頭文字b -貧乏学生の走り屋生活- (ケンゴ)
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第1話

頭文字Dを読み返していたら、何となく書きたくなったので投稿。
原作コミック、TVアニメシリーズ、新劇場版の3つをベースにごちゃ混ぜしているつもり。
とりあえず飽きるまではボチボチやってくつもりです。

D.C.S.D.……?
Distance of Speed……?

知らん子だなぁ()


「高いなぁ……好きな色だけどS13は高すぎるぜぇ……」

 

 夏の日差しが降り注ぐ群馬県。

 県内のとある高校の屋上で、中古車雑誌を見つめながら呟く男子生徒と、その横にボケッとした表情で屋上からの景色を眺める男子生徒の姿があった。

 

「やっぱシルビアは止めてハチロク探そう。そっちの方が現実味あるし、やっぱ車はFRじゃないとな――って、聞いてんのかよ拓海?」

「聞いてるよイツキ」

 

 拓海と呼ばれたボケッとしていた男子生徒――藤原 拓海(ふじわら たくみ)は、イツキと呼んだ中古車雑誌と睨めっこしている男子生徒――竹内 樹(たけうち いつき)に視線をやった。

 

「そのハチロクってのは幾らするんだよ?」

「中古で30万ってのがあるけど車検無しだな……」

「ふーん……そんで貯金は今んとこ幾らあるんだ?」

 

 あまり興味なさ気な表情で問う拓海にイツキは力なく貯金額を答えるが、それはシルビアはおろかハチロクすら手の届かない額であった。

 

「先は長ぇな」

「もっとこう、ドッカーンと稼げるバイトねぇかなぁ……今やってるGSのバイトじゃあ、夏休みフルで働いても良いトコ12万だもんなぁ」

 

 拓海とイツキがそんな話をしていると、そこに割って入ってくる人物が居た。

 

「バイトしてるんだね、拓海君たちって」

「茂木……?」

 

 声をかけてきた女子生徒――茂木(もぎ) なつきを、拓海はキョトンとした表情で見つめる。

 

「なぁに? 私が話しかけたの、そんなに意外だった?」

「いや、別に……」

 

 拓海は表情そのままで茂木に返答する。

 

「ふーん。ところでさ、バイトって1ヵ月どれだけ働いて12万なの?」

「ああ、週に5日か6日みっちり8時間働いて」

 

 茂木の質問にイツキが答えると、茂木は心底驚いた表情を見せた。

 

「えーっ!? それだけ働いてたったの12万円なの!?」

「いや普通そんなモンだろ、どんな金銭感覚してんだよ」

「高校生バイトの時給なんて安いんだぜ」

 

 さも当然だろうといった表情で、拓海とイツキは茂木にツッコミを入れる。

 

「へぇ~知らなかった……なつきバイトしたこと無いからさ」

 

 茂木はそう言った後、驚いた表情を一変させて笑顔を見せる。

 

「バイト頑張ってね、期末試験終わったらみんなで遊びに行こ?」

 

 2人に手を振りながら、茂木は小走りで屋上を後にして公舎へと入って行った。

 

「茂木なつきと話したの1年ぶりくらいだな」

「えぇ?」

「サッカー部に居たときはよく話してたんだけどな、あいつマネージャーやってたし」

 

 茂木が走り去って行った方向を見つめながら拓海が話す。

 

「けど、ある時からすげぇ嫌われちまってさ。廊下ですれ違っても目も合わされない位にな」

「ホントかよ、お前何したんだ?」

 

 屋上に設置された柵にもたれかかり、空を見上げる拓海にイツキが至極当然の質問をぶつける。

 

「別に茂木には何もしてないけど、その頃アイツの彼氏だった3年の先輩をさぁ……殴ったんだよ部室で」

「サッカー部の先輩を殴った!?」

 

 思いもよらなかった拓海の返答に、イツキは思わず大きな声を上げてしまう。

 

「理由は言いたくないけど、ついカッとしちまってさ……嫌なヤツだったんだよその先輩」

 

 少しバツの悪そうな顔をする拓海に、苦笑してしまうイツキ。

 

「お前って昔からそういうトコあるよなぁ……。普段は眠そうにボーっとしてんのに、たまにキレたら人格かわるし」

「小学生ぐらいの時ってさ、すぐ泣くのに泣き出してからは妙に強いヤツいるだろ。俺ってそういうガキだったんだよな」

 

 空を見上げた格好のまま、拓海はそう呟いた――。

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 未だ太陽の光が燦々と降り注ぐ中、拓海とイツキはバイト先であるガソリンスタンドで労働に勤しんでいた。

 先程スタンドから見送った車で給油客は一旦捌けたため、イツキは拓海に話しかける。

 

「拓海ぃ、屋上での話の続きだけどさー。2人で買おうぜハチロク」

「はぁ?」

 

 イツキからの突拍子もない提案に、拓海は思わず耳を疑ってしまう。

 

「2人のバイト代を合わせればローン払えるじゃんかよー」

「要らねぇよーハチロクなんて車」

 

 イツキの懇願を問答無用で切り捨てる拓海。

 

「大体なんでそんなに無理してまで車が欲しいんだよ、お前ん家にも車ぐらいあるだろうが。それ借りれば良いじゃん」

「ダメだよ親父の車なんて。FFでオートマでオマケにディーゼルエンジンなんだぜ。サイテーだよ、あんなの車じゃねぇよ」

 

 拓海の質問に、今度はイツキが一刀両断で切り捨てる番だった。

 

「タイヤ4つ付いててちゃんと走れば立派に車だよ」

「わかってねぇなー。峠に行って楽しく無けりゃあ車の意味ねぇじゃん」

 

 したり顔で説明するイツキに、拓海はいつも疑問に思っていたことを口にする。

 

「お前よくそれ言ってるけどさー、峠に行って何すんだよ?」

「そんなの決まってるんだろ、攻めるんだよ峠のコーナーを」

 

 イツキの返答に、拓海はよくわからないといった表情で言葉を返す。

 

「楽しいんか、そんなことして?」

「はぁ!? 楽しいに決まってるじゃん! 男なら格好良く峠を攻めてみたいと思わねぇのかよ?」

「ふーん……そういうモンかなぁ」

 

 心底興味が無いといった感じで拓海は答える。

 

「はぁ……お前に聞いた俺がバカだったよ。俺は何としてでもハチロク買ってやる!」

 

 マイカーを夢見て心に炎を灯すイツキとそれを冷めた目で見る拓海の前に、1人の男性スタッフがやってくる。

 

「お前らハチロク狙うなんて良い趣味してるじゃねーか」

 

 2人に声をかけたのは、このガソリンスタンドで働く先輩社員――池谷 浩一郎(いけたに こういちろう)だった。

 

「でしょでしょ!? 池谷先輩もそう思いますよね!」

「ああ、良い車だぞハチロクは」

「ほら見ろー、聞いたか拓海!」

 

 自分の考えに賛同者が現れたイツキは興奮気味になる。

 

「でも俺そのハチロクって車よく知らねーからなぁ……結局どこの車なんだよ、マツダだっけ?」

 

 拓海のトンデモ発言に、イツキと池谷はコント漫才と見間違うかのようにズッコケた。

 

「おいおい、スタンドで働いててハチロクも知らねぇのかよ」

 

 そんなワイワイ騒いでる3人の後ろから、拓海に声をかけながら苦笑している男性スタッフがやってきた。

 

「なんだよー、お前は知ってるのかよー」

「当たり前だろ」

 

 そう話すのは拓海とイツキの同級生で、2人と同じくこのガソリンスタンドでバイトをしている神原 俊樹(かんばら としき)である。

 

「ハチロクはトヨタ車だよ。ただ割と古いモデルだし、拓海が知らないのも無理ないッスよね?」

「まぁな……ハチロクがモデルチェンジして新しい型が出たのも、もう随分と前の話だしなぁ」

 

 ハチロクという車を知らなかった拓海をフォローするかのように解説する俊樹と池谷。

 

「古いトヨタかー……あんまイメージ良くねぇなぁ。ウチにも商売で使ってる古いトヨタ車あるし」

「そんなのと一緒にすんなよ、古い車でもハチロクだけは別だよ」

 

 2人の説明を受け、ポリポリと頬を掻きながらあまりパッとしない表情を浮かべる拓海に、ハチロクをマイカーとして狙っているイツキが反論する。

 

「俺がハチロク買ったら、池谷先輩がやってるチームの秋名スピードスターズに入れてくれますか?」

「ああ。それなら今度の土曜日にチームの定例会やるから、夜になればチームのメンバーも秋名山に集まるぞ。お前らも来るか?」

「良いんですか!?」

 

 池谷からの思わぬ提案に、今にも踊り出しそうなほど嬉しそうに大きな声を出すイツキ。

 しかし、その一瞬後には自分の立場を思い出してがっくりと項垂れてしまう。

 

「あ……でも俺ら車無いから……」

「心配すんな、乗せてってやるよ」

「先輩のS13に!?」

 

 池谷の言葉にイツキは目を輝かせ、スタンドの片隅に駐車してある1台の車を見つめる。

 そこには池谷の愛車――ライムグリーンツートンに塗装された、ニッサンS13型シルビアが止まっていた。

 

「行きます行きます! 俺、絶対に行きます! 拓海と俊樹も行くよな!? こんなチャンス滅多にないぞ!」

「あ、ああ。オレも興味ありますし」

 

 ハイテンションで拓海と俊樹の2人の体を揺さぶるイツキに、俊樹は思わず苦笑しながら答える。

 その一方で興味なさ気に先程までの会話を聞いてた拓海は、ひっそりと溜息ひとつ。

 

「俺……行くなんて言ってねぇんだけどな……」

「まぁそう言うなって。友達付き合いも大事だし、案外行ってみれば楽しいかも知れねぇだろ」

 

 スピードスターズのメンバーにも会えると大興奮のイツキとは対照的に、テンションの低い拓海の肩をポンポンと叩きながら俊樹が宥める。

 

「よし。それじゃあ今度の土曜日、仕事終わったら連れて行ってやるよ」

「わかりました! くぅーっ、今から土曜日が待ち遠しいぜぇ!」

 

 そこからしばらくの間、イツキの仕事ぶりが今までで一番だったらしいのはまた別のお話である。

 

 



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第2話

「そうか、お前は一緒に来れなくなったのか」

「今朝、急に父親から野暮用を入れられてしまって……。すんません先輩、折角誘って貰ったのに」

 

 池谷が3人を秋名山へ連れていくと約束した土曜日の夕方、突如として用事が舞い込んでドタキャンに近い形になってしまった俊樹が、申し訳なさそうに池谷に謝罪していた。

 

「大丈夫だよ、親父さんの用事なんだろ。そっちを優先して当然さ」

「こんな日に用事だなんて、残念だったなぁ」

 

 池谷とイツキが同情に近い言葉をかける中、唇を若干尖らせ不満気味な拓海に、俊樹は苦笑いで両手を合わせる。

 

「なんだよー、お前は来ないのかよ」

「そんな顔すんなよ拓海、用事が早く終わったら合流するからさ」

「合流するったって、お前どうやって秋名まで来る気だよ?」

「車を使う用事だから、それが終わったらその車で向かうさ」

 

 4人はそんな会話をしながら仕事をこなしていると、俊樹が用事のためにいつもより早めにバイトを終える時間となってしまった。

 

「それじゃあ俺はこれで失礼します。お疲れ様でした」

「おう、お疲れ。今夜、秋名に来れると良いな」

 

 俊樹は3人に声をかけて事務所へと入り、タイムカードを押してから更衣室へと向かって着替えを済ませる。

 

「店長、お疲れ様です」

 

 制服から私服へと着替え終えた俊樹が、レジ横で帳簿を確認している店長と呼んだ男性――立花 祐一(たちばな ゆういち)に声をかける。

 

「すいません、急にバイトのシフト時間ズラしてもらっちゃって……」

「気になるな。お前は普段から良く働いてくれてるし、偶にはこういう時があっても良いさ」

 

 笑みを浮かべながら立花は俊樹にそう語る。

 

「そう言ってくれると助かります。それじゃあ、お先に失礼します」

「ああ、お疲れさん。気を付けて帰れよ」

 

 立花に一礼し、彼はバイト先の事務所を後にした。

 

 

 ――それから数時間後。

 閉店となったガソリンスタンドの事務所から出てきたイツキと拓海が、閉店作業を行う池谷へと声をかける。

 

「それじゃあ池谷先輩、お先に失礼しまーす」

「おう、それじゃあ8時にバス停で拾ってやるからな」

 

 池谷は先に帰り支度を終えた2人を見送ると、再び作業へと移る。

 

「好きだなーお前ら。どこの峠に行くんだ?」

 

 そんな様子を見ていた立花が、タバコを吸いながら池谷に声をかけた。

 

「店長、この辺りで走るって言ったら秋名山しかないでしょう。ウチのチームは一応、秋名山最速を宣言してるんですよ」

「秋名山最速を自称してるヤツはゴロゴロ居るぞ」

 

 力強く語る池谷に、立花はニヤニヤと笑みを浮かべながらタバコを吹かす。

 

「俺が現役で走ってた頃には、自他共に認める秋名山最速の走り屋ってのが居たんだよ」

「まさか店長……それは俺のことだ、ってオチじゃあないでしょうねー」

 

 池谷もタバコに火を点け、立花の話に耳を傾ける。

 

「違うよ、本当に居たんだ伝説の走り屋ってのが。しかもそいつは今でも現役で走ってるんだよ、秋名山を」

「今でもぉ? 俺、秋名の走り屋はだいたい知ってるけど、そんな歳食ったヤツ見たことないですけどねぇ……」

「悪かったな歳食っててよ」

「いやぁ、そういうワケじゃあ。あはははっ……」

 

 立花の視線に思わず苦笑してしまう池谷。

 

「お前らとは走る時間帯がズレてるだけさ。そいつは今は、とうふ屋のオヤジだからな」

「はぁ? 伝説の走り屋がとうふ屋ですかぁ?」

 

ニヤリと口元に笑みを浮かべた立花の言葉に、池谷は信じられないという顔をする。

 

「朝の4時とかそんな時間帯に、車に豆腐を載せて秋名湖畔のホテルに卸しに行くんだ。その帰りに空っぽの車で秋名山を下って行く姿は、そりゃあ一見の価値があるぞ。なんせ尋常なスピードじゃねぇからな」

 

 ポンポンと灰皿にタバコの灰を落としながら立花は話を続ける。

 

「何せ商売だから、雨が降ろうが雪が降ろうが毎日走るんだ。年季が違うよ。秋名の峠ならアスファルトのシミひとつまで知り尽くしてる男だからな」

 

 自信満々に語る立花は吸い終わったタバコの吸殻を灰皿に押し付ける。

 

「お前らが今時の速い車に乗って勝負しても、下りならアイツには歯が立たないだろうさ。何なら賭けても良いぜ。秋名山の下り最速は〝とうふ屋のハチロク”だ!」

「秋名最速がとうふ屋のハチロクぅ!?」

 

 池谷の驚いた声が、閉店したスタンド内に響き渡った――。

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

「うわあぁぁぁっ!!」

 

 秋名山をかなりのスピードで連なって走る数台の車。その内の1台、池谷の運転するS13シルビアのリアシートでは拓海が絶叫していた。

 

「やかましいぞ拓海! 池谷先輩の気が散るだろ!」

「そんなこと言ったって、怖ぇモンは怖ぇんだよ!」

 

 シルビアがコーナーを曲がって行く度に、拓海は悲鳴を上げまくる。

 

「無理もねぇさ、誰だって走り屋の車に乗ったら最初はビビるもんだよ! さぁ次は2速のヘアピンだぞ!」

 

 池谷がステアリングを操作し、シルビアはテールスライドでヘアピンコーナーを駆け抜けて行く。

 

「やめてくれぇぇ!」

「やっぱうるせぇぞ拓海ーッ!」

 

 スキール音と同時に、拓海の絶叫が響く車内。

 それはシルビアが秋名山を登り切るまで続き、頂上に着いた頃には拓海はげっそりとした表情でへたり込んでいた。

 

「大丈夫か拓海? そんな怖がるとは思わなかったから、つい調子こいてガンガン攻めちまったけど……」

 

 辛そうに乱れた息を整える拓海に、心配そうに声をかける池谷。

 

「情けねぇぞ拓海。お前ジェットコースター乗ってもギャーギャーわめくタイプだろ、男のくせにダサダサだよ」

「俺ジェットコースターなんて怖いと思った事ねーよイツキ。お前に説明しても分かって貰えねーよこの怖さは……」

 

 詰め寄るイツキにどこか諦めたようにも見える表情でつぶやく拓海。

 

「何言ってるんだお前……?」

 

 イツキは訳のわからないといった顔で拓海の顔を覗き込む。

 そんな秋名山頂上で、池谷を含む秋名スピードスターズの面々が和気藹々と車談義に花を咲かせていた頃、俊樹はとある自動車整備工場に居た。

 

「お疲れっすー、政志さん居ますー?」

 

 某メーカーの大衆ワゴン車から降りてきた俊樹が工場内でそう声をかけると、二柱リフトでリフトアップされた車の下から男性が出てくる。

 

「おう、トシ坊か」

 

 作業手袋を外しながら俊樹に近付いてくるのは、この自動車整備工場の経営者である鈴木 政志(すずき まさし)

 

「どもっす。親父から聞いてると思いますけど次の仕事持ってきました。どこ置いときます?」

 

 小さいながらも中古車店を経営する俊樹の父親とは昔からの馴染みであり、販売に対して整備などが必要な車両は決まってこの工場に整備依頼をしている。

 そして店の手伝いとして俊樹自身も免許を取る前から頻繁にここを訪れているため、店主である政志とは当たり前のように親しい仲になっていた。

 

「そうだな……その2番リフトの前にでも置いといてくれ」

「了解です」

 

 俊樹は乗ってきた車に再び乗り込み、政志から指定された場所に車を駐車させる。

 

「あれの納車予定は?」

「親父は来週の昼ごろって言ってましたけど、客もそんなに慌ててはいないみたいですね」

「なるほどな。整備が終わったらアイツに連絡するから、それだけ伝えといてくれ」

 

 政志は俊樹から何枚かの書類を受け取りそれを確認すると、その内の1枚にサインを書いて彼に渡す。

 

「了解です。それじゃあ俺はこれで帰りますけど、どの車を引き取ります?」

「おっと、それなんだけどな」

 

 書類を受け取り、帰るために店へと引き取る車の姿を探す俊樹。

 

「帰るんだったらアレに乗って行きな」

「え?」

 

 政志が指を差した方向を見ると、工場の片隅にひっそりと置かれた1台の車の姿があった。

 それは俊樹にとってはとても見覚えのある車であり、驚きの感情と同時に疑問が生まれる。

 

「予定じゃまだ先だったハズですけど……?」

「作業が思ったより順調に進んで、今日あっさりと車検もクリアしちまったからな」

「マジっすか!?」

「ああ。保険もアイツの店名義できっちり契約してあるし、テスト走行も問題なしだ」

 

 車内のグローブボックスから車検証を取り出し、驚く俊樹にその車検証を見せる政志。

 車検証の所有者の欄には神原 俊樹と、はっきりと彼の名前が記載されていた。

 

「うおぉ……マジで名前が載ってる」

「これで正真正銘、お前の車になったわけだ」

 

 車検証を持って感動する俊樹に、政志は車のキーを渡す。

 彼は車の周りを一周したあと、思わずニヤつきながら車内へ乗り込む。

 

「やべぇ……めっちゃテンション上がる」

「廃車から剥いだ中古品だけど、バケットシートとステアリングは俺からの納車祝いだ。大事に乗れよ?」

「はい! ありがとうございます!」

 

 俊樹は嬉々としながらエンジンをかけ、何度かアクセルペダルを煽ってエンジンを吹かすと、それに連動してタコメーターの針が上下に動く。

 普段から店の手伝いで車を運転しているため新鮮味とは縁遠いその行為であったが、彼は何とも言えない高揚感に包まれていた。

 

「これからよろしくな……相棒」

 

 ニヤつきが止まらない顔のままステアリングを撫でながら、彼はそっと静かに呟いた――。 

 



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第3話

もう既にダレてきてます()
いつまで続けられるかな?


 

「ん?」

 

 秋名山の山頂で秋名スピードスターズの面々が和気藹々と話していると、池谷が山頂へと近づいてくる数台の車のヘッドライトに気付いた。

 ゆっくりとやってきた車列は、そのまま反対側のスペースへと入って行く。

 

「見かけねぇヤツらだな」

「どっか余所のチームだろ、なんかヤな感じだぜ」

 

 秋名の走り屋は殆ど知っている池谷だったが、今やって来た車たちを見かけるのは初めてだった。

 しかし、その車たち全てに貼られているとある赤文字のステッカーを見て、その顔は驚きの表情になる。

 

(あのステッカー……まさか!?)

 

 山頂にやって来た車たちは停車すると、ゾロゾロと中からドライバーが降りてくる。

 その内の2台――黄色いFD3S型RX-7から出てきた金髪の男性が、その後ろに停車する白いFC3S型RX-7から出てきた黒髪の男性とアイコンタクトを行うと、池谷たちスピードスターズのメンバーに向かって声をかけてきた。

 

「俺たちは赤城山から来た、赤城レッドサンズってチームのメンバーなんだが」

 

 レッドサンズのメンバーであるFD乗りの男がそう言うと、スピードスターズの面々はざわつき始める。

 

(やはり……赤城最速といわれるレッドサンズか!)

 

 走り屋の界隈では有名なチームのお出ましに、池谷は警戒心を抱く。

 

「不躾な質問で悪いが、この秋名山で最速のチームか走り屋が居たら俺たちに教えてくれないか?」

「俺たちは秋名スピードスターズってチームやってるけど、この秋名山では最速だと思ってるよ」

 

 挑発とも取れるFD乗りの男の言葉に、秋名最速を宣言しているチームのリーダーとして、池谷は毅然とした態度で対応する。

 

「なるほど、それなら話は早い。この峠で俺たち赤城レッドサンズとの交流会をやらないか?」

「交流会……?」

 

 池谷をはじめスピードスターズのメンバーが困惑の表情を見せると、後ろから別の男性が現れFD乗りの男の会話を引き継ぐ。

 

「ああ。お互いさ、走るのが好きでこうやってチームとして活動してると思うんだけど、地元の人間だけで走ってると段々とマンネリになってくるだろ。たまには余所のチームと走って刺激を入れた方が、走りのレベルアップにつながると思うんだ。仲間が増えれば情報の交換も出来るしね」

 

 先程まで話していたFD乗りと違い、ゆったりとした口調で言葉を紡ぐ男。

 

「はじめはチーム関係なくつるんで走って、最後に各チームから上りと下りの代表を出してタイムアタックをする。別に勝ち負けにこだわるつもりは無くて、あくまでもチーム同士の親睦が目的なんだけど……どうかな?」

「そう言われちゃあ断る理由も無いけど……」

「じゃあ、来週の土曜日22時スタートってことで決まりだな。俺たち、今日の所はじっくり練習させてもらうよ、もちろん走りのマナーもはきっちり守るさ」

 

 男がそう言い終えると、レッドサンズのメンバーは各々の車に乗り込みその場でUターンして次々と走り去って行く。

 

「すげえ! いきなりナイスな展開だぜ!」

 

 先ほどまでのレッドサンズのメンバーと池谷の話を聞いていたイツキはテンションが上がっているのか、隣でボケッとしていた拓海の体を揺らす。

 

「どうも引っかかるな……表向きは体裁のいいこと言ってるけど、要するに挑戦じゃねぇか。自分らの速さを見せつけに来てやがる!」

 

 続々と秋名の山を下り始めるレッドサンズのメンバーの車を見つめながら、池谷は少し怒気を含ませた言葉を発する。

 

「気後れすることねーぜ、俺達も出ようぜ!」

「ああ、赤城最速のチームの実力がどんなモンか見てやろうじゃねぇか!」

「秋名の山なら走り込んでる俺たちの方が上だろうが! ヤツらのケツをつついてやれ!」

 

 スピードスターズのメンバーたちも、各自の愛車に乗り込んでレッドサンズの後ろを追って山頂を後にしていく。

 

「い、池谷先輩! あの人たちって……」

「赤城最速の走り屋、高橋兄弟が率いるレッドサンズさ」

 

 イツキの質問に、愛車であるシルビアに乗り込みながら答える池谷。

 

「新旧2台のRX-7が居たの見たか? あいつら超有名な走り屋で、雑誌にも何度も載ったことがあるんだ」

「それってまさか、ロータリーの高橋兄弟ですか!?」

「ああ。実物を見るのは俺も今日が初めてだ!」

 

 池谷は4点式シートベルトをギュッと締めると、ギアを1速に入れる。

 

「池谷先輩、俺たちも連れてってください!」

「悪いな、本気で走るときは誰も乗せない事にしてるんだ。ここで待ってろ、あとで拾いに来てやるから!」

 

 イツキにそう言うと、池谷はアクセルを踏み込みシルビアを発進させ、勢いよく2人の元から走り去って行った。

 

「ああぁぁぁ……悲し過ぎるぜぇ……」

 

 スピードスターズとレッドサンズの車が全て走り去って行くのを、ただその場で見ている事しか出来ないイツキは頭を抱えた。

 

「なんでこんな良い時に俺たちだけ車が無いんだよぉ!」

 

 走り屋の世界を体験するには、正に神がかりとも言えるタイミングであるが故に、イツキは心底悔しそうに叫ぶ。

 

「なぁイツキ……そんなに走り屋ってのは楽しいのかな?」

「えぇ……?」

 

 今にも地団太を踏みそうに悔しそうにするイツキの姿を見ながら、拓海は冷めた口調で疑問をぶつける。

 

「なんで皆あそこまで熱くなれるのかな……不思議だよなぁ……」

「不思議なのは俺の方だぜ……ホントに何も感じねぇのかよ拓海。次から次へとかっ飛んでいく全開のエンジン音を聞いて、お前は血が騒がねぇのかよ!?」

「血が……騒ぐ……?」

 

 ハイテンションで熱く語るイツキの姿に、拓海は理解できないといった困惑した表情で小さく呟いていたその頃、秋名山を走るスピードスターズの面々は、よそ者であるはずのレッドサンズの後塵を浴びることになっていた。

 

「よそ者が舐めやがって……!」

 

 スピードスターズのチーム内で実力No.2を自称する、白いRPS13型180SX乗りの健二(けんじ)が、レッドサンズの車にピタリと追走されている。

 コーナー入口でブレーキングを開始してコーナリングを始める180SXだったが、あっさりと後ろから走ってきたレッドサンズの車に追い抜かれてしまう。

 それでも諦めずにアクセルを踏み込んでいく健二だったが、次のコーナーを曲がるころにはレッドサンズの車は見えなくなっていた。

 

「くそっ! 全然ついて行けねぇじゃんかよ……!」

 

 レッドサンズは地元であるスピードスターズの面々をあざ笑うかのように、健二以外のメンバーの車も同じくバックミラーの彼方へと置き去りにしていく。

 

(速い……! めいっぱい走ってるのにレッドサンズは1台も捉えられない!)

 

 少し遅れて走り始めた池谷も全力で秋名を攻めるものの、他のスピードスターズのメンバー同様、一向にレッドサンズの車に追いつくことが出来ずにいた。

 そんなスピードスターズの様子を、一足先に走り始めた高橋兄弟はコース途中にある展望台から眺めていた。

 

「どう思うアニキ?」

 

 黄色いFD型RX-7の運転席側のドアにもたれ掛かりながら、高橋兄弟の弟――高橋 啓介(たかはし けいすけ)が、白いFC型RX-7の前で腕を組んでいる兄――高橋 涼介(たかはし りょうすけ)に問いかける。

 

「カスぞろいだ、うちのチームの2軍でも楽に勝てる。交流会はベストメンバーで来ることはない、俺はパスだ」

「だと思ったぜ。アニキが来ないなら、俺もパスすっかな」

「いや、お前は走れ。地元の連中が何年かかっても塗りかえれないコースレコードを作るんだ、そうじゃないと赤城レッドサンズの名前が伝説にならないからな」

 

 鋭い視線で秋名山のコースを見つめ、涼介は腕組みをした状態のまま言葉を続ける。

 

「まずは県内のコースレコードを全て俺達で塗り替え、いずれは関東全域を総ナメにし各峠に最速のレコードを残す伝説の走り屋となってから引退する……。それが赤城レッドサンズの関東最速プロジェクトだ!」

 

 涼介がそう宣言しFCに乗り込むと同じく啓介もFDへと乗り込み、2台のRX-7は展望台を後にして走り去っていく。

 そしてその頃、秋名山を登ってくる1台の車の姿があった。

 

「この時間なら皆まだ居そうだな……」

 

 ダッシュボードに後付設置されたデジタル時計の表示を見て、ドライバーである俊樹がそう呟く。

 

「これで拓海にドヤされなくて済むな」

 

 彼はバイト仲間であり友人でもある拓海の顔を想像しながら苦笑していると、カーブの先からかなり速い勢いでこちらへ近付いてくるヘッドライトと思われる光源を確認した。

 

「あれは先輩たちか? エラく飛ばしてるな―――……うおっ!?」

 

 そんな対向車のヘッドライトの光が見えたかと思うと、それは凄まじい速度で後ろの方へと駆け抜けていく。

 思わず驚いた声を出す俊樹だったが、その後すぐにもう1台の車とすれ違うことになった。

 

「またかよ……!」

 

 先ほどすれ違った白い車とほぼ同じくらいの速度で走る黄色い車の姿を、俊樹はバックミラー越しに確認する。

 そして勢いよくすれ違った2台から、かなり間隔を開けて何台かの車が連なって走ってくるのが見える。

 その車列の最後尾に池谷のシルビアの姿を確認するが、全車とも先ほどすれ違った2台の車よりも速度が遅いことは俊樹の目から見ても明白だった。

 

「……いったい何が起きてんだ?」

 

 車内でそう呟く俊樹は、とりあえず山頂に行けば分かるだろうと思いながら車を走らせ続ける。

 暫く車を走らせて秋名山の頂上へ着いた俊樹は、ガードレールに寄り添って立っている拓海とイツキの姿を見つけて、2人のすぐそばに車を止めた。

 2人は自分たちの近くに止まった車を訝しげに見ていたが、ドライバーが俊樹だと分かると驚いた声を出した。

 

「よう、お前ら何してんだ?」

 

 てっきり2人が池谷たち、秋名スピードスターズの車に乗って走り屋体験をしていると思っていた俊樹は、至極当然の疑問をぶつける。

 

「実はちょっと前に赤城レッドサンズのメンバーがやって来て、秋名スピードスターズに挑戦してきたんだよ。それでみんな走りに行っちゃってさ」

 

 テンション高めに答えるイツキに、なるほどと納得する俊樹。

 

「だからさっき池谷先輩とすれ違ったのか……しかし、赤城レッドサンズねぇ」

 

 猛スピードですれ違った2台の姿を思い出す俊樹。

 彼も赤城レッドサンズという名前くらいは聞いたことがあり、昔見た雑誌にハイレベルな走り屋集団として特集されていたのを思い出した。

 

「それにしてもお前――、この車は何なんだよ!」

 

 イツキが指差す先には、彼が乗ってきた車の姿。

 拓海も少し気になるのか、俊樹と車を交互に見て不思議そうな顔をしている。

 

「何って……オレの車だけど?」

「マジかよ! お前、高校生なのに自分の車持ってるのか!? なんで教えてくれなかったんだよ、水臭いじゃねーか!」

「いや別に隠してるつもりは無くて……納車はもうちょい先の予定だったんだよ」

 

 興奮気味のイツキの質問に、俊樹は少し気圧されながら答える。

 

「知り合いの整備工場に少し前からお願いしてたんだけど、割と早めに車検をクリアしたらしくてさ。今日たまたま工場に車を回送した行ったら、乗って帰れるぞって言われてな」

 

 特に隠すことも無いので経緯も含めて全てを話す俊樹に、イツキは羨ましそうな視線を送っている。

 

「なぁ俊樹、この車はなんて言うヤツなんだ?」

 

 拓海も友人の車という事で少なからず興味はあるのか、車の周りをぐるりと一回りしてから俊樹に質問をぶつける。

 

「アルトだよ」

 

 俊樹は自身の愛車――白色のスズキHA23V型アルトバンの横で、口元に笑みを浮かべながらそう答えた。




ようやく俊樹君の愛車登場。
やはり峠と言えばアルトベェンですよね(鼻ホジ)


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第4話

 俊樹が愛車であるアルトの存在を拓海とイツキに紹介していると、秋名山を下って行った秋名スピードスターズが続々と帰ってくるが、メンバー各自の表情は曇り顔であった。

 

「すげぇよアイツら……根本的になんか違う」

「赤城は走りのレベルが高いって聞いてたけど、これほどまでとは思わなかったな……」

 

 暗い雰囲気のなか、スピードスターズの面々は赤城レッドサンズに対するそれぞれの印象を話す。

 

「走り慣れてるホームグラウンドの秋名山で、ヨソ者にチギられるなんてすげぇショック……」

 

 健二も相当落ち込んだ顔をして、自身の愛車である180SXの前で力なく呟いた。

 

「あいつら足回りにも金かけてるしエンジンのパワーも出てるからな……レッドサンズに張り合おうなんてムチャだよ」

「けど地元が逃げるわけにはいかねぇだろ……やると言ったからにはやるしかねぇよ!」

「でも根性だけじゃアイツらには勝てねぇよ」

「そりゃあそうだけどよぉ……」

 

 そんなメンバーたちの話を聞いていた池谷も浮かない表情をしていたが、あくまでもチームリーダーという立場上、少し強めの声色で言葉を出す。

 

「今日はもう遅いから解散して、明日またどっかで打ち合わせしよう。場所が決まったら連絡する」

 

 池谷の一言で秋名スピードスターズのメンバーたちは続々と車に乗り込み、秋名山を後にしていく。

 

「悪いな3人とも。誘っておきながらこんなことになっちまって」

「い、いえ。そんなこと無いっすよ!」

 

 イツキがぶんぶんと凄い勢いで首を横に振る。そんな姿を見て、池谷も少し表情を柔らかなものにした。

 

「走り屋って負けず嫌いな奴が多いんだよ、自分の事は相当速いと思い込んでるからさ。走りの事になるとついムキになっちまう」

 

 池谷は静かに話し始める。

 

「ふだん走り慣れてる峠でよそ者に負けることほ情けねぇことってないからな。だから地元はよそ者には負けちゃいけないんだ、それは走り屋のオキテみたいなモンだ」

 

 どこか遠い目をしながら、池谷は自分の愛車であるシルビアを見る。

 

「お前らも走り始めれば俺達の気持ちがわかるようになるかもな……。しかし俊樹が車を買ってた事にも驚いたよ」

「まぁ買ったというか何と言うか……元々この車、ウチの店で使ってた代車だったんですよね」

 

 俊樹は実家が小さいながらも中古車屋を営んでいることを説明しつつ、アルトが愛車になった経緯を話す。

 

「少し前に新しい代車用の車が来て、お役御免になったコイツを免許取得祝いに譲って貰ったって感じです」

 

 どうせ免許取りたての学生ならこんなので充分ですしね、と俊樹は言葉を続けた。

 

「ってことはタダってことかよ。くぅ~っ、ますます羨ましいぜ!」

「でもこれ、お前の嫌ってるFF車だぞ」

 

 意地悪くイツキを茶化す俊樹に、先ほどまでの暗い空気を感じさせない笑い声が聞こえてくる。

 

「それじゃあ、そろそろ帰るか……拓海とイツキは俺の車に乗りな」

 

 池谷は行きと同様に2人をシルビアに乗せると、アルトに乗り込もうとした俊樹に声をかけた。

 

「お前はどうするんだ?」

「オレはしばらくココで運転の練習していきますよ。車が納車されたらそうしようと思ってたんで」

 

 そう言いながらアルトのエンジンをかける俊樹。

 

「そうか、じゃあ俺たちは帰るから。気を付けて運転しろよ」

「ええ、お疲れ様でした」

 

 俊樹は池谷にそんな声を掛けながら、シルビアの車内に収まるイツキと拓海にも手を振って別れを告げると、3人はシルビアでその場から走り去って行った。

 それをアルトの車内から見届けた俊樹は暫く時間をおいて軽くアクセルペダルを煽ると、アルトから子気味良いエンジンサウンドが聞こえてくる。

 クラッチを踏み込みギアを1速に入れ、ゆっくりとアルトは発進してコースイン。

 

「さてと……それじゃあ練習開始と行きますか」

 

 気合を入れた俊樹は、秋名山を下り始めたアルトのアクセルペダルを何の躊躇も無く全開にした。

 搭載されるK6A型エンジンが唸りを上げ、わずか600キロ程度しかない軽量さも合わさり、アルトの車体は思ったよりも鋭く加速していく。

 

「良いね……やっぱこれだよ」

 

 テンポよくギアチェンジしていき、もうすぐ4速にシフトアップしようかと言うタイミングで、第1コーナーである大きく左に曲がるコーナーが現れる。

 俊樹がステアリングを進行方向に傾けアクセルペダルを踏み込む足の力少し緩めると、アルトは綺麗に弧を描くようにコーナーの曲率に沿って曲がって行った。

 

「今のは大体イメージ通りに曲がれたし……思ったよりも良さそうだ」

 

 何かを確信したような表情でアルトを走らせていく俊樹は、休憩を挟みつつ気が済むまで秋名山を往復し続ける。

 その途中、赤城レッドサンズの車と何度かすれ違ったりする事があったが、向こうはこちらに対して全く興味が無いのか頂上で同じタイミングで休憩していても無反応だった。

 先ほど秋名スピードスターズの走りを確認して、秋名の走り屋は恐れるに足らずと言った評価を下した彼らにとっては、秋名を走る車に対しては当たり前と言えば当たり前の対応である。

 増してや俊樹の乗るHA23V型アルトバンという車は、一般的な走り屋たちが好む車とは縁遠い存在であるため、そもそも最初から相手にしていないという感じだが、変に因縁を付けられる可能性などを考えれば相手の事を気にせずに走り回れるので、俊樹にとっては好都合だった。

 

「おっと、もうこんな時間か……流石に帰るとするか」

 

 気が付けば時計が示す時刻は朝4時近くになっており、そろそろ空が白んでくる頃合いだ。

 ちらりと反対側に居る赤城レッドサンズのメンバーを見ると、彼らもそろそろ帰り支度を始めている様子が見受けられる。

 

「それじゃあお先に失礼しますよっと」

 

 レッドサンズの面々に聞こえるはずもない軽口を叩き、アルトをゆっくりと出発させる俊樹。

 法定速度を遵守しながら、先ほどまで走り込んでいた秋名山を下って行く。

 

「いやー、思ったよりも楽しい車になってるなぁ」

 

 自分の愛車となる際に幾つかのチューニングを施し、代車として活躍していた頃とは全く違う顔を見せるアルトに、俊樹はご満悦の様子だ。

 彼自身は学生と言う身分の為、バイトをこなしているとはいえお金に余裕がある訳では無い。

 金銭的な面で他の車ユーザーと比べると不自由な点はあるが、そんな中で自分なりに楽しめる車に仕上がっているアルトに思わず顔が綻ぶ。

 

「やっぱ安上がりで楽しめるのは良いよなぁ」

 

 しみじみとそんな事を思っていると、後ろから光が迫ってきているのがバックミラーで確認できた。

 それは凄まじい勢いで着々とこちらへと追いついて来てくる。

 

「レッドサンズの車かな?」

 

 俊樹はハザードを点灯させてアルトの速度を落とし、コーナーを抜けた先の短い直線の途中にある待避所にアルトを停車させる。

 速い車が迫ってきている場面では、こちらが後ろからやってくる車に進路を譲る方が得策だ。

 

(いや、2台来てる……?)

 

 ドアを開けて外に出る俊樹。聞こえてくるエンジンサウンドに耳を澄ますと、どうにも2台分の音が聞こえてくるような気がする。

 それもかなりアクセルを踏み込んでいる様子で、エンジン音的にはどちらも攻め込んでいる印象を受けた。

 

「来たっ……!」

 

 やがて後ろから迫って来ていた2台の車のが姿が見えてくる。

 先行して走る車は先ほどまで見かけていた赤城レッドサンズの黄色いFD。なるほど、確かにあの車であればこの速度で走って来るのも理解できる。

 そしてそのFDの後ろにピタリと食いついて走る車の姿も見えてきた。

 

「は、ハチロクじゃねぇか!?」

 

 FDを背後から攻め立てる車――白と黒のツートンカラーのAE86型スプリンタートレノ、通称ハチロクの姿を確認した俊樹は驚きの声を上げた。

 

(レッドサンズのFDがハチロクに追いかけ回されてるだと……!?)

 

 先ほどまで何度もレッドサンズのFDの走りを見ていた俊樹は、それなり腕の立つドライバーと言う印象を受けていたが、そんなFDをまるで邪魔者扱いするかのように後ろから攻め立てるハチロクの姿にただ驚くしかない。

 そして2台が目の前を凄まじい速度で通過していくの見届けると、ふとこの先のコースレイアウトを思い出す。

 

「――って、この先は……!」

 

 俊樹の前を通過していく2台の先にあるのは、曲率の緩い右コーナーとその後に現れる左に曲がるヘアピンコーナーだ。

 2台の姿を目で追いかける俊樹が見たのは、右コーナーの先にある左ヘアピンコーナーを意識してブレーキランプを点灯させるFDと、減速の気配を一切させずにFDを一気に追い抜くハチロクの姿だった。

 

(おいおい……! あのハチロク、コースを知らないのか!?)

 

 もはや自殺行為とも見受けられるスピードで最初の右コーナーへ進入していくハチロク。

 そんな状態で右コーナーを曲がり終える頃には、ハチロクはテールスライド状態を引き起こしていた。

 

(スピードが速すぎて遠心力でリアが振り出されてる……! そんなんじゃ曲がりきれねぇ!)

 

 そのまま明後日の方向を向いてガードレールへ突っ込んでいくハチロクの姿を想像してしまい、思わず俊樹の身体が強ばる。

 おそらく後ろを走るレッドサンズFDのドライバーも、同じことを考えているだろう。

 

「止まれッ、ぶつかるぞ!」

 

 ハチロクのドライバーに聞こえるはずもないが、そう叫ばずにはいられない俊樹。

 しかし仮に彼の声が届いていたとしても、ハチロクが減速して姿勢を立て直すスペースは何処にもない。

 嫌なものを目の前で見せられた、と最悪の事態を覚悟する俊樹だったが、その刹那に彼の目には驚きの光景が広がった。

 

(なっ……何だとぉ!?)

 

 ハチロクが一気にステアリングを進行方向に切り込むと同時に、急激な荷重変化を起こしたハチロクのリアはあっさりと逆方向へと吹っ飛んでいく。

 最初の右コーナーをテールスライドを引き起こすキッカケに使い、完璧な姿勢でドリフト体勢に入ったハチロクはそのままの勢いで左ヘアピンコーナーへ進入し、見事にコーナーを駆け抜けていくのであった。

 

(か、慣性ドリフト……!?)

 

 紛れも無い超高等テクニックをあっさりと目の前で披露された俊樹は、あまりの状況に目を見開くしかない。

 そのハチロクについて行こうとレッドサンズのFDも左ヘアピンに進入していくが、どう見てもコーナーの曲率に対してスピードが速すぎる。

 結果的にFDはコントロール不能な状態へと陥り、FDのドライバーはガードレールへの接触を避けるためか、ブレーキを踏み込んでFDの車体を道路上にとどめることを選んだ。

 

「あ、危ねぇ~……」

 

 ハチロクとFDの動きの一部始終を見ていた俊樹は、2台が無事に道路にとどまったことに対して胸を撫で下ろす。

 俊樹はFDのドライバーが気になりすぐにアルトに乗り込むと、ハザードを点けながら走行してFDの傍まで寄せて停めた。

 

「大丈夫っすか?」

 

 FDに駆け寄りドライバーに声をかける俊樹。

 ドライバーである高橋 啓介は、ああ……と短く返事をしてフラフラと車外へと出てくる。

 

「俺は……秋名山で死んだ走り屋の幽霊でも見たのか……」

「え?」

 

 ハチロクが走り去って行った方向を呆然と見つめながら、啓介は呟き始める。

 

「一つ目の右コーナーでケツを振り出したのは、次の左コーナーに対する姿勢作りのフェイントモーションだった……腹立つくらいの完璧なスーパードリフトじゃねぇか……!」

「そう、っすね……」

 

 その口から放たれる言葉は、悔しさを混じらせながらもハチロクに対する尊敬の念を含んだものだった。そしてそれは俊樹も同じである。

 

「お前は地元だから何か知ってるんじゃないのか。あのハチロク、いったい何者なんだ?」

 

 啓介は俊樹に向かって問いかけるが、彼は静かに首を振る。

 

「わかりません。俺は今日この秋名山に初めて来たし……」

 

 厳密に言えば過去に何度かこの秋名山を走ったことはあるが、この現状ではそんな事は関係なく、むしろ話がこじれるだけだと判断して多少の嘘を織り交ぜる。

 

「俺に分かるのは、赤城レッドサンズの黄色いFDを軽く振り切ってしまうくらいの、バカげたハチロクがこの秋名山に居るって真実だけっすよ」

 

 徐々に空が白んでくる中、俊樹は先ほどのハチロクの走りを思い出すのであった。

 




ようやく走りのシーンが出てきた。
原作あるとストーリーが進めやすいですね(?)


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第5話

「間違いない、このとうふ屋だ」

 

 赤城レッドサンズと遭遇した翌日、池谷はとある商店通りの中に位置するとうふ屋の前に居た。

 

(これが……店長の言ってた秋名山の下り最速マシンなのか)

 

 店舗横に駐車してある車――白黒のAE86型トレノを見ながら、池谷は立花から昨日聞かされた話を思い出す。

 

(パッと見たところ、どこにでもありそうな普通のハチロクだ。初期型のGTアペックスで、外観はワタナベのホイールとフォグランプを付けている以外はノーマルっぽいな)

 

 池谷は目の前に止まってあるハチロクを観察するが、この車が秋名山最速だとは想像できなかった。

 

(確かに下りならパワーの差は小さくなるけど、物事には限度ってモンがある。こんな古い車が、今の新しい車より速いわけねぇぜ)

 

 ふぅ、と一息ついて頭をポリポリと掻く。

 

「わざわざこんな車を探しに来るなんて、俺もどうかしてるな」

 

 池谷は自嘲気味に呟きながら路肩に止めてあったシルビアに向かって歩み出したが、ふと誰かから呼び止められた。

 

「あれっ、池谷先輩?」

「えっ、拓海!?」

 

 思わぬ人物から声を掛けられた池谷は少し驚く。

 

「何やってんすか、こんなとこで」

「もしかして、ココお前の家なのか!?」

「ええ、まぁ」

 

 件のとうふ屋――藤原とうふ店と掲げられた看板が設置された店に、さも当然のように入ろうとしている拓海を見て、池谷は更に驚くのであった。

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

「それにしても先輩、俺ん家の前で何やってたんですか?」

 

 シルビアの助手席に座る拓海が、ステアリングを握っている池谷に至極まともな質問をぶつける。

 

「いや、まぁ……たまたま近所に用事があって通りがかったんだ。しかしお前、本当に車のこと何も知らねぇんだなぁ」

 

 まさかお前の家の車を見に来た、などとは言えない池谷は話を適当に合わせ、本音を誤魔化すことも含めて話題を変えた。

 

「昨日イツキ達との会話でハチロクなんて知らないって言ってたけど、お前の家にあるあの車がハチロクなんだよ」

「えぇ? ちょっと待ってくださいよ、あれはハチロクじゃないっすよ。確か後ろにトレノって書いてましたよ」

「だからさぁ……そのトレノがハチロクなんだよ。AE86って型式のトレノとレビンをひっくるめて、ハチロクって呼んでるんだよ」

「はぁー?」

 

 2人の勤務先であるガソリンスタンドへ向かう際の車内で、そんな会話を繰り広げる池谷と拓海。

 そして2人がガソリンスタンドへ到着して仕事を開始すると、先に仕事をしていたイツキと俊樹も加わり、拓海の家にあるハチロクについての話が始まる。

 

「ええ!? 拓海の家にハチロクがあったぁ!?」

 

 大声で驚きの声を出すイツキ。そんな驚くことなのかと、当の本人である拓海は大きく欠伸(あくび)をする。

 

「それマジっすか先輩」

「ああ、マジだ」

 

 俊樹も少し驚いた表情で池谷に再確認すると、池谷は首を大きく縦に振った。

 

「拓海ぃ! なんで内緒にしてたんだよぉ!」

「だって仕方ないだろ、知らなかったんだからさ。トレノならトレノって言ってくれよ、普通の人はハチロクなんて言い方しねーよ」

「まぁ確かになぁ」

 

 当たり前すぎる拓海のツッコミに、イツキや池谷は呆れた顔をし、俊樹は苦笑しながら拓海に同情する。

 

「それより拓海、物は相談なんだけどさぁ」

 

 イツキが拓海の肩に手を回し、媚びるような声で喋り出す。

 

「そのハチロクをさぁ、来週の土曜日に借り出せねぇかなぁ?」

「何でだよ?」

「決まってるだろ、俺らもスピードスターズとレッドサンズとの交流戦をギャラリーしに行くんだよ! 昨日の一件以来、走り屋の世界にぞっこんなんだよ。お前だって、赤城最速と言われる高橋兄弟の走りを見たいだろ!?」

「いや、別に?」

 

 イツキは力強い言葉で誘うが、拓海は相変わらず興味が無いと言った顔で答える。

 

「てめーっ! 友達に対してそうゆうコト言うかぁ!」

「い、痛いっ、痛いっ! 離せイツキ!」

 

 拓海は首を絞めてくるイツキの体に抗議の意味を含めてバシバシと手で叩く。

 

「なぁ頼むよ拓海ー、土曜日にハチロク乗ってきてくれよぉ!」

 

 土下座をする勢いのイツキに若干気圧される拓海は、ふと俊樹が車を買った事を思い出した。

 

「そんなに行きたいなら俊樹に頼めば良いじゃんか」

「おいおい、そこでオレに振るなよ。イツキはハチロクに乗りたいからお前に頼んでるんだしさ」

 

 厄介事を押し付けるな、と言わんばかりに俊樹は手をパタパタと振っていると、給油客が来店してくるのが見えた。

 

「お前ら、お客さんだぞーっ」

「はーいっ、いらっしゃいませー!」

 

 池谷の声に反応した俊樹が、池谷と共に給油客の元へと駆け寄る。

 

「頼んだからなー拓海!」

「そう言われてもなぁ……」

 

 シフトの終了時間までイツキと拓海は、そんな言い合いをしながら仕事をこなすのであった。

 

 

――数時間後。閉店となったスタンドのピット内で、池谷は愛車であるシルビアをジャッキアップして整備を行っていた。

 その傍らには池谷の様子を見に来た、健二らスピードスターズのメンバーの姿がある。

 

「よぉ、新品のタイヤ入れてんのか……奮発したな」

「とりあえずタイヤだけでもハイグリップ系にしてタイム稼がないとな……」

 

 近くに置かれたまだラベルすら剥がされていない新品のタイヤを見ながら、池谷はそう答える。

 

「ついでにブレーキパッドも効きの強いヤツに交換するんだ。峠の下り(ダウンヒル)はブレーキがキモだからな……っと、そこのスパナ取ってくれ」

「了解っす」

 

 池谷の手にスパナを渡す俊樹。池谷がシルビアを整備するその横には、リアをジャッキアップされた俊樹のアルトの姿もあった。

 

「やるのか……池谷」

「ああ、下りは俺が走る。死ぬ気で秋名山の下りを攻めてみせるさ」

「あんまりムチャするなよ……下りはワンミスが命取りだからな」

「わかってる。でも少しはムリしねぇとな……地元の意地があるじゃん」

 

 心配そうに声をかける健二だが、池谷は決意を固めた様子でそれに答えながら、作業をする手を動かしていく。

 

「……ふぅ。とりあえずこんなモンだ、あとは走りながら細かく調整していくしかねぇな」

 

 作業がひと段落つき、池谷はジャッキアップされたシルビアを地上に降ろす。

 その様子を見ていたスピードスターズの面々や俊樹は、池谷に労いの言葉をかけた。

 

「じゃあ秋名に試走しに行こう」

 

 池谷がシルビアのエンジンをかけると、スピードスターズの面々も車に乗りこみ、スタンドを後にしていく。

 

「終わったのか?」

 

 池谷もシルビアに乗り込もうとした所で、店長である立花が声をかけた。

 

「ええ。すいません、ちょっと長引かせちゃって」

「気にするな。それよりも気を付けるんだぞ」

 

 立花の忠告を受けて、池谷は一礼をしながらシルビアの乗りこんでスピードスターズのメンバーの後を追うように、秋名へと向かっていく。

 

「……大丈夫っすかね、池谷先輩」

 

 走り去って行くシルビアの姿を見送った俊樹は、少し不安そうに立花に問いかける。

 

「どうだろうな。赤城のチームとの事に対しては、随分と入れ込んでるみたいだしな」

 

 立花も俊樹と同じ感情を抱いてるようで、心配そうにスピードスターズが走り去った方向を見つめながらタバコを吹かす。

 

「お前はどうするんだ、山に行くのか?」

「一応そのつもりです。練習したいってのもあるし、池谷先輩たちの事も少し気がかりですし」

 

 新品のハイグリップタイヤや効きの強いブレーキパッドを用意しているあたり、レッドサンズとの交流戦をかなり意識している様子の池谷。

 テクニックの差は歴然としていることは嫌でも思い知らされているだろうが、それ故に幾分かの無茶をするのではないかと俊樹は危惧していた。

 

「お前は池谷のチームと赤城のチームとの交流戦はどう思ってる?」

「……正直な話をすると残酷な結果になるんじゃないですかね」

 

 立花のある意味で意地の悪い質問に、少し躊躇いつつも自分の思いを素直に話す俊樹。

 

「車に乗り始めて日が浅い俺から見ても、向こうのチームとは悪い意味で走りのレベルが違いますし。まぁ向こうもそれを分かってて、先輩たちを挑発してきたんでしょうけどね」

 

 相手のやり口も汚いっすよね、と昨夜に見たレッドサンズに対する正直な感想も交える。

 

「でも少し気になる事もあるんですよ。実は昨日、秋名山から帰るときにレッドサンズの黄色いFDがブチ抜かれる瞬間を目の前で見たんです」

「ほぉ。FDというとRX-7の最終モデルか。お前の口ぶりからすると、相当速そうなヤツだな」

「実際速いと思いますよ。赤城レッドサンズのNo.2メンバーらしいし、雑誌にもちょくちょく取り上げられてるみたいです。そんな相手があっさりと追い抜かれたんですよね」

「それは凄いな。FDをブチ抜いた車種は何だったんだ?」

 

 何となく察しがついているような表情を浮かべながら、立花は煙草の灰をポンポンと灰皿に落とす。

 

「ハチロクのトレノでした。完璧に慣性ドリフトを使いこなしてましたね」

 

 俊樹が昨夜に見たコーナーを鮮やかに駆け抜ける白黒のハチロクの姿を思い出していたその頃、秋名山では池谷が真剣な面持ちでシルビアを走らせていた。

 

「ちぃッ……キツいぜ……!」

 

 暴れる車体を何とか制御しながら、池谷は秋名の山を下って行く。

 

(今までコーナーとも思ってなかった場所でさえ、恐ろしいコーナーに化けていく……!)

 

 2速にシフトダウンしコーナーへ進入するが、少しオーバースピードだった為か、シルビアはあっさりとテールスライドを引き起こす。

 慌ててカウンターステアを当てて姿勢を立て直そうとする池谷だが、上手くいかないのか忙しなくステアリングを操作していた。

 

(改めて下りの難しさを思い知ったぜ……走り慣れてるはずの秋名山が、まるで別人のように牙をむいてきやがる……!)

 

 四苦八苦しながらも秋名の山を下り終え、ゴール地点が近付くと首から下げているストップウォッチを停止させるが、表示されていたタイムは思ったよりも芳しくない。

 

「調子はどうだ?」

「駄目だ、ノれてねぇよ。足回りのバランスが崩れたのか、動きがぎくしゃくしてる」

 

 頂上まで帰ってきた池谷は健二にそう問われるが、あまり浮かない表情で答える。

 

「それはそうと、今夜も見かけたぜ。レッドサンズの黄色いFD」

「高橋兄弟の弟か……たまんねーよな、すげぇテクニック持ってるドライバーに、あんだけ熱心に練習されちゃあな……」

 

 秋名山を攻めながら、時折すれ違う啓介が操るFDの姿を確認していた池谷。

 そんなFDが池谷達の目の前でUターンし、再び秋名の山を下り始めていった。

 

(今夜も現れない、あの時のハチロク……地元の人間じゃ無かったのか?)

 

 FDが凄まじい速度でコーナーを駆けて行く。

 

(いや、そんなはずはない。あの走りは秋名の峠を熟知しているヤツに決まっている)

 

 途中、秋名スピードスターズのメンバーをあっさりとパスする。

 

(もう一度あいつに会いたい……リベンジかましてやらなきゃ俺の気が収まらねぇ!)

 

 軽やかにステアリングを操作し、コーナーをドリフト状態でクリアしていく。

 

(出て来い、秋名の幽霊! スピードスターズなんざどうでも良い。俺はお前に会いに来てるんだ!)

 

 内に秘める熱い心を、そのままドライビングに反映させる啓介。

 黄色いFDは文字通り弾丸となり、秋名山を何往復も駆け抜けていくのであった。




とうふ屋のハチロクついに登場。
そして俊樹君が何気にヒドいこと言ってる。


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第6話

「うおお! 流石ドリフトキング、たまんねーよぉ!」

「アクセルワークだけでコントロールしてるもんな」

 

 ガソリンスタンドの事務所内で、車がドリフト状態で走っているビデオ映像を見ながら盛り上がるイツキと池谷。

 

「俺達もこんな風にカッコよくドリフト決められるようになりてぇよなぁ!」

「ああ……」

「見ろよこのドリフト! 凄すぎるぜ!」

「ああ……」

 

 興奮するイツキに対し、雑誌を読みながら適当な相槌で返事を繰り返す拓海。

 

「あのなぁ拓海ぃ。お前さっきから気の抜けた返事ばっかしてるけど、ドリフトって知ってるのかよぉ?」

「バカにすんなー、それぐらい俺だって知ってるよ」

 

 拓海は読んでいた雑誌から視線を外し、イツキの方を見る。

 

「じゃあドリフトってどういう事なのか言ってみろ」

「ええっと……カーブで……」

「カーブって言うなダセェから。走り屋はコーナーって言うんだよ」

 

 腕組みをしながら突っ込みを入れるイツキ。

 

「あっそう。だからさ、そのコーナーでさ。車が内側に行きすぎないように、前のタイヤをこうやって流すんだろ」

「はぁー?」

 

 拓海が両手でステアリングを握る形を表しながら説明すると、イツキと池谷は目を見開いて困惑の表情を浮かべると同時に、腹を抱えながら大爆笑を始めた。

 

「勘弁してくれよ拓海ぃ! 前輪(フロントタイヤ)が流れるのは、アンダーって言って一番カッコ悪いヘタクソの代表だぜ」

「ドリフトってのはフロントタイヤじゃなくて、リアタイヤを流すんだよ。お前っておかしいよ、サイコーだよ拓海」

「ホントですよねー、あははは!」

 

 爆笑しながら拓海にドリフトの解説をするイツキと池谷に対し、拓海は何が間違っているのかあまり理解できていない様子で首をかしげる。

 そんな3人の様子を、先ほど出勤したばかりで更衣室から出てきた俊樹と、それと同じタイミングでトイレから戻ってきた立花は疑問に思った。

 

「皆で楽しそうに笑ってるけど何事?」

「いやー、拓海が相変わらずボケたこと言うからさー」

 

 未だに笑いが止まらないイツキが俊樹にそう言うと、俊樹と立花もなるほどなーと言った納得の顔をする。

 

「おっと、お客さんだぞ!」

「俺、先に行って誘導して来ます」

 

 事務所の窓から給油客がやって来るのが見えた立花は4人にそう伝えると、拓海がまず給油客に向かって走り出し、給油場まで誘導を開始する。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 帽子をかぶり直しながら拓海の後を追う池谷は、入ってきた給油客の車種を見て驚く。

 

(黄色のFD型RX-7……高橋 啓介か!)

 

 拓海は誘導を終えると運転席に近づく。

 

「ハイオク満タンだ」

「はい。ハイオク満タン入りまーす!」

 

 拓海が給油ノズルを引っ張り出し、FDの給油口にセット。そして池谷が前の窓、俊樹が後ろの窓を拭き始める。

 そんな給油の間、FDのドライバーである啓介はじっと何かを感がる様子を見せていたが、ふとバックミラーに写る俊樹の姿を確認すると同時に、前側の窓を拭いているのが池谷だという事に気付く。

 

「随分と熱心ですね、お客さん」

 

 池谷もそんな啓介の雰囲気を感じ取ったのか声をかける。

 

「どっかで見たシルビアと顔だと思ったら、やっぱりスピードスターズか。それなら、一つ聞いても良いかな。あんたなら多分知ってるだろ?」

「……何でしょう?」

 

 無視を決め込んで仕事をこなそうと思っていた池谷だったが、そういった言い方をされると客相手に無視をするわけにもいかなくなる。

 

「秋名山には鬼みてぇにばかっ速いハチロクの幽霊が出るだろ?」

「……からかうのは止めてもらえませんかね、お客さん」

 

 予想の遥か斜め上の質問をされて、池谷は思わず悪態をついてしまう。

 

「まぁ幽霊ってのは俺の冗談だけどな。白黒のパンダトレノで見た目は普通のハチロクだけど、中身は途方もないモンスターだ」

 

 啓介が池谷にそう話す間、給油の対応をしている拓海はFDのリアにそびえたつ大きなリアウイングを眺めていた。

 

「すげーなこれ、空でも飛ぶんか?」

「あのなぁ、車が空を飛ぶわけねーだろ」

 

 拓海の素っ頓狂な疑問に対して突っ込みを入れるイツキと、それを聞いて苦笑しながら窓を拭き上げる俊樹。

 

「後ろの窓を拭いてる若いヤツは知らなかったみてーだが……あれほどの車だ、秋名をホームにしてる地元の走り屋が知らないワケねーだろ?」

「あんた……何言ってんだ?」

「フッ、ばっくれやがって……まぁ良いさ。土曜日の交流戦に向けた秘密兵器のつもりならこっちも望むところだ。あのハチロクのドライバーに伝えておけ。この前チギられたのは、コースに対する熟練度とハチロクが相手だという油断だ、俺は同じ相手に2度は負けねぇってな」

 

 給油を終えてエンジンをかける啓介は不敵な笑みを浮かべて、困惑する表情の池谷に言い放つ。

 

「ありがとうございましたー!」

 

 拓海の誘導でガソリンスタンドを後にするFDの姿を見つめながら、池谷は呆然と立ち尽くす。

 

(高橋啓介が負けたぁ? 一体どういうことだ……そんなハチロク、俺だって知らねぇぞ!)

 

 先ほど啓介から伝えられた事実を頭の中で整理していると、ふと立花の言葉を思い出し、FDの誘導を終えてスタンド内へ戻ってくる拓海の方を見る。

 

(確か……拓海の家にあるハチロクもパンダトレノだった!)

 

 その事実に気付いた池谷は、全身に鳥肌が立つような感覚を覚える。

 

(まさか店長の言ってた話は本当だったのか……今でも秋名下り最速のハチロクは実在するってのか!?)

 

 混乱する頭の中を必死に整理する池谷は、啓介から告げられた言葉の中でもう一つ気になる事があった。

 

「なぁ俊樹」

「はい?」

 

 FDの窓を拭いていたタオルを片付けている俊樹は、池谷に呼ばれて顔を向ける。

 

「お前、高橋啓介と面識があったのか?」

 

 池谷達が啓介と初めて言葉を交わしたのは、先日の土曜日の秋名山頂上。そのとき俊樹はまだ山頂には居らず、啓介が俊樹の存在を確認していることは無いはずだ。

 

「面識ってほどのモンじゃないですけど……この前2つ3つ言葉は交わしましたよ、秋名山で」

「秋名で……?」

「ええ。さっきの高橋啓介の話に出てきたハチロクですけど、実は俺も見てるんですよ」

「何だって!?」

 

 思わぬところで新情報が出てきた上、目撃者が居る事に驚く池谷。

 

「先輩たちも初めてレッドサンズと出会ったこの前の土曜日、オレの目の前でレッドサンズのFDを白黒のハチロクトレノがブチ抜いて行ったんですよ。めちゃくちゃ完璧なスーパードリフトを披露しながら」

「あの日にそんなことがあったのか……」

「その時にオレも聞かれたんですけど、流石に免許取りたてのヤツが知ってるわけないですから。とは言えまさか池谷先輩たちも知らないのはちょっと変ですよねぇ……」

 

 何処か腑に落ちない表情で話す俊樹を見て、池谷は自分の中にあった疑念が確証に変わる。

 

(間違いなく居る、秋名下り最速のハチロクが……!)

 

 拓海の家――藤原とうふ店に駐車されていたパンダトレノの姿を池谷は思い浮かべた。

 

 

「くそっ、またダメだ……!」

 

 仕事が終わると秋名山を攻め込むことが、もはや日課となりつつある池谷は、秋名山を下り終えて車を止めると、ストップウォッチに表示されるタイムを見て苦い表情を思い浮かべる。

 

「こんな恐ろしい思いをしても、タイムは一向に縮まらねぇ……!」

 

 先ほどまでの走りは池谷が考える限界ギリギリの走りだった。しかし、数字は無情にもそれが速くはない事を証明していた。

 

(今までアクセルさえ踏み込めばタイムは勝手に縮まるモンだと思ってけど、そんな甘いモンじゃない……)

 

 モータースポーツ経験が豊富な赤城レッドサンズとは違い、秋名スピードスターズはタイムを詰めるトライなどはしたことがなかった。

 

(このままじゃ到底レッドサンズには太刀打ちできない……俺のテクニックなんてこの程度だったのか……!)

 

 絶望的とも捉えられる表情の池谷を後目(しりめ)に、レッドサンズの車が1台、また1台と秋名山を走り込んでいく。

 すでに地元であるスピードスターズよりも、秋名山を速いペースで走る事が可能になっているレッドサンズ。

 その事実が、池谷をはじめとするスピードスターズの面々を精神的に追い詰めていた。

 

「池谷……大丈夫か?」

 

 池谷を心配する健二だったが、レッドサンズとのレベルの違いを思い知らされている彼も、あまり浮かない表情をしている。

 

「ああ、とにかく走り込むしかねぇ。ちょっとでもレッドサンズの連中に喰らいつくんだ……!」

 

 己に気合を入れるかのように言い放ち、池谷は再びシルビアに乗り込むと秋名山を登って行く様子を健二は心配そうに見つめていた。

 その頃、既に閉店したガソリンスタンドの事務所内で、立花は誰かと電話をしていた。

 

「久しぶりに電話したのに冷たいじゃねぇか。まぁただ単に、お前が元気にやってるかと思ってな」 

「俺は変わらねぇよ、別に」

 

 電話の内容から察するに、どうやら相手は旧友か何かの様子だ。

 

「ハチロクの方も随分と元気そうじゃないか、若いヤツらが秋名でお前を見かけたって騒いでたよ。ハチロクでFD型RX-7をチギるだなんて、良いトシしてよくやるぜぇ」

「んー? そりゃあ違う、俺じゃねぇな」

「違う事はねーだろ、ハチロクでそんなバカを秋名でやらかすのはお前だけだ」

 

 タバコを吹かしながら電話相手にそう言い寄る立花だが、相手は否定を続けた。

 

「だからその……そのハチロクは俺の車だけど、運転してたのは俺じゃない」

「はぁ? どういうことだ?」

 

 立花が相手からの回答に疑問を抱いて質問する。

 

「何だとぉ!?」

 

 そしてそれに続く電話相手からの思いもよらない言葉に、立花はただただ驚くしかなかった。

 

 

 




走り屋系の小説なのにぜんぜん走ってねぇなこいつら()


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第7話

 朝日が降り注ぐ中、登校中の拓海とイツキが話していた。

 

「相変わらず寝ぼけた顔してんなー」

「悪かったな、生まれつきだよこの顔は。てか本当に眠いんだっての」

「今度の土曜日、忘れんなよハチロク~」

 

 下駄箱の前でイツキが拓海をジトーッと見る。

 

「わかってるけど、しつこいぞイツキ」

「これくらい念を押しとかないと不安なんだよ。それにしても土曜日が待ち遠しいぜ、ドキドキするよぉ」

「そうかよ」

 

 1人テンションの上がっているイツキを放って、校内移動用の上靴に履き替える拓海。

 

「池谷先輩たちには勝ってもらいたいけど、高橋兄弟のドリフトも見てみたいし……。俺らも走り屋を目指すからには、いつか秋名最速と呼ばれるようになりたいよなぁ」

「別に俺はそんなんになりたいとは思ってねぇけどな」

 

 相変わらず冷めた良い草をする拓海を、イツキは鼻で笑う。

 

「まっ、お前は目指しても無理かもな。池谷先輩の車のリアシートで、あんだけ怖がってるようじゃ才能の欠片もないぜ」

 

 ドヤ顔で話し始めたイツキに、拓海は心底興味が無いと言う顔をする。

 

「そこへ行くと俺は違うぜ。そりゃあちょっとは怖かったけど、歯を食いしばってコーナー出口を睨んでたからな」

 

 どうにも話が止まらない雰囲気なので、拓海はさっさと教室に向かい始め、イツキは下駄箱に置いてけぼりになる。

 

「池谷先輩もひそかに思ったんじゃねぇかな。拓海は見込み無いけど、イツキは将来楽しみだってさぁ!」

 

 テンションが上がるイツキだったが、ふと拓海が居ない事に気付く。周りに居た生徒からは、また武内かというような笑い声が出ていた。

 

「おい待てよ拓海ぃ! いくら俺の才能に嫉妬したからって、ちょっと冷たいんじゃねぇか?」

「嫉妬なんてしてねぇよ」

 

 階段をのぼりながら2人がワイワイと話していると、そこに声をかけて来る人物がいた。

 

「おはよー拓海君」

「も、茂木?」

 

 挨拶をしてきた茂木を見て、2人は思いもよらなかったのか少しフリーズする。

 

「あっ、そうだ拓海君。ちょっと話があるんだけど、一緒に来て」

「え? あ、おい!」

 

 茂木に手を引かれ、拓海はそのまま階段を駆けあがって行った。

 

「どうなってんだぁ? 茂木なつきに嫌われてるってハナシは何処行ったんだよぉ」

 

 1人残されたイツキは何がどうなっているのか理解できずに呆然と立ち尽くす。

 学生たちがそんな青春を謳歌しているころ、池谷は藤原とうふ店を訪れていた。

 

「いらっしゃい」

 

 池谷が店内に入ると、店主と思われるぶっきらぼうな男性が出迎えた。

 

(この人が秋名下り最速のハチロク乗り……あの高橋啓介のFDをチギるほどの走り屋なのか……!)

 

 池谷が店主である男性――藤原 文太(ふじわら ぶんた)をジッと見つめると、文太は声をかける。

 

「お客さん、なんにします?」

「えっ!? あっ、えーと……厚揚げ下さい」

「はいよ、毎度」

 

 商売人として至極まっとうな質問に対し、池谷はふと我に返り焦りながらも厚揚げを注文する。

 

(いやいや! 何やってんだ俺!)

 

 此処へ来た本来の目的を達成するため、池谷は気合を入れ直して文太の方を見る。

 

「あの俺……池谷っていうモンですけど、秋名スピードスターズっていう走り屋のチームやってます」

「ほう?」

 

 手際よく仕事をこなしながら、文太は池谷の話に耳を傾ける。

 

「実はある人から変わったウワサを聞いてここに来たんですけど……秋名の下りで一番速いのは、ハチロクに乗ってるとうふ屋の親父だって言うんです」

「何処の誰が言ったかは知らないけど、俺じゃねぇよそれは」

 

 文太は池谷の言うことを否定するが、池谷は全く引かない。

 

「しらばっくれないでください。群馬中を探したって、ハチロクでとうふを配達する店なんて他には絶対に無い!」

「おいおい、お客さん……もしそれが俺だとしたらどうする気だい? まさか秋名最速を賭けて勝負しろだなんて言わないでくれよ」

 

 文太は厚揚げの入った袋を池谷に渡しながら、呆れた顔でそう言い放つ。

 

「いや、そんなつもりじゃなくて……実は込み入った事情があって、俺の話を聞いてもらえませんか?」

「困るんだよなあ、仕事中だしからさー」

 

 明らかに面倒くさそうな声を出す文太だが、引き下がれない池谷も喰らいつく。

 

「ヒマそうじゃないですか! 他に客もいないし!」

 

 ガランとした店内を見渡し池谷が言い寄ると、文太は痛い所を突かれたという顔をする。

 

「失礼だなアンタ……言いにくいことをズバッとさぁ……」

「す、すいません。俺もちょっと必死なモンで……」

「なるほどな。そこまで言うなら話くらいは聞いてやるけど、時間の無駄だと思うよきっと」

 

 文太はタバコに火をつけて池谷を見据える。

 

「実は赤城レッドサンズってチームから、タイムアタックの挑戦されてるんです。向こうのチームには物凄いテクニックを持った走り屋が居て、情けない話ですけど俺達じゃあとても太刀打ち出来そうにない……でも、地元の走り屋として絶対に負けたくないんです」

「なるほど、確かに昔から赤城の走り屋には上手いやつが多かったな。それで、俺にどうしろっていうんだ?」

「藤原さん。俺に秋名の攻め方を教えてくれませんか?」

 

 必死の形相で池谷は問うが、文太の態度は変わらない。

 

「残念だが、そいつは無理な注文ってヤツだ」

「なっ……! 少しでも良いんです! コンマ1秒でも速く走れるようになりたいんです!」

「あんたの気持ちはわからんでもねーが、ドラテクってのはたった2日3日で何とかなるようなモンじゃねぇよ」

 

 文太の言葉に、池谷はハッとした表情を浮かべた。

 

「どうすれば車が思い通りに動いてくれるのかを、自分でトコトンまで考えて走り込むしかない。俺が現役の頃なんざ夢の中まで秋名山を攻めてたさ」

 

 焦る池谷を諭すかのような口調で話す文太。

 

「寝ても覚めても考えるのは走りのことだけ。ドラテクなんてのはそういうモンだ。人から教えてもらうモンじゃない、自分で見つけて身に付けるモンだよ」

「……そうですか」

「悪かったな、力になれなくて」

 

 池谷は文太にそう告げられると、店を出てシルビアに乗り込む。

 

「……俺は諦めてませんよ藤原さん。また来ると思います」

 

 ゆっくりとシルビアを発進させ、池谷は文太の元から走り去って行き、そのまま仕事場へと向かう。

 そして夜になると、池谷は相変わらず秋名山へと赴いていた。

 今日は他のスピードスターズのメンバーの姿はなく、レッドサンズのメンバーの姿も見受けられない。

 

「誰も居ないなんて珍しいな……」 

 

 山頂にシルビアを止めた池谷は、辺りをきょろきょろと見渡しながら呟く。

 昼間、文太から突きつけられた現実と向き合うため他のメンバーの意見を取り入れようと思っていたのだが、どうも当てが外れてしまった様子だ。

 

「タイミング悪ぃなぁ……」

 

 ポリポリと頭を掻きながら、タバコに火をつける池谷。

 

(トコトン考えて走り込む……か)

 

 タバコの煙を吐きながら文太の言葉を思い出す。仕事中にも走りの事を考えていたが、それはそんな経験がない池谷にとっては無理難題に近い物だった。

 

(いくら考えてもわかんねーよ……だからこそヒントが欲しいんじゃねーか!)

 

 心の中で思わず悪態をついてしまうが、ここにとどまっていても仕方がない。タバコを吐き捨てたあとに気合を入れ、シルビアに乗り込む。

 

「とにかく走るしかない……!」

 

 いつものようにストップウォッチを首から下げて4点式のシートベルトで身体をギュッと締め付ると、池谷はシルビアは勢いよく出発させる。

 アクセルはもちろん全開、順調にシフトアップを重ねていき、大きく左へと回り込む第1コーナーが目前に来る。

 

「っ……!」

 

 アクセルを少し戻してステアリングを切り込む池谷。コーナリングを開始するシルビアだが、その動きは何処かぎこちない。

 忙しく修正舵を繰り返しながら、お世辞にも綺麗とは言えない姿勢でコーナーを曲がって行く。

 

(こんなんじゃあ駄目だ!)

 

 具体的に何が駄目なのかは池谷自身にもわからないが、少なくともこんな体たらくではレッドサンズに太刀打ち出来ないのは事実だ。

 次に現れる第2コーナーは先ほどと違って緩く右へと回り込むコーナー。それを抜けるとちょっとした直線の後に右のヘアピンコーナーが待ち構えている。

 シルビアは緩い右コーナーを抜けると、次の右ヘアピンに向けて直線部分でブレーキングを開始。池谷はヒール&トゥを使用してシフトダウンを行おうとするが、エンジンの回転数が合っておらず急激なエンジンブレーキが作用する。

 

(くっ……!?)

 

 シルビアが自分の想像していたよりも減速してしまい、池谷はブレーキペダルから足を離してしまうがそれは悪手だった。

 減速しすぎたと言っても普通に走る分から考えれば充分にオーバースピードであり、フロントタイヤの荷重が抜けたシルビアはステアリングを切り込んでも曲がって行かない。

 いわゆるアンダーステア状態に陥ってしまった。

 

「くそっ!」

 

 池谷はすぐさまブレーキペダルを踏み込んでスピードを殺し、更にステアリングを切り込む。

 すると何とかシルビアは体勢を持ち直し、フラフラとコーナーを曲がって行くことに成功した。

 

(ヤバかったぜ……!)

 

 額にブワッと出てきた嫌な汗を拭った池谷は、前方を走る1台の車の姿を確認する。

 その車の正体は若葉マークを貼り付けた白いアルトバン。数日前、俊樹が秋名山に乗って来ていた車だった。

 そんなアルトバンの車内では、ドライバーである俊樹がバックミラーで池谷のシルビアの姿を確認していた。

 

「あのシルビア……池谷先輩か? 今日は誰も居ないと思ったんだけどな」

 

 恐らくレッドサンズとの交流戦に向けての走り込みをしているのだろうと、そう判断した俊樹はハザードを出してアルトを減速させる。

 あれだけの入れ込み様を見せていた池谷の邪魔をするのは忍びない、という思いが俊樹にはあった。

 

(ちょっと心配だよなぁ……)

 

 ゆっくりと減速して進路を譲るアルトの横を勢いよく駆け抜けていくシルビアの姿を見て、俊樹は少し憂いを持っていた。

 シルビアがコーナーを曲がっていく姿に、どうにも無理をしているような雰囲気を感じられる。走りの経験が浅い俊樹から見ても、池谷はシルビアをコントロール出来ていないように思えた。

 

「無理しすぎなきゃ良いけど……」

 

 俊樹は心配そうに呟きながら、あっという間に遠くへ離れていくシルビアのテールランプを見つめた。

 

(タイムが縮まらない……。もっとだ……もっとアクセルを!)

 

 俊樹の乗るアルトバンを追い抜き、ストップウォッチに目をやる池谷。

 表示されているタイムに少し苛立ちを覚えながらも、アクセルペダルを踏み込む足に力を込める。

 少し長めのストレートでシルビアの車体はどんどんと加速する。スピードメーターの針は悠に時速100キロを超える数値を示しており、池谷にとっては体験したことのない速度の領域だった。

 

(地元の走り屋がよそ者に舐められて――たまるかよっ!)

 

 池谷の目前に左コーナーが現れる。ステアリングを切り込むがいつもよりスピードが出ているからか、アンダーステアを誘発してしまいコーナリングラインが膨らんでいく。

 このままでは曲がれない。そう判断した池谷はブレーキペダルを踏み込み減速しようとした、その瞬間に池谷の目に衝撃の光景が飛び込んでくる。

 

(ヘッドライトの光……!?)

 

 コーナーの奥側からこちらにやってくる明るい光。それは紛れも無く対向車両の存在を表していた。

 

(しまった……! 対向車の存在に気付くのが遅れちまった……!)

 

 このまま行けば間違いなく対向車との正面衝突は避けられない。

 池谷は必死にステアリングを切り込むが、アンダーステアが発生しているシルビアは、それ以上に曲がる気配を見せてはくれない。

 

(ひでぇアンダーだ! ラインが膨らむ――避けきれねぇ!)

 

 こうなってしまえば池谷に出来ることは、対向車が避けてくれることを祈りながらブレーキペダルを踏み続ける事だけだった。

 

(頼むっ、イン側に逃げてくれ!)

 

 対向車のドライバーも、池谷のシルビアが突っ込んでくるのが見えた。驚いた顔で叫び声をあげながら、シルビアとの接触を避けようとステアリングをコーナーのイン側に切り込んでいく。

 それが功を奏し、2台は接触することなく文字通り紙一重ですれ違うことに成功した。

 

(かわせたぁ…!)

 

 対向車とシルビアが衝突を回避したことを確認した池谷は安堵の気持ちを覚えるが、視線を前方に戻すとその目前にはガードレールの姿があり、もはや池谷に為す術は無かった。

 シルビアはそのままの勢いで一直線にガードレールに激しく衝突し、運転席側がガードレールとの間に挟まる形で停車した。

 その激しい衝突音は、池谷に進路を譲った俊樹の音にも聞こえてくる。

 

(まさか!?)

 

 背筋に悪寒が走った俊樹はアクセルペダルを全開にしアルトを加速させ、シルビアが走り去って行った方向へと急ぐ。

 2つほどコーナーを抜けると、左コーナー手前の車線に進行方向とは逆を向いた1台の車が停車しており、その車内からドライバーが慌てて飛び出し、後ろ側へと走り去って行くのが見えた。

 

「あぶねぇな! ひどい運転しやがって!」

 

 車から飛び出した対向車のドライバーは怒りの声を上げながら、ガードレールにめり込む形で停車しているシルビアに駆け寄る。

 

「おい君! 大丈夫か!?」

 

 助手席側のドアを開け、運転席で頭から血を流して項垂れている池谷に安否を問う。

 

「す、すいません……俺の不注意で……」

 

 池谷は首だけを動かし対向車のドライバーに謝罪をするが、その見た目と声は痛々しい物だった。

 

「池谷先輩! しっかりしてください!」

 

 アルトをシルビアの傍に停車させ、車内から飛び出してきた俊樹も対向車のドライバーと一緒に池谷に呼びかける。

 

「と、俊樹か……カッコ悪いトコみせちまったな……」

 

 俊樹に心配させまいと軽口をたたく池谷だが、その表情は苦しそうだ。

 

「いますぐ救急車を呼びますから!」

 

 俊樹は対向車のドライバーに救急車を呼ぶように指示をして、その救急車が到着するまで池谷に声をかけ続けたのであった。

 

 

 




池谷先輩クラッシュしちゃった…(他人事)
もうだいぶダレて来てるので気が向いたら消すかもしれん。
ご了承願います。


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第8話

 

「えぇっ!? 池谷先輩が事故ったぁ!?」

「それいつですか!?」

 

 ガソリンスタンドでバイト中のイツキと拓海は、健二から衝撃的な知らせを聞かされていた。

 

「昨日の夜、秋名の下りでやっちまったって。現場を見て来たけど、ガードレールが派手に壊れてたよ……」

「それで、池谷先輩の怪我はどうだったんですか!?」

「たまたま俊樹がその場に居合わせたらしくて聞いた話だけど、4点式シートベルトで体を固定してたのが幸いしてそれほど酷くは無いらしい。軽いむち打ち程度で命に別状はないって」

 

 池谷の怪我自体は大したことないという情報に、イツキと拓海は安堵の表情を浮かべた。

 

「ただ精神的には相当まいってるみたいでさ……シルビアの方もかなり損傷してるらしいんだ」

「じゃ、じゃあ今度の土曜日の交流戦はどうなるんですか!?」

「絶望的だよな……とにかく池谷の代役を立てて、誰が下りを走るかメンバーで決めなきゃ……」

 

 そう話す健二の表情もひどく追い詰められており、イツキと拓海も心配そうな顔をしていた。

 スタンド内が暗いムードで漂う中、首にギプスをはめ頭を包帯でグルグル巻きにした池谷は、とある場所を訪れていた。

 

「あっ、池谷先輩。良いんすか、出歩いちゃって?」

 

 その場所――俊樹の父親が経営する中古車屋で、事務所から出てきた俊樹が池谷の姿に気が付いて駆け寄ってくる。

 

「俺の方は何とかな……シルビアは?」

「とりあえず、ヤードの奥の方に置いてます。今日中に修理工場の人が持っていく予定らしいですよ」

 

 プライスボードが掲げられていない車が何台か並べられた奥の方を俊樹は指差すと、そこにはフロント部にカバーが掛けられた池谷のシルビアの姿があった。

 昨夜起こった事故の際、俊樹は救急車を呼ぶと同時に、父親に池谷のシルビアを回収するように頼んでおり、その夜のうちに此処へ運ばれていた様だ。

 シルビアの修理に関しては、池谷が懇意にしている修理工場には既に連絡が回っており、後ほどその工場のスタッフが積車で回収しに来るとの事だった。

 

「悪いな……色々やってもらってさ」

「気にしないで下さい、困った時はお互い様っすよ。オレもバイト始めたばっかの頃、先輩には迷惑かけてましたから」

 

 何の事は無い、といった表情で断言する俊樹。

 

「じゃあオレ、これからバイトなんで」

「ああ、気を付けてな」

 

 俊樹は店前に止めてあったアルトに乗り込んで、その場から走り去って行く。

 それを見送った池谷は奥へと歩いていき、シルビアに掛けられたカバーをゆっくりと外していく。

 

(ごめんな、シルビア……俺がヘタクソなばかりに痛い思いをさせちまって……)

 

 ガードレールの支柱にぶつかった助手席側のフロント部分は大破し、ガードレールと地面の隙間に潜り込んだ運転席側はボンネットがめくれあがって窓ガラスも割れている。

 そんな痛々しい姿のシルビアを労うかのように、破損した部分を優しくなでる池谷。

 

(はやく直って帰って来てくれ……また一緒に走ろうな……)

 

 その瞳にはうっすらと涙が浮かんでおり、彼の心情を物語っているようだった。

 

 

「なぁ俊樹、池谷先輩のシルビアはちゃんと直るのか?」

 

 バイト先のガソリンスタンドに到着するなり、俊樹はイツキにそう問われる。

 

「ちゃんと修理すれば直ると思うけど、時間は掛かるだろうなぁ。少なくとも今度の土曜日には間に合わないよ」

「そっかぁ……」

 

 肩を落とすイツキ。まるで自分の事のようにショックを受けている様子だった。

 

「俊樹は池谷先輩が事故ったとき現場に居たんだろ。どんな感じだったんだ?」

 

 普段ならこの手の話題に乗る事が少ない拓海も、流石に身近な人間の事故は気になる様子だ。

 

「オレも一部始終を見たわけじゃないから、あんまりテキトーな事は言いたくないんだけど……」

 

 そんな前置きをして、俊樹は自分なりに感じたことを話し出す。

 

「事故の状況から察するに、池谷先輩がオーバースピードでコーナーに突っ込んで、そこに対向車が来たのが原因だと思う。ホントに2台が正面衝突しなかったのは不幸中の幸いだよ」

 

 時折ジェスチャーを交え、説明を続ける俊樹。

 

「先輩が事故る前にオレのことを抜いて行ったんだけどさ、なんか車の動きが危うかったんだよ。たぶん、土曜日にあるレッドサンズとの交流戦をかなり意識してたんじゃないかな……」

「そういえば池谷先輩、昨日は何かずっと考え事してるように見えたな」

 

 拓海が昨日の池谷の様子を思い出すと、確かに真剣な面持ちで何かを考えている様子だった。

 

「オレに分かるのはここまでかな」

「そっかー……あーあ、交流戦どうなっちまうんだろうなぁ……」

 

 話を聞き終わったイツキは不安の表情を強くする。

 

「さぁなー。ヘタすりゃ何も出来ずに全面降伏ってカタチにもなりかねないけど、なにせオレらみたいな部外者が口挟めることじゃねーし……」

 

 俊樹も帽子をくるくると指で回しながら、どことなく暗い表情で呟く。

 代役を立てると健二も言っていたのでそんな可能性は限りなく低いだろうが、3人ともスピードスターズのメンバーではないので、チーム同士の交流戦について意見を言える立場では無い。

 

「とりあえず、オレらに出来る事と言えば――」

「出来る事と言えば?」

 

 俊樹はパンッと手を叩いて2人を見る。

 

「池谷先輩の分まで、頑張って働くことかな」

 

 ニッと笑みを浮かべ、帽子を被りながら来店した給油客の元へと駆け出して行く。

 そんな高校生たちが頑張って仕事をしている同時刻、藤原とうふ店の店内には池谷の姿があった。

 

「すいませーん。あのー、厚揚げ下さい」

「はいー、毎度――ん?」

 

 店主である文太は店の奥から池谷の姿を確認すると、その姿を見て表情を険しくした。

 

「事故ったのか?」

「えぇ……お恥ずかしながら」

「交流戦まで日も無いだろ、どうすんだ?」

 

 文太が池谷にそう問うと、彼は覚悟を決めたような顔で文太を見る。

 

「実はその件で……藤原さんにお願いがあって来たんです」

「お願い?」

「はい。土曜の交流戦、俺の代わりに走って欲しいんです!」

 

 池谷からの無茶な注文に、文太は思わず驚き困惑した表情を浮かべた。

 

「俺は秋名で育った走り屋だから、赤城レッドサンズが秋名の走り屋全員をバカにしてるのが見え見えでそれに腹が立つんです。秋名にだって本当に実力のある走り屋が居るってことを、あいつらに見せつけてやりたいんです!」

 

 己の持つ熱い思いを全てぶつけてくる池谷に、文太は頬をポリポリと掻いてどうしたものか、と思案する。

 

「赤城レッドサンズの高橋 啓介を、一度でもチギった藤原さんならそれが出来る!」

「おいおい……今さら俺みたいな親父が出張っても場違いってモンだろ?」

 

 文太は厚揚げを準備しながら諭すようにそう答えるが、池谷も引く気は全く無かった。

 

「藤原さんなら走り屋の気持ち分かってくれるでしょう。地元が負けるわけにはいかないんです!」

「だとしても、そいつぁ若いモン同士で何とかする問題だぜ。ほい、140円」

 

 厚揚げの入った袋をカウンターに置き、代金を請求する。

 

「……また買いに来ます。美味いですから、ここの厚揚げ」

 

 小銭で140円を支払いながら、そう告げて池谷は店を後にする。その背中は少し寂しげなものだった。

 

「やれやれ、本当に俺じゃないんだが……嫌いじゃねーな、ああいうヤツは」

 

 そんな池谷の後ろ姿を店前で見送りながら文太はタバコに火をつけ、小さく笑みを浮かべるのであった。

 

 

 ――夜、営業を終了したガソリンスタンドに1台の車がクラクションを鳴らしながら入ってくる。

 

「なんだよ、今日はもう終わりだぞー」

 

 閉店作業を行っていた立花が、入店してきた車――ハチロクに乗った文太にそう告げる。

 

「固いこと言うな、ハイオク満タンだ」

「生意気だなー、ハチロクのくせにハイオクだとぉ?」

 

 軽口を叩きながら、立花は給油口の開いたハチロクにハイオク用の給油ノズルを差し込む。

 暫くしてハチロクへと給油が終わると、2人は事務所に入ってタバコに火をつける。

 

「てめーだろ祐一、あの池谷って若いヤツにヘンなウワサ吹き込みやがったの」

「別にウソを言ったつもりはねぇけどな、それがどうかしたか?」

「毎日通い詰められて参ってんだよ。今日も来たぞ、頭に包帯巻いてギプス付けて脚引き摺ってさ。事故った自分の代わりに走ってくれだとよ、哀れで仕方ねぇよ」

 

 なんだかんだ言いながらも、池谷の事を心配する文太。そんな文太に、祐一は提案をする。

 

「池谷は気のいい奴だぞ、哀れだと思うんなら走ってやったらどうだ?」

「やだね。ガキのケンカに大人が首突っ込んでどうすんだよ、そう言うのは俺の主義じゃねーよ」

「なるほどな。それなら、ガキのケンカにはガキを出せばいいだろ?」

 

 立花がしたり顔でそう言うと文太がピクリと反応する。

 

「……拓海のこと言ってんのか?」

「そうだ。お前の話じゃあだいぶ前から車で配達やらせてたみてぇだし、かなりの腕になってんだろ?」

「まだまだ、だけどな。秋名の下りなら誰が来ても負けねぇ位にはなったかな」

 

 まぁ俺には負けるがなと、タバコの煙を吐きながら言葉を続ける文太に思わず立花は苦笑する。

 

「けどあいつもなぁ。誰に似たのか頑固なとこあって、走れと言って素直に走るような奴でもないんだよなぁ」

 

 自分の息子の姿を思い出し、思わず笑ってしまう文太。

 

「まぁあの池谷ってヤツの熱意に免じて、作戦を考えてやるか。それじゃあな」

「おう」

 

 文太は給油の終わったハチロクに乗り込むとエンジンをかけ、そのままスタンドから走り去って行った。

 

 

 




秋名最速の男であるとうふ屋の店主ついに登場。


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第9話

「あのさ、今度の日曜に車使うぜー」

 

 スタンドから帰宅してきた文太を見るなり、拓海はそう言い放った。

 

「日曜はダメだな」

 

 そんな拓海の言葉を一刀両断で切り捨てる文太。

 

「なんでだよ。朝の配達はちゃんとするし、それに日曜は店休みだろ?」

「そういう問題じゃなくて、商工会の寄り合いがあるから俺が車使うんだよ」

 

 拓海の問いに文太はまともな回答をする。

 

「それマジかよ……まずいよぉ、俺どうしても日曜に車使いてぇんだよなぁ……」

 

 頭を抱える様子の拓海を見て、文太は何かを察したのかニヤリとあくどい笑みを浮かべた。

 

「ははーん、さては女だな?」

「うっ!?」

 

 ド直球で図星を突かれた拓海は顔を真っ赤に染め上げながら、文太から視線を外して言葉を続ける。

 

「何だっていいだろ……。勿体ぶらねぇで貸してくれよ、どうせボロい車なんだし。勝手に乗って行くからなー」

「へへっ、車はキーが無きゃ動かねぇよ。紐に付けて首から下げとこうかなぁ?」

「汚ねーぞそれ!」

 

 車のカギをくるくると回す文太に抗議する拓海だが、車自体は文太が所有する物なので強くは出れない。

 どうしようかと思案していると、文太が不意に提案を出してきた。

 

「どうしてもってんなら考えてやっても良いぞ」

「ホントかよ! 良いトコあるじゃん!」

 

 一気に顔を明るくする拓海。

 

「ただし条件付きだ」

「条件……?」

 

 怪訝な顔をする拓海の前に、文太は車のキーを突きだす。

 

「土曜の夜、あの車で赤城最速とかフカしたガキを軽くひねってこい。秋名の下りでな」

「はぁ? なんだそれぇ……?」

「そうすれば車は無条件で貸してやる。しかもガソリン満タンのオマケ付だぜ?」

「ガソリン満タン……!?」

 

 言っている意味が良く分からないと言った表情の拓海だったが、文太の付け足した一言で心がぐらぐらと揺れ始めた。

 

(この条件はめちゃめちゃグラッと来るぜ……なんせ金ねぇからな俺……)

 

 拓海は眉間にシワを寄せて考え込むと、文太はしたり顔でそれを見る。

 

「どうするんだ?」

「ちょ、ちょっと考えさせてくれ……」

「良いぜ、好きなだけ悩みな」

 

 拓海は自分の部屋に向かうため、悩みの表情を見せたまま階段を上って行った。

 

 

 時を同じくして、啓介は部屋の扉をノックして中に入る。

 その部屋の中では、兄である涼介がパソコンの前で何かを考えている様子だった。

 

「啓介か……ちょうど良かった、お前に聞きたいことがあるんだ」

「なんだよアニキ?」

「お前が秋名で見たっていうハチロクだけど、そいつの速さを理論的に解説できるか?」

 

 部屋に入るなり兄に無茶振りをされた啓介は、ベッドに腰掛けながら口をとがらせ勘弁してくれと言い放つ。

 

「アニキと違って俺はそういうの苦手だからさぁ……」

「いつも言ってるだろう、ドラテクで一番大切なのはここだって」

 

 涼介は自分の頭を指差しながら啓介を見る。

 

「アニキはバトルしながら後ろで観察すると何でも分かっちまうんだよな。相手ドライバーのクセや欠点、車に対しても足回りの仕上がりやエンジンパワーまで当てちまうし、その分析力はバケモノじみてるぜ」

「俺に言わせれば、何も考えずに走ってタメ張るお前の方がよほどバケモノだよ。啓介の走りに理論が加われば理想的なドライバーなんだけどな」

 

 少々呆れた顔をしながら、涼介はリベンジに燃える啓介にそう伝える。

 

「あんな屈辱的な抜かれ方されたのは初めてだぜ。やっぱあのハチロクの中身はモンスターだ」

「なるほどな。お前がそこまで言うそのハチロクとドライバーには少し興味が出てきた……」

 

 涼介はパソコンの画面に視線を移す。 

 

(今度の交流戦、俺も行ってみるか……そのモンスターとやらを、自分の目で確認してやるさ)

 

 彼は心の中で静かに決意を固めるのであった。

 

 

 さらに同時刻。秋名山には俊樹の姿があった。

 

「うわぁ……改めて現場を見ると壮絶だな……」

 

 彼は捲れ上がったガードレールを見て小さく呟く。

 

「よくこれであんな怪我で済んだよな……不幸中の幸いだよホント」

 

 俊樹の隣には健二の姿もあった。

 珍しい組み合わせに見えるが元々2人は約束して会った訳ではなく、池谷が事故を起こしてしまった左コーナーで俊樹の姿を発見した健二が、彼に寄って行ったのがきっかけだ。

 

「ぶつかる直前までブレーキ踏んでたのが効いてますよね。もしノーブレーキで突っ込んでたら確実にガードレール吹っ飛ばして崖下に落ちてますよ」

 

 シルビアの車体を受け止めたであろうガードレールの支柱を見ながら、俊樹はそう分析する。

 

「だよなぁ……」

 

 健二も同じ意見なのか、俊樹の言葉に肯定した。一つ間違えば死亡事故に繋がるぶつかり方だったが、池谷の命に別状が無かったのは幸いであった。

 

「……交流戦はどうするんですか?」

「それが問題なんだよなぁ……」

 

 暫くの無言の後、俊樹から問われた健二は歯切れの悪い返答をした。

 

「正直な話、メンバーの皆はだいぶ士気が下がってるんだ。実際、ホームグランドでレッドサンズの連中に着いて行けなかったわけだし……」

 

 そもそも秋名スピードスターズはそこまで速さに対して追及しているチームでは無く、単に走るのが好きな秋名の走り屋が集まった集団である。

 レッドサンズに対しては最初こそ意識していたものの、実力差を見せつけられた今の現状では、既に諦め半分でシラけているメンバーが居るのも事実だった。

 

「池谷は今回の交流戦に随分と入れ込んでたから、それが良い意味でチームを引っ張って行ってたけど……」

 

 スピードスターズの精神的支柱ともいえる池谷が事故を起こしてしまい交流戦で走れない以上、スピードスターズの面々がモチベーションを保つことはかなり難しい問題だ。

 

「代役を立てなきゃいけないけど、レッドサンズの高橋兄弟と走るってなるとな……」

 

 勝ち目のないバトルで走るという選択をする者は数少ない。ましてや相手は有名な走り屋である高橋兄弟が率いるレッドサンズである。

 秋名スピードスターズの面々も例に漏れず、そんな状況下で走りたいという人間は居なかった。

 

「……健二先輩は、この秋名でめちゃくちゃ速いハチロクって知ってますか?」

 

 健二の話を静かに聞いていた俊樹は、不意にそんな質問をぶつける。

 

「なんだそれ?」

「あー……やっぱ健二先輩も知らないですよねぇ……」

 

 心当たりが無いといった顔をする健二を見て、俊樹は言葉を続けた。

 

「実は俺、白黒のハチロクトレノが高橋啓介の黄色いFDをブチ抜いて行ったのを見たんですよ」

「高橋啓介がハチロクに抜かれたぁ!?」

 

 驚いた声を上げる健二。見間違えじゃないのかと問われる俊樹だが、彼は首を横に振る。

 

「FDが抜かれたあと本人にも聞かれたんですよ。あのハチロクは何者だって」

 

 あまりの衝撃に言葉が上手く出ない健二。正直な話、俊樹の妄言なのではないかと疑うレベルだ。

 

「池谷先輩も知らなかったみたいだし、ここまで誰も知らないとなると本当に何者なんでしょうね」

「俺にはとても信じられないけどな……そんなに速いハチロクが秋名を走ってるだなんて」

 

 健二も秋名を走り始めて割と年月が経つが、そんなハチロクは見たことも聞いたことも無かった。

 

「この前スタンドに来た時、チラッと池谷先輩と高橋啓介の会話を聞いたんですけど、どうも相手はそのハチロクがスピードスターズの代表だと思ってるみたいですけどねぇ」

「マジかよ……ややこしいことになっちまってんなぁ……」

 

 ただでさえ池谷の代役が決まっていないというのに、メンバーですらない謎のハチロクがバトル相手と捉えられているのは忌々しき事態である。

 

「池谷先輩の代役として、そのハチロクを見つけることが出来たら手っ取り早いですよねー」

「だよな……そのハチロクの話、池谷に聞いてみるか」

 

 思わずそんなことを言い出す2人。

 

「まぁ何にせよ、レッドサンズとの交流戦までもう少しだからな。ギリギリまでメンバーの皆に相談するしかないぜ」

 

 (きた)る交流戦の日を思い浮かべ、健二は小さくため息を吐くのであった。

 

 




もうだいぶダレてますね。
はてさてスピードスターズとレッドサンズの交流戦はどうなることやら。


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第10話

「ついに来たなー、土曜日が」

「あー、そういや今夜だっけ?」

 

 秋名スピードスターズと赤城レッドサンズの交流戦が予定されているその日、出勤したばかりのイツキは高めのテンションで、給油客を見送った後の俊樹にそう話しかけた。

 

「俺はもう毎日この日を指折り数えて待ってたからなー、今から楽しみで仕方ないよー」

 

 独特なポーズで感情を表現するイツキに、俊樹は苦笑する。

 

「俊樹はさー、今夜の交流戦どうなると思う?」

「どうなる、とは?」

 

 イツキの質問に対して理解が追いつかないといった表情をする俊樹。

 

「代表同士のタイムアタックに決まってるだろ、やっぱ先輩たちに勝ってもらいたいよなー」

「……そうだな」

 

 当事者である池谷や健二ら、秋名スピードスターズの面々から色々と話を聞いている俊樹としてはかなり答えにくい質問だったが、イツキが見解を述べたので当たり障りなくそれに乗っかっておく。

 ここで素直に自分の気持ちを述べても、イツキには共感してもらえないだろうと思った結果である。

 

「レッドサンズは高橋啓介が代表だろうけど、スピードスターズは誰が走るのかな」

「さぁな……池谷先輩が走れない以上、誰が走るか見当もつかないよ」

 

 例のハチロクが代表なら問題解決なんだけどな、と俊樹は静かに心の中で付け加えた。

 

「それにしても……今夜、拓海が来れないって話は本当なのか?」

 

 イツキが妙に怖い顔をして俊樹に詰め寄る。

 

「ああ、お前が出勤してくる少し前に電話があったよ。今夜の交流戦が始まる時間に間に合わなさそうに無いから、イツキを秋名に連れて行ってくれってさ」

「拓海のヤツ……あんだけ念押ししたってのにドタキャンかよ!」

「まぁそう言うなよ。お前がハチロクに乗りたかったっていう気持ちはわかるけど、そもそも拓海自身の所有車じゃないんだからさ」

 

 どうどう、と苦笑しながらイツキを宥める俊樹。

 

「それに来れないって言ってるわけじゃねーよ。ちょっとは責任感じてるからこそ、オレにイツキを乗せて行ってやってくれって電話してきたんだろうしな」

 

 スタンドの隅に駐車してある、自身の愛車であるアルトを見つめながら俊樹はそんなことを言うのであった。

 

 

「ごめんください……厚揚げ下さい。美味いですよ、ここの厚揚げ」

 

 イツキと俊樹がバイトに勤しむ中、池谷は藤原とうふ店を訪れていた。

 

「よぉ、またアンタか。しつこいねぇ」

 

 呆れた顔をした文太は池谷の注文通り、厚揚げを用意して差し出す。

 

「藤原さん、お願いします。今日の交流戦に――」

「行ってやれるかも知れないぜ」

「……え?」

 

 思わず聞き返してしまう池谷。それほどまでに、文太から発せられた言葉は思いもよらない物だった。

 

「今夜の秋名山に行ってやれるかもしれない……そう言ってるんだよ」

 

 タバコに火を付けながら、文太は池谷に再びそう言い放つ。

 

「確実とまではいかねぇがな、今のところは五分五分くらいの可能性だ」

「ほ、本当ですか!?」

「ウソなんか吐かねーよ、何時から始まるんだ?」

「交流会自体は8時頃からですけど、タイムアタックは10時頃です!」

 

 池谷はカウンターに手をつき前のめりになりながら文太に説明を行う。

 

「なるほどな。もし10時を過ぎてもウチのハチロクが来なかったら、その時は諦めてくれよ。自分たちで何とかするんだ」

「待ってますよ藤原さん! 絶対来てくれると信じてますから!」

「絶対じゃない、可能性は五分だと言ったはずだぜ」

 

 タバコの煙を吐き出しながら文太はそう言うが、池谷は表情を変えない。

 

「いや、あなたはもう来てくれるつもりなんだ……チームの仲間全員で、秋名の頂上で10時に待ってます!」

 

 厚揚げの代金を支払った池谷は、力強くそんな言葉を言い残して店を後にする。

 

「弱いんだよな、ああいう熱いヤツには。もし拓海がゴネたら俺が走ろうかな――っと、いかんいかん。血が騒ぎだしたな」

 

 そんな池谷の後ろ姿を見ながら、文太はフッと口元をゆるませた。

 

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

 

「おうおう。また3台、いかにもそれっぽい車が秋名に向かってるなぁ」

 

 バイトを終え着替えを澄ました俊樹は、事務所からスタンドの前を通り過ぎていく走り屋であろう車列を見送る。

 

「峠ではちょっとしたお祭り騒ぎだな」

「くぅーっ、今から楽しみだぜ!」

 

 閉店作業で俊樹より少し遅れてバイトを終えたイツキもテンション高めで、スタンド前を通り過ぎていく車たちを見送っていた。

 

「池谷のチームと赤城最速チームとの交流戦は、あちこちでウワサになってたみたいだからな。お前らも見に行くんだろ?」

 

 立花がタバコを吹かしながら、2人にそんな事を問う。

 

「もちろんです! 今から楽しみで仕方ないですよ!」

 

 興奮しっぱなしのイツキが力強く答えると立花は苦笑し、早く着替えて来い、と俊樹がイツキを更衣室に向かわせる。

 

「イツキと一緒に行くんだろ?」

「ええ。本当は拓海とハチロクで行く予定だったらしいですけど、なんか交流戦の開始時間に間に合わなさそうだから代わりに連れて行ってくれ、って言われたモンで」

「なるほどな、まぁ気を付けて行って来いよ」

「はい、それじゃあお先に失礼します」

 

 俊樹は立花に一礼すると、事務所を出てスタンドの隅に停めてあるアルトに乗り込み、事務所前までアルトを移動させる。

 そしてイツキが外に出てくると助手席へと乗せ、スタンドを後にして秋名へと向かっていった。

 それを見送った立花は、ドカッと事務所のソファーに座り、タバコの灰を灰皿に落とす。 

 

(赤城最速のRX-7と無名の秋名下りスペシャリストのバトルは見物だぜ……まぁ拓海のハチロクは文太のハチロクだからな。負けやしねーだろ)

 

 タバコを口にくわえながら、立花はニヤリと笑みを浮かべるのであった。

 

 

「すげぇ数のギャラリーだな……こんな大勢が集まってるのは秋名で見たことないぜ」

「まぁ殆どは有名な赤城レッドサンズを見に来たんだろうけどな……」

 

 秋名山の頂上でスピードスターズの面々は重苦しい空気を漂わせながら、そんなことを話していた。

 赤城レッドサンズのメンバーの姿はまだない物の、すでに秋名には大量のギャラリーが押しかけている状態だ。

 

「レッドサンズが自らの速さを見せつけるために集めたんだろうぜ……」

 

 池谷は神妙な面持ちで、集まったギャラリーに対してそういった分析を行う。

 

「これで負けたら俺達は赤っ恥ってことか……」

 

 池谷と似たような表情をする健二。

 

「ところでさっきのハチロクの話だけど、本当に信じていいのかよ……?」

「ああ、勿論だ」

 

 先ほどスピードスターズの面々に秋名最速のハチロクの話をした池谷だったが、メンバーからの反応は懐疑的な物ばかりだった。

 

「俊樹からも聞いてたけどさ、俺にはとても信じられねーよ……そんなハチロクが秋名に居るなんてさ」

 

 先日、俊樹から聞かされたハチロクの話を池谷にそれとなく尋ねていた健二だったが、未だにその存在については信じ切れていない部分が多い。

 

「高橋啓介のFD型RX-7は峠仕様のライトチューンらしいけど、それでも350馬力は軽く出てるってウワサだ……ハチロクなんかとはパワーが違い過ぎるぜ」

「いくら下りだからって、ハチロクなんかじゃ勝負になんねーよ……」

「おまえ、事故で打ち所が悪かったんじゃねぇのかぁ……」

 

 健二をはじめとするメンバー全員からあり得ないと言われる池谷だが、それでも池谷は秋名下り最速のハチロクを信じるほかなかった。

 

「ただのハチロクじゃねぇさ、高橋啓介が自ら言ってたんだ。見た目は普通のパンダトレノだけど、中身はバケモノみたいなモンスターマシンだってな……。俺を信じろ、あの人は必ず来てくれる!」

 

 メンバーの不安を吹き飛ばすかのように、池谷は力強くそう宣言した。

 そしてしばらく無言の間が続いた後、健二は重たく口を開く。

 

「もし……そのハチロクが来なかったら……?」

「こんだけギャラリーが出てるんだ……スピードスターズが逃げたなんて言われるわけにはいかない。その時は……」

「……その時は?」

 

 池谷は少し迷いながらも、目の前に居る健二を真っ直ぐに見据える。

 

「健二、チームの看板を背負って死ぬ気で走ってくれ!」

「ま、マジかよ……シャレになってねぇぜ……」

 

 青ざめた表情になる健二は視線を逸らすしかなく、スピードスターズの面々は既にお通夜会場のような空気が流れる。

 そんな雰囲気のなか、暗闇の先から何台ものエンジンサウンドが聞こえてきた。

 

「たくさん上がってくる……ロータリーサウンドも混じってるぞ!」

「ついに来たか……!」

 

 頂上に向かってくるヘッドライトの光の中から、白いFC型RX-7を先頭に赤城レッドサンズの姿が見えた。

 

「高橋兄弟が来たぞぉ!」

「赤城レッドサンズだ!」

 

 大勢のギャラリーの歓声を受けながら、レッドサンズの車列はスピードスターズの面々とは向かい側に停車。

 2台のRX-7から高橋兄弟が降りて来ると、ギャラリーの声――特に女性の声が更に大きくなった。

 

「すげぇな……高橋兄弟の人気は」

「あいつら大病院の院長の息子らしいぜ」

「金持ちには勝てねぇよなぁ……運転の上手さなんて、どれだけガソリンとタイヤを無駄にしたかで決まるようなモンだからな……」

 

 高橋兄弟をはじめとするレッドサンズを前にし、更に空気が重たくなるスピードスターズの面々であった。

 

 




ようやく交流戦へ突入。
勝敗の行方は如何に。


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第11話

「うわぁ……すげぇ人だなぁ……」

 

 秋名山を登るアルトの車内で、助手席に乗るイツキが沿道に溢れるギャラリーを見てそう呟いた。

 

「赤城レッドサンズのネームバリューの凄さを実感させられるよな」

 

 アルトを走らせる俊樹も、大勢のギャラリーの姿を見て感嘆の声を上げる。

 

「頂上まで行くのか?」

「ああ。最初は途中で止めようかと思ってたけど、こんだけ人や車が居ると駐車する場所がねぇよ」

 

 何ヶ所か目を付けていた駐車スペースはすでに他の車が止まっていて全滅しており、ここまで来ると山頂まで登り切ってしまった方が手っ取り早いと俊樹は考えた。

 

「だけどやっぱ見てるだけでもテンション上がるよなぁ……あーあ、俺も自分の車があればなぁ。お前や拓海が羨ましいよ」

「はははっ、ハチロク欲しいんなら頑張って金を貯めないとな」

 

 沿道に止まっている走り屋の車を見つめながら羨ましがるイツキに対し、軽口をたたく俊樹。

 

「そう言えばさ、俊樹の家って中古車屋だったよな?」

「ああ、それがどうかしたか?」

 

 イツキの突然の質問に、俊樹は何となく察しがつきながらも質問返しを行う。

 

「お前の店でハチロクを安く買えたりしないか?」

「うーん、どうだろうなぁ……俺に言われても困るよ、店を経営してるのは親父だからさ」

「はぁ……やっぱそうだよなぁ」

「本気でハチロク探してるなら親父に話くらいは通しといてやるから、何処かのタイミングでウチに来て親父に相談してみな」

 

 溜息を吐いて落ち込むイツキを見て俊樹が譲歩案を出した。

 

「マジかよ、それなら助かるぜ!」

「まぁあんまり期待はしないでくれよ?」

 

 そんな話をしながら走っていると、やがて頂上が見えてくる。

 既に両チームとも揃っている様子だが、互いのチーム間に流れている空気感は凄まじいまでに対極の位置にあるように思えた。

 俊樹はスピードスターズの面々が居る方向へアルトを走らせ、適当な位置でアルトを駐車させる。

 

「どもっす」

 

 アルトから降りた俊樹は、池谷に声をかける。

 

「おう、2人とも来たのか」

 

 あまり浮かない顔をしながらも、池谷はやって来た2人に返答した。

 

「交流戦、もう始まっちゃいました?」

 

 イツキがキョロキョロと周りを見渡し始めたと同時に、レッドサンズのメンバーである1人の男がスピードスターズに声をかけてきた。

 

「タイムアタックの件だけど、予定通り10時頃から始めよう。遅い時間の方が一般車の通行がなくなってやり易いからね」

 

 男がスピードスターズに、今回の交流戦の進め方を話していると、他のレッドサンズのメンバーもスピードスターズの元へやってくる。

 

「スタートとゴール地点で無線機を2台使ってスタートカウントをするんだ。アタッカーが安心して道中を全開で走れるように、ブラインドコーナーにはオフィシャルを立たせて、対向車が来てる場合は誘導棒やライトを大きく回してドライバーに合図をするってわけさ」

「なるほどな……」

 

 手際の良いレッドサンズに、池谷は敵ながらも少し感心してしまう。

 

「手慣れた感じだな、レッドサンズの連中……」

「ああ……あちこちでタイムアタックやってるんだろうな」

 

 健二や他のスピードスターズのメンバーは、レッドサンズのやり方を見てヒソヒソと小声で話す。

 

「それじゃあタイムアタック開始の10時頃まではフリー走行ってことで。お互い楽しく走ろう、ギャラリーも多いことだしな」

 

 男が不敵な笑みを浮かべながら言い終わると、それと同時にレッドサンズのメンバーは各々の車に乗り込み、勢いよくスタート地点を後にしていく。

 そんなレッドサンズに対し、地元であるはずの秋名スピードスターズは既に場の空気感に気圧されているのだろうか、誰も走りに出ようとはしない。

 

「あのー……タイムアタックは誰が走るんですか?」

 

 そんな空気感を知ってか知らずか、イツキが池谷に問う。

 

「ん……ああ……。健二、心の準備だけはしておいてくれ」

「健二先輩が代表なんですね! 俺、応援してますから!」

 

 イツキが健二に激励を飛ばすが、本人は浮かない顔で苦笑するばかりだ。

 そんな様子を見ていた俊樹は、隣に居た池谷に小さな声で話しかける。

 

「池谷先輩。この前、高橋啓介がスタンドに来た時の話ですけど、本当に例のハチロクを代表として走らせるんですか?」

「……ああ、そのつもりだ」

 

 池谷と俊樹はスピードスターズのメンバーから少し離れた場所に移動する。

 

「でもそのハチロクの姿が見えませんけど……?」

「10時までにはきっと来るはずさ、そのハチロク乗りと約束したからな」

「えっ……例のハチロクを見つけたんですか?」

 

 池谷がハチロクを見つけていたことに驚く俊樹。

 

「ああ。本人は来れる可能性は五分五分だと言ってたけどな……」

「……なるほど。もしそのハチロクが来なかった時の代役が、健二先輩ってワケですか」

 

 スピードスターズの面々に流れる重たい空気感を察知している俊樹は、優れない表情の健二を見て少々心配になる。

 車の運転と言うのはメンタル面が多大な影響を与える物であり、重度のプレッシャーに(さいな)まれているような今の状況で全開走行を行うのは非常に危険だ。

 もしハチロクが姿を現さずに健二が走るとなれば、最悪の事態として先日の池谷と同様、今夜も悲惨な事故が怒ってしまうのではないかと危惧してしまう。

 

(大丈夫かな……?)

 

 俊樹の心配を余所に、大トリを務める高橋兄弟が操る2台のRX-7が頂上から勢いよく発進していく。

 恐らくこれから秋名山に集まった大量のギャラリーを沸かすと同時に、秋名山の走り屋とはレベルが違う事を見せつけるための走りをしてくるのだろう。

 

(少し保険を掛けとくか)

 

 ハチロクが来ない場合の時のことを考えつつ、俊樹は2台のRX-7が走り去って行った方向を見つめるのであった。

 

 ・

 

 ・

 

 ・

 

「ブースト圧のチェックは?」

「完璧だよ、タイヤの空気圧も問題無しだ」

「へへっ。今夜の交流戦もいただきだな、目じゃねぇよ」

「黙って作業しろって」

 

 パフォーマンス走行を終え頂上に戻って来た啓介のFDをジャッキアップし、何やら数人がかりで整備を始めるレッドサンズの面々。

 

「何やってんだあいつら?」

 

 そんなレッドサンズの姿を見て、池谷は不審に思う。

 

「どうやらFDのタイヤを交換してるみたいですねぇ、あのワンボックスにスペアのパーツやタイヤを載せて来てる感じっすね」

「状況に合わせてセッティングをしてるってワケか……本格的にやりやがって」

 

 相手の動きを見ながら俊樹がそう言うと、池谷は小さく悪態をつく。

 

「レッドサンズの代表は、やっぱり高橋啓介か……」

 

 相変わらず浮かない表情をする健二。未だに気持ちの踏ん切りはついていないようだ。

 そんな健二を励ますかのようにスピードスターズの面々が彼の周りに集まる中、俊樹はフラフラとレッドサンズが居る方向へと歩いていく。

 

「おい、そこの12番スパナ取ってくれ」

「どうぞ」

 

 そこに居るのがさも当然のようにFDの整備を行っている数人の会話に混じり込み、ジャッキアップされたFDの下に居る人物にスパナを渡す俊樹。

 

「おぅサンキュー……って誰だよ、お前!?」

 

 俊樹からスパナを渡されたレッドサンズのメンバーの1人は、見覚えのない俊樹の顔を見て見知らぬ驚きの声を上げる。

 

「まぁまぁ、気にしないで下さい。車の下に潜ってる時に気を抜くとヤバいっすよ」

「いや気になるだろ普通!」

 

 至極まっとうな返答をするレッドサンズのメンバーだが、俊樹はそんなことは意に介さずにFDの足回りをチェックする。

 

「おぉー、すげぇー。金が掛かったブレーキっすねぇ……これ高いでしょ?」

「だから人の話聞けよ!」

 

 もはやコントとも思えるやり取りを2人がしていると、FDの持ち主である啓介が近づいてきた。

 

「何やってんだよ、整備終わったのか?」

「あっ、啓介さん……実はコイツが……」

 

 先ほどまで俊樹に突っ込みを入れていたメンバーの1人が、啓介の姿を確認すると目線を俊樹へと誘導する。

 

「お前……あの時の」

「どうも、お久しぶりっす。スタンド以来ですね」

 

 俊樹のことを思い出す啓介に、彼は片手をあげて軽い感じで挨拶をした。

 

「こんな所で何してんだよ」

「敵情視察ってやつですかね、山でここまで大っぴらに整備してる絵も珍しいモンだし」

 

 ジャッキアップされたFDを見ながら、これまた軽い感じで俊樹はそう話す。

 

「なるほど、お前もスピードスターズだったのか」

「ちょっと違いますねぇ。オレ、先輩たちのチームには入ってないんで。単なる個人的な興味っすよ」

「へっ、どうだかな。そんなことより、あのハチロクはちゃんと来るんだろな?」

 

 変わらず啓介の興味はハチロクにしかない様で、俊樹にそんな質問をぶつけてくる。

 

「どうでしょうねぇ。今の所、部外者のオレには分かりませんよ」

「チッ、あくまでもシラを切るつもりかよ。もしあのハチロクが来なけりゃあ、タイムアタックで大差をつけてスピードスターズの連中に大恥かいてもらうだけだぜ」

 

 ハチロク以外のドライバーには目もくれないという雰囲気の啓介。かなり対抗意識があるようだ。

 

「はははっ、そん時はお手柔らかにしてあげてくださいね。それじゃあ」

 

 そんなことを言いながら、俊樹は啓介の元を後にしてスピードスターズの面々が居る方向へと戻って行く。

 

「啓介さん、FDの整備が終わりました」

「ああ、サンキュー」

 

 戻って行く俊樹の後ろ姿を眺める啓介に、ジャッキから降ろされたFDのボンネットを閉めたメンバーの1人が声をかける。

 

「まだタイムアタックまで時間ありますけど、テスト走行はどうしますか?」

「そうだな……少し走ってくる」

 

 啓介はメンバーからFDのキーを受け取ると、整備されたばかりの愛車のFDに乗り込みエンジンを始動させた。

 

「さっきまでとの変更点ですけど――」

 

 FDの整備を担当していたメンバーから、変更内容を伝えられる啓介。

 

「……池谷先輩。オレちょっと走ってきます」

「え? あ、ああ。無茶するなよ」

 

 スピードスターズのメンバーの元へ戻った俊樹は池谷にそう伝えると、愛車のアルトに乗り込んでエンジンを始動させる。

 そして啓介の乗るFDが頂上から発車しコースへと入って行くのを確認すると同時に、俊樹はアクセルペダルを踏み込んで勢いよくアルトを発進させた。

 

「お、おいっ俊樹!?」

 

 勢いよく発進するアルトに驚き、池谷は思わず俊樹の名前を呼ぶが、アルトは止まることなくFDの後を追うかのようにコースへ入って行くのであった。

 

 




ちょっかい出し過ぎの俊樹君、ついに(勝手に)出走。
そしてストックが無くなったのでコレで終わるかもしれない。


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第12話

 

 黄色いFDが発進したのとほぼ同時に、白いアルトがコースへと飛び出していく。

 

「何だぁ?」

 

 バックミラーでそんなアルトの姿を確認した啓介は、思わず疑問の声を上げた。

 

「アイツ……この俺に挑むつもりか」

 

 先ほどまで話していた俊樹の顔を思い浮かべると、アクセルペダルをさらに踏み込む。

 

「テスト走行がてら付き合ってやるぜ!」

 

 甲高いロータリーサウンドを響かせ、黄色いFDは加速をしていく。

 そんなFDを後ろから追うアルトの車内では、俊樹もまたアクセルペダルを全開にしていく。

 

「さて……赤城でもトップレベルと言われる高橋兄弟の走りを見せてもらいますよ」

 

 3速へとシフトアップしながら、俊樹はニヤリとした笑みを口元に浮かべる。

 

 

・バトル車両・

 

MAZDA FD3S ɛ̃fini RX-7(高橋 啓介)-V.S- SUZUKI HA23V ALTO-VAN(神原 俊樹)

 

バトルコース「秋名山・下り・夜・晴れ」

バトルBGM「SAVE ME(頭文字D Special Stage参照)」

 

 

 2台の目の前に現れるのは大きく左に曲がるコーナー。

 まずはFDが先行してコーナーへ進入していくが、車のセッティングを行ったばかりと言うのもあるのか、様子見と言った感じのコーナリングを行う。

 それに対しアルトはタックインを使用し、セオリー通りともいえるアウト・イン・アウトのライン取りで素早くコーナーを駆け抜ける。

 

「なるほど……少しは走れる様だな」

 

 余裕綽々といった表情で、後ろをついてくる俊樹のアルトにそういった評価を付ける啓介。

 そもそもこちらは車の調子を見るためのテスト走行であり、更に相手の車が軽自動車という事もあって、啓介本人は実戦形式でのセッティングチェックという程度の認識であるため、アクセルペダルも全開とは言わないレベルでの走行だ。

 

「さすがは国内トップレベルのスポーツカーのFD型RX-7、パワーが違い過ぎるなぁ」

 

 俊樹も啓介が本気で走っているとは思っていないが、それでも車のエンジンパワーの差が大きく異なるのでアルトはほぼ全開走行に近い形だ。

 もしFDがアクセルを全開にして走っていれば、すでにアルトは遥か彼方へ置いて行かれていることだろう。

 

(まぁ相手も本気では走ってないだろうし、途中でパフォーマンス走行している他の車に追いつければ……)

 

 そんなことを思いながら車を走らせていると、次は右に曲がるヘアピンコーナーへ差しかかる。

 FDはブレーキランプを点灯させると同時にテールスライドを引き起こし、ドリフト状態でヘアピンコーナーへ駆けて行く。

 

「おおっ! 流石は高橋兄弟だぜ、完璧なブレーキングドリフトだ!」

 

 ヘアピンコーナーでギャラリーをしている人混みから歓声が沸き起こる。

 フルカウンターステアでドリフトするFDの姿からは、啓介がギャラリーにも意識を払って走っていることが良く分かった。

 その後をアルトが通過していくが、その姿にギャラリーたちは困惑した表情を見せる。

 

「あれ? タイムアタックってもう始まってるのか?」

「いや、まだ10時になってねぇから違うと思うぜ」

「だとしたらあのアルトは何なんだ。もしかしてアレがスピードスターズの代表か?」

「そんなワケねぇだろ、高橋啓介のFDのバトル相手が軽自動車ってのは無い話だぜ」

 

 ギャラリーたちは思い思いの考えを話しながら、コーナーを立ち上がって行くアルトの姿を目で追うのであった。

 

 

「えぇ!? 俊樹が高橋啓介を追って行ったぁ!?」

 

 頂上でイツキが驚いた声を上げると、スピードスターズの面々がざわつき始めた。

 

「おいおい……それ大丈夫なのかよ、池谷」

 

 健二も心配そうな顔で池谷に尋ねる。

 

「流石に無茶な事はしないと思うけどな……」

「いや充分に無茶だろ、高橋啓介の後を追うなんてさぁ……」

 

 池谷の返答に全うな反応を示す健二。

 レッドサンズの面々も少々ざわつきを見せている様子だが、スピードスターズよりは反応が小さく見えた。

 

「おい涼介。さっき啓介の後を追って行ったアルト、どう思う?」

「別にかまう事は無いさ。ただのテスト走行だし、啓介なら問題ないだろう」

 

 先ほどまでスピードスターズとやり取りをしていたレッドサンズのメンバーの問いかけに、涼介は落ち着いた声でそう答える。

 

「それに啓介のテンションを上げるには丁度良いだろう」

 

 自信を打ち負かしたハチロクが来ていないことでテンションが低めだった啓介の事を思うと、ここで少し刺激を入れてやる方が良いだろうと涼介は判断した。

 

 

 幾つかのコーナー群を駆け抜けていったFDとアルトだが、啓介がアクセルを全開にしていないためか、2台の距離は意外にも離れていない。

 

「……そろそろかな?」

 

 少し長めのストレートをアクセル全開で駆け抜けながら、俊樹がコースの先に目をやるとチラホラとテールランプの赤い光が見えてくる。

 間違いなくパフォーマンス走行を行っているレッドサンズのメンバーだろう。

 

(追いついちまったか)

 

 啓介は目の前で走行しているレッドサンズのメンバー車両である白いシルビアに数回パッシングを行い、こちらが先に行くと言う意思表示を見せると、前を走るシルビアはハザードを出して少し減速しながらFDに進路を譲る。

 FDがシルビアの横を駆け抜けていくと、アルトもそれに続いてシルビアを一気に追い抜き去っていく。

 

「な、なんだぁ!?」

 

 そんな2台に抜かれたシルビアのドライバーは思わず驚いた声を上げてしまう。

 啓介の操る黄色いFDに追い抜かれるのはともかく、その後ろを走っているアルトの存在は全くの予想外だった。

 そのままシルビアを追い抜いて行った2台は、右コーナーの奥へと姿を消していく。

 

「ど、どうなってんだ……?」

 

 シルビアのドライバーは動揺を隠せないまま、走り去って行く2台を見送る事しか出来なかった。

 

(他のレッドサンズの車と絡み始めたからか、明らかにFDのペースが悪くなってきたな)

 

 パフォーマンス走行をしている車は何台か連なって走っているので、前を走るFDはそれらをパスするのにタイミングを計る必要がある。

 それに対し後ろから追いかけるアルトは、FDがこじ開けた進路を進むだけで良いのでタイムロスが無い。

 気が付けば、FDの背後にアルトがぴったりとくっつく形になっており、次にそんな2台の前に現れるのは右に曲がる中速コーナーだ。

 セオリー通りにアウト側のラインからコーナーへ進入しようと、ブレーキングを開始するFD。

 

(ちょっと仕掛けてみるか……!)

 

 俊樹はFDの動きを見て、空いていたイン側にアルトの車体を放り込む。

 一気にブレーキペダルを踏み込み、ヒール&トゥで素早くシフトダウン。FDよりも遅れたブレーキポイントであったが、軽い車体を活かして難なく減速に成功する。

 

「ッ!」

 

 このアルトの動きに驚いたのは啓介だ。FDの懐に潜り込んできたアルトの車体のせいで、ステアリングを深く切り込むことが出来ない。

 コーナリングラインの制約により、思っていたコーナリング速度が出せないFD。コーナー立ち上がりで2台は完全に横並びになるが、アルトの方が少し速度が乗っているのか若干ではあるがアルトの鼻先がFDよりも前に出る。

 

(こいつ!)

 

 先ほどまではお遊び程度と捉えて走っていた啓介だったが、ここで初めてアクセルペダルを全開で踏み込む。

 350馬力を発生させるパワフルなエンジンでFDは一気に加速し、FDの車体が半分ほどアルトより前に出るが、すぐそこには低速の右ヘアピンコーナーが迫っていた。

 横並びのブレーキング勝負となった2台だが、やはり軽量なアルトがブレーキング勝負では競り勝ち、コーナーへ進入していく際にはアルトの車体が完全にFDの前へと出る。

 

「高橋啓介が抜かれた!?」

「マジかよ!?」

 

 ヘアピンコーナーで見物していたギャラリーたちが騒然とする。そこに居た全員が、予想だにしない出来事だった。

 そんなギャラリーたちを横目に、コーナー進入でFDの前に出たアルトは悠々とコーナーを駆けて行き、続く左ヘアピンコーナーにそのまま突っ込んでいく。

 しかしアルトの数倍のエンジンパワーを持つFDも黙ってはいない。コーナー立ち上がりの速度は絶対的にFDの方が上であり、さっきのお返しと言わんばかりにアウト側ラインに寄って行くアルトの横に潜り込もうとする。

 

(チッ……届かねぇか!)

 

 FDのブレーキングよりも更に奥のポイントでブレーキランプを光らせるアルト。

 前に出て進路を阻む物が無くなったアルトは、一気にステアリングを切り込んでイン側のクリッピングポイントを通過して行く。

 

「だがこの先は長いストレート。軽く捻ってやるぜ!」

 

 ヘアピンコーナーを抜けると、秋名山のコースの中では最長のストレート区間が現れる。

 パワーの差を活かしてFDがアルトに襲い掛かるが、ここで啓介の目に嫌なものが飛び込んできた。

 

(先に走ってた連中が……!)

 

 パフォーマンス走行をしているレッドサンズのメンバーである数台の車が、ある程度の間隔を開けてストレートを走行している。

 速度もそれほど乗っておらず、アルトが対向車線側から追い抜きをしていくとそれだけでFDの行き場が失われてしまう。

 啓介はパッシングで先行車両に退けと言う指示を与えるが、横からアルトが追い抜きをしてくる状況では先行車両も避けることが出来ない。

 結果的にアルトの後ろを走る事を余儀なくされたFDは、自慢のエンジンパワーを発揮することが出来ずにストレートを駆け抜ける。

 

「クソッタレ!」

 

 FDがパフォーマンス走行をしていた車を全て抜き去った頃には、既に目前には左に曲がる高速コーナーが待ち構えていた。

 しかもこのコーナーは曲がっている途中でコーナーの曲率が変わる、いわゆる複合コーナーである。

 アウト側からコーナー進入をする走行ラインを取っているアルトの存在がある限り、FDはこのままイン側から入っても途中で減速を要求されるのは明白であり、アルトの後ろに続いてコーナーへと進入せざるを得なかった。

 

「……この辺が限界かな?」

 

 先にコーナーへ進入していくアルトの車内で、俊樹がそんなことを呟く。

 この左に曲がる複合コーナーでは、FF車であるアルトは途中でアンダーステアを消し去るためのアクセルオフのタックインが必須となる。

 そしてここからは比較的スピードが乗る高速区間であり、FDとのパワー差は如何ともしがたい。

 

(まぁ本当はさっきのストレートで終わるはずだったしなぁ)

 

 先ほどのスケートリンク前の長いストレートでFDに抜かれなかったのは、たまたまパフォーマンス走行をしている車が居たからである。

 ストレートに差しかかったタイミングが良かっただけで、本来であればそこで既にFDの姿は見えなくなっているはずだったのだ。

 それを裏付けるかのように、アルトがコーナー途中でアクセルを戻してイン側に入って行くと、FDはアウト側ラインのまま横に並びかけて来る。

 次はこの速度域ではブレーキングが不要な高速コーナーであり、コーナー進入時にイン側のラインを取れているFDが絶対的に有利だ。

 複合コーナーの立ち上がりで横に並んでくるFDは、そのままの勢いで高速コーナーへ進入していく。

 

「楽しかったですよ」

 

 FDがアルトを追い抜いていく際に、俊樹はそんなことを呟くのであった――。




新年あけましておめでとうございます。
今回の投稿でストック完全になくなりました。
飽きるまでは投稿するんで、気長にお待ちください。


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