未完の神話 / Beyond the Ruminant (うみやっち)
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01

 

 未完の神話 / Beyond the Ruminant

 

 

 目を醒ますのと同時に、ネプテューヌは得体の知れない違和感に襲われた。

 

「あれ……」

 

 微かな衣擦れの音を鳴らしながら、ベッドから体を起こす。額に張り付いた前髪をかき上げながら窓の外へ近づくと、そこからは朝焼けの光に照らされるプラネテューヌの街並みが見えた。

 ガラスへ手を合わせると、どうしてかいつも以上に、自分の心臓の鼓動が大きく聞こえてくる。焦っているのだろうか、あるいは普段通りの風景に安堵しているのだろうか。正体の掴めない感覚に、ネプテューヌはただ困惑を覚えていた。額に浮かぶ汗は、夏の気温がもたらしたものでは、なかった。

 壁にかけられた時計の針は、午前の七時と十九分を示している。秒針はかちり、かちりと規則的に時を刻み続け、そこで初めて、ネプテューヌはあることに気づいた。

 

「……静かだ」

 

 街の喧噪も、穏やかな朝の風音も、鳥の囀りすらも聞こえてこない。ただ響き渡るのは、秒針が進み続ける音だけ。口から洩れる自らの息遣いが、どこか荒々しく、しかしながら弱弱しいものになっていた。

 静かに早くなっていく鼓動を押さえつけながら、ネプテューヌが部屋の扉を開ける。廊下を歩く自分の足音すらも、普段の何倍も大きく聞こえた。それ以上に、この気味の悪い静けさに、ネプテューヌはどうしようもない焦燥を感じていた。

 視界がぐらりと揺らぐ。先程から平衡感覚がおかしくなっている。これも焦りによるものなのだろうか。もしくは、また別の何かなのだろうか。膝をつくと、見下ろした床に自分の汗がぽたり、ぽたりと落ちていった。

 顔を覆う右手が微かに震える。立ち上がろうとしても、脚に力が入らない。

 あるいは、このまま動けなくなってしまいそうなほどの、体を縛り付ける何かを感じ取った、その時。

 

「ネプテューヌさん……?」

 

 声が、聞こえる。

 見上げたその先には、こちらのことを心配そうな顔で見つめるイストワールの姿があった。

 

「いーすん……」

「よかった、無事だったんですね」

「今のところはね」

 

 へたり、とそのまま床に腰を下ろして、ネプテューヌが安堵の混じった息を吐いた。

 

「どうなってるの?」

「分かりません。私も今朝、起きたらここに」

「……そっか」

 

 既に手の震えは消えていた。ゆっくりと立ち上がると、イストワールが心配そうな顔でこちらを見つめてくる。

 

「みんなは、どこにいったの?」

「消えました。跡形もなく、どこかへ」

「それはプラネテューヌだけ? 他の国は?」

「まだ不明です。先程から連絡はしているのですが、返答はありません」

「そう」

 

 脳内を埋め尽くす疑問が、ネプテューヌの返答を短くした。壁へと手をつくと、その輪郭が一瞬だけノイズが走ったようにブレる。何度か手のひらを閉じたり開いたりすると、再び小さなノイズが走り、指先の輪郭を崩した。

 

「……シェアエネルギーが不安定化していますね」

「みんな、いなくなっちゃったからかな。かろうじて残ったエネルギーは使えるみたいだけど」

「長くは保ちませんよ」

「みたいだね」

 

 力のない笑みを浮かべながら、ネプテューヌがそう答えた。

 

「これから、どうしますか?」

「うーん……まずは……」

「お姉ちゃん! いーすんさん!」

 

 唸り声に重なるように、叫び声とどたどたとした足音が廊下の向こうから聞こえてくる。やがて姿を現したのは、寝癖すらも整えていない、起きしなのネプギアであった。

 ぜえはあと息を切らす彼女に、ネプテューヌとイストワールが視線を向ける。しかしながら、ネプギアはそれすらも気づかないほど焦った様子で口を開いて、

 

「大変だよ二人とも! みんな、いなくなっちゃった!」

 

 わなわなと震えるネプギアに、ネプテューヌはくすりと笑って、

 

「……とりあえず、朝ごはんにしよっか」

 

 

 

 さく、とトーストを齧りながら、ネプテューヌがイストワールへと問いかける。

 

「前々から何か異常はあったの?」

「ここ三ヶ月はありませんね。シェアエネルギーの変動は確認されましたが、誤差の範囲です」

「ネプギアから見て、何か変わったことは?」

「特に、何もなかったかな……いつも通りだったよ」

「そうだよねー」

 

 肘をつきながら、ネプテューヌがコップを傾ける。何の味もしない水は、しかしながら乾ききった喉を充分に潤してくれた。そのままピッチャーへと手を伸ばすと、再び指先へノイズが走る。それに痛みはないし、感覚がなくなることもないが、ただ不安だけはあった。

 

「お姉ちゃん……」

「ネプギアはどう? こんな感じのこと起きてる?」

「……私もさっきから、何度か」

「ってことは、やっぱりシェアエネルギーに異常が出てるみたいだね」

 

 だが、それは副次的な問題だということは、この場の誰もが理解していた。

 トーストの最後のかけらを口に放り込んでから、ネプテューヌが頷く。

 

「それにしても、どうして私たちは残されたんだろう?」

「……考えられるのは、シェアエネルギーを低下させて、私たちの弱体化を図ろうとした、ってところかな」

「第一、こんな規模の事象を引き起こせるなら、それこそ直接私たちの方を狙いそうだけどね」

「シェアエネルギーを生み出すことのできる国民の方が目的、という線はどうでしょう?」

「だとしても、いくらでも方法はある。それこそ、私たちから奪えばいいだろうし」

 

 顎に手を当てながら思考する中で、ネプテューヌが、ふと。

 

「……これも、もしかして副次的な事象だった、っていう線は?」

「ここまで来ると、その可能性は否定できませんね」

 

 息を吐きながら、イストワールが既に疲れた様子で答えた。

 

「とにかく、原因を調べないとには始まらないか」

「どこから行きますか?」

「ノワールたちと連絡を取ってみるよ。まだ、返答はないんでしょ?」

「……残念ながら」

「いーすんはこのままプラネテューヌに残って。ネプギアはこのまま、私と一緒にラステイションに行こう」

「…………」

「……ネプギア?」

 

 そこで初めて、ネプテューヌはネプギアが、自分のずっと向こうを見つめていることに気が付いた。

 

「大丈夫?」

「……お姉ちゃん、何か聞こえない?」

「え? 何か、って……」

 

 ざざん、と。

 波の打ち付ける音が、耳の奥で鳴り響く。

 

「……この音は?」

「たぶん、あれじゃないかな」

 

 ノイズの走るネプギアの指先が、ネプテューヌの背後にある窓を示す。

 恐る恐る振り返った、その向こうに映っていたのは。

 

「え……?」

 

 隆起する大地が波のようになって、こちらへと迫ってくる光景であった。

 

「お姉ちゃん!」

 

 ネプギアの叫び声と同時、ネプテューヌの体をに強い浮遊感が襲う。視界が一瞬で暗闇に包まれて、それが崩れ落ちた瓦礫によって目が潰されたものだと気づいたときには、既に両脚が潰れていた。

 地面に叩きつけられる。痛みはない。体の感覚が全て奪われているからなのだろう。意識だけはかろうじて残っているが、それも長くは保たないと、考えるまでもなく理解できた。

 

「……いったい、何が…………」

 

 上手くその言葉を口にできたのかすらも、分からないまま。

 ネプテューヌの意識が、ぷつりと途切れた。

 

 



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02

 

「…………あ……れ?」

 

 ネプテューヌはベッドの上で目を醒ました。最初に見えたのは見慣れた自室の天井。窓からは朝焼けの光が差し込んできている。

 

「夢……?」

 

 夢にしてはリアルだったが、夢だとしたら納得するところもある。プラネテューヌが静かすぎた事、自分とイストワールとネプギア以外が消えていた事、まるで津波のように隆起した大地に飲み込まれた事……。これら全て夢だとしたら納得がいく。

 ネプテューヌは額の汗を拭うと、深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。しかし、気持ちを落ち着かせたからこそ、気付いたことがある。

 

「……静かすぎる」

 

 時計を見る。午前の七時十九分。部屋に響くのは秒針の音だけ。そう……夢と同じ状況だ。

 

(……また夢?)

 

 ネプテューヌは自分の頬を思いっきり叩いた。痺れるような痛みが、頬と手に伝わる。

 

「違う……」

 

 現実だ。だとしたら、この後起こることは……。

 ネプテューヌは携帯電話を手に取り、電話をかけて耳に当てた。

 

『ん……ネプテューヌ? どうしたのよこんな時間に』

 

 まずノワールにかけた。

 

「ノワール、そっちは……大丈夫?」

『何が?』

「地面がめくれ上がってきて、飲み込まれたりしてない?」

『何、悪夢でも見たの?』

「悪夢で終わりならいいんだけど……夢と同じ状況だから……不安で……」

『同じ状況……って?』

「静かで、人がほとんど消えてて……」

『……待って』

 

 静寂。僅かな時間だが、不安な気持ちが増幅してしまう。

 

『……こっちも……同じね』

「そんな……」

『……明らかに異常ね。ブランとベールの方はどうなの?』

「まだわからない……」

『そう……。じゃあここは私に任せて。二人の状況を調べておくから』

「そんな、私も手伝うよ」

『あなたは……少し心の整理をした方がいいと思う。さっきからずっと泣きそうな声してるし。そんな状態じゃ、何かあった時咄嗟に対応出来ないわよ』

 

 ノワールの言うことも一理ある。精神的に不安定な状態では、判断を誤ることもあるかもしれない。

 

「……わかった。ごめんね」

『いいのよ。少しだけ休みなさい』

「うん……」

 

 電話を切り、ベッドに横になる。体が重く、力が入らない。

 

(この感じ、夢と同じ……。なんでここまで一緒なんだろう)

 

 ぼんやりとした頭で考える。未来予知の能力に目覚めたのか、女神だから鮮明な予知夢を見たのか、それか……

 

(時間が巻き戻った……? いや、まさかね。流石にありえないよね)

 

 大きく溜息をつき、なんとなく自分の手を眺めた。一瞬、ノイズが走ったように見えた。これも、夢で見た現象だ。

 

(シェアエネルギーが不安定化してるって、言ってたっけ。)

 

 なるべく見ないようにするために、手を視界から外した。更に不安になるような要素を増やしては、精神的にもたない。

 しばらくして、ネプテューヌの携帯電話が鳴った。ノワールからだ。

 

「……ノワール?」

『えぇ。そっちは……無事?』

 

 明らかにさっきより元気がない。ノワールも同じ状況なら、自分と同じく、シェアエネルギーが不安定化してることにより、体調を崩しているのだろう。

 

「なんとかね」

『そう。ルウィーとリーンボックスも同じ状況みたい。本当に、何が起こっているのよ……』

「わからない。でも、何とかしなくちゃ」

『わかってる。でもこの調子じゃまともに動けないわ。体は重いしなんかブレるし、幻聴も聞こえるし』

「……幻聴?」

 

 自分にはない症状だ。

 

『そう。さっきから波みたいな音が聞こえてるのよ。ここから海まではかなり距離があるのに』

「……っ! ノワール、逃げて!!」

『え?』

「早く!!」

『わ、わかったから』

 

 波の音、それは夢の中でネプテューヌが最期を迎える前に聞いた音。それが聞こえたという事はノワールの死が近いということ。

 

『ちょ、何よあれ!』

「え、何……」

『街が……いや、大地が……めくれ上がってる!?』

「ノワール!! 早く!!」

『早くって……』

 

 直後、轟音が耳を劈き、そして電話が切れた。

 

「そんな……」

 

 ネプテューヌは重い体を無理矢理動かし、部屋を出ながらブランに電話をかけた。

 

『なんだよ、こんな時に……』

 

 聞こえてきたのはホワイトハートの声だった。

 

「ブラン……? なんで女神化してるの?」

『なんでって、アレを止めるために決まってんだろ』

「……! 無理だよ!」

『やってみなきゃわかんねーだろ。今この姿でいるのも精一杯だが……私は、私の国を守る……。それが守護女神としての、義務だ!』

 

 無理だ、とは言ったが、ほんの少しだけブランに期待していた。もし女神化してアレを止められるなら、まだ希望はあると……そう思えたからだ。電話の向こうからは風を切る音が聞こえた。その後、微かに鈍い音が聞こえた。ネプテューヌは祈った。ブランがあの大地の波を止め、再び電話を手に取り「守ってみせた」とネプテューヌに報告してくれる事を……。

 しかし、その未来は訪れなかった。ノワールの時と同様に轟音が鳴り響いた後、電話は切れた。

 

「…………」

「お姉ちゃん!」

 

 廊下の向こう側からネプギアが走ってくる。

 

「お姉ちゃん、大丈……夫?」

「ネプギア……」

 

 ネプテューヌは持っていた携帯電話をトン、と優しくネプギアの胸に押付けた。

 

「お姉ちゃん?」

「ベールが無事か……確かめてくれないかな……」

 

 ネプテューヌは俯いたままだった。その顔から一粒の雫が落ちる。汗なのか涙なのか、ネプギアにはわからなかった。しかし、今ネプテューヌが精神的に相当やられていることは、わかる。

 

「……わかった。任せて」

 

 ネプギアはネプテューヌの携帯電話を手に取り、ベール宛に発信をした。女神の力でも止められないという現実、既に二人の親友を失ったショックで、ネプテューヌは精神的にかなりのダメージを受けていた。

 でも、諦めた訳では無い。いや、諦めてはいけない気がした。自分が守ってきたこの国を、世界を崩壊させてはいけない。一旦心を落ち着かせるために、ネプギアに見えないように涙を拭い、窓から空を見上げた。なんてことは無い、普通の空。

 

「……ん?」

 

 見上げた先に、こちらを見下ろす影があった。逆光で細かいところまではわからなかったが、人のような影で、そしてどこかで見たことがあるような影……。

 目を凝らしてよく見てみたが、いつの間にか影は消えてしまっていた。

 

「今のって……」

「お姉ちゃん、ベールさんのとこ繋がらな……。お姉ちゃん!!」

 

 ネプギアに腕を引っ張られる。後ろに倒れそうになりながら見えた光景は空を埋め尽くすプラネテューヌの街並み。

 

「あ……」

 

 直後、倒れてきた壁や落ちてきた瓦礫によって、二人は押し潰された。まだこの現象の謎も解けてない。何故夢と同じ事が起こったのかも分からない。この事態で、女神として何も出来てない……。未練を残したまま、ネプテューヌの意識は途切れた。

 



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03

 

 目が醒めた。

 

「はぁっ……はあっ、はあっ……」

 

 自身の喘鳴が、鼓動が、やけにうるさく感じられる。それは、世界が静寂に包まれているからであった。

 ネプテューヌは、祈るような思いで自分の手のひらを目の前に掲げる。しばらく待つと、ノイズが走ったかのように輪郭がブレた。背中が汗でじっとりと濡れる感覚がする。

 アレが夢でも幻でもない事は、最早明らかだった。理由は分からないが、戻ってきている。世界が崩壊する、その直前に。

 今でも耳の奥で生々しく響く轟音が、目の裏に焼き付いた崩落が、夢幻の類だとはとても思えなかった。予知の類でもないだろう。あれは、確かに現実だったのだ。

 時計を見る。こんな時でも律儀に時を刻むその針は、七時と十九分を指している。まだ、崩壊までには時間があるはずだ。

 他の女神に連絡を取ろうかと考えて、すぐにやめた。それでは、先程と同じ末路を辿るだけだ。もう、二度も自分の体が潰れる感覚を経験した。三度目は無い方がいいに決まっている。

 ネプテューヌは起き上がると、軽く跳ねて体の調子を確認した。頭はふらつくし、体は怠い。本来国中から供給されるはずのシェアが失われているためだろう。しかし、全く動けない程ではなかった。短時間であれば、女神化もできるはずだ。

 武器を取り出し、振ってみる。いつもより重く感じられる以外、特に異常はない。

 

「これなら——」

「お姉ちゃん!」

 

 呟き掛けたところに被せるようにして、叫び声が聞こえた。直後、部屋の扉が開く。

 視線を向ける。いかにも寝起きですといった様相のネプギアが、焦り顔を携えて立っていた。

 

「大変だよ! みんな、いなくなっちゃった!」

 

 その言葉に既視感を覚え、ネプテューヌは首を傾げる。そうだ、同じなのだ。一度目、自分とイストワールに向けてネプギアが放った言葉と。

 もしや、とネプテューヌは目を見開く。

 

「ネプギアは、覚えて、ないの?」

「覚えてって……何、を?」

 

 それが、明確な答えであった。

 思い出す。電話越しのノワールもまた、あの大地の波を知らない様子であった。一度経験したのなら、忘れられる物ではないだろうに。

 それは、つまり。

 

「私だけ……なの?」

 

 覚えているのは、ネプテューヌだけ。

 どうやら、そういう事らしい。

 

「お姉ちゃん? 何が起きたか、知ってるの?」

「ううん。分かんない。でも、これから何が起きるかは知ってるよ」

 

 ネプテューヌは、手にした剣をぎゅっと握り締めた。

 

「私は、この国を守らないと。だから、行かなくちゃ」

「なら、私も行くよ!」

 

 まだ事態を飲み込めてもいないだろうに、健気にもそう言い放ったネプギアを、ネプテューヌはそっと押し留める。

 

「ううん。ネプギアは、いーすんの事を守ってあげて」

「でも……」

「大丈夫。私は、守護女神なんだから」

 

 ブランの言葉を思い出す。『私は、私の国を守る……。それが守護女神としての、義務だ』。確か、そう言っていた。

 国に災厄が齎されるのであれば、それを消し去る事こそ守護女神としての義務である。ネプテューヌもまた、ブランと同じなのだ。国が崩壊するのであれば、そうならないように戦わねばならない。

 国民が消え去っても、国は残っている。イストワールとネプギアもいる。だから。

 

「行ってくるね」

 

 言葉を残し、ネプテューヌは僅かに残るシェアをその身に纏う。薄紫をした輝きが、ネプテューヌを包み込んだ。光が晴れた時、そこには機械的な双翼を広げたパープルハートの姿がある。

 窓を開け、飛び出した。今のところ、崩壊の予兆は見えない。まだ、波の音も聞こえない。

 ……そろそろ、ラステイションが崩壊した頃だろうか。そんな事を考えてから、ネプテューヌは大きく首を振る。今、他の国の心配をする余裕はない。考えるべきは、プラネテューヌの事。それだけだ。

 どうして、自分だけなのだろうか。残された猶予の中、ネプテューヌの思考は数多ある謎の内の一つへと巡らされる。

 ネプギアもノワールも、覚えてはいなかった。確認していないが、イストワールもそうだろう。覚えているのであれば、真っ先にネプテューヌの部屋を訪れていたであろうから。

 女神だから、という線は否定されている。プラネテューヌという場所も関係ないだろう。他に、ネプテューヌにしか無い要素は——

 ざざ、と。

 波の音が聞こえた。

 

「……来たわね」

 

 思考を打ち止め、ネプテューヌは太刀を構える。程なくして、隆起する大地がプラネテューヌの町目掛けて迫ってきているのが見えた。考えるのは、アレを止めてからでいい。

 太刀に力を——シェアを込め、ネプテューヌは前方へと飛翔する。凄まじい速度で、大地の波が襲い掛かってくる。

 

「はあッ!」

 

 ネプテューヌは、渾身の薙ぎを払った。

 それはもちろん、ただの薙ぎではない。残された僅かな、しかし確かなシェアを刀身に込めたその一撃は、並の土石流であれば容易に弾き返す事のできる程の威力を孕んでいる。

 大地の波に、太刀が触れ。

 

「……なっ⁉︎」

 

 まるで飴菓子か何かのように、容易く歪んで砕け散るのを見た。戦艦さえ斬り裂く事のできる、守護女神の太刀が。

 驚愕も、恐怖も、ほんの僅かな間。

 すぐに、視界が暗闇に包まれた。浮遊感。瓦礫が降り注いで来る音に紛れて、自分の骨が砕け散る音を聞いた。

 そうして、ネプテューヌの意識は途切れた。

 

 †

 

 目が、醒めた。

 

「……何で」

 

 見慣れた自室の天井がある。窓から朝日が差し込んできている。

 

「……何で……どうして、なの?」

 

 世界に音はない。時折、自身の輪郭がノイズのように崩れる。しばらく待てば、ネプギアが部屋を訪れる事であろう。その後、ネプテューヌはまた死ぬのだ。

 あと、何回死ねばいい?

 もしかすると、永遠に?

 対策方法も分からぬ絶対的な破壊の顕現に対し、また轢き潰されろというのだろうか。凍えるような感覚が、胸の奥から湧き上がってきた。それは、底知れぬ恐怖心であった。

 アレは、どうしようもない。こと守りにおいては比肩する者のいないブランもダメだった。他二人がどうにかできる事もないだろう。

 

「……嫌だよ」

 

 ガクガクと足が震えているのは、体の不調のためか。或いは、恐怖のためか。

 逃げ出したい。しかし、どこへ行けばいいというのだろうか。ラステイションも、ルウィーも、リーンボックスも、あの大波に呑まれてしまうというのに。

 

「……あ」

 

 ふと、思い出した事があった。前に、ネプギアと一緒にイストワールの取扱説明書を見つけた時の話だ。やけに分厚いその冊子には、ネプテューヌも知らないイストワールの様々な機能が掲載されていた。

 その内の一つに、他次元を繋げる能力というものがあった。あの時は便利な機能もあったものだと思ったくらいだったけれど、今のネプテューヌにとっては一縷の希望となっていた。

 他の次元であれば、あの大波も襲ってはこないだろう。

 自分だけ逃げる事になる。しかし、今のネプテューヌから守護女神らしい矜恃は消え失せていた。あの大波に呑まれ、ズタズタに押し潰されてしまったのだ。

 代わりに心を占めるのは、冷たく固い恐怖心だけ。

 

「いーすん!」

 

 どたどたと廊下を抜けると、驚いた顔をしたイストワールの元へ駆け寄った。

 

「ど、どうされたんですか?」

「いーすん、他の次元へのゲートを作れるんでしょ? お願い、作って!」

 

 懇願すると、困惑の表情を浮かべていたイストワールが頷いた。瞳の奥には、ネプテューヌに対する信頼が浮かんでいる。

 ちくり、と心が痛む。

 

「時間が無いようですね。分かりました、理由は聞きません。……しかし、ゲートを開くにはシェアが……」

「私のを、使って下さい」

 

 後ろから、声がした。

 振り返る。そこには、決意に満ちた顔をしたネプギアの姿があった。

 

「しかし……そうすると、ネプギアさんは動けなくなりますよ」

「いいんです。お姉ちゃんを送り出せるなら、それで」

「……分かりました。ネプギアさんの中にあるシェアを使えば、どこでも好きなところへ送り出せます。座標はどうしますか?」

 

 後ろ髪を引かれるような思いに苛まれながら、ネプテューヌは「一番近いところ」と答えた。近ければネプギアの消耗も減るのではないかと、そんな淡い期待があった。

 すぐに、その期待は自身への嘲笑へ変わる。自分は今から、この二人を見捨てて逃げるのだ。今更身を案じたところで、それが何になるだろう?

 

「では、転送を開始します」

 

 イストワールの声と共に、ネプテューヌの視界がホワイトアウトした。

 



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04

 

 白く塗り潰された視界に、色彩が戻ってくる。

 

「あぁ……」

 

 地面に両脚で立つ実感が沸いてきたのは、そう呟いた直後だった。

 時間軸の異なる次元に渡った際の、身体の擦り合わせ。内臓がぐわり、と浮かび上がる感覚が襲ってきたかと思うと、すぐに何事もなかったかのように元に戻る。久しぶりのそれに、思わずネプテューヌが足を眩ませる。顔を片手で覆うと、その指先からは朝焼けに染まる空が見えた。

 立っているそこは見慣れた、しかし普段のそれとは違うプラネテューヌの展望であった。それに気づいたとき、ネプテューヌは無意識に深く、安らかに息を吐いていた。外に取り付けられた階段を下りていく脚は、とても静かでなものだった。こんなにゆったりと歩いたのは、久しぶりのことだった。

 プラネタワーの内部へと続く扉を開けて、居住スペースへと続く道を進んでいく。途中、何度か道を間違えてしまったが、それはここがあの津波が襲ってこない世界であるということを、ネプテューヌに実感させてくれた。

 そうしてネプテューヌがたどり着いたのは、薄暗い廊下の先にある扉の前だった。隙間からは蛍光灯の淡い光が漏れていて、それは既にこの先に誰かがいるということを示していた。一度、ネプテューヌは扉を叩こうとして腕を上げたが、それもおかしなことだと思い立って止めた。今の自分の不安そうな様子を見られたくないし、何よりあの繰り返す死の現実から逃れ、いつも通りに過ごしたかった。

 ドアノブを弱く握り、静かに息を吸う。早くなる鼓動を落ち着かせて、ネプテューヌは勢いよく扉を開けた。

 

「……ねぷちゃん?」

 

 果たして、その先に立っていたのは時計をじっと見つめているプルルートだった。よほど集中して見つめていたのか、最初ネプテューヌが部屋へ入ってきても、すぐには気づいていなかった。そうして向けられた彼女の視線には、珍しく焦燥の色と、若干の驚きが入り混じっている。何と言葉をかけようか、と迷っていると、プルルートは普段の様子が嘘のようにすたすたと早い足取りでこちらへ寄ってきたかと思うと、ネプテューヌの肩を強くつかみ、その目をじっとのぞき込んだ。

 突然の行動に驚いたネプテューヌが、しかしいつも通りの様子を取り繕いながら、声を絞り出す。

 

「おはよ、プルルート……どうしたの、そんなに急いで……」

「ねぷちゃん、どうしてここにいるの?」

 

 告げられたその言葉に、ネプテューヌは一度、口を噤んだ。

 

「……理由もなしに来ちゃダメなの?」

「悪い意味じゃないよ。あたしはただ、ねぷちゃんがここにいるのが、不思議なだけ」

 

 鬼灯の色をした瞳が、じっとこちらを覗く。

 しばらく続いた沈黙に、ネプテューヌはばつの悪そうに視線を逸らしながら、ぽつぽつと語り始めた。

 

「向こうでちょっと、イヤなことがあったからこっちに来たんだ」

「イヤなことって?」

「それは……難しいよ。簡単に言えることじゃ、ない。説明が、っていうのもあるし……何より、言いたくない。ぷるるんだって、そういうときはあるでしょ? だから……」

「……だから、ここへ逃げてきた、ってこと?」

 

 プルルートの言葉が、重く伸し掛かる。逃げる場所を間違えたな、とネプテューヌは思った。しかしながら、もう逃げることは許されなかった。肩へ乗せられたプルルートの小さな手のひらは、今までのどれよりも重たかった。

 会話はそこで止まった。薄暗い表情を浮かべて黙り込むネプテューヌを見て、プルルートが肩から手を離す。しかし、ネプテューヌはそこから一歩も動けなかった。自らの次元から逃げ出したその事実が足に絡みついて、動くことを許さなかった。

 そうして俯いたままの彼女を眺めながら、プルルートが、ふと。

 

「ねぷちゃん、()()()?」

 

 問いかけたその言葉に、ネプテューヌが顔を上げる。

 

「何回目、って?」

「聴かなくても、ねぷちゃんなら分かるでしょ?」

「……まさか」

「うん」

 

 頷く彼女に、ネプテューヌはしばらくの沈黙をもってから、小さく答えた。

 

「私は、三回……」

「そうなんだ」

「……ぷるるんは?」

「わたしは、これで二十七回目だよ」

 

 ぞわり、と肺が干上がるような感覚がネプテューヌを襲う。それはこの次元でもあの津波による崩壊の循環が存在しているというのもあるし、それ以上に、プルルートが二十回以上もあの経験を繰り返していることが、ネプテューヌには信じられなかった。そしてネプテューヌは、自分がとてもちっぽけで、情けない存在だと悟った。

 じっとこちらを覗くプルルートの瞳と、目を合わせることができなかった。苦し紛れに逸らした視線の先には、七時と十九分を示している時計があった。かちり、かちりと刻まれていく秒針が、ネプテューヌの脳に灼きついていた。

 

「……ここも、ダメなの?」

 

 絞り出したのは、そんな独りよがりの言葉で。

 

「ごめんね」

 

 申し訳なさそうな、情けない笑みを浮かべながら、プルルートはそう答えた。

 

「でもね、あたしは嬉しかったよ。ねぷちゃんがここに来てくれて」

「……どういうこと?」

「あたしと同じなんだ、ってこともあるけど……それよりも、あたしを頼ってくれたってことだもん」

「それは……違う。違うんだよ。私はただ、あそこから逃げてきただけで……」

「だとしても、だよ」

 

 座り込むネプテューヌの頬へ、プルルートが手を添える。

 潮騒の音が、聞こえてきた。

 

「わかるよね。怖いし、何度も死んじゃうのは辛いし。でも、きっと次は大丈夫」

「……どうして?」

「だって、ねぷちゃんとあたしは一緒だから」

 

 窓の外から押し寄せる瓦礫の津波が、朝焼けの光を遮る。

 

「待ってるね、ねぷちゃん――」

 

 そして、ネプテューヌの視界が再び、黒く染まった。

 



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05

 

 目を醒ました後、ネプテューヌは迷わずイストワールの元へ向かった。逃げるためではなく、プルルートの元へ向かうために。イストワールには、一番近い次元へ飛びたいことを伝えた。これで神次元へ繋がるはずだ。

 

「しかし、急に別の次元へ飛びたいだなんて……何かあったのですか?」

「それは……ごめん、言えない」

 

 イストワール達を不安にさせたくなかった。ネプテューヌの声の調子や表情から察したのか、イストワールも追求はしなかった。

 

「わかりました……。深くは聞かないでおきます。ですが、ゲートを繋ぐにはシェアが足りない状態で……」

「なら、私のを使ってください」

「ネプギアさん……!」

 

 入り口の方からネプギアの声が聞こえた。ネプギアのシェアを使ってゲートを開くのは、やはり心が痛む。しかし、逃げた先で見つけた小さな希望を捨てたくはなかった。プルルートと二人なら良い解決策が浮かぶかもしれない、神次元なら超次元とは違う情報が得られるかもしれない……今はその希望に賭けるしかない。

 

「準備が整いました。これより転送を開始します」

(ごめんね……すぐに解決策を見つけてくるから)

 

 二人の力を借りて、ネプテューヌは再び神次元へ向かった。

 

 

 神次元に渡ると、まっすぐプルルートの部屋へ向かった。

 

「ぷるるん……!」

「ねぷちゃん、まってたよ」

 

 プルルートは変わらず時計を眺めていた。しかし、今回はすぐにネプテューヌの存在に気付いた。プルルートも、ネプテューヌが来ることを期待していたのだろう。

 

「お待たせ。早速で悪いけど、時間も無いし、解決策を話し合おう」

「そうだね。でも、どうすれば止められるかな……」

「女神の力を使っても止まらなかったからね……」

「やっぱり、ネプちゃんも試したの?」

「うん……。全然ダメだった……」

「うーん……どうすればいいんだろう……」

 

 頭をフルに使って考えたが、良い案は浮かばない。そもそも、女神の力で止められないなら、他に止める手段があるのか……そんな不安が頭をよぎる。沈黙の中、プルルートが「あっ」と呟いた。

 

「そうだ。いーすんに調べてもらおうよ。きっといい情報がみつかるかも」

「……それだ! そうしよう!」

 

 猶予は少ない。二人は部屋を飛び出し、イストワールの元へ向かった。

 

 

「……なるほど。事情はわかりました。確かに異常事態ですね」

「なにか、いい情報ないかなぁ?」

「流石にみっかかけてる余裕は無いみたいですし……今すぐに見つけられる情報の中から有力なものを伝えていきますね」

「ありがとう〜」

 

 イストワールが検索を開始する。二人は黙ってその様子を眺めた。良い情報、解決策が見つかることを祈りながら……。

 

「……これは!」

「何かわかったの!?」

「並行世界が消えていっています! おそらくこれがお二人の言う大地の津波と大きく関係があると思います」

「どういうこと……? 原因は!?」

「そこまではわかりません……。ですが、何者かによって引き起こされた現象、という事はわかりますね。普通こういう事は自然に発生しませんから」

「……何か、止める手立てはないの!?」

「それに関しても……すみません、まだ出てきません……」

「そんな……」

「どうしよう……」

 

 ようやく掴めた新しい情報。しかし対策を練れないのでは意味が無い。

 

「……もしかして、もう手遅れ?」

「え?」

 

 薄々ネプテューヌも思っていた。本当はもう手遅れで、ただ死を繰り返すしかないのではないかと。だが、ただ黙って終わりを待つくらいなら少しでも足掻いてみたかった。

 

「あたしたちじゃ……とめられない?」

「……そんなこと…………」

「そういう訳でもなさそうですよ」

「本当!?」

「もし、この現象が起こる前……つまり、何らかの形で過去に戻って元凶を叩くことが出来れば、この状況を打破できるかもしれません」

「過去に戻る? できるの?」

「出来ないことはないと思いますが、手段や用意するものを探し出すにはもっと多くの時間を要します」

 

 探してもらいたいが、確実に時間が足りない。さっきから微かに聞こえていた波の音が、徐々に大きくなってくる。残り時間は僅かなようだ。

 

「すみません、これ以上私から提供できる情報はありません」

「そっか……ありがとういーすん」

「ねぷちゃん、どうする?」

「……充分かな」

「もういいの?」

「うん。結構重要な情報出たからね。次は……私の次元のいーすんに過去に戻る手段を探してもらうよ。見つかったら、必ず迎えに来るから」

「わかった。待ってるよ、ねぷちゃん」

「期待してて、ぷるるん」

 

 今回の行動は無駄じゃなかった。解決への第一歩を踏み出せた、そう確信できた。

 やがて、波は三人の居る部屋を襲った。そしてネプテューヌの視界は闇に閉ざされ、意識は途切れた。

 



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06

 

 目が醒める。かち、かちと時計の針が音を立てている。

 のんびりしている時間はない。ネプテューヌは布団を撥ね上げながら跳び起きると、大急ぎでイストワールの元に向かった。過去は戻る方法を聞き、プルルートに伝えなければいけない。

 期待が淡く胸の内にある。性能差の話だ。神次元のイストワールに比べ、超次元の彼女はいくらかスペックが高い。何らかの解決策を見つけてくれる可能性はあるはずだ。

 

「いーすん!」

「ね、ネプテューヌさん?」

 

 普段のネプテューヌからは見られない真剣な表情を見て、イストワールが怯んだように目を見開く。

 

「ごめん、いーすん。色々説明してる時間はないから、本題だけ訊くよ。どうにかして、過去に戻る方法ってない?」

「……それは、今この状況を解決するために必要な事柄ですか?」

「うん」

 

 プラネテューヌから国民がいなくなっている、という異常事態にはイストワールも気付いている。彼女の察しの良さに感謝しながら、ネプテューヌは頷いた。

 

「三十秒程待って下さい。検索します」

 

 そう言うと、イストワールは口を噤んで目を閉じた。壁に据えられた時計の秒針が鳴り響く音が、やけに大きく感じられる。

 永遠にも思える三十秒の後、イストワールが目を開く。身構えるネプテューヌ。

 

「結論から言うと、過去に戻る事はできません」

 

 足の力が抜ける感覚。その場に崩れ落ちそうになるのを堪えながら、ネプテューヌは目の前が暗くなるような錯覚に襲われた。

 結局、このまま死に続けるしかないのだろうか。このまま国の終焉を見届ける事しかできないのだろうか。何度も、何度も、何度も……

 

「ですが」

 

 しかし、イストワールの言葉は終わっていなかった。

 

「この世界の過去にあたる次元に転送する事であれば、可能です」

「……何が違うの?」

「神次元の様子がどこか一昔前の超次元に似ているように、無数の次元の中にはこの次元の過去にあたる次元もあります。シェアさえあれば、そちらに転送することができます」

 

 とん、と足音がした。振り返る。

 

「だったら、シェアは私の物を使って下さい」

「……ネプギア」

 

 そこには、決意に満ちた瞳のネプギアがいる。

 二人からの信頼に心から感謝しながら、ネプテューヌは先に神次元へと転送してくれるように頼んだ。プルルートの事も、一緒に連れて行かなければいけない。

 イストワールは了承した。

 

「でしたら、過去にあたる次元の座標をお伝えしておきます。そちらの私には、この次元座標に転送するよう言って下さい」

「うん、分かった。ありがとう、いーすん」

「では、転送を開始します」

 

 その言葉とともに、ネプテューヌの視界がホワイトアウトする。

 

 

「ぷるるん!」

「ねぷちゃん〜! ……どうだった?」

「えっとね……」

 

 ネプテューヌは超次元のイストワールから聞いた事を、なるべくかいつまんでプルルートに話した。

 プルルートに、普段の眠そうな表情は欠片もない。お互い真剣なままに話を終えると、プルルートはすくりと立ち上がった。

 

「いーすんに、その……えっと、過去にあたる次元、だっけ〜? そこに転送してもらうようにお願いしなきゃ」

「うん。……あ、でも」

「でも?」

「シェア、足りるかな……」

 

 異なる次元を繋ぐためには、少なからずシェアがいる。超次元と同様の異常が巻き起こされた神次元に、そのためのシェアが残っているかは怪しいところだ。

 

「多分、大丈夫だと思うよ〜?」

「何で?」

「ねぷちゃんの次元で、ぎあちゃんがシェアを分けてくれたんでしょ? いーすんは頭いいし、残りのシェアをこっちに転送してくれたりしてるんじゃないかなぁ」

「あ、確かに」

 

 イストワールなら、そのくらいの機転は利かせてくれているだろう。

 扉を開ける。こちらを見とめたイストワールは、二人の慌てた様子に驚いたのかぱちくりと目を瞬かせた。

 

「ど、どうされましたか?」

「ごめん、細かい事を話してる時間はないんだ。いーすん、今なら言う座標の次元に転送してくれることって、できる?」

「でしたら、今ちょうどネプテューヌさんの次元から多量のシェアが転送されてきたところです。何のためかと思いましたが、これを使えば可能ですよ」

「おお〜、さすがおっきいーすんだねぇ」

 

 プルルートの予想通りにイストワールが行動してくれていた事に、ネプテューヌはほっと胸を撫で下ろす。

 

「じゃあ、座標を言うよ? えっと……」

 

 ネプテューヌが超次元のイストワールに教えられた数字の羅列を言い終えると、小さなイストワールはしっかりと頷いた。

 

「はい、確かにその座標にある次元を特定できました。転送するのはネプテューヌさん、プルルートさん、お二人でいいんですね?」

「うん。できる〜?」

「はい、可能です。では、転送を開始します」

 

 視界がホワイトアウトする寸前、ネプテューヌはプルルートの手をしっかりと握った。床の感触がなくなる。浮遊感が体を支配する。それでも、繋いだ手の温もりが消える事はない。

 一人ではない事に心から安堵している間にも、再び地面の感触が足裏に戻ってきた。浮遊感が一瞬強まり、ふっと消える。そろり、と目を開く。

 プラネテューヌの町並みが広がっていた。見知らぬ店や家々はあるし、今立っている通りがどこかも分からない。それでも、確かにプラネテューヌの町だった。

 

「ここが、過去にあたる次元……」

 

 辺りを見渡す。どこか薄寒い空気に、小さく体が震えた。

 

「うわぁぁぁっ!」

 

 誰かの悲鳴が聞こえた。

 ネプテューヌの脳裏に、大気が隆起するあの光景が思い浮かぶ。

 

「まさか、ここもダメなの〜……?」

 

 プルルートも同じ考えに至ったらしく、不安そうにそう呟く。ネプテューヌは、繋いだ手をしっかりと握り締めた。

 

「大丈夫、波の音は聞こえないじゃん。声がするって事は、誰かがいるって事でしょ? 行ってみようよ」

 

 無理やりに明るい声を出すと、プルルートの目元が緩んだ。こくり、と頷く。

 

「うん、ねぷちゃん」

 

 手を離し、歩き出す。

 途端、何かが砕け散るような轟音が聞こえた。それに紛れて、再び悲鳴が響き渡る。

 強い不安感に苛まれながらも、何度も聞こえる声と破壊音に導かれ、ネプテューヌとプルルートは声の元へ辿り着いた。

 砕けたアスファルトと折れた電柱の間に、赤い髪を靡かせる誰かが立っている。手にはメガホンを握っており、頬や腕の節々からは血が溢れている。それでも拳をぐっと握り締め、鋭い目つきで前を向いていた。

 

「……あなたは?」

 

 プルルートの声に気付き、彼女はくるりとこちらを向いた。たらり、と口の端から血が溢れるのを荒っぽく袖で拭う。

 訝しげにネプテューヌとプルルートの事を見つめながらも、彼女は口を開いて答えた。

 

「俺は、天王星うずめ。プラネテューヌの守護女神だ」

 



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