未来が見える友達ができた話 (えんどう豆TW)
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これまでの話
汝、皇帝の耳を見よ


ガールズラブというか友人というかなんというか


 私の名はシンボリルドルフ、今年度から中央のトレセン学園に入学したウマ娘だ。ここに来た目的はもちろん、競走バとして名を挙げるために他ならない。もとよりそう育てられた身だ、自分はレースに身を投じるのが当たり前だと思ったし、その才能があることも自覚していた。ある種の責任感と言ってもいいかもしれない。それを差し引いても私は競走バになりたかった。走るのは好きだし走るために生まれてきた、そう思っていた。そしてこの中央トレセン学園は私が走るために必要不可欠なものを用意してくれる夢のような場所だ。

 トレセン学園にはたくさんの充実した設備がある。当たり前といえばそうなのだが、優秀なウマ娘を育て、優秀なトレーナーを抱えるこの場所は関係者各位が生活するのに不自由しない施設が揃えられている。そのお陰で私たちはそれぞれ自らの夢に専念できる、ということなのだろう。学生寮もそういった施設のひとつだった。

 1つ問題があるとすれば、この学生寮が基本的に2人1組で部屋を当てられるルームシェアのシステムを採用していることだろう。私は構わないのだが、生徒の中にはプライベートを見られることやパーソナルスペースに踏み込まれることを嫌う者もいる。

 しかしこれは仕方の無いことなのだ。このトレセン学園は膨大な数の生徒を抱えており、その一人一人に部屋を当てるのは流石に無理がある。逆にトレーナー寮が一人一部屋用意されていてなお空きがあるのは、このトレセン学園がトレーナーという点において人材不足であることを表している。だからこそ我々ウマ娘は自分と共に歩んでくれるトレーナーを探し、そしてそのままトレーナーにありつけずにデビューすらできないウマ娘も当然少なくない、というわけだ。

 もっともこういったトレセン学園の知識については英才教育の賜物という他なく、実際に自分の目で確かめてみないことには実状は語れない。入学して日の浅い私ではまだまだ百聞の知識を一見もせずに語っているに過ぎない。

 しかしながらルームシェアをするというのは紛れもない事実であり、例に漏れず私もその一人だ。あわよくばウマの合う友人でも出来れば、と期待はしてみるものの数日やそこらでは関係を構築することも出来まい。とはいえ第一印象は疎かにするべきではない。そんなわけで私は生涯初めてのルームメイトとの接し方を思案しているところだった。

 荷物を持って用意された部屋に足を運んでみると、部屋の前にいくつかの私物が混じっていると見られる荷物の塊があった。どうやら私のルームメイトは私よりも先に到着していたらしい。ふぅと息を吐き部屋のドアを開ける。そこには私より少し背の低い鹿毛のウマ娘がいそいそとスペースを構築していた。

 

「やあ、手伝おうか?」

 

 それが私と彼女との初めての会話だった。そのウマ娘はハッと顔を上げると罪悪感を誤魔化すように笑った。

 

「ゴ、ゴメン! すぐ終わらせるからね!」

 

 私の声は聞こえていたのだろうが、内容までは聞き取れていなかったのか、手伝う旨を伝えた発言は届かなかったらしい。いや、もしかして私の言葉は急かすような意味に捉えられてしまったのかもしれない。

 

「いや、急かすつもりはなかったんだ。大変そうだから手伝おうかと……」

「いいよいいよ! 初日から迷惑なんて掛けたくないし!」

 

 お互いに手伝った方が早い気もするが、と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。良く考えれば私物を他人に触らせるのもあまりいい気はしないだろう。これは配慮が足りなかったか。

 

「……やっぱり手伝って貰える?」

「ふふ、困った時はお互い様だよ。それに私の手伝いもしてくれれば後腐れないだろう?」

「た、確かに! その方が早く終わるかも!」

 

 どうやら迷惑をかけたくない一心だったらしい。真面目というか律儀というか、それが最初に彼女に抱いた彼女の印象だった。

 そうして私たちが荷物を運び終え、時刻は16時に満たないくらいになった。夕飯にはまだまだだがやることもないと言ったところか。親睦を深めるにはちょうどいい暇な時間が出来た。彼女に予定がなければの話だが。と、ここで自己紹介を忘れていたことに気づいた。

 

「今日から同じ部屋で過ごすことになる、シンボリルドルフだ。よろしく」

 

 そう言って右手を差し出した。彼女はその手を握り返し私の顔を見つめた。

 

「あなたが……噂は聞いてるよ」

 

 噂、というのはなんだろう。予想出来るのは大型新人がどうのこうのくらいだが、まあこの手の話題は尽きない。毎年注目の新人はいるものだ。

 ……見つめる時間が長すぎないだろうか。ジロジロとまるで観察されるかのような視線をぶつけられ流石の私も少し引いてしまう。

 

「噂通り……いや、噂以上だね」

「ええと、何か気になることでも?」

「あぁ、ゴメンゴメン! 話には聞いてたんだけど直接見ると実感するっていうか……あなた、凄いね」

「見るだけでわかるのか?」

「あー……まああなたほどのウマ娘なら誰でもわかるんじゃないかな? 風格っていうかなんていうか……」

「そう言って貰えるのは嬉しいが、そこまで褒められるとさすがに恥ずかしいな」

 

 そう言うと彼女はえへへ、と幼さの残る笑みを浮かべて話を終わらせた。どうやら彼女は言い淀むと笑って誤魔化す癖があるらしい。

 

「よければ君の名前も教えてくれないか?」

「一応知ってるんでしょ?」

「こういうのは本人の口から聞きたいものだよ」

「そ、そう? あたしはキリノアメジスト、よろしくね」

 

 キリノアメジスト、なるほど。彼女の瞳はまさしくアメジストと呼ぶに相応しい輝きを放っている。澄んでいてどこか妖しげで、惹き込まれそうな瞳だ。

 

「よろしく。私のことはルドルフとでも呼んでくれ」

「うん、ルドルフね。あたしのことはどう呼んでもいいよ」

 

 ふむ、そう来たか。アメジストは呼ぶには少し長いから、呼ぶならキリノか? 折角だからもう1文字削ってリノ……流石に馴れ馴れしいだろうか。うん、キリノにしよう。

 

「ならばキリノと呼ばせてもらおう」

「はいはーい」

 

 明るい性格のようだがなかなかに落ち着いている、というかあまり感情の起伏が激しいように見えない。ウマ娘は大抵の場合耳や尻尾に感情が表れるモノだが、彼女は驚いたり誤魔化したりしても外見にさほどの変化は見られない。まるでヒトのようだ。

 

「改めてよろしく、キリノ」

「こちらこそよろしくね~」

 

 せっかくなので食事も一緒に、と誘おうとしたところで彼女の端末が音を立てて鳴った。メッセージを確認し返信を終えたであろうキリノは、私の方に向き直った。

 

「ちょっとお呼び出し、また後でね」

「ああ、うん。また後で」

 

 それもそうか、彼女にだって交友関係はあるだろう。……生憎と私にはまだない訳だが。少しもの寂しさを覚えながらも私はトレセン学園の周辺を見て回ることにした。

 

 

 

 夕食の時間になったのでトレセン学園へと戻り食堂を目指す。時間も時間だったからか、食堂は大勢のウマ娘で賑わっていた。これは明日からは少し時間を外した方がいいな、などと考えていると肩を叩かれた。

 

「や、ルドルフ」

「キリノ。てっきり友人と一緒に食べるのかと思ったんだが……」

「そんな初日で友達が沢山出来るわけないじゃん。あたし一人で来たんだし」

 

 なるほど、先程は別件の用事だったらしい。

 

「しかし多いなぁ……。ね、明日からは少し時間ずらさない?」

「そうだな、私も同じことを考えていたよ」

 

 だよね、とキリノは困ったように笑った。さて、座る場所があればいいのだが……最悪場所を変えて食べることになりそうだ。

 

「あ、ねぇあそこ空いてない? 先に荷物置いて場所取りしてくるよ」

「む、そうか。ならお願いしようかな」

 

 少しずるい気もしたが、他にも荷物だけ置いてある席がそこそこに見えたので自分の中でOKを出した。

 キリノは私の分の荷物を持って駆け出すと、するりするりとウマ娘の波の間を通り抜けていった。彼女ならバ群に飲み込まれてもいつの間にか抜け出してしまいそうだ。

 

「ただいまー!」

「おかえり。華麗なステップだったな」

「そ、そう? えへへ」

 

 私が褒めると彼女は照れくさそうに笑った。結構マジで頑張ったからね、と鼻を鳴らす仕草は可愛らしい。

 私がカレーを注文した横で彼女はハンバーグ定食を頼んだ。しばらくして運ばれてきた食事を受け取ると先程の席を目指す。

 

「好きなのか? ハンバーグ」

「ん? うーん、あんま嫌いな子いないんじゃない?」

「確かに、あまり聞いたことはないな」

「今日はハンバーグの気分!」

「なるほど」

 

 いただきます、と手を合わせてカレーに手をつける。好みは中辛なのだが、どうやらここのカレーは甘口らしい。

 

「美味しくなかったの?」

「いや、そんなことないよ。ただもう少し辛い方が好みだったな、というだけさ」

「ふーん……案外表に出るほうなんだね、ルドルフって」

「そんなに嫌そうな顔をしていたか?」

「いや、食べた瞬間に耳がへにゃってなった」

「……本当に?」

「マジ」

 

 どうやら私と彼女は真逆らしい。というか誰も言ってくれなかったぞそんなこと。……いや、敢えて言わなかったのか。何かと避けられがちで近寄り難いのは自覚している。

 

「ふふ、わかりやすくて可愛い」

「可愛い、か。なかなか言われ慣れない言葉だな」

「そう? あーでも確かに、王子様系だもんねルドルフ」

「王子様系?」

「うん。将来後輩出来たらきっとキャーキャー言われるよ」

「そうだろうか」

 

 あまり想像出来ない。私もウマ娘なのだが。

 

「そういうもんだよ、メスって」

「言い方」

 

 可愛らしいお口からかなり鋭い言葉が飛んできた気がする。きょとんとした表情のキリノに、自分の耳を疑うほどだった。

 

「明日入学式だね。同じクラスかな?」

「どうだろうな。私が学園側なら違うクラスにするが」

「なんで?」

「その方が1人でも多くのウマ娘と交流できるだろう?」

「ははぁ、そういう」

 

 尤もそこまで考えているとは限らないが。そんなことを話しているうちに2人とも食事を終え、席を立った。私たちが座っていた席にすぐさま別のウマ娘が座った。椅子取りゲームならぬ椅子取り戦争だな、とくだらないことを考えた。

 部屋に戻った私たちはそれぞれ明日の準備を始める。といっても教材を配られているわけでもなく、単純にそれぞれ予定を確認するだけだ。明日に響くといけないから、とキリノは早めにベッドに潜った。

 

「おやすみ、ルドルフ」

「ああ、おやすみ」

 

 とても長い一日に感じられた。学園生活で初めてできた友人はいい子だったし、私にとってはとても良いスタートを切れた。キリノも同じように思ってくれていたらいいな。確認を終えた私もベッドに潜る。

 少ししたら寝息が聞こえてきた。枕が変わっても眠れるとは言うが、同じ枕でも違う場所だとどうにも寝付きにくい。明日に響くといけない…………いけないのだがなぁ。

 




キリノ↑じゃなくてキリノ↓だけどキリノ↑アメジスト↓です。


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汝、皇帝のステータス画面を見よ

 入学式が終わり、各々のクラスへと生徒が案内されていく。結果からいえば私とキリノは別のクラスだった。

 

「シンボリルドルフ……」

「あれが……」

 

 ザワザワとした喧騒の中に確かに聞こえる声。予想通りといえばそうだ、思えばキリノの反応も彼女たちと大差なかった。これは友人ができるのはもう少し先になりそうだ。ふぅと息を吐くと、窓の外に目をやる。家柄のせいでただでさえ人付き合いが悪くなるというのに、私のこの近寄り難さはもう少しどうにかならなかったのか。……まあどうにもならなかったのだが。そういう振る舞いを仕込まれたのだから、そうなるしかないじゃないか。

 いや、こんなところでいじけても仕方ない。まだ学園生活は始まったばかりだし、明日には選抜レースも控えている。選抜レースとは新入生がトレセン学園に属するトレーナーにアピールする機会のことで、基本的に選抜レースでの走りを見てトレーナーは誰をスカウトするのか決める。つまり私たちウマ娘にとってかなり重要なレースなわけだ。

 

「はい、皆さん席に着いてくださーい」

 

 教育担当の声が教室に響く。まずは目の前のことからだ。私は余計な考えを頭の片隅に追いやり、耳を立てた。

 

 

 

「おかえり、ルドルフ」

 

 全ての日程を終え寮に戻ると、一足先に戻っていたらしいキリノから声をかけられた。

 

「ただいま、キリノ」

 

 鞄を机の横に立てかけ、中から予定表を取りだし明日の予定を確認する。今日の案内でトラックを走る機会があったが、流石はトレセン学園と言ったところか。芝の整備はしっかりしていたしとても走りやすい以外の感想は出てこなかった。

 

「……ストレッチした?」

「ん? いや、軽く走っただけだからな」

「しなくてもいい、と?」

「……ダメか」

「した方がいいよ、というよりする癖をつけた方がいいね」

 

 何故わかったのか、という疑問が浮かんだがキリノがあまりにも断言するので大人しく従うことにした。

 

「明日は選抜レースなんでしょ? コンディションが悪かったじゃ言い訳になんないよ」

「それはそうだが……何故わかるんだい?」

「何故って言われても、わかるからとしか」

「ふむ」

 

 見ただけで相手の状態がわかるなんて聞いたことがない。彼女はもしやとんでもない才能を持っているのではないだろうか。

 

「もしかして君には私の現在の状態が全て見えているのかい?」

「うん、そうだよ。例えるならゲームのステータス画面みたいな感じかな? どの距離に適性があって何が得意なのか、スピードやパワーがどれくらいあるか、ってな具合にね」

「……にわかには信じ難いな」

「当ててあげようか? いや、自覚してない場合もあるか……まあいいや」

 

 キリノは少し思案する素振りを見せるが直ぐにこちらに向き直る。その後彼女は出会った時と同じように私の体をくまなく観察した。宝石のような瞳が爛々と輝く。

 

「シンボリルドルフ。得意なのは中~長距離で反対に短距離は苦手。スタミナが自慢で脚質的には先行か差しがいいのかな? 現在はスピードの向上に力を入れており最後の直線を重点的にトレーニング中。コンディション的にはやや寝不足気味……昨日眠れなかったんだ。どう? 間違ってるところあったら教えてほしいな」

 

 絶句した。明らかに見え過ぎている。コンディションや脚質ならまだしも、どこに力を入れているかまでわかるものなのか。もはや才能なんて言葉では片付けられない、異能と呼ぶべきだ。

 

「他の同期と比べたら圧倒的だね。Tierみたいにアルファベットでランク付けしてもいいけど、流石に無粋かな。しかもコレでまだまだ伸びしろがあるんだから驚きを通り越して笑えてくるよ。まさしく怪物だね」

「……褒めちぎってくれるのは嬉しいが、私も今同じ感想を抱いているよ」

「そう? もっと気味悪がられるかと思ったよ」

「れっきとした才能じゃないか」

「かもね」

 

 キリノは吐き捨てるようにそう言うと黙り込んだ。なにか気を悪くするようなことを言ってしまったのだろうか。これだから人付き合いは苦手なのだ。

 

「まあルドルフなら明日の選抜レースで困ることも無いでしょ。明日からスカウト地獄だろうしそっちの心配した方がいいねー」

「そんな上手くいくとは思わないが……お互い頑張ろうじゃないか」

 

 私がそう言うとキリノはキョトンとした顔で固まった。その後漸く意味を理解したのか、ああと漏らしたあと誤魔化すような笑みを浮かべた。

 

「あたし競走バにはならないんだよ。だから選抜レースも走らないんだ」

 

 その言葉を聞いた私はきっと先程の彼女と同じような顔をしていたのだろう。

 

 

 

 彼女の説明を聞き少しづつ咀嚼する。

 

「つまりキリノはトレーナーになるためにトレセン学園に入学したという事だな?」

「うん、そうだよ」

「……聞いたことの無い話だな。競走バとしての経験を生かして引退後にトレーナーになるウマ娘の話はよく聞くのだが」

「あたしも聞いたことないねー。そもそもこの年でトレーナー目指すウマ娘もほとんど聞いたことないし、学園側にも特別プログラムを組んでもらってるからね」

「……というと?」

「平たくいえば現役の新人トレーナーみたいな研修を受けさせてもらえるんだって。座学はそれと並行してやるから、資格を取る頃には即戦力になれる、らしいよ」

 

 なるほど、やけに寮に帰るのが早かったりするのはそういう関係で日程にズレがあるからなのか。

 

「もちろん一般教養はみんなと一緒にやるんだけどね」

「理解したよ。しかしいいのか? 競走バを目指した後でも遅くはないと思うが」

「んー、別にかな? あたし競走バとしては結構ダメダメな方だし」

「そんな……」

「それにいつこの『才能』がなくなるかわかんないしね。適性のある方を目指した方が効率いいと思わない?」

 

 才能の部分を強調したことに違和感を覚えつつ、その言葉に私は頷けなかった。どのウマ娘も可能性を諦めるべきではないといえば聞こえの言い綺麗事のようだが、それでも私はそう叫びたかった。理想であることはわかっている、自分がその立場に立っていないのに何をと言われても文句は言えない。それでもやはり最初から諦めてしまうのはとても悲しいことのように思えた。

 そんな私の様子を察したのか、キリノはこの話題を早々に切り上げた。

 

「まあそんなわけで所謂特別扱い枠なあたしだけど、他のウマ娘と同じ扱いでよろしくお願いね」

「あ、ああ、もちろんそんな区別をするつもりはないさ」

 

 その言葉に満足したのか、うんうんとキリノは頷いた。口元に浮かべた柔和な笑みを崩さずに。

 

「あたしがマッサージしてあげようか?」

「いいのか?」

「大事なレースなんだから、ベストコンディションじゃないとね」

 

 そういうことならば好意はありがたく受け取っておこう。これ以上地雷原で踊っても良くないことしか起こらないだろうからな。

 

「これでもトレーナーの卵だからね。いい実験体になってもらえて助かるよ」

「ああ、こちらこそ……うん?」

 

 なんだか前後の文が噛み合ってない気がしたのだが。

 

「実験体という不穏な言葉が聞こえなかったか?」

「あ、間違えた。練習台ね」

 

 うーん、大差ないように思えて仕方がない。

 

「大丈夫大丈夫、多分体壊れないし」

「どうしてさっきから不安を煽るような言葉ばかり聞こえるのだろうな」

「スパイスだよ」

「本当に意味が分からない……」

 

 やはり私は彼女を怒らせてしまったのだろう。

 

 

 

 翌日、選抜レースを終えた私が寮に帰ると、案の定部屋には先に帰っていたキリノが待っていた。

 

「おかえり、思ったより早かったね」

「ただいま。何時だと思ってるんだ?」

「21時」

「何時に帰ると思っていたんだ……」

 

 今日は帰らないのかと、と当然のようにキリノは言い放った。

 

「で、どうだった?」

「満足のいくレースができたよ」

 

 思わず目を逸らした。

 

「そーうーじゃーなーくーてー」

 

 キリノはため息をついてずいと顔を近づけた。

 

「収穫は?」

「収穫、というと……」

「……」

「……」

「はぁ……」

 

 再びため息をつくキリノ。

 

「上手くいかなかったの?」

「まあ……そう、なのかもしれない……」

「らしくないねぇ。歯切れ悪い」

 

 だって仕方ないじゃないか。あれだけ持ち上げられておいて担当トレーナーがつきませんでした、なんて言えるものか。

 

「まだ1日目でしょ?」

「それはそうだが……」

「まあそりゃね、トレーナーさん方の気持ちもわかるけどね」

 

 キリノはそういうと人差し指を立てた。

 

「だってこんなウマ娘を捕まえて結果を残せませんでしたなんて許されないしね。それにこれだけ完成されたウマ娘に手を加えるのも怖いとは思うよ。君のその走りはトレーナーさん方を保守的にさせてしまったみたいだね」

「そう、なのか」

「君の欠点がわかるのはあたしの目があってこそだよ。他の人には完璧に映っても仕方ない」

 

 それほどまでに君の走りは洗練されてるよ、とお墨付きをもらった。私がよほど落ち込んでいるように見えたのだろうか、普段は笑みを浮かべているキリノも真剣な表情だ。

 

「別に焦る必要はないよ、あたしが保証する。君はいずれ日本のトップに立つウマ娘なんだから。今日躓いたところでその覇道が揺らぐことはない、と断言しよう」

「君は私に甘いな」

「甘いなんてとんでもない、これは叱咤激励だよ。こんなところで挫けちゃいけない」

「ふふ、ならばそれに応えなければな」

 

 正直、初めて味わった挫折だった。悩みがなかったというわけではない、ただどうしようもなくなって途方にくれたのはこれが初めての経験だったのだ。そんな私に関係なく彼女はまっすぐ向き合ってくれた。ああ、そうか、私はこの彼女の平等な態度が気に入ったのだ。自分の才能に驕ることなく、かといって過度に謙虚でもなく、私を相手にしても臆さず遠慮せず対等に。そんな彼女の接し方が嬉しかったのだ。

 ありがとうキリノ、出会って三日だけど君は間違いなく私の心の友と呼べる存在だよ。

 

「あ、ストレッチしてない」

「……今からするよ」

 

 母か。

 




キリノの目に見えてるのはいつものステータス画面に映ってる数字とかスキルとかそんな感じです


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汝、皇帝のメイクデビューを見よ………見れなかった

 入学時の忙しなさもそろそろなくなってきた頃だろうか、ルームメイトのキリノにこんな注文をしたことがある。

 

「トレーナーの卵として一つ助言をくれまいか」

「助言かぁ……」

 

 特に悩んでいることがあったわけではない。担当トレーナーは未だにいなかったが、それでもトゥインクルシリーズに出走することはできると知り、とりあえずは一安心だった。

 

「ストレッチを欠かさないこと」

「そればっかりだな君は」

 

 入学当日からずっと言われている気がする。もちろん疎かにしているわけではないが、ここまで言われるものだろうか。

 

「そればっかりだよ。どんな才能もどんな技術も故障したら最後なんだから」

「それはそうだが」

「そうなんだよ。常に頂点に居続けるウマ娘がいないのは、常に危険と隣り合わせだからだ。だからもし少しでも長く走りたいなら、自分の体を大切にすることだね」

 

 まるで故障したことがあるような物言いだ。

 

「それに関連付けてもう一つ。技術を身に着けるのもいいけどまずは体作りからだよ。カルシウムとってる? 栄養足りてる? そういうところに気を配れないと、あと数年後にしっかりと準備してきた子たちに追い抜かされちゃうんだから」

「ああ、もちろんだとも。私とて中等部なんだ、成長の糧になるものを疎かにはしていないさ」

「ふーん」

 

 じろりと私の方を見るとキリノはその瞳で私を観察した。全てを見透かすその無遠慮な視線にはまだまだ慣れそうにない。

 数秒ほどで私の観察を終えたキリノは、手で小さく丸を作った。

 

「嘘じゃないみたいだね」

「本当になんでもわかってしまうんだな」

「そうだよ。あたしに嘘はつけないんだから」

 

 彼女は得意気に、そして満足気にうんうんと頷いた。

 

「この調子で行けばしばらくは心配ないね。頑張ったルドルフには特別にご褒美をあげよう」

「ほう、ご褒美か。ほっぺにちゅーでもしてくれるのか?」

「……君、そういうこと言うタイプだったんだ」

 

 いつもの柔和な笑みを珍しく崩し、ぽかんと口を開けるキリノ。私とて親しい間柄の者にはこれくらいするさ。

 

「案外愉快な子だったんだね、ルドルフって」

「そんなに意外だったか。それで、ご褒美は何かな?」

「そうだった。さっきのはトレーナーの卵としてのアドバイスだったけど、これはあたし個人からのアドバイス」

 

 キリノはニヤリと笑う。

 

「今はとにかく基礎的なトレーニングで能力の底上げをするといいよ」

 

 どんなアドバイスが飛んでくるかと思えば、拍子抜けというかなんというか。ごく一般的なアドバイスだ、と思った。

 

「がっかりした?」

「いや、その……」

「わかりやすいんだよ君は。でもこれはそう単純な話じゃない」

 

 キリノは人差し指を立てる。

 

「ルドルフ、君は格上の相手を出し抜くためにどうする?」

「……弱点をどうにかして見つける。自分が付け入る隙がないと能力で劣っている状態で勝てる見込みは少ないだろう」

「だよね。じゃあ付け入る隙がなかったら?」

「現時点では勝てないと思うが」

 

 彼女は正解、と両手で大きな丸を作った。

 

「実は選抜レース全部見学させてもらったんだ。その中で1番能力が高かったのは君だ、ルドルフ。もちろん君に片膝つかせるような子は何人かいたけど、それでも君がいちばん強い。だから君はまず格下の相手に絶対に負けないようにすればいいんだ」

 

 キリノは人差し指を私に向ける。

 

「その玉座を守る磐石な基盤を作るんだ。君の身体能力の底はまだまだこんなもんじゃないよ」

「そこまで自信満々に言い切られると信じないわけにはいかないな。その言葉、金言としてありがたく受けとっておくよ」

 

 私の言葉にキリノは笑顔で親指を立てた。こういう笑顔は可愛いのだがな。

 最近彼女について思うことがある。それは彼女がいつも笑っていることについてだ。最初は柔和な笑みと表現し、穏やかな女性なのかと思った。ところが一緒にいる時間が長いとどうしても違和感に気づいてしまう。彼女は笑みを貼り付けているのだ。何故、とかそんなことは聞けるはずもないがそれ以来少し恐ろしく感じるようになってしまった。

 それとは別に今のように心から笑う時は安心して彼女の顔を見られる。願わくば彼女の顔に本当の笑顔が宿らんことを。

 

「どうかした?」

「なんでもないさ」

 

 いつか彼女の方から話してくれる時が来るかもしれない。ついつい踏み込んでしまうのは悪い癖だ。それに、私の邪推に過ぎないかもしれないからな。

 

「ふぁぁ、ねむ」

「そろそろ私も寝ようかな。おやすみ、キリノ」

「ん、おやすみー」

 

 

 

 

 かくして私は見事にメイクデビューを1着で終え、華々しいデビューを飾ることとなった。彼女のアドバイスが的確だったのだろう、私はレースで苦戦することも無く余裕を持って勝利することが出来た。

 

『ごめん! 明日研修入っちゃって見に行けなくなっちゃった!』

 

 メッセージアプリを開くと昨日キリノから届いた謝罪のメッセージが目に入る。応援に行くと意気込んでいたのを思い出し不憫に思う。

 

『勝ったよ』

 

 一言、彼女にメッセージを送る。マメな彼女のことだ、休憩の合間にソワソワと端末を確認する様子が簡単に想像できる。そんなことを考えていたらすぐに既読がついた。

 

『信じてたよ!』

 

 思わず苦笑してしまう。信じて待っていた者の既読スピードではない。

 

『もうすこしでお』

 

 もうすこしでお、とはどういう意味だろうか。考えられる限りではメッセージを打っている途中で送信してしまったという説だが、それからしばらく彼女からの言葉はなかった。気になって訊いてみたが返信はない。いや、研修中に端末を弄っていたので怒られたのか。それなら納得が行く。

 

「何をしてるんだ全く……」

 

 そう言いつつも心の中では少し嬉しい。立ち振る舞いこそかっこよく爽やかにを意識しているが、内面はそこまでサバサバしているわけではないのだ。友人が怒られながら自分とのコミュニケーションを優先してくれた事実に笑みを浮かべるほどには女々しい性格をしている。

 そういえばキリノは自分のことを『あたし』と呼ぶが、口調はボーイッシュな風に聞こえる。おかしい、とまで言わないが違和感を感じないと言えば嘘になる。性格は男勝りではないが、さっぱりしているとも言い難い。うーん、今度それとなく訊いてみようかな。と、──。

 

「もしもし?」

「ルドルフ! 勝った!?」

 

 端末が震える。電話の相手はもちろんキリノだ。さっき勝ったと送ったろうに。

 

「ああ、勝ったよ」

「やったね! おめでとう」

「ありがとう、君のおかげだ」

「え、あたし何もしてないよ」

「いやいや、君が支えてくれたじゃないか」

 

 それにアドバイスもくれたしな。キリノがいたから安心してレースに出れたのは事実だ。

 

「なるほど、あたしがルドルフのトレーナーってわけか」

「資格を持っていたら是非ともお願いしたかったんだがな」

「それは卒業まで待ってね」

 

 実際彼女がトレーナーならどれほど良かったか。と言うより私の同期でありながらトレーナーの真似事をしてみせるキリノが異常なわけだが。

 

「じゃあ次は──あ、ハナちゃ」

 

 瞬間、通話が落ちる音がした。

 

「キリノ?」

 

 もちろん返事はない。もしかして研修を抜け出して電話を掛けてきたのではあるまいな。いや、そうに違いない。流石に真面目にやらないのは私としても……ああダメだ顔がニヤけている。というか怒られているキリノを想像したら普通に面白かった。

 

『研修は真面目にな』

 

 それでも形式上は注意しておく。心の中のお子様な私を外に連れ出すことは出来ないのでね。

 




ルナちゃん可愛いね


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汝、皇帝の看病を見よ

 弥生賞まであと一月、トレセン学園全体もいよいよと言った雰囲気に染まりつつある。私も同じように弥生賞に向けてトレーニングを調整している……といっても私のトレーニングを考えてくれたのはキリノなのだが。

 

「あたしは原案を出しただけで、調整するのは君自身だよ? いくらこの目があっても百見は一体験に如かずだからね」

 

 とは彼女の弁だが、原案がなければ改良することも出来ないのだ。素直に受け取ればいいものを、どこかひねくれた性格をしたキリノはやたらとそれを否定する。賞賛を受けることに何の抵抗があるのやら。

 

「現状がわかるんだから、そりゃ予測もできるよ。未来が見えるなんてそんなおおげさな」

 

 これは昨日のキリノのセリフだ。なんでも私は半月後に足に違和感を感じるらしいが、それは成長に伴うものなので走っていれば慣れるらしい。こんなことを言われた私は未来視でもしたのかと軽い冗談のつもりで言ったのだが、当の本人からはこんな言葉が返ってきたというわけだ。

 私からすれば突然、君の足は違和感を覚えるだろう、などと言われてそんな感想を抱いても当然だろう。彼女の目に何が映っているのかとても気になるところだ。……もしかしてスリーサイズや体重もわかるのだろうか。流石に恥ずかしい。

 まずい、変なことを考えてトレーニングに集中出来ないのは良くない。時間は有限なのだ、弥生賞までの一日一日をしっかりとものにしなければ。

 

「油断大敵だな」

 

 メイクデビューでは余裕のある勝利を掴んだが、弥生賞でも同じようにとはいかないだろう。しっかりと仕上げてくるウマ娘もたくさんいるはずだ。キリノは心配し過ぎだと言っていたが、その言葉の上に胡座をかくほど怠け者でもない。

 ……まあ、多少オーバーワーク気味なのかもしれないが。最近トレーニングから帰ると私を一瞥したキリノがため息をつくことが増えた。説教がないのはまだ許せるラインだからなのだろう。

 

 

 

「ただいま」

 

 いつも通り寮にある部屋の扉を開ける。いつもと違うのはキリノの姿が見えないことだった。いや、正確にはいつもの位置に居ないと言った方が正しいか。

 

「……おかえり」

「すまない、起こしてしまったか?」

 

 私のベッドがある位置の対極、つまり部屋を二分割した端の方にあるもうひとつのベッドの上で横たわるキリノの姿が見える。掛布団に包まっていたその姿は寝ていたようにしか見えない。

 

「あ、近寄らないでね。感染すといけないから」

「……風邪か?」

「まあそんなとこ」

 

 相当参っているのか、声は震えて弱々しい。マスク越しだからかくぐもった声なのが余計に拍車をかけている。

 

「ごめんねこんな時期に」

「謝ることはないさ。私に出来ることはあるか?」

「感染しないこと」

 

 予想通りの返事だ。キリノは何か悩みがあっても1人で抱え込もうとする節がある。人に頼ることを極端に嫌うのだ。例えば今日何かあったな、と傍から見てわかる時でも決して私には何も言わない。もしかしたら他に相談相手がいるのかもしれないが、解決しているとしたら中々表に感情を出さないこのウマ娘が、わかりやすく調子が悪く見えることはないはずだ。

 気持ちはわからなくもないが……それとも私では信頼に足る友人とは言えないという事だろうか。いいや、それでも流石に目の前に病人がいるのにはいそうですかと引き下がることは出来ない。ならどうするか、論理的に言い負かせばいい。

 

「そう思うなら素直に私に看病を頼むといい。早く治ってくれた方が感染のリスクが少なくなるからな」

「…………」

「それに看病と言っても色んなやり方があるだろう? 何か買ってきて欲しいものはないのか?」

「……ない」

「はぁ……じゃあ食べたいものは? 何か必要なものは?」

「…………ない」

「よーしわかったじゃあ勝手に色々買ってくるからそこで寝ていろ。これは私のお節介でお前は何も頼んでないのに余計なお世話をされただけだ。それでいいな?」

「…………勝手にすれば」

「そうするさ。熱はあるのか?」

「……多分、ある」

「じゃあ冷えピタも買ってこよう」

 

 早口で捲したてると私は部屋を出た。仮に本当に余計なお世話だったとしても、結果的に彼女の助けになればそれでいい。買ってくるものは冷えピタと食べやすいもの……ゼリーでいいか。栄養は足りないが今無理して食べさせても仕方がない。全く、素直に欲しいものを言ってくれればよかったものを。かえって手間がかかるじゃないか……いや、これは私が勝手にやってるだけだった。

 急いで帰ってくると彼女は変わらずベッドの上で横たわっていた。ただいま、と声をかけるとおかえりと返ってくるところに彼女の律儀さを感じる。さぞ不機嫌だろうに、挨拶は返してくれるらしい。

 

「冷えピタ、貼るぞ」

「……自分でやる」

「病人は大人しくしていろ。マスクをしているから大丈夫だ」

「……ん」

 

 観念したのか、キリノはこちらに顔を向けマスクの上から手で抑えた。そこまでするか、とは言うまい。

 

「ゼリーも買ってきたぞ、食べるか?」

「……うん」

「そうだ、あーんしてあげよう」

「そっ……れはいい……!」

「そんなに嫌がられるとさすがに傷つくんだが」

「恥ずかしいでしょ……」

「なんだ、可愛いことを言うじゃないか」

「うるさい……」

 

 余り喋らせるのは可哀想なのでこんなところにしておこう。結局キリノは体を起こしてゼリーを口に入れた。

 

「美味しいか?」

「うん……ありがと」

「ふふ、どういたしまして」

 

 折れたのはキリノの方だった。私の意地っ張りが功を奏したようで、良い方向に傾いたと言っていいだろう。

 しかしこんなに弱っているキリノを見るのは初めてだ。いや、弱みを見せるキリノを初めて見たと言った方がいいか。今回のは不可抗力だろうが、私だって彼女の力になりたいのだ。いつも助けて貰っている恩返しくらいさせてほしい。

 

「別にね、信頼してないとかじゃないよ。ただ、あたしの悪い癖なんだ。コミュ障っていうか、なんか上手く人に頼ることが出来ないっていうか……うん、ホントにそうなんだ。だから気にしないで、きっとこの先も変わらないからさ」

「じゃあその時は私が勝手に世話を焼くことにしよう。それなら文句ないだろう?」

「……そうだね」

 

 キリノは力尽きたのか、ぐったりとベッドに体を沈めた。

 

「苦しい……」

「大丈夫か?」

「……大丈夫じゃないよ。だから……手握っててくれない? あたしが寝るまで」

「……ああ、いいよ」

 

 よほど苦しかったのか、あろうことか甘えてくるとは。苦しんでいる彼女には申し訳ないが、これは珍しいものを見たと思ってしまった。

 それからキリノが寝息を立て始めるまで、私は彼女の右手を握り続けた。

 

 

 

「じゃあいってくるよ、キリノ」

「……いってらっしゃい」

 

 翌日、体調は相変わらず優れないのか、ベッドの中からくぐもった声が聞こえた。体を起こすのすらしんどいのなら、昨日も無理をしなければよかったのに。

 今日は少し早めに切り上げよう。丁度オーバーワーク気味だと白い目で見られていたところだ、たまには良いだろう。なんなら『私がいないとダメなんだから』くらい言ってやってもいい。なんなら若干依存気味でもいい。

 

「……ルドルフさん? 大丈夫?」

 

 そう思っていたんだがなぁ……。どうにも色んなことが手につかない。どうやら私も私でダメらしい。結局キリノの他に親友と呼べるほどの友人も今のところできていないし、なんだか私の思い描いていた学園生活から遠のいている気がする。

 いやいや、まだ始まったばかりじゃないか。ここから何年もこの学園で生活するのだから今を嘆いても仕方ない。…………キリノに見てもらえば私に友達ができるかどうかもわかるかなぁ。

 




キリノとの親密度が上がった!
中等部ルドルフは原作からちょっと幼さが残るイメージです


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汝、皇帝のウマソウルを見よ

 

 ある日寮に戻ると、いつも部屋で先に帰っているキリノがいなかった。土曜日だからどこかに出かけているのだろうか、初めてのことなので少し戸惑った。しかしそんな事もあって然るべき、私が決めることではない。さて、今から何をしようか。

 手持ち無沙汰なせいか部屋を一周する、そして気づく。いつも綺麗なキリノの机の上に何枚かのプリントが置きっぱなしになっている。A4サイズに統一されたそれらは左上に空いた穴から紐を通して括られており、その全てが関連づけられた資料であることを表している。私はその表紙を興味本位で覗き込んだ。

 

『ウマソウル(仮称)についての研究』

 

 タイトルのウマソウルという単語に下線が引いてある。これはキリノ自身が引いたものだろう。なにかの論文だろうか、日付は最近のものになっており比較的新しい資料であることがわかる。ちなみに日付の横に書かれていた名前に見覚えはなかった。

 読み進めていくとこれはウマ娘そのものに関する研究資料であることが窺える。人間から見て驚異的とも思える身体能力の数々、そしてレース中に稀に見せる爆発的で科学だけでは証明できない現象。それらには全てこのウマソウルというものが関係していると仮定した論文だ。ウマソウルというのはタイトルにある通り仮称に過ぎず、そういった非科学的なものが関係しているのではないか、という内容になっている。専門的な用語は理解できないが、どうやらこの世界には進化の過程で生まれていたはずの生物が欠けており、それが本来ウマ娘の枠にあるはずだった生物なのではないかということらしい。その生物は走ることを得意としており草食動物であったはずだが、そこにヒトの遺伝子が紛れ込んだか何かが原因で繁栄したのはウマ娘という生物種となったと考察されている。

 或いはこれが存在した平行世界があって、その異世界の魂が今のウマ娘に呼応しているのではという意見も記されている。この意見にキリノは下線を二重に引いてあり、彼女はこの意見を支持していることがわかる。

 

「なんともロマンチックな話だ」

 

 現実味がない、そう思った。だけど嫌いじゃない。現実的ではないというのは現時点での話であり、未来においてそれが証明される可能性は無限にあるのだから。

 ……私にはいつか叶えたい夢がある。それは非現実的で現時点では到底不可能だが、それでも未来はわからないのだから諦める理由にはならない。その為にはまず私自身がウマ娘の可能性、その先へと到達しなければならない。私ができないことなどないと証明するんだ。

 

 

 

 結局その日は門限ギリギリになるまでキリノは帰ってこなかった。キリノは部屋に戻るとやたらと縦に長い荷物を自分のクローゼットに押し込んでいたが、特に言及はしなかった。

 

「ああ、そうだ。お前が机に置いたままにしていた論文を読んでみたんだが……」

「ああ、あれ? どうだった?」

「いやなに、トレーナーの卵として頑張っているのだなと改めて思ったよ。内容は随分と非現実的だったが」

「まあね。これは変数みたいなもんだよ」

 

 キリノはちゃんと内容を理解できているらしい。

 

「変数?」

「数学で求める数字をxとかyみたいな記号に置き換えることがあるでしょ? あれと一緒」

 

 キリノは人差し指を立てた。

 

「ウマソウルっていうのは、あくまで今証明できてない現象の原因を一時的にこいつのせいにしてるだけで、実際に存在するかどうかはわからない。ただそういうものがあるってことにしておくと、頓挫している研究がウマソウルのおかげで一旦問題を先送りにして進められるのさ」

「ふむ……?」

「現時点で解明できない部分はウマソウルのせいにして、他の部分の研究を進めようってことだね」

「ああ、なるほど」

 

 ようやく合点がいった。

 

「キリノはどう思うんだ?」

「どう、とは?」

「ウマソウルはあると思うか?」

 

 キリノは私の問いに少し考え、曖昧に微笑んだ。

 

「あったらいいな、と思うよ。その方が都合がいいしね」

 

 その言葉の意味は私にはわからなかった。

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 弥生賞当日、G1レースでもないのにやたらと多くの観客が集まるレース会場の一角であたしはぼーっとしていた。片手にはピンク色の缶のエナジードリンク、そこにストローをぶっ刺してお上品に飲むのがあたしのスタイルだ。隣を通った人がぎょっとした表情で足早に通り過ぎていく。はいはい、どうせやべー女ですよ。

 そんなことはどうでもいいのだ、何せ今日は我が友人様の大事なレースなのだから。準備のできたウマ娘からどんどんとゲートに入っていく様を見ながら、空になったエナジードリンクをビニール袋の中に突っ込んだ。

 

「F、E、Eちょい、E、F……」

 

 ゲートに入っていくウマ娘を勝手にランク付けしていく。ダメダメ、君たちじゃ勝てない。そんな中一際目を惹くウマ娘。

 

「C……ちょい?」

 

 我が友人様だ。メイクデビューからいくつかレースを走っただけでこれほどまでに仕上がっているウマ娘が他にいるだろうか。いやいない……と、言いたいところだが今日あたしが見に来たのはそれだけではないのだ。

 

「C」

 

 シンボリルドルフに勝るとも劣らない能力を持ったウマ娘がいるのだ。今回一番人気にしてデビューからここまで無敗の2人目のウマ娘、その名はビゼンニシキ。この弥生賞で唯一ルドルフに勝てる可能性があるウマ娘。

 

「頑張れ~」

 

 私の声と共にレースがスタートする。このスタートの時点である程度レース展開が読めてくる。2人とも大外を回らされる事になるだろう。どちらかが、だったら話は違ったが2人ともなら結果は変わらない。

 大外から回る2人のウマ娘に他の子達は追いつけない。シンボリルドルフとビゼンニシキの一騎打ち、こうなればどっちが勝つかは目に見えている。ぐんとスピードを上げたシンボリルドルフには誰も追いつけない。追い縋るビゼンニシキもその影を踏むに至らない。これは格付け完了かぁ。

 

『勝ったのはシンボリルドルフ!』

 

 実況が会場に鳴り響く。うんうん、いい走りだったよ。きっちりロスを取り返すレースプランはお見事。最後まで冷静で焦らずに走りきった君の勝ちだ。

 

「ま、そうなるよねー」

 

 席を立つ。インタビューの終わった友人様を迎えに行かないとね。あ、そうだハナちゃんに送っとこ。

 

『ルドルフ勝ったよ』

 

 メッセージを送ってから数分、返信が届く。

 

『予想通りだった?』

『そこそこ。ビゼンニシキが思ったより善戦した』

『そう、良かったわね』

『うん』

 

 あたしのメッセージに既読がつき、そこで会話は終わった。つれないなぁ。

 暇になったので関係者以外立ち入り禁止の看板に背中を預ける。警備員にじろりと睨まれたがトレセン学園の制服を見てすぐに視線を外した。そして暫くすると見覚えのある三日月が横を通り過ぎた。きっと前髪のあれだけで彼女を見分けていると知られたら怒られるだろうなぁ。

 

「お疲れ、ルドルフ」

「!? っああ、キリノじゃないか」

 

 急に声をかけられビックリしたのか、肩が跳ねたような挙動の後に飛び退くように振り向いたルドルフ。普段なら匂いやらで近くにいることがわかるはずだが、やはりレースの後ということもあってそこまで気が回らないのだろう。

 

「おめでと」

「ありがとう。良い走りが出来たよ」

「だね。中盤からの加速力は目を見張るものがあったよ」

 

 そういうとルドルフがああ、と噛み締めるように返した。

 

「一段と深く自分の走りを理解できたような、そんな感じがするよ」

「へぇ……それは興味深いね」

 

 彼女の言葉を聞き、先日読んだ論文を思い出した。案外ウマソウルとは、そういうものなのかもしれない。

 




汝、皇帝の神威を見よのレベルが上がった!
少し設定の話をするとキリノアメジストには元になった馬がない(ウマソウルが存在しない)ので競走馬としての能力が皆無だったりします。それ以外は普通の怪力ウマ娘だよ。


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汝、皇帝の担当トレーナーを見よ

高評価お気に入り登録感想等大変ありがとうございます。励みになります。


 いつものように寮に戻り、いつものようにキリノに挨拶をする。特に何も無かったように食事に誘い、何事もなく一日を終える。寮の階段を上がっている間に頭の中で完璧なシミュレーションを終え、部屋の扉に手をかけてドアノブを捻る。

 

「ただいま、キリノ」

「おかえり、ルドルフ」

 

 完璧だ。阿吽の呼吸とはまさにこの事、夫婦と見紛うほどのコンビネーションと言っても過言ではない。何ヶ月も続けたやりとりだ、面構えが違う。

 

「今日は少しオーバーワーク気味だったかもしれない、空腹で倒れそうだよ」

「ルドルフ、何か悩み事でもある?」

 

 ん、おかしいな。会話が成立したようには思えない。この場合『じゃあご飯食べに行こっか』が正解花丸100点の回答だ。しかしキリノから返ってきた返事は私になにか悩み事があるのではないかという疑いもとい心配だ。0点。

 

「なんのことかな?」

「なんのことかな? は何かを隠そうとする時のセリフだよ。本当に心当たりがなければまずは困惑から入るからね」

 

 こういう時に焦ってボロを出すのが私の悪いところだ。そして異様に鋭い考察で私を突き刺してくるキリノ、一体今日はどうしたというのだ。

 

「なんなら最近ずっと何か考えてるよね。自己解決するかと思って何も言わなかったけどそろそろ限界なんじゃない?」

 

 一体最近はどうしたというのだ。キリノに散々頼れと言った挙句黙っている私に非があるのは認めるが、しかし解決のしようがなくて困っているのだから相談されたとて困るだろう。だから私は黙っていた。

 

「あたしの目じゃわからないってことは走りとかに関係する何かじゃないのかな? んー、振られたとか?」

「私が誰に振られると言うんだ。残念ながらそんな色恋沙汰ではないよ」

「じゃあ何?」

 

 やはりそうなるか。ここは観念して全てを話すしかない。

 

「相談というわけじゃない。これは愚痴として聞き流してもらって構わないのだが……」

 

 そう前置きして私は話し始めた。

 

 

 

「ふむふむ、なるほど。要約すると弥生賞の後からスカウトがやたら増えたと。そしてそれ自体は嬉しいけどそのトレーナーたちが信用に値するのかは疑わしいので決めかねていると。そんなところ?」

「ああそうだ。トレーナーがいた方がいいのはわかっているのだが、どうにもな……」

「それは何、腕が確かじゃないと嫌ってこと? 実績?」

 

 キリノの問いに私は首を横に振る。

 

「そこまで求めるわけじゃないさ。ただ、スカウトの中には選抜レースの後に私を見て避けたようなトレーナーもいてね。正直そういった人を今更というのは私としては難しい。我儘な話だとは思うが……」

「んー、それはそうじゃない? 嫌でしょすぐ手のひら返す人なんて。ただそうなると一人一人面談するしかないと思うけど」

「当然そんな時間は取れない。本音を言うとキリノが考えてくれた今のトレーニングで十分満足しているんだ。だからトレーナーが必要なのも形式上の話でしかないんだよ」

 

 私の言葉にキリノはニヤリと笑い、満足気にベッドの上にふんぞり返った。うんうんと得意げに頷く様子は実に子供っぽい。

 

「それは嬉しい限りだけどね。まあでもトレーナー契約がないとトゥインクルシリーズを走れないのも事実。それに出るつもりなんでしょ? 皐月賞」

 

 キリノの言葉に今度は私が頷く。当然、三冠は目標であり大事な通過点だ。だからこそここで契約に踏み切るべきか否かを迷っているわけだ。

 形だけの契約を結んでもいずれは綻びが生じ破綻することが目に見えている。かと言って今トレーナーを必要としているのは、いわば都合のいい存在を探しているのであって、これを直接伝えて不快にならないトレーナーもいないだろう。誰かが不幸になる、そんな話だ。

 

「まあそうねえ…………うん、なら私がアドバイスをしてあげる」

 

 キリノが人差し指を立てた。

 

「待とう」

「……待つ? しかしそれでは」

「間に合わないかもしれない、でもまだ時間はあるよ。それに今焦って妥協しても今後のトレーニングに悪影響を及ぼすだけだと思うな」

「それはそうだが……」

 

 つい反論してしまう。別に否定したい訳じゃない、ただ納得したいだけだ。私のこのもやもやを抑えるだけの理由が欲しい。

 

「せっかくいい成績取ったんだから、もっといいところからお声がかかるかもしれないじゃん。その可能性を今ここで潰しちゃうのは勿体ないと思わない?」

「……そうだな」

 

 私の返事にキリノは笑顔を見せる。

 

「でしょ~? だから今はとりあえずいつも通りトレーニングをして、ほかのトレーナーからの返事は保留にしときなよ。最悪蹴ってもいいし」

「わかったよ。やはり最初から相談すべきだったな」

「そうだよ? こんなに優秀なアドバイザーがいるんだから」

 

 調子に乗ってきたな。私が言えたことではないが、キリノは相当子供というか幼いというか、頭は切れるんだがこういう性格の出るところで幼稚なイメージを受けがちだ。果たして新入生が入ってきた時こいつがどんな先輩になるのやら。

 

「あ、お腹すいた。食堂行こうよ~行こ行こ行こ早く早く早く早く」

「わかった、わかったから急かさないでくれ。今準備するから」

 

 実は私より4つくらい下なんじゃないのか、キリノアメジスト。

 

 

 

 そしてあれから三日後、私は理事長室に呼び出されている。特に何かしでかした覚えもないので、理事長秘書であるたづなさんから声をかけられた時は本当に驚いた。内容は話がしたい人がいる、との事だったが結局詳細は伏せられたまま、その日のうちに理事長室を訪ねることとなった。

 

「失礼します、シンボリルドルフです」

 

 理事長室の扉を開くとそこにはたづなさんと、もう一人の女性がソファーに座っていた。

 

「どうぞこちらへ」

 

 私は促されるまま、机を挟んで女性と反対のソファーに腰かけた。私が着席したのを確認するとたづなさんは女性の後ろに控えた。

 

「まずは私から謝らなければいけないことがひとつ。本来これは理事長が承認したことなので彼女に同席してもらう予定だったのですが、外せない用事が入ってしまい私が代わりに担当させていただくことになりました」

 

 申し訳ありません、とたづなさんは深々と頭を下げた。なぜ頭に乗っている緑色の帽子が落ちないのかは考えてはいけない。

 

「いえ、全然、大丈夫ですから……」

 

 何故か上手く言葉が出てこなかった。どうやら私は相当緊張しているらしい。

 

「では……」

 

 たづなさんが女性に目を向ける。女性は頷き、私に向き直った。

 

「初めまして、私は東条ハナといいます。現在はマルゼンスキーの担当をさせてもらっています」

 

 東条ハナ、彼女はトレセン学園に務めるトレーナーらしい。マルゼンスキーとは私のひとつ上の学年のウマ娘のことで、キリノが何回か名前を出したことがある。かなり高い潜在能力を秘めたウマ娘らしい。

 

「用件から伝えます。シンボリルドルフ、私に貴方の担当をさせて貰えませんか?」

「それは……」

 

 それは、なんとも急な話だ。もちろん彼女との面識など一切ないし、彼女の目に止まったとすれば先日の弥生賞だろう。あの日から来る膨大なスカウトに辟易していたところだが、こんな場を設けられてスカウトされるのは初めてだった。そしてなによりも──。

 

「マルゼンスキーは反対しなかったのですか?」

「はい、既に彼女とは話を終えています。是非あなたと共に高め合いたいと、今回の件についてかなり肯定的です。……というか彼女は面白そうなことなら大抵ノリで通そうとするので、その……」

「ああ、確かに」

 

 私は苦笑した。明るく面倒見の良い性格から、マルゼンスキーを慕うウマ娘は少なくない。そんな彼女のことだ、むしろこの話が出た時に舞い上がって東条トレーナーに大きく賛同したのだろう。

 

「こほん。そういうわけで、あなたをスカウトしに来たということです。まだトレーナー歴の浅い私が2人目の担当を持つというのは、正直周りからの印象も良くないでしょう。そこで理事長に話を通し、直接許可を貰ってこの話を進めようとなったのです」

 

 なるほど、それで。通りでやたらと形式ばった場になったわけだ。

 

「わかりました。まずはスカウトの件、とても嬉しく思います。こちらから幾つか質問をしてもよろしいですか?」

「ええ、どうぞ」

「マルゼンスキーという担当がいながら私をスカウトしに来た理由は?」

「もちろん、あなたの走りを見てです。好きに走りたいマルゼンスキーと違うタイプ、つまり相手によって戦い方を変える器用さ。その器用さを理想的にする身体能力、どれをとっても現時点で一級品と言って差し支えない」

 

 彼女は私の走りをしっかりと見ているようだ。そう、私はデビュー戦での先行策と違い弥生賞では所謂『差し』の戦法をとっている。相手をよく見てレースを組み立てる、それが私の得意なレーススタイルだ。しかしスカウトの理由はそれだけだろうか。

 

「ですがあなたの話を聞く限り、周りから非難の目を浴びると分かっていて無理を通したように思える。それほどまでに私が欲しかった、と?」

「……それはもちろん、あなたにはそれだけの価値があると私は考えています」

 

 ふむ、きっと嘘はついていないのだろう。だがなにか引っかかる。というより何が引っかかっているのか既にわかりかけている。

 

「なるほど、なら質問を変えましょう。東条トレーナー、最近あなたの元で研修をしているトレーナーがいるのでは?」

「っ……ええまあ、それが何か?」

 

 一瞬動揺する東条トレーナー。だんだんと話の全容が見えてくる。

 

「その研修トレーナーは新人の方ですか? ……いえ、きっと違うのでしょう。自ら歴が浅いと言っていたあなたに新人の研修トレーナーを付けるわけがない」

 

 彼女の歴が浅いのも本当の話だろう。でなければ理事長にわざわざ話を通す必要は無い。

 

「ならばあなたの元で研修を行うのは一体どんなトレーナーなのでしょう。例えばまだとても未熟で、トレーナーの資格も持っていないような者でしょうか」

「…………何が言いたいんです」

「その研修生になにか吹き込まれたんじゃないですか? スカウトを受けたいがどうにも上手くいかずに困っているウマ娘がいる、とね」

 

 東条トレーナーが困ったようにうしろのたづなさんの方を向くと、たづなさんは堪えきれずにんふ、と可愛らしい声を上げて吹き出した。

 

「……はぁ、どうしてわかったんです?」

「タイミングが良すぎたんですよ。彼女に相談をしてから話が回るまでに、丁度良すぎた」

 

 きっとあいつなりに焦っていたのだろう。

 なぜあいつの口から何度かマルゼンスキーの名前が出たのか。少し考えればわかる事だ。

 

「彼女には秘密にするよう頼まれていたのですが……」

「そういう奴ですからね」

 

 東条トレーナーはそうなんですね、と呟くと机の上に置かれた緑茶にようやく手をつけた。すっかり温くなっているようだ。

 

「あなたの話は彼女から聞かされていますから、すぐにでもトレーニングを進められます。どうですか? シンボリルドルフ、私の担当ウマ娘になりませんか?」

 

 東条トレーナーの言葉に私はゆっくりと頷いた。他でもないあいつからの紹介なのだ、断る理由もない。それだけ東条トレーナーのことを信頼しているのだろう。

 

「ではたづなさん、後はよろしくお願いします」

「はい!」

 

 たづなさんは太陽のような笑顔で返事をした。学園でもかなり人気の高い理事長秘書、その理由がよくわかる。

 

「では行きましょうか。これからよろしく、シンボリルドルフ」

「こちらこそ」

 

 

 

 レース場でキリノとマルゼンスキーが待っているとの事なので面談の後すぐに向かった。キリノは私たちの姿を確認すると右手を大きく振った。

 

「ハナちゃん……と、ルドルフ? 君がどうしてここに?」

 

 わざとらしく聞くキリノに思わず吹き出しそうになるのを堪えた。しかしあまりにもその様子がおかしかったので堪えきれずに顔を手で覆う。

 

「どうしたのさ……?」

「い、いや……」

 

 怪訝そうな顔をするキリノから目を逸らす。ダメだ、こいつが今必死に演技をしていると思うと笑いが込み上げてくる。更には東条トレーナーが明後日の方向を向き、その仕草に合わせるように今度はキリノが東条トレーナーの方を向いた。

 

「ハナちゃん……?」

「な、なにかしら」

 

 事情を察したであろうキリノがじっとりと湿度の高い視線を東条トレーナーに向ける。東条トレーナーは目を合わせない。

 

「あたし言ったよね? 何回か言ったよね?」

「な、なにを?」

「いやいやいやいや、何とぼけてんの?」

 

 キリノが東条トレーナーに詰め寄る。肩を両手で掴まれたトレーナーは後ずさることも出来ない。

 

「約束破ったな!! 絶っっっっっっ対言わないでって言ったのに!!」

「破ったわけじゃないわよ! 大体あなたから頼み込んで来たくせに注文が多いのよ!! 私が担当2人も持つなんてそれだけで何言われるかビクビクしながら行ったんだからね!!」

「うるさいうるさい! 内心嬉しがってるくせに『ん、シンボリルドルフの担当できてラッキー』とか思ってるくせに、あたしを隠れ蓑にして申し訳ないとか思わなかったの!?」

「はぁぁ!? そんな邪な考えしてないわよ!! ていうかいつ隠れ蓑にしたっていうのよ最初に恥ずかしがって名前出すなって言ったのはあなたでしょ!? そんな臆病者に非難されるいわれはあーりーまーせーんー!!!」

「誰が臆病者だこの小心者!!! お腹痛くなってきた……とか言ってたのを勇気づけてあげたのに恩知らず!!!」

「あんたのせいでしょうが!!!」

 

 ついに2人で口論を始めてしまった。横のマルゼンスキーはニコニコと笑顔で見守っている。

 

「なあ、いつもあんな調子なのか?」

「うーん、そうかも? 仲良いのよねぇ」

 

 あれを仲良いと表現するのはどうなんだ? と思わなくもないが、喧嘩するほど仲が良いという諺もある。マルゼンスキーが言うのならばそうなのだろう。

 

「ねぇ2人ともー? そろそろトレーニングしたいんだけど」

「「だってこいつが!!」」

 

 お互いに指を差し合うトレーナーとキリノにマルゼンスキーは大笑いした。とても先の案じられるスタートになったが、このチームなら長くやっていける…………そんな気がする、多分。

 




チームリギル結成秘話、ハナちゃん胃に穴が空いちゃうよ。


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汝、皇帝の闘志を見よ

ワクチン二回目には勝てなかったよ…


 思えば、あの日コンタクトを紛失した時、あれがターニングポイントだったのだろう。透明で小さなものを落とした時、それを見つけることが困難であることは誰にでもわかることだ。その日はトレーニングのミーティングがあったため、使い捨てのコンタクトのことは諦めて東条トレーナーの元へと急いだのだ。あの時諦めなければこんな事にはならなかった……のかもしれない。見つかる確証はなかったが。

 

「はい、次はこれかけて」

 

 マルゼンスキーに眼鏡を手渡される。ちらりと横を見るとうんうんと唸って数々の眼鏡の中からより良いものを選ばんと吟味するキリノアメジストの姿が。着せ替え人形か私は。

 コンタクトを落としたことを伝えるとキリノはマルゼンスキーに報告、そして休日に眼鏡を買いにいこうという話になったのだ。なぜコンタクトをなくした話から眼鏡を買いに行く話になるんだ。しかも私よりもノリノリの2人である、私の眼鏡のはずなんだが。

 

「だいたい、眼鏡なんてなんでもいいだろう……」

 

 私が呆れのあまり口をついたこの発言、聞き流されるだけだと思ったその矢先に2人が鬼の形相でこちらを向いた。

 

「ルドルフちゃん……わかってない! わかってないわ!」

「まさか君の口からそんな愚かな発言が飛び出してくるとは思わなかったよ……」

 

 酷い言われようだ。そもそも他人の眼鏡で遊ぶ君たちの倫理観を疑いたいのだが。

 

「いい? 眼鏡っていうのは自分が思っている以上に似合う似合わないがあるの。適当に選んだら後悔するわよ?」

「そ、そうなのか?」

「そうだよ。ダサい眼鏡つけて授業に出たくなかったら大人しくあたしたちの言うこと聞いた方が良いと思うけどなぁ」

 

 自信満々に詰め寄ってくるマルゼンスキーとキリノアメジスト。あまりにも2人が言うので、私まで不安になってしまった。そうなのか、真剣に選んだ方がいいのか。そうか……。

 

「そう! さ、一緒に選びましょ?」

「大丈夫、最終的な決定権は君にあるんだし」

 

 ここまでやっておいてそれはないだろと言いたかったが、上機嫌なマルゼンスキーとキリノに連れられ、抵抗の余地すらなく眼鏡選びへと私は駆り出されるのであった。

 いやもうひとつ言いたいことがある。それはマルゼンスキーの選ぶ眼鏡がやけに……こう……前時代的というか、古いというか……とにかく、センスが古いのだ。この眼鏡だって丸くて縁が太くないくらいの昭和的な……うん……。キリノ、頼んだ。

 

「2人とも、眼鏡に目がねえのだな……」

 

 苦し紛れに出た駄洒落は渾身の出来だった。創作は苦しみの中で生まれる、その意味が今真に理解出来た。

 

 

 

 

 

 休み明け、マルゼンスキーと併走トレーニングを行うことになった。

 現状では東条トレーナーは形だけ私の担当トレーナーとなっており、トレーニング内容は変わらずキリノが調整している。マルゼンスキーはトレーナー自身が自ら言った様子だが、普通にトレーナーを差し置いて勝手にトレーニングしているこの状況は失礼にあたる。

 

「私みたいな新人トレーナーが2人も見るなんて無理よ。第一マルゼンスキーだけでも手が回らないくらいなのに、あなたのトレーニングまで考えるのは……情けない話だけど私には出来ないわ、ごめんなさい」

 

 契約してすぐのトレーニングの時、最初に言っておくことがあると言って彼女から言い渡された言葉だ。元々そういう約束でこの話を通したらしい。ということは東条トレーナーはキリノのトレーナーとしての腕を認めているということだろうか。だとしたら私も友人として嬉しい話だ。

 閑話休題、そんなキリノが私とマルゼンスキーとの併走を東条トレーナーに持ちかけたのだ。東条トレーナーはマルゼンスキーのことを思ってのことか反対気味だったが、当のマルゼンスキー本人は俄然やる気といった様子で、最終的に精神年齢を3歳まで落とし駄々を捏ねたマルゼンスキーの要望が通った形になる。

 

「方法はわからないが、強制的に若返ったんだ……!」

 

 キリノは戦慄していたが、どういう驚き方だ。というかそんなことが可能なのか? 答えはいいえ。

 正直キリノが何を考えてるのかわからない。貶すわけではないが、マルゼンスキーは未勝利ウマ娘だ。というかそもそもメイクデビューすらまだだ。それに対して私は最近GⅢレースに勝利したウマ娘。成績だけ見ればこの併走はマルゼンスキーのためにもならないし、私のためにもならない。

 しかし他でもないキリノの提案だ、きっと何か考えがあるのだろうと信じてやるのが担当ウマ娘というものだ。

 

「ん? いや、なんとなくだよ」

 

 ……信じてやるのが、担当ウマ娘というものだ。

 

 

 

 

 

 

「準備はいい?」

 

 ストップウォッチを片手に東条トレーナーがゲートの横に立っている。キリノはその隣で何かを端末に打ち込んでいるが、まあ恐らくデータに類するものだろう。

 

「よーい……スタート!」

 

 東条トレーナーの掛け声とともに同時にゲートを飛び出す。今回の作戦は“差し”だ。ピッタリとマルゼンスキーをマークして、タイミングを見計らって一気に抜け出す。そのためにはマルゼンスキーにしっかりと着いていかなければならないのだが……うん、引き離されることはなさそうだ。余裕を持ってついていけている。自分でもスタミナが格段に上がっているのがわかる。走りやすい──あの弥生賞の後からやけに調子がいい。

 しかしながらマルゼンスキーもなかなかに善戦している。このペースで行くのなら少しスピードを上げないと、徐々に差が開いてしまう。全力で飛ばしていると言うよりは、自分が走りやすい感覚を保っていると言った方がいいか。間違いなく先行策を取るのが合っているタイプだ。なるほど、これは身体能力の底上げと共に化けてもおかしくない。キリノが注目するのも頷ける。

 

 ──そろそろ仕掛けるか。最終コーナーの手前で少しマルゼンスキーが外側へと膨らむ瞬間、一気にインコースを駆け抜ける。後ろで「あっ」という声が聞こえ、マルゼンスキーがスピードを上げる。まだ上がるのか、いい足を持っているな。それにスタミナも悪くない。だが私の方が早く加速したのだから、最高速に到達するのも私の方が早いのだ。伸びる。まだ伸びる。末脚は留まることを知らず、このままどこまでも走り抜けていけそうだった。

 

 

 

「負けちゃった~」

 

 レースが終わり、結果は4バ身差。私はもっと大差をつけて勝つつもりだったが、思いの外彼女が善戦した。これはうかうかしていられないな。

 

「2人ともお疲れ様。ハナちゃん、どうだった?」

「そうね、ルドルフに関してはキリノに任せるとして……マルゼンスキー、コーナーで外に膨らむ癖は治した方がいいわね」

「うっ……はーい」

「そうだねー。マルゼンスキーは走り方は悪くないから、少しづつロスになる悪癖を減らしていくのが今後の目標かな。体作りも悪くないと思うし、これからの成長に合わせて細かく気を配っていくといいかも。その辺はハナちゃんがしっかり管理しないとダメだよ?」

「勿論、そのつもりよ」

 

 マルゼンスキーは息を切らしているものの疲れて動けないという程ではないようだった。確かに、走り方がいいというのは的確な評価だ。彼女がどこまで考えてペース配分をしているのかはわからないが、あのペースで体力を維持できているのなら、それはもう偏に彼女の身体能力の高さ故の結果だろう。

 

「それとルドルフだけど……どうだった?」

「調子は良かったよ。マルゼンスキーがかなりいい走りをしたから冷や汗モノだったが」

「本当!?」

「ああ、素晴らしい走りだった。私にとってもいい刺激になったよ」

 

 うんうん、とキリノは満足気に頷いた。

 

「これで本格化を残してるんだから、将来が楽しみだよね」

 

 その言葉に場が静まりかえる。いや、正確には私とトレーナーが固まり、マルゼンスキーはその空気に困惑していると言った方が正しい。

 

「おい、冗談だろう? これで本格化がまだなのか?」

「そうだよ? 本格化前でこれなんだ、メイクデビューはきっととんでもないレースになるだろうね」

 

 信じられなかった。この実力ならGⅢレースで勝利してもおかしくないというのに、これがまだ本格化していないウマ娘だというのか。

 

「ああ、でもルドルフも負けてないよ? 君は結構完成されてるように見えてまだまだ伸びしろだらけだからね、2人で切磋琢磨して頑張ってくれると嬉しいね」

「あ、ああ……」

 

 励ましのつもりなのか一応フォローを入れてくれるキリノだが、私は一個前の衝撃のせいで生返事を返すことしか出来なかった。

 

「いやぁ、しかしハナちゃんもいい目してるよ。こんな逸材普通誰も気づかないって」

「え?」

「選抜レースでマルゼンスキーの秘めたる才能に気づいたんでしょ? 他のトレーナーの誰もが見逃したこの才能にさ」

「え、あ……そ、そうよ! 一目見てもうビビッと来たんだから」

「おハナちゃん、そうなの? 私も全然自分のことわからなかったのに、すごいじゃない!」

「ま、まあね! トレーナーとしてはこれくらい出来ないとね!」

「いやいや、こんな優秀なトレーナー中々いないよ? マルゼンスキーもハナちゃんも、お互いにいい出会いをしたよね」

「うんうん、それは私も思うわ! おハナちゃんと私で天下を取っちゃうんだから!」

「そ、そうよ! うん……」

 

 話を振られた東条トレーナーは終始様子がおかしかったが、まさか……いや、そんなことはない。きっと彼女は確信を持ってマルゼンスキーを選んだのだろう。まさかたまたまスカウトに応えてくれて偶然……いやいや、悪い方向に考えるなシンボリルドルフ。疑うべからずだ。

 

「じゃあ今日はメイントレーニングは終わり! あとは各自でストレッチとかで足の負担を減らすように。それとルドルフは筋トレ系も増やしてくから、今日は腹筋と腕立てとスクワットね」

 

 キリノの言葉を最後に今日は解散となった。……負けていられないな。彼女が台頭してきた時に、今のままでは勝負にならない。心が熱く燃え滾っているのがわかる。負けたくない、より速く、より長く、より力強く、より遠くへ。こんなところで満足なんてしていられない。

 

「いい顔してるね」

「ああ、マルゼンスキーに負けていられないからな。……こうなることもわかって今日のトレーニングを組んだのか?」

「うーん、まあそうだね。きっといい刺激になるだろうなって思って」

「全く、恐れ入るよ。やっぱり未来が見えるんじゃないのか?」

「あたしが見えるのはウマ娘の能力だけだよ? でもルドルフわかりやすいんだもん。だって──」

 

 

 

「──君、すっごい負けず嫌いでしょ?」

 




眼鏡に目がねえって言わせたいがためにこのエピソード入れました。眼鏡ルドルフ本当に可愛い特攻高そう。


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汝、皇帝の独占力を見よ…………やっべ

独占力ってスキルあまりにも妄想捗りすぎる


 弥生賞を終えた時点で皐月賞まで約1ヶ月。かなりハイペースでこの2つのレースが続いているのを私は知っていた。ではなぜ出走したのか? それは皐月賞がGⅠレースだからだ。GⅠレースにはレベルの高いウマ娘が多く出走する、そのため少しレベルを落としたレースで全体的なプランニングの調整をしたかったのだ。結果的にはビゼンニシキというライバルと言えるほどの存在を知ることが出来たし、初めてのレースプランニングも上手くいった。目下の目標にあたる三冠達成、その第一歩となる皐月賞に向けて、現状の私は万全の状態と言っても過言ではなかった。

 皐月賞まで残り半月を切った。調整は最終段階に入り、キリノと話し合った結果重めのトレーニングは避けてブランクを作らない程度の軽い練習を増やしていくことにした。スケジュール等は東条トレーナーがしっかり管理してくれている。マルゼンスキーの事もあるのに、彼女には頭が上がらない。

 そういえばマルゼンスキーを除いた3人で皐月賞までの話し合いをした時にたづなさんが訪ねてきた時があった。その時のキリノの様子はいつもと違い、東条トレーナーの後ろに隠れるように位置取っていた。たづなさんも気づいていたようで苦笑いを浮かべて直ぐに退散したが、その時のことをキリノに聞いたところいつもの笑みを崩して歯切れ悪くこう答えた。

 

「いやぁ……嫌いじゃないんだよ? むしろ感謝してるし、うん……。おかしいなぁ、あたしの目はウマ娘のことしかわからないのに。しかもあんなイカれた数値……まぁとにかく、そういう事だから」

 

 全く何を言っているかわからなかった。そもそもブツブツと呟くように答えたせいで聞き取りづらかった。ウマ娘の聴覚で聞き取りづらいとはこれ如何に。

 そんなわけで何故かやたらとたづなさんを避けるキリノだが、先日はなにか二人で話しているところを見かけたし一体どうなっているのやら。相変わらずよくわからないやつだ、と結論づけてそれ以上は何も聞かなかった。

 そういえば最近休日にキリノはどこかへ行くことが増えた。図書館で勉強でもしているのかと思って探してみたが、学園内で彼女の姿を見つけることは叶わなかった。その事について尋ねてみても曖昧な返事しか返ってこず、真相を知ることは出来なかった。あまり知られたくなかったのだろう。

 

「私は、キリノのことを何も知らないのだな……」

 

 皐月賞を前に余計なことで悩むのは良くないが、1度頭に巣食ったこの考えは一日中私の心を蝕み続けた。私では信頼に値しないのか? 実は私に対してあまり良い感情を抱いていないのではないか? ……ダメだ、こんなことではダメだ。

 そして私は考えた。まずは学園生活から知るべきではないかと。キリノの交友関係も何もかも知らないのだ、そんな状態で喚いても仕方がない。駄々をこねるくらいなら自分から知る努力をするべきではないだろうか。……いやストーカーではない、断じて。

 

 

 

 

 

 というわけで昼休み、いつもなら適当に買ってきたおにぎりなんかで済ませるところだが、今日は食堂に向かう。食堂はウマ娘で溢れかえっており、とてもではないが特定の人物を見つけることは出来そうにない。早めに来た方なのだが、まあ正直こうなることも予想出来たので見れたらラッキー程度にしか思っていない。こうなれば次の行き先はキリノの教室だ。あまり見つかりたくはないので避けたかったが仕方ない。

 教室に着き、ちらりと窓から中を覗くと見覚えのある鹿毛のウマ娘がいた。なんだ、最初から教室にいたのか。サンドイッチを片手に食事するキリノの向かいには知らないウマ娘が1人。短髪で青鹿毛のそのウマ娘は同じ中等部ながらに気品を感じさせる。気づかれないようにそっと聞き耳を立てると彼女達の会話が聞こえてくる。

 

「はい、リノ。あーん」

 

 あーん? 今あーんって聞こえた。それってつまり食べさせてあげる的なあーん? 

 

「ん、んふふふ」

 

 そして何かを頬張っているであろうキリノの声。

 

「美味しいかい?」

「うん、ありがと」

 

 今顔を出したらバレる気がする。でも見たい。いや見たくない。やっぱり見たい。

 

「ねぇフジ、あたし宿題やってきてない」

「そう言うと思ったよ。君は優秀なくせにこういうとこはズボラなんだから」

「えへへー、ありがと」

 

 カップルかな? 周りの子は一体どんな目で彼女たちを見ているんだろう。ダメだ脳が破壊されそうだ。

 

「そういえば、最近はどうなんだい? リノの見てるチーム」

「あー、まだチームとは言えないけどね。でもハナちゃんはいずれはチームとしてって言ってたし、まずはその第一歩だね」

 

 チーム……そうか、私たちが活躍すれば東条トレーナーの活動も多くのウマ娘の目に留まるはずだ。そうすれば彼女の持つチームとして多くのウマ娘を受け入れることが出来る。東条トレーナーほどの人材であれば、経験を積めばいつか多くのウマ娘を従える強豪チームだって作れるだろう。私とマルゼンスキーはまさしくその第一歩を担っているというわけだ。

 

「なんてったってルドルフがいるんだから。きっと誰にも負けないチームになるに決まってるよ」

 

 キリノの言葉を聞いて胸がドクンと脈打った。体の芯が熱くなる。……負けられないな、皐月賞。

 

「リノ、またシンボリルドルフの話してる」

「そんなにしてる?」

「うん。本当に好きだよね、彼女のこと」

「えー、そんなこと言ったらフジだってお母さんの話ばっかり」

「あはは、お互い様だね」

 

 おいおいおい。困っちゃうじゃないかそんなに私のことを話題にあげるなんていや別に嫌というわけではないが私にも恥ずかしいという感情はあるのだからそこの辺りやっぱり考えてくれないとああいややめろと言っているわけではないぞ? 私としても誇らしいというか嬉しいというか満更でもないというかただあんまり誇張されたりしても困るからなうんうん。

 

 え待ってフジとリノって呼び合ってた? そんなに仲良いのか? 私はルドルフとキリノの仲なのに? ルームメイトの私よりも仲が良いってことか? 

 

「うおおブルっときた」

「風邪?」

「かなぁ……前もしんどい思いしたからやだなぁ」

「暖かくしなよ。上着貸してあげようか?」

「…………いや、いいや。なんか嫌な予感するし」

「? 変なの」

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「ただいま、キリノ」

「おっ…………かえり〜ルドルフ」

 

 寮に戻ってきたルドルフを出迎える。瞬間、キリノアメジストはシンボリルドルフから目を逸らした。その理由を考えようとする前に生物としての本能が反応したのだ。

 

「どうしたんだ? キリノ」

「い、いやぁ……」

 

 まっずいまっずいまっずいなんか知らないけど滅茶苦茶怒ってるわこれ。あたし何したっけ? ていうか今日は朝一緒に部屋出てから会ってないよね? トレーニングの間あたしは勉強する日だったしハナちゃんに全部任せてたはずなんだけど。

 

「どうしてこっちを見ないんだ?」

「ん、あ、えーっと……勉強中だから後ででいい?」

 

 咄嗟に開いたトレーニング教本を凝視してルドルフに背を向ける。本当になんで怒ってるかわからないけど今会話しても悪い方向に進むだけだ多分。え、本当になんで? 

 

「…………」

「…………」

 

 すんごい見てる。いや正確にはわからないけど視線を感じる。それはもう痛いほど感じる。しかも多分だけど笑顔だ。圧がすごいんだほんとに。

 

「……ルドルフ、怒ってる?」

「どうしてそう思うんだ? 君はなにか私を怒らせるようなことをしたのか?」

「い、いや心当たりは全然ないんだけど……こう、雰囲気というか、ね? なんか怒ってるのかなーって」

 

 結局耐えられずに会話を切り出してしまったが、ルドルフが纏う空気は相変わらず。

 

「……ああそうだ、聞きたいことがあるんだが」

「な、何かな?」

「昼間に()()()()教室の前を通り掛かった時に、君と話しているウマ娘を見てね。随分と仲睦まじいようだったが、あれは誰だい?」

「昼間? ええっと、フジのこと?」

 

 空気が重くなった。うーんどうやらこれが原因らしい。一体何が彼女の琴線に触れたというのか。

 恐る恐る振り返ってみると案の定笑顔のルドルフが立っていた。それはもう満面の笑みと言って差し支えないだろう。どうしてこの笑顔からこんなに凄みを感じるのか。

 

「フジキセキ……クラスメイトで、友達だよ。デビューはまだ先になるだろうけど、きっと彼女は素晴らしい走りを見せてくれると思う」

「そうかそうか。それで? ただのクラスメイトで友達なフジキセキと互いにニックネームで呼び合うのだな?」

「ああ、まあ……なんかやたら距離感の近い子ではあるけどね。別に私だけじゃないよ」

 

 ルドルフを纏う空気が少し収まった気がした。

 

「ふぅん。ルームメイトで付き合いの長い私とは名前で呼び合う仲なのに?」

「え、何? ルドルフもリノって呼ぶ?」

「そ、そういうわけじゃない! ただ…………はぁ」

 

 ようやくラスボス前の部屋みたいな恐ろしい空気はなりを潜めた。

 

「別に呼び方ひとつとって親密度を測るわけじゃないさ。ただ、誰と仲がいいとか、クラスでどんな事があったとか、そういう話をしてくれてもいいじゃないか」

 

 ルドルフは悲しそうにこちらを見る。まだイマイチ話が見えてこないが、つまりどういうことだってばよ? 

 

「なぁ、もっと君のことを教えてくれよ。それとも、私では信頼に値しないのか? ルームメイトでトレーニングの面倒を見るのはいいが、友達としては距離を置きたい存在なのか?」

 

 なるほど、つまりはもっと仲良くなりたいって事だな? なんだルドルフちゃん可愛いところあるやんけさっきは本当に怖かったけど。

 

「ふむ、キミの言いたいことはわかった。つまりあたしともっと仲良くなりたいんだね?」

「そんな……っ! そう、です…………」

「んも〜、実は甘えただな?」

「それは違う!」

「はいはい可愛い可愛い」

「~~~~っ!」

 

 不器用な友人様だ。この調子じゃクラスで友達を作るなんて夢のまた夢……まあいっか。あたしがいるし。

 




独占力のヒントが……もう最大だったわ。


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汝、皇帝のトレーニングを見よ

皐月賞直前、短めです。


 このトレセン学園においてチームと呼ばれる団体は、往々にしてウマ娘が所属して卒業とともに抜けていくものとされている。チームに所属しているウマ娘達は時に自分のために、時にチームのために走る。自らの目標を追いつつチーム戦……つまり団体戦としてのレースにも力を入れるのだ。最終的にチームの中の誰かが一着を取ればいいのだが、それぞれチームの中で一着を取る者、それをサポートする者に分かれ走る技術は1人で走っていては身につかない。

 現在東条トレーナーの元で走るのは私とマルゼンスキーの2人、チームとしては成り立たない人数だ。一応1人でもチームレースに出ることは出来るが、人数が少なければその分不利になるのは明らかだ。それに東条トレーナー自身の歴が浅いこともあり、彼女は今はチームレースのことは考えず自分のレースに集中させるつもりのようだ。私はいよいよ目前に迫った皐月賞、マルゼンスキーはメイクデビューとレースが目白押しである。そんな理由もあって私とマルゼンスキーは別々のメニューをこなしていた。

 

「で、今は体力作りの締めと筋トレに力を入れているってわけだね」

「なるほどね。もう立派なトレーナーじゃないか、リノ」

「いやいや、これはルドルフの才能あってのものだよ。最初から強いウマ娘を負けないように育てるのなら誰だって出来るさ」

「そんな事ないよ。それだって君の目があってこそのものじゃないか」

「おい」

 

 私の横でイチャつく2人にツッコミを入れずにはいられない。キョトンとするキリノの横で、同じような顔でこちらを向く青鹿毛のウマ娘がいた。彼女はフジキセキ、キリノのクラスメイトで友人らしい。

 

「トレーニングルームはイチャイチャする場所ではないはずなんだが」

「イチャイチャなんて、そんなねぇ?」

「ねぇ?」

「はぁ……フジキセキ、君は思いの外お茶目な性格なんだな」

「お茶目? まぁでも、イタズラは好きだよ」

 

 気品溢れる立ち振る舞いとは裏腹に案外子供っぽいやつらしい。母は舞台女優らしく、その立ち振る舞いは親譲りのものなのだろうが、内面は年相応と言ったところだ。

 

「そうか、トレーニング中はイタズラを控えてくれると助かるよ」

「まさか、邪魔なんてしないさ。私とて時と場所は弁えてるつもりだよ」

 

 それに、とフジキセキは続ける。

 

「私が目指すのは最高のエンターテイナーさ。人が不快になるようなイタズラはしないよ」

「へぇ、良いじゃないか。人を笑顔にする……私もそう出来たらいいなと思うよ」

 

 彼女の言葉に、無意識にぽつりと漏らした。フジキセキは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になった。

 

「いや、忘れてくれ」

「忘れないよ。同じ夢を持つもの同士、恥ずかしがることないじゃないか」

「……そうだな」

 

 私には夢がある。子供の戯言と一蹴されそうな淡く、非現実的な夢。誰にも話さず胸に秘めた夢。別に誰に肯定して貰えなくてもよかった。それでも否定せずに背中を押してくれたフジキセキの言葉が嬉しかった。

 私は……いつか全てのウマ娘が幸せに暮らせる世界を作りたい。

 

「しかし君もハードなトレーニングをするね。やはり皐月賞に向けて急ピッチで仕上げているのかな?」

「うん? いや、これはいつもやっているトレーニングだ。レース前にハードなトレーニングで体を壊すわけにはいかないからな」

「それは……うん、流石としか言いようがないね」

 

 そういえば元々、私の練習を見学したいと言ってフジキセキは来たのだった。しかしキリノの話では彼女の適正距離はマイル、中距離~長距離の私のトレーニングを見ても得るものは少ないと思うが。

 

「なるべく多く走りたいんだよ。マイルはライバルが多いからね、中距離でも戦えないと」

 

 なるほど。しかしながら適正距離と言うのはなかなかに難しい問題で、私が短距離を走らないように覆せない得意不得意があるのだ。

 

「まあ、マイルにはなんて言ったってあのニホンピロウイナーがいるからね。適正距離を増やすのも一つの手だと思うよ」

「そうなのか? お前は私にやめた方がいいと言ったじゃないか」

「それはルドルフの話でしょ? キミは長く走れるタイプだからそっちを重点的に鍛えればいい。でもフジはマイル前後の距離適性が結構高いからね」

 

 キリノは人差し指を立てた。

 

「フジの面白いところはそこさ。短距離も中距離も実は伸ばせば走れるようになる。もちろん難しいし技術がより多く要求される事だけど、もしかしたら彼女は長距離以外の全ての距離を走れるランナーになれるかもしれない」

「そんなこともわかるのか」

「あくまで現時点ではの話だけどね。それに適正距離を増やすってことは、より多く適正の不十分なレースに出て経験を積まなきゃいけなくなるってことだ。その分故障のリスクは大きくなるし、あたしとしてはあんまりオススメしない。それはルドルフの時に言った事と同じだよ」

 

 キリノはちらりとフジキセキに視線を向けた。

 

「それでも私はやるよ。より多くの人に私の走りを見せるんだ」

「なら止めはしないし、相談があれば聞くよ。あたしにできる範囲でね」

「なら早速アドバイスをくれないか? まだデビューすらしていない未熟なウマ娘だけど、やった方がいいこととかさ」

 

 フジキセキの言葉にキリノは少し考え、答えた。

 

「毎日ストレッチを欠かさないこと。体は大切にね」

 

 

 

 

 

 筋トレが終わったあとに軽く走って今日のトレーニングは終了。明日はレース想定での走行を中心に筋トレは軽め。皐月賞に向けていよいよ最終調整の段階に入ったのだと実感する。フジキセキからも応援の言葉を貰い、俄然やる気になった。

 

「良いねぇ」

 

 横にいるキリノが呟く。何が良いんだ。

 

「いやなに、プレッシャーを掛けるわけじゃないけど、皐月賞が楽しみだと思ってね」

 

 くつくつと笑うキリノはまるで研究者のようだ。

 

「抜群の仕上がりだよ。あたしが保証する」

「お前がそうなるようにメニューを考えたんだろ」

「まあそうだけど。そうなるようにメニューを考えてそうなるなら、トレーナー業なんて楽なもんでしょ?」

 

 キリノは肩を竦めて首を横に振った。

 

「キミの実力だよルドルフ。キミがあたしの理想を体現したんだ。ほかのウマ娘がどれだけ望んでも得られない力、理想を現実にするだけの力がキミにはある」

 

 少し様子がおかしいようにも感じる。彼女が何を考え、私に何を見ているのか、私にはわからない。

 

「本当に、楽しみだよ」

 

 噛み締めるように呟くキリノ。結局私は何も言えないまま眠りにつくのだった。

 



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汝、皇帝の神威を見よ

レースの描写がとても下手なことが判明したので控えていきます、マジで時間かかってすいませんでした


 

 ターフを踏みしめる時、いつだって感情が昂る。芝の感触を足で感じる度に心が踊る。一面に広がる緑を見る度、私の居場所はここにあるのだと確認できる。私は走るために生まれてきたのだと、そう思う。

 もちろんレースに技術は必要だ。ただ足を前に出すだけの動作で、誰が一番先にゴールしたかを競うルールで、そんな単純なゲームでも上手いか下手かはハッキリと結果に出る。それをわかっていながら、1度作戦も技術も捨て去って思い切り走ってしまいたい衝動が身体中を駆け巡る。その衝動に囚われたが最後、“掛かって”しまえばそのウマ娘はレースの途中で潰れるのだ。だから私達は耐える。我慢する。自らが本当に欲するものの為に欲望に抗う。

 それでも時に、その衝動に身を任せることで己の限界を超えるウマ娘が現れる。私達にとってそれは諸刃の剣なのだ。己の内の獣を飼い慣らすことが出来るのならば、それもまた力となって私達を救ってくれるのだろう。

 

「…………」

 

 皐月賞。GⅠと呼ばれるこのレースには多くの強いウマ娘が参加する。油断すれば一瞬で足元を掬われ、あっという間に置いていかれるだろう。そんなレースで緊張しないのかと言われれば、否とは答えられない。だが今日の私は、自分でも驚く程に集中出来ている。いつもより五感が冴え渡っているのがわかる。負けられない、負けたくない、それ以上に今から走るのが楽しみで仕方ない。

 

 今日のレースは私のモノだ。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「ルドルフ、絶好調だ」

 

 キリノアメジストが横で呟く。うん、私から見てもわかる。まるで彼女の周りだけ空気が乾いているような、ピリピリとした雰囲気がある。電気を纏っているみたいだ。

 

「でもあっちも負けてないね」

 

 キリノの視線の先、私は初めて見たがあれが恐らくは弥生賞でぶつかったルドルフのライバルなのだろう。名をビゼンニシキ、弥生賞まではルドルフを超える注目株だったが、その後は世間の評価もひっくり返り今回の皐月賞ではルドルフが1番人気だ。そんなビゼンニシキも落ち着いているように見えるが、静かに闘志を燃やしているのだろう。特有のオーラというものが感じられる。

 

「楽しみだねハナちゃん。どっちが勝つと思う?」

「私はルドルフに賭けるわよ。担当ウマ娘以外を信じるトレーナーがいるもんですか」

「うんうん、そうだねぇ」

 

 今日のキリノは、なんて言うかきもい。いつもの笑顔もどこか粘着質に感じられる。ニヤついてる。

 

「難儀ね、あなた」

「そうかな? そうかも」

 

 こいつが私の下で研修を積むと言って話しかけてきたその日から、なんとなく気に入らなかった。そんな私の感情に気づいてか、こいつはある日自分の思いの丈を私に全て打ち明けたのだ。それを聞いた私は結局どうすることも出来ず、しかし自分の下に置くことを良しとした。多感な時期だ、このまま歪んで壊れてしまう可能性を見過ごすよりは少しでもサポートしてあげたいと思ったのだ。それに、純粋に彼女のトレーナーとしての腕と、その特異な目に興味があったのも事実だ。

 ゲートに入っていくウマ娘たちを眺めながら、同時に少し可哀想だと思った。何せ運が悪い。今日のシンボリルドルフを相手に走らなければならない彼女たちは、他のレースなら勝てたかもしれないのに。失礼な話だなとは思うが、現実は残酷だ。ターフの上は実力主義なのだから。

 

「悲しい話だよねぇ。みんな自分が一着になりたくてあそこに立ってるのに」

 

 キリノが呟く。それはそうだろう、負けることを考えてターフに立つ者などいない。そもそもやってみないと勝負の結果などわからないのだ、普通は。レースに絶対はない。

 ジュルルと音を立ててストローを啜り、エナジードリンクを空にするキリノ。こいつ、その年からそんなもの飲んで大丈夫なんだろうか。結構ボーイッシュな口調の割にピンク色のものとか好きな意外な一面もあるキリノだが、まさかエナジードリンクまでピンクだとは思わなかった。

 

「悪かったね。別にピンクだから好きなわけじゃないし」

「悪いなんて言ってないわよ」

 

 地雷を踏んだらしい、ふんとそっぽを向いてキリノは一言も喋らなくなってしまった。ああもう、面倒くさい女だ。

 

「はぁ~? ハナちゃんに言われたくない」

「私のどこがめんどくさいのよ」

「えっと…………あはは」

「すぐそうやって誤魔化す。何も考えずに反論するのやめなさいよね、反抗期?」

「くぅ……」

 

 今日は特に情緒不安定だな。競走バでもないくせにどうしてこんなにも気性難なのか…………いや、ウマ娘という生き物は総じてこんなものなのかもしれない。あまり学園の外でウマ娘と関わる機会がないので、競走バ以外のウマ娘というのは私の中で稀なのだ。その唯一の特例も、大して変わらないのだが。

 

「お待たせ~! 会場内で迷っちゃって」

「あ、マルゼンスキー」

「心配したじゃない。メッセージも全然既読つかないし」

「いや~焦っちゃって」

 

 メンゴメンゴ、と手を合わせて謝るマルゼンスキー。とはいえレースに間に合ったのは良かった。メイクデビュー前のいい刺激になればと息抜きもかねて彼女を誘ったのだ。

 

「あ、ほら始まるわよ!」

 

 マルゼンスキーが指差す。ターフでは今にも走り出さんとするウマ娘たちがゲートの中でその闘志を静かに燃やしていた。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 スタートは上出来。バ群に囲まれない位置につけた。このまま先行して様子を見るか、抜けだすウマ娘の後ろに就くか。先行争いは激しい。6人くらいか? 最初は私が少し前に出たがすぐに追い越される。ハイペースなレースになりそうだがここでさらに逃げに打って出るとは、余程スタミナに自信があるのか、それとも掛かってしまったか。ビゼンニシキは私の少し後ろから様子を窺っているが、まず間違いなくマークされているだろう。

 

 意図してというわけではないだろうが、こうなると囲まれた形になるな。だがそれでも冷静に、周りの戦況を見極めろ。どこでこのバ群が崩れるか。

 

 コーナーだ。次のコーナーが勝負どころだ。内から? 外から? 外からだ。

 

 コーナーに足を踏み入れる。それと同時に内側に寄ったバ群とは逆の方向に足を進める。外からだ。外から差し切って一気に前に躍り出る。

 

「なッ!?」

 

 余程内側に入られたくなかったのだろう。コーナーの内側で固まったウマ娘たちは、予想に反して左側にいる私に声を上げる。

 

 このまま外側から差し切れたら順当に私が勝つだろう。だがそうはならない、そうだろう? 

 

 私の更に外側から迫る影。私を終始徹底してマークしていたのはお前だったな、ビゼンニシキ。

 

 迫る影を抑えんとコースを遮り、その影は私の思い通りにはさせまいと敢えてこちら側に寄せた。競り合いを御所望らしい。ならばいいだろう、応えてやる。コーナーを越えて直線に差し掛かる。まだだ。まだ間に合う。今は目の前の宿敵との競り合いに集中しろ。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「頑張れ……っ!」

 

 無意識に声が漏れた。横のキリノも目を見開いてレースに集中している。

 

「ルドルフちゃん負けるな~~~~!!!!」

 

 マルゼンスキーはうるさい。でも叫びたくなる気持ちもわかる。

 最終コーナーでの勝負は完璧。コース選択も間違えない。卓越した勝負センスがこれでもかというくらいに伝わってくる。これが中等部? シニア級にも届きそうなくらい…………いいや、それ以上かもしれない。彼女ならミスターシービーを止められるかもしれない。マルゼンスキーと同期のあの怪物、そこにすら手が届きそうなほどのもう一人の『怪物』が私の目に映っている。

 しかしビゼンニシキも食らいつく。彼女はルドルフのあのスムーズでありながらキレキレの外回りを見過ごさなかったのだ。彼女も同じくらい優秀なウマ娘に見える。

 

『ビゼンニシキは、ルドルフを超えられないよ』

 

 前にキリノが言っていた。彼女は天才ではないと。彼女では玉座に手が届かないと。どうして? 弥生賞でも彼女はシンボリルドルフに一番近かったウマ娘じゃない。それでもキリノは首を横に振った。

 

『彼女は勝てない…………ううん、伸び代がルドルフと違いすぎる。今はまだ戦えるかもしれないけど、いずれついていけなくなるよ。だから次の皐月賞が彼女にとって一番勝てる見込みがある、それでいて最後のレースなんだ』

 

 曰く、皐月賞は一番早いウマ娘が勝つ。それは早熟で足の速いという二つの意味を持った言葉だ。ビゼンニシキというウマ娘はまさにそこにぴったりとあてはまるウマ娘なのだそうだ。

 

『彼女の最初で最後のGⅠ勝利かもしれないんだ。もしそこで勝てないのなら一生ルドルフには勝てないよ』

 

 随分と冷たい言い草だ。

 

『これでも応援してるんだよ。彼女だけが、唯一…………』

 

 そう言いかけてキリノは口を閉じた。

 そしてそのビゼンニシキがまさに今シンボリルドルフと火花を散らして走っている。両者一歩も引かない、もし少しでも間違えれば失格一歩手前の競り合い。それでもお互い譲らない。何故ならばお互いに理解しているからだ、この競り合いに勝ったものがこのレースに勝つのだと。

 まさかこれを見越してこいつは最近やたらと筋トレに力を入れていたのか? まるで本当に未来が見えているみたいだ。ルドルフの言っていたあの冗談は、もしかしたら真実だったのかもしれない。

 

「ねぇ、あなた本当に────」

 

 私の右隣に座るキリノに声をかけようとして、言葉が詰まった。瞬きもせず、呼吸も忘れて、両目をこれ以上ないほどに開いて、食い入るようにレースを見る少女がそこにいた。まるで彼女だけ時が止まっているかのような錯覚を覚えた。…………未来が見えるのなら、こうはならないか。

 

「ルドルフちゃ~~~~ん!!!!」

 

 もう半泣きのマルゼンスキーが左で騒ぐ。もう、こっちまでハラハラしてくるじゃない。

 

 そして一体どれほどの時が経っただろうか。現実ではきっと十数秒、それでも私達にとって何分にも感じられるその永い勝負の決着は、ほんの一瞬のうちに訪れた。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 永遠に続くかと思われた競り合いに、終わりが訪れる。別に体を寄せ合っていたわけではない。接触があったわけでもない。それでも、ずるりと何かが滑り落ちるような感覚があった。常に視界の端に映っていた影が姿を消した。

 

 

 

 今だ。

 

 

 

 地面を蹴る足に力を入れ、一瞬、されど渾身の力で踏みしめる。ドン、という轟音が聞こえた気がした。

 

 

 

 一歩目。周りがスローモーションに見える。ゾーンという言葉が頭をよぎる。

 

 

 

 二歩目。一気に右のウマ娘たちの横を通り過ぎ直線を突き抜ける感覚。こちらを振り向くウマ娘たちの、驚愕の表情が目に映った。この二歩目も、実際には何歩目なのかわからない。私の感覚がそう錯覚しているだけかもしれない。

 

 

 

 そして三歩目。

 

 

 

 

 

「は──────―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 音を置き去りにした。何も聞こえない。目に映るのは辿り着くべきゴールだけだ。そして着実に、確実に、間違いなく、ゴールのその向こう側に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 瞬間、世界のすべてが戻ってきた。

 

 轟、という音と共に風が巻き起こる。私が駆け抜けた後なのだと理解するのに空白が必要だった。

 

「シンボリルドルフ先頭だ! シンボリルドルフ、ゴールイン!」

 

 実況が鳴り響く。私が勝ったのだと、ようやく実感がわいてきた。拳を固く握りしめ、喜びを嚙み締める。勝った、勝った、勝った! 勝ったんだ!! 

 観客席で見ているであろうキリノ。そして東条トレーナー、きっとマルゼンスキーもいるだろう。どこにいるかはわからないが、彼女たちに向けて人差し指を掲げた。まずは一冠、まずは一勝だ。見ているんだろう? 私は勝ったぞ! 

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「ハ゛ナ゛ちゃ゛ん゛~~~~!!」

「勝った! 勝ったのよね!? ルドルフが勝ったのよね!?」

「そうだよ。はは、二人して何泣いてんのさ」

「だって! だって~~!!」

 

 こんなレースを見て感動しないことがあるだろうか。ビゼンニシキの一瞬のスキをついて怒涛の加速を以てレースにケリをつけたシンボリルドルフ。しかしその恐るべき加速にビゼンニシキは最後まで食らいついたのだ。最終的に差は縮まらなかったものの、もし少しでも失速すればどうなっていたかわからなかった。シンボリルドルフの勝負強さ、パワー、そしてなによりも終盤のスピードとそれに耐えきったスタミナ。全てだ。全てが彼女を勝利に導いたのだ。

 

「惜しかったねぇ、ビゼンニシキ。競り負けなければワンチャンあったのに」

 

 キリノが呟く。その通りだ、もし後少しでも均衡状態を保っていれば。或いは少しでも早く外側につけていれば。でもそうはならなかった。

 

「おめでとうルドルフ。君の勝ちだ。完璧、完璧だよホント。一体誰が君に勝てるんだろうね」

 

 拍手を送るキリノ。その顔は嬉しそうに笑っていた。

 




ギャン泣きマルゼンスキー先輩


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独白

 きっと私は、ターフが好きだった。小さい頃から芝の上が好きで、辺り一面に広がる緑色に胸が踊った。植物の絨毯の上を歩けば、私の足の下から溢れんばかりの生命力がそれ以上の力で私のことを持ち上げているような感触を覚えた。

 今でも忘れられないのが、初めてレース場に連れて行ってもらった時のことだ。懸命に走り、お互いのプライドをぶつけ合うウマ娘たちの姿に涙を流すほど感動した。いつか自分もあの舞台に立ちたいと強く願った。しかし、そう言うと母親は申し訳なさそうな顔をした。

 

 程なくして私に異変が訪れた。鏡に映る自分の姿に色々と余計なものが見えるようになったのだ。スピード、スタミナ、パワー、まるでゲームのステータス画面みたいだった。

 それは私以外のウマ娘も例外でなく、テレビに映ったウマ娘にも同じようにその力が働いた。そして気づいたのだ、私の能力は著しく低いのだと。

 学校に入ってからは早かった。同学年でも能力の数字は既に差が開いており、年月を重ねる毎にその差はどんどん大きくなっていく。そのうちに能力に上限があることに気づき、私はどう頑張っても彼女たちに追いつけないのだということを思い知らされた。だってそうだろう、私はどう頑張っても200にしかならないのに、どうして1200まで進む可能性のある奴がいるんだ? 

 人がそれを才能と呼んでいることを知るのに、そう時間はかからなかった。学校生活が折り返しを迎えた時には既に私は走ることを諦めていた。

 

 私は両親にこのことを打ち明けた。小さい頃に数字が見えると話した時には両親も首を傾げていたが、この数字の意味を私自身が知るようになってからは、この数字がどういうものかを説明することが出来た。

 両親は信じられないものを見るような目をしていたが、やがてレースを走るウマ娘を指差して細かく順位付けをすると、私の話を信じるようになった。

 

 私はその時に初めて両親のことを知った。私の母は昔トレセン学園に在学していた生徒で、父はその時に勤務していたトレーナーだった。母は父にとっての初めての担当ウマ娘だったのだ。

 しかしながら母の成績は決していいものではなく、結局未勝利のまま現役を引退することになった。父は新しい契約を結んだようだが、母はその後も父のサポートをし続けたらしい。

 最終的に父はGⅠレースにおいて何回かの勝利を担当ウマ娘と共に勝ち取り、トレーナーとしての功績もそこそこに良いまま今ではもう少し上の役職に居るそうだ。そして献身的に父を支え続けた母は卒業後に父と結婚、その結果今の家庭があるというわけだ。

 父は今でも未熟な新人時代に母を勝たせてやれなかったことを後悔しているらしく、その話をする時の父の表情は浮かないものだった。だから私は言ってやったのだ。

 

「知りたい?」

 

 何を、と言いたげな父の口から言葉が出てくることはなかった。代わりにゴクリと生唾を飲む音。父はすぐに理解したようだった。

 そう、私にはウマ娘の能力が見れる。包み隠さず全て話した今ならわかるだろう、私はこの時父に答え合わせをしようと持ち掛けたのだ。十数年前に母が勝てなかったのは父が悪いのか、それとも母は元々その程度のウマ娘だったのか。今思えばなんて残酷なことを言い出す娘だったのだろう。

 

 父は何も言えず固まっていた。私に悪意があったわけではないが、トラウマをほじくり返された挙句その傷口を今無理やり広げられようとしているのだ。誰だってそんなことはされたくない。当の私は父が固まってしまったことに困惑しているばかりだったが。

 

 そんな空気の中、母は私を優しく抱きしめて頭を撫でながらこう言った。

 

「いいのよ、もう過ぎたことなんだから。それに、なんとなくわかってるしね」

 

 ごめんね、と謝って母は私の頭を撫で続けた。私はいつかの謝罪を今の母の言葉に重ねた。そういう意味では、私は真にこの時走ることを諦めたのだろう。

 

 結論からいえば、母が勝てなかったのは母自身の能力が低かったせいだ。母は強いウマ娘ではない。レースに勝つための要素も成長の見込みがない。どれだけ頑張っても……いや、実際に頑張ったのだろう。精一杯やって勝てなかった。勝てるウマ娘ではなかった、それだけの話だ。

 しかしそれだけではこの話は終わらなかった。ウマ娘の体というのは親の影響を色濃く受ける。母は強いウマ娘ではなかった、そしてその母から生まれた私も強いウマ娘ではない。この世界には血統というものがあるのだ。だからあの日、母は私に謝ったのだ。

 

 それから私は取り憑かれたように色んなことに手を出した。

 クラスの人気者の一人称が『あたし』だったから、自分のことを『あたし』と呼ぶようにした。その日から私はあたしになった。

 父の部屋にあったギターを手に取った。暫くして上手いこと弾いてみせたその年の私の誕生日プレゼントは、かなりいい値段のギターになった。父が如何に稼いでいるかよくわかる。

 

 でも、やればやるほどわかってしまう。真実に辿り着いてしまう。私じゃなくていいのだ。クラスの人気者も、ギターを弾くことも、私じゃなくていい。私よりもっと上がいる。私じゃ1番になれないのだ。練習するために弾くこの曲だって、誰かが作ったものだ。私じゃない。私じゃなれない。代わりがいくらでもいるようなものにしか、私はなれない。自分の未来図を描こうとして、クレヨンで黒く塗りつぶした。

 

 この頃から私は父の背中を追うようになった。私の目があればトレーナーなんて楽勝じゃん、そう思ったからだ。知識が必要なことに気づくのはもう少し後だったが、それでも私の進むべき道はこの時にほぼ決まった。走れないのなら、走らなければいい。私じゃなくていいのなら、私以外がやればいい。向き不向きというものがあるのだから、走れないウマ娘が走る必要は無い。ギターを弾くのはもっと上手い人がやればいい。私は、私がやれる事をやればいい。

 トレーナー業はその点、私から見れば魅力的だった。ウマ娘の体を見て、何が強くて何が足りてないのかを教えればあとはその子の才能のままに育つのだから、私じゃなくてもいいが私がやったって結果は変わらないだろう。私は父にトレーナーになる道はないかと尋ねた。

 

 さすがにこの特異な才能をどうにかしたいと思ったのだろうか、父も色々と画策していたみたいだ。しかし普通にトレーナーの勉強をするのではこの目を活かす機会は無い。考えた父は、きっと過去に勤務していた中央のトレセンを頼ったのだろう。その結果、卒業まで半年になったところで私に中央のトレセンへの入学の話が舞い込んできたのだ。

 つまるところ、私は100%コネクションでこの中央へとやって来たのだ。運が良かっただけ、私の父がレース業界のお偉いさんで、私がたまたま変な目を持って生まれてきただけ。中央に行きたくて仕方がないウマ娘なんて山ほどいるだろうに。

 でも申し訳ないなんて思わなかった。私には走る才能がなかったのだから。才能がないのが悪い。同じように才能がなかったウマ娘は普通ならば中央には行けないのだ。その子たちも同様に才能がないのが悪いと割り切るしかない。芝を見るだけで胸が痛むのも、思い切り走るウマ娘を見て歯軋りをするのも、気持ちよさそうに風を切る君を突き飛ばしてやりたくなるのも、全部才能がないのが悪い。

 

 別に、私の代わりに走って欲しいんじゃない。無念を晴らして欲しいなんて思ってない。それでも私じゃ私を救えないから、私に無いもの全部持ってる君に託すんだ。

 

 君に勝って欲しかった。精一杯手伝ったつもりだし、1番の友達だし、何より君の走りを見るのは好きだから。

 君に負けて欲しかった。ビゼンニシキが勝ってれば、きっと私は後悔しただろうから。私にも勝てるチャンスが、走る機会があるかもって思えたかもしれないから。走るのを諦めたことを、ターフの上の夢を捨ててしまったことを嘆きたかった。

 

 ぐちゃぐちゃだ、全部ぐちゃぐちゃだよ、シンボリルドルフ。君が好きだ、嫌いだ。応援してるから負けないで欲しい。誰かが玉座から君を引き摺り下ろして欲しい。どっちが本音か建前かもわかんない、どっちも本音で建前だ。ううん、違うよ。結局私が、私の問題なんだ。私は走りたかった。走りたかったよ、ルドルフ。でもダメだね、君がいるんだもん。私じゃ無理だよ。私じゃ君に勝てないから、走る意味なんてないから、走るべきじゃないって君が教えてくれるから。

 

 ねぇルドルフ、一つだけ約束してよ。どうせ君に話すことなんてないから勝手に結ぶけどね。ね、私だけ不幸なんてズルいじゃん? だからさ、みんなみんな不幸にしてよ。君の走りで、君のその圧倒的な強者の力でさ、みんなみんな勝てない不幸なウマ娘にしようよ。そしたら私も私以外も、ううん、君以外のウマ娘みんな平等に負け組だ。その方が公平でしょ? みんな君を恨んで妬んで羨んで、みんな幸せだ。

 

 だからお願い、私を幸せにしてよ、ルドルフ。

 




あの相部屋、湿度高くないか?


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汝、皇帝の迷いを見よ

ルドルフの話のようで、マルゼンスキーの話のようで、ルドルフの話


 

 私の皐月賞が終わり、マルゼンスキーのメイクデビューも終わった。私がかなり接戦だったのに対してマルゼンスキーはぶっちぎりの大差で1勝を取ってきたらしいが、まあ彼女の脚に追いつく未勝利のウマ娘などそうそういないだろう。東条トレーナーも色々と終わりほっとしているようだ。

 しかしながら私は一ヶ月後に日本ダービーを控える身、決して気を抜けない時期だ。だというのに、更にトレーニングを重ねなければという私に対してキリノは消極的だった。

 

「理由を教えてくれ。日本ダービーは皐月賞よりも長い2400m、今以上にスタミナが……」

「いらないよ。今まで通りのトレーニングでいいって言ってるじゃん」

 

 はぁ、とキリノはため息をついた。

 

「いい?本来君は中~長距離の方が得意なの。一番の不安要素だった皐月賞をとった今、君には敵はいないよ。筋トレはもうあんなにやらなくていいけど、体を鈍らせないように走るのだけは怠らないでね。あと基本的には短距離走はなしで」

「そんな適当でいいのか?」

「適当にやらないでよ?」

「そうじゃなくて!…こほん、皐月賞の前には急に筋トレに力を入れたりしたじゃないか」

「もう必要ないよ、君に足りないものは無いからね。大体1ヶ月間隔で3連続レースに出てるのに、そんなハードなトレーニングさせられるわけないでしょ。なんなら2日に1回でもいいくらいだよ。テスト勉強でもしたら?」

「……信じていいんだな?」

「いいよ。君は負けないから」

 

 妙な説得力と絶大な信頼の上に、ついに私は何も言えなくなった。そこまで言われたら勝つしかない。

 それに彼女の言うことも一理ある。レースの前にトレーニングで怪我でもしようものなら一番悲惨な結果になるのだから、ハードなトレーニングは避けるべきだ。適当にするな、というのもそういう事だろう。

 

 しかし、それとは別に最近キリノの様子がおかしい。おかしいというか、ボーッとしていることが増えたように感じる。ちょうど皐月賞が終わった頃からだ。何かあったのだろうか。

 

「ん?んー……わかんない。思ったより皐月賞に向けてあたしも力を入れてたのかも。燃え尽き症候群かな?」

「おいおい、まだ1冠だぞ?ここからだというのに……」

「いやぁ、さっきも言ったけど負けるとしたらここだなって思ってたからね。ホッとしてるのさ」

「そうか……」

 

 結局曖昧な答えのまま会話は途切れた。本人もそれを自覚している様子がなかったので、もしかしたら私の思い過ごしなのかもしれない。

 

「じゃああたしは先に寮に戻ってるから、なんかあったら連絡して。あんまり走りすぎないようにね。あとストレッチは忘れずに」

「もちろん、欠かさずにやっているさ。行ってくるよ」

「頑張ってね~」

 

 結局その日はトレーニング前に別れ、寮に戻るまでキリノに会うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、東条トレーナーとのミーティングのためにトレーナー室を訪れると、キリノと東条トレーナーが何かを話していた。扉を開けずにドアにそっと聞き耳を立ててみると、二人の会話が聞こえてくる。

 

「この話はもう少し後回しにしたいわね……」

「臆病だなぁ……ま、ちょっと忙しすぎるかもね。せめて日本ダービーが終わってからかな」

「それに未だに納得してないわよ。マルゼンスキーだってメイクデビューが終わったばかりなのに、ちょっと判断が早すぎるんじゃないかしら」

「そりゃもう、人手不足だからね。こうしている間にも希少な才能が担当トレーナーを見つけられずに消えていってるかもしれないよ?」

「それはそうだけど……」

「学園側も焦ってるんだろうね。だから結果を出しているトレーナーには是非ともチームを持ってもらって、多くのウマ娘を見てもらいたいのさ」

「わかってるわよ。ただその、仕事が追いつかなくて」

 

 東条トレーナーが声のトーンを落とす。

 

「それにマルゼンスキーのレースのこともね……」

「何かあったの?」

「2つほどね」

「……1つは予想がつくけど、もう1つは?」

「登録が難航してるレースが幾つかあるのよ」

「どうして?」

「……国籍がね」

「えっ、もしかして生まれが日本じゃないの?」

「そう、アメリカなのよ。だからその、出走できないレースがあって、もしかしたらクラシックも……」

「そっかぁ……」

 

 キリノも落ち込んだように声のトーンを落とした。

 

「一応そういう声が上がってはいるんだけど、年内は有記念以外は多分難しい……もしかしたらマルゼンスキーが現役のうちは無理かもしれない」

「呆れるよねぇ、お国柄ってやつだ。実力主義みたいな顔しといてそういうとこはキモいんだから」

「仕方ないでしょ、別に全部が全部悪いことじゃないわ。ただ、運がなかっただけ」

「マルゼンスキーはこのこと知ってるの?」

「ええ。本人も悔しそうだったけど……」

「勿体ないねぇ。ミスターシービーからすればラッキーかな?」

「……マルゼンスキーが彼女に並ぶ器だと思う?」

「並ぶなんてそんなもんじゃないよ。ミスターシービーがなりふり構わず全速力で走って、それで対等だ」

「随分と高く買ってくれてるのね」

 

 うん、とキリノが相槌を打つ。

 

「ミスターシービーはかなり早い段階で結果を出したけど、別に早いから強いわけじゃないよ。大器晩成って言葉があるでしょ?」

「それは知ってるけど、ミスターシービーの出した結果はそんなに軽く語れるものじゃないでしょ」

「もちろんだよ。彼女は強いウマ娘だし、間違いなく今最強格の1人だ。他のウマ娘じゃ手も足も出ないし、実際にあの追い込みと末脚に勝てるウマ娘は多くない」

 

 1拍置いて、キリノが再び口を開く。

 

「でも、彼女は怪物じゃない」

「本気で言ってる?」

「うん、本気だよ。彼女はああ見えて、かなり上手いこと走ってるんだ。天賦の才にも見えるあのレースセンスも、実際には相当計算された上でやってるんじゃないかな?まさに秀才だね」

「つまり、天賦の才で上回る者がいるって言いたいの?」

「そうだよ。だってハナちゃんは今のところ怪物の担当しかしてないからね」

「……二人が、そうなの?」

 

 ごくり、と生唾を飲む音が聞こえる。私だ、私のものだ。

 

「ルドルフはとっても努力家に見えるでしょ?あれでいて彼女はかなり感覚派でね、その努力すらも自分の感覚で正解を導いてしまえるんだ」

 

 私がミスターシービーを超える逸材だと、お前はそう言うのか。

 

「あたしが直接トレーニングに口出ししたことなんて1度もないよ。ただ何を鍛えるかを伝えるだけ。どうすれば何を鍛えられるか、それはルドルフ自身がよくわかってるんじゃないかな。ていうかあたしにはよくわかんないし、優秀なトレーナーなら違うのかもしんないけど」

 

 そういった点ではハナちゃんの方が上だね、と小馬鹿にしたような口をきくキリノだったが、東条トレーナーは無言だった。

 

「マルゼンスキーも……ううん、あれはもっと感覚派だね。と言うよりも作戦なんて考える必要が無い。思い切り走るだけでそこら辺のウマ娘は影すら踏めないし、全速力のマルゼンスキーを捉えるのはルドルフでも多分無理だ」

 

 適正距離がそもそも違うけど、とキリノは付け足す。

 

「あたしがマイルまでしか走らすなって言ったのは、別にマイルまでしか走れないからじゃないよ。あ、ルドルフと戦わせたくないからでもないからね?……そうじゃなくて、マルゼンスキーはちょっと脆いんだ。当たり前だよね、普通に考えてあのスピードで走るウマ娘がどれだけ頑丈だったとしてもリスクが小さくて済むはずがない」

「……それは」

「これは体作り云々でどうにかなる話じゃないよ。もちろん、怠っていいって言ってる訳でもない。ただ、長い距離を走らせるのは彼女の体の負担が大きすぎるからね。だから走らせるとしてもマイルまで。それに、その日のコンデションによっては抑えて走らせることも視野に入れないといけない」

 

 キリノの言葉を最後に暫く会話が途切れていたが、やがて東条トレーナーが口を開いた。

 

「つくづく、ちゃんと走らせてはくれないのね」

「こればっかりは仕方ない。むしろそういう点で、ルドルフは本当に怪物だったのさ。フィジカル面での不安が極端に少なく、最高速も速いし頭も切れる。全速力で走れば強いウマ娘は沢山いるかもしれないけど、全速力で走っていいウマ娘はそんなに多くない」

「そうね、その通りだわ」

「マルゼンスキーには悪いけど、自分の体のことを考えるのなら全力を出さないのが一番いい。……出来れば、あたしも見たかったけどね」

「手は尽くしてみるわ。担当トレーナーだからね」

「うんうん、そこはあたしじゃなくてハナちゃんがやるべき事だよね」

「当然よ。見習いに任せることなんてないんだから」

「本当に~?」

「ぐっ……!まあ、マルゼンスキーのことを色々気にかけてくれたのはありがとう。私じゃわからないことだってあったかもしれないわ」

「素直じゃん。まあそんなわけないけどね、あたしがやることなんて君にもできることしかないんだから。そうでしょ?東条トレーナー」

「……はぁ、素直じゃないわね」

 

 なんだか、すごい話を聞いてしまった気がする。

 

 

 

「なんだか、すごい話を聞いてしまった気がするわね」

「っ!?マルゼンスキー!?」

「やっほ、ルドルフちゃん」

 

 突然目の前に現れたマルゼンスキーに思わず声を上げてしまった。ということは、当然中にいる2人にも聞こえてしまったわけで。

 

「盗み聞きは良くないねえ、ルドルフ?」

「うっ……すまない」

「メンゴ~」

 

 中から出てきたキリノに見つかってしまった。呆れた表情のキリノの後ろで、ソワソワと落ち着かない様子なのは東条トレーナーだ。

 

「……じゃあまあ、このままミーティングだね?」

「……ええ」

 

 そんな気まずい雰囲気のままミーティングが始まる。

 

 そこからは特に変わったことはなく、今後のスケジュールや先程聞こえたマルゼンスキーのレースの予定等、トレーニング面ではないところでの話ばかりだった。しかし私は気になっていることがあり、ミーティングもあらかた終わったところで話を持ち出していた。

 

「ひとつ聞きたいんだが、さっきマルゼンスキーが出られるレースが少ないという話をしていただろう?」

「あーね、あんまりいい話じゃないけど」

「2つ理由があると言っていたが、もうひとつの方は何なんだ?」

 

 ああ、とキリノは相槌を打った。私は、キリノが少し目を細めたように見えた。

 

「メイクデビューの映像見たでしょ?あんな反則級のスピードを持ったウマ娘と同じレースに出たいと思う?」

「……戦ってみたいとは思うが、なぜ?」

「まあルドルフにはわかんないよねー。結論から言うと、マルゼンスキーが出るレースを敬遠するウマ娘が多いのさ」

 

 なるほど、つまりレースが不成立になる可能性が高いということか。

 

「この前なんて、マルゼンスキーが出走表明したレースに出走予定だったウマ娘の半数以上が辞退しちゃって、結局なくなっちゃったしね。そういう意味でも出れるレースが少なくなってるんだ」

「…………」

「ま、賢い選択だとは思うけどね。わざわざ勝てない勝負をするくらいなら勝てるレースに出た方がいい。走るウマ娘としても、その子のトレーナーとしてもね。野球で敬遠球投げられるのと変わらないさ」

 

 正直に言うと、私は肯定したくなかった。むしろこんな才能と出会えて喜ぶべきことじゃないか。マルゼンスキーと戦えて幸運だと思わないのか。心の中ではそう思っていた。だが、現実はそうではないことも知っている。勝つことこそを正義だとするのが、勝負の世界だからだ。

 

「あたしもトレーニング以外で走ってるとこ見たいんだけどなー」

「それでも、一個も出れないわけじゃないんでしょ?なら私は、出れるレースに全力を尽くすわよ!」

「全力を尽くすと脚を痛めるって話してたでしょ?忘れたの?」

「ああー……そっかぁ」

「その日の調子次第だね」

 

 マルゼンスキーはガッカリしている様子だったが、それでも彼女の瞳は曇らなかった。私だったら、この世界を憎んでしまうかもしれない。そう思えるほど彼女の境遇は悲惨なものに思えた。

 

「暗い話ばっかしてもしょうがない!ルドルフは日本ダービーもあるしね。各自できることを精一杯やろうってことで、良くない?」

「ええ、私からも同じことを言うわ。ルドルフは目の前の日本ダービーに集中すること。マルゼンスキーの件に関しては、私も色々と掛け合ってみるから」

「ハナちゃん……!」

「うん、任せなさい!」

 

 その日のミーティングはそこで解散となった。

 

 寮に戻ってからも私はずっと考えている。マルゼンスキーのようなウマ娘を1人でも多く救いたい。環境に恵まれずに夢を追うことすら叶わないウマ娘を1人でも減らしたい。私の願いはいつだってそこにあった。

 

「なぁ、キリノ……」

「なに?」

「お前は、マルゼンスキーを見てどう思う?」

「どうって……残念だとは思うよ。恵まれるって、才能だけの話じゃないからね」

「私は……私は悔しいよ。こんなことがあっていいはずがない」

 

 悔しかった。怒りすら覚えた。彼女に言葉のひとつも掛けてやれなかった自分自身が不甲斐なくて仕方なかった。

 

「私はいつか全てのウマ娘が幸福に暮らせる世界を作りたい。彼女のようなウマ娘が救われるような世界を作りたい。キリノ、私に出来ると思うか?」

 

 今は無力だ。私ではマルゼンスキーを救えない。以前の私ならそれでもいつか、いつか私が世界を変えてみせる、そう思えただろう。だがこの現状を前に、私は少し夢を見失いそうになっている。私では力不足なのではと、そう思ってしまう。

 

「あたしに聞くの?」

「ああ、親友であるお前に聞くんだ。どんな言葉だって受け止めるさ」

「ふーん…」

 

 キリノはしばらく黙っていた。顔を向けると、ボーっとしているようにも、何かを考え込んでいるようにも見えた。どこか遠くを見つめているような気がした。

 

「あたしの目じゃわからないからなぁ」

「別にお前の目の話じゃないさ。ただ1人の友人として、お前の言葉が聞きたい」

「ふふ、変なの。そんなの今決めなくてもいいじゃん」

「……そうだろうか」

「出来るかどうかなんて、死んでからわかることだよ。死ぬまではいくらでも未来があるでしょ?精一杯やって、それでも志半ばで息絶えるなら、その時初めて『出来なかった』って言えばいいんじゃないかな?」

 

 キリノの言葉は薄暗くて、それでも仄かに光を感じる。ネガティブでリアリストだが、決して後ろを向かない。そんな彼女の考え方が私は好きだった。

 

「……それもそうだな、ありがとう」

「いえいえ」

 

 目を閉じれば、深く意識が沈みこんでいく。心にかかった霧は、少しずつ薄れていっているような気がした。

 



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汝、皇帝の休暇を見よ

皆様からの感想や評価等いつも励みになります。亀更新ですがお付き合いいただけると幸いです。


 

 有意義に時間を過ごす方法、果たしてそんなものがこの世の中に存在するのだろうか。有意義な時間というものの定義から始めればあまりにも無意味で、その時間こそまさに無駄だったと言える結果になるだろう。しかし自分の意のままに怠惰の限りを尽くせば、それはそれで客観的に見て決して有意義とは言えない気がする。

 私は、端的に言って困っていた。何に困っているかというと、休日の有意義な過ごし方についてである。ちなみにトレーニングの類は禁止されているので、そんな選択肢は取らせてもらえない。私としてはトレーニングやレースに没頭する時間の方が心地よいのだが、体を休めろというトレーナーからのお達しを無視するわけにはいかなかった。かと言って学業において困っていることもなく、提出物は既に済ませてある。要するに私は暇だった。

 

 外はまだ少し春の気温が残るふわりとした暖かさで、ぼーっとしていると眠気を誘う。せっかくだし、運動も兼ねて外に散歩に出かけようか。普段こそ大して気にもしないが、トレセン学園の周辺を見て回るというのは実は初めてだった。この機会に色々と知っておくのも良いことではないだろうか。

 そうと決まれば善は急げ、私は簡単に荷物をまとめ、制服ではなく私服に着替える。外出届を出せば晴れて私は自由の身というわけだ……門限までは。

 

 

 

 

 

 

 駅の周辺まで出てみれば流石に人も増える。元々トレセン学園近郊ではウマ娘の客を狙って飲食店が多く展開されているが、アパレルショップやその他の雑貨屋等は残念ながらここまで出て来ないと中々無いのだ。その為駅の周辺ではヒトもウマ娘も多く見られるようになる。まあ純粋に駅の周辺が1番人が増えるというのは当たり前なのだが。

 

 昼食を済ませ適当に散策していると、アクセサリーショップにウマ娘が入っていくのが見えた。それに釣られてか、なんとなく私もフラフラとその店に吸い込まれてしまう。

 洒落っ気など私には縁のないものだと思っていたが、ふと気になってしまった。それはもう、周りのウマ娘たちがあーだこーだトレンドがどーだと話しているのだから気にならないわけがない。

 しかしながら私は流行に疎い。故に手を出せずに悩んでいたのだが、煌びやかな店の雰囲気に浮かれ、ついつい買い物をしたくなってしまった。可愛いハート型なんかは私に似合わないだろうから、なるべく無難なものがあるとありがたいのだが。

 

「も、もしかしてシンボリルドルフ?」

 

 そんなことを考えていると、声を掛けられた。振り返ってみると見知らぬウマ娘が1人、こちらを見て固まっている。

 

「ああ、そうだよ」

「ホントに!? 私すっごいファンで、この前の皐月賞もすごい応援してて、えっと、えっと……」

 

 どうやら私のファンらしい。緊張しているのか、言葉が出てこないようだ。

 

「ありがとう。そんなに緊張しなくてもいいんだが……」

「あ、握手! 握手してもらえませんか!?」

「もちろん、構わないよ」

「わ、わ、あ、ありがとう! うそ、やば、まじ???」

 

 私よりも年上に見えるが、何故だろう、彼女の方が若々しく輝いて見える。

 

「うわ~~~もう手洗えないよ……」

「そんな大袈裟な」

「大袈裟じゃないよ! 私本当にもう、やばい、泣きそう…………」

 

 思えば、目に見えてのファンというのは初めて出会った気がする。なるほど、悪い気はしない。私と会って笑顔になってくれるところを見ると嬉しくなる。

 嬉しいついでに、彼女に流行のあれこれを教えてもらうということを思いついた。

 

「代わりにと言ってはなんだが、ひとつ頼まれてくれないか?」

「え、なに!? なんでも言って!」

「あはは。恥ずかしながら、私は流行に疎くてな……よければオススメのアクセサリーなんかを教えてくれたら嬉しいのだが」

「……マジ? シンボリルドルフのアクセサリー選ぶの? 私が?」

「ああ、是非君に頼みたい」

「ううう…………緊張で吐く……」

 

 一気に顔色が悪くなる。そんなに緊張しなくても、普通に接してほしいんだが……いや、自分の立場も考えずに求めるのは失礼か。

 

「あくまで参考にするだけだよ、そんなに気を張らないでくれ」

「う、うん。えっとね、最近だと……」

 

 そこから彼女のオシャレ講座が始まった。最初こそこの世の終わりのような顔をしていたが、話しているうちに緊張が解れてきたのか調子を取り戻していった。私はふむふむと頷くばかりだったが、どうも可愛いのばかりオススメされて選びづらい。

 

「後はこれなんかはペアルックで人気だけど……」

「これと、もうひとつはそのピンクの方かい?」

「うん、そうだよ」

 

 ペアルックのアクセサリー……少し重いか? そもそもキリノはアクセサリーに興味があるのか? そんなことを言い出したら彼女の普段着すらほとんど見た事がないが、いや最悪受け取って貰えなかったらマルゼンスキーあたりに……なんて失礼なことを考えるんだ私は! 

 

「え!? もしかして彼氏とかいたりするの!? 嘘!! ううん、聞かなかったことにするから! 秘密にするから!」

「待て待て待て」

 

 掛かり気味なウマ娘を宥める。

 

「友人の分も、と考えただけだよ。交際している男性はいない」

「あ、あ~~~~ね。びっくりしたー」

「む、そういえばその『あーね』とはなんだ? 私の友人も使っていたのだが、実は意味がよくわからなくてな……」

「え? なんだろ……なるほどね、的な? あんまり深く考えたことないかも」

「なるほどか、ありがとう」

 

 やはり今時の子というのはよくわからない言葉を使うんだな。そう考えると実はキリノはかなり流行に詳しくて、アクセサリーなんて結構持ってるんじゃないだろうか。やはりやめた方がいいか。

 

「でもいいなーシンボリルドルフからプレゼント貰えるなんて。その友達さん羨ましすぎる~~~」

「ははは、彼女が喜んでくれるとは限らないがな」

「いやもうそんなん嬉しいに決まってるよ! 友達からプレゼントとか貰ったら私めっちゃ嬉しいし」

「そう、だろうか。そういうものだろうか」

「え、嬉しくない?」

「いや私は嬉しいさ。ただ、私が感じることが全て正しいわけじゃないからな。私にとっては嬉しくても他の人は嫌がる、なんてことだってあるだろう」

「んん~~~? よくわかんないけど、やっぱ気持ちでしょ。いらないもんでもプレゼントしようとしてくれた気持ちが伝わったら嬉しいじゃん」

「それは……うん、そうだな。これにするよ」

「うんうん! 似合うと思う!」

 

 棺のような形の枠に透き通った翡翠のような輝石が埋め込まれている。もうひとつは同じ形だが、薄い桃色になっている。私はその2つを手に取り、カウンターへと持って行った。

 

「ありがとう。君のおかげでいい土産が用意できたよ」

「全然! むしろ私の方が最高だったって言うか……ううん、次のレースも応援してるからね!」

「ああ、頑張るよ」

「じゃあね!」

 

 最後の方は慌ただしく別れを済ませたが、いい出会いだった。名前を聞きそびれてしまったことにあとから気がついたが、相手の勢いに押されてしまった部分もあるのでこれはもう仕方がない。もし次に会う機会があれば、その時に聞き出すことにしよう。私は1度見た顔を忘れないからな。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 いつまでも駅の周辺をブラブラと歩いていても仕方が無いので、駅から離れて大きな川の方まで来た。特に目的はなかったが、帰るには少し早いくらいの時間をどうにかして潰したかったのだ。

 夕日が水面に浮かび川が綺麗に赤く染まっている様は、思わず立ち止まって魅入ってしまうほどだった。私と同じなのかはわからないが、河川敷にはこんな風にじっと景色を眺めているだけの人も多い。勿論それだけでなく、釣りをしている人や自主トレーニングで走っているウマ娘も見える。トレセン学園から随分と離れているはずだが、こんな所まで来て走るのだからよっぽど好きなのだろう。そんなウマ娘を見ると心が熱くなる。

 

 暫くぼーっと川の方を眺めて歩いていたが、大きな橋を視界で捉えると同時に、微かに美しい旋律が私の耳に入ってきた。おそらく弦楽器のものであろうそれは、橋に近づくにつれどんどん大きくなっていく。きっと橋の付近で誰かが演奏をしているのだろう。

 激しくなくどこか懐かしさすら覚えるそのメロディーは、夕焼け空によく合う落ち着いた音色だ。優しく、哀しく、子守唄のようで、このまま聴いていたら寝てしまいそうなほどに私の心へと染み込んでいく。

 やがてその音色に鼻歌が交じり始めた。メロディーに反して可愛らしく、ちょっと子供っぽい声にはどこか聞き覚えがあり──。

 

「ん?」

 

 聞き覚えがあった。何故? その答えを求めて音の源へと近づいていく。

 

 その演者を目で捉えた時、私は声を上げてしまいそうになった。なぜお前がここにいるんだ、キリノアメジスト。こんなところで、そしてなぜギターを? その時頭の中で全てのピースがカチリという音を立ててハマった。

 休日、私に何も言わずに出ていくキリノ。クローゼットに入った縦長の何か。そうか、そういう事だったのか。キリノはつまり、休日の間ここでギターを弾いていたのだ。時に鼻歌を歌い、時に弦とピックだけで、きっと色んな音を奏でてきたのだろう。

 夢中でギターを弾いているのだろう。私がこんなに近くに来ても気づく様子すらない。いや、そもそも通行人のことなど気にも留めずに演奏しているのだろう。彼女の好きなことはこれだ、これだったのだ。

 

 やがて演奏を終えて一息ついた彼女の方へと近づき、声を掛けた。

 

「やぁキリノ、奇遇だな」

「っ!? …………ルドルフ」

 

 彼女は酷く驚いた様子で、その表情はまさに驚愕の一色に染まっていた。

 

「い、い、いつから……?」

「少し前からだよ。美しい音色が聞こえてきて、その音に釣られて歩いていたらお前に出会ったというわけだ」

「…………見てたんだ」

 

 嬉しそう、ではないな。どちらかと言うと焦っているように見える。あまり私に見られたくなかったのだろうか。

 

「どうして隠していたんだ? 素晴らしい演奏だったよ」

「……そんな事ないよ。うん、そう、恥ずかしかったんだよね。ほら、あたしまだまだ下手くそだからさー」

 

 あはは、と照れ笑いで誤魔化すキリノ。よく見るいつもの誤魔化し方だ。少し彼女との距離が縮まった気がしたのだが、こうやってはぐらかされてしまうのはいつもの事だった。

 

「そうだろうか? 少なくとも私にはとても良いものに聞こえたよ」

「ああ、そう。うん、ありがとね」

「……怒らせてしまったか?」

「ううん、驚いてるだけだよ。不意打ちだったからね」

 

 いつもの調子に戻りつつあるが、まだどこか上の空のようだ。そんなに見られたくなかったんだろうか。私からすればいつもの低い自己評価のようにしか見えないが。

 

「そうか、ならいいんだが」

「うん、大丈夫、大丈夫だよ。そろそろ帰るつもりだったしね。一緒に帰ろうよ」

「ああ、そうだな。よければまた聴かせてくれないか?」

「……こんなのでよければいくらでも」

「是非お願いしたい。なんなら帰ってからでもいい」

「隣の部屋の子に怒られるよ。なんの為にここまで来てると思って」

「ははは、それもそうか」

 

 とはいえ、こんな遠くまで来るのもおかしな話だ。わざわざこんな遠くまで来なくても、トレセン学園の近場に公園くらいあるだろう。そんなに私に見られたくなかったのか? 

 

「ところで、なんでこんな遠くまで来たんだ? いつもここで弾いているのか?」

「そうだよ。まあ、実家の近くだからだね。家に帰るついでにって感じかな」

「なるほど、そうだったのか」

「うん、それにここはあたしのお気に入りでもあるからね。昔はよくここで走っ…………遊んでたんだ。だから思い出の場所なの」

 

 そう語るキリノの表情は、夕日の影が差してよく見えなかった。

 

「思い出の場所、か。うん、良いじゃないか」

「なに? 黄昏ちゃって」

「黄昏てなんかないさ。ただ私も昔のことを思い出しただけさ」

「へー。昔のルドルフも今と変わらなかった?」

「そうでもないさ。昔はまあ、その、結構やんちゃだったようでな。なかなか言うことを聞かない、いわゆる気性難なウマ娘だったらしい。今のように育ったのは両親の教育あってのものだよ」

「ルドルフが気性難……まぁわからなくもないかな」

「そ、そうなのか?」

 

 それはつまり、今でも私は気性難の気があるという事だろうか。

 

「なんとなくだよ。負けず嫌いなとことか、勝負に熱くなるところとか、案外そうかもって思えるだけ」

「そ、そうか……」

 

 正直今はかなり品行方正、模範的なウマ娘を目指しているのだが、今でも幼い頃の性格は治っていないように見えるらしい。まだまだ未熟な部分が隠しきれていないようだ。

 

「悪いことじゃないと思うよ? 可愛げがあるじゃん」

「それはフォローしているつもりなのか?」

「フォローも何も、本心だよ」

「はぁ……そう受け取っておくよ」

 

 ふふ、と薄く笑うキリノはいつの間にかいつもの調子を取り戻していた。ほっと息を吐いて、安堵している自分がいることに気づいた。

 

 

 

 

 

 

 寮に帰ってからも、キリノは相変わらず隠すようにクローゼットにギターを置いた。その時の表情を見るに今日のことをだいぶ気にしているようだ。何かお詫びになれば……と探していると、ちょうど土産を買っていたのを思い出した。

 

「なぁキリノ、アクセサリーに興味はないか?」

「……はっ? アクセサリー? な、無くはないけど……」

「……なんだその反応は」

 

 声を裏返して跳ねるキリノ。まるで信じられないものを見るような目をこちらに向けてくる。

 

「まさかルドルフからそんな単語が出てくるなんて思わなくてね」

「私をなんだと思っているんだ? まあ私自身少し思うところがないわけでもないが……まあなんだ、今日はお前にお土産があるんだ」

「……アクセサリーの?」

「ああ、私とペアルックのな。私が右耳用で、お前のが左耳用だ」

 

 小さい袋から2つのアクセサリーを取り出す。そのうち桃色に輝く半透明のアクセサリーをプラスチックから取り出して、キリノの前に差し出した。キリノはまじまじとそれを見つめている。

 

「ペアルックって、ルドルフと? これってあたしにプレゼントってこと?」

「そうだ、受け取ってくれるか?」

「あたしに? ……あたしなんかに?」

「なんかとはなんだ。いや、私も考えたのだが……その、やはり重いだろうか?」

「う、ううん! 嬉しい! 嬉しいよ……うん。そっか、お揃いかぁ」

「私のはこれだ。あ、こっちの方が良かったのか?」

「ううん、ルドルフが選んでくれたんだからこれにしよう。可愛いし」

「そ、そうか。良かった……」

 

 なんとか受けとって貰えたようで一安心だ。こんなに緊張するものだとは思わなかった。というか、私が友人という関係を重くとらえすぎている気がする。もっと気楽に、もっと軽く、これからはそう心がけていこう。

 

 結局その日のうちにキリノは耳飾りをつけることなく、しかし寝るまでずっと手に持ってじろじろと眺めていた。なんだか様子のおかしい、そんな一日だった。

 




キリノちゃんの情緒ぐちゃぐちゃになっちゃった。


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汝、あたしの選択を見よ

年末に向けて地獄が始まる…!でも更新は頑張るから…!


 

「ねぇねぇ、来週日本ダービーなんでしょ?」

「これ勝ったらGⅠ2勝ってことだよね!? すごーい!!」

「ああ、必ず勝ってくるよ」

 

 クラスは来週の日本ダービーの話で持ち切りだ。勿論クラスメイトである私が出走するからということもあるが、それ以上にこの日本ダービーというレースは注目度が高い。

 しかしまあ、恐らくこれほどまでに話題になっているのは私の二冠がかかっているからだろう。自意識過剰と言われればそこまでだが、客観的に見てもこれ程早い段階でGⅠレースを勝っているウマ娘は少ない。それに去年三冠を達成したミスターシービーに続く三冠ウマ娘に期待もかかっていることだろう。ここで私が三冠達成となれば無敗での記録となり、そういった噛み合いもあってのここまでの注目なのだろう。

 

「普段どんなトレーニングしてるの?」

「同じくらい強くなれる?」

 

 クラスメイト達からの質問が絶えない。私と同じトレーニングをしても距離適性や脚質の違いから上手くいくとは思えないが……。

 

「長い距離で差しを意識するとスタミナが必要になるからな、体力作りは欠かさないようにしてるよ」

「え、私って長距離得意なのかな?」

「知らないよ。私も自分の適正距離まだ知らないし」

「やっぱり早くトレーナー見つけないと……」

 

 そもそも色んな距離を走らないと測ることすらままならないと思うのだが……いややめておこう。彼女達にはそれぞれのペースがある。私が何か口を出す場面ではない。

 そもそも私がレースに出ている頻度がおかしいのだ。入学して間もなくこんなにも多くのレースに出ようとしているのはいくらなんでも早熟すぎる。自らを基準にするのは彼女達のためにもならないだろう。

 

「早くレース出たいよ~~~」

「次の選抜レース頑張ろ!」

「うん!」

 

 そうだ。こうして共に切磋琢磨していくことで、お互いに高め合って実力をつける。それこそが本来私たちウマ娘が歩んでいく道なのだから。

 それに私にだってライバルはいる。マルゼンスキーは私よりも速いだろうし、皐月賞も接戦の末の勝利だった。三冠達成は私の目標でもあるが、それ以前に周りのウマ娘に負けたくないという気持ちも強い。

 

 

 

 

 

 

「いや、ビゼンニシキは出ないと思うけど」

「そ、そうなのか?」

 

 その日のトレーニングで告げられた衝撃の事実。私と皐月賞でしのぎを削ったビゼンニシキは日本ダービーに出ない、とキリノが言う。

 

「しかし参加を表明していたはずだが……」

「え、嘘。……ハナちゃんに確認してみる?」

 

 キリノも信じられないと言った表情で、トレーニングを一時中断して東条トレーナーの下へと向かった。私の記憶が正しければ彼女は日本ダービーに登録していたはずだ。出走するウマ娘のリストに目を通した時も名前があったはずだが。

 

「ハナちゃん、ちょっといい?」

「あら? 2人は今日はトレーニングで解散って聞いてたんだけど」

「その予定だったんだけどね。日本ダービーに出走するウマ娘ってもう出揃ってるよね? よければ一覧を見たいんだけど」

「ええ、いいわよ。ちょうど今プリントしたところだから」

 

 そう言うと東条トレーナーは2~3枚のA4用紙の束を渡してきた。そこには日本ダービーに関する資料と出走するウマ娘の名前がずらりと並んでいる。流石に一人一人細かく分析をしてあるわけではないが、日本ダービーにおける距離やその日のバ場の予想や過去のデータなどがまとめてある。

 

「ありがと」

 

 キリノが資料を受け取り紙を捲る。やがて視線を下に下げて首を傾げた。

 

「……ほんとだ」

 

 キリノの後ろから覗き込むと、そこにはビゼンニシキの名がある。

 

「言った通りだっただろう?」

「信じられないことにね」

 

 ため息交じりで呆れたように肩を竦めるキリノ。すると東条トレーナーはコーヒーの入ったカップを机の上に置き口を開いた。

 

「あのね、言っておくけど普通は貴方みたいに見ただけで一発でウマ娘の能力を見抜くトレーナーなんていないのよ」

「あたしはトレーナーじゃないよ」

「揚げ足を取るな!」

「それに距離適性や脚質を測るなんて契約して初めにやることでしょ? それを怠ってるとは思えないし、皐月賞での仕上がりは良かった。だから無能が担当してるわけじゃないと思う」

「口が悪いわよ」

「失礼しましたー。そういうわけで、あたし的には走りたいって言ったんじゃないかなって感じ。ルドルフに負けっぱなしも嫌だろうしね」

 

 キリノがこちらを向いた。彼女曰くビゼンニシキは眼中に無いとの事だが、それでも私はあれほどの猛者が何も起こさずに沈むとは思えなかった。

 

「でも珍しいわね、貴方なら把握してるものだと思ってたのだけれど」

「なにを?」

「出走リストよ。知らなかったなんてね」

「ああー……まぁ、ルドルフなら負けないかなって」

 

 へらへらと笑うキリノとは対象的に、東条トレーナーの目は真剣だ。

 

「私は怒ってるのよ? 一応研修生の身なんだから、トレーナーとしてやるべき事を怠っているのは頂けないわね」

「……だからあたしはトレーナーじゃ」

「トレーナーを目指してるんでしょうが。別に完璧にこなせと言ってるわけじゃないけど、それに近づける努力をしなさいって話。私も未熟だけど、それでも私もトレーナーの端くれなんだから。本来貴方はルドルフのトレーニングよりも私の下での研修を優先するべきなのよ? それを強制しないのは、私がマルゼンスキーのことで手一杯であること、且つ貴方が優秀だから放っておいても最低限のトレーニングの管理やルドルフのサポートが出来ると思ってるからよ。だけどそれを疎かにするなら話は別」

「…………」

「私が無条件で貴方を置いてると思ったの? やる気が見られなかったら理事長に言って外してもらうからね」

 

 つまるところ態度の問題だ。私の目には信頼に映るものも、東条トレーナーにとっては怠慢であるらしい。実際のところ、真相を知るのはキリノ自身なのだから、その点でいえば私は肯定も否定もできないし、するべきではない。

 

「……ちょっと言い過ぎたわ。今日はもう解散にしなさい。それとキリノは残って手伝いをやってもらうから、いいわね?」

「……うん、わかった。ルドルフもそれでいい?」

「あ、ああ。私は構わないが……」

「そういうわけだから、また明日ね」

 

 半ば強引に部屋から追い出された私は、結局キリノになんの言葉もかけられなかった。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「手伝いって何すればいいの?」

「え? ああ、手伝いなんてないわよ」

「……えぇ?」

 

 ルドルフをトレーナー室から追い出したあと、キリノと二人きりになった私はコーヒーを入れていた。しかしながらこいつが飲むとは限らないので、2人分入れようとしていたのを急遽変更して、冷蔵庫から麦茶を取り出してコップに注いだ。

 

「じゃあなんで居残り? お説教の続き?」

「ま、そんなところよ。……で? どうしたのよ本当に、貴方らしくもない」

「そうかな? まあでも気が抜けてたのは事実だし、ルドルフにも悪い事をしたよ。ごめんなさい」

 

 珍しく素直に謝るキリノ。しかし今聞きたいのは謝罪の言葉ではなかった。

 

「最近変よ貴方。反応も遅いし、さっきも言ったけどやたらと放任主義になったじゃない。皐月賞まではあんなに付きっきりだったのに、どういう心境の変化?」

「別に。ルドルフにこれ以上口出しすることもなくなったし、もうあとは時間の問題だなって判断しただけだよ」

「……あのね、貴方自分でも言ってたけどこのままじゃ本当にルドルフの才能におんぶにだっこになるわよ?」

「実際そうだからね」

「そうは言いつつもちゃんとトレーニングの方向性を決めたり私に相談してメニューを考えたりしてたじゃない。なのに急に手を離したりして、それで満足なの? 貴方はルドルフと一緒に歩みたいんじゃないの? だから自分が見るっていう条件で私に契約をさせたんじゃなかったの?」

「…………」

 

 キリノは黙っている。追い打ちをかけるようになってしまったが、私は彼女を心配しているのだ。

 

「悩みがあるなら相談しなさい。私が嫌ならマルゼンスキーでもいいし、とにかく自分の中で消化しようとしないこと。どれだけ背伸びしても貴方はまだ子供なんだから、1人で抱え込むのにも限界があるの。わかった?」

「……うん、ありがと。最近色々ありすぎてちょっとショートしちゃっただけだから大丈夫だよ。明日からは気合い入れて頑張るから」

「無理はしないの。休む時は休む、やる時はやる、メリハリつけてやらないとね」

「肝に銘じておくよ」

 

 わかってないだろ、と問い詰めたいところだったが、これ以上彼女に負担をかけるのも嫌なのでここまでにした。

 まったく、キリノにしてもルドルフにしても背伸びをしすぎなのだ。年相応に笑って泣いて感情を表に出せばいいものを、どうしてかこいつらは余裕なフリをして大人な態度で流そうとする。それを出来るようになるのはもっと大人になってからで、子供のうちにそんな真似事をしていてはいつか壊れてしまう。

 それにルドルフは精神的にもかなり落ち着いているが、キリノは違う。彼女はからかい癖こそあるものの中身はまだ幼い。しかしルドルフに合わせてなのか、無理やり感情を押さえ込んだ振る舞いをすることが多いのだ。ルドルフの精神的な余裕とは違う、ただのから元気だ。だから私はそれをやめろと言っているのだが、結果は見ての通り意地でもやめないつもりらしい。

 

「……まぁ、それだけだから。再三言うけど、1人で抱え込まないこと。いいわね?」

「わかったわかった、わかったよ。過保護なんだから」

「指導者として当然よ」

 

 キリノは半笑いで流して、足早にトレーナー室を出ていった。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 廊下に出ると、「あっ」と声をあげてマルゼンスキーが後ずさった。若干気まずそうな顔をしながらも、顔を背けるようなことはしないのが彼女らしい。

 

「また盗み聞き?」

「あ、あはは……。メンゴメンゴ~……」

 

 

 

 

 

 

 しばらく2人で無言で歩いていたが、やがてマルゼンスキーが口を開いた。

 

「最近何かあったの?」

「うん? んー……まあ色々?」

「色々なんだ」

「うん、色々。色々が重なって心が追いつかなくって、ボーっとしちゃった」

「そう……。深くは聞かないけど、つらかったのよね」

 

 よしよし、とマルゼンスキーはあたしの頭を撫でた。1つしか違わないはずなのに、まるで母親のような温かさがあった。

 

「ハナちゃんにも見抜かれちゃうようじゃ、あたしもまだまだだね」

「ううん、そんな事ないわ。つらい時は誰かに頼っていいし、自分の気持ちは人にぶつけていいのよ。隠すことなんてないのよ」

 

 それはどうかなぁ、と思う。だって心配かけたくないし、弱ってると思われるのはなんだか癪だ。

 

「自分の気持ちを押し殺さなきゃいけない世界なんて間違ってる。そんなこと言う人は私がやっつけちゃうんだから」

「ふふふ、頼もしいね。……マルゼンスキーは、あたしがいいトレーナーになれると思う?」

「モチのロンよ! ハナちゃんも褒めてたし、ルドルフだって自慢してくるくらいなんだから。胸を張ってトレーナーですって言ってもいいくらいよ!」

「それはダメだけど、うん、そっか。みんな優しいね」

「え、本心よ? ほんとよ?」

「わかってるよ」

 

 マルゼンスキーはルドルフと同じタイプだ。真剣な時に人をからかわないし、お世辞で褒めることはしない。それが人を傷つけるとわかっているから。

 やがて玄関を出ると、自宅から通っているマルゼンスキーとはお別れということになった。

 

「元気出た。ありがとね、マルゼンスキー」

「うんうん、いつでもお姉さんを頼りなさい!」

 

 太陽のような笑みを振りまくマルゼンスキーに手を振って別れた。

 

 

 

 

 

 

「あーあ、食堂閉まっちゃった」

 

 玄関を出てご飯を食べようとしたら、思いのほか時間が過ぎていたため食堂が利用できなかった。仕方が無いのでコンビニにでも寄ろうかと考えていたら何やら話し声が聞こえた。

 物陰に隠れて音のするほうを覗いてみると、1人のウマ娘とそのトレーナーと思しき人物が話していた。

 

「やっぱり私、諦めます。ごめんなさい、ごめんなさい……」

「……君の夢を叶えてあげたかったんだがな。僕では力不足だったようだ」

「そんな! トレーナーさんのせいじゃ……っ」

 

 啜り泣くウマ娘の肩を抱き、沈黙するトレーナー。その表情は暗い。

 

「……僕の知り合いに優秀なトレーナーがいる。話を通しておくから、もう一度頑張ってみないか?」

「……私じゃ無理ですよ。だって1年も頑張ったのに、何も結果を残せなかったじゃないですか。私は弱い、才能がないウマ娘なんです。私じゃ……」

 

 あたしの目に映るのは現実。どうしようもなくて、覆すことの出来ない事実。感情や気合じゃどうにもならない、無機質な数字と文字列。

 パパの時もこんなんだったのかな。でもママはその後も一緒にいたんだし、こんなに暗い別れ方はしてないか。

 

「何よりもう、走れないんです。心が折れて、足を前に出すのも嫌で、もう何もしたくない……。もう、嫌ぁ……」

 

 悲痛な泣き声だけが辺りに響く。きっと珍しい事じゃないのだろう。こんな風に1人、また1人とターフの上から姿を消していく。そして新しい風が吹いては、その風もどこかへ行ってしまうのだ。

 正直に言うと、あの子が羨ましかった。もう嫌だと泣き喚いて、無理だダメだと全てを投げ出して、誰かに感情を叩きつけて全部捨ててしまいたかった。

 でも諦めの悪いウマ娘だから、我儘なウマ娘だから、自分がこの世界にいていいんだという証明書がどうしても欲しくて足掻いてしまった。どんな形でもいいから、どんな事でもいいから。そんなことを言いながら未練がましくレースの近くにしがみついた。

 何も諦められない。何も捨てることが出来ない。自分が一番現実をわかっているのに、一番現実を見ようとしない。

 素直になれない。認められない。誰かに認めて欲しいのに、自分が自分を認めようとしない。ストイックなんて綺麗なものじゃない。現実逃避を続けて、続けて、何もかもを否定しているだけの化け物に過ぎない。

 

「っ!」

 

 気づけばその場から走り出していた。これ以上見ていたくなかった。

 何も見たくない。何も認めたくない。わかってしまう前に遠ざけたい。ルドルフが認めてくれていることも、ハナちゃんが評価してくれてることも、この目があれば優秀なトレーナーとして活躍出来るであろうことも、全部自分が望んだことなのに。なのにどうして、その言葉を否定するんだ? どうして認めようとしないんだ? あたしはどうしたいんだ? わからない。何もわからない。

 

 逃げるようにコンビニに駆け込んで、何も考えずにカップラーメンを買った。そうだ、お腹すいてたんだった。振り返ればコンビニの灯りが遠くに見えて、心臓が早くて、息が切れて、それが少し嬉しくて。やっぱり走るのは好きだけど、この高揚感が胸を締め付ける。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 呼吸を整えるのに時間がかかる。それだけで少し悲しくなった。

 夜の冷たい空気が私の頭を冷却していく。

 

 いい加減、現実を見る時だ。夢は全部捨ててしまえ。ギターはもうやめよう。走るのは諦めてたはずだろう? あたしはあたしに出来る事をやるんだ。

 トレーナーになろう。中央でトレーナーになって、多くのウマ娘をターフの上に立たせるんだ。ルドルフが認めてくれた、ハナちゃんが背中を押してくれた、マルゼンスキーが受け止めてくれた。みんなが応援してくれた。

 斜に構えてたせいで人からの好意も評価も全部受け流して、現実から目を背けていた。自分を好きになれなくて、自分を褒める誰かの言葉を蹴り飛ばしてた。夢を諦めたつもりで手放せてなくて、トレーナーとして成長していくことを怖がっていた。

 でももう全部やめよう。今までの自分は殺してしまおう。今の自分を好きになろう。あたしには才能があるんだ。自分の才能を認めよう、トレーナーとしての才能があることを自覚するんだ。あたしは変わるんだ! 

 夢を見るのは終わり、目を覚ます時だ。初めましてあたし。明日から頑張ろうね。

 

 街灯が照らす夜道を歩く。まるで芝の上を踊るように、足取りは軽かった。

 




作者の人キリノちゃん嫌いなの?愛だよ愛!


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汝、パンケーキの山を見よ

12月に殺される……!みなさんくれぐれも無理はしないように生きましょうね……!


 

「で、今回はどの枠でも大差ないと思うから、作戦は変えずに最後の400mくらいから勝負を……」

 

 タブレットのペイント機能を駆使してコースに線を書くキリノ。ホワイトボードが無くてもこんなことを出来るわけだから、いい時代になったと東条トレーナーが言っていたのを思い出した。

 しかしこう、違和感というか。昨日と打って変わって真剣な表情でレースの作戦会議をしている姿はなかなか調子を狂わせてくる。

 

「どうしたの?」

 

 キリノがこちらを振り返る。左耳につけた桃色の耳飾りがその動きに合わせて揺れた。

 買ってきた次の日には机にしまい込んでなかなか付けようとしなかったキリノが、どういう心境の変化でこの耳飾りを付け始めたのはわからない。しかしこのキリノの変わりようを見るに、関係あることなのだろう。

 

「いや、すまない。なんでもない」

「あたしの顔じゃなくて画面見てよー。もう1回言うね?」

 

 そうしてまた説明に戻るキリノ。私が慣れるまでにしばらく時間もかかるだろう。

 結局昨日の夜はキリノに声もかけられず、彼女はただ一言「ごめんね、明日から頑張るから」と言うと布団に潜って寝息を立て始めた。なんとなく無力感を感じながらも無理やり目を瞑ると、朝にはこうなっていた。きっと喜ばしいことなのだろうが、漠然とした不安を拭い切れない。

 

「まあ心配はないと思うけどね。ルドルフのレースセンスは信用してるし、最終的には臨機応変に戦ってとしか言えない」

「ああ、そこは任せてくれ」

「うんうん。トレーニングはそんな無理はさせないから、適度に休憩を取って。最低でも3日か4日のうち1日は休みの日を作ること。もちろんコンディションと相談ではあるけどね。あたしも一応ついて行くけど、見てないところで自主練するのは今日から禁止ね」

「心配しなくても、そんな事はしないさ」

「昨日の今日で急に態度を変えるなって話だよ」

「そんなこと言うわけないだろう。驚きはしても、そこに対して文句はないよ」

「ならよかった」

 

 いいや、悪い方向に考えるのは私の悪い癖だ。キリノは昨日の叱咤を受けて変わろうとしている。私に出来ることはその変化を受け入れる事だけだ。

 むしろキリノは私のためにやってくれてるんだ、何を不安に思うことがあるというんだ? これは急な変化に心が追いついていないだけだ、そうに違いない。それよりも日本ダービーに集中するべきだ。

 

「じゃあ今日はコーナーの加速の練習中心で行こっか」

 

 キリノは立ち上がるとトレーナー室を出た。誰も使っていないため何も置かれていないが、気軽に使える教室のひとつだった。

 ちらりと机を見ると、書き込まれた資料や一晩では出来ないであろう書物の山が目に映った。以前からキリノはここを使用していたのだろう。ならば、あの時東条トレーナーに反論しても良かったのではないだろうか、『やることはやっている』と言えば信じてくれたのではないだろうか。

 ……いや、私が判断することではないな。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ今日はここまでにしようか」

 

 キリノの言葉を合図にトレーニングを終了する。トレーニングが始まってしまえば思考はクリアになり、自然と最適化されていった。芝の上に立てばそれ以外のことにうつつを抜かすようには育っていない。

 やはり彼女が私のトレーニングに口出しすることはなく、自ら調整していく私を眺めては何かをタブレットに打ち込んでいた。しかしながらいつもの事でもあるので、特に何か感じるところではなかった。

 

「ねぇねぇ、この後駅前の喫茶店行かない?」

「か、構わないが……珍しいな、キリノから誘ってくるなんて」

「トレーナーとウマ娘の交流は大切だからね、新作のスイーツも大切だし」

「おい、私を新作スイーツと同じ秤に載せるな」

「大丈夫だよ、ルドルフの方がちょっと傾いてるから」

「ちょっとなんだな……」

 

 ケラケラと笑うキリノにため息を吐きつつも、どこか安堵している自分がいた。うん、いつも通りだ。

 

「体重も大丈夫そうだし」

「……え? 見えてるのか?」

「正確な数字は無理だけどね」

 

 大体はわかるってことだ。別に隠さなければならないほどではないが、恥ずかしさは感じてしまう。

 

「じゃあ賛成ってことで。いやー食べたかったんだけど一人で食べるのもなんかなーって思ってたんだよね」

「おい、本当に私の方がスイーツより比重が大きいんだろうな?」

「もちろん、あたしにとってルドルフより優先するものなんてないよ」

「そんなに優先された覚えがないんだが……」

 

 私の文句は上機嫌なキリノに流され、早々と帰り支度を初めたキリノに急かされるように私はターフを後にした。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「むむむ……」

 

 キリノが唸り声を漏らした。ここは駅前の喫茶店…………ではなく、その少し裏にある別の店の前だ。キリノと対峙するのは店の前に置かれた手書きのメニュー表、そこに掛けられた木の板には大きく書かれた新作のスイーツの宣伝。きっと今のキリノにはその文字が光り輝いて見えているのだろう。

 

「くぅ……っ!」

 

 かつてこれ程までに葛藤しているキリノを見たことはない。何が彼女をここまで追い詰めているのか。

 

「なぁ、両方食べればいいじゃないか」

「そんなことしたらあたしの体重さんが大変なことになるでしょ」

 

 思ったよりも普通の理由だった。なんだ体重さんって。

 

「あたしはルドルフと違って太ったらなかなか戻らないんだよ……」

「私もそんな簡単に戻るわけじゃないぞ?」

「嘘だ!!!」

「怖いって」

 

 凄まじい顔で詰め寄るキリノを宥めつつ、ちらりとメニューの方を見た。そこにはパンケーキの上にこれでもかと言うくらいトッピングが載っており、生クリームにプリンにフルーツとなんでもありだ。もはやトッピングというかデコレーションじゃないのかコレ。

 

「こんなの2つも食べたらどうなるかなんて、考えなくてもわかるでしょ」

「ちょっと待て、もしかして向こうのもこんな感じなのか?」

「そうだよ、パンケーキの上にこんな感じでトッピングがてんこ盛りになってるのさ」

 

 なるほど、つまりこれは勝負なわけだ。同じようなものを作って客の取り合いとはなかなか不毛だが。

 

「そんな事ないよ。こっちはフルーツ多めで、あっちはチョコをふんだんに使ってるんだ」

「そこはちゃんと差別化してあるんだな」

 

 どのみちこんなとんでもない量のスイーツを普通の人間が食べ切れるとは思わないが、世界は広いのでウマ娘以外にも食べに来る客は多いのだろう。実際に店の前には長蛇の列が出来ており、店の中も大賑わいだ。窓から見えるパンケーキの山は私を戦慄させるのに十分だった。

 

「うう……どっちも捨て難い……」

「また今度来ればいいじゃないか」

「そうじゃないの! 今日! 食べたい気持ちが! あたしを責め立てる!」

 

 やっぱりストレスのあまり壊れてしまったのか、それともたった今壊されたのか。真相は知る由もないが、少なくとも冷静ではないことは確かだ。

 

 なんとも可愛い悩みだ。幼さが見られる部分もあるものの、基本的には大人びた……東条トレーナー曰く、背伸びしているような性格のキリノが年相応にどこぞのスイーツで迷っている姿は、私にとっては新鮮だった。

 しかしながらそういう話を聞かないわけでもなく、先輩として慕われているようなウマ娘も年上のトレーナー相手だと甘えたがりな一面が見られると言った噂が流れてくることもある。であればキリノもまた、『そのような一面』を抱えた人物なのだろう。

 

「じゃあこうしよう。私とお前でジャンケンをして、私が勝ったらこの店、お前が勝ったら元々行く予定だった店に並ぶ。これなら手っ取り早いだろう?」

「そ、それは名案……! だけど! あたしは勝てばいいの!? 負ければいいの!? どっち!?」

「そうならないようにジャンケンするんだろ……」

 

 最後の最後まで決めきれないキリノであった。

 

 

 

 

 

 

「んん~~~っ! 新鮮なフルーツの甘みとパンケーキのフワフワが優しい生クリームによって引き立てられる……パーフェクト……!」

 

 グルメリポーターのようなことを言い出したキリノを無視して、1口サイズに切ったパンケーキをフルーツと共に口に放り込む。

 これは……美味しい。人が並ぶだけのことはある。大袈裟な感想は出てこないが、くどい甘さはなく上品だ。喫茶店と侮るなかれ、というわけか。

 しかしこれを全て食べるとなると凄まじいカロリー摂取量になるのでは? まさかキリノが私の管理を間違えるわけがないという信頼はあるが、それでも流石にこの山を前にすると不安が拭いきれない。

 

 ……いや、カロリーは燃焼させれば元に戻るのだから気にする必要は無い。それよりも今は、この目の前の笑顔を見れたことに感謝をして、残りを頂くとしよう。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「……貴方の言った通りになったわね」

「でしょ?」

 

 日本ダービー。数多のウマ娘が夢を懸けて、そして数多のウマ娘の夢を終わらせてきたこのレース。

 私は内心不安だったのだ。こいつは日本ダービーをナメている。気の抜けた放任主義を見た時も真剣に怒ったし、ルドルフと死闘を繰り広げたウマ娘を軽んじるような態度も正直腹が立った。

 お前が走るわけじゃない。そんな地雷を踏み抜きそうになった事もあった。彼女に言ってはいけない一言だとわかっていながら、彼女自身がターフを軽視するような発言が増えて来た時は嫌味の1つ2つが口から溢れそうになった。

 そしてそれが自身の葛藤に苦しんだ末に出てきた発言だとわかると、もはや痛ましくさえ思えた。

 

 だが結果を見てみれば日本ダービーはルドルフの一着。距離適性がないと一蹴された彼女は着外どころじゃない。キリノの目は正しかったのだ。

 

「でも正直なところヒヤッとはしたよ。スパート掛けるの遅くて思わず席を立っちゃったしね」

「あれはそういう事だったのか」

 

 レースの終盤、ガタリと横から音がしたので目を向けるとキリノが席を立って前のめりで手すりに掴まっていた。食い入るようにレースを見る彼女の瞳には不安の色が宿っていた。

 

「まあレースに関してはルドルフの方が遥かに上だからね。勝負どころがわかっていなかったのはあたしの方ってワケ」

 

 やれやれ、と自嘲するように首を横に振るキリノ。確かにルドルフのレースプラニングは完璧だった。しっかりと余裕を持ってゴールした彼女は、私たちにピースサインを向けてみせた。二冠目、という事だろう。

 

「でもよかったわ、やる気を出してくれて。言い過ぎたって後悔するところだった」

「あはは。まああたしも覚悟決まったっていうか、それはみんなのおかげだからさ。ハナちゃんもありがとね」

 

 私は驚愕のあまり言葉を失った。目の前のこいつは誰だ? 素直に感謝の言葉を述べるような奴じゃなかったはずだ。

 

「……病院、行く?」

「失礼が過ぎるでしょ。もう二度と感謝なんてしてやるもんか」

「ごめんごめんごめんごめん!」

「ふーーんだ、もう謝っても遅いんだから!」

 

 耳を立ててご機嫌斜めなキリノは、いつも通りのキリノだった。子供の成長は目覚しいと言うが、そりゃ大人もびっくりするわけだ。こんな短期間で色々な変化をしていく子供たちに、私たちはきっと追いつけないのだ。

 ……いや、私が子供の時もきっとそうだったのだろう。ただ覚えていないだけ、自覚がないだけで私も経験してきたことなのだろう。いざそれを目の当たりにすると怯んでしまうが、それを見届けて邪魔しないのが私たち大人の責務だ。かつての自分たちが、大人達にそうやって見守られてきたように。

 

「……なに、慈愛の目で見ないでよ」

「そんな目してないわよ」

「してた! 絶対してた! 『あーあーガキが拗ねてら』くらいに思ってんでしょどうせ!」

「思ってないって! めんどくさいなこいつ!」

 

 やっぱりいつものキリノだった。

 




キリノちゃん復活!曇らせなんてなかったんや!


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汝、彼女の言葉を聞け

同僚が読者でウケました、職場でハーメルンを開くのはやめましょう。
仕事納めでようやく更新が出来そうです。長い間あけてしまいすみません。


 

 

 世の中、どうしてこんなに上手くいかないのだろうと嫌になることがある。大抵の場合不幸と幸運は平等に訪れ、確率というものは収束していくのだと頭ではわかっているつもりだ。それでもバイアスが掛かってしまうのが人間、瞳に映る幸運はピンボケしたように不明瞭で、不幸は高画質で彩やかな灰色をしている。

 ため息が口から漏れる。幸せが逃げるなんて言われているが、きっと逆だ。幸せじゃないからため息をつくのだ。

 

 頭の硬い上の連中はどうやら未だにマルゼンスキーをレースに出すつもりはないらしい。どれだけ頭を下げたところできっと無駄なのだろう。実際には文章でのやり取りなので直接頭を下げたためしはないけれど。

 

「はぁ…………」

 

 ため息をつく。こんな姿は担当ウマ娘に見せられない。

 

 頭が痛い。調子が悪いと思考もネガティブに寄ってしまう。どうしてマルゼンスキーがこんな目に遭わなければならないのだ。なぜ才能溢れるウマ娘の未来を、たかが生まれた国が違うという理由で閉ざさなければならないのか。

 ……いや、わかっているんだ。外国で生まれたウマ娘だからこそ、より多くのウマ娘の未来を、日本のウマ娘の未来を奪ってしまう可能性がある。その為に守る措置を取っているに過ぎないというのは私だって理解している。

 じゃあなんだ? マルゼンスキーは侵略者だとでも言うのか? 得体の知れない宇宙人か何かか? 彼女だって日本で育ったウマ娘じゃないか。ならば何故、シンボリルドルフが駆け抜ける姿は応援され、マルゼンスキーは遠ざけられなければならないのか。

 

「……っ」

 

 いけない、何を考えているんだ私は。彼女たちを比較するようなことがあっていいわけがない。マルゼンスキーはそんな風に考えない。

 きっと疲れているのだろう。今日はもうやめにしてトレーナー寮に帰ろう。睡眠も足りてないかもしれない。休日はゆっくり休むことにしよう。

 

 そんなことを考えていると部屋の扉をノック……せずにキリノが入ってきた。

 

「やっほー」

「ノックくらいして」

「ソーリーソーリー。仕事中だった?」

「もう終わるところよ。どうかした?」

 

 最近になって色々と変わったキリノ。幼い性格は変わらないが、将来トレーナーになるためにやる気を出している、という表現が適切だろう。

 

「うん。でも時間ないなら今度でもいいよ」

「別に構わないわよ、予定もないし」

「あー……それは残念だね」

「このガキ……っ」

 

 こんな失礼極まりないところは相変わらずなわけだが。

 

「で、用事は何?」

「ああ、用事ね。ていうか提案なんだけどね」

 

 提案、なるほど。キリノにしては珍しい、積極性のない彼女から私に対して何かを提案するなんて。

 

「マルゼンスキーが今日本のレースに出られないでしょ?」

「そうね、どうにかしてあけたいけれど……」

「うん。それでね、留学なんてどうかなって」

「留学って、あの留学? 外国に行くってことで合ってる?」

 

 キリノが頷く。

 

「日本のレースに出れないのなら海外のレースに出ればいい。アメリカ生まれなら、きっとアメリカでならレースさせてくれると思うんだ」

「それはそうだけど、簡単なことじゃないわよ? 準備もそうだし、その間私もついていかないといけないし。それに急に留学と言ってもそんな簡単に話が通るとは思えないわ」

「まあそれについては宛がなくもないから。ただ色々とハナちゃんの身の回りの準備は必要になるし、マルゼンスキーの意思確認ももちろんいるし。だから早めに提案だけしてみたんだ」

 

 確かに、マルゼンスキーをレースに出させてあげたい気持ちは大きい。彼女もきっと可能ならば、と首を縦に振るだろう。問題はシンボリルドルフのことだ。

 

「まあそこはハナちゃんの信頼に足るトレーナーに預けるって形で、該当するトレーナーを探してくれればいちばん早いんだけどね」

「ちょ、ちょっと待って。提案はありがたいし出来るならそうなって欲しいけれど、いくらなんでも話が急すぎるわ」

「今決めろって言う話じゃないよ。ただ頭の片隅に置いてて欲しいなってこと」

 

 なんとも掛かり気味なことだ。キリノがマルゼンスキーのことをこんなに考えているとは思わなかった、もちろん嬉しい話ではあるのだが。

 一体どういう風の吹き回しだ? それとも、元々彼女のために色々考えていたのか? 

 

「別に変なこと考えてないよ。ただ……まあ、勿体ないなって思っただけ。あんなに才能のあるウマ娘が走れないなんてさ」

 

 それは彼女自身のコンプレックスから来る言葉か、それとも純粋にそう思っているのか。

 

「それに、そんな境遇の中にいても腐らずに努力を続けているマルゼンスキーが報われればいいなって。それだけだよ」

「……そう、ありがとうね」

 

 ふう、と息を吐いた。本当に何を考えているんだ私は。色々なことが重なって深く思考をめぐらせすぎたのか。

 そもそも私はキリノアメジストのことを正しく理解しているのか。こいつは他のウマ娘を恨んでいるのかと思っていたが、実は心の中では幸せを願っているようなウマ娘なのではないか。心の中など知る由もないが。

 

「お世話になったんだよ。それだけ」

 

 どうやら彼女にとっては手放しで喜べる思い出ではないらしい。ふいと顔を背ける仕草はやはり子供っぽい。

 

「とにかく、話はそれだけ! あとこれ」

「缶コーヒー……?」

 

 机に置かれた缶コーヒーは差し入れという事だろうか。

 

「えっと、ありがうにゅ」

 

 缶コーヒーから目を離し、キリノの方を見上げると両側の頬に衝撃が走る。

 

「何するのよ!」

「あっははははは! 変な顔~~!」

「こ、このガキ~~~~っ!!」

「怖い顔してたよ? リラックスしないとね! ……あ、今も怖い顔!」

 

 キリノは笑い声を上げながら凄まじい速度で部屋を出て廊下を駆け抜けて行った。あのクソガキに少しでも期待した私が愚かだった。ていうか私、舐められすぎなのでは……? 

 

 とりあえず、キリノからの提案をテキストファイルに追加して保存する。今はまだ実現には遠いけど。

 帰り支度を始めた時、部屋の明かりがやけに眩しく感じたのは気のせいだろうか。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 以前にもこの道を通ったことがある。そうだ、外出の際に少し遠出をと思ってキリノと偶然会ったあの川沿いの道だ。

 今日はちゃんと目的があってここまで来たのだが、その用事も終わり帰路についたところたまたまこの道を通ることになったのだ。

 

 今日は実家に帰省していたのだが、ついこの間までいた家に帰ることがまるで久しぶりのように感じた。この数ヶ月、間違いなく今までで1番長く、そして密度の濃い時間だった。

 家族にはレースのことと近況報告をしただけなので当然日帰りだが、それでも家族と過ごす時間というものは温かくかけがえのない時間に感じられた。こうして顔を見せる機会は定期的に作っていきたいものだ。

 

「あの……もしかしてシンボリルドルフさん?」

 

 と、そんな事を考えていると声をかけられた。聞いたことがないはずなのに、どこか聞き慣れたような気がする声だった。

 

 振り返ると、そこには落ち着いた雰囲気のウマ娘が立っていた。私よりもずっと歳上なのは間違いないのに、その顔には幼さの残る可愛らしい女性だった。

 

「はい、そうですよ」

「やっぱり! レースで見てたから、後ろ姿を見てもしかしてって思ったの!」

 

 ファンの方だろうか。前にあまり年の変わらないウマ娘に声をかけられたことを思い出し、幅広い年齢層に応援されていることを実感する。

 しかしそんな私の予想は思わぬ形で裏切られることになる。

 

「いつも娘がお世話になっております。キリノアメジストの母です」

「えっ!? キリノの……?」

 

 あまりの驚きに言葉を失った。

 まず初めにその若さに驚いた。とても私の倍以上生きているようには思えないほどだ。

 次にこのウマ娘が纏う雰囲気が、あまりにも幼稚なキリノからかけ離れていたことに目を疑った。この親にしてこの子あり、とは誰の弁だったか。それとも表面の雰囲気だけなのだろうか。

 

「こ、こちらこそお世話になっております。お会い出来て光栄です」

「やだ、そんなに畏まらないで? あの子のお友達に頭を下げさせるなんてしたくないわ」

 

 大人な女性だ、と思った。とにかく上品で動作の一つ一つが優雅だ。もしやキリノは実はかなりのお嬢様だったのかもしれない。

 

「この前あの子が帰ってきた時に色々話を聞いたの。もうずっと貴女の話ばっかりしてたんだから、よっぽど気に入ったのね」

「本当ですか? よくからかわれるので想像がつきませんが……」

「寧ろそれが最大の親愛の証ね。あの子ったら臆病で、基本的には他人に懐かないもの。そんな親密なコミュニケーションを図る子はそうそういないわよ?」

「ははは、そうなのだとしたら嬉しい限りですね」

 

 東条トレーナーに対する態度を見るにそんなことはないと思うのだが、あれはキリノなりに大人に甘えている姿だったのかもしれない。

 

「ですが、感謝しているのは私の方ですよ。彼女がいたから、私はこうしてレースで走れている。良き友人に恵まれたものです」

「ホントに? だとしたら私も嬉しいわ。きっとあの子も喜んでることでしょうね」

「それは……」

 

 私は肯定することが出来なかった。私がそう言うと彼女は決まって自分の力ではないと否定するのだ。全ては私の才能と努力の上に成り立つのだと。

 素直じゃないキリノの照れ隠しと受け取ることも出来るが、どうにも私にはそれだけではないような気がして踏み込むことが出来ない。

 

「ふふ、気難しい年頃よねあの子も。元々あまり表には出さない子だけれど」

「……正直、どう接していいか未だに掴めずにいます。踏み込めば彼女のことを傷つけてしまう気がして」

「思春期ねぇ。でも大丈夫よ、今はまだ日が浅いだけ。重要なのは諦めずに接し続けること」

「諦めずに……」

「そう。もし貴方がずっと友達でいたいと思う子がいるなら、どんな事があってもコミュニケーションを取り続けるの。そうすればたとえ壁があったとしても時間が解決してくれるわ」

「そ、そんなものですか」

「ええ。そしてありがとう、あの子と友達でいたいと思ってくれてるんでしょう? こんなに想われることなんて中々ないわ。だから、良ければこれからもずっと仲良くしてあげてほしい」

「それはもちろんです。彼女には沢山助けられました。その恩返しもしたいし、彼女との距離を縮めたい。私も彼女と対等な関係になりたいのです」

 

 私の言葉にキリノの母は目を丸くした。

 

「ふふ、あはは! そういうことね、なるほどね」

「ど、どうかされましたか?」

「ううん、私が言っても仕方ないもの。ふふ、そうね、まるで両片想いだわ」

 

 何がそんなに可笑しいのか私にはわからなかった。両片想い? 私とキリノが? 

 

「青春ねぇ。羨ましいなぁ」

「青春、ですか」

「うん、かけがえのない大切な経験よ。たとえそれが傷になったとしても、ね」

「傷……」

「傷つくのは怖いわ。私だって嫌だし、子供の貴方なら尚更でしょう。それでもやらないで後悔するより、自分の心に素直に行動した方が後腐れなくこの先も生きていけるわよ。おばさんからの助言」

 

 何か伝えたいようでもあり、意図的にぼかしているようでもある。

 それでも彼女の言葉は、私の心の歯車をかちりと合わせたような気がした。あとはその歯車を私が動かすだけ……。

 

「話し込んじゃったわね。ルドルフさん、また会いましょう? 次はお菓子も用意しておくわ」

「ありがとうございます。貴方の言葉、忘れません」

「ふふふ、じゃあね」

 

 手を振って歩いていくキリノの母。

 私はその場にしばらく立ちつくして、河原を眺めていた。またあのギターを、あの綺麗な音色を聴きたい。

 

 聞こえるのは、暖かい風が吹き抜ける音だけ。

 



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汝、皇帝の手札を見よ

あけましておめでとうございます。正月から仕事があるのは何故なんでしょうね?


 

 

「……」

「……」

 

 カチャリ、と人参の形をしたチップがキリノの手からテーブルの真ん中に4つ置かれる。私はそれと同じ量のチップを手元から出した。

 

「スペードの3、ハートのクイーン、ハートの8、だね」

 

 フジキセキが奥のトランプを上から3枚捲り、テーブルの中央に置いた。

 

 チラリ、と配られた2枚のカードを見る。ハートのジャックとスペードのクイーン、なるほど。私は手元のチップを更に同じ数手元から出した。

 

「…………」

 

 じっと考え込んだキリノは、ふぅと息を吐くと手元のカードを中央に投げ捨てた。テーブルの内側に寄せられたチップは私のものとなる。

 

「降りるのか」

「乗ってください、って言ってるようなもんだよ」

 

 ふん、と鼻を鳴らすキリノ。余程配られたカードが悪かったのか、あるいは3枚のカードに裏切られたか。おそらく後者だろうが。

 

 何故このようなゲームを重たい雰囲気の中行っているのか、事の発端は私が出たレースの賞金の話から始まる。

 

 

 

 

 

 

 というのも弥生賞の後に東条トレーナーと契約した関係で、私のレースの賞金の扱いが通常と異なる……細かく言えば、今まで出た3つのレースの賞金がまとめて送られてくることになったのだ。

 弥生賞の賞金に関しては受け取りを拒否した東条トレーナーだったが、一度に大量の額を取り扱うことになった以上彼女の感情だけでレース賞金の分配を歪めることは出来ず、理事長の説得もあり私と東条トレーナーとの間ではスムーズに賞金のやりとりが終了した。

 

 しかしここからは私のわがままで、キリノも賞金の一部を受け取る権利があるとして東条トレーナーとのミーティングにてキリノの前で相談を持ちかけた。

 当然、というのもおかしな話だが、そんな話は聞いていないとキリノは慌ててその話を無かったことにしようとした。しかし私が食い下がり、東条トレーナーに意見を求めた。

 

「貴方が受け取った賞金は貴方自身が自由に使う権利があるわ。もしそれを分配したいと言うなら学園から受け取った額の範囲内で好きにすればいい」

 

 キリノは苦虫を噛み潰したような表情で東条トレーナーを睨みつけるが、東条トレーナーはふいと顔を背けた。

 

「ならあたしはその権利を放棄する」

「ならば権利ではなく義務だ。東条トレーナーが賞金を受け取っているのと同じことだ」

「どこが同じなのさ。たかが同室の同級生の友達がレースの賞金を受け取る話なんて聞いたことがない」

「何を言っているんだ、君は君自身の多くの時間を割いて私のトレーニングに付き合って来たじゃないか。たしかに君と私の間に契約はないし、君は正式なトレーナーではない。しかしその行いにはそれ相応の報酬が与えられて然るべきだと私は思う」

 

 納得できない表情のキリノ。そもそもお金を受け取りたくないという話自体変だとは思うが、それは彼女のプライドがそうさせるのだろう。

 

「まったく、割り切ったところに次から次へとよくもまぁ……」

 

 キリノがボヤく。私にはその意味は理解できない。

 彼女は最近笑わなくなった。出会った当時は穏やかな笑みを浮かべる少女だったが、最近はよく呆れたり嫌そうな顔をしたりと色んな表情をする。それでも私はこっちの方が自然体な気がして、彼女に近付けた気がして、それがたまらなく嬉しかった。

 

「一応聞くけど、どういう風に分けようと思ってたの?」

「もちろん2等分だ。2人で分けるのにそれ以外の分け方があるか?」

「はい、終わり。お話にならない」

 

 キリノが手を叩いた。

 

「それは流石に欲張りじゃないか?」

「バ鹿。貢献度というものを考慮してくれ。実際にレースに勝ったキミと、後ろで野次を飛ばしてるだけのあたし。どっちが大きく貢献してると思う?」

「なるほど、そういうことか。ならばお前は認識を改めるべきだな。キリノは勝利に大きく貢献しているよ」

「そう言うと思ってたけどね」

「それはこちらのセリフだ」

 

 どうしても受け取りたくないらしい。だがここは引き下がれない、私にだって譲れないプライドがあるのだ。

 

「お前がなんと言おうと私は引く気はないぞ」

「頑固者だねぇ」

 

 険悪な雰囲気になり始めたところに、マルゼンスキーが割って入った。

 

「はいはいそこまで! このままじゃ埒が明かないでしょ? だから2人で勝負して勝った方の要望を通す! これなら文句はないんじゃないかしら」

「構わないが、何で勝負するんだ?」

「それは2人で決めないと」

 

 悪くない提案だ。

 

「ならチェスはどうだ?」

「しれっと得意分野を持ち込まないで。あたし知ってんだからね?」

「おや、なんのことかな」

 

 私の提案は見事に蹴られてしまった。いつの間に話したかなそんなこと。

 

「もうジャンケンとかでいいよ」

「良いのか? 直前まで手を見て変えるが……」

「良くないねぇ!」

 

 運要素のある勝負をしたかったらしいが、残念ながらジャンケンは運が絡まない。相手が何を出すか、その直前まで相手の手を凝視すればいいだけだ。

 

「化け物と勝負するなら完全に運要素で構成されたゲームじゃないと不公平なんだけど」

「そんなものあるわけないだろう。お前が得意なものはないのか?」

「あたしそんなにゲーム得意じゃ……あ、じゃあポーカーは?」

「ポーカーか、いいぞ。確かに運の絡むいい塩梅のチョイスだ」

「テキサスホールデムなんだけどいい?」

「ああ」

 

 テキサスホールデム、チップをかけて数人で手順を回していく形式のポーカーだ。プレイヤーは最初に2枚のトランプを配られ、全てのプレイヤーが共通で使える5枚のトランプと合わせて役を作る。5枚のカードは1度に公開される訳ではなく、ターン毎に3枚、1枚、1枚と順番に公開される。その間にプレイヤー同士ではチップを使った駆け引きが行われるのだ。

 

「じゃあ勝負は明日ね。ディーラーは……まあフジがやってくれるでしょ」

「おい、勝手に決めていいのか?」

「ダメだったらその時はその時」

 

 

 

 

 

 

 そして今に至るわけだ。フジキセキは二つ返事でこれを了承し、私たちは今直接対決……いわゆるヘッズアップをしているわけだが。

 

「そんな面白そうなこと、混ぜてくれないのはナシじゃない?」

 

 とはフジキセキの弁だが、いちいちセリフや仕草が絵になる奴だ。いやそんな事はどうでもいい、今は目の前の勝負に集中しなければ。

 

「レイズ」

 

 キリノがチップを乱雑にテーブルにばら撒く。フジキセキはそれを嫌な顔一つせず集めた。

 RAISE、チップを重ねて勝負の相場を高くしようという行為だ。基本的には手札が強い時に行うことだが、ブラフの可能性ももちろんある。

 

「フォールド」

 

 FOLD、勝負を降りるということだ。私が持っているカードはスペードの3と6、到底強いとは言えない。故に私は勝負を降りる選択をしたのだ。

 

 ここまでやってわかったことがある。キリノはおそらく滅多にブラフを用いた戦法を取らない。ここら辺は技量と言うよりプレイヤーの性格が大きく出る部分だが、彼女は危ない手で無理にチップを取りに行くようなことはしていないように見える。

 ひねくれているように見えてその実素直、という彼女の性格を表しているように見えなくもない。思えば最初こそよそ行きのキリノだったが、都合の悪いことはわかりやすく誤魔化すし、虚偽の発言というものは今までなかった気もする。だからこそ、

 

「フォールド」

 

 弱い手で勝負に来ることは無い。それとも、それすらも彼女の手のひらの上で踊らされていて、最後にブラフで降ろしに来ることが増えたりするのかもしれない。

 尤も、私も危険な橋を渡るつもりはないが。

 

「フォールドばかりじゃないか、もう残りのチップが少ないぞ?」

「運が悪いんだ」

 

 私の挑発も肩を竦めて軽く流す。

 

「……レイズ」

 

 ガチャリ、と音を立ててキリノが大量のチップを掴んだ。数えずともその量の多さはわかる。

 

「コール」

 

 それに対して私も勝負に乗った。

 キリノが勝負を仕掛けてくるということは強い手札なのだろう。チップの量からして相当いい引きをしたか。だが私も負けていない。

 プリフロップの時点で既に火花を散らしている私たちを横目に、フジキセキがトランプを捲る。

 

「ハートとダイヤのキング、クローバーの3だね。面白いことになってきた」

 

 お互いに後戻り出来ない量を賭けてしまっている。おそらくキリノは

 

「オールイン」

 

 勝負に出るだろう。ここで一発逆転を狙っているはずだ。

 

「コール」

 

 私も勝負に乗る。フロップの時点でここまでの勝負に来るということは、相当噛み合いが良かったか、或いは最初からワンペアが出来ているか。

 

「さあ勝負の時だ。リノの手札は……」

「Aのポケット。ブラフだと思った? ルドルフ」

 

 ニヤリ、と口角を吊り上げ2枚のカードを自慢げに見せびらかしてくるキリノ。スペードとハートのAがヒラヒラと手の中で揺れる。このルールで最も強いとされている手札だ。当然、Aのワンペアはいちばん強い、ワンペアの中での話だが。

 

「いいや、強い手札なのは知っていたさ。それだって想定の範囲内だ」

「強がりはよしなよ、らしくない」

「……どうしてそんなに勝ち誇っているんだ?」

 

 私の問いにキリノはフンと鼻を鳴らした。

 

「そりゃそうでしょ。Aのポケットをあたしが持ってるんだから、ルドルフの手の内にあるAは1枚あるかどうか。キングが場に2枚も出ている以上キングを持っている可能性も低いし、持っていたとしてもリバーまでにAが捲れればあたしの勝ち。どうせクイーンとジャックのスーテッドくらいなんじゃない? 現状あたしに勝ちを確信できる手札なんてキングの──────」

 

 そこまで言いかけてキリノは停止した。彼女の頬を一筋の汗が伝う。

 

「……そんなわけないよね? だって有り得ない、確率的に考えてそんな都合よく起こるわけないんだから」

「お前が何を思っているかは見当もつかないが……そうだな、答え合わせといこうか」

 

 私が手に持っているカードを机の上に置く。キリノはその点から目が離せないようだった。

 

「………………はっ!」

 

 目を擦って顔を近づける。現実を受け入れられないのか何度も何度も確認するが、トランプの柄は変わらない。

 

 そこにはフロップで公開された2枚のキングに呼応するかの如く、欠けたピースを埋めるようにスペードとクローバーのキングが佇んでいた。

 

「…………え?」

「何度見ても同じだ、キリノ」

 

 そう言うとキリノは後ろに吹っ飛び、壁に叩きつけられる。いやそうはならんだろう。

 

「じゃあ最後まで捲ってみようか。Aが2枚、出るといいね?」

「どうして……どうして……」

 

 放心状態のキリノをよそにフジキセキがトランプを捲る。1枚目はハートの8、これでキリノの負けは決まった。そして最後のカードはダイヤのジャック。

 

「……有り得ない」

「現実を受け入れるんだな。約束は守ってもらうぞ」

「……うん」

 

 こうして私とキリノの勝負は幕を閉じた。勝負どころを間違えた……というわけではなかったはずだ。私の運が良かった、というよりはキリノの運が悪かっただけだ。

 

「ところで2人はなんでこんな勝負を?」

「何も聞かされてなかったのか!?」

 

 本当によくこの仕事引き受けたな。

 




実は運いいんだけどここじゃない、というキリノちゃんの人生……いやウマ娘生。


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キリノアメジストと恐怖の資料室

 

 雨の日は憂鬱になる。きっと多くの共感を得られる意見だろうが、ことウマ娘の価値観においては天候というものは人間が思うそれよりもずっと多くの意味を持つ。きっとウマ娘という種族そのものに植え付けられた本能のようなものなのだろう。

 それはレースに出ないこのウマ娘も同じだった。最近恐ろしい湿気とあまりの気温の高さに髪をバッサリとカットした鹿毛のウマ娘、もちろん雨と晴れなら断然晴れの方が好きだ。

 

「あ~~~ぢ~~~~~……」

 

 が、それにも限度というものがある。夏に迫らんとする日本列島では太陽が容赦なく地上の民を焼き、そしてこのウマ娘、キリノアメジストのやる気を奪い尽くしてしまった。

 

「水いる? 飲みかけだけど」

「ぁりがと……」

 

 隣の席に座るウマ娘から水の入ったペットボトルを貰い、その中身を口に流し込む。すっかり温くなった水、もといお湯では彼女の体温を下げることは敵わなかった。

 

「フジは平気なの?」

「私? まあ流石に暑すぎるとは思うけど」

 

 フジ、フジキセキ。その笑みは見るもの全てを魅了し惹きつけるといわれている(キリノ談)ウマ娘だが、爽やかな笑顔の彼女も頬に伝う汗をタオルで拭きながら話している。夏は平等に訪れるのだ。

 

「はぁっ……」

 

 呼吸が浅くなる。教室全体の酸素濃度が著しく低下しているのは、この暑さのせいだろう。1度に吸い込める酸素の量は朝と比べて明らかに少なくなっていた。

 

「今日の練習は中止だ~~~……」

「そんな私情を持ち込んでいいのかい?」

「良くない……」

「はははっ。じゃあ頑張らないとね」

「撫でるなぁ~~~~」

 

 暑さで溶けきってしまったキリノアメジストの抵抗などあってないようなもの。フジキセキはお構い無しにキリノアメジストの頭を撫で続けた。

 

「フジも練習、するの?」

「もちろん。まだトレーナーは見つかってないけど、練習しなくていい理由にはならないよ?」

「えらいねぇ~~~~……あれ」

「君じゃ私の頭には手が届かないんじゃないかな?」

「うう~~~~」

 

 プルプルと身体を震わせながら手を伸ばすも、キリノアメジストの手はフジキセキには届かない。机に突っ伏している彼女の手が届くはずもないわけだが。

 

「ルドルフも溶けちゃったんじゃないかな? やっぱり今日の練習は中止」

「あのルドルフがそんな事で練習を休むとは思えないけど……」

「同意」

 

 キリノアメジストは諦めて、暑さで爛れた脳をフル回転させて練習内容を考え始めた。

 

 

 

 

 

 

「えっ!? ルドルフが暑さで溶けた!?」

「実家に用事があるそうだ」

 

 放課後、トレーナールームへと足を運んだキリノアメジストは衝撃の事実を知る。東条トレーナーの言葉が届いていないのか、キリノアメジストは口元を手で隠し震えている。

 

「じゃあ今日の練習は……」

「無しね。マルゼンスキーの方も手伝いはいらないわ」

「ぃやったぁー!!!!」

 

 トレーナールームを飛び跳ねて回るキリノアメジストを押さえつけながら、東条トレーナーは「ああ」と呟き、

 

「合宿の練習メニュー、明日までに提出してね」

「うぐぅ……っ!」

 

 キリノアメジストに釘を刺すのであった。

 

 

 

 

 

 

 数分後、廊下をフラフラとおぼつかない足取りで進むキリノアメジストの姿があった。

 

「どうしてトレーナールームにはクーラーがあるのに……」

 

 涼しい部屋からの退出を嫌がるキリノアメジストと、鍵をかけて出たいためキリノを部屋から追い出したい東条トレーナー。2人の激しい攻防の末トレーナールームから追放されたキリノアメジストは、合宿メニューの作成のため資料室を目指していた。

 

「そうだ、ルドルフの稼いだ賞金で学園にクーラーを完備しよう。幅1m感覚で全ての廊下に設置して、ありとあらゆる教室に3個ずつ……ふふふ」

 

 などとおかしな事を宣いながら濁った目で蠢く姿は、さながらバイオハ○ードのゾンビだった。ドイツのウマ娘が見たら卒倒していただろう。

 

 そして目的の資料室に着いたところで、キリノアメジストに声をかける人物がいた。

 

「あら、キリノさん。どうかされましたか?」

「んぁ? たづなさん……」

 

 駿川たづな、トレセン学園の理事長秘書というポジションについていながらトレーナー達のサポートに日々奔走する(本人談)謎多き女性である。

 

「資料室に行きたくて……」

「あ、奇遇ですね。私も用が……って、大丈夫ですか?」

「わ、わわわわ」

 

 その場でフラフラと回り始めるキリノアメジストに慌てて駆け寄るたづなさん。

 

「熱中症みたいですね……一旦中に入りましょう! 資料室はクーラーもありますし」

 

 目を回しながら倒れ込むキリノアメジスト。たづなさんがいなかったら今頃資料室の前に墓石を作っていたところだっただろう。

 

 

 

「ううん……」

「ああ、目を覚ましましたか」

 

 ホッと息を吐き胸を撫で下ろすたづなさん。現状を理解しきれないのか、キリノアメジストは目をぱちくりとさせた。

 状況はたづなさんが上、キリノアメジストが下。俗に言う膝枕の状態で頭をたづなさんの膝に載せたキリノアメジストが困惑しているといったところか。

 

「たづなさっ……!? うぐぅ……」

「ちょっと! 危ないですよ、急に起き上がったら倒れちゃいますから」

 

 ようやく置かれた状況を理解したキリノアメジストが再びダウンする形で事態は終息した。

 

「すいません、ご迷惑をおかけして……」

「いえいえ、ご無事で何よりです」

 

 ぐったりと膝の上に横たわるキリノアメジストの頭を撫でながら、たづなさんは微笑んだ。キリノアメジストは今日よく頭撫でられるなぁとか思ってた。

 

「どうしてそんなに無理をしたんです?」

「いやぁあんまり覚えてなくて……。確か夏合宿用のメニューを考えないとって思って、それで資料室を目指していた気が?」

「なるほど、メニューを……。本当にトレーナーみたいですね」

「見習いですけどねー」

 

 なでなで。

 

「東条さんも褒めてましたよ? 羨ましいくらいって」

「それはあたしの目が、ってことですよね」

「さあ、それはどうでしょう?」

「そうに決まってます。あたしにとっては呪いみたいなもんですけどね」

 

 なでなでなでなで。

 

「呪いですか」

「あたし、走りたかったんです。走るの好きだったんです。でも皆がこんなに速いなんて、あたしがこんなに才能がないなんて知りたくなかった」

「……」

「でも、もういいんです。あたしにはあたしの出来ることがある、それだけでいい。やりたいことと出来ることは、必ずしも一致しないってことです」

 

 なで。

 

「……そんなに早く大人にならなくてもいいのに」

「たづなさん?」

「……私からは何も言えません。貴方を傷つけたくはありませんから。でも、そうですね……これからの未来は貴方が決めるものです。それに、何ができるか、何が出来るようになるかなんて今はまだわからないじゃないですか。これは慰めじゃなくて本当のことです」

 

 なでなでなで。

 

「……はい」

「ごめんなさい、お説教のつもりじゃないんです。ただ、そんなに悲しいことを言われたら、どうにかしてあげたいって勝手に思っちゃって。お節介ですよね」

「そんな事ないです! ……それに、最近変わったんです。今まではこんなこと人に言えなかったけど、今はこうして打ち明けられる。自分の中である程度踏ん切りがついたんです。納得して前に進めるようになった……後悔がないと言えば嘘になりますけど、ようやく1歩踏み出せた気がします」

「……そうですか」

「だから、あたしはもう大丈夫です!」

 

 キリノアメジストの心からの笑みに、たづなさんは少し寂しそうに笑った。

 

「でも私も気になりますね、貴方の目のこと。一体どんなふうに見えるんです?」

「うーんと、なんて言えばいいのかな。色んな項目があって、スピード、スタミナ、パワー、メンタル、技術みたいな感じで。で、それぞれn/xみたいに分数になってて、nが現在の値、xが限界値って感じです。他にもそのウマ娘の調子だったり、後は得意としてる戦術とか、脚質とか適性距離とか。場合によっては怪我なんかも見えたりします」

「俄には信じ難いですね。それで、限界値を見て才能がある、ないと評価をしているわけですか」

「まあそうなります。ルドルフなんかは1200くらいまで伸び代があって初めて見た時は固まっちゃいましたね」

「では、見た中で1番大きかったのは誰ですか?」

「それはもうたづなさんで……あっ」

 

 ぴたり。キリノアメジストの頭を撫でていたたづなさんの手が止まる。表情も笑顔で固定されている。

 まるで時が止まったかのように音は世界から消え、色褪せていくように感じられた。

 

「あっ……いや、えと、違くて。あ、あは、あはは、冗談ですよ冗談! あははは、た、たづなさん?」

「………………」

 

 キリノアメジストは気づいていた。彼女が何故かウマ娘同様ステータスが見えていることに。そして同時にウマ娘であることを隠しているようにも感じた。尻尾も耳も見せないのだ、たづなさんが超人的な人間で偶然ステータスが見えてしまっているのでは無いとしたら、後はもう答えはひとつしかない。

 

「そ、そうだ! メニュー! メニュー作らないと! あっあれ? おかしいな起き上がれない」

 

 キリノアメジストを撫でていた右手はいつの間にか彼女を膝の上に固定しており、到底抗えない程の力でキリノアメジストを押さえつけていた。

 

「た、たづなさん? なんで黙ってるんですか? なんで笑ってるんですか? あ、あたしそんなつもりじゃ…………や、やだ。やだ! 誰か! 誰かぁ!」

 

 もう半泣きというかほぼ全泣きのキリノアメジスト。助けを呼ぶが応える者はいない。

 

「い、言わない! あたし黙ってます! 絶対にバラしたりしません! だから、命、命だけは……」

「ぷっ、ふふ、んふふ。ごめんなさい、ちょっと意地悪が過ぎちゃいましたね」

「ふぇ……?」

 

 止まった時が動き出したかのように、世界に色が戻る。

 

「そんな怖がられるなんて思いませんでした。ちょっとショックです」

「だって! だってぇ……」

「心配しなくてもそんなことしませんよ」

「うう~~~~……」

 

 安心したのか、キリノアメジストは目から大粒の涙を流してたづなさんに抱きついた。彼女の生の中で最も怖い瞬間だったと、キリノアメジストは後に語っている。

 

「ぐすっ。それで、たづなさんはウマ娘なんですか?」

「それはどうでしょう? 私は駿川たづな、それ以外の何者でもありません。ただ……そうですね、走るのは好きだったし、得意でしたよ?」

 

 再びたづなさんの右手はキリノアメジストの頭を撫で始めた。

 

「ですが私は怪我で走れなくなってしまいました。もちろん、競技としての話ですけど」

「そう、なんですか」

「ええ。だからこそ、この学園に通うウマ娘達には1番に健康でいることを考えて欲しいんです。勝つことも、勝つためのトレーニングももちろん大事です。それでも健康に怪我なく過ごして欲しい……1番大事なのはその体なのですから」

 

 たづなさんの視線はどこか遠くを見つめている。

 

「怪我で引退してきた子も沢山見てきました。怪我と隣り合わせのこの競技に携わっているのですから当たり前ですけれど。でも、わかってはいても、そんな事が起きる度に胸が苦しくなる。やるせない気持ちになる」

「……」

「すいません、私の方がカウンセリングを受けてるみたいですね」

「い、いえ! ……でも、やりたいことが出来なくなる苦しみはわかる……つもりです。だから」

 

「だから安心してください! あたしの目が黒いうちは……まあ、ルドルフしか面倒みれないですけど! 怪我なんてさせませんから」

 

 キリノアメジストの言葉にしばしキョトンとしていたたづなさんだったが、やがて優しい笑みで返すのだった。

 

「はい、約束ですよ」

 

 その後、キリノアメジストのメニュー作成を手伝ったたづなさんは資料室を後にした。その日を境に、たづなさんに甘えるキリノアメジストの姿がたまに目撃されるようになったとか。

 

 

 

 

 

 今は今で、誓いは笑みで。

 




マルゼンスキーとたづなさんが仲良いのも、そういうウマ娘だからなのかなとか妄想したり。


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貴方の世界に歩み寄る

 

『ゲームクリア~!』

 

 キリノのタブレットから軽快な音声が聞こえる。愛らしい音声はシンバルの形に目と口がついたデザインをしたキャラクターがなにかダンスを踊っている画面が見える。

 先程からなにか音楽がずっと流れているのは聞こえていたが、一体なんのゲームなのだろう。

 

「あーこれ? 音ゲー……リズムゲームってわかる?」

「すまない、こういうのには疎くてな」

「だろうね。まあその名の通りリズムに合わせてボタンを押すゲームだね、一応」

「一応?」

 

 言い方が引っかかる。リズムゲームと言うからにはそれが正解な気もするが。

 

「んー、言ってしまえばゲームなわけで。曲によって譜面……えっと、リズムが決まってる以上暗記することが可能なんだ」

「……つまり?」

「何回も同じ曲をやればリズムに合わせてボタンを押すゲームじゃなくて、頭で覚えた感覚でボタンを押すゲームになるんだ」

 

 なるほど、暗記とはそういう意味か。

 

「一見すると面白くないけど、ノーミスでゲームをクリアした時の達成感はあるよ」

「なるほどな。キリノはそのゲーム得意なのか?」

 

 私の言葉にキリノは少し悩む素振りを見せた。

 

「平均よりはできる方、だと思う」

「言い切らないんだな」

「インターネットにはすごい人が沢山いるからね。あたしなんかまだまだだよ」

「そうなのか」

 

 楽器に触れる彼女のことだ、そういうゲームは得意なのかと思ったのだが。

 

「ルドルフもやってみる?」

「ふむ、面白そうだ」

 

 早速キリノのタブレットを借りてやってみることにした。タイトル画面には『ドラムの達人』と書かれている。

 

「まずはチュートリアルだね。ノーツの形によって叩く速度が決まってるからそれを覚えないと」

「ノーツ……?」

 

 よくわからないが、一旦チュートリアルをやってみる。

 

 

 

 なるほど、こういうゲームか。そしてこの落ちてくる……ノーツ? にはある程度間隔があり、またそれぞれに決まったボタンの押し方があるというわけだ。

 

「じゃあ最初だし、一番簡単なのにする?」

「? 難易度があるのか」

「あるよー。1番難しい奴なんてすごい沢山ノーツが落ちてくるんだから」

「それはまあ……確かに難しいのだろうが、やること自体は決まっているのだから、それの応用をするだけだろう?」

「えぇ……? そこまで言うのならまあ、やってみればいいと思うけど」

 

 キリノは懐疑的だったが、私の考えが正しければこのゲームはそこまで難易度による差はない。

 

「確認だが、今のチュートリアルで全ての種類の叩き方を紹介したんだな?」

「うん、あたしの知る限りではこれ以外のノーツはないと思うけど」

「なら大丈夫だ、任せてくれ」

 

 そう言ってキリノに楽曲の選択を任せた。彼女の思ういちばん難しいゲームを楽しもうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

『フルコンボだドラ~!!』

 

 可愛らしい音声がタブレットから流れる。ノーミスでゲームをクリアするとフルコンボ、と言うらしい。

 

「な……」

 

 キリノが口をあんぐりと開けている。ふふふ、初心者だからと侮ったな? 

 

「な、なんで? ルドルフ、このゲーム初めてじゃないの?」

「初めてさ。この曲も聴いたことは無かったが、いい曲だな」

「いや、いやいや意味わかんない。ううん、そういう人はいるよ。初見フルコンとか動画上がってたり配信あったり……でもそういう人って長年の経験あってこそのものでしょ? ルドルフはなんで? どうやって?」

 

 酷く驚いているのか、若干言葉足らずなキリノ。それでも何が言いたいかは伝わる。

 

「何も特別なことはないさ。流れてくるものを目で追って、先程覚えたリズムの通り叩くだけだ。シンプルかつ視覚的にこのゲームをクリアする最適な方法だと思うが」

「それが出来たら苦労しないって……ああ、それが出来るのね」

 

 キリノも理解したようだ。

 

「ジャンケンの時も似たようなこと言ってたっけ」

「ああ。先程キリノが言った暗記するゲーム、というのもこのゲームの一面なのだろう。だが初回のプレイに限っては動体視力と反応速度を試すゲームになるわけだ。シンプルながらに中々楽しめるゲームじゃないか」

「いやそんなゲームじゃ……あーいいやもう」

 

 はぁと息を吐くキリノ。どうやら遊び方が違うらしい。

 

「キミといると価値観が塗り変わるよ」

「私だってそうさ。きっと人と関わるということはそういう事なのだろうな」

「あーあ。ルドルフの色に染められちゃう」

「なっ!? 言い方を考えろ!」

「あはは。でも支配欲強そうだよねルドルフって」

「そんなことはない! ……はずだが」

「いやー? 案外自分でも知らなかった扉を開くかもよ?」

「出来れば開きたくないな……」

 

 支配欲……いや、そんなはずはない。

 じっとキリノの右耳につけられたアクセサリーを見つめる。いやいやいや、そんなやましい気持ちで送ったわけじゃない。そんな独占欲とか支配欲とか、そんなわけが……。

 

「どうしたの?」

 

 突然キリノがこちらを覗き込む。右耳のクリスタルが小さな音を立てて揺れた。

 

「なっ!? …………んでもない」

「いやなんでもなくはないでしょ」

「なんでもないんだ! 本当に! そんなつもりじゃなかったんだ!」

「は~? ……変なの」

 

 キリノは怪訝そうな顔をしつつもどうにか追及を止めてくれた。

 

「はぁ~あ、強いって自由だ」

「どういうことだ?」

「能力があると選択肢も増えるってことだよ。くだらないことで再認識するなんてね」

 

 それはその通りだが、なぜ今その話をしたんだ? 

 

「別に。ただリズムゲームを違う側面からクリアするやつが目の前にいたから、ちょっと思い出しただけ」

「今のはたまたまだろう?」

「たまたまでも結果が全てだよ。運を引き寄せる力だって元々のフィジカルがないと……いや、フィジカルがある者こそ運を活かすことが出来るというべきかも」

 

 運。責任の所在がどこにもない、使い勝手のいい要素。それをキリノは自身に責任があると捉えるのか。

 

「ふふ、やはり私もいつも驚かされるよ。お前はいつだって私の価値観を……世界を変えてくれる」

「何が? 何かあった?」

「運なんて概念についてそんな真剣に、真摯に考える者も少ないだろうなと思っただけだ。ただ、そのお前の考えた先にある世界を見れた私は幸せ者だ」

「やっぱり変なの、あたしの主観なだけでしょ」

「ああ、だからこそお前と出会えて良かったと思うよ」

 

 キリノがふいと視線を逸らした。いつもの照れ隠しだ。

 

「あたしに変えられること、きっと誰も望んでないよ」

「そうだろうか。私は少なくともこれからも望んでいるのだが」

「親不孝者だ~。折角詰め込んだ帝王学が泣いてるよ」

「ふふ、そんなに閉じ込めておきたいならトレセン学園に出したりしないだろうさ」

「ぐぬぬ、反論出来ない」

 

 やめやめ、とタブレットの電源を落としキリノはベッドに潜り込む。

 

「……ねぇ、弱音吐いていい?」

「……! あ、ああ、勿論だ」

「………………やっぱいいや、おやすみ」

「え、え? わ、私では力不足だろうか?」

「んーん、どうでもよくなっただけ」

「そ、うか……」

 

 初めてキリノが私に頼ってくれる気がして少し嬉しかった。残念ながら結局その機会は来なかったわけだが。

 どうでもよくなったのならいいことだ、と呑気に片付けていいものか。それとも踏み込むべきではないとここで流すのが最善か。思えばいつもこうやって迷っている気がする。

 

「なんかめんどくさい女みたいだねあたし」

「い、いやそんなことはないぞ!」

「ふふふ、本当にどうでもよくなっただけだからいいよ。何となく口に出そうとしてくだらないなぁって思っただけ」

 

 静寂が部屋を包む。

 

「ルドルフは自分がまだまだやれるって思う?」

「それはもちろん、限界がいつ来るかなんて今はわからないからな」

「違うよ。今の自分が、今現時点で最善だと言える?」

「それは……それもわからない、もっと上手くやれたこともあったかもしれないし、なかったかもしれない」

「珍しく曖昧だね。……あたしもわかんない。他のトレーナーだったらもっとルドルフは強くなってたかもって思ったり、いやそもそもルドルフを超えるトレーナーじゃないとそんなこと出来ないんだから誰がやってもこうなってたって思ったり」

 

 一拍置いて再びキリノは口を開いた。

 

「結局あたしの結論は後者。だってその方があたしにとっては都合がいいから」

 

 薄暗い部屋の中、彼女の表情はわからない。それでもなぜだか笑っている気がした。

 

「勿論時間をかければこれから先も成長すると思う。で、時を重ねる毎にずっとこんな疑問につきまとわれるんだと思う。トレーナーって皆そうなのかな? だとしたら大変だ」

 

 ふふ、と今度は明確に笑い声が聞こえた。

 

「……頑張ろうね」

 

 一緒に、と小さな声で付け足した。初めて隣にキリノがいる気がして、それをどうしても手放したくなかった。

 

「……ああ。ああ!」

 

 何度も頷く、肯定ではなく同調の思いを込めて。

 

 部屋の隅。お互いのベッドは離れているが、1番近い距離にいる。夜なのに暖かいのは、夏が近付いてきたからなのだろうか。

 




大人の前では子供で、友達の前では大人でいたい女。めんどくさい彼女みたいになってきたけどそのうちヤンデレとかになるんかな。


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汝、皇帝と砂浜を駆けよ

キリノちゃんのビジュアル描写がぜんっぜんないので細かいものを増やしていきます……。


 照りつける太陽、ふわりと香る潮風、サラサラの砂浜。これらの要素から連想される場所はただ1つ、海だ。

 

「海だーーーっ!!!」

 

 そう、海だ。私とマルゼンスキー、そしてキリノアメジストは東条トレーナーの引率のもと、海にやってきた。

 もちろん遊びに来たわけではない、ここにやって来た目的はトレーニングに他ならない。有記念を控えた私達、そしてマルゼンスキーの特訓のためにここに来たのだ。

 

「海よーーーっ!!!」

 

 キリノに続いてマルゼンスキーも叫びながら浜辺の方へと走っていく。遊びに来たんじゃないんだぞ、と声をかけるトレーナーも優しい笑顔を浮かべている。

 

 聞いた話によると海まで来るのを提案したのはキリノらしい。東条トレーナーとしては合宿こそ計画していたものの海とまでは考えていなかったようだ。

 まさかあいつ、遊びに来たかっただけなんじゃないだろうな。

 

「あたしを捕まえてごらんなさ~い!!」

「うふふ、待て待て~!!」

 

 なんだかとても古い絵を見ている気分になる。というかお前が追われる側なのか、キリノ。2人とも何をやっているんだか。

 

「あら、交ざってきてもいいわよ」

「遠慮しておきます。……というか交ざりたいわけではありません!」

 

 東条トレーナーまで私を揶揄う始末。浮かれすぎだぞみんな。

 

「どうせ宿のチェックインもあるし、トレーニングまでは時間があるからね。それに、トレーニングに使う砂浜をチェックしておくことも大切なんじゃない?」

「……っ! はぁ……ありがとうございます」

「素直じゃないんだから」

 

 最後のセリフは聞かなかったことにする。今日の私はいつものキリノみたいな扱いを受けている気がする。

 

 

 

「見て見て! カニさんいる!」

「ちっちゃいわね……合宿終わり頃には食べれるくらい大きくなってるかしら?」

「うーんどうだろう……」

「そんなわけないだろう」

 

 明らかに食用にするには小さすぎるカニを突っつきながら話すキリノとマルゼンスキー。

 

「ルドルフちゃん!」

「あ、ねぇ! あれやっていい? 海の水ダバァッてかけるやつ」

「今やったら命の保証はしない」

「うぃっす……」

 

 せめて水着に着替えてからにしてくれ。キリノだって私服を濡らしたくはないだろう。

 

 ちらりとキリノのファッションに目をやる。

 薄い生地で出来た水色のフリルブラウスに、麻のショートパンツ。いつものデニム好きはなりを潜め、ライトブラウンの落ち着いたモノを穿いてきているようだ。余程暑かったのだろう、とにかく涼しくなるように意識したチョイスに見える。

 さらに上に目を向けると、大きめの麦わら帽子が影を作っていた。素材はストロー、シンプルにベージュ色で黒いリボンを巻いている。夏合宿に向けて買ったものの1つらしい。

 

「な、なに? あたしの顔に何かついてる?」

 

 ジロジロと視線を向けていれば流石に気づかれたか、キリノは不気味なものを見るような表情で私から距離を取った。

 

「いいや、よく似合っていると思ってな」

「あ、あぁ……それでそんな顔を」

「? どんな顔を?」

「なんか、いやらしかった」

「なっ!? 変な意図で言ったわけではないぞ!」

「あはは、わかってるよ」

 

 キリノが身をよじると一陣の風が彼女の髪を撫でた。この夏にセミロングからショートへと転向をした(というか余儀なくされた)キリノだったが、先日まではなかったはずの変化が起きていた。

 

「キリノ、お前……」

「今度は何?」

 

 私はキリノに近づいて頭に手を添えた。ちょっとニヤついている時点で何となく察しはつくが、断りを入れて彼女の髪をそっと撫でると先程見たものが幻覚ではないことがわかる。

 

「やっと気づいたね」

「それはその、今朝合流したばかりだったから……」

「会ったらすぐ気づいてくれると思ったのにな~」

 

 手を退けると、その名残でよくわかる。彼女の髪の中からピンク色が顔をのぞかせていた。私が彼女たちと行動を始めたのは今朝のことで、そこからはずっと被っていた大きな麦わら帽子が私の視界を遮っていたらしい。おかげで今になってようやく彼女の変化に気づいたというわけだ。

 

「インナーカラー入れたんだよね。ピンクベージュ」

 

 そう言うとキリノは人差し指で左耳のアクセサリーを弾いた。

 

「ルドルフがくれたアクセサリーと色重ねてみたんだ。原色寄りだとこれが霞んじゃうから、いい感じに薄いのをね。ちなみにヘアカラーもちょっとアッシュ入ってるんだよ? わかる?」

「そ、そうだったのか。そこまでは気づかなかった」

「ルドルフももっとオシャレした方がいいよ? 折角顔も可愛いんだからさ」

「む……精進する」

「うんうん」

 

 キリノはえらく上機嫌だった。と、マルゼンスキーがキリノに抱きついて辺りをキョロキョロと見回す。

 

「どうしたんだ?」

「こ、こんなに可愛い子がいたら狙われるに決まってるじゃない! キリノちゃんを狙う悪い男から私達が守ってあげないと!」

「親か。……いや、姉か?」

 

 当のキリノは目をぱちくりと瞬きさせて突っ立っている。

 

「多分貸切だからあたし達以外いないと思うけど……」

「え、そうなの?」

「うん。そもそもトレーニング用のスペースがこんなに広く取られてる宿なんて、トレセンと提携して営業してるに決まってるじゃん。どの道一般客が寄り付くようなところじゃないよ」

「なら安心ね!」

 

 少し考え込んだキリノが人差し指を立てる。

 

「もしかしたら他の子と期間が被るかも。貸切ではないね」

「そうなの?」

「まあ2ヶ月弱ここにいるんだから、どこかしらでかち合う可能性は高いよ」

「そっかぁ……うん、2ヶ月?」

 

 マルゼンスキーの笑顔が引き攣った。

 

「そう話してたでしょ。忘れちゃった?」

「お、覚えてるわよ! もちろん! うん……」

 

 どうやらミーティングはあまり意味がなかったようだ。誤魔化すように笑顔を浮かべているマルゼンスキーを横目に、私とキリノは同時にため息をついた。

 

 

 

 程なくして東条トレーナーが宿のチェックインを済ませると、戻ってくる。それに続いて私達も部屋に荷物置いて、トレーニングの準備をする。とはいえ水着でトレーニングをする必要があるのかは甚だ疑問だが。

 

「泳ぐって……そんなわけないじゃん。学園のプールで事足りるよそんなの」

 

 とはキリノの弁だが、それならば余計に水着に着替える意味がわからない。その方が色々気にしなくていいだろうから、ということらしい。

 

 ちなみに私もマルゼンスキーもトレーニングの内容については本当に何も聞かされていない。着いてからのお楽しみという話だったが、トレーニングなのだからわざわざお楽しみにすることもないだろうに。

 

「あーあー遊び心がないんだから。どんなものもお楽しみにしといた方がいいじゃん」

「それでハードルを上げて苦しむのもお楽しみにした側じゃないのか?」

「そういうこと言わない!」

 

 そんなことを言っていたなと思いながらキリノに連れられて私とマルゼンスキーは砂浜に戻ってきた。東条トレーナーが既にジャージに着替えて待っている。

 

「じゃあ始めようか」

「というか何故お前が仕切っているんだ?」

「それはもう、今回の特訓はあたしが考えたものだからね!」

 

 フンス、と鼻を鳴らしてドヤ顔をするキリノ。疑わしげな目を東条トレーナーに向けると、彼女はクスリと笑って口を開いた。

 

「本当よ。私がマルゼンスキーについて考えていたこと……というよりマルゼンスキーの問題点を相談したのよ。そしたらルドルフも同じ弱点を持ってるから、二人一緒に解消してしまおうって言うことでこんなに長期間の合宿を組んだの」

「も、問題!? 私の!?」

 

 マルゼンスキーは酷く狼狽えていたが、私も内心驚いていた。

 自分で言うことでもないが、キリノは私の走りについて妄信的に褒め讃えている節がある。だからこそ私の走りの弱点、なんて言い出すとは思わなかった。

 

「そんなわけでわざわざ海まで来たのです! まあ、この2ヶ月弱でものにできるかはキミ達次第だから頑張ってね」

「それで、私達には何が足りてないんだ?」

「はいシンボリルドルフくん焦らない。まずは実践から!」

 

 キリノはそう宣言するとホイッスルを取り出した。そして浜辺のポールを指さす。

 

「あのポールをゲートのスタートラインだと思って欲しい。今からキミ達にはいつもやってるようにスタートダッシュをしてもらいます」

 

 首にかけたホイッスルがキリノの動きに合わせて揺れる。

 

「あたしが笛を鳴らしたらスタートね。砂浜だからいつもと少し勝手が違うけど、あくまでいつも通り」

 

 私とマルゼンスキーは言われるがままに砂浜に作られたスタートラインに並んだ。

 

「準備OK? あ、ハナちゃんもう少し下がって……もう少し、もう少し、そこ! いいね。じゃあ始めようか」

 

 ハナちゃ……東条トレーナーが携帯端末を構える。どうやら撮影をするつもりらしい。

 

「行くよ? よーい……」

 

 ホイッスルの音が浜辺に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 300mほどの道を小走りで戻る。マルゼンスキー、どんどん力をつけていっているな。純粋な最高速なら私以上だろうか。もし彼女が抱える弱点とやらを克服したなら、一体どうなるのか。

 

「お、戻ってきたね。早速これを見てよ」

 

 携帯端末で撮影した映像、どうやら随分と離れたところから撮影していたらしい。これではフォームの確認どころか巻き上がって砂煙……もはや砂嵐と言って差し支えないそれで私たちの姿は見えないと思うのだが。

 

「どう? これ」

「どうと言われても……何も見えないな」

「私達の後ろってこんな風になってるのね~」

 

 うんうんと満足気に頷くキリノ。

 

「何も見えないよね。なんでだと思う?」

「それは、砂煙が……」

「そう! こんなに砂煙を巻き起こして、すごいパワー……とでも言うと思った? 残念でした」

 

 キリノが映像を止め、端末をロック状態にする。

 

「いつもは芝だから気にならないかもしれないけど、足場が砂になるとわかりやすいよね。キミ達のスタートは地面を蹴っているんじゃない、蹴り上げてるんだよ」

 

 キリノが人差し指を立てた。

 

「蹴り上げてるってことは脚が滑ってるってこと。つまり2人はスタートでロスをしているのさ。言ってしまえば、出遅れている」

「そう、だったのか……」

「マルゼンスキーなんかは自分で気づいてたんじゃない? 先行するスタイルを取ってるのに、序盤は集団が追い抜いてるんだからおかしな話だよね」

「うっ……!」

 

 逆に私は差しを意識していたからあまり気にならなかった、気づくことが出来なかったというわけだ。

 

「このスタートの悪癖を治すべく、この合宿ではスタートダッシュの練習に専念するよ! 名付けて、作戦名『コンセントレーション』! この夏でキミ達は最強の先行ウマ娘になるんだ」

 

 キリノが高らかに宣言する。私たちの夏が始まろうとしていた。

 

 

 




夏合宿スタート!


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汝、皇帝のスキルを見よ

インナーカラーはいいぞ、皆入れよう


 キリノの宣言と共に夏合宿が始まった。

 彼女曰く私とマルゼンスキーにはスタートダッシュによるロスをなくすという課題がある。この夏合宿はその為にあるというわけだ。

 

「しかしキリノ、その為だけに2ヶ月もこの施設を使うのか?」

「甘ァい! メロンパフェより甘いねシンボリルドルフ。キミはその才能に溺れたが故にトレーニングを無礼(ナメ)ているようだ」

「どちらかと言うと侮辱されているのは私の方じゃないか?」

「ふふふ、早速だが本題に──」

「話を逸らすな」

「しゅ、しゅいましぇん……」

 

 ぶにゅ、と頬を挟んでやるとキリノは情けない声で謝罪した。調子に乗りすぎだ、全く。

 

「もちろんメインの目的はそこだけど、砂浜でのトレーニングってのはそれだけでも価値あるものだからね。使える時にたっぷり使ってしまおうってわけさ。いくらかかってるかは知らないけど……」

 

 ちらりとキリノが東条トレーナーに視線を向ける。東条トレーナーはあっけらかんとその金額を言ってみせた。

 

「へぇ~、結構いいところなのね」

「それはそうだろうな。これほど立派な施設が揃っているのだから、当然莫大な投資が行われているのだろう」

「あ、あがが……」

 

 呆然としているキリノを他所に、私たちの反応は予想通りといったものだった。

 東条トレーナーがキリノに近づき、ぽんと肩に手を置く。

 

「大丈夫、私は貴方の味方よ」

「は、はは……そうだよね……あたしおかしくないよね……」

 

 キリノはフラフラになりながらも何とか自分の足で立ち上がり、私達を睨みつけ口を開いた。

 

「これだけの出費を許されてるってことは、その分期待されてるってことだよ! この夏合宿に失敗は許されない、いいね?」

「そんなにプレッシャーをかけたら逆効果じゃないか?」

「うるさい! ていうか全然プレッシャー感じてないじゃん2人とも!」

「そりゃまあ、ねぇ?」

「トレーニングにプレッシャーも何も無いだろう。強くなるために来ている、それだけだからな」

「お二人とも余裕ですこと! 今頃結果に追われているウマ娘が必死になって……や、いいわ。やっぱ忘れて」

 

 後半は聞き取りづらかったが、キリノが今までに無いほどやる気に満ち溢れているのは伝わってきた。

 

「とにかく! ここでステップアップ出来なければその余裕も合宿明けには崩れることになるんだからね!」

「もちろん、全力で臨ませてもらうさ」

「よろしい!」

 

 兎にも角にも、こうしてキリノからのお説教は終わったのだった。

 

 

 

「それで、今から何をするの? 2ヶ月もあのスタートダッシュを続けるわけじゃないでしょう?」

「勿論、ずっとやってても成長率0%だよあんなの。ただ、砂浜でのトレーニングは2人とも初めてでしょ? だからまずは砂に慣れるところから」

 

 そう言ってキリノが指さす先にあったものは、砂浜に広げられた大きなネットだった。

 

「夏といえば海! 海といえば砂浜! 砂浜と言えば? そう、ビーチバレー!!」

「いぇーい!!」

 

 ノリノリのマルゼンスキー。いやいや、待って欲しい。

 

「キリノ、お前まさか遊びたいだけなんじゃ……」

「失礼な! これはれっきとしたトレーニングです。だからわざわざハナちゃんにまで着替えてもらってるんでしょうが」

 

 言われてみればそうだ。トレーナーがジャージに着替えているのは単純にスーツを汚したくないだけではないらしい。

 

「今から2人1チームに分かれてビーチバレーをします! レシーブとスパイクは全部ルドルフとマルゼンスキー、あたしとハナちゃんはセッターだけね」

 

 東条トレーナーが頷く。

 

「チーム分けはどっちでもいいんだけど、せっかくだし最初はルドルフとあたしで組もうか。慣れてきたら入れ替えて環境を変えながらやっていこう」

「いいのか? こちらはウマ娘2人のチームになるが……」

「まああたしもハナちゃんもトスしかしないからね。そこまで差はないよ」

「そうか、なら問題はなさそうだな」

 

 両者納得の上なら構わない。それにきっと、東条トレーナーとキリノの2人で考えた上で組まれたトレーニングのはずだ。ならば私たちは信じて全力を出すのみ。

 

「あ、負けたチームのウマ娘はペナルティでスクワットね」

「……? お前もやるのか?」

「んなわけないでしょ。やってもいいけどあたしがやる意味なんてダイエットくらいにしかならないって」

「それもそうだな」

 

 呆れ顔のキリノがおかしくてつい笑ってしまう。

 

「ルドルフちゃんって案外天然よね」

「ほんとだよ。あざといヤツ」

「あざ、とい? どういう意味だ?」

「あーもういいから! 早くやるよ!」

 

 跳ね除けるような手の仕草であしらわれてしまった。どうやら彼女の琴線に触れてしまったらしい。

 

「ちゃんとAパスで返してね」

「……すまないがバレーボールには疎くてな。出来ればあまり難しい用語を使わないでくれると助かる」

「おっと、そりゃごめんね。あたしが1歩も動かなくていいように、高くて綺麗なレシーブが欲しいなってことだよ」

「なるほどな。しかし私も初心者だ、善処はするがあまり求めてくれるなよ」

「何弱気なこと言ってんの? そこは承知した、って胸を張るところだよ」

 

 キリノはビーチバレーが楽しみなのか上機嫌だ。彼女が楽しそうなので、つい私も笑みが零れてしまう。

 

「承知した。勝利をプレゼントしようじゃないか」

「その調子!」

 

 ネットの向こう側でマルゼンスキーが手を振る。向こうも準備万端らしい。

 

「さあ、始めよう!」

 

 ボールが高く舞い上がり、太陽の光を遮った。

 

 

 

 

 

 

 ボッ! という音と共に鋭利な角度でボールが落ちてくる。通常のビーチバレーで使われるボールとは異なりウマ娘のパワーに耐えられる素材で作られているため、このボールはその分危険度も増している。

 そしてキリノの言ったことは間違っていなかったのだと理解させられた。私は砂浜を甘く見ていたのだ。

 

「くっ!」

 

 辛うじて拾ったボールはそのまま相手チームのコートへと返っていく。パワーがありすぎたのだろう。

 この砂浜ではまず地面を蹴ることが出来ない。力を込めればそこから足場が沈んでいき、蹴った反動は砂浜に吸収される。そのため思ったように動くことが出来ないのだ。

 加えて力の伝わる遅さ、これが私の動きを鈍らせている。反応は間に合っている、だが動作が追いついていない。結果体勢を崩しながら拾ったボールは思ったところに飛ばない。

 

「ルドルフー! ネットの向こうは相手のコートだよー?」

「わかっている!」

 

 ニヤニヤ笑みを浮かべと煽ってくるキリノ。律儀に返事をする自分もどうかと思うが、無駄に体力を消耗させてくる味方は果たして味方と言えるのか。

 

「もういっっっかい!!」

「フッ!」

 

 次のスパイクは運良くこちら側に飛んできたため、力を相殺させながら上手くキリノに返すことが出来た。しかし体勢を崩し、次の動作が遅れる。まだ私にはスパイクを打つという役割があるのに。

 

「ナイスパース」

 

 呑気な声でフラフラとボールを追いかけ、キリノはボールに飛びつくように真っ直ぐ飛んだ。

 

「ほっ」

 

 美しく綺麗な姿勢から高めのトスが繰り出される。私が間に合うだけの余裕を作ってくれたのだろう。

 私が一直線に走り、飛んだ先にボールが落下してくる。

 

「お、100点」

「ハァッ!」

 

 マルゼンスキーがいるコートの奥、その反対のサイドにボールを打ち込む。マルゼンスキーは体を横にして飛び跳ねたが、ボールには届かなかった。

 

「ぁーい!」

 

 キリノとハイタッチを交わす。だがこれでようやく点数状況は2-5、依然私たちが追う側だ。

 

「やられちゃった~」

「今のは仕方ないわね。切り替えていきましょう!」

「合点承知之助!」

 

 この流れのまま取り切る。キリノと視線を交わし、お互いに頷いた。

 

 続く3,4点目を私たちが取るも、向こうも流れを断ち切らんと6点目を取る。そこからお互いに交互に点を取り合い、気づけば9-10で向こうのマッチポイントとなった。

 

「ラスト取るわよー!」

「させないさ!」

 

 マルゼンスキーのサーブを拾い、遅れないよう直ぐに体勢を立て直して前に出る。パスが低かったせいで時間的な余裕はないが、充分間に合う。そしてキリノがボールをあげる瞬間──。

 

「あっ」

「っ!?」

 

 砂浜に足を取られそのまま体を砂浜の上に滑らせた。ボールはそのまま地面に落ちていく。

 ボスン、という砂の擦れる音を立て1ゲーム目が終了した。

 

「大丈夫?」

「ああ、怪我はない。すまないな、負けてしまった」

「だねぇ。じゃ、スクワット200回ね」

「たったそれだけなのか?」

「当たり前でしょ。ペナルティに時間を取られるトレーニングがあってたまるもんか」

 

 それもそうだ。

 

 

 

 砂浜でのトレーニングは予想以上にハードで、マルゼンスキーは水を飲みながら砂浜に横たわっている。当然私も休みたいが、ペナルティはいわば休憩なし、という事だろう。スクワットの時間でどうにかして呼吸を整えなければならない。スクワットで呼吸を整えるなど意味が全く分からないが、やらなければならないのだから仕方がない。

 

「はっ、はっ。キリノ、ひとつ聞いてっ、いいか?」

「いいよー?」

「はっ、お前はっ、何故そんなにっ、自由に動けるんだっ?」

 

 そしてその間に疑問をひとつ解消しておく。キリノの砂浜での動きは美しさすら覚えるほど綺麗だったのだ。飛んだ時の姿勢、まるで普段と変わらない地面に立っているような体の動き。私とは明らかに違う事をやっているように見えた。

 

「トス以外やってないからじゃない?」

「いいや、違う。はっ、私とはっ、明らかに体の動かし方がっ、異なっているっ、はぁ、はぁ……」

「はいお疲れ様。んー、私に聞くよりもマルゼンスキーの方がいいと思うけど」

「はぁ、はぁ、それは、何故だ?」

「明らかに経験者でしょあれ。ビーチバレーのプロかな?」

「驚いた、ビーチバレーにもプロがあるのだなっ…………はぁ……」

「いや、ないよ」

「あまりからかうな。余裕が無い私は何をするかわからんぞ」

「おお怖。まあ経験者なのは間違いないだろうから、次のゲームが始まるまでに聞いとけば?」

「私が聞きたいのはバレーの事ではないんだ。私は砂浜という不安定な足場に先程も一杯食わされたわけだが、お前はなぜそんなに普段通りに動けるんだ?」

 

 ああ、とキリノが手を打った。

 

「力みすぎなんだよルドルフは」

「そんなに力を込めているつもりは無いんだが……」

「うーん、ある意味あたしのハードトレーニングのせいなのかな」

 

 そういうとキリノは少し考え込んで、再び口を開いた。

 

「例えば……オレンジ。オレンジって柔らかいよね?」

「オレンジ? あ、ああ、確かに柔らかいが……」

「オレンジを握り潰すのにめちゃめちゃ力込める? そんな事ないよね、柔らかいって言ってたんだし。でもじゃあ、全く力を込めなくてただ掌で包んでるだけだと潰れないよね?」

 

 キリノは右手を開いたり閉じたりしてジェスチャーで説明している。

 

「つまりオレンジを握り潰すのに適切な力ってものがあるわけで、それを超過した分だけ余分な力を加えたことになる。もちろんオレンジを握り潰すという結果は得られるだろうけど、これを色んなことに当てはめると話は変わってくる」

 

 キリノが人差し指を立てる。

 

「過ぎたるは及ばざるが如し、丁度いい力加減じゃないと良い結果が得られない時だってある。そのひとつがこの砂浜さ」

「私が力を込めすぎているから、いつも通りの結果が得られていないと?」

「そういうこと。なんなら砂浜に限った話じゃない。良バ場、重バ場、それぞれ適切な力加減ってものがあるんだ。だから重バ場で足を取られて怪我する子だっている。さっきは砂浜でよかったけど、アレが雨の日の次の芝だったらどうなっていたんだろうね」

 

 キリノがそう言うと途端に寒気がした。危なっかしい、と暗に言われているのだろう。

 

「実際にレース前に走って地面の状態を確かめる、その後どれほどの力加減で走れば良いのか、いつもより勝負を仕掛けるタイミングを早くするのか、それとも遅くするのか。加速が難しいと感じられるのは何mから何mの間なのか。レースプラニングって言うのはそこから始まるもんだよ」

「それは勿論、その通りだ」

「頭でわかってても活かせないなら同じだよ。砂浜は流石に経験がないからちょっと例外だけど、それでもキミはまだ自分の力をコントロール出来てないってことだ」

 

 キリノに人差し指を突きつけられた。私は何も言い返せない。

 

「キミに足りないのは技術だ。レース運びだけが技術じゃない、レースの一瞬一瞬全てが技術の積み重ねなんだから。雨の日に強いウマ娘、内枠で強くなるウマ娘、もちろん差しや追い込みみたいな作戦が上手いウマ娘も、全てその子たちの技術の結晶だよ。今はキミにフィジカルで勝てるやつがいないから、そういう小手先の技術を真正面から潰せるようにした。だけどこの先はそうはいかない」

 

 キリノの視線が私を射抜く。息が詰まるほどに真剣だった。

 

「技術を磨く時が来たんだ、ルドルフ。他者から盗み、自らで生み出し、色んな方法で技術を身につける段階だ。そのためには、まずこの足場を攻略しないとね」

「……ああ! 必ず成し遂げてみせよう」

「うんうん。……ああ、なんか厳しいこと言っちゃったけど、勿論ルドルフにも技術がないってわけじゃないんだよ? コーナーでキミに勝てるウマ娘は上にもなかなかいないんじゃないかな」

 

 そういうとキリノは立ち上がった。

 

「それにきっと、キミはもっと楽に勝てるだろうから」

「……? それはどういう……」

「さ! 十分休んだでしょ? 第2ゲーム始めるよー!」

「も、もうやるの!? もう少し……」

「何言ってんの! ハナちゃんそんなだと将来腰の曲がったおばあちゃんになるよ?」

「本当に失礼なガキね!!」

 

 彼女の言葉の意味を理解するのはもう少し先なのだろう。今は目の前の課題に集中するべきだ。

 私は両頬を叩き立ち上がる。足元の砂山が崩れるのを感じ、足に込める力を少し弛めた。

 




何故ビーチバレーかというと、最も好きな漫画がアレだからです。全然勉強できなかったのにプロになった後に「何ヶ国語喋れるんだ…?」って思われてるシーンが好き。推しは宮侑です。(高速詠唱)


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汝、皇帝の日焼けあとを見よ

タイトルは本編と関係ないです、ネタ切れとかそんなわけ(ry


 

 

「フッ!」

 

 短く息を吐き、マルゼンスキーがいないサイドへとスパイクを打つ。一瞬反応が遅れたマルゼンスキーが辛うじて拾いに行くが、ボールはそのままコートの外へと飛んでいく。決まった、そう思った私はガッツポーズをする。

 

「んぐっ」

 

 しかしまだボールは地面に落ちていない。キリノがボールの方向へと走り出すのを横目に捉え、すぐに体勢を作り直した。

 

「マルゼン、スキー!!」

 

 キリノが叫びながら砂浜へと滑り込む。地面に倒れるギリギリ……いや、もう地面に半分体を突っ込んだ状態からキリノは胸の上に落ちてきたボールを高く押し上げた。

 

「任せて!」

「させない!」

 

 体勢を立て直したマルゼンスキーがボールに飛びつくように動いた。私はボールとマルゼンスキーの位置を注意深く観察し、どこからスパイクが飛んでくるかを予測する。

 このルールではブロックは禁止されている。つまりレシーブの私達に失点の全てがかかっているいうわけだ。そして、キリノがボールを追いかけてコートの外へと飛び出して行った今、私がこのスパイクを綺麗に拾えばその時点でほぼ得点が決まる。

 

「はあぁっ!!」

 

 マルゼンスキーが飛び上がる。真っ直ぐと伸ばした手は右サイドにいる東条トレーナーの頭上にあった。

 

(ストレート!)

 

 私は東条トレーナーの後ろへと構える。しかしマルゼンスキーは手首を捻り左側手前へと回転をかけながらスパイクを放った。

 

「クロスか!」

「よっし!」

 

 鋭いクロスに反応出来ずボールはコートの中に突き刺さるように落ちていった。マルゼンスキーのガッツポーズを視界の端に捉えながら、ふぅと短く息を吐いた。

 

「すまない」

「……ちょっとずるいんじゃない? あれ」

 

 東条トレーナーが呟く。彼女の視線の先には砂だらけのキリノの姿があった。

 

「「ナーイス!!」」

「ねぇ、セッターの性能に差があると思うのだけれど」

「えー? ハナちゃんも上手いと思うけどなぁ」

「貴方ほど動けないわよ」

 

 流石に今のは私でも擁護のしようがない。あの運動能力は人間には不可能だろう。

 というかキリノがこれ程動けると思わなかった。ビーチバレーの上手さもあるが、純粋に砂浜の上でここまで自由に走り回れていることに驚いている。

 

「じゃあペナルティね。ハナちゃんもやる?」

「やるわけ、ないでしょ!」

 

 息を切らしながら叫ぶ東条トレーナー。まあウマ娘の中に交ざってスポーツをしている時点で彼女もかなり動けている方なのだが……。

 

「じゃあルドルフだけね。ペナルティ終わったらお昼ご飯にしよう」

 

 結局ここ数週間のトータルで見れば私の方が明らかに多くペナルティを受けている。初心者と経験者の差はあれど、それ以上にマルゼンスキーの運動センスに脱帽した。きっとどのスポーツを選んでいても彼女は適応していただろう。

 どうにかしてこの合宿中に負け越した分を取り戻さなければ。私は決意を胸にスクワットを始めた。

 

 

 

 

 

 

「しかしキリノ、お前がこんなに上手いと思わなかったよ」

「ありがと。って言っても、あたしも漫画で見たことあるだけで初心者なんだけどね」

「ならば尚更だな。動きづらい足場でよく走り回れるなと感心したよ」

「私も私も! ビックリしちゃった」

「あー……褒めてくれてるとこ悪いんだけど、別にすごい事じゃないんだよこれ」

 

 キリノは口に含んだサンドイッチを飲み込んだ後、気まずそうに答えた。

 

「いやいや、お前は自己評価が低すぎるぞ。私もマルゼンスキーもこう言っているのだから……」

「いやほんとにそういうんじゃないんだって。これがあたしの全力なんだよ」

「……?」

 

 キリノの発言の意味を考えるも、結論にはたどり着けなかった。マルゼンスキーの方を見ると、彼女も頭に「?」を浮かべている。

 

「だから、あたしが全力で走っても砂浜に適したパワーくらいしか出ないってことだよ。キミ達みたいに砂浜にクレーター作るような力はあたしにはないの」

 

 はぁ、とため息混じりに解説するキリノ。しかしそれだけではスムーズな走行の理由にはなり得ない。

 

「フォームさえ乱れてなければそんなもんだよ。ルドルフもマルゼンスキーもそっちの心配はしてないし、実際この2週間ちょっとでパワーの調整には慣れてきたんじゃない?」

「あ、ああ。私も気を抜かなければ体勢を崩すことはなくなってきたよ」

「うんうん、いい感じだね。あたしのことはどうでもいいけど、そっちで掴むものがあったのなら良かった。これなら次のステップに進めそうだね」

 

 そう言うとキリノは東条トレーナーに視線を向けた。麦茶を飲み終えた東条トレーナーが口を開く。

 

「1ヶ月ビーチバレーやらせる気だったのに、もういいの?」

「うん。2人とも飲み込み早いし、これなら前倒しでトレーニングして良さそう。ここからはハナちゃんに任せるよ」

「わかった」

 

 東条トレーナーは頷くと、カバンから2枚の紙を取り出した。それぞれ同じ内容が書かれたもので、私とマルゼンスキーのために用意されたものだということがわかる。

 

「いよいよスタートダッシュの練習を始める。一旦ミーティングを挟むから、食事が終わり次第私の部屋に集合。今日は座学を交えながらになるから、お試しくらいに思ってていいわ。本格的な練習は明日から始める」

「なんかドキドキしてきたわね……!」

 

 マルゼンスキーは興奮を抑えきれないといった様子で、しきりに耳や尻尾を動かしている。私も気持ちは同じ、どんな時もステップアップの瞬間というのは高揚するものだ。

 

「2人とも……特にマルゼンスキーは前で走る方が強いからね。これをモノに出来たらきっと世界が変わって見えると思うよ。ルドルフはなんでも出来るけど、手札は強ければ強いほどいいからね、なんなら逃げ気味に走っても……うん、まあこの話は後でいいや。とにかく、2人ともハナちゃんの指示をよく聞いてトレーニングするんだよ」

 

 妙に引っかかる言い方をするキリノ。

 

「まるでお前は見ないような言い方をするじゃないか」

「その通りだよ。やらなきゃいけないことがあるからね、少なくとも明後日くらいまではハナちゃんが1人で指導する事になるはずだよ」

「む、そうか……。ならばそれまでに見違えるほどに成長しておかなければな」

「あはは、期待してるよ」

 

 結局昼食後に解散して以降、キリノは宣言通り明後日の夜に帰ってくることになった。東条トレーナー曰く1度トレセン学園に戻っているらしいが、用事の内容は彼女の口からは語られなかった。理事長の頼みで、という事だけを伝えられた私たちは、それ以上言及せず自分たちのトレーニングに集中することにした。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 コンコン、と扉をノックする音が部屋に響く。短く「入れ」と呟いた声は、この部屋の遮音効果によって扉の向こうには聞こえていないだろう。しかしそれが合図かのように扉は開く。

 

「理事長、キリノアメジストさんが戻りました」

「歓迎! よくぞ私の頼みを聞いてくれた!」

 

 凛とした声が部屋に響き渡る。その声の主はキリノアメジストよりも小柄で、しかし気品溢れる振る舞いの少女であった。

 

「いやいや、やよいちゃんのお陰でここにいられるんだから。なんでも言ってよ」

「一応私は理事長なのだが……」

「いやー、まあ、うん。あたしもわかってはいるんだけど、見た目に引っ張られるというかなんというか……」

「くっ……! まあいい、それだけ生徒に慕われているという事実の裏返しにもなるからな!」

「それはそうだね。それで、件の方はどこに?」

 

 キリノアメジストの質問に理事長──秋川やよいはバツの悪そうな表情をした。

 

「謝罪。少し遅れるという連絡が先程入った。伝達が遅くなってしまってすまない」

「ううん、気にしてないよ。でもそっかー……暇になっちゃった。たづなさんのお胸を突っつくくらいしかやることがががががががががががが」

「悪いのはこの人差し指ですか?」

 

 何食わぬ顔で自分の隣に立つ駿川たづなに手を伸ばすキリノアメジスト。たづなは凄まじい速度で右手の人差し指を掴み取り、握り潰さんばかりの力を込める。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい折れる折れる折れる折れる死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!!!」

「驚愕。君たちはかなり親密な仲なのだな」

「ええ、前に彼女に相談に乗ってもらったんです」

「痛い痛い痛い痛い痛いあ、ねぇ待って本当にやばい折れるこれ本当にまずいよ二度とペンが握れない体になっちゃうよ助けて欲しいやよいちゃん将来有望なウマ娘のためにも」

「理解。しかし私に相談してくれても良かったのだぞ?」

「うーん、相談に乗ってもらったというよりは私の口からつい溢れちゃったって感じでしたからね。深刻なことでもなかったんですよ」

 

 妖怪百面相となり叫んだり冷静になったりと忙しいキリノアメジストを他所に、やよいとたづなは雑談に花を咲かせていた。実はこのキリノアメジスト、入学初日に理事長であるやよいに向かって「ママとはぐれちゃったの?」と聞いたことがある。

 

「最初の頃は少し怯えられていたのですが、今ではこうして懐いてくれてます。ちょっとイタズラが過ぎることもありますけど、私は嫌じゃないですよ」

「あ、あの、嫌じゃないなら力を弛めて欲しいかなーってあはは……あ、ね、ね、ねねね折れたかも。ね、折れたかもこれどうするの問題になるよこれねぇねぇいたたたたたなんでなんで!?」

「私が力加減を間違えるわけないじゃないですか」

「うーん、圧倒的強者感」

「うふふ」

 

 と、ここでようやくたづなは手を離した。

 

「キリノアメジスト、君のイタズラ好きも可愛いうちに留めておくのだな」

「い、いえす……」

 

 涙目で指を抑えるキリノアメジストはその後も犯行を繰り返したとか。

 

「申し訳ありません、遅くなりました」

「あ、来たね」

 

 暫くしてノックが聞こえ、一人の男性が部屋に入ってくる。スーツに身を包んだ20代後半ほどのその男性は、深く頭を下げた。その後ろからするりと姿を現したのはウマ娘だ。

 

「やあ、キリノアメジスト」

「初めまして。よくレース見てるよ」

「はは、ありがと」

 

 軽く手を振って挨拶をするウマ娘。しかし男性の方はそれを見て少し顔を顰めた。

 

「おい、俺たちはお願いしに来た立場なんだぞ」

「いいじゃん、同じ生徒同士なのに変に畏まったりしても仕方ないでしょ。友好な関係を築こうっていう姿勢の表れだよ」

「……はぁ。すまない、こういう奴なんだ。慣れてくれると助かる」

「全然気にしてないよ」

 

 ヒラヒラと手を振るキリノアメジスト。男性はどこか安堵したような表情だ。

 

「内容は伝わっていると聞いている。短い間だが、よろしく頼むよ」

「こちらこそ。時間も限られてるし早速始めようか」

 

 部屋を出ていこうとするキリノが「あ」と、音を発して立ち止まった。何事かと一同固まる中、くるりと向き直ったキリノアメジストは再び口を開いた。

 

「なんて呼べばいい?」

 

 質問を投げかけられたウマ娘は一瞬きょとんとして、クスリと笑いながら答えた。

 

「好きに呼んで。ミスターでもシービーでも、ミスターシービーでも」

 

 

 




タコピーの原罪という漫画が面白いのでぜひ読んでみてください


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キリノアメジスト、初めての依頼

連日投稿だヒャッハー!


 

 

 詳しくはトレーナー室で、との事なので今は世間話でもしながらついてくついてく。そりゃもう、当然今回の件の内容を他人に聞かせる訳にもいかないし、ましてやウマ娘の蔓延るこの学園で話そうものなら障子どころかどこに耳があるかわからない。

 作戦もトレーニング内容も、本来は企業秘密である。あたしがルドルフのことをベラベラ喋っているのは彼女に小細工が通用すると思っていないからだ。ましてやこちらから何か秘策を投じることもなく、ただただその強さをもって勝利を掴むだけ。強者にのみ許された余裕のようなものだ。

 

 もちろんミスターシービーが弱いウマ娘という訳ではない。ただ正式なトレーナーがいる彼女の手前、不興を買うリスクを背負ってまで無駄なことをする意味もないわけで。

 そんなわけであたしは雑談しながら彼女達のことを少しずつ知っていくことにした。

 

「入ってくれ。飲み物はお茶でいいかな?」

「お構いなく~」

 

 シービーのトレーナーが飲み物を用意している間に今回の件について整理することにした。ちらりとシービーの方を見ると、視線に気づいたのか可愛らしく首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「いやぁ、特に悩みなさそうだなって」

「なにそれ。まあそうだね、基本的に私は自由に生きるタイプだし、嫌なことはしないからね。ストレスとはそれなりに無縁なつもり」

「じゃあ今回呼んだのは主にトレーナーさんの方ってこと?」

「んー、そこは半々ってことで」

 

 凛とした顔つきからは、とてもじゃないが人の助けを必要としているような感じは読み取れない。それに、と彼女のステータスを見たところ前回よりも最大値……あたしにとっての『才能』が上昇している。こんな経験は初めてだった。

 まさか才能の壁を壊す者がいるとはと驚いたが、それもまた才能とか運命とか言ってしまえばそこまでな気もする。ルドルフの方が上、なんて言い切ってしまった事もあったが、これは訂正する未来が来るかもしれない。

 

「よいしょっと……お待たせ。それじゃあ早速だけど、本題に入ろうか」

 

 お茶を入れて戻ってきたシービーのトレーナーが、椅子に深く腰かけたところで話が始まる。

 

「その前にひとつ質問に答えてほしいな。どうしてあたしが……んー違うな。あたしの名前をどこで知ったの?」

「東条さんのところにサブトレーナーのような研修生がいるというのは聞いていたんだ。あの人は自分からあまり話さないけど、それでも流石に上手く隠さない限りはどこかで噂にはなるさ」

「それで、なぜ頼る相手がこんな入学したばかりの学生に?」

「……それは正直俺も思ったさ。なにせたづなさんに相談したところで君の名前が出てきたからな。今でも君のことを疑っているよ、失礼なのはわかってるけどね」

 

 なるほど、それはもう本当に失礼だ。なんだって呼ばれて早々「お前ほんとにやれんの?」ってニュアンスの言葉をぶつけられなきゃいけないんだ。まあ聞き出したのはあたしなんだけどね。

 

「ただ、理事長もたづなさんも君のことを推薦したんだ。流石にそれならば、ってことでこうして頭を下げに来たわけだ」

「なるほど、ライバル陣営に所属してるあたしに頼まなきゃいけないほど切羽詰ってるわけですか」

「ははっ、同じことを考えるね俺たちは。まあそれも含めて、理事長とたづなさんを信用してのことなのさ。君が相当口の固いウマ娘なのか、このリスクを背負ってでも頼るべき存在なのかは俺にはわからないけどね」

「……わかった。シービーも反対はしないんだね?」

 

 ぼーっとしていたのか、話を振られるとハッと顔を上げるシービー。しっかりしてよ、キミの事なんだから。

 

「うん、私は構わないよ。面白そうだったし」

「え、それだけ? こう……無いの? 焦りとか壁にぶち当たってるみたいな感覚」

「んー……あるようなないような……」

「……まあ、いっか」

 

 彼女に意見を求めるのは諦めた。トレーナーが一人焦ってるだけなんじゃないかとさえ思う。

 

 それから、シービーのトレーナーはぽつりぽつりと話し始めた。伝説の三冠ウマ娘ミスターシービー、その軌跡と現在に至るまでを。

 

「……こうしてシービーは三冠ウマ娘になった。ファンも想像できないくらいに増えたし、期待が高まっていた……いや、最早青天井になっていたとさえ思う。それでも俺はジャパンカップへと出走を辞退させた。これ以上走らせるわけにはいかないと思ったからだ」

 

 そう、彼女はクラシック三冠を手にしたあと長い休養を取るためにこの春のシーズンを全て休んでいたそうだ。疲労の蓄積や怪我の可能性、それらを考えれば妥当な判断だったと言える。尤もそれが世間の反応かと言えばそれはまた違う。

 

「……きっとここで多くの人たちはシービーに走って欲しかったはずだ。わかってるんだ、俺だって見たかったさ。それでもここで彼女の未来を潰すわけにはいかなかった」

 

 トレーナーの話をシービーは無表情で聞いている。いや、本当に聞いているのかこの人は。

 

「そして長い休養明け、調子を取り戻すためにトレーニングを始めたんだ。……だがどうも上手くいかない。怪我の可能性も考えて病院に連れていったが、療養やマッサージも大した効果は出なかった。色々試してみたがどれも効果的ではないように見える。そこでたづなさんに相談を持ちかけ今に至るというわけだ」

 

 なるほど。何となく自分に与えられた役割も理解出来た。解決出来ると決まったわけではないが。

 

「うん、だいたい把握出来たと思う。そうだね、まずは不調の原因の話だけど……これに関してはあたしじゃわからない。ていうか寄り添ったパートナーであるトレーナーさんがわからないのに、初対面のあたしにわかるわけないからね」

「……それは、そうだな」

「あたしに出来るのは不調をある程度解消してあげることだけ。それは後からやるから、次はトレーニングが効果的じゃないってところだけど」

「ま、待ってくれ」

 

 ここでストップが入った。

 

「トレーニングが効果的じゃないのは、不調のせいじゃないのか?」

「んー、違うと思うよ。あたしの推測通りなら、だけどね。あ、でもその不調も一役買ってるとは思うよ。だからどのみち放置していい問題ではないね」

「そ、そうか……」

 

 うんうん、納得してくれたみたい。まあ本当に不調が原因でトレーニングが上手くいかないことだって多々あるし、そこの判断は難しいよね。

 

「で、トレーニング効率が悪い原因だけど……多分前とトレーニングの量を変えてないんじゃない?」

「それは、まあそうだ。休養明けなのもあってハードなことをやらせるわけにはいかないからな、なんなら軽めにしていたくらいだ」

「あー、それはそうだね。間が悪いと言うかなんというか……うん。まあおそらく原因はトレーニング不足だ。シービーにとって今のトレーニングは、言ってしまえば温いんだよ」

 

 あたしの言葉にトレーナーは目を見開いた。

 

「何故そんなことがわかるんだ?」

「何故、って言われたらわかるからとしか言えないんだけど……。まあこれはあたしの勝手な考察だけど、おそらく菊花賞を経てシービーの才能はさらに開花したんだ。本来の限界を超えて、さらに高みを目指せるウマ娘になった……言ってしまえば第二次本格化みたいなところだね。で、それが休養期間中に起こってしまったものだから、シービー本人すらその成長に気づけずに、ただなんとなくトレーニングに身が入らなかったんじゃないかな?」

「そ、そうなのか?」

 

 トレーナーがシービーの方を向くと、シービーは俯いて考え込んだ。思い当たる節が無くもないのだろう。

 

「確かに、言われてみればそんな気もする……」

「それは言われたからじゃなくて?」

「そうかも、あはは」

 

 おい大丈夫なのかほんとに。……いやいや、あたしの仕事はそんな心配をすることじゃない。

 

「こほん、とにかくあたしの考察はそんなところ。トレーナーさんも色んなトレーニングを試したとは言ってたけど、不調なこともあってトレーニングの負荷を増やすって選択はしなかったんじゃないかな?」

「それは……ああ、その通りだ。こんな時にハードなトレーニングをしようものなら大怪我に繋がりかねないからな」

「まあ普通はそうだよね。でもきっと今までのトレーニングじゃシービーはもう満足できないんだ。だからレベルを上げて、よりハードな方にチャレンジしてみるといいと思うよ」

「……わかった、やってみるよ」

 

 トレーナーが頷く。シービーの方を見ると、彼女の目はキラキラと輝いて、まるで遠足前日の子供のような笑みを浮かべていた。

 

「いいね、新しいことへのチャレンジ。ワクワクしてくるよ」

「やっぱそういうタイプだよねキミ。未知を恐れず、未来に期待するタイプだ。天才ってこういうの多いんだよねぇ」

「そうかな? みんな新しいことを始める時はワクワクしない?」

「さあね。少なくともあたしは、知らないことに触れるのは怖いかな」

「そっかぁ……」

 

 うん、やはりミスターシービーは天才だ。その才能に見合っただけの感性を持っている。

 

「しかし驚いたな、君は超能力でも使えるのか?」

「いやいや、まだあたしが正しいと決まったわけじゃないじゃん。なんならこれが全部間違ってた暁にはシービーが怪我する可能性だってある、そんなリスキーなことを提案してるんだから。鵜呑みにせずじっくり考えて、そんでトレーニング内容も安全に安全にを意識して作らないと危ないよ? そこはもちろんトレーナーさんが頑張るところなんだから、しっかりね」

「わかってるさ。ありがとう、君のおかげでどうにか次の一手を打てそうだよ」

「そうそう、あくまで次の一手に過ぎないのを忘れないでね。これで解決するとは限らないんだからさ」

 

 うん、これで話は終わりだ。ならば後は彼女の不調を解消するだけ。

 

「じゃ、行こっか」

「え、は? ちょっと……」

 

 あたしは立ち上がってシービーの手を取った。困惑するシービーを連れて部屋を出ようとするところを、トレーナーに呼び止められる。

 

「どこへ行くんだ? 確かに話は終わったが……」

「そんなの、カラオケに決まってるじゃん」

 

 何を聞いているのだこのトレーナーは。さっき話しただろうに。

 

「カ、カラオケ?」

「うん、カラオケ。不調の解消……もといストレス解消と言えばカラオケ以外なくない?」

「そんなこと……いや、なんでもない」

 

 トレーナーは何か言いたげだったが、そのまま席に座った。

 

「シービーはカラオケ嫌い?」

「い、いや、別にそうでもないけど……」

「じゃあ決まりだ。さっさと行って思いっきり歌って明日からトレーニング頑張ろー!」

 

 シービーは未だに困惑気味に、そしてちらりとトレーナーに目を向けた。いいのか? と聞きたげなシービーを見ると、トレーナーは小さく笑った。

 

「いってらっしゃい。俺は明日のトレーニングを考えとくよ」

「……うん、行ってくる!」

 

 トレーナーからの許可も頂けたのでカラオケにレッツゴーだ。シービーのストレス解消という名目だけど、あたしだってたくさん歌う気満々だ。今日はフリータイムで好きなだけ歌うんだ。

 

 

 

 ……え? ルドルフ達のことは良いのかって? 

 

 ………………ま、まあこれも仕事だし!

 

 




ミスターシービーのトレーナー:
ジャパンカップに出さなかったことで結構叩かれた。しかし自分の評判よりもシービーの安全を優先、SNSは見ないことにした。世間は擁護派と批判派に分かれて結構過激な争いになったとかなんとか。


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汝、皇帝とカニ鍋を食べよ

 

 

 

 砂浜を1歩、また1歩と歩く。ゆっくり、じっくり、目を閉じながら丁寧に踏みしめる。私の脚を通して全身に伝わってくるのは、砂の1粒1粒が生み出す鼓動とも言うべき自然の流れ。

 

 かつてここまで神経を研ぎ澄ませたことがあっただろうか。……いや、この表現は正しくない。正確には、かつてこれ程までに集中出来たことがあっただろうか、だ。

 大地の息吹とは斯くも雄大であったか。自然の呼吸とはこれ程までに力強く、そして優しいものであったのか。寄せては返す小波が、吹き抜ける潮風が、自然と呼ぶべき森羅万象が私の体中を駆け巡るような錯覚に襲われる。

 

「……すごい集中力」

「ああ」

 

 心地よい。このまま目を閉じていれば眠りに落ちてしまうのではないかとすら思う。それほど強大な何かに包まれながら、それでも体の芯のところで自らの意識と言うものを感じる。これが、この鋭い自我こそが私の頭から爪先まで通る神経の源。大地の力を受け止めて感覚へと変換する、生き物だけが持つ特別な器官なのかもしれない。

 

「……よし。もう一本いこうか」

「良いねぇ。マルゼンスキーも準備OK?」

「バッチグーよ!」

「ん。じゃあ位置について」

 

 ポールが立てられた場所に向かう。別にこの砂浜の上ならどこでやっても変わらないが、折角こうしてトレーニングのために整えられた場所を使わない手もないだろう。

 

「じゃあ始めるよ? よーい……」

 

 脚に力を込める。蹴り上げるのではなく、蹴りつける。不安定な足場の上で、どの角度がマストなのかを瞬時に判断する。これはスタートダッシュの練習だが、この技術を応用することでレースでの1歩が劇的に変化するだろう。それ即ち、私の中での走るということの再定義だ。

 

「ドン!」

 

 キリノの掛け声と共に私とマルゼンスキーが一斉に飛び出した。足を取られることはもうない。如何にしてこの1歩をより効率的に次の1歩に繋げるか、そういう段階だ。私もマルゼンスキーも最早スタートダッシュだけではなく、用意されたコース1000mをきっちり走り切る。競うことも大事だが、今は自分のことで手一杯だ。どちらが速かったかなど、気にしていられない。

 

「んん~素晴らしいね。2人ともスタートダッシュは完全にモノにしたし、さらにその先の段階へと進もうとしてる」

「1本前と今とでどう違ったの?」

「わからないか~~~~あいててててて。冗談じゃん!」

「真剣な場面だったでしょうが!」

 

 遠くで東条トレーナーとキリノが揉めている。どうせ、というかいつも通りキリノの煽りに東条トレーナーが怒っているのだろう。ここまで離れていてもあんな大声で騒いでいたら流石にウマ娘の耳には届く。

 

「脚の使い方が変わってる……というより変えてるね。走る度に地形の変わる砂浜というコースで、どれだけ的確な走りができるかを試してるんだよ」

「それは何? ウマ娘の動体視力をもってしてようやくわかることなの?」

「ううん、あたしの目でも捉えられないよ。でもテンポが一定に近づいていってるのはわかるでしょ?」

「……いや、わからないけど」

「そっか、じゃあもうウマ娘に生まれ変わらないと無理かも。まあ自分の100%に近い実力をどんな足場でも出せるように調整してるんだよ」

「なるほどねぇ」

 

 私たちが戻ってきたことに気づくと、2人は飲料とタオルを差し出した。流石は砂浜、1000mでも凄まじいスタミナ消費だ。

 

「2人ともばっちりモノに出来たみたいだね。正直1ヶ月ちょっとで終わるとは思わなかったよ」

 

 パチパチと乾いた拍手を送るキリノ。わざとなのか絶望的に拍手が下手くそなのかはわからない。

 

「どうする? あと残りの期間遊んでく?」

「……随分と遊んだ気がするが」

「楽しかったね、ビーチバレー。レースで勝てなくなったらみんなでビーチバレーチームを組んで稼ごう」

「良いわねそれ!」

「良くないだろ。というかプロはいないんじゃなかったのか?」

「そんなこと言ったっけ? まぁあたしも知らないんだけどね」

「お前な……」

 

 こういう時にマルゼンスキーのノリの良さがキリノの冗談に拍車をかける。

 

「正直ネタ切れなんだよね。こんなに早いと思わなかったし、まあ多少ズレても本当に遊んで終わりだと思ったんだって。でもキミ達が期待を裏切ってくれたから……あ、もちろんいい意味でね? だからこれ以上は無いんだよねぇ」

「褒められてるんだよな?」

「そうだよ。ね、ハナちゃん?」

 

 話を振られた東条トレーナーはボーッと缶コーヒーに口を付けていたが、名前を呼ばれ慌ててこちらに向き直った。

 

「え!? あ、ああ、そうね! うん、私もそう思うわ!」

「……聞いてなかったね。まぁそんなわけでこっからの予定は無し。体がなまらない程度にトレーニングをしつつ、束の間のバカンスもどきを楽しんで欲しい」

 

 あたしも遊ぶ時間増えてラッキ~、とスキップ交じりに宿泊施設に戻っていくキリノ。どうやら本当にそういうことらしい。少し拍子抜けと言えば失礼ではあるが、私もマルゼンスキーもまだまだやる気だったところだ。

 

「なぁマルゼンスキー、明日は併走にしないか?」

「良いわね! 丁度私もやりたいと思ってたのよ、もう以心伝心ね!」

「……! ああ! よろしく頼むよ」

 

 そんなわけで合宿の残りのトレーニングはどうにかなりそうだった。しかし以心伝心、以心伝心か……。なんというか四字熟語と言うのは、かっこいい響きだ。私もこう、会話の中で自然に使う事が出来れば格好がつくだろうか。

 

 部屋に戻ると寝転がりながらタブレットを弄るキリノの姿があった。早々と浴衣に着替えて旅館を満喫している。

 私は明日以降マルゼンスキーとの併走をトレーニングに入れることをキリノに伝える。

 

「……というわけだ、よろしく頼むよ」

「へー、そうなんだ」

「おいおい、そんな反応をしなくてもいいじゃないか」

「…………」

「……聞いてるのか?」

「………………はぁ~あ、しょーもな」

「……?」

 

 微妙な空気の中、何故かマルゼンスキーだけは腹を抱えて大笑いしながら畳の上を転げ回っていた。その日キリノは夕飯を食べるまでずっと不機嫌だった。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 ぐつぐつと煮える鍋を前にすると、どれだけ腹が脹れていても食欲が湧いてくる。そして隣で耳と尻尾を見たことないほど動かしているキリノに若干食欲を削がれ、結果的にはちょっとプラスくらいだ。

 

「おい、少しは大人しくしないか」

「だってカニだよ!? 蟹、カニ、カニカニカニカニ…………」

「確かにカニは美味しいが……はっ! そう! 確かに! カニは美味しいな!」

「あはははは! 2人とも今日は絶好調ね!」

「こいつ自分だけ……! まあいいや、カニ食べられるし!」

 

 今日の夕飯は蟹のフルコースだった。今回の宿泊では施設の利用のみを目的としていたため、長期間の利用であることも相まって食事の料金は差し引いてもらっていたのだ。しかしこのように別で料金を払えばちゃんとサービスも受けられるシステムとなっており、今日は私たちのトレーニング達成の祝いということで旅館の中にある食事処を使わせてもらった。

 個室を完全に貸切にし、そして1番高い蟹のフルコースを選ぶというなんとも贅沢な話だった。しかしこれは元々予定されていたようで、どう転んでも合宿の最終日にはここで食事することを予定していたらしい。ところがその予定が前倒しになり、場合によっては早めにトレセン学園に戻ることも視野に入れたためにこうしてトレーニング達成の日に元々予定していた食事を合わせたのだとか。

 

「いや~蟹食べ放題だなんて普通ありえないよね」

「貴方これを見てからここじゃないと嫌って言って聞かなかったものね」

 

 つまりキリノは今回の施設を蟹で選んだわけだ。なんとも複雑な気分である。

 

「今日は一生分の蟹を食べる気でいるからね、ウマ娘の胃袋はこのためにあったんだ!」

「……大丈夫かしら、この旅館」

 

 従来の食べ放題はしっかりと元が取れるように値段設定をしているらしいが、実際それを超えてくるウマ娘は結構いるわけで。

 

 ……なんなら私もそのひとりなわけで。

 

「ふふ、食べ放題にしたことを後悔させてやる……!」

「キリノは普段あまり食べないじゃないか。食べ過ぎで倒れるなよ?」

「まさか! ここでセーブするくらいなら食べ過ぎで倒れた方が未来のあたしは後悔しないよ!」

 

 と、そこに茹でられたズワイガニが運ばれてくる。食べやすいように殻もしっかり取ってあるが、いやもう山盛りと言って差し支えない脚の数だ。本当に倒産するのではないだろうか。

 

「ああ! 聞こえる! あたしを呼ぶ蟹ちゃんの声が!」

「幻聴だろうな」

「ね、もう食べていいよね? ね!?」

「2人のお祝いなのになんで貴方が1番はしゃいでるのよ……。ま、今回の功労者だしいいか。じゃあちょっと早いけど、みんな合宿お疲れ様。それぞれの目標に向けて、明日からまた新たな1歩を踏み出しましょう」

 

 東条トレーナーがグラスを掲げる。私達も意図を汲み取り、それぞれの飲み物が入ったグラスを手に持った。もちろん私達はまだアルコール飲料を口にすることは出来ないが。

 

「「「「乾杯!」」」」

 

 

 

 

 

 

 併走…………へー、そう…………はっ! 

 

 

 




シンボリルドルフのやる気が下がった!


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理事長室で

 

 

 肩で息をする。肺と心臓が悲鳴を上げ、体温が上昇していくのを目を瞑って耐える。首を横に振って顔を上げれば、芝で覆われた大地が眼前に広がっている。

 

「どう? 久しぶりの芝は」

 

 後ろから声を掛けられる。キリノアメジスト、私の擬似的なトレーナーにして親友である彼女の声だ。

 

「調子は良いよ。良すぎるくらいだ」

「だろうね。タイム見る?」

「ああ」

 

 夏合宿を終えて芝に戻ってきた私とマルゼンスキーは、まず感覚を取り戻すところから始まる。と言っても今日はマルゼンスキーとは別でトレーニングを行っている。

 

「見てこれ、本番より速いよ」

「そうだな」

 

 私達の表情は笑っていない。これは良い事のように見えるが、速いからいいと言うわけではないのだ。

 

「砂浜での感覚に慣れすぎたせいか、まだ制御が利かないんだ」

「だから修得()るもの修得()ったら後は休もうって言ったのに。マルゼンスキーと二人で盛り上がっちゃってずっと走ってるからこんな事になるんだよ」

「……すまない、予想外だったんだ。まさかお前がここまで考えてるとは」

「まあ別に戻すのに多少時間がかかる程度だし、大きな問題じゃないけどね。それに下手にブレーキかけて怪我するよりは、思い切り走ってスタミナ切れ起こした方がマシだよ」

 

 苦しむのはあたしじゃないし、と余計な一言まで付け加えてキリノは意地悪く笑った。

 もっとも悪いことばかりじゃない。自分の力が合宿前より比べ物にならないほど跳ね上がっているのは実感できる。

 

「あ、でも走る本数は制限するからね? 流石に走りすぎて脚壊れるのはマジでないから」

「わかっているさ。しばらく休憩をとるよ」

「よろしい」

 

 彼女は止めこそしなかったものの、私の脚に関しては思うことがあるようだ。走る度にチェックと休憩を頻繁にされるのは初めての経験だ。

 

「環境の変化はバカに出来ないからね。砂浜は出力が制限されるから必要なかったけど、芝に戻ったらその逆でしょ? ……まぁあたしにはあんまり感覚わかんないけどね。パパが合宿の後が1番大変って言ってたから、ちゃんと聞いといてよかったよ」

「キリノのお父様か……一体どんなトレーナーだったんだ?」

「さあ? トレーナー時代の話はあんま知らないし、あたしが物心ついた時には結構偉い人だったし。でも結構優秀なトレーナーだったみたい。おかげで助かってるよ」

 

 現役でトレーナーをやっていたとすればきっと中央にいたのだろうし、話を聞くこともあっただろう。キリノの父上の話を全く聞かないということは、つまりそれだけ昔にここのトレーナーを辞めたということなのだろうな。ところで、少し気になったことがあるのだが。

 

「お前、パパって呼ぶんだな」

「会ったばっかりの時の話? いいじゃん、隠してたんだよ恥ずかしいから」

「別に恥ずかしがることはないぞ?」

「あたしが恥ずかしいんだからそういうことなの」

「……もしかして、初対面の時は結構、こう……作っていたのか?」

「そーだよ。ていうかキミのせいだからね? ルドルフのキャラに合わせてこっちもそれっぽく作ってたのに」

「そ、そうだったのか……」

「最近はもういいかなって思ってるけどね。だってどうせそのうちボロ出るし、演じるだけ無駄だなぁって」

「素の方が楽だろうに」

「んーまぁ苦楽の話ではないんだけど……」

 

 なんだか可愛い一面を見ることが出来た気がする。ああ、そう思われたくなかったから演じていたわけだ。私も少なからずそういう風に人前で振舞っている節がなくはない。が、演じるというほど大袈裟なものでもない。

 

「それで、キリノはお父様に憧れてトレーナーを目指しているのか?」

「え、ああー……まあそんなところ」

「ふむ、さぞかし素晴らしいトレーナーだったのだろうな」

「うんうん。はい、脚オッケーだから走って来ていいよ」

「おっと、そうか。じゃあもう一本行ってくるよ」

「はいよー」

 

 余裕のあるトレーニングだからか、会話の時間も多い。普段自分から言い出さないキリノと交流を深めるチャンスである。というか、同室同チームと言っても過言ではない彼女と私がどうしてここまでコミュニケーションに難儀しなければならないのだ。

 ……いや、わかっている。私はコミュニケーションが下手なのだ。これからもきっと苦労していくのだろう。願わくばキリノとの交流の中で少しでも私が成長しますように。

 

「……いかん、集中せねば」

 

 怪我でもしたらそれこそ愛想を尽かされてしまう。基本的に細かい指示がトレーニング中にないのは、キリノからの私への信頼の証だ。ならばそれを裏切るような真似はできない。

 

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 時刻は16時。ルドルフのトレーニングが終わり、久々のトレセン学園を堪能していた。ところがそのタイミングで端末がブルブルと震え出す。

 

「はいもしもし」

『私だ! 急な連絡ですまない!』

「私だ私だ詐欺ですか?」

『なっ!? ひ、否定! 秋川やよいだ!』

「知ってるけどね。どしたのやよいちゃん」

『いやなに、東条くんからも話は聞いているのだが、初めての夏合宿の感想を君からも是非聞きたいと思ってな!』

「そんな一生徒を贔屓するようなことしていいの?」

『む、むむ……』

「あはは、冗談だよ。今からでいい?」

『安堵! 君が問題ないならばすぐにでも来て欲しい!』

「おっけー」

 

 そんなわけでお呼び出しを貰った。そんなに畏まらなくてもと思うけれど、立場って大変だ。昔はあんな喋り方じゃなかったのに、理事長という立場をなにか誤解している気がしなくもない。

 

 

 

「失礼しまーす」

「歓迎! よく来てくれた!」

「お邪魔しています」

 

 てっきりやよいちゃんとたづなさんがいるのかと思ったら、たづなさんの代わりに居たのは予想外の人物だった。

 

「樫本さん、久しぶりな気がしますね」

「実際、合同研修以来ですから。3ヶ月と少しくらいでしょうか」

 

 樫本さん。最近中央のトレセン学園に戻ってきたらしい、優秀なトレーナーなんだとか。理事長の代理を務めたこともあったりと、やよいちゃんからの信頼も厚い人だ。

 と言ってもあたしがトレセン学園に来た頃にはもう中央にいたので、それまで何をしていたとかは詳しく聞いていない。

 

「私は別件ですので、終わったらすぐに退室します」

「あ、そうなんですね」

「提案! 理子くんも折角なら彼女の話を聞いて行ったらどうだろうか!」

「と、言いますと?」

 

 なんか変なこと言い出した。いやいやあたしなんかの話聞いても仕方ない人でしょこの人は。

 

「あーいや、あたしの夏合宿の話を聞きたいってやよ……理事長が言ってて、多分そんな面白い話じゃないですよ!」

「いやいや、そんなことはない! きっと理子くんも興味深い話だと思うぞ!」

「いやいやいや……」

「ふむ……キリノさんが構わないと言うのであれば、もう少しここにいさせてもらいましょう」

「え、あ、や、あたしは良いんですけどお時間とかは……」

「大丈夫ですよ。今日のトレーニングは休みになっているので」

「そ、そうですか。あはは……」

 

 いやーなんか軽く報告して駄弁って終わりになるはずがすごいことになっちゃった。樫本さんあたしの話聞いてもなんもタメにならないでしょこれ。

 

「……まあ、あんまりハードルあげない方向で」

 

 結局逃げ道も見つからず、あたしは観念してソファーに腰掛けた。

 

 

 

 

 

 

 そこからは、言わば育成談義に近いものになっていった。もちろんあたしが樫本さんのレベルの話が出来るはずもなく、頷くばかりだったのは言うまでもない。

 

「なるほど、ビーチバレーですか。確かに、足場に慣れるという観点で言えば走るだけが全てではないですね」

「砂浜で遊ぶって言ったらこれくらいしか思いつかなくて。あとまあ、スポーツって基本の動作全てに走ることに繋がる動きがあるので、悪くないかなってことで」

「これはキリノさんの提案で行ったんですよね?」

「あ、はい。一応あたしに任された部分ではありますね」

「なかなか1人で思いつく方法では無いと思います。流石はあの人の娘さんですね」

「あはは、そんな事ないですよ。父と比べたらあたしなんてまだまだですから」

「この若さでこの手腕ですから、そう卑下することはないと思います。将来が楽しみですね」

「え、えへへ」

 

 なんだか予想外に褒められて変な笑い声が出てしまった。

 

「大変面白いお話でした。また暫く中央を離れることになりますが、次に会う時を楽しみにしています」

「あ、そうなんですね……。はい! 次は父に並ぶようなトレーナーに成長した姿をお見せしますよ!」

「ええ。それではまた」

「うむ!」

 

 樫本さんが部屋を出てドアが閉まる。それと同時にふうと息を吐いた。

 

「まるで借りてきたネコ娘だな!」

「いないでしょネコ娘なんて。やよいちゃんは思いつきで人を巻き込むんだから~……」

 

 こういうところは昔から変わらない。小さい頃に面倒を見てもらった時もどっちが年上かわからなくなるほど振り回された覚えがある。

 

「でも褒めて貰えたし。うれし」

「……意外。君は父親を引き合いに出されるのは嫌うと思っていたのだが」

「パパがすごいトレーナーらしいのは知ってるし、別になんとも思わないよ」

「肯定! 現役時代、中央では知らぬ人はいないというほどの人物だったぞ!」

「やっぱウマ娘は血統なんだねえ。トレーナーの才能も血で決まるのかも」

「そ、それは、わからないが! しかし! 君の力は君だけのものだ。誰から貰ったとか、誰のおかげだとか、そんなのは関係ない!」

「気まずそうな顔しないでよ。大丈夫だからさ」

「う、うむ……」

 

 下手くそなくせに気遣いなんかしちゃって。いや、気を遣わせるようなあたしが悪いんだけどさ。

 

「楽しいよ、トレーナー。住めば都ってやつだね」

「そう思ってくれているのなら嬉しい。優秀なトレーナーが増えるのは喜ばしいことだ!」

「人手不足もあたしが正式なトレーナーになる頃には解消されてるといいね。その頃にはやよいちゃんも正式に理事長かな?」

「事実上私が管理していることが多いのだから、肩書きなど意味を持たんさ」

「それもそっか。じゃあ名誉理事長ってことで」

 

 捉え方次第だなぁ、と思う。あたしが悪い方向に捉える癖を持ってるのもあるけど。こういうところ見習わないとね。

 そもそもあたしは親へのコンプレックスでトレーナーになるのを嫌ってたわけじゃないし、最近はターフへの未練も……まあないとは言わないけど、それよりも大事なものが出来た。だから前に進める。

 

「じゃ、あたしもそろそろ行くね」

「うむ! 実に有意義な時間であった!」

「はいはい。今後ともご贔屓に」

 

 贔屓というより気にかけてもらってるだけだろうけど。お姉ちゃんのつもりなのかもしれない。

 




やよいちゃんと昔から面識があるとか、そんな設定。


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色づく世界とウマ娘

 

 残暑も少しずつ顔を見せる機会が少なくなり、秋の風が吹く季節となった。木々からは少しづつ葉が離れ、色の変わったそれらは地面に色鮮やかな絨毯を作り上げようとしている。

 もうすぐ10月だ。多くのウマ娘が夢見るクラシック三冠、その最後の舞台である菊花賞が目前に迫っている。皐月賞、日本ダービーと2つのGⅠレースを勝ち抜き三冠に王手をかけた私は、最後の冠を我が手に納めんとしている。

 緊張しているかと言われたら首を縦に振るが、練習が手につかない程でもない。私自身はそこまで菊花賞に向けて焦っている訳ではなく、どちらかと言うと周りの方が舞い上がってしまっている。あまりにも普通に学園生活を送っているため教師に心配されたり、余計な負担になるまいとクラスメイトから距離を置かれたりと何かと私の周りの人々が普段と違う雰囲気を纏っている。前者はともかくとして後者は普通に寂しいのでいつも通り接して欲しい。

 

 

 

「で、早めにトレーニングの準備をしてたわけだ」

「流石に1人では始められないからな、ストレッチや準備運動の類に留めてはいるよ」

「はいはい。それじゃ始めましょうかね」

 

 キリノはいつもと変わらぬ様子だ。日本ダービーの時にも相変わらずだったので理由を尋ねてみると、

 

「いや、うーん……まぁ、信頼の証ってことにしといてよ」

 

 という答えが返ってきた。言い方から考えるにそれが本心というわけではないようだが、私はそういうものかと素直に受け取っておいた。

 だが今回はどうだろうか。二度も同じ質問をするのは礼儀に欠けるが、もしかしたら違う答えが返ってくるかもしれない。そんな好奇心から私は再びあの時の問いを投げかける。

 

「キリノは緊張しないのか?」

「うん。どうせルドルフが勝つからね」

「ほう」

 

 前回と同じ答えだ。しかしその言葉の中身はきっと違っていた。

 

「今回はちゃんと信じてくれるんだな」

「なに、今回はって」

 

 キリノが首を傾げる。

 

「日本ダービーの時のことだ。お前に同じことを聞いたら、少し言い淀んでから信頼の証ということにしておいてくれと、そう答えただろう?」

「ああ……うん、そうだったね」

「だが今回は言い切った。つまりはそういう事じゃないのか?」

「んー、別に前回がそうじゃないってことでもないんだけど……」

 

 顎に手を当てて考え込む……というよりも何か迷っているようなキリノ。言うか言うまいかと逡巡しているようだ。

 やがてキリノは『はぁ』と息を吐いてこちらに向き直った。その眼差しはいつもより真剣味を帯びている。

 

「まあほら、ダービーの前には色々あったじゃん。だけど今回はちゃんと見てきたからね。確信を持って言えるよ、キミが1番強いウマ娘だ」

 

 口元を緩ませ、キリノは右の拳を突き出す。

 

「勝とう、ルドルフ」

「……ああ! 勝ってみせるとも」

 

 私は同じように突き出してキリノと拳を合わせた。

 

 

 

 その後のトレーニングでは、一走ごとに細かくキリノから分析の結果を言い渡される。

 

「……で、ここでスタミナの温存ができてない。これがさっきのと今の走りとの違い」

「わかるものなのか? 私でも気づかなかったのだが……」

「うん、なんか最近やたらと視えるんだよね。どのタイミングで走り方を変えたとか、どこでスタミナをキープしてるかとか。あたしの目も合宿で進化したのかな?」

 

 普通に考えて外から見た者が走っているウマ娘の一挙一動に合わせて行動の意味を説明するなど、それこそトップクラスのウマ娘でないと見抜くことすら難しいはずだ。それをキリノは私の走りに合わせて的確に解説してみせた。彼女の指摘した箇所を注意して走ってみると先程よりも余力を残して走りきることが出来た。

 

「今のはいい感じだったよ。長距離のレースはスタミナをどれだけ効率的に扱えるかで勝敗が分かれるからね。ルドルフくらい速ければ余らせても勝てるかもしれないけど、ガス欠になると流石に負けちゃうからそこだけは気をつけて」

「承知した」

「うんうん。後は……相手によるけど、基本的には先行策で考えて自分の1番いい走りを優先出来れば花丸。競合相手が無理に前にでも出ようとしない限りは基本的には前で走っていいと思う。逃げウマ娘がいた時だけはまあ、射程圏内に抑えるくらいには頑張って……ってここら辺は釈迦に説法だね」

「そんな事ないさ」

 

 確認するのは大切だ。わかり切っていることでも口に出して注意することでより意識を向けられるというものだ。

 

「こんな感じでしばらくは調整ね。ずっと同じ走りができるように何本も繰り返しやるから、再現性が高くなってきたら本数減らしてく感じで」

 

 キリノが今日撮った動画のいくつかをピックアップしていく。

 

「これが今日の気になった走りね。それ以外は概ねバッチリだったし、原因がわかってるやつからどんどん消していこう」

 

 そうして数十分の会議の後、トレーニングを終えて私たちは寮へと戻った。

 

 

 

 

 

 

「やば……明日までの課題やってなかった……」

「おいおい、大丈夫なのか?」

「んん……だいじょーぶ…………たぶん…………」

 

 上体をゆらゆらと揺らしながら答えるキリノ。既にその目は閉じていて足はフラフラと覚束無いながらもベッドに向かっている。ここ最近はシャワーを浴びて戻ってくるとすぐに眠りにつく、ということが多い。疲れているのだろう、これだけ私のトレーニングに付き合っているのだから当然だ。

 

「起きたら…………や…………」

「キリノ? ……寝てしまったか」

 

 キリノがベッドに突っ伏した状態で寝息を立て始める。体が冷えてしまうといけないので毛布を掛けに行くと、煩わしそうに呻き声を上げて寝返りを打った。

 

「暴れないでくれ、風邪をひくぞ?」

「ううん…………」

 

 再び寝返りを打つ。彼女の少し伸びた髪が枕の上に広がり、部屋の照明を反射して綺麗に輝いた。

 合宿が始まった頃は分かりづらかったが、今となってはキリノの言ったアッシュグレーがどんな色かよくわかる。色が落ちていった結果なのか青掛っているようにも見えるグレーの髪と、その間から内側のピンク色の髪が顔をのぞかせて美しい色合いになっている。

 

「ピンク、好きなんだな」

 

 彼女の飲んでいたドリンクもピンク色だったことを思い出した。そう考えると、私が贈った耳飾りはキリノにとっても悪くないものだったのではないだろうか。

 

「…………可愛い」

 

 無意識に口から言葉がこぼれる。慌てて彼女のベッドから後ずさって自分のベッドまで戻った。

 今私は何を言った? いや、発した言葉が悪いものだったとかでは無いのだが、人の寝顔を覗き込んでおいて可愛いなどとつぶやくその姿は、つまりそういう目で見ていると言われてもおかしくないわけで。

 

「いや、何も悪くない。素直に感想を述べただけで、そもそも寝顔が可愛いくらい別に何もおかしな話では……」

 

 ……やめよう。自分の中で否定すればするほど沼にハマっている気がしてならない。たまたま、偶然だ。偶然にもそう捉えられても不思議では無いシチュエーションになっていただけだ。

 

「…………寝よう」

 

 これ以上は考えない。こんなくだらないことで寝不足にでもなったら救えない。というか寝不足の理由を説明することが出来ない。

 そうして私は逃げるようにベッドに潜り込むのだった。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 翌日。

 

『今日はトレーニングに行くのが遅れるので、マルゼンスキーのところに交ざりに行ってください。ハナちゃんには連絡してあります。ごめんなさい』

 

 昼休みに届いたキリノからのメッセージ。おそらく課題の提出は間に合わなかったのだろう。

 

「なぜ敬語なんだ」

 

 思わず苦笑してしまう。彼女なりの申し訳なさの現れなのだろうが、いつもとのギャップでより面白く感じる。

 

『わかった。課題はちゃんとやっておくんだぞ』

 

 メッセージを返しておく。すると直ぐに既読がつき、メッセージが返ってくる。

 

『なんで知ってんの? エスパー?』

 

 どうやら昨夜に呟いていたことは覚えてないらしい。当然かと思いつつも、少しホッとした自分がいた。

 

 



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菊の花、泥中に咲く

更新があまりにも不定期なので色々お知らせするTwitterアカウントを作りました。あ、こいつ今週は無理そうだなとか見守ってくれると助かります。
https://mobile.twitter.com/Endoumame_TW


 

 

 

 室内だと言うのに、外の熱狂が壁を越えて伝わってくる。菊花賞、クラシック三冠の最後の舞台がもうすぐ幕を開けようとしている。

 ガチャリ、と目の前のドアが開く。控え室と書かれたタグが小さく揺れ、中からは私の教え子(ということにしておこう)であるキリノアメジストが出てきた。菊花賞に参加するのは彼女ではない。

 

「どうだった?」

「問題なさそうだったよ」

「よかった。ちゃんと話し合った?」

 

 私の言葉に少し考えてキリノアメジストは再び口を開く。

 

「まあいつも通りルドルフの好きなようにって言ったけど」

「……もうちょっと詳しく報告を」

「えー」

 

 キリノアメジストが不満げに唇を尖らせた。

 

「出走ウマ娘のデータは渡した……っていうか元々それを見ながら2人で作戦は立ててたんだよ。パドックでの様子も見て最終確認をした結果好きなようにって伝えた」

 

 肩を竦める仕草がやけに似合う中等部のウマ娘。きっと将来ろくでもない大人になるだろう。

 

「そもそもあたしがレースのことでルドルフに口出し出来るわけないじゃん。釈迦に説法を超えて釈迦に説教だね」

「言いたいことはわかるけど、その上で私達トレーナーは優秀なウマ娘に指導をするのよ」

「むぅ」

 

 納得いかないらしい。最終的に走るのはウマ娘だし、私達はあくまでそれまでの手助けをする事しか出来ない。そこに間違いはないが、いくら走る者の方が優秀だったとしても、コーチングというのはそんな技術の差だけで立場の上下が決まるものではないのだ。

 

「ルドルフの方が優秀だったとしても、ルドルフは完璧じゃない。貴方が口に出すことで新しく気づく何かがあるかもしれないわよ?」

「そんなことわかってるよ。でもそれはレース前の今やることじゃない」

 

 どうしてこうも素直に言うことが聞けないのやら、と思いつつ若い頃は自分もこうだったと少し恥ずかしさにも襲われる。

 

「ま、いつかわかるでしょうね」

「あっそ」

 

 存外こいつも緊張しているらしい。いつもの屁理屈にもキレがないし、返事もどこかぎこちない。前日まであれほど余裕を見せていたのに、やはり会場の空気に触れればそれも変わるということだろうか。

 

「……無理に前に行く必要は無い、とだけ伝えた。先頭争いが激しいようなら中団の方で様子見に徹した方が上手く転がりそうだよってね」

「へぇ、それは貴方の意見?」

「うん、なにせ3000mの長距離レースだからね。最初からバチバチにやり合ってたら最後にガス欠を起こしそうなウマ娘ばっかり」

 

 彼女の瞳が爛、と輝いた。にわかには信じ難いが、ウマ娘の評価をさせればキリノアメジストが外すことは無い。

 

「先頭争いに参加しても勝てる見込みはあるけど、無駄に体力を消耗して得られるアドバンテージはそんな無さそうだった。それよりは後ろで構えてるやつらと最終コーナーで真っ向勝負した方がいいかなって」

 

 コツコツと歩を進めながら、しかしキリノは言い終えると立ち止まりくるりとこちらを向いた。

 

「もちろん出遅れは許さないけどね。あそこまで特訓したんだから」

「それについては心配いらないんじゃない?」

「まあ、疑ってるわけじゃないよ」

 

 関係者しか立ち入ることの出来ないこのエリアには、ほとんど人が通ることがない。尤も無駄に広くスペースがあるのでこんなところで立ち止まったところで誰の迷惑になることもないだろう。

 

「ねぇ、ハナちゃんはルドルフの走り好き?」

 

 次はくるりと背中を向ける。

 

「え、ええ。どうして?」

「だってさ、見てる人達からしたら逃げで圧倒的に差をつけて勝ったり、追い込みで一気に上がってくるのがやっぱり映えるでしょ? その点ルドルフの走りって勝ちに拘るエンタメ性のない真面目ちゃんな走りだと思うわけ」

「……貴方はつまらないと思うの?」

 

 ゆらりと目の前で尻尾が大きく揺れる。珍しくご機嫌だ。

 

「あたしは好きだよ、ルドルフの走り」

 

 再びこちらに向き直るキリノ。とても楽しそうな笑みを浮かべている。

 

「トレーナー目線だと安定して美しく走るルドルフは素晴らしいと思うけど」

「うんうん、ハナちゃんならそう言うと思った」

 

 コツコツと、そのままこちらへと近づいてくるキリノアメジスト。私の半分くらいしか生きてないウマ娘の、その優雅に歩く様に少し気圧される。

 

「良いよね、強者に許されたあの走り。ビックリ大作戦じゃなくて、フィジカルで叩きのめす感じがさ」

「言い方にトゲがあるわね」

 

 キリノの歩みは止まらない。

 

「奇跡なんて起こらない、ってあたしの信条があるんだ。ちゃんと実力に見合って、ちょっとやそっとの運で傾かない結果がそこにあるって思える。ね、トレーナーのハナちゃんもその方がいいよね?」

 

 ずい、と顔を近づけて迫るキリノを手で制しながら私は答える。

 

「別に貴方の信条がどうかは知らないけど、まあそうね。実力に見合った結果が反映される世界ならみんな努力の甲斐があると思うわ」

「なにそれ。……まあ、努力に見合った、って言わなかったしいいや。やっぱりあたし達気が合うと思うんだー」

「そうかしら」

 

 キリノが腕を私の首の後ろに回して抱きつく。彼女が耳元で『そうでしょ?』と囁く。

 

「くすぐったい」

「こういうのドキッとしない? ルドルフとか顔真っ赤にして慌てるんだけど」

「子供の悪戯に動揺するほどウブじゃないの。悪いわね」

「ちぇー」

 

 彼女はパッと手を離しつまらなそうにまた私に背を向けた。

 

「それに、レースに絶対はないわ。何が起こるかわからない、わからないから最善を尽くすのよ」

「そう? でもシンボリルドルフには絶対があるよ」

 

 今度は楽しそうにその場でクルクルと回り出した。やはり緊張で落ち着かないのか、忙しなく動くものだとため息をつく。

 

「ちょっと出遅れたり、位置取りが上手くいかなかったり、夜更かし気味だったり。あるいは苦いジュースを飲んで調子が優れなかったり? そんな小さな綻びじゃシンボリルドルフは崩れない」

 

 狂信者かと思うほどにキリノからのルドルフへの信頼は厚い。ハードルを上げるとかそんなレベルではない。

 

「長距離なら尚更ね。長いレースの中で立て直す時間なんていくらでもある」

「そういうところから足元を掬われるのよ」

「別に走るのあたしじゃないし、ルドルフはそんな油断しないでしょ。それに今の話はそんな奇跡が起きてもってことなんだよ」

 

「そんな結果の伴わない奇跡、奇跡なんて呼べる代物じゃないさ」

 

 結局上機嫌でわけのわからない持論を展開してキリノは満足したようだった。

 本当に……本当に、手のかかる教え子だ。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

「『シンボリルドルフ、無敗の三冠達成!』……おぉ、見てよこの記事。さっきの記事とほとんど同じこと書いてある」

「……嬉しいことだよ。それだけ多くの人から応援されているということだ」

「だねぇ。実感はまだ湧かない?」

「ふふ、お見通しだな。……ああ、もちろん事実として受け止めているしとても喜ばしいさ。ただ、なんだろうな、あの日最後の直線を抜けた瞬間からずっとフワフワしているんだ」

「いいんじゃない? そのうち日常に戻れるだろうし」

「そんなものだろうか?」

「うんうん」

 

 最後は生返事。面倒になったのだろう。シンボリルドルフは小さく笑ってそれを流す。

 

「ま、ゆっくりするのが1番さ。偉業をなしとげたんだ、誰も文句言わないよ」

「あ、ああ……その事なんだが」

 

 ルドルフはキリノの方へと向き直った。何事かとキリノもそちらに体を向ける。

 

「なに? どこか行きたいところでもある?」

「いいやそうじゃない。私は……」

 

 ルドルフは言葉の続きを紡ぐのを躊躇った。

 しかし意を決したようにキリノに再び眼差しを向ける。

 

「私はジャパンカップに出走しようと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 少しの間の後、ギシリと軋む音が部屋に響く。ソファにかかる重量がウマ娘一人分軽くなった。

 

「紅茶でも淹れてあげるよ」

「どうせ『午前の紅茶』だろう?」

 

 立ち上がったキリノアメジストはコンロの方には目もくれず、冷蔵庫からペットボトルを取り出した。

 

「美味しいじゃん午前ティー」

「否定はしないが、『淹れる』という表現は避けるべきだな」

「雰囲気だよ雰囲気」

 

 彼女たちが今使用しているトレーナー室には、当然そういった飲料を用意する設備もある。しかし悲しいかな、キリノアメジストは紅茶の淹れ方を知らなかった。

 

「あたしからの労い」

「それはありがたいがな」

 

 すっとカップをルドルフの前に持ってくる。素直に受け取れ、と言外に圧を掛けられたルドルフは大人しくすることにした。

 

「それで?」

「それで、とは?」

 

 ルドルフの言葉に顔を向けずに返すキリノ。その様子に少し不機嫌になったのか、ルドルフは眉をひそめた。

 

「先程の返事だ。ジャパンカップに出走しようと思っている、と言ったんだが」

「ああ、聞き間違いか幻聴かと思った」

「なに?」

 

 さらにルドルフの眉間のシワが濃くなる。キリノは気にする様子もなくカップに口をつけた。

 

「冗談じゃないならやめた方がいいよ、とマジレスしますけど」

「理由は?」

「スパンが短すぎる」

 

 ピシャリと言い切るキリノ。ルドルフはその返事をわかっていたようにゆっくりと頷く。

 

「わかっているさ」

「わかってないよ。2週間じゃ何も出来ない」

「わかっているとも。今の私の力がどこまで通用するかを知りたいんだ」

「そう、じゃあやめた方がいいね。万全の状態じゃ挑めないし、やっても納得いかない結果で終わると思うよ」

 

 ピクリとルドルフの耳が動く。

 

「私じゃ力不足だと言いたいのか?」

「そう言って引き下がるならそういう事にするけど」

「まともに取り合って貰おうか。私は仮に力不足だったとしても挑戦するつもりだ」

「ならどう言えばやめてくれる? こんな短いスパンでレースに出ようものなら怪我してもおかしくないんですけど」

「菊花賞後の検査も問題なかったはずだ。もちろんハードなトレーニングは挟まない、あくまで今の力試しがしたいだけだ」

「ならもう少し後に予定組むから待っててくれない?」

「いいや、ジャパンカップこそが相応しいと私は考えている」

 

 段々とキリノの機嫌も悪くなってきたのか、耳や尻尾が顕著に動きを見せ始める。

 

「どうしてジャパンカップに拘るの?」

「言っただろう、力試しだ」

「嘘。キミはバカだけど愚かじゃない。そんな競走狂人みたいな発想で無理なスケジュールを通すような奴じゃないでしょ?」

「……なら、なんだと言うんだ?」

「大方世論にアテられたんでしょ。多くの人がルドルフの出走を待ち望んでいる、その期待に応えなければいけない、ってね」

「……………………」

 

 しばらく沈黙が続いた。

 

「図星でしょ」

「……だとしても、私は走るべきだと思う」

「くだらない。去年、ミスターシービーは菊花賞の後世論に流されることなくジャパンカップを見送った。賢明な判断だったと思うよ」

「私もそれに倣うべきだと?」

「そういうこと」

 

 ルドルフがキリノを睨みつける。珍しくキリノは受け流さずに睨み返した。

 

「引き下がれ」

「断る」

「チッ……別に力不足だって言っているわけじゃない。本調子なら間違いなく1着を狙える実力はあるし、出走予定のウマ娘の中でもトップクラスなのは認める。でも時間が足りない。ハナちゃんも同じことを言うと思うけど、短期間で複数のレースに出るのは色んな面から考えても悪影響を及ぼす場合が多い」

「わかっているさ! だが、それでも多くの人が待っているんだぞ!」

「シンボリルドルフ、キミはなんのために走るの? 自分のためじゃないの? 有象無象の民衆のために走ってたの?」

「もちろん私が望むからだ! そして今回も、私がそうしたいと思った、だから決めたんだ!」

 

 いつの間にか二人ともソファから立ち上がっていた。もちろんその事には気づかずに議論は白熱していく。

 

「ならまずはあたしじゃなくてハナちゃんのことを説得するんだね。それまであたしは首を縦に振らないから」

「いいだろう。東条トレーナーを説得出来たら私に協力してもらうぞ」

 

 ギリ、と歯軋りをしてキリノは部屋を出ていった。1人残されたシンボリルドルフは長く息を吐き、ソファに深く座り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「………………カップぐらい片付けろ」

 

 独り言ちる。言葉は返ってこない。

 

 

 

 




前半:メスガキ(?)キリノちゃん
後半:ブチギレキリノちゃん


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誰がために駆ける

短めです


 

 

 トントントントン。

 小気味よいテンポで机を叩く音が教室に響く。次第にそれは早くなっていき、やがてピタリと止まると次は指で液晶を叩く音に変わった。

 タタタ、タンタタンタンタンタンタン。

 

「ふー……」

 

 長く息を吐く。誰から見てもその音の主が不機嫌であることは明らかであった。

 ちなみに現在は授業中である。授業中ではあるのだが、どう見ても授業と関係の無いことに執心している生徒は凄まじい『話しかけるなオーラ』を放っており教師ですら声がかけられなかった。

 

「…………チッ」

 

 舌打ちが教室に響き、びくりと肩を震わせる者もいる。そんな様子を隣の青鹿毛のウマ娘が眺めている。

 トントントントントン…………トントントントントントントントン、タンタン……タンタタタタ……………………はぁ……………………トントントントントントン。

 

 

 

 

 

 

「やぁ、不機嫌だねポニーちゃん」

「うるさい」

 

 そんな異様な授業が終わり、各々が重たい空気から解放されたように席を立ち始める。そんな中青鹿毛のウマ娘は、重い空気の元凶に臆せず話しかけた。当然不機嫌な彼女からは短く拒絶の言葉が告げられただけであったわけだが。

 

「何かあったのかい?」

「何も」

「あはは、流石に無理があるね」

 

 不機嫌なウマ娘は決して顔をあげない。タブレットと睨めっこを続けている。

 

「じゃあ君は……そうだね、誰もいない部屋で1人仕事をしている。ついに我慢が利かなくなり溜まっている不満をぶちまけてしまう。はい、どうぞ」

「どうぞ、じゃないのよ。……別に、思い通りにならないのが世の中だなって思っただけだよ」

「その歳で悟りでも開いたのかい?」

「うん」

「ははっ、悟りを開いてたらそんな怒ったりしないでしょ」

「もしかして喧嘩売られてるの? これ」

「まさか、私は君の友達だよ? ポニーちゃん」

「舐められてんだわその友達に」

 

 一頻り揶揄うようなやり取りを終えたあと、青鹿毛のウマ娘──フジキセキは目の前のウマ娘の両肩に手を置いて話し始めた。

 

「何事も笑顔でこなせば楽しかった思い出になるさ」

「気休めにならなすぎる」

「そりゃそうだ、君自身が納得しない限りその怒りはおさまらないだろう?」

「納得できない場合は?」

「時間が解決してくれるのを待つしかないね」

「はあぁ~~あ」

 

 もう1人のウマ娘、キリノアメジストは大きく息を吐いた。

 

「まさかハナちゃんが通しちゃうとはねぇ……」

「なるほど、君は反対だったわけだ」

 

 シンボリルドルフのジャパンカップ出走は既に世間に広まっている。三冠達成の2週間後というあまりにも短い猶予での出走に、少なからず異を唱える者もいた。が、多くの人々はジャパンカップでついに日本のウマ娘が勝利するのではと期待に胸を膨らませている。

 

「精密検査の上で問題がないようなら、って条件でね」

「こうして出走することが発表されているわけだから、当然問題はなかったということだ」

「そう。まぁ怪我の心配がないようならあたしもそこまで目くじら立てることは無いんだけどさ」

 

 では何故、と聞きたげなフジキセキの視線にチラリと目を合わせ、すぐに背ける。

 

「期間が短すぎて調整が間に合わない。せめてミスターシービーくらいはマークできるように考えてるけど、流石にルドルフの独壇場とはいかないだろうね」

 

 与えられた時間の少なさ、拭いきれない不安、キリノアメジストを苦しめる要素は少なくなかった。

 

「つまるところ、自分への怒りなんだね」

「全部だよ。ワガママな皇帝もGOサイン出したトレーナーも無力な自分も、全部」

「じゃあ私には解決出来ないね」

「そうだよ、諦めてあたしから出る負のオーラを摂取してね」

「ははっ、それは……まぁ悪くないかな」

「正気?」

「真剣に何かに取り組む姿を見ると、こっちもやる気が出るというものさ」

「それはわからなくもない」

「だろう?」

 

 フジキセキは右肩に置いた手を離し、そのままキリノアメジストの頭の上へと置き直した。

 

「それだけ一生懸命ってことだよ」

「当たり前じゃん。キミがレースに真剣なのと同じ」

「そうだね。それでも、全身全霊でやりきったら結果がどうあれ最後には笑っていられるさ」

「そうかなぁ。希望的観測っぽい」

「その時は私のところに来るといい」

「ふーん、期待しないでおく」

「それは残念」

 

 タブレットの画面が暗くなり、パタリと音を立てて机の上に倒れた。

 

「あと1週間ない」

「うん」

「間に合わないと思う」

「うん」

「ほんと最悪」

「うん」

「……最悪。最悪最悪最悪!! ぜんっぜん作戦思いつかない!! シービーのデータは少ないし出走ウマ娘のデータ集めるのも時間ないし!! ていうか誰が本命かもイマイチわかんないしなのに『自らの走りを貫くだけだ』とか余裕なのも意味わかんないし!!! ハナちゃんも忙しいのにあたしの無能さをわかってないから丸投げするし!!! もおぉぉぉぉ無理!!! 無理無理カタツムリ!!!」

 

 喚くキリノアメジストに、残っていたクラスメイトもギョッとして教室を出ていった。

 

「もっとちゃんと研修受けるんだった」

「悔やむのは今じゃないよ?」

「ぐっ……やるだけやるよ」

「ん、頑張っておいで」

「うん」

 

 叫び散らかして気が済んだのか、キリノアメジストは席を立つと教室を出ていった。トレセン学園の生徒の放課後、行き先など決まっている。

 

「……いいなぁ」

 

 ポツリとフジキセキが呟いた。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 ここ最近、キリノと寮で話すことが少ない。と言っても無視されているわけではなく、彼女が起きている時間が短いからだ。

 ジャパンカップ出走が決まってから毎日のようにトレーニングを変えながら、しかしどこか納得がいかないようで頭を抱える姿が増えたような気がする。

 

 彼女に負担を強いているのは他でもない私だ。反対するキリノを押し切ってジャパンカップに出るのだから付き合って貰えない覚悟すらしていたのだが、律儀にも最後まで一緒に走ってくれるらしい。いつも悪態をついたり毒を吐いたりしながらも、なんだかんだ私の面倒を見てくれる彼女に甘えてしまっている。

 しかしそれは悪いことではないと思うようになった。一緒に、2人で、そう言ってくれたあの日から私は……いや、私達は喜びも苦しみも共有してきたつもりだ。だからこそ今キリノを苦しめているのは私自身であり、それをどうにかしてあげられる力が無いことには歯噛みする他ない。

 

「………………」

 

 それでも、と。ジャパンカップを勝利して彼女に4つ目の冠を持ち帰ることが、それだけが私に出来ることだ。だから今は只管に己を磨く。彼女の苦しみが報われるよう走る。どこか歯車が噛み合わないのを感じながらも、結局私には走ることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 だから、私は────私達は、負けたのだろう。

 

 

 



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雨天

遅くなりました。書き直し無限。


 

 

 

 

 ブツブツ、ブツブツと不審につぶやく少女を横目に、シンボリルドルフは1つ息を吐いた。

 

「このレースも…………これもだ…………どうして、どうして気づけなかったんだ…………? 確かにヒントはあったはずなのに!」

「キリノ、後にしないか?」

 

 キリノアメジストは変わらず呟き続ける。

 

「ウイニングライブが待ってるんだ、申し訳ないが話はその後で……いや、聞こえてないか」

 

 キリノアメジストが見ているのは今回のジャパンカップの映像ではない。ジャパンカップを制したウマ娘、彼女の今年に入って出走したレースの映像である。

 しかし、とシンボリルドルフは考える。キリノアメジストがこうなるのも致し方なし、何せ驚きの戦法でしてやられたのだから。

 

(まさかの逃げ切り、しかもこの大舞台で……)

 

 そう、このジャパンカップは先頭のウマ娘が最後までハナを譲らずに幕を閉じた。そしてその作戦を誰1人として見抜けなかったのだ。

 シンボリルドルフは3着。2着は外国から来たウマ娘に譲る形となった。キリノアメジストが警戒していたミスターシービーは着外だったようだが、それに関して思うところは今はないらしい。

 

「誰の落ち度でもない。勝ったウマ娘に賞賛を送り、同じ轍を踏まないよう努力するべきだ」

 

 シンボリルドルフは表情こそ硬いもののどこか晴れやかである。対してキリノアメジストは敗北が認められないのか何度もレースの映像を巻き戻しては再生を繰り返している。

 

「私はもう行くからな、お前も東条トレーナーのところへ戻れ」

 

 シンボリルドルフはライブの準備のために部屋を出ようとドアノブに手をかけた。キリノアメジストはそれでも動かなかった。

 

 

 

 ライブ中もキリノアメジストの姿を見ることは無かった。

 

 

 

 シンボリルドルフが控え室に忘れ物を、と理由をつけ控え室に戻るとキリノアメジストはそこにはいなかった。流石にか、と思い東条トレーナーに連絡をするとまだ戻っていないと言う。

 

「私も控え室で別れたきりです」

『嘘っ!? 探してくる! マルゼンスキーといて!』

 

 焦った東条トレーナーの声を聞き、シンボリルドルフの額にも汗が滲む。

 東条トレーナーに言われた場所に行くと、マルゼンスキーが辺りを見回しながら立っていた。彼女も平静を装いきれない様子だった。

 

「ルドルフちゃん!」

「マルゼンスキー! トレーナーは?」

「探してくるからここから動くなって……」

「そう、か……」

 

 沈黙が2人を包む。周りにはまだ人がいるため、騒ぐことは出来ない。

 

「大丈夫よ! おハナちゃんがきっと連れてきてくれるから!」

 

 マルゼンスキーがシンボリルドルフの手を両手で握る。その手は微かに震えており、マルゼンスキーが強がっていることを再び感じる。

 

「この歳で迷子は恥ずかしいだろうに」

 

 シンボリルドルフも軽口を叩くが、やはり不安は拭えないようだ。

 しかしどうしようもないのも事実、2人は結局東条トレーナーの連絡を待つ他なかった。

 

「弱音、吐いてもいい……?」

「……ああ」

「すっごく嫌な予感がするの。何か、大切なものを失っちゃいそう……」

「それは、キリノが見つからないということか?」

「ううん、わかんない……。でもこのままじゃ…………怖い」

「大丈夫さ、どうせ人混みに流されて迷ってしまっただけだ」

「そうかも……ううん、やっぱり違う気がする。ねぇルドルフちゃん、キリノちゃんのことお願い……!」

「……? あ、ああ……」

 

 マルゼンスキーの言葉は要領を得ないままそれ以上は何も無かった。

 

 やがて人も少なくなってきたかと言う頃に東条トレーナーから連絡が入った。

 

『いたわ。とりあえず、戻るからそこから動かないで』

 

 2人は顔を見合わせて、ほっと息を吐いた。マルゼンスキーはまだ何処か表情が優れないようだったが、一先ずは安心と言ったところか。

 

 そして4人が集まった頃にはとっくに日が暮れていた。騒ぎを起こした当の本人は何食わぬ顔で合流するものだから、シンボリルドルフは怒り心頭であった。

 

「どういうつもりだ!!」

「話し込んじゃってね、連絡がなかったのは謝るよ」

「何をしていたか言えと言っているんだ!」

「ま、まあまあルドルフちゃん! 見つかったしとりあえず良かったじゃない!」

「そうだよ、良かった良かった」

「お前が言うな!」

 

 はぁ、と東条トレーナーがため息をついた。

 

「とりあえず貴方から事情を説明しなさい」

「うん、ライブが終わったあとにね……」

 

 そこから語られた事の顛末はこうだ。

 キリノアメジストはライブが終わったタイミングを見計らい、今日のジャパンカップを制したウマ娘のもとへと向かった。直接聞きに行くとは非常識な、とシンボリルドルフは思ったが今はそれどころではない。

 会場を探し回っても見つからなかったため東条トレーナーが知り合いのトレーナー各位に連絡を送ったところ、件のトレーナーからうちの所にいると返信が来たらしい。

 

『こちらもつい熱くなって話し合ってしまい、申し訳ない』

 

 とのこと。ベテランのトレーナーらしいが、そんな経験豊富なトレーナーと話し合えるほどの知識がキリノにあったのかと驚くところでもあった。

 

「いい話が沢山聞けたよ」

「お前……!」

 

 怒り、安堵、色々な感情が混ざりあった結果シンボリルドルフは二言目を紡ぎ出せずに押し黙った。

 

「反省しなさいな」

「あんま怒んないねハナちゃん」

「そりゃもう、私の10倍は怒ってる子がいるからね」

「あーね」

 

 呑気に返事をするキリノアメジストの後ろでは拳を握りしめたシンボリルドルフが立っている。

 

「ルドルフちゃん! ステイ! 落ち着いて!」

「マルゼンスキー、こいつは1度本当に痛い目を見ないとわからないようだ」

「気持ちはわかるけど!」

 

 その後、キリノアメジストからの謝罪の言葉が出てくるまでシンボリルドルフの般若のような顔は治らなかった。

 

「まあまあ、有益な情報はしっかり持ってきたからさ」

「……なぁ、確かに私達は敗けた。完敗だったさ。だがどうしてそこまで焦るんだ? 次に繋げる、それだけだろう? また鍛え直せばいいだけじゃないか」

「ルドルフこそ、何を呑気に構えてるの? あたしはキミが初めての敗北にきっと耐えられないって、そう思ったから一刻も早く打開策を用意してあげようとしたのに」

 

 ピクリ、とシンボリルドルフの耳が動く。

 

「随分とナメられたものだな。1度や2度の敗北で私が崩れると、潰れてしまうと本気でそう思ったのか?」

「うん。ルドルフってプライド高いし、なんだかんだで無敗ってところに拘ってたところあるでしょ? ここまで簡単に勝ててきたのもあって、やっぱり壁は大きいんじゃないかなって」

 

 聞く者によれば煽っているようにすら聞こえるだろうセリフに、しかしシンボリルドルフは顔色を変えずに反論した。

 

「プライドが高いのも拘っていたのも認める、否定はしない。だが、それを受け止められず前に進めないほどヤワじゃない」

「そんなの強がりかもしれないじゃん。キミ、素直じゃないところあるし」

 

 シンボリルドルフはキリノアメジストの言葉にため息を吐き、少し苛立たし気に睨みつける。

 

「受け止められていないのはお前の方だろう」

「……は?」

 

 ピタリとキリノアメジストは動きを止めた。空気が凍りつく感覚に東条トレーナーとマルゼンスキーも思わず足を止める。

 

「お前が認められていないのを私に代弁させようとしていると、そういうことだろう?」

「……じゃあ何? 敗けても悔しくありませんでした、順当な結果ですって言いたいの?」

「もちろん悔しいとも。だが敗けてしまった事実は覆らないし、今日の敗北を受け入れることでしか私達は次に進めない」

 

 東条トレーナーは驚いていた。ジャパンカップに執着していたのはシンボリルドルフであり、キリノアメジストは出走を最後まで反対した立場だった。だからこそこの結果を受け入れられずに時間がかかるのもシンボリルドルフの方だと思っていたのだ。

 

「へぇ、キミって意外と温厚なんだ」

「何度煽られようが私の意見は変わらないぞ。焦っているのはお前だ、お前が納得していないだけの話だ。……まあ、その悔しさは十分にわかる。私とて同じ気持ちだからな。だからこそこの悔しさをバネに……」

「……ざけんな」

 

 キリノアメジストがシンボリルドルフの胸ぐらを掴む。

 

「ふざけんな!!」

「キリノちゃん!」

「おい!」

 

 咄嗟にマルゼンスキーがキリノアメジストを引っ張り二人を引き離した。

 

「ふざけんな、ふざけんなふざけんな!! お前が出たいって言ったから、お前が勝ちたいって言ったからあたしはここまでやったんだ! それをこんな……クソ! 何とか言えよ!! あたしのせいだって言え!! あたしの力不足で敗けたんだって言えよ!!」

「キリノちゃん落ち着いて!」

「……お前だけのせいじゃない、私も力不足だった。私達の2人の力量が足りなかった、それだけだ」

 

 ギリ、と歯を食いしばり、マルゼンスキーの拘束を振り切るキリノアメジスト。勢いは止まらずシンボリルドルフの両肩を抑えて壁に叩きつけた。

 

「キリノ!」

「何が"2人の"だ。あたしは何も出来なかった、何も出来てないんだよ!! 今回の3着は紛れもなくシンボリルドルフ、お前だけの実力でとったものだ。何が2人だよ、ずっとワンマンだろうが! デビューからずっと、あたしが何をしたって言うんだよ!!」

「…………」

 

 シンボリルドルフは何も言わず、ただ睨み返している。キリノアメジストのあまりの気迫に東条トレーナーもマルゼンスキーも動けない。

 

「三冠だってそうだ! あたしがいなくても変わんない! だったらあたしに助言求めんなよ!! どの面下げてあたしの肩持ってんだよ!!!」

 

 もう観客は帰ってしまったのだろう。静寂の中叫んだキリノアメジストの声だけが残響する。

 

「……だんまりね」

 

 興が削がれたとでも言いたげに肩から手を離し、キリノアメジストはそのまま後ろを向いた。

 しかし、今度はシンボリルドルフがキリノアメジストの肩を掴む。

 

「なに?」

「……2人で」

「チッ……なんでわかんないか……っ!」

「2人で取った三冠じゃないか…………!」

 

 シンボリルドルフは涙を流していた。

 

「っ……なに、泣いてんの……」

「……君がなんと言おうと私は君に救われたんだ。君のおかげでここに立っているんだ。だからどうか、どうかそんな悲しいこと言わないでくれ…………!」

 

 涙を流しながらも、しかし毅然とキリノアメジストを捉えて離さない瞳に、彼女自身もまた目を逸らせずにいた。

 

「ひ、悲劇のヒロイン気取り……?」

「なんでもいい、どう思われてもいい。ただ、ただ自分を傷つけるようなことだけはどうかやめてほしい。私の大切な親友を、他でもない君自身が乏さないでくれ」

「うるさい……うるさいうるさい! そんな、そんなキモいこと言って…………っ!」

「お願いだ」

「う、うるさい……」

 

 ペタリと、キリノアメジストはその場に座り込んだ。

 

「なんだよ……なんなんだよぉ…………! なんで……どうして…………もう……もうわかんない………………」

 

 鼻をすする音が響く。やがてキリノアメジストは声を殺して泣き始めた。誰も、何も声をかけず、ただ時間だけが過ぎる。

 しゃくり上げる声が聞こえなくなるまで、時は止まったままだった。

 

 

 



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キリノアメジストというウマ娘

実は前の話と合わせて1話分だったんですけど、ちょんぎりました。


 

 

 

「君が『一緒に頑張ろう』と手を差し伸べてくれた時、私は嬉しかった。こうして肩を並べ、共に歩もうとしてくれる存在がいるということが、私にとってはかけがえのないものだったんだ」

「………………」

「この2週間、私達はお互いに行き過ぎてすれ違いを起こしてしまっていたみたいだ。私も君も、相手のことをちゃんと理解していなかったのだろうな」

「…………」

「大丈夫、1度躓いただけじゃないか。また1歩新しく踏み出せばいいんだ」

 

 返事はない。

 

「こんなところで終わらないさ、私達は」

 

 返事はない。

 

 

 

 あれからつられてマルゼンスキーまで大泣きしてしまい、収拾がつかないと判断した東条トレーナーは、結局私たちが泣き止むまで待つことにした。マルゼンスキーとキリノの2人は泣き疲れて眠ってしまい、それぞれを運ぶ形で帰りのバスに乗ることになった。

 こうして話しかけても一向に起きる気配はない。色々な感情が表に出てきて疲れてしまったのだろう。

 

 

「意外と冷静なのね」

 

 ふと横から声が聞こえた。斜め向かいに座る東条トレーナーだ。

 

「もっとショックを受けてるかと思ったけど」

「もちろんショックは受けているよ。敗けるつもりはなかったし、出し抜かれた時には歯が砕けてしまうかというくらい奥歯を噛み締めた」

「レースのことだけじゃないわ」

「そうだな、どちらかと言うと先程のキリノの言葉の方が聞いていて苦しかったよ」

 

 あまり触れて欲しくはなかったが、そうもいかない。

 

「こうなってまで出たがった割には敗北はあっさり受け入れるのね。あんなに強く押し通そうとするものだから、てっきりジャパンカップにかける大きな思いみたいなものがあるのかと思ったわ」

「どのレースにも全力をかけて挑んでいるさ。ジャパンカップが特別だったわけじゃない」

 

 なら何故、と言いたげに視線で私の言葉を促す。

 

「……強いて挙げるなら…………そうだな、ミスターシービーが出走するから、だろうか」

「貴方、そんなにシービーと戦いたかったの?」

 

 東条トレーナーは驚いたように目を見開いた。

 

「ああ、おかしいだろうか?」

「否定はしないけれど……それだけのために? あれほどキリノと大喧嘩までして?」

 

 少し考える。確かに、あれほどの言い合いの後にすれ違いもなくジャパンカップまで、とそんな上手いこと行くわけがない。結果的に私達はこうして互いに傷つけあう羽目になった。

 

「もちろん、それだけではないさ。ただ大きな理由の一つとして、というだけだ」

「…………」

「夏の合宿が終わってしばらくしたある日、彼女と話す機会があってね。そこで『私はジャパンカップに出るよ。キミとも是非戦いたいね』とラブコールを貰ったんだ」

 

 私はペットボトルの中の麦茶を飲み干して話を続けた。

 

「昨年の三冠ウマ娘であるシービーと比較されることは多々あった。そんな中で絶好の機会を得たんだ、それはもう私だって熱くなるというものだ。だから言ったのさ、三冠ウマ娘となって君に勝負を挑む、とね」

「それは、ジャパンカップの日程を知っていて?」

「ああ、時間が無いことは知っていた。それでもよかった、むしろ好都合とさえ思った。もちろん、身体的な問題が発覚すれば辞退するつもりだったさ」

 

 だからこそ、私は東条トレーナーに精密検査の条件付きで出走させて欲しいと願い出たのだ。

 

「シービーから合宿の間にあったことも聞いたよ。キリノが一生徒の身ながら優秀なトレーナーに頼られたことはとても誇らしかった」

 

 だからこそ、その相手のシービーだったからこそ少しムキになった部分もあるのかもしれない。もっとも、それがなくても私はジャパンカップに出ようとしただろうが。

 

「好都合、というのは?」

「準備期間が無い分、私の地力が試されるレースになると思っていた。私の力でどこまで行けるか、という挑戦になる。しかも舞台は世界からウマ娘が集まるジャパンカップ、燃えないわけが無い。……実際そうなったんだが、そこに関しては浅慮だったと言わざるを得ないな」

「当日だけがレースじゃないわ。それまでにどうやって仕上げるか、出走するウマ娘のリサーチはどれくらい出来ているか、様々な要因が絡み合った上での結果なのよ」

「身に染みたよ」

 

 しかし私にも聞きたいことがあった。

 

「てっきりトレーナーにも反対されると思ったんだが」

「私? ……うーん、そうねぇ。精密検査の結果見て大丈夫そうだったし、問題なければと思ってたわ」

「トレーナーは私が敗けると思っていたかい?」

「まさか、担当の勝利を信じて送り出すのがトレーナーよ。それに私の目はキリノみたいに色々見えるわけじゃないからね、どうなるかなんてわからないわよ」

「……そうか」

「トレーナーとウマ娘の関係は一方的じゃないわ。走りたい、勝ちたいというウマ娘を導くための存在がトレーナーよ。ウマ娘がどう在りたいか、そしてそれを叶えるために共に歩くのがトレーナーなの」

 

 穏やかな笑顔で語る東条トレーナー。

 

「だから貴方が走りたいと言った以上、私はその願いに応えるわ。……まあ、人間の私とウマ娘のキリノでは価値観も違うでしょうけど」

 

 それが理由だったというわけだ。

 

「だが、キリノも私に最後は合わせてくれた。結果的にキリノの存在を軽んじるようなことをしてしまったな」

 

 その事については言い訳のしようがない。彼女の怒り、そして悲しみが全ての答えだった。地力で、というのはそれこそ私一人の力で、と言っているようなものだ。

 

「……それでも、今までの全てを否定するようなことは言ってほしくなかった。最低だな、私は」

 

 俯くと、微かに震える自分の手が目に入った。

 

「……はぁ。貴方はキリノアメジストというウマ娘をどうにも美化してる気がするわね。それとも自分を責めることで満足しようとしてるのかしら」

「……そんなことは」

「あるわよ。このままじゃ気づかなそうだから言うけれどね」

 

 そう前置きすると、東条トレーナーは口を開いた。

 

「この子は、貴方のためにレースに向けて頑張ってたわけじゃないわ。……いや、100%そうじゃないとは言わないけど、そんな純粋な気持ちじゃない」

「…………」

「端的に言えば自分のため……自分で自分のことを認められるようにするため、かしら」

 

 どういう意味だ。何を言っている? 理解が追いつかない。

 

「それはもう妄信的に貴方を推していたし、きっとレースに勝っているのは他でもないシンボリルドルフの力でしかないと思っているでしょうね。だけれど、そこに至るまでの過程で貴方に関わることで、自分の存在意義を見出した」

「紛れもない事実だ。彼女の貢献があってこその勝利じゃないか」

「そうね、私もそう思うわ。けれど彼女自身がそれを認められない、そしてその存在意義を求めずにはいられない。そんなふたつの乖離した思考がキリノアメジストというウマ娘を苦しめていたんでしょうね」

 

 一息置いて、東条トレーナーは再び口を開いた。

 

「最初はルドルフの隣で頑張りたいんだと、私もそう思ってたわ。ううん、実際そういう気持ちもあったんでしょう。けれど彼女は何よりも自分で自分が認められない。ストイックと言ってもいいけど、どちらかと言うとこうあらねばならないみたいな強迫観念って言うのかしら。出会った頃はそんなこと無かったと思うけど、いつからああなったのかしらね」

 

 思い当たる節がある。彼女がトレーナーとして頑張り始めた時、休日にギターを弾きに出かけなくなったあの頃からだ。

 彼女はきっと全てを捨てる覚悟でトレーナーというものに向き合ったのだろう。だがそこまでしても彼女は自らのことを評価出来ず、心の中で自分を傷つけていたのではないか。好きだったことを投げ打って目指したトレーナーという理想、その理想に届かない現実、自分を認められない歪んだフィルター、その全てが複雑に絡んでキリノは雁字搦めになっているのだ。

 

「そういうヤツなのよ、キリノは」

「……何故。そんなに……苦しいなら……」

 

 言いかけた口を自らの意思で閉じる。それが出来ないから苦しんでいるのだろう。何よりそうさせた要因の一つが私なのだろうと言うことに気づいてしまった。

 私が共に、と何度も言い続けたのがキリノの背中を押してしまった1本の腕になったのだ。

 

「自己肯定感が低いくせに自尊心とか承認欲求が高いからじゃない? 今どき珍しくないわよ、そういう子」

 

 ズズ、と音がした。きっと東条トレーナーがなにか飲んでいるのだろう。私は顔を上げる気にはならなかった。

 

「他人からの評価でしか自分を測れない、けれど他人から褒められたら素直に受け止められない。若いわねぇ」

 

 しみじみと呟く東条トレーナー。私は衝撃が強すぎて未だに思考がまとまらない。

 

「ならキリノは……こいつはどうすれば幸せになるんだ。何をしてあげれば救われるんだ?」

「そんなの、キリノ自身が変わるしかないでしょうに。貴方がどうにか出来ることじゃないわ」

「しかし!」

「言いたいことはわかるわ。でも自分の力でなんでも出来ると思ったら大間違いよ。貴方の善意が必ずしも人を救えるわけじゃない、貴方からの救いが必ずしもその人にとっての幸せであるとは限らないの」

「……っ!」

 

 何も言い返せなかった。私だって気づいている。これは私の夢を語る上で避けて通れない大きな壁だ。私が願う幸せと皆が描く幸せ、その形が重なることはない。一人一人の幸せが違った形をしているのを、私は知っている。

 

「こういう喧嘩とか、色んな悩みや失敗を経験して人は変わっていくのよ。今はまだ時間が足りないけれど、貴方もキリノも、それこそこんなところで終わりじゃないんだから」

「だがキリノは今も苦しんでいるんだ。私に、何か私にできることはないのか?」

「心配するのも無理ないわね。下手したら人格が乖離するとか、洒落にならないことになるかもしれない」

「ならば!」

「でも、余計なことをしてもアウト。何よりもキリノが他人に対して心を閉ざしてしまうのが1番危険なのよ」

「……っ!」

 

 だとしたら、私がしてしまったことは。このジャパンカップの2週間を通してキリノが抱えてしまった傷は。

 

「何思い詰めた顔してるのよ。言ったでしょ、喧嘩して成長していくって」

 

 はぁ、とため息を吐く東条トレーナー。

 

「本当によくないのは、彼女が何も言えない状態のまま静かに押しつぶされていく状況。さっきみたいに感情をぶつけられるってことは、キリノは貴方に対して心を開いてるって考えてもいいんじゃない?」

「そう、だろうか」

「ええ、大人を信じなさい」

 

 ふふ、と笑う東条トレーナー。その笑顔がとても頼もしく感じられた。

 

「まずは帰ったらちゃんと仲直りして、今後のことを2人で話し合いなさい」

「……ああ」

 

 少し心が落ち着いたように思える。瞼が重い。安心したら眠気に耐えきれなくなってきた。どうやら私の心は酷く張りつめていたらしい。

 

「……キリノ」

 

 返事はない。半分閉じた目で隣に座るキリノの手を探し、握る。ピクリと小指が動き、再び動かなくなった。

 

 

 



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未来の話

最後3話分は感想を意図的に返していません。自分の言葉で読者の皆様が感じたことを上書きしたくはなかったので。
ですが全て読ませてもらっています。ここまで付き合っていただき本当にありがとうございました。皆様のおかげで続けられました。


 どうやって寮に戻ったとか、いつ頃に寝たかとか、そんなことは覚えていなかった。ただ、意識の覚醒に引きずられるままに体を起こし、目を開く。目元が乾いているように感じるのは気のせいではないのだろう。

 

「おはよ」

 

 部屋の反対側から声がする。私のルームメイトはもう既に起きていたらしい。確か今日は休日だったはずだ。

 

「……おはよう、キリノ」

 

 ぼやけていた視界がクリアになる。キリノの方を向くと携帯端末をいじっていたが、私の視線に気づき視線をこちらに合わせた。

 

「早起きだな」

「まあね」

「何してたんだ?」

「んー……ネットニュース見てた」

「そうか」

 

 そこで会話は途切れた。少し考えてキリノが再び口を開く。

 

「世間的な評価はそこまでだったよ。良くも悪くも賛否両論って感じ」

「……ああ、なるほど」

 

 ネットニュースとはジャパンカップの事だったらしい。私たちが負けたことよりも日本のウマ娘が勝利したということの方が大きいのだろう。初めて挑戦者という立場で見られていたのかもしれない、どうあれ注目は私たちに向いていないという事実だけがある。

 

「ハナちゃんへの批判は思ったより少なくて一安心。あたしのせいで傷ついたなんてあっちゃ嫌だからね」

 

 くぁ、と欠伸をひとつ挟むキリノ。

 

「ま、次は負けないようにしないとね~」

 

 キリノは端末をロック状態にすると鼻歌を歌いながらカバンから本を取り出した。ブックカバーに隠されていてタイトルを見ることは出来ない。

 

 何も変わらない、いつも通りの日常があった。何も無い休日の、私達の過ごし方。互いにしたいことをして、気が向けば話しかけたり話題を持ち出したりして、食事の時間になればどちらからともなく立ち上がって食堂に行く。心地よい私達だけの距離を感じながら、就寝の挨拶をして眠るまでのそんな休日。

 このまま過ごせばいつもの様に終わるだろう。喧嘩したことも時間が解決して、きっと思い出話のひとつになる。お互いにつけた傷もカサブタになって、風化していって、なんて言ったかも思い出せなくなって。そうやって私達は前に進む。

 

「キリノ」

 

 だから────────。

 

「話をしよう。私達の、これからの話を」

 

 

 

 

 

 

「飲み物買ってくるね」

 

 そう言って部屋を出たキリノ。少ししたら両手に500mlのペットボトルを三本抱えて戻ってくる。

 

「はい、水でいいよね」

「あ、ああ。すまないな」

 

 キリノから天然水を1本受け取り、脇に置いた。お互いの動きが何となくぎこちなくてちょっと可笑しくなってしまった。

 

「あ、先に言わせて欲しいんだけど」

「なんだ?」

「昨日の話、全部聞いてたよ」

 

 一瞬意味がわからずキョトンとしてしまう。

 

「寝たフリしてごめんね」

「私とトレーナーの会話のことか」

 

 別に聞かれても、と思ったが異様に顔が熱くなる。詳しく覚えていないが、とても恥ずかしいことをしたような気がする。

 

「ん、んんっ。聞いていたのなら話は早い。私はお前に謝らなければならない」

 

「すまなかった。私の身勝手にお前を巻き込んだばかりか、お前のことを蔑ろにしてしまった」

「……巻き込んだのを謝られるのは、そんなにいい気分じゃないかも」

 

 それは、しかしキリノの気持ちも考えずに突っ走った私が言っていいことではない。

 

「ハナちゃんも言ってたでしょ、あたしが合わせるとかキミが配慮するとかそういう話じゃないの。キミが走りたい気持ちを支持出来なかった時点でトレーナーとしては失格だもん」

「……私は頷けないよ」

「そうだろうね。だからこれはあたしの反省、キミからの懺悔は昨日聞いたし」

 

 こくりと1口水を含む。

 

「あたしのこれまでの話、聞いてくれる?」

「それは、どういう……」

「あたしの昔話」

 

 出会った頃のような柔和な笑みでキリノは話し始めた。

 

「あたしね、昔は走るウマ娘になりたかったんだ。ルドルフみたいにレースに出て、トレーナーと一緒にいろんなタイトルとって、それで〜……ってね」

 

「でもあたしの目に映る現実は残酷だった。あたしには才能も伸び代もなかった。子供の頃にもう走るのを諦めたんだ。……諦めたつもりだった」

 

 キリノは水を一口飲んでからふぅと息を吐いた。

 

「ふふ、諦めてたらこんなとこ来ないよね。あたしはターフから目を背けられなかったんだ。しがみつくように……別にトレーナーなんてやりたかったわけじゃないけど、この作られたターフですらあたしにとっては離れ難いものだった。だからここに来たんだ。そしてキミに出会った」

 

 私に笑いかけるキリノ。彼女の感情を読み取ることは、私には出来ない。

 

「キミが走る姿に心奪われたよ。間違いなくキミはこの世代最強のウマ娘だ。あたしはキミが勝つ度に自分の事のように喜んだ。感情移入……というより自己投影に等しいね。あたしが走ってるわけじゃないのに」

 

「トレーナー業に本気になろうと思った時も、やっぱりそのままだった。キミが走るのを自分のレースかのように見て、分析して、育成ゲームみたいにキミにトレーニングを課して……」

「しかし、トレーナーとウマ娘は一心同体。自分の事のようにレースに臨むというのはトレーナーとして在るべき姿ではないのか?」

「都合よく捉えすぎだね。盲信は良くないよ? あたしの言えたことじゃないけどさ」

 

 キリノは再び水に口をつけた。

 

「白状する。ジャパンカップに出たくなかったのは、あたしが負けたくなかったからだよ。あたしはキミが負けると思ったし、あたしがレースに負けたくなくて強く否定した。走るのはキミなのにね」

「だ、だが! そうだったとしても、その後の行動に問題があったのは私だ!」

「別にあたしだけが悪いなんて言ってないよ。お互いに非があったよね、ってだけ」

「そう、だな……」

 

 罪を背負うことは、ある種の逃げだ。自らに原因を求め、許しを乞うことで己の罪の意識を薄れさせようとしているに過ぎない。罪を犯したものが本当にやるべき事は、贖罪と更生に向けた努力だ。

 だからこそキリノは、私を叱ったのだろう。言い回しというか、伝え方はなんとも彼女らしいが。

 

「だからお互いにごめんなさい、ね?」

 

 私はゆっくりと頷いた。

 

「で、これからの話ね」

「ああ……キリノは、どうしたい?」

 

 私はトレーナーとの話の中で、ひとつの選択肢に行き着いた。それは、彼女と別々の道を歩むことだ。

 私の走りが、私の夢が彼女を縛りつけているように思えて仕方がなかったのだ。キリノの本当にやりたいこと、本当になりたい何かを私が遠ざけていると思った。

 

「キリノ、お前の本当にやりたいことはなんだ? 私に教えてくれないか?」

 

 真意を、彼女の夢を聞きたい。

 

「お前は……いや、私はお前といていいのか?」

 

 離れるのが怖い。手放すのが怖い。それを必死に押し殺して、彼女に聞いた。

 キリノは私の質問の意味を考えているようだった。抽象的過ぎたか、伝わらなかったか、ストレートに伝えたつもりだっのだが。

 

「良いとかダメとかなの? そうしたいかどうかじゃなくて? ……まあ、いいけどさ」

 

 かぶりを振ってキリノは私に向き直った。

 

「ルドルフ、あたし………………」

 

 

 

「あたし、アメリカに行くよ」

 

 

 

 

 

 

 

 時が止まっているように感じた。どれ程までに時間が過ぎたのだろう、ほんの数秒だったかもしれない。

 

「アメリカ……」

 

 ようやく口を開いて出た言葉はその一言だった。

 

「マルゼンスキーの渡米の話は前にしたよね?」

「ああ」

「そのタイミングに合わせてハナちゃんも一緒に行くんだけど、それに着いていくことにした。力不足は痛感したところだしね」

「そんなことは……」

「それ以上の優しさは毒だよ。わかってるでしょ?」

「……っ、そうだな、すまない」

 

 そうだ。私のこういうところが彼女にとって良くないのだ。

 

「あたしも同じだったよ。あたしもね、こんな自分じゃルドルフの傍にいる資格はないって思った。でも今回のことを通して考えが変わった。……こんな未熟な自分を変えたいって思ったんだ。前向きになった、と思う」

 

 キリノは視線を外した。その瞳は間違いなくこの先のことを見ている。

 

「変わりたいんだ、ルドルフ。キミの隣も悪くないけど、あたしはきっとキミに甘えちゃうからさ」

「私だって同じだよ」

「なら丁度いい。お互いに次会うときは……何年後かわからないけど、その時には見違えるほどに成長してるといいね」

 

 ああ、そうか。そうなんだなキリノ。私も変わらないといけないんだ。昨日のトレーナーの言葉はそういう事だったのだ。トレーナーはキリノの心境の変化に気づいていたのだろうか。いつから? どこまで? 私もまた未熟な子供であることに変わりはないのだろうと痛感させられた。

 

「…………お前と出会って、1年も経ってないんだな。とても濃密な時間だったよ、何年も何年も積み重ねてきたように感じる」

「歳をとると1年が早く感じられるらしいよ。あたし達はまだ若いからじゃない?」

「ふふ、そういう事じゃないさ」

 

「色んなことがあった。出会った頃は距離感を掴めなかった……いや、今も正直に言うと掴みかねているんだが。それでもレースややり取りを重ねる度少しはお前に近づけた気がした」

「あたしは心を開いたつもりないけどね」

「はは、そうか。やはり私はあまり良い友人になれなかったか」

「ちょ、ちょっと!」

 

 そんな気はしていた、というか今回のことを経てそう思った。そんな旨のことを言うとキリノは慌てて立ち上がった。

 

「そこは否定しなよ!」

「いやいや、私自身思うところがあるんだ。至らぬ点ばかりだったよ」

「っ! ルドルフってホントに……はぁ、そういうところだよ。別に正直に自分の気持ちを伝えることだけが良い友人じゃないでしょ。隠し事もするし、喧嘩もするし、すれ違いだってある。心は完全に開かないし、理解も共感も出来ないことだってたくさんある。でもあたしは…………あたしは少なくともルドルフは友達だと思ってるよ」

「……そう、か」

 

 キリノはフンと鼻を鳴らした。

 

「そう! 好きな部分も嫌いな部分もある! トータルで好き! だから友達! これで良くない?」

 

 気持ちのいい割り切り方だった。以前の彼女ならこんなことを言っただろうか。

 

「何年経っても友達。約束ね」

「……ああ! 約束だ」

 

 キリノが右手を差し出す。私は自分の右手でそれを握り返した。

 

「あたしはパーフェクトなトレーナーになるために成長して帰ってくる! ルドルフは全ウマ娘の幸せっていう夢のために努力した姿で出迎える! どっちが夢に近づいてるか勝負ね?」

「おい、それは私の方が不利にならないか? そもそも夢の定義がお互いに曖昧すぎるし、規模が他人にまで及んでいる私はどうすればいいんだ」

「そんなのルドルフが納得いく方向性で見せてくれればいいじゃん。ていうか薄々気づいてるでしょ、全ウマ娘の幸せって一人一人幸せの定義が違うんだから不可能に近いってこと」

「そっそれは……わかっている、だが皆が笑って暮らせる未来を私は夢見ているんだ。未来図は決まっているのだから、あとは道のりだけだろう?」

「へぇ? せいぜい頑張りなよ、応援してるからさ」

「そんな棒読みで言われてもね」

「あはは!」

 

 

 

 

 それから私達はなんて事ない会話をしていた。最近聴いた音楽の話、こっそりギターを触っていたこと、新しく出来た喫茶店の話、子供の頃の思い出話…………どれも他愛なく、それでも必要な会話だった。

 

「……はぁ、話した話した。100年分くらい話した」

「ふふふ、キリノはこう見えて冗談が好きだな」

「そうだよ? あたし結構ギャグセンも高いんだから」

「そう、なのか」

「そうだよ? ギャグって人に親しまれやすくなる秘訣だからね、あたしを見習ってルドルフもギャグセン磨くといいよ」

「ああ、努力してみるよ」

「うーん、これはダメそう」

 

 失礼な、私だって笑いの心得くらいあるぞ。

 

「あたしに聞かれても答えないからね?」

「当然だ、自らで磨いてこそのセンスだ」

「あー、頑張ってね。…………ね、帰ってくるまでSNSの連絡は無しにしない? なんか甘えちゃいそう」

「な、なんでそうなるんだ。いいじゃないか少しくらいは」

「ほら、そうなるでしょ?」

「さ、寂しいと思うんだが……」

「それ以上言うな! あたしの覚悟まで弱くなるでしょーが!」

「む、そ、そうだな」

 

 彼女も相当な意志の上で言っているのだろう。私からもう邪魔をすることは出来ない。それ以上は彼女の妨げにしかならない。

 私は存外甘えたがりなのだと、この時自覚したのだった。

 

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 

 

 

 

 懐かしい夢を見た。まさか生徒会室でうたた寝をしてしまうとは、誰にも見られなくて本当に良かった。気が抜けているな、と思い少し自分の頬を叩いた。

 窓の外は夕焼けに染っている。今しがた見た夢のせいか、あの河川敷を思い出す。

 

 あれから私は生徒会の会長となった。これもまた夢に近づくための一歩だ。ただ、入ってから今に至るまで忙しくない時はなかった。その過程で自分自身もまた成長出来たが、キリノのこともまた頭の片隅に置かざるを得なかった。そうして4,5年経った今日突然こんな夢を見るものだから、何かのお告げかと思ってしまった。

 

 

 

 コンコン。

 

「失礼します」

「ああ、エアグルーヴか」

 

 ノックの後に入ってきたのは生徒会副会長のエアグルーヴだ。このような形で私に付いてきてくれる者が何人もいる今の私は幸せ者だ。

 

「会長、どうかなさいましたか?」

「うん? ……ああ、いや。実は少しうたた寝をしてしまってね」

「お疲れなのでしょう、仕事のし過ぎです。今に始まったことではありませんが」

「ははは、手厳しいな」

「過ぎたるは及ばざるが如し、会長が昔私に送ってくれた言葉ですよ。それが今では同じことで私が言う側に回るとは……」

「働きすぎているつもりはないんだがなぁ」

「でしょうね」

 

 呆れたようにため息を吐くエアグルーヴ。これは本格的に休みを挟まないと雷が落ちるな。

 

「第一今日は休日なのですから、働いている方がおかしいのですよ」

「そういう君も生徒会室に来ているじゃないか」

「私はトレーニングの後ですから。それに生徒会室にも用があったので」

 

 エアグルーヴが机の上に書類の束を置いた。

 

「ありがとう、助かるよ」

「何を自然に仕事に戻ろうとしているんですか。休んでください」

「そ、そうだったな」

 

 エアグルーヴの目が怖い。

 

「こほん、次のレースも頑張ってくれ」

「ええ。……そういえば私のトレーナーから聞いたのですが、次のレースには海外から見に来るトレーナーもいるとか」

「そうなのか?」

「会長も知りませんでしたか。私も詳しくは知らないのですが、なんでも海外から帰国する日本人の方なのだとか」

「帰国……日本人……」

 

 まさか、と私の脳裏に彼女達の顔がよぎった。

 

「心当たりが?」

「……ああ、少しな」

 

 エアグルーヴが驚いたように目を見開いた。

 

「嬉しそうですね」

「そ、そうか?」

「ええ、珍しく子供のような笑顔でしたよ」

「っ!? そ、それは……」

 

 思わず顔を背けた。きっと私の表情はにやけているのだろう。暫くは期待で満足に眠れなさそうだ。

 不思議そうな表情をしているエアグルーヴには申し訳ないが、このことは伏せておこう。きっと彼女が来ればまた、この学園に新しい色が加わるだろう。それまでは楽しみに取っておこうじゃないか。

 

 

 

 さあ、未来の話をしよう。

 

 

 

 




後日談とかはもしかしたら不定期で書くかもしれません。書かないかもしれません。


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