雪あかりの夜想曲 (惣名阿万)
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雪あかりの夜想曲

 

 

 

 国境の橋を渡り、一面の銀世界へ踏み込んでから五日。食料とテントを背負って雪を踏みしめ、黙々と歩みを進めてきた。

 長らく人の立ち入っていない雪原に道標などあるはずもなく、男はコンパスと地図と朧げな記憶を頼りに歩を進め、ようやく目的の場所へたどり着いた。

 

 山間の窪地に残された、廃墟となった村の跡。

 新雪を背負った家屋はどれも打ち捨てられて久しく、吹き抜ける風に外れかけの看板が細く鳴く。壁が崩れ、屋根に開いた穴が年月の経過を思わせる。

 

 20年前、この村は隣国の侵攻に際して放棄された。住民は手に持てるだけの荷と共に村を離れ、隣国も一年の大半を雪と氷に包まれるような村に興味などなく、以来この村を訪れる者は誰一人としていなかった。

 

 丘を下り、村の正面へと回った男はかつての目抜き通りをゆっくりと歩く。

 幼少の頃から過ごした故郷の荒廃を目に映しながら、けれど男の胸に去来するのは彩りに満ちた想い出だった。

 

 

 

 

 

 

 幼い頃は村中を駆けまわっていた。

 幼馴染や友人と遊び回り、家の手伝いをして、牧師の下で共に学んだ。

変わらぬ毎日がいつまでも続くと当たり前に考えていた。

 

 成人してからは飽きることなく国の未来を語り合った。

 村で唯一のパブに連日詰めかけ、友人たちや看板娘となった幼馴染と輝かしい将来を高らかに謳っていた。

 幼馴染へしつこく言い寄る輩を殴って抜け出したこともあった。夢中で手を引いて走り、村はずれの丘の上で震える彼女を抱きしめた。

 

 男と幼馴染が恋仲になるのに、そう時間は掛からなかった。

 二人で街へ出掛けたことがあった。酔った勢いのままに抱きしめたことがあった。教会の庭先でダンスを踊ったことがあった。

 

 村と街が精々の狭い世界の中で、けれど精一杯に愛を育んでいた。

 

 兵役で男が村を出ることになった時、彼女は一言「待っている」と告げた。

 すぐに帰ってくるからと、そう言って彼女を慰めた。男はそれを忘れてはいなかったが、約束を果たすまでにこうして20年も掛かってしまった。

 

 隣国の侵攻の後、幼馴染の消息は終にわからなかった。

 仕事の合間を縫って生存者を辿っても、彼女の行方は(よう)として知れなかった。

 

 

 

 

 

 

 男が風除けの場所に選んだのは、かつて男の家族が暮らした家だった。

 崩れた屋根で半分が瓦礫に埋まってはいたものの、雪と風を凌ぐことはできる。朽ちかけた木の板に楔を打ってテントを立て、瓦礫の山から木片を引き抜いては薪の代わりにしていった。

 

 陽が落ちて夜が更けると、辺りは一層の静寂に包まれた。

 食事を終え、ぼんやりと焚火を見つめていた男はふと釣られるように外へ目を向ける。

 

 地平線から淡く照らす月の下、濃紺の中に群青が浮かんでいた。

 日中は白銀に輝く雪が、薄闇の中で青く照らされるのを見るのは久しぶりのことだった。

 

 かつて見た景色が呼び水となり、男の脳裏に記憶が蘇る。

 従軍する前年の祭事――。その時に見た彼女の笑顔が思い起こされた。

 

 ハッとして立ち上がり、男は荷物を漁り始める。

 鞄から予備のマッチを取り出した男は、転がり出るように駆けだした。

 

 幸いなことに、廃墟となった村にも必要な物は揃っていた。パブからウォッカを、教会からシーツを、家々から木片を拾い上げては一心不乱に仕掛けを施していく。

 

 やがて村を巡り準備を整えた男は、村はずれの丘へと登った。

 斜面の上で振り返り、そこに広がっていた景色に息を呑む。

 

 

 

 暗く沈んだ故郷(ふるさと)に、光の道ができていた。

 

 

 

 かつて彼女と共にあの場所を歩き、かけがえのない時間を過ごした。

 当時の温かな気持ちが湧き出でて、凍った男の胸をゆっくりと溶かしていく。

 丘の上から眼下を眺めていた男は、ふと《道》の先に目を向け、大きく見開いた。

 

 淡く照らされた紺碧の雪原に続く、どこまでも広がる(そら)

 広大な宙の一点を見つめた男は「遅くなってごめん」と呟き、小さく笑みを浮かべる。

 

 透きとおった夜空の下、雪あかりは柔く男の帰郷を照らし続けていた。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 尚、本作のイメージ曲は『Chopin ~ Nocturne No.2』です。

 また『雪あかり』のイメージ補完として小樽市の『雪あかりの路』を参考とさせて頂きました。
 
 


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