「私は犯人じゃない」 (アリスミラー)
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オグリキャップ「私は犯人じゃない」

突如部屋から消えたタマモクロスのプリン。
犯人は同室のオグリキャップと思われる。
だが当のオグリキャップは「私は犯人じゃない」と言うばかり。

一体なぜ彼女はそう言い張るのか?真犯人は誰なのか?真犯人の狙いは?
みたいなミステリです。



 

1.

 夜練習を終えてタマモクロスが自室に戻る。彼女は心なしかうきうきして見える。

 彼女は練習前に買ったプリンを楽しみにしていた。しかもなんと食堂の1日1つ限定の特製デザートである。今週は胃にも優しい特製杏仁プリン。毎日抽選が行われるのだが、今日はタマモクロスが当てたのだった。それを部屋に持ち帰って大事にしまっておいた。

 勇んで冷蔵庫を開けると……

 

「……ない」

 

 プリンは跡形もなくなっていた。彼女は思う。犯人は一人しかいない。

 ベッドでくつろいでいる同居人に向かって叫ぶ。

 

「おい! オグリ! ウチのプリン食べたやろ!!」

 

 明らかに動揺するオグリキャップだったが、口から出た言葉は謝罪ではなかった。

 

()()()()()()()()()!!」

 

 一瞬あきれるタマモクロスだったが、すぐに怒りを取り戻す。

 

「ウチの部屋の冷蔵庫にあったプリンがなくなったんやで! 同室のアンタ以外に誰が食べたっちゅうねん!!」

 

 オグリキャップはなおも犯行を否定する。

 

「それでも、私は犯人じゃないんだ!!」

 

 結局その押し問答は長いこと続いたが平行線で終わったのだった。

 

 

2.

 

「……っていうことがあったんや! もうオグリとは絶交や! 絶交!」

「ははっ! まあプリン一つでそんなに怒ることねえだろう」

 

 タマモクロスは朝から愚痴を言っていた。相手はイナリワン。普段だったらここにオグリキャップやスーパークリークもいるのだが、今日は姿が見えない。

 

「ちゃうねん! プリンとられたことは腹立つけど、それ以上にいつまでもしらばっくれてごまかそうとする態度が気に食わないんや!」

 

 そう、タマモクロスが怒っているのはそこだった。いくら限定の特製プリンとは言え、正直に謝って他で埋め合わせをすれば済む話である。なのにオグリキャップは自分はやってないと言うばかり。初めは怒りはそこそこに、また面白い話ができたくらいに思ってオグリキャップに食って掛かったタマモクロスだったが、次第に本当に怒りを覚えてきたのである。

 

「まあ確かにオグリらしくはねえわな」

 

 イナリワンもまた、笑って聞いてはいたが、この話に違和感を感じていた。そもそもオグリキャップは食い意地が張っているウマ娘ではあるものの、人のものを盗むようなタイプではない。持ち前の天然のせいでタマモクロスの購入物を食べてしまったことはこれまでも何度かあったようだが、そういうケースでは誠意のこもった謝罪をしてきたそうだ。

 そして、もう一つタマモクロスの話で気になる部分があった。

 

「なあタマ。オグリはお前に問い詰められて、なんて言ってたんだ?」

「なんて言ったも何も、『()()()()()()()()』の一点張りや。参るでこれは」

 

 なるほど。

 これはオグリと直接話して確かめることがある。イナリワンはそう思った。

 

 

3.

 

 そして昼休み。イナリワンはオグリキャップを見つけて話しかける。

 

「おお! オグリ! 聞いたぜ。昨日タマのプリン食っちまったんだろ。朝から愚痴聞かされて参っちまうぜ!」

 

 オグリキャップが目をそらす。

 

「イナリか……その話はもうやめてくれないか。私は本当に犯人じゃないんだ」

 

 そのばつの悪そうな態度は確かに犯人と符合する。だが……

 

「まあそう言うなよ。一つ聞かせてほしいことがあるんだ」

「……なんだ?」

 

 イナリワンが問う。

 

「……お前。今回の事件について()()()()()()()()

 

 オグリキャップがこれまでとは違う動揺を見せる。

 

「……! 私は犯人じゃない! 話はそれだけだ。私は教室に戻る!」

 

 そのままそそくさとその場を後にするオグリキャップ。

 それを見てイナリワンは確信する。オグリキャップは犯人じゃない。

 タマモクロスに伝えよう。真犯人を見つけるのだ。そして―

 

(教室戻ったら気まじいなあ……)

 

 イナリワンとオグリキャップは同じア行で席は前後である。後ろからの視線が、怖い。

 

 

4.

 

「なんやてイナリ!?」

 

 タマモクロスが大げさに驚く。

 

「西の高校生探偵みたいな反応するじゃねえか……」

 

 お約束の反応につっこんでから、イナリワンは説明する。

 

「おかしいと思ったんだ。人に盗みを疑われた時、普通なら『()()()()()()!』っていうはずなんだよ。『()()()()()()()()()』なんて言い方するやつはめったにいねえ」

 

 ふむふむとタマモクロスは相槌を打つ。

 

「なるほど。そこをオグリに直接確かめに行ったっちゅう訳やな。基本的にオグリは嘘はつけない。あいつの言っていることを総合すると、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』っちゅうことになるんやな」

 

 確かにそうだとタマモクロスは納得する。そして同時に新たな疑問がわいてくる。

 

「……だとするとオグリは共犯ってことにならへんか……?」

 

 そう、犯人じゃない者が事件を知っているというのは2つのケースが考えられる。目撃者か共犯者かである。目撃者である可能性は切っていい。もし本当にただの目撃者ならそれをタマモクロスに隠す必要がない。加えて言えば、トレセン学園に単純な身体能力でオグリキャップに勝てるウマ娘はいない。犯人が逃げ切れるはずがないのである。

 

「ああ、広い意味でオグリは確実に共犯だ」

 

 広い意味で、というのは共犯者になったタイミングとそのモチベーションの話である。犯行の発起のタイミングから関わっていて、犯人とともに犯行を行ったというのだけが共犯ではない。事件を目撃して犯人を捕まえた後、その事情を聴いて犯人を解放した、というケースも共犯と言えるし、脅されて仕方なく事件について黙秘を貫いている、というケースも共犯と言える。

 

「となると次の疑問は……」

「ああ……()()()()()()()()()()()()()、だ」

 

 タマモクロスが続ける。

 

「オグリは正義感が強い。そのオグリが犯人に協力、もしくは見逃したんだとしたら、オグリなりに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことや」

「そしてそれだけの理由があるのなら、あたしら、特にタマには事情を話してもいいんじゃないか?」

 

 彼女らはともにトゥインクルシリーズを戦ってきた戦友である。何年もの間、時に仲間として、時にライバルとして切磋琢磨してきた彼女らの絆は強い。そのオグリキャップがタマモクロスに不義理を働いてまで、かばおうとする人物がいるのだろうか。

 

「……クリークか……」

「ああ……それしか考えられねえ……」

 

 スーパークリーク。彼女もまたオグリキャップやタマモクロス、イナリワンとしのぎを削ってきた仲である。彼女ののっぴきならない事情ならオグリキャップは黙秘を貫くだろう。

 

「よし! 行くで! イナリ!! クリークのやつをとっちめて吐かせるんや!!」

 

 とタマモクロスが威勢良く言い放ったところで、

 

「私がどうかしたんですか~?」

 

 現れたのはスーパークリークだった。ふたりは飛び上がって驚いたが、なんとか平静を取り戻す。

 

「おいてめえクリーク! タマのプリン食っただろう!! 正直に言ったらどうなんだい!」

 

 イナリワンが問い詰めるが、スーパークリークは動じない。

 

「プリン? 何のことですか?」

 

 その態度にタマモクロスが食って掛かる。

 

「昨日ウチのプリンが無くなったんや! オグリは犯人じゃないって言ってる! お前が犯人以外考えられんねん!! 弁償せえや! 弁償!」

 

 スーパークリークが困った顔をする。

 

「本当に知りませんよ。だって私……昨日はずっとタイシンちゃんたちと一緒にいたんですから。それに今日は限定プリンはお休みですよ~」

 

 タイシンちゃん、というのはスーパークリークと同室のナリタタイシンのことである。

 

「うそつけ! そんなんタイシンに確認すればすぐにわかることやで! プリンは当たるまで並ばんかい!」

「本当だよ」

 

 気が付くとナリタタイシンがそこにいた。

 

「うおっ!! お前ら似たような登場するんじゃねえぜ! ……というか本当なのか?」

 

 ナリタタイシンが面倒くさそうに答える。

 

「昨日は、ハヤヒデとチケットも一緒に夜練をして、シャワーを浴びた後、そのままうちの部屋に来てずっと今度のレースについて話してたよ。その間クリークもずっと一緒にいたはずだ」

「……何時から何時ごろまでだ?」

「夕飯を食べたのが18時半ごろ。そのまま一度部屋に戻ってから夜練をした。最終的に解散したのは23時ごろだ」

 

 タマモクロスが表情をゆがめる。彼女が食堂でプリンを手に入れて冷蔵庫に入れたのは19時ごろ。プリンが無くなったのが発覚したのが21時半ごろである。スーパークリークが犯人である線はなくなった。

 その後スーパークリークとナリタタイシンは自室に帰り、推理は白紙に戻った。

 

5.

 

 その夜タマモクロスはベッドの中で考える。もちろんオグリキャップとは口を利いていない。

 

(オグリは確実に犯人を知っていて、それをかばっている……それをウチに言えない理由はなんや? オグリの頼みならよほどのことでもない限り、聞いてやるさかいに……)

 

 そう、犯人を隠したいなら隠したいで、それを正直にタマモクロスに言えばいいのだ。犯人は知っているけど〇〇な理由があってどうしても言えない、すまん、タマ。こういう風に言ってくれれば、それ以上の詮索はしない。タマモクロスはそういうウマ娘だ。それはオグリキャップもよく知っていることだろう。ということは……

 

()()()()()()……っちゅう訳か……)

 

 たとえ相手が親友のタマモクロスでも絶対に言えないほどの事情。かつそれを共有できるほど深い関係値をオグリキャップと持つ人間。

 

(でも、クリークでもイナリでもない。だとすると、メモリーかチヨノオーか? いや、しっくり来ない。何か見落としがあるはずや……オグリと親しいやつ……)

 

 その時タマモクロスにひらめきが走る。

 

(……そうか! 犯人はあの人や! あの人が犯人ならオグリが誰にも言えないことにも説明がつく!)

 

 すべてを理解したタマモクロス。オグリキャップはすでに寝ているようだ。今日は自分ももう寝よう。

 そのままタマモクロスは深い眠りについた。

 

 

6.

 

 そして翌日。

 

「おう! オグリ! はよ起きんかい! 朝やで朝!!」

 

 タマモクロスがオグリキャップを起こす。

 

「……どうした、タマ?」

 

 オグリキャップが警戒しながら答える。無理もない。一昨日大ゲンカして昨日は一言も口を利かなかったのだから。

 

「どうもこうもないて! いい天気やで! 朝練、う゛ち゛と゛や゛ろ゛う゛や゛!」

「……そうだな」

 

 ふたりが朝練の準備を始める。そしておもむろにタマモクロスが話しかける。

 

「あとプリンのことやけどな! これ以上()()()()()()()()。ただ話したいことがある。後で呼んだら来てくれるか?」

 

 それを聞いたオグリキャップは一瞬驚いた表情を見せるが……

 

「わかった……」

 

 それだけ言ってまた朝練の準備に戻る。そしてふたりは汗を流しに出かけるのだった。

 

 

7.

 

 独りで夕飯を食べていたタマモクロスにイナリワンが話しかける。

 

「おう! どうしたんだい! 急に仲直りしちまってよ! ……プリンの件はもう済んだのかい?」

 

 タマモクロスとオグリキャップは、朝こそ少しぎくしゃくしていたものの、昼休みを過ぎるころには元のふたりに戻っていた。イナリワンはタマモクロスに真相にたどり着いたなら教えてくれと言っているのだ。

 

「ああ……多分な」

 

 元より推理を共有していたイナリワンには、真相を話すつもりでいた。夕飯の後、人気のない校舎裏で落ち合うことにして、タマモクロスは食事に集中する。

 ああ、それにしても本当にうまいご飯だ。トレセン学園の食事は一般的にも有名なほど、おいしいと言われており、加えて食べ放題かつ栄養価もバッチリだ。これが毎日食べられるなんて夢のような話だ。

 

「おばちゃん! おかわり!」

 

 育ち盛りのウマ娘たちがどんどんお代わりを注文する。その中にはオグリキャップもいた。それを横目にタマモクロスはとってきた分を完食する。

 

「……ごちそうさん」

 

 そして食器を片付けてから、オグリキャップが食べ終わるのを待って、話しかける。

 

「……オグリ、今から校舎裏に来てくれ」

 

 

8.

 

 イナリワンが校舎裏に着くと、わずかに動揺を見せる。そこにはタマモクロスしかいないと思っていたが、実際はもう一人、オグリキャップがいた。

 

「……いいのかい? タマ……」

 

 タマモクロスがうなづく。

 

「ええんや。これは……けじめや」

 

 オグリキャップも覚悟を決めた表情で言う。

 

「プリンの件か。……だが、私は犯人じゃない」

 

 3人が人気のない校舎裏で向かい合う。月は雲で隠れていた。

 

 

9.

 

「……で、一体だれが犯人だったんだい?」

 

 イナリワンが、タマモクロスに問いかける。

 

「まあ待てや。順を追って説明するで。……オグリは黙って聞いとき」

 

 オグリキャップは表情を崩さない。タマモクロスは少し間をとってから、話始める。

 

「今回の事件のキモは、なぜオグリは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、や。限定特製とはいえ、たかがプリンやで?」

 

 そう、所詮はプリン。親友であるタマモクロスと大ゲンカしてまで、黙秘しようとすることではない。イナリワンもそこまではわかっている。

 

「そうだ。そんなにプリンが食べたいのなら、そもそもタマに頼めばいいし、オグリも隠す必要がない」

 

 タマモクロスが続ける。

 

「ということは、や。犯人の狙いはプリンを食べることやあらへん……()()()()()()()()()()()()()()()だったんや」

 

 プリンを食べるのが目的ではないのなら、プリンを食べさせないのが目的。考えてみれば当たり前のことだ。だがそれには疑問が付きまとう。

 

「そんなことをして犯人に何の得があるんだ? そもそもそんなことを望むやつがオグリの知り合いにいるのか?」

 

 タマモクロスがオグリキャップを見つめる。わずかに表情に焦りが浮かんでいる。

 

「それが……いるんや。ウチにどうしてもプリンを食べさせたくなくて、かつオグリとの関係値も深い。ウチやイナリよりも、いやおそらくこのトレセン学園で()()()()()()()()()()()()()()()

 

 イナリワンはまだピンと来ていない。対してオグリキャップは明らかに動揺を隠せずにいた。

 

「やめてくれ……タマ」

 

 オグリキャップが静止する。だが、タマモクロスは止まらない。

 

「そう……真犯人は……()()()()()()()()()()()()()

 

 

10.

 

 秋の夜、涼しい風が三人の間を通り抜ける。わずかの沈黙の後、イナリワンが口を開く。

 

「……確かに食堂のおばちゃんとオグリは仲がいいぜ。トレセン学園のウマ娘の中でも一番おばちゃんと仲がいいのはオグリだ。だがなんでそれがタマにプリンを食わせねえことにつながるんだ? しかも一日一個限定の食堂特製プリンだぜ?」

「……ここからは推測や。確証はあらへん。でもウチはほぼ間違いないと思ってる」

 

 イナリワンが黙って続きを待つ。オグリキャップも黙っている。

 

「食堂の限定デザートは週替わりや。だから週ごとに仕入れも変わる。それもあのメニューだけは特別で毎週交代で一人で、仕入れから料理までやっとる。そして今週のはじめ、月曜に抽選に当たったのはウチ。で、翌日と翌々日は限定メニュー自体が中止になった。これを聞いて思うことはないか?」

 

 イナリワンが答える。

 

「なんらかの理由であたしら生徒に()()()()()()()()()()()()()()ってことか……だが、いったいなぜ?」

 

 タマモクロスがゆっくりと話し出す。

 

「うちらウマ娘はアスリートや……そのウチらにどうしても食べさせたくない食べ物……おそらく」

 

 タマモクロスが深呼吸をする。これを言ってしまってはもう後戻りはできない。オグリキャップのほうを見る。彼女もまたタマモクロスを見つめている。逃げることは許されない。

 

「……()()()()()()()()()()()や」

 

 

11.

 

 ドーピング規定。ウマ娘に対しては特に厳しく検査される。その上その基準は日々変わり続けており、「うっかりドーピング」をさけるためにトレセン学園では厳しく薬やサプリ、当然食材にも気を使っている。しかし、「週替わりの限定デザート」だけは話が別である。これは担当となった調理師が責任をもって仕入れから調理までを行う。そこだけは学園の管轄の外である。しかし……

 

「待てよタマ」

 

 イナリワンが制する。

 

「ドーピング禁止物質なんてそう簡単に混入しねえぜ。あれは基本的に薬やサプリに入ってるもんだ。食事、ましてデザートになんて入らねえはずだぜ」

「その通りやイナリ。でもな今週のメニューは杏仁プリンだったんや。思い当たることあるやろ」

 

 オグリキャップがわずかに表情をゆがめる。イナリワンはそれを横目に質問に答える。

 

「……()()()()……」

 

 漢方薬は、薬膳料理には普通に入っている。今回のデザートである杏仁プリンにも漢方薬が入っていた。そして漢方薬の中には一部ドーピング検査に引っ掛かる成分が含まれている。

 

「そうや。もちろんその成分が一発で規定値を超えるとは限らへん。ただ裏を返すと規定値を超えれば即アウトや。だから絶対にウチからプリンを回収する必要があった。だが……」

「……一度出してしまったプリンを回収するためにはミスの説明をしなければならない」

 

 そう、そしてそれは間違いなく公になる。トレセン学園のウマ娘はドーピング集団、そんなそしりを受けるだろう。そうなればトレセン学園の食堂の、ひいてはトレセン学園自体の評判が地に落ちる。

 

「それが発覚した時、食堂内は騒然となったはずや……そしてそれに気づいたのが、普段から料理長と仲の良いオグリだったんや」

 

 タマモクロスがオグリキャップのほうを見る。オグリキャップは無言である。それは肯定の証だった。

 

「オグリ、お前は人が困ってるとなったら一歩も引かん。根負けした料理長はあんたにしゃべったんや。プリンに禁止薬物が入ってる可能性があること、そしてプリンを回収しなければならなかったこと。そして、あんたはプリンの回収を手伝うことにしたんや。……違うか? オグリ」

 

 オグリキャップが空を見上げる。月はまだ隠れていた。

 

「かなわないな。タマには」

 

 タマモクロスのほうを見て微笑んだ。イナリワンは黙っている。オグリキャップが話し始める。

 

「全部タマの言う通りだよ。私はあの日いつも通り、食堂が閉まるギリギリまで夕飯をお代わりしていた。その時、急に食堂の雰囲気が変わったんだ。それで何があったか聞いても教えてくれない。それでも食い下がったら、全部教えてくれたんだ。そして私たちにとって2つ運がいいことがあることが分かったんだ」

 

 タマモクロスがその先を受ける。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして()()()()()()()()()()()()()()、やな」

 

 オグリキャップがうなづく。

 

「これなら簡単にプリンを回収できると思ったんだ。それで、実際にうまくいった。いやばれたってことは失敗だったのか」

 

 オグリキャップがタマモクロスのほうを向く。そして頭を下げた。

 

「頼む! タマ。許されていいことじゃないのはわかってる。でもおばちゃんは本当にいい人なんだ! 地方から来た私に本当に良くしてくれた! 大体今回のプリンはおばちゃんが作ったわけじゃない。他のスタッフが作ったんだ。それにまだ誰も傷ついてないじゃないか! お願いだ。このことは誰にも言わないでくれ!」

 

 深くお辞儀をするオグリキャップ。だが、タマモクロスは

 

「すまん。オグリ。気持ちはわかるが、それは通らん。きっちりと報告させてもらう」

 

 冷酷にもそれを拒んだ。オグリキャップは顔を挙げる。彼女は力なく笑った。

 

「そう……だよな。被害者の君が言うんだ。しかたない。こんなことを頼んですまなかった。……じゃあ私はもう部屋へ戻るよ。おやすみ。タマ、イナリ」

 

 そう言ってその場を離れるオグリキャップ。それを黙って見つめるタマモクロスとイナリワン。しかしふたりはその場を動こうとはしなかった。

 

 

12.

 

 長い沈黙を裂いて、イナリワンが切り出した。

 

「……おいタマ()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 タマモクロスが答える。

 

「……さすがイナリやな。今ので説明は半分。だが、ここから先はオグリには聞かせるわけにはいかん。……イナリ、とりあえず気になってるところ言ってみ?」

 

 イナリワンが受ける。

 

「……オグリは()()()()()()。これは最初から言ってることだ。つまり、実際にタマのプリンを盗んだのはオグリじゃなくて、おばちゃんだったってことになる。おそらくオグリは鍵を開けておいて普通に夜練に行ったんだ」

 

 タマモクロスがうなづく。続きを促しているようだ。

 

()()()()()()()()()()()()()() ()おばちゃんがウマ娘の部屋に入っていくのがばれた時点でアウトじゃねえか。オグリが自分の部屋に入っていってプリンを処分する方が自然だ」

 

 イナリワンが続ける。

 

「まだあるぜ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? そもそも今回の事件がお前によって解かれたのは、オグリが自分は犯人じゃないと言い張ったからだ。もしオグリが最初に、『自分が食べた。ごめんなさい』って言ってれば、それ以上追及されることはなかった。いったいなぜなんだ?」

 

 タマモクロスがゆっくりと息を吐く。これが最後の謎解きだ。

 

「イナリ、お前の疑問はもっともや。だがオグリは気づいてない。おそらく一つ目の疑問に対しては『夜練に行かないと怪しまれる』。2つ目の疑問に対しては『お前は嘘が下手だ。犯行はこっちでやるから、お前は犯人じゃないとだけ言い続けろ』とまあこんな感じでごまかしたんやろな」

 

 だがイナリワンは納得していない。それを見てタマモクロスが続ける。

 

「簡単な話なんや。この()()()()()()1()()()()()()()()()()()

「……1つ?」

 

 そう、これが最後の謎。食堂のおばちゃんこと料理長の今後をタマモクロスは知っていた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

13.

 

 ふたりを再び風が包む。タマモクロスはさっきまで涼しいと思っていた風を今度は冷たく感じていた。

 イナリワンが質問を投げかける。

 

「どういうことだ? そもそも今回の犯行は、すべてが公になるのを避けるために行われたことだ。自首なんかしたら、意味がねえじゃねえか」

「いや、そうでもない。おばちゃんはプリンの回収に成功した。つまりウチや他のウマ娘にその事情を説明する必要がなくなったんや。だから今なら自首しても内内で処理できる問題になった」

 

 そう、自首しても食堂や学園に迷惑は掛からない。しかし……

 

「罪をすべて背負ってと言うが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 タマモクロスが答える。

 

「……そう、()()()や」

 

 オグリキャップ。彼女は確かに料理長の共犯者だ。料理長が自白することはオグリキャップの自白も意味する。

 しかし、それこそが先ほどの2つの疑問の答えにつながってくる。

 

「なあ、イナリ。じゃあ聞くが、オグリは何の罪に問われるんや?」

「何って……そりゃあ……」

 

 イナリワンは考えるが

 

「……()()()()

 

 何もなかった。

 

「……そうか。あいつがやったことは()()()()()()()()()()。加えてあいつは今回の追及に対して()()()()()()()……!」

 

 タマモクロスはうなづく。

 

「そうや。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり()()()()()()()()()っちゅうことや」

 

 料理長は今回の犯行が成功しても自首するつもりだった。そして失敗してもオグリキャップに罪が行かないようにしていた。

 

 イナリワンは一連の出来事を思い出しながら、かみしめるようにつぶやく。

 

「オグリは大好きな料理長を守ろうとした……そして料理長もまた、オグリを守ろうとしてたってことか……」

 

 

14.

 

 さっきまで雲に隠れていた月がふたりを照らす。

 

「なあ……タマじゃあさっきのオグリに言ってたやつは……」

 

 タマモクロスは料理長をしかるべきところに報告する、といった。だが、

 

「あれは嘘や。だがオグリにとって結果は同じ。もし、ウチが今の推理をオグリに言えば、オグリはすぐ自首しに行くやろ。でももう少し経っておばちゃんの処分が決まれば、もう後からオグリが自首したところでまったく取り合われないはずや」

 

 タマモクロスが月を見上げる。きれいな満月だった。

 

「オグリがやったことは褒められることではない。でも、おばちゃんはリスクを背負ってオグリを守ったんや。なら、その思いに応えたい」

 

 イナリワンもまた月を見上げていた。

 

「なぜそこまでおばちゃんのことを? ……ってこれは聞くまでもねえな」

「ああ」

 

 タマモクロスが微笑む。

 

「うちもおばちゃんの料理、大好きやってん」

 

 

 

 ~エピローグ~

 後日、食堂のおばちゃんこと料理長は解任となった。その理由は不明とされていて、このことが公になることもなかった。ウチはたづなさんに呼ばれてプリンは食べたか? と聞かれたけど、一口も食べてませんと言ったら解放された。

 突然の解任にウマ娘たちは騒然となり、その味を惜しんだ。また食堂の限定デザートはしばらく休止となった。

 料理は意外にも前と同じくらいおいしいとウチは思うけど、オグリは普段より食欲がないように見える。

 

 そんなある日、オグリが話しかけてきた。心なしかうれしそうだ。

「タマ! 今度の日曜一緒にスイーツを食べに行かないか?」

 どうやら、昔からこのあたりにある店らしいけど、最近凄腕のシェフが入ってきたそうだ。

 ちょっと迷ったふりをしてから、答える。

「プリン、おごってくれるなら考えるで!」

 オグリが自分のことのように胸を張った。

 

「ああ、きっと世界で一番おいしいプリンだ!」

 

 

 

 

 

 

 




スーパークリークの出番が少ないのは、もともと真犯人だったからです。

当初はほっこり恋愛オチにしようと思っていたのですが、オグリキャップのおばちゃんへの愛が勝りました。


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シンボリルドルフ「キスか…ふふ…したよ」

ある日トレセン学園HPにアップロードされた謎のPV。
そこで流れたのはオグリキャップとシンボリルドルフのキスシーンだった。
見に覚えのないオグリキャップに対し、なぜか頑なにキスはしたと言うシンボリルドルフ。

一体なぜシンボリルドルフはキスをしたと言い張るのか?その狙いは?
みたいなミステリです。



初期PVを見たことがあると、よりわかりやすいかなと思います。(下に貼ってあります)

面白い()ですし、90秒程度なので、ぜひ見てみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=HYrVKLBhitE



 ある日、トレセン学園生専用サイトにて、前々から告知されていたPVが上がった。

 それは多くの者に衝撃を与えた。

 もちろんPVの出来が良かったのはあるが、特にそのうちのワンシーン。

 『葦毛の怪物』オグリキャップと『皇帝』シンボリルドルフ。

 学園内で人気を二分するふたりの、キスシーンだった……

 

 

1.

 

 PVがアップロードされた日、学園内ではその話でもちきりになっていた。

 

「おお! オグリ! 見たでPV。突然会長とアイススケート始めたと思たら、キスするんやもんなあ! いろいろカオスで笑ってもうたで!」

 

 そうオグリキャップに話しかけたのは、彼女の同室のタマモクロスであった。

 オグリキャップの表情は険しい。タマモクロスが続ける。

 

「まあ照れんなやオグリ! それよりいつ撮影したんや? アイススケート場なんてこの辺あったかなあ? あ、それとも……」

「タマ」

 

 オグリキャップがタマモクロスの言葉を遮る。その雰囲気にタマモクロスは普段と違うものを感じる。オグリキャップの次の言葉を待つ。

 

「……知らないんだ……」

 

 オグリキャップは消え入るような声で言った。

 

「知らない?」

 

 タマモクロスが聞き返すと、オグリキャップは虚空を見つめたまま、次のように言った。

 

「知らないんだ。私はあんな映像知らない。撮影もしてない。もちろん……その……キスもしてないんだ」

 

 

2.

 

 トゥインクルシリーズPV。それは毎年この時期に発表される、トレセン学園の中でも指折りの人気ウマ娘たちを集めて作成するPVである。

 前々から告知はされていて、そこにはシンボリルドルフ、オグリキャップ以外にも、ナリタブライアン、サイレンススズカ、マルゼンスキーなどそうそうたる面子が招集されていた。

 ちなみに選ばれなかったタマモクロスは若干腹を立てていた。

 しかし今年に限っては、撮影されたという話は聞こえてこなかった。もしかして今年はないのか?と思われたところで、突然告知されアップロードされたのである。

 

「イナリ、どう思う?」

 

 今朝の話を受けてタマモクロスはイナリワンに尋ねる。

 

「どうってそりゃあいいことではねえわな」

 

 でもまあ、とイナリワンは続ける。

 

「オグリのやつはPV出演に許諾はしていた。今回のはおそらく合成か何かだとは思うが、承諾書にそういうのを作っていいって書いてたんじゃねえか?」

 

 タマモクロスもうなづく。

 

「そう考えるのが妥当や。今回のPV、キスシーンがあったとはいえ、全体的には過激なものだったり、イメージを損なうものでもなかった。オグリのキスシーンも一応光で隠れてたしな」

「オグリがどうしてもあのシーンを差し替えてほしいとなったら、誰か別の人に差し替えてもらえばいいんじゃねえか。どうせ合成だろうしよ」

 

 タマモクロスもイナリワンと大体同じ意見であった。

 

「そうやな。それくらい訳ないか」

 

 とりあえずはそのような結論に至って、この話は終わりとなった。

 

 ……はずだった。しかし翌日衝撃のニュースが飛び込んでくるのである。

 

「なんだ……これは……」

 

 オグリキャップは朝トレセン新聞を読んで固まっていた。トレセン新聞とは、レースのことから、トレセン学園のゴシップまであらゆるものを取り扱う学内新聞のことである。作っているのは新聞部だ。

 

「どうしたオグリ? そんなにショック受けて。あ、わかったで! 食堂閉鎖とかやろ!」

 

 タマモクロスが軽口を叩きながらその記事を読むと……

 

「なんや……これは……」

 

 オグリキャップと全く同じ反応をしてしまう。それはシンボリルドルフがPVについてインタビューを受けた記事で、でかでかとこう書いてあった。

 

『キスか……ふふ……したよ』

 

 

3.

 

 その記事を要約すると次のようになる。PV撮影に挑むことになったシンボリルドルフとオグリキャップ。ふたりともアイススケートなどやったこともなく、最初は途方に暮れたが、1日スケートリンクを貸し切ったという話を聞いて覚悟を決める。ほとんど休まず練習し続けることでなんとか最後は成功させることができた。そしてキスシーンについてだが、「フリ」ではあるが確かにした、と書かれていた。

 

「……おいオグリ。これは直接聞きに行くしかないで」

 

 タマモクロスはシンボリルドルフの元へ乗り込むつもりであった。それはこの一件に何やらきな臭さを感じたからだ。それだけではない。彼女は怒っていた。親友が勝手に常識はずれなPVに使われた上、あまりにも彼女の気持ちを軽視しすぎている。むしろこちらの方が大きな理由だった。

 

「ああ。行こうタマ」

 

 オグリキャップもまたシンボリルドルフと話がしたいと思っていた。彼女の知るシンボリルドルフはこんなことはしない、という思いがあった。そのイメージの解離に何か理由があると思ったからだ。

 ふたりはその勢いのまま、シンボリルドルフのいる生徒会室へ向かう。

 

 

4.

 

 生徒会室には、会長シンボリルドルフだけではなく、副会長のエアグルーヴ、ナリタブライアンもいた。

 

「どうしたんだ? そんな顔して。お茶でも入れるからふたりとも落ち着いたらどうだ」

 

 いつもと雰囲気の変わらないシンボリルドルフに、まずオグリキャップが切り込む。

 

「お茶はいらない。お茶菓子があるなら欲しい。会長、この記事は何なんだ? なぜこんな嘘をついたんだ?」

 

 だがシンボリルドルフの余裕は崩れない。

 

「嘘? 何のことだ? 私たちふたりはアイススケートをしたじゃないか。……そしてキスも」

 

 オグリキャップの顔が赤くなる。

 

「そ、そんなことしていない!」

「ふふ。どうかな。君が忘れているだけじゃないか? ……まあ君がどうしても、というなら顔の部分だけ差し替えてもいい。まだ本発表前だからな」

 

 シンボリルドルフに押されるオグリキャップを見かねて、タマモクロスが反撃に出る。

 

「おお会長。えらい余裕やんか。撮影をしたってことは、撮影日の記録も残ってるってことやろ? 教えてくれや。隠すことでもないはずやろ」

 

 しかしなおもシンボリルドルフは悠然としている。

 

「ああ、それならスケジュール帳に書いてある。……エアグルーヴ」

「はい」

 

 エアグルーヴが日誌を持ってくる。そこには確かに撮影日が記載されていた。

 

「……この日にオグリが撮影に来た証拠は当然あるんやろな」

 

 タマモクロスが問いかけるが……

 

「逆に聞くがオグリキャップが来なかった証拠はあるのかな? 私の記憶が正しければ、その日のオグリキャップはオフだったはずだが」

 

 白々しい。オグリキャップがオフの日を探して、その日に撮影を行ったことにしたに違いない。タマモクロスはそう思ったが証拠がないこともわかっている。

 

「……そっちがその気なら、こっちだって容赦はせん。徹底的に調べてやるから、覚悟しい」

「ふふ……楽しみにしているよ」

 

 タマモクロスとオグリキャップは生徒会室を出る。シンボリルドルフは不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

5.

 

「会長はあくまでしらを切りとおすってことか」

 

 イナリワンがふたりの話を聞いて答える。

 

「まず考えるべきは会長の狙いだな。会長はどうしてもスケートリンクでオグリと撮影したと言い張りたいように見える。いったいなぜだ? それを考えれば、真実は見えてくるはずだ」

 

 タマモクロスとオグリキャップがうなづく。

 スケートリンク、か。最初にあのPVを見て思ったことは、この近くのどこにスケートリンクがあったかな、ということだった。タマモクロスは考える。スケートリンク。貸し切り。実際は撮影してない。……まさか……

 

「もしかして生徒会は、不正に予算をもらってるんとちゃうか……?」

 

 タマモクロスがそういうと、イナリワンがうなづく。オグリキャップはピンときていないようだ。

 

「どういうことだ?」

 

 オグリキャップの疑問をイナリワンが受ける。

 

「つまり、だ。生徒会は、スケートリンクを貸し切ってPV撮影をすると言って、学園から金を引き出した。だが実際はそれを行わず、その分のレンタル代や機材費を丸々プールしたってことさ」

 

 オグリキャップが顔を曇らせる。

 

「……それってかなりまずいことなんじゃないのか?」

 

 タマモクロスが答える。

 

「まずいなんてものやあらへん。……下手したら犯罪や」

 

 

6.

 

 三人が口をつぐむ。沈黙を破ったのはイナリワンだった。

 

「これを確かめるためには、予算の申請書があればいい。そこに書いてあるスケートリンクに問い合わせれば、本当にスケートリンクを使ったかはっきりするはずだ」

「だけどどうするんや?」

 

 タマモクロスが尋ねる。

 

「予算の申請書なんて、生徒会室に厳重に保管してあってそう簡単には見れないはずや。それに今日生徒会に行って感じたことやが、おそらく会長の単独犯行やあらへん。エアグルーヴとブライアンもグルや」

 

 そう、予算申請書が見たいと思っても、まず生徒会室に入れない。また入れたとしても書類の場所など全くわからない。それで見つけるというのは至難の業だ。そもそもシンボリルドルフの前でタマモクロスはあれだけの大見栄を切った。生徒会はタマモクロスやそれに近しい人を警戒しているはず。書類を盗み出すというのは不可能に近い。

 だが、イナリワンがニヤリと笑う。

 

「あたしに考えがある。生徒会役員じゃないが、生徒会室にいつも入り浸ってる変わり者がいるじゃねえか。あいつに頼むんだよ」

 

 そうか。確かに彼女なら生徒会室に入ることもたやすいし、普段から手伝いもしているらしいから、書類の位置も把握してるかもしれない、とタマモクロスは思う。オグリキャップがその名を口にした。

 

「トウカイテイオーだな」

 

 

7.

 

 トウカイテイオー。中等部一の天才との呼び声高いウマ娘。シンボリルドルフにあこがれてトレセン学園に入学した。それゆえ暇な放課後はいつもシンボリルドルフのいる生徒会でくつろいでおり、いまや生徒会室の風物詩となっていた。

 休み時間、三人は中等部に向かう。

 

「テイオー、ちょっといいか」

 

 オグリキャップがトウカイテイオーの教室の前で呼びかける。するととたんにクラス全体がざわつき始める。

 無理もない。オグリキャップ、タマモクロス、イナリワンと言えば高等部の中でもかなりの強者として名をはせている。その三人がわざわざ中等部の教室まで来て呼び出しをかけているのだ。しかし当の本人はどこ吹く風で楽しそうに答える。

 

「オグリキャップじゃん! ボクになんか用? レースのお誘いなら大歓迎だよっ!」

 

 4人は人気のないところまで移動する。タマモクロスが話を始めようとしたところで、トウカイテイオーが冗談めかして言う。

 

「なになに? こんなところまで連れてきて上級生三人で囲んじゃってさあ。変なことしたらカイチョーに言いつけちゃうもんね!」

 

 食えないやつだ、とタマモクロスは思う。この状況でまったく萎縮していないどころか、何かあればすぐに生徒会に知らせる、と脅しをかけてきている。……まあ今回はまさにその生徒会の不正を暴こうというのだが。

 

「単刀直入に言う。生徒会室に忍び込んで、盗ってきてほしいものがある」

 

 タマモクロスが言うと、ふんふんと言ってからトウカイテイオーが答える。

 

「それだけ言われてもボクは何もできないなあ」

 

 事情を話せ、と言っているのだ。これは当然の反応だ。タマモクロスはこれまでのことをトウカイテイオーに話す。

 シンボリルドルフは撮影をしたと言ったが、オグリキャップの身に覚えがないこと。それを直接問い詰めに言ったが、しらを切られたこと。そしてもしかしたら、生徒会は不正に予算を受け取っているかもしれないということ。

 

「……ということや。協力してくれ。テイオー」

「……なるほどね」

 

 トウカイテイオーが何やらじっと考えている。その表情は真剣なものに切り替わっていた。そして少しの沈黙の後、彼女が口を開く。

 

「その話が本当なら、ボクは君たちに力を貸すよ。いくら会長のやることとはいえ、不正は絶対に許されない。でもね……」

 

 トウカイテイオーが言いよどむ。それを見てイナリワンが続きを急かす。

 

「でも、なんだ? 何かあるのかい?」

 

 トウカイテイオーがゆっくりと話し出す。言葉を選んでいるようだ。

 

「これはボクが会長のことが好きだから言うわけじゃないんだけど……()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ」

 

 オグリキャップもまた、それをなんとなく感じていた。黙ってうなづく。

 

「会長はね、あくまで学園のルールを守って行動するんだ。それはルールの奴隷ってわけじゃない。ルールに納得がいかなければ、それを変えることから始めようとする。学園の許可さえ出てれば、そのギリギリまでためらいなく行く。その会長がルールを破って不正をするなんて考えづらいんだよ」

 

 そうかもしれない。タマモクロスもしっくりきていた。そちらの方が自分のシンボリルドルフ像と合致する。その上自分よりも何倍もシンボリルドルフをよく知るトウカイテイオーがそれを言うのなら、きっとそうなのだろうと考える。

 この時点でタマモクロスは、トウカイテイオーに予算申請書を盗ませるのはやめておこうと思った。盗ませても意味がないと考えたのだ。なにより……

 

(現状テイオーはウチらに残されたジョーカーや。それを勝算の薄いところに切るわけにはいかん)

 

 そう、今回の事件はどれだけ正確に推理できたとしても、その証拠及びそれに準ずるものがなければ意味がない。そしてその証拠を手に入れられるとしたらトウカイテイオーしかいない。しかも一度やってしまえばそれ以降は警戒されて、絶対に成功しないだろう。トウカイテイオーを使うなら、ここぞの急所を突かなければならない。

 そこまで考えたところでタマモクロスがトウカイテイオーに言う。実はこの作戦を思いついた時、どうしてもトウカイテイオーに言いたいことがあった。

 

「……わかった。とりあえず今は何もしないで待機しておいてくれ。だがもし、お前の手が必要になった時、協力してほしいんや」

 

 トウカイテイオーが答える。

 

「もちろん! ボクに任せて!」

 

 タマモクロスの体に若干力が入る。よし言うぞ! 今言うぞ! と思ったところで、

 

「頼んだぞ! トウカイテイオー。いや、これはむしろカイトウ…怪盗テイオーだな!」

 

 オグリキャップに先を越されてしまった。ウチが言いたかったのに! と思っていると、なぜか空気が凍っている。

 

「……オグリ。そりゃねえぜ……」

「カイチョ―でもそんな寒いこと言わないよ……」

 

 その後数瞬遅れて、いやしょーもないボケすんなやー! とつっこんだものの、少し傷ついたタマモクロスだった。

 

 

8.

 

 数学の授業中タマモクロスは考えていた。何を? と聞かれれば、何を考えるかを考えていたのである。

 

(今回の事件の推理は白紙に戻った。今何を怪しんでいいのかわからへん。一体何について考えればいいんや)

 

「……であるからして加法定理を次のように変形すると」

 

 授業は三角関数についてやっていた。意味不明な加法定理を無理やり暗記したのも束の間、もう次の単元に入っている。

 

「……とこのようにすることで三角関数を合成することができます」

 

 どうやら三角関数の合成に入ったらしい。その前に三角関数が一体何の役に立つのか教えてくれ、とタマモクロスは思う。……その時ふと頭に引っ掛かる言葉があった。

 

(……合成?)

 

 タマモクロスの頭が急速に回り出す。

 

(そうや。ウチはスケートリンクは使わなかった、と考えてる。おそらくそれは正しい。じゃああのシーンはどうやって作られたものか。……合成や。ウチは合成なら何でもできると思い込んでた。でも、()()()()()()? あのPVは1分半程度のものだったが、そのクオリティは内容はともかく映像はかなりしっかりしてた。オグリのキスシーンだけやない。雪山で合宿するシーンから、何やらよくわからないウマ娘が出てきて、エフェクトみたいなのを出して走っとった。あんなの生徒に作れるんか? 作れないとして、あれは学園が作ったんか? わからない。前提として知識がない。誰かそういうのに詳しいやつ……)

 

 タマモクロスの頭の中にあるウマ娘がヒットする。理系でいつもパソコンをいじってるウマ娘だった。

 そんなタマモクロスを見て授業に集中していないと思ったのか、教師がタマモクロスを当てる。

 

「じゃあこの問題タマモクロス」

 

 タマモクロスが勢いよく答える。

 

「はい! エアシャカールに聞いてきます!!」

 

 

9.

 

 エアシャカール。見た目はガラの悪そうなヤンキーそのものだが、実はデータと論理を信じる頭脳派。彼女なら動画作成における合成や編集についても詳しいだろう。

 

「おお、シャカール! 相変わらずクマすごいで。ちゃんと寝とんか?」

「……うるせェ。用がないなら帰れ」

 

 タマモクロスが話しかけると、信じられないほどそっけない反応を示すエアシャカール。一応ウチは先輩やで……と思いつつ話を続ける。

 

「用ならある。ちょっと聞きたいことがあるんや。なにほんの数分で終わる話や。付き合ってくれへんか?」

「無理。今忙しいンだ」

 

 そう言われることを予想していたタマモクロスには、用意していた話があった。

 

「……なあシャカール。この前ファインと豚骨ラーメン豚〇双に飯食いに行ってたなあ……?」

 

 エアシャカールの手が一瞬止まる。が、またパソコンを打ち出す。ファインというのはファインモーションというウマ娘のことで、エアシャカールの唯一と言ってもいい友人である。エアシャカールがファインモーションのことに関してだけ熱くなるのを、タマモクロスは知っていた。

 

「そこでファインのやつ濃厚スープの中に虫が入ってることに驚いて、卓上調味料を全部倒してたなあ……?」

 

 エアシャカールの手が完全に止まり、タマモクロスをにらみつける。それを意に介さず、タマモクロスは話し続ける。

 

「それを怒りのあまりの行動だと勘違いされて、誠意のチャーシュー丼をもらってたよなあ……?」

「……何が言いてェ?」

 

 エアシャカールがとうとうタマモクロスに問いかける。

 

「バラす。全部バラす。学園中にバラす。ファインを泣かす。明日のトレセン新聞の一面にしてもらう」

 

 バキン! エアシャカールの手の中でマウスがひしゃげる。

 

「てめェ……そんなことしたらわかってンだろうな?」

「何も大金ゆすろうってわけじゃないで。ほんのちょっとお話しよって言ってるだけや♡」

 

 エアシャカールはふぅーっとため息をついてから、タマモクロスに向き合う。

 

「なあ()()。夜道に気をつけろよ……。何が起きても知らねェぞ……」

「お前がウチの質問に答えてくれれば、それでもかまへんで」

 

 異様な雰囲気のまま、ふたりの話が始まる。

 

 

10.

 

「まず前提として、あのPVはほとんど撮影は行われていない、つまり大半を合成で作ったものとして考えてくれ」

 

 タマモクロスがそう言うと、エアシャカールは黙って聞いている。

 

「ウチが聞きたいのは1つや。その前提の上で、あのPVについてどう思うか教えてくれ。特に映像技術に関してな」

 

 この質問に対して、少し考えてからエアシャカールが答える。

 

「あンたの話はにわかには信じがたい。あのPVは、正直CGとは思えねえほど精巧にできてる。だがあンたの言うことを前提とするなら、相当金がかかってることになるな。一からモデリングから始めて、言われてもCGだと確信が持てないほど人間に近づけるってのは至難の業だ」

 

 やはりそうか。あの映像は素人のタマモクロスが見てもすごいものだと思っていた。いったいどれほどの金がかかっているのだろうか? 

 

「あれは作ろうと思ったらいくらくらいかかるもんなんや? 何十万とかか?」

「はっきり言って想像がつかねェ。だが、数十万じゃ足りねえことは確かだ。数百万は堅いな」

 

 数百万……! しかも場合によってはそれ以上かかる……? タマモクロスはあまりの金額にくらくらしたが、少なくとも会長の一存で払える金額ではないことだけは理解する。やはり学園が制作に関わっているのだ。

 エアシャカールがさらに言う。

 

「あのクオリティは、PV1本とるためのものとはとても思えねェ。あれを作るのに数年単位でかかってるはずだ。それまでだって毎年PVは作られてたンだぜ?」

「来年以降もその技術を利用してPVを作るつもりなんじゃないんか?」

 

 そうかもしれねェが、とエアシャカールが続ける。

 

「毎年のPVだけのためにそれだけの金と労力賭けるのは、あまりに非現実的だとオレは思うね」

 

 これくらいでいいか? と言うエアシャカールに、ありがとさんと言ってその場を離れる。

 謎は深まるばかりだ。

 

 

11.

 

()()()P()V()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()、か……)

 

 だとするとその技術は何のために作られたものなのだろうか? それともこれまでのことが全部嘘で、オグリキャップが恥ずかしがって本当のことを言えないだけなのだろうか? 

 

(いや、それはありえん)

 

 オグリキャップはそのようなウマ娘ではない。

 とうとう仲間を疑い出してしまった自分を戒めつつ、事件に関しては途方に暮れるタマモクロスの前を、

 

「青春デーイズ! 海に向かって走るぞぉー!」

 

 爆速で走り抜けていく葦毛のウマ娘がいた。

 そのウマ娘を見て、閃く。

 

(待てよ……それならありうるかもしれん!)

 

 そう思うが否や、タマモクロスはそのウマ娘を追って走り出す。

 走って、走って、走って、走って。

 

「……追いついたで。ちょっと止まれや」

 

 追いつく。

 

「ほお……。アタシに追いつくとはなかなかやるじゃねえか」

「当たり前や。純粋な末脚勝負なら、会長が相手だろうが、オグリが相手だろうがウチは負けん」

 

 そのウマ娘が走るのをやめたところで、タマモクロスが改めて話しかける。

 

「ちょっと話聞かせてもらうで……。()()()

 

 

12.

 

 その夜、タマモクロスはトウカイテイオーに電話をかける。

 

「待たせたなテイオー。盗ってきてもらうものが決まったで」

 

 トウカイテイオーは黙って次の言葉を待っている。

 

「盗ってきてもらうものは、●●や」

「おっけー」

 

 トウカイテイオーがあっさりと返事をする。

 

「おいおいいけるか? バレたら終わりやぞ」

 

 と釘を刺すが、

 

「大丈夫大丈夫!」

 

 トウカイテイオーは翌日の天気の話でもするかのように、軽やかに答える。

 

「怪盗テイオー様は絶対だよっ!」

 

 最後にテイオーはそう言うと電話を切った。

 なんやあいつ案外気に入っとったんかい。

 そう思ってから、布団に入る。

 タマモクロスは寝るまでに何度も自分の推理を反芻する。

 明日が直接対決だ。

 

 

13

 

 放課後、生徒会室。

 すでに日は傾いており、夕日が生徒会室全体を照らしていた。

 

「やあ、待っていたよ。タマモクロス」

 

 シンボリルドルフが、タマモクロスが入ってきて早々に言う。その表情には余裕が見える。

 

「なんや。ウチが来ること知ってたんか」

 

 タマモクロスも薄笑いで返す。ここで動揺を悟られてはいけない。

 

「ふふ……どうだろうな。今はエアグルーヴもブライアンもいない。存分に推理を披露してくれ」

「奇遇やな。ウチも誰もつれてきてへん。……()()()()()()()()()()やろ。今からするウチの話」

「君の推理が正しければ、あるいはね」

「はは!間違いないわ。……ほな行くで」

 

 

14.

 

 タマモクロスは落ち着くことなく、その勢いのまま話始める。

 

「今回の事件、ポイントは結局のところ1つや」

 

 ……しかしそれをシンボリルドルフはさえぎる。

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』、かな? 君たちはずいぶんそのことでいろいろな人に嗅ぎまわっていたようだからな」

 

 これはシンボリルドルフの戦略だ。相手の言うことをあらかじめ先回りすることでペースを握らせない。実際これによってタマモクロスの勢いも止まってしまった。

 

「……と思っていた」

 

 かに思われた。シンボリルドルフの攻撃をかわし、タマモクロスの推理はより深いところまで進んでいく。

 

「ウチらはもっと根本から考えるべきやったんや。『なぜ撮影をしてないのに撮影をしたと言い張るのか』ということをバカ正直に考えるんやない。さらに一歩戻る。『()()()()()()()()()()P()V()()()()()()()()()』。ここを考えれば徐々に事件の全体像が見えてくる」

 

 シンボリルドルフは黙っている。タマモクロスはそのまま続ける。

 

「詳しいやつに聞いたんや。あのPVで使われた技術は、あんなちゃちなPVのためだけに消費されていいもんやあらへん。逆に言えば、何かその技術を使うにふさわしいものがあって、その副産物としてあのPVができたんや」

 

 タマモクロスが畳みかける。付け入る隙を与えない。

 

「この技術はみんなから望まれて生まれてきたはずなのに、それが花開く前に封印された」

 

 シンボリルドルフの表情は普段と変わらないように見える。しかしその口元にわずかに歪みが生まれていることをタマモクロスは見逃さない。

 確かに自分の推理が正しいことを確信する。

 

V()R()()()()()()()。ウマネスト事件によって葬られた忌み子や」

 

 

15.

 

 VRウマレーター。それは秋川理事長の一存によってできたVRシミュレーターである。これは何年もの開発期間を経て、今年の夏に完成するはずだった。しかし完成したと思われたその日に事件は起こる。ゴールドシップの暴走により、VRウマレーターのプログラムは異常をきたし、危うく全ソフトウェアのリセットが必要となる事態となったのだ。プレイヤー1人の暴走によってそのような機械全体の危機が起きてしまうこと、またプレイヤーの安全面の配慮も足りなかったことが問題視され、開発をし直さなければならなくなった。そしてすぐに調整は終わるかと思われたが、何か月たってもいまだに終わっていない。

 この一連の流れは、ゴールドシップがVRウマレーターをプレイしていた時に起動していたゲームにちなんで『ウマネスト事件』と名付けられ、トレセン学園の生徒の中では有名なものとなっている。

 

「ゴルシのやつにVRウマレーターについて色々聞いたで。VR世界は現実とほとんど変わりなくできていた。現実世界では走っているだけのはずなのに、VR世界ではいろんなアクションをすることができた。VRのキャラクターのモデリングは完璧だっただけでなく、VRウマレーターに一度も触れていないキングヘイローとセイウンスカイのモデリングも存在していた」

 

 タマモクロスは話し続ける。

 

「この機械を使うことができたと考えれば、あのPVすべてのシーンを作り出すことができる」

 

 雪山での練習。なぜか寮の部屋に飛び込んでくる雪。忍者のような走り方で他のウマ娘を抜いていく見たことのないウマ娘。そしてオグリキャップとシンボリルドルフのアイススケート。

 しかしここでシンボリルドルフが反論する。

 

「なるほど。VRウマレーターが使えれば、それは可能だ。だが本当に使えたのか? あれは完成したと思われた日に3人だけ使用して、そのまま使用禁止になったんだぞ」

 

 その通りだ。それがシンボリルドルフにとって最後の砦である。しかし同時に()()()()()()()()()

 

「確かにトレセン学園内ではそういう風に言われてる。……でもそれが嘘だったとしたら?」

「……どういうことだ?」

 

 タマモクロスがとうとうシンボリルドルフをとらえる。

「……会長、()()()V()R()()()()()()()使()()()()()

 

 

16.

 

 ふたりの間に緊張が走る。秋の日が落ちるのは早い。すでにあたりは昏くなってきていた。

 

「続けろ」

 

 シンボリルドルフが悠然と言う。タマモクロスはそれに応える。

 

「あんたらの本来の計画はこうや。まずVRウマレーターの使用を公には禁止する。でもあれは、ゴルシが相当やばい使い方をしたから暴走したにすぎん。だから普通に使う分には何も問題なかったはずや。そこでVRウマレーターの安全プログラムを作るのに並行して、VRウマレーターを使ってPVを作っていった。そしてこのPVが発表される前に、VRウマレーターを完全なものにして、世間に発表する。その後PVを発表すれば、それはトゥインクルシリーズの紹介になるだけでなく、VRウマレーターの紹介にもなるっちゅう訳や」

 

 シンボリルドルフはなおも不敵な笑みを崩さない。だがタマモクロスには確実に追い詰めている実感があった。

 

「しかしそこで想定外のことが起こった。何か月経っても、VRウマレーターが完成しなかったんや。そしてその場合VRウマレーターを使ってPVを撮っていたという事実は()()()()()()()()()()

 

 暴走の危険性、人体への悪影響。VRウマレーターは一応このふたつを理由に封印されていた。それを生徒が使用していたとなったら……

 

「ゴルシの話を聞く感じ、VRウマレーターは99%は安全な機械のはずや。あいつが1%のバカだったってだけでな。だが世間がなんて言うかは想像に難くない」

 

 危険な機械を生徒に使わせるな! とバッシングが来ることは間違いない。もしPV発表の1日でも前に完成していれば、発表前にすでに完成していてPVをとっていた、と言い張ることができる。しかし現実はそれができなかった。

 

「だからあんたは実際に撮影が行われたことにするしかなかったんや。当然キスもな」

 

 タマモクロスはシンボリルドルフのほうを見る。

 ……だが、追い詰められたはずのシンボリルドルフは笑っていた。

 

「どうした? 何がおかしい。この推理は大きくは外れてないはずやで」

「ふふ……いやね、非常に面白いお話だとは思ったよ。なかなか筋は通ってる」

 

 だが、とシンボリルドルフは続ける。

 

()()()()()()()()()()。君の推理は推論に過ぎないんだよ。……もし予算申請書を証拠にしようとしているなら無駄だ。今回のPV撮影において、撮影費は生徒会じゃなくて、学園が直接支払っている。生徒会に証拠はないよ」

 

 タマモクロスが黙る。それは一見、シンボリルドルフに屈して絶句しているように見えた。しかし…

 

「……なぜ笑っている?」

 

 それを聞いたタマモクロスの顔もまた、笑っていた。

 とっておきの鬼札を切る時が来たのだ。

 

「証拠ならある。……これや」

 

 タマモクロスが携帯に保存してある写真を見せる。

 ここで初めてシンボリルドルフの表情がゆがむ。

 

「……これをどこで?」

 

 タマモクロスがしれっと答える。

 

「さあな。どっかに探偵に味方してくれる酔狂な()()がおったんやろ」

 

 それは生徒会のスケジュール帳の、とあるページのものだった。

 そこにははっきりとV()R()()()()()()()使()()と書かれていた。それもウマネスト事件よりも後の日付に。

 

 

17.

 

 誰が盗ったか、それはもちろん気になるが、今はそれ以上に知りたいことがある。

 

「……どうしてスケジュール帳に証拠が残っているとわかった?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 タマモクロスが最初に生徒会室に来てからわずか2日しかたっていない。その間警戒は怠らなかった。カギは生徒会役員しか持っていないし、戸締りもしっかりとしていた。『なんでもいいからVRウマレーターを使った証拠をとって来い』という漠然とした指示で、取ってこれるものでは決してない。

 

「……一番最初や」

「一番最初? あの生徒会室に来た日か?」

 

 そうや、とタマモクロスがうなづく。

 

「あの日、ウチはスケートリンクの使用日について尋ねた。そしてあんたは()()()()()()()()()()()()()()()()()。しかしエアグルーヴが持ってきたのは()()()()()。これはなぜか?」

 

 タマモクロスはその日のことを思い出しながら話す。

 

「会長、あんたはスケートリンクの使用日が含まれるスケジュール帳のページに、ウチに見られて困る箇所がないことを知ってた。だからあえて自分の急所であるスケジュール帳を見せることで、逆にそれに対しての不信感をなくそうとした。対してエアグルーヴはそれを把握しきれていなかった。万が一VRウマレーターについて記述のあるページだったら、それが原因ですべてがバレることだって十分にありうる。だからエアグルーヴは日誌を持ってきた。日誌は学校に提出する、いわば()()()()()()。誰に見られても問題ないものやからな」

 

 これはトレセン学園生徒会の誇る会長と副会長、ふたりがともに優秀だったが故のすれ違いである。シンボリルドルフ、は生徒会長として自身のスケジュールを完璧に把握していたからこそ、攻めの姿勢が取れた。対してエアグルーヴは、スケジュールを把握し切れていなかったものの、瞬時にそこに潜む爆弾を見つけ、あまりにも自然にそれを処理した。いわば守りの姿勢である。

 そのほんのわずかのズレをタマモクロスは見逃さなかった。

 

「これでウチの手札はすべて切った。だがあんたの逃げ場ももうない。ウチからの要求は一つ。……なに、今更PVを非公開にしろなんて言う気はあらへん。ただ……」

 

 タマモクロスの語気がわずかに怒りを帯びる。

 

「オグリに謝れ。そんでトレセン新聞で今回のことは嘘でした、撮影はしてませんと言え。それだけや」

 

 これに対して、シンボリルドルフが言う。

 

「それはできない。撮影した、と言ってからそれを否定するなんていかにも怪しい。それによって注目を浴びることは避けたい。他の生徒の中にもVRウマレーターにたどり着くものが現れるかもしれないからだ」

 

 だがタマモクロスは譲らない。

 

「知らん。それはそっちの責任や。そっちで何とかしい」

 

 シンボリルドルフは大きくため息をついた後、語り掛ける。

 

「そうか……()()駄目か。タマモクロス」

 

 そしてそのまま、驚くべきことを言い放つ。

 

「じゃあ君はどうだい? ()()()()()()()

 

 タマモクロスがドアの方を向く。

 ……そこにはオグリキャップが立っていた。 

 

 

18.

 

 薄暗い夕闇の中、生徒会室の明かりだけが、煌々と光っていた。

 一瞬の静寂の後、オグリキャップが言う。

 

「なあ、タマ。もういいんだ。私は会長と撮影をしたよ」

「……それでいいんか?」

 

 オグリキャップの表情に迷いはない。

 

「ああ。いいんだ」

 

 タマモクロスはシンボリルドルフをにらみつける。

 

「なんや……全部()()()()()()()

 

 シンボリルドルフはタマモクロスが真実にたどり着いたことに気付いていた。そしてそうなってしまった以上、当事者のオグリキャップにまで真実を隠しておく必要はない。

 タマモクロスが推理や証拠集めに動いている間に、シンボリルドルフは()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 タマモクロスは怒っていた。勝負はついていたのに、さも終わってないかのようにふるまい、自分を躍らせたこと。そして、どんな手を使ったかわからないが、オグリキャップが恥を忍んで学園のために折れるように仕向けたこと。

 だが、元々はキスをしたと噂されるオグリキャップのための推理である。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最後にタマモクロスは捨て台詞を吐く。

 

「この数日間の推理も全部無駄だったんやな。えらいただ働きさせられてもうたで」

 

 行くでオグリ、と生徒会室を出ようとするが、

 

「無駄だった、か。いや()()()()()()よ……」

 

 シンボリルドルフが意味深長なことを言う。しかしタマモクロスはそれには取り合わず、生徒会室を後にした。

 

 ~エピローグ~

 結局あの後、PVはそのまま配信された。

 タマは、なんでウチがいないんや! オグリのスケート10秒もやるくらいなら、ウチも出さんかい! と怒っていた。

 私はあのPVをいいとも悪いとも思わないが、世間ではにわかに注目をあびたようで、結果的には大成功だったのではないだろうか。

 またVRウマレーターはいまだに完成していない。まあ私は外で走る方が好きだから、問題はないのだが。

 

「なあ。オグリ。もし、もしやで。VRウマレーターの映像技術に注目して、どこかの企業がウマ娘の育成ゲームを作ったとするやろ」

 突然タマが変なことを言い出す。

「その時に、もしかしてウチは実装されないんとちゃうかな……?」

 どうして? と聞くと、

「だって、今回の人気ウマ娘を集めたはずのPVにも呼ばれなかったし、その上VRウマレーターの件で会長に嚙みついたんやで! その腹いせで、永遠に封印されるかもしれんやんか!」

 そんなことはない。タマのことを好きな人はたくさんいる。……そう言ってもタマの不安はぬぐえないようだ。

「全く、結局無駄になるんやったら、あんま推理せんほうが良かったかもなあ」

 そんな愚痴を言うタマに、それは絶対にない、とはっきり言ってやる。

「あんたがそう言ってくれるなら、よかったで!」

 タマがいつも通りの笑顔を見せる。

 そう、本当に()()()()()()()()()()()()()()()

 

 明日からまたいつも通りの日常が始まる。

 走り続ける限り道は続いていく。

「明日も朝練頑張るで!」

「……ああ」

 私は、あのPVを見てトレセン学園に入学してくる未来のライバルに負けないように頑張ろう、そう思った。

 

 

 

 〜残された謎〜

――1日前、生徒会室

 

「……なんだ会長。話って」

「ああ、そこに座ってくれ。……君には真実を話そうと思う」

「……いいのか? どうしても言いたくないから隠していたんじゃないのか?」

「事情が変わった。君の相方はすでに真相にたどり着いている。証拠もつかんでいるかもしれない。それなら君が真実を知るのも時間の問題だ」

「……タマは本当のことを知っているのか?」

「あくまでおそらくだが、ほぼ間違いない。明日にでも生徒会に乗り込んでくるだろう」

「……わかった。じゃあ今回の件について説明してくれ」

「ああ。まずはじめに……」

 

「なるほど。そういうことだったのか」

「そうだ。そして君には申し訳ないが、撮影は行われたということにしてほしい。学園の信用問題にかかわることなんだ。頼む」

「……頭を上げてくれ会長。わかった。じゃあ撮影は行われた、そう言うことにしよう」

「……やけにあっさり了承するじゃないか。君は嫌だったのではないのか?」

「嫌ではないと言ったら嘘になるが、私はあまり気にしない。ただ、どうしても私がキスをした、と思われたくない人がいたんだ」

「……なるほど」

「そして今、その人だけは、私がキスをしていないという真実を知っている。ならそれでいい」

「そういうことか。ふふ、彼女も隅に置けないな」

「どういうことだ?」

「いや、こっちの話だ。話はそれだけだ。時間をとらせて悪かった。そこにあるお茶菓子全部持って行っていいぞ」

「本当か! 助かるぞ! 会長!」

 

 そのままオグリキャップは持てるだけのお茶菓子を持って、生徒会室を出ていった。

 オグリキャップはタマモクロスにだけは自分がキスをした、と思われたくなかった。

 しかし彼女自身、なぜその感情がわいてくるのかはわからない。それを知るのはまだ先の話である。

 

 




とんでもなく難産でしたが、自分的には気に入ってます笑

ほんとウマ娘って初期PVから、よくこれだけ持ち直したよなあ…

※蛇足ですが、解説です。
 シンボリルドルフがわざわざタマモクロスの謎解きを聞いていたのは、外にいるオグリキャップに、タマモクロスが本当に真相を暴いているのかを確認させるためです。
 本文中に入れられなかったので、一応。


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ライスシャワー「2人目の吸血鬼」

ハロウィンパーティの日に事件は起きる。犯人は正体不明の『吸血鬼』。
次々とウマ娘たちは犯人の牙にかかっていく。

犯人は誰なのか?犯人の目的は?そして犯人の動機は?

みたいなミステリーです。


※一応ゲームのハロウィンパーティの後のストーリーですが、読んでなくても何も問題ないです。
読んでない方も「へえ、そんなのあったんだ」くらいに思っていただければと思います。




 ライスシャワーです! 

 今日は美浦寮と栗東寮合同のハロウィンパーティーの日です! 

 ブルボンさんが実行委員長、タマモさんとクリークさんが衣装係で、ライスとロブロイさんもお手伝いしました。

 色々あったけど、結果は大成功! 

 名残惜しいけどそろそろお開きのムードとなってきました。

「今日は楽しかったね! ロブロイさん!」

「そうですね! ライスさん!」

 ロブロイさんはライスの同室です。元々仲良しだったのですが、今回のハロウィンパーティでもっともっと仲良くなれた気がします! 

 ライスたちがそのままおしゃべりしていると、ハロウィンパーティの終了の時間となりました。楽しい時間はすぐに過ぎるものです。

「おーい! ライス! こっち来てくれ。片付けするで~」

 ライスに声をかけたのは先輩のタマモさん。タマモさんとも、このハロウィンパーティの準備でいっぱいお話できました! 

 ライスはタマモさんのところに行く前に、ロブロイさんをお誘いします。

「ロブロイさん、一緒に片付けしよう?」

「ごめんね、ライスさん。私、クリークさんと一緒にあっちのお部屋のお掃除しなくちゃ」

 でも断られてしまいました。全然いいよ! お片付け頑張ろうね! と言って、ライスはタマモさんのところへ向かいます。

 

 それからしばらくお掃除をしていたところ、

「きゃあ──────!」

 クリークさんの叫び声が、美浦寮に響き渡りました。

「どうした! クリーク!」

 そう言って駆け出したタマモさんを、ライスも慌てて追いかけます。

 そうして、クリークさんの声が聞こえた部屋に着くと、すでに人だかりができていて……

「……ロブロイさん……?」

 その中心には、ロブロイさんが横たわっていました……。

 

 結局、ロブロイさんはそのあとすぐに保健室に運び込まれました。幸い特に体に異常はありませんでした。

 保健室の先生はただの貧血だ、と言っていました。でも周りにいた私たちはそうは思えなかったのです。なぜなら、ロブロイさんの首筋にはうっすらとですが、()()()()()()()()()()()()()()()()()から……。

『吸血鬼事件』。

 ハロウィンの日に起きたこの出来事は、そう名付けられ学園中に広まっていくことになったのです。

 

 

「『吸血鬼』、ねえ……」

 周囲が朝から『吸血鬼事件』の噂で浮足立っている中、タマモクロスはつぶやく。

「もうすっかり噂になってますねえ」

 やれやれといった感じで返事をするのは第一発見者のスーパークリークだ。

「誰がこんな噂流したんか知らんけど、大したことやないで」

 とぼやくタマモクロスに、

「話聞く限りは、なかなか面白そうだけどな」

 そう言うのはイナリワン。彼女は事件が起こった美浦寮所属ではなく、栗東寮所属なので事件のことを詳しく知らない。

「ホンマにただロブロイが疲れて貧血起こしただけやと思うで。それをライスのやつが首筋に傷があるとか言い出したのと」

 タマモクロスがスーパークリークをジトっと見つめる。

「こいつが開口一番悲鳴なんて上げるから、人が集まってきて事件っぽくなっただけや」

 スーパークリークの耳が少ししおれる。

「すみません……あの時はびっくりしちゃって……」

「まあ、そう責めんなタマ。いいじゃねえか噂が流れるくらい。ロブロイもなんもなかったみたいだしよ」

 タマモクロスはふうっと息を吐いてから言う。

「それはそうやな」

 スーパークリークがまとめるように言った。

「まあまあ。このまま何も起きなければ、そのうち噂はなくなりますよ!」

 

 

「いただきます!」

 夜ご飯を食べます。今日もとってもおいしいです。

「本当にいい食べっぷりですわね」

 そう言ってメジロマックイーンさんが笑います。マックイーンさんは同じチームの仲間です。いつも一緒に練習していて、夜ごはんもいつも一緒です。

「えへへ……練習の後はおなかがすいちゃって……」

 もうすぐ秋の天皇賞です。練習にも力が入ります。マックイーンさんも去年の雪辱を晴らそうと頑張ってます。

 二人でお話ししながら、楽しくご飯を食べます。マックイーンさんが笑顔でいてくれるとライスもうれしくなります。

「ごちそうさまでした」

 食べ終わりました。お腹いっぱいです。

「ではまた明日会いましょう」

 食器を片付けると、マックイーンさんはそう言って栗東寮に帰っていきます。ライスもまた明日! と言って美浦寮に帰ります。

 

 寮の入り口から入り、階段を上ります。

 そのまま廊下を歩いていくと……後ろから人の気配の気配を感じました。

 なんだか気味が悪くて振り向こうとしたその時です! 

「痛っ!」

 首筋がちくりと痛みます。何だろうと思った次の瞬間、全身の力が抜けていきます。

 ちらりと離れていく人の後ろ姿が見えます。

()()()……? ()()……? 

 そこでライスの意識は途絶えました。

 

 気が付くとライスは横になっていました。

 白い天井とライスを心配そうにのぞき込む人たちが見えます。

「みんな、どうしたの? ここはどこ?」

 前後の記憶がありません。体を起き上がらせようと、上半身に力をこめると

「あ……痛い……」

 首筋にちくりとした痛みが走ります。すでに絆創膏が張っているようです。

「ライスさんを発見したのは私です。あなたが寮の廊下で倒れているのを見つけて、保健室に運びました」

 そう言ったのはブルボンさん。ライスは廊下で倒れていたらしいです。さらにこの首筋の痛み……。もしかして……

「ブルボンさん……ライスの首の傷って……」

 ブルボンさんが答えます。その表情はいつも通りかと思いましたが、若干曇っているようにも見えます。

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『吸血鬼』の仕業だと推測します」

 

 

 ライスシャワーが横になっている保健室に二人の葦毛の少女が飛び込んでくる。

「おい! ライス! 大丈夫か!」

 そう言ったのはタマモクロス。ライスシャワーに駆け寄る。

「倒れたと聞いて、急いできたんだ。無事か?」

 同室のオグリキャップも来ていた。

「うん……とりあえず大丈夫です。保健室の先生が言うには、首筋の怪我以外特に外傷はないし、体調も悪くはなさそうって」

 ライスシャワーは廊下で倒れていたものの、首の怪我以外は一切危害は加えられておらず、また持ち物などが取られたということもなかった。

「ライスシャワー。『吸血鬼』の仕業っていうのは本当なのか?」

 オグリキャップが聞く。しかしライスシャワーは言いよどむ。それを見たミホノブルボンが代わりに応える。

「おそらくそうだと思われます。ロブロイさんの時と手口が全く同じです」

 なるほど。手口は同じか……。だが、

「それだけでは同一犯とは考えられん。ロブロイの時の()()()ってことも十分に考えられる」

 元々タマモクロスはゼンノロブロイが倒れた時も『吸血鬼』の存在については懐疑的であった。ライスシャワーの件はこの機に乗じた犯人によって、犯行が行われたと考えている。

「とりあえず犯人をちらっとでも見たなら、その特徴を教えてくれんか?」

 タマモクロスが聞くと、ライスシャワーは何とか思い出そうとする。

「あんまり覚えていないんだけど、色は栗毛、かな? 髪は長めだったと思います」

 栗毛の長髪。それだけでは全く絞り込めない。

「手詰まり、だな……」

 オグリキャップがそう言うと、4人の周りには暗い雰囲気が漂った。

 

 

 そうか……。ライス、『吸血鬼』さんに噛まれたんだね。

 変だね。ハロウィンの日はライスが吸血鬼だったのに。……コスプレだけど。

 ライスがそんなことを考えていると、3人の議論に熱が入ってきます。

「だから今考えるべきは、犯人の狙いや。犯人はライスの首にケガさせた以外一切危害を加えていない。いったい何が目的だったんか。それとも目的のない愉快犯か。それを考えることがウチは先やと思う」

「いや目的とかはいいから、とにかくその時の状況を詳しく調べて、犯人を絞り込めばいいんじゃないか?」

「ロブロイさんの事件のことをもう一度洗い直すべきだと考えます。きっと照らし合わせることでわかることがあるはずです」

 皆さん、ライスが倒れたことについて、色々話してくれてます。でも……

「待って……皆さん」

 ライスは皆さんの話を遮ります。今優先して話し合うことは()()()()()()()()()()()()()と思うからです。

 3人がこちらを向きます。ライスは話し始めます。

「確かに、『吸血鬼』さんが誰かは大事だと思う。でも、今考えるべきことは『()()()()()()()()()()()()』じゃないかな……?」

 そうです。ライスは幸い噛まれて倒されただけで済みました。でも、もし次に狙われた人がそうじゃなかったら……。

「たとえ犯人がわからなくても、犯行を起こさないようにすることはできると思う……な」

 3人が静かにライスの話を聞いてくれています。そして、

「……その通りだ。ライスシャワー。まずは対策から考えよう」 

 オグリさんがそう言ってくれます。

 そこからみんなで、話し合いました。

 

 

 翌日、ライスシャワーが『吸血鬼』にやられた、という事実はまたたく間に広まった。ゼンノロブロイの『吸血鬼事件』の時は半ば都市伝説のような捉えられ方をしており、なんとなく浮ついた雰囲気があった。しかしここに来て本当に事件が起こったということで、えもいえぬ緊張感が漂っていた。

 昼食を食べながら、オグリキャップ、タマモクロス、スーパークリーク、イナリワンの4人は話し合う。

「で、結局どうなったんですか?」

 そう聞くのはスーパークリークだ。どうなった、とはどう対策するのか、ということだ。

「単純やが、それなりに効果的だと思うで」

 そう言ってから、タマモクロスが話しだした作戦は本当に単純なものであった。

 基本的に寮にいるときは2人以上で行動する。用事がないときは部屋から出ない。

 ()()()()()()()

「まあそれくらいしかできることはねえかもしれねえが、悪くはないんじゃねえか?」

 イナリワンの言う通り、この作戦はあながち意味のないものでもない。二人でいる、というのは互いが互いを守り合う、というためだけではない。犯人の単独行動を諌めることもできる。さすがの犯人も二人でいるときに事件は起こせないし、あからさまに一人で行動しようとする者は真っ先に疑われることになる。

 このような取り決めが100%守られるということはないことは、話し合った4人も承知の上だが、犯人目線ではかなりの心理的な抵抗を生むことができる。

「これならそう事件は起きないやろし、起きてもかなり犯人を絞り込むことが可能なはずや」

 うふふ、とスーパークリークが微笑む。

「タマちゃん偉いですね〜。いい子いい子してあげます♡」

 ヤメロヤ〜といつもの反応を返すタマモクロス。

 スーパークリークは拒絶されてもめげない。

「じゃあ代わりにオグリちゃんをナデナデしてあげますね〜」

「ク、クリーク……恥ずかしいよ……やるなら人目につかないとこでやってくれ……」

 なんでお前はちょっと受け入れとんねん! とタマモクロスのつっこみが食堂に響く。

 

 

 みんなで考えた対策は今のところ上手く行っていて、あれから3日経ちましたが、事件は起こっていません。

「なにもないならいいのですが……またライスさんが狙われたりしないか心配ですわ……」

 今日もマックイーンさんと一緒に夜ご飯を食べています。マックイーンさんは『吸血鬼』さんに噛まれたライスを本当に心配してくれます。悪いなあと思いながらも、その気持ちが嬉しかったりします。

「大丈夫だよ! ありがとう。マックイーンさん」

 マックイーンさんが心配そうにしながら、微笑みます。

「ライスさんが大丈夫と言うのならいいのですが」

 その後もご飯を食べ続けて、二人とも食べ終わりました。

「マックイーンさん! 食器はライスが運ぶよ!」

「え……? いや悪いですわよ」

「大丈夫大丈夫!」

 ライスがマックイーンさんの食器も持って席を立ちます。

 マックイーンさんはこの前脚を痛めました。練習中も痛そうにしています。それでもどうしても秋の天皇賞は出たいと言って、練習を続けています。最近はトレーナーだけでなく、メジロ家お抱えの専属ドクターも練習に帯同しています。

 ライスは優しいマックイーンさんが大好きです。だからライスも少しでもマックイーンさんに優しくしてあげたいのです。

 食器を片付けて、寮へ帰ろうとすると食堂の入り口にマックイーンさんがいました。

「色々とありがとうございますわ、ライスさん。ではまた明日」

 それだけを言うために、ライスを待っていてくれたようです。やっぱりマックイーンさんは優しいです。

「また明日!」ライスもそう言って寮へ帰ります。

 

 そして……()()()()()()()()()()()()()()

 

「ブルボンさん……。私がしっかりしていなかったばっかりに……」

 ライスが保健室に入ると、ニシノフラワーさんが泣いていました。フラワーさんはブルボンさんと同室です。

「いえ……『吸血鬼』に誘い出された私がうかつでした……」

 ブルボンさんが悔しそうにそう言います。

「ブルボンさん……それで、何か被害は……?」

「いえ、とりあえず何ともありませんでした。ニシノさんがすぐに駆けつけてくれたおかげです」

 ブルボンさんはその時の状況を語り始めました。

 フラワーさんとブルボンさんが自室に戻ろうとすると、怪しい人影がちらりと見えたようです。

 フラワーさんにはその場で待っているようにと言って、ブルボンさんはそれを追いました。そして廊下の角を曲がったとしたところで……『吸血鬼』さんに咬まれました。

 そして、ブルボンさんは驚くべきことを言いました。

「私を襲った『吸血鬼』は()()()です。1人は栗毛、もう一人は芦毛でした。身長は二人とも普通くらい。顔は……マスクをしていたのでわかりませんでした」

『吸血鬼』は二人いた……? でもそれはおかしいです。ライスを襲った『吸血鬼』は確かに一人だったと思います……。

「私もすぐに見に行ったのですが、すでに犯人はいなくなったあとでした……」

 ニシノさんが言います。どういうことでしょうか? 全く事件が分からなくなってきました。

 私たちが頭を悩ませていると、少し遅れてタマモさんとオグリさんが来ました。

 ブルボンさんが改めて事情を話すと、二人とも黙って聞いてましたが、キツネにつままれたような顔をしていました。

 

 

「めちゃくちゃ、だな」

 イナリワンが言う。彼女の言う通り事件は混沌を極めていた。

 第1の事件。スーパークリークと作業していたゼンノロブロイは、スーパークリークが少し部屋の外に出た瞬間に、一人の部屋で襲われた。彼女に前後の記憶はなく、誰にやられたのか、そもそも犯人がいるのかすらわからない。

 第2の事件。一人で自室に帰ろうとしていたライスシャワーが襲われた。確かに犯人にやられたようで、栗毛の長髪だったらしい。

 第3の事件。怪しい影を追って走って行ったミホノブルボンが襲われた。二人組に組み伏せられ、首を噛まれた。二人の犯人の特徴は1人は栗毛、もう1人は芦毛、身長は普通くらいだったらしい。

 そして、すべての事件に共通することが……

「犯人は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 タマモクロスが頭を悩ませているのはそこだった。

 犯人が、同一犯か同一犯でないかはとりあえず置いておいて、犯人の狙いが全く分からない。

「被害者が気づいてないだけで、実は物が盗まれてたり、大怪我させられてたりってことはねえのかい?」

「ないな」

 イナリワンの疑問をタマモクロスが一蹴する。

「ものが盗まれてないってのは3人が3人とも証言してることや。全員が気づかなかったってことは考えにくい。怪我とか病気についてだが、かなりしっかり保健室の先生が全身をチェックしたみたいだが、何も異常はなかったみたいや」

 トレセン学園の保健室の先生は普通の学校とは違い、先生とは言っても医者である。その人がチェックしてないというのなら、本当にないのだと考えられる。

 犯人の特徴がバラバラな上に、他の人に話を聞いても有力な情報は出てこない。では犯人の狙いから絞っていこうと思っても、意図が全くつかめない。

 動機、証拠、両方の面から犯人が分からないとなると、いよいよ手詰まりとなってきた。

「こうなったら、全員の手荷物検査でもするしかねえんじゃねえか? そうすりゃもしかしたら盗んだものが出てくるかもしれねえし、犯行に使った道具なんかも出てくるかもしれないだろ」

「美浦寮だけで何人おると思てんねん。抜き打ちでやったとしても、もしチェックの後半のほうに犯人がいたらいくらでもごまかせるやろ」

 と言ったところで、

(……いや、待てよ。()()()使()()()()()?)

 閃く。そうだ。なぜ気づかなかったんだ。

(……だとすると、犯人はあいつか……?)

「……どうした? タマ」

「……犯人が分かった。だが標的と動機が全くわからん」

 イナリワンはタマモクロスの突然の言葉に驚きつつも、次のことを考える。

「動機が分からねえ以上、問い詰めたって躱されるのがオチだ。それは得策じゃねえな」

「ああ、そうや。イナリ、人を集めるで。交代で犯人を張る。そんで手の空いてるやつで動機と標的を探る。それが分かる前に犯行に及んだ場合は仕方がないが、現行犯で捕まえる」

「がってん!」

 二人が動き出す。事件もまた終わりへ向かっていくのだった。

 

 

 今日もマックイーンさんとご飯を食べます。

 マックイーンさんは今まで以上にライスを心配してくれます。

「本当に、本当に大丈夫ですの? これで事件は3件目。危険なんじゃ……?」

 ライスはマックイーンさんに安心してほしくて、明るく振舞います。

「大丈夫だよっ! 確かにブルボンさんは『吸血鬼』さんに噛まれちゃったけど、一人にならずにちゃんと二人一緒に行動してれば、きっと『吸血鬼』さんも怖がって襲ってこれないよ!」

 そうです。今まで噛まれたロブロイさん、ライス、ブルボンさんはみんな()()()()()()()()()()()()()()()。ちゃんとオグリさんたちと決めたルールを守っている限り大丈夫です! 

「わかりましたわ。でもくれぐれも気を付けてくださいまし」

 マックイーンさんは仲間思いです。ライスもそんなマックイーンさんが大切です。

 二人でご飯を食べるこの日常がずっと続けばいいな、と思います。

 

 さて、夜ご飯を食べ終わりました。食器も片付けたので、いつもならここで「また明日」と言い合って分かれるのですが……

「ライスさん。私、あなたを美浦寮のあなたの部屋まで送り届けますわ」

 マックイーンさんがそんな提案をしてくれました。

「だ、だめだよ! そんなことしたらマックイーンさんが危ないよ!」

 気持ちはうれしいですが、そんなことをしたらマックイーンさんが一人になって『吸血鬼』さんに襲われてしまうかもしれません。

「大丈夫ですわ。私は栗東寮の所属ですし、周りをしっかりと警戒して、すぐに帰れば問題ないです!」

 マックイーンさん……。

 マックイーンさんのやさしさがライスの胸に広がります。とても暖かいです。

「ラ、ライスさん。泣かないでくださいまし!」

 ライスは泣いてました。もちろんマックイーンさんの気持ちがうれしかったのはありますが……

「ライス……怖かったの……。毎日一人で自分の部屋に帰るまで。また……噛まれちゃうんじゃないかって……。だから、なんかほっとして」

 そうです。噛まれたときの痛み。力が抜けていく感覚。今思い出しても恐怖がわいてきます。

「大丈夫です。何があってもライスさんは私が守りますわ……!」

 マックイーンさんがそんなことを言ってくれます。ありがとう……ライスも絶対マックイーンさんのこと助けるからね……。

 

 そうして今日は二人で美浦寮に入っていきます。まだ遅い時間じゃないのに、廊下には誰もいません。3度も事件が起こったせいか、みんなしっかりとルールを守っているようです。

「ライスさん。私が前を行きますわ。ついてきてください」

 マックイーンさんがそう言って警戒しながら、ライスの部屋まで案内してくれます。

 そんなマックイーンさんの背中はいつもより大きく見えて……。

 私は後ろから抱きしめます。

「ちょ、ちょっと、ライスさん!?」

 マックイーンさんの体温を感じます。とっても温かいです。

 強く強く抱きしめて……

 

「そこまでや……。マックイーンから離れろ」

 

 凛とした声が廊下に響きます。この声は……タマモさん……? 

「まさか……『吸血鬼』さんが近くにいるんですか!?」

 そんな……いつの間に……? 周りを見渡しますが、ライスたち以外に人は見当たりません。

「もういい。謎はすべて解けた」

 タマモさんがライスをまっすぐ見据えます。そして、

()()()()()()()()()()()()()()()()()、『()()()』や」

 はっきりと、そう言いました。

 

 

 3人の間に緊張が走る。沈黙を破ったのはメジロマックイーンだった。

「ライスさんが犯人ってどういうことですの!? ライスさんは()()()ですのよ!!」

 メジロマックイーンには自分が襲われそうになった自覚がない。タマモクロスに反論する。

「待て。順を追って説明する」

 タマモクロスがそう言うとメジロマックイーンは黙る。

「今回の一連の事件は、めちゃくちゃやった。犯人像はバラバラ。動機は不明。そんで犯人がやることと言えば、ただ被害者を眠らせるだけ。……だが今回の事件、このうちの一つに焦点を絞ることで一気に謎が解けていく」

 ライスシャワーもまた黙っていた。目からは光が消えていた。

「それは()()()()や」

『吸血鬼事件』、唯一共通していたのが、「首に噛みついて気絶させる」ということであった。これにタマモクロスは注目する。

「ミステリを読んだりテレビなんかを見てると、当たり前に犯人は被害者を眠らせたりする。だがそんなことは本当に可能なんか?」

 それを受けてメジロマックイーンが答える。

「確かに、首の後ろたたいたり、お腹を殴ったりで気絶させられないというのは聞いたことがあります。でも超高圧のスタンガンを使ったり、薬品を使ったりすれば可能なのではないですか?」

 いまや首トンっが危険というのは有名な話である。だが実はそれ以外の有名な方法も現実には難しいとされてきている。

「まずスタンガンに人を気絶させる効果はない。もちろんショックや痛みで気絶させることは可能や。だがそれは相手に依存する。次に薬品だが、例えば有名なクロロホルムなんかは肺をいっぱいにする必要がある。そのためにはおよそ40秒くらい嗅がせる必要があるんやて。その間相手が無抵抗なんてありえん。他に麻酔薬を大量に注射するってのも方法としてなくはないが、今回に関してはそういう薬物は体から検知されなかった。そもそもどうやって手に入れるんかって話やしな」

 つまり、とタマモクロスは続ける。

「まとめると、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っちゅうことや。ライスが被害者になった時、まだ部屋の外に出ちゃいけないというルールはなかった。いつだれが部屋から出てくるのかわからんのに、被害者と格闘するのは現実的ではない」

「……なら2つ目の事件はライスさんの()()だって言うんですの……?」

 メジロマックイーンの質問にタマモクロスが答える。

「そう考えるのが自然や。ライスは気絶した前後の記憶はないの一点張りやった。具体的な方法を言わなかった。実際は気絶したふりだけして、先生に本格的に調べられる前に自分で起きた風を装ったんやろ」

 タマモクロスはライスシャワーのほうを見るが、うつむいていて目が合わない。

「では、ブルボンさんの事件はどうなんですの? あの事件が起こった時、ライスさんは私といましたわ。……まさか……それも……?」

「当然()()や。ブルボンは本当は見ていない人影を追って、廊下の角を曲がる。そしてそこで自分の首筋に傷をつけ、気絶したふりをする。ブルボンも意識がもうろうとなってからの記憶がはっきりしないって言ってたやろ。あれも具体的な方法を言わないためや」

 ミホノブルボンもまた自演で気絶させられたふりをしていた。ということは……

「なら、1つ目のロブロイさんの事件も……」

 メジロマックイーンがタマモクロスに聞くが、

「ああ、()()()()()

 あっさりと否定される。メジロマックイーンは訳がわからなくなっていた。

「……どういうことですの?」

「とりあえず事件全体の流れだけ、整理しよか」

 そう言ってからタマモクロスが話始める。

 

「まず第1の事件。ロブロイが部屋で倒れてたやつやな。あれは()()()()()()()()や」

「……貧血?」

 ゼンノロブロイは前日までハロウィンパーティのために奔走し、当日も忙しく働いていた。疲れが出たのだろう。

「そう、貧血や。だが、それなのに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……お前や、ライス。ロブロイに聞いたが、お前夕方ごろにロブロイの首筋に冗談で噛みついてたそうやな。ロブロイは恥ずかしくてこれまで誰にも言えなかったそうやが、答えてくれたで」

 ハロウィンパーティの始まる前、ライスシャワーはゼンノロブロイに噛みついて、『眷属』にするという冗談をしていた。首筋の傷に気付けたのは、傷つけた本人だったからである。

「ライスはその時すでに、『吸血鬼』による連続犯行という事件の大筋を思いついていたんや。と言ってもその時点では『吸血鬼事件』はただの都市伝説やった。だがハロウィンパーティ当日ってこともあって面白がるやつも多く、噂は瞬く間に広まっていった」

 メジロマックイーンは黙って聞いている。それは納得しているからではない。ライスシャワーが犯人でない可能性を探そうとしているのだ。

「そして噂が十分広まり、かつ飽きられていないホットなタイミングに、自演で第2の事件を起こした。そんでこの時点でつながってたブルボンに第1発見者をまかせ、保健室に運ばせた。その後ウチとオグリが保健室に来たってわけや」

 たとえライスシャワーが倒れたとしても、誰からも気づかれなかったり、その場で起こされたりしたら『吸血鬼事件』ではなくなってしまう。そこでミホノブルボンは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。当然この時の犯人像はでたらめであり、確かに犯人が存在するということをタマモクロスとオグリキャップに刷り込んだのだ。

「あの時お前は、事件の犯人探しに躍起になるウチらを遮って、()()()()()()()()()()()()。そしてまんまとお前の思惑通り、ウチらは『二人一組で行動する。部屋から出ない』と言うルールを作ってしまった。事件を起こす『吸血鬼』がいること、そしてその対策のルールができたことを学園全体に広めることが第2の事件におけるお前の狙いやったんや」

「待ってください。そんなことして何の意味がありますの?」

 メジロマックイーンが当然の疑問を口にするが、

「それは後や。黙って聞いててくれ」

 タマモクロスはそれには取り合わない。

「そして第3の事件や。これに関してはブルボンの単独犯行や。ライスと事件を遠ざけるためのな。ここまでですでに『吸血鬼』に襲われたらとりあえず保健室に運ぶ、という流れはできていた。だから特にライスが協力しなくても、ブルボンはちゃんと被害者になれたんや」

 同室がしっかりもののニシノフラワーだったことも大きい。彼女は起きてしまった事件にショックを受けながらも、きちんとミホノブルボンにしかるべき対応をしたのだ。

「この第3の事件は、美浦寮の生徒の『()()()()()()()()()()()()()()。第2の事件が起きた後は、ルールは守ろうとする者が多かったとはいえ、それでも無視して出歩くものもちらほらはいた。だが、犯人を捕まえに行ったブルボンが返り討ちにされた、となれば話は変わってくる」

 ミホノブルボンは純粋な筋力で言えば美浦寮で3本の指に入る。そのブルボンが犯人にあっさりと負けてしまった。非力なライスシャワーが不意打ちでやられたのとは意味が違う。

「この事件の影響力はかなり大きかった。実際今廊下を出歩いているものは一人もおらん。……そしてここまでが()()やった」

「……()()?」

 メジロマックイーンの表情が変わる。聞き返してはいるが、この後の話は想像がついた。それでもライスシャワーを信じようとしている。

「『吸血鬼』の()()()()()()()()()()()()。お前だったんや。()()()()()()

 

 メジロマックイーンは動揺しながらも頭を回す。

「待ってください! 今日私がライスさんを美浦寮まで送り届けたのは自分の意志ですわ! とても計画的なものでは……」

「今日……か。それはなんでや? マックイーン」

 メジロマックイーンがその時のことを思い出す。

「だって……3度も事件が起きて……ライスさんは1人で寮まで帰らなくちゃいけなくて……それでも気丈にふるまうライスさんが健気で……守らなきゃって思って……」

 タマモクロスが非情にも言い放つ。

()()()()()()()()()()()()()()()? お前はおそらく今日じゃなくても明日か明後日、近いうちにライスと一緒に帰ってたはずやで」

 メジロマックイーンが絶句する。そして祈るようにライスシャワーを見る。

「そんな……嘘ですわよね……ライスさん」

 ライスシャワーは……()()()()()

「もちろんだよ! マックイーンさん! だってライスには動機がないよ!」

 それはあまりにも自然で、それゆえに不自然な笑顔だった。

「動機がないのにどうしてライスがマックイーンさんに噛みつく必要があるの? どうやって『吸血鬼』さんみたいに気絶させるの? それに気絶させたところで何をするの? ライス今何も持ってないよ?」

 メジロマックイーンは少しでも安心しようと、ライスシャワーの言葉の表面だけをなぞろうとする。だが普段と違う彼女に不気味さを感じてしまう。

 タマモクロスが質問に答える。

「お前の狙いは、『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』。そして動機は……」

 血の気が引いているメジロマックイーンと笑顔が崩れないライスシャワーに、告げる。

「『()()()()()()()()()()()()』、やな」

 

 メジロマックイーンは初めて向けられたかもしれないライスシャワーからの悪意に、耐え難い苦痛を感じていた。だが、その動機が『自分を助けること』……? 考えようと思っても、頭が回らない。

「……助……ける……? 一体どういうことですの?」

 なんとか言葉を絞り出し、聞いてみる。ライスシャワーの表情から笑顔は消えていた。

「マックイーン、正直に言ってみ? おまえ、相当()()()やろ……?」

 メジロマックイーンの表情が固まる。

「そ、そんなことありませんわ……。確かに怪我はしてますけど、秋の天皇賞には間に合うはず……」

「嘘や。今イナリが裏取りに行ってる。おそらく間違いない」

 二の句が継げなくなったメジロマックイーンにタマモクロスが言う。

「つまり事件の真相はこうや。お前は去年の秋天の惨敗を引きずってる。だから今年はどうしても勝ちたかった。しかしお前は……脚にけがを負ってしまった。それも選手生命にかかわるほどのな」

 ウマ娘の足への負担は人間のそれとは桁違いだ。オーバーワークは簡単に選手寿命を刈り取っていく。

「そのことにライスは気づいていた。だからトレーナーに今すぐ休ませるように言ったはずや。だが……」

 トレーナーはメジロマックイーンの思いを優先した。これはスポーツの世界では珍しくない。二度と走れなくなってもいいというメジロマックイーンの覚悟は、トレーナーの教育者としての倫理をねじ伏せた。

「お前はわざわざ専属のドクターを雇ってでも学校にそのことを隠したかったんや。学校の医者に相談して学校にバレれば、出場停止になることは目に見えてるからな」

 そしてそんな中、第1の事件が起きる。

「倒れたロブロイが速やかに保健室に運ばれたのを見て、ライスは閃いたんや。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を」

 ライスシャワーはうつむいている。表情は見えない。

「そして、ブルボンをなんとか説得して、『吸血鬼事件』を起こし、()()()()()()()()()()んや」

 誰も目撃者のいない寮で、二人きり。かつメジロマックイーンはどこかに隠れているかもしれない犯人を警戒して、ライスシャワーへの意識が薄れている。この状況なら……

「ウチはさっき人を簡単に気絶させる方法はない、と言った。しかし()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただしそれをすれば、一発でマックイーンにバレる。だがライスはそれでもよかった。あくまでマックイーンを保健室に連れてくことが第一目的、自分が捕まらないことはそもそも考えてないからや」

 その方法はあまりに原始的で野蛮だった。優しく可憐なライスシャワーに、悲しいほど似合わないやり方。それは……

()()()や。これが一番確実。人間の力でも頸動脈を絞めれば5秒と経たず気絶させることができる。ライスは非力と言っても、人間の2倍ないし3倍の筋力がある。完璧に極めれば落とすことは造作もない」

 タマモクロスは言わなかったが、おそらくミホノブルボン相手に極まるギリギリまで練習したのだろう、と考えていた。たとえ素人でも、それを成す筋力と反復練習があれば、人を絞め落とすことはできる。

「そうして無事マックイーンを保健室に連れて行けば、あとはどうとでもなる。気絶する瞬間にひねってたからまず脚から見てくれ、なんて言って脚さえ見てもらえれば、ここの先生なら一発でその怪我の重大さに気付くやろ」

 

 すべての謎解きが終わった。

 最後にタマモクロスはライスシャワーに言う。

「お前の気持ちはよくわかる。マックイーンのことを思うあまり、こんな手を使うしかなかった気持ちが。だがな、ライス……」

 そこまで言ったところで、

「わかったような口利ないでよッッ!!」

 ライスシャワーが吠える。

 その眼には鬼が宿っていた。

「マックイーンさんはこんなところで終わっていい人じゃない!! 走るのが怖かったライスに……私に勇気をくれた。私が走れるのはマックイーンさんのおかげなんだ!!」

 ライスシャワーの体が揺らめく。消え入りそうな細い体から、自らが炎となっているかのような熱がほとばしる。

「そのマックイーンさんがもう二度と走れなくなるかもしれないのに、トレーナーはそれを受け入れて、チームのみんなも仕方ないみたいな雰囲気を出してる。……なら私がやるしかないじゃないか!! そのためなら私は『吸血鬼』に……『鬼』になる!!」

 ライスシャワーの体がわずかに沈む。

 まずい……! タマモクロスが思った刹那、

「邪魔しないでッ!!」

 そう言ってメジロマックイーンにとびかかる。それを……

「……ライスさん……もうやめてください……!」

 それを組み伏せたのはミホノブルボンだった。すでにスーパークリークによって説得され、この場に来ていたのである。

「何で止めるの! 私に協力してくれたじゃない!!」

「落ち着いてください。正面から組み合えばマックイーンさんの脚はさらに悪化します。……それにこんなやり方はやはり間違っていた……」

 ミホノブルボンもまた怪我に泣かされるウマ娘であった。それでも彼女が今走れているのは、休養期間をとったからである。『吸血鬼事件』に協力したのは、親友のライスシャワーの力になりたいと思ったから、というだけではない。ステイヤーとして最高の脚を持つメジロマックイーンが、無理をすることでその全てを失うのが耐えられなかったのだ。

 ライスシャワーは暫くは抵抗していたが、筋力体格ともに勝るミホノブルボンに敵う道理はない。とうとう完全に動けなくなってしまった。

「……マックイーンさん……マックイーンさん……」

 身動きを封じられ泣きじゃくるライスシャワーは、小さな子供のようであった。

 彼女はそんな小さな体に罪と業を背負って、自らを鬼と化そうとしていたのだ。

 もはや力を失った『吸血鬼』に、

「ライスさん……」

 メジロマックイーンが話しかけた。

 

「ブルボンさん……。ライスさんから手を離してあげてください」

 メジロマックイーンがそう言うと、ミホノブルボンが警戒しながらライスシャワーの拘束を解く。

 しかしライスシャワーは起き上がらない。

 そんなライスシャワーに寄り添うように、メジロマックイーンはしゃがんでから話し出す。

「……本当にすみませんでした……。私のために……」

 ライスシャワーは下を向いている。床に落ちた涙はライスシャワーの陰に隠れ、光に照らされるのを拒否しているようであった。

「……私にとって秋の天皇賞は特別な意味がありますの……」

 一年前の惨敗。それはただの敗北ではない。斜行による降着、つまり反則負けであった。

 競技者として、そして誇り高きメジロ家として最も許されない行為であった。

「汚名をそそぐためなら、脚の1本や2本惜しくはない、そう思っていましたわ」

 メジロマックイーンもまた、並々ならぬ覚悟を持って秋の天皇賞に向き合っていた。

「だから、絶対に秋の天皇賞を諦めるわけにはいきません」

 静かな言葉だった。だがそこに込められた意志は固く、もはやだれにも動かせるものではないと周囲に悟らせるには十分な言葉であった。

「……マックイーンさん……」

 ライスシャワーがうわごとのようにつぶやく。メジロマックイーンの言葉とは対照的な、消え入りそうな思い。それはライスシャワーの魂そのものだった。

「だから……私、決めましたの」

 メジロマックイーンがライスシャワーに向けて語りかける。それはライスシャワーに対しての決意であり、自分に向けての楔であった。

「来年、再来年、何年たっても、諦めません! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 ライスシャワーが顔を上げる。

「……それって……?」

 メジロマックイーンは()()()()()()()()()()()()()()と言ったのだ。

 だがそれはつまり、今年の秋シーズンを諦めるということである。ウマ娘の全盛期は短い。いつが全盛期なのかもわからない。

 そんな中で長期休養を決断し、年に1人しか勝者のいない戦いに挑み続けることをメジロマックイーンは宣言した。

 それはある意味、今年ですべてを投げ出すよりも重い覚悟である。その言葉はその場にいる全員の魂を震えさせた。

 

 ライスシャワーが起き上がる。膝をついたまま頭を下げる。

 それは祈りの姿に似ていた。

「……マックイーンさん……ごめんね……。誰よりも……今年の秋の天皇賞にかけてるって知ってて……。でも……私……どうしても……ずっと……一緒に……走りたくて……」

 ライスシャワーの言葉は懺悔であった。もしかしたら自分はメジロマックイーンの邪魔をしているだけなのではないかと何度も思っていた。

 それでもメジロマックイーンにはこれから先も走ってほしいと思った。

「いいんです……。いいんです……。こちらこそありがとうございました……」

 メジロマックイーンがライスシャワーを優しく抱きしめる。その目からは涙があふれていた。

 目的不明の冷血な『吸血鬼』が始めたと思われた事件の結末。それは暖かなやさしさに包まれたものであった。

 

 〜エピローグ〜

 このあと、結局誰が『吸血鬼』だったかは、皆さんの優しさで誰にも言わないでくれることになりました。

 このような事件を起こしたことは本当に申し訳なかったのですが、皆さんが気にするなと言ってくださり、マックイーンさんも、前まで通り仲良しでいたいと言ってくれて、徐々にではありますが、これまでの日常に戻りつつあります。

 そして大変恐縮ですが、今年の秋の天皇賞に私が出場することになりました。

 今はその猛特訓中です! マックイーンさんはチームのお手伝いをしてくれています。

 

「あ、痛っ!」

 しまった。転んでしまいました。ちょっと腫れてるけど大丈夫かな? と思っていると、

「ライスさん! だめです! 今すぐ冷やして、今日は休んでください! 天皇賞まで時間がないんですわよ!」

 マックイーンさんに注意されてしまいました。

 ライスが足を冷やしているとマックイーンさんが話しかけてくれます。

「私にあんなこと言っておいて、自分は無理しようとするなんてだめですわ!」

「えへへ……ごめんなさい」

 ライスのことを心配してくれてるみたいです。ちょっとくすぐったい気持ちです。

「ライスさんに限らず、無理をしようとしてる人がいたらどんどん噛みつきますわ!」

 マックイーンさんが元気よくそう言います。あれ?でも、それって…

「噛みつくってなんだか吸血鬼みたいだね!」

 吸血鬼は噛みついて、噛みついた仲間を新しい吸血鬼にします。でもあの事件で、『吸血鬼』のライスが実際に手を下したのはマックイーンさんしかいません。

 マックイーンさんが微笑みます。

「それはそうです! だって私は……」

 ライスも嬉しくなって笑います。

 

「2人目の『吸血鬼』なんですから!」

 




変わった一人称使ってるキャラが本気になった時に、『俺』とか『私』とか言い出すのがたまらなく好きです。
今回はそれをどうしてもやりたくて書きました。



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フジキセキ「子猫を飼う」

 栗東寮に子猫が迷い込む。捜索するがなぜか子猫は見つからない。

 子猫はどこにいるのか?犯人は誰なのか?そして犯人の狙いは?

 みたいなミステリーです。


※同作者の書いた頭のおかしな同名SSとは何の関係もございません。 
 自分なりに生き物を飼うということを考えてみました。


 タマモクロスはオフの日の夕暮れ時、寮の屋上で黄昏ていた。悩みと言うほどではないが、最近少々気になることがあったのだ。

 それはレースが大変だとか勉強が心配だ、といったことではない。

(……な~んかウチ、最近よく事件に巻き込まれるなあ……)

 そう、タマモクロスはここひと月くらいの間で3つも事件に巻き込まれていた。それも『ちょっぴり不思議な出来事を見事推理したゾ☆』というレベルではなく、割と、重めの。

(人が平気で死んだりするタイプの世界観ならわかんねん。なんで全員シラフでこんなに事件起きるんかな?)

 事件の解決のために動くことは全く嫌ではない。ただ一方で別にタマモクロスは謎を解いたりするのが好きなわけではない。

(今回はなんも事件起きんで終わってくれるといいんやけど……)

 そんなおよそ探偵役とは思えないことを考えていると、

「おーいタマ! そろそろ屋上閉めんぞ! 早く戻ってきな!」

 美浦寮寮長ヒシアマゾンに注意を受ける。屋上は毎日17時で出入り禁止となる。

「は~い。すぐ出ますよっと」

 そう言って屋上を後にする。

 

 当然この後、事件は起こるのだった……。

 

「タマちゃん! 一大事です!! 来てください!!」

 スーパークリークがそう言ってタマモクロスの部屋に駆け込んできたのは、その日の夜のことだった。

「どうしたクリーク。……もしかして事件か?」

 タマモクロスが表情を険しくする。

「そうです! 事件です! 早く来てください!!」

「わかった! 案内してくれ!!」

 その勢いでスーパークリークとともに走る。

 たどり着いた先は栗東寮ロビー。そこで彼女を待っていたのは、

「あはは……そんなに急がなくってよかったのにな……」

 寮長フジキセキであった。

 

 事件? のあらましはこう。

 ついさっきフジキセキが寮の見回りをしていたところ、小さな声でにゃあと聞こえる。立ち止まって周りを見てみると、なんと子猫が寮に入り込んでいた。追いかけるがなかなかすばしこくどこかへ行ってしまった。なんとかして捕まえるために、部屋の外にいたスーパークリーク、スイープトウショウ、カワカミプリンセスにも声をかけて一緒に捜索していたのだ。

 

「……というわけだ。捜索隊をあまり増やして騒ぎにしたくはなかったから、誰かこういうのが得意そうな人を一人だけ応援で呼ぶことになった。そこで君に白羽の矢が立ったんだ。タマ」

 フジキセキがそう言うと、タマモクロスは元気に答える。

「そういうことか! よっしゃ! ウチにまかしとき!」

 それを聞いたスーパークリークが少々驚く。

 正直なところ、いや事件でもなんでもあらへんがな!! というつっこみを予想、もとい期待していたのである。

「た、タマちゃん。今日ちょっと調子悪いんですか?」

「ん? 絶好調やで! さあ、猫探し、う゛ち゛と゛や゛ろ゛う゛や゛」

 タマモクロスは上機嫌である。てっきりまた学園の闇を見るとか、誰かの危険に立ち向かうとか、そういった物騒なことになると予想していた。それに比べれば猫を捕まえるくらいすぐ終わる! ……その時はそう思っていたのである。

 

「……見つからん……」

 それからしばらく経ったが、いまだに子猫は見つからない。捕まらない、ではない。()()()()()()()()

「なあ……フジ。ほんとに猫はいるんか?」

「うーん。間違いないはずなんだけどねえ」

 電話越しにフジキセキの困った顔が浮かんでくる。

「もしかしたらまだうちらが捜してないところがあるかもしれん」

「そうだね。ちょっと思い出してみようか」

 二人は今までの捜査を思い出す。

 

 ──45分前、ロビー

 タマモクロス、スーパークリーク、フジキセキが向かい合う。スイープトウショウ、カワカミプリンセスは猫を探しているようだ。初めに質問したのはタマモクロスだった。

「まず、猫の特徴を教えてくれんか?」

 それに対してフジキセキが手を広げる。横幅は2,30㎝といったところか。猫としてはかなり小さい。

「大体大きさはこれくらいかな。まだ小さな子猫ちゃんだよ。走り回ってはいるから大体生後3~4か月ってところかな。色は茶トラ。毛がふわふわしててかわいいんだ♪」

「……えらく詳細やな」

 普段とは違うフジキセキのふにゃっとした笑顔を横目にタマモクロスは考える。

「基本的には全員でしらみつぶしに廊下を歩けばいいと思うが、一つ懸念がある。猫が誰かの部屋に入るってことはないんか?」

 これに対してはスーパークリークが答える。

「大丈夫です。基本的に野良猫ちゃんは人や狭いところへの警戒心が強いんです。だからめったなことがない限りは部屋に入ってくることはないでしょう!」

 それに、とフジキセキが続ける。

「一応栗東寮のライングループに猫をもし捕まえたら、連絡するよう言ってある。隠そうと思っても、猫の鳴き声は隣の部屋まで聞こえるからね。他の人からこちらに連絡が来るはずさ」

「おっけーや。そんならまずスイープとカワカミを呼んでくれ。作戦を伝えるで」

 そう言ってスイープトウショウ、カワカミプリンセスを呼び戻す。ほぼジャージの3人に対して、スイープトウショウは魔女っぽいローブを羽織り、カワカミプリンセスは何やらかわいらしい寝間着を着ていた。

 

 全員集まったところで、タマモクロスが話した作戦は次のようなものだった。

 初めに出口に1人配置してから、残り全員で1番広い1階をくまなく探す。そして1階に猫がいなかった場合、次の作戦に入る。

 栗東寮は4階建てで、階段は2つである。まず2人を1階の階段前に配置する。そして残りの三人で2階、3階、4階を捜索する。こうすれば猫は、上に逃げれば最上階の4階でつまり、下に逃げれば階段前で捕獲できるというわけだ。

「わかりましたわ! プリンセスのこのパワー! 見せつけてやりますわ!!」

 と肩に力が入ってるどころか全身に力を込めているのはカワカミプリンセス。

「見てなさい! 私の魔法で迷える子猫ちゃんを見つけてやるんだから!」

 とそれならもっと早く猫を捕まえてほしいと言いたくなるようなことを言うのはスイープトウショウ。

 2人とも物理と魔術という真逆の力を駆使しようとしてはいるものの気合は十分である。

「じゃあ探すで! まずは1階からや!」

「「「「おーっ!」」」」

 

「……と言って1階の捜索をしたけど……」

「そうや。子猫を見つけることはできなかった。まあこれは想定の範囲内や」

 結局出口にカワカミプリンセスを配置し、残りの4人でくまなく1階を捜索したが猫は出てこなかったのである。

「そんでその後は……」

 

 ──20分前、ロビー

 猫が見つからなかった5人。しかしそこに落胆の色はなく、むしろこれからという余裕のようなものがあった。

「次はどうしますか?」

 スーパークリークが言うと、皆各々希望を述べる。

「ウチは別にどこでもかまへんで。まあじいっとしてるのは嫌やから、1階以外がええな」

「う~ん、私は逆に1階がいいですね。ちょっと疲れちゃいました~」

「私はどこでも構わないよ。余ったところを捜索しよう」

「私は断然4階ですわ! 猫が最後にたどり着く場所は1階か最上階である4階! であればアグレッシブに動き回れ、かつ猫を捕獲できる可能性が高い4階で決まりですわ!」

「私は1階よ! 私の魔法で1階に誘導してやるんだから!!」

 というわけで、1階の階段前をスーパークリークとスイープトウショウ。2階をフジキセキ。3階をタマモクロス。4階をカワカミプリンセスという形になった。

 互いにスマホは常に構えて置き、何か猫についての情報があれば、すぐにそれを共有するように約束をする。

 いよいよ本格的な捜索が始まった。

 

「で、みんなバラバラになったんやけど」

「結局あの後猫は見つからなかったわけだね。みんなまじめに探したのかな?」

「少なくともウチはちゃんと探したで」

 そう言ってタマモクロスが自分の捜査について話し出す。

 

 ──10分前、3階

 タマモクロスが請け負った3階に空き部屋はない。寮生が自分の部屋に猫をかくまってないということを前提にすると、捜すところは拍子抜けするほど少なかった。基本的にすることは廊下の見回りだけである。

 それでも様々な可能性を配慮して、猫の鳴き声に耳を澄ませたし、トイレの中や物陰なども調べた。

 そうしておそらく3階にはいないのだろうなと思い始めたところで、フジキセキから電話がかかってくる。

「タマ。調子はどうだい?」

「どうもこうもあらへんて。外れや。猫は他の階ちゃうか?」

「了解。そのまま巡回を続けてくれ」

「おっけーや」

 たとえ猫がいなくてもこの巡回はやめてはいけない。この捜索方法の利点はその確実性である。各人が各々の階を守り、猫を見ればその情報を全体に伝えることで、猫の動きをほぼ確実に補足できる。逆に言えばその階層に人がいない時間帯を作ってしまっては、途端に猫の居場所が分からなくなる。

 その後もタマモクロスは巡回を続ける。端の階段前から始めて、逆端の階段までゆっくりと巡回する。

 そうしてまたしばらくしたころ、再びフジキセキから電話がかかってくる。そして現在に至るというわけだ。

 

「ところで」

 フジキセキが言う。

「スイープを知らないかい? さっきから全然連絡が取れないんだが。1度目はつながったんだけど」

「知らんな。『魔法』に夢中で気づいてないんとちゃうか?」

 タマモクロスが冗談交じりに答える。

『うーん。それならいいんだけどねえ。とりあえずクリークにも連絡したから、スイープがいたら教えてよ。私もあとカワカミに連絡したら、一度1回の階段を見に行くから』

「了解や」

 そう言ったわずか数分後のことだった。フジキセキからロビーに集合の号令がかかる。その声は明らかに落胆を感じさせた。

 

 タマモクロスが、ロビーにつくとなんだかよくわからない光景が広がっていた。全体的に濡れているスイープトウショウ。それを拭くスーパークリーク。やれやれといった雰囲気を出しているフジキセキ。おろおろしながら心配しているカワカミプリンセス。でもとりあえずは……

「……どうしたんやスイープ。服着たままシャワーでも浴びたんか?」

 スイープトウショウに話を聞く。

「そんなんじゃないわよ! ……くちゅん!」

 そんなんじゃないらしい。スーパークリークがこれを受ける。

「スイープちゃん外を探してたらしいんですよ〜。それで私達が知らない間に雨が降ってきてたらしくて。ついさっき何か拭く物はないかってびしょ濡れの格好で私のところに来たんです」

 なるほど。ずっと寮の廊下にいたから気づかなかったが、雨が降っているのか。どうやらそこまで強くはなさそうだ。……いやそんなことより、

「……なあスイープ。()()()()()()()()()()()()()()()()……?」

「フジさんから1度目の連絡をしてからすぐよ! 私の推理によれば猫は何らかの魔法を使って外に出たのよ!」

 魔法を前提に推理するというアクロバティックなことをしている。というかすでにローブを脱いでいるせいか、魔法使い感があまりない。より大きい問題から目をそらしながらタマモクロスはそんなことを考えていた。だが現実を見ないわけにはいかない。

「つまり、その間1階の階段下のうちの1箇所は空いてたってことやな……?」

 スイープトウショウはバツの悪い顔をしている。どうやら自分でも気づいていたらしい。

「それってかなりまずいですよね……?」

 スーパークリークの質問にフジキセキが答える。

「正直良くないね。私達の捜索方法の要は、1階の階段を塞ぐことで猫を2階以上に閉じ込めることだったからね。その前提が崩れた今、()()1()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう、最大の問題はそこである。例えば2階に猫がいたとして、フジキセキがたまたま後ろを向いていた瞬間、スイープトウショウの守る階段を通り抜けて行った場合、もうその後の行方は全くわからない。

「スイープさんを責めないでほしいですわ……。彼女なりに自分で考えてやった行動ですもの。それに本当にもしかしたら外にいたのかもしれないし」

 カワカミプリンセスの擁護が虚しく響く。

 結局、とりあえずもう少しこの巡回を続けて見つからなかったら、外に出たと判断して、一旦捜索を打ち切る。ということになった。そう言われた瞬間、スイープトウショウはほっとしたような笑顔を見せる。自分のミスがあまり怒られなかったからだろうか。タマモクロスはなんとなく違和感を覚えながら、巡回に戻る。

 

 巡回をしながら、タマモクロスは違和感について考えていた。

(……スイープは普段から魔法がどうこう言ってるし、補習にかかったりしてはいるが、特別頭が悪いと思ったことはない。それにあれで根はいい子や)

 タマモクロスの知っているスイープトウショウなら、今回の作戦もしっかりと理解し、よくわからない理由で責任を放棄したりはしないはずだ。であればそれには必ず意味がある。

 そして順々に違和感のあった点を、頭の中で挙げていく。

(雨……脱いだローブ……濡れた服……捜査を打ち切ると言った時のほっとした顔……)

 そして、点と点が一つにつながる。

「……なるほど」

 タマモクロスは全員に電話をかける。猫の場所が分かった。全員4階に集合。それだけ言うとタマモクロスも4階へ向かう。

 

「タマちゃん。子猫ちゃんの場所が分かったって本当なんですか?」

 スーパークリークが尋ねる。

「ああ、本当や。みんなウチについてきてくれ」

 タマモクロスはそう言うと、ある場所を目指して歩いていく。他の4人もそれについていく。

 そうしてたどり着いたのは……

「屋上かい? 子猫ちゃんが勝手に扉を開けることはないはずだけど」

 フジキセキの言葉にうなづくと、雨の降る屋上をタマモクロスは歩いていく。そして屋上にある小さな小屋の軒先へ向かうと、そこには丸まった黒い布が置いてある。小屋の軒先においてあったためか濡れてはいないようだ。

 それを持ち上げると、

「……にゃあ」

 黒い布から小さな声がする。

「……子猫ちゃんですか?」

 スーパークリークの言葉にタマモクロスは小さく首を縦に振る。

「猫はずっと屋上にいた。そんでそれをしたのは、スイープ。そしてカワカミ。お前ら2人やな?」

 2人は黙って下を向いている。とりあえず雨の降る屋上から、寮内へ戻る。

 

 寮のロビーまで戻ると、フジキセキが切り出す。

「一体どうして子猫は屋上にいるとわかったんだい?」

「順を追って説明するで」

 タマモクロスが説明を始める。

「まず最初の出発点は『なぜスイープはそんなに濡れているか』や」

「どういうことですか? 外に出ていたんだから当然では?」

「クリーク、気づかんか? スイープはローブを脱いでる。なのにその()()()()()()()()んやで。今日の雨はそこまで強いものではない。あの頑丈そうなローブを着て外に出ていれば、下の服はほとんど濡れないはずやろ」

 スイープトウショウの魔女ローブはかなり本格的で厚手のものだ。

「だが実際はスイープはびしょ濡れや。つまりスイープは外に出る前にローブを脱いでいたか、でなければ外でローブを脱いだことになる」

 フジキセキとスーパークリークがうなづく。タマモクロスはそれを確認すると次の話へ進む。

「そしてもう一つ、こっちが最大の疑問や。『なぜスイープは持ち場を放棄して外で猫を探していたか』。普段のスイープならやらない行動だと思うで」

 これに関してはフジキセキ、スーパークリークも同じことを思っている。3人のスイープトウショウ像は大体一致しているようだ。

「なぜわざわざ雨の降る中、外に出て猫を探したか。実際はスイープは猫を探していなかった。であればもうスイープはただ雨に濡れに行っただけに見える」

 ここでフジキセキも合点がいったようだ。

「そうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうや、とうなづくタマモクロスに対し、ピンときていないスーパークリーク。タマモクロスは先を続ける。

「雨に打たれることのメリットはなにか。それはそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()や。元々どれだけ濡れていたとしても、改めて外で雨に打たれれば、スイープが濡れているのは外に出て子猫を探したからだとなるからな」

「ああ~なるほど!」

 スーパークリークも納得したようだ。タマモクロスが続ける。

「ではそもそもなぜ最初に雨に濡れたか。これはもう外に出たか、屋上に出たかの2択しかない。そして外に出たのを隠すために外に出る、と言うのは理解しがたい。よってスイープは屋上に出たと考えられる」

 ここで重要だったのは雨に濡れた後すぐにスーパークリークに事情を話したことだ。雨に濡れてる人を見た時、何も事情を知らなかった場合、直感的に屋上に出たのかなと思う人は一定数いると思われる。その可能性をつぶすために、スーパークリークに会いに行くのは必須であった。

「そこまで考えれば()()()()()()()()()()()()と考えられる。なぜなら濡れたくないのなら、ローブを着たまま屋上に出てそれを脱げばいいからや。それができなかったということはおそらくローブを何らかの理由で屋上に置いたうえで、屋上を歩き回らなければならなかったということが推測できる」

 タマモクロスが全員を見渡しながら言う。

「まとめれば、スイープは屋上に出た後ローブを脱ぎ、その状態で屋上を歩いた。そしてそれが誰かにバレることを避けたかったということになる。ここまでわかれば猫を屋上に隠していたと想像するのはたやすい」

 スーパークリークはさっきから黙っているスイープトウショウが気になってちらりと見る。ずっと下を向いていたようだ。どうやらタマモクロスの推理は当たっていたらしい。

 

「じゃあ事件の流れを話してくで。まずウチが来る前、4人で探してた時にスイープとカワカミは子猫を見つけた。でもそこで2人はフジに伝えずに自分たちでかくまおうと思ったんや。しかしかくまうと言っても、そう簡単に隠せる場所なんてない。自室にはもう一人のルームメイトもいるし、隣の部屋にバレる可能性が高い」

 タマモクロスが続ける。

「そこで、お前らは屋上に猫を隠すことにした。そうして何事もなかったようにうちらに合流したわけやな」

 皆黙って聞いている。ここまでは特に疑問はない。

「だが1階を捜索している時、想定外のことが起こったんや」

「想定外のこと?」

 そう聞き返すスーパークリークに、

()()()()()()()()()()()、だね」

 フジキセキが答える。タマモクロスはうなづく。

「そうや。雨はそこまで強くはなかったとはいえ、長時間雨に打たれれば猫は弱っていく。一応雨が当たらない屋根下はあったが、必ずしも猫がそこにいてくれるとは限らない」

 そんな事態にいち早く気付いたものがいる。それが……

「そしてそれに気づいたのが、入り口前を張ってたカワカミだったんや。外に最も近く、唯一雨音が聞こえる位置にいたわけやからな。ゆえに次の作戦に移行した時、()()()()4()()()()()()()。これは猫の様子を見に行くためや」

 そしてすぐに猫を見に行こうとしたが、ギリギリで踏みとどまる。あることに気づいたからだ。

「だがカワカミは屋上には出れなかった。屋上に出れば雨に濡れる。4階担当のカワカミが雨に濡れていれば、誰でも屋上に出たと思うやろ。そしてスイープと2人で話し合った結果、今回の作戦を実行することになったんや」

「スイープが屋上に行って子猫を屋根下に移動させてローブでくるんでやる。そしてその後外に出て改めて雨に打たれたというわけだね」

 フジキセキもすでに大体事件のすべてを理解してきている。

「これは急遽思いついた策にしてはよくできてる。まずこれはスイープが1階の担当でなければ成立しなかった。他の階担当であれば、外に出るため1階階段前を通ると必ずそれを他のやつに見られることになるからな」

 まずこれにより第一関門をクリア。それに加えて、

「さらにこれは思わぬ効果もあった。1階階段前という作戦の要を放棄することで、猫の行方が分からなくなる。よって()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んや」

 スイープトウショウは捜索終了の話を聞いたとき、ほっとした顔をした。あれは怒られなかったことを喜んでいたのではない。猫探し自体が中止になれば、猫を守れると思ったからである。

「計画は9割がた成功していた。だが最後の最後でタマに気付かれてしまったということか」

 フジキセキが失意に沈むスイープトウショウとカワカミプリンセスを見て言った。

 

 夜のロビー。上級生3人を前にして下級生2人がうなだれている。はたから見たらお説教に見えるんやろな、なんてことをタマモクロスは思っていた。まあお説教と言えばお説教なわけだが。

 フジキセキが尋ねる。

「なぜこんなことを? ……まあ大体想像はつくけどね」

 しばらく口ごもっていたが、渋々と言った感じでスイープトウショウが答えはじめる。

「だってあなたたち、もしこの子を捕まえたら、寮で飼えないんだから保健所に連れてくでしょ……」

 フジキセキは小さくうなづいてから答える。

「そうだね。寮では生き物を飼うのは禁止となっている。基本的には保険所送りは免れない」

 わかっていたこととはいえ、それを実際に言われるとショックが大きかったようで、スイープトウショウがより一層表情を曇らせる。そしてあまり言いたくなかったであろう続きを言う。

「アタシ……昔テレビで見たのよ。保険所送りになった猫の90%以上は殺処分になるって……」

 スイープトウショウはこう言ってはいるが、実はこれは古いデータだ。現在は保健所の方の努力や、世間での殺処分に対する認知度の上昇なども相まって、およそ50%まで殺処分される猫の数は減ってきている。と言っても、50%。この迷い猫が殺処分されないかは五分である。

「それを知っててこの子を保健所送りにすることなんて、この子を殺すのと同じじゃない! だったら……こっそりアタシとカワカミで飼おうと思って……」

 見るとスイープトウショウは目に涙を浮かべている。言わずにはいられないとばかりにカワカミプリンセスもそれに続く。

「フジキセキさん! お願いします! ルール違反であることはわかっていますわ。でもせめてこの子が野生で生きていけるくらい大きくなるまででいいですの! この寮で飼わせてください!」

 野に放たれた子猫の多くは成猫になる前に死んでしまう。子猫を外に放つのもまた殺しているのと同じ。カワカミプリンセスは深く頭を下げる。しかし……

「駄目だよ。ルールはルールだ。寮で飼うことはできない」

 フジキセキはそれを棄する。フジキセキは寮生にとって厳しくも優しい寮長だ。2人はもしかしたらという気持ちがあった。その分絶望も大きい。

 しかし、フジキセキには別に考えがあった。

「でもね、この子を保険所送りにはしないよ」

「……え?」

 思わずスイープトウショウが聞き返す。そんなスイープトウショウを安心させるようにフジキセキが優しく言葉を紡ぐ。

()()()()()()。そうすればこの子が殺処分されることはないはずだ」

 里親。猫が好きで助けてあげたいと思ってくれる方に、猫を委託する制度。保健所の猫で殺処分されない猫もまた里親にもらわれていくのである。

 スイープトウショウの表情に光が戻る。だが、カワカミプリンセスの顔は昏い。ためらいながらも残酷な現実を口にする。

「……里親が見つかればそれが一番いいかもしれませんわ。でもそう簡単に見つからないのではなくって? その場合結局は保健所に送るしかなくなります」

 里親探しは簡単なようで意外と難しい。生まれたての子猫ならまだしも、完全な野良猫の貰い手はなかなかいない。ほぼ全員が寮生活をしていて、近所に猫を飼えそうな知り合いが少ないウマ娘ならなおさらである。

 しかしフジキセキはそれを聞いても余裕を崩さない。想定していた反論のようだ。

「心当たりならある。猫が好きで、お金があって、私たちトレセン学園の生徒の悩みをきちんと考えてくれる人がいるじゃないか」

 一泊置いて、全員の頭に同じ顔が浮かぶ。

()()()ですわね!」

 そう理事長である。彼女はお金を持っていることは言うまでもないが、猫好きも相当なものだ。いつも頭に猫を乗せているほどである。

「確かに理事長なら猫を飼ってくれる可能性は高いな! もし飼うのは無理でも猫を飼える里親の知り合いくらいならいくらでも見つけてくれそうや!」

 タマモクロスの言葉にフジキセキが微笑む。そしてローブの中で丸まる子猫を抱えて言う。

「そういうわけだ。私の方から理事長に事情は話しておくよ。と言ってももう遅いから、今日のところは私の部屋で面倒を見る。明日理事長のところに連れていくよ」

 そして猫に顔を近づけたかと思うと、ね、子猫ちゃん♪ とふにゃふにゃしながら言う。このようなフジキセキを見たことがない一同は衝撃を隠せない。

 しかしとりあえずのところ子猫事件は解決したのである。

 

 最後にタマモクロスが部屋に帰る前にフジキセキに言う。

「フジ、()()()()()。今日のところはしっかりお世話したり!」

 フジキセキはちょっと驚いてから、おかしそうに笑う。

「なんだ。()()()()()()()()()()♪」

 

 翌日フジキセキが理事長に掛け合う。すると、

「承知! 猫は何匹いてもいい!」

 とあっさり了承され、理事長の実家で無事子猫は飼われることとなった。

 子猫はきっとこれから先も元気に生きていくのだろう。

 しかしうれしい反面、フジキセキの心には()()()()()()()()()()()()()()

 

 ~エピローグ~

 私が子猫を拾ったのは一週間ほど前、雨が降る日のことだった。

 道端を歩いていると茶色い玉が転がっている。何かと思って近づいてみたら、それは子猫だった。

 素人の私が見てもかなり弱っているように見える。どうしたらいいかわからなくて、抱きかかえて動物病院に走った。

 検査の結果、衰弱はしているものの、それ以外に体に異常はなかった。よかった、と胸をなでおろす。そのまま放っておくわけにはいかないので、こっそり自室でお世話をすることにした。率先してルールを破るなんて寮長失格だが、そうも言っていられない。幸い私の部屋は寮長ということで、みんなの部屋とは離れているし、同室の生徒もいない。だから誰からもばれずに子猫のお世話をすることはできそうだった。

 帰り道に子猫を抱えたまま必要なものを買いそろえる。ケージ、トイレ、子猫用のフード、おもちゃなど。大荷物になってしまったが何とかばれずに私の部屋に入ることに成功したのだった。

 

 部屋に帰ると子猫は落ち着かない様子だった。とりあえず病気になるといけないから、シャワーで体を洗ってやる。だけどどこにそんな力があるのか驚いてしまうほど嫌がって抵抗してきた。ゴム手袋をしなかったことを後悔したが遅い。手が傷だらけになったが何とか洗い終える。

 その後彼女(女の子だったらしい)にご飯をあげた。すごい勢いで食べる猫を見て、思わず笑みがこぼれる。お腹すいてたんだね。その後お腹いっぱいになったのかすぐにゴロンと寝てしまう。とりあえずは一安心だ。

 獣医さんに言われたが、この子はどうやら生後4か月くらいということで、ちょうどある程度のことは自分でできるようになり、半日程度のお留守番ならこなせるようになったくらいの年らしい。もしそれよりも若いと片時も離れるわけにはいかなかったそうなので、これは幸いと言える。

 

 翌日は休日だったので、一日中子猫と一緒にいた。この子はびっくりするほど人慣れしており、出会ったばかりの私にもすりすり顔を撫でつけてくる。そんな時は心の底から可愛いなあと思う。またこの子は元気が有り余っているようで、にゃあと言うよりはぴーと言う感じの高い声で鳴きながら部屋の中を走り回っている。そんな様子もまた可愛いのだが、同時に狭い部屋にずっといるのはかわいそうだなと心が痛む。そこで私はあることを思いついたのだ。

 夜、戸締りをした屋上の鍵を開けて、子猫から手を放す。初めは戸惑っていて私のそばを離れようとしなかったが、そのうち慣れてきたのか屋上を駆け回る。走る姿は軽やかで体重がないのかと錯覚してしまうほどだ。しばらくすると疲れたのか私のそばで丸くなっているので、子猫を抱えて部屋に戻った。

 その翌日は学校があり、子猫と離れる時自分でもびっくりするほどの不安に襲われたが、断腸の思いで授業に向かう。その日は心配で、休み時間ごとに猛ダッシュで寮まで帰ってしまった。帰るたびにお利口に留守番している姿を見てほっとする。そんな日々が何日も続いた。

 

 子猫との生活に幸せを感じていたある日、もうずっとこの子のお世話がしたいなと思ったところで、ふと我に返る。

 だめだ。そんなのいいはずがない。今は何とかばれてはいないが、今後一切私の部屋に人を入れないなんて不可能だ。そうでなくとも鳴き声や物音で気づかれる可能性も十分にありうる。

 それにばれなければいいというわけでもない。いくらたまに屋上で遊ばせているからといって、この狭い部屋に押し込んでいるのは体に悪いだろう。それに平日はろくにお世話もできないし、休日だってレースや遠征の時はどうするのか。こんな生活をしていくことがこの子にとっていいこととは思えない。

 やはり私以外の誰かに飼ってもらうのが一番だろう。そこで私が思いついたのが理事長だった。

 しかしこれはそう簡単な問題ではないことに気付く。私のやっていることは元々はこの子を助けるためだったとはいえ、客観的にみれば『ルールを破ってペットを飼った上に、お世話しきれないから他人に押し付ける』というペットを飼う者として最低の行為としてとらえられかねない。

 もちろん私が事情を話せば理事長はきっとそれを受け入れてくれるだろう。だが、この事例を作ることは大きな危険をはらんではいないだろうか? 私の行為は『栗東寮はペットOK。飼えなくなったら理事長に預ければよい』という前例を作ってしまう。そんなのいいはずがない。そのような半端な気持ちで飼われた子たちのうち何匹かは確実に不幸になる。だがそれを止めようと思っても、その時私に発言力はないだろう。寮長のくせにルールを破り悪しき風習を作った張本人なのだから。

 

 そこで私は一芝居打つことにした。子猫を寮に放ったのだ。そして私は外から子猫が入ったと言いふらす。その間もう一人の協力者に出口を守ってもらう。そう、クリークだ。

 これによって子猫は私が寮に連れてきたのではなく、たまたま入ってきたものだと主張できる。

 概ねその作戦はうまくいっただろう。後は子猫を捕まえて、理事長に話をつけに行くだけだった。しかしそこで事件が起きる。猫が消えてしまったのだ。私は焦った。心配で心配で仕方なかった。そんな時クリークが言ってくれたのだ。こういう時に頼りになる『探偵』さんがいると。

 そうしてタマを加えて、捜索が始まった。

 

 しかしまさか屋上にいたとは。

 私は今日も子猫を屋上で遊ばせていたが、今日に限って鍵をかけるのを忘れてしまった。その結果捜索は困難を極めた。タマが猫を見つけてくれなかったらどうなっていたか。

 その代わりと言っては何だが、私の企みはタマにすべてばれることになった。おそらくタマは屋上の鍵が開いていたことをきっかけとして、私が普段から子猫を遊ばせるために屋上を開放していたことに気付いたのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 色々あったが、なんとか最初の計画を完遂することができた。これで子猫ともお別れだ。そういえば私はこの子に名前を付けなかった。無意識にいつか別れる時のことを考えていたのかもしれない。

 子猫は今私のベッドで丸くなっている。そんな子猫を優しくなぜる。子猫もまたそんな私の指をぺろぺろと舐める。

『飼う』というのは、養い育てることを言うらしい。私には養い育てる能力も資格もなかった。だから今日で『子猫を飼う』のもお終いだ。だが、確かにこの約一週間私はこの子を『飼って』いた。その間私は無償でいろいろなものを与えたが、それ以上のものをこの子からもらった気がする。

 私は出会った日のことを思い出す。震える体。弱々しい鼓動。この子は何も悪くない。それなのにこの子の命の火は尽きようとしている。

 ……怖かった。かわいそうだった。嫌だった。

 だから動物病院を探して走った。子猫が無事だと知った時、本当にうれしかった。

 

 私はこの子が元気で暮らしてくれるだけで幸せだ。今後私の元からいなくなっても、それは変わらない。

 ずっと子猫ちゃんに対して意味もなくありがとうと言ってきた。でも今、何に対して言っていたかが分かる。

 私は眠そうな子猫を起こさないように、優しく背中をなでながら言う。

 

「……生きててくれて、ありがとう」

 

 私の手には、確かに子猫ちゃんの温もりが伝わっていた。

 




よっしゃあ! ファルコを虐待するフジなんていなかったんだ!

というわけで、実は一昨日書いた同名SSと今回の短編は、私の中で名探偵タマちゃんシリーズの第4話を争っていました。結局前のやつはさすがに世界観に合わないと思ってやめました。

一方で話自体は抜群に面白い(あくまで自分程度のレベルで)と思っていたので、うきうきでSSとして投稿したのですが、誰からも面白いと思ってもらえず、変な笑いがこみあげていました。

本当にあの時踏みとどまってよかったと思います。


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アグネスタキオン「殺人事件の作り方」

 突如研究室で起きた殺人事件(死んでない)。被害者はアグネスタキオン(生きてる)。

 アグネスタキオンはどうやって殺されたのか?誰が犯人なのか?そして犯人の動機は?
 みたいなミステリーです。

 ※物騒なタイトルですが、人は死にません。
 残酷な描写もないのでご安心ください。


「……それ以上何を言っても無駄だ。私の結論は変わらないよ」

 アグネスタキオンは冷たくそう言い放つ。

 正面にいる少女は怒っているようでもあり、悲しんでいるようでもあった。

 しかし彼女の眼はそれらの感情をすべて飲み込んで紅く染まっていく。

「……わかりました。失礼します」

 アグネスタキオンはその一言に込められた昏く靭い思いに気付かない。

 1人になった部屋で静かに座っていた。

 

 ある日の昼下がりのこと。中等部の生徒にもかかわらず、高等部の教室で興奮気味にまくしたてる少女がいた。

「殺人事件ですよ! 殺人事件が起きました!!」

 彼女はアグネスデジタル。あらゆるジャンルのアニメを好むヲタクだ。当然ミステリアニメも好きである。お気に入りはコナン……と見せかけて氷菓だったらいいな。

「……ええ。なんや」

 タマモクロスは不審な顔をしている。無理もない。アグネスデジタルのテンションは人が死んでいる時のそれではない。

「本当ですよ! いや~ついにこの学園でも殺人事件が起きましたねえ!」

 少しうっとりしながら話すアグネスデジタルにタマモクロスが質問する。

「百歩譲って殺人事件がホントだとして、なんでウチに?」

 アグネスデジタルが間髪入れずに答える。

「ふふふ。私の情報網をなめないでください! ある筋からタマさんが猫ちゃん捜索に一役買ったと聞いたんですよ! その推理力を今回ぜひ発揮していただきたいんです!」

 猫の捜索とはついこの間、栗東寮に忍び込んだ猫を捕まえた件である。おそらくカワカミプリンセスあたりが面白おかしく広めているのだろう。タマモクロスはそんなことを思いつつ、一応事件について聞いてみる。

「……まあええわ。で、被害者は誰なんや?」

 それに対してアグネスデジタルは間髪入れずに答える。

「はいっ! タキオンさんです!」

 タキオンとはアグネスデジタルと同室のアグネスタキオンのことである。マッドサイエンティストの変人として知られている。

「……いや、タキオンて……」

 タマモクロスは明らかに動揺していた。その視線はアグネスデジタルの隣に立っている人物に注がれる。

 彼女は何が面白いのか不敵に笑っている。

「ふふふ。私の顔に何かついているのかな?」

 アグネスデジタルの横にいる人物。それはアグネスタキオンその人であった。

 

 アグネスデジタルが言うには事件の概要はこうだ。

 昨日の練習後のこと。アグネスタキオンの姿が見えなかったため、研究室に行った。

 研究室に入るとアグネスタキオンはいない。

 もしやと思って研究室の奥の倉庫に向かう。重い扉を押して開けるとそこには、

「タキオンさん……?」

 ピクリとも動かないアグネスタキオンの姿があった。

 彼女は倉庫の扉のそばで、扉に向かってうつ伏せで倒れている。

 傍らには大きなハンマーが転がっていた。

 

「……ということなんです! これは殺人事件ですよ!」

「いや殺人事件じゃないやろ」

 タマモクロスが即座に突っ込みを入れる。これは単に被害者が死んでいないから殺人事件ではないと言っているのではない。

「誰が犯人かって言うけど、そんなもん()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()話やんけ」

 殺人事件は被害者という最大の証人が口を閉ざすからこそ推理が必要になってくるのだ。

 被害者が生きているのなら、被害者が殺人犯を言えばいい。

「くくく。それがそうもいかないんだよ。タマモクロス君。これを見てくれたまえ」

 アグネスタキオンがようやく口を開く。手にはビニール袋に入った大きなハンマーがあった。

「……なんやそのけったいなハンマーは?」

 大きなハンマーに気圧されながらも、どういうものなのかを聞くタマモクロス。アグネスタキオンは飄々とそれに答える。

「これは銀河眼の時空槌(ギャラクシーアイズ・タキオンハンマー)。殴られた者は即座に意識を失い仮死状態になる。そしてしばらく経ってから目を覚ます。加えて未完成ゆえの副作用なんだが、なんと殴られた者はその前の記憶をすっぽり飛ばしてしまうんだ。これを使えば、疑似的に殺人事件が起こせるというわけさ!」

 タマモクロスが絶句する。あまりにも突拍子もない道具が出てきて面食らっている。

「なんでそんなもん作ったんや? あと名前」

「ゴールドシップ君に銀河旅行に行くためにコールドスリープの機械を作ってくれと頼まれてね。とりあえず仮死状態にする道具だけ試作してみたんだ」

 訳が分からないことを言うアグネスタキオン。このハンマーについてこれ以上聞いても仕方ないようだ。名前については触れてすらいない。

「つまりタキオンハンマーを使うことで、

 ①気絶させる方法を工夫する必要はなく誰にでも犯行を行うことができた。

 ②被害者であるアグネスタキオンは犯人やトリックなどの有益な情報が分からない。

 という条件が追加されたわけやな」

 タマモクロスはそう言うと少し考える。考えてから、言う。

「……殺人事件やな」

「だから最初から言ってるじゃないですかあ!」

 謎の便利アイテムのおかげで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 タマモクロスはバカバカしい、と思う一方で次のようにも考える。

 人生で殺人事件を推理する機会なんて2度とやってこない。

 せっかくなのでタマモクロスは今回の事件に参加することにしたのである。

 

 2人はタマモクロスを連れて現場に向かう。アグネスタキオンの研究室だ。アグネスタキオンが倒れていたのは更にその奥。研究室の奥の扉を押して狭い倉庫の中に入る。

「ここでタキオンは倒れていたんやな」

「そうです! そばにタキオンハンマーがあったんですよ!」

 倉庫の中には所狭しとアグネスタキオンが作った失敗作が転がっている。タキオンハンマーを事件当時と同じ場所に置く。

「ところで他に使われたかもしれない凶器とかなくなっているものとかはないんか?」

 タマモクロスが尋ねるとアグネスタキオンは少々困った顔をする。

「うーん後で説明するけれど、私の記憶は一昨日の昼頃からごっそりなくなっていてね。何が無くなったかは正確にはわからないんだ」

 ただね、とアグネスタキオンが続ける。

「私の研究は基本的には通常の研究室と同じ手続きをして行われる。どういうことかと言うと欲しい薬品や器具は学園に申請し、研究ノートを残しているんだ。それを見たところ確実になくなっているものがあることが分かった」

「それはなんや?」

 タマモクロスが聞くと、アグネスタキオンが答える。

「まず一つはネンブタールという薬品だね。実験動物用の麻酔薬さ。そしてもう一つは……私の最近の研究データだ」

「なるほどな」

 タマモクロスは少し考えてから言う。

「じゃあ犯人の狙いはそれと見てよさそうやな」

 普通の殺人事件は殺人そのものが目的となる場合が多い。例外として他に目的があり、それをするためには被害者が邪魔だったというパターンもある。今回はまさにそうだと言えるだろう。

「でも、だからと言って動機から絞っていくのは難しそうですね」

 これは実際その通りだった。この動機には犯人の唯一性が見えてこない。

「せやな。基本的には状況証拠から考えていくしかない。そのために、さっき少し話にも出たが、ここで改めてタキオンハンマーについて教えてくれんか?」

「いいだろう」

 そう言うとアグネスタキオンがハンマーについての説明を始める。

 

 銀河眼の時空槌(ギャラクシーアイズ・タキオンハンマー)

 効果

 一定以上の力で頭を殴ることによって以下の効果が発動する。なお一定以上と言っても、頭に傷が残るほどの力は不要。

(1)使用された時、使用記録がアグネスタキオンのパソコンに残る。

(2)殴られた者は殴られる前のおよそ24時間の記憶を失う。

(3)殴られた者は仮死状態となる。その時呼吸や心拍は限りなく0になる。

(4)殴られた者はおよそ12時間後に自然と目を覚ます。ただしそれ以前であっても、強くゆすられたり大声を出されたりすれば目を覚ます。

 

「というわけさ。わかりやすいようにこれからはこの効果を上から効果①、効果②というように呼ぶことにしよう」

「なるほどな。了解や」

「ぐへへ……ミザエル×カイト尊い……」

 まるで意味が分からないアグネスデジタルの言葉は無視してふたりは話を進める。

「色々聞きたいことはあるが、せっかくだし効果の順に聞いてこか」

「かまわないよ」

 

「まず効果①からや。これかなり重要やで」

 この効果①はタマモクロスの言う通り重要である。

「タキオンハンマーを使ったという前提なら、犯行時刻がわかりますもんね!」

 妄想にふけっていたはずのアグネスデジタルが話に入ってくる。

「そうやな。それでタキオン、何時だったんや?」

 タマモクロスの質問に考える間もなく、アグネスタキオンが答える。どうやらすでに調べ終わっているようだ。

「13:05だね。昼休みさ。色々な人に犯行のチャンスがあったことになるね」

 トレセン学園の昼休みは12:40〜13:30である。

「じゃあこの時間にアリバイのない人が犯人ってわけですね!」

「それだけじゃまだあんま犯人は絞れんがな。じゃあ次行こか」

 

「次に効果②についてや。本当に犯人とか覚えてないんやな。タキオン」

 アグネスタキオンがかぶりをふる。

「本当だとも。それどころかきっちり一昨日の昼休みくらいからの記憶がないよ。まあこれでほぼ確実にタキオンハンマーが使われたってことになるのかな」

 人を気絶させること自体は他の方法でもできなくはないが、記憶をなくすことはタキオンハンマーがなければ不可能である。凶器についてはこれで決まりのようだ。

 

「次は効果③か。仮死状態っていうが、それは何も知らない人が見たら本当に死んでるって思うものなのか?」

「そうだろうね。この状態では心臓や肺が止まるだけじゃなくて体温も下がる。そう考えても無理はないだろう」

「……ということは例えば何も知らないやつが偶然タキオンハンマーでお前の頭を殴って、死んだと勘違いしそのまま逃走したってことも考えられるんか?」

「うーんどうだろうね。なくはない、というくらいじゃないかな」

 そう言いながらアグネスタキオンは頭を見せる。

「タキオンハンマーは力はいらない代わりに、かなりピンポイントで頭を撃ち抜かないと効果を発動しないんだ。頭のこの部分。ちょうど頂点だ。何も知らない人がたまたま偶然ここをハンマーでたたいたりするのかな?」

 確かにそれは不自然だ。……メイショウドトウあたりならやりかねないが。タマモクロスがそんなことを考えていると、アグネスデジタルが話し出す。

「待ってください! タキオンハンマーを知らない人が事件を起こした可能性はまだ考えられますよ!」

「ふむ。なにかな?」

 次にアグネスデジタルが言ったことはあまりに突拍子もないことだった。

「犯人は本当の殺人鬼だったんです! それでタキオンさんを殺そうとして、たまたま凶器として使用したのがタキオンハンマーだったんですよ!」

 アグネスデジタルが得意げに胸を張る。が、それはすぐにアグネスタキオンに否定される。

「どうかな。さっきも言ったが、タキオンハンマーに力は必要ない。実際私の頭に傷はないし痛みが残ってもいない。本当に殺そうとしたならもっと強い力で殴るか他の殺害の形跡があるはずだよ」

「い、いやもしかしたら、軽くタキオンハンマーで殴ったら死んでくれたから、それ以上の殺害計画は必要ないと判断して逃げたのかも……」

 とアグネスデジタルは反論するが、

「いやそれもない」

 これもすぐにタマモクロスに否定される。

「現場の状況を思い出してみ? タキオンは出口付近で出口の方を向いて倒れてたんやで。タキオンの身長は普通くらい。何も知らないやつがタキオンの脳天を殴るシチュエーションはタキオンがしゃがんでるか座ってるかや。だが出口付近でタキオンがそれをする理由が全くない」

 むむむむとアグネスデジタルはうなった後、結論を述べる。

「タキオンハンマーの効果を知らない人の犯行とは考えにくい。ということは犯人はタキオンハンマーについて知っている人ということですか?」

 タマモクロスがうなづいた。

「そういうことになるな」

 

「じゃあ最後に効果④について考えよか。と言ってもあまり事件には関係しなそうやな」

「そうだね。ただ私はおよそ6時間ほど目を覚まさなかった。昨日はきちんと寝ていた。かつ外傷はなく、体内から薬は検出されなかった。つまり、私がタキオンハンマーで眠らされたことのさらなる裏付けにはなるかな」

 通常ただ気絶させられただけでは、6時間もの間床で寝ていて目を覚まさないことはないだろう。アグネスタキオンの言うことは正しい。

「私が起こそうとしたらすぐに起きたのもこのルールのためですね!」

 倒れているアグネスタキオンを起こしたのはアグネスデジタルのようだ。

「せやな。まあだいたいこんなもんか」

 

 大体の情報の整理が終わったようだ。まとめるのはアグネスデジタルだ。

「つまりここまでの推理をまとめると、犯人は

 ①タキオンハンマーを凶器として使った。

 ②昨日の13:05にアリバイがない。

 ③タキオンハンマーの効果を理解している。

 以上を満たす人物ですね! これでだいぶ絞れましたよ! お楽しみはこれからですね!」

 アグネスデジタルは上機嫌だ。情報を集めて犯人を絞っていく過程が楽しいのだろう。しかし、

「なるほどな」

「なるほどなるほど」 

 楽しそうなアグネスデジタルとは裏腹に、二人の冷たい視線が彼女に集まる。

「なんですか? 二人とも私を見つめちゃって。尊死しちゃいますよ〜」

 軽口を叩くアグネスデジタル。タマモクロスがはっきりと告げる。

「なあデジタル。犯人はお前やろ」

 アグネスデジタルがええっ! と驚く。アグネスタキオンが続ける。

「そうだね。タキオンハンマーについて知っているのは私以外に、カフェ、スカーレット君、デジタル君。この3人だ。それに君はいつも昼食を食べたら、そそくさとどこかにいなくなるじゃないか」

 ちなみにいなくなったあとでしていることは主にウマ娘の盗撮である。

「ぐぅ。確かにそうですけどお」

 反論できないアグネスデジタルにタマモクロスが追い打ちをかける。

「大体殺人事件において第一発見者が一番怪しいってのは相場で決まってんねん」

「……聞いたことあります。ていうかコナンでも何回かありました……」

 しかし自分の言葉でコナンあるあるを思い出したのか、犯人特有のを言い出す。

「そ、そうだ! 私には動機がありませんよ! 動機がないんじゃあ犯人とは言えませんねえ!」

 急に勝ち誇りだすアグネスデジタルだったが、二人の視線は変わらず厳しい。

「お前タキオンが気絶して起きないのをいいことに、いやらしいことしてたんとちゃうか?」

「ぎ、ぎくぅ! なぜ私がタキオンさんを起こす前におさわりしたのを知ってるんですか!?」

 勝手に墓穴を掘るアグネスデジタル。アグネスタキオンはやれやれといった風に頭を振る。

「そんなことをしていたんだねえ。もう君に研究の手伝いを頼むのはやめようかな。金輪際研究室には近づかないでくれたまえ」

 アグネスデジタルはすべてのウマ娘をこよなく愛する。アグネスタキオンにこき使われるのさえ至上の喜びであった。それだけにこの宣告によるショックは大きい。

「そんなあ。やっとエバポレーターの使い方も覚えたのに……」

「残念だったね。最近自動濃縮エバポレーターを導入したんだ。遠隔操作も可能な優れものさ」

「いよいよ私用済みじゃないですかあ……」

 エバポレーターとは理科室にあるくるくるフラスコが回っている機械だ。溶媒を蒸発させて試料を濃縮するために使われる。

 今アグネスデジタルの頭の中ではアグネスタキオンとの思い出がエバポレーターのフラスコのようにグルグル回っているのかもしれない。

 

 一通りアグネスデジタルを責めると、二人は現場を離れることにする。

「まあデジタル君を詰めるのはこれくらいにして、他の二人の話も聞きに行こうか」

「せやな」

 アグネスデジタルもちょこちょことそれについていく。

「な〜んだ。私が犯人っていうのは冗談だったんですね!」

「いや君が今のところ一番怪しいよ。ただ他の可能性を潰さないで君だと断定することはできないというだけさ」

「ええ……」

 そんなことを話しながら向かったのは高等部の教室だった。

 

 

「……なんですか?」

 警戒した顔で3人を見つめるのはマンハッタンカフェ。

 彼女はよくアグネスタキオンの実験に利用される。今回も良くないことにつきあわされるのではないかと思っているのだ。

「そうけったいな顔すんなやカフェ。ちょっと教えてほしいことがあんねん」

 タマモクロスが質問をする。

「お前昨日の13:05頃、どこで何をしてたか覚えてるか?」

「昨日の13:05? たしか()()()()()()()()()使()()()()()()ですよね……」

 その言葉を聞いてアグネスタキオンが話を遮る。

「待て。なんでそのことを知ってるんだい?」

 マンハッタンカフェは少し怪訝な表情を浮かべる。

「なんでって……。一昨日タキオンハンマーが使われたっていう信号が私とスカーレットさんにも届くようにしたじゃないですか。無闇に使わないようにって」

 そう言いながらマンハッタンカフェがメールボックスを見せる。そこには13:05にタキオンハンマーが使用されたというメールが届いていた。

「一昨日、か」

 アグネスタキオンの一昨日の記憶は失われている。このようなことも起こるのだ。

 訝しむような顔をしているマンハッタンカフェを見てアグネスデジタルが事件について説明する。

 

「……ということなんです。タキオンさんは昨日の13:05から前およそ24時間の記憶がありません」

「なるほどそうでしたか。それで13:05頃のアリバイを……」

 マンハッタンカフェは少し考えるが、

「申し訳ありません。私は昼休みは1人で過ごします。アリバイを証明できる人はいないかもしれません。ですが私はやってないとだけ言っておきます」

 どうやらアリバイはないようだ。これに対してアグネスタキオンが言う。

「ふうん。まあアリバイがないからと言って犯人と決まったわけじゃない。また何かあったら聞きに来るよ。時間をとらせたね、カフェ」

「いえ。そちらこそ災難でしたね。ご自愛ください」

 なんとなく穏やかな雰囲気が流れる。

「なんか私の時と違いますねえ……」

 アグネスデジタルだけが納得していない様子だった。

 

 次に向かったのはアグネスタキオンの研究室からほど近いところにある中等部の教室だった。

 教室に入ると、窓際の席に座っているツインテールの少女がアグネスタキオンを見つけて駆け寄ってくる。

「こんにちは! タキオンさん! どうしたんですか? こんなところに」

 彼女はダイワスカーレット。中等部に在籍する。学業、レースともに好成績を残し、素行も良い優等生である。あまり相性は良くないように見えるが、アグネスタキオンを慕っている。

「やあスカーレット君。今日も元気そうで何よりだよ」

 アグネスタキオンもまたそんな彼女をかわいがっていた。

「さて、スカーレット君。君は昨日の13:05頃、どこで何をしていたのかな?」

「13:05ですか? えっと、たしか昨日の昼休みは教室でお弁当を食べた後、ずっと自分の席でスマホを見ていたと思います」

 そう言って自分の席を指差す。窓際の席だった。

 4人はダイワスカーレットの席に移動する。そこからはアグネスタキオンの研究室がよく見えた。

「本当に昼休みの間一度も席を教室から出てないんか?」

 タマモクロスがこのように聞くのは、この教室がアグネスタキオンの研究室にかなり近いからだ。走れば1分とかからず行けてしまうだろう。ゆえにトイレに行っていて10分席を外した、というようなことがあれば十分に犯行が行えてしまう。

「はい。そうだと思います」

 しかしダイワスカーレットはそう答える。教室にいたということは誰かしらはアリバイを証明できる者もいるだろう。つまり犯行は不可能だったということだ。

「なるほど。いや急に押しかけて悪かったね。実は昨日のその時間に私はタキオンハンマーで殴られてしまったようなんだ。それで今誰がそれをやったのかを探しているのさ。どうやら君ではなさそうだね」

 アグネスタキオンはダイワスカーレットの容疑が晴れてほっとしているようだ。だが当のダイワスカーレットはそれを聞いて怪訝な顔をしている。

「なんやスカーレット。なにか気になることでもあるんか?」

 タマモクロスに質問され、そちらを見てから、視線をアグネスタキオンに戻すダイワスカーレット。

「えっと、本当にタキオンさんはタキオンハンマーで殴られたんですか?」

「ああ。間違いない」

 その確認にアグネスタキオンがうなずく。

「そうですか……。一昨日の記憶が無くなってるってことですもんね。実は……」

 次にダイワスカーレットが言ったことは衝撃的なことだった。

 彼女に礼を言うと、3人は急いでアグネスタキオンの研究室に戻る。

 

「よし……じゃあ行くで」

「本当にやるんですかあ……?」

 タマモクロスがタキオンハンマーを構える。アグネスデジタルは椅子に座っている。

「しかたないよ。これも実験だ。なあに、痛かったらこれで冷やしてあげるから安心したまえ」

「……なんですか。そのもわもわ煙が出てる瓶は……?」

 アグネスタキオンの足元にある瓶からは白い煙が出ている。明らかに傷を冷やすための物ではない。

「液体窒素さ。-196℃を上回らない冷却剤だよ」

「-196℃!? むしろそれが原因で死んじゃいますよ! 氷とかないんですか!?」

「ふむ。氷は実験で使うときにしか持ってこないんだ。それに比べて液体窒素は毎日使うのでね。自然と蒸発してしまうからくんでくるのが大変だよ」

「……そういうの大体トレーナーさんかスカーレットさんにやらせてるじゃないですか……」

 嫌がるアグネスデジタルをしり目にタマモクロスがタキオンハンマーを構える。そして、

「おら──っ! 覚悟せいやああ!!」

「ぎゃあー! 助けてえー!!」

 という勢いの割には、ポンと軽くハンマーが振り下ろされる。

 本来ならこれでアグネスデジタルは意識を失うはずなのだが、

「……何ともないです」

 アグネスデジタルは意識を保つ。

「ふうむ。なるほどねえ」

 そう言いながら、アグネスタキオンがハンマーを握る。すると、

「指紋認証確認。銀河眼の時空槌(ギャラクシーアイズ・タキオンハンマー)発動。アグネスタキオンに装備」

 ハンマーからそんな声が聞こえる。同時にハンマーが赤く光り出す。それを見て、アグネスタキオンがぽつりと言った。

「スカーレット君の言ったこと本当だったのか」

 ダイワスカーレットが言ったことは、銀河眼の時空槌(ギャラクシーアイズ・タキオンハンマー)はアグネスタキオンにしか使えない、ということだった。

 このハンマーはアグネスタキオンの指紋によって起動し、それ以外の者が使おうと思ってもただのハンマーでしかないのだ。

「でもそれが本当だとすると……」

 アグネスデジタルが口をつぐむ。タマモクロスがそれを引き継ぐ。

「ああ。タキオンは自分で自分をたたいた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アグネスデジタルとタマモクロスが黙っていると、アグネスタキオンが笑い出す。

「ははは! いやあ実に下らない幕切れだよ。結局のところ犯人は私だったということか」

 自嘲するようにそう言ったアグネスタキオン。だが、

「……私はこれが真相とは思いません」

 それを否定する者がいる。アグネスデジタルだった。

「……なぜそう思うんだい?」

「私はタキオンさんが倒れている現場を見ました。なぜかははっきりとわかりませんが、タキオンさんが何も考えずにハンマーを使ったとは思えないんです」

 タマモクロスもそれに続く。

「ウチもそう思うで。タキオンが自分で自分を殴ったのは事実なんやと思う。だがそこには確実に何らかの理由があるはずや」

 二人の話を聞いて、アグネスタキオンがゆっくりと口を開く。

「……この私の行動に言いようのない違和感を感じているのは、他でもない私自身だ。もう一度事件について考えたい。……協力してくれるかい?」

 アグネスタキオンの言葉に強くうなづく二人。

 最後の推理が始まろうとしていた。

 

「今回の事件について、ずっと『誰がタキオンを殺したか?』を考えてきた」

「でも、そうじゃなかったんですね」

「ああ、問題は『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』だ」

 3人は改めてハンマーの効果を思い出す。

 第一の効果。使用記録。

 第二の効果。記憶消去。

 第三の効果。仮死状態。

 第四の効果。自然復活。

 アグネスタキオンが自らタキオンハンマーを使ったということは、このうちのどれかの効果を使用したかったからだと考えられる。

 それは何だろうか? 

 

「とりあえず四つ目の効果は今回は発動しなかったから、一旦置いておくとして……。まず効果①から考えてくで」

 アグネスデジタルが意見を言う。

「こういう時間を確定するものはよくアリバイトリックなんかで使われますよね……?」

「ふむ。そういうものか。ただ今回その線はなさそうだね」

 しかしそれをアグネスタキオンが否定する。

「タキオンハンマーの設定そのものをいじるのは私以外には不可能と断言しよう。その前提の上でアリバイを作ることができるのは私だけだ。ここまで全てが自演だとすればそれもありうるが、それは考えづらいというのは君たちもわかってるんじゃないかい?」

 アグネスタキオンがアリバイを作るとしたら、何かその時間に他のことをしていたことになる。だがそっちが発覚してもいないのに、先にアリバイのほうを成立させようとするのは全く論理的ではない。

 

「じゃあ次に効果②を使いたかったということやが……。これはまあなくはないな」

 第二の効果が目的だとすると、アグネスタキオンが自らの記憶を消去したかったということになる。言うならば自殺に近い。何か忘れたいことがあって衝動的にハンマーで頭をたたいた。十分にありうる話だ。だが、

「私はこれないと思います。なんというかタキオンさんらしくない」

 アグネスデジタルが否定する。

「どういうことや? デジタル」

 タマモクロスが言うと、アグネスデジタルが説明する。

「タキオンさんが本気で自分の記憶を消そうとしているなら、例え衝動的なものであったとしても、ううん衝動的に記憶を消したくなるくらいの強い思いがあるからこそ、こんな不完全な方法はとらないと思います。現にこのまま捜査が進めばきっと記憶を取り戻すきっかけを見つけるんじゃないでしょうか?」

 推理とはピースを集めて一つの絵を完成に近づけていく作業だ。最終的に埋まらなくとも、そこに何があったかはおのずと見えてくる。

「そうかもしれないね。私なら衝動的に頭をたたく前に、まず完全に記憶を消してその違和感を消すような機械を作る作業に没頭するだろう」

 

 であれば、とタマモクロスが続ける。

「効果③、か」

 仮死状態とは呼吸と心拍がほぼ0になることである。

 自らその状態になりたい? 一体なぜ? 

(そういえば、仮死状態にする効果はコールドスリープなんかに使えるって言ってたな)

 コールドスリープ。身体機能を停止させることで老化を防ぎ、寿命を延ばす。

(……()()?)

 タマモクロスは考える。ひとつづつ、そのキーワードの周りにピースがはまっていく。

(タキオンハンマー、倉庫に続く押し扉、狭い倉庫、エバポレーター、研究室からなくなったもの、発信された使用記録、外から見える研究室、液体窒素、そしてタキオンしか使えないという事実)

 今日得た情報がつながっていく。そして、

「犯人が、トリックが分かったかもしれん。それが可能か試してみたい。協力してくれるか?」

 どうやら結論が出たようだ。

「くく。実験か。いいだろう」

 三人の実験と検証は遅くまで続いたのだった。

 

 翌日の放課後、タマモクロス、アグネスタキオン、アグネスデジタルが研究室に集まっていた。三人ともある人物を待っている。

 数分経っただろうか。がちゃりとドアが開く。

「……なんですか? 話って」

 怪訝な表情を浮かべる少女に、タマモクロスが言う。

「タキオンがタキオンハンマーで殴られた件な、あれの犯人とトリックが分かったからお前に聞いてもらおうと思ってな」

 その言葉にわずかの沈黙が生まれる。

「……どうして私に?」

「決まってるやろ」

 タマモクロスが指をさす。

「お前が犯人だからや。──スカーレット」

 その先にいたのはダイワスカーレットだった。

 

 初めに話し出したのはダイワスカーレットだった。

「私が犯人も何も、タキオンさんを殴ったのはタキオンさん自身ってもう結論が出たじゃないですか」

 タマモクロスが頭を振る。

「違う。お前がタキオンが自らハンマーを使うように仕向けたんや」

「……どうやって?」

 ダイワスカーレットはそう言いながら三人を見渡す。だがアグネスタキオンとは目が合わない。どこか遠くを見ているようだった。

「ウチらは今回の事件殺人事件のようだと思ってた。そしてタキオンハンマーは凶器の代わりだとも」

 タマモクロスが話始める。

「だがそれがそもそもの間違いやった。むしろ逆。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ダイワスカーレットが黙っているのを見て、続きを言う。

「タキオンハンマーを使うことでタキオンは仮死状態になる。そうなるとどうなるか。呼吸が止まるんや。呼吸が止まれば、周囲の空気を吸う必要がなくなる」

「……それがなにか?」

 4人だけの研究室。話は核心に迫ろうとしている。

「事件が起きたその時、倉庫の中はガスで満たされていた。死のガスによってな」

 

 それを聞いたダイワスカーレットは、動揺するでもなくおかしそうに笑っていた。

「どうした? 何がおかしい?」

「何がおかしいって……おかしいところしかありませんよ。そうですね、まずどうやって毒ガスをまいたんですか? 私はずっと教室にいたんですよ?」

 そうだ。今回の結論はあまりに突拍子もない。一つずつ紐解いていく。

「ええやろ。まずそこから行こか」

 タマモクロスは説明を開始する。

「このトリックに使われたものはエバポレーターや」

 そう言ってエバポレーターの元へ歩いていく。手動の旧式ではなく、最近導入したという全自動の最新式の方へ。

「エバポレーター……? 溶媒を飛ばすのに使う機械ですか。一体何に使うんですか?」

「いや今回使ったのはその機能じゃない。回転するフラスコそのものや。ちょっと再現してみよか」

 デジタル、頼む。タマモクロスがそう言うと、はいっ! という返事とともにアグネスデジタルがすぐに動き出す。どうやら準備をしてきたらしい。

 まずアグネスデジタルはエバポレーターの回転するフラスコに糸を巻き付ける。そして糸のもう片方は金属の瓶に巻き付ける。

「この瓶にはタキオンを死の直前まで追い詰めた物質が入ってる。これを倉庫の奥に置くんや」

 アグネスデジタルが倉庫の奥に瓶を持っていき、糸を目立たないように地面を這わせてから扉を閉じる。

「この状態でエバポレーターを起動する。これは遠隔操作可能やからな。お前が教室にいても起動することができたってわけや」

 糸がフラスコに巻き付けられていく。そして、

 ガチャン! 

 大きな音が鳴る。瓶が倒れた音だろう。これでガスは倉庫いっぱいに広まった。

「とまあこれが遠隔操作でガスをまいたトリックや。そしてお前はタキオンが眠った後に色々な証拠を隠滅したようやが、エバポレーターを使ったという記録だけは消し切れなかった。この記録はタキオンのパソコンだけではなく研究室のパソコンにも残るのものだからや」

 研究室のパソコンにはタキオンハンマーが使用された1分程前に、エバポレーターをダイワスカーレットが使用したという記録が残っていた。これがダイワスカーレットが犯行を行ったという証拠だ。だが、

「確かにそれならガスを倉庫に充満させることは可能かもしれません。でもだから何ですか? まだ説明されていないことがありますよね?」

 ダイワスカーレットが反論する。彼女の言う通りだ。これはトリックの三分の一に過ぎない。

 

「ガスっていったいどこから手に入れたんですか? タキオンさんの部屋からは毒ガスになりうるようなものはなくなってなかったのでは? よしんば私が何らかのルートでそれを手に入れられたとしても、倉庫全体に散布したならそれがどこかに付着するはずです。証拠を隠滅したと言っても完全に倉庫を隅々までふき取るのは不可能ですよね?」

 これがまず一つ目の疑問。ガス自体について。今回の事件において現場となった倉庫からは()()()()()()()()()()()()()()()()

「それにまだありますよ。タキオンさんは出口そばで倒れていたんですよね? ならタキオンハンマーを使うよりも先に、ドアを開ければいいじゃないですか。そうすればガスは広い実験室のほうに抜けていくはずです」

 そしてこれが二つ目の疑問。密閉された倉庫と違って、研究室は常に換気されており、扉さえ開けば簡単にガスは抜けていく。それなりに精密な動作を求められるタキオンハンマーを自分の頭に振り下ろす余裕があるなら、()()()()()()()()()()()()()()()

「これが説明できなければ、私が犯人ということにはなりません。タキオンさんが自分の意思で記憶を消したと考える方が自然じゃないですか?」

 

 三人は黙って聞いている。だが、それは答えに窮したからではない。

 計算をした。実験もした。そして、()()()()()()()()()()()

「お前の言うことはもっともや。スカーレット。だがその二つの疑問はある物質を使うことで起こりうる事象になる」

 そう言ってタマモクロスは倉庫の扉の前に立つ。

「お前はあの部屋から無くなったものはないと言っていた。実際ウチらも、データと麻酔薬以外に無くなっているものはないと思っていた。だがな、あったんや。それ以外に消えたものが」

「……なんですか? もったいつけないで早く言ってくださいよ」

 強い言葉とは裏腹に、ダイワスカーレットの声に焦りが混じる。彼女の紅い眼はわずかに力を失ってきている。

「それは放っておけば自然と空気に帰る。そして毎日なくなるため、毎日汲みに行くものや」

 検出されないのは当然だった。なぜならそれは空気中に最も多く存在する物質なのだから。

「あの瓶に入っていたもの。それは()()()()や」

 

 液体窒素。空気の約80%を占める窒素が-196℃で液体になったものである。保冷効果のある瓶にあるうちはそれなりに液体の状態を保つが、床にぶちまけられれば一瞬で気化して気体の窒素となる。

 窒素自体は人体には無害である。だが、

「空気中の窒素が増えすぎると酸素濃度が下がる。酸素濃度が下がれば窒息は免れない。液体窒素は気化することで体積はおよそ700倍になる。あの瓶に入っているくらいの窒素でも、狭い倉庫の酸素濃度は一気に下がったはずや」

 タマモクロスが倉庫の扉に手をかける。鍵のない押し扉。

「そして窒素によって部屋全体が満たされた時、倉庫は脱出不可能な密室となる」

 そう言いながら倉庫の扉を思いきり押す。しかし、

「……()()()()()()

 扉はびくともしない。タマモクロスが続ける。

「これは倉庫の中と外の気圧差によるものや。倉庫の内部は今大量の窒素によって圧力が高まってる。よってこちらからは押し扉、向こうからは引き扉のわけだが、倉庫内部の空気の押し出す力に負けて扉は開かないんや」

 遠隔操作によるガスの散布の方法。ガスの正体。そして開かない扉。すべての謎が解けた。

 

「つまり事件の全貌はこうや」

 最後の説明を始める。ダイワスカーレットはすでに一言も発さなくなっていた。

「まずスカーレット、お前は午前中のうちに液体窒素を汲んできた。この時タキオンに頼まれたのとは別の瓶に入れた液体窒素を倉庫に隠す。そしてエバポレーターと瓶のトリックの準備をして研究室を立ち去ったんや」

 準備の際、ダイワスカーレットはタキオンハンマーを倉庫の出口そばに置いた。極限状態での唯一の生き残る道を用意したのだ。

「昼休みになったら窓際の自分の席に座って研究室を見る。そしてタキオンが倉庫に入っていったのを確認し次第、エバポレーターを遠隔操作しトリックを発動する。この間お前はずっと教室にいた。アリバイも成立したってわけや」

 トリックを発動しておよそ1分後、ダイワスカーレットはタキオンハンマーが使われたという信号を受信した。これによってトリックが成功したことを確信したのだ。タキオンハンマーを使えるのはアグネスタキオンだけ。そして倉庫に入っていったのはアグネスタキオンのみであった。であれば、これはもう自分で自分を殴った以外ありえない。

「もっともタキオンが思い通りに動かなかった場合、最悪そのまま窒息死する可能性も考えられる。だがそれもぬかりない。お前の教室からタキオンの研究室まで走って1分。トリックが失敗したとわかったところからでも、急げば十分に救助可能や」

 当然ダイワスカーレットは本当にアグネスタキオンを殺す気はなかった。窒素で満ちた部屋の空気を抜く方法をあらかじめ用意していたのだろう。用意さえあれば、壁に小さな穴をあけて部屋の圧力を下げるといったことも容易い。

「トリックがうまくいったことが確認出来たら、その後次の休み時間にでも研究室に行く。そこでお前の目的であるデータの消去、薬品の廃棄などを行い、最後にできる限りの証拠隠滅を行ったというわけや」

 そして推理が終わった。

 

「なにか反論はあるか?」

「……ありません」

 ダイワスカーレットは素直に犯行を認める。ここから結論を覆すのは厳しいとわかっているのだろう。

「……一体なんでこんなことをしたんですか?」

 アグネスデジタルが聞く。しかしダイワスカーレットは答えようとしない。

 するとここまで一言も発さなかったアグネスタキオンが突然話し出す。

「くくく。私にはわかるよ。君が私から奪ったのは実験データと麻酔薬だ。これが意味することは何か? そう、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? それを止めるためにこのような計画を立てたんだね? スカーレット君」

 ダイワスカーレットは尚も言葉を発しない。その眼には心なしか悲しさが浮かんでいるようにも見えた。

「沈黙は肯定と受け取るよ。まあ今後はこういうことはしないでくれたまえ。では諸君、これにて事件は解決だ。私は研究を再開する。みんなここで解散だよ」

 アグネスタキオンがそう言って、とりあえず事件は終結を迎えた。

 タマモクロスはなんとなく釈然としないまま研究室を去ったのである。

 

 その夜タマモクロスは考えていた。

(今回のスカーレットがやったことはかなり危険なことやった。万全の準備をしていたにせよ、下手をすればタキオンは死んでた。あんな理由では納得がいかん。何かあったんちゃうか?)

 改めて研究室から消えたものについて考える。

(一つはタキオンの研究データ。もう一つはネンブタール。麻酔薬)

 ふと気になって薬品について調べる。

 ……そこには驚くべきことが書いてあった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その真の使い道は……

(……タキオン……!)

 アグネスタキオンの元へ向かおうと急いで体を起こしたその時、計ったようにメールが届く。

 それはアグネスタキオンからのものであった。

 文面には短く一言。

『私なら、大丈夫だ』

 その短いメールに不思議と安心感を覚える。

 タマモクロスはアグネスタキオンを信じることにしたのだった。

 

 ~エピローグ~

「ふう……」

 研究データの復元が完成する。

 残っていたデータをかき集めて、破棄される前と同じ結論を出したのだ。

 その結論は私にとって予期していたことではあった。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 私がこのトレセン学園に入った目的はウマ娘の限界を知ることだった。

 その限界に到達するのは私でなくてもかまわない。

 だから私自身が限界を目指すプランA、私以外にそれを託すプランBを作りそれぞれの研究をしていた。

 毎日データを集め、計算を繰り返してきた。

 そして先日、ある結論が出てしまったのだ。

 それは私の体は限界に到達する前に壊れてしまうということだった。

 それを知った瞬間、私の頬を涙が伝っていった。

 

 私はなぜ泣いているのだろうか? 

 私自身がウマ娘の到達点となることにこだわりがあったのだろうか? 

 世界最速の称号を得て周りから称賛されたかったのだろうか? 

 ……違う。そうじゃない。

 これは自分でも気づかなかった思いだ。

 失うことで初めて知った、私の本能。

 

 私は、好きだったんだ……。走るのが大好きだったんだ……。

 

 最速なんていらない。それは他の誰に挙げてもいい。

 ただ、自分の脚で走っていられれば、それでよかった。

 

 その時私はあまりにも簡単に自分の命を捨てる選択が頭によぎった。

 そして創り出したのがネンブタールだ。

 麻酔薬なんてとんでもない。

 これは、()()()()()()()()()()()

 もちろん100%死ぬ方向に考えていたわけじゃない。だがそれが頭にあったのは事実だ。

 スカーレット君はそんな私を止めようとした。

 銀河眼の時空槌(ギャラクシーアイズ・タキオンハンマー)による記憶消去を利用して。

 

 空気が薄くなり意識が遠のいていく瞬間の記憶がよみがえる。

 あの時私は生きるために行動した。

 

『死ぬなんて言わないでよ! タキオンさん!!』

 

 君の声が聞こえたんだ。

 くくく。ツンデレと言うやつかな? 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今私は生きようと考えている。

 例えいつか走れなくなったとしても研究は続けていくよ。

 

 私はね、思うんだ、スカーレット。

 私の研究は他の誰のためでもない。君のためにあるんじゃないかって。

 君がいつか光のように輝くためにあるんじゃないかって。

 私の思いはいつか君に届く。君が私の夢をかなえる。

 そんな気がするんだ。

 

 そう、時空(とき)を超えて。

 




というわけで、今回は遊戯王回!ではなく物理トリックの回でした。
物理トリックとは物理法則、自然現象、機械・装置などの仕組みを用いて、構成されるトリックのことです。
王道ですが本シリーズでは何気に初でした。


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メジロアルダン「できたら愛してください」

 ※登場人物の年齢について
 
 マックイーン 中2
 ドーベル、ブライト 高1
 ライアン、パーマー 高2
 アルダン 高3

 という考察に則り、

 マックイーン 4歳
 ドーベル、ブライト 6歳
 ライアン、パーマー 7歳
 アルダン 8歳

のイメージで書きました。
よろしくお願いします。


 

〜プロローグ〜

 

 

 メジロアルダン   

 得意なこと:包帯を綺麗にまくこと

 苦手なこと:喧嘩、揉め事

 

 

「なあ、アルダン。お前のプロフィールの得意なことと苦手なことな」

「あら、なにか問題がおありでしょうか?」

「いや、いいんだけど、なんというかとっつきにくいというか、可愛くないというか」

「心外ですね。正直に書いただけなのですが」

「まあさ、せっかくだし、なんか別なのも書いてくれよ。キュートなやつをさ!」

「そうですわね、じゃあ私が2番目に苦手なものでも書いておきますね」

「よろしく頼む」

 

 そうして私は、苦手なことの欄にさくらんぼを追加したのだった。

 

 

 

 1.

 

『どうしていじわるするんですの!?』

『そんな……わたくしは……ただ……』

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさ……』

 

『ねえ。聞いて。マックイーン』

『……え?』

 

『……──……』

 

 

「……夢ですか」

 

 私はふかふかのベッドから出て、顔を洗いに行く。

 ここはメジロのお屋敷。

 普段はトレセン学園寮で暮らす私たちであるが、週末はこの屋敷に帰ることもある。

 私やアルダンさん、ブライトなんかはほぼ毎週帰ってくるが、ドーベルやパーマーはめったに帰ってこない。ライアンはその中間と言ったところか。

 

 身支度を整えると、食堂へ向かう。

 

 その間になんとなく今朝の夢のことを考える。

 毎年この時期になると見てしまう。

 それは遠い日の記憶なのだろうか。

 だが詳細を思い出すことはできない。

 

 

 2.

 

「みなさん、おはようございます」

 

 食堂に着くとすでにみんな食事をとり始めていた。

 今日は珍しいことに、普段トレセン学園にいる娘たちも屋敷に帰ってきている。

 

「おはよう! マックイーン!」

 

 明るく快活なライアン。

 

「おはようございますですわ~」

 

 おっとりとしてマイペースなブライト。

 

「ごちそうさまでした。じゃあ私もう部屋に戻るから」

 

 繊細でクールなドーベル。

 

「え~もう行っちゃうの? せっかくだしもっと話そうよ!」

 

 元気で楽しそうなパーマー。

 

「まあ、いいじゃないですか。でも」

 

 そして──

 

「私ももう少しお話したいです。ね? マックイーン」

 

 そう言って微笑んだ顔は、透き通るように美しい。これは決して身内びいきではないと思う。

 

「そうですわね。──アルダンさん」

 

 メジロアルダン。この中で一番の年上で、私の大好きなお姉さまだ。

 

 

 3.

 

 今から10年ほど前。

 トレセン学園に入るまで、私たちは皆メジロのお屋敷に住んでいた。

 両親は違えど、本当の姉妹みたいに過ごしていた。

 

『しつれいします! はいってもよろしいですか?』

『いいですよ』

『おじゃまします!』

 

 全員本当に仲が良かったと思うが、特に私はアルダンさんに甘えていたように記憶している。

 アルダンさんは当時から病気がちで、あまり一緒に遊んだりすることはできなかったのだが、それでも私はわざわざ自室にいるアルダンさんの元へ行っていた。

 

『もう! パーマーもライアンもきらいですの! おにごっこのとき、いつもわたくしばかりねらってきて……』

『うふふ。そんなこと言わないの』

 

 話す内容なんてなんでもよかった。ただ綺麗で、聡明で、優しいアルダンさんとお話ししたかっただけだ。

 今思えば、アルダンさんは私のあこがれだったのかもしれない。あるいは今も。

 

 それで、あの時は何だっただろうか? 

 確か、次のお休みの日の話になって……

 

『そういえば、アルダンねえさまのすきな──……わたくしがんばって──……』

『それは──……ですね。ぜひ──……』

 

 だめだ。記憶にもやがかかったように思い出せない。

 私は朝食を食べながら、ぼんやりと記憶をたどりつづける。

 結局思い出すことはできなかった。

 朝食は、おいしかった。

 

 4.

 

 私たちは朝食を終え、自室に戻る。

 その途中、廊下の真ん中で後ろから、がばっと抱きしめられる。

 

「えへへ~。マックイーン捕まえたっ!」

「もう、なんですのパーマー」

 

 朝から元気なこの娘はメジロパーマー。

 私はなんとなく鬱陶しいようなポーズを取ってみるが、内心そんなに嫌ではない。

 

「あはは! なんか昔みたいで懐かしいなって思ってさ」 

「ええ。ほんとにあなたは昔から変わりませんわね……」

「むっ! マックイーンだって変わらないじゃん! 小さい時からすごい負けず嫌いでさ! 『ぜったいにつかまえますわっ!』って……」

「そんなの忘れましたわ!」

 

 当時のことをからかわれるとちょっと弱い。1番の年下の私を、みんなは本当の姉のように面倒を見てくれた。特に外で走るのが好きだった私は、パーマーとライアンの後ろを一生懸命ついていったものだ。

 そのせいで、手のかかる妹のような私のエピソードを、あの2人は無数に持っている。

 

「コ、コホン! そう言えばパーマー。私ちょっとあなたに聞きたいことがありますの」

「なになに? どったの?」

 

 このままからかわれ続けるのを避けるために、話題を変えてみる。

 せっかくだし、あの夢のことを聞いておこうか。

 

「そう言えば、10年前くらいの、ちょうど今くらいの時期ですわ。詳しくは思いだせないのですが、何かとてもつらいことがあった気がして……。確か全員いた気がしますの。何か、覚えていませんか?」

「あはは! 何だろうね。よくわかんないや! おばあさまに怒られたとかじゃないの?」

「ち、ちがっ! そんなことではありませんわ! 何かもっと……」

 

 そこまで行ったところでパーマーが立ち止まる。

 いつものお気楽そうな顔を崩さないまま、その眼は私の奥を見ていた。

 

「忘れなよ。いい? 忘れな」

 

 それだけ言うと、また歩き出す。

 その雰囲気に押され、私は言葉を紡ぐことができない。

 

「じゃあ、私は部屋でだらだらしようかな! じゃあね、またお昼に!」

 

 気が付くとパーマーの部屋の前まで来ていた。彼女はそのまま自室へ入る。

 

「ええ……また後で」

 

 私の声が届いていたかはわからなかった。

 

 

 5.

 

 私は自室で勉強をする。でも、集中できない。

 どうしてもあの夢が引っ掛かる。

 

 外は雨。雨の音が途切れず聞こえている。

 

 そう言えば、あの日もこんな風に雨が降っていた気がする。

 

『どうしたの? マックイーン。そんなにおめかしして』

『ドーベル! わたくし、いまからまちにおでかけしますの!』

 

 そうだ。確かあの日、私は朝からどこかに出かけていた。 

 雨の中、爺やに車に乗せてもらったのを覚えている。

 

『ふーん。だれと行くの?』

『じいやと、おかあさまと、●●といっしょにですわ!』

 

 あれ? ●●とは誰でしょうか? たぶん子供ではなかったはずだが。

 

『そう、じゃあいってらっしゃい』

『いってきますわ!』

 

 それにしても、ドーベルは当時からこんな性格だったのだろうか? 

 子供なら、私も行きたい! とか言ってもいいと思うが。

 というか、今でもパーマーあたりならついてくるかもしれない。

 

「マックイーン、ちょっと」

「うわっ!」

 

 突然話しかけられ、驚いてしまう。振り向くと、そこにいたのはドーベルだった。

 

「ノックくらいしてくださいまし!」

「したよ。でも、全然返事がないから」

 

 どうやら物思いにふけっていて、ノックを聞きもらしたらしい。

 

「で、なんですの?」

「装蹄道具かしてくれない? 寮に忘れてきちゃって」

「構いませんが、爺やに言えば準備してくれるのでは?」

「いいよ。新しいの用意してもらうのも悪いしさ」

 

 あまり屋敷に帰ってこないドーベルは、屋敷の使用人たちと少しばかりよそよそしい。もちろん彼女が生来の人見知り、というのもあるが。

 

 装蹄道具を鞄から出して、手渡す時、せっかくだからあの夢について聞いてみようと思った。

 

「そう言えばドーベル。10年ほど前。ちょうど今くらいの時期に何かあった気がするのですが、覚えていませんか? 今日みたいな雨の日に」

 

 それを聞いたドーベルは、小さくため息をつく。そして言った。

 

「知らない」

 

 ドーベルが私の部屋を出ていく。

 それ以上話を聞くことはできなかった。

 

 

 7.

 

 昼食。

 

 私は再び食堂へ向かう。

 起きた人から順次食べていく朝食と違って、昼食は時間を合わせて食べる。

 

 おばあさまが一番の上座に座っているため、あまり大声で話すことはできない。

 粛々と食べていく。

 

 そう言えば、昔よく嫌いな食べ物を残そうとしておばあさまに怒られましたわね……。

 

『マックイーン。好き嫌いはいけません』

『でも、どうしてもにがてで……』

『許しません。一口でもいいからお食べなさい』

『……はい』

 

 テーブルマナーや礼儀作法については、あまり口を出さなかったおばあ様だったが、好き嫌いについては毎回厳しい注意を受けた。

 意外に思う人もいるかもしれない。だが、おばあ様はそれだけ好き嫌いをしないということを重要視していた。

 

 小さい時は食べ物がもったいないからだと思っていた。少し大きくなって、栄養が偏るからだと思っていた。そして今、私はこう思う。

 

「苦手な物から簡単に逃げるように育ってほしくない」

 

 幼い時分において、苦手な食べ物というのは、ある意味生まれて初めて直面する壁なのかもしれない。それを乗り越えることはできないかもしれないけど、挑戦もせずに避けてはいけない。

 実際、私が頑張って一口食べたら、おばあ様はことさらほめてくれたものだ。私はそれがうれしくて、気が付けば苦手な食べ物はなくなっていた。

 

 

 8.

 

 昼食が終わると、おばあ様から退席する。

 ぽっかり空いた席。

 ……空いた、席。

 

 記憶がよみがえる。

 私の嫌な記憶とここから見える景色はリンクする。

 そうだ。私はあの時、食堂にいた。そこにはアルダンさんがいて、ライアンがいて、パーマーがいて、ドーベルがいて、ブライトがいて、爺やがいて……おばあ様がいなかった。

 

 でも、どうして? なぜあの時みんな食堂に集まっていたのか。食事時だったのか? いや、でもそれならおばあ様がいないのはおかしい。一体、なぜ? 

 

 考えても、答えは出ない。

 私もまた食堂を出ていくのだった。

 

 

 9.

 

 あの日私は何をやっていたのだろう? 

 午前中、何かを買いに街へ出た。でもその後、午前中のうちに家に帰ってきて、昼食をとったと思う。では私の記憶はその時のものなのか? いや、それだと、おばあ様がいなかったことの説明がつかない。

 

 確か、昼食を食べて、少し食休みをした後、私は……

 

『あら~マックイーン。どこいくんですか~?』

『ブライト! いまからわたくししょくどうにいきますの!』

『ほえ~まだおなかすいてるんですかあ?』

『ち、が、い、ま、す、わ!!』

 

 そうだ。私はあの後食堂に向かったのだ。そしてその道中でブライトと話した。

 でもなぜだろう? お腹が減ったから、ということはないだろう。なにせ昼食を食べたばかりなのだから。

 ということは……

 

「あら~マックイーン。どこいくんですか~?」

 

 私の思考はのんびりした声によってかき消される。

 

「ぶ、ブライト! びっくりしましたわ!」

「ほえ~」

 

 突然話しかけられてびっくりしてしまった。今日はそう言うの多いですわね……。

 それにしても、回想と全く同じセリフで驚いた。

 

「どこに行くか、でしたわね。そうですね、ちょっと食堂に」

 

 どこに行く気もなかったが、せっかくなので私もあの時と同じ言葉を言ってみる。意趣返しだ。

 

 だが、そこからのブライトの言葉は私の想像していたものと違っていた。

 

「あら、厨房に行くんですか?」

「……え?」

 

 厨房? 確かに食堂と厨房は隣接しているが。普通食堂へ行くと言った相手がその隣の厨房へ行くと思うだろうか? 

 

「ええっと、多分行きませんが、どうしてそう思いましたの?」

「なぜって、昔よくマックイーンはアフタヌーンティーのお菓子を作ってくれたじゃないですか~。私あれ好きだったんですよ~!」

「……!」

 

 そうだ。なぜ忘れていたのだ。私は昔からスイーツが大好きだった。それで好きが余って厨房に行って、爺ややコックに見てもらいながら、スイーツを作ってみたりしていた。それをアフタヌーンティ―の時間に出したこともあったじゃないか。

 あの日もそうだったのか。いやそうだったに違いない。そう考えれば、午前中の買い物にも合点がいく。私はきっと、食材を買いに行ったのだ。すると爺やとお母様の他にもう一人いた人物。あれはメジロ家のコックだったのだ。

 

「ブライト! ありがとうございますわ!」

「ほわぁ?」

 

 ブライトはなぜ感謝されたかわからないだろうが、まあいいだろう。私はそのまま食堂に向かう。

 いや、その前に聞いておくか。

 

「そう言えばブライト。10年ほど前。ちょうど今くらいの時期に何かあった気がするのですが、覚えていませんか? 今日みたいな雨の日に。食堂で。多分嫌な思い出だとは思うのですが……」

 

 それを聞いた時のブライトの動揺は大きかった。黙って目を伏せる。つぐんだ唇はかすかにふるえていた。

 

「い、いえ。言いたくないならいいんですの。ただ何かあったのか、そうでないのか。それだけ教えていただければ……」

 

 私のそんな言葉に対して、かろうじて返事を返す。

 

「……思い出したく、ありません」

 

 それだけ言うとブライトはどこかへ行ってしまった。

 私はそれを黙って見つめることしかできなかった。

 

 

 10.

 

 再び食堂に着く。うん。間違いない。あの夢の出来事はここで起こったのだ。

 それもアフタヌーンティ―の時間に。

 

 アフタヌーンティ―は大人は大人と、子供は子供とで行われる。

 おばあ様がいなかったのはそう言うことだ。

 また本来アフタヌーンティ―は庭で行われるのだが、あの日は今日と同じ雨。故に食堂で開かれたのだろう。

 ここまで推測が進むと、徐々に記憶もよみがえってくる。

 

『きょうはマックイーンがつくってくれるんだね! たのしみだなあ』

『まかせてくださいライアン! いまがたべごろのフルーツをつかったスイーツですの!』

 

 そうだ。確か、私はそのお菓子をずっと作りたかったのだ。ようやく旬を迎えた、その果物を使ったお菓子を。

 

『きょうはわたくしひとりでつくりましたの! わたくしパティシエですの!』

『すごいや! マックイーン!』

 

 当時はまだ私は3歳か4歳くらいだった。そんな私が一人で作った? でも、考えてみれば確かに一人で頑張ったような気がする。

 

『じいや! はやくきりわけてくださいまし!』

『少々お待ちを。お嬢様』

 

 そうだ。確かのその後、爺やに切り分けてもらって、全員に配り終えて、

 

『ああ! なにするんですの!?』

 

 ……違う。

 違う。違う。

 私は確かに配った。でも、行き渡らなかった。

 

 誰に? 

 アルダンさんに。

 なぜ? 

 ……思い出した。

 

『これもーらい!』

『それはあなたのぶんではありませんわ! やめてくださいまし!』

 

 ライアンが食べたのだ。アルダンさんの分まで。

 私は、それが悲しかったのだ。

 

『どうしていじわるするんですの!? ライアンなんて、だいきらいですわ!!』

 

 ライアンの悲しそうな顔が浮かぶ。

 あそこまで言わなくてもよかったのかもしれない。

 

 

 11,

 

 なるほど。これが真相か。

 ようするに、私はライアンのちょっとした茶目っ気に本気になって怒ったのだ。

 

「うーむ。これは……」

 

 これは、私が悪いのだろうか? 

 

 確かに私は大人気なかったかもしれない。でも、幼い私が怒る理由もわかる。ライアンのやったことは悪気はなかったのかもしれないが、私の心を強く傷つけるものだったのだ。

 

「どうしたの? こんなところで独りで」

 

 振り返ると犯人がいた。

 ライアンだ。

 

「いえ。ちょっと考え事を」

「ふーん。そっか」

 

 気を使ってぼかしてみたが、よく考えたらライアンに隠す必要はないのではないか。

 せっかくだし、話してみよう。

 今なら笑い話になるかもしれない。

 

「ライアン。覚えていますか? 10年位前のアフタヌーンティ―ですわ。私の作ったお菓子を、あなたアルダンさんの分まで食べようとしましたわよね? あの時は私本当にショックで……」

 

 そこまで言ったところで気づく。ライアンの表情の変化に。

 憂いをおびた悲色に。

 私は思わず口を止める。

 そんな私を見ながら、ライアンは静かに、でもはっきりとこう言った。

 

「何も、なかったんだよ……」

 

 

 12.

 

 ライアンがいなくなり、1人になった食堂で私は思考していた。

 

 どうして、ライアンはあんなに……。

 

 いや、ライアンだけじゃない。パーマーも。ドーベルも。ブライトも。みんなひた隠しにした真実。

 本当にあれが真相なのだろうか? 

 

『忘れなよ』

『知らない』

『思い出したくないですわ……』

『何も、なかったんだよ』

 

 ……待て。

 なにかおかしい。

 

『知らない』

『何もなかった』

 

『忘れなよ』

『思い出したくない』

 

 この4人の言葉。一見みんな同じようなことを言っているように聞こえる。

 だが、違う。明確に2組に分かれる。

 これは偶然なのか? 

 思い出せ。答えは記憶の中にある。

 

 

『うわああああん!』

 

 

 泣いている。誰かが。これは私? いや、違う。これは……

 

『泣かないで、ブライト。ほら、一緒に部屋に戻ろう?』

『……パーマーさん……』

 

 ブライトだ。私が怒った姿を見て、悲しむライアンを見て、ブライトは泣いたのだ。

 そして、そんなブライトと一緒にパーマーは食堂を出た。

 

 これだ。これが原因だ。

 

『忘れろ』『思い出したくない』と『知らない』『何もない』は明らかに違う。前者は『事実があったことは認めている』。後者は『事実そのものを否定している』。

 これは明らかに起きたことに対して認識の差がある。そして、後者は前者に比べて、より隠したいという強い意志を感じる。

 

 つまり、まだ、あの日の出来事は終わっていない。

 私の思い出せない悪夢は、ブライトとパーマーがいなくなった後に起こったのだ。

 

 

 13.

 

 アフタヌーンティ―。午後に紅茶とともに、お菓子を楽しむ時間。

 本来は2段か3段のケーキスタンドに3種類のケーキを準備して作法に従って食べていかなければならない。だが、私達にとっては単なるおやつの時間だ。

 用意してくれる色々なお菓子を楽しみながら、おしゃべりをする。

 

「アタシ今度また障害出てみよっかな! 気持ちよく爆逃げ出来る気がすんだよね!」

「いいんじゃない? 今から鍛えれば絶対いけるよ!」

「ほわあ♪ おもしろそうですわ~。わたくしもぜひ~」

「あんたはやめておきなさい」

 

 レースのこと。勉強のこと。他愛のない話をする穏やかな時間が流れる。

 私もいろんなことを話したが、あの夢の話はとてもじゃないができない。

 

 そうこうしているうちにアフタヌーンティ―が終わる。

 すでにお菓子は食べきってしまった。

 そろそろ解散という流れだ。

 

「おいしかったね!」

「ほんとほんと! 爺やありがとう! ごちそうさまでした!」

 

 口々に言って席を立つ

 アルダンさんは私たち全員が立ち上がったところで、言った。

 

「ごちそうさまでした」

 

 瞬間、あの日の記憶がよみがえる。

 

『ごちそうさまでした』

 

 ……これはアルダンさんの声? 

 どういうことだ? アルダンさんの分はライアンがとってしまったのではなかったか? 

 

 私の用意したお菓子を食べたのか? 

 でも、それならなぜ今この記憶は封印されたのか? 

 

『苦手な物』

『ぜひアルダンさんにたべてほしくて』

『好き嫌いはしてはいけません』

『ひとりでつくりましたわ!』

『いまたべごろのフルーツをつかったスイーツですの!』

『じいや、はやくきりわけてくださいまし!』

 

「……まさか。……いや、そんな……」

 

 私の頭に浮かぶ最悪の映像。

 これだけの情報で、それが起きたと断定することはできない。

 だが、それはこれが推理だった場合の話である。

 

 この想像が現実であってほしくないという私の思いは、記憶によって否定される。

 封印は解かれた。幼い私が私を守るために賭けた心の鍵。

 だが、今それに向き合わなければならない。

 

 私は、アルダンさんの部屋に向かうのだった。

 

 

 14.

 

 

「失礼します。入ってもよろしいでしょうか?」

「いいですよ」

「……お邪魔します」

 

 部屋に入ると、いつものようにアルダンさんはベッドで本を読んでいた。

 私はベッドまで歩くと、少し迷ったが、腰かける。

 

「あらあら、昔みたいですね」

「だめだったでしょうか?」

「いいえ。全然」

 

 外の雨は止むことを知らず、今もなお振り続ける。

 私は少し時間が欲しかった。このまましばらく黙っていようかとも思った。

 でも、一度この雨の音に甘えたら、もう私から話始めることはできない気がして。

 気づくと、口を開いていた。

 

「覚えていますでしょうか? 今から10年位前のことですわ」

 

「私は朝から張り切って、アフタヌーンティ―に出すスイーツの準備をしていましたの。ぜひ、みんなに食べてほしくて」

 

「町まで買い物に行って、爺やとコックに付き添ってもらって、午後いっぱい使って準備しましたわ」

 

「そして振るまいましたの。手作りのチェリータルトを」

 

「ライアンはあなたに渡したタルトを食べようとした。私は怒りました。ブライトは泣いて、パーマーと一緒に部屋を出て行って。ドーベルもどうしていいかわからないと言った感じで。それで、あなたはタルトを食べたんですわ。場を収めるために」

 

 私は、この話をして、アルダンさんにどうしてほしいのか。

 赦してほしいのか。責めてほしいのか。ただ聞いてほしいのか。

 わからない。それでも動き出した口は止まらない。

 

「そして、あなたは倒れた」

 

「……」

 

「異常免疫反応。つまり、アレルギーですわ」

 

 これが、私の思い出したくない記憶の正体だった。

 

 

 15.

 

 あの日、私は私の作ったお菓子を食べて、アルダンさんに喜んでほしかった。いじらしい話だ。大好きなお姉さまに褒めてほしい。ただその一心で、幼い娘が朝から奔走したのだから。

 

「でも、得られた結果は真逆のものでしたわ」

 

 脳裏に浮かぶ、苦しそうなアルダンさんの様子。

 顔は紅潮し、呼吸は乱れ、咳が止まらなくなり、最終的には意識を失った。

 大人たちが集まってきて、あっという間にアルダンさんはどこかに連れていかれてしまった。

 

 そして思ったのだ。私のせいだ、と。

 幼い私はその精神的苦痛に耐えられなかった。

 だから記憶を封印した。

 

「このようなことが起こってしまったことには、いくつか理由があると思っていますの……」

 

 理由は、4つ考えられる。

 

 1つ。アルダンさんにアレルギーの知識がなく、かつそれを隠そうとしていたこと。

 アレルギーは実際に症状が出るまで気づかないケースが多い。人によっては成人してから発覚する人もいるくらいだ。アルダンさんの身近にアレルギーを患っている人はいない。故にその体調不良の意味が分からず、むしろ隠そうとしてしまったのだ。

 

 2つ。アルダンさんが元々体が弱かったこと。

 幼い時からアルダンさんはよく体を壊し寝込んでいた。だから周囲の大人もさくらんぼを食べるということと、体調不良の間に因果関係を見いだせなかったのだ。もちろんわかりやすい症状が出れば、判明したかもしれないが、さくらんぼなど大量に摂取することもないし、アルダンさん自身が隠そうとしたこともあり、誰も気づくことはなかった。

 

 3つ。ライアンの存在。

 アルダンさんはおそらくわかっていたのだ。さくらんぼを食べると、体に異変が起きることに。そしてそれを1番年が近いライアンにだけは話していた。それから、ライアンはことあるごとにアルダンさんをフォローしてきたのだろう。あの日も、きっとそうだ。ライアンは私にいたずらしたかったのではなく、アルダンさんを守ろうとしていた。

 

 そして4つ目。

 

「あの時、あなたはアレルギーの症状が出ないと思っていたはずです。これは推測ですが、あなたは以前チェリータルトを食べたことがあったのではないですか?」

 

 チェリータルトは5,6月の代表的なお菓子だ。それを全く食べたことがないということはないと思う。

 何より当の私が大好きで、食べてほしいと作ったものだ。

 同じ家に4年長く住んでいるアルダンさんが知らなかったはずがない。

 

「通常、チェリータルトはさくらんぼを熱してジャムにして、それをタルト生地に入れて、オーブンで焼き上げます。このような過程を経た果実に対し、アレルギー反応が起こることはめったにありませんわ」

 

 これは熱されることによってタンパク質が変性し、抗原性が変化するからだ。

 これを正しく認識していれば、こんな事件は起きなかった。

 だが、当時のアルダンさんにそんな知識はない。よって次のように理解していたのだと思う。

 

『タルトやパイに入っているさくらんぼなら、少しくらいは大丈夫』

 

 今思えば、ここが引き返す最後のチャンスだった。この認識の差が事件を起こしてしまった。

 

「あの日、私はひとりで作ることにこだわったんですの。普段は大変なところや危ないところは爺やにやってもらっていたのに。でも、あの日はとても、張り切っていましたの」

 

 あなたに、褒めてほしかったから。

 

「でも、4歳の子供が一人でタルトを焼き上げることなんてできませんわよね? いくら何でも危なすぎる。だから、爺やとコックは考えたのです。私が一人で作っても危なくない料理を。包丁も火も使わないタルトを」

 

 なんてことはない。4つ目の原因は私。私がほんの少し背伸びしようとした。

 それが、最後の引き金だったのだ。

 

「私が作ったのは、熱を通さない、いわゆる『焼かないタルト』でしたの」

 

 

 16.

 

 焼かないタルト。市販のクッキーを砕いてパターを入れてもむ。整形して、果物を並べて、冷やしたら完成。

 

 私は普通のタルトではなくこの焼かないタルトを作ったのだ。

 根拠もある。時間がそれを物語っている。

 

「私はあのタルトを作るのに、午後いっぱいを費やしましたわ。当時の私にとってはそれが精一杯。やり切ったという気持ちもありましたわ」

 

 子供ならそうだろう。でも、本当のお菓子作りはそんなに甘いものではない。

 

「でも、本当にタルトを作ろうと思ったら、実際にかかる時間はその程度では済みませんわ」

 

 本来タルトは、前日から生地を用意し、当日はジャムを作って、生地を成型し、焼いて、冷やして、ようやく出来上がる。

 午前中買い物に行って、のんびり食事をとって、その上でアフタヌーンティ―の時間までに作るというタイムスケジュールでは絶対に間に合わないのだ。 

 

「私が作ったものは確かに『タルト』でした。でもそこには火の通っていない生のさくらんぼが大量に入っていた」

 

 そして、あのようなことが……。

 

「……私のせいですわ」

 

「私があの日、お菓子を作りたいなんて言わなければ」

「一人で作りたいなんて言わなければ」

「癇癪を起さなければ」

「……褒めてほしいと、思わなければ」

 

 これが、全てだった。

 

 

 15.

 

 話し終えた私に残っていたのは、とてつもない徒労感と、ほんの少しの達成感だった。

 過去に向き合った。たったそれだけのことで、わずかな救いを得ている自分が嫌だった。

 

 思えば、私がこの話を始めてから、アルダンさんの声を聞いていない。

 ただ私の話を聴いてくれた。

 でも、だからこそ怖い。

 私は今から何を言われるのだろう? 

 

 この話をした時、他の娘の反応は様々だった。

 

 パーマーは言った。忘れろ、と。

 ドーベルは言った。知らない、と。

 ブライトは言った。思い出したくない、と。

 ライアンは言った。何もなかった、と。

 

 アルダンさん。あなたはなんて言うのですか? 

 

 アルダンさんが私を見つめる。

 美しい瞳だった。澄んだガラスのような瞳。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 

「ねえ。聞いて。マックイーン」

 

「あの時のタルトね」

 

 

「ありがとう。本当においしかったわ」

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……………………。

 

 ああ。そうか。そうだったのか。

 

 私の最後の記憶が蘇る。

 

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……』

『ねえ。聞いて? マックイーン』

 

 わけもわからず謝り続ける私にアルダンさんは言った。

 呼吸もままならない状態で、体中の空気を押し出して生まれた言葉。

 

 その時すでに、私は救われていたのだ。

 

 

『ありがとう。本当においしかったわ』

 

 

 アルダンさんが微笑む。

 それはあの日と同じ笑顔だった。

 

 

 

 ~エピローグ〜

 

 マックイーンがアルダンさんの部屋を出ていく。

 表情は見えないが、きっと決着がついたのだろう。

 

「入りますよ」

「ライアンですか。どうぞ」

 

 穏やかな表情で窓の外を眺めるアルダンさんのそばへ行く。

 

「あんなに、自分を責めなくていいんですけどね」

「……そうですね。あれはマックイーンのせいじゃない」

 

 幼い頃に起こった事件。マックイーンは悔いているが、誰が悪いということはない。

 少なくともマックイーンにどうこうできた話ではないと思う。

 

「アタシがちゃんと止めてればよかったのかな……」

 

 結局のところ、アルダンさんがタルトを食べさえしなければよかったわけだ。なら、責任は私にあるかもしれない。

 だが、アルダンさんははっきりと言い放つ。

 

「いいえ。あなたに止められても、私は食べていたと思います」

 

 その妙に確信めいた言い方に、少し引っかかる。

 

「どうして言い切れるんですか?」

「……そうね」

 

 アルダンさんは目線を私に向けると、ゆっくりと話し出す。

 

「ねえ、ライアン。目の前に1番嫌いなものと、2番めに嫌いなものがあったらどっちを取る?」

「……は?」

 

 なんだろう。いきなり。

 そんなの決まってるじゃないか。

 

「2番目に嫌いなもの、です」

「うふふ。そうよね。私もですよ」

 

 一体何が言いたいのだろう。

 

「私にとって、さくらんぼは2番めなんです」

「2番目?」

「そう、2番目」

 

「私ね。みんなが大好き。パーマーも、ドーベルも、ブライトも、マックイーンも。もちろんライアン、あなたもですよ?」

「……」

「だから、みんなには仲良くしてほしい。みんなが仲良くしてるのを見るのが好きなんです」

 

 ああ。そうか。

 あのときのアルダンさんが選んだ2択は、さくらんぼを食べるか食べないか、じゃなかったんだ。

 

 

「私、喧嘩と揉め事が、一番苦手なの」

 

 

 




いや、タマちゃん不在で草。

最初はマックイーンとタマちゃんの2人の会話で進めるSSだったのですが、絶対今の形の方が収まりいいなと思って、メジロ家大集合になりました。



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ファインモーション「なぜ君はラーメンを食べるのか?」

 

 

「シャカール! 今度の月曜日空いてる?」

「……ああ、アレか」

「そう! アレ!」

「悪ィが行けねえ。他のやつを誘ってくれ」

「なんでなんで? 来てよお。自信作なの!」

「レース前なんだ。食う物は決めてる」

「レースって言ったって日曜日でしょ? 1週間もあるじゃん! 大丈夫だよ!!」

「うるせぇ。余計なものは入れたくねえんだ」

「よ、余計なものって……。そんな言い方ないじゃん!」

「オレにとっては必要ないもんだ」

「もう知らない! 二度とシャカールには作ってあげないんだからっ!!」

「おーそうか。りょーかいりょーかい」

「むっきー!!」

 

 2人のウマ娘の言い争いを葦毛の少女の2人組が見つめる。

 

「……あいつら仲良いなあ」

「ああ。間違いない」

 

 そしてこの2週間後、事件は起こるのだった。

 

 

 1.

 

「聞いてくれタマ! 事件だ!!」

「なんやオグリ。そない急いで」

 

 鬼気迫る勢いでタマモクロスに近づいてくるオグリキャップ。

 なんとなくぼんやりしているいつもとは雰囲気が違う。

 

「それが……いや、まさか。そんなことが……」

「落ち着けオグリ。大丈夫や。ウチがついてる」

「タマ……」

 

 動揺を隠せないオグリキャップに対し、タマモクロスはとりあえずノリに合わせて言葉を返す。

 

「すまない。あまりのショックに動揺してしまってな」

「ええねんええねん。落ち着いて、ゆっくり話せ」

 

 オグリキャップの真剣そのものの姿に、タマモクロスのセンサーが反応する。

 話の腰を折らず丁寧に振りを作っていく。

 

「ふう。じゃあ言うぞ」

「ああ。言ってくれ……」

 

 この流れ。この雰囲気。

 タマモクロスの大阪の血が騒ぐ。

 あとはオグリキャップが蹴りこむだけ。

 さあ来い……オグリ。

 

「ファインのラーメンが……とんでもなくまずかったんだ!」

 

 いやそんなことかーい! 

 期待を裏切らないオグリキャップに、盛大にズコーして満足するタマモクロスだった。

 

 

 2.

 

 そんなこととは何だ! こっちは真剣なんだぞ! ああ、すまん。様式美ってやつや、という会話が交わされてから、話は本題に入る。

 

「まあ、お前が本気で言ってるってことはわかったで。そこでまずいくつか聞きたいことがあるんだがいいか?」

「なんだ?」

 

 タマモクロスにはそもそも前提として気になっていることがあった。

 

「ファインがラーメン好きなのは知ってるが、あいつ自分で作ったりするんか?」

「何言ってるんだ? 毎月第2月曜日はファインのラーメン屋さんの日だぞ」

「……初耳なんやが」

 

 オグリキャップが言うには、ファインモーションは文化祭で初めてラーメンを作ってから、ラーメン作りにはまり込んでいるらしい。

 すでに今年の文化祭に向けて修行を始めているのだ。

 

「その修行の一環として、第2月曜日の放課後、ラーメンを作ってくれるんだ! まあファインの都合によって変わることもあるけどな。私はほぼ毎回参加してる」

 

 そう言えばこいつ、月一くらいで満ち足りた顔して部屋に戻ってくるな。

 そう思いながら話を進める。

 

「ええわええわ。で、そのファインのラーメンがまずかったってことか。まあそういうこともあるんちゃうか? あいつもプロってわけやなし」

 

 この話を聞いてタマモクロスが一番最初に思ったことがそれだった。いくらファインモーションに情熱があろうと素人は素人。ミスをすることもあるだろう。

 が、オグリキャップはそうは思わないらしい。

 

「ふざけるな!! ファインはこれまでずっとおいしいラーメンを作ってくれたんだ! そのファインがたとえ失敗したとしてもあんなにまずいラーメンを作るはずがないっ! 私にはわかるんだ!!」

「お、おお。熱いなオグリ……」

 

 想像のはるか上を行くオグリキャップの熱量に軽く引くタマモクロス。だが、それには気づかずオグリキャップは続ける。

 

「それに、それだけじゃないんだ」

「ん?」

「ファインのラーメンがまずいってわかった後に、何が原因だったのか気になってさ。麺と具とスープをそれぞれ別々に食べてみたんだ」

 

 そして、続く言葉こそが今回の謎であった。

 

「でもな。全部おいしかったんだよ」

「……は?」

「だからさ、麺も、具も、スープも全部おいしかったんだ。でも私たちの食べたラーメンは、その、まずかったんだ。それもとんでもなくな」

 

 

 3.

 

 初めは大した話ではないと思っていたタマモクロス。だが今静かに思考を始めた。

 彼女にとって考えるに値する事象だと判断したのだ。

 

「なるほど、不思議な話やな。おいしいものを集めて作ったラーメンが何故かまずかったってことか」

 

 オグリキャップが頷く。

 

「そうなんだよ。しかもあれは組み合わせのせいとかそういうレベルじゃない。明らかに塩辛すぎるし、でも甘ったるいし、なんだか苦かったし……」

 

 どうやら本当にまずかったらしい。オグリキャップの残念そうな顔がそれを物語る。

 

「そうやなあ」

 

 材料は美味しいのに合わせるとまずいラーメン。

 タマモクロスはとりあえず思いつくことを言っていくことにした。

 

「上からまずい粉振りかけたってことはないんか?」

「まずい粉?」

「ラーメンって最後に調味料かけたりするやろ? それがとんでもなくまずかったとしたらどうや?」

 

 完成したおいしいラーメンの上からおいしくないものを振りかけることでまずくする。確かにそれなら完成品のラーメンだけまずいという状況を作ることができる。

 

「いや、違うと思うな。ファインは私たちの目の前でラーメンを作ってくれる。その間特にやることもないから私はずっとファインがラーメン作るところを見てるんだ。でも、粉をかけたりってことはなかったよ」

「うーんそうか」

 

 タマモクロスが頷く。内心そうだろうなと思っていた。

 

「ちょっと粉かけただけでめちゃめちゃまずくはできんしな」

「逆にこれでもかってかけてたら流石に私も気づくぞ」

 

 この方法の問題点はそこである。粉でも液体でも追加でふりかけてそのものをまずくするにはそれなりに量をかける必要がある。その場にいたのは、オグリキャップ、ファインモーションに加え、ラーメンを食べに来たスマートファルコンとエイシンフラッシュの4人。だれにも気づかれずに大量の粉をかけることは困難だろう。

 

「ということは、基本的にラーメンをまずくするのに動きは必要ない。つまり、ファインがラーメンを作り出した時点で準備は終わってると考えられるっちゅうことか」

「そうだと思うぞ。ファインがラーメンを作ってる間、特に変な行動をとってるやつはいなかったからな」

 

 なるほど。麺をまずくする方法は事前に準備されたもの。であれば……

 

「まずいラーメンを人数分用意しておいて、それをすり替えておくってのはどうやろか?」

 

 これはなかなか突飛な発想だった。つまり、オグリキャップたちが食べたまずいラーメンとその後食べたおいしいラーメンの材料は別物だったとする考えだ。

 実現可能かと言えば難しいかもしれないが、不可能でない以上考慮に入れないこともできない。

 

「うーんそうだなあ」

 

 オグリキャップが考える。が、割とすぐ結論を出した。

 

「それは厳しいよ。無理だと思う」

「どうしてや?」

 

 その根拠はそれなりに説得力のあるものだった。

 

「だってその方法は、まずいラーメンをぴったり使い切らなきゃ成立しないだろ? でも実は当日、ほんとは来る予定だったチヨノオーとバンブーが急用で来なかったんだ。しかもそれは直前で分かったことだ。だからもしうまくすり替えられたとしても、まずい麺が余っちゃうよ」

「なるほどな」

 

 タマモクロスもまた納得する。用意するのが困難、というハードルを取り去ったうえでの否定。この方法はもう考察する必要はないだろう。

 さて、どう考えるか。

 

「発想を変えよう。まずいラーメンなんてなかった、っていうのはどうや?」

「……はあ?」

「ラーメンはまずくない。でも実際食べるとまずく感じる。つまり、食器に細工がしてあったんとちゃうかな?」

「ああ。そういうことか」

 

 例えば箸に、例えばどんぶりに。スープにしみて溶け出すようなものが塗ってあったなら、あるいは今回のような現象を起こせるかもしれない。

 だが、オグリキャップはそれを否定する。

 

「それはない。丼は私が用意した。家庭科室にあったやつだ」

 

 オグリキャップが言うには、あらかじめ箸やどんぶり、レンゲなどは彼女が用意するらしい。当日もそれを使った。だから、食器類に問題はなかったと言える。

 

「了解。これもなしやな」

 

 タマモクロスはそう言った。

 

 

 4.

 

 ここまでの3つの案によって得られた考察は3つ。

 

 ①ファインモーションがラーメンを作り始めた時点で既に準備は終わっており、調理中何かをする必要はない。

 ②直前の人数変更にも対応できるそれなりに柔軟な方法である。

 ③食器を準備したのはオグリキャップ。よって食器類に仕込みをしたということはあり得ない。

 

 これをクリアしたうえで、まずいラーメンを作り、かつ証拠を隠滅しなければならない。

 そんな方法があるのだろうか? 

 

「うーんちょっとわからんなあ」

「そんなこと言わないでくれよタマ。君が頼りなんだ」

「って言われてもなあ」

 

 言葉をつまらせるタマモクロス。そして思う。今のままではあまりにも情報が足りない。

 

「なあオグリ。なんでもええねん。なんか気づいたこととかないか?」

 

 現場にいたのはオグリキャップだ。何か小さな気づきがあれば、それが解決につながるかもしれない。

 

「ちょっと待ってくれ。……うーんそうだなあ……」

 

 そうしてうなること15秒。オグリキャップがおもむろに口を開く。

 

「おかわりが出てくるのが、遅かった」

「……はあ?」

 

 おかわり? 何を言っているのだろうか。

 そう思うタマモクロスをしり目にオグリキャップが続ける。

 

「だから、おかわりが出てくるのが遅かったんだよ。普段ファインはすぐに替え玉を出してくれるんだ。でも、今回はそうじゃなかったんだ」

「いやその前にお前おかわりしたんか? くそまずかったんやろ?」

「それとこれとは別だよ。私はお腹が減っていたんだ」

「ええ……」

 

 うまかろうがまずかろうが爆食するオグリキャップの舌は意外といいという話はさておき、彼女が言うには次のようなことだったらしい。

 

「私は他の人がラーメン1杯食べるうちに5杯は食べる。今回もそうだ。1番に完食して、すぐにおかわりを求めた。細麺のバリカタを頼んだから、すぐに来るかなと思ってたら中々こない。そうこうしてる間に、一緒に食べてたファルコとフラッシュの手が止まってることにファインは気づいたんだ。それで、ラーメンがまずいことがわかったんだ」

 

 こいつは一体何の話をしているのか。そうタマモクロスは思ったが、一方で何か引っかかる。

 

 ……おかわりが来ない。つまり……

 

(……麺の替え玉が遅いということか。でも、一体なぜ? 考えられる理由は……)

 

「……わかったかもしれん」

「ほんとか!」

 

 タマモクロスはオグリキャップに1つ、質問をする。

 

「なあオグリ。その替え玉、美味かったか?」

 

 オグリキャップが答える。

 

「おいしかったよ。さっきも言っただろ。ラーメンがまずいとわかった後、原因を見つけるために材料をそれぞれ別々に食べてみたんだ。麺はゆで始めてた替え玉を食べたんだよ」

 

 おいしかった。その答えはタマモクロスが予想していた通りのものだった。

 

「わかったでオグリ。うまいラーメンをまずくする方法がな」

 

 

 5.

 

「結論から言おう。なぜファインのラーメンがまずかったか。それはラーメンをゆでるお湯にひどい味がついていたからや」

「茹で汁がまずかった、ってことか?」

 

 タマモクロスは頷く。

 

「そうや。おいしい麺もまずい汁で煮込まれればまずくなる。その麵を使ってラーメンを作ればスープにしみ出して全体がまずくなるっちゅうことや」

 

 この方法なら、調理中一切手を出すこともなく、かつたとえ直前で人数が変わっても対応することができる。

 だが一方で、疑問が生じる。

 

「待ってくれ。タマもラーメン屋の麺の茹で方を見たことあるだろ。ファインもそれと同じだぞ」

「ああ。お前の言いたいことはわかるで。オグリ。ラーメン屋は麺を湯切りザルに入れて茹でる。そしてそのままザルごと引き上げて湯切りをする。つまり」

「そうだ。()()()()()()()()()()()()。だから私の替え玉にも同じ味がつくはずじゃないか?」

 

 これがオグリキャップの疑問だ。だが、その反論の答えをタマモクロスは用意している。

 

「その通り。だが、思い出してみ? お前が気づいた違和感やで。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……もしかして、茹で汁は捨てられたのか?」

 

 タマモクロスが頷く。

 

「多分そうだと思う。犯人は一度まずいラーメンを作ったあと、茹で汁を捨てたんや。これで証拠を隠滅したっちゅうことやな」

 

 

 6.

 

「オグリ、お前はわかるやろ。誰が麺を茹でたお湯を捨てたのか」

 

 オグリキャップは頷く。そして言った。

 

「あの時、ラーメンを食べに来た私達は厨房に入っていない。だから──犯人はファイン自身だ」

 

 やはりそうか。タマモクロスはそう思っていた。

 

「まあ、茹で汁に細工できるやつなんてファインくらいしかおらんしな。大体もし犯人じゃないなら茹でてる途中で気づきそうなもんやし」

「でもさ、じゃあファインはなんでわざわざまずいラーメンを作ったんだ?」

「……それよなあ」

 

 犯人はファインモーションだった。彼女は自分のラーメンを自分でまずくしたというわけだ。ではそれは一体なぜだろう。

 

(まずいラーメン。証拠の隠滅。さっぱりわからん。ファインは、何がしたかったんやろうか)

 

 考えても答えは出ない。

 おもむろに目の前でうんうん考えている友人に視線を移す。

 そして、言った。

 

「なあオグリ。正直ウチには見当もつかん。情報が足りん。だから、考え方を教える。その場にいたお前ならわかるはずや」

 

 オグリキャップは諦めていない。思考は積み重ねだ。正しい方法をとれば、きっと答えにたどり着く。

 

「こういう『なぜそれをやったのか』を考える時は『それをやったことによって何が変わったのか』を考えんねん。それがわかれば自ずと目的がわかるはずや」

「『何が変わったか』、か」

 

 オグリキャップは再び考える。その時何が起こったのかを思い出しながら。

 ……どうやら答えは出たようだ。

 

「……()()()

 

 そう言って、オグリキャップはタマモクロスを見る。

 彼女は無言で続きを促す。

 それに応じるように言葉が出てくる。

 

「さっきも言ったけど、ファインのラーメンが食べられるのは毎月第2月曜日なんだ。でも、あのまずいラーメンを作った後、ファインはすごく謝ってくれた。それで来週の月曜日にまたラーメンを作ってくれることになったんだ」

 

 まずいラーメンを作ってしまったことの埋め合わせ。それは一見単なる結果に思える。だが、オグリキャップはそれこそが目的なのではないかと考えた。

 

「つまり、ファインはラーメンを作るのを1週間ずらしたかったんじゃないか?」

 

 だが、ここでタマモクロスから指摘が入る。

 

「そうかもしれん。だが、それなら正直に理由を言って一週間ずらせばいいんじゃないか?」

「言いたくない理由だってある」

「そうだったとして、わざわざ一芝居打つ必要がない。理由なんていくらでも考えられるやろ」

 

 日程をずらすだけなら正直にずらしたい理由を言えばいい。もし言いたくない事情があるにせよ、適当に理由をでっちあげればいい。

 なぜファインモーションはわざわざまずいラーメンを作ってまで、事故を装う必要があったのか。

 

「いや、適当な理由を作る、というのがそもそも難しいんだ。ファインの場合は」

 

 これはファインモーションのラーメンの事情を知るオグリキャップにしかわからないことだった。

 

「ファインはこれまで、自分のレース以外でラーメンの日をずらしたことはないんだ。なんならこの前王族のパーティをさぼってラーメン作ってた。あの娘にとってラーメンを作ることの重要度は思いのほか高い」

「いや、やばいなそれ」

 

 ファインモーションに軽く引きながらも、タマモクロスは頭を回す。

 

「つまり、ファインが『ラーメンの日の日程をずらす』ということは、ファインを知る人に『少なくとも王族パーティより重大なことが起こった』と思われるってことやな」

「ファインはその『重大なこと』を知られたくなかったんだ」

 

 徐々に煮込まれてきた二人の推察。ここでオグリキャップが不自然なことに気付く。

 

「ん? ちょっと待ってくれ。この日程のずらし方って少し特殊じゃないか?」

「どういうことや?」

「だってさ。普通日程ずらす時って元々の予定をなくして新しい予定を入れるだろ? 今回のは第2月曜日のラーメン屋自体は行われてるじゃないか」

 

 確かにそうだった。つまり元々の第2月曜日、ファインモーションに予定はなかったことを意味する。

 つまり……

 

「……ファインが日程をずらしたのは、ファイン自身の都合が悪かったからじゃない……?」

「それなら、ファイン以外に誰かにとって、第2月曜日が都合が悪かったってことだ」

 

 そこまで考えたところで、2人の頭に同じ映像が流れる。

 それは2週間前の出来事。王室系お嬢様と理数系不良娘の口喧嘩だった。

 

「「エアシャカールだ」」

 

 最後のピースが埋まったのだった。

 

 

 7.

 

「つまり、まとめるとこういうことやな」

 

 タマモクロスが話し出す。

 

「まず、ファインはとんでもなくうまいラーメンを作ることに成功したんや。それをシャカールに食べさせたかったが、断られた」

「それで、売り言葉に買い言葉で『二度と作ってあげないっ!』とか言っちゃったんだな……」

 

 この時点では本気でそう思っていたのかもしれない。だが、

 

「結局頭が冷えた後、改めて食べてもらいたいって思ったんやろな」

「でもあれだけ啖呵を切った手前、シャカールのために日程をずらすのは恥ずかしい」

「なんか適当な理由をでっち上げようにも、王室のパーティすらさぼった前例がある以上、いい理由も思いつかない」

 

 ファインモーションは誰からも好かれる穏やかで素直な性格だ。だが一方で、特定の相手に対してはわがままを言ったり子供っぽい言動をとったりする。今回はそれが存分に出たのだろう。

 

「そこでアクシデントを起こして、無理矢理日程をずらすことを思いついたんや」

「で、まずいラーメンができたんだな。しかも原因不明の」

「原因を詰められれば詰められるほど、わざと作ったってばれる可能性はあがるしな」

 

 ファインモーションにとって、わざとまずいラーメンを作ったということがばれることこそが最悪の展開だったのだろう。それならば、多少不自然でも、原因をうやむやにした方がいいと考えたのだ。

 

「まあ何にせよ、来週改めてラーメン屋の日を開催することにするっちゅう目的は果たせたわけやな」

 

 謎はすべて解けた。

 2人は特に何をするでもなく黙って目を合わせる。

 普段だったらここから犯人を追い詰めるパートが始まるわけだが、2人は動かない。

 

「なあタマ。どうする?」

「どうするったってなあ」

 

 相談をする体をとっているが、答えはすでに出ていた。

 

「「黙ってよう」」

 

 二人の声がそろう。同じ結論に達していたらしい。

 

「まあ、それがいいよな。別にこんなんファインに確かめてなんかいいことあるわけでもなし」

「私もそう思う。今週は残念だったけど、来週おいしいラーメンを食べれるなら大丈夫だ」

 

 それを聞いてタマモクロスが言う。 

 

「なあ、来週はウチも連れてってくれや。ファインのラーメン食べてみたいねん」

 

 オグリキャップの口が、もちろんだ! と動きかける。が、急に何かを思い出したかのように表情が曇る。

 

「なんやねん?」

「え……? うーん。まあ来てもいいんだけどさ」

 

 そして言うのだった。

 

「……食べすぎるなよ? みんなの食べる分がなくなっちゃうから」

 

「誰が誰に言うてんねん!!」ビシッ! 

 

 

 

 

 ~エピローグ~

 

「ねえシャカール」

 

 教室でデータの解析を行っていると、不意に後ろから話しかけられる。

 

「ファインか。どうした?」

 

 いつもうざったいくらいニコニコ笑ってるそいつの表情は固い。

 どうしたのだろうか。

 

「あのね、昨日、みんなにラーメン作ったんだけどね。ちょっと、失敗しちゃって……。来週、またラーメン作ることにしたの」

「おお、そうか」

 

 失敗した埋め合わせということか。ん? 来週? 来週なら……

 

「なあ、来週ならオレも──」

「それでね。あなたがどうしても! どうしても! って言うなら、その、呼んであげてもいいよっ!」

「……あ?」

 

 オレも行っていいか? 

 そう言う前に誘われてしまった。なんか変な感じだ。

 

「いや、別に来てほしいとかじゃないから! たまたま! そうたまたま予定がずれて……」

「いいじゃねェか。来週なら大丈夫だ」

「ほんとにどうしても行きたいなら……って、え?」

 

 大きな目をさらに大きくしてファインが驚く。

 オレはなにか変なことを言っただろうか。

 

「……いいの? 不必要とか、余計なものとか言ってたのに……」

「そんなこと根に持ってンのか」

「む! 根に持ってなんかないもん! 恨む気持ちが心に溜まってるだけだもん!!」

「広辞苑かお前は」

 

 やれやれ。最近態度がおかしかったのはそのせいか。

 しかし、そんな言葉の綾でファインのラーメンが食えなくなるのはこっちとしても問題だな。

 ……はっきり言ってやるか。

 

「なあファイン。オレがラーメンを食うのは、不要とか必要とかじゃねーんだ」

 

 ラーメンなんて、義務や意志を持って食べるもんじゃない。そんなやつがいるとしたら、1回ラーメンから離れたほうがいい。

 

 まあ、つまり、お前と同じだよ。ファイン。

 

「オレが食いたいから食うんだ。それだけ。じゃあ来週楽しみにしてるぜ」

 

 オレは、ただお前といるのがなんとなく心地良いから一緒にいる。

 損とか得とか関係ない。

 

「うん! 私がんばるね♪」

 

 ファインが笑った。

 久しぶりの、そして見慣れた笑顔だ。

 

「さて……」

 

 再びデータの海に潜る。

 ファインももう何も言わない。

 いつも通り。

 

 今から来週の月曜が楽しみだった。

 




このssのタイトルは昨日まで、

ファインモーション「ヴォエ!!まっず!!」

でした。

なんとなくインパクトあるし、いいなと思ってたのですが、嫁ファインがあまりにも可愛すぎて、『ヴォエ!!』とか言わせるのやめました。


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イナリワン「ああ。よろしくな」

 


 1.

 

「今日は大井トレセンからきた新しいクラスメートを紹介します。入ってください」

 

 そう言われて、アタシは教室のドアを開ける。教卓の前まで歩いて正面を向く。

 

「お初にお目にかかりやす。失礼ながら喧嘩を売らせていただきたく──大井より中央へ罷り越してございます」

 

 つけていた面をとる。

 

「名をイナリワン」

 

 腹に力を籠める。

 

「いずれこの中央に名を馳せるウマ娘にございやす」

 

 ……決まった。

 かっこよすぎる。

 こんなかっこいい登場があっていいのだろうか? 

 

 アタシが余韻に浸っていると、先生が言った。

 

「じゃあイナリワンさん。空いている席に座ってください」

「えっ? あっ。ハイ」

 

 アタシはイナリワン。

 今日は転校初日。

 ……ちょっとかましすぎたかな? 

 

 

 2.

 

 転校初日だからか、なんだかみんなよそよそしい。

 それどころか誰一人話しかけてこねえ。

 

(やっぱ、あの自己紹介のせいか……)

 

 認めなくはないが、そうかもしれない。

 

 まあ、だが、なんだ。過ぎたことは仕方ねえや。 

 

「おい、お前」

 

 アタシは真後ろに座る葦毛の女に話しかける。

 

「お前、オグリキャップだろ。話は聞いてるぜ。アタシと同じ地方出身なんだってな」

「……ああ」

「同じ転校生のよしみだ。せっかくだから、この学校の案内してくれよ。な?」

 

 やや強引かとも思ったが仕方ないだろう。誰も話しかけてこないのが悪いってもんだ。

 それに、一度オグリキャップとは話してみたいと思ってた。

 

「いいだろう。ええと……」

「イナリワンだ。覚えときな」

「……そうだったな。イナリ……ワン」

 

 そうして、オグリキャップに連れられて学校を歩く。

 やはりと言うべきかさすがというべきか、設備の充実度合いはすごいの一言だった。

 

「すげえなこりゃ。トレーニングルームなんて体育館くらいあるじゃねえか」

「それは言いすぎじゃないか?」

「下町の学校は狭いんだよ。校庭じゃろくに徒競走もできねえ」

「へえ」

 

 ぼちぼちと学校を回りながら、オグリキャップと話し続ける。

 会話が弾むというほどではないが、なんとなくラリーが止まない。

 案外話しやすいやつなのかもしれない。

 

「それとよ、オグリキャップ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「なんだ?」

 

 その時オグリキャップにしようとした話は、つい気になったというレベルのことだった。話のタネでしかない。

 

「今日先生がおもしれえこと言ってたよな。覚えてるか?」

「おもしろいこと?」

「『空いてる席に座って』ってよ。ははっ! 漫画でしか聞いてことないぜ」

 

 だからこの質問が、これから起こるすべての引き金になるなんて、思ってなかったんだ。

 

「なんで。1席空いてたんだい?」

「……」

「あの席には()()()()()()()()()()()()? そうでもなきゃあ、席が空いてるなんてありえねえだろう。なあ、どうなんだい?」

「…………」

 

 この時、アタシはオグリキャップの表情の変化に気付かなかった。だからそのまま話をすすめた。

 ここでやめておけばよかったのかもしれない。

 

「おい、なんか言ってくれよ」

 

 そう言いながらオグリキャップの肩に手をかける。そして手を離す。なにか、やばい。

 

「な、なんだよ」

「……それについて私から話すことは何もない」

 

 そう言ったオグリキャップの眼は、とてつもない秘密を抱えているように見えた。

 

 

 3.

 

 あれから数日。それなりにクラスのみんなとも打ち解けてきた。

 お高く留まったエリートばかりかもしれないと身構えていたが、そんなことはなく皆いいやつだ。

 

 だが、そんな中でも1つだけぬぐえない違和感。

 

「なあ、アタシの前にこの席にいた奴がいるんじゃねえか?」

 

 タイミングを計って、色んなやつにこの質問をぶつけた。

 だが、アタシの期待した答えが返ってくることはない。

 

「ごめん。知らない」

「用事があって、また今度ね」

「他の子に聞いてよ」

 

 みんな示し合わせたように、その答えをはぐらかす。どうして言えないのか。何が不都合なのか。

 

(わかんねえな)

 

 アタシは少しずつ居心地がよくなってきた自分の席で、1人考えていた。

 

 

 4.

 

 さて、どうしたものか。

 クラスのやつは話してくれなさそうだし、かと言って他のクラスに知り合いがいるわけでもない。

 調査のしようがない。

 

「イナリ! 何ぼうっとしてんねん! 昼飯食い行くで」

「おう。今いくぜ」

 

 少し考えこんでいたら、昼飯に誘われた。

 このちっこい葦毛の名前はタマモクロス。

 ちっこいくせに生意気だし、気も強いがなんとなくウマが合う。それで一緒に飯を食うようになった。

 こいつのおかげで、クラスになじめたと言っても過言じゃない。 

 

「うどん! ライス! うどん! ライス! ああ~これだけで一生飯食えるわ~」

「タマ。バランスよく食べないと、体に悪いぞ」

「バランスよく食べればいくら食べてもいいってわけじゃないぜ、オグリキャップ」

「あらあらうふふ」

 

 アタシとタマもクロス、それにオグリキャップとスーパークリークの4人での昼飯は楽しい時間だった。

 それに……

 

(……うまい。なんだこりゃ。こんなの食べ放題でいいのか?)

 

 飯のレベルが高すぎる。本当にうまい。

 昼飯に舌鼓を打ちつつ、とりとめのない話を続ける。

 

 そして飯を食い終わって、教室に戻る途中のことだった。

 

(……あいつは?)

 

 廊下を歩くウマ娘たちの中に、見知った後姿を見かける。

 小さい体とぴょこぴょこはねる栗毛のツインテール。

 

「すまねえ! 先に教室戻っててくれ!」

 

 人ごみをかき分けて、そいつに追いつく。

 間違いない。それはアタシの思った通りのやつだった。

 

「おうファル子。元気してたか?」

「イナリさん! 久しぶりだね!」

 

 スマートファルコン。この学校では珍しい、アタシの知り合いだった。

 

 

 5.

 

「どうだい? 調子は?」

「バッチリだよ! 最近は新曲も考えててねー」

 

 ファル子とは特別交流があったというわけではない。アタシが大井トレセンにいた頃、やつがダートレースを走りに来たタイミングで何度かしゃべったくらいだ。

 だが、そんな薄い関係とは思えないくらい不思議と話が弾む。元々気が合うのか、それともアタシが人恋しくなっているかはわからないが、とにかく楽しい時間だった。

 

 っと、危ない。話に夢中になって当初の目的を忘れるところだったぜ。

 

「それはそうと、なあファル子。なんか最近事件とかなかったか?」

「事件? うーんそうだなあ。スズカさんのまな板粉砕事件とか? この前の調理実習でね~」

「それはそれで気になるがそういうのじゃねえんだ」

 

 アタシは本題を切り出す。

 

「最近学校からいなくなったやつがいるだろ。そいつの話だよ」

 

 ファル子が一瞬明らかに動揺する。だが、さすがはウマドルというべきか。すぐに元の調子に戻る。

 

「いなくなった子? うーん移籍とかで何人かはいなくなるからなあ」

「おい」

 

 アタシはファル子の話を遮る。聞きたいのはそんな話じゃない。

 

「わかってんだろ」

 

 観念したようにファル子が口を開く。

 

「一人、何の前触れもなくこの学校から姿を消した子がいるの」

「どうして?」

 

 噂なんだけどね、ファル子はそう前置きしてから、言った。

 

「その子、この校舎の屋上から飛び降りたんだって」

 

 

 6.

 

 午後の授業は耳に入ってこなかった。

 ファル子の言葉が頭から離れない。

 

『屋上から飛び降りたんだって』

 

 一体どうしてそんなことを……。いや、疑問はそれだけじゃねえ。

 

 なぜクラスのやつらはアタシにそれを言っちゃいけないんだ? わざわざ広めるのが不謹慎なのはわかる。だが、アタシに聞かれたのをクラスみんなが一丸となって隠そうとするのは帰って不自然じゃないか? 

 

(……まさか)

 

 アタシの頭には一つの答えがもたげてきていた。

 

 だが、それに思い当たってしまったら、2度とクラスのやつと仲良くすることなんてできない。

 今の、楽しくなってきた生活も終わる。

 

(……ははっ! 女々しいもんだな、アタシも)

 

 それがどうしたっていうんだ。

 中央にかぶれ始めてきてたのか? このアタシが。

 

(見て見ぬふりをできるようには育てられてねえ。アタシは大井のイナリワンだ……!)

 

 再び頭を回す。

 

 事件が起こった時、すべての人間は3種類にわけられる。

 被害者、加害者、傍観者だ。

 

 そして傍観者は当事者ではない。口では何と言おうと、結局のところ責任感の無さを露呈する。

 

 じゃあ、今回の事件におけるあいつらの団結はなんだ? 

 どうしてそこまで徹底してよそ者のアタシに隠そうとするのか。

 

 答えは一つしかない。

 

(……あいつらが追い詰めたんだ)

 

 あいつらが、加害者の場合だ。

 

(クラス全員でよってたかって、たった一人を苛め抜いたんだ)

 

 これならば合点がいく。どうしても事件を隠したかった理由。

 それは、やつらに負い目があるからだ。それを掘り返されることを恐れているからだ。

 

 

(……許せねえ)

 

 

 あいつらは今、加害者のくせにのうのうと今まで通りの生活を続けている。

 それは今回の事件が公になっていないからだと思う。

 おそらく不幸な事故として処理されたんだ。

 

 それはファル子の反応からもわかる。

 もし公になっているなら、ファル子も『噂』なんて曖昧な形じゃなく、事実を知ってなきゃおかしい。

 

 ならアタシのやることは一つ。

 

 この件を徹底的に調べて、あいつらに突き付けてやる。

 アタシがあいつらを追い詰めるんだ。

 

 ……首を洗って待ってろ。

 

 

 7.

 

 その日からアタシとクラスのやつとの会話はなくなった。

 

「おうイナリ! 飯行くで!」

「うるせえ。2度とアタシに話しかけんな」

 

 もっと突っかかってくるかと思ったが、それでおしまい。 

 タマモクロス含め、みんなアタシに話しかけてくることはなくなった。

 そういうやつらだ。

 

 完全な孤独。だが、それでいい。

 これが、飛び降りたやつの感じてたものかもしれない。

 

 そうして数日が経ったある日のことだった。

 

「イナリさん、練習終わりに例の場所へ」

「わかった」

 

 アタシはファル子に情報収集を手伝ってもらっていた。

 転校してきたばかりで、知り合いのいないアタシじゃどんなに話を聞こうと思っても限界がある。

 そこで申し訳ないが、ファル子に協力を仰いだというわけだ。

 

 

 8.

 

 練習終わりに、指示通り校舎の裏に向かう。

 待っていたのは、見知らぬ中等部の生徒だった。

 

「イナリさん。この子も本当はこの件について話しちゃいけないの。だからね、絶対この子から聞いたって言わないであげて」

「解った。約束するよ」

 

 もちろんだ。この件はアタシが決着をつける。この子にも、ファル子にも責任を被せる気はない。

 

「来てくれてありがとよ。それで、君はその、屋上から飛び降りた子とはどんな関係なんだい?」

「……親友でした」

 

 親友か。さぞ無念だったろうな。

 しかし、中等部と高等部で親友っていうのも珍しいな。

 

「それで、一体彼女はどんなことをされてたんだい?」

「……わからないです」

「親友だったんだろう? だったら何か聞いたこととかなかったのかい?」

「本当にわからないんです! 前日まで普通にしてて、一緒にご飯も食べて、一緒に遊んだりしてたんです!」

 

 我慢してたんだろう。後輩に自分の弱いところを見せたくなかったんだ。

 アタシはこの子の話を聞きながらそんなことを思っていた。

 

「授業だって、いつも通り真面目に受けてて……」

「……ん?」

 

 その言葉に何だか違和感を覚える。

 

「見てきたように言うが、どうしてそんなことわかるんだい?」

 

 いくら仲が好かろうが、先輩の授業態度なんてわかるはずがない。なんだか、変だ。

 

「私、あの子とは席が隣でしたから。そりゃわかりますよ」

 

 どういうことだ? こいつは何を言ってるんだ? 

 

「ええと、君は中等部だよな。アタシとはクラスは違うよな?」

「当たり前じゃないですか。何を言ってるんですか?」

 

 だめだ。理解できない。だって屋上から飛び降りた生徒は、アタシの席にいたはずで、つまり、アタシのクラスメイトのはずで……

 

「……飛び降りた子と君は同じクラスだったのかい?」

「そうです。いつも一緒にいた、親友です」

 

 今までの考えが、全てひっくり返る。

 

 どういうことだ? 

 じゃあアタシのクラスのいなくなったやつは? 

 まさか飛び降りとは無関係なのか? 

 じゃあなんで誰もそいつの話をしてくれないんだ? 

 何が起こってる? 

 

「……そ、そうか。一体どんな子だったんだい? 写真とか見せてくれるか?」

 

 平静を装った私の口から出たのはそんな言葉だった。

 何を言ってるんだアタシは。

 写真なんか見て何になるんだ。

 

「……ちょっと待ってください」

 

 中等部の彼女も、さすがに訝しんでいる。

 だが、一応と言った感じで、飛び降りた子の写真を見せる。

 

 ……これは、

 

「……っああ……!!」

 

 痛い。 頭が割れるように痛い。 

 なんだこれは? 

 何が起きてる!? 

 

 この子の写真を見た瞬間に強烈な頭痛が襲ってくる。

 どうして? 

 どうして? 

 

 ()()()()()()()()()()()

 

「イナリさん!」

 

 気が付くとアタシは走り出していた。

 訳も分からず、どこに向かってるのかもわからず。

 

 何もかもを振り切るようにして、闇の中を走った。

 

 

 11.

 

 気づくと、アタシは屋上にいた。

 

(ここで、あの子は……)

 

 屋上の淵を歩く。

 ここから飛び降りたら骨折は免れない。

 当たり所が悪ければ……死ぬ。

 

 それにしても、どうしてあの子の顔が鮮明に頭に浮かぶんだ? 

 なぜアタシは知ってるんだ。

 アタシは1週間前に引っ越してきたばかりなんだぞ? 

 

 わからない。屋上の淵を歩く。

 

(謎は3つ)

 

 歩く。

 

(なぜあの子は飛び降りたのか?)

 

 あるく。

 

(なぜアタシはあの子を知っているのか)

 

 あ……る……く……。

 

(アタシのクラスの消えた娘とは一体何なのか?)

 

 ……。

 

 アタシは屋上の淵のある一点にたどりついた。

 なぜかはわからない。

 でも、アタシは確信する。

 あの子はここから飛び降りた。

 

 ……ははは。

 そうか。そういうことだったのか。

 

「イナリ。そこで何してる?」

 

 背中から聞きなじみのある声がする。

 

「ははっ。全部わかったぜ。()()()

 

 アタシは振り向いて親友の顔を見る。

 

「なぜあの子は死んだのか? アタシがやったんだ」

 

 なにを一人で正義ぶっていたのか? 犯人は一番近くにいたのに。

 

「なぜあの子をアタシは知ってるのか? ずっと一緒に練習してきたからだ」

 

 あの日、アタシは知ってたんだ。あの子の様子のおかしさを。

 

「アタシの席に元々いた奴は誰なのか? 他でもない。アタシ自身だ」

 

 アタシは自らの記憶に蓋をしていたんだ。そうやって弱いアタシを守った。

 それを……みんなはかばってくれてたんだ。

 

「アタシは……あの子を、止められなかった」

 

 

 12.

 

 

 あの日も、月がきれいな夜だった。

 

 なんのきっかけかはわからない。アタシはあの子とそれなりの頻度で練習していた。

 あの日もそうだ。練習前も、いや練習中だっていつも通りだった。

 なのに、練習後のあの子はなんか、様子がおかしくて。

 なんとなく、あの子の後を追ったんだ。

 

 それで……

 

『やめろ。戻ってこい』

『……』

 

 彼女は、すでに屋上の手すりを越えていた。

 

 止めなければならない。そう思った。

 

『おいおい、まさか飛び降りるんじゃねえだろうな。痛いぜ。そりゃ』

『バカなことやってないで、また一緒に走ろうぜ!』

『ここで踏ん張れば、次のレース、きっとお前なら勝てるぜ!』

 

 どうでもいいことをペラペラしゃべった。

 アタシは少しずつ近づいた。

 自分でも白々しいと思ってた。

 でも、やめるわけにはいかなかった。

 

『なあ。それによお』

 

 アタシの手は確かに届いたんだ。もう少しだった。だから、アタシは少しでも、お前を楽にしてやりたくて、

 

『つらいなら、やめちまってもいいんだぜ! 何もレースだけが人生じゃあねえんだからよ!』

 

 その時、あの子の眼の光が消えたのを見た。

 そして、気づいた時には……

 

 

「あの子を殺したのはアタシだ」

 

 思い出してしまえば、もう頭からその光景が離れない。

 

「アタシはあいつはもう全部諦めたくて、終わらせたくてあそこにいると思ってた。でも、そうじゃなかったんだ。あいつは諦めたくなくて、諦めきれないからあそこにいたんだ」

 

 どうしてわかってやれなかったのか? 

 あいつが頑張ってたのはアタシが一番知ってたじゃないか……。

 

「イナリ!」

 

 気づくとオグリはもうそこまで来ていた。

 

「違う。違うよ。君は」

 

 オグリがアタシに手を伸ばす。

 

 だが、その手をつかむことはできなかった。

 

 体に力が入らない。

 

 ああ。これもアタシの運命なのかもしれない。

 

 それは風だった。

 静かな夜に似合わない風。

 気づけばアタシの身体は宙を舞っていた。

 

「イナリ!!」

 

 

 

 13.

 

 気持ち悪い浮遊感の中で、アタシはこんな目にあっても仕方ない。そう思っていた。

 

 この浮遊感が消えれば待っているのは冷たいコンクリートだ。

 

 アタシもあいつと同じように、砕けるだけ。

 

 ──そう、思ってた。

 

「どうして?」

 

 アタシは今温かい腕の中で抱かれている。

 

「どうして……? オグリ?」

 

 どうしてアタシは無事なのか? 

 こいつがアタシと一緒に飛んだからだ。

 アタシを抱いて、着地したからだ。

 それだけじゃない。

 このマットレスは一体? 

 

「この短期間で2度も紐なしバンジーするやつなんてお前くらいやで。ほんま」

 

 ……タマ? 

 

「……もう2度とこんなことしないでください」

 

 ……クリーク? 

 

「なあ、これは、どういう」

「イナリ」

 

「これでもまだ、思い出さないか? あの日本当にあったことを」

 

 あの日あったこと? 

 

 どういうことだ? アタシはあの日、あの子を見殺しにしたんじゃ……

 

「違う!」

 

 オグリが言う。

 

「違うよ、イナリ。もう一度よく思い出してくれ。君のおかげで……あの子は……」

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……。

 

 そうか。そうだったのか。

 あの気持ちの悪い浮遊感を感じたのは初めてじゃない。

 アタシはあの日……

 

「あの子は……無事だったのか!?」

 

 オグリが答える。

 

「無事だよ。君が守ったんだ。今は実家で療養してる」

「……そうか。よかった」

 

 それを聞いてほっとする。思えば、アタシの魂はその言葉だけを待ってたのかもしれない。

 

 

 14.

 

「あの日、君はあの子と一緒に飛んだんだ。それで、下敷きになった」

 

「事故の後、1週間君は意識を取り戻さなかった。回復したのは奇跡だ。だが、その代償で、君はトレセン学園に来てからの記憶をすべて失った」

 

「記憶を失った君は、何度私たちが呼びかけても、あの日のことを思い出して、再び錯乱状態に陥ってしまう。そんな状態だった。だからいっそのこと、全部忘れて、少しずつ私たちのことを思い出してもらうことにしたんだ」

 

 そうだ。アタシは転校生じゃない。

 アタシは……こいつらの親友だ。

 

「そして今、君は全てを思い出した」

 

「こんなこと言うのは、君にもあの子にも、悪いかもしれない。でも言わずにはいられない」

 

 オグリが笑う。

 

「お帰り。イナリ。これから──よろしく」

 

 アタシもそれに応える。

 

 

「ああ。よろしくな」

 

 

 穏やかな風がアタシたちを包む。

 

 飛び降りたあの子にも、届いていてほしい。

 

 そう、思った。

 




 普段より短いのは1晩で書いたからです。
 普段よりアクロバティックなのは、深夜テンションで書いたからです。

 前回、タマちゃん実装の時何も書けなかったのを地味に引きずっていて、魂で書きました。
 
 そのおかげかわかりませんが、イナリちゃんを育成チケットで出しました。

 神!!


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