球界のミホノブルボンと呼ばれた少女 (風早 海月)
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01 凡速の精密機械

U-15に選ばれた1人の投手。

彼女は決して球速が速いわけではないし、特別な変化球を持っているわけでもない。ただ、ひたすらに正確無比な投球…ただそれだけの投手。持ち球はチェンジアップだけ。

でも、そんな彼女はWBSC U-15ワールドカップで12投球回、防御率0.00を記録した。

 

だが、彼女は野球の強豪校からは声がかからなかった。

彼女の球は『傍から見る分には普通の投手』だから。確かに、ストレートのノビとコントロール精度には目を見張るものがあるけど、球速・球威・決め球になりうる変化球…どれをとっても普通の投手であり、高校野球ではせいぜいが弱小校のエース止まりだと思われていたのだ。

しかも、彼女の体格は中一の頃から中三までに全く成長を見せておらず、身長は145cmから伸びていない。いくら女子であっても、全国を争うチームがスカウトするアスリートとしては身長が低すぎた。

 

だけど、彼女の資質に気付いていた人が同世代にいた。

 

 

「こ、児玉(こだま)みほ選手!?なんで新越谷に!?」

「えーと、有名なの?」

 

金髪…少し濃いめの髪色のボブをツーサイドアップにしている少女が、彼女…児玉みほを見た瞬間にそのツーサイドアップをしっぽの様に振りながら、隣にいた双子と思われる同じ髪色の少女に児玉みほの凄さを語っていく。

 

「児玉みほ選手と言えば、14歳の時にU-15ワールドカップに出場した投手で、海外のエリート相手に12投球回1失点0自責点の防御率0を記録したんだよ!しかも、シニアでは打者としても本塁打を含む強打者として相手チームに警戒される程打てる投手なんだよ!

 球速と変化球が平均的だからあまり取り立てて騒がれはしなかったけど、私は日本を代表するのに相応しい最高の投手だと思ってるよ!」

「ええっと…全部聞こえてたんだけど…ありがとう?でいいのかな?」

「はぅ…あ、あの!サインください!」

 

みほは少し困った様に「サインとか考えてないんだけどなぁ」と呟きながら、どんなサインを書くか悩む。

そして、意を決して書いたサインは味のある行書体で『桜』と書かれていた。

 

「えへへぇ…まさか珠姫ちゃん以外にこんな有名選手が入学してるとは…格が違いすぎてリストに入ってなかった…」

「ところで、君たちは?僕のことは知ってるみたいだけど…」

「私は川口息吹。こっちのトリップしてるのが妹の川口芳乃よ。よろしくね。この子、野球好きでサイン集めしてるのよ…」

「なるほどね。まさかいきなり色紙出してくるとは思ってなかったよ」

 

みほは馬で言うところの月毛のようなクリーム色のロブを左右で二つ結びにしている青いシュシュを弄りながら、呆れたようにそう言った。

 

「そう言えば、みほはなんでこの学校に?不祥事のこと聞いてるわよね?」

「まぁね。強豪校からはスカウトも来なかったし、中堅校も…まぁ言っちゃあれだけどマスコット扱いが目に見えてるからね」

「みほかわいいからね」

「バカ、そうじゃなくて…U-15のメンバーがいるってだけで中堅校には胸を張れるもんなの。まぁ自分で言うのもあれだけどさ、肩書きだけはあるから」

「そんなことないよ!みほちゃんは実力だってあるんだから!下手に変化球に頼りきりの投手だと慣れられたら打たれちゃうけど、みほちゃんの真骨頂は慣れても打てない正確無比なストレートにあるんだから!そもそも―――(ペラペラ」

「あー、みほ、長いから聞くけど、私たちと野球しない?そりゃ私みたいな素人も入れてようやく人数に余裕ができるような弱小だけど」

「いや、ここなら設備もしっかりしてるし…本当はクラブチームに行こうか迷ってたんだけど、うん、君たちを見てたらやっぱり高校野球は経験しないと損だよね」

 

みほはそう言って笑った。

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

「みんな集まって〜!新しい練習スケジュール配るよ〜!」

「そんなことより、芳乃!後ろにいるちまい子は誰だよ。誰かの妹か?」

「稜ちゃん知らないの!?息吹ちゃん、そろそろいいでしょう!」

「静まれ!静まれ!この雑誌が目に入らぬか!ここにおわすお方を誰と心得る。恐れ多くも先のU-15代表に選ばれた投手、児玉みほ公にあらせられるぞ!」

「代表投手の御前である!頭が高い!控えおろう!」

「ちょ、ちょっと!」

 

ははー!とノリのいい新越谷の面々は平伏する。

みほが顔を真っ赤にして恥ずかしがる。

 

「まぁそんな訳で、今日から野球部に入部した、児玉みほちゃんです!」

「凄いな…まさか日本代表クラスがうちに来てくれたとは…私は2年で主将の岡田怜。これからよろしく」

「これで投手が2枚かー、ヨミ、エース取られない様に頑張れよ!」

「もう!稜ちゃん!」

 

パンパン!と手を打った主将に視線が行くと同時に、スっと静まった。

 

「さて、多分みんなもみほの投球を見たいだろうし、珠姫はリードを考えるのに球質とか見ないといけないだろう?ということで早速全員と1打席勝負はどうだ?」

「分かりました。お相手します!」

 

 

みほは防具をつけていた小柄な子…それでもみほよりは大きい珠姫に近づいた。

 

「あなたが珠姫ちゃん?僕はみほ。よろしく」

「うん、よろしく。早速だけど球種は何がある?」

「ストレートとチェンジアップだけだよ。あとはコースの指示は―――」

 

精密機械とも言われるみほの投球。それを十全に活かせるリードを出来る捕手が少ないのも強豪校から敬遠された理由の一つ。

なんと言っても、彼女のコースはストライクゾーンを5×5の25分割でサイン指示をしなければならないし、それだけ精密に投げる。しかも、それに加えてまだ凄い所があるのだが、それはおいおい。

 

()()()首は振らないから、思った通りにリードしてね」

「分かった。球種→縦→横でサインを送るからね」

 

パーがストレート。グーがチェンジアップ。

縦は5等分のうち上から1~5。

横も投手からみて左から1~5、捕手からみて右から1~5。

外に外す時は1方向が親指、5方向が小指とした。

 

例えばパー→5→1なら、右打者に対してアウトローの角を狙うストレート。

グー→小指→1なら、右打者に対してアウトローでゾーンを下に外す球…となる。

 

 

1番は金髪…中村希。

 

初球のリードは…パー→5→3。みほは要求通りに下いっぱいのど真ん中に投げ込む。みほのストレートは球速も球威も無いけど、回転数だけは高い。上に変化する変化球とまで言われる。それが下いっぱいに投げられるとどう写るか…下から浮き上がってストライクゾーンギリギリに入ってくるように見えるのだ。でも、入ってきたと判断した時にはもう振り遅れ。初球は空振り。しかも、完全にタイミングを外した上でである。

希の顔が悔しげに歪む。だが、直ぐに構えを取り直して2球目を待つ。

 

2球目…パー→5→5。左打者の希にアウトローの角を攻める…が、これは読まれていた。ファウルチップで救われてツーストライク。

 

3球目…パー→4→5。アウトローの少し上気味を要求した珠姫。みほは頷いて投球。希は先程と同じように振ったが、球に少し合わせる形になり少し球の下を叩き、高く打ち上げる。レフトに入っていた息吹が楽にキャッチしてアウト。

 

 

2番目の川崎稜は三振。

3番目の藤田菫はセカンドゴロ。

4番目の大村白菊も三振。

5番目の主将岡田怜もセカンドゴロ。

6番目の川口息吹はサードエラー(詠深の捕球エラー)。

7番目の藤原理沙は大きなセンターフライ。

8番目の武田詠深も三振。

 

捕手の珠姫を除いたチームメイト全員からアウト(息吹だけはエラーだが)を取ったみほの投球に、みんなが改めて世界クラスの格の違いを実感する。

 

「珠姫ちゃん、いいリードだったよ。でも、僕の本質は打たせて取るピッチングだから、もう少し早い球数で勝負してもいいと思う」

「そうだね…みほちゃんはムービングファスト系は投げないの?」

「ツーシームとカット?手は出したことないけど…僕はひたすらにコントロールに磨きをかけてたから」

「だったら――ヨミちゃん!」

 

詠深もツーシームとカットボールは覚えたてなので、その経験をみほに共有する。握りからリリースのコツまで。もちろん人によって違う感覚なので、あくまで参考に。

投げ始めてから数球。ツーシームは簡単に習得した。ストレートと比べてどの位置に変化するかを計算出来れば、あとはストレートと同じように精密に投げれる…まぁこの時点で異常だが。

みほの習得したツーシームはシンカー方向に落ちる球になった。

 

一方カットボールは習得自体は出来たものの、コントロールが難しく、即戦力化には程遠い…とみほは判断した。まぁみほのコントロールへの要求水準はプロを上回るレベルなので、一般的な高校野球投手よりコントロールはできている。

 

「このツーシームは凄く良いね。シンカー方向の変化も微妙にしてるから打ち損じが増えると思う。しかもストレートの回転が良いから、その分打ちづらい…」

「タマちゃん…私との仲はそんなものだったんだね……」

「浮気された彼女か!」

 

稜が詠深にツッコミを入れると、珠姫ははぁ…とため息をついた。

 

 



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02 みほのハードトレーニング!


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みほは新越谷野球部に入部することになった日、辞めていた日課である夜の投げ込みを再開した。

珠姫には5×5と伝えたが、かつては7×7という超精密に投げられた。だが、強豪校からのスカウトもなく、中堅校でアイドルにされるのも嫌と感じたみほはここ数ヶ月、日課にしていた投げ込みを辞めていた。

 

球速や球威なんて二の次。ただひたすらに自分の思い通りの場所に投げ込む。

ひたすらに。ただひたすらに。

1日300球。それを3時間かけて投げ込む。もちろん試合の時よりも力を抜いているとはいえ、それを日課としてほぼ休みなく毎日投げ込んでいる。

それが、みほのコントロールを支える下地だった。

 

『毎日これだけ投げている』

 

それが精密に投げられる理由であり、精神的な裏付けになり、試合でも調子に左右されない理由になる。

 

だが、逆に言えばみほへのスカウトが食指を動かせなかった理由のひとつに、ハードトレーニングこそが彼女の下地となっているからということもある。

彼女ほどのハードトレーニングを続けていれば、必ず故障は発生する…だが、彼女のハードトレーニングを辞めさせて、これ以上の進化成長を望めるかと言われたら否と多くの監督たちは答えるだろう。

 

これだけの投げ込みを行っても、彼女の球速は99km/hが最速。

ちなみに多くの強豪校のスカウトの判断基準は、ストレートで押すタイプなら110km/h以上は欲しいし、変化球で押すとしても105km/hは欲しい。

決め球の変化球を持つ詠深でさえ、ストレートは109km/hは出ている。これはいかんともしがたかった。

 

 

夜の3時間を投げ込みで使った後は直ぐに風呂を浴びて、そそくさと寝る。それがみほの日課だった。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

翌日。

みほは野球道具をスーパーカブ50に乗せて登校した。

なんせ野球道具というのは結構多い上に重い。みほのスーパーカブは野球道具の運搬に最適化されており、右側面には筒状の積載装置…バット用の積載筒が3本ある。

 

ちなみにみほは3台のスーパーカブを所有しており、今運転しているのは中古のスーパーカブに積載装置を色々付け替えた緑の車体の『登校用』だ。

他に、110ccに登校用と同じような積載装置を付けた青い『野球遠征用』、110ccに積載装置を野球道具用にしていないピンクの『ツーリング用』の3つ。

ちなみに登校用と野球遠征用は父親からのお下がりである。ツーリング用は新車で免許取得のお祝いに買ってもらったのだとか。

 

ちなみに、その父親はエンジンをボアアップして高速を走れるスーパーカブにした130ccのスーパーカブを所有している。高速を走っていると良くギョッとした目で見られるらしい。1度パトカーに止められたこともあるとか。

 

登校用の原付カブを駐輪場…ではなく部室前につけて、荷物を部室に運び込んでから、カブを駐輪場へ。

 

 

そして、再度部室に戻って練習着に着替え、練習場へ。

新越谷の練習場は、学校の野球専用グラウンドとしては珍しい外野部分が天然芝。その手入れが必要だ。

昨日の間にその話を聞いたみほは、新入りとして一番乗りして芝の手入れをしに来ていた。芝の端から端まで歩いて雑草を小さいうちから取り除く。他校のグラウンドと比べて排水性が高い砂を導入している新越谷の練習場。晴れてる日は毎朝水やりを行う。

主にブルーグラスとバミューダグラスの品種が撒かれており、今の時期はブルーグラスが主力。

 

みほはそこまでやると、準備運動にストレッチと縄跳びをしてから、内野のバックネット付近に移動式のネットを出して朝の投げ込みを始める。

ちなみに昨日の夜には300球も投げた上でさらに投げているのをお忘れなく。

U-15でチームメイトだった投手陣から故障するんじゃないかと止めようともされたが無視されており、最終的に『投げ込みの鬼』とまで言われていた。

 

投げ込みが100球近くなったところで、川口姉妹が練習着姿でグラウンドに現れた。

 

「おはよう、息吹、芳乃」

「おはよう、って本当に早いわね」

「みほちゃんそれって…!」

 

新越谷は去年までかなり大きな部活だったこともあり、大量の練習球がある。その中でも痛み具合が良い順に投球練習用、キャッチボール用、ノック用と分けられており、投球練習用はおよそ100球ちょっと。それがほぼ全てネット側に落ちているということは…

 

「ピッチャーの肩肘は消耗品なんだよ!?」

「問題ないよ。僕は他のピッチャーと違って全力で投げてないし、それ以上にコントロールに集中してるからね。僕の最高球速がそれを物語ってるでしょ?多分、速度に集中したメニューを3ヶ月もすれば110くらいは出ると思うよ?」

「でも…」

「ちゃんとアイシングもするし。そもそも中学からほぼ毎日300から500は投げてたし」

「…分かった。でもマネージャーとして、故障の可能性が高いのは認められないから、投げ込みは毎日私と一緒の時だけにすることと、終わった後は私のマッサージを必ず受けることは約束して」

「そこまで注意しなくてもいいのに…まぁ了解」

 

みほとしても、チームのマネージャー…というかほぼ監督である芳乃からした時の故障リスクが怖いと感じるのはごもっともだと思っているし、自身が時代にそぐわないハードトレーニングをしている自覚もある。

とはいえ、それだけしても…否、それだけする価値があると、みほは野球に惚れ込んでいる。

 

それから間を置かずに2年生2人が姿を表す。

 

「お、今日も早いな。芝の水やりは終わったか?」

「はい、みほちゃんが随分早く来たみたいで、私たちが来た時には終わってました。追肥とか殺虫剤はまだですよね」

「ええ、追肥は今週末を予定してるわ。殺虫剤は月末ね」

 

怜と理沙の2年生コンビは活動停止中、グラウンドを守ってきた2人だ。今の芝は彼女たちのものと言っていい。

 

「みほ、ありがとう。だが芝の手入れは全員の仕事だからな。1人でやる必要は無いぞ」

「はい」

「よし。さて息吹、準備運動終わってるならキャッチボール付き合ってくれ。その後は外野のケーススタディだ」

「は、はい」

「みほちゃんは私のキャッチボール付き合って貰えるかしら」

「お相手しますよ」

 

みほはササッとピッチング練習の後片付けを済ませて、理沙のキャッチボールの相手になる。

 

「みほちゃん、ピッチャー以外のポジションってどこかできる?」

 

理沙とのキャッチボールの中で、隣で眺めていた芳乃がそう聞いた。

 

「そうだね…経験があるのはサードかな。外野は守備範囲広いから難しいけど、多分できるよ」

「そっか…理沙先輩はほかの守備位置とかどうです?」

「私は3から6まで内野ならどこでも守れるし、外野もそれなりに守れるわ」

「そうですか…稜ちゃんか菫ちゃんか…いや、安定を求めれば息吹ちゃんだよね…」

 

客観的に評価して、みほの打撃はその身長や体格から予想もつかないが巧打者だ。

芳乃は以前のデータを昨夜の間に確認したのだが、きちんと芯で捉える技術と体重移動をせずどっしりと足を据えて踏ん張りながら打つ打法で長打を狙える打者だ。必然的に、ピッチャーとして投げない試合でも打者としては出したい。

その分の守備はどうするかという相談だったのだが、サードがメインで経験していたという彼女。そのポジションにいるはずだった理沙とて、現状経験者組の菫と稜の二遊間コンビよりも守備力・打撃力共に上。さて誰を下げるか…と芳乃の頭の中が高速回転する。

 

芳乃のこの思考が、練習試合という形で直ぐに頭を悩ませることになるのは放課後のことだった。

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

放課後の部活。

準備運動をしていたところに、やってきた怜が集合をかける。

 

「先生、お願いします」

「引き継ぎが遅れましてすみません。顧問の藤井です。皆さん自主的に練習されていて偉いです!」

 

怜が紹介したのは顧問の藤井杏夏。家庭科教師であると同時に、藤井先生が高三の頃に新越谷野球部は夏の甲子園に出場している。当時はショートを守っており、その世代の埼玉県ベストナインのショートに選ばれている。

 

「ふふ…もう授業で会った子もいますね。さて……どうやら全国を目指しているらしいですね。そこで、週末の日曜日に試合を組みました」

「試合!やった!」

「どこまでやれるか、見せてくださいね」

 

怜が一歩前に出る。

 

「というわけなので、芝の手入れを少し変更するぞ。追肥は今日に変更。明後日にトラクターを借りてきて転圧とエアレーションを行う」

 

新越谷高校にはグラウンド整備用のトラクターがあり、野球場以外でも使われている天然芝の手入れ用具ももちろん存在している。例えばトラクターで牽く転圧ローラーや深さ20cm程も掘れるエアレーション装置などだ。他にも多くの整備用品が揃っているおかげで新越谷高校のグラウンドはとても美しい芝が広がっている。

 

「それと、今後は朝の手入れをきちんと当番制にする。3人から4人で班を組んで、草抜きと水やりを頼む」

 

班長は怜、理沙、そして芝に何故か詳しいみほが担当することに。

 

「なんでみほは芝に詳しいのよ…」

「……競馬見てるからかな」

 

息吹はみほのトレーニング内容を聞いたばかりで、どこにそんな時間があるのかと呆然とした。そして、みほだけ1日28時間くらいあるのだろうと投げやりになるのだった。



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03 練習試合の始まり

 

練習試合当日。

朝早くに集まったのは、芝当番のみほ班と理沙。

 

みほ班は川口姉妹と希の4人で構成している。

理沙は試合前ということから芝の状態の確認に来ていた。

 

草抜きをしてから、満遍なく水をやる。

 

「…刈り高も大丈夫そうね」

「少し深いですけど、これ以上刈ると傷みが早いですから」

 

競馬場のように馬の体重に耐えなければならない程過酷な用途ではないが、人の全力ダッシュには晒されているここの芝。5月頃に夏芝の種を撒き、6月から7月までは梅雨もあり、養生のため芝は手入れ以外侵入禁止となる。

 

「みほちゃんはなんで競馬を見るの?私たちの歳じゃ馬券は買えないでしょ?」

「…僕の名前の由来、だからですね。昔、僕が生まれる10年くらい前にミホノブルボンっていう馬がいました。

 血統的にはマイルからもう少し長いくらいが適性距離でしたが、調教師のスパルタトレーニングを受けて、適性外の中距離レースである皐月賞とダービーをそれまで無敗で獲ったんです。シンボリルドルフ以来の無敗の三冠かと期待された最後の一冠こそ、挑んだレースの中で最長ということもあり戴冠することは出来ませんでしが、競走成績のあまり良くない両親から生まれた割にとても強かったんです。能力以上の実力を、厳しいトレーニングという努力で培った競走馬とも言えるでしょう。

 まぁそんなトレーニングで強くなれたのも身体の強さとかの天性のものも無かった訳では無いですが…

 競馬好きの父は、僕にそんな努力家になって欲しいって馬名の一部を貰ったそうです」

「そう…競馬のことはよく知らないのだけど、少し興味が出てきたわ」

「競馬は血統という昔の馬と今の馬を繋ぐロマンがありますからね。最近ではキタサンブラックっていう馬が有名ですね。キタサンブラックはあの有名な演歌歌手が実質的な馬主なんですよ。ゴールドシップっていう馬も面白い馬でしたけど、去年引退してしまいましたし…」

 

みほはオタクあるある早口で近年の競馬について理沙に教えていく。

ちなみにみほは今年の桜花賞に推してたアットザシーサイドが、母父アグネスタキオンで、父がキンカメという血統の子で、先日の桜花賞で6番人気から3着に入着しており、それを興奮気味に語っていた。……まぁまだ2勝しか挙げられてないから収得賞金は低いのだけど。

 

 

「今年から、お年玉から父名義で一口馬主にチャレンジするので、それはそれで楽しみです」

 

ちなみにみほの夢はプロ野球選手になって、生産牧場を買い取ってオーナーブリーダーになることである。

 

 

 

芝の手入れを終えて数分もしないうちに全員が集まる。そして、準備運動をしてからトンボをかける。きちんと深くレーキを刺してかける。

新越谷の内野地域はサラサラした赤土と保水性のある黒土を混ぜてあり、水はけの良さと水持ちの良さを兼ね備えている。

 

散水して、ラインを引く。

 

8時頃になり、対戦チームがお目見えしたらしい。

主将の怜と部長の藤井先生が案内している。

 

 

「柳川大附属川越高校、通称柳大川越。以前は弱小だったけど、去年の夏は1年生エースの朝倉さんを中心に1・2年生主体のメンバーで県ベスト16、秋大会はベスト8!今年イチオシのチームだよ!」

「初心者の相手じゃないわよ」

「試合、よく受けてくれたわね…」

 

柳大川越が守備練習に入っている。

普通の学校にあるような硬いグラウンドではなく、ちゃんと柔らかい土を使っている新越谷の練習場。まるで本当の野球場のようだと柳大川越の人達が口にする。

 

「これは…天然芝っス!?」

「ここの芝は年間を通した整備計画と、毎日の草抜きと水やりというお手入れから成り立っているんだよ」

「みほじゃないスか!」

「まさか柳大川越にいたとは思わなかったよ。昨日中山で会ったばかりなのに」

「偶然っスね!」

 

大島留々はU-15で共に戦ったメンバーで、共に趣味は競馬という中学生女子とは思えぬ趣味で意気投合した友人だ。

 

「てかこの芝ヤバいっスよ!西洋芝っスよね!品種は!?」

「ブルーグラスだよ。夏はバミューダグラスの品種改良型のをオーバーシードする予定、ね」

「洋芝オンリー…つまり、ここは札幌か函館か…ここで夏競馬を満喫したいっス!」

「7月は養生予定だけど、8月はできるよ。テント張ってネット中継見る?」

「いいっスね!」

 

その後、あまりにもみほと話しすぎて先輩に引っ張っていかれた留々だった。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆

 

 

 

「さぁ、お待ちかね!ラインナップを発表するよ!」

「待ってました!」

 

 

1 希(一)背番号3

2 菫(二)背番号4

3 理沙(遊)背番号5

4 怜(中)背番号8

5 みほ(三)背番号10

6 珠姫(捕)背番号2

7 息吹(左)背番号7

8 白菊(右)背番号9

9 詠深(投)背番号1

 

 

「ベンチかよ…」

「ま、あんたらしいわね」

「そこはほら……ええっと、稜ちゃんは秘密兵器なんだよ!」

「なるほどな!秘密兵器なら仕方ないな!」

「……ちょっと心配になるレベルでアホね」

 

まず、今回の練習試合の最大の目的は「試合を経験する」こと。

そういう意味では、最も縁遠かった白菊と息吹はもちろんスタメン確定。

中学生の夏以来、2年近く試合をしていない2年生2人も確定。

弱小校で『勝つ為』の試合経験が薄い詠深も先発起用。

捕手は珠姫しかいないので確定。

内野守備に慣れて欲しいみほも確定。

 

さて、そういう中で最も優先順位の低いのが、希、菫、稜の3人。

この中でもベンチスタートがメンタルに来そうな希は除くとしたら、もう菫か稜かの2人しかいない。そうなると雑な稜よりも、堅実な菫の方がチームのバランスを取るのに向いている…そういう判断が行われた結果であるので、決して秘密兵器とかではない。とはいえ、稜もメンタルが打撃やエラーに出るタイプなので、秘密兵器ってことにしとく。バカと何とかは使い様である。

 

「さて、ヨミちゃんとみほちゃんに限らずだけど、背番号はまだ正式じゃないからね!稜ちゃんや菫ちゃんもうかうかしてたら息吹ちゃんと白菊ちゃんにもレギュラー取られるかもしれないと思って、頑張ってね!」

 

みほはそこまでエースに執着している訳では無いものの、ピッチャーというのは多かれ少なかれプライドに生きる人種。エースに執着している訳では無いみほとて、少なからずプライドは刺激される。

 

じゃんけんの結果、新越谷先攻でゲームがスタートする。

 

 

 

1回の表 新越谷の攻撃

 

1番 希

 

バッティングのみで言えば、恐らく梁幽館や咲桜や美園といった埼玉県の強豪でもトップクラスの高校にいる、いわゆるプロ注選手並と勝るとも劣らないポテンシャルのある希。

 

みほがミホノブルボンだとするならば、希はエピファネイアといったところか。才能という意味ではみほと希は比べ物にならない。

 

それほどまでの隔絶した才能、そして打撃を好む性格もあり、実力は既に高校レベルでも上位に位置する。

 

どれだけ右から放たれた球だろうと、成長しきってない(GIの舞台にはまだ早い)大野のストレートを跳ね返すのは必然であった。

 

いい当たりが外野へ。

 

「なにー!?」

「やった!長打コース!」

 

転がった打球はフェンス際まで飛んだ。

そして、走塁も悪くない希なら…

 

―――三塁(みっつ)行ける!

 

二塁を蹴って三塁へ。完全にセーフのタイミングでスタンドアップスライディング。

 

三塁打(スリーベース)!」

「ないばっち!」

 

 

2番 菫

 

―――スクイズでもやる?

 

恐らく現在最も試合感覚のある菫の打順。小技を得意とする菫の打順。

それが無死三塁でやってきた。

 

ここでどういう手を打つかが指揮官たる芳乃の手腕が問われる。もちろんそこには練習試合という要素も加味して、公式戦を勝てる様に選手の成長を導く必要がある。

 

内野は定位置。1点はくれる様で。

でも…

 

―――施しを受けるつもりはないよ!つまり強行!浅いフライと三振以外お願い

―――了解

 

とはいえ、高校生の球を受けるのは菫も初めて。まず初球は見逃して…

 

「ストライク!」

 

―――クロスファイヤーってやつね。希…よく初球から打ったわね。でも…

 

―――当てられないほどでもないわね

 

甲高い金属音と共に放たれた打球。

その時、突風が吹いた。打球は風に乗って軌道を逸らしてライトは捕球エラー。

タッチアップに構えていた希はもちろん生還し、菫も一塁セーフ。先制の点数と無死一塁に変える。

 

「ナイスラン!」

「希ちゃん、ナイスバッティング」

 

喜色に包まれる新越谷ベンチだが、反対に柳大川越のマウンドの主はいら立ちを隠せていなかった。

 

 

3番 理沙

 

白菊ほどでは無いものの、パワーのある理沙。本来なら走塁が良い訳では無いので5番辺りで起用したいところ。長打力は主将の怜以上と言える。

 

―――たった3球で1点…こんなわけのわからないチームに…!

 

柳大川越は守備のチームだ。今のエラーはそれでもなお起こったエラーであると考えれば致し方ないのだが、そんなのピッチャーからすれば関係はない。そもそも自分が三塁打を打たれているのが悪いのだ。

 

その苛立ちから、コントロールを失った投球は理沙の左尻を直撃。

当たり所が良かった。尻は筋肉も脂肪も厚いので骨は無事だろう。

 

死球で押し出し、無死一二塁。

 

 

4番 怜

 

理沙の受けた死球の分の借りは返すとでも言うかのような気迫に溢れた怜。

そのプレッシャーを受けた大野は、それまで崩れていた精神がさらに揺れ、魂の抜けた甘い球を投げてしまう。それを見逃すような怜ではない。

 

希ほど綺麗には長打にはならなかったものの、快足飛ばして二塁打とする。

 

 

5番 みほ

 

無死二三塁のチャンスで回ってきたみほ。

打撃は投手ほどでは無いものの、得意としている。シニアでは本塁打の打てる打者として、はたまたクラッチヒッターとしても優秀。

この点だけは各スカウトは評価しており、スカウトに来た極一部の強豪校の指導者たちに代打の切り札としての運用がしたいと思わせる程の長打力を誇る。

それも、体格の問題と高校レベルの投球に対応できるかという問題から多くの強豪校は敬遠したのだが。

 

みほの打撃力…いや打撃技術は高校レベルに通用することを証明する一打が放たれた。

 

―――初球打ちで…!?

 

「よし!行った!」

「これがみほちゃんの打撃力…!」

「マジか」

 

みほは球場でもアーチになるような大きな当たりを練習場のフェンスの上の方へぶち当てた。

 

無死で既に5点を先制した新越谷。快進撃はどこまで続くのか。



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