古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜 (黒い小説家)
しおりを挟む

第一部 『現代入り篇』
開幕① 組み手


時は夕暮れ、とある武道場で二人の少年による実戦稽古が行われていた。

 

 周囲には空手の門下生が数十人以上おり、みんな真剣な目で二人の姿を凝視していた。

 

 片や黒帯の少年に対して、もう片方は白帯を腰に巻いた少年、帯の色だけ見れば空手の達人と初心者の実戦稽古となる。はっきりと言って無謀としか言いようがない。

 

 しかし帯の色など気にもしていないのだろう。門下生はもちろん師範代だと思われる中年の男性も当たり前のような態度を振る舞っている。

 

 胴着を着た中年の男性の右手を上げると、即座に下へと振り下ろすと同時に言葉を叫んだ。

 

「始め!!」

 

 胴着を着た中年の男性の合図と同時に実戦稽古が始まった。

 

 そして相手に身構える時間すらも与えないと言わんばかりに、黒帯の少年は一気に間合いを詰めた。

 

「うぉらぁ!」

 

 接近した瞬間、黒帯の少年は両手を地面に着きながら身体を縦回転させると、そのまま相手の顔面に向かって踵蹴りを繰り出した。 空手の蹴り技の一つ『胴廻し回転蹴り』である。

 

「いきなり大技だと!?」

 

「一撃で沈めるつもりか?」

 

 『胴廻し回転蹴り』は必殺の一撃とも言える空手の大技の一つ、恐らく一気に決着をつけようという魂胆なのだろう。

 

 黒帯の少年が大技を繰り出したことに周囲の門下生達は驚きを隠せず、唖然としていた。

 

「よし貰った!!」

 

 相手には避ける時間も余裕もなければ、この大技は例え防御をしても相当なダメージを与えるほどの威力を持っている。

 

 このとき勝負は決まったと黒帯の少年は確信していたのであろう。が、しかし。

 

 顔面に向かって飛んできた踵蹴りを白帯の少年は冷静に難なく左腕で受け止めると、周囲に強烈な打撃音が響き渡る。

 

 並みの人間であれば勝利していただろう。だが不運にも相手は常人ではなく、並外れた力を持つ化物だったのだ。

 

「そんなもんじゃ通用しねぇよ」

 

「おいおいマジか?」

 

 大技を片手で簡単に防がれたことが予想外だったのだろう、黒帯の少年は驚いた表情を浮かべる。

 

 しかし驚いている余裕はない。 黒帯の少年はその場から立ち上がって体勢をすぐに整えると、冷静になるために一旦お互いの間合いを空ける。

 

 それに対して白帯の少年は、相手が距離を空けて、インターバル取っても、ただ構えているだけで攻め込んでくる気配はまったく無い。

 

 白帯の少年は至って冷静であり、心身共に随分と余裕のある立ち振る舞いをしている。

 

「ほら、早く来いよ」

 

(ちくしょう、舐めやがって)

 

 白帯の少年の余裕な態度が気に食わなかったのだろう。黒帯の少年は拳を強く握り締め、怒りの形相を露にしている。

 

 集中力を研ぎ澄まし呼吸を整えた瞬間、溜め込んでいた怒りが爆発したかのように黒帯の少年は走って相手との間合いを詰めると、怒濤の連打攻撃を繰り出してきた。

 

 前蹴り、横蹴り、回し蹴り、膝蹴り、肘打ち、上段突き、中段突き、下段突き、手刀など、今まで自分が会得してきたあらゆる技を出し惜しみせずに全力で放った。

 

 だが、この世は非常に残酷だった。 

 

 黒帯の少年が全力で繰り出す攻撃の全てを白帯の少年は難なく回避してしまい、例え当たったとしてもいとも簡単に受け流してしまう。

 

 必死に何度も攻撃を仕掛けてくる黒帯の少年に対して、白帯の少年は避けたり受け流しているだけで、攻撃や反撃をする気配も様子はまったく無い。

 

「いい加減攻撃したらどうだよ!?」

 

「……………」

 

 防御や回避しているだけで、攻撃をまったく仕掛けてこない白帯の少年が許せないのだろう。黒帯の少年の怒りのボルテージが更に高まる。

 

「……喰らえ!!」

 

「………!?」

 

 強引に繰り出してきた変則的アッパーカットを受け流せず、ガードを抉じ開けられてしまい。遂に白帯の少年の顔面が無防備になってしまう。

 

 偶然にも巡ってきたチャンスを黒帯の少年は見逃さず、がら空きになった少年の顔面に向かって正拳突きを放ってきた。

 

(よし、これなら避けられねぇ)

 

 避けられる状態でもなければ、ガードする余裕すらない。 これなら命中するだろうと黒帯の少年は思っていた。 が……しかし。

 

「甘いんだよ」

 

 それに対して白帯の少年は上体を仰向けに後ろへと大きく曲げて打撃を回避する。

 

「これでも喰らいな」

 

 そして反撃の返し、白帯の少年はそのまま地面に両手を着いて、その場でバック転を二回すると同時に、相手に向かって二度の回転蹴りを放った。 俗に言う『サマーソルトキック』である。

 

「嘘だろ」

 

 突然の反撃に相手は驚きながらも、黒帯の少年は後ろをへと下がって回転蹴りをギリギリ回避する。

 

「あぶねぇ!!」

 

 しかし避けたのも束の間、相手の攻撃が完全に止まり、後ろに下がったことで白帯の少年は更なる追い討ちを仕掛ける。

 

 怯んだ隙を突き、次に白帯の少年は軽くジャンプすると、今度は空中で体を捻って横回転し、その勢いを利用して強烈な空中蹴りを三度入れる。

 

 それに対して黒帯の相手は咄嗟に腕を胸元で交差させて攻撃を防ぐ『十字受け』の構えを取り、放たれた少年の回転蹴りを何とか防ぐ。

 

「……ちっ、防ぎやがって」

 

「……ぐっ!!」

 

 あまりにも強烈な蹴りを受けた相手は威力を受け止め切れず、ガードしたまま後方に吹き飛ばされてしまう。

 

 ガード越しにでも身体の芯にまで伝わってくる蹴りの威力、まともに喰らっていたら間違いなく決着がついていただろう。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「どうやら持ちこたえたようだな」

 

 間合いを空けてインターバルを取る黒帯の少年、今の回避で集中力を大分削られ、かなりのプレッシャーを掛けられてしまった。

 

 一方、白帯の少年はプレッシャーを感じておらず平然としており、また呼吸を一切乱していなければ汗の一滴も出していない。

 

 アクロバッティックだが白帯の少年の動きに無駄はなく、超人的な技を何度も繰り出しているが、どれも空手とはまったく異なる技術であり、空手と呼ぶには程遠いものだった。

 

 このまま睨み合いをしていても埒が明かないと思ったのだろう。一気に決着をつけてやると言わんばかりに、両者ほぼ同時に地面を蹴り上げ、標的に向かって走り出した。

 

「今度はこっちからいくぜ」

 

 そして、手足を出せば確実当たる間合いまで詰めると、すぐさま激しい接近戦に持ち込んだ。

 

 黒帯の少年はオーソドックスな空手の技を使うのに対して、白帯の少年は変幻自在で変則的な攻撃や避け方で対抗する。

 

 両者一歩も引かず、避けたら攻撃を仕掛け、攻撃をしては避ける事を何度も繰り返す。高度で激しい攻防戦を繰り広げる。

 

 実戦稽古を見ていた門下生達は緊張しながら手に汗を握り締め、見惚れるように二人の攻防戦を眺めているだけだった。

 

 

……しかし

 

 

 一見互角のようにも見えるが、黒帯の少年は呼吸を乱しながらも必死になって闘っているのに対し、もう白帯の少年は焦りや緊張と言ったものは感じさせず、平然と落ち着いた表情で闘っている。

 

「ほら、どうしたよ」

 

「……ぐっ!」

 

 時間が経つに連れて、予測しようがない変幻自在な攻防をする白帯の少年の身動きに追い付けなくなったのか、黒帯の少年が徐々に押されていく。

 

 そして遂に黒帯の少年のガードを抉じ開けると、無防備になった顔面に向かって白帯の少年は右ストレートを放った。

 

……が、しかし。

 

「両者それまでだ。」

 

 トドメの一撃であっただろう、黒帯の少年の顔面にむかって放った右ストレートを紙一重で止める白帯の少年。

 

 もし止まっていなければ間違いなく黒帯の少年がKOされていただろう。

 

 お互い元の場所へ戻り、顔を向かい合わせる。長いようで短い攻防戦が終わったのだ

 

「ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

 

 両者共に頭を下げ、実戦稽古が終わる。

 

 そして実戦稽古が終わった直後、この道場の師範であろう、胴着を着た中年の男性に向かって白帯の少年は話しかける。

 

「それじゃあ俺はこれで失礼します」

 

「あぁ、門下生の実戦稽古の相手になってくれて今日は助かった。 また機会があれば頼むよ」

 

「はい」

 

 そう言って中年の男性に対して頭を下げると、少年は稽古での疲労をまったく見せずに、そのまま道場から去っていく。

 

 一方、もう片方の少年は呼吸を乱し、全身から大量の冷や汗を流しながらも、仲間がいる所へと足を運んでいた。

 

 そしてその直後、見学していた一人が実戦稽古を終えた黒帯の少年に向かって気安く話しかけてくる。

 

「見学させて貰ったけど中々良い勝負だったぜ、県大会優勝経験者さんよ」

 

「冗談じゃねぇ、動きがわからない上に、プレッシャーと威圧感だけで押し潰されそうだったぜ。

 それに、あの一撃喰らってたら間違いなく俺が終わっていた。」

 

 仲間からタオルを貰って汗を拭う。

 

 しかし実戦稽古が終わっても、どんなに拭っても汗は止まることはなく、滝のように汗が流れ続ける。それだけ相手のプレッシャーが大きかったということだ。

 

「しかし勿体無いよな、あんなに強いのに何処の武道にも属さないなんて」

 

「あいつにはあいつだけの流派がある。 だから何処にも属さなくても強いんだよ」

 

「つまり我流ってことか」

 

「あぁ、俺達と差ほど変わらない歳の野郎がな、実戦で扱えるほどの我流武術を作り出すなんて、化物としか言いようがねぇな。」

 

「それは同感だよ。あいつは全国どころか、世界すら取れる器と力を持っているからな」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

開幕② 怪童

 夕日はほぼ沈みかけており、薄暗くなった空には星々が昇っている。

 

 実戦稽古を終えて、さっきまで白帯を腰に巻いていた少年が更衣室で普段着に着替え終えると、武道場の出入り口から薄暗い外へと歩いて出てきた。

 

 少年は黒髪のナチュラルショートウルフ、瞳は黒色、少し幼顔だが整った顔立ちをしている。

 身長は180㎝以上あり。服装は黒いスポーツウェアに動きやすそうなジャージを履いている。

 

 建物の前で屈伸運動などの準備運動をすると、これから何かに取り組もうとしている。

 

 実戦稽古を終えた直後だと言うのにも関わらず、まだまだ体力や気力が有り余っていると言わんばかりの様子だ。

 

「ちょっとロードワークしてから帰ろっか」

 

 と、言ってはいるが、少年の言うちょっとの距離は数十キロ以上の事であり、並みの人間からしてみれば長距離マラソンをするようなものである。

 

 しっかりと準備運動を終えると、少年は大地を蹴り上げて走り出した。 途方も無いロードワークの始まりである。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 もうすぐ十キロほどの距離を走ったところか、少年は呼吸を乱さなければ、走るペースも落としておらず、まだまだ余裕だと言わんばかりだ。 

 

 それも無理はない、かれこれ十年近くは続けているのではないだろうか、馬や牛のよう毎日毎日走っていたので、十キロ程度の距離を走ることなんて苦痛でもなければ造作もない。

 

 その気になればフルマラソン(42.195km)の距離を全力疾走して完走することができるのだから。

 

「はっ……はっ……はっ……」

 

 呼吸を整えながら順調にロードワークをしている最中、公園前を横切ろうとしたところ、薄暗い公園の真ん中で妙な光景を目にする。

 

 遠くからだったので詳しい事情は知らないが、スーツを着た中年の男性が四人の不良達に殴る蹴るなどの暴力を振るわれていたのだ。

 

「………」

 

 一見、少年の態度は無愛想にも見えるが、内心では不良達の所業を許すことができず、感情は怒りで満ちており、このまま黙って見過ごす訳にはいかなかった。

 

「……しゃあねぇ」

 

 見ず知らずとはいえ、明らかに困っているおじさんを助けに行こうと言わんばかりに、少年はその足で自ら不良達のいる公園へと向かった。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 場所は変わり公園の中心。

 

 周りには草木や街灯などしか見当たらず、人は不良とおじさん以外はいなかった。

 

 殴る蹴るの殴打を繰り返し、暴言を吐き散らしながらおじさんを恐喝をしていた。

 

「おいジジイ、さっさと財布出せよ」

 

「そうそう、痛い目に会わないうちにな」

 

 自分よりも力の劣るおじさんを脅し痛め付け、不適な笑みを浮かべて歓喜する不良達、自分達を強者と思い上がっているようだ。

 

 しかし、不良達の傲慢な態度と思い上がりはそう長く続くことはなかった。

 

 突然現れた少年が一人の不良の肩を掴むと同時にこう言った。

 

「そこら辺で止めとけよ」

 

 突然声を掛けられ、更に肩を掴まれたことに不快感を感じたのだろう。

 不良は振り向くや否や、怒ったような口調で少年に話し掛ける。

 

「なんだてめぇ? 何の用だよ?」

 

「お前らの愚行を止めに来たんだよ」

 

「頭沸いてんのかお前? この人数を相手に一人で挑むとかバカかよ」

 

 相手は四人でこちらは一人、素人目で見れば少年が不利に見える。

 

 だが相手が多数であっても少年は平然と落ち着いており、まるで勝機があると言わんばかりに余裕な態度をしている。

 

「おいおっさん、ここは俺に任せて、さっさとこの場から逃げなよ」

 

「あっ、ありがとう、恩に着るよ!」 

 

 そう少年に言われると、腰を抜かしながらもおじさんはその場から必死に逃げ出した。

 

 少年の言動によって、獲物であるおじさんを逃げたことによほど気に食わなかったのだろう。主犯格だと思われる不良は怒り顔を露にしながら少年の胸ぐらを掴み上げる。

 

 しかし、どんなに威嚇されようとも少年は微動だにしない。まるで相手は自分よりも格下だと見下していると言わんばかりに、冷めた眼差しを向けるだけだった。

 

「てめぇこの野郎、俺たちの獲物逃がしやがって、何のつもりだ!?」

 

「みっともねぇからに決まってんだろ、こんな事やって恥ずかしくないのか?」

 

「このヤロウ、嘗めやがって」

 

 短気だと言うこともあるが、少年の態度や発言に余程腹を立てたのだろう。不良はぶちギレれると拳を力強く握り締め、少年の顔面を力一杯殴った。

 

 そして強烈な打撃音が響くと同時に、ミシッと骨が軋んだような音がした。

 

 普通ならば、顔面を殴られた少年の骨から響いた音だと思うはずだろう。

 

「………ッッ!?」

 

 しかし事実はその真逆、殴り掛かったはずの不良が右手を抱えて踞り、悲痛に満ちた表情をする。

 

 恐らく拳が壊れたのだろう。この様子だと拳の痛みで喧嘩をするどころではなく、完全に戦意喪失してしまっている。

 

「意外と良いパンチ持ってんじゃん」

 

 それに対し、殴られた側の少年は何事もなかったかのように平然としており、微塵のダメージも負っていない様子だった。

 

「この野郎、なにしやがった今?」

 

「教えてもわかんねぇことだよ」

 

 仲間の仇を取ろうと言わんばかりに、別の不良が怒りに任せて少年に殴り掛かった。

 

 しかし不良の単調で大振りな打撃を少年は軽やかに難なく避け続ける。

 

「はぁぁ………はぁぁ………はぁぁ……」

 

 数分も経過せずに不良の体力が尽き、呼吸が乱れ打撃にキレや威力が無くなると、その隙を突いて少年は反撃をする形で攻撃に出た。

 

「……シュッ……シュッ!」

 

 左ジャブからの右ストレートと、スムーズに流れるように、そして肉眼では捉えれないほどの速さで、ボクシングで言うところの『ワンツー』を不良の顔面にお見舞いした。

 

 攻撃をまとも喰らった不良は意識を完全に断たれ、何が起きたのかわからないまま、その場に倒れ込んでしまう。

 

 周囲にいた男達も同じだった。あまりにも速すぎた出来事に、仲間が何故倒れたのかさっぱりわからない状態だった。

 

「何だ今の動き!?」

 

「まさかボクシングか!?」

 

 理由があるとはいえ、凶器とも呼べる拳をボクサーが素人相手に使うのは決してやってはいけない行為であろう。

 

 しかし少年からしてみれば何の問題もなかった。それは何故か、理由は明白、そもそもボクサーではないからだ。

 

「ほら、やる気あるなら来いよ」

 

「クソが、舐めんじゃねぇ!!」

 

 不良は少年の胸ぐらを両手で掴み上げ、取っ組み合いで勝負に挑む。 しかし。

 

 まるで巨大な大岩を相手にしているのではないかと思ってしまう程に少年の体は非常に重く、本気で力を振り絞って動かそうとしても微動だにしない。

 

(何だこいつ? 重すぎて全然動かねぇ!!)

 

「だらしねぇな、もっと腰に力を入れろよ」

 

 そう言って少年は不良の両手を強引に振り払う。

 

 そして右手で胸ぐらを、左手で左腕を掴み挙げると、少年は素早く後ろに振り向いて不良を背負い、そのまま地面に向かって叩きつけるように放り投げた。 柔道の投技の手技16本の一つ『背負い投げ』である。

 

 地面に叩きつけられたことで周囲に鈍い音が響き渡り、それと同時に不良の脳は運が悪くも脳震盪を引き起こしてしまい、そのまま意識を失って気絶してしまった。

 

「悪いな、俺はボクサーでも柔道家でもないんだよ」

 

 独り言のようにそう呟いた後、最後の一人となった不良の方に目線を向けて、鋭く睨み付けながらこう言った。

 

「次はお前だ、かかってきな」

 

「ひぃっ! うわぁぁぁぁっ!!」

 

 恐怖のあまりに身動きが取れなくなった仲間を置いて一人逃げていく男。どうやら少年の圧倒的な強さを理解してしまい、自分がやられる前に逃走を図ったのだろう。

 

 だが、少年は逃げる男を追いかけようとする気配はない。 

 

「ったく、やる気がねぇなら最初から逃げろよ」

 

 愚痴を言いながら周りを見渡してみると、そこにはさっき逃がしたはずのおじさんが木陰に隠れながらこちらの様子を見ていた。

 

「何だよおっさん、まだそこにいたのか」

 

 喧嘩していた時は冷酷で威圧感のある人物に見えていただろう。しかし今の少年を見てどうだろうか、穏やかでとても親しみそうな人物に見える。

 

 悪い奴ではないとわかった途端、おじさんは笑顔を浮かべながら木陰から出てくると同時に、少年に向かって話しかけてくる。

 

「いやぁ~ 君の事が心配でつい」 

 

「カツアゲされてた奴が言えることかよ」

 

 まぁ無事でほっとした。 逃がしたおじさんが別の場所で、また不良とかに絡まれてカツアゲされていたら、俺の助けが無意味になっちまうからな。

 

 その後、何を思ったのか、おじさんは懐から財布を取り出して数枚ほどお札を引き抜くと、少年の前にお金を差し出してきた。

 

「これ、少ないけど受け取って」

 

「んなのいらねぇよ、そんなことのために助けたわけじゃねぇからな」

 

 差し出されたお金を受け取らずに押し戻すと、少年はこの場から離れようと、おじさんに背を向けて走り出そうとした。

 

「じゃあな、おっさんもこいつらが目を覚まさない内に、さっさとこの場から離れた方がいいぜ」

 

「待って、せめて名前を教えてくれないかい?」

 

 少年が走り出そうとする寸前、おじさんは少年を呼び止めて名前を聞こうとする。

 

「名乗る程の大した者じゃねぇよ、偶然通りすがった普通のガキだ。」

 

 そう言うと少年は即座に転身すると、数秒も経たずにその場からいなくなってしまった。

 

「あんな強くて優しい若者がいるとは、世の中捨てたもんじゃないな」

 

 弱者を痛みつけて悪行を働く悪人もいれば、弱者を助けるために身を投じて闘う善人もいる。おじさんは今日それを肌身で感じた。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 喧嘩を終えてから何を思ったのか、さっきと比べて少年の走るペースがかなり速くなっていた。

 

 相手が強気だった割には、あまりにも脆弱で相手にならず、満足できるような戦闘をする前に不完全燃焼で終わってしまったからだ。

 

 武道場で闘った黒帯のあいつと比べれば、あの不良四人なんてまったく話にならなかった。 いや、比べることすら烏滸(おこ)がましい。

 

「……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 人を助けたのは、別に正義の味方とかヒーローとかに憧れてもいなければ、金品や品物などの礼を貰うために人助けをしている訳ではない。

 

 ただ自分よりも弱い者を何の意味もなく痛め付けたり、金を巻き上げたりする奴のことが純粋に許せないだけだ。

 

 そんな奴等を見ていると、怒りがマグマのように沸々と自分の中で沸き上がってきて、ただ見過ごす訳にはいかなくなる。

 

 特に今回のような威勢だけ良くて喧嘩が滅法弱い奴は見ているだけで怒りが込み上げてくるのは勿論、更にそんな奴等を真面目に相手にする自分が情けないと思ってしまう。

 

(……ちっ、半端な喧嘩したからな、これじゃあ不完全燃焼だ。 もうちょっと走ってから帰るか)

 

 軽く呼吸を整えると、少年は走るペースを一気に上げて、夜道を駆け抜ける。

 

 完全燃焼する前に終わってしまった喧嘩の穴埋めのため、少年は燃え滾る闘志が収まるまで、これから何十キロと果てもなく走り続ける。

 

 この少年の名は草薙大和(くさなぎやまと)、地元の不良や格闘家達からは、その恵まれた体格と圧倒的な強さから『怪童』と言う異名で呼ばれている少年。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

一話 不思議な少女

 翌日のこと。

 

 トレーニングを終えてジムから外に出る少年、空はすっかり日が落ちて紺色に染まり、町中にある電灯がすでに光を灯している。  

 

「さて、走ろうか」

 

 もうこんな時間かよ、と日が暮れた空を見上げ、軽やかにステップを踏み出し、すぐに地面を軽く蹴ってランニングのように走り出した。

 

 走る理由は別に急ぎの用事があるからではない、ただ単に足腰を強くするためと体力を付けたいからだ。

 

 そのためなのか少年は真っ直ぐ自宅には帰らずに歩道や坂道を走るのはもちろん、街中や公園を横切ったりしてひたすら走り回る。

 

(今日のトレーニングはこれで最後だな)

 

 思えば今日は一日中休まずに動き回っている。

 

 さっきまでジムでウエイトトレーニングなどをしていたが、実はその前に別の場所の格技場で自重トレーニングをしていた。

 

 また別の日には道場やジムでボクシングや空手など様々な格闘技や武術を休憩時間を割き、寝る間も惜しんで取り組んでいた。

 

 この常軌を逸したトレーニングは昨日今日始まったわけではなく、かれこれ中学に入る前からずっと続けている。

 

 厳しいトレーニングを続ける特別な理由なんて何も無い。ただ誰よりも強くなりたい、どんな相手だろうと負けないためにひたすら力を付ける。至って単純な理由だ。

 

 ただ、何故強くなりたいのか、と言われるとそれは良くわからない。

 自分よりも強い奴等にいじめられないため? 自分よりも弱い人、困ってる人を助けるため? ……いや、どれも違う。

 

 今までどんなに考えこんでも、俺は強くなりたい理由が良くわからない。ただ唯一わかっていることは、自分の中で何かが欠けていることだけ。

 

 だが、その自分の中で欠けているものが何なのかは、未だにわからないままだが。

 

(まぁ…考えるだけ無駄か)

 

 そんな事を思いながら走っている最中、小腹が空き喉が乾いたことに気づいた。

 

(そういえば腹減ったな)

 

 このまま我慢して道端で倒れたり、脱水症状になっても本末転倒だろうと思い。少年は仕方なく近くにあったコンビニに立ち寄り、大量の食べ物とデカイ飲み物などを買った。

 

 コンビニを出ると袋いっぱいに詰め込んだおにぎりやお惣菜、そしてコーラをカバンの中に入れて再び走り出した。コーラが振られていようが気にはしない。

 

 

 ※※※

 

 

 それからも少年は自宅には帰らずにランニングを続ける。一体どれだけの距離を少年は走ったのか、正確に測ってはいないが少なくとも数十キロ以上の距離を走っていることは確かだ。しかし少年は汗は流しても息を切らすことがなければ乱すこともなく常に走り続けていた。

 

 空腹と喉の乾きを我慢しながら、あと少し、あともう少しと走り続ける少年。もはや我慢強いとしか言いようがない。

 

(もう少し走ったら帰るか)

 

 もうちょっと走ってから今日はこれで終わりにしよう。そう思った少年はギアチェンジして走るペースを少し上げようとした瞬間、ふと視界になにか捉えてしまい、少年はその場で思わず足を止めてしまう。

 

(……何だあれ?)

 

 少年の視界に思わず止まったもの、それは通り掛かった公園で如何にも困った表情をしている少女が多数の男達に囲まれているところだ。

 しかし少年が重要と思う問題点はそこではなく、それだけでは少年の興味は直ぐに別の方向へと行ってしまっただろう。問題は別にあった。

 

 男達の人数はおよそ六人、年齢は見た目からして約二十代前半、容姿も至って普通の一般人だ。

 

 しかし一番の問題なのが少女の方だ。

 

 歳は見た感じだと少年とほぼ同じ、もしくは一つ二つ上ぐらいだろう。雪のような白い肌に綺麗な桃色の長髪、そして見惚れてしまいそうな美しい顔立ち。頭には水色の三角巾帽を被っており、服装は水色を基本色として所々に桜の花びらの模様が入っている変わった着物を着ている。

 

 少年からして見れば少女の着ている服が普段着などとは到底のことながら考えることができず、まるでコスプレの衣装のように見えた。

 

 少女の格好が変だということは誰が見ても普通にわかるが、男達に絡まれている根本的な事情はわからない。しかしこの状況を見て穏やかではないことは確かだ。

 

「ちっ、仕方ねぇ」

 

 こういった光景は毎度毎度見飽きているが、このまま見知らぬ振りをして自宅に帰っても後味が悪いうえ、沸き上がってくる怒りが収まらない。

 

 面倒くさそうな表情で溜め息をつきながらも少年は少女を助けに行こうと男達に向かって自らの足で近づいていく。

 

 

 ※※※

 

 

 用具などはほとんどないが周りが自然で満ち溢れている人気のない公園。外灯の光が少ないせいか、ここら辺は夜になると一際暗く感じる。

 

 一体何時からこうしているのだろう、ずっと見知らぬ男達に囲まれ続けて少女は嫌そうな表情を浮かべていた。

 

 それも無理はない、どれだけ誘いを断っても男達は懲りずにまとわりついてくるのだから。

 

「あの……これ以上……私に関わらないでもらえるかしら?」

 

 コスプレのような衣装を着ている少女が冷たい態度で何度もそう言うものの、男達は諦めることがなければ女性の言葉に聞く耳も持たず、ニヤニヤとしつこく口説いてくる。

 

「だからそんな固いこと言わずにさぁ、俺たちと遊ぼうぜ、お嬢ちゃん」

 

 男達は女性を逃がさないよう取り囲んでいると、誰かが一人の男の肩を後ろから軽く掴んでくる。

 

「……ん? なんだおま--」

 

 その男は後ろを振り返ろうとした、その瞬間に顔を思いきり殴られた。

 

 飛んできた拳が顎辺りにクリーンヒットすると、男の体は天高く宙を舞った後、そのまま為す術もなく地面に落下する。

 

 顔面を思い切り殴られたうえ、地面に体を強く叩きつけられたことで脳震盪を起こしたのだろう。男は倒れたまま動かなくなった。

 

「……えっ?」

 

 突然、見ず知らずの誰かが助けてくれたことが予想外だったのだろう、コスプレのような格好をした少女は少し驚いた表情を浮かべる。

 

 それに気付いた男達も一斉に振り向くと同時に自分達の背後に立っている少年に向かって鋭い目付きで睨み付けてきた。

 

 少年は黒髪で身長は180㎝以上あり。服装は黒い半袖にジーパンを身に付けており背中にはカバンを背負っている。また肉体はかなり鍛え込まれており腕や首元から無数の古傷が見える。

 

 意外にも切り替えが早く男達の表情から少女を口説いている時のような表情は一切消えて、まるで今から喧嘩をするような威圧のある面構えだった。

 

「なんだてめぇ? 俺達に何の用だ」

 

 仲間がやられたことに怖気付くことなく、男達は闘争心を剥き出しにし、今にも喧嘩を始めそうな雰囲気が漂う。

 

 しかし少年は複数の男達に威嚇されたり睨み付けられているのにも関わらず、恐れることがなければ微動ともせず、常に落ち着ていて冷静な態度だった。

 

「嫌がってんじゃねえか。やめてやれよ」

 

 女性を口説いているところを邪魔されたのが気に障ったのか、苛ついていた男は威嚇するように少年の胸ぐらを思いきり掴み上げると、逃げられないように複数の男達が少年を取り囲んでくる。

 

「てめぇには関係ねぇだろ、さっさと俺達の前から失せねぇと殴んぞ」

 

 しかし男に胸ぐらを掴まれて脅されても少年の態度や表情は微塵も変わらず、寧ろ呆れたような表情を浮かべている。少年の対応はまるで男達を最初から相手にしていないように見える。

 

 男達は自分たちの方が強いと思っているのか、それともただ単に冷静沈着を気取っているだけなのか、どちらにしても少年は態度を変えず男達に向かってゆっくりと口を開いた。

 

「ならやってみろよ」

 

 嘗めきった少年の態度と言葉が引き金となり、男達の堪忍袋の緒がプツンと切れると、男は躊躇なく少年をぶん殴ろうとする。

 

「上等だ、覚悟しろよ!」

 

 男は手加減や容赦などは一切考えず、相手を殺すぐらい殺意と強い闘争心を感じさせる。恐らく今から止めようとしても既に遅いだろう。

 

 そして胸ぐらを掴み上げていた男が躊躇いもなく少年の顔面を思いきりぶん殴った瞬間、鈍い音が周りに響き渡る。

 

「………!!」

 

 しかし顔面を全力で殴られても鼻血や痣は付くものの少年は痛がる気配どころか表情一つ変えない。寧ろ殴った方の男が手を押さえながら踞ってしまう。

 

 それに気付いた他の男達は仲間が痛がる素振りを見て困惑する。

 

「………!?」

 

「おい、どうした!?」

 

 殴り掛かった仲間の驚きに男達は少年を凝視する。

 

 その場にいたコスプレ衣装のような服を着ている少女も同じように驚いた表情を浮かべていた。

 少年は鼻から垂れる血を気にせずにその場に立ち尽くす。攻撃や反撃など自ら暴力を振るう気配は一切ない。先程のは牽制だったのか。

 

「なんだ、やっぱこの程度かよ」

 

 一発の攻撃を受けて良くわかった。こいつらは単に威勢が良いだけで喧嘩は特に大したことはない。いや、寧ろこいつらにしてみれば良く頑張った方か。

 

 相手が弱すぎるあまりに少年は反撃や攻撃をする気は微塵たりともなく、呆れ果てて思わず思ったことを口から滑らせてしまう。

 

 そして火に油を注ぐように男達の怒りは最高潮に燃え上がり、もはや喧嘩を止めることが出来ないほどまでに達してしまう。

 

「このガキ絶対にナメくさりやがって…!!」

 

「絶対ぶっ殺してやる」

 

 自分達を侮辱されたことはもちろん、殴られた仲間の仇だと言わんばかりに怒りを剥き出しにしながら男達は再び少年に向かって一斉に殴り掛かってくる。

 

 一番初めに殴られのびている男と負傷した手を押さえてる男を非戦力と除いて相手はあと四人、これぐらいの人数の敵なら苦戦もしなければ追い込まれることも絶対にないだろう。それに幸いにも相手は素手で刃物や鈍器などの武器を持っている気配はない

 

「くたばりやがれガキ!!」

 

 まず最初に一人の男が拳を握りしめながら少年の顔面に向かって殴り掛かってくると、それに対し少年は自分の顔面に向かって繰り出された攻撃を難なく避け、それと同時に足を引っ掛ける。

 

 案の定、男は体のバランスを崩してそのままド派手に転んでしまう。

 

「うおわっ!」

 

 ただ足を引っ掛けただけでこのザマだ。はっきり言ってこいつらを相手にすること自体がバカバカしくなってくる。

 

 とはいえ喧嘩はまだ始まったばかりだ。自ら繰り出した攻撃の勢いで男が転んだと思えば、今度は三人の男達が一斉に囲ってを殴りかかってくる。

 

「……おっと」

 

 驚いたような素振りを見せながら男達の拳をギリギリの所で避けるが、少年は焦ったり動揺もしなければ、寧ろどこか余裕を持っているように感じる。

 

 それからも男達は何度も繰り出してくるが、少年の軽やかな回避力に男達は少年にダメージを与えるどころか掠り傷一つ付けることもできない。

 

「この野郎ッ!」

 

 どうやら自分達の攻撃が少年に全然当たらな過ぎて、男達は完全に頭に血が上っている状態の模様。これでは何時まで経っても攻撃は当たることはないだろう。

 

 だがそう考えていたのも束の間、もはや単純に殴り掛かるだけでは勝てないとようやく気が付いたのだろう。

 

 さっきまで転んでいた男が起き上がり、少年を背後から忍び寄って取り押さえてくると、その隙を突いて三人の男が殴り掛かってくる。

 

「……!」

 

「へっ、これで終わりだぁ!ガキィ!」

 

 これでようやく少年を袋叩きにできると言わんばかりに、背後から取り押さえてくる男は勝利を確信したような面で少年に向かって話しかけてくる。

 

 それに対して少年はこんな状況に至っても冷静なままだった。

 

「それはどうかな?」

 

 そう言って少年はガッチリと取り押さえられた締め付けから、静かに音もたてず消えるようにすり抜けると、その場から少し離れて殴り掛かってくる男達の攻撃をギリギリで避ける。

 

「嘘だろ?」

 

 避けられた男達の攻撃は少年の背後にいた仲間の顔面に全て命中してしまい、仲間に殴られた男は鼻血を吹き出しながら倒れ込んでしまう。

 

「…ゴフッ!」

 

 誤って仲間を攻撃をしたことに気付いたときには既に遅く、男達は予想外の出来事に戸惑いの色を隠しきれなかった。

 

「おい大丈夫か!?」

 

「こいつ一体何者なんだよ!?」

 

 考えてみれば、男達の方は何度も攻撃を繰り出しているのにも関わらず少年に対してダメージ一つ与えていない。しかしそれに対して少年は一人の男を一度殴っただけで、既に三人を戦闘不能にしている。

 

「ふぅ~危ねぇ危ねぇ」

 

 男達は未だに余裕なまま佇んでいる少年を見て、とんでもない相手に喧嘩を売ってしまったのではと思い始めてきた。

 

 男達から威勢がなくなり、もう終わりなのかと言わんばかりに少年は呆れた表情を浮かべる。

 

「まだやるか?」

 

 戦う気力があるのなら相手になるが、本音を言うと明日に備えて色々な準備をしたいし、何よりも腹が減ったので早くこの喧嘩を終わらせて家に帰りたかった。

 

 だが三人の男達の面構えを見てみると、このままやられっぱなしは自分達のプライドが許さないのか降参をする気配は微塵たりとも無かった。

 

「……ったく、諦めの悪い連中だな、まぁ嫌いじゃねぇけどよ」

 

 あまり気が向かないが相手がやる気なら仕方がない、一刻も早く決着をつけて喧嘩を終わらせよう。出来るだけ男達に大きな怪我を負わせないように。

 

 そして玉砕覚悟で挑もうと言わんばかりに、残った三人の男達は立ち向かってくる。

 

 まず最初に一人の男が少年の身動きを封じるために右の手首を全力で掴んでくると、その隙に残りの男達が殴り掛かってきた。

 

「へへっ、油断したな!!」

 

 男はこれで多少なら少年の身動きを封じれるだろうと思ってたのだろう。しかしそれは大きな間違いだった。

 

「……よっと」

 

 少年が掴まれている自分の右手首を軽く捻った瞬間、一体何をしたのか男の身体はゆっくりと宙を舞って一回転した。

 

「んあっ?」

 

 そして、受け身も取れないまま男は地面に頭を叩きつけると、脳震盪を起こして気を失ってしまう。

 

「さてと、次は…」

 

 もはや自分から攻撃をしないとこの喧嘩が終わらないと思ったのか、少年は鋭い眼光で睨みながら無言で近づく。

 

 そして残った男達が攻撃を繰り出してくるよりも速く、少年は戦闘の構えを瞬時に取ると同時に素早く攻撃を仕掛けてくる。

 

「遅ぇよ…」

 

 一人は鳩尾を抉るように拳で叩き込み、もう一人は顎先を掠めて典型的な脳震盪を起こさせる。無論どちらとも地面に倒れ込んだのは言うまでもない。

 

 周りからみれば少年の動きが余りにも速すぎて何が起こったのか分からなかっただろう。しかし唯一はっきりと言えることは少年が三人の男を地面に沈めるのに数秒も掛からなかったことだ。

 

「……ふぅ~」

 

 相手が戦意喪失、戦闘不能になったことがわかると少年は構えを解いてリラックスし、倒れている男達を上から見下ろしながら一言だけ言う。

 

「お前ら、相手が俺で幸いだったな」

 

 誰も聞こえていないと思うが一応言っといた。この喧嘩を機会に男達が懲りてくれたら、当分の間は身を潜めて大人しくしてくれるだろう。

 

 こうして少年と不良達の間で繰り広げられた喧嘩は、少年が圧勝したことによって幕を降ろした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話 怪童と亡霊少女

 男達との喧嘩がようやく終わると少年は女性にゆっくりと近づいて話しかけてくる。

 

「大丈夫か? 怪我とかしてねぇか?」

 

 一見して見たところ少女の服装や身体に襲われたような形跡はない、どうやらまだ口説かれていただけのようだ。

 

 それから近くで対面して解ったが、少女は本当に美人で、あの男達がナンパするのも無理はないと思うほどに可憐で美しかった。

 

「……た、助けてくれてありがとう」

 

 見ず知らずの少年に助けられて動揺しているのか、戸惑いの表情を浮かべながら少女は少年に対してお礼を言ってくる。

 

「別に礼なんかいらねぇよ。困ってる人を助けるのは当然のことだからな。

 それじゃあ、気を付けて帰れよ」

 

 そう少女に告げると少年は背を向ける。また他の男達に絡まれるのではないかと心配事は色々あったが何とかなるだろう。

 

「……まって」

 

 そのまま立ち去ろうかとした途端、少年に何か用でもあったのか、走り去ってしまう前に少女は少年の服を掴みながら声を掛けてくる。

 

 少年は少女が声を掛けてくると思わなかったので少し驚いたが、咄嗟にその場で足を止めて振り向き返答をする。

 

「どうした? 俺に何か用でもあるのか?」

 

 何か悩み事があるのなら全て早く言って欲しい。本音を言うと明日に備えて自宅に帰りたい気持ちもあるが、何よりもまた他の男達に絡まれる前に女性には一刻も早く家に帰ってほしかった。

 

 少女は如何にも困惑したような表情を浮かべながら少年に向かって問い掛けてくる。

 

「ちょっと尋ねたいことがあるの。聞いても良いかしら?」

 

「構わないけど、手短で頼むぜ」

 

 面倒くさそうな表情を浮かべながらも少年はコスプレのような格好をした少女の話に耳を傾ける。

 

 まぁどうせ深刻な事を聞かれる訳ではないだろうと少年は真面目半分に話を聞いてみる。

 

「ここは何処なの?」

 

「……はっ?」

 

 妙なことを聞かれた。一体どんな質問をしてくる思えば、ここは何処なのか教えて欲しいとの事だ。

 

 だがそれよりも。ここはどこなのかとは一体どの範囲を示しているのだろうか。県なのか、市なのか。流石に日本にいることは分かっていると思うが。

 

 取り合えずだ、取り合えず県辺りを聞いてみよう。その方が分かり易くて良い。

 

「どこって、ここは京都だよ京都」

 

「……きょうと?」

 

 少年の言葉に対して、まるで頭に疑問符を浮かべているような表情をする少女。その様子は『京都』という単語を初めて聞いたような反応だった。

 

 そんな反応を見て、少年もどうすればいいのかと思わず頭を抱えてしまう。

 

(おいおい、こいつマジかよ…)

 

 まさかと思うがこのコスプレをした少女は日本の都道府県の一つである京都を知らないとでも言うのか。だが普通に考えてみれば日本に住んでいて京都を知らないというのは有り得ないことだ。

 

 しかし少女の困惑した反応は演技とは思えない。恐らく本当に京都と言う場所を知らないのだろう。 

 

 京都の事に関してまだ理解できていないのか女性は不安そうな表情を浮かべながらも、再び少年に向かって問い掛けてくる。

 

「あの、もう一つ聞いても良いかしら?」

 

「……はいはい、今度はなんだ」

 

 次はどんなぶっ飛んだ質問をしてくるんだよ、と言いたそうに少年は呆れ果てたような表情を浮かべながら返答してくる。

 

「あなた、幻想郷と言う場所をご存じかしら?」

 

「はぁ? げん…そう、きょう?」

 

 今度は聞き覚えのない単語が飛び出してくる。

 もはや幻想郷というものが一体何なのか全然わからない。しかし恐らく少女の言う幻想郷とはどこかの地域の名前なのだろう、しかしそんな地域の名前なんて見たことも聞いたこともない。

 

「悪いけど、そんな場所は知らねぇよ」

 

 思わず素っ気ない態度で答えてしまった少年だが決して悪気があった訳ではない。京都を知らない素振りを見せられたり、いきなり見知らぬ土地の名前を口にしたりなど。そんな少女を目の前にして、少年も少なからず困惑していたのだ。

 

 だが自分でも今の態度はちょっと冷たかったと思い、少しだけ罪悪感を覚え始めると、

 

「ごめんなさい、急に変なことを聞いてしまって」

 

 少年の冷たい態度が悪かったのか、遠回しに聞いた自分が悪かったと言わんばかりに少女は若干落ち込んだような表情を浮かべながら謝ってくる。

  

「いや、その……俺も悪かった」

 

 別に悪いことはしていないが、こうやって落ち込みながら謝られてしまうと、何だか自分は悪いことをしたと、謎の罪悪感を感じて思わず謝ってしまう。

 

「あのさ、その、嫌だったらいいんだけど…今まで何があったのか詳しく聞かせてくれねえか?」

 

 多少誤魔化すように話を振る。ここら辺でコスプレのイベントがある訳でもないのにコスプレのような格好をしている上、京都を知らないければ急に幻想郷とか言う謎の地名を出してくる少女をこのままほっといてはいけないような感じがした。いや、寧ろこの場合はほっとく訳にはいかなかったと言う方が正しいか。

 

 それに対して少年の話があまりに突然で予想外だったのか、少女は何故そんな事を聞くのかと驚いたような表情を浮かべた。

 

「どうしてそんなことを?」

 

「いや、別に大した理由はねぇよ。ただ、強いて言うならあんたを助けたいと思ったからかな」

 

 柄でもない態度で少年がそう言うと女性は初めてクスッと少しだけ笑みを浮かべてくる。

 

「優しいのね…」

  

 少女の笑顔と言葉に動揺したのか、照れたように少年は顔を少しだけ赤らめると思わず少女から目を逸らしてしまう。

 

………キュウ

 

 その直後のこと、安心してお腹でも空いたのか、少女のお腹から音が小さく鳴ると、少女は恥ずかしそうに顔を赤らめる。

 

「なんだ、腹空いていたのか」

 

 和やかな表情で少年はキョロキョロと周りを見渡し、ベンチのある方を指で示しながらこういった。

 

「じゃあ立ち話もなんだ、そこのベンチで飯を食いながら話そうぜ。」

 

 バックから大量のおにぎりとお総菜を取り出して少女の前に差し出した。

 

「ほらよ、好きなだけ食いなよ」

 

「ありがとう」

 

 そう言われると少女はおにぎりやお総菜を嬉しそうに食べ続ける。

 

 そんな幸せそうな少女を見て、笑みを浮かべながらゆっくりとおにぎりを頬張る少年、こんなに嬉しそうにごはんを食べる人を見るのは初めてだったからだ。

 

(良く食べるな………って、あっ!?)

 

 少年がおにぎり一つ食べ終え、気が付いたときには大量に買ったはずのおにぎりやお総菜はそこにはなく、少女に全て食べられてしまったのだ。

 

(マジか、全部食いやがった………)

 

 食べる速さもそうだが、一般男性が食べる二倍以上の量はあったはずのおにぎりとお総菜を平らげたことに少年は思わず唖然としてしまう。

 

 満足そうにしてる少女に対して、何か物足りなさそうな表情を浮かべながらも少年は話の本題を少女に告げる。

 

「そう言えば聞き忘れてたけど、あんたの家は何処にあるんだ?」

 

 そう言うと何かいけないことを聞いてしまったのか、女性は申し訳なさそうに戸惑いの色を顔に浮かべながら話してくる。

 

「多分信じて貰えないと思うけど、私は冥界にある屋敷に住んでいるの」

 

 今までの会話から考えて、また少女がとんでもない返答をしてくるだろうなとは薄々と感ずいてはいたが、流石にそこまで予想はしていなかった。

 

 それにしても真偽はともかく、冥界に住んでいると言うことは、この人は亡霊とか幽霊なのか? だが、仮に幽霊だとしてもなぜ足がはっきりとあるのだろう。色々わからないことや気になることが沢山ある。

 

 驚きたい気持ちや聞きたいことでいっぱいだが、ここは驚くことを我慢して冷静さを保ち、早く次の話に進めていこう

  

「何で家に帰らないんだ?」

 

「帰りたいけど、ここは幻想郷ではなく、別の世界だから帰る方法がわからないの」

 

 その女性の言葉を耳にすると少年は如何にも困ったような表情を浮かべながら頭を抱え込んでしまう。

 

 今までの内容も含めて信じがたい話だが、女性の深刻そうな表情から察して恐らく作り話ではないことは確かなことだろう

 

 だがそんなことよりも女性の言葉でさっきから疑問になっていることが一つだけある。

 

「なぁ、さっきから言ってる、その…げんそうきょーてのは一体何なんだ? さっぱりわからねぇよ」

 

 今まで触れなかったが正直な事を言うとずっと気になっていた。少女が言っていた幻想郷と言うところは一体どんな場所で何処にあるのか、何でも良いから取り合えず幻想郷に関する情報を知りたかった。

 

 別に大した理由ではない、その情報を元にもしかしたら幻想郷へ辿り着ける場所や手懸かりがあるんじゃないかと思ったからだ。

 

 それに対して少女はまるで信じては貰えないだろうと言わんばかりに、不安そうな表情を浮かべながら口を開いた。

 

「そう簡単には信じて貰えないと思うけど、幻想郷とわね……」

 

_______________________

 

            …少女説明中…

 

「……と言う場所なのよ」

 

 少女の話をずっと聞いたところ、正直言って信じることができないような内容だった。

 

 少女が言う幻想郷とは簡単に説明すると、この日本の山奥のどこかに存在するとされる、結界で隔離された土地のことで、人間や妖精、妖怪や神霊など空想の生き物が数多に住んでいるらしい。

 

「……なるほどな、大体掴めたよ」

 

 話の理解したと少年は平然とした表情で言っているが、正直なところ話の内容の中に理解できていないところが結構あった。

 

「それで私は冥界に帰れなくて……これからどうしたら良いのか迷っていたの」

 

 自分の家に帰れないことが余程悲しいのか、少女は落ち込んだ表情を浮かべながら顔を下に向けている。

 

 このまま放っておいて、またさっきの男達のように絡まれたらと思うと俺も気分が悪くなるし、それ以上に少女が心に深い傷を負う可能性があるだろう。

 

 もしそんなことが起きるとわかっているのなら、俺は少女にこう言うしかない。

 

「それならよ、帰る方法が見つかるまで家に来ないか?」

 

 少年の言ったことに耳を疑ったのか、その言葉に対して少女は信じられないと言わんばかりに驚いた表情を浮かべていた。

 

「でも……迷惑にならないかしら?」

 

 少女がそう言うのに対して何故そんなことを聞くのかと思ったのか、少年は若干呆れたような表情を浮かべながら答える。

 

「別に構わねぇよ、寧ろこのままほっとくわけにはいかねぇだろうが」

 

 それに目の前に困っている人がいて、況してやその事情を聞いてしまったのだ。このまま、ハイそうですかと突き放すのも後味が悪いし、何よりもそんなことは自分自身が許してくれない。

 

 言葉遣いは若干悪いが、言葉の中に自分を助けたいと思う優しさを感じると、少女は穏やかな笑みを浮かべて少年を見つめてくる。

 

「ありがとう、私の名前は西行寺幽々子、よろしくね」 

 

 初めて少女が名前を名乗ってくれた。良く思えば今までお互いの名前も知らなかったし、自己紹介もしていなかったな。

 

「そう言えばまだ名乗っていなかったな。俺の名前は大和、草薙大和だ、まぁ自由に気軽に呼んでくれ」

 

 幽々子の穏やかな微笑みに心惹かれたのか、大和は若干照れたような表情を浮かべながらも軽く自己紹介をする。

 

 引き込まれるような可憐な声と美しくて妖しい妖艶な姿を前に、今更ながらも大和は思わず息を呑んだ。

 

 良くわからないが、何だか今まで自分に足りていなかったものが少しずつ満たされていく気がする。

 

 頭の中がふわふわとして気持ち良くなり、異常な眠気が襲ってくる。それと同時に胸の鼓動がドキドキと徐々に早くなる。今までにこんな感情や感覚を味わったことはなかった。

 

「どうしたの?」

 

 幽々子に話し掛けられたことで、大和は襲ってくる眠気から解放されて正気を取り戻す。

 

「………え、えっ?」

 

「……ん?」

 

 意識が半分飛んでいたとはいえ聞こえていたのか、幽々子の言葉に動揺を隠しきれず、大和は若干戸惑った表情を浮かべてしまう。

 

「い、いや、何でもねぇよ」

 

 動揺していることを隠すように、大和は座っていたベンチから立ち上がると、そのままゆっくりと歩き出した。

 

「じゃあ俺ん家まで案内してやるから、ついてきな」

 

 そう言うと歩いている大和に付いて行くように、幽々子もベンチから立ち上がって歩き出し大和の背後に近づいてくる。

 

「これからよろしくね、大和」

 

 背後から幽々子が微笑みながら突然そう言ってくると、不意を突かれた大和はまた顔を赤くして照れたような表情を浮かべる。

 

「あっ、あぁ……よろしくな………ゆっ、幽々子さん」

 

 若干距離を置きながらも二人はそのまま歩いて暗闇に包まれた公園から去って行った。

 

 こうして『怪童』と『亡霊少女』二人の数奇な運命を巡る物語が始まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話 草薙和生

公園を離れてから数十分が経った後、二人は薄暗い町中をゆっくりと歩いていた。

 

 辺りに自分達以外の人がいる気配はなく、所々の家に電気の灯りが点いているだけだ。

 

 特に何もなく歩いていると、さっきから自分との距離を置いて歩いている大和が気になったのか、幽々子は大和の顔を見て問いかけてくる。

 

「ねぇ大和、何で私から離れているの?」

 

 幽々子が話し掛けてくると、別に理由なんて何も無いと言わんばかりに取り澄ましたような表情で大和は答える。

 

「いや、特に理由なんてないよ」

 

 本人はそう言っているが、大和が幽々子から距離を置いている理由、それは二つある。

 

 一つは女慣れしていないこと、もう一つは男女が二人して夜道を歩いているところを誰かに見られて誤解を招くのが嫌だからだ。

 

「ふーん、もしかして私と一緒に歩くのが恥ずかしいのかしら?」

 

 まるで大和の心を見通したかのように幽々子がそう言ってくると、図星だと言わんばかりに大和は動揺し照れたような表情を浮かべる。

 

 確かに俺は人とコミュニケーションを取るのが苦手だし、そのうえ女性と関わることがあまりない。

 しかし自分の心境を読み取られた上に、ここまでストレートに言われると、例え本当のことでも否定したくなる。

 

「そっ……そんな訳無いだろ」

 

 真っ向から否定しているが、明らかに動揺した大和の態度を見ると、察したかのように幽々子はクスッと笑みを浮かべてくる。

 

「うふふ、わかったわ、そう言うことにしてあげる」

 

 言うまでもないが完全に図星だとバレている。単純にわかりやすいとはいえ、自分の感情をここまで読み取られると恥ずかしいとしか言いようがない。

 

「……はぁ~ …まったく」

 

 自分の感情を読み取られたことが余程のショックだったのか、大和は呆れた表情を浮かべると自分の顔を手の平で押さえて深く溜め息をついた。

 

 出会ってまだ間もなく、況してや女性にここまで心境を読まれたのは生まれて初めてだったので、どう対応して良いのか全然わからなかった。

 

 そんなことを話しながら歩いていると突然、目の前から五人程の男達がこっちに向かって歩いてくることに気がついた。

 

「……あっ」

 

 見るからにみんな知らない顔だが、近づいてくる男達のピリピリとした雰囲気から悟って、恐らくこのまま通り過ごすことは無理だろう。そう考えると大和の表情は次第に真剣になっていく。

 

 さっきナンパされたせいなのか、近づいてくる男達に気が付いた幽々子は怯えたような表情を浮かべながら、何も言わずに大和の身体に寄り添ってくる。

 

「……大丈夫だ、安心しろ」 

 

 怯えて自分に寄り添ってきた幽々子を少しでも落ち着かせようと、大和は優しく小さな声で励ましてくる。

 

 表情には一切出さなかったが心情的には驚いていた。まさか出会ってまだ間もない幽々子が自分をここまで頼りにしてくれるなんて、思っていもいなかったのだ。

 

 そして大和が考えていた予想通り、こちらに向かって歩いてくる男達は二人の目の前に立ち止まって行く手を阻んでくる。

 

「ちょっとまてよガキ」

 

 数人はいる男達が目の前に立ちはだかってくると、二人はその場で足を止める。

 

「なんだよ……何か俺に用か?」

 

 すると他の男達と比べて体格が大きい、威厳のある男が大和に話しかけてくる。雰囲気から察して、恐らくこいつが男達のリーダー的存在なのだろう。

 

 予想だと、大きな体格と威厳のある雰囲気が見かけ倒しじゃなければ、こいつは他の男達とは違って骨のあるやつだと考えられる。

 

「俺のダチが世話になったからよ、その礼をしに来たんだ」

 

 周りの男達を良く見てみると、さっき公園で会ったような会わなかったような奴がポツポツと見える。まぁ大したことがない奴のことなんて全然覚えていないが。

 

 それにさっきの喧嘩で負かされても懲りずに仕返しをしてくるなんて、こいつら無能なのか恐れ知らずなのか、どちらにしても救い様がない奴らとしか言いようがない。

 

 まぁ、こんな状況は中学から日常茶飯事見たいなものだし、喧嘩をして他者に恨みを買うことは正直慣れている。例え自分が撒いた種ではなくても。

 

「……それで? 俺をどうしようと?」

 

 正直わざわざそんなことを聞かなくても、こいつらが今からやろうとしていることはある程度わかっていた。だが、多少の時間稼ぎになると思ったから何となく聞いてみる。

 

「何の抵抗もさせずにてめぇを叩き潰して、そこにいる女を奪う。 とでも言えば納得かい?」

 

「納得いくわけねぇだろ、あまり調子に乗ってると全員返り討ちにするぞ」

 

 男の嘗めた態度がかなり気に食わなかったのか、冷静さを保ちながらも大和は威圧的な眼光で男達を静かに威嚇する。

 

 例え相手が集団で中には体格の良い奴がいても、格闘技や武術をまったく身に付けず、況してや身体もロクに鍛えていない不良相手には負ける気は微塵足りともしない。

 

「おう上等だ、後で吠え面かくんじゃねぇぞ」

 

 まさに一触即発、一体どちらが先に攻撃を仕掛けてくるか、ピリピリとした気配を周囲に散らす。

 

 しかし、今にでも喧嘩が始まりそうな雰囲気が漂っている最中のこと、一体誰なのか大和と幽々子の後ろからこちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。

 

「なんだ?」

 

 その足音が二人のすぐ側まで近いてくると、真っ暗な夜道の中から大和と同い年ぐらいの少年がイライラした表情を浮かべながら姿を現してきた。

 

「なんか騒がしいと思って来たら、俺ん家の近所で何してんだよ? 近所迷惑だろうが」

 

 少年は黒髪のナチュラルショートで眼鏡をかけている。また服装は動きやすそうなジャージに長袖を着ており、雰囲気や顔立ちがどこか大和に似ている。

 

「……えっ?」

 

 誰よりも早く少年の気配に気付いて姿を目にすると、雰囲気や顔立ちが余程大和に似ていたのか、幽々子は驚いた表情を浮かべながら隣にいた大和の顔を何度も見てしまう。

 

 それに対して現れた少年は自分をじろじろと見てくる少女を確認した後、周りが暗くて誰かわからなかったのか、少女の隣にいる男の顔を目を細目ながらしっかりと確かめる。

 

「……あれ?」

 

 少女の隣にいた男が大和だと言うことに気が付くと、少年はさっきまでイライラしていたことを忘れて明るい表情で大和に話しかけてくる。

 

「……なんだ、誰かと思ったら兄貴じゃん、こんなとこで何してんだよ?」 

 

 馴れ馴れしい態度と呼び方から察するに、恐らくこの少年は大和の兄弟なのだろう。

 

 話し掛けられたことでようやく少年の正体に気が付く大和、それと同時に何か察したのか、今から悪いことが起きると言わんばかりに、大和は手の平で顔を押さえて絶望的な表情を浮かべる。

 

「うわぁ……マジかよ……最悪な状況だ」

 

 どうすれば良いのか、この場で一番来てはいけない、来て欲しくなかった奴が今ここにやって来てしまった。

 更に正直なことを言うと男達との喧嘩なんて今はもうどうでも良かった。

 

 何故そんなことになったのかって? それは喧嘩よりも先に、俺にはやるべきことがあったからだ。

 

 そんな大和が内心で慌てていることも知らずに、リーダー格の男は少年に対して気安く話し掛けてくる。

 

「なんだお前? こいつの仲間か?」

 

 突然リーダー格の男に話し掛けられると、少年はまたイライラと不機嫌そうな表情を浮かべて体格の良い男を睨み付ける。

 

「……あぁ? 誰か知らねぇけど、雑魚が気安く話しかけてくんじゃねぇよ」

 

 もう既に相手を格下だと見下しているのか、突然やって来た少年は粗暴な口調で男達に暴言を吐く。

 

 無論、リーダー格の男は自分を侮辱している少年の態度が気に食わなかったのだろう、喧嘩の標的が大和から少年へと移り変わる。

 

「おい…誰が雑魚だって? てめぇ意気がってると叩きのめすぞ!!」

 

 しかしリーダー格の男がどんなに威嚇をしても、少年は恐れる気配が微塵たりとも無ければ、怯むことすらなかった。

 

「……へぇ~ 喧嘩するってことは、それ相当の覚悟は出来てんだよな?」

 

 好戦的でピリピリとした雰囲気を出している男達に対して、怯むどころか少年はまるで獲物を狙う獣のような鋭い眼光で男達を睨み付ける。

 

(……これはマジの方でやばいな)

 

 その少年の表情を見た瞬間に何か危険なことを感知したのか、内心少し焦りを感じながらも大和は冷静な態度で男達に警告をする。

 

「お前ら悪いことは言わない。こいつと喧嘩するなんてバカな考えはやめて、早く逃げた方が身のためだぞ」

 

 若干口の聞き方が悪いが、これでも大和は男達の身を心配して言っている。

 

 本来、喧嘩する相手のことを心配するのは可笑しいなことだが、今はそんなことを言っている場合ではない。最悪な結末を回避するためにはこうするしか方法がないからだ。

 

「…はぁ!? いきなり何をほざいてんだよ、てめぇは?」

 

 大和の言ったことが気に触ったのだろう、リーダー格の男は今にも切れそうな表情で反発してくる。しかしこうなることは言う前から既にわかっていた。

 

「口答えしないで、早く逃げ……」

 

 大和がもう一度警告しようとした途端、突然の如く少年は一人の男に殴り掛かった。そして言うまでもなく奇襲を仕掛けられた男は最初の一撃でノックアウトされてしまう。

 

「……逃がさねぇよ、喧嘩はもう始まってんだからな」

 

 少年の攻撃は一撃では終わらず、まるで追い討ちを掛けるかのように少年は倒れている男を何度も蹴ったり踏みつける。

 

 少年の攻撃がようやく止まった頃、男は歯をほとんど折られて、口の中は傷でめちゃくちゃ、鼻は潰され唇は深く裂けており、顔全体が酷く腫れ上がっていた。

 

「……何だよあいつ?」

 

「いくら何でもやりすぎだろ……」

 

 あっという間のことだった。少年が一人の男を血だるまにするのに数秒も掛からなかった。

 

 その光景を見て、周りの男達が驚愕して衝撃を受けたのはもちろん、近くにいた幽々子ですら驚きを隠しきれなかった。

 

 男を完膚無きまで叩き潰して戦闘不能にさせると、今度はお前達がこうなる番だと言わんばかりに、少年は不気味な笑みを浮かべながら人差し指を立てて男達を睨んでくる。

 

「……どうした? 突っ立てないで早く掛かってこいよ腰抜け共」

 

「こっ…こいつ、完全にイカれてやがる」

 

 さっきの出来事で少年の戦闘能力を理解してしまったせいか、周りにいた男達の大半は怯え恐れて戦闘意識を失っていた。

 

 しかしリーダー格である体格の良い男は少年に屈することなく戦闘意識を保ち続けている。いや、寧ろこの場合はこんな小僧に恐れて怯える自分が許せないから立ち向かうと言った方が正しいのか。

 

「ガキの分際で調子に乗るんじゃねぇよ!」

 

 どちらが強いのかはっきりさせてやると言わんばかりにリーダー格の男は少年の顔面目掛けて渾身の右ストレートを放つ。

 

 が、そんな攻撃、少年からしてみれば単調で鈍いパンチにしか見えなかったのだろう。少年にあっさりと受け止める。

 

「甘いんだよ、俺を嘗めてんのか?」

 

 そのまま少年は両手で腕を掴んで、男をうつ伏せに倒すと同時に肩の関節を固めると。

 

………ゴキゴキッ!

 

 そのまま少年は何の躊躇いもなく、まるで人形の腕をもぐような感覚で男の肩の関節を簡単に外した。

 

 そして、また追い討ちを掛けるかのように少年は既に外れている男の肩を必要以上に痛め付ける。

 

「がぁっ…… あぁっ……」

 

 耐え難い激痛に耐えきれずにリーダー格の男は地面に這いつくばって、ひたすらもがき苦しんだ。

 

「よし頭は潰れたし、あとは…」

 

 敵のリーダーが潰れても喧嘩はまだ終わらなかった。他に残っている男達に狙いを定めて少年は一人ずつ潰しに掛かろうとする。

 

「……ひぃっ!」

 

 唯一の頼み綱であったリーダーが呆気なく倒されてしまった今、残された男達に頼れる者は誰もいない。

 恐ろしさのあまりに男達は走って逃げようとするが、不運にも少年は桁外れの脚力の持ち主であり、少年は逃げ惑う男達を走って追い掛けると、難なく捕まえては一人ずつ確実に蹴散らしていく。

 

 更に捕まえた際には、脳震盪が起こって気を失ったところで顔面に膝蹴りをいれたり。倒れている奴の頭をサッカーボールのように蹴り、更に踵で顔面を踏んで歯を何本もへし折ったりするなど、少年は男達に対して必要以上に暴力を振るう。

 

「……たっ、助けてくれ! おっ、俺たちが悪かったから!」

 

 しかし相手が気絶しようが、怯えて謝ろうが少年は相手に慈悲を与えることもなければ殴る蹴ることを一切止めることはなく、顔面が血塗れでめちゃくちゃになるまで収まる気配はなかった。

 

「無駄口叩いてないで、抵抗してみろよ」

 

 少年の行動は残虐非道そのもの、本当にこれが人のやることなのかと疑ってしまうほどに恐ろしく残酷な光景だった。

 

 そして喧嘩が終わった後、その場に立っていた者は、喧嘩を見届けていた大和と幽々子、そして男達を必要以上なまでに叩き潰した少年だけだった。

 

 それに対して男達は動く気配は一切なく、大半以上が顔面をめちゃくちゃに潰されており、怪我の具合は病院送りになってもおかしくはない状態だった。

 

 その悲惨過ぎる光景を目の辺りにした大和は悔しいを言わんばかりに唇を噛み締めながら、拳を握り締めて後悔に浸っていた。

 

「……バカ野郎共、だから早く逃げろって言ったのに」

 

 俺は喧嘩でも何でも相手を痛みつけるような行為は一切しないし、寧ろ必要最低限の打撃で終わらせることを心掛けている。

 

 しかしこいつの場合は戦闘能力が極めて高い上に、相手が敵だと感知すれば今のように躊躇なく攻撃を加えて、必要以上に加虐的になってしまう。

 

 周りを見渡して敵がいないと判断すると、つまらなかったと言わんばかりに少年は呆れた表情を浮かべながら溜め息をついた。

 

「……まぁ大体こんなもんだろ」

 

 さっきまで惨たらしい喧嘩をしていた奴とは思えないほどに少年は清々しい表情をしながら二人に近づいてくる。

 

「よっす兄貴、不良共に絡まれるなんて災難だったな」

 

 喧嘩を売られた俺達よりも、顔面をめちゃくちゃにされた男達の方が災難だと思ったが、本人の前では口には出さないでおこう。

 

「和生お前、喧嘩とはいえ流石にやりすぎじゃねぇのか?」

 

「…そうか? いつも通りだと思うけど」

 

 ご覧のとおり、こいつは俺と違って残虐非道なことを何の躊躇いもなく行う。これを最初から知ってたからこそ喧嘩をさせたくなかったのだ。

 

 そして二人が話している間、ずっと和生を不思議そうに見ていた幽々子が不安な表情を浮かべながら大和に話し掛けてくる。

 

「ねぇ大和……この人は?」

 

「……あぁ~ そういえば幽々子さんにはまだ紹介してなかったな。こいつの名前は草薙和生、俺の双子の弟だよ」

 

 和生と言う少年がさっき大和のことを兄貴と呼んでいたこと、そして顔や雰囲気が大和にそっくりだった理由がようやくわかると、幽々子は納得したような表情を浮かべる。

 

 大和が簡単に紹介をしてくれた後、本人も陽気な態度で自ら自己紹介をしてくる。

 

「どうも草薙和生です、気安くカズて呼んでくれても構わないからな」

 

 さっきまで残虐非道な行為を容易にしていた人とは考えられないほど、明るく爽やかな態度を振る舞ってくる和生。

 

 まるで別人だと疑ってしまうほどの和生の急激な性格の変わりように幽々子は戸惑いの色を隠せなかった。

 

「わっ…私は西行寺幽々子です、こっ…こちらこそ宜しくお願いします」

 

 幽々子は動揺と戸惑いを表情に浮かべながらも自己紹介をすると、その後に和生に対して深くお辞儀をする。

 

 出会ったばかりの大和との対応とは大幅に違い、和生に対しては固まって敬語になっていた。この状況を見ただけでも幽々子が一体どれだけ和生のことを怖がっているのかが一目瞭然でわかる。

 

 初対面とはいえ、幽々子の畏まった態度がよほど不思議に感じたのか、和生は首を傾げると疑問を抱いたような表情を浮かべる。

 

「何でそんな改まってんだ?」

 

 この反応から判断して、和生は自分がやった残虐非道な喧嘩が原因だとは微塵たりとも思っていないのだろう。

 

 それに幽々子が自分に対して何故畏まった態度をしているのかなんてあまり興味がなかったのか、和生はその事に関してあっさりと諦めると別の話をする。

 

「まぁ、そんなことはどうでも良いや。それよりもさ兄貴、何でこの幽々子て言う人と一緒にいるの?」

 

 まるで珍しい光景を見たと言わんばかりに、和生は不思議そうな顔を浮かべる。

 

 まぁ聞かれるのも無理はない。今まで俺が女性と一緒に歩いているなんて今まで無かったのだから。

 

 こいつにも関わることだし幽々子さんのことを普通に説明しても大して問題はないだろう。それに、こいつに限っては後々になって誤解を生むことになったら面倒だから、本当のことを話した方が効率が良い。

 

「色々と縁があってな、取り敢えず今から説明してやるから」

 

 大和は幽々子との出会いと後にあったことを和生に簡略に説明をする。

 まぁ、こいつは俺とは違って理解力も結構あるし、細かく説明しなくても別に問題はないだろう。

 

 

 

《~兄弟会話中~》

 

 

 

「……と言うわけだ、それで当分の間、俺たちの家に泊まらせようと思うんだ」

 

「ふーん、まぁ良いんじゃねぇの?」

 

 話の内容にあまり興味がなかったのか、説明が終わると、和生はどうでも良さそうな顔をしながら適当な返事を返してくる。

 

 だが、一件話を聞き流しているように見えるが、こいつは昔から記憶力や計算能力、理解力は群を抜いて優れており、今の話の内容も全て頭の中に入っているのだろう。

 

 この和生の桁外れの頭脳に関しては正直なところ兄として誇りに思っているが、それと同時に恐ろしい才能だと感じている。

 

「そんなことならよ、こんな所に長居しないで早く家に帰ろうぜ」

 

 和生の言う通り、こんな所に長居していると夜道を遊び歩いている他の男達に絡まれてしまうのもあれば、和生がまた最悪な出来事を起こしてしまう可能性がある。

 

 それに正当防衛とはいえ、時間帯や今までの暴力などの行いを含めて、警察に見つかれば確実に補導されるだろう。いや、寧ろ警察に補導されるだけで済むならまだ良い方なのか。

 

「それもそうだな、じゃあ行こうか」

 

 男達に絡まれたり和生と立ち会ったりなど色々予想外のことはあったが、三人は目的地である草薙家に向けて歩き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話 草薙家

 目的地からさっきの場所まであまり遠く離れてはいなかったのか、数十分も経たずに目的地である草薙家に到着した。

 

「ほらよ着いたぜ、ここが俺達の家だ」

 

 三人の目の前に建っていた建築物、それは今の現代では住んでいるのが珍しい立派な武家屋敷だった。

 

 歴史の重みが感じられる塀に囲まれた武家屋敷と広々とした敷地、大名や御家人など、昔の名のある偉い人達が住んでいた武家屋敷と比べれば小さい方だが、それでも家族数人で住むには手に余る物だった。

 

 大和達が住んでいる所が立派な屋敷だったことに驚いたのか、まったくの予想外だと言わんばかりに幽々子は唖然とした表情を浮かべて目を見開いていた。

 

「……凄いわ、大和と和生君はこんな立派なお家に住んでいるのね」

 

「いや……ただ敷地と家が広いだけだよ、それに毎日の掃除が大変だし」

 

 ちなみにこの屋敷と敷地は俺達の父親が所有している物であり、水道代や電気代以外は一切掛からない。だが、やっぱり広すぎるせいか生活に色々と支障が出る。

 

 しかし悪いことだけではない、屋敷の近くには昔からある古くて大きな倉庫があり、倉庫の中を探索してみるとガラクタも沢山あるが、俺達に取って為になる物や道具が出てくることがあり、今でもたまに倉庫の中を探索したりしている。

 

 そんな事を冷たい風が吹いている野外で長く説明している間に、俺の手足の先が冷たくなり、身体が徐々に冷え込みつつある。

 

「身体冷え込んだら大変だし、そろそろ家の中に入ろうか」

 

「これからお世話になるわね」

 

 二人が門を潜って屋敷の中に入ろうとすると一体何を思ったのか、和生は一人で屋敷とは別の方向に歩き出そうとする。

 

「じゃあ兄貴、俺もう少し遊んでくるわ。 親達には適当に理由言っといて」

 

 また遊びに行くなら何で俺達に着いてきたんだよ? と思ったが、ここは口には出さずに心に止めておこう。

 

 夜中に遊びに行くことに関して心配することはなかったのか、大和は遊びに行こうとする和生を止めることなく見送った。

 

「あぁ、だけど気を付けろよ」

 

 まぁ心配しなくても、こいつが危険な目に会うとは微塵足りとも思っていないし、寧ろ喧嘩を吹っ掛けてくる相手の方が危険すぎて心配だが。

 

 大和の自分の身を案じた言葉がお節介だと感じたのか、和生は有難迷惑そうな表情を浮かべる。

 

「んなことわかってるよ、じゃあなー」

 

 大和に返事を返すと、和生は背を向けながらひらひらと手を振って、暗い夜道の中を歩いて姿を消していった。

 

 和生が何処かへ遊びに行ってしまった後、残された大和と幽々子の二人はその場に立ち止まりながら少しだけ話し合う。

 

「じゃあ改めて家に入ろうか」

 

「……えぇ」

 

 この場に長く立ち止まっている理由はないと思い、二人はそのまま歩いて門を潜り、草薙家の屋敷に入っていった。

 

 

 

 《~…草薙家…~》

 

 

 

 外で見た時からずっと、草薙家の屋敷や敷地は広くて立派なのはわかっていた。

 

 いざ草薙家の玄関の扉を開けて入ってみると、玄関は広く古風で、さっきまで歩き回っていた町中とは何か違う雰囲気が漂っていた。

 

 大和は玄関で履き物を脱いで、家に上がろうとする。

 

 が、しかし、何か珍しい物でも見たのか、幽々子は家に上がろうとはせず、何処か懐かしそうな表情で玄関で突っ立ていた。

 

「……どうしたんだ幽々子さん? この屋敷が気に入らなかったのか?」

 

「……いえ、そういうことじゃないの。

 広さはともかく、雰囲気や造りが私が住んでいる白玉楼に似ていたから」

 

「そっ、そうなんだ、それを聞いて安心したよ…」

 

 何故か大和は額に冷や汗を流しながら動揺した表情を浮かべ、話す言葉も若干片言になっていた。

 

 大名や御家人の屋敷よりも小さいとはいえ、この屋敷でも世間一般的に見れば、かなり広くて立派な建物だろう。

 しかし幽々子の何気無い表情と話の内容から推測して、白玉楼と言うところは、この屋敷よりもかなり広いと考えられる。

 

(おいおい、勘弁してくれよ、この家より広いて相当な物だぞ?)

 

 ただでさえ無駄に広い屋敷なのに、これ以上に広い屋敷に住んでいるなんて、一体どこの御令嬢だよ。というか、なんでそんな御令嬢のような人が夜の公園に一人でいたんだよ。と大和は密かに思っていた。

 

 それから幽々子が家に上がった直後、大和の父親と思われる人物が玄関に突然やってきた。

 

「おぉ大和お帰り、今日は早いお帰りだ………」

 

 喋っている最中、父親と思われる人物は大和の隣にいた幽々子を見た途端に、唖然とした表情を浮かべ目が釘付けなってしまった。

 

 それから、大和の父が我を取り戻すと、何を思ったのか家の中に向かって大声で叫びだした。

 

「おーい母さん! ついに大和が彼女を連れてきたぞー!!」

 

「なんですって!?」

 

 そう言ってにやってきたのは、嬉しそうな笑顔を浮かべながら飛んでくるようにやってきた大和の母であった。

 

 大和の両親は非常に若く、見た目だけなら三十代前半と言われても納得するような若夫婦だった。

 

「あらやだ可愛い彼女じゃない! 大和も隅に置けないわね」

 

「よし、今日は赤飯だ!! 盛大に祝おう!!」

 

「取り敢えず黙って俺の話聞いてくれない? そろそろぶちぎれるよ?」

 

 いくら親とはいえ、他人の前でこんな恥ずかしい態度を取られたらぶちギレそうになったり殴りたくもなる。

 

 取り合えず、取り合えずだ。俺と幽々子さんがそう言う関係ではないことを両親に教えないと、変な誤解をさせては後々困ることになってしまう。

 

「あのな親父に母さん、幽々子さんは恋人……とかそう言う関係じゃなくてな………最近出来た友達なんだよ」

 

 大和の説明に対して両親は疑いはしなかったものの、物珍しそうな表情を浮かべる。

 

「それは珍しいわよね、タケルならともかく、大和が女の子のお友達を連れてくるなんて」

 

「実はこう言う経緯でな」

 

 

 

 

 ❮…少年説明中…❯

__________________

 

 

 

 

「と言う訳で、幽々子さんを家に泊めたいんだけど、良いかな?」

 

 取り敢えず両親には悪いが、幽々子さんが困ってること以外は大体嘘の説明をさせて貰った。

 

 本当のことを話さない理由は単純、幻想郷や幽々子さんの真実を説明すると色々と面倒なことになりそうだからだ。

 

「なるほどな、それは大変だったろう。 そう言うことなら行き宛が見つかるまで好きなだけ家に泊まればいい、なぁ母さん?」

 

「そうね、空き部屋で良ければ好きに使っても構わないわよ」

 

(良かったわ……俺の両親チョロくて)

 

 このとき多少の罪悪感はあったものの、大和は生まれて初めて両親が単純で良かったと心から思った。

 

「取り敢えず家に上がりなさい、外は寒かったでしょうに」

 

 そう言うと母親は息子の大和と幽々子の二人を優しく家の中へと招き入れてくれる。

 

 そんな母親の暖かい気遣いと言葉が余程嬉しかったのか、幽々子は何とも言えない安心感に包まれ、安らいだ表情を浮かべる。

 

「大和のご両親、とても明るくて優しい人ね」

 

「寧ろ鬱陶しいくらいだ、毎日毎日こんなテンションで接せられたら頭痛くなる」

 

 親子でコミュニケーションを取るのは決して悪いことではないと思っているが、この両親の場合は

度が過ぎてるので鬱陶しかったり、イラついてしまうことが多々ある。

 

 屋敷に上がった直後のこと、大和の母親が幽々子に対して話しかけてくる。

 

「幽々子ちゃん疲れたでしょう? お風呂沸かしてあるから入りなさい、私が風呂場まで案内してあげるから」

 

「えぇ、ありがとうございます。」

 

 口で言うよりも母親自ら案内した方がわかりやすいし、迷うこともないだろう。何も説明せずに屋敷の中を歩き回させたら迷うことは目に見えているのだから。

 

「じゃあその間に俺は部屋でゆっくりしてるから」

 

「それじゃあ私も書斎で仕事でもするかな」

 

 その他の男達は女性のプライベートに足を踏み入れてはいけないと思ったのだろう。大和は自分の部屋に行き、父親は仕事をするために書斎へ行った。

 

 そして残された幽々子は大和の母親に風呂場へと案内された。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 大和の母親に進められて来た風呂場、幽々子は『しゃわー』等の慣れないお風呂用具に苦戦していたが、何とか身体を洗い終え、湯槽に浸かって寛いでいた。

 

 そして身体の芯まで暖まると幽々子は湯船から上がり、浴室から脱衣所に出ると、バスタオルでよく髪や身体を拭いて、大和の母親が用意してくれた寝巻きに着替えた。

 

「……ふぅ」

 

 大和の母親が用意してくれた寝巻きは意外にもサイズがちょうど良く、見た目も女性が着てそうなデザインだった。 恐らく大和の母親が着ていたものだろう。

 

 そんなことを薄々と考えながら、何事なく寝巻きに着替えた後に幽々子は風呂場から出て行く。

 

 しかし屋敷が意外と広いせいか、大和がいる部屋がわからず迷子になってしまった。

 

 屋敷の中は思っていた以上に広くて、内装も立派な物だった。

 

 襖で分担されている和室が幾つかあり、屋敷の広さは、例え三十人以上が一斉に泊まりに来ても何ともないぐらいの広さがある。

 

 畳や和室など、部屋全体かなり年期は入っているように見えるが、隅から隅まで綺麗に手入れされている。

 

「おかしいわね、大和は何処にいるのかしら?」

 

 屋敷の中で迷い、大和を探しながら周りを見渡しながら歩いていると。

 

「きゃっ!」

 

 廊下の曲がり角で誰かと衝突してしまう。

 

「ごめんなさい」

 

「……あぁ?」

 

 目の前を見てみると、そこにいたのは和服を着た巨体の青年だった。

 

 身長は190センチあり、大和よりも圧倒的に背が高い。容姿は整った顔立ちをしており、髪は特徴的なツンツンと逆立った黒い長髪に背中まで伸ばした後ろ髪を一束に纏めている。

 服装は和服で、茶色の着物のうえに紺色の羽織を羽織り、下は灰色の袴を履いている。年配ならまだしも、若者でありながら私服が和服なのは現代では珍しい。

 

 それに男は一升瓶が六本入ったエコバックを片手に持っており、これから晩酌をしようとしていたことが予測できる。

 

「なんだお前? どっちかの兄弟の知り合いか?」

 

 ぶつかってきたのが気に食わないと言わんばかりに不機嫌な態度で接してくる青年。

 

 しかし、ぶつかってきたのが女だと気づいた途端、男は見定めをするように幽々子の顔をじっくりと眺めてくる。

 

「へぇ~よく見たらかなりの上玉じゃん、名前教えてよ」

 

 さっきまで無関心な態度だったが、幽々子が美人だと気付いた途端、妙に優しい態度に豹変する男。

 

「さっ、西行寺幽々子です」

 

「へぇ~幽々子ちゃんか~可愛いねぇ~ どう?今から俺の部屋に来る気はないかな? 一緒に酒でも飲みながらさ、話し合おうぜ」

 

「えっと、その~」

 

 以前にナンパされた男達とは異なり、あまりにも積極的でストレートすぎる男の言動に思わず困惑してしまう幽々子。

 

 積極的にグイグイと押してくる男の行動から考えて、恐らく幽々子を狙っているのことは確かな事だろう。 そうでなければ自分の部屋に誘おうなんて言わないのだから。

 

 だが、幽々子を自分の女にしようとする計画は一人の男によって意図も簡単に崩されてしまう。

 

 一体いつ現れたのか、幽々子をナンパしている男の肩を背後から誰かが突然掴んでくる。

 

「よせよ兄貴」

 

 背後から男の肩を掴み、そう言葉にしたのは幽々子を探しに来た大和だった。

 

 自分の肩を掴んで兄と呼んだ人物は声でわかっていたのだろう、男は後ろを振り向くと、不機嫌な表情を浮かべて大和を睨み付ける。

 

「なんだ大和、お前の女かよ」

 

「そんな関係じゃねぇ、だけど手は出すな」

 

「別に良いじゃねぇかよ、誰のでもねぇ女を口説くのは俺の自由だろうが、それに晩酌の相手が欲しかったところだしよ」

 

 お互い睨み合い、今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気を漂わせる。

 

 今の状況だとお互い身を引く気配は微塵たりともなく、このまま喧嘩になってしまうのだろうと大和はもちろん幽々子もそう思っていた。

 

……が、しかし。

 

「なーに冗談だよ冗談、そんな怒った顔をするなって大和」

 

 威圧的な重い空気から一転し、笑顔を浮かべながら気兼ねしない態度で大和の背中をパンパンと軽く叩いてくる男。

 

 それに対して男に親しい態度を取られようとも、大和の険悪に満ちた表情は一切変わらない。まるで幽々子をナンパしたことが絶対に許せないと言わんばかりだ。

 

「…………」

 

「なんだよ、そんな怒った顔するなって、何時までもそんなんじゃ色々損するからよ、人生もっと気楽にいこうぜ」

 

 しかし、大和が険悪な表情をしていることなんて気にもせず、男は平然と明るい態度を振る舞っている。これは日常茶飯事とでも言わんばかりに。

 

「んじゃあ俺はお邪魔そうだし部屋に戻るわ、仲良くしろよお二人さん。」

 

 幽々子のことは諦めたとでもいうのか、ヘラヘラしながら男はそう言うと、二人を残してこの場をあっさりと立ち去ってしまう。

 

 男がいなくなると、大和は一安心したような表情を浮かべて深呼吸をする。

 

「悪いな幽々子さん、恐い思いさせて」

 

「ううん大丈夫、それよりあの人は誰なの?」

 

「俺の兄貴さ、名前は武尊(たける)

 

 武尊(たける)は俺と和生の兄であり歳は二十歳、特徴は高身長で大の酒好き、いつも和服を着ていること。

 

「お兄さん?」

 

「あぁ、今の通り女好きな質でな。決して悪気はないから許してやってくれ」

 

 とは言っても、武尊が家に女を呼んでないと言うことは、俺か和生のどちらかが連れてきたというのを武尊本人はわかっていたのだろう。それを理解していた上で、兄弟が連れてきた女を口説いたりナンパするのはどうかと思うがな。

 

 それにしても幸いだった。兄貴が片手に酒瓶を持っていたということは、今日はまだ酒を一滴も呑んでいなかったようだ。 それに上機嫌の様子から察するに上物の酒を手に入れたらしい。

 

 もしちょっとでも酔っ払っていたら、まず喧嘩は免れなかっただろう。本当に幸いなことだった。

 

「大和ったら、すっごい険悪な顔してたけど、お兄さんに何か恨みでもあるのかしら?」

 

「いや、兄貴に対して恨みとか憎しみはないさ。ただあんな風にしないと幽々子さんを諦めてくれないと思ってね」

 

 口では明るいそうは言っているが、内心では何か闇を抱えているのであろう。大和は頑張って作り笑顔を浮かべながら幽々子にそう言った。

 

 喧嘩したり睨み合うことなんて今始まった訳でもない。寧ろ日常茶飯事とでも言うべきか。

 それに実を言うと俺と兄貴は色々理由が合って昔から仲が悪い傾向にある。

 

 まぁ、そう言うことに関しては今すぐに話さなくても良いだろう。それに正直な事を言うと兄の武尊との人間関係はあまり人には話したくはない。

 

「まぁ、そんなことは置いといて、寝室に案内するからついてきな」

 

「うん」

 

 言う通りに幽々子は大和の後ろについて行き、別の部屋に歩いて移動をする。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 大和に案内された部屋は、中には備え付けの押入れがあり、床が畳の空き部屋だった。そして部屋の隅にある布団以外は何も置かれておらず、がらんどうとしている。本当に空き部屋のようだ。

 

 しかし空き部屋と言っても、特に埃等のゴミが溜まっているような様子はない。どうやらこの部屋も、普段から掃除は徹底的にされている。

 

「何も無い部屋だけど、寝泊まりぐらいは出来ると思うから」

 

「いえ、寧ろ十分過ぎるわ、本当に何から何までありがとうね」

 

 幽々子は頭の隅で、何故大和やそのご両親はこんな見ず知らずの私に食事やお風呂、寝巻きや寝床をしっかりと用意してくれるのだろうと考えていた。

 

「じゃあ俺は風呂に入ってくるから、寝てても構わないよ」

 

「ちょっとまって」

 

 眠そうな表情を浮かべながら歩いて部屋から出ようとする大和を幽々子が呼び止めてくる。部屋を出る前に呼び止められた大和はその場で足を止めて幽々子の方向に振り向いた。

 

「…どうした?」

 

「恩人にこんなことを聞くのもあれだけど、なんで…見ず知らずの私に…こんな優しくしてくれるの?」

 

 そう言われると大和は幽々子から目を逸らして何か隠し事をしているような表情を浮かべると、こめかみを指でポリポリと掻きながら答える。

 

 そんなことを聞かれても、別に特別な理由なんてあまりない。まぁ強いて言うなら、こんな綺麗で美しい人が、あの場で男達の餌食になったり、野垂れ死なれたら嫌だったと思ったからかな。

 

 それに俺自身は半端な人間だが、中途半端に関わって、中途半端な所で投げ出すなんて。そんな無責任な事はできない、やりたくないのだ。

 

「さぁな、別に大した理由はないよ」

 

「そう……わかったわ」

 

 少し間を空けた後、優しい表情を浮かべると同時に毅然とした態度で大和は一言だけ口にする。

 

「でもさ、幽々子さんが故郷に帰れるように、俺は出来る限り力を貸すよ」

 

 草薙大和と言う少年は幼い頃からこんな人間だ。

 闇雲に強さと力を求めているが、その反面、不器用だが真面目で優しく、困っている人がいれば見捨てるようなことはしない。

 

 それにどんなことでも、一度深くまで踏み込んでしまったら、途中で引き返すような事はしない。いや、できないと言った方が正しいのか。

 

 そう答えると大和は扉に向かって身体を振り向かせ、部屋から出て行ってしまう。

 

 扉を閉めて大和が出ていくと部屋の中には幽々子一人だけしかいなくなり、心臓の音が聞こえてくるような静けさで包まれる。

 

「……ありがとう……大和……」

 

 その後、大和が風呂から上がった頃には幽々子は布団の中で深い眠りについており、夜が明けるまで二人は屋敷の中で出会うことはなかった。

 

 幻想郷へと帰る為の道のりは、きっと楽なものではないことは確かであろう。これから、様々な困難が幽々子の前に立ち塞がり、助けてくれた大和にも迷惑をかけるかも知れない。

 

 しかし、こうやって大和のように、見ず知らずの幽々子を気にかけてくれたり、助けてくれたりする人がいる。 幻想郷にだって、彼女を待っている友人達がいる。

 

 だから。幻想郷、冥界の白玉楼に帰ることをそう簡単に諦める訳にはいかないと、幽々子は密かに決意を抱く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話 両親の海外出張

翌朝、窓から差し込む光と空腹により幽々子は目を覚ました。

 

「……ん、うぅ……」

 

 昨日の食べ物だけではやはり足りなかったのか、お腹が空いたと言わんばかりに幽々子は自分のお腹を撫でるように手で押さえる。

 

「……お腹空いたわね」

 

 自分が寝ていた布団を綺麗に畳んだ後、寝室として使っていた空き部屋から出ていき、何となく和室に向かって歩いていく。

 

 もちろん、何となくやって来た和室に大和の姿は無く、和室の中はガランとしていた。

 

「……いないわね」

 

 ここの和室に大和がいるだろうと思ったが、どうやら見当違いだったようだ。

 

 大和が見つからないまま少しだけ廊下を歩いていると、一つの部屋からトントントンと何かを切っている音がしてくる。

 

 こんな朝早くから一体何をトントントンとしているのかと、幽々子は物音が聞こえてくる部屋の扉を開けて中に入っていく。

 

 物音が気になって幽々子が入った部屋の中には、冷蔵庫やガスコンロなどの料理をするために使う物が沢山置かれている。恐らくこの部屋は料理などの支度をする台所なのだろう。

 

「やまと~ そこにいるのかしら?」

 

 しかし台所で手際良く料理していたのは自分が知っている大和でも和生でも武尊などの三兄弟ではなく、大和達の母親だった。

 

 台所で料理をしていた大和の母親に対する、幽々子の第一印象は見た目はもちろん、態度の振る舞いや雰囲気は御淑やかな女性のイメージだった。 

 

「……大和のお母様?」

 

「あら……おはよう幽々子さん」

 

 台所に入ってきた幽々子の気配に気が付くと、大和の母は料理を一旦止めて、賑やかな笑顔で幽々子に向かって挨拶をしてくる。

 

「大和、何処にいるのかしら?」

 

「そうねぇ、あの子朝早く起きて鍛練してると思うから家の道場か中庭、もしくは外に出て走ってると思うわ」

 

「ありがとうございます。」

 

 そう言うと気を改めて幽々子は台所から出ていき、大和を探しに屋敷中を歩き回った。

 

 

 

《~少女探索中~》

 

 

 

 しかし結局のところ、広い屋敷のどこを探し回っても大和の姿は見つからず、何処にいるのかわからないまま途方に暮れてしまった。

 

「……大和ったら、一体どこに行ったのかしら?」

 

 冷静になって考えてみれば、こんなに探しても大和が見つからないのは、この屋敷内にはいないということなのか。

 

 だとすれば今度は屋敷内ではなく、屋敷周りの外を探してみようと、近くにあった縁側から眺めることができる庭をふと見てみる。

 

「あっ……」

 

 縁側まで近付いて見てみると朝っぱらから身体でも鍛えていたのか、庭の真ん中には上半身裸になっている大和が身体中から汗を流しながら木刀で素振りをしていた。

 

「こんなところにいたのね」

 

 一体、大和は何時から外で鍛練をやり続けているのか、ついさっき始めたとは考えられない程の汗が身体中から絶え間なく流れている。

 

 休むことなく庭で鍛練している最中、大和は縁側にいる幽々子の気配に気が付くと、素振りを一旦止めて木刀を下ろして縁側に近づいていく。

 

「おはよう、起きたんだな」

 

 今の時代、身体を鍛えるために朝から木刀で素振りするなんて、時代遅れだと思われてもおかしくはないのだが幽々子は違った。

 

 木刀の素振りや剣術の鍛練を見慣れているのか、鍛練の事に関して何の疑問も抱かずに幽々子は普通に話しかけてくるだけだった。

 

「朝から剣術のお稽古してたのね」

 

「まぁな、毎日の日課だから」

 

 男達に絡まれていた幽々子を助けた時には徒手空拳だけでも十分強かったのに、更に剣術も学んでいるとなると、それはまさに鬼に金棒、脅威としか言いようがない。

 

 それに服の上からだとわからなかったが、大和の身体を良く見てみると、普通の人なら鍛え込まれた筋肉に目が行き勝ちだが、身体中に大小の傷が無数に刻まれている。

 

 跡が残るほどの深い擦り傷や打撃による損傷跡、果ては刃物で切られたような傷跡など、傷跡を数えればキリがない。

 

 まだ歳もあまり重ねていない少年なのに、恐らく幼い頃から相当な鍛練と修行を積んで、幾度の修羅場を乗り越えてきたのだろう。本人の口から聞かずとも、身体中の傷がそう物語っている。

 

 だが、剣の稽古や身体に刻まれた傷跡とは別に、大和のことでひとつ気になっていることが幽々子にはあった。

 

「でも、素手でそんなに強いのに、武器を使う必要あるのかしら?」

 

 正直なことを言うと、大和の生身の身体能力や強さは全身凶器と言っても過言ではないだろう。その上、武器を使うとなれば、それはまさに鬼に金棒と言わざるには得ないだろう。

 

 そう幽々子に聞かれると、他の人の耳に入ったら不味いことだったのか、大和は若干オドオドしながらも小言で答える。

 

「俺の師匠がな…そこんところ口うるさくて」

 

 今も言った通り、俺には武術を教えてくれる師匠がいるんだが、その師匠に弟子入りする際に『素手のみならず、武器術も覚えなさい』て口酸っぱく言われたんだ。

 

 だから近代的トレーニング法以外にも、こうして武器術の鍛練も欠かさずにやっている。ちなみに俺は日本刀や刀が好きだから、木刀での素振りを基本的にやっている。

 

「その師匠てどんな人なの?」

 

 その師匠のことを聞きたいと言わんばかりに幽々子がそう言ってくると、大和はあまり話したくなさそうな表情を浮かべながら小声で答えた。

 

「俺の口からはちょっとな、まぁ、この家にいれば近いうち会うことになるから、その時だな」

 

「そう、それは残念ね」

 

 そんなことを話してると、居間の方から大和の母親の声が聞こえてきた。

 

「みんなー朝御飯出来たわよ」

 

 朝食と聞いて腹が空いたのか、大和と幽々子のお腹が『ぐぅ~』と鳴り響いた。

 

「いこうか」

 

「そうね」

 

 そう言うと大和は全身の汗を拭いて上着を着る。そして二人はみんなが集まっているであろう茶の間に歩いて向かった。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 中庭から茶の間までの距離が近かったので、二人は茶の間にすぐに到着した。

 

 茶の間には両親はもちろん、和生や武尊がすでに座って待っていた。

 

「えっ?」

 

 幽々子が思わず驚いたのが、朝食とは思えない大量のごはんや料理がちゃぶ台の上に置かれていたことだった。

 

「さぁ、早く座りなさい」

 

 大和達の父親にそういわれると二人は空いてる席に座った。

 

 六人集まり、テーブルを囲むように座る食卓、大和やその家族からしてみれば特に何の違和感もないが、他人である幽々子からしてみれば異様な光景にしか見えなかった。

 

「みんな集まったな、それじゃあ」

 

 大和達の父親がそう言うと、六人は箸を持って一斉に手を合わせる。

 

「「「「「「いただきまーす」」」」」」

 

 大量の料理を主に大和と武尊が山盛りのどんぶり飯を片手に持ちながらひたすら食べまくる。

 

 一方、和生やその父親はゆっくりと上品に食べてはいるものの、やはり食べる量は多かった。 ちなみに母親の食べてる量は普通のようだった。

 

「幽々子ちゃん、早く食べないとなくなるわよ」

 

「はっ、はい」

 

 大和の母親にそう言われると、幽々子もゆっくりと朝食を食べ始める。

 

 そして朝食を食べながら少し時間が経つと、和生と武尊は今後の話をしたりする。

 

「おい和生、飯食い終わったら機械の使い方を教えてくれ、全然わかんねーから」

 

「わかったよ大兄貴、相変わらずの機械音痴だな」

 

「しゃーねぇーだろ、機械類に強いのはお前しかいねぇんだから、それとも大和に教えて貰えって言うのか?」

 

「それもそうか。」

 

「おいおい勝手に巻き込むな、それじゃあまるで俺も機械音痴みたいじゃねぇかよ」

 

「「いや、事実だろ」」

 

 兄と弟に正論を言われて恥ずかしくなったのだろう。大和は顔を赤らめて黙り込んでしまう。

 

「ところでお前達に重要な話がある。」

 

 他愛もない話をしている最中、大和達の父親が真剣な表情でみんなに話しかけてくる。

 

「つい最近決まったことなんだが、実は父さんと母さんは仕事の関係で海外に行くことになったんだ。 日本に帰る予定はまだ決まってない。」

 

 しかし、そんな話をしたところで和生と武尊の二人の表情は変わらず平然としていた。まるでそんなことは想定の範囲内だといわんばかりに。

 

「まぁ別に良いんじゃね? 俺は構わんよ、なぁ兄貴達」

 

「あぁ、寧ろ夫婦水入らずで良いじゃねぇか、俺も別に構わねぇ、賛成だよ」

 

「…………」

 

 親の海外出張をどうとも思っていなかった和生や武尊達に対して、大和は非常に険しい表情を浮かべており、まるで何かを悟ったような感じだった。

 

 大和は理解していた。兄弟の中で炊事や家事全般を出来て得意なのは自分だけと言うことを。そして武尊や和生が炊事や家事全般が不得意で出来ないと言うことを。

 

 つまり両親がいなくなるということは、炊事、洗濯、家事全般など、家のこと全て俺が必然的にやることになる。

 

「俺も……別に構わねぇよ」

 

「なんだなんだ? 親父と母さんがいなくなって寂しいのか大和?」

 

「そんなんじゃあねぇよ! 炊事や家事を全部やるのが俺になることが嫌なだけだ」

 

 武尊のからかいが余程気に食わなかったのだろう、怒って怒鳴るように発言する大和。

 

 そんな幼稚な挑発に乗った大和を見て呆れたのだろう、和生はこんなことを言った。

 

「なんだよ、そんなことで怒んなよ兄貴、それなら俺も手伝うぜ炊事」

 

 その一言に周りの空気が凍り付き、大和と武尊の表情や態度が一気に豹変する。

 

「いや、その心掛けで結構だ、それにやる気あるなら炊事以外を頼みたいんだが。」

 

「そうそう、炊事は俺と大和に任せとけ」

 

「……あっ? なんだよ兄貴も大兄貴も急に?」

 

 なぜ大和と武尊の二人はこんな態度を取るのか、それはわかっていたのだ。和生に料理を絶対に作らせてはいけないことを。

 

 以前、両親がいないときに武尊が面白半分で和生に料理を作らせたことがあった。 そして事件は起こり、和生の料理を食べた大和と武尊はあまりの不味さに失神してしまったのだ。

 

 しかし恐ろしいところは料理の不味さだけではなく、和生本人は自分が料理が下手なことを理解していないことだった。

 

 ということがあり、大和と武尊は珍しく一致団結して和生に料理を作らせないことを心に誓ったのである。

 

「取り敢えずだ。 家事全般も頑張るし、料理は俺が作るから」

 

「そうそう、俺達に任せてお前は何もしなくて良いんだ、末っ子なんだから」

 

「まぁ、そこまで言うなら言葉に甘えるよ」

 

 そんなことを話している間に、山盛りに積み上げてたおかずやご飯は無くなり、みんな朝食を食べ終える。

 

 朝食を食べ終えると幽々子を除いた草薙家の者達は各個人で使った食器を始め、おかずなどを食べ終えた食器をなど早々に片付けて台所へ持っていく。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話 幽々子と買い物

 食器を片付け終えると、武尊はどこかへ行き、和生は自室へ、草薙夫婦は海外へ行く身支度をしに行った。

 

 茶の間に残ったのは大和と幽々子の二人だけである。

 

「さて、腹拵えも終わったことだし」

 

 幽々子を置いて、大和はゆっくり立ち上がると自分の部屋に行く、そして服をマイペースに着替えると、ついでに自分が着るものとは別に新しい長袖シャツとジーンズを持ってリビングに戻って来た。

 

 そして大和は隣の部屋から持ってきた衣類を幽々子の前にスッと差し出す。

 

「ほらよ幽々子さん、出かけるからこれに着替えな、それとも男物の服は嫌か?」

 

「いえ着るわ……ありがとう」

 

 大和から差し出されてた服を幽々子は物珍しそうな表情で受け取った。

 

 それから大和がテーブルの前に座ると同時に幽々子は立ち上がって別の部屋に向かって歩く、そして部屋に入る前に笑顔を浮かべて大和を見た。

 

「大和、覗いたらだめよ」

 

「……ぶっ! 覗かねぇよ!!」

 

 顔を真っ赤にして大和がツッコミをいれると幽々子は部屋に入って静かにドアを閉めた。

 

 数分後、幽々子は大和に手渡された服に着替えると、恥ずかしそうに少し顔を赤くしながらリビングに戻って来た。

 

 今まで水色の和服を着ていたせいなのか、幽々子がシャツやジーンズなどの現代の服を着ると何か新鮮味が出ているような気がした。

 

「どうかしら大和?」

 

「男物だけど、普通に似合ってるぞ」

 

 しかし幽々子は胸やお尻のサイズが服に合わないのか、少しキツそうに服を着ている

 

 女性の体に興味なさそうに振る舞っているとはいえ大和も健全な男子高校生、男物の長袖とジーンズがパツパツになるほどの幽々子の大きな胸と尻をチラチラと頬を赤らめて何度も見る。

 

「ねぇ大和、胸とお尻が少しきついんだけど」

 

「服を買うまで我慢してくれ」

 

 そのとき、偶然にも部屋を通り掛かった武尊が笑顔を浮かべながら二人に近寄って来た。

 

「おぉゆゆちゃん、胸と尻がパツパツで中々エロイじゃん、男でも誘いに行くのか?」

 

 その発言を聞いた幽々子が恥じらいの表情を浮かべると武尊は益々笑顔になる。 まるで可愛い女の子が恥ずかしがる顔を見ることが好きなんだと言わんばかりだ。

 

「見んじゃねぇよ!!」

 

 武尊がからかいながら部屋に入ってくると、今の発言にぶちギレたのか、大和は武尊の顔面に向かって右ストレートを放った。 しかし

 

 不意討ちにも類似した右ストレートを、武尊は紙一重で難なく避ける。まるで端からわかっていたかのように。

 

「バーカ、てめぇのパンチなんて当たらねぇよ」

 

 パンチを避けた後、武尊は歯向かってきた大和のボディー、厳密には鳩尾に向かって容赦なく抉るようなパンチを叩き込んだ。

 

「がはっ!!」

 

 的確に叩き込まれた武尊の打撃は言うまでもなく大和を呼吸困難に陥らせ、大和は苦しみのあまりに鳩尾を抑えながら踞ってしまう。

 

 そんな踞って苦しむ弟を目の前にしても武尊は一切同情はせず、寧ろ冷徹な視線を向けながら大和に対してこう言った。

 

「恐れ知らずも大したものだか、死にたくなかったら相手の力量を理解してから闘いな」

 

 そう言うと反撃をしたうえに、幽々子を見て満足したのか、武尊は笑顔を浮かべながら逃げるように部屋から立ち去ろうとする。 まるで気紛れな猫みたいな奴だ。

 

「じゃあな、せいぜい気を付けろよ」

 

 武尊が立ち去った直後、大和はふらふらとしながらも立ち上がり、未だに残ってる鳩尾の痛みに耐えながら何とか呼吸をする。

 

 だが、そんな苦痛よりも拳が当たらなかったことがよほど情けなかったのだろう。大和は悔しそうな表情を浮かべながら握り絞めた拳を見つめる。

 

「ちくしょう、なんで当たらねぇんだよ」

 

 いつもそうだ、何故か武尊には俺の攻撃が不意討ちを含めて絶対に当たらない。それは今始まったことではなく昔からそうだった。

 

 苦しんでいた大和を見て心配の色を隠せなかったのだろう、心配したような表情を浮かべながら幽々子は大和に話しかける。

 

「大和大丈夫?」

 

 あれでも武尊は手加減してくれたうえに、持ち前の回復力があったおかげか、苦痛の表情は消え去り、大和のダメージはすぐに回復した。

 

「あぁ、問題ない。 それよりも出かけようか」

 

「はーい、しゅっぱーつ」

 

 非常に切り替えが早く、無邪気な子どものような笑顔で幽々子が元気良く返事をすると、二人は玄関に向かい履き物を履いて家を出た。

 

 もちろん出かける前に大和は忘れずに家の鍵を閉めると歩いて屋敷を離れていった。

 

 昨日二人が初めて出会った公園を横通るが、大和は昨日不良と喧嘩した公園の方向には行かずに別の場所に向かう。

 

 幽々子にはまだどこに行くかは教えていないが、大和が向かっていたのはこの辺の近くにあるショッピングモールだった。

 

「ねぇ大和、どこに向かってるの?」

 

「さぁな?」

 

「もういじわる、教えてくれてもいいじゃない」

 

「まぁ着いてからのお楽しみだ」

 

 

 

       《少年少女移動中》

__________________________________________________

 

 

 数十分後、何もなく二人はショッピングモールの目の前まで到着した。

 

 休日なので駐車場には車、ショッピングには多くの人達が混んでいる、生まれて初めて見る大きな建物を幽々子は見ると驚きを隠せず無邪気な子どものようにはしゃいだ。

 

「着いたぜ」

 

「すっごーい、大きい建物ね」

 

「じゃあ中に入ろうか」

 

 まるで恋人同士のように体を近くに寄せ合わせながら大和と幽々子の二人らショッピングモールの中に入って歩いている。

 

 そんな二人を見て、通りすがる知らない男達は余程気に食わなかったのだろう。大和を睨んでこそこそと何か言いながら舌打ちをする。

 

「ちっ! なんだよ……」

 

「あいつだけ……」

 

 通りすがる男達はおそらく大和が美人の幽々子と引っ付いていることが気に入らなくて、嫉妬しているのだろう。

 

 しかし大和はそんなこと気にしても疲れるだけだとわかっており、ただ男達を哀れだと思い微塵も相手にはしていなかった。

 

 大和はまず幽々子が着るための服を買うために、二人は女性の服がある場所へと向かった。

 

 すぐ近くにあったので時間はそんなに掛からずに女性の服があるコーナーの目の前まで二人はやって来た。

 

 着物以外目にしたことがない幽々子にとっては新鮮な光景だった、生まれて初めて見る洋服が綺麗に並べられていたのだから驚きもする。

 

「すっごーい、いっぱいあるのね」

 

「ほら、さっさと早く選ぼうぜ。恥ずかしくて死にそうだわ」

 

 女性の衣類コーナにいて恥ずかしがる大和、一刻も早くこの場から去りたいと言わんばかりだ。

 

 早速、幽々子は自分に似合いそうな服を選び初めると、そのあいだに傍にいた大和は暇そうに幽々子が服を選ぶところを眺めていた。

 

(まったく、楽しそうにしてるな)

 

 その後、どれだけ待っただろうか、何分? 何十分? いやもう何時間も経ったのかと思える程、幽々子は飽きずにまだ楽しそうに服を選び続けている。

 

 大和もそろそろ待っているだけではいられず、イライラしながら幽々子にこう言った。

 

「どんだけ服選ぶのに時間掛けてるんだよ!?」

 

「ごめんね大和、私に似合いそうな服はいっぱいあるけど、ほとんどサイズが合わないの……主に胸がパツパツで」

 

 服の上からでもはっきりと大きさがわかる幽々子の豊満な胸をチラッと一瞬だけ見ると頬を赤らめながらすぐに眼を逸らす。

 

「そっ……そうかよ、ちなみに聞くけど後どのくらい掛かる?」

 

「ん~……半(三十分)くらいかな?」

 

「そんなに待てるか!」

 

 当然のことのように言ったの答えに対して大和は思わず速攻で突っ込んでしまった。

 

「ウソウソ冗談よ、もう少しで終わるから」

 

「……はぁ~ 頼むから早くしてくれよ」

 

 さらに数十分後、やっとのことで幽々子の服選びが終わり、疲れた顔で大和が支払いをしようとした瞬間、掛かった金額を見て思わず顔をしかめてしまう。

 

 ちなみに服に掛かった金額は……もう思い出したくないので言わないでおこう

 

「……はぁ~ やっと終わった」

 

「そう言えば大和、服は買ったから良いけど下着とかはどうするのかしら?」

 

 そんなことは今まで微塵も考えたことはなく、幽々子が言ってくれたことでようやく気がついた。

 

 しかしだからと言って、まだ人生を終わらせたくない大和は幽々子と二人きりで女性用の下着コーナーへは絶対に行きたくなかった。

 

「いっけねぇ、それは考えてなかった」

 

「じゃあ今すぐ下着コーナーに……」 

 

「言っとくけど俺は行かねぇぞ幽々子さん、金渡すから一人で行ってきてくれ」

 

「ダーメ、ほらいきましょう」

 

 逃がさないようすぐに幽々子は大和の右手をがっしりと掴む、もうすでに大和は逃げることは出来ない。

 

「やめろ! 離してくれ! 俺はまだ死にたくはねぇんだよ!」

 

 幽々子は楽しみながらノリノリで子供のように嫌がる大和の手を引っ張ると下着コーナーまで無理矢理連れて行く、そして下着コーナーの目の前まで二人は来ると、もはや大和は抵抗する気も失せて、幽々子に連れていかれるがままに行った。

 

「はぁ~、マジで来ちまったよ」

 

 絶望している最中、下着コーナーの店員さんがこちらにやって来た。

 

「いらっしゃいませ、今日はどのようなご用件で?」

 

「えぇと、この子の下着の買いに」

 

「わかりました。それじゃあお客様、サイズを合わせますのでこちらにいらしてください」

 

「はい、でも大和は?」

 

「そこまで行けるかぁ!」

 

 その後、幽々子に一緒に行こうと何度も誘われたが、まだ社会的に死にたくなければ色んな意味で人生を終わらせたくない大和は全力でその誘いを断固拒否し続けた。

 

(ここまで俺を連れてきた意味あったのか?)

 

 幽々子と店員の二人は大和を置いて下着コーナーに行き、大和はさっき買った服を手に持ちながら一秒でも早くこの場から離れたいと思いながらずっと待った。

 

 その数十分後、下着選びよりは早く終わり、二人は選んだ物を手に持って戻ってきた。

 

 顔を赤らめながら大和は会計を済ませると、大和は幽々子の手を掴んで逃げるようにその場から離れた。

 

 このとき、大和に強引に引っ張られた幽々子は満更でもなかった模様。

 

「さてと……この後どうするか?」

 

「ねぇ大和、おなか空いたわ」

 

 幽々子がおなかを空かせるのも無理はなかった、近くにあった時計を見てみればもうお昼は過ぎている。

 

「そうだな、じゃあ近くのバイキングで飯にするか」

 

そう言うと二人は近くにあるバイキング店に行き、運が良くも席は空いてあり二人はすぐに昼御飯にありつけられる。

 

 ここなら食べ放題なので、幽々子も満足できるし何よりも軽い出費で済むから大和はバイキングを選んだ。

 

 ちなみに店が潰れるような惨劇が起ころうとも、大和はそのことに関してのことは一切考えてはない。

 

「ほら、食べ放題だから腹一杯になるまで食っていいぞ」

 

「うわぁ~、美味しそうな食べ物がいっぱいあるのね」

 

 朝と同様、おなかが空いていた幽々子は尋常ではない量の料理を持ってくると、ペロリと一人で平らげる。

 

 こんな細い体のどこに入っていくのかと、料理を食べながらも大和は唖然としながら見ていた。

 

(相変わらず良く食うよな)

 

 呆れながら大和は皿に乗っていた食べ物を全部平らげると、朝飯を食べ過ぎたせいかあまり食べていないがすぐ腹一杯にはなった。

 

 ちなみに食べ物コーナーを見てみると、ほとんどの料理が綺麗サッパリ壊滅的になくなっていた。

 

「ごちそうさん」

 

「とてもおいしかったわ」

 

 みんな満足したところで大和は会計を済ませる、店員が涙目になっていたがそこは触れないでおこう。

 

 大和も幽々子の着る服を買うなど目的のことはすべてやり、そのうえ腹ごなしもしたので、ショッピングモールに長居は無用だった。

 

「さてと幽々子さん、帰るか」

 

「うん、今日はとても楽しい日だったわ、ありがとう大和」

 

「そうか……それは良かったな」

 

 よく考えてみれば、女の子と一緒に買い物をしたり飯を食ったのは生まれて初めてだったことに大和は気がつく。

 

 このとき表情にも口にも出さなかったが、幽々子とデートのようなことができて大和はとても嬉しかったようだ。

 

 まだ照り返す夕陽が顔を出しているが、二人もショッピングモールを出ると夕焼けに照らされながら自分の家に向かって仲良く帰って行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話 留守にする両親

 ショッピングをしたあと、二人は特に何事もなく家に帰り、みんなで夕御飯を食べ、風呂に入り、各自の部屋で朝まで眠りに就いて一日を終えた。

 

 そして翌日の早朝。

 

 空には朝日が昇りつつあるものの、外の空気は澄んでいて冷たく、身体を動かさないと芯まで冷え込んでしまいそうなほどの寒さだった。

 

 玄関の前で車に乗り海外に旅立とうする両親を見送る草薙三兄弟、昨日はどうでもよさそうに話してたのに意外と情に厚い人達だったようだ。

 

「もう行くのかよ、海外に行くって言ったの昨日だったろ」

 

「言ったろ大和、突然決まった出張なんだ。」

 

「まぁ、たまには連絡とかしてくれよ、多分でないと思うけどな」

 

「こんの親不孝者がぁ~」

 

 武尊の冗談に、笑顔を浮かべながら拳で武尊の頭をグリグリとする父親、その光景は仲睦まじい親子の姿だった。

 

「じゃあ三人共、元気でやれよ」

 

「身体に気を付けなさいね」

 

 車に乗って出発する両親、その後ろから手を振って見送る草薙三兄弟、笑顔を浮かべてる者もいれば、どこか寂しそうな顔を浮かべてる者もいる。

 

 そして車の姿が見えなくなると、草薙三兄弟は手を振るのをやめて、深く深呼吸をした。

 

「さてと、両親がいなくなったことだ。 二人ともさっさと茶の間に来い」

 

 両親がいなくなった途端、次は別件で会議をすると言わんばかりに武尊は弟二人をリビングに誘導しようとする。

 

「なんだよ急に茶の間に来いなんて」

 

 このとき大和は武尊に逆らう気はなく、単に何故リビングに来いと言ったのか気になったからだ。仮に逆らっても返り討ちに合うだけだしな。

 

「これからのゆゆちゃんの事で話し合うんだよ、わかったらさっさと来いよ」

 

 そう言われると、仕方なそうに大和は武尊の言うことを聞く。呼び方はさておき、流石に幽々子のことになると素直になるようだ。

 

 そして三人は話し合いをするために屋敷の中に入り、茶の間へと向かっていった。

 

 

 

 《草薙家・茶の間》

 

 茶の間に到着するや否や、三人はちゃぶ台を囲むように座り、会議が始まる。

 

 最初に口を開いたのは、武尊に対して疑問を抱いていた大和だった。 理由はもちろん、武尊がなぜ幽々子のことに関して説明をしていなかったのに知っているのかだ。

 

「大体何で兄貴がそんなことに首を突っ込むんだよ、俺は兄貴に幽々子さんのことを何も話してないよな?」

 

「安心しろ、昨日和生から全部聞いているからな、機械の操作を教えて貰った次いでに」

 

「和生てめぇ」

 

「俺は他言するなとは言われてなかったからな、それに大兄貴が女のことに関して教えろと言ったから教えただけだ。」

 

 確かに幽々子さんの事に関しては他言するなとは一言も言っていなかった。 それは俺の方に非があると認めざるを得ないであろう。

 

 だが、その説明を聞いた上で幻想郷やら冥界やらを信じたのであろう武尊も武尊だ。 夢想や非現実的なことを信じるなんて、俺も含めてどうかしているとしか言いようがない。

 

「それで? これからどうするよ、幻想郷とやらに行く方法なんて多分誰も知らねぇと思うぞ。」

 

「紅虎さんとか知らないかな?」

 

「まぁ確かに、そもそもあの人の存在自体が神秘的だからな、でも知ってる可能性は無いに等しいかもな。」

 

「そうだとすると探索はかなり困難になるな」

 

 知っている可能性は低いとはいえ、もし頼みの綱である紅虎さんと言う人が幻想郷や冥界の行き方を知らないと言ったら、探索は困難を極まることになる。 

 

 そもそも武尊の言った通り幻想郷と言う場所や冥界の行き来の仕方を知っている者なんて、この世の何処を探してもいないのではないか。 少なくとも大和はそう思っていた。

 

「まぁ急ぎを要する訳でもないんだろ? なら俺達も地道に探索してみてやるよ」

 

「俺達って、俺も入ってるのかよ大兄貴」

 

「何か文句あるか?」

 

「しゃーねぇな、わかったよ、気は乗らんけど」

 

 珍しく自ら助けてくれると言ってくれる武尊と和生、こんなことは滅多にないことだ。しかし大和が出した答えは。

 

「いや、気持ちだけで良いよ兄貴、手伝わなくても構わない」

 

 その言葉にカチンと来たのか、武尊の表情が険しくなり、威圧的な態度へと変貌する。 近くにいた和生や大和もそれを感じ取って、額から冷や汗が流れ出した。

 

「ほう、と言うと?」

 

「俺だけで探して見せる、だから首を突っ込まないでくれ」

 

「随分とでかい口を叩くようになったな、まさか自分一人で解決できるとでも言うのか?」

 

「そもそも俺が持ってきた問題だ。俺に全部任せてくれよ」

 

 そう幽々子さんと約束したのだ。幻想郷、冥界に帰る方法を俺が見つけ出してみせると。

 

 一度した約束を破ることなんて、そんなことはしない。 いや、そんなことは俺のプライドが絶対に許さないと言った方が正しいのか。

 

「わーかったよ、そこまで言うなら俺も和生も何も言わん。 ちょっとばかり手を貸してはやるが、あまり深くは入り込まねぇよ」 

 

 大和の発言と真剣な表情を見て納得したのか、ため息をつきながらも武尊は素直に大和の意見を認めてくれた。 兄弟仲は悪いと思っていたが、武尊が意外と物分かりの良い奴だってことが、今日改めてわかった。

 

「俺も同意件で構わない。 そもそも面倒事に巻き込まれるのはごめんだからな。」

 

 相変わらず率直な返事をしてくる和生、どうやら本当に幽々子のことはもちろん、幻想郷や冥界のことに関して興味がないようだ。

 

 武尊はその場から立ち上がると、何を思ったのかちゃぶ台の前に座っている大和の横に何気なく立ったのだ。

 

「まぁ困難な探索になりそうだけどがんばりな、少なくとも俺は応援してやるからよ」

 

 武尊は笑顔を浮かべながら髪がくしゃくしゃになるよう大雑把に大和の頭を撫で回してくる。こんなことをしてくれた兄貴は初めてだった。

 

 とても珍しい武尊の行動に動揺したのであろう。大和は怒るような気配は見せず、寧ろ戸惑いの色を見せた。

 

「あっ、あぁ……ありがとう。」

 

「それじゃあ話はこれで終わりだ。 お前ら各自好きにして良いぞ。 特に大和、お前はそろそろ稽古の時間だろ?」

 

 時計を見てみると、武尊の言った通り時計の針はもうすぐ午前5時を指そうとしていた。 もうそろそろの話ではなく、完全に稽古の時間だった。

 

 稽古の時間とわかった途端、大和はその場から立ち上がると急いで茶の間から出ていき、ランニングのために外へと出ていった。

 

 大和が慌てる一部始終を見てて可笑しかったのであろう、武尊は急いで茶の間を出ていった大和を見て笑っていた。

 

「はっはっは、あいつもまだまだ未熟だな」

 

「それよりも大兄貴、朝食はどうするんだよ?」

 

 笑っているのも束の間、和生の言葉を聞いてようやく朝食のことを思い出したのであろう。 武尊は思わず真顔になってこう答えた。

 

「やっべ、忘れてた。」

 

 稽古する前に朝食を作ってくれと言っとけば良かったと言わんばかりに、武尊は少し後悔したような表情で悩んでいた。 が、しかし………

 

「まぁ大丈夫だ、俺が作ってやる。 米炊いて、肉とか野菜炒めとけば朝食なんてできるって」

 

「なんと言うか、相変わらずポジティブと言うか、前向きだよな大兄貴は」

 

 あまりにも前向きなうえに、何よりも気持ちの切り替えの早さに、和生は驚くと同時に、呆れたような表情を浮かべる。

 

「それじゃあ作ってくるわ、和生は部屋に戻ってて良いぞ。 作り終えたら呼んでやるから」

 

「何なら朝食作り俺も手伝うよ大兄貴、一人でやるには大変だろうし」

 

「良いよ良いよ、そんな気を使わないで、多分すぐに終わるからさ」

 

 そう言うと武尊は冷や汗を額にかきながら逃げるように茶の間から出ていった。どうやら最悪の事態は免れたようだ。

 

 何故手伝わなくても良いのかと疑問に思っていると言わんばかりに、和生は不思議そうな表情を浮かべながらも素直に自分の部屋に戻る。

 

「ふぅ~ さてと、始めるか」

 

 一息つくと茶の間を出ていき、そして朝食を作るために台所へと向かう武尊であった。

 

 

 

 

《……一方別室では……》

 

 

 草薙兄弟の会議が終わってから二時間後のこと、窓から差し込む光と空腹により幽々子は目を覚ました。

 

「……ん、うぅ……」

 

 昨日、バイキングであれだけ食べ物を食べたのに足りなかったのか、お腹が空いたと言わんばかりに幽々子は自分のお腹を撫でるように手で押さえる。

 

「……お腹空いたわね」

 

 やはり昨日の食べ物だけでは足りなかったのか、お腹が空いたと言わんばかりに幽々子は自分のお腹を撫でるように手で押さえる。

 

 自分が寝ていた布団を綺麗に畳んだ後、寝室として使っていた空き部屋から出ていく。

 

「さてと、大和のところに行きましょ」

 

 昨日のように庭で大和が稽古をしているのだろうと思い、幽々子は中庭へ歩いて向かった。

 

 

《……少女移動中……》

 

 

 

 案の定、中庭に行ってみると大和が木刀を振るって鍛錬をしていた。

 

 鍛錬も終盤に入って身体は十二分に温まっているのだろう、大和は上半身裸になって全身から汗を大量に流している。

 

「朝から精が出るわね」

 

「おはよう幽々子さん、この通り元気いっぱいだよ」

 

 素振りを止めて大和は木刀を片手に身体の汗も拭かず上半身裸で幽々子に近づいていく。

 

 しかし汗から漂う性ホルモンにも似た匂いを嗅ぎ、鍛え込まれた大和の肉体に好意を持ったのだろう、幽々子は顔を赤らめながら大和から目を背け、話を逸してくる。

 

「きっ、気になったんだけど、具体的にどうゆう鍛錬を毎日してるのかしら?」

 

「そうだな、まず念入りに柔軟体操してからマラソン10キロを30分で終わらせて、それから残った時間は木刀で永遠と素振りをするぐらいかな」

 

 近代のトレーニング方があるので幽々子からしてみれば大和が日々行っている鍛錬の凄さがわからないであろう。 しかし、常人からしてみれば一流のアスリートでも無い限りできる日課では無いことは一目瞭然だった。

 

「そんなに身体を鍛えて、大和は武士なのかしら?」

 

「いや、ただの高校生………って言ってもわからないか、学び舎に通うただの小僧だよ」

 

 主のために闘う訳でもなく、況してや武士でも無い大和が誰に言われるわけでもなく日々厳しい鍛錬に励むことに関心を覚えたのだろう。このとき幽々子は素晴らしいと思うと同時に、大和を自分の側近に置いても良いと考えていた。

 

「武士でもないのに毎朝大変ね」

 

「そうだな今日は特に早かった。 何て言ったて両親が海外に出掛けたからな………」

 

 話している最中、大和は何かに気づいた。

 

 両親がいない、と言うことは母親はいない。つまり朝食は作られていない。 料理作れるのは俺だけ、でも俺は鍛練をしていた。

 

「やべぇ、朝食作り忘れた」

 

「どうするのよ!?」

 

 今日の朝御飯を楽しみにしていたのだろう。幽々子は血相を変えて大和に怒った。

 

 今から作るなんて言っても、家には俺と武尊、そして申し訳ないが幽々子さん、三人もの大飯食らいがいるのだ。 

 

 そんな三人を満足させるような大量の料理など、そんな短時間で作ることはできない。

 

 兄弟である兄貴や和生に今日の朝食は無いと言っても別に問題はないが、しかし客人である幽々子さんにそんな失礼なことはできない。

 

 どうにかして颯爽に朝食を作れる方法はないかと大和は必死に考える。 

 

 すると。

 

「おいお前ら、朝飯できたぞー!」

 

 朝食のことを考え、話していると茶の間の方から、朝食ができたと武尊の声が聞こえてきた。

 

 それに対して武尊の呼び声を聞いた大和は驚いたのだろう。 信じられないと言わんばかりの驚愕した表情を浮かべる。

 

「マジかよ、兄貴朝食作れたのか?」

 

 一体どうゆう風の吹き回しなのか、今まで武尊は俺に任せっきりで朝食なんて作ったことなんてなかったのに。

 

 武尊が料理を作ったことに驚いていた大和が気になったのだろう。 幽々子は大和に対して話しかけてくる。

 

「どうしたの大和、驚いた顔をして? 早く行きましょ」

 

「そうだな、取り合えず行ってみようか」

 

 そう言うと大和は上着を着て、木刀を縁側に置いた。

 

 大和は疑心暗鬼になりながらも、二人は朝食を取るために茶の間へと歩いて向かった。

 

 

 

《……移動後……》

 

 

 

 二人は茶の間にやってきた。

 

 茶の間には既に和生や武尊が座っており、早く飯を食べたいと言わんばかりの表情をしていた。

 

 ちゃぶ台の上を見てみると、山盛りの白米、山盛りのキャベツの千切り、味噌汁、焼きサンマ、目玉焼き、塩コショウのみをまぶした肉などの朝食が置かれていた。

 

 その量はともかく、至って普通の朝食だった。

 

「なんだよ、兄貴が作ったのか?」

 

「まぁな、本当はお前に作らせるつもりだったけど稽古してたからな、俺自ら作ってやった。」

 

「普通に旨そうじゃねぇかよ」

 

 昨日と比べてみるとシンプルな献立だが、美味しそうなことに変わりはない。 武尊も武尊だ。 和生とは違って、普通に簡単な料理を作れるのなら俺だけ任せきりにしないで欲しい。

 

 どんな味か知るために、大和はまずは味噌汁を飲んだあと、ご飯やおかずを順々に食べていく。

 

「どうよ味の方は?」

 

「普通にうめぇよ」

 

「まぁ味付けはシンプルだし、特別なこともしてないから当然だよな」

 

 自分の作った料理を旨いと言ってくれたことが余程嬉しかったのか、大和の言葉を聞いて武尊が心底喜んでいるような気がした。

 

「ところで気になったんだけどよ、そのどんぶり飯は一体どうゆうことだ?」

 

 大和や和生、そして幽々子は普通の茶碗を使っているのに対して、武尊だけはラーメンどんぶりに白米を山盛りに盛っている。 その量は尋常ではなく、まるで力士が食べるような量だった。

 

「あぁ、今日は武芸十八種の稽古をやるからな、食える分だけ食わねぇと」

 

「それで足りんのかよ? 稽古するならその三倍は食うだろうが」

 

「もう体重は増やさなくても良いんだよ、必要最低限の食事で十分だ。」

 

 そうは言っても、武尊が摂取する一日の必要最低限の食事はおよそ一万五千キロカロリー以上、それを下回ると筋肉が衰え体重が減ってしまうらしい。

 

 大和も恵まれた体格と異常に発達させた筋肉の持ち主だが、武尊は大和以上に体格が恵まれており、筋肉どころか身体機能そのものが別次元の物だといえる。

 

 大和や和生のことなんて気にもせずに、山盛りのご飯やおかずを頬張る武尊、その食べる速さは凄まじく、数分程度で山盛りに盛ったご飯が無くなる勢いだった。

 

「ねぇ大和、お兄さんって武士なの?」

 

 武芸や鍛錬という言葉が気になったのだろう。幽々子は大和に問い掛けてくる。

 

「うーん?」

 

 それに対して質問に答えることを悩んだのだろう、大和は人差し指で頬をカリカリと掻きながら困った表情を浮かべる。

 

 確かに武尊は武士に必要な武芸を十八種類身に付けてはいる、しかし現代に武士という職業はないので本物の武士ではない。

 

「まぁ、そうだな……兄貴は武士みたいなものだよ」

 

「そうだよゆゆちゃん、俺は武士なのさ。 なんなら従う領主もいないし、ゆゆちゃんの側近になってもいいぞ。

俺は大和よりも強いからさ」

 

 その言葉を聞いて大和は険しい表情を浮かべながら手に持っていた箸を圧し折り、持っていた茶碗を握り割った。

 

「あぁ〜あ、何やってんだよ大和、その食器は誰が片付けると思ってんだ?」

 

「ごめん兄貴、俺が片付けるから許してくれ」

 

 このときの大和の怒りとも呼べる威圧感と覇気は凄まじく、側にいた和生や幽々子は冷や汗を流し、恐怖にも似た感情を抱いていた。

 

 それに対し、大和を怒らせた張本人である武尊は平然としており、大和を恐れている様子は微塵たりとも無かった。 かなりの強心臓の持ち主と見える。

 

「そっか、それなら別に良いんだ。」

 

 何故、武尊は大和を余裕と見下したり、大和が怒っていても恐れない訳、それは大和が自分に歯向かったり、喧嘩を吹っ掛けて来ないことを知っているからだ。

 

 理由は単純なこと、大和よりも武尊の方が圧倒的に強いからだ。 そうでもなければ武尊が大和のことを煽ったり挑発するような発言などできる筈がない

 

 それから喧嘩が始まることもなく、みんな朝食を無事に食べ終える。食器は割れたのも含んで大和が全て片付け、台所へと持って行った。

 

 後片付けをする際、鬼の形相を浮かべて怒りの気迫を放っていた大和が気になったのだろう、幽々子は何も恐れずに大和に着いていく。

 

「お兄さんの言葉、根に持ってるの?」

 

 台所で食器を洗う大和に対してそう問い掛ける。

 

「いや、別に怒ってなんかないさ。それに兄貴の言っていることは本当のことだから」

 

 痩せ我慢でそうは言っているものの正直、武尊に対して悔しさと怒りを覚えている。

 

 しかし例え歯向かっても返り討ちに会うのは目に見えている、だがそれでもあんなボロクソに言われたら腹が立つ。 だが怒りの矛先を向ける相手がいないのだ。

 

 沸々と込み上げて来る怒りを発散出来ず、痩せ我慢をする大和が可愛そうに見えたか、幽々子は真剣な眼差しで大和を見つめながらこう言った。

 

「強い弱いなんて関係ないわ。 私は大和の傍にいたいし、なにより離れたくないもの」

 

「そうか、それを聞いて安心したよ」

 

 その言葉を聞いたおかげか、大和の表情から自然と怒りや悔しさなどの感情が薄れていき、表情が次第に柔らかくなっていく。

 

「これ片付け終わったら何処か連れて行ってやるから、茶の間とかで休んでな」

 

「うん、わかったわ」

 

 大和の落ち込みも解消し、更に食器を片付け終えたら何処かに連れて行ってくれるとわかると、幽々子はルンルン気分で茶の間へと向かった。

 

 しかし台所を出た直後のこと、廊下で幽々子の目の前に着物を着た巨体が立ちはだかる。その巨体の正体は何の紛れもない草薙武尊だった。

 

 武尊がいたことにビックリしたのだろう、思わず声を出そうとした幽々子の口を咄嗟に武尊は手の平で塞いだ。

 

 そして人指し指を自分の口元に立てながらウインクする武尊、どえやら自分がいることを大和にはバレたくないらしい。

 

 それから幽々子が声を出さないことがわかると、武尊は軽く頷き、そのまま行って良いぞ言わんばかりに親指を後ろに向かって立てた。

 

 武尊の合図を理解できなかったが、取り敢えずこの場から去って良いことがわかると、幽々子は颯爽にその場が速歩きで去っていった。

 

 そんな立ち去る幽々子を武尊は腕を組みながら清々しい表情で見送る。

 

(大和の奴、良い女と巡り合ったな)

 

 大和が精神的に安定してる様子を見て納得したのか、武尊も足音を立てないようにその場から立ち去った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八話 御巫紅虎

「御免くださーい」

 

 それは突然の出来事、草薙家の正門から誰かの声が聞こえてきた。

 

 男性と言うには声は高く、だからといって女性と言うには少し声が低い、中性的な声をしている。

 

 正門から聞こえてきた声を最初に聞き付けたのは茶の間で大和を待っていたはずの幽々子だった。

 

「どなたですか?」

 

 幽々子がドアを開けると、玄関の前にいたのは見るからに女性のような人物だった。

 

 肩まで伸ばした黒髪のセミロング、顔は中性的且つ童顔寄りで二十代前半に見える、服装は下に白いズボンを履いており、上には紺色のシャツに白衣を重ね着している。

 

「えっと? アナタは一体?」

 

 誰かわからず戸惑う幽々子、そんな幽々子を助けに来たかのように武尊が玄関にやってくる。

 

 そして後からやってきた武尊はやっぱりなと言わんばかりに、納得したような表情で謎の人物に向かって話し掛ける。

 

「なんだ、やっぱ紅虎さんじゃないですか」

 

「あら武尊君、元気にしてましたか」

 

「当たり前っすよ、今日これから武芸の稽古するので、もし時間があれば見に来てください」

 

「そうですね、貴方に教えることは何もありませんが、時間があれば見学に行きますね」

 

 武尊と謎の人物が仲良く会話している最中、話に付いていけず蚊帳の外にいた幽々子は武尊と話している人物が一体誰なのか気になって仕方がなかった。

 

「お兄さん、この方は一体?」

 

「この人か? この人は大和に武術を教えてる師匠だよ」

 

 大和に師匠がいるとは聞いていたが、まさかこんな綺麗な女性が、あの怪物的な戦闘能力を持つ大和を育て上げた師匠だということに驚きを隠せなかったのだろう。流石の幽々子も驚いた表情を浮かべる。

 

「初めましてお嬢さん、私の名前は御巫 紅虎(みかなぎ こうが)、どうぞお見知り置きよ」

 

「私は西行寺幽々子、大和のお世話になってる不束者です」

 

「あらあら、大和も隅に置けませんね」

 

 大和に可愛い彼女ができたと勘違いしてしまったのだろう、紅虎は非常に嬉しそうにしており、まるで自分のことのように喜んでいた。

 

「ねぇお兄さん、この紅虎という女性が本当に大和の師匠なのかしら?」

 

 こんな綺麗な女性が他人に戦闘方法を教えているなんて幽々子は未だに信じられなかった。

 

 それに対して幽々子が至極単純な質問を問いかけてくると、何故か武尊は戸惑いの表情を浮かべる。

 

「いや、ゆゆちゃん、そもそも紅虎さんはな……」

 

 武尊が真実を言う前に、紅虎自らが口を開いて真実を幽々子に話した。

 

「幽々子さんと言いましたか、誤解してるようですが、私は男性ですよ」

 

 紅虎が男性だということが信じられず、驚きを隠せなかったのだろう。幽々子は唖然とした表情を浮かべながら、紅虎の容姿を改めて観察する。

 

 顔、髪型、体付き、改めてどこをどう見ても紅虎は女性にしか見えない。

 

「そうなんですか!? てっきり女の人かと」

 

「ふふふ、よく間違えられるので気にしていませんよ」

 

 女性に見間違えられても紅虎は怒っているどころか、寧ろ幽々子の驚いた反応を見て楽しんでいるように見える。

 

「ところで武尊君、大和は何処にいますか?」

 

「あいつなら台所で食器洗ってますよ、その後このゆゆちゃ……幽々子と遊びに行くとか言ってたな」

 

「そうですか、やはり家に来て正解だったようですね」

 

 紅虎の表情は常に笑顔を絶やさないでいるが、その反面怒りにも似た威圧感のようなものを感じる。 まるで鍛錬をせずに女と遊ぶことが許せないと言わんばかりに。

 

「お兄さんそれは!」

 

「別に間違った事言ってねぇだろ。 それにな、もしそれで大和の野郎が紅虎さんに怒られても、それはそれであいつには良い薬になる」

 

 とは口で言っているものの、武尊の本心はただ単に大和が説教されるところを影でコソコソと見たいだけであった。

 

 その証拠に、武尊の表情には笑みが浮かんでおり、まるで何か良からぬこと考えていると言わんばかりだ。

 

「幽々子さん、これから大和に合いに行くところなんですが、どうです? 一緒に御同行するというのは」

 

「えぇ、ついて行くわ」

 

 このとき幽々子は、大和が紅虎に厳しく説教され、徹底的に絞られるのではないかと予測したのだろう。 そんな最悪な状況に陥らせないために、自分も決意を固めて紅虎と行動を共にすると言った。

 

「それじゃあ俺はここで、また会おうな紅虎さん」

 

「えぇ、近いうちに会いましょう」

 

 そう言うと武尊をその場に置いて、紅虎は幽々子を引き連れて、大和を探しに屋敷の中を歩き回った。

 

 

《〜一方大和は〜》

 

 

 大和は食器を片付け終わると、幽々子がいるであろう茶の間に歩いて向かっていた。

 

「さてと、今日はどこに連れて行けばいいのやら」

 

 そんなことを呟いていると幽々子と紅虎に廊下の角で鉢合わせる。

 

 偶然にも幽々子と廊下で会うと大和は少し笑顔を浮かべながら優しく話し掛ける。

 

「こんなとこにいたんだ幽々子さん、茶の間で待っててくれても良かったの……に………」

 

 しかし幽々子の隣りにいた紅虎を見た途端、大和の口調や表情が徐々に固まっていき、最終的には恐れたような表情へと変わってしまう。 

 

「こっ、紅虎さん……なんでこんなところに?」

 

「食器の片付けご苦労様でしたね大和。 さて、今度は確か幽々子さんと一緒に何処か遊びに行くらしいですね? 鍛錬もしないで」

 

 その言葉を聞いたや否や、蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなった大和は全身から冷や汗をかき出す。

 

 何故、幽々子さんにしか言ってないことを師匠である紅虎さんが知っているのか、もしかしてあの会話を聞かれていたのか、そんな色んなことが大和の頭の中を過ぎっていた。

 

「きょっ、今日の鍛錬は済ませたの……」

 

「言い訳は聞きません。 半人前の貴方には遊び呆けてる時間はないのですよ」

 

 日々の鍛錬を怠らず、超人的な身体能力を持つあの大和が女性のように可憐な御巫紅虎に言葉で圧倒されているうえに、半人前扱いされている。

 

 紅虎の威圧感の前に、もはや返す言葉も勇気も失ったのか、大和は黙り込んでしまい、最終的には紅虎と目を合わせることすらできなくなってしまった。

 

 そんな大和を見て可愛そうだと思ったのだろう。幽々子はどうにかしようと紅虎の威圧感を物ともせず、紅虎に勇気を振り絞って話しかけた。

 

「あの紅虎さん、遊びに行きたいと言ったのは私なんです、大和は悪くありません」

 

 そう言われると、紅虎は笑顔を浮かべてはいるものの、威圧感のある言葉で幽々子に問いかけてくる。

 

「それは本当なんですか?」

 

「はい」

 

「なんですか、そういうことなら早く言ってくださいよ。」

 

「……えっ?」

 

 どうゆう訳なのか、紅虎から威圧感が急に消え去り、元の物腰の柔らかい気配に戻った。

 

「可愛らしい彼女さんの頼みとなれば、それは仕方ありませんね大和

 ただ遊びに行くとはいえ、女性をエスコートするのは男として大切なことですよ、それを忘れずに行ってくると良いです」

 

「えっ? ……はっ、はい………」

 

 どうゆう風の吹き回しなのか、何故許されたのかはさっぱりわからないが、取り敢えず紅虎さんに遊びに行くことを許されたらしい。

 

「そういう事なら善は急げです。 早く出掛けなさい」

 

「はっ、はい。行こうか幽々子さん」

 

「……えぇ、そうね」

 

 そう言うと二人は紅虎を置いて、逃げるかのようにその場から去って行った。

 

 そして大和と幽々子がいなくなると、一体何処に潜んでいたのか、紅虎の背後から武尊がひょっこりと現れる。

 

「いいのかよ紅虎さん、ゆゆちゃんが無理して嘘言ったのわかってんだろうに」

 

「別に構いません、可愛らしい女の子が勇気を振り絞って大和を守ったのだから多目に見てあげましょう。

 それに可愛い弟子を徹底的にいじめたら可哀想でしょ?」

 

「相変わらず気まぐれな性格だよな、あんたは」

 

「別に良いじゃないですか、それより貴方の稽古を見てあげますから道場に来なさい」

 

「まったく人の使い方も上手いよな、尊敬しちまうぜ」

 

 満更でもない笑顔を浮かべながら武尊は紅虎と共に草薙家にある道場へと歩いて向かう。

 

 

《〜一方、大和と幽々子は〜》

 

 紅虎の威圧感からようやく開放されてようやく生きた心地がしたのだろう。 さっきまで身動き一つ取れなかったときとは異なり今の大和は活き活きとしていた。

 

 そんな溌剌としている大和を見て、もう心配はないだろうと思ったのだろう。同じく紅虎からの威圧感から開放された幽々子が大和に対して話し掛けてくる。

 

「紅虎さんって女のような人に見えたけど、なんというか、すごい覇気があったわね」

 

「まぁな、俺も最初は驚いて腰抜かしたよ、あれに耐えるのは兄貴とごく一部の人間だけだな」

 

 初めて会った時は気まぐれながらも物腰の柔らかい人物だと思っていたが、それは大きな間違いだった。 紅虎の本質は非常に厳しくて冷酷、更に笑い顔もしくは真顔で怖い発言を平然と放ってくる。

 

 十年近く紅虎の指導を受けたが、その指導ときたら地獄そのもの、一流のアスリートでも音を上げるような内容であり、少し思い出すだけでも恐怖と吐き気が襲ってくる。

 

「ほんと、思い出したくもないよ」

 

 苦痛な過去のことを思い出したのだろう、苦しそうな表情を浮かべながら口を手に当てて吐くことを防ぐ大和。そんな大和を見て幽々子は心配そうに寄り添ってくる。

 

「大丈夫かしら?」

 

「あぁ、ちょっと昔のことを思い出しただけだよ。」

 

 吐き気が収まると、大和は気持ちを切り替えようと両手で顔をパンパンと強く叩いて気合を入れる。

 

「よし、気持ち切り替えてどっか遊びに行こうか」

 

「うん」

 

 その後、二人は各個人で出掛ける支度を済ませると、茶の間で待ち合わせることにした。

 

 大和は黒いロングコートにジーパンを履いている。 一方の幽々子は白色のコートを着て白いマフラーを首に軽く巻き、下は水色の長いスカートに長めの白いソックスを履いていた。

 

 茶の間から廊下を歩いて玄関に向かう。そして廊下に到着すると靴を履いて扉を開けて外に出た。

 

「さてと、今日は何処に行こうか」

 

「食べ物屋さんはどう?」

 

「今さっき食ったろ、幽々子さんは食欲の権化か何かか?」

 

 まったく、幽々子さんの底無しの食欲には呆れるどころか寧ろ尊敬してしまうほどだった。 それにしても幽々子さんが食べた食べ物の栄養は何処に消えていくのやら。

 

「それじゃあ何処か楽しい場所に連れて行ってよ」

 

「楽しい場所か………」

 俺が思う楽しい場所はトレーニングジム、道場、ランニングコースとか、運動できる場所なら大体どこでも楽しむことができる。

 

 しかし、幽々子さんが楽しめる場所なんてまったく思いつかない。 強いて楽しめる場所があると言うなら食べ物屋ぐらいか。

 

「しゃーねぇ、またショッピングモールにでも行くか」

 

「ワンパターンね」

 

「今回は買い物をするわけじゃねぇ、食べ歩きやらゲーセンとかで遊ぶから別にいいじゃねぇか」

 

 食べ歩きと聞いた途端、幽々子の喜びが最高潮に達すると、頭の中に色んな食べ物が過り出し、とても嬉しそうな表情を浮かべている。 一体どれだけ食べたかったのか、食いしん坊という以外の言葉が出ない。

 

 しかし、嬉しそうにしてたのも束の間、幽々子にはある疑問の言葉が浮かんでいた。

 

「ねぇ大和、ゲーセンって何かしら?」

 

「ゲームセンター、簡単に言えば娯楽だよ娯楽」

 

 俺もあまり行ったことがない。 いや、生まれてこの方ゲームセンターには数えれる程度しか行ったことがないと言った方が正しいのか。なのでどんなゲームがあるのかはメジャーなやつを除いてほとんどわからない。

 

 正直、女の子をゲームセンターに連れて行くのはどうかと思うが仕方がない、これは俺の知識不足がもたらしたことだからな。

 

「ゲームセンター、娯楽、とても面白そうね。」

 

「そっ、そうか?」

 

 しかし、大和のネガティブな思考とは裏腹に、幽々子はゲームセンターという場所に興味を持っており、寧ろ行くことをとても楽しみにしているようだった。

 

 幽々子の反応が意外だったのか、大和は少し驚いたような表情を浮かべてしまう。

 

「それじゃあ早く行きましょう。 」

 

 一刻も早くゲームセンターのある場所に行きたかったのだろう。幽々子は笑顔で大和の手を握ってショッピングモールへと走ろうとする。

 

「まてっ! そんな急ぐなって。 ショッピングモールのある場所わかるのかよ」

 

「前行った場所なら覚えてるわよ」

 

 このとき大和は幽々子の物覚えの良さに度肝を抜かれてしまった。 まさかこんな飄々としている人がこんなに頭がキレる人だなんて思いもしなかった。

 

「イデデデッ!!!」

 

 幽々子に腕を引っ張られ、腕が千切れるような痛みに耐えながらも大和は着いていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九話 幽々子と食べ物巡り

移動してから数十分後のこと、二人は特に何もなくショッピングモールへと着いた。

 

 ショッピングモールに到着すると幽々子は食べ歩きや初めてのゲームセンターに行くことを楽しみしており、無邪気な子どものように目を輝かせていた。

 

 一方の大和は千切れるような腕の痛みから開放されて、ようやく生きた心地がした。

 

 予想外だった。まさか幽々子さんがかなりの健脚の持ち主だったと言うことに驚きを隠せなかった。 更に大の男を、況してや身体を毎日鍛え込んでいる奴を強引に引っ張り回す馬力を持っているなんて誰が予想したことか。

 

「腕千切れるかと思ったわ」

 

「休んでないでほら、早く行きましょうよ」

 

「この人マジで容赦も躊躇いもねぇよな………わーかったよ、すぐに行くからちょっと待ってろ」

 

 腕を速急に揉んで痛みを解すと、大和と幽々子はショッピングモールへと入っていった。

 

 

 

 

 

 ショッピングモールに奥まで歩いて入っていくと、食品コーナや服屋に続いて、目的であるゲームセンターや食べ物屋などが見えてきた。

 

 特に食べ物屋は色々とあり、ステーキ屋やラーメン屋、たこ焼き屋やたい焼き屋など、主食からデザートまで幅広いジャンルの食べ物が並んでいた。

 

 ゲームセンターもチラッと見えていたが、やはり花よりも団子、幽々子は色々とある食べ物屋を見て目が釘付けになっていた。

 

 それも無理はない。冥界にいた者に取っては見たことのない食べ物ばかり、寧ろ好奇心旺盛で食いしん坊である幽々子に無視しろと言うにはとても難しいことであろう。

 

 そんな食べ物屋を目の前に目をキラキラと光らせている幽々子を見て、大和は随分と楽しんでいるそうだと思う反面、財布が持つだろうかと心の中で苦しんでいた。

 

 しかし、金が無いから食べれないと言ってがっかりさせるのは嫌だと思ったのだろう、大和は苦渋の決断をして幽々子に話し掛ける。

 

「好きな物好きなだけ腹一杯食べなよ」

 

「ホントに!?」

 

 大和のその一言に幽々子は目を輝かせて聞き返すと、その場でクルクルと回りながら過剰ではないのかと思うほどに喜んだ。余程色んな食べ物が食べたかったのだろう。

 

 このとき大和は幽々子の純真無垢な喜びぶりを見て、正直財布の中身がどうなっても良かったと思ってしまった。

 

「さぁ、早く行きましょ」

 

「そんな慌てんなよ、ゆっくり行こうぜ」

 

 はしゃぐ幽々子に大和がついて行こうとすると、偶然通りがかった見知らぬ男に肩をわざとぶつけられる。そして。

 

「あんだてめぇ、いきなりぶつかってくんのは喧嘩売ってんのか?」

 

 ぶつかってきたのは相手だと言うにも関わらず、理不尽にも大和のせいだと男に喧嘩腰で話し掛けられる。そして更に追い打ちを掛けられるかのように。

 

「なになに、どうしたの?」

 

「こいつがぶつかってきたんだよ、マジで意味わからんくない?」

 

「それは見過ごせないね、制裁しなくちゃ」

 

 不運にもぶつかってきた男には二人の連れがいたのだ、合計三人の男が大和を円を描くように取り囲んで来る。

 

 そんな大和を見て幽々子は危機を感じたのだろう、食べ物屋に行くことを一旦止め、恐ろしげな表情を浮かべながら大和の元へと行こうとする。

 

 だが、自分の元へと来ようとした幽々子に対して来るなと言わんばかりに、大和は幽々子がいる方向に向かって手の平を前に出した。

 

 来るなという大和の合図を見ると、幽々子は心配しながらもその場で足を止めて大和の元へ行くことをやめる。

 

 そして幽々子が来ないことがわかると、大和は穏便に男に話し掛けた。

 

「ぶつかってすいません、許してくれませんかね」

 

「ふざけんじゃねぇよ!!」

 

 突然男はブチギレだし、大和の腹部に向かって思い切り拳を叩き込んできた。

 

 しかし、不意に打撃を喰らっても大和は倒れるどころか痛そうな素振りもしない。 だが、そんなことは男達に取ってはどうでもいい事だった。

 

「許す訳ねぇだろカスがよ」

 

 それだけでは終わらず、次に男は蹴りを入れて大和を無理矢理地面に倒れさせた。

 

 そこからとても悲惨な光景だった。三人が一人を寄ってかかって殴る蹴るの殴打の応酬、周りの目なんて気にもせず男達は大和をリンチした。

 

 普段の大和なら簡単に返り討ちにできただろう、しかし今回の大和は殴られ蹴られるがまま、一切手を出さなかった。

 

 そして数分の間ずっと攻撃をして気が済んだのか、息を切らしながら男達の手足は止まり、ようやく殴打が嵐が止んだ。

 

「はぁ……はぁ……どうだ思い知ったかゴミが」

 

「早くずらかろうぜ、こいつ動かなくなったし」

 

「それにしてもこいつ身体硬すぎじゃねぇか、こっちの手足がイカれそうだったわ」

 

 大和をボコり終わると三人の男達は警察が来る前にその場から逃げるように立ち去った。 

 

 男達がいなくなると、心配そうな表情を浮かべた幽々子が倒れている大和の元へと駆け寄り話し掛けてくる。

 

「ねぇ大和、起きてよ。」

 

 しかし、大和は返答をするどころかピクリとも動かない。更にボロボロになった大和を見るに連れて次第に幽々子の表情が曇りだす。

 

 すると突然のことだった。まるで何も無かったかのように大和がヒョイッと立ち上りだした。

 

 そして、服の汚れをポンポンを手で払い綺麗にする。

 

 突然の出来事に幽々子は驚きを隠しきれず、一体何が起こったのかわからないような表情を浮かべていた。

 

「ったく、服が汚れちまったじゃねぇかよ」

 

「大和、大丈夫なの?」

 

「あっ? まぁな、別に何とも無いよ」

 

 ただ服が汚れただけで、ダメージはほとんどと無いと言うか、ほぼ無傷みたいなものだ。 だから痛みもほとんどないし、武尊の攻撃に比べてみれば無痛も良いところだ。

 

 あんなテレフォン攻撃なんて例え二十四時間喰らっても俺には何のダメージも入らない。 本当に俺を仕留めたいと思うなら刃物や拳銃でも持ってこいと言ってやりたい。

 

「さてと、それじゃあ行くか」

 

 さっきの揉め事が無かったかのように、大和は平然とした表情で食べ物屋に行こうとする。

 

「……うん」

 

 取り敢えず大和の身体が何とも無いなら大丈夫だと思ったのだろう。幽々子は気を改めて今は食べ物屋で精一杯楽しもうと考えた。

 

 二人は食べ物屋を楽しく歩き回る。

 

 まず二人が来たのはタコ焼き屋、最初に粉物を選ぶのは胃的にキツイと思うが、大食の幽々子さんなら問題無いだろう。

 

 熱々のたこ焼きを初めて見て目を輝かせる幽々子、今にも物理的に食い付きそうな表情だった。 

 

「何個食う?」

 

「取り敢えず十個頂こうかしら」

 

「十個!?」

 

 腹に良く溜まるたこ焼きを一気に十個頼む幽々子、それには流石の大和の驚きを隠せなかった。

 

 取り敢えず、取り敢えずだ。 幽々子の言うとおりたこ焼きを十個買おう。もしかした、これでお腹いっぱいになってくれる可能性も無いわけでは無いと思うから。

 

 大和は店にいた店員に向かってたこ焼きを頼む。

 

「すいません、たこ焼き十個お願いします」

 

「はい、合計6800円になります。」

 

(………まじかよ)

 

 たこ焼きでこんなに金を使うのは初めてだった。 これからまだまだ食い物に金を使うと思うと、この先が心配で仕方がない。

 

 たこ焼きがやってくると、近くにあったフードコートのイスに座って幽々子はたこ焼きを食べ始める。 このとき大和は何も食べずに、幽々子の食べている姿をただ眺めているだけだった。

 

「これおいしい、外はカリカリで中はふわふわ、こんな食べ物の初めてだわ」

 

 物凄くおいしそうにたこ焼きを食べている姿を見て、大和はまるで可愛らしく食べ物の食べる小動物を見ているような感覚だった。

 

 良く考えてみれば、こうして女の子と一緒に遊びに行ったり飯を食いに行くことなんて今までなかったな、まぁ、今までトレーニングが忙しくて彼女作る時間も友達と遊ぶ時間もなかったし。

 

 これが俗に言うデートと言うものなのかと大和が頭の中で考えている最中。

 

「御馳走様」

 

「えっ?」

 

 気がつけば十個あったはずのたこ焼きが数十分も経たずに無くなってしまった。 あまりの早さに流石の大和も度肝を抜かれてしまう。

 

 自分も食べるのは他人と比べれば早いほうだが幽々子の食べる早さは次元が違った。 出来立てのたこ焼き十個、況してや熱々のやつを、ほんの数十分程度で食べるなんて常人にはとてもながらできないことだ。

 

「さてと、次は何を食べさせてくれるのかしら?」

 

 おまけにたこ焼き十個食べてもまだ空腹だと言い切るのか。 普通の人間なら苦しくて身動きも取れないというのに、一体どんな胃袋しているのか検討もつかない。

 

「そうだな次は……」

 

 それからは食べては別の店に行き、そして食べ終えては次の店に行くことの繰り返しの連続だった。

 

 結局のところ、それから店を数十件回ることになり、その結果と言えば、数時間後には5万近く入ってたはずの財布がスッカラカンになってしまった。

 

 お札どころか小銭すら無くなった財布の中身を見て大和はかなりがっかりとしてしまう。

 

(新しい武器とか買いたかったんだけどな)

 

「大和、今日は御馳走様、とても満足したわ」

 

「そっ……そうか、それは良かったな(まぁ良いか)」

 

 胃が満たされて満足そうにしている幽々子を見て、大和は今日くらいは良いかと思った。

 

 食べ歩いてる間ずっと俺は特に何も食べなかったが、幽々子さんが笑顔で食べ物を食べている姿を見ていると、何かはわからないが不思議なもので腹が満たされるような感じがしていたので空腹にはなっていない。

 

 沢山食べて満足している最中、幽々子はとあることをふと思い出した。

 

「そういえば、まだげーむせんたーってところに行ってないわね」

 

「今日は流石に行けねぇな、金も無くなったし」

 

 別に行くだけなら構わないのだが、仮に行ったとしても金が一文もないので何もできず、つまらない時間をただ過ごすだけだ。できるなら今日のところは行かないでまた今度にして欲しい。

 

「そう、なら良いわ。 今日は沢山御馳走になったことだし、ありがとうね。」

 

 融通が利く子で良かった。 もしこれでゲームセンターに意地でも行きたいと駄々を捏ねられたらどうなっていたことやら、いや、そんなことは幽々子さんに限ってありえないことか。

 

「さてと、それじゃあ帰るか幽々子さん」

 

「うん、今日はありがとう」

 

 二人はお互いの身体を親密に身を引き寄せ合ふいながらショッピングモールから出ていくと、屋敷のある方向へ向かって歩いていく、その光景はまるで相思相愛の恋人同士そのものだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十話 亡霊少女の授業参観

《◆◇◆◇高校 一年A組の教室》

 

 翌日のこと、大和と幽々子の二人は学校に通っていた。

 

 大和が通う◆◇◆◇高校、生徒の人数は多くも少なくもないが、この学校の特徴としては運動部が毎年優れており。全国大会に出場することも少なくはない。

 

 大和がいる一年A組の教室は二階にあり、教室の中には30人程の生徒がいる。今日の天気は極めて良好、窓からは明るい日の光が流れ込んできて、教室内の温度は結構暖かい。

 

「それじゃあ授業始めるぞ」

 

 黒板の前で先生がそう言うと、クラス全体は教科書や筆記用具を机の上に置いて、いつものように授業を始めようとする。

 

 だが何時もの授業とは違い大和は緊張していた。

 

「……んっ? どうした草薙、そんなに固まって?」

 

 緊張してるような感じで少し様子がおかしい大和に気がついて話しかけてくる先生。それに対して大和はすぐに答えを返してくる。

 

「いえ、別に何でもないですよ先生、ははは……」

 

「そうか、ならさっさと準備をしろよ」

 

「……はい」

 

 心配してくれている先生に気を使わせないように大和は愛想笑いを浮かべる。だが内心は緊張と不安で胸がいっぱいで仕方がなかった。

 

 しかし大和がそうなるのも無理はない。何を隠そう教室の一番後ろで幽々子が授業を参観しているのだから。

 

(どうしてこうなった!?)

 

 なぜ幽々子が大和の通う学校に来ているのか、その理由は昨日草薙家で起きた他愛もない話し合いまで遡る。

 

 

 

《~時は遡り昨日~》

 

 

 

 ショッピングモールでのデートのようなものが終わって家に帰った後、家族で夕食を食べていた時に武尊がこんなことを聞いてきた。

 

「そういえばよ大和、お前明日学校だろ?」

 

「だからどうしたんだよ?」

 

「ゆゆちゃんのことさ、何時間も一人で家に残すわけにはいかないだろ」

 

「それもそうか」

 

 確かに武尊に言われてみれば、幽々子さんを屋敷で一人にするのは心配なことが沢山ある。 だからと言って学校を休むわけにはいかない。 大和はどうしようかと迷っていた。

 

 だが、大和が迷っていたのも束の間、武尊がすぐさま大胆な提案をしてくる。

 

「なんならいっそのこと学校に連れて行っちまえば良いだろ? 俺も手伝ってやるからよ」

 

「でも、それ大丈夫かよ?」

 

「んなの適当な事情を話せばなんとかなるだろうが、お前はいろんな事を考えすぎなんだよ」

 

「それもそうか」

 

 確かに武尊の言っていることには一理ある。 俺が上手く誤魔化せば第一の難関である先生も納得するとは思うし、学校にも何の問題もなく行くことができる。

 

 要は幻想郷やら冥界やら変な事は言わずに、現実的な嘘を言えば良いのだ。 そうすれば余程のことがなければ嘘がバレることはない。

 

「そういうことだ、わかったら飯食った後に俺の部屋に来い。 偽造の手伝いをしてやるからさ」

 

「響き悪いけど、まぁ良いか。 わかったよ、片付け終わったらすぐに行く」

 

 飯を食い終えて食器などの片付けを終えた後、俺は武尊の部屋に行って幽々子さんを学校に行かせるための嘘を二人で考えたのだ。 

 

 

 

 

《〜そして現在に至る〜》

 

 

 

  

 学校に登校後、職員室にいる先生に俺と武尊が偽造した幽々子の理由や事情を怪しまれないように話して、何とか先生に幽々子の入校許可を貰った。

 

 ちなみに理由や事情の内容は、幽々子は最近自分の家に住むことになった親戚で、俺の通っている学校の授業風景を見たいと言う設定だ。

 

 それから先生に怪しまれないためにも、それ等の設定を学校に登校する前に幽々子に覚えてもらった。

 

 授業が始まってから数十分後、先生が黙々と黒板に授業に関することをチョークで書いているのに対し、一人を除いて生徒達も先生が黒板に書いていることをひたすらノートに書き写している。

 

「とゆうわけで草薙、これの答えを言ってみろ」

 

「……えっ?」

 

 突然、先生にこの問題の答えを言ってみろと指名されると、それに対して大和は申し訳なさそうな表情で返答する。

 

「すいません、わかりません……」

 

 運動などの身体を動かすことは生き甲斐のレベルで好きだが、どうにも勉強に関しては不得意だし何よりも頭を使うことが苦手だ。

 

 その直後、大和を怒らせたいのか、それとも笑い者にしたいのか、どちらにしても近くの席に座っていた白瀬が大和を煽るように突っ掛かってくる。

 

「あっはははは草薙っ! この程度の問題も解けないのかよ!?」

 

「じゃあ白瀬、そんなに余裕があるのなら、お前が答えてみろ」

 

「ははは先生、俺は授業聞いていなかったから、まったくわかりません!」

 

 煽られた大和ではなくてもこの態度は許せなかったのだろう。怒鳴りはしなかったものの先生は静かに怒りを沸々とたぎらせている。

 

「おい白瀬、このあと何時も通り職員室へ来い」

 

 その先生の一言だけで生徒全員はすぐに悟る、これは確実に説教タイムのパターンだと。まぁ当然の報いと言えば当然の報いなのだから仕方がないが。

 

 ふざけていると言うのか賑やかと言うのか、そんな授業風景を後ろで見ていた幽々子は不思議そうな表情を浮かべている。

 

(とても賑やかね、これがこの時代の学問なのかしら?)

 

 だが授業の内容はさっぱりわからない。なにせ文字も黒板も、生徒の服装も、全て今まで見たことがないような物ばかりだったからだ。

 

 授業を聞いていくに連れて、初めて聞く事や、わからないことが沢山あるが、幻想郷では学べない現代に関することを学べるので、これはこれで良かったと思う。

 

 

 あれから数十分が経過した後、校舎内に授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いた。

 

「よーし今日の授業はここまでだ。 次の授業に遅れるなよ」

 

 ようやく授業が終わり、クラス全員が立ち上がって号令をした後、ドアを開けて白瀬と一緒に先生が出て行こうとする。

 

 教室から先生と白瀬が出ていってドアが閉まった途端、一息ついた後に大和が教室の後ろに立っている幽々子の元に行こうとする。

 

「さてと、それじゃあ幽々子さぁ……っ!」

 

 ちょっと話をしようと思って大和が幽々子に近づこうとすると、その直後にクラスメイト達が大和を思いきり押し退けて幽々子の周りにどんどん集まってくる。

 

 その際、大和はクラスメイトに押されたり踏まれたりした挙げ句、突き飛ばされて壁に激突し、何もしていないのに身体中がボロボロになってる始末だった。

 

 しかし、そんなボロボロになった大和をクラスメイトは誰も見る気もせずに、ただ幽々子の元へと向かっていくだけだった。

 

「幽々子さんはどこから来たの、出身地は?」

 

「ねぇ幽々子さん、いつから草薙君の家に住んでいるの?」

 

「めっちゃ美人ですね、彼氏とかいるんですか?」

 

「……えっ? えーと、その……」

 

 まるで転校生がやって来たような感じで幽々子に質問攻めしてくるクラスメイト達、それに対して幽々子は四方八方から飛びかかってくる質問に戸惑いを隠しきれなかった。

 

 幽々子が質問攻めにされている最中、群がっているクラスメイトを押し退けて大和が幽々子に向かって少しずつ近づいてくる。

 

「……ったく、しょうがねぇな。ほらほらちょっと、みんな退けてくれ」

 

 クラスメイトを頑張って掻き分けて幽々子に向かって行くに連れて、何だか朝の満員電車に乗った気分になってくるのは気のせいだろうか。

 

 そしてようやく、幽々子の周りに集まっている集団を抜けると、疲れたような表情を浮かべながらも大和は幽々子の前にやってきた。

 

「騒がしくてごめんな、とりあえず静かな場所に行こうか」

 

 そう言うと何を考えているのか、本人の許可を取るどころか大和は何も言わずに幽々子をお姫様抱っこすると、膝を深く曲げて思いきり跳躍しようとする。

 

「……えっ? ちょっと大和!」

 

 突然お姫様抱っこをされた上に、況してやクラスメイトの前だったので幽々子は驚きと恥ずかしさを隠すことができず、顔を真っ赤にしてかなり動揺していた。

 

 そして跳躍した瞬間、大和はクラスメイトの頭上を容易に飛び越えて華麗に着地すると、そのまま扉を開けて教室から走って出ていってしまう。

 

「……よっと、じゃあなぁー」

 

「……あっ! ちょっと草薙くん何処に行くの?」

 

「まだ幽々子さんのこと全然聞いていないのに」

 

 しかし大和はクラスメイトの話に聞く耳も持たずに、風のように速く幽々子を連れて逃げ去って行った。

 

 

……スタタタタタッ

 

 

 走って教室を出てから間もなく、大和は人気のない屋上へ幽々子と一緒にやってくる。

 

 そして誰か追跡してきた奴はいないのかと、大和は後ろを振り向いて人影や人の気配が無いかをしっかりと確かめる。

 

「ふぅ~よかった、どうやら誰も着いてきていないようだな」

 

 まぁ端からわかっていた。正直クラスメイトが俺の走るスピードに追い付けるはずがない。俺に追い付ける奴がいるとしたら、並外れた運動神経を持っている奴かオリンピック選手ぐらいだろうし。

 

 大和が後ろを振り向いている最中、幽々子は恥ずかしいと言わんばかりに顔を赤くしながら大和に対して話しかけてくる。

 

「ねぇ大和……そろそろ下ろしてくれないかしら?」

 

「……あっ、ごめん。すっかり忘れてた」

 

 冷静にさっきのことを振り返ってみれば、俺は本人の許可も取らずに、無断で幽々子をお姫様抱っこして、教室から屋上まで連れて来てしまったな。

 

 そう言われると大和は、幽々子を地面にゆっくりと降ろした。

 

「俺たちがここにいることは誰も知らないし、人もあまり来ないと思うから、当分静かだと思うよ」

 

 とは言うものの、大和は心配していることが一つだけあった。ごく稀に、学校の授業をサボってこの屋上にやって来る不良達ことを知っていたからだ。

 

 まぁだけど、今日に限って屋上に不良達が来ることはないだろう。

 

「ここはとても良い場所ね、開放感があって静かで、それに景色の眺めも良いわ」

 

「ははは、気に入ってくれて良かった」

 

 確かにこの屋上は周りにある建物から遠くにある建物など、色々な物を見渡すことができる。

 

 それに天気が良ければ太陽の日差しを浴びたり涼しげな風が吹いてくるので、昼寝やひなたぼっこには最適な場所だと思う。

 

 そんな事を話している最中に、大和はもうそろそろ休み時間が終わってしまうことに気が付くと、次の授業に遅れる前に教室へ戻ろうと準備をする。

 

「俺は次の授業のために今から教室に戻るけど、幽々子さんも一緒に戻るかい?」

 

「ううん、もうちょっとここで景色を楽しんでいるわ」

 

「そっか、それじゃあ午前の授業が終わったら弁当持ってまた来るからな」

 

 そう言い終えると大和は幽々子を屋上に一人残し、次の授業に遅れる前に走って自分の教室に戻っていった。

 

 

《それから数時間後のこと》

 

 

 全力で教室に戻ったことでギリギリ遅れることなく二時間目の授業を受けることができた。

 

 それからその後も、何もなく次々と授業が終わり、ちょうど昼休みに入った時のことだった。

 

「おい草薙、体育館でバスケしようぜ」

 

「急に何だよ? 俺をバスケに誘うなんて珍しいじゃねぇか」

 

「別に良いだろ誘っても、たまには俺たちの遊びに付き合えよ」

 

 正直なことを言うと遊びの誘いにはあまり乗りたくはない。 それは何故か、それは至極単純なこと、ろくな目に合わないからだ。

 

 今回の場合、こいつらが気さくな笑顔を浮かべながら遊びなどに誘ってくる時は、裏で何かを企んでいたり、俺をからかったりすることが多い。

 

「……それにさ、幽々子さんも連れて行けば、カッコいいところ見せれるだろ?」

 

 面白半分で大和にそう言った直後、クラスメイトが教室を周りを見渡して幽々子を探すと、それと同時に教室内に違和感を感じた。

 

「……って、あれ? そう言えば肝心な幽々子さんがいなくね?」

 

 ずっと真面目に授業を受け続けていたせいか、克己の発言により、午前の授業が終わったら屋上にいる幽々子に弁当を届けに行く約束を今思い出した。

 

「……やべぇ、すっかり忘れてた!」

 

 急いで屋上にいる幽々子の元に行こうと、大和は机の横に掛けてあった大きなカバンを手に取って立ち上がろうとする。

 

「おい草薙……一応聞くが、そのカバンに何が入っているんだよ?」

 

「何って、幽々子さんの弁当だけど」

 

「いやいや、ありえねぇよ! カバン一つ分の弁当なんて」

 

 見えているのはカバンだけだったので、クラスメイトからしてみればカバンの中に一体どんな弁当が入ってるのかわからないと思うが、恐らく豪勢な弁当を想像していることは確かだろう。

 

 ちなみにカバンの中に入れてあるのは、弁当箱は五段積みの重箱、中にはごはんやおにぎり、肉類や野菜類など、俺が早起きして作った様々なおかずが敷き詰められている。

 

「……うっせぇな、別にどうでも良いだろ」

 

 屋上へ向かうために大和は椅子から立ち上がって弁当の入ったカバンを背負うと、そのまま急いで教室を出て行こうとする。

 

「それじゃあ幽々子さんのところ行ってくるから、てめぇら俺の後つけてくんじゃねぇぞ」

 

「ついてなんか行かねぇよバァーカ、さっさと幽々子さんところに行ってこい」

 

「……うっせぇな、言われなくても行くよ」

 

 そう言うと大和は教室を飛び出して幽々子がいる屋上へと向かって走り出した。

 

 そして屋上に向かっている最中、大和は何か嫌な予感を感じていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十一話 幽々子の危機

《一方その頃》

 

 

 屋上手すりに寄りかかりながら、屋上から見える町並みをずっと眺めていた。

 

 石畳のような地面、馬車馬よりも速く鉄の乗り物、白玉楼とはまったく違う造りの様々な建物、そんな冥界では存在しない物や景色が沢山あった。

 

 正直な話、ここから眺める景色を飽きることなくずっと見続けることができそうだった。

 

………グゥ~

 

 しかし、ただじっとして景色を眺めているだけでもお腹は減ってくる。そう言えば、あれから結構時間も経っていることだし、もうそろそろお昼になる時間帯だろう。

 

「そういえばお腹空いたわね、大和ったら早く来ないかしら?」

 

 大和は午前の授業を終わったら弁当を持って屋上に来ると言っていたし、ここで待っていたらその内にやって来るだろう。

 

 そんな事を考えながらも幽々子は大和がお昼の弁当を持ってきてくれるのを期待と楽しみを抱きながら待ち望んだ。

 

 しかし幽々子の期待と楽しみは容易に裏切られ、その代わりに招かれざる客がやって来た。

 

「……はぁ~ やっと終わったな」

 

「久々に授業受けたけど、やっぱりだりぃな」

 

「大体あんな授業、何の役に立つんだよ?」

 

 授業の愚痴を溢しながら屋上にやって来た三人の不良達、それぞれの手にはパンなどの昼ごはんと思われる食べ物が入った袋をぶら下げている。

 

 学校終わったら帰って何をしよう。いや、逸そこのまま授業サボって帰ろうかな、そんなことを考えながら何気なく屋上に足を踏み入れると、不良達は幽々子の存在に逸速く気づいた。

 

「おい見ろよ、そこに女がいるぜ」

 

「あれうちの制服じゃねぇな、ここの学生じゃねぇのか?」

 

「そんなことはどうでもいいだろ、それよりもやることがあるだろう?」

 

 言葉を交わさずとも、まるで今からやることを理解しているかのように三人の不良は不気味な笑みを浮かべながら、お互いの顔を合わせながら頷くと。

 

 

……ガチャリ

 

 

 ばれないよう静かにドアの鍵を閉めると、三人の不良達は下心がある笑みを浮かべながら幽々子に近づいていく。

 

「どーもお姉さんこんにちは、こんなところで何してんですか?」

 

 突然、後ろから声を掛けられると、一体誰なのだろうと言わんばかりに幽々子は声が聞こえてきた方向を振り向いてみる。

 

「あっ…貴方達は誰なの?」

 

「別に怪しい者じゃないっすよ、ただちょっとお姉さんとお友達になりたいだけで……」

 

 その際、近づいてくる三人の男達の表情を見た瞬間、何かに感付いたと言わんばかりに幽々子は三人の男達を警戒した。

 

 そう、以前に公園と言う場所で絡んできた人達と同じく、欲深くて卑しいことしか考えていない人達だということを認識したからだ。

 

 だが、どんなに男達を遠ざけようとしてもここは屋上、逃げ場が無くなるばかりな上に、今は自分を守ってくれる大和が側にはいない。

 

「……やだっ! 来ないで!」

 

 相手は三人、屋上には逃げ場が何処にもなければ、助けも来ない、もうダメだ。これから自分はこの人達に何をされてしまうのだろう。

 

 そんな抵抗のしようがない最悪な状況とこれから何をされるかわからない恐怖が幽々子の頭を過らせる。

 

 それに、もうこの状況ではどうしようもないと悟ったのだろう、幽々子が抵抗することを諦めようとした、その時。

 

 

……ガチャガチャ

 

 

 男達が幽々子に触れようとした瞬間、誰かが屋上のドアを開けようとする音がしてくる。

 

 それに対して突然の出来事だったのだろう、不良達は思わず驚いて後ろを振り向いてしまう。

 

「……あれ、ドアが開かねぇ? ……あっち側から鍵を閉められているな」

 

「……大和っ!」

 

 ドアの向こうから聞き覚えのある大和の声が聞こえた瞬間、来てくれたことが嬉しいと言わんばかりに幽々子は泣きそうな表情で思わず大和の名前を叫んでしまう。

 

 その際、三人の男達は一時的に焦ったり驚いたりはしたものの、ドアに鍵が掛かっていることを思い出すと、安心すると同時に冷静さをすぐに取り戻した。

 

「あっぶねぇ良かった、ドアの鍵掛けといて」

 

「ったく誰だよ、こんなところに来る奴は?」

 

 しかし不良達がドアに鍵が掛かっていることで誰も入れないことに安心しているのも、ほんの僅かな時間だった。

 

 鍵を閉められて屋上に入れないことがわかった直後に、大和は少し間を空けてから鉄で作られているドアに一発蹴りをいれる。

 

……ゴッシャーン!!

 

 そして蹴られたドアは鍵や丁番が完全に破壊されると同時に、ドアの形状が『く』の字に変形した瞬間、空高く派手に吹き飛んでしまった。

 

 それから、まるで何も無かったかのように、大和はなに食わぬ顔を浮かべながら屋上に歩いて入ってくる。

 

「へぇ~初めて蹴ってみたけど、意外と脆いもんだな、学校のドアってのは」

 

 木製やガラスで作られたドアならともかく、頑丈な金属製のドアが壊れるとは思ってもいなかったのだろう。三人の不良達は度肝を抜かれて驚きを隠せない状態に陥っていた。

 

「うっ…嘘だろ?」

 

「ドアを…ぶち壊しやがったぞ…あいつ」

 

 ここにいる三人の不良だけではなく誰もがわかっていることだ。品質や劣化で強度はそれぞれだが、それでも金属製のドアはそんな簡単に壊れるものではない。

 

「……さ~てと、幽々子さんは……どこにいるのかな?」

 

 屋上を隈無く見渡して大和はすぐに幽々子を見つけて、それと同時に見知らぬ三人の男の存在を確認した直後に。

 

「……あれれ? 誰かと思えば先輩方達、屋上の鍵なんか閉めて何しようとしてたんですか?」

 

 どうやら屋上にいたのは幽々子だけではなく、校内で不良として有名な先輩達も来ていたらしい。

 

 だが不良とは云えども相手が年上だったので一応礼儀を(わき)えたのか、大和は敬語で先輩方に話し掛けくる。

 

 そんな敬語で話し掛けてくる大和に対して三人の男達はまるで威嚇をするように大和を睨み付けてくるだけで、質問に返答しようとする気配は一切なかった。

 

「こいつ見ねぇ顔だな」

 

「一年坊か、こいつ?」

 

「何だてめぇ、どこのクラスだよ…おい?」

 

 先輩方が自分の質問に答えなかったせいか、それとも別の事でなのか、どちらにしてもさっきまで温厚に敬語を使っていた大和の表情や態度は一気に豹変する。

 

「おいおい……てめぇらはバカか、聞いてンのはこっちなんだよ……つべこべ言わずにさっさと答えやがれ!」

 

 威圧感とも言えるほどの殺意と怒りを周りに放って相手を圧倒する大和、怒りのあまりに鬼の形相とも言えるぶちギレた表情を浮かべている。

 

 そんなぶちギレている大和に対して、不良達は反発するどころか、威圧感のせいで一時的に身動きが取れない状態に陥ってしまった。

 

「おっ…おい、なんだよこいつ? 殺気丸出しじゃねぇかよ」

 

「バカ野郎、俺に聞くな! こんなヤバイ奴が学校にいるなんて、誰からも聞いたことねぇんだからよ」

 

「少なくともこの一年坊、俺達を逃がす気も許す気もなさそうだぜ」

 

 どうやら不良達は相手の規格外な戦力を瞬時に見抜いても尚、尻尾を巻いて逃げ出さずに真っ向から挑もうとするらしい。

 

 男達は手に持っていた袋を地面に投げ捨てると、手の関節をポキポキと鳴らしながら大和に近づいていき、喧嘩の構えを取った。

 

「あんたら既にわかってると思うが……無事に帰れると思うなよ!」

 

 売られた喧嘩を買うと言わんばかりに大和も背負っていたバックを地面に下ろす。

 

 そして即座に拳を握り締め、闘争心と殺気を剥き出しにしながら戦闘体勢に入った。

 

 たかが校内で有名な不良、況してや素人相手にこんな殺意などの気迫を放つのは、恐らく大和はぶちギレているのだろう。

 

 それくらい不良達が幽々子に何かをしようとしたことが大和の気に触ったのか。

 

「へっ、一年坊が調子に乗ってんじゃあねぇよ!」

 

「吠え面かかせてやる」

 

 不良として先輩として、この一年坊の大和を叩き潰してやると言わんばかりに不良達は拳を振りかぶりながら大和に向かって近付いてくる。

 

 それに対して大和は向かってくる不良達が自分の攻撃範囲に入って来る前に、何時でも攻撃ができるように静かに拳を握り締める。

 

 そして相手が射程圏内に入って来た瞬間、大和は真ん中にいた男の顔面を目では追えない程のスピードで殴り付けた。

 

「……あっ?」

 

「……えっ?」

 

 しかし気が付いた時には既に遅かった。

 

……ガシャーンッ!

 

 二人の不良が危険や違和感を察知して、ふと隣を横目で見てみると、そこには仲間である男が地面に叩きつけられていた。

 

 言うまでもなく、殴られた男の意識は完全に断たれているが、幸い絶命までには至らなかった。

 

 その間、一体仲間に何が起きたのか、今の一瞬で一年坊の大和は何をしたのか、男達はあまりに速すぎて何が起こったのかまったく理解できなかった。

 

 しかし恐る恐る男の顔面をよく見てみると、半分以上の歯が叩き割られており、頬には殴られたような痣がくっきりと残っている。

 

「……嘘だろ? 一体…こいつに何が起きた?」

 

「何も見えなかったぞ、おい……」

 

 しかし今起きたことが理解できなくて相手が唖然としていても、大和はお構い無しだった。

 

 大和は握り潰す勢いで、近くにいた男の顔面を片手で掴み上げた瞬間、持ち前の剛腕で男の身体を軽々と頭上まで持ち上げて宙に浮かせる。

 

「……ウグッ」

 

 本能的にやばいと思ったのだろう。この最悪な状況から脱出するために男は手足や身体をじたばたさせて暴れたりと、苦し紛れに抵抗する。 

 

 しかし大和は力を緩めることがなければ、掴んでいる男の顔面を手離す気配も一切なかった。

 

 そして男を宙に浮かせた直後、大和は掴み上げていた男の頭を地面に向かって思い切り叩きつけた。

 

 男が地面に叩き付けられた瞬間、『グシャ!』や『ドチャ!』など、地面と人間がぶつかり合った音とは思えないほどの、物凄い音が辺りに響き渡る。

 

 それに余程の威力だったのだろう。男が叩きつけられた衝撃により、コンクリートで作られている地面は広い範囲のヒビが入ってしまう。

 

 無論、こちらの男も完全に意識を失って戦闘不能に陥ってしまう。

 

 とてつもなくそして、なんて恐ろしい戦力だ。喧嘩が始まってからまだ数秒すら経っていないのに、大和は既に三人の内の二人を戦闘不能にしてしまったのだ。

 

「こっ…こいつは一体…?」

 

 仲間がやられて相手がほとんど戦意喪失しても、大和は最後に残った男の首根っこを掴み上げて身体を宙に浮かせる。

 

 敵と思った相手には慈悲と言うものは与えない。相手も自ら挑んで来た上に、況してや幽々子に手を出そうとしたのだから、コレくらいの仕打ちは当然のことだろう。

 

「……グガッ!」

 

 そして大和はそのまま男を付近にあった手すりに押さえつけて屋上から落とそうとする。

 

 その際の大和は怒りと殺意に満ちた真剣な眼差しで、もし一言でも気に触ること言えば本気で男を屋上から落とそうとするような眼力だった。

 

「良いか先輩? 今日はこのくらいで勘弁してやる。だが今度あの人に手を出そうとしたら、こんなもんじゃ済まさねぇぞ」

 

「わかった! もう二度とあの女には手を出さねぇ! だから命だけは助けてくれ!」

 

 本当に屋上から落とされて殺されると思ったのだろう。男は恐怖のあまりに泣きそうな表情を浮かべながら大和に対して許しを請う。

 

 そう判断した大和は男を手すりから離して屋上から落とすことをやめると、屋上の地面に向かって男を軽々と放り投げた。

 

「なら仲間と一緒にさっさと失せろ。目障りなんだよ」

 

 そういわれると男は恐怖に満ちた表情を浮かべると、仲間二人を引き釣って屋上から必死に去って行った。

 

 不良達がいなくなると、怒りや殺意に満ちた大和の表情は霧のように消えて、いつもより暗い表情に変わってしまった。

 

 そして一方的だった喧嘩が終わった直後、大和は申し訳なさそうな表情を浮かべながら幽々子の元にやってきた。

 

「ごめんな幽々子さん、怖い思いさせたうえに見苦しいところ見せて」

 

 そう言い残すとすぐに大和は暗い表情を浮かべながら幽々子に背を向けて、ゆっくりと歩いて屋上から立ち去ろうとする。

 

 しかしそれに対して幽々子は何で大和は暗い表情を浮かべてあんな事を言ったのか、なぜ自分を置いて立ち去ろうとするのか、その理由はさっぱりわからずにいた。

 

 だが、そんなことを深く考える暇はなく、幽々子は屋上から去ろうとする大和を後ろから引き止めようとした。

 

「……えっ大和? 一人で何処に行くの?」

 

 幽々子にそう呼び止められると、大和は足を止めて愛想笑いを浮かべながらこう言った。

 

「ははは……とぼけないでくれよ、俺のことを怖がっているくせに」

 

 俺の怒りと殺意に満ちた形相や不良を一方的に蹴散らすおぞましい光景を見せたのだ。幽々子が俺のことを嫌悪しても無理はないと思う。

 

 それにあの喧嘩も今回は運が良く絶命は免れていたものの、一歩間違えていれば相手の命を奪っていたかもしれない。

 

 そんな苛烈で恐ろしい場面を見せた後に、幽々子に顔向けをするなんてできない。いや、自分の誇りとプライドが許せないと言った方が正しいのか。

 

 そんな自分を責め続ける大和をどうにかしようと、幽々子は大和に本音を打ち明けてどうにか励まそうとする。

 

「何を言ってるの? 大和は怖くなんかないわ」

 

「……見ただろう? あれが俺の本性と力量さ。下手すれば幽々子さんを傷付けるかもしれない。そんなものを間近で見られて顔向けできると思うかよ」

 

 そう言い終えると大和は悲しげな表情を浮かべながら再びゆっくりと歩き始めて、屋上から立ち去ろうとする。

 

「…………」

 

 その際、もう自分のために手を汚して悲しげにしている大和を見てはいられなかったのだろう。

 幽々子は切なそうな表情を浮かべながら大和の背中に寄り添って来た。

 

「……何だよ急に?」

 

「こんなこと言っても信じて貰えないと思うけど、助けてありがとう」

 

 幽々子に背中越しでそう言われると、一瞬だけ大和の顔が驚いたような表情へと変わった。

 

 闘争心や殺意、凶悪な戦力を晒したことを本人は後悔し自分を責め続けていた。

 

 しかし助けれた幽々子の方は大和を恐れるどころか、寧ろ感謝しきれない気持ちでいっぱいだった。

 

「私ね…大和が助けに来てくれたとき、とても嬉しかったわよ。 あのとき本当に駄目だと思ってたから」

 

「………そうか」

 

 あんな姿を見せたら絶対に忌み嫌われると思っていたが、どうやら幽々子は本当に俺のことを恐れても嫌悪もしていないらしい。

 

 そうわかってくると自分を責める理由が無くなり、何だか気持ちが楽になって表情もいつも通りに戻ってきた。

 

「それじゃあ教室戻って昼飯にしようか」

 

「……うん!」

 

 大和が地面に置いていたカバンを手に持つと、二人は教室に向かうために屋上から歩いて立ち去っていった。

 

 この一件があったことで大和と幽々子の二人は、お互いの関係がより深まって親密になれたような気がする。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十ニ話 バスケットボール

不良達との揉め事があった後のこと、二人は教室に戻ってくると昼休みが終わる前に急いで弁当を食べ終えた。

 

 その後のこと、午後の授業である五時間目と六時間目を受け終わり、教室でホームルームを終えた後、大和と幽々子の二人は下校中、特に寄り道もせずにそのまま家に帰宅した。

 

 草薙家に帰宅後は、晩ご飯を食べ終えてから、順々に風呂に入り、寝間着を来て就寝準備をした後、特に夜更かしもせずに二人は別々の部屋で眠りに着いた。

 

 その翌日、学生である大和と見学者(仮)の幽々子は昨日と同様に学校に登校して授業を受けた。

 

 それから四時間目が終わり昼休みに入った時の話になる。

 

 大和と幽々子がちょうど昼ご飯を食べ終えた直後、教室内にいたクラスメイトの克己が二人のいる席に近付いてくると大和に対して話し掛けてくる

 

「よし草薙、メシ食い終わったな? それじゃあ体育館でバスケしに行くぞ」

 

「……白瀬お前、どんだけ俺をバスケに誘いたいんだよ?」

 

 昨日といい今日といい、白瀬がこれだけ諦めずにしつこく遊びに誘って来るということはつまり、よほど俺にバスケをしてもらいたいのだろう。

 

「友人の遊びに付き合ってくれても別に良いだろう、それに運動好きだろお前?」

 

「確かに運動は好きだけど」

 

 白瀬の言う通り、俺はスポーツなどの身体を動かすことが大好きだし、もっと言えば運動することに生き甲斐を感じていると言っても良いだろう。

 

 まぁ友人が遊びに誘ってくれることは悪い気はしないし寧ろ嬉しいことだが、大和には白瀬に対してひとつだけ疑問に思うことがあった。

 

 それは白瀬が何故こうやって何度も俺をバスケに誘ってくるのかだ。確かに俺はスポーツは何でも好きだが、基本的に上手さは人並み程度かそれより少し出来る程度だろう。

 

 正直な話、みんなで楽しくやるだけなら別に俺じゃなくても、他のクラスメイトでも良いと思うのだが、こうやって俺を集中的に誘い出すのは、やはり白瀬は何かイタズラのようなことを企んでいるのか?

 

「それによ、昨日はお前が教室に帰ってくるのが遅くて出来なかったが、今日は絶対に体育館でバスケしてもらうからな」

 

 そういえば昨日、幽々子さんを教室に連れ戻したあと、ほとんど休み時間がなかったから二人で弁当を急いで食べてたっけな。

 

 それに結局、時間がなくてバスケをするどころか体育館にすら行くこともなかったし。

 

「はいはいわかったよ、行けば良いんだろ行けば」

 

 口や表情では嫌そうにしているが、内心では昨日の詫びも含め友人の遊びに付き合ってやろうかなと、大和は体育館でバスケがしたくて気持ちが少し急ぎ気味になっていた。

 

「それじゃあさっさと体育館に行こうぜ、もちろん幽々子さんも連れてな」

 

 何のため一緒に連れて行くのかは知らないが、とりあえず克己が幽々子さんも誘うことは端から察してはいた。

 

 その際、大和と克己の話を側でずっと聞いていた幽々子は初めて聞いた『体育館』や『バスケ』と言う物が何なのか気になっていた。

 

「ねぇ大和、その『ばすけ』や体育館て言うものは何なのかしら?」

 

「バスケってのはスポーツ、簡単に言えばボールを使った運動だよ。 それと体育館て言うのは運動するための建物てとこかな?」

 

 分かりやすく、そして手短にするためにバスケと体育館の説明をかなり簡略化してしまったが、細かく説明して分からなくなるよりはまだマシだろう。

 

 それに細かく説明しなくても、体育館は今から行くし、バスケは体育館で俺達が遊んでいることを見ていれば、どうゆう競技なのかある程度わかってくれるだろう。

 

「まぁ百聞は一見にしかずだ、今から体育館でバスケするから幽々子さんもついて来なよ」

 

「そうさせて貰うわ」

 

 大和と幽々子の二人は食べ終えた弁当の箱をすぐに片付けて、座っていた椅子から立ち上がると、そのまま克己と共に教室から出ていった。

 

 こうして大和、幽々子、克己の三人はバスケをするために体育館へ行くのであった。

 

 まぁ、体育館でバスケをやるのは俺と克己なわけで、幽々子さんには近くで見物をしてもらうことになるだろう。

 

 

 《体育館に移動後》

 

 

 

 体育館で大和と克己が別にいたクラスメイト達とバスケットボールをしている最中、幽々子は邪魔にならないように体育館の端で大和達を見物していた。

 

「これがさっき大和が言っていた『ばすけっとぼーる』なのね」

 

 大和の説明を聞いたり実際に見た感じだと、バスケットボールとは、一つのボールを手で扱い、三メートル程の高さに設置されている籠のような物にボールを上から入れる遊びらしい。

 

 一見シンプルそうに見えるが、手のひらを使ってボールを地面に叩きつけ跳ねさせ、これを連続的に行ってボールとともに人が移動する『ドリブル』と言う技術、籠の上からボールを通す『シュート』という行為はある程度の技術が必要らしい。

 

 今はクラスメイトの人達と楽しんでいるうえに、人数もいるので参加することはできないが、もし機会と時間があれば大和と二人でバスケットボールをやりたいと思っている。

 

 ゲーム中、クラスメイトが多彩なドリブルで相手を翻弄し、相手プレイヤーを次々と自分のところに引き寄せていくと。

 

「よっしゃあ! チャンスだ草薙、ダンクぶちかましてやれ!」

 

 大和のマークがいなくなった瞬間、クラスメイトが手に持っていたボールを大和に向かってパスをした。

 

「おう、任せておけ!」

 

 そしてクラスメイトに投げられたボールを両手で受け止めた直後、大和はフリースローラインからバスケットゴールに向かって跳躍した。

 

「……よっと」

 

 大和の飛んだ高さは約三メートルの位置にあるバスケットリングを胴体まで容易に飛び越え、しっかりと手を伸ばせば余裕で四メートルに達するのではないかと思わせる程の高さだ。

 

 それ故、相手は大和のシュートをブロックすることも防ぐことも出来ず、ただ舞うように飛んでいる大和を見上げることしかできなかった。

 

「……すっげぇ」

 

「……まるで鳥だな」

 

 これは確実にダンクが決まってしまうだろう。克己を除くみんながそう思っていたが、しかし。

 

 常軌を逸したジャンプ力と滞空時間と言うべきか、バスケットゴールの間近まで飛んできても、大和の目線は未だにリングを見下ろしていた。

 

「………おいおい大和のやつ」

 

「いくらなんでも飛びすぎじゃねぇか?」

 

 フリースローラインから跳躍してから大和が地面に落ちていく気配はまったくなく、まるで空中に浮いていると錯覚してしまうほどの異常な滞空時間だった。

 

 どうやら飛ぶ加減を完全に間違えたようだ。これではボールをゴールに叩き込んでダンクする前に、バスケットリング、若しくはその後ろにあるボードにぶつかってしまうことは目に見えている。

 

 だからと言って今は両手は塞がっているうえに、滞空している状態では方向転換は出来るものの、今すぐ地面に着地することなんて出来ない。

 

「……やっべ」

 

 結局、大和はこの最悪な状況から免れることが出来なければ、何の足掻きもすることなく、そのままゴールに突っ込んで。

 

 

………ドカンッ!

 

 

 バスケットリングの後ろにあったボードに顔面や身体を思い切りぶつかってしまう。結局のところダンクシュートができずに終わってしまった。

 

 そしてボードにぶつかった直後、衝撃で意識や判断力が薄れていたのか、受け身も何も取れずに大和はそのまま仰向けになって地面に落ちていった。

 

……ドガッ、バタンッ!!

 

 地面に身体が叩きつけられた瞬間、大和の身体はまるでボールのように一度跳ね上がり、再び地面にぶつかってしまう。

 

 そして地面にぶつかった後、大和の身体が仰向けに横たわると、大和は虚ろな目を浮かべるだけで、身体は微動だに動かなくなってしまった。

 

「……ちょっと大和!? 大丈夫なの!?」

 

 受け身も取らずに大和が不自然な落ち方をしたせいか、近くで見ていた幽々子は何か嫌な感じがしたので、急いで大和の傍に寄って無事かどうかを確かめようとした。

 

 その際、一緒にバスケをやっていた大和と克己のクラスメイト達は、あまりにも予想外の出来事に驚きを隠しきれず、ただその場で突っ立っているだけだった。

 

「おいおいおい、草薙のやつ動かなくなったけど大丈夫なのか?」

 

「てかさ、前から思ったんだけどよ、普通に考えてボードにぶつかるかよ?」

 

 今まで一緒にバスケをして何度も見てきたが、やはり大和が額にリングをぶつけたり、ボードに激突するのは流石に驚かずにはいられなかった。

 

 その間に幽々子は仰向けに倒れている大和の傍に近寄ってくると、意識の有無を確かめるために大和の身体を少し揺すりながら声を掛ける。

 

「しっかり大和、目を覚まして!」

 

 心配そうな表情で幽々子にそう声を掛けられた直後、そこまでのダメージではなかったのか、平然とした表情で大和は上半身を起き上がってきた。

 

「……えっ?」

 

 何事もなく急に大和が起き上がってくると、傍にいた幽々子はあまりにも予想外のことに思わず唖然としてしまった。

 

 いくら大和の身体が他の人達よりも頑丈とはいえ、今回は落ち方も不自然だったし、さっきまで虚ろな目を浮かべていたので、危険な状態ではないかと思っていた。

 

 しかし、それは幽々子の単なる勘違いだったようだ。こうして大和も何もなく平気でいるのだから。

 

 そして起き上がった直後、そこまで痛がりはしなかったものの、大和は少しを顔を引きつらせながら自分の背中や頭を優しく手のひらで撫でた。

 

「………ってぇな、やっぱ慣れないことは無理してやらない方が良いな」

 

 いくらダメージはなかったとはいえ、ボードにぶつかったり地面に叩きつけられたのは痛かったのだろう。

 

 それに今になって考えてみれば、ドリブルはある程度はできるものの、今までバスケをしている中でダンクシュートが成功したことは滅多になく、逆に失敗するほうが断然に多かったような気がする。

 

 そして大和は身の周りを見渡してみると、自分の傍に幽々子がいることにようやく気付いた。

 

「……って、あれ? 幽々子さん、何で傍にいるんだ?」

 

「もう能天気ね、大和が微動だに動かなくなったから心配で傍に来たのよ」

 

 バスケットゴールのボードに激突したところまではしっかりと覚えているが、それからの記憶が一切ない。

 

 だが今の幽々子の発言から察するに、俺は少しの間だけ気を失っていたのだろう。

 

「それよりも大和、身体の方は大丈夫なの?」

 

「ちょっと身体中が痛いけど、別に大したことはない」

 

 ボードにぶつかった際、少しの間だけ意識が飛んでしまったが、肉体にダメージはほとんどなく、ちょっと背中や頭が痛いだけだった。

 

 幽々子と話している最中、聞いたことのある誰かの笑い声が体育館中に響き渡っていることに大和は気がついた。

 

「この笑い声は……まさかな」

 

 恐る恐る、大和は笑い声が聞こえてくる方向を見てみると、そこには両手で腹を抱えながら地面に転げ回って大爆笑しているクラスメイトの克己が目に映った。

 

 なぜ転げ回るくらいまで克己は笑っているのか、本人に聞かなくても大体想像はできる。差し詰め俺がダンクを見事に失敗させたからだろう。

 

「ぶぁっははははは!! 草薙お前、いつも高確率でダンク失敗することは端から知ってたけどよ、ここまで期待通りになるなんて、笑いが止まらねぇよ!」

 

 何が面白くてあんなに笑っているのかは知らないが、何にしろ、転げ回って爆笑している克己の姿は流石に度が過ぎており、傍から見れば可笑しい人にしか見えない。

 

 一方その頃、沸々と込み上がって今にも爆発しそうな憤怒を大和は出来る限り抑えているが、既に我慢の限界を通り越えており、大和の表情は静かな怒りに満ちていた。

 

「……えっ? ちょっと大和?」

 

 そして遂には、何も言わずに無言のまま幽々子をその場に置いていくと、大和は不興な表情を浮かべながら歩いて大笑いしている克己に近づいていく。

 

 そして、体重が90キロ近くある克己をそのまま軽々と持ち上げた。

 

 その際、さっきまで笑っていた克己が突然驚いた表情へと変わるのは言うまでもない。

 

「はははぁ……って、あれ? おい草薙、何で俺を持ち上げてんだ?」 

 

 だが克己の質問に対して大和は一切の返答もせず、無言のまま持ち上げた克己を頭上に掲げると、バスケットゴールに向かって走り出した。

 

 そしてある程度の距離までバスケットゴールに近づいた瞬間、大和はさっきと変わらない高さで跳躍した。

 

「……ちょっと待ってくれ!? まさかと思うが、俺でダンクする訳じゃあねぇよな!? 俺ボールじゃねぇし、悪かったから許してくれ!!」

 

 しかし大和は克己の言葉に聞く耳を一切持たない。そして大和はそのまま克己を頭からリングに叩き込んだ。

 

 その際、不幸なのか幸いなのか、どちらにしても克己はバスケットリングに身体が引っ掛かったことで宙吊り状態となり、地面に落ちることはなかった。

 

 そして、克己をダンクし終えると、大和は不機嫌そうな表情を浮かべて体育館の出口に向かって歩いて行こうとした。

 

 たまには友人の誘いに乗ってやろうと思って、せっかく遊びに付き合ってやったが、克己の馬鹿にした態度で完全にやる気がなくなった。

 

「……ったく、興醒めだ。教室に戻ろうぜ幽々子さん」

 

「……えっ、えぇ…わかったわ、でも克己君はどうするの?」

 

「あんなやつ放っておけ」

 

 当分の間は宙吊り状態にさせといて克己に反省でもさせた方が良いだろう。ただあいつが反省をしたことは今まで一度だってなかったが。

 

 そう言い終えると大和は扉を開けて体育館から出ていき、それに続いて幽々子も大和を追い掛けるように体育館を出て行った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三話 体力テスト

 《昼休み終了後》

 

 

 教室に戻ってから気が付いたが、次の授業が体育であり、しかも体力測定だということを思い出した。

 

 体育の授業を受けるために大和はそのまま教室でジャージに着替えると、幽々子を連れてグラウンドへ足を運んだ。

 

 ちなみに、うちの学校は他校と比べて運動や体力測定にかなり力を入れており、特に体力測定がある日は午後の授業が全て体育になるのが伝統だ。

 

 日頃、身体を鍛え続けているとはいえ、今日体力テストがあるとは思ってなかった。まぁ、だからと言って記録に影響は一切ないと思う。

 

「……ったく、面倒くせぇな……まさか今日体力テストがあるなんて思ってなかった」

 

「大和ったらしっかりとしなさいよ、そんな気持ちでは良い記録は出ないわよ」

 

 さっき幽々子さんに体力テストのことを簡単に説明してやったが、それからというもの俺が体力テストで良い記録を出すことに期待をしているような感じだった。

 

 そんなことを話していると、大和と幽々子がいる場所に一人の少年が歩いて近づいて来た。

 

「やはり余裕だね草薙君、何時も思うがその呑気なところを是非とも学びたいものだよ」 

 

 目の前に近づいて来て最初に何を言い出すと思えば、少年は大和に対して皮肉な事を言ってくる。

 

 普通なら怒ってもおかしくはないのだが、それに対して大和は呆れ果てたような表情を浮かべながら深くため息をついた。まるで怒ることすら馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに。

 

「……はぁ」

 

 本当のことを言うと俺は別に体力テストに対して面倒だとは思ってはなく、寧ろ楽しいと思っている。指し当たって、俺が面倒くさいと思っているのは目の前にいるこの少年だ。

 

 紹介するまでもない奴だが、一応名前とかぐらいは紹介しておこう。

 

 目の前にいる少年の名前はカイト、中学の頃からのクラスメイトだがあまり話したことがない。 いや話したくないと言った方が正しいか。

 

 勉学の成績が優秀で顔も良く、女子生徒にモテるクラスの人気者。 運動神経も良いらしいが俺はそう思っていない。

 

 ちなみに、自分で言うのもあれだが、俺は日々欠かさず鍛練しているので身体能力は極めて高く、体力テストでは誰にも劣ったことがなければ、優秀な記録を出して常に一位の座に就いている。

 

 そのせいか、このカイトって奴は俺に負けたことや劣等感を根に持っており、体育の授業がある度に俺のことを目の敵にしたり皮肉なことを言ってくる。

 

「ふっふっふ……だがね草薙君、今年こそ君に体力テストで勝って、今までの雪辱を晴らしてやるからな!」

 

 体力テストで大和に勝つと言わんばかりに、カイトはやる気に満ち溢れていた。

 

「はいはい……頑張ってねぇ~……」

 

 それに対して、まるで端から相手にしていないと言わんばかりに、やる気のなさそうな態度で大和は棒読みでそう言った。

 

 正直、このカイトって奴の相手をしていると精神的に疲れるから、こいつの話は出来る限りスルーすることにしている。

 

「そして……僕が勝った暁には、そこに幽々子さんとお付き合いさせてもらうよ」

 

「………えっ!?」

 

 これはある意味プロポーズと言うのか告白と言うのか、カイトの発言に対して最初に驚いたのは大和ではなく近くにいた幽々子だった。

 

 無理もなかった。初対面の相手にまさかそんなを言われるなんて微塵足りとも思っていなかったのだから。

 

 しかし幽々子が動揺していた最中、大和も何も感じず平然としていた訳ではなかった。

 

 さっきまでやる気が無かった大和も、今のカイトの発言を聞いた瞬間、大和の目の色は一気に豹変し、競争心が静かに沸々と沸き上がってくるような感覚を覚えていた。

 

 こんな奴の勝負は挑む価値がなければ、受ける価値も毛頭ない。だけど、幽々子さんに関わることなら話は別だ。こいつに今の発言がどれだけ愚かで無謀なことかを教えなければならない。

 

 それに対してカイトは大和の心情も知らずに、尽かさず大和に向かって挑発するような態度や発言をしてくる。

 

「さぁ草薙君、この勝負をどうする? 受けるのかい? それとも尻尾を巻いて逃げるかな?」

 

「別に構わねぇよ、負ける気は毛頭無いから」

 

 大和が堂々と挑戦を受けるのに対して、それを嘲笑うかのようにカイトは思い上がったような態度で大いに笑った。

 

「はっはっは、今のその言葉を決して忘れるなよ」

 

 そう言い残すとカイトは嬉しそうな笑みを浮かべながら大和達の側から離れていき、他のクラスメイトがいる別の場所へと移動した。

 

「ねぇ大和、本当に大丈夫なの?」

 

「心配すんなよ幽々子さん、あんなやつに負けるほど俺は柔じゃないから」

 

 負けるとわかった上で勝負を受けるほど俺はそこまで馬鹿じゃない。 本音を言えば絶対に勝つ自信があれば、俺とアイツの差がどれだけあるのかを見せ付けるためにこの勝負を受けた。

 

 こうして大和とカイト、二人の間で体力テストによる壮絶な勝負が始まった。

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 まず最初にやる体力テストは百メートル走、走る順番はまず最初に張り切ってヤル気満々のカイト、それから俺が走るのは最後辺りだ。

 

 スタートの合図であるピストルの音が鳴り響いた瞬間、カイトは序盤から他の競争者を追い抜いて、どんどん距離を離していく。

 

……タッタッタッタ

 

 そして、そのまま誰にも追い付かれることもなく、カイトは百メートルを走り抜ける。

 

「カイトの記録、12秒49」

 

「はっはっは……また記録を更新してしまった」

 

 百メートル走を走り終えると、カイトは勝ち誇ったような態度で大和の走る番を待っている。

 

 それから何組走り終わると、ようやく大和にも走る順番が来た。

 

「やっと来たか、さっさと終わらせよ」

 

 走る準備をした直後、ピストルの音が鳴り響いた瞬間、大和は大地を思いきり蹴って、グラウンドを駆け抜けていく。

 

 その時の大和の走るスピードは並みの高校生とは思えない程の速さで、当然ながらカイトとは比べ物にならなかった。

 

 無論、追い抜かせるどころか誰一人として追い付かせることもなく、大和は他の競争者との距離を大いに離して走り抜けた。

 

「……ふぅ~」

 

「凄いぞ草薙、記録は10秒フラットだ」

 

「……何だよ、大したことねぇな」

 

 先生が大和の記録を言った瞬間、周りにいた男子生徒達は唖然とした表情を浮かべ、女子生徒達からは黄色い声援が送られてくる。

 

「10秒フラットて……」

 

「……マジかよ? いくら何でも速すぎだろ?」

 

 クラスの男子生徒達は大和に対して、こんなところで体力テストしないで今から陸上競技に出た方が良いのではないかと思っていた。

 

 そんな中、大和の出した記録の凄さを実感出来ず、平然とした表情を浮かべていた幽々子は、どれだけ凄いのかを知るために近くにいた女子生徒に聞いてみた。

 

「ねぇ、大和が出した記録はすごいのかしら?」

 

「凄いに決まっているじゃない幽々子さん? 草薙君ならオリンピックも夢じゃないわ」

 

 この時、女子生徒が言っていた『おりんぴっく』というものがどうゆうものなのかはまったくわからなかったが、とにかく大和が凄い記録を出したということは良くわかった。

 

 無論、百メートル走を走り終えた大和はその場でみんなの注目の的となり、先生からも生徒からも期待の眼差しが向けられていた。

 

 しかしそんな中、大和が百メートル走を10秒台で走ったことに対して、心良く思ってない男子生徒が一人いた。

 

 そう、心良く思っていない男子生徒とは、さっき大和に体力テストで勝負を挑んできたカイトだった。

 

「ふっ、ふん! 今のは偶然に決まっている、今度の競技ではそうはいかないからな」

 

 今のところカイトは今の項目は偶然負けたと自分に言い聞かせて威勢を張っている。

 

 しかしこの時、今の項目で大和に負けたのは決して偶然ではないことも、この後の体力テストでクラスメイト達に惨めな敗北を見せることになることも知る由はなかった。

 

 

 それから百メートル走をみんなが走り終えた後、次にやる体力テストの項目はソフトボール投げ。

 

 さっきの百メートル走での俺の順番は最後辺りだったが、次の項目であるソフトボール投げでは一番最初に俺が投げることになった。

 

 別に自らの意思で先に投げると言った訳ではない。クラスメイト達が記録を叩き出すところ早く見たいあまりに、俺を一番最初にやらせるように先生に推薦したらしい。

 

「何でこんな事になるんだよ?」

 

 不満そうな表情を浮かべて文句を言いながらも、大和は腕を振り被ってソフトボールを思い切り投げた。

 

 大和の放り投げたボールは小さくなって見えなくなるほどに天高く飛び、そして物凄い勢いで遠くへと飛んでいった。

 

 ソフトボールが地面に落ちた後、他のクラスメイト達が巻尺を持って測定すると、驚いた表情を浮かべながら大和の記録を大声で叫んだ。

 

「記録は150メートルです!」

 

 それから大和の記録が出た瞬間、近くで見ていたクラスメイト達は嵐のような歓声を大和に対して送ってくる。

 

 その後にカイトもソフトボール投げをしたが、結局のところ大和には遠く及ばず、記録は40メートル弱で終わることになる。

 

 

 ソフトボール投げが終わった後、今度の項目は走り幅飛びだった。

 

 やはり大和はこの項目でも規格外の記録を叩き出したことにより、カイトに負けることはなく、寧ろ勝って当然のような感じだった。

 

 それから走り幅飛びもクラスメイト全員終わると、先生が全生徒に聞こえるように大きな声で次の体力テストの連絡をした。

 

「よし、今度は体育館でテストを行うから、みんな移動しろよ」

 

 結局、野外での体力テストの記録は大和が全勝し、カイトは大いに差をつけられて全敗に終わった。

 

 

 《体育館に移動後》

 

 

 クラス全員が体育館に移動した後、次に行う体力テストの準備をしてから少しの時間休憩に入った。

 

 しかし休憩時間とは言ったものの、今日に限ってクラスメイト達が俺のところに大勢集まり、幽々子さんと話すどころか、顔を会わせることもできなかった。

 

「……はぁ、結局幽々子さんと話せなかったな」

 

 休憩終了後、大和はクラスメイトにずっと質問攻めされて休憩する暇も与えられず、室内で行う体力テストが始まった。

 

 ちなみに室内で行う項目の内容は、握力、長座体前屈、立ち幅飛び、反復横飛び、シャトルラン、上体起こしの六項目で、順番の決め方はシャトルラン以外は生徒達が自由に決められる。

 

「これ以上クラスメイトに注目されるのヤダから、とりあえずさっさと終わらせるか」

 

 どうせやる順番は決まってないので、とりあえず適当に項目を回っていこうと、大和は最初に握力測定をする場所に淡々と向かった。

 

 やはり室内の項目でも結果は変わらず、大和は次々と並外れた記録を叩き出していく。

 

 その頃、カイトも大和に負けじと一生懸命になって記録出すが、どれもこれも大和の記録には遠く及ばなかった。

 

 カイト自ら勝負を挑んできたが、ここまで圧倒的な記録を出して勝ち続けると、カイトが可哀想に見えてくる。

 

 最後にクラスメイト全員でシャトルランを走ったが、結果は言うまでもなく大和が圧倒的差をつけてトップに立った。

 

 

 

 《全項目終了後》

 

 

 

 結局、カイトは体力テストで大和の記録に勝つどころか、どの項目も到底の事ながら足元には及ばず、大和の思惑通り圧倒的な差を見せ付けられた。

 

 ちょうど全項目が終わった頃、体力テストで大和に完膚無きまで打ち負かされたカイトは今までにない敗北感を味わい、目の前が真っ暗になっていた。

 

 全ての項目を全力で挑んだのだろう、カイトは絶望に満ちた表情を浮かべながら床に手を付けて跪いていた。

 

「……うっ、嘘だろ? この僕が全敗?」

 

(……まぁ、最初からこうなることは知ってたよ)

 

 まぁ負けても無理はない。体力テストで大和に挑むということは日本記録、下手すれば世界記録に挑戦するようなものなのだから。

 

 こうして大和の圧倒的勝利と言う形で、特にアクシデントも何も無く、全九項目あった体力テストが終わった。

 

 

 ちなみに草薙大和が今回叩き出した体力テストでの記録は。

 野外での項目

100メートル走 10秒フラット

走り幅飛び 10メートル

ソフトボール投げ 150メートル

 

 室内での項目

握力 両手平均 120キロ

長座体前屈 80センチ

立ち幅飛び 5メートル

反復横飛び 87回

シャトルラン 247回

上体起こし(三十秒間) 55回

 

 の上記通り。

 

 無論、この大和の記録を超える者はクラスメイトはもちろんのこと、全校生徒の中でも誰一人としていなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三・五話 草薙和生のジレンマ

 時は遡り数時間前のこと。

 

 時間帯的に兄である大和は学校で授業を受けている最中、それに対して弟の和生は街中をうろついていた。

 

 やはり、和生の顔や名は世間ではかなり知れ渡っているのだろう。年が近い奴等が和生の近くを通りすぎると、まるで恐れているような表情を浮かべながら、和生から目を逸らして横通る。

 

「はぁ……」

 

 午前中は真面目に学校へ行っていたが、昼を過ぎた頃に授業の内容があまりにもつまらなすぎて早退したのだ。

 

 まぁ、兄貴が学校から帰ってくるまで暇潰しに街中に来てみたが、どうにもやることが無さすぎて退屈しのぎにすらならない。

 

「ったく、なんか面白いことねぇのかな?」

 

 部屋にある本はある程度読み尽くしたし、外で身体を動かすやる気もない、だから自宅に帰ってもやることがない。

 

 だが、そんな何もやる気が無い中で和生には唯一やりたいことがあった。

 

(そういえば最近、喧嘩とかしてねぇよな)

 

 それは喧嘩だった。

 

 最初は誰かを守るために闘い、虐めていた奴等を片っ端から暴力を振るって黙らせていた。

 

 別に罪悪感を抱きながらも暴力を振るっていたわけではなく、寧ろ人に暴力を振るうことに生き甲斐を感じてしまうほどに楽しかった。

 

 しかし最近になってから、虐めてくる奴がほとんどいなくなったことで、暴力を振るえる奴がいなくなった。

 

 それに顔や名前が悪い意味で世間に知れ渡っているのだろう、俺に対して喧嘩を挑んでくる奴は余程の馬鹿でなければほとんどいない。

 

(……いねぇのかな、俺に喧嘩を売ってくる強者(バカ)は?)

 

 そんなことを考えながらも和生はどこかに喧嘩する相手がいないかと、周りを見渡しながら街中をゆっくりと歩いていく。

 

「……んっ?」

 

 そして街中を見渡していると、まだ日が出ている時間だというのにも関わらず、人気のないビルとビルの間で複数いる男達が一人の女性を取り囲んでいた。

 

 その光景を遠くから見て、和生は嬉しさのあまりに思わず笑みが溢れてしまう。

 

「……へぇ~ ちょうど良いや」

 

 人助けには何の興味もないが、一方的に暴力を振るうことには興味がある。

 

 しかも、今から出来るのは無意味な暴力ではなく、人助けと見せ掛けた意味のある暴力が出来るのだから喜ばずにはいられない。

 

 このままチンピラに絡まれて困っている女性を放って置いても別に良いのだが、今は無性に人と喧嘩がしたくて仕方がない。

 

「……ちょっと人助けでもしてやろうか」

 

 しかし和生の本音は女性を助けることではなく、ただ単純に人を思う存分殴りたいだけだった。

 

 人を滅茶苦茶に痛めつけたいと言う殺傷本能を内に秘めながらも、和生はチンピラと女性がいる人気のない場所に歩いて向かう。

 

 

 

 《~一方、人気のない場所では~》

 

 

 

 始まりは些細な出来事ことだった。

 

 街中を歩いている途中、今いる人達にちょっとぶつかったことにより、何か適当ないちゃもんを付けられた挙げ句、しつこく絡まれてしまった。

 

 チンピラは五人おり、全員の見た目は二十代前半だと思われる。

 

 それに対して女性の方は腰まで伸ばした金髪、頭には赤いリボンが巻かれた白いドアノブカバーのようなナイトキャップを被っている。

 

 普段着というよりも、どこかコスプレのような衣服を着ており、紫と白色を基準とした八卦の萃と太極図を描いたような中華風の服を着ている。

 

「だから何度も謝ってるじゃない」

 

「おいおい姉ちゃん、謝るだけで済むと思うのかよ?」

 

「おう、誠意を込めてなんかしてくれねぇと、こっちも気がすまねぇんだよ」

 

 こうやって何度も謝っても、チンピラ達は許してくれるどころか、見逃してくれる気配も一切ない。

 

 だからと言って、チンピラ達が許してくれる条件を呑もうなんて考えは毛ほどにもない。

 

 このチンピラ達が考えている条件なんて、どうせロクな事ではないことは目に見えているのだから。

 

(……困ったわね、どうすれば良いのかしら?)

 

 道を横通る人達はみんな女性を助けようとはせず、それどころか誰一人として見ない振りをしてその場から去ってしまう。

 

 もう誰も自分を助けてくれないだろうと思っていたのだろう、女性は冴えない表情を浮かべながら、ついため息を漏らしてしまう。

 

 

……スタ…スタ…スタ……

 

 

 すると突然、見知らぬ少年が近くまでやってくると、不意を突いて一人のチンピラに飛び膝蹴りを喰らわせた。

 

「……あがっ!」

 

 突然の飛び膝蹴りをまともに喰らうと、言うまでもなくチンピラは意識を失い、そのまま地面に倒れてしまう。

 

 そしてチンピラが地面に倒れた瞬間、平然とした表情で少年は馬乗りになってチンピラを何度も殴り付けた。

 

 恐ろしいほどにあっという間だった、何せ一人のチンピラを血だるまにするのに数秒程度しか掛からなかったのだから。

 

「よし、まずは一人目と」

 

 誰かに仲間がやられたことに気が付くと、他にいた仲間達はぶちギレた表情を浮かべながら後ろを振り向いて怒鳴り散らそうとする。

 

 しかし和生の顔を見るとチンピラ達は全員血相を変えて、怒鳴るどころか誰一人として声が出せなかった。

 

「………おい嘘だろ!?」

 

「何で草薙和生がこんなところにいるんだよ!?」

 

 人一人を血だるまにして何の罪悪感を感じていないのか、和生は平然とした表情で立ち上がると、チンピラ達に話しかけてくる。

 

「……あっ? ……何でって? てめぇらと喧嘩しに来ただけだけど」

 

 だが、和生の強さや凶暴性の噂を耳にしているのだろう。誰一人として和生と喧嘩をしようなんて考えている者はいなかった。

 

 そんな最中、和生にボコボコにされる前にここから逃げようと思ったのだろう、一人のチンピラは恐怖に満ちた表情を浮かべながらも咄嗟に走って逃げようとした。

 

「……ちくしょう喧嘩するなんて冗談じゃねぇ! 俺は逃げるぞ!」

 

 だが、闘う意思がないうえに、恐怖のあまりに逃走するチンピラを和生は逃がすことはなかった。

 

 逃げるチンピラを和生は走って追い掛けると、全力で逃走したのにも関わらずチンピラはわずか数秒足らずで呆気なく捕まってしまう。

 

「……おいおい? 女に迷惑かけていたくせに逃げんじゃねぇよ」

 

「……ひっ! 頼むから見逃してくれ!」

 

 だが、相手が怯えて謝ろうとも、和生は無慈悲にチンピラをぶん殴った。

 

 まるで容赦がなかった。例え相手に闘う意思がなくても、怖じ気付いていようとも関係なく、和生は必要以上に暴力を振るう。

 

「おい……謝っているのに……何でだよ!? 何で……許してくれないんだよ!?」

 

「うるせぇな、黙って歯食い縛ってろ」

 

 だが相手が恐れた表情を浮かべながら謝ろうとも、和生は聞く耳も貸さずにチンピラの胸ぐらを掴んで、顔面を何度も殴り続ける。

 

 そして、歯を何本も折られて、顔面が変形してしまうほどに殴られ続けた挙げ句、チンピラは痛みのあまりに気絶してしまう。

 

「あらら……気失いやがった」

 

 胸ぐらを掴んで殴っていたチンピラが気を失って半殺しの状態にすると、まるでゴミのようにチンピラを地面に投げ捨てる。

 

 そして次に和生は恐怖のあまりに腰を抜かしていたチンピラに向かって襲い掛かった。

 

「さて……次はお前だな」

 

 もはや相手に戦意がなくても関係なく、和生は無抵抗のチンピラを掴み上げて何度も殴った。

 

 それから和生は一人ずつ、そしてまた一人ずつ順調にチンピラ達を半殺しにしていった。

 

 結局、五人いたチンピラ達は誰一人としてその場から逃げることはできず、和生に半殺しにされてしまった。

 

 そして和生の一方的な暴力が終わった頃には、周りの地面はチンピラ達の血で染まり、まるで殺人現場のような光景になる有り様だった。

 

 辺りには気を失って身動きが取れないチンピラが何人も無造作に転がっており、当分の間は起き上がる気配はなかった。

 

「まぁ、こんくらいで良いだろ」

 

 和生は軽々しくそう言っているが、チンピラ達の怪我は目も当てられない程に酷く、今すぐに病院へ搬送しなければいけないほど、十分危険な状態だった。

 

 だが、こいつらのために救急車を呼ぶなんて面倒な事だし、況してや呼ぶ気なんて更々なかった。 俺にとってはこいつらが生きようが死のうが別にどうでも良かったからだ。

 

「あっ、あの……」

 

 近くにいた金髪の女性に声を掛けられると、和生は無愛想な表情を浮かべながら、女性に対して無関心な態度を取った。

 

「あぁ……何だあんた、まだいたのか……別に礼とかいらんから、俺が勝手にやったことだし、気にすんな」

 

 今になって考えてみればこの女を助けるために来たんだっけ? 喧嘩に夢中になりすぎて今まで女の存在に気付かなかった。

 

 それに一刻も早く俺はこの場から離れなきゃいけない。 他の誰かにこの光景を見られたら警察を呼ばれるのは目に見えているのだから。

 

「というわけで、サツに見つかる前に俺は退散させて貰うぜ」

 

「あっ、ちょっと……」

 

 しかし女性の言葉に一切聞く耳を持たずに、和生は女性を置いてその場から逃げるように去っていた。

 

 見知らぬ少年の行動があまりにも迅速的なものだったので、その場に残された女性は思わず唖然としてしまった。

 

「名前も言わずに行ってしまったわね……一体何だったのかしらあの子?」

 

 突然現れて助けてくれたと思いきや、チンピラ達をボコボコにし終えたら、すぐにどこかに走り去ってしまった。

 

 あの子は人助けをしてくれる良い人だったのか、それともただ人に暴力を振りたいだけの悪い人だったのか、それは正直わからない。

 

 だが、少し対面しただけであの子に関して一つだけわかったことがある。

 

「ほんの僅かにだけど、あの子(・・・)の匂いがしたわね」

 

 

 

 

 《~家に帰宅後~》

 

 家に到着した後、和生は少し満足そうな表情を浮かべながら扉を開けて家の中に入る。

 

 今日はとても良い日だった。久しぶりに喧嘩で数人半殺しに出来たのだから。

 

「結構楽しいことあったし、今日は良いことありそうだな」

 

 玄関で靴を脱いで家に上がった後、自分の部屋に行く前に、まず居間へと足を運んでみた。

 

 時間帯的にいるのはありえないが、一応兄貴に顔を出して帰ってきた報告をしようと思い、真っ先に居間に向かった。

 

 まぁ、この時間帯だと兄貴は学校で授業を受けてるだろうし、最近ここに住み始めた幽々子さんも兄貴と一緒に学校にいるだろう。だからこの屋敷には俺以外は誰もいないと思う。

 

 しかし屋敷には誰もいないはずなのに、廊下を歩いている途中、和生は居間の方向から不思議な気配を感じた。

 

「………誰かいるな」

 

 おかしいな、この時間帯は屋敷に誰もいないはずなのに、なんで人の気配がするのか。

 

 それに俺の知っている限りでは、今感じた気配は少なくとも兄貴や幽々子さんのものではない。

 

 微かに見に覚えのある気配なのだが、誰のものなのかはさっぱりわからない。 少なくとも身近にいるのだが、あまり関わりがない人物だと推測する。

 

 そんなことを一人考えている間に、和生は居間の前にやってきた。

 

「泥棒じゃねぇだろうな?」

 

 恐る恐るドアを開けて居間に入ってみると、そこには大和の師匠である御巫紅虎がちゃぶ台の前にゆったりと座りながらお茶を飲んでいた。

 

 この時に和生は、最初は居間にいる人物が誰なのか全くわからなかった。 実のところ、この御巫紅虎とは面と向かって話したことが一度もなかったからだ。

 

「あら、早く帰ってきたと思えば、弟さんの方でしたか」

 

 居間にやってきた和生に気がつくと、紅虎は手に持っていた湯飲みをちゃぶ台に置いてから和生に対して話しかけてくる。

 

 話したことも、顔を会わせたこともなかったが、少なくともこいつが兄貴の師匠だと言うことはわかっていた。 数回程度だが身近で見かけることがあったからだ。

 

 それに今の発言から察するに、この人は玄関を開けたときから俺の気配に気づいていたのか?

 

「確かあんたは兄貴の師匠の?」

 

「えぇ、私は大和の師匠の御巫紅虎ですよ」

 

 初めて面を合わせて話してみたが、容姿はもちろん、声や口調が本当に女みたいでビックリした。こいつ本当に男なのか?

 

 それに正直なところ、こんな女みたいに弱そうな奴がなんで兄貴の師匠をやっているのかと内心で疑問にも思っていた。

 

「それよりも、なんであんたが無断で俺の家に上がってんだよ?」

 

「……あら、聞いていませんか? 私はこの屋敷に出入りする許可を貴方のお兄さんから貰っているのですよ」

 

「……えっ!? それマジかよ」

 

 それは初耳だった。そんなことは兄貴の口からは聞かさせれていない。

 

 いや、もしかしたら俺が聞き流して覚えていないだけの可能性もある。結構前に兄貴はその事に関して俺に言っていたのか?

 

 和生が困惑した表情を浮かべながら一人考え込んでいると、何の前触れもなく紅虎の方から話し掛けてきた。

 

「名前はたしか和生君でしたか? なんか退屈そうにしていますね」

 

「まぁ……そうだな」

 

 紅虎の言う通り、最近のところ退屈な毎日を送っていた。

 

 学校の勉強も簡単過ぎてすぐに飽きるし、運動競技も人並み以上に出来てしまうのでつまらない。そんな毎日の中で唯一の退屈凌ぎと言えば読書ぐらいだろう。

 

 それに喧嘩も、少し前までは俺に喧嘩を売ってくる奴が大勢いたが、今では周りから恐れられて、俺と真っ向から喧嘩を吹っ掛けてくるやつなんて滅多にいない。

 

「……あんた、俺の気持ちがわかるのか?」

 

「えぇ…わかりますとも、自分と対等に戦える喧嘩相手がいなくて退屈だと、しっかりと顔に書いていますから」

 

 正直、驚きを隠さずにはいられなかった。この紅虎は完全に今の俺の心情を読み取ってやがる。

 

 それに、俺は何事でも一人で抱え込んで解決しようとする事があって、今まで本音や気持ちを理解してくれる人が誰もいなかったから尚更だ。

 

(……そういえば、今まで誰も俺のことを理解してくれなかったな)

 

 兄弟である兄貴はもちろんのこと、両親でさえも俺の心情を察してはくれなかった。

 

 和生が改めて自分の心情と向き合っている最中、紅虎の方から突然ひとつの提案を出してくる。

 

「和生君、もし宜しければ私と組み手をしてみませんか?」

 

「……えっ?」

 

 突然、紅虎が何を言い出すと思えば、俺と組手をしようだと? 俺は喧嘩による実戦経験は多々あるが、組手なんて一度もしたことがない。

 

 それに、俺の基本としている戦闘スタイルは明らかに試合や組手向きではない。 相手を殺傷することに特化した戦闘スタイルなのだから。

 

「俺と組手なんて、やっても良いのかよ? 正直どうなるかわからないぜ」

 

「えぇ構いませんよ、この後に大和と闘う予定なので、肩慣らしには良いでしょう」

 

 つまり俺は兄貴と闘う前のウォーミングアップ相手と言うところか。 例え兄貴の師匠とはいえ、正直嘗められた気分で不愉快だ。

 

 以前、俺は兄貴に闘いを挑んで敗北した。そして、この紅虎がどれだけの実力者なのかは全くもって知らない。

 

 だが、もし紅虎が本当に俺の実力を格下と思い込んだ上で、闘いを挑んで来れば、間違いなく無事では済まされない。

 

「おもしれぇ、それじゃあ遠慮なく殺らせて貰おうか組手」

 

「それでは流石にここで組手をするのはいけませんので、道場に行きましょう」

 

 そう言うと紅虎は一足先に居間から出て行き、道場に向かって歩いていった。

 

 その際に和生は不敵な笑み浮かべながら、紅虎に続いて道場へと足を運んだ。

 

 

 

 

 

 《~それから道場に移動後~》

 

 

 

 

 

 まさか一週間も経たないうちに、道場へ足を運ぶとは思ってもいなかった。

 

 数日前に、道場に訪れたのが兄貴と喧嘩をしたとき以来か。 あのときは良い線までいったと思ったが、やはり兄貴は敵わなかったな。

 

 道場に到着した後、紅虎は和生を置いて、道場の中心部までゆっくりと歩いて行く。

 

 そして、中心部まである程度やって来ると紅虎はその場で足を止めると同時に、和生に背を向けながら話しかけてくる。

 

「この場所なら存分に力を発揮できるでしょう」

 

 組手の準備を整えるどころか、無防備にも和生に背を向けてる紅虎、まだ組手が始まるとは微塵も思っていないのだろう。

 

 そんな無防備な状態になっている紅虎に対して、和生は気配を殺しながら近づくと同時に、突然の如く紅虎に向かって蹴りを放った。

 

 そう、何の躊躇いも無く和生は奇襲を仕掛けたのだ。

 

(……よし! 紅虎の野郎は気付いてない、完璧に貰ったな!)

 

 しかも、俺が狙っている部位は首の頸椎、まともに喰らえば首から下は全身麻痺に陥り、確実に戦闘不能になるだろう。

 

 奇襲を仕掛けたとはいえ、このとき和生は勝利を確信していた。

 

 

………が、しかし。

 

 

 そう思っていたのも束の間、和生の確信は意図も簡単に崩れ落ちてしまう。

 

 予想外のことに、紅虎は後ろを振り向かずに屈み込んで、自分に向かって飛んでくる和生の蹴りを見事に避けた。

 

「……なっ!? 避けやがった」

 

「おやおや……いきなり奇襲ですか、私は嫌いじゃありませんよ」

 

 まるで最初から和生に奇襲を掛けられることを予測していたと言わんばかりに、紅虎は平然とした表情を浮かべながらも和生の蹴りを難なく避けられた。

 

 このとき、紅虎の笑みを浮かべている余裕っぷりが許せなかった。奇襲を仕掛けて失敗したうえに、まるで俺を嘲笑っているように感じたからだ。

 

「……ちっ! 何処までも俺を嘗めやがって」

 

 奇襲は失敗に終わったが、そんなことは関係ない。そのまま何の合図もなく組手が開始された。

 

 今の奇襲を除いて、まず最初に攻撃を仕掛けたのは和生の方だった。

 

 その場で和生は戦闘体勢に入った瞬間、拳による打撃はもちろんのこと、手刀や肘打ち、蹴りや膝蹴りなどの多彩な戦法を自在に扱って、攻撃を仕掛けた。

 

 その際、和生が集中的に狙ったのは、こめかみや鳩尾、喉仏や人中、目や顎など、主に人体の急所と呼ばれる部分。

 

 まともに喰らえば地獄のような苦痛に襲われるのはもちろんのこと、当たり所が悪ければ最悪の場合は死に至ることだってある。

 

(……これならどうだ!)

 

 これだけ連打を放てば流石に一発くらいは当たるだろう。そう和生は内心で思っていた。

 

 だが、相手が極めて悪かった。

 

 恐ろしいことに縦横無尽に放たれる和生の急所突きを、まるで見切ってると言わんばかりに紅虎は全て避け続ける。

 

(……おいおい嘘だろ? 何で一発も当たらないんだよ?)

 

 相手は防御体勢に入るどころか構えすら取っていない。にも関わらず俺の攻撃は当たりもしなければ掠りともしない。

 

 我流とはいえ、俺の身体能力や戦闘技術は一般人はもちろんのこと、ある程度の武術家や格闘家なら難なく通用する。

 

 しかし、この紅虎には微塵足りとも通用しない。例え、俺の全てをぶつけても、勝利のイメージが全くもって浮かびあがらない。一体、戦力の差がどれだけ開いているのか?

 

「ほう…人体の弱い部分を中心に狙ってくる急所突きですか、中々えげつないことをしますね」

 

 全て避けているうえに、況してや完全ノーガードの状態でそんな評価をされても、和生からしてみれば嫌みにしか聞こえない。

 

「……ふざけやがって」

 

 それに対して紅虎の余裕に満ちた態度と発言が許せなかったのだろう。和生は怒りに満ちた表情を浮かべると、攻撃の手数が増えて荒々しくなると同時に、繰り出すスピードが徐々に加速していく。

 

(……どこまでも俺のことを嘗めやがって。 こいつだけは絶対に叩き潰さねぇと気が収まらねぇ)

 

 一見、ぶちギレて頭に血が昇っているように見えるが、こう見えて和生は頭の中で色々な戦法や相手に対抗するための策を考えている。

 

 単純に考えてみれば、紅虎が俺の攻撃を華麗に避け続けているのは確かなことだが。その反面、戦闘の構えを一切取っていない。

 

 俺のことを嘗めて構えを取らないのか、それともこれが紅虎の戦闘の構えなのか、その真相は俺にはわからない。

 

 まぁ、どちらにしても、今の状態では避け続けることはできても、反撃することはできないだろう。そう和生は思っていた。

 

…………しかし。

 

 回避し続ける紅虎に対して追い打ちを掛けるかのように、和生が拳を振りかぶって打撃を放とうとした瞬間だった。

 

 予想外のことに、紅虎は一切の構えを取らないまま、ノーモーションの状態で和生の顔面に向かって打撃を繰り出してきた。

 

「……あっ?」

 

 ノーモーションで紅虎が打撃を繰り出してきた時には、拳はすでに目の前まで迫ってきており、避ける隙はもちろん、受け止める時間も一切残されていなかった。

 

 故に、避けるどころか、防御体勢に入ることも許されず、和生は繰り出された紅虎の打撃をモロに喰らってしまった。

 

「あがっ!!」

 

 紅虎の打撃が顔面にヒットした瞬間、和生の鼻から鮮血がゆっくりと流れ出した。

 

 このまま接近戦を続けたらまずいと直感が察知したのだろう。紅虎との距離を離すために、和生は後ろへと下がって体勢を整えた。

 

(なんだ今のパンチ? 準備動作もなく、いきなり飛んで来やがった!)

 

 打撃を喰らった際、和生は今なにが起こったのかわからなかった。突然だった、何の準備動作もなく打撃が飛んできたのだから。 

 

 これは避ける避けれないの問題ではない。気が付いたら顔面に打撃を喰らっていたのだから。

 

 しかし幸いのことに、打撃そのものの威力は大したことはなく、その証拠に鼻血を出すだけで済んだ。

 

「なるほど、拳を交えてようやくわかりました。兄と違って優しさと躊躇いが一切ありませんね」

 

 寧ろ、それこそが大和にはない、和生だけの強みであり武器でもあるだろう。

 

 相手を殺傷するうえで、邪魔になる感情の大部分とは『慈悲』や『優しさ』、『躊躇い』や『情け』なのだから。

 

 しかし生憎、戦闘をするうえで和生はそう言った感情を持ち合わせていない。 故に心置き無く人を殺傷することができる。

 

「……ちっ! 兄貴と一緒にはされたくねぇな」

 

 あんな生ぬるい性格の兄貴と比べられるのが無性に腹立たしい。 正直、人体の急所を優先的に突くことが出来ない奴と比べては欲しくない。

 

 それに身体能力では劣っているが、頭脳と精神面だけなら兄貴に負ける気はしない。

 

 紅虎との距離を空けてから、少しだけ体力が回復すると同時に気持ちが落ち着くと、和生は再び身を構えを取って戦闘の準備をする。

 

(こいつには小細工は通用しない。それなら速さで勝負するしかねぇな)

 

 持ち前の脚力で地面を思いきり蹴った瞬間、和生は紅虎との距離を一気に詰めて懐に潜り込んだ。

 

 そして和生は人指し指と中指を立てて目潰しの構えを取ると、そのまま紅虎の目に向かって指を繰り出してきた。

 

 和生の繰り出した目潰しのスピードはボクシングのジャブと差ほど変わらず。常人ならまず避けることはできないだろう。

 

(……よし、取った!)

 

 相手は無防備、避けることは不可能、これなら目潰しは決まると和生はそう思っていたが、しかし。

 

 恐ろしいことに、和生が繰り出した目潰しを紅虎は無防備の状態から意図も簡単に素手で捕らえてしまう。

 

「……なっ!?」

 

「目潰しですか、随分と幼稚で……そして単純な攻撃なんでしょう。 正直幻滅してしまいました」

 

 この時の紅虎からは余裕をもった態度や雰囲気は完全に消え去り、代わりに慈悲や優しさを一切感じさせない冷酷で無情な態度を見せた。

 

(……なんだこいつ!? 雰囲気がいきなり変わりやがったぞ)

 

 同時に和生は紅虎に対して恐怖を感じた。 そう、紅虎の態度や雰囲気が変わった瞬間、自分に向かって放たれた背筋が凍りつくような殺気に恐れたのだ。

 

 そして紅虎は掴んでいる和生の右手首を離さないようにしっかりと握りしめたあと、足の親指で和生の足の甲を刺すように踏みつけた。

 

「………ぐっ! あがぁっ……!」

 

 紅虎に足の甲を踏まれた瞬間、和生の足にまるで釘や杭を打ち込まれたような激痛が走った。

 

 余程の痛みなのだろう。あまりの痛みに和生は苦痛で顔を歪ませ、反撃どころか闘うことすら儘ならない状態だった。

 

 痛みに気を取られている和生に対して、紅虎は容赦なく強烈な打撃を繰り出してくる。

 

 そして何の抵抗もする暇もなく、紅虎の放たれた打撃が和生の顔面にクリーンヒットしてしまった。

 

……ドガッッ!!

 

 紅虎の打撃を喰らった瞬間、口の中が深く切れてしまったのだろう。和生の口から鮮血が垂れ流れてくる。

 

「………ちっ! こんなもんで」

 

 紅虎の打撃をモロに受けても尚、和生は気合いと根性でその場に踏み止まり、決して身体が倒れることはなかった。

 

 しかし、和生は倒れはしなかったが、当たり所が悪かったのだろう。目に写る景色はどろどろに歪み、意識が徐々に薄れていくような感じがする。

 

「……やはりタフですね。常人ならまず、意識を断てるはずなのに」

 

 もはや立っているのが精一杯なのにも関わらず、和生は最後の気力を振り絞って拳を固めると、腕を振りかぶって紅虎に殴り掛かった。

 

 消耗した体力、蓄積されたダメージ、精神的による疲労から考えて、これが最後の攻撃となることは目に見えている。

 

 だが、今から放とうとする和生の渾身の一撃も、紅虎からしてみれば欠伸が出る程に遅く、そして虫も殺せない程に弱い打撃としか見えないだろう。

 

「それなら、これはどうでしょう?」

 

 それは和生が紅虎に向かって拳を振り下ろそうとした瞬間だった。

 

 一体何が起こったのか、紅虎に向かって打撃を放つ直前、和生は何の前触れもなく地面に倒れ込んでしまう。

 

 この時にはすでに意識が完全に失っているのだろう。和生は地面に倒れ込んでから、ピクりとも動く気配はなかった。

 

 だが、和生が動かないのも無理はない。和生の脳は頭骨内で振動激突を何度も繰り返して、典型的な脳震盪の症状が起こっているのだから。当分目覚めることはないだろう。

 

「神速とでも名付けましょうか。 三ヶ所の急所に打撃を放ちました………とは言っても、もう聞こえていませんかね」

 

 あまりにも速すぎて何が起こったのか全然わからなかったが、紅虎は和生の顎、喉、鳩尾の三ヶ所をほぼ同時に突いたのだ。

 

 しかし、人間の反応速度では追い付かないスピードで打撃を放ったので、恐らく和生は一撃目で意識を失ったあとは、ダメージはともかく喉と腹部の痛みは全く無いのだろう。

 

 こうして紅虎と和生、二人の組手に終止符が打たれた。

 

 

 

 《~それから数十分後~》

 

 

 

 組手が終わってから数十分が経った後、気を失っていた和生はようやく目を覚ました。

 

 まだ組手でのダメージが残っていたのだろう。身体を動かそうとすると頭痛や目眩、疲労感などと言った症状に襲われる。

 

 しかし、そんな症状に悩ませられながらも、和生はゆっくりと身体を起き上がらせて周りを見渡した。

 

 どうやら意識を失って倒れた後、俺は紅虎な道場から連れ出されることもなく、その場でずっと眠っていたらしい。

 

「……ぐっ」

 

 だが、和生の身体にダメージが残っていたのは、脳震盪による症状だけではなかった。

 

 身体を少しだけ動かすと、喉と腹部に覚えの無い鈍い痛みが走り出した。

 

「なんだこの痛みは?」

 

 不思議に思うのも無理はない。組手中に喉や腹部に攻撃を受けた覚えはないのだから。

 

 何の抵抗もできずに気を失う直前、顎先に何かが掠ったような感覚は辛うじて覚えているが、それ以外は何をされたのか全くわからない。

 

 それにしても紅虎の野郎、一体どんな技を使ってきたのか? 正直検討もつかない。

 

「ようやく目が覚めましたね」

 

 それから和生が目を覚まして身体を起き上がらせると、近くで座っていた紅虎が声を掛けてきた。

 

「……何だ、いたのかよ」

 

 もしかして俺が気を失っている間、紅虎はずっと道場にいたのか。 そうだとしたら、お人好しとしか言いようがない。

 

 まぁ正直、今はそんなことはどうでもいい、それよりも紅虎に対して一つだけ聞きたいことがある。

 

「それで、俺の実力はどうだった? 正直、弱すぎて呆れてたんだろ?」

 

「いえ、そんなことはありませんよ。 強いて言うなら勿体無いと思いましたね。

 もしも、もっと早く私と出会って、師弟関係になっていたら、今の数倍以上の実力になっていたでしょう」

 

「それはどうも、お世辞でも嬉しいよ」

 

 だが、それが本人の本音なのか、それともお世辞なのかは正直なところわからない。

 

 しかし、もしも俺が紅虎を師匠にしてたら、間違いなく兄貴と同等かそれ以上の実力を手に入れていたと確信ができる。

 

「ところで、少しだけご相談があるのですが、宜しいですか?」

 

「なんだよ?」

 

「実はこれからの事で、あなたに協力して貰いたいことがあるのですよ………」

 

 そのあと紅虎は、自分が大和と本気で戦うために考えたある程度の計画を和生に対して説明をした。

 

 こうして紅虎と和生の話し合いにより、大和の力量を図るための試練的な計画が組み立てられた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十四話 師弟対決 大和VS紅虎

 二時限に渡って行われた体力テストが終わり、教室でホームルームを済ませた後のこと。

 

 大和と幽々子の二人はカバンなどの荷物を持って、いつも通り逸早く教室を出ると、階段を降りてから昇降口に向かって歩いて行く。

 

 校舎の出入口である昇降口にたどり着くと、二人はその場で履物を履き替えてから下校をした。

 

 昨日と同様、特に寄り道もせず、そのまま真っ直ぐ家に帰宅する大和と幽々子。

 

 そんな帰宅途中、大和は幽々子に対して一つだけ気になることがあり、それをずっと一人で考え込んでいた。

 

(そう言えば幽々子さん、下校中どこかに寄りたいとか言ったことなかったよな?)

 

 普段なら好奇心旺盛で、現代の文化に興味を持っている幽々子だが、良く考えてみれば帰宅途中にどこかに寄りたいと言ったことがない。

 

 しかし隣で幽々子の様子を伺っても、どこかに行きたいと思わせる素振りは一切見せず。それどころか寄り道せずに帰宅することに何の不満も感じていないようにも見える。

 

(何でだろうな? 別に行きたい場所があるなら連れていってやるのに)

 

 もしかして学校で勉学に励んでいる俺のことを気遣ってくれてるのか? それとも単に興味を示すものがないだけなのか? その真相は本人でなければわからない。

 

 だが、どんな理由でも幽々子さんが俺のこと気遣う必要がなければ、我慢することはない。 この時代の文化に触れて、逸早くこの世界に慣れて欲しいということもあるからだ。

 

 それに、興味があるものや行きたい場所があるのにも関わらず、俺のことを気遣って幽々子さんが我慢していると考えると心苦しくて胸が痛む。

 

(……どうしようかな? やっぱりここは俺が寄り道に誘った方が良いのか? でも、それじゃあ幽々子さん遠慮しちゃうだろうし。やっぱ幽々子さん自らが寄り道したいって言うまで待った方が良いのかな?)

 

 そんなことを大和は内心で一人考え込んでいるだけで、幽々子に対して言葉にすることはなく。ただ時間が流れていくだけで進展することはなかった。

 

 その際、さっきから浮かない表情を浮かべながら一人で何かを考え込んでいる大和が気になったのだろう。 

 傍にいた幽々子はそんな大和の横顔を見ると、不思議そうな表情を浮かべながら大和に対して質問を問いかけてくる。

 

「ねぇ大和、さっきから浮かない顔してるけど、どうしたのかしら?」

 

「……えっ? あっ、いや……別になんでもないよ」

 

 不意にも幽々子に声を掛けられたことで大和は若干動揺を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻して幽々子の質問に答える。

 

 しかし本人は何でもないと言うものの、幽々子は大和が嘘をついていることを即座に見破った。

 

 確かに今、大和は一人で何かを悩んでいた。その原因はわからないが、取り敢えず大和が何かの悩みを抱え込んでいることはすぐにわかった。

 

「本当かしら? 私には大和が悩んでいるように見えたんだけど」

 

「ホントだって、別に何も悩んでいないからさ、あはははぁ……」

 

 愛想笑いを浮かべながらも大和はそう答える。

 

 これでは、どれだけ問い詰めても大和が口を割ることはないと悟ったのだろう。

 幽々子は問い詰めることをやめると、その代わりに呆れた表情を浮かべて深くため息をついた。

 

「……はぁ~、わかったわ。今回はそういうことにしてあげる」

 

「そんな顔をするなよ幽々子さん、そんなことよりもさ、早く家に帰って飯にしようぜ」

 

「それもそうね、お腹空いたわ」

 

 一か八かで話題を変えてみたが、どうやら幽々子さんの機嫌が多少良くなったように見える。

 

 下校途中にそんなことを話しながらも、大和と幽々子の二人は歩いて草薙家に帰宅をした。

 

 

 

 

 《屋敷に帰宅後》

 

 

 

「ただいま~……って、誰もいるはずねぇか」

 

 玄関のドアを開けて家の中に入ってみると、そこには誰かの靴が綺麗に整えて置かれていた。

 

「大和、これって?」

 

「……あれ? なんで俺達以外の靴があるんだ?」

 

 もしかして泥棒が入ったのか? いや、それは決してないだろう。まず泥棒なら靴を脱がずに土足で家に入るだろうし、何よりも学校に行く前には屋敷中の戸締まりをしっかりと確認した。

 

 この靴が泥棒の物でないのなら、この屋敷を自由に出入りすることが出来る人は限られている。まず草薙家である俺と和生と兄の武尊、そして俺の師匠であり保護者のような存在である御巫紅虎ぐらいだろう。

 

 二人は履き物を脱いでから家に上がり、廊下を歩いて居間に来てみると。

 

「やっぱり、紅虎さんだったか」

 

「あら二人共、お帰りなさい」

 

 案の定、そこには大和の師匠である御巫紅虎がちゃぶ台を前に、座布団の上で正座をしながらお茶を楽しんでいた。

 

「この時間に紅虎さんがいるなんて珍しいですね、何か俺に用があるんですか?」

 

「いえ、特にこれと言った用はありません。強いて言うなら、お夕飯を作ってあげようと思って来ただけです。」

 

 まぁ、この人はかなりの気分屋で神出鬼没だし、どんな理由で家に来ようともあまり驚きはしない。

 

 それに気まぐれとはいえ、紅虎さん自らが料理を作ってくれるのはとても好都合なことだ。

 

 紅虎さんの料理はバリエーションが豊富なうえに味も最高に美味しい。恐らく幽々子さんも心から満足してくれるだろう。

 

 そんな時、何か用件でもあったのか、手に持っていた湯飲みをちゃぶ台に置いたあと、紅虎は一度態度を改めてから大和に話しかけてくる。

 

「ところで大和、一つお願いがあるのですが」

 

「俺に頼み事なんて珍しいですね、何ですか?」

 

 紅虎が自分に頼み事をしてきたことが余程珍しかったのだろう。 大和は若干驚いたような表情を浮かべてしまう。

 

「たいしたことではありません、ちょっと夕飯の買い出しを頼みたいだけです」

 

「それならお安いご用ですよ」

 

 すると、あらかじめ用意していたのか、紅虎はズボンのポケットから買い出しのメモを取り出すと、すぐに大和の前に差し出した。

 

「では、これが買い出しのメモです。 頼みましたよ」

 

「はい、わかりました。 それじゃあ今すぐ買いに行ってきますね」

 

 メモの内容を軽く拝見してみたが、走ればすぐにでも終わりそうな買い出しだった。 これなら幽々子さんを屋敷で待たせ、一人で買い出しに行った方が効率が良いだろう。

 

 早速、大和は夕飯の買い出しに向かうために、一人で居間から出ていくと、そのまま玄関に向かって走って行った。

 

「それじゃあ私も大和と……」

 

 恐らく大和と一緒に買い出しに行きたかったのだろう。 幽々子は自分も連れていって欲しいと言わんばかりに、大和を追いかけようとする。

 

「幽々子さんにはちょっと手伝ってほしいことがあるので、申し訳ありませんが残ってくれますか?」

 

 しかし、大和に続くように幽々子も居間を出ていこうとすると、側にいた紅虎に呼び止められてしまう。

 

「……えっ? えぇ、わかりました。でも、大和を見送らせてください」

 

「それは構いませんよ」

 

 紅虎から許可が降りた瞬間、すぐさま幽々子も居間を出ていき、先に玄関に向かっていった大和を走って追いかけた。

 

 そして玄関に来てみると、そこには靴紐を縛って出掛ける準備をしている大和がいた。どうやら見送りに間に合ったようだ。

 

 それに対して大和は、急いで玄関にやってきた幽々子に気が付くと、なぜ来たのかと言わんばかりに呆然とした表情を浮かべる。

 

「あのさ幽々子さん、俺すぐに帰ってくるんだし、玄関まで付き添ってくることはないだろ?」

 

「もう大和ったら、そんな冷たいこと言わないでよ。 あっ、もしかして私がいなくて寂しいのかしら?」

 

「頼むから変なことを言わないでくれ」

 

 そんなことを幽々子と話しながらも、大和は靴紐を縛り、履き終えると、その場から立ち上がって玄関のドア開ける。

 

「それじゃあ行ってくるから、大人しく待ってろよ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 玄関で幽々子に見送られながらも、大和は夕飯の買い出しに出掛けていった。

 

 それから、大和が買い出しに出掛けて玄関からいなくなると、幽々子は少し寂しそうな表情を浮かべながら、ため息をついて居間に戻っていった。

 

「……はぁ~」

 

 からかって大和にはあんなことを言ったが、本当に寂しかったのは自分の方だった。

 

 正直なことを言うと、大和と一緒に夕飯の買い出しに行きたかった。 だけど、紅虎さんが手伝ってほしいことがあると言ってたから、仕方がなく屋敷に残ることにした。

 

 大和と一緒に買い物に行けなかったことが残念だと言わんばかりに、幽々子は寂しげに歩いて居間に戻っていった。

 

「それで紅虎さん、私に手伝ってほしいことは何かしら?」

 

 しかし居間に戻ってみても、さっきまでいた紅虎の姿はどこにも見当たらず、部屋はもぬけの殻になっていた。

 

「……あら、いない? どこに行ったのかしら?」

 

 幽々子が紅虎を探している最中、廊下から気配を殺して誰かが幽々子の背後に近づいてくる。

 

 それから、気配を消して気付かれずに誰かが幽々子の真後ろにやって来ると、そいつは幽々子の肩にゆっくりと手を乗せた。

 

 それに対して、背後から肩を掴まれた瞬間、幽々子は驚いた表情を浮かべていると、自分の背後にいる人物を確認するために、すぐさま後ろを振り向いた。

 

「……あなたは!?」

 

 

 

 

 

 

 《買い出しに行ってから数十分後》

 

 

 

 

 

「紅虎さん、買い出し行ってきましたよ」

 

 居間に来てみると、そこには紅虎どころか幽々子の姿すら見当たらなかった。

 

「……あれ? 誰もいない」

 

 恐らく紅虎さんは夕飯の支度をしてるからいないのだろう。それに日頃の行いから考えれば紅虎さんは出没自在な人だし、突然現れてはいなくなるのはいつものことだったから違和感はまったくなかった。

 

 しかし幽々子さんが居間にいなかったことに関しては妙な違和感を覚えていた。 

 

 多少好奇心旺盛とはいえ、幽々子さんが一人で屋敷の中を徘徊するとは到底ながら考えられない。 やはり俺がいない間に何か屋敷であったのか。

 

 居間に誰もいない代わりに、ちゃぶ台の上をふと見てみると、そこには一通の手紙のような物が置かれていた。

 

「なんだこれ? 手紙か」

 

 誰宛かは知らないが、とりあえず大和はちゃぶ台の上に置いてある手紙を手に取り、読み上げる。

 

 手紙の内容はこういうものだった。

 

『----我が弟子、大和へ。

 

 この手紙を読みましたら、道場へ来なさい。

 

               御巫紅虎より』

 

 どうやらこの手紙は紅虎さんが書いたものらしい。しかも宛先は俺だった。

 

 あの人は一体、何を考えてるんだ? これだと読まなかったら行かなくていいって事になるだろ。

 

 まぁ、だけど気になることが色々とあるし、とりあえず道場に行くか。

 

 

 

 

 《道場に移動後》

 

 

 

 

 

 道場の扉を開けて足を踏み入れた後、大和を待っていたのは目を疑うような光景だった。

 

 道場で待っていたのか、ここに来るように手紙で差し向けた紅虎、そしてその隣には幽々子を捕らえている和生がいた。

 

「……えっ?」

 

 紅虎さんがいるのは最初からわかっていたが、なぜ和生と幽々子さんがいるのか? それに何で和生は幽々子さんを取り押さえているのか。 わからないことが沢山あった。

 

「紅虎さん……それに和生も、一体何をしてんだよ?」

 

「あらあら、鈍い子ですね大和、この状況を見てわかりませんか?」

 

「悪いな兄貴、この女、幽々子は俺達が頂くぜ」

 

 あまりにも突然な出来事に、これがどうゆう状況なのか。そして、今の和生の発言がどうゆうことなのか、大和にはさっぱり理解ができなかった。

 

 それに不可思議に思ったことは、お互い関わりがあまりなかったはずなのに、なぜ和生と紅虎さんは幽々子さんを誘拐しようとしているのかだ。

 

 それから、到底のことながら飲み込めない状況に苦しみながらも、無い知恵を振り絞って大和が出した結論は。

 

「はっ、あははぁ…… わかった、これは俺を困られるための冗談だ。三人でグルになって大掛かりな冗談をしてるだけなんだ、そうだろ?」

 

「いいえ大和、これは冗談じゃないわ。 その証拠に、さっき紅虎さんが私に乱暴を……」

 

 さっき紅虎にやられたことを思い出したのだろう。幽々子は恥じらいのあまりに、顔を赤らめて目を背けてしまう。

 

 これは紅虎さんのいつもの冗談だと思った。冗談だと信じたかった。 だけど幽々子さんの恥じらいを含んだ表情を見て、そうもいかなくなった。

 

「それ本当なのか? ……紅虎さん、和生?」

 

「あぁ本当だよ兄貴、俺は側で見てたからな」

 

 どうやらこれは冗談でも大掛かりな悪ふざけでもなく、本当にこの二人は幽々子さんを連れ去ろうとしているらしい。

 

 だとすれば俺がやることはただ一つ。奪われる前にあいつらをぶっ潰して奪い返す。

 

「なぁ和生、俺達は長年苦楽を共にしてきた兄弟だよな? それなら……俺を怒らしたらどうなるか、わからねぇ訳ないよな?」

 

 まるで実の兄弟でも殺すと言わんばかりに、大和は気迫と眼で和生を威圧する。

 

 その際に、和生は大和に対して恐怖を感じたのだろう、重圧感と恐怖により和生の顔色は青ざめ、全身から冷や汗が出てくる。

 

 そして和生が闘う気力をほとんど削られ、精神的に追い込まれている最中、近くにいた紅虎が静かに口を開いてこう言った。

 

「それでは大和、私と差しで闘いなさい。 勝てば彼女を解放しましょう。ただし、負けたらわかりますよね?」

 

「望むところだ紅虎。てめぇだけは絶対に許さねぇ」

 

「そうです。その勢いで掛かってきなさい」

 

 幽々子に恥辱を与えたのにも関わらず、紅虎はまだ余裕を持った態度で師匠面をしている。

 

 込み上がる怒りを抑えながらも、大和は冷静に攻防が一体となった戦闘態勢(ファイトスタイル)を身構えて、御巫紅虎を迎え撃った。

 

(……いくぜ!)

 

 そして、大和は瞬きする暇すら許されない速さで距離を縮めると、紅虎の顔面に向かって左ジャブを繰り出してきた。先に攻撃を仕掛けてきたのは大和だった。

 

 しかし、先制攻撃とも呼べる大和の閃光のようなジャブを紅虎は紙一重で避けてしまう。

 

「ほう、なかなか速いですね、それに威力もある。まともに喰らえば、ひとたまりもありませんね」

 

 そう大和を評価をするように喋りながらも、紅虎はどこか余裕を持ってるような態度を取っている。

 

 これは単なるお世辞なのか、それとも本音で評価してくれているのか。正直なところ、どちらが紅虎の本音なのか全然わからない。

 

 だが今の紅虎で唯一わかっていることは、俺の攻撃をまったく危険と思っていないことだ。

 

「それが危険だと思っている態度かよ!?」

 

 次に大和は左ジャブからの右ストレート、ボクシングで言うワンツーを繰り出した後、相手の脇腹を目掛けて回し蹴りを入れた。

 

 だが、大和が繰り出したすべての攻撃をまるで見切っていると言わんばかりに、紅虎は華麗に難なく避けてしまう。

 

(……ちっ、一発も当たらねぇか)

 

 打撃も蹴りもすべて、手加減は一切せずに全力で繰り出した。しかし、まるで優雅に宙を舞う蝶のように攻撃を避けられてしまう。

 

 ここまでは大和が常に攻め込み続けているが、紅虎も回避や防御だけが能ではない。

 

「さて、今度は私の番ですよ」

 

 自分に向かって繰り出された攻撃をすべて避け終えた後、次はこちらが攻める番だと言わんばかりに紅虎は大和の喉元に向かって手刀を繰り出してくる。

 

 その瞬間、何か危険を感じ取ったのだろう。繰り出された紅虎の手刀を大和は本能的に避けた。

 

「……あぶねぇ!」

 

 辛うじて直撃は免れたものの手刀は頬を掠り、まるでカミソリで切られたような切り傷を負ってしまう。

 

(……刃物!?)

 

 刃物のような切れ味を帯びている程の紅虎の手刀、あれを喉に喰らったら間違いなく致命傷は免れなかっただろう。

 

 しかし紅虎の攻撃はたった一撃では終わらない。相手に反撃の隙を与えることなく、紅虎は正拳突きをがら空きになった大和の腹部に向かって繰り出してきた。

 

「なっ、正拳突き!?」

 

 これをまともに受けたら悶絶することは間違いないと思ったのだろう。大和は瞬発的に両腕で身体を守り、ガードをしっかりと固めた。

 

 そして、紅虎の正拳突きを喰らった瞬間、余程の威力があったのだろう、完全防御態勢に入っていた大和の身体が後ろへ少し下がってしまう。

 

「………ぐっ!」

 

 ガード越しでもはっきりと伝わるこの威力、恐らく紅虎は俺と同等がそれ以上の腕力を持っているのだろう。

 

「なるほど、防御も良好ですね、これを崩すのは至難の技でしょう」

 

 冗談じゃない。たった一発の正拳突きでガードがほとんど半壊してしまったのだ。 次にさっきのような一撃を喰らったら、ガードが確実に崩れるのは目に見えている。

 

「……ちっ!」

 

 そんな最悪な状況になる前にも、大和は苦し紛れに渾身の正拳突きを繰り出した。

 

 無論、苦し紛れに放った大和の正拳突きは、紅虎に当たるどころか、掠り傷一つ負わせることができなかった。

 

 だけど、避けられたからどうと言うのだ? そんなことは端からわかっていたことだ。別に当たるなんて微塵にも思っていない。

 

(……これならどうだ!)

 

 相手に反撃する隙を与えないと言わんばかりに、尽かさず大和は無呼吸連打を繰り出してきた。

 

 無呼吸連打、それは鍛え抜かれたアスリートの無酸素運動を凌駕する猛攻撃。 

 

 そして大和の無呼吸運動は三分間続き、その間だけは一瞬の間が空かない。故に相手は反撃する隙もタイミングも与えない。

 

 この猛連撃なら、いくら紅虎でも数発は当たるだろうと大和はそう思っていた。しかし。

 

 呼吸どころか瞬きする暇すら与えられない大和の無呼吸連打を、紅虎は素早く身体を動かして避け続けた。

 

(……ちくしょう! 一発も当たらないのかよ?)

 

 下手な鉄砲も数撃ち当たるだろうと考えていたが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。

 

 一発も当たらない。どれだけ無呼吸連打を叩き込んでも紅虎には掠りもしない。 これが実力の差と言うやつなのか?

 

 そして、右へ左へと縦横無尽に身体を反らして避けながらも、紅虎は涼しい表情を浮かべながら口を開いた。

 

「大和、あなたは強い……確かに強いです……ですが、その程度の攻防では私には勝てません」

 

 攻撃を素手で華麗に受け流した後、紅虎は親指と人差し指の付け根を使って大和の顔面、細かくは鼻と眉毛の間を強打する。

 

 虎口拳(ここうけん)、親指と人差し指の付け根を使って、縁道と呼ばれる鼻と眉毛の間を強打させる技。その効果は数瞬だが、視力と思考力が失われ、次の攻撃をまともに受けることになる。

 

「……っ!?」

 

 紅虎の虎口拳をまともに喰らった後。大和を待ち構えていたのは、これ以上にない最悪な状況だった。

 

 大和は視力と思考力を奪われると同時に、命綱であるガードすら下げてしまって、完全に無防備な状態になってしまう。

 

 そして一瞬の隙を見逃すことなく、紅虎はがら空きになった大和の腹部に向かって手のひらを添えた。

 

 大和が失われていた視力と思考力を取り戻した時には既に遅く、気付いた時には防御も回避も不可能な現状だった。

 

「……えっ?」

 

「破ッ!」

 

 念と言うのか気と言うのか、紅虎が手のひらを添えていた大和の腹部に力を込めた瞬間、大和の体内にとてつもない衝撃(インパクト)が送り込まれた。

 

 バットや木刀などの鈍器で殴られた痛みとは違い。まるで人体の急所の一つである鳩尾を抉られたような痛みが腹部全体に広がった。

 

「………ッ、ガハッ!」

 

 内蔵が損傷したのだろう。大和は少量ながら吐血すると同時に肺の空気を全部吐き出してしまい。さらに最悪なことに呼吸困難に陥って息ができなくなってしまう。

 

「……ぐっ! あぁ……あがっ……」

 

 腹部の痛みと呼吸ができない苦しみに大和は苦痛に満ちた表情を浮かべながら両手で腹部を押さえると、両膝を付いて踞ってしまう。

 

(……何だ今のは? 一体何が起きたんだ?)

 

 紅虎が繰り出した今の技は一体なんだ? あんな技があるなんて、師である紅虎から教えられたことがなければ、今まで見たことがない。

 

 敵を前に身動が取れない状態に陥る大和、紅虎からしてみれば相手を仕止めるにはこれ以上にないチャンス。

 

 だが、紅虎はあえて攻撃を仕掛けることはなく、ただ踞っている大和を見下すだけだった。

 

「流石ですね大和、普通の人間なら苦痛のあまりに失神する程の発勁(はっけい)に耐えるとは、やはり日々の鍛練を怠っていない証拠ですね」

 

 発勁とは中国武術に伝わる技術の一つである。発勁には寸勁や浸透勁、鎧通しなど様々な種類があり、流派によって、その威力や効果は異なる。

 

 今さっき紅虎が使った発勁は、人間の肉体を水と言う考えを中心とした中国武術北派の技。

 

 本来ならこの水分は外からの衝撃を吸収してくれるのだが、北派はその水分を逆利用して、体内に強いショックを伝えることにより、内臓等に深いダメージを与える、えげつない技だ。

 

「しかし……いくら気を失わなかったとはいえ、闘いの最中に跪くとは……到底のことながら感心できませんね」

 

 すると何を思ったのか、闘いの最中に紅虎は大和に背を向けると同時に、幽々子と和生がいる場所へと近づいていく。

 

「それに、まだ貴方は本気を出すことを躊躇っている。 ならどうすれば本気で私と闘ってくれるでしょうか? それはとても簡単な事です」

 

 その言葉を聞いた瞬間、大和はとてつもない悪寒を身体中で感じると同時に、何か不穏な予感を覚えた。

 

 何故かわからないが、今から実行させるであろう紅虎の次の行動がまるで手に取るようにわかる。 それも俺が決して望まない最悪な出来事だ。

 

「……まさか? ……嘘だろ?」

 

 不幸にも大和の嫌な予感は当たり、紅虎は幽々子を前にゆっくりと平手を振りかざした。

 

「やっ、止めろッッ!」 

 

 しかし大和の悲痛の声は紅虎の耳に届くことはなく、そのまま振りかざした手を幽々子に向かって。

 

………パシィーン!!

 

「………キャッ!」

 

 理不尽にも紅虎は何の罪もない幽々子の頬を思い切り平手で引っぱたいた。

 

 幸いにも顔が痛々しく腫れ上がることはなかったが、叩かれた幽々子の頬は少し赤くなってしまう。

 

「どうですか大和? これで本気を出す気になれましたか?」

 

 幽々子を引っ張たいた事に対して、罪悪感どころか、まるで何も感じていないと言わんばかりに、紅虎は冷酷な表情を浮かべながら大和を睨みつけた。

 

………プツンッ!

 

 幽々子が平手を受けた瞬間、大和の中で何がぷつりと切れてしまった。 

 

 自分の何が切れたのかはさっぱりわからない。しかし、唯一わかることは絶対に切れてはいけない、何か枷のような物が切れてしまったと言うこと。

 

「こっ…紅虎てめぇ!!」

 

 絶対に許さない。殺してやる。必ず息の根を止めてぶっ殺してやる。 そんな言葉で大和の頭の中はいっぱいになっており、腸煮えくり返って理性の枷がほぼ外れている状態に陥っていた。

 

 その最中、怒りや殺意によるものなのか、理性が半分吹き飛んだ変わりに、腹部の苦痛は完全に取り払われ、肉体には今までに感じたことがない力が溢れてくる。

 

 そして殺意と怒りに満ちた雰囲気を漂わせて、大和はその場から立ち上がると、狂気に満ちた表情を浮かべながら紅虎を睨み付ける。

 

「紅虎っ! てめぇだけは絶対に許さねぇ! 生きて帰れると思うなよ!」

 

 それに対して紅虎はどこか余裕を持った態度をみせると同時に、冷静に涼しげな表情を浮かべている。

 

「そうです大和、それで良いのです。 さぁ、私を殺す気で掛かってきなさい」

 

 そう言い終えた瞬間、一体どのタイミングで間合いを詰めてきたのか、気付いたときには既に、大和は紅虎の懐の潜り込んでいた。

 

「……いつの間に!?」

 

 不覚にも自分の懐に潜り込まれたことが予想外の出来事だったのだろう。流石の紅虎も驚いた表情を浮かべてしまう。

 

 気配を殺して、況してや音風を立てずに高速に近いスピードで移動する脚力。 常人ならまず、大和の存在に気付くこともなく、そのまま攻撃を食らってしまうだろう。

 

 だが、その時の紅虎のガードは極めて緩みきっており、その隙を突いて大和はガラ空きになっていた紅虎の脇腹を目掛けて横蹴りを繰り出した。

 

「オラァ!!」

 

 この至近距離では避けるのは不可能、しかし、まともに喰らったら無事ではすまないと思ったのだろう。紅虎は腕を盾にして蹴りを受け止め、身体を守ろうとするが。

 

 蹴りを間一髪でガードしたのにも関わらず、紅虎の身体は横へ『く』の字のように曲がってしまう。

 

「………うっ! これは!?」

 

 蹴りの威力を受け止めきれず、身体にダメージを負ってしまったのだろう。流石の紅虎も辛そうな表情を浮かべてしまう。

 

 これが本気を出した大和本来の力なのか、先程とは比べ物にならないほどの瞬間力と破壊力だ。 常人がまともに喰らったら絶命は免れないだろう。

 

 それから、紅虎の防御と態勢が崩れると、その隙を一瞬足りとも見逃さずに大和は怒濤の猛連撃(ラッシュ)を繰り出してくる。

 

(……これは無呼吸連打? いや、違う。この連打は?)

 

 さっきの闇雲に殴り続ける無呼吸連打とは違い、今放つ大和の打撃は小さく、そして鋭く、確実に急所のみを連打で突いてくる。

 

 なんと素晴らしい、そして、なんと恐ろしい技術を大和は身に付けたのだ。実に理に適った打撃だった。人間を撲殺するための。

 

 完全に殺しに掛かってきてる大和の打撃、並みの人間どころか一流の武術家でも死に至るだろう。しかし、紅虎はこんなことで終わる器ではない。

 

 ガードが崩れている状態から瞬時に態勢を整えると、間一髪のところで大和の打撃を避けたり、受け流し続けた。

 

 しかし、紅虎は焦りと驚きが混ざりあったような表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうにしているようにも見えた。

 

「素晴らしい! パワー、スピード、反応速度、技術、耐久力、どれを取っても近代格闘技の最高水準を容易に超えています」

 

 この時の大和は、身体能力、反射神経、技術、どれを取っても一流の運動家(アスリート)や達人レベルの武術家を容易に越えている。

 

 だが、その中でも驚異的だったのが、怒り狂って理性が半分吹き飛んでいるのにも関わらず、精密な機械のように急所を確実に狙ってくる正確さだ。

 

「……喰らえっ! 喰らえっ! 喰らえぇっ!」 

 

 まるで狂ったように、紅虎に向かって一心不乱に急所を殴りに掛かってくる大和。

 

 この有り様だと、どれだけ怒り狂っているのか、大和の表情や姿を見れば一目瞭然だろう。

 

 だが紅虎は自分の弟子に殺されそうになっているのにも関わらず、冷静に平然とした表情を浮かべながら口を開いた。

 

「ですが、もうそこまでにしましょう」

 

 反撃の隙が皆無同然なのにも関わらず、紅虎は攻撃を避けてから大和の懐に潜り込むと同時に、目では追えない程のスピードで顎先に打撃を打ち込んだ。

 

「……あっ?」

 

「これで勝負ありです」

 

 顎先に打撃が当たった瞬間、自分の意思とは別に大和は膝から崩れ落ちると、そのまま地面に倒れ込んでしまう。

 

「なに……が……起きた?」

 

 地面に身体を叩きつけられた事によって理性を取り戻すと、大和は自分自身が地面に倒れていることにようやく気がついた。

 

 そして理性を取り戻した時にはもう、大和の目に写る景色はどろどろに歪んでおり、到底の事ながら立ち上がれる状態ではなかった。

 

 だが、立つことすら儘ならない状態に陥っても、目の前を見てみると、そこには憎い紅虎が俺を見下ろしている。 

 

「てめぇ紅虎……このやろう……」

 

 足がガタガタと震えて自分の思い通りに動かないのにも関わらず、大和は根性と意地で立ち上がると、身体をふらつかせながらも紅虎に立ち向かっていく。

 

「くらい……やがれ……」

 

 それから大和はふらふらになりながら、ゆっくりと拳を振りかぶると、紅虎に向かって殴り掛かる。

 

 しかし、大和の身体は立っていることが奇跡そのもの、もはや閃光のように速く、そして殺人的威力を誇る打撃を打てる体力も力もない。

 

 今放った大和の打撃はスローモーションのようにゆっくりで、人間どころか虫一匹すら殺せない非力な打撃だ。

 

 そして、避けるまでもないと思ったのだろう、紅虎は自分に向かってゆっくりと飛んでくる大和の拳をしっかりと受け止めた。

 

「………へへっ」

 

 最後の力を振り絞って打撃を繰り出した後、大和は完全に力尽きてしまったのだろう、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。

 

 しかし何を思ったのか、力尽きて倒れそうになった大和の身体を、目の前にいた紅虎が優しく受け止めた。

 

「大和、あなたは十分に頑張りました。だからもう闘わなくていいんです」

 

 紅虎の言葉があまりにも予想外のことだったのだろう。一瞬驚いた表情を浮かべた後、大和はどこか満足そうな顔を浮かべながら意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

《~それから数時間後~》

 

 

 

 

 一体、気絶してからどのくらい時間が経ったのだろう。

 

 あまりにも速すぎて紅虎に何をされたのかもわからないまま、大和が深い眠りに就いてからかれこれ数時間の時が経った。

 

 そして、ようやく意識を取り戻して目を開けてみると、最初に大和が目にしたものは幽々子の心配そうな顔だった。

 

 俺の仰向けになってる体勢や後頭部に触れている優しく柔らかい感触から考えて、どうやら幽々子さんが膝枕をしてくれていたようだ。

 

「……あれ? 幽々子…さん?」

 

 何で紅虎と和生に捕らわれていた幽々子さんが俺に膝枕をしてくれているのか? 

 俺は紅虎に負けたはずなのに、なぜ幽々子をそのまま拐っていかなかったのかなど、大和の中では不自然に思うことが色々あった。

 

 それから、まさかと思って大和は上半身を起き上がらせた後に、周りを見渡してみると、目の前には和生と紅虎が座って寛いでいる姿が見えた。

 

「紅虎、それに和生! まだいやがったのか!?」

 

 さっきまで闘争心の欠片も無く安らかに眠っていたのに、二人の顔を見た瞬間には牙を向ける獣のように大和は威嚇をしてくる。

 

 それに対して紅虎と和生の二人はお互いの顔を見ながら呆れたような表情で溜め息をついた。

 

「あらら……兄貴はまだ俺達を恨んでるらしいですよ紅虎さん、どうしますか?」

 

「どうやら私の話を聞いてくれなさそうですね、では幽々子さんから説明をお願いします」

 

 紅虎がそう言うと、幽々子は二人に襲い掛からないように大和を背後から優しく抱き締めながら今までのことを説明した。

 

「ごめんなさい大和、これは貴方の試練みたいなものだったのよ」

 

「……はぁ? 試練?」

 

「えぇ、紅虎さんが本気になった大和の力量を知りたいから、私に『演技をして欲しい』と頼まれたのよ」

 

 最初は試練とか何とか言われても、どうゆうことなのかさっぱりわからなかったが、話しを聞いていく度に今まであった出来事の意味がようやくわかってきた。

 

「ってことは……今までにあったこと全部」

 

「そうです大和、闘い以外は全て演技のようなものですよ」

 

 何かを悟った表情を浮かべながら大和がそう言うと、今度は紅虎が喋りだした。

 

 つまり最初から三人はグルで、これまでの和生や紅虎の度が過ぎた発言や行動は全て俺を怒らせるためのものだったのか。

 

「でもよ幽々子さん、紅虎さんに思いきり叩かれてたよな?」

 

「大丈夫よ、あれは音だけで別に痛くなかったわ」

 

 つまりビンタの音が大きかっただけで、幽々子さんはほぼ無傷だったのか。まさか紅虎さんがそこまで考えてくれているとは思っていなかった。

 

 すると幽々子が無事で安心でもしたのか、大和は身体の緊張と力みが一気に抜けて、思わずほっとしてしまった。

 

 それから大和が安心していると、その際に紅虎は穏やかな表情を浮かべながら和生と幽々子に対してこう言った。

 

「悪いですが二人とも、少し大和と話があるので席を外して頂けませんか?」

 

「別に構いませんよ」

 

「えっ? えぇ……」

 

 多少疑問を抱きながらも幽々子と和生の二人は大和と紅虎を置いて道場から退出していった。

 

「さて大和……」

 

 すると一体何を思ったのか、紅虎は険しい表情を浮かべた瞬間、何の前触れもなく大和の頬を思い切り引っ張いた。

 

 いくら師匠とはいえ、理由も無く頬を叩くのはあまりにも理不尽、普段の大和なら完全にぶちギレていただろう。

 

 しかし、今回の大和は怒る気配は一切見せず、それどころか寧ろ暗い表情を浮かべていた。

 

「私があなたを叩いた理由、それがわからないとは言いませんよね?」

 

「……はい、わかっています」

 

 紅虎さんが俺を叩いた理由、わからない訳がなかった。何を隠そう、それは自分自身が一番知っていることなのだから。

 

「では聞きますが大和……あなた何故、初めから殺す気で闘わなかったのですか? まさかと思いますが、知人だからと躊躇いましたか?」

 

「……………はい、その通りです」

 

 闘う意思はあっても、自分を強く育ててくれた師匠を殺すのには躊躇いがあった。だが、幽々子さんが傷付いた時は別だ。あのときは本気で紅虎さんを殺しに掛かろうとしていた。

 

「良いですか大和、惚れた女性を人質にする相手が例え肉親や親友でも、殺す気で…いえ……躊躇い無く殺しなさい」

 

 その時の紅虎の態度は強い言葉を使って冷酷非情に振る舞っていたが、それ同時にどこか悲しそうにも見えた。

 

「では、今から私は夕飯の支度をするので、先に失礼します」

 

 そう言うと紅虎は歩いて道場を出ていき、道場にいるのは大和一人となった。

 

 紅虎がいなくなったあと、大和は深い溜め息をついてからこう言った。

 

「躊躇い無く殺せか……… 俺はそんな事ができるほど強くねぇよ」

 

 そう一人で呟いた後、暗い表情を浮かべながら大和は数十分の間、道場で一人考え込んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十五話 草薙武尊の荒稽古

 御巫紅虎との戦いが終わってから数日が経過し、休日になったことのこと。

 

 特に何も茶の間で寛いでいた大和と幽々子、そして珍しく部屋から出てきて読書をしている和生。

 

 日課である鍛錬も終わり昼飯も食べ終えた。 今は特にやるべきことはなく、至って平凡な時間を過ごしている。こういう時間を過ごすのも別に悪くはない。

 

 しかし平凡な時間はいきなり終わりを迎える。真剣な表情をして武尊が茶の間に現れると、すぐさま大和に向かってこう言った。

 

「おい大和、ちょっと稽古に付き合えや」

 

 それは突然のことだった。

 

 よく見てみると武尊の姿は黒い袴に白い道着を着ており、これから鍛錬をすると言わんばかりの格好だった。

 

 一体どうゆう訳なのかわからないうえに、急にそんなことを言われても俺の方は色々と準備が整っていない。 だからと言うか当たり前というか、大和は普通にこう答えた。

 

「いきなり何だよ? せっかくゆっくりしてたのに」

 

「俺がお前に退屈を与えると思うか? いいや与えないし与えるつもりはない。 それにお前には拒否権はない、なぜなら俺のほうが強いからだ。」

 

 今始まったことではないが、武尊の言ってることは滅茶苦茶なうえに横暴すぎる。 それに自分が強いから相手の拒否権が無くなる理論はマジでわからない。

 

 だが、ここで俺が無理矢理でも拒否して武尊が実力行使してきたら止められないのは事実、況してや和生ならともかく幽々子さんに被害が出るかもしれない。

 

「わかったよ、稽古付き合うから少し待っててくれ」

 

「おう、それじゃあ道場で待ってるからな、すっぽかしたら只じゃおかねぇからね」

 

 そう言うと武尊は茶の間から立ち去って道場へと歩いていった。

 

 そして武尊が茶の間いなくなると、大和はため息をついた後に幽々子に向かって話し掛ける。

 

「と言う訳で悪いけど幽々子さん、今日は和生と一緒にいてくれないか?」

 

「えっ?」

 

「あぁっ!? なんでそうなるんだよ」

 

 和生が怒るのも無理はない。 せっかくの休日を潰されるようなものなのだから、いや、こいつに関してはずっと休日みたいなものか。

 

「頼むよ和生、頼れるのはお前だけなんだ」

 

 イライラしている和生に向かって大和は改めて深々と頭を下げて頼み込んだ。

 

 大和からしてみれば幽々子を一人にするのは心配なうえに、今頼れるのは和生しかいない。

 

 そんな自分に向かって頭を下げてくる大和を見てしょうがないと思ったのか、和生は呆れた表情で深くため息をつきながらこう言った。

 

「わーかったよ兄貴、幽々子さんの面倒見てやるから取り敢えず頭上げてくれよ」

 

 和生にそう言われると大和は頭を上げる。

 

 これで心配事は無くなった。 あとは武尊との稽古をするために道場へ行くだけだ。

 

「ありがとな、礼は今度する」

 

「いらねぇよまったく」

 

 嫌々ながらも和生はその場から立ち上がると、茶の間から立ち去ろうとする前に幽々子に対して言った。

 

「と言う訳だ幽々子さん、さっさと着いてこい」

 

「えっ、えぇ……」

 

 あまり話したことが無い、況してや凶暴な一面がある和生と行動するのが少し不安だったのか、幽々子は少し戸惑いの色を見せる。

 

 しかし今日の大和は忙しくて傍にいることはできない。それを理解したうえで幽々子はその場から立ち上がると和生に着いていく。

 

「さてと」

 

 幽々子と和生の二人が茶の間からいなくなると、大和も武尊との稽古の準備をするためにその場から立ち上がって茶の間を出ていく。

 

 

 

       《〜少年移動中〜》

◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 大和が向かった先は自分の部屋、そこには本やベッドがあるのはもちろんのこと、道着や武器、鍛錬器具などが置かれている。

 

 何故、自分の部屋に行くのか、それは稽古をする前に心の準備をするというのもあるが、何よりも身嗜みや武器を調達するためである。

 

 自分の部屋に入ると、まず大和は着ていた服を脱いで袴と道着に着替える。 道着に着替えるのは武尊と稽古をするのに私服で行くのはご法度だからだ。失礼と云うのもあるが何よりも武尊がブチギレてしまう。

 

「よし、あとは……」

 

 着替え終えると次に壁に掛けていた刀袋を手に取る。これは昔からずっと使っている古株の武器である。

 

 刀袋の紐を解いて黒い木刀を取り出す。 稽古のために武器を使うのはオーバーだと思うが、俺としては武器を手にしてギリギリ対等になれると思っている。

 

 武器を手に取り深呼吸をする大和、まるでこれから殺し合いに行くと言わんばかりに真剣な表情をしている。

 

 武尊の稽古に付き合うのは数カ月ぶり、正直、今の武尊の実力がどのくらいなのかはわからない。 しかし、少なくとも俺を下回っているというのは微塵もありえないことだ。

 

 正直、武尊の戦闘能力だけを見れば俺の師匠である御巫紅虎さんと然程変わりはない。 俺が知る限り最強の実力者の一人である。

 

 そんな相手にどう勝つのか、いや、勝機なんて最初から無いようなもの、殺し合いであれば間違いなく死は免れないであろう。俺が考えるのは勝つ方法を見出すのではなく如何にして生還する方法を見つけるかどうかだ。

 

 実のところ言うと、俺は武尊との稽古を幼い頃から何度もやっている。 今まで勝ったことは一度もない、中にはあまりにも過激過ぎて本当に死にかけたことさえあった。

 

 だから稽古だからと言って油断はできない。 いや、寧ろこれは稽古ではなく殺し合いと思ったほうが良いのか、それぐらい気を引き締めなければいけないという事だ。

 

「さてと、それじゃあ行くか」

 

 改めて袴の帯を締めたあと、手に持っていた武器を強く握り締める。

 

 そしてゆっくりとリラックスしながら深呼吸をすると、大和は部屋から出ていき、武尊が待っている道場へと歩いて向かった。

 

 

 

 

        《〜少年移動中〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 部屋を出てから数分後のこと、大和は道場の前に到着した。

 

 扉を開けて道場の中に足を踏み入れるとそこには。

 

「おっ、やっと来たのか」

 

 道場の真ん中で武尊が退屈そうにしながらも待っていた。これなら稽古だと言うのに随分と余裕な素振りを見せている。

 

 両手や腰を見ても武器は持っている気配は無い。どうやら素手で武器を持った大和と闘うつもりだ。

 

 しかし武尊の言葉に大和は何も反応しない。いや、反応できないと言った方が正しいのか、それぐらい精神を集中しているということだ。

 

 そんな大和の真剣な面構えと集中力に気が付いた武尊は見透かしたような目でこう言った。

 

「ほう、面構えも良い、精神も統一している。」

 

 余裕を持って喋る武尊に対して、大和は何も言わずに木刀を構えて戦闘態勢に入る。

 

 大和が持っている木刀を見て武尊は物珍しそうな表情を浮かべる。 初めて見る武器だったのか。

 

「へぇ〜武器を使うのかよ、こりゃあ良い稽古になると思いたいね」

 

 そろそろ始めるかと言わんばかりに武尊も構えを取り戦闘態勢に入る。 しかし、真剣な表情をしている大和とは異なり武尊は笑みを絶やすことなく、余裕を持った態度をしている。

 

「行くぞっ!!」

 

 そう言うと大和は大地を蹴って武尊との間合いを一気に詰めると同時に、木刀で縦に殴り掛かる。

 

 間合いを詰めてからの攻撃にかかった時間は実に数秒足らず、常人な反応できずに大和の攻撃をまともに喰らうであろう。

 

 しかし相手は草薙武尊、常人でなければ凡人でもなく、超人的な身体能力を持つ怪物である。

 

 奇襲にも近い大和の攻撃を武尊はその場から動かずに紙一重で難無く避ける。

 

「ちっ!」

 

「それ結構重そうだな、当たったら一発で御陀仏になりそうだぜ」

 

 命の危機を感じている割には余裕な態度をする武尊、本当に当たったら死ぬのかと疑問に思ってしまうほどだった。

 

 一撃目の攻撃が避けられても大和は諦めない。

 

 続いて下から掬い上げるように木刀を振って武尊の顔面に向かって攻撃を繰り出した。

 

「おっと」

 

 しかしこの攻撃もその場から動かずに避けられて当たらない。武尊は見透かしたような目をしている。

 

「くそ、避けやがって」

 

 今度は重い木刀をまるで竹刀のように軽々と扱い、縦横無尽に連打を繰り出してくる。

 

 横に振り縦に振り、斜めに振ったり突きを繰り出すなど、あらゆる方法で武尊に向かって攻撃を繰り出した。

 

 だが無慈悲にも全て紙一重で避けられてしまう。当たらなければ掠りもしない、まるで繰り出される攻撃が全て見通されているような感じだった。

 

 避け続けられれば避け続けられるほど大和は冷静さを失い、更に攻撃も徐々に大振りになって防御面が無防備になっていく。 これは昔ながらの大和の悪い癖でもある。

 

 そして悲劇が幕を開ける。

 

 横に大振りに木刀を振るったことによって大和の腹部は無防備になり、攻撃をまともに喰らってしまう状態になる。

 

 そしてその隙を突いて武尊は冷酷な鋭い目つきをしながら大和のがら空きになった懐に潜り込んでくる。

 

 このとき武尊の鋭い目付きを見た瞬間大和は悟った。 もう避けるだけではなく、反撃に出てくるときだと。

 

「大振り過ぎるんだよ」

 

「やべぇ!!」

 

 武尊の反撃のスピードは凄まじく、並外れた動体視力を持つ大和でさえも反応できないほどの速さだった。

 

 まず一撃目は腹部、厳密には鳩尾に肘打ち、二撃目は顎を砕くようなアッパー、三撃目は横腹に膝蹴りをまともに入れられる。

 

「あがっ!!」

 

 ほぼ同時に入れられた強烈な攻撃に耐え切れず、大和は悲痛な表情を浮かべると同時に、躯体は膝から崩れるように倒れてしまう。

 

 それも無理はない、連続で入れられた三度の攻撃、しかもまともに喰らってしまったので、そのダメージは計り知れないのだから。

 

 握っていた木刀を手から離し、激痛が走る腹部を両手で抑えながら蹲る。

 

 腹部の痛みに藻掻き苦しむ大和を前に武尊は冷酷な視線を向けながらこう言った。

 

「さっさと立てよ、まだ終わりじゃねぇぞ」

 

 その言葉に一欠片の慈悲も無い。 あるのはもっと死ぬ気で闘えと言う命令だけだった。

 

 しかし大和は立とうとしても立てない。 腹部を、厳密には鳩尾を深く抉られて呼吸困難に陥っているのだから。

 

 だが武尊からしてみればそんなのは関係ないし、理由にもならない。 何しろ何も考えずに腹部を無防備に晒した自分自身が悪いのだから。

 

「さっさと立ち上がれっ!!」

 

 言っても全然立ち上がってこないので、痺れを切らした武尊は蹲っている大和の腹部を蹴って地面に転がした。 

 

 するとようやく大和はゆっくりと起き上がり、ふらふらとしながらも立ち上がった。

 

 まだ腹部がかなり痛む、それに顎や横腹にもダメージがまだ残っている。 この状態で武尊と闘うのは正直厳しい。 だが相手は待ってくれないだろう。たとえ気絶しても無理やり叩き起こされて戦闘を続行させる。そういう奴なのだ草薙武尊という人物は。

 

 それを見てようやく起き上がったのかと言わんばかりに武尊は無慈悲で冷徹な視線を大和に向ける。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「だらしねぇな、もう息が上がってやがる。 もう止めにするか?」

 

 武尊は一気に間合いを詰めて、大和の顔面に向かって右ストレートをお見舞いする。

 

 幸いにも大和の集中力はまだ切れていなかった。 咄嗟に腕を顔面で交差させて攻撃を防ぐ『十字受け』の構えを取り、放たれた右ストレートをなんとか防いだ。

 

 まともに喰らっていたら完全に終わっていた。防いでも尚、ダメージを完全に吸収することはできず、その威力は両腕の芯にまで響き残っていた。

 

「まぁ、止めるつもりは毛頭ねぇけどな」

 

 がら空きになった腹部に向かって重い前蹴りを入れられる。

 

 再び大和の身体は地面に伏して後ろへゴロゴロと転がっていき、また蹲ってしまう。

 

 今度のダメージは浅かったので何とか立ち上がるが、気が付けば目の前には武尊が立ちはだかっていた。

 

「おせぇんだよ」

 

 胸倉を掴み上げて大和を倒れないようにする。そしてそれからは顔面に向かって右ストレートを何度も何度も叩き込んだ。

 

 道場に鈍い音が何度も響き渡る。 一体何回殴られたのか? 十発?二十発?いや、そんな数える暇はなかった。ただ気絶しないように意識を保つだけで精一杯だったからだ。

 

 だが、そんな俺でもやれることはある。 武尊は俺にはもう反撃する力は残ってないと思っている。 だからその隙を突いて奇襲を仕掛けるのだ。

 

(……今だ!!)

 

 武尊の攻撃が止まった瞬間、大和は股間に向かって思い切り蹴りを入れようとする。 しかし

 

 予測していたのか、大和の渾身の金的攻撃は意図も簡単に片手で止められてしまう。

 

「なん……だと?」

 

「まだそんな力残っていたのか、ならもっと気合入れな!!」

 

 元気があることがわかった途端、武尊は思い切りぶん殴って大和を後方へと吹き飛ばした。

 

 ゴロゴロと地べたに転がって蹲る大和、まだ意識があるということが奇跡だとしか言いようがない。

 

 かなりのダメージが蓄積しているにも関わらず再び立ち上がる大和、倒れては何度でも起き上がる、相当なタフガイと言えるだろう。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 そんなボロボロになりながらも何度でも立ち上がってくる大和を見て、武尊は思わずため息を漏らす。

 

「流石は俺の弟だな。 その耐久力だけは褒めてやる」

 

 並の人間なら最初の三発で意識を完全に断っていただろう。 だがこいつは俺の弟である草薙大和、この程度で終わるというのならそれは草薙家の血が薄いということだ。

 

 だが大和は良くやっていると言うべきか、本気を出してないとはいえ、武尊の攻撃を何度も喰らっても立ち上がろうとする。並の精神力では到底のことながらできないことだ。

 

 すると突然何を思ったのか、武尊は一つの提案を出してきた。

 

「お前のタフネスに免じて、今からお前の攻撃を全部受けてやるよ」

 

「えっ?」

 

「良いから早く全力で攻撃してこい、お前と俺の格の違いをみせてやるよ」

 

 完全に舐めている。だが、それも無理はない。 劣勢に立っているのは俺自身なのだから。

 

 それを聞いた途端、大和は笑みを浮かべる。 まるでその提案が惨劇の始まりだと言わんばかりに。

 

 それなら良いだろう。全部受けてやると言うのならば望み通りやってやる。 俺ができる限りのありったけの攻撃を叩き込んでやる。 もしそれで倒されても別に文句は言えないよな。

 

 大和は戦闘の構えを取ると同時に間合いを一気に縮める。それと同時に武尊の目の前に来た瞬間に高くジャンプする。

 

 そして飛んだ勢いを利用しながら武尊の顎に向かって全力で膝蹴りを繰り出した。

 

 予告通り武尊は大和の攻撃をまともに喰らう。 並の人間なら顎が砕かれると同時に完全に意識が絶たれて、その場で何もできずに倒れるだろう。が、しかし。

 

「何だ? この程度かよ?」

 

「……何……だと?」

 

 ノーダメージだと言うのか? 大和の攻撃をまとめに喰らっているのにも関わらず武尊は平然としており、まるで通用していないと言わんばかりだった。

 

 確かに手応えはあった。全力で叩き込んだし、確実に決まってもいた。だが何で効いていないのか? それがさっぱりわからず大和は困惑していた。

 

 だが困惑している余裕も暇もない。 今ありったけの攻撃を、考えつく限りの攻撃をしなければならない。

 

 ジャブ、右ストレート、フック、ボディーブローのアッパー、前蹴りや横蹴り、回転蹴りや膝蹴りなど、あらゆる打撃方法を武尊に叩き込んだ。

 

 しかし全ての攻撃を受けても尚、武尊は平然と涼しい表情をしており、効いている様子はない。まるで大和の攻撃は蚊に刺された程にも感じないと言わんばかりの態度だった。

 

 頑丈とかタフネスとか言う次元ではない。この草薙武尊は異次元の耐久力の持ち主であった。

 

 今まで打たれ弱くて、ただ避けるのが非常に上手いと思っていたがそれは勘違いだった。 こいつは神懸かり的に避けるのが上手ければ異次元の耐久力もあるやつだった。

 

 恐らく俺の攻撃は何も通用しないだろう。 正直、木刀をまともに喰らわせたとしても倒れるかどうかわからない。 いや、こいつのことなら木刀で殴られても平気なほどの耐久力は持ち合わせているだろう。

 

 それから数十分の時間の間、できる限り、考えつく限りの攻撃を全て繰り出した結果、案の定、武尊には何のダメージも入らずに終わった。

 

 正直絶望した。 毎日鍛錬を積んでいたのに、こんなにも実力の差が広がっていたなんて思いもしなかった。

 

 草薙武尊は本当に強い、恐らく総合的に見ても師匠の御巫紅虎さんと同等レベルの戦闘能力を持ち合わせている。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「打撃の筋は良かった。 戦法もまぁまぁ上出来だ。 俺や紅虎さんが相手じゃなかったら大抵のやつには勝てるだろうよ」

 

 そんなこと言われてもまったく嬉しくはない。 格上の相手とはいえ、目の前にいる相手を倒すどころか、一切のダメージも与えられないのに、そんな助言何の意味があるのか。

 

 だが、今はそんなことはどうでも良い。 一番気になったのはどうして俺の攻撃を全てまともに受けたのかだ。 耐久力に自身があるとは言え、普通に考えてみれば武尊に取って何のメリットも無いというのに。

 

「何で俺の攻撃を受けたんだよ」

 

「何でかって? んなの簡単なことさ、普通にやってればお前の攻撃が絶対に(・・・)当たらないからだ。」

 

「それはどうゆうことだよ!?」

 

「今のお前にはわからないことさ。 いずれわかる。 お前が今まで以上に強くなりたいと思うのならな」

 

 言っていることがさっぱりわからない。 なぜ避けることが強さに直結するのか、そして一体どこから絶対に当たらないという自信がやってくるのか、わからないことばかりだった。

 

「さてと、話は終わりだ。 そろそろ本稽古始めるぞ」

 

 そう言うと武尊は戦闘の構えを取る。 恐らくこの先からは攻撃を仕掛けてくるし、自分の攻撃をまともに喰らってくれる優しさは無いだろう。

 

 武尊に答えるように大和も気を改めて戦闘態勢に入る。 考えるのは後だ、今は稽古という名の戦闘に気合を入れよう。

 

 お互い大地を蹴って距離を一気に縮めると、いきなり激しい攻防戦に持ち出した。

 

 打撃を放ってはすぐさま避けて、防いではパンチや蹴りなどの打撃を放つことの繰り返し、お互い一歩も引かずに、寧ろ前に出ていく。

 

 大和が右フックを放つと、武尊は難無く避けてすぐさま前蹴りを放って反撃する。 反撃された大和は蹴りをギリギリ左手で防いでから武尊の顔面に向かって右ストレート放つが武尊は難無く避けてしまう。

 

 武尊には絶対に当たらない、どれだけの攻防を繰り広げても掠るどころ一発も当たりもしない。 まるで大和の攻撃が全てわかっているかのように。

 

「言っただろ? 全て視えてんだよ」

 

 両者互角の攻防戦を繰り広げていると思いきや、そういう訳ではなかった。

 

 完全に攻撃を避けている武尊に対して大和はちょくちょくと攻撃をまともに喰らっていた。

 

 攻撃を食らう度に大和のダメージが少しずつ蓄積していき、集中力が切れ始めてきた。

 

 それから数分も経たずに大和の集中力が切れてしまい、それと同時に武尊の攻撃を避けたり防ぐことができなり、ほとんどの攻撃をまともに喰らってしまうことになる。

 

 顔面に右ストレートをまともに浴びせたあとに、腹部に重いボディーブローを叩き込むと、大和は何の術もなくその場に倒れ込んでしまう。

 

 しかし、まだ終わらない。 いやまだ終わらせないと言ったほうが正しいのか、武尊は倒れ込んだ大和に向かってこう言った。

 

「ほら立てよ、まだ終わりじゃねぇぞ」

 

 そう言うわれると大和は苦しそうな表情をしながらも立ち上がろうとする。 身体が重い、足がまったく動かない、こんな状態で闘えるのかと思えるほどだった。

 

 それから数秒後に何とか立ち上がると、ふらふらになりながらも大和は戦闘の構えを取る。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 肉体に蓄積されたダメージはほぼ限界に近い、だが今更もう闘うことは出来ないなんて許してはくれないだろう。 もはやここから気力の勝負だ。 身体が完全に動かなくなるまで続けるしか無い。

 

 もう一度集中力を研ぎ澄ましながら深呼吸をする。 身体中にズギズギと鋭い痛みが襲ってくるが、そんなことを何時までも気にしていてはまたやられるだけだ。

 

 間合いを詰めて攻撃を繰り出す、今度は大和が先手を取った。

 

 だが、やはり避けられて武尊には攻撃は当たらない。そして反撃を仕掛けられる。

 

 仕掛けられた武尊の攻撃は素早く、避ける時間が無い、このままでは喰らってしまう、と思った次の瞬間だった。

 

 なんと武尊の繰り出してきた右拳がスローに見えたのだ。まるでスローモーションの世界に入り込んだような感覚。これは幻覚でも錯覚でもない、本当にゆっくりと見えるのだ。

 

 それに身体が今までにないほど軽くなり、自分の思い通りに身体が動くような感覚だった。

 

 これを期に大和は難無く攻撃を避けると反撃の時、今度は武尊のボディーに向かって右ストレートを繰り出してくる。

 

 大和は気づいていないが、動きはもちろん繰り出した右ストレートのスピードは格段と早くなっていた。

 

 しかし、動きが断然早くなったとはいえ武尊が避けることに変わりはなかった。

 

「……ほう」

 

 武尊は大和に起こっている異変に気づいた。

 

 まさかあの領域に(・・・・・)に足を踏み入れているというのか、闘いの最中に。

 

 わかるのも無理はない、今大和に起こっている現象は、等の昔に武尊も体験したことのあることだったからだ。 

 

「動きが格段に早くなったな、もしかしてスローモーションの世界にいる気分か?」

 

「……………」

 

 完全にバレていた。 何も言っていないのに、まるで心を読まれたかのようにバレてしまった。

 

 だが、バレたとしても大和は反応せず無言のままだった。 無駄なことを考えず、ただ闘いに集中すること、それが今自分ができることだという事を理解していたからだ。

 

 超集中力『ゾーン』、他の思考や感情、周囲の風景や音などが意識から消え、視覚や聴覚などの感覚が極限まで鋭くなり、活動に完璧に没頭することができる特殊な意識状態のこと。

 その効果は時間感覚が物凄く歪み、イメージ通りの最高のパフォーマンスができるようになるなど、心身の動作と感覚が別次元の領域に到達する。

 

 このとき大和はゾーンに入りつつある。 ダメージによって肉体が限界を超えて、無駄な思考や感情がなくなり、果ては苦痛さえ取り払われている。

 

「へっ、闘いの中で成長したか、やっぱりお前は面白いよ」

 

 最速の左ジャブを大和の顔面に向かって放った。

 

 普通なら避けられるはずの無い武尊の左ジャブを大和は紙一重で避ける。

 

 そして反撃の時、大和は相手に追撃させる隙を与えずにがら空きになっていた顔面に向かって右拳を走らせた。

 

 だが意図も簡単に防がれる、しかし唯一今回違うのは避けたのではなく、初めて武尊がガードをしたということ。

 

 続いて武尊が蹴りを繰り出してくる、が大和にしっかりと防がれ、更に反撃で腹部に向かって攻撃を仕掛けてくる。

 

 再び激しい攻防戦に持ち掛けられる。しかし今度の大和は以前とは異なり、一切の攻撃を受けずに防いだり避けたりしている。

 

 前蹴り、横蹴り、回し蹴り、膝蹴り、肘打ち、上段突き、中段突き、下段突き、手刀、サマーソルトなど、今まで自分が会得してきたあらゆる技を出し惜しみせずに全力で放った。

 

 だが武尊は全て防いだり避けてしまう。 初めて繰り出す技でさえも、まるで最初から知っていたかのように意図も簡単に防がれ避けてしまうのだ。

 

「やるな」

 

 しかし動きのスピードもキレも今までとは違った。余裕な素振りを見せていた武尊も今では真剣な表情を浮かべ、顔から汗を流している。

 

 数十分にも渡る攻防を交える度に連れて二人はこの闘いがとても楽しいものだと感じていた。この時間が長く、もっと長く続けば良いのにと闘いの最中に思っていた。

 

 だがそんな時間も長くは続かなかった。

 

 大和の集中力が切れつつあった。 時間感覚が徐々に元に戻り、体感もいつもの通りに戻ってしまったのだ。

 

 更に不幸は引き起こる。 大和の身体は急激に重くなり、自分の思うように身体が動かない。 また身体に蓄積されていたダメージと痛みが呼び起こされ、耐え難い激痛に襲われたのだ。

 

 しかし武尊は関係ないこと、一瞬動きが鈍った大和の顔面に向かって右拳を走らせる。

 

 無論、大和はまともに喰らってしまう。 そして崩れるようかのように倒れ込み、その場から動かなくなってしまった。

 

 意識はあるものの、もう完全に動けなくなってしまった大和を見てそろそろ限界だと感じたのだろう。 武尊は呆れたような表情でこう言った。

 

「今日はこの辺にしとくか」

 

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「前よりは強くなったな大和、これからも頑張れよ」

 

 反応は無いが、もう闘えないことに変わりはないと思ったのだろう。 武尊は倒れた大和を置いて道場から出ていった。

 

 結果的に負けたが悔いはない。 闘いの中でとはいえ自分は強くなったのだから、しかもまだ伸び代はある、ということはまだ強くなれるということだ。

 

 それにしても身体が重いうえにまったく動かない。 それに全身に鈍い痛みが走る。これでは当分の間は動けそうにない。

 

 一時間程、大和は道場の真ん中で身体が動けそうになるまで休憩をする。 稽古でかなりの無理をしたんだ。 ちょっとくらい休んでもバチは当たらないだろう。

 

 これを期に大和は少しでも武尊や紅虎に近づくために、もっと強くならなければいけない、もっと稽古を積まなければいけないと思うようになった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六話 幻想郷の手掛かり

 武尊の荒稽古が終わってから一週間後のこと

 

 早朝、空には日が昇り初め、雲ひとつ無い晴天の空、しかし真冬並みの寒波と放射冷却が重なったことで、朝の気温は一段と寒かった。

 

 大体時間は五時辺りだろうか、大和は朝早くから自室に籠って机と向き合い、椅子に座りながらパソコンを使ったり本を読んだりするなどをして、ある調べものをしていた。

 

 ちなみに日課である基礎体力トレーニングの長距離ランニング、そして木刀による素振りは二時間ぐらい前に終えていた。

 

 まるで生まれて初めてパソコンを使ったのではないかと思わせるほどに慣れない手付きで大和はキーボードを打ち、色んな場所や最近のニュース、果てはオカルトに関することなど、様々な情報を調べていた。

 

 それから大和はパソコンである程度のことを調べ終えると、一息ついて身体を思う存分に伸ばしたり、机の上にあった缶コーラを飲んだりした。

 

「ったく……どんなに調べても、幻想郷に関する有力な情報は出てこねぇな」

 

 朝早くから大和がパソコンや本を見たりして情報を集めている理由、それは幻想郷に関する手掛かりを少しでも収集するため。

 

 自ら情報を集めている理由としては、少しでも手掛かりになるような情報が欲しいと思ったから。

 

 だが、オカルト雑誌に記載されていなければ、パソコンで幻想郷に関することを調べても手掛かりになりそうな情報が全く集まらない。 

 

 今や世界中にインターネットが普及して、調べれば大概の情報がすぐ手に入る時代。今では調べものや情報収集をするうえでインターネットは必要不可欠とも言っても良いだろう。

 

 しかし、現時点で幻想郷に関する有力な情報を収集できたのは皆無、故にインターネットは何の役にも立っていない。

 

 情報収集の手段が尽きて、途方に暮れたと言うべきか。何にせよ、幻想郷へ行くための手掛かりは完全に閉ざされしまった。

 

 慣れないパソコンを頑張って扱ったのにも関わらず、有力な情報が手に入らなかったのが気に食わなかったのだろう。大和は頭を抱えながら不機嫌そうな表情を浮かべてしまう。

 

「ちくしょう、せっかく和生にパソコンの使い方を教えてもらったのに、何の役にも立たねぇじゃねぇか」

 

 正直な事を言うと、俺は昨日までキーボードを打つどころか、パソコン自体を扱うことができなかった。

 

 しかし、まだ不慣れな動作もあるが、今こうやってパソコンが使えるのは、弟の和生に基本的なパソコンの使い方を教えてもらったからだ。

 

 何時、和生にパソコンを教えてもらったかと言うと、それは昨日の夜の話になる。

 

 

 

 

 

《時は遡って昨日の夜のこと》

 

 

 

 

 だいたい夕食を食べ終えた後の時間帯だっただろうか。このとき和生は普段通り自分の部屋にいた。

 

 部屋にある椅子に座って、ゆったりとくつろぎながらも、机の上に山積みになった様々な本を読んでいた。

 

 数十冊はあるだろう、山積みになった本の中には、つい最近買ってきた本があるのはもちろんのこと、古倉庫から持ってきた古い書物などが多々見える。

 

「まぁ……こんなもんか」

 

 単行本並みの厚さがある一冊の本を三十分足らずで読み終えると、和生は何気なく満足そうな表情を浮かべながら、手に持った本をパタンと閉ざした。

 

 このとき、和生は今さっき読んだ本の内容をほとんど記憶しており、もっと言うと今まで読んだ本の内容もほとんど頭の中に入っている。

 

 読み終えた本を机に置くと、今度は古びた書物を手に取って読み始める。

 

……ぺラ……ぺラ……ぺラ……

 

 こういう古びた書物の文字はかなり昔のものが多く、普通なら文字を解読しながら読まないといけない。

 

 だが幸い和生は、幼い頃からこう言う古書物を読んでいたため、文字を解読するのに時間があまり掛からず、まるで普通の本を読むように古書物を読んだ。

 

 和生は文字を理解しながら古びた書物を読んでいるが、普通の人間なら読むどころか解読することすら儘ならないだろう。

 

 

………コンコン

 

 

 こんな時間に一体誰なのか、和生が古書物を読んでいる途中に、何の前触れもなく部屋のドアを叩く音が聞こえてきた。

 

「……あっ?」

 

 読んでいる途中の古書物を一度閉ざして机に置くと、和生は平然とした態度でドアの方向に視線を向けた。

 

 それから、ノックする音が聞こえてから少し時間が経ったあと、ドアを開けて部屋に入ってきたのは兄の大和だった。

 

「よう和生、突然来て悪いな」

 

「なんだ兄貴珍しいな、俺になんか用か?」

 

 兄の大和が自ら部屋に来ることが予想外だったのだろう。まるで珍しい光景を見たと言わんばかりに、和生は呆然とした表情を浮かべていた。

 

 基本的に兄貴は何の意味もなく俺の部屋にはやって来ない。

 

 兄貴が俺の部屋に来る理由と言えば、大体知りたいことや話したいことがあったり、何か俺に頼み事をするために来るぐらいだ。

 

 部屋に入ってきた大和は少し恥ずかしそうな表情を浮かべており、そのせいか和生とは目を合わせようとはしなかった。

 

「いや……ちょっと教えて貰いたいことがあってな」

 

「なんだよ兄貴? 俺にできることなら何でも言ってくれよ」

 

 思いやりがある態度で和生にそう言われると、大和は申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、和生に頼みたいことを話した。

 

「実はな……その……パソコンの使い方をよ……教えてくれないか?」

 

 申し訳なさそうに大和がそう言ったあと、まるで和生は『またかよ……』と言わんばかりに呆れた表情を浮かべて深く溜め息をついた。

 

「まったくよ……スマホといい、パソコンといい、兄貴は昔っから本当に機械音痴だよな」

 

「仕方ねぇだろが、どうしても機械を扱うことだけは苦手だし、慣れねぇんだよ」

 

 運動や格闘技、工作や木工、料理など家事全般は人並み以上にできるが、どうしても機械に関することだけは苦手だ。

 

 現に、スマートフォンの設定、DVDの録画の仕方など、機械に関することは全て和生に教えて貰っている。

 

 このとき和生は、さっきまで読んでいた古書物を読み終えたい気持ちが少しだけあった。

 

 しかし、こうして珍しく兄貴が自らの足を運んで俺に頼み事をしに来てくれたんだ。古書物を読み終えるまで待ってくれなんて口が裂けても言えない。

 

 それに、本なんて暇な時間に読めば良いことだし、大和の頼み事に対して和生の答えは既に決まっていた。

 

「はいはい……わーかったよ、どうせ暇だったし、基本的なパソコンの使い方ぐらい教えてやるから」

 

 大和の機械音痴に呆れ果てながらも、和生の表情から不満や嫌気は微塵足りとも感じ取れず、どうやらパソコンの使い方を教えることは満更でもないらしい。まったく素直じゃない弟だ。

 

 それから和生はさっそく机の上に置いてあったパソコンの電源をつけて、大和にパソコンの使い方を教える準備を淡々とした。

 

「それじゃあ兄貴、ちょっとこっちに来てくれ」

 

「あぁ……それじゃあ、宜しく頼むわ」

 

 そう言われると大和はパソコンの使い方をしっかりと教えて貰うために、和生の近くにやって来る。

 

 それから一時間以上経ったのだろうか、大和の機械に関する覚えの悪さに悩まされながらも、和生は辛うじて基本的なパソコンの使い方を教えることが出来た。

 

《そして現在》

 

 

 

 

 幻想郷に関する情報収集が儘ならないことがわかったあと、大和は台所へ行って朝御飯の支度をしていた。

 

 まだ六時になる前で、誰も起きていない時間だが、沢山の料理を用意しないといけないので、こうして早い時間から朝御飯を作っている。

 

 理由としては、俺は朝からしっかりと食べるのもあるが、何よりも食欲が旺盛な幽々子さんは朝からいっぱい食べるからだ。正直、あの幽々子さんの食欲には流石の俺でも気が引ける。

 

 たかが朝御飯の支度だが、その内容は常軌を逸した異常なものだ。

 

 まず大和は、朝っぱらからご飯を十合近く炊飯器で炊いて、味噌汁は鍋でなく大きな寸胴に入れて作り、おかずは十人前近く作っている。

 

「朝からこんな量の朝食を作らせやがって、俺は料理人じゃあねぇんだぞ」

 

 毎朝早く起きて朝食を作っている大和でも、十人前近くの料理を作るのには一苦労するし、時間もかなり費やさないといけない。

 

 一人で愚痴を言いながらも、大和はみんなにおいしいごはんを食べてもらうために、丹精を込めて朝食を作った。

 

 それから一時間ぐらい掛けて大和は朝食を作り終えると、気が付けば時計の長い針は七時に迫っており、みんなが起きてくる時間となっていた。

 

「やべぇ、もうこんな時間か」

 

 時間が迫って来ていることに気づいた大和は、急いで料理を皿に盛り付けたあと、朝食を限界までお盆に乗せて居間まで持ち運ぶ。

 

 無論、十人前近くの料理を一度で持っていくのは不可能な芸当、大和は台所と居間を行ったり来たりと、朝食を運び終えるまで何度も往復した。

 

 

 

《一方、空き部屋では》

 

 

 

 

 大和が料理を居間へ運び終わった頃、空き部屋でぐっすりと眠っていた幽々子が目を覚ました。

 

「……ふぁ~」

 

 ゆっくりと布団から起き上がったあと、幽々子は誰も居ないことを良いことに、まだ眠たそうな表情を浮かべながら口を大きく開いて欠伸をした。

 

「もう朝なのね……」

 

 寝惚けている幽々子は、あくびをして零れ出てきた涙を手で拭って、少しずつ眠気を覚まそうとする。

 

 窓を見てみれば日の日差しが部屋に注ぎ込んでおり、耳を澄ましてみると外から『チュンチュン』と鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 

 正直、二度寝してもうちょっと眠っていたいが、今の自分は居候の身、そんなことを言える立場ではない。

 

 それに眠気が少しずつ覚めていくと同時に、ものすごい空腹感に襲われる。

 

「お腹空いたわね、大和もう朝ごはん作ってるかしら?」

 

 朝食を食べるために、仕方なく幽々子は布団から出て立ち上がる。

 

 まず。自分が寝ていた布団を綺麗に畳んだあと、ドアを開けて部屋を出ていき、居間がある方向に向かって歩いていった。

 

 

 

 

《~……少女移動中……~》

 

 

 

 

 それから数分後、幽々子は目的地である居間の前までやって来ると、襖を開けて部屋に入ろうとする。

 

 居間で待っていたのは、十人前はあるであろうちゃぶ台の上に置かれている沢山の朝食と、若干疲れた表情を浮かべていた大和だった。

 

「おう、起きてきたか」

 

「おはよう大和、朝からこんな沢山の料理を作るなんて凄いわね」

 

「一体誰のせいだと思ってんだよ……」

 

 十人前もの朝食を作ったのは全て幽々子のせいだと言いたげだが、大和も朝から人並み外れた量の食事を取るので、決して人の事を言える立場ではなかった。

 

 まぁ、そんなことは置いといて取り敢えず朝食にしよう。時間が経って冷めたものを食べるよりも、暖かいうちに食べた方が断然おいしいだろうし。

 

「そんじゃあ、さっさと飯食おうぜ」

 

「……あら? でも和生君と武尊さんのことは待たなくて良いのかしら?」

 

「良いよあいつらは、どうせまだ爆睡してると思うし」

 

「そう……それなら先に食べても構わないわね」

 

 そう言われると幽々子は嬉しそうな笑顔を浮かべながら、ちゃぶ台の前に座って近くに置いてあった箸を手に取った。

 

「それじゃあ」

 

「「いただきまーす」」

 

 そう言い終えると大和と幽々子の二人は、ちゃぶ台の上に置かれている茶碗を手に持って、朝食をパクパクとひたすら食べ続けた。

 

 このとき二人は、食事の事に集中してしまったあまりに、いずれ起きてくるであろう武尊と和生の分の朝食を残そうとは微塵足りとも考えてはなかった。

 

 

 

 《一方、和生は……》

 

 

 昨晩、大和にパソコンの使い方を教えたあと、そられから何時間も徹夜して本を読んだのにも関わらず、和生は朝早く起きてきた。

 

 たぶん三時間も寝ていないだろう。普段なら昼過ぎになるまで眠っているところだが、異常な空腹感に襲われて目が覚めた。

 

「なんか朝っぱら腹減ったな、昨日徹夜で本を読んでたせいか?」

 

 頭を使うと腹が減るとは聞くが、俺の場合は想像以上の空腹感と異常な食欲に襲われている。

 

 確か脳で使われるエネルギーは身体全体の20%ぐらいだったけな、プロの囲碁や将棋の棋士なんかは対戦のあとは二キロから三キロ痩せるとか聞くし。

 

 そんなことを呟きながらも和生は、兄の大和が作り終えているであろう朝食を食べるために、廊下を歩いて居間へと向かっていた。

 

 

 

《~移動中~》

 

 

 

 そして移動してから数分後、和生は『グゥー』と腹の虫を鳴らしながら居間までやって来ると、襖を開けて部屋に入る。

 

「……おはよぉー」

 

「おう和生、意外と早く起きてきたな」

 

 いや、こういうときは予想外と言うべきか。あと五時間ぐらいは起きてこないだろうと思っていたが、和生のやろう予想以上に早く起きてきやがった。

 

 そして和生が予想よりも早く起きてきたことで、一つの問題が生じることになる。

 

「……あれ? 俺の朝食はどこにあるんだ?」

 

 ちゃぶ台の上を見渡しても、置いてあるのは料理を食べ終えた皿や茶碗しかなく、どこを見ても食べ物は見当たらなかった。

 

 それに、ちゃぶ台に置かれている大量の皿や茶碗は三人分の量とは到底のことながら思えず、最低でも十人前近くはあると推測できる。

 

「あぁ~悪いな和生、お前が来る前に朝食全部食っちまったわ」

 

「全部食っちまったじゃねぇんだよ、ふっざけんな! 早く俺の飯を寄越しやがれ! こっちは腹ペコで死にそうなんだよ!」

 

「黙れ眼鏡小僧! 俺が作った飯をどうしようが俺の勝手だろうが!」

 

「可愛い弟に飯を残してあげようと思う慈悲は兄貴にはねぇのかよ!? ってか、眼鏡小僧って何なんだよ!?」

 

 カリカリとしている態度を見る限り、よほど腹が空いていたのだろう。和生はムキになりながら兄の大和に対して容赦なく反発してくる。

 

 兄弟での口喧嘩が白熱する最中、それを近くで聞いていた幽々子は申し訳なさそうな表情を浮かべながら口を開いた。

 

「ごめんなさい、朝食の八割を食べたのは私なの」

 

「まじかよ!? それはそれですげぇわ」

 

 そういえば和生のやつ、幽々子さんがとんでもないほどに食欲が旺盛なことを知らなかったんだっけ?

 

 確かに、今日まで馬鹿げた量の朝食は作ったことなかったし、もっといえば幽々子さんが沢山食べる時に限って和生はいなかったな。

 

 幽々子が謝ったことで、和生は『はぁ~』と深くため息をつきながらも冷静さを取り戻すと、ゆっくりとちゃぶ台の前に腰を下ろした。

 

 まだ和生のことを信じきれていれず、恐れていたのだろうか、申し訳なさそうな浮かべながらも幽々子は再び謝る。

 

「あの……和生君……本当にごめんなさい」

 

「いや、いいっすよ……寧ろ俺の方が大人気なさ過ぎました。すいません」

 

 そんな幽々子に対して、和生は愛想良く笑顔を浮かべながら許してくれる。

 

 自分の態度や発言が悪かったと自ら認めて謝罪する和生、それを見た大和と幽々子の二人はまるで珍しくものでも見たような表情を浮かべていた。

 

 まぁ、幽々子さんも悪気があって朝食を全部食ったわけではないし、況してや申し訳なさそうな顔で謝られたら、許さない訳にはいかないだろう。

 

 そんな和生の珍しい光景を目の前に、疲れたような表情を浮かべながらも大和は料理を食べ終えた食器を片付けて、その場から立ち上がった。

 

「仕方ねぇな……わーかったよ、もう一回朝メシ作ってくるから、そこで待ってろ」

 

 そう言うと大和は大量の食器を両手に持ちながら居間を出ていき、台所へと歩いて向かう。

 

「待って大和、私も行くわ」

 

 朝食を作るために台所へと向かった大和についていくように、幽々子もその場から立ち上がって居間を出ていった。

 

 そして、居間に残された和生は再び『グゥ~』と腹を鳴らすと、その場に仰向けになって寝転んだ。

 

「幽々子さんが家に来てから、朝っぱらから騒がしくなったな」

 

 それと同時に、以前と比べて兄貴の性格が明るくなったと思う。前までは己の肉体を鍛え込むことしか頭に無くて、全体的に感情が薄かったし。

 

 家が騒がしくなるのはあれだけど、まぁ兄貴が楽しんでくれていれば別にどうだって良いけどな。

 

 

《~少年料理中~》

 

 

 居間を出ていったあと、大和は台所で本日二度目の朝食作りをしていた。

 

 予想外と言うべきか、まさか二回も朝食を作るなんて微塵も思ってもいなかった。いや、普通なら誰も考えないだろうけど。

 

 ちなみに大和の背後には幽々子が立っており、料理をしている大和をじっと眺めていた。

 

 そして大和が淡々と料理を作っている最中、何を思ったのか幽々子は何の前触れもなく大和に対して話し掛けてくる。

 

「ねぇ大和、今日はどうするのかしら?」

 

「どうするって、何の事だ?」

 

 一旦料理を止めると、何を言っているのかさっぱりわからないと言わんばかりに大和は間の抜けた表情を浮かべながら幽々子を方向を見る。

 

「惚けないでよ、一週間も私を放ったらかしにしたんだから、今日こそは二人で何処かに行くわよ」

 

「……あぁ~そう言えばそうだな」

 

 確かに、武尊の荒稽古に付き合わされたり、学校とか行って忙しかったからな。

 

 大和が一人で何かを考えているような表情を浮かべていると、その間に待たされていた幽々子が問い詰めてくる。

 

「今日はどうするのかしら?」

 

「そうだな、今日は街に行って遊びに行くとするかな」

 

「やった〜」

 

 喜びのあまりに幽々子は満面の笑みを浮かべると、両腕を天に向かって掲げながらその場でくるくると独楽のように回る。

 

 どうやら幽々子さん遊びだったらしいな。まぁ当然と言えば当然か、慣れない環境と生活で今まで心休める暇が無かっただろうし。

 

 それにしても幽々子さんの喜び方、まるで親に遊園地に連れて行ってやると言われて(はしゃ)ぐ子どものような喜び方だな。俺と遊びに行くことがそんなに嬉しいのか?

 

 まぁ、そんなことはどうでも良いとして、これで今日の予定は街で気分転換をすることで決まりだ。そういうことなら、俺がやるべきことは一つ。

 

「それならさっさと朝食作って行こうか、それまでちょっと待っててくれ」

 

「はーい、はやくしてねー」

 

 背後で幽々子がルンルン気分になって喜んでいる間に、大和は止めていた手を再び動かし、急いで朝食を作った。

 

 それから数十分後、大和は朝食を完成させると、皿に盛り付けると同時に和生がいる居間へと急いで持っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十七話 不良との喧嘩

和生に朝食を届け終えたあと、大和は自室に一旦戻って出掛ける支度をしていた。

 

 服を着替えてから、財布などの必要最低限の持ち物を軽量バックに入れていく。ちなみにその間、幽々子さんも別室で服を着替えていた。

 

「財布に腕時計……あとはこれとこれで、持ち物は良いかな」

 

 持っていくものをカバンに積め込み終えると、大和は近くのハンガーに掛けてあった赤いロングコートを着てからカバンを背負った。

 

 これで俺の準備は完了した。あとは着替えている途中であろう幽々子さんが着替え終えるのを待つだけだ。

 

「取り合えず幽々子さんが来るまで待ってるか」

 

 幽々子が来るまでの時間潰しのために、大和は棚にある一冊の本を適当に手に取ると、そのまま椅子に座って本を読み始めた。

 

 

 それから数十分後、ちょうど本を読み終えた頃に自室のドアを叩く音がすると、そのままドアを開けて服を着替え終えた幽々子が入ってきた。

 

「おまたせ待った?」

 

「おう、ようやく来たか」

 

 幽々子さんは一体どんな服を着てきたのだろうと、心の中で若干期待しながらも大和は幽々子さんがいる方向に視線を向けた。

 

 幽々子が着ていたのは、水色を基本色とした和服で袖口や裾先にフリルが付いており、柄は所々に桃色の桜の花びらが描かれ、腰回りの青い帯は太く腰の横辺りで蝶々結びされている着物だった。

 

「あぁ……やっぱその服なんだね」 

 

「だって大和が買ってくれた服はまだちょっと着慣れなてないし、こっちの方が着心地が良いんだもん」

 

「そうか、幽々子さんがそう言うなら俺は別に構わないけどな」

 

 着慣れていない現代の服を着るよりも、着慣れている服を着るのは当然と言えば当然か。

 

 それに今すぐ現代の服に慣れろとは言うつもりは微塵も無いし、時間を掛けて慣れてくれれば俺はそれでいいと思っている。

 

「ただ今日の外は寒いからよ、これだけは着てくれ」

 

 そう言って大和が幽々子に渡そうとしてきたのは白いダウンコートと白いふわふわなマフラーだった。

 

「使って良いの?」

 

「別に構わねぇよ、ただコートの方はちょっと幽々子さんには大きいけどな、もしそのコートが嫌なら他のに変えるけどどうする?」

 

「いえ、大切に使わせてもらうわ、ありがとう大和」

 

 そう言うと幽々子は目の前に出されたコートを手に取ってすぐに着用したあと、白いもこもこのマフラーは首に巻いた。

 

「これ暖かくて良いわね」

 

「気に入ってくれて何よりだ」

 

 ダウンコートが暖かったのはもちろんのこと、特にマフラーは手触りがもこもこして気持ち良く、思わず気に入ってしまった。

 

「よし、これで準備も出来たことだし、それじゃあ行こうか」

 

「そうね、早く行きましょう」

 

 外出するために大和と幽々子が部屋から出ようとした瞬間。

 

 

 

…………ぷるるるるっ!

 

 

 突然、大和のポケットの中にあったスマートフォンから着信音が鳴り響いた。

 

 こんな朝っぱらから電話を掛けてくるなんて一体誰からなのかと言わんばかりに、大和は呆れた表情を浮かべながらも電話に出た。

 

「はい……もしもし?」

 

(おう大和おはようさん、俺だ、克己だ)

 

「なんだよ克己か、朝っぱらから電話なんか掛けてきてどうした?」

 

(相変わらず可愛げのねぇ友達だな、せっかく心配して電話掛けてやったのにそれはないだろ)

 

「どうゆうことだ?」

 

(それがよ、地元の噂で聞いた話だが、最近草薙に復讐しようとしてる奴等が街やら公園やらにうろついているんだってさ)

 

「ふーん、でっ? それがどうした?」

 

 正直、俺を恨んでいるやつが沢山いることは既に知ってるし、だからと言ってそんな奴等が復讐しに来ようとも負ける気はしない。

 

 だが、それはあくまでも自分だけならの話だ。このとき大和は、克己の本当に言いたいことや真意をわかっていなかった。

 

(だから外出する時は気をつけろって言いてぇんだよ、特に幽々子ちゃんが危険な目に会うかもされないしよ)

 

「それもそうだな、外出する時は気をつけるよ、わざわざ教えてくれてありがとうな」

 

(おう、これからも夫婦共々仲良くしろよ)

 

「……今の言葉を訂正する、次にてめぇに会ったら必ずぶっ潰す」

 

(おーコワイコワイ、それじゃあなー)

 

 好き放題言われた挙げ句、まるで逃げるように克己から電話を切られてしまう。

 

 通話が終わったあと、克己に好き放題言われた大和は不機嫌そうな表情を浮かべながらスマートフォンをズボンのポケットにしまった。

 

「あのやろう、今度会ったらマジで覚えてろよ」

 

「大和ったらそんな怖い顔して、一体誰から電話が来たのかしら?」

 

「克己だよ克己、外出るときは気をつけろよって」

 

 確かにあいつの言ってることには一理ある、俺一人だけなら相手が何十人で襲い掛かってきても何とかなるが、もし幽々子さんがいることになると色々と問題が生じることになる。

 

 だけど、もし仮にそんな状況と鉢合わせになった時には意地と根性で何とかして見せる。

 

「まぁそんなことは良いとして、さっさと街に行こうぜ」

 

「そうね、今度こそ行きましょう」

 

 大和と幽々子の二人は今度こそ部屋から出ていくと、そのまま玄関に向かって歩いて行った。

 

 それから玄関に到着すると二人は履き物を履き終えてから玄関のドアを開き、屋敷から出ていく。

 

 そして大和が戸締まりを確認したあと、二人は目的地である街へと歩いて行った。 

 

 

 

 

       《〜少年少女移動中〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 屋敷を出てから数時間後、二人は街中までやって来ていた。

 

 大和の考えていた通り、やはり今日の気温は普段よりも低かったので、街中を歩く人たちはみんな首にマフラーを巻いたり、防寒着や手袋を着用していた。

 

 人混みを掻き分けて淡々と街中を歩いている中、特に行く場所も教えられていない幽々子は一つの疑問を抱いていた。

 

「ねぇ大和、これからどこに連れて行ってくれるのかしら?」

 

「予定を組まずに街にやって来たからな、そこんところは何も考えてなかったわ」

 

 まず、街で気分転換しようと決めたのが今日の朝のことだったので、事実ノープランで街までやって来たことになる。

 

 何の計画も立てずに街へとやってきた大和に対して不満があったのだろう。本当に大丈夫なのかと言わんばかりに幽々子は不安そうな表情を浮かべる。

 

「もう大和ったら、しっかりしてよ」

 

「まぁまぁ、そんな怒んなって、気長に行きたい場所を決めようぜ」

 

 そんなことを二人が話していると、前から歩いてくる派手な赤いジャケットを着た男と大和がぶつかってしまった。

 

 軽く肩をぶつけ合っただけなので、お互い倒れもしなければ尻餅もつかなかったものの、男は怒った表情を浮かべながら大和に対して牙を向ける。

 

「いってぇな、てめぇ何ぶつかって来てんだよ」

 

「おいこいつ女連れてやがるぜ」

 

 何時も通りと言うのか典型的と言うのか、どちらにしても複数の男達が大和と幽々子が逃げないように周りを囲んでくる。

 

 大和達に突っ掛かってきた奴等の特徴は、まず派手な赤いジャケットを着ている男、そして取り巻きであるあろうスキンヘッドの男と茶髪の男の三人だった。

 

 まったく、俺が不良とかチンピラに絡まれやすいというのもあるが、せっかくの気分転換が台無しじゃねぇかよ。

 

「すいません、大丈夫ですか?」

 

「おいてめぇ、謝るだけで何もねぇのかよ?」

 

 まぁ謝って許して貰えるのなら何の苦労もしないが、こういう柄の悪くて必要以上に絡んでくる奴らは、謝罪以外にも金などと言った物を要求してくることが多い。

 

「と言うと、謝る以外に何か欲しいものが?」

 

「あたりめぇだろ、だからてめぇの財布よこすか、その女置いていけよ」

 

 案の定、チンピラのような男達は予想通りの要求をしてくる。

 

 金を要求してくることは既にわかっていたので別に何とも思っていなかったし、渡す気も微塵足りとも無い。だが幽々子さんを奪おうとする思考だけは気に食わねぇな。

 

「それはちょっと勘弁してくれませんかね?」

 

「……はぁ?」

 

「なに言ってんだこいつ?」

 

 大和の言うことに苛つきと怒りを見せる男達、特に赤いジャケットを着た男に関しては今にも大和の胸ぐらを掴み上げそうなほどに苛立っていた。

 

「俺金持ってないし、あんたらみたいな奴にこの人を任せることできないからですよ」

 

 反抗するどころか相手を煽る始末、度胸が据わっていると言うか無謀で命知らずと言うのか、どちらにしても常人が出来るようなことではない。

 

「というわけで、もう行って良いですか?」

 

「ふざけんじゃあねぇよ!!」

 

 嘗めきった大和の態度が余程気に入らなかったのだろう。赤いジャケットを着た男はイライラとした表情を浮かべながら大和の顔面を思い切りぶん殴った。

 

「……大和!」

 

 大和が殴れた瞬間、傍にいた幽々子は驚きを隠せない表情を浮かべながら思わず声を上げてしまう。

 

 辛うじて身体は地面に倒れなかったものの、赤いジャケットの男に思い切り殴られたことで大和の右頬にはアザが出来てしまう。

 

 しかし思い切り殴られたのにも関わらず、大和は赤いジャケットの男を睨み付けるだけで何もせずに、ただその場に立っているだけだった

 

「……へっ! こいつ俺たちにビビッちまって何の反撃もしてこないぜ」

 

「おもしれぇな、俺にもボコらせろよ」

 

 赤いジャケットの男を初めとして、他にいたスキンヘッドと茶髪の二人も大和を囲んでリンチする。

 

 まるでサンドバッグを相手にするように殴っては蹴り、果ては地面に張り倒して馬乗りになって殴ったり、踵で身体や顔面を踏んだりする始末。

 

 このとき大和は男達を反抗的な目で睨み付けるだけで、反撃をするような気配は一切なく、やられるがままだった。

 

「もうやめて!」

 

 大和が傷付くところを見たくないあまりに、幽々子は今にも泣きそうな表情を浮かべながら言葉で止めさせようとする。

 

 しかし男達が大和をリンチすることを止める気配は一切なく、男達の気が済むまで大和は殴られ蹴られ続けた。

 

 それから暴力を振られ続けて大和の身体がボロボロになって動かなくなった頃、ようやく男達の攻撃が止まった。

 

「何だよこいつ? 全然大したことないじゃねぇか」

 

「雑魚が調子に乗るからこうなるんだよ」

 

「さてと、こんな腰抜け放って置いて、この女連れて行こうぜ」

 

 赤いジャケットの男が涙目になっている幽々子に触れようとした瞬間、倒れていた大和が突然立ち上がった。

 

「おい、てめぇ何しようとしてんだよ?」

 

「………あぁ?」

 

 一方的にボコボコにした大和がまるで何も無かったかのように起き上がってきたことが予想外だったのだろう。三人の男達は驚きのあまりに今の状況を理解できなかった。

 

 しかし相手がどうだろうが関係なく、大和は拳を握り締めると、幽々子に触れようとする男の顔面を思い切りぶん殴る。

 

「……うぼわぁ!」

 

 大和に殴られた瞬間、赤いジャケットを着た男は身体を横に半回転させながら、受け身も取れずにそのまま地面に倒れてしまう。

 

 そして赤いジャケットを着た男が地面に倒れた直後、まるで追い討ちを掛けるかのように、大和は地面に倒れて動かない赤いジャケットの男を容赦無く蹴り飛ばした。

 

 蹴り飛ばされた赤いジャケットの男の身体は数メートル先まで転がり続け、転がり終えた頃には赤いジャケットの男は指一本すら動くことはなかった。

 

「てめぇ、このやろう!!」

 

 次に大和は手首に捻りを加えながらむかってくるスキンヘッドの男の鳩尾を殴ると、スキンヘッドの男は腹部を両手で抑えると同時に、そのまま地面に両膝をつけて踞ってしまう。

 

 ほぼ一撃で、しかも数秒と掛からずに二人の男を仕止めると、大和は最後に残った茶髪の男に向かって歩いていく。

 

 それに対して、ようやく大和の強さを理解したのだろう。茶髪の男は恐怖のあまりに、大和に向かって何度も土下座をする。

 

「ごっ、ごめんなさい! すいません、すいません」

 

 しかし泣いて喚こうが土下座しようが、大和は男達を許す気は微塵足りともなく、何度も土下座をする茶髪の男の顔面を大和は思い切り蹴り飛ばした。

 

 顔面を蹴り飛ばされた茶髪の男はそのまま地面に仰向けになって倒れ、再起不能になってしまった。

 

「てめぇら馬鹿だな、俺をボコって消えればよかったのによ」

 

 俺を気が済むまで殴るだけだったら、まだ何もせずに許してやったが、幽々子さんに手を出そうとするなら話は別だ。

 

 流石に命までは取らねぇけど、痛い思いをしてもらう上に、最悪病院送りになるほどの怪我を負って貰うことになる。

 

 それにしても、公共の場で悪目立ちしたくなかったから一芝居打ってやったのに、完全に台無しになっちまったじゃねぇかよ。

 

 だが今はそんなことを考えることよりも、周囲の騒ぎがより大きくなる前に、この場から逃げることが優先だ。

 

「わりぃな幽々子さん、ちょっと走るぞ」

 

 そう言って大和は幽々子の身体を軽々と両手で持ち上げてお姫様抱っこをすると、走ってその場から立ち去ろうとする。

 

「ちょっと大和っ!?」

 

 突然起き上がった大和が数秒足らずでチンピラ達を倒したと思えば、この場から逃げるために大和がお姫様抱っこしてくるなど、突然な出来事が次々と起こって幽々子は状況を把握しきれないと同時に、驚きを隠すことが出来なかった。

 

 さらに幽々子はお姫様抱っこをされたうえに、周りに人がいたから恥ずかしかったのだろう。さっきまで泣きそうな顔だったのに、今では頬を赤らめて恥ずかしそうな表情を浮かべている。

 

 だが幽々子が顔を赤くして恥ずかしがっていても大和は下ろす気配は一切なく、そのまま幽々子をお姫様抱っこしながら走り出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十八話 ゲームセンターにて

 念のために、チンピラがいた場所から少し遠く離れた場所に移動すると、ようやく大和の足が止まり幽々子を地面に下ろした。

 

 やはり日頃から身体を鍛えているだけあって、幽々子を担ぎながら全速疾走しても大和は息一つ乱していない。

 

「ここまで来れば流石に大丈夫だろ」

 

「もう大和ったら、私を物みたいに持ち上げて走らないでよ」

 

 況してや今回で二度目のお姫様抱っこ、流石の幽々子も頬を赤らめ恥ずかしそうな表情を浮かべながら大和に対して怒ってくる。

 

 しかし、実のところ言うと大和にお姫様抱っこされたことに関してはちょっと嬉しかったりする。

 

「……あっ、ごめん。逃げることに必死で幽々子さんのこと何も考えてなかった」

 

 一方的に俺がボコボコにされていただけでも周りの目を引いていたのに、そのあと割りとマジになって男達を一撃で仕留めてしまったので、あのまま逃げずに突っ立ていたら色々なことが起こって気分転換どころではなかっただろう。

 

 だが今になって考えれば、周りの目を一切気にせずに、幽々子さんをお姫様抱っこしてその場から逃走する、俺の無神経さにも程があったな。

 

「もう大和なんて知らない」

 

「いや、本当にごめん。無神経な俺が悪かった」

 

 不貞腐れている幽々子に対して、大和は申し訳なさそうな表情で頭を下げる。

 

 緊急事態とはいえ俺もデリカシーが無さすぎた。公共の場でお姫様抱っこしながら走るなんて、やられた方はどれだけ恥ずかしいことやら。

 

「本当にそう思ってる?」

 

「あぁ……幽々子さんのことを何も考えずに、お姫様抱っこした俺が悪かった。」

 

 大和が申し訳なさそうな表情で謝るのをこれ以上見たくなかったのか、仕方ないと言わんばかりに幽々子は落ち着き払った表情を浮かべながら口を開いた。

 

「わかったわ、許してあげる。その代わり楽しいところに連れて行ってね」

 

「許してくれるなら、それくらいお安い御用だ」

 

 条件付きで幽々子に許してもらうと、大和は下げていた頭を上げると同時に、幽々子に対して楽しい場所に連れていくと約束をする。

 

 そうと決まれば迅速果断、この場に立ち止まって考えているよりも、歩きながら行き場所を決めた方が良いと大和はそう思った。

 

「それじゃあ早速行こうか」

 

「うん」

 

 そう言うと二人は再び街中を歩き出した。今度はチンピラみたいな奴等に絡まれないように。

 

(まぁ……別にお姫様抱っこされたことに関しては怒ってないんだけどね)

 

 大和にいきなりお姫様抱っこされたことには驚いたし、周りに人がいて恥ずかしい思いはしたけれど、別に嫌ではなかったし、本気で怒ってもいない。

 

 ただ、私が怒ったふりをしたら大和はどんな反応するのか気になったので、ちょっと大和をからかってみたかっただけなのだ。

 

 それから数十分後、二人が歩きながら決めた行き先は街中で一番大きいショッピングモールだった。

 

 

 

 

 

《とあるショッピングモールにて》

 

 

 

 

 

 目的地であるショッピングモールに着いたあと、大和と幽々子の二人が最初にやって来た場所はゲームセンターだった。

 

 以前、ショッピングモールには来たことはあったが、その時は日用品や衣類を買うために来ていたので、幽々子がゲームセンターの存在を知ったのは今日が初めてだった。

 

 UFOキャッチャー、太鼓の○○などの音ゲー、スト○ートファ○ターやマ○オカートと言ったアーケードゲーム、そしてメダルゲームなど、色々なゲームが並んでいる。

 

 生まれて初めて目にする数々のゲームを目の前に言葉を失った幽々子は思わず唖然とした表情を浮かべてしまった。

 

「ここはいったい?」

 

「前に言ってたゲームセンターだよ、行きたいって言ってただろ。」

 

「ここが前に大和が言ってたゲームセンターなのね、来れて嬉しいわ」

 

 その反応から察するに、どうやら幽々子さんはゲームセンターという場所を初めて見ると同時に知ったらしいな。

 

 そして、ゲームセンターに来て幽々子が即座に目をつけたものは、複数のガタイの良い男達が競い合っているパンチングマシーンだった。

 

「ねぇ大和、あの機械はいったい何かしら?」

 

「パンチングマシーンって言ってな、パンチ力を図るゲームだよ、今でもあるんだな」

 

 俺は滅多なことがなければゲームセンターに足を運ぶことはないし、そもそもパンチングマシーン自体に興味がない。

 だが改めて見てみると、今の時代でもゲームセンターにパンチングマシーンが置いてあることに思わず関心してしまう。

 

 まぁ俺の場合、金払ってパンチングマシーン数回殴るなら、ジムとかに行ってサンドバッグを好き放題殴った方が良いと思っているけどな。

 

「大和はやらないの?」

 

「あんなの当てにならねぇよ、やってるだけ馬鹿らしいわ」

 

 それに、そんなことに金を使うんだったら、俺はお菓子売り場に行ってお菓子を買うわ。

 

 すると大和の憎まれ口が聞こえたのだろう。パンチングマシーンをやっていた複数の男達が怒ったような表情を浮かべながら大和と幽々子に近づいてくる。

 

「おい、何が馬鹿らしいって?」

 

「俺達に聞こえるように言うなんて、なかなか良い度胸してるなガキ」

 

(なんか今日はやけに絡まれるな)

 

 さっきチンピラ達に絡まれたと思ったら、今度はは体格の良い俺達に絡まれる始末、今日外出したことがいけなかったのかな?

 

 それに当たり前のことだが、この男達は俺をただで許そうとは思っていないだろう。最悪の場合だと、この場で喧嘩を始めることも有り得るし。

 

「別にあんたらのことを馬鹿にした訳じゃねぇよ、ただ俺はこんな当てにならない機械でパンチの威力を測っても無駄だって思っただけさ」

 

「ほぉ~そこまで言うならお前、かなり自信があるってことだよな、おもしれぇ」

 

「そんな大口叩くなら、俺達の記録を余裕で塗り替えすことなんて簡単だよな?」

 

 そう言うと男達は逃げないように周りを囲むと、大和の肩を掴んでパンチングマシーンの前まで連れて行った。

 

 俺の技量を測るためなのか、それとも俺が男達よりよ強いことを示せと言うことなのか、その真意は知らないが、少なくとも男達はどうやっても俺にパンチングマシーンをやらせたいらしいな。

 

「でも金が……」

 

「大丈夫だ。金はすでに入れてある。やってた途中だったからな」

 

「ただし記録更新できなかったら、どうなるかわかっているよな?」

 

 まぁ言わなくてもわかっている、人目の無い場所に連れていかれて半殺しにされるだろうよ。

 

 正直こんな遊びに力を使いたくはないが、こいつらを黙らすためなら仕方がない。

 

「はいはい、わかりましたよ」

 

 やりたくなさそうな表情を浮かべながらも、大和はパンチングマシーンの目の前で戦闘の構えを取って拳を軽く握りしめた。

 

 そして、構えてから間も空けずに大和が右ストレートを放った瞬間、驚くことにパンチングミットの部分だけが壊れてしまった。

 

「………あっ」

 

 恐らく桁外れのスピードとパワーを重ね揃えた大和の右ストレートにミットが耐えきれず、壊れてしまったのだろう。

 

 その結果、大和のパンチ力は前代未聞の計測不可能になってしまった。

 

「やっべぇ……やっちまった」

 

 こいつらが記録更新しろって言うもんだから、力の加減を間違えちまったじゃねぇかよ。

 

 側で見ていた男達が驚いて声を出せずにいたのはもちろんのこと、果ては周りにいた人達にまで注目を浴びてしまう始末だった。

 

「あの~これってやっぱ駄目っすか?」

 

「あっ……いやっ、そんなことはねぇ、仕方がねぇから今回は許してやる」

 

 とんでもない奴に喧嘩を売ってしまったと思っていたのだろう。男達は誰一人として大和と戦おうという考えはしなかった。

 

「それじゃあ俺達もう消えて良いですか?」

 

「おっ…おう、さっさと何処かに行きやがれ」

 

「それじゃあ邪魔してすいません、あはははぁ…」

 

 そう言い終えると、大和は焦ったような表情を浮かべながら、幽々子を連れて逃げるようにゲームセンターから去っていった。

 

 

 

 

 

《~…少年少女移動中…~》

 

 

 

 

 ゲームセンターから逃げるように移動したあと、二人はショッピングモールの中にあるフードコートの前にやって来た。

 

 足を止めると、急に大和が焦ったような表情を浮かべてゲームセンターから逃げたことが可笑しいと思ったのだろう。幽々子は怒ったような表情を浮かべながら大和に対して問い詰めてくる。

 

「もう大和ったら、何で逃げるのよ」

 

「いや、マジでごめん。まさかぶっ壊れるとは思ってなかったから」

 

 あのままゲームセンターに残ってたら、周りから変な目で注目を浴びるだろうし、何よりも店員が異変に気付いてやって来たら、最悪弁償代払わせられる思ったから急いで逃げた。

 

 当分ここのゲームセンターには行けないだろうな、まったく悪気はなかったとはいえ、俺はとんでもないことをやっちまったよ。

 

「私いろいろな『げぇむ』って言うもの見て回りたかったのに」

 

「ごめんごめん、詫びとして何か食べようぜ、ちょうどそこにフードコートあるし」

 

 フードコートを見てみると、そこにはハンバーガーやフライドチキン、そばやうどん、天丼やカツ丼、ステーキやラーメン、アイスクリームやクレープなどと言った様々な飲食店があった。

 

 この時、ゲームセンターの事なんて既に忘れてしまったのだろう。沢山ある飲食店を前にして幽々子は目を輝かせていた。

 

「食べたいものあるなら、何でも好きに選んで良いぞ」

 

「ほんとに!?」

 

 思ってた通り、これ幽々子さんゲームセンターの事なんて忘れてますわ。幾らなんでも食べ物に対して貪欲過ぎるだろ。

 

「あぁ、約束する」

 

 そう言われると幽々子は満面な笑みを浮かべながら、大和を置いて気になる飲食店へと一足先に行ってしまった。

 

(取り合えずこの場は何とかなった、あとはゲームセンター以外で幽々子さんが興味を示しそうな物をあらかじめ探さねぇと)

 

 そんなことを考えながらも大和は、気になる飲食店に走って向かった幽々子の元へと歩いていく。

 

 このとき大和は、幽々子が楽しめそうな場所を探すことしか考えてなく、自分の財布に危険が迫っているとは知るよしもなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十九話 幽々子の能力(ちから)

《◇◆◇◆公園》

 

 それからショッピングモールで色々なことをして数時間が経った後、大和と幽々子はショッピングモールを離れて、近くの公園までやって来た。

 

 空はすっかり日が落ちて紺色に染まり、公園に設置されてた街灯が灯されている。気が付けば夜の時間帯となっていた。

 

 そんな薄暗い公園の中で、満足そうな表情を浮かべている幽々子と平然した表情を浮かべている大和の二人がゆっくりと歩いていた。

 

「色々あったけど、今日はとても楽しい一日だったわ、ありがとう大和」

 

「それはどうも、喜んでくれて何よりだ」

 

 どうやら幽々子さんは機嫌を直してくれたようだな。ゲームセンターのことは完全に忘れているだろうし、行くのはまた今度でも大丈夫だろう。

 

 ただ、その代償は大きかった。

 

 幽々子さんの底無しの食に対する興味、そして異常とも呼べる貪欲な食欲、それを満足させるためには結構な銭が掛かった。

 

 幸いだった事と言えば、念のためと思い、銀行で多額の金を下ろしてきたことぐらいだ。マジで金下ろしてきて良かった。

 

 すると何を思ったのか、急に大和はその場で足を止めて立ち止まり、うんざりとした表情を浮かべながら後ろを振り向いた。

 

 そんな大和の急な行動に対して、幽々子も若干驚いたような表情を浮かべながら大和の傍に立ち止まる。

 

「どうしたの?」

 

「さっきから俺達の後をついてくる奴等、隠れてないでさっさと出てきやがれ」

 

 周りにしっかりと聞こえるような声で大和がそう言った瞬間、一体何時からいたのか、木影からぞろぞろ複数の男達が姿を現してくる。

 

 気が付けば大和と幽々子は男達に周りを囲まれており、到底のことながら無傷でこの場を逃げ出すことは至難の技だった。

 

「隠れていたのによ、気付いていたか草薙」

 

「あんたら何だ? 俺になんか用でもあるのかよ?」

 

「俺達はお前の弟、草薙和生に一度は半殺しにされた輩だよ、その証拠にほら……見ろこのズタボロにされた面をよ」

 

 さっきまで隠れていたし、男達が姿を現しても周りが暗闇に覆われてあまり見えなかったが、街灯で照らされた俺達の顔を見た瞬間、思わず大和と幽々子の二人は驚愕した表情を浮かべてしまった。

 

 どの男達の面を見ても、ほとんど歯がへし折られていたり、生涯消えそうにもない大きな打撃傷を負っていたり、果ては顔面が滅茶苦茶になっている者までいる。

 

 つまり、こいつら全員和生の犠牲者とでも言うのか?ここにいる奴等だけでも二十人以上はいる、いくらなんでも犠牲者多すぎるだろ。

 

 それに和生も和生だ。あのやろうが撒いた種なのに、何故なんの罪もない俺が復讐の標的にされなきゃいけないんだ、可笑しいだろ?

 

「だったら何だよ? 復讐するなら俺じゃなくて、和生本人にやれば良いだろ」

 

「馬鹿か、あいつに立ち向かうのが嫌だから、兄のお前に復讐しに来たんだよ」

 

 男達の言っていることがあまりにも滅茶苦茶過ぎだったのだろう。怒りを通り越して大和は呆れ果てた表情を浮かべていた。

 

 差し詰、こいつらは復讐心はあるものの、その対象である和生が恐ろしくて復讐することができず、その代わりに和生の兄である俺に八つ当たりしに来たのだろう。

 

 取り合えずどんな理由でも、相手が喧嘩を売ってくるのなら、俺はその喧嘩を全部買ってやろう。ただ近くにいる幽々子さんが心配だが。

 

「わかったよ、全員まとめて相手してやるから掛かってこい」

 

 そう言うと大和は着ていた赤いロングコートを脱いで長袖となり、その抜いだコートは近くにいた幽々子に手渡した。

 

「ところでてめぇら……俺が和生(あいつ)より弱いって思ってるなら……一切容赦はしねぇぞ!」

 

 まるで本気で殺すと言わんばかりに、大和は殺気丸出しの眼差しで男達を威圧する。

 

 こいつらは俺が和生より弱いと勘違いしているようだが、それは大きな間違いだ。

 今まで俺は喧嘩で和生に負けたことは一度もないし、身体能力と武術だけなら和生よりも強いと自負している。

 

 それに対して大和の殺気に満ちた眼差しに戦略が走ったのだろう。一瞬だが男達は今までにない恐怖に包まれ、思わず足がすくんでしまう。

 

 その隙を突いて、まず大和は一番近くにいた男の目の前まで瞬時に走ると、着いたと同時に男の顔面に全力で横蹴りを入れる。

 

 そして大和の横蹴りが男の顔面にクリーンヒットした瞬間、恐らく脳震盪が起こったのだろう。顔面を蹴られた男はそのまま地面に倒れ込むと、それから立ち上がる気配は一切なかった。

 

「まずは一人目っと……次は誰が相手だ?」

 

「てめぇ奇襲なんてしやがって、卑怯じゃねぇかよ」

 

「おいおい、奇襲を仕掛けたから何だよ?そっちは大勢で俺を潰そうとしてるだろうが」

 

 確かに大和は奇襲を仕掛けた。普通なら卑怯者と言われても仕方がないのだが今は違う。

 

 相手は大人数で攻めてきているのに、こちらが奇襲を仕掛けただけで卑怯と言われる。それは流石に自分勝手過ぎではないだろうか。

 

「……このやろう」

 

「……ふざけやがって」

 

「攻めて来ねぇなら、またこっちからいくぞ」

 

 そう言うと、何の躊躇もなく大和は敵陣に向かって突っ込んでいく。

 

 そして相手の間合いに入った瞬間、大和はぶん殴ったり蹴りを入れるなど、基本的に力業で他の男達を次々と蹂躙していく。

 

「このやろう!!」

 

 相手も何もせずに突っ立ているだけではない。大和を潰そうと男達も多数で攻撃を仕掛けてくる。

 

 だが、相手が大勢で殴り掛かって来てこようとも、大和は相手の手腕を掴むと同時に手首や肘の関節を瞬時に外して戦闘不能に陥らせる。

 

「……っん?」

 

 そして五人から六人ぐらい仕留めた辺りから、男達は少し距離を空けてくると同時に、大和が横から嫌な気配を感じ取った瞬間だった。

 

「死ねぇぇ草薙ィィ!!」

 

 突然、奇声を上げて男がナイフを振り回してきたのだ。

 

 それに対して大和はギリギリのところでナイフを回避すると、刃が頬を掠めて切り傷が出来てしまう。

 

 しかし大和は凶器に対して一切怯まず、アッパーカットでナイフを持った男の顎を打ち抜いた。

 

「あぶねぇだろうが」

 

 顎を打ち抜かれた男は意識を完全に絶たれ、そのまま地面に倒れ込んでしまう。

 

 それからも、中には武器を持って掛かって来る奴もいたが、大和は致命的なダメージを負わされることはなかった。

 

 相手が弱すぎるのか、それとも大和の強すぎるのか、気が付けば経った数分足らずで敵の数は半分以下となり、大和に太刀打ちできる奴は誰一人としていない。

 

 男達が次々と倒されている最中、これでは大和を倒すことは無理だと悟ったのだろう。闘うことを諦めかけていた一人の男が無防備になっている幽々子に目をつけた。

 

「このやろう、こうなったら!!」

 

 自暴自棄になった男はズボンのポケットから折り畳みナイフを取り出した瞬間、ナイフの切っ先を向けながら幽々子に向かって走っていく。

 

 その際、男がナイフを手に持ちながら走って来ることに気がつくと、思わず幽々子は恐怖に満ちた表情を浮かべながら叫んでしまう。

 

「……いやぁー!」

 

 幽々子の叫び声を聞いた瞬間、大和は咄嗟に幽々子がいる方向に視線を向けてみると、男がナイフを持って幽々子に向かって走っていくのが見えた。

 

「あぶねぇ幽々子さん!!」

 

 他の奴等を放って置いて大和は、今までには無い程のスピードで幽々子の元へと走り出す。

 

 手にナイフを持っている男が幽々子を刺そうとする一歩手前のところで、大和は自分の身を投げ出して幽々子の前にギリギリ立ち塞がると。

 

……ドス!

 

「………あがっ!!」

 

 咄嗟に幽々子を庇ったことで、不良のナイフが大和の横腹に深く突き刺さると、そのまま大和はまるで崩れるように膝から倒れしまう。

 

「やっ……大和!!」

 

「………ぐっ……あがぁ……ちく……しょう……」

 

 ナイフで刺された横腹にはドクドクと脈打つように激痛が走り、さらには火で焼かれたように熱った。

 

 そして何よりも夥しい出血量、痛みに堪えながらも残り少ない 力を振り絞って横腹を手で押さえつけてみると、手のひらには鮮血が満遍なくベットリとついていた。

 

 幽々子は今にも泣きそうな表情を浮かべると、倒れた大和の体を抱えながら必死に呼び掛ける。

 

「ねぇ大和……お願いだから……しっかりしてちょうだい……」

 

 視界がボヤけだし、意識が少しずつ遠くなっていく最中、耳元で自分の名前を呼んでくる幽々子の声が聞こえてくる。

 

 今の状況から判断して、どうやら俺は幽々子さんに抱き掛かえて貰ってるらしいな。まったくカッコ悪いじゃねぇかよ。

 

「幽々子さんか……大丈夫か? どこか怪我してねぇか?」

 

「私は大丈夫よ、それより大和……血が……お腹からいっぱい血が……」

 

「あはははぁ……この程度の傷なら……大した事はねぇよ……それより幽々子さんが無事でよかった」

 

 今にも目から涙が零れそうになっている幽々子に心配をかけないように、横腹に走る痛みに堪えながらも大和は笑顔を浮かべて幽々子を慰める。

 

 しかし幽々子を慰めていたのも束の間、異様な眠気に襲われると同時に大和はそのまま意識を失ってしまった。

 

「……やま…と?」

 

 意識を失ったことで大和の身体がぐったりしたあと、幽々子の瞳から涙が溢れ出してくる。

 

 それに対し、ナイフで傷を負った大和が倒れたことで周りにいた男たちは歓喜に浸っていた。

 

「……やった!! やったぞ! ようやく草薙のやろうを殺ることができた!!」

 

「よっしゃあぁ!!」

 

 まるで男たちは初めての狩りで獲物を獲られたように心の底から喜ぶ、恐らく大和がこのまま死んでも良かったのだろう。

 

「草薙を仕止めたことだし、それじゃあ行こうか姉ちゃん」

 

 腹から血を流して大和が戦闘不能になったことがわかると、近くにいた一人の男が幽々子に触れようとするが。しかし……

 

「………さない」

 

「………あっ?」

 

「あなたたちだけは、絶対に許さない」

 

 その瞬間、涙を流しながら怒る幽々子の周りから異様な冷気が発生すると同時に、どこからともなく複数の魂が現れ出した。

 

「なんだよこれ?」

 

「一体……何が起きてんだよ?」

 

 頭では到底のことながら理解することができない非科学的で非常識な事が起きたことで、チンピラ達の心身は恐怖と戦慄に蝕まれ、その場から一歩も動けない状態に陥っていた。

 

 そして幽々子を本気で怒らせたことにより、これからチンピラ達に取って生涯最大の恐怖と苦しみが訪れることになる。

 

 まず最初、幽々子に触れようとした男が突然苦しみだし、その数秒後には口から泡を吹きながら白目をむいて地面に倒れてしまった。

 

 何の前触れもなく男が倒れたことに、仲間達は驚きを隠すことができず、果ては恐怖で半数以上が身体を震わせていた。

 

「おい!」

 

「どうしたんだよ!?」

 

 そして、まるで連鎖反応が起こったかのように、周りにいた男達が次々と苦しみ出しては、泡を吹きながら白目をむいて倒れてしまう。

 

 その結果、数秒も掛からずに周りにいたチンピラ達は全滅してしまい、意識があったのは幽々子一人だけになっていた。

 

「ねぇ大和……大和ったら……お願いだから目を開けてちょうだい」

 

 大和の横腹から溢れ出る出欠は止まる気配はなく、辺りを見渡してみれば地面は大量の鮮血で染まっていた。

 

 もう駄目だと幽々子が諦め掛けていた時、突然の如く大和の手が動き出すと同時に、意識が朦朧としながらもポケットの中にあるスマートフォンを取り出した。

 

「でん…わに……でて……くれ……」

 

 最後の力を振り絞って、大和は誰かに電話を掛けようとする。

 

 やっと思いで連絡先を打ち終えたあと、大和は再び意識を失い掛け、手を震えさせながらも幽々子にスマートフォンを手渡した。

 

 そして大和にスマートフォンを手渡されてから数分も掛からずに誰かとの通話が繋がった。

 

(もしもし、こちら御巫医院ですが)

 

「紅虎さんですか! 私です、西行寺幽々子です」

 

 一体誰に電話を掛けたかと思えば、それは大和の師匠である御巫紅虎だった。

 

(おや幽々子さん、どうかなされました?)

 

「大和が……大和が刺されて血がいっぱい出てるんです。お願いします助けてください!!」

 

(取り合えず落ち着きなさい幽々子さん、今からそちらに行くので場所を教えてください)

 

「えっ…はっ…はい……確か看板に◇◆◇公園って書いてました」

 

(わかりました、それでは待っててください)

 

 それから数十分後、車に乗って紅虎がやってくると、瀕死状態になった大和と幽々子を急いで車に乗せて御巫医院に向かった。

 

 

 

 

 

 

《御巫医院》

 

 

 

 紅虎が経営している御巫医院に着いたあと、紅虎はほぼ瀕死状態になっていた大和をそのまま手術室へと運び、急いで手術を開始させた。

 

 それから大和の手術を開始してから数十分以上が経った後、手術室から疲れたような表情を浮かべた紅虎が出てきた。

 

「紅虎さん、大和は……大和は大丈夫なの?」

 

「多量の出血で貧血状態に陥っていますが、幸いナイフが内蔵まで到達していなかったので、命に別状はありませんよ、ただ傷が完治するまで一週間は絶対安静ですがね」

 

 大和が無事だったことがわかって安心したのだろう。ようやく緊張と不安から解き放たれた幽々子は落ち着いた表情を浮かべながら胸を撫でおろす。

 

「……よかった」

 

「彼も日頃から肉体を鍛え込んでいますからね、その程度で死なれたら私も困ります」

 

 呆れたような表情を浮かべて紅虎はそう言うものの、本当は心の何処かで愛弟子である大和が無事で良かったと思っているのだろう。

 

「それにしても知りませんでした、まさか紅虎さんはお医者様をやっていたなんて」

 

「……あら? もしかして大和から聞いてなかったのですか? 私は武の指導以外にも医者をやっているのですよ」

 

 こうみえて紅虎は武術の指導以外にも、自分で開いた御巫医院の開業医をしていたのだ。ちなみに無免許医ではなく、ちゃんと医師免許証は持っている。

 

 後に大和から聞いた話だけど、大和が修行や鍛練で怪我をした時には、この医院で紅虎がよく治療をしていたらしい。

 

「さてと、お話はこれでお仕舞いにしましょう。そろそろ私は仕事に戻るので、大和のことは任せましたよ幽々子さん」

 

 幽々子の肩に軽く手を『ポンッ』て乗せたあと、そのまま紅虎はその場から歩き去ってしまう。

 

 そのあと幽々子は心配した表情を浮かべながら大和がいる手術室へと入っていった。

 

 

 

 

《御巫医院・診察室》

 

 

 

 職場である診察室に戻ったあと、紅虎はカルテや診察書を見ながら、ある考え事をしていた。

 

「あの娘………出会った当初から普通ではないと思っていましたが、やはり謎な事が多いですね」

 

 常住坐臥で肉体を鍛えている大和が瀕死状態で倒れていたのも異常事態だったが、周りで倒れていたチンピラに対して謎の違和感を抱いていた。

 

「特にあのチンピラ達の様、物理的に意識を失ったものではありませんね」

 

 多少の打撃跡があったとはいえ、チンピラ達の不可解な倒れ方、そして死んでいるように青ざめた顔や身体、これから察するに大和がやったとは到底考えられない。

 

 それに、大人でも根を上げて逃げ出すような苦痛の修行や鍛練を叩き込んだとはいえ、あの深傷の傷で大和が戦闘続行できるとは思えない。

 

 だとしたら幽々子が闘ったのか?いや、仮にそうだとしても、どうやってあの数を倒したのか。

 あの女の実力を知らないので何とも言えないが、もしも並みの女性ぐらいの戦力なら、例え大和が半数仕止めても不可能だ。

 

 考えれば考えるほど、あの幽々子に対しての謎が深まり、果ては人間なのかと疑ってしまうほどだ。

 

「これは調査と情報収集が必要ですね、これからのことも考えたうえで」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十話 大和の入院

《御巫医院・病室》

 

……コンコン、ガチャ……

 

 扉をノックしたあと、病室に入ってきたのは心配そうな表情を浮かべている幽々子だった。

 

「失礼するわね」

 

 そこにいたのは、ベッドの上に仰向けになって横たわり、点滴注射で腕から血液を投与されている大和がいた。

 

 大和の身体、特に腹部の方には厳重に包帯が巻かれており、大きな怪我をしたということが一目見ただけでわかる。

 

 病室に幽々子が入ってきたことに気がつくと、身体を動かせない大和は首だけを動かして幽々子の方向を見た。

 

「なんだ……幽々子さんか……」

 

「怪我の具合は大丈夫かしら?」

 

「別に大したことはねぇよ、紅虎さんが一週間ぐらいあれば完治するって」

 

 ただ出血が酷かったせいか、未だに意識ボーっとしたり、頭がクラクラするなど、貧血の症状が収まらない。

 

 それに傷口も深かったのだろう。包帯などで処置されているとはいえ、ちょっとでも身体を動かせば恐らく傷口がパックリと開いてしまう。これでは運動することすら儘ならないだろう。

 

 そんなことを話ながらも幽々子は大和に近づいていくと、ベッドの側にあった椅子に座る。

 

「ねぇ大和、何で私のために身体を張ってくれるの? もしかしたら死ぬかもしれないのよ」

 

 心配そうな表情で幽々子がそう言うのに対して、大和は冴えない表情を浮かべると同時に一瞬だけ黙り込んだ。

 

「俺はただ……幽々子さんを守りたいだけだ。別に大した理由なんて有りはしねぇよ」

 

 中学の頃は未熟なこともあって怪我や生傷を毎日のように負っていたが、高校になってから滅多に傷を負うようなことはなかった。

 

 高校生になって初めてのことだろう。腹部にナイフが深く刺さって致命的な傷を負ったのは。幸い師匠の紅虎が医者をやってて助かったが。

 

 それに、初めてのことだった。 人を守るために闘うことなんて、今までなかったことだったから。 だから必死に闘い、必死で守ろうとした。 たとえそれが自分の生命が危機になる行為だとしても。

 

「初めてかもな、こんな無茶な怪我をして人を守ったことなんて。

 ただ悔いは一切ねぇ、生まれて初めて惚れた女を守れたからな」

 

 俺の意思なのか、それとも本能的になのか、どちらなのかは分からない。ただ、あの時は幽々子さんを守りたい気持ちでいっぱいだった。

 

 もしも、あの時に幽々子さんを守ることができなかったら恐らく、いや……絶対に死ぬまで後悔していただろう。

 

 それを聞いた幽々子は信じることができないと言わんばかりに、目を見開いて驚いたような表情を浮かべながら大和を見つめた。

 

「ねぇ大和……今なんて?」

 

 今大和が何を言ったのかを、幽々子がもう一度聞こうとした瞬間、ドアを開けて誰かが入ってきた。

 

 

…………ガチャ

 

 

「どうも二人とも、再びお邪魔をしますよ」

 

「紅虎さん」

 

「どうしたのかしら?」

 

「いえ、特に理由はありません。 ただ大和調子がどうか見に来ただけです。」

 

 幽々子の隣に歩いてやって来ると、紅虎は大和の調子や傷口の具合がどんな風になっているのか観察する。

 

 自分の身体だから良くわかるが、ナイフで刺された箇所の傷はほぼ塞がりつつある。 我ながら恐ろしい回復力だとは思っている。

 

「やっぱり治り早いですね、これなら一週間もせずに退院もできるでしょう。」

 

「本当ですか」

 

「ただし絶対安静です、それに早く治りたいなら私の指示に従ってもらいますよ」

 

「…………………はい」

 

 その言葉を聞いた瞬間、大和はこれから何が起こるかわかったかのように絶望したような表情を浮かべた。

 

 紅虎さんの指示は間違っておらず、寧ろその効果は絶大とも言える。 しかし長年紅虎さんの稽古や教えに着いてきたらこそわかることだが、非常に過酷で厳しい、それが例え怪我人が相手だろうとも。

 

「さてと、それでは幽々子さんは私についてきなさい。」

 

「えっ…私ですか?」

 

「そうですよ、もしかしてこの部屋にずっといるつもりだったのですか?」

 

 紅虎にそう言われると、まるで図星だと言わんばかりに幽々子は惚けたような表情を浮かべながら目を逸らした。

 

 それに対して紅虎は余程呆れ果ててしまったのだろう。困ったような表情を浮かべると同時に思わず溜め息を漏らしてしまう。

 

「まったく、あなたは何を考えているのかさっぱりですよ。」

 

「えへへ……ごめんなさい」

 

 そんなやり取りをしながらも、紅虎と幽々子の二人は大和を置いて部屋を出ていった。

 

 

 

 

《翌日》

 

 

 

 紅虎の言う通り、怪我の考慮をしたうえで今日は夜更かしせず、だいたい十一時前ぐらいに眠った。 なんだか数年ぶりに早寝した気がする。

 

 しかし、早く寝たのは良いものの、短時間の睡眠に身体が慣れきったせいか、夜中の三時ぐらいに目が覚めてしまった。

 

 怪我のせいで身体を自由に動かせないうえに、もう一度寝ようとしても、目が完全に覚めて寝ることができない。

 

 身体を動かせれば電気を付けることができるが、絶対安静なので動けないし、そのうえ気晴らしに読書をしたいが、この病室には本はない。

 

 何もすることなく、大和はただ時間が経過するのを待つことしかできなかった。それに、こんな退屈で無駄な時間を過ごすのは生まれて初めての経験だ。

 

 それから寝ることも動くことも許されずに四時間が経過すると、ドアをノックしたあとに部屋に紅虎が入ってきた。

 

「おはようございます大和。 早速ですが朝食にしますよ」

 

「おはようございます、こう…が……さん……えっ?」

 

 紅虎の背後にあった物を見た瞬間、大和は驚きを隠すとができず、思わず唖然とした表情を浮かべてしまった。

 

 大和が見たもの、それはワゴンいっぱいに乗せられた大量のごはんや肉料理、ツナやジョッキ一杯の卵だった。料理を見た限りだと少なくとも十人前以上はある。

 

「あの……これはいったい?」

 

「何を仰るのですか大和、見ての通り朝食ですよ」

 

 だが大和の目に写っている料理は、到底の事ながら朝食には見えず、バイキングとか満漢全席の量と見間違える程だった。

 

「いや……この量は……」

 

「あのですね大和、あなたの身体は怪我で衰弱しているのですよ、ですからしっかりと栄養を取らないといけません。

 本当ならこの倍は食べて貰わないといけないのですが、流石に無理だと思うので、今回はこのくらいで勘弁してあげます」

 

 これでもかなりキツイ量なのに、紅虎さんはこの倍を食わせようとしてたのかよ? いくらなんでも、色々な意味で身体をぶっ壊しかねないぞ。

 

 だが確かに紅虎さんの言うことは間違っていない。早く怪我を完治させるには飯をしっかりと食べ、十分な睡眠を取って安静にしなければならない。

 

 そんなことを考えている間に、紅虎はテーブルを用意してから淡々と大和の前に朝食と箸を置く。どうやら無理矢理にでも食べないといけないらしい。

 

 気は向かないが仕方ないと、大和は全ての朝食を食べる覚悟を決めると、箸を手に持つと同時に手を合わせていただきますをした。

 

 それから大和は焦らずゆっくりと紅虎が作った料理を食べ続ける。

 

 500グラムはあるステーキに噛みついて、そのあとに白いご飯を頬張ったり、ツナを食べたあとに、ジョッキに入った卵を一気に飲み込んだりする。

 

 だがツナや卵の量は少なく、基本的に置かれているのはほとんど肉料理と白米、今の食事で大和は基本的に肉と米を順々に食している。

 

 そして食事をしている際、大和は今食べた食事の栄養が身体の隅々まで確実に行き渡るように自然と意識をする。

 

 食事をしている最中、大和はあることに気が付くと、一旦食べるのをやめて紅虎に話しかける。

 

「そういえば紅虎さん、幽々子さんはどうしたんですか? 俺の家に戻ったんですか?」

 

「いえ、幽々子さんは別室で寝ていますよ、何しろ大和を置いて帰るわけにはいかないと、聞きませんでしたからね」

 

「……そうですか」

 

 それを聞き終えると大和は再び料理を口に運び、そのまま無言になって食事を続けた。

 

 何となくはわかっていたが取り敢えず安心した。紅虎さんがいる御巫医院にいなかったらどうしてたことか。

 

 もし屋敷に帰っていたら、食に太い幽々子さんがどうやって食事を取るのかわからないうえ、何よりも一人にすることが心配で仕方がない。だから逆に帰って貰った困ることが多い。

 

「それで大和どうしますか? 彼女を帰すのか? それとも身近に置いていくのですか?」

 

「申し訳ないですが、ここに居させて貰っても良いですか? 屋敷に帰すのはちょっと心配で」

 

「別に構いませんよ、居られて困ることはありませんから」

 

「ありがとうございます」

 

 清々しい程に安心した表情を浮かべてる大和、そんな姿を見た紅虎は何かを見透かしたような目で大和を見つめると同時に話し掛けた。

 

「大和、貴方この数日間で大分変わりましたね」

 

「そうですか?」

 

「はい、以前よりも表情や性格が穏やかになっているように見えますよ」

 

 弟子入りした直後は天真爛漫で優しい少年だったが、中学になってからは強さだけを求めて、厳しい鍛練と実戦を長年続けたせいか、表情と感情が乏しい人間になってしまった。

 

 しかし西行寺幽々子と言う女性と出会い暮らすことになってから、大和は表情などの雰囲気が徐々に明るくなった気がする。

 

 それに試練のための演技とはいえ、幽々子を人質に取った時のことだ。あそこまで怒りと殺意に満ちた大和は見たことがない。

 

「はははぁ……どうしてでしょうね? 俺にはさっぱりわかりませんよ」

 

 確かに紅虎さんの言う通りだ。以前よりも笑う回数が多くなったのはもちろんのこと、何より心に余裕が出来た感じがする。

 

 それにどうゆう事なのかわからないが、幽々子さんの事になるとすぐに感情的になって頭に血が上ったり、爆発的な力を発揮できるようになったりすることがある。

 

「表情や感情が豊かになることは否定しませんが、闘いの最中であまり感情的になってはいけませんよ、それが命取りになるのですから」

 

「はい、わかっています」

 

 そう言い終えると大和はそれから話をすることなく、料理をすべて食べ終えるまで食事を続けた。

 

 十人前近くある料理を食べるのは結構キツいと思っていたが、案外胃が受け入れてくれるものだ。まぁ、元々常人よりもかなり食べる方だったから当たり前のことかな。

 

(そうですか……ようやく大和も見つけたようですね)

 

 そして無言で食事を続ける大和が料理を食べ終えるまで何も話すことはないと察したのだろう。紅虎は何も言わずに部屋から出ていった。

 

 

 

 

《それから数時間後》

 

 

 

 十人前はあった料理を大和が見事に完食し、紅虎に食器類を片付けて貰ったあとのこと。

 

 絶対安静なので運動を禁止されているのはもちろんのこと、歩くことすら許されていないので、大和はかなり怠惰な時間を過ごしていた。

 

 だが幸いなことに、朝食を食べ終えてから幽々子さんが部屋に来てくれたので、一人退屈は時間を過ごすことはなかった。

 

 後に紅虎さんから聞いた話によると、別室で幽々子さんも朝食を取っていたらしいが、どうやら俺が食べていた量の二倍近く食べていたらしい。

 

 その時いた紅虎さん曰く、「流石の私も驚きました」とか「思わず苦笑いを浮かべてしまいました」と言っていた。あの人がそんなこと言うなんて、面白半分でない限りは滅多にないことだ。

 

 あまりに退屈だった大和が暇そうな表情で欠伸をしたり何も考えずにボ~ッとしていると、幽々子が退屈しのぎに話しかけてくる。

 

「ねぇ大和、何かやりたいことある?」

 

「運動」

 

 幽々子の質問に対して大和は即答だった。

 

 だけど無理もない。元々大和は運動が好きな上に、ほぼ毎日鍛練やトレーニングで身体を動かしているのだから、一日でも大和に運動をするなと言うのは、ある意味拷問に近いものだ。

 

 ただ今の大和に運動はさせれない、させては絶対にいけないので、幽々子もどうにかして大和の運動したい気持ちを紛らわそうとする。

 

「ほっ、ほら大和、なんかお腹空かない? 紅虎さんから何か食べ物貰ってくる?」

 

「さっき食ったばかりだし、限界まで食い過ぎて死にそうなんだけど」

 

 まさかとは思うが、俺の倍近く食っている筈なのに幽々子さんはもう腹が減ったのかよ? そうだとしたら燃費悪過ぎれば、どんな胃袋してるんだよ、って色々と突っ込みたくなるわ。

 

 それに今の俺にサンドイッチとか食い物を食わせてみろ、胃の限界を通り越して間違いなく胃の中にあるものを全て吐き出す。

 

「それじゃあ私が早食いを披露してみようかしら?」

 

「食ってる本人はともかく、見せられる身にもなってみろ。俺が楽しいと思うか?」

 

「だったら大食いを………」

 

「全部幽々子さんが何か食いてぇだけじゃねぇかよ!? てか、どんだけ腹減ってんだよ」

 

 これは俺が退院するまでに、料理を作るであろう紅虎さんにかなりの負担が掛かると予測する。経済的にも心身的にも。

 

 二人で漫才的なことをしていると、ノックもせずに誰かが無断で病室に入ってきた。

 

「よう兄貴、騒がしいぞ」

 

 病室に入ってきたのは弟の和生だった。しかし、どうして俺が入院してることを和生が知っているのかは謎だが。

 

「なんだ和生か、見舞にでも来てくれたのか?」

 

「まぁそんなところだ。あと漫画の最新刊見つけたから買ってきてやったぞ」

 

「頼んでもいないのに悪いな」

 

 そう言うと和生は目の前に来て手に抱えていた単行本を大和に渡してくる。

 

「それにしても紅虎から聞いた時は驚いたぜ。まさか兄貴が喧嘩で大怪我をしたなんてよ」

 

 その情報はその場にいた本人と幽々子さん、あとは紅虎さんとかしか知らないはずなのに、和生は一体どこからその情報を耳にしてきたのか?

 思いつく限りだと、紅虎さんが電話で話したとしか考えようがない。

 

「正直がっかりしたよ。まさか兄貴が雑魚に不覚を取るなんて、もしかして以前よりも弱くなったんじゃねぇか?」

 

「そうかもな」

 

 和生からしてみれば大和の反応は予想外だった。前の兄貴だったら『そんなことはねぇよ』とか言って反発してくるはずなのに、今回は穏やかに認めてしまってる。

 

 そんな珍しい大和の反応に対して、和生は呆れたような表情を浮かべながらこう言った。

 

「あぁ~あ、兄貴は変わっちまったな、以前に比べて優しくなっちまってる」

 

「それ紅虎さんからも言われたよ、別に俺は困らねぇからどうでも良いが」

 

 以前は強くなることだけを目標にしてきたが今は違う気がする。言葉でははっきり言い表せないが、何か大切なものが出来たような、そんな感覚だ。

 

 大和の発言を聞くと、和生は気に食わなそうな表情を浮かべると同時に舌打ちをした。

 

 その瞬間。

 

「ふざけんじゃねぇ!俺はそんな腰抜けを目標に強くなろうと思ったんじゃねぇんだぞ!」

 

 兄の大和を見損なったと言わんばかりに、和生はぶちギレた表情を浮かべながら、病室を出ていこうとする。

 

「おい和生……」

 

「気分が悪くなった、家に帰らせてもらう」

 

 和生は病室から出ていくと、医院全体に響き渡る程の力でドアを思い切り閉める。

 

「まったくあのバカ騒ぎやがって、ここは病院だぞ」

 

「ねぇ大和、昔の和生君ってどんな子だったの?」

 

「今は面影がないけど人懐っこくて優しい子だったよ、それに泣き虫で臆病だった。」

 

 昔の和生は優しくて弱虫で、誰かにいじめられたらすぐ俺に助けを求めてくる可愛い奴だった。

 

 ただ、あいつの良いところは、弱い人を助けるために勇気を振り絞っていじめっ子から守ってたことかな。正直、初めて目撃したときは驚いたものだ。

 

 だけど、あいつが他人を何の躊躇いも無く傷つける性格になったのは。

 

「あいつがあんな風に変わったのは中学に上がる前だったかな? 苦手で出来ない筋トレとか鍛練を血相変えてやっていたことは鮮明に覚えている。」

 

「優しい和生君なんて想像もできないわね」

 

「今のあいつを見たら仕方がないさ。逆に信じる方が珍しいくらいだからな」

 

 それを信じることができる奴と言えば、兄弟である俺や武尊ぐらいだろうな。

 

 正直なところ、あいつがどうしてあんな風になったのかは全然わからない。理由があるのは確かなことだが。

 

「でも、どうして和生君は大和を目標にしてたのかしら? 紅虎さんも強者のはずなのに」

 

「……さぁな? その理由は俺にはさっぱりわからん」

 

 俺を目標に強くなるのなら、不可能に近いけど紅虎さんに弟子入りするのが手っ取り早いだろう。しかし、和生の奴はそんなことはせずに我流で恐ろしい程の成長を遂げている。

 

 あいつの無情で躊躇無い性格から考えて、もしも和生が紅虎さんに弟子入りしていたら、間違いなく俺よりも強くなっていただろうな。

 

「悪いけど幽々子さん、眠くなったからちょっと寝かせてもらうわ」

 

 そう言うと大和は布団を身体に掛けて目を瞑ると、すぐにぐっすりと眠りについてしまう。

 

 あまりも早い大和の就寝に驚きを隠せなかったのだろう。傍にいた幽々子は思わず唖然とした表情を浮かべてしまう。

 

「……えっ? ちょっと大和」

 

 起きてるかどうかを確かめるために幽々子は恐る恐る大和の頬を指で突っついたりするが、完全に熟睡している状態なので起きる気配はまったくない。

 

「……嘘でしょ? もう寝ちゃったの?」

 

「……すぅ……すぅ……」

 

 それにしても安心しきった大和の寝顔、近くで見るとまるで幼子のように可愛い顔だった。

 

 初めて目にする大和の寝顔に幽々子は心を奪われると、無意識に大和の顔を手で触れたり、顔を少しずつ近づけたりした。

 

「こうして見ると可愛いわね」

 

 無愛想な顔や怒ったような顔は度々見たことあるが、こうして安心して眠っている大和の寝顔は初めて。正直なところ、こういう大和の一面を見ることができて嬉しかった。

 

 それから大和が目を覚ますことになるのは数時間後の話となる。

 

 

 

 

 

 

 

《とある病室にて》

 

 

 大和と不良達の抗争が終わってからのこと。

 

 道端で無造作に倒れていた不良達は偶然通り掛かった人に見つけられ、警察や救急車を呼ばれた後、意識が無いまま病院の搬送されることになった。

 

 幸いにも不良全員意識を取り戻し、怪我は打撲程度の傷、みんな同じ病室で仲良く入院している。

 

「草薙のやろう……今度会ったときは絶対にズタズタにしてやる」

 

「でもよ、草薙よりもあの連れの女の方がやばくなかったか?」

 

「そうだな、あいつは普通じゃない」

 

 今度どうやって草薙達をぶっ潰そうか仲間内で話していると、病室に一人の女が無断で入ってくる。

 

 女性は腰まで伸ばした金髪、頭には赤いリボンが巻かれた白いドアノブカバーのようなナイトキャップを被っている。

 衣服は紫と白色を基準とした八卦の萃と太極図を描いたような中華風の服を着ている。

 

「どうもこんにちは」

 

「なんだてめぇ?」

 

「俺たちになんか用かよ?」

 

 女の眼は鋭い眼光へと豹変すると同時に不良達を睨み付けた。

 

 すると五人いた内の四人は突如白目を向いて意識を失い、残された一人は得体の知れない恐怖を感じていた。

 

 一体何が今起こったのか、常人である不良にはまったく理解出来ないことだった。まるで電気の電源を消すかのように仲間達の意識が失った。

 

「私が用があるのは一人だけ、あとは眠って貰おうかしら」

 

「なっ……何なんだよお前はっ!?」

 

 恐れているのにも関わらず不良に近づいてくる怪しげな女、その恐怖のあまりに不良は身を震わせ今にも泣きそうな表情を浮かべる。

 

 そして至近距離まで近づいた瞬間、不良の頭に不気味な空間を開かれると同時に、女はそのままその空間に手を突っ込んだ。

 

「別に恐れなくても良いわ、私はあなたが見た記憶の一部を知りたいだけ、すぐに終わるわ」

 

 それから女は異空間の中を数分程度いじくり回すと、ようやく知りたい情報が手に入った。

 

「そう……この草薙大和って子が幽々子と一緒にいるのね」

 

 知りたい情報を手に入った瞬間、女は異空間に突っ込んでいた手を引き抜く。

 

 そして解放された不良はまるで脱け殻になったかのように、目を開いたまま意識を失ってしまった。

 

「もうあなたに用はないわ」

 

 そう言うと女は自分の背後に謎の異空間を開くと、そのまま後ろを振り向いて異空間の中へと入って行った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十一話 新たな武器

 腹部に怪我を負ってから数日後、大和は驚異的な回復力により怪我をほとんど完治させ、御巫医院にあるリハビリ室で普通に身体を動かしていた。

 

 本当なら完治させるのに一週間以上掛かるところ、大和は驚異的な回復力と自己再生能力により約三日程度で完治させた。

 

 これには流石の紅虎も予想外だったのだろう。驚きはしなかったものの、『良い意味で私の予想を覆してくれましたね』と言っていた。

 

 ちなみに紅虎から怪我が完治するまでは絶対安静と言われていたので、その期間は学校を休ませてもらった。

 

 時間はだいたい八時頃、御巫医院にあるリハビリ室には色々なトレーニング器具やリハビリ器具があるが、現在の大和は一切の器具を使わずに片手で長時間逆立ちをしていた。

 

 それからある程度の時間が経過すると、大和は全身を支えている腕を出来る限り曲げた瞬間、まるでジャンプでもするかのように瞬間的に腕を伸ばして高く飛び、全身を宙に浮かせた。

 

 そして宙に浮いたまま回し蹴りを二回放ったあと瞬時に身体の体勢を整えて、ゆっくりと両足で地面に着地する。

 

「相変わらず凄い動きをするわよね、衰えと言うものを知らないのかしら?」

 

「いや、やっぱり以前と比べて身体が鈍ってる。また鍛えて取り戻さないといけないな」

 

 数日程度、一切の運動をしたかっただけで、腕力、握力、腹筋、背筋、足腰は若干弱くなったし、身体の反応速度が以前に比べて遅くなった気がする。

 

 しかし、それがわかるのは自分の身体の事を良く理解している大和だけであって、幽々子からしてみれば以前と何が違うのかよくわからなかった。

 

「そうかしら? 今のままでも十分強いと思うのに」

 

「俺の目標は紅虎さんと兄貴を倒すこと、だから今のままでは不十分過ぎるくらいだ。身体を鍛え直したあとは、技術面も磨かねぇとな」

 

 俺の今までの信念は誰よりも強くなること、そのためには最終的に師匠である御巫紅虎、そして兄の武尊を武倒さなければいけない。

 

 考えてみれば、俺が今まで強くなるために鍛練やトレーニングをしてきたのは、師匠の紅虎と武尊を倒すためだったのか。正直なところ、今の俺の実力では越えることは出来ない壁だが。

 

「そういえば紅虎さんって何であんなに強いのかしら?」

 

 超人的な戦闘能力を持つ大和をまるで赤子の手をひねるかのように簡単に倒してしまう御巫紅虎、その強さはまさに怪物と呼ぶのに相応しい。

 

 それに以前の闘いでは、大和相手に余裕な態度を見せており、それから察するに紅虎は底を見せておらず、本気を出してはいなかったのだろう。

 

「それは俺も知らねぇな、てかあの人の事はほとんど知らねぇ」

 

 紅虎さんの強さの秘密どころか、年齢、出身、家族構成、過去の経歴、今までにどうゆう武術や鍛練に精通してきたのか、わからないことや謎に包まれていることが沢山ある。

 

 それに幽々子さんに言われてみればそうだな、俺 も中学の頃から色んな奴を相手にしてきたが紅虎さんの強さは文字通り異常、どうやったらあんな強さを身に付けれるのか?

 

「気になったことはないの?」

 

「ねぇな、紅虎さんの鍛練をこなす事だけで精一杯だったし」

 

 紅虎さんの作ったトレーニングメニューは文字通り殺人的過ぎて、そんなことを考える余裕も暇もなかった。

 

 その頃の俺はまだ中学くらいだったが、今思えばアスリートでも音を上げるようなハードトレーニングだったな。マジで死ぬような思いを何度も味わったよ。

 

 そんな昔の事を思い出しながら、大和は次に逆立ちをしながらゆっくりと指立て伏せを始める。

 

「そんなに知りたいならよ、本人に聞いて来な。俺はもう少し身体動かしてるから」

 

「良いの?」

 

「構わねぇよ、俺の運動見てるよりはマシだろうし、気にせずに行ってきな」

 

 そう言うと、紅虎と話をするため幽々子は大和を置いてリハビリ室から出ていった。

 

 それから幽々子が退室したことを確認したあと、残された大和は再び逆立ち指立て伏せを始める。

 

「さてと、どうやって元に戻すか?」

 

 衰えた肉体をどうやって元に戻そうかと、大和は逆立ち指立て伏せをやりながら考えていた。

 

 長年鍛え続けた大和の肉体は一般人とはものが違う。仮に準備運動をするとなると、まず並みの運動量では心臓が起き上がってこない。

 

 F1の車がローギアで走り続けるとエンストを起こしてしまうように。

 

 故にアスリートが音を上げる程のハードなトレーニングをやり続けなければ、元の身体能力を取り戻すことはできない。

 

 これからのトレーニングメニューを頭のなかで考えながらも、大和は休憩する暇もなく常に運動をし続けた。

 

 

 

 

 

《御巫医院・診察室》

 

 

 

 

 診察室には椅子に座ってくつろぎながら患者のカルテを片手に眺めている紅虎がいた。

 

 患者が誰もやって来ないとき紅虎は仕事と暇潰しのため、基本的にカルテや様々な医学の本を読んでいる。

 

 そのため検察室にある本棚には基礎医学や現代医学はもちろん、漢方医学や鍼灸医学などの東洋医学と、幅広い医学の本がずらりと並んでいる。

 

 突然ドアをノックする音が聞こえると、その直後にドアを開けて幽々子が診察室に入ってきた。

 

「おや幽々子さん珍しいですね、私に何かご用ですか?」

 

「どうも紅虎さん、ちょっとお話の相手になって貰っても大丈夫ですか?」

 

「構いませんよ、今のところ患者さんは誰も来ていないので」

 

 そう言われると幽々子は紅虎の目の前にあった椅子にゆっくりと腰を下ろした。

 

 それに対して紅虎は手に持っていたカルテを机の上に置いて幽々子の方向に身体全体を向ける。

 

「それで幽々子さん、お話とは何ですか?」

 

「その…単刀直入に言いますと、紅虎さんの事を色々知りたいです。大和がほとんど知らないと言ってたので」

 

「なるほど、つまり探求心を満たしたいということですか」

 

 そう言うと紅虎は右手を頬に添えると、何か考えているような素振りを見せる。

 

 そして、それから数分程度無言の時間が続いたあと、ようやく紅虎が口を開いた。

 

「わかりました。ある程度のことなら何でも答えてあげますよ」

 

 何を悩んでいたのかは知らないが、取り合えず質問しても良いらしい。

 

 紅虎さんに関して知りたい事が色々盛り沢山あるが、まずは比較的に軽い質問を最初にしてみよう。

 

「それじゃあ最初に、紅虎さんの歳は幾つ?」

 

「年齢ですか、確か今年で三十になりましたね」

 

「えっ!? そんな歳には見えないわ」

 

「ふふふ、良く言われます」

 

 外見から判断して二十代前半、多く見積もっても二十代後半だと思ったのだろう。それに容姿や声が女性にかなり近いからか、紅虎の的確な年齢を判断することが非常に困難。

 

 と言うよりも紅虎の見た目は何処からどうみても容姿端麗な女性の外見をしており、今でも幽々子は紅虎が本当に男なのかと疑ってしまうレベル。

 

「じゃあ次に、家族はいるのかしら?」

 

「家族ですか、両親はもう他界してしまいましたし兄弟は誰もいません、それと私はこの通り独身です」

 

「恋人はいないんですか?」

 

「残念ながらいませんし、作る気もありません」

 

 表情や態度は一切変わらなかったものの、その時の紅虎は何処か悲しそな雰囲気に見えた。

 

「どうしてですか?」

 

「昔の話ですが、取り返しのつかない過ちを犯してしまいましてね、もう二度と恋とか愛はしないと誓ったのですよ」

 

 その瞬間、まるでこれ以上は深く聞いてはいけないと直感が告げてきたのだろう。 

 あまりにも重い紅虎の発言に幽々子は声を出すことができず、その事に関して何も聞くことができなかった。

 

 それから少し間を置くと、紅虎はにこやか表情を浮かべると同時に、いつも通りの雰囲気に戻り始める。

 

「すいません、今の事は忘れてください。私が恋人を作らないのはその人を幸せに出来そうにないし、養ってあげることができないからです」

 

「そうなんですか」

 

 しかし幽々子の内心はまったく納得していなかった。こんな優しくて良心的な人がそんな理由で恋人を作らないのは何か妙に変だと感じたからだ。

 

「他に何か質問はありますか?」

 

「それじゃあ、紅虎さんの強さの秘訣はいったい何ですか?」

 

「強さの秘訣ですか……これと言って特別なものはありませんが、強いて言えば鍛練ですかね。

 それに私の力なんて別に大したことありませんよ」

 

「それはないわ、大和をあんなに余裕を持って倒しておいて、大したことないなんてありえないわよ」

 

「お言葉ですが幽々子さん、それは勘違いです。あのときは私も結構本気でしたよ。一瞬でも気を抜けば殺られていましたから。」

 

 しかし幽々子には到底の事ながら紅虎の言葉を信じることができなった。

 

 自分も冥界にいたとき、庭師の修行風景などを見ていたので、その人の態度や身動きなどを見ればある程度の実力は把握できる。

 

 本人は結構本気だったと誤魔化しているが、あのときの紅虎は恐らく半分の力も出していない。それにもっと言えば、紅虎がどのくらいの実力を持っているのかは未知数。

 

 どうやったら、そんな化け物染みた強さを手に入れるのか? 本当ならそれを聞き出してみたいが、本人は真面目に答える気はなさそうなので、今日のところは諦めようと幽々子は考える。

 

「さて他に質問がなければ、これでお話を終わりにしますが、どうしますか?」

 

「もう他に聞きたいことはないので、もういいです。質問に答えて頂いてありがとうございます」

 

 自分の話に付き合ってくれた紅虎に対して幽々子はお辞儀をした。

 

 そして診断室から出て大和がいるリハビリ室に行こうとしたのだろう。幽々子は椅子から立ち上がると、ドアに向かって歩いていく。

 

「それと、大和のところに行くのなら、ついでにこれを持っていって貰えませんか?」

 

 そう言うと紅虎は近くにあった、ある物を手に持って幽々子に渡そうとした。

 

 その紅虎が渡そうとしてきたある物とは黒い色の刀袋、その中身は外からではわからない。

 

 まぁ、大和の元に行くことに変わりはないし、決して重そうな物でもないから持っていこうと、幽々子は軽い気持ちで両手を差し出した。

 

 紅虎に黒い刀袋を手渡された瞬間、落としはしなかったものの幽々子の両手にずっしりとした異様な重みが乗り掛かった。

 

「……ちょっ……えっ!?」

 

 刀袋から察して木刀か何かと思ったが、そんな生易しいものではない。持った感じだと恐らく重量は十キロ近くはあるだろう。

 

 見た目では判断できない、異常に重い刀袋に驚きを隠せなかったのだろう。流石の幽々子も唖然とした表情を浮かべ、思わず固唾を呑んでしまう。

 

「これはいったい?」

 

「重いでしょう? 大和専用の武器ですもの」

 

 こんな重い武器を一般人が扱うことは到底できないだろう。しかし裏を返せば常人離れした身体能力を持つ大和だからこそ扱える武器だとも考えられる。

 

 だけどこんなに重い武器、一体中身は何なんだろうか? 以前に大和は簡単な剣術の稽古をしてたし、この刀袋から考えて恐らく刀剣の類いに属する武器だとは思うが。

 

「今は開けてはいけませんよ、中身が気になるなら大和に渡してから見せてもらってください。」

 

「はっ、はい……」

 

 しかし、今の幽々子に取っては刀袋の中身なんてどうでも良かった。

 

 両手で持っても刀袋が重かったのだろう。幽々子は少し辛そうな表情を浮かべていた。

 

 力が弱いとは思っていなければ、寧ろ庭師からたまに剣術を教わっていたので並みの人よりは力があるとは思う。

 

 刀袋を頑張って持ちながらも幽々子は少しきつそうな表情を浮かべながら診断室から出ていき、大和がいるリハビリ室に向かっていった。

 

 

 

 

 

《リハビリ室》

 

 

 

 

 

 幽々子が紅虎と話している間ずっと身体を動かしていたのだろう。大和は未だに逆立ちで腕立て伏せをしており、回数は数えてないがだいたい数百回ぐらいはやっているだろう。

 

 ずっと動いていたおかげで身体の筋肉は温まり、発汗作用もばっちりと働いている。ようやく準備運動をやり終えたところだな。

 

 さっそく本気でトレーニングをしようと逆立ち腕立て伏せを止めようと思いきや、刀袋を両手で持って幽々子がリハビリ室へと入ってきた。

 

 それに気づいた大和は、まず逆立ちを止めると幽々子がいる方向に歩いていく。

 

「おっ、戻ってきたのか」

 

 それに対して幽々子はリハビリ室に入ってくると同時に大和の姿を見ると、思わず驚きの表情を浮かべてしまった。

 

 恐らく一度も休憩せずに、ずっと動き続けていたのか、大和の身体からは大量の汗が滝のようにダラダラと流れており、床も水溜まりができるほどにびちゃびちゃになっていた。

 

 しかし、これほどの汗をかいても大和が疲れている気配はなく、寧ろまだまだ動き足りなさそうな感じがしていた。

 

「もしかしてずっと運動してたの?」

 

「まぁな、ようやく身体が温まってきたところだ」

 

 汗も大量に流れているし運動も結構ハードに見えたが、今までやっていた運動はあくまでも準備体操のようなものだったのか。

 

 大和の常人離れした肉体に関心している最中、幽々子は紅虎に頼まれていた事を思い出すと、手に持っていた刀袋を大和の目の前に差し出した。

 

「そうだったわ、紅虎さんが大和にこれを渡せって」

 

「なんだそれ?」

 

 幽々子が手に持っていた刀袋を差し出してくると、それに対して大和は何かを察したような表情を浮かべながら差し出された刀袋を軽々と受け取る。

 

「あぁ……これか」

 

 さっき紅虎さんが大和の専用武器とか言っていたがそれも頷ける。かなり重いはずの刀袋を大和はまるで竹刀でも扱うように軽々と片手で持っているのだから。

 

 しかし、それよりも幽々子は刀袋の中身がどうゆうものなのか気になって仕方がなかった。

 

「それはいったい何なのかしら?」

 

 そう言われると大和は紐を解いて刀袋から中身を出す。そして刀袋の中から姿を現したのは一本の武器だった。

 

 全長は120センチ、刃は付いておらず木刀のような形状をしている鋼鉄の鈍器、刀身は光沢のある黒色、金属で作られた長丸形の鍔が付いており、柄には黒いグリップテープが巻かれている。

 

「これは紅虎さんに依頼して作って貰った、俺専用の鍛練具兼武器だよ」

 

 これは純度の高い鋼鉄で出来てた鉄刀、重量も強度も普通の木刀とは比較にならない。例え相手がどんな接近武器を使ってきても簡単に粉砕することができるだろう。

 

 刃は付いていないので人を斬刺することはできないが、その代わりに人の命を断つのには十分過ぎるほどの重量と頑丈さを持っている。

 

「その金属の刀は本当に使えるの?」

 

「まぁ使えるよな、使えねぇといけねぇし」

 

 この鉄刀があれば木刀はもちろん、刃物相手なら受けただけでも間違いなく刃を粉砕することができる。

 

 しかし遠距離武器を除く、近接武器の破壊と無力化を想定して作り上げた武器殺し。ただこの武器の問題点としては単純だが非常に重たくて使いづらいところ。

 

「でも武器を持つ必要があるのかしら? 大和なら素手でも十分強いのに」

 

 武器なんて使わなくても大和は生身の肉体だけ十分に強い。それなのに単純且つ危険なこの武器達を使う必要があるのか?

 

「前にも言っただろ。俺は紅虎さんに武術以外にも武器術を叩き込まれたんだ。

 念のために自分専用の武器の一つや二つ所持してても損はないだろ」

 

 日本刀とか好きなこともあって刀剣類の武器を持っているが。本音を言うと紅虎さんに一つでも武器を所持しろと、威圧を掛けられたのもある。

 

 それに稀のことだが、相手によって素手喧嘩(ステゴロ)だと分が悪いときがあった経験があるので、武器を使うことは決して少なくはない。 

 

「だから武器を持つのね」

 

「ただ問題だったのが、並大抵の武器は脆くて使えないことだな」

 

 別に普通の武器を使えないことはないが、仮に扱ったら俺の力に耐えきれず、ほとんどが一撃で壊れてしまい、結果的に使い捨ての武器になってしまう。

 

 その例で、俺が地元にあった剣道道場へ学びに行ったとき、防具を着た人形を相手に竹刀を振るって、竹刀と人形を一撃で壊したことがある。

 

 他に実戦だと、武器を持った複数の不良達に喧嘩を吹っ掛けられたとき、近くにいた不良から木刀を強奪して他の不良が持っていた鉄パイプをへし折り、それと同時に俺の手に持っていた木刀も粉砕したこともあった。

 

「なんか納得できちゃうわね」

 

「使い捨てになる道具なんて使っても思う存分に闘えねぇからな」

 

 そういう事が何度もあり、俺は自分の力に十分耐えることができる頑丈な武器が欲しいと思った。

 

 そして、どんな武器が相手でも、どんな敵が相手でも決して壊れない武器が欲しいと言う願いが、この武器を生んだ。

 

 武器を刀袋に再び納めると、大和はその刀袋を部屋の隅っこにゆっくりと置いた。

 

「まぁ今では俺を手こずらせるような強い奴は紅虎さんと兄貴以外はいないから、こいつの出番はほとんどねぇけどな」

 

「それなら聞きたいんだけど、大和はどうゆう相手なら武器を使おうと思うのかしら?」

 

「……あっ? いきなりどうゆう奴って言われても、そうだな……」

 

 あまりに突然な幽々子の質問に対して答えがすぐにでなかったのだろう、大和は思わず無言になって頭を抱えてしまう。

 

 今思えば考えたこともなかったな。俺は基本的に素手のみで喧嘩してたが、相手は丸腰はもちろん、ナイフなどの刃物、木刀や鉄パイプなどの鈍器、果ては飛び道具類も使われたことはあった。

 

 俺を本気で仕留めるたいなら大層な銃火器や火炎放射器でも持ってこない限りは話にもならん。

 

 数分間悩んだ挙げ句、まるで吹っ切れたかのように大和は笑顔を浮かべると、幽々子の質問に対して答えを出した。

 

「鬼とか妖怪とか……人間の力ではどうしようもできない、人知を超えた力を持つ化物の類いぐらいかな」

 

 そう言い終えると、大和はその場で手を使わずにバク転を一回やり、バク転をやり終えると今度はシャドーボクシングを始めた。

 

 せっかく温まった身体が冷えることを恐れたのだろう、突然だが大和は運動を再開したようだ

 

 それに対して幽々子は、大和の答えを聞いてから少し暗い表情を浮かべており、小さな声でぼそっと呟いた。

 

「そんなものじゃ……通用しないわよ……」

 

「……あっ? 通用しない?」

 

「あっ…いや……別に何にも言ってないわよ」

 

「そうか? なら良いんだけど」

 

 自分の聞き違いだったのかと解釈して、大和は気に止めることなく運動を続ける。

 

 その後、大和のトレーニングは昼まで続き、昼食を取るまで休むことなく動き続けるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十ニ話 京の都の旅巡り①

 いつもの茶の間で大和、幽々子、武尊、和生、紅虎の5人がちゃぶ台を囲みながら朝食を食べていた。

 

 どうして師匠の紅虎さんがいるかというと、今日は武尊と話すために俺の家に朝早く来たらしく、ついでに朝食を食べていこうということらしい。

 

 朝食を食べていると、何を思ったのか紅虎さんが突然話し掛けてきた。

 

「ところで大和、今日の予定は何かありますか?」

 

 いきなり何を言い出すかと思えば、紅虎さんに今日の予定を聞かれた。

 

 今日の予定と言われても、とりあえずやるべき予定と言うものは特にはなかった。なのでここは普通に。

 

「いえ、特になにも決めていませんが、取り敢えず幻想郷の手掛かりを探しに行こうかと考えてました。」

 

「なるほど」

 

 うーんと手で顎を触って何かを考える紅虎、一体何を考えているのか見当もつかなかった。

 

 考え込んでから数分後、紅虎はなにか閃いたと言わんばかりに指を立てながらこう言った。

 

「それなら、今日は京都で旅巡りでもしたらどうでしょう?もしかしたら何か手掛かりが見つかるかもしれませんよ」

 

「そいつはいいじゃねぇか。京都は桜も綺麗だし、それをつまみに上手い酒が飲める。ってお前らはまだ飲めないか」

 

 自分の言ったジョークに高笑いをする武尊、そんな姿を見て人生がとても楽しそうに見えた。

 

 それにしても旅巡りか、何処かに旅に行こうなんて考えたこともなかったな。

 

 紅虎さんの言う通りもしかしたらこの京都で何かしらの手掛かりが見つかるかもしれない。それならば行くのも手段か。

 

 それに最近、幽々子達には内緒で色々と調べていたのだ。幻想郷の手掛かりを見つけるために京都の桜や寺のことを隈なく調べており、探しに行くとなれば培った知識が役にたつことは明白。

 

「そうですね、今日はそうします。」

 

「やったー」

 

 京都の旅巡りに行くことがわかり、大和の隣でご飯を食べながらも大いに喜ぶ幽々子、まるで遊園地に行ける子供のようにはしゃぐような素振りだった。

 

 五人が食事を食べ終えて大和が食器を片付けると、大和と幽々子の二人は京都で旅をするためにそれぞれ身嗜みなどの支度をした。

 

 

 

 

 

    《〜少年少女移動中〜》

 

 

 

 

 

 

―――墨染寺にて

風情溢れる京都の町並みに、ひっそりと佇んでいる小さな寺。

通称――桜寺

隠れた名所の一つは、京阪電車、墨染駅近くにある。

 

 昨夜、ネットで調べていて思い至り、最初の行き先をここに決めた。

 

西行法師。西行寺という苗字。そして、桜。

幽々子に関する何かが見つかれば。

そう思い、幽々子と二人、墨染寺までやってきた。

境内に入るとそこは、

 

「―――綺麗ね」

 

墨染寺の境内は決して広いとは言えないが、それでも見事な桜で溢れていた。

 

「おー……」

 

空を覆うような桜色之天蓋のなか、幽々子とふたり、せまい境内を歩く。

 

「あれ、こっちはほとんど蕾だな」

 

「あら、それは墨染桜ね」

 

「墨染桜?」

 

「ええ、墨染桜という品種ね」

 

「桜って聞くと染井吉野やら枝垂桜とか、そういうのしかしらなかったわ」

 

「染井吉野に比べたら開花が遅れるから、まだまだね」

 

「あ、ちょっとだけ咲いてるな。ほら」

 

「ええ」

 

境内に所狭しと、咲き乱れる桜の木々を見やる。

満開の桜景色は別格そのもの。

時期は春爛漫、真っ盛り。

夜桜も見れたらなと思える場所だ。

 

「ここは夜桜も良さそうね」

 

「ああ、でもここ夜は空いてねえんだ」

 

「それは残念」

 

とは言いつつ、満足気な幽々子の表情だ。

 

(しばらく放っておいてもいいかな)

 

と思い、賽銭箱のある本堂へ。

 

二人分の硬貨を投げいれ、手を合わせる。

 

(あいにく無神論者なんで勘弁してください。五百円いれたんで)

 

無作法かな、と思いつつ振り返ると、

 

「……」

 

襲ってきた既視感。

 

「っ!? ……幽々子さん?」

 

桜の木々を眺める幽々子を呼んだ。

ボーッとしているとは少し違う雰囲気。

出会ったとき、そして今。

桜を見ている幽々子は、声が届いていない時がある。

 

「お、おい幽々子さん……大丈夫か?」

 

余程、必死に呼びかけていたのか、幽々子の名を呼ぶ声が強くなってしまった。

 

「……ん? なぁに?」

 

ようやく声が届いた。

見れば幽々子の表情に、色が戻っていた。

今のは何だったんだろう。

 

今は、穏やかな春風に抱かれ、桜の花を眺めている。

まだ早いながらも、命の煌めきが感じられる墨染桜の蕾。

境内に咲き誇る桜の海は、まるで幽々子を歓迎しているように。

 

幽々子もまた、桜を愛でている。

 

「流石”桜寺”だな」

 

「えっ?」

 

「一般的には、”墨染寺”じゃなくて、”桜寺”って言われてるらしいんだ」

 

「へぇ……」

 

「京都の隠れた桜の名所のひとつだよ。まぁ見てのとおり小さい寺だけどな」

 

「ううん、静かで、でも桜はとっても綺麗だわ」

 

「だな。地元民とか満開の時期は、桜見物に訪れる観光客も少なくないよ」

 

 有名な歌舞伎役者が来たこともある、由緒正しき桜寺なのだ。

 

「そう……ここが桜寺なのね」

 

独り言のように、幽々子は呟いた。

 

泡沫の夢のように浮かんで消えた、幽々子の彩。

紅桔梗の光が、陽炎のように揺らいでいる。

 

(……全く、仕方無いな。だけど……)

 

満開の桜が咲いている期間は、それほど長くはない。

大抵の場合、満開から数日後には雨に打たれてしまう。

しっとり濡れた桜の花弁は、瑞々しくあり、それは綺麗だ。

けれど、やがては雨により、風により散ってしまうのが常だ。

 

そんな桜を思えば、一日でも長く咲いていて欲しい。

これは俺だけじゃなく、おそらく―――

多くの人も、同じ感情を持つと思う。

 

―立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花―

美人を形容した言葉。

 

日本語には、時に様々な思いなどを花に例えることがある。

 

「『命短し 恋せよ乙女』か……」

 

桜を見ていたら、ある唄を思い出し、ふと口をついていた。

すると、

 

「あら?なぁにその唄」

 

ゴンドラの唄の一節に、幽子が反応した。

 

「いや、ちょっと桜をみてて、花の命の短さを思ったら、ちょっとな」

 

「……続きは?」

 

「あーと……なんだっけな――」

 

「朱き唇 褪せぬ間に

 熱き血潮の 冷えぬ間に

 明日の月日は ないものを、だったかな」

 

「ふうん……素敵だけど、少し哀しい詩ね」

 

「かもな」

 

春夏秋冬・四季折々に様々な花が咲くが、咲いたあとは儚く散る運命にある。

そんな情緒に溢れる姿に、人は様々な思いを込めて詠う。

 

「確かに、花の一生は短いものね……。でも――それは人も同じじゃないかしら?」

 

ハッとさせられた一言は。

火中の立場の俺を、真実、言い当てた。

 

「そして私もそんな桜の下で―――」

 

そっと、独り言のように幽々子は呟いた。

 

「……ん?」

 

「ううん、なんでもないわ。それよりも、次は何処に連れて行ってくれるの?」

 

「この後は特に予定は無いけど……せっかく来たんだし、軽く観光するか?」

 

「ええ。うふふふふ」

 

微笑を浮かべた幽々子は、色んな意味で危なっかしい。

けれど放っておけないから、せめて――

 

(乗りかかった船だし、な……)

 

「わかった。それならちょっと調べる間に、休憩がてらお茶菓子でも食うか」

 

「お茶菓子!?」

 

幽々子の瞳に光が宿った。そして表情もまた然り。

 

「どっかで喫茶店か茶店でも入ろう。その間調べたいし休憩したいし……っていねぇ!」

 

「はーやーくー」

 

背後から聞こえた声。

幽々子は既に境内を出て、手を降っていた。

茶菓子という単語を聞いた瞬間に動いていたらしい。

食欲vs花

WINNER  お茶菓子

花より団子な方程式。わかりやすいなおい。

境内をでて、駅の方へ。

思いのほか車通りが多く、気をつけないと危なかった。

 

「車通り多いから気をつけろよ」

 

「あら、大丈夫よ」

 

「あ、ちょっとまった。そこで飲み物買ってくる。ここで待っていてくれ。なにか飲むか?」

 

「今はいいわ。この後お茶するんてしょ?」

 

「ああ、まぁそうか。ならちょっと待ってくれな」

 

「ええ」

 

―――閑話休題

実際、京都という町は風情があり、

毎年多くの観光客が訪れる土地だ。

住んでる人間からすれば見慣れた光景でも、他府県から来た人間に違って映る。

それはきっと幽々子も同じだろう。

だから、こうして何気ない時間が、俺もきっと楽しいと感じている。

 

「なんか、楽しそうだな幽々子さん」

 

「うん!だってすごく楽しいんだもの」

 

「ただ歩いてるだけなんだけどな」

 

「ええ、とっても楽しいわ。無理言って来て良かったもの」

 

「そりゃ、まぁ楽しいならいいんだけどさ」

 

楽しんでいるようなら何よりだ。

幸いなことに、近くには観光名所なんてのはいくらでもある。

 

幽々子が探してる桜はさておき、京都の風情溢れる町並みを散策するのも悪くない。

 

「う〜いろ〜、手羽先〜、エ〜ビフ〜ライ〜♪」

 

「……」

 

名古屋名物を口ずさむ幽子はご機嫌な様子だ。

何 故 に 名 古 屋……?

 

「味〜噌カツ、きしめん〜、ひ〜つま〜ぶし〜♪」

 

「それ全部名古屋名物な? わざと言ってねえか?」

 

「うふふふふ」

 

クスクスと微笑を浮かべ、鼻歌まじりに謎の唄を歌ってる。

上機嫌なことは良いことだし、あえて突っ込む必要は無いだろう。

 

半歩ほど先を歩く幽々子。

その横顔には、笑顔の花が咲いている。

 

「ぷっくり〜ころころ〜ホットケーキ〜♪」

 

「……」

 

もはや突っ込む気にならない。

どこから突っ込んだらいいかもわからない。

ぷっくりころころホットケーキ?

いつのまにか、名古屋名物からホットケーキの唄?

になっていた。

 

「ノリ悪いわねぇ……ほら一緒に。ぷっくり〜ころころ〜」

 

「言わねぇよ!」

 

通行く人がこちらを見て、クスクスと笑っているのが目の端に映っていた。

馬鹿なことを言ってきたらもう無視しよう。なのに、

 

「ニューヨークへ行きたいかー!」

 

訳の分からんことを言い出した。

 

「ニューヨークへ行きたいかー?」

 

何故に疑問系……。

突っ込んだら負けだと思う。おい誰か何とかしろよ!

 

「さぁ、まいります。この問題。

 ここは何としても、お答えいただきたい。

 にわかに、頑張る、大事な、大事な、アタックチャーンス!」

 

誰でも良い、だから頼むから誰か助けて!

 

「この世で、一番美しいといわれてる人物、その名は?」

 

「……は?」

 

「310番、草薙さん。どうぞ!」

 

(アタック25とか平成生まれはわかんねぇだろ……)

 

「じー」

 

視線を感じる。

 

「ジーーー」

 

ものすっごい視線を感じる。

 

「ぢぃーーーーーーーーーー!」

 

これ、答えないと、ダメ? 

 

「んもぅ!ノリ悪いわよっ! ちゃんと答えてよ!」

 

「………どうせ幽々子さんって答えだろうな」

 

「なぁにー?聞こえないわよー?」

 

にやにやしながら。絶対聞こえたくせに。

 

「……」

 

「さぁ、答えを、どうぞ!」

 

「――――西行寺幽々子」

 

「きゃぁー、もうっ! 恥ずかしいわっ!

 このこのーっ!(バシバシ」

 

かぁっと顔が熱い。気がする。

てか、何で言わされてるんだ俺。

これも仕返しか?

 

「いや、お前ぜったい言わせたくていったよな?絶対に確信犯だろ……」

 

「うふふふふ。もう……クスクス」

 

「……ってか、どこでそんなネタ知ったんだよ」

 

昭和ネタに思わず突っ込んでしまった。

平成生まれの視聴者さんはググってくれ。

 

「テレビでやってたの!」

 

「テレビあんのかよ!」

 

「GHK(幻想放送協会)よ!テレビでやってるのを見たわ!」

 

「まさかのGHKかよっ!」

 

どうやら幽々子のテンションはストップ高らしい。

 

「とりあえず、楽しそうなのは分かったから、少し周りを見てくれな?」

 

「うふふふふふ」

 

ダメだこいつ、早く何とかしないと。

 

「じゃがいもー♪ どんだけー♪」

 

もう無視して、これから行く観光地を調べよう。

 

「えびばでぃさいこー、ブギーブギー♪」

 

せっかく伏見まで来たのなら、伏見稲荷大社にも足を伸ばして良いかも知れない。

 

「カローラⅡに乗って〜♪」

 

……。

 

「買い物に出かけたら〜♪」

 

何か歌ってるし。

 

「財布無いのに気づいて〜♪」

 

「そのままドライブ〜♪」大和

 

「そのまま奇跡ドーン♪」幽々子

 

「はっ!?」

 

「えっ?」

 

いや、意味わからん。

 

「あ〜い、わずぼーーん、とぅーーるぁーーーーびゅーーー!」

 

「うぃずぇーーーびしんぐびー、おぶまーいはーーー」

 

「って、何でそれ歌ってんだよ! つい続き歌っちゃったよ!!なんで知ってんだよ!!!」

 

「歌ってもらったの!」

 

「誰にだよっ!」

 

「本人よ!」

 

「フレディかよっ!」

 

「目の前で踊りながら歌ってくれたわ。はわぁ……」

 

……冗談だよな?

 

「……あー、うん、わかった。まーおちつけ」

 

「……?」

 

「……んっ?」

 

そう言って、幽々子の周囲を自覚させる。

 

「どうしたの?」

 

「……いや、もういい。アキラメタ」

 

「……? どうしてカタコト?」

 

「ソンナ コト ナイヨ」

 

「ほらー、やっぱりカタコトじゃないー。ねぇねぇ!」

 

「……?」

 

「どこ行くの? どこ行くの?」

 

「今さがしてるから、ちっとは落ち着け!」

 

「……怒ってるの?」

 

「怒ってねぇよ! 恥ずかしいんだよ!」

 

「あらあらうふふ」

 

「……」

 

付き合ってられん。

無視無視。他人のフリ他人のフリ。

 

「ねぇねぇ!」

 

「なんだよ?」

 

「お腹すいたわ」

 

「分かった分かった。すぐ調べるからちょっとは落ち着いてくれ」

 

「はーい。しょぼん」

 

「んあ? どした?」

 

「べっつにー。(いじいじ)」

 

何なんだ一体。

 

あれだけはしゃいでたから不気味に感じる。

 

「んー……」

 

せっかく市内まで来たから、このまま軽くどこかへ……

 

「ねえ」

 

それよりもせっかくだから清水寺の方にも行ってみるか?

 

「ねえねえ!」

 

この時期はむちゃくちゃ混むけど、アリかな?

 

「ねえってばー」

 

桜の名所は他にも色々あるけれど、

清水の舞台から見る京の町並みを、

幽々子にみせてやるのも悪くない。

 

「むー」

 

そっと横目で見ると、お嬢様は少し拗ねた表情をしていた。

流石に無視するのはやりすぎたかな……

でも、こっちは真面目に観光名所探しているのだから、

少しくらい落ち着いて町並みでも眺めていて欲しい。

 

「もう、そんなんだから童t……」

 

「違げぇよ!」

 

つい反射的に反応してしまった。

というか、このお嬢様は、とんでもない事言ったぞ今。

無視してたのが悪いなと思ったのが損だった。

焦って反応したのが嬉しいのか、

拗ねた表情とは違う色をつけていた。

 

「うふふふふ」

 

「……はあ」

 

やれやれとため息をついた。

 

「ホント、愉しいわね」

 

「俺は胃がいてぇよ……」

 

いや、ホント、まじめな話。

 

「ねえねえ、あれって何かしら?」

 

「アレ?」

 

幽々子が指差す方向には踏み切りと通過する電車。

 

「ああ、電車だなあれ」

 

「電車……? ってなに?」

 

「電車は電車だよ。それ以外に説明のしようがねえ」

 

少し先のには、踏み切りと、車、そして人。

ブレーキランプな赤色と左右交互に動く踏み切り灯。

 

「ああ、そいやこの少し先に喫茶店あったけど……」

 

「ふーん……電車……ジー……」

 

「―――――」

 

幽々子はじーっ、と興味深そうに見つめている。

なんだか玩具をほしがる子供みたいな仕草だ。

 

「じーーーーっ」

 

……いや、子供そのものだった。

というか、そんな目で見ないで欲しい。

断れないし、なんか狡い。

 

「はぁ……電車は乗り物だよ。まぁいいや。この際だから祇園四条まで行こう。そしたらもっと色々なところ行けるから」

 

「はぁーい。楽しみね」

 

それでも幽々子は、上機嫌なのは間違いないだろう。

出会った時の、どこか寂しそうな表情より、

今の笑顔でいる方が似合っている。

 

「ま、とりあえず移動しよう。そしたら店も一杯あるし、ここからならそう遠くないから。幽々子さんが食べたい物なんでも頼んでいいから」

 

「ホント!? ホントに何でも頼んでいいの!?」

 

幽々子の目が光ったのは気のせいじゃないだろう。

ま、幽々子が幸せそうな笑顔を見せてくれるなら

少しくらいならいいかと思う。

もっとも――

後になって後悔する羽目になるのは少し先の話だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十三話 京の都の旅巡り②

夢――夢を、見ていた。

心地よいゆりかごに揺られて、意識が船を漕ぐ。

淡紅藤にいろどられた揺籃の匣。

まるで赤子をあやすような穏やかな揺れが、

ひどく――――心地良い。

ガタンゴトン。

――――と。

音が、する。その音が何なのか、目を開けた。

うすらぼやけた輪郭が、徐々に形をなしていく。

視界に入った少女の横顔。視線の先籠の外に向かっている。

ならうように向けた視線の先は、流れる景色。

揺藍の匣からみた風景は、何かを想起せずにいられない。

 

(ああ、気持ちいいなぁ。ゆらゆらして)

 

ん? あれ? なんで揺れてるんだろう。

徐々に意識がはっきりしてくる。

 

「………あ、れ?」

 

声をあげた。午睡からの目覚め。

そして、

 

「あら? 起きた?」

 

優しい響きを含んだ音色が聴こえた。

何かを包みこむような、淡い温もりを感じる陽光に。

どうやら俺は、うたた寝していたらしい。

しかも立ったまま。我ながら器用だと思う。

 

「……ここ、どこだ?」

 

「んー、わかんないけど、

 『えー、次は、七条、七条です』って聞こえたわ」

 

「悪い、寝ちまってた。ってか、声真似うめぇなおい」

 

「えっへん」

 

何そのドヤ顔。しかも微妙に胸を反らして。

揺れたのは車内か胸か。どっちでもいいけど。

進行方向を見ると、間もなく地下に入るようだ。

 

「あら、外の景色が」

 

「ああ、こっからは地下になるからな」

 

「残念……。でも、すっごく楽しかったわ!

 自分の力で移動せず、乗り物に乗るって初めてよ!!

 流れる景色も、どこか風情がある感じで気にいっちゃった」

 

「そっか、それは良かったな」

 

どうやら電車がお気に召したようだった。

やがて吸い込まれるように、電車が駅のホームに到着した。

 

――祇園四条駅

 

「んー……、とりあえず、まずは軽く腹ごしらえか。

 これから色々歩くし。のども渇いたし」

 

「ええ♪」

 

言って、幽々子は歩き出した。

 

「おい、幽々子さん」

 

「あら、なぁに?」 

 

幽々子は振り向いて、

 

「悪いが逆方向だ。そっちじゃねぇ」

 

「――っ!?  し、知ってるわよっ!」

 

びくり、と全身が硬直したように固まった。

いや、絶対適当に歩きだしたから知ってるはずはない。

 

「……まぁ、いいけどな。ほれ、ついてこい」

 

「……しってるもん。いじいじ」

 

聞こえないフリをしておこう。妙に可愛いし。

 

(って、何を考えてるんだか……)

 

祇園四条駅を出て、目の前の四条通りを東大路通り方面へ。

東大路通りにぶつかる交差点には朱色の大鳥居。

八坂神社がそこにある。

東大路通りをそのまま北上すれば知恩院。

南下すれば清水寺へ。八坂神社を抜けた奥には、

円山公園から知恩院にもつながっている。

さて、悩むところ。

祇園の夜桜で有名な、円山公園の枝垂桜は絶対見ておきたい。

それに、知恩院や高台寺も桜がいっぱいだ。

どうせなら―――

 

「ねぇねぇ、休憩しないのー?」

 

うん、こっちはどういうルートで巡ろうか考えてるんだから、もう少し待てと言いたい。

言いたい。小一時間問いつめたい。

 

「ああ、じゃあ先に休憩出来そうで店の多い清水方面から行くか」

 

「わーい。早くっ! 早くっ!」

 

「だから、人多いんだからゆっくり歩けっての!」

 

「うふふ、な〜にた〜べよ〜♪」

 

聞いちゃいない……。

 

「やれやれ……」

 

人ごみは好きじゃないけど、しかたない。 

前を歩く幽々子の表情が、楽しそうだったから。

だから、まぁいい。多分。嫌な予感はするけど。

茶碗坂―――

清水寺までつづく清水新道―――

多くの観光客が訪れ、清水寺を目指す道。

年がら年中人ごみにあふれ、両脇には所狭しと店が立ち並ぶ。

桜の季節。京都の観光名所の代表格。

まぁ、ようするに。

 

「人がゴミのようだ……」

 

幽々子は呆然と呟いていた。

はい、そのネタアウトー!

 

「そりゃ京都の代表的な観光地だからな清水寺は。

 外国人観光客とか、

 季節によっちゃ学生どもの修学旅行スポットだし」

 

 だから、わりととんでもない状況になることもしばしば。

さらに言えば桜の季節は、

 特に県内、県外からも多くの花見客で賑わう名所の一つ。

 

「そーなのかー」

 

なんだその妙な言い方。訳分からんぞそのノリ。

 

「ま、とりあえずそこの茶店入ろうぜ」

 

茶店に入り、一息ついてこの後の観光場所を調べつつ、

その間、幽々子には軽くお茶と団子とかでマッタリしてもらおう。

 

「うん♪」

 

そして、

 

「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」

 

店員が手馴れた営業スマイルで注文を取りに来た。

 

「これ全部ください」

 

「はい、かしこまりました。団体一名様ご案内〜♪」

 

お辞儀をし、去っていく店員。

無駄がな無く、自然で手馴れた対応。

多数のお客が訪れる観光地で営業しているため、

慣れたものだ。

 

「いや、俺もいますからね?」

 

と、突っ込んだ時には店員はいなかった。

って待て。今なんて言ってた?

 

「―――幽々子さん?

 今店員になんて言った?」

 

「うん? ここの奴を全部頼んだだけよ?」 

 

ああ、全部ね。オーケーオーケー。

びっくりした。全部美味しそうだもんな。

 

「ってまった。何を頼んだって?」

 

「……?」

 

そういうと幽々子は惚けたような表情を浮かべる。まーたこの表情かよ。

 

「『……?』じゃなくて、何頼んだって訊いてるんだが」

「だから全部って言ったじゃない。

 私何かおかしいこと言ったかしら?」

 

……あれ? 俺なにか間違ったっけ?

いや、まぁ食えるなら良いけど、全部っておい。

 

「いや、まぁ好きにしてくれ……」

 

「お茶菓子〜、お団子〜♪」

 

食べ物ぱぁうわーは偉大。食の神様万歳。

 

「お抹茶〜♪ あんみつ〜♪」

 

「………」

 

いや、もはや何も言うまい。

幽々子がこれ以上ないほど、満面の笑みだったから。

そんな笑顔を見ていると何も言えなくなる。

自分自身、美味しい物を食べていると頬も緩むし

幸せな気分にもなる。それは分かる。

だけど、並んだ注文の山を見たら流石に……

 

「いっただっきまーす♪」

 

「お、おう、いただき、ます……」

 

ひょいぱく、ひょいぱくと。

早い訳じゃない。けれど、

 

「美味しい〜♪」

 

と、笑顔を浮かべながら悦に浸かる。

幽々子の辞書に限度という単語は存在しないみたいだ。

 

「〜〜〜♪」

 

ま、いいか。美味しそうだし。

最初に立ち寄った茶店だけで、諭吉が飛んだけど。

だ、大丈夫。まだ大丈夫!

念のため諭吉軍団は召集済みだし!

 

「ねぇねぇ、次は何を食べるのー?」

 

「お、おう……」

 

これが悪夢の始まりだった。

 

「まぁ適当にな」

 

としか言えなかった

人波の嬌声に負けず劣らず聞こえる店員の声。

四方八方から聞こえるたびに、吸い寄せられる幽々子。

その度に、野口英世がインザスカイ。

 

「あ、これ、食べたい〜♪」

 

「それは喰えねぇよ!無機物まで喰うなよ!」

 

と、ソフトクリーム・コーン・ディスプレイを

食べようとした幽々子を制した。

 

「あら、残念ね」

 

「ほれ、とりあえずこっちにしとけ」

 

またも飛んだ野口君。

幽々子が喜ぶたびに、財布にボディブロー。

胃が痛い。

両手には緑と白。手にはコーン。

いわゆるソフトクリーム。

緑はまぁ、京都の名物抹茶。白は無難なバニラ。

……いや、それはいい。

いいんだけどさ。そろそろ洒落にならない気がする。

茶店で全部のメニューをほぼ一人で平らげて。

さらに今は、ソフトクリームを両手に、 

幸せそうな表情をしている。

うん、いい笑顔なんだけど。微笑みの爆弾が財布に直撃する。

あれ、これ、死ぬかも。

 

「ん? どうしたの?」

 

「いや……美味いか?」

 

「うん♪」

 

「そりゃ何よりだ。

 とりあえず食べながら歩くのはやめて、両方食べてしまえ。こう人が多いと危ないしな」

 

「はい」

 

 そう言いながら、白のソフトクリームをこちらに差し出してきた。

 

「私ばっかり食べてるから欲しいのかと思って。

 ほら、少しだけね」

 

……いや、そうじゃなくて。

 

「ほら、遠慮しなくていいわよ」

 

「いや、そういう問題じゃねぇよ」

 

「どういう問題?」

 

「いいから両方食べろって。俺はいいから」

 

「あらそう? 美味しいのに」

 

「気持ちだけもらっとくよ。お、八つ橋か……」

 

「八つ橋!? 八つ橋!?」

 

二回も言ったよこの子!

大事なことなんだろう。

 

「……食うか?」

 

「ええ♪」

 

底なし沼なのか、甘いものは別腹なのか。

……なんか餌付けしてる気分になるなこれ。

てか、諭吉逃げて!超逃げて!

 

「ほら。とりあえず両手のソフトクリーム食べてしまえよ」

 

「八つ橋食べたい〜♪」

 

「ソフトクリームは……?」

 

「あ・げ・る♪」

 

ウインクする幽々子。

 

……確信犯?

 

「イヤなのー?」

 

「あ、いや、別にイヤじゃないけど……」

 

「ならいいじゃない。ほら」

 

なんだかなぁこの状況。

幽子の食べかけのソフトクリームは結構残ってる。

これは俗に言う間接キスではないかと大和は赤面していた。

 

「どうしたのー?」

 

「ん? あ、いや、なんでもねぇよ」

 

「そう。八つ橋美味しいわ〜♪ 食べる?」

 

「ん? ああ、せっかくだしもらうか」

 

観光しにきたはずが、もはや食べ歩き行脚になっていた。

美味しいから、まぁいいんだけど。

 

「しっかし、良く食うな幽々子さん。俺よりも食うんじゃねぇか?」

 

「甘いものは別腹よ。それに……」

 

「それに?」

 

「女の子に対してそんな事言うとモテないわよ?」

 

おもっきり睨まれた。

お嬢様のご機嫌は、若干斜めになっている。

確かに幽々子の言うとおりだ。

ここは素直に謝ろう。

 

「……正直、すまんかった」

 

「分かれば宜しい」

 

なにこの構図。

幽々子さんはドヤ顔してるし。

 

「はいはい。

 とりあえず休憩はこのくらいにしてそろそろ行こうぜ」

 

「あん、待ってよぉ〜」

 

清水寺――

入場チケットを買い、順路を歩く。

清水の舞台からの眺めは壮観そのもの。

 

「わぁ……」

 

人も多いが、見せたかった景色と幽々子の感嘆。

心の中でこっそりガッツポーズ。

 

「綺麗ね」

 

「そうだろ?」

 

「ええ。いい眺めね」

 

桜色と様々な緑の景観は、観る者の心を癒やす。

来て良かったかなと素直に思えた。

 

「あ、ほら、あそこあそこ!」

 

「ん?」

 

幽々子が指差した方向に見えた三筋の白い糸。

眼下には、列をなした人の群れ。

白い糸は音羽の滝。

年中行列の出来る霊水は、

かわるがわる銀の杓子で汲みとられていた。

 

「あれは?」

 

「自然の湧き水だよ。音羽の滝ってんだ」

 

「冷たくて美味しいかしら?」

 

「下に降りたら飲む?」

 

「ええ♪」

 

色々とずるい。

その笑顔はずるいと思います先生。

 

「はいよ。ただ、並ぶぞこれ……」

 

「大丈夫よ。ほら、すぐ人が入れ替わるし、ね?」

 

「わかった、わかったよ。後でな」

 

「〜♪」

 

地主神社――

地主神社は清水寺本殿のすぐ北側にある。

縁結びの神として有名な神社だ。

清水寺に参拝したらすぐ傍にあるため、

訪れる観光客で混雑していた。

学生達の修学旅行などで、

訪れたことがある人も少なからずいるだろう。

 

「へぇ……”縁結び”で有名なのね此処は」

 

「みたいだな」

 

食欲が満たされたからか、終始ご機嫌なお嬢様。

ようやく観光らしい反応で、物珍しそうにしていた。

縁結びといえば、恋人同士や片思いの相手がいればこそ。

独り身でそんな相手は既に居ない。

 

「ま、俺には縁がないな」

 

昔から、恋だの愛だのに興味はなかった。

紅虎さんと出会ったときから、俺は自らの肉体を鍛え上げて、闘うことに生き抜くと決められていたのだから、それに男の闘いに恋や愛は必要ないと思っていた。

 

「あら?

 せっかく来たんだし、そんな寂しいこと言うのは無粋よ」

 

少し怒った表情をしている幽々子。

 

意外な一面を見た気がする。

 

(こんな表情もするんだな……)

 

「それとも――私のことも、キライ?」

 

上目遣いで語りかけられて。

意外な仕草に思わずドキッとさせられた。

予期せぬ口撃。そして――

 

「ちょっ!? は、離れ……」

 

無邪気な幽々子に抱きつかれて固まってしまった。

 

「うふふ。ドキッとした?」

 

小悪魔のように悪戯っぽい笑顔を浮かべて。

その表情に、心臓が早鐘を打った。

――ドクン、と。

枯れた泉が潤うことは、無い。

けれど脈々と打つ鼓動に、色付けられることはあるのだろう。

 

「か、からかうのはよせって」

 

慌てて出た言葉は、何の意味もなかった。

確かに感じた痛みと、動揺に、

 

「うふふ。ねぇ、今ドキドキしてるでしょ?」

 

俺は言葉を失った。

幽々子さんのペースに巻き込まれるのに。

けれど世界に、また一つ彩がついていく。

風が運ぶ桜花の香りと、腕に感じる柔らかな感触。

 

(む……結構ボリュームが、って!)

 

「離せってばよ。歩きにくいだろ」

 

このままだと、ナニが何やらナニしそうだ。

 

「ほーら、ねぇってばー、うりうりー」

 

「――――っ!?」

 

組んだ腕に感じる感触が、平静を装うことを許さない。

……結構、いやかなりボリュームあるなこれ。

陥落してなるものか。

絶対防衛線は死守しなければならない。

危険だ。とにかく危険だ。

 

「もう……やっぱり童t」

 

「違げえよ! またかよ! そのネタもういいよ!

 違げえよ! 二回も言っちゃったよこんちくしょう!」

 

つい反射的に反応してしまった。

だめだ、なんか動揺してるし俺。

 

「うふふふふ」

 

………本当に、このお嬢様は無視もさせてくれないらしい。

桜の香りが男の本能を強制的に刺激する。

腕に当たっている感触と、確信犯なまでに卑怯な上目遣い。

 

「これ 何て エロゲ?」

 

「お前が言うな! エロゲじゃねえよ!

 ああもう、このままだと俺の理性がインザスカイするっての!」

 

まじで陥落五秒前

 

「ほら、やっぱりドキドキしてるんじゃない!」

 

こちら前線。負傷者多数。

至急応援を! 至急応援を!

 

「ほらほら、正直に言いなさいってばー」

 

ダメです。前線が持ちこたえられません!

衛生兵はまだか! 和生、兄貴、紅虎さん、衛生兵ーーーっ!!!

 

「んな、んにゃ」

 

「噛んだ? 噛んだよね? 絶対噛んだわよね?」

 

幽々子はおもいきりニヤニヤしていた。

ダメです神様。もう限界です―――

否定したところで、幽々子見抜いてそうだ。

そもそも、噛んでるあたり動揺を隠しきれてないし。

 

「うふふふふ」

 

幽々子は微笑を浮かべ、お構いなしに腕を組む。

時折こちらの表情を上目遣いで見上げ、

こちらの動揺に付け込むように攻勢を強める。

 

「やけに機嫌がいいな」

 

「そうかしら? ――いえ、そうかも、ね」

 

遠くを眺めるような視線。

そう呟く幽々子にはまた違う色がついていた。

例えるなら、寂しさをたたえる寒色の蒼。

暖色の桜とは違う――けれど、美しく映える群青色。

―青は藍よりいでで藍より青―

そんな言葉もあるくらい、三原色の青は美しく映える。

 

「こうして、桜を魅せてくれてるからかしら」

 

悪戯っぽい表情に魅惑の色が浮かんだ。

言の葉は鼓膜を震わせ、心臓を刺激する。

ドクン、と――

 

「そっか。まぁ楽しんでくれてるなら何よりだ」

 

「ええ、とっても楽しいわ」

 

組みつかれた腕を振りほどくことも忘れていた。

幽々子もまた、離れることなく歩いている。

 

「って、さすがに階段は危ないぞ」

 

地主神社から音羽の滝に降りる長い階段。

 

「あら、いいじゃない。ゆっくり降りましょ」

 

意に介さず、幽々子はさらっと言う。

その声色にも様々な色が浮かび、感情を彩っていく。

 

「まぁ、いいけどな………」

 

「うふふふふ」

 

ご機嫌麗しい幽々子と階段を下りていく。

一歩一歩踏みしめるように。

清水の舞台から見た音羽の滝へ。

自然の列は途切れることはなく、多くの人の喉を潤す。

 

 

――数十分後

 

 

 

「ん〜! 冷たくて美味しいっ!」

 

「だな」

 

「飛び込んだら気持ちいいかしら?」

 

「……絶対にやめてくれ」

 

いや、本当にダメよ?絶対に。

 

「あらそう? きっと気持ちよさそうなのに」

 

「目立つからやめろ。

 ってか、並んでるんだからさっさと行くぞ」

 

「待って、もう一杯だけ」

 

「へいへい」

 

「うんっ♪ やっぱり美味しいわ!」

 

純真無垢な笑顔で。

それは生まれたてのはなの息吹にも似た何か。

 

「ほれ、行くぞ。まだ巡るところあるんだから」

 

「はぁ〜い。待ってよ〜」

 

だからきっと―――

今、この瞬間が楽しいと感じているんだろう。

幽々子も、そして、俺自身も。

幻想郷の手掛かりはまだ見つからない。

そもそも本当にあるのかわからない。

でも―――だからこそ、わからないままにしておけない。

幽々子に寂しい色は似合わないから。

天真爛漫な笑顔を咲かせ、

俺をお構いなしに振りまわす自由奔放な性格。

けれど、不快に感じることは無く、

一緒に歩くと世界が色をつけていく。

根拠はないけれど、きっと―――



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十四話 京の都の旅巡り③

―――二年坂〜三年坂へ

清水寺を後にして、八坂神社へ向かう道。

石畳の道を幽々子と歩く。

 

「あ、あれ食べたい♪」

 

「………」

 

―――英世さらば。

 

「あ、あれ何? 見たい見たい!」

 

「……へいへい」

 

道の両側に、茶店や土産屋が軒を連ねている。

 

 通るたびに足を止め、店先を冷やかし、少しずつ八坂神社へ向かう道。

 

「あ、これも美味しそう♪」

 

「ほわーい、なぜーにー、あーるきつーづける」

 

「うん? どうしたの?」

 

「……現実逃避デス」

 

「うふふ……変なの。くすくす」

 

「あら?」

 

「今度はどうした……」

 

目の前にはかんざし屋。

 

うん、男一人じゃ入りたくないなこれ。

 

「ほらほら、見たいからちょっとだけ〜」

 

って、おぉいっ!?

 

と突っ込む前に、スタスタとかんざし屋に入ってしまった。

 

……やれやれだぜ。

 

「わぁ……」

 

店内には様々なかんざしの山。

 

(……へぇ色々あるなぁ。どれ……)

 

脳内シュミレーターが現状を把握する。

今現在……そして、幽々子が物欲しそうにしているかんざし。

 

あ、これ似合いそう……って、まった。

これ、買うと……ええと……

 

 間違いなく持ち金が無くなってしまう。

 

「ねぇ、これ似合うかしら?」

 

「桜が綺麗だなぁ……」

 

「ねえってば!」

 

「夢みたいだなぁ……」

 

「……えいっ!」

 

「ひでぶっ!」

 

「あれ、ちょっと。ほら、戻ってきなさいってば!」

 

「だが断る」

 

「ほら、これって似合うかな?」

 

「えっ、スルー?」

 

「あ、このかんざし、綺麗」

 

「幽々子さん、人の話聞いてるか?」

 

「うん。それでさ、これはどうかな?」

 

「……幽々子さんすまん、さすがにもう無理だ」

 

「えっ?」

 

「手持ちが全部すっ飛ぶから今日は勘弁してくれ……

 まぁ、また来る時にでも買うからさ」

 

「いーまーほーしーいー」

 

「……それ買うと、次の所行けなくなるけど?」

 

「うぐぅ……」

 

いや、流石に……。なんというか。

 

(主に幽々子さんの胃袋に消えたんだけどな実際)

 

……とは、言えない。気がする

何か負けた気分になるし。

 

「わかった。わかったよ。とりあえず近いうちに買うから、今日はもう勘弁してくれ。頼むから」

 

「はーい……」

 

何か、ものすごい罪悪感に駆られてしまった。

 

かんざしってなんでこんな高いの?男にはちょっと理解出来ない代物だと思う。

 

八坂神社へ至る道。そして。すれ違う多くの人。

 

カップルも居れば、友達同士もいる。

 

たまに外国人ともすれ違う。

 

「―――行こう。まだ魅せたい景色があるんだ」

 

「ふふっ、楽しみね」

 

今は、もう何も言えない。

ちょっとだけ、幽々子の本心を垣間見てしまった気がしたから。

 

先ほどまでのようなはしゃぎっぷりじゃなく、ゆったり流れる時間。

 

風情溢れる情景に、言葉は無粋だ。

 

高台寺、八坂神社、円山公園、そして知恩寺と。

 

桜の景色を、幽々子と二人ゆっくり巡ってく。

 

(ああ、どうせなら夜桜も良かったかもなぁ……)

ふと、そう思ってしまった。

 

また時間があったら、祇園の夜桜も見に来よう。

 

 

―――閑話休題

 

言葉少なく、ただ、桜を愛でる散策はまだまだ続く。

この際だから、もう一つ行っておきたい場所があるから。

タクシーを拾い、次の目的地へ。

少し色々考えたい。

目的地を運転手に伝え、車窓から京の町を眺めていた。

次の目的地は慈照寺。通称――銀閣寺。

もっとも目的は、銀閣寺じゃなくここからの散策。

哲学の道――

多くの文化人が、この道を歩き思想に耽ったと言われている。

銀閣寺すぐ近くにある、疎水沿いの桜並木。

幽々子と二人、哲学の道を歩いていく。

人ごみは避けたかったが、ここも人でごったがえしていた。

この際仕方無い。

どうかこのお嬢様が大人しくしていますようにと。

というか、はしゃぎまくってた気がするけど、多分大丈夫。

そこはきっと空気を読む……と信じよう。

 

「わぁ……」

 

「おー……」

 

満開の桜並木。

琵琶湖疏水分線が流れる歩道には、桜があふれていた。

 

「すごいわねぇ……」

 

「だろ? だから連れてきたんだよ。まぁその代わりちょっと人も多いけどな」

 

「大丈夫♪ うふふふふ」

 

淡い牡丹色、月白の花びら。

ところどころは葉桜も見えるけれど、

品種により絶妙に違う彩。

 

「……すげぇなぁ」

 

「本当ねー……こんな風景もあるのねぇ」

 

「俺も実は始めて来たからな……話には聞いてたけど」

 

「あら? そうなの?」

 

 それも無理はない。大和の人生は苦行と鍛錬の日々だったのだから、こんな銀閣寺に行く暇も余裕もなかったのだから。

 

「一人で来たって仕方無いだろ?」

 

「そうかしら? わたしは一人でも来たいわ。だってこんなに綺麗な景色なんだもの!」

 

「満足してくれたか?」

 

「えぇ、もちろんよ♪」

 

「そっか……そりゃ良かった」

 

人は多いけれど、歩きづらいほどじゃない。

時折、遠くからの鶯の鳴き声。

 

「あら? ウグイスが鳴いてるわね」

 

「お、ホントだ。ホーホケキョってか」

 

「…………」

 

 幽々子は唖然とした表情を浮かべる。

 

「……なんだよその顔は」

 

「無いわー、絶対無いわー。

 風流な情景が台無しじゃないの、もうっ!」

 

「はっ!?」

 

ひどい。それはちょっとひどい。

 

「〜〜〜♪」

 

サラッと毒舌な幽々子は、少し先を歩きながら。

淡い牡丹色の天蓋をくぐっていく。

 

「……やれやれ」

 

「うふふ、楽しいわね」

 

振り返りながら、桃色の笑顔の幽々子。

ゆったりと、幽雅に咲きほこる桜のように。

ひらりと舞い散る光の羽のように足取りは軽く。

疎水沿いの歩道を歩いていく。

 

「おい、ちゃんと前見て歩けよ。あぶねぇぞ?」

 

「うん! だいじょっ、 きゃっ!?」

 

甲高い声をあげて。

歩道にはみ出た桜の枝にぶつかっていた。

 

「ったく……。だから前見て歩けってのに」

 

「うー……もじもじ」

 

「ほれ、こうしとけ」

 

そう言って、大和は幽々子の左手を取る。

 

「きゃっ!? え、ちょっ!?」

 

「ほれ、とりあえず前向けって。ぶつかるぞ」

 

危なっかしくて見てられなくなったから。

天衣無縫なお嬢様の手は、春の温もりがした。

 

「うふふ……ありがと♪」

 

「………ふん」

 

手の平に帯びる熱は、俺か幽々子か。

 

「クスクス」

 

「……なんだよ?」

 

「ううん、なんか嬉しくて。

 こうして手を繋いでくれるなんて思わなかったから」

 

「…………このっ」

 

意識しないようしていた事実を口にした幽々子。

認識すると恥ずかしいってのに。

 

「うふふ……ガラじゃないことしたって思ってる?」

 

「さあな。それよりもちゃんと―――」

 

まぁいいかと思い、言葉を切った。

 

「うん?」

 

「いや……なんでもない」

 

言葉は要らない。ただ、そう思ったから。

春色の風は、穏やかに。

疎水は緩やかに流れ、舞い散る桜が水面に華を咲かせていく。

 

「本当に綺麗ねぇ……」

 

眼前に広がる牡丹色の橋。

すぐ傍を流れる疎水と、風情に溢れる散歩道。

ゆっくり散策し、思案に耽る。

今日一日幽子に桜を魅せてきたが、

楽しんでもらえただろうか、と。

 

「あら、鴨がいるわ、ほらそこ!」

 

つがいの鴨が、疎水の中を優雅に泳いでいる。

互いを毛繕いしている姿は可愛らしい。

 

「美味しそう……」

 

「うぉい!?」

 

思わず突っ込んだ。

 

「いや、あのさ幽々子さん……」

 

「うん? なあに?」

 

「……あの鴨をみて、美味しそうってどうなんだ?」

 

「うん、可愛いわね」

 

「なら何で美味しそうとか言ってんだよ!」

 

「鴨肉は美味しいのよ? 食べたことないの?」

 

「いや、そうじゃねぇよ!

 可愛いのに美味しそうとか矛盾してんじゃねえか!」

 

「だって可愛いもの! だって美味しそうだもの!」

 

全く理由になってない。

可愛いのに、美味しそうってどうなんだ。

というより、散々色々食べたのにまだ喰う気かよ。

 

「ほら、行きましょ♪」

 

言って、幽子は俺の手を引っ張って行く。

 

(ったく。まぁいっか。楽しそうだし)

 

「すーんすーんすーん♪」

 

「………」

 

相変わらずの謎の歌。もうなんでもいいや。

それよりも―――

 

(やっぱりここでも見つかりそうにないか)

 

幽々子のさがしている桜の大木。

やはりそれらしきものは無かった。

桜の名所が多い京都にあるのだろうか。

幽々子は静かに桜並木を眺めている。と、

 

「匂へども しる人もなき 桜花

      ただひとり見て 哀れとぞ思ふ」

 

幽々子は詠った。ただ、この景色をそのまま歌に詠んだのだ。

 

「…………………」

 

「うふふ」

 

満足気な幽々子。

 

不思議な感覚だ。まるで―――

 

「チラリ」

 

「ん?」

 

「んーん。なにもー」

 

何か、”在るべき物”は”在るべき場所にあるよ”

とでも言うように。

 

「え? は?」

 

「うふふふふ」

 

ご機嫌な幽々子が、教えてくれている気がした。

桜の花びらが、幽々子の周囲を飾っていく。

ふと、立ち止まった幽々子。紅桔梗の瞳。

上目遣いで射抜かれると、思考が止まる。

 

「どうした?」

 

「本当に良い場所ね。

 こうして歩いて眺めるのも、悪くないわ」

 

「ああ、そうだな」

 

静かな沈黙。

けれど、決して気まずい静寂じゃない。

心地良い温もりが全身を包みこむ。

 

「ねえ」

 

「うん?どうした?」

 

「もし―――もしもよ、大和と出会ってなければ、

 こうして私はこの風景を見ることが出来なかったのかな?」

 

「は?」

 

「だから、もしもの話よ」

 

「いや、今見てる現実が全てじゃねえか。

 何言ってんだ?」

 

「だーかーらー! もしもの話っ!もしも、貴方と出会ってなければ、私はどうしていたんだろう? って」

 

「いや、意味わかんねえし。それに、『もしも』の話は好きじゃねえんだ」

 

「そう? 私は好きだけどなぁ……もしもの話って」

 

と、幽々子は屈託なく笑った。

それこそ本当に、ただ話しているだけで楽しいんだよ、というように。

 

「あのな……」

 

楽しそうな表情の幽々子を見て言葉が続かない。

何だか一人、焦ってしまっている気がする。

 

「わたしはifって好きだけどな。

 どんな結果になるか分からないけど、

 とりあえずその時は救いがあるような気がするじゃない」

 

――ズキリ、と。

 

「……救い、ねぇ」

 

「うん、詭弁かもしれないけれど、

 詭弁でも何でも救われるならいいじゃない」

 

「…………」

 

if――もしも。

もしも、幽々子と出会っていなければ。

『たら』『れば』は、救いになるのだろうか。

もしもの話で、救われるなんて事が、あるのだろうか。

救われるなら、それはどんなに倖せなことだろう?

けれど、それは本当に倖せと呼べるのだろうか?

 

「………」

 

それを倖せと感じられるならば、それはきっと。

狂気という、感情なのではないのだろうか。

 

「―――本当に綺麗ね」

 

何が正しくて、何が狂っているのか。

狂しいほどの感情の先に、一体何があるのだろう。

 

「でもね」

 

「『もしもの話』は好きじゃ無いって言うけれど、

 私は貴方と出会えて良かったと思ってるわ」

 

「――――」

 

「だから”もしも”出会えてなければなんて、

 やっぱり考えたくないかも」

 

そりゃ何よりですねお嬢様!

 

「って、お前言ってること矛盾してるぞ?」

 

「あれ? あ、ホントだ。変なのー」

 

「いやいや、お前が言いだしたんだろうが」

 

「まぁまぁ。それよりもほら、せっかくいい景色なんだからさ。そんな難しい顔してると桜もきっと悲しむわ」

 

「いや、訳わかんねぇよ……」

 

「うふふふふ」

 

(相変わらず良くわかんない奴だな幽々子さんは)

 

けれど、不思議と落ち着いた気がする。

だから、落ち着いて今後について思案に耽った。

ゆっくりと考えをまとめたい。

幽々子に桜を魅せられる、絶好の場所を。

桜といえば日本一の名所の吉野山の桜。

古くから日本人の心の拠り所となっている桜。

和歌にも多く詠われ、歴史、その在り方は日本一と言える。

しかし―――

桜の開花は順調そのもの。このままだと満開の後、散る運命だ。

吉野山の桜も見たい。それはきっと幽々子も同じだろう。

約二百種・三万本もの桜の海。

想像するだけで世界は桜色に染まっている。

きっとそれは、この世でもっとも美しい世界かも知れない。

考えれば考えるほど、正解が遠くなる気がする。

刻一刻と、過ぎていく時間。

過ぎた時間は、無情と共に花開き、世界に色をつけていく。

俺は一人、焦燥感に駆られ始めていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十五話 幽々子の秘密

 京の旅巡りが終わってから数日のこと、大和は早朝に鍛錬を励み、幽々子は大和が鍛錬をしているところをずっと眺めていた。

 

 それからお昼の時間をまわり、昼ごはんを食べたあとに大和は剣術の稽古を実家の中庭で始め、幽々子は縁側で大和の稽古を眺めていた。

 

 シャドーボクシングのように仮想の敵を想定しながらも大和は軽やかに動き回っては縦横無尽に木刀を振るう。

 

 大和の動作は我流の剣術と動きであり、到底のことながら剣道とは呼べない代物だった。

 

 軽やかに足を使いながら木刀を振るのは体力の消耗が非常に激しく、常人なら二分から三分持てば上出来なところを、大和はペースを落とさなければ、休憩も一切せずに三十分以上は続けていた。

 

 もしもこれが実戦であれば、相手は大和の変則的且つ俊敏な動きについていけず、そのまま袋叩きにされてしまうだろう。

 

 一時間以上動き続けた後、大和は稽古を止めて深呼吸をすると、休憩をするために歩いて縁側の方へと向かった。

 

「ふぅ……良い汗かいたわ」

 

「休憩しないで、あんなに激しい運動しているのに、息ひとつ乱さないなんて、いったいどんな体力してるのかしら?」

 

「そうか? あの程度の動き普通だと思うけどな。それに、あれぐらいで息乱れてたら紅虎さんには到底勝てねぇよ」

 

 幼い頃から毎日毎日馬や牛のように走り込みをしてきたんだ。こんなことでバテていたら一生涯掛けても紅虎さんには勝てない。

 

 紅虎さんを倒すためには、体力や身体能力を人間の限界まで鍛え上げ、ありとあらゆる武術や技術を磨き上げることが絶対条件、あとは精神力の問題だろう。

 

 そのためにも近い将来、肉体と精神力を鍛えるために、山籠りなどをしてオーバートレーニングをしなければな。

 

 縁側に来てみると、そこには真剣な表情をしている幽々子がいた。

 

 そして、ふと幽々子さんの隣にあるお茶や茶菓子が乗ったお盆を見てみると、どうやら幽々子さんは俺が稽古している間に茶菓子やお茶に手を一切つけてなかったらしい。

 

 その証拠に湯飲みに注いでいたお茶は冷め、茶菓子に至っては袋すら開けた形跡すらない。

 

 あの食いしん坊な幽々子さんが用意した茶菓子に目もくれずに自分の稽古を真剣に見ていたことが大和にしては珍しかったのだろう。

 

 手に持っていた木刀で肩を軽く叩きながらも、大和は感心したような表情を浮かべながら幽々子に話し掛ける。

 

「茶菓子を食わないなんて珍しいな幽々子さん、俺が鍛練しているところを見てて楽しかったか?」

 

「うん、特に退屈はしなかったわ」

 

 それにしても食べることよりも優先するなんて普段の幽々子さんではありえないことだ。

 

 このとき大和は、自分の中で一つの疑問が生まれると、すぐさま幽々子に対して質問を問いかけてくる。

 

「前から気になってたんだけど、もしかして幽々子さん、何かの武術を学んでたのか?」

 

「そんな訳ないじゃない。それとも私が武術を嗜んでる光景が想像できるのかしら?」

 

「そうだよな、やってる筈がねぇよな……あはっ、あははは………」

 

 どうやら俺の勘違いだったようだ。だいたい幽々子さんが武術を身に付けてると思う自体がおかしい話だしな。

 

 そんなことを話していると、自分達がいる縁側に向かって歩いてくる二人の足音が聞こえてきた。

 

 足音が聞こえてくる方向を見てみると、そこには弟の草薙和生と師匠の紅虎がいた。

 

「よぉ兄貴、暇だったから見に来てやったぞ」

 

「こんにちは大和、相変わらず鍛練に精が出てるようですね」

 

「あら紅虎さんに和生君、二人ともお揃いでやって来るなんてどうしたのかしら?」

 

「どうでも良いことだけど、なんかとんでもない面子が集まってきたな」

 

 鍛練をしてる際に幽々子さんがいるのは最近では日常的になっているが、師匠の紅虎さんに弟の和生が並んでやって来るのはとても新鮮な光景だった。

 

 このとき和生は大和から滝のように流れ出る汗を見ると、呆れたような表情を浮かべながら大和に話しかけてくる。

 

「怪我も完治して普段通りの稽古してるのかよ、相変わらずの回復力だな、恐れ入ったぜ」

 

「ようやく元の感覚と肉体を戻したところだ、これから更に力を付けるところだよ」

 

「もうそれ以上強くならなくても良いだろ? ただでさせ化物染みた強さなのに、それ以上化物になってどうするんだよ?」

 

「てめぇ和生、俺が化物だって言いてぇのか?」

 

「違うのかよ? 兄貴みたいに化物染みた強さを持つ高校生は日本中探してもいないと思うけどな」

 

 確かに俺みたいな怪物染みた高校生は日本中どころか、世界を探してもほんの一握りしかいないだろう。

 

 和生の正論にも近い発言に大和は怒りを通り越して寧ろ呆れてしまい。思わず大和の口から溜め息が漏れてしまう。

 

「そう言えば和生、お前我流で武器術とかやってたそうだけど、調子はどうなんだ?」

 

「なんで兄貴がそんなこと知ってるんだよって……今はそんなことはどうでも良いか……

 まぁそうだな、言われてみれば最近木刀とか触ってないし、まずトレーニングとかやってねぇし」

 

 最近の和生は学校をサボって街に遊びにいくことが多々あり、そのせいか鍛練やトレーニングをちょくちょく疎かにしている。

 

 ある程度、力をつけるために身体を鍛えても良いが、流石に兄貴みたいなオーバートレーニングをするのは絶対に嫌だな。

 

「なら一戦交えるか和生? ちょうど相手が欲しかったところだしよ」

 

「別に構わないぜ、今までの屈辱を洗いざらい晴らしてやるからよ」

 

「やれるもんならやってみろ、あとで吠え面かかしてやるからよ」

 

「おう上等だ、腕が鈍ったうえに弱くなった兄貴に負ける気はしねぇけどな」

 

 そう言われると、大和は近くに置いてあった木刀を手に持ち、そのまま和生に向かって軽く投げた。

 

 そして自分に向かって放り投げられた木刀を和生は簡単に受け取ると、瞬時に自己流の構えを取って大和を迎え撃つ。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 残された幽々子と紅虎の二人は大和と和生の一戦を観戦することになった。

 

 お盆に乗ったお茶の入った湯飲みと茶菓子を隣に置いて幽々子が縁側に座っていると、近くにいた紅虎が話しかけてきた。

 

「お隣よろしいですか?」

 

「えぇ、どうぞ遠慮なく」

 

 そういわれると紅虎は幽々子の隣でゆっくりと腰を下ろし、中庭で闘う大和と和生をじっくりと観察するように眺めた。

 

 しかしその数秒後、何か違和感を感じた紅虎はふと隣を見てみると、幽々子は茶菓子に手を一切つけず、真剣な目で大和達の手合わせを観察するように見ていた。

 

 対面することもあれば会話したことも度々あったので、幽々子がどうゆう子なのか、紅虎はある程度わかっていれば、また新たな一面を発見することができた。

 

 だからこそ、それを見た紅虎は感心したような表情を浮かべながら幽々子に話し掛けてくる。

 

「やはり幽々子さん、武術に精通していますね」

 

「なぜそう思うんですか?」

 

「大和の稽古を真剣な目で見ていますからね、それに普通の人ならまず見ることはない場所に視線を向けてますから」

 

 武術を学び理解している者でなければ、そんな事は到底のことながら出来ない。

 

 それに、いつも幽々子は飄々として柔和な雰囲気も醸しているが、たまに驚くほどの洞察力を発揮したり頭が切れたりすることがある。

 

「別に隠さなくても大丈夫ですよ、女性で武道を学んでいることは素晴らしいことなんですから」

 

「流石は紅虎さん、全てお見通しと言うわけね……」

 

「ふふふ、これでも人に武を教える身ですからね、これくらいの洞察は当然ですよ」

 

「紅虎さんの言う通り庭師から武を学んでました。ただ私が扱う武術は主に武具を扱うものですけど」

 

「ほう……それは興味深い、素手ではなく武器を扱う武術を学んでいたのですか」

 

 武具とは言っても、刀や太刀、槍や薙刀など、武器の種類は沢山あるので、幽々子がどういった武器を扱うのかは正直わからないが。

 

 それを聞いた途端、紅虎は微かに何かを企んだような笑みを浮かべると、幽々子に対してある提案を出してきた。

 

「幽々子さん、もし宜しければ貴女のお手並みを拝見させてもらえませんか?」

 

 そう言われると幽々子は一瞬だけ驚いた表情を浮かべるが、すぐに落ち着きを取り戻して紅虎の話に対して答えを出す。

 

「別に構わないけど、もしかして紅虎さんが相手になってくれるのかしら?」

 

「とんでもない。幽々子さんの相手になってもらうのは大和です」

 

 大和にとって幽々子がどういった存在なのかは少なくとも理解している。

 だから紅虎は自分の言動がとんでもない事だということは十分にわかっていた。

 

 それに対して幽々子も紅虎の言動に戸惑いの表情を隠しきれず。どう答えれば良いのか迷っていた。

 

「もしかしたら迷惑かけるかもしれないし、大丈夫かしら?」

 

「やりたくなければ無理強いはしません。 ただ大和にとって良い経験になると思っただけです」

 

 大和と手合わせしようかどうか幽々子が迷ってると、こちらに向かって来る足音と和生の呆れたような声が聞こえてきた。

 

「……あぁ~あ~畜生、負けだ負けだ。」

 

「だけど和生、以前よりも動き良くなってたぞ、本当に鍛練サボってたのか?」

 

「そんなお世辞はいらねぇよ、それよりも兄貴も兄貴だ。衰えるどころか前よりも強くなってるんじゃねぇかよ」

 

 長い戦いになると思いきや、意外にも短時間で決着がついたのだろう。一戦を終えて草薙兄弟が幽々子達のいる縁側に向かって歩いてくる。

 

「ほら、あちらも終わったようですよ」

 

「……えっ? そっ……そうですね」

 

 それから二人が歩いて縁側にやってくると、大和は額に汗をかきながらも清々しい表情を浮かべている。どうやら良い一戦が出来たのだろう。

 

 それに対して和生の方は呆れたような表情を浮かべながら手に持っている木刀で自分の肩を何度も叩いた。態度や表情から察するに気に食わないことがあったのだろう。

 

「久々に一戦交えてどうでしたか?」

 

「どうしたもこうしたもねぇ、最初から兄貴にペース握られて、そのまま何もできずに勝負ありよ。

 まったく……あれが実戦なら今ごろ袋叩きにされてたぜ」

 

「そうですね、動きもあまり生き生きしていませんでしたし………やはり鈍器では本領を発揮できませんか……」

 

 最後の一言を紅虎は小さな声で言うと、それに対して聞こえなかったのだろう和生は喧嘩腰の態度で紅虎に話し掛けてくる。

 

「あぁ? 紅虎さん今なんか言ったか?」

 

「いえ、何も言ってませんよ。それよりも大和、ちょっと幽々子さんと手合わせしてもらってもよろしいですか?」

 

「……はっ? 俺と幽々子さんが手合わせ……ですか?」

 

 あまりに突然な提案に大和も戸惑いの色を隠しきれず、況してや相手が幽々子というのもあり動揺もしていた。

 

「はい、何か不満でもありますか?」

 

「すいません紅虎さん、幽々子さんは女性ですし、況してや武術の経験もないんですよ。

 そんな相手と手合わせなんて到底のことながら出来ませんよ」

 

「何を知ったような口を聞くのですか? そんな事はまず手合わせをしてから言いなさい」

 

 笑顔を浮かべ普段通りの口調だが、それとは裏腹に紅虎の雰囲気には威圧感があり、周りにいる人達が恐怖を覚えるほどだった。

 

 それから周りが恐怖で凍りついている中でも関係なく、紅虎は和生に向かって話しかけた。

 

「では和生君、木刀を幽々子さんに」

 

「あっ、あぁ……」

 

 紅虎の言う通り、和生は自分の手に持っている木刀を幽々子に手渡すと、幽々子も頷きながら木刀を手に取る。

 

 どにらにしても幽々子さんと手合わせをしなければならないらしい。もし紅虎さんに逆らったら後が怖いし。

 

 半強制的だが、こうして大和と幽々子の手合わせが始まることになった。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 大和と幽々子の二人は手合わせをするために中庭で対立し、お互い得物である木刀を構えていた。

 

 幽々子は真剣な表情で正統派(オーソドックス)に木刀を構えている。普段なら決してお目にかかることはできない光景だ。

 しかし、それに対して大和は木刀は構えているものの、やる気や闘志がまるで感じられなかった。

 

「なんでこうなるんだよ?」

 

 女性、況してや自分が守るべき人が相手になるなんて思ってもいなかった。

 

 幽々子さんを傷付けたくない、しかし手を抜いて紅虎さんに叱られたくはない、その二つの考えが頭の中でぐるぐると回り続け、大和の心は戸惑いの気持ちでいっぱいだった。

 

「ねぇー大和、準備はできたかしらー?」

 

「あっ…あぁ…… こっちは大丈夫だぞ」

 

 気持ちが落ち着かないまま大和は返事をする。それが命取りになるとは知らずに。

 

「それじゃあ……行くわね」

 

 そして真剣な表情で幽々子が右足を前に踏み込み、大和との距離を一気に縮めた瞬間。

 

 

………カランッカランッ

 

 

 大和の手に持っていたはずの木刀は地に落ちると同時に、大和の目の前には幽々子が手に持つ木刀の切っ先が至近距離で突き付けられていた。

 

「……えっ?」

 

 幸いな事に幽々子さんは丸腰の俺に止めをさしてこない、もしこれが真剣勝負であり、何の躊躇いもなく攻撃を仕掛けられたら間違いなく勝負あっただろう。

 

 いったい今なにが起こったのかわからなかった。気が付いたら自分の手に持っていた木刀は地面に落ちていた。

 

 それに対して幽々子は木刀を構えているだけで攻撃を一切加えず、寧ろ余裕があると言わんばかりに大和に声を掛けてくる。

 

「まだ続けるのかしら?」

 

「……はっ!」

 

 声を掛けられ気が付いた大和は地に落ちた木刀を瞬時に拾うと同時に、背を向けて幽々子との距離を空ける。

 

 技と身動きが速すぎて、いったい何が起こったのかさっぱりわからなかった。

 いや、まず技を掛けられたのかすらわからない。

 

 程度の距離を開くと、再び大和は幽々子の方向を向いて戦闘の構えを取る。

 

(……何だったんだ今のは? 木刀が俺の手から突然離れやがったぞ)

 

 それだけではない。気付けば俺の顔面に向かって幽々子さんが木刀を突き付けていた。

 

 別にぼんやりしていた訳ではない。寧ろ相手の身動きや出方をしっかりを観察していたほうだ。

 

 しかし、今の幽々子さんの身動きがまったく見えなかったうえに、どうゆう技を仕掛けられたのか全然わからない。

 

(もしかしたら俺が思っているよりも、幽々子さんはとんでもなく強いんじゃねぇか?)

 

 幽々子さんの力量が把握できていない今、迂闊に攻撃を仕掛けることはできない。

 

 相手の出方を見てから動こうと大和はこれからの戦略を考えるが、幽々子は計画通りには進ませてはくれない。

 

「どうしたの? 背を向けてまで私から逃げるなんて大和らしくないわよ。

 それに私の先手を見てから動こうなんて考えないほうがいいわ」

 

「………なっ!?」

 

 何時から気付いていたのか、俺の計画が完全に読まれている。幽々子さんは読心術にも長けているとでも言うのか。

 

 つまり俺は勘違いをしていたようだ。目の前にいる幽々子さんは自分に劣る格下ではなく、自分の力量を越える強者なのかもしれない。

 

「流す程度にしようと思ってたが、そうもいかねぇようだな。 出来るだけ怪我させないように戦ってやるぜ」

 

 相手の幽々子が自分よりも格上だとわかり、完全に気持ちが吹っ切れた大和、果たしてこれが吉と出るか凶と出るのか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十六話 大和VS幽々子

 あまりにも予想外な出来事に、縁側で二人の闘いを見ていた紅虎と和生は度肝を抜かしていた。

 

「これは私の予想を遥かに越えた強さですね」

 

「おい紅虎さん、あのやろう今なにをしたんだ?」

 

「今のは剣道で言うところの巻き落とし。しかも一切の無駄がありませんでしたね」

 

 巻き落とし、自分の刀剣の剣先を相手の刀剣に絡めさせながら弧を描がき、腰を入れて瞬間的に相手の刀剣を強く巻き落とす技。

 

 しかもこの技術は実戦で行うのは非常に難しい。練習ではともかく、剣道の試合では希にしか成功はしない高等技術なのだ。

 

「つまりなんだ? 幽々子さんはマジで武器術を嗜んでいたのかよ」

 

「そういうことです。しかもまだほんの少し片鱗しか実力を出していませんが……」

 

 長年武術と色んな強者を見てきた紅虎からしてみれば、今の技を見ただけでも幽々子の才覚が計り知れないのは明白だった。

 

「彼女本来の才能なのか、それとも単に師の教え方が優秀だったのか、私が思うに前者だとは思いますけどね」

 

「確かに高度な達人技を使っているが、才能だったら兄貴の方も……」

 

「いえ、才能だけなら恐らく大和を凌ぐとは思います、ただ実力や技術はこれからの対決でないとわかりませんがね」

 

「だけど兄貴が本気になれば流石に勝てるだろうよ、どんなに才能があっても所詮は女だしな」

 

「残念ながら……その考えは誤りです」

 

 

 

 

 

 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 一方、大和と幽々子はお互い一歩も引かずに打ち合いをしていた。

 

 周りには木刀と木刀がぶつかり合う衝突音が何度も響き渡り、静かになる気配は決してなかった。

 

 今ほぼ互角の闘いを繰り広げているが、このとき大和は決して手を抜いている訳ではなく、寧ろ本気で立ち向かっていた。

 

 恐ろしい人だ、本気になった俺と互角に渡り合っている。しかも幽々子さんは真剣な表情はしているものの、焦っているような気配は微塵たりともなく、寧ろどこか余裕を持っているような感じだ。

 

(一瞬でも気を緩めたら確実に殺られる!)

 

 木刀を交える度に、その衝撃がダメージとして手に蓄積される。そのおかげで両手は痺れたような感覚で包まれていた。

 

 そして、この打ち合いも長く続くことはなく、幽々子が大和の面打ちを綺麗に受け流すと、そのまま大和の木刀を地面に向かって叩き付けた。

 

「……なっ!?」

 

 これを機に大和の攻撃が完全に止まった瞬間、幽々子は容赦なく何度も攻撃を繰り出してくる。

 

 しかし、大和は闘うことを諦めることはなく、体勢をすぐさま整えて防御に転じ、全ての攻撃を木刀で受け止める準備をする。

 

 そして幽々子が放った連撃を木刀で受け止める度に、その衝撃は手だけではなく身体の芯まで響き渡る。

 

「……ぐっ!!」

 

 これは技でも何でもない、ただ単に目では終えないほどに速すぎる基本的な振り、そして攻撃の一つ一つが非常に重く、今にも木刀が折れそうだ。

 

 更に木刀を振るスピードは凄まじく、まるで木刀ではなく、竹刀でも振っているのではないかと思わせるような軽々とした扱い方。

 

(おいおい嘘だろ? 幽々子さんってこんなに強かったのかよ?)

 

 止まることはない、雨のように降り注ぐ幽々子の連打を防ぐことで精一杯で、大和は反撃をする余裕がまったくなかった。

 

 これ以上攻撃を受け続けると危ないと悟ったのだろう。耐え切れなくなった大和は後ろへと下がって幽々子との距離を空けた。

 

 打撃を防ぎ続けたことで両腕には鈍いダメージが蓄積されて残っており、さらに体力をかなり削り取られてしまった。

 

(ちくしょう……完全に甘く見てた。これなら和生を相手にしてた方がまだ良かったぜ)

 

 このまま何も考えずに突っ込んで行っても、攻撃を防ぐだけで、なんの反撃することもできずに、体力が尽きて戦闘不能に陥ってしまことは見えている。

 

 刀を両手で持つオーソドックスな剣道の構えを止めると、大和は木刀を片手で持って我流の構えに変える。

 

「型稽古は止めだ。普通に戦わせてもらうぜ」

 

 大和が自ら出した答え、それは型に嵌まった動きは一切止めて、自分本来の闘い方で挑もうとすることだった。

 

「つまり……本来の闘い方をすれば、私に勝てると言うことかしら?」

 

「さぁな、ただ型に嵌まった動き方で闘ってるよりは良いだろ」

 

 それから間もなく、大和は幽々子との距離を一気に縮めると同時に、そのまま何の迷いもなく攻撃を仕掛ける。

 

「これは不意打ちのつもりかしら?」

 

 だが不意打ちを仕掛けられても幽々子は取り乱さずに、大和の攻撃を難なく防ぐと、そのまま反撃を仕掛けようとするが、しかし。

 

「……もういない」

 

 幽々子が反撃を仕掛けようとしたときには、大和はその場にはおらず、攻撃が届かない距離まで離れていた。

 

 それからも大和は足を使って軽やかに、そして縦横無尽に動き回りながら、何度も攻撃を繰り出した。

 

 変幻自在且つ予測不可能な身動きで相手を戸惑わせようと大和は考えたようだが、最悪な事に幽々子は大和の動きや攻撃をことごとく全て見切り、一度も攻撃が当たることがなかった。

 

「残念だったわね、それはさっき見たからお見通しよ」

 

(ちくしょう全部見切られる、シャドーを見せたのが失敗だったか)

 

 一旦様子をうかがうために大和が攻撃を止めた瞬間、今度は幽々子が容赦なく攻撃を仕掛けてくる。

 

「今度は私の番ね」

 

 幽々子の猛攻に対して、大和は手持ちの木刀で防御することを止めた代わりに、横に後ろに身体を大きく反らし、パフォーマンスもとれそうな動きで攻撃を回避する。

 

 剣術の達人、況してや幽々子の洗練された剣さばきを見て避けるには、並外れた反射神経、洞察力、瞬発力がなければ到底のことながら出来る芸当ではない。

 

 だが、どれだけ幽々子の攻撃を避け続けても大和から反撃する気配はなく、まるで何かを待っているようだった。

 

 そして木刀を縦に横に振るって猛攻を繰り出す中、幽々子が一度だけ突きを放った瞬間。

 

(……これだ!)

 

 幽々子の放った突きを間一髪で避けると、それと同時に大和はその木刀を素手で掴み取る。

 

「刃物とかなら無理だが、木刀とかの鈍器ならこうゆう芸当も出来るんだぜ」

 

 こうすれば幽々子さんは木刀を振るうことはできない。つまりほとんどの攻撃方法は封じたも同然のことだ。

 

 それに俺の握力は両手平均90キロ以上はある。余程のことがなければ木刀を手放すことはない。

 

 しかし武器を封じられているはずの幽々子は焦るどころか寧ろ落ち着いており。まるで自分が有利だと言わんばかりの態度にも感じ取れる。

 

「どうして勝ち誇ったような表情を浮かべているのかしら?」

 

 そう言って幽々子が背を向けた瞬間、大和と一緒に両手で木刀を担ぐように持つと、意図も簡単に持ち上げてしまう。

 

 流石に予想外のことだったのだろう。大和は驚きを隠しきれず、いったい何がおこっているのか理解できていないような表情を浮かべていた。

 

(……おい嘘だろ!? いったい何十キロあるとおもって……)

 

 身長182センチ、体重75キロある大和の巨体を幽々子は木刀で背負うように持ち上げたあと、そのまま大和の身体を勢い良く地面に叩き付けた。

 

「……あがっ!!」

 

 叩き付けれられた瞬間、大和は無意識にも手で掴んでいた幽々子の木刀を手放してしまう。これで幽々子は木刀による攻撃を自由自在に扱うことが出来るようになってしまった。

 

 幸い意識を失っていなかったのだろう。地面に倒れてから数秒も経たずに大和はゆっくりと立ち上がろうとする。

 

「……ちっ、うぅ……」

 

 しっかりと立つことができないのか、大和の躯体が左右にフラフラとまるで振り子のように揺らぐ。

 

 それも無理はない。地面に叩き付けられた際に大和は頭を強く打って脳震盪を起こしており、身体がふらつくのはもちろん、大和の視界はどろどろに歪んでいる。

 

 手足が言うことをきかず、戦闘の構えを取ることはもちろん、立っていることすら辛い。こんな状態で闘えるのかと思えるほどだ。

 

 敵に、況してや女相手に手こずった挙げ句、満身創痍になり無様な姿を晒してしまった大和の表情は悔しさに満ちており、これ以上の屈辱はないと言わんばかりに歯を食い縛っていた。

 

 それに対して、これ以上闘いを続けると大和の身が危険に晒されると思ったのか、幽々子は心配そうな表情を浮かべながら構えを解くと、大和に対して話し掛けてくる。

 

「そんなふらふらになって闘えるはずがないわ、もう止めにしましょう?」

 

「止めるだ? ふざけんじゃねぇよ、負けっぱなしで引き下がれるわけねぇだろ」

 

 負けず嫌いと言うのか諦めが悪いと言うのか、どちらにしても大和は敗北を認めることは決してなく、戦うことも止めないらしい。

 

「わかったわ……少しの間だけ眠らせてあげる」

 

 もう勝敗を決めて終わらせるしかないと考えたのだろう。幽々子は改めて木刀を構えて大和を迎え撃とうとする。

 

「ふぅ………」

 

 それに対して大和はゆっくりと眼を閉じると、ひざを曲げて腰を落とし、姿勢を低くしながら静かに居合いの構えを取った。

 

 表情から苦痛が、気配からは荒々しさが完全に消えると、まるで集中力と神経を研ぎ澄ますように大和は冷静になり落ち着いている。

 

(……妙ね、攻撃してくる気配がまったくないわ)

 

 さっきとはまるで違い、大和から攻撃的な気配は一切消えてしまい、止まって湛えている水のように静かな気配だった。

 

 大和から攻撃を仕掛けてくることは無いと察したのだろう、痺れを切らした幽々子は大和との距離を縮めてくると同時に木刀を縦に振るった。

 

(……貰ったわ!!)

 

 しかし大和は眼を閉じて背を向けたまま、幽々子の縦振りの一撃目を難なく避けてしまう。

 

(……避けられた?!)

 

 しかし、その程度で幽々子が諦める訳がなく、それに続いて繰り出された横振りの二撃目を放った。

 

 それに対して大和は幽々子の方向に向かって振り向くと、自分に向けて繰り出された攻撃を木刀で真っ向から受け止める。

 

 そして攻撃を受け止めた瞬間、大和は巧妙で素早い手捌きで幽々子の木刀を叩き落とした。

 

 流石の幽々子も予想外の出来事だったのだろう。数秒にも満たない大和の身動きに驚きを隠しきれなかった。

 

「……嘘でしょ?」

 

「ちくしょう……まだ無理だったか」

 

 武器である木刀を手放した今、幽々子は丸腰の状態。言わなくても分かることだが、幽々子は不利な状況、それに対して大和の方はこれ以上にないほど有利な状況に立っていた。

 

 これで勝敗を決めてやると言わんばかりに、大和は幽々子に向かって容赦無く木刀を振るおうとした瞬間。

 

「二人とも、そこまでにしなさい」

 

 紅虎の言葉に従うかのように大和の動きがピタリと止まる。

 

「………うぐっ」

 

 そしてその直後、もう立っていることすら限界だったのか、大和は片膝を地面に着けて倒れそうになった瞬間、木刀を杖代わりにして躯体をなんとか持ちこたえようとする。

 

(ちくしょう……もう立つことすら出来ねぇ)

 

 もはや闘えるどころの問題ではない。さっき脳震盪を起こしたせいか、集中力が切れてから足腰に力がまったく入らなくなった。

 

 手合わせを終わり、紅虎は二人に歩いて近づいてくると、大和に向かって一言告げた。

 

「この勝負は大和……貴方の敗けですよ」

 

 紅虎の言葉に微塵たりとも納得がいかなかったのだろう。大和は血相を変えて反発するように紅虎に話し掛ける。

 

「何故ですか紅虎さん!」

 

 それも無理はない。前半と中盤は押されていたとはいえ、最後は形勢逆転してたのだから、自分が納得するような理由をしてくれなければ敗北を認めることは出来ない。

 

 それに対して大和が反発してくるのは想定内のことだったのだろう、紅虎は溜め息をついたあとに冷静な態度で大和が敗北した理由を話してくる。

 

「どうやらまったく気付いていないようですね、幽々子さんは本気で闘っていませんよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、怒りはしなかったものの大和は血相を変えながら幽々子の方向に視線を向ける。

 

「……なんだと!? 本当なのか幽々子さん?」

 

「誤解しないで大和、これには訳が……」

 

「厳密には本気を出せなかった…と言うところですか、差し詰め武器が得意の長巻や薙刀ではなかったからでしょう」

 

「どうしてそれを!?」

 

 紅虎の言ったことが図星だと言わんばかりに、幽々子は驚きを隠さずにはいられなかった。

 

「確かに剣術の腕は素晴らしかったですが……足の構えや身動きがどちらかというと薙刀術に近いものだったからです」

 

 やはり紅虎の観察力は桁外れなのだろう。常人ではまず見つけることは出来ない些細な事から、その人の本質を簡単に見通してしまう。

 

 自分の本質を見破られてしまった幽々子は返す言葉もなく、ただ紅虎に対して感服するだけだった。

 

 一方、敗北を告げられたのが余程ショックだったのだろう。大和は肩をがっくりと落として精気の抜けたような表情を浮かべていた。

 

「……まじかよ?」

 

「もし幽々子さんに本気で勝ちたいと思うのなら、あの鉄刀を使って、幽々子さんの武器そのものを無力化するしか方法がありませんね。

 ただ、あなたにそんな勇気は無いとは思いますが」

 

 紅虎さんの言う通り俺にそんな勇気はない。幽々子さんに矛先を向ける度、自分の意思とは別に何度も躊躇ってしまったことか。

 

 正直な話、もう二度と幽々子さんとは手合わせをしたくはない。肉体はもちろん、特に精神的にキツすぎるからだ。

 

 それから大和はその場から立ち上がろうとすると、足腰に力が入らず膝がガクガクと震え出し、バランスがとれなくて身体が左右に何度も揺らぐ。

 

 だが、それでも大和の躯体は倒れることなく、足を引きずりながらも屋敷の玄関に向かって歩いていく。

 

「大和……」

 

「別に幽々子さんが強くても弱くても関係ねぇよ、今まで通りなんかあったら俺が守ってやる」

 

 その場に止まらなければ、幽々子の方向に振り向かずに、大和は力の無い声でそう告げると、ふらふらになりながらも歩き続ける。

 

 このとき大和に手を貸したりする人や呼び止める人は誰一人としておらず、ただ大和が屋敷に帰る姿を見届けるだけだった。

 

 それから大和が中庭からいなくなると、それに続くように紅虎も何か考えているような表情を浮かべながら、何も言わずに二人を置いて何処かに歩き去ってしまった。

 

「まさか……大和があの領域(・・・・)に片足を踏み入れていたとは……思いもしませんでした」

 

 不完全とはいえ、あの領域に到達していたことが驚きだったのだろう。普段ならにこやか笑顔を浮かべている紅虎も、今は真剣な表情をしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十七話 変わり果てた大和

幽々子との対決を終えてから一週間後、あれから大和は人が変わってしまった。

 

 幽々子に負けたあと、大和は鍛練に集中するために全てのことを放棄してしまったのだ。

 

 それにより屋敷の家事は紅虎さんに任せ、幽々子さんの付き添いを和生に任せた。

 

 学校に行かず、休憩も飯を食べるためにしか取らず、ひたすら己の肉体と技術を交互に鍛え続ける日々が七日間続けられた。

 

 このとき大和の基本的な肉体強化のスケジュールは、まず50キロ以上の距離をほぼ全速力で走り続け、それを終えたあとジムで200キロのバーベルトレーニングを四時間、身体全体を鍛えるのに六時間、そしてサンドバッグをひたすら殴り続ける。

 

 武術面ではあらゆる達人や武道を志す者と四六時中ひたすら素手で闘い続け、使われた技を全て瞬時に吸収する。

 

 このときの睡眠時間は一時間と非常に短く、このスケジュールをやれば常人はもちろん、一流のアスリートでも半日も持たずに身体が壊れることになるだろう。

 

 それだけ自分を追い詰めてどうなるのかと思うが、己の肉体を限界まで鍛え上げ、今より強くならなければ、大和の気持ちは落ち着かない状態にあったのだ。

 

 もしも鍛練を無理矢理止めようとすれば、大和は怒りに任せて何をするのかわからないだろう。周りからしてみれば、あまりにも危険な存在と大和は成り果ててしまった。

 

 

 

 

 

 

 《ボクシングジムにて》

 

 

 

 

 

 時刻は九時半頃のこと。

 

 このボクシングジムは床は緑色のコンクリート、壁と天井の色は白く、ボクサーが二十人ほど練習しても余裕があるくらいの広さがある。

 

 そして練習器具はかなり充実しており、複数あるサンドバッグを初め、フリーウエイトやボクシングボール、自分の構えを確かめるための大きな鏡などが置いてあり、真ん中にはボクシングリングが設置してある。

 

 ボクサー達が真剣に練習している中、強烈な打撃音がジム中に絶え間無く鳴り響いていた。

 

 

…ダンッ!!…ダンッ!!…ダンッ!!

 

 

 そんな一際目立つ打撃音を何度繰り出している者の正体はサウナスーツを着ている草薙大和。このとき大和の肉体強化のスケジュールは一日の最終段階に入ってた。

 

 大和が殴る度に爆音が聞こえると共にサンドバッグがくの字を描くほどの強烈な打撃力。そのあまりにも強烈な音に周りのボクサーは思わず大和の方向を見てしまう。

 

 ただ、ボクシングジムで普通のトレーニングをしていれば良かったのだが、この時の大和のトレーニングは常軌を逸していた。

 

 サンドバッグを休まず殴り続けたことで拳の皮が擦り剥けたのだろう。ボクシンググローブの中から大量の血液が溢れ出しており、地面には血が滴っている。

 

 だが、それでも大和はサンドバッグを殴ることを止めなかった。アドレナリンが分泌されているせいで、痛みや疲れを一切感じておらず、何よりも強さへの執着が大和を動かしていた。

 

「あいつ、拳から血が出てるのに殴ることを止めないなんて頭おかしいんじゃねぇのか?」

 

「それによ、休まずに何時間サンドバッグ殴り続けてんだよ? いくらなんでも正気の沙汰じゃねぇぞ」

 

 かれこれ休まずに四時間以上サンドバッグを殴り続ける、常軌を逸した大和の行いを見ていた周りのボクサーは騒ぎ立てる同時に、大和の身体を心配して一人の中年トレーナーが止めようとする。

 

「おっ、おいきみ……いい加減止めたらどうだ? それに拳の治療もした方が良いと思うぞ」

 

「止めるんじゃねぇ!! まだだっ! ……まだなんだっ! この程度で終われるかよっ!」

 

 狂気を感じるほどの気迫と血走った眼、そして取り付かれたようにサンドバッグを殴り続ける大和の姿に思わず中年トレーナーは恐怖を感じてしまう。

 

(……もっとだ! もっと、さらに強くならねぇといけねぇんだ!)

 

 今の大和はただ強さだけを貪欲に求める者と成り変わってしまった。もはや以前までの面影はほとんど残っていない。

 

 結局、このときの大和を止めれるものは誰も存在せず、大和が自らサンドバッグを殴り止めるのも二時間後の話であった。

 

 

 

 

《一方その頃、草薙家では》

 

 

 

 

 時刻は午後十一時辺り、一方で大和がボクシングジムでの練習を終えて、総仕上げの長距離ロードワークをしている頃だった。

 

 草薙家の居間には紅虎、和生、幽々子、そして武尊の四人が集まっており、ちゃぶ台を囲んで話し合いをしていた。

 

 話し合いの内容は他でもない、常軌を逸したトレーニングをかれこれ一週間は続けている大和をどうしようか考えていた。

 

 勉学や哲学などで悩まない和生でさえ、今では兄の大和をどうやって止めれば良いのかを考えることで頭がいっぱいになっており、思わず溜め息が漏れてしまうほどに悩んでいた。

 

 ただ幸いなことに、大和があんな風になったのはこれが初めてではないことだった。

 

「まったく、世話の焼けるやつだ」

 

「兄貴のやつ、また昔に戻っちまったな」

 

「えぇ、格段に強くなっているのは確かですが。また強さへの欲求が異常なまでに高まってきています」

 

 師匠の紅虎からしてみれば、弟子が強くなるために鍛練を日々励むのは嬉しいことだが、今の大和がやっている行為は正気の沙汰ではない。

 

 過酷なトレーニングで鍛え上げられた大和の肉体は常人とは掛け離れており、そう簡単には壊れることはないだろう。

 

 しかし、大和が行っている今のトレーニング内容は異常且つ大変危険なもの。一週間続けれたのが奇跡だと言っても過言ではないほどだ。

 

 いくら強靭な肉体を持つ大和でも、これ以上イカれたトレーニングを継続すれば、間違いなく肉体は破滅してしまうだろう。それだけ危険な状態なのだ。

 

「やっぱり紅虎さんの言ったことが駄目だったんじゃねぇのか? 兄貴結構落ち込んでたし」

 

「私は本当の事を言ったまでです。 ただ……こうなるとは予想していませんでしたが」

 

「それでだよ、あんな風になった兄貴をどうやって止める? 悪いが力ずくで止めるなら俺は絶対に嫌だからな、こっちが半殺しにされちまう。」

 

「俺を一緒にすんじゃねぇ、あいつが強くなろうが俺が勝つことに変わりわねぇよ」

 

「それなら大丈夫です。私が大和を食い止めるので、ただ少々痛い目にあって貰いますが」

 

 平然とした表情でそう紅虎は発言する。まるで自分なら大和の暴走を容易に止めれると言わんばかりに、余裕の雰囲気すら感じ取れるほどだった。

 

 しかし、そんな紅虎の態度に対して和生は納得していた。兄の師匠というのもあるが、何よりも紅虎の底知れない実力を理解していたからだ。

 

「まぁ…そういうことになるよな、それじゃあ任せたぜ紅虎さん、俺は何もできねぇけどな。」

 

「あの~……昔の大和って、一体どういった人だったのかしら?」

 

 二人が話し合いをしている中、幽々子が悩んだような表情を浮かべながら恐る恐る話し掛けてくる。

 

 それに対して二人は無意識にも幽々子を話し合いから省いていたことに気が付くと、若干申し訳なさそうな表情で紅虎が質問に答えてくる。

 

「昔の大和はただひたすら強くなるために、良く無茶な事してた人でしたよ。 生命の危機に晒されることなんて日常茶飯事でしたから」

 

 崖から飛び降りて驚異的な防御力と動体視力を身に付けたり、大型の猛獣や武器を相手に素手で闘ったりと、正気の沙汰ではない鍛練をよく大和は行っていた。 

 その試練を大和に与えたのは全て紅虎だが。

 

「だが幽々子さんが来てから兄貴は大分変わったよ。 楽しそうに笑ったり喋ったりする兄貴を見たときは驚いたからな」

 

「そうですね、武術家としては嬉しくない出来事ですが、以前に比べれば大和は人間味が出てきた感じがします」

 

「あと女性が苦手だったよな、中学の時に聞いた話だと、クラスの女と目を会わしただけで顔が真っ赤になってたとか」

 

「へぇ~そうだったのね、別に苦手そうな雰囲気はなさそうだったけど」

 

 確かに出会った当初の大和は所々恥ずかしそうにしてたり、顔を赤らめていたことが多々あったけど、あれは女性慣れしていなかったからなのか。

 

 少しずつ話が脱線していき、大和の過去を暴露する話に成りつつあると言うことは黙っておこう。

 

 話を聞いていた武尊はため息をつくと、まるで馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに呆れたような表情を浮かべながらその場から立ち上がった。

 

「くだらねぇ、たかがそんなことでヤケになるなんて馬鹿としか言いようがねぇな」

 

 そう言って武尊は茶の間から立ち去っていった。

 

「ところで紅虎さん本当に大丈夫なのかしら? 大和は以前よりも強くなっているのよね?」

 

「まぁ突進しか脳が無い闘牛を相手にするようなものですから問題ないでしょう。

 それに格段に強くなったとしても、目的を失ったあの子には負けませんよ」

 

「……目的?」

 

「それでは早速、大和を待ち伏せしようと思うで、私はこれで失礼させて頂きます。」

 

「くれぐれも怪我しないようにな、紅虎さんよ」

 

「心配には及びません。寧ろ兄の身を案じた方がいいと思いますよ」

 

 そう言い終えると紅虎はその場から立ち上がり、歩いて居間から立ち去って行った。

 

 それから紅虎がいなくなると、和生はその場に寝転がりながら愚痴を漏らした。

 

「相変わらず紅虎さんは自信があるよな。まるで自分は絶対に負けないって雰囲気を感じるぜ」

 

「でも、それに見合った強さを持ってると思うわ。それに、あの人の心境や実力は本当にわからない事が多すぎるわね」

 

 知り合いに胡散臭い旧知の友人がいるけど、直接のコミュニケーションを一切とらなくて、計画や考えてることを把握することができる。

 

 しかし、紅虎の場合は本当にわからない。言葉の真偽、戦闘の実力、思考、どれもまったくと言っていいほどに読むことができない。

 

「仕方ねぇよ、昔から謎な部分が多い人だからな。逆に紅虎の経歴とかを知ってるやつがいるのかよって思うぐらいだし」

 

 それから和生は欠伸をしながら身体を伸ばしたあと、その場から立ち上がって座っている幽々子の方を見ながら言った。

 

「それじゃあ俺は自分の部屋に戻るわ。幽々子さんも夜更かしするなよ」

 

 そう言って和生も自分の部屋に戻るために、幽々子に背を向けながら手を振って居間から歩いて去っていった。

 

 一方、居間に残された幽々子は部屋には戻らずに一人で考え事をした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十八話 制裁 大和VS紅虎

 あれから時が流れて十二時が過ぎた頃、ロードワークを終えた大和がようやく草薙家に帰ってた。

 

 オーバートレーニングをしたうえに、上下サウナスーツを着てたおかげで、大和の身体は十分に暖まっており。いつでもトップギアで戦闘が出来る状態だった。

 

 しかし、今日はもうトレーニングはしない。朝早く起きて武術の鍛練をするために、さっさと食事を取ったあと風呂に入り、短時間の睡眠を取る。

 

「腹減った……早く飯食わねぇとやべぇ……」

 

 昼に一万キロカロリー近くの食事を摂取したが、オーバートレーニングのせいですぐにエネルギーを消費してしまう。故に大和は空腹感に襲われており、腹が減って気が立っていた。

 

 屋敷に入ろうとすると、一体いつからその場にいたのか、横から紅虎が歩いて来ると同時に話し掛けられた。

 

「おかえりなさい大和、身体はしっかりと暖まってているようですね」

 

「なんだ紅虎、何か用でもあるのかよ?」

 

 呼び止められた事に苛立っていると言わんばかりに、大和は紅虎を呼び捨てにした挙げ句、闘争心剥き出しの目付きで睨み付けてくる。

 

 だが、睨み付けられても紅虎は表情を崩さず、寧ろニコニコと笑顔を浮かべており、まるで大和に対して恐怖心を一切抱いていないような態度だった。

 

「では単刀直入に言います、私と道場へ一緒に来て頂けますか?」

 

「それはつまり、俺と手合わせをしたいってことか?」

 

「いえ、今回は貴方に制裁を加えるためです。 それと自分の貧弱な強さに自惚れるのも、そろそろいい加減にすることですね」

 

 ここまで挑発すれば流石の大和もぶちギレると紅虎は思っていたのだろう。

 

 しかし怒りを通り超したのか、大和は闘争心を剥き出しにするも、ぶちギレて怒鳴り散らすことはなく、喜んで相手になってやると言わんばかりに紅虎の挑戦を受ける。

 

「おもしれぇ、だったら道場について行ってやるよ。てめぇと勝負して白黒はっきりつけるためにな」

 

「では付いてきなさい」 

 

 紅虎が屋敷の中に入っていくと、それに続いて抑えられない闘争心を剥き出しにしながら大和も屋敷へ足を踏み入れる。

 

 幸い道中で何事も起きることなく、二人は闘いの場である道場へと足を運ぶのであった。

 

 

 

 

 

《場所は変わり、草薙家の道場》

 

 

 

 

 道場に到着したあと、二人の周りには不穏な空気と殺気が漂っていた。

 

 大和は闘いで邪魔になると判断したサウナスーツの上着を脱ぎ捨て、動きやすい黒い通気性の良い半袖になった。

 

「ほう、この短期間でずいぶんと体格が変わりましたね」

 

 食事と睡眠以外での休憩は一切取らずに、常にオーバートレーニングをしていたからだろう。一週間という短時間の中で大和の肉体は大きく変化していた。

 

 身長は変化していないものの、全身の筋肉がかなり肥大しており、以前と比べて大和の身体は一回り大きくなっていた。おまけに顔つき、主に目付きがかなり悪くなっていた。

 

「御託はいいから、さっさと始めようぜ。」

 

「これは失礼、変わったのは肉体だけではなく精神的にもでしたね」

 

 紅虎が口を動かしている途中、大和は瞬時に間合いを詰めると、紅虎の顔面に向かって左ジャブを数発打ち込んだ。

 

 だが、不意打ちにも近い大和の放った数発の左ジャブを紅虎は難なく避けてしまう。

 

「躊躇い無く不意を突いてきたのは誉めてあげましょう。しかし、私を確実に仕留めないとは、一体どうゆうことでしょうか?」

 

「ふざけたこと言いやがって……」

 

 大和は地面を蹴って飛び上がった瞬間、紅虎の顔面に向かって横蹴りを放った。

 

 しかし、この程度の攻撃は別に大したことがなかったのだろう。紅虎は目を瞑りながら大和の飛び蹴りをギリギリの間合いで避けてしまう。

 

(……この程度の蹴り、当たるどころか掠りもしませんよ)

 

「……甘ぇんだよ!」

 

 だがこれだけで終わりではない、一撃目の蹴りを避けられたあとに、大和は身体を捻らせて横に一回転すると、もう一度空中で蹴りを放った。

 

「……ほう」

 

 空中で二回目の蹴りが繰り出されるとは思ってもいなかったのだろう。紅虎は防ぐことも避けることもできず、そのまま大和の放った蹴りが紅虎の横腹に見事命中した。

 

 しかし、このまま蹴りを深く押し込んで、紅虎の横腹を抉ろうとした瞬間、大和は無意識にある違和感に気付いた。

 

 紅虎の身体が異常に軽かったのだ。蹴った重みは無いに等しく、まるで宙に舞うビニール袋を蹴っているような感覚だった。

 

「……どうやら甘かったのは、そちらの方ですね」

 

 それに対して紅虎は横腹を抉られそうになった瞬間、身体を何度も横回転させて攻撃を受け流すと、それと同時に身体の回転力を利用して、大和の顔面に向かって回し蹴りを放った。

 

「……なっ!?」

 

 無論、紅虎の放った回し蹴りを回避する余裕と時間は刹那ほどにも無く、そのまま何もできずに大和は回し蹴りを顔面にモロに喰らい、頭が跳ね上がって意識を失いかけた。

 

 そして、回し蹴りの威力が凄まじかったうえ、宙と言う不安定な場所にいたせいか。回し蹴りを受けた直後に大和の身体はそのまま横に向かって数メートルほど先まで吹き飛んでいった。

 

 それから宙に舞っていた大和の身体が地面に叩きつけられたあと、追い討ちをかけるかのように壁に激突してしまう。

 

 攻撃を完全に受け流し、更にその威力を利用してカウンターを繰り出す、もはや人間業ではない。

 

「まさか高級技を使ってしまうとは思いもしませんでした。私も大分衰えていますね」

 

 紅虎の繰り出したカウンターは相手の力を最大限利用した技術であり、言わば自分で自分の攻撃を喰らったようなものだ。

 

 いくら頑丈な大和でも今のカウンターを喰らえば完全に意識を断たれ、当分の間は起き上がってこないだろう、と紅虎は思っていた。

 

 しかし、大和は意識を失っているどころか、まだ闘えると言わんばかりに、倒れた。自分の身体を起き上がらせようとする。

 

「ほう……あのカウンターを受けて立ち上がるとは、大分タフになっていますね」

 

「…がはっ!…がはっ! 今の技は一体なんだ?」

 

「今の貴方には絶対に習得できない技術です。それに、教えたところでどうもなりません。」

 

 師匠とはいえ自分を軽視したことが許せなかったのだろう。大和は怒りのあまりに形相を変え、意地でも立ち上がってやると言わんばかりに歯を食い縛りながら全身に力を注いだ。

 

「図に乗りやがって」

 

 それから立ち上がってすぐ、大和は両腕を顔の前で揃えると、上半身を上下左右に振り動かしながら、紅虎との間合いを縮めて来る。

 

(……デンプシーロールですか、随分と浅薄な技を使うようで)

 

 デンプシーロールとは、ウィービング(上半身を上下左右の軌道で振り続け、的を絞らせないようにする防御法)を行い、身体が戻ってくる反動を利用して左右の連打を叩き込むボクシングの技術。

 

 そして紅虎の予想通り、攻撃が当たる射程距離範囲まで近づいてくると、大和は左右の連打を何度も繰り出してくる。

 

(……やはり単調で読みやすい攻撃。この程度の技術で私を倒せると思っているのですかね)

 

 かなり余裕があったのだろう。このとき紅虎は慢心しており、これからの大和の攻撃手段をまったく予想していなかった。

 

 左右の連打を放っていた最中、大和はウィービングと連打を突然止めると、膝を曲げて腰を落とし姿勢を低くする。

 

 そして、低い姿勢のまま大和は地面に両手を着けながら右足を伸ばすと、紅虎の足首を目掛けて瞬時に足払いを仕掛けた。

 

 だが、その足払いも紅虎にしっかりと決まりはするが、またしても大和は異様な軽さと嫌な予感を感じ取ってしまう。

 

 そして案の定、足払いをされた紅虎は転ぶことはなく、空中で何度も横に転回して、威力を少しずつ吸収してしまった。

 

「ちっ……またかよ!?」

 

 完全に受け流されているせいか、俺の攻撃がまるで通じていない。

 

 それから紅虎は自分に掛かっていた回転がある程度弱まると、何事も無かったかのように余裕を持って両足で地面に着地をした。

 

「しかし残念ですね、必死に鍛えてその程度とは……これなら以前闘った時の方がマシでしたね」

 

「なんだとっ!!?」

 

「これは性格の現れとも受け取れますが、動きや技術に無駄がありすぎです。いえ、これは技術と言うのも嘆かわしいですね」

 

「なめやがって」

 

 自棄になった大和は何の策も考えなければ構えも取らずに、ただ大振りに拳を振るう。

 

 それに対して、紅虎は攻撃を受け流すと同時に、疎かになっている大和の片足を軽く払った。

 

 そして大和の体勢が少し崩れて、ガードが緩くなった瞬間、紅虎はガラ空きになった大和の腹部に向けて鎧通しを躊躇なく放つ。 

 

「………ぐっ!!」

 

「そういうところですよ」

 

 しかし以前とは違って、腹部の激痛に苦しみ吐血はするものの、大和の膝が崩れ落ちることはなかった。

 

 常軌を逸した鍛練を行った賜物なのか、明らかに大和の肉体の耐久力が格段に上がっている。

 

「大和……貴方は身体的には確かに強くなりました。 ただその一方で精神的にも技能的にも劣化していることを感じます」

 

「ふざけんじゃねぇ!! 俺は強くなっているんだ! 力も技術も……前よりも格段に身に付けたんだよ!」

 

 耐え難い痛みを堪えながらも、大和は力を振り絞って紅虎に右ストレートを放つ。

 

 しかし至近距離とはいえ、大和の打撃が紅虎に当たることは決してなく、ただ哀れんだような目で紅虎に見られるだけだった。

 

「もう冷静な判断が出来ないのですか? 限界まで自分の肉体と精神を追い詰めて、そのまま破滅するつもりですか?」

 

「んなこと知ったことじゃねぇ!! 俺は強くならねぇといけねぇんだ!! もう誰にも負けないぐらい強くならねぇと………」

 

 そうだ、誰よりも強くならなければいけない。もう誰にも負けちゃいけねぇんだ。例え自分の肉体が破滅に向かっていたとしても。

 

「では聞きますが、貴方は何のために強さを求めているのですか? そして何を失いつつあることを理解しているのですか? それがわからないのであれば、到底の事ながらそれ以上は強くなれませんよ」

 

「……なっ?」

 

 このとき大和は何のために強さを求め、そして自分が何を失い欠けているのかわからなかった。

 

 俺はこの一週間、強さと力だけをひたすら追求してきた。だが、何のために強さを求めているなんてわからない。いや、そもそも考えたこともない。

 

「忠告しておきますが大和、守る者を失い、強さのみを求めて修羅の道を歩む者の限界なんて底が知れています。 今の考え方を改めたほうが良いと思いますよ」

 

 戸惑う大和に対して、紅虎は容赦も躊躇いもなく貫手を仕掛けた。

 

 そして紅虎の放った貫手は鍛えようのない大和の喉に突き刺さった。

 

「……あがぁっ!!」

 

「大和……本当は自分でもわかっていますよね? 貴方に取って幽々子さんがどれだけ大切な者であり、守るべき者かを?」

 

「……がはぁ……がはぁ……」

 

 貫手で喉を突き刺されたせいで、大和は上手く呼吸ができないうえ、喉に走る苦痛も尋常ではなく、今すぐ地面に倒れて転げ回りたいほどだった。

 

 しかし、紅虎の声ははっきりと聞こえていた。そして耐え難い痛みに苦しんでいる中で、紅虎の言葉が大和の胸に深く突き刺さっていた。

 

 さっきまで怒りの形相をしていた大和の表情は少しずつ沈んだ表情へと変わる。

 

「良いですか大和、失って大切だと気付いてからでは遅いのです。何故なら、もう二度と戻ってこないのですから」

 

「……はぁ……はぁ……そうなんですか……わかりました。 そして、ありがとうございます。 微かですけど、ようやく自分の目的がわかったような気がします」

 

 そうだ。頭では考えもしていなかったが、俺はあのとき、幽々子さんと初めて出会った時、無意識に幽々子さんを守ろうと決めてたんだな。

 

 それが今はどうした? その守るべき者に負かされて大恥かいて、もう二度と負けないようにと馬鹿みたいに身体鍛えて、その結果何もかも捨て去ろうとしてる様だよ。

 

 そう考えたら、この闘いの事なんて、どうでも良くなっちまったな。紅虎さんには悪いけど、この組手で俺はもう闘わない。

 

「紅虎さん、申し訳ないけど止めを刺してくれ。もう俺に闘う気力も力もねぇからよ」

 

「安心しなさい、最初からそのつもりですよ。」

 

 そう言うと紅虎は大和の顔面に向かって右ストレートを放った。

 

 そして、紅虎の放った拳が大和の顎先に掠めるように当たると、そのまま大和は意識を断ち切られ、その場に呆気なく倒れてしまった。

 

 倒れた大和を前に、紅虎は呆れたような表情を浮かべながら呟いた。

 

「まったく……もう入ってきても大丈夫ですよ」

 

 そう紅虎に言われると、扉を開けて道場の中に幽々子が恐る恐る入ってきた。

 

 自分のせいで大和が傷付き、顔合わせすることができないと思っていたのだろう。

 

 申し訳なさそうな表情を浮かべる幽々子に対して、紅虎は優しく声を掛けた。

 

「怯えることは無いですよ幽々子さん、この通り大和は気を失っているので」

 

「大和は大丈夫なのかしら?」

 

「えぇ、少々苦痛を与えてしまいましたが、鍛えてたので大丈夫でしょう。 部屋で寝かせておけば時期に目覚めると思うので」

 

「それなら私が大和を連れて行きます」

 

 そう言うと幽々子は気を失っている大和を軽々と持ち上げて、おんぶするように背負った。

 

 このとき予想外の事だったのだろう。その場にいた紅虎は思わず唖然とした表情を浮かべてしまった。

 

「紅虎さん、どうかしました?」

 

「幽々子さん貴女……意外と力持ちなんですね」

 

「そうかしら? 私は普通だと思いますが」

 

 紅虎からしてみれば、気を失っている人間、況してや大柄な体格の大和を軽々と持ち上げるなんて、並みの女性ができることではない。

 

 並外れた剣術と良い、この身体能力と良い、やはり幽々子はわからないことが多すぎる女だ。

 

「それじゃあ、私は大和を寝室に連れていきますので」

 

「えぇ、後は頼みましたよ」

 

 そう紅虎に言われると幽々子は大和を背負いながら道場を退出した。

 

 二人が道場からいなくなると、残された紅虎は深く溜め息をつき、呆れたような表情を浮かべながら独り言を喋った。

 

「まったく、あの二人には色々と驚かされますね。」

 

 特に大和の肉体の成長速度には驚かされた。短期間であそこまで力を付けるのは、並大抵のトレーニングでは出来ないことだから。

 

 だが、ひとつだけ残念だったと思ったのが、技術面と精神面が以前よりも劣化していたところか。

 

「まぁ、今後の成長に期待をしてみましょう」

 

 そう呟くと、これからの大和の成長に期待をしていると言わんばかりに、少し笑みを浮かべながら紅虎も道場を出ていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十九話 敗北の末に

 紅虎の制裁が終わってから数時間が経過し晩になった頃のこと。

 

 目を開けてみると、最初に写り込んだ景色は長年見てきた自室の天井だった。

 

 目を覚ましたした瞬間、まるで飛び上がるかのように大和はベットからすぐさま起き上がる。

 

 そして部屋の周りを見渡すと、傍に幽々子がいることに気がついた。

 

 突然、起き上がった大和を見て、幽々子は多少びっくりしたような表情を浮かべる。

 

「なんで俺の部屋にいるんだ?」

 

 驚いている大和の質問に対して、幽々子が冷静に答えてくれた。

 

「私が部屋に運んだのよ、無断で入ってごめんなさい」

 

 いや、幽々子さんが俺の部屋に無断で入ったことなんて今はどうだっていい。 そんなことよりも、どうして俺がベッドで寝ていたのか、それが思い出せない。

 

 それから冷静になって少し間考えると、大和は自分が気を失う前に紅虎と戦っていたことを、そして敗北したことを思い出した。

 

 その時の大和の表情はとてもしんみりとしており、悲しいと言うことが一目でわかるほどだった。

 

「そうか……負けたんだな俺、紅虎さんに……」

 

「……うん」

 

 そう言うと、それに対して幽々子は申し訳なさそうな表情をしながら頷く。

 

 まぁ今考えてみれば、紅虎さんに勝てるわけがなかったんだよな。

 

 自分なりに必死で強くなったと思ったけど手も足も出なかったな、やっぱり紅虎さんの強さは次元が違いすぎるな。

 

 二人は何も話さず、無言の時間が少し続くと、大和が口を開いてこう言った。

 

「その……悪かったな幽々子さん。」

 

「……えっ?」

 

 幽々子から目を逸らすも、大和は申し訳なさそうな顔をしながら人差し指で頬をポリポリと掻いた。

 

「俺さ、昔から負けず嫌いでよ。それで……ついムキになっちまったんだ。」

 

 長い間、師匠の紅虎さんと兄の武尊以外の相手に負けたことがなかったうえに、守るべき存在である幽々子さんに負けた自分が許せなかった。

 

 負けを告げられたときも、俺の中には幽々子さんに対する嫉妬と憎悪が満ち溢れた。

 

 守るべき者とはいえ、幽々子さんに負けないように、そして紅虎さんが認めてくれるように、全てを放り投げてトレーニングを必死で続けた。

 

「自分を忘れるぐらい嫉妬して、馬鹿みたいに鍛練して、気が付けばこんな身体になっちまってよ」

 

 短期間で肉体は大きく変化し、力も以前より遥かに強くなった。正直、あのときは日に日に蓄えられていく自分の強さに慢心していて、誰にも負ける気がしなかった。

 

 だが、それは誤りだった。俺の得た強さは偽りの物であり、本当に俺が欲した強さではない。 ただ自分が強くなっていると錯覚していただけだ。

 

 とある偉大な詩人がこんな言葉を残している。『慢心は人間の最大の敵』だと。

 

「おまけに紅虎さんに言われるまで、俺は大切なものを失い欠けていることに気づけなかった。」

 

 今まであまり自覚していなかったが、幽々子さんは俺にとって守るべき人であり大切な人だ。それに気付いたのは、ついさっきの事だけどな。

 

 肉体もプライドもズタズタにされた上で負けた紅虎さんとの闘った。しかし別に何の後悔もない、寧ろ良かったと思う。

 その理由は、これをきっかけに決意したことが一つだけあったからだ。

 

「紅虎さんを越える目標は変わらねぇ、だけど俺は大切な人を守るために強くなってやる。

 それに、例えどんなことがあっても、もう二度と大切な人を裏切りはしない。」

 

 もう二度と幽々子さんを裏切らない、そして置き去りにもしない。そう大和は堅い決意をしていた。

 

 ようやくわかったような気がする。俺に足りなかったもの、それは掛け替えのない大切な人を、大切な人を守るために強くなろうとする意思だったんだ。

 

 それに対して幽々子は今までの経験や発言から察して、大和が言っている大切な人とは自分の事だと気付いたのだろう。

 

 幽々子はにっこりと優しく微笑み、大和に対して素直にお礼の言葉を告げる。

 

「ありがとう大和、とても嬉しいわ。」

 

「……へっ、そんな素直に礼を言われると、ちょっと恥ずかしいな」

 

 見つめてくる幽々子から目を逸らすと、大和は頬を赤らめて恥ずかしそうな表情を浮かべる。

 

 それから、大和が照れている最中に何かを思い出したのか、幽々子は落ち着きのある表情で大和に話しかける。

 

「そういえば大和」

 

「……なんだ?」

 

「大和の好きな人って誰なの?」

 

 そう聞かれた瞬間、大和の顔は真っ赤になった。

 

 何を言われるのかと思えば、いきなり自分のことが好きなのって、そんなド直球なことを言われたのは生まれてはじめてのことだった。

 

 だが、いずれは本人言うべきこと、今吐いちまって楽になったほうが良いと思った大和は勇気を振り絞って言った。

 

「そっ、それは幽々子さんだよ、なんか文句あるのか?」

 

「ううん、私も大和のこと好きだから」

 

「そっ……そうか……」

 

 そう幽々子にド直球で言われると、大和は照れると同時に心の中で安心した。 生まれてはじめてできた好きな人と相思相愛だったことがとてと嬉しかったのだ。

 

 脳内麻薬(エンドルフィン)やアドレナリンとは異なる今までにない幸福と喜び、それに今までには感じることもなかった高鳴る胸のトキメキを大和は感じていた。

 

「幽々子さん、俺と一緒に…………」

 

「よぉぉっ!!! 大和!! 元気にしてるか!!?? あっはっはっはっはぁっ!!!!」

 

 まるでムードをぶち壊しに来たと言わんばかりに酒瓶を片手に草薙武尊が何の前触れもなく大和の部屋に突入してきた。

 

 しかもドアをノックせずにそのまま入ってくる始末、思春期の男の子には決してやってはいけないこと平然とやり遂げてくる。 それが草薙武尊である。

 

 しかし幽々子を見た途端、武尊は急に冷静さを取り戻して申し訳無さそうにしながらも幽々子に近づいて頭を下げる。

 

 このとき幽々子は近寄ってきた武尊から漂う濃厚なアルコール臭を鼻で感じ取ると、武尊のテンションが妙に高いのは、酔っ払っていたからだということをすぐに理解した。

 

「あら、ゆゆちゃんもいたのか、これは失礼………なんて思わねぇけどなぁ!!! はっはっはぁっっ!!!」

 

「……はぁ〜」

 

 もはやテンションの上がり下がりがわからなくて手のつけようが無い。流石の大和も怒りを通り越して呆れ果ててしまう。

 

 何故、こんなにも武尊のテンションがハイになっているか、それは酒をガバガバと大量に飲んでいるからである。 その証拠に武尊の口や身体からは濃厚なアルコールの匂いがプンプンと漂っている。

 

 ちなみに大和は酒やアルコールの匂いが大の苦手であり、武尊からアルコールの匂いを感じ取った瞬間に口や鼻を上着の袖で覆って匂いを嗅がないようにしている。

 

「兄貴てめぇ、また悪酔いするまで酒飲みやがったな」

 

「うるせぇ〜な大和、まだ二十升も飲んでねぇ〜よ……ヒック」

 

「それが飲み過ぎだって言ってんだよ!!」

 

 今は悪酔いしているとはいえ、この通り常人を凌駕した大酒豪の兄貴である。恐らく武尊と対等に飲み合えるのは大酒豪でお馴染みの鬼ぐらいしかいないであろう。

 

 ちなみに俺や和生は酒に非常に弱く一切飲めない。 和生と俺はともかく、酒のことに関しては本当に武尊は同じ腹から生まれた兄弟なのかと思ってしまう。

 

「それで兄貴、今日はなにをしに俺の部屋にやってきたんだ?」

 

「理由なんて特にねぇよ、ただ一人で飲んでいるのが寂しかったから、誰かにちょっかい掛けてやろうと思ったんだよ、そしたらちょうどお前の部屋を通ったからからかってやろうと思ったらこのざまだ!! どうだ思い知ったか!? あっはっはっはぁっ!!!」

 

「相変わらず悪質だな」

 

 況してや武尊には一切の悪気はないので余計に質が悪い。

 

 絡まれるのが嫌なら追い返せば良いと思うだろう。しかしそれができれば苦労はしない、仮に無理やり追い出そうとしても、普段よりも数倍武尊は強くなっているので返り討ちにされてしまうのだ。

 

 以前、今のように悪酔いした武尊が襲撃してきて、追い返そうとしたのだが、まじで酔拳でも使っているのではないかと思ってしまうほどに強かった。

 

 だから武尊を穏便に立ち去らせるためには、本人の気が済むまでここに居座らせる、もしくは女の尻を追っかけ回ささせるしか方法はない。 いや、それ以外の方法があれば是非とも教えてもらいたい。

 

「ところでよ、なんで口と鼻を覆ってんだよ!?」

 

 口と鼻を覆っていた上着の袖を引き剥がされ、武尊の周囲に漂うアルコール臭を大和は嗅いだ瞬間。

 

 身体中がポカポカと温まる、それと同時に景色がドロドロに歪み平衡感覚も狂い出してきた。正常な思考ができず、逆上せたように頭もくらくらとしだした。 

 

 そう、大和は酔っ払ってしまったのだ。

 

 和生もそうだが、大和は酒を飲むどころか匂いすら嗅げないほどアルコールに弱い体質なのである。 だから武尊が酔っ払っていたことに気づいた瞬間、匂いを嗅がないように口て鼻を上着の袖で覆っていたのだ。

 

 何の術もなく大和は目を回しながらベッドに仰向けで倒れてしまう。 そして朝日を迎えるまで決して起きることはないだろう。

 

 そんな変な倒れ方をした大和を見て心配したのか、幽々子は大和に寄り添って大丈夫なのか様子を見る。

 

「ちょっと大和、大丈夫!?」

 

 大和は顔を真赤にして目をグルグルと回していた。 完全に酔っ払っていたのである。

 

 取り敢えず命に別状は無いことに気づくと幽々子は一安心する。 しかしそれと同時に驚いた、まさか大和がお酒を飲むどころか嗅ぐこともできないなんて思いもしなかった。

 

 ぶっ倒れた大和を見ながら武尊は酒瓶に入っていた酒をラッパ飲みする。

 

「なんだよ潰れやがって、つまんねぇな」

 

 呆れたような表情を浮かべながら、武尊は大和の部屋から立ち去ろうとした。

 

「じゃあな〜 二人共、仲良くしろよ」

 

 無論、ぶっ倒れた大和は何の反応もしない。 しかし、それでも尚、武尊は上機嫌で部屋から出ていった。

 

 文字通り嵐のように現れてムードを無茶苦茶にした挙げ句、何の罪悪感もなく立ち去ってしまった武尊、大和や幽々子からしてみれば大きな迷惑なことだ。

 

「ねぇ大和、しっかりちょうだい」

 

 しかし大和は目を覚まさない。 完全に爆睡している状態だったのだ。当分は目を覚ますことはないだろう。

 

 すると、何かを思いついたのか、幽々子は何か閃いたような表情を浮かべると。

 

「そうだ。 一層のこと今日は……」

 

 何かを良からぬことを考えたかのように、幽々子は小悪魔的な笑みを浮かべると、そのまま自分の思いついたことをすぐに実行した。

 

 そして、それは夜が明けるまで大和は気づくことはないことだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十話 護る者として

 翌日のこと、時間にして朝の四時半くらいに大和は目を覚ました。

 

 酔っ払って爆睡したおかげか眠気が無い。今回はまるで十時間熟睡して目覚めたかのように目が冴えている。

 

「今日はなんかぐっすり寝たな〜って、ん??」

 

 起き上がってからすぐに自分の寝ていたベッドから普段とは異なる異変に気が付いた。

 

 それは布団の中から自分のとは全く違う、別の温もりを感じたのだ。

 

「なんか……妙に布団の中が暖かいな」

 

 自分の眠っていた布団の隣に何かいる。 そう思って大和は恐る恐る布団を捲って見ると、そこには何故か眠っている幽々子がいたのだ。

 

「……………っ?!?!?!?!?」

 

 大和の心臓の鼓動は飛び跳ねるように高鳴り、顔を真っ赤にして驚いた。 それも無理はない。知っている人物とはいえ、自分のベッドに女の子が寝ていたのだから無理もない。

 

「なんで!? なんで俺のベッドに幽々子さんが!?」

 

 状況がまったく理解できなかった。 唯一わかることは何故か幽々子が俺のベッドで一緒に寝ていることだけだ。

 

 冷静になれ俺、思い出すんだ。確か昨日の晩に俺は酔っ払った武尊の馬鹿野郎にアルコール臭を嗅がせられてぶっ倒れたんだ。そこからの記憶は微塵も残っていない。 だが、恐らくはそのまま爆睡していたのは確かだ。

 

 だが、わからない。どうして幽々子さんが俺のベッドにいたのか、俺がぶっ倒れたあの後なんで自分の寝室に戻っていないのか、それが一番わからない。

 

 取り敢えず冷静になって落ち着くと、大和はベッドから脱出するように抜け出して、幽々子を一人で寝かせる状況を作った。

 

「もしかして夜這いってやつか? でもなぁ」

 

 俺も幽々子さんもしっかりと服を着ている状態だし、況してや幽々子さんがそんなことをするような人とは思ってもいない、それは有り得ないことだろう。 いや、俺は酔っ払ってたのだからもしかしたら。

 

 そう考えると大和は物凄い罪悪感に襲われる。 自分は取り返しのつかない、とんでもないことをしてしまったのだと、ひどく自分を責め立てた。

 

(………俺のバカ野郎が、なんてことしたんだよ)

 

 落ち込んだ表情を浮かべながら大和は部屋から出ていく、そして向かった先は茶の間の隣にある縁側だった。

 

 少しでも罪悪感を消すために朝日を見つめて気を紛らわそうとしたのだ。 そうすれば心も和やかになると思うし、余裕が生まれると思ったからだ。

 

 そして案の定、朝日を見つめているとなんだか嫌なことも忘れれるような気がした。 昨日武尊がやってきたことも、幽々子さんがどうして俺のベッドで寝ていたのかも、そんなことはなんだかどうでも良くなってきた。

 

「なんか……朝日が綺麗だな」

 

 茶の間の隣にある縁側で立ち昇ってきそうな朝日を見つめていると、襖を開けて和生が茶の間にやってきた。

 

「よう兄貴、朝っぱらからなに黄昏れてんだよ」

 

「和生、お前も起きてたのか、珍しいな」

 

「あぁ……酔っ払った大兄貴がよ………俺の部屋に来たんだ」

 

「……あっ(察し)」

 

 どうやら和生も俺と同じく武尊の犠牲者になったらしい。

 

 後々聞いた話だと、俺がぶっ倒れたあのあとに武尊は両手に酒瓶を持って和生の部屋に襲来してきたようだ。 どうして酒瓶が増えているのかは気にしないでおこう。

 

 それからはいうまでもなく、和生は武尊から漂う濃厚なアルコール臭を嗅いでぶっ倒れたらしい。 こいつは本当に俺の兄弟なんだなって改めて思った。

 

「大兄貴のあの悪い癖、どうにかならねぇかな? 毎回やられるとこっちの身が持たねぇんだよ」

 

「絶対に無理だろうな、馬鹿が死んでも治らないように、あれも死んでも治らないことだ」

 

 と何かを悟ったような口調でそう言ってくる大和。

 

「それもそうか、考えた俺が馬鹿だったよ」

 

 酒を馬鹿みたいに飲む癖は決して治らない。 何を言おう武尊は大の酒好きで、禁酒が大嫌いだからだ。例え天変地異が起きようとも武尊は酒を飲むことを決してやめないだろう。

 

 大和も和生も完全に諦めていた。 この屋敷にいる限りは武尊の悪酔いとずっと付き合わなければならない。 正直どうにかして欲しいが、これは災害だと思って我慢するしか方法はない。

 

「ところでよ兄貴、何で朝日なんて眺めていたんだよ?」

 

「うん、色々とあったんだ……ほっといてくれ……」

 

「そっ、そうか……兄貴も大変だな」

 

 何か澄ましたような顔でそう言ってくる大和を見て察したのだろう。和生は余り深入りはしてはいけないと思い、それ以上は何も聞かなかった。

 

「さて、朝日を見てさっぱりしたことだし鍛錬するか」

 

「大丈夫かよそんな状態で、本当に鍛錬できんのかよ?」

 

「良いんだ。 身体動かせば忘れると思うから」

 

(本当に何があったんだよ兄貴)

 

 鍛錬をするために、その場から立ち上がって縁側から出ていく大和、無論向かった先は外だった。終始澄ましたような表情だったが、本当にあの状態で鍛錬できるのかと、和生は若干心配していた。

 

「俺も部屋に戻って本読むか」

 

 そう言って和生も茶の間からいなくなり自分の部屋に歩いて戻っていくのであった。

 

 

 

 

     《〜少年鍛錬中〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 数時間後、なんとか鍛錬が終わり、いつものようにみんなの朝食を作って茶の間に用意する大和。

 

 そして間もなく朝食の匂いに釣られたかのように幽々子がいち早く欠伸をしながら茶の間に歩いてやってくる。

 

「おはよ〜大和」

 

「おっ、おはよう幽々子さん」

 

 幽々子から目を逸しながらもあいさつをする大和。

 

 それも無理はない。今の大和としては幽々子と話すどころか目を合わすことすら気不味かった。こうして顔を合わせていることが奇跡とも言える、正直大和は今すぐこの場から走って逃げ出したいと思っていた。

 

 大和の異変にすぐさま気付いた幽々子は何の躊躇もすることもなく質問してくる。

 

「どうしたの?」

 

「なっ、何のことだ?」

 

「惚けないの、なんか様子が変よ」

 

 俺の様子がおかしいことが完全にバレている。もはや言い逃れることも逃げることもできないだろう。 感が良いというか察しが良いというか、幽々子さんの洞察力は侮れないことに気付いた。

 

 もう隠すことは諦めたのか、深くため息をついた後、覚悟を決めたかのように大和は素直に話した。

 

「ごめん幽々子さん」

 

「何で謝るのかしら? 何か悪い子としたの?」

 

「意識がなかったとはいえ、俺幽々子さんに変なことしちまったかもしれない。」

 

 嫌われる前提で素直に言った。だがこれで嫌われても無理はないだろう、俺は人としてやってはいけないことをやったかもしれないのだから。

 

 そう言うと、大和の様子が妙に変だった理由を察したのか、幽々子は微笑みながら大和を見つめ直してこう言った。

 

「なんだ、そういうことなのね」

 

「……えっ?」

 

「大和は別に何もしていないわ。 あのあとぐっすり眠っちゃったから」

 

「そっ、そうなのか?」

 

「うん、だから変に気に病まないで。」

 

 そう言われると大和は安心すると同時に、身体の力が一気に抜けて両膝を地面に付けた。 どうやら安心して気が抜けたようだ。

 

 それは良かった、俺は幽々子さんに対して何もやっていなかったのか、それならそんなに気に病まなくても良かったじゃないか、今思うと本気で罪悪感に浸っていた自分が馬鹿みたいだ。

 

 悩み事が一つ消えてなくなると、次に疑問になったことが生まれた。 それは……

 

「なんで幽々子さん、俺のベッドで寝てたんだ?」

 

「そっ、それわねぇ……」

 

 大和から目を逸し、言葉が詰まる幽々子。

 

 言えなかった。まさか大和と一緒に寝たかったなんて口が裂けても言えない。況してや自分のせいで何かやらかしたと思って気に病んでいたから言えないのは尚更だった。

 

「もう、別に良いじゃないの。それとも私の寝るのが嫌だったのかしら?」

 

「いや、そういう訳じゃ……ねぇよ」

 

 顔を朱に染めてそういう大和、どうやら幽々子と一緒に寝ていたことは満更でもなかったようだ。

 

 別に一緒に寝るのが嫌ではない。寧ろ最初は驚いたとはいえ、冷静に考えてみれば好きな人と一緒に寝れたのだから、これ以上に嬉しいことはなかった。

 

 顔を赤くしている大和を見て面白いと思ったのだろう。幽々子はニコニコとイタズラ顔を浮かべながら上目遣いで大和を見つめてくる。

 

「なんで顔を赤くしてるのかしら?」

 

「なっ、何でもねぇよ」

 

「本当かしらね?」

 

「あぁ、それより飯にしようぜ、腹減ってるだろ?」

 

 話をどうにかして逸らそうとする大和。このとき本当に恥ずかしくて心臓が張り裂けそうになってしまいそうだった。

 

 これ以上いじわるしても大和が可愛そうだと思ったのだろう、それにお腹が減っているのもの事実、幽々子は上手く避けられたなと言わんばかりに納得いかないような表情を浮かべながら言った。

 

「それもそうね、頂こうかしら」

 

 朝食を食べるためにちゃぶ台の前に座る幽々子と大和、今日も色とりどりの料理が置かれており、大食である幽々子の胃袋を満足させるには十分な量があった。

 

 二人は両手を合わせると。

 

「「頂きまーす」」

 

 箸を片手に持ち、もう片方の手にはご飯が盛られた茶碗を持つ。 二人は誰に邪魔されることもなく平和に朝食を食べるのであった。

 

 

 

 

 

       《〜少年少女食事中〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 数十分後、二人は朝食を食べ終える。

 

 ちゃぶ台の上には皿や茶碗のみが置かれており、ごはんやおかずを一つも残すこともなく綺麗に食べられていた。

 

「「ご馳走様でした。」」

 

「幽々子さんは寛いでいてくれ、俺は食器片付けるから」

 

 朝食を終えると大和は食器を片付ける。 そして食器や茶碗を洗うために両手で食器を持ちながら茶の間を出ていき、台所へと歩いて向かった。

 

 台所へ到着すると両手に持っていた食器や茶碗をシンクに置いて食器を洗い始める。

 

 黙々と食器を洗っていると、何時からいたのかはわからないが、突然背後から誰かの気配を感じ取り、すぐさま大和は後ろを見た。

 

 大和の背後にいた人物、それは師匠である御巫紅虎だった。一体何時屋敷に入ってきたのかそれはわからない、だが神出鬼没はいつもの事のため突然現れても余程のことでなければ別に驚きはしない。

 

「なんだ、紅虎さんか」

 

「おはよう御座います大和、お元気そうでなによりです」

 

「おかげさまで、この通りピンピンしてますよ」

 

 まるで何かを見定めるように大和のことを見つめてくる紅虎。どうやら昨日と比べて精神的に安定しているのか、その変わりようを見ているらしい。

 

「どうやら守るべき者を見定めたようですね。」

 

「はい。」

 

「良いですか? もう一度だけ言いますが、愛しい人、大切な人から決して手を離してはいけません。 失ってからでは遅いのです。 それを忘れずに肝に銘じておきなさい」

 

 ニコニコしている笑顔とは打って変わり、真剣な表情でそう言ってくる紅虎。その言葉は非常に重みがあり、到底のことながら口を挟むことなんて決してできないことだった。さらには重圧も感じ、常人なら目の前にいるだけで身動きが取れないほどだった。

 

 今までであれば重圧で押し潰されて何も言えなかっただろう、だが今の大和は違う、自分の言うことは既に決まっていた。

 

「もう大丈夫です。 俺は幽々子さんを守る、例えこの命に変えても、そう心に決めましたから」

 

 何の混じり気もない大和の純粋な言葉に嘘は微塵もなく、文字通り愛する者、大切な人のためなら本当に命を投げ出しても構わない、と言わんばかりの真剣な表情と真っ直ぐな心だった。

 

 そんな大和の言葉を聞いてもう大丈夫だと安心したのか、紅虎から放たれていた重圧は消え去り元の笑顔へと戻った。

 

「それなら良いんです、その言葉を忘れてはいけませんよ」

 

 そう言うと紅虎は大和に背を向けてこの場から立ち去ろうとする。恐らくもう自分から言うことは何も無いと思ったのだろう、そう背中が物語っていた。

 

「………成長しましたね大和」

 

 そう呟くと紅虎は歩いて台所から立ち去っていた。

 

 しかしその呟きはあまりにも小声で聞こえづらく、大和には雑音程度にしか聞こえなかった。

 

 しかし嬉しかった。珍しく紅虎さんが俺のことを肯定してくれんだから、普段なら口答えは許さず、何なら説教してくるのに、今日は久々に俺のことを褒めてくれたのだ。

 

 大和は再び食器を洗い始める。今日は何をしようか、幽々子さんと何処に行こうか考えながら。

 

 

 

 

 

      《一方、武尊の部屋では》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 大和が台所で食器洗いをしている最中、紅虎は武尊の部屋に訪れ、大和に関する情報を早速伝えていた。

 

 部屋は和室で他の兄弟たちの部屋とは異なり床は畳である。寝床である布団があるのはもちろんのこと、壁には日本刀や脇差し、長巻や薙刀、和弓や手裏剣など主に古武術で扱う様々な武器が飾られていた。

 

 床には数十本はあるであろう、大量の一升瓶が無造作に置かれており、部屋の主の酒豪振りがよく分かる。

 

「私が思ったとおり、大和は守るべきものを見つけましたよ」

 

「そうか、大和も変わっちまったか」

 

 師匠である紅虎は弟子が成長したことに表情では表さないものの、心のどこかでは嬉しいと感じていた。一方、兄の武尊は弟が変わってしまったことが嬉しいような悲しいような、どうにも表せない複雑な感情を抱いていた。

 

「どうですか? 変化した大和は貴方に勝てそうですか?」

 

「紅虎さんも人が悪いな、あいつは俺には勝てねぇよ、例えあんたの技術を全て叩き込んでもな」

 

 慢心でもなければ自惚れている訳でもない、それは変わることのない事実だ。あいつがどれだけ変化しても、どれだけ強くなっても、俺には決して勝てない。

 

 武尊の揺るぐことのない自信と自分が持つ膂力への絶対的な信頼、それは紅虎も理解していた。残念ながら弟子である大和はどんなに力や技術を付けても武尊はもちろんのこと自分には勝つことはできない、そう確信していた。

 

 しかし同時に気になった。どうすれば武尊に勝てるのか、どうすればこの男を打ち負かすことができるのか、紅虎はそれが気になった。

 

「それじゃあ貴方を打ち負かすには、どうすれば良いんですかね?」

 

「簡単なことさ、あんたみたいに何でも真似できれば勝機はある。 まぁ、あの不器用にはできないことだけどな」

 

 俺の心技体は大和を遥かに凌駕している。故に俺の技術をあいつは時間を掛けて習得することも瞬時に真似することも出来ない。もしできる人物がいるとすれば、それは御巫紅虎ただ一人のみ。

 

「大和なんて端っから認めねぇし眼中にもねぇよ、俺が認めているのは紅虎さん、あんただけだ。」

 

「それは買い被りではありませんか? 私はただの医者であり、小さな武道の指導者ですよ」

 

「今更惚けんじゃねぇよ、俺と同じ領域(・・・・・・)に足を踏み入れているやつが普通な訳あるかよ、それにあんたの強さは俺と同等……いや……それ以上のものを持っているはずだ。」

 

 自分で言うのもなんだが俺の強さは比類なく、怪物的な身体能力を持っている。その証拠に『怪童』と呼ばれている弟の大和を軽々とあしらい、倒すことができるのだから。

 

 その俺と同等、もしくはそれ以上の能力を秘めている御巫紅虎は本物の化け物と言える。恐らく対等に闘えるのは俺以外だとこの世には存在しないだろう。

 

「そう言うことにしておいてください。 ただ、貴方が思うよりも私は弱い人間ですよ」

 

「はぁ? どうゆうことだ」

 

 何故強い能力を持っているのにも関わらず、自分は弱い人間だとはっきり言うのか、武尊にはその意味がさっぱりわからなかった。

 

 武尊と話している最中、紅虎は腕時計をふと見てあることに気がつく。仕事の時間が迫っていたのだ、あと数十分後には自分の仕事場である御巫医院を開かなければいけなかったのだ。

 

「これから仕事があるので、私はこれにて失礼します。」

 

「あぁ、情報ありがとな紅虎さん」

 

 お辞儀をしたあと紅虎はそっとドアを開けて部屋を出ていく。

 

 そしてドアが閉じ、紅虎が部屋からいなくなると、武尊はニヤリと笑みを浮かべながらこう呟いた。

 

「そうか、あいつも強くなったか。これは見ごたえがありそうだな」

 

 闘う相手としては眼中には無いが、成長することには期待はしている。なにせ血を分けた兄弟だ。強くなって貰わなければ兄として困る。

 

 期待に胸を膨らませながら武尊は思った。 弟の大和は確実に強くなる、そして、いずれ俺達と同じ障壁にぶつかることを予感していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十一話 デート?

 朝食を食べ終えて食器を片付けてから数十分後のこと、大和は食器を片付け終えると幽々子がいる茶の間へと歩いて戻った。

 

 茶の間に到着すると、そこには暇そうにしている幽々子がおり、退屈そうな表情を浮かべながら大和が来るのを待っていたようだ。

 

 朝食の片付けも終わったし、特にこれから鍛錬する予定もない、だが今日は別件でやるべきことがある。しかしそれは勇気が必要なことだった。

 

 大和は勇気を振り絞り、幽々子に対してこう言った。

 

「さて、遊びに行こうか。」

 

「えっ?」

 

「いや、幽々子さんには色々と迷惑掛けたし、今日は好きなところ遊びに行こうかなって、それとも嫌か?」

 

 若干照れたような態度でそう言ってくる大和、こんな態度で大和から誘いを受けたのは幽々子も初めての出来事だった。

 

 慣れない誘い方をしてきた大和のことを可愛いと思ったのだろう。幽々子は思わずクスっと微笑んでしまう。

 

 それに好きな人の誘いを断る理由なんて何一つ無い。大和の誘いに対して幽々子が答えることはすでに決まっていた。

 

「ううん、喜んでその誘いを受けるわ」

 

「そうか、ありがとう」

 

 幽々子さんが誘いを受け入れてくれて嬉しかった。好きな人に喜んでもらえることがこんなにも嬉しいことだなんて今まで思いもしなかった。

 

 早速、大和は服を着替えてこようと幽々子に一言告げてから茶の間を出ていこうとする。

 

「俺着替えてくるから、幽々子さんも着替えてきなよ」

 

「うん」

 

「それじゃあ玄関で待ち合わせな」

 

 大和が茶の間を出ていったあと、幽々子も服を着替えるために自室へと歩いて向かった。

 

 それから二人が合流するのは数十分後の話だった。

 

 

 

 

 

       《〜少年少女着替え中〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 数十分後、二人は服を着替え終えると玄関で合流した。

 

 大和の服装は下はジーパンを履いており、上着は長袖に膝下まである赤いロングコートを着ていた。

 

 一方の幽々子は頭に水色の三角巾帽を被り、服装は水色を基本色として所々に桜の花びらの模様が入っている変わった着物を着ており、それに首には俺があげた白いマフラーを巻いている。まぁ、いつものコスプレのような衣装だ。

 

 確か買ってやった服があっただろうに、どうしてそのコスプレのような服を着るのか、あまり衣服に詳しくない大和にはさっぱりわからなかった。

 

「相変わらずのそれか、もっと別の服があっただろうに」

 

「だってこれの方が落ち着くんだもん。 それとも大和はこの服が嫌いなの?」

 

「いや、別に嫌いじゃねぇよ」

 

 幽々子さんのいつも着ている服は嫌いではない。だが公然の場に出て人の視線が気にならないのかとは思う。

 

 まぁ、本人が別に気にしないのならそれで良いだろう。それに他人の趣味や服装にああだこうだ言うのは、俺は正直好きではない。

 

「まぁ、良いや。 取り敢えず行こうぜ」

 

「はーい、しゅっぱーつ」

 

 ドアを開けて外に出る二人、こうして二人のデートのようなものが始まったのであった。

 

 まず大和が悩んだのは一体どこに行くべきか。今まで女性と一緒に遊んだり、どこかに行くことがなかったので、それに関する知識はとても乏しいものだった。

 

 取り敢えず、取り敢えずだ。どこに行きたいかは相方に聞いてみよう。そうすれば自然と行く場所も見つかるだろうし。うん、それが良い。

 

「さて、幽々子さんはどこに行きたいんだ?」

 

「そうねぇ〜 食べ物があるところかしら」

 

「さっき食ったばっかだろう。どんだけ食いしん坊なんだよ」

 

 朝食をさっき食べたばかりだと言うのに、もう食べることを考えている幽々子、もはや食べ物があるところであればどこでも良いのかと思ってしまう。

 

 幽々子の食い意地に対して思わず呆れたような表情を浮かべる大和、そんな大和を見て幽々子も怒りはしなかったものの静かに言葉で反撃をする。

 

「もう、だったら大和が決めてちょうだい」

 

「いや、俺も別に行きたい場所ないからな」

 

 行きたい場所はあると言えばあるが、それは俺個人が行きたい場所であって、少なくとも幽々子さんが楽しめるところではない。

 

 幽々子の言葉に悩む大和、こんなに悩んだことがあったのは紅虎さんに難題を押し付けられた時以来だった。

 

 大和と幽々子が仲良く?話している最中、突然、和服を着た大男の草薙武尊がドアを開けて外出てくると、大和達の元にやってきた。本当に間の悪い男である。

 

「よっ、お二人さん。朝っぱら仲が良いことで。」

 

「お兄さん」

 

「兄貴、また邪魔しに来たのか?」

 

「見てわかんねぇのかよ。 俺も出掛けるんだよ」

 

 兄貴が今日どこに行くのか俺もさっぱりわからない。だが、兄貴の性格から察するに、闘いに関することのために外に出るか、それとも街に行って見知らぬ女の人をナンパしにいくか。

 

「仲良くしてるのは良いが、あまり騒ぎすぎるなよ。 ご近所さんの迷惑になるからな」

 

 珍しく真っ当なことを言ってその場から立ち去る武尊、いつもまともな状態であれば何も言うことはないが、酒を飲みすぎて暴れる癖があるから何とも言えない。

 

 それに対して二人はそんなに大きな声で騒いでいたのかと言わんばかりに、お互いを見つめ合いながら思わず黙り込んでしまう大和と幽々子。まさか、武尊に聞こえていたとは思ってもいなかったのだろう。

 

「さてと、どこに行こうか?」

 

 武尊がその場からいなくなると、再びどこに行こうかと会話をする二人。今度は近所の迷惑にならないように比較的に小さな声で喋る。

 

 正直、幽々子は大和と一緒にいるなら行く場所はどこでも良かった。しかし、質問に答えないと大和が悩んでしまう。仕方なく幽々子が出した答えは。

 

「そうね、楽しければどこでも良いわ」

 

「それじゃあ取り敢えず街にでも行ってみるか」

 

「うん」

 

 街に行けば大抵のものは何でもある。幽々子さんも余程のことがなければ飽きさせることはないだろう。

 

 決まれば早速行こうと、二人は身を寄せ合わせながら街のある方向へと歩いていった。

 

 

 

 

     《〜少年少女移動中〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 屋敷を離れてから数十分後のこと、二人は目的地である街中に到着した。

 

 来てみると街中には朝だというのにも関わらず、老若男女の色んな人が賑わっており活気付いていた。

 

 初めて街に来た幽々子は色んな店がある街通りを見てからというものの、目を完全に釘付けにされ、無邪気な子どものように目をキラキラと輝かせていた。

 

「来て良かったか?」

 

「うん、色んなお店があるもの、周るのがとても楽しみだわ」

 

 こうして来てみると、やっぱり良かったな。幽々子さんも喜んでいることだし、結果オーライというところか。

 

 俺も久しぶりに街に来たが、やはり人が混雑している。今日は誰にも絡まれないようにしっかりと周りを見ないとな、楽しく遊びに来たのが無駄になっちまう。

 

 どこに行くかは全て幽々子さんに任せよう。なんて言ったって今日楽しむのは俺ではなく彼女なのだから、そう思った大和は目を輝かせている幽々子に対して話し掛ける。

 

「どこに行きたい? 好きなところに行って良いぞ」

 

「ほんとう!?」

 

「うん」

 

「それじゃあね、あそこに行きたい!」

 

 幽々子は大和の手を握り締めて行きたい場所へと走って向かう。相変わらず楽しいことになると強引になる人だ。だが嫌いではなく、それが良いところだと熟思う。

 

(なんか、まるでデートみたいだな)

 

 手を引っ張られてどこかに連れて行かれる大和、だがこういうのも悪くはない。初めての経験に大和は頬を赤くした。

 

 幽々子が早速向かった先、そこは言うまでもなくフランス料理店、つまり食べ物屋だった。どれだけ食欲に素直な人なんだろうか。

 

「やっぱりか」

 

「ほら、早く中に入りましょう」

 

「そんな慌てなくても食い物は逃げないって」

 

 だが、これも想定内のこと、幽々子さんがこれから食べ物屋に行って食べることを我慢しないように、俺は銀行に溜め込んでいたお小遣いを全て下ろしてきた。

 

 二人は早速、店の中に入っていく。

 

 中に入ってみると、洋風な作りをしているオシャレな内装、普段なら絶対に入ることはないであろう。

 

 二人は空いている席に座ると、幽々子は早速メニュー表を見て何を食べようか考える。

 

「俺は腹空いてないから、後は好きなの選んでくれ」

 

「それじゃあここからここまで全部頼もうかしら」

 

「……………………………はっ?」

 

 幽々子が頼もうとしたここからここまでとは、ほぼ全部のメニューのことだった。

 

 そんなに頼んで食えるのかと、流石の大和も思わず唖然としてしまう。いや、それ以前に頼み方がとてつもなくおかしいことに気付いて欲しい。

 

 取り敢えず店員を呼んで、料理を頼む二人。

 

「俺はオレンジジュースで、あとは」

 

「ここからここまでの料理を頂ける?」

 

「えっ!? はっ、はい、かしこまりました。」

 

 店員が幽々子の頼み方に驚くのも無理はない。なんて言ったって驚きたいのは俺の方でもあるからだ。

 

 幽々子さんの食欲と異次元の胃袋のことは知ってはいるが、まさか店のほとんどのメニューを頼むなんて思いもしなかった。マジでフードファイターか何かですかね?

 

 約三十分後ぐらいか、店のほぼ全てのメニューを頼んだ割には意外と早く料理がやってきた。

 

 目の前にオレンジジュースのみを置かれた大和に対して、幽々子の前には沢山の料理が並べられており、満漢全席と見間違えるほどの量が置かれていた。

 

「料理はこれで全てになります、ではごゆっくりと」

 

 勘定を置いて頭を下げた後に店員がいなくなる。

 

「いただきまーす」

 

 早速、幽々子は目の前に置かれた料理を食べ始める。

 

 幽々子が料理を食べているその間、置かれた勘定を大和は恐る恐る見ると、それは思わず目を疑ってしまうほどの金額だった。

 

 まさか料理で、食べるだけでこんだけの金額になってしまったのか、信じ難いがそれは事実であり変えようの無い現実でもあった。

 

 そんな勘定の金額を見て気に病んでいる大和のことなんて気にもせず、幽々子は嬉しそうに喜んで料理を次々と食べ進めていた。

 

「おいし〜、こんな料理初めて食べたわぁ〜」

 

(まぁ……良いか)

 

 幽々子さんも喜んでいることだし、食べている姿を見ているだけで心のケアにもなる。そう思えば安い出費か。

 

 それから自分が料理を食べている姿をずっと見つめてくる大和が気になったのだろう。幽々子は一旦手を止めて食べるのをやめると大和に対して話し掛けてくる。

 

「どうしたの?」

 

「いや、可愛いなーって思っただけだよ」

 

 そう大和に言われると幽々子は顔を真っ赤にする。こう真正面から可愛いと言われて恥ずかしかったのか。

 

 大和に可愛いと言われてからというものの幽々子は大和から目を逸し、食べるスピードが格段に遅くなる。ちなみに大和はなぜ幽々子が自分から目を背けるのか、食べるスピードが遅くなったのか、その理由はわかっていない。

 

 なんだか幽々子の様子がおかしいようなと思いながらも、大和はオレンジジュースをちょくちょく飲む。

 

「どうした、なんか口に合わない料理でもあったか」

 

「大丈夫、気にしないでちょうだい。」

 

 そうか、と大和は特に気にすること無く幽々子の食事しているところを眺める。

 

 それから幽々子が料理を食べ終えたのは四十分後のこと、普段の食べるスピードを考えてみれば今日はかなり遅い方だった。

 

 料理を食べ終えると二人は席から立ち上がって、大和はレジで会計を済ませる。さぁ、緊張の瞬間である。

 

「お会計六万五千円になります。」

 

 そう店員に言われると、マジか~と言わんばかりに小さなため息をつきながらも大和は財布から六万と五千円を取り出して払った。

 

 まぁ、こういう日もあって良いか。幽々子さんの笑顔も見れたことだし、結果オーライと言うことで。

 

「ありがとうございました」

 

 会計を済ませ終えると、二人は店の外に出て、次どこに行くか決めようとする。

 

「さて、次はどこに行こうか?」

 

「次は大和が決めてよ、私だけ楽しんでも悪いわ」

 

「別に俺は幽々子さんと一緒にいるだけで楽しいんだけどな」

 

「そっ、そうなのね」

 

 さっきほどではないが、また幽々子が顔を赤く染める。それに対してやはり大和は幽々子の様子が変だと言うことには気付いていないようだった。

 

 しかし、相手もこうして気を使っているわけだし無下にはできない。大和はどこに行けば良いのか、お互いが楽しめる場所はどこなのかを少し考えた。

 

 俺が行きたい場所といえば、スポーツ用品が売ってる店や日本刀が売っている店、だがどれも俺が楽しめるだけで幽々子さんは楽しむことはできないだろう。

 

 流石に自分の行きたいところはマニアック過ぎて無しだろうと思い、大和が考えついたこととは。

 

「いや、やっぱり良いよ。今日は幽々子さんが行きたい場所を選んでくれ」

 

「本当に私だけ選んでいいの?」

 

「あぁ、俺は幽々子さんの傍にいるだけで楽しいからさ」

 

「それじゃあ、あのお店に行きたいわ」

 

 ようやく目的地を決めて、二人は近くにある寿司屋へと歩いて向かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十二話 想いを伝える時

 幽々子と大和が一緒に色んな場所に行ってから数時間が経ったあとのこと、空はすっかりと日が落ちて辺りは薄暗くなっていた。

 

 朝には沢山いた街の人達も今では少なくなり、ポツポツと人が見えるくらいまで減っていた。

 

 二人は街で精一杯遊び尽くすと、近くにあった公園へとやってきた。 

 

 人気はなく周りは設置されている電灯が灯されており、少々薄暗いがカップルに取ってはムードはあるスポットだった。

 

「今日は楽しかったな」

 

「うん、私大満足」

 

 今日は良く遊んだ、こんなに遊んだのは久しぶりだった。小学生以来かな、今までトレーニングや鍛錬のみに集中していて友達と思い切り遊んだことはなかったし、況してや女の子とデートするなんて初めてのことだったから、俺の心はとてつもない満足感に満ち溢れている。

 

 大和も幽々子も色んなとこに遊び行ったり、色んな食べ物を食べて大満足しており、寧ろ楽しすぎて疲れてしまっていた。まぁ、食べ物に関しては幽々子しか食べていなかったが、それは気にしないでおこう。

 

 公園を歩いていると、大和はあることを思い浮かべる。

 

 それは幽々子さんと初めて出会ったときのこと、今思えば不思議な出来事だったなと未だに思う。

 

 初めて幽々子と出会ったことを思い出しながらも、大和は幽々子に喋りかけた。

 

「そう言えば……俺達が出会ったのは、こういう公園だったよな」

 

 今でも鮮明に覚えている。いや、寧ろ忘れろという方が無理な話だ。幽々子さんを初めて見たあの時のことは衝撃のことだったのでしっかりと記憶に残っている。

 

「そうね、あの時は本当に助かったわ」

 

 偶然とはいえ、私を助けに来てくれた大和は本当の正義の味方やヒーローのように感じた。恐れることもなく複数人の相手に立ち向かうことは並の人ではできないことだから。

 

 そして何よりも大和の闘っている姿はとても格好良かった。自分を助けるために身体を張って立ち向かう姿はとても勇敢で輝いて見えた。

 

「俺は最初に幽々子さんを見た時は、服装を見てマジかって思ったけどな」

 

「もう、なによそれ」

 

 そう言いながらも笑顔を浮かべながら大和のことを軽くどついてくる幽々子。

 

「いてっ。」

 

 幽々子さんが今着ているコスプレのような衣服を初めて見た時は、この近辺のどこかでなんかのイベントでもあったのではないかと疑ってしまった。実際のところ、これが普段着と言うのだから未だに信じることが出来ない。

 

「でも今思えば助けて良かったと思う。俺に足りないものを幽々子さんが与えてくれたからさ」

 

「別に私は何も与えてないけどね」

 

「いや与えてくれたよ幽々子さんは、俺に取って掛け替えのないものをな」

 

 自分が幽々子さんを助けたことを本当に良かったと今でも思っている。まさか偶然にも助けた人から自分に足りないものを与えてくれるとは夢にも思わなかった。そのおかげで前よりも格段に強くなれる気がする。

 

 俺に足りなかったもの、それは護るべき者。

 

 今までは自分のために日々強くなろうとしていたが、それには限界があった。真の強さを求めるには自分に取って本当に大切な者、護るべき者を見つける他ない。

 

 俺にとって大切な者、護るべき者は偶然出会った幽々子さんであったのだ。

 

「まさかな、偶然会った幽々子さんが俺にとって大切な人になるなんて思いもしなかったよ」

 

「この世は偶然の賜物、私達の出会いも不思議なことではないわ」

 

「それもそうだな」

 

 だが、それは同時に奇跡とも言える。出会うはずのない二人が偶然にも出会い紡がれる。そんな幻想のお伽話が起こるなんて現代社会にいた大和は思いもしないかっただろう。

 

 大和は自分だけ掛け替えのないものを与えられたと思っているがそれは違う。同じく幽々子も同等かそれ以上のものを大和から貰っていた。

 

「私もね、嬉しかったの大和。」

 

「なにがだ?」

 

「見ず知らずの私を助けてくれたこと、あの時はこの世界のことを何も知らなくて怖かったの、それを大和が救ってくれたから、本当に正義の味方かと思ったわ」

 

「おいおい、それは言い過ぎだよ。俺は当然のことをしたまでだ」

 

 幽々子からしてみれば決して大袈裟なことではなく、本当に助かったことだった。それに当然とは決して当たり前のことではなく、それは人としてとても素晴らしいこと。

 

 不良から救ってくれた後も、現代のことを何も知らない私に寄り添ってちゃんと話を聞いてくれたこと、そして何よりも行く宛のない私に居場所をくれたこと、とても嬉しかったことだった。

 

「ううん、大和は正義の味方よ。この世界で私を唯一安心させてくれた人だもの」

 

「そう率直に言われると照れるな」

 

 頬を赤くして首を軽く掻く大和、どうやら素直にそう言われたことが恥ずかしかったようだ。

 

 俺が正義の味方か、たまにそう言われるのも悪くないな。それに別に大したことをやったつもりではないが、好きな人にそう言われるのは悪い気はしない。

 

「そう考えると私は大和に助けてもらってばっかりね」

 

 そうだった。大和はいつだって幽々子を助けようとしてくれている。相手はあくまで赤の他人で、そもそもこちらの世界の住民ではなくて。しかも亡霊などいう存在であるのにも関わらず。

 

 彼はそんな事など気にもすることなく、幽々子を支えようとしてくれていた。

 

 一方的に助けられてばかりで、その恩だってほとんど返す事が出来ていない。大和からは色んなものを貰ったのに、自分は受け取ってばかりじゃない。

 

 本当に、大和には迷惑をかけてばかりね。

 

「いや、俺だって助けられてるよ」

 

 そんな中。不意に大和から投げかけられたのは、思いもよらなかった言葉。

 爽やかに笑顔を浮かべながら、和ましげに幽々子を見つめて。彼は続ける。

 

「さっきも言っただろ? 俺は幽々子さんから掛け替えのないものを貰ったんだ。それはもしかしたら一生手に入らないものだったんだよ。」

 

「そんなことは……」

 

「いや、事実さ。今までの俺のままだったら、手に入れるどころか気づくこともなかったはずだ。最近までの俺は本当に馬鹿だったからな」

 

 ただ強くなるために力だけを求めていた日々。だがそれにも限界というものがあった。

 しかし、愛しい人、護るべき者を見つけたことで状況は大きく変化した。限界と思っていた己の力がまだ強くなれることを知った、幾らでも強くなれることを知った。

 

 その強くなるきっかけを作ってくれのは、なんの紛れも無い。西行寺幽々子という少女だった。

 

「それにさ、気付いたんだ。初めて会ったとき俺は幽々子さんに惚れていたんだなって。あれが一目惚れってやつなんだな。」

 

 初めて幽々子さんと出会ったときに感じた頭の中がふわふわとして気持ち良くなり、胸の鼓動がドキドキと徐々に早くなったあの感覚、あれが人に恋したものなんだなとつい最近気付いたんだ。

 

 それを聞いた瞬間。音が消え、時が止まったかのような感覚に襲われた。 

 

 心臓が大きく跳ね上がり、幽々子の瞳が揺れる。

 

 彼が。目の前の少年が口にした言葉。その意味を理解するのに多くの時間を使ってしまって、そのあいだ何も喋れなくなった。

 

 ただ、胸中から湧き上がる激情だけは、しっかりと認識する事が出来ていていた。

 

 幽々子は口をつぐむ。力強く拳を握って、息を詰まらせながらも、それでも何とか口を開き、彼女は声を引っ張り出す。

 

「どうして?」

 

「さぁな、俺にもわかんねぇや、ただ人を好きになるのに理由なんかいらねぇじゃねぇかな」

 

 間髪入れずに、大和はニコっと無邪気な笑顔を浮かべながら返答してくる。

 

「でもさ、これだけは言える。幽々子さんの綺麗な笑顔、人柄に惚れたんだなって。

 あと俺の料理を喜んで食べるところとかな。」

 

 最後の一言を言うときには、イタズラした子どものような笑顔でそう言ってきた。

 

「………っ」

 

「改めて言う、俺は幽々子さんのことが好きなんだ」

 

頭の中はぐちゃぐちゃだった。でも、胸の中は温かかった。

 

 膨れ上がった激情が幽々子を支配する。様々な想いが彼女の中を駆け巡る。そんな高鳴りを誤魔化す為に、幽々子は無理矢理言葉を繋ぐ。

 

「私なんかで、本当に、良いのかしら……?」

 

「ああ、幽々子さんじゃなきゃ駄目なんだ」

 

 大和の想いを聞いている内に、幽々子の想いも固まってきて。

 

「幽々子さんは、俺のことをどう思ってる?」

 

 草薙大和という少年の事を、どう思っているのか。

 

 その答えはとうの昔に決まっている。とうの昔に気づいている。自分が大和のことを好きだということも、そして相思相愛だと言うことに気付いていたから。

 

 だから、もう迷うことも逃げることもしない。

 

 ふわりと優しく、彼女は彼の胸に飛び込んだ。

 

「ゆっ、幽々子さん」

 

「…………」

 

 小柄な一人の少女の身体は、すっぽりと彼の身体に収まっていた。

 少年の熱い体温を肌で感じる。彼の鼓動が伝わってくる。ちょっぴり早いその鼓動が、何だか少し心地いい。少年の温もりを感じると、何だか少し安心する。彼という存在を、しっかりと認識出来ているような気がして、そして大和という少年を、独り占めに出来ているような気がして。

 

 優越感、とでも言うべきだろうか。それに浸っていた。

 

「私も好きよ、大和」

 

 切なさそうな表情を浮かべる。鈴を転がすような声で、抱いた気持ちを素直に伝える。桃色の鮮やかな瞳が、彼を捉えて離さない。

 その言葉に嘘偽りはない、何の混じり気もない純粋な少女の思い。これは面白半分でもなければ冗談でもない、本気で思っている真実の言葉。彼女の恋心は、確かに本物だ。

 

「ずっと俺の傍にいて欲しい。」

 

 そっと、幽々子の身体が引き寄せられる。今度は大和の方から抱き寄せてくれたのだと、理解するのにあまり時間はいらなかった。

 

 幽々子の身体が温もりに包まれる。ずっと鋼のように硬い肉体だと思っていいたけれど、こうして抱き寄せられると、意外とソフトでがっちりとした身体からやっぱり男の人なんだなと実感できる。

 

 幽々子もまた、ぎゅっと彼の上着を握る。

 

「私も同じよ……大和と一緒にいたいわ」

 

「……幽々子」

 

 自然と目を瞑り、まるで愛を確かめ合うかのように、二人は唇を重ねた。

 

 抱きついた時とはまた違う、温かい心地。唇から伝わってくる柔らかい感覚、胸の中に満たされてゆく充実感。それに比例するかのように頬が熱くなり、心臓の鼓動がますます早くなってゆく。

 

 確かにここまで密着していれば、それも致し方ないだろう。けれども、だからと言って、それで不快感を覚える事など絶対に有り得ない。

 

 これからは、幽々子を幻想郷に帰すためではなく、幽々子と一緒に人生を歩もう、どんな障壁が聳え立とうとも、どんな困難が待ち受けていようとも、幽々子を守るために立ち向かってみせる。

 

 誰にも俺達の恋仲を引き裂かせない。

 

 

     《〜同時刻・同じ公園では〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 大和と幽々子の二人が愛を確かめ合っているところを、公園にある木の陰で眺めている男二人がいた。

 

 その人物とはどこかへ出掛けたはずの草薙武尊と、意外にも御巫紅虎だった。どうやら二人の後をずっと追っていたようだった。

 

 木を背に腕を組みながら眺めている武尊、そして隣の木陰から覗くように眺めている紅虎、これでバレてストーカーと呼ばれても何もいえない。

 

「おうおう見せつけてくれるぜ、大和の野郎も隅に置けないな」

 

「えぇ、成就したことでなによりです。」

 

 紅虎の言う通り、大和の大切な人、愛する人は幽々子だった。しかもそれと同時に幽々子も大和が好きだった。つまるところ相思相愛だったようだ。

 

 弟子の恋愛が成就したことがこんなにも嬉しかったこととは思いもしなかったのだろう。表情にはださないものの、紅虎の冷めていた心は高鳴っていた。

 

「あの子は強くなります、今まで以上の力を得るでしょう」

 

「まぁ、あいつが強くなっても俺には勝てねぇけどな」

 

 高らかに笑う武尊、そういうことをしていたらいずれ見つかってしまうことも気にすること無く。

 

 俺とあいつでは身体の作りも強さの次元も大きく違う。残念だが、護る者、愛する者を見つけて今まで以上に強くなろうとも俺には絶対敵わない。いや、俺がそうはさせない。

 

 だから、大和が羨ましいとも良さそうだとも思わない。俺は俺だ。俺は自分自身の生き方を貫く。闘いに生きて闘いに死ぬだけだ。

 

「あなたも大和のようにそろそろ身を収めたらどうですか? もしかしたら今よりももっと強くなれますよ」

 

「はっ、興味ねぇな。俺は一人でも強くなれるつーの」

 

「それは残念ですね」

 

 このとき武尊のことを可哀想な人だと思ってしまった。護るべきも者も大切な人も得ること無く、ただ強大な力をもってしまっていることを。

 

「まぁいいや。これから祝に飲みに行こうぜ紅虎さん。俺が奢ってやるからよ」

 

「それも悪くありませんね。久々に付き合いましょうか」

 

 武尊と紅虎の二人は大和と幽々子にバレないように、そろりと近くにあった飲み屋へと歩いて向かった。

 

 大和の恋愛が成就したことを祝いに、そしてこれからも強くなることを期待して、盛大に飲むのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十三話 八雲紫との遭遇

 公園で二人がお互いの愛を確かめ合ってから時間が経ち、翌日になったことのこと。

 

 大和はいつも通り数時間程度朝練をしてから、朝食を作ってみんなを呼び出す。ただ呼び出すとは言っても幽々子や武尊はその前に茶の間に来るが。

 

 みんな揃ったところで両手を合わせて『いただきます』をすると朝食を食べ始める。

 

 数分後に幽々子が茶碗のごはんを食べ終えると、大和に向かって茶碗を差し出してこう言った。

 

「大和、おかわり」

 

「んっ……」

 

 幽々子から茶碗を貰うと、大和は炊飯器を開けてから空になった茶碗にご飯を盛って幽々子に手渡した。

 

「ほらよ、幽々子」

 

「ありがとう」

 

 そう言うと幽々子は早速貰ったご飯を嬉しそうに頬張った。

 

 二人のまるで夫婦のような仲睦まじい光景を見て、和生がこう口に挟んだ。

 

「そう言えば兄貴、幽々子さんの呼び方変えたんだな」

 

「………へぁ?」

 

 何を言ってるんだこいつと言わんばかりに大和は目を丸くして思わず変な返答をしてしまった。

 

 一瞬、一瞬だけだが和生の言ってることがさっぱりわからなかった。なぜそんなことを聞くのか、別にどうだって良い事ではないかと思っていた。

 

「だって前まで『さん』付けで呼んでたじゃん、幽々子さんのことをよ」

 

 呼び方なんてどうだって良い、だがなんで急に変えたのかが気になる。昨日一体なにがあったのか、あの日の内になにがあったのかが気になるだけだ。

 

 それに対して、あの日の夜の事を色々と思い出したのだろう。大和は顔を赤くしながらも、どうにかして話を誤魔化そうとする。

 

「べっ、別にどうだって良いだろう。なぁ幽々子」

 

「うん、私はその呼び方で全然構わないわよ」

 

(……この二人になんかあったんだな)

 

 二人の仲は今日も良いな〜と遠目で眺めるように見ながら手に添えていた味噌汁をズズズーと啜る和生。

 

 まぁ、こうして二人を見てみると、昨日なにがあったのかなんて聞かなくても良くわかる。恐らく兄貴は幽々子さんに対する意識を変えたのだろう。護るべき人もしくは恋人か、どちらにしても兄貴にとっての幽々子さんは大切な人だということに変わりはなくなったのだろう。 

 

 そんな話をしていると、大和は茶の間に誰かがいないことに気づいた。

 

 大和がふと気付いたこと、それは幽々子、武尊、和生の三人は集結しているのに、師匠である御巫紅虎が朝食になっても茶の間に来ないことだ。

 

「そう言えば今日、紅虎さん来ねぇよな、どうした?」

 

 最近、朝食を一緒に食べることが多かったので、いつも通りの時間に作ったのだが、茶の間に来るどころか姿形すら見せない。

 

 一体どうしたのか?医者なので体調を崩すような人でもなければ、何事も遅刻するような人でもない。もしかして何かしらの事故に巻き込まれたのか。と思いきや。

 

「あぁ紅虎さんのことなら、二日酔いで今日は来ねぇよ」

 

「紅虎さん!?」

 

「まぁ俺と一緒に飲んでたから、ぶっ潰れるのも仕方ねぇよな。」

 

 武尊と酒を飲み合うなんて、そんなことは一般人がフードファイターと一緒にご飯を全力で食べるようなもの、並の人間だったらまず肝臓と胃がやられてしまう。

 

 それにしても驚いた。あの紅虎さんがお酒を飲むなんて思いもしなかった。お酒とは縁がない人だと思っていたが、普通に誰かと一緒に飲むんだな。

 

 それを思ったのは幽々子も同じだった。紅虎さんがお酒を飲むような人とは微塵も思っていなかったのだ。

 

「紅虎さんってお酒飲むのね」

 

「それは俺が言いたいよ。あの人がお酒飲むなんて」

 

 あの人がお酒を飲む光景なんて見たこともないし、なんなら飲む姿なんて想像もしていなかった。それにしても紅虎さんがどんなお酒を飲むのかが気になるところだ。

 

「まぁ驚くのも無理もねぇよな。紅虎さんが酒を飲んだものもつい最近の話だしな。なにせ俺が飲ませたみたいなものだからな」

 

 この人は一体なにをやらかしているのか、兄弟の師匠に、況してや二十歳と言う若さで年上の人にお酒を進めるなんてどうにかしているとしか思えない。

 

 大酒豪の兄に酒を飲まされるなんて地獄そのもの、恐らく吐いては飲まされ吐いては飲まされの繰り返しになったのであろう、想像するだけでも吐き気を及ぼす。

 

 紅虎さんは二日酔いになったと言っていたが、二日酔いで済んだのならまだマシな方だと言えるであろう。普通ならアルコール中毒になってもおかしくはない。

 

 そもそも酒自体を飲みたくはないが、酒が大の苦手な大和も和生、武尊とだけは絶対に飲みたくはないと思った。

 

「大兄貴、飲むのは良いけど大概にしてくれよな」

 

「大丈夫だって、俺も吐くまでは飲ますほど鬼じゃねぇよ。ただ俺に付き合ってくれるだけで良いんだ」

 

「「それが無理だって言ってんだよ!!」」

 

 このときばかりは大和も和生も息が合ってしまった。それも無理もない、それだけ武尊の酒の飲み方は危険だと本能で感じ取っていたからだ。

 

 そんな意気投合していた二人を見て、武尊も羨ましかったのか、少しばかり落ち込んだような表情を浮かべて二人を見つめる。

 

「なんだよ二人共、意気投合しちまってよ。 良いもーんだ、みのもーんた。俺はゆゆちゃんと酒飲みに行くからいいよーだ」

 

「………えっ?」

 

 その瞬間、何かピシっと何かがひび割れる音がした。例え話でもなんでもない。本当に何かが割れるような音が聞こえたのだ。

 

「なぁ良いだろ?ちょっとだけで良いから付き合ってくれよ。俺が全部奢ってやるからさ」

 

「気持ちは嬉しいのだけど。大和がね」

 

 隣を見てみると、まるで酒を飲みに連れて行ったら殺すと言わんばかりに殺意剥き出しの視線を武尊に向ける大和。幽々子がもしも『うん』とでも言ったら本当に殺しに掛かってきそうだから冗談も言えない。

 

 他の誰かだったら誘っても別にどうだって良い、それは人の自由だ。だが流石の冗談でも幽々子だけには絶対に手を出して欲しくない、例え実の兄だとしてもだ。もし触れられたら俺も何をするのかわかったものじゃない。

 

 沸々とマグマのように込み上げてくる怒りが収まらない。冗談とわかっていても怒りが湧いてくる。それだけ幽々子のことが心配だからだ。

 

 そんな怒りに満ち溢れている大和を見て、少々冗談が過ぎたと思ったのだろう。武尊は諦めたような表情を浮かべながら、はぁ〜とため息をついてこう言った。

 

「わーかったよ。諦めるからその顔はやめろ。せっかくの上手い飯が不味くなるからさ」

 

 武尊が諦めると言うと、怒りに満ち溢れていた大和の表情が自然と穏やかになる。引き下がってくれて良かったと思っているのだろう。顔がそう物語っていた。

 

「わりぃ兄貴、少しムキになり過ぎた」

 

「少しどころじゃねぇよバーカ。それに、お前が本当にゆゆちゃんのことが好きなんだなって良くわかったよ」

 

 そう言われると大和の顔が赤くなり、武尊と幽々子から思わず目を逸らしてしまう。

 

 そうか、好きだから。幽々子のことが本当に好きなんだから本気で怒ったり憎んだりできるんだ。これが嫉妬という感情なのか。

 

「うるせぇよ、関係ないだろうがよ」

 

「はいはい、青春だね。感情豊かで羨ましいねぇ〜」

 

 そんなことを喋りながらも武尊はごはんを食べる。

 

 武尊の言い方の裏を返せば、まるで自分はそう言った感情は持ち合わせていないと言っているようなもの。しかし俺達からしてみれば普通に感情が豊かに見えるのは気のせいだろうか。

 

 それから特の何もなくごはんを食べ続けて、食べ終わると大和が食器を片付けに台所へと行く。ちなみに武尊と和生は片付けを手伝わずに外に出掛けたり、部屋に籠もったりしている。

 

 そして食器を片付け終えると、台所から再び茶の間へと向かい幽々子のところへと歩いていく。

 

「さてと、今日は何するか」

 

「たまにはお昼寝もいいんじゃないかしら。大和のお財布にも負担かからないし」

 

「それもそうだな」

 

 たまには何処にも出掛けずに屋敷でゴロゴロするのも悪くはない。

 

 しかしそれはそうと、とうとう幽々子に財布の中身を心配されてしまったか、まぁ悪いことではないが、気にしてくれるのならばもうちょっと食べる量を自重してほしいものだ。

 

「私はこれから大和の部屋でお昼寝するけど、大和も一緒に寝る?」

 

「まて、まずなんで俺の部屋で寝ようとするんだよ、自分の部屋で寝ろよな。それに一緒には寝ねぇよ。」

 

 一緒に寝ることが恥ずかしいのもあるが、それよりも寝ているときに万が一何か良からぬことが起きたらたまったものじゃないからだ。

 

 大和に断られると、頬を膨らませて可愛らしく怒ったような表情を浮かべる幽々子。

 

「良いもん、グレてやるんだから」

 

 グレることはないものの、幽々子は大和のことを知らんふりをしながら茶の間から出ていき、自分の部屋に行ってお昼寝をしにいった。

 

 幽々子がいなくなって若干寂しがりながらも、俺もこれから何をしようかと少し考える。

 

「俺も部屋でなんかやるかな」

 

 取り残された大和は久しぶりに部屋で読書でもしようかと、一人取り残された茶の間から出ていき、自分の部屋へと歩いて向かった。

 

 

 

 

 

《〜それから数時間後〜》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

………ピンポーン

 

 と屋敷中にチャイムが鳴り響く音がした。言うまでもないが、どうやら誰かが来たようだ。

 

 最初に玄関に向かったのは自室で本をひたすら読んでいた大和だった。ちなみ武尊は何処かへ遊びに行き、和生は部屋に引き籠もっていた。

 

 一体誰なのか。俺には家を訪ねてくれる友達はほとんどいないし、さしづめ和生か武尊のどちらかの友達であろうと高を括っていた。

 

 しかし、玄関を開けてで待っていたのは恐らく武尊の友達でも和生の友達でもないであろう謎の女性であった。

 

 腰まで伸ばした金髪、頭には赤いリボンが巻かれた白いドアノブカバーのようなナイトキャップを被っている

 

 幽々子と同じくコスプレのような服を着ており、紫と白色を基準とした八卦の萃と太極図を描いたような中華風の服を着ている。

 

「誰なんだ……あんたは?」

 

「どうも初めまして、私の名前は八雲(やくも) (ゆかり)、貴方の名前も教えてくれるかしら」

 

「草薙大和だけど」

 

「そう、貴方が大和というのね」

 

 物腰が柔らかく紫は笑顔を振る舞いながら自己紹介をしていたが、大和は神妙不可思議で胡散臭い雰囲気を放つ紫から今までにない程の危険を察知しており、いつでも戦闘体勢に入れるように無意識に精神を研ぎ澄ましていた。

 

「ところでその八雲紫さんが何のようだ?」

 

「別に貴方にようはないわ、ここに来たのは私の友人である幽々子を連れて帰るため」

 

 その言葉を聞いた瞬間、大和は絶対に連れていかせるものかとさらに集中力と精神を極限まで研ぎ澄ましてた。

 

「じゃあてめぇは、幻想郷とやらから来たのか!?」

 

「えぇそうよ、ところで幽々子は今どこにいるのかしら」

 

「連れて帰るんだろ、絶対に教えてたまるかよ」

 

「そう、ならわかったわ」

 

 少しだが紫が無情の目で大和を睨み付けた瞬間、何をしたのか急に大和の足が凍りついたように動かなくなり、無理矢理にでも動こうとしても足はピクリとも動きはしなかった。

 

「てめぇ何をしやがったんだ? 足が……動かねぇぞ」

 

「さて次はどの部分の動きを止めようかしら?」

 

 恐らく大和には生涯を懸けても到底理解することは出来ないが、これは八雲紫の『境界を操る程度の能力』

 

 大和の足がまったく動かないのは、八雲紫が足の境界を弄って動かないようにしているからだ。

 

 そして八雲紫がその気にでもなれば身体はもちろん、呼吸、心臓、脳、生命活動を止めることなど造作もないこと。

 

 得体のしれない八雲紫の存在に大和は恐怖した。紅虎や武尊とは大きく異なる未知なる力と人知を超えた存在に戦慄が走った。

 

(ちくしょう、なんだよこれ? 恐ろしいよ……怖いよ)

 

 どんな能力なのかもわからなければ、何をされるのか全然わからない八雲紫の能力に大和は今まで感じたことがない耐え難い恐怖心を抱くと同時に闘う意識を失い、体を『ガタガタ』と震わせながら深く顔を伏せた。

 

「じゃあ幽々子を……連れて行くわよ」

 

 自分に恐れを成したあまりに大和が怯えて動くことすら出来なくなったとわかると、紫は何も言わずに家に上がろうとした。

 

 しかし紫が家に上がろうとした瞬間、耐え難い恐怖に押し潰されそうになっていたはずの大和から何とも言えない異常な悪寒を感じた。

 

「……れよ」

 

「……んっ? 何か言ったかしら?」

 

 急に大和が顔を上げて紫を睨み付けると、紫は大和の目を見て血の気の引いた表情へと変わった。 

 

 普通の人間ならば心が耐え難い恐怖で押し潰されそうになり苦しくて泣き叫ぶのだが大和は違った。

 

 人間の表情とは考えられない異様な笑みを浮かべて、恐怖どころか死ぬ恐れすら感じさせない狂気に満ちた異常な目をしている 

 

「幽々子を…連れて行く…前に……俺を殺れよ!」

 

 殺意に満ちた目とはまったく異なる人とは思えない程の狂い果てた眼、八雲紫もこれほどの狂気に満ちた人間は今まで見たことなかった。

 

 もしも大和の足が自由に動くことができたなら間違いなく八雲紫の喉元を狙って襲い掛かって来るだろう、その証拠に動きを封じている両足を必死に動かそうと頑張っている。動くはずがないのにも関わらず。

 

「貴方……死ぬのが怖くないの?」

 

「あぁ、死ぬことなんて微塵も怖くねぇさ。大切な人を連れて行かれるなら死んだ方がマシだからな」

 

 死ぬことを本当に恐れていない大和の何の混じり気もない言葉を聞くと、紫は少しため息を付き諦めたようなで表情で家に上がることをやめて、さっき立っていた場所にまた戻った。

 

「どうした? さっさと殺れよ」

 

「やっぱり今日はやめとくわ、幽々子を連れて行くの。」

 

 大和から幽々子を取り上げれば何をするのかさっぱりわからない。そう思った八雲紫はあっさりと幽々子を連れて帰ることを諦めてしまう。

 

 紫はそう言い残すとドアを開けて、虚空に謎の異空間を作り出してその中に入って行った。

 

「ヘヘっ……ざまぁみやがれ……」

 

 同時に動かなかった大和の足が自由に動くようになると青ざめた顔で崩れるように両膝を地面に付けて『バタンッ』と倒れ込んだ。

 

 

 

     《それから一時間後》

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 何かしらの異変に気付いて早起きしてしまった幽々子。

 

 昼寝をやめて自分の部屋から出て行き、何だか心配だったので大和の部屋に行ったのだが、大和の姿がなかったので仕方なく屋敷中を探し回った。

 

 そして何となく玄関の様子を見に行ってみると、そこには玄関の目の前で倒れている大和がいたのだ。

 

「どうしたの大和!?」

 

 倒れている大和に心配そうな表情を浮かべながら駆け寄る幽々子。

 

「……幽々子?」

 

 幽々子に問い掛けられたことでようやく目を覚ます大和、どうやら今まで気絶していたようだ。

 

「よかった。いてくれたんだな」

 

 切なさそうな表情を浮かべながら傍に寄って来た幽々子を強く抱きしめる大和。

 

 幽々子がいなくならなくて本当に良かった。もしいなくなっていたら俺はどうなっていたことか想像もつかない。

 

 大和の状態から何かを察したのだろう。幽々子は抱きついてくる大和のことを優しく抱きしめ返してくる。

 

「そう、紫と会ったのね。」

 

「あぁ、とても怖かったよ」

 

 今でも覚えている。得体のしれない恐怖と想像を絶する強大な力との対面、紅虎や武尊との覇気とは異なる今までには感じたこともなかった恐ろしさがあった。

 

 本当に死ぬかと思った。いや、もしかしたらあの時下手をしたら死んでいたかもしれない。そう思えるほどの実感した死への恐怖。

 

 今でも震えが止まらない。あの恐ろしさが忘れられない。幽々子の胸の中で大和はガクガクと震えていた。

 

「怖かったわよね。仕方ないわ」

 

 得体のしれない恐怖に怯える大和を見て幽々子は優しく接してくれた。侮蔑もしない。見限りもしない。まるでそれが当たり前だと言わんばかりに。

 

 幽々子は知っていた。あの八雲紫との対面が人間に取ってどれだけ恐ろしいものかを。それ知っていたから大和が可哀想に見えた。

 

「今日は一緒に寝ましょう。恐れが収まるまで慰めてあげるわ」

 

「あっ、あぁ………」

 

 食事も取らず、食事の準備もせずに二人は大和の部屋へと行き、深い眠りについた。そして恐怖と怯えが収まるまで幽々子は大和を抱きしめ続けたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十四話 動き出した賢者

風間組、とある京都の街中に事務所を構えている比較的に小規模の暴力団体。

 

 構成員は約三百人と人数は少ないが、数百年以上 前から存在している古い組。

 

 周りには自分達よりも大きな規模の組が沢山あるにも関わらず、どこの組の傘下にも加入をすることはなく、ほとんど独立している状態。

 

 しかし他の組が風間組を潰そうとしたり、喧嘩を吹っ掛けることは数百年に渡って行われておらず、それどころか妙な噂が昔から根付いていた。

 

 その噂は複数あるが、その中でも特に有名なものを二つ上げてみよう。

 

 まず風間組に喧嘩を売ったり脅しを掛けたりした組は、翌日には組長や構成員が突然姿を消したり、何かしらの事故に巻き込まれたりして亡くなっている。

 

 その他にも、風間組の情報や秘密を探ろうと潜入捜査を試みた組は、侵入した者も含め、翌日には組長も含めて構成員達が一人残さず亡き者となっていた。

 

 また暴力団以外にも、警察なども手を出すことができず、誰も風間組の秘密を探ることはできない。

 

 上記で説明した通り、風間組を敵対するような行為をする者には不幸なことしか起こらない。だから、この辺にいる組のほとんどは、風間組には絶対に手を出すなと、名のある幹部達が口を酸っぱくして傘下や部下達に伝えている。

 

 そんな風間組に今宵、単身でやってきた女性が一人現れたのであった。

 

 風間組のビルの入っていく一人の女性、ヤクザのビルとわかった上で入っていっているのか、まるで自分の家に帰るような立ち振舞で歩いている。

 

 ビルの中に入ると、あたりまえだが複数の組員と顔合わせする。

 

 無論、組員達が自分のビルに無断で入ってきた見知らぬ女性を放って置くわけにはいかない。

 

「なんだ嬢ちゃん、ここに入ってきたら駄目だろ?」

 

「退きなさい、貴方達には用はないわ」

 

 そういうと何が起きたのか、組員達の意識が突然無くなり、その場に倒れ込んでしまう。

 

 ビルの奥まで入っていくと、そこには組長と複数の組員が首を揃えていた。

 

 血気盛んなのか、見知らぬ女が無断で入ってくると懐から武器を取り出して叫びだした。

 

「カチコミかゴラァ!!」

 

「女でも構わねぇ!! 野郎をぶっ殺せ!!」

 

 男達は懐から拳銃(チャカ)短刀(ドス)などの得物を取り出すと、すぐさま戦闘体勢に入って八雲紫を迎え撃とうとした。

 

 しかし。

 

「騒ぐんじゃねぇてめぇら!! さっさと得物をしまいやがれ!!」

 

 恐らくこの組織の長なのだろう。威厳のある男が大声で部下を怒鳴ると、それに対して部下達は若干ビクリとしたあと、男の言う通りすぐさま得物を懐にしまった。

 

「すんません組長」

 

 そして周りにいた部下達が大人しくなると、組長と思われる男は組に乗り込んできた八雲紫を睨み付けながら口を開いた。

 

「それで誰なんだ、お前は? 俺の組に一人で、況してや女が堂々と入ってくるなんて良い度胸だな」

 

「無礼は承知の上です風魔一族頭領」

 

「ほう、我ら一族の事を知ってる奴がこの時代にいるとはな、何者だお前は?」

 

「私の名前は八雲紫、五百年代々続く忍、風魔一族のあなた達に頼み事があって来ました。」

 

「その頼み事は差し詰め殺しの類いだろ? 俺達に依頼することなんて限られているからな」

 

 自分達に任される仕事は何なのか理解していると言わんばかりに、風間組の頭領は堂々と発言する。

 

「えぇ、お察しの通りよ。それと……さっきから私の首を狙うこの子をどうにかして欲しいわ。」

 

 八雲紫の背後を見てみると、片手に持った短刀を八雲紫の首に突き立てている青年が気配と息を殺して背後に立っていた。

 

 青年は一体いつから背後を取っていたのか、それは一刻も早く青年の存在に気付いていた八雲紫しかわからないだろう。

 

「やめろ獣蔵、こいつは久々の依頼人だ。」

 

 八雲紫の背後を取っていた青年は髪の色は黒く短髪。

 身長はおよそ185㎝と、隠密には決して向いていない恵まれた体格をしており、容姿は端麗な顔立ちが特徴的、服装は白い半袖の上に青い長袖ジャケットを着ており、下は紺色のジーンズを履いている。

 

 組長にそう言われると、獣蔵と呼ばれている青年は八雲紫に突き付けていた短刀を自分の懐に収めた。

 

「すまねぇな八雲さんとやら。そいつの名前は風間 獣蔵(かざま じゅうぞう)、俺の倅であり次期風魔家の頭領だ」

 

 背後を取るのを止めて、八雲紫の目の前に素早く立つと、風間獣蔵は地面に片膝をつけながら深く頭を下げる。

 

「客人とは知らず、牙を向けて申し訳ない。如何なる罰でもお受けいたしましょう。」

 

「いえ、寧ろ素晴らしい隠密で関心したわ。 まさかこの現代に、ここまで腕の立つ忍がいるとは思ってもいなかったから」

 

 自分の命を狙っていたのにも関わらず、八雲紫は獣蔵に対して称賛の言葉を与える。

 

「あんた本当に何者なんだ? さっきから我ら一族の事を昔から知っているような素振りだが、まさか妖怪の類いとかじゃねぇよな」

 

「それに答えて私に何の得があるのかしら? 少くとも貴方の洞察力は間違ってないわよ」

 

 冷酷に淡々とそう言い続ける八雲紫、しかし真実を言おうとすることは決してなかった。

 

 周りを見渡し、特に風間獣蔵に視線を向ける。だがその視線に慈悲や好意というものは決して無く、ただ威圧的に非情に見つめているだけであった。

 

 しかし妖怪であろう八雲紫に視線を向けられている獣蔵は怖じけることも恐れることもせず、ただ無表情を貫き通しており、威圧感に晒されても尚その表情が崩れることは決して無かった。

 

「ところで風魔家頭領、貴方の倅と部下を私に貸して頂けないかしら? もちろん報酬は払うわ。」

 

 すると、八雲紫の側に不気味な空間が開きだし、空間の中から大量の金銀財宝がまるで滝のように地面へと落とされていく。

 

「偽物だと思うなら確かめても構わないわ、それはもうあなた方の物よ」

 

「それは妖術か? やっぱりあんた人間じゃねぇな。」

 

「だったらどうするのかしら? 私の依頼を拒否でもするの?」

 

「いや、例え依頼してきたやつが鬼だろうが仏だろうが引き受ける主義でな、喜んであんたの力にならせて貰うぜ」

 

 終始、八雲紫は物腰柔らかな態度を振る舞っていたが、どこか人間を見下しているような気配を周囲の人間達は感じていた。

 

 そして、依頼を引き受けることが成立すると、八雲紫は獣蔵に目を付ける。恐らく隠密の腕を見込んだのだろう、そういう素振りを見せていた。

 

「そう……なら遠慮無く倅を連れて行くわね。」

 

「あぁ、好きに使ってくれ」

 

「それじゃあ連いて来なさい」

 

「……御意」

 

 ただ言われるがままに獣蔵は淡々と八雲紫の背後を追うように歩くだけだった。

 

 そして、歩いてから間もなくして二人は事務所から姿を消し去ってしまう。

 

 

 

 

《〜風間組前の道路〜》

 

 

 

 

 

「八雲様、これから何処に向かうつもりですか?」

 

 控えめな態度で獣蔵が尋ねてくると、何を思ったのか、八雲紫は突然その場に立ち止まり、後ろを振り向いて獣蔵を見ながらこう言った。

 

「あなた獣蔵と言ったかしら? いつまでそうやって演技するつもりなの?」

 

「はて? 何の事だか……私にはさっぱり」

 

「惚けても無駄、あなたの口調とか態度にさっきから違和感があるのよ。」

 

 嘘を完全に見抜いていると言わんばかりに、八雲紫は威圧感のある目付きで獣蔵を睨み付けながらそう言ってくる。

 

「……………………」

 

 それに対して、もう誤魔化せない事に気付いた獣蔵は残念そうな表情を浮かべながら深く溜め息をついた。

 

「あぁ~あ、せっかく忍者っぽくしてたのに、全部お見通しかよ」

 

「何故そんな態度を取ったのかしら?」

 

「特に理由はないけど、だって俺って忍じゃん? やっぱり、それっぽく喋った方が良いと思ったし、何よりもカッコいいじゃん」

 

 無邪気な子供のように満面な笑みを浮かべながら獣蔵はそう言った。

 

 それに対して、人外である自分を恐れていない獣蔵の態度が気に食わなかったのだろう。

 八雲紫は何か気にくわなさそうな表情を浮かべながら、にっこりと笑っている獣蔵を殺気に満ちた眼で睨み付ける。

 

「貴方……私と二人っきりで怖くないのかしら?」

 

「全然、例え今この場で殺されても悔いはないよ。 人間や動物が死ぬのなんて早いか遅いかだし、それよりも今を楽しまないと損じゃない?」

 

 殺意を向けられても、獣蔵は呼吸を乱さなければ、にっこりとした笑みを崩すこともなかった。

 

 発言や思考から察するに、いつ死んでも構わないとでも言うのか、獣蔵からは死への恐怖がまったく感じられない。

 

 人間にしては面白い奴だと思ったのだろう。このとき八雲紫は獣蔵に対して初めて笑みを見せた。

 

「おもしろい事を言う子ね、ますます気に入ったわ。」

 

 人間と人間を殺し合わせるための駒として使うところだったが、どうやら面白い人材に巡り会えたのかもしれない。少なくとも八雲紫はそう思っていた。

 

 自分という人外を目の前にしても恐怖を感じない人間は今まで沢山見てきたが、自分を見て楽しんでいる人物はそう滅多には見ることができない。

 

「ところで俺が始末する標的は誰なんだ?それを教えて貰わんと、動けないんすけど」

 

「それもそうね、貴方の任務は草薙武尊、草薙大和、草薙和生の始末よ」

 

「へぇ~あの草薙兄弟か、不運なことだな」

 

「あら、知ってるかしら?」

 

「そりゃあ知ってますよ、長男と次男の方は置いておいて、三男の方は地元ではかなり有名ですから、主に悪い意味で」

 

 それなら物事が円滑に進むと思ったのであろう。それ以上の命令は出さなかった。その代わりに別の要求を獣蔵に突き付ける。

 

「それともう一つ、草薙兄弟の傍にいる桃色髪の少女を保護すること、私の大切な友人だから、もし掠り傷でも付けたら」

 

「はいはい、承知しましたよ。 承知しましたから恐い目付きで睨まないでよ」

 

 指をパチンッと鳴らす。

 

 すると何処からともなく黒い衣を纏った大勢の人間達が姿を現し、獣蔵の周りで片膝を付いて頭を下げる。

 

「標的は今聞いた通り、まずは相手の居場所の特定と情報収集を頼むよ。精々バレないようにね」

 

「………御意」

 

「あぁ、もしバレたらやっちまっても良いよ」

 

 その返事を最後に黒い衣を纏った男達はその場から消えるように姿を消した。

 

「八雲様に言い忘れましたが、俺には30人の仲間がいます。 もし邪魔にならなければ連れて行きたいのですが」

 

「依頼が達成できれば何をしても構わないわ。 あとは貴方達の好きにしてちょうだい」

 

「有り難き御言葉」

 

 そう言うと八雲紫は謎の異空間を虚空に開いて、そのまま中に入っていき、その場から姿を消した。

 

 そして八雲紫がその場からいなくなると、まるで何かを企んでいるかのようにニヤリと笑みを浮かべる獣蔵。その笑みは無邪気な子供のようにもみえるが、その中に狂気とも呼べるものも垣間見える。

 

「草薙大和………久々の強い標的、会うのが楽しみだなぁ」

 

 何時ぶりだろうか、久しぶりにやってきた強敵と闘う任務、想像するだけでも笑みが零れてしまう。

 

 草薙大和とその兄弟達は一体どれほど強いのか、俺を楽しませてくれるほどの力は持っているのか、闘わずに考えるだけでも嬉しさと喜びを感じる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十五話 焦りと恐れ

「うっ………うぅ……はっ!!」

 

 まるで悪い夢から開放されたかのように大和は目を覚まして起き上がった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……そうか、俺は………」

 

 隣を見てみると、そこには幽々子がすぅすぅと眠っていた。

 

 そうだ思い出した。俺は昨日幽々子と一緒に眠りについたんだ。八雲紫に恐怖した俺を慰めてくれるために。

 

「こうしちゃいられねぇ。」

 

 あんな惨めな姿はもう見せれない。ならばやることは一つだけ、ひたすら鍛えることだ。

 

 寝ている幽々子を起こさないようにそっと大和はベッドから起き上がる。

 

 そして、自分の私物から五十キロはある潜水用の重りを取り出して手に持った。

 

 多少の無理は承知。いや、この程度で悲鳴をあげるとしたら俺はまた惨めな姿を晒すことになるだろう。

 

 潜水用の重りを片手に大和は部屋を出ていく。誰にも気づかれないようにそっと。

 

 玄関を出て外に出ていくと、およそ五十キロはある重りを身体に付けて走り出した。

 

 

 

 

《~少年走行中~》

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 出発から三十分経つかどうかの時間で約10キロの距離を走り続けると、流石の大和も常に全力で疾走するのは辛いのだろう、全身から汗が絶え間無く流れ出し、表情も苦痛で歪んでいる。

 

 やはり常に全力疾走で走り続けるのは厳しい。

 

「やっぱり……この痛みには慣れねぇな……」

 

 常人離れした運動能力を持っている大和でも呼吸は乱れ、走る度に両足の脹らはぎ辺りがズキズキと痛み出す。

 

 しかし、呼吸が乱れて苦しかったり足腰に痛みが走り出しても、大和は決して走るペースを落とさず、むしろもっと速く走ろうとしている。

 

 マラソンなどの運動中、常人なら普通苦しくなった途端に、苦痛から逃れるために運動を放棄して身体を休めると思うのだが、大和はそのまったくの真逆だった。

 

 足腰や身体に来る痛みを我慢して大和は苦痛に立ち向かい、何度も絶え間無く襲ってくる苦痛を常に味わい続ける。

 

 だが、大和のように身に襲ってくる苦痛をひたすら我慢しながら走り続けるのは、そう誰にでも簡単に出来ることではなく、常人離れした根性や余程の精神力が無ければ出来はしないだろう。

 

「へへっ、昔のことを思い出すな」

 

 身体中が苦痛で蝕まれているのにも関わらず、大和は昔のことを思い出して思わず笑みを浮かべてしまう。

 

 いつもそうだ。苦しい時や辛い時ことがあると、よく昔のことを思い出してしまう。

 

 そう、大和が毎日のように苦しい痛みを我慢して、ここまで必死に鍛練を頑張るのには、過去に理由があった。

 

 

 

 

 

《~今から七年前に遡る~》

 

 

 

 

 それは大和がまだ九歳だった頃、後の師匠である御巫紅虎に弟子入りした時の話である。

 

 その時の俺はまだ未熟な上にか弱く、ただ同い年の子達よりも身体が大きくて力が強い子供だった。

 

 ある日、近所に武道を教えてくれる強い人がいると言う噂を聞いて、俺と兄の武尊はすぐにその人の元に行って弟子入りを申し込んた。

 

 しかし、あのときは弟子を取る気は無かったのだろう、紅虎は弟子入りに来た俺と武尊をあっさりと断ってしまう。

 

 だが、断られても諦めずに、俺は毎日のように紅虎の元にやって来ては何度も弟子入りを申し込んだ。その結果、紅虎に呆れ果てられながらも、何とか俺だけ弟子にしてくれた。

 

 そして、弟子入りしてからその後の事だ。

 

「良いですか大和、もう一度言いますけど、私の稽古や教えは厳しいことばかりですよ」

 

「だいじょうぶ、どんな厳しいことでも乗り越えてみせます」

 

 まだ幼かったとはいえ、この時の俺はまだ知らなかった。御巫紅虎の教えと稽古がどれだけ厳しくて辛いものだったのかを。

 

 今になって考えてみれば、幼かった時の俺は良くあの厳しい稽古から逃げ出さなかったなと、今でも思うことがある。

 

「それなら構いません、では稽古の前にちょっとお話をしましょう、ちゃんと覚えてくださいね」

 

「はいっ!」

 

「ではまず心得ですが、いくつかあります。ひとつはどんな苦痛にも耐えることです。これが出来なければ私の弟子には到底なれません、いや……話にもなりませんと言った方が正しいでしょう」

 

 当時まだ幼かったとはいえ、その時の御巫紅虎の厳しくも重々しい言葉の中で、俺ははっきりとわかったことがある。

 

 もし、この心得が出来なかったら時には間違いなく破門、つまり俺は紅虎の弟子ではなくなることがはっきりとわかったのだ。

 

「それと私の最初の稽古は体力と肉体の強化です。身体作りは大切ですからね」

 

「……えっ? 技は教えてくれないんですか?」

 

「そんなのは二の次です。ある程度の身体作りと心得(・・)が出来たら、技術に関しての心得を教えてあげます。ただ大和、貴方の努力次第ですけどね」

 

 体力、肉体の強化と武術に何の関係があるのか全然わからず、そのときの俺は紅虎に対して不安を抱いていた。

 

 本音を言うと、稽古の内容でも普段のことでも紅虎の考えているとは今も昔もまったくわからなった。正直あの人の心境か考えてることがわかるのは悟り妖怪とかじゃなければ無理だろう。

 

 弟子入りの初日、紅虎からある程度の心得を教えてもらい、さっそく稽古が始まると思いきや、その前に紅虎が一つだけ興味深いこと口にしてくれる。

 

「それじゃあ最後に、一つだけ面白いことを教えてあげましょう」

 

「何ですか? その面白い事って?」

 

「良いですか大和、運動と言うのは長く続けると、これ以上は出来ないという限界が必ず来ます」

 

 当然の事と言えば当然のことである。四六時中ずっと運動を続けることができる人なんてこの世にいるはずはないのだから。

 

 だが、その時の俺は頭があまり発達していなかったので、紅虎にそんなことを言われても、どこが面白い話のか全然わからなかった。

 

「それはつまり、脳がこれ以上の運動を続けることは危険ですよと、サインを出してくれることです」

 

 脳だとかサインだとか色々と医学的な話になって、もはや大和には紅虎が何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 

「そのサインは苦痛となって現れます。通常の競技者ならそこで休憩を取るわけですが、人体というものには更にその先があるのです」

 

「人体の……その先?」

 

 人体のその先に何があるのか気になったのだろう、ようやく大和が紅虎の話に食い付いてきた。

 

休憩(インターバル)を要求する脳が苦痛(サイン)を送り付けるとします。ですが、あえてこれを無視して更に運動を続けるとどうなると思いますか?」

 

「すいません紅虎さん、わかりません」

 

 考えるまでもなく率直に大和はそう答えた。

 

 まぁ普通に考れば当然の返答だろうよ、今までの話も生まれて初めて聞いたことなのだから、知らないのは当たり前のことだろう。

 

 それに大和がわかっていないことを最初からわかっていたのだろう。紅虎はそれは当然だよなと言わんばかりの表情を浮かべている。なら何でそんなことを聞いたんだよと内心思っていたが、あえて口にはしなかった。

 

「そうすると脳と言うものは、とても面白いことを始めるのです」

 

「…………」

 

 脳が一体どんな面白い働きを始めるのか、かなり興味があったのだろう。大和は紅虎の話を真剣に聞いているような素振りを見せる。

 

 苦痛を無視して運動をし続けると一体どうなるのか、苦痛のその先に一体何があるのか。大和の頭はそんなことでいっぱいの状態だった。

 

「苦痛を取り去ってしまうのです」

 

「それってつまり…くるしくなくなるの……?」

 

 まぁ、単純に考えればそういうことになるのだろう。しかし、それに対して紅虎の返答は大和の考えていることとは若干違った。

 

「無くなるなんてものではありません、むしろ気持ち良くなってしまうのです」

 

「きもちよく…なるの……?」 

 

「はい、それはエンドルフィンと言う脳内分泌物によって持たされます」

 

「エンド…ル…フィン……?」

 

 流石に初めて聞く単語や知識に戸惑いの色を隠せなかったのだろう。話を聞いている大和は内容はしっかりと覚えているものの、その理屈や意味をまったく理解していなかった。まぁ、このときの俺ならそうなっても当然のことか、況してや小学生ぐらいの年だったし。

 

「まぁ簡単に言えば麻薬です。最強の麻薬と言われているモルヒネの数千倍の麻薬効果を持つエンドルフィンが脳に分泌されます」

 

「それって凄いんですか?」

 

「えぇ…それはもちろん、エンドルフィンが登場した時の競技者はとても強いですよ。死ぬまで動き続けられますから」

 

 苦痛を取り去った挙げ句に気持ち良くなり、死ぬまで動き続けられる感覚とは一体どうゆうものなのか、そんな体験をしたことがない大和にとって想像もつかなければ未知の領域だった。

 

「一流の運動家(アスリート)、一流の武術家、一流の修行僧、彼らのほとんどはこの体験を経ています」

 

「紅虎さんも体験したことあるの?」

 

「それはもちろんありますよ。その程度のことも出来なければ一流には到底なれませんから」

 

 つまり、エンドルフィンを体験しなければ一流の武術家や競技者(アスリート)とは認めてはくれないと言うことなのか。

 

 それから、紅虎の話をちゃんと覚えているのか確かめるために、今まで聞いた話を改めて振り返ってみると大和はあることに気が付いた。

 

「……もしかして!」

 

 紅虎の言っていた心得の一つである、どんな苦痛にも耐える。それはつまり、苦痛のその先にあるエンドルフィンを体験しろと言う意味なのか。

 

 大和が何かに気が付いたような表情を浮かべると、それを見て紅虎は嬉しそうに微笑んでくれる。

 

「どうやら私が言った心得の意味を理解したそうですね」

 

「はい、あらゆる苦痛を堪えて、その先にあるエンドルフィンを体験しろと言うことですよね」

 

「それがわかっただけでも十分です。それでは早速稽古を始めましょう」

 

 それから七年間、修行僧や競技者(アスリート)も根を上げて、途中で投げ出しても可笑しくはない、紅虎の地獄のような特訓が始まったのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十六話 武尊と幽々子

 朝食のために何時もの茶の間にやってきた幽々子、しかし今日は時間になっても大和が来る気配はない。

 

 茶の間にいると、同じく朝食を食べに来たのだろう。武尊がやってきて幽々子に話しかけてくる。

 

「あっ、ゆゆちゃんじゃねぇか、こんなところで一人何してんだよ?」

 

「武尊さん、大和を待ってるのよ、でも来ないのよね」

 

「鍛錬ならとっくに終わってる時間だぞ、屋敷にいないってことはまだ外にいるってことだよな」

 

 普段ならとっくの間に稽古を終わらせて朝食を作っている筈なのだが、屋敷に大和がいないということはつまり、まだ稽古をしているか、それとも山にでも失踪したのかのどちらかである。

 

 単純でアホな大和が普段とは異なる行動をしているということは、また何かやらかしたに決まっている。

 

「まーた何かあったな。 ゆゆちゃんなんか知らないか?」

 

「多分恐れを感じてるのよ、また自分を責めてると思うわ」

 

 恐れを感じて自分を責めている。あの大和が、俺や紅虎さん以外の相手だと並大抵のことでは動じることが無いはずのあいつが恐れを感じたとでも言うのか。

 

 それはありえない。あいつは腐っても俺の弟だ。もし相手に恐れることがあるとするのなら、それは鬼や妖怪などの化け物に出会った時以外他はない。

 

「つまり大和のやつはまたゆゆちゃんを置いて性懲りもなく鍛錬に行ったと」

 

「うん。たぶんそうね」

 

「あいつも、その、何だ? 馬鹿と言うか真面目と言うか、本当に救いようがねぇな」

 

 馬鹿で真面目なやつだということは知っていたが、まさかここまで馬鹿だったとは思ってなかった。今のままではいくら自分を追い込んでも何ともならないと言うのに。本当に学習能力のないやつだな。

 

 しかしあれだな。大和が稽古でいないということはつまり幽々子は今暇をしているということ、それはもしかしてチャンスではないのか?

 

「ということはゆゆちゃん、今暇ってことだよな?」

 

「そうね、大和もいないから」

 

 飯食い終わったら街に行ってナンパしようと思っていたが、ゆゆちゃんをこのまま置いて行くのも癪に障るな。特に独りで屋敷に置き去りにするのはとてつもなく可哀想だ。

 

 これも乗りかかった船だ。大和の代わりに幽々子を楽しませるのも一興。たまにはそういうのもいいだろう。

 

「まぁ何かの縁だ。遊びに連れて行ってやるよ。 もちろん大和には怒られない程度の遊びだけどな」

 

「いいのかしら?」

 

「俺は構わねぇよ。女の子と遊ぶのは嫌いではないし。 それともゆゆちゃんは大和と一緒じゃないと遊びに行きたくないのかな?」

 

「そんなことはないわ。 でも……」

 

 遊びに行きたいのかそれとも行きたくないのか戸惑いの色を隠せない幽々子、武尊から目を逸して悩んだような表情を浮かべている。

 

 幽々子の違和感にすぐさま気づいた武尊は何故そうなっているのかを理解する。それをわかった上で幽々子に問いかけてきた。

 

「でも何だ? ははーんわかったぞ、まさか俺がゆゆちゃんのことを狙っていると思っているのか」

 

「……………」

 

 やはりそうだ。どうやら自分を狙っていると思われたらしい。まぁ無理もないか、今までそう思われる様なことを何回もしてきたのだから、思われても仕方がない。

 

「まぁそう思われても仕方ないよな。 大和から聞いているだろ? 俺が女好きだってことを。」

 

「えぇ、聞いてるわ」

 

 そんなにドストレートに言われたら流石の俺も傷がつくよな、まぁ真実だから受け止める他にないけど。

 

 はぁとため息をつきながら頭を抱える武尊。そして思っていることを素直に言った。

 

「あのな、流石の俺もそんなことはしないぜ。況してや大事な弟の大切な女を寝取ろうなんて、そんな外道なことはやらねぇよ」

 

「そうなの?」

 

「あぁ、ただ、もしもゆゆちゃんが誰のでもなかったら俺は猛アタックしていただろうな、こんな上玉の女逃がす理由が一切ねぇからな」

 

 ウブな大和とは違って恥ずかしがることも申し訳無さそうにもすることなくナチュラルでストレートにそう言ってくる武尊、どうやら嘘ではなく本心で言っているそうだ。

 

 俺も沢山の女と出会って遊んだりしてきたが、ゆゆちゃんみたいな綺麗な女は滅多にお目にかかることはない。恐らく一生の内に数回出会えるかどうかのレベルだ。

 

 そう考えてみればゆゆちゃんと出会った大和は幸運な男だとつくづく思う。羨ましい限りのことだ。

 

「まぁそんなことはどうでも良いや。取り敢えず何処かに出掛けようぜ。面白いとこに連れて行ってやるからよ」

 

「えっ、えぇ……」

 

 幽々子は出掛ける支度をするために部屋を出ていき、歯磨きをしたり身嗜みを整える。

 

 数十分経過して出掛ける支度を終えると、もう一度部屋に戻って武尊の元へとやってきた。

 

「お待たせしました」

 

 これから出掛けるというのに武尊の服装は和服のままだった。どうやら和服のままで外を出歩くらしい。

 

 今までずっと和服を着ていたので違和感はなかったが、現代入りしてからは現代の生活や服装がしっかりと定着しており、出掛ける身嗜みとしては武尊の服装が違和感でしかなかった。

 

「もしかして、その格好で出掛けるんですか?」

 

「まぁな、こっちのほうがしっくりくるし」

 

「どうして、大和達とは違う服を着るんですか?」

 

「なんでって言われてもな、俺は和服が好きだから着ているだけで、理由は特にないんだよな」

 

 中学生のときからだったか、家にいる時も外に出掛ける時も俺は和服でずっといたからな、寧ろTシャツやズボンと言ったものを着るのが違和感があって嫌なんだよな。

 

 自分で言うのも何だが、どうやら俺は生まれてくる時代を間違えた人間のようだ。

 

「まぁ、そんなことはどうでもいいや。 取り敢えず出掛けようぜ」

 

「そっ、そうね。(やっぱり変わってる人なんだな)」

 

 二人は屋敷を出ていき。外へと出かける。

 

 

 

  《〜街中〜》

 

 

 二人が外へと出掛けるとそれは意外な出来事が起きるものだった。

 

「よっ、タケちゃん。 可愛い女の子と一緒で、デートかい?」

 

「はっはっは違う違う友達友達。 誤解しないでくれ」

 

「武尊さん久しぶり、今度一緒に飲みに行きましょうよ。」

 

「オーケー、明日でも明後日でも誘ってくれたら行くぜ」

 

「よぉ、タケちゃん。 昼間から飲みに来ないかい?」

 

「悪いな、今日は夜になるまで飲まないって決めてんだよ」

 

 話しかけられる度にまるで聖徳太子のように聞き分けながら話す武尊、日頃から話すタイプなんだとつくづく思う。

 

 隣にいた幽々子は色んな人と話し合っている武尊を見て、あまり人と喋ることがない大和と本当に兄弟なのかと心の中で思わず思ってしまった。

 

「お兄さんって色んな人と喋るのね」

 

「あっ? まぁな。日頃飲みに行ったりナンパしてたりしてたら嫌でも知り合いになるさ。 まぁそこんところは大和じゃあ到底できないことだな」

 

 あいつは俺と違ってかなりの奥手だからな、見知らぬ人と話すことができないことはわかっている。

 

 だが、それでも人とのコミュニケーションは取って欲しいとは思う、知っている限りだとあいつは人との関わりがほとんどないからな。もしかしたら本当に友達とかいないんじゃないのかあいつ。

 

「どうかな。 大和なんか放っておいて俺と付き合うとか」

 

 可愛い弟の彼女を狙わないとは言ったものの、アタックはする武尊、本当に何を考えているのかわからない。

 

 確かに大和とは全く違う魅力がある武尊、しかしそれでも幽々子はあることを心の中で密かに誓っていた。

 

「いえ、遠慮しとくわ。私は大和が好きだから」

 

「まぁ、だろうな。もしかして初めてのキスの相手は大和だったりする?」

 

 それを聞いた瞬間、幽々子は顔を赤らめてしまう。そして飛びかかるように武尊に向かって話しかける。

 

 色んな意味で良い雰囲気だったから気づかなかったが、あの公園にまさか武尊がいたのか、もしかして自分達が愛を確かめ合っているところを見られたのか、幽々子の頭の中は若干パニックを起こしていた。

 

「もしかして見てたの!?」

 

「あっはっは、偶然だよ偶然。 飲みに通りかかった公園にお前らがいたからな。あれは良いもの見せて貰ったよ。」

 

 顔を真赤にして慌てる幽々子をからかう武尊、これでは怒られて殴られたりしても仕方ないだろう。

 

 あの日の夜は良いものを見せてもらった。弟の恋愛が成就したところを見ることなんて一生見ることなんてないと思っていたからな。

 

「しかし、ありがとな、大和を愛してくれて。 あいつ馬鹿だけど、俺の大切な弟だからな」

 

「でも、大和はお兄さんのことを憎んでいたはずよ」

 

「そりゃあそうだ。 あいつに憎まれるようなことを沢山してきたからな」

 

 本気で喧嘩したり、あいつを強くするために無茶な難題を突きつけたり、大和にとって悪いことを俺は沢山してきた。それで憎まれても仕方がないことだろう。

 

 だが、それで構わない。どんなに恨まれようとも、どんなに憎まれようとも、あいつが自立し強くなってくれればそれだけで良い。

 

 そのためなら、俺は悪になっても良いと思っている。

 

「さてと、そんな辛気臭い話は終わりだ。 なんか美味いものでも食べに行こうぜ」

 

「本当に!?」

 

 食べ物と聞いた途端、目を輝かせる幽々子。本当に食べることが好きなお嬢様だ。

 

「あぁ、好きなもの選んでくれ。 ゆゆちゃん食うの好きだろ?」

 

「うん。 でも何でそれを知ってるのかしら?」

 

「いつも家で大和の飯を美味しそうに沢山食ってるだろう? そのくらい見ればわかるさ」

 

 誤算だった。美味しいとはいえ、まさか大和の家でごはんを沢山食べていたとは気付かなかった。

 

 武尊だけではない、同じ食卓を囲んでいた和生や紅虎さんもそれは知っている。幽々子が大食らいってことは既に知っていることだ。

 

「しっかし、大和も大変だな。 もしゆゆちゃんが嫁さんになったら、あいつ一生飯炊きに苦労するぜ」

 

「どうゆうことよそれ!」

 

 怒って武尊の背中を幽々子は叩こうとしたが、まるでそれを見透かしていたかのように武尊は簡単に回避する。

 

「あっぶね。」

 

「もう、避けないでよ」

 

「悪い悪い、つい癖で。攻撃が来ると無意識に避けちゃうんだよ」

 

「おもしろい癖ね。 まるで攻撃が来ることが最初からわかっていたかのような反応だったわよ」

 

「それはどうかな。 はっはっはっは」

 

 笑いでお茶を濁す武尊、どうやらその事に関してはあまり触れてはいけないような感じだった。

 

「そんなことはどうでも良いだろ。 取り敢えず飯だ飯。朝食ってないから腹減ってるだろうに」

 

「それもそうね。 それじゃああそこに行きたい」

 

「よし、行こうか」

 

 このとき武尊は自分の財布が悲惨な目に合うことも知る由もなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十七話 忍び寄る黒い影

「……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 かれこれ休まず一時間半、距離にして三十キロ以上は走っただろう。大和はひたすら走り続けていた。

 

 重りを着ながらの走行は非常に辛い。なにせ体重の約ニ倍近くのの重みと負担が足に掛かっているのだから、常人なら歩くことすらキツイだろう。

 

 それを大和は三十キロという長距離をペースを落とすどころか、休まずに走っているのだから、桁外れの足腰の強さと体力の持ち主だということが伺える。

 

「まだだ。この程度では、まだ終われない」

 

 長距離を走っていくうちに集中力と感覚が無意識に研ぎ澄まされる。そして無駄な思考や感情が消え去り、苦痛に満ちた表情も今では澄ましたような表情へと変化している。

 

 研ぎ澄まされて研ぎ澄まされて、まるで神経が剥き出しになったような感覚になっていく。

 

 そう、大和は鍛錬の中で超集中力《ゾーン》に入るコツを掴みつつあったのだ。

 

 やはり引き金(トリガー)になったのは武尊との稽古だったか、無理して闘い、苦痛が限界を超えたことによって偶然にもゾーンに入ったあのとき。

 

 苦痛が取り払われ、快感にも似た気持ちいい感覚、そして何よりもスローモーションの世界に入ったような不思議な感覚、あんな感覚は生まれて始めて感じた。

 

 これは武器になる。御巫紅虎や草薙武尊と闘うための有力な武器となるだろう。少なくとも大和はそう思っていた。

 

 そのためにと思うと大和はひたすら走り続ける。どこまでも走り続けようと思うのだろう。

 

 しかし彼もそのために走り続けようとも、そのためには数々の困難が立ちはだかることとを知らない。それは英雄にはつきものだということを知るよしもないからだ。

 

 ひたすら走り続ける最中、大和が向かった先は人気のない公園だった。

 

 

 

 《〜公園にて〜》

 

 見知らぬ緑草木が大いに茂る公園だった。

 

 まだ朝だからなのか、どこを見渡しても人はいない。まぁ人がいるとしたら、朝から元気なおじいちゃんや運動が好きな暇人ぐらいだろ。

 

 苦痛に耐えながらも走り続ける大和、無意識に立ち入った公園で幸いなことが起きるとなんて知る由もなかった。

 

 人気のない公園の中に足を踏み入れると、どうゆうことなのか背後から人の気配を感じる。

 

 軽く後ろを振り返っても誰もいない、しかし人の気配を感じる。一体これはどうゆうことなのか?

 

 理由は明白、それは誰かが身を潜めながら俺を追跡しているということ、つまるところストーキングみたいなものだ。

 

 俺を追っている人物が気になったのもあるが、なによりも追跡されることが性に合わない。

 

 仕方なく大和は足を止めてその場に留まり、後ろを振り向いて誰かに話しかけるかのように言葉を放った。

 

「隠れてないでとっと出てきたらどうだ。俺を追っていることはわかっているんだからよ」

 

 そう言って突然姿を現したのは黒い衣を身に纏った五人の忍者だった。

 

 身長は全員180センチ以上あり、体格は非常に恵まれている。服の上からなので確信的には言えないが恐らく奴らの身体は引き締まった筋肉で覆われているのだろう。

 

 見たところ武器らしい武器は持ってないし見当たらない、だが俺を殺すための武器を持っていることは確かなことであろう。少なくとも大和はそうわかっていた。

 

 何も言わずとも、こいつらが俺の命を狙っていることはわかっている。微かだが殺気や気配でそうわかるのだ。

 

「なんだ、てめぇらは?」

 

「草薙大和、とお見受けする。」

 

「そうだよ、だったらなんだ?」

 

 そう言った途端、黒い衣を身に纏った男が大和との距離を縮めて来る。そう、懐に潜り込んできたのだ。

 

「お命頂戴する。」

 

 男の手元が一瞬煌く、それは刃物が光った煌めきだった。

 

 そしてそのまま刃物は大和の腹部に向かってドスッと突き立てられ容赦無く突き刺さしたように見えた。

 

 しかし。

 

「ってーな。 いきなり何だよ?」

 

 腹部に突き刺さる前に大和は素手で刃物を掴んだのだ。その代わりに四本の指が深く切れてしまい、ドクドクと夥しい血が流れてしまう。

 

 引かれて指が切り落ちる前に大和は本能的に刃物を手放した。

 

 そしてその直後、自分が味わった痛みを倍返しするかのように大和は男の股間を容赦なく蹴り上げた。

 

「うぐっっ??!!」

 

 見事命中した。どうやら効果は抜群だったようだ。まぁ男であれば通用するのは当然のことなのか。

 

 男性であれば間違いなく気絶する苦痛、黒い衣を身に纏った男は股間を抑えながらその場に倒れ込んでしまう。

 

「ったく、危ねえな」

 

 左の二の腕を右手で押さえつけて、指からの出血を緩やかにさせる。そうすると血の流れが止まって自然と出血が収まるようになるのだ。

 

 それにしても、こいつらは一体何者なんだ?さっきお命頂戴するとか言ってたけど、俺に何か恨みでもあるのかよ。

 

 少なくとも俺は誰かに恨みを買うようなことはしていないぞ、もしするとしたら和生の方だ。あいつは誰これ構わず他人から恨みを買うやつだからな。

 

「どうして俺の命を狙う?俺は恨みを買った覚えはないぞ」

 

「「「「………………………」」」」

 

 しかし黒い衣を身に纏った男達は大和の質問に対して答えない。答える気は毛頭ない。

 

 その代わり、残った四人の忍者は懐から短刀を取り出し、大和に向かって切っ先を向ける。まるで今から殺し合いを始めようと言わんばかりに。

 

 どうやら本当に俺を殺そうとしているようだ。まったく、今日はついてない。

 

 大和の返事に答えない代わりに四人の男達は仲間内で話し合いを始める。

 

「草薙大和、まだ幼いが中々強い。」

 

「勝てない相手ではないが手強いぞ。恐らく体力だけなら若にも匹敵するかもしれない」

 

「どうやって始末する?」

 

「真っ向からでも構わないだろう。強いが化け物レベルではない。」

 

 次々と話を進める四人の男、どうやら大和の戦闘力の推測とどうやって殺そうか決めているらしい。まったく物騒な奴らだな。

 

 自分の質問には答えず、仲間で話し合っていることが気に食わなったのだろう。気に入らないような表情を浮かべながら大和は再び男達に話し掛ける。

 

「いきなり何だよ急に仲間内で話しやがって、しゃべれるなら俺の質問にも答えろってんだ。」

 

「「「「………………」」」」

 

 しかし答えない。答える気すら感じさせない。どうやら敵対象とは喋らないらしい。言わなくても質問に答えないところがそう物語っている。

 

 無視されることが嫌いだった大和の表情は余計に不機嫌になり苛立ちを感じさせる。

 

 もはや言葉を交わすことはできないとわかると、大和は着込んでいた五十キロの重りを脱いでその場に置き、拳を構えて戦闘態勢に入る。

 

「さてと、わかってると思うけど、無事で帰れると思うなよなっ!」

 

 刃物を手に持っている相手に対して、まるで特攻するかのように大和は四人のうちの一人との間合いを一気に詰める。

 

 重りを外したことによって大和の動くスピードが格段に速くなっている。その速さは凄まじく、並の反射神経や瞬発力では追えないほどのスピードだった。

 

「………速いな」

 

 しかし、大和が風神の如く、目にも留まらぬ速さで動いているのにも関わらず、黒い衣を纏った男達は驚くことすらしなかった。まるでそれが当たり前だと言わんばかりに。

 

 敵の反応に違和感を感じながらも大和は間合いを詰め、攻撃を仕掛ける。

 

 まず大和は相手の顔面に向かって左ジャブを放って瞬時に引いた。

 

 左ジャブ、人間の反応速度を容易に超えたスピードで放たれる攻撃、未来予知でもなければ避けることは到底のことながら不可能の手段。

 

 この攻撃は相手を仕留めるためではない。相手の出方を見るための先制攻撃である。

 

 常人であれば左ジャブをまともに喰らってKOできたであろう。もしくはヒットしてダメージを与えられたはず。

 

 しかし今回は相手が悪かった。

 

 男は大和の左ジャブは容易に手の平で受け止めて防ぎ、まるで何もなかったかのような表情で大和を見る。

 

 それに対して大和は驚きを隠しきれなかった。見定めとはいえ、最速の攻撃を意図も簡単に受け止められたのだから。

 

「おい嘘だろ? 受け止めやがった。」

 

「なんだ、その程度の攻撃か」 

 

 攻撃を受け止めた直後、男は容赦なく大和の首を狙って右手に持っていた短刀を振るった。

 

「やべぇっ」

 

 驚きながらも首を狙われていることに直感で気づいた大和は瞬時に気持ちを切り替え、自分の首を目掛けて振るわれた短刀を紙一重で回避する。

 

 相手が刃物だということもあり、一度の攻撃を避けただけで冷や汗が止まらなかった。

 

 あともう少し避けるのが遅かったら短刀で頸動脈を切られて終わっていた。確実に死んでいたであろう。

 

 避けたのも束の間、黒い衣の男の攻撃はまだ終わらない。

 

 今度狙われた箇所はわからない。手首、首、胴体、足腰、決まった部位を狙わず、縦横無尽に短刀を振るわれた。

 

 刃物という性質上、狙われる部位全てが急所とも言える。一度でもまともに喰らえば致命傷は間逃れない。

 

(あっぶねぇっ!!)

 

 相手のパターンが予測できない攻撃に対して、大和は横に縦に動いて、身体中に掠りも何度もしたが、なんとかギリギリ全ての攻撃を回避する。

 

 無論、一つ一つ避けるのに神経を大きく削っていた。

 

 しかし避けるだけが脳ではない。攻撃を何度か避けると反撃に出る。

 

 首に向かって振るわれた短刀を避け、攻撃が完全に振り切った直後、大和は相手の顔面に向かって右足で蹴りを放った。

 

 反撃を予測できなかったのであろう。男の顔面、厳密には下顎にクリーンヒットする。

 

 だが、ただ受けるだけでは終わらない。男は蹴りをまともに喰らう直前、大和の右上腕二頭に向かって短刀を振るった。

 

 刃は大和の上腕二頭に見事に引き裂き、傷口からは大量の鮮血が吹き出てきた。

 

「ちっ………」

 

 それと同時に引き裂かれた痛みが上腕二頭に走り出すが、歯を噛み締めて痛みに耐えて、蹴りに力を入れる。

 

 振り抜かれた大和の蹴りで男の意識は完全に絶たれ、為す術もなく男の躯体はその場に倒れ込んでしまう。

 

「………よし」

 

 なんとか一人仕留め終えると、次は誰が相手なのだと大和は残っている三人の男達を睨みつける。

 

 まだ闘うと言うのならば俺も容赦はしないぞと言わんばかりに男達に向かって殺気を剥き出しにして威嚇をする大和、まるでこれ以上の闘いは命を無駄にするだけだと思わせるような素振りだった。

 

 武器を持った敵がいると思うと気が悔やまれる。武尊や紅虎さんよりも弱いとはいえかなりの強敵、恐らく俺と同等か少しばかり強い相手だと予測する。

 

「今度は誰が相手だ?仲間一人やられたぐらいで怖気付くような奴らではないだろう」

 

 本音を言えばもう闘いたくはない、闘いを長引かせなくはない。さっき上腕二頭に喰らった攻撃のせいで出血し、血を多く流したせいで貧血気味になっていたのだ。

 

 これ以上闘えば間違いなく出血大量でこちらが自滅するのは目に見えている。だからこそ殺気を露わにして威嚇をし相手が俺を見逃すように仕向けているのだ。

 

 

「草薙大和……ムラはあるが中々強いな」

 

「こいつの殺気、これ以上の闘いは無意味か」

 

「これは撤退した方が良いな」

 

 まだ無傷だった男のうち二人は倒れた二人の男を起き上がらせて背負うように担いだ。

 

 そして大和に背を向けて走り出すと風のように去っていき、数秒足らずでその場から姿を消してしまった。

 

 ストーカーされていたと思いきや突然刃物で刺されそうになり、闘ったと思えばあっさりと立ち去ってしまう。全く忙しい奴らだ。

 

 謎の黒い男達がいなくなると、大和は脇腹を強く抑えて上腕二頭の出血を緩やかにする。貧血状態はどうしようもできなくても、これで出血大量死は先延ばしになり、あと何時間は動くことはできるだろう。

 

「こうしちゃいられねぇ」

 

 幽々子が心配になってきた。もしかしたら俺と同じように謎の黒い集団に襲われてるかもしれない。

 

 地面に落とした50キロの重りを片手に大和は自分の家に帰るために疾走する。

 

 果たして、あの黒い衣を纏った集団は何者だったのか?そして幽々子は無事なのか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十八話 狙われる幽々子

 他愛もない話をしてから数時間後のこと、二人は食事を食べ終えて、時間があったから近くの公園にまでやってきた。

 

 いつも通りたくさん食べた幽々子と久々に沢山食べた武尊、二人共味にも量にもとても満足しており、当分何も食べなくても良かったぐらいだった。幽々子を除いて。

 

「いや〜腹一杯食ったな」

 

「そうね、今日はご馳走さま」

 

 二人共大食い故に、とんでもない量の食事になったので銭は沢山飛んでいってしまったが、可愛い女の子の笑顔のためだと思い、別に金銭的な面は気にしないでおいた。

 

 それにお互い満足したのだ。それだけでも金を使って良かったと思う。

 

「それにしても久々に可愛い女の子と飯食ったぜ、いっぱい食べる姿も見れたし色々と満足だわ」

 

「それはどうも、お世辞でも嬉しいわ」

 

「へへっ、お世辞じゃあねぇよ。本当のことだよ」

 

 他愛もない話をしながら笑い合う二人、その姿はまるで恋人同士のようだった。もし大和が見ていたらどれだけキレていることやら見当もつかない。

 

 公園の真ん中までやってくると、二人はその場で足を止め、どうしてこの公園来たのか気になっていた幽々子は武尊に向かって話しかけてくる。

 

「ところでお兄さん、何で公園に来たのかしら?」

 

「それはちょっと理由があってな」

 

 幽々子を不安にさせないために、にこやかな表情を浮かべている武尊、しかしそれと同時に何か別のことを考えているような感じがしていた。

 

 深呼吸をして、話を止める武尊。そして一言呟く。

 

「………さてと」

 

 幽々子との話を途中で止めた途端、珍しく武尊は真剣な表情になると、幽々子に背を向けながらも背後を見ながらこう言った。

 

「朝っぱらからストーカーのように連いて来やがって、隠れてないでとっと出てこいや。」

 

「えっ?」

 

 武尊は一体誰に向かって話し掛けているのか、幽々子にはそれがわからなかった。

 

 そう言われて姿を現したのは黒い衣を身に纏う男が四人、現代の衣服と言うには大分古く、まるで忍者のような格好をしている四人の男達だった。

 

(こいつら、まさかな)

 

 黒い衣を身に纏う四人の男を見た途端、武尊の表情は険しくなり、無意識に何時でも戦闘状態になれるように心身共に身構えた。

 

 自分達を追っていた奴らの姿を見た瞬間、武尊は理解した。こいつらはやばい、気配や感じ取れた殺気から察するに俺を殺しに来た奴らだということを。

 

「なんだてめぇら? 俺達に何のようだよ?」

 

「草薙武尊とお見受けする」

 

「だったらどうする?今の時代に忍者とか流行らねぇぞ、まったく。」

 

 まさかな、この現代社会で忍者をお目に掛かれるとは夢にも思わなかった。幸福なことなのかそれとも不幸なことなのか、少なくとも自分の命が狙われている時点で不幸なことには間違いないだろう。

 

 武尊がそう言うと、黒い衣を身に纏った男の一人が懐から短刀を取り出すと同時に切っ先を武尊に向ける。

 

「貴様の命、貰い受ける!!」

 

 武尊との間合いを一気に詰めて、腹部に向かって短刀を突き刺そうとする男、まともに当たれば致命傷は免れない。

 

 しかし、相手が悪かった。相手が常人であれば勝負は着いていただろう。だが、今の相手は草薙武尊、常人ではなく超人の域に達した身体能力を持つ男。

 

 腹部に向かってくる短刀を難なく回避すると同時に、左手で短刀の柄を握り締めて身動きを封じた。

 

「なっ!?」

 

「残念だったな、俺に攻撃は当たらねぇよ。」

 

 反撃の返し、武尊は相手の顔面に向かって右拳を走らせる。

 

 ハードパンチャーと言ったところか、武尊の右ストレートが見事に顔面にクリーンヒットすると相手は為す術もなく意識を絶たれてしまう。

 

 あと残り三人、だが攻撃してくる気配はなく武尊の回避術を警戒している様子だった。

 

 仲間がやられても平然としているところを見ると、余程肝が据わっているとみえる。

 

「草薙武尊、こいつは強いな。」

 

「あぁ、並大抵の強さではない。」

 

「どうする、一旦撤退するか?」

 

「いや、それでは若に顔向けできない。」

 

 男達が話し合っている最中、何をぶつぶつ言っているのかと思いながらも、取り敢えず何かを考えているような表情を浮かべながら武尊が話しかけてくる。

 

「てめぇらの目的は何だ? まさか誰かに俺を殺せって言われたのかよ」

 

「そうだ。 そしてもう一つ、そこにいる女の確保を依頼されている」

 

(ゆゆちゃんを確保だと?)

 

 俺の殺害を依頼されていたのは薄々気づいてはいたが、一体どうして幽々子を確保するのか、その理由は全くわからない。

 

 もしかして、以前大和が言っていた幻想郷とやらからやって来た奴が幽々子を取り戻すために依頼してきたのか、だが、それならば俺を殺害する理由がわからなければ糸が掴めない。

 

 考えれば考えるほど、謎が深まるばかりだった。

 

「聞いても無駄だと思うが、あんたの依頼主は誰なんだ?」

 

「それは言えない。俺たちはただ貴様の殺害とそこの女の確保を命令されただけだからな」

 

「あっそ、わかったよ。」

 

 問いに答えないというのならもうこいつらには用はない。あとは適当に相手して勝利するのみ、それだけのこと。

 

 三人の男が懐から短刀を取り出すと全員揃って切っ先を武尊に向ける。どうやら殺す気満々のようだ。

 

「俺から離れんじゃねぇぞ、ゆゆちゃん」

 

 ここで幽々子に何かあったら弟の大和に顔向けできない。いや、どの面下げて会えば良いのかわからないと言った方が正しいのか。

 

「いざ参る!!」

 

 一人の男が短刀を両手に武尊に突っ込んでいく、その姿はまるでお国のために死ににいく神風のようなあっぱれな勇ましさだった。

 

 しかし、ただ馬や牛のように突っ込んで来るだけでは無意味、何か策略を考えなければ武尊を殺そうにも殺せない。

 

(馬鹿かよ。ただ突っ込んできても俺は殺せねぇのによ)

 

 男が懐に潜り込んできた途端のことだった。武尊は突き立てられた短刀が腹部に当たる前に片手で短刀の峰を掴んだ。

 

「なにっ!?」

 

 あまりの馬鹿力に男は思わず驚いてしまった。

 

 武尊に掴まれた短刀は動くことはなく、まるで万力にでも固定したかのような馬鹿力、到底のことながら振り払うこともできなかった。

 

「ほら、どうしたよ?」

 

「ちっ!」

 

 男は掴まれた短刀を諦めて手放す。

 

 そして懐から別の新しい短刀を抜いて武尊に向かって斬り掛かった。

 

 狙った先は頸動脈がある首、まともに当たれば出血多量で死に至ることは間違いなし。

 

 武尊は掴んでいる短刀に力を集中させていて気を取られている、恐らくこの一撃は当たるであろう。と男は確信にも似た自信を持っていた。

 

(よし、殺った)

 

 刃が首に当たる直後、男は武尊の命を取ったと確信した。しかし手は緩めない、慢心もしない。命を完璧に取るまでは油断できないと肝に命じていたからだ。

 

 しかし、その反面、現実は残酷であった。

 

 常人離れした反射神経というのか、それとも単なる天性の直感と言うべきなのか、武尊は持ち前の瞬発力で後ろに下がり、振るわれた短刀を難なく回避する。

 

(避けられた、だと!?)

 

「馬鹿だねぇ」

 

 今闘いの最中だと言うのに何故驚いている余裕があるのか、思わず武尊は呆れたような表情を浮かべてしまった。

 

 そんな余裕があるなら、新たな策を練って俺を殺す手段でも考えろ。もっと俺を驚かすような策略で挑んでこい、そう武尊の表情が物語っていた。

 

 武尊は掴んでいた短刀を柄に瞬時に持ち替えて、驚いている男の肩に向かって容赦なく突き刺した。

 

 

 

 

………………ザクッ!!

 

 

 

 

「…………っ!?!?!」

 

 肺まで達してしまったのか、深々と短刀が突き刺った男の肩から鮮血が吹き出し、あまりの痛みに肩を抑えながらその場に倒れ込んでしまう。

 

「さてと」

 

 倒れたのはこれで二人目、あと残りは二人。

 

 今思えば意外と呆気ない奴らだな、忍者とは言っても所詮は紛い物なのか、これならまだ大和の方が強いと思ってしまうよ。

 

「単体で俺に勝てると思わねぇほうが良いぞ、それとも逃げるか? 俺はどっちでも構わんぞ」

 

 そう言うと、また攻撃を仕掛けてこずに話し合いを始める二人の忍者、まったく話し合いの好きな奴らのことだ。

 

「強い、本当に強い」

 

「今の我らでは勝機はないな。 どうする?」

 

「そうだな、ここは」

 

 一体何を思ったのか、黒い衣を身に纏った男の一人が懐から鎖分銅を取り出すと同時に幽々子に向かって投げ出したのであった。

 

「えっ?」

 

「女を捉えて撤退だ。」

 

 狙いは単純、少々野蛮な手口になるが幽々子を捉えてからの撤退をする。

 

 無論、突然の出来事に幽々子は反応するどころか何が起きたのかすらわかっていなかった。

 

 このままでは為す術も無く幽々子が捉えられてしまう。そう思っていた直後のことだった。

 

「残念だったな」

 

 なんと、幽々子に向って飛来する鎖分銅を武尊が素手で捉えて握り締めたのだった。

 

「残念だったな、全部視えてんだよ(・・・・・・)

 

 鎖分銅を綱引きのように引っ張り上げて男を近くに寄らせる武尊、その引っ張る力は尋常ではなく、まるでトラックにでも引っ張られているような怪力だった。

 

 その剛腕故に男は必死に抵抗するものの武尊には敵わなかった。

 

 男が近くまで寄ってくると、まるで豚を見るような目つきで睨みつけてくる武尊。慈悲というものは存在せず冷酷無慈悲な表情をしている。

 

「一度しか言わねぇからしっかりと聞けよ。今日のところは見逃してやる。今度は全勢力を上げて掛かってきやがれ、そして俺を楽しませろ。」

 

 今までにないほどに不気味とも言える、満面な笑みを浮かべながらそう言ってくる武尊。

 

 忠告を終えると握っていた鎖分銅を男に向かって軽く投げた。

 

 情けを掛けられたことがよほど悔しかったのだろう。男は唇を噛み締めて、黒い布越しでもわかるほどの屈辱に満ちた表情を浮かべていた

 

「良いだろう。次会う時、その時こそが貴様の最後の命だ。覚悟しておけよ草薙武尊。」

 

「あぁ、楽しみにしてるよ。全力で殺し合えることを心から願うぜ」

 

「覚えとくが良い、我らは風魔一族、それが貴様を殺す名だ。」

 

 そう言うと気絶している一人を仲間が背負い、怪我を負ったもう一人は肩に突き刺さっている短刀を引き抜いて自力で立ち上がり、風の如くその場から立ち去っていった。

 

 風のように現れ、風のように去っていくその姿はまさに忍、どうやら本物の忍者のようだった。

 

「風魔一族か………」

 

 自分たちを襲ってきた名を呟く武尊。

 

 そして戦いを終えると、武尊は幽々子の側に寄って心配そうに話し掛けてくる。

 

「ゆゆちゃん大丈夫かい? 怪我とかしてねぇよな?」

 

「うん、お兄さんが守ってくれたから何ともないわ」

 

「それなら良かった。」

 

 怪我とかしてなくて本当に良かった。もし幽々子に何かあったら弟の大和になにを言われることやら見当もつかない。

 

 取り敢えずだ、取り敢えず今日は何処にもいかずにもう家に帰ろう。また風魔一族の連中に襲われたらたまったものではないからな。

 

「今日は家に帰ろう。 外は危険がいっぱいだからな」

 

「そうね」

 

 そう言うと二人は特に寄り道もせずにさっさと家に帰っていった。

 

 突如二人を襲ってきた風魔一族、果たして草薙家の一族はどう対処するのか?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十九話 崩れ落ちた日常

「おかえり兄貴と幽々子」

 

 屋敷に戻って見ると、そこには怪我を治療するために身体中に包帯を巻いている大和がいたのだ。

 

 怪我やその様子だと大和も風魔一族に狙われたのか、一体どうゆう理由で襲ってきたのか見当もつかない。

 

「やれやれ、そっちもやられたか」

 

「あぁ中々手強くてな、おかげでこんなになっちまったよ」

 

 生傷だらけになった手や身体、相手に苦戦したことがよく分かる。

 

「ちょっと大和、それ大丈夫なの!?」

 

「最悪は免れた。 ただ痛ぇけどな」

 

 自分の代わりに怪我したところを治療してくれる幽々子、大和の怪我を心配そうに見ており、まるで自分のように優しく傷を癒そうとしてくれる。

 

 こんな綺麗な人に治療されたら嫌でも怪我が治ってしまう、大和の顔は少し赤らめていた。

 

 それにしても、そっちもやられたと言うことは武尊の兄貴も謎の集団に襲われたようだな。

 

 まったく急に何だよって言いたいところだよ。

 

「兄貴もやられたのか?」

 

「そうだな、てめぇみたいにやられはしなかったが、ゆゆちゃんを守ることで神経削ったよ。この借りはいつか返して貰うからな」

 

「わかーったよ。 まったく恩着せがましいんだから」

 

 武尊のことだ。酒や美味いつまみでも与えとけば上機嫌になるから、そうしよう。

 

 それにしても気になるのが、あの謎の集団は一体何だったのか、俺や武尊を襲うことに何の意味があったのか?

 

 俺は特に何も知らないしわからない。なんて言ったって闘うことでやっとだったからな、相手の情報を探る余裕なんて微塵たりともなかった。

 

 俺にはできなかったが、無傷で生還した兄貴なら何かしっているんじゃあねぇのかな、恐らく相手を圧倒して勝利を収めたのだろう、闘いの最中に相手の情報を探るぐらい兄貴にとっては簡単なことだと思うからだ。

 

「ところで兄貴、相手のことなんかわかったか?」

 

「あぁ、やつらの名前は風魔一族、目的は俺や大和の殺害、そしてゆゆちゃんを捉えることだ」

 

「幽々子を捉えるだと?」

 

 つまりターゲットになっているのは俺達だけではなく、幽々子も狙われているというのか、でもどうして?

 

 俺達の殺害は容易に考えられる、だがそれと同時にどうして幽々子の確保を依頼されているのか、それがさっぱりわからない。

 

 ふと考えていると、大和は一つの答えを導き出すと同時に植え付けられたトラウマが垣間見えた。

 

 わかったのだ。風魔一族に俺達の殺害、そして幽々子の確保を依頼してきた人物が、わかってしまったのだ。

 

「あいつだ………八雲紫だ。」

 

「八雲紫だと?」

 

 大和の身体が突然震えだす、そして震えを抑えるために両手で力強く身体を抑える。

 

 今でも思い出す、対面したときの記憶。いや、忘れろと言われたほうが無理なことだ。あんな禍々しい気配は一生忘れられるわけがない。

 

「ちくしょう、震えが………」

 

「大和」

 

 恐怖に怯える大和を優しく抱きしめる幽々子、抱きしめられると自然と震えが小さくなり、少しながら安心感が湧いてくる。

 

「幽々子を連れて帰ろうとした化け物だよ。あいつはやばい、マジでヤバい………」

 

「そいつが風魔一族に俺達の殺害とゆゆちゃんを捉えることを依頼してきたんだな。そうだな大和」

 

「あっ、あぁ………」

 

 恐怖を少しでも無くすために幽々子を力強く抱きしめる大和、そうすると幽々子が本当にいることを実感できるような気がして安心するのだ。

 

「こいつは………」

 

 こんな恐怖に怯える大和を見るのは生まれてはじめてのことだった。こいつは死ぬこと以外は何に対しても怯えないと思っていたがそれは間違いのようだったな。

 

 八雲紫という存在に死の恐怖を感じてると同時に、幽々子がいなくなることに恐怖を感じている。

 

 これが大切な人、護るべき者を持った者の代償、恐らく幽々子がいなくなることが自分の死よりも恐れていることなのだろう。

 

「いなくならないでくれ幽々子、どうか俺を一人にしないで」

 

「相当怖がってるな」

 

「ごめんなさい。八雲紫は私の友人なの」

 

 それを聞いた瞬間、武尊は驚いたような表情を浮かべる。

 

 八雲紫が幽々子の友人であるということ、それはつまり八雲紫に関する情報を得ることができるというとことだ。ならば聞くしか他はない。

 

 間髪入れず、幽々子に質問を問いかける武尊、もちろんこれから闘うための有力な情報を得るためにだ。

 

「なんかわからねぇのかゆゆちゃん? その八雲紫とか言う友人のことを、何でも良いんだよ」

 

「闘うつもりなの?なら止めておきなさい。貴方達がいくら束になっても勝てるような相手ではないわ」

 

 その言葉が信じられないと言わんばかりに、武尊は青ざめた表情を浮かべる。

 

「そんな相手なのかよ、その八雲紫ってやつは」

 

 正直予想外だった。俺は紅虎以外に負けることは絶対に無いと思っていたが、まさかこの世にどうしようもない相手がいるとは思ってもいなかった。

 

 幽々子が嘘をつくような子ではないことはわかっている。だからこそ悔しいと言ったらいいのか、俺達草薙家の力では八雲紫に為す術がないことがどれだけの屈辱か。

 

 怯える大和の頭を優しく撫でる幽々子、その姿は慈愛に満ちているようだった。

 

「でも、知らないよりは良いわね。良いわ、知っている限り紫のことを教えてあげる」

 

「あぁ、頼むぜ」

 

 

 

 

 

 《〜少女説明中〜》

 

 

 

 

 

 

 八雲紫のことを説明されたが、その内容は驚きの連続であり、不可思議なことで満ち溢れているものだった。

 

 まず第一に『境界を操る程度の能力』って言うものが理解し難いものだった。そんな空想やファンタジーに出てきそうな能力がこの世に存在するものなのかと武尊は思っていた。

 

 況してや八雲紫という人物は妖怪という話だ。もう空想と現実の区別が付かなくなってしまうのは時間の問題であった。

 

 しかし大和は信じていた。いや実際に『境界を操る程度の能力』を見ていたうえに、実感していたので信じる他はなかった。

 

「まじかよ、そんな奴が相手だって言うのか?」

 

「闘うなんて考えないほうが良いわ。貴方達ではどうしようもない相手なんだから」

 

 言うならば核兵器VS竹槍の闘い。無論、核兵器は八雲紫のことであり、竹槍は草薙家一同のことである。

 

 勝てるはずがない。身体能力が極めて高い人間の一族

とはいえ、人知では理解できない異能力を持つ八雲紫に立ち向かうというのは無謀としか言いようがない。

 

 

 

……………しかし。

 

 

 

「ゆゆちゃん、悪いがこの戦降りねぇぜ」

 

「えっ?」

 

 武尊は諦めない。いや、諦めるわけにはいかないという方が正しいのか。

 

 どんな奴が相手だろうと逃げはしない。例え相手が未知なる能力を持つ化け物だとしても恐れを成して逃げはしない。それが俺の生き方であり、生き様でもある。

 

 それに相手は化け物だけではない、しっかりとした普通の人間もいる。

 

 その場から立ち上がるや否や、武尊は襖を開けて茶の間から出ていくと大声で叫びだす。

 

「和生っっ!!戦争だっっ!!戦闘準備をしやがれっ!!」

 

 人生始まってから起きた始めての戦争、これを楽しまないでどうするというのか、武尊の心は今までにないほどに高ぶっていた。

 

 風魔一族、伝説の忍一族、そして八雲紫という妖怪との戦争。こんな楽しいことになりそうなことは滅多にないことだ。これまで積み上げてきた長年の鍛錬、ここで発揮せずしてどこで発揮するべきか。

 

 この闘いは楽しくなりそう、闘うことにワクワク感が止まらない。そんな戦闘狂染みた感情が武尊の心を駆り立てていた。

 

 戦の準備を整えに行った武尊、本気で風魔一族と八雲紫を潰しにかかる気だ。勇敢というべきか、それとも無謀と言うべきか、それは闘いが終えてからでないとわからないことだ。

 

「俺も行くよ。」

 

 そう言うと幽々子から離れる大和、どうやら恐怖を大分緩和できたような感じだった。

 

 もう本当に大丈夫なのかと心配そうな表情で大和を見つめる幽々子。

 

 恐らく心底では恐怖がまだ残っているだろう、震えたいだろう叫びたいだろう、考えずともそれはわかっていた。

 

「大和、大丈夫なの?」

 

「もう大丈夫だよ、幽々子が傍にいてくれるからな」

 

 震えていた時よりはまだマシな表情だった。

 

 十分とは言えないが表情に生気はある、死んでいる顔ではなく生きた表情をしている。

 

 すると大和は幽々子を再び抱きしめた。今度は恐れているからではなく、守るために優しく抱きしめたのであった。

 

「俺が守ってやるからな幽々子。」

 

「うん、でも無理はしないでちょうだい」

 

「わかっている」

 

 その場から立ち上がり、歩いて茶の間を出ていく大和。

 

 武尊と同様、いつでも戦えるようにこれから部屋に行って戦闘準備を始めるようだ。

 

 ただし俺の場合、武装とか兵装とかはしない。やるとしたら武器を取り出すだけのこと、それぐらいしか俺の戦闘準備はやることはない。

 

 例えどんな奴が取り戻しに来ても幽々子は渡さない。絶対に譲らない。命に変えても護ると心に誓う。

 

 

 

 

 

 

   《風魔一族アジト》

 

 

 

 風間組が持っていた物件の一角。このあたりには他にも色々とアジトがあり、任務があるときには応急処置や休憩場所として風魔一族が良く使う場所である。

 

 武尊に怪我を負わされた仲間の傷を処置しながら、現状報告をする風魔の部下達。

 

 部下の目の前には頭目である風間獣蔵がおり、やられた仲間の怪我を見つめるように確かめている。

 

「随分とやられたね。精鋭の君達が」

 

「すいません若、手強い奴らで」

 

「言い訳はいらんよ。それを承知の上での任務だろうが」

 

「すいません」

 

 任務に失敗は許されない。故に隠密がバレた挙げ句に返り討ちにあったなんて本来なら処刑されてもおかしくないことだった。

 

 しかし、今回は許してあげよう。隠密による情報収集が失敗したとはいえ、その代わりに戦闘による情報を得られたのだから。

 

 風間獣蔵が気になっていた情報、それは。

 

「それで、どいつが一番強かったんだ?」

 

「恐らくは草薙武尊が一番だと思います。奴は常人離れした身体能力に加えて予測能力は人間業ではない。恐らく若と同じ力(・・・・・)を持っているはずです」

 

「それは凄いやつだね。俺でも勝てるかどうかだ」

 

 草薙兄弟の戦闘能力は直に見たことがないので把握してはないが、話によると長男が一番強いということか。

 

 あくまでも予想の話だが、驚異的な身体能力に加えて俺と同じ力を持っていると考えると、本気の俺でも勝てるかどうかの話になる。恐らく無事ではすまないだろう。

 

 とりあえず長男がとてつもなく強いのはわかった。問題は次男の草薙大和がどういったやつなのかだ

 

「それじゃあ怪童はどうなの?」

 

「草薙大和は今の所は未熟な部分が多いですが、戦いの中で成長するタイプです。恐らくこれからも強くなるでしょう」

 

「へぇ〜それは楽しそうだね。」

 

 今は目立った戦闘力は見せていないが、それはまだ本人の潜在能力が底を見せておらず、まだ発展途上の最中だということ。つまりこれから更に強くなるということだ。

 

 今はまだ自分にとって敵わない相手だしても、いずれ力を付けて強くなり自分の驚異となる。そんな奴を相手にできると思うと喜びが湧き上がってくる。

 

「よし決めた。今回の俺の獲物」

 

「と、申しますと」

 

「うん、やっぱ怪童にするよ。面白そうなやつだし。前からあいつには興味があったんだ。」

 

 依頼されたときから狙っていたが、今の話を聞いてようやく決断ができた。やはり自分の標的になるのは草薙大和だということを。

 

「では私達の相手は?」

 

「うん。武尊と和生はそっちに任せるよ。」

 

「御意」

 

 大和は若である風間獣蔵が一人で、武尊と和生は精鋭部隊が全総力を結成して殺しに掛かることが決定した。

 

 影でひっそりと話が進まっていく風魔一族の密談。はたして草薙一族の運命はどうなることか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十話 果たし状

 風魔一族襲撃から翌日のこと、草薙兄弟達は一日掛けて戦闘準備をしていた。

 

 武尊は自分の部屋で何か日本刀や長巻などの武器の手入れや装備の確認などの準備を真剣に一人でやっており、到底のことながら話に行くことはできない様子だった。

 

 弟の和生も武尊に言われた通り、銃のマガジンに弾を込めたり武器の確認をしたり、防弾チョッキなどの装備の安全確認にしたりして武装準備をしていた。

 

 二人共、風魔一族や八雲紫との戦争のために本気で戦闘準備をしており、まるでこれから本物の殺し合いでも始めるような感じだった。

 

 みんなが戦闘準備をしている一方、次男の大和はというと、普段どおり朝早く起きて鍛錬に励み、鍛錬が終わればみんなのために朝食を作って腹ごしらえをする。いつもの日常と変わらないことをやっていた。

 

 朝食を作り終えて茶の間に準備すると、目を覚ました幽々子が茶の間にやってきた。

 

「おはよう幽々子」

 

「おはよー大和」

 

 大きな欠伸をしながらあいさつをする幽々子、それと同時にグゥ~とお腹を鳴らしていた。

 

 食事が用意されていたちゃぶ台の前に座り、朝食を食べる準備をする。

 

 しかし気になったのが茶の間に来ているのが大和と自分以外にいないということ、普段ならみんな集まっても良い時間なのに誰も来ていない。

 

 二人の事情を知らなかった幽々子にとって一体どうゆうことなのかわからなかった。

 

「あら?お兄さんと和生くんは?」

 

「あの二人は戦いの準備をしているよ。だから先に食べていようぜ」

 

 兄貴達、今は戦の準備をしているが、腹が空いて限界がきたら嫌でもやってくるだろう。兄貴のことだから『腹が減っては戦はできぬ』とか言いそうだし。

 

 それに対して二人が戦の準備をしていることが無意味だと思ってしまったのだろうか、珍しく幽々子は目を細めて呆れたような表情を浮かべていた。

 

 こんな表情をしている幽々子を見たのは初めてだった。兄貴達のことを心配しているのか、それとも馬鹿な奴らだと思っているのか、その真相は本人にしかわからないが、とりあえず普通ではない顔をしている。

 

「紫と本当に闘うのね」

 

「あぁ、俺も含めてな。」

 

「どうにかならないかしら?私は無意味に散る命を見たくはないわ」

 

「それは無理だな。ああ見えて兄貴は戦闘狂だし、例え自分が死ぬとわかっていても止めないだろうよ。」

 

 八雲紫との闘いによって確実に命が散る運命だとしても、兄貴は闘うことを決して止めることはないだろう。いや、決めたことを途中で止める自分を許すことはできないと言った方が正しいのか、兄貴はああ見えて自分で決断をしたことは決して変えない男だからな。

 

 この闘いをやめさせることができないだろうと思ったのだろうか、幽々子は諦めたような表情を浮かべ、どこか納得したような素振りを見せる。

 

「わかったわ。もう私は止めない」

 

 そう言うと何を思ったのか、幽々子は大和を抱き締めながら唇を重ねてきた。

 

 突然のことに大和は驚きを隠せずにいたが、それよりもキスしていることに意識を取られ、なんだか安心感に包まれる。ずっとこの時間が続けば良いなと思ってしまった。

 

 数秒という短いようで長い時のあいだ唇を重ねると、幽々子はキスすることと抱き合うことをやめて、一言だけ言葉を放つ。

 

「貴方だけでも生き延びて頂戴、死んだら一生恨むわよ」

 

「あっ、あぁ………」

 

 抱き合い、キスをし合ったことによって大和は顔を真赤にする。どうやら恥ずかしかったようだ。

 

 そうか、今俺達は抱き合って唇を重ねあったのか。今のが愛情表現ってやつなのかな。

 

 兄貴とは違って俺は死ぬつもりは毛頭ない。これから始まる戦争から生き残るために、これから始まるであろう幽々子と共に歩む未来のために闘うのだ。

 

「取り敢えず飯食おうぜ、まずは腹拵えをしないと何も出来ないからよ」

 

「そうね、頂きましょう」

 

 二人は箸を手に持ちながら、いただきますをして朝食を食べ始める。

 

 

 

     《〜少年少女食事中〜》

 

 

 

 数十分後、大和と幽々子が朝食を食べ終えると、いつものように大和が食べ終えた食器を片付けて台所へと向かう。

 

 食器を片付け終えて、茶の間に戻ってみると、一体いつやってきたのか、そこには幽々子と一緒に紅虎がいた。

 

「おつかれさまです大和」

 

「……紅虎さん、いつ来たんですか?」

 

「今さっきよ。大和が来る数分前に」

 

 神出鬼没というかなんというか、やはりこの人の行動パターンはよくわからないものがある。

 

 それにしてもなにしに来たのか、やはりいつものように兄貴と対談するために?それとも俺の様子をみるためにやってきたのか?それは本人にしかわからない。

 

「今日はどんな要件で来たんですか?」

 

「特に何の理由もなく貴方の屋敷に来たら駄目なんですか?」

 

「いや、そうじゃないですけど」

 

「まぁ、いいでしょう。今日来たのは理由があってのことですから」

 

「それはどんなことで」

 

「武尊から聞きましたが、貴方も風魔一族と闘うようですね、しかも殺し合いをしに」

 

 昨日の情報がもう既に紅虎さんの耳に入っていた。いや、あの短時間で一体いつ紅虎さんは武尊の兄貴と対談したのか、それが気になった。

 

 それよりも俺が風魔一族と闘うことを紅虎さんが知っているということは、何かしらのアドバイスや忠告をしにきたということだ。

 

 ありえないことだが、もし紅虎さんが闘うことを止めるというのならばそれはできないことだ。闘うことを拒否するのは兄貴が許してくれないことだからな。

 

 もし闘いを止めるとすれば俺をボコボコにして再起不能にし、闘えないコンディションにするしか方法はない。

 

「はい、俺は風魔一族と闘います。」

 

「気迫良し、面構えも良好。止める手立てはありませんね」

 

「というと」

 

「本来ならばまだ未熟な愛弟子を止めるのが師としての務めとも言えますが、貴方の様子を改めて見て止める気がなくなりました。十二分に闘いなさい。」

 

「わかりました。」

 

「それと、風魔一族には特に注意深くしなさい。彼等は殺しのプロ、どんな手段を使ってくるのか見当もつきませんからね」

 

 以前、遭遇したときは短刀のみを使ってきただけだが、今度は何を使ってくるのかさっぱりわからない。忍者特有の手裏剣や煙玉、毒薬や吹き矢など、恐らくあらゆる手段を使って俺達を殺しに掛かってくるであろう。

 

 それは承知の上だ。俺達がやるのは純粋な闘いではなく、清濁と含めた何でも有りの殺し合いである。

 

 拳と拳の闘いはなくても、汚い手段を使われるであろう、あらゆる卑劣な手段を使われるであろう。だが、それが許されるのが俺達と風魔一族との間で行われる殺し合いである。

 

 紅虎にはそれがわかっていた。過去に何度も経験していたから痛いほどわかっていた。

 

 だが、大和はどうだ?刃物との戦闘経験はあるとはいえ、純粋な闘いしか知らない。そんな存在が殺し合いをするなんて自殺行為にも等しいことだ。

 

 だが、百聞は一見にしかず。百度聞かされるよりも一度経験したほうが本人のためになる。少なくとも紅虎はそう考えていた。

 

 だから武尊達と共に殺し合いを経験させる。だから風魔一族との殺し合いに参加させるのだ。全ては愛弟子である大和を強くするために。

 

「良いですか?今から行うのは今までやってきたお遊びではなく、本物の殺し合いです。お遊びと同じような感覚で挑んだら間違いなく死にますよ」

 

「………はい。」

 

 二人がこれからの風魔一族との決闘について話していると、ついに空腹が耐えきれなかったのか、茶の間に武尊と和生が姿を現したのであった。

 

「いや〜腹減った腹減った。大和〜飯の支度してくれ」

 

「大兄貴ほどではないけど、俺も腹減ったよ」

 

 すでに茶の間にいた幽々子と紅虎、そして大和の存在に気がつくと、武尊は笑顔で話し掛けてくる。

 

「よっ紅虎さん、それにゆゆちゃん、相変わらず可愛いな」

 

「おはようございます。お兄さん」

 

 幽々子にデレデレしている最中、大和と紅虎が何か重要なことを話していたことに気がついたのだろう。武尊は気持ちを切り替えて真剣な表情を浮かべる。

 

「風魔一族のことか? それともこれからの決闘についてでも話していたのか?」

 

「両方だよ兄貴。」

 

「そうか。」

 

「………………」

 

「別にお前はやめても良いんだぜ」

 

「えっ?」

 

「お前には護る者がいる。愛する人がいる。俺達の決闘に参加する理由なんてないんだよ」

 

 もし決闘から離脱することができるというのならば、幽々子との約束を守ることができる。

 

 だが、今更決闘をやめることなんて出来ない。俺のプライドが、俺の意思が許してはくれない。

 

 だから参加する。例え散る命だとしても、それは己の未熟さが引き起こしたことだ。幽々子が悲しんだとしても、それは仕方のないことだと思うしか道はない。

 

「いや、俺も参加するよ。そう決めたからな」

 

「よし、それでこそ俺の弟だ。」

 

 もしも決闘を放棄する。決闘に参加しないとほざくのであれば、間違いなく俺は大和を兄弟の縁を切っていただろう。

 

 だから良かった。やはり俺の弟だ。闘いから逃げること無く、例え死ぬことがわかっていたとしても真っ向から戦いに挑み立ち向かう勇気と勇敢さ。

 

 武尊と大和が話していると、突然縁側の方から畳に向かって一本の短刀が飛んできた。

 

 誰かを狙ったわけではなかったので、誰にも当たることはなかったが、短刀は畳に深々と突き刺さった。

 

 短刀が飛んできた縁側の方向を見てみると、そこには昨日襲撃してきた黒い衣を纏った男がおり、短刀を投げ終えたあとにこちらを見ていた。

 

 短刀を投げ終えると、黒い衣を纏った男は風のようにその場から姿を消し撤退した。

 

「今のは風魔一族か………ん?」

 

 地面に深々と突き刺さった短刀をよく見てみると、短刀には何か白い紙が括り付けられており、恐らく手紙ではないかと推測できる。

 

 短刀に括り付けられていた紙を引き剥がし、書かれていたものを読んだ。

 

『----我が宿敵、怪童へ。

 

 ◆◇◆◇公園にて決闘を申し込む。

                決して逃げるなよ。

 

           風魔家若頭風間獣蔵より』

 

 これはつまり果たし状と言う物なのか。物騒な割には随分と丁寧に書かれている。

 

 最初に手紙に反応したのは大和ではなく、今からでもやってやると言わんばかりに闘争心を剥き出しにしている武尊だった。

 

「へぇ、いい度胸だな。果たし状を送りつけるなんてよ」

 

「まてよ兄貴、果たし状は俺に来たんだ。俺のやり方でやらせてくれよ」

 

 手紙に書かれている『怪童』という異名は俺のものだ。だからこれは俺に対して書かれた果たし状。故に誰にも口出しはさせない。

 

「そうだな、先走り過ぎたぜ」

 

「悪いな兄貴、我慢してくれてありがとう」

 

 兄貴も自制してくれた。さて、この果たし状にどう答えればいいのか?

 

 いや答えなどもう出てるではないか、逃げずに風間獣蔵というやつに立ち向かうこと、それが俺に唯一できることだ。

 

 果たし状に時間指定はないが、恐らくこの手紙を読んだら来いっていう魂胆であろう。ならば今すぐに戦闘の準備をして行くしかない。

 

「それじゃあ行ってくる」

 

「なら私も行くわ。」

 

「駄目だ。幽々子を危険な目に合わせるかもしれない」

 

「危険は承知のうえ。それに覚悟はできているわ」

 

「………しゃーねぇー」

 

 敵陣地に大切な人を連れて行くのは正直なところ嫌だし、武尊の兄貴や紅虎さんに頼んででも屋敷に留めさせたいが、覚悟を決めたと本人が言うのならば仕方がない。それに幽々子が傍にいれば安心できる自分もいる。気は乗らないが連れていくしかない。

 

「ついてきな幽々子。どんなことがあっても俺が守ってやるからよ」

 

「うん」

 

 まず大和は自分の部屋に行き、これから始まる決闘の準備をする。服装は特に変えることはないが、念のために俺専用の武器である鉄刀を持っていくことにした。

 

 武器を片手に大和は自分の部屋を出ていき、屋敷を出ていき、決闘場である◆◇◆◇公園に幽々子と共に行く。

 

 はたして、大和達を待っている風魔一族はどのような手段で闘いに挑んでくるのか、それは目的地の行ってみないとわからないことだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十一話 風間獣蔵

 装備、気構えを整えて屋敷を出てから数十分間後のこと、大和と幽々子の二人は目的地である◆◇◆◇公園までやってきた。

 

 幽々子を自分の背後に忍ばせて、恐る恐る公園に足を踏み入れる大和、その姿はまるで真夜中に他人の家に忍び込む泥棒のようだった。

 

 相手がどんなやつかわからず、大和の緊張感はかなり高まっており、心臓の鼓動も早くなっていた。

 

 一体どんな奴が待ち構えているのか、巨漢の鬼のような形相をしたやつなのか、それとも小柄で幼い子どものようなやつなのか、それはわからない。

 

 しかし、一つ確実に言えることがある。それは果たし状を送り込んできたやつが強いということ、自分の強さに自信がなければ決闘を申し込んでくることなんて到底できないはずだから。

 

 しばらく公園を歩いていると、公園のド真ん中で佇んでいる高身長の青年を見つけた。

 

 青年は髪の色は黒く短髪。

 身長はおよそ185㎝と大和よりも背が高く、隠密には決して向いていない恵まれた体格をしており、容姿は端麗な顔立ちが特徴的、服装は白い半袖の上に青い長袖ジャケットを着ており、下は紺色のジーンズを履いている。

 

 大和達がやってくることに気がつくと、青年は満面な笑みを浮かべながら近づいてくる大和に話し掛けてきた。

 

「よう、やっと来たか。怪童」

 

「お前が風間」

 

「そうだ。俺が風魔家次期頭領、風間獣蔵って言うんだ。」

 

「……獣蔵」

 

「まぁ、名前なんてどうでも良いんだよ。怪童、俺はてめぇと殺し合いがしたくて果たし状を送りつけたんだ。わかってると思うが、ここから生きて帰れると思うなよ。」

 

「ふざけんなよ。俺は生きて帰る。そういう約束があるからな。」

 

 まるで奴が生き残って俺が死ぬみたいな言い方じゃねぇか、そんなことは絶対にさせない。幽々子のためにも、俺の今後の人生のためにも、そうはさせてはいけないのだ。

 

 それにしても、風間獣蔵は闘うのではなく殺し合いをしに来たと言っていたな、なるほどこいつは生粋の武士や忍者とも言えよう、殺し合いなど現代のファイターや格闘家ではありえない考えや発想をしている。

 

「さて、御託はここまでだ。さっさとやり合おうぜ」

 

 早く闘いたくて仕方がないと言わんばかりに、獣蔵は闘争心を剥き出しにして大和を睨み付ける。こいつも相当な戦闘狂だと言うことがよく分かる。

 

「幽々子、離れてな」

 

「うん」

 

 大和が言った通りに幽々子はその場から離れる。

 

 護るべき者が傍で見ていてくれるのだ。これで心置きなく闘うことができる。

 

 深呼吸をしながら左手に持っていた鉄刀を引き抜き、剣道で言うところの中段の構えてを取る大和。

 

 心は落ち着いている。精神も統一している。あとできることは獣蔵と闘い勝利を収めるのみ。

 

 大和が真剣に構えているのに対して、一体どうゆうことなのか獣蔵は何の構えも取らず、ただ立っているだけだった。

 

 これから殺し合いが始まるというのに大胆不敵と言うべきか、獣蔵は不気味にも笑みを浮かべている。まるで死を恐れていないと言わんばかりに。

 

 それに大和が武器を使うことに関して、何の不満も感じていないのか、それとも武器を使うことが当たり前だとでも言うのか、獣蔵は大和が持っている武器をただ珍しそうに見ているだけだった。

 

「初めて見る武器だが、それあぶねぇな」

 

 鋼の塊である鉄刀を一目見ただけで危険な武器だと察知した獣蔵、まともに喰らえばひとたまりもないことを理解していることを察することができる。

 

「ならやめるか?」

 

「やめるとんでもねぇ、寧ろ燃えてきたぜ」

 

 逃げることもしなければ闘いを途中で投げ出すなんてするわけがない。寧ろこれから始まる闘いを楽しみたいと言わんばかりに熱意を燃やす獣蔵。

 

 熟と思うが、戦闘に熱意を燃やすところを見ると、こいつはどっかの兄貴のように 無類の戦闘狂なんだなと思ってしまう。

 

 闘いの場は揃った。あとは雌雄を決しぶつかり合うのみ。

 

「それじゃあいくぜ」

 

 拳を構えながら大和との間合いを詰める獣蔵、先に動き出したのは獣蔵だった。

 

「っ来い!!」

 

 こちらに向かって来る獣蔵に対して改めて気を引き締めながら身構える大和、これから殺し合いが開始するのだ。

 

 攻撃範囲内まで距離が近づいてくると、まず獣蔵が大和の顔面に向かって左拳を走らせた。

 

 初手で繰り出された左拳のスピードは凄まじく、並の反射神経では避けることは不可能に近いものがあった。

 

「あっぶねぇっ!」

 

 しかし腐っても怪童、大和の並外れた反射神経は獣蔵の左拳をしっかりと捉えることができ、そのおかげで避ける余裕を与えてくれた。

 

 顔面に向かって放たれた獣蔵の左拳を大和は構えを崩すことなく右に避けて回避をする。

 

 そして獣蔵の左拳が完全に引き切る前に反撃の返しに出る。

 

 鉄刀を大きく振りかぶると、獣蔵の頭上に向かって鉄刀を一気に振り下ろした。

 

 だが大和が鉄刀を振り下ろし切る前に獣蔵は左拳を引き切ると同時に身体全体を後ろに下げると、それによって鉄刀の攻撃を難なく回避する。

 

「あらよっと」

 

 回避したあと獣蔵は再び射程距離範囲内に入り、呼吸の時すら与えないほどのスピードで攻撃を仕掛けてくる。

 

 攻撃をし終えた隙を突いて、次に仕掛けたのは右ストレートを大和の顔面に向かって放った。

 

 だが大和も負けてはいない。放たれた右ストレートをギリギリのところで回避すると、下から掬い上げるかのように十キロはある鉄刀を片手で振るい、攻撃を仕掛けてくる。

 

 しかしこの大和の攻撃も獣蔵はまた身体を後ろに下げて避けてしまう。

 

 獣蔵は攻撃を避け終えると再び射程距離範囲内に入り攻撃を仕掛けてくる。

 

 次に仕掛けたのは右回し蹴りを横腹に向かって放った。

 

 それに対して大和は自分に向かって放たれた回し蹴りを左腕でガードして防ぎ、なんとかダメージを緩和させる。

 

 獣蔵の放った蹴りの威力は凄まじく、ガード越しでも威力を完全には殺しきれず、大和の身体はくの字を描いた。

 

「………ぐっ!!」

 

 しかしダメージを受けたからと言って立ち止まるわけにはいかない。とは相手が足を元の位置に戻す前に、大和は片手で鉄刀を持ち、相手を突き刺すような勢いで顔面に向かって突きを放った。

 

 だが、放った渾身の突きも獣蔵にギリギリのところで避けられてしまう。これでは埒が明かない

 

 それからあとは激しい攻撃と回避の繰り返し、攻撃しては避け、避けては攻撃を永遠と繰り返す一方だった。

 

(こいつ、強いっ!!)

 

 紅虎や武尊の兄貴を除けば、今まで闘ってきた中で一番強い相手だった。

 

 奴の攻撃はとてつもなく素速く回避するのが至難の技、そのうえ威力も凄まじく当たれば大打撃だが、なによりも自分が攻撃を繰り出しても、いとも簡単に避けられてしまう。まるで武尊や紅虎のように、これから繰り出される攻撃がわかっているかのようだった。

 

 激しい攻防戦を永遠と繰り広げる中、ついに拮抗状態が打ち砕かれることになる。

 

 いつの間にか大和の攻撃は大振りになっており、避けなければ攻撃をまともに喰らってしまうのではないかと思わせるような隙を見せていた。

 

 大和の悪い癖が出ていた。自分の思い通りに事が進まないと痺れを切らして攻撃が単調で大振りになってしまうところ、それは相手に取っては最高のウィークポイントとも言える。

 

 相手も馬鹿ではない。大和の弱点を既に理解しており、いつ反撃に出ようか企んでいた。

 

「うぉらっ!!」

 

 大和が首を目掛けて鉄刀を大きく振るうが、獣蔵が避けられると大きく隙を見せた。

 

 獣蔵はその隙を見逃さない。

 

 相手が元の構えに戻る前に獣蔵は大和の両手を殴りつけて鉄刀を奪い取る。

 

 何かのツボでも押されたのか、両手に走る痛みのあまりに大和は武器である鉄刀を手放してしまい丸腰状態になってしまう。

 

 奪い取った鉄刀を適当な場所に放り投げると再び構えを取る獣蔵、どうやら自分は武器は使わないようだ。

 

 武器を取られて素手での闘いになる大和、はたしてこの先どうなるのか。

 

「取りたきゃ取りに行って良いぜ、そのくらいの時間は待ってやるよ」

 

 武器を拾いに行く余裕を与えてやると言ってくる獣蔵、どうやら完全に大和を舐めているようだ。

 

 果たして大和は侮辱されたうえで武器を取りに行くのか、それとも取りに行かずそのまま素手で闘うのか。

 

 無論言うまでもない。武器を拾わずに素手で闘う。それが最善の策であり、俺が唯一できる戦法である。

 

 拳を握り締めて構えを取り獣蔵を睨み付ける大和、一瞬の隙も見せないのは相手の行動が予測できず、何をしてくるのかわからないからだ。

 

 大和が武器を拾いにいかず、そのまま素手で闘うことを理解すると獣蔵はどこか納得したような表情を浮かべて言葉を放った。

 

「へぇ〜拾わないのか。せっかくの人の気遣いを無駄にするなんて、後悔してもしらねぇぞ」

 

「…………」

 

 大和は何も言わない。反応もしない。

 

 わかっていたのだ。こいつは生半可なことで勝てる相手ではない。況してや鉄刀という強力で不便な武器を使っても勝てないことを理解していたのだ。

 

 素手でなら勝てる?そういうわけでもない。鉄刀を捨てたことによって身軽になったとはいえ、風間獣蔵の回避力は想像以上に化け物染みており、正直素手で対等に渡り合えるのかすら怪しかった。

 

「それじゃあ、また俺から行くぜ」

 

 相手に呼吸する暇すら与えない素早さで一気に間合いを詰める獣蔵、そして攻撃を仕掛けてくる。

 

 先制攻撃だと言わんばかりに獣蔵は大和の顔面に向かって右拳を走らせる。

 

 それに対して大和は両の手を顔面で交差させて攻撃を防ぐ『十字受け』の構えを取った。

 

「………ぐっ!」

 

 顔面に向かって飛んできた右拳を防いだが、その威力は凄まじく、ガード越しでもダメージが伝わってくるほどの強力な打撃だった。

 

 しかし獣蔵の攻撃はそれだけでは終わらない。

 

 右と左の拳を丁寧に且つ交互に放ち、呼吸の間すら与えない無呼吸連打を繰り出してくる。

 

 容赦の無い攻撃が大和に襲い掛かり、数多の打撃が雨のように降り掛かってくる。

 

 それに対して大和は飛んできた無数の打撃を敢えて回避せず、完全防御態勢に入り全ての攻撃を受け止める。

 

 予想以上とでも言えば良いのか、獣蔵の打撃は凄まじい威力と破壊力を持っており、防御態勢なのにも関わらず一発一発の打撃が確実に大和にダメージを与えて蓄積させていく。

 

(この野郎、兄貴並に強い!!)

 

 攻撃を受けている最中に脳裏に浮かんできたもの、それは自分の兄である武尊だった。

 

 こいつは強い、パワー、スピード、あらゆる面で武尊並の強さを持っている化け物だ。いや、スピードだけなら武尊を上回るかもしれない。

 

 降り注ぐ打撃を振り払って大和は反撃を仕掛ける。

 

 攻撃を避けては防御し、その果てに大和は左ジャブと右ストレート、俗にボクシングで言うワンツーを相手の顔面に向かって放った。

 

 攻撃の最中に突然飛んでくるワンツー、流石の獣蔵もこれは回避することはできないだろうと思った。

 

 だが、渾身で放ったワンツーも、敵である風間獣蔵に涼し気な表情でいとも簡単に避けられてしまう。まるでそれがわかっていたかのように。

 

 急襲とも呼べる渾身で放ったワンツーを避けられた大和は驚きを隠しきれず、蛇に睨まれた蛙のように一瞬だけ動きが止まってしまった。

 

「………えっ?」

 

「残念だったな。全部視えてんだ(・・・・・・)

 

 攻撃を避けた直後、大和の時が一瞬だけ止まったことを見計らって獣蔵は容赦なく攻撃を繰り出してくる。

 

 相手の左右の拳を元に戻させる暇も与えず、獣蔵は顔面、正確には顎に向かって右ストレートを放った。

 

 驚きに気を取られていたせいで、大和は相手の右ストレートを避けることができず、そのまま顎にクリーンヒットしてしまった。

 

 顎に攻撃が当たったことによって、シェイクされたプリンのように大和の脳は揺さぶられてしまう。

 

「……嘘……だろ?」

 

 意識が遠のく中で大和は少しでも足掻こうと、獣蔵に向かって手を伸ばそうとする。

 

 しかしそんな足掻きも虚しく終わり、受け身を取るどころか、そのまま何も出来ずに地面に倒れ込んでしまう。

 

 大和の敗北したことによって決着が着いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十二話 敗北と撤退

 バタリッと倒れ込んでしまった大和、それに対して無情にも仁王立ちをしている風間獣蔵、二人の殺し合い、闘いに終止符が打たれたのだ。

 

「終わりだな。中々楽しかったぜ怪童」

 

 そう呟くと、指をパチンッと鳴らして誰かを呼ぶ合図をする獣蔵。

 

 一体いつから隠れていたのか、木の陰からこっそりと黒い衣を纏った男達が姿を現したのであった。

 

 公園にいた人数は十人程と、大和や武尊を襲ったときの倍以上はおり、今回の本気度は今までとは比べ物にならないほどの人数だった。

 

「俺は怪童を殺る。お前らは女を逃がすなよ。」

 

「御意」

 

 文字通り大和の息の根を止める。風間獣蔵はそういった。

 

 その間、黒い衣を纏った男達は黙々と幽々子の周りを囲んで逃さないようにする。

 

 故に幽々子は身動きが取れなかった。大和を助けに行きたくても黒い衣を纏った男達が立ち塞がってくる。

 

 倒れている大和に歩いて近づいていき、その間に懐から殺傷力のある鋭利な短刀を取り出して右手に持った。

 

「お前とはもっと闘いたかったが、これも仕事でな。あばよ怪童」

 

 左手で気を失っている大和を持ち上げて短刀を構える獣蔵、殺す準備は整ったらしい。

 

 短刀を突き立てた。その瞬間だった。

 

 まるで大和を死から救おうとしたかのように、獣蔵に向かって突然丸い物体が飛んできた。

 

 それに対して自分に向かって飛んできた物体を難なく避ける獣蔵、しかしそれによって大和を殺害することを阻止されてしまった。

 

 獣蔵に向かって飛んできた物体、それはピンポン玉ほどの大きさをした石だった。

 

 大和の殺害を阻止されたことが余程気に食わなかったのだろう。獣蔵はイライラしたような表情を浮かべながら石が飛んできた方向に向かって叫んだ。

 

「何だてめぇ、俺と怪童の殺し合いに手出しするなよっ!!」

 

 そうして姿を現したのは大和の師匠である御巫紅虎だった。

 

 獣蔵の言葉に対して紅虎は冷静且つ的確に答える。

 

「それは無理な相談ですね。愛弟子が死んでいくのを見ているだけなんて私にはできないことなので」

 

「愛弟子だと?」

 

「私をご存知ではないのですか?風魔一族の若頭とあろうものが」

 

 風魔一族の連中が身構える中、ただ一人だけ頑然と立っているだけの者が一人、それは風間獣蔵だった。

 

 わかっていたのだろう。この男には構えなど無意味、いや闘うことすら烏滸がましいことだということに気付いていたのだろう。少なくとも風間獣蔵には闘う意志は微塵もなかったのだ。

 

 だが、相手の力量が底知れないものだというのに闘うのか、それともただ単に相手の力量がわからずに闘うというのか、それはわからないが、黒い衣を纏った男達は武器を片手に紅虎に向かって視線を向ける。

 

 しかし。

 

「やめとけお前ら、こいつには束になっても勝てない」

 

「若?」

 

「こいつは御巫紅虎だ」

 

 御巫紅虎の名を聞いた瞬間、何か聞き覚えがあったのか、風魔一族の連中がざわめき出した。

 

「御巫!?」

 

「あの御巫紅虎だと?」

 

「あぁ……俺も見たのは初めてだが、こいつの覇気や気配、間違いなく本物だ。」

 

 見間違えるはずがない。初めて見る相手だがすぐにわかった。こいつは御巫紅虎だということがはっきりと。

 

 しかし、あの御巫紅虎が一体何しにここに来たのか、それがわからない。まさかとは思うがこの怪童を助けるためにやってきたのか?

 

「その御巫紅虎様が俺達に何のようだ?愛弟子の敵討ちでもしにきたのか?」

 

「敵討ちですか。それも悪くありませんが、それでは大和のためにはなりません」

 

「じゃあ何しに来たんだよ?」

 

「ただ私は、大和を助けに来ただけですよ、貴方に殺される前に」

 

「あぁそうかよ、愛弟子が殺されなくて良かったな」

 

 もし現れるのが数秒でも遅かったら大和は死んでいたであろう。しかし紅虎の行動力と判断力は凄まじく正確なものであり、並外れた冷静さがなければ到底のことながらできない所業であった。

 

「気になったですが、貴方……死ぬのは怖くないのですか?」

 

「あぁ?」

 

「貴方を殺す機会は何度かありました。その度に殺意を向けましたが、貴方は恐れるどころか表情を一切変えない。これはどうゆうことなのか知りたくてですね」

 

「さぁな。俺馬鹿だからわかんねぇや。」

 

 これは驚いた。まさか死ぬことを恐れない者が相手だったとは、何かしらの事故で心が欠損してしまったのか、それとも単に生まれ持った天性的なものなのか、それは本人ではないのでわからない。

 

 しかし強いのはわかる。どうりで長年育て上げた大和が負けるわけだ。

 

 天下無双の御巫紅虎の中にも恐ろしいと思うものが幾つかある。その一つは恐れを知らぬ者、死の恐怖を一切感じない者だ。

 

 非人道的な訓練、何かしらのショックを引き起こす、もしくは天性的なものでもない限り、死の恐怖とは誰でも感じるものだ。これは自然の摂理でもあり、誰でもわかる一般的な常識でもある。

 

 だが、死を恐れぬ者は数多いる訳ではないが稀にいる。それと同時に注意しておくべき点が幾つかある。

 

 まず殺すことに容赦や躊躇いが無い。それは何故か、理由は明白、自分の命はもちろんのこと、他人の命など何とも思っていないからだ。

 

 そしてもう一つ、それは引くことがないということ、恐怖を知らないと言うことは威嚇や殺気を感じ取っても平然としていることはもちろんのこと、決して逃げることも怖気づくこともしないということだ。

 

 だからこそ風間獣蔵が恐ろしい逸材だと思った。弟子である大和を凌駕し、況してや死を恐れない心を持ってるのならば言うことは無い。もし師弟の関係だったのなら理想の弟子と言っても過言ではないだろう。

 

 そんなことを思いながらも、大和を難から逃すためなのか、それとも単なる気まぐれから来たものなのか、紅虎は風間獣蔵に対してある提案を出した。

 

「四日ください。」

 

「あぁ?」

 

「四日頂ければ、大和を貴方と同等かそれ以上の強さに仕上げてきましょう」

 

 これは大和の命を延命する策でも嘘やはったりでもない。なんの紛れもない事実である。

 

 もしも、今の大和を殺さずに生かし、四日という短いようで長い時を待っててくれれば、獣蔵と同等がそれ以上の強さに仕上げてこれると思ったからだ。

 

 それを聞いた獣蔵は思った。戦闘好きの獣蔵にとってそれ以上に無い喜びと嬉しさだった。

 

 たった四日待つだけで自分と同等がそれ以上に強くなってくれるのならば待つしかないだろう。もしそれが真実であり本当のことであるのならば期待しても良かった。

 

「おもしれぇ、わかったよ。お望み通り四日待ってやるよ」

 

 指をパチンッと鳴らして、部下である風魔一族を自分の背後に跪かせる。

 

「今日は撤退だ。アジトに戻るぞ。」

 

「御意。」

 

 返事を一つすると、風魔一族はその場から姿を消した。

 

「それじゃあな。俺をがっかりさせるなよ」

 

 澄ましたような表情で紅虎に対してそう言うと、風間獣蔵はゆっくりとまるで散歩でもするかのように、歩いてその場から立ち去っていった。

 

 これにて大和と風間獣蔵の戦いは幕を下ろした。

 

 

 

 

 

 《〜それから数十分後〜》

 

 

 

 

 獣蔵の戦闘によって気を失っていた大和がようやく目を覚まし、ふっと身体を起き上がらせる。

 

 周りを見渡して風間獣蔵がいないこと、そして師匠である御巫紅虎と幽々子が傍にいたことに気がつくと、大和はなんとなく今置かれている状況を把握した。

 

「そうか、負けたんだな俺」

 

「落ち込んでる暇はありませんよ大和」

 

「……………」

 

 しかし落ち込むのも無理はない。幼い頃を除けば負けたことなんて今までなかったのだから。

 

 だがそれでも、やるべきことがわかっていた紅虎からしてみれば、今の大和には落ち込んでいる余裕も暇もなかった。

 

 敗北した大和に対して紅虎は伝える。

 

「良いですか?貴方はこの四日間で強くならないといけないんです。休む暇も余裕も無いんですよ」

 

「そんなことができるんですか?」

 

「えぇ、できますとも。私は貴方を強くする方法を知ってますので」

 

 そんな都合の良い方法があるのならば、それに縋り付くしかない。風間獣蔵に勝つためにも、そして今よりも強くなるためにも。

 

「ただし。文字通り死ぬ思いをしなければいけません。その覚悟があるのなら喜んで強くなる方法を教えましょう」

 

「獣蔵に勝てるならなんだってやりますよ。無論覚悟は出来てます。」

 

「それでこそ私の弟子です。」

 

 もしも出来ない無理だと言ったら間違いなくその場で破門していただろう。流石は長年苦行に耐え抜いてきた弟子だといえよう。

 

 そう言うと紅虎は大和に対して背を向けて歩き出した。どうやらこれから何処かに行くようだ。

 

「では早速行きましょう」

 

「行くって、何処へですか?」

 

「山籠りです。」

 

 これから大和達を待っていたのは過酷な地獄そのものだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十三話 山籠り

 風間獣蔵に敗北した大和達一行は屋敷に戻って軽く身支度を済ませた後、三人が向かった先は人気の無い山奥だった。

 

 人もいない。建物などの人工物もない。あるのは獣の鳴き声や虫達の囁き、純度100%の山の中。

 

 屋敷から数時間掛けてたどり着いた山の奥、果たしてこの場所で一体何をやるのか、大和や幽々子は検討もつかなかった。

 

 山奥にやってくるや否や、紅虎の説教のような会話が始まった。

 

「良いですか?貴方にはこの四日間、不眠不休且つ飲まず食わずで修行してもらいます。もちろん、できないとは言わせません。覚悟してくださいね」

 

「不眠不休、飲まず食わず……ですか」

 

「無理だというのならば破門にします。それでもいいと言うならばこの場から立ち去りなさい」

 

 嫌だというのならば止めはしない。無理だというのなら無理はさせない。しかし、出来ないというのならばどちらにしても破門することに変わりはない。

 

「良いですか?今言ったことは強くなるための最低限のことです。それができないと言うのならば到底のことながら強くなることはできませんよ」

 

 紅虎がそういうのならば間違いはない。しかしこの四日間不眠不休、しかも飲まず食わずで修行するのは流石に無茶なことだと言える。

 

 今まで辛い修行を何度も行い、乗り越えてきたが、今回の修行は明らかに次元が違いすぎるのだ。恐らく過去で一番辛く険しい修行だと言えるだろう。

 

 厳しい修行だと言うのはわかる。命に関わる危険な行為だというのもわかる。そんな中で大和はある疑問が思い浮かんだ。

 

「あの、一つ質問良いですか?」

 

「良いでしょう。」

 

「この修行は一体何の意味があるんですか?」

 

「すぐに答えを言うのは決して良くないことですが、まぁ今回は良いでしょう。」

 

 本来ならば修行の末に見つけることが一番いい。それはわかっている。しかし今までにないほどの過酷な修行の上に命が掛かっているのだ。どうゆう理由でこの試練を受けるのかを知っておかないと迷走してしまうことは目に見えている。

 

「大和、貴方は心眼をご存知ですか?」

 

「名前ぐらいなら、どんな代物なのかはわかりませんが」

 

「良いですか?私達武術家にとって心眼とは言わば未来を見通す能力と言ったところです。」

 

「未来を……見通す……」

 

「一流の中の一流、達人の中の達人、その中でも一握りだけですが、心眼を会得している者はこの世にいます。」

 

 聞いたところ心眼を習得できるのは極稀の存在であり、過酷な修行しても会得できるのはその者の才覚と努力によるものらしい。況してや生まれつき心眼を持っている者は稀中の稀であり、この世に数人いるかどうかの存在と言っても過言ではない。

 

「私の知っている限り、心眼を会得しているのは、この私と、貴方の兄である草薙武尊、そして風間獣蔵」

 

「兄貴が心眼を」

 

 いや、驚くことはない。冷静に考えてみれば思い当たる節が沢山ある。『全部視えてるんだよ』とか『お前の攻撃は当たらねぇよ』など、武尊は何度も言っていた。

 

 それはつまり、最初から攻撃を先読みしており、未来を見通しているから言っていたことなのだ。道理で俺の攻撃が絶対に当たらない訳だ。

 

 風間獣蔵だってそうだ。あいつも『視えている』と言っていた。あれは俺の攻撃が全て視えているという意味だったのだ。

 

「どうやらわかったそうですね。貴方と武尊、そして風間獣蔵の決定的な違いが」

 

「はい。」

 

 兄貴に関しては心眼だけでなく、身体能力や技術面で軽く凌駕されている。恐らく心眼を習得して楽に勝てるような相手ではないだろう。いや、寧ろ勝てるのかどうかすらわからない。

 

 しかし、風間獣蔵に関しては身体能力は五分五分、技術面はわからないが勝てない相手ではないと思う。恐らく心眼を習得すれば勝機はある。

 

「そして大和、貴方が今からやることは心眼を開眼させる修行です。できるかどうかはともかく、今以上に強くなるためには心眼を開眼させる他にありません。」

 

「もしもできなかったら……どうなるんですか?」

 

「恐らく死ぬでしょう。それほど過酷な修行ですから」

 

 今まで自分の命を脅かす修行は沢山やってきたが、失敗したら死ぬなんて言う修行はやらなかった。紅虎さんが本気で自分を強くしようとしていることが痛いほどわかる。

 

 近くで二人の話を聞いていた幽々子はあまりにも物騒な内容に納得できなかったうえに、恋人である大和が死ぬ可能性があることに我慢できず、思わず紅虎に対して話しかけてしまった。

 

「紅虎さん、それは流石に言い過ぎじゃないかしら?死んだら元も子もないのよ」

 

「事実を言ったまでです。今回の私は殺す気で大和を鍛え上げることを心に誓っているので」

 

「でも……」

 

「幽々子さん。これは貴女を守るためでもあるのです。もし大和が敗北したら貴女は八雲紫に連れて行かれるのですよ。私には関係ありませんが、恐らく貴女を失った大和は生気の無い廃人になってしまうのですよ。」

 

「………私のために」

 

 そう、表向きは大和自身を強くするための修行だが、その真実は八雲紫から幽々子を守るために大和が強くなる。ただそれだけのこと。

 

 長年大和を見てきたのでよく分かる。負ければどうなるか、幽々子さんを失えばどうなるのか、それから後々どうなるかも目に見えている。

 

「良いんだよ幽々子」

 

「大和……」

 

「俺は幽々子だけの正義の味方になる。そう決めたからさ」

 

 無邪気な子供のように満面な笑顔で幽々子を見る大和、まるで幽々子を心配させないように振る舞っているようだった。

 

 その反面、幽々子は心配だった。これから死ぬかもしれない修行をさせられるのにも関わらず、自分を安心させようと笑顔で振る舞っている大和が心配で仕方がなかった。

 

 しかし大和からしてみれば過酷な修行を行うよりも、幽々子がいなくなることのほうが最も嫌だった。もっと言うなら幽々子がいなくなるぐらいなら死んだほうがマシだというほどに。

 

 故に修行をする。故に過酷な試練に挑む。八雲紫に負けないように、幽々子を連れて行かれないように、俺は強くなり続ける意味があった。

 

「早速修行をやりましょう。」

 

「わかりました。精々死なないように努力しなさい」

 

 武器を片手に大和と紅虎、そして二人の後を追うように幽々子は更に山奥の深い場所へと足を踏み入れる。一体これからどんな修行をするのかも知らずに。

 

 

 

《〜一方草薙家では〜》

 

 

 和生と武尊は居間に集まり、それぞれの今やるべきことをやっていた。

 

 和生はこれからの戦闘に備えて銃や刃物の手入れや調節などをしながら飲み物を飲んでいた。

 

 それに対して草薙武尊は昼間だというのにも関わらず大量の酒を飲んでいた。おそらくは武器の手入れや鍛錬などは既に済ませていたのだろう。そうでもなければ戦争が始まるというのに呑気に酒などは飲むはずがない。

 

 やるべきことはわかっていたが、それでも兄である武尊が呑気に酒を飲んでいることが気になっていた和生は一旦手入れするはずの銃や刃物を床に置いてイジるのをやめて、休憩すると同時に武尊に質問を投げてみた。

 

「なぁ大兄貴、戦闘の準備もせずに昼間っから酒なんて飲んで大丈夫なのか?」

 

「あぁ?まぁいいんじゃね?やるべきことはやったと思うし、後は戦闘が始まるのを待つだけだ。」

 

「本当にそれで良いのかよ?」

 

「お前は色々と考え過ぎなんだよ。もっと単純に物事を考えるのもの大切なことだぞ。」

 

「そういうものなのかな」

 

「そもそも俺は日本刀や弓矢、長巻や槍とか武士や兵法者が使っていた武器しか持っていない。お前が使っている銃火器みたいに日々調節や手入れしなくても大丈夫なんだよ。まぁこんな俺でもたまには銃を使うことはあるけどな」

 

「使うことあるのかよ」

 

「まぁな、親父から学んだ術に砲術があった。だから火縄銃やらの古い銃から近代の銃とか色々と使えるぜ」

 

「親父は大兄貴に何を教えてんだよ」

 

 後々に聞いた話だが、大兄貴である武尊は親父から色んな術を学んでいたらしい。細かく言えば術は全部で十八種類あったらしく、その術は草薙家の長男のみが教わり習得することが許させる、言わば一子相伝の帝王学のようなものらしい。

 

「そういえば兄貴達、何処に行ったんだろうな。帰ってきて早々またどこかに行っちまったしな」

 

「恐らく心眼を習得しにいったんだろう。今よりも格段と強くなるためにな」

 

「はっ?心眼?なんだそれ?」

 

 知識豊富な和生でも知らない単語、いや単語だけなら知っているが恐らくその意味を知らないといったほうが正しいのか。

 

「心眼ってのは簡単に言ってしまえば未来を見通す能力みたいなものだ。」

 

「つまり兄貴は未来を見通す能力を得るために修行しに行ったのかよ。また突然のことだな」

 

「どうせ誰かに負けたか。勝てない相手にでも遭遇したんだろうよ。まったく向上心の塊みたいな奴だな」

 

 武尊の言う通り、大和は風間獣蔵に負けたのだ。そして今のままでは駄目だと思ったのだろう。故に紅虎が大和に心眼を習得してもらうために修行を設けたのだ。

 

「それにしても心眼か。興味あるな。俺でも手に入れることができるのかな?」

 

「いや、無理だと思うぞ。修行が過酷過ぎて下手すれば死ぬぐらいだ。」

 

「そんなに過酷なのかよ……」

 

 そんな便利な能力を習得したいと軽々しく思っていたが、まさかそこまで険しく厳しい修行とは、心眼を習得しに行った兄貴には頭が下がる一方だな。

 

 だが一つ気になることがある。それは何故大兄貴が心眼にそこまで詳しいのかだ。

 

 まさかとは思うが大兄貴は心眼をしするために修行をしたのか、そうだとしたらとんでもないことをやっているということだ。

 

「大兄貴、なんで心眼のことをそこまで知ってんだ?」

 

「どうしてって、俺も心眼を得るために修行したからだよ」

 

「まじかよ」

 

「あぁ、嘘だと思うなら今ここで攻撃なり奇襲なりしてみろよ」

 

「いや、酒飲んでいるとはいえ、大兄貴が嘘付くことなんて滅多にないからな、遠慮しとく」

 

「そうか?」

 

 冷静に考えてみれば、大兄貴と組手なり稽古なりすることが少なくともあった。だが攻撃を当てたことは奇襲を含めて一度もなかったのだ。

 

 それなら理由がつく、大兄貴に攻撃を当てられなかった理由、それは心眼を会得していたからだ。

 

 つまり大兄貴は超人的な身体能力と一子相伝の帝王学、そして未来を見通す心眼の能力があるから強いのだ。恐らく御巫紅虎と同等かそれ以上の実力を持っているのだろうと予測できる。

 

「質問だけど、兄貴は心眼を会得するためにどんなことをしてきたんだ?」

 

「んな特別なことはしてねぇよ。三日三晩不眠不休且つ飲まず食わずで修行しただけだ。」

 

「予想以上に過酷な修行だな。」

 

「そういうことだ。やばいと思ったのなら心眼を習得するなんて馬鹿な考えはやめとけ」

 

 話し終えると武尊はおちょこに酒を注いで一気に飲み干した。

 

 大和が修行している最中、二人も戦争に向けて下準備をする。どんな結末だろうとも、どんな悲劇に逢おうとも、戦いの中で死ねるのであれば本望だと。

 

(俺ももっと強くなりてぇよ)

 

 和生はそう思いながら、黙々と武器の手入れをする。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十四話 過酷な修行

一日目

 

 三角形を描くように配置された三本の大木に火を付けて燃え上がらせ、燃え盛る環境の真ん中に大和が片膝立ちで居合の構えを取っていた。

 

「焦げ臭い」

 

 大木が燃えて発生する焦げ臭さに鼻を覆い隠す幽々子。

 

 遠くから見守る幽々子や紅虎、それでも尚立ち上り焼け付くような炎の熱気を感じ取れる。

 

 幽々子は思った。こんな遠くから見守っても焼けるような熱気を感じているのだ。火の中にいる大和はどれだけの熱さを感じているのか、そして耐えているのか、想像もつかなかった。

 

 燃え盛る火の中で大和は片膝立ちで居合の構えを取っていた。

 

 熱い、熱い、熱い、息苦しい、肺が焼けるように熱い、焦げ臭い、身体が焼ける、そんな感情の中、大和は構えを取り乱さずに、ひたすら耐え抜いた。

 

 道着や肌が焼け、絶え間無く全身から溢れ出てくる汗、熱によって呼吸することすら苦痛だった。

 

 それでも止めない。いや、やめさせてくれないと言ったほうが正しいのか、恐らく力尽きて倒れるまでやらされるであろう。だからぶっ倒れるまで耐え抜く。

 

 脱水症状になろうとも、身体の皮膚が焼け爛れても、呼吸ができなくなろうとも、大和はやめない。ひたすら地獄のような環境を耐え抜いた。

 

「大和、あんな火の中にいて良く耐えるわね」

 

「恐らく地獄にいるような感覚でいるでしょう。ですがそれで良い。そうではなくてはいけません」

 

 もはや紅虎の言動は大和を殺すためにあるのではないかと思うほど非情で冷酷さを感じ取れる。

 

 だが、これはあくまでも大和を強くするための一つの修行に過ぎない。これをやり遂げなければ風間獣蔵に勝てることはないことを紅虎はわかっていたのだから。

 

「大丈夫なの?本当に死ぬかもしれないのよ」

 

「この程度の修行、やり通さなければ強くはなれません。」

 

 冷酷に非情に徹底な紅虎、一体大和に何を求めているのか幽々子にはわからなかった。

 

 それから数時間の時が経過したあと、燃え盛る大木の炎が燃え尽き、完全に鎮火したことによって、炎の中で耐え抜く大和の修行は終わりを告げる。

 

 そして修行が終わったのも束の間、次に大和を待っていたのは、居合の構えを取ってひたすら精神統一をする修行だった。

 

 修行に寝る暇も休む時間などは一秒たりともない。四日四晩不眠不休で修行をするのだ。それが大和に課せられた修行であり試練でもある。

 

 

 

 二日目

 

 

 

 精神統一を終え、次に大和が行った修行はひたすら滝に打たれるものだった。

 

 一体毎秒何千リットル以上の水が落ちてくるのか、常人ならまず立っていられないほどの量が落ちてくる滝の下で大和は居合の構えを取りひたすら耐え抜いていた。

 

「…………っ!!」

 

 滝に打たれる度、足に異常なまでの負担が押し寄せてくる。体勢を崩れそうになったことが何度あったことか。

 

 一見楽そうに見える滝行だが本来はその真逆、過酷なうえに時間が経つ度に体温を奪われていく非常にシビアで修行にはもってこいの所業だった。

 

 滝に打たれる最中、大量の水とともに巨大な大木が落ちてくる。

 

 大木は樹齢千年は軽く超えているだろう。その大きさといえば長さは三メートル以上、太さも一メートルは軽く超えている。樹齢千年も納得するような大きさだ。

 

 当たれば即死、いや、虫のように踏み潰されて生きていれば良いとも言える。

 

 しかし、大和は避けない。いや、気づいていないのか、それとも修行だと思って単に避けないだけなのか、それは本人にしかわからないこと。

 

 落ちてきた大木は大和に命中し、体勢を大きく崩して川へと流れ着いてしまう。

 

 その光景を目にしてしまった幽々子と紅虎は思わず唖然とした表情を浮かべていた。

 

「ねぇ、これは新手の自殺手段なの?」

 

「………」

 

 しかし紅虎は何も言わなかった。

 

 大木が落ちてきたのは偶然とはいえ、大和が大木を避けなかったこと、それは大和自身が悪いことだとわかったいたからだ。

 

 大木に押しつぶされてもなお奇跡的にも生きていたのか、ゆっくりと川から起き上がってくる大和、そしてもう一度滝行に戻る。

 

 二十時間は経過した頃、大和は滝行を終えて精神統一の修行に戻る。

 

 

 

 三日目

 

 

 もう鉄刀を満足に握れないほどに活力を失った大和は意地でも握ろうと右手に布を巻いて鉄刀を握り締め、居合の構えをひたすら取っていた。

 

 たくましかった全身の筋肉は削げ落ちてやせ細り、瑞々しかった身体の水分はまるでミイラのように干せからびていていた。

 

 そんな満身創痍の大和を放っておいて、幽々子と紅虎は石の上に座りながら焼きおにぎりを食べお茶を飲んでいた。

 

「今日で三日目、飲まず食わずでいて、本当に死ぬかもしれないわ」

 

「今諦めたら、それこそ大和自身を殺す要因でもあります。だから修行を放棄することはできません。」

 

 今回の修行は正気の沙汰ではない。そんなことは幽々子はもちろん、紅虎もすでにわかっていたことだ。

 

 しかし、この試練を乗り越えなければその先の、更なる強さに辿り着くことができない。今の弱いままでしかならないのだ。

 

 過酷な修行によって力尽きたのか、それとも空腹と睡眠不足で精神も肉体もやられたのか、どちらが理由なのかはわからないが、大和が突然その場でぶっ倒れてしまう。

 

「……大和っ!?」

 

 食いしん坊な幽々子が食べていた焼きおにぎりやお茶を放り投げて倒れてしまった大和の傍に走って駆け寄った。

 

 急いで抱きかかえてみると大和の身体は非常に重く、完全に身体の力が抜かれた状態だった。いわゆる脱力状態というやつだ。

 

 本来、人間の身体は軽くなろうと無意識に力が入っており、そのため持ち上げたりすると比較的に軽いのだが。身体に力が入ってないと100%の重さがのしかかるのだ。

 

 今の大和は酔っ払った人間、もしくは熟睡した人間と同じで身体に力が完全に入ってはいない。

 

 呼吸はしている。脈もある。生きていることは確かなことだ。しかし、意識があるかどうかはわからない。

 

「ゆ……ゆ……こ………?」

 

「大和っ!」

 

 どうやら意識はあるようだった。もしも意識が完全に失っていたらどうしようかと思ったが、良かった。

 

「大丈夫なの?」

 

「ちょっと………つかれただけさ……だいじょうぶ」

 

 そう言うと黙々と起き上がって居合の構えを取り修行を再開する。

 

 もはや言葉を喋ることさえも難しくなっているほど、満身創痍になっている大和、それでもなお修行を続けて、一体何を求めているのか、それは幽々子にはわからなかった。

 

「ありがとう………もうすこし………がんばれそう」

 

 心配そうな目で大和を見つめる幽々子。

 

 自分のために何故そんなにも頑張れるのか、何故そこまでして辛い思いをするのか、それが幽々子にはわからなかった。

 

 苦痛に耐え、苦行を乗り越える。大和がそれら全てを耐え抜く理由は一つだけあった。

 

 それは愛、幽々子を愛するために、そしてこれからも幽々子と一緒にいるために、自分が強くなり、幽々子を守り抜く。ただそれだけのことだった。

 

 心配そうにしている幽々子の肩をポンと優しく叩いてくる紅虎。そしてこういった。

 

「わかりましたか?もう辞めることも止めることもできないということが」

 

「えぇ……」

 

「ですが安心してください。もうすぐ大和は強くなります。それは保証しますから。」

 

 二人は大和を置いて座っていた石の元に戻り、再び大和が修行を終えるのを待っていた。

 

 過酷な四日間の修行があと一日で終わりを迎えようとしている。果たして大和は心眼に達することができるのか、それは師匠である紅虎にもわからない。

 

 しかし、大和は過酷な修行を乗り越え、心身共に限界を迎えている。やることはやった。全て乗り越えてきた。あとは人事を尽くして天命を待つだけだ。

 

 

 

 

 

《〜一方草薙家では〜》

 

 

 大和の兄である武尊が身支度を整え、玄関で草履の紐を結んでいた。

 

 ちょうど玄関を通りがかった和生が不思議そうな表情で武尊に話しかけてくる。

 

「なんだよ大兄貴、どこかに行くのか?」

 

「和生か、そうだな。ちょっと大和の様子を見にな」

 

「兄貴に会いにってことは、心眼が開眼してるかどうかか?」

 

「あぁ、修行が始まってもう三日が経つ。そろそろ頃合いって時だな」

 

 弟である大和がどうなっているのかも観ものだが、それよりもあとどれだけで心眼が開眼するのかが気になるところだ。

 

「それじゃあな、戸締まりは任せたぜ」

 

 そう言うと武尊は立ち上がり戸を開けて外に出ていった。

 

 外に出てみると誰かを待っていたのか、一人の男が草薙家の壁に立っていた。

 

青年は髪の色は黒く短髪。

 身長はおよそ185㎝と武尊よりは小さいものの大和よりも背が高く、恵まれた体格をしており、容姿は端麗な顔立ちが特徴的、服装は白い半袖の上に青い長袖ジャケットを着ており、下は紺色のジーンズを履いている。

 

 武尊を見るやいなや、ようやく来たと言わんばかりに武尊の前に立ちはだかりこういった。

 

「よう草薙武尊」

 

「お前は?」

 

「風魔家若頭風間獣蔵って言うんだ。まぁよろしく」

 

 つまり俺を殺しに来たというわけなのか、真っ昼間なのに大胆な奴だな。

 

 無意識に武尊は戦闘態勢に入り、一体どうゆう殺しの技や手段を使ってくるのか、この目で確かめようとした。

 

 しかし。

 

「そんな警戒すんなよ。別に殺しに来たわけじゃない」

 

「何のようだ?」

 

「あんたがどうゆうやつなのか見に来た。それだけだよ」

 

 様子を見に来たと言ったが、それとは裏腹にポケットから拳銃を取り出して銃口を武尊に向ける。

 

 拳銃の引き金が引かれる瞬間、武尊は銃口から逃げるかのように身体を避けて銃弾を難なく回避する。

 

「すげぇや本当に持ってるんだな、心眼を」

 

「何が見に来ただ。殺しにかかってるじゃねぇかよ」

 

「今のはただの挨拶だよ。もし心眼を持ってなければそれまでの男だってこと」

 

 笑顔を絶やさないのを見て、こいつには恐怖というものが無いのかと思った。

 

 壊れている。生まれつきなのか、それとも何かのショックで壊れたのか、それはわからないが、少なくともこいつは常人でもなければ恐ろしい人種だ。関わったらこちらの命が危ない。

 

「感情が壊れてやがるな。お前、死の恐怖とか感じねぇんだろ」

 

「それがどうした?そんなものあったって自由気ままに生きられねぇだろうが。俺は楽しんで生きていたいんだよ。」

 

 そう言うと、獣蔵は道を譲る。

 

「いけよ、怪童に会いに行くんだろ?」

 

「やれやれ、筒抜けって言うわけか」

 

「明日で四日目、約束は守ってもらわないと待った意味がないからな」

 

 その時の獣蔵の顔は、まるで極上の新しいおもちゃを楽しみにしている無邪気な子供のような表情をしていた。それほど大和との戦いが楽しみなのか。

 

 道を譲られると武尊は大和がいる山奥に行くために前に進む。最上の敵である獣蔵に目もくれずに。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十五話 訪れた兵法者

 四日目

 過酷な修行も今日で終盤の四日目

 

 四日間の修行によって心身の疲労とダメージは限界を越え、異常なまでの空腹感にも襲われていた。

 

 疲れた。身体が重い。身体に力が入らない。感覚がまったくない。腹が減った。そんな色んな負の思考や感情が混ざり合いごちゃごちゃになっていた。

 

 数時間片膝立ちで居合の構えを取っていた大和も、気がつけば地面にばったりと倒れており、動く気配がまったくなかった。

 

 近くで見ていた幽々子や紅虎は見ているだけで助けようとはせず、これからどうなるか観察するように眺めていた。

 

 本来ならば倒れている大和を助けるのが当たり前だが、それでは大和の邪魔をするのも同然であり、それでは大和のためにはならない。だから見てるだけしかできなかった。

 

「紅虎さん……」

 

「我慢してください。これも大和のためです」

 

 心配していた幽々子は今すぐにでも大和を助けに行きたかったが、紅虎がそれを止める。

 

 心苦しかったがこれも大和のためと、己の感情や思考を欺き、心を鬼にして見守ることに専念する幽々子。ただ見守るたけのことがこれほど苦痛で心苦しいことがあったことか、いや、今までなかった。

 

「ちょっと休みに行きましょう。ずっと見ているのは心苦しいでしょうに」

 

「えぇ、そうね。」

 

 二人は大和を置いて休みに行った。

 

 

 

《それから》

 

 

 

 数十分が経過した頃、屋敷を出てきた武尊がようやく大和達がいる山奥へと到着した。

 

 倒れている大和を見るやいなや、やはりかと言わんばかりに呆れたような表情で見つめてくる武尊、まるでそれがわかっていたかのように。

 

「もう立ってられないほど、感覚が麻痺してやがるな」

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「だがそれで良い。完成に近づいている。」

 

「あに……き……」

 

「なんだ?」

 

「あにきも……こんなつらい……しゅぎょうを……したのか……?」

 

 大和の質問に対して何を戸惑ったのか、武尊は人差し指で頭を掻きながら、すぐには答えずに少し間を開けてから答える。

 

「まぁな、したよ。」

 

 倒れ込んでいる大和の隣にひっそりとあぐらをかいて座り、武尊は静かに語りだした。

 

「お前にはこんなこと言いたくないが、俺も苦労したよ。三日三晩飲まず食わずで修行したからな」

 

 昔は何とも思わなかったが、今思い出せばとてつもない修行だったと言える。

 

 あえて五感を封じるために、三日三晩飲まず食わずで修行する地獄のような日々、しかしあの日々があったからこそ今の自分がいることが実感できる。

 

「ほら立てよ、これから稽古つけてやる」

 

 しかし。大和は立ち上がろうとしても身体に力が入らない。それどころか腕や指先すら動かない状態だった。

 

「からだが………うごかない……」

 

「んなこと知るかよ。動けないから相手にできないなんて、そんな生易しいことが通じるわけ無いだろうが」

 

 力尽きて倒れている大和に対して、まるで死体蹴りでするかのように武尊は大和の身体を思い切り蹴り上げる。

 

 ゴロゴロと数メートルほど転がる大和の身体、蹴り具合はと言うとまるで生きの無い屍を蹴っているような感覚だった。

 

 慈悲は無い。闘えないというのならば蹴りでも暴力でも何でも振るう。例えそれで力尽きて生涯を閉じようともそれはそれで本望であろう。

 

 すると何が起こったのか、大和の身体に異変が起こる。

 

 なんと全身の神経が脳に運ばれるような感覚に襲われる。

 

 その瞬間、これから起こるであろう行動や言動、全てが視えた。

 

 そして目を見開く。

 

「視えたっ!」

 

「ほう………」

 

 するとどうしたことか、全身の疲労が、耐え難い空腹感が消え去っていく。そして身体が自由に、まるで絹のように軽くなっていった。

 

 錯覚でも幻覚でもない。今まであった疲労感や空腹感が無くなったのだ。偶然か必然が、恐らく脳内に分泌されたであろうエンドルフィンが作用しているのだ。

 

 大和は堂々と軽やかに立ち上がり、片膝立ちで居合の構えを取った。

 

 それに対して武尊は大和の身体に良い意味での異変が起きたことに気づいたのだろう。急に動きが変わった大和を見て笑顔を零した。

 

「やる気出たか、そうこなくちゃな」

 

 不意打ちをするかのように突然何の前触れもなく大和の身体に向かって横蹴りを入れる。

 

 それに対して大和は咄嗟に後ろに下がって武尊の横蹴りを回避する。

 

 そして避けると、次に起こるであろう出来事が大和の脳内に映像として送り込まれてくる。

 

「ほう、ならこれならどうだ」

 

 オーソドックスなボクシングの構えを取り、そのまま大和に向かって攻撃が当たる範囲にまで接近してくる。

 

 そして肉眼では到底避けようのない閃光のようなジャブを三発ほど大和の顔面に向かって放ってきた。

 

 しかし、大和には視えていた。いや、既に知っていたと言った方が正しいのか、未来予知にも類似した能力的なものによって未来視していたのだ。

 

 武尊が放ってきた閃光のようなジャブを大和は難なく回避する。それはまるで神業だった。

 

 自分が放った反応速度を凌駕する渾身のジャブを避けられたことを自覚すると、武尊は自分の拳を見つめ直した。

 

 今放ったのは人間の反応速度では到底のことながら避けることも追いつくことができない最速のジャブ、先制攻撃ならば必ず当たる必中の攻撃。

 

 それが避けられるのは、未来視にも類似した直感力を持つ、もしくは本当に未来を見通す以外に方法はない。

 

「どうやら身につけたようだな。心眼を、視えないものが視える仏の境地を」

 

「そうだな。本当に未来が視えて俺自身もびっくりしている。これが心眼ってやつなのか……」

 

 これが紅虎さんが兄貴、風間獣蔵が見ていた世界。心眼を習得した者だけが見ることができる未来を見通す能力。

 

 ようやくだ。ようやく風間獣蔵、紅虎さん、武尊の兄貴がいる頂きへと辿り着いた。さらなる高みへと登ったのだ俺は、これで幽々子を守ることができる。

 

「もう止めだ。」

 

「えっ?」

 

「お前の力量はわかった。あとはこれからも怠けないで精進することだな。」

 

 珍しく後を引き、これからのアドバイスをしてくれる武尊、こんなこと言ってくれたのは何時ぶりだろうか。

 

 大和が心眼を習得した記念に、武尊はあっさりと考え深いアドバイス、助言をしてくれる。

 

「だがこれだけは覚えとけ、心眼は万能じゃない。対策や打倒することなんて容易なことだ。」

 

「そんなことができるのかよ?」

 

「まぁな、少なくとも俺や紅虎さんはできるぜ」

 

 まさか未来を見通すことができる心眼に弱点があったのか、せっかく心眼を習得した大和は信じきれなかった。

 

 だが気になった。心眼対策がどんなものか、どんなことをすれば心眼を容易く封じることができるのか。

 

 それがわかれば武尊や紅虎さんを打倒することが可能になる。更なる高みへと登ることができる。

 

「今ここで軽くやってやろうか?その心眼対策ってやつをな」

 

「あぁ、やってくれ」

 

 再び構えを取る武尊、殺気はないものの雰囲気やオーラから感じ取ってどうやら本気のようだ。

 

 大和に向かって突っ込んで来る武尊、見た感じだと今までのようにただ単純に飛び込んできてるようにしか見えない。

 

 心眼を使って未来を見通した瞬間、大和は驚くものを視てしまった。

 

 なんと繰り出してくるであろう武尊のジャブが上下左右に複数散らばっている。

 

 右に避けようとも左に避けようとも、上に避けようと下に避けようとも、どちらにしても当たってしまう。これでは攻撃をまとも喰らってしまう未来しか視えない。

 

 これは一体どうゆうことなのか、どうしたらこんな未来を視てしまうのか、今の大和には見当もつかなかった。

 

 その刹那、武尊は軽くジャブを放つと未来を見通していたはずの大和は動くことすらできずにまともに攻撃を顔面に喰らってしまう。

 

 軽いジャブだったので鼻血程度で済んだが、もし真剣などの日本刀や武器を使われていたら確実に死んでいた。

 

 顔面に伝う痛みよりも驚きが勝ったのだろう。すぐさま大和は武尊に対して質問を問いかけてくる。

 

「なんだ今のはっ!?」

 

「簡単なことだよ。お前の動きを見てから動きを変えて攻撃をしかける。簡単に言っちまえば後出しジャンケンだよ」

 

 後々聞いた話だが、今の技は途中までまったく同じ動作で動き、相手の動きを見てから行動を変える古武術。いわゆる未来視対策。

 

 口で言うのは簡単だが、やるのは非常に難しく高度な技術である。これをできるのは一流の武術家やセンスのある者にしかできない。

 

「今の技は『くずし』って言うんだ、良く覚えときな」

 

 恐らく呼吸・心拍・汗・重心の位置・筋肉の収縮などの相手の全てを見抜くことであらゆる動きを正確に先読みする能力でない限り『くずし』を出し抜くことはできないであろう。

 

 完全な未来視対策、恐らくこれがある限り、存在する限りは心眼を持ってしても無敵とは言えないだろう。

 

 痛感した。自分が必死になって習得したものに弱点があったとは、これで新たに自分のやるべきこと、課題が増えた。

 

「じゃあな、俺のやることは全てやった。」

 

「まてよ。兄貴」

 

「なんだ?なんか用か?」

 

「ありがとうな。色々教えてくれて」

 

「なに気持ちの悪こと言ってんだよ。俺は当たり前のことをしたまでだ。」

 

 そういうと大和に背を向けてその場から退散する武尊。本当に修行の成果を見に来たのと、ついでに助言をしてくれただけだ。

 

 だが、それが大和に取ってとてつもなく重要なことだと知るのは風間獣蔵と闘うその日にとは知るよしもなかった。

 

「よし。これで紅虎さんに顔向けできる。」

 

 休憩しに行った紅虎さんと幽々子が来るまで、少しでも心眼を練度を上げようと大和は独自の修行をする。

 

 心眼に達し、更に心眼破りを覚えた大和、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか、それは誰にもわからない。

 

 しかし、少なくとも大和は今まで以上に格段と強くなった。風間獣蔵と闘っても五分五分、もしくは凌駕することもできることであろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十六話 心眼に達した後

 紅虎と幽々子が心眼を習得した大和の元へ戻ってきてから数十分後のこと。

 

 大和が心眼に到達したことを聞き入れ、紅虎は早速実践して確かめようと何もない平原に大和を呼んだ。

 

 平原の真ん中で立ち会う両者、これから戦闘が始まると言わんばかりに一人を除いて緊張感が走っていた。

 

 師匠を相手に緊張する大和に対して、平然と冷静にいる御巫紅虎、その静けさはというと心臓の鼓動が伝わってくるのではないかと思わせるほどだった。

 

「それでは始めますか。心眼の能力を私に見せて精々私をがっかりさせないように」

 

「はい」

 

「いっときますが、私は信じてませんよ。貴方が心眼を習得したということ。実践で確認するまではね」

 

 嘘か真か、それはやってみないとわからない。紅虎はそう言った。

 

 いきなり未来が視えると言っても信じてはくれないだろう。況してや修行の厳しさに耐え切れず苦痛に泣いて、もうできないからと嘘をついて開眼したと言ってる可能性もある。

 

 真偽は実践によって見定める。少なくとも紅虎に取って大和が嘘をついているのか真実を言っているのか見抜くことは造作でもないこと。動きを見ればはっきりとわかる。

 

 空腹に耐え、眠気に耐え、熱さに耐え、想像を絶する苦痛を耐え抜いた大和、あらゆる苦行を乗り越えて今師匠の紅虎の前に立ちはだかっている。

 

 苦痛だった。四日間不眠不休で飲まず食わず、更に人間の五つの感覚である五感を封じるための修行は決して生半可なものではない。下手すれば本当に命を落として死んでいたかもしれないほど、想像を絶するほどの行いだった。

 

 だが、修行僧の苦行ですら生温いほどの修行を耐え抜いたのは決して一人で乗り越えたわけではない。

 

 それは愛しい人である幽々子が傍にいて見守ってくれたからだ。もし幽々子がいなければ修行に耐え切れずに今頃野垂れ死んでいたかもしれない。

 

 いや、そもそも幽々子がいない世界で今以上に強くなる必要があったのか?心眼を開眼させる意味があったのか?いや、ない。

 

 幽々子がいてくれたからこそ俺は強くなれた。更なる力を付けることができた。それは変わることのない真実である。

 

 少し間を開けると、そろそろ実践を始めても良いのではないかと思ったのか、紅虎は大和に対してこう言い放った。

 

「それじゃあそろそろ始めますか」

 

「はい」

 

 両者、同時に拳を握り締めて同じ構えを取る。師弟関係であるのだ。同じ構えでも別に不思議なことではない。

 

 お互いすり足で前へと進んでいき着々と距離を縮めていく、攻撃が届く射程距離範囲に入るまでひたすらと。

 

 そして数秒後には両者共に攻撃が当たる距離まで近づいていくと、一旦足を止めて静止した状態へとなる。

 

 射程距離範囲内に入っているのにも関わらず、両者共攻撃もしなければ動く気配もない。そんな時間が数秒程続くのであった。

 

 それから数秒後、沈黙の時間は打ち砕かれる。

 

 先に動き、先制攻撃を仕掛けたのは紅虎の方だった。

 

 時間に換算しておよそ0.5秒以下と言ったところか、肉眼では到底捉えることができないほどのスピードで右拳を大和の顔面に向かって繰り出してくる紅虎。

 

 人間の意識の処理は0.5秒遅れてくる。つまりその間だけ無意識の状態になっているのだ。

 

 紅虎の放った打撃は人間の反射神経では取られるどころか相手は何が起こったのか理解できない。

 

 今までの大和なら為す術もなく紅虎の攻撃をまとも喰らっていただろう。しかし、今の大和は心眼を開眼させている。故に紅虎の攻撃が視えていたのだ。

 

 心眼によって先の未来を見通し、既に紅虎の打撃を見抜いていた。

 

 大和は打撃が顔面に向かって放たれること見越して、打撃が来るよりも早く咄嗟に後ろに下がって紅虎の攻撃を紙一重で避ける。

 

「………ほう」

 

 自分の放った神速の右拳を避けたことに驚いたのだろう。表情には出さなかったものの、思わず言葉を漏らしてしまう。

 

 今の攻撃が避けれたのか、人間の反射神経では絶対に捉えることができない、速さの究極とも呼べる最速の打撃を。

 

 しかし、偶然かもしれない。いや、もしかしたら直感で避けたのか、偶々避けたのか、それとも本当に心眼を開眼していて未来を見通したのか。

 

 これはもう一度試す意味がある。もし偶然ではなく、心眼を習得していたのならば、次の繰り出す攻撃を確実に、いや、絶対に避けるであろう。

 

 もう一度攻撃が当たる範囲内に入り、紅虎は先程と比べて遅いものの左拳を繰り出して打撃を放ってきた。

 

 それに対して大和は構えているだけで何の動きもない、攻撃を仕掛けてくる気配もない。どうやら紅虎の動きや様子を観察しているようだ。

 

 左拳を大和の顔面に向かって放つ。端から見れば当てるために繰り出した打撃と思うだろう。

 

 だが、それは偽造(フェイク)、相手を騙すため、相手の気を引くための囮のようなもの、当てるつもりは毛頭ない。

 

 それに対して大和も避ける気配はなかった。まるで当てないことがわかっていたかのように。

 

 顔面に向かって放った左拳を紙一重で寸止めして自分の元に左拳を引っ込める。

 

 本命は右拳、目にも止まらぬ速さで繰り出す神速の一撃、未来を見通すことが出来なければまともに喰らうであろう必殺必中の攻撃。

 

 大和が心眼を習得しているのかどうか半信半疑だった御巫紅虎、しかしこの一撃によってようやく真実が導き出せる。

 

 紅虎は容赦なく決して勢いを殺さずに本気で繰り出す打拳、もしまともに喰らえば確実に大和の意識を絶つことができるだろう。

 

 しかし。

 

 未来を見通していた大和は繰り出してきた攻撃が当たる前に瞬時に少し後ろに下がると同時に紅虎の右拳を紙一重で避けた。

 

 その後に何を思ったのか、大和は更に後退して紅虎との距離を空ける。

 

「…………」

 

 フェイクを見破られたうえに、況してや自分の神速の打撃が当たらなかったことが予想外だったのだろう。握り締めた右の拳を見つめながら黙り込む紅虎。

 

 今の攻撃は人間の反射神経を軽く凌駕した速度で放たれる、云わば必中の一撃。到底のことながら避けられる代物ではない。

 

 しかし大和は難なく避けた。恐らく来ることを知っていたのだろう。まるで最初から繰り出してくることがわかっていたかのように。

 

 これで確信が持てた。はっきりと言えることがある。大和は心眼を開眼させている。

 

「どうやら身につけたようですね、心眼を、見えないものが視える仏の境地を」

 

「………はい」

 

 紅虎の言葉に対して大和は静かに冷静に答えた。

 

 改めて実感した。心眼の凄さを、そして未来を見通すことができる能力の素晴らしさを。

 

 この四日間、厳しく辛い修行をやった甲斐があった。更なる強さを会得したうえに、ようやくこれで幽々子を守り抜くことができる。

 

 心眼を習得し、そして紅虎の最速必中の打撃を避けられたことが余程嬉しかったのだろう、大和の心は満足感と達成感で満ち溢れていた。

 

 すると何を思ったのか、紅虎は戦闘態勢の構えを解いて大和の方に歩いて近づいていく。

 

「貴方が心眼を会得したことは理解しました。もうこれ以上の闘いは無駄でしょう」

 

 どうやら戦闘はこれで終いのようだ。

 

 紅虎さんもどうやら信じてくれたようだ。自分が心眼を習得したことを、地獄とも言える苦痛の四日間を耐え抜いて生き延びたことを。

 

 大和の隣に来ると、紅虎は目を瞑りながら嬉しそうな表情を浮かべて大和の右肩を右手でポンッと軽く叩く。

 

「良く頑張りました。それでこそ私が見込んだ弟子です」

 

「………っ!!」

 

 初めてだった。初めて師匠の紅虎さんが自分のことを褒めてくれた。こんなことは今までなかった。

 

 嬉しかった。褒めてくれたくれたことがとても嬉しかった。褒められることがこんなにも嬉しく気持ちのいいものだとは思ってもいなかったのだから。

 

 今までに無い多幸感と高揚感が大和の頭の中に溢れてきた。過酷な修行の末に心眼を習得した達成感、幽々子を守り抜くことができる力を手に入れた実感、そして師匠である紅虎に褒められたこと、それ等全ての感情が統合し化学反応を起こしてスパークした。

 

 有頂天というべきか、今の感情を表す言葉はそんなものしか思い浮かばない。

 

「貴方はまだまだ強くなれます。これからも鍛錬を怠らずに精進することですね。いずれ私や武尊と対等に闘えるように強くなることを心から願います」

 

「はい。頑張ります……」

 

「以上、貴方の師匠のからのアドバイスです」

 

 話が終わると突然、幽々子が後ろから豊満な胸を押し付けてきながら抱きついてくる。

 

 四日間ずっと見守ることしかできなかったうえに、コミュニケーションも取れなかったので、もう我慢が出来なかったのだろう。幽々子の感情が爆発して大胆で積極的な行動に出てしまったのだ。

 

「良かったわね大和!!」

 

「あぁ……ようやく幽々子を守ることができる。」

 

 最初は冷静に平然とした態度だったが、幽々子が抱きしめながら豊満な胸を自分の背中に押し付けてきていることに気が付くと、大和の顔が徐々に真っ赤になっていき、思わず目を逸してしまう。

 

「ゆっ、幽々子……その……頼むから離れてくれ……」

 

「良いじゃないの〜四日間も放ったらかしにされたんだから、このくらいやらせなさいよ〜」

 

「頼む……背中にな……胸が……当たってんだよ……」

 

「な〜に〜? 聞こえないわよ〜うりうり〜」

 

 大和が顔を赤くして照れていることに気づきながらも、更に強く抱きしめて胸を押し付けてくる幽々子、これは確信犯だった。

 

 駄目だ。刺激が強すぎる。限界だ。この四日間三大欲求を禁欲してきたので、この状況をどうにかしないと理性が吹き飛んでしまう。今にもどうにかなってしまいそうだ。

 

 幽々子に責められていると、緊張感と修行から開放されて安心でもしたのか、大和の腹から『ぐぅ~』と山奥に大きく響くような音が鳴った。

 

「やべぇ……腹減った。」

 

「それも無理は無いわね。四日間飲まず食わずだったからもの」

 

「それでは山を降りて食事にしましょう。それまで我慢してくださいね」

 

 そう言うと紅虎は一人で歩き、幽々子は抱きつくのを止めて、嬉しそうな表情を浮かべて恋人同士のように大和に寄り添って腕を組みながら歩いて山を降りていった。

 

 過酷な修行の末に心眼を会得した大和、近づいてくる八雲紫との戦争、そして風魔獣蔵の再決戦、二人が戦場で闘い相見える日はそう遠くはない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十七話 帰還した大和達

 大和達が山を降りて街に帰ってきたあと、腹拵えをするために近くのファミレスに寄って行った。無論、食べ放題の店である。

 

 店に入って席に座り、店員に注文をする大和一行、その量と来たらとんでもないものだった。

 

「これとこれと、あとこれもお願いします。 デザートは食後で……」

 

「私はこれと、これと、これと、あとついでにこれもお願いするわ。」

 

「私はこれで」

 

 まるで二人は競い合っているかのように、大和と幽々子は色んな料理を注文する。無論食べ放題のスープやサラダ、ご飯物も忘れてはいない。この店を閉店に追い込むのではないのかと思わせるほど。

 

 三人の注文が終わり店員がいなくなると、紅虎は大和に対して話しかけてくる。

 

「そんなに頼んで大丈夫なんですか? お金は何とかしますが、何も入れてない身体に大量の食事を摂取すると胃がビックリしますよ。」

 

「いやーすいません。あまりにも腹が減ってて色んな料理が美味しそうで、つい衝動的になってしまいましたよ。」

 

「まぁ…残さず食べれば私は何も言いませんよ。」

 

「あら、私には何も言わないのね。」

 

「貴女の場合は大食いが平常運転ですから。この店の食材を全部食べ尽くしても驚きはしませんよ」

 

 大和もかなりの大食いだが、幽々子はそれ以上に大食いだ。こんな細い身体のどこに食事が入っているのかと思うほどに料理が良く入る。もしかしたら異次元やブラックホールでも胃の中に搭載しているのではないかと思ってしまうほどだ。

 

「それにしても羨ましい身体ですよね幽々子さん。沢山食べても太らず、体型を維持できるなんて夢のような身体じゃないですか」

 

「そうですか? そんなこと私は全然考えたことなかったから」

 

「逆に言えば脂肪が増えない、太れないってことだよな、筋肉とかを付けたい俺からしてみれば致命的なことだと思う」

 

 幽々子からしてみればどうでも良い話だが、大和の言う通り太れない体質はボディービルダーや身体を至宝とするアスリートに取っては致命的なことである。

 

 本来肉体とは脂肪を付けてから筋肉量を増やす、それが一般的なやり方である。

 

 脂肪がたんまりと乗っている太った人が筋肉を付けるのは努力次第でなんとかなるが、筋肉も付いていないガリガリの人がそこから筋肉を付けるには筋トレをするのはもちろんのこと、それ以上に相当な食事をする努力が必要である。

 

 筋肉を肥大化させたいという人は太れないという苦しみを味わう、この苦しみに対立している人はどれだけいるのかは想像もつかない。

 

 つまり、太れるというのは才能の一種であり、太れないというのは筋肉を付けるうえでとても致命的なことである。

 

 まぁ幽々子からしてみれば、筋肉を付けることも、身体を肥大化することも無縁な話であり、どっちにしてもどうでも良いことなのである。

 

「お待たせしました。ご注文の品々です。」

 

 店員が料理を持ってくると、極限まで腹が減っていた大和は眼を光らせ早速料理にありつく。

 

「頂きます」

 

 手を合わせた後、ガツガツムシャムシャと豪快に飯を喰らう大和、余程腹が減っていたと見ることが出来る。

 

 あっという間にほとんどの料理は無くなり、食べ物が無くなるや否や今度はサラダやコーンスープ、大盛りのカレーなどを持ってきて食べだす。

 

 大和のあまりにも早すぎる食べ方、そして大量の食事に紅虎は難を示したのだろう。食事中の大和に思わず指摘をしてくる。

 

「早食いは良くありませんよ。もっとゆっくり食べては?」

 

「すいません。腹減って腹減って、夢中で喰ってました。」

 

「駄目よ大和。食事はもっと優雅に食べないと」

 

 そう言っている幽々子も料理は全て片付けてサラダやスープ、大盛りのカレーを持ってきて食べている。今でカレーは四杯目と言ったところか。

 

「俺より喰ってる幽々子が優雅やら何やら言う資格があるのかよ? 上品に喰ってる割には大食らいじゃねぇかよ」

 

「あら? 野生児みたいに品性の欠片もなく食い散らかすよりはマシだと思うけど、もっと私を見習って欲しいわね。」

 

「言うね、そこまで言われたの初めてだわ。それに誰が野生児だって?」

 

「まぁまぁ二人とも……夫婦喧嘩はそこまでにしときなさい。周りのお客さんに迷惑ですよ」

 

「夫婦じゃねぇよ!!」

「夫婦じゃないわ!!」

 

 息ぴったりの二人、流石の紅虎も呆れてしまうほどの意気投合の仕方。

 

 二人の喧嘩が止まると再び食事を始める。食事が終えるまでそれから一時間近く経過するのであった。

 

 

 

 

《〜少年少女食事中〜》

 

 

 

 大和がサラダやスープ、カレーをおかわりしたこと合計50回近く、同じく幽々子がおかわりしたこと合計100回近く。やはり幽々子の胃袋の次元は違ったようだ。

 

 空腹から開放されて、ようやく満腹になった大和。砂漠を三日間飲まず食わずで彷徨ったあと初めて水を飲んだ時の爽快感と多幸感がある。

 

「ふぅ〜食った食った。こんな美味い飯久しぶりだわ」

 

「ご馳走様、美味しかったわ」

 

「さて、食事も終えたことですし。本題に移りましょうか」

 

「本題?」

 

「大和、貴方は心眼を習得し、安心して平和ボケしていると思いますが、これから戦争が始まるのですよ。

 まず自分が戦争をすることを自覚しなさい。」

 

「はい。」

 

 そうだ。これから風魔一族との戦争がある。風間獣蔵との決戦がある。これは逃げることも避けることもできない運命的なものである。

 

 平和ボケ、確かにしていた。俺は過酷な修行の末に心眼を習得して安心し切っていたのだ。

 

 気を引き締めなければいけない。褌を締め直さなければ、この先、風間獣蔵のとの戦いがある。そして幽々子を連れ帰るために来る、あの化物の八雲紫とも対立しなければいけないのだ。俺には安心している暇も呑気にしている余裕もない。

 

「まぁ、大丈夫ですよ。以前とは違って貴方は格段に強くなったのですから」

 

「そうよ。大和なら大丈夫だって。 紫には遠く及ばないけれど、何とかなるわ。」

 

 紅虎さんも、幽々子も励ましてくれる。それがどれだけの励みになることやら。しかし八雲紫にはどうしても勝てないらしい。人の力ではどうしょうもない、人知を超越した強大な化物らしい。

 

「紅虎さんありがとう。幽々子、俺頑張るよ、絶対に守って見せる。」

 

「話はそれで終わりです。さっさとお会計済ませて屋敷に帰りましょうか」

 

「はい」

「はーい」

 

 三人は席から立ち上がってお会計を済ませる。しかしかなりの料理を頼んだせいか、店員がレジを打つ時間が非常に長く、結構待たされた。

 

 そして。数十分後のこと。

 

「5万8000円になります。」

 

「えぇ……?」

 

 お金を出す紅虎は思わず聞く耳を疑ってしまった。

 

 えぇと一桁多いのでは?あの二人どんだけ食べたんですか?など、紅虎の頭の中はいっぱいだった。

 

 思わず苦笑いを浮かべながらも紅虎は5万と8000円を取り出して料金を支払う。

 

 店から出ていき外に出る三人、もう夜遅くだったので暗い夜空には無数の星々と満月が浮かび、空気はかなり冷え込んでいた。

 

 草薙家に帰る三人、大和と幽々子はまるでお互いを暖めるかのように身体を寄り添って歩いていた。

 

 

 

 《〜少年少女帰宅中〜》

 

 

 

 ファミレスから出て三十分くらいが経過したところか、三人は草薙家に到着した。

 

 玄関を開けて中に入り、靴を脱ぐ。そして長い廊下を歩いて茶の間へと向かう。

 

 四日間家を空けていただけだが、何だか久々に我が家に帰ってきたような気がする。兄の武尊と弟の和生は今どうしてることやら。いや、武尊とは最近会ったばっかりだっけ。

 

 三人が襖を開けて茶の間に入ってくると、そこには珍しく兄の武尊と弟の和生が寛いでいた。

 

 兄の武尊はお茶を飲んでゆったりとしており、弟の和生は武器の整備をしている。

 

 大和達が帰ってきたことに気がついた二人は、四日振りに家に戻ってきた大和を優しく?出迎えてくれる。

 

「よう兄貴久しぶり、帰ってきたのか」

 

「寂しかったぜぇ〜お前がいない間ずっと俺が飯作ってたんだからよ」

 

 兄貴は嫌味ったらしく、弟は淡白で無愛想な口調で兄弟の帰りを出迎えてくれた。

 

 弟が無愛想なことは昔から良く知っている。俺が死ぬ思いをして帰ってきたからって別にこれと言った特別なことなんてないのだから。

 

 しかし問題は兄の方だ。兄弟が死ぬ思いをして帰ってきたことを知っているのにも関わらず、最初に口にしたのは飯のことだ。もしかして自分の弟のことを飯炊きとしか思っていないのか。

 

 まぁ、良いや。俺も大人だ。そんな小さいことで怒ったり悩んだりはしない。家事を全て任せたのは悪いと思ってるし、俺がいないことで迷惑もかけた。

 

 それに兄貴は勝てない。ここは穏便に平和な策で行こう。そうすれば喧嘩も争い事も起きない。

 

「留守に悪かったな二人共、修行に行ってたとはいえ迷惑をかけた。」

 

「別に良いんだよ、料理も意外と楽しかったから。

 それに強くなって帰ってきたことは褒めてやるよ。これで俺とかなり良い勝負が出来るんじゃねぇか?」

 

「いや、まだ兄貴には遠く及ばない。どうせ今戦っても負けるのは目に見えている。これからも強くなるために稽古を積まないとな」

 

「ったく、もうちょっと自信を持てっつーの。今の俺だったら兄貴に勝ってみせる、とか粋な答えはできねぇのか?」

 

 そんなこと言われても、心眼を習得したとはいえ俺と兄貴の戦力にはまだ雲泥の差がある。兄貴の身体能力も技も能力も次元が全く違うのだ。

 

 俺も馬鹿ではない。心眼を習得した直後に兄貴に見せられた『くずし』という武術、あれの存在を教えられたことによって兄貴の底無しの戦力の恐ろしさと心眼の弱点というのを知ってしまったのだ。

 

「いや、無理だよ。兄貴には勝てない。」

 

「お前これから戦争を始めるんだぞ? そんな気弱で臆病風に吹かれた状態でいると生き残れないぞ

 もっと自分に自信を持てって、それにお前はゆゆちゃん守るんだろ?今のお前は以前とは比較にならないほど強くなったんだからよ。」

 

 珍しく励ましてくれる武尊、これから戦争が起きるからなのか、それとも単なる気紛れなのかそれはわからない。しかし自分を鼓舞するその兄の言葉は何だかやる気と自信が溢れ出てくる。

 

「それによ、俺は楽しみなんだ。何せ自分の力を全力で振るうことができる戦場に巡り合わせてくれたんだからよ。ゆゆちゃんには感謝してるぜ、今まで辛く厳しい鍛錬を耐え抜いた甲斐があるってもんだ。」

 

「お兄さん……」

 

 近い将来、戦場を駆け巡ることがとても嬉しそうにしている武尊を見て幽々子は恐ろしく感じた。

 

 現代の風魔一族がどれだけ恐ろしいのかはわからない。しかし友人である八雲紫の強さと恐ろしさは知っていた。あれは人の力でどうにかなるものではない。いや人間ではどうしようもない強大な力を持っている。

 

 もし戦場で相見えて戦えば確実に殺される。例え未来を見通す力を持っていても、どんなに優れた身体能力を持つ人間でも彼女には勝てない。それほど恐ろしく強大な力を持っているのだ。

 

「それは危険なことよ、紫と戦えば死ぬかも知れない。お兄さんは命を粗末にする気なのかしら?」

 

「構わねぇよ、俺は生粋の戦士だ。戦場で戦って死ねば本望ってもんよ。

 それにな、俺は平穏に長生きするよりも、戦争で華々しい活躍を遂げた戦士として死ぬ方が良いんだ。」

 

「わからないわ。お兄さんの考えが……」

 

「わからねぇだろうな。俺が住む世界は女にも一般人にも理解できない世界だからな」

 

 あまりにも高潔で何の曇もない戦士としての理念、そして死ぬことすら自分の誇りだと自負する高い自尊心。

 

 草薙武尊とはそういう人物なのだ。恐らく彼は幼い頃から戦士として育てられ、戦士としての生き方や意味を考えて、自分の意志を貫いてきたのだ。

 

 武尊が理想とし求めるもの、それはこの世で最も強い最強の兵法者、戦場を縦横無尽に駆け抜けて敵を蹂躙し殲滅する一騎当千の戦士。それを手に入れることが出来るのならば、自分の死なんて取るに足りない。

 

「悪いが俺は大兄貴と違って死ぬ気はない。俺は俺の考え方とか意志がある、それを通し抜くだけのことだ。」

 

「俺も死ぬ気は更々ねぇよ、まだ死にたくはねぇし、何よりも幽々子のためにも生き残らねぇとな」

 

「それじゃあ大和……」

 

「おっと、今更戦争を止めろなんて言うんじゃねぇぞ、このまま幽々子を八雲紫に引き渡すわけにはいかねぇからな。

 もし幽々子がいなくなったらと思うと、怖くて恐ろしくてどうしようもないんだ。自分が自分でいられなくなる。」

 

 八雲紫と闘うのは確かに怖い。今でもあの恐ろしい能力のことを考えると恐怖とトラウマで手足が震えだす。しかし、それ以上に幽々子がいなくなると思うと気が触れてしまい正気ではいられなくなる。幽々子がいない世界など何の意味も無くなってしまうのだから。

 

「という訳だゆゆちゃん。俺達の命を慈しむ心は良い心掛けだが、今更戦争を止めさせようだなんて無理なこった。

 俺は大切な人がこの世界からいなくなって壊れる弟を見たくないし、何よりこんな面白くなりそうな戦争に水を差されたくないね。」

 

 飲んでいたお茶を飲み終えて立ち上がる武尊、どうやら床の間から出ていくようだった。

 

「それじゃあ、俺は戦争の準備しながら一人で晩酌するわ。死ぬ気は更々ないが、もしかしたら最後の酒になるかもしれねぇからな。

 それともゆゆちゃんに晩酌の相手してもらおうか? 良い女に酒を注がれたらもう何も言う事ないんだけどな」

 

「兄貴っ!」

 

「冗談だよ、そんな怒んなって。」

 

 これから戦争が起きるというのにも関わらず、陽気に笑いながら床の間を歩いて出ていき、自分の部屋に戻る武尊。

 

「俺も自分の部屋に戻るわ」

 

「それじゃあ私も今日はここで寝泊まりさせて貰いましょう。部屋は空いていると思うので、勝手に布団を敷かせて貰いますよ。」

 

 そう言うと和生は調整していた武器を手に持って立ち上がって自分の部屋へ、紅虎は空き部屋へと歩いて行き、床の間を出ていった。

 

 二人きりとなった大和と幽々子、さて、これからどうしたものか。まぁやることは大体決まっていた。

 

「俺達も寝るか」

 

「うん」

 

 それならばさっさと部屋に戻って就寝しようと二人が床の間を出ていこうとする時だった。

 

 突然、幽々子が大和の服を掴んで何か言いたそうな表情を浮かべながら立ち止まる。

 

「ねぇ大和……もし良ければだけど、今夜一緒に寝ても良いかしら?」

 

「……………………はっ?」

 

 あまりに突然の一言に顔を真っ赤にする大和。

 

 幽々子は何を考えているのか、男女が一つ屋根の下で暮らしているのが精一杯だと言うのに、況してや一緒の布団で寝るなんてどうかしている。

 

「駄目?」

 

 まるで誘っているかのように幽々子は上目遣いをしながら大和の腕に抱き着いて豊満な胸を押し付けてくる。

 

 それに対して大和は目を逸らす。理由は言うまでも無く、恥ずかしいからである。

 

「わっ、わかった。一緒に寝るから頼むから離れてくれ……そんな積極的なアプローチしないでくれよ」

 

「いーやだ、はなさなーい」

 

「はぁ……まったく……」

 

 駄目だ。幽々子の豊満な胸を意識すると心身とも持たない。もう諦めよう。どうゆうわけなのか離れる気は更々無さそうだし。

 

 自暴自棄になりながらも二人は大和の部屋へと行き、ベッドで就寝する。ちなみに幽々子は眠りにつくまで大和を離さなかった。

 

 八雲紫率いる風魔一族と草薙家による全面戦争が始まるまで一日が切り、残り数時間のこと、果たしてどのような結末が待っているのか?それは誰にもわからない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十八話 風魔一族VS草薙家

 午後六時半になる頃、空には雲一つ無く、星々と満月が上る綺麗な夜。

 

 茶の間に武尊、大和、和生、紅虎、幽々子の五人が集結している。しかし今回の幽々子は戦力外であり、人数には入れていない。

 

「さてと……」

 

「よう兄弟、準備は良いか?」

 

「おう大兄貴」

 

「何時でもやれるぜ」

 

 迷彩服に防弾チョッキ、拳銃やアサルトライフル、ナイフやマガジンになど完全武装をする和生。

 

 そして袴に道着を身に纏い、片手に自分専用の武器である鉄刀を手に持つ大和。

 

 同じく袴に和服を身に纏い、腰に日本刀を携え、背中に弓矢を背負い、片手には2メートルをゆうに超える長巻野太刀を担ぐ武尊。

 

「わかってると思うが……これは遊びとか訓練じゃあねぇ、言わば殺し合いだ。てめぇの命はてめぇで守れ。それが出来ないって言うならその場で死ね!!」

 

「おう」

「あぁ」

 

「良いか?俺達は草薙家だ。平安時代から代々伝わる古き一族、かつて神秘殺し最強と謳われた末裔だ!!

 その名を背負い、先祖に恥じること無く、気高く生き誇りを持ちやがれ!!」

 

 これから戦争が起きるためか、自分の兄弟を鼓舞する武尊。その言葉の一つ一つに重みと草薙家を背負うプレッシャーのようなものを感じる。

 

 戦争への不安、死の恐怖、草薙家を背負う重み、八雲紫への恐怖、幽々子を守れるかの不安、色んな思考がある。

 

 しかしやるべき事、目的は決まっている。草薙家の名を落とすことなく守り通すこと、戦争を制して生き残ること、そして八雲紫から幽々子を守り抜くこと、それが使命であり戦争の意味でもある。

 

 ならば見せてみよう。誰に戦争を申し込んできたのか。草薙家の恐ろしさと言うものを教えてやろう。奴らに俺達の恐怖を植え付けてやろう。

 

「敵の数は恐らく圧倒的に多い、俺達の何十倍もいるだろう。それに対して俺達はわずか四人しかいない一個小隊に過ぎない。

 だがてめぇらは一騎当千の古強者だと俺は信仰している。ならば俺達はてめぇらと俺で総力100以上の軍集団となる。

 恐れることは何もない。目に入った敵を殲滅し、大将の首を取ることのみ考えろ!!倒れた仲間は見捨てろ!!例えそれが救える命だろうともだ!!」

 

「良いぜ大兄貴、そういうの好きだぜ。柄でも無いが血が滾ってくる。要するに俺達の恐ろしさをあいつら風魔一族に見せつければ良いんだな。」

 

「簡単に言っちまえばそういうことだ。まぁ取り敢えず生き残って生還しろ。流石の俺も兄弟の死は堪えるからな」

 

「言われなくても生き残ってみせるさ。幽々子のためにも俺は死ねないんだよ」

 

「その心意気だ。その言葉忘れんなよ」

 

 弱気になって臆病風に吹かれていた昨日とは打って変わって強きで面構えも良い大和、どうやら幽々子のためにも頑張り生還するという感情が大きく働いてるらしい。

 

 風魔一族と闘うのは結構だが、八雲紫と闘うことに関してはは恐怖がある。今でもあの能力を思い出すと手足の震えが止まらない。しかし、それ以上に幽々子を失うことの方が嫌だし、耐え難い恐怖がある。

 

 だから俺は八雲紫と闘う。例え自分の命を失おうとも、死んでもその首元に噛み付いてやる。幽々子がいなくなるくらいなら死んだ方が良い。幽々子を失うことに比べたら、肉親の死別すら取るに足らない。

 

「私は見物でもしてます。私が参戦したらつまらない戦争になってしまうと思うので。

 まぁ、大和が危機になったら応戦でもしましょうか」

 

「それで構わねぇよ、丁度良いハンデだ。」

 

 丁度良い。武尊の兄貴と紅虎さん、最強の二大巨頭がいると圧倒的な戦力差で戦争が終わってしまう。俺は別に構わないが、何より武尊の兄貴ががっかりしてしまうだろう。

 

 兄貴の考えが少しだけ分かる。お互いの命を削り合う死闘を繰り広げて勝利を収める。それが戦争の醍醐味であり、兄貴の美学とも呼べる主義でもある。

 

「行くぞお前ら。」

 

「「おう」」

 

 武装をして屋敷を出ていき目的地に向かう五人、この先に待っているのは生か死か。

 

 

 

 《公園にて》

 

 誰かが手引しているのか、公園に一般人は誰もおらず誰もいない。あるのは草木が風に吹かれて音を出す自然のざわめきだけだった。

 

 灯と言われるものは設置されている電灯や空に上る星と満月だけ。周囲は薄暗く目を凝らさないと良く見えない。

 

 公園に来てみると、草薙家をずっと待っていたかのように大人数の黒い衣を纏った男達が待ち構えていた。

 

 相手の数は見た感じだと三十人と一人、こちらの数十倍の数はいる。

 

 すると突然、まるで二手に分かれるかのように、黒い衣の男達が頭を下げながら道を開ける。

 

 誰が来るのかと思えば、風魔一族若頭、風間獣蔵が歩いてやってきた。

 

「よう、これはこれは草薙家諸君、今宵は我々のために良く集まってくれた。」

 

「よう風間獣蔵、四日振りだな」

 

「いやぁ、嬉しいよ。上等な獲物が狩れる上に、女まで連れてきてくれるとはね、おかげで探す手間も追い掛ける手間も省けるってもんさ」

 

「誰が幽々子を渡すもんかよ、てめぇら全員返り討ちにして必ず生還してやる。」

 

「そうはいかない。俺達の任務はお前たち草薙家を一家抹殺して、そこにいる女を捕獲することだからな。

 てめぇらに明日は無ぇんだよ。頼むからこの場で潔く死んでくれ」

 

 どうやら俺達を生かす気も逃がす気も無いそうだ。恐らく俺達を殺すことに一切の躊躇いもないのだろう。

 

 与えられた任務を遂行することのみを考えている。まるで入力したことを実行するだけの機械のような奴だ。冷酷で無情、感情や慈悲というものは一切存在しない。

 

 あまりにも一方的な言い様に虫唾が走ったのだろう。今まで何も言わなかった武尊が口を出す。

 

「随分の言い草だな。てめぇらが殺されることは頭に入ってないのか?」

 

「任務を遂行するためになら、たかが数人殺されようが関係ない。部下なんて所詮替えの効く道具に過ぎないからな。」

 

 人の命を何とも思っていない。あまりにも非人道的な思考。しかし、それを承知のうえで連いてきているのか、部下たちは風間獣蔵の言葉を聞いても、眉一つ動かすどころか寧ろ納得したような表情を浮かべている。

 

 恐ろしい。思考や時代が違えど、まるで昔存在した神風特攻隊のような集団、もしくは神の信仰のために死を恐れず異教徒を殲滅する過激派集団、任務のためなら人を殺すことも、自分の命を投げることも惜しまない殺戮集団。それが風魔一族である。

 

「草薙家、一応その歴史を調べさせてもらった。」

 

「それは勉強熱心なことだな。どうだった?」

 

「平安時代から現代までその名を轟かせて語り継いできた古き一族、嘘か本当か、かつて実在したと言われてる神秘殺しの英雄、伝説の侍(・・・・)の末裔、その始祖の名前は未だにわからなかってけどな」

 

「それだけわかっていれば十分だ。良く調べたと思うぜ」

 

 つまり、この勝負はただの勝負ではない。平安時代から続く伝説の侍の末裔と五百年代々続く風魔一族の誇りと生存を掛けた闘い。食料の奪い合いや領土の奪い合いで起こる戦争とは訳が違う。

 

「さぁ、殺し合いを始めようぜっ!!てめぇら全員生かしては返さねぇからよっ!!

 殺れよ風魔一族、俺達の恐怖と威厳を見せてやれ。」

 

「御意」

 

バンッバンッバンッ!!!!

 

 その瞬間、一体何が起こったのか、銃声と同時に三人の風魔一族の額に何か物体が命中して倒れてしまう。

 

「……はっ?」

 

 風魔一族の額を見てみると、BB弾が深くめり込んでいた。相当な威力で撃ち込まれたのであろう。恐らく場所が悪ければ身体に穴が空いているレベルの殺傷能力。

 

 恐ろしい早業で三人にBB弾を撃ち込んだのは何の紛れもない。近代兵器を武装している草薙和生だった。先制攻撃は和生の拳銃、デザートイーグルによる銃撃だった。

 

「悪いな……俺はこんなところで死ぬ気はねぇんだよ」

 

 不意打ちで銃撃をしたが、そんなことは関係ない。俺達は殺し合いをしているのだ。油断していたほうが悪い。殺ったモン勝ちなんだから、どんな汚い手段でも使ってやる。そして生き残ってやる。

 

「やるねぇ、地元で悪い噂だけは耳にしていたが、まさかここまで銃撃の才能があるとはな。」

 

「なんなら今ここでてめぇの額にも風穴空けてやろうか? いや……額と言わず身体中風穴だらけにしてやるよ」

 

「残念だが、お前の相手は俺じゃない。」

 

 風間獣蔵の目の前に複数の部下が立ちはだかる。どうやら闘いの火蓋が切られて開戦の幕開けのようだ。

 

「四人は俺の背後に付け、十五人は武尊と交戦、残りは和生を始末しろ。」

 

「御意」

 

 最大戦力である武尊に大勢で挑むのはわかる。それぐらいしなければ止めれないからだ。恐らく全員で攻めても過剰戦力でも大袈裟でもないだろう。

 

 しかし、残った者だけで和生を仕留めるのはどうかと思う。舐めているのではないのか? 奴も草薙家の一人、大和や武尊よりは明らかに弱いとは言え、並の人間のよりは遥かに強い戦闘力を持っている。本当に仕留めたいのであれば十人ぐらいで掛かった方が良いと思う。

 

「良いか?誰も援護はしない。向かってきた敵を倒すことだけを考えろ」

 

「おう、随分と嘗められたもんだ。残りもんで俺を殺そうなんて、後悔させてやる。」

 

「大丈夫かよ兄貴? 大人数相手にして勝てるのか?」

 

「心配すんな、寧ろ少ねぇぐらいだ。それとも俺が死ぬと思ってるのか?」

 

「いや、そんなことはない。」

 

「じゃあそんな弱音を吐くな。お前はゆゆちゃんを守り、風間獣蔵を討つことだけを考えてろ

 大丈夫だ。俺は死ぬ気はないからさ。」

 

 これから死ぬかも知れないというのにも関わらず、無邪気な子どものように笑顔を振る舞う武尊、まるで自分を心配させないようにわざと笑顔を作っているかのようだった。

 

 しかし期待に答えるとまでは言わないが、俺も生き残るために、幽々子を守るために闘おうと思う。心配や不安にはさせない。もしそう思わせてしまったら確実に命取りになるかもしれないからだ。

 

 武尊の言葉に対して大和は一言だけ、自信満々に答えた。

 

「おう」

 

 大丈夫、俺には兄貴がいる。弟がいる。それに愛しい幽々子がいるのだ。負ける筈がない。いや負けることができないと言った方が正しいのか。

 

 ここで負ければ、兄弟は死に、幽々子が奪われてしまう。当たり前のことから目を逸らすことはできない。自分勝手だが、俺は全てを守り抜く、守り抜いてみせる。

 

「さぁ……開戦だっ!」

 

 戦いの火蓋が切られ、両者共殺気をぶつけ合いながら接近する。容赦や情けなどは一切無い。目の前の敵を無慈悲に殲滅する勢いで戦いに意気込む。

 

 遂に始まった草薙家と風魔一族の戦争。果たしてどのような結末を迎えるのか?



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四十九話 和生の死闘

 遂に始まった草薙家と風魔一族の戦争、戦いの火蓋が切られて開戦の幕開けである。

 

 この場で纏まりながら戦うと、被弾する可能性がある飢えに、兄弟のことが心配になって自分の戦いに身が入らないと思ったのだろう。武尊は和生に対してある提案、もしくは作戦を言い渡した。

 

「和生、別れるぞ、お前は右に行って敵を引きつけろ、俺は左に行って敵を引きつける」

 

「おう、死ぬなよ大兄貴」

 

「お前もな」

 

 別れの挨拶として、和生と武尊は拳と拳を合わせる。

 

 敵を引きつけながらも和生は右へと走って行き、武尊も和生とは真逆の左方向へ行った。三グループに別れたのだ。

 

 その場に残ったのは大和と幽々子、そして風間獣蔵と四人の部下のみになった。

 

「なるほどな。お互い何の心配もさせないように別れて戦う。いわゆる分担作戦か」

 

「あぁ、これで心置き無く戦える。」

 

 自分には何も言わず、武尊が独断で思いついた咄嗟の作戦だったがそれで良い。グループに別れてしまえば誰にも邪魔されないし、仲間同士の助け合いも無くなる。

 

 つまり誰の干渉も無ければ心置き無くタイマンでやり合えるということだ。

 

「構わねぇぜ、どうせ全員始末することには変わりはねぇんだ。まぁ、俺達は俺達で楽しくやり合おうぜ」

 

「俺は幽々子と一緒に生き抜く、そう決めてんだよ。てめぇの殺し合いに付き合う気は更々ねぇんだよ」

 

「それは困ったな。ここでお前達を始末しなきゃ、俺達があの方に殺されちまう。別に殺されても構わないが、任務を失敗はできない。」

 

「どうやらてめぇとは話が合わねぇようだな」

 

 それはそうと、八雲紫も恐ろしい奴だ。自分の味方とはいえ、任務を失敗すれば殺す。理不尽にも程がある。死の恐怖を植え付けて背水の陣をやらせる。

 

 幽々子が八雲紫のことを妖怪と言っていたが、それも納得する。人間をどうとも思っていない。いや、駒程度とは思っているのか、機械のように感情が無く、恐怖で人を操る外道。

 

「まぁ楽しもうぜ、この命朽ち果てるまで闘おう!!」

 

 草薙大和と風間獣蔵、二人の闘いが始まる。果たしてどうゆう結末を迎えるのか。

 

 

 

 《…一方、和生は…》

 

 

 敵は八人、大兄貴のところよりは少ないとはいえ、数では圧倒されている。

 

「どうした? 早く来いよ」

 

 こちらの様子を伺っているだけで何もしてこない。況してや武器も構えずこちらを見ているだけ。

 

 正直に言って気に触る。俺を舐めているのか、それとも俺が弱いと思っているのか、風間獣蔵の命令や今の奴らの様子を見ているとイライラしてしまう。

 

「ちっ、腰抜け共かよ。そんなんで俺を殺そうなんてな、こっちが泣けちまうよ」

 

 拳銃をちらつかせているのにも関わらず、風魔一族はこちらに向って突っ込んでくる。

 

「馬鹿がっ!」

 

 冷静に狙いを定め、相手の眉間に向って銃口を向ける。

 

……バンッ!バンッ!

 

 2発ほど弾丸を放った。しかし。

 

 銃口を読んだのか、それとも撃ってくることを先に読んでいたのか、和生の弾丸を容易に回避しながら突っ込んでくる。

 

(……避けやがった!?)

 

 このままでは懐に潜り込まれる。そうなってしまえば銃撃戦はできない。銃火器の意味がまるで無くなってしまう。

 

 そうかこいつら、最初から接近戦で挑もうとしていたんだ。この俺の銃火器を無力化して、何の抵抗もなく仕留める。それがこいつらのやり方だ。

 

 銃撃戦は主に中遠距離戦でその強さと威力を発揮する。連続射撃と命中率さえあればその脅威は絶大とも言えるだろう。

 

 しかし接近戦や肉弾戦ではほぼ無力、できなきことは無いが非常に困難、銃のトリガーを引く前に先にやられてしまうのだから。

 

「ちっ!!」

 

 接近戦に引きずり込まれる前に和生は拳銃をしまって、代わりに大型のナイフを手に取り出した。

 

 マーシャルナイフ、刃渡りが60㎝ある黒刃の大型ナイフ、剃刀のような切れ味と鉈の重量感を重ね揃えた特注品。

 

 敵に向けてナイフを突き出し、これ以上接近してくれば斬刺すると殺気を剥き出しにする和生。

 

 これは脅しでも何でも無い。近づいて来れば何の迷いもなく切るか刺す。そうしなければこちらが八つ裂きにされて殺されてしまうのだから。

 

 それに対して、向けたナイフがかなり効果的だったのだろう。風魔一族は近づいてこない。いや、寧ろ後ろへと下がっていく。銃だけを警戒していただけで大型のナイフを持っていたことが予想外のことだったのだろう。

 

「銃を無力化したからって勝てると思うなよ。接近戦は俺の得意分野だ。こちとら兄貴達に鍛えられてるからな」

 

 大和の兄貴と武尊の大兄貴から鍛え上げられた我流武術、そんじょそこらの並の人間なら簡単に勝てるが、果たしてこいつらに通用するのかはわからねぇ。

 

 だが身体能力は劣ってるとはいえ所詮こいつらもただの人間、勝てないことはない。それに俺には銃もある、その気になれば至近距離で弾をお見舞いしてやる。

 

 そうだ。やれないことはない。無理であるなら死ぬだけだから何てことはない。こいつら全員始末して生き残れば良い話なんだからどうってことはない。

 

 お互い接近もしなければ攻撃することはなく、ほぼ拮抗の状態が続いている。

 

 しかし、その状態も続くことはなかった。

 

 何か策でもあったのか、風魔一族は全員で和生に向かって何かを一斉に投げ出したのだ。

 

 投擲の動作と物体が飛んでくる気配にいち早く気付いた和生はすぐに身体を動かして避ける体勢に入る。

 

 だが、いくら動作や気配を読んだとはいえ。八人一斉に物体を投げられれば全て避けられるわけがない。それができるのはこの世で一番足が速いと言われているアキレウスのような神速の足を持つ英雄、もしくは瞬間移動をしてその場から消えるしか方法はない。

 

 全て避けるのは諦め、腕で敵に投げられたものを防ぐ対策に切り替える。

 

 軌道を読んで避けながらも、腕で投げられた物体を防ぐと、腕に何か突き刺さるような痛みが走る。

 

 腕を見ると十字形の手裏剣が刺さっていた。

 

(……手裏剣!?)

 

 腕の痛みと手裏剣に気を引かれていると隙が出来たと思ったのだろう、三人の風魔一族が接近してくる。

 

 前と左右から三角形を描くように和生に近づいてくる。

 

 これは非常に厄介な戦法だ。三人いるとすると、一つの攻撃を回避したとしても、二つの攻撃をモロに食らってしまう。況してや三人がそれぞれ違う攻撃を繰り出してくると非常に避けづらい。

 

 眼の前に来る奴はクナイで腹部を狙ってくる。

 

 それを避けようとした瞬間、右にいた奴に鎖のような物でナイフを縛られて引っ張られる。

 

「……なっ!?」

 

 それから追い打ちを掛けるかのように左にいる奴も鎖で和生の首を縛り、その上で裸締めで押さえつけてくる。

 

 鎖で首を締められたせいか、意識が遠くなっていく。息ができない苦しさの中に謎の気持ちよさを感じる。やばい、これは実にやばい。クナイで刺される前に逝ってしまう。

 

「クソがッ!!」

 

 首を締められ、武器を封じられ、目の前からクナイを持って突っ込んでくる敵に為す術もなく、和生はそのまま懐に潜り込まれクナイで腹部を突き刺されそうになった。

 

 しかし。

 

「……貴様っ」

 

 腹部に突き刺される前に和生は手の平でクナイを受け止めた。手の平を貫かれたことで血が滴り、激痛が走る。

 

 その激痛のおかげで気付け薬になった。遠くなっていた意識がはっきりした。

 

「良くもやってくれたな」

 

 まるで今から全員殺してやると言わんばかりに不気味な笑顔を浮かべる和生。

 

 まず手始めにクナイを刺してきた目の前の敵に対して攻撃を仕掛けてくる。

 

 がら空きだった股間に向かって金玉を潰す勢いで蹴り上げる。何の予備動作も無く、ノーモーションの蹴りだったので予測することも回避することもできない。

 

 見事に股間に蹴りが命中すると、男はあまりの痛みに悶絶してその場に倒れてしまう。

 

 次は首を締めている奴だ。

 

 ナイフを手放して、手の平に刺さっているクナイを痛みを我慢して抜き取ると、男の横腹に向かって容赦なくクナイを突き刺した。

 

 突き刺したクナイは致命傷、それに内蔵まで達しており横腹に激痛が走る。自然に裸締めと鎖は緩み、ほぼ解かれたような状態になる。

 

「首絞めてくれた礼だ。受け取ってくれよ」

 

 後ろを振り向いて、いつの間にか和生は銃を手に持っており、銃口を男の顎下に向けて撃つ体勢に入っている。

 

……バンッ!バッバンッ!!

 

 一発は顎下に、二発三発目は腹部に向って弾をお見舞いする。無論、弾は皮膚を貫いて内部に入り込んでいた。

 

 本物の拳銃よりは劣るが皮膚を貫く威力と殺傷力、更にクナイを刺されたことによって男は致命傷と激痛によって動かなくなってしまう。

 

 今度の標的はナイフを奪った奴、俺の武器を取り上げるとどうなるのかを教えてやる。

 

「返せよ。俺のナイフを」

 

 和生は男に近づくや否や、まず抵抗してくる前に先手必勝、相手に行動させる隙も与えない。

 

 片腕を掴み、容赦なく平手で顎をカチ上げる。それと同時に足を引っ掛けて押し倒した。

 

 その隙を突いて奪われたナイフを取り返す。そして倒れている男の上に馬乗りになりながら、ナイフで男の首を掻っ捌いた。無論、それが致命傷になる。

 

 男の首から鮮血が天高く吹き出し、返り血を浴びる和生、身体や顔が真っ赤な血に染まる。

 

 人を殺すことになんの抵抗も無い。いや、寧ろ快感すら感じていた。今まで半殺し程度にしか人をボコボコにしたことがなかったが、人の命を奪うことがこんなにも楽しいことだったのか。

 

「三人殺った、あと五人か……」

 

 五人もいる。殺せる相手がまだ五人もいるのだ。こんな楽しいことがまだまだ出来るのは、とてもありがたいことだ。

 

 一人不気味に笑い出す和生、その姿は人を殺すことに快感を得た殺人鬼のように恐ろしく、何か得体の知れない狂気的なものを感じる。

 

 不気味に笑い、血塗れになった和生に恐れを成したのか、風魔一族は近づいてこない。いや、危険極まりなくて近づくことができないと言った方が正しいのか。今の和生はどうも誰も近づきたくはない負のオーラを感じる。

 

「来ねぇならこっちから行くぜ? どうせ全員生きては帰れないんだからよ。もっと気楽に楽しく殺り合おうぜ?」

 

 もはや死ぬことなんてどうでも良い。殺し合いができれば何でも良いのだ。今は相手を殺すことを楽しもう。

 

 背負っていたアサルトライフルを手に持つと、敵に標準を狙い定めて容赦なく乱射する。

 

 威力を少しばかり改造して人間の皮膚を貫通する殺傷能力を高めたアサルトライフル、骨は砕くことはできないが、まともに当たればBB弾が皮膚を貫いて内臓にまで達する生物を殺すことに特化した威力。

 

 乱射した弾が二人に当たると、二人の風魔一族は何もできずに藻掻き苦しみながら倒れ込んだ。恐らく弾が内蔵まで達してしまったのだろう。

 

「はっはっはっ!!まず二人仕留めたっ!!」

 

 弾が無くなるとアサルトライフルを背負い直し、今度は二丁拳銃を構えて乱射する。

 

 しかし避けられて当たらない。銃口を悟られているのか、それとも単なる直感なのか、弾が一発も掠ることなく当たることもない。

 

 それどころか、避けながら距離を縮めてくる。短刀、鎖、手裏剣などを片手に持って近づいてくる。

 

 弾が無くなると、風魔一族は一気に至近距離まで近づいてくる。どうやら一気に方をつけて和生を仕留めるつもりのようだ。

 

 それに対して和生は拳銃を仕舞う。アサルトライフルも拳銃も、銃火器という武器の弾丸は全て使い果たした。そしたら使える武器という物はもうナイフしか無い。

 

 マーシャルナイフを二本引き抜いて敵が近づいてくる前に戦闘の体勢に入る。

 

 初手、まず仕掛けてきたのは風魔一族。遠距離武器である手裏剣を投げて微量だが相手にダメージを与えて気を逸らさせることを企む。

 

 一方、手裏剣を投げられた和生は腕で手裏剣を防いで、痛みに耐えながらも臨戦態勢に入る。風魔一族の企みは断たれたのだ。

 

 しかし風魔一族は止まらない。そのまま至近距離まで突っ込んで和生の命を奪おうとする。

 

 続いて第二撃目は風魔一族の鎖による和生を捕縛する計画。腕を封じるために胸辺りに向かって鎖を投げつけて縛り上げようとする。

 

 それに対して和生は器用な手首のスナップと巧みなナイフの扱い方によって投げつけられた鎖を弾いて捕縛を回避する。

 

「二度も同じ手が通用すると思うかよ」

 

 そして、まるでカウンターを仕掛けるかのように和生は予備動作も無く、鋭く素早く近づいてきた敵の首元を目掛けてマーシャルナイフを放り投げる。

 

 避ける隙も暇もない。敵は何の抵抗も避けることもできずに首にナイフが深く刺さってしまう。

 

 ナイフが刺さると呼吸器官を塞がれて呼吸ができず、藻掻き苦しみながら敵は倒れ込んでしまう。

 

 残りは短刀を構えて近づいてくる風魔一族の二人となった。

 

 攻撃が当たる範囲内まで近づいてくると、容赦なく和生の腹部を狙って短刀を突き立ててきた。

 

 しかし、和生は短刀で腹部に突き刺される前に、持ち前の反射神経によって敵の腕を掴んで短刀の攻撃を封じる。

 

「図に乗りやがって、てめぇらの攻撃は見切ってんだよ」

 

 身体を巧みに素早く動かし、足を引っ掛けて敵を仰向けに転ばせると同時に、腹部をマーシャルナイフで深く突き刺した。

 

 そしてナイフを引き抜くと追い打ち、オーバーキルとでも言うべきか、和生は無慈悲に容赦も躊躇いもなく、敵の首を掻っ捌いた。

 

 敵の首から鮮血が吹き出し、和生は返り血を浴びる。顔や身体が真っ赤な血に染まったのだ。

 

 腹を刺され、首を切られた敵は苦しむこともなく、すぐに息を引き取った。

 

「あと……一人」

 

 相手から向かってくる様子はなかった。なので、和生はこちらから歩いて敵に近づいていく

 

 ナイフを片手に満面で不気味な笑みを浮かべながら歩を進めていく、その姿は人間を食い殺す鬼、人を殺すことに快感と血の味を知った殺人鬼のようだ。

 

 その姿に恐怖したのだろう。敵は和生に近づくどころか恐れを成して逃げようとする。しかし腰が抜けて動くことができなかった。

 

 そんな腰の抜けた敵に対して、和生は笑顔を浮かべながらこういった。

 

「どうした? 怯えてないで俺を殺せよ。もっと俺を楽しませろよ。」

 

 しかし、その言葉は聞こえていなかった。あまりの恐怖と狂気に満ちた姿でそれどころではなかった。

 

 もはや楽しむことはできないと思ったのだろう。和生から笑みは消えて、呆れたような表情を浮かべながら敵の首をナイフで掻っ捌いた。

 

 敵は何もすることなく息絶えて、その場に倒れ込んだ。

 

「どうだ思い知ったか? 俺を舐めるとこうなるんだよ」

 

 周囲には息の絶えた五人の死体が転がっており。生き残ったのは和生一人となった。

 

「随分と派手に暴れたそうね。」

 

 戦闘が終わった直後、息を整える暇もなく、背後から女性の声が聞こえ、話しかけられた。

 

「……てめぇは?」

 

 生き残った和生に話し掛けてくる女性、果たして一体何者なのか。

 

 そして、別々に分かれて闘いを繰り広げている草薙家は一体どうなったのか?それは和生は知らない、



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十話 草薙武尊の死闘

 数十分前、大和や和生が風魔一族と闘いを繰り広げる前の時間のことだった。

 

 風魔一族は15人で武尊を逃さないように囲んでいる。

 

「優遇されているとはいえ……やっぱ、こう改めて見ると人数多いな。」

 

 長巻で肩を叩きながら、呆れたような表情を浮かべて愚痴のように呟く。

 

 兄弟の中で俺が一番強いとは言え、部隊の半数をこちらに回すかね普通、幾ら何でも待遇が良すぎるってもんだ。少しは遠慮してほしい。

 

 いくら負ける気はしない、体力が馬鹿げてる程あるとは言っても、敵が15人もいると倒すのに時間が掛かる。

 

 以前、風魔一族とは戦ったとこはある。その時は丸腰だったが人数が少なかったので圧倒していた。しかし今回は精鋭部隊、武器も揃えているだろう、戦ったからどうなるかはわからない。

 

「……それで?これから俺を殺すんだろ?だったらてめぇらも殺される覚悟は出来てんだろうな」

 

「草薙武尊……勿論お前を殺すとも、それが我らの任務であり役目だからな。」

 

「所詮我らは捨て駒に過ぎん、この命捨てる覚悟はとうの昔に出来ている。」

 

「俺を逃がす気は?」

 

「無い。」

 

 相手を殺す覚悟があると同時に、どうやら敵は死ぬ覚悟は出来ているようだ。だったら苦しまずに斬り捨てるのがせめてもの情けということだ。

 

 話し合いや命乞いをしても無理のようだ。まぁ、そんなことは端からやる気は無いが、取り敢えず今はこの戦争を楽しむことにしよう。

 

 襲ってくる気配も無い。こちらの動きを観察している様子、こうも何も無いと退屈してしまう。

 

 しかし突然、背後から何か小さなものが飛んでくる未来を見通す。

 

 手で受け止めようとすると。

 

………プスッ

 

 何か細くて小さな、針のようなものを刺されたような痛みが手の平に走った。

 

 手を見てみると、吹き矢の類いなのか、小さな針が手の平に刺さっていた。貫通はしてないものの皮膚を完全に貫いていた。

 

「へぇ……」

 

 すると何が起きたのか、武尊の身体が異様に重くなり動きが鈍くなる。

 

 ただの針ではなかった。何か有毒な物質を針の先に塗っていたのだ。

 

「ちっ! 毒かよ」

 

「貴様を殺すにはこれしかなかったんでな、有毒性も即効性もないが、じわじわと身体の動きが鈍くなる毒だ。」

 

 武尊が今受けた毒は少量なので死にはしないものの、少しずつ時間を掛けて身体の動きを鈍くする毒。最終的には指一本ですら動くことはできなくなる特殊な毒である。

 

 風魔一族はわかっていた。草薙武尊を相手にするには大人数且つ十二分の力で挑むのはもちろんのこと、動きを封じなければ勝てないということを、それほどの規格外の実力と戦闘能力を持っているのだ。

 

「まぁてめぇらの相手をするには丁度良いハンデだ。」

 

 手の平に刺さった針を抜いてへし折り、大胆不敵な笑みを浮かべて風魔一族を睨み付ける武尊。どうやら負ける気も殺される気もないようだ。

 

 手に持っている長巻を鞘から引き抜いて頭上に掲げると、軽々とクルクルと振り回してパフォーマンスを取る。そして思いっきり長巻の頭を地面に叩きつける。

 

「俺は草薙家三十一代目当主、草薙武尊!! 今宵の戦で貴様等を蹂躙する男だ。」

 

 高々に名乗りを上げ、自分で自分を鼓舞する。

 

 そして未来を見通す。これから起きる事、そして相手の言動を無意識に予測する。

 

 先制攻撃、風魔一族は15人一斉に手裏剣を投げる。

 

 四方八方から投げられる手裏剣、逃げ場は勿論、避ける隙も無い当たることが確定された攻撃、常人であれば全て的中することは火を見るよりも簡単であろう。

 

 しかし、相手は草薙家当主、人間の能力を超越した人類の到達点とも呼べる超人、更に未来を見通す力を手に入れている達人の域を超えた達人の中の達人。

 

 四方八方から飛んでくる手裏剣に対して、武尊は長巻の柄を力強く握り締める。

 

 そして、まるで軽い棒を自由自在に扱うように長巻を縦横無尽に振るって飛んできた手裏剣を全て払い落とす。

 

 逃げ場も回避する隙もない手裏剣の嵐を武尊は避けるのではなく、自分に当たる前に全て長巻で叩き落とすという高度な芸当をしたのだ。

 

「まぁ、こんなもんよ」

 

 この程度の攻撃、避けるほどの大した攻撃でもない。それに四方八方から飛んでくると言うのであれば避けるよりも全て払い落としたほうが安全性は高いし効率が良い。

 

 あまりにも神業的芸当を披露された風魔一族、その技に敵ながら感服することはもちろんのこと、回避不可能の自分の攻撃を防がれたことに驚きを隠さずにはいられなかった。

 

「あの攻撃を跳ね除けた!?」

 

「人間の技ではない。」

 

 顔が布で覆われていたとは言え、今の芸当を見て風魔一族が何が言いたいのかは武尊にはわかっていた。

 

 人間ではない。人の形をした化け物。そう言ってるように聞こえた。

 

 冗談を言うな、俺こそが『人間』だ。

 

 人の持てる才能を碌に持たず、訓練により人間に習得可能な技能も修復可能な欠点あると言うのに努力もせず、才能やら天性などと言って諦める。

 

 俺に言わせれば お前らの方が人間じゃない。

 

「来いよ。飛び道具なんて使わないで真っ向から勝負しろ。そっちの方が速い」

 

 飛び道具が通用しない。まるで規格外の化け物の対峙したかのように風魔一族は改めて覚悟を決めてそれぞれ違う武器を取り出して手に持つ。

 

 短刀、日本刀、鎖、槍、鎖鎌、クナイ、手裏剣、15人それぞれ色んな武器を手にしている。

 

「いざ参るっ!!」

 

 もはや生きてこの戦場から帰ることはできないと悟ったのだろう。まるで心中でもするかのように風魔一族は死ぬ覚悟を決めて草薙武尊に向かって雄叫びを上げながら一斉に突っ込んでいく。

 

「行くぜぇ!!」

 

 それに対して武尊も相手の威勢に飲まれないように、長巻の頭を地面に叩きつけて自分を鼓舞して奮い立たせながら接近してくる風魔一族に突撃する。

 

 未来を予測する。これから起こるであろう出来事や言動を読み通す。

 

 射程距離範囲まで近づいてくると、風魔一族と武尊はほぼ同時に攻撃を繰り出してくる。

 

 風魔一族は首を目掛けて刀を振るい、武尊は長巻で袈裟懸けで相手の生命を絶つことを決めようとする。

 

 自分に向かって飛んでくる斬撃に対して武尊は後ろへと下がって回避する。

 

 しかし身体が鈍っているせいか、完全に避けきることができず、切っ先が首を掠って傷口から血が滲み出た。

 

 交代して武尊の番、敵の攻撃を避けると相手に体勢を戻す隙も与えずに、長巻を振るって袈裟懸けに斬りつける。

 

 斬り落としたことで、男の身体は両足と右腕を残して左腕と首と半分の胴が地面に落ちる。無論即死である。

 

 次はクナイを持った相手、自分の腹部を目掛けて突き刺そうとしてくる未来が視える。

 

 そして読み通り、相手は腹部に向かってクナイを突き刺そうとしてくる。

 

 しかし未来を読んだからと言って腕が思うように動かず、相手の攻撃を止めることはできなかった。かなり最悪な状況に立たされてしまった。

 

 あえて受け止めるのを止めると、武尊は腹部に渾身の力を込めて鋼のように堅める。

 

 そして武尊の腹部にクナイが容赦無く突き刺さる。常人であれば内蔵まで達して致命傷になる傷、その場で苦しんで倒れるであろう。

 

 だが、相手が悪かった。相手は超人の草薙武尊、並の人間ではない。幸いにも腹部を堅めたことによってクナイは内蔵まで達しておらず、分厚い筋肉に拒まれて致命傷にはならなかった。

 

 クナイを引き抜こうとするものの、筋肉に引き締められて抜くことが出来ない。

 

「こいつ……化け物か」

 

「今度は俺の番だな」

 

 苦しめずに、楽に死なせようと思ったのか、武尊は長巻を相手の首目掛けて水平に斬る。

 

 風魔一族の首を斬り落とすと、首が転がり落ちて切り口から大量の鮮血が吹き出し、そのまま崩れるようにその場で身体が倒れ込んでしまう。

 

 二人目を倒した。ゴールに到着するまではまだまだ遠いな、あと十三人もいるんだから。

 

 しかし二人目を倒したのも束の間、腹部に刺さっていたクナイを抜こうとした瞬間、背後から忍び寄ってきた風魔一族に気付くことができず、背中を刀で切り裂かれた。

 

「あがっ!!」

 

 クナイを抜くことに気を取られて背後の男に気づかなかってうえに、心眼を使い忘れていた。いや、心眼を使ったところで躱すことができなかっただろう。

 

 後ろを振り向くと、渾身の力を込めて長巻を振るって相手の胴を切り裂いた。

 

 風魔一族の身体は下半身と上半身に見事に分かれて、上半身が地面に落ちると、それに続くように下半身が崩れるように倒れ込んだ。

 

 毒で身体の自由が効かないうえ、腹部と背中のダメージを負ったことで出血している。体力はまだあるが、足腰に思うように力が入らないので、長巻の頭を地面に叩きつけて体重を乗せる。

 

「畜生……」

 

 毒の影響によって身体が自分の思うように動かないので、心眼で未来を視ても思い通りに回避や防御が出来ない。故に間に合わない。相手より先に動けないので一手遅れてしまう。かなり致命的で不利な状況だ。

 

 更に、これから毒が体中に回ることによって少しずつ身動きを取ることが出来なくなるだろう。早くこの闘いにケリを付けなければ自滅してしまう。慢心して時間を長引かせればこちらが終わる。

 

 恐らく、この闘いに勝ったとしても大和を手助けすることはできない。これからダメージを負う前提で闘ううえに、解毒剤を貰わなければ毒が回って身動きが一つも取れなくなってしまう。

 

「序盤だって言うのにこの有様かよ……この先が思いやられるぜ……」

 

 命の危機感を感じているのか、不利な状況を嘆いているのか思わず愚痴を零す武尊。

 

 勝てないとは思っていない。この俺がこんな雑魚共に殺されるなんて毛ほどにも思っていない。しかし状態が状態だ。万全の状態であれば苦でも無いが、今は毒が身体に回って自由に身動きが取れない。

 

 だが、それら全てを跳ね除けて勝利するこそが英雄の矜持、どんな苦難や難行を乗り越えてこその人間だ。かつて十二の難行を乗り越えたと言われれヘラクレスのように。

 

 況してや俺は900年代々血筋を受け継いできた草薙家本家の長男として生まれ、当主の座に就いた男。人類の到達点とも呼べる身体能力と頭脳を持って生まれた超人の中の超人。

 

 あえて力を込めず、脱力で全身の力を抜く、生半可な事ではない。生死を分ける臨戦態勢に入っている中で緊張感や恐怖があるだろう。しかしその中でまるでリラックスをするような感覚で脱力しているのは相当な精神力がなければできないことだ。

 

「よし全員で掛かってこい。そっちの方が手っ取り早くて良い。 いや、やっぱこっちから行かせてもらう」

 

 風を切って一気に駆け抜ける。風魔一族を蹂躙するために走り出す。

 

 数秒後のこと、風魔一族の目の前に来た瞬間、脱力後に渾身の力を込めて長巻を振るう。二人か三人を一気に殺すために全力で振るう。

 

 武尊の攻撃に対して、風魔一族は首をガードするように刀や槍、鎖で防御態勢に入る。

 

 防御しているのだ。一撃で殺されるわけはないだろう。そう高を括ってった。しかし考えが全く甘かった。

 

 まるで防御は無意味だと言わんばかりに武尊が長巻を振るうと、刀は曲がるどころかへし折れ、槍は斬り折られ、鎖は断ち切られる。

 

 そして防御が完全に貫通すると、風魔一族の首が胴から離れることになる。三人の首が物理的に吹き飛ぶと血飛沫が舞い散った。

 

 三人仕留めた。合計六人殺した。ようやく二桁から脱出することができた。

 

 数が減って一安心したのも束の間、風魔一族は遠距離から吹き矢や手裏剣を四方八方から飛ばしてくる。

 

 失明を防ぐために目を防御しようとしたのだろう。目を腕で覆い隠して吹き矢や手裏剣を身体で受け止める。無論、全部まともに喰らってしまった。

 

「……ゔっ!」

 

 急に視界が霞む、身体が更に重くなり動きが鈍くなる。全身に耐え難い激痛が走り、身体中に鉛を付けたようにずっしりと重みが増す。まるで自分の身体ではないみたいだ。

 

 すぐに理解した。これは毒だ。初めに食らった毒なのか、それとも別の毒なのか、それはわからない。しかし、手裏剣や吹き矢に毒が塗られていたのは確かだ。

 

 あまりの激痛に苦しみだす武尊、心臓部分を左手で抑えつけて痛みに耐えようとする。その表情と言ったら苦痛に満ちたものとしか言いようがなかった。

 

 目からは血の涙が零れ出し、口や鼻からは鼻血や吐血がピトピトと零れ出てくる。

 

「悪いが毒を使わせてもらった。解毒剤を飲まなければ死ぬだろう。そもそも我らが使った毒に解毒剤なんて言うものは存在しないがな。」

 

「あらゆる調合をした毒を使った。様々な効果がある毒を複数な、解毒は不可能に近い。」

 

「しばらくすれば息絶える。この数を相手にして勝機はない。」

 

 もはや時間が経過すれば風魔一族の勝利は確定する。何も手を下さずに勝てるということだ。武尊からしてみれば最初の毒を喰らったのが全ての間違いだったのだ。

 

「俺が死ぬ? 俺が負ける? 何を寝惚けたこと言ってんだよ、だったらてめぇら全員ぶっ殺してから死んでやるよ。それまでは身体が動かなくなるまで殲滅してやるよ」

 

「威勢だけは良いな。」

 

「もはや指を動かすことすら辛かろう。」

 

「苦しまずに介錯してやろう。」

 

「もう動かなくていい。殺されて楽になれ」

 

 その瞬間、武尊の雰囲気が変化し、凍てつくような寒気とピリピリと殺気立ってきた。切れたのだ。

 

 プライド、自尊心、誇り、言い方はそれぞれあるだろう。風魔一族は草薙武尊のそれら全てを傷つけたのだ。

 

 怒りを通り越して冷静になっていたが、それでも武尊は思った。こいつらは生かしてはおけない。殺さなければ気が済まないと。

 

「だったら教えてやるよ。どんな綺麗事も理想も見も蓋もなくなるような理不尽や不条理ってやつを。てめぇらの死を持って償って貰う。」

 

 鉛のように重くなって思うように動かない身体を怒りと殺意によって駆動する。この先、息絶えて死ぬことがわかっていたとしても、今はどうでも良かった。

 

 極論、勝てば良いのだ。相打ちだろうと、全員殲滅して数分後に死のうとも、こいつらを一人残さず殺せば良いのだ。

 

 遂に切れた武尊、愛用の長巻を地面に突きたて、弓と矢を手に持って風魔一族に狙いを定める。

 

「てめぇら逃げても構わねぇよ、遠距離からチクチク攻撃しても構わねぇよ、全員串刺しにしてやるからよ」

 

 弓を渾身の力で引いて矢を放つ。

 

 相手が避けようとした瞬間、矢が到達するのがあまりにも早かったのか、喉を貫いて絶命させる。

 

 一人殺したのも束の間、矢を手に取り次に狙いを定める。

 

 風魔一族は感じた。こいつの使う弓矢はやばい。距離を置いて逃げなければ確実に殺されると思った。

 

 避けながら逃げようとするが、武尊が弓を引いて矢を放つと見事の喉に命中する。

 

 それから距離を置こうとするものの、一人、二人、三人、四人と武尊が使う弓矢の犠牲者になる者は確実に段々と増えていく。

 

 気がつけば残った風魔一族は三人になっていた。殺されたほとんどは毒で動けなくなるまで逃げようとして弓矢の犠牲になった者がほとんどと言っても過言ではなかった。

 

 俺の弓矢は弓道で使うような生半可な弓力ではない。狙いを的確するわけではない。即座に打てる射撃性、相手の反応速度を上回るスピード、人を殺傷するために特化させた殺人道具だ。

 

 更に心眼を使うことによって相手の動きを先読みして確実に当てることができる。その場から瞬間移動でもしない限り、ほぼ100%の確率で弓矢を当てることが可能なのだ。

 

「……どうする? このままだと全滅だなぁ……」

 

 まるで敵が死んでいくのが楽しかったのか、それとも自分を殺すと言ってたのに相手が死んでいくが嬉しかったのか、不敵な笑みを浮かべる武尊。

 

 もはや逃げても刺殺されるのがわかっていた。故に風魔一族は接近戦で闘うしか残されていなかった。

 

 武器を構えて特攻態勢に入る風魔一族、もはや殺されるなら草薙武尊の命を少しでも削ってから死んでやろうという思惑だろう。

 

「うおぉぉ!!」

 

 数秒後、武尊に向かって突っ込んでいく風魔一族、もはや死ぬ恐怖も殺されることも関係無しに、敵対象目掛けて特攻していく。

 

 それに対して、武尊は弓矢を投げ捨てて長巻を装備した。

 

 そして笑みを浮かべていた。計画通りに事が進んでいるためか、それとも相手が自分に突っ込んでくることが嬉しかったのか、それは本人以外にはわからないこと。

 

 しかし、ただ弓矢で刺し殺すことがつまらなかったのだろう。武尊はどちらかと言うと剣撃戦闘や肉弾戦などの接近戦が好みだった。だから弓矢で遠距離から殺せることをチラつかせて最後は接近戦に持ち込もうと思ったのだ。

 

 風魔一族が武尊の射程距離範囲内に入ろうとした瞬間、二手に分かれた。一人は正面から、もう一人は背後に潜り込んだのだ。

 

「ちっ!」

 

 両方相手するほど、動けるような気力は残っていない。

 

 まず正面から片付けよう。後ろの相手は後からでも大丈夫だ。後でゆっくり殺してやるから待ってろ。

 

 正面の相手の武器は槍、リーチの長さだと五分五分と言ったところか、長巻を使っていたことが幸いした。

 

 相手が槍を胸を目掛けて突いて来る。確実に仕留めるために、完全に息の根を止めるために心臓を狙ったのだろう。

 

 しかし、武尊は心眼によって未来を見通していた。自分の急所を狙っていることも、どういう攻撃を仕掛けてくるかということも。

 

 武尊は槍を避けようとする。しかし毒がかなり回っているせいで思うように動くことができない。動けたとしても数秒の遅れがある。

 

 幸い、動くことができたのも束の間、避けることができず槍の矛先が右肩を刺し穿つ。

 

「っ!!」

 

 刺し穿った槍は右肩を貫通し、矛先には鮮血が滴る。

 

 痛みのあまりに武尊は苦痛の表情を浮かべる。肉と骨を貫かれたのだ。想像を絶する痛みに襲われているのだろう。

 

 しかし、痛みに耐え、更に怒りを力に変える。

 

 柄を握り締め、渾身の力を込めて長巻を振るう、まるでその一発で胴体を両断してやろうと言わんばかりに、殺意と並ならない気迫で攻撃した。

 

 一方、相手は攻撃が来る前に回避しようとしたが、武器である槍が抜けなかった。武尊の筋肉が槍の矛先を締め付けて抜けないようにしていたのだ。

 

 渾身の一撃が袈裟懸けになって相手を襲う。両断とまではいかなかったが、骨を通し抜け内蔵を斬り裂いた。

 

 無論、即死である。そのまま相手はまるで魂の抜け落ちた人間のように倒れた。

 

 殺したのも束の間、今度はもう一人の敵が背後から袈裟懸けで武尊に斬りつけてきた。

 

「ちっ!」

 

 毒が回り、数多の攻撃を受けてダメージが蓄積されて、もはや振り向く気力も残っていない。

 

 長巻を放り投げ、腰に差している刀を抜刀すると、振り向かずに刀を自分に向けて横腹を通り抜けるように突き刺そうとした。

 

 相手は後ろにいることはわかる。恐らく俺の真後ろにいるのだろう。だったら後ろに向かって突き刺せば当たる。

 

 武尊の案の定、見事に相手の腹部を貫いた。致命傷を与えたのだ。

 

 そのまま藻掻き苦しみながら相手は倒れていく。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 十五人、ようやく全員倒すことができた。これで終わりだ。やっと成し遂げたのだ。

 

「へっ……へへへ……」

 

 力尽きて倒れる前に、最後の力を振り絞って木の下に歩いていく。その間に身体に刺さっている槍や手裏剣などを取り除く。

 

 木の下に到着すると、木に背を預けて腰を下ろす。

 

 座った以上、もう立てない。全ての力を振り絞ったのでもう動くこともできないだろう。

 

「へへへっ、楽しかったぜ。」

 

 このまま何も手当をしなければ死ぬというのに、最後の最後に笑う武尊。余程この殺し合いが楽しかったのだとわかるほどに。

 

 風魔一族十五人VS草薙武尊。その戦いの勝者は草薙武尊。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十一話 再戦 大和VS獣蔵

 武尊や和生が戦闘を始めようとした同時刻、大和は風間獣蔵と対立していた。

 

 4日ぶりの再開、大和が心眼を得て大幅に強くなり、風間獣蔵は楽しそうな表情を浮かべていた。

 

「よう怪童、久しぶりだな」

 

「あぁ、久々にお前の顔を見れて良かったぜ」

 

「心配してたんだよ、修行で死んじまったんじゃねぇかってな、生きてて安心したよ。お前をこの手で殺せるからな」

 

 パチンッ!と風間獣蔵は指を鳴らして部下を呼び、命令を下す。

 

「怪童を殺ったあと、女を捕らえろ。 今手を出したら何をやり出すか検討もつかねぇからな」

 

「御意」

 

 少しだけ、大和の眼の前に立つ。

 

 しかし、妙だった。自分が武器を持っているのに対して、風間獣蔵は何も持っていない。刃物も銃も、武器と呼べる物を一切持っていない。

 

 紅虎さんから聞いていた情報とは全く異なる。相手は殺すためであれば何でも使ってくる殺人集団と聞いていた。

 

「素手で良いのか?」

 

「残念ながら素手では無いんだよ」

 

 懐に手を入れて銃を取り出すと、威嚇なのか、それとも本物ということを示すデモンストレーションなのか、地面に向かって銃を撃ちだした。

 

 それに対して大和は自分が撃たれる未来が見えなかった。相手に殺気を感じなかったので、驚きもしなければ、一切微動だにしなかった。

 

「銃もある」

 

 拳銃を懐に戻すと、今度はナイフや手榴弾、鎖などを取り出して大和に見せびらかす。まるで自分は素手ではなく、色んな武器を隠し持っていると言わんばかりに。

 

「こういうことだ。まぁ精々惑わされないことだな」

 

「丁度良い。丸腰の相手に武器を使うのはどうかと思ったからな、それぐらいして貰わないと困る。」

 

 勘違いだった。相手は色んな武器を持っている。自分よりも圧倒的の物量だ。

 

「さぁ、お披露目も終わりにして、さっさと始めようぜ」

 

 両者共に一歩ずつ前に歩いて射程距離範囲内に近づいていく、足音がする度に緊張感が高まり、殺し合いが始まる音のように聞こえてくる。

 

 お互い射程距離範囲内に入った瞬間、足を止める。もはや敵は目の前、相手は直前、手を出せば攻撃が当たる範囲内である。

 

 大胆不敵な笑みを浮かべている風間獣蔵に対して、冷血に相手を睨みつけ、殺気を剥き出しにする大和。

 

 まるで戦いの合図だと言わんばかりに、強い風が吹いた瞬間、大和の先制攻撃によって戦いが始まる。

 

 先制攻撃、大和は武器である鉄刀を風間獣蔵の頭を目掛けて横薙ぎに振った。

 

 ジャブのように軽やかで、右ストレートのように重量のある一撃、避けるのは困難であり、当たれば致命的とも呼べる相当なダメージを与える。

 

 しかし、未来を見通していた風間獣蔵には当たらない。屈伸運動を使って膝を曲げて腰を下げ、回避したのだ。

 

 そして反撃の返し、いつの間に手に仕込んでいたのか、風間獣蔵は手に持っていたナイフで大和の首を目掛けて突き刺そうとしてくる。

 

 幸い、この反撃を喰らうことは無かった。事前に心眼を使ったことによって未来視をしており、この攻撃も読み通りであったからだ。

 

 首を目掛けて突き刺そうとしてくるナイフを大和は余裕を持って避け、更に攻撃を仕掛けようとする。

 

 次に攻撃を仕掛けたのは燕返し。刀を相手の真っ向から垂直に地面スレスレまで斬り降ろし、 目の前にいる相手がカラ振りしたと思わせた後、その瞬間に地面スレスレにある刀の刃を上部に返して、相手の股から顎まで斬り上げる技。

 

 つまり地面まで斬り降ろすのはフェイクである。

 

 だが、こんなフェイクは風間獣蔵には無意味、未来視をしていればフェイクもどんな攻撃も簡単に避けることが可能なのだから。

 

「馬鹿がっ!」

 

 燕返しを使用しようとすると、風間獣蔵は後ろに向かってジャンプして後退する。

 

 そして背後に避けた瞬間、風間獣蔵は手に持っていたナイフを投擲する。

 

 飛んできたナイフに対して、大和は涼しい顔をしながら避ける。そして飛来してきたナイフは遠くまで飛んでいき、木のど真ん中に突き刺さる。

 

 お互い一旦攻撃を止めると、射程距離範囲内から離れるように間を空けてインターバルを取る。

 

「どうやら、俺と同じ世界が視えるようだな」

 

「あぁ、前なら同じようにぶっ倒されだろうな。だが今は違う。お前の領域に居る以上は倒されることは無い。」

 

「そうだな。数手見ただけだが確かに強くなった。戦いでこんなにも高揚感を感じるのは初めてだ。倒し甲斐があるってもんだよ。」

 

 数手だけ刀と拳を混じり合えただけだが、両者の力はほぼ互角に渡り合えることが出来る。前だったら武器を叩き落されて終わっていただろう。

 

 鉄刀を地面に置き、素手で構える大和。武器という名の攻撃手段を手放し、自らの五体を武器に変貌させる。

 

「素手で良いのかよ?」

 

「こっちのほうがてめぇを仕留めるには効率が良い。」

 

 鉄刀から繰り出される攻撃力は無類の威力だが、どうにもスピードが欠ける。相手を仕留めることに関しては本領発揮できるが、当てられなければ意味がない。

 

 しかし素手なら相手の反応速度を超えた最速とマシンガンのように繰り出されるジャブやバズーカのような破壊力を誇る右ストレートが存在する。

 

 風間獣蔵を倒すには素手でなければいけない。それに秘策を使うには鉄刀を手放さなければならないからだ。

 

「こいよ。てめぇを素手で潰してやる」

 

「あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるからよ。

 喋れば喋るほど言葉の体重は減り、やがて空気のようにふわふわと重みのないものになっちまう。」

 

 大和はファイティングポーズを取る。左の腕を下げて右拳は顎の横に構え、膝を少し曲げる。ボクシングで言うところのデトロイトスタイルである。そして左拳は力を抜いて少し開いている。

 

 最初に先手を仕掛けたのは大和の左フリッカー、腕を鞭のように撓らせて打つ変速ジャブである。

 

 変則的かつ不可解な軌道で飛んでくるフリッカー、普通ならまともに喰らってくれるのだが、相手は風間獣蔵、心眼を持っており、この攻撃も予知通り且つ想定の範囲内。

 

 フリッカーは避けられたことで空振りとなり、パンチは空を切る。

 

 何度か打つとフリッカーを辞め、今度は左から右へと左右のコンビネーションを使ってワンツーを連発する。

 

 ジャブを避け、右ストレートを避ける。何度打ってきてもただ未来予知したことを頼りに攻撃を淡々と避け続ける。

 

(今まで色んな打撃を見てきたけど、悪いけど当たらんよ。先読みしてわかったてんだ、どんな打撃も通用しない)

 

 しかし、心眼を使ってジャブを避けたと思いきや、大和の一撃である右ストレートが顔面を殴打する。そして顔面が飛び跳ねる。

 

「あがっ!」

 

 腰が入り、体重を乗せた攻撃をまともに喰らってしまったことで、鼻血を垂らしてしまう。

 

 絶対に有り得るはずがない予想外の出来事に風間獣蔵は度肝を抜かれて驚きを隠すことができなかった。まるで鳩に豆鉄砲を喰らったような感じだった。

 

(読みを間違えたか?)

 

 有り得ない。確かに読みは正確で合っていたはずだ。未来視を間違えるはずがない。それなのに攻撃を喰らうなんてどうかしているとしか思えなかった。

 

 この男は何かしたのか、神通力でも使ったのか? 何か特殊な事をやって、俺の心眼とやらを掻い潜って読みを間違えさせ攻撃を当てたのか?

 

 確かめる必要がある。もう一度攻撃を受けて俺の読みが間違っていないことを証明して見せる。そうでなければ、分からなければ何度も攻撃を喰らい続けて、負けることは目に見えている。少々リスクはあるが、仕方がない。

 

 大和の左拳から繰り出される第二の攻撃が風間獣蔵を襲う。

 

 今度は心眼を使うのを遅めにする。さっきは早く使ったので何が何だかわからなかったが、直感で攻撃する瞬間に何か技の種があると思ったからだ。

 

 結論から言うと、風間獣蔵の直感は正しかった。攻撃する瞬間に何か心眼の読みを間違えさせる技を使っていたのだ。そして遂に理解したのだ。大和の技の秘密を。

 

(違うっ!!こいつまさかッ!?)

 

 高度な戦闘センスと凄まじい直感力にて大和が何をしているのかを瞬時に理解した。大和が何故自分に攻撃を当てれるかの秘密を。

 

 風間獣蔵が未来予測をして避ける瞬間、左右に攻撃が分岐する未来が視えた。そう、大和は行動を変えていたのだ。まるで後出しジャンケンのように。

 

 仮に直前に未来予知しても、途中までまったく同じ動作でそこから分岐するので予知をしても無意味になる。圧倒的な未来視対策。

 

 更に、癖を読まれてもっと高度になると、動きを見てから行動を変えることによって未来予知ができなくなる、完全なる予知殺しが完成する。幸い習得してから日が浅い大和にはそれはできない。

 

 避けることができず、二度目の攻撃が顔面を殴打する。

 

 これはマズい。それとも相手の技を理解したからもう良いと思ったのか、風間獣蔵は後ろへと下がって射程距離範囲内から離れて態勢を整える。

 

「初めて見る技だな。その技術、何処で手に入れた?」

 

「知り合いにその手に詳しい奴が居てな、それを見様見真似で覚えたんだよ。」

 

「なるほどな。俺の先読みは無意味ってことか……」

 

「心眼は万能じゃねぇ、対策すればどうってこともねぇんだよ、お前の自慢の力も俺には意味が無い」

 

 この『くずし』がある限り、相手は心眼を使うことは出来ない。一方で自分は心眼を使えるので相手の動きを未来視することができる。言うなれば今の俺は能力殺しの武器と未来視できる能力を身に着けた、俗に言う最強装備を手に入れた状態である。

 

 これなら勝てる。兄貴から教わった技と死物狂いで手に入れた能力で風間獣蔵を圧倒できる。勝利は目前、後は敵を一方的に叩きのめすだけだ。

 

 そんな中、自分が圧倒的に不利、勝てる要素が全く無いのにも関わらず、風間獣蔵は笑みを浮かべていた。まるで自分にはまだ勝機があると言わんばなり笑っていた。

 

「それならよ……俺がそれを使ったらどうする?」

 

 大和が心眼を使った瞬間、攻撃が左右真ん中に分岐する未来が視えた。

 

「なっ!?」

 

 避けることができず、拳が顔面を殴打する。

 

 鼻血が吹き出し、口の中も切れて血が滴る。いや、ダメージなんてどうでもいい、今はそれどころではなかった。

 

(こいつ!? なんて学習能力してやがる。一瞬で『くずし』を覚えやがった!?)

 

 『くずし』は古流武術の一つであり、一長一短で出来るものではない。理解するのにかなりの時間を費やしたのに、それを一瞬で覚えるなんて、とんでもない戦闘センスと学習能力が無いとできないことだ。

 

 風間獣蔵が『くずし』を覚えてしまったせいで、お互いの心眼は無意味となった。俺の方が一枚上手だと思っていたが、どうやら間違いだったようだ。

 

 こうなってしまえば、やることは一つしかない。単純にてシンプルな方法でケリを付けるしか無い。

 

「どうだ? 自分で喰らった感覚は?」

 

 攻撃を喰らったかよりも、『くずし』を使ってきたことのほうが驚きだ。その才能に嫉妬してしまうほどに武術の天才としか言いようが無い。

 

 しかし、どうしたものか?相手も自分も心眼殺しである『くずし』を使ってくる。これでは避けては攻撃し、避けられては攻撃を繰り返すことを体力の続く限り永遠に続けるだけだ。もはやいたちごっことしか言いようが無い。

 

「殴り合いだ。」

 

「良いねぇ。そういうのも悪くない。」

 

 両者一歩も引かずに殴り合いの打ち合いが始まる。

 

 お互いの心眼は無意味。先を読んでも、『くずし』によって覆されて攻撃をまともに喰らう。

 

 それなら心眼など一切使わずに真っ向から殴り合い、どちらかが再起不能になるまで殴り合えば良い。単純にしてシンプル、分かり易い勝敗の決め方だ。

 

 殴る。殴られる。殴る。殴られる。それを幾度繰り返す事数十回以上、殴られた殴り返し、殴り返されたら殴る。

 

 殴る場所は至って単純で、顔面しか狙わない。胴体など、苦しみは与えられるものの決定打にはならない。

 

 血飛沫を上げ、歯を折り、相手がぶっ倒れるまで殴り続ける。

 

 両者共に後退はしない。殴ったら前進、殴られても前進、まるで猪突猛進のような勢いで前へと進んでいく。

 

 両者共に殴り合いは互角、前進する勢いも互角、果たしてどちらが先に息絶えるのか、まるでわからない状態。

 

 しかし、風間獣蔵には誤算があった。それも致命的とも呼べる大誤算だ。

 

 大和の攻撃をまともに喰らっている獣蔵に対して、大和は無意識に自分の急所を外してダメージを軽減している。

 

 五分五分に見える闘いだが、ダメージ量では風間獣蔵が圧倒的に不利、まだ体力などを温存している大和が圧倒的に有利とも言える。

 

 それから二人の差が開くのは数分後のことだった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「………」

 

 風間獣蔵が疲労と蓄積していたダメージで顔を歪ませているのに対して、大和は顔がボロボロだが呼吸を乱していなければ、ダメージが限界まで蓄積している様子は無い。

 

 両者のダメージの蓄積は一目瞭然、一手大和の方が上手だったのだ。

 

 言わずともだが、幾ら耐久力に自身がある獣蔵でも、大和の一発一発がマグナムような破壊力を誇る攻撃を何度もまともに受ければ再起不能になってしまう。

 

 もはや自分に次の攻撃を受ける体力は無いと悟ったのか、風間獣蔵は笑みを浮かべる。しかもその笑みは楽しいや喜びのものではなく大胆不敵で不気味に感じるものだった。

 

「こうなったら……」

 

「てめぇ!!」

 

 未来を見通した。

 

 その光景とは、自分を無理やり捕まえて、手榴弾で自爆するものだった。

 

 どうやら勝てないのなら、せめて一緒に死のうという魂胆だったのだろう。自分の命なんてどうってことも無いと言わんばかりに。

 

 もはや止まらない、捕まったら終わりだ。

 

 大和は渾身の一撃を獣蔵に叩き込むが、ビクともしない。まだ捕まえる気でいる。

 

「ちっ!」

 

 今度は真っ向からではなく、技術戦法で行く。

 

 顔面に叩き込むわけでなく、顎を掠めるような一撃、そして指の第二関節を使って人中を穿った。

 

 脳を揺さぶって典型的な脳震盪を引き起こし、急所である人中を叩いたのだ。並の人間なら意識は飛ぶのはもちろん、最悪病院送りになるだろう。

 

 そして獣蔵は大和を掴むことも、自爆特攻をすることもなく、そのままばったりと倒れ込んだ。

 

「一手……足りなかったか……」

 

「お前は欲張り過ぎなんだよ。武器に頼らずに、ずっと単身で挑んでいれば勝てたかもしれないのに」

 

「へっ……へへっ……そうかもな……」

 

 風間獣蔵は苦笑い浮かべながら意識を失い。気絶していった。

 

 勝者、草薙大和。リベンジに成功。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十二話 裏切り

 風間獣蔵との決着を終えて、勝利を獲得したあとのこと。

 

 首領が敗れて失い。残った三人の風魔一族、果たしてこいつらはどうゆう行動をするのか?

 

「今度はお前らか?」

 

 視線を向けた瞬間、風魔一族は武器を構えて戦闘態勢を取る。

 

しかし。

 

 バンッ!バンッ!バンッ!バンッ!と言う音と共に風魔一族が倒れ込んでしまう。

 

 銃撃音の正体は草薙和生が放った弾丸である。

 

「よう兄貴、無事だったようだな」

 

「和生……お前こそ無事だったのか?」

 

「心配ねぇよ。敵は全員殺したからな」

 

 周囲を見渡すと、溜息を漏らしながら近づいてくる。

 

 恐らく兄貴が誰も殺さずに生かしておいたことが、あまりにも甘くて慈悲深いと思ったのだろう。自分は躊躇いなく殺したのに、それに比べて兄貴はと思ったのだろう。

 

「武尊の兄貴はどうした? まだ戦ってんのか?」

 

「さぁな、今はどんな状況下なのかは知らねぇ。兄貴が首領を殺ったかを見に来ただけだからな」

 

 すると何を血迷ったのか、カチャリと兄に対して銃口を向ける和生。

 

「和生てめぇ……」

 

「悪いな兄貴」

 

 こいつの表情を見てわかった。銃口を向けるのは何かの間違いでも、狂ったわけでも無い。

 

 長い付き合いの兄弟だ。こいつが冗談でもそういうことをしないことはわかってる。遊びでもそういうことをしないこともわかっている。

 

 そう……和生は……

 

「お前……裏切ったのか?」

 

「そうだな……そういう事になる。俺は兄貴達を裏切った。八雲紫側になったんだよ。」

 

「なんでだよ? なんであいつ側に寝返るんだよ?」

 

「力が欲しかった……それだけのことさ」

 

 そんなことのために、それだけのことのために兄弟を裏切ったというのか、何故あんな奴の側に付いたのか。

 

 いや、和生のことだ。もしかしたら、兄弟を裏切ってでも力が欲しかったのかもしれない。誰よりも欲し、誰よりも焦がれた力を……

 

「そんなことはどうでも良いっ!! 俺と殺し合おうぜっ!!俺の新たな力を見てくれよ!!」

 

 まるで、自分が欲しかった新しい玩具を買って貰って、それを楽しく遊ぶかのような感じだった。まるで実の兄で自分が手に入れた力を試す実験のように。

 

 もはや、話し合いでは解決しない。分かり会えないと感じたのか、大和は何処か悲しそうな表情を浮かべながらも戦闘態勢に入る。

 

 あぁ、神様……どうして血肉を分け合った兄弟で殺し合いをしなければいけないのか?何故そのような悲痛な試練をお与えなさったのか。もし運命というものがあるのなら、俺は一生恨んでいたであろう。そう思うほど、この光景は苦しかった。

 

 お互い歩いて、制空圏に入るまで接近する。

 

 そして最初に始めた両の手と両の手を握り合い。手始めに力比べを始めたのだ。

 

「この野郎!?」

 

 腕比べをした瞬間理解した。和生の力が尋常では無く強くなっている。まるでブルドーザーと押し合いをしているような感じだった。

 

 有り得ない、何故だ? 以前なら余裕で勝てるような腕力であったのに、何故和生の力がこんなにも強くなっている?ドーピングでもしたとでも言うのか。

 

 近代オリンピック選手の身体能力を凌駕する。世界でも最高峰とも呼べる肉体を持つ大和に勝つということは、和生の力はもはや人間と呼べるべきものではない。化物の領域に達している。

 

 それに対して和生は、兄にようやく力比べで勝てたことが余程嬉しかったのか、不気味で満面な笑顔を浮かべている。

 

 そして徐々に押していき圧倒する。

 

「どうした兄貴!? その程度の力だったかよ!?」

 

 威勢が増していくと同時に、更に力が強くなっていく、何処まで力が伸びるというのか、こいつに限界というものがないのか?

 

 もはや力で勝てないと本能で察したのだろう。

 

 膝で顎を蹴り上げて、力比べを辞めようとする。

 

 大和の一撃がかなり堪えたのだろう。和生は手を離して痛めた顎を撫でる。

 

 そして笑う。小さく不気味に『へっ、へへへっ』と。

 

「どうした兄貴? 力比べは辞めたのか? 俺の力に負けると悟ったのか?」

 

 そうだ。そうだとも和生。俺はお前の力が怖かったんだ。だから不意打ちを食らわしたんだ。しかしこの行為が間違いとは思ってない。あのままだと俺が確実に負けていたから、あぁするしかなかったのだ。

 

 それにしても何故だ?何故和生がこんなに強くなる?そこが疑問で何か嫌な予感がする。

 

 一時間も経たずに短期間で強くなるなんてできるのか、いや、もしそれが安全で可能なら紅虎さんが知っていて俺に施しているはずだ。武尊の兄貴も然り。

 

 近代スポーツにおける恐らくは最高にして最凶の悪魔ステロイドを使用した時、ありえないくらいの強さを手に入れることができるが、後に待っているのは避けられぬ破滅のみ。

 

 これは嫌な匂いがする。ステロイドよりももっとやばい物を和生は何かしらの手を使って手に入れたはず。

 

「ようやく勝てるんだな……兄貴に……俺の願いは遂に……」

 

 先手必勝、大和は和生の顔を平手で思い切り叩く。

 

 これは攻撃ではない。相手を怯ませるために、相手の視界を奪うために、そして次の攻撃を当てるための幼稚な技。

 

 和生は視界を奪われた。次の攻撃をまともに喰らうのは一目瞭然である。

 

 大和は正拳突きの構えを取る。

 

 そして、打撃を放った瞬間、強烈な破裂音が鳴り響き、打撃が和生の胴体にまともに命中する。

 

(破裂音!? 音速を超えてんのかよ!?)

 

 通称マッハ突き、背骨を含む全身27か所の関節を回転・連結加速させ、瞬間的に音速に達する正拳突き。音速を突破することによって発生する衝撃波により、特徴的な炸裂音が鳴る。

 

 常人にまともに当たれば、驚異的なダメージによって確実に仕留めることができる必殺技。

 

「あっ……あがっ……」

 

 マッハ突きをまともに喰らった和生、想像を絶するあまりの痛みに藻掻き苦しむ。

 

 しかし、それだけでは終わらない。

 

 痛がり苦しむものの和生は決して倒れない。あきらかに耐久力が上がっていたのだ。

 

「なんだ……その程度かよ?」

 

 次に攻撃を仕掛けてきたのは和生、まるでバーサーカーのように力任せに拳を振るう。

 

 しかし、大和には全て視えていた。こういう攻撃になることも、どうゆう行動をしてくるのかも。

 

 大和は大きく振りかぶってくる和生の拳を淡々と避け続ける。まるで流れ作業のようにスムーズに。

 

 あの力だ。もしまともに喰らったら即死であろう。しかしこんな単調でシンプルな攻撃を避けるのはあまりにも簡単、更に心眼を使ってるのだから避けられないはずがない。

 

 攻撃を避け続けていると、相手の隙を見計らって完全に振り切った和生の腕を掴む。

 

 そして手を軽く捻ると、和生の身体が空中で一回転し、そのまま頭から地面へと叩きつけられる。

 

 普通なら脳震盪を引き起こしている。闘うどころか立ってることすらできない状態になっているはずだ。

 

 しかし、和生は立ち上がる。不死身なのか、それとも気力のみで立ち上がってるのか、どちらにしても人間のできることではないのは確かなことだ。

 

「いってなぁ……今のは何だよ? まさか合気道か?」

 

 そう、俺は合気を使った。相手の力が圧倒的だったので通用するのかどうか心配だったが、意外とあっさり技に掛かってくれて安心した。

 

 だが問題なのは技が効かないことだ。常人なら確実に倒すことが可能な、いわゆる必殺技を何度も喰らわせても立ち上がってくる。

 

「畜生がぁっ!!」

 

 冷静さを失って頭に血が上り、焦りを感じているのだろう。和生は血相を変えた表情で大和に向かって走り出し、拳を振りかぶろうとする。

 

 それに対して大和は走る。そして、制空圏に入った途端、深く伸脚をしながら身体を丸めて、和生の脚元を掬う。

 

 すると、減速できなかった和生は脚を拾われて、そのまま前方へと飛んでいき、地面に顔面を殴打する。

 

「くそがっ!!」

 

 ダメージは全くなかったのか、和生は直ぐ様に立ち上がり、大和に向かって殴り掛かる。

 

 和生の拳を避けて空を切り、完全に振りかぶった瞬間を狙う。

 

 顔面を右手で鷲掴みにして、和生の身体を軽く宙に浮かせると、押すように後方へと投げ、背中と頭から落ちるように地面へと叩きつける。

 

 しかし、誤算があった。

 

「離さねぇよ。」

 

 顔面を掴んでいた大和の右腕を、和生は両手で力強く鷲掴みにする。そして雑巾絞りでもするように大和の右腕を絞り上げる。

 

 やばかった。あの怪力で捻られたら、このままでは右腕が千切られて使い物にならなくなる。

 

 咄嗟に大和が取った行動は、左の人差し指で和生の喉仏を貫くように刺すことだった。

 

 鍛えようのない喉仏を刺されたことで、和生は苦しみのあまりに大和の右腕を握り締めていた両手を離す。

 

 開放された瞬間、大和はその場から颯爽と離れる。また掴まれたりしたらもう脱出できないと感じたからだ。

 

「弱点突いてくんじゃねぇよ……」

 

 立ち上がると懲りずに同じ手で殴り掛かる。当たらないことが明白なのに、一体どれだけ自分の力に自信を持っているのか。

 

(こうなったら……)

 

 もはや和生を倒すのに、技を出し惜しみしていてはキリがない。一撃で、確実に仕留める方法を使って倒し切るしか無い。

 

 拳を振りかぶり、完全に腕が伸び切った瞬間を大和は狙う。

 

 飛びつき、両手で腕を絡め取り、跳ね上がった左脚で和生の首に、後方から巻き付けた。同時に跳ね上がってきた大和の右足の膝が固定された和生の顎を蹴り上げた。

 

 鈍い骨の打つ音がした。

 

 空中で絡み合った二人の身体が落ちていく。

 

 落ちながらも、大和は両腕で和生の右腕を抱えたまま、右に身体を捻る。

 

 そして落ちる。

 

 和生は地面にうつ伏せになっている。その頭と右肩を跨ぐ形で、大和は和生の上になっていた。

 

 大和が両腕に抱えた和生の腕は棒のようになって天を向いていた。

 

 奥義、虎王の完成である。

 

 関節を決められ、あと100グラムでも後ろへと体重を掛けるだけで関節が破壊される。無理だ。この技は脱出不可能なもの。

 

 生殺与奪の権を握っている。もはや和生に勝利はないだろう。そう確信していた。

 

「和生……もうやめろ……お前の負けだ。」

 

「はっ……はははっ……甘すぎるんだよ兄貴……だから人一人殺せねぇんだ。」

 

 すると和生は残っている左腕だけのみで、逆立ちをする。無論、大和も持ち上げる。

 

 俺と和生の体重を合わせると100キロ以上は下らない。それをこいつ利き手でもない左腕のみで持ち上げるなんて、どうゆう筋力をしているのか?

 

(……嘘だろ? てめぇ一体何キロあると思って……)

 

 和生は左腕を腕立て伏せをするように曲げて、そのまま伸ばした瞬間ジャンプする。

 

 お互い立ち上がった体勢になる。

 

 その瞬間、大和は両手を離して直ぐ様後方へと下がり、和生との間合いを空ける。

 

「当てが外れたな。俺は兄貴を超越するんだ。どんな技も効かないはずなんだよ。

 それなのに……なんで……」

 

 今まで何度技を喰らったのか、立ち上がりはするものの、何度も倒れたことが余程に精神に影響を与えているのだろう。力を得たはずの和生は浮かない顔をしていた。

 

「何故だ……何故負けるっ!? 俺は力を手に入れたわけじゃねぇのかよ?」

 

「どうゆう形で力を手に入れたのかわからねぇが、確かにお前は強くはなった。以前の俺だったら負けてただろうよ。

 だけど今の俺には護る者がいる。それが俺とお前の決定的な強さの違いだ。」

 

 心眼を手入れ、昔から学んでいた武術が巧を成した。もし一つでも欠けていたらと思うと想像を絶する

 

「もう一度聞く、和生、何で俺達を裏切ったんだ? 何で俺を悲しませるようなことをする?」

 

「優しさだけは一丁前だな。だから人も殺せない甘い奴なんだよ、それなのに何で……」

 

「……和生?」

 

「俺は兄貴を超えたかったっ!!兄貴の強さに憧れたんだっ!! 兄貴を追い駆けて追い駆けて、必死に努力したんだっ!! でも無理だったんだよ!追い付くどころか差が開くだけ……不安と迷いが積もるだけだった……」

 

「和生……」

 

「その時だ……あいつが眼の前に現れて言ったんだ……兄貴に勝てる力を与えてくれると……ある条件を飲めば強くしてやるとな……

 俺はその条件を飲んだ。強くなりたかったからな、兄貴に勝てるためなら何だってしてやる。そこまで追い詰められてたんだよ。わかるか兄貴?俺がどれだけ苦しみ悩んでいたのか、辛かったんだぜ?」

 

 その瞬間、幽々子が口を開いた。何か嫌な予感を感じたのだろう。その時の幽々子の表情はまるで最悪な状況を把握したとても嫌な表情だった。

 

「和生君……まさか貴方?」

 

「あぁ、あいつから血を与えられてな、今までにないほどの力が湧き出てくるんだ。今なら兄貴にだって勝てる、そういう自信も出てくる。」

 

「紫の血を……紫の血を貰ったのね!? そうなのね!?」

 

「あぁ、そうだよ……あいつの血を輸血してもらったよ。コップ一杯分だっけな? 結構貰った気がする。」

 

「それがどうゆう意味かわかってるの!? 貴方はもう人間では無いのよ? 人間を捨ててまでやることなの!?」

 

「俺はなぁ……兄貴を超えることができれば……何でも良かったんだよ……人間では無くなる? それで結構だ。俺は悪魔にだって魂を売る覚悟はできていたからなぁ」

 

 そこまでして自分の兄に勝ちたかったのか?人間を止めてまで、自分の人生を蔑ろにしてまで得たい力だったのか、幽々子にはそれが全然わからなかった。

 

 草薙和生、恐らく大和に対して相当な劣等感とコンプレックスを感じていたのだろう。

 

 そのために自分を鍛えて強くなろうとした。恐らく尋常では無い努力を影でしていたのだろう。

 

 だけど、無理だった。草薙大和という壁が大きすぎて分厚すぎて敵うものではなかった。日々怠らず努力しようとも、どれだけ厳しい鍛錬を積もうとも、大和も同じく才能を磨いて強くなる努力をすることで、二人の差が一向に開くだけだった。

 

 劣等感に押し潰されそうになったその時だ。八雲紫と出会った。兄よりも強くしてくれるという甘い誘惑に乗った。罠だとわかったうえでその条件を飲んだ。

 

「後戻りはできねぇ、さっさとその女を渡せよ。無理だって言うなら兄貴を殺してでも……」

 

 突然何を思ったのか、大和の肩に噛み付いてくる和生。

 

 道着を通り越して肩を噛み千切り、そのままむしゃむしゃと肉片を食べる和生、一体何が起きているというのか。

 

「足りねぇ……腹減った……何だこれ?」

 

「和生お前……どうしたっ! 何が起こってんだよ!?」

 

 肩を噛み千切られた痛みよりも、和生に起きている異変の方が心配でそれどころではなかった。今の和生は正気ではない。まるで空腹に飢える獣のような感じがした。

 

 すると和生は倒れている風魔一族を見ると何かわかったような表情を浮かべると同時に空腹に飢えて自分の腹を両手で抑えた。

 

「そうか……わかった。肉だ……人間の肉が喰いてぇ……」

 

「人間の肉だと?」

 

「あの野郎……聞いてねぇぞ……人間の肉が喰いたくなる副作用があるなんて……俺は食人にはなりたくはねぇよ」

 

 空腹のあまりに両手で腹を抑える。まるで飢餓に苦しんだ人のように蹲る。

 

「もう良いんだ和生、もう」

 

「俺から離れろっ!! 人間を見たり……血の匂いを嗅ぐと正気でいられなくなる……このまま近くいると兄貴を食い殺しちまうんだよっ!!」

 

 空腹と身体が可怪しくなっていることが混ざり合い。悲痛に叫ぶ和生、もはや助ける方法はないのか?

 

「何か方法は無いのか?元に戻す方法は?病院に行けば治らないのか?」

 

「大和……和生くんはもう……」

 

「彼はもう戻らないわ」

 

 声が聞こえてくる。この場には俺と和生、幽々子しかいないはずなのに。他の誰かが来たようだ。

 

 声が聞こえた方向へと、大和は首を向けると、そこには金髪の女性が立っていた。

 

 その正体は八雲紫、風魔一族の黒幕であり、人知を超えた能力を持つ妖怪である。

 

 その姿を見た瞬間、大和の身体は小刻みに震える。恐怖で震えていた。得体の知れない力と何をするかわからない何かを感じて戦慄が走っていたのだ。

 

 しかし、抑える。恐怖を認め、恐怖を制し、冷静になって身体の震えを止める。並の胆力ではできないことだ。

 

「彼には私の血を与えたの、強くなりたいって言ってたからね。私自身が人を食べる妖怪だから、血に耐えられないと人を食べたくなる衝動に襲われたり、下手すれば身体が持たずに死ぬのよね。」

 

「なん……だと……?」

 

 絶望した。もう和生は人間ではないのか?自分の大切な弟が空腹で飢えるところを見るしか無いのか?大和の脳内に最悪な結末が過る。

 

「とても哀れね。ただ強くなりたいという欲求を満たすために兄弟を裏切って、挙げ句一夜限りになるかもしれない儚い力を手に入れるなんて」

 

「紫てめぇ!!」

 

 こいつのせいで、こいつのせいで俺の弟は破滅しようとしてるんだ。許せない、何が何でも許せない。

 

 しかし。

 

「あら?選んだのはその子よ。私はその願いを聞き入れただけのこと、恨まれる筋合いはないわ」

 

 正論を言われて黙り込む大和。

 

 そうだ。確かに和生が選んだことだ。裏切ることも、力を得ることも、全ては本人の意思で決めたことだ。それはもはや俺ではどうしようもすることはできない。

 

 しかし破滅することをわかっていた上で力を与えたのは納得いかない。こいつは俺達を全員抹殺するのが目的だというのか?そのために和生を誘惑したのか。

 

「離れてろよ……兄貴……」

 

「……和生!?」

 

「気分が変わった。こいつは……俺が食い止める……その間に……その女とさっさと逃げろ……」

 

「でもお前……身体が限界じゃ……」

 

「なに……いざとなればこのクソ野郎を食い殺して飢えを凌いでやる。何も心配すること無いんだよ……」

 

 ふらふらとしながらも八雲紫の前に立ちはだかる。

 

 兄を守るために、そして自分を破滅へと導いたこの女に復讐をして倒すために、草薙和生は立ち向かおうとする。

 

「さっさと俺の前から消えろっ!! てめぇらがいると目障りなんだよ!! ……頼むよ兄貴」

 

 荒々しい口調で言葉を放った後の最後の言葉は切なさそうで弱々しかった。まるで自分は兄貴を殺したくはない。こんな無様な姿を見せることはできないと言わんばかりに。

 

「わかった。死ぬなよ和生」

 

「…………」

 

 大和は幽々子の元へと行くと、幽々子の手を握ってその場から立ち去る。

 

 その場に残ったのは和生と八雲紫のみ、逃げた二人を追いかけようとしても和生が目の前に立ちはだかる。

 

「無駄な威勢を張るのね。哀れとしか言いようがないわ」

 

「何とでも言いやがれ、悪いけど俺は死ぬ気は無いんでね。てめぇをぶっ殺して生き残ってやる。」

 

「無理よ、どちらにしても貴方は死ぬ。恐らく朝日が上る前に身体が崩壊するわ。」

 

「知るかよ……てめぇは頭良さそうだし俺の結末を見据えてるらしいが……そんなことわからねぇじゃねぇかよ。もしかしたら生きてるかもしれねぇ……」

 

 しかし威勢を張っていはいるものの、自分の中には不安な要素が沢山ある。

 

 身体が壊れていくような音が聞こえてくるような気がする。ミシミシと音を立てて、破滅へのカウントダウンが始まっている。

 

 しかしそれが分かっているのならやることは一つ。最後にこの妖怪をぶっ殺して気分良く死ぬことだ。

 

「来いよ。決着つけようぜ」

 

 破滅のカウントダウンが鳴り響きならがらも、草薙和生の最後になるだろう闘いが、今火蓋が切られようとしている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十三話 草薙和生、決死の覚悟

 対立する八雲紫と草薙和生。

 

 少しずつ身体が壊れるような音が聞こえてくるような気がしながらも、兄貴達を助けるために目の前に立ちはだかる和生。

 

「来いよ……決着付けようぜ……」

 

 次の瞬間、まるで不意打ちでもするかのように、和生は銃を取り出して引き金を何度も引く。何度も何度も弾丸を放ったのだ。

 

 秒速100キロ以上は超えているだろう。違法改造したガン、並の人間なら速すぎて目視することもできない。当たれば皮膚を貫通する威力。

 

 しかし、八雲紫はまるで余裕の態度で動く気配は無い。避ける気がなかったのだ。

 

 その代わりに妙な事をする。

 

 弾丸が当たる前に、異空間のようなものが開き出し、弾丸はその空間に吸い込まれていく。

 

「……消えただと?」

 

 弾丸が空間の中に消えた瞬間、和生の背中に激痛が走った。まるで何かの物体が自分の皮膚を貫通したような痛み。

 

「あがっ!?」

 

 痛みの正体は自分が放った弾丸だった。よく見ると八雲紫の目の前に存在する異空間のようなものが和生の背後にもあったのだ。

 

(……こいつの能力は何だよ? 空間移動? 空間操作? いや……もっとやばい能力かもしれない……)

 

 その場にいるとまずい、このままでは俺が蜂の巣になってしまうと本能で察したのだろう。和生はその場を離れて素早く動き回る。

 

 そして動きながらも、相手に狙いを定めて銃の引き金を何度も引いて弾丸を放った。

 

 これならあの異空間のようなものを開かれても俺には当たらない。大丈夫だと、和生はそう思った。

 

 しかし。

 

「うぐっ!?」

 

 避けているはずなのに、動いているはずなのに、自分の放った弾丸が異空間を通じて何度も当たる。

 

 弾丸が皮膚を貫き、出血する。

 

(この野郎……俺の行動パターンを完全に読んでやがる……どんな知能してんだよ?)

 

 ありえない話だが、どうやらこの妖怪は俺の動きを演算して異空間を作り出し、カウンターしているようだ。

 

 恐らく俺よりも知能は高い。いや、比べるのも嫌になるくらい天と地の差、雲泥の差はある。こいつは紛れもなく化物だ。

 

「銃撃じゃあ無理か……」

 

 もはや何度も撃っても返ってくるのがわかった。このまま銃撃戦で挑んでも弾の無駄だし、こちらのダメージになるのは明白だった。

 

 ならどうする? 接近戦ならどうだ? 相手は武器を持っていない。こちらには大型のナイフが二本ある。

 

 いや、NOだ。あの異空間に引きずり込まれたら一瞬で終わる。脱出する手段は無い。

 

 しかし、接近するのは良い手段だ。接近して相手の懐に潜り込み、致命傷を与えてKОだ。

 

 それなら、これならどうだ。

 

 和生は懐から手榴弾を取り出し、八雲紫に向かって放り投げる。

 

(……手榴弾!?)

 

「馬鹿がっ! 煙幕だよ!」

 

 周囲一体が煙で覆い尽くされる。

 

 八雲紫の視界は妨げられた。これならどこから襲いかかってくるのかわからない。チャンスだ。

 

「この人間がっ! 小癪な真似を」

 

 念の為に煙を吸わないように袖で口を覆い隠す八雲紫。

 

 視えない。どこを見ても煙と煙、視覚が全く役に立たない。どこから襲って来るのか、どこから攻撃を仕掛けてくるのかわからない。

 

 煙に包まれている中で周囲を見渡していると、八雲紫は左肩に激痛が走った。

 

「……っ!?」

 

 左肩に走る痛みの正体、それは草薙和生が八雲紫の左肩に噛みついていたからだった。

 

 噛みついた瞬間、歯で服を破って皮膚を貫き、肉まで達する。そしてそのまま肉を噛み千切ってしまう。

 

「この人間がっ!」

 

 怒りのあまりに八雲紫は噛みついてきた和生を振り払って天高く放り投げる。

 

 しかし、和生の身体が重力によって落下する瞬間、和生は空中で着地する態勢を整える。

 

 そして難なく地面に両足と左手を付けて着地する。まるで何も無かったかのように。

 

「……ぺっ!」

 

 和生は口から布を吐き出す。地面に吐き出されたのはヨダレと血で塗れた布だった。

 

 そして食べる。ムシャムシャと味わうように八雲紫の左肩の肉を堪能するように食べる。

 

 口から血液が溢れると右手で拭う。

 

 噛みち千切られた八雲紫の左肩から鮮血が迸り、周囲の服が赤く染まる。傷口は痛々しく、くっきりと肉まで見えている。

 

「私を食べても無駄よ。いえ、寧ろ身体の更なる崩壊へと繋がるだけ。」

 

「そんなこと知るかよ……空腹を凌ぐためのせめてもの抵抗だ……」

 

 だが足りない。肩の肉片だけじゃあ物足りない。もっと欲しい。もっと喰いたい。あいつ肉も臓物も全てを喰らい尽くしたい。

 

 空腹が更に深まる。食欲が更に高まる。

 

 そして和生の身体から紫色の亀裂のような傷が入る。だが痛みはなかった。

 

 和生の身体が徐々に壊れていく様を見て、八雲紫は呆れたような表情で淡々と話す。

 

「貴方の身体が壊れる理由、それは妖気が身体を蝕んでるから。人間に取って妖気は毒のようなもの。

 妖怪を取り込むことによって人知を超えた力を得る話は数多あるけど、所詮は有害物質、妖気への抵抗力が無ければ死ぬだけよ」

 

 ふらふらになりながらも、何処か相手を見下したような態度で振る舞いながら鼻で笑う和生、まるで八雲紫の発言が馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりだった。

 

「はっ、だからどうした?妖気?抵抗?有害物質?そんなもの関係ねぇよ、それら全てを乗り越えてこその人間だろうが。人類(おれたち)を舐めんじゃねぇよ。

 俺は強くなるためなら猛毒だろうがなんだろうが全て飲み込んで超越してやるよ。」

 

 俺は大兄貴とは違う。双子の兄貴とも身体の造りが全く違う。頭脳だけは優秀だが、身体能力は常人よりも少し強いぐらいだ。兄貴には到底敵わない。

 

 だが、俺には人間としての意志がある。誇りがある。例え化け物に変貌しようとも、例え培養液で満たしたガラスの中にある脳髄であろうとも、それは変わらない。俺は根っからの人間だ。

 

 乗り越えて見せる。どんなに理不尽で無理難題なことであろうとも克服して見せる。そうやって偉大な英雄や優れた人間は生きてきたのだから、俺にもできる可能性は僅かでもある。

 

 高らかに自分の意思と誇りを告げる和生に対して八雲紫は冷ややかな視線を向ける。

 

「良いわ。楽にしてあげる……」

 

 四つの異空間が姿を現した。

 

 そしてその一つの異空間の中から弾丸のような速さで謎の物体が和生に向かって飛んでくる。

 

 幸い、謎の物体は和生を横切り当たらなかった。しかし地面にぶつかると地面は抉られて大きな穴が空いた。

 

 恐る恐る、冷や汗をかきながらも和生は自分を横切り地面を抉った物体を目にする。その正体とは。

 

 剣だった。剣が地面に突き刺さっていたのだ。

 

「まさか……嘘だろ……?」

 

 コミックやアニメの世界で見たことがある。宝物を湯水のように異空間から放出し、相手が死ぬまで何度も放つ技を。

 

 それに類似していた。この妖怪がやっていることはコミックやアニメに世界で存在する技だった。まさか空想の技を使うやつが存在するなんて思いもしなかった。

 

「見せてあげるわ。現実ではありえない。幻想の戦い方を」

 

「クソがっ!!」

 

 和生は刃渡り60cmはあるであろう大型の片刃ナイフを二本引き抜いて戦闘態勢に入る。

 

 そして、再び放たれる異空間からの武器攻撃、飛ぶスピードは秒速340mは軽く超えているであろう。本物の拳銃と並ぶ速さである。

 

 それに対して、和生は直感と異空間の向きから推測して避けようとする。

 

 動き回る。必死に、生き延びるために、抵抗するように、避けるために必死に動き回る。

 

 飛んできた武器をギリギリのところで回避すると、地面は抉り削られ、まるでクレータのような穴が出来上がる。

 

 しかもよく見てみると、突き刺さっているのは剣だけではなかった。刀、槍、剣、斧、などなど、様々な武器でバリュエーションが沢山ある。

 

 武器を回避しながらも前へと進む、八雲紫がいる場所へ、奴の息の根を止めるために、全速力で突き進む。

 

 避ける。避け続けなら前に進む。雨のように降り注ぐ武器を縦横無尽に避けながら八雲紫の元へ。

 

 一発の武器が飛んできた瞬間、和生は左手に持っていたナイフを盾にする。

 

 武器とナイフがぶつかりあうと、ナイフの刀身はバラバラに砕ける。

 

 壊れたナイフを放り投げ、八雲紫の元に着くまであと数メートルというところまで走ってきた。

 

「くたばれ妖怪ッ゙ッ゙!!」

 

 八雲紫の懐まで接近した。あとはナイフを突き刺すのみ。

 

 しかし、八雲紫は冷静だった。まるで自分が死ぬとは思っていないかのように、まるでこれが危険であるとは思っていないかのように。

 

 そして、和生が八雲紫をナイフで刺そうとした瞬間。

 

 和生の頭上には無数の異空間が開いており、その中から無数の武器が雨のように降り注ぐ。

 

 降り注いだ武器の数々は和生の肩、背中を容赦無く貫き、その中には身体を貫通している物もあった。

 

 和生は成す術もなく倒れた。八雲紫をナイフで刺す前に力尽きたのだ。

 

「あっ……ゴフッ(ゴロゴロ)」

 

 武器に肺を貫かれて、肺に血が入ってゴロゴロ音がする。他の内蔵も無数の武器で貫かれているが、幸い心臓だけ避けられて無傷だった。

 

 しかし、このままもう死ぬであろう。治療しても治らない、もう長くは生きられない。

 

 倒れている和生の前に八雲紫が立ちはだかる。氷のように冷たい目をしながら、まるで命をどうということもないと言わんばかりに和生を冷酷に見つめる。

 

「このまま殺すのも良いけど、気が変わったわ。貴方を今日の食料にしてあげる。あの一族の肉なんだから、絶品かもしれないから。

 この戦争が終わったらゆっくり食べてあげるわ」

 

「へへへっ……」

 

 重傷の状態で和生は異空間の中へと引きずり込まれ、そのまま消えていった。

 

 異空間は閉じ、完全に和生はこの世から姿を消した。

 

 草薙和生、現代から姿を消す。誰も知られずに、何も残すことはなく、陽炎のようにその姿を消した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十四話 賢者からの逃走

 手を繋いで八雲紫から逃走する二人。強大で得体の知れない怪物から逃れるため、幽々子を奪われないようにするために大和は幽々子の手を引いて全力で走る。

 

 出来るだけ遠く、誰にも見つからない場所へ、行く宛も無く走り続ける。

 

 どうすれば良いのか?どうしたらあの化け物から逃れることが出来るのか、そんなことが脳裏に過るが考えている暇など一秒たりとも無い。今はただ走り続けて、誰にも追われないようにすることで手一杯だった。

 

 しかし、大和は悩み苦しんでいた。

 

 人間を止めた和生のこと、そしてその和生が八雲紫と対立していること、一体これからどうなるというのだ。

 

 空腹で飢えているとはいえ和生は確かに強くはなっている。しかしあの八雲紫の足止めが出来るというのか?

 

 もしかしたら和生は死ぬかもしれない。八雲紫に殺されるかもしれない。そんな最悪な結末が大和の脳裏に過ぎってしまう。

 

 そんなことを考えていると、大和の表情は涙を流しながら苦しそうに顔を歪める。

 

「……大和」

 

 悲しみに顔を歪める大和を幽々子は見つめる。

 

 和生が化け物になったのは自分の責任だと感じているのか、幽々子は悲しそうな表情を浮かべる。

 

 もしも、もしも私が八雲紫に連れて行かれてたら、こんなことはなかったのかな、和生くんも人間のままでいられたのかな?

 

 でも、私がいなくなったら大和はどうなるのかしら?最愛の人がこの世からいなくなったことで生気の無い廃人になってしまうのではないのか。

 

 走ったまま、申し訳なさそうな表情を浮かべて幽々子は大和に対して話しかける。

 

「ごめんなさい大和、私のせいで和生君が……」

 

「謝るな、あいつは生き残る。 死んだら一生恨んでやるだけだ」

 

 和生が妖怪になったのは私のせい。戦争の発端も私のせい。全部私のせいだ。私が現世に来なければ、大和と出会わなければ何も起きなかった。

 

 何で逃げてんだろうか、何故紫と戦っていのか、どうして私を守ろうとしているのか、考えれば考えるほど訳がわからなくなる。

 

 もう止めよう。逃げるのを止めよう。私が紫に連れて行かれさせすれば誰も死なずに済む。誰も悲運に見舞われることもなくなる。

 

「もう止めましょう、私は紫に連れて行かれる。そうすれば大和達は助かると思うから」

 

「ふざ……けるな……」

 

「えっ?」

 

「ふざけんなっ!!」

 

 走るのを止めて立ち止まり。泣きながらも怒ったような表情を浮かべて幽々子を強く抱きしめる大和。

 

「いなくなる? 連れて行かれる? 俺のために? 俺達のために? ふざけんじゃあねぇよっ!! それこそ何もかも全てを放り投げることと一緒だっ!」

 

「……大和」

 

「俺はな……幽々子がいなくなること……それが一番怖くて堪らないんだよ……自分が自分でいられなくなる。どうなっちまうのかもわかんねぇ……もしかしたら本当に生きていけなくなるかもしれない……」

 

 幽々子がいなくなったら。もし幽々子が自分の前から消え去ってしまったら。俺は一体どうなるのか想像もつかない。本当に目的も生きる甲斐も失った魂の抜けた廃人になってしまうかもしれない。

 

 それをわかった上で、そんな兄弟は見たくはないという気持ちで兄貴は闘ってくれている。確かに戦場で自分の力を相手に思い知らせたい。純粋に戦争を楽しみたいという欲望もあるが、兄弟を助けたいという気持ちが強いのだろう。正直言って弟思いの兄貴を持ったと実感している。

 

「それによ。兄貴や和生は俺の事を知った上で闘ってくれてる。況してや死ぬことを前提でこの闘いに挑んでいる。おそらく人も沢山殺してるだろうよ。だから今更命が惜しくて降参なんて出来ないんだよ。」

 

 運が良いことに俺は誰も殺していない。いや、俺自身が人を殺すことに躊躇いがあり、そんな勇気は無いからだ。正直なことを言うと、俺は人を殺めることができない。つまりトドメを刺すことができないのだ。自分の慈悲の心、良心がそれを強く拒絶する。

 

 しかし、兄貴や弟は違う。

 

 弟は俺と違って人を殺めることに一切の躊躇いがない。自分に害する者であれば何の容赦も無く殺すだろう。況してや自分を殺そうとする相手であれば尚更。

 

 兄貴に関しては組み手で何度も闘っているが、半殺しにはされたことがあったが、本当の殺意を感じたことが無い。もっと言えば俺を殺そうとしたことは一度も無い。

 兄弟への慈悲なのか、それともただの遊び相手だとしか思ってないのか、その真相はわからない。

 だからこそ、俺に少しでも優しくしてくれた兄貴が人を殺める姿を想像できない。しかし自分を殺そうとする相手を容赦無く殺めるだろう。

 

 俺の兄弟がみんな、俺のために人を殺めて手を血塗れに汚してくれてるんだ。だから今更命乞いをするたなんてそんな都合の良いことはできない。

 

 大和の説得に心を打たれたのか、幽々子は何の迷いもない純粋な表情で答える。

 

「行きましょう大和」

 

 そうだ。この人と共に歩もう。どこまでも、例え地獄の奥底でも、地平線の彼方でも、どんな時も共に歩もう。この人とならどこにでも行ける。

 

「あぁ!」

 

 活気に満ちた表情で大和は答える。そして二人は走り出す。賢者から逃げるために。

 

 

 

 

《武尊がいる場所では》

 

 

 

 大量の死体に囲まれながらも、安心して木に背を預けている武尊がいた。

 

 身体中に刃物による深い切り傷が刻み込まれ、手裏剣の傷跡や吹き矢などが刺さった場所は変色している。かなり重傷の状態だ。

 

 出血死しないように傷の手当をしたいところだが、毒によって身体がもう動かない。もう指すらピクリとも動かない状態だった。

 

「へっ……身体が動かねぇ……このままだと確実に死ぬな……短い人生だったぜ……」

 

 まだやり残したいことや、思い残すことが沢山あった。このまま死ぬのは嫌だな。

 

 しかしどうにもならない。自分で手当が出来ないので近くに助けてくれる人がいれば良かったが、大和も和生も今は戦闘で手一杯でそれどころではない。

 

 紅虎さんが近くにいれば応急手当てをしてくれて助かるのだが、今はどこにいるのかわからない。気まぐれで神出鬼没の出現がこういうときに裏目に出たか。

 

「こうなるんだったら……もっとうめぇ酒を沢山飲めば良かったな……あと美味いつまみがあればなぁ……ゆゆちゃんみたいな綺麗な女が注いでくれれば……何の文句もなかったんだけどなぁ……」

 

 本当なら幽々子に晩酌の相手をしてもらったが、大和が不満になるだろうし許してもくれなかったんだろうな。

 

 死期が近づいてくることを悟った。もう時期自分が死ぬことも理解していた。悔いは沢山あるが死ぬことを受け入れている。もうどうにもならないと諦め半分で。

 

「大和と和生……あいつら大丈夫かな……?」

 

 心配だった。兄弟の安否が気になって仕方なかった。もしかしたら死んでるのではないのか?苦しんでるのではないか?自分に助けを求めているのではないか?そんなことが色々と頭に過ぎっていた。

 

「ごめんな大和……俺は悪い兄ちゃんだっただろう? 何もしてやれなくてすまねぇな……俺のこと目標にしてくれてありがとう……

 和生……話してて楽しかったぜ……頭が良くて色んなことを知っててな……俺の自慢の弟だよ……ちょっと無差別で好戦的なところはあれだけどな……」

 

 兄弟のことを独り言で語りだす。本当ならあいつらの前で話したほうが良かったんだけどな、だがそんな時間は残されていないし、今兄弟達は闘っているだろう。もう会うことは叶わないことだ。

 

「あばよ現世……最後に楽しい戦争ができて良かったぜ……更に戦場で華々しく散れるんだ。名誉なことだ。」

 

 静かに目を閉じて息絶えるのを待つ武尊、呼吸ができて自分の心臓の鼓動が伝わってくるのを感じるとまだ生きているんだなと実感する。

 

 死んだら間違いなく地獄行きだろうな。人を沢山殺したんだ、天国に行けるはずがない。

 

 意識が少しずつ薄れていく中、自分に向かって近づいてくる足音が聞こえてくる。

 

「まったく、なんですかそのザマは? それでも草薙家の当主である人間の有様ですか」

 

 目を少しだけ開き、顔を上げて声が聞こえてきた方向に振り向く武尊。

 

 聞き覚えがある声、友人の声だった。

 

「あんたは……」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十五話 怒れる怪童VS妖怪の賢者

 大和と幽々子が逃走している最中のことだった。

 

 無我夢中で走っていると森の奥へとたどり着いた。

 

 人もいない。敵もいない。誰も知らない場所へと来たんだ。このまま時間が経過して八雲紫が諦めることを願おう。

 

 しかし森の中を走っていると、大和は異様な気配を感じ取って、冷や汗をかいた。

 

 大和達の前の前に異空間が開き出し、異空間の中から八雲紫が姿を現した。

 

 そして、八雲紫は大和を見つめる。

 

「どうも大和、また会ったわね」

 

「何でお前が? 和生はどうしたんだ?」

 

 嫌な予感が頭の中に過る。とてつもなく、そして自分が恐れるべきことが……

 

「殺したわ……」

 

「……えっ?」

 

「殺したわよ。貴方の弟さん。私の手でね」

 

 思わず自分の耳を疑った。何かの間違いだと思った。

 

 和生が死んだ? 俺の弟が息絶えた? そんな、嘘だ。ハッタリだ。あいつは死なないと言った。必ず生きて帰ると言ってた。なのに、何故死んだんだ?

 

 まだ生きたいと思ってただろう。何かやり残すことも沢山あっただろう。それなのに、何で和生の命をこいつは奪ったんだ?考えれば考えるほど訳がわからなくなる。

 

「死ん……だ……嘘……だろ……? 和生……和生……和生ィィィ!!!!」

 

 大和の目から涙が零れる。弟の死を慎んで、兄弟を失った悲しみで、滅多に悲しまない大和が大声で泣いた。

 

 しかし、八雲紫からしてみれば悲しみも苦しみも何も無い。たかが人が一人死んだだけとしか思っておらず、何とも思っていもなければ自分に歯向かったから当然のことだと思っていた。

 

 寧ろ、更に大和を絶望の淵に突き落とそうと思ったのか、それとも単なる報告をしたかっただけなのか、八雲紫は何の感情も無くただ呟いた。

 

「確かお兄さんもいたかしら? 敵は全員倒したらしいけど、毒に侵されて虫の息だったわ、死ぬのも時間の問題ね」

 

「兄貴……も?」

 

 あの兄貴が……天下無双の強さを誇り、誰にも負けないようなあの人が、死にかけている?

 

 そんな……一夜に兄弟を二人も失っただと?生き残っているのは俺一人だけになっただと、嘘だ……そんなの嘘だ。ありえない、あってはいけない。なんで俺一人だけにするんだよ……怖いよ……恐ろしいよ……寂しいよ……辛いよ……

 

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい。

 

 誰か……助けてくれ。神様……どうか俺の兄弟達を助けてください……俺を孤独にしないでくれ……俺から幽々子を取り上げないでくれ……

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!

あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

 

 二人の兄弟を失い、孤独と絶望の淵に立たされて泣き叫ぶ大和、悲痛な叫びは虚しくも公園に響き渡る。

 

「本当に馬鹿ね。素直に幽々子を差し渡してくれれば、誰も死なずに済んだのに、何故そんな愚行を選んだのかしら?」

 

 悪意も無い。善意も無い。ただ虫のように、機械のように無感情のまま言葉を重ねる八雲紫、人間の情など端から持っていないので、他人から見れば冷酷非情のようにも見える。

 

「弟は貴方を裏切った挙げ句、惨めに死んでいき、兄も闘いの中で何も守ることもなく死んでいった。

 どっちも無駄死にと言ったところかしら?本当に愚かな兄弟達ね、草薙家というのは何でそこまで愚かで救いようがない一族なのかしら?」

 

 すると大和の泣き声が止まる、それと同時に悪寒を感じるほどの殺意と圧巻されそうな闘気が大和から感じた。

 

「いない……?」

 

 そして、気がつけば大和の姿はどこにも無かった。まるで突然と姿を消したかのように。

 

「てめぇだけは……絶対に許さない」

 

 背後から声が聞こえた。そして、八雲紫は死を連想させるようなイメージが頭の中に浮かんだ。

 

 八雲紫は驚いたような表情を浮かべながらも、その場から離れて回避する。

 

 すると、風を断ち切るような風圧と『バンッ』という鈍い破裂したような音が響き渡った。

 

 それは大和が振るった鉄刀の音だった。一瞬だが音速を超えていたのだ。

 

 完全に殺す気だった。この妖怪を、確実に仕留めるために全力で武器を振るった。死んだ弟のために、死んだ兄弟の仇を取るために。

 

「私を殺す気ね……」

 

「兄貴……和生……仇は取る……こいつを殺すから……見守っててくれ……俺は勝つ……絶対に……」

 

 独り言のように呟く大和。恐らく誰の声も聞こえていない。まるで兄弟の死で壊れたかのように、まるでただ兄弟の仇である八雲紫を殺すための殺戮マシーンのような状態だった。

 

「良いわ。私直々に相手してあげる。」

 

 異空間の中から二本の剣を取り出して構えを取る八雲紫。更に他の異空間から武器を放出する準備もしていた。

 

 そして、武器を異空間から放出する。大和を目掛けて一線に飛んでいく。

 

 そして大和に直撃した瞬間、土煙を起こして見えなくなる。

 

「大和ッ!!」

 

 まるで容赦のない攻撃をまともに受けた大和を見て幽々子は名前を叫んだ。

 

 しかし。

 

 土煙が収まると、そこで立っていたのは大和だった。そう、大和は全くの無傷の状態だった。

 

 何故、武器が直撃したはずの大和が無傷なのか、あまりにも一瞬の出来事と土煙によって幽々子にはわからなかったが、八雲紫は理解していた。

 

「貴方……本当に人間?」

 

 大和が無傷な理由、それは単純なことだった。弾丸並の速度で飛んでくる武器を肉眼で捉えて、自分に武器が直撃する前に難なくと打ち払っただけだった。

 

 大和の動体視力と反射神経は銃弾を簡単に避けるほど極めて優れたもの、例え銃弾並のスピードで飛んでくる武器を避けることも叩き落とすことも造作もない。

 

「凄いわね。とても優れた人間とでも言っとこうかしら。流石は奴の一族ってところね。

 でも……その小癪な手で、何処まで凌ぎ切れるのかしら?」

 

 容赦無く、八雲紫は武器を異空間から連射する。その光景はまるで機関銃のような連射性能と大砲のような破壊力だった。

 

 しかし、音速を有に超えたスピードで飛んでくる武器の数々を大和は避けたり打ち払ったりする。到底のことながら人間業ではない神業を何度も披露する。

 

 打ち払った武器は破壊される。ガラス細工のように刀身がバラバラになる。

 

 相手を撲殺するために、武器を壊すために作られた大和専用の武器『鉄刀』は武器殺しの武器。相手の武具を壊すことなんて造作もない。

 

 鉄刀で武器を打ち払う度に、金属と金属がぶつかり合う高い音が響き渡り、武器が砕け散る。

 

 一つだけ分かったことがある。八雲紫の放つ武器の数々は至って単純なただの変哲もない普通の武器。神話や伝説の話で登場する宝具ではない。

 

 だから、壊れるのだ。幸いにも昔の人間が持っていた武器や近代の武器を使っているのだろう。もし神話の武器を持っていたら幾ら武器殺しの鉄刀とはいえ何度も打ち払っていたら確実にイカれるのは目に見えている。

 

 しかし、大和が恐れていたことが現実になることは、その数秒後に知ることになる。

 

「普通の武具では何度撃っても無意味なのね。それじゃあ現実ではありえない武具はどうかしら?」

 

 現存の異空間が閉じると、新たな異空間八雲紫の背後に複数開かれる。そして異様な存在感を放った。

 

 異空間の中から武器が放出されると、大和は即座に嫌な予感と危険を感じ取った。

 

 飛んできた武器が異様だったのだ。刀身に炎を纏った武器、雷電を刀身に宿した武器、冷気を纏った武器など、普通の武器ではありえない物の数々だった。

 

 まさかとは思うが、この妖怪は伝説や神話に出てきそうな武器も持っているのか、しかもそれを湯水のように放出するなんて、どれだけ自分の財力と持ち物に自信を持っているのかは検討がつかない。

 

 大和が飛んできた武器を避けると地面に当たる。そして、一方では燃え盛り、一方では地面に電撃が走り、一方では冷気で地面を凍りつかせている。

 

「人間風情にこれを使うのは癪だけど、仕方ないわよね。」

 

 現実の世界ではありえない武器と言ったところか、武器殺しである鉄刀では砕けない、異常な程にも丈夫な武器が放出させる。

 

 幸いにも打ち払うことはできるものの、異空間から放出させるほとんどの武器はあまりにも丈夫過ぎて破壊することはできなかった。いや、寧ろ高純度とはいえ、ただの鋼で人間の手で作られた鉄刀の方が御釈迦になりそうになる。

 

 あまりにも強力な威力で全ての衝撃を吸収することも受け流すことのできずに鉄刀が手から離れる。そして遠くへと鉄刀は飛んでいき地面に落ちる。

 

 八雲紫は終わったと思った。厄介だった武器が大和の元から無くなり、避ける以外の手段は無くなったのだ。武器を放出していれば蹴りが着くと予想していた。

 

 しかし、その考えが全く甘いことを知る。

 

 音速で飛んでくる二つの剣と槍が大和に直撃すると、また爆発音と土煙が舞い散った。

 

「……っ!!」

 

 それを見ていた幽々子は終わったと思い。大和から目を背けた。彼の死を予感していた。

 

 土煙が収まると、そこには剣を片手に持っている無傷の状態の大和が立っていた。

 

「恐ろしい子ね。そんな芸もできるの?」

 

 幽々子は目を逸らしてしまい見えなかった。しかし八雲紫には見えていた。大和がどうゆう行動をしたのかを。

 

 何故大和が無事なのか、それはまず最初に飛んできた剣を難なく掴み取り、続く第二撃の槍を剣で打ち払ったのだ。

 

 弾丸並のスピードで飛んでくる武器を難なく掴み取って自分の武器として扱い。更に同時に飛んできた武器を刹那の瞬間に打ち払ったのだ。

 

 敵とはいえど八雲紫の中で大和の評価はかなり爆上がりしていた。現代の人間技ではありえない。神話や伝説に登場する英雄並の技と実力を披露しているのだ。

 

 しかし、それと同時に自分の放出した宝物に触れて、挙句の果てには自分の物のように扱っていることに怒りを感じていた。

 

「その汚れた手で私の宝物に触れるなんて……そこまで死に急ぐのかしら、人間風情がっ!!」

 

 怒りを顕にしながらも、八雲紫は異空間で大和を取り囲んで宝物級の武器を何度も大和に向かって放出する。

 

 それに対して、大和は飛んできた武器の数々を打ち払いながら掴み取り、自分の物のように武器を手に入れる。

 

 何度か武器を薙ぎ払うと、左手に持っていた武器を地面に突き刺す。

 

 そして再び、飛んできた武器を打ち払う。

 

 金属音と爆発音が何度も響き渡り。大和の周囲の地面が滅茶苦茶になるほどに地形が変わってしまう。

 

 掴み取っては左手に持っている武器を地面に突き刺すことを何度も繰り返し、三本集まった瞬間だった。

 

 大和に向かって一発の雷撃の槍が飛んできた瞬間、大和は右手に持っている武器を振り下ろして地面に叩きつけるように振るった。

 

 武器と武器がぶつかり合う金属音が鳴ると同時に強烈な爆発音が響き渡り、衝撃波と土煙が舞った。

 

 土煙が舞って大和の姿が見えない。生きていのか仕留めたのかもわからない。しかし、それが大和に取って好都合のチャンスだった。

 

 土煙が舞い踊っている爆心地から、三本の武器が八雲紫に向かって飛んできた。奇襲である。

 

「……くっ!!」

 

 幸いにも八雲紫は手に持っていた刀剣で武器を振り払うが、手元で受けてしまい二本の刀剣を手放してしまう。

 

 更に進撃はとまらない 。再び異空間から武器を放出される前に、八雲紫の手元の武器を失った瞬間、土煙の中から大和が飛び出してきて、全速力で八雲紫に向かって走ってくる。

 

 数秒足らずで、八雲紫の懐に潜り込む。

 

 大和は左手で八雲紫の首を掴み上げて、押し倒す。そして武器の鋒を心臓を向ける。

 

 八雲紫に直ぐ様トドメを刺すと思いきや、大和の動きは止まった。

 

 再び大和の目からは涙を零れ、ひどく悲しそうな表情で懇願するように八雲紫に向かって話しかける。

 

「頼む……返してくれよ……俺の兄弟を返してくれよ……」

 

「諦めなさい。貴方は兄弟を奪われて、幽々子も奪われるのよ。もう楽になっても良いんじゃないかしら?」

 

 兄弟を失った挙げ句、幽々子も奪われるというのか?それは出来ない。許されないことだ。兄弟が命を掛けて戦ってくれたというのに、幽々子まで失ってしまえば俺はどうしたら良いんだよ?本当に生気の無い廃人になってしまうんではないのか。

 

 絶対に守り抜く、例えこの身体が朽ち果てようと、命を賭してでも幽々子を守り抜く。命を落とした兄弟達のためにも、俺のためにも。

 

 もはや、八雲紫は何も出来ない。このまま心臓を穿てば決着する。大和はそう思っていた。

 

 しかし、それに対して八雲紫はあまりにも冷静だった。自分が不利な状況であるにも関わらず、殺されそうになっているのにも関わらず、まるで自分が死ぬとは考えていないのではないかと思うほど冷徹だった。

 

 だが、今はどうでも良い。兄弟の仇を取ることが優先だ。しかもこのままこいつを野放しにしていたら幽々子を奪われるし、俺も殺される。

 

「悪く思うなよっ!!」

 

 手に持っていた武器で八雲紫の心臓を貫こうとした瞬間だった。

 

 武器で胸を突き刺す直前で大和の動きが止まった。

 

 それと同時に、大和は吐血する。口から血が滴る。

 

「うぐぅ……あがっ……」

 

 大和の胸や腹部、肩に鋭い痛みが走ってた、何か鋭利な刃物で貫かれたような耐え難い痛みだった。

 

 それもそう、大和の身体には武器が刺さっており、更に大和の眼の前には異空間が開かれていた。

 

 八雲紫を打ち取る前に、大和は手に持っていた武器を手放してその場に倒れて朽ち果ててしまう。

 

「残念だったわね。」

 

 八雲紫は立ち上がり、服に付いた埃をポンポンと手で払った。

 

 草薙大和、八雲紫に敗北。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十六話 訪れた紅い虎

 決着後のこと

 

 もはや大和は動かない。虚ろな目をしていて、まるで死体のように動く気配はない。

 

「さて、楽にしてあげましょうか、貴方は心臓を壊されたら死ぬのかしら?首を斬られたら生き返るのかしら?

 どちらにしても何度でも殺してあげるわ」

 

 何を言ってるんだこいつ?心臓を破壊されたら死ぬし、首を斬られたら即死に決まっている。俺は不死身の怪物ではないんだぞ。

 

 八雲紫は異空間の中から剣を取り出して、大和の首を跳ねる準備をする。

 

 もう駄目だ。出血多量のせいで身体は動かない。闘える力も残っていない。このまま殺されて終わるのか。

 

 大和はもう諦めていた。もはや痛みは感じない。いや、何も感じない。敗北感も生きる気力も、痛みも何もかも。

 

 大和が殺されそうになると、もう居ても立っても居られなかったのか、幽々子が八雲紫の前に立ちはだかり、大和を守ろうとする。

 

「止めて紫……どうか大和の命だけは……」

 

「駄目よ幽々子、この人間は危ないの。

 この場で殺さないとまた悲劇が起こるかもしれない。この一族は活かしておく訳にはいかないの。

 お願いだから理解して頂戴。」

 

 幽々子を優しく退けて大和の近くへと行く、そして剣を振りかぶり確実に殺そうとする。

 

 八雲紫が大和の首を跳ねようとした瞬間。

 

「やめなさい。」

 

 声が聞こえた。男性としては声が高く、女性としては若干声が低い。中性的な声だった。

 

 声が聞こえてきた方向へと八雲紫は顔を向ける。そこには白衣を着た中性的な人間が立っていた。

 

 妙だった。どこから現れたのか?いつからそこにいたのか?今まで気配は無かった。声を掛けられるまで気付かなかった。まるで突然現れたかのように。

 

「誰かしら? 貴女は?」

 

「私は御巫紅虎、なに、貴女が今殺そうとしてるその子に武術を教えている師匠をやっている者ですよ」

 

 スタスタと二人に向かって近づいてくる御巫紅虎、しかも笑顔を絶やさずにいたので八雲紫は不気味に感じていた。

 

「どうぞ、武器を持っててください(・・・・・・・・・・・)

 

 すると何が起こったのか、八雲紫は武器を無意識に手放してしまう。

 

 八雲紫は驚きを隠しきれなかった。自分の意思とは別に武器を手放したのだから。しっかりと握っていたはずなのに手からすり抜けるように武器が離れた。

 

「どうゆうこと?」

 

動きなさい(・・・・・)能力を使いなさい(・・・・・・・)

 

 その瞬間、八雲紫の身体に異変が起こる。

 

 動けなかった。指一本ですら動かない。そして境界が操れない。境界を開くことさえ出来なかった。

 

 この小娘は何をしたのか?催眠、精神操作、しかし言葉を放っただけで何もしていない。

 

「貴方………何をしたの? 身体が動かない……それに能力が使えなくなったわ……」

 

「なに、私が持っている能力でして、ちょっとした精神操作です。種明かしをすると、私の言ったことを対象に禁じる能力です。」

 

 通称デス・マス、対象に対して自分が言ったことを強制的に禁止するというもの。尚、否定形の命令では発動することができない。

 

 表向きは暗示催眠ということになっているが、実際の能力ら言葉を発することが発動の条件になっている精神操作能力で、相手が言葉を電話越しに聞いても、言語を理解していなくても、聴覚をシャットアウトして聞こえていなくても、紅虎が話しかけさえすればその能力を相手に適用させることができる。

 

「それはつまり、動くことも……能力を使うこともできないってことね」

 

「そういうことです。理解が早くて助かります」

 

 二人に歩いて近づくと、まず最初に瀕死状態だった大和を触って診察する。

 

 息はしている。脈は少し乱れているがまだ想定の範囲内、だが武器で刺されたところのほとんどは内臓がある場所で、内臓がかなり損傷している。

 

 かなり時間は掛かるが、私が手術すればほとんど助かる状態、それは幸いだった。

 

「内臓が損傷してますね。助かりはしますが、後遺症が残るかどうか……」

 

「貴女、何が目的?私と戦いに来たの?」

 

「いえ、戦いに来た訳ではなく、私はただ単に可愛い弟子を助けに来ただけです。貴女が何もせずに私達を見逃していただければ特に何もしませんよ」

 

「もし逃さないとでも言ったら?」

 

「この場で貴女を殺します。」

 

 その瞬間、紅虎から悪寒を感じるほどの殺気と得体の知れない程の気配を感じ取った。

 

 殺気は尋常ではない。まるで昔から人間を何百人殺したかのような本物の殺気、その気になれば何人でも殺せると云わんばかりのもの。

 

 しかし感じはもう一つは人間ではない。いや、寧ろ自分と同じ妖怪のような得体知れないものを感じがする。この人間は精神操作以外にも他に別の何か特異な異能を持っているとでも言うのか。

 

「その言葉に嘘は無さそうね」

 

「これでも昔は素手の殺し屋をやってましてね、苦しまずに楽にあの世に送ってあげれますよ」

 

 今まで何人殺してきたのか検討もつかない。それに妖怪を相手に素手で苦しまずに殺せると言うなんて、どんだけ自分の殺しの技術と技量に自信を持っているのか。

 

 だが、八雲紫にも一つだけわかることはある。それはこのまま本当に殺し合うとするのなら間違いなくこの小娘は自分を殺すであろうという事実。

 

 八雲紫は能力を使えない。動けない。更に相手は人間といえども異能を持っている元殺し屋。あまりにも不利で状況が悪すぎる。勝てる要素がほとんどない。

 

「恐ろしい人ね、そして優しい。」

 

「貴女もそうではありませんか? その気になれば能力で大和を簡単に殺すことができたのに、そうはしなかった。

 何故すぐにでも殺さなかったのですか?」

 

「友人の大切な人ですもの、眼の前で殺してしまえば悲しんでしまうわ。私は友人が泣く姿を見たくなかったのよ」

 

「なるほど、貴女にも慈悲というものがあったとは」

 

 だから、すぐに殺さなかったのか。しかし、大和を殺そうとした以上は止めなければいけなかった。師匠として、弟子の命を救うのは当然のことだった。

 

 それにしてもこの妖怪の行動に気掛かりなことがある。

 

 この妖怪の最大の目的は幽々子を連れ戻すことだろう。それなのに何故に大和を含む草薙家の一族を必要以上に殺そうとするのか?草薙家に何か恨みでもあるのか。

 

 聞く必要がある。知る必要がある。この妖怪が草薙家を根絶やしに抹殺する理由を。

 

「質問なんですが。何故大和やその一族を消す必要があるんですか? 貴女の目的は彼女を連れ戻すことでしょ?」

 

「貴女は知らないようね。この一族がどれだけ愚かで恐ろしい末裔かを。

 私はそこにいる一族の始祖の正体も恐ろしさも知ってるの、況してその始祖の一族だと言うんだから、その極めた危険性を考慮したら誰でも根絶やしにしたくなるわ」

 

 草薙家が愚かで恐ろしい、そして極めた危険性を秘めた一族?草薙家の始祖は一体どうゆう大罪を犯したとでも言うのか、それほど活かしていたらこの一族は危険だとでも言うのか?

 

 調べる必要がある。この戦争が終わったあと、草薙家のことを念入りにそして深く知る必要がある。どれだけ危険な一族だということを。

 

「どうします? 逃げますか? それとも私と殺し合うか、選んでどうぞ。私はどちらでも構いませんよ」

 

「やめとくわ。貴方の能力を封じる手段もないし、私は能力を使うことができない。

 ここは逃げるのが一番良い策ね。」

 

「そうしてくれると助かります」

 

 至って正しく、そして頭の良い判断だ。恐らくデスマスの能力を恐れて退散する決断をしたのだろう。そしてこの妖怪にはこの私に勝てる要素がないことを理解したうえでのことなのだろう。

 

 妖怪がどうゆう闘い方をするのか興味があったので相手がその気であれば受けて立とうと思いましたが、それはそれで良いでしょう。別に平和に事が収まるのなら別に構わない。

 

「貴女、現代では収まらない相当な実力を持っているけど、何故あの子達に加勢しなかったの? もしかしたら誰も死なずに済んだかもしれないのに」

 

「確かに私がいれば誰も死なずに済みましたね。あの程度の雑魚共は何人いようが、数分あれば全員殺すことは造作も無かったですから。

 ですがつまらないでしょ?知人が死んだのは予想外でしたが、それでは面白くない。それに彼らの為にはなりませんからね」

 

「恐ろしいわね貴女、人間とは思えないくらい異常な思考をしてるわ。もしかしたら私達妖怪に近い部類に入るんじゃないかしら?」

 

「どんな思考をしていても私はただの人間です。貴女のような人外と同じにしないでください。」

 

 幾ら殺しをしていようが、特異な異能を持っていようが、私は妖怪でも人外でもない。私はただ特別な力を持っているだけの人間であり、根本と本質はただの人間である。

 

 人間を超越した化物や妖怪と一緒にされては困る。私はただちょっと平均よりも強い人間なのだから。

 

「さて、能力は解きました。さっさとお逃げなさい。」

 

「それじゃあさよなら。そこの一族を根絶やしに出來なかったのは癪だけど……仕方ないわね。」

 

 この小娘が言った通り。身体を自由に動かすこともできる。能力も扱うことができる。どうやら精神操作の能力を本当に解いてくれたみたい。

 

 八雲紫の前に異空間が開き出すと、その異空間の中に八雲紫が入っていく、そして中に消えていくと異空間も閉じて消えていく。

 

「その能力……有り難く頂きましたよ(・・・・・・)

 

 その後、紅虎は大和を運び出し、幽々子を引き連れて自分が経営する御巫医院に向かい。重傷を負った大和に緊急手術を施した。

 

 八雲紫率いる風魔一族と草薙家の闘いはこれで集結した。瀕死状態になった大和はどうなるのか、そしてこれからどうゆう結末が待っているのか、それは誰にも分からない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十七話 妖怪の賢者が去ったあと

 意識を取り戻すと、気づいた時にはそこは森の奥深くではなく、どこか見覚えのある病室だった。

 

「……あっ?」

 

 上半身を上げて周りをキョロキョロと見渡す。

 

 見覚えがあると思ったら、此処は紅虎が経営している医院の病室だった。

 

 確か俺は八雲紫と闘って敗北して、殺されたはずではなかったのか、だけど生きている。心臓の鼓動も強く感じる。

 

 しかし、いきなり動いたので身体中に痛みが走る。武器で刺された部分の傷や内蔵が痛む。

 

「大和……意識を取り戻したのね」

 

 傍には幽々子がいた。どうやらずっと俺のことを見守って傍にいてくれていたらしい。

 

 良かった。意識を取り戻した。一時はどうなるかと思ったが、ようやく大和が戻ってきてくれてた。

 

 大和が意識を取り戻すと、幽々子は喜びのあまりに声を殺しながらも大和に抱きついて押し倒した。

 

「幽々子……良かった……いたのか」

 

 傷が痛むが、それよりも大和は幽々子がいなくなっていないことを静かに喜んだ。

 

 やったんだ。成し遂げたんだな。あの八雲紫という妖怪から幽々子を守ることができた。闘いには負けたが、ある意味勝利したことになる。

 

 二人が抱き合っていると、ドアが開いて紅虎が病室に入ってくる。

 

「やっと目覚めましたか。まぁ、あの怪我でしたし、意識を取り戻すかは心配してましたが。」

 

「……紅虎さん」

 

「全く、三日も意識が戻らないから心配しましたよ。」

 

「三日も……俺は寝てたのか」

 

 戦争が終わってから約三日、重傷を負った大和は紅虎に手術を施されてから三日間ずっと昏睡状態に陥っていたのだ。

 

 幸い、脈も正常、心臓も正常に動いている。呼吸もしっかりとしていたので生きていることは確かだったが、意識だけが戻らず、ずっと目覚めるのを待っていた。

 

「なんか身体に違和感はありますか? 呼吸の具合は? なんかあったら言って下さい。

 手術はしましたが内蔵がかなり傷を負っていたので、もしかしたら後遺症が残っているかもしれません」

 

 そうは言われても、特に身体に違和感は無いし、呼吸も普通にできる。今のところ特に後遺症とかも無いようだ。

 

 身体は特に問題は無い。正直なところ別に俺がどうなっても構わないと思っていた。

 

 それよりも気になることがある。俺の身体よりもそれの方が重要で一番気にしないといけないことだ。

 

「紅虎さん……兄貴は……和生は……どうなりました?」

 

 俺は無事だった。それは良い。生きていただけ幸運だったと思っておこう。

 

 しかし、それよりも兄弟だ。あいつらは今どうなっているのか、三日間ずっと昏睡状態だったので、それまでの情報は全く無い。それを早く聞きたかった。

 

 それに対して、紅虎は溜息をついて深刻そうな表情を浮かべながら大和に答えた。

 

「武尊君は息を引き取りました……治療はしてみましたが……駄目でしたね……和生君は遺体が見つかりませんでした。衣類も肉片も血痕さえ跡形も無く……まるで何処かに消えたかのようでした。」

 

 その瞬間、大和の顔は青ざめて絶望したような表情を浮かべる。

 

 兄貴が死んだ?あの兄貴が……健康優良児で一番死にづらそうで、誰よりも殺しても平気そうな不死身染みたあの兄貴が……死んだ?

 

 和生もだ。いなくなった?八雲紫は殺したと言っていたが、何故遺体が見つからなかったのだ?何処かに飛ばしたとでも言うのか。

 

 二人の兄弟を失ったことを切っ掛けに大和は絶望した。それと同時に心にぽっかり穴が空いたような感覚に襲われ、果てしない虚無を感じていた。

 

 まるで誰かに八つ当たりするように、大和は今すぐにでも泣きそうな表情を浮かべながら紅虎の服を掴んで揺する。

 

「和生はともかく、兄貴はどうにかなったでしょ? 何で見捨てたんですか!? もしかしたら助かったかもしれないのに、何で!?」

 

 大和は紅虎を批判した。兄弟を助けなかったこと、行方不明になった兄弟を見つけられなかったことに怒りを感じていた。

 

 果てしない虚無感と怒り、そして空虚を少しでも和らげるためには、こういう事を言うしか無かった。今の大和には心の余裕は一切なく、まるで何かに追い詰められたように心に行き場が無かった。

 

「どう足掻いても無理でしたね。奴ら多種の毒を使ってましたからね、解毒が不可能だったんですよ。」

 

 紅虎はそう答える。

 

 武尊の身体はもう駄目だったのだ。時間がかなり経過していたので毒が全身に回っていた。それに不運にも多種の毒を使われていたので、解毒方法が無いに等しく、助けるのはほぼ不可能の状態だった。

 

 紅虎が申し訳無さそうに答えるのにそれに対して、大和は怒りを顕にした。必死に焦るように、まるで紅虎が悪いかのように必死に訴えるように罵倒した。

 

「何で兄貴や和生が死ぬ前に助けてくれなかった!? 紅虎さんなら兄弟が死ぬ前に助けられただろ!? それを何でずっと見ていた!? 何で手を差し伸べなかった!?」

 

 もうどうして良いのかわからなかった。自分でも何を言っているのかわからなかった。しかし、こうでもしない限り、こうしない限り自分の精神が持たないことを理解していた。自分を守るための防衛本能が働いていたのだ。

 

 大和の罵倒を聞いて、紅虎もプツンと切れてしまったのだろう。さっきまで申し訳無さそうな表情を浮かべていたが、突然逆ギレしたかのように怒ったような表情を浮かべながら大和に反論した。

 

「私を批判しているようですが、何か勘違いしてるようですね。何故貴方達が受け入れた戦争に加担しないといけないんですか? 私はあくまでも部外者ですよ、貴方達の参加した戦争に参加した覚えはない。

 それに何ですか? 自分達が死にそうになって、兄弟が死んで、人のせいにするのはあまりにも都合が良すぎるのでは?人の力を頼るのは半端者がやることですよ。

 たかが兄弟が死んだ、それは兄弟の力が未熟だったからではないんですか?」

 

 紅虎のあまりにもまともで理に適った正論に対して、大和は何も言えなかった。自分が紅虎の言葉に納得してしまい、挙げ句、兄弟が死んだのは弱い自分が悪いことに気付き、再び絶望に満ちた顔を浮かべた。

 

 そうだ。紅虎さんの言う通りだ。もし俺が強ければ和生を死なさせずに済んだのに、もし風間獣蔵との決着を終えた後、すぐにでも兄貴の元へ行って加勢していれば助けることが出来たのに。

 

 大和は掴んでいた紅虎の服を離すと、まるで何もかもの失ったような虚ろな目をしながら下を向く。

 

「兄貴……和生……何で……」

 

 極限まで落ち込んでいる大和に対して、紅虎は励ますとまではいかないものの、まるで兄弟を失ったことを共感しながら大和の肩を軽く触り、優しく声を掛ける。

 

「兄弟の死を今すぐに忘れるのは無理でしょう。ですがずっと悲しんでいてはいけません。貴方は一歩先に進まなければなりませんからね」

 

「……はい」

 

 大和の言葉にまるで力が無かった。兄弟を失ったことがそれだけ自分の精神に異常をきたしていると云わんばかりに。

 

「兄弟は失いましたが、この通り幽々子さんは傍にいてくれている。それだけでも心の救いになりませんか?」

 

 それもそうだ。もしこれで幽々子も失ったら、それこそ生気の無い廃人と化してしまう。生きている意味が無くなってしまう。

 

 幽々子が傍にいてくれているだけ、それだけでも心の救いになる。生きている意味がある。だからこそ前に進もう。幽々子と共に生きるためにも。

 

「さてと、話も済んだことですし。ご飯でも食べましょうか、大和は点滴ばっかりで三日間何も食べていなかったので、お腹すいでるでしょう?」

 

 そう言われると、大和の腹が『ぐぅ~』と鳴った。空腹だったのだ。そして幽々子のお腹も『キュウ』と可愛らしい音が鳴った。

 

「失礼、大和だけではなく幽々子さんもでしたか」

 

「……えへへ」

 

「紅虎さん、まさか三日も幽々子の食事の面倒を?」

 

「そうですよ。大変でしたよ。作るのも然り、食べる量が尋常ではないので、この三日間で食費の下敷きになるところでしたよ。」

 

「ちなみにどのくらい掛かったんですか?」

 

 恐る恐る大和は聞いた。この三日間で幽々子がどれだけ紅虎さんに食費を負担させたかを、まさかと思うが10万円とかは言わないよな?

 

 二人から目を逸らしながら、とても深刻そうな表情で紅虎は答えた。

 

「30万です。一日10万は掛かりました。」

 

「……えぇ?」

 

 たった三日間で30万って、大家族でもそんな額にはならんぞ、況してや四人家族なら三ヶ月は養えるレベル。

 

 大和は幽々子の底無しで強大な胃袋にドン引きしてしまった。まさか自分が昏睡状態に陥っている間に紅虎がとんでもない食費を負担していたとは夢にも思わなかった。

 

「私はこれから厨房で食事を作ってきます。それまで待っててください。」

 

「はい」

「は〜い」

 

「あと言い忘れていましたが大和、怪我が治るまで入院です。全治一週間てところなので宜しくお願いします。」

 

 そういうと紅虎は歩いていき、ドアを開けて病室を出ていく。

 

 その後、大和と幽々子と紅虎は三人で食事を取った。

 

 それからはというと、大和は一週間という長い時間が過ぎるまで、幽々子と話したり、食事を取ったり、夜になったら睡眠を取るなど、比較的に平凡で退屈な日々を過ごした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十八話 再び現れた賢者

 大和が入院してから一週間後のこと。

 

 戦争で負った傷も治り、紅虎さんの言う通り一週間で退院することができた。

 

 内蔵が損傷していると言っていたが、その後に後遺症も特に無く、普通に動けるし呼吸も至って普通、怪我は完治したようだった。

 

 それから、紅虎さんに見送られながらも御巫医院を旅立っていき、今は自分の家に幽々子と一緒に帰っている途中のことだった。

 

「お家に帰るの久しぶりね」

 

「そうだな、家がどうなってるのやら?」

 

 家に帰ることが待ち遠しいかったが半分憂鬱。一週間以上留守にしてたので家がどうなっているのか心配だったし、特に掃除をしなければいけないと思っていたので結構憂鬱な気分だった。

 

 しかしその反面、家に帰ることが少し嫌だった。

 

 それは、家に誰もいないからだ。兄貴も和生も両親も誰一人家族が家にいないから、家に帰ると死んだ兄弟のことを思い出しそうで、大和は不安と悲しみを抱いていた。

 

 そんな不安と悲しみを背負いながらも、大和達は無事家に辿り着く。

 

 そして、いつものように門を潜り、ドアを開けて中に入り、履物を脱いで家の中に入っていた。

 

 家の中はがらんとしており、誰かいるような気配は無い。まるで蛻の殻だった。それもそうだ、両親は海外出張、兄弟達は全員戦死したのだから、誰一人居るはずがない。

 

 玄関を抜けて廊下を歩き、何となく茶の間に行ってみる。もしかしたら誰か居るのではないかと期待をしながら。

 

 もしかしたら、行方不明になった和生が戻ってきてるかもしれない。もしかしたら、兄貴が生きているかもしれない。そう大和は思っていた。

 

 しかし、そこにいたのは、和生でもなければ兄貴でもなく、招かれざる客だった。

 

 二人が襖を開けて入ってみると、茶の間のど真ん中には八雲紫が二人を待っていたかのように立っていた。

 

「どうもお二人さん。久しぶりね」

 

「八雲……紫……」

 

 八雲紫の姿を見たその瞬間、大和はプツンと切れて、まるでタカが外れたような感じになる。

 

 こいつは敵だ。武尊の兄貴や弟の和生の命を奪った兄弟達の仇だ。この場で殺さなければ俺の気が済まない。こいつを生かしておくわけにはいかない。

 

 そんな怒り、憎悪、憎しみ、等など大和の中に負の感情が芽生えていた。

 

 怒りのあまりに理性を失った大和、もはや何をするのかわからない。どんな行動に出るのかは大体予想はつくが、それはもはや負の連鎖しか産まない。

 

 大和は鬼の形相を浮かべながら、一心不乱に八雲紫に飛び掛かって張り倒し、左手で八雲紫の首を締める。

 

 そして残った右手で何度も何度も八雲紫の顔面を殴る。容赦無く、躊躇いもなく、ただひたすら殺す勢いで全力で顔面を殴りつける。

 

 殺さないと。殺さないといけない。こいつは俺から幽々子を奪おうとした。こいつは俺の兄弟を殺した仇だ。許さない。絶対に、誰が何を言おうと決して許さない。

 

 今の大和は殺気と狂気で満ちていた。殺すことしか考えていない。理性を失ってでも殺さなくてはと、ただ本能のままに動く獣のようなものだった。

 

 一方的に殴られているのに対して、八雲紫は何も反撃しない。抵抗すれば簡単に殺せるはずなのに、何もしなかった。

 

 その代わりに、八雲紫は無表情ながらも大和を憐れんだような目で見つめる。まるで兄弟を失った大和を可愛そうだと言わんばかりに。

 

 その悲惨な光景を見て、幽々子はいても立っても居られなかったのだろう。理性が吹き飛んだ大和を止めようとする。

 

「もう止めて大和!」

 

 幽々子に押さえつけられて強制的に殴るのを止めさせられると、それでも大和は拳を振るう。何度も空振りしても尚。

 

 それから間もなくして、大和は理性を取り戻す。

 

 気が付いたら。眼の前には顔面を殴られたような痣がある八雲紫がいて、傍には幽々子が俺を取り押さえていた。

 

「……幽々子?」

 

 さっきまでの記憶が全く無い。確か俺は家に帰ってきて、家に八雲紫がいることに気付いた。それからの記憶が全く無い。

 

 倒れていた八雲紫が立ち上がると、顔の痣を手で撫でながらも大和に向かって話しかけてくる。

 

「これで気が済んだかしら?私の話を聞いてくれる?」

 

「てめぇ、何しに此処に来た。」

 

「別に貴方とまた戦争を起こそうとも、戦うために来た訳じゃないわ。話と交渉しに来たの」

 

「……交渉?」

 

 今更なにを言うんだこいつ。兄弟を殺して、俺を殺そうとして、幽々子を奪おうとしていたのに、何を今更交渉だなんて、話をしようだなんて。あまりにも都合が良すぎる。

 

 どうせ、この妖怪のことだ。無理難題を押し付けて、俺に幽々子を諦めさせて連れて行くのに決まっている。だが、断固てしてそれができると思うなよ。

 

「別に貴方達とまた戦争でやりあうのも良いんだけど、現代での私の兵力は残っていないのよ。まぁ現代の兵力がいないだけで、幻想郷から連れて来れば良い話なんだけど」

 

「また戦争を起こす気かよ」

 

 そうだとしたらかなりまずい。俺の陣営には俺しかいない。況してや幻想郷とかいう世界から得体の知れない化物や人知を超えた存在がやって来たら、本当に草薙家が根絶やしにされてしまう。

 

 しかし、大和が自分の話を聞かないことに呆れてしまったのだろう。八雲紫は溜息をつきながらも説明する。

 

「だから言ったでしょ?戦いも戦争もできることなら避けたいのよね。別に貴方だけを消すぐらいならどうってこともないんだけど、貴方の陣営には切り札がいるわよね?それもとびっきりの恐ろしい切り札が」

 

 草薙家の陣営で生き残った人なんて、俺と紅虎さんしかいない。もしかしたらこいつ、紅虎さんが草薙家の最終兵器の切り札だと言ってるのか。

 

「紅虎さんのことか」

 

「あの小娘との戦闘は絶対に嫌ね。幻想郷に来ても一二を争うほどの実力者と呼べる力を持っている。多分私が兵力を集めてもかなりの犠牲者と被害を喰らうわ」

 

 この妖怪は何が言いたいのか?戦争はしたくないだの、やろうと思えばまた戦争を起こせるだの、話の本筋が全くわからないうえに、何が目的で何が言いたいのか全然わからない。

 

 それに紅虎さんのことを小娘と言っていたが、この妖怪まさか紅虎さんのことを女だと思っているのか?あの人は列記とした男性だぞ。

 

「何が目的だ? 話の本筋がわからねぇよ」

 

「最初に言ったでしょう交渉よ、交渉。

 貴方は幽々子と一緒にいたい。私は幽々子を冥界に連れ戻したい。だけど極力争いはしたくない。

 そういうことになると、利害が一致して私が出来ることは一つしか無い。」

 

「なんだよ。それは?」

 

 こいつの目的はわかっている。俺の本音も理解している。確かに戦争はもうやりたくない。しかし、それら全てを同時に解決することなんてできるのか?俺は馬鹿だから全くそれが思いつかないし、わからない。

 

「簡単なことよ。貴方を幽々子と一緒に幻想郷に連れて行くことよ」

 

 そうすれば誰にも邪魔されること無く幽々子を連れ帰ることができる。それならば争いも生まれることはなく、誰も悲しみも不安を感じなくて済む。

 

 しかし、現代の人間を幻想郷に連れていくのは少々問題はあるが、これ以上犠牲者や死人を出すよりかはマシだ。少なくとも八雲紫はそう思っていた。

 

 それに対して、大和は驚きを隠せなかった。

 

 幻想郷、確か幽々子と始めて出会った時に聞いた土地の名前だった。妖怪や妖精、神や神秘の存在が住まうと言われている幻想の世界。幻の国。

 

 そんなところへ、ごく普通の人間である俺が行っても良いのか?天国のような、もしくは地獄のような場所へとついて行っても良いのか?

 

「俺を幻想郷に……連れて行く?」

 

「なんでこんな簡単なことを思いつかなかったのかしらね。そうすれば誰も死ななかったし、誰も悲しまずに済んだのに、完全に盲点だったわ」

 

 この一族の苗字からして、ただの人間では無いとは思っていたが、まさかここまで人間の分際で歯向かってくるとは夢にも思わなかった。流石は奴の一族。

 

 本音を言うと、簡易的に集めたとはいえ、たった四人相手に多くの犠牲者を出したのも、かなり予想外だった。まさか全滅するとは思わなかったのだ。この一族の力を完全に侮っていた。

 

 もし、この一族の力量を完全に把握して知っていたら、最初から戦争を起こさずに、幽々子と一緒に幻想郷に連れて行けば良かった。

 

「ただ、貴方を連れて行くのには一つ条件があるの」

 

「なんだよ?」

 

「幻想郷に行ったら最後、元の世界には戻れないの。」

 

「……戻れない?」

 

 つまり、一方向に一回のみ通用する片道切符ということなのか。元の世界に戻れないということは、二度と故郷へは帰れないとでも言うのか。

 

「幻想郷は外の世界で失われた『幻想になった』者達が集まる場所なの、つまり行ったら最後、この世界から忘れ去られるの」

 

 そんなことは聞いていない。ということは幻想郷に言ったら最後、皆から忘れ去られるとでも言うのか?家族からも、友達からも、先生や知人からも、みんな俺のことを忘れ去ってしまうのか?

 

 それは困る。誰からも忘れ去られるなんて、何も残さずに幻想に消えていくなんて、俺は絶対に嫌だ。父さんと母さんに二度と会えなくなるなんて嫌だ。

 

 だが、幽々子と離れるのも絶対に嫌だ。何のために闘ってきたのか、何のために兄弟が死んでいったのか、それがわからなくなる。自分が自分では無くなってしまう。

 

 幽々子を選ぶのか、それとも現代を選ぶのか、究極の選択肢が大和に迫られていた。

 

 あまりにも極端な選択肢を、すぐには決めることができず、大和は苦悩に満ちた表情を浮かべながら顔を下向けに考え続ける。

 

 苦悩にも選択肢を選べない大和を見て、今日決めることはできないと悟ったのだろう。八雲紫は溜息をつきながらも優しく猶予を大和に与える。

 

「その様子だと、すぐに決めるのは無理そうね。」

 

「…………」

 

「……わかったわ。明日また来るから、その時に答えを出すと良いわ」

 

 すると、今日は諦めて自分の居場所へと帰ろうとしたのか、八雲紫は謎の異空間を目の前に開いて、その中に入ろうとする。

 

「精々悩むと良いわ。幽々子を選ぶか、それともこの世界を選ぶかを」

 

 そう言うと、八雲紫は異空間の中へと入っていき、完全に中へと入り切り姿を失うと異空間はすぐに閉じた。

 

 八雲紫がいなくなると、大和は身体を両手で押さえつけて膝から崩れ落ちるように跪く。

 

 その時の大和は、選択肢を選べない苦悩とこの世界から忘れ去られる恐怖、そして何よりも幽々子がいなくなる恐怖で満ち溢れていた。

 

 そんな大和を見て、哀れみと心配でいっぱいだったのだろう。幽々子は優しく大和の右肩に手を置いて話しかけてくる。

 

「大和……大丈夫?」

 

「大丈夫……問題ない。それより飯にしよう。それから深く考え込めば良い……」

 

 そう言うと大和は食事を作ろうと、台所へと向かう。精神的に不安定だったのか挙動と行動が可怪しかった。

 

 本当にそんな状態で晩御飯なんか作れるのかと、幽々子は心配と不安でいっぱいだったが、何も出来ることはなく、ただ見守ることしか出来なかった。

 

 そのあと二人は最後の晩餐ではなく、いつものように晩ごはんの支度をして食べ終えると、普段から考えれば寝る時間にはまだ早いが、そんなこと関係なく二人は寝間着に着替えた。 

 

 そして大和と幽々子は誰にも邪魔されずに夜を共にしようと、何も言わず二人で寝室に入っていき、そのまま一緒のベッドで深い眠りに就いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五十九話 運命の選択肢

「…………」

 

 ベッドから大和が起き上がる。

 

 目が覚めてしまった。今何時なのかは知らないが、真夜中に起きてしまった。やはり早寝をしたのが仇だったか。

 

 自分の隣で幽々子がぐっすりと眠っている。まるで死んだ人のように、息を引き取ったかのように、綺麗な寝顔でスヤスヤと眠っている。

 

 冷静に考えてみれば、こんな綺麗で可愛い子と一緒に寝ていたかと思うと、ちょっと恥ずかしいし、誰かが知ったら反感を買うことになるだろう。

 

「はぁ……」

 

 顔を手で抑えながら小さな声で溜息をつく大和。

 

 困ったな、八雲紫からの選択肢が頭の中にこびり付いていて、今の状態ではもう一度眠りに着くこともできない。多分、早起きしたのもそういうことなのだろう。

 

 それに、兄弟の死が頭から離れない。寝ていたら、悪夢のように呼び覚まして飛び起きてしまう。もしかしたら兄弟が夢の中に出て来くるような感じがして嫌だった。

 

 色々な事が頭に過って眠れないし、何かして気を紛らわそうとしても幽々子を起こすのも嫌だし、どうすれば良いのか悩んでいた。

 

「外の空気でも吸ってくるか……」

 

 幽々子を起こさないように、そっとベッドから立ち上がって部屋をコソコソと歩き、ドアを開けて部屋から出ていく。

 

 大和が部屋からいなくなると、ずっと起きていたのか、それとも単に目を覚ましてしまったのか、幽々子は目を開けてベッドから起き上がる。

 

「どうしたのかしら?」

 

 こっそりと大和が部屋を出ていったことに幽々子は疑問を感じていた。

 

 今思えば、紫が家に来てから大和が少しおかしくなったと思う所が沢山あったような気がする。

 

 晩ごはんを一緒に食べてる時も、一緒に寝るときでさえ、大和はずっと浮かない顔をしていた。何かに追われているような焦りと不安で満ちていたような感じがした。

 

 わからないわけではない。今の大和は兄弟の死を目の当たりにして、そして追い打ちを掛けるかのように紫から幻想郷に行くのかどうかを迫られていたのだから。

 

 しかし、今の私に大和の悩みと不安を解決することも、心の傷を癒やすこともできない。今の私にできることは、ただ傍にいていられることだけ。

 

「行かなくちゃ」

 

 そうだ。このまま黙って見過ごすわけにはいかない。今の自分ができることがわかっているのだ。それをやらなければいけない。

 

 かつて自分が困っている時に、見てみぬ振りをせず、見過ごさずに単身で助けてくれた大和のように、次は自分が大和を助ける番だ。

 

 幽々子もベッドから立ち上がって、大和を追い掛けるように部屋を出ていく。

 

 そして困ってる大和が行きそうな場所を予測しながら、屋敷の中をひたすら歩き回る。

 

 

 

  

           《…少女移動中…》

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 一方その頃、大和は屋敷の一部である縁側に座っていた。

 

 深夜の静かな庭を眺めていたり、冷たい外の空気を吸ったり、取り敢えず少しでも落ち着くためにやる事はやってみた。

 

 しかし、駄目だった。兄弟の死がトラウマのように頭の中にこびり付いていて、八雲紫の選択肢が決して頭の中から離れられない状態にいた。

 

 こんなにも心を締め付けるような、こんなにも深く考えるようなことは今までにはなかった。

 

 今までに辛い経験や悲しい思いはしてきたが、眠れなくなることも無かったし、そこまで自分の中で障害になることもなかった。

 

 これからどうすれば良いのか、究極の選択肢をどう決めれば良いのか、今の大和にはわからなかった。これからの人生を大きく左右させる運命の選択肢に大和は苦悩していた。

 

「はぁ……」

 

 再び大和の口から溜息が漏れる。そして悩み苦しみながらも、どこか浮かないような顔をしている。

 

 虚ろな目をしながら縁側を眺めていると、屋敷の中から足音が聞こえてくる。起きてるのは自分だけしかいなかったので誰もいないはずなのに。

 

 縁側で足音が止まり自分の近くに気配を感じ取ると、大和は振り向いて見る。一体誰なのか。

 

 自分以外に縁側にやってきたのは寝ていたはずの幽々子だった。足音の正体と気配は自分を探しに屋敷中を歩き回っていた幽々子だった。

 

「大和……ここにいたのね」

 

「幽々子……起きていたのか」

 

「うん。」

 

 一言返事をすると、幽々子はあることを悟って何も言わずに大和の隣に座る。

 

 やはり変わらない。大和は虚ろな目をしながら、何か浮かないような表情で悩んでいる。まるで何かに追い詰められたような感じでいる。こんな大和を見るのは初めてだった。

 

 ある程度に間を置けたあと、幽々子は大和に話し掛ける。

 

「やっぱり悩んでるの?」

 

「あぁ……すぐに決めるなんて無理だよ」

 

 俺は武尊の兄貴や弟の和生のように頭が良いわけではない。況してや、あの選択肢をすぐに決めろだなんて正直無理がある。

 

 もしも誰か家族がいれば、この問題を相談して解決してくれる可能性はあると思うが、今は誰もいない。一番親しい仲の人物と言えば幽々子しかいない。

 

「戦争終わって、兄弟が死んで、挙げ句に現代に残るか、忘れ去られて幻想郷に行くか選択肢迫られて、本当に濃厚で重い日々だよ。」

 

 人生波乱万丈だと誰かが言うが、ここ最近の俺の人生は正にそれだった。生まれて初めて戦争を経験し、兄弟の死を目の当たりにして、そして究極の選択肢を迫られる。

 

 もしも常人だったら、間違いなく精神的に病むし、それじゃなくても顔付きや性格が歪んでしまうだろう。幸いにも俺は落ち込んでいるだけで済んでいるので、自分の精神力が強かったことが良かったと思っている。

 

 ちょっと愚痴のようには言うものの、大和の表情はずっと浮かないようなままだった。まるで、ちょっと弱音を吐いただけでは心が晴れないと言わんばかりに。

 

 幽々子は思った。このままでは大和が壊れるような感じがした。このまま自分の中に思いを溜め込ませていると駄目なような気がした。

 

 自分ができることは一つだけ。

 

 それを実行するように幽々子は何も言わずに大和を優しく抱き締めながら話し掛ける。

 

「辛いこと、悲しいこと、全部吐き出したほうが良いわ。そうしなきゃあ大和が壊れちゃう。

 私が全部受け止めてあげるから話して。」

 

 すると幽々子に抱き締められたことで安心したのか、大和の目から涙が零れる。そして、とても悲しそうな表情を浮かべる。

 

 それから、大和は自分が嫌なこと、辛いこと、悲しいこと、どうして良いのかわからないことを全て吐き出そうとした。涙と共に洗い流そうとした。

 

「兄貴も……和生も……何でいなくなるんだよ? 俺なんか悪いことでもしたのかな……? 何で俺から大切な者を奪っていくんだよ?」

 

「そうね……残酷よね……お兄さんも弟もいなくなって悲しいわよね。神様は何で大和を酷い目に合わせるのかしらね?」

 

 優しく答える。否定はせず、宥めるかのように、大和の心に寄り添うようかのように。

 

 まるで泣いている子供を優しく慰めるかのように、幽々子は大和の頭を優しく撫でる。

 

「現代から離れたくない……だけど幽々子と一緒にいたい……離れ離れになるのは嫌だよ……」

 

「私も大和と一緒に傍に居たいわ。さよならなんてしたくないもの。」

 

 幽々子の服が大和の涙で濡れる。しかし、今はそんなことはどうでも良い。大和の心を救うことが一番の目的なのだから。服なんて濡れても何も問題ない。

 

 大和が自分と離れるのは嫌だと言ってるが、私も大和と離れるのは嫌だった。こんな優しくて、自分を守ってくれて、自分を想ってくれてる人がいなくなるなんて、想像するだけでも耐えられなかった。

 

「頼むよ……頼むから俺の傍からいなくならないでくれ。怖い……恐ろしいよ……幽々子がいなくなることが今一番嫌だよ……」

 

「大丈夫……私はいなくならないわ。安心して、ずっと大和と一緒にいるから……」

 

 泣いて震えながらも大和の抱き締める強さが一層に強まる。まるで執着するように、離れたくない気持ちを現すかのように強く幽々子を抱き締める。

 

 こんなにも弱々しく、怯えている大和を見るのは初めてだった。あんなにも英雄のように勇敢で恐れ知らずの大和が今ではか弱い子供のようだった。

 

 だけど、それで良いの。誰にだって弱点や怖いものはある。完璧な人間なんて存在しないのだから。弱い部分や短所があってこその人間だもの。それを侮蔑もしないし、否定もしない。

 

 それから、大和は泣きながら弱音や自分の想いを吐き出した。一欠片も残さずに全部、自分が楽になるまでひたすら号泣し言葉を吐き出した。

 

 幽々子も宥めるように優しく大和に寄り添いながらも、大和の言葉をひたすら聞きながら答えを返した。

 

 

 

          《…一時間後…》

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 幽々子の服が大和の涙でぐしょ濡れになってからかなりの時間が経過したあと、大和の弱音と涙が止まった。

 

 さっきまで、虚ろな目で浮かないような表情をしていた大和だったが、今ではまるで弱音を全部吐いてすっきりしたかのように元気でやる気に満ちた顔をしている。

 

 もう心配はなかった。兄弟の死は確かに大和の心を締め付けてはいたが、それでも今は大分マシになっている。前向きに考えるようにはなっている。

 

 あとは、八雲紫の選択肢を解決するだけだった。どちらを選ぶのかは大和自身の判断であり、幽々子には決めることはできない。

 

 しかし、もうその必要はない。

 

「決めた。俺は幻想郷に行くよ。」

 

 それを聞いた瞬間、幽々子は驚いた。弱音を吐いて涙を流しただけでそんな簡単にも決めて良いのかと思ってしまって、驚きを隠さずにはいられなかった。

 

「……良いの? それで?」

 

「あぁ! 俺は幽々子と一緒にいたいからさ!」

 

 無邪気な子どものように、笑顔でそう答える大和。

 

 そうだ。俺は幽々子だけの正義の味方になり、ずっと傍で寄り添うことを決めていた。何で最初からその事の気付けなかったのか。

 

 俺にはもう兄弟はいない。両親も頭に過ったが、俺も自立するということで親元を離れようと思った。

 

 それに泣いて弱音を吐いたことで決心がついた。現代から忘れ去られること、幽々子を天秤に掛けたら、今の俺は間違いなく絶対に幽々子を取る。

 幽々子がいなくなることに比べれば、現代から忘れ去られることなんてどうってこともない。

 

 もう恐れることも心配することもない。今は取り敢えず、八雲紫がやってくるまで、新天地での生活がどんなものなのかを想像しながら待っていよう。

 

「なんかスッキリしたよ。ありがとう幽々子」

 

「別に良いのよ。困ったときはお互い様っていうでしょ?」

 

 そう。大和は自分だけが幽々子に助けられたと思っているが、それは違う。

 

 幽々子も大和に助けられていたのだ。不良から助けられたこと、仮の住処を与えられたこと、ご飯を沢山食べさせてくれたこと、他にも助けられたことは沢山ある。

 

 だから、恩返しとまではいかないが、ずっと大和に助けられているだけでは嫌だったし、何よりも大和を助ける機会だったので、そうしたまでのこと。

 

「取り敢えず寝る前に服着替えようか。びしょ濡れにしちゃったし、風邪引くとやばいし」

 

「そうね。」

 

「先部屋に行って着替えていてくれ。俺もうちょっと景色眺めてから行くから」

 

「うん。でも覗いちゃ駄目よ」

 

「覗かねぇよ」

 

「うふふ……それじゃあ」

 

 そう言うと幽々子は縁側を歩いて出ていき、先に部屋に戻って服を着替える。

 

 その後、大和も幽々子が着替え終わってから数十分経過したあとに部屋に戻る。

 

 それから二人は一緒に再び就寝する。明日のために、八雲紫がやって来るのを待つために。

 

 選択肢を決め、幻想郷に行くことを決意した大和。これけら待ち受けるのは幸福か。それとも地獄のような絶望が。それは誰にも分からない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第一部終話 その手が開く明日は……

 あれから就寝した後、大和は兄弟の死で悪夢に魘されることも、悩んで飛び起きることもせず、何時ものように二人は早朝を迎えた。

 

 空は雲一つ無く、綺麗な朝日が上っていた。しかし季節が冬季だったので寒い。外に出て息を吐くと、白い煙が出てくるほどに寒かった。

 

 最初に大和が起きると、幽々子の寝顔を見てから部屋を出ていき、何時ものように朝食を作るために台所へと向かう。

 

 今日はトレーニングはしない。いつもよりも遅く起きたのもあるが、何よりも大事な日だったからだ。それよりも幽々子が目覚める前に朝食を作るほうが大切だ。

 

 大和が朝食を作り終えた頃、まるでご飯の匂いを嗅ぎつけたかのように幽々子が目覚める。

 

 それから朝食を茶の間に持っていたあと、幽々子が茶の間に来たところで二人で朝ご飯を食べる。

 

 茶の間は二人きりでがらんとしていた。武尊の兄貴もいない。弟の和生もいない。両親もいないのだから、茶の間ががらんとしているのは当然だ。

 

 しかし、その事には誰も一切触れること無く。無言で朝食を食べ続ける。

 

 朝食を食べ終えたあと、大和は食器を片付けて台所で皿洗いをする。

 

 それから、八雲紫が屋敷にやってくるまでに大和は幻想郷へ行くための身支度を部屋でする。

 

「う〜ん?」

 

 幽々子が隣で見ている中、大和は身支度に戸惑っていた。

 

 身支度とは言っても、全部持って行くのは無理そうだし、服もそんなに持っていない。あと、持っていきたいも物がほとんどないのが現状だ。

 

 幻想郷が一体どんな環境なのかがわからない。季節はあるのか、日本に近い環境なのか、それすらわからない。

 

 確か神や妖怪が住んでいると言うので、妖怪に襲われる可能性はある、もしかしたら人間がいて野盗がいるかもしれない。

 

 だとすれば武器が必要だな。本当なら拳銃とかが良いが、そもそも持っていないうえに、妖怪に通用するのかはわからないし、どうやって弾丸を補給するのかもわからない。

 

 だとすれば木刀を、でも相手が刀とか槍を持っていたら折られる可能性もある。ましてや自分で壊す可能性もある。

 

 幻想郷に行って、俺が持っている武器の中で一番役に立つ物と言えば……そうだあれしか無い。

 

 大和は置いてあった鉄刀を握り締めて手に取った。

 

「これだな。あとは良い」

 

 大和専用武器『鉄刀』、全長は120センチ、重量10キロ、刃は付いておらず木刀のような形状をしている鋼鉄の鈍器、刀身は光沢のある黒色、金属で作られた長丸形の鍔が付いており、柄には黒いグリップテープが巻かれている。

 

 これさえあれば、相手が人間で刀を持っていたとしても怖くはない。例え妖怪でも撲殺することができるだろう。

 

 更に刃毀れを恐れる必要もない。ほとんど折れるような事もない。耐久性も抜群、鋼鉄なので水とか血で濡れると錆び付いてしまうが、そこは手入れして頑張ろう。

 

 俺が思う最強の武器だ。これ一本で幻想郷を戦い抜いて見せる。

 

 ついに身支度を終えた大和、それをずっと見ていた幽々子は少し不安そうな顔をしていた。

 

 たった一つだけの武器を持ってくだけで、他には何もいらないのか、よく見ればもっと生活や幻想郷で必要そうなものは沢山あるのに。と幽々子はそう思っていた。

 

「持って行くのその武器だけなの?」

 

「あぁ、これだけで十分だ。衣類とか生活用品は幻想郷で調達しようと思ってるし」

 

「そう。なら良いんだけど。」

 

 幽々子には多少不安があったが、大和がそれで良いと言うのならそれを尊重しよう。それに逆に色んな物を沢山持っていかれるよりかはマシだし、シンプルに武器だけ持っていくことも何か男らしくて良い。

 

 こうして、大和の幻想郷に行くための身支度は終わった。あとは八雲紫が屋敷にやってくるのを待つだけだった。

 

 

 

 

 

  

            《…数時間後…》

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 茶の間で座ってずっと待っていると突然異空間が開き出し、その中から八雲紫が姿を現す。

 

 やっと来た。約束通り奴がこの場所に来た。この時をどれだけ待ち望んでいたのか。

 

 八雲紫がやって来きたことがわかると、座っていた二人は立ち上がって八雲紫の前に立つ。

 

「さてと……聞きましょうか? 現代に居座るか、それとも幻想郷に行くのかを」

 

 八雲紫の選択肢に対して、まるでもう決心はついたと言わんばかりに、何の迷いもない表情で大和は答える。

 

「幻想郷に行くよ」

 

 昨日から決めていた。幻想郷に行くことを、幽々子と離れ離れになるくらいなら、現代の世界から忘れ去られることなんて苦悩ではない。いや、もう二度と帰ってこれないなら尚更構わない。

 

 もう揺らぐことも無いであろう大和の答えに対して、八雲紫は平然としながらも少し悩まさせるように釘を刺すような質問をする。

 

「本当にそれで良いの? 二度と両親にも会えないし、皆から忘れ去られるのよ?」

 

 しかし、そう言われても大和の堅い決意は変わらない。幻想郷に行くと心から決めているのだ。もし幽々子だけを連れて行って、俺だけ置き去りにしたら何をするのかわからない。発狂してひたすら暴れ回る可能性もある。一生八雲紫を恨み続けるであろう。

 

 その大和の何の曇りもない純粋で堅い決意に満ちた態度を見て、八雲紫も諦めさせるのは無理だと思ったのだろう。もう決意を揺らぐ事をさせようとは思わなくなった。

 

「俺は幽々子と一緒にいる。そう決めたから」

 

 もはや、幽々子と離れ離れにさせるのも、幻想郷に行くことを諦めさせるのは無理だと思ったのだろう。八雲紫は呆れたような表情を浮かべながら、思わず口から溜息が漏れる。

 

「決意は揺るぐことは無さそうね。」

 

「当たり前だろ」

 

 もはや決意は揺らぐことはない。現代に残りたいという気持ちは無い。どんな困難や試練が待ち受けていようとも、俺は幻想郷に行く。

 

 もはや、何を言っても幻想郷に行くだろうと、大和の堅い決意を見ると、八雲紫は呆れたような表情をしながら言葉を返す。

 

「良いわ。幻想郷は全てを受け入れる。貴方の到来を心から受け入れましょう。」

 

 その紫の言葉を聞くと、嬉しそうな顔で幽々子は自分の思うがままに大和に思いきり抱き付いて喜び、大和もやっと緊張から解放されるとホッと一息ついて微かな笑みを浮かべた。

 

「良かったわね大和っ! これからもずっと一緒にいられるのよ」

 

「そうだな。」

 

 良かった。これでずっと幽々子と一緒にいられる。寿命が尽きるまで幽々子と傍にいられる。これ以上の幸福は無いと言っても良いだろう。

 

 二人が仲良くしている間、八雲紫は少しほっとしたような表情を浮かべながら、何かを呟く。

 

「貴方達は本当に仲睦まじいわね……ちょっと嫉妬しちゃうかも……」

 

 紫は微笑みながら呟くように微かな声で言ったので、大和も幽々子も紫が何を言っていたのか、まったく聞き取ることができなかった。

 

「ねぇ紫、いま何か言ったかしら?」

 

「ううん……何も言っていないわよ、それよりそろそろ幻想郷に行きましょうか」

 

 覚悟を決めたような真剣な顔で二人がコクり頷いた瞬間、ふと肩の力を抜いて八雲紫が笑みを浮かべると二人が立っていた地面が急に謎の空間に変わった。

 

「では二名様、足元にご注意して下さいっと」

 

「……あぁ?」「……えっ?」

 

 ようやく地面が変わったことに気が付くと、そのまま二人は空間に中へと落ちていった。

 

 紫に不意をつかれて驚いているのにも関わらず大和の気持ちは解放感と爽快感に包まれて、とても清々しい気分だった。

 

 さらば、家族達、師匠、知り合った人々、そして生まれ育った現代………これでお別れだ。

 

 そして、ようこそ大和、幽々子や八雲紫、神や妖怪が住まわる幻想の楽園………幻想郷へ。

 

『現代入り篇』完。




これにて第一部完結です。読者様方、応援頂きありがとうございます。
 続きましては第二部に入ります(完結とは言いましたが、終わるとは言っていない。)
 第二部は来年から投稿します。それまでお待ち下さい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キャラクター設定・資料集
草薙大和 現代篇


身長182㎝ 体重75キロ 年齢16才  

生業 高校生 種族 人間

国籍 日本 京都

 

二つ名 怪童

 

座右の銘…勇猛果敢

 

趣味~鍛練 読書(主に格闘漫画)

 

特技~料理 家事全般

 

《好きなもの》

家族 漫画 肉料理 甘い食べ物 格闘技 日本刀 運動全般 幽々子

 

《嫌いなもの、苦手なもの》

無意味な暴力 弱い者イジメ 一種の野菜 勉強 酒 コミュニケーション 機械類 武尊 八雲紫

 

 《概要》

 この物語の主人公であり中心人物。冥界からやってきた西行寺幽々子と出会ったことにより数奇で神妙不可思議な運命と巡り合う少年。

 幼い頃から今まで常軌を逸した鍛練や修行を積んでおり、それによって超人的な身体能力と並みの人間よりも遥かに強い戦闘能力を持っている。

 

 高校生になったばかりなうえに本人は出場する気が更々ないが、もし公の場でその高い身体能力を駆使していればオリンピックの陸上十種競技で金メダルを取るほどの実力と潜在能力を潜ませている。

 

 頭脳の方は平均的で良くもなく悪くもなく、IQ100という至って普通な知能数。

 

 しかし決して最強ではなく、天敵も複数存在おり、大和本人が自ら勝てないと供述するのは師匠の御巫紅虎と兄の草薙武尊。

 

 《容姿》

 人間期

 黒髪のナチュラルショートウルフ、瞳は黒色、少し幼顔だが整った顔立ちをしている。

 見た目は恵まれた体格の高校生だが、その肉体は極限まで鍛え込まれており、身体中には大小合わせれば数え切れないほどの傷跡が刻み込まれている。

 普段はジャージ、スポーツウェアやTシャツなどの動きやすい服を好んで着るが、他にもジーパンやパーカーなどの洒落た服を着たり、胴着や和服なども着ることがある。靴は赤と黒を基調としたシューズを履いている。

 

 《性格》

 基本的に生真面目で冗談が通用せず、人一倍意地っ張りで誰よりも負けず嫌いな性格、しかし困っている人、助けを求める人を放っておけない優しさや相手を慈しむ甘い一面がある。武道家としては致命的な欠点。

 人生の目標、生涯の夢は師匠である御巫紅虎、そして兄である武尊の力量を超えること。

 

 短所は不器用なうえに短気、窮地に追い込まれたり、度を越した侮辱をされたり、大切な人に何かがあると感情的に行動してしまう。

 また強くなるため、大切な人を守るためなら如何なる努力や自己犠牲は一切躊躇わず、後先考えずに自分の命を脅かす修行を容易に行う。

 

 長年身体を鍛えることしかやっていなかったせいか、口数が少ないうえに初対面の人と話すことが苦手な傾向にある。

 

 また酒には極度に弱く、少量飲むどころか、アルコールの匂いを少しでも嗅ぐだけで理性が吹っ飛んで野生的になり、誰も手がつけられないほど悪酔いしてしまう。また場合によってはそのままぶっ倒れてしまうことがある。

 

 戦闘になると普段の性格とは打って変わって好戦的で容赦のない性格になり、闘う相手が強ければ強いほど悦びを感じる戦闘狂染みた性格になる。

 しかし誰かを傷つけるか攻撃をしてこない限り、無用な戦闘は好まないが、避けられない闘い、もしくは強者との戦闘は寧ろ自ら臨んでいく。

 その反面、相手を殺す事は好まず、また戦意を無くした相手とは闘わない。あくまで相手に勝つことにこだわり、勝利後は傷ついた相手を治療したり気遣ったりする。

 

 女性に対する耐性はあまりなく、目を合わせたり、見つめられただけで顔が赤くなる。ちなみに思春期真最中のため女性の体には結構興味を持っているらしい。

 しかし、鈍感のなところがあり、よほど相手から際どいアタックをしてこなければ気付かない。だからと言って気付いても拒否する。

 恋愛に関しては極めて一途な性格で、特に自分が惚れた女には精一杯尽くすタイプ。嫁にべた惚れして尻に敷かれるタイプ。基本的に浮気はしない。

 好みの女の子のタイプは年上、同い年、巨乳、グラマー体型、自分の全てを受け入れてくれる等など。

 

 幽々子のことは生まれて初めてできた初恋の相手だと同時にこの世で一番大切な人物だと思っている。時々喧嘩もするがそれ以上に仲が良く相思相愛の関係。

 

 料理や栄養バランスの知識、戦闘に関する知識などは誰よりも優れているが、勉強に関しては不得意で嫌いの模様。

 木材加工や図工はかなり得意で職人に近い腕前の持ち主だが、極度の機械音痴。

 

 家族や恋人、友人や知人のことを一番大切に考えており、特に肉親である両親を初め、兄弟の武尊や和生のことを大切に思っている。

 

 しかし兄の武尊とは昔から仲が悪いと思っており、良く喧嘩をしたり口論になったりする。弟の和生との仲は普通でちょくちょく機械の操作を教わったり、世間話をしたりする。

 

 

《幼少期・過去》

 幼少期は心優しく活発的で誰よりも負けず嫌いな性格であり、同い年の子達よりも体格に恵まれていた少年だった。 

 弟の和生をいじめから守るため、そして兄の武尊と毎日のように喧嘩をしており、身体には生傷が絶えることがなかった。

 古くから伝わる『草薙流武術』は代々当主となる長男のみ、つまり兄の武尊にのみ継承されることを知り、それと同時に自分は習得できないことを父親から伝えられ、ショックと兄に対して劣等感を抱いてしまう。

 そんなある日、複数人の大人を相手に喧嘩をしたところ、何もできずに完膚無きまでボコボコにされてしまい、屈辱と絶望の淵に立たされてしまう。

 もう誰にも負けないと、強くなるために努力していた日々の最中、地元で武術の指導をしていた御巫紅虎の存在を知り、兄の武尊と共にしつこく弟子入りを申し出る。

 紅虎に選ばれ弟子入りした当初は長距離ランニングや筋力鍛練など、一流アスリートでも音を上げるような体力強化と肉体強化をメインとした鍛練をさせられ、それと同時に食事も尋常ではない量を食べさせられていた。

 実戦ではステゴロや武器を持ったチンピラ、腕の立つ武術家や格闘家、果ては猛獣などを相手に、たった数年の間で数百戦以上を越える闘いを強いられ、得た知識と経験は計り知れない。

 

 

《身体能力》

 【人間期】

 優秀な遺伝子に加えて、数年間に渡る厳しい鍛練やハードなトレーニングを続けたことにより、近代オリンピック選手の身体機能を遥かに凌駕した超人的な肉体を手に入れた。

 ただしアルコールに非常に弱い体質で酒は一滴どころか、匂いすら嗅げれないほどに弱い。

・握力 両手平均約150キロ

・ベンチプレス500キロ

・人間離れした驚異的な投擲力

・45kmを全力疾走する体力と持久力、最大五分間無呼吸運動することができる心肺能力

・100メートル走を素足で十秒台で駆け抜ける脚力

・自重の七倍近くの重さを持ち上げる怪力

・超人的な瞬発力と敏捷性

・スプリンターの機動性

・バレリーナのような柔軟性

・二メートルを容易に飛び越える跳躍力

・ジャブや弾丸など容易に避ける桁外れの洞察力と動体視力

・最低一時間の睡眠で身体やメンタルの健康を保つことができるショートスリーパー

・例え致命傷を負っても一週間程度で完治させる回復能力。

・大食漢且つ超絶絶倫、食事に至っては1日に一万キロカロリーを摂取することも珍しくはない。

・肉体関係を持った女性をほぼ100%受胎させる生殖能力。

 

 

《戦闘能力・戦闘スタイル》

 《人間時》

超人的な身体能力に加えて、幼い頃から学んだ多彩な体術や剣術などの武術を扱い、真っ向勝負や戦略勝負など幅広い戦法を用いて闘う。

 相手の動きや技を瞬時に見抜き、吸収する天賦の才能を持ち合わせている。

 また相手の行動を未来視レベルで先読みする心眼を会得してからは、一部の人物達を除いて絶対的な回避力を誇る。

 例え武器がなくても状況に応じては徒手空拳のみでの戦闘が可能なので、接近戦では非の打ち所がほとんどない。

 

ただ弱点も幾つかある。

 遠距離攻撃には非常に弱く、自分の攻撃範囲外にいる相手には反撃することが不可能。

 刃物や拳銃などの殺傷性のある武器や攻撃に対して非常に弱く、一度でもまともに喰らうと致命的なダメージを負ってしまう。

 攻撃を喰らったり自分が不利な状況に陥ると冷静さをすぐに失い、相手を力で捩じ伏せようと力業や単純な攻撃戦法に走ってしまう。

 武尊や紅虎など、こちらの動きを見定めて行動を変化させる体術や、先読みした行動を一つに絞らせない古武術『くずし』などを使ってくる相手には心眼を使っても意味がない。

 

《鉄刀・黒龍丸》

 大和専用の武器。

 全長は120センチ、重さは約10キロ、刃は付いておらず、木刀のような形状をしている鋼鉄の鈍器、刀身は光沢のある黒色、金属で作られた長丸形の鍔が付いており、柄には黒いグリップテープが巻かれている。

 鉄刀の材質は純度の高い鋼鉄で出来ており、重量も強度も普通の木刀とは比較にならない。

 その頑丈さ故に鈍器系はもちろん、刃物系の刀刃を容易く砕くことができる。

 

《技能・能力》

《巫御流武術》

 師匠は巫御紅虎、あらゆる技術や動きを見て盗み、吸収していくことを原則とし、主に実戦的な古流武道をベースとした我流武術。

 打撃、投げ技、極技、絞め技、寝技など、全ての攻撃方法を扱うと同時に、古流武術を基本とした、空手、柔道、合気道、柔術、少林寺拳法、中国拳法、果ては武器術などといった、有りとあらゆる武のカリスマや技術、秘術や奥義などを吸収して日々進化していく。

 ❮習得、会得、吸収した技術❯

・武術・武道の基礎、基本的な技術

・合気…投げ技、極技

・柔術…護身術、組討、極技、古流武術

・柔道…寝技、投げ技、絞め技

・空手…打撃系

・中国拳法…少林拳、太極拳、八極拳、八卦掌など、ほとんどの中国武術

・サブミッション…関節技全般

・武器術…剣術、槍術、弓術、棒術などの武器を自在に扱う。特に剣術に関しては達人並みの腕前を持っている。

・正中線四連突き…飛び上がりながら、正中線上の急所(顔面、喉、水月、金的など)を打突する。

・胴回し回転蹴り…身体を縦回転または横回転して踵を相手の顔面に打撃する技。

・関節外し…相手の手腕や足腰の関節、果ては背骨や頸椎などを瞬時に外す。

・くずし…途中までまったく同じ動作で、相手の動きを見てから行動を変える古武術。未来視対策。

・秘拳・鞭打…全身を滑らかにしならせて放つ、ムチのような特殊な打撃。

・奥義・虎王…自らの両足を虎の下顎と上顎に見立て、飛び込んできた相手を噛み砕くが如く挟み蹴る必殺技。

・空気投げ…非常に素早い巧みな動作によって相手を崩し、衣類を持った手以外、相手には触れずに投げる技。 突っ込んで来た相手(相手が踏み込んで来たところ)を自分も踏み込み、斜め後方へ突き飛ばすように相手を投げ落とす。

・剛体術…インパクトの瞬間、すべての関節を固定し、己の体重全てを拳の一点に乗せる技。

・音速拳…各関節を同時加速させることでマッハを越えた打撃を放つ技、特徴は空中で強烈な破裂音が聞こえる。

・急所突き…50個以上ある人体の急所、それらを打撃で的確に打ち込む。

・ハートブレイクショット…相手の心臓にピンポイントでコークスリューブローをヒットさせることで相手の体(時間)を瞬間的に止めることができる。

・デンプシーロール…、上半身を∞の軌道で振り続け、身体が戻ってくる反動を利用した左右の連打。

 

 

《巫御流剣術》

 巫御流武術の一つ、あらゆる達人の技術や動きを吸収していくことを原則とした巫御流の剣術。

 現代では巫御紅虎や兄の武尊を師匠に教わっている

 ❮剣技・技術❯

・基礎・基本…剣術の基礎や基本的な技

・飛燕…高速の突き技。

・武器殺し…相手の武器に対して刀を連続で叩き付けることで、武器そのものにダメージを与えて破壊する技。

・受け流し…相手の攻撃に対して力で逆らわずに刀で威力を受け流す技術。

 

《心眼・見切りの境地》

 五感と直感・第六感を極限まで鍛えたことで会得した最速の感覚、見えないものが見える仏の境地。

 五感や精神を研ぎ澄ますことで、その先の言動や行動を無意識に超高精度で先読みを行い、その先の未来を見通す事ができる。

 

《極限の集中力(ゾーン)》

 他の思考や感情、周囲の風景や音などが意識から消え、視覚や聴覚などの感覚が極限まで鋭くなり、活動に完璧に没頭することができる特殊な意識状態になる。

 時間感覚が物凄く歪み、イメージ通りの最高のパフォーマンスができるようになる。

 

《脳内麻薬(エンドルフィン)》

肉体的苦痛がある一定を越えたとき、もしくは死ぬ寸前まで追い込まれた時に分泌させる脳内物質、全ての苦痛が完全に取り払われると同時に身体能力が極限まで向上する。

 

《天賦の戦闘センス》

相手の技や動きを瞬時に見抜き、そのまま自分のものとして吸収する天性の才能。

 己の技量を越えない限り、一度見た動きと技であれば大抵は完璧に習得することができる。

 

《未知数の潜在能力》

 瀕死の重傷を負って窮地に立たされたり、高度な戦闘を繰り返せば繰り返すほど身体能力や戦闘能力が上昇し、技のキレが増していく。

 

《雄の魅惑》

 生まれつきの体質、女性を恋に墜とす魅了(チャーム)、多量に分泌される性フェロモンによる異性への誘惑。草薙大和と対峙した女性は彼に対する強烈な恋愛感情を懐く。

 

 

体力測定

(人間期)

ベンチプレス 500キロ

背筋力 400キロ

握力 右150 左150

立ち幅跳び 5メートル

反復横跳び 90回

上体起こし 60回

長座体前屈 80㎝

垂直跳び 140㎝

ソフトボール投げ 推定100メートル以上

1500m走 3分40秒

20mシャトルラン 247回

50m走 5.10秒

100m走 10.20秒



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

西行寺幽々子

身長160cm 体重??? 

種族 亡霊 年齢1000歳以上

 

二つ名…幽冥楼閣の亡霊少女

 

《好きなもの》

食べること 短歌を歌うこと 大和

 

《嫌いなもの》

不老不死 雀(小骨が多いから) 断食 稽古

 

能力~死を操る程度の能力

 

特技~大食い 

 

趣味…???

 

 《概要》

 冥界にある「白玉楼」の主で、1000年以上前から住んでいる亡霊。西行寺家のお嬢様。亡霊だが足はある。

 ある日突然現代に現れ、公園で不良にナンパされてたところを偶然通り掛かった草薙大和に助けられる。

 それから困っていたところを色々事情を聞かれた上で大和の実家である草薙家のお世話になる。

 

 《容姿》

 雪のような白い肌に綺麗な桃色のミディアムヘアー、見惚れてしまいそうな美しい顔立ち。水色と白を基調としたフリフリっぽいロリィタ風の着物に頭には裾がフリル状になった水色のナイトキャップを被っている。靴は青いリボンの着いたパンプスを履いている。

 

 《性格》

柔らかい態度で非常にマイペースな性格。飄々としており、そのふんわりとした言動から真意が掴みにくいキャラ。幻想郷の実力者に共通する気風ではあるが、幽々子は特にその傾向が強い。

 胡散臭いとかいう割に色々教えてくれる紫なんかよりずっと何を考えているのかわからない亡霊。

 柔和な雰囲気を醸しているため、誰でも懐いてしまう人を惹く性質がある。

 そんな呑気さとは裏腹に、相当の切れ者であり物事の本質を掴む能力に長ける。

 とある異変では、現場検証などの判断材料なしで事態の全体を把握したり、真っ先に黒幕を突き止めるなど、頭の回転が速いと同時に、勘に優れていると思われる。

 

 恋人である大和の事を生まれて初めてできた初恋の相手だと同時にこの世で一番大切な人物だと思っている。時々喧嘩もするがそれ以上に仲が良く相思相愛の関係。

 

《主な身体能力》

 本作品ではその実力は発揮されていないが、かなり高いと評されている。

 中でも胃袋に関しては底知れず、限界までどれだけ食べれるのかは不明。本作では一日に食費が十万掛かった描写がある。

 

《能力》

『主に死を操る程度の能力』

文字通り抵抗なく生物を殺す能力。だが蓬莱人には効かない。

この能力によって殺された者の幽霊は幽々子の支配下に置かれ、成仏することが出来ない。

この能力は幽々子の生前の能力が発展したものである。

 今作品では一度しか使ったことがない。

 

『剣術・薙刀術』

 何処の流派なのかは不明、しかしかなり古いものだと推測され、古流武術の一種の可能性が有り得る。

 その実力は大和を圧倒し、本気を出しても苦戦するレベル。しかし本人はかなり稽古をサボっていたので、ほとんど天性の才能で剣術を扱っている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

草薙武尊

身長189センチ 体重85キロ

年齢20歳 種族 人間 

国籍 日本 京都

 

二つ名…無冠の武芸者 三十一代目草薙家当主

 

座右の銘…兵戈槍攘

 

趣味・特技…酒飲み 勉学 戦闘

 

好きなもの…旨い飯 強い女 綺麗な女 肴と酒 戦うこと 相撲 

 

嫌いなもの…不完全、半端な武芸 退屈な日常 禁酒 家事全般 機械類

 

《概要》

 大和と和生の兄であり、事実上本家草薙家三十一代目当主。古武術及び草薙流武術を使い手とする人物。身体能力、頭脳、全て含め歴代草薙家最強最高の男。

 

 御巫紅虎の数少ない友人の一人でもある。

 

 超人的な身体能力と高純度の武術を重ね揃えた非常に高い戦闘能力を持っており、御巫紅虎曰く「才能は大和に勝り、実戦や殺しで彼の右に出るものはいない」と言わせるほど。

 しかし、その馬鹿げた戦闘能力を知る者はごく一部の人物だけであり、そのため世間や公には広まっておらず、武尊を知っている者達からは、その圧倒的な強さと何の位も栄誉も持っていないうえの知名度の無さから『無冠の武芸者』の異名で呼ばれている。

 

 また本人は出場してはいないが、もし怪物的な身体能力を公で駆使していればオリンピックの陸上十種競技で金メダルを取ると同時に世界記録を塗り替えてしまうほど。

 

 また頭脳も非常に明晰且つ優秀で、本人は面倒臭いという理由で行かなかったが、その気になれば自力で東大に入れるレベルの知能と学習能力を持っている。

 

 弟達とは違って常人離れの大酒豪であり、更に無類の酒好きでもある。 

 

 飲みに行ったりナンパする性質上、色んな女の子の友達が多く、兄弟の中で一番女友達が多い。しかし面倒という事で肉体関係は持たない。

 

 サバイバル能力が非常に高く、大の得意としているが、その反面で生活能力が皆無に等しく、家事全般が不得意であり、本人もそれを自覚している。

 

 

《性格》

 自由奔放で多少口は悪いが、優しい一面もあり非常に仲間思い。愛嬌があって面倒見も良く、良くも悪くも陽気でさっぱりとした性格をしている。また大の女好きでもある。

 

 数多の人を引き付け仲間とする高いカリスマ性を持ち、更に来る人を拒まず去るもの追わない。

 

 頭脳の方も極めて優秀で、平均IQ186という高い知能と学習能力を備えており、更に経済手腕と采配が天才的、また頭の回転が非常に速い。

 

 弟の大和とは違って、決して純粋ではなく、不意打ちや奇襲を仕掛けること、暗器や毒を使うこと、裏工作や汚い手段を汚く悪い事だと理解していても、それが必要ならやってしまえるずる賢さを持っている。

 

 力、強さに対しての執着心と欲求は非常に貪欲であり、自分が強くなるためなら何でもする筋金入りの武術家でもある。

 

 常に己の武芸と身体能力は最強だと自負しているが、しかし御巫紅虎の底知れない技量と戦闘能力には一目置いており、決して自分が世界最強の男だとは思っていない。

 

 女性の関係に関しては非常に貪欲且つ肉食系、綺麗、可愛いと思った女の子を見ると積極的に口説いたりする。年上だと30代から年下になると18才と好みの年齢層は幅は広い。しかし高校生や成人してない女の子は手を出さない主義。決してロリコンではない。

 

 大量の酒を飲んで酔っ払うとハイテンションになり、誰も手がつけられなくなってしまう。

 

 普段は気さくな性格だが、戦闘に関しては非常にシビアで冷徹、そのうえ好戦的で戦いと言う行為そのものに歓喜を感じる戦闘狂であり、例えどんな相手だろうと決して容赦や躊躇いなどしない。また敵対した相手を殺すことに何の躊躇いもない。

 また、自分が習得し極めた武芸に絶対的な自信と信頼を持つと同時に、不完全で半端な武芸に対して嫌悪感と怒りを見せたりする。

 

 上の弟である大和とは色々あって複雑な関係だが、下の弟の和生とは特に何もなく普通に仲の良い兄弟関係を築いている。

 また大食漢で大の酒好きであり、旨い飯と旨い酒を渡せば大体は上機嫌になる。

 

《容姿》

 長身な背丈に筋骨隆々で超筋肉質な肉体、整った顔立ちをしている好青年、瞳の色は黒色。

 特徴的なツンツンと逆立った黒い長髪、背中まで伸ばした後ろ髪を一束に纏めている。

 私服は基本的に和服で、茶色の着物のうえに紺色の羽織を羽織り、下は灰色の袴を履いている。履き物は雪駄。

 

《身体能力・戦闘能力》

 極めて優秀な遺伝子に加えて、幼い頃から努力していた厳しい鍛練やハードなトレーニングを長年続けたことにより、近代オリンピック選手の身体機能を遥かに凌駕した超人的な肉体を手に入れた。

 知能と学習能力も並外れて高く、並の人間とは比較にならないほど。

 最高の知能と最強の身体能力を重ね揃えた、草薙家最高の傑作であり、正真正銘の怪物。

・握力 両手平均180キロ

・ベンチプレス550キロ

・100メートル走を素足で九秒台で駆け抜ける脚力

・自重の八倍近くの重さを持ち上げる怪力

・最高クラスのへヴィ級ボクサーを超える瞬発性

・スプリンターを上回る機動性

・アマチュアレスラーの柔軟性

・大食漢且つ超絶絶倫、食事に至っては1日に一万五千キロカロリーを摂取することも珍しくはない。

・42.195kmを全力疾走する体力と心肺能力

・マンモスを絶滅させる投擲能力

・平均IQ186の知能と学習能力

・食べた物を即座に使う消化吸収力

・その手の触覚はあらゆる芸術的な道具を生み出す。

・術理を理解して達人のように扱う。

・渡り鳥やイルカのように、数秒だけ寝たり体の一部だけ寝るという体質を備える。

・その反応速度は電気的な限界である『0.1秒』。

・肉体関係を持った女性をほぼ100%受胎させる生殖能力。

 

 戦闘スタイルは剣術や長巻術、また体術を使用した白兵戦、弓や手裏剣などを使用する中遠距離戦をメインとしているが、毒や暗器などを使って奇襲を仕掛ける隠密戦や乗馬しながら闘う騎馬戦など、幅広い戦術を得意としている。

 武尊の戦闘に関する最大の特徴は、天下無双の戦闘能力はもちろん、未来視レベルの先読みをすることができる心眼の絶対的な回避力、そして幾ら攻撃を喰らっても決して倒れずに戦闘を続行する圧倒的な耐久力にある。

 また相手の技術や技などを瞬時に自分のものにする高い学習能力と吸収力を持ち合わせている。

 

《技能・異能力》

『草薙流武術』

 草薙武尊が習得した十八種の古武術。古くから伝わる草薙家の帝王学とも呼べる武術。

 その内容は血と業で積み上げられた殺人技術の集大成であり、決して綺麗なものではない。

 実戦、殺し合いを目的としているため、捕縛術を除けばほとんどの武芸が殺傷力の高い技術や危険な技で構成されていると言っても過言ではない。

 白兵戦、中遠距離戦、水中戦、騎馬戦、銃撃戦、隠密戦など、あらゆる戦闘に対応することができる。 

 主な武芸

剣術・二刀術

居合・抜刀術

薙刀術・長巻術

槍術

弓術・射術

馬術・騎馬術

水術(泳法術)

棒術・杖術

鎖鎌術

暗器術(寸鉄・分銅鎖・鉄拳・角指など)

手裏剣・投剣

含針術(吹針術・打針術)

十手術・鉄扇術・鉄鞭術

柔術・体術・格闘術

小具足・甲冑術

捕手術・捕縄術・もじり術

忍術(隠形術)

砲術

 

《心眼・仏の境地》

 過酷な修行の末に会得した最速の感覚、見えないものが見える仏の境地。

 五感と集中力を研ぎ澄ますことで、その先の言動や行動を無意識に超高精度で予知を行い、先の未来を見通すことができる。

 

体力測定

ベンチプレス 550キロ

背筋力 490キロ

握力 右180 左180

立ち幅跳び 7メートル

反復横跳び 140回

上体起こし 60回

長座体前屈 80㎝

垂直跳び 170㎝

ソフトボール投げ 推定100メートル以上

1500m走 1分50秒

20mシャトルラン 247回以上

50m走 4.10秒

100m走 9.20秒



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

草薙和生

身長172㎝  体重65キロ 年齢16才

生業 高校生  種族 人間→???

 

二つ名 喧嘩狂い 無慈悲な狙撃者

 

座右の銘…正確無比

 

趣味・特技~暗算 瞬間記憶 射撃 勉強全般 雑学 武器整備 武器収集

 

好きなもの

探究心を燻るもの 読書 喧嘩 辛いもの

 

嫌いなもの、苦手なもの

大和 料理 酒 家事全般 お菓子 陰口

 

危険度 高

 

人間友好度 中

 

《概要》

 草薙大和の双子の弟、大和の事は兄貴、武尊の事を大兄貴と呼んでいる。

 家事や料理を除けば、勉強や運動など基本的に何でも人並み以上にできる天才タイプ。頭脳が非常に優秀で特に計算や暗記などの理数系がずば抜けて得意。また一度見たものは瞬時に記憶することができる。

 本人は行く気は全くないが、その気になれば東大レベル大学に行けるほどの高い頭脳と知能を持っている。

 機械類の扱い方や操作が大の得意で、兄の大和や武尊にパソコンやスマホの簡単な扱い方を教えたりしている。

 本人は不得意だと気付いてはいないが、食べた人を死に至らしめるほどに料理が下手。ただし見た目はとても綺麗な模様。

 酒類に非常に弱く、匂いを嗅いだだけでも酔い潰れてしまい、少量飲むだけでぶっ倒れてしまう。

 

《容姿》

 黒髪のナチュラルショートで眼鏡をかけている。双子な訳あって雰囲気や顔立ちは大和にそっくりだが、目付きや眉などが兄とは異なる。

 服装は灰色のTシャツのうえに紺色のジャケットを重ね着し、下半身は青色ジーンズに黒いスニーカーを履いている。

 他にも戦闘用の服もあり、迷彩服や防弾チョッキを着用し、バックパックを用いたりする。

 

《性格》

 冷酷且つ凶暴で極悪非道な一面もあれば、明るく理知的な一面もある、二面性の性格の持ち主。

 普通、好きな人には優しく接するが、嫌いな人は極度に嫌悪し徹底的に悪事を働くなど、性格は非常に極端且つ露骨で分かりやすい。

 

 頭脳が非常に優秀で、平均IQ180という知能と学習能力を備えている。

 

 多種多面の知識を得る事が大好きで、暇さえあれば読書や調べ物をしている。

 また銃やナイフなど、実践で扱える武器を集めたり改造するのが趣味で、特に銃などは威力や殺傷能力を高める違法改造をしている。

 

 幼い頃から双子の兄である大和を信頼し尊敬しているが、それと同時に嫉妬や劣等感を抱いている。

 一番上の兄である武尊とは普通に仲が良く、劣等感や嫉妬などの感情は持っていない。ただ脅威的な戦闘能力を持っているためか、決して敵に回したくない人物だと思っている。

 

 短所も幾つかある。

 自分本位且つ気まぐれで、人の言うことを基本的に聞かない自己中心的。

 非常に喧嘩早くて凶暴、売られた喧嘩を買うのはもちろんのこと、機嫌が悪い時は自ら喧嘩を吹っ掛けることが多々ある。

 自分の思うように事が進まないとイラついたり、冷静さを失ったりする。

 

 戦闘に関しては一方的で無差別な闘いを好み、無慈悲で残虐非道な行為を容易に行う。また相手が敵だと感知すれば強者弱者関係無しに、容赦も躊躇なく攻撃を加えて、必要以上に加虐的になる。 

 

 

《身体能力》

長年の近代的トレーニングと武尊の並外れた稽古によって、兄の大和には劣るものの、常人離れした身体能力を誇る。

 また最大の特徴であり本人の真骨頂とは極めて高い頭脳や知能にあり、平均IQ180ある。

 胃袋は常人離れした収縮性と柔軟性を重ね揃えており。基本的に必要最低限の食事、もしくは一般的な量の食事で十分満足できるが、フードファイター並みの食事も可能。

 ただし兄の大和とは違い、太らない体質なので、どんなに食事を過剰摂取しても体重は増えず、ウエイトを増やすのはかなり難しい。

・握力 平均80キロ

・100メートル走を十三秒台で駆け抜ける脚力

・ベンチプレス150キロ

・平均IQ180の知能と学習能力

 

《戦闘能力》

 普段は並外れた身体能力と体術を活かした白兵戦をメインとしており、ナイフなどの武器も使用する。

 また投げナイフなどの投擲武器や銃による中遠距離の攻撃に長けており、特に本人は銃撃戦を得意としている。

 

 

《装備・武器》

 銃系統は本物ではないが、実戦で使うためにガスガンやモデルガンなどを違法改造して、殺傷能力や耐久力を高め、本物に近い仕上がりにしている。

『M1911M1 』

『サムライエッジ』

『デザートイーグル』

『コルトパイソン』

『89式小銃』

『H&K MP5』

『AA-12ショットガン(ドラムマガジン)』

『H&K PSG-1』

 

『大型サバイバルナイフ・小型ナイフ』

 戦闘では接近戦や投擲武器として使用するもの、またサバイバルなどの非常事態にでも十分使える。

 大型は2本、小型は20本持ち合わせている。

 

『マーシャルナイフ』

 刃渡りが60㎝ある黒刃の大型ナイフ、剃刀のような切れ味と鉈の重量感を重ね揃えた特注品。二本持ち合わせている。

 

《技能》

 

『自己流格闘術』

 多彩な攻撃方法を自在に操り、あらゆる武術や格闘術を吸収して進化させる武術、主に実戦で使用できるような技や殺傷能力が高い技術を吸収する。

 また銃火器やナイフなどの武器術にも精通しており、接近戦のみならず中距離戦も得意とする。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

御巫紅虎 現代篇

身長168㎝ 体重55キロ 年齢30歳

生業 元殺し屋 医者  種族 人間 

 

二つ名 パクリ屋 世界最強 殺しの芸術 虎の中の虎

 

座右の銘…活殺自在

 

趣味~医学研究 針ツボ 観戦

 

特技~武術 模倣 応急手当 薬膳料理

 

好きなもの

中華料理 鍛練 人体研究 一流の者

 

嫌い、苦手なもの

二流以下の者 誇りや気概のない者 恥知らず 人質を取る者 自分に好意を持つ女性 女装

 

危険度 極高

 

人間友好度 高

 

《容姿》

艶やかな黒髪のセミロング、瞳の色は黒色、容姿は中性的且つ可憐な顔立ちをしている。一見お淑やかな女性のような外見をしているが立派な男性。

 医者なので基本的に衣服は主に白衣を着ている。

 

《性格》

 普段は笑顔を絶やさず、誰に対しても社交的で物腰柔らかな人物だが、気まぐれでいたずら好きな一面もある。

 知り合いや仲間達とは良好な関係を常に保つ柔軟な思考の持ち主。 特に大和の父と兄の武尊とは非常に仲が良く、信頼している。

 

 それとは裏腹に、思考や態度では厳しく冷酷な一面があり、笑い顔もしくは真顔で怖い発言を平然と放ってくる。

 一流の人間には好意的で友好的な態度を取るが、それ以外の人間には冷たい態度を取る。

 元殺し屋であったため、修羅場や死と隣り合わせの状況には慣れ過ぎており、余程のことがなければ取り乱すことはない。

 

《概要》

 大和の武術の師匠であると同時に、世界で最も恐れられていた元殺し屋であり、自他共に認める最強の実力者。

 過去に裏社会で殺し屋をしていたが、ある事情から殺し屋の仕事をやめて医者に転移し、副業で女子供のための武術の指導もしていた。

 歴史を辿ると草薙家の分家であると同時に遠い親戚であり、天性の模倣能力は大正時代に存在した模倣が得意な祖先の血筋だからである。

 能力の詳細は不明だが、相手の能力を使えるような描写が描かれている。

 

《身体能力》

中性的な見た目且つ純粋な人間とは裏腹に高い身体能力と生命力を誇り、生身の人間の中では最高クラスの身体能力と言っても過言ではない。更に動体視力や洞察力もずば抜けて優れており、余程のことがなければ見逃さない。

 また、東洋医学によって人体に秘められた潜在能力を解放したり、痛覚を麻痺させることが可能。

 

《戦闘能力・戦闘スタイル》

 妖怪にも匹敵する驚異的な身体能力とあらゆる武術や体術に加えて異能力を自在に扱い、主に相手の技術や能力をコピーしながら戦う。

 また心眼を開眼させており、未来視レベルの先読みをすることが可能なので、絶対的な回避力を誇る。

 基本的に素手と能力で闘うが、武器を稀に使って闘ったりもする。主に好んで使う武器は三節根

 さらに能力が封じられようとも、生身で妖怪などの人外を軽々と倒すことができる

 

 

《技能》

《◆◇◆程度の能力》

 能力や詳細は不明。しかし本人の言動や描写から相手の能力を使える可能性がある。

・デス・マス…自分の言ったことを対象に禁じる精神操作。

・境界を操る程度の能力…八雲紫の能力

 

《天性の模倣(コピー)》

 御巫紅虎が生まれ持っている天性の才能。

 一度見たことがある相手の技や動きを完全再現することができる。ただしコピーする相手の肉体レベルが自分以上だと劣化する。

 

《御巫流武術》

何処の流派にも属さず、この世に存在する有りとあらゆる武術や業を吸収して混ぜ合わせ、実戦に特化させた自己流の武術。 使用者は創始者の御巫紅虎と弟子の草薙大和のみ。

 また徒手空拳のみならず、武器術の扱いにも優れており、銃火器はもちろん、刀剣類、棒、槍、飛び道具などの武器を自在に使用する。

〈主な技〉

・武術・武道の基礎、基本的な技術

・合気…投げ技、極技

・柔術…護身術、組討、極技、古流武術

・柔道…寝技、投げ技、絞め技

・空手…打撃系

・中国拳法…少林拳、太極拳、八極拳、八卦掌など、ほとんどの中国武術

・サブミッション…関節技全般

・武器術…剣術、槍術、弓術、棒術などの色んな武器を自在に扱う。

・正中線四連突き…飛び上がりながら、正中線上の急所(顔面、喉、水月、金的など)を打突する。

・胴回し回転蹴り…身体を縦回転または横回転して踵を相手の顔面に打撃する技。

・関節外し…相手の手腕や足腰の関節、果ては背骨や頸椎などを瞬時に外す。

・くずし…途中までまったく同じ動作で、相手の動きを見てから行動を変える古武術。未来視対策。

・秘拳・鞭打…全身を滑らかにしならせて放つ、ムチのような特殊な打撃。

・奥義・虎王…自らの両足を虎の下顎と上顎に見立て、飛び込んできた相手を噛み砕くが如く挟み蹴る必殺技。

・空気投げ…非常に素早い巧みな動作によって相手を崩し、衣類を持った手以外、相手には触れずに投げる技。 突っ込んで来た相手(相手が踏み込んで来たところ)を自分も踏み込み、斜め後方へ突き飛ばすように相手を投げ落とす。

・剛体術…インパクトの瞬間、すべての関節を固定し、己の体重全てを拳の一点に乗せる技。

・音速拳…各関節を同時加速させることでマッハを越えた打撃を放つ技、特徴は空中で強烈な破裂音が聞こえる。

・急所突き…50個以上ある人体の急所、それらを打撃で的確に打ち込む技術。

・虎口拳…親指と人差し指の付け根を使って、縁道と呼ばれる鼻と眉毛の間を強打させる技。その効果は数瞬だが、視力と思考力が失われ、次の攻撃をまともに受けることになる。

・発勁…中国武術に伝わる技術の一つ。寸勁や浸透勁などいろんな言い方がある

 体内に強いショックを伝えることにより、内臓等に深いダメージを与える。

・経絡秘孔…要所(秘孔)を突くことにより敵を破裂させたり、人体を強化することができる技。なお秘孔は708個が発見されている。

・0.5秒の無意識…人間の意識の処理が0.5秒遅れるのを利用し、無意識になっている0.5秒の間に攻撃することで相手には何が起こったのか理解できない

・消力(シャオリー)…中国拳法の高級技、人間の本能を克服し、極限の脱力(リラックス)状態となることで己の肉体を軸に周囲の力の流れを完全に読み取りコントロールする。

 防御面では打撃など外部からの威力を完全に吸収して無効化、攻撃面では弛緩と緊張の振り幅を最大限に活かすことで、人知を超えた驚異的な破壊力のある打撃を生み出す。

 

 

《心眼・仏の境地》

 過酷な修行の末に会得した最速の感覚、見えないものが見える仏の境地。

 五感と集中力を研ぎ澄ますことで、その先の言動や行動を無意識に超高精度で予知を行い、未来を見通すことができる。

 

《東洋医術》

漢方薬や薬膳、鍼灸など中国から伝わった医術を主に扱う、治療として使用するのはもちろん、禁断の漢方や経穴によって人体に秘められた潜在能力を極限まで引き出したり、逆に破壊したりすることができる。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

草薙家 両親

草薙 京介

 

身長187㎝ 体重95キロ 年齢38才  

生業 自営業 種族 人間

国籍 日本 京都

 

二つ名 草薙家の最高傑作 三十代目草薙家当主

 

座右の銘…属毛離裏

 

趣味~読書 妻と愛を深め合うこと

 

特技~武術 勉学

 

《好きなもの》

妻の優子 妻の手料理 家族

 

《嫌い、苦手なもの》

家族に害する者 妻を狙う者

 

危険度 中

 

人間友好度 高

 

 《概要》

 大和、和生、武尊、三人の父親であり本家草薙家三十代目当主。また草薙流武術の使い手。

 

 御巫紅虎の数少ない友人の一人。

 

 自営業をしているが、その規模はというと国内はもちろんのこと、海外とも交流や交渉を持ち掛けており、その年収は数十億を越えている。

 

 長男であり次期当主でもある武尊に草薙家の帝王学とも呼べる『草薙流武術』を継承している。また次男の大和も『草薙流武術』を相伝してほしいと自ら言ってきたが、伝えることができるのは長男であり時期当主になる兄の武尊のみだけだと諦めさせた。

 

 作中ではあまり出てこないので凄さがわからないが、怪物的な身体能力と優秀な頭脳を重ね揃えたで超人の一人であり、常人を超越した人間である。

 

 《容姿》

 黒髪黒眼、左右対称の黄金比を備えた「整った顔」と、均整の取れた肉体をしている。

 長身な身丈に超が付くほどの筋肉質な肉体、その肉体はギリシャの彫刻を彷彿させるような美しく強靭な姿をしている。

 普段着ではジーンズを履いたり長袖を着たりしているが、仕事だと黒いスーツに赤いネクタイを巻いている。

 

 《性格》

 普段は温厚且つ穏やかで誰に対しても丁重な態度で振る舞う紳士的な性格。

 知人や家族の事を大切にしており、この世で一番掛け替えのないものだと思っている。

 

 極度の愛妻家で妻の優子にべた惚れしており、数日間顔を会わせないだけで正気を失ってしまうほどに溺愛している。

 妻の優子と一緒にいる時間が一番幸せであり、何よりも大切にしている一時でもある。

 ただし自分の体質上、女性をほぼ100%受胎させてしまうので夜の営みは極力控えており、また最近は妻も相手にしてくれないので欲求不満な一面がある。

 

 戦闘に関しては非常にシビアで冷徹、また敵だと認知したら徹底的に叩き潰す容赦の無い性格になる。

 稽古になると温厚で穏やかな性格とは打って変わって非常に厳しく冷酷で、相手が動かなくなるまで限界まで稽古を続けるほど。

 

 《身体能力・知能》

 900年という長い年月を掛けて人間を品種改良した極めて優秀な遺伝子に加えて、幼少期から想像を絶するほどの訓練を積んだことにより近代オリンピック選手の身体機能を軽く凌駕した極めて高い身体能力を持っている。

 また頭脳も極めて優秀であり、平均IQ180という高い知能と学習能力を備えている。

 つまり最高の頭脳と最強の肉体を重ね揃えた超人。

・握力 両手平均140キロ

・ベンチプレス450キロ

・100メートル走を素足で十一秒台で駆け抜ける脚力

・自重の五倍近くの重さを持ち上げる怪力

・42.195kmを全力疾走する体力と心肺能力

・平均IQ180の知能と学習能力

・食べた物を即座に使う消化吸収力

・その手の触覚はあらゆる芸術的な道具を生み出す。

・術理を理解して達人のように扱う。

・渡り鳥やイルカのように、数秒だけ寝たり体の一部だけ寝るという体質を備える。

・その反応速度は電気的な限界である『0.1秒』。

・肉体関係を持った女性をほぼ100%受胎させる生殖能力。

 

 《技能》

『草薙流武術』

 草薙京介が習得した十八種の古武術。古くから伝わる草薙家の帝王学とも呼べる武術。

 その内容は血と業で積み上げられた殺人技術の集大成であり、決して綺麗なものではない。

 実戦、殺し合いを目的としているため、捕縛術を除けばほとんどの武芸が殺傷力の高い技術や危険な技で構成されていると言っても過言ではない。

 白兵戦、中遠距離戦、水中戦、騎馬戦、銃撃戦、隠密戦など、あらゆる戦闘に対応することができる。 

 主な武芸

剣術・二刀術

居合・抜刀術

薙刀術・長巻術

槍術

弓術・射術

馬術・騎馬術

水術(泳法術)

棒術・杖術

鎖鎌術

暗器術(寸鉄・分銅鎖・鉄拳・角指など)

手裏剣・投剣

含針術(吹針術・打針術)

十手術・鉄扇術・鉄鞭術

柔術・体術・格闘術

小具足・甲冑術

捕手術・捕縄術・もじり術

忍術(隠形術)

砲術

 

 

 

草薙 優子

 

身長165㎝ 体重53キロ 年齢37才

生業 自営業 種族 人間

国籍 日本 京都

 

趣味・特技…料理 家事全般 勉学 空手 合気道

 

好きなもの…家族 

 

嫌いなもの…自分に好意を持つ男

 

 《概要》

 武尊、大和、和生、三人の母親。本家草薙家三十代目当主京介の妻でもある人物。

 

 《容姿》

 髪と瞳の色以外は西行寺幽々子の容姿に似ている。

 

 《性格》

 普段はお淑やかで清楚な人物だが、本性はお転婆で高飛車な性格をしている。あと誰よりも負けず嫌い。

 非常に頭が良くて賢く、特に人の本質を見抜ける洞察力を持っており、人を見ることには長けている。

 夫が好きだが、それよりも子どもたちのことを大切に思っており、自分の宝物、掛け替えのない子どもたちと思っている。

 

 《技能》

『空手・合気道』

 幼い頃から空手と合気道を学んでおり、その実力はというと両方黒帯を持っており、実践でも本気で殺しに掛かってくる大の男を簡単に倒してしまうほどの強さを持っている。

 

『IQ120の知能と学習能力』

 東大学生並の平均IQを持っており、また極めて優秀な知能と物事を瞬時に理解し吸収する学習能力を備えている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

風間(風魔) 獣蔵

身長184㎝  体重75キロ

年齢17才  種族 人間 

生業 高校生、風魔家若頭

 

趣味・特技…ダーツ 我慢比べ

 

好きなもの…強い標的 辛い物

 

嫌いなもの…命乞い 裏切り

 

 

《概要》

 今作品のボス枠。

 表向きは大和と同じ高校に通う高校生だが、裏では数多の忍者集団を率いる風間(風魔)家の若頭。 直属の部下は総勢30人おり、一人一人の戦闘力は人間離れしている。

 幼い頃から父や祖父などの肉親に忍術や風魔家代々伝わる教えを叩き込まれたことで、忍者、暗殺者としては一流の腕を誇る。

 生まれ持っての心眼を持つ強者であり、少し先の未来を見通すことができる実力者。

 父親を通じて八雲紫から雇われ、莫大な財宝を前払いに、大和と武尊と和生の抹殺、そして幽々子を確保する仕事を申し込まれた。

 

《容姿》

 黒い短髪に紺色の鉢巻を頭に巻いて、恵まれた体格と端麗な顔立ちが特徴。ニッコリ笑うと絶妙に間抜けな印象になる。 

 日常では様々な種類の衣服を着ているが、仕事になると黒い着物と袴、黒い手甲と脚絆を身に纏い、多種多様の武器を装備する。履き物は草鞋。

 何時如何なる時でも戦闘を行えるように、衣類や持ち物には多数の隠し武器が仕込んである。

 

《性格》

 普段は穏やかで人当たりの良い性格だが、標的や敵対者に対しては極めて冷酷になり、無慈悲で容赦のない性格になる。

 仲間や部下を大切に思い、部下からの信頼も厚いが、目的や仕事の足手まといになったり、または裏切れば迷いもなく切り捨てる。

 生まれつき感覚が非常に鈍い体質で、特に味覚と痛覚がないに等しい。また死に対する恐怖心も一切感じない。

 目的や使命、仕事に関して責任感が非常に強く、任務達成のためなら、例えどんな外道な手口や卑劣な手段でも何の躊躇いもなく使う。

 

《戦闘能力》

 基本的に不意打ちや奇襲、多種多様な武器や忍術を扱い、多数の仲間を率いて戦闘を行う。

 また必要であれば飛び道具や毒、人質を取ることすら躊躇うことはない。

 武器に関しては殺傷能力が高い武器であれば基本的に何でも使う。

 しかし、パワー、スタミナ、肉体の頑丈さなど、身体能力は大和に匹敵するほど非常に高く、その中でも敏捷性に関して常人離れしている。

 また自分が認めた相手にだけ、己の体ひとつで真っ向から戦いを挑みにいく。

 最大の特徴は生まれた頃から見切りの境地に達しており、少し先の未来を見通すことができる。

 

 

❮余談❯

 学校では普通の食べ方をしているが、感覚と味覚が無いに等しいため彼本来の食生活は常人には理解できない程に狂っている。

 カプサイシンそのものを平然とした表情で食べたり、誰も食べれない不味そうな料理を簡単に平らげたりする。

 また、食事はまとめて早く食べる主義で、一人の時にはごはんやおかずや味噌汁、果てはデザートなど、飲み物以外の料理を全部混ぜて食べる変食家。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部『幻想郷篇』
一話 白玉楼へと


明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
 予定通り、第二部、幻想郷篇の開幕です。


《冥界・白玉楼付近》

ついに大和は現代を離れて幽々子と一緒に幻想郷にやっては来たが、八雲紫の操る空間の中に入って幻想郷に向かう行き方は最悪なものだった。

 

 まずやっと空間を抜けるとその先に待っていたのは少し離れた地面で、大和はすぐに対応も判断することもできずにそのまま身体が地面に叩きつけられると、最後に止めの一撃として決してわざとではないが幽々子が大和の背中に勢い良くお尻からダイブして来ると、苦痛の色を見せながら大和はうつ伏せで倒れた。

 

 幸い最後に空間から降りてきた幽々子は無傷のままだったが、最初に降りてきた大和の身体はすでにボロボロの状態

 

 そしてやっと幽々子は自分が大和の背中に乗っていることに気が付くと、心配した顔で慌てながら話しかけた。

 

「どうしたの大和!? なんでそんなに傷だらけなの!?」

 

「頼むから……早く降りてくれ……」

 

 そう言うと幽々子は急いで大和の背中から降りて立ち上がり、そのあとも大和も周りを見渡しながらゆっくりと立ち上がった。

 

 もう夜なので薄暗い紺色の空で広がり雲が所々に見える、ふと見上げてみれば綺麗な満月が空に昇っている、辺り一面見渡す限りほとんど森林で自分達以外の人の気配どころか建築物すら見つからない、それに太陽が昇っていないのもあるが、空から雪が降っているわけでも、周りを見渡す限り季節が冬ではないはずなのに妙に気温が低くて肌寒い

 

「……ここが幻想郷か……」

 

「ようこそ大和、歓迎するわ」

 

 いつものように大和の背後から八雲紫が大和達が出てきた空間とは別に、違う空間の中から突然姿を現すと大和は驚きを隠せなかった。

 

 たぶん本人は当然の事だと思って笑みを浮かべているのだが、大和にとっては突然過ぎて普通ではなく何よりも心臓に悪い

 

「突然現れんなよ」

 

「それはごめんなさい、次から気をつけるわ」

 

 しかし八雲紫からは反省の色はまったく見えず、謝るのにも心が全然こもっていなかったので、怒りのあまりに思わず大和は拳を握り締めていた

 

 しかし良く考えてみれば八雲紫のおかげで幻想郷に来れたのだからと思うと、なんか些細なことで怒っている自分がバカに思えてきたので、取り敢えず大和は落ち着いた。

 

「さっそくだけど大和、この世界のことを色々説明しても良いかしら?」

 

「別に構わねぇよ」

 

 幽々子に聞かれたらまずいことなのか、紫は大和を連れて幽々子から少し距離を置くと、誰にも聞かれないようにコソコソと話すように紫は幻想郷のことを大和に説明してくれた。

 

 もう現代には二度と戻れないことはもちろん、この幻想郷がどういう世界なのか、これから自分はどうすれば良いのかなど前半の話は真面目に聞いていたが、だんだんと真面目に聞くのが面倒になってきて後半の話はほとんど聞いていないようなものだった。

 

 しかし、うろ覚えではなく話の中で大和がはっきりと覚えていることは自分達が今いる場所は冥界、つまり死んだ者達が訪れるあの世だと言うこと、最初は信じがたい話だったが空を半信半疑でじっくりと見上げて見ると、今までまったく気付かなかったが普通に白い人魂のような物体が空にゆらゆらと飛んでいる

 

 そして紫の説明がようやく終わると、話を聞くことに疲れて大和は深く深呼吸して一息ついた。

 

「分かったかしら?」

 

「まぁ大体のことはな(ほとんど聞いてなかったけど)」 

 

「じゃあ最後に二つだけ、まずは頭の中に用意しておきなさいよ、さっき説明した庭師用にね」

 

 大事だと思って大和はその庭師に関係する話を一応うっすらとだが覚えている、八雲紫から聞いた説明だと確かその庭師の名前は魂魄(こんぱく) 妖夢(ようむ)、今から自分達が向かう白玉楼(はくぎょくろう)の庭師でもあると同時に幽々子の警護役も務めているらしい

 

 大和は最初あんまり関係ない事だと思っていたが、その妖夢が幽々子の警護役だと考えてみれば、三人で一つ屋根の下で暮らすことなど目に見えている

 

「これで私からの言う事は終わり、他に何か聞きたいことはあるかしら?」

 

 そんなことを言われても大和は聞きたいことは全部すでに聞かされている、知りたい事はほとんど解決しているので紫に聞きたいことは何もなかった。

 

「別に何もねぇよ」

 

「じぁあ私はこれで」

 

 幻想郷に来たときと同じように紫はいつものように謎の空間を開いて中に入ると、紫が姿を消したと同時に空間はすぐに閉ざされた。

 

 そのあと考えているような顔で大和は自分の後頭部を手で撫でながらスタスタと歩いて幽々子の元に戻ってくると、大和と紫が二人で一体なにを話していたのかなと言わんばかりに幽々子は浮かない顔をしていた。

 

「ねぇ大和、紫となに話してたの?」

 

「庭師の言い訳を考えろだってさ」

 

 ロングコートを着ていたのにも関わらず寒さで体が冷え込んでいるせいなのか大和は無意識に大きなくしゃみをして体をぶるぶると震えさせると、自分の体を心配して幽々子が傍に寄って来た。

 

「大和、大丈夫?」

 

「……取りあえず歩きながら話そう」

 

 少しでも暖まるために二人は体を寄せ合わせながらスタスタと歩いている中、大和の言っていた庭師の言い訳を二人は黙々と考えていた。

 

 すると真面目なのか面白半分なのかはともかく、何か良い考えでも思いついたのか、イタズラな笑みを浮かべて幽々子が急に話しかけて来た。

 

「ねぇ大和、こうゆうのはどうかしら?」

 

 ここには二人以外誰もいないのにやる意味があるのか?幽々子は囁くように大和の耳元で自分が考えた案を言うと、幽々子のあまりにも大胆な考えに大和は思わず頬を赤くしながら唖然としてしまい、動揺を隠すことができなかった。

 

「それマジでやるのかよ?」

 

「うふふ、そうよ、妖夢の反応も気になるし」

 

 目を泳がせたり指で頬をポリポリと掻くなど落ち着きがない態度をとる大和だが、別に幽々子の考えた案が嫌でもやりたくないわけでもなく、それを人前で行動に移すのが恥ずかしいだけだった。

 

「しょうがねぇなぁ、やってやるよ」

 

「じゃあ私の家に早く行きましょう」

 

 離さないように大和の手を強く握りしめると、少しでも早く妖夢がどんな反応をするのか見たくて幽々子は大和の手を引きながら急ぎ足で白玉楼に向かった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

《白玉楼》

 

そのあと二人は目的地であり幽々子の家でもある白玉楼の門前に到着した。

 

 壁は木造で造られ屋根は瓦で覆われており見るからに立派な門、そして屋敷を取り囲むように周りには塀が掛けられている

 

 聳え立つ門に圧倒されながらも大和は幽々子と一緒に門を潜り抜けて二人を待っていたのは、広大に広がる立派な和風の屋敷と良く手入れされた美しい枯山水の中庭

 

 見慣れている幽々子はともかく、今まで見たことがない絶景とも呼べる枯山水の庭と写真や絵でありそうな和風の屋敷を生まれて初めて目にする大和は唖然としながら見とれてるだけだった。

 

「すっげぇ屋敷だなぁ」

 

 俺が現代で住んでいた草薙家の屋敷よりも圧倒的に大きい。いや、名の知れた武家や大名の屋敷よりも遥かにデカい。こんな屋敷がこの世にあるのか。いや、ここはあの世だったか。

 

 もう二度と現代の生活には戻ることができない今、大和は幽々子と庭師の妖夢と一緒にこの白玉楼と言う立派な屋敷に住むと思うと、今まで通りに生活していいのかと考え込んでしまう。

 

 一方、そんな大和の悩みも知らずに幽々子は大和の手を強引に引きながら屋敷に向かう

 

「ほら大和、見とれてないで早く中に入りましょう」

 

「ちょっとまて幽々子、まだ心の準備が」

 

 しかし大和の言うことに幽々子は一才聞く耳も持たずに、そのまま広い玄関に辿り着くと履き物を脱いで二人は屋敷の中に入って行った。

 

 思っていた通り外観と同じく屋敷の内装も和風で、そして何よりも屋敷の中が予想以上に広くて一人で歩いていたら迷子になってしまいそうなほどだった。

 

 二人で長い廊下をゆったりと歩いている中、じっくりと周りを見渡しながら大和は一体どれだけの部屋があるのかと思いながら幽々子に付いて行ってみると、辿り着いたのはまだ咲いていない桜の木や小さな池などが縁側から見ることができる見渡しの良い綺麗な和室だった。

 

「妖夢ただいま~」

 

しかし二人が入って行った和室には誰もいないのだが、それでも空気を読んで照れながらも大和は一応あいさつを言った。

 

「すいません、おじゃましまーす……って、いでででで!」

 

 一体あいさつの何が駄目だったのか、怒ったような顔で幽々子は大和の耳たぶを強く引っ張ってくる

 

 意外にも幽々子の指の力が強くて、大和はつねられた耳たぶが取れるのではないかと思った。

 

「違うわよ大和、ただいまでしょ?」

 

「いってぇな……だからって耳を引っ張ることはないだろ?」

 

 幽々子に引っ張られた耳たぶが本当に痛かったらしく、涙目になりながらも大和はつねられた耳を優しく手で撫でる

 

 そして二人の騒がしい声が屋敷中に広がったのか、廊下から二人のいる和室に向かって走って来る足音が聞こえてきた。

 

 こちらに向かって来る足音は二人がいる和室の前でピタリと止まると同時に、静かに襖を開けて一人の少女が入ってきた。  

 

 鈍く光る銀髪のボブカットで頭には黒いリボンを付けている、服装は白いシャツに青緑色のベストを着ており、胸元には黒い蝶ネクタイを付けている、下半身は短めの動きやすいスカートを履いており、スカートの中からドロワーズが覗いている、少女の周りを見てみると白くて大きな人魂が漂っている

 

 そして何よりも少女は二振りの刀を持っており、一振りは柄に桜の花びらが描かれ、鞘の先端に花を一輪挿して、柄頭に白い房がついた長刀を背中に背負い、もう一振りは脇差のような黒い短刀を腰に差している

 

「心配しましたよ幽々子様、いったい今までどこにいたのですか?」

 

この和室に幽々子がいることはすでにわかっていたようだがその隣にいる大和と何気無く目が合うと、唖然とした表情で少女は目を見開いた。

 

 一目見て大和はこの少女が八雲紫が言っていた庭師の魂魄妖夢だとすぐにわかったが、それ対して妖夢はここ見知らぬ男が誰なのかと言わんばかりに驚きと戸惑いの色を見せる

 

「ただいま妖夢」

 

「えっ? 幽々子様……その隣の方は誰ですか?」

 

 自分の主が帰ってきた事よりも、その主の隣にいる男が一体誰なのか気になって仕方がなかった。

 

 そわそわと戸惑いを隠しきれない妖夢の顔を見ると、すぐに物事をはっきりとさせたい大和はいても立ってもいられず、幽々子が自分を紹介する前に自ら名乗り上げた。

 

「俺の名前は大和、草薙 大和、よろしくな」

 

「こちらこそ、私は庭師の魂魄 妖夢と申します」

 

 まだ相手の事を何も知らなくて初対面だったせいなのか、堅苦しくかしこまった態度で妖夢は大和に対して頭を下げながらあいさつをする

 

 そのあと一体どこが可笑しかったのか、堂々と名前を名乗る大和とそわそわと落ち着きがない妖夢のあいさつのやり取りを見て幽々子はクスクスと静かに笑う

 

「うふふ、そんなにかしこまらなくても良いのよ妖夢、大和は私の愛しい恋人なんだから」

 

「……えっ!?」「……はぁっ!?」

 

 考えていたことが同じだったのか、大和と妖夢の驚いた声は見事にも綺麗に合わさった。

 

 何も聞かされていない妖夢が驚くのは当然のことだが、さっき幽々子と話し合って聞いていたはずの大和が驚いた理由、それは単純に幽々子から今言った事に関して一切聞かされていなかったからである

 

「それは本当なんですか大和さん!?」

 

「いやぁ…その…それはだなぁ~」

 

 どう答えれば良いのかと目を泳がせて戸惑いの色を隠しきれない大和を見ると、大和一人では頼り甲斐がないと思って幽々子は袖で涙を拭うなどの嘘泣きを演じて一芝居をする

 

「ひどいわ大和、あの時の告白は嘘だったのね」

 

 告白したことは本当のことだけど、まだ正式に付き合っているとは思っていなければ自覚していない、しかし幽々子にそんな事を言われると男として引き下がることは絶対にできなかったので、大和は思わず自棄クソになって言ってしまった。

 

「あぁそうだよ妖夢! 俺と幽々子は愛し合った恋人同士なんだよ」

 

 するとさっきまでは驚きと戸惑いに満ちていた妖夢の顔が心を落ち着かせたかのように冷静な表情になると同時に大和を見る目が変わった。

 

「では大和さん、ここで試させてくれませんか?」

 

 いきなり何を言うと思ったら。試す?何をだ?料理の腕前で勝負でもしようと思ってるのか?

 

「試すって何をだよ?」

 

「簡単なこと、貴方に私の主である幽々子様を任せるのに相応しい力を持っているのかどうかを見極めるために、真剣の勝負を挑むだけです」

 

 殺し合いが目的ではないのでお互い命までは取ることはないが、それでも少し気を緩めれば決して無事では済まない本物の刀を用いて闘う真剣での勝負、しかし妖夢に勝負を挑まれても大和には拒否する理由も逃げる理由もなかった。

 

 それに真剣、刃物の相手を経験をしたのは一度や二度だけではない。一応大和は真剣での勝負をなんども経験しているので、刀で斬られる恐れはほとんどなかった。

 

 それに、俺には鉄刀がある。どんな刀剣だろうが全て叩き折ってやる。という勢いだった。

 

「わかった、その勝負受けてやるよ」

 

「では庭まで来てください」

 

 そう言って妖夢は後ろを振り向いて静かに襖を開けて部屋を出ていくと、闘いの邪魔になると思って大和は着ていたロングコートを脱いで幽々子に手渡し、もう闘う覚悟は決めていると思わせる真剣な眼差しで妖夢に続いて部屋を出て行き、決戦の場である中庭に向かった。

 

 幻想入りしてまだ間もない草薙大和と白玉楼の庭師である魂魄妖夢、二人の闘いが白玉楼の中庭で黙々と始まろうとしている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話 決闘 大和VS妖夢

 もうすでに夜遅くなので空は薄暗い紺色の空に広がって所々に雲が見える、それにふと空を見上げてみれば薄暗い空を照らす美しい満月が昇っており、現世ではまずお目にかかれない白い人魂が縦横無尽に漂い続けている

 

 白玉楼の美しい枯山水の中庭の真ん中で少し距離を置いて黙々と対立する大和と妖夢、お互い精神を極限まで研ぎ澄まして睨み合うように一度たりとも目をそらさずに真剣な眼差しを送っていた。

 

 見過ごすわけにはいかなかったのか、縁側に座って心配そうな顔で中庭にいる二人を見つめる幽々子がいた。

 

「二人共……」

 

 心配だった。妖夢が真剣で勝負を仕掛けてきたこと、それを受け入れた大和のことを。どちらにも負けては欲しくはなかった。二人共無事に勝負をつけて欲しい。

 

 大和が持っている異形な武器を前に妖夢は凝視していた。

 

 少なくとも普通の武器ではない。木刀のような形状していて鍔もある。しかし材質は木材ではなく、鉄もしくは鋼、しかもかなり高純度の物を使っていると推測される。

 何のための武器なのか、刃は付いていないので確実に斬撃や相手を斬るような類ではない。もしかして相手を撲殺するための武器なのか?

 

 一瞬でも気を緩めれば決して無事では済まない闘いが徐々に始まろうとしている中、毎日のように稽古で剣術を鍛えている妖夢が冷静に脱力を高めているのはともかくとして、真剣の勝負が初めてではないとはいえ大和からは恐れや緊張をまったく感じさせず、まるで余裕があるかのように心を落ち着かせている

 

 ずっと睨み合うのにも嫌になったのか、大和は深く息を付きながらゆっくりと瞬きをした。

 

「さてと……さっさとはじめようぜ妖夢」

 

 勝負を始めようと大和は手に持っていた鉄刀を構える。満月の光に照らされて鈍く光る黒色の刀身、すぐに鉄刀の切っ先を妖夢に向けて身を構えた。

 

 しかし構えている大和に対して妖夢は腰に差している刀も背中に背負っている刀も一才抜こうとはせずに、冷静かつ真剣な顔でリラックスするように全身の力を抜きながら黙ってじっとしているだけだった。

 

 返事も帰さなければ動きもしない妖夢の行動に不安を感じると、大和は曇ったような表情で深くため息をついて再び妖夢に話しかける

 

「おいおい………さすがに無視はねぇだろ」

 

 そう思いながら鉄刀の峰で肩を叩き数分の時が経つと、ゆっくりと深呼吸をして妖夢がやっと動き始めた。

 

 腰に差していた短刀ではなく背中に背負っていた長刀の柄を軽く握りしめるが、大和と違って刀を鞘から抜こうとはせず身を構えるだけだった。

 

「では始めましょうか」

 

「あぁ……いつでも良いぜ」

 

 真剣な顔で妖夢に返事を返し、心を落ち着かせながらも自分の視線や神経を全て妖夢に集中させると、刀をもう一度構えた。

 

「では……参ります!」

 

 妖夢がそう呟き、そして背中に背負っている長刀を抜いたと同時に物凄い速さで大和との距離を一気に縮めた。

 

 最初の一振りを大和の首を一点に目掛けると、妖夢は虚空を斬り裂く勢いで長刀を振るうが、その前に大和は妖夢との縮んだ距離を空けようと、慌てずに平然とした顔で大和は後ろに下がると妖夢の振るった長刀を難なく避けた。

 

 大和は余裕の表情だった。それも無理はない未来を見通していたのだ。つまり最大の武器である心眼を使っていたのだから。

 

 それからも何度も使う。全ての未来を見通すような勢いで心眼を全身全霊で使用する。

 

 妖夢が長刀を振るう。的確に、首や腹部などの急所のみを狙って何度も振るいまくる。

 

 それに対して、心眼を使っていた大和は余裕な素振りを見せながら、それら全てを紙一重で回避する。予知通りに来る攻撃を適切にスムーズに避け続ける。

 

 そして、妖夢が長刀を振り切った瞬間、その隙を突いて大和も反撃に出る。

 

 大和は鉄刀を横薙ぎに振るう。その時、バットを振りかぶったような鈍い音が響き渡る。

 

 しかし、妖夢は余裕だった。まるで鉄刀を振るった攻撃が遅いと言わんばかりに、別に命の危機を感じているような素振りもなかった。

 

 瞬時に振り切った長刀でガード態勢に入る。これでこの攻撃は受け止めることができる。そう妖夢は確信していた。

 が、しかし……

 

(……マズいッ!)

 

 鉄刀が当たる直前で、妖夢は嫌な予感を察知した。この攻撃を受け止めるのはマズイ。もし受け止めたら大変なことになると、直感が叫んだ。

 

 刹那の一瞬、妖夢は長刀でガードするのを止めると、後ろに大きく飛んで鉄刀を回避する。

 

 攻撃を避けながら妖夢は後ろへと下がって態勢を整える。そしてもう一度改めて大和の持っている鉄刀をじっくりと観察する。

 

「あの武器……まさか……?」

 

 形状はともかく、今までに見たことのない武器だったが、攻撃をガードしようとした瞬間、嫌な予感と危険を直感したことから、あの武器の意味と使い方を理解した。

 

 あの鉄刀は斬撃や斬る事を捨てている。その代わりに相手を撲殺したり、相手の刀剣類を確実に破壊するための武器だ。いわゆる武器殺し。

 

 つまり私が使っている刀剣と明らかに相性が悪い。仮にあの鉄刀を刀剣でガードしたら刃毀れするのはもちろんの事、下手したら叩き折られてしまう。

 

 逆も然り、自分が一方的に攻撃を仕掛けても、あの鉄刀でガードされたら刀剣が刃毀れを起こしてしまう。

 

 これは参った。あんなシンプルで一見殺傷能力が無さそうなのに、まさか攻防一体の武器殺しとは。これはどうすれば良いのか。

 

 考えれば考えるほど、あの鉄刀の隙の無い攻防一体の性能と自分が持っている刀剣が破損してしまうことを恐れて、妖夢は手が出せなくなってしまう。

 

「理解しちまったか……俺の武器の本質を」

 

「良く作られてますよ、斬ることを捨てて、相手の刀剣を確実に破壊することだけに特化した武器殺し

 何でそんな物騒な武器を作ったのかは知りませんが、私に取っては最悪の武器ですね」

 

「まぁ武器殺しとは言うけど、俺はそのためにこれを作った訳じゃない。偶然だよ偶然」

 

 別に最初に考案したときは武器殺しにはならなかった。しかし決して壊れることは無いであろう圧倒的な耐久力に特化したら自然とこういう武器になってしまったのだ。

 

「何のためにそれを作ったんですか?」

 

「いや、木刀でも日本刀でも、俺すぐに武器壊しちゃうからさ。俺の力の強さに耐えきれなくてな。

 だから、俺が全力で使っても絶対に壊れない武器を作ったら、これが生まれたってわけ」

 

 なるほど、そういう訳なのか。単に武器を破壊するために、耐久力と破壊力に特化させた専用武器と思ったが、まさか自分が使っても壊れないような武器を作ったなんて、意外とこの人は単純なんだな。

 

 妖夢は思わずクスッと笑う。

 

「大和さん。貴方面白い人ですね。」

 

「そうか? 別にそんなこと無いけど。」

 

 俺なにか面白いこと言ったっけ?別に変なことを言ってないよな俺、それなのになぜ妖夢は笑うんだ?

 

「決めました。全力を出します」

 

 妖夢は決めた。武器殺しである鉄刀を恐れず、この人に自分が出せる全身全霊を使って打ち倒そうと、この人には負けられない。幽々子様のためにも、そして自分自身のためにも、全力でこの人を倒そう。妖夢は決意を堅めた。

 

 持っていた刀剣の刃を逆さにして峰を前にする。そして構えだすと妖夢から笑顔は消えて真面目な表情になる。そして緊張感が走り出し、殺気のような寒気も感じた。

 

 大和も臨戦態勢に入る。そしてこれからどんな攻撃を繰り出してくるのかを知るために心眼を使って未来を見通す。

 

 心眼を使った瞬間、大和は危険を察知した。

 

 直ぐ様、前足のつま先で地面を蹴り、身体を後ろに移動させた。ボクシングで言う所のバックステップである。

 

 そして念のために鉄刀を盾にガード態勢に入った。

 

 その瞬間。

 

 眼の前に妖夢が接近してきた。数メートル離れていたはずなのに、まるで瞬間移動でもしたかのようなスピードで眼の前に現れた。

 

 それと同時に斬りかかってくる。

 

 鉄刀と長刀がぶつかり合い、聞くに耐えないような高い金属音が響き渡る。

 

 幸い、バックステップで後ろに下がったこと、そして鉄刀を盾にしたことで一撃は免れた。

 

「あっぶねぇ……」

 

 危険を回避したのも束の間、無意識に心眼を使ったのとによって次の攻撃を未来視する。

 

 それから間もなく、妖夢の姿が目の前から消える。そして次にどういった攻撃を仕掛けてくるのか、心眼を使っていた大和にはわかっていた。

 

 背後だった。気が付けば次に妖夢の姿を見た時には背後を取られていた。

 

 大和は咄嗟に後ろを振り向いて、鉄刀を盾に再びガード態勢に入る。心眼を使っているとはいえ、避けるのは間に合わない。避ける動作をしたときにはもう斬られていることを理解していたからだ。

 

「これも防がれた?」

 

 妖夢は少し驚いた表情を浮かべていた。自分の攻撃を防がれたことがありえないと言わんばかりに。

 

 二度の攻撃を仕掛けて妖夢は疑問に思っていた。初めて立ち会いするのに、初めて見せるであろう技の数々なのに、何故こんなにも正確に自分の動きを読まれているのか?

 

 普通ならありえない。私は特殊な技法で最速の動きをしている。相手の表情からして恐らく私の動きは見えていないはず。常人であればさっきの一撃で決着していたのに、この男は二度も私の最速の攻撃を防いでいる。

 

 この男の眼には何が視えている? 神通力?未来視? 普通の人間がそんな人知を超越した能力を持っているとでも言うのか、そんな人間がこの世にいるとでも?

 

 妖夢は焦りを感じながら、その場から消える。そして次に姿を顕にしたとき斬り掛かる。

 

 大和の右に現れては斬り掛かり、防がれたらまた姿を消して、次に大和の左に現れては斬り掛かり。防がれたら姿を消す、それの何度も繰り返した。

 

 左右前後、あらゆる場所から何度も何度も斬り掛かる。その光景はまるで台風のような、嵐のような猛連撃の数々だった。

 

 しかし、焦りの色を見せながらも大和は全て防ぐ。ギリギリだが、まるで全ての攻撃がわかっているかのように、的確に適切に流れ作業のように防ぎ切る。

 

 それから一方的に大和が攻撃を受けてから数分が経過したところ。

 

 瞬間移動のような妖夢の動きが遂に止まる。あの嵐のような猛連撃が収まったのだ。

 

 妖夢は後ろへと下がり大和との距離を空ける。そして荒い息を漏らしながら、額には大量の汗が滲み出ている。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 この特殊な技法はかなりの体力を消費する。本当なら一撃で終わらせる代物なので何度も使って良いような技ではない。何度も使っていると、この通り体力が尽きたり、疲労で動けなくなる。

 

 それに対して、大和も冷や汗を流していた。そしてあの嵐のような攻撃を耐え抜いて少し安心していた。一時はどうなるかと思ったが、意外となるようになるもんだな。

 

「すげぇよ妖夢。こんな技があるのか」

 

 驚いていた。あの瞬間移動のような動き。人間の動きではない。今の俺では、とてもながら真似をすることなんて出来ない。並外れた努力と恵まれた肉体が成せる技と言っても良いだろう。正直尊敬する。

 

 しかし、それに対して妖夢は不服だった。怒りすら覚えるほどに納得いかないことがあった。

 

「それはこっちのセリフです。何故、私の動きが分かるんですか? まるで最初から私の行動を知っているかのように防いでましたよね?」

 

 その言葉を聞いて、大和は困惑した。

 

 これは言って良いのか、それとも心に留めて置くべきなのか、しかし隠し通そうとしても、妖夢の奴は勘が鋭そうだし、どうせいずれバレるときが来るだろう。

 

 隠し通そうとするのが無理だと察したのだろう。大和は真面目な表情で素直に何故自分が妖夢の行動がわかるのかを答える。

 

「頭おかしいこと言うかも知れないけど、俺未来を見通す力を持ってるんだ。多分、妖夢の行動がわかるのはその能力のおかげなんだ。」

 

「未来予知!?」

 

 薄々は察していたが、まさか未来を見通す能力を本当に持っているとは思ってもいなかった。

 

 今まで平然としていた流石の妖夢もその答えに驚きを隠しきれなかった。

 

「現代にいた俺の師匠が言うには『心眼』って言う能力らしい。過酷な修行をすることで手に入る代物さ。

 全部見通すことはできないけど、少し先の未来を視ることぐらいはできる。」

 

 そう、風間獣蔵と闘って敗北したあと、四日間飲まず食わずで修行して、文字通り死ぬ思いをして手に入れた能力。

 一流の中でも特に一流の達人達が持っているであろう、未来を見通すことができる奇跡の能力。

 

 それがある限り。俺には攻撃は一切当たらない。どんな攻撃も手に取るようにわかる。例え瞬間移動のような速度で動けたとしても場所がわかれば対処できる。

 しかし、対策が出来たり、あの技を使えるとしたら話は別だ。

 

 そんな絶対的な回避力を持っている大和にどうゆう対処するのか、ここが妖夢の腕の見せどころであり、修行の成果を発揮させる絶好のチャンスである。

 

「やってみるしかない。」

 

 何も対策もせずに、無策のまま戦おうとしていたのか、妖夢はまるで突っ込んでいくかのように大和に向かって接近した。

 

 そして刀を振るう。絶対に避けられることを知った上で、縦横無尽に、何度も刀を振るい続ける。

 

 これも心眼の予知通り、見通していた。こうなることも、どうゆう攻撃を仕掛けてくるのかも、全て大和には手に取るようにわかっていた。

 

(……視える! これなら行ける。)

 

 鉄刀を使うまでもなく、スムーズに的確に避け続ける。あとは反撃に出て、圧倒すれば勝てる。そう思っていた。が、しかし。

 

 突然のことだった。

 

(これはまさか!?)

 

 心眼を使った瞬間、攻撃が二つに分岐する未来が視えた。

 

 咄嗟に大和は避けるのを止めて、鉄刀で防御する態勢に入る。

 

 辛うじて飛んできた妖夢の一撃を受け止めた。

 

(……『くずし』だ。)

 

 『くずし』途中までまったく同じ動作で、相手の動きを見てから行動を変える古武術の一つ。兄である草薙武尊から教わった未来視対策の技。

 

 恐らく大和の心眼の裏を搔いたのか、それとも相手の動きを見てから動作に入る行動しているのか、どちらにしても妖夢の奴、心眼の天敵である『くずし』を使ってきた。

 

 さっきまで余裕の素振りを見せていた大和だったが、今では尋常では無い冷や汗を流し、焦りと恐れを感じているような絶望的な顔を浮かべていた。

 

 そんな大和を見て、相手の弱点と恐れていることを理解したのだろう。それを一切見逃さずに妖夢は畳み掛ける。

 

「なるほど、コツは掴みました。それが大和さんの嫌がる方法ですか」

 

 すると何を思ったのか、妖夢は腰に差していた短刀を引き抜いて構える。

 

 それと同時に大和にも異変が起こった。

 

 心眼を使っても未来が視えなくなったのだ。相手の行動が一切見えない。まるで暗闇のように真っ暗な未来。

 

 恐らく心眼を使えなくなったのは、妖夢がこれからは相手の動きを見てから行動する動きに変更したらだと予測される。心眼を使えなくなった今、あの素早い動きを捉えるのはほぼ不可能とも言っていいだろう。これはマズい。

 

 妖夢が一気に間合いを詰めてくると、再び嵐のような猛連撃を繰り出してくる。しかも今回は長刀だけではなく短刀もある。手数はさっきの二倍以上になるだろう。

 

 常人なら眼では追えないほどの妖夢の攻撃を大和は持ち前の洞察力と直感力のみで立ち向かう。

 

 上下左右に縦横無尽に繰り出される妖夢の攻撃、肉眼で捉えるだけでも一苦労なのに、それを防いだり避けるのはほぼ至難の業と言っても良いだろう。

 

 相手が峰打ちできているとは言え、まともに喰らえば一溜まりもない。ギリギリのところで避けたり防いだりを繰り返し、大和は防御に入るだけで精一杯の状態だった。

 

 金属と金属がぶつかり合う高い金属音が鳴り響く、そして風を切るような音も何度も響く。

 

 最初は適切に的確に対処していた大和だったが、時間が経過するに連れて、避けたり防御することができずに妖夢の峰打ちが顔や身体を掠める。

 

 それからはあっという間だった。もはや何もできないまま鉄刀を叩き落され、丸腰状態になってしまう。

 

 そして大和が尻餅をつくと、妖夢に見下されながら眼前で長刀の切先を向けられる。

 

「大和さん……勝負ありましたね」

 

 そう言いって勝利を確信すると妖夢は手に持っていた長刀と短刀を静かに鞘へと収める

 

 それに対して大和は自分は勝負に負けたと知ると、落ち込んだ表情で顔を俯けた。

 

「そうか……負けたんだな俺、それじゃあ仕方ねぇな」

 

 この勝負に敗北したということは自分の力はまだ未熟で幽々子を守ることが出来ない、それはつまり妖夢は自分と幽々子を恋人同士とは認めないと言っているみたいなものだった。

 

 だが妖夢はそんなこと微塵も考えてはおらず、大和が落ち込んでいる理由がまったくわからなかった。

 

「あの大和さん? なぜ落ち込んでるんですか?」 

 

「気休めはよしてくれよ妖夢、俺と幽々子が付き合うこと認めねぇんだろ」

 

「何言ってるんですか? 認めますよ」

 

 妖夢がそう言うと大和は予想外過ぎて驚きを隠せず顔を上げると思わず「えっ!?」と言ってしまった。

 

「認めるって……本当に?」

 

「はい、貴方の力なら幽々子様を充分に任せることができます。……人間としては普通に強かったですし」

 

 妖夢の言葉を聞いて大和は安心すると、縁側でずっと二人の闘いを見ていた幽々子が嬉しさのあまりに大和に向かって走ってきて、そのまま大和に笑顔で抱きついた。

 

「良かったね大和!」

 

「あっ……あぁ……」

 

 しかし、大和は浮かない顔だった。

 

 負けたことが悔しかった。紅虎さんや兄貴の武尊と闘って負けた時とは違う。いや、どちらかと言えば現代で闘った風間獣蔵に負けた時に感じた敗北感に似ている。

 

 相手が格上だったとはいえ、負けた自分が許せない。武器相性は有利だった。身動きの速さは圧倒的に負けていたが、筋力は自分が上だったはず、それなのに剣術の技量で負けてしまった。

 

 もっと強くなりたい。誰よりも、限り無く、誰にも負けない程に強くなりたい。

 

 そうなれば、もはや自分がやることは一つしか無い。恥ずかしいとか羞恥心なんてどうでも良い。とにかく強くなれるのであれば、何だってしてやる。

 

「なぁ、妖夢。お前の腕を見込んで頼みたいことがあるんだけど……」

 

 急に畏まった態度で妖夢に接する大和。その光景は不気味に感じるほどに恐ろしかった。

 

 しかし、妖夢はまるで何とも思っていないような表情で大和に対して話し掛ける。

 

「何ですか?」

 

「俺を……弟子にしてほしいんだけど。良いかな?」

 

「別に良いですよ。」

 

「本当に?」

 

「はい。成長しそうで見所ありますし。寧ろこんな人材を放って置くなんて勿体無いなと思って」

 

 そんなにも俺のことを過大評価してくれてるのか、正直ありがたいって思って良いのか、それともここは謙虚にいった方が良いのか。妖夢の期待に答えられるのか心配だ。

 

「ですが、私の教えは厳しいですよ。それは覚悟してくださいね。」

 

「安心しろ。どんな試練も乗り越えて見せる。

 多分大丈夫だから……どんな修行でも……ははっ……あはは……」

 

 最初は元気だったが、最後の言葉はまるで覇気も無く。まるで何か悪いことでも思い出したかのように、大和は魂が抜けたような感じで、かなり落ち込んだような表情で下を向いていた。

 

 そうだ。俺は師匠の紅虎さんの地獄のような修行とトレーニングを数年間に渡って耐え抜いたのだ。今でも思い出したくないような地獄な日々を過ごしたんだから。今更厳しい修行なんて、どうってことも。

 

 そんな大和の魂の抜けた態度を見て、妖夢は何かを察したのだろう。今まで何があったのかを一切聞かずに、取り敢えず話を進めようとする。

 

「取り敢えず修行は事が纏まってから始めましょう。それまでは休みを取って修行に備えるように。」

 

「ウン……ワカッタ……」

 

 何かトラウマのようなことを思い出して、言葉がカタゴトになっている大和、本当にこの人の人生に何があったのか、妖夢は気になっていた。

 

 見物していた幽々子はともかくとして大和と妖夢の体は長い闘いで心身共に疲れきっていた。

 

「ねぇ、せっかくだから三人で一緒に寝ましょうよ」

 

「私は良いですが、大和さんは?」

 

「俺は別に構わねぇよ」

 

 普通に考えて男女が同じ部屋で一緒に寝るのは少しやばいと思うが、この先三人で一緒に暮らすことになると考えると大和は気にしないで幽々子と妖夢の三人で一緒に寝ても良いと思った。

 

「さぁ二人共、早く屋敷に戻りましょう」

 

 三人は屋敷に戻って布団の用意を済ませると、三人は川の字に並んで夜が明けるまで眠りに着いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話 新たな生活

 大和と妖夢の決闘が終わり、それから三人で就寝したあと、何も起きることなく朝を迎えた。

 

 いつもよりも早く目が覚めた大和、布団から身体を起き上がらせて周りをキョロキョロと見渡す。

 

 まだ幽々子は隣でスゥスゥと眠っていた。まぁ、朝ご飯が出来たら、それの匂いを嗅ぎつけて目覚めるだろう。

 

 それに比べて妖夢の姿は無かった。あるのはきちんと畳んで置いている布団だけ、温もりは微塵も感じさせず、もう何時間も前に起きて部屋から出ていった形跡がある。

 

「妖夢の奴、もう起きてる。」

 

 剣術の稽古でもしているのか、それとも朝食を作っているのか、どちらかであろう。早起きしてやることなんて大体は限られているから何となくわかる。

 

 特にすることも無いし、二度寝は性に合わなかったので、大和も布団の中から出て、布団を綺麗に畳んで置くと、幽々子を起こさないように静かに部屋から出ていく。

 

 行く宛もなく、ただひたすら廊下を歩いていると、この白玉楼と言う屋敷の広さを認知することになる。

 

「すっげぇ……こんなに立派なのか」

 

 自分の屋敷も確かに広かったが、明らかに草薙家よりも圧倒的に広いし立派。いや、名の知れた武家屋敷や大名の屋敷と比べても断然に広いし貫禄がある。まるで迷路のようの広すぎて迷子になるのではないか、そう思ってしまうほど。

 

 例え何百人が一斉に泊まりに来ても全然余裕があるほど、部屋も数え切れないほどある。茶の間はあるのか?風呂場は?炊事場は何処にあるのか?トイレは?

 

 まだこの屋敷に来てたから間もないので、無知なことが多いが、それでも白玉楼の全てを把握するのは時間がかなり掛かるし、極めて困難だろう。ここの住人が本当に屋敷内の間取りを全て覚えているのか疑問に思ってしまう。それぐらいに広すぎる。

 

 迷いながら屋敷の中を歩き回っていると、偶然にも炊事場に着いてしまったのか、扉の向こうから「トントントン」とリズム良く料理を作っているような音が聞こえてきた。

 

「妖夢がいる場所はここか」

 

 住人は恐らく主の幽々子、そして庭師の妖夢、そして俺しかいない。ましてや炊事場で料理をしているのなんて、冥界に来て間もない俺でもわかる。

 

 大和は静かに扉を開けて炊事場の中に入る。

 

 

 

            《…炊事場…》

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 炊事場に入ると、やはり案の定、部屋からいなくなった妖夢が料理を作っており、朝食の準備をしていた。

 

 大和が炊事場に来たことに颯爽と妖夢は気付き、振り向くと礼儀正しく一礼をする。

 

「大和さん起きたんですか。随分とお早い起床で」

 

「なんか手伝うか? 朝食作るぐらい出来るぞ」

 

「良いんですか? じゃあそれをちょっと」

 

「あぁ……了解」

 

 手際良く、言われたことを瞬時に熟す大和。それに言われてないことも自然と手際良く熟して、どんどん朝食が作られていく。

 

 その光景を見た妖夢は思わず関心してしまう。こんなにもテキパキと料理を作る大和を見て、もしかしたら自分よりも上手なのでは?と思ってしまう。

 

「大和さん、料理出来るんですね」

 

「まあ……大体ならな。向こうの世界で嫌なくらいやってたし、あと家事全般なんでもできる。基本俺が全部担当してたから。」

 

 意外と大和は万能だった。家事全般は何でもできる。闘いもできる。出来ないこと言えば機械をイジることと、あとは勉強ぐらいか。

 

 そんな大和のことを聞いて、妖夢は親近感が湧いていた。まるで他人事ではないかのように、とても親しく出来そうな感じがした。

 

 妖夢本人もそれが仕事というのか役割というのか、家事全般はもちろん、幽々子の世話や護衛、屋敷の庭を手入れしたり、剣術の稽古をしたりするなど、現世にいた大和に近い生活を送っていたからだ。

 

 最も、大和の場合は家事をやる時間よりも稽古や修行をしている時間の方が圧倒的に多かった。そこは妖夢との決定的な違いだった。

 

「大和さん。気になったんですが、どうやってあんな強さを身に着けたんですか? 並の人間よりも常軌を逸した力を持っているようですが」

 

「多分それは、俺の師匠とその修行にあると思う。」

 

「……師匠?」

 

「子供の頃に師匠に弟子入りしてな、紅虎さんって言うんだけど。それから数年間ずっと稽古付けて貰ったらこうなった。

 いや……本当に……マジで……今思えばあれは本当にヤバかったよ……」

 

 またトラウマや嫌な思い出でも思い出したのか、大和の目から光が無くなり、下を向いて暗い表情を浮かべる。この人の過去に一体何があったんだ?

 

 そんな大和を見て、一体どんな日々を過ごしてきたのか、それに紅虎って言う人がそんなにもトラウマを植え付けるような怖い人なのか、妖夢は気になっていた。

 

「そんな怖かったんですか? その紅虎さんって言う人は」

 

「うん……素手で熊とかの猛獣相手と戦わせたり、洞察力を鍛えるためだとか言って容赦無く崖から突き落としたり、とにかく死ぬ思いは何度かしてきた。

 一時期あの人には人の心が無いのかって疑問に思うほどには怖かった。」

 

 話を聞いただけでもゾッとするような大和の経験談、その一部だけを耳にしただけでも、大和が並の人間よりも遥かに強い理由が明確にわかってしまう。

 

 そんな想像も絶する地獄のような修行を課してくる紅虎、妖夢の中でのイメージは、強さのためなら死ぬ思いもさせる。誰よりも厳しくて恐ろしい。恐怖を植え付けてくるような冷酷で非情な人物だった。

 

 自分も長年修行を続けてきたが、大和のように死ぬ思いをするような事は一切してこなかった。いや、寧ろ今までの自分が積んできた修行が甘すぎたのではないかと思うほどに、大和の修行が過酷過ぎて何も言えなかった。

 

「そんな事をして良く今まで生きてましたね……」

 

「俺もそう思う……てか、あれは絶対に死人が出る。」

 

 もしも紅虎の弟子になりたいと思う人がいるなら、間違いなく止めといたほうが良い。過酷過ぎて確実に死ぬ。

 もし、紅虎に弟子が何人もいたら、大半の人達は修行に耐え切れなくて死んでる。これは断言できる。弟子の俺が言うんだから間違い無い。

 

 その言葉を聞いて妖夢も納得してしまった。

 

 だから大和は私に弟子入りした時、どんな厳しい修行でも大丈夫と言ってたのか、なんか今の話を聞いてると本当に説得力ある。

 寧ろ、これからの私の稽古が甘過ぎて強くならずに退屈してしまうのではないかと思ってしまう。

 

 そんな他愛のない世間話をしている間に朝食が完成した。意外と早く終わった。

 

 朝食を作り終えると、大和は額の汗を拭って一息つく。

 

 妖夢が大体の準備をしてくれてた上に、ほとんどやっていてくれたので、予定よりも早く作り終わった。少女の身でありながら、流石はこの大きな屋敷の庭師を任せられている人物だ。正直尊敬する。

 

「……良し、あとはこれを茶の間に持っていけば……」

 

「案内するので着いて来て下さい。」

 

「あいよ〜」

 

 大和は両手一杯に朝食を持つと、妖夢に道案内をされながら茶の間へと歩いて向かった。

 

 なんか、料理を作る同僚が出来ただけで、いつもと変わらないような日常とは言わないでおこう。普通に楽しいし、会話も弾むし、良しとしとこう。

 

 

 

           《…一方その頃…》

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 大和と妖夢が朝食を作り終えて、ちょうど茶の間に運び終えた時のこと、本当にご飯の匂いを嗅ぎつけたかのように幽々子が目を覚ました。

 

 布団から起き上がり、思い切って身体を伸ばしたあと、まだ眠たそうな顔をしながら少しだけボケェ〜とする。

 

「……んん〜朝ご飯〜」

 

 布団から出ると、部屋を離れて朝ご飯の匂いを辿りながら歩いていく。まるで警察犬のような嗅覚だ。

 

 迷うこと無く、茶の間に辿り着くと、そこにはテーブルの上に乗せられた沢山の朝ご飯が待ち構えていた。そしてその近くには大和と妖夢が幽々子を待っていた。

 

 幽々子が来たことに気が付くと、妖夢は正座をしながら頭を下げて、朝のあいさつをする。

 

「おはよう御座います幽々子様、朝食の準備が整いました。」

 

「わぁ〜久しぶりの妖夢のご飯〜」

 

 冥界に帰って来てから久しぶりに食べる妖夢のご飯、幽々子はルンルン気分でテーブルの前に座る。

 

 妖夢のご飯を食べるのは何時ぶりだろうか、現代に行った切り食べていなかったからとても楽しみだった。実家のような安心感ていうものなのか。

 

 幽々子も来たことだし早速、朝食を食べようと、三人は手を合わせて食に感謝の気持ちを込めながらも。

 

「「「いただきまーす。」」」

 

 三人は各自、ご飯や味噌汁、おかずなどをそれぞれ食べたり味わったりした。本当に別々で、誰一人同じものを一緒には食べようとはしない。

 

 大和が味噌汁に手を出して、味わうように一口啜る。

 

「うめぇ……」

 

 妖夢が作った味噌汁は美味かった。自分の味付けとはまるで違う。出汁もしっかり効いてるし、あっさりとしている。朝食にぴったりの味噌汁だった。

 こんな美味しい味噌汁は紅虎さんが作る味噌汁を飲んだ時以来だ。

 

 もしかしたらと思い。大和は味噌汁を一口飲んだ後に御椀を置いて、次はおかずに手を出してみる。

 

「これもうめぇ……」

 

 おかずも朝食に合わせて味付けを変えているのか、味はしつこくなくあっさりしている。しかししっかりと美味な味がする。まるで朝しっかりと食べれるように、無限に食べれるようにしているみたいだ。

 

 まるで食欲に取り憑かれたかのように大和の食べる手が進む、こんな美味しくて夢中になってしまうような朝ご飯は生まれて初めてだった。

 

 そんな幸せそうにご飯を食べている大和を見て楽しかったのか、隣でその光景を見ていた妖夢は少し嬉しそうな表情で呟いた。

 

「お口に合って何よりです。」

 

 本当に美味い。次から次へとご飯に手が出てしまう。料理が喉を通る度に幸せを感じる。こんな美味しいものがこの世にあったとは。いや、ここは冥界だったか。

 幸せだった。幸せの繰り返し、まるで無限ループ。とにかく美味い。

 

 そんな完全に妖夢の料理の虜になってしまった大和を見て、こんなにも気に入ってもらえたのが嬉しかったのか、幽々子は楽しそうに微笑みながら大和にこう言った。

 

「良かったわね大和。これから毎日食べれるのよ」

 

 こんな美味しいものが毎日食べれるなんて幸せの極み。冥界に引っ越して来て本当の良かったと思えた瞬間だった。意外と大和は単細胞である。

 

 そんな美味しい朝食を食べながら、何の物事にも追われることなく三人は自由気ままに時間を過ごす。

 

 それからゆっくり食べて時間が経過したあと、三人は朝食を食べ終える。

 

 大和と妖夢は食器を片付けて炊事場に全部持っていくと、皿洗いをする。ちなみに皿洗いの時に妖夢に聞いた話だと、幽々子はお嬢様なので特に何もしないことが当たり前らしい。というかやらせたら庭師の意味がないので絶対にやらせないらしい。

 

 なんか冥界に来ても、料理作ったり皿洗いしたりするなど、現代での生活とほぼ変わらないな。と大和は思いながら時間が過ぎる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話 婚約を結ぶ時

 三人で朝食を食べ終えて、妖夢と大和が食器を片付けてから炊事場で皿洗いをしたあとのこと。

 

 皿洗いを終えた二人が食後のお茶を持っていながら茶の間に帰ってきて、大和が幽々子と一緒にお茶を飲みながら食休みをしようとした時のことだった。

 

 大和と幽々子の二人がテーブルの前で座って寛いでいると、妖夢は二人の前で正座をする。何故いきなり、そんなにも畏まっているのか、何か重要な事があるのか。

 

「さて、食事も済ませましたことですし。」

 

 休憩している大和がお茶を飲んでいる最中のことだった。それを気にすること無く、真剣な表情をしながらも妖夢は大和に対して突然質問してくる。

 

「大和さん、幽々子様とご交際はどこまで?」

 

「ブッ! ゲホッ! ゲホッ!」

 

 あまりにも突然で大胆過ぎる妖夢の質問に対して余程驚いたのだろう。大和は食後に飲んでいたお茶を吹き出して噎せてしまう。

 

「いきなり変なこと聞くなよ。」

 

「どうなんですか?」

 

 真剣過ぎる表情で妖夢に問い詰められる。もはや言い逃れも、誤魔化すこともできない状況だった。これからどう説明して良いのか、はっきりと言うべきなのか、答えを出す事ができずに大和は困惑していた。

 

 それにどこまで交際したかなんて聞かれても、俺が初めて出来た恋人が幽々子だったこともあるし、恋愛というものを殆ど知らない。だからどこまで幽々子との関係が発展しているのか聞かれても正直わからない。

 

「まぁ……ある程度には……ほどほどに……」

 

「そんな曖昧な事は良いです。できれば具体的に、どこまで交際してるのかはっきりと言ってください。」

 

 あまりにも曖昧な表現に痺れを切らしたのだろう。大和に対して妖夢は真剣な表情を通り越して、威圧的な態度で質問してくる。もはやこれは質問ではなく問い詰めである。もしかしたら、この先脅迫させる可能性もある。

 

 取り敢えず、取り敢えずだ。何でこんなことを聞くのか妖夢に聞いてみよう。少しはお茶を濁すことができるし、何よりもそれの意味がどれだけ重要なのかを改めて理解しよう。

 

「なんでそんなことを聞くんだ? 」

 

「私は幽々子様の従者です。況してやこれからは三人で一つ屋根の下で暮らすのですから。

 従者である以上は主の事を、そしてその殿方との関係を知る必要があります。」

 

 あまりにも正当で反論の余地も無い妖夢の答えに、大和は納得してしまった。そんなことを言われたら本当に言い逃れも誤魔化すことも出来ないではないか。

 

 もはや、完全に逃げ場が無くなったことを察したのだろう。まるで観念したかのように大和は溜息を漏らしながらも、自分が幽々子とどれだけ交際していること、そして今自分の今の状況を全て吐き出した。

 

「今言えることは、幽々子とは恋人以上婚約者未満ってところだな。まだ俺もそんな年食ってないし、結婚はまだ無理かなっては思ってる。」

 

 今年で俺の年は16歳、世間一般的に見るとまだまだ子どもである。向こうの世界の基準だと、まだこの年で結婚することは出来ない。つまり、結婚できるまであと2年は足りないのだ。

 

「ちなみに大和さん、歳はおいくつで?」

 

「16歳」

 

 それを聞いた妖夢は困ったような顔を浮かべた。まるで大和の歳がマズいと言わんばかりに、とても気不味そうな状況を作り出してしまった。

 

 さっきまでの妖夢は顔は幼いが大和の体格や鍛え込まれた肉体から推定して18歳から20歳の間だろうと思っていた。しかし本人から本当の年齢を聞くと若すぎた。大和の歳があまりにも若すぎた。

 

 妖夢は思ってしまった。この大和は自分よりも年下の子どもではないか、想像を絶する程の厳しい修行を乗り越えてるのに、かなりシビアで過酷な人生を送ってるのに、まだ20代にもなってない16歳なんて。

 

 隣で大和の年齢を聞いていた幽々子も驚いていた。まさか付き合っている人が未成年だなんて、夢にも思わなかった。

 そういえば今まで現代で一緒に過ごしてきたが、大和の年齢を聞くことが全然なかった。

 

「大和ったら、そんなに若かったの?」

 

「そうみたいだな。ちなみに幽々子は歳幾つ?」

 

「かれこれ千年以上は生きてるわ」

 

「……えっ!?」

 

 幽々子の歳を聞いて、大和は思わず驚きを隠しきれず唖然としていた。

 

 こうして出会ってから初めて、大和と幽々子の二人はお互いの年齢を知ることになる。

 

 千年以上生きてるって、俺の60倍以上生きてるってことかよ、幽々子は御神木とか大木の類なのか、亡霊だから寿命というものが無いのはわかるけど、そんなの知らねぇよ、千年生きた人物なんて今まで見たことがないんだもの。

 

 そんな二人の話を聞いている間、妖夢は深刻そうな顔をしていた。まるで未成年の大和がマズいと言わんばかりに、とてつもなく困っていた。

 

「それは困りましたね。幽々子様の交際相手がまさか未成年の殿方なんて」

 

 幽々子様は何故成人もしていない子どもと交際しているのか、未成年に手を出すなんて夢にも思わなかった。それと同様に大和さんもそうだ。年上どころではない年齢が掛け離れた幽々子様と付き合うなんてどうかしている。もしかして同い年と思ってたのか?

 

「結婚は幽々子の同意を得て、それから俺が成人になってから挙げようと思ってる。」

 

「でも未婚の男女が同じ屋根で暮らすことは少し危ないですし、どうしたら良いのか?」

 

「なら、結婚してしまえば良いじゃない?」

 

 一体いつからいたのか、幽々子の隣にスキマを開いて、その中から身体を出していた。

 

「あら紫、来てたのね。」

 

 八雲紫がやって来て、大和が驚いているのに対して、幽々子は平然としている。まるで、八雲紫が突然現れるのが日常茶飯事のように、それがほぼ当たり前のようなことのように。

 

「突然現れるなよ。」

 

 この八雲紫の神出鬼没な行動は心臓に悪い上に慣れることができない。頼むから来る時には何か言って欲しい。まぁ、でもこの世界に携帯がある可能性が限りなくゼロに近いし、それは無理なのか。

 

 結婚してしまえって簡単に言うけど色々と準備があると思うし、況してや俺の歳は現代での結婚基準を満たしていない。結婚なんて何年後の話になるのか。

 

「二人が結婚してしまえば同じ屋根の下で暮らしてもおかしくないわ、寧ろその方が自然で良さそうだし。」

 

「でも俺の歳は16で……」

 

「ここは幻想郷よ。現代のルールは通用しない。未成年の結婚なんてどうってことも無いわ。」

 

 確かに現代のルールだけで考えれば、年齢基準を満たしていない未成年の大和が結婚することは出来ない。

 しかし、ここは現代のルールがほとんど存在しない幻想郷、例え未成年でも結婚することはできる。その例に幻想郷では未成年でも飲酒が普通に許されているのだ。故に未成年が結婚することなんてどうってこともない。

 

 取り敢えず、取り敢えずだ。未成年でも結婚して良いことがわかった。あとやるべきことと言えば……

 

「それじゃあ、あとは幽々子の同意を……」

 

「私は良いわよ。結婚するの」

 

「……はっ?」

 

 そんな服でも買うような感覚の軽いノリで良いのか?結婚だぞ、人生の中でも特に重要で慎重に考えないといけないものだぞ。

 

 まずは付き合ってから数年経って、それから結婚しようか決めるのはわかる。でも、幽々子にはそれが無い。まるで今からでも結婚しようと言わんばかりだ。

 

「だって、これからずっと暮らすわけだし。私も早く大和と結婚したいと思ってたから」

 

 大和が自分をどれだけ愛しているのかも理解している。大和がどんな人なのかも現代で一緒に暮らしていて大体分かっている。

 

 もう既に付き合っている身だし、今更、お互いのことを知り合ってから結婚しようとは思わない。それなら、もういっそのこと結婚してしまえば良いと思ってる。

 

 結婚も許可されてる。恋人の幽々子からも同意を得ている。もはや大和に結婚以外の選択肢は無かった。

 

 しかし、いきなり結婚するなんて色々と準備や覚悟が決まっていない。どうすれば良いのかもわかっていない。

 

 右手で顔を抑えながら大和は困惑していた。どうゆう答えを出せば良いのか、このままあっさりと結婚を受け入れて良いのか。

 

 そんな迷っている大和を見て、正直選択肢は決まっているのに受け入れないことがいじらしいと思ったのだろう。八雲紫はまるで悪魔の誘いのような言葉を入れ知恵する。

 

「もう覚悟決めちゃったら? どうせ早いか遅いかの問題だし、貴方も幽々子と夫婦になるのは満更でも無いでしょ?」

 

「大和さん、男見せてください。」

 

 意図的に煽っているのか、それとも真剣に言っているのか、どさくさに紛れて妖夢も大和を挑発する。もはや誰も止めるものはいない。

 

 それに幽々子も何も言わないものの、愛らしい表情で上目遣いをしながら大和を見てくる。「まるで自分との結婚が嫌?」っと言わんばかりに言葉を発し無くても目で訴えてくる。それほど結婚がしたいのか。

 目は口ほどにものを言うと聞くが正にその通りだったことを今理解する。

 

 もはや覚悟を決めるしか無い。八雲紫の言う通り、俺は幽々子と結婚したかった。それに幽々子から同意を得た以上、あとは早いか遅いかの話になる。

 

 もう何の迷いもない。逃げも隠れもしない。しっかりと覚悟を決めると、大和は真剣な表情をしながら幽々子に対してこう答える。

 

「わかったよ。結婚しよう幽々子」

 

「はい。喜んで。」

 

 その言葉を待ち望んでいたと言わんばかりに、幽々子は満面な笑顔で喜んだ。

 

 良かった。ようやく本当の意味で結ばれたのだ。これからも、この先もずっと寿命が尽きるまで一緒にいられる。私達の恋仲も夫婦仲も誰にも引き裂かれることはない。

 

 お互いに結婚も決まったことだし、八雲紫は本題に入る。これからやるべきことを実行しようとする。

 

「さて、告白も終えたことですし、さっさと結婚式やりましょうか」

 

「……えっ……今から!?」

 

「今からやらないで何時やるの? 男なんだから覚悟決めなさい。」

 

「なんか、物事が進み過ぎて現実味無いな。」

 

 そりゃあそうだ。ここは現代の世界ではなく、幻想郷なんだもの。常識が存在しない、ありえないことがが起きてこその当たり前なんだから。

 

 すると、本当に今から結婚式をやると言わんばかりに、八雲紫はスキマから和装の袴と着物を取り出すと、それを妖夢に渡した。

 

「私は幽々子を担当するから、妖夢は大和を頼んだわ」

 

「承知しました。」

 

「行きましょう幽々子、私達で準備をするから」

 

「うん。」

 

 そう言うと、着替えの準備をするために幽々子と八雲紫は茶の間を出ていった。

 

 残された大和と妖夢はなんか気不味そうな雰囲気を醸しながらも、取り敢えず結婚式に向けて準備をしようとする。

 

「準備をしましょう大和さん。ところで和装を着るのは初めてですか?」

 

「道着とか袴を履くのは昔からやってたけど、和装は初めてだな。」

 

 こんな時に現代で常に和服を着ていた兄貴がいれば、こんな女の子に俺の着替える準備をさせなくても良かったのにな、と大和は若干恥ずかしがる。

 

 和装の着方を妖夢に教えられながら、大和はこれから始まる結婚式の準備をする。

 

 人生最大のイベントだ。失敗は許されない。これはしっかりと決めようと、大和の心臓の鼓動は高まって速くなり緊張感が走る。

 

 

 

 

          《…それから数時間後…》

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 それからはあっという間のことだった。夫婦になる二人の準備が終わると早速結婚式が始まる。

 

 提灯を持った八雲紫を筆頭に、その後に続いて白い着物に水色の色打掛を身を包んだ幽々子が歩いていた。

 

 水色の色打掛の下に白い着物を身に纏い。頭にはいつもの裾がフリル状になった水色のナイトキャップを被っている。これは外さないらしい。

 

 二人はゆっくりと廊下を歩いて、大和がいる部屋へと向かう。

 

 長い廊下を抜けると幽々子達は大和がいる部屋に到着する。

 

 八雲紫が正座しながら襖を開けて部屋に入ると、そこには黒い着物に白い袴の和装を身に纏った大和が座布団の上で正座をして待っていた。そして近くに妖夢も正座して待ち構えていた。

 

 まず先に幽々子が部屋に入ってくる。ゆっくりと優雅でお淑やかに大和に向かって歩いてくる。

 

 幽々子の晴れ姿をこの目で見た瞬間、大和は息を飲むような美しいものを目の当たりにして心を奪われてしまった。

 

 改めて思った。こんな美しく綺麗な人が自分の妻になるなんて夢にも思わなかった。それはまさに幻想的で夢幻のような運命だった。

 

 いても立っても居られなかったのだろう。正座をしていた大和は直ぐ様立ち上がって部屋に入ってきた幽々子に寄り添い。共に一緒に歩く。

 

「綺麗だよ幽々子」

 

「ありがとう。」

 

 二人が寄り添って並んで歩き、二人の席に正座をすると、夫婦の契りを交わすための儀式を早速始める。

 

 幽々子が盃を両手で持つと八雲紫が盃に注いでくれる。

 

 注がれた盃を幽々子は半分残して飲む、そして夫婦の契りを交わすためもう半分残した盃を大和に渡す。

 

 しかし、夫婦の契りを交わす盃を渡しても、大和はすぐには飲まず。この盃に入っている液体はなんなのかを疑問視しながら聞いた。

 

「これは……酒?」

 

「そうよ。」

 

 盃に入った液体を見て大和は凄く気不味そうで困惑した顔をしていた。まるでお酒が駄目だと言わんばかりに。

 

 大和は飲むのを躊躇っていた。盃を交わすのが駄目なんではなく、問題はお酒の方だった。

 

「どうしたの? 飲まないのかしら?」

 

 盃に注いだお酒を飲まない大和に対して、今更後戻りしようだなんて遅いと言わんばかりに八雲紫は促すように大和にお酒を飲まそうとする。

 

 これを飲まなければ、幽々子と婚約の契りを交わすことはできない。もはや後戻りも出来ない。このお酒を飲まないわけにはいかない。

 

 こうなったらどうにでもなれと言わんばかりに、大和は盃に入った酒を一気に飲み干した。男気を見せたのだ。

 

その瞬間だった。

 

………バタッ!!

 

 何の前触れもなく突然大和は顔を真っ赤にしてぶっ倒れる。酔い潰れたのか、くるくると目を回しながら完全に意識が飛んでいた。

 

 そう、大和はお酒に極度に弱く、駄目だった。飲むどころか匂いを嗅いだだけでも酔い潰れてしまうほどには弱い。弱すぎて話にならないほど。

 

 大和がお酒を飲むことを躊躇っていたのは、自分がお酒に極度に弱いことを知っていたからである。

 

 お酒に酔い潰れて突然倒れた大和を見てみんなが驚いた。

 

 特に幽々子があまりにも不自然な大和の倒れ方を見ると、驚きと心配した表情を浮かべながら倒れた大和を手で揺すって起こそうとする。

 

「ちょっと大和、しっかり!? 目を覚まして!」

 

 しかし、大和は起きない。意識も戻らない。完全に酔い潰れている状態だった。

 

 まさか、大和がお酒に極度に弱いとは知らずに、勧めてお酒を飲ませてしまった八雲紫は自分がとんでもないことをやってしまったことに薄々気付いてしまう。

 

「これ……どうしよう?」

 

 大和が目覚めないので結婚式が続行することができず、三人は途中で結婚式を止めて大和を布団へと運ぶ。

 

 こうして、人生最大のイベントである結婚式は大和がお酒でぶっ倒れたことで幕が閉じた。結婚式としては異例の終わり方である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話 修行

 前代未聞の終わり方で結婚式が終了したあと、八雲紫は帰り、大和が目覚めないまま日を跨ぎ、朝を迎えた後のことだった。

 

 何故、自分が眠っていたのかも知らずに大和は目覚め、いつものように妖夢と一緒に朝食を作って、幽々子と妖夢と自分の三人で朝食を食べた。

 

 そして朝食を食べ終えたあと、大和は妖夢から急に庭に呼び出されて、何をするのか知らないまま来た。

 

 白玉楼の美しい枯山水の中庭、その真ん中で妖夢と大和は対面するように話し合おうとしていた。

 

「それでは早速修行を始めます。」

 

「いきなりかよ。」

 

 まだ、この白玉楼に住み着いてから三日も経っていないというのに、まだまだ生活環境を理解してないというのに、今日修行を始めるのか。

 

 まぁ、でも大丈夫か。身体は少々鈍っているから、運動能力を取り戻す良い機会だ。

 

「はい。大体の物事が終わったことですし。これから修行をしても差し支え無いかと。」

 

「それで、最初は何するんだ?」

 

 紅虎さんのような、一流のアスリートや修行僧でも音を上げるような修行は勘弁して欲しいけど、そんなことは言ってられない。

 

 妖夢よりも強くなるためにも、誰にも負けないためにも、どんな厳しい修行でも乗り越えることが目標だ。そのためならどんな苦痛も耐え抜いて見せる。

 

「では、まず屋敷の外を一周走ってください。10キロ程あるので頑張ってください。」

 

「あっ、あぁ」

 

 妖夢の修行に対して、疑問はあるものの、それは言葉には出さず、何も言わずに大和は素直に従った。

 

 そんな距離を一周走るだけで良いのか?もうちょっと厳しくしても良いのでは。

 

 早速、大和は屋敷の外へ行って走り込みをする。しかも後先考えずにまるで体力を残そうとせずに自分ができる限りのスピードで走ろうと、初っ端なから全力疾走する。

 

「大丈夫かな……?」

 

 それを見ていた妖夢は、そんな勢いで走ったら完走する前に力尽きるのでは? もし走りきったとしても次の修行が出来ないのでは? と心配そうな表情で見ていた。

 

 

 

 

        《〜疾走中〜》

 

 

 

 ひたすら走っていた。100メートルを10秒台で走る勢いで、ペースを落とさず、一定のリズムと呼吸を刻んで、ただひたすらに走っていた。

 

 全力疾走をしていると体力は無くなる。幾ら毎日毎日走っていてもいずれ苦痛を感じる。

 

 しかし、ある一定の距離を全力で走っていると、苦痛が取り払われて幸福感すら感じるのだ。まるで死ぬまで無限に動き続けられるような夢の感覚。

 

 5キロ程走ったところか、今の大和は身体が暖まってきて、苦痛が完全に無く、寧ろ走ることに多幸感を感じている。

 

 この現象は『ランナーズハイ』。長時間に渡り、走り続けていると、気持ち良い程に気分が良くなり、いつまでも走り続けられるような陶酔感を味わう感覚のこと。 ランニング中に脳内で分泌されるβ-エンドルフィンというホルモンの作用だといわれている。 

 

 そして走るスピードが更に加速していく。苦痛が無く、走ることに快感を得た今、長距離を全力で走り切るまで終わらない。

 

 

 

 

          《〜15分後〜》

 

 

 

 

 あれからどれだけの時間が経過したのか。いつも通りの距離を走ったので、体内時計の感覚だと三十分切ったほどだと推測する。

 

 長距離走が終わったところで、大和は休む暇もなく妖夢に走り切ったことを報告する。

 

「終わったぜ。」

 

「早いですね。一時間切ってる。」

 

 自分でもあの距離を走り切るのに一時間は掛かるのに、この大和は一時間以内に余裕で走り切っている。

 

 現代の話であれば10キロを走るのに一時間とちょっと掛かる。しかし大和はその記録を塗り替えてしまうほどのスピードで走ったのだ。

 

 しかも10キロの距離を休まず走っていたのにも関わらず、大和は疲れているどころか息一つ乱れていない。まるでまだまだ走れると言わんばかりだった。

 

 それもそうだ。俺を軽んじて貰っては困る。毎日毎日、紅虎さんの修行で馬や狼のように走らされていたのだ。中学を卒業する頃にはフルマラソン(42.195キロ)を全力疾走で完走できるほどの体力は身に付いている。

 

 あまりにも桁外れの体力を持っている大和を前に妖夢も思わず若干引き気味に驚いてしまう。

 

「息一つ乱れてないですね」

 

「まぁ毎日走ってたし、こんなもんだろ?」

 

 こんなもので疲れていたら紅虎さんの弟子にはなれない。即破門である。

 

 伊達に鍛えてるわけではない。俺は強くなるためにあらゆる努力をし、死ぬ気で修行していたんだ。

 

 並の修行で俺が尻尾を巻いて逃げるとは思うな。

 

「次は何するんだ?」

 

「それじゃあ、腕立て腹筋を100回ずつ」

 

「よっしゃあ、やるぞ!」

 

 妖夢の目の前で筋トレを始める。

 

 まずは腕立てだ。一番やっていた得意分野。

 

 足を伸ばしてつま先を立てになり、頭から足首まで身体を真っ直ぐになるようにし まっすぐな姿勢をキープしながら四つん這いになり、脇を締めて肘を曲げ、体を床に着くギリギリまでゆっくりと下ろす。

 

 基本に忠実な腕立て伏せを1秒間に一回ペースで熟す。100回やるまでペースが落ちることはなかった。

 

 

 

         《数十分後》

 

 体力が有り余ってるとはいえ、そろそろ大和の身体からじんわりと汗が流れる。

 

 その一方、疲れている様子は無い。

 

「終わったよ。次は?」

 

「……早っ、次は◆◇◆ですね」

 

 淡々と、そしてあっと言う間に修行を熟す大和に対して、妖夢は自分の修行が役に立ってるのか疑問に思っていた。

 

「よっしゃあ」

 

 再び修行を始める。

 

 

 

         《数十分後》

 

 

 

 

 あっと言う間に言い渡された修行を終える。

 

 大和の身体が暖まってきて、筋肉もパンプアップしている。身体から大量の汗が流れる。

 

 しかし、疲れてはおらず。

 

「終わったぞ。」

 

「次はこれをですね!!」

 

 あまりにも大和が疲れないので、妖夢は焦っていた。自分の課した修行で全く疲労を感じさせないからだ。

 

 どうしたら良いのか、もう自分がやっていた修行が底を尽きる。もう教えられる修行は無い。

 

「あいよ!」

 

 言い渡された妖夢の修行に取り組む。まるで流れ作業のような感じだった。

 

 この時、大和は修行が楽しくて仕方なかった。

 

 久しぶりに身体を動かすことができて、汗を流すことで感じられる爽快感を味わっていた。

 

 

 

 

          《数十分後》

 

 尽く課せられた修行を終える大和。

 

 汗を大量に流し、身体が完全に暖まって、ギアチェンジしなくても、いつでフルスロットルで動くことができる。

 

「終わった。」

 

(……全っ然! 疲れない!? なんなのこの人!?)

 

 あまりにも体力お化け過ぎる。何をしたら疲れるのか、どうしたら良いのか、妖夢にはわからなかった。

 

 もう出来る修行はない。完全に底を尽きた。

 

 この際だ。この大和の肉体の強さを改めて見直そう。

 

 この人は並の人間ではない。規格外の体力とあらゆる修行に耐え得る強靱な肉体を持っている化物だ。怪童と呼んでも良い。

 

 私の修行では、この大和を疲れさせることも、厳しいと思わせることもできない。相手が悪すぎる。

 

 修行が駄目だと言わんばかりに自分を責めている妖夢、しかしそんな中で嬉しそうにしている人が一人。

 

 大和だった。修行を熟していた大和がとても嬉しそうにしていた。

 

「いやぁ、すげぇよ妖夢。稽古でこんなに身体が暖まるなんて久しぶりだよ。流石は幽々子の剣術指南役だな」

 

 心臓が起き上がって、芯まで身体が暖まる修行をしたのはいつぶりだろうか。

 

 自分の日常稽古だと軽く済ませるので、汗を流す程度で終わる。身体も多少暖まるが、それでも中途半端だ。

 

 しかし、今回の妖夢に課せられた修行は良かった。手を抜くこと無かった。

 

 しっかりと全身を鍛えられ、身体も十分に暖まってる。こんな充実した修行をしたのは久しぶりだ。

 

「それは……良かったですね」

 

 そんなことを言ってくれると、とてもありがたい。自分の修行が役に立っていると思うと喜ばしい。

 

 しかし、全ての修行を熟して疲れないとなると、厳しさが足りないと思われたら自分が舐められる。「妖夢の修行こんなもんかよ、大したことねぇな」て言われるのは絶対に嫌だ。

 

 その反面、大和はそんなことを言うような奴ではない。紅虎のに比べれば確かに厳しくないが、それでも鈍ってる身体を鍛えるには今の修行でかなり満足してるのだ。

 

「次は何するんだ? なんでも熟すぜ」

 

「次で最後です。素振りを晩御飯前までずっとやっててください。」

 

「その前に服脱いで良い? 汗でベタベタで嫌なんだよ」

 

「どうぞご勝手に」

 

 素振りの前に大和は上着を脱いだ。

 

「……っ!?」

 

 脱いだ瞬間、妖夢は大和の身体を見て絶句した。

 

 極限まで鍛え込まれた肉体。分厚い胸筋に、綺麗に割れたシックスパックの腹筋、凝縮させた筋肉を搭載した腕。

 

 贅肉は一片もない。

 

 ギリシャの彫刻のように強靱な身体、しかし筋肉は硬くはなく、女性の乳房のような柔らかさと、しなやかな鞭のような滑らかさがあった。

 

 更に、身体中には無数の傷が刻み込まれている。

 

 刃物傷、打撃傷、爪痕、銃創、数えればキリがない。

 

 全ての傷が物語る。どれだけの修羅場を潜り抜けてきたのかを、どれだけの修練を重ねてきたのかを。

 

 絵に書いたような、芸術的にすら感じる大和の肉体。

 

 妖夢は思った。どうすればそんな肉体が完成するのか、どれだけの鍛錬を積み重ねてきたのか。

 

 自分では到底のことながら無理だ。こんな美しく強靱な肉体を作るのは。

 

「どうすればそんな身体を作れるんですか?」

 

「別に大したことねぇよ。紅虎さんに鍛えられたら誰でもこうなる。耐え切ることができればの話だけど」

 

 もし、紅虎さんに弟子入りして、耐え抜くことさえできれば、誰でも強靱さと美しさ重ね揃えた肉体を手に入れることができる。それができるのは極わずかだと思うけど。

 

「それで、何で素振りすれば良いんだ? 木刀か? それとも俺が持ってる鉄刀か?」

 

「これです。」

 

 妖夢が両手で持ってた物を差し出してくる。 

 

 目を疑うような鍛錬器具だった。

 

 柄は普通の木刀と変わりない。問題は刀身に当たる部分だった。

 

 長さは木刀と変わらない。丸太をそのままの形に保っている。直径は30センチほどあるか。木の皮が張り付いていた。

 

 材質は樫の木か。太く、重い、それでいて存在感がある。

 

 差し出してきた鍛錬器具を大和が片手で受け取る。

 

 手に取った瞬間、ずっしりとした、ダンベルのような重みが片手に押し掛かる。

 

 およそ30キロ以上ほどあるのか、非常に重い。片手で振り回すには力が足りなさ過ぎる。

 

 この鍛錬器具の重さは木刀の30倍、鉄刀の3倍以上はある。

 

 これを何時間も振るうのか。大和はそう思った。

 

 普通の木刀なら問題ない。鉄刀でも大丈夫だろう。しかしこの鍛錬器具で何時間も素振りできるのか、少々不安だった。

 

 早速、素振りを始める。

 

 中段の構えを取る。鍛錬器具を背中まで振りかぶり、胸の辺りまで振り下ろす。 

 

 その際、鍛錬器具を振り上げるのと同時に右足を前に出し、振り下ろすのと同時に左足を引きつける。

 

「これは……」

 

 筋肉が軋む。鍛錬器具の重みが両腕に乗っかかる。

 

 これを普通の木刀のように、高速で繰り返すこは無理だ。あまりにも重すぎる。

 

 自分のペースでやろう。時間は沢山ある。最後までやり抜くことだけを考えよう。

 

 大和は休むこと無く素振りを続ける。

 

 

 

 

         《〜数時間後〜》

 

 ここは冥界、朝も昼も夜もない場所、故に時間を把握するには体内時計で覚えるしか無い。

 

 あれからどれだけの時間が経過したろうか、一体何百回素振りをしただろうか。

 

 大和は未だに素振りを続けていた。

 

 終わらない。妖夢が良しと言うまで終わらない。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 無限に続く素振りに大和は遂に悲痛の表情を浮かべていた。

 

 疲れ果てていたのだ。

 

 筋肉がパンパンに膨れ上がり、肉が軋む音がする。

 

 もう止めろ。早く休めと、脳が苦痛をひたすらサインとして送ってくる。

 

 インターバルを取らなきゃ、永遠に苦痛を与えられる。逃れることはできない。

 

 しかし、大和は止めなかった。どんなに苦痛に溢れていても、手を止めること無くひたすら動き続ける。

 

 我慢強かった。まるで今まで痛みに耐えることを訓練していたかのように。

 

「……来い! ……来い!」

 

 大和は何かを待っているようだった。

 

 この痛みに耐えれば何があるのか。その先に何が待ち構えているのか。

 

 それを待つために大和は苦痛を我慢する。

 

 そして、それは間もなくしてやって来た。

 

 大和の身体に異変が起こったのだ。

 

 

 

…………パァー!!

 

 

 

 大和の頭の中にある物質が分泌された。

 

 その瞬間、大和の表情から苦痛は消え去り。寧ろ気持ち良くなっている顔をしていた。

 

 そして、素振りする動きが速くなる。

 

 さっきまでの何倍も動きが早い。まるで軽い木刀を振ってるような感じだった。

 

 疲れ果てていたのに、急に体力が全部回復したかのように復活した。

 

「……これは?」

 

 大和の異変に気付いた妖夢。

 

 しかし、大和の身体に何が起きたのかはわからない。

 

 疲れてて苦痛の表情を浮かべていたのに、急に復活して今までよりも良い動きをしている。

 

 そのまま疲れることも辛そうな表情をすることなく。大和は妖夢の言った通り晩御飯前まで素振りを続けた。

 

 

 

 

       《〜それから数時間後〜》

 

 

 バテることなく。大和は妖夢の修行を達成した。

 

 しかし、疲れている様子は無い。寧ろまだまだ動けると言わんばかりに活き活きしている。

 

 修行が終わると、大和は鍛錬器具を置く。そして右肩をグルグルと回した。

 

「いやぁ〜流石に駄目だと思ったよ」

 

 最初はどうなるかと思ったが、意外とどうにでもなるようなもんだな。

 

 やっぱりあれがあったからやり遂げれたんだ。あれには感謝しないとな。

 

「凄いですね。あれは一体何だったんですか?」

 

「……何が?」

 

「急に動きが良くなったり。気持ちよさそうな顔をしていたあれです。あれは私も知らない。」

 

「……あぁ、あれか。」

 

 大和は何かを知っている様子だった。

 

 それも無理はない。あれは何度も体験している。寧ろ感じることが日常茶飯事なもんだから。

 

 あの正体は何なのか、苦痛の先に何があるのか。妖夢は気になっていた。

 

「知ってるんですか?」

 

「ドーパミンだよ。」

 

「ドーパミン?」

 

「紅虎さんが言うには、脳内麻薬とも言ってたな。苦痛を耐え続けると分泌されるんだって。」

 

 脳内麻薬エンドルフィン、他にもドーパミンと言う呼び方があるが、肉体に生じる苦痛がある一定の限界を越えることで脳の中にそれらが大量に分泌される

 

 その効果は最強の麻薬と呼ばれているモルヒネの1000倍もの麻薬効果を持つと言われ、想像を絶する高揚感を得ると同時に全ての苦痛が完全に取り払われる。

 

 一流の修行僧、アスリート、一流と呼ばれる者が体験する感覚と言っても良い。

 

 大和はそれを体験していたのだ。

 

 だから、苦痛が取り払われて気持ち良くなり。永遠に動き続けられる。

 

「そんなものがあるなんて」

 

 初めて知る妖夢。一度たりとも経験したこと無い感覚にとても信じられないと言わんばかりだった。

 

 一度たりとも自分は限界に挑戦したことがない。まさか苦痛のその先があるなんて。

 

「ということだ。まぁ妖夢もいずれ経験するって」

 

「………」

 

「それよりも飯だ。腹減ったから」

 

「そうですね。すぐに支度します」

 

 そう言って修行を終えた大和と妖夢は屋敷の中に入って晩御飯の準備をする。

 

 そのあとはいつも通り、三人で一緒に茶の間で晩御飯を食べる。

 

 今日のご飯は一段と美味かった。一生懸命動いて、必死に頑張ったのだから、それはもう絶品だった。

 

 晩御飯を食べた後、大和と妖夢で片付けをして皿洗いをする。

 

 そのあとは三人で就寝まで雑談でもしながら話し合い。就寝時間には布団を敷いて三人で眠りについた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話 妖夢の剣術指南

 あれから一ヶ月の月日が経過したあとのこと。

 

 妖夢の修行を乗り越え、成長した大和は体力も更につけ、身体にも変化があった。

 

 筋肉が肥大化し、75キロだった体重は今では80キロまで増加した。

 

 胸筋は分厚さを増し、腕は一回り太くなった。

 

 鍛錬器具で鍛えたことが大きい。あれのおかげで力が更に強くなったのだから。

 

 今では、鍛錬器具で素振りをしても、苦痛が限界を超えることが無くなった。

 

 肉体が慣れ始め、負荷に耐えられるほどの筋力を手に入れたのだ。

 

 基礎体力は身についた。妖夢のあのスピードを出すことは出来ないが、筋力だけなら多分上回っている。

 

「頃合いでしょう。剣術を教えます。」

 

「あぁ」

 

「それとも、あの技を教えましょうか?」

 

「……あの技? 何だそれ?」

 

「縮地走法です。」

 

 縮地走法とは、動いている事を悟らせずに間合を詰める、一瞬で短距離を移動する。言わば移動術。

 

 前回の決闘で妖夢が何度も見せた技だ。

 

 大和の心眼で全て受け止められたので、縮地走法の凄みが際立っていなかった。

 

 しかし、あの技はとても凄くて恐ろしい。

 

 例え達人が相手でも、確実に一撃で決めることが可能な、いわゆる必殺技だ。

 

 もしも、この縮地走法を習得することができれば、間違いなく格段に強くなれる。

 

 瞬間移動にも匹敵する『縮地走法』、そして未来を見通す『心眼』があれば、ほぼ敵無しの存在となれる。

 

「その縮地走法を……俺に……」

 

「はい。習得できればの話ですが」

 

 教えても良いが、それを習得できるのかは別だ。と言わんばかりに妖夢は余裕を見せるような素振りを見せる。

 

 この縮地走法は普通の人間では使用することは不可能、どうやっても習得はできない。

 

 いや、例え肉体を鍛えた人間でも習得するのは極めて難しい。挑戦してもほとんどが脱落する。

 

 肉体を極限まで鍛え上げた大和でも習得できるかどうか。それは挑戦してみなければわからない。

 

「そもそも縮地走法を使うには色んな要素を合わせなければいけません。それらが統一することで完成する技なので。」

 

 並外れた脚力、爆発的な瞬発力、獣のような敏捷性、脱力、それら全てを合わせ揃えて完成する技。一つでも欠けてしまったら使用することは不可能。

 

 コツを掴む必要がある。

 

 縮地走法を習得するには、要素を言葉だけで聞いていても出来るものではない。感覚を身体に覚えさえ、要点を掴むことが肝とも言える。

 

 それら全てを大和がどれくらいの年月を掛けて出来るのか、果たして習得することができるのか。

 

 指南役である妖夢に取っては観物だった。

 

「そもそもなんだけど。」

 

「はい。」

 

「何で妖夢はそんなスゲェ縮地走法を何度も使えるんだ?」

 

 何故、女の子である妖夢が縮地走法を使えるのか。

 

 鍛えてるとはいえ、小柄なうえに華奢で可憐な身体をしている。

 

 俺ほどの筋力があるとは思えない。肉体の強さだけで言えば俺の方が何十倍も上だろう。

 

 それなのに、絶技である縮地走法を使える。

 

 どこにそんな爆発的な脚力があるのか。

 

 どんな瞬発力と敏捷性なのか。

 

 大和の言葉を聞いて、「あっ」と言い、ふと何かを思い出したのか、妖夢は思い出顔で答えてくる。

 

「そういえば言ってませんでしたね。私は純粋な人間ではないんですよ」

 

「ということは?」

 

「私は半人半霊です。半分人間で半分幽霊です。」

 

 妖夢は普通の人間ではない。

 

 人間と幽霊のハーフ。

 

 ハーフといっても人間と幽霊の間にできた子供ではなく、半人半霊体質の種族ということ。

 

 肉体の強度も身体能力も寿命も普通の人間とは違うのだ。

 

 筋力も敏捷性も瞬発力も、総合的な身体能力は並外れて高い。寿命も普通の人間とは比べ物にならないほどに長寿。

 

 縮地走法を使えるのも、身体能力の高さと長年続けた日々の鍛錬で培ったものだ。

 

「では見せますので。」

 

 妖夢が腰を低く落とす。

 

 目を瞑り、瞑想でもしているかのように静かになる。

 

 そして、次の瞬間。

 

 その場から消えた。

 

 音や風を一切立てずに、まるで神隠しでもあったかのように姿を消した。

 

 気付いたら。妖夢は真っ直ぐ10メートル先の場所で立っていた。

 

 動きが見えなかった。反応できるかそういう問題ではない。

 

 まさに瞬間移動のようなものだった。

 

 妖夢がこちらに向かって歩いてくる。

 

 大和に近づくと、すぐにどうだったか話しかけた。

 

「どうです? わかりましたか?」

 

「なるほど、そういうことか」

 

 すぐに理解した。

 

 移動は全く見えなかったが。動く刹那の動作は見えていたので何とかわかった。

 

 縮地走法は爆発的な脚力と瞬発力だけでできるものではない。

 

 脱力だ。

 

 極限までリラックスし、筋肉の力を抜いて女体の如く柔らかくさせる。

 

 強調される瞬発力、その瞬間までのリラックス。

 

 瞬発力と脱力の振り幅が要。

 

 これで原理は理解した。

 

「良し。やってみる。」

 

 早速、見て覚えた大和は縮地走法を試してみる。

 

 まず、腰を低く落として身体の力を抜く。

 

 力を抜いて、筋肉を女体の如く柔らかく。

 

 いや。

 

 もっとだ。

 

 肉体を液体のようなイメージに近づけよう。

 

 身体の原型が留めないほどドロドロの液体に。

 

 身体が溶けていくような感覚になる。

 

 手も。

 

 足腰も。

 

 胴体も頭も。

 

 全てが溶けていくようなイメージ。

 

 完全に身体が液体のイメージになった瞬間。

 

 足に力を込めて、大地を蹴る。

 

 大地を蹴ると地面が抉れる。

 

 その場から大和は弾丸のように高速移動し、数秒後には5メートルほど離れた場所で止まった。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 大和は息を乱す。

 

 できた。なんとか出来た。

 

 コツは掴んだ。あのイメージを脳裏に焼き付けておこう。

 

「凄いですね。一度見ただけでできるとは。」

 

 驚きだった。見せたとは言え、一度で縮地走法の原理とコツを理解するとは、感服の一言だった。

 

 一度見ただけで大和は脱力は習得していた。

 

 しかし、妖夢の縮地走法にはまだ程遠い。

 

 常人離れした高速移動ができたとはいえ、まだ肉眼で捉えることができるほどには遅かった。

 

 それは何故か。

 

 圧倒的に脚力と瞬発力が足りていなかったのだ。

 

 それに原理やコツを理解しても、肉体が追い付いてこない。

 

 更に高速移動する際に掛かる負荷にも肉体が耐えれなかったのだろう。一度使用しただけでもかなり疲労し、体力が大幅に削られる。

 

 どうすれば良いのか。

 

 恐らく、俺の縮地走法はこれが限界である。

 

 もっと早く動きたいのであれば、今まで以上に足腰を鍛え上げる。瞬発力を高めるしか方法はない。

 

 しかし、不幸にも大和の肉体は極限まで鍛え上げている。もはや格段にレベルアップとはいかないだろう。

 

 何故、妖夢と俺にこんな差が生まれるのか、どうして負けているのか。それは単純なこと。

 

 それは種族の問題だ。妖怪などの人外ならこの問題を簡単に解決してくれるであろう。

 

 だが、俺は人間。

 

 医学的観点から人間が持ち上げられる重量の限界は500kgまでとされている。それ以上の重たい物を支えようとすれば、腕の骨の強度が耐えられず、骨が折れてしまうとされる。

 

 それと同じく身体能力全般にも限界がある。

 

 人間である以上、俺は妖夢を超えることは出来ないであろう。

 

 縮地走法をもっと速くすることはできない。それはほぼ確信とも言える。

 

 しかし体力を増強するならできる。

 

 もっと走って。もっと足腰を鍛えれば、何度か縮地走法を使うことができる。

 

「もっと鍛えねぇとな。」

 

「普通の人間としては優秀ですよ。多分同等に勝てる相手はほぼいないでしょう。」

 

「どうかな? 俺より強い人間は沢山いると思う。少なくともこの世に二人はな」

 

「大和さんより強い人がいるんですね。」

 

 そうだ。俺より強い人間はいる。絶対に勝てないと言う相手が少なくとも二人はいる。

 

 一人は師匠の御巫紅虎さん。

 

 あの人は異次元の強さと力を持っている。恐らく世界最強と言っても過言ではない。

 

 長年の付き合いだ。苦楽を共にしてきた師弟関係。

 

 しかも、底を見せたことがない。本気を出した所を見たことがないのだ。

 

 本気を出した紅虎さんがどんな強さになるのかは想像もつかない。未知の領域だ。

 

 あまりにも秘密や謎が多すぎて、経歴もわからなければ、なぜ強いのかも不明だ。

 

 もう一人は兄である草薙武尊。彼はもうすでに故人である。

 

 彼も最強と名高い身体能力と強さを持っていた。

 

 正直、同じ血を分けた兄弟とは思えない程には桁外れの強さを持っている。紛れもない強者の中の強者だ。

 

 そんな兄に何度も稽古をつけて貰ったり、対戦して貰ったが、一度足りとも勝てなかった。

 

 圧倒的な力の差と心眼で手も足も出なかった。正に無敵のような存在だった。

 

「生涯掛けて勝とうと思ったけど、結局勝てなかったな。正直強すぎて俺なんか相手にならなかったし。

 俺なんか所詮強者になる器はねぇよ。」

 

「そんなに自分を責めないでください。今の状態でも強いと思うので」

 

 大和は十分に強い。少なくとも人間の中ではほぼ最上級の強さは持っている。

 

 今のままでも強い。更に潜在能力も秘めている。

 

 自分が弱いと感じるのは、周りに人間を超えた化物がいただけだから。それで大和が弱いと言われるのは大きな間違いだ。

 

 だから、そんなに弱気にならなくても良いのだ。寧ろ自分の強さを誇りにしても良い。 

 

「そうだな。もっと自信を持たないとな。ちょっと弱気過ぎたわ。」

 

 別に俺は弱くはない。寧ろ過剰な程の強さは持っている。

 

 俺が自分を弱いと思ったのは、周りに強すぎる人がいただけのこと。

 

 二人の強者を並べると、確かに俺は霞む、弱く見える。

 

 だが、他の二人が強いからと言って、俺が弱くなるわけではない。

 

 だから前向きに行こう。ポジティブに行こう。下を向いていったって何も変わらない。

 

「さて、長話は終わりにして、縮地走法の練習再開しよう。絶対に物にしてやる。」

 

「その意気です。頑張りましょう。」

 

「あぁ。」

 

 前向きに大和は笑顔を妖夢に向けた。まるで無邪気な子どものように。

 

 縮地走法は確かに難しい技だ。だが人間に出来ない技ではない。沢山鍛錬を積めばなんとか習得は可能だ。

 

 それから大和は晩御飯の時間のなるまで、自分の体力が尽きるまで、縮地走法の練習をした。

 

 縮地走法をやればやるほど、コツややり方を理解し、少しずつだが出来るようになっていた。

 

 段々と力を付けていく大和、果たして幻想郷でも通用するほどの強者になることはできるのか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話 人里にて

《〜人里〜》

 

 風景は明治等編と言ったところか。

 

 地面はアスファルトではなく、整地された地面。

 

 電灯もなければ、車も走っていない。

 

 建物はコンクリートではない。現代の建物でもない。

 

 どこを見ても、材木と瓦で構成された家の数々。

 

 所々に、雑貨屋、食べ物屋、衣類店などなど、色んな店が並んでいる。

 

 しかし現代と比べれば、時代は圧倒的に古い。

 

 人もそうだ。

 

 現代の衣類ではない。

 

 袴や着物などと言った。昔の人が着ていた衣類を着ている。

 

 そんな古き良き人里で人間の大和と亡霊の幽々子が二人仲良く歩いていた。

 

 しかし、大和はどんよりとしていた。いや、ちょっと後悔していると言ったほうが良いのか。

 

「まじかよ……着物着てこれば良かった。」

 

 明らかに異様な風景だった。

 

 人里の中で現代の服を着ているのは自分だけ、これでは自分が変わった身なりをしているような感じがした。

 

 その証拠に、自分を物珍しそうに人里のみんなが見ている。

 

 そんな大和を慰めるように、まぁまぁと大和の肩を優しく叩く幽々子。

 

「次来た時に着れば良いじゃない」

 

「そうだな。」

 

 今度からそうしよう。次もまた現代の服を着て人里にやってきたら本当に変わり者だと思われてしまう。

 

 みんなから変な目で見られることが、こんなにも恥ずかしいなんて思わなかった。

 

 二人は目的も無く、人里で歩いていた。

 

 なんで冥界に住んでいる二人が幻想郷に存在する人里にいるか。

 

 どうしてこうなったかと言うと。

 

 

 

 

《〜数時間前のこと〜》

 

 

 

 白玉楼にて。

 

 大和と妖夢が鍛錬を終えて、茶の間で三人で寛いでいる時のことだった。

 

 頬杖を立てて幽々子がため息をつく。

 

 何も無く暇を持て余していた。

 

 白玉楼には何も娯楽が無い。強いて言えば幽霊が漂っているだけ。

 

「退屈ねぇ〜」

 

「何もねぇからな。」

 

 あまりにも暇すぎて、ふと、大きな欠伸をする大和。

 

 妖夢から色々聞いたが、確か冥界は現世と隔離されている世界。特殊な手段ではない限り、冥界から出ることはできない。

 

 しかも、本当に何もない。娯楽施設も食べ物屋も何もかも。

 

 鍛錬、幽々子や妖夢などの住人とのお喋り、庭を眺める、料理を作るなど、それ以外することがない。

 

 おまけに漂っている幽霊は雑用はできるが喋れない。喋る相手は限られている。

 

「良くもまぁ……幽々子はこんな生活してたな」

 

「あら、慣れれば楽しいものよ。ゆったりとできる時間が沢山あるんだもの」

 

 こんな何も無い世界で幽々子は千年以上も生活していたと思うと、この先が心配になる。

 

 あまりにも退屈過ぎて、気が狂うんではないかと思ってしまう。

 

 少なくとも、暇な時間があれば、俺は鍛錬して、一刻も早く妖夢よりも強くなりたい。

 

 幽々子と違って、俺には人間の寿命というものがある。

 

 あと何十年生きれるのか、それによって幽々子と一緒に居られる時間も制限させる。

 

「はぁ……なんかねぇかな?」

 

「それなら良い考えがあるわよ」

 

 それは突然のことだった。

 

 二人の間にスキマを開けて八雲紫が現れた。

 

 八雲紫は最初からこの場にいたような態度で居座っている。

 

 そして胡散臭い笑顔を浮かべている八雲紫、まるで何かを企んでいるような雰囲気を感じる。

 

 一体、どのあたりから俺達の話を聞いていたのかも謎に満ちている。

 

 突然現れた八雲紫を見て、大和は驚いた顔をする。

 

 心臓が飛び上がったような、ねこだましをされて身体が反応したような、そんな感じだった。

 

「あら紫」

 

「だから突然現れないでくれよ。」

 

 この妖怪、驚かせるつもりでやってるのか、それとも素でやっているのか。

 

 どちらにしても、心臓に悪いのは確かだ。

 

 恐らく慣れるまでかなりの時間が掛かるだろう。

 

 頼むから、来るなら突然じゃなくて、事前に来ると言ってくれ。だが、どうやって事前に連絡するのかはわからないが。

 

 それに対して、驚いた大和を見て面白く感じたのか、八雲紫はクスクスと笑っている。

 

「人里に行ってみない?」

 

「人里?」

 

 妙な提案だった。

 

 そもそも幻想郷にも人が住んでいる場所があったのか。

 

 てっきり妖怪や神々とか幻想の生き物しか思っていたが、単なる勘違いだったか。

 

「そう。人間が住んでる小さな里、とても楽しいところよ」

 

 そろそろ、同居人だけのお喋りや家事などで不安だったろうし、飽き飽きしていると思ったからだ。

 

 それに人里に行けば、娯楽施設もある。食べ物屋や色んなお店がある。

 

 退屈凌ぎにはなると思っての八雲紫の提案だった。

 

「行きましょうよ大和。私滅多に行ったこと無いから」

 

 幽々子は嬉しそうに目を光らせていた。 

 

 それもそうだ。滅多に行く機会がない人里に行けるのだから、それは嬉しいことに決まっている。

 

 滅多に無い機会を幽々子が逃すわけがない。

 

 しかし、大和の中で一つ心残りがあった。

 

 それは妖夢も一緒なのか。

 

 幽々子と一緒なら夫婦という事でなんとかなるが、妖夢がいると多分誤解を招く可能性がある。

 

「でもなぁ、妖夢はどうする?」

 

「私は良いので、夫婦水入らずで行ってください」

 

 そう言われると。大和も人里の行けることに対して心が揺らいでいた。

 

 冥界で家事、鍛錬、食事の毎日に少し飽きていたからだ。

 

 人里に行けば退屈凌ぎにはなる。もしかしたら自分の知らない、新しい経験ができるのかもしれない。

 

 それに幽々子も行きたいと言っている。これで、もし自分が行かないと言ったら、今後の夫婦生活に支障をきたす可能性もある。

 

 だとしたら、大和が言うことは一つ。

 

「わかったよ。行こう」

 

「やった〜」

 

 嬉しそうに幽々子は両手を合わせて頬の横に添える。

 

 久々に人里で遊ぶことができるのだ。喜ばない筈がない。

 

 ただし閻魔様にこればバレたら説教案件なのはわかっていたので、程よく羽を伸ばそう。

 

「決まりね」

 

 すると、八雲紫は自分の隣に人一人が余裕で入れるようなスキマを作り出す。

 

「これに入れば、人里に行けるわよ。」

 

「はぁ、はぁ……? 便利だなそれ」

 

 改めて考えてみると、この異空間のようなもの、とてつもなく汎用性があって便利なのでは?

 

 俺と戦ったときも、その異空間から武器を沢山飛ばしてきたり、某漫画のどこでも行けるドアのように簡単に移動できるし。

 

 もしかして、この八雲紫の能力、とんでもなく凄い能力なのでは?

 

 そんなことを一人で考えている大和を見て、八雲紫は少し気になったような顔で話しかけてくる。

 

「どうしたの? 入らないの?」

 

「いや、入るさ。行こうか幽々子」

 

「うん。」

 

 二人は立ち上がって手を繋ぎ合い。スキマの中へと入っていた。

 

 そんな仲睦まじい二人の姿を見て、思わず笑みを浮かべる八雲紫。

 

「本当に仲が良い夫婦ね」

 

 幻想郷の中でもかなりのオシドリ夫婦ではないのか、そんな気がした。

 

 二人がスキマの中に消えていくと、八雲紫も自分のスキマの中に入り、妖夢だけを冥界に残した。

 

 

 

 

 

《〜そして現在〜》

 

 スキマを通ったら八雲紫の言う通り、人里の入口に到着していた。

 

 そして今に至る。

 

 今は取り敢えず、人里を回って、それから店でも入ろうかなと思っていた。

 

 人里を歩き回っていると、ちょっとした事が起きた。しかも悪い出来事立った。

 

 里の人達、主に青年達がこちらを見て、自分達に聞こえるような大きな声で話している。

 

 大和を見て笑っているようにも見えた。

 

 大和が異端に見えたのだろう。

 

「なんだよ、あいつの異様な服は」

 

「里の者じゃねぇよな」

 

「恥ずかしくねぇのかな?」

 

 しかし、どんなに自分のことを何とも言われようとも、大和は一切反応しなかった。

 

 自分の格好が人里の者から見れば異様だし、かなり浮世離れしているからだ。

 

 だから、別に気にしない。次から人里に合った服を着れば良いからだ。

 

 だが、青年達の悪態の矛先は大和だけでは収まらなかった。

 

「それに隣の、あいつ亡霊だぜ。」

 

「なんで、あんな奴と一緒にいるんだよ?」

 

「祟られる祟られる。」

 

「所詮化物なんだろ? 人里に来るんじゃねぇよ」

 

 明らかに幽々子の悪口、しかも本人にはっきりと聞こえるほどの大きな声で。

 

 完全に悪意があった。人外の恐れや人里の者ではない異物から来ているものであろう。

 

 自分の悪口を聞いた幽々子は少し落ち込んでいた。

 

 せっかく楽しみにしてた人里でまさかこんな酷いことを言われるなんて思いもしなかったからだ。

 

 自分は確かに亡霊だが、別に人に害を及ぼすようなことをする気はない。

 

 それなのに、里人は亡霊の自分を悪者扱いして、好機があれば石でもなんでも投げつけて迫害しそうだった。

 

 ここには自分の居場所なんてなかったのか。そう幽々子は思ってしまう。

 

 この場に居ても自分の悪口を聞くだけだ。多分他の場所に行っても同じことだろうが。

 

「行きましょう。 やま……と?」

 

 大和の腕を掴んで、どこか行こうとする。

 

 しかし。自分の隣には掴もうとしていた大和の腕が無かった。

 

 ふと気付いた時には大和の姿は無かった。

 

 周りを見渡してみると、大和はさっき自分の悪口を言っていた男たちの所へ行っていた。

 

 喧嘩でも吹っ掛けようとしていたのか、大和は男の胸ぐらを掴んで持ち上げていた。

 

「なんか言ったか? ……あぁ?」

 

 怒っていた。目付きは鋭く、歯を噛み締めていた。

 

 余程、幽々子の悪口が気に食わなかったのだろう。

 

 表情が物語っている。憤慨に満ちた表情だ。

 

 鬼の形相と言ったら良いのか。大和の怒りはハイボルテージに達していた。

 

 青年の胸ぐらを握り締め、身体を宙に浮かせる。

 

 青年の体重はおよそ60キロから70キロか

 

 まるで子どもを持ち上げるかのように、大の大人を片手で軽々と締め上げる。

 

 文句無しの剛腕だった。

 

「なんだこいつ!? いきなりなんだよ!?」

 

「てめぇ……さっき俺の嫁の悪口言ってたよな?」

 

「そっ、そうだっけ? 俺そんな覚えは無いなぁ……」

 

「……言った。確かにこの耳で聞いた。だからこうして締めてる。」

 

 このまま地面に叩きつけて怪我をさせるか、それとも自慢の右拳で顔面を叩くか。

 

 どちらでも俺は良い。こいつらはそれに値する程の罪を犯したのだ。

 

「良いか? 俺の事を悪く言うのは良い。別に気にしないし、何とでも言えって思ってる。

 だけど、嫁の悪口は聞き捨てならねぇ。謝らねぇとこの場で痛みつけても良いんだぞ?」

 

 大和は男に向かって握り締めた右拳を見せつける。

 

 握った右拳は大きく、岩のように硬そうだった。殴られたら一溜まりもないと思わせるほど。

 

「悪かった! もう言わないから許してくれっ!」

 

「……本当だな?」

 

「はい! もうしません!」

 

「……わかった。」

 

「じゃあ、まず本人に謝りな。」

 

 そう言うと青年はさっさと幽々子の前に立つ。

 

 そして何度も幽々子に対して頭を下げた。

 

 何度も何度も謝りながら頭を下げた。

 

 青年の表情はとても恐れていたような顔だった。

 

 余程大和のことが怖かったのか、必死に謝らないと、この後痛い目に遭うことを恐れたのか。

 

 青年が幽々子に謝り終えると、恐る恐る大和に近づいてくる。

 

「……謝りました」

 

「さっさと行きな、もう二度と嫁の悪口言うんじゃねぇぞ。」

 

 大和はずっと謝っていた青年を見ていた。

 

 鬼の形相は消えて平然としてた、大和は怒っていなかった。

 

 幽々子本人に面と向かって謝ったのだ。

 

 もう、怒ることはない。もう一度同じ過ちをしたら別だが。

 

 そう言うと、青年はさっさとその場から走って去っていた。

 

「……さて」

 

 物事が済むと、大和は幽々子の傍に近づく。

 

 どこか温かみのある。穏やかな表情を浮かべながら大和は幽々子の前に立って話しかける。

 

「行こうか。」

 

「うん。」

 

 すると、幽々子は大和の腕を両手で掴む。

 

 二人は腕を組みながら、歩き出した。

 

 幽々子は頬を赤らめて、どこか嬉しそうな顔をしていた。

 

 それは大和が自分のために怒ってくれたことだった。

 

 他人に心に無いことを言われ、少し傷付いていた。

 

 自分は何もできなかった。もしやってしまったら死人が出てしまう。余計に恐れられる。

 

 だから何もできなかった。言い返すことも、制裁することも。

 

 何もできず静かに怒ってる時、大和が自分のために単身で怒ってくれた。

 

 まるで、自分では対処できなかった不安や怒りを代弁してくれたかのように。

 

 結婚してるとは言え、あそこまで他人のために怒ってくれる人はそうはいない。

 

 この人は大事にすべき、自分に取って失ってはいけない存在だと実感した。

 

「大和……ありがとう。」

 

「気にすんなって、俺達夫婦だろ?」

 

「ふふっ、そうね。」

 

 仲睦まじく歩いていると、妙な事に気付いた。

 

 女性が泣いている声が聞こえた。

 

 何だと思って大和は近寄ってみる。

 

「どうした?なんかあったか?」

 

「子どもが……子どもがいないんです。もしかしたら人里を離れて遊びに行ったのかもしれません」

 

 泣き崩れる奥さんの周りには、その話を聞いていた村人達はざわつく。まるでいなくなった子どもがかなり大変な場所に迷い込んでしまったようだった。

 

「子どもが人里を離れたらしい」

 

「それはマズいな」

 

「森や山には妖怪が沢山おる。」

 

「鬼に喰われるかもしれん」

 

 村人達の話を聞いた大和、それは大変だ。子どもが危ないと危機を察知した。その時の大和はとても焦りと驚きが混ざったような表情を浮かべる。

 

 こうしてはいられない。一刻も早く子どもを見つけて助けるために人里から出て探しに行こう。

 

 人一人の命、況してや子供だ。見殺しにするわけにはいかない。

 

 そのためには、道案内する人、そして子どもの行き先を知っている人が必要だ。人里を離れれば妖怪が蔓延っていて少々危険に晒されるが、それは仕方ない。

 

「奥さん! 俺の背中に乗れ! 急いで子どもを探そう!」

 

「……えっ!? 良いんですか?」

 

「早くしろ! 間に合わなかったらどうする!?」

 

 大和は道案内役のために奥さんを背に乗せる。そして落ちないようにしっかりと両手で支える。

 

「幽々子はここで待ってろ。危ないから」

 

「うん。わかったわ。気を付けてね。」

 

「あぁ……無事に帰る。」

 

 そう言い残すと、大和は子どもを助けるために奥さんと一緒に人里を離れていく。

 

 全力で走った。

 

 子どもの命が掛かっているのだ。モタモタしている場合ではない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八話 大和VS鬼〜人間と妖怪の闘い〜

 幻想郷に存在する森の中。

 

 人の気配は無く。整地されていない。

 

 草木に覆われており、どこを見ても東西南北がわからない。

 

 そんな森の中で、幼い子供が泣き喚いていた。

 

 恐らく迷子なのだろう。森に迷い込んで帰る方法がわからなくなったのだ。

 

「わーん!! おっかちゃーん」

 

 大粒の涙を流して、大声で泣き叫ぶ子供。

 

 その声に引きつられたのか、人間に取って恐ろしい存在が子供に近づいてくる。

 

 鬼だった。

 

 肌は黒く、二本の角を生やし、布の腰巻きを巻いている。

 

 体長はおよそ二メートルを越えており、人間離れした体格をしている。

 

「ニンゲン。」

 

 子供の前に現れる。

 

 子供は泣いていることに夢中で、鬼の存在に気付いていない。

 

 そして、喰うつもりだったのか、ヨダレを垂らしている。

 

 手を出して、子供を掴もうとする。

 

 子供が捕まりそうになった瞬間だった。

 

 鬼の前から子供の姿が消えた。

 

「キエ……タ……?」

 

 自分の眼の前から、食い物である人間の子供が突然消えたのだ。

 

 鬼は理解できなかった。こんなこと今まで経験したことないことだったからだ。

 

 しかし、鬼が周囲を見渡してみると、数メートル先に二人の人間がいた。

 

 一人はさっき食われそうになった子供、もう一人は見たことのない服を着た青年だった。

 

 青年とは草薙大和のこと。

 

 そう子供を鬼から助けたのは大和だったのだ。

 

 子供を母親に預けると、大和は鬼の前に立ちはだかる。

 

「さっさと子ども連れて逃げろ!! ここは俺が食い止める。」

 

「はいっ! ありがとうございます。」

 

 母親と子供は逃げた。鬼に食われないように。

 

 必死にその場から立ち去った。

 

 しかし、鬼は諦めない。久々のご馳走を逃すわけにはいかなかったからだ。

 

 鬼は逃げた母親と子供を追いかけようとする。

 

「ニゲタ……ニンゲン……オイカケル……」

 

「おっと待てよ、ここは俺が相手だ。」

 

 大和が立ちはだかると、鬼の動きが止まる。

 

 そして品定めをするように大和を見つめる。

 

 不気味だった。人間を見るような目ではなかった。まるで牛や豚などの家畜、いや、食い物を見るような目だった。

 

 もしかして、この鬼は俺を喰おうとしているのか、だが子どもを襲っていたから、その可能性は大いにある。

 

「ニクヅキ……イイ……コッチノホウガ……ウマソウ……」

 

 さっきの子どもと比べる。

 

 子どもは贅肉がほとんど無くて柔らかく、美味しそうな肉をしていた。

 

 それに比べて大和は引き締まった筋肉、贅肉が一切無く、それでいて柔らかそう。とても美味そうな肉だった。

 

 鬼には最上級のご馳走に見えた。

 

 鬼の口からヨダレが滴る。今すぐに喰いたいと言わんばかりに。

 

「喰いたきゃ俺を倒しな!」

 

 愛用の鉄刀を引き抜き、構える。戦闘準備は整った。

 

 鬼、しかも本物の妖怪。

 

 始めてみた。御伽話だけの世界だけに存在する空想の存在と思ったが、まさか間近に見るとは。

 

 妖怪と対峙したのは、これで二回目だ。

 

 妖怪と一度闘ったことはある。しかし経験値にもならなければ、この闘いで役に立つのかもわからない。

 

 初めて繰り広げる幻想郷での闘い。況してや相手は鬼だ。勝敗がどう着くのか、どう転ぶのか。

 

 戦いの最中、先手を取ったのは大和だった。

 

 まず手始めに大和は身体の力を抜く。

 

 脱力だった。

 

 そして腰を深く沈め、居合の構えを取る。

 

 力を込めた瞬間、大和がその場から消えた。

 

 大和が今やったのは妖夢から教えて貰った。縮地走法だった。

 

「キエ……?」

 

 鬼の目の前に大和が姿を現した。

 

 それと同時に鉄刀を振りかぶり、頭部を目掛けて武器を振るった。

 

 鬼は避けるどころか、動く気配すらなかった。

 

 鬼の頭部に鉄刀がヒットした。

 

 周囲に痛々しい鈍い音が響き渡る。

 

 鬼の身体が揺らぐ。

 

 頭を抑えて、頭を横に振る。

 

(……良し。食らった。)

 

 まともに喰らったのだ。これで倒れるはず。

 

 一撃で仕留めれればそれで良い。あとは逃げれば良いのだから。

 

 倒れないなら、もう一度、いや、なんども食らわせて叩き潰してやる。

 

 それからの鬼の反応とは。

 

「イテェナ。ソレ。」

 

 鬼は倒れなかった。

 

「おい。嘘だろ?」

 

 タイミングも威力も十分だった。それなのに痛いだけで済むなんて。

 

 人間の頭部を殴れば脳震盪、最悪の場合撲殺可能な一撃。

 

 生半可な武器ではない。

 

 普通なら大ダメージと言ったところか。

 

 まともに喰らえばかなりのダメージは与えられるはず。

 

 しかし、鬼は倒れない。

 

 この程度は死なないと言わんばかりに、まるでダメージは入っていない。

 

 ただ痛いだけで済んでいる。

 

「ちくしょうっ!!」

 

 何度も鉄刀で鬼を殴った。

 

 一秒間に二回程か、数秒間で50以上の攻撃を繰り出す。

 

 頭部、胴体、腕など、色んな部位を殴打した。

 

 必死に、全力で、勝つために攻撃を繰り出した。

 

 しかし、鬼は最初の一撃で痛みに慣れてしまったのか、もう痛がるような素振りを見せない。

 

 それどころか、身体が揺らぐことも、首を振ることもしない。

 

 異常なまでの耐久力だった。

 

 人間の力では妖怪には勝てないのか。

 

 それとも単に強さが無いのか。

 

 大和は自分の力の無さに嘆いてしまう。

 

 そして大和にとっての悲劇が始まる。

 

「ソレハ、モウ、イイ。」

 

 大和が攻撃をしている最中、鬼が鉄刀を掴み、握り締める。

 

 そして鬼が力を込めて、鉄刀を捻ると。

 

 鉄刀が曲がり、そして折れる。

 

 金属が折れた音がした。パキンと綺麗な音を立てて。

 

「……っ!?」

 

 大和は驚いた表情で鉄刀を凝視する。

 

 折れただと? この鉄刀が、高純度の鋼で作られた武器が、簡単に折れた?

 

 決して折れない武器が、壊れたのだ。

 

 大和に取っては、絶望と衝撃が走っていた。

 

 しかし、今は命のやり取りをしている。折れた武器に構ってる暇はない。

 

 咄嗟に大和は壊れた武器を放り投げる。

 

 そして素手で闘う。武器を失った今、こうするしか方法はない。

 

 拳を握り締めて、投擲のように構えを取る?

 

 単調で大振り、フルスイングで殴った。

 

 全力の一撃、敵をブチ倒すための渾身の打撃。

 

 渾身の一撃を顔面にお見舞いする。

 

 大和の拳は見事に鬼の顔面にクリーンヒットした。

 

 肉と拳が打つかり合う鈍い音が響き渡る。

 

「やったか?」

 

 もう立てられない。これで鬼は地面に平伏すだろう。そう思っていた。

 

 これで俺の勝ちだ。

 

 しかし。

 

「ナンダ? イマノハ?」

 

 鬼は倒れない。

 

 それどころか躯体が揺らぐことすらなかった。

 

 平然としている。まるでダメージが入ってないようだった。

 

 常人なら脳震盪を引き起こして、ただでは済まない。

 

「……なっ!?」

 

 嘘だろ?俺の攻撃が全く通じてない。

 

 今の打撃はタイミング、威力、スピード、どれも完璧だった。

 

 普通ならぶっ倒れている。

 

 それなのに効いていないとなると。

 

 いや、それよりも攻撃だ。手数を繰り出してひたすらダメージを与えることに力を入れよう。

 

「これならどうだ!?」

 

 顎を打ち砕くような蹴りが鬼の顔面に入った。

 

 しかし、さっきよりも鬼の躯体が揺らぐ、蹴りの威力が強かったのか。

 

 しかし、それは誤りだった。

 

 恐らく鬼も一瞬の出来事で何が起こったのか理解していないだろう。

 

 種明かしはこう。大和は蹴りの前に右ストレートの一撃を放っており、その後の第二の蹴りを放ったのだ。

 

 そう、大和は二回の攻撃をほぼ同時に放ったのだ。

 

「今度こそ……」

 

 しかし、鬼は躯体が揺らいだだけで、別に何ともないような状態だった。

 

 それどころか、爪でポリポリと頬を掻いてるだけだった。

 

(俺の攻撃が通用しない!? 一体どんな耐久力だよ、妖怪って奴は?)

 

 常人なら一撃でKOできる打撃だ。そんな生易しいものではない。

 

 普通なら立っていられない。脳震盪を起こしてエライことになるはずだ。

 

 しかし、この鬼はそんな打撃を何度も喰らっても平気でいる。

 

 耐久力が桁外れなのか、それとも俺が単に弱すぎるのか。それは今は考えている余裕はない。

 

 焦りを感じている。

 

 このままダメージを与えること無く、スタミナが切れて動けなくなるのはとてつもなくやばい。

 

 それは死を意味する。

 

 大和がずっと攻撃を繰り出している中、鬼が大和を仕留めようと反撃を仕掛けてくる。

 

 右手を掲げて、大和の身体目掛ける。

 

 大振りに振るわれた攻撃だった。

 

 単調でシンプルな攻撃、普段の大和なら避けられるほど。

 

 況してや大和は心眼を持ってる。避けられるはずがなかった。

 

 しかし、今は攻撃を仕掛けることに必死になって、心眼を使う暇も余裕もなかった。

 

 鬼の鋭利な爪が大和を襲う。

 

 胸を引き裂かれ、肉が抉られる。

 

 傷口から鮮血がほどばしり、割けた肉が剥き出しになる。

 

 しかし大和は止まらない。動き続ける。

 

 左右スムーズに打撃を放ち、なんども顔面を殴打する。

 

 全力で殴った。

 

 大振りで、単調な打撃。

 

 必死に殴った。

 

 休む暇もなく。

 

 蹴りも何度も入れた。

 

 常人なら一撃で気絶するほどの蹴りを何度も、何度も。

 

 しかし、鬼は倒れない。

 

 攻撃がまるで効いていない。ダメージはほとんど入ってない様子だった。

 

 反撃の返し、鬼が攻撃を仕掛けてくる。

 

 鋭い爪が大和の左腕を襲う。

 

 対処できなかった。そんな余裕はなかった。攻撃に手一杯でそれどころではなかった。

 

 鋭い爪が大和の左腕の肉に深く食い込み、骨を断たれ、引き裂かれる。

 

 そして気付いた時には。

 

 左腕が切り落とされた。

 

 もう感覚は無い。指も無い。肘も無い。まるで最初から無かったような感覚だった。

 

 痛みもなかった。

 

 いや、大量アドレナリンが分泌されて痛みを感じないのか。

 

「腕の一本ぐらいくれてやるっ!」

 

 腕が斬り落とされたぐらいでどうってことない。それよりもこの化物に勝つこと、それが最優先ですることである。

 

 腕や胸から鮮血を撒き散らしながら、大和は殴り蹴り続ける。

 

 このまま動いていれば出血多量で死ぬのにも関わらず。止血しないと動けなくなるのにも関わらず。

 

 関係なかった。

 

 どちらにしても、こいつを倒さなければ死ぬ。止まったら喰われる。

 

 自分に選ぶ道などなかったのだ。

 

 化け物を倒すことだけに集中していた。

 

「うおぉぉっっ!!!」

 

 殴る蹴るのスピードが加速していく。

 

 全力で殴った。渾身の力を込めて。

 

 力を振り絞って蹴った。体力が限界を迎えようとしても。

 

 勝つために、フルパワーで攻撃を繰り出した。

 

 だが、無防備に喰らっているのにも関わらず、鬼には一切のダメージは入らなかった。

 

 蚊に刺された程にも感じていなかったのか。

 

 大和の攻撃を幾ら受けても動じない。

 

 そして、大和の運命を左右する鬼の反撃が始まった。

 

「ウットウ……シイ……」

 

 鬼は爪を立てて、大和の胸を目掛ける。

 

 鋭い爪が襲い掛かり大和の胸を貫く。

 

 まるで日本刀のように鋭い爪が分厚い胸筋を通り越し、胸骨を砕き、心臓まで到達する。

 

 そして最終的には背中まで簡単に貫通してしまう。

 

 その直後、大和の身体に異変が起こる。

 

 嘔吐のような感覚で、込み上げてきた物が口の中に一杯になる。

 

 口の中に広がったのは生温かい塩気と鉄のような味の流動体だった。

 

 口の中の液体の正体は血だった。

 

 我慢できずに大和は大量の血を吐き出す。

 

「あがっ!!」

 

 吐いた血が口に滴り、顔の下半分が血で染まった。

 

 鬼は腕を引き抜く。

 

 大和の胸から大量の鮮血が吹き出す。

 

 大和は地面に沈んだ。

 

 その場に倒れたのだ。

 

 心臓は完全に潰された。もはや助かることは無いだろう。

 

 もはや息はしていない。心臓も無いので鼓動も聞こえない。

 

 動く気配もない。生気もない。まるで屍のようだった。

 

 瞳に光はない。虚ろな目をしてい

 

 しかし、まだ脈がある。生きていたのだ。

 

 動く気配はない。おそらく力は残ってないだろう。

 

 暫くすれば何れ死ぬ。脈は止まり、脳死もする。

 

 

 

 草薙大和、幻想郷にて鬼に敗北。死を迎える。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

⑨話 圧倒的な力の差

 闘いが終わり、大和が瀕死状態になった時のことだった。

 

 心臓は破壊され、死ぬのも時間の問題。

 

 風穴の空いた胸部から多量の血が流れている。

 

 もう動く気配すら無い。

 

 肌は青白くなり、虚ろな目をしている。

 

 死にかけているのだ。

 

 息はほとんどしていない。もはや死体のようだった。

 

 もう死体同然の大和の元に鬼が近づいてくる。

 

「ヤットトマッタ。クウ……ニンゲン。」

 

 鬼が手を出してくる。

 

 これから大和を喰らうのだ。

 

 久々のご馳走なのだ。恐らく肉片一つ残すこと無く。全て喰らい尽くすことだろう。

 

 鬼はヨダレを垂らす。

 

 一体どんな味がするのか、どんなに柔らかく質の良い肉なのか、そんなことで鬼の頭はいっぱいだった。

 

 鬼が大和に触れようとした。その瞬間だった。

 

「待ちなさい。」

 

 森の中で声が聞こえる。

 

 この場には死体同然の大和と鬼しかいないはずなのに、誰かがやってきたのだ。

 

 今まで気配はなかった。

 

 まるで突然現れたような感じだった。

 

 鬼が声の方向を見る。

 

 そこには日傘を差している金髪の女性が立っていた。

 

 八雲紫だった。

 

 大和を助けに来たのか、それとも単なる偶然なのか。

 

 どちらにしても、大和が食われずに済んだことに変わりはない。

 

 八雲紫は倒れている大和に視線を向ける。

 

 胸に風穴が空いており、肌が青白く、虚ろな目で、息をほとんどしていない大和を見つめた。

 

 一足遅かったのだ。

 

 どんなに強くても所詮人間なのだ。心臓を壊された以上はもう助からないだろう。

 

 八雲紫はそう思っていた。

 

「その子をどうする気かしら?」

 

「クウ。」

 

「止めなさい。食べることは許さない。」

 

 食えば殺すと言わんばかりに、八雲紫は殺気を放ち、冷徹な目で鬼を睨みつける。

 

 冷静ながらも怒りすら感じる。

 

 それに対して思わず鬼も怯む。八雲紫から離れようと後ろに足を進める。

 

 何故、八雲紫がこんなにも同類に対して威圧的なのか。それには理由が二つ合った。

 

 まず、第一に幻想郷の管理下にある人間を減らしてはいけない。妖怪は人間を無闇に食べてはいけないのだ。

 

 大和も一応は幻想郷の人間。幻想郷の管理下にあるので殺してはいけないのだ。

 

 もう一つは。友人である幽々子の旦那であること。

 

 もし大和が鬼に食われて、このことが幽々子に知られたら。色々と大変なことになる。

 

 幽々子の精神状態に影響する。

 

 下手すればこの鬼も探索されて殺されるだろう。

 

 だから、大和が喰われる前に助けたのだ。

 

「この件については許してあげる。だから早くこの場から去りなさい。」

 

 そう言われると、鬼は残念そうな顔をする。

 

 自分が久々に仕留めた人間を食べれなかったのだ。

 

 それに、もし八雲紫と戦っても勝てる気がしなかった。

 

 歯向かったら間違いなく殺される。無視して人間を食えば殺される。

 

 死ぬことがわかっていて人間を食べることなんてしない。

 

 鬼は八雲紫に背を向ける。

 

 そして、重い足音を立てて、その場から立ち去った。

 

 場に残ったのは死体同然の大和と八雲紫。

 

 八雲紫が大和に近づいてくる。

 

 それから何を思ったのか、八雲紫がひざを曲げて腰を落とし、姿勢を低くすると大和の首を触る。

 

 脈が弱く、ほとんど無いに等しい。

 

 息は微かにしているが、ほぼ虫の息だ。

 

 まだ、生きてはいるが、心臓は破壊されている。死ぬのは時間の問題だった。

 

「まだ息はある。けど死ぬのも時間の問題ね。」

 

 すると、大和が最後の力を振り絞り、小さな声で何かを言っていた。

 

「幽……々……子……」

 

 最後に言葉したのは、自分の妻の名前だった。

 

 生への執着でも、鬼への恨みでもなく。

 

 それからは何も言わなくなった。

 

 その言葉だけで色んな思いを八雲紫は十分に感じた。

 

 まだ生きたいのだろう。まだ幽々子と一緒に人生を歩みたいのだろう。

 

 言わずとも、それが今伝わった。

 

「まだ生きたいのね……」

 

 失った心臓を再生させない限り、人間のまま生かす方法は無い。

 

 しかし助ける方法が無いわけではない。

 

 だが、それを実行するというのは、大和の人間としての生命を断つことになる。

 

 大和が死んだことを幽々子に伝えるか、それともどんな形でも生きた大和に幽々子を会わせるか。

 

 八雲紫の選択肢は二つだった。

 

 だが死んだことを伝えるよりも、生かして幽々子に会わせる方が二人のためにもなる。

 

 それに幽々子に恨まれないためにも、生かす他にはない。

 

「やりたくはなかったけど仕方ないわね。 生かしてはあげるけど、私を恨まないでね。」

 

 倒れている大和の地面の上にスキマを開く。

 

 それから動けない大和はスキマの中に落ちていった。

 

 大和がいなくなると、八雲紫もスキマを開いて中に入っていく。

 

 誰もいなくなった森の中。

 

 の、はずだが、二人の人の気配があった。

 

 ずっと前から大和のことを観察をしていたのだ。

 

「あちゃ〜大和の奴死んだか。流石に人外には勝てねぇよな。」

 

「わかりませんよ。もしかしたらあの妖怪が蘇生させる可能性もあります。」

 

「どうだかな。まぁ、俺からしたら、優秀な兄弟を無くしちまったってところか。」

 

「どうします? あの鬼を殺しますか?」

 

「いや、あいつは残しておこう。もし大和が生きていたら、リベンジさせるためにな。」

 

「そうですか。」

 

「もうそろそろ行こうぜ。長居は無用だ。」

 

 そう言って、二人の人影は森の奥深くへと消え去っていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十話 失ったもの、得た力

 白玉楼の一室にて。

 

「……あれ?」

 

 目を開けてみると、写ったのは見たことがある天井だった。

 

 自分が住んでいる白玉楼の天井だった。

 

 目を覚ますと飛び上がって身体を起き上がらせる。

 

 どうやら俺は布団の上で眠っていたらしい。

 

「なんで俺は生きてんだ?」

 

 確か俺は鬼にやられて。

 

 心臓も壊されて、もう死ぬ寸前だったはずじゃ。

 

 慌てて着物を解いて、自分の胸部を見る。

 

 しかし、胸部に穴はない。傷跡はあるが、完全に塞がっている。

 

 心臓も動いていた。破壊されたはずの心臓が。

 

 鼓動を感じる。生きている感じがする。

 

 自分の傷を見終えると大和が近くに誰かがいることに気がつく。

 

 傍には幽々子、妖夢、八雲紫の三人がいた。

 

 幽々子は心配そうな顔で大和の傍に。

 

 妖夢は気に病んだ表情で正座をしている。

 

 八雲紫はいつもと変わらない。平然としている。

 

 傍に居た幽々子が泣きじゃくりながら大和に抱き着いた。

 

「良かった。目を覚まして……心配だったんだから……」

 

「ごめんな幽々子……心配させて。」

 

 取り敢えず謝った。

 

 そして、幽々子の頭を優しく撫でる。

 

 鉄砲弾のように子供を助けるために飛んでいって、次に会った時には瀕死の重体で再開したのだから。

 

 正直、殴られても良いぐらいのことはしている。

 

「この通り、身体には何の問題も無いからさ。安心してくれよ。」

 

 その言葉を聞いた瞬間。幽々子と妖夢の空気が凍りついた。

 

 まるで言ってはいけないことを口にしてしまったと言わんばかりに。

 

 幽々子は作り笑顔で額に冷や汗をかきながら、内心でちょっと焦っている。

 

 妖夢はとても気まずい表情をしている。顔色も悪くなっている。

 

 二人とも何かあったのかと、大和は内心で心配になる。

 

「えぇ〜と……大和、身体のことなんだけど。」

 

「どうした? なんかあったか?」

 

「大和さん。これを見てください。」

 

 妖夢が手鏡を大和に向けて、自分の姿を見せる。

 

 そこには驚きの光景だった。

 

 最初は自分が写る鏡に夢中で何が変わったのかわからなかった。

 

 しかし、変化に気づくと、思わず鏡を二度見してしまう。

 

「……へっ? えぇっ!!??」

 

 髪や目が変わっていたのだ。それも誰でもわかるようなほどに。

 

 思わず大和は自分を二度見した。

 

「なんで、こんな事になってんだ?」

 

 髪は真赤になっている。それに瞳の色も赤くて瞳孔が猫のように開いている。

 

 一体何が起きているのか、大和は理解できなかった。

 

 俺は髪を染めた覚えはないし、カラーコンタクトレンズを入れた覚えもない。

 

 いや、それどころか瞳の形が猫のように瞳孔が開いている。

 

 整形やイメチェンの次元の問題ではない。もはや改造のようなもんだ。

 

 大和ば自分の髪や顔を触ったりする。

 

「俺……どうなっちまったんだ?」

 

「大和……それは……その……」

 

「貴方はもう人間じゃないからよ。」

 

 そう答えたのは八雲紫だった。

 

 今なんて言ったんだ? 

 

 人間じゃないと言ったのか。

 

 自分の今の状態を理解できなかった。

 

 突然そんな事を言われても。

 

 大和の頭は混乱していた。

 

 相手の感情を一切考えずに、淡々と大和が今置かれている状態を話す。

 

「今の貴方は人間じゃない。人間と妖怪のハーフ。つまり半妖ってことね。」

 

「……半妖?」

 

 半妖とは。主に人間と妖怪の間に生まれた子供のこと言う。しかし例外として、人間が妖怪の力を取り込んだりして半妖になることもある。

 

 某漫画で例えると、先天性の半妖が犬夜叉、後天性の半妖が奈落と言ったところか。

 

 大和は後者の存在だった。

 

 後天性の半妖と言ったところか。

 

 妖怪の臓器移植、しかも血液を身体全体に循環させる大切な役割のある心臓を移植したのだ。ほぼ九割の確率で妖怪になる。

 

 あの時、心臓を破壊され、蘇生を試みる時点で大和は半妖になる運命だったのだ。

 

「そう。死ぬ直前に私が臓器移植をして蘇生させたの。その代わりに移植した臓器が妖怪の物だったから、副作用で半妖になったの。」

 

 鬼に倒された後、八雲紫が死ぬ寸前で大和を助けたのだ。

 

 しかし、人間のままでは助からなかった。適合する心臓が無かったのだから。

 

 その代わり、妖怪の臓器は拒絶反応が少なく、適合する可能性があったのだ。

 

 すぐに移植をしなければ死んでいたので、仕方なく妖怪の臓器を移植して大和を助けたのだ。

 

 しかし本人からすればとんでもないことだった。

 

 生き延びるためとは言え、その代償として人間を辞めることになったのだから。

 

 にわかには受け入れがたい出来事だが、これが現実だと突きつけられた。

 

 大和は唖然とした表情を浮かべていた。

 

「おいおい……嘘だろ?」

 

「移植したものが心臓だったからね。半分妖怪になるのも無理はないわ。」

 

 大和は呆然としていた。

 

 何も言わなかった。文句も反論も何も。

 

 それどころでは無かったからだ。

 

 人間では無い以上どうなるのか、どうすれば良いのか全く理解できなかったからだ。

 

 しかし、そんな大和のことも知らずに八雲紫は淡々と話しを続ける。

 

「まぁ、助けただけ有り難いと思いなさい。もし臓器移植をしなければ死んでたのだから。」

 

「…………」

 

「改めてようこそ大和。同族として歓迎するわ。」

 

 これで大和も半分は自分と同じ妖怪。

 

 これから半分は人間から畏れられる存在。半分は妖怪を畏れる存在となったのだ。

 

 この先、幸せになるのか、不幸になるのかは本人次第。

 

 運命は自ら切り開くもの。

 

 だから、同族としてわからないことはアドバイスはするが、運命を決めることはしない。

 

「貴方が無事なのわかったから。私は帰って寝るわ。

 それじゃあね。幽々子」

 

「待たね紫」

 

 そう言われると、八雲紫はスキマを開いて自分の住処に帰ろうとする。

 

 大和が無事な以上、もう長居する必要はない。

 

 まぁ、幽々子とお喋りをするのも良いが。どうにも眠たくてそれどころではなかった。

 

「待ってくれ。」

 

 八雲紫が帰ろうとした直前に、大和が呼び止める。

 

 一旦帰るのを止めて八雲紫は大和の方を向いた。

 

「どうしたのかしら?」

 

「あの……その……取り敢えず……ありがとう。助けてくれて。」

 

 お礼を言った瞬間、八雲紫は笑顔になり、こう答えた。

 

「友人の夫なんだから当然でしょ?」

 

 友人を悲しむわけにはいかせない。

 

 どんな形にしても、生かさないといけないと思ったからだ。

 

 自分の選択肢は間違っているとは思っていない。

 

 大和を半妖にしたのも、最善の対策と思っている。

 

「あと気をつけてね。半分妖怪でいる以上、今までの普通の生活はできないわよ」

 

「……あっ? あぁ……」

 

 八雲紫の言っている意味がわからなかった。

 

 何が変わっているのか、見た目以外はわからなかったからだ。

 

 そう言い残すと、八雲紫はスキマの中へと入り込み。この場から立ち去った。

 

 八雲紫がいなくなる。

 

 すると大和は布団の上から立ち上がった。

 

「取り敢えず外の空気吸ってくるわ。」

 

「私もついていくわ。」

 

 大和が心配だったのだ。

 

 半妖になって、これからどんなことが起きるのか。

 

 そして、鬼との闘いで重傷を負ったのだ。後遺症が残っているかもしれない。

 

 だから、今は大和の傍に居てあげたい。

 

 もしも、突然身体に異変が起こっても。傷口が開いて苦痛に藻掻いても助けれるように。

 

「そうか、ありがとな。」

 

 二人は部屋を出ていく。

 

 

 

《〜白玉楼、庭にて〜》

 

 もうすでに夜遅くなので空は薄暗い紺色の空に広がって所々に雲が見える、それにふと空を見上げてみれば薄暗い空を照らす美しい満月が昇っており、現世ではまずお目にかかれない白い人魂が縦横無尽に漂い続けている

 

 白玉楼の美しい枯山水の中庭の真ん中で二人は仲睦まじく歩いていた。

 

「なんか、良い気分だな。」

 

「身体大丈夫?」

 

「別に何ともねぇよ。」

 

 身体はどこも痛くはない。

 

 後遺症も残っているような感じもしない。

 

 それどころか、何か身体が軽くなったような気がする。

 

 前よりも軽やかに動けるような感じがした。

 

 しかし体重も落ちてる様子もない。筋肉も衰えているような感じもしない。

 

 どうして身体が軽く感じるのか。今の大和にはわからなかった。

 

「軽く動いてみるか。」

 

「無理しないでよね」

 

「大丈夫だって。よっと。」

 

 軽くその場から飛んでみる。

 

 本当に軽い気持ちだった。

 

 普段のようにウォーミングアップをするように軽く飛び上がったのだ。

 

 すると、悲劇が起きた。

 

「……あら?」

 

 軽くジャンプしたつもりが、かなり高く飛んでいた。

 

 それも数センチの問題ではない。軽く五メートル近くは飛んでいる。

 

 下を見ると地面が遠かった。

 

 地面に立っている幽々子からかなり離れている。

 

 高さが最高到達点に達すると、そのまま落下していく。

 

 地面から五メートルも離れているのだ。落下する速度はかなり速かった。

 

「まてまてまて!!」

 

 何が起こっているのか理解できなかった。

 

 慌てて身体を揺らす大和。着地することを一切考えていなかった。

 

 そのまま大和は地面に叩きつけられる。

 

 地面と肉がぶつかる鈍い音が響き渡る。

 

 五メートルから地面に叩きつけられたのだ。普通の人間なら無事では済まない。

 

 倒れたまま一時的に大和は動かなくなった。

 

 幽々子は慌てて倒れた大和の元に駆けつけて、身体を揺する。

 

「ちょっと大和!? 大丈夫!?」

 

「死ぬかと思ったっ!!」

 

 普通に大和は起き上がった。

 

 しかし、流石に驚いた表情をしていた。

 

「大和……身体は大丈夫なの?」

 

「……あっ? そういえば何ともねぇな。痛くねぇし。」

 

 身体は無事だった。

 

 ぶつかった箇所はどこも痛くない。

 

 あんな高所から落ちたら、ただでは済まないはずなのに、普通に何とも無い。

 

「でもなんでこんなことが……?」

 

 それよりも、なんで人間離れした跳躍ができたのか?

 

 軽くジャンプしただけなのに。

 

 普段のような軽い気持ちでやっただけなのに。

 

 なんで垂直跳びで数メートル以上も飛ぶことができるのか。

 

 身体能力が向上していると言う次元ではない。

 

 明らかに人間の領域を超越している。

 

「とりあえず、試してみるか……今のが何回も起きたら身体が持たねぇよ。」

 

 一体どれだけ自分の能力が上昇しているのか、知る必要がある。

 

 さっきのように力の加減の調整を間違えて、投身自殺のようなことをしていると、絶対に怪我をしたり、下手すれば死ぬ可能性がある。

 

 しかし、身体が前よりも頑丈になっていることは確かだ。

 

 それに自分の身体能力がありえないくらいに向上しているとなると、色々と試したくなる。

 

 どこまでできるのか、どこまでが限界なのか。

 

 知りたい。今の自分がどれだけ強くなっているのかを。

 

 大和の目に写ったのは庭にある巨大な岩だった。

 

 少なくとも一トン以上あるのではないのか。かなり大きな岩だ。

 

 岩は大和よりも圧倒的に大きい。

 

 大和は大岩に歩いて近づく。

 

「……まさかな?」

 

 この大岩を持てるというのか。

 

 腕力が変化しているとは思えない。

 

 力が増しているという感じもしない。

 

 しかし、試してみる価値はある。

 

 自分の腕力の限界というものを。

 

 人間の時ならこんな物、持ち上げるどころか動かすことはできないだろう。

 

 そんなことができるのは、神話に登場する半神の英雄など幻想の存在だけだ。

 

 大和が岩を抱えて持ち上げようとする。

 

 軽く力を入れただけだった。

 

 ゴゴゴと音を立てて、岩が持ち上がった。

 

 一トンを超える大岩を大和が持ち上げたのだ。

 

 その腕力はもはや人間の域ではない。人外の領域にある。

 

「嘘だろ!? 持ち上がった。」

 

 持った自分が驚いていた。

 

 まさか持ち上がるとは思っていなかったからだ。

 

 しかも軽々と持ち上がった。

 

 まだ余裕があるくらいだ。

 

 全力を出している訳ではない。恐らくまだ半分の力も出していない状態だった。

 

 ゆっくりと大岩を元の位置に戻す。

 

 自分の腕力が恐ろしかった。

 

 下手すれば人を軽く叩いただけで殺せるのではないかと思わせるほど、桁外れのだった。

 

 跳躍、腕力は大体理解した。

 

 あとは素早さだ。

 

 試しに縮地走法をやってみよう。

 

 今までなら妖夢のように瞬間移動はできなかったが、高速移動は可能だった。

 

 筋力が異常なまでに増しているのだ。

 

 もはや人外の領域。

 

 その筋力で技を使ったらどうなるのか、大和は気になっていた。

 

 身体の力を抜いて脱力させる。

 

 そして足に力を込めた瞬間。

 

 大和がその場から消えた。

 

 そして次に姿を見たときは十メートル先の場所に立っていた。

 

 妖夢と同等のスピードだった。何の遜色もない。

 

 大和はありえないほどのスピードも手に入れていたのだ、

 

「……どうなってんだよ? 俺の身体は?」

 

 色々と試してはみたが、やはり驚きの連続だった。

 

 大岩を持ち上げる剛腕。ありえない跳躍、人の領域を超えた敏捷性。

 

 大和の身体能力はもはや人外のレベルになっていた。

 

 見た目だけではなく、肉体も変化していたのだ。

 

 八雲紫の言っていることがようやくわかったが気がした。 

 

 これで普段の生活をしていれば、物を壊すことはもちろんのこと、下手すれば人を簡単に殺してしまう可能性がある。

 

 とんでもない。身体能力を手に入れてしまったのだ。

 

「これが半妖の力よ。」

 

 妖怪の力はとても強大で恐ろしく、人知を超えた能力でもある。

 

 半分とはいえ、妖怪になってしまったのだ。これぐらいの身体能力は当然のことである。

 

 更に大和は人間の頃から超人的な身体能力を持っていた。それに更に妖怪の血という拍車が掛かって、とんでもないことになっているのだ。

 

 今の大和は超常的な存在に成り代わったのだ。

 

「喜んで良いのか。悲しめば良いのか。わかんねぇな」

 

 偶然とはいえ、強さを手に入れた。しかし人間ではなくなった。

 

 強さを得たことに喜ぶべきなのか、それとも人間ではなくなったことを悲しむべきなのか。

 

 あまりにも情報量が多すぎて、大和は理解出来なかった。

 

 人間を捨てて、半妖になった大和。

 

 果たしてこの先、どんな運命が待っているのか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十一話 新たな武器 名刀『斬』

 大和が半妖になってから数日のこと。

 

 あれから後遺症も無ければ、特に不自由することなく生活していた。

 

 心臓もちゃんと機能している。

 

 いつものように妖夢の指導の元で修行している。

 

 走り込み、素振り、筋トレなどなど、内容はほとんど変わらない。

 

 変わったことと言えば、その修行を終える時間がほぼ半分以下の時間になったことぐらいか。

 

 もっと走り込みの距離とか伸ばしたり、素振りの回数やらないといけないな。

 

 あと強いて言えば、修行の一つに剣術や体術が足されたぐらいか。

 

 妖夢の剣術や体術は人間にはほぼできないものが多い。

 

 できたとしても、かなりの劣化版になってしまう。

 

 前の自分であれば出来ないことの山積みになっていただろう。そう思う。

 

 だが、今は違う。

 

 半妖になったことで肉体があまりにも強化されすぎたのか、大体見れば習得してしまうのだ。

 

 異常な飲み込みの速さ、そして瞬時に技術を理解してしまう。二つの天賦の才能。

 

 そこに人間離れした半妖の加わって、今の大和に出来ないことはほとんど無くなった。

 

 それには師匠である妖夢も驚きの連続だった。

 

 突然、自分の弟子が人間を辞めて、自分よりも遥かに上回る身体能力を手に入れたのだ。無理もない。

 

 あらゆる自分が持つ技術を瞬時に取り込まれたのだ。

 

 もはや師匠の自分は必要ないのでは?と思うほど、弟子の大和は急成長を遂げていた。

 

「凄いですね。私の技をほとんど覚えるなんて。」

 

「偶然だよ偶然。半妖になったことで出来たことだし。」

 

「それにしてもです。大和さん、飲み込みが異常に速いんですもの。」

 

「そうか? みんな大体そんなもんだろ?」

 

 大和の言うみんなと言うのは、兄の武尊や師匠の紅虎そんのことを指している。

 

 あの人等の飲み込みの速さと技術の理解度は次元が違う。

 

 俺なんかまだまだ全然と言う所だ。

 

「はぁ……」

 

 突然、大和がため息を漏らす。

 

「どうしたんですか?」

 

「……いや、ちょっとな。」

 

 どうやら大和にも悩みがあるようだった。

 

 言わなくても顔がそう言っている。目は口ほどにものを言うと言うが、まさにその通りだ。

 

 弟子である大和が悩んでいたのだ。

 

 師匠である自分が何か出来ないものなのかと妖夢は思う。

 

 大和に寄り添うように、妖夢は大和の悩みを聞こうとする。

 

「なんですか? 私に相談できませんか?」

 

「その……武器が欲しいと思ったんだよ。」

 

 半妖になったことで人間の時とは桁外れの身体能力を手に入れた。

 

 人間を捨てたことで強さを手に入れたのだ。

 

 それは申し分無い。

 

 そう考えると、あと自分に足りないものは何か。

 

 半妖になったあと、すぐに気付いた。

 

 それは武器だった。

 

 自分の愛用の武器、鉄刀は鬼に壊された。

 

 今の自分に武器と呼べるものは肉体しか無い。

 

 いや、正直なところ肉体だけでも十分だとは思う。

 

 でも、やっぱり丸腰では不安だ。

 

 幻想郷にはまだ知らない強敵が沢山いるであろう。少なくとも俺よりも強いやつは幾らでもいる。

 

 素手だけでは勝てない相手もいるだろう。

 

 なんか、武器が欲しい。

 

「それなら里で買ったら……」

 

「それじゃあ駄目なんだよ。使い捨てになっちまう。」

 

 普通の武器では駄目だ。

 

 今の俺なら日本刀でも簡単に壊れてしまうだろう。多分、頑丈さに特化させた鉄刀でも壊れる可能性がある。

 

 前よりも頑丈でなければいけない。

 

 自分が使っても決して壊れないような強靭で強い武器を。無窮とも呼べる武器が。

 

 使い捨てではなく、自分専用の武器が欲しい。

 

 これは難題だろう。これを解消してくれる人物がいるのか不安になってしまう。

 

「だったら私が与えようかしら?」

 

 背後から聞き覚えのある声が突然聞こえてくる。

 

 後ろを見てみると、スキマの中から身体上半身を出して、姿を現したのだ。

 

「だから突然現れるなよ……心臓に悪いって……」

 

「紫様、与えると言いますと?」

 

「その言葉通りよ。私が大和に武器を与えるの。」

 

「どうしてまたそんな事を……?」

 

 いつもの気紛れなのか、それとも武器を与えて大和に何かをさせる企みがあるのか。

 

 その真相は八雲紫本人以外はわからない。

 

 大和に武器を与えることが良いことなのか、それとも悪いことなのか。

 

 素手で十分に強すぎる大和に、更に武器を与えることで更に強くさせるのは正直やり過ぎだとは思う。

 

「まぁ、半妖になった記念? 同族誕生のプレゼントって言ったら良いの?

 まぁ、どっちでも良いわ。取り敢えず受け取りなさい」

 

 そう言って八雲紫はスキマの中から一本の刀を取り出した。

 

 この空間は本当に何でも出てくるな。どこかの金ピカの王様みたいな能力だな。と大和は思った。

 

 スキマから取り出した刀を大和に渡す。

 

「これは?」

 

「名刀『斬』」

 

 拵えは光沢のある黒鞘に、黒い皮巻柄、刀身は身幅が広くて重ねが分厚く、反りが浅い。

 

 まるで同田貫や豪壮刀のようだった。

 

 それに、刀が色々と大きいせいなのか、一般的な日本刀よりも遥かに重い。

 

 しかし、どこを見ても普通の日本刀のようだった。

 

「試しに振ってみたり、そこの岩を斬ってみると良いわ。」

 

「……岩っておい。」

 

 まさか、こんなただの日本刀のようなもので岩が斬れるのか? 

 

 その前に刃毀れしたり、下手すれば折れるのではないか。

 

 まぁ、やるだけやってみよう。壊れても知らんが。

 

 大和は構えを取る。

 

 そして全力で刀を振るう。

 

 風を斬るような音がした。

 

 振るい終えた瞬間、強烈な破裂音も聴こえた。

 

 大和の周囲に風圧が発生して、辺り一面に強風を撒き散らした。

 

 大和は音速を超えた速さで刀を振るったのだ。

 

 普通の日本刀なら音速には耐えられない。叩き折られているだろう。

 

 しかし貰った刀を見ると。

 

「スゲェなこれ」

 

 刀は無傷、折れてもいない。曲がってもいない。

 

 俺は刀を壊す勢いで全力で振ったんだが、こいつの耐久力はピカイチだ。

 

 鉄刀よりも遥かに頑丈な代物だ。

 

 恐らく、かなり鍛え込まれた鉄で出来ている。

 

「まさかな……?」

 

 近くにあった岩を見つめる。

 

 もしかして斬れるのではないか。

 

 もしも、この大岩を斬れたら。

 

 俺はとんでもない武器を手に入れたことになる。

 

 大和は大岩の前に立った。

 

 刀を構える。

 

 刀を全力で振るい、大岩を斬ろうとした。

 

 刀身が大岩に触れた瞬間、まるで紙を斬ったかのような感覚を感じる。

 

 するりと、まるで通り抜けるように大岩に刀身が食い込み、そのまま斬れていく。

 

 そして刀を最後まで振り下ろした瞬間。

 

 大岩は真っ二つに割れていた。

 

 大和は大岩を見事に斬ることができたのだ。

 

「すげぇ……なんだこれ?」

 

 驚きを隠さずにはいられなかった。

 

 刀身を見ても、曲がってもいなければ、刃毀れも一切していない。

 

 斬れ味が良いと言う次元ではない。

 

 桁外れの頑丈さと恐ろしいほどの斬れ味だ。

 

 しかもまだ大岩を斬れるような気がする。

 

 何度斬っても刃毀れしなさそうだ。

 

 何せ、大岩を簡単に斬れる。究極とも言って良い切れ味。

 

 そして自分の剛腕に耐えること事ができる驚愕の耐久性。

 

 どれを取っても、天下一品の代物。

 

 至高の武器と言ってもいい。

 

 恐らく、今まで自分の手に持った武器の中では最高で究極の一振りと断言できる。

 

 こんな素晴らしいものを貰っても良いのかと不安になってしまうほど。

 

「こんな代物をどこで?」

 

「幻想郷でも知ってる人は知ってる。知らない人は知らない。有名な刀匠が作った逸品よ」

 

「それってあまり有名じゃねぇんじゃ……」

 

 しかし、このような代物を作れるなんて、腕の良い刀匠と言うには烏滸がましい。正直失礼だ。

 

 神話の武器や幻想物語に登場する武器のような代物を作っているのだ。もはや神の領域に達した国宝級の刀匠と呼ぶべきだ。

 

 世界中どこを探してもいないだろう。

 

「まぁ仕方ないわね。その刀匠は山奥で一人暮らしてるから、姿を見せないの。」

 

「てか、その人何歳だよ。」

 

 こんな凄くて恐ろしい名刀を作ってんだ。少なくとも人間ではないだろう。

 

 妖怪もしくは、刀鍛冶に関する神様のような存在だろう。

 

 それに対して、その刀匠に関してあまり情報を与えたくないのか、八雲紫はお茶を濁したような口ぶりで話す。

 

「いずれわかるわ。近い内に会えると思うから。」

 

 今は教える時ではない。

 

 その刀匠のことを知りたいのなら、自ら対面して色々と聞いたほうが良い。

 

 いずれ、刀のことが知りたくて、刀匠に出会うことは目に見えている。

 

 少なくとも、八雲紫はそう思っていた。

 

 しかし、今の大和はそんな事はどうでも良かったのか、刀をずっと眺めていた。

 

 まるで、初めて親に買って貰った玩具を眺めるように、大和の瞳は輝いていた。

 

 無理も無い。こんな素晴らしい上等な武器を貰ったのだ。

 

 戦う者として嬉しがらないはずがない。

 

「良いのか? こんな良い物をただで貰って?」

 

「良いのよ。別に私は使わないし。それに刀匠も使い手が見つかって喜んでると思うし。」

 

「そうか。ありがとな。」

 

 上等な武器を貰ったことで変わったことがある。

 

 それは大和の中で八雲紫の見方が変化したのだ。

 

 今までは胡散臭くて、況してや俺を殺そうとしたので、こいつ悪いやつ、俺のことが嫌いだと思っていた。

 

 しかし今は違う。

 

 最高の物を与えてくれた。しかも無償で。

 

 大和の中で八雲紫は悪い奴、苦手な奴から良い妖怪に昇格したのだ。

 

 とてつもない単細胞である。

 

「それじゃあ私は帰るわ。幽々子に宜しくね。」

 

「あぁ、ありがとな。」

 

「じゃあねぇ〜」

 

 八雲紫はスキマの中に入っていき、その場から姿を消した。

 

 八雲紫がいなくなると、妖夢が羨ましそうな表情で大和に話しかけてくる。

 

「凄いですね大和さん、紫様から凄い刀を貰えるなんて。」

 

「俺もこんな良い刀貰えるとは思ってなかったよ。大事に使おう。」

 

 こんな生涯に一度手に入るがどうかの代物、荒々しく使って壊すのは勿体ない。

 

 戦闘で使うので多少の無理はさせるかもしれないが、出来る限り壊れないように大事に使おう。

 

 新たに手に入れた新武器、名刀『斬』。

 

 これが大和に齎すのは輝かしい勝利の数々なのか、それとも破滅へと導く不幸の物なのか。

 

 それは誰にもわからない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十二話 八雲家

 午後のこと。

 

 朝の鍛錬を積み

 

 朝食を食べ。

 

 午前の鍛錬を積み。

 

 昼食を食べ。

 

 今は夫婦で暇を持て余していた。

 

 縁側でお茶を飲みながら、和菓子などを摘みながら。

 

 至って平和な時間を過ごしていた。

 

 ここまで何も無いと。退屈過ぎて何か刺激的なことを求めるようになる。

 

 いや、別に幽々子と一緒にいる時間が嫌なわけではない。

 

「なんか面白いこと起きないかな?」

 

「そうねぇ〜」

 

 だが、こういう時に起こることがある。

 

 八雲紫だ。

 

 こういう暇な時に八雲紫がやって来る。

 

 そして、何か面白そうなことを提案してきたり、話などを持ってくることがある。

 

 大和は薄っすらだが、それを期待しているようにしていた。

 

 そして案の定。

 

「随分と暇そうね。」

 

「あら紫。」

 

「やっぱり来たか」

 

 この通り、八雲紫がやって来る。

 

 果たして、今日は何をしにこの冥界にやって来たのやら。

 

 また人里に行こうとか。

 

 それとも、また新鮮で新しい情報か。

 

「今日はどうした?」

 

「今日は家族を紹介したいと思ってね」

 

「そもそも家族なんていたのかよ。」

 

 妖怪にも人間と同様に家族がいるのか。

 

 それは初めて知った。

 

 てっきり孤高の存在だと思ってたから。

 

「紹介するわね。出てきていいわよ藍」

 

 八雲紫が合図をする。

 

 すると、スキマの中から姿を現した。

 

 気配から察知して人間ではなかった。

 

 金髪のショートボブに金色の瞳を持ち、その頭には角のように二本の尖がりを持つZUN帽を被っている。

 

 服装は古代道教の法師が着ているような服で、ゆったりとした長袖ロングスカートの服に青い前掛けのような服を被せている。

 

 それに腰からは金色の狐の尾が九つある。

 

 古代中国の官職などがやる、腕を交互の袖の中に隠した格好をしている。

 

「初めまして。私は八雲藍、紫様の式神です。」

 

「俺は草薙大和。」

 

「紫様から存じております。最近半妖になった幽々子様の婿殿ですね。」

 

「半妖は余計だよ。為りたくてなった訳じゃあねぇし」

 

 明らかに嫌そうな表情を浮かべながら、大和は八雲藍にそう言った。

 

 確かに俺はもう人間ではない。間違ってはないことだ。

 

 だが半妖って言われると、なんか改めて自分が人外だと言うことを突きつけられてなんか嫌だ。

 

 人知を超えた力は手にはしたが、人間を捨ててると思うとなんか泣けてくる。

 

 それにしても幽々子の婿ってか。

 

 結婚したこと、既に情報が回っている。

 

 まぁ八雲紫の式神らしいから、すぐに耳にはするだろう。

 

「困ったことがあればいつでも頼ってください。紫様の友人の婿殿なんですから。」

 

「それは助かることだけど、別に良いよ。どうせあんたの主人様が教えてくれるだろうし。」

 

「ですが、紫様の手を煩わせることはできません。私が代わって教授させて頂きます。」

 

 今の短い会話でわかったことがある。

 

 この八雲藍とかいう式神、相当頑固で忠誠心が凄まじいところがある。

 

 自分の主に労力を使わせない。手間を取らせないためにそこまでやるのか。

 

 正直、八雲紫への忠誠心と配慮に至ってはかなりのものだ。少なくとも人間では見たことがない。

 

 主人に相当仕込まれたのか、単に独断でそういう判断をしているのかはわからない。

 

 だが、自分には出来ないということは理解している。

 

「それじゃあ早速質問なんだけど。普通の妖怪って人間じゃあ勝てないものなのか?

 俺は手も足も出ずに殺されかけたんだけど。」

 

 意地悪そうに、大和は自分の経験談と今まで知りたかったことを八雲藍に向かって質問として問いかける。

 

 しかし、あまりにも簡単すぎたのか、それとも考える事もなかったのか。

 

 八雲藍は即座に大和の質問に対して答える。

 

「そうですね。今の外の人間では妖怪には勝てないと思います。大和様は人間の中でもかなりの強さを持っていたと聞いておりますが、それでも下級の妖怪でも正直勝てないかと。」

 

「それじゃあ俺が負けたのは必然と。」

 

「そうですね。大和様だけではなく。一部を除いて今の人間達はかなり弱いです。昔の人間と比べればの話ですが。」

 

「つまり昔の人間は比べもにならないくらい強かったのか?」

 

「はい。大昔、人間の侍が空飛ぶ龍を斬り落としたという伝説があります。それに妖怪を一人で容易に討伐する人間も昔は沢山いました。」

 

 そんな化け物のような人間が沢山いたのか。一体どの時代の話をしてるんだ。

 

 空飛ぶ龍を斬り落とした侍の人間なんて、それはもう昔話や神話の話になるだろう。

 

 妖怪を一人で討伐できる人間なんか信じられない。

 

 少なくとも俺よりも遥かに強い能力を持った人間なのだろう。

 

 そんな化け物は確かに今の外の世界にはいないはずだ。

 

 俺も妖怪と戦ったことがある。しかしあの妖怪がどのくらいの強さに分類されるのかはわからない。

 

 しかしこれだけはわかる。

 

 人間が妖怪に勝てるはずがない。これは断言できる。

 

 並の人間よりも遥かに強いと言われた俺が殺されかけ、手も足も出なかったのだ。

 

 並の人間ではダメージどころか、蚊に刺されたほどの痛みも与えることは出来ないだろう。

 

 俺は駄目だったことは言っとく。

 

 しかし、希望はあった。

 

 俺よりも強い人間が少なくとも二人はいたからだ。

 

 その二人が妖怪相手にどれだけ奮闘できるか、是非とも見てみたいものだ。

 

「ですが、今の大和様は半妖です。そこら辺の妖怪では手も足もに出ないでしょう」

 

「その根拠は?」

 

「人間が妖怪、もしくは半妖になる時、強くなるには大きく分けて二つほどあります。

 より強大な力を持つ大妖怪の力を取り込む、もしくは人間の時の基礎身体能力も大きく関わりがあります。」

 

「つまり俺は元々身体能力が高いから。」

 

「妖怪の力を甘く見ないほうが良いですよ。少なくとも人間の時より数十倍は強くなってるはずです。人間では超えられない限界を容易に越えるので。」

 

 確かに。

 

 大岩を持ち上げたり、軽く飛んだだけで5メートル程飛んだりしたりした。

 

 明らかに人間の域を超えた力は手にしてる。

 

 人間の時には考えられない超常的な力だ。

 

「更に鍛えればその身体能力は青天井に上がります。永く生きて鍛錬すればほぼ永遠に強くなれると言うことですね。」

 

「それは良いこと聞いた。まだまだ俺は強くなれるんだな。」

 

 その時、大和は不敵な笑みを浮かべる。

 

 何を思ったのか。

 

 鍛えればほぼ無限に強くなれるなんて、夢のような話じゃないか。

 

 これで兄貴や紅虎さんを超えることができる。

 

 目標であった二人に勝てる日が来る可能性があるのだ。

 

 こんな嬉しいこと、喜ばしいことは滅多にない。

 

 絶対に兄貴や師匠よりも強くなってやる。

 

「おっと?」

 

 強くなることに喜んでいる時だった。

 

 突然、何かが膝に乗ってきた。

 

 最初は何が乗ってきたのかわからなかった。

 

 猫、と言うには、あまりにも大きすぎる。

 

 人間、それも幼子や子供ぐらいの大きさだった。

 

 改めて、膝の上に乗ってきた正体を探る。

 

 それはまだ小さな少女だった。

 

 緑色のZUN帽を被った茶髪のショートヘアー

 

 服装はリボンが付いた赤と白の長袖のワンピース服といういでたち。

 

 ピアスの付いた黒い猫耳に同じ色の猫又が生えている。

 

「人間……じゃねぇよな」

 

 一目でわかった。人間ではない。

 

 二つの尻尾が生えている。

 

 どこかで聞いたことがある。多分、猫又の類だろう。

 

 突然、大和の膝の上に乗った少女を八雲藍が優しく叱る。

 

「こら橙、いきなりそんなことしては駄目だよ。」

 

「うにゅ〜はい……」

 

「良いよ良いよ。こういうのには慣れてるから。」

 

「ですが……」

 

「こいつ元々は猫だろ? なんか昔から動物に懐かれるんだよ。」

 

 昔から動物に好かれることが多かった。

 

 しかし共通点として、懐いてくれるのは基本メスの動物である。

 

 これは昔からで、幼少期の頃に気付いたことである。

 

「名前なんて言うんだ?」

 

「橙です。大和しゃま。」

 

「そうかそうか。猫みたいで可愛いな」

 

「あの〜一応猫なんですが……」

 

「そうかそうか」

 

 人妖だが、久々に猫に触れられて和む大和。

 

 最近、結婚式とか鬼に殺されたりして色々と大騒ぎだったから。

 

 こんなにも安心感を得られるなんて。

 

「それにしても珍しいですね。橙がこんなに懐くなんて。」

 

「そうなの〜知らんけど。」

 

 大和が癒やされている時のことだった。

 

 隣にいた幽々子が頬を膨らませて怒っていた。

 

 恐らく、猫とはいえ、人妖に触れて癒やされている大和が許せなかったのだろう。

 

 自分にはそんな顔しないのに、初めて会った少女にそんな顔をするなんて。

 

 嫉妬してたのだ。

 

 思わず手を出してしまう。

 

 幽々子が大和の耳を抓ると。

 

「いでででっ!!」

 

 大和の耳を思いっきり引っ張った。

 

 一瞬、耳が千切れるのではないかと思うほどに、力があまりにも強かった。

 

「はぁ……千切れるかと思った。いきなり何だよ幽々子?」

 

「自分で考えたらどうかしら?」

 

 頬を膨らませて知らんような顔をする。幽々子はとてつもなく不機嫌だった。

 

 どうやら幽々子の機嫌を損ねてしまった。

 

 恐らく、自分が橙に甘々だったからだろう。

 

 それ以外に怒らせることなんてしていない。

 

 それを悟った大和。

 

 大和は膝の上に乗っていた橙を降ろして地面に立たせる。

 

「ごめんな。」

 

「どうしたんですか?」

 

「ちょっとな。これ以上奥さんの機嫌を損ねる訳にはいかないから。 ……後が怖いし。」

 

 その時の大和はとてつもなく恐ろしげな表情をしていた。

 

 余程、怒らせた幽々子が怖いのだろう。

 

 それから大和は両手を重ねて幽々子に謝った。

 

「ごめんな。もうしないから許してくれよ。」

 

「本当に?」

 

「大体、俺が浮気。況してや小さな女の子に手だすと思うか?」

 

「それもそうね。私も悪かったわ。それじゃあ……」

 

 何を思ったのか。

 

 幽々子は目を瞑って大和に顔を近づける。

 

 その幽々子の行動に大和は何の意味が込められてるのか理解出来なかった。

 

「えぇと? これは?」

 

「仲直りの印ちょうだい」

 

 顔を出して、目を閉じている。

 

 それから分析して大和がやるべきことは一つ。

 

 幽々子が求めていたもの、それは仲直りのキスだった。

 

 しかし、冷静になってみろ。

 

 周りには八雲家が勢揃いしている。

 

 八雲紫は何を言いふらすのかわからない。

 

 況してや小さな少女もいる。

 

 そんな妖達の前でキスをしろと。しかも口付けで。

 

「どうしたの?」

 

「いや……その……」

 

 大和は顔を真赤にしていた。

 

 恥ずかしすぎて死にそうなくらい。

 

 こんな人前でやれと?

 

 俺はそんな大胆にできるような度量もない。

 

 肝も据わってないし。

 

 しかし、このまま逃げたら幽々子の機嫌をまた損ねてしまう。

 

 正直、後が怖い。

 

 これからの夫婦生活にも亀裂が走る。

 

(こうなったら……もうヤケだッッ!!)

 

 左手で幽々子の後頭部を守り、右手で幽々子の身体を抱き締める。

 

 そして、押し倒しながら口付けを交わす。

 

 濃厚な口付けを交わしている。

 

 数秒ではなく、ずっとだった。

 

 それを見ていた八雲家は。

 

 八雲紫と藍は平然としていた。まるで珍しくもないものを見ているような。

 

 しかし、少女の橙は違った。

 

 初めて見た大人同士のコミュニケーションの取り方を見たのだ。

 

 顔を真赤にしながら、目を塞いでるように見せて、指と指の間から見ている。

 

「……大和しゃま」

 

「大胆ですね。」

 

「幽々子がね。」

 

 まだ口吻は続いている。

 

 一体、どれだけの時間続けるのか。

 

 いずれ呼吸が苦しくなって止めるのは目に見えている。

 

 それから数秒後のこと。

 

 大和がようやく、口付けが終わる。

 

 大和と幽々子、お互い顔を赤くしていた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

「そんなやらなくても……」

 

「ごめん。なんか変な気持ちになってた。」

 

 未だに頭がボーっとしている。くらくらする。

 

 自分でもなんでこんなディープなキスをしたのか、良く分かっていない。

 

 なんか、とんでもないことをやった気がする。

 

「はいはい。仲直りも済んだことだし。幽々子、ちょっと旦那さん借りるわよ。」

 

「もしかして、寝取り?」

 

「な理由ないじゃない。ちょっと用があるだけ。」

 

「そう。」

 

 八雲紫が大和の眼の前に立つ。

 

 一体、何をされるのか。

 

 しかし、想像とは裏腹に全く全然異なることだった。

 

「プレゼントをあげる。」

 

「……またかよ? 随分と気前が良いんだな。」

 

 なんか、何でも買い与えてくれる親を持ったような感じがするな。

 

 それともなにか、同族が増えて嬉しいから何でもくれるのか。

 

「良いから良いから。遠慮せずに受け取りなさい」

 

 スキマの中から何かを取り出す。

 

 一見、見た時は和服のようだった。

 

「なんだこれ? 服……だよな?」

 

 見た目は袴に着物、至って普通の和服だ。

 

 しかし、この服から変な気配を感じる。少なくともただの服では無さそうだ。

 

「妖魔の衣よ。」

 

「なんだそれ?」

 

「妖怪の毛で編まれた衣類よ。 破けても妖気を吸えば治るから、かなり重宝するわよ。」

 

「自己再生持ちかよ!?」

 

 なんだその服、破けても再生するなんて。

 

 そんな服、一着あれば十分じゃねぇかよ。

 

 もう服を買う意味ないじゃないか。

 

「まぁ、着てみなさい。似合うと思うわ。」

 

「わかったよ。」

 

 大和は立ち上がって、着替えるためにその場から立ち去ろうとする。

 

「ちょっと着替えてくる。」

 

「わかった。覗いても良い?」

 

「頼むから変なこと言わないでくれ。」

 

 別に女性、況してや妻に裸を見られても何も無い。

 

 しかし、正直言って恥ずかしい。

 

 そんなことを言った後、大和が一人部屋に入って着替える。

 

 

 

 

 それから数十分後のこと

 

 

 道着とか袴は何度も着たことあった。

 

 しかし本当の和服は着たことがなく、正直かなり苦戦した。

 

 やっとのことで着替え終えて、幽々子や八雲家がいる縁側に歩いて向かう。

 

 襖を開けて、和服姿の大和が現れる。

 

 黒い着物と袴、まるで武士のような服装、腰には愛用の『斬』を差している。

 

 強靭で美しい肉体美は見えないが、182cmの長身は魅せることができる。

 

 それと赤い髪と瞳が一際目立つ。

 

「どうかな?」

 

「似合うわよ。」

 

「純粋な人間には見えないけど。」

 

「一言余計だよ。」

 

 これだったら、人里言っても変な目では見られないだろう。

 

 人目を気にせず、公の場で平然として歩ける。

 

 髪と瞳の色が人間ではないことは置いといて。

 

「それじゃあ、家族紹介も済んだし、渡す物も渡したし、私達帰るわ。」

 

「じゃあねぇ〜」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 帰ろうとする八雲紫を大和が呼び止める。

 

「どうしたのかしら?」

 

 それを聞いた八雲紫は返事をする。

 

 その時の大和はとてつもなく真剣な表情だった。

 

 何かあるのか?

 

「物を貰った直後で悪いんだけど。一つ頼みたいことがあるんだ。」

 

「何かしら?」

 

 帰ろうとする八雲紫を呼び止めまで、頼みたいことがあった大和。

 

 果たして、その要件は一体なんなのか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三話 鬼とのリベンジ

「何かしら?頼み事って?」

 

「その。前に闘った鬼とリベンジしたくて。」

 

 大和の頼み事とは。

 

 それは鬼とのリベンジ。

 

 以前敗北して、殺されかけた相手との再戦。

 

 それに対して、八雲紫は平然としていた。

 

 そして、淡々と口を開く。

 

「前に負けた相手と闘いたいのね。でもそれのなんの意味があるのかしら?」

 

「俺……昔から負けず嫌いでさ。負けっぱなしは嫌なんだよ。それに今の俺は前とは違う。」

 

「半妖になったから再戦したいんでしょ?でも前よりも強くなったからと言って勝てる保証はないのよ?」

 

「それはその時だ。取り敢えずこの前の屈辱を払い除けたい。」

 

 大和は昔からこういう男だった。

 

 一部を除いて、負けたら、その相手に勝つまでリベンジをして、闘い続ける。

 

 根っからの負けず嫌い。

 

 相手が人間だろうと妖怪だろうと関係ない。

 

 敗北を期して、それから強くなったら、リベンジをする。

 

 それが草薙大和のエゴイズム。

 

 もはや、リベンジをしたい大和を止めることはできないと悟ったのだろう。

 

 八雲紫はため息をつきながらも。それを了承したと言わんばかりに頷いた。

 

「わかったわ。鬼がいる場所に連れて行ってあげる。」

 

 そう言うと、大和の眼の前にスキマを開いた。

 

「覚悟があるならどうぞ。」

 

 これを潜れば、鬼が近くにいる。

 

 果たして大和には鬼と対面する覚悟、そして闘う意思があるのか。

 

 無論、あった。

 

 大和はスキマの中に入っていく。

 

 その前に、背を向けながら幽々子に向かって手を振った。

 

 完全に大和がスキマの中に入っていくと、八雲紫とその一家もスキマの中に入る。

 

 四人は冥界から姿を消した。

 

 

 《〜森にて〜》

 

 魑魅魍魎が住まう森の中。

 

 鬼、知能の低い様々が妖怪がいる。

 

 鬼にも下級、中級、上級などのピンキリだ。

 

 数多いる妖怪、その中でも比較的に上位の分類にいた。

 

 そんな森の中で大和を殺しかけた鬼がいた。

 

 行く宛も無く。ただひたすら、森に迷い込んだ人間を探して歩き回っている。

 

 人間を探すのはもちろん、喰うためである。

 

 前は最上級の妖怪に止められて食えなかった。

 

 今度こそ誰にも邪魔されずに人間を食おうと思っている。

 

 そんな森の中に一つのスキマが開いた。

 

 中から大和が現れた。

 

 眼の前には自分を殺しかけた鬼がいる。

 

「それじゃあ終わったら呼んでね。」

 

「すぐに終わらせる。」

 

 そう言うと八雲紫はスキマの中に入って姿を消した。

 

 気迫が尋常では無かった。

 

 自分を殺そうとしていた相手が近くにいるのだ。

 

 怖気づいている場合ではない。

 

 なんなら片付けるまで気がすまない。

 

 人間は二つに分類される。

 

 殺されかけた相手に恐怖を抱くか、もしくは殺されたことに怒り復讐を考えるか。

 

 無論、大和は後者だった。

 

 鬼の前に立ちはだかる。

 

「オマエ……タシカ?」

 

「よう。久しぶりだな。」

 

「ニン……ゲン? チガウ。 シラナイ。」

 

 どうやら鬼は俺のことを覚えていないらしい。

 

 あんなに凄い力を持っているのに、知能や記憶力はかなり低いらしい。

 

 自分を殺そうとした相手が記憶にないのは正直なところ憤慨に値する。

 

「てめぇのおかげでこんな有り様だよ。ありがとな。」

 

「エモのガキタ。クウ。」

 

「それだけだな。スクラップにしてやる。」

 

 大和は構えると、鬼に向かって疾走する。

 

 百メートルを五秒以内に走る勢いで。

 

 明らかに人間の出せるスピードを超えていた。

 

 しかし、鬼は動じなかった。

 

 まるで以前の人間と同じく、自分には攻撃は効かないと思っていたのだろう。

 

 ガードをすることも避けることもしない。

 

 大和の打撃を受け切るつもりだ。

 

 そして案の定、鬼は大和の右ストレートを受ける。

 

 打撃がまともに当たる。

 

 大和は本気ではなかった。

 

 自分の力を見極めるために、軽く、ほんの少し力を込めて殴った感覚だった。

 

 すると、以前との違いを理解した。

 

 肉を殴ったような鈍い感覚を感じる。

 

 肉と肉がぶつかりあった鈍い音が響き渡ると。

 

 鬼の頭が吹っ飛ぶように跳ね上がった。

 

「……えっ?」

 

 鬼の躯体が揺るぐ。

 

 クラクラと、まるで支えの失った建物のように。

 

 直ぐ様に跪いた。

 

 表情ではわからないが、今の鬼の視界はドロドロにとろけている。

 

 脳震盪を引き起こしていたのだ。

 

 鬼を跪かせた大和が一番驚いていた。

 

「嘘だろ? たった一発で跪かせることできるのか?」 

 

 しかしもまだ半分の力も出していない。

 

 まだ余力を残していたのだ。

 

 全力で殴打したら。一体どうなるのか?

 

 以前とははっきりと違う。大和の力に鬼は驚いていた。

 

 前ならどんなに攻撃を喰らっても平気でいられた。

 

 蚊に刺されたほどにも感じないほどに。

 

 全ての攻撃を受け切るほどの耐久力はあった。

 

 しかし、今は違う。

 

 明らかに力が増している。それも前とは比べ物にならないほど。

 

 人間の力量ではない。

 

 完全に妖怪側の力だった。

 

「ナンダ? コノチカラ? コノマエトハゼンゼンチガウ」

 

「そりゃあそうだろ。」

 

 今は半妖になっている。

 

 腕力もスピードも前とは桁が違う。

 

 以前、全力の攻撃を受けてもダメージがほとんど無かった。

 

 正直、倒すことなんて出来ない話だった。

 

 しかし今はどうだ? 

 

 まだ軽く打撃を当てたはずなのに。

 

 鬼の躯体は跪き、驚いている。

 

 かなりのダメージが入ってるということだ。

 

 負けじと鬼も立ち上がる。

 

「よっしゃあ!!」

 

 接近戦に持ち込む。

 

 それに対して鬼は動揺し恐れていた。

 

 逃げ腰になり、後退する。

 

 大和の打撃が怖かったのだ。受け止めることが恐ろしかった。

 

 以前とは明らかに違う。自分を殺しかねない打撃だったのだ。

 

 こんなのをまともに受けていたら間違いなく殺される。鬼はそう思った。

 

 思わず鬼は後ろに下がりながら、両手で顔と身体を守るようにガードを固める。

 

 大和の無数の打拳と蹴りが鬼に襲い掛かる。

 

 ジャブ、右ストレート、ワンツー、蹴り、回し蹴り。

 

 果ては宙を軽く飛んで、そこから何度も蹴りを放つ。

 

 人間業ではないこともしていた。

 

 あらゆる打撃を混ぜ合わせて、多彩な攻撃戦法を繰り出す。

 

 しかも、それだけではない。

 

 ほぼ無呼吸で攻撃を繰り出していた。

 

 無呼吸連打と言ったところか。

 

 息継ぎや呼吸が無い。

 

 故に反撃するタイミングも止まることも無い。

 

 例えるなら、嵐そのもの。

 

 更に、半妖になった大和から繰り出される、桁外れの攻撃力。

 

 防御しているとはいえ、ガード越しでもダメージが蓄積するうえに、下手すればガードを破ってまともに喰らう。

 

 このままではやられるのは時間の問題だった。

 

「どうした!? 前とは全然違うじゃねぇか!」

 

 この前に闘った時は明らかに力の差はあった。

 

 鬼との力の差は五倍、いや十倍以上、もっとあったはずだ。

 

 しかし今はどうだ。

 

 俺が圧倒している。

 

 このまま順調に事が進めば、物理的に俺に勝ちが転がる。

 

 しかし、世の中そんなに甘くはいかない。

 

 鬼が大和に手を向ける。

 

 まるで、待ってくれ、もう攻撃をしないでくれと言っているようだった。

 

 大和の動きが止まる。

 

「ユルシテクレ。オレノ……マケ……」

 

「俺の勝ちで良いんだな。」

 

「オマエノカチ。モウニンゲン……オソワナイ。」

 

「……良しッ!!」

 

 ようやく屈辱を晴らすことができた。

 

 俺はリベンジを果たすことができた。

 

 壁を乗り越えることができたんだ。まだまだ小さな壁だが。

 

 勝利を確信する大和。

 

 もう敵意は無いと思って鬼に背を向ける。

 

 完全に油断していた。

 

 すると鬼が立ち上がる。

 

 そして鋭い爪を向ける。

 

 背後から大和の背中を爪で突き刺した。

 

 日本刀のように鋭い爪、人を貫くことはどうってことないほど。

 

 背中を貫いて、腹まで貫通した。

 

「……ゴフッ!!」

 

 大和が吐血する。

 

 しかし幸い、倒れることはなかった。

 

「ユダン……シタナ……」

 

 背中を貫いた爪を引き抜く。

 

 腹から大量の鮮血が吹き出す。

 

 大和の身体が揺らぐ。

 

 ふらふらと振り子のように。

 

 しかし、それでも倒れはしなかった。

 

 それから数秒後、大和の動きが止まる。

 

 そして鬼の方向を振り向いて。

 

「ってぇなてめぇ。死んだらどうする!?」

 

 腹に風穴が空いている。

 

 内蔵も滅茶苦茶になっているだろう。

 

 しかし、痛みは大したことがない。平然と立っていられる。

 

 どうゆうことだ?

 

 改めて、自分の怪我の具合を確かめる大和。

 

 腹に拳大の穴が空いてる。

 

 多分、内臓も大変なことになっている。

 

 出血もしてる。

 

 普通に致命傷だった。

 

 しかし、少し痛いだけでどうってこともない。

 

「痛いだけで、何ともねぇな。人間だったらこれ致命傷だぞこれ?」

 

 普通に立っていられる。

 

 別に転げ回って激痛に苦しむ訳でも、その場に倒れて瀕死になるわけでもない。

 

 いや、それどころか、腹に空いた穴が少しずつだけど塞がっていく。

 

 一体、どうゆう回復力なのだろうか。

 

 自分でも恐ろしく思う自己再生能力だった。

 

「どうゆうことだ?」

 

 明らかに人間の回復量ではない。

 

 これが妖怪の力ってやつなのか。

 

 さて。それはともかく。

 

「騙し討ちなんて、随分と俺を舐めてるな。」

 

 鬼に向かって殺気を放つ。

 

 大和は怒っていた。

 

 自ら負けを認めたくせに。それから騙し討ちをするなんて許せないことだ。

 

 俺を舐めているようにしか見えない。

 

 これ以上の屈辱はない。

 

 大和は縮地走法を使って、鬼の前から消える。

 

 そして次に鬼の前に現れた時には。

 

 鬼の顔面に蹴りを入れていた。

 

 頭が跳ね上がった。

 

 さっきよりも大きく。

 

 鬼の意識が吹っ飛びかけた。

 

 もはや、何が起こっているのかわからず、視界は真っ暗になっている。

 

 次の攻撃をまともに受けることになる。

 

 大きく振りかぶって外側に拳を振り出す。

 

 そしてパンチがこめかみにヒットする。

 

 その瞬間に肩、肘、手首を連動させて内側に捻り込む。

 

 大和の繰り出したパンチはドリルのように180度回転しており、螺旋を描いていた。

 

 更に貫通力もあった。

 

 捻り込まれたパンチは鬼のこめかみを深く強打する。

 

 そして、こめかみから『ピシッ』と何かが割れたような音がする。

 

 頭蓋骨にヒビが入ったのだ。

 

 流石の鬼も命の危険を感じた。

 

 大和に向かって鬼は手を向ける。

 

 その瞬間、大和の動きが止まる。

 

「モウナニもシナイ。ユルシテクレ。イノチダケは」

 

 鬼は許してくれと、命だけは助けてくれと懇願する。

 

 もはや、戦闘意欲は微塵も感じられなかった。

 

 しかし、さっきの騙し討ちを見てから、大和は疑心になっていた。

 

 本当にもう何もしないのか。またさっきのように油断していたところに騙し討ちをやってくるのではないか。

 

 大和は気を緩めずに、拳を握り締める。

 

 冷徹に徹しよう。もう慈悲も躊躇いもない。

 

 そして、次こそは仕留めるために撲殺しようと再び鬼を拳を振りかざそうとする。

 

「………」

 

 拳が鬼に当たる前に、大和の動きは再び止まる。

 

 大和は殴れなかった。

 

 拳が動かない。

 

 振りかぶろうとすると、腕がぷるぷると震えて攻撃することを拒絶する。

 

 鬼に止めを刺すことを無意識に拒んでいた。

 

 殺してはいけない。慈悲を忘れてはいけない。

 

 例え自分を殺そうとしたやつでも、騙し討ちをされたとしても。

 

 理性がそう言ってるように感じた。

 

 鬼を殺せないことを悟った大和は拳を収める。

 

 そしてもう一度、鬼に背後を見せる。

 

「わかったよ。もう二度とするなよ。」

 

 二度、大和は鬼を許す。

 

 止めをさせない以上、こうするしかない。

 

 正直なところ自分でも甘いとは思う。

 

 師匠の紅虎さんが見ていたら、どれだけ説教されるのか。

 

「アリガトウ……ユルシテクレテ……」

 

 鬼は許してくれたことをありがとうと言う。

 

 しかし、その言葉とは裏腹に。

 

 鬼は立ち上がると、再び大和に爪を向ける。

 

 腹では殺せなかった。

 

 だったら今度は首を狙おう。そうすれば動かなくなる。

 

 鬼はそう思っていた。

 

 この時、大和は完全に油断していた。

 

 背後を取られて、もう戦う気はないと思い。

 

 もう戦いは終わったと思っていた。

 

 そろりそろり、鬼は大和に近づく。

 

 そして射程距離範囲内に入った瞬間。

 

 鬼は大和の首を目掛けて爪を振るう。

 

 鬼から殺気を感じた瞬間。

 

 大和が振り向く

 

「またかよ!?」

 

 もう遅い。完全に殺した。もう終わりだ。

 

 そう思っていた。

 

 しかし。

 

 鬼の額に矢がぶち当たる。

 

 矢は鬼の額を貫通し、後頭部まで貫いた。

 

 鬼は即死だった。

 

 まるで力尽きたように、鬼は爪を振り下ろすこと無く、その場のうつ伏せに倒れる。

 

「……今のは?」

 

 何故、矢が飛んできたのか。

 

 そもそも何処から飛んできたのか。

 

 ここには人間はいないはず。

 

 ましてや鬼を一撃で仕留める一撃の矢を繰り出せるなんて。

 

 妖怪を簡単に仕留める人間、もしくは妖怪がいるのか。

 

「ったく。学習しねぇよな。甘いんだよお前。」

 

 どこからか、声が聞こえた。

 

 しかも聞き覚えのある声だった。

 

 幼い頃から、幻想郷に来る前まで身近にいた存在の声。

 

 その声が誰なのか、はっきりとわかった。

 

「……兄貴?」

 

 大和がそう言うと、背後から人間が姿を現した。

 

 その人間とは草薙武尊。

 

 大和の実の兄であり、草薙家三十一代目当主。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十四話 再開

 鬼との戦い後。

 

 鬼を大和ではなく部外者が仕留めたことから始まる。

 

 その二人の闘いに水を指して、勝手に鬼を仕留めた部外者とは。

 

 草薙武尊。大和の兄であり、草薙家三十一代目当主本人だった。

 

 武尊の姿格好は現代とは少し違った。

 

 現代と同様に和服なことには変わりはない。

 

 黒い着物に白い羽織、そして灰色の袴。

 

 そして何よりも目に映るのは武器だった。

 

 愛刀の長巻きを始めとし。二本の刀、背負っている赤い槍、そして独自で作ったと思われる弓矢と矢筒。

 

 少なくとも五つの武器を持っていた。

 

 まるで武蔵坊弁慶のような武装。

 

「よう大和、生きていて嬉しいぜ」

 

「兄貴……?」

 

 ひどく動揺していた。

 

 兄貴は死んだはず。

 

 生きているはずがない。

 

 紅虎さんも言っていた。

 

 助からなかったって。

 

 現代で死んだと聞いていた。

 

 それなのに。

 

 何故、幻想郷に来たのか? 一体どうやってやって来たのか。

 

 考えれば考えるほどに謎は深まる。

 

 そんな大和のことを知らずに、武尊は不思議そうな表情を浮かべていた。

 

 前見たときよりも、明らかに大和の雰囲気や姿格好が変化している。

 

 特に髪や目がかなり違っていた。

 

「お前……見ない内に髪染めたのか? 目もカラコン付けたようだし。イメチェンってやつ?」

 

 顔立ちは以前と変わらないが、やはり髪や瞳がかなり違和感ある。

 

 まるで自分の兄弟とは思えないほど。

 

 しかし、自分の姿が変わったことを指摘されても大和は反応がなかった。

 

 余程、兄が生きていたことが信じられないと言わんばかりだった。

 

「なんで……生きてんだよ? 確か死んだ筈じゃ……」

 

「俺に死んで欲しかったのか? まったく……随分と酷い弟を持ったもんだぜ」

 

 自分が生きていたことがそんなにも嫌なことだったのか。

 

 まぁ、強さで俺のことを目標にして、結局勝てずに現代では離れ離れになったのだからな。

 

 正直、自分がいなくなって目標が居なくなったと同時に、負ける相手が少なくなったのだから。

 

 それが結局、生きてたって話だから、どういう反応しすれば良いのは分からねぇんだよな。

 

「紅虎さん……嘘ついてたのか?」

 

「いや、紅虎さんは嘘ついてねぇ、確かに俺は死んだんだ。確か心肺停止してたから、医学的観点からみれば俺は一回死んでるんだよ」

 

「それじゃあなんで……?」

 

「蘇生したんだよ。」

 

「……蘇生?」

 

 

 

   《〜回想〜》

 

 

 

 

 大和が瀕死を負い、意識不明になってから三日後のこと。

 

 紅虎は公園から武尊を御巫病院まで連れて行き、回収していた。

 

 武尊はすでに息は無かった。

 

 生体モニターを使ってみたが完全に駄目だった。

 

 心肺も停止していた。

 

 肌も青白くなっており、完全に死人だった。

 

 助かる動向の問題ではない。既に故人、死んでいたのだ。

 

 もはや手の施しようが無い。

 

 死人は生き返らせれない。

 

 紅虎は医術の神、へびつかい座のアスクレピオスではないのだ。

 

 今できることは。意識を取り戻すであろう大和に兄の死を報告すること、そしてあとは手厚く弔ってあげることだけだった。

 

「さて、火葬を何処に頼みましょうか。」

 

 葬儀などをどうしようか迷っていた。

 

 両親にも伝えなければ、やることは沢山ある。

 

 そんなことを考えている時だった。

 

 突然、生体モニターに反応があった。

 

 武尊の心肺が突然動き出したのだ。

 

 急速、脈拍が平常値になる。自発的に呼吸もしている。

 

 その瞬間、武尊が目を覚ました。

 

「……はぁっ!?」

 

 武尊が飛び上がって起き上がったのだ。

 

 死んだ筈の武尊が突然起き上がったところを目の当たりにすると、流石の紅虎も驚きを隠さずにはいられなかった。

 

 完全に度肝を抜かれたような表情だった。紅虎は。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 呼吸ができなくてあまりにも苦しかったのだろう。

 

 ようやく呼吸ができて、ようやく苦しみから開放される武尊、何度も何度も深く呼吸をする。

 

 そして、自分が何処にいるのか、誰がいるのかを理解する。

 

「紅虎さんか。」

 

「……何故? 確かに死んだはず。」

 

 心肺は完全に停止していた。

 

 医学的観点から見て、100%脳死だった。

 

 それなのに、何故、突然心肺が吹き返って蘇ったのか。

 

 理解出来なかった。

 

 もはや超常の世界であり、人知を超えた現象である。

 

 それから紅虎は冷静になると、武尊に戦争が終わったこと、脳死したはずのなのに蘇ったことを説明した。

 

 

     《〜そして現在〜》

 

 

   

「どうゆう原理かはわからねぇが、心肺が突然動き出して、生き返ったらしい。」

 

 そんなことありえない。

 

 心肺停止すれば、そのまま脳死して完全に死ぬのだから。

 

 それが死から蘇り、生き返るなんて。

 

 神話に登場する半神半人の英雄でなければ不可能だ。

 

 だが、兄貴はただの人間。

 

 どんなに優秀な頭脳や超人的な身体能力を持っても、所詮は人間なのだから。

 

「それだけじゃあねぇよ。前よりも力が強くなっていたんだ。以前とは比べ物にならねぇくらいにな。」

 

「今の俺よりもか?」

 

「やってみるか?」

 

 まさかと思うが、俺よりも強くなっているとでも言うのか。人間の身でありながら。

 

 それはありえないことだ。

 

 今の俺に単純な腕力で勝つことはほぼ不可能と言ってもいいだろう。

 

 もし、俺が負けたら。それはもう人間の領域ではない。人外の世界の話だ。

 

 だからやってみる価値はある。

 

 今の兄貴が自分の力に酔い痴れていることをわからされるために。

 

 大和は両手を前に出す。

 

 つかみ合って攻撃の機をうかがう体勢、手四つの構えだった。

 

 武尊はその行為をすぐに理解した。

 

 単純ではっきりと実力がわかることだったからだ。

 

「手四つか。良いぜ。」

 

 まるで受けて立とうと言わんばかり、武尊は大和の両手を握り締める。

 

「先に力入れろよ。」

 

「良いのか?」

 

 大和の腕力は一トン以上の大岩を持ち上げるほどの桁外れの怪力を持っている。

 

 下手すれば、人間の両腕を意図も簡単に捻り壊す可能性がある。

 

 それをわかった上でやれと言ってるのか。

 

 だったらやってやる。後から両腕がぶっ壊れて泣き寝入りしても知らんからな。

 

 今まで負けた雪辱をここで晴らすとしたよう。

 

 大和は全力の力を両手に込める。

 

 武尊を腕力で押し潰そうとした。

 

 しかし。

 

 武尊の両手はビクともしなかった。

 

 半妖である大和の剛腕を余裕で耐え抜いたのだ。

 

 それには大和も驚きを隠しきれなかった。

 

 自分が本気で兄貴の両腕を捻り壊そうとした。

 

 それなのに。

 

 まさか。兄貴の腕力は半妖である自分よりも上だというのか。

 

 信じられない。

 

 本気を出して、力を込めたはずの大和に対して。武尊は呆れたような表情を浮かべる。

 

 まるでこんなものかよと言わんばかりに。

 

「終わりか?」

 

 思わず、大和は両手を離した。

 

 もし、兄貴に力を込められたら、間違いなく自分の両手が壊されると思ったからだ。

 

 しかし、大和が両手を離しても、武尊はそれに対して何も批判しなかった。

 

 まるで自分が勝つことが当たり前と言わんばかりに。

 

「という事だ。まぁ、俺を超えれるように頑張って精進しろよ。」

 

 そう言うと武尊は大和に対して背を向ける。そして。

 

「また会おうぜ。次は紅い館でな。」

 

 武尊は森の奥深くへと歩き去ってしまう。

 

 大和は追いかけることはしなかった。

 

 何故だろう。連いて行ったら何かマズイと思ったからだ。

 

 それよりも武尊の言ってたことが気になる。

 

「どう云う意味だ?」

 

 大和には兄の言っていることが理解出来なかった。

 

 紅い館とは何を差しているのか、何故次に会う時がわかるのか。

 

 今の大和には早すぎる情報だった。

 

「八雲紫、いるんだろ?」

 

「えぇ、ずっと見守ってたわ。」

 

 声が聞こえると同時に大和の背後に八雲紫が現れる。

 

 姿を見せないと思ったが、どうやらずっと大和のことを見守ってたらしい。

 

「帰るのかしら?」

 

「あぁ、それよりも……」

 

「何かしら?」

 

「兄貴が生きていたこと……知ってたのか?」

 

 すると、八雲紫は親指と人差指を顎に当てる。考えているような素振りを見せた。

 

 それから数秒後、八雲紫は答える。

 

「いえ、知らなかったわ。私もてっきり死んだと思ってたから。」

 

「そうか。なら良い。」

 

「言っとくけど、これは私も予想してなかったことよ。それに一体どうやって幻想郷にやって来たのか、わからない。」

 

 それもそうだ。武尊の兄貴がどうやって幻想郷に来たのか、俺にもわからない。

 

 生きていたことでさえ驚きなのに、何故世界から隔離されている幻想郷に来ることが出来たのか。

 

 かなり強くなっただけで、兄貴に幻想郷に来れるような能力があるとは思えない。

 

「まぁ、良いわ。それより帰りましょう。幽々子が待っているわ。」

 

「そうだな。」

 

 八雲紫がスキマを開く。

 

 大和のスキマの中に入っていく。

 

 中に完全に入り込むと、スキマは閉じた。

 

 森には誰もいなくなった。

 

 鬼とのリベンジに結果的に勝ったが、どうにも後味の悪い終わり方だった。

 

 だが、自分の力で圧倒できたことがわかった。妖怪に勝てることを知ることが出来た。

 

 それだけでも豊作と言ってもいいだろう。

 

 そして、兄の武尊が生きていたこと。

 

 正直、衝撃的だった。

 

 これから、兄と対面し、もしかしたら闘うことになると思うと心配になる。

 

 もっと強くならなければ。

 

 色々な意味で記憶に残るような一日だった。

 

 これからも何が起きるのか、検討も付かない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十五話 妖怪兄弟 極夜と白夜

 幻想郷に存在する森の中。

 

 この森は妖怪がかなり少ない。

 

 しかし、住処を失い、人里から迫害された野盗が少なくとも存在していた。

 

 良く、人里から降りてきた村人が金品を奪うために野盗に襲われることが良くある。

 

 そんな森の中を一人の青年が歩いていた。

 

 青年の背丈は2m近くある。文句無しの巨体だった。

 

 腰まで伸ばした艷やかな黒髪、妖しくも美しい整った顔立ち、黄色い瞳をしており、左目の下には泣きぼくろがある。耳はエルフのように尖っていた。

 

 服装は白い和服の上に鎧を纏っている。腰には白い刀を差しており、背には巨大な赤い瓢箪を持ち歩いている。

 

 森を歩いていると、人の気配を感じる。

 

 それも一人や二人ではない。

 

 野盗だった。

 

 刀や槍を持って青年を取り囲む。

 

 青年は無表情で足を止める。

 

「良い着物着てるじゃねぇか。」

 

「高価そうな刀や瓢箪を持ちやがって。」

 

 不気味な笑いを浮かべながら、野盗達は青年を品定めするように。

 

 しかし、それに対して青年は何も反応を示さない。

 

 まるで野盗達は眼中に無いと言わんばかりに。

 

 しかし、青年もある物に興味を示す。

 

 青年は野盗の持つ刀を見つめる。

 

「刀か……私は強き刀を求めている。その刀させあれば、より強大な力の主へと、己を変えることができる。」

 

「なにを言ってんだお前?」

 

「頭おかしいのか?」

 

 独り言を言う青年を変わり者のように思う野盗達。

 

 どうやら、こんな人数を相手にして逃げることも闘うことも出来ず、頭のおかしいことを言い始めた。と野盗達は思っていた。

 

「どうやら、まだ私は……自分の力だけでは物足りぬという、未熟な甘えがあるらしい。」

 

「……これは不安なのか? いや、これは単なる限度を知らぬだけだ。無尽蔵に湧き上がる力への渇望。」

 

「殺っちまえっ!!」

 

「うぉっー!!」

 

 野盗が青年に襲いかかる。

 

 刀剣や槍を構えて向ける。

 

 完全に殺す勢いだった。

 

 しかし青年は一歩も動かない。

 

 だが、青年は右腕を前に向ける。

 

 指先から鞭のような光る白い太い糸を出す。

 

 そして襲い掛かってくる野盗達に向けて優雅に腕を振るい、鞭のようなもので薙ぐ。

 

「刀が……私はその強き刀が欲しい。」

 

 野盗達に鞭のような物体が首や胴体に同時に当たる。

 

 それからはあっという間だった。

 

 胴体に当たると真っ二つに引き裂かれ、首に当たれば胴体と首が離れ離れになる。

 

 その切口はというと、凹凸はほとんどなく、綺麗に切れている。

 

 野盗全員は即死だった。

 

 鞭のようなものは日本刀のような切れ味を持っていたのだ。

 

 一瞬の出来事だった。

 

 恐らく野盗は何が起こったのかわかっていない。死んだことさえ理解していないのだろう。

 

 苦痛も何も感じずに死んでいったのだ。

 

 最後に残っていたのは、無惨にザク切りにされた肉塊のみ、立っているのは青年だけだった。

 

「極夜兄様、先に行くなんてひどいよ。」

 

 野盗を殺し終えると、一人の少年が青年に向かって歩いてくる。

 

 白銀のボサボサとしたショートボブ、顔は子供っぽいが整った顔立ちをしている。瞳の色は青色。右目下には泣き黒子がある。

 服装は毛や皮で作られた特殊な紫色の和服を着ている。

 

 少年が人間の死体を目にすると、ぐぅ〜とお腹を空かせた。

 

「兄様兄様、これ食べて良いの?」

 

 人を食う気なのか、少年はご馳走を目の前に置かれたように、口からヨダレを垂らしている。

 

 少年の瞳は輝いており、今にも死んだ人間に食い付こうとしている。

 

「白夜、お前の好きにしろ」

 

「わ〜い。ありがとう兄様。人間を食べるなんて久しぶりに食べるから、どんな味するのか楽しみだな〜」

 

「喰い終わったら申せ。私は少し休む。」

 

 そう言うと青年は軽く飛んだ。

 

 軽く飛ぶと、身の丈を越える。それどころか木の太い枝を軽く飛び越える。

 

 木の枝の上に軽やかに降り立つ。

 

 そして木の枝に座ると大木に横たわり、言った通り休憩をする。

 

 目を瞑り、リラックスする。

 

「は〜い。」

 

 バラバラになった人間の少年は手で拾う。

 煮ることも焼くこともせずに、人間をそのまま生で食べる少年。

 

 まるでご馳走でも食べるかのように、人妖に殺された人間を貪り食う。

 

 ムシャムシャとひたすら肉に齧り付く。

 

 肉に喰らい付くと、ブチブチと音を立てて肉が千切れる音がする。

 

 例え噛み付いた部位から血が吹き出しても、血が顔に滴ろうとも、食べることを止めない。

 

 骨以外の肉片や臓物を一つ残すこと無く綺麗に食べる。

 

 その光景はと言うと実に恐ろしく、そして野生的だった。

 

 人間の形をした化け物が人を貪り食う。実に狂気的な光景。その食べ方は獣のように品が無く、とても野性的な食べ方だった。

 

 それから30分過ぎた頃か、5人分の肉と臓物を全て食い尽くして、骨だけを残す少年。

 

 満足したのか、お腹を手で揺すりながら、とても幸せそうな表情を浮かべていた。

 

「久しぶりの人間、まぁまぁだったかな?」

 

 口に付いた鮮血を舌で舐め取る。

 

 両手に付いた血をペロペロと舐める。

 

 そして、兄様と呼んでいた青年の言う通り、木の上で休んでいる青年の元に登ってやってくる。

 

 木の上には、目を閉じてゆっくりと休んでいる青年がいた。

 

 まるで、眠っているかのように静かだった。

 

「兄様兄様、食べ終わったよ」

 

「そうか。」

 

 青年は目を開く。

 

 木から優雅に軽やかに降りて、地面に降り立つ。

 

「行くぞ白夜。」

 

「は〜い。極夜兄様」

 

 二人の人妖は獣道を歩く。

 

 刀を求めて、強くなるために。

 

 この二人の人妖の名は極夜と白夜。強大な力を持つ妖怪の兄弟。




 いつもお読み頂きありがとうございます。
 お気づきだと思いますが、私は一週間に一回投稿を頑張ってやっきました。
 それで突然ですが、週一連載を中止させて頂きます。
 理由としては体調よる様々な心身共の不調ということで。
 誠に勝手ながら、読者の方々には大変申し訳無いと思っています。
 体調が治り次第、連載を再開させようと思うので、気長にお待ち下さい。
 以上、作者からでした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六話 人里での戯れ

一週間休んで申し訳ございません。
 まだ体調は治ってないんですが、無理やり身体を奮闘させて執筆させて頂いてます。
 もしかしたらまた休載するかもしれません。


 人里にて。

 

 大和と幽々子。二人は冥界から抜け出してきて、再び人里に降りてきた。

 

 大和にとって何も無い冥界は実に退屈だった。

 

 鍛錬、飯を食う、寝る、嫁との会話、それ以外にやることはほとんどなかったからだ。

 

 人里はそんな退屈を紛らわせてくれる。

 

 武器屋、飯屋、娯楽、人との会話、冥界では味わえないことが沢山ある。

 

 しかし、八雲紫がいなければ滅多に来れないことが問題点と言ったところか。

 

 人里を歩いていると、幽々子が話しかけてくる。

 

「今日は何する?」

 

「取り敢えず飯でも食うか。」

 

 すると幽々子は周囲をキョロキョロと見渡す。

 

 そして見つけたのが、一軒の食事屋だった。

 

 その店に向かって指を差す。

 

「あそこで良いんじゃない?」

 

「そうだな。行ってみるか。」

 

 二人は店に向かって歩き出した。

 

 そして、中に入る。

 

「いらっしゃい。」

 

 店員が迎え入れてくれる。

 

 店の中は店員二人と店長しかいなかった。

 

 客は誰もいなかった。

 

 まぁ、昼過ぎだし。空いてるのは無理もない。

 

 幽々子と大和の二人は席に座る。

 

 テーブルに置いてあったメニュー表を見る。

 

 意外と色々な料理があり、豊富だった。これなら食べるものに困ることはない。

 

「すいませーん。」

 

 大和は店員を呼び出す。どうやら食べるものを決めたらしい。

 

「はーい。」

 

 二人の前に店員がやってきた。

 

 それも水とコップを持ってきた。

 

 コップに水を注いで、二人の前に出す。

 

 そして、注文を聞く準備をした。

 

 それが終わると、大和はとんでもないことを言う。

 

「取り敢えず、全部持ってきて。」

 

「全部っ!?」

 

「そう、なんか問題でも?」

 

「それは良いんだけだ、時間掛かりますよ?」

 

「全然大丈夫。そんな飢え死にしそうな程の空腹ではないから。」

 

「本当に大丈夫ですか? そんな沢山頼んで。」

 

「金はあるし、多分全部食える。寧ろ足りなくて追加で注文する可能性はある。」

 

「わかりました。」

 

 それを聞くと、店員は店長に注文を報告しに行く。

 

 それを見た幽々子はくすくすと笑う。

 

「うふふ、面白いわね。」

 

「別に変なこと言ってるわけじゃねぇんだけどな。」

 

 それから三十分と言ったところか。店員が数回に分けて料理を持ってくる。

 

 時間が掛かるとは言っていたが、意外と早く来たもんだ。

 

「これで全部です。」

 

「ありがとな。」

 

 その料理の数々はと言うと。まるで満漢全席のようだった。普通の人なら絶対に完食することはできない。桁外れの量だった。

 

 料理が全部置かれると、二人は手を合わせて。

 

「いただきます」

「頂きまーす」

 

 料理を淡々と食べる。

 

 がっつりと食べているが下品と言うわけではなく、綺麗で作法のなった食べ方で沢山食べている。

 

 少しずつだが、満漢全席並の量はある料理を減らしていく。

 

 本当に全て食べてしまいそうな勢いだった。

 

「妖夢の飯も良いけど、たまには外で食う飯も旨いもんだな。」

 

「そうね。たまには違う人の料理を食べても良いわね。」

 

 ずっと俺や妖夢が作ってた料理を食べていたのだ。

 

 たまに他の人の作った料理を食べると、また自分が作った料理とは異なる味などがわかる。

 

 この店の料理は普通に美味しい。

 

「それにしても本当に旨いな。現代と隔離されて時代が遅れているとは思えないくらい。結構完成度高いと思うんだけど。」

 

「バリエーションは現代には勝てないけど、味は十分だと思うけどね。」

 

「シンプルで旨ければ良いんだよ。」

 

 極論、料理は旨ければなんでも良い。ゲテモノとか奇食は嫌だが、普通であれば料理は美味でなんとかなる。

 

 二人は有り得ない量を食べている。

 

 どんどん無くなっていく。

 

 気が付けば、料理は全部無くなっていた。

 

 満足したのか、一息付く大和。

 

 手の甲で口を拭いた。

 

「ふぅ〜大分食ったな。美味かった。」

 

「久々の外食良かったわね。」

 

 どうやらお互い満足したようだ。

 

 久々の外食は美味かった。たまにすると良いもんだ。

 

「取り敢えず勘定して行くか。」

 

「うん。」

 

 店員を呼んで、勘定を済ます。

 

 そして席を立ち上がり、二人は店を出ていく。

 

 十人前、いや三十人前は軽く食べているのか。たった二人で。

 

 その食事量は明らかに人体の胃袋の許容量を遥かに超えている。

 

 人間ではありえないことだった。

 

 一体そんな身体のどこに食べ物が入っていくのか。

 

 もはや四次元ポケットではないかと。

 

 それも無理はない。

 

 一人は人間ではなく亡霊、もう一人は半人半妖なのだから。

 

 人間の常識が通用するような人物たちではない。

 

 テーブルに置かれた食べ終えた皿が残っている。

 

 どれも食べ物は一片も残されておらず、綺麗に食べられている。その客の教育がはっきりとわかる。

 

「すげぇや。あの二人本当に全部食いやがった。」

 

「あんな量を食べるなんて。」

 

「そりゃあそうだろ。あの客は人間じゃない。」

 

「人間じゃない?」

 

「嬢ちゃんの方は確か亡霊。もう片方の兄ちゃんは初めて見る面だったが、妖怪に近い気配だった。」

 

 亭主はどうやら大和達の正体に気づいていたらしい。

 

 しかし、それをわかったうえで飯を食わせたのだ。

 

「そんな奴らに飯食わせてたのかよ」

 

「今度から出禁にしましょうか?」

 

「関係ない。俺は飯を美味そうに食ってくれる奴と腹空かせた奴に飯を食わせるだけだ。

 それにあの二人は少なくとも悪い奴じゃない。」

 

 人外だろうが化物だろうが関係はなかった。

 

 腹が減ってるなら誰であっても飯を食わせて腹一杯にさせる。

 

 それが亭主の考えだった。

 

 

    《〜一方その頃〜》

 

 

 

 

 大和と幽々子の二人が人里を歩いていた。

 

 次は何をしようか、何処へ行こうか考えていた。

 

 腹拵えは済んだ。

 

 運動をするか、それともどこかで買い物でもするのか。

 

「何しようかしら?」

 

「簪とか見に行くか?」

 

「私に似合うものあるかしらね。」

 

 自分に似合うものがあれば良かったと思った。

 

 大和が可愛いと言ってくれたらどれだけ嬉しいことか。

 

「……んっ?」

 

 そんなことを話していると妙な異変に気づく。

 

「……妖気だ。」

 

 妖気を感じたのだ。

 

 この場には人しかおらず、妖怪は居ないはずなのに。

 

 妖怪の気配を感じた。

 

 以前、八雲紫と対峙した時に奇妙な気配を感じたことがあったから理解していた。あれが妖気だ。

 

 八雲紫と同じ、もしくはそれ以上に強い妖気を感じる。

 

 それも近くに。

 

 どんどん近づいてくる?

 

 そして目の前を見てみると。

 

 黒髪の巨体の青年が歩いていた。

 

「ここにあったか……」

 

 対峙する半妖と妖怪。

 

 この妖怪の目的は一体なんなのか?



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 10~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。