孤独のグルメ ~東郷市十三番丁 吉〇家の牛丼~ (tubuyaki)
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孤独のグルメ ~東郷市十三番丁 吉〇家の牛丼~

 殺伐とした世界でハードボイルドに生きるこの男といえど、時間や社会に囚われず、幸福に空腹を満たす時、つかの間、自分勝手になり自由になる……のかもしれない

 遅まきながら、例のコピペ&フラッシュ誕生から20周年を記念して
追記 執筆中にまさかの知らせとなりました。
   偉大な作品を生んださいとう・たかお先生に感謝を込めて


 俺は今、本当に疲れていた。

 

 朝からの商談の中身は、家具を見繕うという手慣れた内容そのものだったが、なにしろ相手が相手だ。 世界的な資産家でありつつ、謎の多い人物だというデューク東郷氏は、その顔付きの厳めしさや変わらぬ無表情も相まって、顔を合わせると何かと気が張り詰めてしまう。

 ものを見る目のある良い顧客だとは思うものの、彼との商談後はどうしてもクタクタになってしまうのが難点だった。

 

 ああ、腹が減った……

 

 近辺をしばらく歩き回ってみたものの、今の腹にうまく収まりそうなものを出す店が、なかなか見つからない。気疲れし過ぎると、本当に今、自分が食いたいと思っているものがよく分からなくなってくるから困る。

 俺は弱り果てながらも、良さそうな飯どころを求めて、橙色の看板が目立つ飲食チェーン店を横目に通り過ぎようとした。そこで俺の目は、何気なく眺めた店ののぼりに吸い付けられた。

 

「牛丼、全品150円引き、か」

 

 今さら、飯代の150円やそこらを気にするような柄でもないが、学生の頃は違ったなと懐かしく思う。考えてみると、最後に牛丼屋に寄ったのは何時だったろう? かれこれ数年、いや下手すると10年近く行ってないんじゃないか?

 そう考えると、無性に牛丼が食いたくなって来た。疲れた体にも、間違いのない味ってのはピッタリだろう。なんだ、牛丼屋、悪くないじゃないか。

 

 俺は随分とひさしぶりながら、吉〇家で昼飯を食うことに決めた。

 

「いらっしゃいませ~、空いてる席へどうぞ!」

 

 うん、明るい店員の挨拶だ。店内の様子も、記憶にある店舗と同様で……

 それなのに、なぜだか俺は違和感を覚えた。

 なんだろう。本当に、ただの気のせいかもしれないが、この店はなんだか空気が殺伐としているような気がする。気の張りつめたリーマンや、ガツガツ食って帰るぞというような学生が多いのだろうか。

 なんだか、店内至る所にある150円引きの垂れ幕さえも、どこか場違いに感じられるほどだ。

 一体なぜだ? 俺はなぜそんな気になるというんだ。

 ええい、よく分からんが、とりあえず座らないことには始まらない。

 店内は混雑気味なようで、俺は少し待たされてから、一人分空いた席へと座った。

 

 さて、注文といくか。と言っても、食うものは牛丼とは決めているが…… うん?

 

 俺は身のすくむ様な威圧感を覚えて、隣の席の客をちらりと見た。

 ああ、なんてこった。これは大変なことになったぞ。

 俺が座った席の隣にいたのは、誰あろうデューク東郷氏その人であった。

 

   *   *   *

 

 あちゃー、なんてこった。

 一体ぜんたい、なんでこんな店にいるんだ。

 とにかく気まずい、非常に気まずいが、見て見ぬ振りもできない、か。

 俺は心を決めて、話し掛けることにした。

 

「いや、驚きました。奇遇ですね」

 

 東郷氏は黙っていた。けれど、聞いていないわけでもないのだろう。なにせこの男、商談中もずっとこんな感じで、喋るのは必要最低限だった。きっと性格なのだろう。

 話をすることに興味がないか、それとも話すことが苦手なのか?

 あえて話し掛けたのは失敗だったかもしれないと思う。けれど、話し掛けずに顧客の機嫌を損ねるよりは良いという打算もあっての行動だ。くよくよしてはいられない。

 本当は俺も独り静かに飯を食いたいと思う性質(たち)だが、彼が隣にいる時点で、それはもう無理だと諦めるしかなかった。

 

 いやしかし…… 本当に意外だ。彼に限った話ではないが、自分が普段相手する顧客は、あまりこういった店には寄らないものだと思っていた。

 そういう自分も、しばらくぶりの牛丼屋で人のことは言えないのだけれども……

 

「少し、意外です。こういう場所でお会いするとは……」

 

 別に無口な東郷氏からの返事を期待したわけではなかったが、彼は答えてくれた。

 

「……。早く、安く、うまい。合理性の追求は、何物にも勝る」

 

 まさか牛丼に彼の人間性を垣間見ることになるとは思ってもみなかったが、それもストイックな彼らしいと言えば彼らしいのかもしれない。

 

「もしかして、よくこの店には来てるんですか?」

 

「……そんなことより、注文を考えておけ。もう間もなく、店員が聞きに来るだろう」

 

「ああ、そうですね。とは言っても、もう牛丼と決めてはいるんですが……」

 

 カウンター内に目をやると、忙しそうに注文を聞いて回わる店員の姿が目についた。

 

「よーし、パパ特盛頼んじゃうぞー♪」

 

 他の客の妙に明るい声が耳に付いた。普段なら特別気を払うこともないそれ。どうやら家族連れ4人客のようだ。150円引きに釣られてこの店を選んだのだろうか? しかし、タイミングが悪かったとしか思えない。

 今この吉〇家の店内は、デューク東郷氏の存在感に引きずられてか、とんでもなく殺伐とした空間と化している。 それこそ、いつカウンターを挟んでの喧嘩が始まってもおかしくない、刺すか刺されるかというようなピリピリした空気に満ちている。

 別に吉〇家に家族で来てはいけないって法も無いが、今のこの空気感に耐えている身としては、目の前で和気あいあいとやられるのは勘弁願いたかった。

 

「お待たせしました。次のお客様、ご注文をどうぞ」

 

 私の隣、デューク東郷氏とは反対側に座った客の注文が取られる。

 

「大盛りつゆだくで!」

 

 得意げな顔で注文するその客を横目にしていた俺は、ベキリという音を聞きつけ、思わず東郷氏の方を振り向いた。彼の手元で、割り箸が真っ二つにへし折られていた。

 普段通り無表情な彼だが、なんだか何時にも増して不機嫌そうに感じる。

 

 これは、まさか…… いや、あり得るぞ。独自の価値観に生きていると思しき彼は、牛丼の注文一つとっても一家言あるのかもしれない。

 これは困ったことになった。俺はただ好きに注文すればいいと思っていたが、事によるとこの注文一つで自分の人間性を判断され、今後の彼との付き合いは変わってしまうのかもしれない。

 別に顧客一人失って傾くような経営はしていないが、東郷氏は失うに惜し過ぎる得意客だ。牛丼の注文ごときで失望されるわけにはいかない。

 

 個人的には、下手に個性的なカスタムなど頼まず、無難に牛丼大盛りとでも注文しておけば大丈夫じゃないかとは思うが、彼の価値観でそれがどう判断されるか、これが分からない。

 一人で悩んでいると、俺よりも前に、東郷氏の注文が取られることになった。

 

「ご注文どうぞ」

 

「……大盛りねぎだくギョク。以上だ」

 

 俺は目を見開いた。ねぎだく! そういうものもあるのか。

 

 ねぎだくと言うからには、ねぎが多めに入ってるのだろう。そしてその代わり、肉は少なめになるのだろう。それが大盛りで、ギョク(玉子)が付く。

 なるほど、確かにこれはいかにも通好みな感じがする。正直、吉〇家の牛丼にこんなこだわりの世界があるとは思ってもみなかった。

 

 俺が無駄に感心していると、ついに俺の注文の番になった。

 いかん、なんだか東郷氏の機嫌どうこうよりも、ねぎだくギョクの味が気になってきたぞ。

 

 「東郷さん、同じのを頼んでみてもいいですか?」

 

 「……。好きにしろ」

 

 どうやら東郷氏の地雷を踏むことは避けられそうだ。

 彼と同じく、自分も大盛りねぎだくギョクを注文する。

 

「大盛りねぎだくギョクをお願いします」

 

「……! 大盛りねぎだくギョクですね。ご注文承りました!」

 

 なぜだろう、俺が注文した時、店員には緊張が走ったような雰囲気があった。たまたまかもしれないが、他の店員の注目もこちらに集まっていたように思えて、多少の居心地の悪さを感じる。

 ふいに隣に目を向けると、東郷氏と目が合った。

 

「ねぎ多めなんて面倒なカスタムを頼むのは普通、常連だけだ。当然、店員にはマークされる。

素人にはお薦め出来ない」

 

 ……それ、早く言ってよ。

 割と本音だが、厳めしい面構えの本人を前にしては、怖くて口に出来たものではなかった。

 

 のど元過ぎればなんとやらで、注文を終えたことで俺は一転、この店内にいることが楽しくなってきた。思えば東郷氏の、まるで人を何人も殺していそうな気配だって、非日常のスリルと感じられなくはない。

 いや、それよりもねぎだくだ。どんな感じに仕上がって来るのだろうか?

 

   *   *   *

 

「お待ちどうさまです。牛丼大盛りねぎだくギョク、ご注文は以上でよろしかったですか?」

 

「ハイ、ありがとうございます」

 

「ごゆっくりどうぞ」

 

 ついに、どんぶりが目の前に置かれた。初めて目にする、ねぎだくギョク……

あーなるほど、こういう見た目になるわけだ、なるほど…… 玉ねぎがドッサリ追加されている。ちょっと予想以上のインパクトだ。

 ……もしかして、失敗したか。これだけ玉ねぎが多いと、牛丼があまあまになってしまうんじゃないかという不安が頭をよぎる。まあ、ともかく食ってみないことには始まらない。

 

 俺は手ぶりで『いただきます』を済ませ、箸を割って丼に手を付けた。まずは山盛りの玉ねぎから…… というのは避けて、牛肉と玉ねぎのバランスが普通な感じのところから一口。

 

「うん、これこれ」

 

 つゆの味が馴染んでしんみりとした玉ねぎに、程よい歯ごたえのある、かなり薄切りにされた牛バラ肉。肉の油がつゆの味と混ざり合ってご飯に絡み、自然と食欲を高めてくれる。良い感じだ。

 この美味しさとボリューム感でこの値段ってのは、外食で考えるとやっぱり破格だ。

最近じゃあ、ちょっとしたハンバーガー一つでだって、500円以上とかするものな。

 いやはや、定番の味ってなんでこんなに落ち着くんだろう? そして俺は、なんでそれだけで完成されているはずの牛丼にカスタムなんぞ加えたんだろう?

 ええい、頼んでしまったものは仕方がない。

 

 ままよと、玉ねぎを多めに箸で掴み、口に運んだ。

 ……ん? これは……!

 口の中に広がるのは、たまねぎのやさしくふんわりと包み込むようなまろやかさ。だが、それが甘ったるいなんてことは全然ないぞ!

 つゆが利いているからか、たまねぎの余分な甘みは抑えられ、香ばしさすら感じられるようだ。そんな玉ねぎが、適度に歯ごたえのある肉と絡み合って、見事な調和を果たしている。

 肉の割合をあえて減らすカスタムなんて、一見気取ってるだけかと思われるかもしれないが、とんでもない。

 ねぎだく、これ最強です。

 

 だがこの牛丼はこれで終わりじゃない。更にギョクが付いてる。

 ギョク、要するに玉子。初めから玉子を溶いて牛丼に絡ませる食べ方もあるが、今回はそうしない。やっぱり白身と黄身というのは別物で、持ち味が違う以上、それぞれの活躍を見てみたい。

 

 まずは白身からだ。味のしっかり付いた肉は、滑らかな食感の白身を絡めると、更に旨くなる。すき焼きとかでも、これ、おすすめです。

 白身を絡めた牛丼が、するすると腹に入っていく。ああ、いくらでも食えそうだ。だが、ここでぐっと我慢。この丼には、まだとっておきが残っている。

 

 最後の仕上げは君、君だよ、黄身。黄色い宝石、箸で一突き。

濃厚な味の塊が、蜜のようにとろりと零れ出す。黄身の絡んだ牛丼を一口。

 これだ、黄身にはなんと言っても華やかさがある。白身がものに艶を与える磨きのようなものだとするなら、黄身はワンポイントにあしらわれ、それでいて強烈な印象を残していく金細工のようなものかしらん。

 丼の中に黄色い花が満開で、俺の飯もクライマックスだ。牛丼、ここに極まれり。

 

 うまい、とにかくうまい。

 

 衝動のままに牛丼を掻っ込んでいくと、丼が減るのがこんなにも早い。俺は至福の時を経て、ふーっと一息付いた。

 興奮冷めやらぬ内に、お茶をずずっと一口。腹が膨れてからのこれ、ほんと落ち着きます。

 

 おっと、いかん。夢中に食い過ぎて完全に忘れていた。牛丼と言ったら、最後はやっぱりこれ。紅しょうがで口直しだ。

 寿司にガリあるならば、牛丼には紅ショウガあり。ビバ、和食の締めのショウガ。

 適度な酸味と苦みが、牛丼一色に染まった心にガツンと衝撃を与え、心地よい風を吹き込ませてくれる。まさに食事の締めにふさわしい存在だ。

 

 ショウガの余韻を和らげるべく、再び熱い茶をすすったところで、なんとなしに店内を眺める。するとカウンターの高いところに掲げてあるメニュー一覧が目についた。

 ふーん、牛鮭定食か。存在は昔から知っているけど、結局一度も頼んだことがない。

 

「素人向けには、あのようなメニューも有効だ」

 

 私の視線の先に気付いたのか、なんと東郷氏が話しかけてきた。

玄人の彼は、もはや牛鮭定食を頼むことは無いのだろうか?

少しだけ気になった。

 

「勘定を頼む」

 

 一足先に完食した東郷氏が会計を済ませる。

 

「依頼の件は頼んだ」

 

 彼はそれだけ言い残すと、そのまま店を去っていった。いやはや、まったく人は見かけによらないものだ。自分も時を置かずして、席を立った。

 

 店を出て、満腹になった腹をさする。俺が次に牛丼屋に寄るのは、一体いつになるんだろうなあ。東郷氏は、相も変わらず殺伐とした雰囲気を醸しながら、牛丼屋に立ち寄るんだろうか?

 そんな些末なことをつい考えてしまった。

 

 さあ、腹ごなしもすっかり済んだし、次の得意先の元に向かおうか。

 俺は奇妙な満足感を感じながら、駅に向かって歩き始めた。

 

   *   *   *

 

 あれから20年……

 

 20年もあれば、時代も変わる。付き合う顧客や仕入れる品も変わっていくし、街だってどんどん変わっていく。

 変わらないと思っていた牛丼屋でさえこれだ。初めて見た時はちょっとビックリしたぞ。

 

 ねぎだく、メニューにバッチリ載ってます。

 

 ねぎだくにオプションの玉子を付けて、簡単に『ねぎだくギョク』を再現できる。

 店員に気兼ねせずこれを食えるようになって嬉しい反面、今までこっそり踏み入っていたような自分たちだけの世界が暴かれてしまったような、そんな寂しさも覚える。

 

 さて、なんでこんなことを思い出していたかと言えば、最近疎遠になっていた東郷氏から、再び依頼が舞い込んできたからだ。

 変わり続ける世の中ではあるけれど、どこか完成された感のある東郷氏だけはきっと、あの時となんら変わることない姿で現れるんだろうなと思うと、自然と身が引き締まった。

 だがちょっとだけ、今もねぎだくギョクが彼のイチオシなのかとか、未だに彼にとってつゆだくは邪道なのかとか、そんなことを小一時間語りあってみたいという思いもある。

 もしかしたら、俺が勝手に怖いイメージを膨らませているだけで、話したら案外彼はすんなりと乗ってくれるんじゃないだろうか?

 そんな楽観的なことも考えてはみたが、厳めしい彼の表情と話す内容とのアンバランスさを思うと、俺は思わずふふっと笑いたくなってしまうのだった。




ゴルゴ13よ永遠なれ
FLASHの思い出よ永遠に


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