88 (柴猫侍)
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Ⅰ.『無限のループのような日々さ』

「指輪?」

 

 

 

 そう問いかけた。

 眼前の少女が見せてきた代物は、絢爛な宝石でも豪華な金属を使った逸品ではない。その辺りに咲いていた花をあしらったお手製の品だ。

 

「はい! 上手く作れました!」

 

 困惑する俺とは裏腹に、花の指輪を贈った少女が言い放つ。

 屈託のない笑みは、燦々と降り注ぐ日光によって白む景色の中でも一際輝いている。とんだひねくれ者でもない限り、とてもこの好意を無下にすることはできないだろう。

 だから、精一杯口角を吊り上げて笑ってみせる。

 そうすれば、贈った花よりも可憐に咲き誇る彼女の笑顔が目に映った。

 

「よかったら受け取ってください!」

「え?」

「お母さんが言ってたんです! お母さんを守ってくれるファミリー……特に“守護者”っていう人たちはそんな指輪を嵌めてるって」

 

 だから、と口にした少女はほんの少し頬を赤らめて目を背ける。

 そんな彼女の様子に、俺は珍しいものを見たと言わんばかりについつい釘付けとなった。

 

 俺は孤児(みなしご)だ。親は居ない。

 物心ついた時に家族は居らず、代わりに“ファミリー”という名の掃き溜めの中でも塵同然の扱いを受けていた。

 その命に価値なんてなく、その命に重みなんてものもない。吹いては消える塵芥のようにして、いつ命の灯火が消えるかと怯えていた日々も最早懐かしい。

 

 変わったのは彼女の母親に拾われてから。

 “ファミリー”とは名ばかりの地獄から逃げ出した俺を拾い、孤児院へ迎え入れてくれた女性が居た。

 

 その娘が、この少女だ。

 同じく身寄りのない子供たちの中に交じり、誰からも好かれ、愛されていた存在。皆がそうであったように、俺も自然と彼女に惹かれていた。

 

 まごつく少女。

 何度か胸に手を当てて深呼吸し、やっと決心がついたと言わんばかりに面を上げる。

 夜空のように深い藍色の瞳は真っすぐこちらを見据え、

 

「だから、私の守護者になって」

 

 そう、告げた。

 

「……俺が?」

「そうすれば私たち、胸を張って()()()()()って言えます!」

「そ、それは……」

 

 屈託のない笑顔が、彼女の言う“ファミリー”が温かい家族を指していると理解するのに時間は掛からなかった。

 だけれど俺は、彼女の母親がその限りではないことを知っている。

 

 世界には表と裏があって。

 表の社会では法律が人を支配して。

 裏の社会ではマフィアが人を支配する。

 そういう話だ。

 

 だから、彼女が自分の言っている言葉の意味を真に理解しているとは思っていなかった。

 子供の戯言だ。

 けれど、少し躊躇った。

 地獄を見てきた以上、もう一度そこへ足を踏み入れようなんて口が裂けても言えない。

 

 言えない……言わないはずだったのに。

 

「私を、守ってください!」

 

 恥じらいながら差し出される指輪。

 まるで告白(プロポーズ)の場面だ。彼女もそうだが、頬がカーっと紅潮していくのを止められない。

 恐る恐る手を伸ばす。

 可憐な白い花を咲かす指輪は、まだ小さな俺の指には大きくて。

 嵌めたところでブカブカと今にでも落ちそうな危うさを見せながらも、何とか収まるべき場所に収まった。

 

 彼女の守護者になる誓いと共に。

 

「……うん、なるよ」

「! やったぁ! 約束! 約束ですからね!」

「約束するよ」

 

 そう告げれば無邪気な彼女が飛びついてきた。

 勢いに押し倒され、そのまま草のベッドに寝転ぶ。こっちの気持ちなんてお構いなしに不意打ちを仕掛けてくるものだから、いつこの激しい動悸がバレないかと気が気じゃなかった。

 

───この瞬間が、永遠に続けばいいのにな。

 

 そんな願いは叶わないって分かってるのに。

 心はそう願わずには居られない。

 

 噛み締めるように少女を抱きしめれば、くすぐったそうな笑い声と共に言葉が返ってきた。

 

「ねえ、知ってますか」

「何を?」

「それの花言葉です」

「この花のこと?」

 

 指輪の花が愛おしそうに撫でられた。

 しかし困った。花の種類も花言葉も知らないものだから反応できない。

 数秒無口になれば、察した少女がふふっと微笑んだ。

 

「貴方に贈った花、スノードロップって言うんです」

「スノードロップ」

「花言葉は……」

 

 綺麗な瞳がこちらを見つめる。

 彼女の背に広がる大空に負けないくらい澄み渡った双眸は、心なしか揺れているような気がした。

 言おうか言うまいか。ほんの僅かな迷いを覗かせながら、少女の口元が弧を描いた。

 

 綺麗だ。

 いつになってもそう感じてしまう。

 

 彼女を大空と例えるのなら。

 その笑顔は虹のようだった。

 

 パッと現れて、サッと消えていく。

 儚いものこそ美しいという価値観があるけれど、どうやら俺は同意せざるを得ない感性をしていたようだ。

 

 だからこそ、見続けていたい。

 彼女の笑顔をもっと、もっと。

 守護者にでもなんでもなってやる、それが彼女の望みならば。

 

 

 

───死んでも、守ってやる。

 

 

 

 

 

 

 少し時が経った。

 

 アリアさんが死んだ。俺を拾ってくれた女の人だ。

 死因は病死。病の気配なんて感じさせなかったから、訃報を聞いた時は暫く呆然としたものだ。

 私財で孤児院を経営し、時たま顔を出しては子供たち全員に囲まれる───紛れもない善人であるというのが俺の印象。

 

 でも、彼女は“ジッリョネロファミリー”と呼ばれる歴史あるマフィアのボスでもあった。マフィアとは言っても町の住民から金銭を巻き上げたり、麻薬や武器を売り捌いたりするような組織ではない。どちらかと言えば地元に根付いた自警団に近かった。

 

 『惜しい人を失くした』と。

 大勢の人が彼女の死を惜しんだ。

 

 俺も泣いた。悲しくて堪らなかった。

 けれど、涙は流れない。いや、流せなかった。

 

「ひっぐ……えっぐ……」

「……ユニ」

「っ……もう、大丈夫です」

「無理は」

「してません」

 

 彼女が涙を仕舞ったのに、俺なんかが泣ける訳なんて───ない。

 

「私はこれからジッリョネロのボスとなります」

 

 そこに母の死を悼む少女の姿はなく、新たなボスに就くユニが気丈に振る舞う。

 

「母から継いだ使命を、今度は私が果たす番です」

 

 ジッリョネロのボスは代々ユニの家系が就いていた。

 ユニはまだ子供だ。同年代の子供に比べれば異様に大人びているが、だからといって心が成熟し切っている訳ではない。

 

「なら、俺もジッリョネロに入る」

「え……?」

「守護者になってユニを守るよ」

「で、ですが……」

 

 複雑そうに眉を顰めるユニ。

 喜びと憂惧が綯い交ぜになった面持ちには、自分の都合───裏社会に俺を巻き込めない懸念があったのだろう。

 

 けど、

 

「元々アリアさんに拾われた命だから。碌なお礼もできなかった」

「母は見返りを求めていた訳では……」

 

 分かっている。これは俺の我儘だ。

 アリアさんだって、拾った孤児を裏の社会に入れようなんて魂胆はこれっぽっちもなかっただろう。

 

 でも、俺はその善意に魅せられた。

 ユニがそうであるように、()()()()()()()()()

 

「もう決めたんだ。それに昔約束したろ、守護者になるって」

「あ、あの時はそんなつもりじゃ」

「ユニはそうでも、俺はとっくに覚悟してた」

「……っ」

「ごめん」

 

 これが裏社会に足を踏み入れた瞬間。

 そう、()()()()()になったんだ。

 

 なのに、心はどこか冷めていた。

 決意を語った俺を前にユニが浮かべていた悲しそうな顔が、どうにも脳裏に焼き付いて離れない。

 

 そんなつもりじゃなかった。

 ユニを守りたかっただけなのに。

 

 

 

───俺が笑顔を奪ってどうするんだ。

 

 

 

 

 

 

 結局のところ、俺は守護者になれなかった。

 

 

 

───定員オーバーだ、小僧。

 

 

 

 ファミリーに入った当初、γ(ガンマ)さんにそう告げられた。

 守護者には定員があったらしい……知らなかった。

 

 なんて、早々に打ちひしがれたのも懐かしい思い出だ。

 

 あの約束から十年。

 起こった出来事を全部話せばキリがないから、掻い摘んで話そうか。

 

 まあ、ジッリョネロに入ってからの生活は悪くなかった。

 守護者になれないと分かってショックを受けていた俺に、当時の守護者たちは呆れるか笑って迎え入れてくれたものだ。なんだったら『次期守護者だな』と特訓をつけてくれた。

 

 守護者になる道は決してなだらかなものではない。

 特にγさんは『新入りの小僧が生意気言うな』ときつい()()を賜ってくれたものだ。

 

「っててて……!」

「はぁ……おい、小僧。どうしてそんなに守護者にこだわる?」

「どうしてって、そりゃあユ……姫様を守るためです」

「守るだけなら守護者じゃなくても務まる。違うか?」

 

 正論で返されたが、これは譲れない。

 

「確かにファミリーの一員である以上、姫様を守るのは当然です……けど、これは俺なりの覚悟なんです」

「ケツの青いガキが『覚悟』とねぇ。銃も女の扱いも未熟なガキが言うセリフじゃあないな」

「貴方と同じで一途なんです、俺は」

「……ほう」

 

 僅かに眼光が鋭くなった。が、これぐらいで怯えていたらマフィアは務まらない。

 

「俺は好きな女の子の尻を追っかけて裏の世界に飛び込んだ。馬鹿な子供でしょう? でも……明るい日向を歩けるよりも、日陰で泣いてる子の傍に居て守ってやりたい。そう思ったんです」

「それを姫様が望んでなくても、か?」

「それこそ、覚悟の上です」

「っぷ、ははは! 馬鹿もここまでくりゃあ清々しいもんだ───いいぜ。お前さんは今日から俺の弟分としてたっぷり可愛がってやる」

「γさん……!」

「さあ、構えな」

「え、ちょ……」

「覚悟があるのはよーくわかった。後はそいつを炎に変えられるかだ」

 

 それでも俺が本気であると知ってから、他の守護者の誰よりも親身になって面倒を看てくれた。太猿さんや野猿が兄貴と慕う理由がよくわかる。が、ポーカーフェイスを取り繕うとユニにべた惚れなのを隠せていないのが玉に瑕だ。いいのか、守護者。

 

「ま、姫様を守れる奴は何人居たっていい。頼むぜ、新入り」

 

 そう言って肩を叩く彼の左手。

 その中指に嵌められた指輪を、何度恨めし気に眺めたものか。

 

───マーレリング

 

 ジッリョネロファミリーが代々守ってきた秘宝だ。

 七つ。

 それぞれ大空、嵐、雨、雷、晴、雲、霧を冠す、白い宝玉をあしらえた指輪は、俺にはどんな高価な貴金属より輝いて見えた。

 本来ボスが大空のマーレリングを手にするのが慣例だが、ここ三代は訳あってその限りでないらしい。ちょうどユニの祖母の代からだ。

 なんでも彼女が片時も放さず身に着けている橙色のおしゃぶりに関係しているらしいが、ユニが話そうとしないから俺もわざわざ聞こうとは思わなかった。

 

───俺に大空(それ)を継がせてくれませんか。

 

 そんな大それた考えなんて終ぞ口に出せなかったけれど。

 そうこうしている内に、ファミリーに不穏な空気が流れ始めた。

 なんでもうちのマーレリングを狙うファミリーが現れたらしい。数度の小競り合いを経て、ジッリョネロが選んだ道は───同盟。

 

 ただし、イタリア最大手のマフィア“ボンゴレファミリー”とだ。

 

 うちと似た七つのリング。

 ボスを守る六人の守護者。

 何よりユニとボンゴレⅩ世(デーチモ)は似た者同士だった。

 

 Ⅹ世とは一度だけ話す機会に恵まれた。

 初対面の印象は、気弱そうな好青年というもの。とてもイタリア最大のファミリーをまとめるボスとは思えぬ穏やかな雰囲気を纏っていた。

 

「元々ボスになんてなるつもりはなかったんだ」

 

「でも、スッゲー理不尽な家庭教師(かてきょー)がやってきて……」

 

「そいつのお陰で色んな人と出会えた」

 

「友達も増えて、仲間もできてさ」

 

「案外居心地がいい……なんて思えてきて」

 

「みんなを守れるなら、ってボスになったんだ」

 

 渋々だけどね、と。

 最後にそう付け加えたⅩ世の困ったような笑顔が印象的だった。

 

 優しくて、温かくて。

 ああ、確かにユニに似てるなって。

 守護者の人たちが惹かれる理由がよく理解できた。

 

 

 

「ったく、10代目の凄さは小一時間で済む話じゃねーぞ」

 

 

 

 紫煙を燻らせる嵐の守護者は、強面な顔に満面の笑みを咲かせて嬉々と語った。

 

 

 

「確かに本人はダメダメとか言ってっけど、それに負けねーくらい良いとこもたくさんあるのな!」

 

 

 

 剣を素振りする雨の守護者は、爽やかに清濁併せ吞んで信頼していると語った。

 

 

 

「正直あの人をボスだなんて思ったことはない。でも、良い兄ちゃんだと思ってる」

 

 

 

 女性を侍らせる雷の守護者は、昔を懐かしむような微笑みを湛えながら語った。

 

 

 

「沢田は俺が認めた漢だ!! 目に見えぬ奴の覚悟は極限に熱いぞぉー!!」

 

 

 

 拳に包帯を巻く晴の守護者は、瞳の中の闘志をメラメラと燃やしながら語った。

 

 

 

「ボスは私を迎え入れてくれたから……その日が来るまで、代わりに頑張るの」

 

 

 

 眼帯を嵌め直す霧の守護者は、遠い場所を見つめるように隻眼を揺らし語った。

 

 

 

「ユニークな小動物だよ。それより僕の前で群れないでくれるかな」

 

 

 

 我が道を行かん雲の守護者は、あくまで興味を唆る一対象だと言外に語った。

 

 

 

 個性豊かと言えば聞こえはいい。

 本心を言えば、とても一大マフィアのボスを守る守護者とは思えぬ言動ばかりだ。

 でも、言葉の節々に感じるⅩ世への信頼感がひしひしと伝わってくるようだった。

 

 羨ましい。心の底からそう思った。

 聞けば、Ⅹ世と守護者は中学時代の同級生だったり先輩だったりで、ほとんど旧知の間柄と言える面々で固められている。

 

 古くからの付き合いで結束が固まるのなら、俺とユニだってそう違わないのに。

 けれど、ジッリョネロに入ってからというもの、ユニと心が離れていっているような気がしていた。

 表面上の距離感は変わらなく見えるかもしれない。

 それでもユニが孤児院に遊びに来ていた頃とは明白に違っていた。

 

 単純にボスと一ファミリーの距離感だと言ってしまえばそれで済む。

 それとも、暗に俺が守護者になるまでつっけんどんな態度で居ようとする魂胆なのだろうか? 

 

 でも、それだけならまだ良くて。

 今の今まで向けられた眼差しが。

 負い目を感じているような瞳が。

 喉に刺さった小骨みたいに、どこかで引っかかっていた。

 

───大丈夫、俺が決めたことだから。

 

 言い聞かせるように何度も伝えた。

 それ以上でもそれ以下でもない想いを納得してもらえたかは定かじゃない。

 

 

 

 

 

 だって、みんな死んだから。

 

 

 

 

 

「は、ははっ……」

 

 

 

 もう一度言おうか。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 γさんも。

 幻騎士さんも。

 太猿さんも。

 野猿も。

 

「ははっ、は、はぁ……」

 

 沢田さんも。

 隼人さんも。

 武さんも。

 ランボさんも。

 了平さんも。

 髑髏さんも。

 恭弥さんも。

 

「ぁ、あ、ああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっ!!!」

 

 ユニも。

 

 

 

 誰一人、守れなかった。

 

 

 

 ジッリョネロもボンゴレも敢え無く壊滅した。

 白蘭───奴率いるファミリーに、手も足も出せず。

 生温い鉄臭さが鼻腔を撫でる一方、腕に抱かれるユニの体が刻一刻と冷えていく。

 

「ユニっ……! 死ぬな、死んじゃダメだ……!」

「ごめん、なさい……」

「なんでユニが謝るんだ! 悪いのはッ、君を守れなかった俺だ!」

「それは……違います」

 

 血塗れの手が頬に添えられた。

 今にも消え入りそうな温もりに触れ、今度は俺の体が凍えていくようだった。正しい呼吸もできなければ、全身が震えて止まらない。今にでも全身がバラバラに引き千切れそうな衝動を堪え、欠片程に残った生命の炎を宿す瞳がこちらを見つめていた。

 

「私には……、()()()()()()()。そう遠くない未来に、こうして……死に別れてしまうことを」

「……だったら、どうして……」

 

 言ってくれなかったんだ。

 涙と共に、その言葉を寸前で飲み込んだ俺に、ユニは申し訳なさそうな微笑みを浮かべた。

 

「いつか来てしまう別れが……怖くなったから。運命(さだめ)と受け入れたはずなのに、貴方の傍に居る時間が長くなるほど……その時間が、愛おしくなってッ」

「ユ、ニ……」

「ごめんなさい……! 私の我儘のせいで、辛い思いを」

「違う……違うんだ! 守れなかったのは俺だ! ユニを辛い目に遭わせたのは、俺が弱いせいだ!」

 

 子供の癇癪みたいに喚き立てる。

 そんな俺を見たユニは、最後の力を振り絞るように両腕を伸ばして抱き寄せた。

 

「……最後に、お願い……聞いてくれますか?」

「ああ、なんだって聞くよ」

「貴方に、渡したいものが───」

 

 囁くような耳打ちで教えられた人と場所。

 決して忘れまいと耳に焼き付ける。その間にもユニの呼吸は浅くなり、俺の首に回していた腕も脱力するように落ちていく。

 

「ユニ!」

「……これから貴方は過酷な旅路に向かうかもしれません……けれど」

「死ぬな! 死んじゃ……嫌だ……!」

 

 尻すぼみに声はか細くなる。

 一言一句聞き逃すまいと身構えるけれども、どうにも上手く聞き取れない。

 込み上がってくる嗚咽に鼓膜を圧し潰されては、溢れる涙が視界を潰す。一秒でも彼女の生きている姿を焼き付けたいのに、俺の弱さがそれを許さない。

 

 ……いや、これが罸なのだろう。

 俺の弱さという罪に対しての。

 

「ユニが居ない世界なんか……ッ」

「……どうか、()()()()()

「ッ……!!?」

 

 霞む景色が澄み渡った。

 

 

 

「ぁ……」

 

 

 

 突き付けられる残酷な現実。

 もうすぐ夜が訪れる夕暮れのような赤には、見たことのないくらい綺麗な虹が浮かんでいた。

 

「……ユニ?」

 

 声は、返ってこない。

 

「ユ、ニ……」

 

 命も、返る筈もなく。

 

 それからの記憶は曖昧だ。

 数少ない生き残りのファミリーと共に逃走の日々。世界征服を宣う白い悪魔は、たった一人の敵対者の存在も許さないつもりなのだろう。

 そんな中、魂が抜けた人形同然の俺を突き動かしていたのはユニの願いだった。

 彼女が遺した言葉に沿って目的地を目指す。

 最早安息地なんてない世の中、唯一残された希望はそこだけだった。

 

 ユニやファミリーを失った傷も癒えぬまま、やっとの思いでたどり着いた場所には、彫金師を名乗る老人が居た。

 

「これをおぬしに渡せと言付かっておる」

 

 簡素な装飾の箱を開けば、

 

「……指輪……?」

 

 オパールのような黒い宝玉があしらわれたリングが、大事そうに鎮座していた。

 

「大空のアルコバレーノからの贈り物じゃ」

「ユニから……?」

「ああ。おぬしにとのぅ」

「……なんだよ、それ」

 

 呆然としながらも取り上げる。

 守護者の皆がそうであったように指に嵌めた。

 けれど、どれだけ覚悟をイメージしようにも炎は灯らない───それも当然か。

 

「守れなかったのに……俺なんかがッ!!」

 

 俺の覚悟に意味なんてない。

 とっくにユニは死んだのだから。

 

 何一つ守れなかった男の指に嵌まる指輪は、酷く冷たく感じられた。

 

 その夜だ。

 皆が寝静まった頃合いを見計らい、外へと赴いた。

 今でも世界中で虐殺が繰り広げられているのだろうかなんて他人事に考えつつ、俺は銃に弾を込める。

 

(ごめん、ユニ)

 

 銃口を、そっとこめかみに当てる。

 

「君の居ない世界で生きるくらいなら……死んでも、君に会いに行きたい」

 

 覚悟は決めた。

 

 

 

 引き絞る引き金は───やけに軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死にに行く者の目じゃないな」

 

 でも、俺の自殺は止められた。

 

「歪な覚悟だ。だからこそ()()()()()()のだが」

 

 見ず知らずの鉄の帽子の男に。

 

「……誰だ」

「ユニを取り戻したいか?」

「!」

「もしも君に覚悟があるのならば、虹の下へ導いてやろう」

 

 持ち掛けられた取引は至って単純で、

 

 

 

「例えその魂を呪われようが、死んでも彼女を守る覚悟があるのなら……な」

 

 

 

 迷う必要なんて、欠片もありはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 例え魂を呪われても。

 

 思い出が消されても。

 

 自分自身を殺しても。

 

 

 

 何度死んでも、守るんだと誓った。

 

 

 

「───っはぁ、はぁ……! 貴様、一体何者だ……!?」

 

 驚愕の色に染まる表情を、一人の男が浮かべていた。

 彼の居る部屋には無数の兵士が倒れている。まさしく死屍累々と呼ぶに相応しい光景。

 

 しかし、彼以外にもただ一人立つ人間が居た。

 息は絶え絶えであり、しとどに血が流れ出る体は痛々しくない場所を見つける方が難しい満身創痍な状態だ。

 

「ぜぇ……ぜぇ……!」

 

 だが、当の少年が放つ気炎を前にすれば油断も隙も見せられない。

 見開かれる空色の瞳には、今から仕留める標的(ターゲット)───紛れもない自分の姿が映し出されている。

 

「くっ、どこのファミリーが差し向けた殺し屋(ヒットマン)か知らんが、ミルフィオーレに楯突いたことを後悔させてくれる!」

 

 得体の知れない敵を相手取る恐怖を押し殺すように匣を取り出した。

 刹那、男の指に嵌められていたリングから炎が燃え上がる。

 眩い紫色だった。白い宝珠と折り畳まれた翼が特徴的なリングから迸る紫炎は、そのまま吸い込まれるように押し当てられた匣の中へと注入される。

 

「出てこい、雲アリ(フォルミーカ・ディ・ヌーヴォラ)!」

 

 開かれる匣より零れ落ちる漆黒。

 地に着いた瞬間、小さな大群は黒い足音を響かせて少年へ進行する。

 

 しかし、少年も黙って立っている訳ではなかった。

 すぐさま辺りに倒れる兵士から似た見た目の匣を奪い取り、まるで中身を知っているかのように迷いなくリングに炎を灯す。

 

「開匣!」

 

 閃光。

 次の瞬間には少年は地面に立っていなかった。

 

「貴様っ……我らのF(フレイム)シューズを!」

雷鳥(ペルニーチェ・ビアンカ・フールミネ)!」

「なにィ!?」

 

 噴き出す炎で宙に立つ少年が、畳みかけるように雷を纏った鳥を特攻させる。

 男も簡単にはやられまいとリングから放つ炎で防御するが、精細さを欠いた挙動から、動揺を隠し切れていないのは明白であった。

 

匣兵器(ボックスへいき)の中身を知っているのか!? 一体どこで……それにあの炎の色は!)

 

 匣兵器の技術力において他の追随を許さないミルフィオーレだが、自分に流れる属性以外の性能までをもわざわざ把握している人間は少ない。

 だからこそ、明らかに部外者───そして敵対者である少年の立ち回りに、少なからず動揺を招かれたのであった。

 

「だが……炎が弱いな!」

 

 男に突撃した雷鳥が、群がる雲アリに貪られて地に落ちた。

 瞬間、勝ち誇ったように男の顔が緩む。

 

「大空とは珍しい波動を持っているらしい……しかし、その程度では大した匣ムーブメントは引き出せまい! 匣兵器の性能を引き出すのは炎の純度……そして何よりもリングの格よ!」

 

 右手に収まったリングを見せつけ、男は高らかに吼えた。

 

「白蘭様より授けられた雲のマーレリング! これと貴様の三流リングでは、天と地ほどの差があるわ!」

「……」

「後悔したところで遅いぞォ! 我が雲アリ(フォルミーカ・ディ・ヌーヴォラ)の神髄を見せてやる!」

 

 勇み立つ男に呼応し、縦横無尽に床を這いまわっていた雲アリは、壁や天井に上っては、悠然に浮遊していた少年へと飛び掛かっていく。

 するや、次々に雲アリの腹筋が膨れ上がる。

 みるみるうちに人間の拳サイズへと膨張した───次の瞬間、立て続けに雲アリが爆発した。

 

 逃げる間もなく、少年は自爆する雲アリに飲み込まれる。

 

(勝ったな)

 

 勝利を確信する男はほくそ笑む。

 

「どうだ!? 雲属性の増殖によって数を増やした雲爆弾アリ(フォルミーカ・ボンバ・ディ・ヌーヴォラ)の爆撃は! 単身乗り込んだ己を呪うがいい!」

 

 数千から数万にも渡る大群による自爆攻撃。

 一体一体の爆発規模は小さくとも、塵も積もれば山となる。人間一人に対しては過剰な爆発は、部屋の一角で絶え間なく轟音を響かせていた。

 

「数こそが力だ! どうだ、手も足も出ずに嬲られる気分、は……───?」

 

 恍惚に語っていた男であったが、突如として顔から血の気が引いていく。

 

 右手が、燃えるように熱い。

 その一方で全身に悪寒が走る。

 

(待て。リングに炎は灯してなど……)

 

「グルルルルァ!!」

「んなァ!?」

 

 肉と骨に突き刺さる鋭い痛みを自覚し、ようやく我に返った。

 

「───嵐ハイエナ(イエーナ・テンペスタ)

「ぐわあーっ! は、放せェ! 一体どこから……っ!?」

 

 狼狽する男の一方で、落ち着いた声色の少年が剥がれ落ちた雲アリの中から姿を現す。すれば、雲アリと同じ色の炎を揺らめかせるムカデを体に巻き付けた全貌が露わになった。

 雲ムカデ(スコロペンドラ・ディ・ヌーヴォラ)。相手の死ぬ気の炎を奪うことで、体長を伸ばせる匣兵器だ。

 

 それを防御として用いた少年は、悠然とした佇まいのまま、男の足元に居た伏兵を指差す。

 鋭い鈎爪と赤い炎───嵐属性の分解により床に穴を穿った嵐モグラ(タルパ・テンペスタ)であった。嵐ハイエナの進入路を切り開く使命をこなすや、燃料の炎が切れてその場に崩れ落ちる。最低限だがそれでいい。

 

「お前の言う通りだ。俺如きの炎じゃ引き出せる力はたかが知れてる。けど、性能を十分に引き出せないなら……他の匣と組み合わせるだけだ!」

「ぎ、ぐぁぁああああ!!?」

 

 鮮血が舞った。

 男の腕は食い千切られ、自慢の匣兵器を運用する鍵であるリングはまんまと嵐ハイエナに奪われてしまう。

 大量に血を流す男は額に脂汗を滲ませ、己を斯様な目に遭わせた少年へ怨嗟の視線を向ける。

 

「お、おのれぇ……、顔は憶えたぞ……!」

「憶えた、か」

「地獄を見ると思え! ミルフィオーレの手は世界中に伸びている……貴様がどこに逃げようが、必ず見つけ出して始末する!」

 

 憤怒の形相で吼える男だが、少年は一切堪えた様子を見せない。

 寧ろ不気味な程に落ち着いている彼は、ふぅ……、と一息吐いてから懐からとある物を()()取り出した。

 

 瞬間、男の息を飲む音が響き渡る

 

「そ、れはっ……!」

「自分で言ってたろ。殺し屋か、って」

 

 撃鉄が起こされる。

 重い鈍色の輝きを放つ拳銃の狙いは、ゆっくりと血を流す男へと定められた。

 

 男の顔に流れる汗がドッと増える。

 顔色は先ほどとは一変し、赤から青へ急転換した。それほどの焦燥に駆られても尚、男の両脚は地面に張り付いたように動かない。

 

 殺される。

 子供でも理解せざるを得ない状況を前にパクパクと口を喘いでいた男であったが、一息吐いた少年から、一つ言葉を投げかけられた。

 

「質問していいか」

「な、なんだ……?!」

「この雲のマーレリング……前の持ち主はどうした?」

「前の……? し、知らない! 私は何もしていない! 俺は白蘭様に授けてもらっただけで」

「だろうな」

「へ?」

 

 躊躇いなく引き金は引かれた。

 間もなく立ち込める生臭い鉄と硝煙の臭いに顔を逸らした少年は、嵐ハイエナが咥えてきた腕からリングだけを取り上げる。

 

「……ブラックスペルの恰好でも、お前の顔は見たことがない」

 

 取り戻したリングの汚れを拭い、大切にポケットにしまう。

 

「こいつは……ジッリョネロのものだ」

 

 全滅したマフィアの支部からの帰路。

 誰に歓迎されることもない少年は、時計を見るような所作で左手を持ち上げる。

 

「……88回目……か」

 

 左手の甲に浮かぶ痣。

 そこにはあからさまな程に分かりやすく数字が浮かんでいた。

 

「今度は上手くやれるか?」

 

 独り言ちるままに空を仰いだ。

 普段と変わらない青空だが、少年にはどうにも暗く曇っているように見えた。

 虹が浮かぶべき青天には、程遠い。

 

「ユニ……」

 

 嵌められたリングが、きつく指を締め付ける。

 脳裏を過るのは、最早遠い昔の出来事ように朧気になってきた“記憶”だ。

 

 

 

『まったく、大空のマーレリング保持者(ホルダー)は好き勝手してくれた』

 

『これでは7³を維持するのもままならない』

 

『そこでだ。君には並行世界(パラレルワールド)に行ってもらいたい』

 

『これは私から君への依頼だよ』

 

『君はユニを助け、白蘭を倒してくれればいい』

 

『全ては丸く元通りになる』

 

『私としても協力は惜しまないつもりだ……が』

 

『代価を払わずして力を手に入れることは叶わない』

 

『代価とは、歴史だ』

 

『この世界における君という存在の歴史……記憶とも言えるな』

 

『君が死して尚復活する度、その並行世界における君の生きた証は消滅する』

 

『初めに言っておこう……これは“呪い”だ』

 

『積み上げた歴史、築き上げた絆、大切な人の思い出であっても』

 

『死ねば何一つ残らない』

 

『それでも』

 

『君の大切な人が、君という存在を忘れてしまうとしても』

 

『夥しい死を重ねても、守り抜く覚悟はあるか?』

 

『───常磐(ときわ) 刹那(せつな)くん』

 

 

 

「……当たり前だ」

 

 少年の覚悟は、虚空に吸い込まれて消える。

 

「俺は……死んでもユニを守る」

 

 

 

───君がくれた指輪(リング)に誓って。

 

 

 

 託されたリングが、強く、きつく指を締め上げる。

 同時に肩に得体のしれぬ重さが圧し掛かってきた。

 

 それは、命の重み。

 失敗した87人分の自分自身だ。

 

 時には返り討ちに。

 時には自死を選び。

 並行世界の自分そのものを残機とした死に戻り(タイムリープ)を、これまでに幾度となく繰り返してきた。

 死ぬ度に、その並行世界で築いた関係や思い出は失われ、一人の少年が生きていた証拠は跡形もなくなる。

 

 それこそが代価であり、同時に残された手札であった。

 並行世界の知識や記憶を共有できる白蘭という悪魔に対峙する為の。

 

───きっと、必要な犠牲なのだ。

 

(ユニは俺のことを覚えていないだろうけれど)

 

 直視したくない現実に目を背け、少年は前へ前へと進んでいく。

 

 

 

 肩からずり落ちていく“何か”は、酷く軽かった。

 

 

 

 あと何度死ぬだろうか。

 あと何度戦うだろうか。

 あと何度───死ぬ気で居られるだろうか。

 

 

 

 朧気になる思い出と共に覚悟が薄れゆく未来を恐れ、刹那の時は繰り返される。

 

 

 

 

 

 消えた虹を追いかけて、いつまでも───。

 



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Ⅱ.『回り道に咲いていた花』

 

 何度死んでも、君を守る。

 

 

 

 けれど、ふと思うんだ。

 

 

 

 何度死ねば、君を守り切れるのかって。

 

 

 

 朦朧としていた意識が覚醒するが、目が霞んで碌に見えやしない。

 赤く染め上げられる視界と、立ち込める鉄臭さに気持ち悪さを覚えたところでもう遅かった。血みどろの両腕はズタズタに切り裂かれていてピクリとも動かせない。

 

「……くそっ」

「ここまでみたいだね、謎の襲撃者クン♪」

 

 白い悪魔は、敵である俺へ能天気に笑いかけた。

 

「白……蘭っ……!」

「ここまで攻め込んできたことは素直に褒めてあげるよ。まさか6弔花全員が君一人に倒されるなんて夢にも思ってなかったけど」

 

 軽い声色が神経を逆撫でる。

 幾度とない会敵と戦闘。その度に拳を交えては、勝負にならないと言わんばかりに一蹴されてきた。今度こそはと技を磨いても、白蘭の力はそれを容易に上回ってくる。

 

 足りない。

 真っ向からの力で打ち負かそうとしても、奴のリングは俺以上の炎を出す。

 

 足りない。

 知恵を巡らせようとしても、並行世界で共有した知識の数々には浅知恵同然だった。

 

 足りない。

 可能な限りの道具を集めても、奴が用意する物に比べれば質でも量でも勝てない。

 

 それでも時間が許す限り、打倒白蘭の為に準備を整えて戦いに挑んだ───どうやら今回もダメそうだけれど。

 

「最後まで……諦めて堪るか!」

「!」

「白蘭ぁぁあああんっ!!」

 

 最期の悪足搔きだ。

 何度も通用しない未来は視てきた。

 けれど、試さずにはいられないんだ。

 

 残った生命力の全てを、死ぬ気の炎に変える。

 満身創痍な中、死ぬ気の炎を全放出なんて自殺行為も同然だ。けれど、それでいい。白蘭を倒せるのなら死のうが関係ない。

 

 部屋全体が炎に満たされる。

 一瞬で炎熱地獄に彩られた中、白蘭はほんの僅かに驚きながらも、悠然とその場に佇むままだ。

 

 無抵抗……な訳じゃあない。

 そもそも、()()()()()()()()()()()()

 

 直後、炎が別の炎に掻き消されてなくなる。

 ちょうど白蘭の目の前───立ちはだかる守護者が放つ死ぬ気の炎によって。

 

「ハハン、温い」

「ご苦労様、桔梗♪」

「もったいなきお言葉。この程度の賊に白蘭様の手を煩わせる訳にはまいりませんから」

 

 俺はそいつらを知らない。本当に知らないんだ、クソが。

 白蘭に頭を下げる緑髪の男も、水のように長い青髪を靡かせる少女も、無精ひげを生やした男も、ぬいぐるみを抱きかかえた少年も、異様な仮面を被った不気味な男も。

 

 白蘭率いるミルフィオーレファミリーの守護者───6弔花は倒したはずだ。

 にも拘わらず、そいつらが着けているリングが目に入って仕方がない。

 

「どぅ……して……それ、を……」

「うん? あー、さてはマーレリング(これ)のことかな?」

 

 嘲笑うように白蘭が右手を掲げ、燦然と光を放つリングを見せつける。

 

「なんてことはないよ。ただ、君が倒した6弔花のリングは偽物だっただけ。彼らこそが真のマーレリング保持者であり、僕の本当の守護者達」

 

 

───“(リアル)6弔花(ちょうか)”だよ。

 

 

 ふざけるな。

 そう叫ぼうとしたところで、代わりに血反吐を吐き出すことしかできない。

 

 真6弔花?

 だとしたら、俺が手にかけた6弔花は何だったんだ?

 

 白蘭への忠誠を叫ぶ奴も居た。

 白蘭への畏怖を語る奴も居た。

 白蘭への不信を呟く奴も居た。

 

 けれど、奴らに共通して言えたのは指に嵌めたリングに誇りを持っていたことだ。

 紛れもなく全員が覚悟を強大な炎に変えて立ちはだかってきた。その炎を目にして何度も死ぬ気にさせられた。実際に殺されたのも両手じゃ足りない。

 

 死ぬ気になっても超えられなかった壁を、何度も死んでようやく超えた。

 

 その矢先に()()だ。

 呪詛を吐き散らしたい。

 怨嗟を浴びせかけたい。

 

 あのニヤケ面を今度こそぶん殴ってやりたい衝動に駆られるが、煮え滾る憤怒とは裏腹に、刻一刻と体は冷え切っていく。

 

 ああ、くそっ。

 

 

 

───今度も、守れなかった。

 

 

 

 

 

 

 白蘭は視線の先で蹲る少年に惹かれていた。

 彼は無謀にもミルフィオーレ本部にたった一人でやって来た殺し屋。並行世界と合わせても記憶にない顔だ。

 となれば、知識として共有する価値もない木っ端なだけだ───本来ならば。

 

「けれど、気になるんだよね~。君の炎と()()()()()♪」

 

 偽物のリングを与えていたとは言え、ミルフィオーレでも選りすぐりの兵士である6弔花を倒した事実は揺るがない。

 この世界で斯様な芸当ができる人物は限られる。

 だからこそ、目の前に居る少年の素性の知れなさとも合わせて興味深かった。

 

「僕の目に間違いがなければ、そのリング……結構イイモノでしょ♪ 僕そういうの詳しいんだ」

「……」

「誰に貰ったのかな? ボンゴレ? それとも余所のファミリーかな」

 

 反応は───ない。

 対する白蘭もまた、これといった様子の変化を見せなかった。

 しかしながら、その張り付けたような笑みの奥に湧き上がる好奇心は激しく渦巻いている。

 

 白蘭の目的は7³を集め、時空の覇者となること。

 故にほとんどの並行世界において、7³と呼ばれる至宝“ボンゴレリング”、“マーレリング”、“アルコバレーノのおしゃぶり”、計21個を収集していた。

 三組全てが大空の7属性分存在しており、だからこそ“7³”と呼ばれている訳だが、少年の有しているリングは当然いずれにも該当しない。

 

 だが、直感が叫んでいる───あれはただのリングじゃない、と。

 

(炎の純度、炎圧、どれを取っても精製度A以上であるのは間違いない。もしかして、僕が知らないだけで7³級の(フィアンマ)リングが存在しちゃってる感じかな?)

 

 並行世界とは可能性の塊だ。

 現に並行世界のありとあらゆる最先端を共有したからこそ、ミルフィオーレファミリーは十代にも渡って強大な力を継いできたボンゴレファミリーを圧倒的な力で下せている。世界征服など、最早周回プレイしたゲームをクリアするように簡単で陳腐な作業だ。

 

 だからこそ、白蘭は対面した未知に心躍っていた。

 並行世界の白蘭(じぶん)も把握していないリング。現状、7³と関りがあるのかどうかさえ分からない……分からないが、

 

(───欲しい)

 

 もしかすれば、停滞期に突入している7³ポリシーを打開する鍵になるかもしれない。

 そう思案する白蘭は、生命力を全て死ぬ気の炎に変換し、風前の灯火となった少年の下まで歩み寄る。

 この際死体はどうでもいい。

 後で解剖すれば何かしら判明するだろう。

 

───しかし、そうした考えはすぐに露となって消える羽目になった。

 

「……?」

「いかがなされました?」

「あれ……」

 

 ポカンと立ち尽くす白蘭。

 彼の目の前には()()()()。死にかけだった少年も、床に出来ていた血溜まりも、部屋中に散らばっていた匣兵器の破片も。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あからさまに困惑した主の様子に、守護者達も浮足立つ。

 

「白蘭様?」

「う~ん……僕何しようとしてたんだっけ。ねえ、何か知らない?」

「いえ、我々は白蘭様の仰せのままに参上した次第でありますので……」

「そうだよね。でも、なんでかな~。君達呼んだ理由も忘れちゃったんだよね」

 

 ド忘れかな? と首を傾げる白蘭に、水色の髪の少女がブーイングの嵐を浴びせかけ。

 しかし、どれだけ時間が経ってもこの場に集った明確な理由を思い出せない。

 

 悴んだ指先の感触も、まるで最初からなかったかのように消えていた。

 影も形も残らず、誰の記憶にも残らないまま。

 

 

 

 

 

 

 死に戻った回数が、とうとう100回を超えた。

 それは100回守れなかった証拠。左手の甲に浮かび上がる痣は、ありありと俺の無力を突き付けるようだった。

 

 倒せない。

 何度やっても白蘭を倒せない。

 未だ白蘭に勝てるビジョンは見えず、暫し右往左往するばかり。悩んでいる間にも死に戻った先の時間は進み、あっという間にタイムリミットが近づいてくる。

 

 タイムリミットとは………………そうだ、ユニが死ぬまで。

 最近は記憶が曖昧だ。死に戻ってからも決戦の為に準備を整えるまで色々と策を講じなければならない以上、思い出に浸っている時間は少ない。

 そうして人生をやり直している間にも、彼女と過ごした時間が相対的に薄れていってしまっているように感じる。

 

 特に顕著だったのは、ユニの声を上手く思い出せないこと。

 上手く……思い出せない。

 優しかったのは憶えている。

 温かかったのも憶えている。

 けれども、死を覚悟までして救おうとしている彼女の声を思い出せないなんて。

 

 怖い。

 怖い。怖い。

 怖い。怖い。怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!

 

「ぁぁぁぁぁぁあああああああああああーーーーーーっっっ!!」

 

 頭の中で繰り返し流れる声とも取れぬ雑音を、思わず絶叫で上塗りにした。

 耳から血が出るほどに掻き毟って、ようやく雑音が止んだ。ジンジンと伝わる痛みと熱さが、まだ俺が生きていると───やり遂げるべき使命が残っているという実感を覚えさせる。

 

「はぁ……はぁ……!!」

 

───こんな様でどうするんだ。

───お前は死んでも彼女(ユニ)を守るって誓ったんだろ。

 

 鉄の帽子の男が言っていた。白蘭を倒せば、すべてが丸く元通りになるって。

 なら、大切な過去の思い出なんて振り返って感傷に浸る時間なんて無いんだ。一秒でも多く白蘭を倒す方法を考えなくては!

 

 何もしない時間がただただ辛い。

 心の支えだったはずの思い出が、心の隙を縫って俺を狂わせる。

 

 考えるな。まずは目先の問題。真6弔花と名乗った本当の守護者達だ。

 奴らも倒さなければ、白蘭を倒すなど夢のまた夢の話。あくまで奴らは前座なんだ。

 

 となれば、また何度も死に戻る羽目になるだろう。

 一度の死に戻りの度に数か月、長い時は数年の時間をかける。その上で相手の対処法を見出すだけでも何十回と死ぬ。それこそ6弔花の時でさえ気の遠くなるような時間をかけた。

 

 何度も死んで、何度も試して。

 一度目は勝った相手にも、二度目では負けたことさえある。

 並行世界ごとに強さが変わるなんてザラにあった。時にはそもそも別人だった場合───いわゆる初見殺しもあるのだから、事前準備以上に対応力を求められる。

 それでも情報はあるに越したことはない。

 何度死んでも攻略法を見つけてやる。

 

 もう、彼女との思い出を薪に出来そうにはない。

 心を埋め尽くしていたのは、白蘭へのどす黒い復讐心だった。

 

 

 

 

 

 

 数回死んだ。

 

 やっとの思いで引きずり出した真6弔花は強過ぎた。6弔花とは比べ物にならない。

 リングのランク? いいや、違う。あれは紛れもなく奴ら自身の覚悟の強さだ。認めたくはないけれど、守護者として白蘭を守る覚悟は本物のようだ。

 真面に手の内を明かせていない。先は長そうだ。

 

 

 

 

 

 

 数十回死んだ。

 

 修羅開匣───奴らはそう呼んでいた。

 ふざけた技術だ。自分の体の中に匣兵器を埋め込んで、自身を兵器そのものにするなんて。修羅開匣した真6弔花には手も足も出なかった。

 身一つで立ち向かうにもいよいよ限界が来たみたいだ。あれはリングだけでどうにかできる相手じゃない。

 せめて、対抗し得る匣兵器が欲しい……けれど、別の並行世界に持ち越せない以上、手に入れられる匣兵器にはバラつきがある。それにいつも強力な匣兵器を取得できる保証もない。

 

 ……気は進まないけれど、何回か匣兵器職人を探す人生を歩んだ方が良さそうだ。

 確かヴェルデとイノチェンティ、それにケーニッヒだったか。

 ヴェルデは非7³線で死んでしまうし、イノチェンティも原因不明の死を遂げていたはずだ。ケーニッヒだけが地下に潜って匣兵器を闇の市場に流している……って、恭弥さんから話を聞いた。

 

 当たるならケーニッヒだ。

 大抵の匣兵器を開けられこそすれど、それでも所有者用に調整したカスタム匣兵器には性能で叶わない。

 修羅開匣に対抗するには、もっと強力な……俺専用の匣兵器が必要だ。

 

 

 

 

 

 

 数百回死んだ。

 

 最近、よく眠れない。悪夢を見て魘されてしまうからだ。

 白黒の世界で、延々とノイズが流れる夢。その世界に出てくる人影の顔は黒く塗りつぶされており、話す言葉もこの世のものとは思えない雑音みたいだった。

 夢を見ている間は精神が擦り減る思いだ。

 

 まあ、俺の話なんてどうだっていい。

 真6弔花ともそれなりに対抗できるようになってきた。でも、安定して倒せるとはとても言い難い。

 そもそも6弔花全員を攻略しなければ引きずり出さなければならないのだ。一人で限界がある以上、時にはボンゴレと結託し、時にはミルフィオーレに潜入して暗躍したが、腐っても全ての世界の最先端を行く組織だ。

 唯一の対抗馬と言っていいボンゴレと同盟ファミリーと手を結んでも、多くの犠牲は避けられない。それこそ綱吉さんや守護者達を死なせてしまうことだってある。実際、何度もあった。

 

 みんなを死なせたくないって思うのは傲慢かな? よく分からなくなってきた。

 一度、匣兵器の流通そのものを失くしてしまえばいいんじゃないかと研究者三人を殺す手段も考えた。けれど、良心がそれを止めた。

 それこそ白蘭と同じになってしまう。邪魔になるかもしれないからと無実の人まで殺したら、俺はいよいよ戻れなくなる!

 

 多分、狂ってきているんだ。

 命の価値観が。

 正確には“自分の命”に対してだ。

 

 何度も死んで、何度もやり直して。

 本来、一度しかない人生に重みを感じなくなってきたのかもしれない。

 そう思う度、指先が急速に冷え切る感覚を覚える。ゾッと背筋に悪寒を覚えれば、人知れず路地裏で悲しみに明け暮れた。

 

 けれど一向に涙は出てこない。

 どうにも、思い出だけじゃなく人として持っている感情すらも薄れているみたいだ。

 

───お前は人間じゃない。

 

 そう突き付けられているようで、ますます込み上がってくる不快感に何度も嘔吐(えず)いた。

 呪いを受けてからというもの、俺の体は成長することはなかった。老いることもなければ若くなることもない。本来今よりずっと子供だった時代に戻っても、だ。

 

 今更だけれど、この呪われた体が恨めしい。

 心とは体に付き従うものだ。月日に変えればざっと数十年は生きているはずなのに、俺の精神は初めて死んだ時から成長していないように思える。

 大人にもなれず、子供でも居られない時を延々と彷徨うのは……正直辛い。

 時折『落ち着いている』と言われることもあるが、それは違う。きっとそれも、人としての心が擦り切れてしまっているからだろう。

 

「……会いたい」

 

 この体の事情もあって、彼女と幼馴染からやり直すなんてできやしないから、自然と避けてきてしまっていた。

 

 けれど、ユニと会いたい。

 堪らないほどに、狂おしいほどに。

 

「会いたい、よ……」

 

 もう彼女の笑顔を思い出すのもままならない。

 他の誰でもない、俺にだけ向けられた太陽のような笑顔は、日に焼かれた写真みたいに色褪せてほとんど消えかかっている。

 

 一度自覚したら最後だった。

 まだ昼にもならない時刻に、人目も憚らず泣いていた。

 目頭が焦げそうなるくらい熱い。だというのに、やはり涙は流れないままなのだから、気がおかしくなりそうだった。

 

 辛い。

 怖い。

 痛い。

 

 そうだ。

 

 生きていると実感させるのが、それぐらいだから。

 

 俺の心は鈍く、凍り付いてしまったんだ───。

 

 

 

「───ねえ、なんで泣いてるの?」

 

 

 

 不意に声を掛けられて顔を上げる。

 

「うわっ! ひっどい顔~」

「は……?」

「ねえ、どっか痛いの? 救急車でも呼ぼっか?」

 

 不躾な物言いをする少女が居たものだ、なんて考えはすぐに思わなかった。

 それよりも風に靡く水色の髪に目が惹かれたからだ。

 

 なんで、こいつがここに───。

 

「ブルー……ベル」

 

 真6弔花。

 そして、雨の守護者その人が目の前に立っていた。

 

 けれど、その姿はミルフィオーレの戦闘服などではなく、何の変哲もない制服だった。

 

───まだ守護者になってないのか。

 

 そう思い至るのにさほど時間は掛からなかった。

 

「にゅ? なんでブルーベルの名前知ってんの?」

 

 しかし、自分の失言に気が付いた。

 互いに面識がない状態。しかも相手がまだ一般人……それも見たところ中学生ぐらいの年齢ともなれば、別の意味で素性を怪しまれる。

 だが、さっきの今で平静を取り戻すことはできない。

 あからさまに動揺したままだったせいか、漏れてしまった声も震えていた。

 

「あ……いや……」

「もしかして……」

「っ……」

「わかった! あんた、ブルーベルのファンなんでしょ!」

「……は?」

 

 間の抜けた声が出たのは、自分でもよく分かった。

 

「いろんな大会で優勝してるしねー。とうとうそこまで有名人になっちゃったかー」

 

 自慢げに語る少女の姿は、澄んだ水のように純粋で。

 とても並行世界で残虐の限りを尽くす怪物と同一人物とは思えなかった。

 

 そんなギャップに呆然としているのも束の間、少女はポスンと隣に座り込んでくる。

 よくもまあ赤の他人の真横によく座れるものだと、その神経の図太さに感心していれば、アクアマリンのように透き通った瞳がこちらを捉えた。

 

「で?」

「……『で?』って、何の話?」

「どっか体が悪いのか聞いてやってるんじゃない!」

 

 ぶー! と唇を尖らせるブルーベルは、忙しなく足をバタつかせる。

 

「ブルーベルも暇じゃないんだから! おにいちゃんが中々来てくれないからここに来ただけで……」

「……だったら、放っておいてくれよ」

「にゅ~! なんなのよ、その言い草ぁ~! せっかく心配してあげてるのに!」

「関係ないだろ!」

 

 思わず語気が強まる。

 ハッとしてブルーベルを見れば、小刻みに震えている彼女の姿が目に飛び込んできた。すぐに目尻には大粒の涙が浮かび上がり、鼻っ面もみるみるうちに赤くなっていく。

 

「にゅ……そ、そんなおっきな声出さなくても……」

 

 最低だ。途端に押し寄せる罪悪感が、俺の心を責め立てる。

 単に心配してくれた少女を怒鳴るなんて。並行世界で殺しにきた相手だからなんて言い訳をするつもりはない。

 これは単なる八つ当たりだ。

 自分の思い通りにいかず、癇癪を起こす子供そのものになってしまっていた。

 

「───……ごめん。泣かせるつもりじゃ……なかった」

「っ、フーンだ! 謝ったからいいけど、ブルーベルじゃなかったら許してもらえてないんだからね!」

 

 涙を飲み込んだブルーベルがはにかむ。

 

 すると、なんだか全部が馬鹿馬鹿しくなってきた。

 違う世界では殺し合った相手が、世界が違えばこうして笑いかけてくる。世界線が変わるだけでこうも人は変わってしまうのだと思うと、思い出に代わって心の支えと化していた復讐心が風化しそうな気さえした。

 ままならない未来を皮肉なものだと嘲笑う。

 

 それからは───一人の少女と談笑することにした。

 

 本当に短い時間だ。

 すぐそこの体育館で水泳大会があるとか、試合間際まで大好きな兄が来ないものだから待っているとか、何の変哲もない内容。

 これまでならば無意味だと切って捨てていた話だが、この時ばかりはただただ彼女の弾んだ声に耳を傾けていた。

 

 久しく忘れていた感覚だ。

 死に戻る度に消されるのだからと、必要以上に交友関係を広げようと勤しまなくなったのは何回目からだろう?

 

 何もかもが水泡に帰すくらいならば───そう諦めていた心にじんわりと広がる熱。

 痛みのそれとも違う感触は、心地よく、そして懐かしかった。

 

「───あっ、おにいちゃん!」

 

 ふと、声の向かう先が明後日を向いた。

 立ち上がるブルーベル。彼女の視線の先には、どことなく血のつながりを感じさせる少年が立っていた。

 待ち侘びた家族の登場に、少女は笑顔を弾けさせると同時に駆け出した。

 

 

 

 道路を行き交う車に目もくれず。

 

 

 

「待っ───!」

「え?」

 

 彼女を追うように飛び出しては、振り返ったあどけない諸共、道路の向かい側から駆け寄ってきた少年を突き飛ばした。

 

 衝撃。

 全身を襲い掛かる痛みを覚えたかと思えば、間もなく目の前が暗くなってきた。

 

『───っ! ───!』

 

 どれだけの時間が経ったかは知らない。

 指先が冷たくなる間、野次馬は俺の前に集まってきた。遠くから救急車のサイレンも聞こえる気がする。

 

───ああ、こんなことなら最初に呼んでもらっておきゃ良かった。

 

 血溜まりに沈む俺を覗き込む少女を前に、そんな冗談が脳裏を過る。これも価値観が希薄になった影響か。

 

 きっと俺は死ぬ。

 結局は早いか遅いかと、それが有意義だったかそうでないかの違いだ。

 今回で言えば───まったくの無意味。敵になるかもしれない少女を守って死ぬなんて、他の並行世界で殺された人達に顔向けできない。

 

 でも、

 

「死んじゃヤダぁ!! 死ん、じゃ……!!」

「───まも、れ……」

「っ!」

「守れて……よかった……」

 

 なぜか、心の底からそう思えた。

 意識が闇に沈む中、必死に勇気づけるブルーベルの声が聞こえてくる。

 

「なによっ……なん、で……!! 名前っ、教えてもらってもないのにぃ……!!」

 

 並行世界じゃ殺そうとしてきた癖に……、なんてふざけた返事をする間もなく、やがて声すらも途絶えた。

 

 ああ、死んだな。

 けれど、得も言えぬ充実感が心を満たす。

 渇きに呻いていた砂浜に潮が満ちるかのように、押しては寄せる波の音が聞こえる。

 

 やがて波の幻聴は遥か彼方へと遠のく。

 それでも、穏やかな音が消えることだけはなかった。

 

 

 

 

 

 

 死んだ回数は、もう数えていない。

 

 いちいち数えるのも億劫になってからは手袋を着け、物理的に見えなくした。

 まあ、そんなことはどうだっていい。

 

 あれから俺は、少し回り道をすることに決めた。

 もちろん白蘭を倒す目的は諦めていない。ただ、今まで見落としていたものを……死ぬ度に零れ落ちてしまったものを拾い上げたくなった。

 

 きっかけは、ブルーベルを守った人生に他ならない。

 並行世界でただの少女だった彼女を目の当たりにして、それまでただの敵だと断じていた彼らの正体を見定めたくなったんだ。

 

 倒す相手を知ることは必要だ。

 しかし、必要以上の深入りは同情を生む。

 同情は迷いを生んで、やがて覚悟を鈍らせる。

 

 自分を殺したことだってある相手に同情するなんて馬鹿のする真似だ───以前の俺なら、そう切って捨てていただろう。

 

 けれど、知りたくなった。

 どうして彼らが守護者になったのかを。

 白蘭を守りたいと強く思うようになったか───その理由を。

 

 桔梗に会った。

 世に知られる大企業の幹部候補としてエリート街道を進むはずだったが、上司のやっかみで陰湿な横暴に鬱屈とした人生を歩んでいた。

 個人の才能が評価されず、低能な年寄りが権力を振るう社会には辟易していたようだ。

 

 ザクロに会った。

 自然豊かな故郷にこそ暮らしているが、それは十分なインフラが行き届いていない証拠でもあり、酷く貧しい生活を強いられていた。

 風土病で床に臥してからというもの、誇りであった故郷が憎くて堪らなかったようだ。

 

 デイジーに会った。

 不死身に近い肉体を有してしまったが為に特殊な施設に入れられた結果、ありとあらゆる薬の実験体として扱われていた。

 家族に疎まれた肉体を忌み嫌い、捨てたいと考えるからこそ、簡単に死んでしまえる生命を羨んでいたようだ。

 

 世界が違えば辿る道筋も違うが、概ね似た経緯だった。

 そうしたどん底から救われたからこそ、真6弔花の白蘭への忠誠は固く、燃え上がる覚悟も凄まじい。

 知ったからこそ道理だと理解できた。彼らの強さを。

 

 そしてもう一つ、判明した事実がある。

 守護者になる真6弔花に出会い、絆された俺が手を貸した世界線では、()()()()()()6()()()()()()()()()()()

 6弔花もそうだったが、世界線ごとにメンバーは入れ替わる。

 そう、白蘭はきっと不運に見舞われた人間から守護者を抜擢していた。何も不便していない人間に忠誠を誓わせるよりも、どん底で苦しんでいる人間を助けた方が恩義を売ることも容易く、味方に引き込むのに苦労はしないだろう。

 

 これも数多くの並行世界と知識を共有しているからこそ可能な芸当───人の心につけ込むやり方だ。

 卑劣だ───なんだと叫ぶつもりはない。

 見方を変えれば、その世界線で苦しんでいる人間を救い上げているんだ。

 

 でも……気に入らない。

 出会った当初の彼らは殺人鬼なんかじゃなかった。

 悩みを抱え、苦しみを覚え、心を痛ませる人間───それが真6弔花の正体。

 

 彼らの覚悟は本物だ。守護者としての格も強さも、守護者擬きの俺なんか遠く及ばない。

 

 だからこそ……だからこそだ。

 世界線ごとに守護者の面子が変わっていた事実が、無性に腹が立って仕方なかった。

 

 違う世界線で見たんだ。

 敏腕社長として遺憾なく才能を発揮して、社会を豊かにしていた桔梗を。

 自然豊かな故郷を誇りだと謳い、多くの子宝に恵まれていたザクロを。

 オリンピック水泳の選手として活躍し、金メダルを掲げるブルーベルを。

 いくつもの難病を治す新薬開発に協力し、讃えられていたデイジーを。

 

 他の守護者も世が世(パラレルワールド)なら各分野のトップを飾る人材であったのは、俺にとって既知の事実。

 そうした彼らの未来を───他ならぬ自分の守護者であった彼らの未来の悉くを、白蘭は潰して廻っているのだから。

 

 そこには名誉も栄華もなく、荒廃した世界が広がっているだけ。

 そんな未来、認められるはずがない。

 

───守りたい。

 

 再び使命感に火が点く感覚を覚えた。

 

 馬鹿な話だ。自分でもそう思う。

 ユニを守りたいと焼べた覚悟は今や燻り、白蘭に立ち向かう動機も黒煙のようにどす黒い復讐心ばかり。

 途方もない旅路に疲れ果て、涙の味も忘れていた俺に“守りたい”って覚悟を思い出させてくれたのが、何度も涙を飲ませた敵だなんて。

 

───会えて、本当に良かった。

 

 とんだ回り道だったが、大いに実りある旅路だった。

 

「……よしっ」

 

 死に戻った先で墓を作った。

 

 これは別の世界で死んだ自分の為のものだ。ほとんどルーティーンと化している行為に近いが、今回はいつもと違った衣装を凝らす。

 

 いくつかの花を供えたんだ。

 

 桔梗、ザクロ、ブルーベル、デイジー、それにトリカブト。

 

 これは新しい誓い……覚悟の証だ。

 いずれ真6弔花として対峙するかもしれない彼らの凶行を食い止める、その思いを形にしてみた。

 

 これを“最期”にしよう。

 “死んでも”なんて甘い覚悟は、もう要らない。

 

 

 

「死ぬ気で───みんなの未来を守る」

 

 

 

 

 君がくれたリングは、きっとその為にあるんだ。

 

 

 

 そうだろ? ───ユニ。

 



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Ⅲ.『ここからもよく見える』

 晦冥が辺りを包み込む。

 並盛町の中心から外れた森の中からは、空に無数の星々が浮かんでいる様子がよく見える。

 

 眠りに忌避を覚えてからというもの、気を紛らわせるために覚えるようになった星座を数える。

 健やかな寝息があちこちから聞こえるが、どうにも今日は眠れそうにない。

 

 ここ一か月は激動の連続だった。

 しかしながら、展開自体は今までにないほど好調だ。

 

 10年バズーカでボンゴレリングと共に過去からやって来た綱吉さん達、ボンゴレファミリー。彼らと一緒にメローネ基地へと潜入し、第一の関門であった6弔花を誰一人欠けず下せた事実は大きかった。

 しかも、綱吉さんと入江正一と出会った過去をきっかけに誕生した秘密兵器“ボンゴレ(ボックス)”は、ユニを狙う真6弔花の修羅開匣相手に互角以上の活躍を見せていた。

 

 

───やれる。

 

 

───やっと。

 

 

───未来を。

 

 

───運命が。

 

 

───変わる。

 

 

 希望が見え、否応なしに心が浮足立つ。

 その所為で眠気が覚めてしまい、ユニが予知する決戦前夜というにも拘わらず、目は冴えたままだった。

 

 ならばと独りで始めた天体観測───しかし、それはすぐに終わりを迎える。

 

「眠れませんか?」

 

 満点の星空に、虹が架かった。

 

「……ユニ」

「ふふっ、実は私もなんです」

「体に響くよ」

「分かってはいます」

 

 でも、と彼女は困ったような笑顔を浮かべる。

 

「……少しだけ付き合ってあげるよ」

「ありがとう」

 

 ユニはそう言って隣に腰掛けた。

 俺も仰向けから上体を起こし、座る彼女と視線の高さを合わせる。

 

 目と目が合った。

 それからしばらく沈黙が続く。

 

 なんと言いだそうか。

 こちらが勝手に気まずくなっていれば、それを見たユニがコロコロと喉を転がす。

 

「すみません、我慢できなくなって」

「そんなに面白い顔してた?」

「いえ、そういう意味じゃ……」

 

 しばし、鈴の音に似た笑い声は深夜の森林に溶け込んでいた。

 

「ふぅ……ようやく収まりました」

「それなら良かった」

「でも、なんだか不思議な気分です」

「?」

「こうして貴方の傍に居ると……ずっと……ずっと昔から一緒に居たような気がするんです」

 

 ひゅう、と涼しい風が鳴いた。

 同時に思わず口から零れ落ちた声も、深い森の奥へと吸い込まれて消える。

 

「ごめんなさい。おかしな話だとは自分でも思います。沢田さん達と同じ……貴方とは今日会ったばかりなのに」

「……きっと予知さ。昔に見た記憶が混同してるんじゃないのか?」

「そんなはずでは……」

 

 そうだ、()()()()()()()()

 鉄の帽子の男が言っていた“呪い”によれば、この世界のユニが俺を知っているなんてありえないんだから。

 俺の死に戻りを見越した上での予知と言われた方が、まだ信憑性が高い。

 

「もうそろそろ休もう。ユニの予知じゃあ、明日が最後の戦いになるんだろ?」

「っ! ───……はい、それは確かです」

「なら夜更かしは禁物だな。明日は早いよ。さ、眠ろう」

 

 まだ何か言いたげな様子だ。

 態度があからさま過ぎたかもしれない。こう見えてもユニは人の心を読む力に長けている。俺が何かを隠したがっていることくらい、彼女には筒抜けだろう。

 けれども、そうした意思を汲み取ってくれたのか、彼女はそれ以上言及してこなかった。

 

 その心遣いだけでスッと心が軽くなる。

 俺が抱えている問題……“呪い”は、他人に打ち明けるには重過ぎる。

 死んで、死んで、何度も死んで。気が狂いそうになるくらい輪廻を繰り返して辿り着いた先が、正一さんの言う白蘭に支配されていない唯一の世界線だなんて。

 

 これが正真正銘最後のチャンス。

 この機を逃せば、再び勝ち目の少ない時間軸へと死に戻り、延々と白蘭に屠られる目に遭うだろう───が、俺のことはどうだっていい。

 

 横たわるユニを見つめる。

 ジッリョネロのボスであり、呪われし赤ん坊ことアルコバレーノのボスであるにも関わらず、その寝顔からは未だにあどけなさが抜けない。

 これだけの若さであるというのに、背負った使命の重さと白蘭に狙われている恐怖、その二つからくる重圧は想像を絶するだろう。

 

「……今度こそ、守るから……」

 

 頬を撫でようと手を伸ばしたところで、ピタリと手を止めた。

 幾ばくかの逡巡。

 その間、革手袋で隠した痣と傷だらけの手を思い出し……手を引いた。彼女に触れる権利を俺は持っていない。ファミリーでもなければ守護者でもない。この時間軸の彼女は、あくまで自分の知っているユニとはまったく違う人生を歩んだ別人なのだから。

 

───あの頃みたいに気安く手を取れる間柄じゃないんだ。

 

 自嘲染みた笑みを浮かべ、黒蛋白石(ブラックオパール)のような輝きを放つリングをじっと見つめる。少し傾けるだけで色彩を変える宝玉は美しくもあるが、行く先の不透明さを表すようで不安を煽られるようだ。

 けれども、こいつとも随分長い付き合いになった。

 元の世界のユニから託された唯一の形見ともいえる品だが、今では身体の一部同然に馴染んでいる。

 

 むしろ外している方が落ち着かないが、

 

「……未練がましいったら……」

 

 リングの位置が今になって気になった。

 ()()()()()。気づくや、自身の青臭さに顔が燃えるように熱くなる。

 

 いい機会だ。そう思ってリングを別の指に移そうと手をかけた瞬間、ふわりと手が重なった。

 

「外してしまうんですか?」

「え……?」

「とても大事そうにしているように見えたので」

 

 眠りに就いたかに思えたユニが制止してきた。

 とはいうものの、一日中追いかけ回された疲労は誤魔化せないようだ。辛うじて開かれている目も、瞼がとろんと半分覆い被さっている。

 きっと夢見心地なのだろう。このまま静かに黙っていれば、そう経たない内に再び眠りに落ちてくれるはずだ……───。

 

「誰か……好きな方が居たんですか?」

 

 そう思っていた俺を殴りつける衝撃。

 直後、全身は凍り付いたように身動きが取れなくなった。別に特殊な力が働いている訳ではない。

 ただ、彼女の言葉を受け取った体が、俺の意思に反してピクリとも動かなくなっただけだ。

 

「……どうして、そう思う?」

「リングを見ている時、貴方がそういう目をしていらっしゃったので……贈り物、ですか?」

「……」

「っ、ごめんなさい。どうしても気になってしまって……嫌な事を思い出させてしまったのなら───」

「……謝らなくていいよ」

「常磐さん……」

「ただ、少し長くなるから……」

「構いません」

 

 聞かせてください、と控えめな声が響く。

 彼女の瞳には、どんな顔の俺が映っているのだろう? 暗がりに居る所為で見ようにも見えないが、たとえ見たところでどうこうという話でもない。

 でも、()()()()()()()()()()()()()()()───その一点だけは気になりながら、ぽつりぽつりと語った。

 

「好きな人が居たんだ」

 

「ずっと……もう、ずっと会えていないけど」

 

「好きだった女の子がくれた物でさ」

 

「親も居なくて、孤児院に引き取られてた俺ともよく遊んでくれて」

 

「これからもずっと一緒に居ようなんて約束もしたりして」

 

「けど、遠い場所に行っちゃったんだ」

 

「会いたくても会いに行けないくらい遠い場所に」

 

「……これは、大切な思い出なんだ」

 

「もう、碌な中身も憶えちゃいないけど」

 

「二人で過ごした時間があったんだって」

 

「そう、ちゃんと思い出させてくれる宝物なんだ」

 

 要領を得ない話になってしまった自覚はある。

 それでもユニは最後まで寝ずに聞いてくれたようだ。すると未だに握られている手に強い圧迫感を覚えた。強く握られる程に伝わってくる震え。心なしか涙声のユニは、スンッ、と鼻を啜る音を微かに鳴らしながら口を開いた。

 

「そう……、ですか」

「眠る前なのに辛気臭い話しちゃったな」

「いいえ、そんな」

「……それにしても酷いだろ? 自分で大切だって言ってるのに、当の思い出の中身はこれっぽっちも思い出せないんだから」

「……違います」

「え?」

 

 横たわっていたユニが身を起こす。

 すれば、夜風に揺られる木々の隙間より差し込む月光が、彼女の姿を淡く照らし上げた。

 

 綺麗だ。

 何度も死に戻っても、出会う機会はまちまちだった。

 だからこそ、その太陽のような温もりを強く覚えるほどに、虹のような儚さを深く焼き付けられてしまう。

 

 会いたかった。

 でも。

 会いたくなかった。

 

「───……ぁ……」

 

 彼女の瞳に映る姿。

 俺の、くしゃりと歪んだ笑顔。

 

 それは間違いなく、()()()()()()()と悟っている姿だったから。

 

「とても……寂しそう」

「ぇ……」

「貴方の傍にはたくさんの人が居る……なのに、貴方自身は“自分は一人だ”と思い込んでいる。───……違いますか?」

 

 ああ、そうだ。

 ()()()()()()()()()

 

「大丈夫、怖がらないで」

 

 痣だらけの手を覆い隠す両手。

 こちらを見つめてくる瞳は雲一つない大空みたいに澄んでいて、心の裡に隠した秘密なんてものは、すぐに見透かされてしまう。

 

 いつだってそうだ。

 今までもそうだった。

 

 だから、

 

「貴方は決して一人なんかじゃない」

「……でもッ、いつかみんなから忘れられたら……っ」

「忘れなんてしません」

 

 彼女は最初から───本当に最初から分かっていたのかもしれない。

 

 俺が辿った過酷な旅路も。

 繰り返される生死の呪いも。

 

───全部分かって、このリングを託したんだ。

 

 苦悩と覚悟を湛えた目を前に、俺は思い出した。

 それは二度と思い出すまいと記憶から消した、()()の死に際。

 

「思い出は消えたりなんかしません。貴方の大切な思い出も、きっといつか思い出せるようになると……思い出せるように私が願っています」

「……やっぱりそういうところ……そっくりだ」

「え……?」

「ねえ、ユニ。ひとつだけ……我儘を聞いてほしいんだ」

「? なんでしょう」

 

 目を白黒とさせるユニを前に、俺はリングを見せつけるように掲げた。

 瞬間、リングは俺を駆け巡る波動と覚悟に呼応し、透き通った橙色の炎を揺らめかせる。何回も死に戻る旅、澱んでは澄んでを繰り返した死ぬ気の炎も、今は迷いない想いをそのままに燃え上がっていた。

 

「明日……何があっても、俺は君を守る」

「常磐さん……それは、どういう意味で───」

「……なんでもない」

 

 言ってから恥ずかしくなった。

 無理やり『おやすみ』と切り上げれば、そのまま不貞寝みたいにそっぽを向いて倒れ込んだ。

 すれば、堪らず噴き出すようなユニの息遣いが聞こえてくる。

 こっちの気持ちを察してか否か、ほんのりと上気した頬を湛えた彼女は、そっと顔を耳元へ寄せて囁く。

 

「……おやすみなさい」

 

 って。

 それでまた、俺は眠れなくなる。

 けれど、いったん夢の中に落ちてしまえば……それこそ今までが嘘だったように安らかな時間を過ごせていた。

 

 

 

 そして───最後の夜明けを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 真6弔花との決戦は熾烈を極めていた。

 7³ポリシーの要たるユニを手に入れる為にも白蘭は本気だ。故に襲撃をかけてきた真6弔花も鬼気迫った様子の攻勢に出ていた。

 幾度となく苦渋を味わわされた強敵には違いない。が、伊達に命を賭してきた訳じゃない。

 

「ぶーっ! さっさと死んじゃいなさいよ!」

「これ以上……死んで堪るかあああっ!」

 

 修羅開匣したブルーベル相手に、晴トカゲ(ルチェルトラ・デル・セレーノ)を開匣して迎え撃つ。純度の高い雨の炎───延いては“鎮静”の効力は、こちらに抵抗する暇も与えずに殺してくる恐ろしい力だ。

 

 だからこそ晴属性の“活性”が活きる。

 綱吉さん達と合流する前にミルフィオーレの兵器工場から奪った『晴トカゲ』は、放出する晴の炎を浴びた対象の自然治癒なんて生温い超速再生を可能とする匣兵器の一つだ。

 予備の炎を蓄積するバッテリー(ボックス)に晴の種火をチャージし、“調和”の特性を有する大空の炎を掛け合わせて開匣しているお陰で、匣ムーブメント低下を克服した。

 襟に巻いて晴の炎を直接浴び続けることで、たとえブルーベルの攻撃を喰らったとしても一撃で殺されるリスクは免れるだろう。

 

 尤も細胞を強制的に超活性させる点から、使い過ぎれば細胞の死期を早める───が、最後の戦いに臨んでいる今となってはそよ風みたいな問題だ。

 

「お前達には誰も殺させない!」

「っ……何よ、こいつ……!?」

「俺が殺されたら……お前達は後戻りできなくなる!」

「───わっけ分かんない!」

 

 激突する雨と大空の炎。波濤のように押し寄せる蒼炎に、リングから放たれる橙色の炎が盾となって受け止めているが、急速に“鎮静”の効果で収縮する。

 純度、炎力、炎圧……どれを挙げても俺が真6弔花に勝る点はない。

 ミルフィオーレから奪取した虎の子の匣兵器も、俺の炎じゃ性能を引き出すどころか、開匣すらままならなかった。辛うじて開けられた晴トカゲの再生能力で命を削った戦いも、いずれ限界は訪れるだろう。

 

 

 けど、それは俺一人だけだったらの話。

 

 

「ドカスが」

「にゅにゅ!?」

 

 劣勢を強いられていた俺に援護射撃が飛んできた。

 射線上に存在していた地面や木々を風化させながら進む弾丸は憤怒の炎。危うく巻き添えを喰らいそうになったけれども、並行世界でも()()()の強さを知っているから、心の底から頼もしいと思えてしまう。

 遠目から見ても眉尻を下げる桔梗の様子からも、敵側からも強大な戦力と見られていることは間違いない。

 

「ヴァリアーのボス……XANXUS。部下も引き連れて数も多いとは中々厄介な」

「バーロー。雑魚がぞろぞろ集まったところで、俺達にゃ万に一つも敵いやしねえよ」

 

 共に修羅開匣し、恐竜の力をその身に宿した桔梗とザクロが集う敵対勢力に睨みを利かせる。

 

 そう、ここには白蘭に立ち向かう大勢の人間が集っている。

 綱吉さんや守護者のみんなは勿論、ヴァリアーやキャッバローネボスのディーノさん、それに復讐者の牢獄から抜け出してきた骸さんとその一味と、錚々たる顔ぶれが揃っていた。

 裏社会でも指折りの実力者達だ。これで期待するなと言う方が無理な話であって、自然と生唾を飲み込んでいた。

 

 数ではこちらが有利だ。

 デイジーは恭弥さんに、トリカブトも綱吉さんが倒した。したがって残存する真6弔花は4人の筈だ───が、

 

 

(───“雷”は、誰なんだ?)

 

 

 嫌な予感が背筋を伝う。

 未だ目にしていない最後の守護者。並行世界で何度も見た顔が、今回に限って一度も現れていない守護者の存在に、胸中の不安が収集つかない程に膨れ上がる。

 

 その時だった。

 

 爆ぜる雷光と共に、()は現れた。

 

「ッ……白、蘭……?!」

 

 容貌は奴そのもの。

 けれど、その異様な空気を伴って参上した謎の存在が、白蘭であって白蘭でない者であると周囲に知らしめていた。

 誰もが混乱している。真6弔花だって同じだ。

 だが、この中で一番動揺していたのは───間違いなく俺だった。

 

()()()()……あんな奴、俺は知らない!」

「……GHOST(ゴースト)……あれが並行世界(パラレルワールド)の」

「ッ!?」

 

 桔梗が零した言葉に耳を疑った。そして悟った。きっとあれは白蘭の力の産物……この最終局面に投入されるだけの価値がある駒だって。

 そうこうしている間にも隼人さん達が嵐豹(パンテーラ・テンペスタ)と雨イルカの匣コンビネーションによる大技を、GHOST目掛けて繰り出した。

 

「ぐあ!!」

「当たったのか!?」

「わからねえっ」

「ぬっ、様子がおかしい!!」

 

 炎の余波で全員がたじろぐ中、GHOSTは爆炎をすり抜けて出てきた。

 対する嵐豹はというと、

 

「瓜ィイ!!」

 

 炎を吸収された所為か、嵐猫(ガット・テンペスタ)へと戻ってしまっていた。

 

(? なんで今、吸収されたって分かった?)

 

 みんなが驚愕する中、俺だけが妙な既視感に胸騒ぎを覚えていた。

 嚙み合わない歯車が軋む音を立てるような不快な音が頭に響く。また、最後の最後に残されたパズルのピースが判別つかない───喉元まで出かかっている答えが出てこない歯痒さと焦燥に、散り散りになった記憶の断片が掻き集められていく。

 

 これは……これは、遠い過去の記憶だ。

 忘却の彼方へ忘れ去られていた───いや、忘れようとしていた忌わしいトラウマだった。それこそ最初の絶望だったかもしれない。

 

「炎を吸収……───まさかっ!?」

 

 GHOSTの炎が靡く。

 これは予兆だ。大量虐殺が始まる合図。

 

 ジッリョネロもボンゴレも、奴のその力に殺し尽くされた!

 

「みんな、逃げろおおおおおっ!!!!」

 

 叫ぶ俺に全員の注目が集まったのが分かる。

 直後、靡く炎が無数の光弾となって拡散された。事前に注意を促され身構えていたお陰か、()()()()の人間は光弾の射線から逃げていく。

 

「っ、なんで逃げない!? ……クソ!!」

「え?」

「おい、常磐!?」

 

 了平さんが俺を呼び止める声が聞こえてくるが、走り出した脚は止まらない。

 逃げない……いいや、まさか()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ブルーベルへ、襟に巻いていた晴トカゲを突撃させる。俺の生命線とも言える晴トカゲだけれど、こいつの“活性”じゃないとクラゲ・バリア(バリエーラ・メドゥーサ)の中に居るブルーベルを助けられない!

 

 目論見通り、俺に虚を突かれたブルーベルは晴トカゲに弾き飛ばされ、光弾の餌食にならずに済んだ。

 しかし次の瞬間、彼女の身代わりになった晴トカゲが光弾を喰らい───一欠片の炎も残らず吸い尽くされた。

 

 一瞬にして死ぬ気の炎を吸い尽くされた干乾びた姿に、不意打ちを喰らった怒りに燃えていたブルーベルも愕然と目を見開く。

 一方で、隼人さんやヴァリアーからは『敵だぞ!』と非難轟々だ。それも当然か。俺も何やってんだって自分をぶん殴りたい気分だ。

 

「ああ、ったく!」

「あ、あんたっ……なんで、ブルーベルのこと……」

「体が勝手に動いたんだよ!」

 

 あの時と一緒だ。

 

 屈託ない笑顔で兄へと駆け出す少女が、視界の端から猛スピードで迫ってくる車に目もくれずに轢かれかけた時と重なった。

 あの時だって、体が自然と助けに向かっていたんだ。

 開き直るつもりは毛頭ない……けど、自分を守ってくれる守護者を殺そうとする奴の思い通りになんてさせるか。

 

「それより修羅開匣を解け!」

「は? なんで敵に指図されなきゃなんないわけ!?」

「いいから早くしろ!! あいつ───白蘭に死ぬ気の炎を吸い尽くされて()られるぞ!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 恐れていたことは現実へ。

 GHOST───いや、並行世界の白蘭は無差別の虐殺を開始した。周囲の生命から死ぬ気の炎を吸収する成れの果てと化した悪魔は、味方であろうと構わず狙いを定める。

 駄目だ、打つ手がない。

 実体があるのならまだしも、リングも匣兵器も通用しないなんて冗談もいいところだ。

 

───けど、

 

「引き下がれるかあああっ!!!」

「常磐殿!?」

「ユニの下には……死んでも行かせないっ!!」

 

 片っ端から匣兵器を開ける。

 いつまでも手をこまねいていれば、いずれGHOSTはユニの下まで辿り着いてしまう。そうすれば現時点で有効打も判明していない相手に、ユニの護衛を務めている綱吉さんや非戦闘員のみんなも危険に晒される。

 それだけは避けなきゃいけない───その一心で奮い立ち、雲ムカデ(スコロペンドラ・ディ・ヌーヴォラ)を開匣した時だった。

 

 一瞬、GHOSTの体が()()()

 いかなる攻撃でも歩みを止めることのなかった悪魔が、ほんの一瞬だけ蹈鞴を踏んだのだ。

 

 何故?

 雲の炎が利いた? いや、違う。それなら恭弥さんの匣兵器でとっくに倒されているはずなのだから。

 骸さんもD(デイモン)・スペードの魔レンズで活路を見出そうとしてくれている。

 

 なら、俺も俺の観点で突破口を切り開かなければ。

 

「───そうか、吸収だ!! 死ぬ気の炎を吸収する攻撃なら!!」

 

 匣兵器の性能は熟知している自負がある。

 雲ハリネズミになくて雲ムカデにある特性と言えば、炎の吸収。人間や匣兵器問わず死ぬ気の炎を吸収し、自身のエネルギーへと変換する能力は後者ならではの能力だ。

 

「だが、オレのザムザは使い物にならんぞ!」

「弱点が分かったところで都合よくそんな匣兵器など……!」

 

 既にザクロに雲ムカデを破壊されたラルさんやヴァリアーのレヴィ・ア・タンが苦心に顔を歪めていた。

 

「あれ以上の吸収攻撃っつったら、10代目の零地点突破改ぐらいしか!」

 

 隼人さんの言う通り、GHOSTの吸収攻撃に拮抗し得る人はただ一人。

 

 

 

「させない!!」

 

 

 

 ボンゴレⅩ世、沢田綱吉。

 こちらの守備隊の危機を聞きつけたあの人は、燃え上がる火柱同然の炎を揺らめかせ、GHOSTへ特攻を仕掛ける。

 両手を組み合わせて正方形を作る───あの構えは死ぬ気の零地点突破改だ。誰が伝えた訳でもなくブラッド・オブ・ボンゴレの超直感で突破口を見出した彼は、激烈な光を撒き散らせてGHOSTと衝突する。

 

「はああ!!」

「ぼあ゛あ゛あ゛!!」

 

 激突は一分と持たなかった。

 零地点突破改に吸い込まれ、悍ましい断末魔を上げながらGHOSTが消え去ると共に雷のマーレリングが地に落ちる。脅威が去って安堵するの束の間、妙な違和感を覚えた面々が声を上げた。

 

 GHOSTの炎はどこへ行った? と。

 

 そうだ、奴はこの場に居る全員の炎を吸い尽くした。ならば炎はGHOST諸共零地点突破改で吸収した綱吉さんの炎へ還元されるはずだ。

 不可解な現象に誰もが首を傾げる。

 だけど、何度も死を経験したからか……嫌な直感が俺の中で声を上げていた。

 

 GHOSTの炎は何処とも消え、今も尚所在は不明。

 しかし、GHOSTは並行世界の白蘭だ。

 並行世界で守護者であった人物を除いてまで雷の守護者に選んだからには、それだけGHOSTの存在が白蘭に利をもたらすからだ。

 

 最悪を想定しろ。

 絶望を想像しろ。

 それが答えだ。

 それを奴は突き付けてくる。

 

 GHOSTの炎は───。

 

 

 

「僕の体の中にあるのさ♪」

 

 

 

 轟音と共に土煙が上がる。

 満を持して現れた白蘭に立ち向かった綱吉さんが、指で弾かれて地面に叩きつけられた景色だ。余りの速さに目で追えなかった。

 

「綱吉さん!!」

「くるな!!」

 

 駆け寄ろうとする俺を綱吉さんが手で制する。

 

「こいつは……オレが相手する!!」

 

 綱吉さんの気持ちも分かる。

 炎をほとんど吸われた状態じゃ、天地がひっくり返ってもGHOSTの炎を手に入れた白蘭に勝てっこない。

 今は唯一万全な綱吉さんを信じて任せるしかないのか───そう爪を噛んでいられたのも短い間だった。

 

「まずい!! ユニの炎の結界がツナと白蘭の結界に合流するぞ!!」

「止めるんだ!! ユニを白蘭に近づけてはならない!!」

 

 7³の大空同士が共鳴し発生した引力が、避難させていたユニを引き寄せてしまった。

 ここまで来たら死に戻りで手に入れた知識なんてあってないようなものだ。最終局面、立て続けに発生する不可思議な現象に後手に回るばかり。

 

「ユニっ!! ユニィー!!」

 

 どれだけ声を上げようと。

 どれだけ残る(ちから)を振り絞ろうと。

 

 この手は、ちっとも届かない。

 

 刻一刻と時限は迫る。

 ユニの命の炎が尽きる、その瞬間が。

 

「こんな……こんなものじゃないだろ……!!」

「常磐殿!? もう貴方は無茶です!! これ以上は命に……!?」

「お前の覚悟は……()()()はッ、こんなもんかあああああッ!!」

 

 バジルさんが制すが、俺は止めない。

 ありったけの炎を宿し、結界を殴りつける。何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も───今まで何度も死のうが生き返ったように諦めずにぶちかます。

 

 結界の中では、尽きぬ覚悟と縦の時間軸が引き起こす奇跡で原型(オリジナル)へと復活したボンゴレリングを手にした綱吉さんが、白蘭と互角以上の戦いを繰り広げている。

 一方で7³の引力に引き込まれたユニは、アルコバレーノを蘇らせようと命の炎を燃やしていた。

 

 時が経つにつれ、炎の勢いはますます増していく。

 それこそ炎圧自体が綱吉さんと白蘭の戦闘の余波を防ぐ盾となる程に。ユニが消えるのも、最早時間の問題だった。

 

「やめろ!! やめてくれ、ユニ!!」

「……常磐さん」

「君が死ぬ必要なんてないんだ!! 早まっちゃダメだ!!」

「いいえ、これは必要なことなんです」

 

 燃え盛る炎の奥で、覚悟を湛えた瞳が揺れる。

 また、彼女の姿が遠のく。あとちょっと手が伸ばせれば届くのに、俺と彼女の距離はどうしようもできない程に遠い。

 だから醜態を晒しても喚き散らすしかない。

 それで止められるなら安いものだと。

 

 けれど、俺の姿を映す瞳が歪んだ瞬間、ハッと息を飲んだ。

 

 

 

───泣いている。

 

 

 

「……ユニッ……」

「……ごめんなさい。これが私にできる唯一の賭け……」

「違うッ……、そんな訳ないだろ」

「そして、避けることのできない運命(さだめ)

「ユニが死んだら意味ないだろ、馬鹿野郎!!」

 

 とうとう恥も外聞をなくして怒鳴りつける俺に、ユニの呆気に取られる。

 

 ───いい機会だ。

 何十、何百、何千、何万と死んだ積年の……ありったけの思いをぶちまけてやる!

 

「並行世界でもそうだ!! 人の気も知らないで他人の犠牲になって!! その度にどれだけ悲しんだと思ってるんだ!! そりゃそこのユニには知ったこっちゃない話だろうけど……悲しいのはみんな一緒なんだぞ!! 君が居なきゃ生きてる意味がないって思う人間だって居るんだ!! それが俺だった!! だから何度も死んで……何度も殺されて……ようやくこの時代に辿り着いた!!」

 

 何度も結界を殴りつけて血塗れになった拳を、今一度殴りつける。

 からっけつだった炎は、ほんの少し強く燃え上がった。

 

「……平和な世界になっても、意味がないんだ……」

「常磐、さん……」

「君が居なきゃ……だから、死んじゃダメだっ……」

「───ありがとうございます」

 

 ほんの僅かに弱まっていた命の炎の勢いが復活する。

 

「ユニ、なんで……っ!?」

「……貴方の世界で暮らしていた私は幸せだったと思います。だって、こんなにも想われていたんですから……羨ましいです、とても」

 

 覚悟を決めたようにユニの炎が輝きを増す。

 

「なればこそ……貴方の世界にも平和を取り戻さなくちゃ」

「っ───!!」

 

 違う、違うんだ。そうじゃない。

 俺の意図とは裏腹に覚悟を決めてしまったユニは、死の恐怖を押し殺してまで命の炎を燃やす。

 

 火勢が増すにつれ、ユニの姿がおぼろげになる。

 澄んだ炎の内側で、大空に浮かぶ虹は今に消えようとしていた。

 

 ああ、まただ。

 また彼女が遠くへ消えてしまう。

 

「よし! いまです!!」

 

 終わりが近づく中、一際眩い光が空を泳いでいた。

 あれは雨イルカ(デルフィーノ・ディ・ピオッジャ)───それも匣コンビネーションシステムで七属性全ての炎を結集させ、現時点で出せる最高火力を有する状態だ。

 持ち主のバジルさんと共に特攻する雨イルカ。

 七色の炎はそのまま大空の結界に衝突し、爆音が轟いた。すれば鉄壁を誇っていた結界にも僅かながら亀裂入る。

 

 駄目だ、あれじゃ一時的な傷にしかならない───。

 

「こんだけありゃあ充分だぜ」

 

 しかし、みんながやっとの思いで開いた侵入口に人影が飛び込んだ。

 

「γさん……!?」

 

 満身創痍の姿で飛び込んだγさんは、そのままユニに歩み寄って抱きしめる。

 

「───あんたを一人にはさせない」

 

 その言葉の意味を理解するのに、そう時間は要しなかった。

 

「まさか!!」

「アニキ!!」

 

 太猿さんと野猿も叫んでいる。

 俺と違い、こっちの世界でユニやγさんと過ごしていたからこそ、二人の関係をよく知っていたはずだ。

 

 抱きしめ合う二人。

 何やら耳打ちしているようだが、当然俺には聞こえない。けれど、愛おしそうに抱擁する光景は今にでも消えそうだと思えた。

 

 だから手を伸ばす。

 奥へ、奥へと───今度こそ届かせる為に。

 

 

───ダメだ。

───死ぬな。

 

 

───ユニも。

───γさんも

 

 

───何度も死んだんだ。

───何度も殺されたんだ。

 

 

───もうこれ以上、死なせて堪るか。

───もうこれ以上、殺させて堪るか。

 

 

───世界に死なせるもんか。

───白蘭に殺させるもんか。

 

 

───そんな運命、俺は認めない。

───そんな呪い、俺は許さない。

 

 

───死んでもいいなんて。

───死んでも守るなんて。

 

 

───違うんだろう?

───だろ? ユニ。

 

 

「そうだ、“死んでも”守るんじゃない……」

 

 

 

 やっと、気がつけた。

 

 

 

「“死ぬ気”で、守るんだッ!!!!!」

 

 

 

 炎が天を衝かんばかりに燃え上がる。

 刹那、リングから砕けるような音が鳴り響く。限界を超えた波動にリングが耐え切れなくなっているのかもしれない。

 

 奇遇だな、俺もなんだ。

 けど、もうちょっとだけ付き合ってくれ。

 大分永い付き合いだけれど、死ぬ気にならなきゃいけない大一番がこの時なんだ。

 

 

───そんな風にリングに呼びかけた、その瞬間だった。

 

 

「なっ……、見てください!! 常磐殿のリングから……!?」

「あれは───水!?」

「ゔお゛ぉい、止まらねえぞぉ!!」

 

 リングの亀裂からとめどなく溢れだす激流が俺を包み込む。

 けれど、異変は俺だけじゃない。俺以外にも数名、この不可解な現象に見舞われている守護者が居た。

 

 

───『にゅ~!! やぁ~っと見つけたァ~!!』

 

 

───『廻りし者よ……』

 

 

───『バーロー、世話焼かせやがって』

 

 

───『死んじゃうにはまだ早いもんね』

 

 

───『ハハン、義理や人道を謳うつもりはありませんが……これで貸し借りはなしですよ』

 

 

───『ったく、ケツの青いガキがかっこつけやがって……いいぜ、やってみせろよ』

 

 

「にゅっ!?」

「これは一体……!」

 

 マーレリングから溢れ出すヴィジョンが語り掛けてくる。

 ブルーベル、トリカブト、ザクロ、デイジー、桔梗。

 

 そして、

 

 

 

『俺達の分まで、お前が───姫様を守るんだ』

 

 

 

 地面に落ちた雷のマーレリングから投影されるγさんが、俺の肩に手を置いた。

 瞬間、激しい衝撃と共に力が溢れ出し、リングの外装が綻び始める。

 

 ああ、この感触……懐かしいな。

 久しぶりに触れたあの人の炎は、炎が尽きかけた俺を叱咤激励するような荒々しさで目を覚まさせる。自然と背筋が伸びる気分だ。

 

 それだけじゃない。ブルーベルの炎も、トリカブトの炎も、ザクロの炎も、デイジーの炎も、桔梗の炎も───あらゆる世界を渡り歩いて出会った守護者のみんなの炎が、俺に流れ込んでくる。

 

 

 

「───ぉぉぉおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 砕け散るリングと結界。

 

 

 

 その時、俺は───大空へ羽搏ける翼を垣間見た。

 

 

 

 

 

 

「一体……何が起こったんだい?」

 

 轟音と共に流れ込んできた砂埃が、命の炎を燃やしていたユニとγの姿を覆い隠している。その所為で結果を目撃することが叶わなかった。これではユニが無事かどうかも定かではない。

 度々余計な茶々を入れられる白蘭の顔は、あからさまに苛立ちに歪む。

 

「まったく……プレイヤーじゃない乱入者にはご退場願うよ、γクン!!」

「っ……やめろ、白蘭!!」

 

 白蘭は怒りのままに、捥ぎ取られた翼の根本からドス黒い血が形を成す龍を奔らせた。

 ほんの一瞬、されど一瞬の虚を突かれた綱吉は、焦燥を顔に滲ませながら白蘭の執念の塊を追う。

 炎を纏わせた手刀で次々に首を切り落とす。が、一体だけ仕留めきれずに取り逃がす。

 

「っ───しまった!」

 

 今のγに白蘭の攻撃を防ぐ余力はない。

 状況が把握できない以上、ユニの命の炎による防御を頼りにできず、焦燥が汗となって流れ落ちる。

 

「避けろ、γ!!」

「ムダムダ♪ 間に合わないよ」

「やめろおおおっ!!」

 

 綱吉の慟哭を置き去りに───血みどろの龍が、守護者が居た場所へと突き刺さる。

 次の瞬間、土煙の合間を縫うように血飛沫が舞う。息を飲み、悲嘆に揺れる声が結界の外で響く。

 

───殺った。

 

 邪魔な守護者を屠れたと白蘭は悦に浸った笑みを浮かべた。

 

「アッハハ♪ お姫様を守る騎士(ナイト)を演じようったって、キミには道化師(ピエロ)がお似合いさ。ゲームオーバーだね」

「───それはお前の話だ、白蘭」

「え?」

 

 予想だにしていなかった声に、白蘭が素っ頓狂な声を漏らす。

 すると、妙な空気の流れと共にやけに通った外の音が聞こえてきた。

 

「見ろ!! 結界が割れているぞ!?」

 

 一番大きい了平の声が、破られた結界の穴に視線を集める。

 ありえない。白蘭が一番に思った感想はそれだった。あれは7³の大空同士が共鳴して生まれる結界。強大な複合属性の炎でも一瞬しか傷をつけられない代物に、ああも巨大な穴を穿つ存在など考えられない。

 

 

(それこそ、7³の───)

 

 

 刹那、雷光が爆ぜた。

 目が眩むような鮮烈な輝きは、その場に居た全員をたじろがせる。

 

「γクンの炎……じゃあないねっ」

「───やっと……」

「なに?」

「やっとこれで……守れる」

 

 一際大きな雷光が、今度は空気を裂いて進む衝撃により土煙を晴らす。

 そこに佇んでいたのは、一体の巨大な盾と一人の人間。γを食い殺すはずだった龍は、そそり立つ三本の角に受け止められているではいか。

 生半可な匣兵器では受け止めることすらままならない攻撃だったはずだ。

 それをいとも容易く防いでみせたのは、雷属性の“硬化”で最硬級の盾と槍を両立した恐竜(ダイナソー)型匣兵器。

 

「───雷トリケラトプス(テリチェラトーポ・フールミネ)

 

 常磐刹那、その人の匣兵器であった。

 予期せぬ援軍。そして何よりも自身等が消えていない事実に驚いていたγは、結界を突き破り乱入してきた刹那へ問いかける。

 

「っ……お前さん、そりゃあ一体……」

「下がってください、γさん。ここからは俺がやります」

「! ……ああ、分かった」

 

 困惑していたγだが、彼の左手に輝く物を見た途端、打って変わって素直に踵を返す。

 当然、()()()()()()()()()()()()も一緒にだ。健やかな寝息を立てているところを見るに、命の別状はないらしい。

 皆が胸を撫で下ろす中、ただ一人───白蘭だけは視線だけで人を射殺すと言わんばかりに、立ちはだかる少年を睨みつけていた。

 

 わなわなと震える拳は焠ぐ怒りをありありと表し、炎を迸らせる。

 

「ねぇ……邪魔だからそこ退いてくれないかな?」

「退かない。これ以上、ユニを追わせもしない」

「あっそ。それなら君を殺すだけだから構わないんだけど……最期に一つ質問いいかな?」

 

 白蘭の視線は少年の左手に輝くリングへ注がれていた。

 真珠のように白い宝玉。湛えた翼は、横に広がる時間軸を表すように悠々と広げられている。

 放つ炎は橙色───極限まで澄んだ純度の高い大空の炎は、波動と共に流れ込む覚悟に比例するかのように燃え上がった。

 

 そのリングを、白蘭は知っている。

 いや、現に()()()()()。並行世界で手に入れたとか、そういう次元の話ではないのだ。

 

 

「な のか?」

 

 

 見せつけるように掲げたリングと少年のリングは───瓜二つであった。

 

 

 

───()()()()()()()()()

 

 

 

 その至宝を、人はそう呼んだ。

 

「決まってるだろ」

 

 殺気をものともしない刹那が、空色の瞳で白蘭を睨み返す。

 真の姿を露わにしたリングは、白蘭に勝るとも劣らない炎を揺らめかせるように、ようやく目覚めた覚悟の輝きを海の悪魔に見せつける。

 

 そして、とうとう完全なる覚醒を迎えた。

 

「そいつは俺が───ユニにリングを託された守護者だからだッ!!!!!」

「ぐぅう!!?」

 

 解放される超絶とした炎に煽られる白蘭。

 余りの炎圧に慄く間もなく、覚悟を固めた拳を握る刹那は、倒すべき悪魔の目の前に佇んでいた。

 

「……覚悟しろ、白蘭」

 

 ボゥ、と炎が爆ぜる。

 

 

 

 

 

「俺は死ぬ気で……お前を倒す!!!!!」

 



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Ⅳ.『君じゃなきゃ出来ないんだ』

 白い人影が宙を舞う。

 

 

 

 少年の振り抜かれた拳を貰い、体勢を整える間もなく地面を滑る。パタパタと地面に落ちる音だけが響いた後は、その衝撃的な光景を前に誰もが固まっていた。

 

「や、やりやがった……あいつ」

 

 驚愕と興奮が綯い交ぜになった面持ちを湛える獄寺が呟く。

 土をつけた相手は、死ぬ気で修行を重ね、縦の時空軸の奇跡にて原型のボンゴレリングを取り戻した綱吉でようやく立ち向かえるようになった存在だ。

 それをボンゴレリングすら持たない───正確に言えば、白蘭と同じリングを嵌めた少年が成し遂げたというのだから、驚くなという方が無理な話である。

 

「……立ちな、白蘭」

 

 騒然とする中、振り抜いた拳を引き戻す刹那が言い放つ。

 

「今のはほんの小手調べだ。……これでようやく自分の全力を知れた。次は手加減なしだ、覚悟しろッ!」

「───プッ、ハハハハハ!」

 

 狂った笑い声が反響する。

 間もなく立ち上がる白蘭は、狂悦に歪んだ眼を湛えながら参入したプレイヤーを歓迎するかの如く両腕を広げた。

 

「なんてこった! とんだイレギュラーだよ、キミって奴は!」

 

 本当に楽しませてくれるね、と嗤う白蘭であるが、途端に声のトーンが下がる。

 

「しかし……どういう訳なんだい、それは? わざわざ僕のマーレリングに似せて作るなんて、悪趣味もいいところだな~」

「違うな、これはジッリョネロの……ユニが持つべきだったリングだ! お前のリングなんかじゃない!」

「それはこっちの台詞だよ、刹那クン」

 

 白蘭の瞳が細められる。

 鋭い眼光と共に送られてくる敵視の念は、暗に目の前に現れた存在を認めないと言っているようだった。

 

「GHOSTをさっき見たろう? 並行世界間の移動は最先端の技術を以てしても不可能なんだ。さっきの口振り……ちょうど彼が居た並行世界からやって来た風だったけれど……ありえないんだよ、そんなこと」

 

───あっちゃならない。

 

 語気を強めた言い方は、そう告げていた。

 

「奇跡でも起こらない限り、ここに居る君は並行世界からやって来たタイムトラベラーでもなんでもない。そういう風に思い込んでしまった、可哀そうな異常者だよ」

「白蘭!」

「違うかい、刹那クン? 例え君が本当に並行世界からやって来たとしても、こっちのユニちゃんは君の居た世界のユニちゃんとはま~ったくの別人なんだから! アハッ、健気だねェ! それでいて滑稽極まるよ!」

 

 なんてムダな覚悟を燃やしているんだ!

 と、少年の存在を真っ向から否定する白蘭に、綱吉の怒りを孕んだ叫びが響き渡る。

 一方、当人はと言えば動揺をおくびにも出さず討つべき仇敵を睨みつけていた。否、そもそも動揺など、元よりしていないだろう。

 

───覚悟は疾うに決めた。

───なら、やり抜くだけ。

 

 固く握られた拳に古の誓いを宿し、刹那の炎は尚も烈しく燃え盛る。

 

 

 

 

 

「───その奇跡が起こっているのです、白蘭」

 

 

 

 

 

 瞬間、澄み渡る声が鼓膜を揺らす。

 

「ひ、姫……!? もう起きて大丈夫なのか、あんた……」

 

 狼狽するγの前に佇む人影。

 ジッリョネロファミリーの紋章でもある五花弁が刻まれたマントを靡かせ、年不相応な威風堂々たる居住まいを見せつけるのは他でもない、ユニだった。

 命を懸けてまで炎を燃やしてからそう時間は経っていない。

 

「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます、γ」

「……姫?」

「少し……行ってきます」

 

 違和感を覚えるγを置き去りに、ユニが結界の下まで歩み寄る。

 その間、刹那は食い入るように彼女を眺めていた。すれば、記憶の中よりフラッシュバックされる姿と一挙手一投足が重なる。

 

「……()()()()()?」

「……お久しぶりです、()()

 

 心の底より嬉しそうな笑みがユニに咲いた。

 感極まる余りほんのりと涙こそ浮かんでいるものの、視界にはしっかりと少年の姿を映している。

 

「う~ん? ユニちゃん、どういうつもりかな。まさか同情の余りに一役演じてあげてるとかじゃないよね」

 

 そこへ聞こえる怪訝な白蘭の声。

 目の前に居るユニに違和感を覚えているのは彼も同じであった。

 しかし、俄かには信じがたい現象に確証を得られず、必然的に水を差す疑問を投げつけただけだ。

 

 やおら、ユニの視線が白蘭を射抜く。

 感じられるのは───敵意だった。つい先刻よりも鋭く、隠し切れない怒りが覗いている瞳。

 

 確かに苦悩と覚悟を湛えた()()()()()()とは違うらしい。

 そこで白蘭は一つの推測に思い至った。

 

「まさか……チョイスの時に話していた力のことかい?」

 

 その通りです、とユニは頷いた。

 劇薬を投与され、一時は物言わぬ体にされた彼女が言い放った『遠くに避難していた』『私も他の世界へ翔べるようです』といった言葉の数々が脳裏を過る。

 

「ふーん……それが本当なら興味深い話だね」

「今は眠りに落ちたこの身体を借りているだけ。こちらの世界の私がそうしていたように、我が身から抜け出し、幾千の世界と幾星霜の時を経て……そして今、彼の起こしてくれた横の時空軸の奇跡が、私をこの世界に導いてくれました」

 

 涙を拭い、凛然とした居住まいに戻ったユニが白蘭を見据える。

 近しい者にしか分からぬほんの微妙な雰囲気の違いだが、それこそが今この場に居るユニが、この世界線のユニでないことを示す確かな証拠であった。

 

「ご覧になったでしょう、先のマーレリングの輝きを」

「あー、あれね。あれが一体何の関係があるって言うんだい?」

「こちらの私がお教えした通り、『(ボンゴレ)』が縦の時間軸を象徴する一方、『(マーレ)』は横の時間軸の在り方を象徴しています。それは大空のみならず、守護者たる六人の持つリングにも通ずるものがあります」

 

海はその広がりに限りを知らず

貝は代を重ね その姿受け継ぎ

虹は時折現れ はかなく消える

 

 三つに分かたれた7³の引き起こす奇跡を唄った詩は、それぞれの大空の在り方を示している。

 だからこそ、ボンゴレリングは初代ファミリーの意思を受け継ぐことで原型のボンゴレリングを取り戻した。

 片や白蘭は、大空のマーレリング適応者として、並行世界に生きる自分自身との知識と記憶の共有する力を得た。

 

 だが、何も奇跡は大空だけに引き起こされるものではない。

 

「沢田さんの守護者の方々が真のボンゴレリングの姿を取り戻したように、本来マーレリングを保持する守護者にも同じ力が働きます。それこそ───並行世界の守護者と想いを繋ぎ、結び、遠い世界へと渡らせる力」

「ハハハ、面白い冗談だなァ。でも、その御伽噺には同意しかねるよ。だって、無数のパラレルワールドの中でも僕の守護者にそんな力を持った人間は現れなかったからね」

「それはあなたが守護者を蔑ろにしたからです」

 

 歯に衣着せぬ物言いに、白蘭の眉が顰められる。

 しかし、浴びらせられる威圧感に物怖じしないユニは毅然と続けた。

 

「本来、適応者がリングを継げば、自然と守護者の者にも恩恵はもたらされる……それをできない───いえ、()()()()()()のはあなたが私利私欲の為に力を使うが余り、守護者の目にすら触れぬよう扱ってきたからに尽きます」

「……言ってくれるね。それなら逆に質問なんだけれど、僕が適応者なのは間違いないとして、どうして彼がその力を使えるんだい? 少なくとも彼は適応者じゃないはずだ」

 

 そう言って刹那をねめつけた。

 白蘭にも誇りや自負はある。それは全ての並行世界を支配するに相応しい力であり、何よりもその野望を叶えさせるに足る大空のマーレリング適応者であるという事実だ。

 

 だからこそ許せない。自分以外に適応者が居るなどと。

 

「───単純な話です。リングが彼を認めたのです……自分を持つに相応しい継承者であると」

「はあ?」

「『優れたリングには魂が宿り、魂があれば感じるところもある』と……私が彫金を頼んだ御方は仰っていました」

「うーん、要領を得ないなあ。つまり、何を言いたい訳?」

「リングの魂は、あなたよりも彼を……常磐 刹那を大空のマーレリングを保持するに相応しい適応者と選んだ。そう言っているのです」

 

 恫喝するような物言いに白蘭に対し、ユニはそう言い切った。

 その言葉を受け、刹那は全身に震えるような感覚を覚えていた。ジンと熱くなる胸の内。自然と握った拳を当てれば、次第に景色が霞んでいく。

 斯様な視界の中でも、左手に輝くリングは穢れない輝きを見せつける。

 

「俺を……選んでくれたのか?」

 

 言葉は返ってこない。

 だがしかし、噴き上がる炎がほんの僅かに揺れた気がした。優しく包み込んでくれるような温もりを抱え、炎はどこまでも広がっていく。

 

「───刹那」

「ユニ……」

「私が魂だけとなり彷徨っている間、あなたがあらゆる世界を渡り歩く姿を見てきました。時に苦しく、時に辛い旅路だったでしょう」

「! ……かも、しれない……」

「けれど、今だからこそ言えます。その旅路は決して無駄ではなかったと。あなたが積み重ねてきた行いは、現にこうした形で返ってきています」

 

 その最たるものは、並行世界のマーレリング保持者から送られてくる炎。

 世界が違えば守護者として選ばれていた彼らが、たった一人の少年の手によって幸いにも不幸な人生を避けられた世界線───炎はそこよりやって来ていた。

 

「なんとなく……仔細は耳にしました。転移した世界線で死ねば、呪い……7³の力によってその世界線からあなたの存在が消えてしまうことを」

『!!?』

「白蘭の力に対抗するにはそうするより他ないと、呪いをかけた御仁は考えたはず」

 

 そうだ、と刹那は首を縦に振った。

 並行世界の知識を共有する力に対抗するには、そもそも自身の痕跡を万人の記憶からすっぽりと消さなければならない。それを覚悟の上で呪いを受けたのだ。

 

 けれども、ユニは憶えている。

 遠い並行世界からマーレリングを通して力を貸してくれた面々も、本当ならば自分のことなぞ忘れているはずだった。

 

「だったら、なんで……」

「それもまた、奇跡です」

 

 困惑する刹那へ、ユニが満面の笑みで告げる。

 

「7³が引き起こす現象は人智を超える……あなたの時空に干渉する呪いも、7³に起因する代物です。だから、あなたがより強い覚悟で7³に働きかけたなら───きっと、この奇跡は必然としてもたらされたのでしょう」

 

 リングに選ばれた刹那の『守りたい』という覚悟。

 そして、守護者の『助けたい』という想い。

 

 二つの意志が点と点を結ぶように、世界を超え、繋がり、失われた記憶を呼び覚ましたのだとユニは言う。

 

「誇って、刹那。これであなたへ心置きなく贈ることができます」

 

 この時を待っていました、と。

 そう、祈るように手を組んでいるユニは表情で伝える。好きだからこそ巻き込ませたくないと突き放していた少年が、永い時を経て心身ともに成長を遂げ、本来自分が継ぐべきであったリングに選ばれた。

 

これほど嬉しいことがあるだろうか? ───ユニは涙ながらに続ける。

 

「本当ならこう呼んでしまったら、お母さんやおばあちゃん……歴代のジッリョネロボスの方々に怒られるかもしれません。けれど……貴方をこう呼ばせてください」

 

 お願い、と。

 

 

 

 

 

「大空の───(アルコバレーノ)の守護者」

 

 

 

 

 

 何ら変わらぬ声音で、少年へ告白する。

 

「私を……守ってください!」

「───ああっ!!!」

 

 ゴウッ!!! と炎が雄たけびを上げた。

 

(早い!)

 

 瞠目する白蘭に遅れる形で、全員が炎の軌跡を追った。

 既に刹那は標的の目の前。振り上げる脚は炎を噴き上げながら、大気を突き破る音を奏でる。

 

「白蘭ッ!!」

「大した速さだ……ねっ!!」

「おおおっ!!」

 

 寸前で腕をクロスする白蘭が、迫りくる蹴撃を炎の盾と共に防ぐ。

 瞬間、爆発音が轟く。

 それが刹那の履くFシューズが挙げた唸り声だと気付いた時、白蘭は大きく後ろへ弾き飛ばされていた。

 

「アハッ、よくやるよ! よくもまあ量産型の匣兵器でそんな速度を出せる! 褒めてあげるよ!」

「お陰様でな!! Fシューズ(こいつ)の上手い使い方は……俺が一番よく知っている!!」

「それなら僕が試してあげるよ!」

 

 ドス黒い翼で羽搏く白蘭に対し、刹那はFシューズによる空中移動で立ち向かっている。

 ミルフィオーレのリング保持者であれば支給されているであろう装着型匣兵器、Fシューズ。原理はXグローブと同じで、死ぬ気の炎を噴射して飛行を可能とする兵器だ。

 使用者は数多く、それこそ白蘭や真6弔花すらも使用している。

 使い手の練度によれば、それこそ綱吉レベルの三次元戦闘を可能にする代物であるが、

 

「……フッ」

「気づいたのか、リボーン」

「オレを誰だと思ってんだ」

 

 端的なやり取りの中に、リボーンとラルが歴戦ともいえる観察眼で見抜く。

 

()()ツナじゃできねえ真似だな」

「ああ、Xグローブじゃああはいかん」

 

 FシューズとXグローブ、両者の違いは炎を放出する部位にある。

 前者は足裏、後者は掌。移動に着眼点を置けば、後者は腕の可動域に応じて様々な方向へ炎を噴射できる分、柔軟な三次元の動きが可能だ。

 攻撃手段という点から見ても、本来武器として想定されていない前者と、炎を纏い、放つこともできる後者とでは天と地ほどの差もある───かに思えるだろう。

 

 しかし、少年の戦い方を見れば自ずと理解できる。

 

「常磐の奴、直撃する寸前で足裏の炎を吹かしてる。あれで蹴りの威力を高めるとは考えたな」

「余程鍛錬しない限りタイミングを掴むのも難しいだろうに」

「それこそ、死ぬほど特訓したって訳だろう」

 

 ああ……、と含蓄に富んだ応答を見せるラル。

 戦闘においては知識よりも、実戦でのセンスが問われる部分も少なからず存在する。現実は残酷だ。どれだけ知識を育み特訓を積んだところで、天性のセンスを持ち合わせた人間に敵わないなどざらにある。センスのない者は一生かかっても天才には追い付けない。

 だがしかし、例え凡人であろうが弛まない───それこそ狂気染みた努力を重ねれば、天才にも追い縋ることは叶うだろう。

 

 最初から適応者であった白蘭。

 最期にて適応者となった刹那。

 

「そもそも土台が違ぇんだ」

 

 だからこそ、

 

「───今のあいつは死ぬほど強ぇぞ」

 

 三度、炎が弾けた。

 

「がっ……!!」

「白蘭様!?」

 

 血の尾を引くように墜落する主の姿に、桔梗が悲痛な声で叫ぶ。

 

「馬鹿な……あのような偽物如きに!」

「驚くのはまだはえーぞ」

「っ、アルコバレーノ……!」

「あいつの真価はこっからだ」

 

 冷や汗を流す真6弔花へ、リボーンは死闘の次なる展開(ステージ)へ目を向けるよう促す。

 

「───雲スピノサウルス(スピノサウロ・ヌーヴォラ)!」

「あれは……!?」

 

 匣兵器の登場だ。

 しかも、桔梗の修羅開匣と同じ種類の匣兵器。違いはと言えば通常の匣兵器同様にモチーフとなった生物そのものを繰り出すか、体内に内蔵するかであった。

 刹那の匣兵器は前者だが、桔梗の修羅開匣にも負けず劣らずの増殖速度で増えるスピノサウルスが白蘭へ押し寄せる。

 

「うーん、我ながら壮観壮観♪」

 

 動物(アニマル)型を遥かに凌ぐ戦闘力を有する恐竜(ダイナソー)型匣兵器。雲スピノサウルスよりも一回り小さな雲ヴェロキラプトルでさえ、最新装備を備えた一個師団を根絶やしにする戦闘力は、開発の根幹に関わった白蘭のお墨付きだ。

 

「でも、残念。君は大事なことを忘れてるよ」

 

 牙を剥き出しにし群がる恐竜を前に、白蘭は右手を構える。

 瞬時に収束される死ぬ気の炎。渦を巻いて唸るエネルギーは、間もなく恐竜の群れのど真ん中へ隕石の如き衝撃波を伴って解き放たれた。

 それにより雲スピノサウルスは、炎に焼かれ、あるいは砕ける地面の破片でバラバラな肉の塊と化していく。

 

 その光景を目の当たりにした味方は絶句し、一方で白蘭は実に愉快だと言わんばかりに腹をゆすって哄笑してみせた。

 

「はい、匣兵器やぶれたり~♪」

「……」

「悔しくて声も出ないかい? そりゃそっか。せっかく愛しのユニちゃんに頼られてやる気いっぱいだとしても……大空の炎で無理やり開けた匣如きで僕を倒せるだなんて思わないことだよ」

 

 これが綱吉の天空ライオン(レオネ・ディ・チエーリ)であれば話は別だった。

 波動・リング・匣兵器、全ての属性が揃ってこそ匣兵器は真価を発揮する。大空の七属性で唯一全属性の匣を開ける大空の炎も、正しい属性と比較すれば引き出せる性能は十全とは程遠い。

 故に桔梗が開匣した雲スピノサウルスよりも、刹那の開匣した個体は性能において劣っている。

 

「───本当にそうか?」

「っ……なに!?」

 

 

「ギャオオオ!!!」

 

 

 足元ににじり寄る影に白蘭が飛びのいた。

 すぐそこに迫っていたのは他でもない、先ほど渾身の炎で木っ端微塵にしたはずの雲スピノサウルスではないか。

 

 これに異を唱えるのは桔梗だった。

 

「何故だ!? 例えあの炎圧でも、大空の炎では雲スピノサウルスの増殖能力をああまでも引き出せることは……」

「案外てめーらの目も節穴だな」

「なんだとっ!?」

「本当に大空の炎だけかよく見てみな」

 

 顎で指し示すリボーンに促された者達は目撃する。

 大空の炎を纏う恐竜の額に、仄かに紫色の炎が揺らいでいる光景がそこにはあった。

 

 この時、複数人が思い至ったのは獄寺に通ずる()()()()()

 通常、一人につき強い波動は一つまで。その他は微弱ながらも流れているケースがほとんどでおり、実戦にまで利用できるケースは稀だ。

 複数の波動とそれに応じたリングさえあれば、雲スピノサウルスの十全な増殖能力にも説明がつく。

 

「ちげーな。もっと細々とした小細工だ」

 

 しかし、それを否定するのはリボーン。

 

「あいつの戦い方を忘れたか?」

「……そうか、バッテリー(ボックス)だ! 例えほんの少しでも正しい属性の種火がありゃあ、あとは大空の“調和”で炎を補える!」

 

 一度してやられた経験を持つ獄寺が導いた結論に、大勢が得心した。

 正解だ、と口角を上げるリボーンはさらに補足する。

 

「それも今回はとびっきりの上物……純度100%の炎だ。ほんの小さな種火だろうが、“調和”によって膨れ上がりゃあ、正しい属性をぶち込まれたのとなんら遜色ねえ炎に育つはずだ」

 

 現に雲スピノサウルスは驚異的な増殖速度で白蘭の足元を埋め尽くしている。

 個々の力は自身に大きく劣るとしても、こうも群がられれば心理的にも生理的にも受け付けない。

 

「成程、大した匣戦術だ。弱い者なりの浅知恵らしくて目頭が熱くなるよ」

 

 嘲る白蘭に、四方八方から伸びる雲スピノサウルスの顎が集中する。

 が、黙ってやられるほど寛容な相手ではない。瞬きする間に生えてくる無数の腕が、グロテスクに竜頭を握り潰し、一山いくらの肉団子を量産してみせる。

 

「でも、勘違いしていないかい? 綱吉クン達のボンゴレ匣と違って、君が使うのはあくまでもミルフィオーレ産。つまり、僕も開発関係者の一人♪」

「それがどうした?」

「『底が知れるよ』って話さ」

 

 屍の山と化した雲スピノサウルスを足蹴に、白蘭が飛翔する。

 向かう先は───当然、紛い物の大空。

 

「マーレリングも匣兵器も、所詮は全部僕の既知の範疇。だからこそ親切心で教えてあげるよ……君は僕のお膳立てがなければ、そもそもこの場にすら立てない凡百の一つさ!」

「白蘭、お前!」

「君の力はぜーんぶ借り物! ただの一つでも君が作ったものなんてあるかい?」

 

 侮辱する物言いに激高する綱吉を余所に、白蘭の指に嵌められているマーレリングより炎が迸る。

 捻じれるように渦巻き、収束し、貫通力を高める必殺の一撃は、目にも止まらぬ速さで宙に立つ少年の胸を貫いた。

 

「───だからこんなにもお粗末な結末を迎えるのさ」

「……あるさ、たった一つだけな」

「うん?」

 

 ちゃぷん、と雫が零れる音が木霊する。

 怪訝そうに振り返る白蘭であったが、次第に脱力する身体に『してやられた』と察した。既に突き殺した少年の姿はなく、さらさらと砂のように消えていく。

 

「ごぽっ……」

 

 水中で喋れない白蘭は、音もなく背後に現れた幻影と魚影───否、目玉と魚竜の影を見た。

 

───霧蛾(ファレーナ・ディ・ネッビア)

───雨ショニサウルス(ショニサウロ・ピオッジャ)

 

 不気味な目玉模様から妖しい光を放ち、振り撒く鱗粉で語感を狂わせる霧蛾。

 膨大な量の雨の炎の水により、鎮静させた相手を溺死させる雨ショニサウルス。

 強力な匣兵器二つを組み合わせ、白蘭を脱出不可能な雨の炎の牢獄へと閉じ込めた刹那は、悠然とその手に炎を湛えていた。

 

「なっ……常磐殿は一体いつ開匣を!?」

「雲スピノサウルスをけしかけてた時だろ。あれだけの数だ。小さい蛾一匹開匣したところで気づくのは困難。しかも、目玉を見りゃあ幻覚をかけられると来た。あとはそのまま雨ショニサウルスを出したってとこだろ」

「そんな……しかし、それを誰にも気取られずなど……」

「その為に両手が空いてんだろ」

 

 驚くバジルへ、さも当然とリボーンが説く。

 

「ツナとの明確な違いは、肉弾戦を脚に任せて()()()()()()()()()()点だ。だから、どんな状況でも使いてー匣を即座に開けられるって寸法だ」

 

───まあ、誰にも気取られずにってのは本人の練習の賜物だろうがな。

 

 ボルサリーノを被り直すリボーンは、ツバの陰に隠された笑みを深くする。

 

「さ、こっからが見ものだぞ」

 

 言うや否や、空が赤色に染まる。

 目を向ければ既に一つのバッテリー匣を開き、もう一つの匣目掛けて橙と赤が入り混じった荒々しい炎を注入する刹那の姿が見えた。

 

「───待ちに待った出番だ。積もり積もった鬱憤……お前が代わりにぶちまけろ!!」

 

 開かれたのは匣などではない。

 凶暴な怪物を閉じ込める堅牢な“檻”。

 

 

 

嵐ティラノサウルス(ティランノサウロ・テンペスタ)!!!」

 

 

 

GRAAAAAAAAAAAAAAAAR(グァァァァァァァァァァオ)!!!!!

 

 大気が震えるけたたましい咆哮。

 大地を揺るがす重厚長大な足音。

 腹の奥底に重く圧し掛かる威圧感は、まさしく恐竜の王に相応しい恐ろしさを兼ね備えていた。荒々しい恐竜の皮膚(ダイナソースキン)で荒ぶる嵐の炎は、触れるものみな“分解”にて塵も残さない凶暴を体現した権能。

 強靭な顎を大きく開く嵐ティラノサウルスは、水の中に浮かぶ餌を目の前に、腹の音とも判別つかない重く低い唸り声を鳴らす。

 

 腹を空かせた暴君へ、大空が諭す。

 

「暴れろ、レックス!!」

「GRAAAAAAAR!!!」

 

 鬨の声を上げる暴君が嵐炎を纏った尾が振り抜く。

 一閃が水の牢獄を難なく切り裂いた。丸太よりも太い超重量による一撃は、鞭の如く撓り、破城槌よりも強烈。

 回避もままならない白蘭に命中した瞬間、雨ショニサウルスの雨炎プールは嵐炎の膨大な熱エネルギーと急速なる分解能力により、大爆発と見間違う弾け方を見せた。

 

 当然、囚われの身であった白蘭もただでは済まない。

 無防備なところへの一撃は重く、そして鋭い衝撃を腹部へと叩き込み、後ろに広がっていた炎の結界へ匣兵器の創造主たる男を吹き飛ばす。

 翼で受け身を取ることもままならない風圧。

 故にそのまま結界へと叩きつけられる白蘭へ、暴君は更なる猛追を仕掛ける。その巨体に相応しいナイフのような牙を剥き、嵐の炎が混じった気炎を吐きながら、地に落ちる白蘭へと飛び掛かった。

 

 轟音、轟音、轟音───。

 絶えず地響きを轟かせて現人神を自称する男へ襲い掛かる様は、まさに神をも恐れぬ所業。

 

「よ、容赦ねえ……! 白蘭をああも一方的に!」

「やったか!?」

「……いいえ、まだです」

 

 決着を期待していた獄寺と山本に対し、骸が怜悧な瞳を光らせた。

 直後、野太い悲鳴が空を衝く。

 

「GRAAAAAAAR……」

「甘い甘い♪ まさか、そんな匣兵器で僕を仕留められるとでも?」

 

 白蘭の右腕から伸びる龍───白龍(しろりゅう)に締め上げられる嵐ティラノサウルスは、間もなく限界を迎えて崩れ落ちる。

 味方内では、彼の暴君の猛攻でさえも白蘭を仕留められなかった事実に愕然とする声が広がっていた。

 

 しかし、刹那は嵐ティラノサウルスを匣に戻しながら憮然と返す。

 

「思ってない。寧ろ、これでやられたら拍子抜けだったところだ」

「ふゥん、強がりはよしなよ。持ち逃げした匣兵器の中でも、特にその子は一番パワーがあったんじゃないのかな?」

 

 白龍は白蘭が自分だけの為に創らせたワンオフの龍型匣兵器。龍という神話に登場する生物をイメージに創り上げられた通り、性能は恐竜型匣兵器を大きく上回る。

 刹那が収奪した匣兵器は、性能の不安定さから正式採用を見送られた試作品。チューンを重ねに重ねた一点ものに勝てる由もない。

 

「さて、お遊びはここまでだよ。乱入者(イレギュラー)としては随分と楽しませてくれたけれども、いい加減ご退場願いたいな。ヒーロー気分に酔い痴れるのももう十分だろう?」

「……ヒーロー、か」

「そ♪ お陰様でユニちゃんは消えないでくれたし、僕としては望外の僥倖ってわけ。これでも君には感謝してるんだ」

 

 でもね……、と睨め付ける白蘭が翔ぶ。

 

「守護者だとかなんだとか……砂糖を吐いちゃいそうな甘ったるい覚悟にはほとほと反吐が出るよ!」

「刹那、加勢するぞ!! ナッツ、形態変化(カンビオ・フォルマ)……」

「来ないでください、綱吉さん!!」

「「!?」」

 

 加勢しようとしていた綱吉も、加勢を身構えていた白蘭も驚愕する。

 傍からすれば正気の沙汰ではない。白蘭は決して侮ってはいけない相手であることを、彼が一番よく知っているはずだ。

 それにも関わらず加勢を拒む理由に見当がつかず、綱吉の目には困惑の色が浮かぶ。

 

 一方、白蘭は嘲笑するような面持ちを湛えながら加速する。

 もうすぐ標的は白龍の間合いに入るだろう。そうなれば自分が優位に立てる……そう確信していた。

 

「なんだい? まさか、この期に及んで僕を一人で倒すつもりかい? ハハハ、だとしたらホント」

「なにをヘラヘラ笑ってる」

「? ───……っ!!」

 

 瞬間、白蘭の笑みが凍り付く。

 見せつけるように刹那が取り出した匣───黒百合があしらえた装飾の代物。一見、何の変哲もない一つの匣であるが、中に封じ込められている存在が放つ威圧感は隠せない。

 

「まさか、それは……!」

「気づいたな……けど、問題はないさ。俺が今からすることはたった一つ───真っ向からお前を打ち破る!! それだけだ!!」

 

 正々堂々受けて立つ宣誓と共に匣を掲げる。

 対する白蘭もまた、彼らしからぬ好戦的な笑みを湛えて炎を迸らせた。

 

「───いいね、乗ったよ!! これではっきり勝負がつく!! 君と!! 僕と!! どっちがこのリングに相応しい所有者であるかがね!!」

「ああ……その通りだ!」

「ユニを奪うのは……」

「ユニを守るのは……」

 

 

 

「この僕さっ!!」

「この俺だっ!!」

 

 

 

 二人のリングから蒼天を上塗りにする大空の炎が広がる。

 

「ワーオ、眩しっ。変態クジャクオカマ先輩、ちょっとグラサン借りますね」

「ちょっとフラン、あなた!?」

「ぐ、ぅぅう……!? なんという炎の応酬だ……!」

 

 緩いやり取りを繰り広げるフランとルッスーリアの隣で、レヴィが苦悶の声を漏らす。

 尋常ではない炎圧に比例した瞬きは凄まじく、反射的に瞼を閉じたとしても、炎の光が瞳の奥を焼き尽くさん勢いだった。

 

「これほどの炎……! 次に奴らがぶつかるとすれば」

「決着がつくだろーな」

 

 霞む瞳を見開いて悟るラルに、リボーンも頷いた。

 

 揃える条件はほぼ互角。

 同じリング、同じ炎圧、共に匣兵器を構えていた。

 

「「開匣!!」」

 

 同じタイミングで炎が注入される。

 白蘭の匣から登場するは当然の如く白き龍。清廉な白でその身を鎧いながらも、凶悪と呼ぶ他ない力を遺憾なく発揮せんと顎を開く。

 

 対して、刹那の開匣した匣の深淵からは鋭い双眸が閃いていた。

 目の前に迫りくる標的を見定めんと瞳は揺れ、直後に舌なめずりする水音が響くや、大空の炎の混じった吐息が匣の外へ溢れ出す。

 

 低く腹の底を揺らす唸り声。

 解き放たれる炎とは裏腹に、背筋が凍り付くような殺気と共に、匣という殻を破り───()は羽搏いた。

 

「───GRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR(グルルルルルァァァアアアアア)!!!

 

 大空の炎を吐きながら現れる巨影。

 恐竜によく似た鱗の鎧を纏う怪物は、神話の生物目掛けて迷いなく爪を携えた翼を振り下ろし、真っ向から受け止めてみせた。

 

「あ、あれは……!?」

「白蘭と同じ……龍だと!?」

「いいや、違ェ!」

 

 白龍と互角の戦いを見せる匣兵器を目の当たりにし、率直な反応が飛び交う。

 だが、興奮が入り混じった様子の獄寺が決定的な一石を投じる。

 

「ありゃあ……()()()()()だッ!!」

 

 恐竜によく似たシルエット。

 しかし、鋭利な爪を生やした腕を備えながらも翼も有す恐竜等存在しない。

 

 あれもまた神話の生物。

 そしてミルフィオーレの技術を総結集し、複数の恐竜のDNAを組み合わせることによって生み出されたキメラ型匣兵器の集大成でありながら、莫大な炎とAランク以上のリングより生成される高純度の炎でしか開匣できぬという理由から、白蘭の匣兵器の座を白龍に奪われた者の一人。

 

 

 

 その名を、

 

 

 

天空竜(ドラゴ・ディ・チエーリ)!!!」

 

 

 

 彼もまた、人々の記憶から忘れ去られようとしていた存在であった。

 

「GRRRRRRR!!!」

「ガアアアア!!?」

 

 細長い体躯を生かし、嵐ティラノサウルスの時と同様に締め上げる白龍。

 しかし、天空竜の爪が頭部を掴んだが最後、鋭利な爪を食い込ませる。血飛沫が上がるや、鈍い音が響いては白龍の拘束が緩んだ。

 それを見逃さぬ天空竜が標的を組み伏せる。

 そのまま戦場を空から地面へと移せば、手足を持たぬ白龍はただの蛇同然。

 足掻く標的。すかさず首根っこを踏みつける天空竜は、鋭利な牙を覗かせる口腔に大空の炎を収束させる。

 

 大空の炎の特性は───“調和”。

 

「GRRRRRRRRRRRRRRRRRR!!!」

「ガアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 炎に焼かれたが最後、調和によりて炎となり灰と化す。

 猛威を振るっていた白龍も息絶え、残るは白蘭ただ一人。それぞれ炎を噴射して加速する両者は、真っ白な輝きを放つリングを嵌めた拳を振るう。

 

「おおおおおっ!!!」

「ハアアアアッ!!!」

 

 火花、と呼ぶには壮絶な炎の余波が吹き荒れる。

 ギリギリと歯を食いしばる間、ぶつけ合う拳はじりじりと炎に焼かれていた。それだけの熱量、それだけの炎圧。()()を持たぬ者が割って入れば、瞬く間に塵と化すであろう熾烈な激突だった。

 

「一体どっちが勝つんだ……!?」

「馬鹿を言え、極限に常磐が勝つはずだ!!」

「るっせえ、芝生頭! 今はそういう話じゃねえんだよ!」

 

 無論、ボンゴレ側は刹那の勝利を信じている。

 しかしながら、今日ここに至るまでの戦闘による疲労は無視できない要因だ。死ぬ気の炎とは生命エネルギー。炎が尽き果てる時───それ即ち死を意味するが、刹那の体力は限界寸前のはずだ。

 策と匣兵器を弄し、優位に立って戦いを進めるならばともかく、全員から死ぬ気の炎を収奪した白蘭相手に真っ向からぶつかるなど下の下策。場合によっては援護も辞さないという考えも中には出てきていた。

 

「刹那……!」

 

 そんな中、祈るように手を握る少女が固唾を飲んで見守る。

 

「あいつが心配か?」

「……リボーンおじさま……」

「無理もねえ。オレの目から見ても、あいつはとっくに限界を迎えてやがる」

 

 世界最強の殺し屋へ、ユニは静かに耳を傾けていた。

 自分は戦いなどさっぱりだ。その点、リボーンの言葉ほど信用できるものはない。が、だからこそ聞いていた者達の中から動揺する者も現れる。

 額面通りに受け取れば、それは刹那の敗北を意味する。

しかし、最も彼の身を案じているであろうユニはと言えば、凪いだ水面のように静穏な面持ちのままだった。

 

「……かもしれません」

「……フンッ、言うまでもなかったか。お前の目はあいつの勝利を疑っちゃいねえ」

「はい」

 

───信じていますから。

 

 万感の思いが込められた一言に、浮足立っていた面々も水を打ったように静まり返る。

 そこでリボーンが告げた。

 

「死ぬ気の炎も無限じゃねえ。それこそお前とγみたいに限界以上に放出すりゃあ死にかけることもある」

「……はい」

「───が、それでも勝つのは常磐だ」

 

 ゴウッ!!! バキバキバキバキ、バリリリリリ!!!

 

 耳を劈く破裂音に萎縮すれば、あれだけ堅牢であった炎の結界に罅が入っていた。

 その原因を作る双翼はと言えば、

 

「おおおおおっ!!!」

「な……にィ!!?」

 

 ほんの僅かながら───刹那が押し始めていた。

 瞬間、フッ、とリボーンが一笑する。

 

「死ぬ気の強さは覚悟の強さだ。真の守護者に目覚めたあいつの死ぬ気が破られることはそう易々とねえ」

 

 根性論? ───上等だ。

 “死ぬ気”とは、その究極に位置する概念なのだから。

 

「守る覚悟ってのは、本当に守りたい相手を背負った瞬間に決まるもんだ。恐怖や刷り込みで誓わされた忠誠なんかじゃ、真の死ぬ気には目覚めやしねえ。ましてや一度でも手をかけられようとしたんだ。後ろに居る奴が怖くて最後の最後を踏ん張れるかよ」

「はいっ……!」

「その点、ユニ……お前はあいつに二つの覚悟を決めさせてくれた」

「え?」

「守護者としての覚悟。それと───男としての覚悟だ」

 

 自身を超える炎圧を放つ相手に、白蘭の体がみるみるうちに反り返していく。じりじりと……それこそ肌身を焦がす熱量を持った炎に炙られ、白蘭の顔には汗が滲み上がる。

 堪らず苦悶の声を漏らす白蘭。

 だが次の瞬間、眼前の橙色が拡がり薄れて消え去った。

 

「なっ……!?」

 

 (かくご)が、(やぼう)を突き破った。

 

 その光景を目にし、満足そうにリボーンが続ける。

 

 

 

「男ってのは単純な生き物でな───惚れた女の目の前じゃ、信じらんねえほど意地を張るモンなんだぞ」

 

 

 

「ぉぉおおお───っらあ!!!」

「がぁ!!?」

 

 振り抜かれた拳は、真っすぐに白蘭の頬を貫いた。

 鋭く木霊する殴打の音を置き去りに、白蘭の体は地面へと激突する。綱吉が脳天へ踵落としを喰らわせた時とは比にならない、全身全霊の炎を纏った状態での一撃だ。

 地面に仰向けに倒れる白蘭はピクリとも動かない。リングに灯っていた炎も、やがては風に吹かれて消えていった。

 

 それから灯ることは───なかった。

 

「白蘭様!?」

 

 唯一桔梗が呼びかけるものの、尚も反応は返らず───。

 

「や……やりやがった、あいつ!」

「白蘭を……!」

「倒したぞ!」

 

 ワッ! と歓声が沸きあがる。

 

「僕の獲物だったのに」

「クフフ、強がりは止しなさい」

「まーまー、お前ら。こんな時まで喧嘩すんなって」

 

 一部つまらなさそうにする面子も居るが、すかさずディーノがフォローに入って一触即発を免れた。

 

 

 

「刹那!」

「ユニ!」

 

 

 

 しかし、周りの目を気にしない者達はこちらにも居た。

 

「ンマァ!」

「黙れオカマ」

「ちょっと、ベル? 当たり強くないかしら!?」

 

 オカマの上げた黄色い声はさておき、地面に下りた刹那に向かって、ユニが全力で駆け寄っていき、最後にはその胸へと飛び込んでいった。互いに心の底から愛おしそうに抱きしめる姿には、人目を憚らない行為を目の当たりにした照れよりも安堵が込み上がってくる。

 

「二人共……よかった」

 

 綱吉もまた抱きしめる二人に優し気な眦を送っていた。

 超化(ハイパーか)を解いて元の顔つきに戻れば、じわじわと視界を侵食する涙をぐしぐしと拭い始める。

 

「本当にッ……よかったぁ……!」

 

 誰も死なずに済んだ。

 その事実だけで綱吉は涙があふれる想いだった。

 

 一時はユニとγの死を覚悟した。

 平和な過去に戻る為に必要のない犠牲だ───使命感に駆られながらも、死に怯えていたユニを止めることすらできず、祈るように拳を振るうしかできなかった。

 けれど、彼が運命を変えた。

 真の覚悟より生まれた炎が、消える寸前だった灯火へ炎を注ぎ込み、二人の命をこの世界に繋ぎ止めてくれたのだろう。

 

「奇跡でもなんでも……みんなが生きててくれただけで……」

「いつまでメソメソ泣いてんだ」

「ブヘェッ!!?」

 

 感動に浸る暇もなく、家庭教師の容赦ない飛び蹴りが炸裂する。

 

「リ、リボーンお前なあ!!」

「男が人前で泣くもんじゃねえぞ」

「誰に泣かされたと思ってんだ!!?」

 

 『なんだ、この差は』と恨めしい目を浮かべたところで、結果が変わるはずもなく、頬はジンジンと痺れるような痛みを発するだけ。

 しかも、途端にドッと疲れが溢れる。

 ───いや、これはリボーンの蹴りで張り詰めていた緊張の糸が切れたのだ。白蘭に何度も殺されかけたのだ。緊張していない方がおかしいとも言える。

 

「ったたた……、毎度のことだけど乱暴すぎるだろ!」

「今のお前にはこんくらいがちょうどいい」

「戦い通しでボロボロなのに!?」

 

 理不尽だー! と綱吉の悲鳴が響く。

 

 スパルタ、ここに極まれりといった具合のやり取りを見せる二人に、普段の日常を垣間見たようで呆れる者も居れば、ホッと胸を撫で下ろす者も居る。

 

「チッ、カス共が……!」

「スクアーロ? どこ行くんだよ」

 

 ズカズカと重傷を押して突き進むスクアーロへ、山本が首を傾げる。

 

「決まってんだろぉ! 今のうちに敵の親玉の首を切り落とすだけだぁ」

「なッ!? いくらなんでも……」

「甘っちょりィこと抜かすんじゃねえぞお! こいつにどれだけの人間が殺されたと思ってる?」

 

 先頭を行くスクアーロに続き、ぞろぞろとヴァリアーの面々が白蘭の下へ歩み寄る。

 目的は単純明快、敵の首魁の息の根を確実に止める為だ。

 例え綱吉や刹那が勝った相手とは言え、白蘭が強大な力を持った殺戮者である事実に間違いはない。マフィアとしてのボンゴレの面子、そして自警団としての成り立ちを持つ側面からも、斯様な享楽主義殺人鬼は一時も永らえさせる価値もない───それがヴァリアーの言い分だ。

 

 あくまでも殺人集団を自称していない綱吉達とは違い、ヴァリアーはれっきとした暗殺部隊。殺しこそが生業であり、組織───延いてはボンゴレがもたらす統治を維持し、裏社会による市井の人々への被害を食い止めることが使命だ。

 尤もそこまで純粋な思想を持った隊員は居ない。ただし、ボンゴレの持つ強大な力の意味を理解してはいた。

 

「手を出さねえなら黙ってそこで見てろぉ。こいつは俺達の仕事だぁ」

「……」

 

 スクアーロの背中を見送り、山本は拳を握る。

 恨んでいない訳ではない。寧ろ、未来にて父親を殺されたと聞いた時から、拭いようのない怒りが腹の奥底で沸々と煮え滾ってはいた。

 

 でも、でも、でも───。

 

「やっぱり、だからって殺すのは……」

 

 違う。

 胸の中で見つけた不快感の正体に見当をつけた山本が手を伸ばす。

 

 

 

 

 

「ア゛

 

 

 

 

 

 身の毛もよだつ呻き声を聞いた。

 

「ッ……白蘭!」

「ユニ、下がって!」

 

 もぞもぞと蠢く人影に綱吉は超化し、刹那はユニを背中に隠す。

 

「まだ立つのか……!」

「潔く負けを認めろ! これ以上みんなに手を出すつもりなら命の保証はしない……!」

 

 臨戦態勢に入る二人を前に、血みどろの白い物体は赤い(あぶく)を吐き出しながら身を起こした。

 

()()()()()()だってぇ? ───ア゛ッハ、実にナンセンスな脅し文句だ! ()()()()()()()()()()! クヒッ、ヒヒッ、お腹が捩れて死にそうだよ、アハハハハ!」

 

 狂ったように天を仰いで笑う白い悪魔に、場の緊張が一気に張り詰める。

 しかし、直ちに複数の影が動く。

 

「しししっ! トドメは頂くぜ」

「ぐっ!」

「! ヴァリアー!?」

 

 鋭利なナイフが白蘭の体に突き立てられる。

 今度こそ白蘭はその場に蹲るように伏せて動けなくなった。聞こえてくる掠れた息遣いと刻一刻と広がる血の海は、最早彼の命が風前の灯火であることをありありと表していた。

 

 誰もが白蘭の敗北を疑わない。

 しかし、蹲った背中がビクリと跳ねる。

 

「───ククッ、ククク……あー。僕思うんだけどさぁ、ゲームとかに出てくるボスって本当に不憫だよねー」

「あん? こいつ、まだ死なねーの……?」

「どれだけ頑張っても主人公は幾度となく復活しては、こっちをやっつけるまで挑みかかってくる。やってらんないよねー。本っっっっっ当に不平等甚だしいよ」

 

 ズルリ……、と血の海に沈めていた顔面が浮かぶ。

 すれば、紅い水面に白蘭の顔が反射した───次の瞬間、人外染みた形相を浮かべる()()が大空の三人を覗き込んだ。

 

「君達は随分と綺麗事が好きなようだから、取るに足らない些細な出来事にも大仰な名前をつけていくんだもんね。例えば───『奇跡』なんてさァ!」

「白蘭……!」

「そうだもんね! そりゃあ土壇場で自分に都合のいいことが起こったらそう言いたくなるもんだよ! ホント、救いようのないお花畑な脳味噌だ! 夢見がちな少年少女としては百点満点の戯言だ! 花丸をあげたくなるよ!」

 

───グチッ、ズリュ……ジュグ……。

 

 怨嗟を地面へ吐き捨てるようにして白蘭は叫び続ける。

 その間に聞こえてくる謎の粘着質で不快な音。耳にすれば、思わず本能が嫌悪を訴えてくるようだった。

 

「どうやらこの世界は僕にとって不都合な『何者かの意志』が働いてるみたいだね……だから君達ばかりに奇跡が起こる。だからさぁ、僕思ったんだよ」

「───!!! ゔぉ゛おい!!! 今すぐ白蘭を止めろォ!!!」

「『何者かの意志』なんてものに負けない覚悟───君達の起こす奇跡なんかじゃあ絶対に覆りようのない絶望で、世界を埋め尽くしてあげようって!!!」

 

 スクアーロの怒号よりも早く───ヴァリアーの攻撃が飛ぶよりも早く───蹲る白蘭の胸から眩い橙色の炎が溢れ出す。

 迫りくる遍く攻撃を弾き返す炎。

 ともすれば、自身をも焼き焦がす───否、現に炎に焼かれている白蘭は、血塗れの胸へと右手と匣を押し込む姿を見せつけるように立ち上がった。

 

 無理やり埋めている所為か、白蘭の胸からはひっきりなしに血が流れ落ち、純白だった戦闘服をみるみるうちに赤く染め浸していく。

 

 その血も炎と化し、肉はやがて灰と化す。

 自傷行為にしか見えぬ行動に困惑する者が大勢居る中、リボーンが悟ったように目を見開いた。

 

「……こいつはやべーな」

「一体何がです、リボーン殿!?」

「大空の炎の特徴を忘れたか?」

 

 大空の権能、それは“調和”。

 全体の均衡が保たれ、矛盾や綻びのない状態を指し示す力は、環境に合わせて炎を浴びた存在を周囲と同化させることもできる。

 石城やビル群に囲まれていれば石化し、逆に何もなければそのまま炎と化し、灰となって消える───そういう力だ。

 

 それを今、白蘭は匣を己の体に埋め込むという所業に出ている。

 大空の炎は、白蘭の肉体を焼き、匣兵器の白龍を焼き───そして一つの存在へと調和させていく。

 

「まさか……あれは!!?」

 

 気づいたところで、もう遅い。

 

 

 

 

 

「修 

 

 

 

 

 

 広がる、海が。

 固まる、炎が。

 やがて現れた炎の卵は───刹那の前に海の悪魔を産み落とした。

 



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Ⅴ.『その胸焦がれる幻想』

───なんだ、これは。

 

 

 

 目の前で信じられないことが起こっていた。

 眩い光が閃いたかと思えば、澄み渡るような青空にたちまちに暗雲が立ち込める。

 

 その間、白蘭を中心に膨れ上がる海を押し固めたような“卵”は、内側で暴れている炎を乱反射させていた。

 

 やがて音が聞こえる。グルグル、グルグルと。

 内部で死ぬ気の炎が渦巻く音か、もしくは生誕の時を待つ怪物の唸り声か。

 

 次の瞬間だった。

 

「刹那! ユニを守れ!」

「ッ! はい!」

「きゃあ!」

 

 眩い光の奥から“何か”が伸びてくる。

 超直感で誰よりも早く察知した綱吉さんの忠告を受け、俺は咄嗟にユニを庇った。おかげで伸びてくる魔の手からは逃れられたものの、

 

「みんなのところに……!? まずい!!」

 

 幾条にも伸びる鱗の生えた龍頭は、少し離れていた場所に立っていた者達へ無差別に───いや、明確な意志を持って襲い掛かった。

 

「ごあ!!?」

「ザクロ!?」

 

 まずは一人、嵐のマーレリング保持者であったザクロが犠牲となった。

 上半身を得体のしれない龍頭に食い千切られ、見るに堪えない無惨な死体が地面に転がった。

 パタパタと降り注ぐ血飛沫は、隣で立ち尽くしていたブルーベルの頬を濡らす。

 何が起こったのか分からず呆けていた表情だったが、ねっとりと纏いつく生温い血の臭いに現実へ引き戻され───絶望に顔を歪めた。

 

「い、いやぁあああああ!!!」

「ブルーベル、冷静になりなさい!」

「いやッ、いやぁ! ザクロがッ、びゃくらんに……!」

「何かの間違いです! 白蘭様にはきっと何か考えがおありで───ぐうッ!?」

「桔梗!?」

 

 気が動転したブルーベルを宥めていた桔梗にも、魔の手が差し伸べられた。

 GHOSTに炎を吸い取られた彼らに避ける余力なんて残っていない。ましてや、仲間の死を目の当たりにしたブルーベルは恐怖に身を竦めるだけしかできなかった。

 

───まただ。

 

 彼らが並行世界とは違うとしても、俺はもう無視できない。

 

「桔梗……ザクロ……うそ、だよね……?」

「ブルーベル!! 逃げろォー!!」

「っ! た、助け───」

 

 俺が差し伸ばした手に気がつき、泪を目尻に浮かべるブルーベルもまた手を伸ばす。

 

───瞬間、彼女の姿が血飛沫と共に消えた。

 

「っ……ブルーベルぅーーーーーっっっ!!!」

 

 ひゅるりひゅるりと落下する物体。それがマーレリングを嵌めたブルーベルの腕だと理解した時には、全てが遅かったと悟った。

 苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべる俺を前に、縦横無尽に顎を開いて暴れまわっていた龍頭の一つは、唯一遺っていたブルーベルの腕さえも拾い上げて飲み込んだ。

 

 これで何一つ彼女がこの世界に生きていた痕跡はなくなった。

 無情にも、理不尽にも───彼女の未来は奪われた。

 

「くそっ……くそぉーーーーー!!!」

「刹那……」

 

 自分の不甲斐なさに憤慨していると、ユニの慰めるような声が聞こえて我を取り戻した。

 やっと冷静さを取り戻せば、不意にとある場面が目に入ってきた。頭の一つが恭弥さんに襲い掛かり、紙一重のところで躱される光景だ。

 

「無事か、恭弥!?」

「うるさいよ。……!」

「どうかしたのか? やっぱりどこか……」

「……()()()()()

「盗られたって、何をだ?」

 

 破られた学ランのポケットの中をまさぐる恭弥さんが漏らした言葉。

 その意味を汲み取れず首を傾げるディーノさんであったが、それも無理はない。皆が皆、自分の身を守ることで手一杯な状況。この蹂躙に意味を見出すには、余りにも余裕がなさ過ぎた。

 

 やがて雨で降り始め、戦いで傷を負った体から熱を奪う。

 ザァザァと。目も開けていられない嵐が来るや、今度は雷鳴が轟いた。

 一陣の稲光は大地を穿ち、大穴を穿つ。

 

 

 

「アハ♪」

 

 

 

 気づけば、()()はそこに立っていた。

 突如として雲の切れ目から晴れた空が覗く。あれだけ激しい土砂降りを寄せ付けない熱量は、近づく雨を瞬く間に霧と化し、浮世離れした幻想的な光景を生み出す。

 

 差し込む光は、さながら神が降臨したと言わんばかりに眩くて。

 けれど、悍ましいほどに白い蠢く体躯を目の当たりにした人々は例外なく恐れ慄いていた。

 

「あれが……白蘭、だと……?」

「……マーレリングの、暴走……」

 

 消え入りそうなユニの声が耳に届く。

 パッと彼女の方を向けば、恐怖に強張った表情が飛び込んできた。それが今起こっている現状の深刻さを表していることは言うまでもないだろう。

 

「暴走って……どういうことなんだ、ユニ!?」

「あくまでも、この世界の大空のマーレリングの適応者は白蘭です。今となっては力の枯渇と衰えで並行世界と繋がる力は弱まったはず……ですが彼は今、真6弔花のマーレリングとも“調和”を遂げ、強引にその力を引き出しています! ───貴方のように!」

「っ! それは……!」

 

 脳裏に過るイメージが限りなく最悪に近いと知り、上手く言葉が出てこない。

 しかし、確かに最悪は目の前に迫っているようだ。

 

 虹色に光が乱反射している。

 橙、赤、黄、緑、青、紫、藍───真6弔花諸共喰らったマーレリングからは、雨イルカの技の比じゃない眩さと共に天を衝かんばかりの火柱を上げていた。

 

 爛々と火の粉が舞い落ちる。

 幻想的だ、なんて思いもしない。

 渦巻く炎の玉座に鎮座する海の悪魔が、何よりも圧倒的な存在感と思わず吐き気を催す絶望の匂いを漂わせていたから。

 

 

 

「───やあ♪ 忌わしいボンゴレとジッリョネロの諸君」

 

 

 

 ずるり、と純白の鱗が生え揃った胴体が波立つ。

 正しく白蘭には異変が起こっていた。

 白髪はまるで(たてがみ)のように長く、額からは後ろへ向かって角が生えている。グチャリと咀嚼音を響かせる指は、その一本一本が鋭い白龍……おそらく、ミニ白龍と調和したんだろう。鋭い鼻先は爪の如く伸び、口からは仲間だった人間の血を滴らせていた。

 そして何よりも後頭部───ちょうど鬣に隠れた部分だ。そこから長い……あちこちの地面から捩れた胴体が橋のように架かっているほどに長大化していた。

 

 これじゃあ桔梗の雲スピノサウルスと何ら大差ない。

 それほどの胴体からは嵐ティラノサウルスの鋭い爪や、雨ショニサウルスのヒレも生えているのが見える。

 

 恐らくは食い殺したザクロや桔梗、そしてブルーベル……彼らとの“調和”の結果。

 捻じ曲げようのない事実を知らしめるように、白蘭の額に宿るマーレリングと、胸の肉を食い破るように六つのマーレリングが浮かび上がっては淡い光を放つ。

 

 正真正銘リング共々守護者と一つになった怪物は、これまでの張り付けた笑みが嘘のように、邪悪で悍ましい笑顔を咲かせいた。

 

「白蘭! お前、自分の仲間をよくもっ……!」

「仲間? ううん、違うよ。彼らは僕にとって7³を効率よく集める為の“アイテム”さ」

「ふざけるな! 曲がりなりにもお前を信じていてくれていたんだぞ!? お前に助けられて、忠誠を誓って……一度は裏切られても、最後まで信じようとしてくれていたのに!」

()()()? ……プッ、アハハハハハ、ヒャーッハハハハハハハハハ! 違う、逆だよ! 裏切られたのは僕の方さ!」

「……なんだと……?」

 

 何が。

 何が可笑しい?

 一体何が可笑しいんだ?

 

 わからない。

 白蘭があんなにも愉快そうに笑っている理由が。

 わからない。

 それでいて双眸の奥に怒りの炎を燃やす理由が。

 

 わからない。

 わからない。

 わからない───心の底から理解できない、しようもない。

 

 ……いや、違う。これは俺が拒んでいるんだ。

 自分で意識するよりも早く、魂は奴の心に共感しまいと拒絶していた。ほんの少しでも共感すれば、それは自分が人の心も理解できない悪魔だと公言しているようで───。

 

「道具は常に使われる側だよ! 効果を謳って、期待を煽って! そうして使わせた人間を落胆させることはあっても、その逆はまかり通ってもある訳ないだろ?」

「……っ、……!!」

「むしろ泣きたいのはこっちさ。パラレルワールドを股にかけて、これだけ手間暇かけて集めた真6弔花が碌な結果も出せないでさァ~。期待外れもイイとこだよねー。それならいっそ、GHOSTの時よろしくこっちで有用な使い道を探した方が理に適ってると思わない?」

 

 んね♪ と、道徳に唾を吐きかけた挙句、何度も踏みつけるような白蘭の言い草には、怒りを通り越して戦慄を覚えた。

 

 こいつは人じゃない。

 ましてや神でも、桔梗が謳ったような悪魔ですらもない。

 止まる事を知らない欲望に、辛うじて人の名残を感じさせる皮を被せた得体の知れない“何か”……今の白蘭を例えるのなら、そう呼ぶ他に正しい表現はない。

 

「それは筋違いというものです」

 

 身を竦める者が大勢の中、毅然とした声が澄み渡る。

 

「ユニ……?」

「白蘭、確かに貴方は真6弔花を窮状から救い上げ、その見返りとして力を使っていたのかもしれません。ですが、時に()()()()()()()()()()()()()()()()()()忠誠を誓わせて! それなのにこのような仕打ちを……貴方には人の心がないのですか!」

 

 恥を知りなさい! と。

 木霊するユニの言葉に、一瞬場が凍り付いた。

 

───どういう意味だ?

 

 頭が……心が理解に苦しんでいると、にちゃりと粘着質な水音が奏でられる。

 音の方へ目を遣れば、人の身では為し得られない角度に口角を吊り上げ、底の見えない深淵を髣髴とさせるドス黒い笑みを湛えた白蘭の顔があった。

 

「白……蘭……!!」

「さっすが、聡いユニちゃんは気づいてたか。ま、だとしても世が世なら事情も違うから、全部が全部使える人間って訳でもなかったけれど……『この仕打ち』なんてのは言いがかりだよ。今から時空を超えた覇者となる僕と一つになれたんだ。感謝されることはあっても、非難される謂れはないよ」

 

 白蘭はけろりと吐き捨てる。

 

「……もう、いい。減らず口はこれで十分だ」

 

 押し止めていた炎を、もう堪える必要はないと解放する。

 

「───ああ、オレもそう思っていたところだ」

 

 綱吉さんもリングに炎を灯し、怒りに焠ぐ瞳を悪魔へ注ぐ。

 

 (ユニ)を守るように、海と貝が背中合わせになった。

 澄み渡るように透明な純度の高い大空の炎は、それだけでユニを守る鉄壁の盾となり、同時に相手を打ち滅ぼす剣ともなる。

 

「覚悟しろ! 白蘭!」

「ユニには指一本触れさせない!」

「沢田さん……刹那……!」

 

「アハハハハ! それは無理な話だよ」

 

 宣戦布告と言わんばかりの炎が拡がる。

 

「だってユニちゃんは───僕と一つになるんだから」

「「「!」」」

 

 白蘭の手が翳されれば、白龍と化した指が一斉に襲い掛かってくる。

 それだけじゃない。こちらへ波打つように爬行する間、無数に分裂して数を増やしていた。

 

「これは……“増殖”!?」

「雲の炎です! 地上に居たらまずい!」

「刹那、お前はユニを頼んだ!」

「はい!」

 

 手が空いている俺がユニを抱え、綱吉さんは白龍の群れに殴る蹴るの肉弾戦を仕掛け、一体一体を叩き潰していく。けれど、如何せん数が多過ぎる。

 

「頼む、みんな出てきてくれ!」

 

 綱吉さんと違い、身一つで戦うのに拙い俺はありたっけの匣兵器を開匣する。

 天空竜を筆頭に、雨ショニサウルスや雷トリケラトプスも雄たけびを上げ、牙を剥く白龍相手に各々の戦い方で立ち向かう。

 

「ショニー! お前の炎で増殖を食い止めてくれ!」

「キュオオオ!」

 

 雨の炎の“鎮静”なら、雲の炎の“増殖”に待ったをかけられる。

 そう踏んでの指示であったが、次々に倒されていく白龍の群れは一向に数を減らさない。

 

「なんで……いや、まさか!!」

「───そ♪ 晴の炎の“活性”さ」

 

 答え合わせのように白蘭が告げた。

 

「いくら雨の炎で相殺しようたって無駄さ。それ以上の晴の炎がある限り、白龍も僕も死ぬことはない」

「戯言だ!」

 

───バーニングアクセル

 

 X BURNERと同等の破壊力を秘めた炎が、白蘭本体目掛けて繰り出される。

 先の一戦では白拍手すらも貫通した一撃だ。これなら白蘭にも手傷を追わせられるはず───だった。

 身動き一つ取らない白蘭。不敵な笑みを湛えたかと思えば、炎は爆ぜる雷光に阻まれて散った。

 

「! 雷だとっ!?」

「七属性随一の硬度たる所以の“硬化”さ。今の君に、僕の硬化した鱗は貫けない」

「くっ!?」

「今度はこっちの番さ」

 

 蠢動する白龍の一体が口を開いた。

 荒々しく渦巻く赤い炎に悪寒を覚えた綱吉さんは距離を取るだけに留まらず、攻撃モード(モード・アタッコ)だったナッツを防御モードへ移行させる。

 

Ⅰ世のマント(マンテッロ・ディ・ボンゴレ・プリーモ)!」

「無駄だよ、綱吉クン」

「減らず口を……、っ───!?」

 

 防いだかと見せたマントが、次第に綻びを見せるように焼かれ始めた。

 瞠目する綱吉さんはすかさず翻ったが、完全に勢いを殺せなかった炎は彼の額を掠め、血を流させる。

 

 おかしい。たとえ“増殖”や“活性”の炎があろうと、“調和”の炎を宿すマントを貫くなど容易ではないはずだ。

 

 可能性があるとすれば───“分解”。

 

「嵐の炎まで!?」

「大正解♪」

「どういうことだ、お前の属性は大空だ!! 例えマーレリングを取り込んだところで……」

「だから言ったじゃないか。()()()()()()()()()()()

「っ……外道が!」

 

 つまり、大空以外の波動を有する肉体と一体化し、本来白蘭が持つ大空以外の炎を使えるようになった訳か。相変わらずふざけているし反吐が出る所業だ。

 

「そんなことの為に……ブルーベルやみんなを!!」

「『そんなこと』なんて随分な言い様だよ。僕が創造する新世界の礎になれるんだから、泣いて喜ぶべきなんじゃないかな?」

「喜ぶべき……だと? ……違う!!」

 

 『バーン』───そう名付けた天空竜を呼ぶ。

 俺に声に応じた彼は、両翼に大空の炎を纏わせながらすれ違う白龍の首を次々に切り落としながら、白蘭の下へと飛翔する。

 

「お前は奪ってきただけだ!! 並行世界のみんなから……未来を!!」

 

 明るい笑顔も、喜びに満ち溢れた明日も。

 他ならぬ白蘭に奪われてきた未来を───守り切れなかった結果を知っているからこそ、

 

「お前はここで終わらせる!! なんとしてでも!!」

「威勢だけはいいね───来なよ、はたき落してあげる」

「GRRRRRRR!!」

 

 炎をその身に纏ったバーンは、一直線に白蘭の懐を目指す。

 いくら“硬化”で固めているとはいえ、これだけの炎圧をぶつけられれば“調和”で炎を無力化し、突き破るくらいのことはできるはずだ。

 

 俺達の想いを乗せた炎竜は、尾の先端から噴射する炎で一気に加速し───。

 

 

 

「とんで火に入るなんとやら、ってね♪」

 

 

 

『!?』

 

 突如としてバーンの動きが止まった。

 その場にピタリと。まるで時間が止まったように静止しては、それ以上進むことも戻ることもできない。この光景にも見覚えがある。

 

「雨の炎……“鎮静”か!」

「きっと霧の炎で隠していたんだ! 気をつけろ、こうなった以上どこから襲ってくるかもわからないぞ!」

「わかってます!」

 

 ここまでくれば霧の炎───“構築”で目を欺いてくるのも想像に難くなかった。

 最大限の警戒を払い、次々に襲い掛かってくる白龍をいなしては、その頭蓋を全力で蹴り砕く。

 けれど、余りにも数が多い。

 “増殖”で底なしに数を増やす白龍の猛攻により、俺や綱吉さんは次第に追い詰められ、何とか加勢に入ろうとしてくれている守護者やヴァリアーに至っては近づくことさえもままならない。

 

「刹那……!」

「大丈夫、君は俺が守るから!」

 

 ユニの不安そうな声音が届き、ここが踏ん張りどころだと自分を奮い立てる。

 

 何か打開できる方法は……!

 

 

「後ろだ、避けろ刹那ぁ!」

「え?」

 

 ドウッ! と体を揺さぶられる。

 何が起こったとか、そういうことを考えるよりも前に脇腹に走る熱に、意識が遠のいていく。

熱い。のに寒い。訳がわからなくなるような感覚は、これが初めてじゃない。

 

『───! ───!?』

 

 すぐ耳元でユニが叫んでいるようだが、上手くそちらの方を向けなかった。

 重力に引っ張られるがまま項垂れれば、ぽっかりと穴が穿たれた脇腹からドクドクと血が溢れている光景が目に入った。

 

 一体誰の───って。

 

「お、れ……の」

「刹那! ダメ、気をしっかりもって!」

「ごめッ……ユ───」

 

 衝撃は再び襲い掛かってくる。

 力が入らない腕からユニを奪われ、代わりに無数の白龍が突っ込んでくる。なけなしの炎……それと気づいた雷トリケラトプスが身を挺して守りに来てくれたけれど、きっと受け止めきれないはずだ。

 

「───……っくしょう」

 

 こんな当たってほしくもない予想は、俺の細やかな期待をまんまと裏切る。

 ざまあみろ、って。そう嘲笑っているかのように口の端を上げる龍頭は───俺の胸を呆気なく貫いた。

 

 ごめん、ユニ。

 死ぬ気になったけど、ダメだった。

 最期まで君の傍に居れそうにない。目の前が真っ暗になってきたんだ。

 暗い、暗い光景が広がって……近づいてくる。

 

 なあ……ユニ。

 やっぱり、俺───。

 

 

 

 

 

 

「───刹那ァーーー!!!」

 

 悲痛なユニの叫びが曇天を衝いた。

 彼女だけではない。綱吉や守護者、ヴァリアーの面々でさえも、一人の少年が白龍に胸を食い破られた光景を目の当たりにし、絶望に彩られた表情を浮かべる。

 ただ一人何とも思っていない顔をする者が居るとすれば───それは他ならぬ元凶のこの男だ。

 

「アハハハハハ! はい、おーしまい! ゲームオーバーだよ、刹那クン! あんなに頑張って愛しのユニちゃんを守ろうとしたのに残念だったねー。ご覧の通り、彼女は僕の手の中さ……って、もう見れもしないか。アハッ、ごめんごめん♪」

「白蘭……!」

「おっと、そんな怖い顔をしちゃって。ダメダメ、みんなを幸せにしたいなら笑ってなきゃ♪」

 

 怒りや悲しみが綯い交ぜとなった泣き顔を歪ませるユニに対し、白蘭はあっけらんと言い放った。

 しかし、如何様にしたところでこの痛嘆を晴らせはしない。精々涙と共に滲ませるだけだった。

 

「フフッ、悔しいかい? そうだよね。僕もおんなじ気持ちだったよ。あと一歩で自分の望みが叶うって時に台無しにされるのはさ」

「貴方の邪な望みなんてッ……、叶えられるとでも!」

「うるさいなぁ。そう騒がないでよ」

「あぁ!?」

 

 白龍と化した指にギリギリと締め付けられるユニが苦悶の声を漏らす。

 すかさず綱吉が『やめろ!』と怒号と共に駆けつけようとするが、白龍の大群が折り重なった壁は余りにも厚く、最も余力を残した彼でさえも近づけない。

 

 焦燥が渦巻き、汗が頬を伝う。

 白蘭が真6弔花とマーレリングを取り込み、その力を我が物とした光景を目の当たりにしたばかりだ。

 それがユニにも適用されない保証はない───否、白蘭の口振りからしてこれから行おうとしているのは確定的だった。

 

 しかしながら、誰も手が出せない以上、それを止められる者はいない。

 濃密な絶望の気配が場に満ちる。

 

───止められない、この悪魔は。

 

 あと一歩で打倒せたというのに、最後の残り火で暴虐の限りを尽くし、あまつさえ邪悪な大望を遂げようとしているのだ。

 

「させないぞ!!」

「何度立ち向かったってきても無駄骨だよ。刹那クンが死んだ以上、君達に残された希望なんてこれっぽっちもないんだよ」

 

 白龍を仕向け、綱吉を仕留めようとする白蘭はケタケタと嗤う。

 一方、綱吉はちらりと地面を一瞥する。ちょうど刹那が墜落した場所だが、すでにその地点は大量の白龍に埋もれており、彼の様子を窺い知ることはできそうにない。

 寧ろああも犇めいているならば、既に───過る悪夢を振り払い、綱吉は祈るように拳を振るう。

 

「だから無駄だって。刹那クンもそうだったけれど、綱吉クンも大概馬鹿だよねェ~」

「言ってろ!! お前がいくら嘲笑ったところで、オレは絶対に諦めたりしない!!」

「他人から貰った力でよくもまあ宣うよ」

「なに!?」

「だってそうだろ? 今まで君が手に入れてきたもの、みーんな誰かに与えてもらったものばかりじゃないか」

 

 違うかい? と舐めるような視線が綱吉に浴びせられる。

 

「そんなことは!!」

「またそんな♪ ───嘘はいけないよ。だってそうじゃないか。頼れる守護者、守りたい友達や仲間、大切だって大口叩いた“この時間”だってさ。ただの中学生だった君が、たった一つでも自分の力で手に入れたかい?」

「……ッ!」

「違うよねえ? ダメダメだった綱吉クンがこんなにもたくさんの人から愛されるのは理由は簡単♪」

 

 

 

 

 

───君がボンゴレⅠ世の血を引いてるからだよ。

 

 

 

 

 

 軽薄な、それでいて冷淡な声が綱吉の体を凍てつかせた。

 動揺して動きが止まる、その一瞬。間髪入れずに白龍が死角から絡みつき、彼を捕えるに至った。

 

「しまった!?」

「アハハハ! 図星だったかな? そうだよねー、自分でも薄々気づいちゃってたんだろう? マフィアが大嫌いな綱吉クンが、そのマフィアの血を継いでるお陰で多大な恩恵を受けてるコト♪」

「違う、オレはそんなつもりなんて……!!」

「つもりもなにも、現実なんだよ。それで見て見ぬふりして利益だけ享受するなんて都合が良すぎない? さっきだってジョットクンに助けられたじゃないか。それなのに『ユニは渡さない』だ『お前は倒す』だ……夢見がちで現実を見てない子供の台詞には飽き飽きだよ」

 

 瞬間、縄のように綱吉を縛り付けていた白龍に炎が灯る。

 途轍もない炎圧の炎だ。全身が焼けるような痛みに苛まれ、綱吉は喉が張り裂けんばかりに絶叫する。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

「ツナくん!」

「ツナさん!」

 

 離れた場所から見守っていた京子とハルが、綱吉の悲鳴に堪らず声を上げた。

 苦痛に晒される友達を前にしても、特別な力も何も持っていない彼女達にできることは祈るだけ。

 

 震える手を組み、涙を流しながら祈り続けるが……。

 

「ほらほら、君のカワイイお友達も『頑張れー♡』って応援してくれてるよ」

「ぐッ……うぅ!」

「それとも……彼女達を先に殺すって言われなきゃ、全力が出せないかな?」

「!!! びゃく……らぁぁぁあああん!!!」

「ハハッ、その調子その調子♪」

 

 幼子を褒めるような口ぶりで、怒りに燃え上がる綱吉の炎に拍手を贈る。

 

「───でも、終わりだよ」

「が、はぁ!!?」

 

 ゴキリ! と綱吉の体から鈍い音が響く。

 吐血する彼は、焦点の合わない瞳を揺らし、だらりと項垂れる。デジャブを感じる光景であるが、今でさえ数多もの奇跡を重ねた先に辿り着いた結果(みらい)だ。

 これ以上を求めるには───余りにも絶望的な状況である。

 

「彼女達の声なんか何の役にも立たないから、もう頑張らなくていいよ」

「ぐ……ぁぅ……」

「今までずーっと嫌なコト押し付けられてきたもんね。綱吉クンの人生は受け身の人生だ♪ 血筋もリングも守護者もぜーんぶぜーー-んぶ」

「……、ぁ」

「でも君は弱っちい癖に分不相応に優しいからねー♪ 仕方なく戦ってきた。仕方なく守ってきた。嫌だー、って言っても無理やり巻き込まれて、無理やり力を与えられて。そんでやり遂げたら『お前にはそんな力があるんだぞ』って、いい気分なところに付け入られて上手く言いくるめられたんじゃない?」

 

 そんな人生もう懲り懲りだと思うからさ、と続ける白蘭。

 

 

 

「ここで、終わりにしてあげる」

 

 

 

 答える力は───最早残されていなかった。

 綱吉とユニ。7³の大空を担う二人は、今まさに白蘭の手にかかる寸前に置かれていた。

 

「まずいぞ、沢田がやられる!!」

「つったってよ、こんな状況じゃ!!」

「10代目!! 10代目ェー!!」

 

 必死に救出を試みるが、いくら残る炎を絞り出しても近づけやしない。

 刻々と近づくタイムリミット。二人の命であり、この世界───否、全パラレルワールドの命運を分かつ瞬間は、目の前にまで迫っていた。

 

「……」

「さ♪ 遺言があるなら聞いてあげるよユニちゃん。なんせこれから長い付き合いになるんだ。後腐れはなくしておきたいしね」

「……けて」

「んー? 聞こえないなぁ、もっとおっきな声で言ってごらん」

 

 

 

「───助けて、刹那ァーーーーー!!!!!」

 

 

 

 木霊するユニの叫び。

 数秒の沈黙を置くや、ブハッ、と息が漏れるような声が響く。

 

「ハ……ハハハハハ! まだそんなことを言うんだ! 健気な愛だね~。重過ぎて刹那クンが呪われないか不憫に思えてくるよ。それにさっきのを見てなかったのかい?」

「刹那は……貴方なんかに負けない……!」

「自分が認めた守護者だから? でも残念。コンティニューはもう二度と受け付けないよ。これから僕は全パラレルワールドを支配する覇者になるんだから、いくら彼が別の世界線で生き返ったところですぐに殺してあげる」

 

 締め上げる力が強まっていく。

 次第にユニの顔に苦悶が浮かび上がり、肺からはみるみるうちに空気が絞り出され、呼吸すらもままならなくなる。

 

「か、はっ……!」

「君も大概馬鹿な小娘だったよ。───すぐに彼と同じ場所に送ってあげる」

「ぁ───」

 

 伸びゆく白龍がユニの喉に巻き付き、息の根を止めようとする。

 誰もその手を止められない。

 綱吉も、守護者も、ヴァリアーも、他の者達も。

 

 誰の手も届かない、

 

 

 

『───ユニ!』

 

 

 

 そんな時だった。

 

「っ!!? なん、だッ……この炎は!!?」

 

 白蘭を中心に地面を埋め尽くしていた白龍が、突如として噴き上がる火柱に焼き尽くされていく。

 直視するのもままならない烈しい光に目を焼かれれば、白蘭も苦悶の声を漏らして目を背ける。

 

 すれば、火柱の中より“何か”が飛び出し、囚われのユニを縛り付けていた白龍を灰にして救い出す。

 一瞬の出来事に驚愕が走る中、ユニは自分を抱き上げる温かな炎にゆっくりと瞳を開いた。

 

「これは……」

『……怪我はないか、ユニ?』

「刹那!?」

 

 白い翼を羽ばたかせる刹那が、柔らかな微笑みを湛えて宙に立っていた。

 彼の生存に喜色満面と化すユニ。

 だが、やや透き通った彼の体に気が付くや、その顔はすとんと真顔に戻ってしまう。

 

「その……体は……?」

『……ごめん、その話はあとだ』

「刹那!!」

『大丈夫! 君のことは必ず守る、だから───』

 

 次の瞬間、温かな炎が球状の結界と化してユニを包み込む。

 7³の共鳴によって引き起こされる結界は、そのまま白蘭の魔の手から彼女を守る盾と化すだろう。

 

『あとは俺達に任せてくれ』

 

 唯一実体を感じられる大空のマーレリングは、今度は迷いなく綱吉の下へと飛翔した。

 白蘭は『させない!!』と白龍を向かわせるが、牙は刹那の肉体をすり抜けるばかりで、その身を捕えることができない。

 

「何が起こってるんだ、一体……!? くそ!!」

 

 忌々し気に顔を歪めて悪態をつく白蘭は、『こうなれば』と綱吉から先に殺そうと試みる。

 少なくとも刹那の狙いは綱吉を救うこと。あの肉体が幻覚だとしても、捕えたボンゴレ10代目は紛れもなく本物なのだから、狙うとすれば後者だ。

 

「奇跡なんてもの……そう何度も見過ごすと思うかあああああ!!!」

 

 度重なる奇跡に苦渋を味わわされた白蘭は、刷り込まれた恐怖に顔を歪めつつ、全力の炎を解き放つ。

 少しでも触れれば全身が灰となるであろう炎圧。

 

「消えろ!!」

『させない!!』

 

 炎と炎がぶつかり合う。

 直後、天地を揺るがす轟音が波となって広がった。余波だけで周囲に蠢いていた白龍が消し飛ばされ、並んで生える木々も根本から倒れていく。

 

「っ……やった、か?」

「───この炎は……」

「!!!!?」

 

 悲憤に震える声が風と共に流れゆき、白蘭の顔が歪む。

 

「そんな冗談が!!」

「刹那……お前の覚悟、確かに受け取ったぞ」

「一体どうやって……はっ!!?」

 

 揺らめく炎の中に、彼は佇んでいた。

 怒りと嘆きと悲しみと。様々な感情が綯い交ぜとなった悲痛な面持ちに涙を飾るや、それは一片の澱みもない覚悟を決めた面持ちへと変貌する。

 

 掲げられる拳には、()()()()()()()()()が輝いていた。

 

「あれは……ボンゴレの紋章!?」

 

 既視感のある装飾に、ユニが声を上げる。

 十代にも渡る歴史を有すボンゴレファミリーであり、掲げる代紋は見る者を震え上がらせる威厳に満ち溢れているが、長い歴史の間に何人もの人間が疑問として声に挙げた。

 

 

 

───何故、()()()()()()()()()()()()()()()? と。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!!?」

「白蘭、オレは死んでも───お前を許さない!!!!!」

「そんな馬鹿なことが───がぼぁ!!!!?」

 

 神速の炎拳が、雷の鎧を纏った白蘭の顔を殴り抜ける。

 余りの速度、そして威力。伴った調和の炎もあってか、白蘭の焼かれた頬は晴の炎で再生することもままならぬまま、グズグズと肉が焼け焦げる音を奏でるばかりであった。

 

「ぎぎっ……ぞ、んなっ……ここ、ま゛での力が……!!」

「立て、白蘭」

「!!」

「オレ達の怒りは……こんなものじゃ済まないぞ!!」

「うぐっ!?」

 

 解き放たれる炎圧は凄絶の一言に尽き、あれだけの猛威を振るっていた白龍も、白蘭の恐怖を反映したかのように微動だにしなくなった。

 

「凄いぞ、沢田の奴! まだあれだけの底力を!」

「……いや、ちげえ」

「リボーン殿?」

「あれはツナだけの炎じゃねえ。命を賭した刹那が願いと一緒に託した……最後の炎だ」

『!!?』

 

 リボーンの言葉に別の衝撃が伝播する。

 

「そんな……では、常磐殿は!?」

「……」

「リボーンさん!!」

「みなまで言わせんじゃねえ、()()()()()()()

「!」

 

 重い声色に、認めてなるものかと食って掛かった獄寺が歯噛みする。

 一縷の望みを託し、こぞってユニの方を見遣る。

 するとそこには、

 

「っ……、刹那……!」

 

 肩を震わせて涙を流す少女の姿があった。

 

「そんな……嘘だろ」

「───『嘘だろ』なんてのは、こっちの台詞だよ」

「! 白蘭、野郎!」

 

 やっとの思いで立ち上がった白蘭は、怒りの余りわなわなと震えながら、ドス黒い感情を込めた瞳を綱吉達の方へ向ける。

 

「一体どういう絡繰りでボンゴレリングとマーレリングが……」

『───約束を果たす刻』

『───使命を遂げる刻』

「!?」

 

 聞きなれぬ女性の声と、聞き覚えのある男性の声。

 弾かれるように声の下を向けば、綱吉のリングから二人の人間がそれぞれ炎と水に投影されていた。

 

「これは……Ⅰ世!?」

「それにあの女性……まさか!」

 

 男の方は他ならぬボンゴレⅠ世こと、ジョット。

 そしてもう一人の女性は、ユニによく似た雰囲気を纏う女性であった。否応なしにユニとの関係を髣髴とさせる姿だが、すぐさま当の少女が思い出したように口に出す。

 

 

 

「ジッリョネロ初代ボス───セピラ!」

 

 

 

 ボンゴレと同じく長い歴史を持つ由緒正しきジッリョネロファミリーだが、その創設者にして初代ボスこそ彼女、『セピラ』その人であると言う。

 しかし、これに断固として否を唱える者が一人。

 

「ジョットクンだけじゃなく、ユニちゃんのご先祖も登場とは……大した奇跡だよ、ったく!!」

 

 一度は縦の時間軸の奇跡で煮え湯を飲まされた白蘭だ。

 もう一度綱吉を屠ろうと全身全霊の炎を固め、標的を焼き殺そうと狙いを定める……が、しかし。

 

(!? 体の動きが……鈍い!?)

 

 ギギギッ……、と錆びついた歯車のように白蘭の動きはぎこちない。

 不可解な現象に目を見開いていれば、今度は別に起こり始めた異変に了平が気づく。

 

「見ろ! 白蘭の体が崩れていく!」

「なに……!?」

 

 言われるがまま、自身の体に目を向ける。

 すれば彼の言葉が嘘でないと証明すると言わんばかりに、灰化した肉体のあちこちがボロボロと零れ落ちていく。

 ただならぬ事態に、白蘭の頬に滝のような汗が伝う。

 

「そんな……そんなそんなそんな!! そんなことが!!?」

『にゅにゅ~ん! ざまーみろー!』

「ッ! この声は……」

『アッカンベ~、だ! びゃくらんのバ~カ!』

「ブルー、ベルぅ……!!」

 

 無邪気で幼い声───自分が食い殺したはずのブルーベルの声が、明滅する雨のマーレリングより聞こえてくる。

 しかしこれは、実際に食い殺した本人のものではない。

 

「まさか、並行世界の!?」

『ぼばッ! その通りだよ』

「デイジー……!」

『死にかけの肉体を無理に再生させてるんだ。限界以上に活性化して命を繋ぎ止めたところで、すぐに限界が迎えるよ』

 

 晴のマーレリングからも、それまで白蘭と白龍を再生させるに至っていた炎が、今度は彼らの肉体に崩壊をもたらし始める。

 

「何故だ!? マーレリングは僕が取り込んだはずなのに……!!」

『ハハンッ、リングを取り込んだぐらいで並行世界の我々の意志までをも我が物とできると思わないことです』

「桔梗……貴様!」

『そういうことだ、バーロー。あの馬鹿が随分世話になったみたいだからよォ、メンドくせーけど張り切っちまったぜ』

「ザクロまで……うがああああ!!!」

 

 途端にそれまで自身に恩恵をもたらしていた炎が叛逆を始め、白蘭が頭を抱えて身悶える。

 

 雨は“鎮静”で動きを鈍らせ。

 晴は“活性”で肉体を崩して。

 嵐は“分解”で細胞を燃やし。

 雷は“硬化”で体を硬直させ。

 雲は“増殖”で炎を後押しし。

 霧は“構築”で五感を惑わす。

 

「みなさん……!」

「これも……刹那の力なのか?」

「ええ、きっと……!」

 

 眼前に広がる光景に漠然と呟く綱吉へ、ユニが涙を浮かべながら力強く頷く。

 そうだ、これは奇跡なんかじゃない。

 永い時をかけて……例えそれぞれがごく短な時間だとしても、確かに積み重ねてきた時間の結実。

 

 

 

 あらゆる世界に植えられた種が芽吹き、実を結んだ瞬間だった。

 

 

 

 奇跡ではない軌跡の織り成す光景の後ろで、二つの始まりは紡ぐ。

 

『海なくば貝は生きられず』

『貝なくば海は穢れる一方』

『時に反目し合い』

『時に手を取り合う』

『それこそがボンゴレと』

『ジッリョネロの結んだ』

『リングに託した誓いであり』

『リングに託した願いでした』

 

 淡く温かい炎は、共に語り合うように優しい明滅を見せる。

 すれば、微笑みを湛えたセピラが遠い子孫に目を向けた。

 

『ユニ』

「ッ……! はい」

『7³とは、この地球に生きる命を見守る為の光。そして、決して絶やしてはいけぬ希望の炎なのです』

「そのような役目が7³に……!?」

 

 告げられる言葉で、これまで『使命だから』と曖昧なまま守り続けてきた至宝の存在意義をようやく知る。

 

『そして、私は遠い未来……仮にこの世界に生きる遍く命が脅威に晒されることがあった時の為、一つの希望を残したのです』

「約束?」

『それは……元は一つだったボンゴレリングとマーレリング、二つのリングがかけ合わさり、この世界を救う希望の炎となることなのです』

「!」

 

 今まさに綱吉が手にしているリングこそ、ボンゴレとジッリョネロの残した希望。

 そう告げたセピラに続き、ジョットもまた口を開く。

 

『そして、マーレリングの力を悪意のまま使う者が現れた時、食い止める役割を背負ったのも……ボンゴレだ』

「なんだって……?!」

『長い時を経て、その誓いは途絶えてしまったが……こうしてリングに刻まれた時間が、お前の炎と共に甦った』

 

 後悔を匂わせる面持ちを湛えながらも、ジョットは綱吉に笑いかける。

 

『ふっ……重ね重ねになって済まないな、Ⅹ世』

「Ⅰ世……」

『血も、力も、時も───ボンゴレに囚われる必要はない。栄えるも滅びるも好きにすればいいと言った。この炎は……お前の覚悟に他ならないんだからな』

「……ああ、そうだ!」

『世界は……未来は、今を生きるお前達の手で掴むんだ』

 

 

 

───託したぞ。

 

 

 

 ジョットはそう言い残し、慈愛に満ちた微笑みを浮かべるセピラの幻影と共に消えていった。

 

 彼らが遺したものはと言えば、この二つのリングだけ。

 

 しかし、迸る炎は高く、高く、高く───天を衝かんばかりに立ち上り、暗雲が立ち込めていた空に大穴を穿った。

 

 刹那、差し込む光が綱吉を照らすや否や、輝かしい炎をその背に背負わせる。

 

「───覚悟しろ、白蘭!!!!!」

「っ、ぐぅう!!?」

「これは俺と刹那の……覚悟の炎だ!!!!!」

 

 

───オペレーション X───

 

 

 絞り出す声と共に、綱吉の背後には極太の炎が噴射される。

 すれば、荒れ狂う波濤が現れたかと思えば、ともすれば射線軸に存在する物全てを焼き尽くさん勢いだった炎を飲み込んでいく。

 

『綱吉さん、背中は俺に任せて!』

「っ……刹那!?」

『今の俺にはこのくらいしかできないけれど……思いっきりやっちゃってください!』

「……あぁ、任せろ!!」

 

 流るる涙もそのままに、綱吉は照準を定める。

 すれば、今度は白蘭の背後にも海流の門が生まれた。それは白蘭が並行世界と自身を繋げる時に生まれるものに似通った“ゲート”であるが……。

 

「あれは一体……常磐殿はどういった考えで!?」

「そんだけツナがこれから撃つ攻撃がハンパねーってこった」

「と、言いますと……!?」

「こんだけの炎圧、白蘭をぶっ飛ばすにしても射線の上にあるもん全部消し飛ばしちまう。刹那はそれを防いでくれてんだ……次元の扉でな」

 

 ただでさえ強力なX BURNER、もしもそれが更なる力と共に解き放たれれば、この山林一帯のみならず隣町への被害も考えられる。

 それを防ぐ為だけの方法が、縦と横の時間軸が交差(クロス)した特異点に生まれた全並行世界を繋ぐ次元の狭間に他ならなかった。

 

「こんなっ、これだけの為にその力をォーーー!!!!!」

 

 幾億千を超える世界にて切望した力を見せつけられる白蘭は、崩壊を迎える体を憤怒のままに突き動かす。

 

「それは僕の力だァァァアアア!!!!!」

「違う!!!!! これは刹那の……みんなを守ろうとする、あいつの覚悟だあああああああ!!!!!」

 

 綱吉と白蘭、二人の掌に炎が灯った。

 白蘭はドス黒い怨嗟と妄念を残された炎につぎ込み、最早大空とも取れぬ黒い炎が入り混じった炎を解き放つ。

 

「消え失せろおおおおおおおお!!!!!」

 

 それを迎え撃つ綱吉の炎。

 幾星霜もの時を経た誓い、そして少年の想いを乗せた炎は───爆ぜる。

 

「うおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 

 

 

 

───X BURNER(イクスバーナー) OVER X(オーバークロス)───

 

 

 

 

 

 この世界を守る為に。

 好きな人を守る為に。

 何よりも熱く、何よりも澄んだ想いは───何者にも阻むことはできなかった。

 

「う、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 

 澱みない覚悟の炎は、立ちはだかる野望と力の悉くを灰と化して進む。

 どこまでも、どこまでも───無限に広がる海の彼方まで。

 やがて灰燼と化した白蘭の肉体は……次元の狭間、海の中へと消えていく。

 

 果てしなく広がる青い海へ、ひらひらと。

 

 

 

 そうして白蘭は───海へと還っていった。

 

 

 

 

 

 

───やった。

 

 白蘭が綱吉さんに倒されるのを見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 

───これで。

 

 悔いはない。

 思い残すことも。

 ちょっぴり寂しさはあるけれど。

 それでも、本当に良かった。

 

 

 

『───幸せにな、ユニ……』

 

 

 

 俺に残された(じかん)は、あとちょっとというところまで迫っていた。

 



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Ⅵ.『忘れはしないだろう』

 炎が、蒼天を衝く。

 

 白蘭を消滅させた死ぬ気の炎は、暗雲に覆われていた大空を見事なまでに晴らしてみせた。

 差し込む陽の光に照らされ、七つの輝きが地面へと落下する。

 それまで調和によって一体化していた至宝、マーレリングだ。主が消滅して効力を失ったリングは、からんと音を立てて地面に転がった。

 

 歩み寄って拾い上げるユニは、僅かに残る熱を感じつつ、瞼を閉じて感謝を告げた。

 

「ありがとう……貴方達のおかげで世界は救われました」

 

 絶体絶命の窮状においても尚、時空を股にかけて並行世界より力を貸してくれた守護者達への言葉。それに応えるリングは二、三度淡い光を放った後───今度こそ役目を終えて沈黙した。

 

 今一度、心の底で感謝を念ずる。

 感謝してもし切れない。大粒の涙を流すユニは、幾度となく起こった奇跡を振り返りつつ、愛おしくリングを抱きしめた。

 

『───ユニ』

 

 そんな時、温かさに満ちた声に呼びかけられる。

 

「……刹那、」

『終わったよ、全部。これで平和な世界になるんだよな』

 

 清々しい笑顔を咲かせる刹那。

 しかし、ユニはと言えば込み上がる涙を抑えきれぬまま、くしゃりと歪んだ泣き顔のまま少年へと抱き着いた。

 

『っとと……泣かないで、ユニ。折角のカワイイ顔が台無しだ』

「そんなことっ、……今言わないでください!」

『……ごめん』

「謝るのも……ダメです」

 

 じゃあどうすりゃいいのさ、と困った顔を浮かべる刹那。

 そうこうしている間にも、綱吉をはじめとした全員が二人の下まで駆け寄ってきた。喜びを噛み締める者、安堵の余り涙を流す者、立て続けの窮地に疲れ切った者……三者三様の様子が窺える。

 

「刹那!」

『綱吉さん……ありがとうございます。白蘭を倒してくれて』

「う、うん……って、それより! 体……君の……」

 

 困惑を絵に描いたような表情の綱吉は、淡い橙色の炎に包まれ、半透明に透けている刹那の全身を見回す。

 見間違いではないかと何度も何度も見返しては、周りを取り囲む者の様子も合わせ、夢ではないのだと悲壮感に打ちのめされる。

 

『これ、ですか』

「そうだよ! 何がどーなってそーなってんの!?」

『見ての通りです。俺の体は……もうありません』

「っ……!!」

『ここに居る俺は実体がない……例えるなら、GHOSTみたいな“現象”です。魂を包む炎が人の形を辛うじて保ってる、そんな感じで』

 

 絶句。

 覚悟はしていたユニやリボーンを含め、いざ本人から告げられた真実を耳にする面々の多くは、白龍に大穴を穿たれた刹那の姿を思い返す。

 

 やはり───でも。

 

 そう思う者ばかりだ。

 不甲斐なさに拳を握る者も居れば、ただただ呆然と涙を流す者も居る。

 それだけ、他の者が誰も欠けずに手に掴んだ勝利の中、彼一人だけがそうはいかなかった現実が心を打ちのめしてくる。

 

「そんな……君のおかげで勝てたのに……ユニを、守れたのに……!」

『そ、そう暗い雰囲気にならないでくださいよ! 確かに体はなくなっちゃったけど、死んだ訳じゃ……いや、ここの俺は実際死んでますけど、魂だけは生きてますから』

「え? っと……つ、つまり?」

『あ、あの……ほら、言ってたじゃないですか。俺が並行世界を云々かんぬんって』

「??」

 

 刹那が言わんがしている内容を理解できず、綱吉はクエスチョンマークを頭上に浮かべる。

 すると次の瞬間、黒く小さな人影が人込みの間を縫って現れた。

 

「お前が何度も殺されたって話だな」

 

 事情を知っているような口ぶりのリボーンへ視線が集中する。

 

「リボーン!? それって……」

『リボーンさん……はい、俺は死んでも少し遡った時間軸に甦る呪いがかけられています』

「呪いって……えぇー!? そんな呪いかかってんの、君!?」

『はい。だから、死ぬって感覚が人より希薄っていうか……つまり、『死んだところで』って言いますか……』

 

 たははっ……、と緊張感のないへにゃりとした笑顔で言い放たれる。

 その空気にあてられた綱吉はホッと息を吐く───が、その瞬間に頬をリボーンに蹴り飛ばされて汚い悲鳴を上げた。

 

「ぶべぇー!? な、なにすんだよ、リボーン!!」

「まだ話はまだ終わってねーぞ、バカツナ。それだけで話が終わるほど単純な話じゃねえ」

 

 ゆっくりと、リボーンの円らな瞳がユニへと向けられる。

 

「辛いだろうが教えてくれ。お前の知っている全部を」

「……はい」

 

 頬を伝う涙を袖で拭うユニ。

 彼女を止めようとする刹那であったが、その覚えのある所作にキュッと胸を締め付けられれば、何も言えなくなって面を伏せた。

 

 それから語られたのは、呪いの全貌。

 

 刹那の世界で起こった虐殺から始まり、呪いをかけられた経緯、気の遠くなるような時間において繰り返された死に戻り……その全てが綱吉達の想像を絶するものであることは言うまでもなかった。

 

 語り終えたユニは、細く、そして長く息を吐いた。

 積もりに積もった万感の思いはそれだけでは吐き出しきれもしないが。

 だがしかし、他の者と共有するだけでも彼女の悲しみはほんの少しだけ軽くなったことは救いだろう。

 

 それでも───溢るる涙は止まらない。

 

「……白蘭が倒された今、マーレリングの力は無効化され、全パラレルワールドで白蘭が起こした出来事は過去に遡って抹消されるでしょう。しかし、刹那にかけられた呪いはマーレリングの力とはまた別物。呪いが解け、元の世界に戻れる保証はないのです」

「……そんな……」

「白蘭を倒し世界を救う為とは言え、彼は余りにも大きい代償を払っております。それこそが……記憶の抹消。彼が死んだ瞬間、その時間軸からは彼が生きていた痕跡は一つも残らなくなるのです」

 

 一斉に向けられる視線に、刹那は閉口したままだ。

 

「刹那……本当なの? その話……」

『……』

「何とか……何とか言ってくれよ!」

『───もう、終わった話ですから』

「はっ……!?」

 

 予想だにしていなかった返答に怒りすら覚える綱吉だったが、ようやく顔を上げた刹那の涙する様子に、寸前で言葉を飲み込んだ。

 

『最初から覚悟したことです。後悔はありません』

「だからって……君が忘れられていい訳ないだろ!」

『いいんです。俺は……俺はみんなを守りたかった。大好きなユニやジッリョネロのみんな、ボンゴレファミリーの人達を助けられるんだったら死んでもいいって……この呪いを望んだんです』

「っ……! けど……、っ!」

『忘れられるのは、そりゃあ寂しいですけれど……大丈夫。みんなとの思い出は、俺の宝物として胸にしまっておきますから───』

 

 

 

「そんなこと、私が許しません!」

 

 

 

 突如、響き渡る怒鳴り声に肩が跳ねる。

 誰の声だと弾かれるように振り向けば、声を発した主の正体に誰もが愕然と瞠目した。

 

『ユニ?』

「自分だけが犠牲になればいいだなんて……そんなこと、ジッリョネロのボスとして私が許しません!!」

『……けど、』

 

 一緒に居たいのは刹那も同じだ。

 けれど、それが叶わないと知っているから潔く諦めた。自身に課せられた使命は───呪いはそういうものだと。

 しかしながら、ユニの涙に濡れた顔を直視するにつれて、固めていた覚悟が揺らぎ始める。

 

「貴方も言いましたね、『(ユニ)が居ない世界に意味なんてない』と。私も……同じ気持ちです」

『……てくれ』

「貴方の居ない世界に戻ったとしても、私の世界にはぽっかりと穴が開いたまま! γが居て、太猿や野猿……みんなが揃ってのジッリョネロだから……、……っ」

『やめてくれ、ユニ……』

「貴方と一緒の時を、私は生きていきたいんです!」

 

 止まる事を知らない涙はお互い様だった。

 気づけば二人は抱きしめ合い、残された数少ない時間を噛み締め合う。刹那が元の時間軸に戻れる保証がない以上、これが最後の時になるかもしれない。

 そう思うだけで、進んでいく時計の針が憎たらしくて堪らなくなる。

 命の炎の温もりが消えてしまう前にと、熱い抱擁はいつまでも続く。

 

「……刹那」

『うん』

「私、貴方のことが好きでした。ずっと……ずっと昔から」

『……俺も、ユニのことが好きだ。今までも、これからも』

「っ……、良かったぁ……貴方の気持ちをやっと知れました」

『ずっと気づいてたんじゃないのか? ユニならさ』

「いくら心の機微に敏くても、言葉にしなきゃ伝わりませんよ……もう」

『そっか。じゃあ、次からはちゃんと伝えなきゃダメだなぁ……───』

 

 想いを重ねる度に後悔は募る。

 ああしていれば良かった、こうしていれば良かった。もっとやりようはあったんんじゃないかと───誰だって生きている上で行うように二人は省みる。

 

 つらつらと言葉にしたところで、抱いていた想いの三分の一も伝えられやしない。

 『それでも』と、この一瞬を永遠のものにせんと必死に心へ焼き付ける。だが、やがて炎の熱で涙に濡れた袖が渇く頃、ゆらゆらと揺らめいていた刹那の体が崩れ始めた。

 淡い光を放つ火の粉は次なる道筋を指し示すように、晴れ渡る空へと舞い上がる。

 足元から次第に消えてなくなる刹那。半透明だった体も、刻一刻とこの世界の居場所を失っているかのように薄く、透明に変わっていく。

 

『……ごめん、ユニ。もう、時間みたいだ』

「っ……嫌です! もっと……もっと貴方と一緒に……っ」

『俺もさ。けど……』

「うぅっ……!」

『……なあ、ユニ。最後に一つ、お願いしてもいいか?』

 

 

───俺が行ってしまう前に。

 

 

 寂しさを隠し切れぬ笑顔を湛え、涙を押し殺した声で告げる。

 

『笑ってる顔が見たいんだ。ユニの笑顔……昔から好きだったから』

「私の……笑顔?」

『うん。ダメかな?』

「っ……、いえ。もちろん……っ!」

 

 涙を呑むユニは、今は亡き母の教えを想い返す。

 

 

 

───うれしい時こそ、心の底から笑いなさい。

 

 

 

 ああ、そうだ。

 自分は今、幾星霜の時を経て同じ想いを感じ合っている。これを喜びと呼ばず何と言うのだ?

 確かに別れは悲しくはあるけれど、それが永遠の別れであるとも限らない。

 

 

 

 ならば、また会えると願い───花を贈ろう。

 

 

 

「ふふっ」

『どうしたんだ、ユニ?』

「いいえ、なんでも。それより……」

『……うん』

 

 

 

 

 

 大空の下に、虹が架かった。

 

 

 

 

 

「いってらっしゃい、刹那」

 

 

 

 

 

 心の底から綺麗だと思える虹が。

 

『……ありがとう、ユニ』

「刹那くん!!」

『っ、綱吉さん……?』

「オレ、絶対忘れないから!!」

『───!』

 

 今際の際、いよいよ炎が消えてなくなるというところで綱吉が告げる。

 

「君がここから居なくなっても……過去に戻っても!! 絶対……絶対に忘れはしない!!」

『綱吉、さ……っ!』

「だって、大切な思い出だから!! 君と過ごした時間は消えたりなんかしない!!」

 

 

───このリングがそうだったように。

 

 

 代を重ねても尚、時を隔てた記憶を蘇らせたボンゴレリングを掲げ、綱吉は涙ながらに言い切った。それに続き、獄寺や山本といった面々も同様の旨を口に出す。

 共に過ごした時間は短いけれど、掛け替えのない時間だから───皆が各々に伝えていく間、上りゆく炎を掻き分けて涙が地面を濡らす。

 手で顔を覆い隠したところで、涙は止まらない。

 今まで心を押し殺して堪えてきた分の全てを吐き出すように、刹那は唇を噛み締めながら、贈られる言葉を胸に刻む。

 

 そして───。

 

『みんな……本当にありがとう!! 俺も忘れないから!!』

「刹那くん!」

「刹那……!」

『だから───いってきます!!』

 

 雨が降り注いだ後の大空に、虹が架かるように。

 涙に濡れた顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 そうして、炎と共に少年は消えた。

 

 

 

 大切な思い出を、その心に刻み。

 

 

 

 

 

 

 天にも昇る浮遊感。

 俺は、この感覚を知っている。

 

───どこに行くんだろ。

 

 並行世界へと魂が渡る感覚は、今になっても慣れないものがある。

 ましてや白蘭を倒すっていう目的を果たした後なら、尚の事。経験則で言うなら、また俺が生きているだろう数か月から数年前に戻るはずだが、

 

───することあるかな……。

 

 ひょっとすると、永遠に呪いがかけられたままかもしれない。

 となると、似たような時代を何度も繰り返す羽目になるだろうが……。

 

───それなら、あの鉄帽子を探そうか。

 

 呪いを解くのを目標にするのなら、かけた張本人を探すのが一番か。

 並行世界では顔見知りでないとしても、手がかりくらいは知っているだろう。そうと決まれば話は早い。さっさとタイムリープしてどこかに辿り着きたいけど。

 

───?

 

 不意に、向かう先に白い光が見えた。

 あれは───翼だ。

 左右に広げられた純白の翼。まるで宗教画に載っている天使のような趣に感嘆の息を漏らそうとしたが、途中でハッと気づいた。

 

───まさか、お迎えじゃないよな?

 

 実際、ありえる話だと思った。

 いくら死に戻りの呪いをかけられたとはいえ、当初の目的を果たした時点で呪いの効力はなくなるというのもない話ではない。

 いや、待ってくれ。

 確かに後悔はないと言ったけれど! それとこれとは話が違う!

 

 待て、こっちに近づくな!

 

『アハッ♪ 大慌てじゃん、刹那クン』

 

───……は?

 

『そんな顔しないでよ。ほら、僕だよ僕。もう忘れちゃったの?』

 

 近づいてくる天使、いや悪魔はそう言って笑う。

 

───お前……白蘭!!

 

『おっと! そんな怖い顔しないでよ』

 

 俺を始末しにでも来たのだろうか。

 そう思うだけで身が強張る思いだが、辛うじて大空のマーレリングは身に着けたままだ。匣兵器がないのが懸念点だが、一対一なら何とかできるだろう。

 なんて物騒な思考をグルグルと巡らせていれば、敵意を向けられているにも関わらず、余裕綽綽といった笑みを湛えた白蘭は口を開いた。

 

『僕は案内しに来ただけさ』

 

───どういう意味だ?

 

『言葉通りの意味♪ ほら、後ろ』

 

 白蘭が指さす方向に警戒しながら目を向ける。

 すると、そこにはあったのは……。

 

───……虹……?

 

 橙色の光と共に、それ以外の六色が橋を架けるように遠く遠くへと伸びている光景が目に入った。

 

『あれが道標だよ。君が元居た世界への』

 

 思わず期待に心が躍ったが、それを告げたのが白蘭とだけあって、すぐさま興奮の熱は冷めていく。

 

───俺を嵌める気か? そうだろ、白蘭。

 

『違うんだな~、これが。でもまあ、そりゃ僕の言うことなんて信用できないっか』

 

───当たり前だろ。

 

『そっか。それならいっそ僕のことは信用しなくていいから、ユニちゃんのことを信じてあげなよ』

 

───どうしてユニが出てくる?

 

『百聞は一見に如かず。ほら、光に触れてみなよ。───それで全部理解できるから』

 

 白蘭の言いなりになるのは癪だが、確かに迫ってくる虹に悪意は感じられない。

 寧ろ、どこか懐かしいような感覚さえ覚える光に、俺は自然と手を伸ばしていた。近いようで遠い、そんな距離感の下で光を求めてれば、ようやく触れることが叶った。

 

───! ……これは。

 

『んね♪ わかったでしょ』

 

───ユニと……みんなの炎だ。

 

 それは他でもない、ユニの温かな大空と守護者のみんなの炎だった。

 似たような温もりには並行世界でも触れてきたけれど、この感触だけは特別だ。あの頃となんら変わりのない───実家みたいな温かさに、()()()()()()()()()()()()

 

───……あっ。

 

 俺は今、思い出した。

 幾度とない死の度に薄れていった、大切なファミリーとの思い出を。

 どれだけ思い出そうとしても無理だった、掛け替えのない時間が。

 

『思い出した? 君が居た世界での思い出』

 

───……ああ。ようやく……思い出せた……っ!

 

『いいねいいね、理想的なノスタルジーって感じ?』

 

───これを俺に思い出させてどうするつもりだ?

 

『どーもこーもしないって。ただ、う~ん……お礼?』

 

───お礼?

 

 お礼参りではなくお礼とは。

 殺し合う理由にこそ心当たりのある俺は、邪気のない笑みで言い放った白蘭を前に首を傾げた。

 その様子が面白かったのか、あいつはプハっと堪らず噴き出す。おい、何がそこまで面白かったんだ。

 

『ちょっとね。悪夢から覚まさせてくれたお礼』

 

───悪夢……だと?

 

『うん。そうだね……君や綱吉クンを倒して世界征服を叶えた夢さ』

 

 それのどこが悪夢なんだと食って掛かりそうになるが、その前に白蘭が言葉を続ける。

 

『でも、や~っと目的を達成したのはいいけれど、それからすることが何もなくなっちゃってさ。燃え尽き症候群? って言うのかな。生ける屍みたいな時間を永遠に過ごす夢を見てたんだ』

 

 そう語る白蘭の顔は、今までに見たことのないような表情を浮かべていた。

 あの邪悪で、享楽主義で、人を嘲笑っていた白蘭が───初めて見せた人らしい顔。蘇る不安と恐怖に肩を震わせながら、怯えた顔を浮かべていたんだ。

 

『けどさ、そんな時に『こっちだよ~♪』って呼ばれたのさ───ユニちゃんに』

 

───!? なんで、ユニが……。

 

『さあ? あれがどのユニちゃんかなんて僕は知らないけど、抜け殻みたいになった僕の傍にずっと寄り添ってくれて慰めてくれてたんだよ』

 

 きっと、魂だけを飛ばす大空のアルコバレーノの力かな? と。

 笑いながら語る白蘭を前に、俺はユニのお人好しさにつくづく溜め息が零れた。

 ユニの奴……なんだって、自分を殺した男なんかを。

 

『そんな訳で完全復活を遂げた僕なんだけど……一つ、ユニちゃんからお願い事をされてね』

 

───お願い?

 

『並行世界……時空のどこかを彷徨ってる君を探して連れて来てほしいって』

 

 ようやく俺は合点がいった。

 けれど、理解はできたところで信用はできない。なんせ相手が白蘭である以上、語られた内容が全部嘘───なんてのも覚悟しなければならない。

 睨み合いは暫く続く。

 すると、ほとほと困り果てた様子の白蘭が動き出した。

 

『───わかった。ごめんよ、刹那クン』

 

───……なんだって?

 

『謝ったのさ。もちろん、君がそれで納得するなんてこれっぽっちも思ってないけど』

 

 申し訳なさそうな顔から清々しい笑みに移るまでだったが、ほんの少しでも誠意を見せた白蘭に、僅かながら変心の兆候を垣間見た。

 

『でもさ、ユニちゃんに君に会ったらごめんなさいって言いなさいって言われたから。だから謝ったんだよ』

 

───それはつまり、お前一人だったら謝らなかったって意味じゃないのか?

 

『! アッハハ、それは盲点だったなー!』

 

 謝らなかったかも! と、いっそこちらが清々しくなるような開き直りようだ。

 何度目かわからない溜め息を零し、俺は今一度白蘭と対面する。

 確かにあの時の白蘭とは違う。邪悪な悪意も敵意も感じられない。おどけた態度こそ変わらないままだが、浮かべる笑顔にも今までにない清涼感があった。

 

───信じていいんだな?

 

『僕のことは信じなくてもいい。君はユニちゃんを信じればいいさ』

 

 その炎は嘘をつかない。

 真っすぐにこちらを見据える白蘭は、それっきり俺を見守るように佇んだまま、口を開かなくなった。

 

 どれだけの逡巡を経ただろうか。

 ようやく決心がついた俺は、今や今やと待ちかねるように揺らめいている虹の方を向いた。

 

───……白蘭。

 

『うん?』

 

───ありがとう。

 

 驚いたような息遣いが聞こえてくる。

 それだけでも仕返しとしては十分だ。

 

 けれど、一応伝えておかなくちゃな。

 

───お前のおかげで、俺は半端な覚悟を捨てられた。そこだけは……感謝してる。

 

『……まったく、君って奴は。つくづくユニちゃんとはお似合いだよ』

 

───おい、それってどういう意味だ?

 

『アハハ、別に。それよりもほら、早く行ってあげなよ』

 

 待ちくたびれてるからさ、と催促が飛ぶ。

 このままでは別の並行世界に飛ぶのもままならないと受け入れた俺は、仄かに明滅する虹を辿っていく。

 温かな光に乗れば、瞬く間に景色が線となっていくのが分かる。

 進んでいる───間違いなく、次の世界へ。

 

 

『ユニちゃんによろしく言っといてねー♪』

 

 

 遠のく白蘭の声は何とも軽薄なノリだ。

 けれど、今はほんの少し───その声にも一抹の寂しさを覚える俺が居た。

 

 

 

 そして、また気が遠くなるような時間の果て。

 

 

 

 眩い光の先へ───俺は飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 まだ彼は目を覚まさない。

 同じ時を過ごす()の一人が、かつては手を結んでいたマーレリングの保持者と本当の意味で協力し、魂を導いてくれたというのに。

 

「刹那……貴方はいつ目を覚ますのですか?」

 

 待てども待てども、彼は目を覚まさない。

 いつまでも待つ覚悟はできているが、それでも胸の中に寂しさに嘘は吐けない。

 

「貴方と行きたい場所がたくさんあるんです。お母さんが立てた孤児院にも顔を出さなくちゃ」

 

 つらつらと言の葉を紡ぐ。

 色んな町に色んな土地。自分は幼く、ファミリーも抗争中だったせいでろくに出かけられたこともない。

 しかし、平和な時を取り戻したからこそ、彼と共に巡りたい場所は数えきれないほどにあった。

 

「……早く、起きてくださいね」

 

 できるだけ聞こえるように、近くで囁く。

 ベッドの上で眠る彼の顔を覗くような体勢がしばらく続く。

 すれば、次第に彼の顔が近づいてくる。いや、これは私の方から近づいて───吸い込まれていっているのだ。

 彼の寝息が頬を撫でる。

 みるみるうちに自身の顔が火照っていく感覚を覚えるが、恥じらいを捨てて、彼の下へと飛び込んだ。

 

「刹那」

 

 お願い、と。

 

「貴方のことが……大好きだから」

 

 微かに響く口づけの音。

 永く、そして濃密な時間だった。

 

 重ねていた時は極僅かだったはずなのに、それが永遠の時のように思えたのだ。

 しかし、どうしても息が続かなくなって唇を離す。名残惜しさは拭えないけれど、それでも寂しさは幾分か和らいだ。

 

「……私ったら、なんてことを……」

 

 でも、続けざまに襲い掛かる罪悪感に面を伏せた。

 いくら彼に想いを寄せているとはいえ、意識のない人の唇を奪うなんて。

 

「伝えたい想いはたくさんあるのに……どうして叶わないんですかね」

「……」

「ねえ、刹……」

「……」

「な……?」

「……」

 

 ()()()()()()()

 誰と? ───ベッドの上で眠っていた少年と。

 

「な、な、な……」

「ユ、ユニ……おはよう?」

「っ~~~!」

「わっぶ!?」

 

 顔から火が出そうな羞恥を隠そうと───ううん、それ以上に湧き上がってくる喜びと衝動が体を突き動かし、気づいた時には目覚めた彼の胸の中に飛び込んだ。

 

「刹那! やっと……やっと……!」

「ユニ……」

「ずっと待ってました……貴方の帰りを……!」

「……うん、ただいま」

「はい! ───おかえりなさい」

 

 向かい合う二人を妨げる者なんかなくて。

 喜びと愛おしさのままに引き寄せられた私達は───もう二度と離すまいと、強く抱きしめ合った。

 

 

 

 白い蘭が運んでくれた幸せを噛み締めるように。

 

 

 

 そうして───二人の時間は、永遠のものとなった。

 

 

 

 

 

 

忘れてしまうだろう

肩につもる悲しみは

流れる星の手に抱かれ

 

ため息ひとつでリセットされる

無限のループのような日々さ

「右向け左」が遠回りでも

それでいいんだ

風が吹き付けるのは きっと

ビルの隙間を飛び交う雑音が

君に聞こえないように

 

夜空に描かれた 星を繋ぐ物語

その胸焦がれる幻想

忘れてしまうだろう

肩につもる悲しみは

流れる星の手に抱かれ

 

理由なんていらなかったあの日

指でなぞった輝きがまだ

眠りさえ忘れさせるなら

それでいいんだ

雨が降り止まないのは きっと

唇噛み 流れてゆくその涙

誰も気付かないように

 

夜空に描かれた 星を繋ぐ物語

その胸焦がれる幻想

忘れてしまうだろう

肩につもる悲しみは

流れる星の手に抱かれ

 

あの星や君の名前は知らないけど

その輝きはここからもよく見える

涙を止めるのも 夢を見るのも

それを叶えるのも

それは誰かじゃなく

君じゃなきゃ出来ないんだ

 

夜空に描かれた 星を繋ぐ物語

その胸焦がれる幻想

忘れはしないだろう

回り道に咲いてた花

泣いた跡も 傷跡も

抱えたまま歩いてゆけば良い

 

 

 

 

 

「───なあ、ユニ」

「はい?」

「昔さ……俺に花の指輪くれたろ? なんだっけか……スノー」

「スノードロップですか?」

「そう、それ! あの時教えてくれた花言葉ってなんだっけ?」

「……教えません」

「えー」

「もう憶えてなくて結構ですから!」

「えっ、そんなに怒ることか!? ごめん、ちゃんと思い出すから!」

「もういいです! ───ふふっ♪」

 

 

 

 その花が持つ意味はいくつかある。

 

 

 

 『希望』に『慰め』、そして───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『恋の最初のまなざし』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




~Fin~


 形態変化(カンビオ・フォルマ)!!!(匿名設定解除)
 という訳でこんにちは、柴猫侍です。

 この度は『88』を読んでいただき、誠にありがとうございました。
 本作は自分が主催の企画『復活(リボーン)杯』の参加作品として筆をしたためさせていただいたものであります。
 久しぶりに再燃したリボーン熱……それをギュッと詰め込んで、ゴウッ! と燃やしてみせた作品であると自負しております。

 未来編の白蘭に支配された並行世界、そこからループを繰り返す少年・刹那が主人公であった本作。その生きざまに未来編一発目のOP『88』を重ねるようなストーリーラインを意識してみましたが……楽しんでいただけたでしょうか?
 少しでも楽しんで読んでいただけたのであれば、本作および復活杯を開いた甲斐があったと思えます。

 復活杯に参加していただいた作品は、他のも数多く投稿されておりますので、ぜひともそちらをご覧になって懐かしい家庭教師ヒットマンREBORN!への熱を復活(リ・ボーン)!していただければと思います!

 それでは長々と失礼いたしましたが、最後に一言。
 最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!
 柴猫侍でした~。


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