縁故のグルメ (木偶人形)
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迷いオグリと盛りそば

学食での食事中、ふらりと聞こえた朝のランニングコースと帰り道にあるおいしい肉屋のコロッケ。
休日そのコロッケを食べようと聞きかじりのランニングコースを走ってみるが聞いた話と違うし、帰り道に肉屋のコロッケなど無かった。
空腹は限界に達し、ふらふらの状態のまま歩くオグリはとある看板を見つけ……


 とにかくお腹が減っていた。

 

 私は休日の朝の自主トレを終えて、小腹が空いていたので昼のごはんまでに何か軽く食べようとゆったりと歩いていた。

 今日走ったランニングコースは川が奇麗だと聞いていたのにずっと街中だったし川もどこにも流れていなかったのはどうしてだろうか……? 

 帰り道においしいコロッケ屋さんもあると聞いていたのだが……今のところ見当たらない。

 

 お腹が空いた……もうだめだ、コロッケの為に朝を少しだけ減らしてしまったからお腹がすいて死にそうだ……

 もう何件かおいしそうなお店を逃している。これもコロッケの為だったが……背に腹は代えられない、次に見つけたお店に入ろう。

 

 またしばらく歩く。

 けれど見つからずちょっとだけ小走りになってしまう。

 

 そのままちょっと走ると、ふと視界の端にお店の看板のような物が見えた。

 もう空腹は限界を超えている。空腹によるめまいで私はおぼつかない足取りになりながらその店にたどり着いた。

 

 そのお店は一見してみればただの民家にも見えた。もし看板が立ってなければ食事が出来るなんて思わない程自然に周囲に溶け込んでいる。

 

『そばしげ

 

 盛り蕎麦

 天ぷら蕎麦

 鴨蕎麦』

 

 どうやらおそば屋さんのようだった。

 看板に書かれている文字はそれだけでそれ以外にメニューが分かるものはない。

 

 私はその店の扉を開いて中に入る。

 

「いらっしゃいませー」

 

 お店の中は白と黒が主な色で壁の一面だけが緑色をしていて清潔に保たれている。L字型のカウンターに六人ほど座れそうな大きなテーブル席、奥には座敷があった。

 店主さんらしき親父さんとその奥さんらしき二人がカウンター越しに出迎えてくれた。

 

「あらかわいいウマ娘さん! こちらの席へどうぞ」

 

「ありがとう」

 

 奥さんに案内されて、私はカウンター席の一つに座った。

 奥さんがコップに急須から湯気の立つ暖かいお茶を淹れてくれている間に、目の前に置かれているメニュー表を開く。

 

「盛りそば……大盛りに天ぷらか」

 

 天ぷら蕎麦と言うのがすごく気になる。

 ポケットにあるお小遣いとして預けられている財布の中身を確認してとりあえずは大丈夫だと確信する。

 

「はい、温かいお茶だけど冷たいのが欲しかったら言ってくださいね」

 

「ありがとう、今は大丈夫だ」

 

「そう? 次のページにはお蕎麦だけじゃくて色々あるからよかったらどうぞ」

 

 そうなのか。

 ぺらりと、メニュー表のページをめくる。

 どうやらざるそばの類だけじゃなくてスープのあるそばや、丼ものかつ丼や天ぷら丼もあるみたいだ。

 

「どれにしようか……迷うな」

 

 迷う、迷ってしまうが……お腹の虫が限界を迎えてしまったのだ、ぐううと大きく鳴ってしまう。

 片っ端から頼んでしまう事も考えたがお昼は一緒に食べる約束をしている。

 だとすると……軽めに行くべきだろう。

 片手を上げて奥さんを呼んだ。

 

「はいはい、ご注文?」

 

 にこにこと素敵な笑顔を浮かべ片手にペンとメモを持った奥さんに頷いてから注文をした。

 

「そうだな……盛りそばの大盛り3つとだし巻き卵、あと麦飯とろろと天丼を頼む」

 

「はい盛りそば大盛り3つ……え?」

 

「……ふぅ、ここのお茶はおいしいな」

 

 奥さんが何故かちらちらと私を見るが……どうしてだろうか? もしかしてお金の心配だろうか。

 

「大丈夫だ奥さん。ちゃんと計算して頼んだからお金が足りないなんて事はないはずだ」

 

「えっと、ほんとに大丈夫なのね?」

 

 ああ、と答えようとして何気なしに視線を落とした先に気になるものがあった。

 

「いや、すまない変更良いだろうか」

 

「ええ、大丈夫よ」

 

 ほっとした様子の奥さんにメニュー表のとある部分を指さしながら注文する。

 

「このいなり寿司というのを10程頼みたいんだ」

 

「えっ?」

 

「……駄目だろうか?」

 

「い、いいえ大丈夫よ! ……本当に良いのね?」

 

「……?」

 

「ちょっと時間がかかるからこれでも食べて待ってて頂戴」

 

 何故か震える声の奥さんにぽんと小皿を机の上に載せられる。その上に盛られた茶色くて細い何か……これは? 

 

「これは……」

 

「あぁ、ごめんなさい。お蕎麦の揚げたものよ」

 

「なるほど」

 

【揚げ蕎麦スナック】

『このお店で使われているお蕎麦を油で揚げたシンプルなスナック菓子だ。いくらでも食べられると錯覚してしまいそうな小気味良い食感とほのかな塩気、蕎麦の香りに手が止まらない』

 

 何本も絡まりあうような形になっている内の一本をつまみ上げてみる。良く見ると小皿の底には少量の塩が溜まっている。

 揚げたそば……初めて食べるな。

 初めて食べるワクワクに胸を膨らませながら一つ口に放り入れる。

 

 カリ、ポリ

 

「…………」

 

 カリ、カリ、ポリ、ポリ

 

「………………」

 

 カリカリカリ、ポリポリポリ

 

「……………………っは!」

 

 成程……これはすごくおいしい。何より食感がたまらない。

 歯触りの良い食感にかすかな塩味、その奥に薫る蕎麦の香りが食欲をそそって止まらない

 気が付けば小皿の中身は全て消滅していた。

 

 グルルルギュルルルル

 

 ……しまった、少しお腹に入れたからだろうか余計にお腹が空いてしまった。食べたのが食欲をそそるスナック的なものだったのもあるかもしれない。

 どうにかして気を紛れさせれないか、と考えていると不意に玄関口が開いた。

 

「いらっしゃいませー」

 

「どうも! 盛りそば天ぷら付きにカツ丼ね!」

 

「はーい、ちょっと待ってくださいねー! お席はテーブル席へどうぞ!」

 

 奥に入っていった奥さんと今来たお客さんのやり取り、もしかして常連なのだろうか。

 そう思いふとその客に視線を向けると目があってしまう。

 二十代前半くらいの若い人間の男はぎょっとしながらもそそくさと席に着いてしまう。

 

えっ? あの葦毛のウマ娘って……? 嘘だろ本物かよ? 

 

 私たちウマ娘は聴覚が人間よりも優れている。

 どうやらあの人間の男は私を知っているようだ。だからといって何をするわけでもないが。

 

 厨房からパタパタと足音が聞こえてくる、奥さんだろう。

 

 私は振り返ってカウンターに向かい合う。

 丁度奥さんが出来上がった料理を持ってきてくれたところだった。

 

「おまたせしました~、稲荷寿司……取り敢えず五つだけど直ぐ持ってくるわね」

 

「うん」

 

「あら、もう無くなってるわね? こっちの小皿も下げちゃっていいかしら」

 

「ああ、すごく美味しかった。また食べたい」

 

 奥さんはそれは良かったと微笑みながら奥の厨房へ戻っていった。

 

【稲荷寿司】

『甘ーいお稲荷さんと甘酸っぱい酢飯が最高のハーモニーを奏でている。大きさは指三本ほどもあり一つだけでも満足なボリューム感だ。付け合わせのガリも一緒にどうぞ』

 

 早速いなり寿司の一つを手で掴む。

 おぉ……ずっしりと重厚な重みを感じる。

 では早速……

 

「!!」

 

 これは……!?

 

 想像もしていなかった衝撃に耐えきれずそのまま二つ目へと手を伸ばす。

 そしてまた一口で、ぱくり。

 

 まず感じるのは甘いおいなりさんの味、そして噛む度に中から甘酸っぱい、甘辛いといってもいいかもしれない酢飯があふれでる。

 

 そしてこれがまた特別なんだ。

 

 ヒタヒタになるまで浸かっていたと思わせるぐらいに濃厚なお酢の風味と味にご飯本来の甘味が舌の上で主張している。水分たっぷりでほろほろと崩れる酢飯に、噛めば噛むほど甘味があふれでる甘い油揚げがその酸っぱさをまとめ揚げて旨味へと昇華させている……気がする。

 

「はい、これ残りの稲荷寿司……ってあれ? 消えてる……」

 

 丁度良くいなり寿司が無くなってちょっとしてから残りのいなり寿司が来た。

 

 ここでそのまま次のいなり寿司に手を出しても良いが一度手を止めて付け合わせのガリを一口で頬張る。

 しょうが特有のぴりりとした引き締まる辛みを感じながら暖かいお茶を一口、口の中を一度リセットしてから再度いなり寿司を頬張る。

 

 濃厚な味が口の中を支配する。またお茶を一口飲んで口の中に広がる甘酸っぱさを喉の奥に流し込む。

 おいしい……

 

 だがお茶が無くなってしまった。おかわりを頼もうと顔をあげると、目の前に片手に使い捨てのタッパーを持った奥さんが居て私をじっと見詰めていたので少し驚いてしまう。

 

「あっ、ごめんなさいね! もし食べきれなさそうだったらタッパーでお持ち帰りも出来るわよって言おうと思ってたんだけど……必要はなさそうね! お茶のおかわりよね? ちょっと待っててちょうだい」

 

 私は頷いて目の前に急須を持ってきてくれた奥さんにお茶を淹れてもらう。

 

「葦毛のおウマさんは皆良く食べるかしら?」

 

 奥さんはそう呟きながら奥の方へ戻っていった。

 

 また少しの間をいなり寿司を食べて過ごす。

 そして最後の一つを食べたところで丁度奥さんがそばを持ってきてくれた。

 

「お待たせしました、お先にこちら盛りそば大盛りで、天丼と麦飯とろろです。すぐに残りもお持ちするわね」

 

「よろしく頼む」

 

【盛りそば】

『お店自慢の手打ちそば。割合は八対ニで作られており十割程ではないが、充分な蕎麦の香りが楽しめるところに職人の技を感じる。そばつゆの薬味として定番のわさびとネギが小皿に盛られている』

 

【天丼】

『海老、ししとう、カボチャ、なすびの天ぷらがご飯の上に乗っている。天丼専用のタレが直接ご飯に、そして天ぷらにかけられておりご飯だけでもおいしくいただけるし、当然天ぷらだけを食べても最高。天ぷらとタレかけご飯を一緒にかけこむことでそのおいしさは完成する』

 

【麦飯とろろ】

『麦ごはん! とろろ! それだけで説明不要。うまい』

 

 まずはそばをそのまま一口。

 そば本来の風味を充分に味わってからそばの半分だけをつゆに付けてすする。

 そばつゆはあっさりと辛すぎず薄すぎずで食べやすい。

 そのまま何度かすすってそばを堪能し、今度はわさびをそばに直接付けて、そばつゆに通して……くぅっ、鼻にくる、くるが……これがいい。くせになる。

 

 一度そばの手を止めて天丼に手を伸ばす。

 天ぷらは熱い内に食べるのが一番うまいと思うのは私だけじゃないだろう。

 一番最初に食べるのはししとう、小物から攻める。海老なんていう総大将を攻めるのは一番最後、〆の時だ。

 ししとう、カボチャと順番に食べ進めてカボチャの濃い味を洗い流すように茄子を食べて最後に海老。途中途中でお茶をのみ味覚をリセットすることも忘れない。

 

「残りのだし巻きとお蕎麦大盛り二つね」

 

 丁度天丼と盛りそば一つ目を食べ負えたくらいで持ってきてくれた奥さんにお礼を言いながら今来たお蕎麦をすする。

 

【だし巻き玉子】

『そばつゆを使っただし巻き玉子。出汁の味が堪らなくてご飯がついつい欲しくなる。確かこういうだし巻きはお酒のつまみにさいこーだと言っていた気がする』

 

 三切れほどあるだし巻き玉子の一つをお箸でつまんで口に運ぶ。

 さっぱりとした薄味の、しかし確かなうま味があるだし巻き玉子。お寿司屋さんなどの玉子焼きとは違う出汁が利いた味。味のリセットに良し、主役を張っても良しの万能にして最強の存在だ。

 これを麦飯とろろと一緒に食べると……やっぱりうまい。

 麦飯とだし巻き玉子の相性もさることながらとろろとも合う好相性のトライアングルを形成、一気にかきこむ。

 そして口に残った玉子ととろろのとろみをお茶で流し一息。この瞬間が一番おいしいかもしれない。

 

「はい、盛りそば天ぷら付きおまち」

 

 どうやら男性客の方もそばができたらしい。ちらりと見てみると横長のお皿に天ぷらの盛り合わせがのせられたものが運ばれるのが見える。

 タレはかかって無いみたいだが……どうやって食べるのだろう。

 

「ずるる……やっぱこれだよな、じゃあまずはししとうを、っと」

 

 成る程、そばつゆに付けて食べるのか。ししとうにたっぷりそばつゆを付けて頬張る。

 

「海老は……塩だな」

 

 そうか、塩……塩があったのか。かけてみたいが私の天ぷらはもう食べ終わってしまった。でも塩……塩……ちょっと試してみよう。

 机の上にある塩の入れ物からほんの少量をそばにかける。塩の色がピンク色、岩塩なのだろうか。

 塩をかけたそばをつゆにくぐらせずにそのまますする。

 味が代わり、塩のしょっぱさにほんのり感じる独特な甘味が引き立たされている。

 

 すする、つける、すする、すする、つける、すする、かけて、つけて、すする。

 

 あっ、無くなってしまった。

 

「おいしそうに食べるウマ娘さんね! 良かったらそば湯もいかがです?」

 

「もらいたい」

 

「はい、じゃあこれをおつゆにいれてね。熱いから火傷しないように」

 

「ありがとう」

 

 最後に急須ごと貰ったそば湯をつゆに入れて、飲む。身体が暖まる……良し! 

 

「ご馳走さまでした。お会計をお願いします」

 

 

 

 

 とてもおいしかった。

 丁度良くお腹が満たされた。これならお昼まで持ちこたえられそうだ。

 さて、一旦トレセン学園に……トレセン学園に……

 

「しまった、帰り道が分からない」

 

 空腹の難関を乗り越えた先にも大きな試練が待ち受けていた。



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