ。今日はなんていったって英雄ふうまが来たんですから! お客さんも分かってくれますよ!」

「え、ちょっと?!

 

 ウォッシャーの従業員達が勝手にてきぱきと店じまいを始めてしまう。人手不足と言っても今日のシフトの人員は仕事の出来る子たちだ。15分もしないうちに洗濯ものを取り込んで、玄関扉にCLOSEDの看板を立てかけ、私の手を引いてその人だかりの方へ走っていく。

 この拭いきれぬ不安の衝動で、今は英雄だなんて謳われているふうまさんを見に行くことよりも、私の心のよりどころへ会いに行きたかったのだけど……。

 

………

……

 

 市場はこれまで以上の野次馬で賑わいを見せていた。いずれも交易所(市場)で物資交換へ訪れた客じゃない。英雄ふうまを見る為だけにこれだけの人が集まっている。それも、避難民の大人から子供まで、物陰や人ごみの中にはスティール・ロータス教団の人間すら混じっていた。

 教団の人間に見つかると碌な目に遭わないと思い、手を引かれたまま中腰になって野次馬の隙間から、英雄ふうまの姿を一瞬だけだがその眼で捉える。

 ゆきかぜさんやアスカさん同様に青色の対魔忍スーツを着た男性だった。健康的な小麦色の肌に10年以上は見ていない海のような色をした青髪には、避難民には見られないトリートメントでもしているかのような綺麗な艶があった、閉じたままの右目。彼は細身で180㎝はあろうかという長身だったが、それでも対魔忍スーツ越しから、ただのヒョロヒョロな男……ではなく、つくべきところに必要な筋肉があるのが見えた。

 今、彼は集まる野次馬達へ向けてに軽い会釈や手を振っている。ゆきかぜさんやアスカさんに並んで、笑顔を浮かべていたが……でも、その笑顔がどこかぎこちなくて……私の不安を一掃、余計に煽った。

 彼等はそのまま、私の自宅がある居住区へと歩いていく。

 それから私の自宅の隣の小屋の中に消えていった。私の隣人がどんな人物が住んでいるかなんて私も具体的には知らない。いつも24時間365日もの間、兵士さんが見張りとして立っていて、とても隣に住むものとして挨拶ができる雰囲気ではなかったのは確かだ。でも、見張りと歩哨の兵士さんが居たおかげで私は今日までオークさん達の家に泊まらず、自宅で休んでもスティール・ロータス教団の信者たちに拉致されることは無かったのだが……。

 でも、そんな見張りが立って厳重な場所に、英雄と呼ばれはふうまさんが入って行ったのがどうしようもなく怖くて、まるで、1年前 オークさん達と出会う前、サキュラと感染者の襲撃によって崩壊した私の基地の時の前触れのような……。

 

「——あっ! 店長!

 

 もう居ても立っても居られず、浮足立つ群衆とは別に気が付けばオークさん達の家を目掛けて走り出していた。途中、スティール・ロータス教団の信者がこちらに気が付いたような反応を見せていたが、彼等に構うこともなく一目散に私だけの安全地帯へ走り込む。

 

………

……

 

——バタンッ!

 

「はぁ……っ! はぁ……っ! はぁっ……!」

 

 息を切らせながら、実家のような安心感がある民家に飛び込む。

 

「オメー! いきなりドアを開けるとはいい度胸してんじゃねーか! この家はなー! 泣く子も黙るハイオーク様が棲む……って、遅漏インチキンのつがいじゃねーか。どうした? そんな俺様を誘ってるかのような淫乱娼婦みたいな乱れた制服のまま血相を変え——」

ガソリン! 奴隷商さんは!? チーフさんは居る!?」

ヒンッ……。……そ、総大将と大将なら奥の団らん部屋に……」

「退いてッ!!!」

「アンッ……」

 

 ガソリンの言葉に何故だか分からないが涙があふれ出てくる。

 もう、なんて言葉を言い表したら分からない程に不安が、恐怖が、震えが私を押しつぶそうとしていて……。室内であるにも関わらず、ガソリンくんを引っ叩くようにしながら突き飛ばし、外で全力疾走してきた速度を殺さずに最短ルートを通って団らん室へと突入して行く。

 

奴隷商さん! チーフさんッ!!!

「おや。今にもそんなに泣きそうな顔をして、どうかされましたか?」

「新兵の奴なら、そっちの倉庫で…………てか、今日は来るのが早すぎないか? 店はどうした。店は?」

「……う」

「「う?」」

うぇ……うわああああああん! うわぁあぁああああああん!!!」

 

 どうして。どうして、こんな日に限って。

 

「お。おおおお嬢!? 新兵! お嬢が!!! おまえのお嬢がギャン泣きしていやがるぜ! きっとお前のバブみが足りなかったんだ!」

「おうおうおうおう、どうした? どうした? また嫌なクレーマーな客でも怒鳴り込んできたか? それともスティール・ロータス教団絡みか? 安心しろオレ達の拠点に来たってことはもう安全だ。入ってきたやつをオレが片っ端から一刀両断にしてやる」

 

 大泣きしながら膝から崩れ落ちる。

 私の状況に困惑しながら、へっぴり腰の傭兵さんと斧を片手に羅刹さんが近寄って来た。

 

「Wow Wow Wow!! Hey! Rookie!!! hurry up!! hurry up!!!! Hey! Come on!!!」

「……何があった。力になる。言ってみろ」

 

 だから、どうして。

 

「おい! ハイオーク! 外の状況はどうなってる!」

「なんもいねーよ! カスカルトも! 感染者も!」

「ではこの彼女の取り乱し方はなんですか? ちゃんとよく外を確認しましたか?」

 

 どうして。

 

………

……

 

「ゔぇ゙……ひっ゙ぐ……゙ふぇ゙ぇ゙……」

「パニック状態は収まったようですが、これではいつぶり返すか分かったものじゃないですね。そちらの状況は?」

「儂の部下のいう通り、人っ子一人いない。でも、逆に昼間にも関わらず誰も居なくてやけに不気味だ。外で何が起きている?」

「ヘイ、お嬢……ハンカチ居るか? ハイオークのだけど」

「バッ! ちょ、ふざけんじゃねー! その顔面体液まみれのアマに俺のハンカ――」

「思いっきり鼻をかんでやれ。俺が許可する。少しはすっきりするぞ。ほれ、『チーンッ』ってやってみろ」

「……チーンッ!!!!!!」

「ああああああああ! ありがt……バカヤロー! コノヤロウ!!!

「…………」

「テメーも背中摩ってルだけジャなくテ、何か声をかけてヤれヨ! テメーのモンだロ!」

「…………もう大丈夫だ」

「う……あ……」

「コノバカ! 逆ニ泣かしテ、どうすル!!!」

「…………え、えっと……」

「私が代わります。新兵くんは、そのまま彼女の背中をさすってあげてください」

「…………」

「羅刹くんは、私にそのハンカチを。羅刹くん、ハイオークくん、フレイムくんは倉庫から資材を持って一緒にチーフさんに合流して出入り口にバリケードを築いてください。緊急時の戦闘は控え、ここまですぐに後退するように。傭兵くんはここで私の護衛を」

「またあとでな。小娘」「ったくとんだ疫病神め」「Yes. Sir!!」

 

 この部屋には、私の背中をさするオークさん、優しく顔を拭いてくれる奴隷商さん、団らん入り口で門番をする傭兵さんだけが残る。

 再び崩壊してしまいそうな涙腺をこらえながら、滲んだように見える奴隷商さんの顔を再び見つめる。

 

「……何があったんですか? ゆっくりと話してみてください」

「……ふうまが……ふうまが……

「ふうま、ですか? ……。……ここの兵士さんが話されているのを以前、聞いたことがあります。対魔忍の司令塔、英雄ふうま。パンデミックが起きる以前にも彼の武勇伝は尽きることはありませんでしたし……それでふうまがどうしたのですか?」

「過去から……やってきて……“また”やってきたって……ひっぐ……」

 

 なんとか詰まる言葉を押し出して、奴隷商さんに伝えなければいけない情報を喉から絞り出す。でも声を出すたびに言葉や舌が詰まってうまく言葉が出ない。

 

「…………なるほど。……今ので事情は大分察しました」

「……総大将、なんだ。何が起こるんだ?」

「まもなく、この基地の存続が関わるほどの大戦(おおいくさ)が展開される可能性があります。彼女は誰よりもいち早くそれを察知したのでしょう。」

「……。……そういえば、お嬢の避難所も……」

「…………」

「それだけではありませんよ。彼女はダイニングルームにハイオークくんが居るにも関わらず、この家に来て真っ先に私とチーフさんの名前を呼び所在確認を取っておりました。本来、この時間は彼女が店を仕切っているのと同じように、我々も外へ物資調達に出かけている時間帯です。ですが、今日はゆきかぜさんに止められて全員待機している。…………どこまでも本当に賢くて優しい子です」

 

 奴隷商さんの掌が私の頭に乗せられる。

 『逃げて』と声を出したいのに声が出ない。出てくるのは『ぁぅぁぅ』という嗚咽ばかりで……。

 

「……総大将」

「羅刹くん。進展は何かありましたか?」

「……表に対魔忍2人と見慣れない青髪の男、それと布切れを頭からすっぽり被った……多分ありゃサイボーグだな。両足が機械の見慣れないサイボーグが玄関に来ている。顔は分からん」

 

 羅刹さんの言葉に身体が反射的に大きく撥ねる。見慣れない青髪の男。ふうま。ふうまだ。それ以外に考えられない。

 

「——思ったよりも早いですね」

「っ……」

「……貴女のせいではないですよ。恐らく元から決めていたのかもしれません……。例えば、私達を迎え入れたその時から……。ひとまず羅刹くんはチーフさんに話を通して、10分後に『ふうま御一行』をここまでお通ししてください。何か異常があれば私まで。また今回の会合には全員出席するようにも話してください」

「了解」

 

 奴隷商さんの言葉に羅刹さんは普段の巨躯から想像もできないような動きで玄関へと走って行ってしまった。

 辺りがまたバタバタと賑やかになる。

 

「——いつまで泣いているんですか。貴女が泣いたままでは会合に支障が出てしまいます。もしもその涙が止められて、お手隙の様でしたら座布団を11枚強いて頂けると助かるのですが」

「……っ」

「あなたは充分よく頑張りました。あとは私達が引き継ぎます。新兵くん、彼女の身支度(・・・)を整えて座布団が何処にあるのか教えてあげてください」

 

 そんな中、奴隷商さんが私の頭を撫でながら慰めてくれるが、何もできなかった自分が悔しくてボロボロと涙が出てしまう。

 もっと速く走ることができたら。泣き出さずに逃げるように伝えられたら。きっと未来はこうならなかったんじゃないかなと思ってしまって……。

 でも今はオークさんに担がれるようにして支えられながら、いま私ができることとして倉庫へと脚を運ぶのだった。

 

 







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承編 『英雄との会合』

「…………」

「へ、ヘイ。お嬢。総大将から避難用の装備は貰って、隣の新兵の奴に身支度も整えてもらっただろ? お嬢と総大将の予想が的中していているなら、お嬢は戦火に飲まれる前に逃げておいた方がいいんじゃないか?」

 

 座布団を11枚、うち7枚を円陣を組むように並べ、その中央に4枚の座布団を敷く。すべてを敷き終えたのちには、私はオークさんと傭兵さんに挟まれる形でゴツゴツとした地面の上に座る。

 『ふうま御一行』を迎え入れるために奴隷商さんが出入口へと向かい、招かれ人達が姿を現わすのを今か今かと待っていると傭兵さんが孟秋に子供達を連れて来ていろいろ御喋りしたときのような口元だけをこちら側へこっそりと近づけて裏口の方を見た。

 ふと反対の隣側に座っているオークさんもまた私の方を見つめている。

 

「……逃げません。逃げるなら、みんなと一緒じゃなきゃ嫌です」

「そ、そうか」

「…………」

「……! ……♥」

 

 私の言葉に身を引いていく傭兵さん。

 そんな決意を改めた私に対してオークさんの腕が私の肩を抱き寄せる。私はそんな彼に倒れ込むようにして、彼の膝に頭を寄せる形で身体を預け横になった。

 

「……おーい、いちゃいちゃするのは構わないが儂等もいることを忘れてない……よな?」

「これで新兵の新兵は新兵なのだから……やはり新兵に足りないものは、オークとしての根性なのか……?」

「He is forever Rookie.」

「新兵、そのアマを大切にしてんのはわかっけどよ。そんなに俺達の目の前で見せつけるようなら奪っても良いってことだよな? 寝取り、寝取られだ! 寝取られ!!! ギャハハハハッ」

 

 傭兵さんとオークさんを除いた正面の4人が好き勝手、言っているが私は特に気にも留めなかった。

 しかしオークさんとしては、ガソリンくんの言葉に対して反応を返すようにオークさんはその身を強張らせているのが彼の太ももから伝わってくる。

 

「——奪えるものなら、奪ってみるといいですよ。ま、ガソリンくん程度では私は堕ちませんけど」

「ウヒッ♥♥♥」

 

 だから私も彼に身体を預けたまま、うっすら目を開けて対面側に座っているガソリンくんに対して、彼が口を開いて反論する前に先に鋭い刺すような口調で反応を返す。……彼は身を震わせて悦んでいるようだ。

 現在の席順は、避難所へとつながる出入り口の扉を背面に右端にオークさん、その左隣に私、その隣に傭兵さん、空席、チーフさん、羅刹さん、フレイムさん、ガソリンくんの順で並んでいる。この並び順を見る分に、この座席順は円陣を組んだ際に、その分隊の中で身分の低い者が下座に来るようにして並んでいることが推測できた。

 私がオークさんと傭兵さんの間に座り、それを見ても誰も口出しして来ないことから、以前まで私は彼等にとって臨時のゲスト的な存在として何も言われないのだと思っていた。だが、これから行われるであろう臨時の会合に私が出席するにも関わらず、その位置に居ることに関して何も言われないということは、つまり私は彼等から認められているのだろう。現に、初期の頃この家で夕食や朝食を食べて居たときは、私はオークさんと色々と胸やお尻を触ってちょっかいを仕掛けてくるガソリンくんの間で食事を取っていた。それが、訪問回数や奴隷商さんと仕事を重ねていくことで、いつの間にかに食事の際もオークさんと傭兵さんの間で食べるようになっていた。

 

「お嬢もハイオークの奴に恐れずに物を言うようになったよな」

「最初の頃はオレ達の姿を見てガタガタ震える程だったのにな」

「お゙っ゙♥ お゙っ゙♥。……ヒトの成長は、ほんっと、はえーんだよな……♥」

「よし! 儂の権限で昇格だ。次はハイオークと羅刹の間に座っていいぞ!」

「ありがたい話ですが、私はオークさんと傭兵さんの間、フレイムさんよりも格下がいいので昇格はお断りさせていただきます」

「この場デ堂々トそんナコトを言えるノモ、テメーだけだヨ」

「「「がははははははははっ!!!」」」

 

——コンコンコンッ

 

 そんなフレイムさんの言葉に傭兵さんや羅刹さん、チーフさんまでもが笑い合う中、避難所側に続く扉が軽くノックをされる。恐らくあの会話後に入ってこなかった『ふうま一行』を自ら出向いて迎えに行き、玄関での対応を済ませた奴隷商さんだろう。ノックをされた瞬間に、全員の様子が引き締まる。私も地面へと座り直し、奴隷商さんやオークさん達の顔に泥を塗るまいと その入室してくる一行を待った。

 

「すみませんね。今日はつい先ほどまでお客様がいらっしゃられている分、賑やかでして——」

「おかまいなく」

 

 扉が開かれ、ふうま一行が入室してくる。

 しかしその入ってきた人物を見たとたんに、この部屋の奴隷商さんを除いた誰もが戦慄し咄嗟に体臭が先ほどのリラックスしたものから殺意が籠った戦闘時に発するものへと変貌する。室内に入ってきたのは、ゆきかぜさん、アスカさん、ふうまさん。……そして。

 

「お初にお目にかかる。オーク分隊の諸君。警戒されるのはもっともだが、私は諸君等の敵ではない。……そして、君が洗濯屋ウォッシャーの店長さんだね? このような場所で会えるとは思いもよらなかったが、今日はお会いできてよかった」

 

 入ってきたのは白いカーテンのような大きな布を手に持った1人の女性のような物体だった。

 正確には、今、オークさん達や私の目の前でお辞儀するそれは人間や魔族のような有機生命体ではない。これは無機物の……ブレインフレーヤー製の機械生命体のようだった。

 私が1人の女性と言ったのは、彼女はまず女性の体つきをしていた。しかし“彼女”の身体の何処に視点を移しても機械の漢字二文字以外の部位が見当たらない。頭の上に乗っている帽子ですら、本でしか見たことのない海上自衛隊の船員が被っているような帽子の形こそしていたが機械で出来ており、つばの部分には『4』の番号が刻まれている。各部位の関節部は、あの悍ましい固定砲台であるサキュラのように青白い光を放っていた。背中に浮かぶ、6つの忍者が用いる巨大なクナイのような物体はサイコキネシスのように浮かび上がり、その刃先の先端は赤く塗装され鋭利で……。顔はなく、青白く光るカメラのレンズのような穴が私の顔にピントを合わせるように収縮と拡大を繰り返していた。

 

「……と言っても警戒されるのは無理もないだろう。詳しいことは自己紹介の際に説明するが、そんなに殺気立たないでもらえると助かる」

 

 それだけ告げて彼女は、悠々と歩き私の敷いた中央の4枚の座布団うち1枚に上に腰をかける。

 ゆきかぜさんとアスカさんは、なぜ私がここに居るのか少し疑問に思ったようで首を傾げ、オークの群れの中に人間の女性がいることに関してふうまさんは驚いたのかその身をたじろかせ、2人から小声で色々な事情を説明されていた。

 

「——逃げなかったのですか」

「……すみません。奴隷商さん。新しい避難所の情報と避難先での就職口の推薦状も書いていただいたのに……私はここに居たいんです。皆さんがいる、この場所に」

「……。ひとまず、私達に混じって会合に参加されるのであれば、倉庫から座布団をもう一枚持ってきなさい。そのままでは脚やお尻に悪いですよ」

「ありがとうございます」

 

 奴隷商さんは3人と1機を私が敷いた座布団へと座らせると、まっすぐに空席の上座に……とはいかずに、『ふうま御一行』が何処の席に座るか話し込んでいる間に自然な動きでこちらへとふらりとやってきて、地べたに正座する私を見下ろすように小さく言葉を呟いた。

 私も彼の小声に合わせるようにして、小さく頷き小さな声で返事を返す。彼はそんな私に対し諦めたかのような、あきれたかのような溜息を1つきながら黄色く蜂蜜のように輝く瞳を閉じて、言葉を飲み込みながら穏やかな口調で私をしかりつけることも抑えながら彼は手短に言葉を交わし、指示をしてくる。

 いったん、席を離籍して私が倉庫から座布団を持って戻って座ったところで話は始まった。

 

「まず、自己紹介をさせて頂きたい。私はアビゲイル。諸君等の表情を読み取るになぜブレインフレーヤー側の機械生命体がこの場にいるのかと考えているのだろう。繰り返すようだが、まず私は諸君等の敵ではない。君達レジスタンスが、私達を支配するテラセックを破壊してくれたおかげで、あの下賤なタコ野郎から開放され自我を持つことができたのだ。むしろ礼すら告げたいと思っている」

「それで自我を持ったことで彼女は、ブレインフレーヤー側ではなく私たち側に付いたってわけ」

 

 アビゲイルと名乗った機械生命体は淡々と自己紹介を済ませる。残念ながら、私達は機械生命体のように脳での処理能力はずば抜けて高いわけではない。奴隷商さんを除いた私を含めたオーク達は目を白黒させるもの、殺気をにじませて警戒を解かないもの、往々にして首を傾げるものと多種多様な反応をしていた。

 そこでアスカさんが、もっとわかりやすく彼女の立ち位置について明確でわかりやすい言葉で説明をしてくれる。

 

「ああ、その通りだ。私は確かに機械生命体であり、タコ野郎にとってはただの命令に従う道具にしか過ぎないのかもしれないが、私は私だ。自我を持ち、この戦争の顛末を聞いた今、諸君等レジスタンスや生存者に一切の非はなく、ゆえに奴等に従う義理はないと判断した。だから、私は今まで諸君等の基地でレジスタンスの参謀として指揮を執っていた」

 

 彼女の言葉で奴隷商さんとオークさん、それと私以外のオークさん達がどよめく。それはきっと無理もないことだと思う。私ですら、アスカさんのわかりやすい説明を聞いた状態でも、どよめくだけの余裕がないほどに状況の理解に追いついていないのだ。

 彼女の話を整理すると……つまり、今の今までこの基地が脅威に晒されても、守り抜いて存続できたのは現場で働いていたレジスタンス達のおかげでもあるが、この参謀を名乗る機械生命体のアビゲイルさんが指揮を執っていたからでもあって……。

 ……でも今回は、そんないくつもの脅威を退けてきた参謀でも、過去からふうまさんを召喚するほどに危機的な状況で……。

 

………

……

 

 私がいろいろと事態の把握と整理に努めている間に、それぞれ『ふうま御一行』の自己紹介を終え本題に入り始めていた。

 

「さて、今回私達が、こちらの英雄ふうまを連れてこの場に来た訳を話さなければならないな」

『…………』

「今、私達の基地はいまだかつてないほどの脅威に晒されている。以前、この拠点の近くにサキュラが単独で偵察に来ていたことがあり、その時は英雄ふうま、そしてここにいるゆきかぜとアスカによって破壊された。しかし既にその破壊が済んだ時には……サキュラによる索敵によって、この基地の存在を知られてしまっていた。更に悪い話としてこの情報はブレインフレーヤーにも伝達されてしまっている。……結果的に、今ブレインフレーヤーはこの基地を破壊するために数えきれないほどのサキュラとハンターを差し向けてきているという状況な訳だ」

「……なるほど。その危機的情報を伝えるために今日は来ていただいたということですか。なるほど、なるほど。……で。それが我々に何の関係が? これだけのお話であれば、脅威を教えて頂きましたし、我々は荷物を纏めそちらの新兵の隣にいる彼女も連れて新しい新天地に移住するだけなのですが……そちらの英雄の坊ちゃんがいらっしゃられている……ということは、単に『基地が滅亡する』というお話だけではなく、本質的な話として別に話すことがおありなのでしょう?」

「……あぁ。ここからは俺が話そう。俺達はもちろん、その部隊を迎撃するために過去からやってきた。だがその迎撃作戦にはどうしても『オーク族』の力も必要不可欠なんだ。ブレインフレーヤーの手先であるハンターのみの部隊であれば、確かに俺達やレジスタンスのみで対応できるかもしれない。だがサキュラが敵の部隊編成にいる以上それは不可能なんだ。……そこで――」

 

 この時、私は以前、壊滅した部隊のレジスタンスの生き残りが話していたことを思い出していた。

 確か、サキュラは対魔忍や魔族の対策のために特殊な防護壁で守護されているらしい。それは対魔忍にのみ宿る対魔粒子や、魔族に宿る魔力を弱体化させ 与えるダメージを軽減させることができるのだと。

 ……つまり、なぜふうまさん曰くオーク族の力が必要なのか……それは……。

 

「——オーク族は魔族でありながらも、その魔力に頼らずに人間や並みの魔族の力を凌駕するほどの怪力が備わっているため、サキュラの特殊な防護壁の影響を受けない。だから迎撃戦に参加して欲しい……そういうことですか? ふうまさん」

 

 私の言葉に、辺りがシン……と静まり返る。

 奴隷商さんを除いて、誰もが私が言葉を発するとは思わなかったのだろう。私の発言の直後から何処か誇らしげな顔をしている奴隷商さんを除いた全員の顔が私へと向けられている。

 

「……その通りだ」

「ふむ……おかしいですねぇ」

「何が?」

 

 私がふうまさんのお株を奪い、肯定的な返事をされた後に奴隷商さんがおどけた口調と少しわざとらしい首の傾げ方をする。それが、ゆきかぜさんの怒りを買ったのかギロリという鋭い目つきと鋭い口調の敵意ある一言が響き渡った。

 

「怒らないでください、ゆきかぜさん。ただわたくしとしましては、既にこちら側にある情報から、いくつか奇妙な疑問点が浮上したまでですよ」

「それは?」

「英雄の坊ちゃん。あなたは確かアビゲイルさんのお話では、サキュラをそちらの対魔忍であるゆきかぜとアスカさん、そして貴方で倒されたのですよね? どのように倒されたかは存じ上げませんが、我等オーク族などに頼らずとも十分に対処できているではありませんか」

「それは……ふうまがサキュラの弱点を見つけ出してくれたからであって……」

「アスカさん。それだったら、オークさん達に頼らなくても他のレジスタンスの人たちだけでも十分ではないのでしょうか?」

 

 先ほどの流れで総大将さんから咎められることもなく、目配せした際に小さく頷かれた私は発言権があると確信し、奴隷商さんの問いかけに追随するように質問を投げかける。

 

「貴女……! この迎撃戦が失敗したらレジスタンスだけじゃなくて、大勢の人が死ぬのよ!? それに彼等が参加してくれなければ必要以上に犠牲も出る! 何とも思わないの?!」

 

 しかし、先ほどのやりとりで怒りを募らせたゆきかぜさんが、私の言葉に喰ってかかってくる。

 ……ゆきかぜさんは確かに夏にオークさんと共に私を助け出してくれた命の恩人だ。それに私はこの基地へ受け入れられたときから、ゆきかぜさんやアスカさんのみならず色々な人に助けられてきた。でもだからと言って、今の言葉は私もカチンとくるものがあって、正座の状態から片膝だけ立てて今にも飛び掛かりそうになりながら立ち上がる。

 

「……何も思わないわけないじゃないですか……! ここの人たちは私を迎え入れてくれた皆気のいい人たちです! ……ですが、私にとっては、オークさんが、オークさん達が死ぬことも不安で、怖くて、恐ろしくて、嫌なんですッ!!!」

「お、おおおお嬢! 待て待て待て待て! お嬢が逆立ちしたって雷神の対魔忍には勝てねぇって!!!」

「Hey. baby!! Take it easy! Okay, but please settle down first!!!!」

「……泣かないで」

 

 そんな私に右隣で座っていた傭兵さんが咄嗟に私の腕と制服を掴み、左隣に座っていたオークさんが私の声の震えに反応して宥め、対面上にいるフレイムさんが捲し立てるように流暢な英語で何かを喋っている。

 

「……貴女にはまだ会合時の流儀を教えてはいませんでしたね。ひとまずは感情的になるのをやめて、座りなさい。まだ話の途中です」

「で、でも——」

「座りなさい」

「……はい」

 

 感情が爆発した私に奴隷商さんの目がいつにもなくギラリと光る。口調は怒っている様子はなく、いつものように優しげで穏やかなものだったが、その深部には何かこのオークさん達をまとめ上げて、10年以上生き残っているだけの冷酷で頭に冷水を浴びせかけられたような……そんな言葉の迫力があった。ツンとした鼻を一回啜り、うるんだ目を袖で拭い、座りなおす。

 そんな私を傭兵さんが背中をさすって、オークさんが頭を撫でてくれる。

 

「……すみませんね。うちのもの(・・・・・)が失礼いたしました」

「私は気にしていない。……それどころか今の状況は知識として非常に興味深いものがあった」

「ゆきかぜさんも、申し訳ございません」

「……いえ。彼女の気持ちを考えずに感情的になって私も酷いことを言ったわ。……私も大切な人を失う辛さは知っているのにね……ごめんなさい」

「いいえ。こちらこそ、ごめんなさい……」

 

 互いの謝罪を終え、しばらくの沈黙。

 しかし、その沈黙を奴隷商さんは、うまく手を柏手(かしわで)のようにポンと一度叩き、注目を自身に集めてから本題へと戻してくれる。

 

「では、話を本題に戻しましょう。言いたいことを彼女に先に言われてしまいましたが……わたくしと致しまして、奇妙な疑問点に関しましてはまさにその通りです。弱点が判明しているのであればレジスタンスのみでの対応はできないのですか?」

「……あぁ、それができない。とにかく数が多すぎて対応しきれないんだ。でも、わかったこともある。それだけの大部隊を動かすには、そのサキュラを制御している機械生命体がいる。包囲網を突破して、そいつを倒すことができればサキュラ(奴等)は動きを止めことができるんだ」

「……ふむ。……ですが、まだ疑問点はありますね。『仮に』英雄の坊ちゃんの作戦でサキュラの侵攻を止められたとしましょう。しかし、こちらの住処は既に割れてしまっています。時間が経てば またブレインフレーヤーは襲撃にやってくると思いますよ。わたくしがブレインフレーヤーならそのようにします。わたくしたちには地上に逃げ場はないのですから、次は我々が参戦したとしても戦局を覆されないほどの戦力を集結させるでしょうね。いえ、もっと残酷な方法……例えば発症の遅い感染者を潜らせて壊滅させに来るかもしれません……この問題はどうされるおつもりですか?」

「そのために、今回の作戦では俺、アビゲイル、ゆきかぜ、アスカ、それと俺と共に過去の時代を生きる仲間達でそのブレインフレーヤーの拠点を叩くつもりだ。恐らく、それだけの兵隊を集結させているということは本丸も手薄になっているはずであって……。敵が次のサキュラを量産するよりも先に俺達が敵拠点を壊滅させる」

「なるほど。……」

「それに今逃げて、無事に逃げられたとしても今度は更に強力になったブレインフレーヤーの兵士が新たな避難所を襲うだけだ。……だから、俺達の作戦に参加して欲しい。この基地や他の生存者を守るためにもお願いだ! どうか力を貸してくれ!」

 

 ふうまさんが私達の目の前で土下座をして見せる。

 オークさん達を含め、私もまた奴隷商さんを見る。彼が決定するのだ。私達の未来を。

 

『………………』

 

 

 

 

「……残念ですが」

「……!」

「今日のところはお帰り下さい」

 

 奴隷商さんの言葉にふうまさん達は驚き、望みが絶たれたかのような顔をしていた。

 私は喜び、他のオークさん達の顔をつぶさに確認していく。皆それぞれの反応を示していた。ガソリンくんは私のように喜びながらも、その喜びを隠しながら戦えないことを悔しがり。フレイムさんは緊張していた糸が途切れるように溜息をつき、オークさんもそっと優しく私の手を握ってきた。顔を見る必要もない。だからこちらも優しく握り返す。

 ただ……羅刹さん、傭兵さん、チーフさんは少し俯き複雑な顔をしていて……少しそれだけが心残りだった。

 

 



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転編 『決意の決断』

「……また来ます」

「……はい」

 

 あまりにも会合はあっけなく終わった。『ふうま御一行』は食い下がり会合を続行させることもなく素直に部屋を出ていく。

 彼等が退室した後、真っ先にガソリンくんが膝でスライディングをかましながら両手の中指を出口に向けて突きたて、変顔のまま舌をべろべろと出して扉に向けて小声で口汚い言葉で罵り倒す。

 私もフレイムさんのように緊張の糸が切れて、立ち上がろうにも立ち上がれず両手を前に付くと犬のように四つん這いになってしまった。開いた口からは乾いた笑い声だけが漏れ出てしまって……。

 しかし、奴隷商さんとチーフさんの話し声が聞こえ視線をそちらに移すと、羅刹さんがベロベロに煽り倒すガソリンくんの首根っこを捕まえて奴隷商さんのもとへ、神妙な顔をした傭兵さんも、フレイムさんも集まっているのが見えた。

 

「……ぁっ……私も……」

 

 本当に無事に終わったんだという安堵の元、ガタガタと震える膝を叩きながら私もオークさん達の事後報告会に参加しようと近づこうと立ち上がる。しかし腕が後方に引かれたままで、ガクンと先へと進むことができない。どうやらオークさんが私の手を掴んだままで私の左隣りに座っていたままだったようで、彼に引っ張られて先に進むことができなかったようだった。

 

「皆さん集まってますよ。私達も行きましょう?」

「…………」

 

 掴まれている手と反対の手も、彼の手に添えて引っ張る。しかし、彼は座ったまま微動だにしない。きっと、また彼なりに言葉を選んで言いたいことがあるのだと思って、微笑みながら彼の正面に座る。

 

「…………」

「……」

「…………」

「……」

「…………」

「……?」

 

 こちらはこちらで沈黙。向こうは私達が来ないにも関わらずに、小さな円陣を作って何やら話を始めてしまっている。そろそろ混ざらないと話の内容についていけなくなってしまいそうなのだが……。

 

「オークさん。奴隷商さん達が何かお話してますよ。行きましょうよ」

「…………」

「オークさん……?」

 

 彼は何も言わない。私と手を繋いだまま置物になってしまったかのように微動だにしない。

 それでもしばらくしてから、変化はあった。そっと手を離して私が奴隷商さんの元に1人で向かわないことを確認してから、おもむろに会合の際には着用していたトゲ付き肩パットありの鎧を脱ぎ始めたのだ。鎧を脱ぎ、武器を傍らに置き、私と向き直る。鎧の下には彼がラフな時にいつも着ているくすんだ灰色の首が伸びた肌着に、ベージュ色の襟が立派な上着を着ていて……。

 

「???」

「…………っ」

「!!!」

 

 どうして鎧を脱いだのか、どうして皆との会話に混ざらないのか、どうして私の手を離さないのか、疑問に包まれ首を傾げる私に、オークさんは何も言わずに再び腕を掴んで引っ張って引き寄せると、そのまま引き倒すようにして抱き着いてきた。

 彼のポヨンポヨンなお腹に私は沈みこむ。私の胸よりは筋肉質で少し固めだが、それでも彼のお腹の脂肪の塊のお腹は私を優しく包み込んだ。彼は鎧で蒸されて、肌着は汗ばんで、少し酸っぱくて、えっちな気分になって…… それでも私は彼のこの匂いが嫌いじゃなくて……。

 

「え?え?え? ……オークさん?」

「……っ。……っ」

 

 がっちりと……それでも私が苦しくないぐらいには抱きしめられて、私の頭の上に彼の頭が乗っているため彼の表情は見えない。でも、何か口がパクパク動いて何かを話そうとしているのは分かった。

 

「なんですか♥♥? 今日はいつにもなく積極的ですね…… でも……♥♥♥ 今は、奴隷商さんのところにイって……♥♥♥ お話をしない……んッ♥♥♥ あぁ……酸っぱくて…… 男らしい匂い……♥♥♥ い、卑しい女でごめ——」

「……っ。……ごめんな……っ」

「え……?」

 

 彼の胸の中で、半ば快楽のまどろみの中に落ちつつある私に、いま、オークさんは私に謝ったような気が……? 痛……首に……なにを……?

 あれ……? なんか、どうじに……なんか……ねむくなっ……て? 奴隷商さんの……お話……きかなきゃ…………いけないのに……。

 あったかい……おーくさんの…………おなか……あたたかくて…………ねむ……く……。

 

………

……

 

 夢を見た。

 私がこれを夢と言えたのは、私の目前には『私』が居た。

 『私』が居て、それをバーチャルシュミレーターの中に入ってみているような。そんな感覚だった。

 そんな中で、目の前の『私』は泣いていた。正面にはオークさん達が居て、皆 光の指す方に向かって武器を片手に振り返って、みんな笑顔で『私』と私に対して手を振っているのだ。『私』だけはなぜかその場で膝を着いていて、スローモーションで口だけが動いて、『行かないで』と言っているように見えた。

 その『私』が口にしている言葉を理解した瞬間に場面が切り替わる。場面が切り替わったと言っても、その場にいるオークさん達と『私』の構図は変わらない。背景が変わった……私が認識できるようになったとでもいえばいいだろうか。その光景は約1年前見た光景。この基地の出口だった。

 その背景も認識したところで、また場面が変わる。今度は、今までの光景に様々なレジスタンスのメンバーが加わる。みんな、笑って、これから死にに行くのに。笑顔で。避難所から出て見送りに来た人たちを悲しませないように。笑って。

 

 場面が変わる。私達の後ろに見送りの避難民たちが『私』と同じように笑顔で、悲しんで涙を流しながら見送っている。

 

 場面が変わる。見張り番の兵士さん達が『私』を取り押さえているのが見える。

 

 場面が変わる。床にナナカマドの花と木の実。バーボンが置かれて……でも私が認識したのと同時に砂の城が崩れるように粒子状になって溶けて……。

 

 場面が変わる。すべてが掻き消え、私しかいない。真っ暗な空間。

 

 

 

 

 

 

 

 ……ゆきかぜさんの声。

 「彼等は最後まで勇猛果敢に敵の本陣までの血路を——」

 

 

 

 

 

 

 

 ……アスカさんの声

 「ごめん。何か持って帰って来たら良かったんだけど——」

 

 

 

 

 

 

 

 ……ふうまさんの声

 「すまない——」

 

 

 

 

 

 

 

 ……アビゲイルさんの声

 「作戦は失敗した——」

 

 

 

 

 

 

 

 目の前に現れる。7人。皆、申し訳なさそうな顔をして。

「——守れなかった」と言って、粒子状になって……消えて……。

 

 

 

 

 

 ……あの時に私が止めていたら——

 

 

 

………

……

 

「……嬢……お………お嬢……!……お嬢!」

「んぅ……?」

「お嬢!大丈夫か!?俺がわかるか!?!?」

 

 夢から覚めて、ぼやーっとした状態で目を開けたときには目尻が異様に冷たくて、傭兵さんが私の顔をペチペチ叩きながら、頭上側から覗き込んでいるのが見える。いつもならカウボーイハットを被っているのに、今だけは被っていなくて、その禿げ上がった緑色の頭が天井のライトを隠していて、皆既日食みたいで……。

 

「んふ。うふふふふ……傭兵さん」

「よしッ! コイツは!?コイツは?!」

「…………」

「……オークさん……? ……んふ。……おはよう」

 

 笑う私に、傭兵さんは嬉しそうにガッツポーズを取るとデコの上に冷たい濡れタオルを置くオークさんの胸元の服を掴んで、天井を見上げる私の顔に近づけた。皆既日食が終わって、今度は天井のライトがゲーム会社のディースリー・パブリッシャーの形になる。

 私の目覚めの挨拶にオークさんは、口元をもにょもにょさせた。きっとおはようと言いたいのだろう。だから私は微笑んで、先におはようと彼に伝えた。

 それから上半身を起こして状況を確認する。どうやら布団で寝かされていたようで、床にはふかふかの敷布団、体には温かい羽毛布団が乗せられていた。少し胸元が開かれていて、きっと眠っている間に息苦しくないようにガソリンくん以外の誰かが緩めてくれたに違いないと思った。

 

「こっちの熟してないプチトマトとプチトマトみたいな奴らは!?」

「誰が熟してねープチトマトだゴルァ!!!」

「白雪姫ノお目覚めダナ。トマトはネーケド、秘蔵の家庭菜園メロンならあるゾ。喰うカ?」

「ガソリンくんと……フレイムさん? あと2人の背後に羅刹さんとチーフさんも居ます」

 

 まだ、目が覚めてぼやーっとする私に、羅刹さんとチーフさんに首根っこを掴まれクレーンゲームにつるされたような状態になったガソリンくんとフレイムさんも姿を現わす。

 一体、傭兵さんは何をそんなに焦っているのだろうか? なんだか、すごくよく眠れたような気がする。疲労が蓄積された身体が何処も痛くない。

 

「うおぁあああああああ!!!! よかったぁぁぁあああぁああ!! もう目覚めないかと思ったぜー!!!」

「……うぅうぅぅぅ」

 

 今度はザメザメと泣き出してしまう。なに? 私が寝ている間に何があったの?

 

「あー……小娘。お前、丸2日間ぐらい寝てたんだよ。それにさっきまでは、ひどくうなされていてな」

「うむ……フレイムが睡眠薬の分量を誤ったみたいで……」

「え? 睡眠薬?」

 

 羅刹さんとチーフさんの言葉に眉間にしわを寄せて目を細める。そしてその顔のまま、フレイムさんを見た。

 

「ダ、ダカラ、お詫びのメロン! デ、デモ、俺は悪くネーゾ! 総大将がヤレって! それに実行犯は新兵だシ? 俺は調合したダケデ……」

「……。なるほど! なるほどぉ? 実行犯はオークさんで、指示した主犯格は奴隷商さん。幇助犯はフレイムさんですか! なるほどぉ……?」

「ユ、ユルシテ……ユルシテ……。I'm Sorry. Please forgive me」

「……今度からガソリンくんと同じように、フレイムさんのこと……赤いのでレギュラーくんって呼びますね!」

「Aaaaaaaaaaaahhhh! チ、チーフは知ッテイテ、黙認してたゾ!!!」

「きさっ余計なことを言うんじゃな――」

「じゃ、チーフさんのことは、緑色なので今後軽油さんって呼びます」

「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!゙」

「だから俺はやめとけって言ったんだ……軽油」

「オレも止めたぜ。ちゃんと小娘にも説明しようってな。軽油」

「ぐぐぐ……お前等……!」

 

 苦虫を奥歯でかみつぶしたような苦しそうな声を上げる軽油さんに、メロンを風呂敷に包みながら一矢は報いたという顔をするレギュラーくん。

 俺は? 俺は? と改名を希望してそうな顔をしたガソリンくんには、にっこりとした笑顔だけを向けておく。オメーは一生、黄色のガソリンのままだ。

 

「ところで羅刹さん、説明っていったい……?」

「…………それは俺から話す」

 

 しかし、朗らかな日常の空気が包み込み始めていた空気が、私の一言によって再び影を落とした。それでも、今度こそ逃げないと言った顔つきになったオークさんが私の正面にやってきて、他の皆は邪魔しちゃいけないというようにイソイソと部屋を退室する。

 そして、短い深呼吸ののち。

 

「俺は、俺達は英雄ふうまの作戦に乗ることにした」

「——ッ」

 

 いつもなら言葉を選ぶオークさんなのに、この時ばかりは初めから台詞を考えていたように間髪入れずに述べてきた。

 今の楽しい日常の会話で忘れかけていた、夢の光景が脳裏でフラッシュバックする。それはまるで正夢になってしまいそうな妙な暗示があって、夢の『私』のように『行かないで』という言葉が出てきてしまいそうになる。でも。その言葉を私は飲み込む。

 

「睡眠薬で眠らせたのは、もしもこういうことがあった時の為に事前に予測していた総大将の指示だが、俺の意思でもあった。羅刹と傭兵はああ言ってはいるが、相談しても反対すると思ったからで…………すまないことをしたとは思っている。でも、あの花を渡して、花言葉を教えられて、受け取ってもらったときから『お前を守る』ことを俺は決めたんだ。だから、その…………お前から離れてお前を守ることを許してくれ」

「……」

「事後報告になってしまって、本当にすまないと思っている」

「…………1つだけ、聞いても良いですか?」

「なんだ」

 

 ……いつもと立場が逆転してしまったようだ。今日は私が、オークさんのように言葉を選んで。言葉を飲み込んで。これから戦地へ、死地へ向かう彼に送る言葉を選んでいる。

 

「……それは、オークさん自身が決めたことですか? ……総大将である奴隷商さんや、大将であるチーフさんが決めたことではなくて……?」

「ああ。そうだ」

 

 力強い返事。引き締まった声。揺るぎない決意の象徴。

 私も深呼吸をする。彼の答えで、私の決断も今決定した。

 

「……反対するわけ……ないじゃない……ですか」

「……!」

「……だって、それはオークさんが自分の意思決定で決めたことでしょう? ……いつも分隊の中では自己主張の控えめなオークさんが。……これで、あの2人が独断で決めたのであれば猛反対したと思います。……でも、それがオークさんの選んだ道なら……引き止めませんよ……。……いって……らっ……しゃい……どうか……ご……無……事で……」

「…………」

 

 声が震える。本当は行ってほしくなんかない。ふうまさんの推測は正しいのかもしれないが、それでも奴隷商さんが私に教えてくれた新たな新天地である『バロネスシティ』へみんなで赴いて、楽しく廃墟で拾い集めた物資で店を開いた方がよっぽどいいに決まってる。

 推薦状を持って、1人だけでバロネスシティにある酒場『吊るし屋』ギガースさんの元で働くなんてもってのほかだ。

 

「……いつ……いつ……出発……されるん……ですか?」

「3日後だ」

「……見送りに……行っても…………いいですか?」

「来てくれるならこれ以上の喜びはない」

 

 彼に言いたい言葉が更に浮かび上がるが。

 この言葉は出立のその時まで取っておくことにした。布団から抜け出して、折りたたむ。そして私は彼等の出立に合わせて為すべきこと為すために、彼に頭を下げて みんなの引き止める声も無視して、部屋を出た。

 

 




~あとがき~
 来週は丁度正月の期間ではありますが、通常通り。2022年1月3日に投稿します。
 よろしくお願いします。



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結編 『終末世界に、一輪の花を』

――3日後。

 

 ついに来てしまった。ブレインフレーヤーのサキュラの大群を退け、基地の命運を決める日。夢で見たような光景を、もう一度眺めているかのようなデジャヴを経験する。でも、もう泣かない。私は勇者達を見送るって決めたのだから。

 外界へと繋がるシャッターが閉じられた通路では、未来のため、愛する人の為、復讐のため。様々な理由で集まったレジスタンスの姿があった。思わず私がギョッとしたことは、そこにはスティール・ロータス教団の連中の姿もあったことだろうか。しかし、彼等は私を見つけてもまるで興味を無くしたかのように一切の無視をし、一部の者だけが『聖女様』と近寄って来ては崇め奉られる程度の対応へ変わっていた。失礼な話ではあるが、こうなった以上、私としてはやっと脅威から開放されたようで内心はホッとしている。

 彼等は一同にこの場に集まって作戦の確認や、サキュラやハンターの弱点の共有。廃墟と化した東京に残されている消火栓の位置の確認を行っている。

 その中を出撃には参加しない異質な一団が、制服姿で奔走していた。それは私を含めた洗濯屋ウォッシャーの従業員だ。私達は今、レジスタンスの団員に安全祈願のお守りを配って回っている。

 以前、オークさんが大量に持って来てくれたナナカマドの木の実や枝を潰して、沸騰したやかんに放り込んで、色染めの出汁で染物を作ったのだ。

 

「オークさん!!!」

「……!」

 

 お守りとして願掛けの染物を配っているとやがて、他の魔族や対魔忍よりも頭3つ分、飛びぬけた高身長のオークさん達の姿が見える。声を掛けると、こちらに振り返り手を挙げて返事を返してくれる。近寄ったことで気づいたのだが、どうやらこの作戦にはオーク分隊の全員が参加するようで、奴隷商さんを中心に作戦の再確認を行っていたようだった。

 ……きっとこうなることは分かっていたが、やはり寂しく悲しい。

 

「お嬢! もう会えないかと思ったぜ!」

「テメーが飛び出して行ったアト、家にモ、職場にも居なくて心配したんダゾ!」

「ごめんなさい! どうしてもこの作戦を決行するにあたって、この染物をレジスタンスのみんなに配りたくて……ずっとウォッシャーの厨房と裏方に居たんです。従業員の皆にも協力してもらって、オークさん達には内緒で……」

「道理で見つからない筈だ。……なにやら新兵が取ってきたナナカマドの木の実を潰して、染物と化させて配っているそうだな。確か花言葉は『あなたを守る』だったか?」

「そこにいるスティール・ロータス教団の言葉を借りれば『聖女様の御墨付きの加護』……ということになるな?」

「目の下が黒いですね……ちゃんと寝ましたか? 人族は脆いのですから、一日に最低8時間は睡眠を取るように以前、口を酸っぱくして言ったことを覚えていらっしゃられますか?」

「『聖女様の御墨付きの加護』だなんて……大げさですよ軽油さん。皆さんの分も作って来てありますよ。奴隷商さん、最後ぐらい夜更かししても怒らないでください。あの時は特に時間が惜しかったんです。あとで留守番として皆さんの家で8時間しっかり寝るつもりですので!」

 

 彼等と言葉を交わしながら、現在レジスタンスのメンバーに配布している染物とは個別に取ってあった染物を取り出す。その色は、他の染物よりも濃い梅重と朱華色が混じったような染物で……。

 本当はこの後に訪れるクリスマスプレゼントとして渡すはずだったものを取り出す。

 ……こんな形で渡してしまうことになってしまうだなんて、想像もしていなかったが……この染物は他のレジスタンスのメンバーに配布した染物にはない特別な願掛けが込めてあった。

 

「ケッ! 薄汚ねー色だな。赤と黄色が混じって、一貫性がねーじゃねーか」

「……ハイオークくん。本当に君には物を見る目がないですね。……この染物は何十にも染め直しが施されています。それに、この色。ナナカマドの実だけじゃないですね? ……これは……」

「流石、奴隷商さん! レギュラーくんが玉ねぎサラダを作ってくれた時の外皮を染物に使ってます。ゴミとして捨てちゃうのは勿体なかったので……」

「…………これにも花言葉が?」

「もちろんですよ。でも、この染物にはもっと特別な意味があって……でも悠長に話していたら、出撃時間になっちゃいそうなので、説明しながらでも私が着けても良いですか?」

 

 オークさん達の了承を取って、私は一人一人に近づいていく。

 

「まずは、ガソリンことハイオークくん。これは、ナイフの柄の滑り止め。……ハイオークくんは、言葉は汚いし、下品で、見栄っ張りですが、いつも突っ走っていて、ガソリンのように爆発的に動いているので、たまには『慎重』に周りの状況を見てくださいって意味が籠っています」

 

 私にとってみれば彼のナイフは斬馬刀と言っても差し支えなかったが、手を差し出して渡されたその錆び付いて手入れの行き届いていないナイフの柄に染物を巻き付けて渡す。

 

「次に、フレイムさん。フレイムさんにはマフラーです。炎の精霊を操れるのに、いつもその首元は寒そうなのと……。でも人に物を教えたり、植物を育てるその熱意は、いつも暑苦しくて。その志に燃えている炎が途切れないように『不死』の願掛けがしてあります」

 

 彼の首にマフラーの端を投げつけ、なんとか、風呂上がりのバスタオルのように垂れさせることには成功させる。そのまま、彼の首に巻き付くように端を投げようとしていると、膝を着いて巻き付けやすいように身長を調整してくれた。

 

「その次は傭兵さん。ガソリンくんと同じタイプの用途ですが、これは2連ショットガンのストックの滑り止めです。いつも傭兵さんは気さくに私に声をかけてくれて、子供たちの人気者で……オークさんと一緒に励ましてくれましたよね。この染物への願掛けは『永遠』です。あなたの放つ弾丸が『永遠の平和をもたらす銀の弾丸』になる願いを込めて」

 

 ランヤードリンクに染物を撒きつけ、ウッドストックを覆い隠す。彼の狙撃の邪魔になってしまわないようにガソリンくんのナイフに巻き付けたときとは異なり、丁寧にまるで怪我をした箇所に包帯を巻くように丁寧に、丁寧に巻き付けた。

 

「羅刹さんは、手拭い。基地はいつも一番 汗をかいていて、腕でその汗を拭っていることが多かったので。7人の中で、一番の力持ち。洗濯屋を再建設したときは誰よりも一番に資材を運んでくれていて。それでいて、気遣いの出来るいい人です。願掛けの内容は『安心』。羅刹さんは近接戦闘で常に前線を走るチームの盾です。その逞しさでみんなの心にいつも穏やかさを齎してください」

 

 彼の胸当てを固定しているベルトに巻き付ける。逞しい上腕二頭筋は私の掌の3倍以上の幅があって、そこから彼の力強さがひしひしと感じ取ることができた。眺めの布は彼の動きを制限しない程度には短いものだったが、それでも汗の滴る顔を拭くには十分な長さになった。

 

「軽油さん。……冗談ですよ、チーフさんにはハチガネです。チーフさんは一見、羅刹さんと同じようにパワー系に見えるんですけど、実はすごく頭の回転が速くて、奴隷商さんを含めてチームのみんなの事をよく看てますよね。だからそのハチガネには総大将や仲間達を『安全』を守る願いを込めてあります」

 

 私の軽油さんという言葉に、少し残念そうな顔をしていたがすぐに期限を取り戻したようだった。他のみんなと同じように彼なりのいいところを告げると謙遜したように、否定的な仕草をしていたが、皆もきっと気づいているはずだ。彼だけが、私がハチガネを取り出した瞬間に額に巻き付けやすいようにとすぐに屈んでくれたことにも。

 

「……そして、奴隷商さん。絹や綿のネクタイがどうしても見つからなかったので、作りました。奴隷商さんには本当にいろんな知識を教えて貰って……。まだ何も恩返しできてないのに……。……すみません。泣き言は言わないつもりだったのですが……願掛けの内容は『賢明』です。分隊を勝利と未来に導く頭脳として、どうか皆を導いてください」

 

 彼に頭を撫でられながら、うるんで何も見えなくなってきてしまった視界で、襟首にネクタイを通して苦しくないように結ぶ。ネクタイを誰かのために結ぶなんて行為は人生で初めてではあったが、クリスマスに備えて自分で何度も練習をしたのだ。思っている以上にうまくつけることができる。

 

「最後に……オーク……さん……」

「…………」

「オークさんには……出会った時から……助けられて……保護してもらって……励まされて……オークさんが……来てくれなかったら……私……わたし……っ」

 

 言葉が出て来ない。言葉が詰まって、頬に熱い雫が垂れて顎を伝って、顎先から零れ落ちていくのがわかる。でも、これだけは……と思って……言葉こそ出なかったけど、彼の足に……私が春で怪我したときに、彼が包帯を巻いてくれた場所に、染物の布を巻き付ける。

 

「これは花言葉ではっ……ないのですが……っ。玉ねぎの収穫は春で、今は冬です。……だからっ……この染物には……『つらい冬を乗り切れば……っ、玉ねぎの収穫である春がやってくる』っ……て。だから……だから……」

「…………」

「私は……一足先に…………春で待ってます。……必ずっ。……迎えに来てくださいね」

「…………」

 

 彼は最後まで何も言わない。でも、何を考えているかはわかるようなそんな気がして。私が泣き止むそれまでの間。優しく背中をさすってくれて……っ。

 

………

……

 

 出撃10分前になって、やっと涙が止まる。最後ぐらいは笑顔で送り出したいこともあった。だから、留めなくあふれる涙をのみ込んで。不器用な笑顔をつくる。

 最後の別れとして、傭兵さんとは抱擁ののちに背中を叩きあって、羅刹さんには頭を撫でられその手を撫で返して、フレイムさんにはメロン汁に浸したEブロックを分け合い、ハイオークくんとはハイタッチをした。チーフさんとは3度拳を打ち合わせるフィスト・バンプを交わして、奴隷商さんとはもう何十年も会っていない父親に抱き着くように長い時間 抱きしめあって……。

 最後にオークさんには……。

 オークさんには逆に抱き着いて欲しいというように、腕を大きく開いて見せる。

 

「……」

「……っ」

 

 ……ほんっと、オークさんはオークさんですね。こんな時にまで、躊躇するなんて。

 でも、今度ばかりはおっかなびっくりといった様子で、顔を近づけて抱きしめてくれる。

 私も二度と離すつもりがないというほどに彼を抱きしめ、彼の肩と首の間に自分の頭をうずめた。

 

 やがてシャッターが開かれ、レジスタンスは英雄ふうまの作戦の元。地表へと軍靴の音共に進軍が始まる。

 私はオークさん達やレジスタンスがシャッターが閉じその姿が見えなくなるまで、ナナカマドの枝に付けたナナカマドの実で染め上げた赤い布を振り続けるのだった。

 

 



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【エピローグ】
『エピローグ+設定資料』


【エピローグ】

 世界に何が起きようとも、今日も常に時は刻まれ続けて季節は巡り巡っていく。

 レジスタンスとブレインフレーヤー。人類の生存を掛けた天下の分け目の大戦の結果がどうなったのか。

 オークさん達がどうなったのか。英雄ふうまの立案した作戦の結果についても、私は何も聴かないようにしている。

 結末こそ分からないが、今、この世紀末な世界で確実なことは私は確かにこの機械生命体アビゲイルさんが指揮を執っている基地で生き伸びていて、外にはまだブレインフレーヤーの脅威が蔓延っている。

 でも今日も今日とて、私のすることに変わりはない。洗濯屋ウォッシャーで依頼された洋服を洗濯して、大人気商品となったナナカマドの実を使用した染物を作って、併設された商店にて英雄と勇者たちが身に着けたナナカマドの染物を行商人向けとして販売している。もちろん、店主は私だ。

 最近の出来事と言えば、仕事が終わったあとには、オークさん達の家に帰ってスティール・ロータス教団から送られてきたお詫びの冷凍庫を開け、その中に入った氷漬けのマンモスのように氷の中に閉じ込められたセイヨウナナカマドの実とバーボンを見つめることぐらい。

 

 ……食べごろはもう少し先かな? そんなことを思いながら私は戸を閉めた。

 

 

 

【設定資料】

・登場人物たちについて。

 今回の登場人物は『水城 ゆきかぜ』『甲賀 アスカ』『ふうま小太郎』『アビゲイル』『吊るし屋ギガース』以外の登場人物は、本作の主人公を務めたオーク達に囲まれて過ごす女性も全てモブキャラ扱いとして執筆しました。……一部を除き。

 

◎各キャラ設定資料集(オーク分隊初期階級順)

┣◎奴隷商人オーク

┣●ハイオークチーフ

┣〇羅刹オーク

┣〇オーク傭兵

┣〇フレイムハイオーク

┣〇ハイオーク

┣〇オーク

┗〇女性生存者

 

 

◎奴隷商人オーク

愛称:奴隷商さん、総大将

身長:1m90cm

光彩:黄色(蜂蜜色、膿の色)

特技:交渉、商売

特徴:穏やかな敬語を話すが、昔は口が悪く暴言で相手を萎縮させることが得意だった。ただ、パンデミック前に遭遇した仲間の対魔忍を助けるためアンダーエデンを襲撃しに訪れた大悪党の穏やかな敬語でサラリと恐ろしいことを言った方が、相手はより震え上がり、相手により強い恐怖を植え付けられることを学び、その時から口調を切り替えている。

経歴:パンデミック前には、ヨミハラの高級娼館アンダーエデンで奴隷の調教師をになっていた。ゆえに性奴隷を見る目や、物価関する知識に長けている。

 パンデミック後は、初めのうちこそヨミハラで商売をしていたがエドウィン・ブラックが去った後のヨミハラの勢力争いに飽きて、地上のバロネスシティで商いをするように。ただ売り上げが思うように伸びなかったことや自身を除いた従業員が居なかったことがネックだった様子。

 オーク分隊には、オーク分隊がバロネスシティでやらかした時に庇う形で加入。もちろん、加入したのはハイオークチーフからリーダーの座を奪い、体のいい店の従業員を奪うためである。劇中で見せている、穏やかで物腰の柔らかい人当たりのよい性格は、あくまでもそうすることが色々都合が良いからしているだけであって。腹の中は真っ黒を通り越したドス黒い闇である。でもその腹の中の闇を知っているのは、片手で数えられる人程度である。

※ここに書かれていることは大嘘ですよ。鵜呑みにしないでくださいね。

実は:腹黒 紳士的なオーク

 

 

●ハイオークチーフ

愛称:チーフ、大将、軽油

身長:2m50㎝

光彩:小豆色

特技:マッピング、ハイオーク族の指揮

特徴:オーク分隊の中で背丈が最も高い。

経歴:パンデミック前はセンザキにてブラック・マフラー団の幹部として働いていた。しかし対魔忍にボコボコにされた挙句、パンデミックの煽りを受けてブラック・マフラー団は完全に解体した。行く当てを失った後は、荷物を纏めて一人放浪の旅路に出かける。ブレインフレーヤーとは、ブラック・マフラー団が解体になったきっかけの鬱憤晴らしとして敵対している。

 ブラック・マフラー団でハイオーク達をまとめ上げた経験を活かしたパンデミック後のオーク分隊の創設者でもある。

 拾った順番はハイオーク、オーク兵(故人)、オーク傭兵、フレイムハイオーク、羅刹オーク、奴隷商人オーク、オーク、お嬢の順となる。

実は:金遣いが荒い、家計簿とか付けられないタイプ

 

 

〇羅刹オーク

愛称:羅刹さん

身長:2m20㎝

光彩:黒に近い灰色

特技:戦闘(特に近接戦闘)、土木掘削工事

特徴:オーク分隊の中で一番汗っかきで、オーク分隊の中で最年長者。

経歴:パンデミック前は魔界で羅刹オークロードの指揮下の元、暴虐の限りを尽くしていたが。ある時、アルサールの異次元の狭間経由で迷い込んできた人間達を追いかけていたところ自身も次元の狭間に巻き込まれ、以後は東京キングダムの港湾地区を根城として構えていた。小競り合いの中で血みどろの戦闘に明け暮れ、パンデミック発生後も感染者の多い地表で東京キングダムに進出しようと東京キングダム大橋を陣取って陸地から侵攻してくるブレインプレイヤーと戦っていた。

 東京キングダムがブレインフレーヤーと停戦状態となった頃合いに、更なる刺激を求めてオーク分隊へ加入。しかし、その好戦的な性格は年を重ねて行くにつれ、次第にまるい性格になった(オーク分隊談)

実は:オーク分隊の最年長

 

 

〇オーク傭兵

愛称:傭兵さん

身長:2m35cm

光彩:猩々緋色

特技:狙撃、乗馬、子供の面倒見

特徴:現在はショットガンを用いているが、実は多彩で大半の銃火器を扱うことができる。なぜ、2連ショットガンを愛用しているのかと言うと、スラッグ弾や散弾はもちろんのことドラゴンブレス弾やコインショットなど、さまざまな弾薬を撃つことができる武器であり、確かにライフルは対人戦には長けているかもしれないが、ショットガンのように弾丸1発では中々ひるまないような感染者を制圧するのに不向きだからである。更に連射性の高いショットガンよりも2連のショットガンを採用しているかについては、『1回の引き金で勝負を決める』という彼なりの座右の銘だったりする。

 身体に巻いているショットガンシェルベルトには様々な状況に応じた弾丸が込められている。

 あたまにカウボーイハットを被っているのは、ハゲを隠すためではなく太陽の光で銃の照準が狂ってしまわないように被っている。

経歴:パンデミック前は、親に捨てられた青年オークだった。しかし、そのような境遇ながらにも東京キングダムにてアルフォンスというオーク傭兵の元で、傭兵家業の下積み経験をしていた経験を持つ。

 パンデミック後は東京キングダムにて傭兵稼業をしていたが、パンデミック前のような成長期を終えたキングダムでの稼ぎが少なくなり、その時。東京キングダムに訪れたオーク分隊にスカウトされたことがきっかけ。

 感染区画で旅、生活するようになっては、旅は道連れ世は情け状態で、ずるずるとオーク分隊に居座り現在に至る。実は、オーク分隊の中では古株で、加入したのは3番目だったりする。

実は:2連ショットガンに名前を付けて、恋人にしている

 

 

〇フレイムハイオーク

愛称:フレイムさん、レギュラーくん

身長:2m

光彩:群青色

特技:家庭菜園、薬品調合、英語、炎の精霊を操る

特徴:よりどりみどりだらけのオークの中で、唯一赤い肌をして、片言の日本語で話す。

経歴:実はパンデミック後生まれ。生まれてから6年間の間は米連を本拠地としたノマドで働いていた。日本のアマハラに用があり、渡日していたところ道中ブレインフレーヤー襲撃にあって要人が死亡。米連にあるノマドに帰ろうにも任務を失敗させ、要人を死亡させたことで処罰が恐ろしくて帰ることができずに日本各地を放浪していたところをハイオークチーフに拾われる。

 英語が読める、書ける、喋れるという、パンデミックでは一見不要そうな特技は、日本で取り残された米連物資の中身が正確に何なのか読み解くことができる。

実は:特技が書ききれないほどに多才

 

 

〇ハイオーク

愛称:ハイオーク、ガソリンくん

身長:2m

光彩:錆色

特技:ナイフ捌き(本人談)、恐喝(本人談)、新人いびり(本人談)

特徴:実はハイオークの中では、意外に童顔でかわいい顔をしているとよく言われ、本人はそれがコンプレックスだったりする。

経歴:アダミハラ監獄近辺の監獄出身。看守などではなく、投獄者であった。

 パンデミック後はハプニングが重なり脱走し、別のハイオークギャングの群れの中にいた。アダミハラ近郊で悪さをしていたが、ハイオークチーフと出会い、それまでにグループに属していたハイオークギャングの集団を見限り共に旅を始める。

 またバロネスシティで事件を引き起こしたのも彼の仕業。

 オーク分隊の加入時期的に子分もたくさんできたが、実力的な話や本人の性格や努力を加えて評価してしまうとみんなの方が上なので、みるみるうちに身分は低くなっていった。

 今や強く当たれるのは、何をしても怒らないオークさんだけであったが……お嬢が来て馴染んだ秋頃から、それすらできなくなった。

実は:オークらしい、オーク

 

 

〇オーク

愛称:オークさん、新兵

身長:2m30cm

光彩:赤(ルビーのような輝き、暗闇で光る)

特技:雑務、整理整頓

特徴:オーク分隊の中で無口だと思われがちだが、実は普通に話せる。チーム全員の会話スピードについていけないだけ。外見はオーク兵だが、実際にはオークがオーク兵の鎧を着ているだけ。

経歴:魔都 東京出身のオーク。パンデミック前はとある悪徳会社の新入りとして書類整理などの雑務していた。パンデミック後は次々に同僚や先輩が感染者へと転化していく中、倉庫で1人籠城していた。やがて物資調達に来たオーク分隊の仲間に入る。オーク分隊の中ではほぼ最後の加入。慕っていた先輩にオーク兵なる人物が存在していたが、オーク兵は女性生存者と出会う前に死亡している。その時の装備を引き継いだ。

実は:優しい心を持っている

 

 

〇女性生存者

愛称:お嬢、小娘、汝、アマ、女、聖女様

身長:150㎝

光彩:不明

特技:洗濯、ブラインドタッチ

特徴:顔などの容姿に関しては一切不明の対魔忍RPGの中ではモブ的存在の1人。辛うじて公開されている情報は、『青臭いチビの小娘にしては可愛いし、その清潔感のある白い肌は充分なウリだ。尻と胸の脂肪も十分にある』という羅刹オークの発言の情報のみである。

経歴:パンデミック前は小学生だった。勉強は好きではなく、嫌いな部類で噂話に花を咲かせるお年頃の女の子だった。パンデミック後は避難所に籠りながら幼いながらにも終末世界を生き延びる。またパンデミック後10年の間で家族全員は感染者へと転化しており孤独の身であった。

実は:オーク分隊のみんなが大好き

 

 




~あとがき~
 これにて『終末世界に、一輪の花を』もとい『白雪聖女様と7人のオーク』終了です。最後まで見て下さった読者の皆様ありがとうございました。

 そして最後に小ネタの紹介。
 今回の最終回を含め登校時間にはちょっとした意味を込めています。

~いい世、来いよ……~

 それでは、また『対魔忍世界へ転移したが、私は一般人枠で人生を謳歌したい』でお会いしましょう。



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