竜殺しっぽい誰かの話。 (焼肉ソーダ)
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1.働かなくて良いくらいの金が欲しい。

リハビリ、兼練習作品ですが。よければ暇つぶしにどうぞ。


 唐突ですまないが。諸氏は、『転生』という言葉をご存知だろうか。

 そう、輪廻転生のアレである。が、ここではもう少しサブカルチャー寄りの……いわゆるジャンルの一つとしての『転生』のことを指す。

 

 古来より、神話から小説、漫画に至るまで、あらゆるジャンルで『あなたは○○の生まれ変わりです』というシチュエーションは親しまれてきた。

 その内情は様々だが、それには大雑把に分けて二種類が存在する。

 

 一つ。生まれ変わる前───前世というヤツを最初から覚えているもの。

 一つ。生まれ変わった後───劇的な出来事で、あるいは不意に、前世を思い出すもの。

 

 だいたいこの二種類に分類される。というのが、個人的な意見だ。

 無論、探せばこれに該当しないケースはいくらでも見つかるだろうが、今ここで重要であるのは、生まれ変わりというのは大抵の場合において前世の記憶というヤツを持っている。ということだ。

 ……まぁ。何が言いたいかというと、つまり。

 

 前世の記憶も今世の記憶もハッキリしない()のような存在は、もしかすると稀有なのではないか、という話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 凡庸。パッとしない。それなりに真面目。成績は普通。

 

 彼という人間を構成する要素を挙げると、概ねそんなところだろうか。

 

 他には……現在アルバイト中の苦学生であるとか。割と日和見主義というか、中立であるとか。その程度の情報しか、特筆すべき点はない。

 

 総合して、いたって普通の男子学生。

 それが、彼───アシュリー=ヴィルセルトという人間だ。

 

 そしてその平々凡々とした一般人は、

 

「んー……良い朝だ」

 

 と、フェジテの一角で日光を浴びながら伸びをしていた。

 

「ふむ。本日も快晴なり……といったところか」

「おはよう、アッシュくん。今日も良い天気でよかったね」

「ああ、おはよう。フィーベル、ティンジェル。珍しいな、今朝は寝坊でもしたか?」

 

 路地の前から飛んできた声に、チラリと時計を見ながら挨拶を返す。いつも二人が通う時間よりも、少しだけ遅いのは事実だ。つまり、残念ながらアッシュ───アシュリーもそこまで早く来ているわけではない。

 呼ばれたうちの片方……ルミア=ティンジェルの隣にいた銀髪の少女がやれやれと言いたげに盛大にため息をついた。

 

「アッシュ……あんた、相変わらずのんきっていうか、緊張感がないわよね……」

「? この時間でも間に合うはずだけど」

 

 正確には開始5分前には着くはずだ。

 しかしこの説教魔、もといシスティーナ=フィーベルはそもそも、ギリギリに着くような時間に家を出るなと言いたいのであった。

 

「はあ……まぁ、いいわ。こっちはただの忘れ物よ。一緒にしないでちょうだい」

「システィ、ヒューイ先生のこと気に入ってたもんね?」

「ヒューイ……ああ、あの根っこが根暗っていうか悲観主義っぽそうな先生」

「教師になんて言い草よ」

「辞めちまったんだっけ? また中途半端な時期だよな」

 

 肩に引っ掛けた鞄を持ち直し、件の優男を思い返す。教科書の内容をわかりやすく、懇切丁寧に教えてくれていた男教師だ。が、つい先日唐突に辞めてしまったらしく、今日はその代わりの講師が入るとか入らないとかいう話だったか。

 という情報をシスティーナに言われるまで綺麗さっぱり忘れていた、ということは伏せておいた。

 

「そう……はあ、ほんと残念よね……ヒューイ先生、すっごく良い先生だったのに……」

「とっつきやすかったのは確かだな」

 

 魔術師というのはプライドの高い人種が多い。崇高なる神秘を解き明かし、自在に行使する自らのことを選ばれた人間だと自負している者が多いのだ。人類の全員が全員魔術を使えるわけではないから、ことさらにそうした意識が強いのだろう。

 力を手にすれば調子に乗るのが人間のサガである。ある意味では仕方のないことなのかもしれない。

 が、このプライドや選民意識がいくところまでいってしまうと、魔術師は外道魔術師と呼ばれる存在へと容易に変貌する。生贄にしたり巻き添えにしたりと、要するに一般人の犠牲を顧みなくなるのだ。

 

 そういう外道魔術師が集まる組織もあるというが、普通に暮らしている以上はあまりお目にかかることのない集団である。

 

「……と、俺はこっちだから」

「なんで? ここまできたら学院までの道は一緒でしょう?」

「寄るとこがあるんだよ。昨日、バイト先に財布忘れちゃって」

「ギリギリで登校してないで早く行けこのおばかっ!!」

 

 はーい、と気の抜けた返事をしてバイト先へ。

 財布を確保し、店長に軽い挨拶をして戻ってきた時、何故かシスティーナとルミアは……というかシスティーナは肩を怒らせていた。

 この短時間でなんでさ、と言う級友に半ばキレながら「知らない!」と返すと、そのままシスティーナはルミアの手を引っ張ってズンズンと歩いて行ってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───と、朝にそんなことがあったなあ、と教壇を見ながら思った。

 

「自習にしまーす。……眠いから」

 

 目の前というには少し遠いところでおやすみ3秒と言わんばかりの勢いで寝落ちする一人の男。

 すごいな、いくら俺でもあそこまでのスピードで寝落ちることはそうそうない。

 結局始業ギリギリで教室に到着した俺よりもはるかに遅れて現れたその男はグレン=レーダスというらしく、案の定今日やってくるという非常勤講師だった。そんでもって意外にも若い。俺よりも二つか三つ上、といった程度だろう。

 

 この辺りではそこそこ珍しい黒髪黒瞳。顔は悪くないが、肩にかかる程度に伸ばされた髪は適当に括られている。切ったら良いのでは? と思わないこともないが、髪を切るというのはなかなかどうして面倒なものである。前髪ですら目が隠れるほど伸びてもしばらく放置してしまうというのに、後ろ髪となれば言わずもがな。それに縛ってしまえば意外と楽だったりもする、というのは知り合いから聞いた話だ。

 おしゃれという線は……ないだろう。それにしては雑すぎる。あっちこっち跳ねている髪でおしゃれですなどと片腹痛い(と身だしなみに厳しかった友人なら言うだろう)。

 

 むしろやる気が皆無というか。

 現在進行形でやる気が皆無というか。

 そういうことに気を回す活力があるようには見えないというか。

 

「ふっ……ざ、けん、なーーーっ!!」

 

 怒号とともにフィーベルの教科書が飛んでいった。投げたのももちろんフィーベルである。なんだかキャンキャンと騒いでいるが、要するに優等生様は新任講師のこの体たらくが許せないらしい。朝から元気なことである。

 その後の展開? フィーベルがキレ散らかしてるのを延々後ろから眺め───るのは早々に飽きたから普通に自習をしていた。フィーベルと俺は別に仲良しというわけではない。ただ席が近いだけである。そして朝から騒ぎまくるのはフィーベルだけで十分だ。

 

「ねえ、アッシュくん。システィのことなんだけど……」

 

 だからなにゆえに俺のところにお鉢が回ってくるのか?

 

「止めろって? いいんじゃない、放っとけば。のれんに腕押し、ぬかに釘ってやつでしょ、ありゃ」

「そうだけど……」

 

 いや、正確には止めて欲しいというより現状をどうしたら良いかわからないといったところか。

 ティンジェルとフィーベルは古馴染みだと聞く。であれば、親友が猛り狂っているのはどうにかしたいということだろう。

 

 そして俺の返答はノー。

 何故ってそりゃ、ヒートアップしすぎて介入するのが躊躇われる状況になっているせいである。

 ついでに言うと位置関係も悪い。後ろからでは口出しするのもなにかと難しいのデス。

 

「まあ、大丈夫だろ。幸い……って言うと違うけど、あの人が遅れてきたおかげで授業時間もあとちょっとしかないし」

 

 放っておいても、チャイムが勝手に水を差してくれる。

 さらに言えば、次の授業は錬金術である。着替えを挟む関係上、どうしたってグレン先生とは離れざるを得ない。そうなれば、フィーベルも頭が冷えるだろうし、ティンジェルが落ち着かせることも容易になる。

 とは言っても、言ってることは九分九厘フィーベルの方が正しいし、仕事の雑な講師に「待った!」と疑問やら要求やらを真っ向からぶつけるのはフィーベルの性分のようなものだ。ついたあだ名が講師泣かせ。落ち着きはしても撤回はしないだろうし、今後もグレン先生があの態度であれば今日は丸一日フィーベルのお説教コースになるやもしれん。

 あのやかましさ、もとい生真面目さは貴族としての価値観とかプライドとかが為せる技なのだろうか。システィーナ=フィーベルとはかくも奥深いものである。

 

「……ああ、ほら」

 

 そうこう言っている間に、話はまとまることなくチャイムによって遮られた。ここぞとばかりにグレン先生が教室の外へと駆け出していく。

 哀れなりフィーベル。そして次の授業はさっきも言ったが錬金術だ。

 ここでボケッと時間を潰したり、グレン先生を追いかけていく余裕はない。

 

「──────ッッッ!!」

「し、システィ、ほら次錬金術だよ! 着替えないとだから! 更衣室行こう、ねっ!」

 

 ティンジェルが、着替えを持ってフィーベルを引きずっていく。

 

 ……しかし嫌な予感というか、結果が読める気がするというか。

 そしてその嫌な予感通り、着替え中に廊下から何かがブッ飛ばされるよーな音が響いたその数分後。頭にタンコブを作ったグレン先生は、実験室で高らかに自習の旨を告げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「お疲れ様でしたー」

「ああ、お疲れ。また頼むよ」

「うす」

 

 結局、昼飯を挟んだ後も自習地獄だった。

 フィーベルは途中で諦めたのか体力が尽きたのか、青筋を立てながらも素直に自習に励んでいた。いや、なにも言わなかったわけではない。もちろん毎回毎回律儀に抗議してはいたのだが、まあ案の定グレン先生が聞き入れることはなく。正直血管の一本や二本ならプチッとキレていそうな形相だったが、相手が狸寝入りを決め込むのでは仕方ない。授業のたびに教科書を投げつけるわけにもいくまいし。

 

 そーゆーことで、今日の学校生活はおおよそ平穏無事とは言い難いまま幕を閉じ、俺はこうして放課後のアルバイトに励んでいたというワケだ。

 

 今日はちゃんと財布を持って帰ってきていることを確認し、帰路につく。

 季節は春。しんと冷え込んだ薄暗い夜。俺は愛しの我が家に帰り着き、日々の疲れを癒すためにベッドへと潜り込む。

 

 あの怒りようだと近いうちに家の権力で脅しをかけるか決闘を仕掛けるかしそうだよな、と思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───あなたにそれが受けられる?」

「システィ! だめだよ、早く拾って……!」

 

 ……一週間後、フィーベルがグレン先生に手袋を投げつけた(決闘を申し入れた)

 

 ついにキレたか、と思う俺をよそに、教室は予想だにしない展開にざわつくのであった。




アシュリー=ヴィルセルト。17歳。アルザーノ帝国魔術学院二年次生二組に在籍するごくごく普通の男子生徒。
転生前の個人を表す記憶なし。大雑把な知識あり。転生特典の自覚、希薄。


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2.本日のハイライト:惨敗、激昂、改心───敵襲。

魔術競技祭までしかストックはないです。


 結果から言うと、グレン先生はクソ雑魚だった。

 

 確かにフィーベルはうちのクラスでも1、2を争う実力者だ。対抗できるやつと言えばドジっ娘貴族として密かに人気のあるナーブレスか、万年孤高ぼっちと名高いギイブルくらいのものであろう。

 

 だがそれにしたって、アレはない。アレは一種のいじめだった。双方にとっての。

 フィーベルは誇りを汚されるという精神的な、グレン先生にとっては電撃をモロに喰らうという物理的な。

 

『私が勝ったら、心を入れ替えて真面目に授業に取り組んでください───』

 

 それがフィーベルが、手袋を叩きつけたときに震えながらも口にした要求だ。

 魔術師同士の決闘は、勝者が敗者に要求を通すことができる。そういう決まりなのだそうだ。しかし内容が内容であるために、軽々に挑むことは忌避される傾向にある。

 つまり、そんな手段に訴え出るくらい、フィーベルはあの講師の態度が相当腹に据えかねていた、ということだ。

 

 そりゃ『クビにされたくなければ働け』と貴族という強権をチラつかせたにも関わらず、『是非ともクビにしてください』とここ数日で一番イキイキとした顔で言われたのである。さすがの俺もちょっと引いた。なにしに来たんだ。

 

 そんなこんなで始まった生徒VS講師という前代未聞の決闘騒ぎ。【ショック・ボルト】の早撃ち対決ということで決まった試合を制したのは、なんと我らがシスティーナ=フィーベルだった。

 というか一発KOだった。開始直後に見せていた強者の風格はどこへやら。殺傷能力は低いとはいえ雷に打たれたグレン先生は一瞬で地面にのびた。

 

 が、そこはさすがグレン=レーダス。赴任初日から居眠りをかます期待の新人講師。

 まさかの一発KOを晒したにも関わらず、グレン先生は不屈の精神で『今のはハンデだし』などと言ってのけ、挙げ句の果てには、

 

『不意打ちとは卑怯な(※いつでもかかってこいと言ったのは先生です)』

『おっとボクってば三本勝負だからって油断しちゃったカナー!?(※別に三本勝負とは言っていません)』

『は? 三本勝負? なに言ってんのお前これは五本勝負だかんな! まだ負けてないかんな!!(※三本勝負とも五本勝負とも言っていません)』

 

 など、あの手この手で負けを認めず、五本勝負でさえ負けが確定し、最終的に四十七本勝負にまで持ち込んだ上でボッコボコにされて降参し、ではようやくフィーベルの要求が通るのか───というよりこれ以上見ているのがいたたまれなくなるくらい一方的な試合が終わるのかと思った瞬間には『俺、魔術師じゃないし』と言って約束を反古にする始末。

 

 前代未聞の事態に興奮していたクラスメイトたちもさすがに白け、熱気はグレン先生がどこぞへと逃げ出すなり冷え込んだ。

 

「システィ……大丈夫?」

「……心底、見損なったわ」

 

 ふるふると震えるフィーベル。無理もない。俺ももし真面目に、一世一代の大勝負みたいなノリで仕掛けた決闘をあんな風にされたらキレる自信がある。擁護のしようがない。

 というかむしろ、一周回って人はプライドをなくすとあそこまで卑劣になれるのかという思いが……いや、これに関しては人それぞれだな。うん。深く考えるのはやめよう。グレン先生にも事情があるのかもしれないし。

 

「そう、例えば真面目になると死んでしまう『真面目(シリアス)アレルギー』とか……」

「……バカ言ってないで、戻るわよ。自習の準備、しなきゃ」

 

 力なく項垂れている美少女を見るのは正直心が痛いのだが、あいにくと俺にできることはまったくない。

 大の仲良しさんことティンジェルが励ましてくれることを祈るのみだ。

 

 事件が起きたのは、それからさらに三日ほど経った頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あ、あの、先生……ここがわからないんですけど……」

 

 今日も今日とて自習の時間。一応最初の方は授業っぽいことをしていたグレン先生もとうとうなけなしのやる気が底をついたのか、三割くらい聞き取れないよーな声色で教科書を音読している。

 しかし、前回の決闘でもう諦めたのか、あのフィーベルでさえもうなにも言わなくなったというのに、ティティスは健気にグレン先生に質問をしようと教科書を持ってトテトテと駆け寄っていく。が、珍しく「どこだ?」なんて言葉を返したグレン先生と教科書の1ページを見せようとしたティティスを止めたのは、意外なことにフィーベルだった。

 

「やめておきなさい、リン。そいつは魔術の偉大さも崇高さも、なに一つ理解していないんだから」

 

 割とひどい言われようだが、そもそも言われたグレン先生も、教壇の上に放置された辞書に手が伸びていたのでおそらくまともに教える気はなかっただろう。

 講師泣かせと言われたフィーベルにあれだけ言われても折れないとは大した男だ。もうお互い意地になっているんじゃないのかと思うほど、二人の態度は頑なだった。

 

「いきましょ。そこなら、私が教えてあげるから……」

「───なあ、魔術のどこが偉大で崇高なんだ?」

 

 ……おや?

 

 フィーベルの発言のなにが癇に障ったのか、なぜか今日のグレン先生は今までのグータラぶりが嘘のように食い下がっている。

 それに当然負けじと反論するフィーベルだが、グレン先生の勢いは弱まらない。人類の持つ技術とその有用さを並べ立てた上で、さて魔術はなんの役に立つのか、なんのために存在するのかと問う。

 ついにフィーベルのしつこさに折れた、とか聞き飽きた、というよりは、

 

「ああ悪かった、訂正するよ。魔術はすげえ役に立つよ───人殺しのな」

 

 ───何かを、憎んでいるような。

 

 というかそれは言ったらアウトなやつでは? という俺のささやかな困惑などお構いなしに、グレン先生が捲し立てる。

 

 グレン先生のそれは要約すると、『ナイフは人を殺せるのでナイフはクソ』みたいな言い分だった。なんぞ魔術に恨みでもあるのかと思うほどの言い草だ。

 まあ分からんでもない。さっきはナイフに例えたが、熟練した人間でなければ傷つけるか怯えさせるかが関の山なナイフに比べて、魔術の殺傷能力はそれを大きく上回る。才能があればの話ではあるが、誰でも使えるという点では殺戮のための道具として名高い銃器とそう変わりない。ごくごく一部の人間しか使えないというのも、役に立たないという言葉の裏にあるだろう。

 

 が、ガチで鑑賞かドンパチかの2択しかない(偏見だが)銃と違って、魔術には確かに一般人が利用することがほとんどないという問題はあるものの、知識がなくてもある程度の傷を癒せる治癒魔術っていうファンタジー御用達のものもあった気がするし、錬金術なんかはもっとわかりやすく有用だ。グレン先生の言はちょっと極端なんじゃないだろーかとも思う。

 あれか? グレン先生は魔術に一族郎党皆殺しにでもされたのかな?

 

「まったく、こんな人殺しにしか役立たんクソみたいなモンを必死に勉強してるお前らの気が知れないね! そんなもん勉強する暇があったらもっと」

 

 と、そこまで言ったところでグレン先生による魔術批判は幕を閉じた。代わりに響いたのは乾いた音。

 グレン先生の言うところの『クソみたいなモン』を学ぶための教科書から顔を上げると、そこにいたのは片手を振り抜いた姿勢で震えるフィーベルと、呆然と片頬を抑えているグレン先生だった。

 

 え、殴ったの?

 

「……大っ嫌い……!」

 

 事態を飲み込むより早く、フィーベルがそう吐き捨てて教室から飛び出していく。

 

 ……思ったより大事になってしまった。

 

 絶妙な居心地の悪さの中、グレン先生はガリガリと頭をかくと、「今日も自習だ」と言い残してフィーベルを追うように───実際に追うつもりは毛頭ないのだろうが、教室を出ていく。

 

 冷え切った空気は、その一日中消えることはなく。

 教室を飛び出したグレン先生とフィーベルの姿も、現れることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 なんてシリアスに締めたのに、翌日。

 学校には、

 

「……悪かった」

 

 などと言いながら、(ちょっぴり)頭を下げるグレン先生の姿が……!

 

 劇的ビフォーアフターなんてモンじゃない。

 

 あの。

 グレン先生が。

 フィーベルに。

 頭を。

 

 嘘だろ、あの後の放課後に一体なにがあったって言うんだ───!?

 

 などと戦慄している俺をよそに、なんか開眼したっぽいグレン先生は改めて指定の教科書に目を通してツワモノっぽくフッと笑った。そして───

 

「お前らって、本っっっっっっっっっっっっっ当に馬鹿だよな」

 

 なんか罵倒されたでござる。

 あの無礼さ、というか大人気なさは薄れていないようで妙な安心感を覚えてしまったのは秘密である。一応弁明しておくが、俺にソッチ(マゾヒズム)の性癖はない。

 

 で、改心しても教科書の扱いは相変わらずな(読んだ教科書を投げ捨てた)グレン先生曰く、【ショック・ボルト】を『程度』とか宣う俺たちは魔術のことをなにもわかっていないのだとか。

 ちらほら一節詠唱もできないくせにー、とかお前に言われたくねー、とかいう声が聞こえる中、グレン先生はそれをまるっきり無視して黒板に初めて『自習』以外のまともに読める文字を書きつけた。

 常のミミズがのたくったような文字ではない。きちんとした、意外なほどに綺麗な文字だ。

 ようやくまともな仕事を与えられたチョークが綴った文字列は、《雷精よ・紫電の衝撃以って・撃ち倒せ》───要するにさっき『程度』とバカにされた【ショック・ボルト】の呪文列であった。

 

「はい問題。これをー、こーしてー、これで呪文が四節になりました。これを唱えるとどうなる?」

「は? そんなものまともに機能しませんよ。必ずなんらかの形で失敗します」

「ハイ馬鹿ー。失敗するのなんざわかってんだよ。聞いてるのはどう失敗すんのかってコト。

 究めてんなら当然わかるよな? 究めてんだもんな? 復習の必要もないくらい熟知してるんだもんな? まぁっさかとは思うけど……『ランダムです』、とか言うやつなんて、もちろん、いねーよなぁ?」

 

 煽る煽る。煽りよる。それはもうイキイキとしてらっしゃる。グレン先生はグレン先生であった。

 そして俺は不幸なことに何かを言おうとして口をパクパクさせているナーブレスを目撃してしまった。なんか『ラッ……!』とか聞こえた気がするからたぶん『ランダムですわー』、とか言おうとしたんだろう。先生の煽りの標的になるところだったね、よかったね。

 

 そして全滅と見るや、グレン先生はひとしきり煽った後に「答えは右に曲がる、だ」と、そう宣言して呪文を唱える。

 雷撃は、綺麗に右に曲がった。

 教室がどよめく。偶然だ、という負け惜しみのような声は、

 

「五節にすると射程が落ちる。一部を消すと威力が落ちる。……究めたってんなら、これくらいできねーとな?」

 

 グレン先生の宣言と、ことごとくその通りの挙動を示す雷撃に打ち消された。

 

「お前らは『この程度』の呪文の法則すらわからんくらい、ド基礎を無視して必死こいて魔術式やら呪文やらを暗記してたっつーわけだ。それがお前らお馬鹿どもの常識だからな」

 

 マジでひでぇ言いようだが事実である。

 魔術というのは『そういうもの』であったし、がんばって覚えれば使えるものをわざわざ追及するような輩もこのクラスにはいなかった。かく言う俺も割と暗記組だった。というか暗記しか勉強法を知らなかった。

 

 というわけで覚醒グレン先生が魔術のド基礎を教えてくれることになりました。やったね。

 

 あと内容的にはめっちゃ面白かったとだけ言っておく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 いっけなーい! 遅刻遅刻!

 私、アルザーノ帝国魔術学院の二年生!

 ちょっと別の世界の知識が薄っすらあったりするけどそれ以外はたぶんきっと概ね普通の男子学生!

 でもある日「お前らのクラスはこの休み期間も授業あるから」って言われてもう大変! のーみそはもう休日と認識して忘れていたゾ!

 次回、「廊下の中心で遅刻を叫んだけもの」、お楽しみに!

 

「うおおおおおおおおおやべぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 お楽しみに! じゃねえんだよ馬鹿がよ!!

 そんな小ネタに走るくらいならその頭回した分のカロリーを足に回せやボケがぁ!!

 

 そんなわけでどうも、オンオフがキッチリできる男、でもちょっとオフにするときだけスイッチがゆるめ───を自負している俺ことアシュリー=ヴィルセルトです。愛称はアッシュ。クラスメイトにして友人のカッシュと若干被っているのが悩みの種です。あんまり気にしてないけど。

 そして今日は本来ならば休日だったはずが、ヒューイ先生がいなくなって授業が遅れた影響で授業日にシフト。しかし一回「この日はオフ」と認識した脳はなかなか「この日はオン(学校)」と改めてはくれず、結果授業の存在に気付いたのが遅刻ギリギリどころか遅刻確定な時間になってしまったのである。

 

 昔のグレン先生だったら遅刻したところでなにも言われないだろうが、最近のグレン先生は遅刻なし授業問題なし面倒見意外と良しの優良物件。というかまず説教魔に捕まるのが目に見えている。

 でもなんか、こう、必死こいて走ったのが伝わってくれればちょっとくらい大目に見てくれないかなっていう下心もある。なんだかんだで甘っちょろいフィーベルのことだ。目の前で死ぬ一歩手前レベルで息を切らしている被告人を見ればちょっとくらい、そうちょっとくらい手心を加えてくれる。俺信じてる。

 

 不幸中の幸いは、今日はたまたま学院に忘れ物を取りに来ていたことだろう。一応学院に行くのだし、とちゃんと制服は着ていたし、忘れ物自体は屋上にあったからすぐに取りに行くことができた。

 しかし何故か教室に集まっていたクラスメイトに挨拶し、のんびり屋上で荷物を回収し、さて帰ろうかと扉へと向かっている途中でチャイムが鳴り響き、そこで俺は唐突に思い出したのである───あれ、そういえば今日授業じゃね? と。

 

「我ながら間抜けェェェェェェ!!」

 

 ずざーーー、と廊下の曲がり角で急ブレーキ、速度を落として右カーブ。階段の手すりに手を引っ掛け、最上段から踊り場まで一気に飛び降りる。

 常であれば人がいる状況でこんなことはできないが、今日は自分たち二組生徒の貸し切りである。遠慮する必要はない。

 

 気分はさながら暴走馬。いくつもの階段をショートカットし、廊下を駆け抜けて───

 

「おんやァ?」

「あらー?」

 

 不審者、発見。

 

 目が合った瞬間、冷や汗が背筋を伝った。

 足を止め、チンピラ風の男とダークコートの男の二人と対峙する。

 

「ボク、どしたのぉ? ダメじゃァん、授業始まってるよォ?」

「……それはごもっとも。俺も早いとこ教室に行きたいんですけど、なんかガタイの良い野郎どもが教室前の廊下に陣取ってるもんで」

 

 平静を装いながらも言葉を返すが、心臓はドクドクと警鐘を鳴らしている。近付いてはいけないと、直感が囁いていた。

 目に見えない緊張感のようなものが膨れ上がっていく。殺意───それから、舌なめずりをされているような悪寒。獲物として認識されたと、半ば本能で察していた。

 だが目を付けられてしまった以上はどうしようもなく、ざり、と一歩後ろに足を引くことしかできない。

 

 切り抜ける方法はなくはない。なくはないが、教室が近いこの状況で下手に動けばどうなるかがわからなかった。

 

 腕に覚えは……まあ、昔師匠にしごかれたし鍛錬は欠かしていないから、それもなくはない。

 しかし目の前に立ちふさがっているのは、明らかな強敵二人。戦力は未知数、目的も不明。戦場において棒立ちは死と同義だと教えられたにも関わらず、自分の思考は半ば完全に停止していた。

 

「ジン」

「うい」

「やれ」

 

 短い言葉。それにチンピラ風の男は最高に下卑た笑みを浮かべ、

 

「《ズドン》」

 

 ───刹那、心臓へ向けて閃光が迸った。

 

(……ああ。本当に───なんて、間抜け)

 

 暗転する意識の中、最後に聞こえたのは自嘲する自分の声だった。



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3.牙って骨に分類して良いんだろうか?

筋力A+(人間基準)


 人間、一つくらいは得意分野がある。

 

 例えば、グレン=レーダスは変化の停滞・停止という特異的かつ局所的ではあるが刺されば強い才能と固有魔術(オリジナル)を有しているし、拳闘の才能はそれなりのものだ。

 未だ未熟な天才に過ぎないシスティーナ=フィーベルは変数パラメータの多い風の魔術を得意としているし、異能ばかりが目立ってしまうルミア=ティンジェルも、白魔術に関してはプロ顔負けの腕前を誇る。

 

 そして。

 アシュリー=ヴィルセルトの得意分野は───肉体言語、要するに『近寄って殴ってブッ飛ばす』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ズガァン! と、勢い良く何かが吹き飛んでいく音に、システィーナは顔を上げた。

 

「なに、今の……?」

 

 つぶやきに答える声はない。

 しんと静まり返った教室は、数秒間その状態を保っていたが……やがて、ひそひそと堰を切ったように囁きが埋め尽くした。

 

 今の音がなんなのか。理解できないまま、システィーナが「ねえ、ルミア」と親友に声をかけようとした───そのときであった。

 

「ちーっす! 今日も勉強がんばってるかーい?」

「なっ……」

 

 無造作に教室の扉が開かれ、廊下からずかずかと二人の男が踏み込んでくる。どう見ても学院の関係者ではない。

 軽薄そうな声を響かせたのは、やはり軽薄そうな風貌をしたチンピラ風の男だった。お気楽に生徒全員を眺め、ニタリといやらしい笑みを浮かべる。

 

「ああ、君たちのセンセーは今お取込み中! 騒がして悪いねー、まあ今からもっと騒がしくするけど許してね? オレらってばこれがお仕事なのよ」

 

 ケタケタ、ケタケタ。

 男はヘラヘラとした態度を崩さない。

 

「ちょっと……あなたたち、一体何者なんですか?」

 

 それに毅然とした態度で立ち向かったのはシスティーナだ。

 

「なんのつもりでここにいるんです。ここは部外者立ち入り禁止ですよ。守衛に言われなかったんですか?」

 

 戦う力を持つ者としての魔術師の自負か、それとも誇りか。

 教室内が沈黙に包まれる中、システィーナだけは席を立ち、真っ直ぐに男たちと対峙していた。

 

「守衛? ああ、あのクソ雑魚ちゃんね! 邪魔だからブッ殺しちゃった。で、オレたちは泣く子も黙るテロリストってヤツでーっす! 女王陛下にケンカ売る、悪ゥ~い大人ってワ・ケ。オーケー?」

「ふ……ふざけないで! 守衛は戦闘訓練を受けています、あなたたちのような人間にやられるワケない!」

「あの程度で戦闘訓練受けてまーす、とか言っちゃうの? へえ、天下の魔術学院も大したことないんだねー」

「ともかく、即刻出て行ってください! でなければ、実力をもって排除します!」

「えー、ヤダー、排除されちゃう! 怖ーい、助けてママー!」

 

 ケタケタ、ケタケタ。ケタケタ、ケタケタ。

 耳障りな騒音は止まない。どこまでいってもまともに答えない───嘗められているのだ。そう判断したシスティーナは、いつかグレンとの決闘でそうしたように指を掲げる。

 言葉による説得と警告は終わった。後は実力行使に出るだけだ。それで万事丸く収まる。

 

「……っ。警告は、しましたからね?」

 

 確かに魔術は強力だ。体格に依らない力をくれる。なるほど、彼らが本当にそこらのチンピラであったのならあるいは、システィーナたちによる制圧もできただろう。

 

 ───だが。

 その恩恵に与っているのは、システィーナたちだけではない。

 

「《雷精の───」

「《ズドン》」

 

 先んじて放たれたシスティーナの【ショック・ボルト】の詠唱が完了するよりも速く、ふざけた一節詠唱で起動する魔術。

 システィーナのすぐ横を掠めて、閃光が飛んだ。

 

「……、え?」

「《ズドン》《ズドン》《ズドン》」

 

 黒魔【ライトニング・ピアス】。

 軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)が更に三連続で放たれ、システィーナの華奢な身体を掠め───教室の壁を穿つ。

 かつて戦場から武器や鎧の存在意義を根こそぎ奪った本物の『人を殺すための術』。そんな魔術を、短く切り詰めた一節詠唱で起動し、あまつさえ連続起動(ラピッド・ファイア)までしてみせた男の隔絶した技巧を前に、システィーナを含めた生徒は戦意を喪失し、沈黙が教室を支配する。

 

 鎧さえも穿つ雷閃が己の肌を掠めたという事実に、システィーナの足が恐怖に竦む。

 

 確かに、彼らが本当にそこらのチンピラであったのならあるいは、システィーナたちによる制圧もできたかもしれない。

 

 だが、現実として彼らは一流のテロリストであり───この場にいる誰よりも格上の魔術師だった。

 

 一拍遅れて湧き上がる悲鳴と混乱。それを、

 

「うるせえ、騒いでんじゃねえよガキども」

 

 日の当たる世界で暮らしてきた子どもたちでは知りようのない『本物の殺意』で圧殺する。

 

「こっちはもうお前らのオトモダチも一人殺してんだよ。一人殺すのも皆殺しも変わんねぇってわからせてやろうか、アァ!?」

 

 その一言が決め手だった。

 オトモダチ───二組の生徒のことだろう。そしてシスティーナはたった一人、この場にいない生徒を知っていた。

 では、あの音は、そんなまさか───?

 

「アッシュ……くん……そんな……」

 

 隣でルミアが震えながらつぶやいた。それを励ますように手を握り、システィーナはチンピラ風の男をキッと見据える。

 

 再び静まり返った教室に満足そうに頷くと、チンピラ風の男……ジンは揚々と目的を語り始めた───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───ッづぁあ!」

 

 叫びと一緒に、降り積もったガレキを蹴り飛ばす。幸いそこまで大きな破片はなく、自分一人でも容易に動かすことができた。

 が、結果的に動かせようが重たいことに変わりはないのでチンピラ野郎へのヘイトは上がるばかりよ。追加で撃ち込まれなくて良かったけども。

 

「あんにゃろ、予告なしに撃ちやがって……」

 

 あのチンピラ野郎がいきなりぶちかましてくれた【ライトニング・ピアス】───寸分違わず心臓を狙って放たれた雷光は、幸か不幸かたまたま胸ポケットに収められていた金属片に防がれていたらしい。

 無論、貫通を免れようと衝撃はきっちり来るので、穿たれる一歩手前の感覚は今も胸を苛んでいる。

 

 呼吸器の密集する胸に受けた衝撃に咳き込みながら、制服についた埃を払い、盛大に顔をしかめる。二年近く愛用した制服は所々が派手に擦り切れていた。場合によっては買い換えなければならないかもしれない。

 俺は大絶賛一人暮らし中、天涯孤独の一学生。アルバイトで日々生き繋ぐ単なる苦学生に過ぎないというのに。ああ、できるなら三年間ずっと使い回したかった。

 

「あいつらが向かってったのはあっちか……教師、じゃないよな。確実に」

 

 この学院に通いはじめてから一年以上が経つが、あのようなガラの悪い男を見掛けたことはない。そもそも軍用魔術をぶっぱなしてくる教師なんぞいてたまるかと思いながら、命の恩人を片手でもてあそんだ。

 

 ポケットにしまっていた銀色の金属片───輪に装飾がついたような形のソレ。

 刀剣のグラディウスから刀身を省き、グリップの代わりに輪を取り付けたもの、と言えばわかりやすいだろうか。

 

 焦げ付いたソレは、本来ならばとある魔術触媒として働くものだったのだが、魔力を込めたせいか耐久性もそこそこのものになっている。少なくとも鉄の鎧よりは硬いということが今回の【ライトニング・ピアス】ぶっぱ事件でよくわかった。

 しかし、数個胸ポケットに入っていたそれは全滅していた。ふぁっきゅー。残ってるのはズボンの方のポケットに入れてあるやつだけだよ。

 

「マジ許さん、俺の金と労力を返せあの野郎」

 

 割合的には二:八。魔術触媒だけあってちょこっとだけ元となる素材は購入しているが、本当にちょっとしたものなのでさしたる負担にはなっていない。

 しかし作るのが少し面倒くさいので、未使用のまま一気にお釈迦にしてくれた憎いあんにゃろうには制裁を食らわせねばなるまい。拳で。是非に。

 

 しかし、とりあえずは連れていかれたらしいフィーベルとティンジェルを追っかけていかなくては制裁もヘッタクレもない。ガレキの隙間から見えた限りでは別の人間が連れていったようだが、真面目な仕事人っぽいダークコートが連れてたルミアが本命と見るべきだろう。

 フィーベルの方は……わからん。しばらくしてから無理やり引きずられてったところを見るに、本命ではなくあのライトニングトリガーハッピー野郎の独断(アソビ)なのではなかろーか。

 

 がしかし、俺一人で突撃していったところで今度こそ死ぬのは目に見えている。おじゃんになった触媒たちの復讐をしてやると息巻いていた俺は、ものの数秒で『不可能』という残酷な現実に打ちのめされてしまうのであった。

 

「……グレン先生、来ないかなぁ」

 

 戦力になるかは甚だ疑問であるが、あれでも教職。ある程度の荒事の心得はある……と言いきれたらどれほど良かったことか。

 

 こと魔術戦において、グレン=レーダスという男は言い方を選ばなければ三流の役立たずだ。

 ルール無用の実戦ではどうなのかがわからない以上、微かな希望は残っているが……。体は鍛えていそうだし、白兵戦闘ならそれなりにこなせそうな印象があるけど、どうなんだろう。

 

「……考えても仕方ない、か」

 

 ここでうだうだと考えていても、あの二人の危機は解決しない。

 そう結論付け、俺は気合いを入れ直すためにピシャリと頬を叩き、野郎どもが去っていった方向へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレン=レーダスはしがない非常勤講師である。

 その過去が何であれ、それは揺るがない事実だ。だからこそグレンは今学院を襲うテロリストたちと戦うことができているし、教え子たちを守ることもできる。

 例えば、己の悦楽のために二流魔術師止まりであることを選んだとある外道魔術師から、まだまだ未熟な白猫を救うことだって、非常勤講師であったからこそできたことだ───今のように。

 

 まあ、だからなんだという話でもあるのだが。それでも、グレンのおかげで一人の少女が守られたことは紛れもない事実なのだ。

 

 が───

 

「聞いてない、コレ聞いてないッ!!」

 

 イヤー! と悲鳴をあげながらシスティーナを連れて逃げ惑う。その背後からは、無数の骨の群れが迫っていた。

 

 グレンが切り札───固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】を起動し、チンピラ風の男改めジンをボコり、戦力的にも社会的にも再起不能にしたまでは良かったのだ。

 しかし、ジンが敗れて少し経った頃。システィーナがグレンの隠された一面を垣間見たそのとき、どこからともなく夥しい数の骸の兵士───竜の牙から作り出されたボーン・ゴーレムなどという厄介極まりないシロモノが現れたのである。

 

 竜の牙製ともなれば、ほとんどの攻撃が通用しない。物理攻撃はもちろんのこと、基本三属の攻性呪文(アサルト・スペル)も通用しない。

 これらに有効なのは【ウェポン・エンチャント】などのもっと直接的な魔力干渉だ。

 

 システィーナから【ウェポン・エンチャント】を受け取り、迫り来る兵士を砕き続ける。グレンの固有魔術(オリジナル)───【愚者の世界】はあくまでも魔術の起動を封殺する術。

 起動済みの魔術には一切の効果を持たず、それ故にボーン・ゴーレム(既に起動し、活動している魔術)はそれ以外の手段で凌がねばならなかった。

 

 一見してなんとかなっているように思える状況だが、実際にはグレンの疲労とシスティーナというハンデがあるせいでじり貧というべき戦況だった。

 

「くそ、せめてもう一人いれば……!」

 

 もう一人というフレーズに、ここに来る途中で見掛けたガレキの山と、連れ去られたルミアを除いて教室にただ一人いなかった生徒のことを思い出す。

 さして思い出があるわけでもない。話したことも数回しかない。ここにいたところで戦力になるとも思えない。だがそれでも、

 

(俺が……もっと早く来ていたら……)

 

 もしかしたら、救えたのではないか───そんな思いがよぎる。

 確かにグレンが初めから教室で生徒と一緒にいたならば、被害は最小限で済んだ可能性はある。だが、そもそも敵はそうならないように策を講じてきたのだ。

 故にグレンのそれは意味のない仮定でしかなかった。

 

 だがそれでも、と思わずにはいられない。

 とうの昔に夢破れた身だが、それでも心のどこかでは諦めきれていないのだということを自覚せぬまま、グレンは名も知らぬ生徒の犠牲を悔いる。

 

 そしてその心の間隙が、グレンに牙を剥く。

 

「先生、危ない……っ!」

「───ッ!?」

 

 システィーナの声に振り向いたときには、もうボーン・ゴーレムは剣を振りかぶっていた。回避は不可能な距離だ。物思いにふける暇などないというのに───己の失態を悟りながら、咄嗟に身を固くする。

 こうなっては一撃をもらうのは免れ得ないが、せめて致命傷だけは避けようと───

 

 

「お、ら、ぁぁぁ───!!」

 

 

 ───そう覚悟した瞬間、グレンの頬を掠めて、ゴーレムの()()が飛んでいく。

 

「……は?」

 

 ほんのわずか遅れて、頭部を粉々に粉砕されたゴーレムの胴体が他のゴーレムを巻き込んで派手に転がっていく。いや、転がるというよりも吹き飛ぶ、と言った方が正しいか。

 

「せ、先生!?」

「違う、俺じゃねぇ!!」

 

 撒き上がる骨粉と埃に紛れたその犯人は、ゆらりと煙を纏いながら立ち上がり───

 

「先生、無事ですかー?」

 

 実に軽い調子でグレンの安否を確認した。

 

「……って、お前……」

「アッシュ!?」

「おお、フィーベルもいたか。無事でなにより」

 

 破片がついた手を一振り。

 無惨に砕け散った竜の牙を振り払うと、死んだはずの少年───アシュリー=ヴィルセルトは、やはり軽い調子で笑うのであった。

 

「お前……なんで」

「打ち所が良かったもので。……で、このカルシウムは?」

「あ、ああ、たぶんあと二人いるうちの一人の仕業だろうが……」

 

 と言いつつも、グレンの視線はアシュリーの得物に注がれていた。

 

 

 素手だ。

 

 

 ガチの素手だ。

 

 

 あろうことか、魔術による強化を一切受けないまま、この男は竜の牙を素手で砕いている……!

 

「……マジかよ」

 

 生存を確認できた喜びが一気に吹っ飛ぶほど、それは衝撃的な光景だった。

 

 ちょっと引くわー、と内心でグレン。

 気分がノってきたのか加速するアシュリー。

 そしてやっぱりドン引きしているシスティーナ。

 

 そんなちょっとコミカルな攻防は、システィーナが暴風でゴーレムをぶっ飛ばすまで続いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走る、走る、走る。

 

 いくつもの階段を登り、廊下を駆け抜け、時折背後から迫るボーン・ゴーレムを退ける。

 命懸けの単純作業、しかし体力と逃げ場は着実に減っている。このままでは遠からず最上階まで追い詰められてしまうだろう。

 

 特に身体を鍛えてこなかったであろうフィーベルの疲労具合はひどく、一緒に走るだけで精一杯だ。

 

 幸い、ボーン・ゴーレム───今回の件に限った場合だが、いわゆる竜牙兵は、名前の通り竜の牙でできている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 あとこいつら単純な行動しかしないから俺でも対処ができるというのが大きい。手近なやつを殴るしかしてこないのである。

 

「で、なんだって我々は最上階に向かっているんです?」

 

 ばきーん。

 近寄ってきた一匹を粉砕しつつ、横でなにやらすげぇ顔をしているグレン先生に一声かけると、

 

「織り込み済み、だ! 白猫! お前は先に行って十八番の【ゲイル・ブロウ】を広範囲、長時間維持できるように改変しろ!」

「うぇぇ!? か、改変ですか!?」

「大丈夫だ。お前はかわいくなくて、生意気で、面倒くさくて、生意気で、とんでもなく生意気だが……」

「生意気をそんな強調しないでください!? 励ましたいのか貶したいのかどっちなんですか!?」

「生意気な上に才能の差が妬ましくて素直に褒められねぇんだよ。言わせんな、恥ずかしい」

「生意気に関しては先生に言われたくない気がするんですけど!」

 

 散々からかい倒した後で、『とにかく』、と一つ咳払い。グレン先生は油断なく拳を構え、顔を前に向けたまま、

 

「───だが、ここまでの俺の授業を理解してるならできるはずだ。むしろできなかったら単位落としてやる、覚悟しとけ」

「横暴だ!! もう、本当に一言余計なんですから……!」

 

 ───いや、イチャつくのは良いんですけどもう少し俺のことも考えてくれません?

 

 べしーん。憂さ晴らしのよーに新しくやってきた的を裏拳で粉砕する。なんというか当て馬かなにかのようで落ち着かないというか。

 

「で、えーとお前は……」

「アシュリー。アシュリー=ヴィルセルトです」

「んじゃアシュリー……言いにくいな、アッシュでいいか」

 

 アッハイ。

 

「……戦力としてカウントしても良いんだよな?」

「ぶん殴るだけで戦力になるなら」

「ならこき使ってやるから安心しろ。お前は俺と一緒にあのカルシウムどもの足止めだ」

「了解!」

 

 要するに今までと同じで良いということだ。非常にありがたい。

 

 が、フィーベルに頼んでいたものは威力を度外視したもの───つまり、足止めの意味合いが強いものだ。

 となると、グレン先生にはなにか策があると見るのが自然……いや、もしかして足止めしてる最中に片っ端から砕いていく脳筋戦法でどうにかするつもり

 

「うわあっぶねぇ!!」

 

 考え事してたら剣がかすったでござる!!

 殴ればぶっ壊せるからって調子乗ってすみませんでした!! 猛省しております!!

 

「……本当に頼りにしていいんだよな!?」

「次はないです!!」

「信じるぞ!?」

 

 男に二言はねぇ! とかここで言いきれたらマジでカッコよかったかもしれないが、あいにくと俺にそんな自信はない。またやらかさないとも限らない以上、ここは謙虚に沈黙で返したいところ。

 慢心せずしてなにが王か! というセリフがどこかから聞こえてきた気がしたが、別に自分は王でもないし幻聴だろう。

 

「二人ともっ!」

 

 と、ひたすら拳を振るっていると後ろからそんな声。

 即興での術式改変をグレン先生に言いつけられていたフィーベルのものだ。

 

 グレン先生の合図でフィーベルの後ろに退避し、体勢を整える。フィーベルが放った改変魔術───【ゲイル・ブロウ】ではなく、相対するすべてを拒む嵐の壁。瞬発力と威力を犠牲に、元となった術よりも広範囲にわたって進軍を阻む暴風が吹き荒れる。この一瞬で組み換えるとは、大したものだ。さすがフィーベルと言うべきか。

 と、グレン先生だけはフィーベルの横───魔術の効果範囲に入らないギリギリでなにやら構えていた。ブツブツと漏れ聞こえるのはルーン語による呪文だろうか。

 

 ゆっくりと紡がれる呪文は三節を超えても止まることなく、たいていの術式を起動できるであろう五節を超えてなお続く。そして七節にも及ぶ呪文がようやく完成したとき、閃光が走った。

 

 【ショック・ボルト】や【ライトニング・ピアス】のような雷光ではなく、【ブレイズ・バースト】のような爆炎でもない。煌めく極光が、ぞろぞろとひっきりなしに現れる骨の群れを飲み込みながらもその勢いを弱めることなく、廊下の壁をも巻き込んで綺麗に消し飛ばしていく。

 

 そうして光が消えた後には、先ほどまで追い立ててきていたゴーレムたちも、たぶん結構歴史のある校舎の壁も天井に至るまで───射線上にあったすべてのものが、跡形もなく消滅していた。

 

「えっぐい」

「黒魔改【イクスティンクション・レイ】……神殺しの術! そんな高等呪文が使えるなんて……!」

「待ってこれそんなすごい術なの!?」

 

 神殺しって聞こえたぞ今!?

 

「ちとオーバーキルだがな……俺には、これくらいしか……」

「……グレン先生っ!?」

 

 呆然と破壊の跡を見ていた俺がフィーベルの切羽詰まった声に振り向くと、そこには唯一まともに残っていた床に膝をついて荒い息をしているグレン先生の姿が。以前に授業で習ったマナ欠乏症という症状だと気付くのに、そう時間はかからなかった。

 考えてみれば当たり前の話だった。あれだけ規格外の大魔術だ、使うには相応の魔力が必要になるはず。あれをポンポン撃てるのなんか、それこそ大陸最高峰と名高いセリカ=アルフォネア教授くらいなものだろう。

 

 そうでなくとも、ボーン・ゴーレムとの戦いで負った傷もある。フィーベルが慌てて治癒魔術を使って介抱していたが、グレン先生はそれどころではないとふらつく足で立ち上がった。

 足こそ震えていたが、顔を苦々しく前に向け、油断なく見据えている。

 

 そこでようやく気が付いた。

 そうだ。なぜ気付かなかったのだろう───そもそもあの兵士たちは、敵の誰かが呼び出したものだとグレン先生も言っていたではないか!

 

「───【イクスティンクション・レイ】まで使えるとはな。少々見くびっていたようだ」

 

 かつん、と。

 硬質な足音が、俺たちの目の前で止まる。

 

「だが次はない。貴様の快進撃もここまでだ、グレン=レーダス」

 

 現れたのは、背に五本の剣を従え、油断なくこちらを睥睨するダークコートの男。

 

 

 敵、学院に乗り込んだ一流の魔術師。

 味方、絶不調の魔術講師が一人と、戦慣れしていない生徒と、少し戦闘をかじっただけの生徒が一人ずつ。

 

 

 ───第2ラウンド、開始。




シグルドさんは宝具にしか乗らないけどジークさんはスキルで乗るし、竜特攻ってパッシブ効果だと思う。……いやどうなんだろう。武器に乗るという話もあったような?
わからなくなってきたのでここではパッシブということにしておいてください(詫び爆散)


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4.明らかな強敵、ピンチの愚者、おまけの生徒

戦闘描写ができる人って一体なに食べて過ごしてるんですか……?


 ───背後に付き従うのは五つの魔剣。射抜くような視線は、真っ直ぐにグレン=レーダスへと向けられている。

 

 学院に来る前に彼を仕留めるはずだった、一撃必殺を旨とするキャレル。少々快楽を優先する傾向にあるものの【ライトニング・ピアス】の早撃ちにかけては並ぶ者のいないジン。

 それらを無力化してみせたグレンという魔術師への評価は、もはや取るに足らない三流魔術師ではなく、れっきとした障害であると認識するまでに至った。

 

 故にダークコートの男───レイクは、万全を期してこの場へ臨んだ。

 推定される敵の切り札を警戒し、魔導器を先んじて起動し、わざわざ魔力を割いて大量のボーン・ゴーレムを向かわせ、消耗させた。想定ではボーン・ゴーレムの物量だけで殺し尽くせたはずだったのだが、【イクスティンクション・レイ】の存在でその予想も覆された。

 

「とはいえ、さすがに品切れだろう。いささかただの三流魔術師と呼ぶには過ぎた代物を隠し持っていたようだが、それもその様子では二度も使えまい」

 

 加えて、グレンのそばには二人の生徒───片方はジンが確実に殺したはずの人間であることが気にかかったが、いずれにせよ彼らがグレンにとっては足手まといである可能性は十二分にある。

 

 つまり、詰み。

 グレンがまだなにか切り札を隠し持っているか、生徒二人が驚くべき戦闘適性でも持っていない限りは、レイクの勝利は揺らがないものとなっていた。

 

「……けっ。俺みたいな三流捕まえて物々しい警戒だこと」

 

 一方、憎々しくつぶやくグレンもまた、現状での勝ち目は限りなく薄いと認識していた。

 

 帝国式軍隊格闘術───自分のものよりさらにアレンジが加わったそれを揮うアシュリーはともかく、白兵戦闘を強いられる剣の魔導器が相手となると、そういった心得がなく、さらにここまでの戦闘で魔力を消耗したシスティーナでは分が悪い。

 逆に言えば、レイクのあの魔導器さえなんとかできればこちらにも十分勝ちの目がある───ということでもあるが、魔力増幅回路が組み込まれた魔導器の解呪を行うには、グレンの魔力量では困難だった。父親から手習ったというシスティーナならばあるいはといったところ。

 

「……おい、白猫。お前はあの剣をディスペルできそうか?」

 

 故に、要点のみをシスティーナから聞き出す。返ってきた言葉は『ノー』。そもそも、【ディスペル・フォース】を素直に唱えさせてくれるほど相手も馬鹿ではないだろう。

 システィーナは確かに優秀な生徒ではあるが、まだまだ発展途上な上にここに至るまで魔術を連発してきた。当然、ディスペルに必要な魔力全てを一人で賄うことは不可能だ。アシュリーはまず【ディスペル・フォース】自体使えないだろう。この年齢で使えるシスティーナがある意味異常なのだ。

 

 ならば、ここでグレンが取るべき行動は───

 

「なら、よし」

 

 軽い声と共に、とん、と、グレンがシスティーナを壁に向かって突き飛ばす。正確には、つい先ほどまで壁があったところに向けて。

 グレンの【イクスティンクション・レイ】で吹きさらしになった壁の外は、当然。

 

「え? ……わ、きゃああぁぁぁぁぁ!?」

 

 四階もの高さから突然突き落とされたシスティーナが悲鳴を上げる。

 なんだか呪文と草木を掠める音に混じって恨み言が聞こえた気がするが、気がするだけだとグレンはすっぱりさっぱり聞こえなかったことにした。

 

「……逃がしたか」

「さすがに、お前相手じゃ庇いながらはキツそうなんでね」

 

 これで布石は打った。

 後は、とグレンは残るもう一人に目を向ける。

 

「アッシュ。お前は協力してくれ。……正直、どこで身に着けたんだか知らんが……お前のソレ(格闘術)は、純粋に戦力になる」

「……そう言われちゃ、断れませんね」

 

 第一、俺が落っこちてもなんとかなるビジョンが見えないし……と、苦笑交じりに肩をすくめた。

 そう考えると、突然の出来事にも関わらず【ゲイル・ブロウ】で減速したシスティーナの反射速度は素晴らしいと言える。

 

 ───さあ、これで舞台は整った。

 

 ついに敵の元から飛び立った刃が、踊るように空気を切り裂きながら獲物へと喰らい付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 防戦一方。戦いの様子を一言で表すなら、そんな単語が相応しいだろう。

 

「はぁ、あ───!」

 

 ただひたすらに、迫る剣を打ち落とし、時折苦し紛れに反撃する、そんな自動機構。

 数少ない有利な点は、グレンの【愚者の世界】を警戒した相手がほとんど魔術を使わないこと。そして、単純な頭数の差による戦力の分散だった。

 

 レイクの武装は、三本の自動剣と二本の手動剣から成る。

 正確無比な自動剣で相手を翻弄し自動化されたが故の隙を手動剣で断つ───それが、レイクという男が導き出した『最も効率の良い殺し方』だった。

 

 そしてそれは真実だった。一本の自動剣をアシュリーに割いているとはいえ、縦横無尽に走る剣閃にグレンは確実に追い詰められている。アシュリーもまた、そこそこ程度に格闘術を修めているとはいえまだ学生、潜った修羅場はグレンに比べれば圧倒的に少ない。

 練り上げられた殺戮技巧と、致命的な経験不足。それが足を引っ張り、少しずつ二人の身体には決して無視できない傷が積み重なっていく。

 

「くそ……《猛き雷帝・極光の閃槍以て・───」

「《霧散せよ》」

 

 ごくわずかな隙を縫ってグレンが【ライトニング・ピアス】を詠唱するが、相手の一節詠唱で紡がれる【トライ・バニッシュ】に打ち消される。

 こういうとき、基本三属の三節詠唱は不便だ。いくら魔力効率が良くとも、発動できなければ意味がない。

 

 だが、グレンが使える魔術といえば残りは切り札の【イクスティンクション・レイ】か、確実に仕留めてしまうか的確なサポートがなければただの自殺行為になってしまう【タイム・アクセラレイト】など揃いも揃ってクセが強いものばかり。

 【愚者の世界】を警戒して魔術こそ使われないという利点こそあるものの、それは『詰み(為す術なし)』が『絶体絶命(勝率が限りなく低い)』に変わる程度の違いでしかない。

 

(……くそ、手が足りねえ……! せめてもう一手……あいつに隙を作れるだけのなにかがあれば……!)

 

 だが、それはないものねだりというものだ。

 ただでさえ生徒を二人巻き込んでの戦い。そこで更なる一手を望んだとて、返ってくるものは忌々しい魔導器のみ。

 

 一人、この場に残した生徒を見る。どう見たって戦況はギリギリだ。なにかをする余裕など到底ない。

 

 むしろ、ただの生徒の身でよく持ち堪えているものだ。

 彼がいなければ、もっと苦戦したことは想像に難くない。

 しかし打破できなければどの道未来はない。ある程度は捌けているとはいえ、傷は決して浅くない。分が悪い賭けはしているが、それをするにも隙がない───

 

「───……なるほど、ね」

 

 不意に、そんなつぶやきが聞こえた気がした。

 

 何度繰り返したかわからない攻防の果て。グレンの生命線である【ウェポン・エンチャント】が尽きかけようとしていたそのとき。一瞬だけ廊下の奥に目をやったアシュリーの手が、ズボンに縫い付けられたポケットに伸びる。

 今までと違う展開───だが自動で動く魔導器には、様子を見るという選択肢はない。機械的に、無機的に、少年の命を狙う剣が走る。だがそれは少年を仕留めるには至らない。少年の技量でもなんとか避け続けられるくらいには、自動化された剣技は死んでいた。

 

 生存の代償にお互いが釘付けになる。それが決まった筋書き、どちらかの体力が尽きるまで行われるはずだったチキンレースだ。

 

 ───しかし、今この状況で必要なのは、そんな予定調和を覆すこと。

 膠着状態が続けば、不利なのは魔力も体力も消耗したこちらの方だ。

 

 だからこその一手。

 希望を託す捨て身の手。

 

「───なんだと?」

 

 困惑は誰のものだったか。

 

 本来ならば剣を避ける代わりになにもできない少年の拳が、なにもないはずの宙を穿つ。

 選択したのは防御でも迎撃でもなかった。どすり、と、その代償が深く肉を抉る。筋肉は断裂し、内臓にまで至った傷にがぼりと血を吐いた。───それに紛れて、なにかを殴りつけるような音が響く。

 

 飽きるほど繰り返したように剣を弾くのではなく。アシュリーは、己の身を守るための拳をもって、唯一残っていた切り札───何の変哲もない短剣を投擲(殴り飛ば)したのだ。

 

 出所も不明。狙いも不明。だが唐突であったが故に完全に意識の外から行われた奇襲は、真っ直ぐにレイクの喉笛を切り裂かんと空を裂く。

 しかしそんな一手ごときで殺されるレイクではない。即座に一本の手動剣を操り、叩き落とす。突如飛来した銀色の刃は地に伏し、役目を果たすことなく砕け散った。アシュリーのただ一度の反撃は、彼に深い傷を負わせたにも関わらず状況を打破することができなかったのだ。

 

 だが、注目すべきはそこではなかった。事ここに至るまで、切り札を隠し持っていたのか、とレイクは歯嚙みする。

 ───ここは確実に仕留めるべきだ。一瞬のうちにそう判断して手動剣の切っ先を少年に向け、その心臓を狙って凶器が飛び立つ。

 

 その判断は正しいが、同時に失敗だ。

 

「《~~~・───……ッ!」

 

 自分の近くから剣が一本退いた瞬間、口元を覆い隠しながらグレンが迫る刃の間を縫って突貫した。

 アシュリーの捨て身の攻撃で、グレンを押し留める包囲網が緩んだからこその疾走。

 もしもレイクが最初から手動剣だけでアシュリーを攻撃していたら、この一秒は生まれなかった。アシュリーという雑兵への侮り、否、グレン=レーダスという強敵への敬意が生んだ最初で最後の隙だった。

 

「───任せた、先生───ッ!!」

 

 脇腹に突き刺さった剣を逃がさないよう押さえつける。肉が裂ける感覚と傷口から走る熱に浮かされたように、ひた走るグレンを見送る。

 あまりにも大きな傷は、痛いというより熱いのだと、久しぶりに思い出した。今にも少年の腹を両断し、主の敵を殲滅せしめんとする魔剣を必死に捕まえて、それだけでは飽き足らず確実に絶命させるべく目の前に迫る魔剣を見据えながら、少年はそれでも笑う。

 

 それを通り過ぎながら、グレンが走る。今だけは、どんな傷を負おうと構わない。

 無関係だった子どもが()()()根性を見せたのだ。ならば、何度もこんな経験をしてきた自分が立ち止まるわけにはいかない───!

 

「───均衡保ちて・零に帰せ》───!!」

 

 そうして生まれた隙でグレンが完成させたのは、攻性呪文(アサルト・スペル)ではなく【ディスペル・フォース】だった。

 淡い魔力の輝きが、魔術によって駆動する魔剣とぶつかって白熱する。

 

「なっ……馬鹿な、この局面でディスペルだと!?」

 

 レイクが困惑するのも無理のない話だった。

 本来、魔術師との戦いにおいて魔導器に【ディスペル・フォース】で対応するなどというのは下策中の下策として知られている。消費する魔力量に対して得られる効果は魔導器の一時的な無力化と、まったく労力に釣り合わないためだ。

 

 元より、グレンの魔力容量は多くない。ましてや、今は【イクスティンクション・レイ】をぶちかまし、レイクとの戦いもあってマナを大幅に消費した後。

 グレン一人での【ディスペル・フォース】は、魔力増幅回路の組み込まれたレイクの剣を完全に封殺することはできない。

 

 故に、五本の剣はその魔力を減退させながらも、ほとんど揺らぐことなく敵を貫かんと空を斬る。万策尽きた。正面から、背後から、それぞれ迫る刃に彼らにもはや成す術はなく。

 

 ───()()()

 

 

「《力よ無に帰せ》───!」

 

 

「───ッ!?」

 

 予想だにしない方向から飛んできた()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ───システィーナは確かに優秀な生徒ではあるが、まだまだ発展途上な上にここに至るまで魔術を連発してきた。

 当然、ディスペルに必要な魔力全てを()()で賄うことは不可能だ。

 

 

 

 ───剣の無力化に挑むのが、たった一人だけならば。

 

 

 

「う、ぉ、ぉぉおおおおおおおッッ!!」

「しまっ……《目覚めよ刃───」

「却下だ、ンなもん!!」

 

 愚者のアルカナを引き抜き様に【愚者の世界】を起動し、用済みとなったカードを即座に投げ捨てる。

 

 無手となった手に、獲物を貫く力を失い地に落ちる剣を掴み取る。

 慣性を殺し、傷付いた腕を動かして、グレンは反撃の刃を振るう。

 

「───返すぜ、クソ野郎」

 

 その言葉が聞こえたのかどうか。

 

 レイクは微動だにせぬまま、勝者を告げる斬撃を受け入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぴしゃり、と自分たちのものでない血が床に撒き散らされるのと同時、目の前でぴたりと魔剣が止まる。正確にはグレン先生がトドメを刺したのが後だろうが、コンマ数秒の違いでしかない。

 どちらにせよ、俺たちは勝ったのだ。あの馬鹿みたいに強い男に。

 それを認識した瞬間、腹にドデカい剣がぶっ刺さってるのを思い出した。

 

 そういえばなんか血反吐を吐いていたような気もする。

 そして戦闘が終わったとわかると一気に疲れが押し寄せ、脳がスイッチを切り替える。

 

「───いっでぇ!?」

 

 で、そうなるとアドレナリンで誤魔化してた激痛がこんにちはするわけだ。ははは、知ってた。でも知っていても痛いものは痛いのだ。

 フィーベルの姿が見えたから、奴さんの気を引くために虎の子を出したけどうまくいってよかった。その代わりにこのザマだが。

 

 燃えるような熱さと痛みの中、唯一冷たさを主張するうざったい剣をさっさと引っこ抜いてしまいたいところなのだが、場所が場所なだけにたぶん抜いたら大量に血を吐き出して死ぬ。

 なので、ぶっ刺さったままにしておくのがおそらくきっと最適解。引き抜いた後に治す、という手もなくはないが、ぶっちゃけ治癒魔術は不得手だった。……あー、けどまあ、よくよく考えたら俺は他の二人に比べれば魔力は残ってるし、多少の無茶なら許されるか。

 

 というわけで引っこ抜こう。死ななきゃなんとかなる。……案の定一気に血が噴き出してきて、一瞬なんて馬鹿なことをしたんだと自分を責めたくなったが、鼓動に合わせてドクドクと溢れる血を押さえつけるようにして傷口を塞ぎ、飛びそうになる意識で【ライフ・アップ】を唱える。治った気が微塵もしない。

 が、そもそも【ライフ・アップ】は一瞬で傷が治るような便利なものではなく、継続的にかけ続けることでじわじわと回復していく……いわば、長く、多く魔力を使えば使うほど回復していく魔術だ。

 もちろん制約も限界もあるが、その回復力は被術者の生命力に依存すると言うし、たぶんこの調子で血と一緒に魔力を垂れ流していればなんとかなるだろう。実は自慢じゃないけど魔力容量としぶとさには自信があるのだ。

 

 と、冷えた床に座り込みながら景気よく色んなものをこぼしていると、あっちも応急処置が終わったのかグレン先生が近付いてくる。

 俺もグレン先生も、どっちも体力は消耗しているが……俺がデカい傷一発が主なのに対してグレン先生は細かい傷が無数についていた。無論無視できるほどのダメージではないのだろうが、より確実に行動が続行できるのはグレン先生の方だろう。

 

「……ども、お疲れさまでした」

「おう。そっちは大丈夫か? ……いや、悪い。どう見ても大丈夫じゃねえよな」

「大丈夫……って言いたいところなんですけどね」

 

 さすがにこの状態で『大丈夫!』はやせ我慢にも程がある。少なくとも大丈夫な人間は治癒魔術をかけ続けたりなんてしないのだ。

 

「俺はこれからルミアと、この騒ぎを起こしやがった残りの敵を探しに行く。……お前は白猫と一緒にいろ」

「アテはあるんですか?」

「ない。けど、なにがなんでも連れ戻してきてやる。だから安心しな」

「はは……頼もしいや」

 

 ぽんぽん、と不安そうなフィーベルと笑った拍子に傷にうめいた俺の頭を軽く撫でて、グレン先生はどこぞへと駆け出して行った。まだ解決したわけじゃないのに、これで大丈夫だという安心感にほっと息をつく。

 

「……お疲れ」

「ん? ああ……」

 

 横に座り込んだフィーベルが労いの言葉をかけてくる。少し前までは時々話す程度の仲だったのに、今はこうして同じ困難を乗り越え、ともにそれを喜んでいる。不思議なものだ。

 ここにティンジェルがいればもっと和やかな空気になったのだろうが、あいにくとそのティンジェルは白馬の王子様が救出中だ。その幸せな予想図は未来にとっておこう。

 

「えっと……」

「なに?」

 

 しかしフィーベルはなにか言いたげにもじもじとしている。あれか? 血の匂いに酔ったとか……いや、それなら最初からこっちにはこないか。

 はて、ではなんだろうと首をひねると、フィーベルはちらっとこっちを見てからようやく口を開いた。

 

「……その。あの人たちに、殺されたって聞いてたから……無事でよかった」

「──────おう」

 

 ……不意にふわりと微笑まれ、フィーベルはそういえば美少女だったと思い出した。

 にしてもあんにゃろう、死亡判定詐称してやがった。まだ死んどらんわ。まあ、あれは俺も死ぬかと思ったけど。死んでないから。

 

 しかしあまり接点のないフィーベルに心配されていたとは思わなかった。

 クラスメイトなら当然、というコトかもしれない。

 

「ま、いいけどさ。その言葉はティンジェルにかけてやれよ」

「減るもんじゃないんだから、素直に受け取っときなさいよ」

 

 そんな軽口を叩きあう。

 死闘の直後とは思えないほどほのぼのとした時間は、グレン先生がティンジェルを連れて戻ってくるまで続いたのであった───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして事件は幕を閉じた。

 事件の首謀者……というと少し違うが、犯人グループの一人はなんと前任のヒューイ先生だった。

 

 先代の担任の起こした問題を今代の担任が片付ける形となった今回の事件は、やっぱりというかなんというか、ティンジェルを狙って起こされたものだったらしい……と、なんか偉そうな、というか実際偉いのだろう人たちに説明された。

 そのときにティンジェルが元・王女様だったとかいう話を聞いた気もするが、正直興味がなかった。強いて言うならあのお姫様オーラの正体が判明したくらいのものである。

 

 で、グレン先生は今回の件で思うところがあったのか、正式にうちのクラスの担任になったらしい。

 

 もっとも、だからなにが変わったというわけでもない。相変わらずわかりやすい授業はしてくれるし、クラスの全員の面倒も見てくれるし、相変わらずフィーベルはおちょくられている。

 変わったことといえば、せいぜい学内のグレン先生の評判に『テロリストから生徒を守った実力派』という文言が加わった程度だろう。

 

 そんでもって、俺はちょっとだけクラスのみんなに囲まれるようになった。

 といっても本当に少しだけだ。普通に登校しただけなのに『生きてたのか!?』の大合唱をくらったときにはどうしてくれようかと痛む頭で考えたもんだが、それも今じゃ懐かしい話。

 

 何事もなかったかのように戻ってきた日常を、今日も俺は満喫している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ」

「失礼いたします……あら、なかなか良いお店ですのね」

「おやおや、お目が高い。フェジテの隠れた名店と噂の当店へようこそ、お客様」

「ええ……ふふ、仕事のついでに立ち寄っただけでしたが、なかなかどうして……」

 

 黒髪を短く切り揃えた女性がころころと笑う。店内に立ち込める匂いは下町の古びた店にしては芳醇で、舌の肥えた貴族でさえもついつい立ち寄ってしまいそうなほどに魅力的だった。

 ここに立ち寄ったのは本当にただの偶然だったが、たまにはこんなことがあっても良いだろうと席の一つに腰かけた。

 

 歳の頃は二十代半ば。どこか使用人めいた衣装に身を包む彼女は、その物憂げな黒瞳をメニューに向ける。

 貴族に仕えるメイドなのだろうか。所作の一つ一つからは隠し切れない気品が滲み出ている。

 

「……では、これとこれを」

「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか?」

「そうですわね……あら?」

 

 と、そこで女の視線がメニューから注文を取りに来た少年へと滑る。

 そして何を思ったのか、女はほう、と微かな吐息を漏らすと、

 

「……では、せっかくですのでリュ=サフィーレを一本。それから───」

 

 相手が相手なら一瞬で蕩けてしまいそうな特上の笑み。

 

 店内の男性客をことごとく魅了した彼女は、唯一己の美貌に酔いしれずに次の言葉を待つ少年を見つめながらうっすらと頬を染める。

 

「素敵な出会いを記念して、貴方様のお名前を教えていただけると……嬉しいのですが。如何?」

 

 少年はそこでようやくきょとんとした顔になって、ぼそりと口を開いた。

 

「……アシュリー=ヴィルセルト」

「まあ。素敵なお名前ですのね……ああ、名乗っていただいたのだから、こちらも名乗らなければ不作法というものですね」

 

 女は微笑みを崩さない。

 男を蕩かしてしまいそうな───いいや、なによりも自分自身が蕩けてしまっているかのような、そんな微笑みを浮かべた女は。

 

 

 

「───エレノア、と。そうお呼びくださいな」

 

 

 

 火照った吐息に乗せて、自身の名前を少年へと告げるのだった。




エレノアさん「素手でゴーレム粉砕するやついるって聞いたけどこいつやん。ウケる」


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5.出たことある奴の方が少ないお祭り

ここから魔術競技祭編です。


 学校行って、バイトして、帰って寝る。

 

 そんな黄金サイクルを日々繰り返す俺の前に、

 

「おい。ツラ貸せ、アッシュ」

 

 ───なんか、とんでもなく怪しい魔術講師が立っていた。

 

 アッシュは にげだした!

 しかし まわりこまれてしまった!

 

「逃がさないぜえ~?」

 

 へっへっへ……と俺が女子だったら変態呼ばわりされても文句の言えないような形相で俺をひっ捕まえるグレン先生。

 しかしよくよく聞いてみると、どうやら普通に頼み事があっただけらしい。仕方がないので話だけは聞いてあげることにした。

 

 で、そうして聞いた話を総合すると、こうだ。

 

「……要するに……金がないから、飲食店でバイトしてる俺のツテで賄いを食わせてもらおうって?」

「そうッ!! た~の~む~よ~、俺とお前の仲だろ~?」

 

 どんな仲だ、とツッコミたくなるのを我慢して、馴れ馴れしく肩に腕なんか回してくるグレン先生から離れる。

 

「頼む、この通り! 明日なんとか金が入らないか色々試してみるからさぁ、なっ?」

「……ちなみに、なんでそんな困窮してるんですか? 一般的な給料日は先週だったと思うんですけど」

「未来への投資……かな」

「ギャンブルか……」

「なんでバレたし」

 

 そりゃあ、うちの店で『ギャンブルで粘りに粘って最後に大負けした可哀想な新顔』っていう噂が立っていたからである。

 まあ、まさかグレン先生のことだとは思わなかったが。世間って案外狭いもんだなあ。

 

「はあー……しょうがない。一回だけですからね」

「おお……! いやあ、恩に着るぜアッシュ! なんせ昨日からもう腹も財布もすっからかんでさぁー、どうしようかと思ったよね」

「奇遇ですね。俺はこのロクでなしをどうしてくれようかと思ってます」

 

 はっはっは───としばらく笑いあうこと数秒。

 

 その日、学院の一角でお互いを罵り合う魔術講師と男子生徒の姿が目撃されたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのさらに翌日。

 

 我ら二年次生二組は、来る『魔術競技祭』の代表メンバー選出の真っ最中だった。

 

 魔術競技祭とは、名前の通り魔術を使って生徒同士が競い合うという……まあ、前世で言うところの体育祭だ。

 違うのは、先ほども言った通り魔術の腕を競うことと、学年別であること。そして、参加メンバーが任意で決められることくらいなものである。

 

 生徒にも向き不向きがあるし、大抵はそういった生徒一人一人の傾向を見て担当講師が出場選手を決めるのだが……ここに問題があった。

 

 こともあろうに、この魔術競技祭、競技間で生徒の使い回しが可能なのだ。逆に、一度も参加させないこともできる。

 で、そうなると当然成績優秀者が使い回され、成績下位者はただ成績優秀者を眺めるだけの大会になるのだ。

 

 毎年セオリーだというこの悪慣習がいつからできたのかは知らないが、少なくとも去年の魔術競技祭はセオリー通りフィーベルやギイブル、ナーブレスがひたすらあちこち走り回るという、『成績優秀者を応援しようの会』だった。祭りとはなんだったのかと言いたくなる有り様である。

 さらに、優勝クラスの担当講師には特別賞与が与えられるからなのか、それとも栄誉を求めてなのか。理由は知らないが、先生方は優勝を狙って容赦なく成績優秀者を使い回そうとする。

 

 そうなればもうどこのクラスも成績優秀者同士の戦いになる。

 今年もどうせそうなるだろうというのが大方の予想だったのだが、今回に限っては肝心のグレン先生が『あ? お前らの好きにしろよ』とたいへん投げやりなお言葉をくださったので、昔の『みんなでがんばる』という雰囲気に憧れているらしいフィーベルが必死に全員で参加しようと頑張っているのである。

 

 んがしかし、さらに間の悪いことに今年は女王陛下が賓客としてやってくるらしく。

 

「女王陛下がいらっしゃるというのに、わざわざ無様を晒したがるやつなんていないってことさ」

 

 というクラス屈指のクール系ぼっちことギイブルの一言が表すように、みんなのやる気はドン底だった。

 助けてグレえもん……なんて思いながらあくびを噛み締めていると。

 

「話は聞かせてもらった───!」

 

 来た。

 というか、来てしまった。

 満を持して登場した、『好きにしろよ』とすべての決定権を放棄したグレン=レーダス大先生様(自称)が───!!

 

「ややこしいのが来た……」

 

 もう少し本音を隠そうねフィーベルさん。

 しかしグレン先生はド直球なフィーベルの台詞にもめげず、なんかよくわかんないテンションでよくわかんないことを口走りよくわかんないエフェクトを撒き散らしながらよくわかんないキメ顔でドヤっている。

 

 はて、昨日の今日で一体なにが?

 訝しむ生徒───主に俺とフィーベルだが、を尻目に、グレン先生はダァン! と片足を教壇に乗せ───

 

「俺が総指揮を執るからには全力で勝ちにいくぜ? 覚悟しておけよ、お前ら。遊びは一切ナシ、容赦もナシだ。だが、その代わり……絶対に優勝させてやる。俺に任せろ」

 

 と、なんだかちょっとカッコよく見えないこともないセリフを吐いた。

 

 誰あれ?

 

 フィーベルとアイコンタクトで通じ合う。肩をすくめられた。

 そのジェスチャーが意味するところはつまり、『ワケわからん』。

 

(なんだって急にやる気に……あ、もしかして特別賞与狙いとか? あり得る)

「おい、白猫。リストよこせ。……ふむふむ。ほーん、なるほど……」

 

 グレン先生はフィーベルからひったくった競技種目リストを延々と眺め、たまにちらちらこっちを見ていたが。

 

「よし、わかった」

 

 とうとう選出メンバーが決まったのか、キリっとした顔で教室を見渡した。

 

 まあ、全力で勝ちにいくってことは、例年通り成績優秀者の独壇場ってことだろうし俺には関係なさそ「決闘戦には白猫、ギイブル、それからカッシュな」───おや?

 

 そこで疑問に思ったのは俺だけではなかったらしい。決闘戦はスマッシュなブラザーズよろしく相手をK.O.するか場外に吹っ飛ばすかのどちらかで勝敗が決まる、魔術師の大好きな『決闘』を模した競技だ。当然、人気も難易度も得点も高い。

 なので、例年ここは成績順に上から三人。うちで言うならフィーベル、ギイブルときたら次はナーブレスが選ばれるのが定石なのだ、が……カッシュの成績は俺とどっこい、つまりクラスの中ほど。間違っても決闘戦に選ばれるよーな面子ではないのだが……。

 

「納得いきませんわ!」

 

 案の定、選考から外れたナーブレスのブーイング。

 がしかし、それに対するグレン先生の返答は「だってお前うっかり娘じゃん」。これにはクラス一同頷かざるを得なかった。当のナーブレスだけがむきー、と常のフィーベルのように嚙みついていたが、代わりに『暗号早解き』はお前の独壇場だ、と言われて気をよくしたのか、渋々納得したようだ。

 

 で、次々と発表されるメンバーは、意外なことに一人も使いまわされておらず、全員が必ず一回はいずれかの競技に出場していた。

 カッシュの一件で覚悟というかそんな予感はあったが、なんと俺の名前もちゃんとあった。マジか。

 

 しかしみんながざわつきながらも先の一件で大幅に株を上げたグレン先生の采配に従う方向でまとまりかけていたそのとき、はーやれやれみたいな雰囲気で立ち上がる影があった。

 

 トレードマークのように輝くレンズ。人呼んで『孤高(笑)のメガネ』───そう、がり勉らしく成績優秀なギイブル=ウィズダンくんである。

 

「全力で勝ちにいく? そんな編成で笑わせないでください。いつから先生の全力はお遊戯レベルになったんですか?」

「む。なんだギイブル、ずいぶん自信ありげだな……これよりも勝率の上がる編成があるのか?」

「……本気で言ってるんですか? 魔術競技祭といえば、成績優秀者ですべての種目を固めるのがセオリーで、どのクラスもやってることでしょう」

 

 ちっ、ちっ、ちっ、ぽーん。

 三秒経たずにギイブルの言葉の意味を理解したらしいグレン先生がいやらしく笑ったのを俺は見逃さなかった。あれは単純に『使い回し可能』というのを知らなかったとみた。さしずめ、今現在グレン先生の脳内では全種目でボロぞーきんのように使い回されるフィーベルがいることだろう。

 

 だが残念だったなグレン先生。たぶん今まさに『じゃあ編成を組み直そう』とか言おうとしているあなたよりも先に、そのフィーベルが動いているのだ。

 

「みんな、よく考えてよ! あのグレン先生……『あの』グレン先生が、全員で勝つためにこんなに必死になって組んでくれたのよ!?」

 

 ここでグレン先生、なにかを言いかけていた顔のままで固まる。ワンアウト。

 

「みんなの得手不得手を考えて、みんなが活躍してくれるようにちゃんと考えてくれたのに……それでもみんな、まだ尻込みするの!?」

 

 グレン先生、密やかに冷や汗を流し始める。ツーアウト。

 

「第一、女王陛下の前で無様を晒したくないからって勝負を捨てるなんて……それこそ無様だって思わないの!? 正々堂々、精一杯頑張った結果を陛下にお見せすることのどこが無様なのよ! それに、先生は絶対優勝させてやるって言ってくれたのよ!?」

 

 どんどん上がるクラスの士気に反して、どんどん青ざめていくグレン先生。

 

「───みんなでやってこそ意味があるのよ! ですよね、先生!?」

 

 トドメのようなフィーベルの言葉。

 満面の笑みで、最大限の信頼を乗せたそれに、グレン先生は───

 

「……お、おう。当たり前だ! てめぇら、黙って俺についてこい! 今年の優勝は、我らが二組じゃあーーーーッッ!!!!」

「「「「おおーーーーッッ!!!!」」」」

 

 ───スリーアウト。

 

 完全に場の空気に流されたグレン先生は、逃げ場をなくしてみんなと一緒にガッツポーズをするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というか、お前らに混じってやるのか。なんか申し訳ないっつーか、混じって悪いなって感じがする」

「気にすんなよ。というか、むしろひと月前の事件で奇跡の復活を遂げたお前なら大歓迎っていうか」

「そうそう。話題性バッチリだよな」

「おま、まだそれ引きずりやがって! やめろ、マジで単純に運が良かっただけなんだってー!!」

 

 しまいには『ガッツがあればなんでもできる』とか言い出すお馬鹿ども×3。

 今回、俺と一緒に『グランツィア』をやることになったアルフ、ビックス、シーサーの仲良し三人組である。

 

 俺以外の三人の選出理由は純粋にチームワーク。俺はオマケというか、穴埋めである。カッコよく言うと遊軍。

 

「お前ら三人はディフェンス。アッシュ、お前はゲリラだ」

「なんか良い思い出がないんですけどその響き……」

 

 ゲリラ豪雨とか。ゲリラ降雪とか。ゲリラテロとかゲリラ【ライトニング・ピアス】とか。

 

「使い方微妙に間違ってんぞ。ま、要は遊撃───時々攻撃に転じつつ、必要に応じて相手のフィールドを潰す役割だ」

 

 と言いつつ、グレン先生は『グランツィア』のルール説明を見ながらなにやらうんうんとうなっている。

 

「あー、このルールなら……そうだな。条件起動式によるサイレント・フィールド・カウンターだな。どうしたって地力の差はあるし、お前らより別クラスの方が結界構築は速い。引き分け狙いを装って相手がドデカいフィールドを構築するよう誘うんだ」

 

 ほうほう、と作戦を聞きながら頷いた。

 普通にやって勝てないならトラップで仕留めればいいじゃない。

 グレン先生の作戦は、早い話がそういうことだった。

 

 といっても、それは馬鹿野郎三人衆に向けた作戦。俺はそのカウンターとやらを悟らせないよう、また相手ができるだけデカい結界でこっちを叩き潰したくなるように立ち回り煽りまくれとのこと。

 

「ハーレ……ハーゲイ先輩辺りとぶつかればたぶんほぼ確実に通るから心配すんな」

 

 とはグレン先生の言だ。ひでぇ言われようだが概ね同意である。

 あの人はプライドがかなり高いっぽいということはこの一年ちょっとでよくわかっている。実力差を見せつけ、かつ大差をつけて勝つために大規模なアブソリュート・フィールドとやらを構築する、という戦法はいかにも取りそうな感じがある。

 

 ともあれ、そういうことなら否やはない。あとは本番に向けて特訓するだけ───

 

「おい、アッシュ。ちょっとこっちこい」

 

 こちらをちょいちょいと指差してグレン先生。

 なんかすごく嫌な予感がするが、この状況で行かないのも不自然だ。まあグレン先生はロクでなしだが悪党ではないし、妙なことにはならな───

 

 

 

 

 

 

 ───気付いたらその日、バイト先で賄いを作らされていた。

 

 なんでさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 学校行って、競技祭の練習をして、バイトして、なんでかグレン先生に賄いを作って、帰って寝る。

 

 そんな黄金サイクルを日々繰り返す俺の前に、

 

「おい。ちょっといいか、アッシュ」

 

 ───なんか、ここ数日でとんでもなく株を下げた気がする魔術講師が立っていた。

 

「なんですかグレン先生。賄いは店長のご厚意なんで、量とかは俺じゃどうしようもないですよ」

「いや、そうじゃなくて……普通にうめぇし文句なんてねーよ」

 

 じゃあなんだというのか。

 ついさっき振る舞ったばかりの賄いにケチをつけるつもりなら容赦なく明日からは見捨てるつもりだったが、しれっと褒められたのでなかったことにした。

 

「そんな大したことじゃないからそう警戒すんなっての。で、前から気になってたんだが、お前のそれ……どこで習ったんだ?」

「それ? 料理ならバイト先ですけど」

 

 あの店は学院に通う生徒御用達の店で、貴族や名門の出、要するにめちゃくちゃ舌が肥えたやつも時々いたりする隠れた名店だ。最近はエレノアさんっていう美人でやたらオーラがすごいお姉さんも二週間に一回程度の頻度だけど来るようになった。……つまり、まだ三回くらいしか会ってはないんだけど。

 

 さておき、舌の肥えた人間が来るということは必然、料理もそれなりの味になる。俺は基本的に注文を取る係なのだが、手先がそこそこ器用なのを買われてか時々だが厨房に立つこともある。

 そのとき料理を教えてくれたのがバイト先の店長なのだが、なんか外に漏らしちゃいけないスパイスの調合方法とかもこっそり伝授してくるもんだからもしかしたらあの人、もう俺をアルバイトから外さないつもりなんじゃないかと最近は疑っている。まあ、核心的な部分は教えてもらってないし、たぶん大丈夫だとは思うんだけど。

 

「馬鹿、そっちじゃねーって。あー、なんだ……これだよ、これ」

 

 と言いながらグレン先生はおもむろにシャドーボクシング。一通りの型を終えると「これ、どこで習ったんだ?」なんて言ってくる。なるほど、格闘術の話か。なにかと思った。

 

「別に、そんな気にするほどのことでもないと思うんですけど……帝都にいた頃に、そういうのに詳しい人と縁があって。そんで、何を思ったのか一通り仕込まれたというか」

 

 むしろしごかれたというか。

 

「……これ、軍隊格闘術だぞ?」

「マジで? ……てことはあの人、軍人だったのかあ……」

 

 元気にしてっかな、バーナードの爺さん。

 精神修行じゃー、と言いながら滝に突き落とされたのは忘れない。あの爺さんエロ本読みながらそういうことするんじゃねえよ。どこぞの眼帯忍者かってんだ。……いや、あれは眼帯じゃないか? 序盤しか知らないから記憶が曖昧だ。

 

 しかし肝心の格闘術に適性があったのかなかったのか。教えてもらったのは良いが、最終的には、

 

『なんつーか、変態格闘術になったのう』

 

 とぼやかれるようなシロモノになってしまったのである。

 

 さもありなん、俺が得意なのは拳闘というよりむしろ剣術なのだ。

 生まれ変わり……と素直に言っていいのかわからない生誕を経験してからはや十七年、そっちの才能に恵まれていることに気付いたのは……えーと、何年前だっけ?

 理由はなんとなくわかってるんだけど如何せん『なんとなく』しかわからないというか、俗に言う転生特典のようなものだろうかと思いつつも具体的な内容がわかるわけじゃないから困るというか。『そういうことができる』とわかった後に『ああ、これがそういうことか』と納得する程度の感覚というか……。

 

「ま、そんな感じです」

「ほーん……隠居したどっかのジジイ辺りが教えたのかね」

「たぶんそんな感じじゃないんですかね」

 

 えーい、とこっちもシャドーボクシング的なことをしながらの雑な返事。

 今世の俺は実に師に恵まれている。料理しかり、格闘術しかり。……前世の俺とやらの記憶はさっぱりないが、それだけは確実に言えることだ。

 

 問題はなんかネジが外れたっぽいのが多いことだけど。

 爺さんは言わずもがなだけど、店長もそこそこ頭イカレてるし。

 

 帝都にいてもフェジテにいてもやべーやつに絡まれるとは……俺の幸運のステータスをA~Eの五段階で数値化したらDくらいまでいくんじゃないか?

 

「ん、どうした? 急に遠い目して」

「……いやあ、俺の周りって濃い奴が多いなあ、と」

「白猫だけでもやかましいもんなー」

 

 わかるー、とうんうん頷いているグレン先生だが、濃い奴にはあんたも含まれるんだぜとは言えなかった。

 

 いやだって、濃いにもほどがあるじゃないか。

 大陸最高峰と名高い第七階梯(セプテンデ)に推薦されて、一切の実績がないにも関わらず、非常勤であるとはいえ名門であるアルザーノ帝国魔術学院の講師に抜擢。着任二週間弱での評価は最悪だったが、その後質の高い授業を行うと評判をひっくり返し、挙句の果てに天のナントカ研究会? だっけか……によるテロ事件を見事解決。

 こんな経歴の魔術講師、世界中探してもグレン先生くらいしかいないだろう。場所が場所なら英雄扱いされてたんじゃないだろうか。実態はコレだが。

 

「……なーんか失礼なこと考えてねえ?」

「気のせいですね」

 

 まあ、件の事件から一か月経つ頃にはその実態も周囲に知れて、クラスの生徒も『実はめっちゃすごい先生』というより『頼れるときだけは頼れる大学の先輩』みたいな気安さで接するようになったのは良いことかもしれない。

 グレン先生自身の年齢も、(見た限りだが)俺たちとそう変わらないのも親しまれている理由の一つか。

 

 と、脳内でそこそこ褒めたので許してほしい。……あれ? でもこれ別に許す許さないの話じゃなかったような?

 

 ……まあ、考えたら負けってことで。気にしなくて良いことは気にしないに限る。

 

「ま、いいや。話はそんだけだし、帰っていいぜ。明日も授業だしな」

「うす。……ところで先生、この前言ってたどうにか資金を調達するって話は」

「じゃそーゆーことだから! おやすみッ!!」

「逃げた!?」

 

 ぴゅーん、といっそ惚れ惚れするくらいの逃げ足の速さで逃亡するグレン先生。

 それを呆れ顔で見送って、俺はカバンを担ぎ直して大人しく自分の家へと戻る。

 

 ───そうして、あっという間に時は過ぎて。

 

 気付けば、魔術競技祭の本番は明日に迫っていた。




原作からのグランツィアのルール変更点:メンバーが四人になった。以上。


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6.魔術競技祭、開幕

お気に入りが100を突破していました。皆様ありがとうございます……新作日間ランキングの方にも何度か載せていただいたようで感謝の念が堪えません。


 豪勢な飾り付けがなされた貴賓席から、やはり豪勢な衣装で身を飾った女性が現れる。

 艶やかな金髪、芸術品のような碧眼。とうに四十歳を越しているにも関わらず、衰えを知らぬアルザーノの白百合。

 

 柔和な顔立ちに穏やかな微笑みを浮かべる慈母のような彼女こそ、このアルザーノ帝国を束ねる女王、アリシア七世その人であった。

 

「───この良き日に、未来ある若き魔術師たちの奮闘を間近で目にできること、誠に嬉しく思います。それでは……皆様の健闘と、今日の魔術競技祭が良きものとなるよう、祈ります」

 

 そう激励の言葉を締めくくると同時に、魔術競技祭が開幕する。

 

 あらゆる面で前代未聞の祭典が、今日行われるのである───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 一週間、生徒のバイト先のお情けでもらっていた夕食以外すべての食事を抜いていたグレンは、ささやかな空腹感を努めて無視しながら本日最初の競技───『飛行競争』の行く末を見守っていた。

 

 とはいえ、過度な期待はしていなかった。確かに生徒たち一人一人がそれぞれ最大限の戦力を発揮できるよう指導してはいたが、いいとこ平均より上にいけるかどうか、最下位でもおかしくはない……と考えていたのだ。

 

 いたのだが。

 

「……うっそー」

 

 思わずそんなセリフ(本音)がこぼれた。二組の成績は、グレンと周囲の期待を大きく裏切り───なんと三位。

 無論、ハーレイ率いる一組には勝てなかったが、それでも参加したロッドとカイが別段成績優秀者ではないことを考えれば、三位という結果は文字通りとんでもない快挙であった。

 

「すごい……もしかして、こうなることを見越して?」

 

 素直に尊敬の眼差しを向けるシスティーナ。

 

 勝負の裏に潜む様々な落とし穴と、二組が抱えていた幾つかのアドバンテージ。

 それに(試合の後に)気付いたグレンは、

 

「……と、当然だな!」

 

 そう言って、終わった後に見えてきたいくつものポイントをさも最初からわかっていたかのように語った。

 一瞬で尊敬の眼差しと、別クラスからの敵意を集めるグレン。

 特に、土壇場で負けた四組からのやっかみは凄まじく。だが今のが完全にグレンの策略だったと信じ込んでいる二組の面々は逆にそれに真っ向から対抗し、グレンをヨイショしつつ勝つのは自分たちだと宣言してみせる。

 

 上がるヘイト、上がるハードル、ついでに鳴り響く腹の虫。

 

(もういいから。もうやめて、これ以上俺をいじめないでくれ……ッ)

 

 グレンの悲痛なモノローグを拾うものは、誰一人いなかった。

 

 しかし、グレンのそんな心中など露知らず、魔術競技祭は順調に進んでいく。

 

 魔術狙撃───上位確定。

 

 暗号早解き───ぶっちぎり一位。

 

 他にも二組の生徒は成績優秀者に食い付き、それなりの好成績を収めていき、元から優秀な生徒は他を圧倒して上位をもぎとっていた。

 

 上がる順位、ますます上がるヘイト、天元突破したハードル、やっぱり鳴り止まない腹の虫。

 

 もはや天に愛されているのか嫌われているのかわからない有様だった。

 

 続く精神防御の競技でも、ルミアが危ういところを見せながらも見事去年の覇者を抑えて一位を獲得。午前の部だけであらゆる方向からの注目を集めたまま、祭りは午後の部へと移っていく。

 

「ああ……腹減った」

 

 ───約一名、肝心の指揮官の腹の虫は不服を訴え続けていたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 グレン先生すげえ。

 

 それが午前中、俺が抱いた正直な感想だった。

 

 いやだって、俺とそう変わんない成績のやつらが軒並み好成績かっさらってってるんだもん。これで興奮しないとかあるだろうか。いやない(反語)。

 去年はぼけっとしながら眺めるしかなかったのもあってここ数日『生徒にお情けでメシをたかる講師』というレッテルを貼られたグレン先生の株は急上昇していた。レッテル自体は剥がれてないけど。

 

 ただ途中で『精神防御』担当してた講師はあれ大丈夫か? 方向性が違うとはいえグレン先生以上のヤバい奴だったよーな気がするのだが。あれか。今まで露見していなかっただけなのか、純粋に優秀だから切れないのか。どっちだ。

 あとなんか貴賓席に見覚えのある人が立ってるように見えるんだよな……。あれエレノアさんじゃないか? 最近うちの店にごくまれに来ては高いメシと高い酒注文していくお得意様。でも彼女が立ってたのってあれ女王陛下の席の近くだよな……? 見間違いかな。

 髪が黒いってことくらいしかわからなかったし……たぶん別人? もし本人だったらエレノアさんは女王陛下のメイドさんってことになるけど、そもそもそんな人がうちの店に来るだろうか。でもめっちゃ高いワインをホイホイ頼んじゃうしなあ。

 

 うーむ……初めて来たときも仕事のついでだったって言ってたし、女王陛下の側仕えの人がフェジテに来る用事とかないだろうから別人かね、やっぱり。そんなやんごとない身分の人が店に来るたびにわざわざ俺をご指名するはずもないし。基本一般人だからね、俺。

 でも接客してると時々不穏な気配を感じるのはなんでだろう。エレノアさんに懸想している男客の視線かもしれないけど。夜にバイトを入れている都合上、俺が顔を合わせるのは主に成人した男性客。その中にエレノアさんに惚れ込んだ野郎がいてもおかしくはない。

 

「……っと、昼飯、昼飯……」

 

 弁当もいいけど、こういう日には外で食べるのが一番だというのが俺の持論。誰かに振る舞うならともかく、楽しい日になんで一人さみしく自分で作ったメシを食わねばならんのか。

 もちろん誰かが振る舞ってくれるならそれが一番良い。要するに自分のメシでなければ良いのだ。この世には付加価値というものがある。誰かが作ったという事実は、たとえその理由がなんであれ嬉しいものだ。

 

 というわけで現在プログラムは昼休み。俺は適当な場所で昼飯を食うべく辺りをうろついていた。

 そういえば学院の近くに多くて安いみたいな店があったよなー。うちの店はここからだとちょっと遠いし、たまには新鮮さを求めて行ってみるのも良いかもしれない───

 

「……ん?」

 

 なんか、今、女王陛下みたいな人影が見えたような。

 思わず首を回して振り返り、目を凝らしてみるが……それらしき人影は見当たらない。

 

「……気のせいか」

 

 そう結論付け、カッシュから聞いていたレストランへ向かって歩を進めること二分。十字路を曲がり、まだ見ぬ食事のメニューを考え、鼻歌なぞ歌いながら歩いていると。

 

「……んん?」

 

 なんか、今、物々しい服を着た人影が見えたような。

 思わず首を回して振り返り、目をごしごし擦ってみるが……それらしき人影は見当たらない。

 

「……俺、疲れてんのかな……?」

 

 ここ一週間は競技祭の練習に加えてグレン先生にメシを作っていたから、思っていたより身体は疲れていたのだろうか。

 物々しい人物は女王陛下がご来臨なさってるんだから護衛かなんかがいたのだとしても、女王陛下を見間違えるなんて不敬かつ有り得ないにも程がある。

 

 首をひねりつつも歩いていると、いつの間に到着したのかそれらしいレストランが目の前で口を開けていた。

 

「……ま、今日が終わったらまた前の生活だし」

 

 そうなったらゆっくり休もう。

 特別賞与が入ればグレン先生も落ち着くはずだし、少しは余裕が戻るだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……あの男は……」

 

 アシュリーが店に入るのを確認してから、男は細く息を吐き出した。

 

 彼の名はアルベルト=フレイザー。帝国軍が一翼、帝国宮廷魔導士団特務分室の執行官ナンバー17、《星》を拝命する魔術師だ。

 無論、ただの魔術師ではない。帝国軍の切り札とまで称される特務分室のエースを務める、正真正銘の凄腕だ。

 

 そんな男がこんな路地裏でなにをしているのかと言えば、それは彼()に下された任務のためであった。

 

「アルベルト。……気付かれた。敵?」

「いや……確かに気になるが、敵ではないだろう。人目もある。手は出すな」

 

 もう一人の仲間───帝国宮廷魔導士団特務分室の執行官ナンバー7、《戦車》のリィエル=レイフォードが壁に手を添えているのを見て、アルベルトが釘を刺す。

 ここで重要なのは、リィエルという少女にとって壁に手をつけるという行為は立派な戦闘準備であるということだ。彼女はその気になれば今この瞬間にでも壁から武器を錬成し、猪のごとき勢いであの少年にケンカを売るだろう。

 

 だがアルベルトの見立てでは、多少気になることはあるものの、今のところあの生徒に構っている暇はなかった。

 よしんば敵であったとしても、現段階で怪しい動きは見られなかった。気にする必要はない、とまでは言い切れないが、表立った行動を起こすことが憚られる現状ではなにか行動を起こす必要もないだろう。

 

「敵なら斬ればいい」

「敵かも判らんと言っている。……グレンが生徒として抱えていることを考えれば、限りなく白に近いだろう」

「グレン……」

 

 淡々と、無表情で宣うリィエル。だがその名前が出たときだけ、なにか言いたげに幼さの残る顔を歪めている。

 対するアルベルトは、もはや見るべきものも語るべきこともないと言わんばかりに遠見の魔術で王室親衛隊の監視に戻る。

 その横で、何かに気付いたと言うように、リィエルが件の店へと向かって歩き出そうとする。その後ろ髪を、アルベルトが容赦なく掴んで引っ張り強制的に止めた。

 

「何をする気だ、リィエル」

「あの人はグレンの知り合いで生徒。そう聞いた」

「そうだな」

「なら、あの人を追えばグレンに会える」

「…………」

「……ん。頑張る」

「頑張るな」

 

 びんっ。リィエルの後ろ髪が再び引っ張られる。

 

「痛い。離して、アルベルト」

「少なくとも、今回の俺たちの任務に奴は関係ない。グレンもだ。いいな? 任務(王室親衛隊の監視)を優先しろ、リィエル」

「ん……わかった」

 

 無表情のまま、リィエルがアルベルトを振り返り───やはり無表情のまま、ぐっ! と親指を立てた。

 眩暈がするかと思った。

 

任務(グレンと決着をつけること)を優先する。任せて、頑張ってくるから」

「頑張るな」

 

 びぃんっ。

 険しい表情を崩さぬまま、アルベルトが再び容赦なくリィエルの後ろ髪を引っ張った。

 ───絶対に、あの男には一発くれてやらねば気が済まない。

 私怨のようなものを覗かせながら、アルベルトは密かにかつての戦友を思い浮かべて現在の相棒を引きずっていった。

 

「……うーん? やっぱりなんか視線を感じるような……気のせいか?」

 

 レストランの窓際の席では、大盛りのナポリタンをパクついていたアシュリーが、きょろきょろと辺りを見回していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 まとわりつく視線から逃げるよーに(気のせいだろうが)食事を終え、そそくさと競技場へと戻ってきた。が、周囲を気にしすぎたせいか午後の部はもう始まっていた。

 視線といえば、途中で見かけた物々しい人たちのことだ。一瞬でいなくなってしまったが、それにしたってなんかカタギじゃなさそうな雰囲気だったけどなんだったんだろうか。やっぱり見間違いかなにかだったのだろうか。いや、むしろそうであってほしい。ただでさえ疲れてるっぽいのに新しく面倒ごとが増えるのはごめんだ。

 

「ただいまー。……なにむくれてんだ、フィーベル」

「うっさいわね」

「機嫌も悪いときたか……」

 

 微妙に頬が赤く見えるのは、要するにいつも通りめちゃくちゃブチギレて頭に血が上った名残だろう。

 で、そこまでフィーベルがキレるやつといえば一人しかいないわけで。

 

「……と、グレン先生は?」

「ルミアのとこ。……色々あったみたいだから、ちょっとお願いしたの」

 

 色々、のあたりでフィーベルが貴賓席に目配せ。ああ、なるほど。ティンジェルの元々の親御さんは女王陛下だって話だっけ。

 大方、なんかしらの理由で女王陛下と接触したけど、複雑な事情とかが邪魔をしてティンジェルはもやもやの真っ最中、気分が乗らなくてどこかに逃避行中ってところか。

 

 ……あれ、じゃあもしかして道中の陛下って見間違いじゃなくて本物?

 

「意外だな。フィーベルが行くんじゃなくて先生に頼んだのか」

 

 気付いてはいけないことに気付いてしまったような気がしたので話題を切り替える。気になるといえば気になっていたことだ。フィーベルはここぞというとき以外はグレン先生を頼らないというか、信頼しているんだかいないんだかなかなか難しい態度をとる。

 にも関わらず、大事な親友がもにゃっているときに───言い方は悪いがどこの馬の骨とも知れないグレン先生を差し向けるというのが、少し意外だった。確かに、グレン先生はティンジェル……というより素直な女子生徒には優しいが。

 

「……ルミア、グレン先生になんでか懐いてるでしょ。それに、私じゃ遠慮しちゃうだろうし」

「遠慮……心配かけたくないって?」

「そう。あの子、抱え込みがちだから」

 

 さすが、長いこと一緒にいただけはある。

 だが距離が近すぎる故に、言いたいことが言えない……いや、ティンジェルの性格では言えないとも認識してはいなさそうだ。妙なところで謙遜、というか遠慮しすぎるところがあるというのは俺たちでも知っていた。そこを奥ゆかしいと盲信する男子生徒もいることにはいるのだが。

 

 人間社会にいる以上、ある程度本音を飲み込むことは重要だ。だがティンジェルはそれが行き過ぎている、ように思える。言いたいことがあるなら一度フィーベルととことん殴り合ってみれば良いんじゃないだろうか……というのは周囲の勝手なお節介か。

 いや、そうなったらティンジェルが爆発する前にフィーベル自身が聞き出すだろう。あれこれ想像を巡らしたところで所詮は部外者、想像に過ぎないものでなんやかんやと口を出すのはやめておいた方が良い。当人たちを見る限り、ティンジェルがフィーベルを疎ましく思ってたりしているようには見えないし。

 

 しかし、そうなると気になるのはグレン先生とティンジェルの動向だ。フィーベル曰く、ティンジェルを連れ戻すだけなら、もう戻ってきていても良い頃なのだという。

 

「出番が控えてるっていうのは承知の上なんだけど……ちょっと探してきてくれない? グレン先生がルミアの好意につけこんでいやらしいことを考えてないとも言えないし」

「俺はその発言にどう対応したら良いんだ? ……ともあれ、了解した。確かにそういう理由なら、俺が出張るのが良いだろうな」

 

 フィーベルは送り出した手前行きにくいだろうし、他の誰かに頼もうにもティンジェルが戻らない理由からして、うっかり無関係の人間が聞いてはいけない会話───要するに女王陛下の話とか、を聞かれても困る。

 そうなると、唯一フィーベル以外で事情を知っている俺が適任なのだ。たぶん。

 

「そういうこと。間に合わなさそうなら無理しなくていいから」

「はいはい。俺の出番はだいぶ後だし、少しくらいなら大丈夫だろ」

 

 『グランツィア』は午後の部のそこそこ終盤だ。それはひるがえって高得点を狙えるから絶対にサボってはいけないということなのだが。

 

「ま、大丈夫でしょ」

 

 人探しの才能とかは別にないけど、あの二人が揃っているならそれなりに賑やか……いやフィーベルがいないから怪しいか。

 とにかく気分転換の定番といえば中庭か、そうでなければ学外の散歩だ。まずはその辺に向かってみよう───

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───いや、あの二人が揃ってるなら賑やかになってるかもなとは言ったけどさ。

 

 それでもこれはなくない? と、見事二人を見つけた代償として俺は路地裏を駆け抜けながら思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 グレン先生とティンジェルを見つけたところまでは良かったのだ。

 もしかして俺には人探しの才能があるのでは? などとふざけたことを考えながら二人に声をかけようとしたとき、それは起こった。

 

 グレン先生、撲殺。

 

 いや血は見えないし死んではないと思うのだが、なんか物々しい人たち───ああ、昼間に見かけたのとは別の人たちだが、がなんかティンジェルに手を出そうとしてるっぽい。なんだ? 犯罪組織か?

 助太刀するべきかとポケットの中をまさぐっていたが、俺がなにかするより先にグレン先生が復帰、物々しい人たちの背後から強烈な光を焚いた。そしてそのまま逃亡。しかもなんと姫抱っこである。誰も見てなくて良かったなグレン先生……下手したら学院で密かに書き込まれているという『夜道に気を付けろよリスト』に名前が載るところだったぞ。もう載ってるかもしれないけど。

 

「……いや、なんでだよ!?」

 

 ちらりと時計を盗み見る。競技までは十分な余裕がある。追いかけていっても問題はないだろう───連れ戻せるかは甚だ疑問だが。

 犯罪組織(仮称)はさっきの閃光で目がくらんだのか、グレン先生たちを追いかける様子はない。仕方ないので見つからないように別方向から追いかけることにした。

 

 なんにしても、まずは話を聞かないと。

 フィーベルにありのままを伝えたら午後の競技に身が入らなくなっちまう。

 

「って、足はやっ」

 

 どうやら【フィジカル・ブースト】も併用してるっぽかった。ガチの逃げだ。

 仕方なくこっちも限界ギリギリまでスピードを上げる。これまた自慢ではないがなんというか身体能力には自信があるんだ。

 

 幸い、犯罪組織(仮称)───ええいまだるっこしい! もう犯罪者でいいか。犯罪者どもはこっちに追いついてきていないようだ。肝心のグレン先生は路地に入ったようだが、この辺の地理であればある程度は把握している。

 いつの間にかさっきまで捉えていたはずの姿が見えない。となるとあっちにある曲がり角か。

 

「会い……た……レン……!」

 

 ……なんか知らない声と一緒にすごい音が聞こえた気がするんだけど。

 具体的にはどかーんという爆音、もとい地面やらなにやらが破壊される音。

 

 まさかあの犯罪者ども、別働隊を……? それはまずい。グレン先生はなんか意外という言葉では足りないくらい何故か強いけど、いくらなんでも囲まれたらどうしようもない───!

 

「……行くしか、ないか」

 

 ポケットに手を突っ込み、先の事件から補充した魔術触媒の数を確かめる。五、十……二十。それだけあれば、ひとまず戦闘には堪え得るだろう。

 

 覚悟を決めて、グレン先生がいるはずの路地に踏み込む。

 

 ───そこに広がっていたのは、予想外の光景だった。

 

 魔術でも使ったのか、路地の壁には霜が下りている。見るも無残な破壊の跡。石畳を始めとして、路地のあちこちにひび割れという言葉では済まないほどの傷が刻まれていた。

 恐ろしいのは、それが魔術の跡ではなさそうだということ。素手でグレン先生が対峙している相手───自分よりも少し年下に見える少女が手に持った大剣を振るう度、石畳はめくれ、壁は切り崩されていく。衝撃波だけで大気が震えた。

 

 対するグレン先生は防戦一方……否、防戦さえもままならないようだった。

 先ほどから大剣を拳で弾くばかり。淡く光の灯った拳には【ウェポン・エンチャント】が付与されているようだが、魔術による強化とグレン先生の拳闘をもってしても捌くのがやっと───むしろ、捌くことさえ難航しているようにも見える。

 

 このままではいつ押し切られるかわかったものではない。

 本当はもっと情報が欲しいところだが、グレン先生のピンチには代えられない。壁の影から様子を窺う時間は終わりだ。

 一つ息を吐いてから、ポケットに収められた魔術触媒───金属片を手に握り、迷いなく戦場へと飛び込んだ。



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7.ロクでなしと天使から狙撃手と脳筋へ

評価バーに色が付いてて三度見した。ありがとうございます。


 絶体絶命。そんな言葉が良く似合う戦場だった。

 

「会いたかった、グレン!」

「な───リィエル!?」

 

 驚きへの返答は見惚れるような剣戟でもって行われた。

 跳躍、からの一閃。周囲への被害などお構いなしで振るわれる大剣は、衝撃波でさえ岩を砕いてなお余りある。

 

 対するグレンの返答は【ウェポン・エンチャント】を付与した拳による防御。

 だが、小さな身体のどこからそんな力が生み出されているのか。少女───リィエルの剣はグレンの腕を砕くことこそ叶わなかったものの、代わりに余波で石畳を粉砕し、グレン自身もまた斬撃と同時に襲い来る衝撃に身体を軋ませた。血反吐を吐きながら、最低限にダメージを抑える。

 

「くそ……この、猪が!」

 

 鋼の刃が腕から離れる。が、それは和解の合図ではなく至高の連撃の幕開けに過ぎない。

 二度、三度と振るわれる斬撃。直接当っていないはずの壁を斬り刻みながら、稀代の天才の剣がグレンを襲う───!

 

「話を聞け、リィエル……!」

「問答、無用ッ!!」

 

 幸い、リィエルの剣技は数年前同じ職場で働いていたこともあり熟知している。タイミングさえ外さなければ、なんとかグレンでも弾くことは可能だ───リィエルに対する防御に徹してさえいれば。

 だがそれだけでは足りない。建物の屋根からこちらを射抜く鷹の瞳。戦車と斬り結ぶ限り、愚者は彼の星から決して逃れられない。

 

 要するに、詰み。

 どこかから第三者が現れでもしない限り、グレンとルミアの敗北は必至。

 だが、このような状況で、敵の増援ならばともかく味方が増えることなど有り得ない。背後からの気配はすぐそこに迫っている。万が一アルベルトの狙撃を耐えきったとしても、後ろに増援が控えている以上切り抜けることは不可能だ。

 

 ───しかし。

 

 背後に迫っていたのは、グレンが想定していた人間ではなかった。

 

「誰───!?」

 

 真っ先にその存在に気付いたのはリィエルだった。

 

 グレンの後方、路地の角。そこから一つの影が飛び出てきたのだ。

 

 グレンに夢中で接近に気付かなかった───そんなミスに歯嚙みしながらも、リィエルの力量であれば敵がどんな存在であれ不用意に近付けば返す刀で斬り伏せられる。敵は無手。リーチの差がある以上、懐に入り込む前に斬り捨てられる。

 もし仮に敵が奮うのが魔術であったとしても、そのときはそのときだ。先ほどグレンの【アイス・ブリザード】に対抗するために付与した【トライ・レジスト】の効果はまだ残っている。大半の攻性呪文(アサルト・スペル)であれば気合いで耐えられる。

 

「お、らあぁぁ───!!」

 

 だが。

 

 放たれたのは、そのどちらでもなかった。

 

 最初に見えたのは小さな金属片───短剣から柄と刀身を省いたようななにか。仮に刀身がついていたとしても、鍔迫り合いを想定していないのだろう。鍔にあたる部分はない。

 しかし、鍔があろうとなかろうと、ただの金属片ではリィエルには傷一つつけられない。華奢な外見に反して特務分室でも一、二を争う頑強さを誇るリィエルは、()()()()()()()()()()で傷付くほど軟ではない。

 

 だから、リィエルも想定していなかったのだ。

 まさか、その金属片から刀身が()()()なんて。

 

「ッ───!?」

 

 乱入者は金属片を宙に放ると、それを拳で殴りつけた。

 ただの無価値な破片であったはずのそれは少年の魔力を汲み上げて鈍色の刃を形成する。

 

 これこそが少年の持つ魔術触媒───彼のほぼ唯一の武装。

 銘を、リジル、あるいはフロッティと云う。

 

 少年自身にも手にした短剣のいずれがその銘を得ているのかはわからない。その情報は彼の身の内には存在していないからだ。ただおぼろげに『そういうモノ』として認識し、利用している。

 

 とある英雄の霊基に刻まれた武装。

 その再現こそが、少年の持ち得る才能に他ならない。

 

「くっ───」

 

 今まさにグレンを斬り伏せようとしていた刃を翻し、リィエルは飛来する刃を盾にしてやり過ごす。一般的な金属よりも圧倒的な剛性と靭性を誇るはずのウーツ鋼で構成された剣に、決して小さくないヒビが入る。

 並大抵の武具では太刀打ちできないはずの鋼に傷をつけるなど、もはやお手軽に生成していい代物ではない。どう考えてもあれは名立たる名剣、一種の魔剣だ。

 

(錬金術? 詠唱がなかった。まだ手に隠し持っている……なら)

 

 驚愕は一瞬。思考は端的に。元より己の武器は使い捨てだ。グレンとの戦い(因縁の戦い)を一時中断し、リィエルは壁から大剣を錬成、無粋な乱入者の元へと駆ける。

 

 そうする間にも、乱入者の手元からは弾丸と化した名剣が空を裂きながらリィエルへと殺到していた。

 その数、四本。

 体捌きのみで二本を躱し、残る二本を先ほどとは違い剣の腹で叩き落とす。勢いをそのままに方向を変えられた刃は獲物を食い破ることなく、地面へと墜落して霧散する。

 完全に見切ったとは言えないが、こと白兵戦闘においてリィエルの右に出るものはそれこそ《隠者》のバーナードぐらいのものだ。真っ直ぐに飛ぶだけの攻撃など、例え視認が間に合わなくとも勘で避けられる。

 

 嘘だろう、と言いたげに少年の目が見開かれた。投擲にはそれなりの自信があったのだろう。事実、相手がリィエルでなければ完全に防ぐことは難しかったはずだ。如何なる術理か、少年の剣は弾速に近かった。

 

「ち───こりゃ、分が悪いかな……?」

 

 投擲でリィエルを捕捉することを諦めたのか、少年はくるりと手の中で二振りの短剣を弄ぶ。

 

「邪魔を───」

 

 追撃がないと悟った戦車が、少年の胴を両断せんと迫る。

 ダメ押しのように星の指先が少年へと向けられた。愚者の術ではその後に飛来するであろう二閃の雷条を防ぐことは叶わない。

 

「避けろ、アッシュ───!!」

「するなぁぁあああああああああああ!!!!」

 

 咆哮は同時。グレンの懇願が聞こえたのかどうか、少年は逆手に持った得物で鋼を迎撃せんと身を固くする。

 少年の武器であれば、リィエルの一撃を防ぐことはできるだろう。だがそれはあくまでも武器の性能だけを抽出して考えた場合の話。少年の技量如何では、藁束のように吹き飛ばされる。

 そしてリィエルの一撃に先んじて、アルベルトの指先から雷光が迸った。

 

 敗北は必至。例えグレンがその身を盾にしたとて、続く二射目を防ぐ術はない。

 

 お前の抵抗は無意味だったのだと、アルベルトの【ライトニング・ピアス】はその頭部を捉えた。

 

 今まさに、アシュリーを斬り飛ばそうとしたリィエルの後頭部を。

 

「きゃんっ」

「は?」

「え?」

「あれ?」

 

 三者三様の困惑と悲鳴が路地裏に小さくこだまする。

 それを全く意に介さず、グレンたちの敗北を決定付けるはずだった男───アルベルトは、今しがた己が昏倒させたリィエルの身体を担ぎ上げると、

 

「久しいな、グレン。───場所を変えるぞ、ついて来い」

 

 そう言って、相手の反応も確認せずに道の奥へと消えていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「この馬鹿! 脳筋! 猪突猛進イノシシ娘ッ!!」

「いたい」

 

 ぐりぐりぐりぐり。

 

 グレン先生の手元でこめかみをぐりぐりされている青髪の女の子が、ぐりぐりに合わせて左右にぶらんぶらん揺れている。

 まるで振り子か何かのようだ。シュールなその光景からは、さっき俺を一刀両断しようとした化け物の姿はとてもじゃないが連想できない。

 

 一ヶ月前の事件は抜きにしても、久しぶりに死ぬかと思ったぞあれ。あのままやってたら確実に俺が死んでいた。

 まさかあれを対処されるのはともかく、叩き落とされるとは思っていなかった。まだまだ修行が足りないということだろう。

 

 ───この十七年で、俺が把握した武器(才能)は三つ。

 

 一つ。魔力を叩き込むことでどこかの誰かが使っていた剣を現世に生み出せること。ただゼロから作るとゴリゴリ魔力を持ってかれるので、魔術触媒でその負担を減らしている。

 正直、名前も知らない人間が愛用していたであろう武器を勝手に借りるのは気が引けるのだが、それはそれ。これも縁、ということで許してほしい。

 一つだけ『いくらでも』というわけにいかないものがあるが……あれは顕現させるだけでさっきの短剣なんて比じゃないくらい魔力をゴリゴリ持ってかれる。文字通りの切り札その1だ。

 

 そして二つ。なんでか竜にめっぽう強いということ。

 もう俺自身が竜特攻の概念を持っているような状態だ。なんで? と疑問は尽きないもののもらえるもんはもらっておくことにする。その節(ボーン・ゴーレム素手粉砕事件)は大変お世話になりました。

 

 最後の三つ目は……疲れるのでやりたくない。

 いや、疲れるというのは正しくないのだが……あまり好ましい感覚でもないことは確かなので、これに関しては無視。使えば便利なんだろうけど。

 これも、切り札その2としてとっておきたい。……これから訪れるのが、そんな贅沢を言っていられるような状況であれば良いんだけど。

 

 こんなことができるとわかったのは……何年前だったかな。

 明確な時期は思い出せないけど、バーナードの爺さんに初めて会った頃にはできていたような。……あれ? でもそれっていつだ?

 

 ───まあ、いいか。

 気にしなくて良いことは、気にしないに限る。

 

「さて……まずはこちらの非礼を詫びよう。その女は少々視野が狭くてな。敵と見るととにかく突っ込んでいって斬り捨てたがる」

「あ、えーと……はい」

 

 淡々とした口調でそう言ったのは藍色がかかった髪の毛を伸ばした男の人だった。……見覚えがある。昼休みのときに見かけた人だ。

 

 で、このでこぼこコンビが誰かと言うと。

 

「そっちのチビが帝国宮廷魔導士団特務分室、執行官ナンバー7《戦車》のリィエル=レイフォード。で、そっちの仏頂面が執行官ナンバー17《星》のアルベルト=フレイザーだ」

 

 グレン先生の他己紹介によると、なんとこの二人はグレン先生の同僚だった現役の軍人さんらしい。え、てことはグレン先生ってやっぱり軍属だったの?

 いや軍隊格闘術なんて使ってるんだからそうなんだろうとは思ってたけど、まさかガチモンの仕事人だったとは。人は見かけによらないというか。いやはやいやはや。

 

 と、俺の沈黙を不信と受け取ったのか、グレン先生が苦々しい顔でなんとか弁明する。

 

「……急に襲われて信じられねえとは思うけど、一応、信じられる連中だ」

 

 信じられないです。

 と言ってしまうのは簡単なのだが、一応アルベルトさんにはレイフォードを止めてもらったという実績があるし。レイフォードは───

 

「わたしが敵に正面から突っ込む。

 次にアルベルトが敵に正面から突っ込む。

 最後にグレンが敵に正面から突っ込む。

 ……どう? わたしの高度なさくせ」

「却 下 だ、この大馬鹿野郎! てめぇは辞書で『作戦』の意味を引き直してこい、このチームワークゼロ娘!!」

「いたい」

 

 ……うん。あんな感じでお仕置きされてるのを見ると、どうしたって敵意が消えるというか。

 

 あのアホみたいにデカい剣と、若干……少し……かなり……突撃脳筋思考なことに目をつむれば、レイフォードはごく普通の女の子に見えるせいもあるだろう。

 前もって言っておくと、決してロリコンではない。

 

「俺が言うのもなんだが、肝据わりすぎだろ……まあ、それはいい。んで? 帝国軍の切り札サマが二人も揃って何の用だよ? 状況から察するに、ルミア……いや、王室親衛隊に関するゴタゴタだろうが」

「……ん? 王室親衛隊?」

 

 それって一体どちら様?

 

「はあ!? お前、相手が誰かもわからないのにケンカ売ったってのか!?」

「いたいけな少女に手を出す犯罪者集団かと……」

「おま、王室親衛隊ってのは女王陛下を始めとするお偉いさんたちの護衛だぞ!? 名前の通り王室を関係者を命懸けで守護する超・精鋭!! なんでケンカ売ったんだよ!?」

「あはは……先生が言えたことじゃないような気が……」

 

 ここでティンジェルの辛口コメント。今のセリフから察するに、先生は正体を知りつつもティンジェルのためにケンカを売ったということになる。

 なんていうか……先生、相変わらずやるときだけはやるよなぁ……。

 

「お、俺はいいんだよ。なんたって、今の俺はお前の教師なんだからな。……お前は大人しく、お姫様みてーに俺に助けられながらキャーキャー言ってればいいんだよ」

 

 なんか聞きようによってはクズっぽいことを言って、ラブコメチックにぽん、なんてティンジェルの頭を撫でるグレン先生……イチャイチャは余所でやってくれませんかねえ。

 

 ともあれ、グレン先生とアルベルトさんは現状の情報交換と作戦会議を開くらしい。で、俺とティンジェル、レイフォードは暇つぶしに地面に絵を描いて遊んでいる。なぜってそりゃーやることがないからである。

 事件の渦中にあるティンジェルはギリギリ作戦会議に参加できないこともないが、一切の経緯と裏事情を知らない俺は同じく一切の情報を忘れたらしいレイフォードと遊ぶしかやることがないのだ。

 

「アッシュ。なに、それ?」

「んー。ドラゴンモドキ」

「モドキ」

「マジモンのドラゴンは俺も見たことない……はずだから、半分くらい想像。なのでモドキ(再現率推定50%)

 

 本音を言うと早いとこフィーベルが待ち構えているであろう競技祭に戻りたいのだが、ここまできたらことの成り行きを見届けてからでないと俺もフィーベルも安心できない。ティンジェルを連れていくことができない以上、理由をキッチリ説明しないといけないし。

 そして残念ながら俺に絵心はあんまりなかった。なんかこう……立ち上がっただけのトカゲみたいなのができた。ちなみにレイフォードはあまり絵は描かないようで、延々と『の』の字を書いていた。あー、でもわかるわー。単純作業してるとなんか楽しくなってくるんだよね……。のののの……ののののの……。

 

「……。なにしてるんだ、お前」

「……『の』の大量生産?」

 

 俺たちの『の』の字を書きまくるという単純作業は、作戦会議を終えたらしい呆れ顔のグレン先生がツッコミを入れるまで続いたのであった。

 

 ところでドラゴンの肉っておいしいのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グレン先生が立てた作戦を一通り聞いた俺は、現在二人とともに競技祭会場へと戻ってきていた。

 

「本当にうまくいくんです?」

「うまくいかせる他ない。お前たちには期待しているぞ」

「……ステルスぅ」

 

 隣を歩く藍色の髪の男性───しかし先ほどとは違ってごく普通のスーツに身を包んだ『アルベルトさん』。

 その先ほどまでとは違う語り口に思わず意味不明のつぶやきをこぼし、もう一人───『レイフォード』を挟むようにして会場へと到着する。

 

「あ、やっときた!! ちょっと、遅いわよ三人と……も……?」

 

 あー、案の定フィーベルが混乱している。そりゃそうだ、グレン先生とティンジェルを連れて帰ってこいと頼んだ相手が、見ず知らずの二人組を連れてきたのだから。

 合ってるのなんてお互いの性別くらい。どういうことだと詰め寄るフィーベルに、アルベルトさんは淡々と語る。

 

 その内容は、簡潔にまとめるとこうだ。

 

『俺はグレンの古い友人で、今グレンは手が離せないから代わりに指揮を預かった。そして、どうか二組が優勝を勝ち取ってほしい』

 

 なんていうか一ヶ月前の一件といい、見知らぬ第三者に『今は手が離せない』とか言われること多いよね、グレン先生。今回に限っては多少毛色が違うとはいえ、この調子では来月にも『グレン先生は今手が離せない!』とかって誰かに言われそうだ。

 

 まあ、そんな不確定な予想はともかくとして……クラスには動揺が走っている。そりゃそうだ。いくら正式な許可証を持ってるからって、学内に突然現れた部外者に総指揮を任せてくれなんて言われても納得できるはずもない。

 試しに俺が色々弁護してみるが、俺にそっち方面の才能はなかったらしい。事態が悪化することこそなかったものの、好転することもなく。ただ気まずい沈黙が流れただけだった。

 

 なのでここは、対フィーベル最終兵器にお願いしよう。

 

「……お願い。信じて」

 

 たったそれだけの言葉と一緒に、『レイフォード』がフィーベルの手を取り握りしめる。

 その言葉と握られた手ですべて……とはいかなくてもおおよその事情を察したのか、フィーベルが振り返ってみんなに発破をかける。

 

 結論から言うと、なぜかグレン先生へのヘイトが上がった。

 不思議ー。

 

 ───さて。

 指揮官の穴は埋まり、落ちかけた士気はフィーベルが上げてくれた。優勝する必要はあるが、それは端から確定事項。

 要するに───

 

「さあ、魔術競技祭の再開だ!」

 

 こっから先は、いつもと変わらないお祭り騒ぎ。

 

 せっかくここまでやってきたのだ。最後まで、俺たちの存在を魅せつけるとしよう───

 

「……いや、あんたたちがいなかっただけで競技祭はとっくに始まってたんだけど」

 

 アーアーキコエナーイ。




この情報のあやふやさはデミ・サーヴァントが一番近いかなぁ、と書いてて思いました。真名不明、かつ宝具不明の序盤のマシュみたいな。
件の魔術触媒(笑)のビジュアルはシグルドさんが叩き売りしているあの短剣から刀身(第三再臨だとエメラルドになってる部分)をぜんぶ省いたやつです。殴ると刀身が生えます。普通に魔力を流すだけでも生えます。


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8.たった一つの方法

本当は次話と一つだったのですが、普段の二倍ほどとクソ長くなったので分割しました。


 ───『アルベルトさん』という謎の指揮官を迎え入れた二組の勢いは凄まじいの一言に尽きた。

 

 元々グレン先生がいなくなって士気が落ちていたのか、順位は午前よりも下がっていたのだ。だが、フィーベルの発破───『グレン先生がいないときに負けたら、グレン先生に死ぬほど煽られるわよ』という一言で二組の士気(と書いて殺意と読む)は天元突破。

 グレン先生がいなければその程度と馬鹿にしてくる他クラスの存在もあり、二組の熱気は午前と同等、いや下手したら午前よりも遥か上をいくかもしれなかった。

 

 アルベルトさんもまた、半信半疑だった二組をその優れた手腕で導き続けた。今までの勝利は、二組全体の士気もそうだがアルベルトさんによる的確な指揮も確実に影響していた。

 二組は確かに自分の競技に集中して取り組み、練習を重ねてきたが、時間不足と実力不足、そしてなにより実戦経験───要するに戦術眼が欠けていた。今まではグレン先生のおかげでそれが補われていたのだ。だからこそ、二組は午前の部であれだけの活躍を残せた。普段だらけていても、実力は本物という評判をここでもグレン先生は見せつけていた。

 

 それだけではない。ここまでに生徒への作戦立案と指導を行っていたのもすべてグレン先生だ。いわば積み上げた信頼関係と意図を汲むだけの付き合いがあった。その代わりなど誰にも果たせない───誰もがそう思っていたのだ。

 アルベルトさんが、指示を出し始めるそのときまでは。

 

「おそらく次は北東に出る。シーサー、マークしておけ。アルフ、そこはビックスに任せて待ち伏せておけ。アッシュ、お前は西端にノーマル・フィールドを構築しろ」

 

 だいたいそんな感じの指示を合図だけで出してみせる。この合図はグレン先生との間で組み上げた『グランツィア』用のものだ。

 まるでグレン先生が直接指示を出しているような感覚。練習の感覚を思い出したのか、仲良し三人組は順調に相手───一組のノーマル・フィールドを片っ端から叩き潰していた。

 俺? ちょこちょこ『すぐに潰されるけどいやらしい場所にあるノーマル・フィールド』を延々積み上げては空いた時間に敵のフィールドを潰してるよ。

 

「む、ぐぐ……引き分け狙いのデコイだな!? さっきからウロチョロと小賢しい……!」

 

 なんかそんなセリフが聞こえたような気がする。もちろんアルベルトさんではない。対戦相手の一組担任、頭皮がピンチと密かにウワサのハー……レイ先生である。最近グレン先生が適当な名前で呼ぶもんだから俺も名前が怪しくなってきた。

 ……というか俺、もしかして順調にヘイトを集めてる? 心なしか選手からの視線も痛い。まあわかる。うざいよね、俺。さっきから『無視したいけど、無視できない』サイズのノーマル・フィールドをバカスカとまではいかないけどチマチマ作ってるんだから。でも完璧に囲っちまえばルール上、囲われた結界は囲った結界の得点に上乗せされるのでオッケーだったりする。

 

 ───それこそ、俺が張った結界を全部覆ってしまうようなデカい結界を張ったりすればね?

 

「お前たち! アブソリュート・フィールドだ! アブソリュート・フィールドを張れ! 格の違いを見せつけてやるのだ!!」

「やっべ」

 

 と、ここでちょっとわざとらしくこっちもノーマル・フィールドを構築してみる。あ、潰された。

 しかしこっちの目的は初めから奴さんがでっかいアブソリュート・フィールドを構築すること。サイレント・フィールドを仕込んでいるように見えないように最初っから散ってたからあちらさんはこちらの狙いは知らないはずだ。しかもこっちが申し訳程度に組んでる結界は一組生徒が頑張れば普通にアブソリュート・フィールドで囲ってしまえる場所にある。ハーレイ先生的にはここで丸っと潰しておきたいはず。

 

 ───で。

 

『さ……サイレント・フィールド・カウンターだーーーッ!!? プロでも滅多にやらない高等技術を、なんと二組が! あの一組に対して決めましたーーーッ!! そしてここで試合終了! 勝者は二組! 引き分け狙いと思われていた二組だァーーーッ!!』

 

 若干二組贔屓の実況が会場に響く。

 ───完全に囲まれた結界(フィールド)は相手の持ち点になる。つまりハーレイ先生が頑張って作らせた結界は丸々こっちの得点というわけだ。かかったなヴァカめ!! とか言って高笑いしてやりたくなるけどこの後ハーレイ先生には給料三ヶ月分というペナルティが待ってるんだから勘弁してやろう。グレン先生じゃあるまいし。

 

 そして俺の出番はこれで終わりだったりする。

 全生徒に使い回しがない以上、出番は一回きりで終わりなのだ。

 

 というか残ってるのなんてあとはもう『決闘戦』くらいしかない。

 つまり、ついにフィーベル、ギイブル、カッシュの三人衆の出番というわけだ。

 

 ファイト一発。頑張れみんな。ティンジェルと帝国の未来は、割とみんなにかかっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 前にも言ったが、『決闘戦』のルールは割とスマッシュなブラザーズに似ている。

 相手を場外まで放り出すか、戦闘不能まで追い込めばOK。当然だが相手が降参しても勝利となる。

 

 ただまあ、あくまでも『魔術戦』なので肉弾戦は禁止。たぶん【フィジカル・ブースト】かけてぶん殴ったりしてもダメだろう。なんのために殺傷能力の低い学生用の呪文に留めているのか考えろバカヤロー、という話だ。

 そも、魔術の腕を競う大会で筋肉(マッスル)の腕で勝ち上がってどうすんのかという話である。

 

 ただし筋肉(マッスル)も無意味ではない。相手の魔術を素の肉体で耐えることができればそれは魔力の省エネルギー化、ひいては手数の増加につながる。もちろんそんなのはほぼ不可能なのだが、【トライ・レジスト】なんかを張っておけば結構耐えられたりもする。

 

 ……さて。それを踏まえて、うちの『決闘戦』の推移を見てみよう。

 

『さあ、煙が晴れていきます……どうだ、どうだ? ───健在! 健在です! 先鋒のカッシュくん、あの【ショック・ボルト】の(五連撃)を耐えきったーーーッ!!』

「《雷精の紫電よ》───!!」

『おおっと、対戦相手のアイザック君、ここでお得意の【ショック・ボルト】を返され……戦闘不能ッ! 先鋒戦、またも二組の勝利だァーーー!?』

「へへっ、アルベルトさんの言った通りだったぜ……! みんなー、勝ったぜー!!」

 

 無事に相手を下したカッシュがこっちを見上げてガッツポーズ。とりあえずサムズアップで返しておいた。

 

 と、このよーに我が二組は現在無敗。魔術の腕で多少劣るカッシュが何度か危なかったものの、概ね問題なく決勝までズンズンと駒を進めてしまった。

 

 しかし、バニッシュしきれない攻性呪文(アサルト・スペル)を【トライ・レジスト(属性ダメージ軽減)】と【フォース・シールド(魔力障壁)】と体捌き(気合い)でどうにか凌いだカッシュを見ていると、やはりガッツがあればなんでもできるというのはマジかもしれないという気になってくる。

 

「と、それはさておき」

 

 ティンジェルを助けるためのグレン先生の作戦を成功させるには、なんかよくわからないが二人が直接女王陛下の前に立つ必要があるらしく、そのためには二組が優勝する必要がある。

 もちろん、生徒全員にそれを話す必要はないし、うっかり話してしまった場合説明が限りなく面倒なことになるのでこれはあの路地裏同盟こと俺たち五人の間での秘密。かく言う俺も『グレン先生とティンジェルが女王陛下の前に立つ必要がある』こととその手段しか知らないのではあるが……ぼ、ぼっちちゃうわい。

 

 とにもかくにも、作戦成功のためにはこの『決闘戦』で一位をもぎ取らねばならんかったりする。

 そんでもって、次はその一位を決めるための『決闘戦』の決勝戦……なんかややこしいな。一位争奪戦に突入するのだ。

 

『おおーっと、さすが決勝戦。先鋒から白熱した戦いでしたが……ここでエナ選手の【痺霧陣】がカッシュ君を捉え───カッシュ君、動けない! 最後の先鋒戦で白星を収めたのは一組、エナ選手だーーーッ!!』

 

 ここまでの無茶が祟ったのか、それとも単純な地力の差が出てしまったのか。

 惜しくも討ち取られたカッシュに『ドンマイ』のハンドサインを送り、続くギイブルに頑張れよとサインを送……あ、無視しやがったあいつ。でもキッチリ勝つ辺りがギイブルらしいというかいやらしい。仕方ないのでもう一度、今度はおめでとうのサインを……あいつまた無視しやがった。たぶん実際近くでやってたら『この僕が出るんだ、当然だろう?』とか言ってるんだろうな。

 

 さて。これで先鋒(カッシュ)で黒星が一つ。中堅(ギイブル)で白星が一つ。

 二組が勝利できるかはフィーベルにかかっているわけだ。

 

「つまりお前の試合結果がなんかこう、色んなものの運命を左右するわけだな。うん」

「……プレッシャーかけるようなこと言わないでよね。あと、色々ってなに」

「それはまあ、色々だ」

 

 具体的にはグレン先生の生活費とか、ハーレイ先生の生活費とか、ティンジェルの運命とか。

 

「フィーベルなら大丈夫だろ。ほら、適度なプレッシャーは能力を発揮するのに必要だって言うしな」

「そういうことじゃないでしょ、まったく……もう」

 

 と言いつつ、フィーベルはぺちぺちと自分の頬を叩いた。

 なんかよくわかんないけどマジで色んなものが自分の肩に乗っかってることを悟ったらしい。「よし!」なんて気合いの入った掛け声と一緒にぱしーんと拳を掌に合わせ、いざ討ち入りと言わんばかりに試合会場(リング)へと───

 

「フィーベル」

「なに? アルベルトさん」

「期待している」

 

 短い一言。

 

 フィーベルはそれに、見たことがないような笑顔を浮かべて。

 

 

「───任せて。期待以上の活躍、見せてあげるから」

 

 

 ずいぶんと頼もしい宣言をぶち上げて、今。

 二組最強が、決戦の舞台に立つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───時はグレンとアルベルトによる作戦会議まで遡る。

 

「セリカは、女王陛下の前まで来いと言った」

 

 それがこの事態を解決する鍵であることは間違いない、とグレンは言う。

 

「根拠は?」

「あいつは意地悪はするけど、噓はつかねえ。こんな事態だってんならなおさらだ。だったら、俺が女王陛下の前に行けばなにかが起こることは間違いない」

「……わかった。信じよう」

 

 アルベルトが、短く返して首肯する。

 

「だが、実際何故王室親衛隊が動いたのかは謎のままだ。ルミア嬢───噂の『廃棄王女』の存在を知り、暴走したという線もなくはないが……」

「わざわざ女王陛下がいるところで、不敬罪を犯してまでする必要があるとは思えねえ。なにかがあるんだ、今回の事件には」

 

 王室親衛隊は、文字通り王室関係者を命懸けで守護する精鋭部隊。帝国の中枢を担う王室を護るその実力はもちろん、王室───とりわけ女王陛下への忠誠心に篤いことで知られている。

 そんな彼らが、女王陛下に対して強硬手段に出た。不敬罪として処分される危険を冒してまで。そこには必ず、今回の事件の裏が隠されているはずなのだ。

 

「けど、わからねえ……なんで俺が行けば解決するんだ? 大抵のことなら、セリカが自分でなんとかできるはず……なのになんで、ヘッポコ三流魔術師の俺なのか……」

 

 言っていてダメージを受けたらしい。途中からグレンの声が尻すぼみになる。

 唸っていても解決しないことは確かだ。だが、ある程度予測と対策を立てて行かねばいざというときの判断が困難なことも事実。

 

 せめて、王室親衛隊の暴走の理由───あるいは、セリカがグレンを求める理由さえわかれば───

 

「……よくわかんねーけど。セリカ……アルフォネア教授が、グレン先生が来れば解決するって言ったんでしたっけ?」

 

 焦燥の中、一同を支配した沈黙を打ち破ったのは、意外なことに『することがないから』とリィエルと地面に絵を描いて遊んでいたアシュリーだった。

 

「ん? ああ……正確には、『お前だけが、この事態をなんとかできる』だったか」

「ふーん……てことは、なんかあるんじゃないんですか?」

 

 木の枝をピッ、とグレンに向け、アシュリーは言う。

 

「アルフォネア教授にできなくて、グレン先生に……いや、()()()()()()()()()()()()()()ってのが」

 

 ───それはその通りだ。

 

 グレンを名指しで求める以上、セリカはグレンにできるなにかを、あるいはグレンという存在そのものを求めている。

 だが、大陸最高峰と名高い第七階梯(セリカ)にできなくてグレン(三流魔術師)にできることなどと言われても、そんなものは思いつかない。セリカが魔術に関しては文字通りの化け物であり、天才であり、なんでもありの万能だということは、ともに過ごしてきたグレンが一番良く知って───

 

「───いや」

 

 不意に、グレンの脳裏を閃きが走った。

 

 あるじゃないか。セリカでは再現不可能な、グレンにしかできないことが。

 

「なるほど……そういうことか! だからセリカじゃダメなんだ、()()()()()()()()()()()()()()()から!!」

「なに? どういうことだ、説明しろグレン」

「単純な話だ。今も昔も、俺にしかできないことって言ったらこれしかねえ」

 

 言って、グレンが取り出したものは───愚者のアルカナ。

 グレンの固有魔術(オリジナル)、【愚者の世界】を発動するための───

 

「早い話、セリカは俺になんらかの魔術の発動を阻害させたいんだ。なにかが起きた後ならセリカがいればなんとでもなる。だが、手出ししてはいけない───()()()()()()()()()()()()()()()()場合、セリカは役に立たねえ。あいつの得意分野は殲滅だからな」

 

 そして、グレンはそういったものによく使われる術式を知っている。

 手出ししてはいけないが、魔術の起動さえ阻害すれば問題のないモノ。

 つい最近、生徒にも教えた───

 

「───()()()()()

 

 条件起動式とは、魔術の発動に『○○をしたら××する』という条件をつけるものだ。

 その昔、暗殺などに用いられたこの条件起動式は、条件を満たした時点で問答無用で効果を発揮するために防ぐことが非常に難しい。

 

 だが、条件起動式で起動するものも所詮は魔術。

 【愚者の世界】であれば、魔術の起動工程……五つある内の四段階目、実際に魔術を動かす魔術起動(スタートアップ)を封殺することができる。【愚者の世界】は、世界の変化を許さない。それがたとえ意思のない単なる魔導器によるものであってもだ。

 

「条件起動式っていやあ、呪殺具につきものの悪名高い術式だ。で、王室親衛隊が必死こいてルミアを狙ってる……問題はなぜルミアを狙うかじゃなく、王室親衛隊がそこまでして動かなければならなかったのか……」

「……そうか。王室親衛隊の役割は女王陛下の護衛。当然、女王陛下の命はすべてに優先される───自分たちの命と誇りよりも」

 

 否、誇りにかけて、誇りを汚してでも動かねばならなかった。

 

「つまり、今回の事件は……大胆なことに、女王陛下を人質にとったルミア抹殺計画ってワケだ!」

 

 確証はない。少々突飛な発想と言われても仕方がない。だが、そう考えれば辻褄が合うし───なにより、グレンの直感が『これが正解だ』と囁いている。

 すべてが逆。王室親衛隊はルミアを殺すことそのものが目的だったのではなく、敬愛する女王を救う手段としてルミアの命を狙ったのだ。そして真犯人は、その忠誠心を利用して今回の事件を企てた。

 

「そうなりゃ話は早え。さっさと女王陛下のところに馳せ参じて、俺がコレ(【愚者の世界】)を起動すれば全部解決だ」

「しかしどうやって女王陛下の許へ往く心算(つもり)だ。周囲は王室親衛隊が固めている。本当に女王陛下が条件起動式による呪殺具に縛られているならば、意思の疎通は危険を避けるという意味でも難しいぞ」

 

 そう、一番の問題は解決していない。即ち、肝心の『どうやって女王陛下の元へグレンを連れていくのか』、が未だに不明瞭なのだ。

 

「……いいや、問題ねえよ。幸い、今日は魔術競技祭。それも前代未聞の、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()っつーこれ以上ないチャンスだ」

 

 そして王室親衛隊は、女王陛下が優勝クラスの講師と代表生徒を表彰するときだけは一切の手出しができない。

 自分たちの名誉が汚されることは許容できても、女王の威信が汚されることはあってはならないからだ。

 

「では、お前は───」

「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。あのゼーロスと王室親衛隊を出し抜くにはそれしかねえ」

 

 それが、グレンの考えた『作戦』。

 行く末によっては帝国の未来を左右する、ルミアを救う唯一の方法だった。




セリカ「私のヒントも役に立っただろ?」


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9.打ち上げ? いいえ、残業です。

前回から分割したものなので、すこぶる短いです。4000文字ちょっとしかない。
次話からストックがなくなるので定期投稿は難しくなると思われます。


 ───セリカが、遮音結界を起動する。

 

 内側には、結界を起動したセリカ。そしてアルベルトとリィエル───否、【セルフ・イリュージョン】による変身を解いたグレンとルミア、そして帝国女王アリシア七世、英雄ゼーロスのみが残された。

 

「さあ、馬鹿騒ぎは終いにしようぜオッサン。あんたの忠義も陛下の意志も、俺はよ~っく理解してるからよ」

「戯言を……そこを退け、魔術講師! 時間がない、時間がないのだ……! わしのことなどどうでも良い、だが陛下だけは……ルミア=ティンジェル、貴殿だけはッ!!」

「だから、その必要はもうないんだよ───な、陛下」

 

 それまでずっと俯いていたアリシアが顔を上げる。グレンの手には一枚のアルカナ。それが意味するところは、アリシア自身が良くわかっていた。

 涙に濡れた顔で、ああ、と吐息をこぼす。

 

「セリカ。貴女の言う通りでした───」

 

 ちゃり、と。

 

 アリシアの首から、忌まわしい翠玉が離れて地面に転がる。

 

「ええ、いつもそうだった。グレンという魔術師は、そういう子でした……」

 

 ───ゼーロスが、地面に膝をつく。

 

 それを、アリシアは慰めるように微笑んで。

 

「ゼーロス。もう大丈夫。私はこの通り、なんともありません。だから、顔を上げて……ね?」

「陛下……おお、陛下……!」

「ほら、まだ仕事は残っていますよ。民に、この一件を伝えなければ……最後まで、私を守ってくださいますか? ゼーロス」

「───はっ。我が身命を賭して、必ずや」

 

 それを、グレンは横から眺めつつ、やれやれと息をついた。

 

「……ハッピーエンドはいいけど、この後始末、どうすんだろうな……」

 

 結界の外では、締め出された親衛隊の面々や事情を知らない人間たちが騒いでいる。これを収めるのは苦労しそうだ。だが、それもなんの憂いもなくなったアリシアがなんとかするだろう。

 

 もう母娘を隔てる誤解も、壁もない。黒幕だけは判明していないが、それは他の誰かが突き止めるだろう。

 

 こうして、魔術競技祭を巡る陰謀は幕を閉じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 俺たちが蚊帳の外になっている間に、事件は解決したらしい。

 

 決勝に語るべきところはなかった。勝つべくして勝ったというか、確かに接戦ではあったけどフィーベルが勝った。そして決勝の勝敗と同時に決定する二組の総合優勝。

 『全員で出場』という、勝負を捨てたとしか思えない方法を採ったグレン先生の率いる二組が優勝した途端、やはり贔屓気味の実況が大興奮、賭けに負けたハーレイ先生大絶叫。全員でフィーベルを胴上げし、ついでにグレン先生がいないことにちょっとしんみりしたりもして。

 

 そして優勝クラスを表彰する段階になって、女王陛下の前にアルベルトさんとレイフォードが二組の代表として立った。そして変身を解除し───その正体、グレン先生とティンジェルの姿が現れた瞬間、突如女王陛下の周りに張られた結界に周囲はなにごとじゃー、と慌てふためいていたのだが、結界が消えた後に女王陛下に危機が迫っていたこと、それを勇敢な魔術講師と学院生徒が解決したこと。それを女王陛下自ら説明すると、騒いでいた奴らは沈静化。ついでに外で騒いでいた王室親衛隊も沈静化。

 

 二組は改めて女王陛下から勲章を賜り、そのお祝いとしてとある飲食店を貸し切りにして打ち上げをやることになった。

 

「よーしお前ら、よくやった! 今日は俺の奢りだ、好きに食え……あ? 事情聴取? 緊急会議!? なんだって俺がそんなもんに参加せにゃ……はいはいそうですよ、バリッバリの関係者ですよ!! くそっ、しょーがねえ、お前ら先行ってろ! 食いすぎるんじゃねえぞ、俺の金なんだからな!!」

 

 と言って功労者のグレン先生は退場。渦中にいたティンジェルもそれについていった。

 

 仕方がないので、グレン先生を胴上げするのは諦めよう……そんな雰囲気を吹き飛ばすように、カッシュが今回の件のお祝いとして件の打ち上げを提案したのだ。

 

「めっちゃメシがうめぇところがあってさ。せっかくグレン先生が出してくれるっていうし、みんなでパーッといこうぜ!?」

 

 ───それが三十分前の話。

 

 そして何故かその賑やかな打ち上げパーティーの最中。

 やったー、これで今日は人のメシが食い放題だー、と喜んでいた俺はというと。

 

「アッシュ! 三番テーブルからデミハンバーグ追加!」

了解(ラジャ)! 店長、さっきの注文三つ上がりました!」

「ありがとう! はいこれ運んで! 休んでる暇はないぞ、久しぶりの書き入れ時だ!!」

 

 嬉しそうに言う店長。上がっていく店内の熱気。

 そして、一応同じ参加者のはずの俺は、何故か延々と厨房で注文を捌いていた───!

 

「くそっ、なんで俺が!」

「ヴィルセルトくん! 手を休めない、どんどんいこう!」

りょーかいぃ(なんでさ)!!」

 

 こういうとき、店長は一切容赦がない。休日出勤させられた俺の気持ちを考えてほしい。ただでさえ今日は色々とあって疲れたというのに!

 

「大丈夫大丈夫、もう少ししたら波も落ち着くだろうから。そうしたら上がってくれて構わないよ。安心してくれ、休日出勤のボーナスも弾むから」

「まあ、それなら……って、そんなことなら最初っから俺抜きで厨房回してくださいよ!」

「ははは、無理無理。ヴィルセルトくん手際いいからねー、こういうときはこき使わないと」

「俺の人権は!?」

「お給料ならあるよ」

「ちくしょう、ありがたく頂戴します!!」

 

 うわー、となんだかこみ上げてくる涙を拭う暇もなくハンバーグを成形してヤケクソのように手のひらに叩きつける。泣いてないもんね、玉ねぎが目にしみただけだしっ。

 

「おいアッシュー、デミグラスハンバーグ遅いぞー。まだかよー」

「ええい、黙れこの大食らい(馬鹿カッシュ)! 注文してからまだ数分しか経ってねえだろ、座ってろ!!」

「おーいアッシュー。こっちのステーキ盛り合わせおかわりー」

「あ、こっちのムニエルもー!」

「てめぇらよりにもよってメインディッシュばっか平らげやがって……!! 野菜も食え、野菜も!!」

 

 勢いのままに整えたハンバーグをフライパンで焼き上げ、その間に少しずつ他の料理の支度をする。一応俺以外の厨房担当もいることにはいるが、みんなそれぞれの仕事で手一杯だ。

 

「ねえアッシュ、これって飲んでも良いやつ?」

「飲み物はあっちのオッサンに言え! あとうちにあるやつは基本商品だ、飲んだら飲んだだけグレン先生に請求がいくってことだけは覚えておけよ!」

「わかった。じゃ、適当に……えーと、すみませーん!」

 

 俺がなんとかハンバーグを完成させている間にも、宴会は盛り上がっていく。

 魚に肉と、とにかく育ち盛りどもは遠慮がない。なんでこんな日にメシを作らねばならんのか。

 

「はー……あ、お疲れヴィルセルトくん。あがっていいよ。ここまでくれば、あとはこっちの面々だけで回せるからね」

 

 そう店長から言われるまで、結局俺は働き通しなのであった。

 ようやく開放され、エプロンを外して空いたテーブルの上に放り投げる。仕事着は大事に扱えと口を酸っぱくして言われているが、この混雑だ。今日くらいは許されるだろう。

 

「あー、くそ……みんな好き放題食い散らかしやがって」

 

 宴会場のテーブルには様々な料理が並べられている。半分くらいは俺が作ったものだ。改めて、作らされていた量の多さにげんなりする。

 

「なーんで打ち上げで、手前で作ったメシを食わにゃならんのだ……」

 

 皿の上に多く余っているものから選んで口に運んでいく。

 ……自分のメシだ。それ以上でもそれ以下でもない。自分で作るメシというのはうまい・まずいとかいう領域を完全にオーバーフローしたなにかである。いわばただの物体X。自炊というのは究極的に、栄養補給の作業でしかない。

 

 俺に散々作らせといて、肝心の野郎どもはすっかりテンション上がって食事から別の方向へとシフトしている。要するにデザート、ドリンクをお供にした思い出話のターンだ。デザートは俺も作れるが、さすがに店長が哀れんだのだろう。厨房では別の料理人がせわしなく働いていた。

 やってらんねー、と机の上に放置されていた瓶を手に取り、コップに注いだ。まだまだデザートを腹に入れるような気分になんてなれないし、メインディッシュばかり作らされたせいで近くにあるものは軒並み俺のメシだった。自分の手が入っていないものなんてこのジュースくらい。せめてこれくらいはいいじゃないか、なあ? と誰にともなく言い聞かせて一気飲みする。甘い芳醇な香りの後に、独特な苦みが舌を刺した。

 

「……ん?」

 

 待て、これジュースだと思ったけど違うな?

 

 ふと気になってラベルを見る。刻まれた銘は『リュ=サフィーレ』。なんのことはない、ただの高級ワインである。

 

「……誰だ、ンなもん頼んだやつ」

 

 よくよく見れば、同じボトルがあっちこっちに転がっている。明らかに値段を度外視した注文の仕方だ。これを全部一人で飲み干したのだとすれば、その犯人は確実に酔っている。

 

「ったく、誰だよこれ開けたやつ。在庫あんまねえんだぞ、いい加減に───」

 

 と、俺が席を立ったそのときである。

 

「あ~っしゅ~~~」

 

 妙に甘ったるい猫なで声───否、むしろ仔猫の鳴き声を思わせる声が俺の名前を呼んだ。

 ていうか、噓だろ。聞き覚えがあるなんてもんじゃないぞ、この声!?

 

「おい、フィーベ」

「あ~、いたあ! も~、どこいってたのよお。おそいっ」

「お前らがバカスカメシ頼むからだろ……って酒くさっ」

 

 一体何本開けたのか、フィーベルは完全にできあがっていた。片手には未開封のリュ=サフィーレの瓶。こいつが犯人か、と悟ると同時、ひったくるようにして瓶を回収した。

 

「あ~ん、かえしてぇ!」

「バッカお前、これがいくらすると思ってんだ! というか水飲め、水!」

「ひょれぇ、すごーくあまくておいひいのー……なんかふわふわするしぃ」

「そりゃ酒だからな! いいから水飲めってのこののんべえ!!」

 

 水の入ったコップを無理やり握らせる。

 これ以上散財されてはグレン先生の給料がまたドン底まで落ちこんでしまう。そうなればまた夕飯をたかられるのは必至。なんとしても阻止せねばならん……!!

 幸い、開けた瓶の数と注文された料理から察するに特別賞与+αが飛ぶだけで済むはずだ。ギャンブルでまたスッたりしない限りは、だが。

 

「も~、ひぇんひぇーもあっしゅも、なあんにもいってくれらいんらもん……れもぉ、らんかあるんらろっておもっひぇ、きかなかったの……えらい?」

「あー、えらいえらい。めっちゃ助かった。だからあとはグレン先生に褒めてもらえ」

 

 未だ姿の見えない担任にすべてを丸投げし、没収した瓶を開ける。どうせ注文してしまっているのだ、この一本くらいは構うまい。

 しかしその間にも、酔っ払いがなーなー言いながら絡み付いてくるので飲みにくいったらありゃしねえ。

 

「……フィーベル、くっつくな。しなだれかかるな。ティンジェルが見たら泣くぞ」

「えぇー……らって、ふたりともこないんらもん……」

「俺は代わりかよ」

 

 酒はあまり嗜まないのだが、アルコール特有の苦みはなんというかクセになりそうだ。素直にうまいとは思えないが、悪くはない。

 いい加減にひっぺがさなくては面倒なことになりそうだ、と酔いの回ってきた頭でぼんやり考えていると、店の入り口から来客を告げる鐘の音が聞こえた。ここで新しく来る人間なんて決まりきっている。

 

「あーーーッ!? お前ら、なにどんちゃん騒ぎしてんだよ!! 控えめにしろっつっただろーがッ!!」

「あ、グレン先生。お疲れ様です!」

「システィ!? うわぁ、真っ赤……酔っぱらっちゃったんだね……」

「よ。お疲れさん、二人とも。早速だけどこの飲んだくれをどーにかしてくれ」

 

 途中で合流したティンジェルにフィーベルをパス。予想出費額に震えるグレン先生にワインボトルをパス。俺は自分のメシを胃に流し込む作業をリスタート。

 

「ま、俺もこれからメシなんで。食いましょ。味は俺が保証します」

「……お前、もしかして今日も働かされ……いや、食うわ。ヤケ酒だ、付き合ってくれアッシュ」

「喜んで」

 

 コップとコップを合わせて乾杯の合図。

 男二人の晩餐会(周りは騒がしいが)も良いだろう。どうせ後片付けにも駆り出されるのだろうし、グレン先生の気が済むまで付き合おう。

 

 ───そうして、あっという間に夜は更けていく。

 

 狂騒は静寂へ。非日常は日常へとそれぞれ戻る。

 この一日が終われば、明日からはまた元通りの毎日が始まるのだ───

 

「……ああ、疲れた(楽しかった)な」

 

 窓から夜空を見上げてつぶやく。

 

 水の入ったグラスには、不気味なほどに白い月が映っていた。




店長
穏和かつホワイト経営者だが時折笑顔で強引かつブラックを疑う働かせ方をする。アフターサービスはする。

なお後片付けにも予想通り駆り出された模様。ボーナスはめっちゃもらった。


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10.増える脳筋と講師のストレス

9話目が短かったので連投。
みんな大好きな水着回のある第三巻に突入だ!


「は、ぁ───」

 

 火照った吐息が、冷え込んだ空気に溶けていく。

 まだ夜が明けてからそう時間の経っていない早朝だからだろうか。人気のない公園には冷気が立ち込め、まだ薄い陽光を透かしている。

 

 汗に濡れ、熱を帯びた身体は朝靄に触れるたびに昂った体温を冷ましていく。

 

「せんせ……も、だめ……おかしくなっちゃう……」

 

 そんな朝の訪れを感じさせるどこか幻想的な光景の中、どこか艶っぽいフィーベルの声が響く。

 それに、本日の講師───グレン先生は、薄く笑って───

 

「はい白猫。打ち込みあと3セット。キリキリ動けー」

「む、むりぃ……! 先に関節がおかしくなっちゃいますぅ……!!」

 

 ───はて、俺は一体なにを見せられているのか?

 

 ひたすらにグレン先生と組手をしつつ、俺は一人こうなった経緯を思い返していた。

 

 

 

 始まりは単純なもの。魔術競技祭から数日が経過した頃、ふと帝国式軍隊格闘術───昔謎のオッサンことバーナードの爺さんが俺に仕込んだそれをグレン先生も使えるという話から発展したのがすべての発端だ。

 なんだかんだあって師匠からは中途半端なところまでしか教えてもらっておらず、『鍛錬を欠かさぬように』という言いつけに従って毎日自分なりに身体は鍛えてはいるものの、独学ではどうも技術を磨く機会には恵まれないこと───を告げると、

 

「じゃ、俺と組手でもしてみるか?」

 

 俺もだいぶ鈍ってるし、というグレン先生は、ちょうど練習相手が欲しかったのだとかなんとか。

 胸を貸りるつもりでいらっしゃーい、と手招きをするグレン先生。が、そこになぜか俺ではなくフィーベルまでもが加わり、「私も鍛えてください」という話になり。

 

「それなら、明日から朝五時に集合な」

 

 と、あれよあれよという間に秘密の特訓の開催が決まり、今に至る───いや、なんでだ。流れがハイスピード特急すぎる。

 

 百歩譲って開催自体は良いとしても、俺はともかくなぜ魔術戦の指導を願い出たフィーベルが拳を振るっているのか?

 

「よそ見とは余裕だな」

「うぉ」

 

 頬を掠めてグレン先生のパンチが飛んでいく。

 今のグレン先生はタンクトップに動きやすいズボン一枚という格好で、そうなるとその肉体がいかに鍛え上げられたものなのかがよくわかる。

 一言で言うと細マッチョ。必要な場所に必要な分だけ。理想的な肉のつき方をした身体を晒したグレン先生は、ついでにその拳闘の腕前もこっちに見せつけてきた。

 

 グレン先生曰く、帝国軍にいる自分の師匠はこんなもんじゃないと言うが、誰なんだそれ。グレン先生より上とかそれただのバケモンじゃねーの。

 

「……というか、バケモンはお前だろ。見ろよあの惨状を。現実から目を逸らすな」

 

 グレン先生が指さすのは、さっきまで訓練用の木像があった場所。

 そこには現在、バッキバキに割れた木の破片が転がっている。……はい、そうです。俺が犯人です。ついでに言うとこれをぶっ壊したせいでフィーベルは延々基本的な動きの練習と素の身体能力を向上させるためのトレーニングをしています、はい……。

 

「いやー、あれはその……加減をミスったというか……」

 

 なんのことはない。全力で打ち込んでみろ、とかグレン先生が言うもんだからリジル/フロッティ───あの短剣をぶん殴るときと同じ感覚で木の像を殴ったら、力を込めすぎたのか爆散したのである。ショッギョムッジョ。

 

「俺がそこそこ本気で打ち込んでも壊れない的だぞ? どんだけ力込めて殴ったらそうなるんだよ、この脳筋2号」

「面目ない……」

 

 これに関してばかりは言い返せない。

 というか魔力放出も併用したらもっとカッ飛ぶとかとてもじゃないけど言えない。まあ、魔力消費が重いんで滅多に使えないけども。

 

「ったく……まあ、そんだけ力があるんなら武器がなくてもある程度はいけんだろ。最悪、リィエルとも打ち合えるんじゃねーか?」

「リィエル……ああ、あのときの」

 

 思い浮かべるのは魔術競技祭の折にガチでこっちをぶっ殺しにきた少女。

 実際に刃を合わせる前に終わったからなんとも言えないけど、確かにあのときの路地裏の惨状からして俺と素で殴り合えるポテンシャルがあることは間違いない。しかし、ならばお前はあの少女に勝てるのかと聞かれれば……かなり厳しいと言わざるを得ない。

 

 半ば直感だが、あの少女───レイフォードは、勘で最適な行動を叩き込んでくる天才だ。俺の未熟な技量で勝てるかどうか。なんだったら一撃食らわせられるかどうかも怪しい。こっちはまだまだ発展途上、手探りで修練を積んでいる真っ最中なのだから。

 

 レイフォードが勘で戦車を完璧に操縦しているとするのなら、俺は勢いに任せてただ突貫しているだけ。前進後退ターンと基本的なことはできるが、逆に言うとそれしかできないようなものだ。そのクセ、アクセルの勢いとガソリンだけはやたらとあるときた。

 こんな暴走車両、まともな戦力になりゃしない。これまでのようなひき潰すだけで良い(ゴリ押しでもギリギリなんとかなる)相手ならともかく、テロリスト───天……て……て、天のエビ研究会? だっけ? と戦うことになるのなら、もっと戦う術を磨いておかねばならないだろう。

 

 ティンジェルを守るため、というと語弊があるが、これも俺の愛する日常を守るため。

 そんなわけでもう一本グレン先生と打ち合うことにした。わんすもあちゃれんじ。フィーベルは基礎訓練だけでくたばってるのでその分俺がグレン先生を借りるとしよう。

 

「ふっ、いいぜ。かかってこいこのヒヨッコ。格の違いってもんを教えてやあっぶねぇ!!」

 

 ……ちっ、外したか。

 

「お前今本気で打ったよな!? ボヒュッって音したぞ、ボヒュッって!!」

「いやあ……なんか、つい」

「ついでこっちのハツ狙って全力で打ってるんじゃねえよ!!」

 

 と言いつつグレン先生はあっさりと俺の背後を取ってギリギリと俺の首を締めあげていたりするのであった。さすが先生、まだまだ先は遠いようデス。

 ところでいつになったら俺は開放されるんでしょうか?

 そろそろ意識が薄れて……あっ、なんか、急に……眠く───

 

「寝んな」

 

 ぽかぽか陽気に誘われ、こっくりと舟をこいでいた俺の頭をグレン先生が容赦なくひっぱたく。

 

 そんな感じで、ここ最近増えた日課───グレン先生との秘密の特訓は、今日も俺の大負けで幕を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三人の『秘密の特訓』を終えて家に帰って、一旦汗を流し、制服に着替えて何食わぬ顔で通学路へ。

 

 気が向いた時間に家を出ていた一昔前の俺とは違って、今は朝に拳闘訓練が入ったこともあり支度を終わらせたらさっさと学校に行ってしまうようになっていた。

 昔のもう少しグータラした生活が懐かしいが、これはこれで悪くない。

 一言で言えば『健康的』な生活に、ちょっとした充足感を覚えているのは事実だ。問題は、ますます暇がなくなったくらいだが……バイト、減らそうかな。そろそろ金も貯まってきたし、ちょっとくらいなら休んでも……いや、店長にバイトの減量を打診したことは前にもあるが、あれこれと言いくるめられて結局できた試しがない。

 

 まあいいか。今のところなにか問題があるわけでもなし。

 店長も、本当に必要だと思ったときはむしろ自分から休みを入れるように言ってくるし。

 

 と、十字路で朝に別れたグレン先生とフィーベル、そしてティンジェルの姿を発見。

 

「おはよう、フィーベル、ティンジェル……と、グレン先生」

 

 簡素な挨拶に同じく簡素な返答を交わす。毎日顔を合わせるのだから、冗長な文章は必要ない。

 グレン先生の方も自堕落な生活は送れなくなってきているのか、俺の姿を認めるといかにも眠そうな顔で「ハヨ」と挨拶を返してきた。

 

 ティンジェルが天のナントカ研究会に執拗なまでに狙われていると知ったグレン先生は直々にティンジェルを護衛することに決めたらしく、今までは授業開始前に来ていただけだったのがフィーベルたちと登校するようになっていた。

 もちろん、『教師の過干渉だ!』とやっかむ生徒は多い。そこに『ティンジェルはモテる』という事実をプラスするとあら不思議、グレン先生は二組などの一部生徒を除いた男子からひがまれることに……!

 

 だが当のグレン先生はそんなもんおら知らねーだとでも言うように綺麗さっぱり無視。結局、こうして四人での登校は毎朝の定番となったのである。

 

「じゃあ、今日も……よろしくお願いします、先生」

「は? 俺の朝散歩の時間がたまたま被ってるだけだっつーの。礼を言われる筋合いはねえよ」

 

 ティンジェルの感謝の言葉にも素っ気ないグレン先生。仕方ないね、グレン先生はツンデレだから……。

 

 ───と、そんな風に俺たちが和やかな朝のひと時を過ごしていた、そんなときだ。

 

 遠くに、鮮やかな青色が立っていた。

 その青色は不意にしゃがみ込むと、地面に手をついたと見えるや否や、なんかどこかで見た覚えのある巨大な金属塊を手に突進してくる。

 

「……。おやー?」

 

 とぼけたつぶやきが大気に溶ける頃には、彼我の距離は一瞬で縮まっていた。

 風を文字通り斬りながら迫った少女が、グレン先生へとその凶器を振り下ろす。間一髪、グレン先生は大剣の腹の表裏を両手で挟み込む……まあ、俗に言う真剣白刃取りで難を逃れていたが、少女は剣を離さない。ぶらぶらと剣の柄を握ったまま振り子のように揺れている。

 

 この場合、バカデカい剣に加えて小柄な少女まで捕まえたまま空中にぶらさげているグレン先生がすごいのか、意地でも剣を離さない青色がすごいのか。

 

 というか、なんか見覚えあんなと思ったらこいつあれか。レイフォードか。あまりにも事態が急で飲み込めなかったよ。

 

「……ん。久しぶり、グレン」

「久しぶり、じゃねえわこの猪野郎───ッ!?」

 

 グレン先生の手元から剣が吹っ飛ぶ。さすがのレイフォードも剣を手放す。グレン先生がレイフォードのこめかみを万力のごとく締め上げる。レイフォードがまた宙ぶらりんになって左右に揺れる。

 

「いたい」

「このバカ、もうほんとバカ、とにかくおバカッ!! 俺を殺す気かってーの!?」

「アルベルトが、久しぶりに会う戦友にする挨拶はこうだって」

「あの野郎、さては俺のこと嫌いだな!? つーか別に久しぶりでもねえし!! ちょっと前に会っただろうがよ!?」

 

 ぐりぐり、ぶらぶら。

 

 グレン先生は一切手を緩めず、レイフォードは無表情に揺られている。

 

「……あー、もしもし? お二人さん?」

 

 コントのような光景だが、さすがにそろそろ口を挟まねばなるまい。

 周りの方も、なにごとかとこっちをじろじろ見ていることだし。これ以上グレン先生にヘイト、というか面倒くさい類の関心が向く前に事態をどうにか収束せねば。

 

「よう、久しぶりだなレイフォード。元気してたか?」

 

 フィーベルとティンジェルは急展開についていけていないのかポカーンと二人で突っ立っているため、仕方なく声をかける。

 そこでようやくグレン先生もこんなことをしている場合ではないと悟ったのだろう。ぶらぶらさせていたレイフォードを地面に降ろすと、シメとばかりに額を小突いた。むう、と小さくつぶやきをこぼしたレイフォードは無表情でこちらに向き直り───

 

「……誰だっけ?」

「忘れられてる!? 俺だよ、アシュリー=ヴィルセルトだよ!? その節(魔術競技祭)は大変お世話になりました!!」

「……ん。覚えてない」

「マジで!?」

 

 あれからまだひと月経ってないぞ!?

 

「あ、思い出した」

「お、おう、それならよかっ」

「わたしとグレンの邪魔した人。……斬る?」

「なんでだよ、愛と平和をもっと尊ぼうよ! あと、あれは不可抗力であってだな」

「ん……斬っちゃダメ……もう邪魔しない?」

「え……そ、それは」

 

 それはつまり、グレン先生とこの剛腕少女が斬り結ぶのを黙って見ていろと言うことで───

 

「すまん、ちょっと保証はできない」

「…………」

「バカッ! そこは嘘でも『誠心誠意努力させていただきますリィエルさま』って平伏するところだろ!?」

「あんたじゃないんだしそんなこと言いませんが!?」

 

 いやだって。グレン先生とレイフォードの間にどんな因縁があるのかは知らないが、この前みたいに襲われているのを見たら助けざるを得ないというか。

 無論、グレン先生が俺の助力など必要としないほど戦い慣れしていることは知っている。なんせ元、ではあるらしいが本職の軍人だ。ちょっと鍛えただけの俺では足手纏いにしか成り得まい。テロリスト襲撃事件のときは運が良かっただけ。一対一で、こっちは攻撃を捌くことに専念していれば良かったからできたことだ。

 

 ……だからこそ、今朝のような訓練に繋がるのだが。

 これからもティンジェルを狙って天……天の……て、天ぷら同好会が襲ってくるなら、その周囲にいる事情を知る者が戦力を得ておくのは決してマイナスにはならないはずだ。

 

「……いや、脱線した。で、率直に言うけど、なんでレイフォードがここにいるんだ?」

 

 確か、レイフォードはかつてのグレン先生の同僚───現役の軍人だったはずだ。

 それが、どうしてこんなところにいるのか。しかもご丁寧にうちの制服まで着て───

 

「あー、それは俺から説明しよう」

 

 と、ここで口を挟んだのはグレン先生。どうやら先生は事情を知っているようだ。

 まさか、あの一騎当千の白兵能力を持つレイフォードがあの一件からそう経っていないのにクビにされる、なんてことはないだろうが、それにしては顔がやけに苦々しい。

 

「こいつ……リィエルは、前にも言ったかもしれんが俺の軍所属の魔導士だった頃の同僚でな。今回、正式に軍でルミアを護衛することが決まって……そのために派遣されてきたのが、このがっかり惨殺天使リィエルちゃんっつーワケだ」

 

 そこで言葉を区切り、はあ~、とでっかいため息をつく。

 よくわからないが、グレン先生はレイフォードという人選に非常に納得がいっていないようだ。

 

 確かに敵と見たら所かまわず突撃するのは大問題だが、あのたった三節の詠唱で作り上げられる業物と、卓越した戦闘能力。加えて同年代、むしろ多少年下に見えるレイフォードは事前情報がなければただの子どもとして注意は払われないだろうし、護衛としてはこれ以上ないほど適任だと思うのだが。

 

「こんな小さい子が魔導士なんて……すごいなあ。あ、私がルミアです。えっと……これからよろしくお願いしますね?」

 

 朗らかなティンジェルの笑顔と言葉。

 それにレイフォードは、やはり無表情にこくりと頷きを返して───

 

「大丈夫。任せて。グレンはわたしが守るから」

「─────────ん?」

 

 なんか、今。

 致命的に噛み合わない発言を、聞いた、ような。

 

「なんッッッでだよ!? お前ちゃんと任務の概要覚えてんだろうな!? お前が守るのはこのかわい〜いかわい〜い金髪美少女のルミアちゃん!! ルミア=ティンジェルッ!! グレン=レーダスの『グ』の字もねえだろーが!! わかったか!? わかったならハイといえドゥーユーアンダスタンッッ!?」

「……? よくわからないけど、わたしは……るみあ? よりもグレンを守りたい」

「却下だボケェ!! そんな意味不明の要求が通るかッ!! お前それあの超冷血ヒステリック女に言ってこいや、あぁん!?」

「グレン。なんで怒ってるの?」

「一から十までお前のせいじゃ!!!!」

 

 ……すごい。

 

 まさか、無自覚とはいえ『あの』グレン先生を手玉に取れる人間がいたなんて。

 いつもいつもフィーベルが過労死しそうなくらいにボケに走り、ティンジェルにはツンデレを発揮しているあのグレン先生がツッコミに回っている。

 あのグレン先生が……と意味のない強調はここまでにしておこう。グレン先生はなんというか、どこまでも一般人気質とみた。ぶっ飛んだものにはまともな反応を返してしまうタチなんだろう、きっと。実力者はほぼイコールで変人だから、ツワモノ揃いの特務分室とやらではさぞ苦労したに違いない。

 

「はー……はー……と、ともかく……そういうことだから、仲良くしてやってくれ」

「あ、はい」

 

 気付けば、グレン先生はまたレイフォードにヘッドロックをかけていた。叫びまくって疲れているだろうによくやるものだ。

 

 これ、大丈夫か?

 

 誰からともなく顔を見合わせる中、レイフォードの無感情な「いたい」という三文字と、グレン先生の喚き声だけが道にこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───これ、大丈夫か?

 

 数時間前の俺たちが抱いた不安は見事真っ向正面ストレートで的中した。結論から言うとダメだった。全然大丈夫じゃなかった。なんでグレン先生が渋い顔をしていたのかを理解した。

 

「リィエル=レイフォード。帝国軍が一翼、帝国宮廷魔導士団特務分室所属(機密事項)軍階は従騎士長(機密事項)コードネーム(機密事項)は《戦車》。今回の任務(最重要機密事項)は───」

「だあぁぁぁぁあああぁああああぁあぁああああ!! あああああああああああああーーーーーーッッッ!!!!」

 

 なんかとんでもねー暴露をしかけていた……というか実際していたレイフォードのセリフをグレン先生がバッサリカット。教室の外に引きずり出すと、そのまましばらく何事か言い合って……ごめん、訂正します。グレン先生が一方的に言ってるだけだったわ。

 

「すまん、先生。あんたが正しかった……」

 

 とってつけたような自己紹介をするレイフォードの横、遠くからでもわかるほどにピキピキと青筋を立てているグレン先生を見て、俺は密かに心の中で手を合わせた。

 

 ───もしレイフォードが原因で減給されるようなことがあったら、少しくらいは奢ってやろうと決意しながら。



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11.苺タルトもいいが、ショートケーキはどうなのか

魔術適性
グレン先生<=アッシュ<システィ

魔術の腕
リィエル(黒魔術)<<<アッシュ<グレン先生<システィ<リィエル(錬金術)


 レイフォードが来たことで、本日の授業は実践系統……わかりやすく言うと魔術狙撃の実技になった。

 

 ルールも六つの的を【ショック・ボルト】でぶち抜いていくという至極単純でわかりやすいものだ。早々に浮いてしまっているレイフォードが少しでも馴染めるように、という配慮だろう。なんていうかあの子、座学苦手そうだしね。それに実技なら実際にあちこち動き回る関係上、コミュニケーションをとりやすい。なんであの人軍人なんてやってたんだ? 配慮がヤバいぞ。最初から教師やれよ。

 

 それはさておき、実技で授業ということは当然レイフォード以外もちゃんと的あてをしないといけない。もちろん俺もだ。

 はっはっは。───言ってなかったけど、俺めちゃくちゃ魔術狙撃苦手なんだよね。

 

「…………」

「…………」

「…………六分の三。……まあ、十分標準だ。そうしょげんな」

 

 六弾中命中したのは三回。うち一つはギリギリ掠った程度のお情け得点。

 

 いやあ。これはないわぁ。

 

「まあでも俺にはヘッポコ仲間のカッシュがいるしな……」

「おうケンカなら買うぞ。表出ろ」

「ケンカは買うものじゃなくて売るものだから仕方ないよね」

 

 あ、待ってください。違うんです、そんな「俺戦闘狂なんで」みたいな意味で言ったんじゃないんです、だからその目をやめてください。バーサーカーと誤認されるのは非常に心外です。

 

 ちなみにカッシュは全弾外れてた。なんでだ。でもまぐれ当たりが半分くらいを占める俺と違ってちゃんと寄せられてはいたから、将来性はあるんじゃないだろーか。

 そしてそれに続いたギイブルは全弾命中。おお、さすが成績トップクラスととりあえず褒めそやしておいた。

 

「……君は、他人を煽るのが存外に上手いな」

「なんで?」

 

 褒めたじゃん。俺ちゃんと褒めたじゃん。

 確かにちょっとおざなりだったかもしれないけど褒めたじゃん。

 

「……ただの的にいくら中てられたって……実際の戦いで活かせなければ、なんの意味も……クソッ」

 

 なにやらボソボソとつぶやいてご退場するギイブル。なんなんだあいつ。

 俺が『奇跡の復活』とからかわれるようになった辺りからなんか付き合いが悪い気がする。なんぞあやつのプライドに障るよーなことでもしたのだろうか。

 

 ……心当たりがないから放っとくか。

 

「じゃ、次。最後だ。出番だぞ、リィエル」

 

 ギイブルを目で追っている間に、いつの間にかレイフォードの順番がきたらしい。相変わらず眠そうな目で、グレン先生が懇切丁寧に説明し直しているのをぼけっと聞いている。

 

 大丈夫かこれ?

 

 不安に駆られる俺のことなどお構い無く(当然のことだが)、ルールを改めて理解したらしいレイフォードが、満を持してその華奢な手を的が取り付けられた人形へと向けられる。

 現役軍人、しかも聞いた話じゃエースらしいレイフォード。前に会ったときはその圧倒的なパゥワーで敵を叩き潰すしかしなかった彼女の魔術の腕は果たしてどんなものだろうか、気にはなる。

 

 ───がしかし、レイフォードの一発目は綺麗に的を逸れて地面に着弾。

 初歩的な呪文は、人形にすら掠らず霧散した。

 

 大丈夫かこれ?(2回目)

 

 いやわかる。わかるとも。レイフォードの武器はおそらくあの高速錬成と剣技だ。敵を倒すことのみを目的とする場合、それ以外の魔術を使えなくとも問題はまったくない。ないのだ。ないのだが。

 

 ばちーん。ばちーん。

 

 地面にぶつかっては散っていく紫電が五つを数えた頃、ふとレイフォードが首を傾げた。

 それに気付いたらしいグレン先生がレイフォードの相談に乗る。なにごとかをぶつぶつと話し合っていたが、謎は解けたらしい。レイフォードは今までのように手を───地面───に───?

 

「《万象に希う・我が腕手に・十字の剣を》」

 

 あっ。

 

 このときの俺の心情を言葉にするなら、まさしくそんな感じだった。

 

「いぃぃいいいいやあぁあああああああ───ッ!!」

 

 レイフォードの気合いの入った叫びと、()()()()()()()と、六つの的ごと木っ端微塵に砕け散ったゴーレム。

 

 違う、そうじゃない───と指摘する気力もなく、俺はのんびりと晴れ渡る空を見上げた。

 

 ああ、今日も青空が綺麗だなあ、なんて現実から目を背けながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな感じで、グレン先生の配慮をゴーレムと一緒に木っ端微塵に粉砕したレイフォードの二組デビューは終わった。色んな意味で。

 確かに前に会ったときは攻性呪文(アサルト・スペル)を使ってるところは見なかったけども……そういえば、あの後ってアルベルトさんとレイフォードってなにしてたんだろう? 真犯人を追ってたって話だけど……結局、犯人が誰だったのかは聞いていない。協力こそしたけど、ほとんど部外者だったし。仮にも女王陛下が呪われたなんて話、王室に近い奴しかできないだろうしその辺の事情だろうか?

 

 さておき、レイフォードはなんとも派手な顔合わせをしてしまったわけだ。

 護衛って、目立たないようにするのが大原則じゃなかったっけ。もしかして俺が間違ってる? そんなのは素人の考えで現実は違うの? などと思いもしたが、グレン先生が頭を抱えているあたりたぶん俺は間違ってない。

 

「……あっちゃー」

 

 教室の自席で、ゆらゆらと眠そうに頭を揺らしているレイフォード。昼休みだというのに、その周りに人はいない。

 案の定、レイフォードは完全に孤立していた。

 

 その視界にティンジェルが入っているのかどうかさえ定かではない。……アウトでは?

 そっとグレン先生に視線を送ると、『完全にアウト』とでも言いたげに額に手を当てていた。そしてこっちに気付いたのか、グレン先生は顎をしゃくる。

 

 ───行けと!? 俺に!?

 

 いや確かにこのクラスじゃ俺が適任かもしれないけどさぁ!! この雰囲気の中声をかける勇気とかあんまねえよ俺!?

 しかしグレン先生はじっとこちらを睨み付けるよーに見つめている。撤回するつもりはないようだ。なんていうか圧が強い。こう、妹を案じすぎて妙なオーラを纏うに至ったシスコン兄貴みたいな感じがある。

 

 そんな思いを込めてグレン先生を見る。

 

 ───さっさと行け。幸運を祈る。

 

「クソが!!?」

 

 どうやら撤回するつもりはないらしい。それどころかぐっと指を立ててやたら良い笑顔を浮かべている。

 ……人の気も知らないでこいつはよぉ!!

 

「あー、しょうがねえなあもう……」

 

 あそこまで言われては仕方ない。

 席を立ち、レイフォードの方へと歩み寄……る途中、ティンジェルとすれ違った。その後ろにはフィーベルの姿も。どうやら、考えることは同じようだ。苦笑して肩をすくめ、ぼけっとしているレイフォードの肩を叩く。

 

「よ、レイフォード」

「……?」

 

 じろり、とこっちに視線だけを向けるレイフォード。見る人が見れば睨まれているように見えないこともないだろう。実際、フィーベルは後ろで若干怯えているのかどことなく消極的だ。そりゃあんな大破壊を見せられたらそうもなる。

 だが、件の大破壊どころかレイフォードの殺気を間近で受けた俺に隙はない! ……たぶん!!

 

「メシ。行かねえ?」

 

 ちょうど良いセリフが思い浮かばず、端的に言ってくい、と指を食堂の方に向ける。

 しかしそこで再び首を傾げるレイフォード。……まさかイエスでもノーでもなく疑問符が返ってくるとは。

 

「えっと……今、お昼休みだから。リィエルはお昼ごはんどうするのかなって思って」

 

 ここで助け舟を出したのがティンジェルだ。ありがとうティンジェル。早速グレン先生のおつかいを失敗するところであった。

 レイフォードは俺からティンジェルに視線をズラすと、「三日食べなくても平気だから」と返答した。なにかがおかしい。今聞いたのはレイフォードの食料事情ではなく……いや概ね間違ってはいないが、とにかくそういう話ではなかったはずなのだが。

 

 詳しく聞いた話によると、レイフォードは今回食料が支給されなかったので、なにを食べたら良いのかわからなかったとのこと。……軍の支給食料といえば効率最優先で味は度外視……というのが定番だった気がするのだが、と思いグレン先生を窺うと、『マジかよ』と言いたげな顔をしていた。……まずいんだろうなあ。

 

 うむ。しかしそうすると、包丁を握るものの端くれとしてここはレイフォードに『うまい食事』というものを食わせてやりたくなるというもの。

 

「ティンジェルも、昼は大体食堂だしさ。食う食わないは別にしても、場所を知っておくのは良いんじゃないか? その……仕事のためにも」

「……一理ある。……わかった。その、食堂? 教えて」

 

 交渉成立。

 

 レイフォードを伴って、そそくさと学生食堂に向かう。

 

 ……すれ違ったグレン先生が、後からこっそりついてきているのには気付かないふりをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さくさくさくさく……と、食堂の一角に軽やかな音が響く。

 

 音の発生源は、山のように積まれた苺タルト───を次から次へとかじっているリィエルだ。

 

「あはは……気に入ってくれたみたい、かな?」

「ぽいな。……栄養バランス的には、ちょっとどうかと思うけど」

 

 六つ目の苺タルトを食べ終え、七つ目に手を出すリィエルを囲んで二組の三人が苦笑した。

 即ち、リィエルに食事文化を教えようの会メンバーことアシュリー、システィーナ、ルミアの三人組である。

 

 アシュリーは健全な男子学生らしく大盛りの定食を、ルミアはローストビーフにチーズサラダ、小さめのパンにトウモロコシのスープもつけたしっかりした昼食を机に乗せていたが、システィーナだけは紅茶とスコーン二つ、となんとも寂しい食卓であった。

 そして目の前には延々と苺タルトをかじり続けるリィエル。

 

「……う、羨ましい」

 

 システィーナとて好きでこんな寂しい食生活を送っているわけではない。できることならお腹いっぱいに食べたいし、甘いものにもかぶりつきたい。だが女子としてのプライドがそれを許さない。

 なにがとは言わないが、生まれつき代謝が良いらしいルミアと違って、自分はきっと食べ過ぎたら胴周りとか腕周りとか、いらないところについてしまうので。なにがとは言わないが。

 

 それでも、真っ昼間から肉やらなにやらを味わう親友とクラスメイトを見ているのは……ちょっと、つらい。

 

「……フィーベル、それしか食わないのか?」

「そうなの。システィったら、眠くなるのが嫌だからっていつもこれだけなんだよ? どう思う、アッシュ君?」

「どう思うって……うーん」

「……な、なによ」

 

 水を向けられたアシュリーがじろじろとシスティーナとスコーンを見比べる。

 

「野菜くらいはもっと食ってもいいんじゃねえの? 豆とかでもいいけどさ、もう少し食った方がいいと思うぞ? お前、細いんだし」

「……一応、褒め言葉として受け取っておくわ」

「そうかよ。じゃ、褒め言葉ついでにこれも受け取っとけ」

「あ、ちょっと!」

 

 ひょいひょいと、システィーナの皿の上に乗せられるサラダとハム。キッとシスティーナが睨みつけるが、当のアシュリーはどこ吹く風とばかりに残った食事を口に運んでいる。かといって、無理に戻すのもちょっとはしたない。

 

「もう……デリカシーないんだから」

 

 仕方なく、そう仕方なく、乗せられた料理をスプーンに乗せる。

 掛け値なしに美味しそうだった。油断したら、うっかりよだれが垂れてしまいそうだ。

 むむむ、としばらく見るからにジューシーなハムとにらめっこをしていたが、ついに意を決したらしい。スプーンに乗せた料理を丸ごと口に放り込んで咀嚼する。

 

「ここのハム。サラダのドレッシングと合わせると最高にうめえんだよなあ」

 

 スコーン以外のものを食べてしまった幸福感と後悔の狭間で葛藤するシスティーナの斜め前で、素知らぬ顔でアシュリーがシスティーナと同じようにしてサラダとハムをパクついている。ほんのり顔を赤くしたシスティーナの恨みがましい視線を受け流し、いつの間に食べ終えたのか「ごちそうさん」と言って食器を片付けに行ってしまう。

 もう、ともう一度ため息をついて、同じくいつの間にかリィエルの頬についたタルトの食べかすを拭う。妹がいたらこんな感じなのだろうか? 不意にそんなことを考えて、微笑みがこぼれた。

 

「あら。システィーナ」

「ウェンディ。リンも……珍しいわね、食堂に来るなんて。リンはともかく」

「庶民の食事を観察するのも、貴族の責務ですわ」

 

 後ろから声をかけてきたのは、ふふん、とトレーを持ったまま得意気な顔を見せる二組のドジっ娘お嬢様ことウェンディ=ナーブレス。その後ろでは、リンが控えめに会釈などしている。

 

「たまにはこちらを利用するのも良いかと思ったのですが……今日は席が空いていなくて」

「ね。それなら、二人も一緒にどう? 大勢で食べたほうが楽しいし……」

 

 そう言って、ルミアが空いた席を───今まさに、ぼんやりした顔のまま、黙々と苺タルトをかじっているリィエルのそばを指差した。だが、リィエルの姿を認めた途端に二人の反応が鈍くなる。

 まったく気にしていないアシュリーやルミアが異常なのであって、その態度は二組の総意と言っても良かった。『よくわかんないけどゴーレムを粉砕してしまう力を持つおっかないやつ』……それが、今のリィエルへの二組からの評価だった。

 

「おっと、うちのカワイ子ちゃんたちが揃い踏みだ! こりゃお近付きになるチャンスかな?」

「カッシュ君?」

 

 そこにさらにやって来たのは、ウェンディと同じくあまり食堂では見掛けない生徒───クラスのムードメーカーとして名高いカッシュ=ウィンガーだった。

 カッシュはリィエルの隣、アシュリーが少し前まで座っていた席にどっかりと腰を下ろすと、

 

「や、リィエルちゃん! うまそうなもん食ってるな!」

「……?」

 

 さすがに名前を呼ばれれば気付くのか、リィエルがずっと苺タルトに注いでいた視線をゆるゆるとカッシュに向けた。

 だがカッシュはひるむ様子もなく、いつもクラスの仲間に振り撒いている見ていて気持ちの良い爽やかな笑顔を浮かべてみせる。

 

「……ほしいの?」

「いやいや、そりゃリィエルちゃんのデザート……昼飯? え、マジ? ……ま、ともかく別に横取りしようってんじゃねえよ。それより、さっきの授業だよ!」

 

 カッシュがぐいぐい気安く距離を詰めてくるが、リィエルは気を悪くした風でもない。

 

「バリバリーって剣作ってさ、ドカーンってゴーレムをぶっ飛ばしちまっただろ? アレ、どうやったんだ?」

「あ……それは僕も気になるな。剣を投げたのは体術だろうけど、あんな一瞬であれだけ大きな剣を作るなんて……一体どんな錬成式を使ってるの?」

 

 ひょっこりと後ろから口を挟んだのは、二組内外で女顔で通っているセシル=クレイトンだ。魔術競技祭で『魔術狙撃』の競技に出場してからというもの、なにかに目覚めたのか狙撃の成績が急激に伸びた生徒である。今日の授業でも命中率は六分の五と、かなり高い精度を誇る。

 元々気の強い方ではないのだが、いつも通りにリィエルに話しかけるカッシュと延々苺タルトを口に放り込む小動物のようなリィエルの姿に絆されたのだろうか。ほんの少しためらってから、カッシュの隣に腰を落ち着けた。

 

「コツとかあるのか? な、良ければ教えてくれよ!」

「ん……暇なときなら」

「マジで!? やっりぃ、楽しみにしてるぜリィエルちゃん!」

 

 大げさに喜んでみせるカッシュ。それに毒気を抜かれたのだろう、立ち尽くしていたウェンディとリンもおずおずと近くの席に座り、リィエルに話しかける。

 リィエルは積極性こそないものの、受け答え自体は比較的しっかりしている。話のタネさえ見つかれば、会話を続けるのはそう難しいことではなかった。

 

「……ありがとう、カッシュ君」

「いやいや、いいってことよ。新しい仲間がぼっちなのも見てて気分良いわけじゃなかったしな。あ、そうだ。お礼に今度俺とデートってのは───」

「ほっほーう。カッシュ=ウィンガー、お前ずいぶんわかりやすく下心を出しよるな?」

「げえ、アッシュ!?」

 

 どかっ、と無遠慮にカッシュの背中に肘を置いているのはアシュリーだった。片手には締めのデザートなのか、焼きプリンを乗せている。

 

「で、我らがティンジェルのご返答は如何に?」

「ごめんね、カッシュ君」

「玉砕ッ!?」

「あっはっはっは! うちの天使サマはお前にゃキョーミないってよカッシュ!」

「てめ、離れろよ!?」

 

 カッシュが愉快そうに笑うアシュリーを振り払う。ルミアは困ったように微笑んでいた。

 

「……?」

 

 そしてリィエルはやっぱり、交わされる会話の中でぼんやりとした表情のまま苺タルトをかじっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「っはー……」

 

 仕事が一段落したタイミングで、大きく息を吐きだした。

 

 今日はいつにも増して客が多く、厨房に注文に、と大忙しだった。

 

「ふふ……」

 

 それというのも、店の一角に居座る美女のせいだ。

 エレノアさん目当てにやって来ては、注文もせずに居座る男性客のケツをひっぱたいて料理を食わせること数時間。時々入るエレノアさんからの注文を取りに行くこと数回。

 常の数倍は疲れ果てた俺がようやく開放されたのは、バイトの休憩時間に入った夜遅くのことだった。

 

「はあ……エレノアさん、大人気ですね」

「あら、そうですか? この盛況ぶりはひとえにアシュリー様の努力と、このお店の料理が美味なおかげでございましょう」

「……どーも」

 

 なんでか気に入られている。それはわかるが、理由がてんでわからないので素直に賛辞を受け取れない。

 というか、大賑わいなときにしかエレノアさんは来ない───訂正、逆だ。エレノアさんが来るときは大盛況になるので、エレノアさんはこの賑わいぶりが普通だと勘違いしているのだろうか。そんなことはない。

 

 そりゃあ、エレノアさんがいないかどうか見に来て、そのままなんかしら注文して帰ってく客もいることはいる。いるが、そもそもエレノアさんが来るのは二週間に一回程度。それを知っている下心マシマシの野郎どもも二週間に数回しか来やがらない。

 

「あー……そういや、エレノアさん」

「はい? なんでしょう」

「魔術競技祭のとき、フェジテにいました?」

 

 ふと気になっていたことを聞いてみる。あの日、女王陛下のそばにいた使用人は黒髪だった。

 使用人服と黒髪だということだけであれをエレノアさんだと断定するつもりはさらさらないが、もしそうだったら……いや、そうだったらどうしようというのか。

 今までに交わした会話で、エレノアさんは剣術もそれなりの腕だと聞いている。仮に女王陛下の側仕えご本人だったとして、俺の注意喚起なんてそれこそありがた迷惑というものだろう。

 

「───。いえ、私はそのときはフェジテにはおりませんでした」

「そうですか」

 

 じゃ、別人かな。

 

「何故?」

「え? ああ、深い意味はないんですよ。ただ似た人を見かけただけで」

「……そうですか」

 

 なにか気分を害しただろうか。エレノアさんの空気がちょっとだけひりついた。

 が、それも一瞬で消え失せ、次の瞬間にはいつもの柔和な……しかしどこか妖艶な笑みを浮かべるエレノアさんがいた。

 

「ああ、そうですわ。近々、私はフェジテを発つのです」

「へえ……。そりゃ、お仕事で?」

「ええ。私の主からのご命令でして。しばらく……いいえ、もしかしたらもう、このお店には立ち寄れないかもしれません」

「そうなんですか……」

 

 それは……純粋に残念だ。

 お客さんがたくさん来るから、とか美人だから、とかそういう理由を抜きにしても、お得意さんがいなくなるのは寂しいものがある。

 

「私も残念で仕方ありませんが、これも我らが主のため……また会えることを楽しみにしていますわ」

 

 それもそうだ。今生の別れということでもない。縁があれば、また会うこともあるだろう。

 

「ヴィルセルトくん、ちょっといいかい?」

「店長? はい、今行きまーす。……じゃ、エレノアさん。そういうわけなんで」

「行ってらっしゃいませ。しばしの別れですが……不思議ですね」

 

 そこで言葉を区切り、エレノアさんはそっと微笑んでみせる。

 

「私、貴方様にはまたすぐにお会いできる気がいたしますの」

 

 熱っぽく潤んだ瞳。どこか危うげな、触れれば火傷してしまいそうな熱を思わせる上気した頬。

 普通の男なら魅了されてしまうだろうそれから、俺はなぜか嫌な予感がして目を逸らして。

 

「……そうですね。できればまた、お客として」

 

 そんな素っ気ない返事を残して、自分を呼ぶ声に走る。

 

「───ええ。すぐに、お迎えにあがりますわ。アシュリー=ヴィルセルト様」

 

 だから。

 

 いつもの穏やかな微笑とはまるで違う───底冷えするような、狂気を宿した笑みには、終ぞ気が付かなかったのだ。




アルベルトとリィエルに追っかけられた少し後とはいえ、ルミアの護衛で警戒の強まっているフェジテに堂々と出没するエレノアさんマジパネェっす。


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12.お出かけ旅行

評価・感想ありがとうございます。
シグルドさんのスペックを確認する意味も含めて改めて北欧異聞帯とか蒼銀とか読み返してましたが、この竜殺しチートが過ぎるな?
そして今更ながらシグルドさんTSUEEEEEな作品ではないのでご注意を。いやシグルドさんご本人(の戦闘力)が降臨したら一瞬で凡そあらゆる事件が解決してしまうのでな! 決してシグルドさんを『所詮この程度』とかって嘗めているわけではない、ヨ? ……聞かれてないことを主張するのってなんかすごく墓穴掘ってる感覚あるな……。


「あー、リィエルがうちのクラスに入ってから一週間近く経過したわけだが……もうそろそろ『遠征学修』の時期だ」

 

 そんなグレン先生の一言と共に、教室内のざわめきがささやき声に変わる。

 遠征学修───それは二年次生の必修単位の一つであり、クラスごとに各地の魔導研究所を訪問し、その最新技術や研究内容を学ぼうという講義であり───

 

「しっかし、なーにが『遠征学修』だよ? それっぽく言っちゃあいるが、こんなんクラスの皆で遊びに行く『お出かけ旅行』───」

「ちょっと先生! 『遠征学修』はれっきとした学院の開設講座で───」

「わかったわかった、俺が悪うございましたー。いいから座れ、白猫。説明聞かねーんならお前だけ置いてくぞ」

「んなっ」

 

 おーぼーだあ、と力なくつぶやいてフィーベルが大人しく席につく。

 そして、いかにもやる気なさげなグレン先生……これはいつもの光景だが、がぺらぺらと授業の要項が書いているのであろう紙の束をめくり、一つ一つ大雑把に説明をしていく。

 

「───とまあ、こんなとこだ。なんか質問は?」

「ない……けど、白金魔導研究所かあ」

 

 カッシュのちょっと不本意そうな声。どうも別の場所を希望していたらしく、それを皮切りにちらほらと『自分も別の場所がよかった』、という声がそこかしこから上がる。

 しかしここでグレン先生、キラリと目を光らせていつぞやの選手決めのようにダァン! と教壇に足を乗せた。それ後でちゃんと拭いてくださいね。

 

「ククク……甘いなお前ら。白金魔導研究所があるサイネリア島はなにで有名だったか……覚えているか?」

「───はっ!? サイネリア島は、リゾート地と名高い観光スポット……ッ!?」

「そう! さらにサイネリア島は霊脈(レイライン)の影響で一年を通して温暖な気候……つまり、今でも十分海水浴は可能ッ!!」

 

 ここまでくると、クラスの男連中もグレン先生がなにを言わんとしているのかを理解したらしい。

 不満が徐々に期待の眼差しに変わり、グレン先生を中心に熱気が高まっていく。

 

「そしてうちのクラスの女子は……総じて、レベルが高い……! あとはわかるな、野郎ども!!」

「グレン先生……あんたって人は……!」

「漢だ……あんた、マジモンの漢だよ……!」

「ふっ……止せよ。本番はこれからなんだからよ……」

 

 なんかよくわからん求心力を遺憾なく発揮して、一瞬で男子生徒の中心となったグレン先生。それを呆れた顔でしら~っと眺める女子一同。

 

「……海。海かあ」

 

 なんとなく乗り損ねた俺はぽつんとつぶやく。

 海でなにかをしたような思い出はあまりないが、これを機に思いっきり遊んでみるのも良いかもしれないな……。

 

 ……。そういえば俺、水着持ってたっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そんなこんなでやって参りました遠征学修。見渡す限りの海でございます。

 

「そりゃ海の上だもんなあ」

 

 誰にともなくツッコミを入れて、持ってきていた水を飲む。

 

 ここは船の甲板、サイネリア島へ向かう海路の真っ最中。

 馬車に押し込められながら港町のシーホークへ向かったのが一日半前。シーホークに到着したのが二時間前。フィーベルとティンジェルがナンパ師に絡まれるというハプニングに巻き込まれながらも出発したのが一時間前。

 そして現在、先のナンパ師から見事に二人を救ったグレン先生は、船のへりで盛大に船に酔っていた。

 

「おぼぼぼぼ……」

「あーあー……大丈夫ですか、先生」

「リンゴ、持ってきましたよ。船酔いに効くそうですけど……どうですか、先生?」

「……食欲、ねえなあ……おぼぼぼぼ……」

 

 と、さっきからこの調子だ。

 仕方なく、グレン先生はティンジェルに任せて渋い顔をしているフィーベルのもとへ。最近はなんでかこの四人……レイフォードも入れて五人で固まることが多かったから、今回もつい合流してしまったのであった。

 

「サイネリア島ねえ……フィーベルは行ったことはあるのか?」

「ううん、話には聞いてたけど……実際に行ったことはないの。船に乗ったことなら何回かあるんだけど。アッシュは?」

「俺はどっちもないな。滝にぶち込まれたことならあるけど」

「……比較対象としてどうなの、それ?」

「だよなあ」

 

 フィーベルの指摘はごもっともだ。第一に広さが違う。危険度も海の方が数倍高い。

 

「そうじゃないんだけど……じゃあ、フェジテの外に出たことってあるの?」

「フェジテの外もなにも、フェジテに来る前は帝都に住んでたぞ?」

「えっ……そうなの?」

 

 言ってなかったっけ、と聞くと知らなかった、と返ってくる。そのまま会話が途切れ、なんとも気まずい雰囲気が降りる。

 

「えーと……フェジテに来たのって、いつ?」

 

 すぐ近くから断続的に聞こえるグロッキーなグレン先生の断末魔を聞いているのが嫌なのか、途切れたはずの会話を拾ってフィーベル。

 俺も野郎のキラキラ放出音を聞いているのは趣味ではないので(野郎でなくても願い下げだが)、どうだったかなと記憶を探るように顎に手を当てた。

 

 確か……フェジテに来たのは四年前だっけ?

 

「結構最近なのね……」

「おう。色々あって帝都から引っ越してきたんだけど、生活費稼ぐのにバイトしないといけなくってさ」

 

 そして今の店の店長に拉致紛いの勢いで連れ込まれ、『君、うちで働かない?』と言われて、そのままなし崩し的に採用されて今に至る。

 曰く、『運動してて体力がありそうだったから』とのことだが、もう少し方法はなかったんだろうかと今でも思う。

 

「それじゃ、出身は帝都?」

「いや? 帝都の生まれってわけでもないな。七歳ぐらいかな、帝都に住み始めたのは」

 

 バーナードの爺さんの根回しだかなんだかで死んだ両親の遺産を継いで、適当な家に住んで、暇つぶしにと爺さんにしごかれながらも適当に暮らしていた。

 近所……ではなかったのだろうが、どっかから爺さんが連れて来た女の子とも仲良くなったっけ。俺が割といい加減な性格してるから、何度も叱られた記憶がある。

 

「ああ、フィーベルに似てるかもな」

「え……私が? 誰に?」

「幼馴染……って言っていいのかわかんねーけど、昔仲良くしてた女の子。細かくて口うるさいところとか、そっくりだ」

「ちょ、アッシュまでグレン先生みたいなこと言うの!?」

 

 フィーベルが口うるさいのは事実だから仕方ないよね。

 俺も、昔はやれ『レディに対する礼儀がなってない』だの『あんたはお気楽でいいわよね。身だしなみにも気を遣わないなんて』だの、『デリカシーもなければ甲斐性もないのね』だの……あれ? これ叱られてたっていうか純粋な罵倒じゃない?

 

 ……そんでまあ、俺が怒られてもへらへらしてるもんだからその子はさらに怒って、一緒に来てたお姉さんがなだめる……というのが昔の俺の日常だった、気がする。こっちのお姉さんはどっちかっていうとティンジェルに似てたな。なんていうか、包容力が。

 

「……うわ。すっごい想像ついた」

「まあそんな感じで、引っ越すまでは仲良くしてたんだよ」

 

 それも五年前までというか、引っ越すちょっと前くらいから目に見えてストレス溜め込んでたみたいだけど。

 お姉さんも病気なのかなんなのか、その辺りからぱったり姿を見せなくなったし……なにかあったんだろうかとは思うものの、当時十二歳かそこらの俺に二つ上の女の子を慰める器量も度量もあるはずがなく。

 

「今は元気だといいんだけどなあ……」

 

 心なしかしんみりした気分になってしまう。

 思い出話はこれだからいけない。帰れない場所への郷愁は募るばかりで、心が軽くなることはない。

 

 あ、いや、帝都には行けるかな。バイト代も貯まってきたし、長期休みの間になら一回くらい帝都に日帰り旅行もできるかもしれない。

 

「ふうん……でも、出身は帝都じゃないんでしょ?」

「そうだな。ちっさい村でさ、そこで……」

 

 ……はて、なにがあったんだったか。

 なにかがあって、バーナードの爺さんと知り合ったような気がするんだが……記憶にもやがかかったように思い出せない。

 なにか。なにかがあって、師匠と知り合ったことは確実なんだけど。

 

「アッシュ?」

「……や、なんでもない。俺も、少し酔ったかな」

 

 思えば慣れない船旅だ。疲れが出たんだろう、鈍い痛みが頭を襲っている。

 幸い、しばらくじっとしていたら酔いは治まった。本当に、少し酔っただけのようだ。

 

「で、なんの話だったっけ───」

『ご乗船の皆様に連絡致します。当客船は無事サイネリア島へと到着しました。繰り返します、当客船は───』

 

 痛む頭を抑えるように額に手を当て、退屈な船旅の肴を改めて提供しようと思ったところで鳴り響くアナウンス。どうやら人生初めての航海はここまでのようだ。少々名残惜しいが、仕方がない。どうせ帰りにも乗っていくのだ、そのときを楽しみにしていよう。

 

 それよりも、今は。

 

「うおおえ……くそ、誰だ船なんてけったいなモン作りやがった馬鹿野郎は……あらゆる生命は土より生まれ土に還るんだよ、魚以外の生命が母なる大地を離れて板切れだけで大海原に飛び出そうなど愚の骨頂なんだよ……」

「猪なんかは自力で海を渡りますけど、そこんとこどう思います?」

「うっせ」

 

 この、船酔いで完璧にダウンしている魔術講師をどうするかを考えるべきだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 船酔いに苦しむ講師をほとんどほったらかして生徒がさっさと旅籠に向かう、なんてこともあったが、概ね問題なく宿泊施設への入場は完了した。

 南国風、と言えば良いのだろうか。フェジテとはまた違う趣の建造物に、いつもとは違うことを実感してついついテンションが上がる。

 

「俺……この遠征学修のために、たくさんボードゲーム買ってきたんだ……」

「お前、それ生活費とか大丈夫か? かなりの量だぞ」

「バッカお前、女の子と夜通し遊ぶんだぞ!? こんなシチュエーション滅多にないだろうが! ここで出し惜しみしてどうするんだよッ!!」

「男女は別室だろーがよ」

 

 そして俺とは違う方向にテンションがアゲアゲのカッシュ=ウィンガー。あるいはカッシュ=ゲンジツミエテナイ=ウィンガー。男女別室な上に、夜間にはグレン先生が『悪い子はいねがあ』となまはげよろしく巡回をする予定なのだ。当然巡回ルートなどは俺たち生徒には知らされていない。

 つまり、カッシュは叶わぬ夢のために早まった散財をしたと言えないこともないのである。少なくとも今週中にこいつが買い揃えたゲームたちが日の目を見ることはないだろう。

 

「ふっ……それはどうかな」

「あん?」

「まあ待ってろ。夜になれば、お前にも話してやるからよ」

 

 思わせぶりなことを言い残して、さっさとチェックインを済ませるカッシュ。

 カッシュを含めた三人……ギイブル、セシルとは同室なので、話を聞くチャンスはいくらでもあるのだが……わざわざ夜? なんか企んでるなこいつ。

 

 がしかし、そんなもん俺は関係ない。いや、確かにね? 俺も健全な男子学生、女の子と夜までキャッキャウフフとボードゲームで遊び倒す……みたいな展開はね? 普通に気になる。

 気になるがしかし、俺が親しい女子といえばフィーベルやティンジェル、ギリギリでレイフォードぐらいなもの。それ以外のやつとはまったく話をしないわけではないものの、なんらかの手段で夜に会えたとしても『じゃあ遊びましょう』と言って『イエス』と返事をもらえる可能性はごく低い。

 

 かといってフィーベルたちの部屋を訪ねたところで、生真面目代表のフィーベルに説教され、追い返され、ついでにグレン先生にチクられて終わりだろう。最悪、侵入してきた刺客と勘違いしたレイフォードとガチンコ勝負も有り得る。

 ……自分で言っておいてなんだけど、嫌だなそれ。もう相手したくないぞ、俺。

 

「おーい、お前らなにやってんだー? 早く部屋行けよー」

「あ、はーい」

 

 まあ、いいか。どうせ夜にはわかるっていうし。

 

 大した興味もないまま、俺はひとまず荷物を片付けるべく自分の部屋へと向かった。

 ひゃっほーい、とふかふかのベッドに寝そべり、年甲斐もなくはしゃぐなどしてギイブルに呆れられ、セシルにたしなめられる。こういうのも悪くない。というか、実に良い。楽しい。

 

「なあ、ギイブル。この後の予定ってどうなってたっけ?」

「……事前に配布された日程帳は?」

「家に忘れた」

「君ってやつは……」

 

 そんな会話を聞き流し、荷物をそこそこにまとめて改めて安物ではない綺麗に用意されたベッドを堪能する。

 

 夕食をサボったカッシュがなにを企んでいるのかを知ったのは、そのさらに後だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───リィエルとアシュリー=ヴィルセルトには気を付けろ。

 

 昼間、ナンパ師に変装して接触してきたアルベルトに告げられた言葉を思い返して、グレンは夜風を肺に吸い込んだ。

 

「……護衛の本命としてアルベルトがいるんなら、なにも心配することはねえ……リィエルだって、今は俺たちの仲間なんだ。そのはずだ……気を付けることなんか、どこにだってあるわけねえ」

 

 そう思い込みたいだけではないのか───アルベルトにも告げた言葉に対する切り返しまでもが蘇り、グレンは胸中に苦いものが広がるのを感じていた。

 

 大丈夫だ。だってリィエルはもう特務分室の仲間で、何度も何度も外道魔術師を撃破してきた帝国の味方だ。決して、古巣───天の智慧研究会になんてたぶらかされたりしない。

 その確信がある、と言い切りたいのに、その根拠が根拠なだけにグレンは思い切って断言できなかった。

 

 そう、リィエルは帝国を敵に回すことはない。亡き兄の面影をグレンに重ねて、今度こそ守るのだと依存しているから。

 それがグレンには、少し悲しい。

 グレンがリィエルを託されたのは、そんなことのためではないというのに。

 

「くそっ……」

 

 それに、苛立たしいのはアルベルトが注意すべきだと名指ししたもう一人の生徒だ。

 

「アッシュが天の智慧研究会の外道どもと通じてる可能性……? あるわけねえだろ、クソッ」

 

 だん、と近くの樹に苛立ちのままに拳を打ち付ける。

 

『アシュリー=ヴィルセルトは、先の魔術競技祭で女王陛下に呪殺具を仕掛け、ルミア=ティンジェルの暗殺を試みたエレノア=シャーレットと比較的頻繫に接触している』

 

 それがアルベルトが、警戒すべきだと言った理由。

 あのエレノアが、特定個人にわざわざ数回に渡って接触し、固執していた。それだけでも、警戒する理由としては十分だ。

 

『なにも裏切る等とは言わん。だが、目を光らせておけ』

 

 必要ない、あいつは味方だ───そう反論するグレンを鷹の瞳で射抜き。

 

『なにかあってからでは遅い。彼の組織は手段を選ばない。仮令(たとえ)()()アシュリー=ヴィルセルトが味方のように見えたとしても、いつあの組織の求心力に呑まれて敵に回るか判らないのだから』

 

 アルベルトはそう締めくくると、ナンパ師の変装を再開してグレンから離れた。

 

「……クソ」

 

 心底、反吐が出る。

 ルミアを囲い込んで撒き餌にしようとする軍上層部も、味方を疑わなくてはならない状況も。そして何より───誰かの人生をなんとも思わない、下衆で外道な天の智慧研究会にも。

 

「……リィエルもアッシュも、俺の生徒だ」

 

 この二ヶ月で芽生えた自覚。

 かつて、何度も血に濡れた両手を握り締める。

 

「裏切ったりするはずがねえ。狙われてるってんなら守ってやる。……だから、心配することなんてなにもないんだ」

 

 誰にともなくつぶやき、切り替えるように頭を振る。

 

 自分の計算が正しければ、そろそろ来るはずだ。軍の陰謀なんて知らない、青い欲をみなぎらせた若者たちが。

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

 最後にそれだけ言って、グレンはアルベルトの忠告を頭の片隅に追いやった。

 

 それが、自分に言い聞かせるためのものだとは、最後まで自覚しないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「カッシュさあ。お前やっぱバカだろ」

「うるせー……バカって言うな、バカアッシュ……」

 

 カッシュの企み───その名も『楽園(エデン)計画』。

 仰々しい名前が付いちゃいるが、要するに『女の子の部屋に行って夜通し遊ぼうぜ』という計画だ。

 

 まあ、基本的にお年頃の男子学生とあんま変わんない思考回路してるっぽいグレン先生のことだ。どうせ『俺だったらこうする』とかそういう理由でこのアホウどもの進路を予測し、阻み、叩き伏せたに違いない。

 

「くそぅ……先生さえ乗り越えれば俺たちの楽園(エデン)はすぐそこにあったのに……口惜しや……」

「───なんだよ、お前も俺を越えて行こうってか? アッシュ……」

「せ、先生……!」

 

 と、生い茂る木々の影から姿を現したのはグレン先生。

 総員七名の男子生徒諸君を捌ききったはずのその姿はなんというか、相変わらずカッコいいんだかカッコ悪いんだかわからない有様だった。具体的にはぐでっと幹に寄りかかっていた。

 

「一対一で俺を乗り越えようなど十年早い。隊伍を組んでの魔術掃射ならともかくな!」

「やられたんですね」

「正直非殺傷系の魔術なのに死ぬかと思った」

 

 そりゃ基礎の【ショック・ボルト】も威力を制限しても電撃は電撃だからね。

 あと俺はこのおバカどもの末路を見物するついでに回収に来たのであって、参加するつもりはないんですよ。

 

「そうなのか?」

「心惹かれるものがないって言うと嘘になりますけどね。なんてーか……覗きみたいでちょっと気が乗らないっていうか」

「……お前、意外と初心なんだな」

「だだだ誰が初心じゃい」

 

 ちげーし。ごく一般的かつ良識的な忌憚のない意見だし。

 ……あーくそ、楽しそうな顔しやがって。こりゃなに言ってもオモチャにされるな……仕方ない。

 

「じゃ、そーゆーわけなんでこの愉快な馬鹿野郎は持ち帰ります」

「おう。他のも連れてってやってくれよ?」

「えっ面倒くさ……先生も手伝ってくださいよ」

「俺はほら、青い欲を阻むのに必死で疲れたから」

「働け講師」

「慈悲がねえ……ちっ、しゃーねえか」

 

 カイとロッドを米俵よろしく肩に担ぐと、グレン先生は一足先に男子の部屋へと歩いていった。二人同時とは恐れ入る。俺も筋力的には持てないこともないが、なんていうか持ち方が下手くそなのかうまくバランスが取れなくて落っことしそうだ。

 

「……ま、いっか」

「ちくしょう……裏切り者めぇ……この恨み晴らさでおくべきか……」

「はいはい。負け惜しみは部屋でいくらでも聞いてやるよ、負け犬」

「くそーッ!」

 

 とりあえずカッシュを担ぎ、部屋に持ち帰ってベッドに転がす。ギイブルとセシルはもう寝る支度を整えていた。

 少しして、復帰したカッシュがヤケクソのようにカードゲームとボードゲームを並べてギイブルに挑み、なぜか俺とセシルも巻き込んだゲーム大会が始まったりもしたが、結果は悲惨なもので、頭を使うゲームは片っ端からギイブルが勝ちをかっさらっていった。運が絡むババ抜きにしてやるとそこそこ苦戦していたが、今度は俺が勝てないという。やっぱ幸運ステータス低いだろ俺。

 

 結局消灯時間いっぱいまで大会は続き、カッシュは疲れもあったのだろう、明日の支度もそこそこに寝落ちした。

 こんなんで大丈夫か遠征学修、と若干不安に思いながら、二日目の夜は静かに更けていった。




次回、水着回。

読み直していた北欧異聞帯の「ぴょーん!」で涙腺が死にかけたのは内緒だ。
というかよくよく考えると主人公の人脈が割とヤバいな……。


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13.楽園とはなんぞや

「お……おお……!」

 

 白い砂浜。青い海。澄み渡る晴天。

 海水浴日和、旅籠からほど近いにも関わらずのこの絶景、絶好のロケーションはさすがリゾート地と言わざるを得ない。

 

 そんな光景を前に、感涙に咽ぶ野郎どもが数人。

 

 彼らの目は、一様に同じ方向に向けられていて───

 

「『楽園(エデン)』は……ここに、あったのか……」

「『楽園(エデン)は明日、自ずと姿を現すから今は退け』……先生の言った通りでした……」

「それなのに……俺たちは、目先のものにばかり囚われて……すまねえ、先生ッ……!!」

「いや、人を死んだみてーに言うんじゃねえよ。縁起悪いな」

 

 グレン先生からの冷静なツッコミ。

 昨日、しこたま【ショック・ボルト】をくらったグレン先生は、砂浜にパラソルを差し、その下にシートを敷いてくつろいでいた。

 

「すみません……なんか、ノリで」

「俺たちの楽園(エデン)はこれからだ!」

「もうなにも怖くない」

「おうフラグ乱立やめーや」

 

 一部は打ち切られてるし一部はそれ死亡フラグだろうが。

 しかし打ち切りはともかく死亡フラグは通じなかったのか首を傾げられた。これがジェネレーションギャップ……(違います)。

 

 それはさておき、皆が釘付けになっている方向には、確かに眼福としか言いようのない光景が広がっていた。

 

 きゃっきゃとはしゃぐ女子たち。色とりどりの水着。玉のような肌が弾く海水が陽の光を反射して、海面とあいまってキラキラと眩しい。

 なるほどそれは確かに、男からすれば一種の楽園と言えないこともなかった。

 

「お前らも行ってこい。今日は自由行動だ、好きに遊んでろ……俺は寝るわ。なんかあったら起こしてくれ……」

「「「はい、先生!」」」

「昨日あんだけはしゃいでたくせに元気だな……」

 

 先生が歳の割に煤けてるだけな気もしますがそれは。

 同じく煤けてるギイブルくんはいつもの格好のまま木陰で教科書を読んでいた。お前……。はしゃげとは言わんからもう少し羽目を外してもバチは当たらんのではないかと思うのは俺だけか。

 

「あー……お前も行かなくて良いのか?」

「ん? ああ、俺は……そうですね、ちょっと興味あるし」

「海は初めてっつってたか……ま、楽しんでこい」

 

 ……もしや昨日の甲板での話をキッチリ聞いていたのだろうか。この人は。

 あんなにグロッキーになっていたくせに……と思って振り返ると、グレン先生はこっちに背を向けたままシートの上で寝っ転がって手だけを振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ごぼぼぼぼ……と、泡が口からこぼれる音。

 他にはなにも聞こえない。波の音と、微かに自分の鼓動が聞こえるくらいなものだ。

 

 それもそのはず、ここは海のど真ん中。しかも海上ではなく海中である。

 

 俺は現在、なにをするでもなくひたすら海に潜っていた。

 

「───、───。───?」

 

 砂浜の方からなにかが聞こえた。ぼんやりとしかわからないが、ティンジェルの声だろうか。

 目の前をカラフルな魚たちがすり抜けていく。サメでもいるのかと思ったが、そんな影はない。どうやらティンジェルの声は注意喚起ではないようだ。

 

「───……、───! ───、───!」

 

 今度はフィーベルがなにか言ってるけど、待ってほしい。今ちょっと素潜りチャレンジをしているんだ。

 そろそろ三分くらいまでいけそうなんだ。コツをつかんできたというか、なんかハイになってきているというか、ともかく初めてにしてはけっこういい記録が出せそうなんだ、だからもうちょっとだけ待っ───

 

「ごぼぼがぼぼ?」

「ごぼっ!?」

 

 目の前に突然現れたレイフォードに、思わず残っていた空気を吐き出した。

 幸い肺に海水が入ることこそなかったが、予期せぬタイミングで酸素が枯渇してしまったのでこれ以上の続行は不可能だ。

 仕方なく、水を蹴って海面へと浮上する。

 

 なぜかレイフォードもついてきていた。

 いやお前なにしに来たんだ?

 

 ───で、渋々砂浜に戻ると、これまたなんでかフィーベルに頭をひっぱたかれた。なんで。

 

「『ひゃっほー海だー』なんて言って潜ったっきり浮かんでこなかったら誰だって心配するでしょ!?」

「む。……それは悪かった」

「まあまあ、何事もなかったみたいだし、そこまでにしてあげよう?」

 

 今回はほとんど俺が悪かったので大人しく叱られていたが、ティンジェルがそう言うとフィーベルも仕方ないと言いたげな顔をしながらも矛を収めてくれた。レイフォードはやはりぼけっとしている。さっきはなにをしにきたのかと思ったが、どうも救護要員として派遣された模様。すみません。

 こういうとき、ティンジェルの助け舟は非常にありがたい。

 

 と、そこでようやく気付いた。ティンジェルが、なにかボールを持っている。

 

「……ビーチボール?」

「うん。あっちの方で、クラスのみんなでビーチバレーしようって話になって。アッシュくんもどう?」

「ビーチバレーか……」

 

 知識としては知っているものの、ビーチバレーをやったことがある、といったような記憶はない。この機会にやってみるのも良いだろう。

 

 ───そう結論付けて、改めて女子三人組に目を向ける。

 

 フィーベルとティンジェルはビキニタイプ。若干細すぎるような気もするフィーベルはシンプルな、ティンジェルの方はフリルがところどころにあしらわれた女の子らしいデザインだ。

 ……それにしても、ティンジェルは健啖家だから発育がいいんだろうなあ、とは思っていたけど───

 

 ここで思考をばっさりカット。それいじょういけない。

 強いて言うなら胸囲の格差社会だった。ここで思春期男子の思考回路は途切れている。あとレイフォードがスク水なのは誰の入れ知恵だ。

 

「……あー、んじゃ俺も参加しようかな」

 

 不埒な脳内発言を悟られないように会話を繋げる。運の良いことにバレはしなかったらしい。露骨にならない程度に視線を逸らし、砂浜に置き去りにしていたパーカーを羽織る。

 

「あと、三人とも水着似合ってる。言い忘れた」

「ふふっ、ありがとう」

「……ん。グレンも、褒めてくれる?」

「……期待はしない方がいいんじゃねえかな」

 

 フィーベルとティンジェルの二人はともかく、レイフォードのことは妹みたく見てるフシあるし、グレン先生。

 するとちょうどグレン先生のことも誘う予定だったらしく、ティンジェルが水着をお披露目しようと言い出した。

 

 ───しかし案の定、唯一水着についてなにも触れられなかったレイフォードは、ビーチバレーが始まるまで心なしかむくれていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「うぉぉぉおおおおおおおおッッッ!! KU☆TA☆BA☆RE!! アシュリー=ヴィルセルトォォォォォォォ!!!!」

「俺、なにかしたっけ?」

 

 気の抜けた言葉と共に、殺意マシマシでぶっ飛ばされてきたボールをレシーブ。柔らかく天上へ放る。渾身の一撃をあっさりいなされたロッドの『なにぃ!?』という驚愕の声が聞こえてきたが、スポーツゲームで俺に勝とうなぞ百年早い。

 天高く舞い上がったボールを、更にカッシュがトス。そして───

 

「いくぞー。勢い良く舞うであろう砂埃にご注意下さい───とぉ!」

「ご注意下さいと言いつつどう見ても注意させる気がねぇ───!?」

 

 パーカーの裾をはためかせながら、空高く跳び上がって───そこそこに力は加減しながらも、勢いよく手を振り下ろした。ズガァン! と、ボールが立ててはいけない轟音を撒き散らしながら、叩きつけられた球体が砂浜を抉る。相手方のレシーバーが魔術でボールを拾おうと試みるが、当然のように間に合わない。

 忠告(?)通りに、巻き込まれた砂塵が宙に舞った。その圧倒的な光景を前に、アルフやロッド、カイといった相手方のチームが悔しそうに砂浜を殴り付ける。

 

 その目尻に浮かぶのは、紛れもない涙だった。

 ……いや、なんでさ。

 

「くそっ……くそぉ……! どうしてだ……ここまで、ここまで差があるっていうのか、俺たちには……ッ!!」

「ああ、世界はなんて残酷なんだ……」

「……いや、お前らさ。それ今俺がいちばん言いたいセリフなんだけど。俺、割と仲良くやれてたよね? 一体なにがそのささやかな友情にヒビを入れたの?」

「お前、本当に心当たりがないとかほざくつもりか……? あぁん?」

「急にチンピラ降臨さすな」

 

 しかしそんな俺のツッコミなどお構いなしに、自陣のカッシュを含めた男子───昨日の『楽園(エデン)』計画に参加していたやつらが、鬼の形相とでも言うべき顔でこっちを睨み付けている。だからなんでだよ。

 

「アシュリー=ヴィルセルトッ!! お前は、俺たちと同じ非モテ男子代表だったはずだッ!!」

「え……まあ、うん」

 

 だからなにゆえ突然にディスられているのか。俺は。

 

「だというのに! だというのに、なぜッ!! お前は、大天使ルミアちゃんと仲良くしてるんだァーーー!?」

「ずるい!! 羨まけしからん!! そこ代われェェェェェ!!」

「なんでかリィエルちゃんとも距離が近いしッ!! マジで羨まけしからんそこ代われェェェェェ!!」

「……それ、フィーベルは?」

「「「真銀(ミスリル)の妖精さんは面倒くさいからノーカン」」」

「哀れな」

 

 全会一致で眼中にないとか。

 

 というか、俺があの三人組と距離が近いのは不可抗力っていうか成り行きなんだけど。

 

「その『別に俺興味ないね』みたいな態度が腹立つ!!」

「ドヤ顔されても腹立つけどな!!」

「どうせいっちゅーんじゃボケがあ!? というか俺にうだうだ言うならまずテロリストに撃たれて刺されて殺されかけてこいってんだよ!!」

「嫌だよ!? なんでそんな物騒な提案が出るんだよ!!」

「俺があいつらと仲良くなった成り行きだからだよ!! 心して味わえやァ!!」

「「「断固拒否する!!」」」

 

 くそ、こいつらあの事件を素通りして仲良くなりたいとかほざきよるつもりか。めちゃくちゃ痛かったんだぞあれ。……あ、なんか思い出したらこっちもムカついてきた。

 

「よっしゃ、いいだろう。かかってこいおバカども……全員まとめて憂さ晴らしの的にしてやらあ!!」

「望むところだこのリア充めェェェーーーーー!!」

「だからリア充じゃねえっつってんだろがあーーーーー!!」

 

 キレちまったよ……久しぶりになあ……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「……暑苦しい連中だな」

 

 ため息をつくのはほぼ無理やり巻き込まれ、グレンのチームに組み込まれたギイブルだ。グレンにノせられ、ついビーチバレーに参加してしまった彼であるが、さすがにこの無駄に暑苦しい空気にはうんざりしていた。

 

 カッシュの隣では、クラスのおっとりお姉さんことテレサが『あらあら』と穏やかな笑みを浮かべている。

 

 ───それを、冷や汗を流しながら見ているチームがあった。

 

「……反則ですわ。アシュリーにカッシュ……しかもテレサまで……」

「リィエルじゃなくてカッシュだったのが唯一の救いだな……いやあれ、勝てるの? ボクたち、あれに、勝てるの?」

「やる前から気持ちで負けてどうするんですか、先生。僕がいるんだから、無様な敗北は許しませんよ。……いやまあ、わからなくもないですが」

 

 くじ引きの結果組まれたチーム。

 

 最終決戦一歩手前の準決勝まで駒を進めた四組のうち、『あれ、もしかして最強なんじゃね?』と噂されているそのメンバーは、くじの女神様のいたずらによって出来上がったパーティーだった。

 

 二ヶ月前の事件を乗り切り、朝の特訓もあり体力・戦闘勘は折り紙つきのアシュリー。

 リィエル、アシュリーを除けば二組トップレベルの身体能力を誇るカッシュ。

 そして───念動系白魔術に驚異的な適性を持つ、テレサ。

 

 この三人が、先ほどから猛威を奮っていた。

 

 ポジションは一ゲームごとにローテーションするため、おっとりお姉さんのテレサがアタッカーの時なら勝機がある───と言いたいところだが、他二人が圧倒的な身体能力でカバー、相手のスパイクを一切合切弾いてしまうため残念ながらあんまり変わらない。

 ちなみにグレンたちのチームはグレン以外はギイブル・ウェンディとどちらかといえば運動が苦手な面子だ。

 そして。アシュリーたちのチームのデタラメさについつい忘れそうになるが、グレンたちの対戦相手もなかなかのデタラメチームだった。

 

「システィ、リィエル、がんばろうね。あとちょっとで優勝だよ!」

「ん。がんばる」

「ま、先生をどうにかしたところで……その次がアレだと思うと気が滅入るけどね」

 

 ルミア、システィーナ、リィエルの仲良し三人組。

 ルミアはともかく、リィエルは間違いなくここにいる全員の中でもいちばんの運動能力の持ち主だ。システィーナも、運動が得意、ということはないだろうが、近頃はグレン直々に訓練をしていたり、そもそも魔術師としての力量が頭一つ飛び抜けているため油断ならない。

 

(嗚呼、ド畜生。あの眼福チームが悪魔のチームにしか見えないぜ……)

 

 なお、ルミアたちが悪魔ならアシュリーのチームは魔王である。

 

「……いいかウェンディ。お前はドジさえ踏まなければかなりデキるやつだ。俺たちの大一番は次の試合ではなく、その次……あの大魔王チームとの決戦だ。ここで負ける訳にゃいかねぇ」

「ええ、ええ。わかっておりますわ、グレン先生。その私に対する物言いに関しては色々と言いたいところではありますが、今は流しましょう。あの子には……負けない……!」

「あー……ギイブル。お前は特に言うことねぇや。頑張れ。以上」

「僕に対して言うことがないのは道理ですが、それにしたって適当なのでは?」

「よし……いいかお前ら。絶対、勝つぞぉぉおおぉぉおおおおぉおお!!」

 

 嫌がる二人と無理やり円陣を組む。

 暑苦しい叫び声が、砂浜にこだました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───ちなみに、勝ったのはシスティーナたちのチームだった。

 

 馬鹿力には勝てなかったよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぁぁーーー、悔しい! クソ、いい線行ったと思ったんだけどなぁ……」

「仕方ありませんわ……相手はあのシスティーナとリィエルですもの……」

「ぜー……ぜー……」

 

 疲労困憊のギイブル。シャツとズボンで激しい運動を繰り返していたのだから当然だ。なんか終わった後にリィエルと若干意気投合(?)はしていたが、わだかまりが薄れこそすれ、疲労が消える訳ではない。

 一応、身体を鍛えているグレンと魔術中心だったウェンディはピンピンしているのだが……と、ギイブルが己の体力のなさ(それでも魔術師としてはそれなりに動けている方だが)を露呈していると、今度は何故かルミアがグレンの方に近寄ってきた。

 

「すみません先生、ちょっとお願いがあるんですけど……」

「あ? お願いだ?」

「はい。その……」

 

 もじもじしながら、ルミアはちらりと決勝戦の相手───アシュリーたちのチームを流し見る。チーム大魔王は、準決勝の相手を今もボコボコに叩きのめしていた。

 

「私、今ので疲れちゃって。だから、決勝戦には私の代わりに出ていただきたいな、と」

「俺がルミアの代わりにぃ? ……いや、それは構わねぇけど……お前、いいのか?」

「はい。疲れてるのは本当ですし、それに……」

 

 と、ここで言葉を切り、気まずそうに微笑む。

 

「あのメンバーの中で戦うのは、ちょっと……」

 

 あのメンバー、というのは運動性能トップスリーのことであろう。リィエルが相手ともなれば、アシュリーも手を抜いてはいられまい。白魔術と異能以外は普通の少女であるルミアに、化け物連中の相手は荷が重すぎる。

 そういうことなら、とグレンは頷き、若干の申し訳なさと共に今しがた共に戦った仲間を振り返った。

 

「悪いな……俺だけ、決勝に挑むことになっちまって……」

「……いいえ、構いませんわ。どうぞ存分に暴れてきてくださいまし、先生」

「……ふん。代役とはいえ、僕たちの代表のようなものなんだ。無様な敗北は許しませんからね」

「お前ら……ああ! 逝ってくるッ!」

 

 決意と覚悟を胸に、グレンは歩き出した。

 対峙するは魔王。圧倒的な力をもって敵を蹂躙せしめる怪物。正直、身がすくむ思いだ。

 だが───託された以上、負けられない。

 いや。負けてなど、やるものか。

 

「決着をつけようぜ───アッシュ!」

「お、おう。なんかやけにノリノリだけど……まぁ、いいや。かかってこいよグレン先生! フィーベルとレイフォード共々叩き潰してくれるわ!!」

 

 今ここに、戦いの火蓋は切って落とされた───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「いやぁ、グレン先生たちは強敵でしたね……」

 

 ベッドに突っ伏しながら呻く。およそビーチバレーでは有り得ないほどにボロボロになったよ。

 あの後も、泳いだりバーベキューをしたり街を練り歩いたりしたのだが、さすがに疲れた。

 いつもはまだ騒いでいるであろうカッシュも、風呂と着替えを済ませるなりさっさと就寝してしまった。カッシュでさえそうなのだから、ギイブルとセシルはもっとひどい。泥のように眠っている。

 

「レイフォードを甘く見ていた……なんだあの殺人スパイク。俺じゃなかったら腕吹っ飛んでるぞ……つかあれ止めたレイディすげぇ」

 

 もうなんていうか、ビーチバレーは殺人スパイクの打ち合い合戦みたいになっていた。レイフォードが力の限りぶちかまし、俺も力の限りぶちかます。グレン先生のブロックは絶妙だし(飛び交う殺人スパイクが怖かったのか消極的だったが)、レイディは大抵のレイフォードアタックをかろうじて止めていたし、カッシュのトスは大変打ちやすかった。フィーベルの援護も実に的確だった。

 結局試合の決着はつかず、引き分けということで固い握手を交わしたりもした。

 

 あー、腕いてぇ。しかしこのベッドホントふっかふかだな……と思いながらふと窓に目を向けると、三つの人影が外に出ていくのが見えた。

 金髪、銀髪、少し離れて青髪。向かう先は方向からして恐らく海だろう。夜中の海景色観賞と洒落込むつもりか。

 

「……元気だねぇ」

 

 呟いて、ついていこうかと体を起こし───やめた。

 そんな野暮なことをするほど空気が読めない男ではない……つもりだ。それに忘れてしまいがちだが、元々レイフォードはティンジェルの護衛役らしいし。実力は俺自身よーく知っているし、彼女がついているのなら心配はいらないだろう。近頃は三人とも仲が良いようだったし、初日はやる気なさげだったレイフォードも、今なら自分からティンジェルたちを守ろうとする……かもしれない。

 

 そう判断し、再びベッドに寝転がる。寝る前の日課は済ませたし、今日はもう眠ってしまおう。明日は原生林を歩くということだし、英気を養う意味でも早めの休息が望ましい。

 

(グレン先生もついてることだし、な)

 

 外にブランデー持って出て行ったからねあの人。夜中に。

 改善したとはいえ、やっぱり教師としてどうなのかと思わないこともないが。まあ、夜は先生方も自由時間ということだろう。24時間常に教職にふさわしい行動をしろっていうのは酷だし。

 

 布団を被って目を閉じる。思い切り身体を動かしたからだろうか。あっという間に睡魔が迫り、一分と経たずに意識を眠りへと運んでいった。

 

 そして、翌日───

 

「もうわたしに関わらないで! いらいらするからっ!!」

「ちょっと、リィエル!?」

 

 何故かレイフォードのご機嫌がナナメ通り越して直角になっていた。

 

 どうしてそうなった。




ビーチバレーのチームはマジでくじ引いて改めて決めました。


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14.正直、本来の目的を忘れてたよね

UA20000超えててオラびっくりしただよ……感想・評価ありがとうございます。


 グレン先生曰く、昨日あの三人が夜に抜け出した後にレイフォードと話す機会があり、そこで色々と話していたら見事にレイフォードの地雷を踏み抜いたのだとか。あんたなにやってんだ。

 

 という話を、俺は鬱蒼と木々が生い茂る原生林を進みながら聞いていた。

 前の方では、バランスを崩したレイフォードに手を貸そうとしたティンジェルが拒絶され、フィーベルが昨日までのレイフォードとのギャップにぎゃんぎゃんと騒いでいた。こんな歩きにくいことこの上ない獣道で元気なことだ。

 気に入らないことがあったからって半ば仕事を放り出してるレイフォードもレイフォードだが。

 

「……まあ、そう言わないでやってくれ。この一週間ちょいでわかってると思うが、リィエルはお前たちと同じくらいに見えても心はもっと子どもなんだ。今回の件は、不安定なリィエルを突っついちまった俺のミスだ」

「ふうん……ワケありってやつですか」

「ああ。あいつは……その、心の拠り所にしていた兄貴を亡くしていてな」

 

 そういえば、機密事項大暴露大会の後、編入生が来たときの定番こと質問タイムで兄がいたが亡くなっているという話を聞いた気がする。

 

「あいつは、俺を亡くなった兄貴の代わりにしようとしてるんだ。……けど、俺はリィエルにはもっと幸せになってもらいたい。俺に依存したままじゃ、いつかあいつの幸せが掴めなくなっちまう」

「それでフィーベルたちと仲良くしてる今がチャンスだと思って説得を試みた、と?」

 

 こくりとグレン先生が頷く。フィーベルを泣かせた事件といい、この人いざってとき以外は余計なことしかしねえなと思っていたが、そういう事情があるなら致し方ないと言えよう。たぶん。

 ままならないもんだよなあ、と二人揃ってため息をついた。昨日までの仲の良さはどこへやら、前を歩くレイフォードとフィーベルたちの雰囲気は最悪だった。

 

「……大丈夫か、これ?」

 

 今まで幾度となく覚えた不安が蘇るのを感じながら、俺は粛々と山道を踏破するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 白金魔導研究所。白魔術と錬金術を組み合わせ、生命に干渉する白金術を研究する施設だ。

 

 なんか豊富なマナがうんぬんかんぬんってんで自然豊かなサイネリア島に建てられたらしく、施設内にも草木や湧水がそこかしこに見える。研究施設というよりもはや水の神殿といった風情で、観光地にあるものは見目麗しいものになる法則でもあるのかと疑ったほどだ。そこかしこに乱立する黒い石柱の表面には無数の文字が煌めいていて、浮世離れした雰囲気をさらに強めている。

 

 で、実際の研究内容は前世でいうところの遺伝子工学っぽかった。あっちこっちに標本のように水槽に浮いている、色んな動物の要素を掛け合わせたような生き物がその研究成果……俗に言うキメラだろう。

 

「ね、ねえリィエル……」

「こっちこないで。いらいらする」

 

 ティンジェルが健気にもレイフォードへアプローチしているが、対するレイフォードはやはり素っ気ない。

 ここ最近、グレン先生を入れた五人組で集まることが多かったとはいえ、レイフォードの世話を焼いていたのは主に女子二人だ。俺の出る幕はないだろう。

 

 邪魔をしないようフィーベルたちから距離を置きつつ、研究所の中を見学していく。

 真理を求める魔術師にとって、生命の神秘という極上の謎は強い関心の対象なのだろう。二組のクラスメイトはこぞって水槽や装置に群がっていた。

 

 俺はといえば白金術にはさして興味がなかったのでほとんど適当にしか見ていない。好き勝手に生き物をいじくることに対する嫌悪感もあるし、なにやってんだかまるでわからないからだ。まあ、植物の品種改良は大助かりな技術だとは思うけども。

 そしてフルメタルなアルケミストよろしくこういう研究をしているところはロクなことが起きないと相場が決まっているのだ。

 ……こいつら、動き出したりしないよね?

 

「死者蘇生の研究、『Project:Revive Life』……通称『Re()───」

「『Proiject:Revive Life』ってのは───」

 

 ぼんやりと辺りをうろついていたところ、なんか頭良さそうな話が向かいの曲がり角から聞こえたけどこれ誰だ。いや、片方はわかる。これはグレン先生と……ああ、そうだ。ここの所長さんか。

 さっきのアルケミストな例えでいくと『君のような勘の良いガキは』ポジションの人。もちろんすべての研究者がそうって決めつけるわけじゃないんだけど、なんとな~く嫌な予感というか、その記憶があるからかあまりお近付きになりたくないというか。

 

 なのでここは素直に退散するに限る。

 

 そそくさとその場から離れつつ、俺は先ほど漏れ聞こえた会話について思案した。

 

『コピーとコピーとコピーを掛け合わせてコピー人間を作る』

 

 グレン先生が言うには、そういう計画であったしい。

 結局魔術に使うルーン言語のスペック不足でこの計画は頓挫したらしいが、どっちみち本人を復活させているとは言い難いものであったり、そもそも材料を用意するのに無関係の人間が数人死ななければならないといった倫理的な理由がもとで封印されたようだ。

 人を生まれ変わらせる……とかそういう話ではなかった。まあ、蘇生と転生は違うよな。

 

 本来、肉体が滅びると魂はふわ~っと輪廻転生の円環へと還り、それ()に記録されていた精神……アストラル体というらしい、は意識の海とやらに溶けるのだそうだ。

 なので、本来俺のように精神データである生前の記憶を持ったまま生まれる生き物はいないはずなのだが……まあ、ここは考えても仕方ないことだしどうでもいい。ウン千年繰り返してるんだ、一回くらいバグが発生することもあるだろう。

 

 しかし……コピーを掛け合わせて作ったコピー人間は果たして本人と言えるのか? か。

 なにをもって本人とすべきか、というのは正直、どんな世界、どんな文化でもついてくる話ではある。前世で言うならテセウスの船、か。

 

 『船のパーツを少しずつ新しいものに入れ替えていったとき、果たして全てのパーツを新しくした船はかつての船と同じものだと呼べるのか』───だっけかな。あるいは、『置き換えられた古いパーツを集めて船を作った場合、新しいものと古いもの、どちらが本物なのか』なんて話もあるらしい。いずれにせよ、難しい話だ。

 なにをもってしてその存在を定義するのか。構成要素か、魂か。肉体であるのか記憶(精神)であるのか。他者を再現したものであるとするならば、それは別人と呼ぶべきか本人と呼ぶべきか。

 

 ……うん、ここから先は哲学に片足突っ込んでしまいそうなので思考を放棄しよう。そんな哲学的なことを考えてもどうしようもないしね。

 

 やがて話が終わったのだろう、グレン先生が施設内に散らばっていた生徒を集めて集合をかける。いつの間にか撤収の時間になっていた。

 

「いやあ、今日はありがとうございました、バークスさん。ヒヨッコどもがぞろぞろとお邪魔しちまった上に、わざわざ案内までしてもらっちゃって」

「いえいえ。若き魔術師たちをこの目で見られるのは、実に良い刺激になりますから」

 

 ほんとかなあー、と疑ってしまう俺はもしかしたら心が汚いのかもしれない。ちょっと悲しい。

 

 とまあ、俺のそんな内心はさておいて、見学を終えた二組はバークスさんに見送られながら来た道を戻って仲良くお世話になっている宿へと戻ることになった。見学が終わったのは夕方を回った頃だったので、クラスの連中にも疲れが見える……と思ったのだが、予想に反して道中は割と賑やかだった。

 どうやら今日の見学は良い刺激になったようで、道すがらカッシュとかが披露してくる魔術談義に適当な相槌を打っていたらいつの間にか着いていた。勉強熱心で大変よろしい。

 

「そんじゃ、お前ら。こっからはまた自由行動だ。好きに動いていいが、メシ済ませたらちゃんと旅籠に戻って来いよー」

 

 と言っていたグレン先生は、結局終始態度を改めなかったレイフォードに堪忍袋の緒がプッチンプ○ンしたらしく、いい加減にしないとお尻ぺんぺんだぞと脅したところ逃げられていた。……いや、今のはあんたが悪いよ。こっちみんな。

 しかしここでまたしても分け隔てなく優しさを振りまく(ノーと言うときはキッパリ言う)ティンジェルの助け舟が入る。

 

「先生はリィエルを追いかけてあげてください。私は大丈夫ですから……」

「……悪いな。そうするわ」

 

 レイフォードさんや。あんた曲がりなりにも護衛じゃなかったんですか。

 そしてグレン先生はティンジェルから戦力を離していいんですか。と言いたいところでもあるのだが、あそこまでメンタルブレイクしてるっぽいレイフォードなんか放置してティンジェルを守りましょう! って言うのも気が引けるし。というか人間的にどうかと思う。

 

 ああいや、そういう視点で考えるなら、むしろさっさと仲直りしてもらった方が良いのか。

 つまり、ティンジェルの安全とレイフォードのメンタルはグレン先生の双肩にかかっているということになるのだが───

 

(なんでだろう。まったくどうにかなる気がしない)

 

 むしろ悪い意味でレイフォードがどうにかなってしまう気がしてきた。どうしてだろう。これもグレン先生の人徳の為せる業だろうか。そんな人徳なら一生いらないが。

 

「……俺はどうしようかね」

 

 レイフォードを追いかけるのでも良いだろうが、その役割はたった今グレン先生が請け負ったしなあ。

 なにより俺じゃ説得できる気がしねえ。というか、今の不安定なレイフォード相手だと最悪逆ギレされてなます切りの可能性がある。

 つまり結論から言って、俺の出番はないということだ。せいぜいいざというときにティンジェルを守る壁になれるくらいだろうか。まさかこんな観光地で仕掛けてくることはないと思いたいが……。

 

「お前も手伝ってくれ、アッシュ」

「え、ここまで役立たずアピールしたのに結果がそれ?」

「あいつすばしっこいからな。探すのに時間かかるんだよ」

「なるほ……ど?」

 

 よーするにそれはレイフォードを見つけたら捕獲しとけということでせうか。

 

「……名指しじゃ断れないですね。説得とかは期待しないでくださいよ?」

「おう。まあ、話し相手くらいにはなってやってくれ」

「それくらいなら……」

 

 説得は無理だが、『へえ』『ほう』『そうか』くらいしか言わない相槌botに徹しろという話なら俺でもできる。全肯定アシュ太郎の出来上がりである。

 捕獲手段がないので逃げられてしまう可能性も大きいが、ご指名とあらば動かないわけにもいかない。……なんか社畜のような発言だ。社畜じゃないよ。というより、グレン先生には特訓をつけてもらっているので手伝うのもやぶさかではないというか。

 

 そんなわけで俺は北の方、グレン先生は南の方を探すことにしたのだった。

 ティンジェルをぼっちにしておくのは不安だが、なんかグレン先生が大丈夫だって言ってたし大丈夫かな。

 

「根拠はまったくわからんが……あっ」

 

 昨日遊びに行ったみたいだし、海に近い場所から探してみようと思った矢先、波止場に座り込む青色を見つけてしまった。早いよ。あまりにも早いよ。

 ここはもう少し引っ張って散々走り回ってようやく俺はレイフォードを見付けた……とかってモノローグが流れるところじゃないの? そうじゃなかったらグレン先生が見付けてカウンセリングするところじゃないの?

 

 というか、その隣にいるお兄さん誰よ。ナンパか? またナンパ師なのか? フィーベルとティンジェルのコンビに引き続きレイフォードまでもがナンパされているのか?

 

「さすがにほっとけないよなあ……」

 

 仮にナンパだとすると、プチっときたレイフォードが暴走しないとも限らんし。いつもならグレン先生が身を挺して止めるところだが、今は俺しかいないし、レイフォードは情緒不安定らしい。行くしか……ないのか……?

 

 息を吸って、吐いて、ナンパ許さんマンとなる覚悟を決める。

 がさがさと茂みをかき分け、レイフォードの方へ。レイフォードは気付いていないのか、ずっと俯いたまま……いや待て、こいつなんで大剣持ってるのん?

 もしや俺、ファインプレーだった? などと頭の中だけでつぶやきつつ、レイフォードと違ってこっちに気付いたらしい青年とレイフォードの間に立つ。……おや、珍しい髪色だな。レイフォードと同じ青色か。

 

「だ、誰だっ!?」

「しがない一学生です」

 

 できるだけ刺激しないように切り返す。というか、むしろお前が誰だと言ってやりたい。

 それにしても男性の方の動揺具合がやべえ。なんだ、もしかしてナンパじゃなくてロリコンの類か? 犯罪者なのか?

 

「な、なんの用かな? リィエルの知り合いかい?」

「用はないんだけど、波止場でぼっちのお嬢さんを見付けちまったんでちょいとナンパにね。あんたはどうなんです?」

 

 噓です。グレン先生の差し金です。たとえ知り合いであったとしても婦女子をナンパする度胸は俺にはないデス。しかしグレン先生の名前を出しても青年には伝わらないだろうし、なんかレイフォードの方の地雷を踏み抜きそうなので控えた。ナイス俺。褒めてつかわす。報酬はないが。

 

「誰だか知らないけど、どこかに行ってくれないかい? これは僕とリィエルの大切な話なんだ」

 

 とても迷惑そうな青年。がしかし、この二ヶ月で図太くなった自信のある俺はその程度では揺らがないぜ。

 というかあんたそこの女の子の持ってるでっかい剣見えてないの? 節穴なの? 不興を買ったらバラバラ惨殺死体にならないかなとか思わないの?

 

「学友が見知らぬ人間にたぶらかされそうになってたらそりゃあ割って入るでしょう」

 

 万が一レイフォードがブチッとフルボッコタイムを開始しようとしても止められるよう、片手をポケットに突っ込んでおく。

 ちょっとマナーが悪いかもしれないが許してほしい。身内から犯罪者を出すわけにはいかん。目の前の野郎の方が犯罪者疑惑かかってるけど。

 

「……待てよ。その制服、もしかして……お前、じゃなかった君もアルザーノ帝国魔術学院の生徒さんなのかな」

「そうですけど」

「…………」

「……?」

 

 肯定するなり、空気がどこか張り詰めた。

 目の前のお兄さんはなんかぶつぶつ言い始めるし、レイフォードは相変わらずぬぼーっとしながら剣持ってるしで、未だに状況が把握できん。

 

「……そうだね。リィエル」

「っ」

 

 なにを考えていたのかは知らないが、青年の中では話がまとまったらしい。

 声をかけられたレイフォードがびくりと身を震わせたのが、背中越しでもわかった。

 

「手始めだ。君が僕を助けてくれると言うのなら」

 

 怯えているのか。レイフォードが?

 それはさすがにまずいと後ろを振り向く。

 

 ───視界に映った女の子は、どうしたら良いかわからない迷子のように震えていて。

 

「そいつを───」

「二人とも! そいつから離れろッ!!」

 

 遠くからグレン先生の声が聞こえる。レイフォードの大剣を握る手に力が入る。

 

 え、なにこの状況? 困惑している俺に構わず、青年が言葉(命令)を紡ぐ。

 

「───殺せ」

 

 風を斬る音。

 

 袈裟懸けにこちらを斬り裂こうと、見覚えのある剣が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、どことも知れぬ闇の中。

 リィエルにとある男が接触したちょうどそのとき、闇の中で二つの影が蠢いた。

 

「……ふん。さすがに手が早いな、外道」

 

 一つは、鷹のごとき双眸を持つ魔術師、《星》のアルベルト=フレイザー。

 

「ふふ……今宵はお一人様なのですか? アルベルト様……」

 

 そしてもう一つは、もはや必要ないはずの使用人服を身に纏い、蕩けるような眼差しをアルベルトに向けるエレノア=シャーレットだった。

 

 妖艶、ともすればあらゆる男を誑し込めるであろう美貌を酷薄に歪めて、エレノアはアルベルトの前に立っていた。

 

「貴様が出てくるということは、またあの王女絡みでロクでもないことを画策しているのだろうが……足止めの心算か? 天の智慧研究会、第二団《地位》アデプタス・オーダーが一翼のエレノア=シャーレット」

「あら。私の位階、割れてしまいましたのね? 軍の方々もぼんくらばかりではないようで」

 

 さして残念そうでもないようにエレノアは笑う。

 アルベルトは常の険しい顔を揺るがさぬままに術を起動し、エレノアの首を穿たんと雷光が走る。

 だが、エレノアはそれを微笑みを浮かべたままでふわりと回避し、返礼と言わんばかりに呪文を唱え───無数の死者の群れを召喚した。

 ぼこり、ぼこりと地面を割って現れる無数の屍。たちまち辺りは腐臭と死臭に包まれ、常人の正気を削るような地獄絵図を描いていく。

 

「くだらん」

 

 それをアルベルトは時間差起動(ディレイ・ブート)した魔術で一蹴するが、後から後から、動く死体は地面から這い出して来る。

 全員が女性で構成されたその死者の群れを率いながら、エレノアが優雅にお辞儀(カーテシー)をしてみせる。配下の一部が一瞬で蹴散らされたにも関わらず、その表情に焦りの色は見えない。

 

「……死霊術師(ネクロマンサー)か。外道に似合いの、下衆な術だ」

「まあ、こわいひと。……今夜は私、身体が火照って仕方ありませんの」

 

 不意に、かくりと首を傾ける。

 折れているのではないかと錯覚してしまうほどに、深く。

 緩やかな弧を描いた唇から、燃えるような吐息が空気に溶けた。

 

「だって、今宵、ようやくあの方をお迎えに上がれるのですから……ふふっ、申し訳ありませんが、今宵のアルベルト様は前座。ああ、ですがご安心くださいませ」

 

 会話の中、アルベルトが撃ちだす即死級の魔術を軽々と避けながら、やはりエレノアは特上に壊れた笑みを浮かべ続ける。

 

「前座と言えど、おもてなしに手を抜くことはございません……熱く燃えるような一夜の夢、背徳的で退廃的な法悦のひと時をご提供いたしますわ」

「残念だが、俺は貴様のような安い女に興味はない」

 

 吐き捨てる傍ら、骸が片端から燃え落ちていく。アルベルトの魔術によるものだが、やはり───エレノアは笑みを崩さない。

 

 しかし、アルベルトにとって気になるのはそこではない。

 

「一つ聞かせろ。貴様は何故そこまであの男───アシュリー=ヴィルセルトに執着する?」

 

 端的な問い。

 

 そう───今の今まで、なぜエレノアという得体の知れない人物が、わざわざあの少年に付きまとっていたのか。

 無論、エレノアが常に彼を監視していたわけではない。だがそれでも、二回、三回と逢瀬を重ね、五回目でようやく彼女は少年から目を離した。

 

 だがそうする理由がわからない。アリシア七世のように国内での権力者というわけでもない。特異な才能があるわけでも、アルベルトの知る限りない。わざわざ殺す旨味も薄く、そのつもりならとっくに少年は墓の下に引っ越していただろう。

 だがエレノアは確実に彼を見ていた。それが大導師とやらの指示であるのか、それともエレノアの独断であるのか。それすらも不明瞭だが、それだけは紛れもない事実だった。

 

 故にこそ、答えがないとしてもアルベルトは問う。

 

 それに、エレノアは。

 

「───おもてなしを、続けましょうか」

 

 嗤って、答えた。




リィエル は こんらん している!


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15.勘の良いガキなのでおハゲに嫌われそう

UA20000で喜んでたら今日30000になってたし、急にお気に入りも900越してて逆に怖くなってきた。何事かと思ったけど日間ランキングに載せてもらえてたんですね……。皆様、ありがとうございます。

今回のはけっこう急いで仕上げたので粗いですがご容赦ください。戦闘わかんねぇ。


 アイエエエ!? レイフォード=サン!? レイフォード=サンナンデ!?

 

 混乱のあまり愉快なモノローグを展開しながら、ポケットに突っ込んでいた触媒に魔力を通して(武器借りパクしますよーの術)鈍色の刃を引っ張り出す。

 ギィン! と金属同士がぶつかる音。間に合ったらしい。逆手に持った短剣の、ちょっと自分でもどうかと思うくらいに鋭利な刃がレイフォードのウーツ鋼の大剣と擦れ合ってギチギチと噛み合っている。

 

「信じてたよ、リィエル!」

「やかましい!」

「うわっ」

 

 こいつぜってー敵じゃん。レイフォードが従ってる理由はわからんが、とりあえず助太刀されても困るのでレイフォードが離れた隙に蹴っておいた。片手間というか、レイフォードの攻撃を防ぎながらの大雑把な一撃だったからあっさりと避けられてしまったが。

 だがその行動がレイフォードの逆鱗に触れたらしく、さっきより重い一撃が頭上から降ってきた。曲芸師かと言いたくなるぐらいに軽々と鋼の塊を振り回し、まともに食らえば脳天から真っ二つになるであろう一閃が落ちてくる。ポケットからもう一つ短剣を引っ張り出す。なんとか受け止めたが、びしりと波止場の地面にヒビが入る。

 

「兄さんに……手を出すなッ!」

 

 ……兄さん?

 

 お兄さん。ブラザー。即ち兄弟。

 二秒で単語の意味を理解し、三秒目に疑問を抱いた。確か、レイフォードの兄貴は亡くなってるって話では?

 

 実は生きてたとかだろうか、と合流したグレン先生の方を見る。「お前なに言ってるんだ!?」……違うっぽい。

 

 グレン先生が『兄貴は死んだ!』と断言している理由は定かではないが、面白半分で人の生き死にを語る人ではない。断言するならするなりの理由があるはずだ。

 そしてこう言っては悪いのだが、今のレイフォードは錯乱……とまではいかなくともだいぶ混乱しているようだ。発言の信憑性はグレン先生の方が高いと言えるだろう。

 

 あと単純に兄貴がめっちゃゲスい顔してるのでこいつを信用したくないというか。

 

「リィエル! そいつらを早く蹴散らして、ルミア=ティンジェルを確保するんだ!」

 

 目的解説ありがとうございます。

 つまりはあれですね? お前も天ぷら同好会ですね? クッソ、こんなところでも律儀に働きやがって。大人しく天丼でも食ってろってんだ。

 

「……ッ」

 

 しかし呆れ果てる俺とは対照的に、レイフォードの顔が据わっていく。……まずい。これは覚悟完了しちゃった顔だ……!

 

 想像通り、どこか迷うようにキレのなかった太刀筋が、確実にこちらを仕留めようという意思のあるものへと変わっていく。

 こっちにはグレン先生がいるけど、魔術競技祭の一件でグレン先生がレイフォードと正面きって戦うのはかなり不利だということはわかっている。加えてレイフォードの技量は俺よりも遥かに上だ。いくら英雄の武器を借りパクしていても、実力まで完璧についてくるわけじゃない。

 

 だがそれでも、レイフォードをここに釘付けにするくらいは───ッ!?

 

「いいぃいやああぁぁぁああああッ!!」

 

 咆哮。連撃。あんな馬鹿みたいにデカい剣を振り回している癖に、有り得ないほどに素早い切り返し。

 こっちが取り回しの良い短剣だからなんとかなっているが、それでもわずかに軌道を逸らすのがせいぜい。というかこいつ、振り抜いたあとの……剣圧? とでも言えば良いのだろうか。ともかく、剣を振っただけであまりの鋭さに直撃していないはずの腕や顔に傷が増えていく。

 でたらめだ。剣筋も、その実力も。先も言った通り、今の俺では『ギリギリ逸らす』が精一杯。グレン先生の支援(攻撃対象の分散)込みで、だ。

 

(レイフォードと初見で殺り合ってたら確実に死んでたな)

 

 運が良かった。初見と二度目では戦いやすさが大違いだ。正確には、一度目もそう大して戦ってはいないのだが、それでも情報量は段違いになる。情報はそのまま力だ。さらに言えば、レイフォードをけしかけた男は非戦闘員なのかレイフォードをせっせと焚きつけるだけでなにもしてこない。

 それでもやはり、状況は不利だ。ジリ貧、と言い換えてもいい。レイフォードは未だに無傷だが、こっちはどんどん傷が増えている。というか今まさに頬が裂けた。滴る血を拭う間もなく次の攻撃が飛んでくる。

 

 どうにかして止めなければならない、と思うのと同時、このままではこちらが全滅する、と冷静な思考が挟まれる。

 

 さて、どうにかしてこの状況を打破しなければ───というところで、不意に月明かりしかなかった波止場に月とは違う光が差した。

 

「ハハッ、助かった……あの爺さんもいい仕事をするじゃないか……!」

 

 見知らぬ青年の弾んだ声。次いで聞こえてくる、バチバチとなにかが爆ぜる音。

 不穏な光と音に何事かと顔を上げ───そこに見えたものに思わずため息をついた。

 

「ほら見ろ。だからキメラ研究なんてやってるやつはロクなもんじゃないって言ったんだ」

 

 そこに見えたのは、無数の光球。

 

 紫電が、爆炎が、それぞれ唸りをあげながらさながら太陽のように輝いている。

 

 そしてそれを掲げているのは、歪なカタチをした獣たち。

 

 それはまさしく、兵器運用が禁止されたはずの合成獣───キメラの群れだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なによりも早く動いたのはレイフォードだった。

 

「───────」

 

 現れたキメラを見て愉快そうに笑っている青年を抱き上げ、剣を片手にキメラの横を通り過ぎてどこかへと走っていく。

 

「待て、リィエル!」

「───ごめん。今まで、ありがとう」

 

 呼び止めたグレン先生の言葉に短くそう返すと、茂みの中に消えていく。追いかけようにも、今度はキメラが三体立ちはだかっている。

 そのどれもが魔術なのかあるいは固有の能力なのか、いかにも当たったらタダでは済まなさそうなエネルギーの塊をこれみよがしに掲げていた。なんだお前ら。魔術狙撃がヘタクソな俺への当て付けかコラ。【ショック・ボルト】すんぞ。……リジルとフロッティ投げた方が早いな。

 

「おい待てって……くそっ!」

「グレン先生、とりあえず今は」

「わかってる! 今は───」

 

 そこで、敵方も準備が終わったのだろう。

 生物としてどこかおかしい姿をした怪物たちは、最初の数倍に膨れ上がった電撃を、あるいは火球を、咆哮とともにこちらへと解き放って───

 

「───こいつらをシバくぞ!」

 

 掛け声と同時、静かだった波止場を轟音が埋め尽くした。

 

 右にサイドステップで躱し、次いで襲い来る爪がこちらを捉える前にその場からさらに一歩下がり、跳びかかってきた一体に思い切り短剣を投げつける。投げる用の剣ではなかったために若干勢いは劣るが、それでも並みの生物であれば血を撒き散らして地に伏せるだろう。

 

 着地するタイミングで攻撃されてはさすがに避けられないだろう。そう踏んでの一撃だった。

 ───だが、獅子とサソリが混じったようなバケモノは着地寸前で身をひねり、眉間に直撃するはずだった攻撃を首で受け止め、一撃死を免れていた。しくじったという事実に歯嚙みする。一匹は落としたかったんだが。

 というか、勢いが落ちたとはいえ並大抵の武具なら貫通するアレが肉だか骨だかで止められてんの、普通に有り得ないんですけど!? そもそも首に刃物が当たったんなら死んでよね! ……あ、首だけど刺さりっぱなしだから出血が少ないのか。そっかー。

 

「いやそれでも死ねよ!?」

「うだうだ言ってんな! 次、来るぞ!」

「うす!」

 

 端的に返答し、グレン先生のセリフの通りにもう一度跳びかかってきた個体から距離を取る。今のところ、奴らの武器は魔術モドキと爪、牙だ。距離さえ取っておけば気を付けるのは魔術っぽいものだけでいい。

 まあ、問題は魔術っぽいものを連発されると俺が身動き取れないことなんですけどね!

 魔術への対抗手段なんて【トライ・レジスト】で耐える脳筋戦法しか取れませんことよ!

 

 だが先ほどの感覚からいくと、こいつらのぶっぱなしてくるものは【トライ・レジスト】で耐えられる領域をオーバーしている。一撃を耐えれば逆転できるとかじゃないならさすがに採用できない。

 

 そして今のを見る限り、こいつらを仕留めるには単に剣をぶっ刺してみるだけじゃ足りないようだ。筋肉なのかなんなのかはわからないが途中で止まってしまう。しかも刺した短剣がずぶずぶと肉に埋まっているのを見るに、どうやら傷の自動修復機能もあるらしい。直接心臓か脳髄を破壊するまでは止まるまい。

 さらに言うと俺の狙撃能力というか、狙ったところに中てる技術はまだそこまででもない。命中率は七割から八割というところ。それでも魔術による狙撃に比べれば破格の数値だが、せめて九割はないと話にならない。肝心なときに当たらないとか嫌すぎる。

 

 しかし悔しさと驚きに打ち震えている暇はなく、再度装填された火球が獲物()を目掛けて真っ直ぐに飛来する。

 

「環境破壊反対ィィィ!!」

 

 珍妙な掛け声で気合を入れて、周囲の緑を焼き焦がしながら迫る灼熱の塊を避ける。

 地面に触れた瞬間爆発を起こした火球は、その膨大な熱量を全て破壊力へ転換し、生い茂る草木を焼き払う。とはいえ、元○玉(オラに元気をわけてくれー)並みにデカかったわけじゃないのが幸いしてか山火事になるようなことはなさそうだ。

 少し工夫すれば手持ちの剣でも切れないことはなさそうだけど……失敗した場合そこらに生えてる草の代わりに俺が燃え尽きちゃうので試すのはちょっと躊躇われる。というか無理。あんなの食らったらさすがに死んじゃうって!

 

「……とりあえず、これはもったいないんで刺しとくね」

『GUAAAAA!?』

 

 あの大炎上豪速球がなくなったのを良いことに前に向けて一気に跳びかかり、今しがたどかーんと森林破壊をかましてくれやがった個体の近くに降り立つ寸前、空中で身体を捻って、中途半端に刺さったまま杭のように飛び出ている短剣の先端を蹴り、より深く肉を抉る。

 さすがに首を伝って念入りに内部を穿たれた獣は重要な器官にダメージが入ったのか、ピクリと痙攣するとそれきり動かなくなった。くるりと一本だけ手元に残った短剣を回して構え直し、改めて現状を把握する。

 

 移動していたせいでお互い茂みに紛れる形になっているが、どうやらグレン先生も一匹を仕留めた模様。残り一匹はどっちを攻めようか決めあぐねて……訂正。小さいこっちを殺すことにしたらしい。実に正しい判断だクソッタレ。

 

 共闘というシチュエーションの経験が少ないせいで、援護というものは基本的に得意ではない。だがこっちに直接来るならやりようはある。避けるだけなら俺でもなんとかなるみたいだし。

 ふはははは、小さい的に全くもって当たらない苛立ちを思い知るが良いわ。具体的には俺の魔術狙撃の授業みたいにな!

 

「そーゆーワケなんで、グレン先生はレイフォードを追っかけてください」

「はあ!? お前、一人で大丈夫なのかよ!?」

「なんとかなります、てかします。……というか、ティンジェルのところには戦闘員がいないでしょうが! あんたが守んないでどうすんですか!」

「う……」

 

 ティンジェルは異能と度胸こそあるものの、戦闘には向いていない。フィーベルが一緒にいてくれてはいるだろうが、レイフォードのようなガチの白兵屋が襲ってきたら……たぶん、ひとたまりもない。

 こっちを案じてくれるのは嬉しいが、それでティンジェルを失ったのでは本末転倒だ。

 それにグレン先生は魔術でないとこいつを仕留められないが、俺はキッチリ中てればの話ではあるが短剣一本あれば問題ない。そしてその手段は既に用意してある。

 

「早く! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「───ッ!」

 

 そう。これが最大の懸念事項。

 必殺仕事人みたくなってしまったレイフォードが、果たしてティンジェルの確保の障害となりそうなフィーベルを生かしておくのか。まして今は『兄貴』とやらも一緒にいる。たとえレイフォードが見逃したとしても、『兄貴』が焚きつける可能性だって有り得るのだ。

 

 それでようやくグレン先生も理解してくれたらしい。血相を変えて、唇を噛みながらくるりと踵を返す。その方向は、旅籠……レイフォードがついさっき向かった建物だ。

 

「……死ぬなよ!」

「さっき一匹仕留めてるしへーきへーき」

「軽いんだよ! いいな、油断はすんじゃねえぞ!? 死んだらぶん殴ってやるからな!?」

「死んだら殴れませんよ」

「いや、死体を」

「骸への慈悲はッ!?」

 

 というか雑談してないで早く行けってば!?

 

 今は一匹だけだけど、いつ増援が来るかわからないんだからさあ! ……あ、やべ。これフラグかな。

 

 鬼気迫る表情が伝わったようで、グレン先生はちらちらとこっちを見ながらもある程度離れると吹っ切れたのか、魔術も併用して姿を消した。

 よし。これであの陰気な青髪の動向は追えるな。まだこの辺にいてくれればいいんだけど───

 

『GUU……GAAAA!!』

「ああ、はいはい。無視して悪うござんした」

 

 そうだね。もうこの場には俺とお前しかいないもんね。悪かったって、そんな怒るなよ。

 

 だからそのバチバチ言ってるエレキボールやめようってば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつ増援が来るかわからないってやつ、フラグだと思った?

 

 大正解だよ。

 

「ずいぶんと大盤振る舞いしやがるなァあの爺!!」

 

 言いながら、こちらを引き裂こうと執拗に追いかけてくる爪を避けて跳び上がる。そのまま上に回って持っていた投擲用の短剣を二本、叩き込む。

 魔力放出も突っ込んでやったから元々の武器の鋭さも含めてとんでもない威力になっているはずだ。さすがに胴体は比較的柔らかいのか、コウモリの羽根を生やした獅子のような生き物はあっけなく地に沈んだ。

 

「まずは、一匹……!」

 

 地面を滑るようにして着地し、追撃のようにして放たれた火球を伏せることでやり過ごす。頭上を通り過ぎたのを確認するより早く、制服が汚れるのも構わずに転がった。すぐそばの地面を、鋭い爪が抉った。

 

「は、ぁ───ぐっ」

 

 一息つく間もなく、顔に飛んだ土をぬぐうのも忘れて跳ねるように起き上がり、地面を蹴って加速、その場から離れる。さっき派手に地面を抉ったくせに今度は追いかけながらまた○気玉を装填している。器用な真似すんじゃねえよ。キレそう(小並感)。

 もちろんくらってやるわけにはいかないので、後ろに意識を向けながら木々の合間を縫って走る。途中でポケットに手を突っ込み、魔術触媒の数を確認する。……十二。まだいける。

 

 と、数を確認したタイミングで後ろから元気○が飛んでくる気配。ちらりと流し見て確認し、避けられるギリギリのところまでステップ。ホップとジャンプはなしで。

 

「ぬおおお……うぜえ、マジでうぜえ……!」

 

 悪態をつきながらも走る。オリンピック選手もビックリの大ジャンプをかましてきたので、ぶつかっておいしくかじられる前にこちらから仰向けになってスライディングでその下へと滑り込む。腹が丸見えになったタイミングで両手を地面について、バネのように跳ね上がって蹴り飛ばした。

 くぐもった鳴き声を上げながらも獣はベクトルの方向を前から上へと変えられて跳ね上がる。素早く体勢を整え、先のキメラとは逆に真下から刺し穿つ。下敷きになる前に、短剣を殴ったばかりの拳をそのまま振り抜き、横方向に吹っ飛ばす。我ながら無茶苦茶やってんなと思うがうまくいったらしく、落っこちてくるはずだったキメラはその辺の樹にぶつかってバウンドしながら転がっていった。俺すごい。

 

 しかし敵の追跡は留まるところを知らず、今度はまた別のやつが来たらしい。遠くから元気が有り余っていそうな咆哮が聞こえて思わずゲンナリした。しかも一匹や二匹ではない。なんでそんなにぽこじゃがキメラ生やしちゃうの? 一匹でいいよ一匹で。いい加減にしてくれ。

 

 ───真面目な話、戦況は非常に良くない。敵の数がわからないこともそうだが、こっちのメインウェポンがリジルだかフロッティだか無銘のナイフだか知らんが、とにかくリーチの短いものだからだ。

 隙を見付けて急所に叩き込まないと死なない。いや、俺の実力で倒せるだけマシというものだが、魔術触媒にも魔力にも限りはある。だというのに、こちらは一匹倒すごとに最低一本は武器を消耗してしまうのだ。あっちはどんどん増援呼びやがるのに。マジ理不尽すぎるワロエナイ。

 

 魔力放出込みでぶっ放せばある程度狙いが逸れても無力化はできるのだが、そうなると消費がかさみすぎる。二枚目の切り札まで切らなくては、とてもではないがこの数は切り抜けられない。そして俺はあれをあまり使いたくない。

 レイフォードのような大剣でもあれば話は別だが、あいにくと今の俺はそんなものは所持していない。

 

「……いや」

 

 出そうと思えばアテはある。アテはあるのだが、魔力をゴリゴリ持っていかれるので武器を()()に切り替えるのなら俺はこのバケモノどもと正面きって戦う覚悟を決めなければならない。

 今までのように逃げながらどうにか隙を見付けて倒す、というのは難しくなる。なんせ替えが利かない。正真正銘の白兵戦だ。それに現段階で抜き放てば、マナ欠乏症一歩手前ぐらいまで魔力を消費することになる。

 

 ……足音が近い。樹にもたれていた俺の視界に数頭、先ほどまでとは若干ビジュアルの違う、しかし歪であることには変わりない異形の群れが映る。時間がない。

 それに、このまま逃げ続けるのも限界がある。ずっとこの獣道を全力疾走していられるほどの体力はない。その内動けなくなってしまうだろう。

 

 つまり、推奨されるのは迎撃───逃げるのではなく、その場に留まって正面から叩き潰すこと。

 どうすべきか思案しながら樹の影に隠れ、激しく鼓動を刻む心臓にそっと手を置く。荒い息を整えて、いけるか、と自分自身に問いかけた。

 

 敵の数、不明。増援の可能性、不明。味方───俺一人。

 

「……はは、上等」

 

 強がりのようにつぶやき、深呼吸。

 現状ではどっちみち手詰まりだ。

 

 なら、仕方ない。

 

「奥の手その一。切らせてもらおう」

 

 足りないのは一撃必殺を可能とする武装。不足した技量を補える威力。

 

 なけなしの魔力を捻り出して、かつてどこかにあった記録を再現する。

 長ったらしい詠唱は必要ない。必要なものは彼の魔剣のデータとそれを現世に呼び起こすための魔力のみ。

 

 大丈夫、条件は全て整っている。

 その確信だけは、なぜかずっとこの魂に刻まれている。

 

 故にこそ───その(なまえ)を呼ぶ。

 

 一時的に幻想を借り受ける。

 

 本来、己が振るうことなどおこがましい、大英雄の持つべき刃の銘を───

 

 

 

「───《破滅の黎明(グラム)》───ッ!」

 

 

 

 ───呪文と同時、ばちり、と手元に光が走る。散々見慣れた電撃ではなく、魔力───エーテルとでも呼ぶべきモノが弾けて、瞬時に形を成していく。

 

 ……うお、やっぱりゴリゴリ魔力もってかれるな。

 さっきまで使っていた短剣の比じゃない。霊基再現度はさほどでもないというのに、数値にして実に今までの(リジル/フロッティ)十倍近くに及ぶ量。最大魔力容量の約半分弱が消費される。つまり、今までにちょこちょこ消費していた今の俺に残された魔力はこれでほぼ三分の一。

 

 その代償に、英雄の剣が現世に再現される。

 赫く輝く諸刃の剣。太陽の属性を持ちながら魔剣として成立した稀有な武器───宝具。

 英雄■■■■が振るった、■■しの剣。

 

 あまりの消費量に一瞬くらっときた。それを隙と見たのか、ついに目の前に迫った合成獣が肉を裂き、骨を砕く爪と牙をこちらに向けて駆けてくる。

 ───それを防ぐより早く、前に一歩踏み込んで、逆手に持った魔剣を横に振るった。

 

『GUA、GAAA……!?』

 

 獣の駆ける速度そのままで、すれ違いながら振り抜かれた刃は骨を裂き肉を裂き命を裂いた。嚙み砕くための牙を剥き出しにしていた口から獣の肉体は両断される。べしゃり、と血と臓物が地面に落ちる。自分についた返り血を拭うよりも先に、剣を払って血を飛ばした。

 完全な再現に至ってはいないのにこれだ。この剣はあまりにも斬れすぎる。自分の技量で扱うにはいささかオーバースペック、剣に振り回されることも十分に有り得る。というか、なってる。

 

 だが、ようやく一撃で仕留められるだけの力は手にした。

 相変わらず武器の銘しかわかんないけど、お借りします。

 

「さて……俺ごときが、どこまでいけるかはわからんが。

 救出劇の幕間だ。とことんまで付き合ってもらおうか───!!」

 

 『破滅の黎明(グラム)』を武装に選択した時点で、こっちの魔力量は半分を割っている。つまりここから先は、ほとんどこれ一本で凌がなければならない。

 実力勝負、とは言えない。ここから俺がするのは、ほとんど『破滅の黎明(グラム)』のスペックをアテにしての戦い。如何にしてこの魔剣を敵にぶつけつつ、自分は生き残るかを考えるだけのものだ。

 

 武器の力に頼るようで、というか実際頼りきりで情けないが、これも世界平和のためなので許してほしい。……許されるよね?

 

 そんなくだらないことを考えながら、俺は片手に長剣、片手は無手で次の標的に向けて駆け出した。




【悲報】マジで話のストックがなくなる。

それはさておき、シグルドさんのモーションやらマテリアルやらをガン見していたのですが、シグルドさんってけっこう逆手で武器を持つことが多いんですね……。
あと結局ナイフとリジル(リディル?)とフロッティの違いがわからなくて頭を抱える。マテリアルを見る限り柄のあるなしで分かれてるみたいだけど、逸話的には柄のある方がリジルになるのだろうか……?


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16.フラグ回収ラッシュ

うちのカルデアのレベル上限が概ね90だったんですけど、レベル上限120実装に伴いシグルドさんをレベル100に。ありがとう種火配布。ところでQP配布はまだですか?


「くそ……間に合わなかったか……!」

 

 ギリ、と部屋の惨状を前に歯嚙みする。

 グレンが旅籠にたどり着いたとき、そこにいたのはシスティーナとルミアの二人ではなく、一人泣きじゃくるシスティーナと、苦々しい顔で佇むアルベルトだった。

 

 ボロボロになったバルコニーで、おおよその事情は察することができた。つまり、グレンが足止めされている間に、リィエルは『兄』を名乗る青年を連れてルミアを連れ去ったのだ。

 幸い、システィーナに傷はないが……それだけだ。さらには、アシュリーは足止めのために置いてきてしまっており、今どうしているのかがわからない。

 

「くそっ……なんでこんなことに……」

「───嘆いている暇はないぞ、グレン」

 

 悔しげに呻くグレンに冷ややかな声をかけたのはアルベルトだ。

 この事態にあっても冷静なあたりが実に憎らしい。

 

「リィエルは護衛対象であるはずのルミア=ティンジェルを連れ去った。しかも天の智慧研究会のメンバーと思しき人物を同伴して、だ」

「…………」

「さらに、奴は王女誘拐の前にお前と民間協力者のアシュリー=ヴィルセルトにまで刃を向け、件の天の智慧研究会の魔術師を保護した。相違ないな?」

「…………っ」

 

 鷹の瞳から目を逸らす。それを認めれば、否、認めなかったとしてもアルベルトは決定的な一言を口にするだろうとわかっていたからだ。

 グレンにも、これがグレンへの質問というよりも現状の再把握であることはわかっている。

 

 アルベルトが、次に言うであろう言葉も。

 

「───これらの状況を以て、俺はリィエル=レイフォードを完全な『敵』と見做し、もし王女救出に際して奴が邪魔立てするようであれば……これを排除する」

「……ふざけんな……ッ」

 

 ところどころに傷が刻まれた壁に拳を打ち付け、グレンは憤怒のままにアルベルトを睨み付ける。

 だが対するアルベルトはどこ吹く風とばかり、その視線を変わらず冷ややかに受け流している。

 アルベルトの言葉はその悉くが正しい。リィエルの裏切りは事実だったし、その後に敵対したことからも明らかだ。もしかすると、その場に居合わせたアシュリーさえも殺されていたかもしれなかったのだ。これを見なかったことにして、リィエルは仲間だなどと言い張ることはどんな詐欺師であろうと不可能だろう。

 

 けれどグレンはその正しさと、正しさから導かれる結論───即ち、リィエルは処断すべきという意見に頷けない。一時であったとしてもリィエルは確かに仲間だった。それに、リィエルが従ったのは───

 

「ふん。『兄』、だろう? 仮令それが本物であろうが偽物であろうが、あの女が素直にそれを認め、此方に戻ってくるとでも?」

「うるせえ……可能性の話をしてるんじゃねえんだよ、今は……!」

「可能性の話でなければなんだ。希望的観測の話か? 事態を楽観視する話か? 現実を見ろグレン=レーダス。貴様が駄々をこねて拾い上げたあの女は、今、俺たちの敵だ」

「うるせえって言ってんだろ!!」

 

 逆上したようなグレンの叫びに、室内がしんと静まり返る。

 

 しばらく、二人はシスティーナを挟んで睨み合っていたが……先に沈黙を破ったのは、グレンの方だった。

 

「……お前、どうせこれからルミアを助けに行くんだろ」

「無論だ」

「なら、俺も連れていけ。俺が、リィエルを引き受ける……いや、連れ戻す」

「奴とお前の相性は最悪と理解しての発言か?」

「知るか、そんなモン」

 

 吐き捨てて、グレンはもう一度アルベルトを見る。

 冷徹な瞳には一切の感情を見出すことができなかったが、やがてアルベルトは一つ息を吸って、

 

「ただでさえリィエルは特務分室のエースだった魔導士だ。それを相手取り、生かして説得することの難度はわかっているのだろうな」

「当たり前だ」

「いいやわかっていない。王女救出を最優先にするのならば、リィエルを救うなどという甘いことを言っていては仕損じる可能性がある。俺たちの前から何も言わずに逃げたお前に、俺にとって状況が不利になることを容認しろと?」

「それは今でも悪かったと思ってる。欲しいなら土下座でもなんでもしてやるよ。けどそれでも、譲れねえもんがあるんだよ」

「その資格が本当にお前にあるのか、グレン=レーダス」

「そんなもんねえってことは百も承知だよ、アルベルト」

 

 再び場を沈黙が支配する。議論は平行線だ。互いに互いの主張を取り下げないことは、長い付き合いの中で嫌というほど理解している。

 しかし。

 

「……条件は二つ、だ」

 

 ───先に折れて見せたのは、アルベルトの方だった。

 

「え……」

「一つ。俺はあくまでも王女救出を最優先する。二つ。そうせざるを得ない状況になった場合、俺は容赦なくリィエルを討つ。……この二点について邪魔をしない限りは、リィエルはお前に任せる」

「あ……い、いいのか?」

「ふん」

 

 アルベルトは短く鼻を鳴らし、相変わらず感情の読めない仏頂面で応じた。

 

「どうせ許可しなかったところでお前は勝手についてくるだろう。であれば、先に取り決めで縛っておいた方が幾分かマシだ」

「……は、はは……素直じゃねえやつだな、お前も……」

「ぬかせ」

 

 そうだ。そうだった。常のアルベルトは一を切り捨て九を救うと嘯く数字を信奉する冷血漢に見えて、一度仲間と認めた人物にはとことん甘いというか、とにかく義理堅いのだ……ということを、ここにきてようやくグレンは思い出した。

 先の言葉も、『いざとなればリィエルを殺す』と言っているようにしか聞こえないが、それは裏を返せば『いざという状況に陥らなければ好きにしろ』ということだ。

 

 アルベルトの回りくどい言い回しに苦笑して、肩をすくめたそのとき。

 

「ああ、それからこれは落とし前だ。食いしばれ」

「は?」

 

 アルベルトの拳が空を裂き、グレンの頬を強打した。

 

 真っ向からくらってしまったグレンは壁に叩き付けられ、「先生っ!?」というシスティーナの悲鳴がこだまする。

 

「お前が何も言わずに去っていったことはこれでチャラにしてやろう。……行くぞ」

 

 言って、アルベルトは頬を抑えて呆然としているグレンの足元にごとりと無骨な銃を放り投げると、返事も聞かずに部屋を出ていく。

 アルベルトの言葉と、投げ渡されたものの正体を理解して───グレンは笑った。

 魔銃《ペネトレイター》。グレンが軍に所属していたときに愛用していた銃器だ。どういうわけか、アルベルトはグレンがいなくなったことで倉庫で埃を被るだけだったこの銃を申請して持ち出してきていたらしい。

 

「……あっはっは」

「ど、どうしたんですか……?」

「いんや。あいつはほんとにツンデレだよなあと思ってな」

 

 魔銃を手に取り、軽く点検しながらシスティーナに笑って答える。

 ぽんぽんとその頭に手を置くと、グレンは安心させるようにいつもの人を食ったような笑顔を浮かべて部屋の外へと歩き出す。

 

「せ……先生!」

「んお?」

 

 声に振り返る。

 システィーナの手は微かに震えていたが、言うべきことが定まったのだろう。真っ直ぐにグレンを見上げると、祈るように手を組み、言葉を紡ぐ。

 

「その……えっと、こんなこと言うのって、変かもしれないんですけど……」

 

 そこで一旦途切れる。それから、そっと笑って───

 

「……ルミアを、助けて。それから……リィエルも、きっと連れて帰ってきてください」

「……おう。任せておけ」

 

 グレンはそれに親指を立てて返すと、アルベルトを追って駆けだした。

 

(アッシュ……悪い、もうしばらく待っててくれ……無事でいてくれよ……!)

 

 一人置き去りにした、生徒の安否を気にしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒャッハー! OBUTSU HA SHOUDOKU DA(死ね腐れケダモノどもが)ァ!!」

 

 言いながら短剣を脳天にシュゥゥゥーーーーーーッッッ!! 超☆エキサイティン!! 哀れ正体不明のケダモノはしめやかに爆発四散。

 え、『破滅の黎明(グラム)』に切り替えたんじゃないのかって? 勝てば良かろうなんだよ、勝てば。

 

 そういうわけで、一ヶ所に留まって迎撃戦をしようと思っていたら結局あっちこっちに走らされて、しかも道中めちゃくちゃ怪しい封印を見付けてしまいそっと目を逸らしたら、封印の内側からニョッキリとこの十数分で顔馴染みになった合成獣が出てきたのを見て思わず封印叩っ斬って侵入しちゃった俺こと『脳内お花畑かよ』、『もう少し考えて行動しましょうね』とか言われそうなアシュリー=ヴィルセルトです。

 

『GUAAAAAAAA!?』

「ドやっかましい!!」

 

 度重なる戦闘で妙な方向にテンションがぶち上がった俺に敵はない。キメラがぶっぱなしてきた火球を紙一重で避け、すれ違いざまに顔面に魔力放出込みで拳を叩き込む。頬と腕を爪が掠り、浅い傷が刻まれるが構うまい。

 ぐしゃり、と内側で魔力が爆ぜ、肉が潰れる音と感覚。非常に気持ちが悪いそれから意識的に目を逸らし、懲りもせずにやってくる獲物の首を携えた長剣で斬り払い、また一体地に沈める。

 

 お世辞にも、『剣を振るっている』とは言えない状態。俺のはただ武器の性能に任せて『振り回している』……良く言えば『払っている』だけ。そこに技術はほとんどなく、レイフォードのような達人と相対すればあっという間に懐に潜り込まれるだろう。

 こんなモン振り回すとか大本(オリジナル)ってのはどんなバケモノなんだか想像もつかん。俺なんかでは比較になるまい。本人に『我が力を勝手に奮うな面汚しめが』とかって言われても文句は言えないぐらいに。

 

 だが残念ながら俺は使えるものは凡そなんでも使う主義なので、この分不相応な得物をぶんぶん振り回す傍ら、隙を見つけては短剣を投擲し、次々と()()()()()バケモノを相手になんとか切り結んでいるのだが───

 

「ジリ貧だな、こりゃ!!」

 

 封印の奥からキメラが出て来たなら、奥に行けば指示を出している大本を叩き潰せるだろうかと思って突入したのだが、なんと外であれだけ叩き売りしていたクセに内部にもうじゃうじゃと突撃待機列ができていたのだ。そうこうしているうちに退路も塞がれてしまったので、仕方なく奥へとばっさばっさ斬り伏せながら進んでいたのである。

 

 だが道を阻む魔獣は一向に潰える気配がない。

 いつの間にか地下水道へと侵入していたのか、清浄な水が脇に敷設された水路を流れているが、常であれば美しいと感じるその流れは既に血で汚れていた。

 

「次から、次へと……!」

 

 獣ですらない、蔦が人型に絡まりあったような異形をコマギレにして毒づく。

 一体どこから湧いて出ているのか、異形の群れはひっきりなしに通路に現れていた。

 

 一度顕現させてしまえばそれ以降は魔力を消費しないで済む都合上、なるべく『破滅の黎明(グラム)』のみで切り抜けたいところだが、それでなんとかなるほど敵の数と戦闘能力は優しくない。

 傷を負う代わりに残った魔力を消費していては途中で枯渇してしまって本命(いるかはわからん)とは打ち合えない。故に魔力消費は必要最低限に抑え、傷は気合いで我慢しているがそれもどこまでもつか。

 

 そろそろ打ち止めになることを期待しつつ、遠くから援護射撃をしようと構えている一体に向けて『破滅の黎明(グラム)』をぶん投げる。細長い身体をくねらせていた蛇のようなバケモノは、胴体を破壊されて破片となって水路に落ちた。

 

 『破滅の黎明(グラム)』を投げたせいで無手となったところを狙ったのだろうか、キメラが一匹こちらへと走っている。既に跳び上がった後、回避するのは不可能な位置。このままでは頭からパックリといかれてしまう。エリック! 上田!

 この一瞬で地を蹴り、限界まで加速した合成獣が、獰猛な牙を剥き出しにして哀れな獲物の肉を食い破らんと走る───

 

「ま、あんまり旨くはないだろうけど───」

 

 つぶやき、片手を構える。このままでは、短剣で迎撃したとしてもある程度の傷は免れまい。そもそもアレを作るための触媒はポケットに突っ込んでいるので、この一瞬で取り出すのは至難の業だ。なくても作れはするが、魔力消費が二倍くらいに跳ね上がる。現状でそれは非常に困る。

 

 なので、別の方法で切り抜けさせてもらうこととする。

 

『GAAAAA───!』

 

 苦悶の咆哮。穿たれたのは俺の肉ではなく獣の方だった。ヴン、という鈍い音とともに『破滅の黎明(グラム)』が独特な軌道を描きながらひとりでに宙を走り、手に収まる。

 その過程でキメラを刺し貫いた魔剣は血に濡れていたが、まあ些末事だ。トドメと言わんばかりに獣の眉間を叩き斬り、くるりとその場で振り払う。刀身の赫とは違う紅色が水滴となって地面を汚す。

 

 だが、そんな時間さえ俺には許されないらしい。

 夥しい数の骸が転がる通路の奥。大亀のような、馬鹿みたいに巨大な怪物。肉体の大部分が透き通った鉱石のようなもので構成されたそれは、見ればわかる。強い。

 

 亀は見上げるほどの巨躯を太い後ろ足で支え、こちらを叩き潰そうとその豪腕を振り下ろす───!

 

「げぇ……食らったら死ぬな、これ。しかも物理と魔術の二段構えとは恐れ入る……」

 

 振り下ろす間際、体表に埋め込まれた宝石がバチバチと唸りを上げて電撃を生み出しているのを確認して判断を下す。退避は不可能。防御は論外。であれば、攻撃。

 物理的衝撃ならどうとでもなるが、電撃をくらうのはご免被る。

 

 ステップで避けた腕が、地響きを立てて施設を揺らす。揺れから逃れるために跳び上がり、空中で一回転。そのまま重力も加味して、手に持った長剣の刃を亀の甲羅に叩きつけた。ギャリ、と聞こえる金属が擦れる音。一見弾かれているように見える───だが刃は確実に、微かではあるがその甲羅を傷付けている。

 それならいける。貫ける、斬り裂ける。そんな確信と同時に、残されたなけなしの魔力を一部、推進力に変換して放出する。

 

 狙うは速攻。また非物理攻撃なぞされてはたまらない。

 グレン先生も言っていたではないか。隊伍を組んでの魔術掃射はキツいと。

 

「押し、通、るッ!」

 

 一時的にブーストをかけられた腕が、耳障りな音を響かせながら体表に食い込む刃を押し込んでいく。一歩を踏み出す。平衡を保っていた攻防を押し切る。火事場の馬鹿力というやつだろうか。それとも俺がおかしいのか。もう一歩を踏み込む。ヒビが広がっていく。

 もう一歩。───捉えた。

 

「ぜ、ェ、りゃああぁぁぁぁああああ!!」

 

 馬鹿みたいに硬い大亀の輝く身体を、馬鹿みたいに鋭い魔剣が両断する。

 硬い分脆かったのか。あるいは衝撃に耐えられなかったのだろう。あっけなくその身を砕けさせると、大亀は断片と化して地に沈んだ。同時に、用意されていた雷撃も消え失せる。

 

 そこでようやく、今のが最後の一匹だったらしいと気が付いた。

 いつの間にか辺りはしんと静まり返り、無数の死骸だけが転がっている。

 

 どれぐらい戦っていたのかは不明だが、短くない時間をここで過ごしたことだけは確かだ。

 

「……時間、くっちまったな……いてて」

 

 戦闘時はいつでも大活躍のアドレナリンがどっかにいってしまったので、誤魔化していた細かな傷の痛みが全身から響いてくる。でもまあ、やっぱり二ヶ月前よりはマシだ。今考えるとある意味良い経験をしたと言えるのかもしれない。礼は絶対にしないが。

 

「は、ぁ───……まあ、継戦可能では……あるか」

 

 損傷具合を確認し、そう判断を下す。

 脇腹にそこそこサイズの切り傷が一つ、ちょっとした火傷がそれなりに。あとは細かな切り傷が肩やら腕やら顔やら足やらに無数についている。中傷と言っても差し支えないだろう。

 だが、だからといっていつぞやのように治癒魔術をかけるわけにはいかない。魔力が足りなさすぎる。戦闘開始前は三分の一と少しだったのが、今や四分の一、いや五分の一にまで迫っている。もうそろそろマナ欠乏症に陥りそうな状態。魔剣に名剣、ついでに魔力放出まで大盤振る舞いすれば、そうもなるか。

 

 それにしても、大量の合成獣を相手にしてしばらく時間が経ってしまったが、ティンジェルは大丈夫だったのだろうか。あの青年は『確保』と言っていたし、魔術競技祭のときのように命を狙われることはないだろうが……。不安ではある。

 

 ゴロゴロ転がってるバケモノを避けて、邪魔くさい制服のケープを脱ぎ捨てながら水路に沿って早歩きで進んでいると、不意に遠くから爆発音のようなものが聞こえた。音の響き方からして、同じ施設内での爆発のようだったが……一体なにごとだ?

 一番考えられる、というかそうであってほしいのはグレン先生が殴り込みかけに来たって線なんだけどどうだろう。別の方向から入ってきたみたいだし、ティンジェルの保護には失敗したけど追いかけてきた……というところだろうか。

 

「あー、つっかれたー」

 

 まだまだ本番はこれからだというのにこの疲労具合。今年のヒューイ先生の事件からひっきりなしに問題が起きている。休む間がマジでねえ。

 俺は平穏無事な日常が好きなだけなんだって。いい加減帰らせてくれよ。なあ。

 

 というかまた制服がダメになったんだけど。今度はズボンまで血まみれの傷だらけなんだけど。どうしてくれるんだあの天ぷら同好会。許せん。

 これ、請求したら国かなんかが補填してくれないかなあ……。さすがに無理か。

 

 ……というか、だ。

 ここまでぶんぶん振ってきて思ったけど、これ(グラム)を実際に使ってたやつってのはどんだけやべーやつだったんだ。ゴリラか?

 いや、重いとかそういうのを抜きにしても、なんていうか……この剣、とにかく()()()()()使()()()()()のだ。

 

 たとえば、めっちゃ切れ味の良い包丁があったとしよう。

 かぼちゃでもなんでもスパスパ斬れるようなやつだ。

 それは料理初心者でも綺麗に斬れて非常に良い。大助かりだ。なんせ難しいことを考えるまでもなくスパッと斬れてしまうのだから、コツを知らない初心者にはありがたいシロモノといえる。───一見は。

 

 だが、斬れすぎる包丁はまな板も、豆腐を乗せた手も容赦なく斬ってしまう。

 ある程度扱いに習熟していないと、正しく、そして効果的に使えない。それでは確かに『斬る』という単一機能の発現は問題ないだろうが、その真価は到底発揮できない。それと同じだ。

 

 ついでに言うとこれでもまだまだ序の口というか、さっきのたとえでいけば『めっちゃ斬れる包丁』が錆びついた状態だ。……なんていうのかな、使う機会がなかったせいなのか、再現度が低いというか? たぶんオリジナルはもうちょっと強いんだろうなあ、というか───

 

「まあ、仮にそうでも扱いきれるとは思えんが」

 

 なんせ『そう(弱いと)』自覚した状態でこの有様なのだ。

 レベル10のキャラクターにレベル制限50くらいの武器渡されたって器用には使えない。素が強いからレベル30くらいのスペックは発揮できている状態。実によろしくない。やっぱり鍛錬を増やすべきだろーか。

 使い慣れてないから、なんて理由で性能ダウンとか洒落にならない。いやマジで。

 

 ……レベル10って言ったけど、やっぱ30くらいまでないかな。……さすがに自意識過剰が過ぎるかな。

 

 せめて、20くらいはあると良いんだけど。

 

 ───カツカツと足音を響かせながら、長い長い水路を辿る。

 

 いつの間にか。周囲の景色は、昼間に訪れた白金魔導研究所と酷似したものになっていた。

 

「真っ黒くろすけだあ……」

 

 そりゃ、白金術とやらに必要な条件が豊かな自然……というか、新鮮な生命マナ? とやららしいので、研究施設が似通った構造になるのは当然だ。

 

 そしてここサイネリア島で、キメラを無数に生み出せるほど白金術に長けた人物など一人しかいない。即ちバークス=ブラウモン。好々爺然とした顔の裏側に外道魔術師としての貌を潜ませていたのであろう初老の男。

 そうであるのならば───なるほど、そりゃあんな大安売りするわけだ。倫理を捨てて研究を重ねていたならば、途上で発生した合成獣など掃いて捨てるほどいるだろうさ。あるいは、性能テストを兼ねていたのかもしれない。人間相手にそれをするのは、どうかと思うが。

 

 まったく、本気で嫌になる。

 外道ってのはそういう手合いだ。誰かの人生、誰かの平穏、誰かの日常を容易く破壊してみせる。

 

 ……ちょっとイラついてきた。なんでふっつーに生活したいだけなのに、こんなにかき乱されにゃならんのだ。

 

 ───ああ、帰りたいなあ。

 苛立ち交じりに、本来の性能(カタログスペック)から幾分か鈍った魔剣を担ぎ直す。

 本来ならば、神■の■■編■■■■■た■も、■■ル■■■■した■銀■■え■を、そ■悉くを容易■斬り裂いてみせる魔剣だとかなんとか。

 

 ……ダメだな。わかっちゃいたけど、どういうものなのか理解は及ばない、か。

 マジで誰だよこんなやっべー武器振り回してたわんぱく英雄は。爆誕させた鍛冶師も相当だが。

 

 まあ、いいか。

 何度でも言うが、気にしないでいいことは気にしないに限る。

 

 こっちの目標は帰ることだ。名前も知らないわんぱく英雄のことを気に掛ける余裕はない。興味はあるが。

 

「ああ、本当に嫌になる」

 

 それにしても、この事態の元凶にはこの落とし前、どうつけさせてくれようか。

 レイフォードうんぬんという話ではない。きっとなにか事情があったのだと思うし、思いたい。なのでレイフォードへのお仕置きはグレン先生に任せよう。

 

 あのお人好しのことだ。なにがなんでもティンジェルを助け出して、そしてレイフォードもちゃんと連れて帰ろうとするだろう。

 

「帰る……そう、帰る。うん……それがいい」

 

 カツカツと、足音を響かせながら水路を辿る。

 

 途中にはいくつもの分かれ道、いくつもの部屋があったが、ラスボスも姫もこういう場合は最奥にいるものと仮定し、帰るべき日常のひとかけらが囚われているのだろう部屋を目指す。

 度重なる戦闘で身体は思ったより疲弊していたらしく、一歩一歩がやたらと重い。

 それでも進むことは不可能ではない。なんとかなる。大丈夫だ。己を鼓舞して、足を動かす。

 

「……さっさと片付けて、お姫様を助け出して、帰ろう」

 

 

 

「───でも、貴方様の行軍はここでお終い。ここからは、私のお相手を願えます?」

 

 

 

 少しだけ聞き慣れた声が、耳朶を打つ。

 それと同時、いつか味わった灼熱が背中を貫いた。

 致命傷というほどではない。あの時の傷に比べれば十二分に小さなモノ。

 首を回し、それを穿ったのであろう人間の姿を確認する。

 

 黒髪、ショートヘア。

 使用人服、ヘッドドレス、ガーター。

 ああ、見覚えがある。名前も知っている。

 わからないのはそれがなぜ、俺の血で濡れたナイフで舌なめずりをしているのか。

 

「約定通り、お迎えに上がりましたわ。ご機嫌は如何? アシュリー=ヴィルセルト様」

「───は、ははは」

 

 乾いた笑いがこぼれるのは、どこかでそんな気がしていたからだ。

 時折こちらに向けられる、妖しさを帯びた視線。

 ふとした瞬間の底冷えした空気。

 ……ああ。この女と俺の道は、交わることはあるまいと。半ば本能で、理解していた。

 

「申し上げましたでしょう?」

 

 薄っすらとした光に照らされた闇の中、朱を引くように女が嗤う。

 

 それはこれまで一度も見たことがないような、とびっきりに壊れた笑みで───

 

「貴方様には、またすぐにお会いできる、と」

「……自分から来るのは、ちょっとノーカンじゃないかなあ」

 

 傷は浅くはないが致命的でもない。凶器は引き抜かれている。なんのことはない、たかだかナイフが背中に刺さった程度。肺と心臓さえ活きていれば問題はない。

 

 ぬるりとした感触が背中を伝うのを感じながら、俺は敵───エレノア=シャーレットと対峙した。

 

 冗談キツいぜ、まったく。




本家本元のグラムは振ってる本人がやべーとはいえ、オーディンの作った結界もぶっ壊すぐらいの性能があるらしい。
なお現状、アッシュが振るうのは劣化版なので『なんか切れ味がすげー剣』でしかない。それでも威力は十分。


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17.現実って理不尽だ

エレノアさんの戦闘能力がわからないことに気付き一日。
まあいいか、とすべての匙を投げて書き上げました。ゆるして。


「本当は、時期尚早なのですけれど」

 

 そう言って、女は笑んでみせた。

 それなら放っておいてほしかった、という少年の言葉を無視して、なおも重ねる。

 

「ですが、それもここまで。その正体、その能力、あまりに不明瞭ではありますが……」

 

 ちらり、とエレノアが見やるのは、数多の怪物を屠り、真銀か日緋色金でもなければ斬り裂けぬと謳われる宝石獣さえも砕いてみせた赫き魔剣。

 いずれこの少年がどこに与するのか、どんな存在となるのかは現状では不明だ。敵か味方か、あるいは第三者か。剣聖のごとき存在となるのか、宝の持ち腐れとなるのか。

 だがどうなるにせよ、手元に確保しておくに越したことはない。

 エレノアとて神ならぬ身。敬愛する大導師のように多くを知るわけではないが、それでも彼の異常さは明らかだ。叶うのならば、魔術師としての欲に任せてその身体をバラバラに解体して解剖して解析して、魂も精神も肉体も全部明らかにしてしまいたいほどに。

 

「どうですか? 大いなる(ソラ)の智慧───その手に掴んでみたくはありませんか?」

 

 始まりは仮にも竜に連なるモノをその身一つで破壊したという異常性から。

 その次はエレノア自身の忠誠と直感から。

 その二つを理由に、エレノアはアシュリーを勧誘───否、捕獲すべきという結論へと至った。

 

 実際に大導師がどう動くかはわからない。エレノアはただ粛々と、大導師のために行動するのみ。

 そのために近付いた。そのために逢瀬を重ねた。そのために、今───こうして傷を負わせた。

 

 死なない程度に体力を削るための一刺し。捕らえるのであればもっと適した方法があっただろうが、エレノアはそうしなかった。それはこの目で彼の能力を確認するためでもあり、火照った身体を冷ますためでもあった。

 冷たいナイフに滴る、熱く甘い生命の原液を舐め取って、エレノアはやはり微笑む。

 

「ええ、ふふっ。昂ってしまいますわ……」

「───それが、あんたの本性か」

 

 ため息を一つ、冷ややかな声とともに吐き出した。

 少年は既にエレノアを打破すべき障害と見なしていた。見事な切り替えと言わざるを得ない。あの街、あの場所で見せていた純真さ、凡庸さは消え失せている。

 

 代わりに構えているのは鋭利な刃。触れるものを斬り裂く魔剣。魔力は枯渇寸前のようだが、その刃を持つというだけで十分に厄介だ。

 それにきっと、彼はエレノアを斬ることを躊躇わない。そんな確信があった。

 

「返答する。こちらの回答は『拒否(ノー)』だ。大人しく帰って寝ててくれ」

「まあ、つれない御方」

 

 心底残念だ。

 

 残念だが、仕方ない。

 

「では、力づくで連れていきますね?」

「結局、そういう結論になるんだな」

 

 もう一度、ため息。

 目の前の少年はいかにも『うんざりする』とでも言いたげに肩をすくめ、長剣を構える。

 

 これ以上の問答は必要ない、ということか。

 惜しくはあるが、こちらの時間も無限というわけではない。グレンやアルベルトが侵入している以上、エレノアとていつ儀式が邪魔されるのか気が気ではないのだ。

 

 つまりこの戦いは、互いにとって短期戦が望ましいもの。少年は戦闘力の問題から、エレノアは本来の役割の問題からそれぞれこの再会を終わらせようとしている。

 

「───いざ」

 

 短い言葉。同時にアシュリーが地を駆ける。速攻を仕掛けるとは見上げた度胸だ。

 こう言ってはなんだが、アシュリーの白兵能力はそう高くない。リィエル=レイフォードに比べれば大抵の剣士は凡才に成り下がるとはいえ、高く見積もってもせいぜい中の中が良いところ。

 だが先の通り、手にした長剣は宝石獣さえ斬り裂く業物だ。それが凡庸な人間であるはずのアシュリーの脅威度を一段階、引き上げている。

 

「さあ、さあ皆様、出番ですわ。ああ、私ったら火照って昂って仕方がなくて───」

「フッ───!」

「───燃え上がってしまいそう」

 

 横に一閃。それを跳躍で躱し、エレノアは清浄だったはずの神殿から不浄なる死骸を無数に顕現させる。ここに来るまでにアルベルトに相当数減らされたはずであるにも関わらずその数は通路を埋め尽くすほどであり、そして全員が女性。

 肉は腐り、骨は露出し、眼球は落ち窪み身に纏っていた衣服はボロ切れと化した死者の群れ。それが一斉に、この場における主以外の生者───アシュリーに向けて殺到する。

 

 辛うじて残っていたのだろう発声器官からおぞましい金切り声を上げながら、腐り落ちた爪でその喉を裂かんと死者にあるまじき速度で群れ集う。

 

 まずは小手調べ、ということだろうか。お行儀よく順番に、ではないとはいえ、辛うじて対処できるレベルの死体がじわじわと迫っている。

 

「死者の群れとは、良い趣味をしているなエレノア=シャーレット!」

「お褒めに与り光栄ですわ」

「褒めて、ないッ!!」

 

 地面を踏みしめ、逆手に握った魔剣を振り抜く。一体を袈裟懸けに両断しつつ、回し蹴りの要領で大きく足をしならせ、後続の死者を吹き飛ばし、胴体を粉砕する。背中の傷が痛んで血を吐き出し続けているが、それだけだ。行動に支障はない。

 空中に跳び上がりながらもう一撃。空中で体勢を整えて、着地する寸前に両手で『破滅の黎明(グラム)』を構え、着地地点に殺到する死者を脳天から叩き斬る。無茶苦茶な動きをした自覚はあったが、そうでもしないと捌けない。

 

「さすが、ですわね。ではこちらは如何?」

 

 ぱん、とエレノアが軽やかに手を打ち鳴らす。

 群がる死者の数が膨れ上がる。囲んで捕らえてしまおうとでも言うのだろうか。

 一体一体処理しているのでは間に合わない。事ここに至り、威力の代わりに短剣よりも取り回しの悪い『破滅の黎明(グラム)』を持っていることが裏目に出た。今さら切り替えようにも既に魔力は底が見えているし、そんな暇は存在しない。手数で凌ぐのは不可能だ。

 

 ───であれば。

 

 踏み込み。逃げるのではなく、その包囲網の中心へと自ら進んで魔剣を握る右手に力を込める。

 

 ただの剣であれば、骨を残す骸を一太刀で斬り伏せることは叶うまい。

 ただの斬撃であれば、一体斬り伏せる間に他の骸が襲い掛かろう。

 

 無数の死者がアシュリーを取り囲む。偽りの魔剣の担い手は、残りわずかしかない魔力を肉体に走らせる。

 

 ───魔力放出。

 本来魔術に用いるガソリンであるそれを、世界の改変ではなく瞬間的なブースターとして利用する術。いわば一瞬だけジェット噴射による推進力を獲得する業だ。

 実際彼の大英雄がそんなことをしていたのかは不明だが、少なくともこの少年は使ってみせる。振るってみせる。

 足りない力量を補い、立ちはだかるものを自分なりに手っ取り早く粉砕するための技術。

 

「───ッ!」

 

 噴き出した魔力を利用して、コマのように身体を回転させる。魔剣はそのまま、刃を地面と平行にして保持し続ける。

 通常の武器であれば、骨に、腐肉に阻まれて刃は途中で止まるだろう。だが稀代の魔剣は止まらない。藁束のように獲物を斬り裂きながら、一切の減衰なく全てを両断せしめてみせた。

 

 腐り落ちた肉が周辺に撒き散らされる。砕けた骨が床に転がる。

 やはり強引であったためだろう、断面はなにかに引きちぎられたかのようにささくれ立っている。

 

 一度に多くを。効率を求めた結果、彼は己に群がる死骸を一瞬で斬り伏せた。

 だが、底がないからの無数、果てが見えないからこその無限。

 

 エレノアの周囲から、再び土を、床を割って屍体が湧き出す。一応、その数は先よりはまだマシだ。

 手持ちが尽きたのか───あるいは、未だにこちらの実力を測っているのか。そう推測し、強引に突破したせいで崩れた体勢を立て直して、

 

「《吠えよ炎獅子》」

 

 攻撃に転じるより早く、今度は炎と死体の両方が迫る。

 少年は魔術に長けているわけではない。動く屍はどうとでもできるが、魔術のようなものを防ぐ術は数えるほどしか有していない。

 

 ───使いすぎた。もうほんのわずかしか魔力は残っていない。魔術は使えてあと二回。

 それ以上は確実にマナ欠乏症に陥る。実質的に、使えるのはあと一回きり。

 その一回を、ここで費やすのか? 一瞬、そんな躊躇いがよぎるが───

 

「クソッ……!」

 

 考えている時間はない。【トライ・レジスト(三属性ダメージ軽減の呪文)】を唱えて直撃だけは避け、余波で発生した炎に巻かれながらも襲い来る死者の群れを斬り伏せていく。

 

 ぎり、と歯を噛み締めて耐える。冷や汗が噴き出すそばから蒸発していく。血の気が引いていくような感覚。そういえば実際に流血していたのだったか、とぼんやり思った。

 エレノアがアシュリーの確保を目的としているせいか、そこまで強い威力ではないことが幸いした。これくらいなら直撃さえ避ければ【トライ・レジスト】でなんとかギリギリ耐えられる。だがそれが切れた瞬間、自分は炎に巻かれ、負ける。

 

(時間がない……踏み込むか……?)

 

 『破滅の黎明(グラム)』を構え直し、炎に体表を舐められながらもう一度足に力を込める。

 炎のせいか、屍たちは自分に近付く素振りを見せない。その中でも寄ってきていたものは斬り伏せた。おそらく、爆風が消え失せれば先のように一斉に爪を振るうのだろうが……今だけは。

 今だけは、エレノアに辿り着くまでの障害は、熱風しか存在しない。

 

 好機であると、簡単には言い切れない。【トライ・レジスト】を付与しているからといって全てのダメージをカットできるわけではない。確実に、小さくない傷を負うだろう。現に今、炎は魔術による守りを貫通して少年の肌を炙っている。

 その上エレノア自身の戦闘能力が未知数である以上、ここで飛び込むのは危険であり、罠である可能性すら存在する。

 

 だが、ここしかチャンスがないのもまた事実。

 いつ、エレノアがこちらへの対応を『捕獲』から『排除』に切り替えるかもわからない。

 

(毒食わば皿まで、だ)

 

 最悪、どうにもならなかったとしても、グレンがルミアの元へ辿り着くまでの足止めくらいにはなるだろう。

 

 判断は終わった。あとは行動に移すだけ。

 足に込めた力を解放する。地を蹴って、左下からその肉体を両断すべく魔剣を握り直し、炎を振り切り、そして───

 

 ───ああ、やはり、と妙に冷静な意識で思った。

 

「ごめんあそばせ?」

 

 この炎熱地獄にあってなお涼やかな声。

 その声の主は、長いスカートをふわりと翻して───その優美な足を、大気に晒した。

 初めての攻撃動作。そのままエレノアは、くるりと身体ごと回転させ、咄嗟に防御するように構え直された刃に足が触れることも構わず蹴り抜く。

 宙に舞う血潮。───ない。斜めに構えられた刃に沿うように、エレノアの足は深く切れ込みを入れながら少年の腕越しに胴を蹴り飛ばした。

 

「───捉えましたわ」

 

 ダン、と。

 ここに至るまで、一度も自分からは近付いてこなかったエレノアの細くしなやかな五指が、無謀にも突撃して壁に叩き付けられた少年の首を掴み、身動きが取れないように押し付けている。

 深く刻まれたはずの足は黒い粒子を撒き散らしながら再生し、あっという間に元の形へと戻っていた。並外れた再生能力。だがそれを訝しむ余裕はない。

 

 硬質な音を響かせて、アシュリーの手を離れた魔剣が地に転がる。

 

 しくじったか、と歯噛みする。頭を打ち付けたのだろう、マナ欠乏症のせいだけでなく意識が霞む。

 できるだけ早く最奥に辿り着くためにあらゆる手段を講じたが、それでも景気良く使いすぎたのだ。……否、あらゆる手段を講じた、というのは誤りだ。切り札の二つ目を、自分はまだ切ってはいないのだから。

 

(けど、それも……)

 

 戦力差を覆すことはできない。得られるものはこの死闘の続きだけ。それを長引かせてどうしようというのか?

 既に勝ち目はなく、死なないにしてもロクでもない目に遭うのは確定している。なら、今からでも逃げに徹する? 不可能だ。通路は包囲されているし、首を締め上げるこの手から逃げ切れるとも思えない。

 そもそも逃げてどこへ行こうというのか。街へ向かう───住民を巻き込めない。旅籠へ戻る───やはりこちらも、生徒を巻き込むわけにはいかない。どこかへわき目もふらずに駆け出してみる───すぐに追いつかれるか野垂れ死ぬかの二択だろう。

 

(……詰み(チェックメイト)、か)

 

 なにか奇跡が起きて誰かが助けにでも来ない限り、アシュリーの敗北は決定している。そんな奇跡に心当たりはないし、縋る気持ちにもなれない。

 

 件の組織にとって、自分はおそらくオマケ程度の存在だ。本命はルミア=ティンジェル。そしてそこには、グレンが既に救出に向かっているだろう。

 であれば……最低限、目的は達したと言えよう。

 もちろん命は惜しい。そもそも己を鍛えていたのは正しくはルミアのみを守るためではない。

 だが、守れるのならば守りたいと思う。否、守らなければならない。ルミアも今や、帰るべき日常の一員なのだから。

 

 それでありながら、なんという無様。

 

 自分は所詮この程度の存在だ。ちょっと変わった才能を有していたところでそれは変わらない。

 どこか誰かの力を手前勝手に借りておいて、それでもなおこのザマだ。あまりの情けなさにいっそ笑いが込み上げてくる。

 

 ……血流を塞き止められているのだろう、意識は回復することなくどんどん霞んでいく。

 

 ついには視界さえもおぼろげになる。エレノアがどんな顔をしているのか、なにをしようとしているのかさえわからない。

 

(……呪文、は、無理。切り札……は……切れなくも、ない)

 

 だが切り札を切ったところで、この状況を打破できるのか、と言われれば首を傾げざるを得ない。無為に終わる可能性の方が高いだろう。

 

(……けど、こっちの状態……が、良くない。不完全起動しか、できないか)

 

 酸欠にあえぐ思考を回して、(詰み)の状況でも打てる手を探す。

 

(……それでも)

 

 ぐ、と腕に力を込める。吸えないはずの息を吸い込み、最後の手札に手を伸ばす。最後に残った魔力を回す。

 たとえ苦悶の時が長引くだけであろうとも、ここで諦めるわけには───

 

「……ちっ。思ったよりも役に立ちませんでしたわね」

 

 ふと、拘束が緩んだ。

 

 身体が地面に投げ出される。突然解放された呼吸に咳き込みながら、反射的に地面に転がっていたはずの剣を探す。……あった。

 魔剣を杖のようにして立ち上がる。だがエレノアはそれには構わず、ぶつぶつとどこか遠くに視線を投げながら苛立たしげに顔を歪めた。

 

「こちらにかまけて本来の目的が果たせないのでは本末転倒、ですわね……ここは、退かせていただきます。非常に残念ではありますが……」

 

 頭は相変わらず回らなかったが、掠れた声で『一昨日きやがれ』とか返した気がする。

 

 それにエレノアがどう反応したのか、アシュリーにはわからなかった。急激に意識が落ちていく。まさかこんなあっけない幕切れになるとは想像していなかった、とどこかでぼんやり思った。

 足音が消える。その場に崩れ落ちる。睡魔にも似た感覚が意識を叩き落としにくる。足音が複数戻ってくる。顔を上げようとして、もう動けないことに気付いた。

 

「……巻き込んで、ごめん」

 

 最後に聞こえたのは───エレノアではない、別の誰かの悔いるような声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 清潔な匂いに包まれながら目を覚ます。

 自分の部屋ではない。世話になっていた旅籠の部屋に似ていたが、微妙に造形が異なる。つまりは別の部屋。

 

「……知らない天井だ」

 

 なんともテンプレートなセリフを吐いて、ぼんやりと辺りを見渡した。なにがあってここはどこなのか理解が及ばない。

 

 確か……キメラと殴り合いながらどっかの施設に突入して……もしかしたら奥にティンジェルが捕まってるかもなって思ってどうにかこうにか侵入して……。

 

「……あー」

 

 ……思い出した。エレノアさんに後ろからぐさっといかれたんだ。

 

 その上でなんとか進もうとしてもう清々しいくらいに瞬殺、ボロ負け。

 

 エレノアさんが強かったのはわかるんだけど、それを差っ引いてもあまりにも雑魚だったな、俺……。

 普通に悔しい。こうならないように鍛えてたんだけど、やっぱり足りなかったか。こんなに弱いと次に師匠に会ったら殺されそうだ。『この四年間なにしとったんじゃー!!』とかって。

 

 すみません、サボってたんじゃないんです、アルバイトっていう他に頑張らなきゃいけないことができただけなんです。

 

「はあ……」

 

 なーんで生き残ったのにこんな憂鬱な気分にならにゃいかんのだ。やっぱ現実って理不尽だわ。平和な日々すらまともに与えられないとは。……天ぷら同好会が出張ってる時点でアウトか。

 そしてよくよく見れば身体にはやたらと包帯が巻かれていた。どうやら味方の誰かが拾ってくれたらしい。役立たずの負け犬にすいません。

 

 あまりのボロ負け具合に自虐モードに入っていると、不意に扉が開く音が聞こえた。蝶番の軋む音とともに現れたのは、同じくあちこちに包帯やらを巻いた青髪の少女───リィエル=レイフォードだった。

 もっとも、包帯の量は俺より数段少ないが。

 

「……ん。アッシュ、起きた?」

「おう? ……ああ、レイフォードか。オハヨ」

 

 身体を起こし、いつもの調子で返答する。ボロボロになってはいたが、レイフォードの服は制服ではなく、初めて会ったときの物々しい衣装だった。どこで着替えたんだろう、と思わないこともないが、まあ例によってこれも『気にしなくて良いこと』に分類されるので疑問はゴミ箱にポイ。

 最後に会ったのはキメラが足止めに現れたタイミングだったから、ある意味ケンカ別れのような形になっていたが……仕留めにこない辺り、事件は無事解決したのだろう。よかったよかった。

 

「で、どしたよ?」

 

 レイフォードはさっきから、なにがおかしいのかいつもの無表情を妙に歪ませている。

 

「ん……なんでもない」

「そうか」

「…………」

「…………」

 

 か、会話が。会話が続かねえ。

 

「……あの」

「うん?」

 

 これはこっちから声をかけるべきなのかと迷っていると、レイフォードの方から口を開いてくれた。

 

「話したいことがある」

「おう」

「その……えっと、長い話になるかもしれない」

「いいんじゃない?」

 

 どうせベッドに転がってるんだし。こういうときは勝手に動いてはいけないので、暇つぶしと言ってはなんだがレイフォードの話を聞くのは問題ない。

 

 あっさりOKが出たことに驚いたのか、それともなにをどう語るべきなのか考えていたのか。

 レイフォードはしばらく黙りこくってから、たどたどしく言葉を選んだ。

 

「わたしは───」

 

 そうして語られたのは、つい最近思い出したというレイフォードの過去話だった。

 

 昔、天ぷら同好会の末端に、魔術の研究をさせられていた兄とともに暗殺者として囲われていたこと。

 兄とその親友と、三人で支えあって地獄のような日々を生き抜いてきたこと。

 その代償に、罪もない人々を何度も殺してきたこと。

 そして───兄の親友が裏切り、兄シオンと、()()()()()()()()()()が殺されたこと。

 

 自分が、イルシアの記憶を受け継いだ魔造人間───『Project:Revive Life』、通称『Re:L(リィエル)計画』で生まれたイルシアのコピーだということ。

 

 他にも、自称兄貴の正体だとか、あの後なにが起きただとか。

 そのすべてを説明し終えたレイフォードは、椅子に座りながら小柄な身体を小さく縮めていた。

 

「ごめん。みんな、わたしが巻き込んだ。システィーナにもルミアにも、グレンにも……アッシュにも、ひどいことした……」

 

 ……なるほど。それを言いに来たのか、レイフォードは。

 しかし、

 

「解せんな」

 

 ふむ、と顎に手をやってつぶやく。

 

「え……?」

「レイフォードが謝る理由がサッパリわからん」

「で、でも、わたしはみんなを裏切って……」

「それは事実だけど……」

 

 だって、悪いのって要するに天ぷら同好会の奴らじゃん。

 

 レイフォードが謝るようなことはないだろう。

 

「わたし、ひどいことした……のに。アッシュのことも、斬ったのに」

「生きてるからおっけおっけ」

「軽い」

 

 レイフォードにも言われてしまった。

 そんなにノリが軽いのだろうか、俺は。

 

 そう思っている間に、レイフォードの表情が若干沈み込む。

 

「わたしが裏切らなければ、みんな、怪我も、怖い思いもしなかった」

 

 へえ。

 

「なのに……システィーナも、ルミアも、みんな許してくれて……」

 

 ほう。

 

「グレンも、命懸けでわたしを助けてくれて……」

 

 そうか。

 

「……アッシュ。真面目に聞いて」

「すみませんでした」

 

 瞬時に錬成されて振り下ろされた大剣を真剣白刃取りしつつ全力で謝った。

 ごめん。真面目な話は俺には不向きだと思って相槌botに徹していただけなんだ。

 

「……とにかく、えっと、だから……その、ごめん」

 

 魔術を解除(キャンセル)したのだろう、大剣を光の粒子へと変えながらレイフォードがぺこりと頭を下げた。

 ……なんだろう、グレン先生の気持ちがわかった気がする。俺でさえ成長を嚙み締める兄貴っぽい気持ちになっているのに、グレン先生はどんな心持ちでこれを見ていたことやら。

 

 しかし、さすがにそろそろ真面目に向き合うべきだろう。

 ごほん、と一つ咳払いをして、

 

「あー、なんだ、レイフォード?」

「ん」

「さっきも言ったけど、生きてるんだから万々歳っていうか問題ないよ。ほら、元気元気……あいてて」

 

 ぐさっといかれた背中がひきつれるよーに傷んだ。ちょっと調子に乗ってしまったようだ。

 

「ま、ともかく、だ」

 

 ついついぽん、と頭に手を置いてしまう。

 ……や、やべえ。捨てられた子犬みたいな感じだったからついやってしまったがこれ場合によってはセクハラにあたるのでは?

 

 だがこうなったからには最後までいくしかねえ。内心の動揺を一度シャットアウトして、ぴょんぴょん髪の毛が跳ねてる頭を撫でる。

 

「もう迷子じゃないんなら、それでいいさ」

 

 聞いた感じだと、レイフォードはもう任務うんぬん関係なしに学院を───グレン先生とフィーベルとティンジェルのそばをいるべき場所と定めたらしいし。

 どうしたら良いかわからなくて、ひたすらにさまよっている迷子の面影は……もう、ない。

 

 帰る場所があるというのは良いことだ。たとえそれがどこであったとしても。

 

「……アッシュって」

「なに?」

「変」

「直球ぅー」

 

 最近罵倒されてばっかりだよね、俺。

 

 というか俺が変ならグレン先生はスーパー変だろ。そう言うと、レイフォードはうんと頷いた。共通認識だった。

 

「それじゃ、今日はそれだけ。あとは休んで」

「そうか? なら、そうさせてもらうけど」

 

 ふわあ、とあくび一つ。

 思いっきり運動した後だから疲れてはいる。レイフォードとの会話で回復した体力も消費したのだろう、眠気が意識を夢の中に引きずり込もうと瞼を重くしている。

 

「……ありがとう」

「お礼はグレン先生たちにな」

「わかってる。……でも、ありがとう」

 

 ぱたん、と扉が閉まる。

 

 ……はて、お礼をされるようなことなんかしたっけか?

 

 今日一日の動きを思い返してみる。

 

 レイフォードを探しに行く

 →レイフォードとガチンコ勝負する

 →キメラとガチンコ勝負する

 →エレノアさんとガチンコ勝負する

 

 ……戦ってばっかりだなあ、今日……。

 そしてやっぱり心当たりはない。

 

 気付かなくて良いことに気付いてしまったので、布団を被って目を閉じる。

 

 白金魔導研究所の所長が外道魔術師だったり、波止場や森が大惨事になったりと色々あったけど。

 今だけは、惰眠を貪っても許されるだろう───。




これにて四巻概ね終了。
次は後日談とキッスの運命を阻まれたシスティとグレン先生の婚約大騒動だゾ。


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18.後日、扉は頑張って修理しました

すみません、みんな大好き(棒)レオス先生の登場までいきませんでした。


「俺、復活ッ!」

「おめでとう」

 

 ぱちぱちぱちぱち、とレイフォードのやる気なさげな拍手がビーチに響く。

 レイフォードにキメラにエレノアさんに、と少なくない傷を負った俺は、一日ぐっすり休んで見事回復。

 

 無事、今日という最後の自由時間に復活を遂げたのであった……!

 

「お前、あんだけボロクソだったくせに元気だな……」

「俺の辞書に怪我を理由に遊ばないという文字はないです」

「文字じゃねえだろそれ、もう文章だろ。つか療養しろよ、そこは」

 

 呆れたようなグレン先生の言葉にはっはっはと笑顔で返し、ヒャッホーと浮き輪(フィーベル支給。もう素潜りすんなという意思表示らしい)を片手に海へと飛び出す。お、三人娘発見。

 せっかく浮き輪で体面積が増大しているので、腰にしっかり装着してからざばーんと大波を立ててやった。一日中惰眠を貪っていたせいか、今の俺は体力が有り余っているのだった。

 

「ちょ……けほっ、アッシュ……」

「フゥーハハハハーーー!! 油断したな貴様ら! 恨むならこの浮き輪を支給した自分を恨……あっ待ってレイフォードさ、な、なんで浮き輪に下から手をかけてるんでせう? そのままだと、ワタクシ派手に横転いたしますことよ?」

「ん。楽しそうだから、わたしもやる」

「うぎゃあーーー!?」

 

 因果応報、自業自得。

 

 レイフォードの細い腕で浮き輪をひっくり返された俺は、見事に頭から海に突っ込んだ。

 

 なんとか海上に顔を出すと、狙いすましたかのようなタイミングで波が起きた。自然なものではない。レイフォードに水をかけるティンジェルのものだ。

 

「あ、ごめんね?」

「いや、大丈夫だ」

 

 ぶるぶると犬のように頭を振って海水を飛ばす。

 ちょっと振りすぎて頭痛い。うぉえ。

 

 なんてバカをやっているうちに今度はフィーベルが小型のボート浮き輪を持ってくる。旅籠から借りてきたらしい。マジかあの旅籠万能かよ……。

 

 というわけで現在、我々はフィーベルとティンジェルをボートに乗っけて沖に漕ぎ出していた。

 

「うわあ……船とはまた違った感じだね……」

「ふふ、そうね。こういうのもゆったりしてて悪くないわ」

「お前、俺たちが必死こいて押してるのを見ての発言だろうなフィーベル……!」

 

 お前の乗ってるそのボートの推進力は俺とレイフォードなんだぞ。現実を見ろ。

 まあ、誰かが押さなきゃいけないのは事実だけどさ。

 

「はあ……レイフォードは乗らなくて良いのか? 疲れるだろ、それ」

「……楽しいから、いい。アッシュも押してるし」

「そりゃ、どーも……」

 

 病み上がりだけに働かせられないとか、そういう配慮だろうか。フィーベルなんかはその辺全く考えてくれないが。

 

「病み上がりは浮き輪つけて海に突っ走らないわよ」

「ごもっともで」

 

 ンンンンこれも自業自得。まさに正論。

 放置されるのもつまらんからいいんだけども。

 

 そしてあまり離れすぎないようにと海岸を確認すると大きく手を振っているカッシュの姿。その手にはビーチボールといつぞやにビーチバレーのメンバー決めに使ったクジが握られており、ビーチバレーの再戦をしようと呼びかけていた。

 

「だ、そうだが。どうする?」

「うーん……せっかくだし、やろうよ。ね、システィ、リィエル」

「ん……びーちばれー? それって、あのボールを叩くやつ? ……ん。やりたい」

「決まりね。じゃあアッシュ、砂浜までよろしく」

「お手軽にこき使うんじゃねえよ」

 

 俺のことをタクシーかなにかと勘違いしてやいませんかねえ。

 

 まあいいけどさあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……成程。これが、お前の守りたかった景色か」

 

 アルベルトが、ビーチパラソルの下でくつろぐグレンにそう声を投げた。

 それにグレンはフンと鼻を鳴らすだけでなにも言わない。その視線は、今もビーチで楽しそうにはしゃぐ二組の面々に向けられている。

 数日前と同じように、リィエルに挑んでは吹っ飛ばされる男子生徒の群れ。やる気なさげにボールを叩きつけるリィエルの対面の相手チーム、別名『命知らずな野郎ども』にやる気満々でボールを拾おうとするギイブルの姿を認めてふっと頬が緩んだ。

 

「確かに、この光景は掛け値なしに尊いものだ。……今回ばかりは、お前に謝罪せねばなるまい。すまなかった、グレン」

 

 ルミアを救う。そのために、この光景からリィエルを奪おうと決断したこと。

 結果的にそれはグレンの活躍でなかったことになったが、一歩間違えればこの日この場所に広がるものは、もっと悲劇的な光景に様変わりしていたことだろう。

 

「やめろよな……お前が素直に謝るとか気持ち悪くてしょうがねえっての。鳥肌立ったわ」

「惰弱な」

「そういう問題じゃねえだろ。……で?」

 

 グレンは腕をさすりながら、横目でアルベルトを流し見た。

 アルベルトがわざわざ雑談のみを目的にしてグレンに接触するはずもない。必ず、そこにはなにがしかの理由があるはずだ。……例えば、先の事件の顛末であるとか。

 

「その通りだ。……リィエルの兄を名乗っていた魔術師……ライネルからは、めぼしい情報は得られなかった。所詮第一団《門》ポータルス・オーダー……外陣(アウター)に過ぎない奴に大した情報は握らされていないのだろう」

「だろうな。お前があんだけあっさり始末を決めたんだ、バークスも同じことだろ」

「ああ」

 

 事前情報により、天の智慧研究会とバークスが繋がっていることをアルベルトは知っていた。そして、アルベルトにはたとえどれだけ気に食わない外道であっても、それが帝国の益になるのならば自分の感情を押し殺して任務を遂行するだけの強固な意志がある。

 そのアルベルトがバークスを捕獲せず始末した、ということは、バークスからは大した情報は得られないであろうことがわかりきっていたということでもある。

 

「……気になるのは、エレノア=シャーレットだ」

「魔術競技祭の一件の黒幕で、今回はお前を足止めしたっていうヤツか」

「そうだ。ルミア=ティンジェルを狙う奴が、何故誘拐した王女をそのまま放置したのか……殺すにせよ連れ去るにせよ、他にもやりようは有った筈」

「目的がわかんねーことほど気持ち悪いこたぁねえよな、確かに」

 

 それに今回、件の施設内で重傷を負って倒れていたアシュリーを叩きのめしたのも彼女だと本人から聞いている。

 やたらと執着していたアシュリーを捕獲するには絶好のチャンスであったにも関わらず離脱した。だがルミア=ティンジェルには手を出さず、その行方は未だにわかっていない。

 

 考えられるのは、そうせざるを得ない状況に追い詰められていたということだが……エレノアの不気味さから言って、目的は別にあったと見るべきだろう。

 

 ───アレにとって、たぶん俺はオマケでした。道の途中で見つけたボーナス、みたいなものでしょう。優先度は低かったはずです。

 ───俺ごときが狙われる理由に心当たりはありませんし、エレノア=シャーレットとの邂逅も今回の件も、すべてが成り行きでしたし、ね。

 

 一度、事情聴取のためにアシュリーの部屋を訪れた際の言葉。

 虚言は許さない、と眉間に突き付けられた指先にも動じず、真っ直ぐにアルベルトを見返しての発言だった。

 

 本来の目的を達するために、目先のものを放棄した、ということであれば、今回のエレノアの目的は『Project:Revive Life』の達成、あるいはそれに関連するなにかだということになるが……やはり、肝心なことはなに一つとしてわからない。

 

 それに、アルベルトがアシュリーを警戒していた理由……エレノアが執着していた理由も依然不明のままだ。

 純粋に戦力増強としてか、なにか特異な才能を見出してのことか。あるいは───

 

(アシュリー=ヴィルセルト……十年前に、任務に向かったはずの翁が連れて来たという少年。調べてみるか)

 

 命懸けで天の智慧研究会と戦ってみせたアシュリーを疑う気持ちはない。だが、それはそれとして疑わしき部分、調べられる部分は徹底的に洗うべきだ。

 そんなアルベルトの方針を知ってか知らずか、当のアシュリーはリィエルとほぼ一対一でビーチバレーに興じている。

 

 少し前に殺されかけたばかりだというのに、呑気なことだ。

 

「ではな、グレン。もう会うことがないよう祈っている」

「へーへー。俺もその辛気臭えツラ拝まないで済むならせいせいするぜ」

 

 まあ、ルミアが狙われる限りそんなことは起こり得ないのであろうが。

 

 少しだけ憂鬱な気分になって、グレンはアルベルトを見送ることもせずに砂浜に転がるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 フェジテよ、俺は帰ってきた……!

 

 長い馬車での旅を終え、一週間ぶりに戻ってきたここ四年間ですっかり慣れてしまったフェジテの街並みを前に、俺は喜びに打ち震えていた。

 

 いや、みんなでお出かけ旅行……というシチュエーションは、前にも言ったが嫌いじゃない。むしろ好きな部類に入る。俺は遠足でテンション上がって寝られないタイプの人間なのだ。……寝つきは良い方だからすぐに寝られるけど、まあたとえ話ってことで。

 だが、やっぱり住み慣れた我が家の安心感には敵わない。非日常というのは日常があってこそ楽しいのである。特に今回は色々あったから尚更だ。あー、今すぐ家のベッドに潜り込みたい。

 

 グレン先生の号令で三々五々に散っていく生徒たち。きっちりと制服を着込んだ奴が多い中、唯一俺がシャツにズボンというごくシンプルな格好なのは、まあ言わずもがな制服がボロッボロになってしまったためである。おのれ。

 

「ま、一週間もありゃ新しく作ってもらえる……かなあ」

 

 お金、あったっけ……? などと思いながら、家に戻ったらまず金庫を確認しよう……と、若干悲痛な覚悟を決め、この一週間でなんか仲良くなったフィーベルたち三人娘に別れを告げて愛しの我が家への帰路に着く。

 

「はあ……さすがにもうしばらく、厄介ごとは起こらないはずだよな……? ……ん?」

 

 十字路を通り過ぎて、道を幾つか曲がって、学生の一人暮らしにしては若干贅沢な一軒家(ボロ家だが)を目指して歩いていたそのときだ。

 

 最近ちょっと建付けが悪くなってきたよなあ、そろそろ修理しなきゃかなあ───なんて思っていた扉の前に、誰かがいた。

 

 フィーベルのような銀髪とは違うグレーの髪。

 遠くからでもわかるくらいそのシルエットは逞しく、筋骨隆々としていた。

 その人物が着ていた服は、いつぞやのアルベルトさんやレイフォードと同じものであった。が、そんなことは関係なかった。

 

「ヒィ───!?」

 

 悲鳴を押し殺して回れ右。

 あの外的情報に当てはまる人物を、残念ながら俺は一人しか知らない。

 

 持てる能力のすべてを使ってここからの離脱を決意する。あかん。見つかったら死ぬ、ぜってえ殺される、ここは逃げねばいいからとりあえず逃げるんだよォ───!!

 

 と、一歩を踏み出したその瞬間、目の前にずーんと立ちはだかる壁。

 それはさっきまで、家の前にいた男の姿をしていて───

 

「甘いのう」

「げぇーーーッ!? 先回りッ!? なんでいるんですか!?」

「そりゃ、近付いてきてるのがわかってたんじゃからこう……屋根を伝ってヒョイヒョイっとな?」

「軽業師かよ! いやそうじゃなくて、すみません人違いですそれでは───ぐえっ」

「まあ待て待て、せっかくの再会なんじゃしそう慌てるな」

 

 もう一度Uターンして逃げ出そうとした俺の首根っこをひっつかみ、猫の子のよーにぶら下げる男。

 

 楽しそうに笑っちゃいるが、俺は冷や汗が止まらない。なんでいんの。あんたよくわかんないし現役かどうか知らなかったけどその服着てるってことは現役軍人でしょ。

 

「なあに、ちっとこの辺に用事ができての。せっかくじゃし、愛弟子一号の顔でも見に、な? どうじゃ、嬉しかろ?」

「はいはいわかった弟子思いの師匠で俺は大変幸せ者でごぜぇますよ! だからっとっととその丸太みてえな腕離してくれませんかねえ!?」

 

 襟で首締まって気持ち悪いんだよ!? こちとら数日前に首絞められたばっかなんだぞ!

 

「おおっと、こりゃーすまん。気付かんかったわい」

「噓つけ! ……ったく、なんでいるんですか師匠。あんた、軍人なんじゃなかったんですか」

「おろ? ほほう、ついにバレてしもうたか」

「最近知り合った人が同じ制服着てたもんで」

 

 問題はこれが『特務分室』とやらの制服なのか、帝国軍の制服なのかがわからないことなんだけど。

 まあ、仮にこの人がやべーやつ軍団と噂の特務分室のメンバーだったとしてもなんら違和感はない。この人がバケモノなのはよ~~~ッく知ってる。それはもう。嫌になるくらい。

 

 忘れないよ、俺。昔『ヒャッハァー! 汚物は消毒じゃァーーー!!』っつって俺引きずったまんま帝都近くの森に害獣駆除に行ったとき、それはもう楽しそうに魔獣を片っ端から叩き潰してらっしゃったこと、俺忘れてないよ。時々師匠の攻撃が掠ったり、魔獣の攻撃が掠ったり、毒で死ぬかと思ったことも。うん。

 

「あの頃はわしも若かったのう……ところでお前さん、最近はやたら別嬪さんとのご縁があるそうじゃないか、ん? わしに紹介してくれてもいいんじゃぞ? なんじゃったら学院の生徒でも───」

「うるせえ、黙ってろこの万年発情期」

 

 ぶすっとした顔で俺。ハーレイ先生あたりだったらブチギレてそうな物言いにも、師匠───バーナード=ジェスターは気分を害した風でもない。

 驚くようなことでもない。この人は昔からそういう人だった。豪快、大雑把、そのクセ無駄に器用な真似しやがる狸ジジイ。

 懐が広い、というより、戦闘に興味が向きすぎてそれ以外のことに関しては雑っていうか、大雑把さに磨きがかかるっていうか。

 

 ともあれ、それが我が師匠。十年前に身寄りをなくした俺を拾って、申し訳程度に世話を焼いて、ついでにとんでもねえ環境にブチ込み続けてくれやがった、一応『恩人』と呼ぶべき人間だ。

 その強さを尊敬はしている。強さは。『使えるもんはなんでも使え』という教えは今もしっかりと、数多くの臨死体験とともに胸に刻まれている。

 

 『笑うと愛嬌がある』、なんて評判も聞くが、俺の知ってる師匠の笑顔の大半は戦場でテンションがアゲアゲになっているときのものだ。ぶっちゃけ超怖い。そっちの印象が先にくるもんだから、俺は一生師匠の笑顔には愛嬌は感じられないだろう。

 

「……で、マジでなんの用ですか師匠。俺ももう一人立ちしたんで、あんたが世話焼くようなことはもうないですよ」

「おう、そうらしいの。アル坊から聞いとるぞ、アシュ坊。アルバイトしとるんじゃって? 感心、感心」

 

 ……アル坊?

 

 内心で首を捻った俺の疑問に答える気はないらしい。師匠はがっはっはといつも通りの豪快さで笑って、

 

「───んで、ちゃあんと訓練はしとったんじゃろうなあ?」

 

 ドスの利いた声で、がっしりと俺の肩を掴んだ。

 

 ああ、すみませんグレン先生、フィーベル、ティンジェル、レイフォード。そしてクラスのみんな。

 

 俺、ちょっと明日から失踪するかもしれません……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「あらアッシュ、おはよう……って、どうしたの」

「……オハヨ」

 

 翌日。

 こっちを案じてくれるらしいフィーベルの言葉に素っ気ない返事を返して、俺は朝の通学路を歩いていた。

 

「……アッシュ、元気ない?」

「平気……ではないかな……」

 

 まさかあの後深夜までフェジテ郊外の森で大量のシャドウ・ウルフ(狼の魔獣。『恐怖察知』とかいうあまりにもそのまんまなネーミングの特殊能力を持っている……らしい)と延々戦わされるとは思わなかったよね。

 武器も、使っていいと言われたのは最初に作った二振りの短剣だけ。なんで俺は死闘を繰り広げたその数日後に、身内の手で再び死地に叩き落とされてるんだろうね?

 

 まあちゃんと全部仕留めてきたけど。おかげで筋肉痛と寝不足ですクソッタレ。

 

『じゃってお前、バイトにかまけてロクに鍛えてないって聞いたから……』

 

 鍛えとるわ。家帰ってからも運動してるし最近はグレン先生と組み手もしてるわ。

 というかその情報ソースは一体どこの誰なんだ。

 

「あのジジイ……ぜってえ泣かす、マジ泣かす……いや無理かな。無理だな。くそぅ」

 

 拳闘一つとってみても、自分はまだまだまだまだあの爺さんには及ばない。

 そしてその爺さんは、俺が森に潜んでいた狼を片っ端から虐殺している間に忽然と姿を消していた。書き置きを残して。

 

 ちなみにその書き置きの内容というのが、

 

『ごっめーん! わし任務の途中じゃった! いざ往かん、きゃわい~い女の子を求めてッ!!

 P.S. 適当にのしたら帰ってよし。ただし手を抜いたら……わかっとるな?』

 

 これだ。あの野郎いつか殺す。

 

「……はあー……まあ、俺はいいや。慣れてるし……というか、フィーベルの方こそちょっと顔色悪いんじゃねえか?」

「え、私? 私は……ええと、そうね。ちょっとね」

「ふふ。システィったら、ここ最近は魔術論文にかかりきりなんだよ?」

「ちょっと、ルミア!」

 

 意識を切り替えて、フィーベルの話を聞く態勢に移行する。ティンジェルはなにがおかしいのかくすくすと笑っている。

 グレン先生は……興味がないのだろう、明後日の方向を向きながらのん気にあくびなどしている。

 

「いいじゃない、減るものでもないんだから。アッシュ君、フォーゼル先生って知ってる?」

「ん? ああ……あの偏屈そうなオッサンか」

 

 知ってる知ってる。遺跡探索だかなんだかばっかしてて、滅多に地上に現れないツチノコ講師だよね。

 

「そのフォーゼル先生がね、新しく見つかった古代遺跡の調査隊のメンバーを学院関係者から募集することにしたんだって。ほら、システィの専門は魔導考古学でしょ? だから、調査隊のメンバーに参加しようって応募して、今は必死に選定条件の論文を書いてるの」

「へえ。頑張ってるんだな、フィーベル」

「う……ほ、褒めてもなにも出ないわよ」

「システィーナ。顔が赤い」

「そそそそんなことないわよ!?」

 

 ちらちらとグレン先生の方を見ながらフィーベル。なるほどー、グレン先生にバレたらまたなんかからかわれるんじゃないかって心配してるな、これは。

 でもグレン先生ってそういう、夢に向かって邁進する人間は真摯に応援してくれるような気がしている。ロクでなしではあるけど、真性のクズではないし。

 

 それにしても遺跡調査か……。遺跡ってやたら幽霊みたいなの湧くし、あいつらなんでか俺に寄ってくるから苦手なんだよなあ……。

 

「でも、システィ。頑張りたくなるのはわかるけど、ちゃんとお食事と睡眠は取らないと。最近は体力がついてきたみたいだけど、システィのお昼ごはんっていつもスコーン二つだけだし……ちょっと心配だよ」

「う。……ごめんなさい、ルミア。もうちょっと気を付けるわ」

「ん……システィーナ、食事をとらないの? それはよくない。食べないと、いざというときに動けない。今度、わたしの苺タルトあげる」

「……苺タルトを思い出すだけでよだれを垂らしそうになるような子からは、さすがにもらえないわよ……」

 

 わいわいと楽しそうな女子。

 見ているだけでちょっと気分が華やぐそれからそっと視線を離して、俺は本日何度目かもわからないため息をついた。

 

 ……ああ、空が青いなぁ。

 

 フィーベルが難癖つけられて選考から落とされたという話を聞いたのは、それから約二週間後のことであった。




高評価をちょこちょこ頂いたあとに一日のシメのように低評価がつく、という事態に何度か直面しなぜか笑えてくる今日この頃。あ、低評価で悦ぶMというわけではないです。はい。
皆様いつもありがとうございます。


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19.いかにもなイケメンには大抵裏がある

ようやくのお出ましですぞ。


「私と、結婚してください。システィーナ」

 

 片膝をつき、まるでおとぎ話から抜け出た王子のようにそう求婚の言葉を告げる優男。

 

 対するフィーベルは、まるで恥じらう乙女そのもののようにぎゅっと胸元で祈るように手を組んでいて───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 コトの始まりは数時間前。グレン先生が馬車に轢かれそうになったところまで遡る。

 

 といっても、事故ではない。ぶっちゃけ原因はグレン先生だし、実際に轢かれる前にグレン先生がすっ転んで未遂で済んだからだ。

 

 で、馬車から降りてきたやつがまたクセモノというか面倒なヤツで。

 

「レ、レオス……?」

「久しぶりですね、システィーナ。見違えるように美しくなった」

「ちょ、ちょっと……やめてよね、褒めたってなにも出ないんだからね!?」

「とんでもない。私は見て感じたままを伝えただけですよ」

「もう!」

 

 レオス=クライトス。

 クライトス家の御曹司にして、近年話題の魔術講師。今回、アルザーノ帝国魔術学院(うち)の講師が一人病欠になったってんで、助っ人に来た臨時講師。

 

 そんでもって、フィーベルの自称婚約者(フィアンセ)

 フィーベルは顔を真っ赤にして否定していたが。

 

 そのあと、なんやかんやでレオス、もといレオス先生の講義を受けに行った。

 内容としては物理作用力(マテリアル・フォース)理論とかいうやつで、これは端的にいうと『黒魔術の威力をいかにして最大限まで引き上げる方法』についての話だった。グレン先生曰く、軍人でさえもあんまり理解していないものらしい。それをレオス先生は、お世辞にも成績優秀とは言えない俺のみならず、臨時に受け持つことになった四組の生徒に完璧に理解させて見せた。

 

 グレン先生に勝るとも劣らない、それは質の高い授業だった。

 しかしグレン先生はお気に召さない模様。レオス先生の授業は、まだまだ自分の持つ力の危険さを正しく理解しているとは言えない生徒たちに、いかに効率よく威力を上げるか……言い換えれば『いかに効率よく人を殺すか』を教え込んだということになるからだろう。この理論を理解すれば、【ショック・ボルト】でも人を殺せる。

 まあ、覗き見に来た二組の生徒なら大丈夫だろうけど。グレン先生の教えを受けている生徒なら、力に振り回されることはあるまい。……俺は『破滅の黎明(グラム)』扱い切れてないけどね!

 

「く、くそ……顔よし、家柄よし、器量よし……その上授業の質まで高いとか、なんなんだあいつは……天は二物を与えないんじゃなかったのかよ……」

「『完璧超人』っていうステータスをお与えになったんじゃないんですかね」

「この世は不公平だ……ッ」

「それに関しては同意ですね……」

 

 かくいう俺も、あんないかにも完全無欠みたいな人間がいるものなのかと思っている。こういうのってだいたい実は裏でなにかやってたり、あるいは家では暴君そのものだったりと、とにかくなにかしらあるのがお約束だ。

 いやね? 普通〜に、現実にあんな完璧超人っているんだ〜、でもいいんだけどさ。

 エレノアさんといいバークスといい、なんかすごい人って大抵裏があるようにしか見えなくなってきて……。

 

 なんていうのかな。仲良くなれない気配がする。

 怪しい匂いがするというか。

 

「んー……? いや、確かに今日の授業はあのヒヨッコどもにゃちと早ぇとは思ったが……実際、レオスはかなり良い奴じゃないか? アレが婿殿なら、白猫の将来も安泰ってなもんだ。考えすぎなんじゃねえのか?」

「……ですかね。俺も、エレノアさんとあのジジイのせいで気が立ってんのかな……」

「ま、お前の場合、特にエレノアとやらとは親交があったって話だもんな。ちょっとした人間不信になるのはしょうがないだろ」

 

 会うやつ全員怪しく見える、ってほどではないんだけど、やっぱり少し不信感が強くなってるのかな。

 いかんな。このままでは誰彼構わずケンカを吹っ掛けるチンピラみたいになってしまう。切り替え切り替え。

 

「で、さっきから浮かない顔してるティンジェルはどうしたのさ」

 

 そう、気になるのは先ほどから暗い顔をしたティンジェルのことだ。

 グレン先生がレオス先生の講義があまり気に入らない理由を察して花のように微笑んでいたティンジェルは、今現在レオス先生の婚約者としてゴシップの中心になりつつあるフィーベルの親友。

 親友が結婚するのが嫌なのか、はたまたなにか別の理由があるのか……ともかく、いつも朗らかな笑顔を絶やさないティンジェルにしては珍しく、なにか思い詰めたような顔をしているのだ。

 

「うん……あの、先生。ちょっとお願いしたことがあるんです」

「ルミアが? 俺に? どうした、言ってみろ」

「はい、実は───」

 

 

 

 

 ───そして冒頭のプロポーズに戻るのである。

 

「おおおおおっ!? いきなりのプロポーズ! これは盛り上がって参りましたァーーーッ!!」

「うるせえな!? 野次馬根性発揮すんなよ、さっきまでのやる気のなさはどこにやったんです!?」

「くっくっく……見ろよ、あの白猫の顔。いやあ、明日からこれでからかうネタが一つ増えるな!」

「それが目的か!? クソ、本当にいざってとき以外はとことんロクでなしだなあんた!!」

「あ、あはは……結界があるからって、あんまり騒がない方が……」

「ZZZ……」

 

 今現在俺たちがいるのは茂みの中。

 ティンジェルがレオス先生とフィーベルの尾行を提案し、グレン先生が面倒そうにそれに乗っかって音声遮断の結界と迷彩用の木の枝を用意し、レイフォードはティンジェルの護衛……というか友人として同行し、俺はなぜか成り行きで一緒に鑑賞することになっていた。

 

『じゃあ俺はいらないよな。また後で───』

『えっ?』

『えっ?』

『えっ?』

『ZZZ……』

 

 あまり多すぎると尾行に支障が出るかと思って辞退した結果がこれだよ!

 

 興味のあるなしで言えば『どちらかといえばある』だからそっとしておこうと思ったのに!

 

「興味あるんじゃねえか」

「ティンジェルほどじゃないけど、一応仲良くさせてもらってるんですし、そりゃ気にはなりますよ。さっきも言ったけど、レオス先生とは仲良くなれる気がしないから不安だってのもありますけど」

「気にしすぎだと思うがなあ……」

 

 そう言うと、今度は真剣な表情でフィーベルたちを見つめているティンジェルにちらりと視線を移す。

 

「ルミアも、なにがそんなに不安なんだ? 人間不信になっててもおかしくないアッシュはともかく、お前まであのレオスを気にしてる……あの優男に、なにかあるのか?」

「…………。そう、ですよね……レオス先生って、とっても良い人、ですよね……?」

 

 レオス先生の人柄を褒めるようなことを言ってはいるが、やはりその表情は硬い。

 基本的に穏やかで、明らかな下衆外道以外には敵意を見せないティンジェルにしてはやはり、珍しい。

 

「でも……私、なんだか嫌な予感がして……バークスさんのときみたいな、そんな感覚がするんです」

「……女の勘、ってやつかねえ」

「だとしたら侮らない方が良いですね。なんせ、ガチでバークスに狙われてたティンジェルの発言なわけだし……なにより、女の勘って馬鹿にならないんですよね……」

 

 懐かしきかな、あれはまだ俺が帝都に住み始めて日の浅かった頃の話。

 師匠が遊び相手として連れて来た……逆かな。俺を遊び相手にするために紹介したのか。ともかく、そんな出会いを果たした友人がいたのだが、彼女、俺がなにかやらかしたときってどんだけ完璧に隠蔽しても必ず気付くんだよね。あれは俺の工作がヘタクソだったのか、彼女が優秀だったのか……。

 

「……。両方だな」

 

 結論が出たので、大剣片手に飛び出して行こうとしているレイフォードを捕まえつつ改めて渦中のフィーベルへと視線をスライド。

 なにがあったのか、フィーベルはぺこりと頭を下げている。

 

「……白猫のやつ、断るつもりみたいだな」

「そうなんです?」

 

 盗み聞きを敢行している俺たちだが、実際に会話内容が聞こえているのは二人の近くに忍ばせた鼠の使い魔と聴覚を同調しているグレン先生のみである。

 その実況によると、どうやらフィーベルはそのプロポーズは受けられない、と頬を染めながらもきっぱりと宣言したらしい。

 

「ま、考えてみりゃそれもそうか。白猫は今のところ魔術一辺倒のカタブツっぽいし。なにより、あいつには確かじーさんとの夢があるって───」

 

 そこで、グレン先生の言葉が止まった。

 先ほどまでの楽しげな顔はどこへやら、険しい顔……いや、フィーベルを泣かせたあのときレベルにハラワタ煮えくりかえってるような顔だ。

 

 なんぞ、あのレオスとやらはグレン先生の地雷を踏み抜きでもしたのか?

 

 頭に迷彩用の枝をくっつけたまま、グレン先生は音声遮断の結界の外へとずんずんと出ていってしまう。

 

 そして───

 

「ざぁんねんだったなぁレオス=クライトスッ! 俺と白猫はもう恋愛のABCまで済ませた立派な恋人同士ってワケ! お前みたいな相手のこと考えねえイケメン様とは付き合えないってよ!!」

 

 うん。

 

 全く話は見えないが───一言良いだろうか?

 

「なんでそうなった?」

 

 ティンジェルと顔を見合わせ、額に手を当てて天を仰ぐ。

 

 グレン先生がレオス先生に手袋をフルスイングするのを見ながら、俺たちは密かにため息を吐き出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 フィーベルに話を聞いたところ、どうやらあのレオスとやら、プロポーズのあとにフィーベルの夢である魔導考古学とそれに邁進した祖父……レドルフ=フィーベルさんを扱き下ろしたらしく、フィーベルは傷心、グレン先生はプッチンといった次第らしい。

 で、同じく我慢ならなかったフィーベルはその場の勢いでグレン先生を『私の恋人』と紹介し、レオス先生の求婚を断ろうとしたのだという。

 

 しかし予想以上に事態は発展し、フィーベルをかけて先生たちが決闘をすることになってしまったのだとか。

 

「グ、グレン先生って……もしかして、本当に私のこと……そういう目で見てるのかしら……?」

 

 ぽやぽやと、勢いに任せて色々叫んでしまった後遺症(?)なのか、恥ずかしそうに頬を染めるフィーベル。

 まあ、決闘を仕掛けたのはグレン先生の方だから、それだけ『マジ』なのだととれなくもない。……当の本人は『逆玉の輿ィ!!』と騒いでいるが、本気でそんなことのために一人の生徒の純情をもてあそぶような人物では……たぶん……そうたぶん……ないことは俺たちも重々承知だ。

 

 なので必然、グレン先生の目的は話の成り行きによって降って湧いた『逆玉の輿に乗って引きこもりのチャンス』ではなく、別のところにあるのではないか、ということになる。

 

 消去法でいくと、有り得そうなのはレオス先生の物言いにブチギレてどうにかして叩きのめしてやりたいというちょっと子どもっぽい、しかし気持ちはわからんでもない理由。そうでないのなら、マジでフィーベルと結婚したいのか、だ。

 

「グレン先生とフィーベルのカップルか……有り得なくはないな」

「そ、そうかな?」

「うん。……なんつーか、尻に敷かれそう」

 

 ところでどうしてティンジェルさんはそんなに挙動不審なんでせう?

 

「う、ううん。ただ、すごく大きな騒ぎになっちゃったから……ちょっと」

「ティンジェルがグレン先生を誘ったのが発端だから?」

「うん……」

 

 おそらく、ティンジェル的には親友とレオス先生の行く末を見守りたい……正確にはなにか問題が起きないか監視したい、といった思惑であの盗み聞きを提案したのであり、ここまで大きな騒ぎになるとは思わなかったのだろう。当たり前だ。俺も思わなかった。

 しかし先も言った通り、話はあれよあれよという間に大きくなり、今や『逆玉の輿を狙ったグレン先生の横紙破りの決闘』という噂は学院中に広まっていた。グレン先生の評判がまた落ちた瞬間であった。

 

 で、決闘の内容は受ける側……今回はレオス先生だが、が自由に決めることができる。

 

 レオス先生が選んだのは、なんと───

 

「魔導戦術演習。内容は魔導兵団戦、ねえ……」

 

 平たく言うと、クラスの講師を指揮官、生徒を魔導兵、初等呪文を軍用魔術として見立てて行う『戦争ごっこ』だ。ぶっちゃけ俺が役に立たなさそうな種目である。

 そんでもって、レオス先生の専門は軍用魔術の研究。従って、レオス先生は呪文の開発や改良のみならず、その運用方法や魔導兵の戦術やら戦略やらに関する知識はずば抜けている。早い話、自分の土俵だ。

 

 だが条件そのものはお互いに平等だし、そもそも先述の通り決闘のルールは受ける側が決められるのでグレン先生はレオス先生の得意分野で戦わざるを得ない。

 

 つまり超絶不利。さすがにグレン先生も魔導兵団の運用に関する知識まで豊富なわけじゃないだろうし、フィーベルの将来は非常に危うい。

 

「そんな……」

「一応、レオス先生は比較的理論派っぽいし、実戦を知ってるグレン先生なら付け入る隙はある……かもしれない」

 

 だがそれも、所詮は素人考えだ。実際どう転ぶかは全くわからない。

 

 ちなみに今は、グレン先生が大雑把にその説明をしたあと、

 

「ではこれより、俺が逆玉の輿に乗ってハッピーウハウハ引きこもりライフを満喫するために……お前らに魔導戦術論の授業を行うッ!!」

「「「このロクでなしがァーーー!!」」」

 

 と、二組のほぼ全員から非難の嵐をくらっている真っ最中である。

 まあわかる。腹立つよね。

 

 そうでなくとも女の子の敵だよねその発言。俺でもわかるよ。

 

「けどま、授業の内容自体はごくごく普通というか、カリキュラムの一環だしな。俺は粛々と授業を遂行するのデス、と」

「システィ、大丈夫かな……」

「あの光景が大丈夫かって言われたら怪しいところじゃねえかな」

 

 視線の先には女子生徒に揉みくちゃにされるフィーベル。みなさんゴシップがお好きなようで、根掘り葉掘りコトの真相やらフィーベルの気持ちやらを聞き出そうとしている。

 

 というかナーブレスってこういう話題好きだったんだ。さっきから『教師と生徒の禁断の恋! 一人の女性を巡って争う二人の殿方……! ロマンスですわーっ!』としか言ってない。

 カッチコチの貴族主義だっていうから、グレン先生の横紙破りはお気に召さないモンかと思っていたのだが、案外そういうわけでもないようだ。

 

 そして男子生徒の方は意外なことに、グレン先生に協力するという方向でまとまっているらしかった。

 

 理由は『パーフェクトなイケメンとか許せん』。なるほど、わかりやすいな。

 

「さて、お遊びはここまでにしておいて、だ。授業自体は真っ当な学院の必修科目だ。ちょうど黒魔術の授業は進んでんのに、魔導戦術論は遅れてたからある意味良い機会だしな」

 

 ちなみに今は本来なら黒魔術の授業の時間である。授業内容は講師に一任されてるらしいので、別に問題行動ではない。

 動機の方が十分問題だが。

 

「ですが、先生。このクラスには僕とかシスティーナとか、ドジが目立つウェンディくらいしか戦力になりそうな生徒はいませんよ? その他は所詮どんぐりの背比べ……今回の授業、無駄になるのでは?」

「ちょっとギイブル!? 聞き捨てなりませんわよ、わたくしのどこがドジですって!?」

「要所要所で呪文噛んだりスッ転んだりするところじゃないか?」

「聞こえましてよアシュリー=ヴィルセルトッ!」

 

 やっべ。

 

「あー。言っとくが、今このクラスに使い物になるやつなんざ一人もいねえよ。特にギイブル、お前みたいなのはな」

「なんっ……」

「お前ら、勘違いしてるだろ。こりゃ一対一の『決闘』じゃねー。部隊を組んでの『戦争』だ。ま、いいから聞きな」

 

 そこでセリフを区切ると、グレン先生は憮然とした表情でざわつく二組の生徒を一瞥して。

 

「魔術師の戦場に英雄はいねえってことを、これからお前らに教えてやるよ」

 

 いつものように、ニヤリと不敵に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「で、実際のトコどうなんだフィーベル?」

「あなたまでそんなこと言うの……」

「や、純粋な興味だよ。フィーベルがどう思ってんのかで、こっちも気合いの入れようが変わるからな」

 

 グレン先生の授業が終わったあと、ティンジェルやレイフォードと一緒にため息をついていたフィーベルに気になっていたことを聞いてみたところ、追加のため息と一緒に呆れたようなセリフを頂戴した。

 いや、真面目な話だぞこれは。もしフィーベルが本当はレオス先生に勝ってもらいたいと思っているなら、俺はほどほどに手を抜かにゃならん。……元が役に立ちそうもないので、正直誤差の範囲だが。

 

「……あなた、レオスは気に入らないって言ってなかった?」

「それはそれ、これはこれ。俺の個人的な感情とフィーベルの未来のために色々とすることは全くの別だ」

 

 味方には好意を、敵には敵意を。

 これでも、その辺りの切り替えは得意な方と自負しているのだ。

 

「はあ……本当、妙なところだけ大人っぽいっていうか……まあ、いいわ。レオスにも言ったけど、私はまだ誰とも結婚なんてする気はないの」

「それはグレン先生が勝ってもレオス先生が勝っても、ってことでいいのか?」

「当たり前でしょ? そもそも景品うんぬんってこと自体、あっちが勝手に言い出したことで私は了承なんてしてないんだから」

 

 なるほど。発端はともかく、マジで勝手に言い合ってるだけなのね。

 それに、考えてみれば手を引く・引かないという言い回しはあくまでもフィーベルにアプローチする権利の話だから、確かにその通りだ。勝った方が一足飛びに『フィーベル、GETだぜ!』するわけではない。

 

「言葉の綾って言われたらおしまいだけどね。でも……やっぱり私、レオスと一緒になる気にはなれない」

「……メルガリウスの天空城?」

「うん……」

 

 フィーベルが、フェジテの空に浮かぶ謎の城こと『メルガリウスの天空城』に並々ならぬ執着を燃やしているのは知っている。それが、亡きお祖父さんとの約束であるのだということも、前に聞いたことがある。

 それを、悪気がなかったとはいえ無意味で無価値なものと断じたレオス先生に対する反発は大きいのだろう。

 

「わかってる……わかってるの。偉大なお祖父様ですら手も足も出なかったあの天空城の謎を、私ごときの魔術師が解き明かすなんて、きっと無理だって。レオスの言っていることも、間違いじゃないんだって」

「システィ……」

 

 痛ましそうな表情で、ティンジェルがフィーベルの手をぎゅっと握る。

 レイフォードも、いつもの無表情をどこか悲しそうに歪めている。

 

「だけど、私は……」

「フィーベルの気持ちは大体わかった。なら、俺のすべきはレオス=クライトスを叩きのめすことだな」

「えっ」

 

 ちょっと過激な発言をしてしまったからなのか、それともレオス先生が正しいという部分を間接的に否定されたからなのか、フィーベルが間抜けな顔でじっとこっちを見ていた。

 

 だがこっちとしては、フィーベルがレオス先生の言葉に揺れている方が意外だった。

 

「正しさだけで納得できるんなら、とっくにお前はそんな夢捨てちまってるだろ? 今さら、諦めるなんてできないだろうさ」

 

 断言しても良い。正しさだけで夢を諦めたら、フィーベルはきっとそれを一生引きずることになる。

 長いとも短いとも言えない付き合いだが、それぐらいはわかるとも。

 

「ま、クラスの連中もお前が熱心なメルガリアンなのは知ってるし、そうでなくとも授業だからな。全力でやってくれるだろ」

「アッシュ……」

「レオス先生が気に入らないのも事実だしな。今回の騒ぎはどう転んでも血を見ることはないだろうし、フィーベルは気楽に、どーんと構えとけよ」

 

 なるべくいつも通りに笑ってみせる。フィーベルはティンジェルの方をちらっと見たが、ティンジェルが頷くのを見て吹っ切れたらしい。

 

「ええ、そうね。先生といいレオスといい、乙女をもてあそんだら痛い目見るんだってこと、教えてやりましょう」

 

 ……なんかだんだんグレン先生に似てきたよなあ、という感想は飲み込んで、俺はフィーベルにぐっと親指を立ててみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はあ。バーナード、これは本当?」

 

 帝都の一角。

 帝国宮廷魔導士団に存在するある部署の室長にあてがわれた執務室で、そんな声が響いた。

 

「マジもマジじゃよ。アル坊が報告書に噓なんか書かんっちゅーことは、お前さんもよ~く知っとるじゃろ」

「そうだけど……信憑性に欠けるのよね、やっぱり」

 

 ばさり、と女性が机に書類を放る。それはアルベルトが先の任務をもとに書き上げた報告書と、アルザーノ帝国魔術学院の生徒目録だった。

 

「『アシュリー=ヴィルセルトは天の智慧研究会に狙われている可能性が高い』……ねえ。あんな凡才を、どうして帝国有史以来ずっと(ウチ)と争い続けるような魔術結社が欲しがるわけ?」

「そりゃあわしにもわからんわい。ただ、アシュ坊は凡才は凡才でも、凡人とはちと言い難いしのう……いや、凡才っつーのも最近じゃ怪しいかもしれん」

「ハッ、冗談。あれが凡人じゃないなら世の中の大半は天才よ」

「そうかのう」

 

 女性の声に答える老人───バーナードは、困ったようにぽりぽりと頭をかいた。

 

「帰り道がわからない、なんて言って雨の中でぼーっとしてたようなやつがずいぶんと出世したものね」

 

 不機嫌そうに、女性が燃えるように紅い髪をかき上げる。

 

「ほんと、くっだらない」

 

 部屋の主───当代の《紅焔公(ロード・スカーレット)》、特務分室の執行官ナンバー1、《魔術師》を拝命するイヴ=イグナイトは、

 

「ま、いいわ。《法皇》《隠者》《星》は変わらず『天使の塵(エンジェル・ダスト)』を追いなさい。元王女の護衛は《戦車》に一任すること。それから───」

 

 遥か遠く。帝都からでは見通せないフェジテの街並みを睨むように、窓の外へと視線を投げる。

 

「───件の民間協力者があちらに与するようなら、容赦なく殺しなさい」

 

 バーナードが、後ろでやれやれと言いたげに肩をすくめた。



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20.しつこい男は嫌われる……らしい

祝・20話! そろそろ長くなってきたので矛盾が発生していないか怖くなってくる頃ですね。そしてUAも50000を超えました……。
そして皆様、感想や評価いつもありがとうございます。大きな励みです。


 あれよあれよという間に時は過ぎ、気が付けばあっという間に魔導兵団戦の本番となってしまった。

 

 今俺たちがいるのは、今回の授業で使う学院所有の演習場。こういった状況でなければピクニックにでも使いたいと思えるようなのどかな景色が広がっている。……いや本当、湖畔に草原に森に丘にと、こんなおあつらえ向きの地形があったのかとちょっと驚いている。

 

「───ではこれより、この私ハーレイ=アストレイが、貴様らにこの魔導兵団戦のルール説明をしてやる。心して聞け」

 

 ぼけっとしていたらそんな声が聞こえた。緊張を紛らわせるための雑談でざわついていた二組と四組が静かになる。

 それに満足したのだろう、ハーレイ先生は一つ頷いて、いつも通り尊大にルールを説明していく。

 

「使用可能な呪文は以前に通達した通り、【ショック・ボルト】などの初等呪文のみだ。実際に怪我をすることはまずないだろうが、万が一の場合は学院の医務室で働いておられるセシリア先生に頼るがいい。それから───」

 

 あ、なんか眠くなってきた。

 

「───以上が、今回の魔導兵団戦のルールだ。さて、理解できなかった凡愚はいるか? ……よろしい。では、各自配置につけ」

 

 審判も務めることになっているハーレイ先生の号令に、生徒が自分たちの指揮官───俺たちの場合はグレン先生、にくっついて、拠点となる南西の環状列石遺跡に向かっていく。

 

 今回、頭に入れておくべき重要なポイントは『平原』『森』『丘』の三つ。

 平原は敵拠点への最短ルートとなっていて、最速を目指すならここを通れば良い。が、それは相手も同じこと。どうしたって、平原はお互いにぶつかり合い戦況が膠着する最前線になるだろう。

 その横の森もまた面倒で、守りやすく攻めにくいここを占拠されてしまうと遮蔽物の少ない平原チームは横っ面から魔術をバカスカ食らうことになってしまう。従って、ここも平原ほど派手にはならないだろうが激戦区になるだろうことは予想できる。

 最後、丘。見晴らしの良い高所は狙撃ポイントになるというのはまあわかりやすい話だ。平原はともかくさすがに森までは初等呪文では届かないし、敵の拠点まで一番遠回りになるのもこの丘を通るルートだ。

 

「つまり?」

「ふっ。……全ッ然わからん」

「おい」

 

 横からカッシュの呆れたような声が聞こえたが無視する。

 仕方ないだろう。こちとら素人じゃ。

 

「あー……まあ、ギイブルも言ってたけど俺らの実力でテッペン(頭上)抑えられたら平原は一瞬で制圧されるだろうし、丘には強いやつを投入するんじゃないか? 最重要拠点、てコト」

「なーる……悔しいけど、確かに俺たちの魔術練度じゃ四組とまともにやりあったら不利か」

「そ。だから……そうだな。俺らはたぶん、平原か森に配置されることになる」

「丘は誰が行くと思う?」

「そりゃお前……」

 

 ちら、とグレン先生の指示を聞いている一人の少女に目を向ける。

 攻撃ができない代わり、おそらく今回一番拠点防衛に向いている少女。

 

「レイフォードだろ」

「……リィエルちゃん、【ショック・ボルト】くらいなら軽々避けちまうもんなあ……」

 

 しみじみとカッシュが言う通り、レイフォードの動体視力はバケモノ並みだ。

 たかが生徒の魔術くらいならたぶん勘と経験で避けてしまう。さすが軍人というべきか、さすがレイフォードというべきか。どっちが正解なのだろうか。きっと後者だろう。

 

「どっちにしろ、今回の戦略を練るのはグレン先生だ。俺らは馬車馬のごとく働けばいいのさ」

「それもそうだな……よっし、ならどっちが多く敵兵を撃破するか競争しようぜ!? 負けた方がメシ奢りで!」

「却下だおバカたれ。そーゆーのはギイブルとやってなさい」

「……ギイブルのメシか」

「……いや、奢りなんだから食堂のメシの代金持ってくれるってだけだろ」

 

 お前、さてはうちの店でぱーっと豪華に夕飯を奢ってもらおうとか考えてたな?

 そう指摘すると図星だったのか、カッシュはそそくさとギイブルに勝負を吹っ掛けに行った。ああ、ありゃ今週の生活費がキツくなるだろうなあ。

 

 そんな雑談で暇を潰していると、グレン先生からお呼びがかかる。どうやらレイフォードへの仕込みは終わったらしい。

 にっと見慣れた形に口の端を吊り上げ、グレン先生が今回の作戦を披露する。

 

「いいかお前ら。今回の魔導兵団戦でのお前らのポジションは───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───電撃が、突風が、緑生い茂る森の中を駆け巡る。

 

 その真っ只中で、俺は現在樹から樹へと飛び移りつつ目に付いた敵に片っ端から攻性呪文(アサルト・スペル)をぶちかまし続けていた。

 

『アッシュ、お前サルかなんかみてーに樹を伝って移動とかできねえ?』

 

 冗談だったのだろう、あはははは、さすがに無理だよなーメンゴメンゴ、と言って笑うグレン先生を尻目に俺は少しの間考えて。

 

『できますね』

『ゑ?』

『ゑ?』

 

 そんなアホみたいな会話から数十分、グレン先生の策略が見事にハマりレオス先生の陣営が次々と脱落していく中、今が好機と待機組だった俺たちを出撃させたのが現状だ。

 途中でナーブレスがスッ転ぶなんていうアクシデントもあったが、概ね問題はない。

 

「い、いたぞーッ! ヴィルセルトだ! 討て! 討ち取れェーーーッ!」

「くそ、なんで当たらないんだ!? あんな出鱈目な動きしてるくせに……!」

「そりゃあ……まあ、うん」

 

 散々師匠に森で叩きのめされたからですがなにか。

 というかつい最近魔術ぶっ放してくるやべえケダモノとやり合ったから前より森での動きは洗練されておりますことよ。

 

 思い切り樹の幹を蹴り、別の樹から伸びる枝に手をかける。四組の誰かがこっちに向けて【ショック・ボルト】を撃ったようだが甘い。枝にぶら下がるのではなく、鉄棒のように逆上がりをすることでそれを避け、回転の勢いをそのままに別の枝へ。

 

 いや本当、身体鍛えててよかったわー。

 

「鍛えてるからって問題でもないだろアレ……ええい、《雷精の紫電よ》───!」

「うーん……環境破壊への配慮がある魔術戦はやっぱり良いなあ……!」

 

 あの森、比較的樹が少なかったせいか大炎上まではいかなかったけどちょこちょこ草焦げてたからね。

 大事にならなくてホントよかったよ。

 

 時折すれ違いざまに最近一節詠唱ができるようになった【ショック・ボルト】をぶん投げつつ、連中が目で追うだけでも疲れるようにあっちこっちに動き回る。

 命中率は相変わらず低いが、こっちの変態的機動とレオス先生のパニック、味方の奮戦のおかげで牽制程度にはなっているようだ。……あ、一人落とした。

 

「くっ、前々から思っていたが……君は一体なんなんだ!? どこぞの原住民族なのか!?」

「失敬な。俺は正真正銘の帝国民だぞコノヤロー。あ、ギイブル。四時の方向」

「わかってる……《雷精の紫電よ》っ!」

 

 おお、さすがギイブル。即座に反応して一人討ち取りよった。

 

 その魔術狙撃の精度を少しくらい俺に分けてほしい。

 

「バカ言ってないで次だ! 撃破数を競うつもりは毛頭ないが、負けっぱなしも性に合わない……!」

「うん? 別に俺、お前に勝ったこととかなくない?」

 

 そもそも勝負吹っ掛けた覚えとかないよ?

 

「……三ヶ月前の事件で、君は死んだと思われていたのに帰ってきただろう。完璧に無事とは言い難かったようだが」

「ああ、まあ、うん」

「……いくら魔術の腕を上げたって、実際の戦いで活かせないならそれは技術じゃない。ただの知識だ。……僕はあの日、なにもできなかった」

 

 俺のはただの偶然だけどね。

 

「偶然であれなんであれ、君は魔術師として持てる手段を使い、生き延び、一矢報いた。……それが僕は、少し」

「妬ましい?」

「直球だな。……だけど、概ね間違ってない」

 

 魔術師として、っていうとかなり語弊があるんだが……まあ、いいか。

 ともかく、ギイブルはあの日、明らかな格上相手になにもできなかったことを悔しがっていて、だからこそ確実に襲われたはずなのに戻ってきた俺が若干気に入らないということらしい。

 

 正直相性の話だから気にすることはないって言いたいんだけど。

 

「それでも、だ」

 

 目の前に現れた四組の生徒が放った魔術に対抗呪文(カウンター・スペル)を合わせながら、ギイブルが言う。

 

「僕のプライドが、ここで……模擬戦だとしても、実際の魔術師としての戦いで負けるのは二度とごめんだって言ってるんでね」

 

 ……そうか。

 

「正直自分より下のやつが急にチヤホヤされてたのが気に入らないのかと思ってた」

「君が僕をどう思ってるのか、今度ゆっくり話し合わないといけないみたいだね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔導兵団戦はお互いに損耗率が80%を超えたので、引き分けということで終わった。

 

 俺? ギイブルとは途中で別れてその辺うろついてたよ。一回だけグレン先生誤射しそうになってめっちゃビビった。

 あとクラスのやつらにその変態機動はどこで身に付けたんだって言われたから森でほぼ丸腰のまま魔獣との組み手百回でもすれば勝手に覚えるって言ったらドン引きされた。解せぬ。

 

「お前の動き、なーんかデジャヴるんだよな……」

 

 とは、試合終了直後のグレン先生の言である。

 元軍人ってことだし、実は師匠と知り合いだったりするのだろうか。

 

「……というか、師匠が軍人ならあの時代に知り合った大人はみんな軍人という説……?」

 

 えーと、セラさん、リディアさん、アルベルトさん……はたぶん魔術競技祭が初めてだったよな?

 ……他、師匠が紹介してきた人って誰かいたっけ。

 いない気がする。

 というか、それ以外に知り合いがほとんどいない気がする。

 

「……。あれ、もしかして帝都にいた頃の俺ってぼっち?」

 

 気付いてはいけないことに気付いてしまった……。でも考えてみれば確かに帝都で暮らしてた頃は師匠が連れて来た人たちぐらいとしか会ったり遊んだりしていた覚えがねえ。ぼっちじゃん。

 あとの時間って大体ぬぼーっとしてたか、勉強してたか、師匠にしごかれてたかの三択だったし……。

 

「よし、忘れよう。今はぼっちじゃない、それで良いじゃないか……」

 

 それによくよく考えたら別にぼっちでも問題ないし。

 第一、七つか八つくらいで故郷から引っ越してきたらそりゃ知り合いなんざいねえわな。

 

「貴方たちッ! なんなんですかその体たらくはッ!」

 

 突然、反省会をしていた四組の方から聞こえた怒声にびくりと何人かが身をすくませる。

 

 くだらないことを考えていた俺も例外ではない。反射的に声が聞こえた方に顔を向けると、そこにいたのは顔色を土気色にしながら頭ごなしに四組の生徒を叱り付けるレオス先生だった。

 

 さすがに言いすぎだと思ったのか、グレン先生が仲裁に入る。

 

 ……おおう。今度はレオス先生がグレン先生に手袋をフルスイング。

 しかし、そこで我慢の限界が来たらしい。フィーベルがついにブチギレて二人の間に割って入っていった。

 が、グレン先生はそれを丸っと無視して手袋を拾ってしまう。叩き付けられた手袋を拾い上げるというのは決闘の申し出を受けるという意思表示だ。フィーベルの抗議にも関わらず、あの二人の決闘は決まってしまったらしい。

 

 ええ……。これ、どうなるんだろう。さすがにフィーベルが哀れというか渦中にいるのになにも知らされてないっぽくてなんとも言えないんだけど。

 当事者ではないので口を挟めないとはいえ、そろそろグレン先生はフィーベルに色々説明してやるべきではないだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんて考えてたら翌日にフィーベルとレオス先生の婚約が発表されたでござる。

 

 Why?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 グレン先生とレオス先生の決闘を待たずに発表されたフィーベルとレオス先生の婚約。しかも一週間後に結婚式まで執り行われるらしい。

 

 それから逃げるように、指定した時刻にグレン先生は現れなかった。

 

 学院内は予想外のゴシップに色めきだっているようだが、当然あんなに複雑そうな顔をしていたフィーベルを知っている二組生徒はそれどころではない。みんな、どういうつもりだとフィーベルに詰め寄っていた。

 

「いいの……私、現実を見ることにしたんだから……レオスのお嫁さんになるのが、私の夢だったんだから……」

 

 噓つけ、と言ってしまいたくなるほど、フィーベルの様子はおかしかった。

 

 普通、望んで花嫁になる人間ってのはもっと幸せそうにしているものではないのだろうか。今のフィーベルはむしろ、嫌で嫌でたまらないけど仕方ないから従っている……みたいな悲壮さが漂っている。

 大体、挙動不審にもほどがある。なにを聞いても『私はレオスと結婚する』としか言わないのだ。とんでもなく怪しい。

 

「システィーナ。よろしいですか? 式の段取りについて相談があるのですが……」

「え、ええ。もちろんよ。良い式の……ため、だものね」

 

 いやそのセリフの区切り方は明らかになにかあるって言ってるようなものじゃんよ。

 

 しかしここに、いつもならレオス先生に突っかかるはずのグレン先生はいない。決闘をすっぽかしたグレン先生は、その日から音信不通になっていた。

 

「あー……ティンジェル、どう思う?」

「絶対におかしいと思う。でもシスティ、私が聞いてもなにも答えてくれなくて……」

「それはやっぱり、レオス先生と結婚する、の一点張り?」

 

 こくり、とティンジェルが頷く。

 ついでに、こっそりと『なにか弱みを握られてるんじゃないかなって思う』と耳打ちもしてきた。

 

 フィーベルを動かせるぐらいの弱み……弱み……ねえ。

 

 俺たちの知るシスティーナ=フィーベルという少女が握られて困りそうな弱みと言われれば、考えられるのは『従わなければ魔術研究ができなくなる』、『従わなければフィーベル家が破滅する』といったところ。

 可能性は低いだろうが、変化球で『従わなければティンジェルの秘密をバラす』……とかも有り得るだろうか? その場合、どこからその情報を入手したのかが疑問だが。

 

「そんな……じゃあ、レオス先生は天の……?」

「ま、現状お前のあれこれを知ってるとしたら天ぷらかお偉いさんくらいなもんだろうし……可能性は低い……と言いたいところなんだが」

「天ぷら……?」

「東方の料理。今度食わせてやる」

「え、あ、ありがとう……?」

 

 問題はそうなると、俺たちにできることがほとんどないということだ。

 ティンジェル曰く、三日前……フィーベルが結婚を発表する前日の夜にグレン先生に助けてくれって言いに行ったらしいけど、グレン先生は『任せろ』と大変頼もしい一言を残して失踪。けどあの人の性格から言って、どこかに潜んで機を窺ってるんだろうと思う。

 白金魔導研究所の一件じゃ、キメラにエレノアさんにとボコボコにされてレイフォードに回収されたあと、すげー勢いで謝ってきたし。あの人の義理堅さはもうそれはよーく知っている。レイフォードもそうだけど、諸悪の根源は天ぷら同好会なんだから気にしなくていいのに。

 

「しっかし、わかんねえな……フィーベルが屈した理由もそうだけど、レオス先生の強引さ……謎が多すぎる」

 

 そもそも、今までは婚約者らしいからと流していたが、これだけ強引な結婚なんて認められるのか?

 

 フィーベルは大きな家の跡取りでしかも一人娘だし、少なくとも嫁入りは家で話し合わないといけない……つまり、結婚式を挙げるのが些か早すぎるのではないだろうか。

 

 前世や書物でかじった知識から考えるに、嫁入りにせよ婿入りにせよ、貴族同士の結婚ってのはかなりしがらみが多かったはずだ。それを丸ごと無視して一週間後に結婚。そんなことが有り得るのか?

 

 そういう事情に比較的明るいだろうティンジェルに視線を向けると、ふるふると首を横に振った。

 答えはノー。有り得ないとまでいかずとも、これがレオス=クライトスとシスティーナ=フィーベルの二人だけで決められる話ではないということだけは伝わった。

 

「ううん……システィのご両親だけじゃない。最悪、政府の介入だって有り得るの」

「は? マジか……そこまで大事になるって?」

 

 今度のティンジェルの返答はイエス。

 政府が介入するレベルの大事件になるっていうんなら、なおのことこうもお手軽ハイスピード解決していい案件じゃない。

 

「……れおすを斬れば、解決する?」

「無理。その場合、お貴族サマをなんの根拠もなく斬り捨て御免したバカヤロウとしてお前は牢屋行きだ」

「でも、システィーナはたぶん、あいつのせいで嫌な思いをしてる。れおすはきっと、悪いやつ。……それでも、だめ?」

「お前がどうにかなっちまったら、それこそフィーベルが悲しむだろうよ」

 

 さすがに諦めたのか、レイフォードがしゅんとうなだれる。

 ティンジェルはグレン先生が助けてくれる、と言って慰めているが、事を起こすとしたらたぶん……勘でしかないが、結婚式当日になる。

 

 ヒーローは遅れてやって来る、という法則に従うわけではないが、結婚式を台無しにするのもその予定を台無しにするのも変わらない。いや、見た目の派手さからいけば断然当日に全てをぶっ潰す方が簡単でわかりやすいはずだ。そのあとに起こる問題はともかくとして。

 

「……信じて待つ、か」

 

 結局、あれこれと考えたところで俺たちにできることはそれしかない。

 

 友人がなにかに巻き込まれているのになにもできない歯がゆさに、俺たちを含めた二組の生徒はみんな複雑な顔でその日を待つことしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 暗く濁った曇天を見上げる。

 

 今日はシスティーナ=フィーベルの結婚式。なんだか色々な陰謀がひしめいているみたいだけど、それでも近くにいるぐらいはしてやりたかった。

 

「なんで、まあ……そこ、どいてくんない?」

 

 見据える先にいるのは無数の人間。

 力ない足取りはまるでひと月前に対峙した屍人のよう。

 

 だが、それは紛れもなく───()()()()()だった。

 

「はー……ほんっと、最近はこういうことばっかだよなあ……」

 

 つぶやいて、ゆっくりと拳を構える。

 

「また、制服ダメになるかもな」

 

 諦めのように吐き捨てる。

 

 それを合図に、生きながらにして死に果てた文字通りの生ける屍たちが、てんでバラバラな凶器を振りかざした。




バーナード伝いに特務分室の大半と知り合いのアッシュ。なるほどこれが人脈チートか(なお半数が故人)

追記
ところで感想でもついに指摘が来ましたがマジで話に関わらねえなこいつ……と皆様思われていると思います。自分もです(真顔)
五巻はマジで絡ませ方がわからないしでかなり原作沿いになってしまっている自覚はあります。というかプロットがないからそうなるんやで。


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21.またこんな役回りだよ(諦め)

今回かなり難産で、半分くらい寝ぼけた頭で書いたのでいつもより雑ですし変なところあるやもしれません。


「ああ……やっぱり所詮はその程度、か」

 

 けほ、と血を吐き出す。その間にも、目の前のナニカはこちらに剣を向けている。

 

 剣を握った左手。()()()()が、宙に浮きながら主の命令を今か今かと待ち侘びている。

 

 勝ち目はない。全くと言っていいほどに。

 

「随分と変わったカタチをしているから、運命の戦いの余興にと足を運んでみたけれど……ダメだね。全然ダメだ」

 

 いや、本当、どうしてこうなったんだろう。

 

「判決を下そうか。───君は死刑だ、アシュリー=ヴィルセルト」

 

 俺はただ、のんびり過ごしたいだけなのにね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 たん、と地面と壁を蹴って棒高跳びの要領で背面すれすれに屋根を跳び越える。

 

 背中がギリギリ建物を越えるか越えないかというところで、爆風が巻き起こった。

 

 視界の端にチラリと見えたのは翼の生えた葡萄のようななにかだった。それが自分に向かって飛んでくるや否や、なにかするまでもなくひとりでに爆発。直撃を避けるために無理矢理建物を跳び越えたのは、背後に壁があったからこその苦渋の判断だった。

 

 自分は未だに対抗呪文(カウンター・スペル)を即座に唱えられるほど器用ではない。

 【トライ・レジスト】こそ付与してはいるが、やはりこちらを殺すつもりなだけあって威力は高く、とてもではないが耐えきれない。

 

 捕らえるために手加減をしていたエレノアと対峙したときとはまるで違う。

 

 それは本物の殺意。暴虐。そして蹂躙。

 久しく目にすることのなかった、それは濃密な死の気配───

 

「ぐぅ……ッ」

 

 身体を石畳にぶつけるだけでは飽き足らず、ごろごろと無様に地面を転がっていく。短剣を地面に突き立てて勢いを殺し、なんとか動けるようになった瞬間にその場から飛び退いた。

 

「雑魚のくせにしぶといね、君」

 

 どこか苛立ったような口調で男が言う。山高帽を被ったその男は濃い灰色の髪と瞳を晒しながら、悠々と天使のようななにかに掴まって降りてくる。

 

 男の名はジャティス=ロウファン。

 元・帝国宮廷魔導士団特務分室、執行官ナンバー11《正義》にして、一年余前、『天使の塵』を使って帝都を舞台に帝国にたった一人でケンカを売った、真性の狂人である。

 

 はじめはただ死人のように生気を感じさせない人間を相手していただけなのに、戦っているうちに───いつの間にか、アシュリーは彼のいる場所へと導かれていた。

 

「技量も普通。位階も普通。魔力容量(キャパシティ)は平均よりはあるみたいだけどそれだけだし、総合能力はリィエルの劣化版と言ってもいい。確かに変わってはいるけれど、君みたいなゴミをどうしてあのドブクズどもが欲しがるのか……いやはや、さすがの僕にもわからないな」

「───ッ!」

「せめて必中のルーンでも刻んできたらどうなんだい? 単調で読みやすいったらありゃしない。僕の天秤を使うまでもない」

 

 投げ飛ばされた短剣を避ける傍ら、手を振り煌めく粉末をばら撒く。

 それは即座に質量を持った実体として存在を獲得し、剣を振りかざしながら武器を投げ放った直後の少年の首を刈ろうと空を駆ける。

 

 それを後ろに避け左右にステップを刻むことで躱し、避けきれなかった攻撃をなんとか受け流す。

 

「やれやれ……本当に余興にもならないね。あのドブクズが欲しがってるみたいだから、先に殺しておこう(嫌がらせしよう)かと思ったけど……わざわざ僕が出向くまでもなかった。君ごときなら『天使の塵』の中毒者で十分だったな」

 

 掲げられた手から粉がこぼれ、ジャティスの背後に無数の銃を携えた天使が現れる。

 銃口が向くのは当然───アシュリー。

 

「『破滅の黎明(グラム)』───ッ」

 

 短剣だけでは凌ぎきれないと察して早々に切り札を切る。柄を支点にくるりと回し、魔剣で弾丸を打ち払う。

 しかしそれも一時凌ぎに過ぎず、更に言うなら凌ぎきれているわけでもない。弾ききれなかった弾丸が身体を掠めて浅い傷を作っていく。

 

 間違いない。この男は強敵だ。

 

 自分の技量では悪くて犬死に、良くて軽傷を負わせられるかというところ。

 

 弾丸を防ぐ間にもジャティスはひどく退屈そうに腕を振るい、新たなる天使を顕現させる。

 巨大な処刑人の剣(エクセキューショナーズソード)を掲げた天使が現れ、縦横無尽にその剛毅なる刃を振り回す。

 

 無数の斬撃は余波だけで石畳を砕き、土煙を巻き上げる。

 

 斬撃だけならなんとか対処できないこともない。だがこちらが一回魔剣を振るうたび、敵の剣は二度、三度と空気を切り刻む。

 

 敵の剣の巨大さ故に回避は不可能。懐から二つ魔術触媒(ナイフ)を取り出して瞬時に刃を形成───投擲。天使はそれさえも叩き落とすが、惚れ惚れするような連撃に挟まれた無駄な動作(短剣への対処)により生じた隙に割り込み、なんとかこちらも『破滅の黎明』を振るうことで両断する。途中で止められた斬撃が、薄く首筋に線を刻む。

 

 いつぞやの焼き直しだ。また自分はこの魔剣の力に頼り切っている。

 

 そのことに唇を噛み締めながら、天使を両断したことでなんとかできた隙……のようなものに滑り込む。ジャティスまではあと数十メトラの距離がある。短剣をもう一度投擲───ジャティスの呼び出した左手に阻まれる。

 天使を模ったものとは違い、腕のみで顕現するものたちは完全にジャティスによる操作で動いていることくらいはもうわかっている。そしてそこから考えるに、ジャティス自身もかなりの腕前……近寄ったところでまともに戦いになるのかと言われれば───否。いつぞやのエレノアとの戦いのように、真っ向から斬って捨てられて終わりだろう。

 

 即死くらいは避けられるかもしれないが、それでも『戦い』と評するにはかなり厳しいものがある。

 

 手数で補おうにも、それでは銃攻撃を捌けない。

 今の状態でも捌けてはいないと言えば、その通りだが。

 

「ちっ───どいつも、こいつもッ……!」

 

 数歩進んだところで───ぱん。粗雑な動作で撒き散らされた粉が、瞬時にマスケット銃を構えた天使の姿へと変貌する。

 いかな魔剣と言えども振るう人間の技量が低ければ真価は発揮できない。本来の持ち主であれば容易に対応したのであろう状況に、偽りの主は無様にも苦戦する。

 

 彼の名誉のために付け加えるのであれば……幼い頃から修練を積んでこなかったにしては、それなりの腕前ではある。剣術道場でもあれば、中位から上位には食い込める程度の実力は有しているのだ。

 

 ただ、相対しているのが軒並み化け物だというだけで。

 

 だん、と踏み込み。宙へと逃れ、身体を捻って一閃。

 無理な体勢で放たれた斬撃は理想的な軌道からわずかにブレ、そのブレが一体の天使を残してしまう。

 着地と同時、吠える銃声。左腕を貫通し、幻想の弾丸が飛んでいく。

 

「づ、ぅ……、……っ!」

 

 それには構わずに進む。痛みであれば耐えられる。

 足はまだ動く。であれば、前に進むことは不可能ではない。

 

「まだやるのかい? 大人しく死んでほしいんだけどなぁ」

「誰、が……ッ!」

 

 足裏に魔力を集め、推進力に変えて噴射する。

 魔力の光───雷にも焔にも似たエフェクトが弾け、地面が抉れる。

 

 【ラピッド・ストリーム】と同等の加速能力。

 途中、やはり剣を持った左手が無数に現れ、すれ違いざまに斬り裂こうと刃を振るう。

 

「寝、と、けッ!」

 

 半分近くを気合いで耐え、残りは『破滅の黎明』ともう片方の手に握った短剣を振るうことで破壊する。

 肩口が、脇腹が、太腿が抉れるが構わない。足が地面につくのと同時、『破滅の黎明』をぶん投げる。

 

「おっと。……使う剣だけは良いものだね。そっちの短剣も業物なんだろうけど、使うのが君みたいな凡人じゃあ剣も浮かばれない」

 

 軽口と共にジャティスは身体を捻り、超速で飛来する赫い剣を避ける。背後にある建物が轟音とともに崩れ去る。

 無手となった右手に短剣を握る。今の投擲で、なんとか、ギリギリ間合いに入るだけの時間は稼げた。何度打ち合えるかは甚だ疑問だが、遠距離から嬲り殺されるよりはマシだ。

 

 ジャティスの視線が、横を通り過ぎていった魔剣からアシュリーへと戻る。

 

 低く屈んだ体勢から、バネのように一気に飛び掛かる。一回、二回、とやけに頑丈な杖が閃く。

 それをどうにか弾き、躱し、三回目でようやく隙らしい隙が見えて───

 

「……“読んでいた”よ」

 

 ドスリ、と。

 深く肉を穿つ音。

 

 杖に仕込んでいた細剣(レイピア)が、少年の胴を貫いていた。

 その首には既に、『左手』の振るう黄金の剣があてがわれている。

 

「……やっぱり、こうなった、か」

 

 全く、今日はどこかで見たようなことの焼き直しばっかりだと血と一緒に言葉を吐き捨てる。

 

「所詮はこの程度。本当、どうして僕はこんなゴミのところに来てしまったんだろうな……ま、いいか。直前に味わったものが粗雑で下卑たものであればあるほど、メインディッシュは美味となるのだからね」

 

 辛うじて急所は外れているが、それもジャティスがこの細剣を動かせば一瞬で終わる。振り上げたはずの短剣は弾かれていた。

 フリーになった右手で、血に濡れるのも構わず細剣を握る。

 

「……まだ抵抗するのかい? もう無理だよ、諦めることだね。君のここからの逆転は99.9%有り得ない」

「……質問、が、ある」

 

 ごぽり、と、血を吐き出しながら少年がつぶやく。

 ジャティスはそこでようやく、自分を睨め付ける銀灰色の瞳をまともに見た。

 

「ふうん?」

 

 まだ諦めていない。

 あちこちから血を垂れ流し、あとほんの少しでもジャティスが動けばそこでもう助からなくなるにも関わらず、その目には一切の恐怖がなかった。

 

「君がなにを言ったところで僕の勝利は揺るがないんだけど……まあ、グレンが僕の誘導した地点にたどり着くまでにはまだもう少し時間がある。いいよ、言ってごらん? 冥土の土産くらいは持たせてあげよう」

 

 天使を消し去り、本当に最後の暇潰しだと言わんばかりに尊大に告げる。

 少年は息を吸い込んで、迷わず言葉を吐き出していく。

 

「……一つ。今回の事件は……お前が、仕組んだものか」

「Yesだ。レオス=クライトスは実に扱いやすい駒だったよ……動機も十分あったからね。残念ながらもう『天使の塵』の中毒症状で死んでしまったけど、神はきっと彼の魂を御許に置いてくださるよ」

「………二つ。あの死人のごとき人間は、お前の仕業か」

「Yes、だ。彼らは『天使の塵』の中毒者でね。僕の命令ならなんでも聞いてくれる……実に便利な駒さ」

 

 淡々と、事実のみを口にする。

 多くの人間を犠牲にしておきながら、その声音に罪悪感などは一切見られない。

 あるのはただ、おぞましいまでの信仰。『正義』などという、形のないものへの狂信。

 

「───三つ。目的は、なんだ」

 

 アシュリーの口が、最後の質問を紡ぐ。

 

 ジャティスはそれに、

 

「決まってる。───正義のためさ」

 

 さも当たり前のように、答えを返した。

 

「君ごときには理解できないだろうけど……僕はこの帝国の真実を知った。故にこそ、絶対正義たる僕が、この最低最悪の陰謀のもとに生み出されたこの国を滅ぼさなくてはならない……ある人間に邪魔されたけどね。だからこそ僕は、今日この日、僕の正義の崇高さを証明するために、彼に───グレンに挑戦するんだ」

 

 有り得ないほどに、それは澄んだ瞳だった。

 求道者のような真っ直ぐな生き様であるとさえ言えるだろう。

 

 正気でありながら狂気。己の存在こそが正義と頑なに信じ込んだその精神性。

 ───ああ、これは化け物だ、と、滴る血を見ながら思った。

 

「こうして誰かを殺すのも?」

「ああ、正義さ」

「学院の生徒を巻き込んだのも?」

「ああ、正義さ」

「……罪もない人間の日常を、台無しにしたのも?」

 

 淀みない口調で───ジャティスは答える。

 

「ああ、正義さ」

 

 正義のもとに、あらゆる犠牲は許容されるのだと。

 

「……そうか」

 

 ぎしり。細剣を握る手に、もう一度力を込めて。

 

「喜べ、外道。───俺は、お前みたいなのが……この世で一番嫌いだよ」

 

 鋼鉄が、音を立てて粉々に砕けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───さて、現状を整理しよう。

 

 傷は多く、俺の技量では仮にこの瞬間に全快したとしてもその命には届くまい。

 

 足りないもの。技量、魔力、体力。うん、要するに全部だ。なにもかもが足りない。

 

 我ながら絶体絶命ぶりに笑いが込み上げてくる。ああ、この前もこんなことがなかったっけ? 全く、馬鹿の一つ覚えかというのだ。致命傷を負うにももう少しバリエーションがほしいところ。

 

「…………」

 

 杖を砕かれたのがショックだったのか、目の前の男は僅かに目を見開いている。ざまあ。

 できるだけ他の部分を傷付けないように破片になった細剣を抜いて、地面に落ちた断片を踏み砕いた。細剣なのが幸いした。出血は少ない。

 

「はぁ……」

 

 打開策。ないこともない。具体的にどうと言われてしまうと困るのだが、うん。例によって()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 デメリットは……後戻りができないということ。

 版画を思い浮かべればわかりやすいだろうか。深く彫れば彫るほど、版画はくっきりと、精確な絵を描き出す───だが、削られた板は元に戻ることはない。

 それと同じ。より遠くへ、より深みへ手を伸ばせば、俺は『それまでの俺』とは別のモノになる。

 

 かつて、己の才能は三つだと言ったことがある。あれは正しくて、同時に致命的な間違いだ。

 あの三つは本質的には同じモノ。それがなにに連なるものなのかはわからずとも、源流を同じくするということだけはわかる。

 

 一つ目は単純に『英雄の持っていた武器』を再現しただけに過ぎず、

 三つ目の本質は『存在を英雄に近付ける』ということに他ならない。

 

 つまりその打開策とは、手っ取り早く言うと今まで宝具(外付けパーツ)の再現だけに留めていたものを、戦闘能力(英雄の能力そのもの)にまで広げるということ。

 

 まあでも、記憶がなくなるとか、闇落ちするとか、そういうことは……たぶん、ない。

 もしかしたらそれ以外の代償もどこかにあったのかもしれないけど、俺は知らない。

 

 気にしなくて良いことだから、きっと気にしないことにしたんだろう。

 

 それにほら。死んだら元も子もないわけだし。

 

 だから───手を伸ばす。

 まだ知らない奥底。手付かずのデータ。

 より強く、より深く、英雄■■■■を再現する。

 

「───霊基(セイントグラフ)再現率、向上。

 真名、未だ知らず(ロスト)。限定登録、完了……!」

 

 より遠くへ。

 より深くへ。

 

 完全再現までは至らない。そこまでの器、そこまでの情報は俺にはない。

 

 良いとこ三割。それが今の俺の限界だ。

 

 ヴン、と鈍い音が聞こえた。『破滅の黎明』が、いつの間にか手に収まっている。

 

 馴染む。いつもより、ずっと。

 

 くるりと手の中で回して、いつものように逆手に持つ。

 

 どう振るえば良いのかが、なんとなくわかる。

 

「……貴殿の術技、借り受ける───!」

 

 柄にもなくそう吐き捨てると、いつものように、俺は地面を蹴って───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───空気が一段、重くなる。

 

 なにかをしたのだ、ということはわかった。なにをしたのか、はわからない。ジャティスの眼をもってしてもだ。

 

 わかるのは───今、目の前にいるものが、先ほどまでとは違う生き物になりつつあるということ───!

 

「ちっ……面倒だけど、ゴミ処理だ」

 

 右手を振ると、黄金色に輝く剣と無機的な白い腕が現れる。

 

 それはジャティスの操る人工精霊(タルパ)───【彼女の左手(ハーズ・レフト)】。

 剣が閃き、今にも倒れそうな少年の首を───

 

「───……」

 

 消えた。

 

 瞬きの間に、目の前にいたはずの少年が姿を消した。

 どこに行ったのか───その答えは、すぐ背後から聞こえた。

 

「いくぞ、狂人。片腕くらいは覚悟して貰おうか」

 

 不意に頬を撫でた風に、咄嗟に【彼女の左手】を盾にする。

 

 キン、と。

 軽い音とともに、宙に浮いた左手が無数の断片に変わり、天使は妄想へと逆戻りした。

 

 振り向くよりも先に手を動かす。剣の代わりに天秤を掲げた右手、人工精霊【彼女の右手(ハーズ・ライト)】が顕現する。

 

「フッ───!」

 

 姿を現した少年の振るう赫い刃が天秤に弾かれ、大きく仰け反り───すぐさま軌道を変えてもう一度ジャティスを斬り裂かんと滑る。

 

「な───?」

 

 ギリギリで天使の守護が間に合───わない。

 天秤の隙間に滑り込むようにして刃先が踊る。今まで一切の傷を負わなかった正義の右腕に、決して浅くない傷が刻まれる。

 

 初めてのまともなダメージに舌打ちを一つ。さらに大量の(天使)を撒き散らす。

 

 それを少年は先ほどまでと同じようにナイフを投擲───しかしその速度と精確さは比較にならない。

 

 四本のナイフを殴り飛ばした瞬間、地面を蹴って加速。背後に回り込み、握った魔剣で片端から破壊していく。姿を晒したアシュリーを殺すべく天使の手にした銃口が動くが、銃弾が少年を撃ち抜くより先に先ほど放たれた短剣に撃ち抜かれる。

 

 ならばと生み出された【彼女の御遣い(ハーズ・エンジェル)・斬刑】……処刑人の剣を振るう天使を向かわせる。

 

 少年はそれを認めるなり、『破滅の黎明』を投げ放った。追撃のように蹴りを入れ、完膚なきまでに叩き潰す。

 

 ───まるで別人だ。

 

 先ほどまで死に体だったクセにこの動き。治癒魔術を施しているのかとも考えたが、違う。

 純粋に、この少年は気合いで耐えている。

 

「……ああ……ああ、そういうことか!」

 

 そこで、ジャティスはなにかに気付いたように哄笑する。

 

 愉快でたまらないと言うかのように。

 

「なるほど、彼らが欲しがるわけだ! 君は───」

「───ッ!」

 

 手元に赫き魔剣を呼び戻したアシュリーが迫る。それを避けると、また別の天使を降臨させてその肩を掴む。余波で微かに傷ができるが、大したダメージではない。ほんの一筋血を流させただけに留まる。

 

「……逃げるか」

「いいや? 本命の時間になっただけさ。

 そして訂正しよう。君はゴミではなかった。まさしく原石……いや、なににも成り得る何者かだ───!」

 

 ばさりと翼を広げ、ジャティスを抱えた天使が空へと飛び立つ。

 

 追い掛けようとして、足に傷を負っていることに気付いた。追えなくもないが、技量を補ったところでそれを動かす肉体が損傷していては十全に機能を発揮できない。

 苦し紛れに一本ナイフを投げてやったが、やはり掠めただけで大した傷にはならなかった。

 

 最初の不意打ちで腕を斬り裂けたのがせめてもの戦果か。

 

「クソ……そううまくはいかないか」

 

 天使の姿が消えたのを見送って、『破滅の黎明』を消し去り小さく毒づく。

 英雄(誰か)の能力を無理に引っ張り出した反動なのか、意識は既に朦朧としていた。

 

「これじゃ本当に……この前と、変わらな……」

 

 膝をつく。違うのは、今度は味方が見当たらないということ。目的は果たせていないことだ。

 

「先生……フィー、ベ───」

 

 そこで滑り落ちるように意識が暗闇へと消えていく。

 

 最後に思い浮かべたのは、講師と級友の姿だった。




【急募】ストーリーを盛り上げるセンス。
ちょっと修行の旅に出るべきかもしれないがエタりそうだ……。


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22.そろそろマジで制服代請求したい

12時に起床し、『あと4000文字足らんが!?』と慌てて書き上げました。今回はほぼ読み直ししてないので誤字あるやもです。


 ……それからの話をしよう。

 

 あのあと、何回目だ! と言いたくなりながらも『知らない天井だ』を敢行した俺の前にいたのは、例によってグレン先生とアルベルトさんだった。

 なんかめちゃくちゃ渋い顔してるからやっだなあアルベルトさんそんなおっかない顔しないで? 私被害者よ? と言うとますます渋い顔をして黙り込んでしまった。また尋問されるのかと思ったけど今回はそういうことはないっぽい。でも前回みたいに一瞬でビーム出してくるあの指突きつけてくるの普通にびっくりするからやめてくださいね。

 

 で、聞いた話によるとあの謎のキザ野郎ことジャティスとやらはあのとき聞いた通り今回の事件の黒幕、かつ目的はグレン先生へのリベンジマッチだったらしい。あいつよくわかんないけど頭イカれてますねって言ったら今度はグレン先生が渋い顔で「そうだな」と同意を返してくれた。

 

 いくつか質問に答えたあとにしばらく安静にしているように、と言い残して二人は去っていった。

 

 ところでじっとしてるの飽きたんですけど。

 

「……あのね、あんたの辞書に『安静』って二文字はないの?」

「なんでグレン先生といいフィーベルといい、俺の辞書を疑うの? さすがにあるよ」

 

 じっとりとこちらを睨むフィーベル。

 安静ってあれでしょ? 安全な場所で静かに動けって意味でしょ?

 

「それ、本気で言ってるならその辞書は誤植だらけの欠陥品だから取っ替えた方がいいわよ」

 

 それはどうも。

 フィーベルの手元ではするするとリンゴが剥かれている。どこか危なっかしい手つきのそれを終えると、こっちにトン、と切り分けたリンゴを渡してくる。そういえばだけど、なんで俺は世話を焼かれているんだろう?

 

「クラスを代表してお見舞いに来てあげたのよ。……色々気にかけてもらったしね」

「そ、っか。一応、礼を言っとく」

「お礼を言われるようなことじゃないけど受け取っておくわ」

 

 これまた聞いた話によると、俺が気絶したあとにジャティスを撃退したのはグレン先生とフィーベルの二人らしい。

 あいつめっちゃ強かったのに撃退とかすごいな……。あ、ちなみに今回回収してくれたのはアルベルトさんでした。なんというかお世話になりっぱなしですね。すみません。

 

 それから、ジャティスはグレン先生の昔の同僚だったとか、一緒に戦ったのだとか、あんたはなんでいつもボロボロになってるのよ等々。退屈を紛らわすように、色々な話をした。

 最後に関しては不可抗力だと思います。

 

「はあ……じゃ、そういうことだから私はそろそろ帰るわね」

「ん、そうか? もっとゆっくりしてても良いのに」

「ここはあんたの自室じゃないでしょ。……じゃなくて、まだレオスとの色々の後処理があってね。あんまり暇じゃないのよ」

「なんで来たんだ……」

 

 他のやつに任せればよかっただろうに。

 そう言うと、フィーベルはふう、と息をついた。

 

「……お礼。言っておこうと思って。今回は、色々とありがとね」

「それこそ俺が言われるようなことじゃない気がするけど……一応、受け取っておく」

「そこは素直に受け取りなさいよ……」

 

 それじゃあ、という声のあとにパタン、と扉が閉まる音。

 それを見届けてから、ふと思い立って動かせる範囲で身体を動かしてみる。

 

「損傷軽微。各種行動、支障なし、っと……やっぱり、おかしいところはない……よな?」

 

 感覚的に失うものはたぶんないと分かっていても気になるものだ。念のためここ最近の記憶も洗ってみる。……問題なし。どうやら本当に、少なくともわかりやすいところに代償はないらしい。

 念のため、帰ったら机に放置していた本───忘れっぽいからと昔友人(イヴ)が押し付けてきた日記帳の内容を確認することとしよう。

 

「さーて……」

 

 これにて晴れて事件解決、あとは帰る許可が降りる日を待つだけだ。

 

 ここしばらくは忙しかったし、なんでかツキイチで事件に巻き込まれたりもしていたけども、裏を返せばあと一ヶ月近くは平穏が約束されている。

 

「よーし、そしたら張り切ってバイトするぞー」

 

 おー、と誰もいない病室で腕を振り上げる。

 

 なんせね。今回で三回目だからね。

 

 制服がズタボロになるの。

 

 これで三 回 目だからね。

 

「制服って高いんだよなあ……」

 

 思い出さなくても良いことに気付いてしまった俺は、ふて寝をするように布団をひっ被って目を閉じるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 というわけで無事に復帰してから三日後。

 

 店長もさすがに『天使の塵』絡みの大惨事の直後は色々と仕事が多かったのか、店は一時閉店……なんてことは全然なく、この機に新メニューでも開発しようと日夜厨房にこもっている。

 

「ヴィルセルトくん、これどうかな? スグリのタルト」

「ん……いいんじゃないですかね。冷蔵が面倒なのが玉に瑕だけど」

「ははは、どうせその日中に消費するからね。多少はどうにかするさ」

 

 快活に笑う店長。その目の前のテーブルにはどっさりと積まれた赤スグリのタルトが並んでいた。

 確かに、実際の商品として出すならそんなに量を作らないデザートということもあって問題はないだろう。

 

 実際の商品として出すならの話であるが。

 

「……で、この大量のタルトどうするんですか」

「は、はは……。ちょーっと、作りすぎてしまったかな……」

「ちょっとじゃないですよねこれ。明らかに十人前はありますよこれ」

「だよねぇー……」

 

 がっくりと肩を落とす。そうなのだ。この店長、なぜか新メニューを作るときはとにかく大量に作るのだ。

 いつもなら他の店員や客も集めて大試食会を開くのだが、今日に限っては『天使の塵』のゴタゴタのせいで人数が集まらず、結果として店内には男二人では食べきれない量のスイーツが出来上がっていたのであった───!

 

「誤算だった……。ついいつもの感覚で作ってしまってね……」

「よくわかんないとこで突然大雑把になりますよね、店長」

「耳に痛いね……」

「痛くなかったら困ります。……まあ、これは俺が持って帰りますよ」

 

 一つつまみ食いしながら数を数える。それなりの量ではあるが、確か店の倉庫に小さめの木箱があったはずだ。それに入れていけば運搬は可能だろう。

 

「おや、そうかい?」

「学院の友人にスイーツ大好き娘がいるもんで。気に入ってくれればすぐに食べ終わると思いますよ」

 

 もっとも、彼女の好物は苺のタルトであってスグリではないのだが。

 

「そうかそうか……それは助かるよ。今度、試食会に呼んでみようかな」

「あー……そうですね。それは悪くないかもしれないです」

 

 ついでにフィーベルとティンジェルもついてくるだろう。タダで食べられると知ればさらにグレン先生もついてくるかもしれない。

 ……いや、改めて考えてみても濃いなあ、俺の周囲。今年度が始まってすぐの頃からは信じられない。

 

 そんなことを考えながら木箱を確保し、底にちょちょいっと氷のルーンを刻む。

 紙に包んだタルトを箱に詰めつつ、食堂に持っていけば他にも誰か食べに来るだろうかと考える。カッシュ……は弁当組だがどうせ呼べば釣れる。

 

 貴族としてナーブレスの意見もほしいところだが、まあフィーベルとティンジェルに任せよう。あの二人も結構やんごとない身分なんだし。強いて言うなら商会の娘だというレイディにも意見を聞きたいところ。

 ギイブル……は、どうなんだろう。あいつ、あれで意外と食レポ得意だったりしないだろうか。知識はやたらあるから声を掛けてみるか。

 

 グレン先生? どうせどっかから聞き付けてつつきに来るだろ。

 そういう謎の信頼感があの人にはある。

 

「…………」

「ん? どうかしました、店長」

「え? ああいや、君も魔術師だったなぁと思って……」

「……?」

 

 魔術師っぽいこと、なんかやったか? 俺。

 

「ま、そういうことならありがたく押し付けさせてもらうよ。余裕があればリクエストや感想なんかも聞いてきてくれ。参考にする」

「抜け目ねぇー……。了解です」

 

 よっこいしょ、と木箱を抱える。今日はこれでお開きだ。

 本当はもう少し色々と試してみたいところだったのだろうが、他のメニューでもこの量を作られてはたまらない。

 

「今度、うちのクラスメイト呼びますから。そしたら思う存分作ってください」

「ああ、ありがとう。楽しみにしているよ」

 

 それじゃあ、と軽く頭を下げてから店を後にする。

 

 たまにはこういうのも悪くないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 翌日。

 

 シンプルなベッドに寝転がっていた俺は、むせ返るようなタルトの匂いで目が覚めた。

 

「…………おぉう」

 

 か、香りまでは想定していなかった……。

 

 新調した制服にまでついてないよな、と心配したが、鼻が麻痺してしまってわからない。今日はこのまま行くしかなさそうだ。

 

 さっさと着替え、荷物をまとめて学院へ。

 二組の教室へ木箱と一緒に入り、案の定甘い匂いがするとクラスメイトにからかわれ、レイフォードには苺タルトかと聞かれた。違うけどあとで振る舞うから待っててほしい。

 

 と、チャイムが鳴る少し前にグレン先生が教室に現れた。ここしばらく見なかったような、真面目くさった顔をしている。

 やがてチャイムが鳴ると、グレン先生は授業の前に大切な話があると切り出した。

 

「お前たちは───魔術師として、もっと広い世界を知るべきだ」

 

 なんか真面目なこと言い出した。

 

「学院で朝から晩まで勉強勉強また勉強……いや、確かに学ぶことは大切だ。知識は魔術師にとっての力そのものだからな。───だがしかァし!!」

 

 ばん、と教壇に両手のひらを叩き付ける。

 そろそろ今年に入ってからずっと荒い扱いをされている教壇の耐久度が心配になってくるな。

 

「本当にそれで良いのか!? お前たちは、こんな狭苦しい世界だけではなく、大いなる真理を求めて外の世界を知るべきではないのか!? いや、知るべきだ!」

 

 誰この人?

 いつぞや交わしたアイコンタクトが再び出番を得た。

 

 フィーベルは以前と同じく肩をすくめた。ティンジェルは苦笑いを浮かべている。レイフォードは首を傾げて……いや、訂正。俺の持ってきた木箱をガン見している。

 

「そこで! 俺は今回……とーくーべーつーに! お前たちを、遺跡調査に連れていきたいと思う───!」

 

 ああ、今度はなにやらかしたんですか? グレン先生。

 

 そう聞きたくなるのを堪え、より詳しい内容に耳を傾ける。

 

 曰く、グレン先生は学院長から直々に依頼され、『タウムの天文神殿』とやらに調査に向かうことにしたのだとか。

 で、その遺跡調査はとてもではないが一人では終わらないため、調査メンバーに二組生徒を連れていこうということらしい。

 

 で、引率のグレン先生がこれ以上増えると面倒を見きれないからと選出メンバーは基本八人。

 といっても、八人中三枠はいつもの三人娘で埋まると思うし、これはあと五人ってことで良いだろうな。

 

 ほうほう、と頷いていると不意に視界の端でなにかがキラリと光った。

 

 誰あろう、それは眼鏡っ子の特権『眼鏡クイッ』を披露したギイブル=ウィズダンである。

 

「ふう……あの噂は本当だったようですね」

「ギイブル、あの噂って?」

 

 とりあえず乗っかってみる。ギイブルはぼっちのクセに意外と情報通なのだ。

 

「グレン先生が論文を提出していないって噂さ。魔術研究の成果である論文の提出は講師を続ける条件の一つ……率直に言えば、グレン先生はこのままだとクビになるってことだね」

「ギクッ」

 

 おい今なんかすげーわかりやすい反応したぞこの講師。

 

「ちちちちげーよ!? 論文とかなんのことだか僕サパーリ!?」

「大体、なぜ僕らに限定して調査隊員を募集するんですか? もっと位階の高い四年次生から募れば良いじゃないですか」

「そりゃーお前、一人前の魔術師と見なされる第三階梯(トレデ)を動員したら規定で雇用費が発生するから……じゃなくて、そ、そう! 今回の遺跡の危険度はかなり低いから、お前らみたいなヒヨッコでも安全に探索できるわけでせっかくだしと思ってだな!?」

 

 嘘だな(ダウト)

 

「く、クビ……!?」

 

 ここで反応したのはグレン先生になんでか懐いてるティンジェルである。真っ青な顔でコトの真偽を問い質しているが、対するグレン先生は挙動不審になりながら誤魔化している。

 

「そ、そういうわけでお前ら、今回の遺跡調査に……ああもうまだるっこしい!! どうかこのゴミクズボケカスクソ野郎に力をお貸しください───ッ!!」

 

 自虐しすぎじゃありませんかねえ……と思う俺(たち)の目の前でグレン先生は見事な土下座を披露していた。無駄に洗練された無駄のない無駄な動きというヤツである。

 

 しかしそんなグレン先生に救いの手を差し伸べる天使がいた。

 我らが二組の誇る大天使ことルミア=ティンジェルである。

 

「先生……どうか、私にもお手伝いさせてください。私ではお役に立てないかもしれませんが……ね?」

「ん。グレンとルミアが行くなら、わたしも行く」

「お、お前ら……い、いや、お前らが来てくれるってのは織り込み済みだしな!? はーっはっはっはっ、作戦どーりだぜ!?」

「はいっ。先生が良い論文を書けるよう、頑張りますね!」

「ろろろ論文とかなんのことだかわかりませんねえ!?」

 

 じーんと感激していたらしいグレン先生は即座にいつもの調子を取り戻し、ついでに全てを見透かしたティンジェルの言動にキョドっていた。

 そして取り残された三人娘ことフィーベルは、素直に参加したいですと言うのが癪なのか、こちらも挙動不審になりながら机の下で手がガタガタ震えていた。

 

「そういうことなら俺も行かせてくれよ!」

「僕も……遺跡調査っていうのは気になる、かな」

「カッシュ……セシル……お前ら、遊びじゃないってわかってんのか? けどまあ、助かる」

「やれやれ……まあ、遺跡調査は成績にハクがつきますからね。僕も行かせてもらいましょう」

「げ、ギイブルお前も来るのか……助かるけどよ」

「そういうことなら私も同行させてくださいな、先生。我がレイディ商会が、どこよりもお安く、調査のための資材をご提供させていただきますよ?」

「わ、私にもお手伝いさせてください……!」

「リンはともかく……テレサお前、コネ狙いか……つかどこで俺が自腹切らにゃならんと知って……ま、まあいい、素直に助かる。今回はその策略に乗ってやろう」

 

 そうしている間にも、どんどんメンバーは埋まっていく。

 

 どうするんだと思っていると、残る最後というところになって、ようやくフィーベルの手が動いた。

 しかしやっとかー、と思う俺の傍ら、フィーベルが手を上げるより早くグレン先生は「誘いたいヤツがいる」と言ってフィーベルのそばを通り過ぎ───

 

「ウェンディ。頼むわ」

「……わたくしですの? お断りしますわ。どうしてこの高貴なわたくしが、そんなカビ臭いところに行かなくてはならないのです?」

「絶対危険な目にはあわせないからさー、なっ? 碑文の再解読を暗号解読系の魔術の天才たるお前に頼みたいんだよ~、なー?」

 

 ゴマをすりすり、グレン先生がナーブレスに頼み込んでいる。

 さすがにそういう理由であれば悪い気はしないのか、ナーブレスは仕方ないですわね! と言いたげな様子で参加を表明。

 

 ───さて。

 

「ふぅ~~~ッ、うぅ~~~~ッ……!」

 

 この白猫さんはどうしようなあ……。

 

 席が近い自分のことかと一瞬期待してしまったのか、フィーベルは話をまとめるグレン先生に向かって唸っている。

 さすがにいたたまれないのでちょいちょいとグレン先生に見えるようにフィーベルを指差した。フィーベルの横ではティンジェルが手話でコトの次第を伝えようとしているし、大丈夫だろう。

 

「あ~……じゃ、白猫。調査隊員のリーダーと魔導考古学の専門家としてお前も同行な」

「!!!!」

 

 全てを察したグレン先生のファインプレーにより、フィーベルは無事に調査隊のメンバーに加わった。

 

 さて、これでようやく終わりか……と思い教科書を取り出す。

 これで調査隊員は合計九人。ちょっと増えはしたが、フィーベルたちなら問題ないだろう。

 

「あ」

「は?」

 

 不意にグレン先生のなにかを思い出したよーな声。

 

 なんか嫌な予感がして、必死に目を逸らす。

 

「アッシュ。お前も同行」

「は??」

「あれだ……リィエルのご機嫌取り用に、デザートでも作ってやってくれ」

「はあーーー!?」

 

 ……こうして、なし崩し的に俺も遺跡調査に参加することになってしまったのであった。

 

 いや、デザート役ってナニよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アッシュ。これ、おいしい……けど、苺タルトじゃない……」

「今度作ってやるからそんな顔しないでくれ。なんでか俺の罪悪感がすげー刺激されてる」

 

 目の前でかりかりとスグリのタルトをかじっているリィエル。

 その対面では、アシュリーが木箱を持って椅子に腰掛けている。

 

「フィーベルとティンジェルはどうだ?」

「すごくおいしいよ。アッシュ君の手作り?」

「うんにゃ、作ったのは店長。少し手伝いはしたけどな」

「く……っ、やめたいのにやめられない……おいしいけど! おいしいんだけど!」

「うん、無理して食うな? デザートを大量に食うのはなんかお前的にタブーと見た」

「はむはむはむはむ……」

「……元気だなお前ら……」

 

 諸々のミーティングを終えたグレンが、退屈そうにタルトをかじる。

 やるべきこと、考えるべきことが多過ぎて気力が尽き果てているのだ。

 

「で、先生は?」

「……あ? あー、うめぇと思う。こんなものがタダで食えるなんて、俺は良い生徒をもったなあ……!」

「……あんただけ試食会から省こうかな」

「やめて!? リィエルのせいで給料減ってんのにメシを食えるチャンスを逃してたまるか!?」

 

 冗談です、という教え子の姿を見ながら頬杖をつく。

 思い起こすのは、先日アルベルトに言われた言葉だ。

 

 アシュリー=ヴィルセルト。

 素性調査を行ったアルベルト曰く、十年前、なんらかの事件によって住んでいた村が壊滅した中で一人生き残り、その後駆け付けた軍によって保護され、監視下に置かれていた時期があるものの別段変わったところのないごく普通の少年。

 なんらかの事件、のところまではアルベルトは教えてはくれなかったが、どうせロクでもないものだろうということは顔と声色から察することができた。

 

 一人を残して住民が全滅、というのは一見痛ましい事件ではあるが、天の智慧研究会をはじめとする外道魔術師の存在のせいで今やありふれた事件でもある。実際、グレン自身もそういった経歴の持ち主だ。

 事件前後の記憶があやふや、というのも共通する。なんだか不謹慎な親近感を抱いてしまいそうだ。

 

 まあ、そんな平凡な人間がそれがどうして天の智慧研究会に襲われることになるのかはやはり、皆目見当もつかないが。

 確かに本人曰く固有魔術(オリジナル)だという剣の生成には目を見張るものがあるが……そういった魔術は既にリィエルが習得しているように、彼の組織からすれば喉から手が出るほどほしい能力ではない。

 

(……まあ、一人で置いてくのは不安だが……近くにいりゃ、少しは安心できるだろ)

 

 なんせ今回のメンバーはシスティーナ、ルミアはもちろんあのリィエルも同行しているのだ。『タウムの天文神殿』の危険度は最低ランクのF級だし、特に問題は起こらないだろう。

 

 デザート役、なんていう無理のある理由で同行を命じたのは、目の届く範囲に置いておくためでもあった。

 

 軍のゴタゴタのせいでアルベルトがフェジテを離れている今、ルミアはもちろんのことながらオマケ程度とはいえ狙われているらしいアシュリーから目を離すのは少々怖い。

 本人は『あいつら制服弁償してくれませんかね』と、何度も死にかけたにも関わらずケロリとしているが。恐怖というものをどこに置いてきたのだろうか、こいつは。

 

(……さすがに今回はなにも起こらんだろ)

 

 あくびをして、残ったタルトを口に放り込む。

 

 ほのかな酸味が舌を刺した。




応援コメントや感想等ありがとうございます。とても元気が出ました……。
拙い文章ではありますが、これからもがんばります。


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23.だから遺跡は苦手なんだよ

ひょ、評価バーが赤くなってる!と思ったらあっさりオレンジに戻っていた。いい夢見させてもらったぜ……。
それから皆様、いつも感想や評価ありがとうございます。
続きを書く傍ら、一日中ずーっと感想欄と行ったり来たりしてふへへと気持ち悪い笑みをこぼしておりました。


 ───雪景色を見た。

 

 一面の銀色。

 そこに、無数の人間が並んでいる。

 

 雪にはしゃぐ幼子ではない。

 かといって、雪を退ける大人でもない。

 

 剣を帯び槍を携え、硬質な鎧に身を包み、規則正しく並んだそれは───兵士。

 

 雪景色いっぱいに。

 無数とも見える軍勢が、並んでいた。

 

 そして、その中心。否、あるいは先頭。

 

 そこに、一人の男がいた。

 

(ああ───すげぇな)

 

 ぼんやりとした思考で物思う。

 

 なんとその男は、軍の先陣をきって突撃し、手に持った長剣で片端から敵を薙ぎ払っていたのだ。

 

 目の前に迫る敵を、左右を挟む敵を、前後を阻む敵を。

 

 握った長剣で、腰に提げた短剣で、肩に取り付けた半月型のパーツで、ときには拳そのもので。

 男は、その身に帯びたあらゆる技巧で、立ち塞がるなにもかもを破滅へと導いていた。

 

 英雄。

 

 まさにそんな言葉が似合う猛進ぶりだった。

 

 あれだけたくさんいた兵士を蹴散らして、

 それを誇るでもなくただ淡々としている。

 

 

 

『当方■道■■は■要。情■無■。私■■の為■■きこ■を■■■■るま■』

 

 

 

 気高き戦士。人々のためにある機構。

 

 ああ、なるほど。

 

 これが英雄。

 人を守り、人に望まれ、そして()()()()()()モノ。

 

(……本当に、すごいなぁ)

 

 子どものように憧れた。

 

 だって。

 

 それだけの力があれば、きっと───守れないものなんてどこにもないと、そう思ったから。

 

(けど───)

 

 それはともかくとして───結局、この人は誰なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「だぁぁぁ、ここでその役はありえねえだろッ!?」

 

 ばーん、とグレンが派手にカードを撒き散らす。

 その向かいでは、五枚のカードを広げたテレサがにこにこと微笑んでいた。

 

 現在はグレンがクビの宣告を受けてから一週間後、実際に『タウムの天文神殿』へと向かう道の途中。

 屋根上が二階になっている大型の貸し切り馬車、その内部。つまるところ一階部分で、見るも無残な戦いが繰り広げられていた。

 

「ふふっ、これが現実ですよ? 先生。それじゃあ、またこのメダルはいただいていきますね?」

「おー。さすがに強えなあ、レイディは」

「褒めてもなにも出ませんよ? アッシュさん」

「じゃあ俺の方から出そう。今回の勝者に、賞品のベリータルトを進呈だ」

「あら、素敵」

 

 商家の娘というだけあって仕込まれているのか、テレサは上品な手つきでぺろりとアシュリーから受け取った小振りなタルトを平らげる。しかし、このままではテレサからしか試食品の感想が聞けなくなってしまう。

 せっかくだし、上階にいる女子面子にも振る舞いに行くか───そう結論付け、完全に賭場と化している一階部分に背を向ける。

 

「くそっ、もう一戦だ! 今度は、今度こそはぁぁぁっ!!」

「これが天運を前にしたギャンブラーの末路か……」

 

 すっかりテレサの養分にされている男たちを哀れみつつ、先日学院でタルトを振る舞って以降完全にスイーツ保管用の容器と化している木箱を持って馬車の上階へ。

 吹きさらしになっているそこでは、システィーナやルミアといった顔馴染みの面々に加え、リンやウェンディも同席して談笑していた。

 

 少々場違いのように思いながらも、ひょいと片手に持った木箱を掲げる。

 

「よ、お嬢さん方。まだまだ目的地は遠いけど、食前にスイーツは如何かな?」

「わ、アッシュ君? 早速働いてるんだね……」

「おう。どういうつもりかはわかんねえけど、デザート提供役って名目で呼ばれちゃあな……あ、レイフォードには苺タルトもあるぞ」

「……!」

「がっつくながっつくな。逃げたりしねーから」

 

 待ちきれない、といった風に木箱にへばりつくリィエルをひっぺがし、食べると手を上げた女子面子に一人一つずつ配っていく。

 今日アシュリーが持ってきたお菓子は、リィエル用に作った苺タルト以外は概ねバイト先の店長と二人で作ってきた試作品だ。

 

 別枠で包まれていた苺タルト数個をリィエルに渡し、空になった木箱をそっと脇に退けてせっかく来たのだからとシスティーナの隣に腰掛け、外を流し見る。

 遺跡が乱立し、だだっ広い草原のあちらこちらで羊が草を食むその雄大な光景は、つい感嘆のため息がこぼれてしまうほどに素晴らしいものだった。

 

 少々いつもの生活とは外れているものの、のんびりとした風景は彼の望むありふれた日常と同じ匂いがした。

 

「こういう、普通の生活が俺は好きなんだよな……」

 

 決して、月に一回は襲われるような生活ではない。

 帰りたいなあ、とぼんやり口にして、まだ出掛けたばかりなのになにを言うのかと苦笑した。

 

「そういえばアッシュ、あなたこれどうやって持ってきたの?」

「ん? いやほら、そこの木箱に入れてきただけだぞ?」

 

 そう言って、横にのけた木箱を膝に置く。

 なにかおかしなところがあっただろうか、と思ったが、やはり妙なところは見当たらない。

 

「そうじゃなくて、冷蔵しなきゃいけないんだから大変でしょ? なにか魔術でも……あ、氷のルーンが刻んであるのね。

 ちょっと変わったタイプっていうか見慣れない形式だけど、オリジナル?」

 

 システィーナが、木箱の底に刻まれていた模様を見て納得したようにつぶやいた。

 ルーン文字そのものだけで魔術的効果を発動させる方法は、まだグレンには教わっていない。ごく簡単なものならば教わってはいても、長時間継続させるほど有効な使い方はまだできない。であればこそ、独学で習得したのだと考えての発言だった。

 

 だが。

 

「──────……」

「……アッシュ?」

 

 不意に黙り込んでしまった級友の姿に、少し心配になって顔を覗き込む。

 真顔のまま、凍り付いたように動かない。

 

 どくり、と妙な動悸がアシュリーの胸を襲った。

 言われるまで、自然とそれを使っていたことに全く気が付かなかった。

 

 代償がない? 本当に?

 記憶を探る。一週間余前にどこかの英雄のデータを引っ張り出したあとにしか、こういった技術を使った覚えはない。

 

 どくどくと、騒がしく鳴り響く鼓動。

 

 それを───

 

「───まあ、いいか。気にするほどのことでもないだろう」

 

 いつものように、記憶の片隅へ放り投げた。

 

 そう考えた途端、あれだけ騒がしかった鼓動は治まって、いつも通りのアシュリー(自分)が戻ってくる。

 

 そこでようやく自分の顔を覗き込んでいるシスティーナに気付いたのだろう。いつものように笑って、なんでもないと言ってみせる。

 いつものように、気にしなくても良いことは気にしないでおこう。気にしなくても良いことに、わざわざ思考を割く必要はないのだから。

 

 ───本当に。

 

 どこから見ても、誰が見ても、それはいつも通りのアシュリー=ヴィルセルトの顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 すっからかんになった木箱。ここからは、長期保存ができるように予め作ってきていたお菓子を少しずつ切り崩していくことになるだろう。

 幸い冷蔵保存はこの木箱……いつの間にか氷のルーンなんてものが刻まれていた簡易冷蔵庫があるからなんとかなる。いやあ、びっくりした。いつの間にできるようになったんだろう。いや、心当たりはあるというかありすぎるけどね?

 

 まあ、死ぬわけじゃなし。別に気にしなくても良いだろう。……たぶん。

 

 ちなみに現在は一人一人からの感想を書いた手帳をカバンに仕舞っているところ。

 レイフォードは「おいしい」としか言わなかったが。

 

「なあ、フィーベル。F級って霊的なやつって出ないんだよな?」

 

 少し気になって、こういうことには一番詳しいであろうフィーベルに聞いてみる。

 フィーベルは少し考えてから、こくりと小さく頷いた。

 

「霊的なやつって……狂霊とかのこと? そうね、『タウムの天文神殿』の現在の等級はF級……実習ですら使われないくらい危険度の低いものよ。そうそう出ることはないと思うわ。もっとも、何年も放置されているみたいだから今は変わっている可能性もなくはないけどね。どうして?」

「や、幽霊っていうか……普通の肉体がないモノが少し苦手でね。気になっただけ」

「ほっほーう。それはつまり、お前は幽霊が怖いと!?」

「うわどっから出たんだあんた!?」

 

 一階に続く階段からにゅっと顔を出してくるグレン先生。大方、負けに負け続けて気分転換、といったところか。

 

「怖いんじゃないですよ。一応、ぶった切れば死ぬし」

「リィエル並みの脳筋思考やめない?」

 

 やかましい。

 

「じゃあ、なんで苦手なんて言ってるんだよ」

「あー……あいつら、なんでか俺に寄ってくるんですよね。昔師匠に地下墓地(カタコンベ)に放り投げられたことあるんですけど、キリがないし墓地を出ても寄ってくるしで……」

「マジかよ……誰だか知らねえけど、お前の師匠って相当なロクでなしだな」

「同感です」

 

 本当、ロクでもないというか常識がないというか遠慮がないというか。

 あの爺さんと過ごした思い出の大半が修行というか、修行と称した理不尽なイジメの数々なのはどうかと思う。

 

 まあ、感謝はしてるけどね? 感謝はしてるけどやっぱりどうかと思う。

 

「……あれ、このルート違くないか?」

 

 ふと、濃くなった緑の香りに周囲を見る。

 今回の遺跡は意外と近場で、帝都とフェジテを繋ぐ街道に沿って移動する手筈だった。なのに気が付けば、辺り一面にわさわさと木が生えている。一応、中を突っ切るのではなく、森に沿って移動してはいるが……うん、どう考えても本来のルートとは違います。本当にありがとうございます。

 

 と、言ってる場合じゃねえや。

 フィーベルが御者さんに声をかけてるけど、既に木々の隙間からはちょこちょこ狼が這い出してきている。

 

 あ、シャドウ・ウルフじゃん。

 

「シャドウ・ウルフ……!? こんなところにいるなんて聞いてない……! ちょっとあなた、どういうつもりなんですか!?」

「…………」

 

 声を荒げるフィーベルにも構わず、御者さんは馬の手綱をきつく握ったままだ。

 まずいなこれ。この前ボッコボコにしてやった俺はともかく、実戦経験のない他の生徒にはちと荷が重い。

 

「ぎゃあああーーー!? 足くじいたッ!!」

「あんたなにやってんのほんと」

 

 下を見れば、窓から颯爽と登場したグレン先生が足首をさすりながらゴロゴロ地面を転がって……ああいや、違うなあれ。銃持ってら。……え、銃?

 いつの間にそんなおっかないもん手に入れてたのあの人?

 

 だがいかに銃と言えども、対する敵は十数匹。これはさすがに助太刀すべきかと転落防止の手すりに足をかけた───そのときだった。

 

「……おお」

 

 なにやら耳慣れない───まあ、ヘッポコ魔術師の俺からしたら知ってる呪文の方が少ないが、を唱えた御者さんがなにやら業物っぽい剣を握ってバッサバッサと狼の群れを斬り伏せ始めた。

 すごいな、あれ。見ればわかるけど、なんていうか神懸っている。達人なんてレベルじゃない。俺はもちろん、今まで会ったことのあるどんな剣士よりもその御者さんは強く、その剣筋は美しかった。

 

 もう一度、すごい、と意図せぬままに言葉がこぼれた。洗練された動きは一切の無駄がなく、風を切る音さえ聞こえない。

 

 見惚れている間に、周囲にいた獣は一掃されていた。

 

「白魔改【ロード・エクスペリエンス】……物品に宿った持ち主の記憶を再現し、自らに憑依させる魔術だ。あの剣はかつて帝国史上最強と謳われた剣士の愛剣でな。それを読み取ったあいつは、疑似的に帝国最強の剣士になれるってわけだ」

「へえ……そんな便利な魔術が」

「白魔儀に確かにそういう魔術はありますけど……それを、たった三節の詠唱でやってのけるなんて……あの御者さん、一体何者……?」

「ん? なんだ、わからないのか? こんなふざけたことができるやつなんざ、帝国広しと言えどもあいつくらいなもんだろうよ。なあ?」

「ははは、そう褒めるな。なにも出ないぞ?」

 

 グレン先生の言葉に、シャドウ・ウルフにローブを斬り裂かれた御者さんが笑う。

 

 豪奢な金髪、鮮血のような紅い瞳。見事な曲線美を強調するような黒いドレスを身に纏ったその女性は、そう。

 

「アルフォネア教授───!?」

「や、諸君。元気に魔術師、やってるかい?」

 

 セリカ=アルフォネア。

 大陸最高峰の魔術師と名高い第七階梯(セプテンデ)が、からからと剣を片手に笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。そんな一幕のあと、グレン先生と御者役を交代したアルフォネア教授は馬車の中に陣取っていた。

 

 さすがに人外の領域と言われる第七階梯(セプテンデ)を前にしては緊張してしまうのか、いつもこうした微妙~な空気のときには率先して声を張り上げるカッシュも今日に限っては大人しい。

 

「へえ。じゃあアルフォネア教授はグレン先生の親代わりでもあったんですね」

「ああ。昔のあいつはそりゃも~かわいくてな。今はヒネちゃったが」

 

 俺? 俺は暇だしせっかくだからとアルフォネア教授とちょこちょこお話してるよ。

 

 ついさっきなんか、『お前は肝が据わっているな』と呆れてるのか褒めてるのかわからない一言をいただきました。第七階梯にも認められる俺の図太さよ。

 

「ん……セリカ? いたの?」

 

 もそもそと、馬車のすみっこでぐっすり快眠していたレイフォードが目を覚まし、器用に座席を乗り越えてアルフォネア教授の隣に飛び乗り、子リスかなにかのように頬を寄せた。

 ……こうして見るとマジで小動物だな。その実態は大剣を振り回すゴリラも真っ青な子リスだが。

 そしてアルフォネア教授の方も、そんなレイフォードのことは憎からず思っているらしい。よしよしと頭を撫でてやっている。

 

「……なに、読んでるの? セリカ」

「んー? これはな、『メルガリウスの魔法使い』って言ってな。なんとグレンの昔の愛読書だ」

「グレン先生の……い、意外だわ。あの人なら真っ先に『くだらん!』とか言って切って捨てそうなものなのに……」

「はは、言ったろ? 今はヒネちゃった、ってさ。昔のあいつは典型的な魔術大好きっ子でな。正義の魔法使いになるんだ! って、日夜魔術の勉強に励んでいたもんさ───」

 

 そうして語られたのは、アルフォネア教授とグレン先生の穏やかな日々。

 

 とある事件に巻き込まれて天涯孤独になったグレン先生を、アルフォネア教授が拾って育てたこと。

 料理が下手と言われてめちゃくちゃ練習したとか、子どもだったグレン先生に逆に世話をされたこともあるとか、拳闘の才能はあるのに才能ゼロの魔術に傾倒していったことに呆れてたとか、他にも色々。

 

 なんでもないことのように語ってはいたが、かつてグレン先生に贈られたという赤魔晶石を見つめるアルフォネア教授の目は優しくて、そんななんでもない日々をこそ愛おしんでいるのだと……なによりも雄弁に語っていた。

 

 そのあと、グレン先生にも色々あって、初めて会った頃のような死んで一ヶ月経った魚と化していた……という話を最後に、アルフォネア教授は口を閉ざした。

 

 グレン先生を本当に大事に思っていることが伝わったからだろう。馬車の空気はいつの間にか和らいでいて、怯えていた連中も消極的ではあったが先ほどまでよりはよっぽど自然に話しかけるようになっていた。

 

「……いいねえ」

 

 ぼんやり、沈み始めた太陽を遠目に眺めながらつぶやいた。

 

 ───なんでもない日々というのは、尊いものだ。

 

 退屈で平穏な日常なんていうものは、どこか誰かの気まぐれで、あっさりと摘み取られてしまうのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでやって参りました『タウムの天文神殿』。

 到着した当日はキャンプの設置に費やし(ついでにグレン先生がフィーベルに吹っ飛ばされるなんてこともあったが、まあいつものことなので割愛しよう)、翌日、日が昇ってから遺跡内を探索しようという運びになった、の、だが───。

 

「グレン先生とフィーベルの噓つきっ! めっちゃ幽霊いるじゃん!」

「俺は悪くねえ! ここを放置し続けた魔術師が悪いんだよォ───!?」

「二人とも、言ってないで早く次構えて! 早く!」

 

 現在の俺たちの所在地は、『タウムの天文神殿』内部。

 

 ひっきりなしにやってくる狂霊を前に、ひたすら駆除作業を行っている真っ最中なのであった。

 

「げえ、まーたこっち来た……ったく、面倒くさいなあもう!」

 

 ひゅん、とポケットからいつものように触媒を引っ張り出し、短剣を二振り手元に作り出す。以前に霊基再現率……具体的にどういうものかはいまいちわかっていないそれを引き上げた影響か、以前よりもスムーズに、かつ低コストで喚び出せるようになった短剣を構え、先陣を切って狂霊を葬っていく。

 本当は『破滅の黎明』でもあればもう少しお手軽に斬り捨てられるんだけど、消費が軽くなったとはいえリジルやフロッティに比べれば格段に重いことに変わりはない。ここは温存。

 

 魔力でこの世に再現しているせいなのか、【ウェポン・エンチャント】をかけた武器のように狂霊を相手取ることができるとわかっていたのは僥倖だった。数年越しに地下墓地(カタコンベ)での経験が活きた形である。

 

 まあ、正直それでもフィーベルとかの方が戦力にはなるんだけど。

 

 【マジック・バレット】とかの無属性系統の魔術のおかげで、フィーベルたちは片っ端から狂霊を粉砕できる最大戦力と化していた。

 

「アッシュ、どいて! 《魔弾よ(アイン)》ッ、《続く第二射(ツヴァイ)》、《更なる第三射(ドライ)》───ッ!」

「お前さあ、どいてって言いながら撃つのどうかと思うよ!?」

 

 地面を蹴って背面宙返り(バク転)。無駄に被弾する前に後ろに下がる。瞬間、無数に飛来する魔力弾。圧倒的物量に軽く引いていると、光の弾となった魔力の塊が勢いよく狂霊を撃ち抜いていく。

 こっちが三匹くらい倒す時間の半分以下で、あっという間に大量の敵が吹っ飛んでいった。魔術すごい。

 

「お前、なにそれ!? かっちょいいな!」

「お褒めの言葉ありがとうカッシュくん! でももう少し俺のことも考えてほしい、さっき腕掠めていったから!」

「すまん!」

 

 そういえば三人娘とグレン先生以外には見せたことなかったか、これ。

 ぶっちゃけ剣の腕も立つレイフォードと違って、魔術触媒がないと消費がそこそこ重いし、ついでに言うと俺の剣の腕はそこまででもない。劣化版レイフォード、と件の狂人に言われたが、まったくもって正しい所感と言わざるを得ない。

 

 ……と、集中集中。

 

 さっきから俺が突っ込むだけでバラけてたはずの狂霊がわさわさこっちに集まってくるので、『俺が突っ込む』→『一ヶ所にまとめつつ時間稼ぎ』→『魔術で一掃』、という流れでわりかし効率良く駆除ができている。

 

 いや、ほんと不本意なんだけどね。

 

 こればっかりは昔から変わらない体質なので。

 

「よっ……と。これで終わりかな?」

 

 最後に運良く一斉掃射を免れていた狂霊を斬り倒し、念のために短剣をそのまま腰のベルト……正確にはベルトを通す穴につけた金具に引っ掛ける。

 ナスカン、というのだったか。それに似た金具なので、引っ掛けるのは簡単だ。

 

 おかしいよね。なんでこんなことになってるんだ?

 安全だって言ったじゃないかー。

 

「放置されてたせいで狂霊が湧いてたんだな……さすがに、今回ので等級が一つ上がるだろうが」

 

 とは、後ろで見守っていたアルフォネア教授の言である。

 

「ったく、どんだけ放置されてたんだっつの!」

「アルフォネア教授のおかげでとんぼ返りにならなくて済みましたね……」

「ふっふっふ。まあ、お前らも大したもんだ。デコイ(オトリ)があったとはいえ、実戦経験のない生徒があれだけ戦えれば上出来だよ。さすがはグレンの教え子だな!」

「アルフォネア教授まで俺をオトリ扱いするんですか……?」

 

 いや、実際その通りだったけどさあ。

 

「でもなんつーか、システィーナとアッシュ……いつの間にそんなに強くなったんだよ? 物怖じしないし、冷静だしよ」

「アッシュに至っては敵に囲まれてばっかりだったよね……怖くないの?」

「いや? 全然。……まあ、ここ最近バカみたいに強いのと戦ってるしなあ……」

「ああ……そういえばあなた、やたらと事件に巻き込まれては病院に叩き込まれてましたわね……」

 

 ほんとね。

 なんでこんなに巻き込まれてるんだろうね。

 

 あ、グレン先生とティンジェルは責任感じることないからね。悪いのは全部天ぷらと狂人だから。

 

「けどま、しばらくは湧かないだろ。……奥の方にいるであろうやつまで片してやったからな……」

「……なんていうか、お疲れさま」

 

 フィーベルからの労い……という名のタオルを受け取り、微かに滲んだ汗を拭く。

 

 さて……今日からの遺跡探索、本当に無事に終わるといいんだが。

 

 先は長い。




シグルドさんの使ってる原初のルーンって、概ねブリュンヒルデさんのと同じってことでいいんだろうか……?(蒼銀4巻と北欧異聞帯を読みつつ)


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24.幻聴が聞こえたらゆっくり休むべし

いつもながら、感想や評価、誤字報告ありがとうございます!
作品について指摘があると「わ、わかる~~~!」と画面の前で唸る毎日です。精進あるのみ。

そういえばこの度、蒼銀のドラマCDに手を出しまして……。
本編ももちろんなんだけど、特典小説が楽しみすぎる。そして金が飛んだ。


「どんだけいるんだよこの遺跡……」

 

 はーあ、とため息をつきつつすっかり慣れた狂霊の駆除作業に専念する。後ろから魔術の合図がきたためレイフォードと一つ頷きあって射線から退く。

 

 既に少なくなっていた狂霊はそれで一掃され、入ったばかりのときと同じように遺跡内はしんと静まり返った。

 非戦闘員としてサポートに徹しているティンジェルとティティスの『索敵可能範囲に敵影なし』、の報告で一気に空気が緩む。誰からともなくため息をついた。

 

「やっと終わったあ……」

「動きっぱなしだったもんね……はいこれ」

「おう、サンキュなセシル」

 

 水の入った水筒を受け取り、乾いた喉を潤す。ふと同じくらい動き回っていたはずのレイフォードに目を向けたが、この程度は慣れたものであるのか汗ひとつかいていない。羨ましい限りだ。

 放置されてた期間で湧いていたうちの大部分は最初に狩りつくしたのか、現在湧いてきている量はさしたるものではないが……俺やレイフォードのように身体を動かして倒しているのならともかく、魔術を撃ち続けていた生徒の消耗具合と疲労具合がそこそこにヤバい。魔力は体力より自然回復が難しいから、仕方がないといえばその通りだ。

 

 少しの休憩を挟んだあと、道を曲がった途端に再び現れる狂霊。このままでは次の戦いでマナ欠乏症になる……といったところで、

 

「ほら、お前たち。下がって休憩してな」

 

 そんなアルフォネア教授のセリフとともに、指を弾いただけで現れる無数の【マジック・バレット】。

 確かに、あくまでもルーン言語は自身の深層意識を効率良く改変するためのものであって、改変さえ行えるのなら詠唱は必要ないのだが……それにしたってデタラメだ。

 さすがは名高き第七階梯(セプテンデ)。ところで第七階梯ってアルフォネア教授以外にはいるんだろうか?

 

 と、まあこのよーに。時折生徒が無理な連戦に入りそうになるとアルフォネア教授が一瞬で潰してくれるから、そこまで致命的な消耗をしているわけではないのだが……それでも疲れるもんは疲れる。

 

 しかし無限のように思われた狂霊の群れも、先に言った通り大部分を最初に駆除したらしいこともあり、徐々に出現量は目減りしていき、道程の三分の二に差し掛かる頃にはほとんど出なくなっていた。

 

「先生、そこの丁字路を左です。最初に探索する予定の第一祭儀場がその先にあるはずです」

「やーれやれ、やっとか……。ずいぶんと時間くっちまったな」

「そうですね……でも、明日からはきっともっと楽ですから。頑張りましょう、先生」

 

 ティンジェルがそう励ましつつ、静かになってしまった道中を盛り上げるためなのかそれとも純粋に気になっただけなのか、外で見たよりも内部が広いのではないか……と言って辺りを見渡す。

 言われてみれば、外で見た半球型の神殿にここまで俺たちが歩き回るほどのスペースがあったようにはとてもではないが思えない。

 

「気になる!? 気になるわよね! よーし、じゃあ教えちゃいましょう! 実はね、ここは───」

「ここは空間が歪んでいるんだ。ほら、床やら壁やらに妙ちくりんな模様があるだろう? これがどうも、古代人の使っていた空間操作用の古代魔術(エインシャント)らしくてな。これのせいで、この神殿をはじめとした古代文明の遺跡は外から見た大きさと実際の広さがつり合わなくなってるんだ」

「……と、そういう、ことなのよ。うん」

「……ドンマイ、フィーベル」

 

 古代文明といえばフィーベル、というのが二組の通説であり、実際そういった名目で追加枠として招かれたフィーベルだが、さすがにウン百年生きているというアルフォネア教授には勝てないのか、あっさりと話を遮られてしまっていた。

 行きの馬車の中でもずいぶんと熱心に語ってたし、ここでも一席ぶちたかったんだろうな。出鼻をくじかれたどころか話の内容も丸っと持っていかれてしまったフィーベルは得意げな顔のまま固まっていた。

 

「ん……それなら……壁を壊して、近道を作ればいい」

「どうしてお前はそう脳筋思考なの? やめようよ」

「お前が言うな脳筋二号」

 

 そんなコントを挟んでみたものの、返ってきたのは『それは無理』という答え。

 なんでも古代遺跡には霊素皮膜処理(エテリオ・コーティング)? とやらがされている場合があって、物理的にも魔術的にも壊したりできないようになっているのだとか。なにそれ……理不尽……。

 

 壁やら天井やらをぶち抜くのはいざってときの常套手段なのに。

 

「……お前らさ、偉大なる古代文明の遺したものをもう少し大事に扱おうって気持ちはないわけ?」

「背に腹は代えられないですし……」

「そりゃそうだが」

 

 同意が得られたようでなによりデス。

 実際、逃げ道がないときとかは壁をぶち抜いていくのが一番手っ取り早かったりするのだ。

 

 はい、経験則ですがなにか。

 苦情は師匠までお願いします。

 

 ───閑話休題(それはさておき)

 

 ずんずんと地図を持ったティンジェルの指示通りに進んでいると、通路の奥にアーチ型の出入口が現れた。どうやら、あれが件の『第一祭儀場』とやららしい。

 今回の遺跡探索の光源はほとんどグレン先生の【トーチ・ライト(魔術の光)】に頼っていたから、出入口の奥までは見通せないが。それなりに視力は良い方と自負しているものの、光源がなければどうしようもない。デカい岩を削って作られたせいで、外部の光が一切入らないのだ。あまり変わったように見えない景色やそこらじゅうにびっしり描かれた模様の影響もあり、進んだのか進んでいないのか、時間感覚が狂ってしまいそうになる。

 

「じゃ、お前らはここで待ってな。俺が安全確認をしてくる」

 

 グレン先生はそう言い残して、遠征学修のおりに手に入れたという銃をチェックしてから出入口に向かっていった。

 なにかあったら内側から銃声が聞こえるだろうし、ある意味わかりやすいとも言える。この距離だったら中に狂霊がいたらよっぽど知性の高いやつでもなけりゃこっちに来てるだろうし、概ね安全だろうが。

 

 しかしこちらの予想に反して内部に単身突撃したグレン先生からは一向に反応がなく、行っていいのか悪いのかよくわからない。

 

「どれ、ちょっと私が見てくるか」

 

 しびれを切らしたアルフォネア教授がずんずんと中へ入っていく。ややあって、グレン先生と合流したのだろう。内部から『入っていいぞ』とのアルフォネア教授のお達しがあったので、念のため全員いるかを確認して中へ。

 フィーベルは我慢しきれないといった風にずっとソワソワして、許可が出るなり我先にと突っ込んでいった。ここに向かう途中の馬車じゃずーっと落ち着かない様子だったし、無理もない。

 

「じゃ、俺も行くか……。連中は……よし、いないな」

 

 みんなすったかたーとフィーベルを筆頭に祭儀場の中へと行ってしまったので、一応キョロキョロとまた狂霊が寄ってきていないか確認する。

 いや本当、どこからともなく寄ってくるからねあいつら。意味わからん。

 

 そんな風にして周囲を確認している間に、クラスの連中との距離はますます広がっていた。出遅れた俺は気が付けば通路の真ん中で一人ぽつんと佇んでいる。せっかちな連中だ、と苦笑して、

 

 

 

『そう。あなた、迷子なのね』

 

 

 

 ───不意に背後から聞こえた声に、びくりと身体を震わせた。

 

 一瞬の硬直の後に、弾かれるように背後を振り向く。……いない。誰も。

 

「……なんだ、今の」

 

 おおよそ、真っ当な人間であれば恐怖を抱いてしまうであろう声だった。

 

 聞き覚えはない。確実に。二組生徒どころか、今までの人生であのような声を聞いたことは一度もなかった。

 それはつまり、見知らぬ第三者がこの『タウムの天文神殿』に潜んでいるかもしれない、ということでもあるのだが───

 

「…………。ま、いいか」

 

 アルフォネア教授がいるから……というわけでもないが、たぶん気にしなくても良いことだ。

 こっちに危害を加えるつもりなら、とっくにそうできていたはずだ。なんせ今の俺は集団から離れて一人きり。襲うなら絶好のチャンスである。一人をこっそりと始末しておけば、あとは勝手に仲間たちはパニックに陥って統制が乱れ、またも襲撃のチャンスが……といった悪循環にこちらを叩き落とすこともできたはず。

 

 まあ、引率役のグレン先生は冷静に対処してくれるだろうし、アルフォネア教授がいれば大半の敵は木っ端微塵になるだろうからそれを警戒したという可能性もあるけど。

 どちらにしても、気にするほどのことではあるまい。というか迷子ってなんだ。俺はただ置いてかれただけで迷子ってわけじゃないんだが?

 

 なんとなく釈然としない心持ちのまま、先生たちのあとを追って内部へ侵入する。これまでの通路とは明確に違う、ドーム状の高い天井を持つ大部屋だ。中心には双子の天使が向かい合って絡み合うような奇妙な御神体っぽいものが置いてある。

 他にも、天井や壁、床に至るまで、占星術でいうところのホロスコープにも似た模様が、今まで見てきた空間をいじくる魔術の代わりに刻み込まれている。さながら象徴的な宇宙空間だ。あちらこちらに置いてある石像は惑星を表しているのだろうか?

 

 なんにせよ、ただの遺跡といった風情であった今までとは違って───まさしく『天文神殿』と呼ぶにふさわしい光景が、部屋の中に広がっていた。

 グレン先生は若干青い顔をしていたが……ティンジェルの顔を見て吹っ切れたらしい。たぶん大丈夫だろう。

 

「リィエルは入り口の見張り、ルミアと白猫は床の紋様の書き取りを。ウェンディは碑文の解読を頼む。残りの連中は隠し通路や不自然な魔力反応などの探査調査だ。さくっと終わらせちまおうぜ」

 

 ぱんぱん、と手を打ち鳴らしたグレン先生の指示に従って調査隊のメンバーが部屋のあちこちに散っていく。

 俺は……隠し通路探しでもしとくか。魔力反応の探査よりは役に立てるだろう。

 

「……。酔いそう」

 

 一面に広がる模様を見ていたらちょっと気持ち悪くなってきたが、頭を振って気合いを入れ直す。

 

 それからしばらく、俺たちは祭儀場の調査に時間を費やすのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 そんなことを繰り返して、いつの間にやら三日が経っていた。

 

 初日ほど狂霊がいないこと、繰り返すうちに作業に慣れてきたこともあり、二日目からはさほど手こずることもなく調査は進んだ。

 最初はただ淡々と調査をしていただけだったみんなも、今じゃ野営拠点に戻るたびに熱く議論を交わしている。道中でなにかあるたびに古代文明について語るフィーベルの姿に絆されたのだろう。それを焚き火の中心から眺めつつ、ぐつぐつと煮える鍋をかき回す。

 

 食事の支度は基本的に俺とティティスだ。家庭的な料理に詳しいティティスの作る食事には参考になる部分も多く、試食品についての感想を書き留めるために持ってきたメモ帳は今やティティスから教えてもらったコツを書き込むノートとなっていた。

 

「わ、私なんて……こんなの普通のごはんだし……」

「いや? 俺のはぶっちゃけレシピを再現してるだけでね。そりゃ、ある程度基本は抑えてるし、レシピがなくても適当なものは作れはするけど……ティティスのはなんていうか、うまく説明できなくて悪いが家庭料理なんだなって感じがする。俺は好きだな」

 

 商品として売るための料理と、家族に振る舞うための料理は別のものだ。この辺は、『楽しい日には外で食べるべき』という持論と重なる部分がある。

 帝都に引っ越してからはほとんど自前のメシだったし、こういう……なんと表現するべきか、『温かい』食事というのは懐かしさを覚える。たぶん、昔はこうやって食卓を囲んだこともあったんだろう。十年以上前のことはぼんやりとしか記憶にないが。

 

 うん、たぶん……そんな気がする。

 昔はこうして、オレも机を囲んでカゾクとメシを食っていた……ような?

 

 ……思い出せないけど、そんな気がするんだ。きっとそうだったんだろう。

 

 あー、そんなことを考えてたら唐突に帰りたくなってきた。

 

 どうせ帰っても、そこには誰もいないのにね。

 

「……ハ」

 

 どうしてか、自嘲するような笑みがこぼれた。

 

 意味もわからない、記憶を伴わない郷愁の念だけが募る。

 

「……アッシュ、くん?」

「んー? お、そろそろいいんじゃねえの? メシにしようぜ、ティティス」

「う、うん……じゃあ私、みんなのこと、呼んでくる……から、よそっておいてくれる……?」

「了解した。頼んだぞー」

 

 持ってきていたカバンの中から配膳用の食器類を取り出す。陶器の類は重いし割れるしで今回のようなキャンプには適さないため、持ってきているのは木製のものが主だ。

 

 しっかし、それはそれとしてコメ食いてえな。

 シチューやカレーにはコメが合うと、なんでか俺の魂が叫んでいるのだ。きっと前世の俺とやらはコメが主食の文化圏だったに違いない。というか絶対そうだ。断言してもいい。実際にコメを食っていた記憶はないが、コメを食っていたという確信はある。

 

「こっちじゃサラダにしか使わねえもんな……」

 

 今度、店長に打診してみようか。薄っすらと記憶に残る東方の料理の数々も、料理を学んだ今なら再現できるかもしれない。

 

 そういえば、(前世)はやたら料理が上手なクラスメイトがいたような……いなかったような……。

 前世の記憶とやらはないが、こういったかつての生活の表面的な部分に関しては知識と記憶の微妙な境目にあるせいか、はっきりした記憶はないものの『そんな気がする』レベルでの感覚はある。

 ……料理を教わっとけば、知識ってことで今の俺にも活かせたんだろうか。惜しいことをしたやもしれん。

 

「ま、いいや」

 

 すっかり口癖になったセリフを吐いて、木皿にシチューをよそっていく。

 途中で味見のためにぺろりと舐めてみる。……よし、上出来。

 

 カッシュやフィーベルといった、グループに食事を持っていくために集まってきた面子にトレイとシチューを渡し、ついでにささやかにではあるが持ってきていたパンを添える。

 この調子だとあと数日で終わるだろうし、そうなると今日がちょうど折り返しになるはずだ。中だるみというと少し違うかもしれないが、残りの調査もこの調子で進めるために今日の食事は豪華なものにしたかった。

 

 全員に行き渡ったのを確認してから、自分の分をよそって、鍋の中身を減らしていく。

 魔術のおかげで水の確保にはさほど困らない。もちろん環境には配慮しなければならないが、少なくとも一般人が野営をするよりよっぽど快適ではあるだろう。

 

「おーす。どうだ、今日のは」

「アッシュ。……ん、今日もおいしい。でも、グレンとシスティーナはいらないみたいだったから、わたしが食べた」

「いらないって……ああ、なるほどな……」

 

 どっかの有名な絵画のよーな顔になっている二人を見て、なんかやってる間に勘違いしたレイフォードに食べられてしまったのだろうと理解した。

 一応、まだ鍋には申し訳程度にシチューが残っている。飢えることはないだろう。そう言うと二人は空になった皿を持って焚き火の方へ飛びついた。必死だなあ。

 

「はあ……レイフォード、食うにしたって許可を取ろうな? ホウレンソウがお前には足りてない」

「ほうれん草……? ソテーは、おいしい」

「いやそっちじゃなくて……まあ、いいか」

 

 我先にと鍋にがっつく二人を横目で流し見つつ、パンとシチューを流し込む。

 うん、うまい。

 

 自分もなんだかんだで腹が減っていたのか、それなりによそっておいたはずのシチューは一瞬でなくなっていた。

 

「食った食った……と、あっちもそろそろ食い終わるか。んじゃ、そろそろ……」

「! お菓子!?」

「落ち着けっての」

 

 途端に目を輝かせるレイフォードを抑えつつ、小分けにしたゼリーのようなもの───パート・ド・フリュイというらしい、を取り出して数個持たせてやる。

 めちゃくちゃ大雑把に言うと果汁やら砂糖やらを混ぜて固めたものだ。見た目も華やかで日持ちもするから、今回のために大量に作ってきておいたのだ。

 大盤振る舞いしたせいで、当初の予定より早くなくなってきているが。

 

「はむはむ……ん……ねえ、この調査ってあとどれくらいで終わるの?」

「さあ? あと調べてないのは……祭儀場やら霊廟やらがいくつかと、メインの天象儀か?」

 

 聞いた話じゃ、大天象儀場にあるのはプラネタリウム装置らしい。

 だが綺麗なだけで魔術的な効果はなにもなく、時空間転移魔術なんてものがあるようには思えない……というのが、これまで調査に訪れた数多くの魔術師によって結論付けられた、『タウムの天文神殿』についての調査結果だ。

 

「けどま、今のところそれを覆すようなもんは出てないみたいだし……結果は変わらないんじゃないのかね」

「ふうん……わたしにはよくわからないけど」

「なんで聞いたんだよ……」

 

 がっくりと肩を落とし、空になった食器を洗うために地面から立ち上がり、服についた土を払う。

 

「……あ、先生たちにもお菓子配るの忘れてた……」

 

 どうしよう? とちょっとだけ視線をカバンとグレン先生たちとの間で迷わせる。

 ほんの少し考えてから、気にしないことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ふあぁ……あー、いい湯だな……」

 

 タオルを頭に乗っけたまま、なみなみとした湯に浸かりながらぼやく。

 

 食器の後片付けを始めた俺たちを待っていたのは、アルフォネア教授のドヤ顔だった。

 

『この辺は霊脈(レイライン)的には旧火山帯でな。もしかしたらと思ったんだが……』

 

 そんな言葉といたずらっぽい顔を見せたアルフォネア教授は、雑談をしていた生徒をまとめてこの場所へと連れて来たのだ。

 自然に湧き出す濁ったお湯、微かに匂う硫黄、立ち昇る湯煙。

 

 要するに、アルフォネア教授が見つけたものは天然の風呂───それも温泉だった。

 

「貸し切りだぁ……」

 

 さすがに泳ぐようなことはしないが、それでも広々とした風呂を自由に使えるというのは気持ちが良い。

 俺が風呂に入らず後片付けをしている間、馬鹿ッシュが覗きを敢行したようだが、俺が支度を終わらせる頃にはジョウズニヤケマシターされる寸前の状態で吊るされていたということは負けたのだろう。平和は守られた。

 覗き、よくない。うん。

 

 たまたま遭遇してしまったとか、そういう偶発的な事故でない限りは───いや事故でもダメだから。落ち着け俺、良識を捨てるな……ッ!

 

 ともあれ、後片付けをしていたせいで最後の方に温泉に入ることになった俺は、完全に貸し切りと化した湯を楽しんでいるのでした。まる。

 

「ここしばらく、こんな余裕も、そもそも風呂もなかったもんなあ……」

 

 ちゃぷん、と意味もなく波を立ててみる。

 ……なんだっけ、上がる前には肩まで浸かって百数えればいいんだっけかな。

 

「……や、百……? 五十くらいだっけ……? 十で良かった気もするな……」

 

 ぼんやり、熱に浮かされた思考を回す。

 

 どこで聞いた話だったのか、やはり記憶にはない。

 こんなささいな出来事を忘れるほど俺はボケているのかとつい思って、熱のままにそのままおぼろげな記憶のもやを払おうと───

 

「───っづ……」

 

 頭痛がした。……のぼせたのだろうか。

 少し、長く入りすぎたのかもしれない。

 

「……出るか」

 

 湯を蹴って、大きめのタオルで全身を拭く。

 

 用意していた下着と、それからシャツとズボンを着てから、ふと空を見上げた。

 

 ……帰りたいなあ、と、意識があやふやなまま口にする。

 

 空には、白い月が高く高く昇っていた。




温泉といえば女子とバッタリ遭遇するハプニングだと思うんだけどアッシュ相手だとイベントフラグも動機もキャラも会話もなかったので一人風呂してもらいました。許して。


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25.あの、まだひと月経っていませんよ?

とことん活躍しねえなあこいつと思いつつの難産25話。すまない……たぶんそろそろ(ようやく)ウォーミングアップが終わるから許してほしい……メンタルよわよわマンで本当にすまない……。
今回はほぼつなぎなので面白みと新鮮みと脈絡はないです。たぶん。


 アシュリー=ヴィルセルトという人物についてどう思うか?

 

 グレン曰く、なに考えてるんだかわからない。

 システィーナ曰く、どんなときにも緊張感がない。

 ルミア曰く、いつも楽しそうで寛容でノリが良い。

 リィエル曰く、よく笑う変な人。

 

 などなど。人によって答えは変わるだろう。

 

 だが、二組であれそれ以外のクラスであれ、ほとんどの人間はおそらく一度はこう答える。

 

『いるんだかいないんだか、いまいちわかんないやつ』

 

 と。

 

 いつもクラスのどこかで笑っているが、逆に言えば固定の居場所を持たない。

 

 その在り方は空気のようだ、と言えなくもない。あるいは現世に縁薄き幽霊か。

 

 クラスの雰囲気には馴染んでいるのに、存在が馴染んでいない。

 

 別にアシュリー本人が皆を遠ざけようとしているわけではない。

 

 ただ、何故か───同じ場所にいるのに、まるで別の場所にいるようだ、というだけの話である。

 

 言い換えればそれは、『いてもいなくても変わらない』ということ。

 

 いるのに、いない。

 

 それが、アシュリー=ヴィルセルトという人間への評価だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 六日目。

 

 三日目以降も順調に調査を進めた俺たちは、本日ついに最後の調査対象……大天象儀(プラネタリウム)場を調べるという段階までこぎつけた。

 それ以外の場所は調査を終えているので、今日がこの長かった旅の終わりと言えるだろう。

 

「───……でね、この大天象儀場の装置には文字通り巨大プラネタリウムとしての機能があって、どうしてそんな機能があるのかといえば古代の人々はなにかと空を大いなるものと崇めていて、あっこれを星辰信仰って言うんだけど───」

「わ、わかった。わかったから落ち着いてくれ、フィーベル。俺の耳と頭がそろそろキャパオーバーで破裂しちまう」

 

 思いつくままにまくし立てるフィーベルを宥めつつ、懲りもせずに湧いて出る狂霊をサクッと成仏させる。

 ああいや、正確には幽霊じゃなくて実体を持って暴れる妖精だか精霊だかなんだっけ? ちゃんとした妖精にはお目にかかったことがないが。

 

 いずれにせよ、理由もなく暴れられるとこっちはいい迷惑だ。運がなかったと思って諦めてほしい。

 

「───それからね、この天空の双生児(タウム)っていうのが……ちょっと、聞いてる?」

「ふぁ……ん? ああ、聞いてる聞いてる。天空のタンゴとは洒落てるな」

「踊るなっ! もう、真面目に聞いてよね!」

 

 専門的な話が多くて理解がおっつかないんですよこっちは。

 

「まったく……そんなに気が抜けてて大丈夫なの?」

「大丈夫っつってもな……ここしばらく、狂霊も打ち止めなのかほとんど出てきてねえし。あとはプラネタリウムを調べるだけなんだろ?」

 

 むしろなにが起こる余地があるというのか。

 

 なんか隠された機能が発現して本当に時空間転移魔術が発動でもしない限り安全だと思う。

 

「そうだけど……これは遠足じゃないの。危険度は低いとはいえ、ここもれっきとした古代遺跡なんだから。そりゃあ、『タウムの天文神殿』に罠が仕掛けられているって話は聞いたことないけど……」

「だろ? 気にしなくても良いことは気にしないに限る」

「少しは気にしなさいって言ってるの!」

 

 へーいへい、と。

 

 お説教モードに入ったフィーベルからそそっと目を逸らし、大天象儀場があるという通路の方へ向ける。

 遠くに見える出入口は、初日に見た第一祭儀場の入り口が一番似ているだろうか。おそらく内部もドーム状になっているんだろう。

 と、相変わらず眠そうな顔で歩いていたレイフォードがこっちをじろっと見ていた。なんだろう?

 

「アッシュ。気が抜けるのはよくない」

「……レイフォードにも言われるとは……え、俺ってそんなに緊張感ないように見える?」

 

 うん、と二人揃ってこっくりと頷く。

 マジかー。

 

「でも、大丈夫。なにかあっても、わたしがみんなを守る」

「お、おう。頼もしいな、レイフォードは」

「ん。アッシュも守る」

「あれ? 別枠に置かれた……?」

 

 今の言い方だと『みんな』に俺は入ってなかったよね?

 

「……ことばのあや」

「……そうか」

 

 たどたどしく言うと、レイフォードはふいっとそっぽを向いてしまった。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。

 一応、レイフォードもこっちを仲間だと思ってくれていたんだろう。……無論俺がそう思っていなかったわけではない。

 

「悪い悪い。頼りにしてるからさ、そんな顔しないでくれ」

「…………」

「レイフォードってば」

 

 ぷいっ。

 ……どうやら完全に拗ねてしまったようだ。仕方ない、忘れてくれるのを待とう。

 

「ほう……? このだだっ広い部屋が、『タウムの天文神殿』が誇る大天象儀(プラネタリウム)場か……」

 

 ふと聞こえたグレン先生の声に前を向くと、いつの間にか入り口は目の前に迫っていた。ぼんやりと内側が照らし出されている。

 今回は幻聴もなく、みんなで内部へと突入する。

 

 内部は今まで見てきた祭儀場などとそう変わりはなかった。違うところがあるとすれば、それは純粋な広さと中心に置かれた装置だろう。

 

 天秤のような形をしたその装置こそ、この『タウムの天文神殿』の名物にして最大の謎。やたらと豪華なプラネタリウム装置なのだった。

 

「あの……先生? せっかくですし、星空を見てみませんか?」

「はぁ~? 面倒くせえなあ……俺、それよりも論文の構想を練っときたいんだけど……」

「いいじゃないか。そんくらい、あとで私が手伝ってやるよ。またとない機会なのも確かだし、やってみたらどうだ?」

 

 ……む、プラネタリウムか。

 実際に見てみたいというフィーベルの意見に同調するわけではないが、確かに興味はある。

 

 なんせ名物とまで言われるほどだ。そんじょそこらのプラネタリウムとは違う……と、思う。

 そんじょそこらのプラネタリウムとか、存在すら知らないが。

 

「くそ……古代語の文法はこれだから……うぜえったらありゃしねえ」

 

 ぶつくさと文句を垂れつつも、グレン先生が論文を片手に装置の横にあった黒い石(モノリス)を操作していく。

 

 すると───

 

「───へえ」

 

 一瞬の暗転ののち、一気に部屋の中が明るくなる。

 

 天井や壁に映し出されたのは満天の星空。人の営みに関わりなく運行する、ソラに輝く光たち───

 

「……さ、ひとまず星空観賞はここまでにしよう。なあに、別に一回限りってわけじゃないんだ。全部終わってからまた見ればいいさ」

 

 アルフォネア教授のセリフとともにぷつん、と星空が消える。まるで世界が一つ消えてしまったかのような寂寥感に、小さく息を吐きだした。

 名残惜しかったのは他の面々も同じだったらしい。しばらくぼけっとしていたが、やがて自分の仕事を思い出したのかまばらに散っていった。フィーベルだけはアルフォネア教授にあの天象儀(プラネタリウム)装置を調べてもらうよう頼み込んでいるようだが……。

 

「と、俺も仕事しないと……」

 

 このだだっ広い部屋に隠し通路なんぞあるのだろうか、と思いつつ壁際で手を動かす。

 定番なのは叩いてみて音を聞いたり、といったところだが、軽く殴ってみてもゴンゴンとしか鳴らない。……うーん。やっぱりそれっぽいのはねえなあ。空間が歪んでるって話だし、まともな手段じゃ見つからないのかもしれない。念のため魔術で探るも、やはり手ごたえはナシ。まあ、高名な魔術師も調べ尽くしたっていうし、俺ごときの魔術じゃ気付けるはずもないか。

 

 フィーベルに頼まれたアルフォネア教授による天象儀(プラネタリウム)装置の解析もちょうど終わったようだが、あのアルフォネア教授をもってしても新しい発見はなかったらしい。残念。

 

 で、だ。隠し通路を探すように指示したグレン先生曰く、この神殿が本当になにかしらの魔術的機能を持つ儀式場なら、どこかにそれを制御するための『玄室』とやらがあるらしい。ところで玄室ってなんですか、と聞きたい衝動に駆られたが、当人はアルフォネア教授と一緒になにやら話しているようなのでやめた。

 ……諦めきれないのか、フィーベルが未練がましく天象儀(プラネタリウム)装置をじっと見ていたのが少し気になったが、フィーベルのお祖父さんはこの『タウムの天文神殿』に並々ならぬ執着を燃やしていたらしいし……その志を継ぐフィーベルも、この遺跡には強い想いがあるんだろう。

 

 そんなことを考えながら、ゴンゴン、ゴンゴンと片っ端から魔術も併用しつつ調べていく。

 

 ……むう。面白いくらいになにもないな。

 

 もう少しなにか、面白いものがあればやる気も出るんだが───

 

「……ん?」

 

 キン、という音に顔を上げる。ふと気付けば、部屋の中心にある天象儀(プラネタリウム)装置がぐわんぐわんアームを振り回し、先ほどのように部屋中に星空を描いていた。

 何事かと少しだけ壁から離れ、ぎゅんぎゅん動く装置を眺める。星空が早送りのように勢い良く進行し、同心円を形作っていくその光景は幻想的というよりどこか不気味で……う、そんなこと考えてたら酔った。アームの動きを追いすぎたか……。

 

 目を閉じ、くらくらする頭を振って意識を切り替える。

 少しだけ壁に寄りかかろうと、目を閉じたままでさっきまで殴っていた壁へと手を伸ばして───

 

「アッシュ! だめ!」

「レイフォー……え?」

 

 手は壁をすり抜け、勢いのまま突き抜けた。想定されていた支えを見失った身体がぐらりと傾ぐ。

 瞼を開けて前を見ると、そこには操作モノリスのそばで呆然としているフィーベルとティンジェル、大口を開けてこっちを見ているグレン先生、真っ青な顔で俺の後ろを凝視しているアルフォネア教授と……こっちに向かって走りながら、手を伸ばすレイフォードがいた。

 

 え、なんだこれ───と困惑のままに頭上を見上げると、そこにあったのは天井ではなく蒼い光で編まれたカーブ。

 緩く弧を描くそれの両端は床に真っ直ぐ向かっていて、遠くから見ればまるで扉のような形をしているのだろうと理解した。

 

 そんでもって俺の身体は現在『扉』の中へと傾いている。

 

 ……それってまずくない?

 

「ちょ、なにゆえ───!?」

「はやく、手を───!!」

 

 レイフォードが駆けてくる。だが悲しいかな、入り口を警戒していたレイフォードと、入り口から一番遠い壁際にいた俺とでは致命的に距離がある。

 

 完全に意識の外で起こった出来事に、俺は成す術なく───

 

「待っ───」

 

 よろめいた拍子に完全に扉の中へ入ってしまったことに気が付いた瞬間。

 ぶつん、と、目の前で『扉』が弾けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アッシュ……! くそ、なにがどうなってやが───セリカ!?」

 

 アシュリーが謎の『扉』の向こうへと転げ落ちた数瞬後、再び同じような造形の『扉』が開き───セリカが、それに向かって駆け出していく。

 

 ホシノカイロウ、というワードだけを残して、セリカまでもが『扉』の向こうへ消えていく。

 

 残されたのは、あまりにも唐突な出来事に放心している二組の面々だけだった。

 

「どういうつもりだあの耄碌ババア……ッ!? ちっ、とりあえずお前らこっちこい! 一回出るぞ!」

「そんな、先生……二人はどうするんですか!?」

「なにが起きてるかわからなさすぎる! とにかく一度撤収だ!」

 

 チラチラと不安そうに大天象儀(プラネタリウム)場を見る生徒たちをまとめ、遺跡の入り口にある野営地へと退却する。

 落ち着きのない生徒たちを各々のテントに押し込むと、グレンはシスティーナとルミアを音声遮断の結界を張った自分の天幕に呼び出した。もちろん、直前まで操作モノリスに触れていた二人に話を聞くためだ。

 

 まあ、大方の予想はついているが───

 

「さーて……お前ら、なにをした? あの『扉』は、明らかにモノリスの操作で開いた……すぐ近くにいたお前らが一番、なにが起きたのかには詳しいはずだ」

「は、はい……」

 

 顔面蒼白なシスティーナから聞いた話によれば───案の定、あのモノリスを操作したのはシスティーナだった。

 しかし、それは少しだけ正確な表現ではない。システィーナは元々操作しようなどというつもりは毛頭なく、ただルミアの能力───『感応増幅能力』と呼ばれる、触れた相手の魔力と魔術を強化する異能……のアシストを受けた魔術機能の解析・分析の術を使って、セリカが見落としたことが少しでも見付からないかと思っただけらしい。

 

 だが結果として、システィーナは装置の裏に走る今まで全く見えなかった得体の知れない術式の存在に気付き、動揺のままにモノリスに触れてしまい───偶然、『扉』が開いてアシュリーを飲み込んでしまったのだという。

 級友が暗がりに飲み込まれるのを見たシスティーナはさらに動揺し、咄嗟に開き直せないかと再びモノリスに触れてしまった。……その結果、失踪者が二人に増えてしまったが。

 

「ごめんなさい……私が……私がこんなことしなければ……!」

「ううん、システィ……私も、軽はずみに力を使ったりしたから……」

「いや、それはいい。過ぎたことだし、こういう新発見を探してたわけだしな。問題は……アッシュと、あのババアだ」

 

 もちろん、気になることが全くないわけではない。例えば、ルミアの能力。『感応増幅能力』だとは言うが、そもそも『感応増幅能力』は魔力のブーストを行うだけの異能だ。今回のように、『不可能を可能にする』ものではない。

 

 遠征学修の一件……『Project:Revive Life』でのこともそうだ。あのとき、ルミアを救出するために突撃したグレンが見たものはリィエルの複製体……『Project:Revive Life』の成功例だった。

 だが、オリジナルのリィエルとは違い、彼女らは生まれるはずのない存在だった。あれはリィエル───もとい、イルシアの兄ことシオン=レイフォードがいて初めて成し得る禁呪だったのだ。シオン亡き今、成功する道理はない。

 

 だが、ルミアはそれを可能にした。

 これはもはや、ただの『感応増幅能力』にできることを超えている。

 

「……話を戻すぞ。あの『扉』……ありゃどう見ても、ワープゲートの類だ。つまり、あの二人はどっか別の場所に飛ばされた可能性が高い」

 

 アシュリーとセリカが同じ場所にいてくれれば良いのだが……なんとなく、お互いに別の場所にいるだろうという気がしている。

 あの二人が通った道はおそらく、別々のものだ。そうでなければ再び『扉』が開いたあのとき、内側からアシュリーが飛び出してきてもおかしくないのだから。

 

「白猫、ルミア。お前らは扉の開閉だけ……ああくそ、俺一人でできるか……? わけわからん場所に飛んでった二人を連れ戻す……? 三流魔術師なんだぞ、俺は……!」

「先生……」

「グレン。わたしも行く」

「……リィエル?」

 

 真っ先に同行を告げたのはリィエルだった。

 無表情に薄っすら苦悩のようなものを重ねて、それでも真っ向からグレンを見ている。

 

「セリカも、アッシュも……一人にしたら、だめ。

 たぶん、二人とも……迷子になる」

 

 リィエルの言うことは、要領を得ないあやふやなものだ。

 

 だが、リィエルの言が理路整然としていたことなど今まであまりないし───そのわりに、勘だけはよく当たる。

 

「……本当は、根拠がほしいところなんだが。つか迷子ってなんだよ」

「ん。気にしない、気にしない」

「アッシュみてえなこと言ってるんじゃねえよ……ったく、仕方ねえなあ」

 

 がしがしと、面倒そうに頭をかきむしり、しばらく三人をじっと見つめる。

 

「お前らは……って、リィエルと同じみたいだな」

「……はい。私も連れていってください、先生」

「わ、私も! 今回の件は、私の責任だし……!」

「はあーーー……しゃーねえか」

 

 特大のため息をついて、火薬やら銃弾やらが詰まった荷物に手を伸ばす。

 

「あのババア一人なら俺でも連れ戻せるが……あの緊張感ゼロのおとぼけ野郎まで探すとなりゃ、さすがに手が足りん。……手伝ってくれるか」

 

 三人の答えは、聞くまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右を見る。誰もいない。

 

 左を見る。誰もいない。

 

 後を見る。道、既になく。

 

 前を見る。───屍体、無数に。

 

「あっはっはっは……はあ」

 

 どうしてまたこんなことになるのか、ちょっと世界とやらに問い質したい気分だった。

 

 誰もいないというのは、ある意味でありがたくもあるのだが。

 

「本当、もうやんなるよね」

 

 いつものようにくるりと短剣をもてあそぶ。

 

 苦戦はするまい。目の前にいるのはただの死肉の群れにすぎない。

 

『アァ……憎イ……憎イ……憎イィィィイイイイイ!!』

 

 なにやらひっきりなしに騒ぎ立ててはいるが、聞くに値しない。ただの死者の戯言だ。

 

『何故……何故、何故、何故ダァ!! アノ女……アノ女ノセイデ……何故ダ!! 何故ダァアアァァァアアアア!!』

「質問してるのか恨み言述べてんのかどっちかにしてくれない?」

 

 壁から無数に湧いた腕を叩き斬る。

 何故だと? こっちが聞きたいくらいだ。

 淀んだ空気のせいだろうか。どうしてか無性にイラついている。

 自分らしくもないと毒づきながら、遠くからやってくる団体客に舌打ちする。

 

「どいつも、こいつもさあ……」

 

 何故、何故、何故、何故。

 さっきから聞こえるのはそればかり。

 たまに違う言葉を吐いたかと思えば恨み言。

 

「あのさあ、わかる? 俺は一般人なの、ごくごく普通の凡人なわけ」

 

 足を掴もうとした腕を踏み砕く。

 食い千切ろうとしてくる口ごと頭蓋を叩き割る。

 躊躇はない。容赦もない。立ちはだかるのなら粉砕するのみ。

 

「こっちはな。早いとこ終わらせて、帰りたいだけなんだよ」

 

 首に取りすがる腕を無視して首を斬り落とす。

 帰る。帰りたい。帰らないと───どこに?

 それは、そう。あたたかな日常に。

 

「だから……アレだ」

 

 いつの間にか使えるようになっていた(きっと昔から知っていた)記号を指で描く。

 

 知識が浅い。経験も足りていない。本来のものとは比べるべくもないだろう。

 であるにも関わらず相当量の魔力が吹っ飛んでいったが、今はそんなものどうでも良い。

 

 

 

「さっさと死に直せ、有象無象」

 

 

 

 氷結。

 

 存在固定の術を施された遺跡の壁こそ凍てつかせられずとも、

 無数に湧き出る骸を貫くにはなんら不足はない。

 

 見知った光景の焼き直しも、ここまでくると退屈だ。

 

 恐怖はない。

 

 あるのは苛立ち。

 

「八つ当たり、させてもらうぞこんチクショウ───!!」

 

 今年が始まってから早数月。

 

 ほんの数ヶ月の間に、テロリストの襲撃に始まり、キメラに囲まれ、腐肉に囲まれ、知り合いに牙を剥かれ、圧倒的強者に嬲られ、突然ミイラに囲まれた。

 

 さすがにキレた。

 

 これで何度目だ。

 

 ゾンビだかミイラだかに囲まれる趣味はない。

 

 自分に英雄願望はない。ただ平和な日常があればそれで良いのだ。

 

 それで良いのに───何度も何度も何度も何度も、どこまで世界というものはそれを奪っていくのだろう───?

 

「はあ……ったく、いい加減にしてくれよな本当……ああ、帰りたい」

 

 ミイラを蹴散らしながら少年は進む。

 

 その先に、尊き『門』があることを知りもせず。




最近、自分も感じていることを指摘されると「ンンンンまさに!正論!」とどっかのRINBOが脳内に湧いて出る。


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26.殺したんだから死んでほしい(切実)

今回は概ね戦闘になります。


 ミイラうぜええええええええ。

 

 俺の現在の正直な感想を述べるならそんなところか。

 

 いや、マジでうざったいんだこいつら。あとからあとから出てくるし、わけわからんことはほざくし、しつこいしで。

 ここに叩き込まれたこと自体はまあ、よしとしよう。あそこにいる面々が俺をこんなところに叩き落とす必要があるとは思えないし。俺のうっかり、または事故だ。

 でもさすがにね。こう何度も何度も繰り返されると俺も堪忍袋の尾がどっか行っちゃうっていうか。

 

 俺はいつもの平和な日常が好きなんだって、何度言えばわかるんです?

 

『憎イ───ッ、憎イィィィイイイイイ!!』

「うるせえ、死ね」

 

 やかましい舌ごと頭を叩き斬る。

 どこに刃を叩き込めば効率的に殺せるかは知っている。

 横から突っ込んできた一匹の頭を鷲掴み、他のやつを巻き込んで地面に叩きつける。グシャ、と独特な音がして二匹同時にトマトみたいに潰れた。トマトと違って出るもの()はないけど、動けなくなったことに変わりはない。

 

 相当頭にきているのか、思考回路の切り替えがうまくいかない。ここに友人がいたら、豹変したように見えただろうか?

 まあ、どうでもいいが。

 

 怨霊じみた存在でも霊であることには変わりない(俺が引き寄せてしまっている)からなのか、あるいは目につく生者を片端から殺そうとしているのか。

 いつぞや、師匠にぶち込まれた地下墓地(カタコンベ)のように湧き出てきたミイラは、いつの間にか山となって目の前に積み上がっている。

 

 ……うぜえ。

 

「寝とけ」

 

 魔力を注ぎ込み、うぞうぞと集まっていたところを磔刑のように串刺しにする。

 炎で灼いてしまう方が個人的には好ましいのだが、なんとなく忌避感があったのでやめた。

 

 灰にしてしまえば、元がなんであったかもわからなくなる。

 その方が、俺としては好ましい。

 

「……はあ」

 

 あーやだやだ。帰りたい。ぼけーっと毎日を浪費するあの日々に戻りたい。

 

「ほんと、嫌になる───」

 

 時折素手で喧しい骸を粉砕して、石造りの通路を踏破していく。

 そういえば───と、気を紛らわせるように通路に目をやった。迷路のように入り組んだ構造といい、どう見たって『タウムの天文神殿』内部ではない。

 

 思い起こすのは『タウムの天文神殿』に隠された機能だという時空間転移魔術。感覚からして()空間転移でこそないものの、どこか遠い場所に放り出されたのは事実のようだった。

 

 しかしそうなるとここはどこなのか。さっきからひっきりなしに……というほどではないにせよ、次から次へと襲い来るミイラと道中で見かけた部屋を見るに、魔術師の住処であったことはわかるのだが。

 気になるのは、襲ってくる連中が一様になにかに対する怨嗟の声を上げていること、判別すら難しい顔が恐怖と無念に歪んでいることくらいだが……それこそ気にするべきことではない。

 

 キーワードは『あの女』と『裏切り者』。

 ……うむ、さっぱりわからん。

 

「出口とか、ないのかねえ……」

 

 どうやらこの謎の建造物はかなり広いらしく、階段すら見当たらない。あるいは一階建ての建物であるという可能性もあるが、それにしたってもう少しなにか見付かっても良いものだ。

 一応、俺が吐き出された場所にはあの天象儀(プラネタリウム)装置の横にあったモノリスと同じようなものがあったが……案の定、調べたところで俺じゃなにもわからなかった。

 

 当たり散らして多少は落ち着いた頭で考えてみるものの、事態は全く好転しない。

 グレン先生がこっちを探しに来てくれることを祈るばかりだが……偶発的なものだったようだし、どうなることやら。

 

 最悪、この広さでは合流できずにお互い彷徨うことになるかもしれない。

 まあ、そうなったらグレン先生のことだ。対策を立てるかこっちを見捨てるかくらいは判断してくれるだろう。

 人間、三日くらいはなにも食べなくても生きられるというし。水なら魔術でどうにかなるし。

 

 これだから壁がぶち抜けない建物は嫌なんだ。

 むしろ触ると……いや、触らなくてもだが謎の手がわさーっと出てきて捕まえに来るし。なにあれキモい。力づくで腕を引きちぎりながら脱出してやったが。汝はゴリラ。

 

 ……いや、勘違いしないでほしい。なにも昔からゴリラであったわけでは……違う違うゴリラじゃないから。ゴリラは師匠だから。あ、最近だとレイフォードもか。

 

 やだもーほんと。モテモテ大作戦(霊限定)とか嬉しくなさすぎる。俺を捕まえたところでいいことなんかなにもありませんことよ。

 

「はあ……」

 

 近くにいるやつはあらかた叩きのめしたのか、しんと静まり返った道を歩く。

 勘に任せて進んでいたが、案外こういうときの運は良いのかもしれない。今までとは明らかに違うアーチ型の出入口が、ぽっかりと口を開けていた。

 

 今までにないパターンに念のため警戒しつつ、ひょこっと出入口の内側に顔を出す。

 

 内部に広がっていたのはどうやら闘技場のようで、円形のフィールドのあちこちに炎が揺らめいている。当たり前のようにミイラが転がっているが、まあ慣れたものだ。

 問題は───その奥。黒光りする石で封じられた巨大な門だ。巨人でも通るのかと言いたいところだが、確かこの世界に巨人はいなかったような? いたっけ?

 

 巨人といえば、世界を灼いた終末装置であるスルトだとか、神々の麗しき花嫁たるスカディだとかが有名か。

 しかし、これは出口……なのだろうか? どう見ても通り抜けられなさそうだが。

 

 あ、ミイラがこっち気付いた。

 

「……行くか」

 

 ここで逃げても仕方がない。どうせ行くアテもないのだ。当たって砕けるべきだろう。

 

 性懲りもなくわさわさ湧いてくるミイラを踏み砕き、撲殺し、片端から蹴散らしていく。

 もはや語るべきところはない。だってマジでただそれだけの作業なんだもの。人体に縛られているが故なのか、大抵は四肢を砕くか頭を潰すかすればさすがに動かなくなる。

 

 さっくりざっくり殲滅し、門の前に立ってみる。

 真っ黒な石で造られたそれには、やはり古代文明のものらしくびっしりと謎の紋様やら文字やらが刻まれている。

 押せば開く、ということもないだろう。見るからに重そうだから、といった理由ではない。こういったものは、条件を満たさなければ開かないのがお約束だ。

 

 だが、ここにしか出口のアテがないのも事実。

 できるだけはやってみようと、門を開くために手を触───

 

『その門に触れるな、下郎』

 

 押し開こうとした手が止まる。

 唐突に背後の闘技場、その中心に生まれた気配に冷や汗が流れた。

 

 動いた瞬間にコマギレにされそうな威圧感。

 視線だけで後ろを流し見れば、そこにいたのは闇そのものがローブを羽織り、辛うじてヒトらしいカタチを成したようななにか。二刀を携え、一筋の光すら見えぬ視線でこちらを射抜く───魔人。

 

(───あ、死んだな)

 

 俺もそこまで馬鹿じゃない。後ろにいるやつがどれだけ強いかくらいはわかる。

 

 表す言葉があるとするなら───規格外、だ。

 

 後ろにいるものは、明らかに人間の規格を超えている───!

 

()()()()がこの門、潜ること能わず。()()()()()のみが能う───汝に資格なし』

 

 全く、誰だよ。こういうときの運はあるとか言ったアホは。

 

 こんなもん───どう考えたって、最大級の厄ネタだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 腰に提げた短剣を無意識に触りながら、ゆっくりと後ろを振り返る。

 幸い、敵にこちらを害する動きはない。……今のところは、だが。

 

「───一応、聞こうか。どちらさん?」

『我は此の尊き門を護る者。即ち、汝を滅する者である。身の程を知らぬ愚者の子よ』

「電波発言はやめてほしいんですけど……」

 

 難しい言い回しやめよ?

 一ミリも意味がわからんのよ。もっと意思疎通をする努力をしよう。

 

「提案。見逃す気は?」

『汝の問、実に愚問也。此の聖域に足を踏み入れた時点で、汝の命運は既に断たれた』

「……はっはっは」

 

 苦笑い。要するに、ぜってー許してやんねー!! ということだろう。

 

 言う間にも、敵は油断なく刀にも似た片刃の剣を両手に携えている。それ置いてこのままお話してようよ。ねえ。ピクニックよろしくここでほのぼの語り合おうよ。それなら俺付き合うからさあ。

 あ、ダメですかそうですか。ちくせう。

 

『構えよ、名も知れぬ愚者よ。我が双刀の錆と成りて果てるが良い───』

 

 もうこれ以上仲良くお話するつもりはないらしい。

 魔人は赤と黒の双刀をゆるりと構えてこちらを睥睨している。

 

 さーて、どうしようか。

 こっちの武器は相変わらずの短剣と、今日はまだ切っていない最近ほぼ通常武装と化している『破滅の黎明(グラム)』。それから……注ぎ込んだ魔力次第ではC級軍用魔術程度の威力なら出せるらしい、謎の魔術。……魔術? うん、魔術。

 

 正確に言うと、やっぱり俺ごときじゃ使いこなせませんよーということなのか本来の威力からは落ちているのだろうが。……一つ聞きたいんだけど、件の英雄サマってマジでなんなの? 剣技も魔術も堪能とか舐めてるの?

 いや、俺みたいな凡人が比較的まともに戦えるようにはなるからありがたいっちゃその通りなんだけどさ。

 

「気分は討ち入りだよ」

 

 しかも、生き残れないことがほぼ確定している類の。

 

 とはいえ、このまましびれを切らして殺しに来られても困る。

 座して死を待つのももったいないし普通に嫌だ。

 

 なので、できることと言えば───いつものように、投擲して様子を見ることくらいなもので。

 

 遠くにいるのを良いことに、もはや定番、最近在庫がガリガリ減っていってる金属片を放り投げてぶっ飛ばす。

 手に取ったのは一つだけ。一歩前に踏み込み、後から出した足が地面を離れた瞬間に全力で投擲する(殴り付ける)

 

 いつもと違うのはその速度。本気で打ち込んだソレは杭のように風を切り、常の数倍の速度で空を滑る。

 無論当たるとは思っていない。だが手数でどうにか押そうにも、おそらくあの双刀に弾かれる。であれば───一点突破しか道はない。

 

『ほう』

 

 弾丸(短剣)の行く末も見届けぬまま、右腕を振り抜いた勢いそのままに地を踏み、前方へと駆ける。

 左へと流れる勢いには逆らわずに旋回、左手に握った一振りを手首のスナップだけで投げ放つ。

 

 タン、とステップを踏むようにもう一度前へ。反作用で軽く跳び上がりつつ、腰から抜き放った短剣を逆手に振り下ろ───

 

「───な」

 

 魔人の持つ左の刀が円を描くようにして閃く。キン、という音が二回。先に投げ放った二振りをその刃で弾いたのだ───と、そう見えた。

 実際は違う。刃に触れるそばから、ほんの微かな音を響かせて銀色の輝きは碧色の魔力光へと変じて散っていく。

 マズい。そう直感的に判断するも、既に右腕は打ち下ろしたあと。左の紅と銀色が一瞬だけ相克し、わずかな手応えを残して銀の方が霧散する。

 

 驚きに打ち震える間もないままに、右の漆黒が振り下ろされる。逆手に握られたそれはこちらの心臓を貫こうと天上から突き落とされ───左手に抜いたもう一振りの刃に弾かれる。

 だが、無理な体勢から大振りな迎撃をしたせいで大きな隙ができてしまっている。しかも右手は無手。このまま敵が左の魔刀を振り上げればそれで終わりだ。

 

『逝ね』

「お断りだクソッタレ───ッ!」

 

 今の俺に限った話ではあるものの、無手であることは必ずしも不利ではない。

 わずかに紅が腕に食い込むのを無視して記号(ルーン)を刻む。至近距離、炸裂する氷柱(つらら)。片方の端は平面、もう片方は円錐のあの形だ。もちろん、平面が向くのはこちら側。

 

 描き出した記号を境に前後へと伸びる氷柱の平面部に右手を添える。咄嗟の判断、当然無傷で済むはずもない。凍てつくような冷たさと小さくない衝撃が右手を通して腕を打ち据えるが、知ったことではない。

 その代償として、打ち出された氷柱の衝撃でお互いの身体が吹き飛ぶ。こちらを穿たんとしていた黒は空を斬り、紅は標的を見失い氷柱に触れる。

 

 途端、霧散する氷の柱。だが運が良かったらしい。既にその先端は敵の胸板を貫通している。どう見ても致命傷だ。

 よし、これでなんとか───!?

 

「う、そだろ」

 

 仕留めたと思った。珍しく強敵相手に一矢報いたと思った。そうでなくともかなりの手傷を負わせたはずだった。

 だが魔人は振り上げた紅と突き降ろした黒をくるりと回して整え、負った傷にも構わずこちらへと猛追する───!

 

『異な術を使う。紋様を描き出しただけでこの威力とは』

「ど───ういう身体してやがる、テメエッ!?」

 

 地面を擦りながら減速。だが止まってしまってはこちらへと迫る双刀に斬り伏せられる。

 故に、静止までは至らない程度の速度まで落としてから───地を蹴る。前ではなくやや斜め後ろに向けて。瞬間、今までいた場所を黒の魔刀がすり抜けていく。危うく一刀両断されるところだったという事実を認識するより早く、紅が奔る。

 これをリジルやフロッティで迎撃することは不可能だ。それは触媒が取り出せない云々の話ではなく、触れた瞬間霧散してしまうということを先の投擲で理解したから。

 

 取るべき行動は回避。本能の為せる技かそれとも引っ張り出した英雄の技量によるものか。直感に従って二歩、三歩と跳ねるようにして躱す。

 

 黒の魔刀であれば短剣が使える。だが紅の魔刀には打ち消される。

 さっさと『破滅の黎明』を抜いていたら、膨大な魔力を持っていきながら紅の魔刀によって消え去っていたことは想像に難くない。ナイス判断、と自分を褒めてやりたかった。

 

 だが快進撃は始めの十数秒のみ。主導権は今や完全に魔人が握っていて、俺は踊るように滑る刃を回避するので精一杯だ。

 向こうはこの戦いを楽しんでいるのか、こちらが対応できるギリギリで留めている……いや、違うな。向こうがこちらに合わせて手加減をしているのではなく、本気でないあちらの攻撃を捌ける程度に、こちらも最低限の実力くらいは有している、ということだろう。低すぎる実力の相手とわざわざ手加減してまで打ち合ったところで面白いとも思えない。

 

 左手にだけ短剣を握り、右手は反撃の隙を窺うのみ。だが先ほどのようにおっそろしいくらいにうまくハマらないと二度は通じないだろう。既に敵方にはこちらが記号を描くだけで魔術を発動できることを知られている。

 

 距離だ。ひとまず距離が欲しい。

 状況をリセットするのもそうだが、それ以上に黒の魔刀……アレには触れてはいけないという気がしている。

 このままでは食い付かれる。黒の魔刀を弾いた直後、紅の魔刀がこちらを捉える前に魔力放出も突っ込んで大きく後ろに飛び退く。その過程で三本ほどナイフを投擲。弾かれる。

 

 蹴りも交えれば多少は動けるが、蹴り技には大振りなものも多い。素手の相手ならいざ知らず、ヤツ相手ではどちらかの刃で斬り落とされるのがオチだ。

 

 有り得ない。マジで。なんでこんなことになってるのん?

 

 なによりまともに打ち合えないのがつらい。先日の霊基再現率を引き上げた影響でこっちの動きと勘は格段にマシになっている。今回はほぼ全快の状態からやり合っているのもあるが、以前の俺ならそれこそ三合程度でお陀仏だ。

 だがそれでも、『抵抗できない攻撃』が相手ではどうしようもない。アレと真っ当に戦うなら、魔力に依らない武器が必要だ。例えば、アルフォネア教授が持っていた真銀(ミスリル)の剣とかね。

 

 もう一段階引き上げる? ……いや、厳しい。それであの猛攻をかいくぐり、なおかつ不死の謎を解けるのかと言われれば確信がない。

 なによりアレは無限にできるモノじゃないのだ。ある程度()()()()()()更に引っ張ってくることはできない。無理にやってやれないことはないが、どうなるのか想像がつかない。たぶん今度こそなにかしら代償がいるだろう。記憶とか、そういうわかりやすい部分が吹っ飛ぶかもしれない。

 

 となると、現状俺はこのままでなんとかしないといけない。

 欲を言うならもう一度くらい殺しておきたいところ。

 

 完全に不死身の生物なんざあってたまるか。必ずカラクリ、もしくは限界があるはずだ。……希望的観測、個人的な欲求に過ぎないが。

 

 最悪なのはあっちが完璧不死身の生き物だという可能性だが、ないと仮定して動くことにする。

 

 今重要なことはどう殺すか。

 訂正。どうすれば殺しきれるか───だ。

 

(なにをしても死なないわけじゃないはずだ)

 

 そうであるのなら、最初の投擲など無視してこちらを斬り伏せれば良い。

 穿たれるのを避けた。それは事実のはず。

 

(で、あるならば───)

『如何した、愚者の子よ』

 

 じりじりと、こちらに歩み寄ってくる。……完全に遊んでいる。

 くそ、せめてこっちの武器が魔術絡みでなければ───いや、ないものねだりをしても仕方がない。ただでさえ分不相応な力を揮っているのだ、それ以上を望むのはそれこそ罰当たりというものだ。

 

 一歩後ろに下がりそうになる。恐怖は感じないが、この威圧感を前にして打つ手がないという事実が重い。

 

 どうする?

 

 どうすれば、あの双刀をかいくぐってあの命を奪いに行ける?

 

「───象と理を紡ぐ縁は乖離せよ》ッ!!」

 

 入り口の方から迸る極光。

 何事かと一瞬面食らったが、この光は見たことがある。前にグレン先生が披露した【イクスティンクション・レイ】だ。が、詠唱が微妙に違う。

 

 いずれにせよチャンスであることは違いない。今までの経験からして、こいつは左の魔刀で破壊の光を消しにかかるだろう。

 であれば、今が好機。

 光を認識すると同時、黒の魔刀に向けて走り出す───!

 

『ぬう……!?』

「大人しく死んでおけ、この理不尽が───!!」

 

 近付きすぎれば刀は振るいにくくなる。もちろん懐に入り込まれたら無力だという意味ではない。対処しやすくなるというだけの話。

 そのほんのわずかな隙間を縫って、どうにか接近し───黒を右手に握った短剣でどうにか防ぎ、背後に回した左手に持つもう一振りで思い切り刺し穿つ。

 

 誰がぶっぱしたんだかわからないが、おかげで助かった。

 さて、二回目の致命傷。こいつはどう出るのか───

 

「───ぐ」

 

 唐突に身体を襲った浮遊感。

 見れば、魔人の膝が腹部にめり込んでいる。

 

 ここにきての、体術。

 警戒を怠った。そのことを悔やむ間もなく、光が飛んできた方向に今度は俺が飛ばされる。嫌な音がして身体が軋む。

 

 内臓とか、無事なんだろうか。これ。

 

「アッシュ!?」

 

 床に転がるかと思ったのだが、どうやら飛ばされたのは出入口の方だったらしい。熱を持ったなにかにぶつかったと思ったら、聞き覚えのある声が頭上から降ってくる。見上げれば、それはグレン先生の顔だった。どうやら受け止めてくれたらしい……後ろによろけながら。

 すみません、勢いありましたよね。そりゃそうもなります。

 後ろから、フィーベルやティンジェル、レイフォードが駆けてくるのが見えた。救助隊だろうか。

 

「無事……じゃ、なさそうだが……おい、セリカ! いい加減にしろ、戻ってこい!!」

「退けェェェエエエエエ!!」

 

 グレン先生の叫びにも構わず、闘技場にアルフォネア教授が突っ走っていく。その手には真銀の剣。どう見ても冷静さを欠いている。

 豪奢な金髪を振り乱しながら魔人へと駆けるアルフォネア教授をついつい見送り、

 

 ───白魔改【ロード・エクスペリエンス】……物品に宿った持ち主の記憶を再現し、自らに憑依させる()()だ。

 

 その一言が、稲妻のように脳裏を駆け巡った。

 

 これまでの交戦でなんとなく見えてきた紅の魔刀の効果。

 

 想定通りのものであるのなら、あのまま突っ込むのは危険にすぎる───!

 

「教授、ダメです! そいつに魔術は───ッ」

 

 【イクスティンクション・レイ】が消されてるんだ、普段のアルフォネア教授なら突っ走ってったりしないはず。

 でも今は危うい。なにかに突き動かされるようにがむしゃらに突貫している。()()()()()()なんていうデタラメに気付いているのかは甚だ疑問だ。

 

 ……これはまずい。

 アルフォネア教授の剣術は魔術によるものだと聞いた。では、それが唐突に解呪(ディスペル)されてしまったら……そこに残るのは、ごく普通の一人の女性だ。

 

 だが警告は間に合わず。

 見れば、アルフォネア教授の背後に回り込んだ魔人が黒の魔刀を構え───アルフォネア教授は、床にくずおれている。

 

「く、ぁ」

『終わりだ。今の汝に用、なし』

 

 既に刃はアルフォネア教授の首にあてがわれている。……間に合わない。そう判断しかけた俺の耳に都合六発分の銃声が届く。

 言うまでもない。グレン先生のものだ。

 

 連続掃射(ファニング)。一瞬で弾丸を撃ち尽くす高等技術。

 視認性の悪い銃弾が見えにくかったのか、それともアルフォネア教授に集中していたからなのか、魔人の反応が一瞬遅れる。

 

『猪口才な……爆裂の魔術で鉛玉を飛ばしたか? 愚者の子らにまさか三つも持っていかれるとは』

「くそ、どうなってんだお前! 心臓にぶち込んでやっただろうがッ!?」

 

 一撃をモロにくらいつつも、アルフォネア教授に向けていた刀で残る五発を弾くと魔人は大きく後退した。銃弾に衝撃を受けてのものではない。いわばそれは、仕切り直しのための一時的なもの。

 

 その隙に、グレン先生がアルフォネア教授を確保したようだが───

 

『よかろう! 愚者たちよ、我が力に何処まで抗えるのか……今一度見せてみよ───!』

 

 そう言うと、魔人は実に愉快そうに剣を降ろした。停戦。違う。魔術。

 

「……そんなデタラメ、いてたまるかっての……!?」

 

 悪態は俺のものだったか、それともグレン先生のものだったか。

 わかるのは、魔人の頭上にとんでもない熱量が集っているということ。

 

 うん。くらったら蒸発するね、アレ。

 

「チッ……!」

 

 一瞬、グレン先生の手が愚者のアルカナを掠めて止まる。たぶん、迷っているんだ。先のアルフォネア教授との攻防で圧倒的な力を見せ、心臓に銃弾を叩き込んでも死なないこいつに果たして魔術なしで挑んで良いのかと。

 

 その躊躇いは隙となり、太陽がごとき敵の魔術が完成する。

 煌々と燃え盛りながらそれはこの場に駆け付けた全員を飲み込まんと迫り───

 

 ───かちっ。

 

 時計のような音とともに、世界が一瞬でモノクロに染まる。

 

『はあ……全く、世話が焼けるわね』

 

 あまりにも唐突な出来事に、全員が動きを止めていた。

 いや……より正確には、魔人と光球だけは、文字通りの意味で動きを止めているのだが。

 

『こっちに来なさい。早くしないと時間が動き出して、消し炭よ。あなたたち』

 

 そんな声と一緒に、見覚えのない第三者が現れる。

 

 異形の翼を生やし、極薄の衣に身を包んだそいつは、なぜかティンジェルと瓜二つだった。




ようやく戦闘しても主人公が気絶しないレベルまできたぞ……!!

そして蒼銀ドラマCDが届きました。最高。ああ~そして特典小説の北欧夫婦おいしいんじゃ~……。


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27.再戦と共闘と

遅く!!なりまし!!た!!!!
お詫びとして近々二連投する予定でございます……。いつも通り一時半に見に来てくださった読者さんがいらっしゃったらしいという事実に罪悪感がオーバーロード。申し訳ない。レポートが……終わらんかったんや……。
そして今回も戦闘とご都合主義のオンパレードだぞ。許せ。
書き上げたのが10分前だから見直しもないんだ……本当にすまない……。


 ───謎の少女に連れられて、闘技場から遠ざかる。

 

『この状態はそう長く保たないわ。死にたいのなら止めないけど?』

 

 その言葉の通り、ある程度離れるとモノクロの世界は色を取り戻していた。

 切り離されていた時間へと帰還する感覚に思わず軽く頭を振る。

 

 ティンジェルによく似た姿をしたそれは『名無し(ナムルス)』と名乗り、黙々と俺たちを導いていた。

 気絶してしまったアルフォネア教授を背負うグレン先生が矢継ぎ早に疑問を投げかけるものの、そのなに一つにも答えない。ただ淡々と、滑るようにして移動していく。

 

 かく言う俺は殿を務めるレイフォードのやや前方で、短剣をぶら下げたまま歩いている。

 ティンジェルに法医呪文(ヒーラー・スペル)でさっきの腹ぶち抜かれたやつも治してもらったし、いつでも戦闘に戻ることはできる。さすがティンジェル。

 

「……ったく、なんなんだよ一体……。セリカのバカは見付けたと思ったら後先考えずに突っ込んでいくし、おまぬけアッシュはよくわからんバケモンとやり合ってるしよ……」

『それはこっちのセリフ。ずいぶんと愉快な仲間を連れているのね、グレン』

「だぁから、お前はなんで俺のことを知ってるんだっつの……」

 

 やはり答えないナムルス。面倒そうにため息をつき、グレン先生がアルフォネア教授を背負い直す。

 

『そこの境界記録帯(ゴーストライナー)……いえ、違うわね。正しく現界しているんじゃなくて混ざってるだけみたいだし、境界保有者(ゴーストホルダー)とでも言うべきかしら? ……ともかく、そいつといいルミアといい、普通じゃないものに好かれるのね。あなたって』

「はあ? ゴースト……なんて?」

『……こっちの話よ。どうせ、誰にも伝わらない言い回しだったわ』

 

 ティンジェルを憎悪のこもった目で流し見てからアンニュイなため息をついて、ナムルスは再度前へと歩を進める。

 

 なんか今、すごく聞き捨てならないというか意味のわからないことを言われた気がする。

 というかこの声、薄っすら聞き覚えがあると思ったらあれだ。突然俺のことを迷子扱いしてきた幻聴だ。

 

『グレンといいあなたといい、人間ってどうしてそうすぐに現実から目を逸らすのかしら』

 

 いや、姿が見えないのに声だけしたらそりゃ空耳だと思うよ。

 しかも空耳が意味不明電波発言かましてきたらそりゃ幻聴だと思うよ。

 

 というより、今の発言からしてどうやらナムルスは本当に人間ではないらしい。

 そんなやつがどうして俺のところにあんな幻聴届けに来たんですかね。

 

『……別に。たまたま珍しい生き物が目に入ったから、ついでに見に来ただけ。深い意味なんてないわ』

「ここでもオマケ扱いかよ……ってか、俺は珍獣か」

 

 苦笑交じりに肩をすくめる。

 するとなにを思ったのか、ナムルスはこっちに滑るようにして歩いてきて───

 

「うおっ」

『……本当に中途半端な混ざり方をしてるのね。中身も弄ってるクセに技術は伴ってない。能力も小分けにして持ってきてるみたいだけど、全体的にちぐはぐだわ。こんな人間、あとにも先にもあなたくらいなものだと思うけど?』

「待て待て待て待て、まさぐるなまさぐるな!?」

 

 あっちこっちベタベタ触られると(正確には実体がないらしくすり抜けているのだが)居心地が悪い。むしろすり抜けられるとなおのこと妙な気分になる……っ!

 

「……お手上げだ。言ってる意味はさっぱりわからんが、とりあえずよしてくれお嬢さん」

『そう』

 

 さほど興味はないのか、ぱっと離れる。俺らあの魔人に追われてる最中だったよね? 一応足は止めてないけど、こんなことしてる場合じゃ───

 

「……ん……」

 

 と、騒がしかったのかアルフォネア教授がかすかに身動ぎした。どうやら目を覚ましたらしい。

 

『……私は少し消えるわ。あとは教えた通りに進みなさい』

 

 なぜか今度はナムルスがふっと消えてしまった。呼べば出る、とのことではあるが。

 

 そのあと、目が覚めたアルフォネア教授に黒の魔刀とやらの能力……『斬った相手の魂を喰らって自身の力へと転化する』とかいうこれまたデタラメな能力を教えてもらった。それでわずかでも斬られた以上、魔術師としては再起不能な損傷を負ってしまったかもしれない、ということも。

 

 ここにきての第七階梯(セプテンデ)の戦力外通告。これはキツい。

 無論、無理に戦わせるつもりなぞ毛頭ないが、アルフォネア教授の実力はここにいる誰よりも飛び抜けている。かつては邪神の眷属さえ殺したと言われる……いわば大英雄だ。

 それを頼れないとなれば、こっちは自力であのバケモンを打倒しないといけない。

 

 グレン先生とアルフォネア教授がなにやらイイハナシダナーしているのを横目に見ながら、俺は小さくため息をついた。

 

 なぜか? ───背後に迫る気配に、こちらが追いつかれるのは必定だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 短剣を三本、振り向きざまに投げ放つ。

 

 背後に迫るのは双刀を携えた魔人。頭蓋と胴体を狙った三撃はしかし、紅の魔刀で斬り払うことで呆気なく霧散する。

 通路の石畳を擦りながら着地し、前回とは違って前へと()()

 

 頭上からの一撃。今回は出し惜しみをしている余裕はない。

 惜しみなく魔力を使い、頭上に到達した瞬間に急転直下。握り締めた右手を打ち下ろす。

 

 今の俺は無手。当て所を誤れば一瞬で肉を裂かれ魂ごと魔刀の餌食にされて終わりだろう。

 だがティンジェルの能力を乗せた状態でフィーベルにわざわざかけてもらった【ウェポン・エンチャント】のおかげで、魔術を無効化する紅の魔刀には太刀打ちできないものの、黒の魔刀であれば辛うじて素手でも対応できる。

 

 一撃。漆黒に阻まれる。

 体勢を立て直した魔人が紅の魔刀を斬り返す───もう一度魔力放出でその場から吹き飛ぶ。空いた左手でベルトの金具に括り付けていた触媒に手を伸ばす。

 

 俺一人では紅の魔刀への対抗手段がない以上、俺はこの魔刀を体捌きだけで躱さなければならない。

 だが決して不可能ではないことは実証済みだ。まだまだ本気ではないとはいえ、それでわずかでもこちらの勝率と───こちらへの注目度が上がるのであれば問題はない。

 

 思い起こすのは、魔人と再び遭遇するその少し前。

 逃げられぬのであれば戦うほかない、という結論が出たとき、ではどうするかとみんなで作戦会議を開いたときの言葉。

 

『俺が時間と注意を稼ぎます。その間にそちらは支度と不意打ちの機を窺ってください』

 

 向こうが俺に集中すればするほど、グレン先生たちが動きやすくなる。

 要するにオトリだ。この六日間、戦闘とくればほぼ毎回やっていたせいで骨身に染み付いているオトリ役だ。

 

 もちろん本当はすごく嫌だ。俺はごく普通の一般人なのであって、なにがどう間違っても古代の反英雄と戦うような人間じゃない。そういうのは英雄(人を超えた人間)のお仕事だ。

 ただコレを退けなければ帰れないというのであれば、こうなるのも致し方のないこと。グレン先生たちは反対してくれたけど、現状自分たちの中でこの魔人とまともにやり合ったのは俺一人だ。

 それに、全員で一ヶ所に陣取ったとしてもその場合俺は役に立たない。グレン先生はレイフォードと一緒にあの魔人と近接戦闘でやり合うだろうし、そうなるとあの二人の連携の邪魔になる俺は入れない。魔術支援組に入ろうにも、そこまで魔術は得意じゃないし……最近使えるようになったとはいえ、まだまだ制御が大雑把でこれまた邪魔になりかねない。合流したらやるけど。

 

 というわけで俺は現在、グレン先生たちのいるところに移動しつつ、できるだけ魔人を引きつけねばならなかった。

 いやあー。これなんて無理ゲー?

 

『届かぬと、殺せぬと知りながらなお挑むか、愚者よ』

「完璧不死身なヤツなんてこの世にいてたまるかよ。星も世界も、いつかは消えるんだから───つまり、お前の不死身にも限度がある。そうだろう? 魔煌刃将アール=カーン」

『───ほう』

 

 先の作戦会議のおり、フィーベルがあの魔人の正体ならわかるかもしれない、と言って取り出した『メルガリウスの魔法使い』。

 

 そこに綴られていたのは、とある武人についての伝説だった。

 

 左には魔術を打ち消す紅き魔刀を。右には魂を喰らう黒き魔刀を。

 いくら殺しても決して滅びず、ついには魔王にさえその刃を向けたと言われる───古代の魔王の配下。

 

 バカ言うな、と文句の一つも言いたいところだが、反応からして誠に残念なことに目の前の魔人はアール=カーンご本人で当たりらしい。

 

 で、重要なのはここから。

 伝承に曰く、アール=カーンは十三の試練を超えたことにより十三の命を授かっており、それによって彼は十三回殺さないと死なないのだという。なんかギリシャにそんな英雄いなかったっけ?

 しかし魔王、正義の魔法使いそれぞれとの戦いで既に合計七回、そのストックは使い果たされている。よーするに、現代を生きるこの化石の命はあと六つ。

 

 うち二つは俺が、もう一つをグレン先生がもってったので残るは三つ。

 三つであれば───なんとかギリギリ、俺たちでもなんとかなる。

 

『……我が主すら知らぬ秘中の秘、汝が如何にして知り得たかは与り知らぬ。が……よかろう。足搔くがよい愚者の子よ。我が命、削りきって見せるが良い───!』

「上等だ、タコ殴りにしてやらあ───!!」

 

 今回の再戦において、問題は三つ。

 

 一つ。グレン先生たちをギリギリまで隠したところで、魔人に通用するのかどうかということ。

 二つ。合流前に魔術を揮われたら、俺では対処ができないこと。

 三つ。……単純に魔力が尽きそう。

 

 まあそんなの気にしてる場合じゃないし。

 というかここ最近魔力カツカツになること多すぎない?

 

「し、ずめッ!!」

 

 下がりながら二本、着地のタイミングで一本。狙いは俺から見て右寄り、つまり紅を振るえば対処できる左胸部。

 もう一本を左手に握り、殴り飛ばしたそれを追うようにして加速。

 魔人の方もこちらへと迫っていたために接敵は早い。左の魔刀を振るい先の二本を、体捌きで残る一本を避けると魔人は黒の魔刀を振り下ろす。

 

 残念だが、それをもらってやるわけにはいかないのだ。

 

 短剣で受け止めつつ、身体を捻って蹴りを叩き込む。紅がこっちにきたら終わりだ。紅の魔刀で弾かざるを得ない状況にまで持っていきながら、黒の魔刀を捌いて隙を見付けてぶっ殺す。そういう方針。

 殺せなかったとしても、少しでもこちらに注意が向けばそれでいい。

 

 思いっきり蹴飛ばしてやったからだろう。魔人の身体がわずかながら吹き飛んでいく。だがここからでは剣での追撃はできない。魔力消費の関係で、今の俺は短剣しか使えない。───剣は。

 

 勘に従って空いた手で記号(ルーン)を刻む───残り少ない魔力がさらに削れていくが仕方ない。炎は忌避感うんぬんの前に俺も巻き込まれるからナシ。一度、魔人の命を奪ったはずの氷柱が顕現する。

 さすがに二回目はひっかからない。黒の魔刀が大きく唸り、鋭く尖った凶器の先端を両断する。紅ではなく黒であるが故に氷柱は消え去らない。運が良かった。出現した氷柱の上に手をつき、跳び箱を跳ぶような感覚で前に身体を持っていく。

 

 紅の魔刀は武器や魔術で凌ぐことはできないが、代わりに()()()()()()()()()

 ガラ空きになった脇腹に短剣を突き込み、トドメとばかりに思いっきり殴って体内にねじ込む。代償に肩口が切り裂かれたが、問題はない。まだ動く。痛みなら無視すれば良い。───これで一つ。

 

『厄介な───《■■■■───』

「……やべっ」

 

 不意に巻き起こった熱風に冷や汗一つ。追い詰められると敵は魔術を揮うようになるから気を付けろ───今さらな忠告が脳内に響く。

 ついうっかり抉っちゃったけどそうじゃん。やべーじゃん。

 

 グレン先生の場所へは届かない。入り口は見えているが果たして間に合うか。

 回避だけでは無理だ。迎撃するにも相殺できるほど高威力のものはない。なら───両方。

 

「《大いなる風よ》───ッ!!」

 

 この戦闘中一度も使わなかった汎用魔術を口ずさみ、後ろへ強引に方向転換。まだ辛うじて残っていた氷柱を蹴り、なけなしの魔力も注ぎ込んでさらに後ろへ。

 どーせ魔術展開中だからって剣が使えないなんてことはないだろう。あーやだやだ。チートじゃんこんなの───口は使っているので音にはせずに悪態をつく。

 

 魔術が完成する。こうなってしまえばもうグレン先生の【愚者の世界】は意味を成さない。うん、覚悟を決めよう。運が良ければ生き残れるさ。

 

『■■■》───その身、灰塵と帰すが良い───!』

「嫌だね! 二度も三度もそうコンガリ焼かれてたまるかい───ッ!!」

 

 対抗手段を検索───状況に合致するものを自動的に選び取る。

 完全にいなすのは無理なので腹をくくろう、という結論がチラついたけど知ったこっちゃねぇ! ガッツだ、ガッツがあればどうにでもなる!

 

 まあ問題は魔力がギリギリ足らないことなんだけど。ふぁっく。

 例によって手段はあるけどね!

 

「やるしかないか……!」

 

 ───足りないなら捻り(作り)出せ。

 ───なに、身体を弄るのは慣れたものだろう?

 

 思考回路の冷静な部分がそう告げる。

 うん、まったくもってその通りだ。()()()()には慣れている───。

 

 

 

 

 

 ───ところで、話は変わるのだが。

 

 人智を越えた能力を持つ英霊の中には、己の肉体を改造することでまったく別の機能を付属させるスキルを持つものがいる。

 

 ()もまた、毛色は違うがその一人。

 

 グニタヘイズの貪欲なる輝きの悪竜現象(ファヴニール)を単身で討ち果たし、竜の心臓を口にして、無敵の力と神の智慧を手にしたという勇士。

 そう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 竜種としての魔力炉心を形成し、無限にも思える魔力を生成するという───スキル『竜種改造』。

 

 魔力によって駆動するサーヴァントですらほぼ完璧な独立行動を可能とする、竜殺しの大英雄に相応しき能力だが……その一部を借り受けているだけの彼のそれは常に励起状態にあるわけではない。いくら適性があったとて、まったくの別人の身体に境界記録帯(ゴーストライナー)たる英霊の能力が易々と適用できるはずもない。

 

 完全な回路の再現に至らぬ少年の身には負担が大きい。所々がぽっかり抜け落ちたせいで暴発する電子回路といえばわかりやすいか。

 例えば、どこかの『誰か一人の味方』が、激痛にのたうち回りながらも英霊の腕を得たように。

 

 だがそれでも───

 

「《炉心起動───」

 

 機能の発現自体には、支障はない。

 

「───竜の息吹・果てることなし》───!!」

 

 負担───有り体に言えば『めっちゃ痛い』。そうでなくとも、自身の身体の内側を弄るというのは気持ちの良い感覚ではない。

 その代価に、一息ごとに魔力を生み出す竜種の炉心が起動する。

 

 なに、痛みなど無視すれば良い。

 死ぬほど痛かろうが、死にはしないなら問題はありはしないとも。

 

 カウント。

 一つ───太陽が魔人の手を離れる。

 二つ───指で無意識に記録(記号)をなぞる。

 

 三つ───着弾。

 

 爆音が響き渡り、傷付かぬはずの遺跡の通路を炎が舐める。

 

 防御姿勢を取った少年を炎が炙り、爆風が打ち据えて───

 

 そして───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 通路の奥から、太陽が一つ爆発したような熱風が吹き荒ぶ。

 

 空中庭園のようなそこに存在固定の術がかけられていなければ、石畳はめくれ優美なテラスは砕け、水の枯れた噴水は更地と化していただろう。

 

 柱の影に隠れていたグレンたちを、熱風は無差別に撫でていくが───遠くで巻き起こったものであったのか、それとも威力を減衰させるなにかがあったのか、吹き飛ばし焼き焦がすまでは至らない。

 

 『絶対に無理をするな』『敵が魔術を起動する素振りを見せたら脇目も振らずにここに逃げ込め』───そう告げられ、微塵も恐怖を感じさせないいつも通りの笑顔で答えた少年の姿を幻視する。

 あれだけ高威力のもの、とてもではないがあの自称平凡な人間に防げるはずもない。なんせセリカ=アルフォネアの魔術さえ超える得体の知れない術式だ。

 

 念入りに忠告したが、まさか引き際を誤ったのでは───冷や汗が背筋を伝う。

 

 と、爆風の中からなにかが転げ出てきた。

 

 そのなにかは階段をバウンドしながらも勢いを衰えさせず、庭園に設置された噴水にぶつかってようやく止まった。

 見覚えがある。それは一人、あの魔人を引きつけるために残った少年だ。あちらこちらに酷い火傷を負ってはいるが、一応ギリギリ無事らしい。げほりと盛大に血を吐きながらも立ち上がり───どこから取り出したのか、愛用している短剣を一振り握りしめる。

 

『まさか、愚者の子が我が炎を凌ぐとはな……』

 

 ゆったりとした足取りで歩み寄るそれは───魔人。

 

 双刀を携え、眼光は見えず。未だ健在のその姿に、恐怖が身体を締め付ける。

 

『だが二度はあるまい。その身体では立ち上がるのが限界だろう。……貴様の揮う技の真なる主に敬意を表し、せめてその苦しみを終わらせよう───』

 

 もう一度、魔人が頭上に太陽を生み出し始める。どうやらバカスカ撃てるらしい、と理解してついその場にいる全員が現実の理不尽さに呆れ果てた。セリカの霊魂を喰らった影響なのか、それともそもそもの魔人が保有する魔力が規格外なのか───

 

「……はは」

 

 フラつきながらも立ち上がった少年が、笑った。

 もう一度防ぐことなど不可能だ。絶体絶命の状況についに狂ったか。そう訝しんだ魔人の前で、銀の瞳で階段の下から現れる死を笑って睨みつける。

 

「バカ、言ってんじゃねえよ」

『なに……?』

「いやあ、本当。凡人なりに、有り得ないくらい頑張ったけど───」

 

 魔人が魔力を練り上げる。完成は秒読みだ。

 

 だというのに、なぜ───この愚者は笑っているのか───?

 

「───あとは、英雄の出番だよ」

 

 完成寸前の炎が燃え上がる。

 

 聞くに値しない。死に瀕した愚者の戯言だ。

 もう一度、今度は完膚なきまでに灰にするべく魔人は呪文の最後を括って。

 

『───なん、だと』

 

 膨大な熱量を持った炎が、硝子の砕けるような音とともに消えた。

 

 魔術の起動に失敗した? そんなバカな。

 そんな能力が、目の前の燃え滓にあるはずが───

 

「いいぃぃぃいいやああぁあぁあああああああああッ!!!!」

『むぅ───!?』

 

 物陰から、小柄な人影が飛び出してくる。

 薄青色の髪を揺らしながら、戦車のごとき勢いで現れたそれは見覚えがある。(セリカ)とともにいた一団、その一人だ。

 手には真銀の剣と剛毅な大剣。それぞれ片手に握った刃を、魔術を封じられ呆気に取られる魔人に振りかざす───!

 

『貴様、まさかこのためにここに───』

「かかったなヴァカめ!! 勝てば官軍なんだよ! いやめっちゃ痛えけど!!」

『仲間の能力を活かすため、一人で死地に乗り込んだと……!?』

「オトリにできるのはそれぐらいだろーが!! 俺は、英雄じゃねえんだっつーの!!」

 

 首をかっきる仕草を見届けるより早く、リィエルが振りかぶった大剣が魔人を殺そうと迫る。

 それを辛うじて紅の魔刀で防ぐが───途端、土くれとなった大剣に視界を塞がれる。驚愕の声をこぼすより速く、疾く、本命───真銀の剣が逆袈裟に魔人を斬り裂いた。

 

 誰が見たって致命傷だ。

 これで残る命は一つ。

 

 素早く魔人から離れたリィエルと入れ替わるようにして、物陰からさらに一人、小さな棒のようなものを構えた人間が駆けてくる───響く銃声。銃口が火を噴き、六発中四発が魔人へと迫る。

 

『小賢し!』

 

 それを打ち払い、魔人はすぐ近くまで迫ったグレンの銃を紅の魔刀で弾いた。

 魔人が推測したこの武器の性質は、『爆裂の魔術で鉛玉を飛ばす』というもの。

 故に、触れた魔術を無効化する魔刀───紅き刃、『夜天の乙女』より授かりし魔術師殺し(ウィ・ザイヤ)で触れた以上、もはやこの鉄の棒は役に立たない。

 

 ───その判断が、誤りだった。

 

「い───けぇぇえぇえええええええぇぇええええ!!」

 

 もう一度、銃口が火を噴き、二発の銃弾を吐き出す。

 銃という武器は魔術によるものではなく、科学的な機構によって成り立つものだ。いかに魔術を無効化する魔刀が触れたとて、自然に存在するものを打ち消すことはできない。

 

 だが───魔人もさるもの。

 想定外の出来事が続いたせいで、思考よりも本能が敏感になっていたのか。殺到する銃弾さえも弾き、弾を撃ち尽くしたグレン(愚者)にその凶刃を振り下ろす。

 

「───閃槍以て・刺し穿て》───ッ!!」

 

 その腕を、テラスに隠れていたシスティーナの魔術が穿つ。命を奪うまでは至らずとも、その動きは確実に一瞬止まる。

 

 そこで魔人は視界内に存在する敵を認識する。黒髪。剣士。魔術師。それに寄り添う、どこか見覚えのある金髪。

 そこで気付いた。愚かしくも、自身に一人で立ち向かった愚者がいないことに。

 

 あの身体でどこへ?

 その答えは───

 

「ら、ぁ、ああああ───ッ!!」

 

 身体が訴える痛みを無視し、尋常ならざる速度で回復した魔力を片端から使い潰し、碧色の燐光を散らしながら。少年は魔人の頭上へと跳び上がっていた。

 ばちり、と魔力による稲妻が奔り、無手であったはずの拳にトゲのついた拳鍔(ブラスナックル)を生み出し、真っ逆さまに堕ちてくる。

 

 それはまるで炎のように。

 

 捨て身の三連撃をその身に受けた魔人は、ゆっくりと膝をついて───




『つまりこいつはなにをしてんの?』と言われると、本文中で言ってるのと同じでHFの士郎とかプリヤの士郎(美遊兄)みたいなことをしてます。
失った左腕の代わりに英霊の腕を繋いだ士郎ですが、アッシュは自分(ただの人間)の肉体そのものを英雄のものに置き換えているわけで、腕と本体のように簡単に分かれてるんじゃなくて部分部分だけを変化させたツギハギのような状態です。見かけには出ませんが。崩壊したりしないのは単純に『そういうこと』に適性があるから。この辺は本編中でそのうち出ます。隠すようなことでもないしね。本来、アッシュの才能はこれ一つです。どっかから英雄のデータなんてパクってきたからこんなことになってる。

ちなみに今回焼肉(作者)は「詠唱が欲しい……でも竜は竜だけど智慧じゃない……眼鏡でもない……眼鏡……」と唸りながら厨二病を発揮しこじつけました。オトウフメンタルなので批判はどうかお手柔らかに……許して……(懇願)


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28.もう二度と遺跡なんぞ行かん

ふて寝したら精神が回復したので勢いに任せた続きを置いておきますね……。
さて……どこからどこまでなら主人公の話をしても自然なんだろうな……(困惑)
あ、勢いに任せたので今回は粗雑です。お許しください。


 う、うおおおおお……めっちゃ痛え……全身がこう、火傷のよーに痛え……あいや、実際火傷もしてたか。はっはっは。……いや笑い事じゃねえな……。

 

 無理くり火を入れた炉の熱を落とす。かなり───色んな意味で滅茶苦茶をしている感覚はあるけど仕方ないね。これだから使いたくないんだ、これ(二つ目の切り札)

 俺の場合、魔力(火種)を入れない限りは動かないようになってる……してる? から、一回冷ませばその時点で内側から燻る熱は止まる。熱の代わりに漲っていた魔力が消える感覚。無駄が多いんだよなあ、俺のは。途中で溢れてくから生み出した魔力を十全に扱えるわけでもなし。これも必要な部分だけ借りパクしている代償だろうか。いやほんとすみません。

 

 と、卑屈っぽいことを考えつつ殴り倒した魔人を見る。そういえばさっきまたなんかよくわからん武装生えてなかった? なにあれ?

 

『ふ……よもや、この我が愚者の牙にかかろうとは……』

「一回も噛んだりしてないぞ」

『知らぬ、か。まあ、いい……』

 

 不意打ち上等でボコってやったのに、魔人はなんでか満足そうだ。なんか腹立つな。

 

(セリカ)の凋落は惜しいが、愚者の民草の剣を知ることができた……()()()()に過ぎぬ身であるといえども、よくぞ我を破った。褒めてやろう』

 

 なんでこんなに上から目線なのこいつ?

 いや、古代の英雄さまだって聞くし、それらしいと言えないこともないけど。ていうかすげえ不穏な言い回しが聞こえたんだけど。聞き間違い? 聞き間違いだよね?

 

『また相見えることを祈ろう、愚者よ! 我が本体は尊き門の向こう側にて汝らを待つッ!』

 

 帰ってちょうだい。……ああ、違うか。これから帰るのか。じゃあ訂正する。もう来んな。

 こちらの本音が聞こえたのかどうか、魔人はゆっくりと闇に溶けて消えた。

 

 ……いやあ。

 本当頑張ったなあ、俺……。

 

「アッシュ君!」

「おー、ティンジェル」

 

 姿を認めた瞬間、こっちに法医呪文をかけてくれるティンジェル。ありがとうございます、骨身に優しさが沁みます。

 プロ顔負け、という評判に違わずじわじわと癒されていく火傷と裂傷。ありがてえ。炉心の火はもう落としちゃったから魔力はカスカスだ。

 あ、そういえば今回気絶してない。

 制服は死んだけど!

 

「ったく、無茶しやがってこのバカ! ほどほどにって言っただろうが!?」

「すみません、つい……まあ生きてるからおっけおっけ」

「『おっけおっけ』じゃねえんだよこのバカ! おまぬけアッシュ! 名前通り灰になってどーすんだよ!?」

「なってないしそれは愛称……あーだだだだ、こめかみを抉るなぁ!?」

 

 それはレイフォードの特権だろあいたたたた。

 

 見れば心なしかフィーベルとレイフォードの顔も険しい。ナンデ。

 

「なんでじゃないでしょ! だから全員で戦った方が良いって言ったのに!」

「つってもなあ……全員でかかってたら、たぶん最後の方でかなり苦戦してたぞ? 今回は不意打ちが功を奏した形だし」

「そういう話じゃないっ! 本当に……無茶しないでよね……」

 

 おぉう。俺の罪悪感がマッハ。

 もしかするとここにぶち込んでしまったことになにか思うところがあるのやもしれんが……うん、気にすることじゃない。事故じゃしょーがねえよ。

 

 とりあえずあのクソつよ魔人も片したことだし、これでいつもの毎日に戻れるだろう。いやあめでたしめでたし、と───

 

「……あの、なんで俺はレイフォードにも睨まれてるんでせう?」

「…………しらない」

「ええー……」

 

 いやあの、意味がわからんのよ……。気難しさが倍増してない? ねえ。

 ……。ま、いいか。

 

 考えても仕方なさそうだし。

 

「アッシュ君」

「はい」

「今日のはアッシュ君が悪いよ」

「すみません」

 

 なんでか怒られた。

 いや、別に自己犠牲精神とかじゃなかったし……一番現状の戦力を効率よく使える配置だと思ったんだが。ダメか。

 

「システィ、すごく気にしてたんだよ? リィエルも心配してたし……」

「む、そうか。……それはすまん」

 

 心配をかけたのなら……まあ、それは確かにこっちの落ち度だ。

 俺が思ってるよりも、こいつらは心配してくれるらしい。

 

 正直頭は回らんが……うん。ひとまずは終わったし、よしとしよう。

 そんなことよりさっさと帰りたい。疲れたよ俺。

 

 そうつぶやくと、やれやれ、いつもと同じだなお前は、みたいな空気になって。

 

「ん。……帰ろう? フェジテに」

 

 レイフォードの言葉。

 

 それに、俺は。

 

「───。ああ、そうだな」

 

 いつものように、笑って返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───雪景色を見た。

 

 一面の白を、夥しい量の紅が塗り潰していく。

 肩で息をしながら、誰かが剣をバケモノに突き立てていた。

 

 大きな翼。頭部には二本の角。

 黒く輝く鱗は全身を覆い、謎の紋様が胸部で瞬いている。

 鋭い爪は獲物の全てを引き裂き、逞しく長い尾は、動けばまるで鞭のようにしなって外敵を打ち据え、その五体を砕いてなお勢いを緩めずに周囲の木々や岩肌さえ削るだろう。

 

 だがそれも、生きていればの話。

 

『───、───、──────……』

 

 なにかを語ることすら辛いのか、その人物は長剣を突き立てたまま動かない。

 碧い双眸は伏せられ、どこを見ているのかさえ定かではない。鍛え上げられた肉体は汗にまみれ、今にも倒れてしまいそうなほどに消耗していて───■■■──────■■■■■■■■■──────■■■■■■─────■■■■■■■■■■■■■■■■■───「■■(ねえ)■■■■■(───リー)? ───■■■(聞こえ)───」────────────────────────────────────────────■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 

 ───ノイズ。

 

 見慣れた(見知らぬ)校舎。見慣れた(見知らぬ)教室。

 懐かしさが込み上げてくる。こんな場所は記憶にないのに。

 

 ■■■■■■■■■■■■─────■■■■■■───、■■■───……■■(オイ)■■■■■■■■■■■(なに笑ってるんだよ──)? ■■■■■■■■■■■(ニヤニヤしちゃってさあ)────────────、────────────────────────────…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだ、あれ」

 

 ジリリリリ、とやかましく鳴り響く目覚まし時計を叩きつつ、ベッドからむくりと起き上がり寝起き特有の思考のもやを振り払う。

 

 なんかとても懐かしい夢を見た気もするし、全然知らない光景を見せられた気もする。

 一つ伸びをして、意味のわからない光景を記憶の片隅に放り捨てた。

 

 なに、気にするようなことじゃないだろう。思い出せないんなら、それはさして重要なことではないのだろうから───

 

 

 

 

 

 で、びっくり遺跡調査から早くも一週間が過ぎた。

 え? 描写? ないよ。特に言うべきことはないもの。

 

 強いて言うなら───

 

 学校に行って、

───退屈な幸福にあくびをして、

 友達とバカなことを話して笑い合って、

───家に帰れば家族がいて、

 そんな普通の毎日が戻ってきたから、俺は満足デス。

 

 すっかり傷の癒えた身体をほぐし、今日もカバンを担いで学院へ向かう。

 あれから時間は流れに流れ、いつの間にやら俺の周囲には平穏が戻っていた。

 

 一ヶ月ごとに一問題、という法則は前回の遺跡調査で崩れている。したがって、もう気を張るのは無駄だという結論に達してしまった俺は半ば開き直るようにいつもの日常を満喫していた。

 

 今日はもうじき『社交舞踏会』が開かれるとかで、生徒はみんなその前準備に駆り出されている。もちろん俺もだ。体力には自信があるので俺は資材運び組。カバンをその辺に置き去りにして、早速椅子やらテーブルやらを運んでいく。

 

 と、フィーベルとティンジェル発見。

 

 ……なんかまたティンジェルが言い寄られてたっぽいな。なんだっけ、ダンス・コンペ? とかいうやつが同時に開催されるから、そのパートナーにと男子生徒からひっきりなしに誘われているらしい。

 俺は……どうしよっかなあ。参加する相手もいないし。参加する気もないしなあ。誘ってくる相手がいれば参加しようかな(いません)。去年? もちろん不参加です。

 

 しかし嫌なときはノーと言えるフェジテ人であるティンジェルは男子生徒の懇願をバッサリカット。うーんこの。今のところ誰からの誘いにも乗っていないらしい。

 なにやらフィーベルとティンジェルが言い合っているが、どうもチラチラ聞こえるセリフからしてダンスのパートナーの話っぽい。ふむ、あの二人のパートナーか……グレン先生とかかな。なんでかティンジェルは懐いてるみたいだし……。

 

「……こういう空気もいいよな……」

 

 文化祭に近しい空気を感じる。文化祭とは違って一つのことに全体で取り組むのも良いものだ。

 俺も働こうかと思って辺りを見渡す。……お、件のグレン先生がいる。いや実際誘われるかはわからないんだけど、どうせグレン先生のことだ、面倒くさがって参加しない可能性……いや、メシでも釣れるか? あの人、メシのことになるとチョロいしなあ……。

 

 うむ。ちょっとついてってみるか。サボってるわけじゃないだろうけど、いつも世話になってるお礼だ。資材運びを手伝うのも良いかもしれない。

 

 周りに断ってから、グレン先生がいなくなった方向へ歩を進める。……なんかちょっと暑いな。いや、どっちかっていうと熱い?

 まさかグレン先生……仕事をサボって学校の敷地内で焼き芋を……? と思ったが、割とすぐに熱さはおさまった。なんだったんだ。

 

 疑問に思いつつ木陰から顔を出す。そこにいたのは───グレン先生とアルベルトさんと……あと一人は……誰だ?

 

 燃えるような赤毛。ここからではよく見えないが、キッと吊り上がった瞳は紫炎色。見慣れた衣装(軍服)に身を包んだそいつは明らかに学院関係者ではない───あ。

 

 思い出した。

 でもなんでこんなところにあいつが?

 

 新たに湧いた疑惑に首を傾げ、懐かしい顔に向かってちょっとだけ足取り軽く駆け出して───

 

「───イヴ!」

 

 そう。そこにいたのはかつての友人にして『気難しい』『すぐ怒る』『プライドが高い』の面倒くささ三拍子が揃った女ことイヴ=イグナイト。

 軍服を着てるあたり、推定軍人のリディアさんの妹だったイヴも同じ道に進んだんだろう。

 

 いやあ、最後に会ったときよりも成長してて一瞬誰だかわからなかった。

 美人になった、と言えばいいだろうか。

 

「久しぶりだな! お前、なんでこんなところ───に───?」

「───……」

 

 つい昔の感覚で近くに寄ると、ふと腕がこっちに伸びてきた。

 

 そのままがしっ、と制服の襟を掴まれ、ぐるりと視点が回転する。

 

 え?

 

 予想外の出来事に戸惑っているうちに、背中から地面に叩きつけられる。投げられたのだ、と気付いたのは、こっちを見下ろすイヴに気付いたのと同じタイミングだった。

 

「……。えーと」

「…………」

「よ、よう、イヴ。ご機嫌よう。……早速で悪いんだが、俺はなんかお前の気に障るよーなことをしたのかな……?」

 

 挨拶は大事なので、片手を軽く上げながらそんなことを言ってみる。

 すると───不機嫌そうにイヴはため息をついて、つまらないものを見るようにこっちを見下ろした。

 

「……はあ。相変わらずの平凡、凡人、凡才ね。本当、なんであんたみたいなのが狙われるんだか」

「お、おう……?」

 

 なんかディスられたでござる。

 というかグレン先生が目を丸くしてるんだけど、もしかして知り合い?

 

「グレン。この凡愚をちゃんと見張っておきなさい」

「は? お、おいイヴ!?」

「それじゃ」

 

 ズカズカと、イヴはやっぱり不機嫌そうにどこかへと去っていく。最後まであんまりこっちのことは見なかったような気がする。忘れられてるというわけでもなさそうだが……忘れられたんでなければ嫌われたか。……それはそれでクるものがあるな……。

 昔から怒られてばっかりだったし、仕方ないといえば仕方ないのだけども。

 

「あ、イヴ! ……くそ、悪いな。あいつはイヴって言って……ああいや、知り合いっぽかったか」

「ええ、まあ。帝都にいた頃に師匠の紹介で……。グレン先生の方こそ知り合いなんです?」

「知り合いもなにも、あれだ。あのいけすかん嫁き遅れ冷血ヒス女は……」

「帝国宮廷魔導士団特務分室の室長にして、執行官ナンバー1の《魔術師》イヴ=イグナイトだ。つまり、俺や現役時代のグレンからすれば上官ということになるな」

「アルベルト!?」

 

 手を貸してもらって立ち上がると、すっ、とどこから現れたんだかわからないアルベルトさんにグレン先生が目を剥いた。

 ……なんでか用務員服だったが。

 

 微妙に似合ってるのがまたなんか、こう……。

 

「妙なことを考えるな。その眉間、射抜いてやろうか」

「やめてくれません!?」

 

 本意じゃないんですね、アルベルトさん。

 しかし、イヴがグレン先生の上官か……。世の中狭いなあ。思えば昔から魔術の腕はずば抜けていたし、納得と言えば納得だ。特務分室の室長、というのは驚いたが。出世どころの話ではない。

 

 ところでどうしてYOUはここにいるんです?

 

「何故俺たちがここにいるのかについては、お前が知ることではない」

「へえ。じゃあしょうがないですね……あ、もしかして社交舞踏会に参加しに来たとか」

「……まあ、そんなところだ」

 

 言い方的に参加自体はしないのかな。少し残念だ。アルベルトさんもイヴも、舞踏会にはすこぶる映えそうな気がしているのだが。

 なら、会場の警備とか? 有り得そうな気もする。レイフォードが護衛についているとはいえ、別の場所からもお客さんが来ると言うし。そっちにも手を回すために来たとか。

 

 ……それにしても俺の帝都時代の知り合い、ほぼ全員軍人じゃねえかよ。

 

「つか……仮にもイグナイト公爵家の御令嬢を紹介するとか、お前の師匠ってマジでナニモンなわけ……?」

 

 俺にもわかんないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだお互いに仕事がある───とアルベルトと別れ、グレンはアシュリーと二人、わざと遠回りをするように校舎へと戻ってきていた。

 ポケットに手を突っ込んだままゆったりとグレンの少し前を歩く少年の身体に包帯などは見られない。……ここ最近事件に巻き込まれてばかりだったから、ある意味では珍しい姿と言えた。

 

「ダンス・コンペかあ……グレン先生は誰かと踊ったりするんです?」

「そういうお前はどうなんだよ」

「俺? いませんよ、そんなん。ダンスとか習ったことないし……ごく平凡な俺と踊りたがるようなやつもいませんって」

「……平凡な、ねえ」

 

 グレンが言い淀む。

 さすがに、目の前でのほほんとしている生徒を『平凡』と評することができるほど、グレンの常識はぶっ飛んでいない。

 

「『そっちのが効率が良いから』って理由で一人足止めを買って出るようなやつが平凡かよ」

「トゲがすごいんですけど……」

 

 当たり前だ。どれだけこちらが気を揉んだと思っているのか。

 

 どうもアシュリーという人間は、常識的な感性こそあっても一般的な性格ではないように思える。

 例えば───ずっと気になっていたことではあるが。一度も、どんな事件に見舞われても『怖がる』様子を見せたことがないことなどだ。

 

 百戦錬磨の魔導士であるグレンとて、戦いに臨むときには大なり小なり恐怖を抱いている。だが、アシュリーはただの一度も恐怖を見せたことがない。本来、本人の言うような普通の人間……システィーナなどが良い例だろうが、今まで安穏とした生活を送ってきた人間であればもっと怯えても良いものなのだ。

 

 恐怖を押し隠している、というのも少し違うような気もする。

 単純に肝が据わっているのか。それとも十年前の事件とやらが原因なのか、あるいは───本当に感じていないのか。

 

「はあ……」

 

 本人に聞けば、おそらくは『師匠のせいじゃないですかね』、なんて言ってからからと笑いそうな気もする。未だ誰なのかはわからない『師匠』とやらだが、話を聞けば聞くほどなぜか茶目っ気のある老人の顔が浮かぶ。

 軍人であることはわかっているし、もしかしたらバーナードが……いや、『師匠』とやらに(放任主義だったようだが)養育されていた時期もあるというし、あの老人にそんな甲斐性があるとは思えない。他人の空似だろう。

 

「ま、あれだ。参加する相手がいないんなら、白猫やリィエルでも誘ってやったらどうだよ?」

「こっちから誘うってのもなあ……俺、ダンスとかわかんねえですし」

「学生の遊びでなーに言ってんだ。ま、今回の優勝は俺とルミアがもらうがな!」

 

 ガッハッハ、となるべくその『裏』にあるものを感じさせないように笑う。

 ───そうだ。知る必要はない。

 社交舞踏会にかこつけた、ルミアの暗殺計画など。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧友には投げ飛ばされるしグレン先生は目つきが怪しいしで意味わからんのだが。

 

 理解が追いつかないことが多すぎんよォ……。

 あ、グレン先生が飛んでった。

 

「いつもの光景だぁ……」

 

 ティンジェルを誘いに行ったのは知ってるけど、それでなんで空を飛ぶことになるのかコレガワカラナイ。

 

「よう、二人とも。なにやってんの?」

「ん……よくわかんないけど、グレンがだんす・こんぺ? にルミアを誘って、システィーナが怒った」

「なるほど、わからん」

 

 なんでティンジェルを誘うとフィーベルが怒るんだ。

 ヤキモチを焼いた……とか? でもそれだけで暴力的な手段に訴えるようなやつじゃなかったと思うんだが。

 

「金一封ですって」

「はい?」

「金一封目当てで! ルミアと! 踊るんだって!」

 

 あー……。

 

 フィーベル、ロマンチストっぽいもんなあ……。

 

「なんか、みんな……へん。だんす・こんぺってなに?」

「ん? そうだな……基本的には男女のペアで踊るんだと。社交ダンスの腕を競うとかなんとか……ま、俺には無関係なイベントだな」

 

 ダンスとか習ったことないし。

 

「わたしも、習ったことない」

「だよねー」

 

 お貴族様のフィーベルやナーブレス、モト王女様のティンジェルとか、その辺であれば習ってるんだろうが。

 

 ふと下を見ると、レイフォードがこっちをじっと見つめていた。

 ……なんぞ?

 

「わたしも参加したい」

「マジ?」

 

 グレン先生は売れちゃいましてよ?

 

 

 

「ん。だから、アッシュと」

 

 

 

 ──────。

 

 マジ?




明日から頑張るぞ……!


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29.マジで専門外なんですけど

お待たせしました。マジでどこまでなら主人公語りしてもええんじゃろな。

あの、感想で寄せられたコメントで『シルヴァリオ トリニティ』という作品について知ったんですけど大雑把な設定とか愛称とかが一致しすぎてて待って待ってめちゃくちゃ怖い……。なるほど、あのフレーズはここからだったのか……と現在震えています。弁明させてください、偶然の一致です(震え声)
でも好みの予感がするので全年齢版は機会があれば買います(真顔)


 クイック、クイック、ターン。

 

 くるくる、くるくる。目の前で薄青色が回っている。

 

「はいそこ! もうちょっと早く!」

 

 慣れない動きに全身を酷使しつつ、なぜか俺はフィーベルにしごかれていた。

 

 目の前で同じようにくるくると踊っているのはレイフォード。

 グレン先生が売れてしまったから消去法で俺を選んだのか、それともなにか理由があるのか。今度のダンス・コンペで一緒に踊ることになったリィエル=レイフォードである。

 

 なぜこんなことになっているのか?

 

 それは、昨日───グレン先生がティンジェルを口説き落とした翌日にまで遡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───グレン先生が、ティンジェルとダンス・コンペに参加することになった翌日。

 

 俺とレイフォードを含めたダンス・コンペの参加者は、ダンスの練習をするために中庭に集まっていた。

 それはもちろん、グレン先生たちも例外ではなく。

 

「ほら、来な? ルミア。一緒にダンスの練習しようぜ?」

「で、でも……っ、あぅ……」

 

 ぽやぽやとした顔のまま、ティンジェルがグレン先生に引っ張られていく。なんというか、珍しい光景だ。いつもティンジェルの方がグレン先生に寄り添うことはあっても、グレン先生の方から、というのはあまり見たことがない。

 

 なぜかその後ろに、フィーベルがすごく不機嫌そうな顔でついていっているが。

 

「むううう……」

 

 優勝賞品の金一封目当て、と嘯くグレン先生に腹を立てているのか、それとも自分もグレン先生と踊りたかったのか。理由はやっぱりわからないが、まあ乙女心は難しいものなので。

 

 で、問題はここからで。

 

「どーせ先生は社交ダンスの『しゃ』の字も知らないんでしょ? パートナーのルミアが当日に恥をかかされないように、私が必要最低限くらいは仕込んであげる」

 

 と宣ったフィーベルがなんでかグレン先生と踊ることになったのだ。

 すみません、社交ダンスの『しゃ』の字も知らないのはむしろ俺らの方です。

 

 そういうことなら、とティンジェルが中庭の一角に移動し、蓄音機をいじり始める。

 今回のダンスで用いられる楽曲は南原の遊牧民族の伝統的な戦舞踊を宮廷用にアレンジした『シルフ・ワルツ』らしい(ここに来るまでにフィーベルから聞いた)。実際見たことはないが、すごく難しいらしい。

 

 前奏が終わり、グレン先生とフィーベルがお互いに一礼して、とうとう本番のダンスが始まる。

 

 自信満々なフィーベルは貴族の出ってことで幼い頃から練習してきたのだろう。堂に入っている。

 対するグレン先生はやる気なさげだが、どこかいたずらっぽい表情だ。学生のお遊戯でやるシルフ・ワルツなんざ楽勝だぜ! とか言ってたし、実は自信があったりするんだろうか?

 

 二人が手に手を取り合って、曲に合わせて踊り始める。

 

 『シルフ・ワルツ』なんていういかにも優雅っぽい名前だったから、大人しめのダンスなのかと思っていたが───グレン先生のそれは、荒々しくも不思議な魅力に満ちていた。

 

「……ティンジェル、これが『シルフ・ワルツ』?」

「う、うん……ううん、振り付けは『シルフ・ワルツ』だけど……この動きは、どっちかっていうと原典の方に近いんじゃないかな……」

「へえ。……それであんなに荒っぽいのか」

 

 樹に寄りかかりながらぼんやりと中庭の視線を集めている二人に目を向ける。

 ダンスというものには詳しくないが、なるほど。グレン先生があれだけ動けるのであれば、優勝は俺たち! と宣言するのも納得と言えよう。

 

 そうこうしているうちに二人は中庭を自由な草原であるかのように縦横無尽に踊り狂い、ようやく曲が終わる頃にはフィーベルは荒い息をつきながらも夢見心地だった。終わったことに気付いた観客たちが、思い出したように惜しみない拍手を贈る。

 

 ……どんだけ隠れた特技持ってるんだろう、あの人。

 

「ふふん、どうよこの俺の実力。大したもんだろ?」

 

 いつもであればうざさ満載のセリフも、今はれっきとした事実でしかなかった。

 

 グレン先生曰く、昔の同僚にダンスに詳しいやつがいて、そいつに原典から仕込まれたのだとかなんとか。

 パートナーと合わせる練習をしていない段階でコレだ。ティンジェルと息を合わせるようになったらどんなことになるのか想像もつかない。

 

 少なくとも、今回の優勝候補には躍り出たと言えるだろう。

 

 驚いたのか、それとも今のダンスによほど引き込まれていたのか。終わったあとの高揚感冷めやらぬフィーベルと、実力もわかったところで練習しようと声を掛けられたティンジェルが入れ違いになる。

 

「よ、お疲れさん。どうだった?」

「……悔しいけど、完璧よ。グレン先生のダンスの習熟度もそうだけど……あれ見て。なにより、ルミアとの相性が抜群なのよ」

「んー……あ、なるほど」

 

 さっきまではフィーベルが振り回されている、といった印象が強かったが、今は二人がお互いに寄り添って一体となっているように感じる。ティンジェルのフォローもそうだが、そもそもフィーベルのときは多少キツめ……本家本元の戦舞踊に近い感覚で踊ったのだろう。今はティンジェルを慮っているのか、荒々しさは比較的鳴りを潜めている。

 

 と、素人考えながらそんな感想を胸に留めていると、ふとフィーベルがこっちをじーっと見ていることに気付いた。

 正確にはレイフォードの方だが、チラッとこっちの方も覗き見る。なんぞ。

 

「……アッシュとリィエルも、踊るのよね」

「おう。なんかレイフォードにご指名くらったんでな。ダンスはわからんが、たまにはいいだろうさ」

「ん。ルミア、楽しそうだし。わたしも頑張る」

「ううー……リィエルならもしかしてって思ったけど、先客がいるんじゃなあ……でもこのままはなんか悔しいし……うーん……」

 

 フィーベルはなにやらうんうんと唸っている。チラッチラッと向けられる視線は俺にだったりレイフォードにだったりとせわしない。

 だがやがて、考えをまとめたのだろう。フィーベルはよし、と一つ頷くと、俺たちを引っ張って中庭のさらに一角へと連れていく。

 

 なんだなんだ、と目を瞬かせる俺たちを前に、フィーベルは堂々と宣言したのだ。

 

「よし。私があなたたちをプロデュースしてあげる!」

「……はい?」

 

 やる気に満ち溢れたフィーベルの言葉に、俺は間抜けな声をこぼすことしかできず。

 

 レイフォードは、いつものように眠たげに首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 ───と、いったところで冒頭に戻るのである。

 

 なんでこうなったんだろうね。

 

「アッシュ! 気を抜かない! 次はスピンとスウェイ、いくわよ!」

「なーんで俺ばっか……」

「そりゃ、リィエルが珍しくやる気出してるのに肝心のあなたがぼんやりしてるから……じゃなくて、あなたがリードしないといけないの! わかってる?」

 

 まあ、レイフォードは一回見せた動きは完璧に再現してみせるけど、精確すぎてそれ単品だとグレン先生の躍動感溢れるダンスには対抗できなさそうだし。

 言ってることはわかるんだけど、なんか妙な方向に熱が入っているような。

 

「ごちゃごちゃ言わない! 筋は良いんだから、このまま練習すればギリギリ対抗できるぐらいにはなるわ!」

 

 もう俺たちより気合い入ってるなあ。

 

「あー、レイフォード? 疲れてないか?」

「ん。よくわからないけど、動くのは……楽しい」

「それならいいんだが」

 

 小柄なのもあって、レイフォードのつむじがいつもよりよく見えるなー、なんて思いながら言われた通りに動いていく。

 

 くるくる、くるくる。

 

 手を取り合って慣れない動きに身を任せる。二度、三度やれば一応コツは掴める。

 幸いにして、普段から運動をしているおかげか足を踏んだりといった無様は晒していない。もしかするとレイフォードの方が避けてくれているのかもしれないが、なんとか形にはなりそうで一安心だ。

 

 未だになんで誘われたのかはわからないが、せっかくの機会をふいにするのは本意ではない。

 

 不思議なこともあるものだ、とぼんやり思いながら、俺はフィーベルの情け容赦ない叱責にいつもよりかは真剣に耳を澄ますのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 授業にダンスにと重労働をこなしたグレンは、気が進まないながらもフェジテの南地区郊外に存在する倉庫街へとこっそり足を運んでいた。

 

 目的は───作戦会議。

 

 社交舞踏会にかこつけたルミアの暗殺計画をいかにして防ぐのか。その具体的な内容を聞くためであった。

 

「おお、グレ坊! ひっさしぶりじゃのう、元気しとったか!?」

「じじい……アンタまで来てたのか。そっちは相変わらずみたいでなによりだよ。てか、クリストフまでいたんだな。……その、なんだ。久しぶり、だな」

「はい、先輩。先輩も、お元気そうでなによりです」

 

 温和に微笑む《法皇》のクリストフの目の前で、豪快に笑う《隠者》のバーナードに背中を叩かれながら、なんとも苦い心持ちでかつての仲間たちを眺める。

 

 アルベルト。リィエル。バーナード。クリストフ。そして───イヴ。

 

 一年余前まで、よく一緒に任務にあたっていた特務分室の仲間たちだ。……訂正、イヴだけはあまり組んだことはなかった。

 挨拶と謝罪もそこそこに、バーナードが背中を叩くのをやめて馴れ馴れしく肩を組んでくる。

 

「聞いたぞ、グレ坊。おぬし、今回の任務……護衛のためとはいえ、アリシアちゃんの娘っこと踊るんじゃって? カーッ、羨ましいのう! わしもこーんな胸糞の悪い任務さえ入ってなければ、一般客として女の子とキャッキャウフフしたものを!」

「うっせえ、ほんとに相変わらずだなアンタは!?」

 

 英雄色を好むというが、バーナードはまさにそれだった。

 まあ、英雄というよりも、バトルジャンキー、エロオヤジの方がルビとしては正しいが。

 

「リィエルちゃんも一応参加するんじゃろ? もう誰か誘ったんかいな?」

「ん。アッシュを誘った」

「お、おう……そりゃまた、意外なところに行ったのう……」

「……? おい待てじじい、アンタあいつのこと知ってんのか?」

 

 今の言葉からは、どうも『天の智慧研究会にオマケ程度に狙われている人間』、という特務分室の認識からは少し離れていた。まるで当人をよく知るような口ぶりだ。

 

「ん? なんじゃ、聞いとらんのか? アシュ坊はわしの弟子でな、帝都にいた頃は面倒を───」

「ストップ。ストップだ、ちょっと待て。マジでか?」

「マジマジのマジじゃよ」

 

 大真面目な顔で頷く。

 まさかの、先日の『もしやバーナードがアシュリーの師匠なのでは説』が見事に的中してしまった。

 

「いや……いやいやいや。アンタがそんなの買って出るタマかよ……」

「しゃーないじゃろ!? さすがにわしも、迷子の坊主を放り投げて帰ってくるほど腐っとらんわい」

 

 ───聞けば、事件に巻き込まれて天涯孤独の身となったアシュリーを保護したのは、当時外道魔術師出現の報を受けて出動したバーナードであったらしい。

 

 誰もいなくなった、死体ばかりが転がる村の跡地。そこに一人佇んでいたアシュリーを置いていくこともできず、とりあえず連れて帰ったのだとか。

 本来なら孤児院に預けて終わりなのだが、なぜか軍からは保護観察命令が下り、そのまま成り行きで面倒を見ることになり───

 

「昔っから、よく笑うガキンチョじゃったよ。ま、強いて言うなら女の子ならよかったが……まあそれはそれ。暇つぶしにと色々仕込んでやったりもしたのう」

「……中途半端にしか教えてもらってないって言ってたぞ?」

「そりゃ、あやつがフェジテに引っ越したからじゃよ」

 

 五年ほど前か。

 軍からの命令が無効になったあとでも、なんとなく定期的に顔を見せていたバーナードに、アシュリーが突然『学校に行きたい』と言ったのだ。

 

 帝都の軍学校を勧めてみたものの、どうもそういった将来が定まったものは興味を惹かれないらしく、それならとフェジテにあるアルザーノ帝国魔術学院を提示した。

 

「本人が何回も言っとる通り、まーあやつは凡才でな。魔術特性(パーソナリティ)自体は【適合者(アダプター)】……要するに霊的・概念的な存在を憑依させられる稀有なもんじゃったが、まともな魔術に関してはからっきし。それでもお前さんよりはマシじゃろうが」

 

 なんか流れ弾でグレンの胸に刺さったセリフがあった気もするが、まあ慣れたものなので聞き流す。

 そういったアシュリーの才能についてはグレンも知っていた。【霊基の記録・再現】。中位程度の天使や悪魔であれば、憑依召喚もできるだろう才能だ。本来は適性のある存在にのみその真価を発揮する魔術特性だが、どうもアシュリーのそれは限界こそあるものの、その代わりにおおよそあらゆる霊的存在に有効らしい。

 

 やたらと霊などの正しく実体を持たない存在に襲われる、というのも、その魔術特性が原因だろう。やりようによってはそうした存在……世界に縁の薄いものであっても、この世界に存在するものとして受肉することが可能となる。

 魂の在り方というものは、時として現実にも影響をもたらす。グレンが【変化の停滞・停止】という魔術特性を持って生まれたせいで魔力操作を苦手とするように、だ。

 

 ……もっとも、アシュリー本人はその才能を既に別のなにかで埋めているようだが。それでも引き寄せてしまうあたり、災難だと言わざるを得ない。

 人の身に降ろせるキャパシティから言って、名声を得られなかった凄腕の剣士の亡霊でも降ろしているのだろう……とグレンは踏んでいる。ぽこじゃがと量産される武器は、その剣士が使っていたものか。往々にして、憑依召喚をした人間には降ろした存在の得物までもを得ることがある。それだろう。

 

「だからまあ、受験前からかなーり勉強しておったのう。なんでそこまでするのか聞いてみたら、『学校に行きたかったから』、なんていう相変わらずぼんやりした理由が返ってきたがの」

「……あいつらしいな」

 

 で、アシュリーはこれまた成り行きで帝都にあった自分の家を出て、フェジテにある今の一軒家に引っ越した……ということらしい。

 

「そうじゃそうじゃ、昔はセラちゃんやリディアちゃんとも仲が良くての? リディアちゃんづてに知り合ったイヴちゃんとも───」

「……昔話もいい加減にして、バーナード。焼くわよ」

 

 我慢の限界だ、と言うようにイヴ。

 集まってから、既にかなりの時間が経過している。これ以上は時間の無駄だ。

 

「さて、あの凡人のことは脇にどけといて……」

 

 心底くだらない、というように古馴染みの話を放り投げ、イヴが今回の作戦についてつらつらと述べていく。

 敵は第二団《地位》アデプタス・オーダー、《魔の右手》と称されるザイード。それに付き従う第一団《門》ポータルス・オーダーが三名。グレンを含めたイヴたち六名で十分に対処可能だ。

 

 問題は、悪名高き《魔の右手》ザイードの暗殺方法がわからないことだが……それも、イヴの眷属秘呪(シークレット)───殺意や悪意といった負の感情を読み取る【イーラの炎】で対処する、とのこと。

 

 内部の守護は眷属秘呪を起動したイヴと、グレン、リィエルが。

 外部の守護はアルベルト、バーナード、クリストフが。

 

 聞けば聞くほど完璧な布陣だ。……理論的には。

 

 なにかを見落としてしまっているような奇妙な違和感が拭えないが───理論的には確かにイヴの策こそが、ルミアの安全確保のみならず、今後の帝国のためにも一番良い。ルミアを狙ってくる敵を、もっとこちらが混乱している状態ではなく、こうも完璧な布陣で迎え撃てるならば、またとないチャンスと言えるだろう。

 

 だがやはり、違和感が拭えない。

 それを考える時間を稼ぐように、グレンがふと思い付いたことをイヴに尋ねた。

 

「……アッシュは今回狙われないのか?」

「敵は暗殺に拘らざるを得ない、と言ったでしょう? あの凡人まで狙ってる余裕は敵にはないわ。万が一のことがあっても……まあ、昔のよしみで注意くらいは払ってあげるけど」

「そーかよ。チッ、相変わらずいけ好かねえ女だな、テメェはよ」

 

 今のイヴの発言は、つまるところ『こっちもオマケ程度に気にしてはあげるけどルミアが最優先だからいざとなったら切り捨てる』、と言っているのと同じことだ。

 ルミアが優先されるのは当然ではあるけれど、昔の友人をこうもあっさり切り捨てると言うイヴに対する敵愾心は高まる一方だ。

 

「ふふ、そんな怖い顔しないの。いざってときなんか、この私が控えている以上来ないんだから。聞けば、リィエルも見張ってくれるらしいじゃない?」

「……? 見張りじゃなくて、だんす……」

「同じことよ。守るにせよ()()捨てるにせよ、リィエルがいるなら安心でしょう? グレン」

 

 今度こそ反論ができない。

 

 ───こうして。

 様々な思惑を絡めたまま、作戦会議の夜は更けていく───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 穏やかな毎日が続き、いよいよダンス・コンペが翌日に迫った日の夜。

 授業にダンスにアルバイトに、と疲労困憊の状態になりながら家に帰還する。

 

「───……」

 

 相変わらず、誰もいない部屋だ。

 机にベッドにクローゼット、と一通りのものは揃っているが、概ね乱雑に物が置かれている。

 

 机の上には何冊か本が散らばっていて、自分の名前と日付が書いてある。……そういえばここ最近、日記はつけていなかった気がする。

 ……なにがあったっけ、と一つ一つ思い起こしながら、この一週間近くのまとめをするようにペンを走らせる。

 

 遺跡調査で散々な目に遭って、イヴに会って、レイフォードにダンスに誘われて……。……ああ、そうだ。学院から預かった礼服も、もう一度着てみないと。

 

「……はあ」

 

 日記を読み返して思うが……どうも、今年度からの話ではあるものの、自分の恋い焦がれた日常からどんどん外れていっている……気がする。

 ただ俺は普通に/■■■■■(昔みたいに)、毎日を過ごしたいだけなんだけどなあ。世界って理不尽。

 

 ……いかん、つい昔のページを読んでいたがまだ書いてる途中だった。えーっと……なんだっけ。遺跡調査があって……ああいや、これはもう書いてあったな。

 んー……じゃ、あとは……イヴのくだりも書いたか。ああ、そうだ。アルフォネア教授はしばらく休養するんだっけ。

 

 忘れっぽいからと言われて渡され、そこから習慣になっていた日記だけど、こうして読むと本当に忘れっぽいんだなあ、と苦笑する。というより、最近の毎日が濃すぎるのか。

 思いつく限りのことを書き記して、表紙を閉じて机の片隅に放る。ぎしぎしと椅子を軋ませながら部屋を見渡していると、ふと姿見が目に入った。

 

 鏡に映る自分の姿。くすんだプラチナブロンドはあっちこっちが跳ねていて、つり目がちの目は銀灰色。カラーリング、という意味であればどちらも薄味でいまいちパッとしない。それで良いのだとも思うけれど、やっぱりどこか違和感が拭えないのは感覚的な問題だろう。

 昔はもう少し濃かったような気もする。……昔っていつだ?

 

 まあいいか。

 

 一回くらいは自分でも見てみないと、と思い学院からの礼服に着替えてみる。フィーベルからは概ねオッケー、ちょっと物足りなさはあるけれどと付け足されたのを思い出す。

 

 シャツを変えて、上着を変えて、教えてもらった通りに着替えていく。

 若干着られている感は否めないものの、それなりに様になっているのではなかろーか。

 

「うーん?」

 

 だがやはり、フィーベルの言っていた通り物足りない感じがある。

 髪の毛がぼさついてるのがいけないのだろうか、と手櫛で梳いてみるものの結果は変わらず。

 

 なんだろう。もう一ヶ所、なにかアクセントがほしいというか。

 

 あっちこっちこねくり回してみるものの、やはりどうにもならない。

 なにが足りないんだろうな、と思いながら色々とやってみるものの、なにが足りないのかがいまいちわからない。

 

「……うーん」

 

 ふと、脳裏に浮かんだのはクラスメイトの一人だった。

 キング・オブ・ぼっち。本が友達の男子生徒。

 

「……そういえば」

 

 完全に記憶の彼方に放り投げていたものを思い出して、机に備え付けられた引き出しを引っ張る。

 しばらくあれでもないこれでもない、と中身をまさぐり、目当てのものを引っ張り出す。埃を払って、念のため脱ぎ捨ててあったシャツで拭った。

 

 これならどうだろう、ともう一度姿見の前に立ってみる。

 

「……。……よし」

 

 さっきよりは格段にマシだ。

 

 動きの調子を確かめるようにしばらくその場で軽く動いてみてから、問題ないと判断して衣装一式をカバンに仕舞う。

 これで準備は万端だ。

 

 お姫様に恥をかかせない程度に、凡人なりに頑張るとしよう───。




【適合者】云々は追想日誌四巻や本編十三巻に載ってます。めちゃくちゃ読み返した。
で、それを踏まえた総評は『霊的存在・概念存在ならなんでも憑依させられるけど、普通に考えたらそこそこ程度のやつしか無理』、ですね。FGOで言うなら幻霊とかが限界。……え?北欧トップレベルの英霊……?なんのことでしょうね。

-追記-
ちょっと気になるところがあったので修正。細かな言い回しの差なので対して気にしなくても大丈夫です。


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30.度が合わない

祝・三十話~……なのだがくそう、授業が……授業が入りまくってて投稿が追い付かん……でも絶対に一日一投稿だけは崩さないぞ……。しかしどこかおかしくないか不安になるな。プロットを書きなさい。


 アルザーノ帝国魔術学院の学生会館。時刻は社交舞踏会が開催される午後七時よりも少し前、六時半を過ぎたところ。

 

 ルミアの護衛もあるので会場内で落ち合おうという話になり、アシュリーは着換えを済ませてリィエルと別れて一人ホール内をうろついていた。

 

 ドレスの着付けはシスティーナたちが手伝ってくれるというし、会場内の雰囲気でも見ておこうと思ってのことだ。

 賑やかしなのか、既に会場内では楽団がダンス・コンペでも用いる『交響曲シルフィード』───編曲者の都合で本来なら八番まであるところが、七番までしか間に合わなかったらしいが……の演奏を始めていて、学院内外の生徒が楽しげに踊っている。

 

 参加者の一部にはシスティーナたちのような貴族も多いのだろう。気分はちょっとした社交界だ。

 

「……人、多いねえ」

 

 いつもの癖でポケットに手を突っ込みつつ、ふらふらとさまよう。途中でカッシュやウェンディとすれ違ったので軽く会釈をしておいた。しばらくは怪訝そうな二人だったが、ややあって誰だか気が付いたらしい。カッシュは爆笑しながら挨拶を返し、ウェンディは『名前が出てこなかっただけですわ!』とそれはそれでなかなか酷い言い訳をしていた。

 

「お、お前それ、ギイブルのお株奪うつもりかよ!?」

 

 とは、微妙にサイズの合っていない燕尾服に身を包んだカッシュの言だ。

 きっかけであったことは確かだが、別に株を奪うつもりはない。

 

 そんなに似合っていないか、と聞くと二人揃って首を横に振ったので一安心。

 

 と、そこでようやく本命のシスティーナたちがやって来たらしい。お前がリィエルと踊るとはどういう風の吹き回しだ、と面白そうにからかってくるカッシュを軽い腹パンで沈め、入り口近くの方へと移動する。

 

 銀色と青色を認めて、慣れない服に居心地悪く身動ぎしながら近付いていく。

 

 銀色───システィーナはさすが、と言うべき姿だった。空色を基調としたドレスは二段重ねのフリルになっている。やはり貴族ということもあって着慣れているのか、完璧に、違和感なく着こなしていた。緩く編み込まれた長い銀髪も相俟って、まるで本当に妖精のようだ。

 扱いにくい、という皮肉を込めて真銀(ミスリル)の妖精とも評されるシスティーナだが、今日この場に限ってはそれは間違いなく褒め言葉として機能する。

 

 青色───リィエルもまた、人形のようだと褒め称えられるだけのことはある。どこか海の色にも似たエメラルドグリーンのドレスはシンプルなもので、システィーナのものよりフリルは少ない。だが、その愛らしさを強調するように背中には大きめのリボンがあしらわれ、羽衣のように揺れている。

 動きやすさを重視したのだろう、リボン以外の余計な装飾を省かれた服は全体的にすらっとしたシルエットだ。リィエルの小柄さもあり、まさしくお人形さんのようでもあった。常とは違ってしっかりと櫛を通され、二つに結い上げられた髪もその愛らしさを高めている。

 

 少しだけ硬直してから、思い出したように声を掛ける。そこでどうやら相手方も気が付いたらしい。くるりと煌びやかなドレスを翻して、声の主へと寄ってくる。

 

「や。似合うな、二人とも」

「……そっちもね。まさかそんな手で来るとは……」

「んー。やっぱ似合ってない?」

「似合いすぎて怖いくらいよ……それ、どうしたの?」

 

 それ、というのはいつものアシュリーの顔にプラスされた、アンダーリムの眼鏡のことだろう。

 普段見慣れないという新鮮さもそうだが、今日に限ってはアシュリーもしっかり髪に櫛を通し、軽く後ろに撫でつけた、比較的かっちりとしたスタイルだ。まあ、元がクセっ毛なのかオールバックのようにはできていないのだが。それでも、常よりは真面目な印象になる。

 そこに黒縁の眼鏡が加わると、いつもより硬派な印象になる。本人の髪色や金属を思わせる銀灰色の瞳もあって、まるで冷ややかな氷のようだ。

 

 しかし着飾ったところで本人の性格は変わらないらしい。やや決まり悪げに視線を明後日の方向へとさまよわせて頬をかく姿はいつも通りだ。

 

「昔から家にあった眼鏡でな。度が合わないのか、かけてると若干頭が痛くなるのが玉に瑕」

「……そんなんかけてくるんじゃないわよ」

「ごもっとも。けどま、物足りない状態で淑女と踊るのもどうかと思ったんでね。頭痛も思ってたほどじゃないし、十分誤差の範囲内だ」

 

 本音を言えば、普通に伊達眼鏡でもよかったのだが。さすがに前日の深夜にやっている眼鏡屋はない。それに今日しか使わないだろうものをわざわざ調達するのもどうかと思ったので、多少の痛みは我慢することにした。

 頭痛といっても、行動に支障が出るほどではない。

 

「…………」

「……ん? どしたよ、レイフォード」

「……一瞬、だれかと思った」

 

 じとーっとした目で見てくるリィエルに、それはお前もだと言い返してやりたくなったがこらえる。

 言い返さなかったせいで会話が途切れてしまい、場に静けさが降りる。微妙に気まずい。これはなんとかせねば───と、手袋に包まれた手を顔面まで持っていってみる。

 

「……め、」

「め?」

「メガネキラーン……なんちゃって」

 

 ちょっとだけ大仰な仕草で眼鏡を押し上げ、そんなセリフを吐いてみる。

 

 ……沈黙。

 

「……忘れてくれ」

 

 どうやら自分に場を和ますセンスはないようだ、と判断したアシュリーは仄かに顔を赤くしてすごすごと退却した。

 

「……まあ、似合ってるんじゃない? 馬子にも衣裳ってやつかしら」

「褒めてんだか褒めてないんだか微妙にわかんないセリフ選びをしないでくれ」

「まご? アッシュ、おじいちゃんがいるの?」

「いねえから。いつもの天然かまさなくていいから」

 

 ルミアこそいないものの、会場の一角で談笑する三人はすっかりいつも通りの雰囲気だった。

 ルミアが来るまでは、まだ幾ばくかの時間があるだろう。練習の成果を見せてよね、と言うシスティーナの言葉に従って、二人が手を取り合って広い場所へと移動していく。

 

 なお、踊り終わったあとにシスティーナから言われたことをほとんどそのままグレンからも言われるのだが、今のアシュリーに知る由はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たん、たたん、と足取り軽くステップを踏む。

 勢いのついたところでくるりと一回転。小柄なこともあり、まるでころころと坂道を転がる子リスのようにリィエルが回る。結い上げられた髪と大きなリボンがふわりと揺れた。

 

 再び身を寄せ、精確な動きでステップ、ステップ。滑るようにしてスウェイ。

 

 演奏に合わせてフィニッシュを決め、余韻に浸るように静かに息を吐きだす。一拍遅れて、観客から歓声と拍手喝采が降り注ぐ。

 

「───……ふう。おつかれさん、レイフォード」

「ん。アッシュもおつかれ」

 

 硬直を解き、とん、とお互いの手の甲を合わせる。どう考えてもダンスのあとにする労いではないが、それを咎めるような人間はいなかった。採点はもう終わっている。

 現在、ダンス・コンペは最後の予選を終えたところだ。興奮冷めやらぬ会場を、休憩のために突っ切って飲み物で喉を潤した。

 

 機械のような精確さで踊るリィエルと、それに合わせながらも淡々と同じように精確なステップを刻む二人のペアは、涼やかという表現が相応しかった。グレンとルミアのペアはワイルドさと華やかさで観客を魅了していたが、こちらのペアはそれとは正反対、磨き上げられた氷細工のような印象がある。若干甘いところがないでもないが……この数日間で覚えたにしては上出来にすぎる。

 

 ───妙な気分だった。会場を包む雰囲気に呑まれたのか心地の良い高揚感を感じる一方、どこか思考回路の片隅をひっかくような不快な気分とが同居している。

 

 度の合わない眼鏡を着用しているせいなのか。しかし、ここまで盛り上がった状態でアクセントを外すのも憚られる。頭痛はさほどでもないとはいえ、原因不明の不快感は嫌なものがある。

 

「わたし、グレンにごはんを持ってくる」

「んお、そうか? いってこいいってこい、俺はこの辺うろついてるから」

 

 手を振って、とことこと食事の方に駆けていく小さな人影を見送る。なかなかにハードだったが、この程度の疲労ならまだまだ動ける。

 軽く弾む鼓動を落ち着かせるように手に持っていたドリンクをもう一飲み。

 会場の熱気でぬるくなったジュースが喉を滑り落ちて、

 

「───こんばんは。良い夜ですわね? アシュリー=ヴィルセルト様」

 

 ……飲み物を吹き出さなかったのを褒めて欲しい、と思った。

 

「……意外なところで会うな、エレノア=シャーレット?」

「いえいえ、ふふふ。まさか。これは偶然ではなく必定。会いに来たのですから、意外でもなんでもありませんわ?」

「……そうかよ」

 

 どこから現れたのか、エレノアはまるで長年連れ添った恋人同士であるかのように腕を絡めている。振り払おうにも、まるで蛇のようにするすると絡み付いて離れない。強引に払うことも可能だろうが、どうなるかわかったものじゃない。

 一応、こちらへの害意は感じられないが。

 

「どうです? ここでお会いしたのもなにかの縁。一曲、いかがでしょう」

 

 会いに来たとか言ってるくせになにが縁だ、とふてくされたようにつぶやく横で、するり、と、かつては少年の首を締め上げた指を今度は背中へ添える。

 華奢な指には致死性の呪詛が付与された針が仕込まれている。不用意に動けば命はない。さすがにこの少年にも、それくらいはわかるだろう。慌てふためき、周囲に助けを請うてもおかしくはない。が。

 

「───質問。お前は敵か、味方か」

 

 そんなものは意に介さぬ、とでも言うように、彼は硝子越しに冷静な瞳でエレノアを見下ろしている。

 ───いけずな方。恐怖に震える様も、燃えるような殺意も見せてはくれないなんて。

 

「いいえ? どちらでもありません。強いて言うならほんの余興、ですわ」

「……そういうことなら、まあいいや」

 

 瞬間、肌がひりつくような敵意が霧散した。

 敵でないなら、とアシュリーはエレノアへの警戒を解いたのだ。かつて自分を騙した人間を、だ。

 

 敵か、味方か。

 ただそれのみが対応基準。徹底した合理主義。騙し打ちした人間など、憎悪の一つでも叩きつけても許されように。

 

「───そういうところが、たまらなく。ええ、たまらなく───愛おしい。焦がれてしまいますわ……」

「いや、よしてくんない? あんたの愛とかどう考えても重いじゃん、やだよ」

「レディの扱い自体はなっていないようですわね」

 

 それもまた味か。ギャップ、と言えば良いかもしれない。

 くすくすと童女のように笑うと、エレノアは音楽に合わせて踊り始める。つられてアシュリーの方も仕方がないと言うようにステップを刻み始める。

 さすがは仮にも女王陛下の側仕えを務めていた才媛とでも言うべきか、エレノアのダンスの腕は卓越していた。

 

「こうしてお話をするのは久しぶりですわね?」

「……店で最後に会ったとき以来か」

「実に残念です。あのお店、気に入っておりましたのに」

 

 さすがにもう行けなくなってしまいましたね、などと言って笑う。含むところはない。ただの世間話だ。

 ふわりとエレノアが回る。引き戻された勢いそのままに、互いの吐息がかかりそうなほど近くにまで顔を寄せる。妖艶な笑みはいつぞや、訣別の日に見せたものと同じ。

 

「もう一度お聞きしますわ。……私たちと共に来るつもりはありませんか? あなたであれば、入団資格など容易にもぎ取れましょう」

「断る。俺が好きなのは普通の日常であって、それを奪う側のそちらに与するつもりはないよ」

「おかしなことを仰いますね。あなたの愛した日常など、どこにあると言うのです?」

 

 ダンスの最中だと言うのに、動きが止まる。

 幸い、エレノアが暗示魔術でも仕掛けているのだろう。それを見咎める人間はいない。凍てついたパートナーを蕩かすように、エレノアは強引にくるくると舞い続ける。

 

「もうあなたは外れている。どうしようもなく。であれば、どこであろうと同じこと。あなたは一生、迷子のままでございましょう」

 

 止まりそうな足を動かして、淡々とステップを踏む。腕の中で女が嗤う。

 

「───ですので、もう一度お聞きしましょう。

 私たちと来る気は、ありませんか?」

「─────────」

 

 だん、とフィニッシュを決める。会場の熱気に反して冷え切った空気の中、少年は静かに返答した。

 

「お断り、だ。一昨日来やがれ、外道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 びっくりしたわ。なんでいんのあの人。

 

 やることがございますのでーとかなんとか言って離れていったけどそっち優先しろや。いや、暗殺とかだったら優先されても困るんだけど、グレン先生がいるなら妙なことにはならんだろうし……というかもう俺のことはほっといてよね、本当。しつこい新聞勧誘かというのだ。

 

「……はあ」

 

 楽しかった気分から一転、どんよりと重たい気持ちになる。マジでなんでいたのあの人。殺ろうと思えばできたはずだし、今回は敵じゃないみたいだったからいいけどさあ。

 あ、レイフォードが戻ってきた。……なんでそんな大量に料理を持ってるんだ?

 

「グレン、見当たらなかった……」

「広いもんなあ、ここ」

 

 見つからないのも無理はない。

 俺も今ささっと探してみたが、それっぽい人影が見えるものの焦点が合わない。どうも踊ってるようだけど。

 

「……う」

 

 ちょっと目、というか頭が疲れてきたので眼鏡を外す。度が合っていないレンズ越しに煌びやかな会場を見続けたのだ、そりゃそうもなる。

 でもまあ、ここまで来たんだし。つけっぱなしでいこう。

 

 軽く眉間を揉み解してからもう一度眼鏡をかけた。不意に、金属音のような不快な音が耳を掠める。

 ……管楽器の音色のように聞こえたけど、楽団の調子が悪いのだろうか。

 

 しかし会場にいる参加者はみんな夢見心地で、俺のように演奏に違和感を覚えている人間はいないらしい。

 単純に俺の耳がバカなだけの可能性あるなこれ。レイフォードにも聞いてみたけど首を傾げられたし。むしろフィーベルにも聞いたら『素晴らしい編曲(アレンジ)だと思うけど』っていう言葉と一緒にジト目を頂戴した。やはり俺にはそっち方面のセンスはないらしい。俺は原曲の方が好きだな……。

 

 と、そんなことをしている間に本戦の最初の試合が始まるらしい。フィルマー会長の音頭で参加者たちがまばらに散っていく。

 

「行くかあ」

「ん」

 

 短いやり取り。がしがしといつものように頭をかきそうになってやめた。ここで台無しにするのもどうかと思うし。

 

 この数日間で練習した動きをなぞっていく。

 なんか妙な感覚はあるけど、慣れない環境で疲れが出ているんだろう。最近の俺は疲れに弱すぎる。我ながら情けない。

 

 くるくると腕の中でレイフォードを転がしながら、バックで鳴り響くオーケストラに耳を澄ます。

 耳障りな演奏が、絶えず流れ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おい、イヴ。聞こえるか。今、エレノアが……』

「は? エレノアって、あのエレノア=シャーレット?」

 

 じゃらり、と鎖を鳴らしてイヴが通信に応じる。

 

 ……決して特殊性癖などではない。ちゃんとした理由あってのものだ。

 

 イヴの目の前には現在、二人の男が転がっている。恰幅の良い男性と、人の好さそうな顔をした少年だ。

 

 今回イヴが事前に入手していた情報によれば、彼らこそが《魔の右手》ザイードと、それを裏で操る今回の黒幕。つまり、事件はイヴの手で見事解決されたというわけだ。

 現在はこの二人を魔術が使用できないように縛り上げ、拘束する作業中なのである。しかし大手柄、と弾んでいた気分はグレンの報告で一気に落ち込んだ。エレノアが現れたから、ではない。そんな妄言をわざわざ報告に来るグレンに水を差されたからである。

 

「バカ言わないでよ。こんなところにエレノアが来るわけないでしょ」

『信じられないのもわかる! だが、現にやつは───』

「黙りなさい、グレン。あなたは王女の護衛に集中しなさい。……まあ、それも半ば終わったけどね? ふふ……」

 

 目の前に転がる二人組を縛り上げながら微笑む。

 ザイードと主犯格を捕らえた以上、あとは情報源でもあるこの二人を組織の口封じから守り切ればミッションコンプリート、完璧だ。

 

 ザイード。悪名高き《魔の右手》。あらゆる警護をすり抜け、千差万別の方法で標的を仕留めてきた暗殺者───ではあるものの、イヴにかかればまるで素人、いや素人以下だった。

 正直、帝国はずっとこんな杜撰で稚拙な作戦を立てるような雑魚に翻弄されてきたのかと思うと苛立ちさえ覚えてしまう。感情を抑えるのは魔術師の基本とはいえ、こうも拍子抜けだと複雑な気分にもなるというものだ。

 

「三人とも、聞こえる? ……ええ、ええ。ザイードと、その裏にいた首謀者を確保したわ。……聞いてない? 当たり前じゃない、私一人で十分だもの。……そう。そっちは引き続き外で待機。口封じに来る組織の人間に警戒しなさい。いいわね。……切るわよ」

 

 通信魔導器の起動をやめ、ぐるりと室内を見渡す。

 

 隠れ忍ぶのにこの二人が用いていた異界化の魔術は既に解除されている。そこはもう、なんの変哲もないただの学院の一室だ。

 

『イヴはすごいな』

 

 ふと、今も社交舞踏会で楽しげに踊っているのだろう旧友の姿がよぎった。

 そういえばアレも狙われていたのだっけ、と物思う。今回は最初から狙われる可能性は限りなくゼロであったとはいえ、これでもう安全になっただろう。……なにも知らせていないのだから、あちらは安全もなにもなくただ楽しんでいるのだろうが。

 

『俺、凡人だからさ。なにもできなくて───』

 

 そんな風に言って、どこか寂しげな顔をしていた二つ年下の子どもはもう望んだ場所を手に入れたのだろうか。

 いつぞや、帰りたいのだと語って聞かされた『ごく普通の毎日』───学校に通って、友人と笑い合うようなそんな日々に、彼は戻れたのだろうか。

 

「……冗談。あんな凡人、誇り高きイグナイトたる私がわざわざ気にする必要なんてない」

 

 凡人は凡人のままでいればいい。華々しい戦果を挙げるのは自分たち腕利きの魔術師だけで十分だ。

 どこか平和な場所に引っ込んで、バカみたいにへらへらしていればいいのだ。あんなありふれた、特筆すべきことのない人間は。

 

「そうよ……あんなやつ、関係ない。私はイグナイト。最大効率で、華々しく勝利を飾るのが私の使命。今回は、たまたま最大戦果を挙げるために会場の安全が必要だっただけなんだから」

 

 グレンは昔の友人なんだろうと言いたげにしていたが、バカバカしい。ときには無辜の民も切り捨てるのが魔術師だ。

 そんな風に一人ごちながら、イヴはなにか隠された罠や天の智慧研究会に繋がる資料がないかと部屋を漁り始める。

 

 部屋には、社交舞踏会で演奏されているものとまったく同じ、編曲(アレンジ)された『交響曲シルフィード』が流れていた。




なぞの眼鏡(C):アシュリーの家に昔(帝都に住んでいた頃)からあった眼鏡。アンダーリムの黒縁だが、度が合わないのかかけると若干頭が痛くなるので放置されていた。かけるとなんとなくかしこくなったような気がしてくる。なお、実際に度は入っていない……ように見える。

そういえば八巻、リィエルと仲良くなってしまったからにはにょたリーになるのか。困ります……。


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31.今回もやっぱりダメでしたね

時間がないからと校正なしだとこうなる(白目)
七巻は介入できる戦闘が少ないからダンスダンスダンスで話が進まないんじゃよ……ッ!!

ちなみに今日遅れに遅れた上に史上最高レベルで雑なのは台所の蛇口がぽろっと取れて対処に手間取ってたらいつもの数倍執筆時間が飛んでったからです(殺意)


 愛したものに価値はなかった。

 

 紡いだものに意味はなかった。

 

 それは悲しくて、寂しくて、つらいことだったけど。

 

 だからせめて、自分だけは覚えていようと決めたのだ。

 

 ───決めて、いたのだ。きっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 踊る。

 

 熱に浮かされるように、際限なく上がっていくボルテージに引きずられるように、跳ね上がる鼓動のリズムに乗るように。

 

 踊る、踊る。

 

 演奏が耳障りだ。精神に響く音が気持ち悪い。夢の中にいるかのような高揚感が気持ち悪い。

 

 なにかが。自分という存在を絡め取ろうとしているようで、気持ちが悪い。

 

 ───演奏が止まる。

 いつの間にかダンスは終わっていた。一瞬なにかやらかしたかとも思ったが、どうやら無意識でもしっかり踊っていたらしい。ギリギリで勝ち抜けたのは幸運と言えるだろう。

 

 視界の片隅にノイズが走る。……なんだ?

 今日はずっとなにかがおかしい。聞くな、となにかが訴えている。

 

 ああ、くそ。考えがまとまらないな。睡眠不足か? 帰ったらちゃんと眠らないと。

 

「アッシュ?」

 

 どこか心配そうな声が聞こえた。レイフォードだ。

 今は……どこが終わった? まずいな、本格的に疲れている。

 

「準決勝。次は決勝。……具合悪い?」

「んん……や、問題ない」

 

 軽く眉間を揉み解す。具合が悪い、というとこれは少しばかり意味合いが違う。さっきからひっきりなしに『聞くな』というフレーズが脳を叩いている。度が合わないうんぬんとはまた違う頭痛だ。

 というか、なんだかんだで勝ち抜いてしまった。これもフィーベルのスパルタ教育とレイフォードのセンスのおかげか……。

 

 三十分後に決勝が行われるらしいと聞き、ひとまず休憩のためにグレン先生のところに集っている二組生徒に混じる。

 グレン先生を金銭的に乾すためにこっちを応援してくるやつとか、相変わらず要所でドジ踏んで初戦敗退したやつとか、いやいや来た割にはちゃんと最後までいてくれるやつとか、こっそりグレン先生と踊りたそうにしてるやつとか───

 

 決勝間際、ということもあってテンションが上がっているのだろう。二組生徒の群れはわいわいがやがやと落ち着きなく騒いでいた。

 

「アッシュ……まさかお前が決勝まで勝ち残るなんてな……」

「むきーっ! リィエルはともかく、あなたのよーなデリカシーもマナーもなっていないおとぼけ男子が決勝進出だなんて……ッ!!」

「悪いか。……ま、フィーベルのプロデュースが良かったんだろうさ」

「クールぶってんじゃねえよ~!? そういうのはギイブルの専売特許───あっ、今はギイブル二号だったなお前」

「おい、誰が僕二号だって? どういう根拠だ」

「眼鏡」

「眼鏡ですわね」

「ふざけるなよ!?」

 

 騒がしいなあ。

 懐かしいし、嫌いじゃないけどさ。

 

「……なあ、アッシュ」

「んー? どうかしました、グレン先生? 仮に勝っても金一封はあげませんよ」

「ちっげーよ。……お前、エレノアに会わなかったか?」

 

 む。この口ぶり……グレン先生はエレノアさんと遭遇したと見える。

 まあ隠すことでもないし別に良いけど……エレノアさんの『やること』ってグレン先生関係だったのか? なんだったんだろう。

 

「会いましたね。踊らされました」

「マジかよ……くそ、イヴのやつ……なーにがアッシュは狙われないー、だよ……ガッツリ接触されてんじゃねえか」

「? あの、なにゆえイヴの名前が出るんです?」

 

 会場警備とかしてるんじゃないのか、あいつ。

 

「あ……いや、ちょっとな。まあ、気にすることはねーよ。本当、ちょっとした野暮用だ」

「ふうん」

 

 聞かない方が良いんだろうなあ。

 ティンジェルを誘ったときの強引さといい、この前みたいにティンジェルが狙われてる……とかだろうか。そうなると、前は暗殺騒ぎに関わってたっていうエレノアさんがなにもせずにいなくなったのが疑問だけど……。仲間割れでもしたのかな。

 

 と、それはいいや。当てずっぽうだけど黙ってる以上は聞かない方が良いことだろうし。

 

「まさか、ここまで食い込むとは思ってなかったわ……」

「あはは……システィが教えてあげたんだっけ?」

「ええ、そうよ。ほんとは私がリィエルと踊ろうかとも思ったんだけど……」

 

 ここでちらっとこっちをみるフィーベル。俺悪くないよー。誘ってきたのレイフォードの方だからねー。

 というか女子同士で踊るつもりだったのかフィーベル。その場合レイフォードが男装でもしたんだろうか?

 

「……それにしても、リィエルの方から誘うなんてね。今さらだけどちょっと意外だったわ」

「ん……だんす? みんな、楽しそうに話してたし……それに、なんか、ほっとけなかったから」

「……俺はもしかしてレイフォードにもぼっちの可能性を哀れまれてるんでせうか?」

「?」

「天然んん……」

 

 そこまでぼっちじゃないと思うんだけど、俺。

 

『───もう間もなく、決戦を行います。決勝に勝ち上がったペアは会場の中央へ───』

「あー……。出番か」

「ん」

 

 会長のよく通る声に促されて、なんとなく落ち着かない気分のまま中央へと進み出る。

 

 しんと静まり返った会場で、互いに一礼。

 手を握るのも、もう慣れたものだ。緊張するようなことでもない。

 

「アッシュ」

「うん?」

「……楽しい?」

 

 ふと、レイフォードが上目遣いにそんなことを聞いてくる。

 

「───ああ、まあ。楽しいよ」

 

 噓ではない。楽しいと、そう確かに感じている。たとえそれが、どこか現実味のない感覚だったとしても。

 どこか疑うような眼差しを振り払うように、静かに始まった音楽に合わせて踊り始める───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───なにかが、おかしい。

 

 一心不乱にステップを踏みながら、ほんの僅かな隙間にそんな思考が差し込まれる。

 

 ()()()。けれど、()()()()()

 

 ()()()()()()()()、楽しいと感じている。

 

 いつもいつも付きまとう、薄皮一枚隔てたような、無意識に感じていた感覚()がない。

 

 心から楽しいと感じている。本当に?

 

 一体感。()()()()()()()()()()()()()。───本当に?

 

 おかしい。

 それは、おかしい。

 

 今の自分が正しくこの世界、この日常に溶け込むことなど有り得ない。

 

 たとえその認識が無自覚であったとしても、現状が有り得ないことだけは確信できる。

 ズレが無理やり矯正されるような感覚、と言えば良いのだろうか。少しだけ別の場所にいるはずの自分が、見えない糸で一括りにされるような。

 

 なんだ。なにがおかしい。

 一体なにが、自分を馴染ませようとしているのか───

 

「くそ───」

 

 くるくると踊る中、疲れとはまた違うものに苛まれる。荒い息というとそれも少し違う。息ができない、の方が正しい。

 見えない糸がこちらを引っ張ろうとしてくるのに、ほんの僅か、抵抗しているせいで動きがぎこちなくなるような。中途半端に引き込まれているせいでかえって苦しい。

 

 いつもなら気にしなくて良いことだと判断してしまいそうな違和感が、どうしてか拭えない。

 

 身体は───動いている。大丈夫だ。不自然に動きを鈍らせるようなことにはなっていない。

 問題があるとするならば、意識が若干軋んでいることだけ。───今だけは切り替えよう。理由は相変わらずわからないけど、わざわざ誘ってくれた少女と、今日のために教えてくれた少女の気持ちを台無しにするわけにはいかない。

 

 息を止めて、吐く。

 

 ……よし、大丈夫。まだ動ける。

 

 今までと同じようにステップを踏む。腕の中でお姫様を滑らせる。

 くるくると回る青。際限なく高まる熱気に、今だけは身を任せよう。

 

 せめて、この夢のような時間が終わるまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 互いが互いの全力を尽くした決勝を制したのは───グレンとルミアのペアだった。

 

 アシュリーとリィエルも善戦はしたものの、経験不足が如実に出た形だ。

 

「はぁー……はぁー……あー、負けた負けた。おつかれ、ティンジェル。あとおめでとう。で───悪いなフィーベル、代理戦争は敗走だ!」

「人聞き悪いわね!? 別にそんなんじゃないわよ!」

「はぁ……はぁ……や、った……やりました、先生!」

「……おう。おめでとさん、ルミア」

「……ん。なんかよくわかんないけど……おめでとう。ルミアはすごい」

「ふふ……ありがとう……」

 

 純粋なクラスメイトの賛辞に、ルミアが微笑む。もう後悔はない、できることをやりきった……そんな顔だ。

 今宵、ダンス・コンペを勝ち残った淑女に貸与される『妖精の羽衣(ローベ・デ・ラ・フェ)』は、晴れてルミアが身に纏うことになったのだ。

 

 もっとも、ただ着て終わりではない。優勝したグレンとルミアは、このあとに行われるフィナーレ・ダンスを踊ることになっている。

 運営スタッフに促され、クラスメイトの声援を浴びながらルミアが姿を消す。念のため護衛としてリィエルもついていったが、まあ問題はないだろう。

 

 なにせ、もう事件は終わったのだから。

 

(イヴがザイードを確保したって聞いたときは信じられなかったが……実際、なにも起きなかったしな……)

 

 魚の小骨のように心に刺さっていた不安が霧散していく。本当に何事もなく終わったのだ。裏で蠢く陰謀も、煌びやかな舞踏会も。

 

「……あったま痛ぇ」

 

 一人、そう言って離れていった生徒もいたが───正直、今のグレンにはそれを気にしている余裕はなかった。

 着替えを終えたルミアが、その姿を現したからだ。

 

「……ッ」

 

 ルミアが先ほどまで着ていた、淡い桃色のドレスではない。

 『その少女をもっとも美しく見せてくれる』───なんていういわれのある、幻想的な衣装。妖精の乙女が仕立てた逸品。

 

 それがルミアという特上の宝石の原石を、さらに磨き上げて───思わず、グレンでさえ息を吞んだ。

 

 これから、この少女と踊るのが自分だということさえ忘れてしまいそうだ。

 

 ───きっと、『妖精の羽衣』が彼女の美しき死装束となることでしょう───

 

 ふいに、そんな言葉がグレンの意識を掠める。

 不吉で仕方のないセリフだが、そんなことよりも今は目の前のルミアがただただ美しく、会場を包む熱に身を任せてしまいたい。

 

「……え、と。似合ってる」

「……えへへ……それじゃあ、先生。今日最後のエスコート……お願いしても、いいですか……?」

「お、おう。任せとけ……行こうか、ルミア」

「……はいっ」

 

 中央の舞台に二人で移動し、流れ始めた音楽───『交響曲シルフィード』の七番に合わせて踊り始める。

 

 激戦を勝ち抜いた二人のダンスが、最高の舞台、最高の空気で披露される。

 ゆらりゆらりと、会場の全員までもがそれにつられて踊り始めた。

 

 それはまるで理性を蕩けさせる甘やかであたたかな揺籃。今このときだけは、あらゆる思考から解放され、ただゆるやかに踊り続ける───

 

(……俺も、酔ったかな)

 

 きっと、この雰囲気にあてられたのだろう。グレンまでもが、その意識を手放そうと───

 

 ───ぴしり、と。

 

 夢のような時間の中、それを邪魔する影。

 

 邪魔者は少女と青年の形を取っていた。

 見慣れた真銀のような銀髪と、藍色がかった黒い長髪。

 

 なぜかその二人は、他の人間と同じように手と手を取り合って踊っているにも関わらず、『交響曲シルフィード』に合わせて『シルフ・ワルツ』の七番───ではなく、八番を踊っていた。

 

 不快だ。非常に。

 

 この一体化した世界を乱すこの二人が。

 

 よくよく見れば、それはシスティーナとアルベルト───見慣れた、けれど珍しい組み合わせの二人だった。

 

 周囲が夢見心地に淡々と七番を踊っているのに、やはり二人は八番を合わせ、不協和音を奏でている。

 

(邪魔だな……)

 

 ゆるみきった思考に苛立ちが混ざる。この安穏とした世界を崩されたことへの───違う。そうじゃない。問題にするべきはそこではない!

 

(まさか……まさか、まさか───まさか!?)

 

 電撃のように脳裏を駆け巡るのは一人の女と踊った記憶。

 

 わざわざ脅しをかけ、リスクを背負ってまで現れ、なにを考えているのか助言を差し上げましょう、などと宣った女。

 

『───では、ヒントを。王女の命運を握るのは───』

 

 パチン、と唐突に全てのピースがハマる音がした。

 システィーナたちが不協和音の八番を踊っている意味。エレノアの言葉の真意。それが指し示す、状況の異常さと打開策。

 

(そういうことか……ッ!?)

 

 全てに気が付いたそのとき、指揮者が高々と指揮棒を振り上げる。

 もう曲も終盤、フィナーレだ。間に合うかどうか。

 

 ぐい、とやはり夢見心地に踊るルミアを強引に引っ張り、『シルフ・ワルツ』の七番とは違うステップを踏み始める───それは、かつてグレンが同僚であり、白犬と呼んで不器用ながらも心の支えとしていた《風の戦巫女》、特務分室《女帝》のセラから教授された『シルフ・ワルツ』の原典たる『大いなる風霊の舞(バイレ・デル・ヴィエント)』の第八演舞(エル・オクターヴァ)

 

 魔を祓い、己が心を守る精霊舞踏。

 この会場を包む違和感が、精神に干渉するなにかであるのなら───特に有効なはず。

 

(間に合え、間に合え、間に合え───ッ!!)

 

 途中で夢から覚めたルミアを振り回しながら、いつか教え込まれた動きをなぞる。

 演奏がピークを迎え、フィナーレを飾る音が高らかに響いて───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テラスで休んでたらなんか……あの……頭痛が増したのと一緒にすげー勢いでレイフォードが外にすっ飛んでったんですが……。

 

 あの服、確か軍服だよな? やっぱなにかあったんだなあ……。

 

 いや、そんなほのぼの考えてる場合じゃねえよ。なにかあるんなら中が危ない……いや外に行ったんだから外が危ない? どっちだ。

 

「あーくっそ、頭痛え!」

 

 外傷なら余裕で耐えられるけど内部の痛みは専門外ですッ!! いや我慢しようと思えばできるけど!!

 

 どうしよっかなー、このままテラスにいるべきかなー……。

 そんな風に考えていると、不意に目の前に暴風。違う、これは……ただの風圧か。

 

 そんで気が付けば目の前にはヒゲを生やしたオッサン(師匠)一人。

 

 悲鳴をあげなかったのを褒めてほしい。咄嗟に短剣は出しちゃったけど。

 

「なに!? なにごと!? ついに闇討ち!?」

「なーに言っとるんじゃお前さんは……む、お前さんは無事なんか。ほほーう。……よし」

「よしってなに!? あんたの『よし』は良いことあった試しがないんですけど!!」

 

 ぎゃーす、と(一応会場ではフィナーレ・ダンスの真っ最中なので小声で)叫んでいると口を塞がれた。え、マジでなに? 死ぬの?

 

「違わい。お前さん、ちょーっと手伝ってくれんかのう? あ、精神防御の魔術も唱えておけい。……唱えたな? よーしよし」

「な、なに? マジでなにが起きてんの? さすがに俺も理解が追いつきませんことよ?」

「すみません、強引に……」

「どなた!?」

 

 後ろからさらに見知らぬ少年が出てきてマジでわかんねえ。なにこいつ。敵……じゃあないか、軍服着てる。

 

「僕は……バーナードさんの同僚で、特務分室の執行官のクリストフです。……バーナードさん、そちらは?」

「ん? わしの弟子一号じゃよ。ほれ、グレ坊の生徒の」

「ああ、彼が……」

 

 待って待って、なしてそこでグレン先生? というかそっちの少年……クリストフ? さん? はあの、こっちを敵意マシマシで見るのやめようね。怖くはないけど驚きはするんだからね?

 

「失礼しました。ですが、時間がありません。バーナードさんから、あなたはそれなりに腕が立つと伺っています……アルベルトさんの報告では、エレノア=シャーレットやジャティス=ロウファンを相手に生き延びたとも」

 

 それ違う、あっちが本命思い出してそっちに向かっただけ、俺はパンピー。信じて。

 

「ですので、どうかご協力をお願いします。事は内部にいるルミア=ティンジェルさんにも及ぶのです。……ご学友のピンチです」

「……もしかしてそれで釣ろうとしてます? いや、釣れるけど。師匠もいるし手伝いますけども」

「あはは……すみません、何分手段を選んでいられないもので。イヴさんとの連絡が取れない以上、少しでも人手が……そうでなくとも、一人でも多く敵に回らないようにしたいんですよ」

「……イヴ? なんだあいつ、なんかあったのか?」

 

 さすがにもうなにかあったのはわかってるけどさー。

 こうも知り合いが巻き込まれてるとさすがに気が散るというか───

 

 

 

「イヴさんは、恐らく敵の魔術に絡め取られたものと思われます。……確証はありませんが」

 

 

 

 …………。

 

 ぱーどぅん?




ああーーー時間が足りねええええ文字数も足りねええええ。


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32.踊るだけなのになぜ事件になるのか

一日一投稿すら守れなくなりつつある貧弱作者がいるって本当ーーー!? 私でーーーす!!(自虐)
低クオリティを挟むくらいなら、一回休みを挟んで態勢を立て直すべきなのだろうか。


「はぁ───はぁ───ま、間に合った……か……!」

 

 しんと静まり返った会場に、グレンの荒い息遣いがこだまする。

 

 会場中の誰もが───『シルフ・ワルツ』の七番を踊っていた人間の全てが、ぴたりと彫像のように静止していた。

 

 明らかに異常だ。先ほどまでの盛り上がりからは想像もつかないほどの静寂ぶり。敵がなにか仕掛けてきていたことは間違いない───

 

「……よくぞ、我が《右手》から逃れた」

 

 静止していた人物たちの中で唯一、周りのように無機質なものではなく余韻に浸るような静止の仕方をしていた人物が、ゆっくりと()()を降ろした。

 

 いかにも音楽家然とした、その初老の人物は───楽奏団の指揮者。

 彼こそが、真なる《魔の右手》。

 

 この社交舞踏会に紛れ、ルミアの命を狙った天の智慧研究会の第二団《地位》アデプタス・オーダー、ザイードだった。

 

「『魔曲』───形のない古代魔術(エインシャント)! 音楽に変換した魔術式で人の心を操るっていう───」

「その通り。我が家系に代々伝わる七つの『魔曲』を奏で聞かせることで、私はその場に居合わせる全ての人間の意識と記憶を掌握できる───そら、そうなれば『暗殺』なんて簡単だろう?」

 

 デタラメな『暗殺』もあったものだ。確かに、記憶にさえ残らなければどう殺したって『暗殺』には違いない。

 今まで帝国を苦しめてきたその《右手》の能力が、ようやく詳らかにされたのだ。

 

「……まあ、一名効きの悪い人間もいたようだが。だがそれも、この物量の前には関係あるまい? さらに言えば……貴様らは既に、表層意識こそ操れぬが魔術に関わる深層意識野を掌握されている。……無駄な抵抗は止めておいた方が身のためだぞ? もはや、貴様らには万に一つの勝ち目もないのだから」

 

 まったくもってその通りだ。いかな手練れだとしても、この人数を相手に魔術なしで切り抜けることは難しい。しかも相手はただの一般人なのだ。

 もちろん、殺してしまっても構わないのであればやりようはいくらでもあるが───巻き込まれただけの人間にそれを決断できるような人間は、この場にはいない。なにより、自分のせいで楽しかった社交舞踏会が地獄の宴に変貌してしまった、と茫然自失としているルミアの前で、そんなことはできない。

 

「これぞ我が固有魔術ッ! 【呪われし夜の楽奏団(ペリオーデン・オーケストラ)】!! あらゆる人間は我が演奏の前に無力となるのだ、ふはははは───!」

 

 高笑いとともに、指揮者───真なる《魔の右手》ザイードが指揮棒を振り上げる。

 意識と記憶を掌握された舞踏会の参加者たちが、虚ろな瞳でグレンたちを四方八方から取り囲んだ。当然のように、そこには二組の生徒も混じっている。

 

 ぎり、と奥歯が砕けそうなほどに嚙み締め、逃げ場はないかと周囲に視線を巡らせる。───ダメだ。入り口方面は既に塞がれている……!

 

「ははははは、無駄だとも! さあ、大人しくこの『魔曲』の前にひれ伏し、そして死ね───!!」

「くそ───ッ!?」

 

 いつの日か、フェジテに再現された『天使の塵』の悲劇を思い出す。あのときも、なんの罪もない人々が襲ってきたが……今回は知り合いばかりな上に、手遅れなわけではない。ただ操られているだけ、つまりザイードさえどうにかしてしまえば助けられる可能性があるのだ。

 下手な希望は、ときには選択肢を狭めてしまう。逡巡するグレンを嘲笑うように、燕尾服に身を包んだ生徒の一人が高く跳び上がって───

 

 咄嗟に身構えたグレンの頭上を通り越し、ザイードめがけて突っ込んでいった。

 

「……なぁ!?」

 

 グレンとザイード、どちらの声だったのかは定かではない。が、ザイードは即座に指揮棒を振りすぐそばにいた生徒を盾にする。燕尾服の裾を揺らした生徒はさすがに人の壁を蹴散らしていくことはできなかったのだろう。ギリギリで手に持っていた刃を止めてザイードの目の前に着地した。風圧でザイードたちの服がはためく。

 

「……ありゃ。首、落とせなかったか」

 

 乱入者はケロリとした顔で振り抜こうとしていた短剣を腰に括り付けると、殴りつけようとしてきた生徒を後方転回(バク転)で避け、ついでに近くにいた生徒の肩を踏み台に後ろへと跳び下がる。

 

「すみません師匠、俺はやっぱアサシンには向いてないみたいですわ───というわけで一発、頼みます」

 

 その瞬間、ピュイイイイイ───と、耳をつんざく甲高い音が鳴り響いた。アルベルトの投げ放った投げナイフ、その柄に仕込まれていた投笛だ。

 同時に、会場の入り口から轟く四発分の銃声。

 

 突如発生した重力場に、生徒たちが押し潰される。それを放ったのは───

 

「今じゃ、こっちに走れい! そう長くは保たんぞい!」

「じじい!? クリストフにリィエルも……!」

 

 どうやら、この三人はアルベルトと同じく『魔曲』に抵抗していたらしい。ありがたい援軍だ。

 と、なれば。先ほど急襲を仕掛けたあの生徒は───

 

「ティンジェル、失礼」

「わ……アッシュ、君!?」

 

 細い胴に腕を引っ掛け、俵のように担ぎながら走る燕尾服の少年。眼鏡以外は見慣れた姿のその生徒はアシュリー=ヴィルセルト。グレンの教え子にして、現在ルミアに次ぐ第二位の厄ネタでもある自称凡人!

 

 リィエル並み、と評される身体能力でもってルミアをかっさらい、我先にと入り口へと駆けていく。

 

 ……少し前までならその学生離れした動きに疑問を抱いていただろうが、バーナードの弟子と聞いた今ではある意味納得のいく挙動だった。

 

「撤退じゃあ───!」

 

 バーナードたちもまた、結界の隙間をすり抜けて会場の入り口へ消えていく。

 

 あとには、操り人形のような足取りで蠢く生徒たちだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いやあ、なんでこんなことになったんですかねえ。

 

 このセリフも何度目かわからない。

 わかるのは今、その辺でゴリラとゴリラの争いが繰り広げられているということくらいなもので。

 

「ぬぅうううぅぅん!!」

「いいぃぃぃいいやあああぁああぁ!!」

 

 予め作ってあったのだろう大剣を振り回し、鋼の小手と殴り合うレイフォード。鋼と鋼がぶつかるたび、衝撃波で周囲の樹がみしみしと嫌な音を立てている。

 近付きたくねーなあ。あれ。ほっとこ。

 

 敵が魔術を封殺してくれやがったせいでこっちの武器は短剣一本。もっと大量に作っておきたかったところだが、生憎普段とは違う服なもんでまともに触媒も引っ掛ける用のパーツもない。

 グレン先生とティンジェルは現在別働隊。なんでも北にある迷いの森に向かうとかで。アルベルトさんとフィーベルも、それに頷いて学院の敷地内から離脱した。

 

 操られた学院生徒はグレン先生たちを追いかけることにしたらしい。おかげでこっちはよくわからん師匠(バトルジャンキー)二号と、よくわからん頭メルヘン(遠回しな表現)女を相手することになっていた。

 やだなあ。

 

 こっちに飛んでくる氷の剣を蹴り落としつつ、形が残っている間にお返しとばかり投げ返す。……横合いから敵の吹雪ごと爆炎で飛んでった。

 

 イヴの炎だ。昔見せてもらったような仄かな灯火ではなく、こっちを容赦なく燃やし尽くそうとしてくる業火。

 分が悪い。()()()()()()()()()()()()とはいえ、さすがに無策で突っ込んでいくのは自殺行為。

 

 どうしよっかなこれ。レイフォードは放っといても良さそうだけど、さすがにイヴとメルヘン女はキツい。

 

「師匠ー」

「なんじゃあ!」

「あのメルヘン女の脳天ブチ抜いていいです?」

「できたらとっくにやっとるわ!!」

 

 そりゃそうだ。んー。しかしそうなると手がないな。

 クリストフさんに手伝ってもらって一発ぶち込むのもありっちゃありだが難しそうだ。

 

「あはは、ははははっ☆ 私と♪ クリストフ様の逢瀬を♪ 邪魔しないでくださいなああああああ!!」

 

 一気に強まる猛吹雪。攻めより守りが得意、というメルヘン女の吹雪はメルヘン女を中心に渦巻いているらしく、近付けば一瞬で凍らされる。

 数秒なら耐えられそうだが。さて、どうしよう?

 

 ちらりと後ろを見る。師匠の手元にあるのはマスケット銃、クリストフさんの手元には大量の魔道具。俺のところにも少しだけ、クリストフさんからもらったものがある。

 ……ふむ。難しいとは思ったが、一発ならいけるかね。

 

「師匠、クリストフさん! 援護、お願いしていいですか!?」

「なにを───!?」

 

 師匠の方には伝わったらしいので、たん、と地面を蹴って加速。いやあ、仲間がいるってやりやすいね。

 腕に巻物(スクロール)を引っ掛けつつ、乱立する炎の柱の合間を縫って見慣れた赤髪に接近する。

 

「よ、ずいぶん腕上げたじゃねえかよ!」

「…………」

 

 こちらを見ているのかいないのか、イヴが虚ろな目で炎を操り、丸焼きにしようと爆炎が迫る。うん、まともに食らったら死にますね。

 威力だけで言えばあの電波魔人の方が上とはいえ、それは『超ヤバい』と『有り得ないくらいヤバい』を比べているようなものだ。つまりやべえことには変わりない。

 

 だけどまあ、こっちにはあの魔人の炎を耐えたという実績があるので。

 勘でしかないが、まあ死ぬことはないだろう。

 最悪炎だったら火傷で済むし───あ、師匠はアシストありがとうございます。目の前に迫っていた火球その二が消失したのを確認して、奥に踏み込み(ステップ)。……届いた。

 

 がしり、と手を掴む。焼けるような痛みが襲うが、まだまだ許容範囲内。

 止まったらアウトだ。どこから炎が噴き出しても良いように動き続けろ。

 それに周囲の炎は師匠が片っ端から撃ち落としてくれてるし、イヴの反応は比較的鈍い。思考能力が鈍化しているのだろう。メルヘン女とロクな共闘ができていないのがその証拠。

 もっとも、あと数瞬もすればこっちが燃え尽きるだろうが───

 

 なに。

 

 炎は、こちらも得意分野だ。

 

「……なんっちゅー無茶しよる、あのバカモン!?」

 

 すみません、自覚はあります。

 でも、できるという確信はあったから許してほしい。

 

「───踊ろうか、イヴ?」

 

 炎に巻かれながら手を取り───担ぐ。

 

 いや、担ぐというのはちょっと不正確かもしれない。抱き上げる、の方がそれらしいか?

 ……女性相手に申し訳ない気持ちはあるが、それを言ったらティンジェルを担ぎ上げた時点でアウトなので今回ばっかりは思考からカットの方向で。

 

 当然そんなことをすればこっちが大炎上(物理)するのは目に見えている。ので───イヴがなにかするより早く、隣で巻き起こる吹雪に突撃する。ほんの一瞬遅れて炎が巻き上がる。

 

 このままでは炎と吹雪に巻き込まれて死ぬだろうが、ここで腕に引っ掛けた巻物の出番だ。結界が張られ、両者が激突する瞬間に巻き起こった衝撃をある程度シャットアウト。

 当然一瞬しか保たないが、一瞬あれば十分だ。

 

 その隙に、こっちは───さっきからうるさいこの女に食い付ける。

 

「う、そ。あなた、正気……!?」

 

 こっちが吹雪で凍らないように炎の壁を作らせた友人に心の中でちょびっと謝罪。

 正気か。もしかしたら飛んでってるかもしれない。まあ生きてればおっけおっけ。

 

 というかめっちゃ寒いが、まあ大丈夫だろう。なんせさっきまで燃えてましたからね。物理で。

 そりゃあ、寒さへの耐性もつくというものだ。

 

 ぴきり、と音を立てて腕が凍る。あとコンマ数秒でこっちは凍りつくだろうが───間に合う。

 

 凍気に身を晒しながら、どうにかこうにか腕をねじ込み───

 

 いえーい、ゆーきゃんふらーい。

 

 君ならきっと空も飛べるさ。

 

「ぐっ───ああああああああッ!?」

 

 ホームラン、入りました。

 

 メルヘン女が、吹雪をくっつけながらどっかに飛んでいく。あ、樹にぶつかった。

 

 ……それはさておき、死ぬわこれ。いくら耐性と対策があってもキッツイわこれ。

 

 と、その場にいたら復帰したイヴに燃やされてしまうので即離脱。

 

 案の定、今までいた場所に燃え上がる炎。危なかったデスネ。

 

「……お前さん、前より危なっかしいの」

「なんとかなったでしょ?」

「グレ坊とは別の意味でハラハラするんじゃよ!?」

 

 なんて言いつつこっちのフォローしてくれたくせにー。

 

「ま、敵の一人を行動不能にしたのはお手柄じゃがのう……一歩間違えたら黒焦げじゃぞ、あれ」

「燃えなかったからよし」

「良くない───む?」

 

 と、ここでタイムアップ。糸が切れたように動きを止めたイヴと、同時に聞こえなくなる楽器の音色。───どうやらグレン先生たちがどうにかしたらしい。

 魔術が解放されたのでは不利と悟ったのだろう、レイフォードとやりあっていた筋肉達磨はいつの間にか姿を消していた。

 

 今回の損傷……腕が若干凍傷気味。火傷がそこそこ。

 なんだ、問題ないな。

 

 もうなんていうか、怪我とか気にしなくなっちゃったなあ。

 

 これはまずい傾向だ。俺は普通の一般人でいたいのだが。

 ……まあ、気にしなくていいことは気にしないに限る。なるようにしかなるまいさ。

 

「あー、帰りたい」

 

 焼けただれた手に治癒魔術をかけつつ、そんな風にぼやく。

 

 マジで、平穏な日常に帰りたい。

 

 学校に行って、バカな話で笑い合って、当たり前のように明日を待つ、そんな生活に。

 

 ───どんなものだったのか、よくは思い出せないけれど。




対魔力のランクはCくらい。

文字数がノルマより3000文字足りないのでかなり簡略化されてる。


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33.嫌な予感がする(n回目)

もしかしたら近々、一回休みを挟むかもしれないです。
あ、蛇口は直りました。


 ───その日は、雨が降り続いていた。

 

 それは、姉さんの頼みでちょっとしたおつかいに出ていたときのこと。

 今思えば、あれは父上や一族たちの圧力から私を逃がすための方便だったのかもしれないけれど。とにかく、そんな雨が降る日に、私は彼と出会ったのだ。

 

 ……出会った、という表現はいささか誤解を生むだろうか。

 正確には、数度目の出会いだった。

 

 その頃から、よく笑う人間だったと思う。少しだけ大人びたところもあったけど、私にしてみればまだまだ子どもに見えた。

 ともかく、姉伝いにその『子ども』とは知り合っていた。きっと、勉強ばかりで家にこもりがちだった私に同年代の友達を、という魂胆だったのだろう。

 

 ───なにしてるの。そんなところで。

 

 放っておくのもなんだか気が引けて、傘と、おつかいで頼まれたものを入れたカバンを持ったまま、私はその子どもにそう問いかけていた。

 子どもはしばらくぼんやりと、傘も差さずに雨の中で佇んでいたが、やがてなにを言うべきかまとまったのだろう。やっぱりぼんやりした仕草で、ふるふると首を横に振った。

 

 ───帰る場所が、わからなくなった。

 

 それを聞いて、とんでもなく呆れたことを覚えている。

 だって、彼の家は本当にすぐ近くだったのだ。

 

 ───呆れた。

 

 つい本音を口に出してしまったけど、彼は気にした風でもなく、ただぼーっと、どこか彼方を探すように空を見ているだけだった。

 動くつもりはないらしいと知って、大きなため息をついた。幸せが逃げる、なんて姉がいたら言っただろうが、呆れてしまってものも言えなかったのだ。

 

 ───ついてきなさい。案内くらい、してあげるから。

 

 さすがに見知った顔をほったらかしにしていくわけにもいかなかったので、手を引いて家まで送ることにした。ちょうどおつかいの店も通ることだし、もののついでだ。

 

 ───ほら。ついたわよ。

 

 曲がり角を一つ二つ過ぎればすぐそこだ。子どもが一人で住むにはそれなりに大きな一軒家だったから、道順は覚えていた。

 お互いびしょぬれになった手をハンカチで拭いて、ふと気になって雨に打たれていた顔も拭いてやった。こういうところが甘くて、父上に叱られるのだとちょっぴり自己嫌悪したりもして。

 

 わざわざ家まで送ってあげたのに、彼はやっぱりぼんやりしていた。風邪でもひいたのかもしれない。

 

 ───さっさと帰りなさい。

 

 ドアの前でぼーっと雨雲を見上げているそいつの脇腹をどついて、のそのそとした動作で玄関に入るのを見届けてからもう一度ため息をついた。

 余計な手間をかけてしまった。姉さんは怒っていないだろうか。

 

 そんなことを考えていると、ひょっこり玄関に消えたはずの彼が顔を出した。

 さんきゅ、とお礼を言っているにしてはずいぶんぞんざいなセリフに、もうため息をつく気にもなれなかった。

 そのまま私はお店を通って、頼まれたものを買って屋敷に帰った。姉は怒ってなんかいなかったけど、ふとそういえば名前は知らなかったな、なんて思ったりもして。

 

 ───それが、十年前の雨の日の話。

 

 取るに足らない、ありふれた迷子の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの」

「…………」

「もしもーし? イヴさーん?」

「……………………」

 

 沈黙。

 

 気まずくなって、がしがしと包帯の巻かれた手で頭をかく。

 困ったようにため息をつくアシュリーはいつもの制服姿で、もう眼鏡も燕尾服も脱いでいた。今頃会場では正気に戻った生徒たちがフィナーレ・ダンスに興じているのだろうが、またも無茶をしたアシュリーは現在個室に押し込まれていた。

 

 そこに、洗脳が解けて正気に戻ったイヴがやってきたのが数分前。以降、なにを語るでもなく両者は部屋の中に突っ立っていた。

 

 最初は無茶をやらかしたことになにか言われるのかと思っていた。イヴの視線が、応急処置として包帯でぐるぐる巻きにされていた手に向いていたからだ。グレンやリィエル、バーナードには既にこっぴどく叱られたあとだったりする。

 だが、それをじっと見てから、イヴはなにも言わずにつと視線を降ろした。今回は寝込むような傷ではなかったから、制服に着替えた以外はなにも変わったところはないはずだ。

 

 首をひねって考えてみても、やっぱり思い当たる節はない。

 一体どうしたというのだろうか? なにか、言いたいことがあるのだろうとはわかるのだが。

 

「……イヴってばー」

「……。……んで」

「ん?」

「……なんで、そんなザマになってるのよ?」

「なんで、って……」

 

 ザイードが事件を起こして、それにうっかり巻き込まれたからとしか言いようがないのだが。

 というか、さらに言うなら火傷は敵に操られたイヴの仕業なのだがまあ、そこは指摘しないことにした。悪いのは天の智慧研究会であり、それ以外は巻き込まれただけの被害者だ。

 

「そうじゃない……そうじゃないでしょ!? あんたはもっと、もっと……」

「もっと?」

「……もっと、平凡で、へっぽこで。こういうときにはなにもできずに、どこかで縮こまっているべき人間でしょう……!?」

 

 そんな風に傷だらけになりながら、戦うような人間ではなかったはずだ、と。

 聞きようによっては罵倒とも取れるセリフに面食らったのか、きょとんとした顔になる。

 

 平凡で、へっぽこで、なにもできない。それは確かに、自分を構成する要素だったはずだ。

 

 どうして今さら、そんな当たり前の(手遅れな)ことを言うんだろう?

 

「……イヴ?」

「───〜〜〜ッ、とにかく! あんたみたいな凡才は、さっさとどっかに引っ込んでればいいんだから……!」

「あ、おい!」

 

 言うだけ言って、イヴは乱暴な足取りで部屋をあとにした。

 残されたのは、呆然と幼馴染を見送る少年が一人。

 

「……あいつ、なに怒ってるんだ?」

 

 出しゃばるな、という意味なのか。それとも、目障りだから消えてしまえ、という意味なのか。

 

 その疑問に、答える人間はいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イヴがいなくなり、することもなくなったので大雑把に治療を終えた俺は一人テラスで夜景を眺めていた。

 

 中ではまだフィナーレ・ダンスの真っ最中だ。参加するのも良いのだが、なんとなくそんな気分にもなれなくて。

 

「……はあ」

 

 火傷を負った手をじっと見つめる。

 いつから、自分はこんな風に戦うようになっていたんだっけ、とぼんやり思った。

 

『───あんたはもっと、平凡で───』

 

 憤ったような声が意識を掠めた。自称しているはずなのに、どこか遠いもののように聞こえた言葉。……そうだ。自分はごく普通の、平凡な人間のはずなのに。

 だって、そうでないと。いつかの日々には戻れない(過去をなぞれない)

 

「ままならないなあ……」

 

 自分の求めるものが奪われるのであれば断固拒否、抵抗するべきだ。

 それが目に見えるもの()であるのなら、なおのこと。

 

 だが───それをするたびに、なにかが外れていく感覚がある。

 抵抗したい。もう失いたくない。───なのに守ろうとすれば、喪失の代わりに乖離が近付く。

 

 自分はどこにいて、なにがしたくて、なにをしているのか。

 いや、そもそも自分は───どんな人間だったか。

 

 思い出せない。原型がわからないくらいに灼き尽くされて、混ぜこぜにされた灰のようだ。なにか、忘れてはいけないものがあった気がするのに。

 帰りたい、と思うのに、それがどんな場所だったのかがわからない。……普通の、ありふれた日常であったのだと。それだけは覚えているけれど。

 

「……まあ、いいか」

 

 気にしなくて良いことは、気にしないに限るのだ。

 わからないことを考えて、一体なにになるというのか。

 

「アッシュ」

「んー? ……レイフォードか」

 

 着替え直したのだろう。シンプルながら愛らしい造形のドレスに身を包んだレイフォードが、とてとてと小動物のように寄ってきた。

 

「よく、空を見てる。……好きなの?」

「……いや? 別段」

 

 ソラの向こう、どこか遠くに想いを馳せることはあれど、空そのものに思い入れはない。

 見るなら空より地面だ、とさえ思う。……綺麗ではあるが、目指そうとは思わない。地に足付けて、分相応な生活ができれば理想的。

 

 本当に、ふとした疑問だったのだろう。レイフォードは「そう」とだけ言うと、同じようにテラスの手すりに腕を預けて夜景を眺め始めた。ティンジェルの護衛は良いのか、と思わないでもなかったが、グレン先生もいるし大丈夫だろう。さすがにあれだけのことを仕掛けたあとに、もう一度襲ってくるとも思えない。

 ティンジェルも、今回はさすがに気にしてたみたいだけど大丈夫かな。ここにいたらいけないんだー、とかって思い詰めてなければいいが。……まあ、慰めるのは俺の仕事ではない。どうでもいいとかではないけど、俺が安易な慰めを口にしたところでティンジェルはますます気に病むだけだろう。

 

 自分を狙って、周りにいる人間が巻き込まれる、というシチュエーション自体に遭遇したことがないからわからないけど。

 たぶん、気持ちの良いものではないだろう。もし俺が自分のせいで自分の愛した日々が失われるなんて事態に遭遇したら、もう悲しみと怒りのあまり世界を諸共灼き尽くそうとするかもしれない。

 

「……帰りたいなあ……」

 

 今回も、なんていうか、疲れた。

 さっさと帰って安らぎたい。本当。

 

「…………」

「……どしたよ、レイフォード?」

「……ううん」

 

 おう、なんか言いたいことがあるなら言いたまえよ。気になるだろがい。

 だがレイフォードは特に言うつもりはないらしい。短い返事をひとつ返して、いつものように黙り込んでしまった。

 

 しばらく、そんな静かな時間が流れた。

 

 お互いなにを言うでもなく。レイフォードだけは、時々こっちを流し見ていたようだけど。

 

「……戻るか」

「……ん」

 

 夜風が出てきた。ドレス姿の少女を外に放置しておくわけにもいかない。

 燕尾服は傷付いてしまったからと脱いだけど、いい加減中と合流するべきだろう。

 

 場違いではないか、という思考が一瞬挟まれたが、すぐに消えた。

 

 自分が場違いだというのなら、それはずっと昔からのことなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───なんだかんだと色々あった社交舞踏会が終わってから、一週間と少しが経った。

 

 戻ってきた毎日にあくびをしながら、カバンを引っ掛けて教室へ続く廊下を歩く。

 

「ふあ……」

 

 正直、こうして何も考えずに廊下を歩くのが一番心が安らぐ。家にいるのが一番ではあるのだが、うちは人っ子一人いない寂しい一人暮らしなので、半ばただの休憩所と変わらない。

 友人とバカバカしい話をして盛り上がるのももちろん好きだ。好きだが、それはそれとしてこういった時間もまた気に入っている。

 

 掲示板の前を通り過ぎざまに、なにか新しい通知が出ていないか確認する。

 張り出される通知、というのはなかなかに重要な情報源だ。決して無視したり、確認を怠ったりしてはいけない。学内において重要な出来事が、そこには大量に綴られているのだ。

 例えば、文化祭の部活ごとの出し物の申請期限だとか。連続殺人事件が起きてるから、授業は早めに終わらせますとか。ガス漏れ事件が多発しているので、ガスの元栓には気を付けましょうとか。

 

 というわけで、改めてちらりと新しい張り紙が出されていないか横目で見る。休講通知、授業内容の変更通知、その他諸々エトセトラ。

 どうやら新しいものはないようだ───ああいや、一枚だけ見慣れないものがある。

 立ち止まって、ざっと目を通してみる。

 

『緊急通知:成績不振によりリィエル=レイフォードを落第退学処分とする』

 

 大雑把に読み取った情報はそんなところ。なるほど、レイフォードが退学か。新しい情報はこれだけのようだし、教室に急ご───

 

「……待て待て待て待て」

 

 前を向いたまま、数歩後ろに下がって今さっき通り過ぎた掲示板の前に戻る。

 もう一度目を通す。今度はざっくりではなくしっかりと。

 

 ……見間違いではないらしく、いくら読んでも文面は変わらなかった。

 

 要するに、レイフォードはこのままだと退学させられるらしい。

 

 そういえばレイフォードが成績優秀、という話は聞いたことがない。身体能力で全てを解決できる分野であればめっぽう強いが、あいにくとここは魔術学院。腕力より知力がものを言わす知識の倉。

 レイフォードに在籍資格なし、の判断が下されるのは、確かに致し方のないことというか。

 

「……いやいやいや」

 

 それにしたってあまりにも急な話だ。第一、まだ期末試験さえ終わっていない。試験で挽回、というのがこういうときの定番ではないのか。

 

 と、そんな風に予想外の張り紙にぼーぜんとしていると、不意にびゅごおと吹きすさぶ風。

 

 なんじゃらほい、と思って目を向けるも、こっちが振り向いたときにはもう『それ』は弾丸のようにどこぞへとすっ飛んでいっていた。

 

「なんだあ……?」

 

 見間違いでなければ、青い髪をたなびかせていたように思う。この学院で青い髪、弾丸のごとき速度で疾走する人間など心当たりは一人しかいない。

 心当たり───レイフォードが走ってきた方向は学院長室。大方、退学うんぬんで呼び出されたのだろう。

 

 それがどうして、風を切りながら廊下を走り抜けることになるのかは皆目見当もつかないが。

 

「…………………………」

 

 考える。さすがに放っておくのはまずいような気もするし、そうでなくとも事の真偽は少し気になる。

 レイフォードが向かったのは……校舎の外か。

 といっても、学院の敷地外という意味ではない。このバカみたいに広い校舎には、あちこちに通じる中庭のような場所が存在する。

 

 レイフォードが向かったのは恐らくその中庭に通じる道。となれば、どっかの施設に逃げ込むつもりだろうか。

 

 それにどうせ、お目付け役のグレン先生がレイフォードが消えたと知って、そして俺を見掛ければレイフォード捜索隊に駆り出すだろう。先回りしておくのは悪いことではないはずだ。

 

「面倒くせえ……」

 

 最近巻き込まれているような事件に比べれば十分にかわいいアクシデントだが、それでも今回の件といい、毎日が騒がしいのは否定できない。

 それは例えば───錬金術の実験でぶっ倒れるグレン先生とか、お化け退治に出掛けて俺を壁にしやがったグレン先生とフィーベルとか、アルフォネア教授やらフィーベルとティンジェルの親御さんやらがめちゃくちゃハイテンションだった授業参観とか、ハーレイ先生の首を飛ばしかけたレイフォードとか。

 

 ……うん、濃い。

 

 ひたすらに、濃い。

 

 あれ? もしかして、天ぷらが襲ってくるまでもなく俺の望んだ平穏なんてどこにもなかったんじゃ……?

 

「……よし、切り替えよう。気にしなくて良いことは気にしないに限る」

 

 魔法の言葉で意識をスパッと切り替える。昔から変わらないポリシーは今日も大活躍である。

 

 気持ち早足で、校舎の中庭に出る。そこにいたのはレイフォード。……おや、おかしいな。レイフォードの足であれば、とっくに俺は追いつけない速度でどこかへ消えていそうなものだが───

 

「……む」

「…………」

 

 ───現状を整理しよう。

 

 時刻、朝。場所、中庭。俺の状態、特筆事項なし。レイフォードの状態……なんでか長身瘦躯の人物に捕まってぶら下げられている。

 長身瘦躯の人物の正体。───魔術でレイフォードを捕まえたのであろうアルベルトさん。

 

「失礼しました。それじゃ俺はこれで」

「待て」

 

 言うが早いか、アルベルトさんに背を向けてダッシュ。この人がいると実はロクなことがないというのはティンジェルの誕生日の一件を含めて実証済みだ。

 しかし悲しいかな、さすがはアルベルトさんとでも言うべきか。俺が廊下に向けて駆けだした瞬間、頬を掠めてやたらと速くて心なしか威力も高い【ショック・ボルト】が飛んでいった。

 

「…………。学内で【ライトニング・ピアス】は、よくないと思います」

「威力は抑えた。目撃者もいない。……問題はないはずだが」

「俺の心に問題ありだよ!」

 

 びっくりするからそれやめてって言ったじゃん!

 せめて見えてるときにしてくださいよ抵抗するんで!!

 

「謝罪しよう。いつでも撃ち抜けるようにと身構えていたのが仇となった。だが、逃がすわけにもいかない。お前は既に関係者だ」

「なんか物騒なセリフが聞こえた気がしますが意味わからんッ!? ええい、とにかく俺はいい加減ごくごくフツーの毎日を送りたいんで失礼しま───げえッ!?」

 

 瞬間、あちこちを掠めて飛んでいく【ライトニング・ピアス】。

 どうやら、どうあっても逃がすつもりはないらしい。

 

 それを悟ってしまった俺は、しぶしぶアルベルトさんの手によってお縄についたのであった。

 

 ……おかしくない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、さっきやったばかりではあるがもう一度現状を確認しよう。

 

 時刻。先よりは昼に近くなった。場所。学院内のチャペル。

 

 俺の状態。なんでか、後ろ手に縛られている。

 

 なんでさ。

 

 まあ、レイフォードは俺より酷くて魔術で身体の三ヶ所をがっちり拘束されてるんだけど。

 

 いや、なんでさ。

 

 わけがわからないよ。

 

「逃げられても面倒だったのでな。すまない」

「いやマジで解せない……」

「お前……いないと思ったらそんなことに……」

「いっそ笑ってください」

 

 もはや犯罪者かなにかの扱いだよコレ。

 

「……さて、改めて話をしようか。リィエルの落第退学についてだが……結論から言うと、もはやこちらからでは打つ手がない。正攻法で突っぱねるしかあるまい」

「あー、気になってたんですけど……レイフォードが成績不振で退学させられるってのはわかりましたけど、ティンジェルの護衛とかはどうするんです? 元々そのための入学でしょう?」

「それを快く思わない為政者もいる、ということだ。今回の一件、原因はリィエル自身の学業不振もそうだが……それに付け込んだ連中による女王陛下への媚び売りでもある」

 

 ははあ。なるほど、要するにティンジェルの護衛っていう重要ポジションに、特務分室ではなく自分の手駒を据えておきたいやつがいる、と。

 

「そういうことだ。無論、こちらとしては心証うんぬんなどよりも信頼できる実力者に王女を任せておきたい。そうでなくとも、リィエルは既にこの学院のメンバーだ。……今さら、政府の陰謀で引き離すことなどできん」

「……そうですね。レイフォードがいなくなったら、二組はたぶん大騒動ですよ」

「だろうな。けど運の良いことに、リィエルに聖リリィ魔術女学院から短期留学のオファーが来てる。これを無事に成功させりゃ、なんとか成績に加算してこの退学通知を突っぱねられるんだが……」

 

 ここで視線を向けられたレイフォードが小さく「やだ」と言ってそっぽを向いた。

 どうやら、レイフォードは留学が嫌らしい。でも退学も嫌なんだそうだ。で、グレン先生はそんなイヤイヤ期のレイフォードにキレてお尻ぺんぺんだぞといつものように叱り付けた、と。

 

 そして弾丸レイフォードができあがったのか。納得。

 

 だが腑に落ちない点がある。

 

 レイフォードがなんでそんなに嫌がるのか……というのもそうだが、関係者と言われて俺までもがとっ捕まった理由である。

 

 話を聞く限り、接点があるよーには思えないのだが。

 

「本人から聞けば判ることだ。……リィエル。なぜ留学したくないのか、自分で言ってみろ。黙っていては伝わらん」

「う……わ、わたし……わたしは……グレンと、ルミアと……システィーナとも……アッシュとも、離れたく、ない……一緒がいい……一人は、怖い……から……」

「───っ!」

 

 ……ああ、そういうコト。

 

 レイフォードが精神的に幼い、と前に聞いたことはあった。特殊な経歴のレイフォードは、同年代に見えてもまだまだ子どもなのだと。

 今回の件も、そういうことだ。一人で留学、というのはレイフォードにとってしてみれば小さな子どもが親元を離れて見知らぬ土地に投げ出されるようなもの。そりゃ、怖いし嫌だと思うだろう。

 

 俺もカウントされているのはなんというかむずがゆいが、関係者というのはそういう理由だったわけだ。

 

「……悪かった。頭ごなしに叱っちまったが……そうだよな。不安だよな、リィエル」

「ん……」

 

 グレン先生も、それで理解したようで。さっきまでのお叱りモードはすっかり霧散していた。

 

 が、問題は解決していない。そもそもレイフォードが留学を嫌がる以上、無理に行かせたところで意味がないだろう。それどころか、致命的なトドメになる可能性だってある。

 

 なので、ここでの最適解はレイフォードに誰かが付き添っていく、というものだ。そして幸いなことにレイフォードの護衛対象であるティンジェルは女子。その友人のフィーベルも女子だ。

 

「うん、私もそう思ってた。アルベルトさん、私たちもリィエルと一緒に短期留学に行けませんか?」

「……可能だ。というより、護衛効率的にそれが最適解であると上層部は判断し、既に王女たちにも短期留学のオファーが来るように《隠者》の翁が工作をしている」

「師匠なにやってんだ」

 

 アンサー、それはお仕事。

 

 でもまあ、そういうことなら男子の俺たちは役立たずだ。ティンジェルたちがついていくのなら周囲とのコミュニケーションも問題ないだろう。たぶん。

 

「だな。聖リリィ魔術女学院は名前通り男子禁制の女子校だ。今回ばっかりは、俺もお前もついていけねえか……よし、ここは置いてけぼりの男二人で友情を深め合うとしようか(メシを奢ってください)アッシュ!」

「今なんか最低のルビ振りませんでした? ねえ」

「そのことだが、お前たちにも同行してもらうぞ」

 

 はい?

 

 グレン先生とお留守番かー、いや別にグレン先生とっていうのもなんか違うなー、などと思っていた俺の耳に、なんかちょっと道理にそぐわないセリフが飛び込んできた。

 

「問題ない。手は打ってある。グレンはそもそもの書類を捏造するとして、アシュリー、という名前も男女ともによく使われる名前だし、誤魔化しはきくだろう」

「待って待ってなにを言ってらっしゃるのかちょっとよくわからないのですが」

「そうか」

「あっ話聞くつもりないなこの人!?」

 

 パチン、とアルベルトさんが指を鳴らす。

 

 瞬間、轟音とともにチャペルの壁が吹っ飛び、盛大にぶち抜かれた穴から誰かがひょっこりと顔を出す。

 

「やあやあ諸君、呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」

 

 壁の向こうから、豪奢な金髪をなびかせながら現れたのは───第七階梯(セプテンデ)たるセリカ=アルフォネア教授。

 

 大陸最高峰と名高い魔術師は、なぜか───実に楽しげに、手をワキワキさせていた。




うおおおおおおお今日も間に合ったぞおおおおおおおおお(なお校正)


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34.教師に社会的な死に追い込まれる

明日明後日の更新は個人的な都合でかなり怪しいです……!
期待はしないでいただけると。
というかよく見たらUAがミリオン突破しててびっくり。お気に入りも2000近くになってるし、皆さま本当にありがとうございます……!感想も毎日楽しみにしております。


 セリカ=アルフォネア。

 

 大陸最高峰の魔術師。アルザーノ帝国魔術学院に在籍する教授であり、グレン先生の育ての親にして魔術の師。

 

 そんでもって───結構いたずら大好きな、困った大人なのである……!

 

「ふっふっふ〜……さぁて、まずはグレン。お前だ」

「はっ!? セリカお前、突然出てきてなに言って───」

 

 ズキュウウウウウウウン。

 

 突然俺たちの目の前でR-15ムービーが展開され始めた件について。

 近親相姦歳の差カップルか。なかなかニッチなところを攻めますね……とそっと視線を逸らした。……いや、実はメジャージャンルだったりするのか? わからんな……。

 

 というか『まずは』って聞こえたんですけど。あの、『次は』とかないですよね? ね?

 

「ブハッ……!? お、お前、俺になに飲ませやがっ……」

「んっふっふ。ま、見てろって───《陰陽の理は我に在り・万物の創造主に弓引きて・其の躰を造り替えん》!」

 

 メキメキ、という不吉な音とともにグレン先生の姿が煙に包まれ、その姿を覆い隠していく。

 正直今すぐにでも逃げ出したいのだが、相変わらずアルベルトさんが控えている上に実はまだ両手をロープで縛られたままなんだ。

 

 詰んだわ。

 

「ぐ、がぁぁあああ……!? げほっ、セリカ、お前マジでなにを……」

 

 煙が晴れ、実に嫌そうな仕草でぱたぱたと手で扇ぐグレン先生の姿がぼんやりと浮かび上がってくる。

 

 いつも通り、ぼさぼさとした男性にしては長い髪。だらしなく着崩されたシャツと大雑把に締められたネクタイ───を、布地の下から押し上げる、概ね半球状のナニカ。

 

 ……おや?

 今、男性にはそぐわないパーツがあったような?

 

「……あー、先生?」

「なんだよ……? ……ん、なんだ……俺の声、やたら甲高いな……風邪でも引いたのか?」

「いや、その……落ち着いて下を見ましょう」

「下ぁ? 地面なんかになにがあるって───」

 

 ぴしり。そんな擬音とともに、グレン先生が固まる。

 さもありなん。そこに鎮座ましましているのはまさしく男性にはそぐわない胸部装甲、女子は女子で紛争の原因になったりするという───

 

「オパーイ!? ナンデ!? オパーイナンデ!?!?」

「揉むなよ。いや自分ので混乱してるからって揉むなよ」

「うるせえ!? 突然ルミア並みの爆弾が生えた俺の気持ちがお前にわか───コッチもなくなってるゥ!!」

「ズボンの中を女生徒の前で覗き見るんじゃねえよ!?」

「後ろ向いてるからセーフだろがッ!!」

「くそ、普通有り得ない状況だからセーフかアウトか判定ができん……ッ!!」

 

 というか猛烈に嫌な予感。

 

 アルフォネア教授がなにかしたのは明白だ。それがグレン先生をにょたぁさせてしまったことも。

 そして先のアルベルトさんの発言───『アシュリーは女性名でも通る』というあの一言。そして俺が同行させられそうになっている聖リリィ魔術女学院は文字通りの男子禁制女の園───!!

 

「すみませんちょっと用事を思い出したので!!」

「逃がさん!」

「逃がして!?」

 

 アルベルトさんがこっち(ロープ)を引っ張って連れ戻そうとする───縄を引きちぎって脱出。

 即座に魔力を足裏に集めて放出。座椅子を踏み台にしながら、出入口に向かって駆ける。こんなところにいられるか! 俺は家に戻らせてもら───

 

「はっはっは……《動かない方が身のためだぜ》?」

「がッ───!?」

 

 そんなアルフォネア教授のセリフとともに、突如びしりと全身に走る緊張感。いや、それは少し正しくない。緊張より緊縛の方が正しい。身体を見ると、ここに来たときのレイフォードと同じように身体の三ヶ所が魔術で拘束されている……!

 

 無理やり動かせばなんとか突破できないこともなさそうだが、確実にそのあとが続かない。

 

「やだ! さすがに嫌です!! せめて女装で!!」

「俺としてはそれでも構わんのだが。考えてみろ、アシュリー=ヴィルセルト」

「なにをですか!?」

 

 アルベルトさんはくいっ、と今まで自分の胸を揉みしだいていたグレン先生を親指で指した。

 グレン先生は、いつの間にかアルフォネア教授と同じように手をワキワキさせていて。

 

「ッ───!?」

「グレン=レーダスという男が、自分がこんな目に遭う中でお前を見逃すような殊勝な輩だと思うか?」

「最ッ低な理由ですけど説得力半端ねぇな!!」

 

 つまりは旅は道連れ世は情け、というコトだ。

 

 この状況のどこにも情けはないけど。

 むしろ人類の醜さが、これでもかと(約一名に)凝縮されている……ッ!!

 

「ざっけんな!? 俺を巻き込まないでくださいよいい加減に!! いや手伝えることなら手伝うけどそれとこれとは別っていうか、なんで俺にフツーの毎日を送らせてくれないんですかあんたは!!」

「うっせえ! リィエルのためだ、我慢しろ! ていうか、抵抗するならそれはもうありとあらゆる手を使ってお前も同類にしてやる……!!」

「鬼! 悪魔! 金欠講師ィ───!!」

「フゥーハハハハなんとでも言えェ───!!」

 

 くっそ、こいつ本当に教職員か!? いや今さらだが!!

 しかもこっちは【リストリクション】で拘束されて動けないのに!

 

「おら飲め。そしてお前も道連れだ……くっくっく……」

「がぼっ、口に直接小瓶を突っ込むなゲホッ!?」

 

 ───結局、俺はグレン先生に強引に謎の魔法薬を飲まされたのであった。

 いやさ……口移しとかされなかっただけマシだけどさあ……。

 

 ぐええ。それはそれとしてまずい。色んな意味でまずい……。

 

「良い子良い子。大丈夫、痛くないからな~?」

「それは本当は痛いのを騙すときの常套句じゃないですか!? ちょっ、マジでやめ───」

「よーし、張り切っていってみよ~!」

 

 実に楽しそうだなコンチクショウ!!

 

 ───あ、なんか意識が。

 バキメキゴキー、とどう考えても痛くないなんてことはなさそうな音が、今度は自分の身体から聞こえてくる。

 

「痛くない、って、ぜってえ、噓だ……ッ」

「あっはっはっは! グ、グレンといいお前といい、なかなか美人じゃん!? あーっはっはっは!!」

「え、えっと……二人とも似合って……る、よ?」

「……やめてくれティンジェル。その発言はだいぶ、キツい」

 

 やたらと伸びた髪の毛が、ばさりと音を立てて地面を擦る。

 もう逃げる心配も必要もないと判断したのだろう。【リストリクション】は解除され、解放された俺は床にくずおれていた。

 

 くすんだプラチナブロンドは、腰よりもなお長いのではないだろうか。手入れをしていない割にはそれなりに整っている。

 そして───案の定、胸筋の代わりに増築された胸部装甲。

 泣きたい。

 

 しかしそれはともかく、こっちは日頃から身体をいじくってしまっているのでそれと相殺してたり妙な不具合を起こしていたら困る。主に炉心……回路とか。ので、ざっと自分の身体の調子を確かめる───うん、性別が変わった以外に妙な部分はないらしい。

 いやおかしいだろ明らかに。主に文面が。

 

「……アルベルトさん、このアホみたいな計画立てやがったのはどこのどいつですか」

「イヴ=イグナイトだ」

「イヴゥウウウウ!? あいつもしかして俺のこと嫌いなの!? ねえ!?」

「知らん」

 

 と、素っ気なくアルベルトさんは吐き捨てて『パシャッ』……パシャ?

 

「ところでアルベルトさん」

「なんだ」

「つかぬ事をお伺いしますけど、その……たった今瞬速召喚(フラッシュ)したそのでっけー箱はなんでせう?」

「む、知らないのか。これは射影機といって」

「いやそこは知ってる。知ってるけど俺が聞きたいのはですね、なんだってそんな箱をこっちに向けてンのかなんですよ。わかります?」

「撮影するためだが?」

 

 当然だろう、と言いたげな顔をするアルベルトさんwith.射影機。

 違うそうじゃない。というかなんで現像した画像に保護呪文かけて封筒に入れて鷹の使い魔に持たせてるの!?

 

「イヴが、『うまくいったら一枚くらい写真を撮っておけ』と」

「なんっでだよ! 今確信した! あいつ俺のこと嫌いだな!? そうなんだろ!?」

「それは与り知らぬが、ともあれこれで聖リリィ魔術女学院への短期留学は可能となった。どうだ、リィエル?」

「ん。……二人も来るなら、問題ない」

「あるよ、ありすぎるよ!」

 

 なんで問題ないと思ったレイフォード!?

 

 あいや、もうここまで来たら腹をくくるしかないというのはわかるけどさあ!?

 

「んー。効果はバッチリだが、どーも効きが悪いな。お前、魔術避けの護符(アミュレット)でも持ってんのか? ……ま、いいが。変身の維持には専用の薬が必須だからな、ちゃんと定期的に飲むんだぞー」

「もう完全に参加することで話がまとまってる……」

 

 慈悲はないんですか。ないよ。

 

 ───こうして、なんでか俺までもが聖リリィ魔術女学院にお邪魔することになったのであった。

 

 いやだから。なんでさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく出られないと連絡をしに行ったバイト先の店長に大笑いされ、フィーベルとティンジェルの二人にオモチャにされかかってから一日。

 

 無事に俺たちのところには聖リリィ魔術女学院への短期留学のオファーが届き、今現在はそこに向かう鉄道に乗るため、帝都の駅をさまよっている最中だ。

 

 ……いや、本当。なんでこうなった。

 

「まあ、いいじゃない。これもリィエルのためだし?」

「マジで他人事だなフィーベルさんよお……」

「他人事だもの。ま、ご愁傷さまとは言っておくわ」

「むう……」

 

 まあ、過去は変えられないし、過ぎたことをうだうだ言っても仕方ないのであるが。

 道中で懐かしの帝都に寄れたからまあ、よしとしよう。爺さんがなにか手を回したのか、昔の家はまだ当時のままで放置されているらしい。遠くから見た限りでは、昔となにも変わっていなかった。

 

「……ごめん、アッシュ……」

「あーいや、気にすんな。レイフォードの手伝いすんのが嫌って話じゃないから」

「でも……すごい嫌がってた……」

「ありゃ強引なイヴとアルベルトさんとついでにアルフォネア教授が悪い」

 

 だが、わざわざアルベルトさんたちが第七階梯(セプテンデ)を引っ張り出してまで同行させたのには一応ちゃんとした理由がある。

 

 グレン先生への嫌がらせ……というのもそうだが、そもそもレイフォードの退学騒ぎは、確かに権力争いは日常茶飯事、陰謀の渦巻く帝国政府の状況を見ればあってもおかしくはないのだとか。

 だが、レイフォードに送り付けられた『聖リリィ魔術女学院への短期留学のオファー』。こちらはあまりにも送られてきたタイミングが良すぎる。軍がレイフォードを学院に在籍させ続けるためにはこの短期留学に行かねばならない。つまり───そこになにかしらの目論見があるのではないか、というのがアルベルトさん含めた軍の判断なのだと。

 

 それを聞いてしまっては、さすがに嫌だ嫌だと言ってはいられない。特にグレン先生は。俺? 『来てくれないの?』としゅんとうなだれるレイフォードに良心が痛んだので屈しました。女の子を泣かせる野郎に人権はない。

 

 どうにかこうにか聖リリィの制服を着るのは勘弁してもらったが(ちょうど俺の身長に合うサイズの制服もなかった)、代わりにグレン先生と同じようなシャツにズボンという格好になっていた。やたらと伸びた髪の毛は後ろで一本に結んでいる。俗にいうポニーテールというやつだ。それでも長いので、腰のあたりにさらさらと髪の毛が擦れる感覚がずっとしている。

 動くたび、腕や胴に一房ずつバッサバッサとかかってくるので非常に邪魔だ。だがこの状態で髪を切ったら戻ったときにどうなるかがわからないため、仕方なく伸び放題で放置しているのだった。

 

「……と、五番線は……こっちか」

 

 グレン先生の案内で駅のホームを目指しつつ行進する。周囲には俺たち……正確にはフィーベルたちと同じ格好をした女子が大量にたむろしており、明確に示すものがなにもなくともこちらが目的地なのだと如実に表していた。

 

「うへえ……こんなに帰省してたのか!」

「みたいですね……聖リリィ魔術女学院は短期の休暇だったっていうし、みんな外に出てたんでしょうか?」

「す、すごいなあ……女の子がこんなにたくさん……」

「……ああ、すげえ光景だな。ある意味」

 

 女三人寄れば姦しい、というが。

 まだ列車に乗りもしていないのに、既に駅構内は女生徒のささやきで埋め尽くされていた。うるさいといえばうるさいが、多分これからさらにうるさくなる。

 

 そして肝心のレイフォードをチラリと見ると、苺タルトの売店で引っかかっていた。大丈夫なのかあいつ。

 

「おい、迷子になんぞ」

「ん……でも、苺タルト……」

「……今度また作ってやるから。今日は抑えろ、な?」

「……ん」

 

 それでも名残惜しそうなレイフォードを引っ張り、半ば無理矢理に連れていく。既にフィーベルたちは五番線にこっちを置いて向かってしまった。このままでは置いていかれてレイフォードの落第は早くも確定してしまう。

 

 ───俺は、ずるずるずるー、と首根っこを掴まれて荷物かなにかのよーに運ばれていくその姿が、果たして周囲からどう見えるのかを失念していた。

 

 今の俺は髪の長さで一発で女性とわかるものの、身長の高さと服装のせいでとてもではないが普通の女生徒には見えない。

 おまけにレイフォードは無表情だ。能面のような顔は遠目に見れば恐怖に怯えるいたいけな乙女に見えないこともなく、下手をしたら誘拐の現場にも見えるかもしれない。

 

 つまり、だ。

 

「あ、あの……っ!」

「……んー?」

「そ、その子を離して……あげて、ください……っ!」

 

 ……こんな感じで、予期せぬアクシデントが発生するのも、致し方のないことと言えよう。

 

「……えーと」

「どなたかは知りませんが、その子は私たち聖リリィ魔術女学院の生徒です……っ! ゆ、誘拐なんて……見過ごせません……!」

「……あのー?」

 

 誘拐じゃないんだなこれが。

 声を掛けてきたのは同年代と思しき少女だ。聖リリィ魔術女学院の制服を着ているあたり、俺たちと同じく五番線に乗って学院へ向かう途中だったのだろう。

 

「こっちはその、単純にこいつを連れて行かないといけないというか……」

「だ、ダメです! とにかくダメなんです! 早くしないと警察を呼びますよ!?」

「いや、あの……それはその……困ります……」

 

 そんなことしてたら列車が出てしまう。

 しかし野暮ったい眼鏡をかけた亜麻色の髪をした少女は聞く耳を持たず、ジリジリとこっちに近づいて来る。あ、石畳にヒビ発見。

 

「困る……? や、やっぱり後ろめたいことがあるんじゃないですか!?」

「そんなことはないんですけど……あの……あんまり不用意に近づくと転びますよ?」

 

 瞬間、少女の顔がこわばる。あ、よかった。そのまま進んでたら転ぶかもしれなかっ───

 

「──────」

「……っ?」

「……?」

 

 ───不意に感じた殺気に思わず短剣を出して身構えてしまったが、勘違いだったらしい。

 目の前の少女はおどおどとした様子で眼鏡をいじっている。無意識に触る癖でもあるのだろうか。

 

 反射的に背中に担いだレイフォードも、いつの間に作ったのかいつもの大剣を構えたまま背中でぶらぶらと揺れていた。

 だが周囲にこちらに害を為すものは見当たらない。……やはり勘違いだったのだろう。魔力の粒子に変えて散らしながら、誤魔化すように苦笑いした。

 

 ……と、まずいな。時間がなくなってきた。もうじき列車の発車時刻だ。このままでは迷子のお知らせをされてしまう。

 

「……本当に、誘拐とかじゃないんです。お───自分たちもその……聖リリィ魔術女学院に向かう途中で。はぐれそうになったから、回収してただけなんですよ」

「え……? じ、じゃあ……私の、勘違い……?」

「ん。誰だかわかんないけど……アッシュは、仲間」

 

 なんかちょっと誤解を招く言い回しやめぇ。迷子仲間だと思われるだろうが。

 

 幸い、それで眼鏡少女は理解してくれたらしい。すみません、すみませんと平謝りしながら五番線の方へと案内してくれる。

 よかった。誤解は解けたようだ。ほっと胸を撫で下ろし(手に当たる感触は努めて無視した)、レイフォードをぶら下げたままで列車の方へと二人+一人のトリオで歩いていく。

 

 指定された場所に来ると、既に列車は到着していた。待っていたのであろうフィーベルとティンジェルが、『やっと来た!』とでも言いたげな顔になる。

 大雑把な事情を説明し、さあ乗り込もうといったところで───問題が発覚した。

 

「……グレ……レーン先生は?」

「「……あっ」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───あんまり不用意に近付くと、()()()()()

 

 背の高い女性の冷徹な、だけどどこか柔らかな響きをもった声。

 ほんの少し、眼鏡を外した(スイッチを切り替えた)だけなのに……私の仇敵を背負ったままで即座に構え、氷のように冷たい視線でこちらを射貫いた彼女。

 

(……まさか、イルシアの近くにあんなやり手がいるなんて)

 

 計算外だ。これでは私の計画もどこまでうまくいくものか。

 両親の仇。炎の記憶。私の夢。

 それを払拭するための今回の計画。失敗するわけにはいかないのだ。

 

(……まずは、当初の予定通り懐に潜り込んで、信頼を築きながら……機会を窺おう)

 

 こちらが親しくすればするほど、気は緩み、イルシアと二人きりになれるタイミングも多くなるはず。

 

 よし、そうしよう。

 大丈夫、私の正体も目的もまだバレてはいない。慎重にやれば、大丈夫だ。

 

 そう自分に言い聞かせ、眼鏡を少しだけいじりながら、私───エルザ=ヴィーリフは、裁くべき犯罪者の手を引きながら、忌むべき鳥かごへと向かう鉄の蛇へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こーなる気はしてたんだよ……はあ……」

 

 ぐったりと手すりにもたれかかるグレン先生、もといレーン先生。

 レーン、というのはグレン先生が一秒で考えた偽名だ。フルネームはレーン=グレダス。なんのことはない、シンプルなアナグラムだ。それでいいのかとその場にいた全員で突っ込んだのを覚えている。

 

 かくいう俺はアルベルトさんの言った通り『アシュリー=ヴィルセルト』という名前のままで通ることになった。改竄箇所が少なくて助かったと(師匠)が言っていた───というのはアルベルトさんの言だ。嬉しくない。あの人ぜってー書類捏造してるとき楽しそうにゲラゲラしてただろ。間違いない。

 しかし当の本人の居場所は全くわからんので文句を言う相手はいないのであった。

 

「さっきはすみません……本当……」

「あー……いえ、気にしないでください。ええと……ヴィーリフさん?」

「さん、なんていりませんよ。同年代みたいですし……」

 

 俺の隣でぺこぺこしているのは、さっきこっちを誘拐犯扱いしてきた少女。エルザ=ヴィーリフ、というらしい。

 これもなにかの縁ということで、現在俺たちとヴィーリフは座れる場所を探して列車内を歩いていた。

 

「不思議よね……魔術もなしに、こんな鉄の塊が地を走るなんて……」

「煙たいしうるせえし、近所迷惑の権化だろこれ。感動する要素なんてねえっての。ケッ」

「俺は好きだけどなあ、蒸気機関車」

 

 鉄道ファン、というわけでは全くなかったが、それでももはや思い出せず、郷愁の念だけが無意味に募る故郷の面影を感じさせるものはどうも嫌いになれない。むしろ好きだ。切符を購入するときなんか柄にもなくソワソワしてしまった。

 その関係で、実は家には科学技術や東方の文化に関する学術書が結構置いてあったりする。……無論、内容を完璧に理解しているわけではないが。

 

「そうですか……皆さん、アルザーノ帝国魔術学院からの短期留学生だったんですね。……それにしても、制服のサイズがないなんて……」

「んー、ま、仕方ない。このサイズの女子制服なんてあんまりないよ」

 

 俺の身長は174センチ前後。女体化した影響で若干縮んではいるものの、それでも170はある。

 フィーベルやティンジェルは150センチ台だし、女子は基本的にそのサイズなのだろう。……こちらからすれば不幸中の幸い、といったところだが。スカート履く羽目にならなくて本当によかった。

 

「それに、アッシュさんといいリィエルさんといい……すごく体術に長けてるみたいですし。文武両道……憧れます」

「……そうか?」

 

 ヴィーリフが言っているのは多分、こっちが勘違いで剣を抜いてしまったあの事件のことだろう。

 ビビってまともに話ができなくなっても仕方ない、と思っていたのだが……なかなかどうして胆が据わっているというか。

 

「……でも、気を付けた方が良いかもしれないです。あまり強いと、あちこちの『派閥』から引っ張りだこになるかもしれないから……」

「……『派閥』?」

 

 なんじゃそら、と思いつつ、座れる場所を探して列車内を進んでいく。

 自由席車両の扉に手を掛け、一気に開け放つ。今までの個室が並んでいた車両とは打って変わって、左側に座席、右側にはカフェテーブルや調度品が置いてある。

 さすが貴族のご令嬢が数多く通う学院へ向かう専用の列車内。そこはちょっとしたお嬢様方の社交場になっていた。運の良いことに、席にもかなり余裕がある。怪しいくらいだ。

 

「ま、いいや。とりあえずどっかその辺に座っちまおうぜ、お前ら!」

 

 ───と。グレン先生が号令をかけた、そのときだった。

 

「ちょっと、そこの方々!」

 

 ずらーっ、とこちらを取り囲む女子の集団。

 いかにも『お嬢様です!』といった風体の彼女らはびしっと指をこちらに突き付けると。

 

「この車両はわたくしたち、『白百合会』のものですわ! 部外者はお引き取りくださいまし!」

 

 ……呆気に取られる俺たちに、そっとヴィーリフが耳打ちした。

 

「……その、こういうことなんです」

 

 なるほど。

 

 どうやら、お嬢様学校というのも───一筋縄ではいかないらしい。




殺しますよ(聞き間違い)(CV.能登麻美子)


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35.秩序とは(哲学)

低気圧を許すな(瀕死)


 ───グレンたちにビシー、と指を突きつけた金髪縦ロールのいかにもお嬢様然とした少女の名は、エルザ曰く『白百合会』のトップであるフランシーヌ=エカティーナというらしい。

 なんでも、聖リリィ魔術女学院にはこうした生徒同士による『派閥』があるらしく、『白百合会』は学院の伝統と秩序を是とする『派閥』なのだとか。なお、この場合の伝統とは『白百合会』における伝統であり、秩序とはその伝統に基づいた『白百合会』の定める秩序である。

 

「この車両は伝統的に、我々『白百合会』にのみ使用が許された場所なのです。

 ───そう、そこが自由席であろうと、指定席であろうとも!」

「なんっでだよ、なにが秩序だ公共のルールを先に守りやがれ!?」

 

 正論である。

 グレンから飛び出たとは思えないほどのド正論である。

 

 しかしそれにフランシーヌは応じない。あくまでも『悪』は(『白百合会』の定めた)秩序を守らないグレンたちである。

 が、いかに貸し切りの列車であろうが(当然ながら)公共機関でそんな学校内での一方的なルールがまかり通るはずもなく、グレンのツッコミは留まるところを知らない。それを組織のトップであるフランシーヌへの侮辱と取ったのだろう、周囲に控えていたこれまたお嬢様らしい雰囲気をまとう少女たちがじりじりとこの不埒な輩を取り押さえようと包囲網を狭めていく───

 

「ふん、相変わらずバカバカしいことやってやがるなあ『白百合会』さんよお!」

「なっ、あなたは───!」

 

 高まる緊張感の中、ばーん、と扉を開けて登場したのは黒髪ロングの少女……を、中心とした複数人の少女である。

 キッチリと折り目正しく制服を着こなしているフランシーヌたちとは逆に、こちらのグループはほぼ全員が制服を着崩し、じゃらじゃらとアクセサリーをつけた……まあ、率直に言ってしまえば『チャラい』格好をしている。

 

「コレット!? なぜあなたたちまでここに……ここは『白百合会』の───!」

「はっ、くだらねえな! そんなもん気にしてケンカばっかしてるんじゃ世話ないぜ! ───だからアタシたち『黒百合会』は自由に座る!

 そこが自由席だろうが、指定席だろうがな!」

「それはそれでアウトでは? どうしてそう両極端なんですのん?」

 

 さすがに堪えられなかったのか、傍観を決め込んでいたアシュリーまでもがツッコミに転じる。

 

 結局のところ、どちらにも正義はなかった。

 一度ツッコミを入れはしたものの、正直付き合いきれない。付き合う必要はないと言われればそれまでだが。

 

 ぎゃんぎゃんと外野に構わずヒートアップしていく口論、時折こっちに飛んでくる言いがかりにため息をつきつつ、もはやアルザーノ帝国魔術学院からの留学生御一行様はそれをぼーぜんと見守るしかすることがなかった。

 アシュリーなんかはもう興味が薄れたのか、あくびをこぼしながら手すりにもたれている。

 

「……ちょっと。聞いてますの、そこのあなた」

「ふぁ……ん?」

 

 ぼけーっと突っ立ったまま、流れていく窓の外の景色を眺めていたアシュリーをフランシーヌがじろりと睨み付ける。

 自分たちの守る秩序がいかに尊いか、こんこんと語って聞かせていたというのに……この女性は聞いている素振りを見せなかった。本来であればフランシーヌとてこのような田舎者よりも狼藉を働くコレットの方に集中したいのだが、いかんせんアシュリーは背が高く髪も長い。要するに、めちゃくちゃ目立つのだ。

 

 言い争いの最中にチラチラとそのくすんだプラチナブロンドが視界に入るたび、フランシーヌの苛立ちのボルテージは微妙にではあるが上がっていた。

 

「うん、ちゃんと聞いてましたよ? 景色が綺麗だなーとか思いながらだけど」

「それは聞いていたではなく、聞き流していると言うのですわ!」

「では訂正を。ちゃんと聞き流してました」

「こん……のぉ……っ」

 

 淡々と語る女性は実に退屈そうだ。今も、激昂するフランシーヌを前にしながらも『言っている意味がわかりません』とばかりに小首を傾げている。微妙に絵になっているのがなおのこと腹立たしい。

 いや、よく見れば彼女だけではない。似たような格好をした黒髪の女性もそうだ。興味なさそうに、というか呆れたようにこっちを見ている。

 

 フランシーヌは激怒した。必ずかの邪智暴虐の見知らぬ女性たちに秩序を重んじる『白百合会』の鉄槌を食らわせねばならぬと決意した。

 フランシーヌには庶民の考えがわからぬ。ついでに敵対する『黒百合会』を率いるコレット=脳ミソまで筋肉=フリーダの考えていることもわからぬ。だが自身への侮辱には人一倍敏感であった。

 

「おい、今ついででしれっとバカにしなかったかテメー」

「自意識過剰なのではなくて?」

 

 勘の良い方ですこと、という本音はこっそり隠しつつ、フランシーヌが嘆息する。

 

 時々いるのだ。伝統と規律を蔑ろにして、自分勝手なルールを押し通そうとする輩が(一般的な観点から見ればフランシーヌたちがまさにそれなのだが)。

 そしてどうやら、コレットの方もこの招かれざる客が目障りであるのは同じだったらしい。見れば、既に握り拳を密かに固めている。さすがに見知らぬ人間に実際に暴力を振るうまでは至らないだろうが、なにかのきっかけがあれば三つ巴の乱戦に発展しかねない雰囲気だ。

 

 ……いや、実際そんな雰囲気に陥っているのは主にフランシーヌとコレットの方であって、グレンたちは『なんか面倒くさいから別の場所行こうかなあ』なんて思っているのであるが。

 いつの間にやら一行の側にいた灰色のおさげ髪の少女もうんうんと無表情に同意していた。ジニーというらしい少女の「後部車両なら派閥フリー」の言葉に、グレンたちがそちらを視野に入れ始める。というか凄まじい勢いで選択肢候補の第一位に躍り出ていた。

 

「……あの、二人とも……今日は、やめよう? 留学生の人たちが迷惑しちゃうと思うよ……?」

 

 そこに割って入ったのは、意外な人物だった。

 

 エルザだ。大人しく隅で本でも読んでいるのが似合いそうな少女が、睨み合うフランシーヌとコレットの間に介入したのだ。

 大人しく見える、というだけで、実際のところはかなり図太い……もとい芯が強いのかもしれない。

 

「これから一緒に勉強する仲間なんだし……今日くらいは、どうかな……?」

 

 おずおずと、ではない。真っ向から二人を見据え、エルザは眼鏡越しに二人に懇願するような瞳を向けている。

 ……だが、興奮した二人には通じなかったらしい。フランシーヌとコレットは、ピリピリした空気に割って入ったエルザを疎ましく思ったのか声を揃えて提言を拒絶し、あまつさえ反射的にであろうがエルザを突き飛ばした。

 

 運動はあまり得意ではないのか、踏ん張りきれなかったエルザの身体がぐらりと傾ぐ。

 その小さな頭が向かう先は鉄でできた硬い手すりだ。このままいけば衝突は必至、怪我を負うことは避けられまい。

 

 突き飛ばした二人もそれを理解したのだろう。さすがに顔色を変え、エルザの腕を掴もうと手を伸ばす───が、間に合わない。

 無慈悲にも、か弱い少女の姿がどんどん傾いていく───

 

「ん」

「……えっ?」

 

 ───あわや大惨事、という数歩手前で、幸運にもその背中を支える人間がいた。

 

 リィエルだ。瞬間移動と見紛うほどの速度でエルザの背中を支えられる場所まで移動し、激突を防いだのだ。エルザよりも小柄であるにも関わらず、しっかりと危なげなくその身体を片手一本で支えているのはさすがとでも言うべきか。

 

「怪我は?」

「な……ない、けど」

「ん。ならいい」

 

 短い言葉だけを残して、リィエルはささっとこの中では一番背の高いアシュリーに隠れるように元の場所へと戻ってしまった。人間的に成長したとはいえ、未だにグレンたちのような身近な人間以外と関わるのは苦手なのだろう。

 同じ学校に通う少女に怪我をさせかけた、という事実と気まずさを誤魔化すように、微妙な空気になってしまった車両の中でフランシーヌとコレットが言い争いを再開する。

 

「……ま、こうなったら呪文が飛び交うのも時間の問題ですし。この派閥対立(笑)(カッコワラ)に巻きこまれたくなければ、素直に後部車両への避難をお勧めします。では」

 

 言うだけ言って、すったかたーとジニーがフランシーヌのキンキン声に応じて乱戦に参加していく。

 

 先ほどまでの無気力で無表情な少女の姿はどこへやら、すっかり忠犬モードに様変わりしたジニーが拳を構えたコレットと激突する。

 

 呼応するように、周囲の少女たちも呪文を唱え始めて───

 

「て、撤退ィーーーッ!!」

「さんせーい」

 

 グレンがシスティーナとルミアを、アシュリーがリィエルとエルザをそれぞれ引っ張りながら後部車両へと退却していく。

 

 置き去りにされた車両からは、ひっきりなしに乱闘の音が響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちらり、と本から視線をズラし、窓の外を見つめる女性を覗き見る。

 

 こちらをじっと見ているイルシア(リィエル)とは違って、アッシュと名乗ったこちらの女性はなににも興味がないかのようにただひたすら流れる景色を眺めている。

 

(イルシアは彼女に懐いているみたいだし……まずは引き離すか、両方から信頼を勝ち取りたいところだけど)

 

 この様子を見る限り、周囲の人間には興味がないのだろうか? いや、先ほどの一幕ではイルシアに先を越されてこそいたものの、こちらに手を伸ばそうとしていた。小柄な分動きやすいイルシアが先手を取っただけで、あのままだったとしてもそのときはアッシュが自分を支えていたはずだ。

 

 興味がないように見せかけて、その実状況には気を配っている?

 

 いや、単純に個人に対する興味が薄いのか? 俯瞰している……というのが、もっとも適した言葉だろうか。

 

(……未知数すぎる)

 

 まったくと言っていいほど笑わないのもまた不気味だ。まるで氷か、そうでなければ機械のよう。

 困り顔も呆れ顔も見せるけれど、笑ったところは未だに見ていない。人間味が薄いのだ。感情がない、というわけではないはずだけど。

 

 じっと観察しているのは仇敵ではないけれど、目的を履き違えてはいない。私が討つべきはイルシア───リィエルと名乗り、姿を変えて、立派な軍人だった父を殺しておきながら、どういう手を使ったのか私が憧れた軍に所属している卑怯者だ。アッシュを討つ理由はない。

 この短い時間だけでもわかる。不気味に感じるところはあるが、彼女は間違いなく人格者だ。秩序を重んじ、善を尊び、悪を滅する英雄的な性質の人間だろう。少々、手段や口調が野卑だが十分に好ましい人物と言える。

 

 だがイルシアがアッシュと一緒にいる時間が長い以上、目的を達するには二人をどうにかして引き離さねばならない。でなければ巻き込んでしまう。説得してともに戦う? なしだ。自分の手で決着をつけてこそ意味があるのだから。

 

 で、あれば……さて、どうするべきだろう?

 

 まだまだ時間は十分にある。短期留学は二週間。それだけあれば、イルシアだけを誘き出すことは可能だろう。

 もう一度、ちらりとアッシュの横顔を覗き見る。……いつの間にか、彼女は眠っていた。ここまで長い旅路だったというし、他の面々もイルシアを除いて既に眠ってしまっているのだから、なんらおかしなことではない。

 

 いや、それよりもイルシアだ。二人だけで語らう時間というものはなかなかに稀有である。

 

 小動物かなにかのように無垢な視線を受け止めて、眼鏡をかけたままの私は言葉を選んで憎い仇に声を掛ける。

 

 ───いつか私が、この手で父の気高さと強さを証明するのだと、それだけを胸に抱いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───雪景色を見た。

 

 ただ一人立ち尽くす、強く気高い英雄を見た。

 

 父の剣を鍛え直し、父の仇を倒し、ついには悪竜現象(ファヴニール)まで打ち倒した大英雄。

 

 立ちはだかるもの全てを破滅へと導くその姿に、子どものように憧れた。

 それだけの力があれば、守れぬものなどなにもないと。

 

 知らぬ間に、眠りのようにもたらされる密やかな終わりなど、決して迎えはしないだろうと───

 

 ……だけど、オレはその英雄に憧れはしたが、成りたいとは思わなかった。

 

 自分は凡庸な人間だったから、眩く輝く(英雄の姿)は眺めるだけで良かったのだ。

 

 英雄は笑うものではなく、只人の笑いを守るもの。

 

 オレは笑っていたかったし、英雄譚にも興味はなかった。

 

 守るために英雄に成る、とか。

 もう失わないように戦う、とか。

 

 そんなことは選べない、ただの無力なヒトであったのだ。

 

 ───そんな現実(理想)は、もう灼けてしまったけれど。

 

 失い(一度目)喪い(二度目)灼き尽くされた景色(一面に広がる喪失の炎)の果て。

 

 ただ降り積もる灰は、かつての理想(幻想)を探し続ける。

 

「あんたなら、そうはならなかったのか」

 

 炎の館。

 

 燃え上がる神の牢獄に、英雄が対峙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 寝て起きたら目的地の敷地内に到着しててすげービビったでござる。

 

 駅前の宿屋で一泊し、肉体的な疲れとか精神的な疲れとかをスッパリ癒してから、一時的に通うことになった学院目指してみんなで歩く。

 

 道中にあった生徒のための街は想像以上に華やかで、フェジテとはまた違った趣きだった。

 便利だよね、趣きがあるって言葉。うん、趣き趣き。

 

 だがそれはそれとして、グレン先生が指摘した通りここは陸の孤島。息が詰まりそうという意見にも同意せざるを得なかった。

 

 正直、女子校ということにさえ目を瞑れば学校生活であることに変わりはないのでそこまで嫌というわけではないのだが、このぐらいになるとさすがに場違い感が勝つ。

 肩身も狭いし。もう今回の俺はグレン先生たちにくっついていくしかない。問題はなるべく起こさない……そう……必要なのはステルス機能、気配遮断スキルなのだ。間違ってもフェジテの面々にしているように反射的に煽ったりしてはいけない。もう手遅れか。

 

 学院長室で聖リリィ魔術女学院の学院長であるマリアンヌさんに歓迎の言葉を受けたあと、俺たちはフィーベルから最後の確認を受けていた。

 

「いい、リィエル。うっかりみんなのことを斬ったりしたらダメよ。お利口さんにしてないと、留学が失敗しちゃうかもしれないから」

「ん。……グレンも、友達を作れって言ってたし、がんばる」

「アッシュは問題を起こさないように。絶対に首も突っ込まないで」

「待った。異議を申し立てるぞフィーベル。俺はそんなトラブル大好き人間ではない」

「トラブル寄せては突っ込んでってるでしょうが! 自覚しなさい!」

 

 そんなことはない。ないよ?

 あっちから来るんであって俺自身はごくごく普通の日常生活を望んでいるよ?

 

 学院に襲来したテロリストに、たまたま遭遇しちゃったキメラの群れに、たまたま敵だったエレノアさんに、家から出たらコンニチハした謎の生ける屍に、そいつらに誘導されて遭遇した変態に、出口を探してたら偶然遭遇した魔人に。

 

 ほら、羅列してみても概ね俺のせいじゃないじゃん。

 偶然、それに抵抗できるだけの手段があっただけで。

 

「……一般人はもっと逃げ惑うものなんだけど」

「いやあ……ほら、抵抗しないと死ぬような状況だったし……」

「はあ……まあ、いいわ。とにかく問題を起こさないこと! いいわね!」

「へーい……」

 

 不承不承頷くと、それでフィーベルはひとまず納得してくれたらしい。うむ、と一つ頷いてからグレン先生にもいつものお説教をかましている。

 

 ところでマリアンヌさんからうさんくさいオーラが漂ってるんだけどそこんとこどうなんだろう。

 

 今回の話は最初っからきな臭いと言えばその通りではあるんだけど。

 

「ま、腐ってもお嬢様だ、そうそう酷いことにはならない……と、言い切れたら楽だったんだがなあ……」

 

 がしがし、と長くなった髪の毛をかきむしりながらグレン先生。

 マリアンヌさんですら『グレン先生の担当クラスは問題アリ』とぶっちゃけトークをしてしまった二年次生月組。その内情は未だ不明だが、どーせ面倒くさいことになるに違いない。

 

「せめて、普通に授業受けるくらいはできりゃいいんだけど」

 

 どこにも届かなさそうな祈りをソラへと投げつつ、俺たちはグレン先生のあとについて教室内へと侵入するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーっほっほっほ! なかなかに良いお味ですわね!」

「よっしゃ、いい引きっ! チップを十枚レイズだぜ!」

「きゃーっ、フランシーヌお姉さま、素敵……!」

「コレット姐さん、そりゃないですよおー!」

 

 なるほどー。問題ってそういう意味だったかー。

 

 教室の東西に分かれて、授業中にキャッキャウフフと実に楽しそうにお茶会とゲーム大会をしているエカティーナとフリーダ……の二人を中心とした二つのグループを見ながら、俺は密かな納得の念に内心でため息をついた。

 蒸気機関車内でもかち合った『白百合会』と『黒百合会』のトップが同じクラスに在籍している。それだけでもう面倒には違いない。

 

「ああもう、お前らうるせぇぇぇええええぇええええええ!? 真面目に授業を受けやがれ、このスットコドッコイどもが! いい加減にしねえとお尻ぺんぺんの刑に───」

「部外者のあなたは黙っていてくださいましっ!」

「すっこんでろ先公! さっきからごちゃごちゃうるせーんだよっ!」

「ぎゃああああ!?」

 

 あ、グレン先生が吹っ飛んでいった。なんかほっこりするな。いつも通りの毎日って感じで。……飛んできた呪文の量と敵意は比にならないが。

 

 まあ、やたらと頑丈なグレン先生だ。大丈夫だろ。

 

「その……ごめんなさい、皆さん……はるばる遠いところから来てくださったのに、こんな有様で」

「ヴィーリフが謝ることじゃないとは思うが。……でも、本当にすごいなこれ。どの辺が秩序なのか是非とも聞いてみたい」

「あー、それはですねー。このおバカお嬢様たちは伝統的に今を『朝のお茶会』と定めてまして。他にも授業そっちのけで家庭教師を呼んで開かれるお勉強会とか、伝統を守ることそれ自体には忠実なんで、その辺りが秩序(笑)らしいです」

「……あんた、キサラギ……だっけ?」

「です。覚えてもらえててありがたいですね」

「名前はともかく、そこまで露骨な棒読みをするやつを忘れるのはなかなかに無理があるぞ」

 

 レイフォードとはまた別ベクトルの不思議ちゃんとみたからな。

 

 それはそれとしてキサラギって苗字が東方っぽくて俺はとても好みです。

 

「それはどうも。家名からわかると思いますが、これでも一応東方の技を継いだ『シノ───」

「ちょっと、ジニー! 早くお茶のおかわりを!」

「はっ! ただいま参ります、お嬢様!」

 

 しゅばっ、とこっちが見惚れてしまうぐらい鮮やかな変わり身(性格的な意味で)を披露してさっさとエカティーナの方に参上するキサラギ。すごい。色んな意味で。

 

 しかしこのままでは授業にならない。授業にならないとなにが起こるかといえばレイフォードの単位が認められない。故に、気に入る気に入らないはおいておくにしてもこの状況はどうにかせねばならないのだ。

 

 ちら、とグレン先生を流し見る。……あ、あれは強行突破の構えですね、わかります。

 

「どぉぉぉっせいやぁああぁぁああああああ!!」

 

 こちらもこちらで無駄に惚れ惚れするような見事な動きで生徒たちの広げていた諸々を処分していく。ティーセットは蹴っ飛ばすことで台無しにし、トランプなどは窓から投げ捨てて回収不能に。

 

「ふぅっ……廃棄物処理は気持ちいいなあ……!!」

 

 爽やかな笑みを浮かべるグレン先生。

 

 今回ばっかりは全面的に同意である。




この辺はなぞるしかできないので派手に動くのはもうしばらく後かな……。


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36.ニンジャっていいよね

うわあああああああああ結局二日空いたあああああああ大変お待たせいたしましたすみません!!(ムーンサルトジャンピング土下座)
色々あって体調崩してたり、プロットちゃんと組み直したりしてたら遅くなりました!ここから徐々にペースを戻していきた……いけたらいいな……。


「……一つ聞いていいですか? グレン先生」

「なんだ? 言ってみろ」

 

 晴れ渡る青空、柔らかな芝生。

 そしてそこにずらりと並ぶ、聖リリィ魔術女学院の生徒たち───の先頭で、敵意マシマシの目でこっちを睨んでくるエカティーナ・フリーダ・キサラギの三人組。

 キサラギはともかく、他二人の言わんとしていることはわかる。『首洗って待ってろよテメェ』である。

 

「なんだって俺が、この状況で、こいつらとサブストをすることになっちゃってるんです!?」

 

 俺の心からの文句に、グレン先生はゲラゲラと笑っている。腹立つ。後ろではフィーベルとティンジェルが困ったように苦笑いをして、レイフォードは少し離れた場所でぼけっと突っ立っている。

 

「ふっふっふ……覚悟することですわね。あなたがたのようにこの学院にふさわしくない田舎者など、即刻叩き出して差し上げますわ」

「くっくっく……覚悟しておくんだなぁ、このおのぼりさんよぉ……ソッコーでごめんなさいって言わせてやるからなあ?」

「あんたら意外と仲良いのでは?」

「冗談もほどほどにお願いいたしますわ!」

 

 敵意ギラギラでこっちを睨むエカティーナとフリーダ、その後ろで呆れたような顔をしているキサラギ。

 ……なぜこうなっているのかといえば、それはまあ、半分くらい俺が原因なのだが。

 

 経緯をかいつまんで説明すると、こうだ。

 

 グレン先生が、エカティーナたちが広げていた『授業にふさわしくないもの』をダイナミック不法投棄したそのあと。まあ当然、あの二人をはじめとした月組の面々はブチギレた。

 そりゃそうだ。格下……というと少し違うかもしれないが、ともかくそんな立場のグレン先生が、自分たちの決めたルールを容赦なくぶち壊しにしたんだから。

 

 が、問題はこのさらにあとで。

 

 ブチギレたエカティーナたちはその矛先をこっちに向けた……というか、口々にアルザーノ帝国魔術学院とそこからの留学生である俺たちをこき下ろしはじめたのだ。

 やれアルザーノ帝国魔術学院の授業は卓上のママゴト、やれ実戦的ではない、やれ田舎くさい……その他諸々エトセトラ。貴族ってどうしてこう、他者をこき下ろすことにかけては天下一品なのであろうか。いや、ここの閉鎖的な環境が悪いのか……? ナーブレスは……ダメだ、ドジっ子な部分が目立ってしまってわからん。

 

 しかしこれにはさすがにフィーベルも激おこ。俺は面倒なことになったなあと遠い目。ティンジェルは苦笑、レイフォードはいつも通りという状態だった。……正確に言うとグレン先生のダイナミック不法投棄にキレた生徒にフルボッコにされてた辺りで剣を抜きかけていたが、ヴィーリフが止めてくれたっぽい。

 

 ───が。

 

「ふっ……いいぜ? そこまで言うんなら勝負しようか。ちょうど、次の授業は『魔導戦教練』だしな。お前らが『田舎くさいがり勉』ってバカにしてるやつらの実力を見せてやるよ。三対三のパーティ戦でどうだ? こっちが負けたら俺はこの学院を出ていく。逆に勝ったら……なんでも一つ、言うことを聞いてもらおうか」

「……言ったな? いいぜ、吠え面かかせてやんよ。そこのデカ女にもな!」

「まったく、野蛮ですわね。……ですがわたくしも、そこの方の振る舞いには物申したいことがございますし、良い機会です」

「……おや?」

「ほう、アッシュをご指名とはいい度胸じゃねーの。よし、ならこっちの切り札のリィエルは封印してアッシュにやらせてやるよ!」

「おやおやおやあ?」

 

 というわけで、なんでか俺がレイフォードの代わりに入ることになったのであった。

 

 いやおかしいよ。問題が起きないように、よしんば起きたとしても巻き込まないようにと思っていたのになんでだよ。

 確かに若干列車でついいつもの癖で煽ってしまった記憶はあるけどさあ! それか!? それがあかんかったのか!? くそう! ……どう考えてもそのせいだよな。完全に自業自得です本当にありがとうございました。

 

「……まあ、レイフォードが出たら瞬殺だろうし……ある意味ちょうど良かったのか……?」

 

 俺も色々あって成長(と言っていいのかはわからないが)をして、ようやく打ち合える程度にはなったものの、まだまだレイフォードと並ぶほどにはなってない……と、思う。実際にやったことがないからなんとも言えないが。

 レイフォードは黒魔術による攻撃は壊滅的だが、錬金術と剣技に関してはずば抜けている。今回のパーティー戦のルールは近接格闘と模擬剣あり。要するにレイフォードの独壇場だ。一対三でも圧勝するに違いない。

 

 なのでまあ、レイフォードの代わりに俺が出張るのは実は相手方からしてもありがたいことだったりするのだ。

 

 ……たぶん。

 

「さてと……んじゃ、ルールの再確認だ。お前らがやるのは三対三のサブスト。非殺傷の呪文を軍用魔術として扱う、よくあるルールだな。近接格闘と模擬剣の使用も許可する。それでいいな?」

「ええ、異論ありませんわ。……ですが、一つだけ追加ルールを。炎熱系呪文だけは使用禁止でお願いします」

「……炎熱系禁止ぃ?」

 

 妙なルールに、グレン先生が怪訝そうな声を出した。炎熱系は確かに、火傷などの治りにくい傷を負いやすい。治癒魔術があるとはいえ、髪の毛などが焦げたらさすがに戻らないだろうし。

 ここにいるのは女子ばかりだし、そういうのを嫌がったのだろうか? それにしては表情が真剣だが。

 

「ま、いいぜ。炎熱系呪文はなし、だな。お前らもそれでいいな? ああ、アッシュは剣禁止な」

「承った。……他に制限は?」

「なくていいだろ。剣も模擬剣だし……結局、お前が俺以外と実際に戦ってるところなんてほとんど見てないしな。ちょうどいい機会だ。ま、加減はしろよ?」

「善処します」

 

 本気で殴ったりしたらどっか折りそうだし、加減をしろという指示に否やはない。

 

「……なんだあ? アタシらを当て馬にしようってか?」

「……そのようですわね。コレット、今だけは因縁は後回しにいたしましょう」

「同感だ。まずは……このクソ生意気なおのぼりどもを叩きのめす!」

 

 やだ……殺意……。

 これが実戦だったら殺されかねない……。そうなったら殺すけど……。

 

 そんな風に思っていると、相手の準備も整ったらしい。こっちの前衛は俺一人だが、相手はフリーダとキサラギの二人だ。その前衛の一人であるキサラギが、短剣を片手に一本ずつ持ちながら爆ぜるように肉薄する。

 どうやらキサラギがこっちをひっかきまわして、その間に後衛二人を潰そうという魂胆らしい。レイフォードじゃなくてよかったね、本当。

 

「……すみませんね、うちのバカお嬢どもが」

「ん……や、ついで煽ったこっちにも非はある。勝手に見下してこき下ろすのはどうかと思うけど」

「ごもっとも。……弁護する気もあれに同意する気もないですが、一応、幼い頃から苦楽をともにした姉妹みたいなものなので。遠慮なしでいかせてもらいます───よッ!」

 

 極端にすぎる前傾姿勢。ついさっきまでこっちに迫っていたはずのキサラギの姿がかき消える。───上か。

 

「はぁぁあああああッ!」

 

 奇襲なんだからもう少し静かに突貫してはどうだろうか───などと言うのは無粋か。

 頭上から降ってくる銀閃をひょいと躱し、すれ違いざまに腕をひっつかんで吹っ飛ばす。殴りさえしなければ怪我もさせない、誰も傷つかない、ハッピー。

 

「ぐぅ……っ!? ど、どんな筋力してるんですかあなた!」

「試したことないけどライオンくらいなら投げ飛ばせると思う」

「……バケモノですか」

「失敬な」

 

 ずざー、と地面を削りながら勢いを殺し、キサラギがもう一度こっちに迫ってくる。が、さすがにそんな見えやすい攻撃に乗ってやるわけにはいかんのでこれもひょいひょいと避けていく。

 剣がないのは少し不安だったが、これなら素手でもなんとかなりそうだ。中途半端なところまでしか教わってなかったとはいえ、拳闘もそれなりに鍛えているのだ。グレン先生との特訓もあるしね。

 

「……あなた、そうでもないように見せかけて……相当な使い手ですね? 私が突貫するまで、一切そんな気配はなかったのに……」

「切り替えは得意な方なんだ。そっちも、学生の割には結構やるんじゃない?」

「あなたに言われると、皮肉にしか聞こえませんね。……せめて、一撃は食らわせてみせます。『シノビ』の誇りにかけて───!」

「え、ニンジャ!?」

 

 ニンジャ!? マジで!?

 確かに、キサラギのこのすばしっこさはニンジャっぽいと言えばニンジャっぽいが。まさかこんなところでお目にかかれるとは思わなかった。……やべ、テンション上がってきちゃった。

 

 サムライもいたりするって聞くけど、実はここにいたりしないかな。さすがにそこまで都合良くはないか。

 

 続く二閃。避ける。背後から忍び寄る刃を叩き落とす。くるりくるりと舞のように軽快なキサラギの動きは、微かに記憶に残る枝葉に似ていた。『きさらぎ』は確か二月の意だが、どちらの人生でも、二月であってもオレの故郷に雪は降らなかった覚えがある。名前の割には温暖だった。たぶん。肝心の名前はさっぱり思い出せないが。

 

 焼け焦げた記憶が刺激されるのが嬉しくて、ついついニィと口の端っこを持ち上げながらキサラギの動きに付き合ってしまう。ま、あの二人はフィーベルとティンジェルで十分対処可能だろうし別に良いだろう。

 

「……ああ、困るなあ」

 

 グレン先生やレイフォードの行く末がかかってるとか、綺麗さっぱり忘れてしまいそうだ。

 

 嬉しくて楽しくて仕方ない。自分らしくもないが、まあそういうこともあるだろう。

 

「ちょお、なんですこのバーサーカー!? もうちょっと知的なイメージがあったのにぃー!?」

「幻覚だ。忘れるといいさうっふっふっふっふ……ああ、楽しい。久しぶりに生きてるって感じする」

「こいつもうヤダー!?」

 

 ヤダヤダと言っても一度仕掛けた相手から撤退するのはプライドが許さないのか、キサラギが退く様子はない。好都合だ。こと魔術戦で、初等呪文を大雑把にしか使えない俺では連携がかなり怪しい。ルーンだと普通に使うとC級軍用魔術程度の威力はあるし、ただの模擬戦で使うのはちょっと不安。ここは信頼関係のあるフィーベルとティンジェルのコンビに任せた方が良いだろう。

 フリーダが突っ込んできたらそのときはそのときだし、魔術もアルベルトさんの【ライトニング・ピアス】ならともかく、【ショック・ボルト】程度なら勘で避けられる。

 

 上段回し蹴りを腕で受け止め、お返しとばかりにこちらも脚を叩き込む。加減はしている……はずなので、別に受け止めても骨が砕けたりはしないはずだ。

 ニンジャというだけあって身軽なのか、キサラギは側転でそれを躱すと短剣を握りしめ、今までとは若干違う挙動で身体を捻る。……む。やらせたら面倒だな。

 

 たん、と一歩下がり、上空へ逃れる。当然こっちを追尾してくるが、まあ問題ない。拳を振り上げ、落下しながら思いっきり力を込める。

 

「……やっば!?」

 

 度重なる戦闘で、こっちの攻撃をまともにくらってはまずいと理解しているのだろう。キサラギは慌てて短剣を交差させて防御姿勢に入る───が、当然それは織り込み済み。

 落下しながらの攻撃はキサラギの身体を掠め、真っ逆さまに地面に落ちていく。大振りな一撃を外し、大きな隙ができた……と判断したのか、構え直してキサラギが攻撃に転じる。

 

 それを見ることもなく、地面に向かって落ちる拳をぱっと開いて支点にする。未だに空中にある身体を捻り、ベクトルを下から横に強引に変更。とくれば、当然捻られた身体は横に向かってぐるりと回る。

 下+横で斜め下に向かって足がしなる。キサラギの極端な前傾姿勢は、上部に大きな空間の余裕ができる。なにが言いたいかといえば───体格の差もあって、上から蹴りを叩き込むのは比較的容易ということだ。

 

「あぐっ───!?」

「一本、と」

 

 せっかくこんなに楽しいのだから続けたいのはもちろんなのだが、このままだと本当に目的を忘れそうだったので反撃。キサラギはあっさり地面に沈んだ。

 

「ジニーッ!?」

「そんな……ジニーは、近接格闘戦ならコレット姐さんにも匹敵するのに……」

「起き上がり……はなしか。フィーベルー、そっちはどうよー?」

「全然問題ないわね」

 

 風を巻き起こしながら応じるフィーベル。その背後ではティンジェルが淡々と呪文を紡いでいる。どうも、あちらも余裕らしい。こっちの会話が聞こえたのか、キサラギを倒された二人はぷるぷると震えている。……キレたか。

 キサラギの実力に信を置いていたのか、こっちを倒すのは後回しにしてまずはフィーベルたちをコテンパンにのそうという方針に切り替えたらしい。そういうことならわざわざ攻撃しにいくこともないか。邪魔になりそうだし。

 

「《雷精の紫電よ》───ルミア!」

「うん! 《虚空に叫べ・残響するは・風霊の咆哮》───!」

「ぐっ……!? ああもう、なんなんだよこいつら!」

「《大気の壁よ》っ! ジニーがやられた以上、もうこちらにはあとがありませんわ! 突っ込みますわよ、コレット!」

「言われなくても───!」

 

 ……あ、死んだなあいつ。

 

 そこで突っ込むのは悪手ですよ。

 

「うおおおおおおお!?」

 

 あーあ、飛んでっちゃった。

 たぶん、ティンジェルが地面に【スタン・フロア】でも仕掛けていたんだろう。うっかり踏み込んだフリーダは天高く舞い上がった。べしゃっ、と勢いよく地面に落ちる。受け身は取ったようだが、致死判定は免れない。

 

「コレット───!?」

「《大いなる風よ》っ!」

「え、あ、しまっ……きゃああああ!?」

 

 吹っ飛んでいったフリーダを気にしすぎたエカティーナも、フィーベルの【ゲイル・ブロウ】で場外負け、と。

 ……ふむ。キサラギもダウンしてるし、これで終わりかな?

 

「う、噓だ……あの三人が、こんなにあっさり……?」

「なんなんだ、あいつら……!」

「くくく……これが、お前らがバカにしていたアルザーノ帝国魔術学院のイモくさいがり勉の実力だぜ? ……さて、と……次。こいつらを相手にしたいやつは?」

 

 ニタァ、とすごくいやらしい笑みを浮かべるグレン先生。あんた本当に教職員かと言いたくなるが、まあうちの学院の講師は濃いやつばっかりだし今さらか……。

 

 クラス最強の三人組が負けたのを見ては、さすがに抵抗する気力も起きないのだろう。月組の女子たちが、ガタガタと震えながら首を横に振っている。

 これでこの女子たちのメンタルは叩き潰したと判断したグレン先生が、さっきの三人組を引っ立ててお説教を始める。『なんでも言うことをひとつ聞く』、の内容は『真面目に授業を受けろ』、になったらしい。

 

 ちなみに指導の内容としては───エカティーナ。顔に出過ぎ。フリーダ。単純にバカ。キサラギ。プライドに拘ってないで退くときは退け。などなど。

 

「お前ら、魔術を崇高な力とか語る割には肝心の知恵がすっぽ抜けてんだよ。ナイフ振り回してるそこらのチンピラとなんら変わりゃしねえ。今のお前らは粋がってるだけのただの『魔術使い』だ」

「うっ」

「ううっ」

 

 こうもコテンパンにされては反論もできないのか、正座しながらうめくしかできないようだ。

 こういうところを見ていると、グレン先生、本当に態度以外は教師として満点なんだけどなあ……という思いがよぎる。

 

「短い時間だけしかいないが……俺なら、お前たちを『魔術師』にしてやれる。興味ないやつは茶会でもゲームでもなんでもやってろ。ただし教室の外でだ。それがわかったんなら好きにしな。……いいな?」

「は、はいっ!」

 

 不敵に笑うグレン先生と、すっかり聞き惚れている女子生徒たち。

 ……うーん。ここだけ見れば青春の一ページと言えるんだが、なんか嫌な予感がするなあ。イイハナシダナーしているときはオチ、もしくはケチがつくのがグレン先生だ。

 

「レーン先生……あんなに横暴だったわたくしたちを許すばかりか、こんなに親身になってくださるなんて……」

「ああ……なんて器のデケェ人なんだ……くぅっ、痺れるぜ……!」

「フッ……生徒の過ちは身をもって正し、生徒の求めには真摯に応じることこそ教師の本懐。この程度、当然のことをしたまでですわ」

「うわキモっ」

 

 つい本音が出てしまった。いやだって、突然普段は傍若無人なロクでなしを地でいく人間が打って変わって理想の教師みたいなことをほざき始めたらそりゃそうもなるだろう。実際、フィーベルも同じことを思ったらしい。ドン引きした顔が見えた。さもありなん。

 しかし短い付き合いで、グレン先生のそういった面をあまり知らない(というには若干無理があるが)月組はコロッと騙されてしまったらしい。すっかりグレン先生に心酔したように、ぐいぐいとひっついていく。早い早い早い。落ちるのが早い。

 

「先生、どうか未熟なわたくしたちを導いてください……」

「ああ……アタシたちに、もっといろんなことを教えてくれ……」

 

 潤んだ瞳でグレン先生を両側から上目遣いに見つめるエカティーナとフリーダ。

 がしっ! と、グレン先生の腕がその二人に掴まれる。

 

 ……ああ。

 オチが見えたな。

 

「───『白百合会』で!」

「───『黒百合会』で!」

 

 ピシャーン……という幻聴が聞こえた。

 

 お互い、自分の派閥にグレン先生を引き込もうとしてグレン先生を綱とした超絶危険な綱引きが開催される。

 

「おー。これが大岡裁きってやつかー」

「言ってないで助け……あだーッ!?」

「ヨカッタデスネ。モテモテデスヨ」

「そうだね、モテモテDeathヨ!!」

 

 ぐいぐい、ぐいぐい。

 両側から引っ張られ、グレン先生の腕がもげそうになる。

 

「ちょ……《あなたたち・やめなさーい》ッ!!」

 

 腕がもげるより先に、フィーベルの即興改変された【ゲイル・ブロウ】が炸裂する。

 

 遠く離れた学院で、見慣れた光景が数多のお嬢様を巻き込んで再現された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー……おや、チョークが折れてしまったな。少しやりすぎたか?」

 

 ぽっきりと真ん中から折れてしまったチョークを見て、セリカが目をぱちくりさせる。

 『タウムの天文神殿』での傷もあらかた癒えて、学院の教授として限定的ながら復帰したセリカがいるのはグレンが担当している二年次生二組の黒板前。元々、在籍はしていても授業は受け持たないセリカであるが、今回はグレンがリィエルのお目付役として聖リリィ魔術女学院に同行しているために、例外的にその穴を埋める形で特別に授業を担当しているのだ。

 

 黒板に書き連ねられていたのはシスティーナも愛用の初等呪文である風の魔術【ゲイル・ブロウ】───の成れの果て。

 セリカによって魔改造を施された、見るも無残な複雑怪奇な魔術式であった。

 

「な……なに言ってんだか、全くわからん」

「悔しいけど、僕もだ……安心していいよカッシュ。この教室で、今、あの術式を理解している人間はいない」

「……僕たちのレベルに合わせてわかりやすく説明してくれるグレン先生って、実はとってもすごかったんだね……」

 

 意味のわからない記号やらなにやらがバカスカ付け足されていく黒板上の魔術式を見ながら、二組のほぼ全員が盛大にため息をつく。

 当のセリカは気付いていないのか、『よーし、愛息子のためにお母さん頑張っちゃうぞー』、とばかりご機嫌でさらに魔改造を施していく。

 

「うぅ……先生、早く戻ってきてくれ……」

「まさか、教師に真正面からものを言うシスティーナがこんなに恋しくなる日がくるなんて」

「はぁはぁ……ルミアちゃんが……足りない……ルミアニウムが足りない……リィエルたん成分も足りないはぁはぁはぁはぁ」

「ルーゼルッ!? 抑えろこの変態ッ!!」

「取り押さえてロッカーに入れろ! くそ、リィエルちゃんがいれば楽なのになあ!?」

「こうしてみると、なかなか寂しいね……」

 

 二組の主だった面子がいないのだ。無理もない。

 カッシュやギイブル、ウェンディは残っているが、率先して騒ぐわけではないし、そもそも二組が騒がしいのは主にグレンが原因だ。そのグレンがいない今、二組の空気が穏やかなものになるのは当然と言えた。刺激的な毎日に慣れきってしまったカッシュなどの生徒は特にグレンの不在を寂しがっている。身体を張って自分たちを守ってくれるグレンは、なんだかんだでみんなに慕われているのだ。

 

「はあ〜……みんな、早く帰ってこないかなあ……」

 

 グレン、システィーナ、ルミア、リィエル。

 指折り数え、今はいない仲間を偲ぶ。

 

 ……そういえば、もう一人くらいいないやつがいなかったっけ? と、窓の外を眺めながらカッシュが首を捻る。

 

「アッシュじゃない? 確か、リィエルが寂しがるからって一緒にいった気がするよ」

「ああ、そうそう。あいつだ」

 

 ぽん、と手を打ち合わせる。よく絡む割には影が薄いので忘れていた。

 

「あいつ、なーんか変なやつだよなあ」

「いたりいなかったり、影が薄いよね……。喋らないわけじゃないのに、なんでだろう?」

「うーん……なんてーかさ」

 

 不思議そうなセシルの言葉に、もう一度、窓の外に視線を向ける。

 

「あいつ、実は学校生活なんて好きじゃないんじゃねーのかな」

 

 ───遠く離れた陸の孤島で、一人の迷子がくしゃみをした。




リィエルはエルザとずっと一緒に観戦しながらおしゃべりしてた。
ソロ戦闘多すぎて未だにアッシュがまともに剣で戦うところを敵以外誰も見ていない……。


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37.混浴ではない。ここ大事。

おかしい。さすがにそろそろ、もっとキャッキャウフフの楽しい学院生活だけを描いた話が書きたかったのに。今回もなぜかシリアスの匂いがする。なぜ毎話毎話シリアス風味の話が挟まれるのだ。


 結局、あの場でグレン先生が物理的に分割されることはなかったが、代わりにグレン先生の取り巻きが増えた。

 ことあるごとに自分の派閥へと勧誘するおまけ付き、だ。

 

「初めから先生を囲んでみんなで食べれば良い話でしたわね」

「あはは、そうだね。みんなで食べるのは楽しいもんね……? でもちょーっと近付きすぎじゃあ、ないかなあ……?」

「ふっふふふ……あなたたち、あんまり先生にくっついてると先生も邪魔よ……?」

「へっへっへ……そういうお前も引っ付いてるじゃねーか……語るに落ちてるぜ、システィーナ……?」

 

 今も、グレン先生を囲んでピクニックよろしくみんなで食事をしている……はずなのに、なんでかこう、雰囲気がめちゃくちゃギスギスしている。……乙女の攻防戦、というやつなんだろーか。俺にはよくわからんが、フィーベルとティンジェルがグレン先生にものすっげー懐いてる……と言っていいのかはわからないが、とにかく大事に思ってることは俺でもわかる。

 そこに第三勢力、表向き同性だからと遠慮なくくっついていくエカティーナたちが現れればもうそこからは泥沼、水面下の戦い。冷戦、というやつだ。率直に言って近寄りたくない。

 

 そういう理由もあり、俺は正直混ざる気にもなれないので、ぼっちのレイフォードやレイフォードになぜか優しいヴィーリフなどとボケーっと平和な毎日を過ごしていた。

 ……一緒に、といってもほとんどレイフォードのオマケみたいなもんだったけど。

 

 他に変わったことがあるかと言われれば……ああ、そういえばキサラギが時々模擬戦の申し込みをしてくるようになった。レイフォードの方が強いと言うとそっちに行くのだが、レイフォードの方がヴィーリフと話したりしているときはこっちに来る。

 ここでもオマケ扱いかと思わないこともないが、そっちの方が気が楽なので別に良いかと最近は思い始めた。俺は別に、構ってもらえないからと騒ぐような人間ではない。

 

 それに最近はレイフォードも自分で友達を作ろうと頑張っているのか、ヴィーリフと二人一緒にいることが多くなった。おかげで俺は名実ともにぼっちだ。いや、いいんだけどさ。レイフォードが友達を作るのは良いことだと思うし、前に進もうとしている姿は素直に応援したくなる。

 

 過去に縛られず、未来へ進む。

 それはなんて素晴らしい───

 

「アッシュさん」

「うお。どーした、キサラギ?」

 

 考え事をしていたら気付かなかった。にゅっと脇から現れたキサラギに若干面食らいつつ、無表情でじーっと見上げてくるキサラギの顔を眺める。なにか用があって話しかけたのではないのだろうか? 能面のような表情はぴくりとも動かない。

 

「……いえ。なんというか、いつも一人でいるようでしたので。もしやぼっちなのかと憐れんだ次第です」

「……もうちょっとオブラートってもんを知ろうぜ、お前。否定はしないけどさ」

 

 女の子だらけの学院に通う少女たちに、女の子に変身しているとはいえ本来男の自分が紛れるのは気が引ける。フィーベルとティンジェルはグレン先生の取り合いで忙しいし、そうなると必然、こっちが関わる人間はほとんどいなくなるのである。

 早く戻りたいわー。ああ、帰りたい……。

 

「なんていうか、無気力ですよねあなた。ゴリラみたいな腕力してるくせに」

「もしかして投げ飛ばしたりしたのまだ根に持ってる? ねえ」

「いえ、そういうわけでは。まあ資源の無駄だとは思いますが」

 

 ぼそぼそぼそー、とつぶやくキサラギは、本当にどうしたのだろうか。用事があるなら早く言ってくれないと、断るにせよ承諾するにせよ判断ができないのだが。

 そんなことを考えつつ、じーっと見つめ返してみる。

 やがて観念したのか、キサラギはやれやれといったポーズで肩をすくめる。

 

「理由のない雑談もある、というユーモアをもう少し理解してほしいもんですが」

「む。すまん、頭が固くなってるみたいだ。……それで?」

「……ま、いいでしょー。それより、皆さんお忙しいようなのでここでお礼を。質の高い授業もそうですが、おかげで学院史上最悪と言われたうちのクラスも、少しはマシになるでしょう」

「俺に言わないでくれ……そういうのはグレ……レーン先生に直接伝え───」

「あの中に混じって、なおかつその渦中にいるレーン先生にこれを伝えろと?」

「俺が悪かった」

 

 おしくらまんじゅうにされて顔を青ざめさせているグレン先生からそっと視線を外して降参のポーズ。

 しかし、短期留学はまだまだ続くのだし、これ以降でもチャンスは探せばあるのでは?

 

「アッシュさんにもお礼をしたかったんですよ」

「……そりゃまた。なんで?」

「模擬戦もそうですが……故郷のことを聞いてくれたのが嬉しかったので。私は、シノビ……といっても、もう奉じるべき主を持たない一族ですが、の末裔です。誇り高く主君に尽くし、影に徹するかつての姿は……もはや、伝承の中にしかありません」

「……エカティーナはご主人様じゃないのか?」

「侍女とシノビは違うのですよ、アッシュさん」

 

 そういうものか。

 

「そういうものです。もちろん、嫌なわけではありません。時々……いや、すげーウザいですが、それはそれ。……だけど、それでも……求められているもの、今の私の姿が……昔、お爺様から聞いて憧れたかつての正しきシノビの姿と違うことが、私には少し悲しかった」

「……そうか」

「まー、そんな青臭い感傷に浸るようなトシでもないんですが。それでも、思うことはあるんすよ」

 

 相変わらず無表情のまま、キサラギがエカティーナの方を見る。

 横顔からは、感情は読み取れない。

 

「……だから、シノビ……そっちはニンジャと呼んでいるようですが。その話ができたのは、私にとっては喜ばしいことなのです。ニンジャが平時は畑を耕す農耕民族だったとか、どっからそんな情報仕入れてきたんです?」

「んー、ま、色々と。東方マニアみたいなもんだからね、俺」

「ふふっ……マニア、ってだけであそこまで調べられるとは思えねーんですけどね。でもこれで、ますます修行にも身が入るとゆーものです」

 

 声だけで微笑んで、手裏剣の形をしたヘアピンに触れる。

 ……お礼を言われるようなことでもないのだが、そう言うのであれば受け取っておこう。

 

 人間、一つくらいは目標があった方が良い。それがどんなにくだらないものであれ、走り続ける道標くらいにはなるだろう。

 

 自分のためにしたことでお礼を言われるのはなんというか筋違いのような気がしてむずがゆいが、まあ、たまにはいいだろう。こっちも、純粋に嬉しかったのだしおあいこだ。

 

「こっちからは以上です。リィエルさんはほったらかしでいいんです?」

「セット扱いすんのはレイフォードに失礼だろ。……とまあ、それはおいとくにしても……あの二人を引っぺがす気にはならないよ。さすがにな」

「ああ、なるほど。……エルザさんも、あんな風に笑えるんですね」

 

 そこで一旦言葉を区切り、安堵したようにキサラギが息をつく。

 確かに、ヴィーリフは今はレイフォードと一緒にいるが、それ以外の誰かと一緒にいるところは滅多に見たことがない。

 

 短い付き合いだが、ヴィーリフが人付き合いが嫌いとか、苦手だとかいうわけではないだろう。

 なんせ、あのレイフォードと仲良くしているのだ。他にも社交的な人間がいる中で、なぜレイフォードとだけ接しているのかは甚だ疑問だが。

 

「……ハブにしてる、ってわけじゃねーんだよな?」

「まさか。うちのバカお嬢もコレットも、派閥フリーの生徒がいたら真っ先に勧誘に行きますよ。ていうか、行きました。……ものの見事にフラれましたが」

「温厚そうなヴィーリフが、どっちかに肩入れするのを嫌がった。ってんじゃないのか?」

「有り得なくもないですけど……それ以上に、どうもこっちと関わるのを避けているフシがあります。あまり言いふらすようなことでもないんですけど、エルザさんはちょっとメンタル面に問題がありまして。それで、必要以上に関わり合うのを避けているんじゃないかなー、と」

「精神的な問題ねえ……」

 

 なおのこと、レイフォードと仲が良い理由がわからない。

 レイフォードなら気にしなさそうだから? いや、そもそも俺もそうだがレイフォードは初対面でお互い剣を抜いたやつだぞ。意外と肝が据わっているとはいえ、仲良くするならやっぱり他の人間の方が適任なのではなかろーか。

 

 ……考えても仕方ないか。

 

 いずれにしても、レイフォードとヴィーリフが仲睦まじく勉強に励んでいる、というのは良いことだろうし。

 

「それもそうですね。……ま、見守りましょ。これでエルザさんが壁をなくしてくれれば、もうほんと万事解決です」

「……そーだな」

 

 腕を組んで、苺タルトをめぐってなにやら話している二人を遠くからそっと眺める。

 

 キサラギの言う通り、このままなにも起きないと良いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 みんなが寝静まった真夜中、こっそりと部屋を抜け出す。

 

 向かう先は風呂だ。全寮制の聖リリィ魔術女学院では、風呂は共同で使うことになっている……なっているのだが……男の俺が女子と一緒に入るわけにもいかず。ほんと~~~にこっそりと、こうして真夜中に一人、ぱぱっと風呂に入るのがここ数日の日課だった。

 

「グレン先生が憐れんでくれて助かった……」

 

 さすがに無理やり引きずってきたことに罪悪感でもあったのか、それとも同じ『実は男性』という境遇に対する思いからなのか、グレン先生があることないこと喚き散らして俺が一人でこの時間に風呂に入ることを認めさせてくれたのだ。

 

 内容に関してはマジでめちゃくちゃだったが。なんだ、裸を見られたら誰が相手でも結婚しなきゃいけないとか。どこの部族だ。

 

「はあ……まあ、いいか……」

 

 湯船に浸かりつつ、凝った身体を揉み解す。

 女性の身体もさすがに一週間も経てば慣れてくるというもので、ぼーっとした意識で身体を洗い、泡を流し、並々と張られた湯に沈むくらいはできるようになっていた。

 

 湯気に紛れて、ほうと息を吐きだす。

 

「……帰らないと」

 

 瞳を閉じ、壁に頭を預けながらつぶやく。

 

 呆れるほどに繰り返してきた言葉。口癖と言ってもいい。

 おまえは誰で、どこにいたくて、どこにいるのか───そんな声が、脳裏を掠める。

 

「……そろそろ、出るか」

 

 浴槽から出て、髪の毛から湯を落とす。

 溢れる水の音に紛れて、がちゃりと扉が開く音がした。

 

 目を向ける。ぺたーんとした肢体を、薄青色の長い髪が申し訳程度に隠している。

 

「…………」

「…………」

「……なんでいるん?」

「明かりがついてたから、入っていいと思った」

「……せめて脱衣所の服は確認してくれ……」

 

 すっぽんぽんのレイフォードから視線を逸らし、横を通り過ぎる。

 レイフォードは俺の中身が男だと知っている。一緒にいるのは気まずかろう。

 

 ……そう思っての、行動だったのだが。

 

 がしり、と。

 気が付けば、腕が握られていた。眠たげな目が、じっとこちらを見上げている。

 

「……レイフォードさん?」

「……ん。少し、お話、しよう?」

「…………せめて外で」

「ん。一緒に入ろ」

「聞いてた!?」

 

 こっちの配慮を汲んでほしかったなあ!!

 

「大丈夫。ここは広い」

「そういう意味じゃねえっての……あいたたたた、わかった、わかったから腕を引っ張るな。抜ける!」

 

 ぎりぎりぎりぎりと、了承するまで離さないと言わんばかりに腕を締め上げるレイフォードに降参する。こんなことで腕をダメにされてはかなわない。

 こっちの言い分を理解してくれたのか、レイフォードはぱっと手を離す……ことはなく、そのまま腕を引いて風呂場へと侵入していく。どうやら、マジで入るつもりらしい。なんで今入るんだ。

 

「……エルザと勉強してたら、遅くなった」

「あー、そうかい……ヴィーリフは?」

「帰った。部屋、別の寮だから」

 

 ヴィーリフと別れたあとも勉強していたら、いつの間にか入浴時間を過ぎていたのだそう。

 なるほど。そういうことなら理解はできる。なんだってこうなるのかはまったくわからんが。

 

「ったく……しょうがないなあもう」

 

 湯船に戻りつつ、レイフォードに背中を向ける。『自分』で耐性がついたとはいえ、それとこれとは話が違う。

 ばしゃばしゃと、水が跳ねる音を聞きながら、延々と素数を数える。ダメだろう、これは。男として。俺は覗き見は苦手なタイプの男なんだっての。良識は捨てない。風呂覗き、ダメ絶対。青い欲をみなぎらせるカッシュとはちげーのだ。

 

 ……あれ。そういえば、変身維持薬って飲んだっけ……? ふと思って記憶を探るが、飲んだ覚えはない。確か、風呂上がりに飲もうと思って部屋にある机の上に置きっぱなしだ。

 まずいな。さっさと上がらねばならん理由ができてしまった……!

 

「レイフォード、悪い。ちょっと薬飲まないとだから───」

「ん」

「離して!?」

 

 泡まみれで見えていないはずなのに、レイフォードの腕はがっちりとこちらを掴んで離さない。どうやら理由があろうがなんだろうがここから帰すつもりはないらしい。

 ……というか、レイフォードが使ってんの、それボディーソープでは?

 

「レイフォード。……レイフォード。わかった、降参だ。逃げないから、離してくれ」

 

 もうこうなったらどうしようもない。逃げられない以上薬は飲めない。つまり、明日からは晴れて男の身だ。バレるのは少し痛いが、エカティーナたちが男が紛れていたと知ったら土下座なりなんなりして見逃してもらおう。

 

 ちゃぽん、と諦めてもう一度身体を沈める。ついため息がこぼれるが、仕方ない。

 

「……話って、なんだよ?」

「ん……よく、わからない。わからないけど、話がしたいと思った」

「またずいぶんとアバウトな……まあ、いいけどさ。そういや、最近はヴィーリフと仲良いんだな?」

 

 話題がないらしかったので、思いついた言葉を投げていく。

 レイフォードも、ヴィーリフのことは憎からず思っているのだろう。いつもよりかは饒舌に、頭に泡を乗せたまま色々な話をしてくれた。

 勉強に困っていたときに教えてくれたこと。お礼に苺タルトをあげようとしたら、苺が苦手だからと断られてしまったこと。キサラギとの模擬戦が終わったあとに、たくさん褒めてくれること。

 

「……エルザ、優しい。わたし、バカだけど……一生懸命、勉強、教えてくれる」

「……そりゃよかったな」

「ん。……みんな、仕事や勉強を頑張ってる。わたしも頑張らないと……このままじゃ、置いてかれる気がする……」

「そうなったら、あいつらなら待っててくれるだろ」

「そうだと思う。けど、ずっとこのままじゃ、たぶん……ダメ。わたしも、ちゃんと前に進まないといけない……そんな感じ?」

 

 わしゃわしゃと、髪を洗っているのだろう音が聞こえる。

 前に。未来を見据え、進もうとレイフォードなりに足掻いているのだろう。精神的に幼いだのなんだのと言われていたが、レイフォードも成長しているのだと思うと少し感慨深いものがある。

 

「……ねえ」

「んー……?」

「わたし、頑張るから。絶対、リューガク? ……成功させて、みんなと一緒にいられるように……」

「……おう」

 

 熱でぼやけてきた思考で、ぼんやりと返事をする。

 

 今のレイフォードなら、大丈夫だろう。友人ができて、自分から積極的に取り組むようになったのなら、なにも問題はないはずだ。

 

「……アッシュも、一緒にいてくれる?」

「───……。ああ。帰らないと、な」

「…………うん」

 

 きゅ、と音がして、水音が止まる。どうやら洗い終わったらしい。

 ついで、ぱしゃぱしゃと水を蹴る音が───あ?

 

「待て。待った、レイフォード。それはさすがに───っ」

 

 なんっで文字通り一緒に入ってくるんだよ……!

 あんたの教育はどーなってんだグレン先生よお!!

 だが、こっちの混乱などお構いなしに、レイフォードはざばざばとお湯をかき分けて湯船に浸かってしまった。出ていくつもりはないらしい。さっきの言葉を疑っているような視線が、こっちをじっと見つめている。

 

「……帰る。帰るよ。俺が、普通の生活が好きなんだって知ってるだろ?」

 

 慌てて背中を向けながら返事を投げる。そこで、言葉を詰まらせたようにレイフォードの動きが止まった。

 なにかを言おうとして、ためらっているかのような沈黙。

 くらくらする。長く浸かりすぎたのだ。早く出ないと倒れてしまう。

 

 端っこまで移動して座り込み、浴室の壁に額を当てる。もう、身体は戻りかかっていた。色んな意味で早く戻らないといけないが、レイフォードはまだ見逃してくれないらしい。ぽすりと、滑らかな感触が背中に触れた。小さな額が、すがるように肌に触れている。

 絹のようだとか、肌を撫でる髪がくすぐったいだとか、そんなことを考える余裕もない。自分の身体のあっちこっちから煙が上がっている。滑らかな肌が、ごつごつしたものに変わっていく。

 

「ねえ……大丈夫だよね? どこにも行かないよね?」

 

 熱で視界が霞む。なにを言われているのか、頭が回らなくなってくる。

 ───さすがに限界だ。タオルを引っ掴んで、逃げるように浴室を出ていく。

 

「……帰りたいのは、本当だ。だから、大丈夫」

 

 なんとか、それだけを返した。

 みしり、とどこかが音を立てて軋んでいる。

 

「───フェジテに、だよね?」

 

 遠く。

 微かに聞こえた声は、聞こえなかったフリをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第一印象は、よく笑うひと。

 今の印象は、よく笑う変なひと。

 

 浴室でばったり会ったそのひとは、慌ててどこかへいなくなろうとしていた。

 

 それを捕まえたのは、正直反射的なものだった。目を離したらいけない、と、イヴに言われていたからかもしれない。

 

あいつ(アッシュ)から目を離さないで。あいつは、なんでか知らないけどオマケ程度に狙われてる。守るにせよ殺すにせよ、目の届く場所にいないと話にならないわ』

 

 そんな言葉に、うん、と頷いた。ひとりにしないで、という意味にも聞こえたそれに、わたしは頷いたのだ。

 

 ほんの少し、目を離した隙にいなくなってしまいそうなふわふわした感じ。

 いつか、兄さんの偽物のためにわたしがみんなを裏切ったときよりも、いつの間にかとても強くなっていて。

 

 すごい、と思うより先に不安になった。なんでだろう? わからないけど。

 

 帰りたいなあ、と何度も空を見上げていたその姿は、昔のわたしによく似ていたと思う。

 グレンに兄さんの面影を見て、重ねて、すがっていたあの頃のわたしに。

 

 捕まえた腕を引っ張って、お風呂に引きずり込んだ。なんでか騒いでいるけれど、問題ない。グレンにお風呂に入れてもらったことだってあるのだし。

 泡を流して、ちゃんといることにちょっとだけ安心して、他愛のない話をして、

 

「……アッシュも、一緒にいてくれる?」

 

 つい、そんなことを聞いていた。

 

 フェジテでの毎日が、わたしは大好きになっていた。そこには当然、アッシュだっている。

 グレンや、システィーナや、ルミア……みんなと過ごす毎日が、かけがえのない宝物になっていたのだと、みんなを裏切ってしまったあの日に知ったのだ。

 

 だから、アッシュにも一緒にいてほしかった。

 ここにいるのに、どこにもいない、昔のわたしのようなともだちを、どうしても放っておけなかったから。

 

「───……。ああ。帰らないと、な」

 

 いつもいつも、口癖のように繰り返している言葉が聞こえる。

 でも、どこに? ……そう聞くことはなぜかできなくて。

 

 ───目を離さないで。

 

 イヴの言葉が、頭の中で再生される。

 じーっと、こっちに背を向けているアッシュの姿を見つめた。

 

 髪も洗った。身体も洗った。あとは、湯船に浸かるだけだ。

 程よい温度に保たれたお湯をかき分けて、アッシュの前に座る。すぐに後ろを向いてしまったけど。

 

 なんとなく、背中に額を預けた。ところどころに小さな傷のある身体は、少しごつごつしていた。そういえばアッシュは男の子だった。まずいだろうか。でも、昔一緒にお風呂に入ったグレンも男の人だから問題ない。

 

 ……本音を言えば、怖かったのだ。

 嫌われてしまったかもしれないということも。戦いになったとき、『できるから』なんて理由で敵に一人で突っ込んでいくことも。目を離した隙にいなくなってしまうのではないかということも。だから強引に一緒に来てもらったし、こうして無理やり一緒に入ってもらった。

 

 なんとなく。本当になんとなくだけど。誰かが一緒にいないと、本当に迷子になって消えてしまいそうな気がするのだ。

 

 お湯を蹴って、アッシュが立ち上がった。無理に引き止めたから時間が来てしまったのか、セリカがかけてくれた魔術は解けていた。グレンにはあとで謝らないといけない。

 

 帰りたいと思っているから、大丈夫。どこにも行ったりしないと、そう答えてくれたけど……やっぱり、なにかが違う気がして。

 

「……フェジテに、だよね?」

 

 確かめるように、口にした。

 

 ……返事は、なかった。




……お風呂イベントって、もっとこう、華やかなものじゃなかったっけ……?

───その頃の帝都

「んっふw ふふっふふふふ……ww」
「……イヴちゃん。気持ちはわかるが、写真をガン見しながら爆笑しとるんはちょっとどうかと」
「うっさいわねふふっ……あーもう、傑作! 見てこれバーナード、なかなか美人じゃないのあっははは!」
「……しまった。うっかり、やっぱりアシュ坊が女の子だったらよかったなーなんて思っちまったわい」
「そうよ、こういうバカやってんのがあいつにはお似合いなのようふふ、あーお腹痛いっ」
「や、やめえイヴちゃん、わしもつられて笑いそうに……だっはははは!? ほ、ほんまに美人じゃな!?」
「仕事にならないわこれ! まったく、どこまで私の足を引っ張ふっふふふw」
「イヴちゃん、それ、それ早くしまって、この老いぼれが笑い死んでしまう……!」

「……そうよ。こういうバカを、一生やってりゃいいのよ」


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38.最近よくあちこち炎上してるよね

感想欄に考察がきてたりしてとても楽しい……。そして今回は戦闘とポエム(?)多め。繋ぎなので目新しいものと面白みはないです。
色々と情報が錯綜してたりまだ出ていなかったりするから、掛け値なしにシリアス三昧しても許される九巻に早くたどり着きたい。

あ、序盤めちゃくちゃ読みにくいです。あしからず。


 ───夢を、見ている。

 

 ■■(学校)だ。■■■■■■■■(気難しそうな教師)■■■(教科書)を畳むのと同時、■■■■(チャイム)が鳴った。■■(授業)が終わったのだ。これからは■■■(昼休み)、要するに昼食の時間になる。今日の昼飯は()が作った弁当で、中学に上がるなり■■■(母さん)に習い始めた料理の実験台にするつもりらしい。

 弁当箱を広げた■■(ダレカ)が見ている前で、いつものように■■(誰か)■■(誰か)が一緒に話している。そこに■■(誰か)が合流したが、二人はさして気にしていないらしい。■■■■■■(いつもの光景)だ。

 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(──。今日は────で食べる約束だったな)? ■■■■■■■■■■■■■■■■(今日も俺の合図に返してくれたこと)■■■■■(嬉しく思う)

()……■■■(すまん)■■(──)■■■■■■■■■(あれ合図だったのか)

■■■(なぬっ)!?」

■■■■(なあ──)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(こんなお堅い────なんてほっといてさ)■■■■■■■■■■■■■■■(──のパスタでも食べに行かない)? ■■■■■■■■■■■■■■■■■(授業なんてほっといても大丈夫だって)

 

 ■■(誰か)はそう言って笑っているが、■■(ダレカ)と、誘いをかけられた■■(誰か)は知っている。昼休みが終わったあとの授業は■■(英語)だということを。つまりあの、とんでもなく親しみやすいが遅刻とサボりは許さない■■■■(──の虎)こと■■(──)先生だ。サボるとこってり絞られることになるだろう。

 そうでなくとも、■■(誰か)の言葉にショックを受けていた■■■■(────)がそれを許すはずもない。

 

■■(──)■■(貴様)! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■(性懲りもなく──を悪の道に誘おうとは)■■■■■■■■■■■■■■(御仏が許してもこの────が)───」

■■(はあ)? ■■■■■■■■■■■■■(お前みたいなやつなんかより)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(僕と行く方が──も楽しいに決まってるだろ)

■■■(ったく)……■■(──)■■■■■(落ち着けよ)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(そこなら今度付き合うから──も騒ぐなって)

 

 どうどう、と■■(誰か)が二人をなだめている。

 それで落ち着いたのか、言い合っていた二人はお互い■■■■■(小学生男子)のように鼻を鳴らして一斉に顔を背けた。■■■(高校生)にもなってこんなガキっぽいケンカをするとは。

 間に挟まれていた■■(誰か)は困ったようにため息をついた。それを見て、■■(ダレカ)が愉快そうに笑って声を掛ける。

 特別親しいわけじゃなかったけど、■■■■■■(クラスメイト)なのだから話しかけることは変ではない。

 

■■■(いやー)■■■■■■(すげえな──は)■■■■■■(オレだったら)■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(──の相手なんて速攻キレて務まらねーや)! ■■(お前)■■■■■■■■■■■■(ほんと妙なとこ寛大だよな)■■■■(実は菩薩)?」

■■■■(なんでさ)

■■(ふん)! ■■■■■(逆だよ──)■■■■■■■■■■■■■■■■■■(僕の方が──に付き合ってやってるんだ)■■■■■■■■(勘違いするなよな)

 ……■■(オイ)■■■■■■■■■(なに笑ってるんだよ)

()? ■■■■(ああいや)■■■■(悪い悪い)

 

 いきりたつ■■(誰か)に肩をすくめて、それでもこらえきれないようにしてやはり笑った。

 

「───■■■■■■(楽しいなあ)■■■■■■(って思ってさ)

 

 ■■(ダレカ)が笑う。

 心から幸せそうに。

 いついつまでも、この幸せな日常が続くのだと信じて。

 

 学校に通って。友人とバカをやって笑い合って。家に帰れば家族がいる。

 そんな、平穏で退屈な───けれど、かけがえのない毎日。

 (カレ)の愛した、帰るべき日常の断片(フラグメンツ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───目を覚ます。

 

 なにかを探すように、腕が天に伸びていた。

 

「───……」

 

 掲げた腕で目隠しをするように、瞼の上に横たえた。チラリと見えた時刻はまだ登校には遠い。

 

 今のは、なんだったんだろう。

 覚えはないのに、なにか、とても懐かしいものを見たような感覚。どうしてそんなものを見たのだろう。微かに残る記憶のどこかを刺激されたからだろうか。

 見える景色のほとんどが焼け落ちたように黒焦げだったけど、それでもあれは、忘れてはいけないなにかだったような気がする。

───忘れるな。

 あれはなんだっけ。

───忘れたのならば思い出せ。

 

 あそこにいたのは誰だっけ。

───思い出せないのなら、    

思い出せるまでなぞり続けろ。

 どうして忘れてはいけないんだっけ。

───(カレ)の抱いた願いを探し続けろ。

 

 どこにいけばなにがあるんだったっけ。

───それさえも果たせないのなら。

 

 ああ───俺は。

 なんのために、どこに帰りたいんだったかな。

───おまえ(残骸)に、生きる価値はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんだかんだで、短期留学が始まってから今日で十五日。予定されていた日程の最終日だ。

 日はすっかり沈んでいて、学生街の一角にあるオープンカフェで送別パーティーをしている真っ最中だった。

 

 グレン先生も俺と同じ日に男バレしていたり、なんてこともあったけど、概ね問題なく最終日までいつもと違う学院生活は遂行された。男バレについては『昔行った魔術実験の後遺症でお湯を被ると男になる』という言い訳で通すことにしたらしく、俺はその実験に巻き込まれたせいで同様の症状が出た……という話になった。無理がある。どこの娘溺泉(1/2)だ。

 昨日行われたテストでは、勉強の甲斐あってレイフォードは常に比べれば格段に良い点数を取っていた。ついでに今日聞いた話なのだが、エカティーナたちがまともに授業を受けるようになったおかげで授業と単位が成立し、レイフォードの退学は無事になかったことになったとか。

 

 いやあ、めでたいな。これで全部円満解決、完全無欠のハッピーエンドだ。

 ……なんでか嫌な予感がするんだけどね。

 

「……そういや、そのレイフォードは?」

「リィエル? さっき、エルザと一緒にどこか行ったわよ。あの二人、結構仲良かったみたいだし……積もる話でもあるんじゃない?」

「ヴィーリフと、か」

 

 ふむ。確かに仲良しだったし、そういうこともあるだろう。

 ……あるのだろうか?

 

「んー……」

 

 改めて考えてみる。

 

 ヴィーリフは意外と社交的だ。にも関わらず、なんでか派閥への参加や他者との関わり合いを避けている。

 そんなヴィーリフが、なんの接点もないレイフォードと仲良くしている。波長が合っただけといえばそれまでだが、『レイフォード絡みの企みがある可能性』を念頭に置いてみるとだんだん怪しく見えてくる。

 

(……ヴィーリフがレイフォードに、なにか目的があって近付いた可能性……?)

 

 そういえば、と。

 まったくイメージにそぐわないから忘れていたが、ヴィーリフと初めて会った日。どこかから飛んできた敵意を思い出す。

 

 あのときは勘違いだろうと流したが、あれが勘違いでないとすれば?

 

「……よし」

 

 積み上がった料理を脇にのけて立ち上がり、ぐるりと学生街を見渡した。

 太陽のない街は暗いが、街灯や月明かりのおかげで完全な暗闇にまでは至っていない。

 

「悪い。ちょっと俺も離脱する」

「え……アッシュも? いいけど、どうかしたの?」

「なに、最後だから街並みでも見ておこうと思っただけさ。……五分経っても戻らなかったら、探しに来てくれ」

「あ、ちょっと!」

 

 ぐ、と足に軽く力を込めて走り出す。カフェが見えなくなった辺りで全力に切り替えた。そこそこに高い位置にある屋根に飛び乗り、もう一度ぐるりと街を見渡した。

 勘違いであるならそれでいい。何食わぬ顔で戻れば良いだけだ。杞憂であることを祈りながら視線をめぐらせ、おかしなものがないか目を凝らす。

 

 ───見えた。

 

「───……」

 

 意識を切り替える。まだよくは見えなかったが、暗闇の中、月明かりを反射して煌めくなにかがあった。見慣れた輝き。……刃だ。

 誰かが戦っている。外界から隔絶されたこの陸の孤島で、第三者が戦っているという可能性は限りなく低い。で、あるならば。

 

 息を吸って、吐く。十年前から握り続けた、誰かの記録を呼び起こす。

 

 足元から燐光が舞った。炎のように煌めく魔力を撒き散らし、周囲への被害もお構いなしに空を駆ける。

 

 ……あいにくと。

 数ヶ月をともに過ごした友人を見捨てるほど、まだ俺は人間らしさを捨てていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駅前広場に広がっていたその光景は、予想外のものだった。

 

「───なるほど。理由はわからないが、裏切った、ということで良いのかな。エルザ=ヴィーリフ?」

 

 眼鏡を外したヴィーリフが、レイフォードに向かって構えていた刃をゆっくりとこちらへ向け直す。

 

 鍛え上げられた鋼の刀身。片方にのみ刃のついたそれは、切っ先から峰にかけて美しい波紋が描かれている。───刀、だ。

 

 本当、この学院では懐かしいものによく出会う。

 

 予感が当たっていたことに嘆息しながら、二本の短剣を構える。ヴィーリフはしばらく呆然としていたようだが、ややあって正気を取り戻したのだろう。無意識に構えた刃をもう一度正し、こちらを睨み付けている。

 

「……やはり、あなたが邪魔をしますか。アシュリー=ヴィルセルト……」

「やはり、ね。ずいぶんと買い被られたようだ。基本、俺はただの一般人なんだが?」

「御冗談を。一般人が、どうしてこの短時間でここにたどり着き、あまつさえ至極冷静に剣を構えられるというのですか」

 

 ……気にしてるんだからやめてくれ。

 これ以上否定されたら、さすがに心が砕けそうだ。

 

「そこをどいてください、アッシュさん。あなたまで斬る理由はありません。私の目的はそこのリィエル……いえ、重犯罪者のイルシア=レイフォードだけ。大人しくしてくだされば、こちらも無為に戦うことは致しません」

「ち、違う……エルザ、話を聞いて!」

「父と母の仇の言葉を、どうして聞く必要があるのですか」

 

 レイフォードの懇願を、まるで別人のように冷えた空気をまとったヴィーリフがバッサリと切って捨てる。

 ……話を聞く限り、どうもヴィーリフは両親をイルシア……レイフォードのコピー元に殺されて、その復讐のためにレイフォードに近付き、油断させてからこうして戦おうとした、と。どうやらそういうことらしい。

 

 見当外れの復讐心、とは言えないだろう。レイフォードはイルシアであり、だがイルシアはレイフォードではない。ヴィーリフが、レイフォードを仇と勘違いするのも無理からぬ話だった。

 愛であれ憎悪であれ、感情はあらゆるものを捻じ曲げる。願いも、知性も、正しい目も。噓偽りなく、文字通りにあらゆるものをだ。感情に突き動かされた結果、なにもかもを失った人間の話など掃いて捨てるほどに存在する。

 

 それを愚かだと否定することは、俺にはできない。

 

「どいて……どいてください。あなたに、その女を守る理由はないはずです。あなたは善を重んじる人間だ。私の両親を殺し、名前も姿も偽って軍に潜り込んだその女が、あなたにとっての『善』であるはずがない……!」

「それは見当違いもいいところだ。俺は善を『好み』はしても、善を『遵守すべき』とは思っていない」

 

 助けられるなら助けるべきだ。守れるのなら守るべきだ。そんな理性の働きは当然、俺にだって存在する。むしろある意味では最大の判断基準。敵か味方か、善か悪か。剣を振るうべきなのか否かの判断に、それは大きく関わっている。

 だけどそれはそれとして、自分の心を優先する機能もまだ残っている。英雄じゃない。まだ俺はただの人間だ。人間である以上、感情に動かされるのは当然のことである。

 

「……こうなれば、あなたも」

「いいえ。リィエル一人に手こずるようなあなたでは、そこのお坊ちゃんとリィエルを同時に相手取るなんて不可能よ。……無様ね、エルザ。せっかく『大嫌いな叔母上』の手まで借りて、新しい人生をスタートさせるために頑張ってきたのにねえ?」

「───ッ、マリアンヌ!?」

 

 おっと、新たな乱入者。

 

 木陰から現れたのは聖リリィ魔術女学院の学院長ことマリアンヌ。……なんとなく話は見えた。

 ヴィーリフが求めたのか、それともマリアンヌが誘いをかけたのか。どちらかはわからないが、少なくとも今回の一件、発端はマリアンヌだと考えて良いだろう。なにがしかの目的があって、レイフォードを呼び寄せた。それはおそらく、間違いない。

 

 いつの間にか周囲には大量の女子生徒が並んでいて、完全に取り囲まれていた。この用意周到さから言っても、黒幕はやはり彼女か。問題は、その目的だが。

 

「目的? ふふ、そうねえ……。あなたたち、『蒼天十字団(ヘヴンス・クロイツ)』って知ってる?」

「……は? あなた、なにを言ってるんです……? そんなの、ただの都市伝説で……」

「それがねえ、実在するのよ。現に私、構成員だったし? ま、昔ポカやらかしてこんなくっだらないお嬢様学校に封じられちゃったけど……」

 

 そこで、にたりと蛇のように笑んだ。

 命の危機だとか、そういうものとはまた違った気味の悪さが背筋を舐める。

 

「そこに、チャンスが舞い込んできたの。イルシアのコピー体……『Project:Revive Life』の成功例であるリィエルを実験サンプルとして捕えれば、もう一度組織に戻してやる、ってね」

 

 くるり、マリアンヌが腰に提げていた剣を抜く。

 それを皮切りに、周囲に突然灯る炎。がしゃりと鈍い音がする。……背後にいた、ヴィーリフの刀が地に落ちる音だと気付いたのは、振り向いたときだった。

 

「はぁ───、っ、はぁ───ッ……! う、噓で……じゃあ、リィエル、は……私に、持ち掛けた取引は……ッ!」

「もちろん噓よ!? 本当、バカよねあなたって! ……そんな風におバカなあなたは、私の実験サンプルがお似合いよ!」

 

 マリアンヌが、古びた剣を頭上に掲げる。周囲に炎が満ちる。ヴィーリフが身を震わせ、悲鳴をあげながらくずおれた。

 ……詳しいことはわからないが、いつぞやの決闘のときに付け加えられた炎熱系魔術の禁止という話からして、どうもヴィーリフは炎が苦手らしい。いや、これはもうトラウマと呼ぶべきか。ガタガタと震えながら身動きもできずにいるヴィーリフは、正直見ていて痛い。

 

 こっちが身構える間にも、炎は勢いを増していく。

 

 あっという間に辺りを包み込み、まるで街そのものを燃やし尽くそうとするように、剣から炎が迸る───

 

「……本当に」

 

 今日は、懐かしいものをよく見るなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだなんだなんだァ!?」

 

 突如街の一角から立ち上った炎の柱に、慌てたグレンが椅子を蹴り飛ばして立ち上がる。

 もうすぐアシュリーがいなくなってから五分。探しに行こうかと思った矢先のことであった。

 

「くそ、なにが起きてやがる……! おい、白猫! ルミア! リィエル……は、まだいないか。いくぞ、消火活動だ! 月組は街の人たちの避難を!」

「わかりましたっ!」

「任せろ、先生っ!」

 

 システィーナとコレットが威勢よく返答し、ルミアとフランシーヌがしっかりと頷く。

 ばっ、とその場で散開する。グレンたちが向かうのは当然、火元である駅前広場だ。

 

「あいつ、まさかこれをわかってたんじゃねえだろうな……!」

 

 思い起こすのは一人の生徒。自称凡人、だが周りからしてみればどうしたって凡人ではない少年だ。

 

 色々な厄介ごとに巻き込まれる体質だとは思っていたが、まさかここでもなのか。

 

「おい、アッシュ! いんのか、いるなら返事を───」

 

 炎が乱立する街並みを抜け、【フィジカル・ブースト】も併用して駆け付けたグレンの声に返るものは、刃と刃が激突する音。

 

 見れば、アシュリーと───なぜかマリアンヌが、お互い長剣を手に切り結んでいる。

 リィエルとエルザの姿もあった。地面でうずくまるエルザをかばうように、リィエルが他のクラスの生徒と戦っている。

 

 正直、わけがわからない。

 わけがわからないが───グレンの視線は、炎を気にも留めずに剣を振るう、一人の生徒へと注がれていた。

 

 赫。赫い剣だ。この灼熱地獄にあってなお、その赫は炎を受けてひときわ強く輝いている。

 

 見ればわかる。業物だ。見たことのない剣ではあったが、それぐらいはわかる。

 

 炎を斬り裂き、古風な剣を弾き、時折短剣も交えて。

 

 冷酷なまでに冷めた表情で。機械的なまでの太刀筋で。少年は妖女と戦っていた。

 

 ……誰だ、あれは?

 

 ふと降って湧いた疑問に、足が止まった。

 

 いや、それどころではない。加勢せねば。状況はわからないが、ただの生徒にいつまでも戦わせるわけにはいかない。

 

「あっははははははははは───!!」

 

 マリアンヌが哄笑する。それに呼応するように、剣から炎が噴き上がる。……なんらかの魔導器か。起動済みである以上、グレンの【愚者の世界】は使えない。

 だが問題はそこではなく、その圧倒的な熱量だ。さすがにいつぞやの魔人には敵わないが、それでもB級軍用魔術程度の威力はあるだろう。

 

 まともに受ければ、黒焦げになって燃え尽きる。

 しかし、それを───あろうことか、見えているはずなのに少年が突貫する。

 

「バカ、死ぬぞ!?」

 

 【トライ・レジスト】を付与してはいるようだが、それでもなお至近距離で食らえば重度の熱傷を負うだろう。それがわからないはずもないだろうに、あの少年は剣を構えたまま速度を緩めない。

 

 ───と。

 不意に、剣を持っていない方の手が霞んだ。

 

「──────」

 

 なにかを描くような仕草のあと、一拍遅れて魔力障壁が現れる。……あの一瞬で展開した? 有り得ない。無詠唱であるにも関わらず、あれだけの速度で魔術を起動させるなど、それこそセリカぐらいにしか行えまい。

 アシュリーは至極当然、と言わんばかりにそのまま剣と剣を嚙み合わせる。リィエルにも劣らない剛力をもって振るわれる長剣は二度、三度とマリアンヌの炎の剣とぶつかり、甲高い音を響かせながら空を斬る。

 

 その速度、まさに神速。

 卓越した剣技を誇るリィエルや、そのリィエルの剣を見慣れたグレンでなければ、なにが起きているのか理解さえできなかっただろう。

 

 ───なんだ。あれは。

 以前、アシュリーの才能を評したことがあった。憑依召喚(ポゼッション)。凄腕の剣士の亡霊でも、その身に降ろしているのだろうと。

 

 だが、違った。どう見たって、あれはそんなレベルを超えている。

 

 人間の領域を超えた剣技───あれはまさしく、『英雄』と呼ばれる存在が揮う剣技だ。

 

 そんなものを降ろしているのか? 武器の記録ごと? 有り得ない。そこまでの許容量はアシュリーの才能では賄えない。

 そもそも、セリカ並みの魔術だってそうだ。あれだけの術を行使できるなんて聞いたことはないし、それだけの才能はなかったはずだ。

 

 ……なにが起きている? 答えのない疑問が脳内を駆け巡る。

 

 と、ギィン、とひときわ高い音を響かせて、アシュリーが大きく後退した。どうやら弾かれたらしい。全身に軽い火傷を負いながら、燃える街並みの中で大きく息をつく。

 

「……あれ、先生。いたんですか」

 

 呆然としていたグレンを前に、実にケロリとした顔で今気が付いたと言わんばかりに剣を構え直している。

 

 その姿はいつも通りだ。……不気味なほどに。

 

「あ、ああ……お前、それ……」

「ンなことどうでもいいでしょ。今重要なのは、あのババアがなんかしてくれちゃってることですよ」

「そうだが……おい、大丈夫なのか?」

 

 それは戦況だけではなく、常識的に有り得ない状態を思ってのことだった。

 常人にそれは負担が大きかろう、と。そういう思いがあっての問い。

 

「……? あー、大丈夫大丈夫。気にしなくて良いことなんで。それより、街の避難を……」

「もうやってもらってる。白猫たちもじきに合流するだろうが……ちょっと待て、どこに行く気だ!?」

「どこって。あのバーサーカーを叩き斬りに?」

 

 やはりコロッと答える。その目に恐怖はなく、ただ現状を把握し、必要なことを行うというだけの意志があった。

 

 その姿で確信する。

 どう考えたって普通じゃない。

 こいつを『ただの凡人』とか言ったやつは絶対バカだ。

 

「先生?」

 

 気遣わしげな声で現実に引き戻される。

 

 ……なにを考えているのか。眼前にいるのは戦いを厭う自身の生徒だ。落ち着け、グレン=レーダス。お前のすべきことは一体なんだ?

 

「……いや、なんでもねえ。白猫もじきに来る。無理はするな、いいな?」

「そうさせてくれる相手ならいいんですけどね。……それよか、ヴィーリフの方を気遣ってやってください。結構、ひどいトラウマがあるみたいなんで───と、失礼します」

「あ、おい!?」

 

 エルザを狙い始めたマリアンヌを押し留めるためにだろう。会話もそこそこに、再び地を蹴って加速する。

 ごう、と風が吹き荒れる。……なにがなんだかわからないが、どうも迷っている場合ではないらしい。

 

 見れば、リィエルの周りにいた女子生徒は全員が気絶している。あのままでは炎に巻き込まれかねない。……避難が先か。

 燃え移った火を消すために途中で別行動に移ったシスティーナたちが今はもどかしい。今さらながら、聞きたいことが無数にあった。

 

 【トライ・レジスト】を付与して、自身も炎の中に飛び込んでいく。

 

 アシュリーを見つめるリィエルの瞳が、やけに不安そうに揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃える。

 

 家が、街が、ごうごうと燃え盛っている。

 

 懐かしさを覚えながら記憶を手繰る。今までに見た炎は、さてどんなものだったか。

 

「全て……全て燃えてしまえええええええ!!」

 

 剣を握ってから、マリアンヌは正気を失ったように喚いている。

 その度に、こちらを燃やし尽くそうと炎が迫るが───大したものじゃない。炎は得意分野だと自負している。耐えるのも、起こすのも。

 

「───温いな」

 

 ギン、と。

 赫色の魔剣を振るいながら、そんな言葉がこぼれた。

 

 目の前には狂気のままに炎を撒き散らす一人の女。高笑いをあげながら剣を振るうその姿は、もはやただの狂人だ。

 

 だが───どうも脅威に思えない。肩透かし、というやつだ。

 なにかご高説を垂れながら抜いたから、どんなものかと思っていたのだが。

 

「この程度の炎で全てを燃やすなど笑わせる。街一つ、星一つ、村一つでさえも───全てを灰にするには到底足りるまい」

 

 ただの狂気で、一体なにが燃やせるというのだろう。

 

 肌を焦がす炎は、微かな記憶に残る熱には遠く及ばない。

 悪意もなく終末もなく憎悪もない炎ごとき、歩みを止めるには至らない。

 

 一度目の炎はほとんど見ていただけだった。───けれど、あれこそが地獄というものだろう。

 二度目の炎は夢の中で。───微睡みの中、知るはずのなかった炎の海を確かに見た。

 三度目は───さて、どこでだったか。

 

 遠くで誰かが叫んでいるが、なに、大したことはない。

 

 この程度の炎であれば、耐えればどうってことはない。

 

「───どうせなら。

 神も世界も灼き尽くす程度の気概を見せろよ、人間」

 

 つぶやき、剣を握り直す。

 

 熱に浮かされたまま、地面を蹴って駆け出した。




なんでさ:『昔』の知り合いの口癖。

主人公は主人公なので設定モリモリです、実は。主に経歴が。


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39.れっつごーまいほーむ

零時に上げて『よーし今日はもう一話投げるぞー!』と思ったら日中に丸ごと予定が入ってまた零時投稿になった悲しみを背負った焼肉です。


「ひゃは、ひゃはははははっはははははは───!!」

 

 ごうごう、ごうごう。

 

 一面、炎が燃えている。

 

 まともに食らえば、ただの人間などひとたまりもない熱量だ。

 

 突っ込むなんて自殺行為。そうでなくとも、常人であれば炎への原始的な恐怖が身を竦ませる。

 

 ───()()()()()()()

 

「燃えろ、燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ……燃えてしまえ、なにもかもあーっはははははァ───!!」

「フッ───!」

 

 体表を舐める炎を、付与した魔術(【トライ・レジスト】)その身に再現した魔術耐性(対魔力スキル)で耐える。片手には赫い魔剣。ここで退けば、また仕切り直しだ。

 少女たちが騙されていたこと、前へと進もうとする意志を利用されたことへの憎悪はない。その感情は既に十年前に燃やし尽くして残っていない。故に───剣を振るのはひたすら義務感、そして微かに残った感情と記憶のため。

 

 逆袈裟に斬り裂こうと刃が踊る。狂人はそれを受け流し、最高出力で炎を撒き散らした。自滅さえ厭わぬ攻撃。それ故に強い。

 だが───ああ、なにを灼こうという気概のないただの炎など!

 

「───ッ」

 

 貫通して肌を焦がす熱を気合いで耐える。こんなもの、なんら脅威には成り得ない。

 二度、三度、四度五度六度───七度。弾かれるそばから斬り返し、炎を裂きながらただただ敵の命を狙う。

 

 一瞬の隙をついて狂人が剣の間合いから離れる。それに対して選んだ行動は投擲。赫き刃を殴り飛ばし、迫る炎で身を焦がしながら追撃とばかり蹴りを叩き込んだ。刃がどこかへと飛び去る───刹那、手中に生み出される短剣二振り。

 手数で押し、剣を持った腕を仰け反らせる───短剣を放り飛ばし、偽りの主の許へと飛来する魔剣を掴む。

 

 上段から振り下ろす。加減はない。疾く死すべしと、脳天目掛けて剣が堕ちる。

 

 だが敵もさるもの、このままでは死ぬということぐらいはわかるのか、炎を撒き散らしながらもステップを踏んで刃から逃れる。獲物を見失った赫が地面を割る───その寸前に強引に方向を斜め上へと転換し、再び狂人の腹から両断せんと炎を割る。

 

 しかしその頃には既に体勢は整えられている。古風な剣と赫き剣がぶつかり合い、ひときわ強く音と炎を放ちながらもお互いに弾き合う。

 じゅう、となにかが焼ける音がした。自分の頬が灼けていた。……構うものか。

 

 弾かれた勢いを利用して蹴りを放つ───避けられる。どうやら豪語する通り、剣に蓄積された本来の持ち主の技量だけは健在、かつ人外の領域らしい。

 

 正直千日手だ。今の自分一人では拮抗が良いところ。……もう少し引っ張り出すか。

 

 以前よりよほどスムーズにその選択肢が候補に上がる。どうせ残ったモノも少ないのだ、全て灼き尽くしたところで変わるまい───

 

「───アッシュ!」

 

 声と同時、大気の壁が身体を包む。投げられた音に背後を向けば、そこにいたのは亜麻色を守るように立つ薄青色と、それを支える黒と銀だ。人らしい部分が無事を喜ぶ。

 

 戦い続ける装置から、残骸(アッシュ)の意識が戻ってくる。……これでは埒が明かないと判断し、地を蹴ってそちらへと駆ける。一瞬の後に、自分がいた場所を炎が巻いた。

 

 一つ息をつき、バックステップで薄青色の隣へと。物言いたげな視線が四方八方から突き刺さる。居心地が悪い。

 

「お前……なんだよ、それ?」

「気にしなくて良いことだ、と言ったでしょう? それより、どうかしたんですか。わざわざ呼んだりして」

「気にしなくて良いわけあるか! ……ったく、大丈夫か?」

「魔術には強い……っぽいので。あの程度、耐えりゃなんとでも」

「……無理すんなって言ったよな」

「無理も無茶もしていませんよ。『可能なこと』は『無理』とは言いません」

「……。はあ~……」

 

 なにか癇に障る発言でもあっただろうか。アシュリーが微かに首を傾げる傍ら、グレンは大きなため息を吐き出すと、それどころではないからと意識を切り替えたのか「まあ、いい。全然良くないけど、いい」と吐き捨てた。

 

「それより、あの女だ。放っといたらこの辺一帯焼け落ちちまう」

「同感。俺一人でもなんとかなるっちゃなんとかなりますが、そっちになにか手段でも?」

「……ねえな。バカやってるお前はともかく、俺やリィエルじゃあの炎を防げねえ。攻撃に転じる隙がほとんどないんだ」

「ふむ」

 

 ならばやはり、自分が出張るしかないか?

 考える横、涼やかに薄青色が通り過ぎた。

 

「……ん?」

「グレン。アッシュをお願い。……わたしが斬る」

「なっ……バカ、戻れリィエル! お前じゃ黒焦げ───」

「いぃいぃぃぃやああぁぁぁあああああ!!」

 

 咆哮、突貫。

 

 グレンの静止を振り切り、なにかに急かされるようにリィエルが走り出した。マリアンヌがゆらりと亡霊のようにそちらに目を向ける。

 

 翻る大剣、ぶつかり合う刃と刃。そのまま得意の力尽くで押し破ろうとするが───炎が巻き起こり、リィエルを飲み込まんとうねる。

 

「うっ……!?」

「《大気の壁よ》───ッ! リィエル、無茶しないで、落ち着いて!」

「問題、ない……っ! はあああああッ!!」

 

 システィーナが起動した【エア・スクリーン】で致命傷を避けたのを幸いとばかり、リィエルが猛攻を開始する。常よりもなお速く、なお重い。なにがそうさせているのか、リィエルの剣はいつもよりも強かった。駆り立てられるように、二度、三度と切り結ぶ。

 が、やはり【トライ・レジスト】と【エア・スクリーン】だけでは限界がある。頼みの障壁はたちまち撫で斬りにされ、再びリィエルが炎の前に身を晒す───

 

「……無理をするな、レイフォード。焦げるぞ」

 

 その寸前、その身を盾にするようにして少年が割り込んだ。霞む左手。一瞬だけ、炎から身を守る障壁が現れて消える。その隙にシスティーナが【エア・スクリーン】を張り直し、リィエルを保護した。

 人一人燃やし尽くして余りある炎は、ほんの僅か、鮮やかな髪の先を灼き焦がすだけに留まる。一瞬だけなにか言いたげな顔をして、リィエルが再び剣を構える。火の粉が刃に反射して輝いた。割り込んできた少年からマリアンヌを引き離すように、再び咆哮して斬りかかっていく。

 

「う、ぁあ、ああ……」

 

 ───それを。

 

 うずくまって見ている、一人の少女がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 燃え盛る炎の中、私はうずくまっていた。

 

 視界に映るのは一面の赤、赤、赤───。イルシアがかつて私の家を染め上げた、鮮血にも似た赤色が広がっている。

 

「あぅ、あ……あ、ぁああ……」

 

 震える身体を押さえ付けるように、両腕をかき抱く。

 武人の私と平時の私を切り替えるための眼鏡は、とっくに燃え落ちていた。

 

 お前も戦え。一人でうずくまるな、その剣はなんのためにある───そんな理性の声が聞こえるのに、震えは止まらない。

 

 怖い。怖い。怖い。

 

 炎が怖い。血が怖い。全てを奪った死神の髪と同じ、赤が怖い。

 

 立ち上がれない。目も耳も、なにもかもを塞いで逃げ出してしまいたい。

 

「いやだ……無理だよ……私には……。お父さん……ッ」

 

 震える手で刀を握り締める。

 今回も、きっと、この赤色は私から全てを奪っていくのだ。

 

 私の未来も。誰かの未来も。ほんの僅か、だけど確かに感じていた友情も───。

 

「そう……そう、だ……イルシア……違う、リィエル……リィエルは……?」

 

 よろよろと、地面を見つめ続けていた顔を上げる。……すぐに後悔したけれど、それでもやらなければならないことがあった。

 謝らないと───もう、役に立たない私だけど。夢を取り戻せるという甘言に誘惑されて、違和感を抱きながらも本当のことを知ろうともせず、あまつさえ、友達だと言ってくれたあなたに剣を向けた私だけど。

 

 せめて、それくらいはしないと。

 

 父の剣の誇りを汚した報いを、私が受けるのは構わない。

 だけど、未来へ向けて歩き出して、みんなに追いつこうと必死に頑張っていただけのあなたを───私の的外れな私怨で傷付けたことだけは、謝らないと。

 

「……ぁ」

 

 そうして、顔を上げて───気付いた。

 

 リィエルが、薄青色の髪をなびかせながら剣を振るっていた。炎の中、まるで瑠璃のように煌めきながら。

 

 炎に身を焦がされながら、それでもなお必死に歯を食いしばって戦っている。……そのすぐ近くには、リィエルが懐いてしきりに気に掛けていた人の姿があった。

 アッシュと名乗る少女……いや、今は少年。私が怖くて仕方なくて震えている炎の中に飛び込んで、当たり前のように剣を振るうくすんだプラチナブロンドの、氷のような剣士。

 

 ……それを、炎から遠ざけるようにして。私の、初めての友達が戦っていた。

 戦わなくて良いように。全てを灼き焦がす炎から守るように。

 

 ───エルザ。守るために剣を振るいなさい。人を活かす剣を振るいなさい───

 

「……お父、さん」

 

 かつて、父から聞いた言葉が蘇る。

 

 守るための剣。

 

 今のリィエルのような、剣を振るえと。

 

(───そうだ)

 

 せめて謝らないと? ……なんて言い草。

 謝ったところで、この罪は濯げない。

 

 己が行動によって被った罪は、言葉ではなく行動で贖わねばならない。

 

 ならばお前がすべきことはなんだ。

 

 父の剣を汚し、友情を汚したお前がするべきことは───

 

 ───鞘を、握る。

 

「……リィエル!」

 

 両の足で、立つ。

 

 今度こそ、正しく父の剣を揮うために。

 

 今の今までうずくまっていた私の声に、リィエルが驚いたように視線だけで振り向いた。

 無理をしないで、と。その瞳が語っている。

 

「いいの……違うの。私、にも……。私にも、守るための剣を、振るわせて……!」

「……。エルザ」

「許されないことをしたって、わかってる……。今さら、手伝うなんて、都合が良いってわかってる……! だけど、それでも、私は───」

「エルザ」

 

 遠いはずの場所から聞こえた確かな声に、身体がこわばる。

 静かに、淡々と、リィエルはいつもの無表情で───

 

「……信じてる」

 

 そう言って、背中を向ける。一度は命を狙った私に。

 

 無防備な背中を見せる。それは、剣士にとって最上級の信頼のあかし。

 

「……うんっ」

 

 声はまだ震えている。

 ちゃんと会話をしているように見せかけても、未だ身体は炎の記憶に怯えている。呼吸さえもうまくできない。めちゃくちゃに鼓動が暴れている。

 

 だけど───ああ。あれだけの信頼を寄せられて、どうしてなにもせずにいられよう。

 

(今度こそ。あなたの、隣で───!)

 

 原初の誓い。

 守るための剣……それを思い起こさせてくれた、大切な友人のために。

 

 憧れた父に教わった全てを、今。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 動けない。

 

 なぜかレイフォードがこっちを邪魔するような形で動き回っているせいで、あの狂人のところまでたどり着けない。

 

(……なに考えてるんだか)

 

 興醒め、というのが近いだろうか。

 時折、隙を見てはぽいぽいといつものように短剣を投げてみてはいるものの、牽制程度にしかなっていない。

 

「アッシュは下がってて。わたしと……エルザが、なんとかするから」

「なんとかするってお前な」

 

 ここで下がれと言われて、はいそうですかと素直に引き下がるほど……あれ、なんだっけ。

 むしろ逃げていいと言われたら、逃げたくなるのが『普通』なのでは?

 なんだって俺は、必死こいて戦って───?

 

 戦え。戦わないと。お前は戦うが故の───

 

「……あれ」

 

 炎の揺らめきで、少し視界が揺れたらしい。

 金属同士がぶつかる音で、消えかけた意識を引き戻された。……なにか考えてた気もするけど、まあいいや。切り替え切り替え。

 

 どうやらヴィーリフがどうにかしてくれるらしいので、とりあえず足止めに徹すれば良いのだろうか。ああいや、それをしてたらレイフォードがめっちゃ邪魔してくるって話だった。

 

 さっきからあちこちで燃えてる炎は本当、どうということはない。ちょっと熱いだけの、ただの火だ。

 

「レイフォー───」

「やぁぁああああああッ!!」

 

 近付けねええええええ。

 

 なんなんだ本当。戦うなと、今になってそう言われたところでどうしようもないのに。

 

 時折、炎に巻かれそうになるレイフォードに魔術でサポートを飛ばしてやる。意地でも退かないつもりらしい。だが熱を気にしながらではやはり動きにくいのだろう。マリアンヌの剣が空を裂いてレイフォードの柔肌を目掛けて滑る。

 

「俺のことも、忘れてねえだろうなッ!?」

 

 ……それを、横合いからグレン先生が弾き飛ばした。どうやら火消しも避難も終わったらしい。拳銃を片手に、炎の剣をかいくぐってその動きを封じている。防御呪文が消えるたび、フィーベルが的確にかけ直していく。

 

 さすがの連携だ。俺はいらないな、これ。

 

 まあ、もとよりどこにいてもオマケ扱いされる俺だから。

 この世界に必要ないというのは、まったくもってその通りなのだが───

 

「───あ」

 

 呆けた瞬間、巻き起こる炎の津波と、それを斬り裂く風の刃。

 

 ヴィーリフだ。あれだけ過去のトラウマに震え、怯えていた彼女が、炎の波を斬り裂いていた。

 

 二つに割れた炎の中を、黒と青が駆けていく───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───何度目かもわからない、『それから』の話をしよう。

 

 あのあと、マリアンヌ学院長はグレン先生に伝家の宝刀【マジカル☆パンチ】で吹っ飛ばされ、ばぃんばぃんとゴム毬みたいに跳ねて気絶した。

 当然身柄は拘束されて緊急逮捕。尋問にかけたが一切の情報ナシ。取り巻きの女学生たちは思考を極端にする魔術が使われた痕跡があったので情状酌量。晴れて自由の身になったのみならず、今回の一件で学院の閉塞的な環境が問題視されて新しい学院長が派遣されるのと同時、改革に乗り出す予定だという。

 

 晴れ渡る空の下、アルザーノ帝国魔術学院に向かう鉄道に乗り込む。

 グレン先生は月組の女子から熱視線を向けられ、青春時代っぽくレイフォードとヴィーリフが別れを告げ、キサラギからはまた今度会ったら前に話した『クソ不味い』里の兵糧をご馳走しますと言われ、ついでになんかヴィーリフからじとっとした視線をいただいた。なんでさ。

 

 そして現在。行きに乗ったのと同じような個室席。

 

 そこでなぜか、俺は犯罪者かなにかのよーにみんなに取り囲まれていた───!

 

「あの……なんなんです、これ? みなさんお顔が怖いデスヨ?」

「ん。アッシュ、また無茶した」

「できたんだからいいじゃん……」

「よくない。すごく不安だった」

「そりゃどーも……」

 

 むすっとした顔で言われてはわけがわからなくとも反抗はできない。男尊女卑とか男女平等とか、そういうのはぶっちゃけこういうときには存在しない。女子の笑顔が曇った瞬間、男子のヒエラルキーは圧倒的に下位に位置するのだ。

 

「そうだぞ。……お前、あんだけのことやっといて反動がないとかそんなわけねーだろ。グレン先生様の目は誤魔化せんぞ。吐け。おらキリキリ吐け」

「尋問するならカツ丼ください。……じゃなくて」

 

 椅子から身を乗り出して、じーっと顔を覗き込んでくるグレン先生を押し戻しながらもああ、なるほどと合点がいった。グレン先生はどうやら、俺が分不相応な力を使っていたことに気が付いて心配してくれているらしい。

 確かに、ああいう『自分の度を越えた能力』には大抵デメリットがあるのがお約束だ。グレン先生の【イクスティンクション・レイ】などが良い例だろう。言わんとしていることはまあわかる。

 

「ない。ないです。少なくとも今回の一件での反動は一切」

「……本当か?」

「なんで疑うんですかねえ……。俺がそこを誤魔化すような人間だと思います? ごく普通の凡人ですよ、俺は。ありふれた、どこにでもいる、そんな人間です」

 

 ───口にした言葉が、ひどく空寒い。

 正しいのに正しくない。その感覚を覚えるより前に、無理やり思考を断線させた。

 

「……ったく」

 

 一応、それで納得してくれたらしい。ぶすーっとした顔で、グレン先生は椅子に腰を下ろした。

 事実だ。今回、なくしたものはなにもない。なにかあったとしても、それはなくしたものと混じったものに、区別がつかなくなったぐらいだろう。

 

 それでもなおじーっと見てくるレイフォードの目が痛い。つ、と窓の外に視線を逸らす。

 

「アッシュ君、また無理したの?」

「してない。無理じゃないことならした」

「そういうの、屁理屈っていうんだけど知ってる?」

「……うっせーやい」

 

 心配そうな顔をしているティンジェルと、レイフォードに負けず劣らずじっとりとした目を向けてくるフィーベルからも視線を逸らした。

 

「……あんまり無理すると、心配だよ。アッシュ君も、私たちの仲間でしょう? たくさん巻き込んじゃってるから、せめてなにかあったらちゃんと教え……」

「なにもないよ」

 

 遮るように、口にした。

 どうしてか、前は笑って流せた言葉が今は痛い。……そういえば、最近はちゃんと笑っていたっけ。笑顔を浮かべられる自信が、今はなかった。

 

 がたごとがたごと、どこか気まずい雰囲気のまま列車が揺れる。

 隣の席に座るレイフォードが見てくるのを認識しながら、それでも意地のように外を見続けた。どこか遠くへ視線をさまよわせる俺をどう思ったのか、それとも諦めたのか。レイフォードが、ぽすりと肩に小さな頭を預けてくる。

 

「……帰ろう。フェジテに」

 

 ───懇願のように囁かれた声に返す言葉はなく。

 

 日は高い。

 ソラ(世界)は今日も、何事もなく廻っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、肩凝った。色んな意味で。

 

 あのあと、結局俺の肩を枕にして寝こけてしまったレイフォードをグレン先生に引き渡し、『本当に大丈夫なんだろうな』という視線を頂戴しながら俺は帰路へと就くことになった。

 

 色々なことがありすぎて、正直もうへろへろだ。動き続けるための活力がないというか、そんな感じ。

 

「日記……日記書こう。家に、帰って。それで全部、問題ない……はず、だし」

 

 帰ったところでなにもない。なにもなくとも、あそこは俺に許された安全地帯にして舞台装置。

 まずはそこに戻らないと、なにもかも始まらない。

 

「……帰ら、ないと」

 

 疲れが出たのだろう。ふらふらと、足元が覚束ない。

 

「思い出して……帰らないと……あれ……?」

 

 意味のないつぶやきに首を傾げる。帰るのと、思い出すのと、どっちが先だったっけ。なにがしたかったんだっけ。

 見慣れた路地にノイズが走る。商店街のような、雪景色のような、片田舎のあぜ道のような風景がダブる。なにを見ている?

 

「───まあ、いいか」

 

 気にしないでいいことは、気にしないに限る。

 

 気にしなくても良いことを、気にしているだけの余裕はない。

 

 一言、つぶやいて頭を振る。それでまともな思考が戻ってきたのだろう、多少足取りも視界もまともになる。

 

「帰ろう……」

 

 とにかく、なんていうか、疲れた。

 

 帰って、眠ってしまおう。

 終わるにせよ続くにせよ、眠ってしまえばあとはあっという間に過ぎていく。

 

 見慣れた(俺の/誰かの)玄関を開けて、ベッドに荷物を放り投げて、机の上に乱雑に散らばっている本に目を通す。

 一冊目。十年前、イヴから忘れっぽいからともらった日記帳。ページをめくる。見慣れない(読めたはずの)文字。───どこかが軋む。代わりに、駆動するための動力源は手に入れた。まだ動ける。大丈夫だ。俺はまだここにいる。

 

 パラパラとページをめくって、閉じた。二冊目以降には目もくれず、最新のものを取り出してざっくりと『疲れた』とだけ書きつける。明日でもいいだろう。明日があればの話だが。

 

 大丈夫。大丈夫だから、もう少しだけ、もう少しだけ探してみよう。

 

 なんのためかわからなくても。もう少し。

 

 ───もう少しだけ。ありもしないものを、探していよう。



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40.正義、再動

二話投稿じゃああああ!!(また日中にやることができた)
ボロクソ状態のアッシュですが、作者はハッピーエンドが好きなのでご安心をば。───途中がどん底であればあるほど良いタイプではありますが。


 ───晴れた空の下、学院の中庭でボールが跳ねる。

 

 今日の『黒魔術』の授業はなぜかグレン先生の発案で『ドッジボール』へと変更され、いつの間にか芝の上に敷かれていた白線の上で二組の生徒たちが楽しげに駆けまわっていた。

 

 ぽーん、とボールがナーブレスの腕から転がっていく。カッシュが拾って、思いっきり男子が密集している辺りに投げ込んだ。けらけらと楽しそうに笑って、アルフやビックスがそれを避ける。

 学期末テストも近いから、ギスギスしていたクラスの雰囲気を和らげてガス抜きをさせるためなんだろう、とティンジェルが言っていた。そうかもしれない。現に、楽しそうに動き回る生徒たちはみんながみんな晴れ晴れとした顔をしていて、ギスギスした空気なんてどこかへ吹き飛んでしまっていた。

 

 それをぼんやり、俺はコートの端っこから眺めていた。

 上っ面だけ混ざりながら、いつものように、ぼーっとしながら佇んでいる。ついでに、存在感が薄いと狙われなかったりするのだ。十人程度のまとまりに混ざって、波のようにあっちこっちに動いていく。

 

「おいアッシュ、避け───」

「ん」

「……あ?」

 

 そんな風になんとなくで動いていたせいだろう。レイフォードの投げたボールが思いっきり胴体にクリーンヒット。俺じゃなかったら死んでるぞオイ。

 

 しかしボールにぶつかったのは事実。仕方ないので、反対側にあるコートの外側に移動する。馬鹿力め、と言いながらちょっとだけ休憩しようと中庭に生えている樹にもたれかかった。あれだけ熱中しているのだ、どうせ誰も気付くまい。

 

「……あ、アッシュ君」

「……ティンジェルか」

 

 訂正。同じく外野に出されていたティンジェルが、暇なのかこっちに寄ってきていた。

 運動は得意ではないから、一回出たらほとんど出っ放し……ということはなく、『ルミア様ファンクラブ』みたいなのがあるのでむしろ一部の男子生徒が率先して当たりに行き、出たり入ったりを繰り返している。

 

「どーした。俺なんかと話してるより、ボールでも拾った方が良いんじゃないのか?」

「えへへ……少し、疲れちゃって。アッシュ君は?」

「……大体同じ」

 

 ぼーっと、楽しそうなみんなを眺める。

 ……今は、明確に外にいる方が気が楽だった。

 

「戻らないの? アッシュ君なら、すぐに……」

「───いや。戻れないから、これでいい」

 

 ───時折。視界が重なることがある。

 

 残ったもの。なくしたもの。知らないはずのものがごちゃ混ぜになって、目の前にあるものが見えなくなる。

 疲れているんだ、きっと。色々なことがありすぎて。でも。

 

「……この日常だけは。ずっと続いていけば良いと思う」

 

 本当に、そう思う。

 

 例えそれが、重ねているだけだったとしても。この日々が美しいことに、変わりはない。

 

「……うん。こんな日が、ずっと続けば良いのにな……」

 

 ……その横顔にかけられる言葉はない。

 誰かの都合で追いやられ、誰かの都合で追い回される彼女に告げられる言葉を、俺はなにひとつ持っていない。

 

「ティンジェル」

「なあに?」

 

 だから。

 

「……手放すな。まだいたい場所が、いられる場所があるのなら。……それが、失われていないなら」

 

 いつかどこかで、ダレカの語った祈りだけを口にした。

 

 願いは叶えようと自ら足掻くもの。祈りは叶うように運命に託すものだ。

 

 輝かしい景色から目を逸らして、ソラを見上げた。

 

 ……ああ。

 

 帰らないと。

 

 帰れないのなら、せめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しそうだった団欒も終わりを迎え、日は沈み、黄昏が空を支配する。

 

 すっかり慣れた帰路を歩む。十年。騙し騙しやってきた時間も、限界を迎えつつある。

 

 それを無視して、動き続けるための動力を補給する。……外れてしまった今では、もはや意味を成さない最後の砦。なぞることさえ許されぬ彼の、最初で最後の執着心。

 

 扉を開けて、誰もいない家にただいまと声を掛けて、肩からカバンを降ろしながら玄関をくぐる。

 

「───おかえり」

 

 ふいに、聞こえるはずのない返事が聞こえた。

 

 弾かれるように顔を上げる。既に二度、失われたはずの響き。自分ではもはや得られない、なぞってもなぞっても思い出せない日常の一欠片。

 

「お邪魔しているよ、アシュリー。……いや、この呼び方は少し不適当かな。アッシュ()と、そう呼ぶ方が似合っている」

 

 ───なるほど。

    ようやく、終わりが形を持ってやってきたらしい。

 

「……なんの用だ」

「君に興味があってね。ああ、戦うつもりはないよ? ほら。今の僕は丸腰だ。くっくっく……」

「丸腰と言いながら仕込み杖を掲げて見せるとは、ずいぶんと趣味が悪いように見えるが」

「おおっと、こいつは失敬、失敬」

 

 山高帽を被り直しながら、狂い果てた《正義》が嗤う。少年の家で、薄汚れた日記帳に目を通しながら、男は穏やかに微笑んでみせた。

 敵意はない。事実だろう。ならば剣を握る必要はない。好ましい人物でないのは確かだが、敵でないなら敵意はいらない。

 

「……用は」

「フェジテを救済する。手助けをしてくれないか?」

「根拠は」

「君に説明したところでわからないさ」

「……なぜ俺に?」

「君に興味があるから。それだけだよ」

 

 ぱたり、本が閉じられる。その寸前、一冊目の最初のページ。始まりのページに書かれた文字をなぞり、愉快そうに男が濁った視線を向ける。

 

執着(願い)という名の慣性だけで動き続ける、バグだらけの君が行き着く先を見てみたいんだ」

 

 嗤う姿は穏やかだ。

 愚かな人間の行く末を見守る聖者のように。あるいは───燃えたあとも燻り続ける、燃え滓を愛おしむように。

 

「既に死に絶えたものには戻れなくても、君に残されたものはほとんどなくても。

 その空隙さえあれば───君は、英雄にだって成れるだろう」

 

 大仰な身振りで語る男は、真実全てを知っているわけではないだろう。しかしそれでも、どういう視点を持っているのかは甚だ疑問だが───この狂った聖者は、意味のわからない情報網を持っている。

 

 なにを根拠にそんなことを語るのか。それはわからない。わからないが───事実だ。

 

「断ると言ったら?」

「君は断らないよ。『フェジテ』というカタチを───もっと言えば、『学院生活』という枠組みが失われることを君は極力避けようとする。この家と同じで、そこは君の動力源だからね。いやはやまったく、このページを見たときは驚いたよ。どういう経緯なのかはわからないが……『カレ』も惨いことをする」

「……なら、俺が形振り構わず逃げ出して、周囲に助けを求めるとは思わないのか」

「『逃げ出す』という選択肢の行き着いた果てが、今の君だろう? それに、『戦略的撤退』であればともかく、『逃走と救援要請』は『普通の人間』が取る手段だ。故に、昔の君であればわからないが、少なくとも今の君はそうしない。()()()()。違うかい?」

 

 それは問い掛けではない。確認だ。

 《正義》は既に、そうであることを知っている。

 

 一つ息を吐き出した。

 潮時だ。

 

「……話だけは聞こう」

「ありがとう」

 

 白々しい感謝の言葉。

 

 それを冷めた表情で受け流して。彼は、狂人の言葉に耳を貸した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 成るべくして成ったものは必然であり。

 偶然の連なりをこそ、人は運命(Fate)と呼ぶ。

 

 その定義に基づくならば───(カレ)がこう成り果てたことは運命であり、彼がこの道を選んだのは必然である。

 

 ……さあ。

 願いと呪いで動き続ける、灰の末路を見に行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───必然の黄昏は過ぎ。運命の夜が訪れる。

 

 アルフォネア邸。要するにグレンとセリカ二人の家を、天の智慧研究会の暗殺部隊が襲い。セリカに全てを託して逃げ出した……そんな最悪の夜。

 

 グレンは、ジャティスに襲われて助けを求めに来たというシスティーナとともに秘密基地へと逃れていた。そこは以前セリカが作った、特定のルートを通らなければたどり着けない魔術的な仕掛けが施された隠し部屋。

 壁に立て掛けられた柱時計の音が重苦しい。時刻は午前四時を指していた。……セリカが一人残ってから数時間。敬愛する師からの音沙汰は───ない。

 

 事態は深刻だ。システィーナの話では、深夜に突如フィーベル邸を襲撃したジャティスはリィエルを降し、ルミアをさらい、なぜかシスティーナだけは気絶させるに留めて放置したのだという。

 ややあって目覚めたシスティーナはリィエルを介抱し、法医呪文(ヒーラー・スペル)を施してフィーベル邸で眠らせ、グレンへと助けを求めてやって来た。

 

 だがそこに、無数の『掃除屋(スイーパー)』が現れてグレンたちを包囲し、容赦なく襲い掛かった。ジャティスと天の智慧研究会になんらかの繋がりがあるのか。それとも互いに互いの邪魔をするように動いているのか。ジャティスは天の智慧研究会を『邪悪』と断じて蛇蝎のごとく忌み嫌っている。おそらくは後者だろうが……。

 

「……つか、あの組織とジャティスが出張ってるならアッシュはどうなってんだ? この前のことも、なに聞いても『大丈夫です』の一点張りだしよ……。白猫はなんか心当たりとか、ないか?」

「いえ……すみません。アッシュのことは、ほとんど知らないんです」

「……マジか?」

「はい」

 

 曰く、クラスのどこかにはいるけれど、実際どこにいるかと言われれば困ってしまう不思議な人間。それが、二組から見たアシュリーという人間らしい。

 正直、意外だ。エルザがぼっちだ、と聞いたときの衝撃にも近しい。陽気なイメージがあったのもそうだが、なによりその違和感に今の今まで気付かなかった自分に驚いている。

 

「エルザは、明確に壁があるって感じだったけど……アッシュはなんていうか、一枚膜があるみたいな感じで」

「膜……?」

「うまく言えないんだけど……なんていうか、時々視線がこっちをすり抜けるっていうか。どこを見てるのか、たまにわからなくなるっていうか……」

 

 一歩引いたところから観察している感覚。暖簾に腕押し、という言葉が近いだろう。

 それでも、クラスの一員ではあった。本当の意味で馴染んではいなくても、それなりに気に掛けるし、それなりに会話もする。そんな存在だったのだ。

 

「そもそも、戦えるってこと自体、今年になってから知ったことだし……」

「……そうか」

「力持ちだとか、そういう上っ面のことしか知らないんです、私たち。あんなに強かったってことも。……将来の夢だって知らない」

 

 アルザーノ帝国魔術学院に入学する生徒は、皆大なり小なり将来の展望を持っている。それがどんなにあやふやでも、未来をきっちり見据えた願いを抱えているものなのだ。

 だからこそ、そういった『夢』の話題は定番で、大雑把な内容くらいなら同じクラスの人間は知っていることが多い。だが、彼の夢と言えるものを聞いたことはそういえば一度もなかった。強いて言うなら、『普通の生活を送りたい』、と言っていたくらいなものだ。

 

 ……そういった人間もいるだろう、と。

 深く関わらなかったことを、ほんの少しだけ後悔した。

 

 いつもその辺にいるから、なにがあってもきっと、そんな風にいるのだろうと思っていた自分がいた。彼は、日常を続けることに固執していたから───

 

「……憑依召喚(ポゼッション)ってのはな。容量があるんだよ。深層意識野の容量とはまた違った、な。例えば、名前のある大天使。人間の共通無意識……『意識の帳』に存在する概念を、人間の身体に憑依させることで顕現させる……ま、滅多にいやしねえが。そういう『強い概念』は、顕現させるだけでも魔力バカ食いするし、極端なレベルまで適合しなけりゃそうそう降ろせねえ」

「……それが、どうしたんですか?」

()()()()んだよ、あいつのそれは」

 

 今さら。

 本当に、どうして今さら気が付くのか。

 

「セリカ並みの魔術。……間違いなく、アッシュ本人のものじゃなくて降ろしてる存在の能力だ。剣技も、ある程度は自前なんだろうが……引っ張られてる部分が大きいだろう」

「で、でも先生、極端なレベルまで適合してれば有り得るって」

「あいつに限っては有り得ねえんだよ。あいつの容量じゃ、あんだけの能力を持つ概念存在を降ろすなんて……普通に考えりゃできねえんだ」

 

 憑依召喚は、余所から『憑依元』のデータを引いてくる。言わば、自分という書庫の中に、世界という図書館からその本を持ってきて、ページを一枚一枚広げるような行為なのだ。

 当然、大きすぎる本のページを一枚一枚開いて広げるということは、自分という存在が消し飛ぶ危険性を孕んでいる。『自分』の存在を確保しながら『なにか』のデータを広げるには書庫に十分なスペースがなくてはならない。図書館のどんな本でも広げられる代わり、書庫が狭いアシュリーに、『自分』を確保する余裕はない。

 

 肉体か精神か、あるいは精神の記録媒体たる霊魂そのものか。……なにかが吹き飛んでいたって、おかしくはないのだ。

 ナムルスが口を滑らせた『中途半端』という評価。小分けにして降ろしている、という意味なのだろうが、それは先述の例えで言うなら図書館から()()()()()()()()()()()()()()()()ということになる。……不可能だ。憑依召喚には0か10かしかない。既になにかしらの存在を降ろしている以上、人格に破綻を来たしていても不思議ではない。

 

「けど、あいつは……少なくとも俺たちの前じゃ、ごくごく普通に暮らしてた。帰りたい帰りたいって文句こそ言っちゃいたが、普通の人間だったんだ。()()()()()()()()()()()

 

 アシュリーという人間は、グレンが学院に来たときからなにひとつ変わっていない。少なくとも、外側は。

 それがおかしいのだ。……あまりにも多すぎた強敵との戦い。派手に立ち回らざるを得なかったルミアの事件を隠れ蓑に、何度死にそうな目に遭っていたことか。

 

 バーナード仕込みの格闘術。それなり程度に鍛えられた剣術。リィエル並みの身体能力。それをもってして、逃げ回っていたのだとなんの理由もなく思っていた。揃いも揃って強敵だったから、逆説、たった一人でどうにかしてきたのなら……それしかアシュリーには生き残る方法なんて有りはすまいと。

 

 違和感が強まったのは『タウムの天文神殿』の一件。そのあとも、なにも変わらなかったから違和感は忘れ去っていた。

 ……決定的だったのは、マリアンヌとの戦いだ。一歩も退かない。逃げるなど有り得ない。立ち向かうしかしない。……そんな人間が、今まで撤退を選択していたはずもない。

 

(代償がないなんて有り得ねえ。絶対、なにかカラクリがあるはずなんだ。……無意識であれ意図的なものであれ、アッシュが『アシュリー=ヴィルセルト』という個人を保って生きていられる理由が───)

 

 アッシュが力を借りているだろう概念存在についても見当がつかないのもまた不気味な話だ。自慢ではないが、これでも魔術に関する知識はずば抜けている。その自分が、まったく見当もつかないなにかを降ろしている。……考えれば考えるほど、おかしい。

 どうして気が付かなかったのかと、後悔することしか今のグレンにはできない。……せめて、本当に代償なんてなんにもなくて。こっちが思い違いをしている可能性を祈る。

 

 ……時刻は五時を指した。セリカの生存も、もはや絶望的だ。

 動くしかない。またなにかに巻き込まれる前に、アシュリーの安否も確認しておかなければならない───ジャティスと、天の智慧研究会にこれ以上なにかが脅かされる前に。

 

 そんな風に、グレンがなけなしの大人としての矜持で胸に燃え滾る憎悪を押さえつけていた、そのときだ。

 キン、キン、と。システィーナの懐で、通信用の魔導器の着信音が鳴り響いた。……セリカではない。

 

「……せ、先生」

「貸せ」

 

 システィーナに覚えのない通信機を仕込めるとすれば、それは彼女を襲い気絶させたジャティス以外には有り得ない。

 ひったくるようにして宝石を手に取ると、案の定二度と聞きたくなかった声が聞こえた。

 

『やあ、グレン。ご機嫌いかがかな?』

「テメェ……なに考えてやがる、ジャティスッ!」

『開口一番にそれかい? 少しは宿敵同士の再会を喜んでくれよ、グレン……』

 

 くつくつと、昏い笑い声が響く。

 ふつふつと憎悪が腹の底を焦がすのを自覚しながら、努めて冷静に聞くべきことを聞き出そうと口を開く。

 

「……おい。どうしてルミアをさらった。あの組織の『掃除屋』はなんだ? アッシュにも手を出しちゃいねえだろうな。そもそもこんなことしてくれやがった目的はなんだ? 答えろ、クズ野郎」

『オーケイ、一つずつ答えていこうじゃないか。……まず、ルミアは無事だよ。そもそも、彼女を殺すだけならもっと簡単にできた……それは君もわかっているだろう?』

「……チッ」

 

 一定の説得力に舌打ちする。

 納得できてしまうのが、なおのこと腹立たしいのだ。

 

『次。……あの『掃除屋』は、僕の想定内ではあったが……間違えてくれるなよ、グレン。僕があんなドブカスと手を組むなんて有り得ない。絶対にだ』

「……そーかよ」

 

 これも、説得力。

 どうせそうだろうとは思っていたが、やはりそうらしい。ジャティスは未だ、あの組織を死ぬほど憎んでいる。

 

「……で。アッシュは?」

『……正直、君からその名前が出てきたことに驚いているけどね。彼、学院じゃかなり目立たないように生活していたんじゃないのかい?』

「なんで知ってる……いや、バカだろお前。一回あいつを殺そうとしたってのは聞いてるんだよ」

『ああ、そうか。なら安心していいよ、グレン。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……今は、ね』

 

 ……妙に清々しく言い切った。

 やはり、謎の説得力がある。これに関しては本当に謎だが……殺意を剥き出しにしていたシスティーナのことも、なぜか認めて狂喜乱舞していたジャティスである。考えるだけ無駄だろう。

 

「……待て、『殺すことだけは有り得ない』? どういう意味だ」

『勘がいいじゃないか。なに、簡単な話だ。彼には『ゲーム』に参加してもらったのさ。……これから君にも参加してもらう、フェジテの未来をかけたゲームにね』

「ゲーム、だと……?」

『そう、ゲームだ。僕が出す課題をこなし続ければ、ルミアは解放され、そしてフェジテも救われる……実にわかりやすいルールだろう?』

「なんで、それにあいつを巻き込んだんだよ!?」

『僕の純然たる興味さ。全てが終わったとき、鬼が出るか蛇が出るか……それは僕にもわからない。彼を構成する数式はバグだらけで、僕にさえまともに読めないからね』

 

 意味がわからん。そう切って捨てたいグレンに構わず、ジャティスが言葉を連ねていく。

 

『さあ、君に拒否権はないぞグレン。ルミアを救いたくば、僕がこれから提示する課題に取り組むんだ。……まずは、指定した場所に行ってもらおうか。盤面が入り乱れすぎて、事態がどう転ぶか確率が割れすぎているからね。色々と、こちらで用意させてもらったんだ』

「……どういうことだよ」

『行けばわかるさ。行けばね……そら、課題開始だ。フェジテの未来のために、頑張ろうじゃないか!』

 

 耳障りな声が、その場所を告げる。

 

 フェジテの一角。

 そこは、たった今話題に上り続けた───アシュリー=ヴィルセルトの自宅だった。




こ こ か ら が ど ん 底

半ば意図的なソロプレイをしている人間の異常に気付けと言うのは酷な話よな。


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41.拠り所など初めから

日記でSANチェックが入ると思った皆様に謝罪を。入らねんだ実は。
そして抽象的な文章がめちゃ多い。すまない。


 ……最初から、間違えていた。

 

 なにかを愛したという感情だけがあった。

 

 なにかを願ったという執着だけがあった。

 

 だけどそれは、自分(残骸)に残されただけの燃え滓だ。

 

 燃え滓からもとのカタチを思い出すなんて、初めから無理だった。

 

 ……ならもういい。

 

 もういいのではないか。

 

 ありもしないものを探すのはやめにして。

 

 いい加減、楽になれば良いじゃないか───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ある晴れた昼下がり。

 

 私は、あの雨の日以降まともに話すようになった子どもと一緒に家の塀に腰かけていた。

 少しお行儀が悪いとも思ったけど、隣にいる少年がさあ座れとわざわざ敷物まで出してきてくれたのだから無下にするわけにもいかなかったのだ。

 

 その少年はいつかのように、じっと、空を見上げている。

 もうないもの。ソラの向こうへ消えたものを懐かしむように。

 

 そう言ったら、実はそうなんだ、といつものように笑って答えた。どこか寂しい笑顔は、恐怖を押し殺しているようにも見えた。

 もうそれがどんなものだったかは思い出せなくなってきたけど。でも、確かに自分はその毎日を愛したのだと、照れくさそうに笑ってから。

 

 ───オレはなんていうか、貰われ子みたいなものでさ。

 

 なにかを探るよう、ぽつぽつと語り始めた。

 貰われ子。別の場所からやって来た子ども。

 

 ───じゃあ、新しい生活は嫌いだった?

 

 ……そう聞いたのは、私も同じだったからかもしれない。平和で、ありふれた、だけど希望に満ちた毎日を突然になくして。新しい生活に放り込まれたのは、私も同じだったから。

 けど、彼はゆるゆると首を横に振った。そんなことはなかった、と。

 

 ───新しい生活も、好きだったよ。昔の生活に帰れないのは寂しかったけど。

    ……でも、本当に好きだったんだ。

    オレの新しい人生が、なんでか始まるんだって。そう思った。

 

 だけど、と顔を暗くした。……人は過ちを繰り返して成長する。けれど同時に、過ちから目を逸らす生き物でもあるのだと前置きした上で。

 

 ───オレが忘れてしまいたいものを思い出すときには、オレはもうオレじゃなくて。

    オレが覚えていたかったものをオレが思い出すことなんて、永遠にないだろう。

    人は罪を忘れて、過ちを忘れて。祈りを抱えて、願いを抱えて生きていくものだから。

 

 なにもかも諦めてしまったようにそう言って、笑う。なんでかそれが無性にムカついた。ありふれた日常が好きだと、そう語った口でなにを言うのかと憤慨した。

 なによりも。終わりを悟ったように、本当の気持ちを押し殺して。過ぎたことだけを口にする彼が、ひどく腹立たしかった。

 

 ───それなら。

 

 ───それなら、私が───

 

 ……だから、つい言葉を投げていた。びしりと指を突き付けて感情のままになにかを言った。できもしない約束に彼はきょとんとした顔で、それでもやっぱり笑っていた。

 

 ───なら、イヴ。オレのこと、頼むな。

 

 微笑んだまま、彼がそっと手に触れる。……風が出てきたのだろう。いつも暖かな手は冷え切っていて、今にも消えそうな炎を思わせた。

 私がなにか言うより先に、少年はするりと塀から滑り落ちていく。

 

 ───それじゃあ、また明日。

 

 返事を待たずに、彼は自分の家に戻っていく。

 後ろ姿が見えなくなるまで見送って、私も同じように塀から滑り落ちた。玄関口で胡散臭い老人と話していた姉が、私に気付いて抱き上げてくれる。……恥ずかしいからやめてほしい。もう、私は九つなのだ。

 

 ───いーの、いーの。イヴはまだ、たっくさん甘えていいんだから。

 

 ……もう。

 

 腕がぷるぷるしているのに、姉は降ろすつもりはないらしかった。

 

 抵抗するのもバカらしくって、はあ、とため息をついて身体をそのまま姉に預ける。

 

 そういえば、そんなこともあったかもしれない。遠い日常。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 フェジテにある一軒家。一人暮らしにしては贅沢なボロ家が、指定された場所だった。

 

「うぅ……なんか、不法侵入みたいで気が引けるなあ……」

「安心しろ、白猫。立派な不法侵入だ」

「安心する要素とかどこにあったんですか!?」

 

 緊張感をほぐすように軽口を叩き合いながら扉を押し開けると、中にあったのはごく一般的な部屋だった。

 

 キッチンが併設された通路を抜けた先にある部屋が主な生活圏らしい。真ん中には大きめのテーブル。ベッドやクローゼットが隅に置かれ、窓際には書き物用の机がある。

 一人暮らしにしては広い部屋だ。セリカの家には劣るが、それでもシンプルな間取りにしてはやはり広い。

 

 クローゼットの中には、少年が何度も買い換えては『金がかさむ!』と嘆いていた制服が仕舞われていた。……どうやら今は私服に着替えているらしい。

 本棚には種々雑多な本が詰め込まれていた。東方の文化に関する本、料理に関する本、失われた記憶についての本、異世界の存在を探る本などという眉唾物まで、幅広く。

 

 書き物机の上には乱雑に本が散らばっている。どうやら日記のようだ。……ふと気になって、一冊目の日記を手に取る。それだけが、何度も読み返されたかのように薄汚れていた。

 

 最初のページに書かれていたのは実に簡素な文章だった。いや、文章とさえ呼べないかもしれない。

 どこか東方の文字に似た記号の上に、訳文のように公用語が書いてある。

 

「なんだこれ……?」

 

 ───忘れないで、と。ただ一言。

 

 子どもの筆跡だ。それからも時折、その一言がちらほらと書かれては訳文が付け足されている。記号のような文字はだんだんと歪んで、一冊目が終わる頃にはもうほとんどただのらくがきだった。

 一冊目は、普通の薄いノートだったからだろう。一ヶ月程度の日々を綴った本はそこで記録を途絶えさせ、新しい分厚い本に役割を譲り渡していた。

 

 忘れないで。懇願のような、日記に書くには不適当な一文に首を捻る。

 

 二冊目にも目を通そうとして日記を手に取る。これ以降はずっと、ちゃんとした日記帳だ。……気になっていたことの答えが書いてあるかもしれない。こんな状況でなければ堂々と読破してやるのに、と思いながら中身を読もうとページを開く。

 

「……先生、ちょっと」

 

 と、システィーナがグレンの裾を引っ張った。

 仕方なく、本を読むのは諦めてシスティーナの方に向き直った。……部屋の中心の大きな机。そこに、薄汚れたカバンが置いてある。

 

 アシュリーのものではない。……であれば、これがジャティスが用意したモノとやらだろう。

 

「───ッ」

『ああ、見付けた? そう、それだよ。正直、今の君に押し付けるのは本意じゃないんだけどね……ないよりはマシというものだろう?』

 

 ……中に入っていたのは、グレンが現役時代に使っていた品々だった。

 あらゆる手段をもって、敵を殺す。それだけを目的として使われてきた道具の数々。グレンにとっては、思い出したくもない負の象徴だ。

 

「~~~っ、……クソ、なにが目的なんだ、テメェ……!!」

『僕の目的はずっと変わらないよ? 絶対正義の執行。そして……君と決着をつけることさ』

「つか、なんでこんなもんあいつの家に配置した……! なにを企んでんだよ、お前は!」

『たまたま立ち寄ったからついでにね。目的は何度も言ってるだろう? フェジテを救いたい。それだけさ。……さあ、次の課題だ。とある場所へ向かって、用意した文章を読み上げろ。指示はもうそのカバンに入れてある……せいぜい派手に踊りながら、生き残れ』

「……クッソ!!」

 

 ぶつん、と切れた通信。言うだけ言って、ジャティスは連絡を絶ち切った。

 システィーナの気遣わしげな視線でかろうじて理性を保ち、カバンの中身を確認する。

 

「……ねえ、先生」

「なんだ、白猫。今は駄弁ってる時間はねえぞ」

「わかってるわよ。……でもこの部屋、なにかおかしくない?」

「は? おかしい……?」

 

 言われて、室内を見渡してみる。

 ……変わったところはない。少々机が大きいが、その程度だ。

 

「違う。大きすぎるって言ってるの。……このサイズ、一人暮らしじゃ逆に不便よ。まるで複数人で暮らすのを前提にしているみたい」

「……つっても、あいつは一人暮らしだろ?」

「そうなのよね……でも、お金がないってバイトもしてるようなやつが、こんなところにお金を使うかしら……」

 

 机の横には椅子が四つ。……確かに、多少狭いが数人で暮らすことも不可能じゃない。むしろ、辺境の土地であればこれくらいが一家族の普通だろう。そう言われれば、微妙な違和感を感じる。

 

「……あいつ、なんのために」

 

 用意されたコートの袖に腕を通しながら、日記に目を留めた。

 ……わからないことが多すぎる。少しくらい、なにか答えが載っていたりしないだろうか。

 

「先生?」

「悪い、白猫。少しだけ……」

 

 二冊目を開く。()()()()()()()を、広げる。

 

 始まりのページ。一冊目の忘れないで、という言葉の下に書かれていたらくがきを真似るように、下手くそならくがきが綴られている。何度も何度も、繰り返し繰り返し。

 

 ……やがて。

 諦めたように、別の言葉が綴られていた。

 

『───思い出せない』

 

 散々、なぞって。なぞって。なぞり続けて。

 

 疲れ果てて───それでもやっぱり、なにも意味はなかったと。

 そう、懺悔するように。

 

「───あいつ……?」

 

 ページをめくる。白紙。

 

 もう一枚、もう一枚とページをめくる。……白紙。

 

 そこから数枚、白紙のページが続いた。ようやくまともな文章が綴られたかと思えば、それはただのありふれた日々の記録だった。

 

 ……よくよく考えたら、古い日記を見たところでなにがわかるはずもない。

 机の上に投げ出されていた数冊を手に取って、ページをめくる。ありふれた毎日のことが、大雑把に書かれていた。読み進める。聖リリィ魔術女学院から帰ってきた日付にはでかでかと『疲れた』と書いてあって苦笑する。

 

 ……その、数日後。

 

 ルミアがさらわれた日のページに、短い文章があった。

 

『もういい。

 もういいじゃないか。

 ありもしないものを探すのはやめにして。

 いい加減、楽になってしまえばいい───』

 

 ただ、それだけ。

 

 それだけの文字が、墓碑銘のように書き込まれていた。

 

 意味はわからない。意味はわからなかったが。理屈ではなく感情で、刻まれた言葉の意図を理解する。

 

 どさり、と。

 

 日記が、床に落ちる。

 

「……『帰りたい』って……そういう、意味かよ……?」

 

 『ありもしないもの』。それを探していたのだと。

 

 カラクリも、ジャティスが執着する理由もどこにもなかった。

 

 ただ、始まりのページに願いと嘆きだけが綴られている。

 

 疑念に答えるものはどこにもいない。

 

 なにを探していたのかも、具体的にはわからない。

 

 ただ一つわかったのは……アシュリーという人間は、ずっと昔から変わってなどいなかったのだということだけ。

 

 変わってなどいなかった。

 

 最初から彼はなにかを探し続けていた。

 

 救うには初めから手遅れだった。

 

 ……変わったように見えるなら。それはただ、なぞることができなくなっただけなのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───忘れないで。

 

 路地をひた走りながら、始まりのコトバを思い返す。

 

 正直なところ、日記に書いてあるのはそれだけだ。他に重要なものはなにもない。あそこに刻まれているのは始まりだけ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……そのために必要な、始まりの願い。あまりにも単純な願い事。万能の杯もなにもいらない。それはただ、己が身一つで叶うはずのちっぽけな願いだった。

 

「───は、ぁ」

 

 ぴしり、と。軋み始めた意識をどうにか繋ぎ止めて、息をする。

 

 ……人間、一つくらいは目標があった方が良い。それがどんなにくだらないものであれ、走り続ける道標くらいにはなるだろう。

 逆に言えば。目標もなく標もなく走り続けられる人間はいない。

 

 快楽であれ本能であれ義務感であれ、なんのために生きていくのか。それだけは、全ての生物に共通した基本理念。

 

 ……なら。

 それをなくした人間は、どうやって生きれば良いのだろう。

 

「───……」

 

 息をする。鼓動はまだ響いている。

 いつかとは逆に、身体だけが生き延びた。ココロは愛したものから燃え落ちて、残ったものを頼りにもとのカタチを探して繕った。

 

 動き続ける残骸の、その根底にあるものは願いだった。燃え尽きたココロにほんの僅か遺された願い。

 

 愛した世界は、眠りのように密やかに失われた。

 

 存在さえ否定され、なかったことにされた毎日を───せめて覚えていたくて。せめて忘れたくなくて。

 

 ……でも、忘れてしまったから。あの懐かしい日々を。

 

 だから、()()()()。微かな記憶にすがるように、かつて在った日常を再現して、かつて在ったように振る舞い続けて、そのカタチに固執したのだ。

 

 ───なぞったところで、思い出せるはずも、帰れるはずもないのだということから目を逸らして。

 

 なぞるために生きてきて、生きるためになぞり続けた。

 自分が何者であるのかなど、もはや最初からおぼろげにしか認識していない。遺された願いと感情。燃えて灼けて灰になって、ひび割れたココロだけが、自分の生きる全てだった。

 

 ダレカの押し込めていた望郷の念が遺された。思い出すためには帰らないといけなかった。帰るためには思い出さないといけなかった。忘れないでという願いを叶える手段はそれしかなかった。

 それは永劫無限の矛盾螺旋。ありもしないものを求め続ける願いの残滓。

 

 現実に打ちのめされて、なぞる型すら忘れそうになるたびに始まりの言葉を刻み付けた。

 ダレカの遺した願いを。それさえ覚えているのなら、自分はまだ動き続けることができると。

 

 瞼を閉じる。

 

 ───雪景色を見た。

 

 雪景色を見た。

 

 一面に降り積もる、懐かしい白を見た。

 

 此処は何処でお前は誰だ。

 

 その問いは自己定義の再確認、機械の動作確認と同じものだ。

 

 己が何者であるかを定義するところから、人間という今なお未熟な知性体の生は認められる。

 

 白が降り積もる。延々とソラから舞い降りる。さながら星の欠片であるかのように。

 

 懐かしい場所が埋もれていく。木製の古びた校舎。

 

 どこかに広がる田舎の風景が、一瞬重なって燃え尽きた。

 

 誰が炎を放ったのか。その記憶は押し込められた。

 

 ……ココはドコでオマエはダレだ。

 

 星の欠片が降り積もる。延々と、延々と。焼け跡に残る灰のように。

 

 灼け落ちたのが先だったのか。欠片が降るのが先だったのか。その答えはもはやない。

 

 ───ここはどこで、おまえはだれだ。

 

「……『アシュリー=ヴィルセルト』。『平凡で凡庸な、どこにでもいる人間』だ」

 

 問い掛けに答えるたびにどこかが軋む。

 

 もうそのカタチには戻れないと示すように。

 

 誰かが嗤う。

 

 その銘はもう、とっくに灼き尽くされて死んだだろうと。

 

「……そうだ。もう、死んだ。日常にいたはずのダレカはもういない」

 

 遺ったのは残骸だけ。かつてそうであったというだけの灰だけが遺された。

 

 足を止める。

 

 遺されたものへの執着。それこそが原動力であり、それはただもとのカタチを保とうとする慣性でしかない。

 

 歩みを止めるということは、諦めるということだ。

 

 なにもかもを投げ出して、かつてあったカタチさえも忘却して、誰でもない何者かに成り果てるということだ。

 

 ……それは甘美な誘惑だった。中途半端に燃え残っているからこんなに苦しい。なら、いっそ全てなくしてしまえば良いだろうと。

 

「……けど。まだ、やるべきことがある」

 

 灰になった『自分』の上。広げたページに刻まれた基本原理。

 

 いつか観測()た、黄昏に燃える星々の物語。

 

 お前は兵器であり、刃であり、

 

 弱者を守護するための番人であるのだと。

 

 戦うが故の■■。

 

 弱者を守るが故の■■。

 

 笑わぬが故の■■。

 

 ……もう、そのページが。

 

 自分の本なのか、誰かの本なのか、燃え残った灰なのかもわからないけど。

 

「───貴様か」

 

 声が、響く。

 

「フェジテで暗躍している第三者……グレン=レーダスを背後から操る人間がいるだろうことは理解していた。察するに、貴様はその一派だろう」

 

 恐怖は灼け落ちた。憎悪は燃え尽きた。もしかすると他のなにかももう消えているのかもしれない。

 

 願いだけがまだ燻っている。

 

 ───叶わぬ願い。もはや薪にさえ成り得ぬ記憶。

 

 叶わないのなら、せめて。

 

「───良いだろう。もう一度、今度はこの手で殺してやろう。恨むなら、己の運命(定め)を恨むが良い」

 

 せめて、と。

 

 残ったものが叫び続ける。

 

「───ハ。吠えてろ、人間」

 

 燃やせ。燃やせ。

 

 お前にはその手段がある。容量(スペース)はとっくの昔に確保した。失うものは己のなぞるカタチのみ。

 

 ───今さら。

 

 これ以上外れたところで、なんの変わりがあるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイク=フォーエンハイムという名の男がいた。

 

 竜の血を己が身体に組み込み、その力を得る代わりに人の身を外れた一族。その最高傑作。人を外れた怪物。

 

 かつて愚者に討ち滅ぼされた、人の姿をした竜。それが、この男の正体だった。

 

 それが黄泉還り、愚者との再戦を求めてフェジテへと現れた。経緯を説明するのなら、概ねそんなところだろう。

 

 だが。

 

 竜の前に立ったのは、愚者ではなかった。

 

 少年だ。取るに足らない、しかし決定的な隙を晒す原因となった少年が、赫い長剣を片手に佇んでいる───

 

「……おかしなことを言う。お前もまた人だろう」

「いいや違う。違うな。人とは奪われ、うずくまり、ただ嘆くだけの存在だ。逃げ出して、立ち止まり。失ったものへ哀悼を捧げる生き物だ。

 立ち上がり、剣を執るのは英雄と呼ばれる存在だ。人ではない。凡人では有り得ない。……もう、そのカタチからは外れちまったよ。俺は」

 

 吐き捨てる言葉は焦がれるような響きがあった。かつて見た只人とは明らかに違う。……あるいは、こちらこそが本性なのか。

 

「───ああ、人でなければ怪物か。ならば俺の末路がどちらであれ、お前は俺が戦うべきものだろうよ」

 

 英雄とは怪物の尊称であり、怪物とは英雄の蔑称である。

 

 いずれにせよ、ただの人間ではないのだと。

 

 そう語る銀灰色の目は、ただ敵を真っ直ぐに見据えていた。

 

「……問答は不要だ。人であろうが怪物であろうが構わない。私は、私の血脈が目指したものの末路を見たい」

「そうか。奇遇だな。俺も今、末路を探している最中だ」

「ならば交わすものは剣しかないだろう。……怪物と、そう呼んだな。名も知れぬ剣士(セイバー)よ」

 

 レイクが、剣を構える。竜の鱗で作り上げられた、一族の末路、その一つ。

 

「貴様が相対するのはまさしく怪物。破壊にしか役立たぬ力を求め、愚かしくも人の身を外れた(ドラゴン)だ。……それを殺せると、本気で語るか」

「───ク」

 

 笑いが、こぼれる。

 

 逃げろ、と語った誰か(家族)がいた。

 

 帰りたい、と囁く誰か(ダレカ)がいた。

 

 戦え、と義務を知る誰か()がいた。

 

「竜か。そうか」

 

 ……どうしようもなく外れたのなら。

 

 もう二度と、この願いが叶わないのなら。

 

 せめて。

 

「───なら、答えよう。

 相手が竜であるのなら。俺はそれなりにやる男だぞ?」

 

 ───せめて、と。

 

 その先を語らぬままに、残骸が吠えた。




Q.この作品の大戦犯って誰?
A.辺境の村を襲った外道魔術師が全ての原因ではある。詳細を挟む余裕がどこにもねえのでもうしばらくお待ちをば。


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42.集う役者、回る舞台

-追記-
一ヶ所ミスがあったのでちょっとだけ修正。ジャスティィスに惨殺された死体の位置が変わるだけなんで特に気にする必要はないです。
あとメッチャクチャ言われるからここに書いとくけどレイクさんの台詞はあれ、原作から引用してるやつなので俺の誤字ではないです。なんなら俺も意味わかってないです。原作者殿これどういう意味ー?(涙目)


 フェジテの状況は混沌としていた。

 

 突如爆発したフェジテ警邏庁舎前広場。そこで叫ぶ大罪人。

 

『テメェら腐った政府の犬どもに天罰だよクソッタレ! 文句あんならかかってこいや、このボケがぁぁぁぁあああああああ!!』

 

 ───天に向けて放たれる銃声、秩序の象徴に迫る爆炎。

 

 なにも知らないフェジテの住民は、ただ逃げ惑い。

 

 秩序を守る警備官たちは、度し難き犯罪者を追う。

 

 そして。とある路地を抜けた倉庫街では、残骸と竜の戦いが静かに始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───霊基(セイントグラフ)再現率、向上。

 真名、知るに能わず(ロスト)。再臨第二段階、突破───」

 

 ばちり。光が奔る。発生源は見ればわかる。竜を相手に啖呵を切った少年だ。

 三割、いや馴染みきった四割から、一気に六割を突破する。七割にも届きかねない勢いで、目の前のソレはかつての願いを外れていく。

 

 普通の学校の学生服にも似た黒い服。それを纏った少年が、剣を片手にこちらを睥睨している───

 

(───なんだ)

 

 戦士としてのレイクの本能が、自身の危機を告げている。

 

 数ヶ月前。かつて相対したものと、ソレは違うと。

 

「敵味方、識別不要───さっさと死ね」

 

 少年の姿が霞み消える。長剣の輝きが、残像のように宙に残る。

 

 ───瞬間、走り抜ける悪寒。

 

 真銀(ミスリル)日緋色金(オリハルコン)にも並ぶと称される古き竜の鱗をもとに作り上げた剣を、本能のままに振り上げる。───ガキン、と。おおよそあらゆる金属を斬り裂いてあまりある竜鱗が、甲高い音を立てて赫色と嚙み合った。

 

「なに───?」

 

 驚愕は一瞬。どういう筋力をしているのか、赫い刃が竜の力を降ろしたはずのレイクと拮抗する。

 だがこのままでは膠着状態に陥る。そうなれば、構造上鍔迫り合いのできない少年の方が不利だ。そのまま刃を滑り落としてその手を両断すれば良い。

 

 ───が。

 

 びし、と。なにかが軋むような音が、自身の手元から響いた。……今度こそ驚愕する。硬さに関しては他の追随を許さぬ竜の鱗が、微かにひび割れている───!

 

 このままでは得物を失うのは自分の方だ。即座にそう判断し、脇腹に蹴りを叩き込もうと身体を捻る。

 

「ン───」

 

 それをちらりと一瞥し、少年はその場を離れ───ない。足をその場に縫い付けたまま、更なる力をもって剣を堕とし続ける。炎のような輝きが剣を覆った。人外の膂力に地面がひび割れ、小さなクレーターを作り上げる。

 一段階、レイクの身体が沈み込む。……信じられない。ただの人間が、ここまでの力を持てるはずがない……!

 

「言っただろう。英雄であれ怪物であれ、それはもはや人ではないと───」

 

 ───圧し負ける。

 

 竜の力を持つはずのレイクの腕が震え、剣がじりじりと地面へと向かう。

 

 走る亀裂は微かにではあるが、徐々に広がっている。これ以上は不利だ。ぱっと片手を離し、衝撃を地面へと押し付ける。捻ったままで静止していた身体を無理に動かし、全力の蹴りを叩き込んだ。

 少年が咄嗟に構えた左腕と、近すぎたが故に余波を受けた脇腹にモロに衝撃が入る。腕を犠牲にしようとも、人間であれば胴体が弾けよう。だが、少年はそれさえ能面のような顔で受け止め───今しがた地面を叩き割った剣を振り上げた。軸足に力を込めてその場から離脱する。ぴ、と、竜の鱗と同等の硬度を誇る肌に薄く傷がついた。

 

 そのまま大きく飛び退き、靴裏で地面を擦りながら減速───追撃が来る前に左手を掲げる。

 

「《■■■■》───」

 

 獣の底吠えに似た呪文が、世界そのものに語りかける。人を外れた超常のものを滅さんと、路地に竜巻が巻き起こった。少年の身体を吞み込んで、周囲にあった建物ごと空へと打ち上げる。

 

 ただ空へと昇る風、と侮るなかれ。竜巻とは文字通り、天に昇る手段である。

 巻き込まれた瓦礫が、吹き荒れる暴風が、内に閉じ込められた存在を悉く粉砕する。

 

 ───たった一人の少年を除いて。

 

 天から光が落ちる。流星のように空を裂き、それは真っ直ぐにレイクに向けて飛来した。

 二振りの銀と一振りの赫が残像を残しながら駆け抜ける。空気を斬り裂いて進むそれを避けて、肉片になったであろう生き物の姿を探した。

 

 あの状況で、まともに生き延びられる人間などそうはいまい。それこそ、竜のごとき耐久力を得た自分のような存在でもなければ───

 

「……化け物か」

 

 つと、そんなセリフがこぼれ落ちる。人を外れた存在たる己が、人を外れた存在を前にして現実を疑った。

 少年は肉片になどされてはいなかった。手に持った短剣と、空いた片手でなにかを描くことで起動した得体の知れない術式で生き延びていた。

 

 ぐるりと空中で回転する。地面を見据え、天地が逆しまとなった状態で銀の瞳がひたと自分を捉えている。燐光が散る。碧い光が灰の瞳に映り込んだ。

 ズガン、とおよそ人の身では有り得ない衝撃音を置き去りに、瓦礫を蹴って少年が加速した。いつの間にか片手だけだった短剣は両の手にそれぞれ握られている。

 

 燃え落ちる彗星のように、残骸が墜ちる。竜の喉笛を目掛けて奔るそれをもう一度なんとか躱し、剣を構えて通り過ぎていった背後の存在へと向けた。認識するより早く叩き付けられる衝撃。二度、四度、八度。一息ごとに衝撃は増え、ひび割れはどんどんと広がっていく。

 ……軋む音は、竜の鱗か残骸の嘆きか。己が天敵たる存在を相手取ったのだと気付いた頃には既に遅く、竜の剣は亀裂を走らせながらも主を守る───

 

 是なるは竜殺し。

 

 愛知らぬままに竜を殺し、悲劇を以てその生涯を終え、人理を守護する星となった遠い異界の大英雄。

 

 例えその片鱗を再現しただけの灰といえど。

 悪竜ならざるその身では、彼の前に立つのは自殺行為としか呼べぬだろう。

 

 だが。

 

「ああ……良い、良い、良いぞ。感謝を述べよう、剣士よ……! お前は私になにを見せてくれる!? この戦闘千斗にしか役立たぬ我が身の末路を連れて来た()()()!!」

「お前の願いも矜持も俺には不要だ、ヒトのカタチを象る竜よ。成り損ない同士、果てまで堕としてやるから覚悟しろ」

「望む、ところ───ッ!」

 

 それでも良い。もとよりこの身は破滅を決定付けられたままに末路を探すモノ。

 

 むしろこれこそが、己の求めた果ての戦いに他ならない!

 

「《■■■》───ッ!」

 

 唸る。うねる。炎が地面をのたうつ蛇となり、微かに身体を仰け反らせた少年ごとレイクを呑み込む。

 

 制御しているとはいえ、掠める熱で肌は焼ける。構わない。この少年はそれに値する。

 

 さあ、どうする。どう出る。太陽がごとき炎を体現するこの灰は、一体どのようにしてこの喉笛を搔っ捌く───?

 

「ふ、はは」

 

 歓喜のあまり笑みがこぼれた。自然の具現たる炎を破滅の具現たる剣が両断する。魔力の煌めき。どうやったのかは与り知らぬが、この程度の苦境では、彼を止めるには至らない。

 

 更に吠える。吠える。突風を以て少年を吹き飛ばし、氷塊を、真空の斬撃を生み出して差し向ける。それはまさしく世界からの拒絶。竜の意を受け、無数の暴威が命さえも奪いつくさんと吠え猛る。

 

 だが、ああ。

 

 世界からの拒絶など、既に彼は知っている。

 

「甘い───!」

 

 氷塊を踏み付け、途端に弾けて掠める破片を剣の一振りで薙ぎ払い、空中で身体を捻りながら刃を引き戻して鎌鼬を裂いていく。

 魔力を放出したことによる、音速さえ超えかねない前進。立ちはだかる悉くを粉砕し、赫を携えて灰が駆ける。

 

 不利なのはレイク。圧倒的に。まともに受ければ、竜殺しの概念が忽ちその身を斬り裂こう。

 

「ああ───これこそ。これこそが……」

 

 限界など知らぬ。鱗が割れ砕けようと、使い物にならなくなるそのときまで戦い続けろ。

 目前に迫る『死』を見つめながら、嗚呼、と歓喜の唸りを上げる。

 

 応じて、突き立つ柱。石畳を捲り、岩の柱が突き上がる。先端を尖らせたそれは容易に人の身を貫通してあまりある。

 いくらか普通の人間より頑丈とはいえ、凶器そのものと化した大地には勝ち得ない。貫かれてその命を終えるだろう。

 

 それを。あろうことか、中空で斬って捨ててみせる。

 弾丸のように加速しながら、拳と魔剣で全てを叩き伏せて。

 

「───ッ!!」

「オォォオオォオオオオ───ッ!!」

 

 竜の操る神秘を土くれへと還しながら、灰が駆ける。

 

 片や義務感を。片や歓喜を。

 

 それぞれまったく違うものを抱きながら、再び、残骸と竜がぶつかり合う───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 物語は愚者へと移る。

 

 警備官を完全に敵に回したグレン=レーダスは、その圧倒的物量からなんとかかんとか逃げ回り、どうにか命を繋いでいた。

 逮捕されるわけにはいかない。それは先行きが見えない状況で拘束されることを避けたいという思惑以上に、『次の課題だ』と言ってジャティスが提示したものが『自分が良いと言うまで警備官に絶対に捕まるな』というものだったからだ。今、ジャティスの手中にはルミアの命が握られている。……どれだけ意味不明でも、無視することはできなかった。

 

 無論、この程度はかつて潜った修羅場に比べればかわいいものだ。だが苦境には変わりなく、安全な場所から飛ばされるシスティーナのアシストを受けながら、殺さぬようにとフェジテの街を駆け回る。

 

「うおおお……うざい、多い、めんどくさいッ!!」

『気持ちはわかりますけど、耐えてください! ……次、そこの十字路を左!』

「あいよォ!!」

 

 システィーナの指示のもと、全幅の信頼とともに地を駆ける。

 背後からはひっきりなしに銃声と怒声、足音が響いている。

 

「クソ……これだけ統制されてるとなりゃ、こりゃ背後になんかあるな……?」

 

 悪態をつきながらも、グレンは彼らを殺さない。

 それは『グレン』としての矜持であり、超えてはならない一線だ。

 

 殺せば良い、と楽な道を提示する正義の声を振り切って、走る。走り続ける。

 

 グレンが握られているのはルミアの命だ。グレンに命令を聞かせるためだけにさらったのかは不明だが、少なくともその事実は揺るがない。

 

 もどかしい現実に歯嚙みして、せめてできることを、と思考を巡らせる。

 

 今気がかりなのは、ルミアももちろんだが自身の知らぬ間に『ゲーム』とやらに巻き込まれたらしい教え子のことだ。

 ……全てを理解したわけではない。どこかへ帰りたがっていたことと、身に余る力を揮っていることしかグレンにはわからないのだ。

 

 日記をいくら流し読んでも、それ以上の情報は得られなかった。……察するに。あの日記は、正しく全てを記録するためのものではなく、彼にとってなにか重要なものを記録しておくためのものだったのだろう。

 それは例えば。彼がそう在りたいと願い願われた、日常の形とか。

 

(……アッシュ……)

 

 嫌な予感がする。具体的にどうなるとまではわからずとも、それだけははっきりと感じ取れた。

 

 ───走り続けるグレンの耳に、はるか彼方で響く轟音が届いた。

 

 足は止めず、音の発生源に視線を向ける。その方向にあるのはフェジテの倉庫街だ。建物の隙間から、竜巻やらなにやらがチラリと見える。どう考えたって自然なものではない。

 魔術だ。それもかなり高度な。……いや、規模とその傾向から言って、もしかすると普通の人間が揮うものではないかもしれない。

 

 だが今このフェジテで、そんななにかと戦うような人物など心当たりは一人しかいない。───あそこにいるのか。アシュリーが。

 

「くそっ……白猫! 倉庫街の方に遠見の魔術を───」

『む、無理です! 今、一瞬でも視点をズラしたら先生が追い込まれてしまいます……!』

「知るかッ! それよりアッシュだ、俺はこの程度どうとでも……!」

『こらこら。そう焦るなよ、グレン……君はもう少し、彼のことを信じてやれよ』

 

 ジャティスの声が、焦るグレンの神経を逆撫でする。

 

『彼が本気で戦うつもりになれば、君ですら敵うか疑わしい。それぐらいのモノを秘めているからね、彼は。いやはや、これが敵に回らないことを祈るしかないね。くくく……』

「お前、あいつになにさせるつもりだよ……!?」

『おっと。勘違いしないでくれよグレン。彼は最初から殺すときは殺し、生かすときは生かす人間だよ? 僕が強制しているんじゃあない』

「この状況を作り出したやつがなに寝惚けたこと言ってやがる……! あいつはただの生徒だッ! テメェの勝手な都合で巻き込むんじゃ」

『本当に、アレを普通の人間だと、そう言えるのかい? グレン』

 

 一瞬、グレンが口ごもる。

 普通ではない。それは確かに、ほんの数日前にグレンが抱いた感想だからだ。

 

『それに、協力してくれと言ったら実に素直に頷いてくれたよ? 一度は命を狙った僕にこうも簡単に協力するなんて、ずいぶんとわかりやすいじゃないか』

「……どうせ、お前がなんか脅迫したんだろ」

『いいや? 僕はただ、このままではフェジテが失われると告げただけだ。……わかったかい? フェジテというカタチ。より正確には『学校』という枠組みさえ守れれば、彼はそれでいいのさ。例えなにを犠牲にしてもね』

「お前はなにを知ってるんだよッ!? いいから黙れよ、クズ野郎……!」

 

 例え、ジャティスの言う通りあっさりと協力要請に頷いたのだとしても。

 それでも、ジャティスが彼を再び戦いへと誘ったことに変わりはないのだ。

 

『……そう怒るなよ。どうせ思い入れも薄いだろう? それより自分のことを心配したらどうだい?』

「……地獄に落ちろ」

『くく……まだまだ元気みたいでなによりだよ……』

 

 それきり、声は途絶えた。ジャティスもジャティスの方で、なにかやることがある……ということだろう。

 どうせロクなことではあるまいが。

 

 舌打ちを嚙み殺す。……どの道、現在の状況ではアシュリーを捕捉したところでなにもできない。逃げ回るだけで精一杯のグレンには、不穏な一言を残して消えた少年を救う術はない。

 

 ───もういい。もういいじゃないか。いい加減、楽になれば良い───

 

(お前がなにを探してたのかは知らねえ。……知らねえが。まだ諦めるな、アッシュ……! 帰る場所なんかどこでもいい、フェジテだってどこだって。……だから、まだ。まだ諦めるな、頼む……ッ!)

 

 無責任な祈り。今まで見てこなかったのは誰だと理性に嘲笑われながらも、そう思わずにはいられなかった。

 

 ……この騒動が終わったら。ちゃんと話を聞いてやろう。

 一人は怖い、と言って仲間から離れることを嫌がったリィエルのときのように、抱えるものに気付けなかった、自分の責任でもあるのだから。

 

 昔のグレンならどうでもいいと切って捨てただろうが、今のグレンにはそんなことはできない。

 

 だって。今のグレンは教師なのだ。

 

 迷える生徒を導く、かつての夢に胸を張って誇れるような人間なのだ───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃。

 

 フェジテの水面下で暗躍する正義は、フェジテの警備官が集うはずの詰所の一つに忍び込んでいた。

 

「ふう……グレンとアッシュのおかげで、こうも簡単に忍び込めた。あの二人にはお礼を言わないといけないなあ。ねえ、ルミア?」

「…………」

 

 ルミアは答えない。ただじっと、敵意のこもった瞳でジャティスを見据えている。

 

 建物の内側には惨憺たる光景が広がっていた。グレンの捕縛を暗示魔術を用いて煽動していたユアン=べリスという名の天の智慧研究会の構成員を拷問の末に慈悲もなく───本人にしてみれば『罪から解放してあげた』ということでむしろ慈悲深いのかも知れないが、ともかく恐怖を与えるだけ与え、情報を絞り出せるだけ絞り出されてジャティスに殺された人間の死体が転がっていた。

 常は滅多に人を罵倒することのない聖女のようなルミアでさえ、この狂える正義には敵愾心とともに罵倒の言葉を浴びせずにはいられなかった。それがたとえなんら心に響かないものでも。

 

「そんな顔をするなよ、ルミア。これは『正義』の執行なんだ。唾棄すべき悪を裁き、尊い無辜の民を救うためにその身を粉にして働き続ける……ふふ。僕と君って、案外似たもの同士じゃないかな?」

「戯言を……ッ」

「そうかい? 僕は『絶対正義』のためなら全てを捧げる覚悟だよ。この命さえも惜しくはない……人類から悪という癌を取り除けるのならね。……君も同じだろう、ルミア=ティンジェル。君は、君の真なる願いのために───君の真なる願いを殺し、聖女として振る舞える。ほら、一緒じゃないか」

「───っ!?」

 

 ずぐり、と自身の歪みを抉られたような衝撃があった。

 致命的な歪みを、今、この狂人に指摘されてしまった……そんな感覚。

 

 ───手放すな。まだ、失われていないのなら。

 

 そんな言葉が、不意に蘇る。

 

 ……あの風変わりな友人は、今はどうしているのだろうか。

 

 また自分のせいで、巻き込まれているらしいけれど───どうか、無事でいてくれるだろうか。

 

(先生……システィ……リィエル……みんな……)

 

 どうか、無事で。

 

 どうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あらゆる想い、あらゆる陰謀を吞み込みながら歴史の奔流がフェジテで渦巻く。

 

 ある者は狂気を。ある者は信仰を。ある者は矜持を。ある者は祈りを。ある者は願いを。

 

 それぞれに信じるものを掲げながら、英雄と怪物と人間が群れ集う。

 

「……はあ、最悪。平々凡々どころかただの無能が雁首揃えて騒いじゃって、みっともないったらありゃしない」

 

 そして、ここに。

 

「まあ、いいわ。……今度こそ仕留めてあげる、ジャティス=ロウファン。イグナイトの誇りにかけて……絶対に……!」

 

 炎までもが、介入する。

 

「あのバカも、グレンも陰謀も。全部知ったことじゃない。父上の期待に、私は応える。そうでなきゃ、私に価値はないんだから───」

 

 ───ずきり、と。

 

 楔で押し込められた、遠い記憶(約束)が痛んだ。




物語開始時点:?割
ジャティス戦:3割
魔人戦:3.5割
~マリアンヌ戦:4割
現在:7割弱


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43.陰謀の坩堝、渦中にて

今回はちょっと長いぞー! なんと10000文字弱ある(白目)
あと、設定と描写がごちゃごちゃになってきたのでシンプルに解説すると今の、というか日常に固執していたアッシュは『焼け跡に行って家族ごっこをしていた子士郎』が一番近いと思います。
とんでもねえ後ろ向きを十年間続けてきた残骸。なお思い出せるとも帰れるとも言っていない。
まあ、士郎の方は切嗣に救われて新しい生き方を手に入れたけど、ね?

というか、構成が前回と被ってしまったが許せ……。


「は、はははははは───!」

 

 竜の抑えきれぬ歓喜が呪文に紛れ、炎の渦を巻き起こしながら響いていく。

 

 倉庫街はひどい有様だった。建物は崩れ、石畳は削れ、この世の地獄とすら表現できるような光景がそこには広がっていた。

 

 ───これが地獄など笑わせる、というように。

 赫色の魔剣を携えた、竜殺しが大地を蹴る。

 

 カタチを外れ、型を外れ、かつて願った(願われた)存在から離れていく。

 

 ───それでも、せめてと。

 

 残り滓の叫び声。……壊れかけたカタチを別の機構(データ)で置き換えて、ただひたすらに剣を振るう───

 

「───ッ」

 

 もはや竜の手に得物はない。度重なる剣戟。意志なき剣の身では耐えられぬ、と言うように砕けて割れた。

 

 苦境だ。どう見ても。

 

 ……だが。

 

 竜は、今なお凄絶に笑っている。

 

 今まで知り得なかった強敵との死闘。人でありながら己が身を討ち果たした愚者ではなく。真っ向から、己と戦いねじ伏せる。そんな猛者との戦いに、今までになく昂っている。

 

 皮肉な話だ。誰よりも人らしくありたがった残骸は只人らしい在り方を喪失し、誰よりも人から外れた存在の末路を求めた竜は人らしい歓喜の感情に打ち震えている。

 

 竜の鱗を持つ拳で竜殺しの剣の腹を打ち、首を刈り取る軌道を逸らし、五体全てを用いて目の前にいる好敵手を打ち滅ぼさんと吠え猛る。

 対する灰は一切無言。歓喜もなく、戦いへの高揚もなく、一歩間違えれば迫るであろう死への恐怖もない。ただ機械的に、かつての己が執着したものを害する存在を屠らんと刃を走らせる。

 

 一撃、二撃。拳と刃の応酬の間で火花が爆ぜるたび、余波だけで傷が刻まれていく。傷が深いのはレイクの方だ。竜殺しの概念は、攻撃全てが竜種への絶対の毒となる。

 首を狙う刃を身体を反らすことで避け、逆袈裟に斬り裂かんと狙う刃を叩き落とし、飛来する刃を竜言語魔術(ドラグイッシュ)で吹き飛ばし───竜の鱗であるが故に、全力で放てば人の肉など容易く貫通する拳を抉り込む。

 

 さすがにそれを素手で受けることはしないらしい。片手に銀色の短剣を生み出して、握ったそれで逸らされる。斬り返される前に手を引っ込め、代わりに蹴りを見舞ってやった。

 ……それを逆手に取られた。まともな人間であれば防御に徹するしかできないだろう()に手をついて軽やかに跳び上がり、翼のないはずの竜殺しが宙を舞う。

 

 七割に迫った影響で意識が混濁する。拠り所としていた最後の燃え滓に、見知らぬ在り方が介入する。……構わない。どうせ終わりは見えている。遅かれ早かれ自分は今のカタチを見失う。それでも───そんな愚直なまでの意志のもと、かつて観測()た黄昏に立ち向かう英雄をその身を以て再現する。

 

 重力を味方につけながら、空から残骸が堕ちてくる。その前座とでも言うように、四条の光が降り注いだ。不安定な体勢から放たれるにも関わらず、その速度は弾丸並みだ。

 それを避け、打ち落とし、撃墜しながらさらに吠える(笑う)。大地から天上へ吹雪が奔る。無数の氷柱が空に座す灰を撃ち落とさんと肉薄する。

 

 魔剣が残光を置き去りに翻る。地から昇り、空を駆ける氷柱が粉砕され、破片を引き連れて拳を固めた少年が失墜する。奔る光。拳鍔(ブラスナックル)がどこからか顕現する。なんでもありか、とレイクはさらに笑った。この分では、槍やら弓やら斧やらを持たせても十全に振るうに違いない。デタラメだ───自分の存在を棚に上げて、思う。

 

 真っ向から受け止めれば破滅は必至。故に取るべきは回避。だが───それでは焼き直しだ。何度も繰り返した光景の繰り返し、この強敵を前にそれだけでは味気ない。

 散らばる鱗の破片を手に取った。一度だけでいい。砕けたあとの残骸であろうとも、使えるのなら使い潰せ。中心から砕けた剣は、何度も力を込めたせいだろう。柄さえもが短くなっていた。血に濡れるのを承知の上で刃の根元に手を添える。今はこの痛みさえもが心地良い。

 

 ああ、この闘争のなんと心躍ることか!

 

 『弱き強者』たる愚者との再戦を目的として黄泉より舞い戻っておきながら、それを超える好敵手と出会えたことに興奮を覚える自分は、魔術師としては失格だろう。

 惜しい、と思った。同時に、素晴らしい、とも思った。前者はもっと早くにこの竜殺しと巡り合えていたらという念。後者は───たとえ何度朽ち果てようと、この戦いを続けられるという現実への感謝の念。

 

 際限なく高まり続ける内側の熱を訴えるように竜が吠える。己が身にかけられた封印を解けないのが呪わしい。次があるのならば全力全開で戦いたい。心ゆくまで───

 

(お前はそうではないようだが)

 

 空からこちらを見る銀灰色に感情はない。ただ外敵を屠るだけの装置のようだ。あるいは兵器か。

 それもそうだ。お前は人間であってはならない。もはや人間ではないと自嘲するように吐き捨てたお前は正しい。

 

(───そうだ。笑うな。戦え。それでこそ、お前は───)

 

 炎のような尾を引いて、竜殺しが墜落する。右腕と、それに握った竜鱗(一族の末路の象徴)で迎え撃つ。

 

 拳と砕けた刃がぶつかり合った。互いの得物が互いに砕け、破片が互いの腕を傷付ける。大地へと帰還した灰が、至極冷静にもう片方の腕を振るう。その手に赫い、竜の死を携えて。

 

 次が最後だ。次の一合で全てが決する。右腕は使い物にならないと、左腕を突き出した。

 

 ……恐らく。斃れるのは己だろう。

 

 それは確信。力量差や状況などを超越した直感。

 

 ───なぜなら。

 

 なぜなら、彼は。彼こそが。

 

(───お前は。()()に相応しい)

 

 とびきりの執着と歓喜を込めて、笑わぬ氷の剣士の代わりに───顔を、歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 びしゃり、といつかの再現のように血が地面へぶちまけられた。

 

 レイクの腕は少年の首を捉え。少年の剣は、竜の心臓を貫いていた。

 

 あとほんの数瞬、貫くのが遅れていたら───その首は捻じ切られ、死んでいたことなどわかっていただろうに。

 

 目の前の少年が、どくどくと、生き物と同じように脈を打っているのが不思議だった。人ならざるモノを再現するその身体が、人のように暖かいというのは、ひどく。

 

「───見事だ」

 

 今までの高揚感が噓のように。レイクは凪いだ心で微笑んだまま、静かに目の前で返り血を浴びながら、微動だにせずにいる少年へと賛辞を贈った。

 こぼれ落ちる血と同じように、身体から力が抜けていくが───支えはいらない。己を貫いた剣が、未だこの身を縫い留めているのだから。

 

「名を。教えろ、剣士(セイバー)

「───アッシュ」

「そうか」

 

 静かに告げられた名に、淡く微笑む。

 (アッシュ)。炎を体現するように戦いながらも、氷のように冷めた彼には似合いの名だ。

 

 不意に、自分の心臓を貫く刃がかき消えた。ぐらりと身体が傾ぐのを気力で引き留め、なんら感情を映さない瞳をひたと見据える。

 

 最後の力を振り絞れば。今も手の中で脈を打つ、彼の鼓動を止めることは可能だろう。まあ、実際には阻まれるだろうが。

 だが、レイクはそうしない。怪物は英雄に斃されるモノ。その定義に殉じるように。あるいは───こんな終わりではなく。遠い未来の再戦を、望むように。

 

「……良い死合だった。お前は、違うか」

「……なにも。感じるものは」

「そうか」

 

 淡々と告げるその姿は、ますます装置かなにかのようだ。……ああ、それでいい。

 

「それでいい。それでこそ、お前は───」

 

 最後まで言葉を吐き出すことなく、ずるりと首から手が滑り落ちる。限界を迎えた死骸は膝から崩れ落ちていた。

 

 それを無感情に見届けてから、つと天を見上げて息をついた。そっと胸に手を触れる。まだ鼓動は続いていた。……底で燻るいつかの雨の日。地獄の再現が、記憶の端を掠めた。

 

「ああ───」

 

 身体だけは生きている。心はとうに死に絶えた。もしかしたらなにか少しくらいは残っているかもしれないが、どうせこれからその機構(感情)は動かなくなる。些末事だろう。

 救いがあるとすれば。前とは違って、失うわけではないということ。なぞるカタチに、その機構が組み込まれなくなるだけだ。

 

 頬に飛んだ血を拭って、法医呪文(ヒーラー・スペル)で小さな傷だけを癒して歩き出す。

 まだ戦いは終わらない。歩みはまだ止められない。燃え滓の叫びは潰えていない。

 

 次はどこへ行くべきだったかを記憶から引っ張り出す。確か───

 

「アルザーノ帝国、魔術学院……」

 

 懐かしい名前だ。ほんの少し前まで自分もそこにいたのに、今では致命的なまでに遠い場所のような気がした。

 ……いや。最初から、正しい意味では所属などしていなかったか。

 

 ただ微かに残る日常を再現するためだけに、できるだけ近いものを選んで所属していただけのこと。我ながらひどい話だ。ありもしないものを探すためだけに、未来を探す人々の間に紛れていたのだから。

 

「───……」

 

 頭を振って、惨状には目もくれずに歩き出す。

 

 最後に。どこか懐かしい視線を感じた気がして、一度だけ振り向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 時はわずかに巻き戻る。

 

 イヴ=イグナイトがフェジテの警邏庁に到着するまであとわずか。グレンはシスティーナの援護で警備官から逃げ回って───

 

「白猫? おい、白猫!? 応答しろ、白猫ッ!!」

 

 否。システィーナの援護は消えていた。聞こえるのは悲鳴と、何度も地面を転がるような音。そして───下卑た笑い声。

 

 聞き覚えがあった。かつて自分が無力化し、裏切り者として殺された男。ジン=ガニスの声だ。

 

 未だ倉庫街では天変地異が起こり続けている。この状況で、さらにシスティーナまでもが襲われたのだということを理解して、半ばパニックになりながらグレンは路地を駆け巡る。

 幸い、なぜか包囲網は先ほどまでに比べればガタガタだ。だが、システィーナがいるはずの中央区まで突っ走るにはさすがに邪魔すぎる。なによりも、ここで捕まってしまえばルミアどころかシスティーナを助けに行くことさえできない。

 

 故に、強行突破は選ばない。選べない。

 

 もどかしい現実に奥歯を割れ砕けそうなほどに嚙み締めて、グレンはただ足を動かす───

 

「クッソ……なにが起こっていやがる……ッ!?」

 

 天変地異と、システィーナの悲鳴。その二つが、二人の教え子それぞれの生存をグレンに伝えてはいるが……生存と無事はイコールではない。特にシスティーナは何度も何度も地面にぶつかっては必死に駆けているらしい。通信に出る余裕すらない辺り、相当苦戦している。

 

 それも当然といえば当然のこと、かつてシスティーナにトラウマを植え付けたジンは態度こそ三流のそれだが、実際には【ライトニング・ピアス】の十連射などというバカげた技術を持ち合わせており、実力だけなら文句なしの超一流だ。

 確かにシスティーナも日頃の訓練で確実に強くなっているとはいえど、超一流を相手にするのはまだまだ荷が重い。それでなくともジンはシスティーナが戦いに身を投じることになった全ての始まりであり最初の恐怖。……逃げることができているだけ、マシというものだろう。

 

(死んだはずのジン=ガニス……となりゃ、まさかとは思うがあの倉庫街の竜巻は……レイク=フォーエンハイム、か……?)

 

 テロリスト襲撃事件が解決したあと。学院を襲った二人に関する報告書に書かれていた情報が頭の中で思い返される。

 

 レイク=フォーエンハイム。伝統的に(ドラゴン)に関する研究を行う魔術師の大家、フォーエンハイム家最後の一人。その血に受けた『竜化の呪い(ドラゴナイズド)』によって、竜の力を得たという正真正銘の怪物だ。

 もっとも、グレンたちと対峙した際には『竜化の呪い』を抑えるための封印を施してあったためか、一応人間の範疇に留まる能力であったが───あの竜巻が、『竜化の呪い』による竜言語魔術(ドラグイッシュ)で引き起こされたものであるのなら、人知を超えた魔術にも辻褄が合う。

 

 しかしそれは要するに、それと戦っているであろうアシュリーの生存率が大幅に下がったということでもある。未だに竜巻やら雷雨やらが発生しているあたり、生きてはいるのだろうが……無事でいられるとは到底楽観できない。

 

 腹立たしい。なぜこんな事態に陥っているのかまるでわからない。わからないが、とりあえずジャティスはぶっ殺す。

 

 そんな決意を固めるグレンの目の前に、またぞろぞろと警備官が現れる。

 

 先ほどまでよりよほど読みやすく、人間らしい配置。加えて指揮系統が混乱しているのか、ほんの少し前までの非人間的とまで言える気持ちの悪い統制は感じられなくなった。これなら、自身の勘と経験則で十分切り抜けられる。

 

 それでも───こうした『数の暴力』が、グレンの天敵であることは間違いないのだが。

 

「ああクッソ、うざってえ……!」

 

 悪態をつきながら、飛び交う銃弾やら細剣やらを避け、極限まで思考を巡らせながらどうすべきか考える───と、不意に耳に悲鳴とは違った声が聞こえた。……システィーナの声だ。どうやら、ほんのわずかな時間ではあるがジンを撒いたらしい。

 心の中で密かな賛辞を贈りながら、聞こえてくるか細い声に耳を澄ませる。

 

『せん、せ……っ』

「白猫か!? 大丈夫か、白猫!」

『助けて……助けて……ッ! 怖い、怖いよ……ルミア……リィエル……ッ!』

「白猫ッ! 落ち着け!!」

 

 過呼吸気味なシスティーナの悲鳴を聞きながら、グレンが走る。

 

 システィーナはどうも精神面が限界に近いようだ。無理もない。かつてのトラウマと突然向き合い勝利せよ、などと言うのは正しく『普通の少女』であったシスティーナには酷な話だ。

 

「白猫! いいか、絶対に助けに行く! だから、もう少しだけ……うお!? ……っ、すまねえ、もう少しだけ耐えてくれ……!」

『ぁ……』

「絶対、お前もルミアも、あとアッシュも死なせたりしねえ! 絶対だ!」

 

 吠えながら、しつこく迫ってくる警備官をいなし続ける。

 

「だから───ッ!!」

『……いえ、先生。ありがとうございます』

 

 ふと、泣き声が止んだ。

 

 凛とした声が、耳朶を叩く。

 

「白猫ッ!?」

『大丈夫です。私なら、大丈夫。……みっともないところをお見せしてすいませんでした、先生。私はもう───』

「諦めてんじゃねえよ!? 絶対助けに行くって言っただろ!?」

『違います。諦めなんかじゃない』

 

 それを一瞬、諦めととったグレンを叱責するように。システィーナの声が続く。

 

『私は───ちゃんと、立ち向かう。ちゃんと戦います。私は、こんなときに無様に泣き喚くために、先生に教えを受けてたんじゃない……ッ!』

 

 それは強い決意と覚悟だった。

 

 一瞬でも、諦めたのだと……そう判断してしまった自分が情けない。

 

 にやりとグレンの口の端が持ち上がる。教え子の成長を感じて、どうして自分が気張らずにいられよう。

 

「……わかった。だが、無理はするな。絶対に生き残れ。助けに行ってやるからな」

『ふふっ……別に、倒してしまっても構わないんでしょう?』

「……。おう、当たり前だ!」

 

 なんかすごく嫌な言葉のチョイスをされた気もするが、努めて無視した。たぶん気のせい、というか電波だ。

 

「てなわけだからよ……クソ生意気な仔猫ちゃんが待ってんだ。テメェら、そこ退きやがれ───ッ!!」

 

 拳を構えながら、グレンがさらに路地を走り抜ける。

 

 そして、その魂の咆哮と時を同じくして。

 

 イヴ=イグナイトが、フェジテ警邏庁に到着した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 フェジテ警邏庁舎はひどい有様だった。

 

 市庁舎爆破テロ事件特別捜査本部では、ひっきりなしに罵声が飛び交っている。それは今なおフェジテで逃げ回るグレンへの罵詈雑言であり、一向に進展しない事態への苛立ちだ。

 

「なにがどうなっている!? 現場指揮統括のユアン=ベリス警邏正とも連絡がつかず、グレンとかいうイカレのテロリスト野郎はまだ捕まらない……ッ! しかも、倉庫街では原因不明の天変地異、中央区では少女に対する暴行事件だと!? 今日は一体なんだというんだ、厄日かッ!?」

 

 だん、と厳つい手を机に叩き付けるのはフェジテ警邏庁長官のロナウド=マクスウェルだ。年季の入った巌のごとき顔は義憤に燃え、叶うのならばいますぐフェジテの平穏をかき乱すクソ野郎をとっ捕まえて一発ぶん殴ってやりたい、とでかでかと書いてあった。

 ぶっちゃけ全てはジャティスによる冤罪だったりするのだが、それを知らないロナウドにはグレン=レーダスという男はもはや血も涙もない悪鬼羅刹の類にしか見えなかった。

 

「くっ……絶対に許さんぞ、グレン=レーダス……ッ! 貴様のような鬼畜生に、フェジテ市民を一人たりとも傷付けさせてなるものか……ッ!! お前たち! 中央区に一・二班を回せ! 私が直接あのイカレたテロリストを捕まえ───」

 

 と、ロナウドが捜査本部会議室の扉を開けようとしたそのときだった。

 ばん、と荒々しく扉が開かれ、向こう側から一人のうら若い娘が姿を現す。ついでにロナウドは鼻っ面を扉にぶつけて悶絶していた。確かに今日はロナウドにとっての厄日かもしれない。

 

「ダメよ。中央区の少女は放っておきなさい。全警備官もグレンを追うのは中止。倉庫街の天変地異は捨ておきなさい」

 

 真紅の髪をなびかせた女性───仲間をオトリに、一人フェジテに介入したイヴは突き放すようにそう言うと、会議室に並ぶ椅子の一番の上座に腰を降ろし、テーブルの上にその優美な足を交差させて投げ出した。

 

 かつてのイヴの友人がそこにいたら、そのポーズはちょっとどうかと思う、と苦言を呈しただろう。

 実際にはいないので、そんなことを言う人間は誰一人いなかったが。

 

「貴様、何者だ!?」

「帝国宮廷魔導士団、特務分室室長にして執行官ナンバー1《魔術師》のイヴ=イグナイトよ。話、とっくに通ってるでしょ?」

「帝国宮廷魔導士団……!?」

 

 鼻の辺りを抑えながらロナウドがうめく。なぜ軍がこの一件に関わってくるのか、まるでわからなかった。

 

「はあ……ほんと、これだから素人は……いい? この一件はただの爆破テロじゃない。もうあなたたちみたいな素人連中には手に負えない事態に発展してるの。だから私が来た。……わかる? これからあなたたちは、私の忠実な手駒として働くの」

「なんだと……!? ふざけるな! 一体なんの権利があってそんなことを───」

「権利? ああ、これで良い? はい、父上───アゼル=ル=イグナイト卿直々の勅命書。これでわかった?」

「ぬ、ぅ……!?」

 

 横柄な態度で雑に突き出された紙切れは、確かに何度見ても帝国最高決定機関《円卓会》の一席であるアゼル直筆のものだった。

 そこまで言われては、ロナウドにはもはや反論ができない。ただ、憎々しい視線をイヴに向けるしかできない。

 

「ふん……そう、それでいいのよ。犬は犬らしく、飼い主のいうことを聞きなさい……」

 

 つまらなさそうに鼻を鳴らし、イヴはロナウドをはじめとするフェジテの警備官たちに細々と指示を出していく。

 無論、ロナウドたちの苛立ちは募る一方だ。暴行を受けている少女を見捨てろという目の前の傲慢で横柄で血も涙もない人間のいうことを黙って聞くなど、フェジテの治安を担う者としての誇りが許さなかった。

 

 だが───イヴは正式な勅命書を持ってきていたし、そもそも軍人に自分たちが敵うはずもない。いざとなれば汚名を被ってでも少女の救出に向かうつもりではあるが、それでも今はこの女の命令を聞かざるを得ない───

 

 そんなロナウドを侮蔑するように流し見て、イヴは資料を流し読みながら黒い小型の魔導演算器(マギピューター)の表面に走る無数のルーン文字の羅列を追い始める。

 イヴが操作するこの石には、イグナイト家が深いパイプを持つ警邏省が統括する帝国全土の警備官たちが、常時着用を義務付けられている徽章の周辺情報を収集する機能があり、それ故にイヴはその情報源となる徽章───警備官たちを自身の都合の良いように配備する必要があった。

 

 徽章から送られてくる情報は些細なものだが、それでも数を合わせれば膨大なものとなる。この徽章こそが『炎の眼』。イグナイト家にのみ許された『特権』であった。

 

(今回、これの使用を許されたということは……絶対に失敗できないということ)

 

 父親からの冷たい目がイヴの脳裏に蘇る。それと同時に、かつてかけがえのない友人を───セラを失ったときのことも。

 一年前のあの日、父からの圧に屈してセラを見捨てるように命令を下した自分には、もはやイグナイト家の名誉以外を優先することは許されない。イヴの使命はイグナイト家の名誉、ただそれだけ。関係のないものは全て切り捨てる。

 

 たとえ、それがかつての部下でも、無関係の人間でも、親しかった幼馴染でも。

 

「…………」

 

 ……だが、どうしても気になって……つい、魔導演算器の操作の片手間で遠見の魔術を起動する。

 

 グレンがいるであろう、追跡現場。……どうやら無事らしい。まあ、いくら第一級制圧対応(殺害無力化目的の対応)で追われていたとはいえ、たかだか一般人に毛が生えた程度の警備官相手にグレンが後れを取るはずもない。

 ここからは、グレンの動きを追いながら、その裏にいるジャティスを炙り出すことになる。……まあ、死んだら死んだでジャティスが表に出てくるだろうから、イヴの使命からしてみればどちらでも良いことなのだが。

 

「……ふん」

 

 少しだけホッとした自分を無視して、さて次は、と暴行事件の現場へと視線を移す。

 そこで、滅多に動揺を表に出さない魔術師たるイヴが目を見開いた。なびく銀髪。震えながらも外道魔術師に立ち向かう、その少女の姿が……なぜか、セラに重なって見えたからだ。

 

 相対しているのはジン=ガニス。……放っておけば、まず確実に死ぬだろう。

 

 ありふれた日常を理不尽に奪われただけの、かつての幼馴染と同じような普通の少女が。

 

 

 

 ───それなら、私が───

 

 

 

「……ッ」

 

 つい、会議室から駆け出していた。思考の片隅を引っ搔く自分の言葉が胸を苛む。なにを約束したのか、どうしてか思い出せないが……無視することはできないと、感情的になってしまった。

 魔導演算器に走る情報を読み取るためにはとんでもない集中力が必要だ。片手間に遠見の魔術でチラ見するだけならともかく、こうして走り出してしまってはもはや意味がない。

 

 ……それでも、なぜかイヴは駆け出していた。

 

「ああもう、こんなんだから私はイグナイト失格なのよ……っ!」

 

 吐き捨てながら、中央区の方へと走る。

 

 悪態ばかりを並べ立ててはみたが、どうしてか心は微かに軽かった。それをイヴが認めることは決してないが。

 

「──────」

 

 そして。

 

 道中、やっぱりどうしても気になって。

 

 ほんの少し。ほんの少しと言い聞かせながら───

 

 倉庫街の方に、視線を飛ばす。

 

 ……ひどい有様だ。建物は砕け、地面は割れ。炎と氷と石柱が乱立するその光景はもはや地獄絵図と言ってもいい。

 

 その惨劇の中心には、血まみれで倒れ伏す人影が───

 

「ッ!」

 

 一瞬だけ、懐かしい顔を幻視して息が詰まったが……違う。倒れているのは黒髪だ。胸から夥しい血を流しながら死んでいるその男は、どこぞの凡人ではない。

 

「───……。……。そうよ……あんな凡人が、こんなところに……いるわけ、ないじゃない……バカらし……」

 

 言い聞かせるように、走っているせいか荒くなる息と鼓動を押し込めて、これを殺した犯人を探して視点をスライドさせる。

 

 誰もいないはず。誰もいないはずだ。誰もいない、はず、なのに。

 

「───ぁ」

 

 その姿を見付けてしまった。

 

 わずかに血に濡れたくすんだプラチナブロンド。ところどころが擦り切れた黒い服。

 

 そして───一瞬だけこちらを見た、冷え切った銀灰色の瞳。

 

「……なんで」

 

 偶然だったのだろう。視線はすぐに逸れて、どこかへ向かってその少年は歩き出す。

 

 止まりそうになる足を動かして───イヴは。

 

 いつか見た、穏やかな笑顔とかけ離れた誰かを見て。

 

「なんで、そんなところにいるのよ……ッ! アッシュ……!!」

 

 嗚咽するように、それだけを絞り出した。




レイク「ここでこんな相討ちの仕方するとか浪漫がない。却下」

イヴとは気付いてないけど別にイヴを忘れたわけではないのでご安心だぜ!


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44.日常は遠く

四六時中プロット練ったりセリフ考えたりしてるせいでついにアッシュが夢にまで出るようになった。こわい。


 また明日、とか言ったクセに、丸々三日姿を現さないとは良い度胸だ───と、そんな風に思いながら私は彼の家の前に立っていた。

 

 楽なのだ、ここは。なんていうか、心が。

 

 父や一族からの重圧もない。周りの僻むような視線もない。あの日、母の死とともに失った子どもらしい毎日に、ここでなら戻れるような気がしていた。

 

 なのに、肝心の彼が一向に姿を見せないから、少し、その……そう、苛立って。嫌がらせのように、ドアをノックしまくった。

 ややあって、内側から扉が押し開けられる。この家に住んでいるのは一人だけ。面倒を見ているらしい老人も、別に住み込みで一緒にいてやっているわけではないらしい。つまり、向こう側にいるのは私の尋ね人なわけで。

 

 ───あ、やっと出てきたわねこの引きこもり。ちょっとアシュリー、どういうつもりなのよっ!?

 

 ぼけっとしながら姿を現した少年に、私はそうがなり立てた。三日ぶりに見た姿に、ちょっと安心したことなんか気のせいだ。

 

 だけど、出てきた少年はいつもと少し違っていた。なんていうか、いつにも増してぼんやりしているというか。目はどこか虚ろで、目の前にいるはずなのに視線が私をすり抜けているような感覚。

 

 少しだけ怖くなって───でも、約束があったから。風邪でも引いたの、と、いつも通りに声を掛けた。

 

 ───アッシュだ。

 

 ふいに、彼がそう言った。

 一度だけ、瞳を閉じてから。なにかを振り払うように───あるいは、決意を固めるように頭を振って。

 

 ───アッシュでいい。

 

 そう言って、私を見た彼の顔は。

 

 全くもって、いつも通りの『アシュリー=ヴィルセルト』と同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───システィーナは、暗い泥の中にいた。

 

 眠くて眠くて仕方がない。とんでもなく頑張って、もうなにもできない……そんな状態に似ている。

 

 なにがあったんだっけ、と記憶を手繰り寄せる。確か、グレンのサポートをしていて……死んだはずのジンが、自分の前に現れて……それに、立ち向かうと決意して。

 

『《荒れよ風神・千の刃振るいて・烈しく躍れ》───!!』

 

 そして、グレンに教えてもらったばかりの呪文を唱えて、かつてのトラウマに───ジンに突っ込んでいったこと。それは、覚えている。

 

 それから……それから……?

 

「……そう、だ」

 

 胡乱な意識が覚醒する。寝ている場合じゃない。グレンを。ルミアを助けないと。

 

 眠りの淵に引きずり落とされた意識を引っ張り上げ、重い瞼をこじ開ける。

 

(私が……あの二人を、助けないと……!)

 

 普通の世界に生きる自分しか、あの二人を日常に連れ戻してはあげられない。

 

 起き上がらないと───まだ、戦いは終わっていないのだから。

 

 泥のようにまとわりつく無気力感を振り払い、暗い眠りの世界から抜け出して───

 

「先生っ! ルミアっ───あれ?」

 

 瞳を開くと、そこは清潔さを感じさせる白い部屋だった。

 

 ついさっきまで、死闘を繰り広げていたフェジテの街並みではない。

 

 この景色は見覚えがある。細部やレイアウトは異なるが、この雰囲気は───

 

「……ここはフェジテ警邏庁舎の救護室。おはよう、システィーナ=フィーベル。無事目が覚めたようでなによりだわ」

 

 システィーナに向けた、というよりは自嘲するような響きを含んだ皮肉っぽいセリフ。

 見れば、部屋の隅に置かれた椅子に……真紅の髪を整えて、もうすっかり見慣れた帝国宮廷魔導士団の制服を着た女性が座っていた。

 

 紫炎色の瞳がこちらをじっと見つめているのに気付いて、反射的に身を起こそうとするが……起こせない。

 全身が鉛になってしまったようだった。ベッドから起き上がることさえままならない。

 

「……いいわよ、そのままで。強敵相手にずっと戦っていたんだもの。限界を超えて酷使した身体と精神が反動で疲れ切ってるだけ。マナ欠乏症も近い。そこでおとなしくしていなさい」

 

 システィーナの状態を伝えると、女性は不機嫌そうに鼻を鳴らして黙り込んでしまった。なにかを言いたいけど、言えない。そんな雰囲気が微かに漂っている。

 

 そこで気付いた。ジンを戦闘不能に追い込んだあと、トドメを刺せなかったせいで窮地に陥った自分を助けてくれたのは……確か、この女性ではなかったか?

 

「あ、ありがとうございます……」

「……グレンは無事よ。あなたはもう少し、そこで眠っておきなさい」

 

 用は済んだ、とばかり女性がシスティーナに背を向けて歩き出す。向かう先は当然、部屋の外だ。

 

 このとき、女性───イヴは、己の失態に内心呆れ果てていた。

 感情的になってシスティーナを助けに入ってしまった。そのせいで、『炎の眼』で集めていた情報を処理しきれなくなってグレンを……ひいては、それに接触するであろうジャティスを見逃した。

 

 かつて帝国を相手に一人で大立ち回りを演じ、完全勝利一歩手前までいった怪物であるジャティスを相手取るなら、待ち伏せがほぼ必須。しかし、こうなってしまってはもはや絶望的だ。フェジテは広い。あのジャティスを今からなんの手掛かりもなく捕捉するなど、砂漠から砂金を見付けるようなものだ。

 

 つまり───イヴは、戦う前から既に、今回の最重要事項であるジャティスを討伐する、という使命をしくじったことになる。

 しかも、昔見捨てたセラに似ていた少女を助けるため、なんていう理由で。

 

 とんでもない大失態だ。父に知られたらもはやどうなるかわからない。

 

 ここから巻き返す方法などほとんどありはしない。万が一の奇跡を願って、片っ端から情報を集めることくらいだ。

 それでも、なにもしないよりは。そう、悲壮な覚悟でイヴが扉に手を掛けたそのときだった。

 

「あ……ま、待ってください!」

 

 ベッドに転がったままのシスティーナが、それを、つい引き止めていた。

 

「……なに? 私、忙しいんだけど」

「その、すみません……でも……あなた……もしかして、帝国宮廷魔導士団……特務分室の方じゃないですか?」

「……ふぅん?」

 

 凛とした立ち姿は、帝国の切り札とまで謳われる宮廷魔導士団に相応しかろう。

 アルベルトたちも着ていた制服からしても、関係者なのは間違いあるまい。そう思っての発言だった。

 

「正解よ。なかなか良い勘ね、あなた。そう、私は帝国宮廷魔導士団が一翼、特務分室の室長。執行官ナンバー1、《魔術師》のイヴ=イグナイトよ」

「し、室長さん!? ふぇ……すごいなあ……私と少ししか違わないように見えるのに……」

「……。別に」

 

 キラキラした目で見つめてくるシスティーナ。どうにもむず痒くて、ふい、とイヴがそっぽを向く。

 セラに似ていた。見た目も少し。だけど、根っこの部分が、とても。

 

『イヴって本当にすごい魔術師だよね……憧れちゃうなあ』

『イヴ! 今日は非番? ねえねえ、一緒にスイーツ巡りに行かない!?』

『ねえイヴ、イヴって───』

 

 蘇る思い出。子犬のように人懐っこい友人の姿が、一瞬だけイヴの視界をチラついて。

 

「イヴさん、なにか私に聞きたいことでもあるんですか?」

「……えっ?」

 

 気付けば、セラではなく。システィーナが、気遣わしげな目を向けていた。

 

「別に、ないけど。どうして?」

「えっと……なんていうか、さっきから気もそぞろっていうか……顔色もあんまり良くないですし」

「……聞きたいことがあるのはそっちでしょ? グレンがどうしているのか、とかね」

「は、はい! 先生、どうしてますか!?」

「……落ち着きなさい」

 

 グレンの名前が出た瞬間に食いついたシスティーナを流し見て、最後にグレンを捕捉したときのことを思い出す。

 本当にセラにそっくりだ。落ち着きがないあたりとか。

 

「さっきも言ったけど、グレンは無事。警備官の追跡もやめさせたから、少なくとも追い回されるようなことはないわ」

「そ、そうなんですね……よかった……」

 

 もし十全に身体が動いたのならベッドから身を乗り出していたであろうシスティーナが、ホッと胸を撫で下ろし息をつく。サポートを買って出たにも関わらず、ほったらかしにしてしまっていたのが気掛かりだったのだが……さすがグレン。……むしろ、自分は必要なかったのではないかと思うと少し悲しいが。

 それでも、グレンの教えに従って、ちゃんと敵に立ち向かったことくらいは……褒めてくれるだろうか。

 

 そんなことを考えてから、そういえば連絡をしていないことに気付いた。グレンと最後に話したのはジンとの決着がつく前だったから、とても心配させてしまっているかもしれない。

 

「あの、イヴさん。これ……持っていってください。先生との直通の通信魔導器です……」

 

 自分では、魔力がすっからかんなのでどうせ繋げられないが───なにかの足しにはなるだろう。

 

「……フェジテでは……今、なにか大変なことが起きてるんですよね? グレン先生は……すぐ、無茶をする人だから……どうか、助けてあげてほしいんです!」

「……そ。まあ、もらっておくわ」

 

 素っ気なく返して、イヴが半割りの宝石を手に取った。しばらくそれを眺めてから、無造作にポケットに突っ込む。……これさえあれば、グレンを再捕捉してジャティスを出し抜ける。そんな内心はおくびにも出さずに。

 そうだ。自分はこの少女が高確率で持っているであろうグレンとの通信魔導器が目当てで、自ら動いて彼女を助けたのだ。そう言い聞かせて、自分を騙す。全てはイグナイトのために───イヴにとってはそれが至上。なによりも優先すべきことなのだから。決して、つまらない感傷で動いたわけではない、と。

 

 そんなイヴを尊敬の眼差しで見つめていたシスティーナが、ふと顔を曇らせた。まだなにかあるのか、とため息をつきそうになる。

 

「あ……それと……」

「……なに?」

「その、もう一人……戦ってた人がいたと思うんですけど……」

「──────」

 

 そこで、イヴの顔色が変わった。ぎり、と腕を固く握り締めて、できるだけ平静を保ちながらシスティーナの顔を見る。

 なにかの間違いだと、そう記憶の隅に追いやっていた冷たい目を思い出す。……そんなわけがないのは、イヴだってとっくにわかっているのに。

 

 あのとき見たものからもう一度目を逸らすように、システィーナの声に応じる。そういえば、目の前の少女はアレと同じ学校、同じクラスだと聞いていた。しかも講師はグレンである。なんという偶然なのだろうか。

 

「……そうね。あなた、あいつのクラスメイトだったっけ」

「え……し、知り合いなんですか?」

「聞いたことない? ……あのバカとは、帝都にいた頃に知り合いだったのよ」

「バカって……」

 

 システィーナが苦笑する。確かに少し……かなり……ぼけっとしていることは多かったが、そんな真っ向から罵倒しなくても。

 

「あ、でも聞いたことはあるかも……帝都にいた頃に、仲良くしてた女の子がいるって」

「……ふ、ふーん。そう」

「はい。細かくて口うるさいって言ってました」

「……ふーん。そう」

 

 ビキリ。なんかイヴのこめかみに青筋が立った気がした。

 

「元気だといいなって言ってて……あの、イヴさん?」

「なに」

「い、いえ! なんでもないんですっ」

 

 ぶんぶんぶんとシスティーナが勢い良く首を振った。しどろもどろになりながら、本来の用件を頭の中でまとめる。話題を逸らさないと。

 

「えっと……そ、それで……アッシュも巻き込まれてるみたいだったから、心配で」

「───……。あのバカは、無事よ」

 

 なんとか、それだけを絞り出した。

 

 少なくとも、無事であることは事実だ。……無事である方がおかしいのに。

 

 無事であったことは喜ばしい。……だけど、どうしてか心は沈んだままだった。

 

(……だから、あいつなんかどうでもいいんだってば)

 

 言い聞かせて、軽く頭を振った。

 

「……これでいい? 私、忙しいの」

「あっ……その、引き留めてすみません……」

「まあ、こっちのことは私に任せなさい。グレンのことも、……ついでに、暇があればあのぼけぼけしたバカでポンコツで役に立たない凡人のこともどうにかしてあげる」

「い、言われようがひどい……」

「……それじゃ。私、行くから」

 

 やはり素っ気なく、イヴが部屋を出る。

 

 最後に、どうにか身体を起こしたシスティーナが、深々と頭を下げて。

 

「どうか、二人のこと……よろしくお願いします」

「……。……ええ、任せなさい」

 

 イヴは、それを背中で受け取って───今度こそ、部屋をあとにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、ぐぅ……ここ、は……」

 

 薄っすらと瞼を開ける。全身が痛んだが、それを無視して身体を起こす。どうやらわたしは柔らかなベッドに横たえられているらしかった。

 見慣れた風景だ。ひょんなことからわたしが居候することになったフィーベル邸。レナードやフィリアナ、大事なともだちのシスティーナとルミアが一緒に暮らしている───

 

「───ルミアッ!!」

 

 意識を失う直前の記憶が蘇り、痛む身体でベッドから飛び出そうとした。だが、侵入者───ジャティスに負わされた傷はかなり深く、無様にも転がり落ちるしかできなかった。

 

 ごろごろと、柔らかな絨毯の上を転がる。見ず知らずの他人のはずのわたしに、快く用意された私室だった。剣を錬成して、それを杖に立ち上がる。

 ルミアが……ルミアが危ない。システィーナも危ない。こんなところでじっとしているなんて───

 

「は、はは……落ち着け、リィエル……今、ここにゃ誰もいないよ……」

「……、……セリカ?」

 

 震える足で立ち上がったわたしにかけられた声はセリカのものだった。見れば、ベッドにもたれるようにしてセリカが座り込んでいる。ぼろぼろだ。いつも着ている綺麗な黒いドレスはぼろぼろで、それを着ているセリカもぼろぼろだった。

 なにがあったんだろう。もしかして、セリカもジャティスに襲われた?

 

「うんにゃ。……私のところに来たのは……同じガキはガキでも、違うやつでな……いででっ! ……まあ、そいつにこっぴどくやられて……このザマさ。なんとか、逃げ出しはしたが……当分は動けない……」

「……ん。そう。大丈夫?」

「ああ……日没までには、動けるようにはなるはずだ」

 

 そう言って、セリカは大きく息を吐いた。すごく疲れているんだろう。ベッドに寝かせてあげたかったけれど、今のわたしではセリカを持ち上げるのは難しい。

 グレンやアルベルトがやっているみたいな遠見の魔術は使えないから、なにが起こっているのかはぜんぜんわからない。セリカも、なんとかここにたどり着いて……そこからはずっと眠っていたらしいから、助けを求めてきたシスティーナから聞いた話以外は知らないらしい。

 

 なんか、システィーナが来て、『掃除屋(スイーパー)』が来て、それを片付けてたら……らざーる? とかいうのが来て、セリカの家がドカーンってなって、セリカはここに逃げてきたらしい。

 

 グレンとシスティーナは、秘密基地に逃がしたから無事なはずらしい。秘密基地。なんか、ちょっとワクワクする響きだ。今度、グレンとアッシュを誘って作ってみよう。なんとなくだけど、あの二人なら付き合ってくれる。

 

 ……そう思った瞬間、どうしてか胸騒ぎがした。寝ている場合じゃない。ううん、寝ている場合じゃなかった……そんな感じ。

 気持ちがざわざわする。嫌な予感。なんだろう。すごく、不安な気持ち。

 

 ───目を離さないで。

 

 そうだ、アッシュだ。

 アッシュは今、どうしているんだろう。

 

 わたしが傷付けてしまったのに、笑って許してくれた変な人。なにがあっても笑っていた、自称『普通のひと』。

 料理が上手で、お菓子作りも上手で、勉強はあんまり上手じゃなくて、よく見るとたまにぼーっとしてて、でもすごく強いちぐはぐな男の子。

 

「行か、なきゃ……」

 

 もう、戦わせちゃいけない。普通の生活が好きだと、何度も何度もそう言っていたのは……きっと、アッシュにとってそれが大事なことだったから。

 昔のわたしによく似たともだち。兄さんを守るという存在意義に固執していたわたしと。普通の生活に固執していたアッシュは、きっと似た者同士なんだと思う。

 

「おいおい、リィエル……無茶すんな。お前も、相当ぼろんちょだぞ……?」

「でも……行かないと……っ。みんなが……!」

「落ち着け。今のお前が行っても、なにもできやしないよ……悔しいがな。法医呪文(ヒーラー・スペル)でもかけてやりたいが……今、魔術を使うのはちとキツい……」

「……うぅ……」

 

 セリカの言っていることは、たぶん正しい。

 

 わたしが行っても、なんにもならない。グレンもシスティーナもルミアもアッシュも、みんなどこにいるかわからないし、歩くのだってこのままじゃ無理だ。

 グレンなら大丈夫だと思う。システィーナもグレンといるならたぶん大丈夫だ。ルミアが心配だけど、さらったってことは死にはしないと思う。たぶん。

 

 でも───ジャティスが、アッシュをほったらかしにしてくれるとは、思えなかったし。なにより、なにかあったらアッシュは逃げない。戦う。戦ってしまう。

 

 それは、わたしと同じ後ろ向きな理由なのかもしれないけれど。どんな理由であれ、きっと逃げることはしてくれない。

 普通のひとは戦ったりなんかしないと、そう言っていたのに。彼は、どうしてか……逃げたりなんてしないのだ。

 

 だから、怖い。

 

 兄さんが死んだとき、わたしはもうどうやって生きたらいいのかわからなかった。なんのために生きたらいいのかわからなかった。死んでもいいとさえ思っていた。生きる理由が一つもなかった。

 

 ……もし。

 

 もし、アッシュがそうなってしまったら───

 

 あの、いつも笑っていたあのひとは、どうなってしまうんだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───少年が一人、歩いていた。

 

 赫色の刃を引きずるように、淡々と歩を進めるその姿は不気味ですらあった。

 

 その一見無防備な背中に、黒い服を着た人間が一斉に跳びかかった。手に持つ凶器は短剣に鎌に鉤爪にと、まるで統一感がない。かつてはイルシア(リィエル)も所属していた天の智慧研究会の暗殺部隊───『掃除屋』だ。

 

 剣を振るう。

 

 仮面をつけた人間の首が、深くその顔を覆い隠していたフードごと宙を舞った。

 

 剣を振るう。

 

 心臓を穿たれた黒づくめの人間が、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。

 

 剣を振るう。無心で凶器を振るい、一切の慈悲もなく敵を殺す。

 

 人間の形をしている、だとか。どうして襲われているのか、だとか。そんなことはどうでもよかった。

 

 今重要なのは───コレらが敵であるという、ただその事実のみ。

 

「───……」

 

 片手で記号をなぞる。地面から突き上がった氷柱が無数に湧いて出る暗殺者を逆に殺していく。

 

 首を落とせば死ぬ。心臓を穿てば死ぬ。脳を潰せば死ぬ。

 そうでなくとも、四肢を落とせば動けなくなるし、やがては失血死するだろう。

 

 そうであることを知っている。ずっとずっと昔の話。とうにそれを知っていた。

 

 ならばあとは簡単だ。それを実践すれば良い。

 

 懇切丁寧に嬲り殺す必要はない。今必要なのは命を奪う、ただその結果だけ。過程にまでこだわる必要は今はない。

 

 びしゃり、と返り血が顔に飛んだ。拭う間もなく次の敵がやって来る。

 

 空いたままだった片手に短剣を作り出して、見もせずに投げ放った。跳びかかってきていた人影が、そのまま地面を転がっていく。

 

「───……」

 

 以前よりずっと消費が軽い。竜の炉心も稼働させればそれこそ延々と続けられるだろう。あれは未熟な自分が起動すれば、莫大な魔力を生成する代償に内側から灼かれるような痛みを伴うが───痛覚など無視できるものの代表だ。

 あれは生き足搔こうとする意志があってこそ意味を成す機能。はじめから死んでいるような存在に、それを気にする理由はない。

 

 歩みは止めず、剣を振るう手も止めない。必要がない。必要がないならやらなくて良い。気にしなくても良いことは、気にしないに限るのだ。

 

「───……」

 

 血に濡れたまま、ぼんやりと空を見上げる。

 

 黄昏(終焉)は遠く。されど確かに迫っていた。



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45.終焉の序章

今回はアッシュの出番控えめどころかほぼないんやで。すまねえ。


 全ての役者はここに揃った。

 

 愚者は正義とその行動をともにし、天使はそれに寄り添う。

 

 白猫はひとときの眠りに誘われ、炎は情を切り捨てながら正義を追う。

 

 戦車と魔女はその身を癒すため、しばし活動を停止し。

 

 鋼の聖騎士は一人、学び舎に侵入して賢しき者たちを相手取る。

 

 英雄をなぞる少年は障害を蹴散らしながら、懐かしき学び舎へと歩を進める───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 イヴがシスティーナを保護し、いくつかの言葉を交わしていたその頃。

 

 唐突に警備官の追跡から解放されたグレンは、どこからともなく現れたジャティスと遭遇し───しかし戦うことはせず、大人しくその案内に従ってフェジテの街を歩いていた。

 本当なら今すぐにでもぶちのめしてやりたいが、奪還したルミアの『今は本当にフェジテが危ない』という言葉により、激情に震える拳を押さえつけてなんとか平静を保っていた。

 

 やがて、ジャティスの案内でたどり着いたのはフェジテの南地区にある古びた商館だった。既に廃館となったはずの建物内部には無数の死体が積み重なっており……それを積み上げた張本人であるジャティスは、死体には目もくれずに地下へと足を運ぶ。

 

 物がなに一つない不気味な空間。そこに、恐ろしく高度な術式が敷設されている。

 しばらくグレンはその法陣を眺めていたが、やがてその正体に思い至ったらしい。血の気が引いていくのを感じながら、絞り出すようにして法陣が示す事実を口にする。

 

「【メギドの火】……だと……!?」

「ああ、そうさ」

 

 慄くグレンを愉快そうに眺めて、ジャティスは足元の法陣をコツコツと杖で叩いた。

 

 そこに刻まれているのは『マナ活性供給式(ブーストサプライヤー)』。既にルミアの異能アシストを受けたジャティスによって解呪(ディスペル)済みだが、問題はそこではなく。この術式がマナを送り込む先だった。

 

「『Project:Frame of Megiddo』……通称【メギドの火】。正式名称は錬金【連鎖分裂核熱式(アトミック・フレア)】……こんなものが起動したら、フェジテは一瞬で生命のいない焦土と化すだろうね」

「なんでそんなもんがここに……ッ!? おい、いい加減に教えやがれ! フェジテで今、なにが起きているッ!?」

「落ち着けよグレン……幸い、君たちのおかげでそれなりに時間もある……ゆっくり、順を追って教えようじゃないか……」

 

 くつくつと、仄暗い笑い声とともにジャティスが顔を歪めた。

 【メギドの火】。S級とまで呼べる圧倒的な威力を誇るまさに戦略兵器であり、ジャティスの言う通り街一つ程度ならば容易に灰燼に帰すことができる大禁術。

 

 なぜ、そんなものがフェジテにあるのか?

 

「天の智慧研究会……彼の組織には、ルミア=ティンジェルを巡って二つの派閥があることを知っているかい?」

「……ああ。ルミアからはなぜか手を引いた『現状維持派』。そして、ザイードのようにルミアの殺害を目的とした『急進派』……それがどうしたってんだよ」

「そのザイードの捕縛で、組織の情報が相当帝国に割れてね。『急進派』は一気に弱体化。これ幸いとばかり、『急進派』を疎ましく思っていた『現状維持派』はあらゆる手段で彼らの粛清に乗り出した……」

 

 そして今回。放っておいても滅ぶような瀕死の状態に追い込まれた『急進派』は、それでもなんとかルミアを殺害しようと最後の手段に訴え出た───つまり。

 

「……【メギドの火】による、自爆テロ……?」

 

 呆然とつぶやかれたグレンの声に、ジャティスは笑みを深めることで返答した。

 【メギドの火】を起動させることで、ルミアをフェジテごと消し去ってしまう。それが、今回の事件の真相なのだと。自分の命どころか、街一つ丸ごと全てが犠牲になるかもしれない……そんな事態に、ルミアが沈鬱に顔を伏せた。

 

「……ンなふざけた話があるかよ!?」

「勿論、そんなことは正義の執行者たるこの僕が許さない。だからこそ、僕はこうしてあくせく働いてるってわけさ。各地に敷設された『マナ活性供給式』を解呪するためにね。ご理解いただけたかな?」

「……つーことは、だ。お前、これを解呪する隙を作るために……あんなよくわからん課題を出しまくり、俺たちをオトリにしたってわけだな……!?」

「さすがの僕も、今回の一件の裏にいる連中を一人で相手取るのは厳しいからね。いやあ、助かったよ……実にね」

「テメェ……ッ」

 

 ぎり、と歯を嚙み締める。自分たちが必死こいて戦っている間、こいつは一人悠々と自身の目的を果たすために動いていた、というわけだ。

 

「そう怖い顔をするなよ、グレン。確かにシスティーナはジン=ガニスと交戦したが……無事に勝利を収めた。ま、トドメを刺すにはまだ未熟だったみたいだけどね。だけど心配はいらないよ。イヴが保護した」

「……イヴが? いや、あのジンと交戦して勝った……だと!?」

「ああ。だからこそ、僕は予定を早めて君にこうして接触した……〝読めなかった〟展開だけど、悪くない」

「おい、もう一人いただろ。テメェが巻き込んだ相手は」

 

 ふつふつと湧き上がる怒りと憎悪を抑え込みながら、グレンがそう言うと。

 

 ジャティスはなにが面白いのか、背中を丸めて肩を震わせた。……笑っているのだ。

 

「くくっ……ああ、彼のことだろう? わかっているさ」

 

 いかにも愉快そうに、ジャティスは笑う。

 

「大丈夫だよ。レイク=フォーエンハイムとやり合いはしたが……彼もまた無事だよ」

「……マジか?」

「マジさ。相性が良かったのか、それともアレでは相手にならないほどに強大な存在であったのか……どちらかは与り知らないけどね。しっかり、あの竜を仕留めてくれた。さながら現代に顕現した竜殺し(ドラゴンスレイヤー)だ……どういう末路をたどるのか、今から楽しみだね?」

「…………」

 

 相変わらず、なにを考えているのか全くわからない。わからないが───ひとまずは二人とも無事であるらしいという事実に、胸を撫で下ろした。

 ……その一方で、仕留めた、というフレーズに心が痛んだ。あの少年は、また一つ普通から外れてしまったらしい。

 

「気に病むことはないよ、グレン。それが彼の本性さ……殺す殺さないの話をするなら些か遅い」

「……んなわけねーだろ。あいつは普通の……いや。普通じゃなくても、良識はあった。人殺しなんざしなくていいやつだったはずなんだよ……!」

「……まあ、そういうことにしておこうか?」

 

 やれやれ、と言いたげに肩をすくめた。殴りてえ、という本音はつぶやくだけに留め、堪えきれない感情は舌打ちに変えて吐き捨てた。

 

「さてグレン。これで、僕らがやるべきことは理解してもらえたと思う」

「……ちっ。わかってるよ。『核熱点火式(イグニッション・プラグ)』の解呪……だろ」

「ああ。僕も尽力したが……既に相当な臨界マナが送り込まれてしまっていてね。それを解呪しなければ……フェジテに未来はない」

「で、その期限はいつだよ」

 

 もう一度、舌打ち。

 それに、ジャティスはやはり笑って告げた。

 

「今日の日没。それまでにアルザーノ帝国魔術学院に敷設された法陣を解呪できなければ、あと数時間後に───フェジテは滅ぶ」

 

 そう笑う正義を。

 

 炎が───捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ───三日も私をヤキモキさせたんだから、付き合いなさい。

 

 そう言って、私はボケっと突っ立ったままのアシュリー───アッシュを連れ出した。

 急いで着替えさせて、身支度をさせて。帝都の大通りに繰り出したのだ。

 

 ───なんで俺が。

 ───あんた、帝都に来てから一ヶ月ぐらいなんでしょ? ついでに色々、ちゃんと教えてあげるから。

 

 ぼーっとしてるバカの手を引っ張って、私も別に詳しいわけじゃない道をたどっていく。

 ふらふらと覚束ない足取りの少年は、そのうちちゃんと自力で歩くようになって、なにかを考え込みながら私の後ろでぶつぶつとなにかをつぶやいていた。

 

 それからふと、

 

 ───そうだな。俺に教えてくれ、イヴ。そしたらちゃんと、覚えている(忘れない)から。

 

 そんな風に言って、今度は私の隣を歩き始める。

 一つ一つ、道の途中にあるものを確認するように眺めていって。『ああ、忘れてない』としきりにつぶやく友人を引き連れて、私はあちこちを散策した。

 

 姉さんのお気に入りのカフェに行って、パフェを奢らせたりもした。

 

 大きなサクランボの乗った、クリームたっぷりのパフェ。姉さんが食べているときは小さく見えたのに、いざ私たちの前に並ぶとそれはとんでもなく大きく見えた。

 仕方なく、それ一つきりで勘弁してやることにした。本当は、パンケーキも食べてやろうかと思ったが……まあ、さすがにかわいそうだし?

 

 ───味がする……。

 ───……パフェ食べて、感想がそれなの?

 ───え。ああいや、訂正する。こういうのを美味しいって言うんだよな。うん、大丈夫。覚えてる。

 

 ……こいつ、大丈夫か?

 当たり前のことを心なしかドヤっとした顔でつぶやく彼に呆れ果てる。前々からどこか抜けてるやつだとは思っていたが、想像の数倍ダメなやつかもしれない。

 

 ぺろっと二人がかりで大きなパフェを平らげてから、雑貨屋に行って色々な小物を見たりもした。

 

 ───そういえば、あんた。日記、ちゃんとつけてる?

 ───日記……あの本? ああ、つけてあったよ。ページがなくなったから、新しいのを適当に買って俺も書いてる。

 ───言い回しがいちいち変なんだけど。ふぅん……でも、そうね。新しい凝ったやつでも探してみる? ほら、これとか。

 ───そのメルヘンチックなやつは、さすがに……俺の趣味には合わないのではなかろーか?

 ───……なんで疑問形?

 

 そんな風に、一日を過ごした。また明日からはしばらく暇がなくなるから、最後の息抜きにはちょうど良い。

 なんで今日は、俺を連れ出したんだ。一日の終わり、昼と夜が混じり合う黄昏時に。そうとぼけた顔で聞いてきたバカの鼻先に指を突きつける。

 

 ───言ったでしょ?

 

 たった三日前のことも忘れたのかという苛立ちを押し込めて、もう一度。夕焼けを背に、言ってやった。

 

 ───私が。何度でも、あなたに───

 

 遠く、遠く。

 

 今はもう届かないいつかの思い出。

 

「……そんなの、どうだっていい」

 

 ジャティスが現れるだろう場所に眷属秘呪(シークレット)【第七園】を仕込みながら、私はその思い出を振り払う。

 

「私の価値はイグナイトの名誉だけ……そのためなら、なんだって切り捨てる……」

 

 父上の冷たい声と目が、私の心を縛り上げている。

 そうだ。一年前、セラを見捨てた私には、もうそれしか残されていないのだ。

 

 今さら、私が、イグナイト以外を優先することなんて許されない───

 

「さあ、来なさいジャティス=ロウファン。なにが起きても、あなただけは仕留めてあげる。たとえ、どんな手を使っても……ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ジャティスとグレンが乗っていた馬車が、唐突に燃え上がった。

 

 同乗していたルミアの胴を掻っ攫い、グレンが地面を靴底で削りながら着地する。

 

 道中、なんの妨害もなくすんなり学院へ向かえていたと思ったらこれだ。御者はジャティスで、牽いていた馬もジャティスの人工精霊(タルパ)であったために大した被害はないが……馬車本体は、炎上したまま壁にぶつかって大破した。

 

「やれやれ……ここでくるか。まあ、〝読んでいた〟けど」

「ちっ……誰だ、このクソ忙しいときに……!」

 

 落ち着き払ってステッキを回すジャティスと、ルミアを庇いながら道の向こう側に立つ人影を睨みつけるグレン。

 

 傾き始めた太陽を背に、威風堂々と立っているその姿は───見覚えがあった。

 

「あら、ご機嫌ようグレン。裏切り者とのドライブはどうだった?」

「テメェ、イヴ……ッ!? 待て、これにはわけが───」

「わかってるわよ。いちいち騒ぎ立てないで。【メギドの火】でしょう?」

 

 至極冷静に言い捨てて、イヴが髪をかき上げる。その情報の早さは、さすがイヴと言うほかないのだが……なぜ、今ここに姿を現したのか?

 イヴのことだ。【メギドの火】の存在を知っているということは、既にその状況も最後の『核熱点火式』の場所も把握しているに違いない。イヴはそういう人間だ。いつの間にか、どこからか正確な情報を入手しては戦果を挙げていく……そういう魔術師なのだ。

 

 やたらと名誉と手柄にこだわるいけ好かない冷血女。それがグレンからの評価であるが、しかし同時にグレンはその実力や聡明さを認めてもいた。

 そのイヴが、【メギドの火】を放置して自分たちの前に姿を現した。今はどう考えたって【メギドの火】が最優先事項であるにも関わらず。

 

 ……なにかがおかしい。フェジテの未来を考えるのならば、イヴは今頃アルザーノ帝国魔術学院にいなければならないはずなのに───

 

「……まあ、いい。事情を知ってるんなら話は早え。協力しろ、イヴ」

「ふん……」

 

 どこか嫌な予感を覚えながら、グレンがそう言うと。

 

 イヴは、じろりとグレンを睨んで。

 

「……なに言ってるの? 協力するのはあなたの方。……そこにいる裏切り者を、今、ここで、私たちで倒すのよ」

「───。……は?」

 

 一瞬。信じられないセリフを聞いたグレンの頭が真っ白になった。

 

「お前、なに言ってんだよ……?」

「聞こえなかった? 私に協力なさい、グレン。私たちが優先すべきは、特務分室の名誉を貶めた裏切り者……そこにいる《正義》の確保、もしくは抹殺。【メギドの火】なんて二の次よ」

「バカか、お前……?」

 

 心底失望した、と言わんばかりに吐き捨てる。

 【メギドの火】が二の次? この状況で? どれだけ解呪に時間がかかるかもわからない【メギドの火】を放置して、今ここでジャティスを捕らえる?

 

 有り得ない。そんな選択肢、絶対に取るべきものじゃない。むしろ真っ先に排除するべき選択だ。

 

「……まさか、この期に及んでまだクソくだらん手柄にこだわってやがんのかよ!?」

「う、うるさいわね。【メギドの火】を放置するなんて誰も言ってないわ。ただ、今はそこのジャティスを───」

「現実を見やがれこのバカ野郎!? そんな時間はどこにもねえんだよ! ジャティスなんざほっといて【メギドの火】を止めに行く! それが最適解だろ!?」

「───ッ、千載一遇のチャンスなの! ようやく、あのジャティスを罠に捉えたのよ!!」

 

 なにかに焦ったかのように、イヴが釈明を始める。だが、その姿は……グレンの知る、冷酷ながらも常に正しく合理的な采配を行う娘の姿ではなく。

 

「この周囲一帯は既に私の【第七園】の領域ッ! もう万が一にも、ジャティスに勝ち目はないの! だから……だから、手伝いなさいグレンッ! 【メギドの火】なんて、そのあとでも十分対応できる……できなきゃいけない……ッ!!」

「ンなわけねえだろ!? お前は知らないかもしれねえが、ここまでの『マナ活性供給式』ですら真っ当な手段じゃ解呪に数日はかかる代物だったんだぞ!?」

 

 昔のグレンは、血も涙もないイヴの作戦に反発したことが何度もあった。人質を切り捨てることを前提とした作戦でさえ、イヴは平然と立案する。だが、それに反発したのはグレンが『全てを救う正義の魔法使い』に憧れていたせいでもあった。

 その意地を省けば、イヴの作戦はどれもこれもが筋の通ったもので。効率と味方の被害だけを考えるなら、いつだってイヴの作戦が最上だった。

 

 だが───今回のコレは違う。どう考えたって、グレンの方が正しい。

 

「フェジテが吹き飛ぶんだぞ!? 俺の我儘で救う救わないっつってるんじゃねえ、文字通り全部が吹き飛ぶんだ! それがわからねえお前じゃないだろ!?」

「そんな───そんなこと……ッ!」

「白猫やルミアだけじゃねえ、アッシュだっているんだぞ!? 昔馴染みじゃなかったのかよ!! あいつらのことも見殺しにする気かよ───()()()()()()()()()()()()()!!」

「───あ……」

 

 ……言ってから、しまった、と口をつぐんだ。

 

 セラの話は……実質、この二人にとっては触れてはいけない話題、暗黙のルールだった。

 それを、最悪の形で叫んでしまった。だが、吐いた唾は吞めない。呆然と立ち尽くすイヴに、グレンができるのは。

 

「……なあ。お前がなんで、そこまで固執すんのかはわからねえけどよ……今は、【メギドの火】を優先しようぜ……?」

 

 静まり返った路地で、正しい選択肢を改めて提示することだけで。

 

 ───言葉に詰まったイヴの背後、学院の方向から天に向かって幾条もの閃光が奔り、空を紅に染め始める。【メギドの火】の『二次起動(セミ・ブート)』───破壊の序曲が、押し黙るイヴの背後で立ち昇る。

 これがお前の選択の果てにあるものだと、そう告げるように。

 

「……命令よ、グレン。私に協力しなさい」

「断る」

「……何度も言わせないで。命令よ」

「何度も言わせんな。お断りだ」

「~~~ッ」

 

 もはや語るべきことはない、とでも言うように。

 

 グレンはルミアとともに、イヴの横をすり抜けて去っていく。

 

「……せめて、死ぬなよ?」

 

 そんなセリフがイヴの耳に届き……あとに残されたのは、《魔術師》と《正義》の二人きり。

 

「くくくっ……あっはははははは───!! 見事にフラれたねえイヴ=イグナイト!? 当たり前だよねえ、『正義の魔法使い(グレン)』は人の救いを求める声に応える者だ! 自ら地獄に突き進む愚か者を救うなんて、そんなのは『(偽善者)』のすることさ!!」

「───ッ!! ジャティス……ッ!!」

 

 呪い殺しかねないほどの激情を込めて、イヴがジャティスを睨み付ける。

 それをジャティスは涼しい顔で受け流し───蔑むような、哀れむような視線を返す。

 

「くくッ……ああ、哀れな君への慈悲だ。今すぐ尻尾巻いてとっとと逃げろ。二度と僕の前にそのツラを見せるな、最弱の魔術師……」

「なん……ッ」

「もしくは───徹底的に絶望の淵に落とされたいと言うのなら、別に相手をしてあげても構わないけど?」

 

 山高帽を被り直しながら、そんな風に言ってのける。

 

 最弱? 私が? 既に【第七園】を起動し、近接魔術戦闘において最強となった《紅焔公(ロード・スカーレット)》たるこの私が?

 

 なんという侮辱だろう。イヴの眼に、ようやく意志が灯る。手のひらに火球を生み出し、逃げ場はないと告げるように四方八方に炎の柱が燃え上がる。

 

「ふん……どこからそんな自信が出てくるのかわからないけど。よっぽど死にたいようね、あなた」

「……やれやれ。弱いものいじめは趣味じゃないんだが……まあ、いいよ?」

 

 退路を断たれてなお、ジャティスの表情に焦りはない。

 

 それどころか、愉快そうに顔を歪めて。

 

「そんなに絶望したいと言うのなら、相手になってあげよう。……せいぜい、自分を救う英雄が現れるのを祈るんだね───」

 

 言葉と同時、爆炎が路地を包み込む。

 

 《魔術師》と《正義》の戦いが、フェジテの一角で勃発し。

 

「───……あっちか」

 

 血に濡れた誰かが、その炎を見上げていた。




リィエル「セリカ。どうしたら動ける?」
セリカ「うーん……そうだな。しこたま飯でも食えばいいんじゃないか?」
リィエル「ん。わかった」
セリカ「……リィエル、待て、それって不味いと評判の軍用食ん"ん"ーーーッ!?」
リィエル「(もぎゅもぎゅ)……システィーナの家のごはんと、ルミアのごはんと、アッシュのごはんと、食堂のごはんの方がおいしい……」
セリカ(クソ不味いレーションを口に突っ込まれてむせている)


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46.英雄、来たりて

めっちゃ早く上がったの、やはり私が愉悦部なせいかもしれない。


 ───イヴとジャティスとの戦いは、終始一方的な蹂躙劇であった。

 

「はっ! 弱……こんなのに、一年前の私たちはいいようにしてやられてたっていうの……?」

 

 当時の苦い記憶を思い返しながら、イヴがその手に炎を生み出す。

 攻撃ではない。苛立ちを発散するためのパフォーマンスだ。

 

 戦っていた相手は既に、全身が激しく焼け焦げている。どう見たって致命傷だ。万に一つも、ジャティスに逆転の目は存在しない───

 

「日没まで時間もあるし……これでイグナイトの完全勝利ね。……グレンみたいなド三流、最初から要らなかったんだわ」

 

 吐き捨てて、小さく揺らめいていた炎を一瞬で膨れ上がらせる。向ける先は当然、未だしぶとく生き残っているジャティスだ。

 

「……途中で、あのバカも回収していきましょう。ほら、そうすれば全部円満解決。グレンに恩も売れるし、どうせあいつ、また道に迷ってるんでしょうし───」

 

 つぶやく言葉はどこか空々しい。だがその冷たさから意図的に目を逸らし、イヴはこの忌々しい正義にトドメを刺そうとして。

 

「……くっくっく……くふ、あはははは……」

 

 不意に聞こえた低い嗤い声に、ぴたりと動きを止めた。

 

 ジャティスだ。醜く焼け爛れ、もはや死を待つのみとなった燃え滓が、なぜか肩を震わせて嗤っている───

 

「……なによ? 遺言なら聞いてあげないけど?」

「……いや、なんていうか……その、ねえ? 君があんまりにも滑稽だったから、つい、さ……」

「は……?」

 

 この期に及んでなにを。そうイヴが一蹴するよりも先に、ジャティスは昏い、昏い声を、燃え上がる景色に響かせていく。

 グレーの目が、ぎょろりとイヴを睨め付ける。

 

「グレンがずいぶん気に掛けていたみたいだからさ……僕も、本当に見逃してやろうかと思ってたんだよ? 本当さ。誓ってもいい……」

「見逃す……? なに言ってるの……? 今この状況で、見逃してくださいと懇願するのはあなたの方でしょ?」

「くくっ……現実が見えていないのはそっちさ、イヴ。頭だけでなく眼まで節穴なのかい? 心底がっかりだよ……」

「んなっ……!?」

 

 ひどい侮辱だ。

 だがそれよりなにより、瀕死の状態でこうも余裕ぶっていられるその姿が妙に薄気味悪い。

 

「……そのみっともなさに免じて、助けてあげてもいいんだけど……君は今、言ってはならないことを言った……」

 

 ゆらり。身体のあちこちが炭化して、まともに動けないはずのジャティスが立ち上がる。

 

「僕の目の前で……君は! グレンを愚弄したッ!! 僕が唯一認め、尊敬している彼をだッ!! 許せない……許さない!! 殺してやるよイヴ=イグナイト。みっともないまま惨めに死ぬと良い……ッ!!」

 

 ……なんだ、この男は?

 

 意味不明の威圧感に、つい数歩後退る。

 

「……さて、予言しようか。イヴ=イグナイト。君は今、得体の知れない恐怖を感じて数歩後退り……」

「だ、黙りなさい……ッ!」

「なんらかの罠を警戒して、さらに大きく移動する……」

「黙りなさいってば……!」

「そして───自身の勝利は揺るがないはずだと、精一杯己に言い聞かせながら僕を仕留めようとその左手を振り下ろす……」

 

 ジャティスの声が聞こえているのかいないのか。イヴは全くもってその通りの動作をしながら、左手に炎を顕現させる。

 心臓に近い左手はより強い魔術行使が可能であり、それ故に魔術を振るうのは基本的に左手。

 

 その左手の上に煌々と輝く爆炎を生み出して、

 

「黙りなさいって、言ってるでしょ───ッ!?」

 

 イヴは。

 

「───〝読んでいた〟よ」

 

 ……鈍い音が、爆音の代わりに響き渡った。

 

 肉を穿つ音。一瞬だけ響いたそれは、まるで聞き間違いであったかのようにあっけなくその場にいた全員の意識を撫でていく。

 だが───

 

「……え……?」

 

 びしゃりと血が地面を打つ音。次いで、どさりとなにかが地に落ちた音がイヴの耳に届く。

 

 見れば。

 

 燃え尽きているはずのジャティスは、未だその場に存在していて。

 

 炎を操っていたはずの自分の左手は、精巧な人形のように地面に転がって───

 

「あ、あぁ、ああぁぁあぁああぁあああああ───!?」

「……人工精霊(タルパ)、【見えざる神の剣(スコトーマ・セイバー)】。その名の通り、不可視の刃さ……予め、そこに仕掛けてあったんだよ」

「うぅ、あ……ッ!?」

 

 全身が黒焦げになったジャティス───ではなく。自身の後ろから、そんな声が聞こえた。

 

 首だけを動かして、ぎこちなくそちらに目を向ける。

 

 そこには……今まで瀕死の状態でうずくまっていたはずのジャティスが、全くの無傷で存在していて。

 

「……っ、人工、精霊……!!」

「ご明察。今まで君が戦っていたのは、僕が生み出した虚像に過ぎない……人形相手に勝ち誇る君の姿は、実に滑稽だったよ?」

「ま、まだ……まだよ! 私は、まだ……っ!!」

「いいや。詰み(チェックメイト)さ」

 

 歯を食いしばり、現れた本物のジャティスに残った右手で炎を食らわせようと身体を捻るが……同時。再びイヴの身体を鋭い痛みが襲う。……右手のひらと左足に、裂傷が走っていた。

 

 右手に生み出しかけていた炎が霧散し、足を裂かれたイヴがその場に崩れ落ちる。

 

 ……ジャティスの言う通り、詰みだ。この状況から巻き返す方法など、イヴの頭脳をもってしても導き出せない。

 

 死。目の前で狂ったように嗤うジャティスの傍ら、女神がその姿を顕し始める。

 黄金色の剣。……あれに罪人のように首を落とされて、自分は死ぬのだろうといやでもわかった。

 

(死……? 私が……? こんな、ところで……?)

 

 力なく、心の中だけでつぶやく。

 

 脳裏を走馬灯のように駆け巡る、今までの記憶。

 

 優しかった姉。出来損ないの自分に優しくしてくれた姉。

 自分はどうして、イグナイトとして頑張っていたんだっけ……?

 

(……姉さん……アッシュ……)

 

 目を閉じて、そのときを待つ。

 

 あの気の抜けた友人の顔が、ふと過った。姉以外で、唯一自分を普通に見てくれた、セラ以外でたった一人の友人。間抜けで、ぼんやりしてて、目が離せなくて……。

 でも。その姿と、語るものに。なにか、素敵なものを見た気がするのに。

 

 どうでもいい。もう自分は死ぬのだ。今さら懐かしい記憶を思い返したところでなにがあるというのか。

 

(……私、あのとき……なんて言ったんだっけ……)

 

 夕日を背に立ったあの日の記憶。

 

 まだ、こんな風に冷血ではなかった昔の自分は───あの友人に、なにを約束したんだろう。

 ……関係ない。もう終わるのだから。それに、今さらそんなものを思い出したところで意味がない。親しいものであれなんであれ、イグナイトのために切り捨てると、そう決めてしまった自分がその約束を思い出したところで……きっと、果たせない。

 

 とても大事で、とても誇らしくて、大切にしようと思っていた約束なのに。

 

 自分と彼と。どっちのための約束だったのかさえ、思い出せない。

 

(……もう、いいや)

 

 目の前に迫る終わりに、なにもかもがどうでも良くなって。

 

 泥のような無気力感に身を任せて。

 

 風を切る音が、意識を刈り取るのを───

 

「……あーあ、来ちゃった」

 

 ふと、そんな声が聞こえて───ギン、となにかが弾かれるような音が辺りに響いた。

 

 恐る恐る目を開ける。

 

 ───そこにいたのは、一人の少年だった。

 

 血がこびりついた、くすんだプラチナブロンド。

 

 黒い服はあちこちが擦り切れていて。

 

 振り抜かれた手には赫い剣を携えて。

 

 返り血に濡れた横顔から微かに見える冷たい瞳は銀灰色。

 

「ぁ、」

 

 それは見覚えのある姿だった。

 

 見覚えがある、という事実から目を逸らし続けた誰かの姿だった。

 

「だから言ったのに。絶望したくなければとっとと逃げろ、とね」

 

 そんな正義の言葉も耳に入らない。

 

 どうして。

会いたくなかった。

 どうして。

見たくなかった。

 どうして───来てしまったのか。

目を背けたかった。

 

 

「───助力は必要か、イヴ」

 

 

 

 冷たい声。

 

 選択肢が、提示される。

 

「──────」

 

 頭が真っ白になった。

 

 ───ジャティスだけは、どんな手を使ってでも仕留めてみせる。

 

 それが今回のイヴの決意だったはずだ。

 

 絶好のチャンスではないか。

 

 今目の前で自分に選択肢を突きつけた少年は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()人間だ。

 

 この詰んだ状況から挽回する最後の手段。

 

 ほら。なんだか顔見知りのような気もするし、助けを乞えばそれで良い。

 

「あ……しゅ……?」

 

 なのに、喉から絞り出されるのは掠れた声。

 

 名前。名前を、呼ばないと。

 

 でも、誰だっけ?

 

 私、あなたを知ってる。知ってるの。……知ってる、はずなのに。名前が、思い出せない。

 

 重ならない。いつだって笑って、私を認めてくれた誰かと。目の前の誰かが重ならない。

 

「たす……た……」

 

 使えるものはなんでも使うべきだ。

 

 イグナイト以外はイグナイトの駒に過ぎない。

 

 さあ。

 

「あ、ぁあ……ああぁぁあ……」

 

 言葉が出ない。

 

 どうしてこんなところにいるのか。

 

 お前は───あなたは、だって。

 

 ただの平凡な日常で、笑っているべき人のはずで───

 

「───……」

 

 それを、どうとったのか。

 

 少年が、剣を構える。

 

 イヴの目の前で。背中を向けて。

 

 そのまま、どこかへと立ち去ってしまいそうな姿に。

 

「い、らない……いらない、いらない、いらない……!!」

 

 堰を切ったように、そんな言葉が溢れ出す。

 

「あなたの助力なんていらない……」

───嘘。

「私は……イグナイトなの……ッ」

───嘘。

「あなたなんていらないッ! あなたみたいに……平凡で、バカで、役に立たない凡人はいらないの……ッ!!」

───嘘。

「だから───」

「……そうか」

 

 一度だけ、背中越しに目が合った。

 

 笑って。笑ってよ。

 

 昔みたいに、笑って。

 

 ねえ。

 

「イヴ」

 

 誰かがなにかを振り払うように目を閉じた。

 

 見覚えがあった。

 

 ダメだ。

 

 行かないで。

 

 だって、私、あなたと───

───約束したのに。

「───もう。いいんだ」

 

 ぴしり、と。

 

 いつかの約束が、ひび割れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ」

 

 嗤う。

 

「くく、あはははっ」

 

 嗤う。

 

「あーっはっはっはっは!! ひゃははははははは───!!」

 

 己が正義の象徴たる女神と斬り結ぶ少年を見ながら、ジャティス=ロウファンは嗤い続ける。

 

「来たね、来てしまったね!? もう遅いんだよ、そいつはもう手遅れだ!!」

 

 その濁った目が見据えるのは力なく地面を見つめる最弱の魔術師。

 

 そして───それを守るように、ただ剣を振るう一人の『英雄』。

 

「弱者を守る()()ッ!! それが今の彼(彼の末路)だ!! 最初ッから手遅れだったんだよイヴ=イグナイト!!」

 

 立ち上がる力のないものは、なるほど弱者と呼ぶに相応しい。

 

 ならば彼がそれを守らんとするのは当然の摂理。

 

「彼を救うなら───十年ばかり遅かったのさ───!!」

 

 崩れ落ちるイヴを嘲笑うように、狂った正義が哄笑する。

 

 逃げるという選択肢はもはや彼の中には存在しない。

 

 十年前、願われるままに逃げた先で全てを失った彼からは、そもそも逃げるという概念が失われている。

 

 代わりに混入した在り方は英雄のもの。

 

 笑わず、怒らず、幸福を望まず。ただ弱者を守る刃であれと、そう語る。

 

 英雄たらんと在ることを運命(偶然)に決定づけられた再現機構。

 

 その全てを把握こそできなくとも───世界を数字の羅列に変換するジャティスの『眼』には、それはとんでもない化け物として映っていた。

 

「本当、面白いな君は!! どうしてまだ生きているんだい!?」

「───!」

「どこもかしこもバグだらけ、身体はとっくにツギハギだ! 人間じゃ耐えられない、そんな穴だらけの生き方なんて選べやしないッ!!」

 

 否。選んだのではなく、偶然そうなっただけのことだろう。

 

 歪と呼ぶことさえ烏滸がましい。それはもう、ヒトのカタチをしただけの残骸だ。

 

 ヒトらしい機能と、ヒトらしい記憶があったから、ヒトとして振る舞えているだけの───

 

「グレンとは違った意味での計算外(イレギュラー)だよ、君は!! 今にも死んだっておかしくない、とっくに死んでなきゃおかしいのにね!?」

 

 今この瞬間にだって、いつヒトとして生きることを放棄しても不思議ではない。

 

 たまたま肺が呼吸をしていて、たまたま心臓が動いていて、たまたま脳に思考能力が残っていたから生きている。

 

 それでさえ、いつ自己崩壊を起こしてやめてしまったっておかしくはないのに───少年は、まだ両の足で立っている。

 

 借り物の在り方で、なにもかもを取りこぼしながら、はじめから自分(残骸)のものなどなにもないと語るように戦っている。

 

 報いはないと理解しながら。

 

 ただ、数少ない残ったもののためだけに動き続けている。

 

 それが周囲にとって救いとなるのか毒となるのか、共感も理解もできずとも。

 

「そうだ、その果てが見たかった! 君に残された願いの果て、君の末路が見たかった!!」

 

 女神の裁きを掻い潜りながら、その身を傷付けながら、一太刀ごとにかつてのカタチから外れていく少年を───ジャティスは恍惚とした瞳で眺めている。

 

 人の強き意志は、ときに計算を超える。

 

 それと同じように、ダレカの意志だけで存在を括られ、ダレカの意志だけで生き延びてきた彼の存在はまさに人の意志を語る存在であり。同時に、ジャティスにとっては計算ができない存在だ。

 

 ジャティスの計算は、次の瞬間にも死んでいる、と何度も何度も、毎秒ごとに弾き出しているのだから。

 

 度を超えた執着心。本来(人間)であれば世界に遍く存在する悉くに向けられる執着は、ただ失われたもののみに注がれている───

 

「……まあ。本当に、君にはなにもないのかと……疑問に思わなくもないけどね」

 

 哀れむような言葉は少年の耳には届かない。

 

 しかし、それもまた一興。装置であろうがなんだろうが、生き続ける限り───彼が人の意志を体現し続ける存在であることに変わりはないのだから。

 

 女神の胴が両断される。

 

 もとより、愚か者から弱者へと堕した《魔術師》に引導を渡すために顕現させた女神だ。英雄相手では、些か荷が重い。

 

 人の意志こそが未来を形作るなら───意志だけで動き続ける彼が己の女神を打倒したのも、至極当然といえば当然のこと。

 

 故にジャティスはいつかのように、天使の肩に掴まってその場から飛び去ることを選択する。

 

 ……しばらくは動けないようにしてやった薄青色が、ぼろぼろの身体で学院へと向かっているのが見えた。

 人形から人間へと成長した彼女は、人間から英雄へと外れた彼にどんな言葉をかけるのか……少し気にはなるが、今はそれよりも優先すべきことがある。

 

 ───それ即ち、正義の執行。

 

 この世で最も邪悪なるモノたちを断罪すべく、目先の娯楽から遠ざかる。

 

「見逃してあげよう、イヴ=イグナイト。せいぜい、己の無力を噛み締めるが良い───」

 

 そんなセリフを残して、ジャティスは悠々と学院へ向けて飛び去った。

 

 【メギドの火】。()()()()()()()()()()法陣を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……なんで、こいつは泣いているんだろう、と思った。

 

 誰もいなくなった燃え跡で、地面に座り込んでただ泣いている彼女を見て、とりあえず剣を消した。

 

 ああ、腕が落とされてるのか。傷が痛いのかもしれない。

 

 でも、彼女(イヴ)と話すならこのままじゃ不適当だ。……どうにかこうにか、壊れかけのカタチを思い起こす。

 もうほとんど崩れかけてぼろぼろだけど、まだなぞれはするらしい。

 終わりは近いが、あと少しだけ保てばそれで良い。

 

「……立てるか、イヴ」

 

 片膝をついて手を差し伸べながら、聞いてみる。足にも傷がある。腕も……俺じゃ応急手当しかできないし、学院の医務室に連れていくべきだろう。

 ヘステイア先生なら、たぶんなんとかしてくれる。

 

「……イヴ?」

 

 イヴは動かない。返事一つもなかった。いつもなら憎まれ口を叩きながら言葉を返してくれるのに。

 ……よくよく考えたら、血まみれの男が相手じゃ嫌か。ごしごしと、こびりついた汚れをぬぐう。

 

「イヴ」

 

 もう一度声を掛けた。処置は早い方が良い。

 立てないのなら、自分がおぶって連れていくしかないのだが。

 

「……なんでよ」

「……?」

「なんで、来たのよ」

 

 ようやく聞こえた言葉はか細いもので。一度も、こっちを見ることはない。

 涙のあと。殺されかけたのだから、無理もない。

 

「どっかに縮こまって。なにもせずに、全部終わるのを待ってたら良かったじゃない」

「…………」

「ねえ……そういう人で、よかったじゃない……」

「…………」

「なんで……なんで、こんなところにいるのよッ!?」

 

 ヒステリックな叫び声に、つい驚いて手を止めた。

 差し伸べかけていた手に、震える手が縋りつく。

 

「なんで私なんか、助けに来ちゃうのよ……ッ!」

 

 それはまったくもって偶然なのだが、などとはさすがに言えず。

 血はあとからあとから流れているので、早いところ応急処置だけでもしたいのだが。

 

「なんでッ! どうして……どうして……! 私、あなたに───」

 

 どうして泣いているのかは、わからない。

 ただなにか、俺がやってしまったんだろうとは思った。

 

 ……こういうところが、デリカシーに欠ける、とか、気が利かない、とか言われるんだろうなあ。

 

 返事がロクにないので、仕方なく服を裂いて応急処置をして、背負って連れていくことにした。

 文句はあとの俺が引き受けるだろう。どんどんと、やり場のない感情を叩き付けるように叩かれているのはまあ、甘んじて今の俺が受けることにする。

 

「普通の毎日が好きなんだって、言ってたじゃない……自分はなにもできない人間なんだって、でも、それでいいんだって言ってたじゃない……ッ! だから、わ、私……ッ、なのに、なんで……なんで、そんなことになっちゃったのよ……!!」

 

 背中から、嗚咽とくぐもった声が聞こえた。なにを言っているのかは、正直よく聞き取れない。

 足音と同じリズムで、背中になにかが滲んでいく。残った右手できつく握り締められた腕が、少しだけ痛んだ。

 

 彼女が俺を気に掛けてくれているのは、たぶん。『オレ』と、なにかあったからだろうと思っていた。

 でも、それは。無理に、『俺』にまで向けるものじゃない。だから、いいんだ。イヴが『オレ』のせいでなにか選択肢を狭めてしまっているのなら、もういい。『俺』はもう『オレ』をなぞれないし、そもそも『オレ』はもういないんだから。

 

(───お前が、なに考えてたのかは知らないけどさ。女の子を泣かせるやつに、人権はないらしいぞ?)

 

 今は遠い自分にそう投げかけて。

 

 ……どうして。彼女は、泣いているんだろうと。

 

 もう一度、それだけを思った。




イヴと初めて会ってから一ヶ月前後が『アシュリー』。それからは『アッシュ』。
要するに十年来の付き合いをしてるのは『アッシュ』の方だったりする。


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47.神鉄の魔人、再臨

みなさん件の作品が大好きなのはわかるんだけどそろそろ偶然の一致怖すぎてメンタルが死ぬんやで……(白目)
未プレイなのに眼鏡がクソという情報だけはなぜかよくわかるようになった。

というかいつの間にかUAが20万突破してた……いつもありがとうございます。がんばります。


 ……夢を、見ている。

 

 それは懐かしい日々の記憶。誇らしい姉がいて、目が離せないけど大切な友人がいた昔の記憶。五年前、終わりを告げた私の暖かな春の記憶。

 あの頃の私は……つらかったけど、なにか輝くような決意を胸に頑張っていたような気がする。

 

 それがどうして、こんなことになってしまったんだろう。

 

 ───ありがとう、イヴ。あなたに託すわ───

 ───普通の毎日ってやつがさ。俺は───

 

 夢の中で、遠い遠い思い出が浮かんでは消える。

 

 ───下らぬ理想は捨てよ。貴様の価値はイグナイトの栄光、ただそれだけだ───

 

 キラキラした宝物が、ドロドロした低い声に汚されて、覆い隠されて、なにもわからなくなる。

 頭に走る鋭い痛みで目を覚ました。夢の中で見ていたものはその痛みでかき消えて、大切だったはずのものが泥に沈んでいく。

 とんでもなく眠たかった。なにも考えたくなかった。なにもかも見なかったことにして、ただこの眠気を誘う沼に浸っていたかった。……足音と、広い背中。背負われているらしい、と思い出した。

 

 とくん、と音が聞こえる。……揺らぐ意識で左手を伸ばそうとして、肘から先がないことに気が付いた。

 

 もう手が届かないのだと。

 

 そう言われているようで、悲しかった。

 

(……寒い、なぁ……)

 

 すぐそばに温もりがあるのに、どうしてか身体()が冷えきっている。

 ……せめて。生きていることだけでも感じたくて。起こしかけた頭を預けて、背中から聞こえるリズムに耳を澄ませる。

 

 ───私が、何度でもあなたに教えてあげる。

 

 鼓動に紛れて、そんな声が聞こえた。

 

(ねえ……なにを約束したの? 私は……なにを決意したの……? 教えてよ……アッシュ……)

 

 小さく押し殺した涙が、瞳に滲んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学院内はひどい有様だった。

 

 医務室に無数の怪我人がいたから、なにかに襲われたのだろうとは思っていた。こっちを見なくなったイヴを預けて、一人でひび割れた学校を歩く。

 中庭に出ると、紅い紅い空の下、不気味な魔力が蠢いていた。その周りには見知った顔が大勢、張り詰めた表情でそれをじっと見守っている。

 

 詳しい話は聞かされてはいなかったから、ここが渦中であったのだろうということしかわからない。わかるのは、クレーターの中心になにか、得体の知れない生き物がいるということだけ。

 

「……見覚え、あるなあ」

 

 その姿に、ではなく。その得体の知れなさに。

 

 少し前、どこぞの遺跡で相手取った魔人に、それはよく似ていた。

 

「我は汝……汝は我……今こそ、我と汝の魂はここに融合し───汝は、我とともにこの現世に蘇る! いざ───ッ!!」

「……ダメだ、状況がさっぱりわからない……」

 

 いや、いつものことと言えばそうだが。

 なにがどうしたらラスボスっぽいやつが突然ペ○ソナみたいなことを言い始めることになるのかコレガワカラナイ。

 

「アッシュ!?」

「……。……ああ、レイフォードか」

 

 一瞬、誰かと思った。

 

 別に忘れたんじゃなくて、記憶を引っ張ってくる機能が壊れかけてるだけだ。どうせどっかの誰かのデータを引きずり出したせいだろうし、俺の頭がバカになったとかではない。記憶そのものは灼け焦げても、記憶容量までぶっ飛ばした覚えはない。……この騒動が収まる頃には、その機能は元に戻っているだろう。

 

 まあ、その頃には俺はもう違うカタチになっているだろうけど。

 

 元からどこにもいない人間だ。別になにが変わることもないだろうさ。

 

「……大丈夫?」

「身体のことを言ってるなら、まったく全然問題ない」

 

 すごく元気だよ俺。これが最後だからと張り切っているのかもしれない。……そんな殊勝な人間ではないか。

 ああ、そうでなければ消える寸前のロウソクにも似ているか。ははは、我ながら的確な例え。

 

 こっちがそんなバカを言っている間にも、中庭でペル○ナごっこやってたラスボス(仮)は得体の知れない魔力を垂れ流しながら徐々に闇に吞まれていく。

 

 やだ……すっごく中二病……。

 

「で、アレなに?」

「わかんない。敵」

「わかりやすいな」

 

 今はなにが起こるかわからないから離れて警戒しようの時間らしい。あれか。ニチアサの変身シーン的な。

 ああいうのって邪魔しちゃいけないのがお約束だもんね。

 

 そんなふざけたこっちの内心など露知らず、ラスボス(仮)が闇に包まれて……しばらくしてから、その闇を払うように内側から何者かがゆっくりと姿を現す。

 漆黒の全身鎧。それを覆う緋色のローブ。フードの奥にはバイザーが覗いている。

 ……。なんか闇落ちしたレッドかなにかみてえだな、という感想は飲み込んだ。

 

「うん、これはラスボス(確定)だな……」

 

 あまりにも人間を超えた存在感に、ハーレイ先生なんかは貴重な頭髪を自分でむしりそうになっている。おやめなさいな、自分で自分を削るのはあとで自分が虚しくなるだけですよ。俺が保証しよう。

 呆然としている間に、推定ラスボスはこれまた得体の知れない呪文を唱えた。呼応して、空に紅い稲妻が走る。……やがてその稲妻が形作ったのは、船。紅い箱舟。ともすれば太陽に見えないこともない不気味な威容。

 

 闇落ちレッドがなにかをしたことは明らかだ。どうせロクなことではあるまいが。

 ───みんな動かないらしいので、一番槍をもらうことにした。

 

 たん、と地面を蹴って『破滅の黎明(グラム)』を振り下ろす。

 周りからなにやってんだとでも言いたげな視線が突き刺さるが、構わない。今後のことは今後の俺に丸投げだ。

 

 敵が持つ装備は盾と槍。戦乙女(ワルキューレ)みたいな装備しやがって、とつぶやきながらも、ひとまず威嚇代わりに脳天目掛けて刃が落ちていって。

 

「───へえ」

 

 ガキン、と。

 その気になれば神の編んだ結界でさえ斬り裂いてみせる、と微かに覗き見える記録が語る竜殺しの魔剣と、ローブに包まれた二人目の魔人の身体がかち合った。

 

 あまり力を籠めるとこっちが壊れそうだ。神鉄(アダマンタイト)、というフレーズが脳裏をよぎる。

 

『ほう。我が無敵の肉体に触れてなお砕けぬか』

 

 キェアアアアアアシャベッタアアアアア!

 

 いやまあさっきまで中の人が喋ってたし喋るだろうけど───身体から剥離しつつある思考回路でそんな風に思いながら、攻撃の手は緩めない。

 一旦離れて、天高くに長剣を放り。無手(フリー)になったタイミングで、いつものように四本短剣を放って……やはり、弾かれる。

 

 すごいな。これ、かなりの業物なはずなんだが。

 一気に『引き上げた』せいで、切れ味というか強度もかなり上がってるはずなのに。折れたり曲がったりしていないのは、仮にも英雄の武具である矜持、といったところか。使うのが俺でごめんなさいね。借りパクだけが取り柄なんだ、俺。

 

 空高くに放り投げた剣が手元に戻ってくる。さっきから一度も避けていないのは、あれか。()()()()()()()()()()()()()()()とか、そういう。

 事実、こちらの攻撃は一度も通っていない。魔術で殴りつけてみても同じコト。あまりにも頑強すぎて、あらゆる害意が通用しない。

 英霊(サーヴァント)に、凡百の武器が通用しないのと同じように。

 

 存在として、ソレはただ、強い。

 

『如何にも。我が肉体は不滅の神鉄(アダマンタイト)……貴様ら人間の軟弱な武具など、我が武具(肉体)を傷付けるに能わず』

「……元人間が吠えるものだな」

 

 これをこうしてこうじゃ、とばかりさっきまで持っていた装備がごしゃっと素手で魔人に砕かれる。自分より弱い武具を使う理由がないとかなんだとか。

 剣を振るう。途中から、我に返ったらしい周囲の人々が同じようにしてその力を揮い始める。

 

 グレン先生が、魔術で強化した拳を。

 いつの間にか合流したフィーベルが、風の刃を。

 ハーレイ先生とツェスト男爵が、圧倒的な魔術を。

 レイフォードが、いつもの見慣れた力任せの剣技を。

 アルフォネア教授が、いつかの遺跡調査でも使っていた剣を。

 

 だが───その悉くが、弾かれる。

 拳はひしゃげて、刃はそよ風のように魔人を撫でるだけ。超絶技巧をもって揮われる魔術は傷付けるには至らず、魔人に触れた金属は鋼であれ真銀(ミスリル)であれ、悉くが粉砕される。

 

 やっだあ、あれなんてチート? 悪竜現象(ファヴニール)終末装置(黒き者)ももう少しマシだったよ? ところで今あっさり出てきた単語って一体ナニ?

 

 前よりもするりと自分の記憶であるかのように出てくる情報に若干戸惑いつつ、まあいいかと剣を握り直した。

 なぞることもできなくなって、その必要もないはずの今、どうして戦おうとしているのかはよくわからないが。まあ、いいや。そういうことも、あるだろう。

 

「もう止めてくださいッ!!」

 

 戦いを止めたのは凛と通る声だった。

 その場の全員が目を向けると、そこにいたのは金髪の少女。……ああ、ティンジェルか。

 

「あなたの目的は私でしょう!? 私だけを殺してください……! みんなにはもう、手を出さないで……ッ!」

 

 ───。

 

 今、すごい聞き捨てならないセリフが聞こえたぞ?

 

 いや、狙いがティンジェルうんぬんってのはもう『またかよ』としか思わないしどうでもいいけど。

 まだ死んでもいないクセに、あっさり手放そうとするとは何事だ。お前、俺と違って普通の人間だろうがよ。

 

『残念ながら、あなたの願いは承諾しかねる。我が目的にはあなたを殺し、フェジテを大導師様の大いなる悲願成就のための生贄とすることも含まれる。故に、あなたの死は前提条件であり目的ではない……理解したならば大人しく死に絶えるが良い、偽りの巫女よ』

 

 長い長い長い。なんて?

 

 なんつった今? 生贄? ほう。生贄ね。

 

 またそれかよ。外道ってのは何回、そういう理由で平穏な日常を脅かせば気が済むんだ。

 

「よーしわかった。テメェぶっ殺す」

 

 まだその機構(怒り)は動いてんだぞコラ。どいつもこいつも、俺を苛つかせるのが大変お上手でいらっしゃる。

 それにしてもここ最近は苛ついてばっかりだな。カルシウムが足りていないんだろうか。

 

 だがこちらが動くよりも先に、魔人を諌める存在がいた。……異形の翼には見覚えがある。ティンジェルのそっくりさん、初っ端から迷子扱いしてきた不思議ちゃんことナムルスだ。

 

 鍵が出てきたり、世界を呪うような威圧感を感じたりと色々あったが───どうやら、魔人は撤退を決めたらしい。恐らくは一時的な、いわゆる戦略的撤退というものだろうが。

 

 フェジテを取り囲むようにして、真紅の壁が立ち昇る。

 結界かなにかのようだ。斬って斬れないことはないだろうが、それでなにが解決するわけでもない。

 

 それよりも、目の前で高笑いしている元人間をぶっ殺す方法を考えた方が幾分か建設的だ。

 

 黄昏に染まる空には偽なる太陽(炎の箱舟)。四方八方に燃える赤色。……懐かしい、光景だった。

 俺が見たのか。それとも英雄()が見たのか。怪物(アレ)が見たのか。いずれにせよ───ああ、その炎を知っている。知っているが故に、なお温い。

 

 星一つ。(オレ)がかつて観測()たモノは、狂える終焉(ラグナロク)の果て、世界さえも燃やさんと猛る炎であって。

 この程度───まだ、温い。

 

(……おっ、と。いけないいけない。まだ、繕わないと)

 

 温くとも、まあいつぞやの狂人よりはマシだろう。

 

 しかし……不滅。不滅と言ったか。

 硬いから硬い、と宣う彼の神鉄は、成程確かに真っ当な武具では殺せまい。必ずしも俺が殺す必要はないのだが、あまり派手にあちこち壊されるのも不愉快ではある。というか、ほっといたらたぶん全員死ぬ。

 

 さて、そうは言ってもコレを殺す手段はどこかに有っただろうか。

 

 いつか見た記憶(記録)を探る。殺せないモノを殺す手段。

 

 そう。例えば、()()()()()()()、とか───

 

 思い出せ。在るべき場所から弾かれたそのあとで、お前は一体なにを見た?

 剪定される世界。故郷と同じ運命をたどる見知らぬ神代。なかったコトにされたはずの、星を焦がす炎の剣。

 

 この身はかつてあった現象を再現する境界保有者(ゴーストホルダー)

 ───観測と記録は既に終わっている。ならばあとは、灰の上にデータ(ページ)を広げるだけでいい。

 

「……アッシュ?」

 

 ふと、声が聞こえた。

 見れば。なにかを握ろうとしていた手を、小さな別の手が引っ張って止めていた。

 燻っていた熱が冷えていく。興が醒めた、という声と、バカ野郎、という声が同時に頭を殴りつける。

 

 ……わかっちゃいたが、タガが本当に外れている。

 どうせこのカタチも終わりだから派手にいこうぜイェーイ、とかはさすがに選べない。

 

 気付けば、魔人はいなくなっていた。未確認飛行物体にみょんみょんと吸い込まれていく様はいっそ面白い。

 

「……ン。なんだ、レイフォード?」

 

 なるべく、前までの自分を思い起こしながら返答する。

 頭が痛い。どこからどこまでが自分だったか……ああいや、もうそんなものはなかったか?

 

「もういい。戦わなくても……いい」

「……いや、それは」

「無理にがんばること、ない」

 

 ……うん、すまない。その提案は少し前なら魅力的だったんだが、あいにくと今の俺には必要ないんだ。

 気遣ってくれているらしい彼女にそうストレートに伝えるのは憚られたので、頭にぽすぽすと手を置いてうやむやにする。どうしてか馴染むというか、そこはかとない懐かしさがある。もしかしたら『昔』の俺はこういうことに慣れていたのかもしれない。妹とか。うーむ……この期に及んでの新発見……。

 

「ああ、ありがとうな」

 

 でも手遅れなんだ。そんな顔をされると困ってしまうので、できればこっちのことなんか気にせずいつも通りでいてほしい。

 

 いるのかいないのかわからない。いてもいなくても変わらない。俺は俺のためにしか動かなかったし、重ねるばかりで現実なんざ見ちゃいなかった。

 ある意味、自業自得だ。残り滓のクセに思い出せもしないなにかを探し続けて。過去ばかりを見て。なに一つ積み上げてこなかった俺が、正しくこの世界の仲間であるはずもなく。……たぶん、みんなそう感じてるんだろうと思うから、俺のことはまったく気にする必要はないのだが。

 

「……そう」

 

 ぎゅっと引っ張られた手はなぜか震えている。

 

「……じゃあ、もう戻ってこない?」

「───……さあ」

 

 その質問は些か答えにくい。

 終わったあとの俺がなにを目的にするのかなんて俺にはわからないし、少なくとも学院に在籍する理由はもう消えた。失くした記憶をなぞるためにいたんだから、なぞれないならここにいる必要性は存在しない。

 ここを選んだのは偶然。あるいは、魔術というものへの興味もあったかもしれない。『昔』以上に思い出すことのない、十年以上前の記憶。そこにいた俺は確か、『昔』とは違って魔術というものに親しんでいた。

 

 ……頭が痛い。思い出せないのではなく思い出すなと言うように、頭痛が加速する。

 なんだろう。全ての始まり。燃え尽きた最初の火。それから目を背けたいのか、その記憶だけ固くフタがされている。

 

 まあいいか。

 

 思い出せないものが増えたところで変わらない。

 

「……ま、とにかく行こうぜ? 奴さんはどうやら逃げたみたいだし、ここにいたって仕方ない」

 

 ひらひらと、片手を振りながらいつものようにポケットに手を入れて歩き出す。

 生き残った連中は作戦会議を開くらしく。であれば、第一級戦力のレイフォードはお呼ばれするだろうし。

 

 俺はどうしようかな。医務室に行っても邪魔なだけだし、かといって作戦会議に参加する人間としてカウントされているのかも甚だ疑問だ。

 なんせ今の今までその辺ほっつき歩いてたわけだし……あ、血まみれだから尋問コースかもしれないな。そうなればちょっと面倒だ。今のうちに退散、退散───

 

「待て」

「げ」

 

 がっしー、と首根っこを掴まれる。聞き慣れてしまった声はアルベルトさんのものだ。

 そのままズルズルと引きずられ、どこかへと連れ去られる。

 

「……色々と、聞かせてもらうぞ。アシュリー=ヴィルセルト。倉庫街の件も、路地に転がっていた死体の件もな」

 

 バレテーラ。

 

 ドナドナされる俺にそう言うと、アルベルトさんは情け容赦なく服の襟を掴んだまま校舎内に引きずっていく。

 へーるぷ。と思い周囲を見渡すも、みなさんお忙しいようでいらっしゃる。……ダメかー。

 

 レイフォードだけが、もの言いたげにずっとこっちを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルベルトに連れられて、どこかへといなくなるアッシュを見ながら。わたしは、どうすべきかを考えていた。

 

 『戻ってくる?』───確認のように聞いた言葉への返事はあいまいで。……帰りたい、とすら言わなくなっていた。

 遅かったのかもしれない。……だって、いつも通りに喋ってはくれたけど、どこかぎこちなくて。

 

 ……遅い、もなにも。わたしにできることなんて、なにもなかったけど……。なら、わたしはなにをしてあげられるだろう。

 

「おい、リィエル? なにしてんだ、一回戻るぞ」

「ん……」

 

 グレンの声だ。ひどく疲れた様子で、ぐしゃぐしゃになった手に法医呪文(ヒーラー・スペル)をかけている。

 きょろきょろとわたしの周りを見回してから、ふと気付いたようにああ、とつぶやいた。

 

「そういや、アッシュがまたいなくなってんな……あいつ、今度はどこ行きやがった?」

「アルベルトが連れていった」

「……心配か?」

「……わからない」

 

 心配。このざわざわする気持ちをそう呼ぶなら、確かにわたしはアッシュを心配している。

 ……昔のわたし。なにもかもをなくしても、裏切ってしまっても、みんなと一緒にいても良いのだと……そう教えてもらえる前のわたし。

 

「……わからない」

 

 ……わたしは。どうしたらいいんだろう。

 

 今のわたしは。

 昔のわたし(アッシュ)に、なにをしてあげたらいいんだろう?

 

「……心配なら、一緒にいてやれ」

 

 ぽん、と頭に手が置かれた。わしゃわしゃと、乱暴に撫でられて髪がぐちゃぐちゃになる。

 

「なにがあっても、あいつは俺たちの仲間だ。……今までがどうでも、これからは」

「これから……」

「そのために、まずはこのふざけた状況をなんとかしねーとな……頼りにしてるぜ? リィエル」

「……ん。任せて。みんなはわたしが守る」

「その意気だ。……さて、俺は……あいつらに、事態の説明でもしに行くかね……」

 

 いかにも面倒くさそうに、グレンが教室に向かって歩き出す。

 

 その後ろにわたしもついていく。

 

 ……わたしに、なにができるのかを考えながら。




とことん対話のチャンスに恵まれない。まあこのまま放置してたら血まみれで教室に出頭することになってたのでどっちみち一回離脱は必要だったけど。


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48.月は遠く。されど終焉は確かに

人間というものに対する理解が足りねえなとつくづく思った……。


 時刻は零時を回って少し経った頃。学院の大会議室。

 そこには、大勢の人間が集まっていた。

 

「───状況をまとめます」

 

 《法皇》のクリストフが、大机の上に様々な資料を広げながら言った。

 

 それはクリストフがこの短い時間で調べ上げた情報をまとめたものであり、同時にこれから行われる作戦会議において重要な鍵でもある。

 

「グレン先輩たちの提言から、ひとまずあの空に浮かぶ敵性構造体は《炎の船》、と呼称します。さて……まず、フェジテを囲む結界ですが、解呪(ディスペル)不能、外部との通信不能の断絶結界です。援護は期待できません。戦力はこの学院にいる人間だけ……それだけの戦力で、あの《炎の船》に潜む魔人を打破しなければ未来はありません」

 

 淡々と述べられる状況は圧倒的な絶望感を伴って、その場にいる全員の心を淀ませた。

 

 【メギドの火】。そう呼ばれた術式をどうにかしたと思ったら、実はそれは【メギドの火】ではなくて、しかも【メギドの火】を発動するために溜め込まれていたマナを使って学院を襲撃したラザール=アスティール(元英雄、現天の智慧研究会)が《鉄騎剛将》アセロ=イエロ───かつて対峙した《魔煌刃将》アール=カーンと同じ古代の魔人へと変貌を遂げ。

 しかも明日の正午には、フェジテは《炎の船》により放たれる本家本元の【メギドの火】で滅ぼされる───それが、ナムルスから提示された彼らの現実でありタイムリミットだった。

 

 正確には、そのタイムリミットはグレン(と、その裏で厄介な天の智慧研究会を引き付けて撃破した二名)の活躍により生み出されたものであるが……絶望的なことに変わりはない。

 

「しかし……《炎の船》内部にはやはり解呪不能の空間歪曲結界が張られ、我々の技術力では突破できません。それだけでなく、多数の空戦用ゴーレムまでもが配備されており、そもそも近付くことすらままならない……というのが現状でしょう」

「……つまり、詰みか?」

「はい。今、この状況では……学院が保有している飛行魔術の魔導器を用いて乗り込んだところで、有効な手立てはありません」

 

 悪い冗談だ。【メギドの火】だけでも厄介だというのに、その上攻略不能な城塞とは。

 

 数名の例外を除き、その場にいる全員がやはり鬱屈とした表情で押し黙る。

 唯一の救いは、《炎の船》そのものはあの魔人を倒せば消えるということ。だが、そもそもそこに至る道のりが無理難題ばかりという本末転倒な話であった。

 

「ふぅむ……つまり、足りんのは空戦能力と空間歪曲の突破方法、そしてあの完璧無敵の魔人を打倒できる手段っちゅーことか」

 

 数名の例外のうち一人、バーナードが顎髭をさすりながら言った。

 今バーナードがまとめたものは、どれか一つ用意できるだけでもとんでもない偉業だ。

 

 しかし、現状学院側が用意できる戦力は───元特務分室のグレンや最近メキメキと実力をつけているシスティーナ、異能を持つルミア、現役の特務分室が五人(戦車、星、隠者、法皇、魔術師)室長(魔術師)は体調不良で作戦会議は欠席)。誰も彼も優秀ではあるものの、基本的には研究がメインの学院所属の魔術師たち。そして、未熟ながらも魔術師である無数の生徒。

 

「……連れていくだけなら、できるぞ」

 

 暗い雰囲気の中で、セリカがぼそりとつぶやいた。

 

「……ああ、空なら私がどうにかしよう。邪魔くさい空戦戦力も、私なら突破できる。ついでに、数人なら一緒に船に連れて行ける」

「なぬぅ? 本当かねセリカ君? 君ならば、あの空飛ぶ船に迫ることができる、と?」

「ちょいと時間はかかるがな。……うん、どう急いでも明日の正午までかかるんだ」

「ダメじゃん。その頃には【メギドの火】で我々は学院ごとボカーン、なんだがセリカ君?」

「そう言うなよ学院長ー。ほら、一回くらい【メギドの火】を耐えられれば間に合うじゃん?」

「いやいやいやいや」

 

 無茶を言わないでくださいとばかり、リック学院長が頭を抱えた。しかしそんな無茶を宣うセリカは、さっきからチラッチラッと意味ありげな視線をハーレイに投げかけている。

 

「あぁー、一回くらいどぉーにかなんないかなぁー?(チラッ)

 あのクソうざい【メギドの火】を一発ぐらい耐えらんないかなー?(チラッ)

 なぁー、ハーレイ? お前さあ、心当たりとかないの? なぁー、ハーレイ? なぁー? なぁー?(チラッチラッ)」

「ええい鬱陶しい! チラチラチラチラと視線を投げるな! 構ってちゃんか貴様は!!」

 

 ハーレイの口から『ちゃん』……と戦慄している講師陣を尻目に、ハーレイは至極忌々しそうに懐からなにかを取り出す。

 ラザールと戦っていた人間には見覚えがあった。それは、ラザールが持っていたとんでもなく厄介な盾。『エネルギー還元率100%の魔力力場』とかいうふざけたシロモノを搭載した、日緋色金(オリハルコン)でできた《力天使の盾》───その破片だ。

 アセロ=イエロと化したラザールが素手でリンゴかトマトのごとく粉砕したその破片がどうかしたのだろうか? その場に集った皆がそう考えていると。

 

「条件付きではあるが……【メギドの火】は、恐らく防げる」

「なんじゃって!? 本当かね、ハーレイ君!?」

「この《力天使の盾》を解析してみた結果だが……ああ、なんとか間に合う。明日の正午までに、このフェジテの空にあの忌々しいエネルギー還元力場を再現してみせよう」

「くくっ……さすがハーレイ、私に噛み付くだけのことはあるな? ま、まだまだ頭の固いひよっこだが」

「やかましい! 誰の頭髪がピンチだって!?」

「いや、言ってねーっすよハーゲイ先輩」

「貴様かああああああ!!」

 

 やかましいのはお前だ、とその場にいる全員の意見が一致した瞬間だった。

 だがここに至り、ようやく解決の見通しが立ってきたこともあり、そのバカ騒ぎを諫める人間はいなかった。

 

「ちっ……まあ、いい。もっとも、クリストフ=フラウル……結界魔術のエキスパートの協力があればの話だが、な」

「ええ、もちろん。僕でお役に立てるのでしたら喜んで。ですがそうすると、次は《炎の船》内部の空間歪曲ですか……」

 

 ここで再び、重苦しい空気が場を支配する。

 古代魔術(エインシャント)の一種なのか、近代魔術(モダン)では解析不能かつ解呪不能な空間の捩れという不可視の壁。これを突破しなければ、そもそも魔人にはたどり着けない。

 こればかりはお手上げだ。常識の埒外に存在するセリカでさえ、古代魔術はどうしようもない。

 

『《炎の船》の空間歪曲? バカバカしい。あんなの簡単に突破できるわ』

「うぉう。……なんだ、ナムルスか」

『なんだ、とはなによ。見てられないから、わざわざ姿を見せてあげた私に対してその態度なの? 先のラザールとの戦闘をやめさせて、正午までのリミットを引きずり出してあげたのも私なんだけど?』

「へーへー、ありがとうごぜえやす、と……で?」

『はあ……』

 

 どこからともなく現れたナムルスは大きなため息をつくと、ここにきての第三者に呆然としている面々をチラリと一瞥してからルミアに目を向ける。

 

『ルミアの……その子の真の力を使えば、あんなもの紙切れも同然よ』

「……マジか? けど、ルミアの異能は……」

『あなたたちは低レベルだから、その子の力をかんのーぞーふくとやらと間違えてるみたいだけどね。あんなもの、真の力の一端に過ぎないわ』

「……マジか」

 

 同じフレーズを繰り返してしまうくらいには衝撃的な内容だった。

 セリカでさえお手上げな《炎の船》の空間歪曲が簡単に突破できる……という発言もそうだが、基本的に魔力や魔術能力の増幅(エンハンス)と思われていたルミアの能力が真の力の一端に過ぎない、と言う発言が。

 だがナムルスは具体的に言及する気はないのか、解決策を提示するだけしてあとはだんまりだ。ルミアの能力については信頼できる間柄だけで共有したい、というのはまあ、わからないでもないのだが……肝心のナムルス自身の正体などについては、グレンたちにも一切明かさなかったようにこの場の誰にも教えるつもりはないらしい。

 

『でも問題はここから。あのおバカなラザールは、確かにアセロ=イエロとは本質的には別人だけど……能力はほとんど一緒。つまり、不滅の神鉄をどうにかしなければ勝ち目はない』

「……だよなあ……くそっ、どうすりゃいいんだ……?」

 

 ナムルスの視線が会議室を一巡してから、とある人物で止まる。すぐ隣で、悔し気に悪態をつくグレンだ。

 

 理由も理屈も不明だが、少なくともグレンは確実にあの魔人を倒せる。()()()()()()()()()()。それをナムルスは既に知っている。

 だが、実際どうやってあの絶対不滅の魔人を攻略すれば良いのか───?

 

「……そろそろ、現実を見るべきだな」

 

 そう吐き捨てたのはアルベルトだ。

 システィーナと童話『メルガリウスの魔法使い』を確認していたグレンにそう告げて、なにかを促すようにじっと鷹の瞳が射抜く。

 ……なにかを、決意したのだろう。グレンは瞳を閉じてから───

 

「……進言が遅れて、すいません。あいつを倒す手段なら……ある」

 

 強い意志のこもった顔で、そう言って。会議室がにわかに沸き立つ。

 これで最低条件は整ったのだ。あとは、具体的な内容を詰めていくだけ。

 

「……先生?」

 

 だというのに。

 

 会議室内の空気に反して、グレンの顔はどこまでも暗く沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アッシュ」

 

 一人、屋上に出ていた彼に声を掛ける。

 

 床に座り込んで、ぼーっと月を見上げていたアッシュは、少しだけ目を閉じてからいつものようにこっちを向いて、よう、と軽い返事を返してくれる。

 いつも通りの姿なのに、どこか無理をしているようにも見えた。

 

「どうした?」

「……話、したくて」

「そうか」

 

 言葉は少ない。それでも良かった。隣に座って、一緒に月を見上げてみる。

 白い月に照らされて、紅い船が浮いている。確か……明日乗り込む敵のアジト。

 

 アッシュは地上に残って、空から降ってくる敵を倒す係になるらしい。

 

 ……本当は、もう戦わせたくなかった。大事にしていたものから遠ざけたくなかった。……わたしみたいになってしまうと、そう思ったから。

 でもわたしじゃだめだ。くやしいけど、だめなんだ。守るとか、守らないとか……たぶん、そういう話じゃないから。

 

 よくは、わからないけど。もっと違う場所。もっと違うズレが、あるんだと思う。

 きっと、最初から。

 

「ねえ」

「ん?」

「……えっと」

 

 しまった。話しかけたのは良いけど、なにを言うべきかは決めてなかった。

 律儀なのか、それとも興味がないのか。月を見上げていた目を(わたし)にずらしたまま、じっと、ただ次の言葉を待っている。

 

 なんて言ったらいいんだろう。まだ、わたしは自分の気持ちを伝えるのは上手ではないから、どうしたらいいのかわからない。

 

 けど、やっぱり、なにか言わないといけないと思うから。

 

「わたし……みんなに、一緒にいてもいいんだって、言ってもらった」

「……ああ」

「イルシアじゃない、わたしを……リィエルを、みんな、受け入れてくれた」

「……ああ」

「だから……だから……えっと……」

 

 人間じゃないと知って。拠り所だった記憶が全部自分のものじゃないと知って。

 そんなわたしを、みんなが受け入れてくれたことが、なによりも嬉しかったから。

 

「約束……してほしい」

「…………」

「どんな風になっても……ここにいて。みんなと一緒にいて」

 

 だから、わたしも───そうしたいと、思ったのだ。

 もう間に合わないなら、せめて。

 

「みんながしてくれたみたいに。……わたし、アッシュがどんな人でも……どんな人になっても。

 隣で、一緒に戦いたい」

 

 それが、昔のわたしにそっくりな、このともだちにしてあげられる精一杯。

 

 グレンみたいに、前を向こう、とか。システィーナやルミアみたいに、夢を追いかけよう、とか。

 そういうことは、わたしにはまだよくわからなくて……アッシュに、なにが必要なのかもわからないけど。

 

 でも、わたしの知ってる毎日に、これからもずっといてほしい。

 

 ……そんな、わたしのわがまま。

 

『探そうよ。私たちと一緒に』

 

 わたしが、今までの人生で……言ってもらえて嬉しかった、一番のお願い事。

 

「……ああ」

 

 わたしには、アッシュを笑顔にしてあげるようなことはできない。前に引っ張ってあげることもできない。だって、まだわたし自身前に進み始めたばかりで、どうしたらいいのかわからないから。

 だからせめて、一緒にいてあげたい。前を向けるようになるまで。

 

 今までがどうでも、これからは仲間なんだとグレンが言っていたように。

 

「……だめ?」

 

 隣に座る、ともだちを見上げた。

 もう一度目を閉じて。ぽん、と困ったように撫でてくる。優しい手付きだったけど、やっぱりどこかへ行ってしまいそうな感じがして。でも、これ以上なにを言ったらいいのかわからなかったから、じーっと見つめてみた。

 

「……わかった、わかったから。……覚えておくよ」

 

 それだけ言って、またアッシュは月を見上げた。

 なにを考えているのか、わからなかったけど。月じゃなくて、空を見ていたのかもしれなかった。いつもみたいに───

 

 ……グレンがわたしたちのことを呼んでいる。

 

 彼はまだ、もう少しだけ一人でいたいらしい。グレンの声を突っぱねて、屋上のふちに座っている。

 

「アッシュ」

 

 もう一度、名前を呼んだ。

 

 返事の代わりに、ひらひらと手が揺れるのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……約束、ね」

 

 つぶやいて、空を見上げる。

 グレン先生との作戦会議はとっくに終わって、もう夜明けが近くなっていた。

 

 ……どんな風になってもここにいて、と。

 そうわざわざ言われてしまっては、他に優先するものがない以上守るしかあるまい。俺は忘れっぽいから、忘れないようにしておかないと。

 

 ……そう。忘れないように。

 

「……なにを、忘れたくなかったんだよ? なあ……」

 

 答える声はない。忘れないで、と。そう願い願われて、今まで散々探してきたけれど───結局、忘れたくなかったはずのものは思い出せなくて。

 残ったものに執着し続けて、無理くり死んだ心を動かし続けた結果がこれだ。結局、俺は誰で、なにがしたかったんだろう、とふと思う。

 

 色々なものが抜け落ちた俺は、『アシュリー=ヴィルセルト』と完全にイコールではない。でも完全な他人でもない。レイフォードのように、本質的に別人というのもなんだか違うけど、どこかでは正しいように思える。

 残骸。成れの果て。なぞるだけのニセモノ。過去を再現し続ける壊れた装置。やっぱり、そういう言葉がしっくりくる。

 

「……やめよやめよ、ガラでもない」

 

 気が昂っているのだろうか。それとも別の理由があるのか、睡眠欲求はあまりない。

 身体のメンテナンスには必須の作業だから、どこかで眠っておかなければとは思うのだが……いかんせん、眠気がないのでは仕方ない。

 もう少しだけ歩いたら、その辺で適当に眠ろう。

 

 さて。なにか、やり残したことはあっただろうか……?

 

「…………」

 

 ……それは本当になんとなくだった。

 

 白み始めた空から視線を切って、校舎内に足を運ぶ。向かった先は医務室だった。月明かりに照らされて、緋色が窓のそばに座っている。

 扉を押し開けようとして、躊躇う。……さっきの問題がまた脳裏をよぎる。彼女が親しくしていたのはカレであって。……俺が、なにかを語る資格はないような気がした。

 

 なぞっていた頃ならいざ知らず、今の俺は化けの皮が剥がれかけた残骸だ。そもそもこんな早朝になにを語ろうというのか。バカバカしい。

 

「……アッシュ?」

 

 ……気付かれて、しまった。

 扉に付けられた小窓から、紫炎色がこちらをじっと見つめていた。

 

 ……ガラでもないことをするからこうなるんだ。自分自身に悪態をついて、仕方なく扉を開けて中に入った。

 ヘステイア先生は仮眠中らしい。患者に用意されたベッドで死んだように眠っている。……この先生の場合、マジで死にかねないからおっかないんだよなあ。

 

「……よう。調子はどうだ」

 

 繕う姿に妙なところはないだろうか。少しだけ不安に思いながら言葉を返した。

 

「……それ、皮肉?」

「滅相もございません。そんなこと俺がすると思うか?」

「……そうね。あんた、バカだものね」

「えっ、そういう理由?」

 

 否定はしないけど。

 それに、昔からイヴにはバカバカ言われまくってきたわけだし。今さらカウントの一つや二つ増えたところで変わるまい。

 

「……正直、絶対後遺症が残ると思ってたけど……むしろ前より調子良いくらいよ。彼女、良い腕ね。軍にも滅多にいないレベルだわ」

「ん……そうか。そりゃ良かった」

 

 本音だった。顔馴染みが無事であるというのは喜ばしい。

 窓のへりに腰掛けて、物憂げに外を眺める姿は正直すさまじく絵になっていた。白い月を背景に、左腕を握ったり開いたりしている。窓を挟んで反対側の椅子に腰掛けて、背中を壁に預けた。

 

「けど……ええ、ダメね。やっぱり、魔力が通らない……はっ、イグナイト失格ね……」

 

 そう吐き捨てるイヴは、右手のひらに小さな灯りを生み出してみせたものの、やはり左腕に魔力が通らない───もとい、魔術が使えないと再確認したせいか、表情が硬い。

 ふっと灯火を消し去ると、バカでかいため息を吐き出した。幸せが逃げますよ、とか言える空気でもない。

 

「……私、なんのために魔術師やってたんだっけ……わかんなくなっちゃった……」

 

 自暴自棄一歩手前、とでも言えばいいのか。

 今のイヴは、放っておいたら世を儚んでどっかに身を投げてしまいそうな雰囲気があった。

 

 ……それは、困る。一応、これでも十年近くの付き合いだ。その知り合いがいなくなるのはちょっと嫌だ。嫌だが、やはりかけられる言葉はない。イヴが目指した魔術師。その姿を、俺は知らないんだから。

 

「……うん。ぶっちゃけ俺も今、なんでこんなに頑張ってるんだか全くわからん」

 

 なので、正直な自分の現状を代わりに話すことにした。

 実はもう、戦う理由はこれっぽっちもなかったりする。

 

 日常に固執した理由は消えた。どこかから紛れた、『そうしないといけない』という義務感があるくらいなものだ。

 

 なのに───ずっと。せめて、という言葉だけが、頭の中で反響している。

 せめて、なんなのか。答えはやはり返ってこない。

 

 なぞれないのなら、別にまともでいる必要はまるでないのに。どうしてかまだ、残ったカタチからさらに外れながらも戦うことを選んでいる。

 守らないといけない。お前はそういうものでなければならないのだと、見知らぬ英雄は語る。だけどそれ以前に、やっぱり義務感じゃないなにかが意識の片隅をひっかいている。もういいじゃないかという声を遮るように、なにかが意識を叩いている。

 

 不思議ではあるけれど、終着点は変わらない。

 

 ニセモノの凡人はいなくなって、ニセモノの英雄があとに残る。

 

 その終わりだけは、変わらない。

 

 ……そうして、しばらく時間が過ぎた。ただ外を見ながら、二人して黙っている。

 おもむろに、イヴが口を開いた。なにを言おうとしたのか忘れたように、何度か吐息だけがこぼれて。

 

「……ねえ、アッシュ。……約束、覚えてる?」

 

 ───。さて。

 

 今日は、その単語にやたらと縁があるらしい。

 覚えている限り。彼女と交わした中で、十年経ってもまだ続くような約束らしい約束なんて一つきりしかない。

 

 なにもかもをなくして、なにを忘れたくなかったのかさえも忘れて、なにを忘れていないのかもわからなかった俺に言ってくれたあの日の光景が脳裏をよぎる。

 

 だから。

 

「───いいや? ……ほら。俺、忘れっぽいからさ」

 

 ……約束。

 遠いいつか、ダレカと彼女が交わしたそれは俺のものじゃない。もし彼女がそれを律儀に守らなければ、とか思っているんなら、このまま忘れてしまった方が良いだろう。

 だから、これでいい。綺麗さっぱり、後腐れなく、だ。

 

「……そう」

 

 それで興味をなくしたのだろう。イヴは俺から視線を外すと、またアンニュイなため息をついて抱えた膝に額を乗せた。

 

「明日の戦いは、どうするの」

「出るよ」

「……引っ込んでればいいじゃない」

「それでもいいんだけどさ。……そこには、いられねえよ」

「……バカ」

「知ってる」

 

 交わされたのは要領を得ない会話だった。……会話とすら、呼べないかもしれない。

 そのうちに意識が若干揺らぎ始める。見ればイヴの方も、疲れが出たのかふらふらと舟をこいでいる。さすがに眠気が襲ってきたらしい。せっかくだから、このまま医務室で寝かせてもらおう。起きたらなにか手伝いくらいはできるだろうし。

 

「ねえ、私……」

 

 ことり、と。

 

 壁に頭を預けて、焦点の合わない紫炎色の瞳が俺を見ている。

 

「……あなたに。なにを、言わなきゃいけないんだったっけ……」

「───……」

「思い出せたら……そしたら、また……昔、みたい、に……」

 

 ……それきり、声は聞こえなくなった。

 

 安らかな寝息だけが、静かな部屋に響いている。

 

 ───それでいい。全部、なかったことにしてしまって。いい加減、終わりにしてしまえばいい。

 

 友人が眠るのを見届けて、着替えたあとに羽織っていたコートを肩にかけてやってから目を閉じる。

 

 壁の無機質な冷たさが心地よかった。

 

「……帰りたい、なあ」

 

 どこにも、帰る場所なんてないはずなのに。

 

 最後に、それだけをつぶやいた。




迷子同盟と大事なものを忘れた幼馴染組


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49.フェジテ最悪の三日間

うおおおおお復活!! 復活ッ!!

お久しぶりです!! 二週間ぶりでございます!!
自動車学校も終わり、体調も回復し、レポート……はまだ山積みだけど、なんとか仕上がったぞう!!

……仕上がったか? 久しぶりだから不安すぎるな……。大丈夫かな。


 時は少し遡り、夜明け前。

 現状の正確な確認のために学院の主要メンバー全員で集まった作戦会議が一旦お開きとなり、グレンたち魔人討伐組などの『実際に前線に立つ人間』同士での小規模な作戦会議が行われていた。

 

 グレンとアルベルトが校舎の見取り図を見ながらひっきりなしになにかを喋っている。それは校舎防衛組をどう配置するか、どう戦うかの意見交換だ。こういった状況に強いだろうバーナードは、生徒会長のリゼ=フィルマーの案内で校舎内を実際に見て回っていた。

 システィーナは戦略や戦術には比較的疎いのもあってついていくのが精一杯で、ルミアはずっと申し訳なさそうに顔を伏せている。リィエルは船を漕いでいた。

 

 そして、少し離れた場所で先の大会議室には姿を見せなかった一人の少年が、ぼんやりとその光景を眺めている。

 我関せず、とはまた少し違う。そこが定位置であるような、自然な位置取りだった。

 

「あの……アッシュ君」

「どうした」

「ごめんね。今回も、巻き込んじゃって……大変だったでしょう?」

 

 悲痛な表情で謝罪するルミアに、アシュリーがわずかに首を傾げる。言っている意味がわからない、というよりはなぜそんなことを言うのか理解ができないと言った風に。

 

「気にするな。()()()()()()成り行きだ」

「でも……私がいなければ、こんなことには……みんなを巻き込んだりなんか……!」

「まだフェジテは滅んでいない。対抗手段もある。……今までと変わらんさ。あまり気負うな。悪いのは(奴ら)だ」

 

 無表情に言い切って、さしたる興味もなさそうにルミアに視線を寄越した。その『いつも』こそ、ルミアが原因で引き起こされたものが大半だというのに。

 そんなルミアの思いは露知らず、ジャティスに攫われていたらしいが無事でなによりだと付け足して視線を切る。

 

 ややつっけんどんな態度ではあったが、それを冷たい、とは思わない。ルミアからしてみれば罵倒されていないだけマシというものだし、気遣いの言葉さえもらった。

 だけど、それで心が軽くなることはない。自分が原因であることに違いはないのだから。……だからこそ、自分はすべてを擲ってでも皆のために尽くさねばならない。それが、受け入れてくれた人々への恩返しであり贖罪だ。……そうしなければならないのだ。

 

 ルミアが悲痛な覚悟を固めている最中にも、作戦会議は進んでいく。詳細を詰める傍ら、アルベルトがつと少年の方へ視線だけを投げた。

 

「さて、再度確認するが……アシュリー=ヴィルセルト。君は翁と同じ遊撃隊で構わないのだな?」

 

 アルベルトの言葉にこくりと頷く。必要に応じて校舎のあちこちに移動し、敵を倒す。それが彼の役割だ。

 遊撃隊には遠隔から魔術狙撃を行えるアルベルト、鋼糸を伝って飛び回れるバーナードが含まれる。

 

 無論、危険度は高い。生徒から募る予定の戦力はその場に留まりひたすら敵を撃ち落とす、いわば固定砲台のような運用だ。それに比べれば各人の実力と判断に依るところが大きく、またあちらこちらを走り回る関係上フォローも受けにくい。

 それ故に、例えばリゼなどの突出した実力を持つ人物以外は生徒が担当することなどとてもではないが有り得ない───の、だが。

 

「……肯定です。現状、レイフォードを除けば俺が一番生徒の中じゃ戦い(殺し)慣れてる。近接戦闘が得意分野である以上、校舎の遊撃隊に配属されるのは合理的だ」

 

 もの言いたげなグレンを無視し、淡々と語る姿を横目に見て、アルベルトは一つ息をついた。

 

(……異常、だな)

 

 既に、一度目の魔人との戦いが終わって密かに捕まえたときに、倉庫街の惨状も路地に転がっていた死体もどちらも彼の手によるものであることは確認している。普通ではないことはもはや疑いようがない。

 

 得体の知れない実力と魔術。戦うことに淡い忌避感はあっても躊躇いを見せない精神性。冷酷無慈悲に一撃で『掃除屋』を仕留める技量───敵に回れば脅威そのものだ。

 だが同時に、味方に回れば頼もしいことこの上ない。既に近接戦闘であればリィエル並みか、魔術を併用することも考えれば総合力ではさらに上をいくかもしれない。

 

 この戦いが終わったあとも、どうにかして協力を取り付けられればルミアの周囲の安全性が増すのだが───さすがに、そこまで押し付けるわけにもいくまい。なんだかんだで、彼も学院の一生徒であり、無理に戦わせることはできないのだから。

 

「おい、アッシュ……もう、お前が無理して戦う必要は」

「それこそまさか、だ。先生方は突入部隊。敵方が吐き出す有象無象は、質こそそこまでではなくとも生徒と十数人の魔術師だけで凌ぐにはやや厳しい。戦力はいくらあっても足りない。違います?」

「それは……」

「自惚れではないが、こと格下相手の殲滅戦においてであるのなら戦闘力としてはそれなりに役に立つ、と提言します。地下への退避は単純に()()()()()だ」

「……、……そう、かもしれないが……戦うの、嫌じゃなかったのかよ」

 

 それこそ意外な言葉だ、とでも言いたげに片眉を上げた。

 今さら嫌かどうか、だけで戦いから逃げたところで何があるというのか。そも、彼が忌避したのは戦いそのものではない。

 

「そんなことを言った覚えはないんですが」

「あんだけ嫌がってただろ!? 平和な日常に戻りたいって、何度も言って───!」

「まあ、そうする理由もなくなったので」

 

 まずい、とグレンの直感が警鐘を鳴らす。

 リィエルのときと同じだ。頑なに自分の在り方を定めて、周りの声を跳ね除けてしまっているような。

 

 反射的に胸ぐらを掴み上げて、真っ向から銀灰色の瞳に視線をぶつける。

 なにもかも、なんとも思っていなさそうな無機質な瞳だった。……物言わぬ氷のようだ。ここ最近、ずっと笑顔を見せていない。こんな状況で笑えと言う方がおかしいが、それでもいつもと違う姿は否応なしに不安を駆り立てる。

 

「逃げたっていいんだ、誰も責めやしねえ。もう十分だ。もういいんだよアッシュ。なあ───」

 

 戦わなくても良い。

 どこを探していて、何を求めていたのかはわからないが───お前は普通の人間でいて良いのだと。諦めなくても良いのだと、今さらだと知りながら、それでもと語りかけて。

 

「そうですか。───でも、俺は戦わないといけないから」

 

 こぼれ落ちる砂のように、あっけなくすり抜けた。

 掴み上げたはずの手が、あっさりと外される。手を伸ばしたところで、その手が見えない人間には握り返すことができないと告げるように。あるいは───見えていないフリをしているのか。

 

「……死んだりはしませんよ。先生がなに心配してんのかは知りませんけど、できることをやるだけです。……もとより、それくらいしかできないですし」

 

 投げやりに言って、肩をすくめた。

 

 嘘をついているようには、見えない。見えないが───

 

「……くそっ」

 

 言っていること自体は正論だ。確かに現状、魔人と戦った実績もあるアシュリーという戦力は喉から手が出るほど欲しいものであり、そもそも本人に参戦の意思があるからにはそれを阻む理由もない。

 だが───いつも以上にどこか外れた感じのあるこの少年を、戦場に一人投げ出しても本当に良いのか?

 そんな不安に駆られてはいるものの、なにかを語るには、引き留めるには、あまりにも自分は彼を知らなさすぎた。

 

『思い入れも薄いだろう?』

 

 そう指摘したジャティスの言葉は正しかった。それなりに長い時間をともに過ごしたはずだ。狙われているのなら守ってやろうと意気込んだこともある。だというのに、印象がどこか薄い。どうでも良いとまでは言わずとも、存在感が希薄だった。

 結局のところ、自分は彼をどうしたいのか。救いたい? 守りたい? 導きたい? ……答えは出ない。守るべき生徒の一人だと認識してはいる。それだけだ。

 

 そも、日記ひとつ読んだだけでなにを理解した気になっているのか。なにかがおかしいことはわかっても、どうしてやれば良いのかがわからない。ただ闇雲に『フェジテに帰ってこい』、などと言ったところで、果たして心に響くかどうか。……そもそも、帰る場所とすら認識していないのだろう。少年にとっての帰るべき場所とは、今も昔も『ありもしないもの』なのだろうから。

 

 引き留める、という行動は、その相手が留まりたいと願っていなければ不可能だ。

 いたくもない場所にわざわざ居残る必要もない。つまるところ、アシュリーにとってここ(フェジテ)はそんな場所なのかもしれなかった。

 

 そう思うと無性に腹が立った。今まで過ごしてきた時間はなんだったのかと問い詰めたくなって、そんなことを言える立場でもないと思い出す。ゆっくりと理解を深める時間もない。

 

「そんなに気になるのであれば、あれです。俺が無茶する前にあの魔人ぶっ殺してきてくださいよ。どっちみち、その方が被害も少なくて済むでしょう?」

 

 ……結局はそうするしかない。

 内部に連れて行けるほど余裕はないし、いつものグレンたち四人とセリカの合計五人がベストな編成である以上はアシュリーを連れて行くわけにもいかない。近くにいれば多少は安心できるし、アール=カーン相手に生き延びマリアンヌを退けレイクを退け、戦い続けてきたその実力を今さら疑うこともないが……最終的な戦力配分を考えれば、やはり置いて行くしかない。

 

 理屈ではどうしようもなく『正しい』のだ。その上で彼を戦わせたくないのであれば、早々に事態を解決するほかにない。

 それに問題はアシュリーだけではない。前々からどこか歪んでいるような危うさのあるルミアだっている。どうにかしてやらねばならないと思う人物が二人。正直手一杯だ。

 

 ままならない現実に歯噛みして、舌打ちをひとつ。

 ……頼るしかない。今は。

 

「……死ぬなよ」

「それ、当日にかけるべき言葉じゃありません?」

 

 絞り出すような声は、軽いセリフであっさりと受け流された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は進み、二日目の朝。

 

 教室の扉を押し開ける。ずいぶんと久しぶりな作業だった。

 

 内側には見慣れた顔がずらりと並び、手に持ったなにかを真剣にいじっている。手に持っているのは魔導器だろう。どんなものなのかはいまいちわからないが、おそらくは生徒を兵士に変えるためのものか。

 

 久方ぶりに目にした級友の姿に、一時教室内が静まり返る。

 はて? と首をかしげた数秒後に、真っ先にカッシュが飛び出して肩を叩いた。

 

「おっ前、今までなにしてたんだよコノヤロー!? 授業に来ねえと思ったらあのバカ強い魔人と戦ってるし、心配したぞ!?」

「心配した? ……俺を?」

「そりゃ、当たり前だろ!? 遠目だったからよく見えなかったけど……血だらけだったし、心配ぐらいするっつの!」

 

 ふむ、そういうものか、と思った。

 肩を叩いてくる手をどかして、『悪かった』と言葉で応じる。しかし、あのときの戦いを見られていたのかとつぶやくと、カッシュは大きく頷いて興奮したように頬を紅潮させる。

 

「すごかったよな! 英雄大決戦! って感じで!」

「……英雄、ねぇ」

「おう! ひるまず、恐れず、勇気をもって敵に立ち向かう……最高じゃん! 男の憧れだって、あんなん!」

 

 熱く語るカッシュは、おそらくあの場にいた全員を指してそう言っているのだろう。

 それどころではないとわかってはいても、英雄譚に惹かれてしまうのが男のサガだ。強敵を前に退かなかった勇士の姿は、さぞやカッシュの意識を刺激したに違いない。……己を鼓舞する意味合いもあるのだろう。

 

 相変わらずのんきだな、という声がどこかから聞こえた。ギイブルだろう。

 それにうるせー、と返したカッシュが、どかされた手を肩に回してくる。払いのけても良いが、そうする理由も別段ない。

 

「てかお前、めちゃくちゃ強いじゃねえか! 実はリィエルちゃんと一緒で軍人だったり? あれ、でも前からいたよな……? ん?」

「……一般人だよ。英雄の真似事をしてるだけの、な」

 

 どうやら大雑把な情報は共有されているらしい、と肩をすくめる。分不相応だということは重々承知しているが、まだ力を借りることになりそうだ。

 いっそ全部手放して、なかったコトにしてしまえば楽だろうが。どうしてか、まだそんな気にはなれなくて───

 

「……なあ」

「ん?」

「お前さ。……戦うんだろ?」

 

 ふと気が付けば、カッシュにそう聞いていた。

 それがどうしたのかと言いたげに、カッシュの顔に怪訝そうにシワが寄る。

 

「逃げたって良いはずだ。いくら魔術師でも(戦う力があっても)、そうしたくなるのが普通じゃないのか? 実際、強制されたわけじゃないんだろう?」

 

 ……カッシュたちは、自分のように『そうあろう』としているだけの紛い物なわけじゃない。正真正銘、平凡な人間のはずなのだ。

 それが、剣の代わりに杖を握って、自ら戦場に赴こうとしている。当然危険だ。怪我は免れないし、目の前に敵が迫るというのは恐ろしいものだろうに。

 

「……なのに、どうして?」

 

 それは、純粋な疑問だった。

 

 『戦うしかないから』『逃げられないから』。それも確かにあるだろうが、二組の面々の顔に浮かぶ決意は、そういった後ろ向きな理由からだけではないことは容易に知れた。

 逃げたいはずだ。恐ろしいはずだ。それなのに、なぜ。

 

「そりゃ、怖いけどよ……」

 

 気まずそうに頬をかいて、それからぐるりと二組の仲間を見回した。

 グレンたちが欠けているが、きっとカッシュは彼らのことも思い浮かべているのだろう。全員の顔を確認して、それから───笑った。

 

「怖いけど! ……ルミアちゃんも、学院も、みんな守りたいからに決まってんだろ!!」

 

 ─────────。

 

 カッシュの言葉に、表情がすっぽりと抜け落ちた。

 守りたいから、怖くても戦う。頭を金槌で殴られたような感覚だった。

 

 魔術師として勉学に励んでいた彼らは、確かに力はそれなりにあるだろう。なかったとしても、戦う力だけであればバーナードが持ってきた杖が与えてくれる。

 それでも、彼らはやっぱりどこまでいっても普通の人間だ。逃げ出したくなるのが当然で。本人も、そう語っているのに。

 

 だけどそれでも、守りたいものがあるから逃げないのだと。

 

「───成程」

 

 一つ頷いて、右手で顔を覆った。

 閉じた瞼の裏に、忘れたくなかったものと忘れたがったものが同時に映る。外れ続けながら、それでもどうして動いていたのかをようやく理解した。

 

 今まで戦っていたのも、突き詰めれば過去の自分をなぞるために仕方なくやっていたことだった。

 だけどなぞることができなくなって、それしかできない自分にはもう戦う理由なんてどこにもないとそう思っていた。必死こいてまだ戦う理由がわからなかった。もう必要ないのに、どうして、と。

 

 だけど、なんだ。戦う理由、まだあったじゃないか。

 自分で言っておいて忘れるとは、ああ本当に、大事なことほど忘れるように自分はできているらしい───

 

「……そういうことなら、まあ、いいか」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 でも、それでも、そういえば。一つだけ、その輪に思ったことがあるじゃないかと。

 

 なら、それで十分だ。

 英雄の真似事をする理由はないと思っていた。ひび割れるままに諦めて、なぞることをやめて、探すこともやめて。さっさと楽になって(全部手放して)しまえば良いのに、そうできない理由は確かにあった。

 戦わなければならないから、ではない。そういう存在でなければならないから、それもある。だけど、それだけではないのも事実だった。

 

「全部終わったらさ、また前みたいにお前の店で打ち上げしようぜ!? そんでさ、先生たちの武勇伝をたくさん聞いて、朝まで騒ぎ倒してよ! そしたらまた、学院でみんな一緒にグレン先生の授業を受けて、楽しい毎日が戻ってくるんだ!」

「───ああ、そうだな」

 

 輝かしい未来を思い描く凡人の姿に、ふっと笑みをこぼした。彼なりの強がりなのだろう、手は震えていたし顔には隠し切れない怯えがあった。それでも、その目は前を見据えている。

 自然と笑みを浮かべていたことに気付いて、小さく笑い声をあげた。もしかしたら、今までで一番清々しい気分かもしれなかった。

 

 学校に行って、

 退屈な幸福にあくびをして、

 友達とバカなことを話して笑い合って、

 家に帰れば家族がいて。

 

 そんな普通の毎日が、自分にはなくても彼らにはある。

 

 自分が忘れたもの。忘れたくなかったもの。帰りたいと願っていたもの。

 

 ありふれた日常。どうしようもなく焦がれた、平凡な───

 

「……そうだ。その日常だけは……ずっと、続いていけば良い」

 

 例えそれが、自分にとっては重ねているだけだったとしても───その日々が美しいことに、変わりはない。

 

 欲しいのは平穏な日常。そこに自分がいなくても構わない。そんな資格はないのだから。

 

 国家レベルのテロリストとの戦いなんて、凡人には荷が重い。……なら、凡人から外れた自分が戦うべきだろう。

 

 ───帰れないのならせめて。ダレカの帰りたがった、ありふれた日常を守りたい。

 その想いは、前を見る彼らと違って、とんでもなく後ろ向きな代償行為かもしれないけど。

 

「……お前、大丈夫か? ちょっと変だぞ?」

「いや、なにもない。……最初から、なにもないさ」

 

 なにもなかった。積み上げたものも帰る場所も、自分には。なぞることしかできないニセモノに、与えられるものはなにもない。

 

 それでも───まだ。そんなニセモノでも、できること(やりたいこと)があるらしい。

 

「戦おう。敵が見えて、戦う手段があるのなら」

 

 ここにある日々は、まだ失われてなんかいないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして。

 フェジテの危機に関わりなく、日は滞りなく沈み、やがて長かった夜が明ける。

 

 再び日が天の中心に座した頃。その光を遮るようにフェジテの上空に浮かんでいた奇怪な箱舟が、その船底に炎を生み出した。

 

 天空城を戴く都市は今この瞬間のみ、怪物との最終決戦の地(メギドの丘)へと変貌する。

 

 真なる太陽を遮り、偽りの太陽(終末の炎)が空より堕ちる。

 

 ゆっくりと。お前たちを滅ぼすものの姿を冥土の土産に持っていけとでも言うように、炎が渦を巻いてゆっくりと膨大な熱量を練り上げる。

 学院の校舎、日常を象徴する場所に陣取った人々は皆、祈るように空を見上げた。奇跡など起こらずに、抵抗もできないままに自分たちは消え去ってしまうのではないかと多くのものが怯えていた。

 

 ───そして。

 

 ぷつり、と糸が切れたように、船の底から太陽が堕ちる。

 

 誰もが怯える中、一人の少年が一歩前に進み出た。

 

 銀の瞳は真っ直ぐ空を睨んでいる。その手には赫い竜の死を携えて、口ずさむように竜の炉心を起動する。

 

 終わるならばそれでも良い。だが、終わらないのであれば。

 

「───いいや。終わらせない」

 

 一度目は成す術もなく知らぬ間に。

 二度目には恐怖のままに背を向けた。

 どちらにおいても、自分はあまりにも無力だった。

 

 だが三度目はない。喪失は決して起こさせない。

 

 どこまで行っても後ろ向き。いくつかのものだけが残された残骸は、なぞるものがなければ立ち上がれない。

 思い出せ。お前はあの微睡みの中でなにを見た?

 

 そうだ。滅びを。星の終わりを。……それに立ち向かう、猛き(消えぬ)焔の英雄(快男児)を見た。

 まるで焼き直しのようだ。空から人間を見下ろす炎は、胸に炎を宿す英雄に砕かれた。

 

 されどここに炎を灯した英雄はなく。であれば、お前(自分)が成る他ないだろう。

 

「ニセモノ同士、派手にやり合おうじゃないか───なあ?」

 

 白熱する視界の中、剣を構える。

 炎を斬ろうというのではない。それを防ぐ術は他にある。自身の出る幕はない。

 

 故に。この剣を以て、人類の反撃の狼煙を上げる。

 

 思考を切り替える。苛立ちが意識の端を掠めた。原因は不明(自明)だ。

 もとより、理不尽に『日常』を奪っていくモノを自分は忌み嫌っている。

 怪物(魔人)が悪を誇るのであれば、英雄(偽物)は善を誇り、それを拒絶せねばならない。

 

 どちらが理由であるのか。きっとどちらもだろう。壊れて混ざって、もう区別がつかないものを分ける必要はない。

 

 ───(英雄)をなぞれ。剣を掲げろ。

 

 黄昏の再演には程遠くとも、偽りの太陽が堕ちれば多くの生命が潰えよう。

 

 それを拒むのであれば、戦う他に道はない。

 

 たとえ己が手になに一つ残らずとも。

 背後には、かつて焦がれたモノが残っている。

 

 真名の解放はしない。まだ戦いは始まってすらいないのだから。

 そもそも己には未だ荷が勝ちすぎる。

 

 一度だけ、懐かしむように目を閉じた。

 口の端を吊り上げる。()()()()。この程度の炎、かつて見た終焉には及ばない。

 

 及ばない以上───こちらに負けの目は存在しない。

 

 空に敷かれた結界が【メギドの火】を受け入れ、阻み、輝きを放つ。

 

 ───空に広がる蒼い光を断ち割るように、地上から空へと赫い光が迸った。

 

 未だ燻っていた熱を斬り裂きながら、大気を割り、音を置き去りにして、太陽の魔剣が偽りの太陽目掛けて空へと昇る。

 

 箱舟から転がり落ちていた球体(ゴーレム)が、その余波で粉微塵に砕け散った。無数の木偶人形が壁となったのだろう、魔剣は箱舟には届かず姿を消した。それでいい。今の投擲はこちらの意思表示、要するに『やれるもんならやってみろやクソ野郎』という宣戦布告。

 

 さあ、反撃の時だ。

 

 その背に愚者と仲間を乗せて、金色の竜が飛び立つのを見送った。

 

 彼方へと駆けた(投げ放った)はずの魔剣を手元に喚び直す。あとは本物の英雄の仕事だ。一度だけ、瑠璃色がこちらを見た。それに軽く手を振って、降りてくる無数の人形を見据えた。

 あれだけ最初に叩き壊してやったというのに、まだまだ在庫は尽きないらしい。結構だ。少しは退屈しないで済むだろう。

 

「───敵影確認。戦闘態勢、問題なし。これより、迎撃を開始する」

 

 笑みを消して、大地を踏みしめる。

 

 もういいじゃないかという声に、まだもう少しだけと返して英雄のフリをする。

 

 フェジテ最悪の三日間。その三日目の戦争が、幕を開けた。



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50.開戦。愚者、未だ至らず

三ヶ月……三ヶ月ですってよ奥さん……。焼肉が人間の感情と行動を理解するために色々な作品を履修する旅に出て、ついでに大学のテストとレポートと自動車免許とスランプと自暴自棄を乗り越えるまで三ヶ月ですってよ……。
この三ヶ月間、皆様の感想を読んでの練り直しや自分なりの見直しをしていたのでかなり先に進むのが難しくなっていましたが、ようやっと続きが出来ましたのでひとまず投稿させていただきます。感想返信はまた後ほど、そっちにまで目を通す元気が回復したら。一応ちゃんと読んでます。皆様いつもありがとうございます。
それもこれも焼肉が人間の情緒を解さないのが悪いのじゃ。いやこんだけやっても理解はしてないんだけど最終的に「うるせぇぇぇぇ知らねぇぇぇぇ!!」と開き直ることにいたしまして候。

この開き直りがどこまで続くか見ものですね。


「うし、そんじゃ聞こうかの。もしこの辺にお前さんが誰かと一緒に来たときに、悪い魔術師……魔獣でも構わんが、に囲まれた状態で。その友人に置き去りにされたらどうする?」

「全員ぶっ殺します」

 

 迷いのない回答が森の中に消えていくよりも早く、かつ一切の容赦なく回答者は殴られた。

 下手人はゴツゴツとした拳を握ったまま、眼下で頭を押さえる少年を見やる。くすんだプラチナブロンド。恨みがましくこちらを見上げる瞳は、色素が抜け落ちたような銀灰色。歳の頃はまだ十に届かない程度であろう。それにしては大人びたような感覚を覚えるのは、その年頃にしてはやや背が高いことと、これまでいくらかの時間をともに過ごしてきた中での印象のせいか。

 

「お前さんなぁ……常識で考えてからものを言わんかい! そこはフツー『なりふり構わず逃げます助けてくださいお師匠さま』じゃろ!?」

「いや、別におっさんを師匠と仰いだことは無……いっで!?」

「痛覚はあるようでなによりじゃ」

「児童虐待かよ……」

 

 ぶつくさと文句を言うわりに、この子どもがそこまで根に持つことはない。それを知っているので、殴った張本人に反省の色は特になかった。言って聞かせるよりこっちの方が早いためである。世界が世界なら体罰としてしょっ引かれていても文句は言えない教育方針であった。

 

「……ちゅーか、もう少し言葉を選んでくれんかのう。わし、一応お前さんのお目付け役なんじゃが」

「必要、あります?」

「大アリじゃ! ったく、『全員ぶっ殺す』とか物騒にも程があるわい! ただでさえお前さんは───」

「『外道魔術師を殺した前科があるんだから?』」

「……そうじゃ」

 

 ───ほんの一ヶ月と少し前のことである。

 

 帝国でも田舎に位置する村で、凄惨な事件が起きた。

 死者、多数。土地はあちらこちらに火の手が上がり、そこに人が住んでいたという痕跡の一切合切が焼け落ちるほどの大事件である。

 『大事故』ではなく、『大事件』。微妙な言葉の違いではあるが、その差異は大きい。要するに人為的かどうかが問題となるのだが、この場合は後者───つまり人為的に引き起こされたものだった。

 

 村に住んでいた人間は、そのほとんどが死に絶えていた。これだけであれば火事に巻き込まれたのだろうと考えるところだが、問題はその死因の方にあった。必要以上に苦痛を与えるような殺し方。それは、魔術によるものだと理解するにはあまりにも容易いやり口であったためだ。

 察するに、一箇所でまとめて息絶えていた村人はなんらかの魔術的儀式の供物にされるところであったのだろう、というのが、事件の解決にあたった魔術師……バーナード=ジェスターの見解であった。

 

 これだけならば、まあ、不本意ではあるがさして珍しい話でもない。警察の部隊が配属されるような規模の大きい都市はともかく、ほどほどの規模を持ち、都市部からは離れた場所にある居住地はしばしば生贄を欲する外道魔術師の餌食になる。確かに悲劇ではあるが、それは同時にありふれたものでもあった。

 ……その悲劇を引き起こした魔術師が、殺されてさえいなければ。

 

 報告を受けたバーナードが現場に向かったときには、すでに事件は終息していた。燃え盛る炎の中、一人の少年が魔術師の亡骸を前にただ立ち尽くしている光景を見て、バーナードは咄嗟に拳を構えた。帝国の宿敵たる天の智慧研究会には、幼い頃から暗殺術を仕込まれた《掃除屋》と呼ばれる暗殺部隊がいる。過酷な訓練によりその多くは感情を持たぬ肉人形と化す。無表情のまま、炎を受けて赫く煌めく刃を手に握るその人物を見たときに真っ先に連想したのはそんな『兵器』の話であった。

 

 だが、目撃者でさえもすべからく標的とするはずの《掃除屋》は、亡骸の前から動かなかった。バーナードに気付いていないわけでもあるまい。警戒は怠らぬまま、いざとなればすぐにでも殺せるように身構えながら静かに問いを投げた。

 

 この惨状を引き起こしたのはお前か?

 ───Yes。

 

 その魔術師を殺したのはお前か?

 ───Yes。

 

 では、ここにいたはずの村人を殺したのは?

 

 ピクリと、そこでようやく少年が反応を示した。返り血に濡れた身体で、赫い剣を持ったまま。

 

『そうだ。オレが見殺しにした』

 

 ……懺悔するように、そう囁いた。

 

 不可解なのは、見殺しにしたという言葉。

 魔術師を殺したのは少年だ。それは間違いなかった。魔術師の死体は損傷がひどく身元の判別どころか生前の容貌を知ることさえも難しかったが、他の村人とは違って火傷と斬り傷しか存在していなかったためだ。

 

 ならばなぜ、村人を見殺しになどしたのだろう。犯人の魔術師をこうも一方的なまでに惨殺できる力があるのなら、最初からそうすれば良かっただろうに。

 

「───バーナードさん?」

 

 淡々とした声で思考が現在に引き戻される。見下ろせばそこにいるのは一見人畜無害の普通の子ども。これが自分の住む村にいた人間を見殺しにして、その犯人さえも自身の手で殺した人間だとは到底信じられなかった。

 あるいは、本当に別人だったのかもしれない。事件のあとに捕まえてみても、この少年が齢七つにして熟達した魔術師を相手取れるほどの実力と才能があったとは思えない。現に少年は何度もバーナードにボコボコにされている。その大半は無気力な少年に喝を入れるために一方的にバーナードがしたものだが。

 自分を見上げる灰色は相変わらず無感動で、なにを考えているのかいまいちわからない。やはり、あの日に見た炎のような赫い瞳は錯覚だったのだろうか。一瞬でも警戒した自分がバカらしくなるほどの無防備さであった。

 

「うんにゃ、なんでもない」

 

 ため息をついて、意味のない考え事を頭から振り払った。

 いずれにせよ、今の回答が大いに難アリであったことに変わりはない。

 

「できるかどうか考えてからものを言えっちゅーんじゃ。そんなにイケイケ思考だとお前さん遠からず死ぬぞ?」

「それでも別にいいんですけど」

「良かないわ! 未来ある若者がそんなことでどうするんじゃ! 第一、今のお前さんは危険人物扱いになっとるんじゃぞ? 過激発言ばっかりしとったら死ぬ前にブタ箱行きじゃ!」

「それでも別にいいんですけど……」

「ほんっとーーーにやる気のないガキじゃなぁお前さんは!?」

 

 しかもおそらく本気で言っているのだからタチが悪い。何事にもやる気がないというか投げやりというか、とにかく生きる気力がないのである。ほっといたら明日にでも首吊り死体で発見されそうな有様だった。さすがに寝覚めが悪いのでやめてほしい。せめて失踪してからに……いや、失踪したらしたで監督不行き届きとしてバーナードが叱られるのは目に見えている。

 バーナードの上司こと現室長のリディアはさっぱりしてかつ朗らかな人物ではあるが、怒ると怖い。美人が凄むとそれだけで威圧感がすごいのである。始末書を書かされるのは退屈で仕方ないので、やはり今のところは死なないでおいてほしいというのが正直なところだった。

 

 肝心の少年は地面に座りこんで拾った枝で土を突っついているが。

 

(こやつ、蹴り飛ばしてもいいかのう)

 

 そんなことも考えたが、脳内のリディアが意味ありげににっこりと笑ったのでやめた。『妹』を溺愛するリディアは基本的に子どもに優しい。翻って、子ども相手に暴力をはたらく相手には容赦がないのであった。

 

「……別に死のうがブタ箱だろうが、どっちでもいいですよ。こっちはロクなことしてないんだし。これからもしないし、できない。いるだけ無駄ってやつです」

「だァから、そういうのが……はぁ。言っても無駄か……」

 

 こうした態度をとる人間自体は、実はさほど珍しくはない。前述した通り、家族もなにもかもをなくした人間はこの帝国には多い。特に子どもの場合は普通は孤児院などに送られて育つのだが、やはりその生活は穏やかとは言えないらしい。荒んだ幼い子どもたちが一所に集められていればそうもなるだろう。痛ましい話ではあるが、これが今の帝国の実情だ。

 未来を信じられなくなって自暴自棄になる人間。現実を認められなくて周囲に当たり散らす人間。この少年は前者に近い。違うのは、未来どころか自身の存在さえも無意味だと断じているところか。

 

「はぁ……ったく、イヴちゃんが泣くぞ? あんだけ仲良くしとるのに……」

「…………」

 

 新しい名前に、一瞬だけ少年が反応する。ほう? と下世話な思考もはたらかせつつ意外な展開に口の端を吊り上げた。

 イヴというのは、最近少年と(少なくとも傍目には)仲良くしている少女である。怒りっぽいのが玉にキズだが、なんだかんだで少年とはそれなりに良い関係を築けているようだ。先日なぞ帝都でデートまでしたらしい。最近の子って隅に置けないわよね、とリディアが言っていたのを思い出す。バーナードの方は『女の子とデートとか羨ましいわしもしたい妬ましい』、と大人げなく嫉妬の炎を燃やしていたのだが。

 

「お? なんじゃ、イヴちゃんのことは気になるんかいな? くくく、お主もなかなかムッツリじゃな。なーに、お年頃っていうやつじゃしの。それでどの辺が好みなんじゃ? 玉のようなお肌? それとも恥じらうときの可愛らしさかの? それとも」

「黙れ。その減らず口ごと燃やすぞバーナード=ジェスター」

「怖ッ」

 

 やっぱりあの日のこいつは錯覚じゃなかったかもしれないと思ったバーナードであった。

 自業自得である。

 

「……はぁ。そういうんじゃないです、あいつとは。仲が良かったのも、俺じゃ……」

「まーまーそう恥ずかしがるなって! よし、このやる気/Zeroのガキんちょが人間として一歩前進したお祝いにエロ本でも」

「リディアさんにイヴのこと『そういう目』で見てたってチクりますよ」

「やめてぇ! わし去勢されちゃう!!」

 

 なんだったら今までのセクハラ問題のせいでいい機会だもんねバーナードさん、とか言われそうですらある。

 自業自得である。

 

「だいたい、そういう話だったらあいつにはもっとふさわしい奴がいるでしょう。俺みたいのじゃなくて」

「え〜、大事なのはお前さんの意志じゃろ〜? ひょんなことから自覚する恋心! めくるめくラブロマンス! 美しい夜景をバックに一世一代の大告白!! ……みたいな」

「冗談は顔だけにしてほしいんですが」

「でもイヴちゃんの方も気にかけとるようじゃし、案外脈アリかもしれんぞ?」

 

 辛辣な一言をさらっと無視し、お節介焼きの少女を思い浮かべてみる。

 尻に敷かれる光景しか思い浮かばないが、イグナイトというお家柄、偏見や隠謀とは関係なしにイヴと接してくれる人物は希少である。さらに言えばイヴ自身の出自のせいで彼女はイグナイト家内部にすら味方がいない。唯一の例外と言えるのは実姉のリディアぐらいなものである。

 

「……イヴは優しいからこっちにも気を回してくれるだけです。お節介焼きでしょう、あいつ」

「まあ、イグナイトにいるのがかわいそうになるくらいには良い子じゃよなぁ」

「……そういうやつだから、いらないことまで律儀に背負い込むことになるんです。気にしなくて良いことなら、気にしない方が良いのにさ」

 

 お節介焼きの優しい少女だから、自分を気にかけてくれて、なにかと世話を焼いてくれる。

 地面に座りこんで、さもそれが迷惑であるとでも言うようにぼうっと遠くを見据えている。

 

「良いやつは良いやつと一緒にいりゃいいんです」

 

 一つ息をついてから立ち上がる。

 

「俺じゃない」

 

 朝日に目が眩んだのだろうか。太陽に背を向けて、やはり無表情のままどこかへと視線をさまよわせる。小さい背中が煤けて見えた。

 

「……面倒臭いやつじゃのう」

 

 ボリボリと頭をかきながら嘆息する。

 別にバーナードはこの少年の社会復帰まで請け負ったわけではない。あくまでも、単身で魔術師を惨殺した……と、思しき危険人物を見張るために引き取っただけである。だがそれでも、子どもを放り出す気にはなれない。それがどれだけやる気のないひねくれた人物でも、せめて生き延びる術くらいは与えてやらねばならないだろう。

 

「……手始めに、格闘術でも仕込んでやるかのぅ」

 

 余談だが───

 

 それはそれとして物騒、もとい自暴自棄な回答がご不満だったバーナードによって、彼はこれからミッチリしごかれることになるのだが。それはまあ、彼の言う『気にしなくても良いこと』そのものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───ッシュ、危ない!」

「ン」

 

 背後から飛んできていたらしいゴーレムの爪を無意識かつ自動的に迎撃しつつ、ついでに胴体ごと粉砕する。

 声の方はよく聞こえなかったが、なにかあったのだろうか。視線だけを寄越すと、同年代にしては屈強な身体に魔術師然としたローブと杖を携えたカッシュがいた。ぱくぱくと、魚のように口を開けたり閉めたりしている。やはりなにかあったのだろうか。前方に舞い降りていた一体の頭部を短剣で粉砕しながら考えてみるが、周囲に危険物はゴーレムと自分以外見当たらない。

 

 もしや心配などされてしまっていたのだろうか。ありがたい話ではあるが、今は自分の身の安全に気を配ってほしい。こちらに気を取られていたせいで怪我などされてはたまらない。優しさは美徳だが、自分にかける必要はない。そんな資格も理由もないのだから、その優しさは別の誰かにとっておいてほしい。

 

 などと考えている間にも、また性懲りもなく新たな獲物(標的)が舞い降りてくる。敵の武器はその圧倒的な物量だ。効率は悪いが、片端からこうして対処していくしかない。体力が尽きない限りはほぼ無限に戦える自分は良いが、後ろにいる生徒たちはそうもいかない。そもそもが魔術師であるとはいえただの学生だ。現在は高い士気と的確な指示のおかげで膠着状態にまで持ち込めているが、それもいつまで保つものか。

 敵方の切り札は【メギドの火】のみとの話だが、それすら正しいかどうかはわからない。なにせ情報源があのあからさまに怪しい風体のナムルスなのである。鵜呑みにしろという方が難しい。ラザール改めアセロ=イエロを足止め、撤退させた際の威圧感から考えれば、ナムルスにとっては大したことのない戦力でも、こちらからすれば強大なものである可能性すら浮上する。『アレぐらいいけるでしょう?』という実力の見誤りとでも言うべきか。

 

 極端に言えば、こちらが確実に信じられるのはこちらが調べた情報のみなのである。空間歪曲のせいでまともに調べられていないが。

 幸い、現在校舎を襲っているゴーレムはそこまで頑丈というわけでもない。今の自分であれば素手であっても十分に破壊可能だ。さすがに生徒たち(一般人)には無理だろうが、元々身体能力だけが取り柄だった人間だ。なんだったら馬車でも余裕で持ち上げられると思う。馬ごと。

 

(十、二十……次)

 

 最小限の動きだけで放たれた凶器をかわし、代わりに熱線を放つ単眼(モノアイ)を片手で捕える。そのまま身体を翻して空へと跳ぶと、その手に捕らえていたゴーレムの頭部を割り砕きながら接近してきていた個体を膝蹴りで撃ち落とした。

 

 くるりと空中で一回転。あちらこちらに散らばっているゴーレムを踏み台にして、もう片方の手に握っていた長剣を振り抜きながら空を駆ける。足場にされたはずのゴーレムは、片端から光の破片となって消えていった。

 当然、ゴーレムとてただ黙って足場にされているわけではない。熱線を吐き出し、鉤爪を振り回して抵抗するも、すべて紙一重で避けられるか放つ前に斬り伏せられていた。

 

 人外じみた動きを披露している間にゴーレムの第二波が投下される。本腰を入れてきたのか、数は先よりも多い。一旦戻って体勢を立て直そうと屋上へと舞い戻るついでに何体かのゴーレムが爆散する。もうあいつ一人でいいんじゃないかな、と生徒は思った。なんだったら化け物かよとドン引いていた。リィエルという前例を知る二組は比較的平然としていたが。

 

 無数にも思える石人形から生徒と、そして防衛の要である校舎を守ること。

 それが自身の為すべきことであると理解している以上は、為さねばならない。それが自分に課せられた責務なのだと、今は自然とそう思う。それに否やを唱える理由もない。

 

 敵の攻勢が緩んだところで、一旦後ろに戻って体勢と呼吸を整える。擦り傷がいくつかあるだけで、十分に戦闘可能だ。

 生徒の方も、大きな傷を負ったものはまだいないらしかった。ひとまずは問題ない。

 

「お、おい!」

「……なんだ」

 

 短剣を構えている間に、背後から声がかかる。先ほど聞いたものと同じ声だった。顔は見えないが誰かはわかる。立派に杖なんて持って、自分から戦いに赴いたただの人間が後ろにいる。

 それは守るべき誰かであって、同時に自分のよく知る誰かでもある。

 

「む……無理とか、してないよな?」

「そっくりそのまま返そう。いざというときは素直に逃げろ」

「できるかっ! ただでさえ先生やお前に頼りっぱなしなのに、今さら逃げるなんて───!」

「なにも今逃げろとは言っていない。あくまでも選択肢の話だ。可能性はあるだけ良いだろう」

 

 視線は合わせないままで淡々と語る。

 正しい答えを選ぶということは、道がなくなるということでもある。そういうつもりで言ったわけではないのだろうが、道をなくしてしまうことだけは良くない。

 

 ちらりと、視線だけを後ろに流した。恐怖を隠しながらも自立して、それどころかこちらを案じるような瞳が見える。

 ……それが少しだけ、眩しくて痛い。

 怯えながらもそうあろうとできる姿が。そして、こんな自分を気にかけてくれる優しさが。

 

「……誰も彼も、まったくどうして───」

 

 夕焼けのような緋色が視界の端にチラついた。きっと誰かの攻撃を見間違えたのだろう。まだ日は高い。夕焼けは遠く、たどり着く前に偽物の太陽が大地を焼く。

 

 自分の周りにはどうも、優しい人間が多すぎて息苦しい。

 昔の自分なら、その優しさになにかを返せたのだろうか。

 もし、ずっと昔の自分に戻れたのなら───無意味だと分かっていてもそう考えてしまうのは、まだどこかに未練があるからなのか。

 

 太陽が、空を征く石塊に遮られて影が差した。

 今は立ち止まっている場合ではない。なにも残せずなにも得られず、なにも意味のない人間であったとしても。この戦いを止めることは許されない。自分だけは逃げ出すことは許されない。なにをしたくてこの時までずるずると生きながらえてきたのかはわからなくとも。あの毎日が続いてほしいと、そう思ったことは本当だ。

 

「心配は無用だ。自分と仲間の心配をしていろ。……俺のことは、気にしなくていい」

 

 言い残して、逃げるように駆け出した。

 

 戻ってきた日差しが眩しい。希望は空を走っている。自分がここにいる必要はない。自分がいなくても、世界は滞りなく進むだろう。それはきっと事実で、そのことに少しホッとした自分がいる。

 

「なあ!」

 

 後ろから声が聞こえる。

 

「これが終わったら、絶対、みんなで打ち上げ行こうな───!!」

「───……」

 

 精一杯の虚勢に答えは返さない。新しい約束はもう交わさない。未来の話はもう自分には必要ないのだから。

 

「……まだ、付き合ってもらうぞ。お前が堕ちるその時まで───」

 

 戦いは、まだ終わらない。




あ、このたびポケモン剣盾を履修しました。少年少女の青春は心を潤しますね。自分に足りなかったのはきっとこれだったんだと思いました。落としてばかりでちゃんと上げてこなかったのが悪いんだきっと。また一つ勉強になりました。

これからはちゃんと上げてから落とすことを心がけます。いいですね、青春。


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51.膠着する戦い、進展する絶望

難産が続く中、ストックをまた作り始めたので少しは更新ペースも戻るはず……でもこの先本当にどうしようかな、と悩み中の焼き肉です。いっそほのぼの分補給のための番外編でも書こうかしらん。
というわけで結局三ヶ月かかりましたがこれに関してはマジで研究室と就職活動が忙しいのが原因です、はい。暇がねぇ。
読者の皆様におかれましては、気長にのびのびとお待ちいただければ幸いにございます……(平身低頭)


 地上でいくら奮戦しようとも、彼らだけではフェジテを守りきることはできない。

 この都市と、そして帝国の未来を握るのは、地上ではなく空を往く勇士たち───すなわち、(セリカ)に乗って古代の英雄の舟へと乗り込んだ愚か者たちである。

 

「くそっ、次から次へとキリがねぇな……!」

「ん。飽きた」

「先生、愚痴言ってないで手を動かしてください! 今の戦力は私たちしかいないんですよ!?」

「わーってらぁ、少しくらい言わせろよ!」

 

 暴風、剣戟、銃声。

 道を埋め尽くす石塊を、あらゆる暴力が粉砕する。

 悲鳴の代わりに呪文が飛び交い、苦悶の代わりに石塊が砕ける音が響いた。たどり着くまでにも数多の困難が存在したのだが、それらはすべて予定調和。どれほど奇跡のように思えたとしても、然るべき人材と然るべき行動、然るべき環境が整っていた以上は当たり前に為されることであってわざわざ語る理由はない。

 さすがにセリカドラゴンを撃ち落とさんと猛威を奮った船の装備が地上からつるべ打ちにされるとは、グレン=レーダス以外だれも考えていなかったのだが。

 

 ともあれ、そんな面白おかしいエピソードを仲間内で共有しながら、グレンたちは第一関門───船への接触に成功した。第二の関門こと空間歪曲───《炎の船》内部に仕掛けられたそれは既にルミアによって突破されている。道中に見慣れた、憎たらしいことこの上ない(正義)の死骸があったことさえ今はどうでもいい。

 関門を突破してしまえば、あとはスピード勝負。いや、地上の戦力が無限ではない以上はじめから速攻撃破が要であったのだが、事ここに至りその必要性はさらに増した。

 それというのも───

 

「ルミア、俺から離れんなよ!? 危ないから妙なことはすんな!」

 

 銃弾を湯水のように吐き出しながらグレンが吠える。荒げられた声が向かう先は、巨大な鍵を携えて通路にひしめくゴーレムへと歩み寄るルミア=ティンジェルだ。

 だが焦燥に駆られたグレンの言葉に、ルミアはただ安心させるように微笑んだ。

 

「大丈夫ですよ、先生。今の私なら……」

 

 くるん、かちり。

 聖女のように澄みきった穏やかな声音で応えるルミアの手元で、鍵を回すような音が鳴る。

 

 それと同時に、グレンたちの背後に迫っていたゴーレムの悉くが得体の知れない異空間へと追放されていく。

 涼やかな音と共に引き起こされた現象に、グレンの背筋を冷たい汗が伝う。これでルミアが意味不明な力を振るうのも既に三度目。魔術では説明のつかない現象に怯えはない。引き起こしたのがルミアであるのだから、怯える必要などあろうはずもない。

 

「……ほら。私、ちゃんと戦えるんですよ?」

 

 首をかすかに傾けて、にこりと微笑むルミアの顔はいつもと同じ。慈愛と献身に満ちた、天使とすら形容できてしまいそうな笑顔。

 それが、今はなによりも、未知の兵装と現象よりも恐ろしかった。

 

 笑顔でいることが本心から満ち足りていることとイコールだとは限らない。それはもうここまででいやというほどに理解した。理解するのが遅かったとはいえ、それだけは間違いない。

 ルミアの手元にある《銀の鍵》……この超常現象を引き起こしたであろう不思議な〝鍵〟を振るうたびに、ルミアの笑顔は人形めいていく。

 

 本当に嬉しいのだ、と語りながら、どこかのなにかがズレていく。

 一度、既に取り落とした既視感。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに愕然としたときのあの感覚に、それはよく似ていた。

 

 彼の時は関わらなかったが故に隠し通された危うさを、ルミアもまた抱えている。だが気づいたところでできることなどなにもない。往々にして運命、世界とはそういうものだ。只人の前にはいつだって、理不尽と不合理が傲岸不遜に横たわっている。

 ……まあ、もっとも。ルミアが歪みを抱えているなどと件の少年に言ったならば、彼は彼なりに考えた上で『ルミア=ティンジェルは歪んでなどいない』と断言しただろうが。

 

「……ルミア。いいか、もう一度言うぞ。その〝鍵〟は、もう使うな」

「でも……」

「でももヘチマもねぇ。いいか、こっちにゃ生意気だが優秀な白猫と、物を壊させたら天下一品のリィエルがいるんだ。お前がそんな不気味なモン振る必要はねぇんだよ」

 

 ほんの僅かな時間訪れた静寂の中で、グレンはルミアの目を見つめながらそう真摯に伝える。

 グレンにできるのは、訴えかけることだけだ。

 頼っても良いと、無理をして戦う必要はないのだと。自分ひとりで、そんなものを背負う必要はないのだと───

 

「でも、先生。私、今までたくさん、いろんなひとに、いろんなものを背負わせてきたんですよ?」

 

 ───その言葉が、届くかどうかは別にしても。

 

「私だけなにもせずにいるなんてできません。戦う力があるんだから、戦わないと。ほら、アッシュ君も言ってたじゃないですか」

「そういう話じゃねぇ! いいか、俺が言ってるのは───!」

「……今まで、私のせいで同じことをさせてきたのに。今さら逃げろなんて、そんな虫の良い話はないですよね?」

 

 かくん、と首を傾げるルミアに、息が詰まった。

 グレンを責めているのではない。ルミアは今までと同じように、責任感と罪悪感から自分が安穏と過ごすことを拒絶している。たとえ周囲が、そうあって欲しいと望んでいても、だ。数年間もの間秘められ、この数ヶ月でねじくれた感情は彼女の心を完全に固定化させていた。

 

「大丈夫。大丈夫です。いつもと同じだなんて、もう言わせません。みんなは、私が守りますから……ね?」

 

 誰よりも一緒にいたが故に、システィーナは声をかけられなかった。

 ルミアが言っていることは、損得勘定だけで言うのなら間違いではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、というだけの話なのだと少女は語る。

 

 ルミア=ティンジェルは語らない。

 語るどころか必死に目を逸らしているのだから当たり前だ。

 そしてさらに不幸なことに、彼女の近くには彼女の心を軋ませながらも『平気なフリ』が誰よりも得意だった人間がいた。実際彼がどう思っていたのかなんていうのはわからない。だけどなんでもない自分を装うことだけは自然と上手くなっていった。

 ルミアとて自分がおかしいことくらい理解している。自分を犠牲に周囲を助けようなどというのは偽善であり生物としての欠陥だ。それが周囲に与える影響だってわかっている。自分は間近でそれを強制し続けてきたのだから。

 それでも、今までの代償は、皆に背負わせてきた苦痛は自分が背負うべきなのだと、愚直なまでにルミアは心を固めていた。

 

「ルミア」

 

 それに待ったをかけたのは、リィエルだった。

 相変わらずの無表情に、かすかな焦燥と寂しさを滲ませて。語るよりも行動で示す戦車にしては珍しく、言葉で友に訴えかける。

 

「グレンの言った通りにして。もうそれ、使わないで」

「リィエルまで───」

「いいから」

 

 語る言葉は少なく、その時間さえ与えぬというように再び船内にゴーレムが満ちる。

 だが、それをルミアが駆逐しようとするのを抑えて、リィエルが一歩前に出た。手には大剣。奪うために培われた力で、かけがえのない友を守れるとはなんという幸運か。……だが、リィエルの瞳に戦いへの誇りはない。

 

「ルミアが───ルミアも、いなくなっちゃうのはいやだから……」

 

 小さくこぼしながら大剣を構え直し、敵の群れに向けてぶん投げる。

 リィエルの膂力で投擲された大剣は、破砕音を撒き散らしながら奥へ奥へと飛んで行く。どこかで見たような光景が空で再現され、同じように敵が壊れていく。

 

「ほら。わたしも強い。だから大丈夫」

 

 新しい剣を作りながら、むん、とのんきに力こぶを作ってみせる。

 そんなリィエルの様子に多少なりとも気が抜けたのだろう。息を詰めていたシスティーナが、生唾を呑み込んでから魔術を練る。

 

「そうよ、ルミア。あなたにはみんながついてるんだから。ひとりで背負い込まなくて良いの」

 

 努めて優しく、それでいて毅然と、いつものように。

 ルミアが背追い込みがちな子であることは、システィーナが一番よく知っていた。告げた言葉は紛れもない本心だ。だけど、喉に魚の小骨が刺さったような感覚は消えてはくれなかった。

 

 原因は明らかだった。自分の言葉を、システィーナ自身が信じられていないから。だからこんなに心が苦しい。

 なにがみんながついている、だ。窮地であったから、付き合いが短かったから、実力を信用していたから───そんな言い訳を無意識に思い浮かべながら、仲間と、そう呼べる人間を身勝手にも思考から切り捨てた自分に、果たしてそんなことを語る資格はあるのだろうかと思考する。

 

 それでも語るしかない。それしかできることが思いつかない。

 烏滸がましくとも欺瞞に塗れていようとも、同じことを二回も繰り返してはならないのだと、やはり言い訳のような言葉を抱きながらシスティーナ=フィーベルは暴風を巻き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空で致命的な取り間違いが起こりかけている中で、地上の状況はほとんど変わってはいなかった。

 

 迎撃、防御、迎撃、防御、迎撃。

 遊撃手を筆頭に、即席の兵士たちはこの数時間で鍛え上げたとは思えぬほどの能力を発揮していた。

 

 その中でもひとつ、戦果が飛び抜けているのは───やはりというか、なんというか。

 

「《こ・の・バカ》ッッッ!!」

 

 そんな怒鳴り声と同時、紅焔が吹き荒れる。

 普段であればゴーレムごとき灰塵に帰してなお余りある威力のそれは、今に限ってはひどく頼りない。

 それでも今代の紅焔公(ロード・スカーレット)として洗練された炎は無機質な兵器を遠慮なしに焼き焦がした。

 

 爆風の中から、人影が煙を切り裂いて現れる。呪文を練るイヴの傍ら、氷柱が突き立ってゴーレムを串刺しにした。いつの間にこんなものを覚えたんだ、と唇を噛む。

 弱くあってほしい───否、それは少し本音とは違っているが、戦いとは無縁の存在でいてほしかったことは確かだ。もし巻き込まれても、どこかで縮こまっていてくれればどれほど気が楽だっただろう。そうしたら、きっと今度こそ■■■(守って)あげられるはずなのに───

 

「進言。火力が不安定すぎる。もう少し落ち着いてはどうか」

「うるっさい、黙ってろこのトーヘンボク……! あんたの助けなんかいらないんだってば! いいから大人しくすっこんでなさい!」

「あの、イヴさん、お気をつけください! 次の波が───」

「ああもう、わかってるわよ!」

 

 生徒の声が終わるよりも早く炎が上がる。遠くからやってきていたゴーレムの一陣が、その爆発でぐらりと傾いだ。……やはり調子が悪い。この距離でなら、余裕ですべて木っ端微塵にしてやれたはずなのに。

 先日のどこかしんみりした会話はどこへやら、イヴは呪文に紛れさせながら罵倒を飛ばしている。肝心の飛ばされている側は、特に気にしていないのか淡々と剣を振り続けている。既に破壊したゴーレムは十や二十ではきかない。

 

「調子が悪いなら素直に退がれ。もとより病み上がりだろう」

「病み上がり云々はあんたに言われたく、───だから、少しは周りに気を遣えってのよ!!」

 

 セリフを途切れさせて、詠唱。作業のように敵を屠る少年の背後にいた一体の射線がブレて、熱線が空へと打ち上げられた。それに反応するよりも早く、長剣が残像を置き去りに振るわれる。

 投げ飛ばされたはずのそれが不可思議な軌道を描きながら戻ってくるのを見届けるまでもなく、いつの間にか取り出した小剣を撃ち込みながら石塊を足場に宙を駆ける。いつからお前は曲芸師になったのかと言おうとして、遠くでバーナードがまるっきり同じことをしているのを目撃して言葉に詰まった。───あのジジイの仕業か。今度シメよう。

 

「……あ、の、ね。やるなら、もう少し、ものを考えて、戦いなさい」

「ああ、考えている。あの程度の攻撃なら受けても支障はない」

「こっちに支障があるってんのよこのバカ、ポンコツ、朴念仁!!」

「……そこまで悪し様に言われるほど、俺はそちらに負担をかけているか」

 

 負担というのではないが、と言う前に淡々と「うん、それは本意ではないのでこちらのことは気にしなくて良い」と宣う旧友にイヴは盛大に頭を抱えた。

 一ミリも伝わっていない。

 

「だから、そうじゃないっての……!」

 

 こいつ、チームプレイど下手くそか! とイヴが叫ぶ横で、態勢を立て直した生徒たちにより攻性呪文(アサルト・スペル)の一斉掃射が行われる。

 その最中、誰にも気づかれないぐらいにするりと自然に、撃ち漏らしを叩き落としに行く姿を認めてしまい、思わずといった様子でイヴがそれに参加した。

 

 校舎に張り付いたゴーレムを炎で吹き飛ばすのは校舎まで傷ついてしまうのでアウト。ほどほどの威力で叩き落とすか、炎熱系以外の呪文を使わなければならない。やってできないことはないが、面倒くさいことこの上ない。

 そうした意味合いでは、攻撃力もある上に遠近どちらもこなせる彼───アシュリーの参戦は戦力的に頼もしいのは間違いない。……イヴとしては、頼もしいのがまた腹立たしいのだが。

 

「イヴさんの言う通りですわ! 無理はしないでくださいませ……というより、この状況でどうしてそんなに平然としていられますの!?」

「───、? そうか?」

「してるわねぇ。肝が据わってるっていうか……」

「ふむ」

 

 むしろ雰囲気がガラッと変わっていて正直少しおっかない、とはさすがに口にできなかったウェンディとテレサである。

 これでも一年と少しの付き合いくらいはある。様子が若干おかしいことには気づいてはいるものの、しかしよくよく思い返せばそうでもないような気がしてくる。確かに普段、会話の中での反応は大仰だったけれど、なにもしていないときはこれくらい淡白だったような。

 でもやっぱり口調はいつもより数段堅苦しい、がなぜだかあまり違和感がない。違和感がないことが違和感とも言えるだろうが、明確にその違和感の正体を掴もうとするとモヤのようにすり抜けていく。

 

 ……というより、一応指揮官であるはずのイヴがやたらとアシュリーに噛みつくのが解せない。先ほどから、なにかに駆り立てられるように罵倒を飛ばし続けている。

 なにをそんなに気にしているのか、アシュリーがなにかしらするたびに騒いでいる気がする───代わりに、指揮と魔術のキレは格段に増したが。魔術の行使には術者の精神状態が大きく影響する。イヴの戦力評価が向上したということは即ち、それだけイヴが強く感情を揺さぶられているということの証左だった。それが良い方向か悪い方向かは、ひとまずおいておくが。

 

 危険な最前線を受け持つのは自分の役目であるとでもいうように、とにかく前に出て敵を蹴散らすアシュリー。全盛期の派手な火力こそないものの、なんとかそれをサポートしているイヴ。相性は悪くないのか、一時期は遊撃部隊がこぞって集まっていた戦域はいつの間にか安定していた。

 魔術による一斉攻撃の間を縫って飛び交う小剣と長剣に最初こそ生徒たちは怯んでいたが、二組の面々が平然と攻撃を続けているのを見て吹っ切れたらしい。

 

 無論、余裕があるというわけではない。叩き潰されるということがないだけである。

 だが防戦において、叩き潰されないというのは勝利条件に等しい。このままの状況が続けば、まず負けることはないだろう。───この状況が続けば、の話だが。

 

 上空から敵を殲滅する船の主砲と【メギドの火】。地上制圧兵力であるゴーレム群。今でも十分脅威ではあるが、かつて地上を支配した魔人の兵装にしては頼りなさすぎる。……もう一つか二つ、隠し球があると見るべきだろう。

 そうなれば、確実に敗北は必至。《炎の船》に乗り込んでいったグレンたちは無事で済むだろうが、地上が焼け野原になっては意味がない。それは実質的な敗北だ。今回の最終的な勝利条件は、撃滅ではなく防衛なのだから。

 

 現状、確かに戦線は拮抗しているが、それはこの状況を永遠に続けられるという意味ではない。こちらの兵力は人間。否応なしに疲労は溜まるし、魔術を奮うためのマナにも限界がある。そもそも【ルシエルの聖域】を維持できなくなればその時点で詰みだ。それに対して敵の兵力は質こそ低いものの、数において圧倒的に勝るゴーレム群。疲れ知らずな上に残機が不明とくれば、長期戦はこちらが不利だ。

 万が一くらいの確率で、敵兵力が想像よりも少なく、生徒と特務分室だけでどうにか凌ぎ切れる……という可能性もなくはないが、侵攻ペースを見るに可能性は所詮可能性、といったところであろう。

 

「……なによ。まだ敵が増えるって?」

「その可能性は高いだろう。……尤も、そうなったとてこちらにこれ以上吐き出せる戦力はないのだが」

 

 だからこそ速攻で撃破しなければならないのだが、それは空の殴り込み部隊に期待するしかない。つくづく不利な戦場だとため息の一つもつきたくなる───が、それは余分な情動(ウェイト)だ。そもそもその不利な戦況をひっくり返すために戦っているのだから、無駄に士気を下げる振る舞いは好ましくない。

 杞憂であれば良いが、と言葉を吐くのみに留めて剣を握り直す。そうはならないだろうと直感が告げていたが、ひとまずはそれで良いだろう。軍隊を相手にした記憶はあるが、そのときは首領格を真っ先に討ち取ってしまったから今回の戦いの参考にはできな───

 

「……これは、どちらだったかな」

 

 実際にこの身体で軍隊を相手に立ち回ったことはない、と思うのだがなぜかそんな記憶はある。要するに『アシュリー=ヴィルセルト』の記憶ではないはずだが、妙に馴染んでしまっているので正直どっちが自分だかわからない。いや、『自分』などないも同然なのだからどうでも良いことではあるのだが。

 中途半端な感覚は戦闘に差し支えるのだが仕方がない。今にはじまったことでもなし。別に気にすることもないだろう。そんなことより優先すべきことは山ほどある。

 

 もし本当に、敵に追加戦力があるのなら───そろそろだ。

 一旦体勢を整えて、腰のベルトに小剣を引っ掛ける。魔剣はいつでも振り抜けるように構えておき、意識を一段、戦闘用(■■■■)のものへと切り替える。

 

「……嘘でしょ!?」

 

 屋上にいた誰かの叫びは、半ば悲鳴に近かった。

 空の向こうに見えるのは黒い粒。否、それは増援のゴーレムであり。それ自体は幾度となく繰り返されてきた光景だ。

 問題は、その数。今までよりも遥かに多い黒点の数に、今までなんとか耐え凌いできた生徒たちは一気にパニックに陥る。それもそうだろう、今までの士気の高さは『この量なら耐えられる、耐えれば勝てる』という希望が要因であったのだから、その前提を覆すような敵襲があれば当然の如く戦意は揺らぐ。

 

 それでもたかだか数が増えただけだ。そう鼓舞して、生徒たちは戦域に留まり続ける。足の震えは収まっていなくても、退けば多くのものが失われる。

 

『伝令! 敵方の攻勢が激しくなった! 生徒諸君は死なないことを一番に考えて戦え、良いな!』

「承諾した。生徒が防戦に入るなら、その分は俺が削ぎ落とそう」

『は? ちょ、この通信取ってるのもしかしてアシュ坊? いや、おぬしも生徒じゃろうて───』

 

 バーナードの鳩が豆鉄砲を食らったような顔、もとい声をまるっきり無視して通話を切る。意図したわけではなかったが、横合いからゴーレムが迫っていたので仕方がない。周囲が絶句しているような気がするのは気のせいだろうし、実際増員されたゴーレムの対応に追われてそれどころではないので間違いではない。

 

「───ちょっと、どういうことですの!?」

 

 不覚。気のせいではなかったらしい。

 半ば作業になりかけている動作(殴って斬って壊すだけの簡単な仕事)をこなしながら、数瞬だけ言葉を選んで返す。

 

「聞いた通りだ。戦線維持は限界が近い、と総指揮官が判断した。お前たちも無理だと思ったら素直に退け」

「い、いえ、そうではなく……というかゴーレムの頭を砕きながら話をしないでくださいます!? ものすごくおっかないのですけれど!」

「ウェンディ、ウェンディ。落ち着いて」

 

 希望の見えない状況と、それにも関わらず淡々と話すクラスメイトの姿にパニックがピークに達したらしいウェンディがわめき散らす。無理もない。そもそも命をかけて戦うこと自体、平和な環境で生きてきた人間には耐え難いもののはずなのだから、ここまで戦えたことそのものが既に奇跡に近い。

 

 ならやっぱり、ここから先は自分の仕事だ。

 楽しくも嬉しくもないけれど、それぐらいはやらないと割に合わない。ここにいるのは『アシュリー=ヴィルセルト』とは違って立ち向かうことを選んだ人間たちだ。それに報いたいと思うし、尊敬もしている。

 間違いばかりでなにをすることもなかったモノが彼らの生きる道に貢献できるのなら、それは善い事だと正直に思える。

 

「ここで退いたらフェジテが……!」

「ここで退かねばフェジテの前にお前が死ぬぞ。命が惜しいと思えるのなら大事にしておけ、一般人」

 

 どの口がほざくか、というセリフが聞こえた気もするがこれも無視。

 残念なことに一般人からは外れてしまっているので、自分には適用されないのだ。

 

 そう、だからこれで良い。

 

 剣を振るう腕が軽い。現状と利害が一致しているためだろう。いや、この現状さえ()()()()()()()()()()()()()()

 なにがあっても、なにを取り落としても、この戦いだけは絶対に凌ぎきる。

 

 それだけ、それだけが自分の成すべき───望むべき全てであって。

 

 だからきっと、しこりのように残る感覚はただの勘違いだ。

 今までの自分は嘘に塗れていたけれど、自分のしたいことにだけは嘘はついていなかったはずなのだから。

 

 ……どれほど戦っていたのかがわからなくなった頃、中天にあったはずの日が翳り始める。

 一挙に飛来したゴーレムは既に大半を撃ち落とした。これ以上の物量がきたところで、兵士たちを押し留めるものはなにもないだろうと誰もが思った。

 日が翳ったとしても、彼らの意志は曇らず、最後まで戦い抜いたことだろう。

 

 ───不意に、彼らの想像を打ち砕く化け物が現れさえしなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずん、と響く、体を芯から揺るがすような鈍い音。

 

 攻撃、ではない。《炎の船》に搭載されていた対地砲は既にアルベルトによって破壊されている。そも、【ルシエルの聖域】が健在である以上は遠距離からのエネルギー攻撃ではあり得ない。であれば、なにが───

 

「───うそ、」

 

 鈍重な動きで、巨大なナニカが天から校舎を目掛けて落ちてくる。

 

 その段階に至り、ようやく彼らはそれを認識した。

 

 不恰好な石塊を、さらに不恰好なヒトガタに組み上げたような威容。だが目を引くのはその巨大さだ。そびえ立つ校舎をゆうに越える巨きさのそれは、形容するならば神話の巨人のようでさえあった。

 巨人は手のような構造をした部位を固く固く握り締め、自らの器に許された単一機能を以て眼前の障害を排除せんと高く高く振り上げる。

 

 即ち、殴打。

 古来より純粋な暴力として存在してきた能力、ヒトが道具を手にするよりも以前、自然と生きる獣であった頃から親しんできた武器。

 それを、巨人は───ヒトとは比べ物にならない規模(スケール)で、真っ直ぐに南館の学舎へと振り下ろして───

 

「逃げて、ウェンディ───!!」

 

 誰かが逃げながらどだい不可能なことを叫ぶ。後ろには、一人の少女が足をもつれさせて転がっていた。

 拳は寸前まで迫り、もはや到底間に合わない。それに寄り添うように、もう一人の少女が駆け戻り、ただ静かに眼前の死を見上げていた。

 

 誰も間に合わない。この戦場初めての犠牲者を求めて巨人が風を切りながら剛腕を振り下ろす。

 

 普通の戦場なんて、そんなもの。

 普通の世界なんて、そんなもの。

 ただの人間が運命を決めることなんてない。

 ただの選択が世界を変えることなんてない。

 世界を変えるのは、いつだって選ばれた英雄だ。

 安穏とした日常を生きる人間は、そんなごく一部の誰かを知らないままに、その誰かに自分の生命を託している。

 

 だけど御伽噺に語られるような英雄なんてどこにもいなくて、いないものはなにもできない。

 

 だから───せいぜい彼らにできるのは、最後まで終わりを見届けることくらいで。

 優しい人間が、ギリギリ、なんとか、みんなで命を拾えるかもしれないくらいの無茶に走るくらいで。

 

 

 

「──────」

 

 

 

 『彼ら(普通)』でない『誰か(英雄もどき)』は、当たり前のように彼らの目の前で魔剣を振り上げた。

 

 あの巨体に立ち向かうというには、彼の体躯はあまりにも頼りない。たとえこの場に至るまでに数多の死線をくぐり抜けてきていたとしても、確実にただでは済まないだろう。それをいなす確信があるのか、あるいはただの蛮勇か。

 くすんだプラチナに、魔力の輝きが炎のように煌めいている。

 

「待っ───」

 

 誰かが誰かに手を伸ばそうとして、躊躇うように引っ込めた。

 傷つけるばかりの自分になにができるだろうと、その悔恨が彼女の腕を押し留める。

 

 留められることのなかった切っ先と、天より落ちた災厄の拳が激突する。

 

 南館の校舎を、轟音が支配した。




話は変わりますがトラオムクリアいたしました。
シグルドさんと並び、ジークフリートさんが大好きな焼き肉は卒倒しそうになりました。あんなん要塞やん。クリームヒルトさんもベリーグッド……。ただしお迎えはできませんでした……。
『Fateで何か書きたい……欲を言うなら竜殺しで何か……でもジークフリートさんにはジーク君がいるしな……』と始めた拙作ですが、ジークフリートさんにしなくてマジでよかったなと思いました。チートやあんなもん。いやシグルドさんも別方向にチートだけど……。ともあれ、推しが活躍していて大変嬉しい。アスラウグのこともありますし、今後もジャンジャン竜殺しファミリーは仲良くしてるところをマスターに見せつけてほしいなと思った次第であります、まる。
シグルドさんとブリュンヒルデさんの甘々ラブラブカップルを見るたびにそれに比べてうちのアシュくんは、と思ってしまうこともしばしば。原典と二次小説、本物と借り物である以上は比べるべくもないのですが、度々名前や経歴の類似性で話題に上がる例の彼は調べた限りだと色々あったのを乗り越えて女の子とキャッキャうふふしてるっぽいのに……とも思ってしまうのでした。君の漢気や、何処。
根性を見せるんだ。
ほら、ちょうどよく強敵もきたことですし、ネ?


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52.終幕に手向けを

就活! 内定!!
ただし原稿は終わらん!!!!


 ───退屈そうに笑う男だと、思った。

 

 息抜き、というよりは息継ぎのような時間。きっといるだけでよかった。彼の方がどう思っていたのかなんて知らないけれど、少なくとも私にとっては数少ない安らげる時間だった。

 友達と見る景色は楽しくて、眩しくて、嬉しくて。

 

 だから今でも後悔している。

 

 お互いにもっと良い時間なんて求めなければ、今でも、彼は、どこかで笑ってくれていたんじゃないのかと。

 笑わないよりは、きっと、その方がずっと良かったはずなのに───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がらり、と瓦礫を押しのけて立ち上がる。どこかで感じたような既視感に軽く頭を振った。……ああ、そうか。そういえば、今年の初めに似たようなことがあったような気がする。

 腕は少しだけ痺れていたが、動かすのには問題なさそうだ。軋む感覚があるのでもしかするとヒビくらい入っているかもしれないが、折れてないなら問題ないだろう。丈夫な方だと思っていたのだが、それでもこの威力となると、改めてイヴたちに当たらなくて良かったと思う。

 やり方が拙かったのか、人的被害と校舎の破損は最低限に近くはできたもののこっちが被害を被ることになってしまった。わずかに咳き込む。別に血がついていたりはしなかった。十二分に継戦可能だと判断して戦力評価を更新した。

 

「───、───! ───!」

 

 遠くで声が響いているが、衝撃のせいなのかうまく聞き取れない。

 それにしてもとんでもない隠し球があったものだ。なるほどあんなものがあるのなら、大抵の都市はひとたまりもないだろう。(おお)きさはそのまま脅威になる。

 (おお)きい=強くて怖い。以上、人類にとってはわかりやすいことこの上ない方程式である。それに抗しうるのが戦士、ひいては英雄なのであろうが、あいにくと自分では中途半端な結果しか導けない。───不甲斐ない。英雄本人であったなら、このような後れは取らなかっただろうに。

 

「───バカ! 起きろ! そんなところで寝てるんじゃないっ!!」

 

 ようやく明瞭に聞こえた声で現実に引き戻された。混乱の隙に乗じて舞い込んできたのだろうゴーレムが一体すぐそばで砕けていた。剣を振り抜いた体勢になっているところを見るに、やったのは自分らしい。無意識のうちに破壊していたとは我ながら常人離れしてきたと思う。……存在を騙る自分でこれなのだ。本家本元がどれほどのバケモノだったのかは想像もしたくない。

 前を見れば、なんとも言えない表情で罵倒を飛ばすイヴの姿があった。

 よかった。どうやら、ちゃんと無事だったらしい、と自分でも無意識のうちに胸を撫で下ろした。

 

「バカ、ほんとバカ! なんだってあんなのを真っ正面から受け止めようとしてんのよ! 下手したら死ぬところだったわよ、このポンコツ!!」

「……ああ、ええと」

 

 意識がまだ混濁しているのか、多少緩んだ状態になってしまう。それはよくない。まだ戦いは終わっていないのだから、再現に徹しないと───だけどもう少しだけ、最後の余韻に浸っていたいような気持ちもある。自分もまだ未熟だとため息が漏れた。そんなもの、資格も理由もないというのに。

 それどころではないと頭を振って、戦場を見渡した。ほんの少し前、唐突に現れた巨人はいまだに健在であり、そこかしこで拳を振り回して暴れている。校舎が壊されるのも時間の問題だろう。結界の維持もどこまでできるか。

 

 目の前にいるのはイヴ一人だけで、他の生徒の姿は見当たらない。どうやら撤退に入ったらしい。おそらくは他の校舎も同様だろう。苦々しい顔で撤退するクラスメイトが容易に想像できるが、普通の人間にしてはよくやった方だろう。声をかけることはしないしできないが、きっとすべてが終わった後にでも先生が言ってくれる。

 士気の下がった現状では最善手だろうと思うのと同時、ついさっき転んでいた二人を思い出す。大きな血の跡も凄惨な死体も見当たらないということは、おそらくは無事なのだろうが。

 

「……そうだ。……ナー……ナーブ……、……あー、あの二人は?」

「……無事に逃げたわよ。あんたのこと、心配してたわ」

「そう、か」

 

 どいつもこいつもお優しいことである。それだけの価値が、自分にあるとは思えないのだが。

 ……訂正。派手に吹っ飛んでいった隣人を心配するのは人として当然のことだった。隣人と認められてしまっているらしいことは少々複雑だが、そこはそれ。元々混ざりきれてはなかったのだし、いなかったらいなかったでそのうち綺麗に忘れてくれるだろう。『俺』個人としては、そっちの方が後腐れがなくて良い。

 

 となると、問題は目の前の人間である。

 なぜまだこの場に留まっているのか、いまいちわからない。自分のことは放っておいて、戦うなり逃げるなりすれば良いのではないだろうか。

 それがわからないほど愚かな女性(ひと)ではなかったはずだ。であれば、なにかやり残したことでもあったのだろうか。

 

 どっかの誰かとの約束がない以上、自分を気にかける理由は消えたはずだ。

 そうでなければ、『俺』が今まで頑張ってきた()()()()()

 

 『俺』はず■と、()()が■で/どうで■よくて、す■■壊れ■しまえ■と/守■ない■/戻■て───

 

「…………っ」

 

 思考回路が断線している。脳裏に焔のような緋色がちらついて意識がまたズレ始める。ひび割れるような痛みに頭を振った。

 戦いから少しズレて、なぞる型が崩れただけでこの有様だ。……そもそもの記憶が、うまく思い出せないのもあるんだろう。

 

 崩れるのは良い。別のなにかになるのも気にしない。見え透いた破綻からは目を逸らして、失くしたものを探していくのも構わない。なにがしたかったのかさえわからないのも、まぁ良いだろう。

 だけど肝心の、なぜそうしたのかというきっかけが思い出せないとふと思った。

 帰りたかったのは本当で、取り戻さないといけないと思ったことも間違いではない。でもそれはどちらかといえば『■■■■■』の感情で、『俺』がそれを始めるまでは別の理由があったような気もしている。

 

 まぁ、思い出せないのなら関係ない。思い出す理由がないのだから別に気にしなくても良いだろう。そのはずだ。

 ……言い聞かせると、それでやっと頭痛は治まった。結局それがなんなのかはわからないけれど、こんな時にちらつくなんてきっとロクでもない(大切な)ものだったんだろう。思い出さない方が、たぶん誰にとっても幸せだ。

 

 それに今大切なのは目の前にある問題であって、俺のことなどどうでも良い。

 

「……なら、目下の問題はあの巨人か。巨人というには不細工でニセモノ感が凄まじいが、まぁ、なんとかなるだろ」

「ちょ……待ちなさい、なにを考えてるの? あんた」

 

 剣を握った腕を見咎められたのか、ギョッとしたような顔でこっちに視線を投げてくる。さすがに鋭い。昔から、この視線を誤魔化せた試しがない。

 

「なにって。アレは、誰かが受け持たないといけないだろう」

 

 そして現状、おそらくその役目にもっとも合致する能力を保持しているのは幸いなことに/残念なことに俺である。

 ならば俺がやるのが道理だろう。彼の英雄にできたのならば、俺にできない道理は……いや結構あるけど。それでも、他の誰かがやるよりもマシなはずだ。

 

「逸話はないが、()()はある。ならできるだろう。なに、別に世界を滅ぼす災厄というわけでもない。俺でも十分だ。……たぶん」

「な……んの、話よ!? あんな化け物を相手取ったことなんてないでしょう! それだけじゃない、戦う必要だってない、あんたは、だって、」

 

 ───平和に。穏やかに、充実した毎日を送るためにフェジテへ来たのではないのかと。

 気兼ねなく、笑って過ごせるような、そんな場所を求めていたのではないのか、なんて。

 

「……いや」

 

 彼女はずっと勘違いをしている。

 本当は逃げ出したいんじゃないのかと、なにもかもを放り出すことを期待している。訣別は既に済ませたつもりだったのに、未練がましくそんな希望に縋っている。

 わかっている。そんなことになったのは紛れもなく自分のせいだ。

 優しい(ひと)だと知っていたのに甘えてしまった。彼女のためを思うなら、もっと早くにどこかへ消えるべきだったのに。

 だって自分にはなにも返せるものがない。なにもかも台無しにするしか芸がない。より善い未来を目指すだろう彼女の世界には不要な存在だ。そんなこと、ずっと前から知っていたのに。

 

 簡単な話だった。危惧していたことはまさしくその通りになったのだ。───自分はまた間違えた。目先のものに囚われて、もっと遠くを見据えることができなかった。同じ轍は踏むまいと思っていたが、所詮は俺も同じだったらしい。

 彼女だけではない。この町には、お人好しが多すぎた。

 なら、その責任は取らないといけない。

 

「……もういいだろう。さっさとお前も逃げろ」 

「な、……んで、よ」

「ここにいたって、なんの意味もないだろう?」

 

 既に戦線は崩壊している。生徒たちの屋上からの避難も無事に終わった。未だにゴーレム群は舞い降りてきているが、ここまできたらそんなものはいようがいまいが変わらない。

 だからいるのはせいぜい自分くらいで、それを気にかける理由は彼女にはないはずで。ああ、ならどうして、まだ彼女はここにいるんだろう?

 

「───っ、私、は!」

「…………」

「私……私、は……」

 

 どうしてか口ごもる。そうこうしている間にも巨人は校舎を手当たり次第に破壊している。……魔術にはやはり詳しいわけではないが、結界も保って残り数分だろう。いかんせん動きが鈍重なことと、そもそもの校舎が大きいせいか巨人は南校舎には目を向け直していない。

 それもやはり時間の問題であるだろうが。あの巨人はある意味で平等だ。ただそこに在るものを壊すだけの、見境がないという意味では運命のようなものとも言える。

 

「……、……私、は」

 

 ……破壊音が大きくなってきた。これ以上は見過ごせない。

 巨人の頭部がこちらを捉えた。いや、人間の存在を知覚して狙いを定めたというよりは、まだ比較的破損の少ない南校舎に目をつけた、という方が正しいだろう。弾き返すのは不可能ではないが、大元を絶たないことにはどうしようもない。

 留まってしまったことが過ちだった。さっさと壊しに行くべきだったのに、また間違えてしまった。こうなると判っていたから、俺は『■■■■■=■■■■■■』のことが()()だったのに。そんなことまで、うっかり忘れていたらしい。

 

 だから最後に。

 間違えた先の最後の土産に、彼女の言葉を聞いておきたいと、柄にもなく思った。

 

 技量も器も、足りないものはいくらでもある。理性(英雄)は今すぐにでもあの巨人を破壊すべきだと鉄砲玉のように飛び出したがっている。

 ここから消え去りたくて震えている足を押さえつけて、彼女の内側に言葉が溜まるのをじっと待った。

 少女の言葉はいつかのように、少年の撃鉄を起こすだろう。それがたとえどんなものでも『自分』が留まることはないけれど、元からあってないようなものだ。いなくなったところで誰も惜しみはしないはずだ。惜しまれてしまったら、それこそどうにかなりそうだ。

 

 剣が重たい。そんなことをしている余分はないと諌めるように、太陽の魔剣がひりついている。

 理解(わか)っている。これは己のすべきことではない。今も巨人は校舎を破壊しているのに、そんな会話を交わしている時間などありはしない。そもそも(シ■■■)の道にはそんな余分は必要ないなんていうことは誰よりも自分がよく知っている。

 

 でも、ほら。

 どうせ最後なんだから、少しくらいは安心して行きたいじゃないか───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、例えようもないほどの絶望だった。

 

 御伽噺から抜け出してきたかのような威容。石塊でできた見上げるほどに巨大なヒトガタ。その場に集ったどの英傑の攻撃すら寄せ付けぬ、それはまさしく神話の再現と呼ぶに相応しい光景だった。

 

「一つか二つは隠し球があるとは思うとったが、まさかここまでとはのう……!?」

「喋っていないで手を動かせ、翁。……せめて、生徒たちは逃がさねば俺たちが居る意味がない」

「わかっとるわい! ああくっそ、こんな状況でなけりゃタイマンでやりたいもんじゃが───こっち向かんかい、このデカブツが!」

 

 魔力を練り上げ、巨体を駆け上がってその頭部と思しき場所に拳を叩きつける。一拍遅れて鳴り響く轟音。解放された魔力が、炎の形をとって巨人を打ち据える───が、びくともしない。

 常人であれば胴体が吹き飛んでなお余りあるはずの攻撃を受けた巨人は、目障りな羽虫がいたとでも言うように緩慢な動作で巨腕を振り上げる。だが向かう先は羽虫(バーナード)ではなく、今も聳え立ち【メギドの火】を防ぐ要となっているアルザーノ帝国魔術学院、その校舎だ。

 

 【ルシエルの聖域】を展開するための校舎を破壊されれば、後に待つのは【メギドの火】による一方的な殺戮だ。それは正しく敗北であり、同時に幾百、幾千の命を抱え込んだフェジテという街の終焉でもある。

 

 それだけは許してはならないが、果たして戦線がどこまで保つか。

 長らく感じていなかった冷や汗が背筋を伝う。崩壊は時間の問題だ。これでもし、グレンが間に合わなければ───

 

「全戦域に通達ッ!! これより生徒各位は撤退に入るべし!! 長くは保たん、ペシャンコにされる前に校舎の地下に退避せよッ!!」

「バーナードさん!?」

「繰り返す! 全戦域にいる生徒は学院地下へと退避せよ!! わしらが時間を稼いでいる間に早くしろ、グズグズするな!!」

 

 通信機に怒鳴りつけると、少しでも注意を引こうともう一度ありったけの魔力を込めた一撃を見舞う。さすがに堪えたのか、ほんの僅かに巨体が揺らぎ、石柱のような……否、石柱そのものの腕が微かに勢いを落としながら校舎に叩きつけられた。

 幾重にも掛けられた防護魔術さえ知らぬものであるかのように、数百年の歴史を誇る校舎がその一撃であっさりと崩れる。全体が一気に崩落することはなかろうが、いつまでも耐えられるわけもない。まして生徒に当たったなら───考えたくもない想像に身震いする。

 

 既に数度、巨人は校舎を殴りつけている。一度目だけは被害が少なかった───誰かが魔術でも使って防御に徹したのだろうが、それも何度もできることではないだろう。

 生徒たちを動員して得られる戦力よりも、生徒たちの犠牲の方が大きいと判断したが故の苦渋の判断だった。どの道、校舎の破壊を防げないのなら未来はない。

 クリストフも、バーナードの意図を察したのだろう。絶えず襲い来る小ゴーレムを撃破しつつ、結界の維持に全力を注ぐ。

 

 アルベルトはいつの間にかいなくなっていた。逃げ遅れている生徒のサポートに向かったのだろう。道中でも雷撃が飛んできているのはさすがと言うべきか。

 しかしそれでも、動きは全く止まらない。ツェスト男爵やリック学院長も奮闘してはいるが、そもそもがゴーレムとの戦いの直後で疲弊しているためにどうしても決め手に欠ける。

 

 現状、打つ手なし。

 もう一つか二つ、隠し球があるだろうという想像が最悪の形で的中した。

 

「最初っから出さなかったあたり、趣味が悪いですね……!」

 

 結界の維持率が刻一刻と下がっていることに冷や汗を流しつつ、クリストフがつぶやく。

 初めからこの巨人を動員していたのなら、生徒たちも含めフェジテ組は高い士気でどうにかこうにか巨人をやり込める方法を模索しただろう。途中で小型のゴーレムが放たれたとて、質で巨人に劣るゴーレムが相手では多少やる気を削ぐだけに留まったはずだ。

 甘い攻めで油断させてから苛烈な攻めに転じて士気を削ぎ、追い討ちに本命を投下するという作戦は、なるほど確かに理に適っている。今回は《炎の船》に乗り込んで行ったが、セリカ(短期決戦兵器)が地上に残っていた場合を危惧してのものであった可能性もある。

 

 いずれにせよ、戦線は崩壊した。あとはもう、来るべき終焉に向けて耐え忍ぶだけの作業となる。

 命運ここに尽きた───誰もがそう思いながら、それでも望む未来のために戦いを続ける。

 

 しかし現実はいつだって残酷で、【ルシエルの聖域】の結界維持率は目に見えて落ちている。巨人が現れる前には80%前後を保っていたはずのそれは今や60%を切っていた。このペースでは、数分後には維持限界である40%をたやすく突き破るだろう。

 

「せめて、あの巨人さえいなければ……」

 

 必死に結界の維持に力を注ぐクリストフの顔は苦々しい。戦域に残ったほぼ全戦力を投入して足止めに徹しているが、それでも足止めにすらなっていない。

 対象の規模(スケール)に関わらず存在を消滅させるセリカ=アルフォネア(【イクスティンクション・レイ】)でもいれば話は別だろうが、彼女には彼女にしか果たせない仕事があった。

 

 不幸なのはその一点。人類は最強のカードを失った。数百年前の魔導戦争のように、英雄がどうにかしてくれるという希望はとうに潰えている。

 無論、あの戦争は英雄と名もなき勇士たちの奮戦と犠牲あってのものであって、たとえセリカがいたとしても自分達がそれに甘えてあぐらをかいてはならない。勝利はそれぞれにとってのベストを尽くして、その先に得るものであるべきだ。

 

 ───故に、幸いなのはただ一点。

 この戦場には、英雄ではなくとも。英雄と同じコトができる、誰かがいた。

 

 だがそれを知るものはこの場にいない。危惧と理解は違う。『彼』がどれほどの無茶をしているのか知っている人間はいたとしても、どれほどの奇跡を起こしているのか知っている人間は一人もいない。

 偶然、それができる人間がそれをできる環境に放り込まれてしまったが故の悲劇。否、これを悲劇などと語る人間はいないだろう。彼は望んで分不相応な力に手を出しているしその結末も承知している。周囲はこれ以上ないほどの戦力と結果を得る。

 利害は一致しているし、世界の危機の前にはたった一人の人間の葛藤など些末事だ。そもそも葛藤さえしていないのだからなにを嘆くことがあるだろう。

 

「……結界維持率、40……39%……くっ、無念です……申し訳ありません、陛下……」

 

 ついに限界を底の方へと突破する。相手方にこちらの状況を正確に把握するだけの能力、設備があるかは不明だが、【メギドの火】を防がれた直後に的確にゴーレム群を投下したあたりから鑑みるに、ほぼ確実に見透かされているはずだ。

 であれば、【ルシエルの聖域】が維持限界を迎えたことも知られていると考えるべきだ。上空に浮かぶ船の中を窺い知ることはできないが、発射までのわずかな時間にグレンたちが敵主将を撃破するとは信じ難い。いくら土壇場の土壇場では大活躍するグレンでも、勝負に持ち込めなければどうしようもない。

 

 グレンなら絶対にあの魔人を殺せる。それは、共に戦った期間の短いクリストフですらよく知っていることだ。

 文字通りの鬼札。あらゆる強者、賢者に勝る愚者の牙。当たりさえすれば確実に殺せる───逆説、戦いが終わらない現状はその一刺しさえままならぬほど悪い、あるいは膠着してしまっているということ。で、あるのなら。

 

「……一歩及ばず、かの」

 

 バーナードが嘆息する。諦める、というのではないが、戦いの方針が切り替わったのは確かだった。守り切るための戦いから生き残らせる戦いへと。雀の涙ほどしかない生存率をどうにか上げる作業くらいしか、今はもう残っていない。

 それでも万に一つの奇跡を祈って、魔術師たちは拳を振り上げ───

 

『───、──────……』

「……っ、南館か!?」

 

 不意に入った通信に、魔術を練り上げる腕は止めないまま耳を澄ます。どうせ撤退報告だろうが、通信が入った以上は聞かねばならない。

 苛烈な戦いの中で破損したのか、あるいはなにか別の要因か。魔導器越しに聞こえる声は掠れて、よく聞こえない。

 

『──────……、───』

「……は? ちょっ、待て、そりゃどういう───」

 

 ギリギリ聞こえるか聞こえないかという音量で言い捨てて、一方的に通信が切断される。

 かろうじて聞こえたのは指令───『戦線放棄してでも』『結界を維持しろ』。解せないのは『戦線を放棄してでも』、という言葉。たとえバーナードがここを離れたとしても、結界を維持するためには魔力だけでなく校舎が健在であることが条件となる。現状の最大戦力であるバーナードが消えれば逆に結界維持率は大幅に下がるだろう。相手とてそれは把握しているはずだ。

 把握した上で、相手はそれを提案している。いや、提案とは違う。半ば以上に確信、あるいは確定事項に近い。『そうしなければ死ぬぞ』という脅迫のようでさえあった。

 

「……あいつ、なにをするつもりなんじゃ?」

 

 それから、もう一つ。

 聞き覚えのある声で、通信機越しの誰かは言ったのだ。

 

 ───『アレは、俺が壊す』

 

 巨人の頭上で【メギドの火】の装填が始まる中で、どこかの誰かはそう言い切った。




思ったより長引いた。多分次くらいで三日間編の戦いは終わるんじゃないかな……。
なんでまだ決着つかないのん?


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53.おしまい

トリニティのアシュレイくんのことをこっちのアッシュに教えたら、すごい顔でドン引きされました。


 たとえば。

 

 たとえばなにか一つでも過去が違えば、また違った未来があったのかもしれない。

 たとえばなにか一つでも運命が変われば、また違った世界が来るのかもしれない。

 ……そんな『もしも(if)』の話は、人類が古来から夢想する概念であり、同時に世界から許容された事実でもある。枝分かれした世界線は誰にも認識されることなく、されど確かに在るものとして人々に夢想される。

 

 ───もしも、炎の魔人がフェジテに現れなかったら。

 ───もしも、狂える正義が愚者に挑まなかったら。

 ───もしも、始まりのあの日に少年が逃げ切っていたのなら。

 

 ヒトの選択の数だけ世界は分かれ、事実は認識されないまま夢物語として語られる。

 『もしかしたら』というのは甘美な言葉だ。だが所詮は幻想であるということも皆理解(わか)っている。この甘美な夢は究極の現実逃避であり、同時にヒトの理想でもある。

 

 もし、誰も彼もが幸福で、満たされているような───そんな未来が、世界があったら。

 無邪気に未来を信じて。今の世界では為せなくとも、別の場所では、あるいは先の未来ではきっと手に入ると信じて、人は時間を積み上げていく。

 それは未来へ向かう原動力。より善い方向へと踏み出そうとする人類の祈りのカタチ。

 

「ああ───有り得ない(なんて脆い)幻想(ユメ)だ」

 

 過ちは数あれど、間違いはその一点から。

 未来を信じられなかった時点で(じぶん)に未来は許されないのだと、少年は一人嘲笑った。

 

 それでも───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アレは、俺が壊す」

 

 イヴからひったくった通信機にそう囁いて、少年は言葉を切った。

 視線は前に。鋭い氷のように冷ややかに、冷徹に。今にも欠けてしまいそうな、欠けてくれないのが恐ろしくなるぐらい真っ直ぐに。

 ここで手を離したら、二度と彼が戻ってくることはないだろうと直感した。いつか見た笑顔と同じ。なにもかも諦めたような、なにもかも受け入れたような横顔がひどく苛立たしい(寂しくて)

 

「待っ───」

 

 反射的に伸ばした手がすり抜けた。とっくの昔に手遅れだと言うように、見慣れた顔は振り向きすらしてくれない。

 

「……もういいだろう。いいから逃げろ。これ以上、俺に付き合うことはない」

「……ッ、逃げ、られるわけ……ないでしょ!?」

 

 そこでようやく、声が言葉になってくれた。

 放り投げてはいけない。このままいけば確かにフェジテは救われるだろう。でもその先に、確実に少年は存在しない。

 

「あんたを放っておくなんて、できるわけ───」

 

 でも、イヴにはどうしたら良いかわからない。グレン(正義の魔法使い)ならその手を捕まえられただろうか。誰よりもお人好しだったセラなら。自分よりもずっと優秀で優しかったリディアなら?

 だけどここにいるのは頼りない魔術師だけ。

 だから、目の前の現実から、目を逸らして───

 

「じゃあ、ダメだ」

 

 聞こえた言葉は短く。その声を認識した途端、身体が浮いた。

 

 突き飛ばされた、と理解した頃には既に目の前には氷柱が突き立っている。物理的に隔てられた両者の間に、これ以上の干渉を阻むようにそれは聳えていた。

 

「な……」

「俺から言うことは変わらない。さっさと逃げろ、イヴ。アレを壊すついでで死ぬのは嫌だろう?」

「待って、待ってよ、待ちなさい、待ってってば……! 戻ってよ、そんなところでなにするつもり……!?」

 

 なにをするつもり、だなんて、白々しいにも程がある。なにをするかなんて、さっき彼自身が言っていただろうに。

 壁に拳を叩きつける。魔術を使うことすら忘れて、がむしゃらに氷を殴りつけた。だけど澄んだ氷にはヒビひとつ入らない。帰ってこい、と言おうとしてやはり言葉にならなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったはずなのに。

 

「なんで……なんで、こんなことになったのよ……」

 

 自分じゃなくても良い。誰か、本当に頼れる友達でもなんでもいいから、そんなものを作ってくれたのならそれで良い。輝かしくはなくても、好きだと言っていた穏やかな毎日に混ざれたのならそれで───。

 

 そんな願いは間違いだったのだろうか。私は、どこでなにを誤ったのかと自問する。何度も何度も助けられてきた。何度も何度も傷つけてきた。私のそばにいない方が幸せだったと知っていたのに、だからその通りに突き放したのに、どうしてこんなザマになっているのだろう。

 私のせいじゃない。悪いのはあいつら(天の智慧研究会)だ。だけどやっぱり、私が悪い。少なくとも、私の判断が彼を傷つけたことは一度や二度ではないのだから。

 

 狙われていると知って、そんなはずがないと目を逸らした。

 弱っちいままだと確認して、目を逸らしたままで安堵した。

 自分の力を過信して存在意義を果たそうとする傍ら、巻き込んだ彼を自分の手で傷つけた。

 それなのに、まるで気にしていないと許してくれた。それがなによりも胸に痛くて、/許されたことが悔しくて、意地を張るように次の事件からは遠ざけた。遠ざけたつもりだった。自分ではダメなら、グレンのそばにいればあるいはと思って押しつけた。全てが裏目に出て、結局彼は外れていった。

 

 だから、今度こそ。

 今度こそ、助けられるようなことがあってはいけない。

 理由? 理由は、そう、確か、私は、あなたを。

 

「───っ、イグナイトたるこの私が! あんたみたいなポンコツを放って、おめおめと逃げられるわけがないでしょう……!?」

 

 違う。それだけじゃなかったはずだ。もっと、姉のような魔術師を志した理由に根差した信念だったはずだ。しかし宝物のような記憶は得体の知れない楔に貶められ心の奥底へと鎖されて、意識の表層に現れることはない。

 

 だから一部分しか正しくない理由を叫ぶ。誇り高きイグナイトとして、放ってはおけない。ただの人間に助けられたままではいられない───全てはイグナイトの名誉のために。だからこれで良い。遠ざけて、利用して、傷つけてばかりだった自分が、今さら誰かを救おうなどと烏滸がましい。

 だけど大義名分さえあれば、自分が手助けしても許されるはずだ。今さらイグナイトの名を汚すような真似にもならないはずだ。そういう意味であれば、自分はとうに失敗している。尻尾切りは免れまい。それなら好き勝手に動いたところで変わらない。けれども、そんな発想は微塵も浮かんではこなかった。

 

「……そうか。よかった」

「なにがよかったっての!? 目の前が見えてないの!? 見えてるんでしょう!? 見えてるって言いなさい……!

 一人でやる理由なんてないでしょう、さっさと戻ってきてみっともなく誰かに縋ってくれれば、それで、」

「……お前が逃げない理由が、イグナイトとしての責任感なら」

 

 『イヴ』として、『アッシュ』を助けようとしたのではなくて。

 『イグナイト』として、『無謀な戦いに挑む兵士』を止めにきただけならば。

 

「それなら……ああ、安心した」

 

 本当に。

 心の底から安堵したように、この戦場で初めて微笑みを浮かべて、少年は頷いた。()()()()()()()()、と。

 手を差し伸べられない自分でよかったと、小さな本音を覗かせた。

 それは自己を保つことができなかった灰の、微かに残った本音だった。惜しまれては困ると、()()すると決めてからずっと気がかりだった一点。

 

「……ぁ」

 

 そこでようやく、間違いに気が付いた。

 普通の毎日が好きだと語っていた。手の届かない宝石を慈しむように、手が届かないと最初から諦めるように笑っていた。……どうして気づかなかったんだろう。彼は一度でも、そこに自分も居たいのだと言ったことはあっただろうか。

 

 それでも、きっとそうなのだろうと思っていた。

 他でもない自分自身が、そんな平穏を気に入っていたから。そこにいるのがなによりも楽しかったから、きっと彼もそうに違いないと思い込んだ。そのうちに望んだ通りの平穏が手に入ったから、望んだ通りに普通の毎日を送っているのだと信じていた。いたかった。

 

「立ち去れ、イヴ=イグナイト。

 此処には、お前が手を差し伸べるべきモノなどなにもない」

 

 ───それはこれ以上ない訣別の言葉。

 心の奥底でまだ信じていた、縋っていたものを粉微塵に割り砕く刃。

 

「……やだ……」

 

 氷を殴る手が止まる。もう届かないことはわかりきっている。

 

「やだ、いやよ……! 戻ってきてよ、昔みたいに、ねえ───」

 

 ……その昔を放棄したのはイヴ自身だ。たとえそれが誰かのためだったとしても、突き放した事実は変わらない。

 その思いを受けるべきは自分ではない、と燃え滓は嘯いた。故に言葉は返さない。

 

「アッシュ、ねえ、」

 

 震える声で呼ばれた名前は届かない。……届いたとて、留まることを本人が良しとしない以上はどうすることもできはしない。

 後にはただ、英雄が残るのみ。

 

「───忘れて、いかないで」

 

 ごめんな、と。

 返事は、拒絶の一言だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───まだだ。まだ足りない。

 

 この戦いで残されたありったけの魔力をかき集めてもなお足りない。英霊の存在証明にも等しい一撃をこの世界で許容させるには足りなさすぎる。

 足りないなら作れば良い。どこが灼け付こうが構うものか。鼓動(炉心)を回せ。元よりこの身は彼の英雄なくしては戦えない塵芥。どこが壊れようがそんなものは代償にすらなりはしない。いや、得られる結果を考えるならむしろプラスだ。こんなもので良いのならいくらでも捨ててやると嘯いた。

 

 一歩を踏み出す。見据えるのは先の先、拳を振り上げる巨人擬き。推定、制御機構は頭部に詰まっていると見た。であれば穿つのはその一点のみで良い。他の部位など諸共に吹き飛ばせば良いだけの話だ。それだけの力は持ち合わせているはずであろう。

 足りない要素はもはやない。余分なものは今置いてきた。あとはもう忘れるだけだ。どれだけ価値があろうとなかろうと、置き去りにしてしまえば同じこと。消える世界に、善悪の区別がないように。

 

「──────」

 

 余分な思考をカットする。やり方は観測()た。結末も観測()た。であれば、この場で同じコトを起こせない道理などあろうはずもなし。

 魔剣を構える───まだ。性能(外側)だけでは足りない。思考回路、精神レベルで模倣しろ。不要なものは捨てていけ。間違えるよりも早く、砕かれるよりも速く、立ち消えるよりも疾く行き止まりを破壊しなければ。

 

 ……世界は脆い。明日なんていうものは、当たり前のようにやってくるように見えて、その実いつだって消えかけている。

 

 二度。理不尽に終わる世界を見た時から、未来(さき)を信じることはとっくにやめていた。

 そんなモノが、未来を信じる者たちに混じったところで足枷にしかならない。未来を信じられない人間が、どうして未来を目指せよう。

 だから早く、こんな馬鹿げた話は終わらせるべきだ。あの眩しさに身を浸すことはできそうにない。彼らは彼らだけで完結している。自分のような紛い物が立ち入る隙間など有りはしないし、そこに在ること自体に耐えられない。感情の名前はとうに忘れたが、きっと人はそれを羨望や渇望と呼ぶだろう。そんなものばかりが残っているのは、皮肉というべきか悲劇というべきか。

 

「ああ───」

 

 ソラを見上げる。

 どこにだって帰れないことなんて、とっくの昔にわかっていた。

 なに一つ手に入らないことを、とっくの昔に思い知らされた。

 

 当たり前のように明日を想う尊さも、息をするように隣人を慮るあたたかさも、生存に疑問を持たない傲慢さでさえも。……その全てが、眩しかった。その全てが、手元には残されていなかった。

 幸せになりたい、なんて願いを抱いたことは一度もないけれど。目指したものは、他愛のない場所で、やさしい人たちが笑っていられるような景色だった。

 

 明日(つぎ)がない、という絶望より。

 未来(続き)がない、という閉塞感が、なによりも痛かった。

 

「──────」

 

 でも後ろにいる彼らは違う。凡庸でありながら、できることがないと知りながら、それでもと前を向いて剣を手に取った。

 可能性がどれだけ低くても諦めなかった。望むもののために明日を目指した。それがどれだけ難しくて得難いことか、きっと彼らは知らないだろう。信じる未来のために足掻くと当たり前に言い切ったあの少年は、当たり前のように頷いた彼らは、……それがどれだけ尊いものか、これからもきっと知ることはない。

 

 ……それで良いのだ。もとよりこの閉塞感は、終わりゆくモノのみが知り得る終末。

 世界に未来がある以上。永遠に、この孤独(伽藍堂)が理解されることはない。

 

 だから、最後まで諦めない、という言葉は正しくない。

 ただ、最後まで諦めない人間がいるから、その障害を打ち払おうと思っただけ。台無しにするしか能がないから。それなら()()()、未来を当たり前に信じられる人間の助けになれたら良いと、そう思った。

 

 繰り返し繰り返し、此処に立つ理由を思い返す。そうでもしなければ、すぐにでも忘れてしまいそうだった。そう『したい』と思ったのか、そう『しなければならない』のかさえ今はもうあやふやだ。結末が同じ以上、動機に見出せる意義はない。

 だけどそれもここまで。生き足掻くというにはあまりにも儚い抵抗はむしろ走馬灯に近いだろう。

 

 ───それでも、終わらせはしない。

 たとえ未来がなくとも。現在(イマ)を生き足掻く人間の希望を、こんな幻想になど砕かせてなるものか。

 

 煌めくような記憶は確かに心に残っている。たとえ一刻後には仕舞い込むとしても、この思いを投げ捨てるとしても、この一瞬だけは失くさない。

 帰る場所はない。行き着く場所もない。続ける理由も続く保証もない。

 

 瞼の裏に焼き付けるように瞳を閉ざして、ユメの名残を振り払った。

 戦うこと、失うことへの恐怖はない。もとより取り繕っていただけのもの、外装がすげ変わるだけでその本質は変わるまい。問題らしい問題は、その本質が焼け落ちた後の灰のようにまっさらだということだけだが、それもさしたる問題にはならない。価値があるのは外装の方であって、残り滓になんて誰も気を払わないだろう。

 

 あとは容易い。現状起こし得る最大火力、最高効率の発揮方法は意識せずとも身体がなぞる。背後から聞こえる声にはフタをした。自分がその声に応える理由はないし、そんな資格は自分には残されなかった。手に入れようとさえ思わない。

 ───手に入れたくはないけれど、大切にはしていたのだ。絶対に、誰にも見せてはいけないけれど。

 

 

 

「……絶技、模倣。真名、偽証展開。此処に、彼方よりの黄昏を───」

 

 

 

 分不相応、という言葉を投げ捨てる。

 不相応であるのなら、分の方を引き上げるしかない。巨人を壊すだけなら現状でも十分だ。それらしいコトをするためだけに、本物のデータを引っ張ってきて上書きする。

 

 消え逝く世界の置き土産。魂に焼きついた光景を再現する。

 解放された魔力が閃光と共に唸りを上げる。魔剣に炎が満ちていく。

 此れなるは破滅の黎明。太陽の属性を持ちながら、魔剣として成立した稀有なる宝具。破壊を以て夜明けを齎す、正真正銘英雄たるモノの刃。

 現状持ち得る全性能を用いて、赫い輝きを世界へと焼き付ける。担い手と魔剣。双方が揃った今、未来を阻むモノはその存在の一切を許されない。

 

 ───息を吸った。空気が熱いのはなにも己が魔剣のためだけではあるまい。頭上には既に絶望が煌めいている。

 ソラより落ちる炎を防ぐ神の域は既にない。瞬時に地上は焼き払われ、後には魔人が嗤うだろう。

 『矮小なる人類に未来はない』と。立ち向かうことが愚かなら、それを考えることさえ愚かであると、焦土と化した大地で絶望に屈した魔人は一人語るのだろう。

 

 その思い上がりこそ愚かしい、とその眼で破滅を見た少年は否定する。確かに未来は勝手に消えるものだ。先がない、というだけで幾千、幾万の人間の意志など知らぬものであるかのようにあっさりと打ち捨てられるものだ。

 されど強大な魔を前にして、人類という種に敵う道理がないというその言い分には賛同できない。世界は終わる。だがそれは強大なナニカに押し潰されてのものではなく、そういう仕組みで世界が成り立っているからであり。こんな目に見える破滅に立ち向かうことが、間違いであるとは思わない。

 

 未来を信じる人間は、いつだって奇跡を起こす。

 奇跡が起きた世界だけが残されているだけだとしても、その奇跡を───未来を信じるありきたりの人間を、信じている。

 

「……あ」

 

 一瞬、昔の光景がよぎった。夕焼けと、緋色。……自分のものでない約束に、なにを思ったのか。

 走馬灯の最期。偶然、たまたま、表に転がり出たひとかけら。

 

「───ごめんな。

 約束、あいつ(■■■■■)に返せなかった」

 

 最後に一つだけ。不意に思い出した『理由』の切れ端を後ろに投げて、英雄は剣を執る。

 

 ここで悲劇は打ち止めだ。そもそも悲劇など一つもない。英雄が人間のために戦うのは当たり前の話。英雄が人間じゃないのは当たり前の話。その当たり前を履き違えるから、必然は悲劇と語られるのだ。

 だからここまでで良い。まともな人間のふりをするのはここまでだ。ずるずると続けたものに終止符を。解放感を片端から灼き尽くして、ただかつて存在した事象を再現するだけの装置と化して───

 

 俺も、帰ってみたかったなぁ、と。

 

 小さな感傷を灼き捨てながら、英雄は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を、彼らは見ていた。

 

 地下へと退避する生徒たち。当然望んだ撤退ではなく、そうせざるを得ないがためのものだった。

 戦線維持組の生徒もまた、身を休めるため───そして、巨人から逃げるために校舎の地下へと走っていた。

 

「畜生、ここまでかよ……ッ!? 先生たちや軍人さんたちも頑張ってるのに、結局こうなるのかよ……!」

「カッシュ……」

「あんなにみんな頑張ったのに、どうしようもないってのかよ!!」

 

 廊下に拳を叩きつけるカッシュを案じるセシルもまた、同じ気持ちだった。

 小さな勇気を振り絞って戦場に立った。頼もしい大人がいた。同じように戦うと決めた仲間がいた。それが間違いだったとは絶対に思わない。思わないけれど、現実はやはり無情だった。《炎の船》はいまだ健在。廊下の窓からは、今にも【メギドの火】が落とされようとしているのが見てとれた。

 

 戦線維持組の魔力をここでかき集めても、結界の維持には足りないだろう。既に大量に消費した後なのだ。マナ欠乏症すら近い彼らの魔力では、到底結界を持ち直すには足りない。

 

「くそ……くそ……! 諦めねぇ、諦めたくなんてねぇよ……! けど、ここからどうしろってんだ! 俺たちにあのバケモンが倒せるわけでもない、出て行っても殺されるだけだろうが……ッ!」

 

 死ぬだけで事態が好転するなら、あるいはそうしたかもしれない。

 もちろん、それは絵空事だ。もしも、の仮定であるが故に空想の中の自分は蛮勇であり、命を投げ捨てることさえ選択肢に入れている。だがやはり空想は空想で、実際そんなことになったとしても足が竦んでしまうことなどわかりきっている。

 だからこそ無駄死にはできない。死なせないように、と奮闘している大人たちがいるのに、その願いを無碍にするようなことができるはずもない。

 

「……情けないな」

「んだと……っ!?」

「情けないと言ったんだ。こんな土壇場で諦めてすごすごと退却するなんて、プライドがないのか?」

「てめ、ギイブル! お前、言っていいことと悪いこと、が……」

 

 第一お前だって退避してきたクチだろうと言いかけて、ギイブルの手が震えていることに気付く。荒げようとした声は尻すぼみになり、どうしようもない重苦しさが空気を染めた。

 

「……ああ、心底情けない。僕は……僕たちは……!」

 

 ぎり、と血が滲みそうなくらいに拳を握りしめる。彼の罵倒は内に向けられたもの。敗北を認めざるを得ない自分に対する侮蔑であり屈辱だ。

 任されたものを守れなかったという自責の念が、彼らに重くのしかかる。グレンの影響かあるいは元来そういう雰囲気であるのか、常に前向きだった二組の生徒たちは現実の前に諦めかけていた。好きで諦めるわけじゃない。それでも、現実という高い壁は無情にも聳え立ち続けている。

 

「……くそ」

 

 死にたくない。だけど諦めることもしたくない。

 せめてもの抵抗に、彼らは敵を睨みつけた。せめて、終わりから目を逸らさないように。

 

 太陽が、揺らめいて───

 

「ここまで、か」

 

 誰かが呟いて、近くにいる人間の手を取った。

 巨人の頭上から炎が降る。痛みを感じる間も無く終わるだろう。願わくばどうか、空を駆ける英雄たちだけでも無事に生き残りますようにと祈りを捧げて。

 

 ───最初に見えた赫は、ソラからではなく地上から。

 

 その違和感に気づいたのは、壁を拳で殴りつけていたカッシュだった。

 

「……あれ……?」

 

 誰よりも窓に近かった少年が声を上げる。

 つられるように、何人もが顔を上げた。

 

「───嘘だろ」

 

 赫い。

 

 赫い光が、校舎を照らし出している。

 

 それは天から落とされる崩壊の炎ではなく、

 

「…………」

 

 ありふれた日常に害を成す、外道を滅ぼす光だった。

 

「……くそ、くそ、くそ!」

 

 誰かが悪態をつきながら、階段を駆け上がって廊下の魔術法陣に手を付ける。

 ()()がなにかは、誰一人理解していない。だがそれでも、まだ終わることはないのだと、それだけは理解できた。

 

 無駄かもしれない。

 

 死ぬかもしれない。

 

 未来なんてないかもしれない。

 

 だけど───諦めることができない。諦めなくても良いのだと諭すように、光は巨人を喰い破っていく。

 

 世界は優しくない。

 

 だけど、もう少しだけ足搔いてみよう。

 

 劇的な落ち込みがあるのなら、息を吹き返すきっかけもまた劇的なものである。

 

 諦めかけた心に活を入れて、できることに手を出そう。

 

 ……ところで。

 

「アレは、誰がやったんだろうな?」

 

 不安そうな声で、カッシュが呟いた。

 

 見当はなんとなくついていたけれど、言葉にはしない。

 

 今はただ、先を求めて戦いに戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

『私が覚えていてあげる。何度だって、私が思い出させてあげるから───』

『どんな風になっても……ここにいて。みんなと一緒にいて』

『全部終わったらさ、また前みたいにお前の店で打ち上げしようぜ!? そんでさ、先生たちの武勇伝をたくさん聞いて、朝まで騒ぎ倒してよ! ───そしたらまた、学院でみんな一緒にグレン先生の授業を受けて、楽しい毎日が戻ってくるんだ!』

 

 

 

 ───懐かしい、声が聞こえる。

 

 その全てにフタをして、前へと踏み込んだ。

 

 小剣を投擲する。いや、投擲というにはあまりにも荒々しい攻撃。巨人の拳が衝撃に揺らいだ。

 

 それを見上げながら、祝詞を口ずさむ。

 

 

 

「───此れなるは破滅の黎明。

 我が炎は黄昏を呼び、偽りの太陽は失墜せり───」

 

 

 

 駆ける───落ちていく。身体ではなく、外装が完全に切り替わる。空っぽの中身はそのままに、行動理念を変えていく。

 

 

 

 此処に。

 彼方の世界にて名を馳せた、神代の英雄が顕現する。

 

 

 

 それは北欧の大英雄、神殺しさえ滅した竜殺し、有り得ざる世界に剣士(セイバー)のクラスを以て現界せし境界記録帯(ゴーストライナー)

 

 

 

 ───その真名をシグルド。

 

 

 

 母の愛を知らず、父の愛も知らず、神の愛も知らず、されど愛に身を散らした悲劇の英雄。

 

 その魔剣が、どこかで在った世界のように巨人の頭蓋を直撃する。終末装置ならざるその身では僅かな抵抗さえ叶うまい。

 

 己を持たぬ残骸如きでは、真名は名乗るに能わず。故にこそ、ずっとその名前から目を逸らしていた。認識してしまえば、あとは転がり落ちるように全てが終わる。

 英雄のパーソナリティなど、それらしい生活を送る上で、それらしい表層を繕う上では障害にしか成り得ない。

 

 

 

「──────『壊 劫 の(ベルヴェルク)、」

 

 

 

 だが、それが果たしてなんであろう。既に彼は生きて其処に居る。

 

 身に余るなど承知の上、されどこの身は有り得ざるモノを世界に焼き付ける境界保有者(ゴーストホルダー)

 

 地上から天上へ。福音のように宙を斬って、赫い光が走っていく。

 岩巨人如きなにするものぞ。走る刃は神代の旧き魔剣、太陽の属性を持ちながら魔なるものとして成立した新生魔剣。

 

 宙を裂き炎を裂き、その場にいるどの英雄の攻撃さえも受け付けなかった頑強な岩をも割り砕いて、赫い光が空気を駆ける。

 

 焔を撒き散らしながら巨人の頭部に魔剣が突き刺さる。まだ、かろうじて存在を保っているソレ。仕留め損ねたかと嘲笑うことなかれ、もとより此処までは前座に過ぎぬ。

 

 

 

 ───斯くて、此処に黄昏は齎される。

 狂った終末戦争(ラグナロク)にすら引導を渡した、黄昏に耀く刃こそは。

 

 

 

「─── 天 輪(グラム)』──────ッ!!!!」

 

 

 

 学舎を破壊しようと振り下ろすはずだった巨人の腕を駆け上がって、刺さったままの剣に全力の拳を叩き込んだ。

 

 瞬間、赫い光がソラへ向けて迸る。

 

 終末装置にさえ傷を与えた魔剣の一撃は巨人の頭部を消し飛ばし、それでもなお飽き足らぬと天へと昇り───

 

 そこに収束しつつあった、天の焔さえもを食い破って消えていく。

 

 不完全なままに【メギドの火】が地上へと落下する。フェジテ全土を薙ぎ払うには足るまいが、それでも学院を焼き滅ぼすには十分な火力がある。

 

 であれば、彼のしたことは無意味であったのか。

 

 巨人の破壊のみに専心したのは過ちであったのか。

 

 あるいは方舟ごと全てを滅ぼすべきであったのか。

 

 ───その問いは、学院の空に輝く蒼い聖域こそが答えだろう。

 

 全てを焼き尽くすはずの終末の炎は、いつの間にか蘇っていた聖域に阻まれた。

 ……時間稼ぎぐらいは、できただろうか。

 

 良かった、と、足場をなくして地上へと堕ちながら満足そうに呟いた。

 思っていたより呆気ない幕引き。自分が手を出さなくても、きっとなにも問題はなかったに違いない。それが少しだけ嬉しいと感じて、感じたそばからわからなくなる。

 自分はするべきことをしただけで、そこに喜びもなにも存在する余地はない。

 

 自分を囲んでくれていた人たちのことがほんの少しだけ気がかりだけれど、未来を見ていられる人たちだから。きっと、こんな人間のことはすぐに忘れてくれるはず。

 お人好しの講師や友人は、少しばかり困らせてしまうだろうか。

 

 黒色は、妙に世話を焼かれていた、のだと思う。少しばかり人が好すぎるのが心配だけど、そういう人間は稀有なので、お人好し同士支えあってくれれば良い。彼ならきっと、人間らしく、人間のままで良い方向に進もうと足掻いてくれる。───未来がありますようにと自分ではもう信じられないものを祈って、見送る。

 

 銀色はいつもキャンキャンとうるさくて、誰よりも未来の溢れる人間だ。調子の良い黒色や、突っ走りがちな青色に囲まれて、金色と一緒に振り回されるような穏やかな日常が続くようにと───先を選ぶ側の人間になるだろう少女の選択を憂いながら、見送る。

 

 金色はなぜか申し訳なさそうな顔をしていたような気がするけれど、彼女はきっと奥底で救われたいと願える人間だ。お人好しがたくさんいるこの学院でなら、なにひとつ問題はないだろう。多少の瑕は残っても、愛する仲間たちに囲まれていればいずれはそれも癒えるはずだ。───自分よりずっと人間らしかった彼女の行く末を信じながら、見送る。

 

 青色は、今思えば色々と彼女なりに気遣ってくれていたのだろう。自分のいるべき場所、あるべき理由がわからなかった迷子同士思うことがあったのかもしれない。……その気遣いに返せるものはなにもなかったけれど、自分の生きたい場所を見つけたのなら大丈夫だ。───好きなように未来を描けるように願い、見送る。

 

 赤色は、もはや語るべきことはない。自分が語る言葉を持ち合わせてはいけない。訣別は済ませた。あとは忘れてくれることを祈るだけしか出来はしない。

 

 多くの時間を共にした、本当にありきたりの少年少女を見送る。餞別というには少々派手だが、少しくらいは良いだろう。

 

 過ちは数あれど、間違いはその一点から。

 未来を信じられなかった時点で(じぶん)に未来は許されないのだと、少年は一人微笑んだ。

 

 でも、それでも───彼らに続きがあるなら、それで良い。

 十分すぎる報酬だ。

 

 《炎の船》はいまだ健在だけど、そのうち勝手に消えるだろう。

 あれだけ強くて、未来を望む英雄たちがいるのだから、過去の人間が阻めようはずもなし。

 

「───うん、良かった」

 

 それさえわかれば大丈夫だ。信じられる。

 

 戦いの終わりは近いだろう。そうしてまた、戻ってきた日常で、面白おかしく彼らは過ごすに違いない。

 

 できればそこに彼女もいて欲しいなんて思うのは、……やっぱり、余分な感傷かもしれないけれど。

 

 それでも。

 願わくば、彼らの生きる普通の生活が守られますように。




今回は抽象的というか回りくどい話しかなかった割にはあっさり終わったのは勘弁な。

次回、正義の魔法使いご一行の戦いと、誰一人死ななかったハッピーエンドのエピローグ。


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54.Disillusion

お久しぶりです。今回もちょっと長いです。めっちゃ遅れた理由ですが、『一方その頃の愛と希望の物語』だったので物凄く筆が重くて……。いや、好きなんですけどね愛と希望の物語。
あとは月姫Rとサンブレイクと研究室やってました。

月姫R、最高でした。


 広く、暗い。

 

 不気味な音を立てながら、いくつもの石碑が文字を表面に走らせている。

 《炎の船》を制御するモノリスだ。

 

『───気は済んだか、偽りの巫女よ』

 

 広間の中央、嘲るような声色で正面に這いつくばるルミアに声をかけたのは、今まさにフェジテを危機に陥れている魔人ことアセロ=イエロだった。

 対するルミアは、言葉を紡ぐことさえもつらいのかなにも言わない。肩で息をしながら、ただ強い意志をもって魔人を睨みつけている。……その瞳が昏く濁り、背には異形の翼が展開していることにさえ目を瞑れば、それはいつもの『聖女のルミア』そのものだった。

 

「まだ、です。まだ……!」

 

 息も絶え絶えになりながら、手に握った銀色の鍵を振るう。しかしその抵抗を、

 

『愚かな』

 

 そう一蹴して、魔人はいとも容易く打ち砕いた。

 攻撃の余波かあるいは反動か、ルミアの身体は壁際まで吹き飛ばされて背中から叩きつけられる。ほんの一瞬、呼吸ができずに咳き込む。魔人はただそれをつまらなさげに睥睨するのみで、追撃に構えることすらしなかった。

 

 ルミア=ティンジェルにはなにもできはしないと、そう語られているようで目眩がした。

 

「どう、して……」

『それは己が手に握る力に訊くが良い。……気付いているだろう、その《鍵》の弱々しさにも。貴女自身の変貌にも』

「……!」

 

 ───《銀の鍵》。ナムルスが、一日限定で使えるようにしてくれたルミアの力。まるでずっと連れ添ったような、自分自身そのものであるような不思議な《鍵》。

 空間を操る力を持つその《鍵》は、本来《炎の船》の歪曲空間を突破するために引き出された力だった。だが、その目的が遂げられ───ルミアがアセロ=イエロによって仲間たちから一人引き離されたあとも、《銀の鍵》は彼女の手の内でその権能を振るっていた。

 

 その輝きが、いつの間にか鈍っている。

 《炎の船》に乗り込んだ当初は眩い光を放っていた銀色の鍵は、いまや弱々しい輝きを灯すのみとなっていた。

 

 ナムルスは言った。その力は魔術のように理性と理屈で操るものではなく、感情と本能で振るうものだと。

 ならば、《銀の鍵》の変調の原因は───

 

「……それでも、私は……この力で、みんなを……」

『自らが異形と化してもか?』

「───……」

 

 その言葉に目を瞑る。

 自分の背中に広がる異形の翼。いつぞやの迷宮で出会った半透明の少女と同じ捩じくれた怪異の証は、自分が《鍵》を使うたびに存在感を増していた。

 精神の内側で、なにか、外れてはいけない戒めがほどけていく感覚がある。《銀の鍵》を使う度に軽くなっていく拘束。内側に鎖された存在(『ルミア』)は、陽だまりのような笑みを浮かべながらはやく、はやくとせがんでいる。

 『自分』という存在が希薄になる感覚は、決して心地よいものではない。この戦いがもっと続けば、確実に自分は『自分』ではなくなってしまう───

 

 その恐怖は、どうしようもなくルミアについて回っている。

 変貌していく自分。豹変していく世界。

 それに耐えられるほど、ルミアという少女は人間から外れていない。

 

『その力を使えば使うほど、貴女は人の身を外れ、《鍵》は本来の貴女へと塗り潰す。

 たとえこの戦いが貴女の勝利に終わったとて、その時()()()()()()()()()()()

 

 そんなことはわかっている。

 

 だけど、それでも。ルミアは、光の薄れた《鍵》を握り続ける。

 自分がどうにかしなければならない。今までの責任を取らないといけない。

 これ以上自分のせいで傷付いてほしくない。傷付くなんてあってはならない。

 そのためなら、自分自身でさえ捧げられる。もし仮に、彼らを救うために犠牲が必要ならば、それは自分であるべきだ。そうでなくてはならない。

 

 そもそも。

 身を削って自分たちを守った人間がいるのに、どうしてルミアだけが甘えることができるだろう。

 

 だから。

 

 だから。

 

「私が、ここで、あなたを───ッ!!」

 

 銀色の鍵を振り上げる。

 

 なにもかも失っても構わないと悲壮な覚悟を秘めながら、歯を食いしばって全力でその力を解放───

 

「……、……え?」

『無様だな、偽りの巫女よ』

 

 軽蔑の言葉と共に、ルミアの身体に無数の剣が杭のように突き立った。

 磔にされた聖者のようだ。今までグレンたちによって遠ざけられてきた、きっとグレンたちは何度も味わったであろう痛みに顔を歪めながら、それ以上に自分の無力さに打ちひしがれる。

 

「どうして……どうして、どうして、どうしてッ!!」

 

 血反吐を吐くような悲鳴と視線は《銀の鍵》へと注がれている。全力で振るったはずの《鍵》は、ルミアの求めになに一つ応えることもなく沈黙していた。

 この力がないと戦えないのに、みんなを守れないのに。それすらできないと言うのなら、ルミアは本当にただの疫病神でしかない。

 

「お願い、応えて……応えてよッ! これじゃ、これじゃみんなが……ッ!!」

 

 最悪の想像が脳裏をよぎる。グレンもシスティーナもリィエルも血の海に倒れ伏して、大好きな学院はただ燃え滓を残すだけの焦土と化して、魔人が一人で嗤っている。

 それは最悪という言葉ですら生温い地獄そのものだ。ルミアにとっての勝利条件、生存のモチベーションは『学院のみんなが無事であること』。その前提が崩れてしまえば、なにをすることもできなくなる───

 

『如何に()()()と同じ力に目覚めていようと、所詮は偽物。器が不完全では振るわれる力も不完全、ということか。まあ、良い』

 

 徐々に絶望の差し込むルミアになにを思ったのか、あるいはその焦りを見透かしたのか。

 アセロ=イエロは磔にしたままのルミアから視線を切り、背後───なにもない中空に目を向ける。なにも存在しないはずのそこには、まるで空から俯瞰したような地上の風景が映し出されていた。

 

 身動きのできないルミアがつられて顔を上げる。見慣れた学舎。豆粒のように小さな生徒や教師、軍の人たち。蒼く、しかし儚げに揺らめく防護結界。

 愛おしいその悉くをルミアから覆い隠すように立つ、石でできた巨体。

 その拳が校舎の一部を殴り付ける光景に、ルミアは悲鳴を押し殺した。位置的に南校舎の一角であろうそこでは、ルミアの同級生も戦いに参加していたはずだ。誰かの抵抗があったのか、さしたる破壊を齎せないまま、しかしその意欲は衰えさせずに次なる獲物を求めて巨大な腕を振り上げる姿に血の気が引いていく。

 

 今は運良く大きな被害が出なかっただけだ。あれが直接当たってしまったら、学院の生徒ではひとたまりもない。

 

『そろそろ地上も決着だろう。(セリカ)のいない愚者の民など、あの巨人の敵ではない。わかるか? ルミア=ティンジェル。貴女は間に合わなかった。あの忌々しい聖域が崩れ落ちるのも時間の問題だろう。そうなれば、あとは我が【メギドの火】がすべてを焼き滅ぼす』

「やめ、て……」

『懇願が無意味であることなど、貴女が一番良くわかっているのではないか?』

 

 一言で切って捨てて魔人はルミアの言葉を嘲弄する。

 アセロ=イエロ(ラザール=アスティール)の目的はフェジテを住民ごと焼き尽くし、大導師への生贄として捧げること。ルミアの殺害は至上目的ではあるが、それはフェジテを見逃す理由にはならない。

 他の有象無象であれば、あるいは手痛い反撃を受けて撤退する可能性もあったかもしれない。だがそれはアセロ=イエロには適用されない。たとえ船が撃墜されようとも、彼の保持する最強の兵器がアセロ=イエロ自身である以上、撤退する必要性など微塵もない。

 

 極端な話、手間と時間こそかかるものの、アセロ=イエロが手ずから住民を殺戮していくことすらできるのだから。

 

 勝ち誇る魔人の頭上、巨人の手で校舎が破壊されていく。数百年の歴史を誇る学び舎が崩れていく。その度に結界は揺らぎ、存在を薄くしていく。

 

 もう限界だ、と。

 誰に言われるまでもなく、誰の目にも、それは明白な事実だった。

 

「お願い、お願いだからやめてください……ッ! 私にできることならなんでもします、私のことなら殺しても構わないから、それだけは───ッ!!」

 

 来たる終焉に悲鳴をあげるルミアの眼前で、魔人は無慈悲にモノリスで【メギドの火】を操作し始めて───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───()()に最初に気付いたのは誰だっただろう。

 

 戦いを放棄し、しかし唐突に現れたナムルスによってルミアの置かれた景色を眺め続けていた地下でうずくまる生徒たちだろうか。

 あるいは、戦線を離脱し、悔しさに打ち震えながら巨人を見上げる即興の兵士たちだろうか。

 それともあるいは、今なお若者たちを守り続ける大人たちか、もしくは───一人立ち止まり、力なく座り込んだ少女だろうか。

 

 彼らの頭上、巨人よりも遥か上空、一度見た白い炎が再び燃え上がる。

 

 それは滅びを告げる終末の火。矢よりも疾く失墜し、街を呑み込む災いだ。

 

 彼らを守るために天に輝いていた結界は既に影も形もない。度重なる巨人の攻撃。撤退していく、魔力源である生徒たち。維持するための魔力と魔術式さえ失った結界が維持できるはずもない。【ルシエルの聖域】がなければ、【メギドの火】を防ぐことも叶わない。

 つまり、正真正銘のチェックメイトだ。誰もが終わりを予感して、誰もが諦めるように燃え盛る天から目を背けた。

 

『やはり人間は矮小で、脆弱で、なにを為すこともできない存在なのだッ! 滅びを前に! 人間の力だけで、怪物を相手に立ち向かい、生き残ることなどできはしない───!!』

「やめて───やめて、やめて、やめて──────!!」

 

 身を切るような魔人の嘲りに、身を引き千切るようなルミアの悲鳴がこだまする。

 

 それがほんの数秒前の光景。

 

 ルミアの見た、学院の最後の光景になるはずだった。

 

 

 

 だから、その『最後』がいつまで経っても来ないことに気付いたのは、誰よりもルミアが早かった。

 

 

 

「───あ、れ?」

 

 涙を流しながら、それでも目を逸らすこともできずに呆然と眺めていたルミアの口から惚けた声がこぼれた。その視線は依然、焼け落ちたはずのフェジテへと向けられている。

 

 確かに炎が落ちたはずだ。確かに消えてなくなるはずだった。

 それなのに───目の前にあるのは、肩から上が消し飛ばされた巨人と、未だ健在の学院で───

 

「あ……」

 

 流星のように、巨人を食い破りながら宙へと奔った光が【メギドの火】さえも打ち破り、しかし《炎の船》は傷付けずに消えていく。その姿を、ルミアはただ見ていた。

 誰かが、あの巨人を壊したのだ。グレンの切り札(イクスティンクション・レイ)さえ超えるような大破壊を以て、その『誰か』は世界の壁を打ち砕いた。

 

 《炎の船》でさえ直撃すればただでは済まないだろう一撃がそうしなかったのは、気遣いと信用だった。

 自分がいなくとも物事は、世界は滞りなく進むと信じ切っている誰かの不要なお節介。

 

 ───自分がなにかをしなくとも、きっと彼らは無事にすべてを終わらせると信じ切っていたから、その道行きを阻むかもしれない要素のすべてを排した。

 万が一船を破壊してしまえば邪魔になると、障害を排除するに留めていた。

 

『【メギドの火】が……消されただと……!?』

 

 ここに来て、初めてルミアは魔人が狼狽する声を聞いた。

 有り得ない、と。人間には抵抗することさえ許されないと声高に語った魔人が、反証のように展開される光景に猛り狂っている。

 

 正確には、【メギドの火】はそのエネルギーの大半を削がれただけであって、地上に向けて放たれてはいた。

 異常事態による若干のラグ。本来よりも数秒の間を空けて放たれた火は、それでもアルザーノ帝国魔術学院程度であれば滅ぼすことができたはずだった。

 

 だが、目の前に広がるのは健在の校舎。原因は不意の攻撃だけではない。そう気付いたとき、校舎の上空に聳える蒼い輝きが波打った。

 

『【ルシエルの、聖域】───ッ!!』

 

 僅か数秒の時間稼ぎ。それが可能にした奇跡。

 紙一重で成り立つ、まさしく悪夢のような一瞬だった。

 

『何故───何故、何故、何故だ! 何故生きている! 何故、まだ存在していられる……!?』

 

 狂乱したように魔人が叫ぶ。視線の先はルミアと同じ、姿を晒す建造物。

 

 有り得ない。こんなことはあってはならない。

 

 超常の存在を前にして、なおも生き延びることなどあってはならない。あるはずがないのだ。そうでなければ、ラザール=アスティールがアセロ=イエロに堕した理由がなくなってしまう───

 

『馬鹿ね。あなた、人間舐めすぎじゃない?』

 

 それに答えたのは、魔人と同じ理外の者。

 ルミアとそっくり同じ顔立ちの、捻じくれた翼を広げた少女だった。

 

 半透明に揺らぐ少女はルミアを守るように、喚く魔人との間に立っていた。呆れたような憐れむような、そんな視線を向けながら。

 

「ナムルス、さん……」

『……人間は、単体では確かに弱い。だけど、未来を諦めない力と集まったときの爆発力は底がないわ。そこのところ、人間を辞めたあなたは忘れているようだけど』

『諦めない……!? その程度のことで変わるものか! 皆で力を合わせれば未来が拓けるなど、そんなことは幻想に過ぎないッ!!』

『そうね、幻想だわ。万が一よりも低い確率でしょう。でも実際起きているのだから、否定なんて誰にもできない。違う?』

 

 淡々と語るナムルスの眼前、魔人は凍り付いたように動かない。

 

『あなたは、未来を望んだただの人間に負けるのよ』

 

 耳に痛い静寂の中、俯いたそのフードの奥で闇がさざめいた。

 

『……ふざ、けるな』

 

 静寂が破ける。人間であれば血が流れるほどにきつく拳を握り締めて、魔人がようやく口を開いた。

 

『ふざけるな───ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるな───!!』

 

 闇と共に激情が噴き出し、力場となって一帯を打ち付ける。

 ルミアを戒めていた楔が砕けて衝撃と共に床に叩き落とされるが、それに構う素振りも見せずに魔人がローブを掻きむしった。

 

 ナムルスの言葉のなにが逆鱗に触れたのか、先ほどまでの余裕をかなぐり捨てて吠え猛るその姿は、どこか哀れみさえ感じられるもので。

 

『人間は弱い! 英雄と呼ばれようが大局的な平和を勝ち取ろうが、なに一つの犠牲もなく! 勝利するなど、許されることではない!!

 そうでなければ、私は、彼らは、一体何故、あの時───!!』

 

 誰も彼も、神の名を、愛しい人の名を呼びながら死に逝くような地獄が出来上がるのか。

 

 始まりの地点。()()成り果てることを自ら選んだ男にとっての地獄。

 意志持つ神は、決して人々を救わない。神はいない。それを悟ったあの戦争を、ラザール=アスティールは忘れない。

 

 だからこそ諦めない彼らが腹立たしい。未来があると思えてしまう、絶望を知らない人間たちが妬ましい。

 必死に戦えば報われるなんて、そんな都合の良い話などどこにもありはしないのに。

 ありはしないのに───どうして、彼らはここまで生き永らえているのだろう。絶対に勝てるはずのなかった石兵が壊された。普通なら辿り着けないはずの空間を突破された。近づくことさえ許さないはずの砲塔は悉く壊された。

 

 無謀にも自身に剣を向けた人間たちの光景を思い返す。

 ああ、あの蛮勇がすべてを救うなど、そんなことは有り得ない。

 

『そうだ……私は、私の信仰を取り戻す。貴女を殺し、フェジテの民を殺し、悉くを滅殺した後に、偉大なる大導師様に真なる神を捧げるのだ……ッ!』

 

 バイザーの奥に潜む双眸が憤怒と憎悪に燃える。

 なにが魔人の精神に疵をつけたのか、ルミアにはわからない。

 二百年前、邪神との戦争に終止符を打った華々しい英雄の抱えた闇など、ルミアにはわからない。

 

「──────……」

 

 ───そもそも、ルミアの耳には魔人の慟哭など届いてはいなかった。

 彼女が耳を傾けているのはその裏、か細く聞こえる仲間の声。

 

 届くはずのない声が、見えるはずのない光景が、今のルミアを埋め尽くしていた。

 

「情けない……本当に情けないッ!」

 

 そう叫びながら地上へと逆走する彼らは、ルミアを事の元凶として手酷く罵ったはずの少女だった。

 いや、少女(エナ)だけではない。自分たちは悪くないのだと縮こまっていたはずの、実際その通りであるはずの少年少女が皆、今さら戦場に加わろうとしている光景に敗走してきた生徒たちが目を剥いた。

 

 なぜ、今さら、と。

 

 どうして今まで戦わなかったのかではなく。どうして今になって戦うと決めたのかと。

 

「逃げ、られるか……! 放っておけるかよ、こんな状況でッ!?」

 

 震える足で踏み留まる。

 戦う理由など、あってないようなものだ。それでも───逃げないために、奮い立たせるために素直な思いを吐き出した。

 

「今さらだなんてそんなことはわかってるわよ! 今だって逃げ出したい、逃げ出したいけど……! あんな顔で! 私たちと変わらないただの女の子を戦わせて、それなのに───私たちだけ、逃げられるわけないじゃない……!!」

「くそ、くそ……! そうだよ、その通りだよ! 第一、こんな状況でもまだ誰かが戦ってるのに、ここまでお膳立てされてるのに、むざむざ潰走するなんてできるはずないだろ……ッ!?」

 

 震えて丸まっていた誰かが、逃げ出していた誰かが、たった一瞬の光景に奮い立たされて歩み始める。

 手当たり次第に、難を逃れた魔術式に手を当てて魔力を流す。ギリギリで持ち堪えた結界が、力強く空で輝きを放っている。

 

 巨人を消し飛ばした光景が、必要だったかどうかはわからない。

 否、あの一瞬がなかったとしても、彼らは奮い立つだろう。

 

 それでもこの一瞬だけは───紛れもなく、あの景色が呼び込んだものだった。

 そしてそれは、彼らだけの話ではなく。

 

「……維持限界、回復しました! 推測される対地上用兵装もほぼ壊滅と見ました、これなら……!」

「……かーッ! なにが起きとんのかサッパリじゃわい! つか、あんなことができるんならさっさと切ってくれれば───いや、そりゃ虫の良い話か!」

「ですが、そのおかげでなんとか持ち堪えました。未だに小型のゴーレムは残っていますが……それもあともう少しです、乗り切りましょう……!!」

「応とも!!」

 

 一方的に告げられた言葉に従って、全力で結界の維持に力を回していた二人が勢いを盛り返す。

 微かな違和感はあるが、得体の知れない弟子1号のすることだ。『できる』と当人が判断して周囲に伝えたのであれば、必ず遂行するだろうという信頼があった。バーナードはその辺り、弟子をよく理解しているといえるだろう。事後承諾というか一人で決めて実行してしまうところは悩みの種なのだが。グレンもさぞ手を焼いているに違いない。

 

 消滅を免れたゴーレム群への対応を再開しながら、クリストフが周囲を鼓舞する。バーナードもまた、魔力を提供するための術式から手を離して拳を握り直す。

 ほんの一瞬だけ、空を見上げた。

 

「これが終わったらお疲れ会するんじゃろ。全員で生き延びるぞ、バカども」

 

 ───誰もが、誰もを思っていた。

 アセロ=イエロ討伐部隊に希望を託し、それ以上に、彼らの無事を願っている。

 

 この状況を引き起こした、ルミアのことでさえも。

 

「ルミア───! お前、戻って来なかったら承知しないからな……!!」

「言いたいことはあるけど、そんなの全部戻ってきてからなんだから!! さっさと終わらせて、帰ってきてから、また学院で好き放題言ってやるッ!! だから───」

「───がんばれ、ルミアちゃん! 俺たちは大丈夫だから! 勝って!! みんなで!! お疲れパーティー、するんだからな───!!」

 

 口々に、地上の生徒がルミアへの言葉を叫ぶ。

 お前がいなければ、と罵る声ではなく。お前がいなければ、とルミアを呼ぶ声。

 

「みんな……どうして……」

『……まったく、手のかかる子なんだから』

 

 ナムルスが、柔らかく微笑んだ。

 呆れたような言葉でありながら、声には確かに慈愛が含まれていて。

 

『あなたの嘘なんて、みんなわかってるのよ。だから、ほら。言っちゃいなさい。───あなたの望みは、なに?

 みんなのために死んでもいいなんて、それ、本当にあなたの願いなの?』

 

 胸が痛い。

 望んでしまう自分が、吐き気がするほど嫌になる。

 それでも望んでしまう自分を、許してくれたことが嬉しくて、知らぬ間に言葉がこぼれていた。

 

「……私、居ても……いいの、かな……」

『その答えは、さっき聞いたでしょう?』

「みんなのことを巻き込んで、傷付けて、なにもできなくても……生きて、いても……いいの……?」

『お馬鹿なルミア。……そんなの、言うまでもないでしょう?』

「───っ、私、私は……!!」

 

 堰を切ったように、押し込めていた願い事が溢れ出す。

 もう誤魔化せなかった。言ってはいけない、望んではいけないと自分を律することさえ、もうできなくて。

 

「……やだ。嫌だ……っ! 私だって、みんなと一緒にいたいよ……! 今の私を捨てたくない! 帰りたい……っ、あの学院で、ずっとみんなと一緒にいたいよぉ───!」

 

 主人の涙に呼応するように《銀の鍵》が一瞬だけ白く輝いた。今までの禍々しい銀とは違う柔らかな光。人の願いを叶える光が、空間を照らし出して薄れていく。

 その光が消えたあと。ルミアの手には、もはや《銀の鍵》は握られてはいなかった。

 

『───ああ、ざぁんねん。

 あなたは、自分のワガママを通すんだね?』

 

 そんな声が一瞬、ルミアの心を撫でて、また消えていった。

 

『……消えたぞ? 《銀の鍵》が。なんのつもりだナムルス。むざむざ、偽りの巫女を死地へと送り出すつもり───』

『黙りなさい。あなたこそわからないの? ……いいえ、わからないのね哀れなラザール。そんなもの、必要ないから手放したに決まってるじゃない』

『なに……?』

 

 訝しげな声が漏れる。

 勝ち誇るようなナムルスの視線の先にいるルミアは、《鍵》の代わりに自分の身体を抱いていた。

 

「ごめん……なさい……」

 

 ぽろぽろと、卑怯だと思っていても涙が溢れる。

 こんなのは、卑怯だ。自分のせいで不幸になった人がたくさんいるのに、数えきれないくらいにいるのに、自分だけ助かるなんて、そんなのは許されない。

 許されないと抑えつけながら、それでも───

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 

 ……助かりたいと、思ってしまう。

 優しい人たちの輪の中で、自分も幸せに生きていたいと思ってしまう。

 『助けてほしい』と言ってしまえば、優しい彼らは全力で、真剣に、ルミアを助けるために力を尽くすだろう。その結果どれだけ自身が傷付こうとも気にも留めず、恐ろしいと嘯きながら死地へと身を躍らせる。

 

 それを───嬉しいと思ってしまった。消えたくないと願ってしまった。

 命に代えても守らなければならないなんて嘘だ。

 繰り返し口にしたのは自分自身に言い聞かせるため。

 『そうあらねばならない』という罪悪感と使命感。

 

 でも。

 

「ごめんなさ、ごめ……っ、ごめん、なさい……」

 

 ……そんなもの、自分の願いの前ではちっぽけなものだった。

 手放したくない。消えたくない。失くしたくない。どうしようもなくわがままで、わがままな自分を殺しきれない人間だった。

 

 次から次へと溢れる涙を拭う間も無く、口から出るのは誰に向けたかもわからない謝罪の言葉。

 

『───手放すな。まだいたい場所が、いられる場所があるのなら。

 ……それが、失われていないなら』

 

 自分のせいで傷付いたはずなのに、なんでもないような顔でそう語った友人の言葉を思い出す。

 あれは気遣いなんかじゃなくて本心だった。彼は心から、ルミアの平穏を案じていた。ああ───いっそ気遣いであったのなら、どれほど楽だったことだろう。

 ルミアが失わせたものに、ルミアは報いることなどできないのに。

 

 だけど、わかっていた。心の奥底でわかっていた。

 みんな、そう言ってくれるだろうということ。受け入れてくれるだろうという憶測と、期待。

 なんて卑しい娘だろうと自己嫌悪に陥ってしまう。だから自分自身を騙して、罵倒する声に安堵して、かくあるべしと決めていたのに。

 

「ごめ───」

「───もういいよ、ルミア」

 

 ぽん、と暖かな手のひらがルミアの頭をそっと撫でた。

 慣れ親しんだ熱。焦がれて焦がれて仕方のないルミアのヒーロー。

 夢じゃない。幻じゃない。

 

 大きな手が、確かに泣きじゃくるルミアの頭を撫でていく。

 

「ひとりでよく頑張ったな。大丈夫だ、俺たちが来た。ぜんぶ聞こえてた。

 ……生徒のそんな当たり前で小さな願い、叶えてやんなきゃ教師失格だよな」

 

 優しい声。

 

 誰かが一人で犠牲になることなど認めないと、語るような声。

 

 そっと、頭上を見上げる。

 そこには、三年前の口約束を守り続けてくれた───そして、今も守ろうとしてくれるグレン(大好きな先生)と、大好きなみんなの姿があって。

 

「─────────あ」

 

 そこで、完全に心が折れた。

 

 誰も自分を責めてくれない。受け入れてしまう。

 

 それがなにより嬉しくて、後ろめたくて、そんなつもりじゃないのに次から次へと涙が勝手にこぼれてしまう。

 

 だって、自分はいてはいけない人間だった。

 傷付けてばかりで、それが許されるような善いことなんてできなかった。

 せめて良い子であろうと、聖女であろうと振る舞ったところでこのざまだ。

 

「遅れちまって悪かった。でも、これで終わりだ」

「……せん、せい」

 

 なのにそんな醜い自分ごと、みんなは肯定してくれたから。

 だから───

 

「遅くなってごめんなさい、ルミア!」

「ん! 遅刻した!」

 

 地面を擦り、微かな埃を巻き上げながら三人の人間がルミアを守るように魔人との間に立ち塞がる。

 

「私、失敗したこととか、できなかったこととか色々あるけど! でも今は───ルミアを、守りたいから……!!」

 

 後のことは後で考える。とにかく今は、失いたくないもののために全力を尽くそうと銀髪の少女は親友の前に立つ。

 その隣で。これ以上、絶対に奪わせない。なくさない。間に合ってよかったと喜びながら、奥歯を噛み締めながら、一人の少女はそっと目を閉ざした。

 

「……うん。

 ルミアは、こっちにいたいって、言ってくれたから」

 

 瞳を開く。

 剣を握り直して、それだけを支えに前を見る。

 

「グレン、システィーナ」

「ああ」

「ええ」

「───あいつ、やっつけよう」

 

 短い会話。主導権はもはや魔人の手にはなく、物語は転を迎えて結へと滑り落ちる。

 『怪物』は『英雄』に討たれるが定め。ましてやここに居るのは人のまま、己が身のままで正しく走る()()()()()

 

 ───たった一人の怪物が、勝てる道理があろうはずもなく。

 

『おのれ───おのれ、おのれ、おのれおのれおのれおのれ───!!』

「へっ、言ってろこのまっくろくろスケめ! 言っとくけどなぁ───」

 

 わかりきった結末。

 

「俺のかわいい生徒に手ェ出しといて、無事に帰れると思うなよ───!!」

 

 勝鬨の代わりに、どこかで魔銃が火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、戻ったらみんなに言いたいことがあるんです」

 

 崩れゆく船を置き去りにして凱旋する彼らの中、口火を切ったのはルミアだった。

 その顔はどこか晴れやかで、未来への希望に満ちていた。

 

「言いたいこと?」

「はい。ごめんなさいと、ありがとうって。みんな、私のことを許してくれたから……」

「……そうか。そりゃ、大事なことだな」

 

 傷付きながらも英雄たちを乗せて空を飛ぶセリカの背を撫でながら、ゆるりと頬を緩めた。

 誰が悪いとか、そういう責任の所在を問う話ではなくて。本人のけじめと、彼女が本当の意味で未来へと()()歩むために必要な儀式なのだ。

 

 鮮やかな空と、空に融ける船に思いを馳せる。

 自分たちは、奇跡を勝ち取ったのだ。

 

 これからも問題は続くだろうけれど、きっと、みんながいればバッドエンドなんて訪れない───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────今、なんて言った?」

 

 そんなふうに、おもっていたのに。

 

「……はい。みなさんの尽力のおかげで、死者は一人もいません。点呼で欠けていた人も、いませんでした。……()()()()()()

 

 沈痛な表情。グレンたちを笑顔で出迎えたカッシュたちの、その笑顔の裏に潜むもの。

 『せめて、グレンたちが無事でよかった』という、寂しい笑顔。

 リィエルだけが、わかっていたとでもいうように顔を伏せていた。

 

「アシュリー=ヴィルセルトくんの安否だけは、不明です。

 ……ごめんなさい、グレン先生。

 戦いが終わったのに。彼だけ、どこにもいないんです……!」

 

 フェジテ最悪の三日間。

 負傷者、多数。死者、ゼロ人。

 

 ───行方不明者、一人。




次回、戦争の後処理編。

あと作者のことをプロトマーリン呼ばわりした人、怒らないから出てきなさい。
ただちょっとあちこちメンタルとかフラグとか世界とか人命とかバッキバキに折っただけでそんなにひどいことしてないだろ。


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55.Interlude/Ⅰ

よし一ヶ月間隔は免れた。
今回のは11巻開始までの繋ぎみたいなものなので、ゆるっとふわっとお読みください。
ちなみにこのルートは他にもあるルートの中では最悪よりも三つ四つマシなルートです。


 ───戦いは終わった。

 

 そこかしこに爪痕を残しながらも、奇跡的に死者を出さずに三日間の戦争を乗り越えた彼らは、未来の話を───明日を生きるために、共に力を合わせて歩き出すはずだった。

 それが、たったの十数分で崩れかけている。後回しにしてきたツケをここで払えと、そう言われているかのようだった。

 

「どういう……ことですか、セシリア先生……アッシュが、行方不明……?」

「……はい」

 

 暗い顔で俯くのは、アルザーノ帝国魔術学院の保健医であるセシリア=ヘステイアだった。

 彼女自身、ひっきりなしに運び込まれてくる負傷者の対応で手一杯だったのだろう。最低限の汚れを拭うだけに留めた姿は傷こそないもののどこか痛々しい。

 

 その彼女が、わざわざ表に出てきてグレンに言ったのだ。

 『アシュリー=ヴィルセルトは現在、安否不明で行方知れずである』───と。

 

「……亡くなっては、いないはずです。でも、彼は……アッシュくんは一度も医療班のところには来なかったから、自信がなくて」

「いや、セシリア女史の言葉は正しい。少なくとも、死んではいないはずだ」

「アルベルト……?」

 

 犠牲者を出さない───そのために尽力していたにも関わらず、犠牲者一歩手前の人間が出てしまったせいだろうか。

 なんら咎はないはずなのに、力不足を恥じるようなセシリアの言葉に割って入ったのはアルベルトだった。擦り切れた宮廷魔導士団の制服を纏いながらも鷹の如き眼光は衰えず、ただ淡々と言葉を紡いでいく。

 

 ほんの微かに顔を歪めているように見えるのは、錯覚だろうか。

 

「死体が発見されたという報告はない。だが、先の巨人崩壊の前後から行方がわからなくなっている。……こちらでも探しているが、発見報告はない」

「待……待てよ。ただ、敷地内のどっかに紛れてるだけかもしれねぇだろ? ほら、地上もすげぇ大変だったみたいだし、瓦礫の影に隠れてるとか……」

「それは……」

 

 アルベルトがつと視線を逸らす。

 そこには、帰ってきたシスティーナやルミアを取り囲みながらも重苦しい雰囲気に包まれた二年次生二組───アシュリーのクラスメイトたちがいた。

 

 戦いの直後というだけあってその姿はボロボロで、貸し出されたローブにはいくつもの擦り傷や汚れがついている。

 だが、よくよく見ればその汚れは戦闘の余波によるものだけではない。砂埃にまみれたような、そんな汚れもあちらこちらについていた。

 

「……いなかったんです。戦いが終わってすぐ、あいつだけ姿が見えなくて。少し前まで確かにいたのに、いつの間にかふらっと消えてて」

 

 いないことに気が付いたのは戦いが終わってすぐ、イヴが一人で座り込んでいるのを発見したときだったという。

 あの嫌味たらしくて鼻持ちならなくてヒステリックな冷血女でありながら、仕事だけはきっちりこなすはずのイヴが職務を放棄していたというのも気になる話ではあるが───

 

「…………」

 

 肝心のイヴは生徒たちの輪から離れ、一人で俯いている。きつく軍服を握り締める姿は、目を離せばどこかに消えてしまいそうなほど危うかった。

 あれだけ憔悴している姿は久しぶりだ。……時折見せるヒステリーを除けば基本的に自身の弱みを見せようとしないイヴにしては、本当に。なんだったら初めて見るかもしれないと思えるほどに。

 

 その隣ではバーナードとクリストフがなにやら話し込んでいるが、なにを話しているのかまでは聞き取れない。

 ……表情からして、良い内容ではないことだけは確かだが。バーナードに至っては、過ごした時間はともかく教え子の一人が行方不明なのだ。良い顔をできようはずもない。

 

「その……アッシュさんには、危ないところを助けていただいて。そのあとから、姿が見えなかったので……皆さんに声を掛けてみたのですが、芳しくなく」

「それに、なんか様子がなんとなく変だったから……ルミアみたいに、なにか妙なこと抱えてんじゃないかって思って、探したんです」

 

 現場状況から死んでいないことぐらいは理解できたが、そうなると今度はどこに行ったのかという疑問が浮上する。

 無論、無事であるというイヴのお墨付きを信用していないわけではない。だが、『私が引きずってくるから一般生徒はさっさと逃げなさい』と説得されて校舎内へと逆走したウェンディとテレサには、その後の顛末がいまいち読めない。

 

 イヴが役目を放棄した、とは思わない。結果的にはアシュリーが手を出したとはいえ、自分たちを身を挺してかばおうとした人物だ。疑おうはずもない。だが、そうであるのならなおさら姿が見えないことに不安が募る。

 

「そも、生徒には戦いが終われば被害把握のために中庭に集まり、敷地内からは出ないようにと通達していた。それでも見当たらないということは、原型を留めないほどに攻撃されたか……あるいは、こちらの言い付けを破り、自らの意志で去ったと見るのが妥当だろう」

「……じゃあ、最終目撃者の話はどうなってんだよ。聞いた限りじゃあいつ、直近まで一緒にいたんだろ」

「黙秘している。……というより、今のイヴは完全に使い物にならん。聞いてはみたが、知らないの一点張りだ」

「……そりゃ、あの様子じゃあな」

 

 遠目に見ただけでもわかるほどに、今のイヴは生気が抜け落ちている。もし今のイヴと昔のイヴを見比べたら同一人物には思えないだろう───そう思わせるレベルで。

 

 正直、見ていられない。視線を外し、それでもなにか手掛かりがないかと地面を睨みつけて。

 

「そ、そうだ、ナムルス! あいつなら、アッシュがどこにいったかわからないか!?」

『……知らないわ』

 

 苦し紛れの提案が、いつの間にか近くにいた当の本人に切って捨てられる。

 いつもよくわからない情報を落としていくナムルスだ。もしかしたらがあるかと思ったが、現実はただ無慈悲にグレンの目の前に横たわっている。

 

 こうなると本格的に打つ手がない。アルベルトが協力してもなお見つからないということは、またぞろ厄介なことに巻き込まれている可能性が大きい。……そうでないのなら、やはり自分の意志で出ていったのか。

 

 ただでさえここまで無理をさせてきたのだ、これ以上は見過ごせない。

 今まで気付くことさえできなかったとしても、教師としての責任を果たさねばならないのだ。

 

(教師としてどう向き合うべきか、とか、俺にとってあいつはなんなんだ、とか……そんな難しく考えてたのが悪かったんだ)

 

 思い入れなんて関係ないし、そもそも『思い入れ』などという言葉でくくるのが間違っている。

 そんなことは考えてみれば当たり前の話で、ジャティスの言葉に翻弄されたのが腹立たしいくらいだった。

 

 気に掛ける理由なんて、『教師と教え子』というだけで十分だったのに───

 

「……くそ!」

「おい、グレン!?」

 

 驚いたようなセリカの声を振り切り、学校の外へ飛び出そうと足を向ける。

 ようやく厄介な事件に綺麗にカタがついたのに、せっかくルミアが本音を打ち明けてくれたのに、ここで一人いなくなるなんて許されて良いはずがない。

 

『待ちなさい、グレン。勢い任せに飛び出してどうするつもり?』

 

 それを引き留めたのは、半透明の身体でグレンの前に立ちふさがったナムルスだ。

 いつもの退廃的な雰囲気を漂わせたまま、心底どうでもよさそうにグレンのことを眺めている。

 

「決まってんだろ。あのなに考えてんだかわからん野郎を連れ戻してグレン先生のお悩み相談コーナーをするんだよ。内容によっちゃ体罰もやむなしだ」

『見つけるアテもないのに? 非効率的ね』

「ぐ……けど、少なくともフェジテのどっかにはいるはずだろ!? なら……!」

『落ち着きなさい。それで見つかるならとっくに見つかってる。第一、見つけてどうするの? アレが自分の意志で離れたのは明確でしょう。ここまで完璧に姿をくらませているということは、つまりそれだけ()()ということ。……あっちの方は、あなたたちに会いたくないんじゃないの?』

「───っ、それ、は……」

 

 そうだ。実際のところ、グレンたちがここまで焦る明確な理由などどこにもありはしない。

 これは早い話が感情論であり、そしてどうするべきかの答えが出ていない以上は意味のない、場当たり的な行動とすら言える。

 

「で、でも、こんなタイミングで行方知れずなんて、ナムルスさんは心配じゃないんですか!?」

『別に。肩入れする理由もないし』

「おま……っ」

 

 あんまりといえばあんまりな台詞に、思わず目を剥いた。確かにグレンとセリカ以外にはどこかツンケンした態度のナムルスだが、ここまで無関心を貫いているのは予想外だった。

 意味不明な女だが、悪いやつじゃない。そう思っていたのに……と、そんな無言の非難を感じ取ったのか、居心地悪げにナムルスが身じろぎする。

 

『……勘違いしないで。無理に探す理由がないというだけで、別に死んでほしいとかそういう風に思っているわけじゃないから。それに、どうしてそうしたのか(ホワイダニット)、がわからない以上見つけるのは無意味な行為だわ。あなた、なにが不満かわからない相手をどう説得するつもりなの?』

「……それは……けど、それでも!」

『言わんとしてることはわかるけど、無駄よ。そんなことより、生き延びたことを喜んで、その活力を明日に繋げた方がよっぽど建設的だわ』

 

 一方的に言い捨てて、ナムルスは口を閉ざす。

 

(……心当たりが、ないでもないけど。それじゃああまりにも救いがない。

 いるべき存在じゃないって、自分でもわかっていることがどれほど苦しいかなんて、そんなの───)

 

 自らの腕を抱いて感傷に浸る。ずいぶんと妙な状態になっていた彼にとって、ナムルスの思うそれが正しいのかどうかはわからないけれど、いずれにせよ事実は変わらない。

 だが、それをグレンたちに伝える理由はなかった。わざわざ孤立させてしまうような情報を渡す必要はない。なにより、それを伝えたところでどうにもならない。原因が解決できるものならそれでも良いだろうが───恐らく、既に『原因』はどこにも存在しない。

 

 ナムルスは彼の全てを理解しているわけではないが、多少の来歴と状態くらいは察している。その上でこれを選んだのなら……それを選んでしまうまでに、どれほどのものを諦め続けてきたのだろう。

 

「……どうして……なん、でしょう」

「ルミア……」

「やっぱり……私の、せい、なのかな。散々巻き込んだから、もう、いやだって……こと、なのかな」

 

 青い顔で、今にも泣き出しそうなルミアをそっとシスティーナが支えた。

 今まで迷惑をかけてきた皆に受け入れてもらえた───その喜びと、改めて彼らと共に生きることを決めた彼女にとって、この結末はあまりにも酷だ。

 

 自分は救われたのに、同じような気持ちを抱えていたのだろう少年は一人きりになってしまうなんて───

 

「私、やっぱり、ここにいたらだめなんじゃ……」

「───ルミア。それ以上は言わないで。いくらなんでも、本気で怒るわよ」

「ぅ……」

 

 ルミアの手を取り、システィーナが真っ向からルミアを諭す。

 どんな思惑があって彼がいなくなったのか、とか。やはり、頼るだけ頼ってほったらかしだった自分たちに愛想を尽かしたのか、とか。考えることはたくさんあるけれど、ようやく手に入れた親友の本音と安寧を崩してしまうことだけは許せない。

 

 ……思うところが、ないわけではない。むしろありすぎてなにもわからないぐらいだ。

 自分たちはなにかを間違えたのか。頑張ればなんとかなるという希望に浸りすぎていたのだろうか?

 

 答えのない問いが延々と頭をループするだけで、なに一つ理解も進展もしない思考回路にフタをして、システィーナは親友を支え続ける。

 

「……くそっ。みんなで打ち上げしようって、言ったじゃねぇかあのバカ……!」

 

 だん、とカッシュが拳を崩れかけた壁に叩きつける。

 やたらとひっついていたリィエルを除けば、二組生徒の中で最もアシュリーと親しかったのは間違いなく彼だ。それ故に、思うところがあるのだろう。

 

「なんか悩み事があるなら、そう言ってくれれば───」

「……し、信用、されてなかったってこと、なのかな。わ、私たちと一緒にいるのが、実はすごく嫌だった、とか……」

「ンなわけねぇだろ!? ……そんな、わけ……」

 

 半ば泣き出してしまっているリンの声に一度は荒々しく返して、それもすぐ尻すぼみになる。

 

 この中の誰一人として、アシュリー=ヴィルセルトという人間のことが理解できない。

 楽しかったのか、疎ましかったのかさえも。

 

 裏切られたような寂しさ。ルミアのように、抱えるものに気付いてやれなかった悔しさ。助けてもらったことに、なにも返せない不甲斐なさ。

 そんな身勝手な感情に心がかき乱される。存在感が薄いとか関係なしに、彼もまた仲間だと思っていたことを思い知らされる。

 

 人間関係というのは、利害だけでできあがるものではない。たとえば仮にグレンが教師でなくなったとしても、二組の生徒は全力で彼の助けになるだろう。

 だが、消えてしまってはそれもできない。恩を返すことさえできない。未来を語ることも、これからを共に生きることも───

 

「……案外、そう悲観することもないのかもな」

「ギイブル……?」

「別に、いなくなったからってこんなに僕たちが落ち込む必要はないんだ。そこの……ナムルスさんの言う通り、そんなことよりも生き残ったことを喜ぶべきだね」

「───てめぇ、アッシュが心配じゃないのかよ!?」

「心配してどうなるんだよ!!」

 

 ギイブルの心ない言葉に思わず声を荒げたカッシュの台詞が、さらに荒々しいギイブルの声に遮られる。

 ギイブルらしからぬ気迫と勢いに押されたのか、カッシュがびくりと身を竦ませた。

 

「あいつはなにも言わずに勝手にいなくなったんだぞ!? 自分一人で決めて、誰にもなにも言わないで! そんなやつをどう心配しろっていうんだ!」

「なんかに巻き込まれてんのかもしれねぇだろうがよ!? 今までだって、影でこっそりボロボロになってたのに───」

「だからなんだ! ()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「───ッ!?」

 

 鋭い一言に、思わずその場の全員が息を呑んだ。

 なにもしてこなかった。それは誰もが共通して持っていた意見であり、仕方のないことだと全員が理解していることだ。

 

 災難に巻き込まれた級友を心配はしても、それでわざわざなにかしてやることは稀だ。

 ───あるいは、そうあるようにアシュリーの方が距離を置いていたのかもしれないが。

 

「今さら、僕たちがなにをできるっていうんだ! 今の状況が答えだろ!? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 しん、と空気が冷え込む。誰もがギイブルの言葉に黙り込んでいた。

 どうでもいいから、好きでもないから、嫌だったからいなくなった───アシュリー=ヴィルセルトという人間の内面を理解できる人間がいない以上、そう考えることしか彼らにはできない。

 

 友人だと思っていた。仲間だと思っていた。……だけど、本当に相手もそう思っていてくれたのだろうか?

 一人、影でなにかを抱えていたらしい彼を『いつも通りだから』と気に留めなかった───気に留めることができなかった自分たちを、果たして彼はどう思っていたのか。

 

「……とにかく、僕はもうあいつのことにはノータッチだ。これ以上、あいつの話を蒸し返さないでくれ」

 

 そう吐き捨て、ギイブルがその場を去る。

 

 他の面々も、これ以上言えることはないと諦めたのだろう。沈鬱な表情のままで、まばらにその場を去っていく。

 

 そこに、大いなる脅威を乗り越えた達成感はない。

 失くしたもの、手に入れたもの。その二つを見て、軽々にはしゃげるほど、彼らは人でなしでも薄情者でもない。

 

 失くして初めて気付くこともある、とはよく言ったものだ。

 問題は、それがどうやったら取り戻せるのか、なぜ失われたのかさえもわからないことだが。

 

「……クソ。クソ、クソ、クソ……! なんでだ、なんでこうなったんだ……!?」

 

 ゴン、と瓦礫に額を打ち付けてグレンが自問自答する。

 

 わからない。なにを考えていたのか、どうすべきだったのかがわからない。

 笑って、ただ楽しそうにしている姿だけで十分だったのに。

 

 自分が手を差し伸べることができなかったからなのか。あるいはいっそ、アシュリーという人間に問題があったのか。

 

 理屈で考えたところでどうにもならない。理解できないことはすっぱりと頭の隅に追いやって、なにもかも気にしないことにするのが合理的なのだろう。

 それでも、巻き込んだ者として、本当なら助けにならなければならなかった立場として、そんなことは到底できそうにもなかった。

 

「……畜生……いや、まだ……まだ、探せば、どっかに……」

 

 拳を握り締めてから、ふらふらと歩き出す。

 

「待て、グレン。……その状態で探し物なんて無理だ。せめて一日休め」

 

 その腕を、セリカが掴んで止めた。

 ぎり、と歯を食いしばる。セリカの言うことは正しい。今飛び出していったところで、ロクな結果にならないだろう。

 

「けど、俺は……!」

「いーや、無理だ。話題になってるのはあのオトリの小僧だろ? あれぐらいの実力なら街の外に出てたっておかしくない。お前、今の状態でそこまで探すつもりか?」

「……っ」

「つーか、この状況下とはいえそこまでして探す必要があるのか? フェジテにいた天の智慧研究会は壊滅状態なんだろ? なら、ただ少し外の空気を吸いに行きたかっただけかもしれないじゃんか。ほら、わかったら一旦休もう。……あいつにだって一人になりたいときがあるのかもしれないし、な?」

 

 セリカの言葉に悪意はない。ただ純粋に、グレンの身を案じている。

 それに罪悪感を覚えながら、ゆるゆると腕を振り払った。

 

「……悪い、セリカ。すぐ戻るから」

「グレン!」

「セリカ。わたしも一緒に行くから。……あとで、グレンのこと、よろしく」

「あ……アルフォネア教授、私たちも行ってきます!」

「う、うん。すみません、教授! 先生とアッシュ君のことは、私たちが……!」

「お前ら……あーくそ、勝手にしろ! 夜中になる前には戻って来いよ! いいな!」

 

 そう言い残して、四人が街の方へ走り去っていく。

 置き去りにされたセリカが困ったように頭をがしがしと乱し、仕方ないというようにため息をついた。

 

 その日。

 

 四人が日が暮れるまでフェジテを歩き回っても、走っても。

 

 唯一の行方不明者が姿を現すことは、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「うわー、ひっどいですねぇ。血と鉄の匂いが充満しちゃって、せっかくの道路が台無しです! あーあ、もったいない。これ、お掃除するの誰なんですかねー? フェジテの清掃員のひと、かわいそう!」

 

 どこかの路地裏。時刻は真夜中。

 フェジテの中でも整備が未だ行き届いていない貧民街の一角に、そんな場違いに明るい声が響いた。

 

 声の主は年若い、少女と言って差し支えのない一人の女性。

 視線の先には二つの死体。もう動かないそれを靴の先でつんつんと蹴る姿とは不釣り合いに、表情は不気味なほどににこやかだ。

 

 地面に転がっている死体は、ほんの数分前まで動き回っていた生き物の成れの果てだった。

 片や、不滅の神鉄と謳われた肉体を持つ魔人。片や、己の死すら欺き暗躍する錬金術師。

 どちらも相応に強敵であったはずであるのに、今やその姿は無惨に斬り刻まれて見る影もない。

 

 もっとも殺したのは少女ではなく、路地裏にいる『もう一人』の仕業ではあるのだが。

 この暗闇の中でも目を引く赫色の刃が、するりと空間に溶けて消えた。どういう原理なのか気になるところだが、お茶らけてばかりもいられない。

 

「はぁー……。あれだけフェジテを騒がせた張本人二人をこんなにグッサリキッチリ殺しちゃうなんて、見かけによらずおっかないんですねぇ?」

「───(いや)。仕留めきれてはいない。如何なる仕掛けかは与り知らぬが、どうも一杯食わされたようだ」

 

 答える声は淡々としている。首を僅かに動かすことで死体を示すと、得体の知れない術式が地面に───正確には、ジャティス=ロウファンの死体を起点にして現れていた。

 慌ててその場から離れて見れば、今しがた斬殺されたはずの死体はずるりと闇に溶けるようにして消えた。気味の悪い光景に、つい「うっわぁ」と素直な感想がこぼれた。

 

 転送魔術の一種だろう。特殊な金属として利用価値があるであろうアセロ=イエロの死骸はともかく、肉体的にはただの人間であるジャティス=ロウファンまで回収されたのは意味がわからないが。

 あるいは、数年前に死んだと見せかけて生き延びていたジャティスである。この死体さえも、後に繋がる舞台装置の一つにすぎず、本人がどこかで糸を引いている可能性も否定できない。

 

「ふ~ん……」

 

 そこまで思考を巡らせてから、改めて少女は路地裏に目を向けた。

 

 目の前にいるのは人相の把握できない青年が一人。

 『我が愛しのあるじ様(マイ・ロード)』の命令により魔術学院に起こった事件……と、役立たず寸前の現・《紅焔公(ロード・スカーレット)》を監視しに来たはずが、妙なジョーカーを引いてしまった。

 

 彼女の主人は、それも込みで彼女に監視を命じたのかもしれないが。

 

(これは確かに、戦力として抱き込めれば相当強いカードになりますねー?

 けど、微妙に厄介、かつ面倒というかぁ……ぶっちゃけ、私の嫌いなタイプのよーな!)

 

 値踏みするような視線をぶつけながらもの思う。

 彼女の『あるじ』はとにかく戦力を欲している。それも、わかりやすく表沙汰になるものではなく、裏で動かせる類のものを、だ。

 

 やたらと戦力を表に出して主張しては無駄な警戒を招く。理想は子飼いの魔術師を国の上層部に潜り込ませておくことだが、それでは政治的に活動はできても裏での活動が疎かになる。

 

 事前情報からして、戦力としては申し分ない。なにより、情報が正しければ『彼』は天の智慧研究会がやたらと執着している人間だ。引っこ抜ければ、かの組織にとっても十分な嫌がらせ……もとい、痛手になる可能性はある。

 従わせる方法など、それこそごまんとある。大抵は権力や特権をチラつかせれば一発だし、そうでなければ人質でも取れば良い───

 

「……で、あなた、これからどうするんですか? こっちも下心アリアリなので、『お手伝い』をしてくれるならある程度は色々とそっちに都合しますよ? ───古巣、戻りたくないんでしょう?」

「───……古巣?」

「いやいやいや、なんですか! その『ナニソレおいしいの』みたいな顔。あなたの古巣ですって古巣。えーとなんでしたっけ? たしか、アルザーノ帝国魔術学い───」

「申し訳ないが、興味がない」

 

 あまりにも感情のない一言に、今度こそ少女は絶句した。

 曲がりなりにも一年以上を過ごした場所に対しての言いぐさも、その言葉の冷ややかさにも。

 

「『(当方)』に確たる目的はなく、この身は只役割に徹するのみ。

 であれば───居るべき場所など有りはしない。『(当方)』は『(当方)』の為すべきを為し続けるまで。……そこに、情などあるものかよ」

 

 硬質な仮面に覆い隠されて、その表情は読み取れない。

 闇の中にあって、なに一つ窺い知ることはできないが、それでも───その語り口に熱はなく。

 

「へぇー。ま、それならそれでもいいですけどぉ……」

 

 あは、と。

 

 月光に照らされたあどけない顔を狂気に染めながら、少女が嗤う。

 

「それじゃ、今後とも仲良くしましょう? ねぇ───」

 

 亜麻色の髪が闇に揺れる。

 媚びるような視線と仕草で、少女は『彼』の名前を呼んだ。

 

 もはや名乗るべき名などないと、そう告げた()()の名称を。

 

 

 

「───剣士(セイバー)さん?」

 

 

 




そういえばもうそろそろこの小説をぶち上げてから一周年ですね。というわけでなにか特別編を書こうと思うのですが、なにが良いかなーと思ったのでアンケートなるもので募集してみます。
上位1本、もしくは2本を書き下ろしたいと思います。基本的に本編に挟み込む余裕のないもの、あるいは知り合いに推されたもの、没√などが候補です。変化球でTwitterなんてのも。
ジャンル・タイトルのみの記載となっておりますので、読みてぇなって思ったものにポチッとよろしくお願いします。
……いや使い方これでいいのかな、緊張するなこれ!


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56.IF/EXTRA:堕天の庭【前】

『竜殺し』の設定とEXTRAの設定のすり合わせをすること、一ヶ月。
『魔法使いの夜』と2部7章に心をボコボコにされること、一ヶ月。
そこからEXTRAゲーム序盤の内容をダイジェストでまとめられるようになるまで、一ヶ月。
卒業研究をやっつけ、引っ越しの準備に追われること、一ヶ月───。

四ヶ月ぶりだな諸君、作者だよ。遅くなってタイヘンに申し訳ない。アニバーサリーは終わったがアニバーサリー記念の番外編だ!
もう一個のIFルートもいずれ投稿するからもう少しのんびり待っていてほしい。ところでアニバーサリー本当にこの二種で良かったのん??

今回は本当に色々なルール、ルート、IFをぶっちぎった『もしかしたら』であるため、多少の矛盾、駆け足感、面白みのなさはお目こぼしいただきたい。ゲームのダイジェストとか二度とやんねー。

───追伸。アッシュ君は出ません。
『なんでこいつが!?』という感想は幾つか出るだろうが、そこはそれ。大目に見てほしい。禁じ手には禁じ手で対応した、ということで。

まじの追記:コロナなった


 

 

 

 

 ───夢を見たことがある。

 

 夢といっても悪夢の方で、眠りの縁での記憶ではなくホントの話だ。

 子どもの頃に一度だけ、嘘のように大きな火事を見たことがあった。

 

 自分は幸い大した被害は受けなかった。火元からかなり遠かったのだろう、家とかそのとき大事にしてた玩具とかが燃えただけで、本当に大事なモノ……家族とか、そういうの、は無事だった。

 自分自身だって、せいぜい軽い火傷を負った程度なものだ。全身が焼けてしまった大勢に比べたら、自分はずいぶんと恵まれていた。

 

 運が良かった。

 だって生きている。少し痛いだけで、今日も世界は続いている。

 見ているだけで殺意と憎悪を感じてしまうような、そんな炎に呑み込まれることもなく。近くて遠い『おしまい』からは、なんの苦もなく逃げ延びたのだ。

 

 ……だけど、それでも。

 

 こんなにもあっけなく生命というものは終わるのだと、燃える景色は告げていた。

 

 それが一度目の悪夢。

 一方的に未来を閉ざされる人たちを助けられる力なんて、ただの人間にはないのだと思い知らされた記憶だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────☆───────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶え間なく襲い来る頭痛に耐えながら頭を振る。

 どうにも寝起きのような倦怠感がつきまとっている。深い水底に落ちるような、あるいは浮上するような。行く宛もなく浮遊していたものが重力に絡め取られるような、そんな形容しがたい感覚とともに目を覚ました。

 

 チカチカと視界が明滅する。うまく輪郭を掴めない感覚は、暗いところから明るいところへ連れ出された時に似ている。実際に暗いところにいたわけではなく、もちろんもののたとえではあるのだが。

 手探りで上半身を起こし、眉間をほぐす。ようやく視覚が慣れてきたのか、朧げながら周囲の情報を取得し始める。

 

「……どこだ、ここ」

 

 何度かまばたきを繰り返し、ようやく周囲の景色を把握した。

 見覚えのない空間。半透明の床にはグリッドが走り、まるでタイルが連なっているように錯覚する。いや、実際その通りなのか。はるか遠くには絨毯のような豪奢な赤色が広がっていて、やはり当然のことながら見覚えはない。西洋の城、のような雰囲気ではあるものの、そう仮定するにはあまりにも周囲の景色は異様に過ぎた。

 

 およそ現代では体感しようのないデジタルチックな景色と違和感。肌にまとわりつく、深海のような息苦しさ。見覚えのない、現実感のない空間。いつの間にか着替えさせられたのか、着ているのはこれまた見覚えのない学校の制服。

 ……なるほど、と一つ頷く。つまりこれは、

 

「またぞろ、なんかよくわからないトコに紛れ込んじまった感じかねぇ……」

 

 呟き、地べたに転がっていたせいか凝り固まった身体をほぐすように伸びをした。相変わらず頭痛はするが、動けないほどではない。今はどちらかといえば緩やかな酩酊感のようなものに変わっている。夢の中にいるような気分だ。試しに頬をつねってみるが、痛いだけでなにも起きない。

 ……と、そこまで反射的に行動してからはたと気付いた。身体が動かせる。腕はあるし足も動く。なんだったら歩くどころか走ることさえ余裕でできそうだ。

 

 いや、そのレベルで驚くほど自分は不自由な身体をしていなかったはず……と自身の驚きに驚きながら記憶を探り、もう一度驚いた。

 

 ───『ここ』に至るまでになにがあったのか、具体的な内容がまったくもって思い出せない。

 端的に言えば記憶喪失というヤツであろう。堂々と宣言できるほどはっきりと欠落しているわけではないが、思い出せない以上はこれ以上に適切な言葉はあるまい。ファンタジーの常套手段に、まさか自分が陥るとは。

 

 しかし考えても考えても、いくら頭をひねっても、今までの自分の動向がうすらぼんやりとしかわからない。いっそ清々しいまでの混乱ぶりだ。寝て起きたら異世界でした、というシチュエーションはこういう気持ちなのかもしれなかった。

 しかしまあ、思い出せないものは仕方ない。言い方は悪いが考えるだけ時間の無駄だ。仕方ないから、考えないことにしよ───

 

「……いや。いやいやいやいや」

 

 なんでのほほんとしてるのさ。緊急事態だろ。なにがあったのか思い出せないのは立派な緊急事態だろ! しれっと流そうとするんじゃない!

 

 セルフツッコミとため息を吐き出してから、深呼吸を繰り返す。

 よくわからないコトが続いて気が動転してるんだろう、たぶん。意外と落ち着いていた気もしたが、純粋に思考回路がフリーズしたせいで考えが回らなかっただけだと思う。なにせ、まともにものを考えること自体が久しぶりなのだ。ある程度は仕方がないというものだろう。

 

 よし、と気合いを入れて立ち上がる。一瞬立ちくらみのようなものがしたが努めて無視する。……訂正、不快感は拭えないが気にしていてはキリがない。微かな痺れのようなぎこちなさはしばらく我慢するしかないだろう。

 視点が高くなれば、自分が今置かれている状況がいやでもわかってくる。どうやら、よくわからないトコロという評価は間違いではなかったようで、柱もなしに並べられた床は見えないどこか遠くまで続いていた。早い話、迷路かなにかだ。……もっとも、これだけ巨大な迷路など、日本どころか世界中を探してもありはしないだろうが。

 

「……とりあえず、出口を探そう……ここ、気持ち悪いし。出られるかはわかんないけど、うん」

 

 三秒だけ考えてから、弾き出された結論に従ってぎこちなく歩き出す。

 久しぶりに自分の足で歩けることに、ちょっとした充足感を覚えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────☆───────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「広い!!」

 

 うがー、と見えない天井に向かって叫んでから、慌てて口を塞いだ。しまった、と歯噛みして周囲を見渡すが、どうやら妙なものは近付いていないようだ。あまり聴覚は優れていないのかもしれない。恐る恐る口から手を離しても、やはりなにかがこちらへ迫ってくる様子はない。

 ほっと胸を撫で下ろして、改めて肩を落とす。体感一時間は歩いているが、一向に出口らしきものが見つからない。

 

 こう、ずばーんと敵ごと壊しながら進んでしまえたら楽なんだけど───などとも思ったが、実行する手段も無事に済む確証もないためそそくさと頭の隅に追いやる。

 

 仮称ダンジョン内は謎の生物───いや、生物と呼ぶのもおこがましい物体で満ちている、ただ歩くだけでも危険がつきまとう領域だった。

 それどころかダンジョン自体も妙な閉塞感に包まれていて、動き回るだけで息が詰まる。()()()感じこそしないものの、それにしたって息苦しい。最悪より少しマシ、レベルだ。……身体の重さが取れないあたり、自分自身にも問題があるように思わないでもない、が……。

 それでも一応、一歩進めば新手がいる、などという密度ではない。気をつけて進めば見つからずに移動できなくもなかったのは幸運と言えよう。

 なんとかかんとか、比較的空いている場所を進んだり全力でダッシュしてみたりと色々手を尽くして探索をしてみたが、労力に見合うような収穫はほとんどなかった。

 

 わかったのは、自分がいた世界(場所)とはまた別なのだろうということくらい。

 だがそれがわかったところでなにができるわけでもなければ、そこに帰れるわけでもない。そもそも帰る世界などとっくにないのだから、このよくわからない場所を彷徨うしかないという現状への理解が深まった程度の恩恵しかない。

 ()()()()()()()()は思い出せなくとも、()()()()()ということだけは骨身に沁みている。あまり、深く考えたくはないが。

 

「しっかし……誰もいないし、変なのはいるし、かといって逃げ続けてても出口はないし……つか、三次元立体迷路はキツい……マッピングしないとキツい……」

 

 一番の問題は出口が見えないという点だ。階段のようなものは遠くに見えたが、道中に謎の浮遊する構造体がわんさかいるせいで近付くこともままならない。

 視力は悪い方ではないが、こうも遠いと見るだけで精一杯で、しっかり確認することはできそうもない。

 障害物(エネミー)さえどうにかできればまた違うのだろうが、戦って切り抜けるなんてもってのほかだ。そんなコト、生まれてこの方したこともなければ試みたこともない。見晴らしが良いのも向かい風で、引き付けてから撒いて逃げる、なんて芸当も出来そうにない。もし自分があの未確認飛行物体……浮遊物体? に一人突撃したところで、イイ感じに複雑骨折した死体が出来上がっておしまいだ。

 

 スポーツ選手なんかであったとしてもそうそう抵抗できないだろう。

 剣道部員とかチアリーディング部とかの運動部が華麗に避けたり退けたりするシナリオもあるが、あれはあくまでもファンタジーだからこそ許される暴挙なのである。普通は自分より強いものに立ち向かう気になんて到底なれない。

 

 いわんや、シロウトをや。

 物語の主人公にはなれそうもない。なる気もないが。

 

「……ったく、結局なんだってんだ……。マトモな場所じゃねーのは確かだけど、終わってるってわけでもなさそうだし……」

 

 ぶつくさと、良くもない頭で必死に現状を整理する。

 そもそもの話、自分にわかることはそう多くはない。色々あって、世界にはまだまだ自分の知らない神秘が溢れている……具体的には魔術とか……ということは理解したが、だからって一足飛びにすべてを理解できるわけでもない。

 

 具体的な内容を思い出せないのでは言わずもがな、だ。

 自分としては夢を見ているような状態だったのだから、そういう意味ではきちんと覚えている方がおかしいのかもしれないが。

 

「なんだっけ……剪定……編纂……? 難しい概念並べられてもわかんねーんだけどな……」

 

 夢の中、聞きかじった単語を必死に思い返す。思い返したところでなにがわかるわけでもなかろうが、意味不明には意味不明をぶつけたらなにかわかるかもしれない。わからなかった。

 第一、ナントカとかいう……えっと……なんだっけ……。そう、ナントカいうナントカがナントカでナントカのような……もはや思い出せない通り越してなにを思い出そうとしているのかわからないというか……。

 

「ロスト……えっと……? なんだっけ……いやほんとにわからん……」

『──────!』

「ああ、うん、そうだよな。ほんとに意味わかんねーよな───うん?」

 

 思考の隙間、なにかおかしな相槌が入った気がして首を傾げる。

 ふと隣を見れば、そこには丸っこい謎の球体がガッシャンガッシャンとパーツを動かしている。

 

「─────────」

 

 現状を確認しよう。

 

 前、道。後ろ、道。左右───よくわからない、けど殺意がマシマシなことはわかる球体。

 ───ターゲット、自分。

 

「あっ───う、わぁぁぁ!?」

『──────!!』

 

 反射的に、思わず情けない悲鳴をあげて走り出していた。

 風を切りながら、球体が体当たりを仕掛けてくる。……ついさっきタダでは済まないだろうと推測した物体が、体スレスレで通り抜けて床にぶつかる。壊れないのが不思議なくらいの轟音を立てながら、()()は再び自分を標的に捉えていた。

 

 背筋が痺れる感覚。これが本能というものだろうか。

 敵に背中を向ける危険など考えもせず、全力でその場を離脱する。

 

「───ッ!!」

 

 でたらめに、出口のことなど考えないままにめちゃくちゃに道を辿った。微かな身体の違和感など気にしてもいられなかった。気が緩みすぎていた、と自戒する。たとえなんとか無事に探索できていたとしても、慣れない場所である以上は気を抜くべきではなかったのだ……!

 背後からはしつこく、逃がすつもりはないとばかりに謎の球体が追い掛けてきている。それこそ機械的に、無機質に、暴力的に、こちらを叩き潰そうと迫っている。

 

 ───殺される。

 

 久しく味わうことのなかった、というか味わったことがあるという経験が信じがたい感覚が警鐘を鳴らす。

 

 このまま此処にいては殺される。惨たらしく消去される。なにが起きているのかもわからないままに終わらされる。

 あるいは、もっと酷い最期を迎えることになるのかもしれない。酷い死に方、というものを想像する余裕はなかったが、漠然とした思いがよぎる。

 

 後先なんて考えずに全速力で走る。道はわからなかったので勘のままに走り続ける。敵がいたはずの道は極力避けはしたが、限界はある。自分の記憶力の良さに今回ばかりは感謝した。

 それでも距離をほんのわずか引き離すのが精一杯で、袋小路に追い込まれてへたり込むまで、そう長い時間はかからなかった。……振り切れた、とは思えない。直に、運命はこの道にまで辿り着くだろう。

 

「はぁ、は───ァ、はー……ッ、くそ、……やっぱ、まとも、じゃねえ……!」

 

 息を切らしながら吐き捨てる。

 

 怖い、と久しぶりに思った。足が震えているのは全力疾走したせいだけではないだろう。

 思えば、今まで遭遇してきたもののほとんどはただ目の前で起きているだけの出来事で、自分が主になって関わることなんてまったくと言っていいほどになかった。……幼少期の火事なんかが良い例で。

 

 ああ、そうか、と他人事のように腑に落ちた。

 

 死に損ねて、消え損ねて、散々あちこちをたらい回しにされてきたけれど。───ようやく、ここが終点になるらしい。

 

「──────……あ」

 

 そこで、もうなにもかもどうでもよくなった。

 

 消えるのは恐ろしいことだ。死んでしまうのも同じこと。それを心底から望めるほど、自分はネジの吹っ飛んだ人間ではない。それでも、そう気付いてしまえば抵抗する気力はあまりなかった。

 

 所詮は有象無象の人間一人。

 消えたところで、なんの問題もないのでは、と。ついひょっこり、いらない本音が顔を出した。

 

 気が付けば、すぐ近くによくわからない構造体が迫っていた。このままなにもせずにいれば自分はあっさりと、それこそ赤子の手を捻るよりも容易く命を落とすだろう。

 例え普通とは違う経歴を辿ってきたとしても、自分自身はどうせちょっと悪運が強いだけの一般人。力で迫られてはどうしようもない。

 ここで終わる。終わらされる。気付けば消えていた故郷や、夢の中の雪景色となんら変わらない。

 お前たちに価値はないと、一方的に切り捨てられる。お前たちの奮闘は不要なものだと、なかったことにされていく。

 

 ……だけど、それはもう、どうしようもないことだ。

 終わったものを取り戻す術はない。かといって、終わる前に奮闘する力もない。

 

 そういうものなのだ、この世界は。

 因果応報、努力をしたものが報われるというのは間違いではないが、努力をしたから報われるというわけでもない。

 

 だが今は世界の命運が絡んでいるわけでもない、自分で自分の道を選ぶ至極当然の状況。それでさえ、自分ではどうしようもない気がして───

 

 ───遠く。

 消えていく景色を、見た気がした。

 

「……くそッ!」

 

 悪態をついて、袋小路のさらに奥へと走っていく。

 逃げ道はない。当たり前だ。どこへ行っても行き止まりなのは今に始まったことじゃない。

 それでも足を動かして走る。ギリギリまで、人生に執着するように。

 

 ……いや、執着、は正しくないか。間違ってもいないけれど、これはどちらかといえば寂しさだ。

 決して埋まることのない喪失の穴。その存在に気付いた途端、座して死を待つのがバカらしくなっていた。

 

 もし、自分がここで死んだら。

 ダメだ。それはあまりにももったいない。

 

 歯を食いしばって、弱音を世迷い事に変換する。

 どっちもどっちだが、後者の方がまだやる気にはなる。

 

 ……そうだ。

 終わるのは良い。

 だけど、もしここで自分が死んでしまったら。もう自分しか覚えていないものが、本当に無かったことになってしまう。

 

 それはダメだ。それはいくらなんでも寂しすぎる。

 もう帰れないことぐらいわかっているなら、せめて……!

 

「───死ん、で、良い、とか! 死んでも、言わねぇ、けど!」

 

 奮い立たせるために声を張る。そんなことでなにが変わろうはずもない。(終わり)は無慈悲に、無機質に迫っている。

 わかっていたことだ。わかっていたはずのことだ。

 諦めない───違う。諦めているけれど、それでも。

 

 なにか一つでも、残したいものがあるのなら───

 

「……ここで! 死んだら!

 ()()だけ残っちまった、その意味がなくなるだろうが───!!」

 

 そんなもの、最初からどこにもないのだとしても。

 それでも、残ってしまったモノとして。

 

 ここで死ぬのは癪だと、恐怖に理由をこじつけて前を向いて───

 

 

 

 ───その叫び、しかと聞き届けた、と。

 

 そんな声と共に、自分を消し去るはずのものが一瞬で燃え尽きた。

 

 

 

「な───……!?」

 

 突然のことで絶句した自分を誰が責められよう。

 もとより、魔術やらなにやらとは無縁の人間である。目の前でビックリ炎上ショーが繰り広げられればそれは驚くというものだ。

 

 それと同時、左手に熱と痛みが走る。

 これ以上妙な事態が増えるのは勘弁してくれ、と思いながら視線を移せば、そこにあるのはやっぱり妙な、よくわからない模様のようなもの。

 

 タトゥーを入れた覚えはないし入れるつもりもなかったのだが、これはいったいどういうことであろうか。

 そろそろ理解が限界───と、そう思ったのが理由ではあるまいが、鋭い痛みに一瞬で意識が断線しかける。

 

 みっともなく尻餅をついたままの自分の目前、人影が揺らめいた。

 それはこの場に似つかわしくない、なんとも幻想的な光景で───

 

「───問おう」

 

 涼やかな声。この事態にも動じず、ただ敵を消し去ったモノの言葉が、一人きりだった自分へと向けられる。

 

「おまえが、アタシのご主人(マスター)か?」

 

 ───()()()()()()()()()()()()()()()()()()は、実に調子外れの浮かれた声で、真面目くさったセリフをぶん投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────☆───────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『白野さん、その角を右に! そちらに反応があります!』

「まったく、迷宮に未知の動く生体反応だと───本当なんだろうな!」

『間違いありません! 誰かまでは特定できませんが、少なくとも片方はサーヴァントのはずです! 岸波さんたちを裏側に堕とした犯人である可能性もあります、接触は十分注意してください!』

 

 焦ったような桜とレオの声が響いている。

 月の表側に通じると思しき道───仮称サクラ迷宮に乗り込んだ後、戦闘経験が初期化されてしまったアーチャーとアリーナ内部を進んでいたらこれだ。

 

 月の裏側……何者かの陰謀により聖杯戦争から()()()()()きた先で、頼れる相棒(サーヴァント)友人(ライバル)たちと再会し、なんやかんやで脱出の道を探っている最中に飛び込んできた連絡は、到底信じ難いものだった。

 

 得体の知れない拷問室の探索を終えた直後に舞い込んだ、サーヴァント反応の捕捉。それも二体分。自分を観測機器の代用としている以上、そう遠くない場所に。

 付近にはサーヴァントではない生体反応も、それぞれ二つ。───サーヴァント同士の戦闘が行われている可能性が高い、と桜は言った。

 

「───マスター、止まれ!」

 

 アーチャーの声に、反射的に速度を緩める。通路の奥の方、睨み合う四つの人影。武器を構えていない人物のうち一人には見覚えがあったが、もう片方は知らない人物だった。

 ……旧校舎まで逃げることのできなかったマスター、だろうか。データの負荷が大きいのか、汎用の制服を除けば、やはり汎用なのであろうアバターのカラーリングは色落ちしたように薄味だ。サーヴァントと思しき少女の後ろ、令呪があるのだろう腕を押さえながら息を切らして前を───敵なのだろうサーヴァントを睨んでいる。

 

 知らないマスター───少年のサーヴァントであろう少女は少年を背に庇うようにして、狐耳と尻尾を揺らしながらもう一人のサーヴァントの前に立ちはだかっている。だがそもそもの地力が違うのだろう、赤い着物の端々には傷がついていて、あと一押しで倒れてしまいそうなほどに彼女は傷付いていた。

 

「……白野さん以下の、ペーペーの新米にしちゃあ粘ったわね。でもこれで終わり。楽には死ねないでしょうけど、ここまで降りてきた代償だと思いなさい」

「ねえリン。もういいわよね? こいつら、もちろん(アタシ)の豚にしちゃってもいいのよね?」

「構わないわ、ランサー。知らないマスターだし、仮に知ってても容赦する理由もないし」

 

 優雅に髪を払うのは、聖杯戦争の参加者(マスター)───自分のライバルであったはずの少女、遠坂凛。

 その傍らで槍を携えるランサーのサーヴァント……凛のサーヴァントは見たことがあるはずだが、なぜかこのランサーに見覚えはない。赤色を思わせるカラーリングには違和感しかない。たしか、凛のサーヴァントはもっと青かったような───?

 

「……好き勝手、言いやがって、……!」

「ご主人(仮)(カッコカリ)、無理はするな。この程度、我が丸っとドラゴンステーキにして契約完了の前座にくべてくれるワン!」

「……言ってくれるじゃない。(アタシ)を倒す? 召喚ほやほや、まだマスターと名前すら交わしていない貴方が? 笑わせないでちょうだい、それならまだリンと戦りあってた方が楽しめ───」

 

 ランサーの槍が無防備なマスターへ向けられる。彼のサーヴァントらしき少女も健闘してはいるのだが、ランサーの言う通り動きがぎこちない。

 ……圧倒的な経験(レベル)不足。自分とアーチャーよりも未熟であることが見て取れる彼らが逃げる術はなく、一瞬でも目を離した隙に勝敗は決してしまうだろう。

 拷問室で見た、生きながらにして生存価値を奪われ続けるマスターの姿が過ぎる。このまま放っておけば、彼もその仲間入りを果たすことは想像に難くない。そう考えた瞬間、身体が自然と動いていた。

 

 ───ちょっと待った!!

 発声と同時、『正気か君!?』とか言い出しそうなアーチャーを無視して、つい物陰から前に出てしまった。一瞬で周囲の視線が集まる。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………白野さん?」

 

 ……しまった。

 うっかり、なんてレベルではない。不意打ちのチャンスだった……というのは措いておくにしても、あまりにも無策での登場だった。

 だがそれでも、見過ごすわけにはいかなかった。『岸波 白野』はたとえ自身の危機がかかっていても、こういう状況では後先考えずに動いてしまう人間なのだから。

 

「───そう。貴方まで、のこのこ死にに来たってワケ? これっぽっちも嬉しくないけど、歓迎の言葉だけは贈ってあげる。相も変わらず気の抜けた()だ、ってね!」

 

 腰に手を当て、優雅に髪を払う凛。

 その仕草は、記憶が曖昧な自分でも彼女がまさしく『遠坂 凛』だと確信させるに足るものだったが───理解ができない。

 なぜ凛は、こんな場所で見知らぬマスターをいたぶっているのか───!?

 

「なぜ、ですって? 当然、ここは私の城ですもの。不法侵入者は捕まえて、労働力に還元するに決まってるじゃない」

「だ、から、その城とかってなんなんだよ! オレはただ、こっから出たいだけ───」

「今、白野さんと喋ってるの。四流は黙ってなさい」

「ふはは、三流未満ときた! しかしこれに限っては我も擁護のしようがない、なんせご主人(仮)は援護のえの字もしてくれぬからな! が───」

 

 ちらりと、少女がこちらを流し見る。

 

「そこのショコラ(茶色)レッド(赤いの)!」

 

 ───待ってほしい。その面白い呼び方はまさか自分たちに向けたものなのか!?

 

「このままでは全滅必至、口惜しいがウェルダンにする前に我らがガメオベる!」

「それに関しては同意するが、もっとこうなんかなかったのかね! 呼び方!」

「そんなミニマムなことに割く思考容量はキャットにはない! あのイタイタしい自称女王(クイーン)とトカゲにビシバシ鋭いツッコミを入れてるあたり、ひとまず味方と見て良いな!」

 

 ───女王?

 

 首を傾げそうになるが、この場でそれに該当しそうなのは凛しかいない。

 凛が敵対───考えたくもない状況に背筋が冷えたが、そうだ、と返答した。

 

Good(キャッツ)。であれば全面的に信用するぞ、赤いの! ───ご主人(仮)、御免!」

「ぐ、ぉ!?」

「からの───呪相・密天(っぽいやつ)!」

 

 少女が少年の胴をかっさらい、もう片方の手で符のようなものをばらまいた。瞬間、あたりに風が巻き起こり、一時的にアリーナ内にいる全員の視界が封殺される……!

 

「この魔術の腕───キャスターか!」

「残念空気を読んでバーサーカーだ! そして同じく空気を読んだ援護射撃にサンクス! ではゆくぞ、舌が惜しければ黙っていよう!」

「め、目が、回」

 

 それぞれサーヴァントに抱えられながら、凛とランサーのそばから離脱する。

 乙女の腰を片手でひっ捕まえているアーチャーにも文句を言いたいが、この緊急事態では仕方ない。というより、もう片方の少年マスターの方が心配になる。制服の襟を掴んでの疾走は、あの状態では堪えるだろう。

 

「ちょっとーーー! にーげーるーなー!」

「ランサー、ストップ! 騒がないで、鼓膜割れちゃうったら!」

「なによ、リンが追加のオーディエンスとのんびり喋ってるのが悪いんじゃない!」

「んなっ……べ、別に白野さんのコトなんてなんとも思ってないんだから! 勘違いしないでよねランサー、これは強者の余裕ってやつ───」

 

 遠くの方で、既に視界は晴れたにも関わらず凛とランサーは言い争いをしている。

 そのまま姿が見えなくなっても、追っ手がかかることはなかった。見逃された……というか、逃げ切れたということで良いのだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───────────☆───────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……やれやれ。ついに狂ったか、遠坂 凛……とはいえ、今回は救われたな」

 

 校舎に続く階段まで逃げ切ってから、アーチャーが肩をすくめた。

 アーチャーも、あの凛がおかしいことには気付いているらしい。……そもそも凛が本気でこちらを叩き潰すつもりだったら、もっと早くに決着はついていた。凛らしからぬ行動に、今回は救われたと見るべきだろう。

 

 さて、そうなると問題は。

 

「───、───……」

「うむ、ご主人(仮)に代わって礼を言おう。紅茶(アカチャ)が来なければ危ないところであった。この恩義はいずれ物理的に返そう。ミカンとか」

「───……、あ、りが、……」

 

 頭を抑えながら何事かを言おうとする少年。先ほどの逃避行が相当に効いたと見たが……。

 それはそれとして、こちらも無事なマスターに出会うことができてよかった、と告げる。いきなり戦力としてカウントするわけにはいかないが、助けられただけでもアリーナに侵入した甲斐があった。

 

「……マスター? ……あんた、ここについてなんか知ってる、のか?」

「君よりは詳しいだろうとは思うがね。……事情説明の前にひとまず、休息が必要だろう。こちらに我々の拠点がある。そこまで案内しよう」

「拠点……出口、あんのか? ここ?」

 

 疲労困憊、といった様子だった少年がパッと顔を上げた。長いこと迷宮内をさまよっていたのだろう、信じられない、と顔に書いてある。

 表側に戻ることはできないが、安全地帯ならあると返答すると、あからさまにほっとした表情を見せた。その横で、狐耳の少女───先ほどバーサーカーだとカミングアウトしたサーヴァントがうんうんと頷いている。

 

「その通り、ご主人(仮)にはブレイクタイムが必要だ。本来であれば正式な契約といきたいところだが、我は空気を読むキャット(バーサーカー)。まずはしっかり英気を養ってもらわねばな」

「……待て、契約がまだ、だと? それは───」

 

 ───サーヴァントとマスターじゃ、ない?

 どういうことだろうと少年の方を見る。が───

 

「───悪い、限界」

 

 当の少年はふらりと脱力すると、そのまま床へと倒れ込む。

 直前でバーサーカーが抱き留めたが、既に意識はないようだった。ほれ見たことか、と言いながら抱き上げ、こちらに目配せをしてくる。バーサーカーという割に理性的だな、などと思いながらアーチャーと顔を見合わせる。

 

「……どうやら、聞かなければならないことが増えたようだな」

 

 アーチャーの言葉に頷いた。

 未知のマスターとサーヴァント。

 

 果たして、自分たちは無事に聖杯戦争に戻ることはできるのだろうか?

 前途は多難である。

 

 

 




すまない、実は前後編なンだ。他のマスターとの会話を期待していた方々は次回まで待ってほしい。本当は一話だったのが文字数の関係で分割されただけなンだ。
しかし……素のあやつは割と普通の人間だったんだな……。


▼三行でわかる! なにがあったのか解説
・『???』がSE.RA.PH(月の裏側)に漂流。わけがわからないなりに探索、何故かバーサーカーを召喚
・新規サーヴァント反応に駆けつける月の女王とトップアイドル。容赦なく新米マスターとサーヴァントをボコボコにする
・最弱のマスター(♀)&アーチャー、月の女王が別の場所にいる関係で拷問室まで到着。その後戦闘中の↑を発見

▼分岐条件
・『次』に流れ着く先がロクアカ世界ではなくEXTRA世界であること
・直前まで居たのが■■■■■であること
・■■■■■で観測可能状態であること
・CCC事件が起きること


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57.IF/EXTRA:堕天の庭【後】

むずかしい しごととげんこう りょうりつは(遺言)

というわけでお久しぶりですマジで。投稿のペースだけが取り柄だったのにそれも失いつつあるというかほぼなくなった焼肉ソーダです。陳謝。
本当は昨日上げたかったんですが某バーサーカーのエミュきつすぎて無理でした。一応言い訳すると仕事も始まりましてハイ……。一年かけてこれだよ!! 無理だよあのこ! 好きです!!

さすがに一周年企画を二周年突入するのは嫌すぎるということで急いでなんとか書き上げました。ので、ちょっと粗目立つかも。
違うんだ……ネタを集めてたら普通に小説が一本書けそうになったのが悪いんだ……。

今後の予定ですが、一旦番外編はここで切り上げていい加減滞っている本編の続きを書こうと思います。「IF√:炎の騎士」に関しては11巻が終わった頃に上げようかと。
本編滞りすぎてて進まないんで本当……。そうこうしてるうちにロクアカ終わりそうだし……。
あ、「IF√:炎の騎士」に関しては特に問題なく書けてるのでご安心ください。

本編続きに関しては間に合えば今週中にアップしようと思っているので、今しばらくお待ちくださいませ。

なんか滞ってる間に原作が進んでいろいろ判明したせいでアッシュの厄ネタ度がマシマシになっちゃったけど大丈夫!

最後はたぶんハピエンになるから!

……なるかなぁ!



追伸。
実は後輩と「8月中に更新できなかったらFGOで新作書くわ」という賭けをしました。
結果はご覧の通りであります。


『───サーヴァントがいるっていうから来てみれば。知らないマスターのみならず、新規で召喚されたサーヴァントだったなんてね』

 

 冷たい視線が自分を貫いていた。

 蛇に睨まれた蛙のように、身体が動かなかった。

 慎ましやかでありながら華やかに目を引く赤い服。過度な装飾を省かれたにも関わらず煌びやかに流れる黒髪。

 

 恐ろしい。それもある。

 だけどそれ以上に、唐突に、優雅に現れた少女から目を離せなかった。

 その姿を()っている。

 それがすれ違う程度のもの(関係)であったとしても、興味の薄い、手の届かない高嶺の花だったとしても。

 

『ま、いいわ。やっちゃってランサー。それ、相当な厄ネタみたいだから。ブラッドバスの材料じゃなくて、もっと別の使い方をしましょう』

 

 視線と一緒に、氷点下を振り切るような殺意を向けられたことに気付いたのに、動けなかった。

 

 待った。待ってくれ。待ってほしい。

 見覚えがある。見覚えがあるんだ。

 ここにきて、ようやく、はじめて、オレがいた場所の痕跡が見えたような気がするんだ。

 

 君は、オレのことなんて知らなかっただろうけど。

 それでも、オレの、オレたちのいた場所(せかい)には、確かに君がいて───あの世界は、嘘なんかじゃ、幻なんかじゃなかったと。

 

 そう言ってもらえたような気が、してしまって。

 

『ご主人───ッ!』

 

 ……だから、そう。

 

 自分を助けてくれた、自分よりも強いはずの女の子に、いらない傷を負わせてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────★────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ」

 

 ───走馬灯のような回想はそこで終わった。海の底にいるような、重い息苦しさで目を覚ます。

 真っ先に目に入ったのは、木目調の天井だった。チカチカとした白い灯りは開いたばかりの目には眩しすぎて、反射的に視界を閉ざしてしまう。

 

 何度かまばたきを繰り返して、ここまでの記憶を思い返す。

 確か、そう。なんていうかすごい命の危機だった、気がする……?

 

「……。夢……?」

 

 直前までの情景にあまりにもそぐわない景色に、思わず首を傾げてしまう。

 とりあえず情報を整理しようと、傾げた首をくるりと回して部屋……恐らく部屋……の中を見渡してみる。オレが寝かせられていたのはベッドであろうことぐらいはわかったが、それ以外の情報がなんにもない。

 

 見覚えのない、どこかあたたかみのある木造建築。

 やはり見覚えのない、保健室のような薬品棚。

 それから少しだけ見覚えのある、狐耳と赤い着物。

 

 ……狐耳、と、着物?

 

「む。目が覚めたか、ご主人(仮)!」

「うわぁ!?」

 

 びっっっっっっっっっっくりした。

 目が覚めたらすぐそばに女の子の顔があるとか、どういう展開なんだこれは!!

 

「痛むところはないか? 怪我は? モーニングコールは必要か!?」

「ない、ないです、起きてますっ、いいから離れてくれっ!!」

 

 ずいずいと迫る少女に、思わず後ろに逃げ出そうとしてあえなく激突。

 背後の壁に強かに後頭部と肘を打ちつけた。

 

 ちょっと、というか、かなり痛い。

 

「待っ……て、くれっ。落ち着いて、話、をっ」

 

 若干涙目になりながら、どうにかこうにかジェスチャーで少女を引き剥がす。

 幸い向こうも別に密着したかったわけではないらしく(当たり前なのだが!)、懇願すればあっさりと離れてくれた。……が、爛々とした黄金色の瞳は相変わらずオレをロックオンしている。

 

 一体なんの因縁があってこんな風にガン見されているのか。

 心当たりがまったくないぞ、ともう一度ここに来るまでの記憶を思い返して───

 

「───あ」

 

 見覚えのない景色、見覚えのあるような黒髪の少女、殺意を乗せた冷たい視線。

 それらから必死に、見知らぬはずの自分を守ってくれたのが、目の前の彼女ではなかっただろうか……?

 

「あんた、さっきの」

「うむ、記憶力に問題はなさそうなのだな! いかにもアタシがご主人(仮)(カッコカリ)のサーヴァント! クラスはバーサーカー、真名は───」

「待ちたまえ。我々の目の前で不用意に真名を暴露するのはよした方が良いんじゃないか、バーサーカー」

「……ん?」

 

 ベッドサイドで胸を張りながら、心なしかドヤ顔で自己紹介をしようとした少女───バーサーカー? の声が、突然割って入った低い声に遮られる。

 彼女でもなければ、当然ながらオレでもない。ということは、つまり。

 

「感動の再会を邪魔して申し訳ない。……私のことは覚えているかな?」

 

 そう言って部屋の隅にある扉をガラガラと開けたのは、やはり見覚えのある姿だった。

 

 ひとことで言えば、ハードロックというか。

 形容しがたい赤い(胸元ガバァ! 系の)服を着た男性と、紺色の学生服を着た少女は、ほんの少し前に自分と隣にいる彼女を助けてくれた二人組だ。

 

 あの時はそれどころではなくてロクにお礼も言えなかったが、あの後、ここに連れてきてくれた……の、だろうか。

 

「恩を着せるつもりはないが、その通りだ。私はアーチャー。こちらはマスターの……」

 

 岸波白野だ、と学生服の方が無表情に言葉尻を引き継いだ。ゆるいウェーブの長髪と整った顔立ちは普通に可愛らしい部類に入ると思うのだが、こう、歴戦の猛者感がなんとなくにじみ出ている気がするのは気のせいであろうか。

 いや、それはそれとして。自己紹介は大いに結構なのだが、今は聞き慣れない単語の方が頭に残ってしまう。新情報を叩き付けないでほしい。

 

 なにかこう、一般生活には似つかわしくないような単語が紛れていたような。

 そう、ええと。

 

「……サーヴァント……マスター? って、なに?」

「そこからか……まあ、見当はついていたが。端的に言えば、サーヴァントとマスターというのはだな、」

「金を稼ぐ者と家を守る者。つまるところ夫と妻の関係なのだな」

「待った、なぜ急に家庭的になるっ!?」

 

 アーチャーさんとやらの話をぶった切って凄まじい暴論が飛び出した───!?

 

 いやだって単語の意味的には主人と従者だよね!?

 オレでもわかる。そういう話では絶対にないだろう、これ!

 主人と従者、は何歩譲っても夫と妻、にはならないと思う!! オレ間違ってない!!

 

 と、そんな困惑を悟ったのかなんなのか、赤い……派手な服の方がため息をついてはーやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。

 いささか語弊がある、と前置きしてからなぜかこちらを困ったような顔で見て、それから改めて口を開いた。

 

「サーヴァントとは、SE.RA.PH(セラフ)における戦闘代用ソースであり、マスターはそれを従え、聖杯戦争に参加したもの。……なのだが、その反応を見るにどうも知らないようだな」

「……あー、うん、なんの話だかさっぱりです」

「やはりな」

 

 首を傾げるオレの前で、どういうこと? とオレと同じように岸波が隣の男を見上げている。

 アーチャーさんはため息をつくと、頭が痛いとでもいうように自分の眉間を揉みほぐした。……推定自分のせいであろう、ということぐらいはわかるので、気苦労を背負わせてすまないと思うべきか、意味のわからない状況と嘆息に憤慨すべきかは悩ましいところ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだ」

「……なんかよくわかんねぇけど。さっきのセリフと思いっきり矛盾してないですか、それ?」

 

 聖杯戦争とやらに参加している、というのがマスターの条件であるのなら、アーチャーさんの言う『聖杯戦争に参加していない』というのは、オレの主観からすれば正しいが定義としては矛盾している。

 だって知らないし。聖杯戦争とか。なにその物騒な宗教戦争っぽいなにか。あとセラフってなに?

 

 困惑がありありと表れてしまっていたのだろう。アーチャーさんは再度のため息。岸波の方も、そんなことが有り得るのか? みたいな目でこっちを見ている。

 三者三様に困惑する中で、ここまで沈黙を保っていたバーサーカーがぴっ、と狐耳と人差し指を立てた。

 

「要するに、だ。ご主人(仮)はたまさかこのSE.RA.PHを訪れ、珍妙なオモシロクイーンに襲われ、そしてなにやら奇妙不可解な戦いに巻き込まれたということなのだワン」

「うわー、わかりやすいけど納得したくねぇー……」

「……だいたい合っているが、端折りすぎだろう、君」

 

 でもだいたい合ってるし、と横合いから岸波が合いの手を入れる。

 アーチャーさん、三度目のため息。

 これはもしやなあなあで済ませてそのまま適当にGO、な感じなのかもしれな───

 

「仕方ない。一から説明するぞ」

 

 ……あ、説明してくれるんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────★────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして伝えられた話は正直なところ、眉唾物を通り越しておとぎ話のようだった。

 

「月の聖杯戦争、百二十八組のマスター(魔術師)とサーヴァント、万能の願望機、ムーンセル……」

「今は全員、聖杯戦争中の記憶を失っているがね」

 

 汝、己が最強を証明せよ───そんな謳い文句と共に開催された、()()()()()()を巡る争い。オレが巻き込まれたものはそういうもので、ここにいる人間は皆、電脳体というモノ……らしい。

 なるほど。正しく肉体を持ってここにいるわけではないのなら、オレが紛れ込んだ理由もまぁ納得がいく。いきたくはないが。

 

「で、サーヴァントってのは過去の英雄で、マスターと一緒にその聖杯戦争とやらを勝ち抜く相棒である、と……」

 

 『電脳体』とやららしい自分の手を握ったり開いたりしてみてから、ベッドサイドに突っ伏しているバーサーカーに目を向けてみる。こっちの視線に気付いたのかドヤ顔で返してきた。

 これが、英雄……? 英……雄……?

 

「アタシはそこんところ少しばかり特殊でな。ま、あまり気にするようなことでもなし。牛乳とチーズはなぜモトが同じなのにみんな違ってみんなうまいのかを吟味しようとも、どのみちグレイトうまいということしかわからんのと同じなのだな」

「いやそれ(原材料と加工後)は結構な違いだと思う……」

 

 加工後っていう立派な違いがあるじゃんよ。

 

「その……マスターってのは降りられないのか? 正直、オレとしてはこれ以上ヤバいもんに関わるのは嫌なんですが」

「それは……」

 

 ───無理だね、と岸波がバッサリ切り捨てた。……まあわかっちゃいたけど、無表情でぐっさり行かれるとメンタル的にきつい。泣いていい?

 さすがにこんな状況で泣かないけどもさ。

 

「……そうだな。マスターの言う通り、降りようと思って降りられるものではあるまい。聖杯戦争自体には参加していないといえども、サーヴァントがいる以上はマスターであることに変わりはない」

 

 そのマスターってのにそもそも心当たりがないんですけど!

 だめですか! だめそうですね!

 

「どちらにせよ、月の表側───聖杯戦争の会場に戻ろうとするのならば、我々はあの迷宮を踏破しなければならない」

「……よくわかんないけど、戦力としてカウントされるってことですか?」

「無理強いはしないが、期待はしている、というのが本音だな」

「素直ー……」

「ただ、今すぐにどうこう、という話でもない」

 

 もう理解の範疇を越えてきて、どうしたもんかとヤケになり始めたオレを気遣ったのかなんなのか、アーチャーさんがふいに話を切り上げた。

 え、と顔を上げてみれば、そこにあったのはやっぱり仏頂面だったのだが。岸波の方を見ても、無表情のまま頷くだけで。

 

「君も混乱しているのだろうし、ひとまずは私たちはこれで失礼するよ。また後で、君の話を聞かせてほしい」

 

 そう言って、岸波とアーチャーさんは去っていった。扉を閉める寒々しい音のあとに残されたのは、オレとベッドサイドにいる少女がひとり。

 ……えー。

 

「行ってしまったな」

「ここにきて放置プレイとは……」

 

 気を遣ってくれたことはわかるけど、ぶっちゃけいじめかな? という気持ちだった。

 説明役がいなくなったということは、現状について受け止めないといけなくなったってことだから。

 

「───マスター、か」

 

 はは、と乾いた笑いがこぼれるくらいには、やっぱり現実味のない話だった。

 願いを叶えるとか、聖杯戦争とか、サーヴァントとか、戦うとか。

 

「……ああ、くそ。意味わかんねぇ」

 

 みんな、好き勝手言いやがって。

 いい加減頭がパンクしそうだ。……なんて、そんな悪態をついても仕方がないのだけれど。

 

「守るとか、戦うとか、なんの話だよって……」

 

 ほんとにちょっとやめてほしい。

 少し前、目が覚めてはじめて認識した場所を思い返す。あんなところにまた行かされる? 彼女を戦力としてアテにして? まともな場所に戻るっていう目的のために?

 

 なんて、そんなの。

 

「意味、わかんねぇ」

 

 こちとら戦いとは無縁な一般人なのだ。多少おかしなコトになっていたとしてもそこは揺るがない。揺るぎようがない。なにせ、自分は戦うための努力も心構えもない。

 だというのに、戦うだの守るだのと言われても、いまいちピンとこない。

 

 いや、理屈としてはわからなくはないのだ。行くかどうかはともかく、あの敵性体ひしめくダンジョンに赴くのなら確かに、自分を守ってくれる存在はありがたい。

 そうでなくとも彼女は初対面だった自分を、成す術もなく殺されるところだったオレを救ってくれたのだ。それを疑うつもりはない。

 岸波たちだって、こんなおかしな場所からはさっさと脱出したいのだろうし、そのために協力するのだってなにも変な話じゃない。

 

 ……だから問題はそこではなくて、もっと根本的なことで。

 

「ご主人(仮)?」

「……そのご主人っての、やめないか。……そんな風に呼ばれる理由、ないし」

「なにをいう、ご主人(仮)はご主人(仮)では?」

「(仮)て。いや、そうじゃなくて」

 

 なんか違うと思うし。

 居心地の悪さについ、と視線を逸らしてみても、バーサーカーはそそっと先回りしてくる。

 

「ご主人(仮)」

「だからご主人はやめろって……」

「ご主人(仮)は、アタシが、契約だから仕方なくご主人(仮)を助けたと思っているのか?」

 

 純粋な瞳に、なんとなく気まずくなってもう一度顔を逸らした。

 彼女の質問への答えはYESだ。だってそうでなきゃ、理由がつかない。おかしいと思う。助けてくれたことへの恩義と、この気持ち悪さとは別の話だ。

 

 助けてもらったことはありがたいと思っているし、その強さをすごいとも思っている。だけど、それを『オレを守るために使う』と言われるのは居心地が悪い。

 

 そういうのは、もっとすごいことに使うべきだ。

 オレを守る、じゃなくて。たまたまそこにいたから助けただけだったなら、まだわかったのに。

 

 理由もなく、ただそういう関係になってしまったからこれからもオレを助けるなんてのは、どうしても無駄なことのように思えて仕方ない。

 嬉しいとか頼もしいとか、善い悪いとかの話ではなくて───ただ単純に、見合わないから居心地が悪いのだ。

 

「……それは違うぞ、ご主人(仮)」

「違うって、なにがさ。……いや、オレが勝手なこと言ってるのはわかる、けど」

「違うとも。サーヴァントは基本的に、マスターの使い魔となることが仕事だ。応える理由はもちろん様々だが───」

 

 自分は違う、というように首を横に振る。

 細かいことは考えなくて良いと、満面の笑顔で胸を張る。陽光のような金色の瞳が、ただきらきらと煌めいていた。

 

 ああ、だめだこれ。

 この言葉を聞いたら、きっとオレはダメになると、そんな確信があった。

 

「ご主人は、アタシを()んでくれた。ご主人にそのつもりがなくてもだ。アタシはその声に応えたいと思ったから、こうしてご主人の元へ馳せ参じたのだ」

「オレが……呼んだ?」

「おうとも。───他のサーヴァントはどうだか知らぬが、アタシにはその事実だけで十分だ。なので遠慮なく頼るが良いぞ、ご主人(仮)。

 まぁ、正式な契約はまだだがな! そこはそれ、多少のフライングは大目に見よう!」

「───……はは」

 

 彼女の語る理由は、やっぱりオレにはまるっきり覚えのないものだった。

 

 呼んだとか契約だとか、そんなことをした覚えなんて、これっぽっちもありはしない。

 オレはただ、()()()()を終わらせたくなくて───嘘にしたくなくて、なかったことにしたくなくて、みっともなく叫んだだけなのに。

 

(そんなことをしたって、なんの得にもならないのに)

 

 それでも、覚えのないそんなことのために、彼女はやって来てくれた。

 

 それはとても居心地が悪くて。

 だけど、なにもわからない今は。

 

 ───ああ、ほら。やっぱりダメになってしまった。

 

「……わかった。わかんねぇけど、わかった」

 

 そんな風に、なんにも裏のないような顔で。そんな風に、真っ直ぐな言葉をもらってしまったから。

 少しだけなら、お先真っ暗でももがいてみようなんて、そんな風に思えるようになってしまった。

 

 ぺちん、と自分の頬を叩く。意識を切り替えるように、瞼を閉じてから目を開けた。

 

「要するに、オレはなんちゃらいうモンに巻き込まれて、どうにかするにはあんたに守ってもらうしかなくて、あんたもそれに異論はない、と」

 

 それなら仕方ない。

 仕方ないから、受け止めることにする。

 

「あー……オレを守るっていう字面は、しっくりこないけど」

「んー。そうは言っても事実なのでな。そも、要らぬと言われてもアタシとの契約を破棄した瞬間にご主人(仮)はマストダイ、まな板に乗るまでもなく焼き魚になる運命(さだめ)。どの道クーリングオフは棄却するぞ、ご主人」

「は?」

 

 まじ? と恐る恐るバーサーカーを見上げてみると、そこにあったのは相も変わらず煌めく笑顔。

 

 まじ? と、そんな風に呆然としているオレの目の前、ベッドの上に立ち上がった少女は赤い着物を翻して、それが当然であるかのようにオレに向かって右腕を差し伸べた。

 

「では改めて───サーヴァント、バーサーカー。真名を野生の狐タマモキャット!

 末永くよろしくな、ご主人!!」

「………………」

 

 ふかふかとした毛皮に覆われた右手と握手を交わしてから、思い出したように停止していた思考を巡らせた。

 そういえば狂戦士(バーサーカー)ってなんなのさ、とか、タマモキャットというのは本名なのかとか。

 

 いろいろあるけど、今は───

 

「……おう。よろしく、バーサーカー」

 

 今だけは。

 わからないなりに、ちょっと頑張ってみようと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────★────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───これはそんな、有り得なかった月の記憶。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「なんだ、批評がほしいのか? やめておけ、お前のような凡愚には正論屁理屈いずれにしても一銭の価値もない。だがまぁ、言えることがあるとすれば───」

「……あるとすれば?」

「なにがあってもお前の人生は実につまらん三流脚本にしかならん。それこそ隕石が落ちるか世界が滅ぶかくらいの不運がなければ話題にも登らず記憶にも残らん、まさに凡作だ。たまの慰めに読む人間がいるかいないかといったところだろうさ」

 

 薄っぺらな憐れみさえ伴いながら、作家はそう結論付けた。

 お前の存在に価値はない、と。嘲笑か憐憫か、その真意がいずれであるにせよ───

 

「感情的になって行動し、後からすべてを失い後悔するタイプの非常にありふれた人間だ。間違っても復讐者(アヴェンジャー)になぞなるな、つまらんオチになる」

 

 

 

 ☆ ☆

 

 

 

「待った───ぁ! そんな泥棒猫に騙されないでください、センパイっ! わたしが、正真正銘、本物のグレートデビルことBBちゃんです!」

「マスター、気をしっかりもってくれ。現実から目を逸らしている場合ではないぞ」

「───なるほど。

 で、この事件を起こしたのはどっち?」

「そこの狂ってる方のAI(ニセモノ)です」

「確かに皆さんを裏側に落としたのはおしゃまでかわいいBBちゃんですが、こんな面白みのない陣取り合戦にしたのはあちらですぅー!」

「あいわかった、要するにどちらも敵なのだな!」

「……どちらも乙女の秘密を利用している時点で、味方として見る選択肢はありませんが」

「珍しく意見があったわね。ええ、ホント、どっちにしたってアレは敵。さんっざん恥をかかされたんだもの、一発叩き込んでやらなきゃ気が済まないってもんよ!」

「……。前から思ってたけどさ。そんなキャラだったのか、ミス・パーフェクト……」

 

 

 

 ☆ ☆ ☆

 

 

 

「アナタだけは()()()()()()()()

 だって表側からアナタを排斥したのはBBたちでも、聖杯戦争の篩でもなくて───」

「───いい。わかってる」

 

 わかりたくは、なかったけど。

 それでも歯を食いしばって、嘲るような食虫花の視線に顔を上げる。

 

「それでも。まだ終わったわけではないのなら───」

 

 自分は戦える、と。

 ───真っ直ぐに、胸を張って。こんな自分を助けてくれた、彼女の声に応えたいから。

 

 

 

 ☆ ☆ ☆ ☆

 

 

 

 それはこんな、有り得なかった月の記憶。

 

 裏側の廃棄場に棄てられた、とある仲間はずれたちの話。

 

 どこにも行けない、月にさえ見放された、未来のない主従の話。

 

 別の場所に放逐されたはずの誰かが、要らないと言われた誰かと出会った。

 

 

 

 ただ、それだけの物語。




【書ききれなかったCCC編メモ】
・魔術師としては下の下。そりゃそう。
・この後シンジに会ってしまいめっちゃくちゃダメージを受ける。友人に似ている気がするけど顔も名前も思い出せない。そもそも向こうは自分を知らない。当たり前のこと、だけど。
・キアラは苦手だからと避けてる。正しい。
・ミス・パーフェクトがピックアップされてるけどヤツはどっちかというと弓道部の主将の方が好き、らしい。どっちかというと、ね。



もいっこ追伸。アンケ取って普通に低かったしいらんかなと思ってたTwitterアカウント、結局作りました(→https://twitter.com/Y_Soda_Hameln)。
主に小ネタ投げるのと進捗報告用ですが。

2ndアニバーサリー本当にどうしましょうかねー……。
この作品のことは伏せたまま知り合いに聞いたらCPイチャイチャしてるのが良いと言われました。

え、本編ド修羅場なんだけど……?


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58.Lost days, No sign of you.

二周年記念日に更新!! ヨシ!!
というわけで無事に二周年を迎えました。いえーい。
知り合いに二周年企画の案を聞いたら別ルートが気になると言われ、

「いや、たぶんつまんないよ? 順当に手が付けられなくなって順当に全員死ぬ」

と答えました、焼肉ソーダです。

大丈夫、本編はちゃんとハピエンになります。信じて。とらすとみー。


「貴様には心底失望したぞ、イヴ」

 

 室内に響く、重い声。

 

 その声が向かう先は、床に倒れ伏した私だった。

 

「わざわざ私が、直々に必要な情報を与え、さらには《炎の眼》の使用許可まで与えたというのにこの体たらく。イグナイトの青い血を引くからと目にかけてやっていたが、所詮はその程度か。この出来損ないめ」

「…………」

 

 言葉も出ない。頬や脇腹を襲う鈍痛は関係ない。ただ単に、言い返すべき言葉が見つからなかっただけのこと。

 今回、私は失敗できない任務であるにも関わらず、目的を果たせないどころか成す術もなく嬲られていたところを助けられる醜態を晒した。

 

 あげく、本来の目的であった裏切り者───ジャティス=ロウファンには結局まんまと逃げられてしまったのだから、()()の叱責は至極当然のものだった。

 

「…………」

 

 俯いたまま、なにを言うこともなくただじっと父上のお怒りに耐え続ける。

 書き起こしてみればいかにも苦痛にまみれていそうなものだったが、不思議と苦しみはなかった。

 

 特務分室のみんなに秘匿して、フェジテに潜り込んだときの焦燥も。

 ジャティスを取り逃がしたとき、あれだけ強く感じていた恐怖も。

 

 痛みもなにも感じない。

 心がどこかに置き去りになってしまったよう。

 フェジテから戻ってきた私は、どこもかしこも空っぽだった。

 

「……まあ、良い。貴様には無能らしく、相応しい席を用意してやった。二度とその顔を私の前に見せるな。当然だが、イグナイトの家名も剝奪だ。《魔術師》のナンバーも返上し、どこでなりと野垂れ死ぬが良い」

 

 抵抗しない私に呆れたのか、満足したのか。父上はひどく不機嫌そうに鼻を鳴らしてそう吐き捨てると、私に対する興味を失ったかのように部屋の扉へと歩いて行く。

 

「まったく……実にくだらん。民間人の少女を助けて好機を逸し、特務分室の面々にも結局は先行が知られて助太刀されるなど……」

 

 ふと、耳に届いた呟き。

 私の失態のことを言っていると理解して、もう一段心が冷え込んだ。

 

 もういい。わかっている。私は無能で、不出来で、誰の期待にも応えられない───約束ひとつ守れない、無価値な女だ。

 だから、それは良いのだ。私がどれだけ悪し様に罵られようと、もはや響くものはないのだから。……だが。

 

「すべてはイグナイトのための踏み台に過ぎんと、懇切丁寧に教えてやったつもりだったが。

 それに目を向けてここまでの失態を演じるなど、イグナイトの風上にも置けん」

 

 ……聞き慣れた言葉だった。聞き飽きたフレーズだった。

 すべてはイグナイトのために。名誉、栄光、称賛の名の付くものはすべてイグナイトのものであり、イグナイト以外のすべては取るに足らない塵芥であると。

 

 ───だけど。

 

「……父上にとって、私は、なんですか」

 

 地べたにへたり込みながら、胡乱な意識が言葉を紡いでいた。

 父上と相対してから、ほとんどはじめて口にした言葉は、私自身無意識に転がり出たものだった。

 

 ここまでに、足蹴にしてきたもの。蔑ろにしてきたもの。……犠牲に、してきたもの。

 私が傷付けた、なによりも大切だったあの日の誰かが、心のどこかを掠めて───。

 

「私は……みんな(あいつ)は。

 あなたにとって、ただの消耗品なんですか……?」

 

 駒でさえなく。

 ただ使い潰すだけの、そんな。

 

「なにを今さら、そんなつまらないことを聞く?」

 

 ───侮蔑と共に告げられた言葉に。

 

 私の思考は、そこでぷっつりと途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 悪夢の中と同じ、胡乱な意識のまま目を覚ました。

 

 気怠さを振り払うように何度か瞬きをしてから、ゆっくりと身体を起こす。安っぽい客室は全面が板張りで、座る場所さえ設けられていない。

 衝撃がモロに伝わる劣悪な環境で数日を過ごした肉体は節々が凝り固まっていて、とてもではないが人の乗るものではなかったと感じてしまう。

 

 必要最低限の化粧だけが施された顔は、常であればそれでも硬質な美しさを漂わせているのだろうが、今はただ疲れ果てたようなひどくやつれたものだ。

 

 醜い、とまではいかずとも、生気の抜け落ちたような美貌は逆の意味で近寄りがたいものとなっていた。

 彼女を知る人間ですら、一見してその正体には気付かないだろうと思わせるほどに、彼女は憔悴していた。

 

「お客さん、もうすぐフェジテですよ。お貴族さんには貧相な馬車で申し訳なかったですね」

「…………」

 

 嫌味だろうか。御者の顔は見えないのでわからない。

 

 ただ、一つだけ訂正しておこうと口を開く。

 

「……別に。私、貴族じゃないし」

 

 もう、という言葉はつけずに、かすれた声で返答した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな郵便物の箱を前に、グレン=レーダスは唸っていた。

 

 目の間にあるのは、しばらく前にセリカの名義でこっそり購入した『複製人形(コピー・ドール)』だ。

 本来ならば、この人形にグレンの行動原理をインプットして自身の代わりに教壇に立たせ、グレン本人は働かずに給金をゲットする……そんなロクでもない企みの中核となるはずだったのだが。

 

「……さすがに今、あいつらをほっぽりだして楽しようとするほどクズじゃねぇよ」

 

 そう嘆息し、開いた箱をまた閉めていく。

 

 ラザール=アスティール───もとい、魔将星アセロ=イエロによる『フェジテ最悪の三日間』から早くも一週間が過ぎた。

 一国を容易く滅ぼすと謳われた怪物を相手にしたとは思えないほど被害は軽微で、修復中の校舎は今日も勉学に励む生徒たちで賑わっている。

 

 復興のためか商人の動きも活発化しており、小さな戦争があったとは露ほども感じさせないまでに今のフェジテは賑わっていた。

 ……小さな、けれど重い被害を被った学院の生徒を除いて。

 

「あれから一週間……結局、無事なのかすら掴めねぇとは……くそ、どういう隠形してんだあいつ。本調子じゃねえとはいえ、セリカまで協力したんだぞ?」

 

 憎々しげな言葉が向かう先はグレンの教え子の一人だ。

 いや、()教え子と言ってしまっても良いのかもしれない。

 

 戦いの終結を機にふらりと姿を消した少年の行方は、今もって不明のままだ。

 溺愛する息子やその教え子、妹分であるリィエルが落ち込んでいるのを見ていられなかったセリカまでもが手を貸したが、結果は惨憺たる有様だった。

 

「グレン。あの囮小僧、実はものすごい天才だったのか?」

 

 と、不貞腐れた顔でセリカが呟くほどだ。

 よっぽど隠密行動の才能があったのか、あるいは幻術に長けていたのか、今日に至るまで手がかりは一つもない。

 もちろん学院にも顔を出していない。数日前までは休学期間だったから良いが、これからも出席しないようなら学院側も対応をしなければならなくなる。いかなる事情があったにせよ、一人を特別扱いすることはできない。その事情さえも不明なのでは尚のことだ。

 

 ……いや、それ以前に彼はこちらとの交流を望んでいるのかどうか。

 わかるのはなにも言わず姿を消した、という事実。それがなにを意味しているのかはわからない。類推することはできても、それが正しいと思うことができない。

 

「……今まで、どういう風につきあってきたんだったかな……」

 

 呟く声には覇気がない。なにをどうするのが『正解』であるのかが、いつまで考えてもわからなかった。

 

 自分はただ、いつの間にか大切になっていた生徒たちが、平穏に笑いあえていれば良かっただけなのに───

 

「……、……よし」

 

 頬をぴしゃりと叩いて立ち上がる。

 今は、他にもやるべきことがある。探すにしたって、家にこもりきりではなんの進展も得られないだろう。

 

「差し当たっては、今日の学校か……」

 

 修復作業もほとんど終わったこともあり、アルザーノ帝国魔術学院は数日前から授業を再開することとなっていた。

 その最中、突如として全校集会が開かれるという通達が全校に伝えられたのである。内容こそ不明だが、正直(推定)『偉い人の長ったらしい上にためにもならない話』など御免被りたいグレンは目の前の段ボールに詰まっている人形にすべてを丸投げしたいのだが、そうもいかない。

 

 本当なら今頃、自分は中庭に寝っ転がって『グレン人形』の動作確認をしていた頃なのに……という思考を引っ込めて、ため息を吐き出しながら集会の会場である学院アリーナへと足を向ける。

 

「クソつまらん話とか聞いてる時間があったら、聞き込みの一つでもしてた方が有意義だっつーの……」

 

 ───あれから一週間。二組の面々はなんとか普段通りを装っているが、ふとした瞬間、冷え込んだ沈黙が落ちることがある。

 不在であることが、珍しいわけではなかった。だが、当たり前にあったものが、もう戻らないとわかった上で存在しないと突き付けられるのは、どうしようもない重苦しさを生み出していた。

 

 カッシュなどは自分の働き先でもそれとなく聞き込みをしていたようだが、手掛かりの一つも得られないままなのか、見るからに意気消沈している。

 そのうちに、アシュリーのことは一種の禁句のようにさえなっていた。

 

(特にルミアのやつ、気にしてたからなぁ……)

 

 反対に、意外にもケロリとしているように見えるのはリィエルだ。

 最初は落ち込んでこそいたものの、今はクラスで一番平静を保っている。

 

 正直、もう少し引きずるものかと思っていたのだが───成長したのか、あるいは別の想いがあるのか。

 

「どっちみち、ここでうだうだしててもしゃーねぇよな……」

 

 足で段ボールを脇に退け、クラバットを締め直……そうとして面倒くさくてやめた。

 偉い人の長い話に参加する価値なんぞ塵ほども思い浮かばないが、ここで無断欠席して生徒に闇雲に不安を与えるわけにもいかない。あとこれ以上減給されたくもない。

 

 ぶっちゃけた話、二組生徒としてはグレンが集会に来なくても『まあグレン先生だしなぁ』で済ませるくらいには、グレンの暴挙に慣れているのだが。

 

「うし、行くか」

 

 重たい気分を振り払うようにぴしゃりと頬を叩く。

 

 せめて、いなくなった誰かが帰ってきたときのために、残されたものを守ろう。

 そんな決意を秘めて、グレンは通い慣れた学び舎への道へ一歩踏み出した。

 

 ……その数時間後。

 

 抱いたばかりの決意が、早くも活躍するとは思いもしないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……先生、おはようございます」

「……はよっす、先生」

「んあ……セシルにカッシュか。珍しいな、朝早くからなにやってんだ?」

 

 寝ぼけまなこをこするグレンが道端ですれ違ったのは、なぜか私服姿のカッシュとセシルだった。

 二人とも軽装で、とても学院に向かう途中には見えない。しかもカッシュに至っては、夏も終わりかけだというのに半袖だ。

 

 確かに魔術という力がある以上、ある程度の気温変化は凌げるが、それにしたって場違いこの上ない。

 不可思議な光景にグレンが首をひねっていると。

 

「その……ちょっと、ランニングっつーか」

「ランニングぅ? 朝からぁ?」

「わ、悪いっすか」

「いや、悪ぃってこたねーけどよ……」

 

 よくよく見れば、カッシュは半袖な上に汗ばんでいた。セシルの手にも、タオルと水の入ったボトルがある。

 どうやら本当に、朝っぱらから走り込みをしていたらしい。自分は初めて見たが、もしかするとこの一週間で始めたのだろうか。

 

「僕たち、もっと体力をつけようと思って。ここ最近、毎朝学院の周りで走り込みをしているんです」

「体力ねえ……セシルはともかく、カッシュはもう十分なくらい体力あるだろ。お前、リィエルにゃ負けるとはいえクラスでもぶっちぎりで運動得意じゃねえか」

「それは……まあ、自分で言うのもなんですけど、その通りだと思います」

 

 けど、と続ける。

 

「なんつーか、このままじゃだめだよなって」

「!」

「俺たち、先生たちにおんぶに抱っこだったんだって、思い知ったから」

 

 ……そう。

 強くなったという実感はある。グレンのおかげで、今までよりも魔術師としての高みに登れているという実感もある。

 

 だけど、だからといって自分がなんでも解決できるヒーローになれたわけじゃない。

 自分は───燻っていたところに素晴らしい教師に巡り合って、うまくいくことが増えて思い上がっていたんじゃないか?

 

「カッシュ……」

「だから、()()()も───」

 

 そこでハッとしたように顔を上げ、ばつが悪そうに視線を逸らした。

 その言葉が指す人間など、グレンには一人しか思い当たらない。

 

「すんません、俺、急ぐんで」

「お、おう」

「じゃ、また学院で」

 

 軽く会釈をすると、そのままカッシュは走っていってしまう。残されたグレンとセシルが顔を見合わせる。そのうちに、手に持ったタオルで汗をぬぐったセシルがぽつりと呟いた。

 

「すみません……カッシュ、やっぱり気にしてるみたいなんです」

「見りゃわかる。……アッシュのことか」

「はい……」

 

 ───アシュリー=ヴィルセルト。

 先のフェジテでの騒乱の際、事件解決に大きく尽力しながら、ただ一人の行方不明者として姿を消した、二組の生徒。

 

 誰にも本心を告げず、どうしてなのかもわからないままいなくなってしまった級友のことがどうしても気掛かりなのだとセシルは言う。

 そういうセシルも、そのことをどう思っているのかはカッシュに付き合っているあたり明白だった。

 

「自分がもっと強ければとか、自惚れてるわけじゃないんです。でも、僕たちが弱かったから、アッシュに負担をかけていたのも事実だから……だから、それが重荷でいなくなっちゃったんじゃないかって」

「それは……」

「体力づくりなんて言ってますけど、結局、頼りっきりだったことを思い知らされて、そんな自分が嫌でじっとしていられなくなっただけなんですよ」

 

 誰も追及しなかった。

 誰も、なにもしなかった。

 どれだけ傷付いていても、巻き込まれても、心配する以上のことをしてこなかった。

 

 ───それが間違いだったと謗るのは簡単なことだ。だけど、間違えたと気付けない間違いはどうしたら良かったのだろう。

 

「気を紛らわせたいだけなのかもしれないですね」

「……お前らが悪いんじゃねえよ。気付いてやれなかった俺の責任だ」

「はは……先生らしいや。じゃあ僕も、そろそろ行きますね。置いてかれちゃいますから」

「……おう」

 

 それじゃあ、と片手を上げてセシルがカッシュの背中を追いかけていく。

 

 残されたもの()は、大きい。いなくなった誰かが思っていたよりも、ずっと。

 

「わかってなかったのか、それともそんなんどうでもよかったのか、どっちなんだろうな……」

 

 右手で瓦礫を弄びながら呟く。

 答えの出ない問いに意味はない。ただ、掠れた声だけが風に吹かれて消えていった。

 

 ため息を一つ。ポケットに手を突っ込んで、憎々しいほどに澄み渡った青空を見上げる───と。

 

「おはようございます、先生」

「おはようございます、グレン先生。今朝も、ありがとうございます」

「ふぁ……おはようさん、二人とも」

 

 広場の向こう、声をかけてきたのは赴任してからすっかり馴染みの顔になってしまったシスティーナとルミアだ。

 システィーナは徹夜でもしたのか若干やつれた顔で。ルミアはいつも通りを装っているが、やはりどこかぎこちなく。

 

(まあ、気にするなっつーのが無理だよな……)

 

 特にルミアは、自分の幸せをやっと許した矢先に起きたこととしてはあまりにもショックが大きすぎた。

 システィーナに叱咤されて普段通りの生活を送ってはいるが、ふとしたときに表情が翳ってしまうようだった。

 

 無理もない。そもそもの発端はどう言いつくろってもルミアであることは変えようのない事実なのだ。

 責任感の強いルミアに気にするなと言う方が不可能だ。

 

「そういや最近、リィエルは一緒じゃないんだな? あいつ、護衛のくせになにやってんだか……ジャティスの野郎にさらわれたばっかだってのに」

「あはは……あのときは仕方ないですよ。それにリィエル、最近は夜遅くまで起きてるみたいで」

「……夜遊びってことか? リィエルが?」

「いえ、夜遊びっていうか……深夜徘徊っていうか。なんでも、最近ルミアのことを狙ってくるやつがめっきり減ったとかで、つきっきりじゃなくてちょっと遠くまで足を延ばしてるみたいです」

「……そういや、アルベルトもさっさと帰っちまったな……」

 

 例の事件から数日も経たないうちに、アルベルトはフェジテを去った。

 あんなことがあった矢先、アルベルトが護衛を外れると言ったときには度肝を抜かれたものだが、結局それが覆ることはなかった。

 

『今のフェジテは安全だ。……不気味なほどに、な』

 

 と、意味深な言葉を残して、アルベルトは帝都へと戻っていったのである。

 

「まあ確かに、最近はおっそろしいくらいに魔術師による犯罪とか聞かねえもんな……」

 

 それだけジャティスが殺し回ったということなのだろうが、なぜか妙に引っかかる。

 本当にそれだけなのだろうかと、勘のようなものが微かに囁いているのだが───その正体は掴めないまま、グレン自身もすっかり忘れ去っていた。

 

 まあそれにしたって、登校中に一緒にいないのは問題だが。

 

 リィエルにはあとで説教をかまさねばなるまい。

 

「お尻ペンペンは犯罪臭がするって言われたからな……もっとイイ感じのお仕置きをだな」

「グレン、顔が怖い」

「ってうおう。いたのか」

「いた。おはよう」

「あ、ああ、おはよう」

 

 いつの間に来ていたのか、すぐそばでリィエルがグレンを見上げていた。

 眠そうな顔は相変わらずの無表情で、なにを考えているのかいまいちわからない。

 

「最近、パトロールしてんだって? なんかあったか?」

「……ん。なにもなかった」

「そりゃ良いことだな……って、お前。なんもなかったからってルミアのことほっぽってんじゃねえよ」

「痛い」

 

 ぐりぐりとリィエルのこめかみを拳で挟んで抉る。さすがのリィエルも、自覚があるのかぶらんぶらんと左右に揺れてされるがままだ。

 

「せ、先生。なにもなかったんですし、もうそれくらいに───」

「だって、いないから」

「───え?」

 

 ルミアに諭されてぐりぐりをやめたグレンの前で、宙ぶらりんのままのリィエルが呟いた。

 

「ここにいてって言ったのに、アッシュ、いないから」

 

 心なしか不機嫌そうにぼそぼそと呟くリィエルの顔は、グレンからは見えなかった。

 ルミアが寂しそうに微笑み、地面に降り立ったリィエルの頭をそっと撫でる。

 

「どこに、行っちゃったんでしょうね。アッシュ君……」

「……悪い」

「ふふ、先生が謝ることじゃないですよ。これだけみんなで探しても見つからないなら、きっと、アッシュ君は私たちに会いたくないんです」

「ルミア……」

 

 言葉は穏やかで、ルミアは微笑んでいるだけだ。

 なのにどうしてもそれが泣き出しそうな顔に見えるのは、どうしてだろう。

 

 ……システィーナがなにかを言おうとして、言葉に迷っていると。

 

「ルミア。それ、やだ。その言い方、やめて」

「きゃっ」

 

 頬を膨らませたリィエルが、小さな両手でルミアの頬を挟み込んだ。ぷにゅ、と柔らかな頬が押しつぶされる。

 目をぱちくりとさせるルミアの目の前、リィエルがいつもの無表情で突っ立っていた。

 

「アッシュはみんなのこと、嫌いなんかじゃない」

「でも……」

「ん。絶対。信じて?」

「……うん」

 

 リィエルの手に自分の手を添えて、ルミアが頷く。

 そのまま、ルミアはいつも通りの微笑みを浮かべて学院へと歩き始める。

 

 なにも言えなかったシスティーナの手が空を切り、所在なげに鞄に伸びる。

 何度か視線を彷徨わせてから、俯いたままで小さい声をこぼした。

 

「……先生。私」

「あ?」

「……いえ、なんでもないです」

 

 それでも結局、なにも言わず。

 先に行ってしまったルミアたちを追いかけて、システィーナも駆け出していく。

 

「……。……はあ」

 

 ガシガシと頭をかきむしって、グレンがその後ろに続いていく。

 

 これからどうすべきかを、堂々巡りのように考えながら。




今回も二周年記念で番外編を書こうと思います(だいぶあとになりますが)。前回の残りと、追加して二種類ほどが候補です。
今回は一行あらすじも載っけとくのでご参考までに!

【アンケート候補】
過去編:とある村のある日の風景
 今はもう誰も覚えていない、どこかの話。
過去編:雨の日、緋色との逢瀬
 始まりの出逢い。迷子と少女の、最初の話。
幕間:料理とバイトと馴れ初めと
 今日もバイトに励む、ある学生と級友の話。
幕間:Cat Cat Cat
 猫を拾ったリィエルの話。
7巻IF:イヴの潜入護衛任務
 会場内で待ち伏せすることにした、素直じゃない魔術師の話。
幕間:風邪は万病の元
 珍しく風邪を引いてしまったアッシュの話。
幕間/Zero:忘却福音
 ───とある迷子の観た、終末の話。


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59.Our Juvenile.

一ヶ月過ぎちまったよ。すまない。

それはそれとして、『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』、ついに完結おめでとうございます! いやぁ、寂しくなりますね。
追想日誌はまだまだ続くとのことなので、これからも追っかけていく所存であります。


 遠くで、なにかが響いていた。

 

 それはどうも、罵倒のような、憤怒のような、そんな声だ。

 聞き覚えのある声が聞こえたような気もしたが、きっとあの大馬鹿男だろう。

 

 理想を語り、理想を貫き、そして現実との乖離に病んで自分の元を去った男。

 ……自分に果たせなかったことを、成し続けた男。

 

(くだらない……)

 

 距離だけならばすぐそばで繰り広げられるその茶番劇を。

 

 彼女はずっと、冷めた目で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「唐突だが。諸君らの学院長、リック=ウォーケンは、昨日更迭処分となった。

 本日より、アルザーノ帝国魔術学院の学院長はこのマキシム=ティラーノである。皆、心するように」

「───……は、ぁぁ───!?」

 

 アルザーノ帝国魔術学院の学院アリーナに響き渡る、驚愕の声。

 それは、たった今壇上の人物からもたらされたものだ。

 

 学院中の講師や生徒をアリーナに集め、マキシム=ティラーノと名乗った男は、言外にこう宣言したのである。

 ここはもう、私のものだ───と。

 

「てめ、今なんて言いやがった!?」

「聞こえなかったかね? 本日より、私がこのアルザーノ帝国魔術学院の学院長だ、と言ったのだよ。リック=ウォーケンは先の騒乱の際の責任を問われて更迭された。これは決定事項だ。以後、諸君は黙して私に従うように」

「はあぁぁ!? なんだよそれ、おかしいだろ!?」

「リック学院長に責って……有り得ないでしょ。なにかの間違いじゃないの?」

 

 当然、そのような主張が素直に通るはずもない。マキシムの言葉を理解した端から、ざわめきが広がっていく。グレンでさえも例外ではなく、予想だにしない展開に目を白黒させていた。

 

 騒乱の責? 今日からこの偉そうな男が学院長? そうだとして、なぜこれほどまでに唐突に───

 

「驚くのもわかるが、静まりたまえ。

 ……さて。この私が学院長に赴任した以上は、この化石じみた、時代遅れの運営方針は根こそぎ変更させてもらう」

「化石じみた運営方針の変更だぁ……?」

 

 ようやくマキシムの言葉を飲み込んだグレンが呟く。

 確かにアルザーノ帝国魔術学院は、遥かな過去に時のアリシア三世が建設した歴史ある学び舎だ。だが正直言って、化石じみた、などと言われても実感はない。

 

 アルザーノ帝国魔術学院はグレンの目から見てもかなりの高水準で魔術を教える、世界でも最高峰の学院だ。多少の贔屓目が入っていたとしても、そこまで急な方針転換をしなければならないほど時代遅れだとは思えない。

 そんなグレンの───いや、学院中にいる全員の疑念をよそに、マキシムは自らの思い描く理想を蕩々と語り始める。

 

「では早速、来期から行う改革について、諸君に説明しよう───」

 

 ───そうして、自称『この歴史ある学院に相応しい教育者』ことマキシムの語った今後の学院の方針は、端的に言えばこうだ。

 

(……『戦力に直結する分野以外の研究縮小と、徹底的な実戦主義───()()()()()()()()()』!? ……アホか!? 教導省、ついに狂ったか!?)

 

 そう。マキシムがやたらと熱っぽく、さも自身が絶対的に正しいと信じ切ったような顔で語った教育方針は、つまるところそういうことだった。

 自然理学、数秘術、魔術の歴史を主に取り扱う魔術史学や魔導考古学は言わずもがな。一見『戦力』として必要に見える法医術ですら、マキシムは縮小するという。───軍事支援に必要な技術は既に足りているからだと。

 

 さらにはマキシムの私塾の生徒を特権階級の『模範クラス』として入学させ、全生徒の手本にするなどとまで言い出した。

 模範と言えば聞こえは良いが、要するに洗脳の類だ。模範クラスにはマキシムの育てた生徒が選ばれ、特権を得る。つまり、()()()()()()()()()()()()()、と生徒たちに刷り込むための。

 

 そんな改革、通してしまえば間違いなく今の学院は崩壊する。

 

 経営が、という意味ではない。

 アルザーノ帝国魔術学院を生徒たちの過ごす憩いと学びの場たらしめるものが、だ。

 

「わかったかね? たかが生徒、未熟者の分際で自主性や魔術師としての知恵など無駄で無意味。諸君らはただ、私の〝正しい〟教育に従えば良いのだよ」

「待ってください。あまりにも横暴が過ぎます。一体なんの権利があってそこまでの理不尽を通そうと言うのですか」

「リゼ=フィルマーとか言ったか。君は知らんだろうが、理事会は既に私の味方だ。やり手を気取るのも良いが、それよりも先に取り潰されるだろう生徒会執行部のことを心配した方が良いのではないかな」

「な───本気ですか!? 私たちは魔術師である前に一学生、一人の人間です! その自主性を育み、重んじるのは教育機関として当然の……」

「聞こえなかったかね? 君たちに必要なものは魔術師としての力、ただそれだけだと、何度言えばわかるのかな」

 

 嘆かわしい、とでも言いたげに首を振るマキシム。

 そして、先陣を切ったリゼに続くようにして、講師や生徒から当然のように猛反発と質問攻めが起こる───が、マキシムはそれらを一切聞き入れない。

 もはやどうあっても、己の考える改革を押し通す腹積もりのようだった。

 

 正直、嘆かわしいのはお前の頭だと言ってやりたいグレンだったが、全校生徒の手前……さらに言うならこんな妄言を吐いていても一応は学院長となるマキシムに、そんな罵詈雑言を吐くことはできない。

 

 ここでただ感情に任せて言葉を投げつけたところで、グレンのクビが飛ぶだけだ。

 いや、それだけならまだ良いが、『学院長に楯突いた講師の受け持つクラス』などと難癖をつけられて、二組がマキシムの『模範クラス』に手ひどい扱いを受けることすら有り得る。

 

 生徒たちのことを想うのなら、ここで下手に歯向かうのは避けるべきだ。

 ここでグレンが学院から追放されたら、一体誰が、この先に待ち受ける悪夢のような改革から生徒たちを守ると言うのだろう。

 

(耐えろ……耐えろ、俺! 権力者に真っ向から嚙みついたって意味がねぇ、まずは機を窺っ───)

「そもそもだね。なぜ、私がこのような改革に乗り出したと思っているのかね?」

 

 未だ収まらぬ騒動の中で。

 出来の悪い生徒に言い含めるように、ふいにマキシムがそんなことを言い出した。

 

「先のフェジテを襲った騒動。諸君は、あれをどう考えている?」

「はぁ? どう、って……」

 

 マキシムの言葉が指すのは間違いなく、一週間前に起きた『フェジテ最悪の三日間』だろう。

 生徒全員が力を合わせ、多少の被害を出しながらもどうにか乗り切った試練……大半の生徒たちの認識はそんなところだ。

 

 それが一体どうしたというのか。

 ……いや、そもそもあれは学院中の全員が力を合わせ、すべての力を出し切ったからこそ掴んだ勝利だ。

 あの時あの場所にいなかった部外者のマキシムが、偉そうに講釈を垂れる余地は一切ない。

 

 一切ない、はずなのだが。

 

「なにかね? 諸君のあの無様さは」

 

 マキシムが、その一切ない余地を強引にねじ込んできた。

 

 一瞬で会場内が凍り付いた。

 

 誰もが言葉を失っていた。

 奇跡的に───行方不明者こそ出たが、確定的な死者を一人も出さなかった彼らに向けられた言葉の意味が、全員、理解できなかった。

 

 その沈黙をどう取ったのか、マキシムがなおも言い募る。

 

「校舎の半壊。多数の負傷者と無駄に消費された資源。これらの原因はすべて、根本的に無能な諸君にある」

 

 空気が一段冷え込んだことに、果たして気付いているのかどうか。

 静まり返ったアリーナ中の人間に向けて、ため息さえ交えながら言葉を続ける。

 

「君たちが無駄な授業を受けたりせず、魔術師としての戦う力を磨くことだけに邁進していれば、あのような醜態は晒さなかった」

 

 誰もマキシムの言葉には言い返さない。開いた口が塞がらない。言い返せない。

 ただ苛立ちばかりが募っていき、ささやかなざわめきがアリーナに広がっていく。

 

「わかるかね? そんな無駄で無意味な教育を施したリック前学院長の代わりに、この私が、君たちを効率的に、正しく優秀な人材に育て上げようと言っているんだ」

 

 ───これまでの、あの戦場にいた全員の学院生活をすべて否定して、マキシムはそう断言した。

 

 話は終わりだとばかり言い切ったマキシムの眼下で、生徒たちが微かにざわめいた。

 それが過激な暴言まで発展しなかったのは、それだけマキシムの言葉が衝撃的だったからだろう。

 衝撃のあまり忘我していた、と言っていい。

 睨み付ける彼らの視線などどこ吹く風と、マキシムが今度こそ、あらゆる不満を黙殺しようとその場にいた全員に背を向けた───その時だった。

 

「……ざけんな」

 

 不意に、そんな声が響いた。

 

 予期せぬ言葉に、その場にいる全員が静まり返った。それがあまりにも静かで、あまりにも重たい言葉だったせいだろう。

 しん、と静けさが支配したアリーナを、人の波をかき分けて誰かが進んでいく。

 

 その顔に憤怒を浮かべて、当惑している人々を荒々しくかき分けて。

 

「ふざけんな……ふざけんなよ、お前」

 

 そうしてその人物は、やがてマキシムのいる壇上に進み出て───

 

 バン、と。

 手のひらを机に叩き付けて、正面からマキシムを睨んだ。

 

 それは、グレン───()()()()

 

「ふざけんなッ!! 何様だよあんた! ()()()()いなかったくせに、好き勝手言いやがって!!」

「カッシュ!?」

 

 そう。

 カッシュ=ウィンガーが、ただの一生徒に過ぎない少年が、仮にも最高権力者となったマキシムに食って掛かったのである。

 

 これにはさすがのマキシムも面食らったのだろう。自身に直接喧嘩を吹っ掛けに来た愚か者の姿に驚き、微かに目を見張った。

 だが、マキシムがなにかを言おうとしたところで。

 

「悪いけど、それには僕も全面的に同意見だね」

「ギイブルまで!?」

 

 またしても、そんな声が聞こえた。

 眼鏡を押し上げ、ずかずかと普段に似合わぬ粗暴さで壇上に乗り込んだのは───こういうことに一番乗りそうもない、ギイブルだった。

 

 まさかの援軍に、今度はカッシュまでもが瞠目した。まじまじと、慣れ親しんだ級友の姿を眺めてしまう。

 だが、ギイブルが壇上から降りることはなかった。それどころか堂々とカッシュの横に立ち、呆れたような顔で口を開く。

 

「ギイブル、お前」

「僕たちが未熟だったことは認めるけど、それを赤の他人に批評されるのは我慢ならない。あのときあの場にいなかった時点で、そいつはただの役立たずだ。

 それが我が物顔で学院にやってきて、あまつさえ好き勝手な改革に乗り出す? 馬鹿にするのもいい加減にしてくれ」

 

 立て板に水のごとく流れる批判。ギイブルらしからぬ、直截的な物言いだった。

 だが、それが生徒たちの心に火を点けたらしい。二組を中心に、波紋のようにざわめきが広がっていく。

 

 どう考えたっておかしい。

 こんなものは認められない。

 ……そんな意志が、全員に伝播していく。

 

「そうだ……そうだよな」

「俺たちが必死でやったことに、なんでこんな上から目線で文句を言われなきゃなんないんだ」

「しかも、勝手に私たちの学院を改革する? ふざけないでよ……!」

「そうだそうだ! 自分勝手もいい加減にしやがれ、このスットコドッコイが!!」

「かーえーれ! かーえーれ!」

「リック学院長を返せーっ!!」

 

 アリーナ中に響く、マキシムに対する痛烈な批判と拒絶。

 始めこそあっけに取られていたが、やがてその大音声に耐えかねたのだろう。

 

「黙りたまえッ!!」

 

 ガン、とマキシムが勢いに任せて机を蹴りつけた。

 机が倒れる音に、再びアリーナが静まり返る。そこで落ち着いたのか、新学院長は改めて生徒たちを睥睨した。

 

 まずは───そう。

 目の前にいる、この不愉快な二人の生徒を叩き伏せねばならない。

 

「───さて。どうやら不満もあるようだが、これは決定事項だ。あまり乱暴な手段に出るのなら、こちらも対応を考えなくてはならない」

「ぅ……な、なんだよ。退学にでもするってのかよ」

 

 後先考えていなかったカッシュがさすがにたじろぐ。

 カッシュにとって、この学院に入ること───そして立派な魔術師になることは、イコールで結ばれた夢だった。

 それが突然退学になるかもしれない、などと言われては怯むのは当たり前だ。当たり前だが、それでも退くことは今さらできなかった。

 

 ぐ、と拳を握りしめ、彷徨わせかけた視線を前に戻す。

 誰かに助けてもらうのを待つなんて、そんなことはできないと言うように。

 

「退学にでもなんにでもしてみろ! どっちみち、お前なんかが学院長になったこの学校なんて俺たちの───」

「言葉を慎みたまえよ。君は君自身だけでなく、君の講師にまで被害を広げるつもりなのかな?」

「な……せ、先生は関係ないだろっ!?」

 

 思わぬ話の展開に、カッシュの声がひっくり返った。

 これはカッシュのワガママであり、暴動であり、グレンにはなんの咎もないはずだと。

 

「あるとも。これからこの旧態依然とした学院を改革すべきこの私に向かっての数々の暴言、暴力行為未遂。それらはすべて君の講師の責任だ。監督不行き届きというやつだね」

「は、ぁ!? 違っ、先生は関係───」

「ない、などとは言えんよ。講師は生徒に責任を持つものだ。無論、私の生徒はこんな短絡的かつ浅慮な行為には走らないが……」

 

 途端に不安そうに揺れるカッシュを見下ろし、内心でほくそ笑んだ。この生徒の講師は、よほど慕われているのだろう。

 こういったタイプには、懐柔よりも脅しがキく。

 

「まあ、順当に行けばクビ、かね?

 君のせいで、君の恩師が職を失うことになってしまうなぁ」

 

 マキシムの言葉に、さっとカッシュの顔色が青褪める。

 自分がどれだけ軽はずみなことをしたのか、ようやく理解したらしい。

 

 自分が被害を被るだけならまだ良い。どの道こんな改革は絶対に認められない。だが、自分のワガママで恩師であるグレンに累が及ぶのは───

 

「せ、先生……」

「───カッシュ、怯むな」

 

 どうすれば良いのかと言葉に詰まったカッシュの背中を軽く叩いたのは、他ならぬギイブルだった。

 退くな、逃げるな、と。ちらと向けられた瞳が語っていた。

 

「!」

「こういう強硬策でいけるのは、せいぜい僕たちみたいな木っ端に対してだけだ。見せしめとしては効果があるかもしれないけどね。

 ……なにより、グレン先生をここで免職させたら二組が暴動を起こす。システィーナやウェンディみたいな有力貴族のいる二組を丸ごと切るなんて芸当、さすがに踏み切らないはずだ」

 

 ……そう言い切るギイブルの手が微かに震えていることに気付いたのは、恐らく隣にいたカッシュだけだっただろう。

 ギイブル=ウィズダンは聡明だが、決してこのような手段に出るような人物ではなかった。それがわざわざ、後先考えずに壇上に上がったことの意味を、果たしてどれだけの人間が理解できたか。

 ギイブルとて、わかっているのだ。こんな勝手な行動に出たツケが、一体どこに回ってくるのか。

 

 こんなコトをするつもりではなかった、と小さな声で毒づいた。

 だが、それでも───

 

「僕たちは、あんたなんか学院長だとは認めない」

 

 真っ直ぐに。

 目の前のマキシム(理不尽)に、そう言い切った。

 

「……ふん、良いだろう。どの道、理事会は全会一致で私の味方だ。

 諸君らは所詮、烏合の衆に過ぎない……そんなことは、先ほどまでの騒ぎようでわかっているだろう」

「…………」

「たかが一生徒である諸君らにできる抵抗などたかが知れている。今日のところは見逃してやろう。だが、あまりにも目に余るようならば、その時は───」

 

 ───たった二人の勇者になにかを言い渡そうとしたタイミングで、唐突にマキシムが言葉を途切れさせた。

 

 カツカツと、響く足音。

 講師に与えられる上着すら羽織らずに、シャツにスラックスというシンプルな出で立ちのまま、面倒くさそうに歩み寄ってくる人影を認めたからだ。

 

 それは、そう。

 先の『フェジテ最悪の三日間』で、最強最悪の魔人に決定的なトドメを刺した、学院きっての英雄的人物。

 

 カッシュとギイブルの顔が、一瞬で明るくなる。

 無謀な行動に出たことへの罪悪感を塗り替えるほどの、高揚感。

 

 絶望的な状況でも絶対になんとかしてくれる。

 

 そんな期待に応え続けた、英雄。

 

「ハッ! な~にが正しい教育だボケ。

 このグレン=レーダス大先生様の授業の方が億万兆倍マシだね! わかったらとっとと家帰っておねんねしてな、このタコ!!」

 

 ───グレン=レーダスが、本来あるべき展開から、ほんの少し遅れて参戦した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だ、誰だ貴様はっ!?」

「え? 俺のことをご存知ないとかマジ? どっからどう見てもフェジテの今をときめく、スーパーウルトラロイヤルな最高魔術講師ことグレン=レーダス大先生様だろ。目ェ節穴っすか?」

「な───」

 

 予想だにしなかったどストレートな暴言に、マキシムがあんぐりと口を開ける。

 未だ年若く、自身の立場を理解していないような生徒たちから言われるのならともかく、自分の生活()がかかっているはずの講師がそんな物言いをするなどとは夢にも思っていなかったのだ。

 

 ぶっちゃけ、アルザーノ帝国魔術学院を舐め腐りすぎである。

 

「き、貴様がグレン=レーダスか! 問題講師とかいう、あの───」

「へっ! 気付くのがおっせーんだよこのクソハゲ! 自分が赴任する学院の講師の顔と名前と生年月日と今日の星座占いの順位くらい覚えとけってんだ! ちなみに俺は今日最悪でした! 今決めました!!」

 

 ……これが、グレン=レーダスという男か、とマキシムは眩暈さえ感じていた。

 

 赴任から十一日間、講師と呼ぶことさえおこがましい授業を行っていたにも関わらず、なぜか学院に居座り続けている人物。

 どんな汚い手を使ったのか、女王陛下の覚えもめでたい。

 学院を襲う数々の難事の解決にも一役買ったという、胡散臭い魔術講師!

 

「すいません、先生、俺……ッ!!」

 

 とうとう出てきてしまったグレンに、カッシュが半ば涙目になりながら謝罪する。

 ある程度の目算はあったギイブルとは違い、完全に場当たり的な行動だったカッシュの自責の念は重たいものだったのだろう。

 

 ……いや。

 ギイブルとて同じだ。なんだかんだと言っても、結局は我慢が利かなくなったから、カッシュの横に立ってしまっただけ。目算があったなんて、後からの言い訳だ。

 ……だってそうでなくては、グレンから目を逸らしている理由がない。ただ、素直に謝罪するには少し難しい性格だっただけなのだ。

 

 それがわかっているから───そして、小賢しい理屈で耐えようとしていた己をぶん殴りたい気持ちをしまい込んで、グレンが二人の肩を叩く。

 本当なら、グレンが真っ先にやらなければならないことだったというのに。

 

「……気にすんな。お前らが行かなかったら、俺がこのハゲの顔面ぶん殴ってたところだ。それより……悪いな、守ってやれなくてよ」

「そんな……俺だって、先生のこと、なんも考えてなくて……!!」

「気にすんなっつーの。あとは俺に任せとけ」

 

 最後にぽん、と泣き出しそうなカッシュの頭を叩き、胸を張ってマキシムと対峙する。

 生徒たちが自分の居場所を守るためにここまで体を張ったのだ。

 どうして、我が身かわいさで退けるだろう。

 

「さーて……こんだけ見りゃわかるだろうが、ウチは絶対にテメェみてーなのを学院長たぁ認めねえ。んなアホの極みな改革も許さねえ。

 つか、不満のある生徒に対して退学をチラつかせての脅しはフツーに大人げなさすぎだろ。エレメンタリースクール(小学校)に入りたてホヤホヤの一年生でもわかるわ、そんなん」

 

 へっ、と肩をすくめて宣うグレンの姿は、完全にいつも通りだ。

 いつも通りすぎて逆にイラつくというか、むしろこの状況下では一周回って頼れる背中にしか見えない。

 

「ヒューーーーー!!」

「グレン先生カーッコイイー!!」

「もっと言ってやれ、グレン先生ーッ!!」

 

 大人が出張ってきたことで、生徒たちの盛り上がりも最高潮になっていた。

 もはや完全に反乱軍かなにかのノリだ。グレンさえ出てこなければバラバラな、ただ不満をぶつけるだけの烏合の衆で済んだものを……と、歯ぎしりしながら反乱軍の旗印を睨み付ける。

 

 計画が丸ごと白紙になってしまった。

 これからこの反発を治めて懐柔するなど、マキシムが何人いても足りないだろう。

 

「ぐ、く───」

 

 だが、ここでヒートアップしてしまえば相手の思うつぼだ。

 深呼吸を繰り返し、なんとか言葉を選び出す。

 

「……グレン=レーダス……。良いだろう、認めよう。どうやら確かに、先進的な私の改革を受け入れるには、この学院は()()古臭すぎたようだ」

 

 先進的……?

 斬新の間違いでは? と、その場にいる全員が疑問符を浮かべたことは無視し、マキシムが改めてグレンを見下ろした。

 

「だが、だからと言ってどうするね? 先にも言ったが、既にこの学院の全権は私が握っている。君ごとき木っ端の講師がどうにかできる余地など、もはやどこにもないのだよ」

「…………」

 

 今度は、グレンが黙り込む番だった。

 実を言うと───マキシムの指摘は正しい。

 

 グレンにとって権力は、びっくりするほど縁がないものの一つである。

 こと経営という面において、重要視されるのは魔術師としての実力よりも学院という組織を運営する能力であり、その方面における実績なぞグレンは持ち合わせていない。

 

 正確に言えば、グレンの活躍───要するにコネやら貸しやらを駆使しまくれば、ギリギリ、なんとか突っつけるかもしれないが……それで変わるものなどたかが知れている。

 

(さて、どうしたもんか……)

 

 厳密には。

 手段は、一つだけある。

 

 魔術師であるのならば逃げられない、互いの誇りを賭けたもの。これさえ通れば、傍若無人の限りを尽くすマキシムにすら通用する一手が。

 

 だが、それは───

 

「…………」

 

 もう一度、ちらりと背後を振り返る。

 自分たちの学院を守るため、進み出たカッシュとギイブル。

 その後ろでグレンを見守る、何人もの生徒たちと───言葉にはできないまま、縋るようにグレンを見る講師たち。

 

 誰かが命懸けで守った、学院のすべて。

 

(なら、答えは決まってる)

 

 自分のクビと()()を一瞬だけ天秤にかけて、グレンは左手の手袋を外した。

 

 ───すぱぁん! と、スナップを利かせて手袋を投げつける。

 これが、自分たちの答えだと言うように。

 

「───いいぜ。やってやる。

 決闘を申し込むぜ、マキシム=ティラーノ!! チップは俺のクビと、テメェの学院改革計画ッ!!

 俺たちを潰せるもんなら、かかってこいやこのクソ野郎───ッ!!」




【悲報】主人公、二話連続で出番なし。

そういえば、時折イメージソングというか、この曲を思い出す、みたいなコメントを感想欄でいただきます。ありがたい限りです。

ちなみに個人的にはアッシュは『月と花束』がドンピシャだと思っています。『THIS ILLUSION』はイヴかな。



追伸
アンケート締め切りましたー。ありがとうございます。
幕間/Zeroがぶっちぎりで、ちょっと驚き。


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60.Interlude/Ⅱ

───勝った。
締め切りとか、なんかそういうのに……!

けど割かし急いで書き上げたのでなんか間違いがないか今から戦々恐々としています。


 ───アルザーノ帝国魔術学院が、一つの騒乱に巻き込まれようとしている、その裏側。

 

「ふん、ふふ~ん、ふ~ん……♪」

 

 わざとらしく、調子の外れた鼻歌を奏でる少女。

 その足が進む先は、フェジテの裏側───裏路地よりもなお闇深い、どこかの暗がりだ。

 

 踏み入れた瞬間、漂う濃厚な血の匂い。

 暗闇にあってなお隠しきれない、死体の群れ。

 

 少女(イリア)は当然のように、躊躇なく屍の群れに踏み入った。

 その頬を掠めて飛んでいく雷条。【ライトニング・ピアス】と呼ばれる、まともに当たれば容易く人間を殺すそれは、しかし少女からはズレたところに放たれ、霧散した。

 

 狙いがズレていたのではない。ズレていたのは、少女の姿だ。

 切り裂かれた虚空に、ゆらりと影が揺らぐ。少女のカタチをした影は、雷とともに、まるで夢であったかのように消えた。

 

「あはっ。ジャティス=ロウファンが殺し回ったって聞いてましたけどー、まだまだ探せばいるもんですね!」

 

 予め、自身の姿()()()()()()()()()イリアが屈託なく嗤う。

 その笑みが向かう先は、死体の群れに紛れた幾人かの生者だ。

 

 視線を凝らせば見えてくる、淡い人影。

 振りかざした腕には蛇の刻印。

 

 ───天の智慧研究会。

 

 それが、イリアに向けて雷を放った者たちの正体であり。

 今まさに、命運尽き果てようとしている犠牲者の肩書きであった。

 

「お前()、いった、いったい、だ、ひ、ギィ───!?」

 

 新手か、という悲鳴を断末魔に差し替えて、イリアに指を向けていた一人が()()()()文字通り断ち切れた。

 泣き分かれた腰から上が、重力に従って血と臓物を撒き散らしながら地面にズリ落ちる。

 

 そう。

 

 この暗がりにいるのは、天の智慧研究会だけではない。

 

「ざんねんざんねん! せっかく残った戦力で、エルミアナ王女を殺しに来たのにねー? 無意味な奮起、ご苦労さまでした!」

 

 その言葉が向かう先に、もう一つの人影があった。

 

 この惨劇の只中にあってなお、微塵も揺らがぬ姿は不気味でさえある。

 

 ただ、そこに在るだけの生き物。熱のない、機械のような怜悧な空気を漂わせるただ一人。

 十と少しの死骸に囲まれながら、なんら感情を表すことのない殺戮機構。

 

 ……暗がりの中にあってなお煌めく赫色が、無造作に一閃される。

 たったそれだけ。ただそれだけの動作で、また一人、悲鳴も上げずに死んでいった。

 夜景に閃く赫色が長剣の刃だと気付いた者は、果たして数人いたかどうか。

 

 たった一人で十数人を殺し尽くしたというのに、まるで乱れない立ち姿。

 

 もはや名乗るべきものなどないと、名を捨てた剣士───

 

「セイバーさん、害虫駆除お疲れさまです! ゴキブリみたいに次から次から湧いてくるゴミクズの処分とか、もう飽きちゃった頃でしょうか!」

「───……」

 

 とてとてと、軽い足取りでイリアは剣士に近づいた。

 天の智慧研究会の生き残りも死骸も、当然のように通り過ぎて、当然のように剣士の隣に並び立つ。

 

 対して剣士は、ちらりと視線を寄越すのみ。否、真実向けたかどうかさえ、硬質な仮面に阻まれてわからない。

 その双眸に浮かんだ思惑でさえ、仮面に隠されて読み取れない。

 視線を寄越した、とイリアは雰囲気から判断したが、そんな微かな挙動にすら自信がなかった。

 

 視界には捉えているのだろうが、彼の意識が向く先は暗がりの中。

 より厳密には───暗がりに潜む、外道魔術師の生き残りに。

 

「……あれー? 聞こえてます? あなたのかわいいかわいい共犯者、イリア=イルージュちゃんですよ?」

「……ああ、貴殿か」

「ああ、ってなんですかああ、って! 私とあなたの運命の出逢いからけっこー経ちましたけど! まだ覚えてくれてないんですかぁ!?」

 

 一拍おいて、剣士は興味を失ったように少女から完全に視線を外した。

 ついで、一閃。今まさに魔術を練り上げていた魔術師の二の腕から先が消失する。かと思えば、悲鳴を上げる暇もなく、腕を失った魔術師は無惨な氷像と化した。

 

 魔術師にとっての最大の武器(左腕)を奪ってからの、間髪入れぬトドメ。……なるほど、容赦がない。

 これだけの実力があるのなら、あんな魔人に良いようにやられることもなかっただろうに───と、そうイリアが分析する最中、呼気さえ乱さずに剣士がひとりごちた。

 

「……ヒトの区別は、つかん」

「うわひっど」

 

 厳密には、剣士にとてその機能はある。

 単に、それを働かせる意義を見失っただけだ。

 

 数■前の事件からこっち、そういった『なにか』が擦り切れていく気がしているということにさえ、彼は気が付かない。気が付けない。

 時間感覚さえもどこか虚ろになり始めている。人体として生存するために必要な、基本的な欲求すら最近はあまり感じない。

 ───だが。だからこそ、中身が崩れ落ちてもまだなにかを果たしていられる。故に、その齟齬には目を向けない。

 

 向けないままで、作業のように目前の外道を斬り捨てた。

 色彩(イロ)の判別もつかない地べたに、血溜まりが咲き乱れる。

 

「──────」

 

 それを見届けることもなく、剣士が未だ生きている魔術師に目を向けた。

 

 フェジテの夜に巣食っていたモノのうち、姿を現した天の智慧研究会の残党で、この場に生き残っていたのは僅か三人。

 一人は氷像、一人はたった今斬殺された。

 残るは一人。ここに至るまで放置された最後の生き残りは、僅かな時間で魔術を練り上げ───

 

「……あらら?」

 

 ───ては、いなかった。

 むしろ真逆。呆然と、陶然と、あらぬ方向へ向けてブツブツとなにかを呟くのみ。

 

 つまりは棒立ち。

 戦場にあるまじき無防備な姿なぞ、剣士の前にはただの案山子ですらなく。

 イリアがぱちぱちと瞬きをして、処刑人の顔を窺った。

 

「……なにか、したんですかー?」

「さてな」

 

 風を斬る音。

 あまりの鋭さに一瞬突風が吹いたのではないかとすら錯覚した瞬間に、最後の一人の首が落ちていた。

 

「愉快な()でも、見ていたのだろう」

 

 事を済ませるのと同時、剣士の手にあった長剣がかき消えた。……殲滅は終了したということだろう。

 惨憺たる有り様にも関わらず、剣士の姿に乱れはない。ただ淡々と、為すべきことを為しただけ。

 

「ヒュー! こわーい! 容赦なーい!」

 

 イリアの軽口にも一切の関心がないと言うように、剣士は応じない。

 ……まるで機械だ。人を、あるいは人の世に仇為すモノを殺すだけの機械。人間味すらなく、手を汚し続ける存在を、果たして英雄と呼んで良いものか。

 人界を乱す悪鬼非道の類を滅ぼす。なるほど確かに義は通っているが───

 

(どっちかっていうと化け物ですよねぇ?)

 

 イリアからすればそうとしか映らない。

 あるいは、これが数百年───あるいは数千年前のフェジテであったのなら、その姿は理想的な英雄として日の当たる場所を往くのだろうが。

 

 二十人程度の魔術師を一人で殲滅した剣士は、用は済んだとばかり歩き始める。

 それに慌てて追従するイリアが、死体を踏みつけながら口を開いた。

 

「ちょちょちょ、待ってくださいって! なんで置いてこうとするんですか!」

「貴殿に用はない」

「一週間前に仲良くしましょうって言ったばっかじゃないですかーっ。結局ずっとこの街(フェジテ)に居座っちゃってますし! こっちのお手伝いとかもしてくださいよー!」

「理由がない」

「だから、色々と都合しますって! 誰のおかげでセイバーさんが隠れられてると思ってるんですか!」

 

 そこで、ようやく剣士の足が止まった。

 イリアは得意満面、とばかりニタリと嗤う。

 

「セイバーさんをわざわざ幻術で、誰の目にもつかないように隠してあげてるのはこの私! そう! つまりセイバーさんは、報酬を前払いでもらっていたので───待って待って待ってぇ! 置いてかないでくださいってばぁ!」

 

 なんだそんなことかと言わんばかりに、再度暗がりへ歩を進める剣士の後ろを早足で追いかけていく。

 傍から見れば愉快な一幕なのかもしれなかったが、当のイリアは大真面目だ。

 

 なにせ、イリアの最終目的は───

 

「ま、それはさておき」

 

 駆け足で隣に並び、わざとらしく咳払いをする。

 

「手伝う理由がないなんて、そんな寂しいこと言わないでくださいよっ。せっかくのイリアちゃんですよー?」

「断る。(当方)は、貴殿に協力するために此処に居るわけでは───」

「天の智慧研究会」

 

 再び、剣士が足を止めた。イリアが足早に通り過ぎ、彼の道を塞ぐように立ち止まった。

 初めて、剣士がイリアに顔を向ける。

 

蒼天十字団(ヘヴンス・クロイツ)天使の塵(エンジェルダスト)と狂った《正義》。それからそれから、人ならざるモノに身を墜としたバケモノたち……」

「───……」

「……そういうのを慈悲なく情なく容赦なく殺すのが、あなたの『お仕事』でしょう?」

 

 今度こそ。

 イリアが笑う───嗤う。

 

「ね? だから、()()してあげます」

 

 少女が、囁く。

 くるりくるりと、心底から愉しそうに。

 

「ぜんぶぜんぶ殺すために、この私が協力してあげましょう。こんなしみったれた街なんかほっぽりだして、ぜんぶぜんぶ、ぜんぶぜんぶ壊しに行きましょう。

 ───だって、ほら。こんなところにいたって、なんの意味もないでしょう?」

 

 くすくすと、弧を描いた口元を隠しもせず。

 それは破滅への片道切符。英雄の成り損ないを更なる混沌へ導く、深淵からの呼び声。

 

「……この街(フェジテ)から、出る?」

 

 なぜか。ほんの一瞬だけ、剣士が息を止めた。

 

 本当に僅かだけ、なにかを探るように動きを止めて。

 なにか───此処に留まらなければならない理由が、あった気がして。

 

 そして。

 

「───ああ、それが道理だ。

 此処に居る必要など、何処にも在りはしないのだから」

 

 ビシリ、と。

 

 なにかが、罅割れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 本の頁をめくる音が、神殿に響く。

 

 神殿、というのは単なる比喩だ。『天空の双生児(タウム)』を象った石像は崩れかけ、神殿と呼ぶにはあまりにも見窄らしいが、かろうじて残っただけの石碑が未だに神秘を保っている。

 

 石像の根本に座り込んだ銀髪の少年が手に持っているのは、取るに足らない三流雑誌だ。

 魔術の浸透した世界にあってもなお原因不明とされる───あるいは神話の色を遺した現象の数々を、無粋な言葉で飾り立て、娯楽として消費するオカルト本。

 

 肝心の中身も眉唾ものばかりで、実在する天使、燃え続ける廃村、永久凍峰の邪竜など、普通の人間が読めば失笑を誘うであろう記事ばかりが並んでいる。

 

 その一つ一つに丹念に目を通し、出来の悪い幼子を見守るような眼差しで少年は頁をめくる。

 

 ぺらり、ぺらり。

 

 永劫に続くのではないかと思われた時間はしかし、唐突な乱入者によって終わりを迎えた。

 不意に生まれた気配に、少年はゆるゆると顔を上げた。翠緑の瞳が文字を追うのを止め、現実へと引き戻される。

 

「お呼びでしょうか、大導師様」

「───エレノア」

 

 大導師、と呼ばれた少年が、優しげな眼差しを誌面から真横へとスライドさせる。

 そこに居たのは、黒衣に身を包んだ女性だった。エレノア=シャーレット。かつてはアルザーノ帝国の女王を危機に陥れた、死を纏う屍人使い(ネクロマンサー)

 

 最上級の礼を取ったまま、エレノアは跪いている。

 少年は石像の根本に座ったまま、忠実なしもべに向き直った。

 

「急な話だったのに来てくれてありがとう、エレノア。実は、君に頼みたいことがあってね……」

「大導師様御自ら、命を下してくださるとは……このエレノア、光栄の極みにございますわ」

「ふふ。君ほどに優秀な死霊術師を、僕は知らないよ。君はいつだって僕の願いを叶えてくれる。間違いなく、君は僕の脚本に必要な人間だ」

 

 慈愛すら浮かべて、大導師は微笑む。

 エレノアに何度も言い渡してきた『願い(命令)』が、どれほど悍ましいものかを微塵も滲ませずに。

 

 だが。続いた言葉は、エレノアの虚を突いた。

 

「けど……エレノア。君は最近、なにかが気になってるみたいだね」

「!」

 

 柔らかな声を認識した瞬間、エレノアの身体がかすかに強張る。

 強張ったことすら認識しないまま、エレノアが言葉を紡いだ。即ち、忠義の在り処の再確認。自身のすべてを大導師に捧げるという、彼女の意志の表明を。

 

「……いいえ。大導師様以外に、私が心を砕くものなどありません」

「偽らなくていいんだ、エレノア。君は君の思うままに行動していいんだよ。───気になるんだろう? ()が」

 

 彼。

 その言葉に、ますます身体が強張ってしまう。

 

 そう───エレノアは、たった一人の少年のことを忘れられずにいた。

 

 身一つで竜の牙を砕いてみせたかと思えば、続く戦いではあっさりと地金を晒して死にかけた少年。

 間違いなく平凡なはずなのに、彼は常に強敵相手に生き残り、あまつさえ竜の化身すら殺してみせた。

 

 エレノアが忠誠と情愛を捧げるのは、彼女を救った大導師に対してのみ。

 だというのに、エレノアの思考の片隅には、いつもその姿がチラついている。

 

 冷え切った視線が忘れられない。

 なにもかもを信じていない、虚ろな瞳が焼き付いて離れない。

 

 アレはきっと、いつか敬愛する大導師の力になる。そう確信して動いてきた。直感めいた感覚を頼りに、何度も逢瀬を重ねてきた。

 だが。今のエレノアは、それとはなんら関係なく───

 

「……ああ、そんなに深く考えなくたって良いよ。実を言うとね……僕も、少し気になっているんだよ。君がそこまで興味を示す人間が、一体どんなモノなのか」

「それは……」

「それにね、エレノアだけじゃないんだ。最近はレイクも噂の()()()くんにご執心でね。これまで見たことがないくらいに張り切っているんだよ」

 

 あんまりにもイキイキしてるものだから、いくつか相談に乗ってしまってね、と楽しそうに少年が語る。

 

「僕の大切な部下に、そんなに気にかけられている幸せ者が一体どんな人間なのか、気になるのは当然だろう?」

「……申し訳ありません。ご気分を害されたのなら───」

「エレノア」

 

 柔らかく、言葉だけで制止する。

 エレノアが顔を上げる。

 

「言っただろう? 君は君の思うままに生きて良いんだ。それに───」

 

 言葉を区切り、本を閉じた。ついさっきまで読んでいたはずの紙の束がほどけ、ひとりでに炎に捲かれ、やがて風に灰を晒す。

 己とは異なる渦から流れ着いたであろう同類の姿を思い描き、大導師は薄く微笑んだ。

 

「駒は、多ければ多いほど良いからね」

 

 それはまったくの本心。

 脚本にない、居るはずのなかった存在でさえも、少年は掌で転がしてみせる、と宣言した。

 

「そういうわけだから、君には好きに動いてほしいんだけど……そうもいかないのが困りものでね。

 頼み事の話をしよう。スノリアの伝承は知ってるかな?」

「───《白銀竜将》ル=シルバ様でいらっしゃいますね?」

「さすがエレノア、話が早い。そう、いよいよあの《門》を開く時が来たんだ。そのためには、まず《門番》たる彼女を目覚めさせなければならない───古の時代、悪竜として、悪竜のまま封じられてしまった彼女をね」

 

 事を察したエレノアが頷く。

 要するに、生贄だ。封印されてしまった竜を蘇らせるために、大導師はエレノアに多くの生命をかき集めて費やすように告げている───

 

「運の良いことに、ル=シルバを盲信する組織……銀竜教団(Silver Dragons Klan)のトップから、既にル=シルバ復活についての打診を受けていてね。

 せっかくだから、彼らを使って彼らの願いを叶えてあげてくれないかな?」

「まあ。我らが大導師様のなんと慈悲深いこと……私、感服いたしました」

「ははは。利害の一致ってやつだよ、あくまで。でも、できるだけみんなの願いは叶えてあげないと、ね?」

 

 その生命を貪り尽くす腹積もりであることはおくびにも出さず、大導師が微笑(わら)う。

 ───誰が見ても、狂っていると評しただろう。大導師と呼ばれた少年は本当にそれを『善いこと』として語っているし、それに首肯するエレノアもまた、彼の言を疑わない。

 

 閉じられた世界観。行くところまで突き抜けて、もはや変われなくなった人間の成れの果て。

 人はそれを、悪魔か、あるいは魔王と呼ぶのだろう。

 

「さて……ここからが本題なんだ」

 

 不意に笑みを消して、しかし楽しそうな雰囲気は残したままで少年が足を組み直す。

 膝に置かれたままの本の表紙を撫でて、世間話でもするように幾人もの命運を歪めていく。

 

「今回、《門番》を打倒する役者が誰になるのか……そこが気掛かりでね。もちろん、誰が彼女を解放しても問題はない。大切なのは結果だからね、誰がやったか、なんて些末なことさ」

「はあ……仮にも古代の魔王の傘下たる《白銀竜将》様を、そこらの雑兵ごときが傷つけられるとも思いませんし。眠りから解き放たれたル=シルバ様が世界を飛び回り、その末に誰かが殺してしまうということもございましょう」

「うん。こればかりは僕にも読めない。僕にできるのは、舞台がどう転んでも良いように、無数に脚本を用意することだけだからね。だけど、この竜退治は僕の脚本の重要な第一幕。……そこで、だ」

 

 ふと、少年がエレノアから視線を逸らした。

 

 気付けば。

 いつの間にか───本当にいつの間にか、神殿の柱に凭れかかるようにして誰かが立っている。

 

 ダークコートを羽織ったその男は、一体いつからそこに居たのか、ただ静かに佇んでいた。

 大導師の視線が自分に向けられていることに気付いたのだろう。男は柱から離れると、コートを翻してエレノアの前に立った。

 

 冷淡な面立ちの中、瞳だけが爛々と輝いている。

 エレノアはその男に見覚えがあった。最初の一歩、運命の歯車を回す役を担った───その男は。

 

「ちょっとした取引をしてね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 期限は一ヶ月。肉体と霊魂と精神が、拒絶反応を起こしてバラバラに散ってしまうまで。

 それをしくじれば、無限を失った男はそのまま朽ち果てることになる。

 

 だが。

 そんな未来など喰い破ってくれると言わんばかりに、男は笑った。

 

 今まで、一度も浮かべたことがないような───凄絶な笑みを。

 今まで、一度たりとも感じたことがないような、確かな高揚と共に。

 

 目の前に立った男を見て、エレノアは無意識に感じ取った。

 この男は、きっと。

 

「……レイク=フォーエンハイムだ。

 此度の竜、竜骸漁りのフォーエンハイムが貰い受ける」

 

 ───この男はきっと。

 自分とは、致命的なまでにそりが合わない、と。




【悲報】12巻、地獄が確定する(なお英雄が参戦するとは言っていない模様)。

最近レイクさんがジャティスばりにイキイキしていてたいへん困る。

追記
ステータスを載せようと思って忘れてました。
ここを逃したらもうしばらく載せられるタイミングがないので、遅ればせながら書いておきます。

【Material】
▼ステータス
筋力A+ 耐久B+ 敏捷C+ 魔力C 幸運E 宝具?
身長/体重:172cm・64kg
出典:なし/北欧
地域:日本、アルザーノ帝国辺境
属性:混沌・悪/混沌・善/秩序・善
属性は精神レイヤーによって変化する。

▼保有スキル
◯境界再演:侵蝕同調 EX
 ゴーストホルダー・オーバーライト。
 『この世界』においては固有魔術と称される、アシュリー=ヴィルセルトのほぼ唯一の武器。
 アシュリーが『観た』もの、観測した情報を自身を媒介に再現する魔術。アシュリーの使うとある英雄の能力はすべてこの魔術によるものであり、それ故にグレンの《愚者の世界》、アール=カーンの《魔術殺し》が有効。
 世界のルールの下で世界のテクスチャを張り替える無法。描写されないだけで、作中屈指のインチキ魔術である。
 原理としては違法召喚したサーヴァントとの一方的なデミ・サーヴァント化、と言うのが近い。
 通常であれば『特別な眼』を持たないアシュリーでは視覚のチャンネルが合わないため、新たな情報の記録は行われない。
 自身の霊子構造を書き換える、最悪の自己改造。

◯竜種改造 B→A+
 切り札のひとつ。魔力放出量は変わらないが、使用可能総魔力量が段違いになる竜の炉心。
 本来であれば常時稼働するものだが、再現度の問題で火入れ(オン・オフ)の必要性と断線が起きているため、基本的には使用されなかった。
 現在は再現が進んだため多少スペックは劣るもののほとんど完全再現されている。

◯原初のルーン B−
 キャスターとしても召喚可能な、とあるサーヴァントの有する魔術刻印。蜜月の証。
 大半のルーンを扱えるが、ルーン魔術に関してだけはうまく記録の再現ができないのか、多少精度は落ちている。具体的には、死のルーンなどが使用不可となる。

◯騎乗 ─
「え、なにそれ知らない」

▼宝具
『破滅の黎明』
ランク:A 種別:対人宝具 
レンジ:1 最大捕捉:1人
 グラム。借り物の宝具。旧き魔剣にして新生魔剣、大神オーディンによって授けられた稀代の武器。竜の死。
 スペックはシグルドとほぼ変わらず。現在は通常武装として選択されている。

『壊劫の天輪』
ランク:A+ 種別:対城宝具
レンジ:1~50 最大捕捉:1~900人
 ベルヴェルク・グラム。
 対人宝具であるグラムの全力解放。
 現在の持ち主の性質上、再現されたこの宝具は僅かながら巨人特攻を有する。

『■■■■■■■■、■■■』
ランク:EX 種別:対■宝具
レンジ:1~99 最大捕捉:?
 ───原初の罪。最初の過ちを示すモノ。
 使えば確実に身を滅ぼす、本人さえ存在を忘却している最悪の切り札。


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