実力至上主義の学校にオリキャラを追加したらどうなるのか。 (2100)
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ショートストーリー集
高度育成高等学校オリジナルキャラクターデータベース & 1巻ショートストーリー


タイトルの通り、オリキャラ二人のデータベースと、それぞれのショートストーリーです。
原作の特典SSと大して変わらない文量になっていますので、気軽にお読みください。


 雨の日 (速野知幸)

 

 これはある梅雨の日のこと。

 その日の登校時間は常にも増して雨が強く、また湿度も高いという、さわやかな朝とは程遠いかなり不快感を感じる天気だった。

 こんな日でもラジオ体操のオープニング曲は「希望の朝だ」なんて呑気なことを言いやがるわけだが。俺の耳に入ればその瞬間にクレームの電話を入れているところだ。俺にラジオ体操をする習慣がなくてよかったなN〇K。

 しかしどんなに不快な天気であっても、気象警報が出ていない以上、学校はいつも通り生徒に登校を要求してくる。そしてサボればどんな処分が待っているか。おっかなくてそんなことができる生徒はここにはいない。須藤ですら5月以降は一応ちゃんと遅刻なく登校しているのだ。須藤ですらだぞ須藤ですら。それなのにサボりなど、俺のプライドが許しても堀北が許さない。許しちゃうのかよ俺のプライド。

 雨の日と言うのは登校に要する時間がいつもより長く感じるが、これは恐らく気のせいではない。水たまりを踏まないように避けたりしているうちに、いつも歩いている最短ルートよりも長い距離を歩いてしまっている。

 このように注意していても、結局濡れていない地面はないのだから靴の裏は水気を含み、運が悪ければその水気が靴下にまで侵入して「うぜえええ」となる。

 そして濡れた靴で地面を歩くことにはスリップの危険も伴う。

 

「……っとぉ……」

 

 校舎内に到着して屋根のあるエリアに入り、不要になった傘をたたもうとしたところで一瞬滑りかけてしまった。

 なんとかバランスを保ったが、やっぱり危ないな……。

 この学校の地面はよく研磨されていて上等だが、摩擦が少ない分滑りやすいのだ。副作用だな。

 

「大丈夫か」

 

 そんな様子を見ていたのか、背中から声をかけられる。

 

「……綾小路か」

 

「こけないように気をつけろよ」

 

「ああ、肝に命じとく」

 

 そのまま二人で教室に向かう。

 校舎内に入ると、不快だった外の空気から一変。気温も湿度も適度に保たれており、当然ながら廊下が滑ることもない。

 空調の効いた空間。一緒に廊下を歩くクラスメイト。無料の粗悪品とはいえ確保できるまともな食事。雨風をしのげる居住区で、無料で使える寮の部屋。

 これだけ恵まれた環境にいながら、先ほどのようにグジグジ文句を言う方が罰当たりかもしれないな。

 世の中には衣食住もまともに確保できる状況にない人間がいるのだ。

 外国のスラム街の話じゃない。ここ日本にも、確かに存在している。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 ランキング (藤野麗那)

 

 これは、私たちがまだSシステムの正体を知らされていない4月中旬ごろのこと。

 

「おはよー麗那ちゃん」

 

 登校して自分の席で一息ついていたところで、春香ちゃんから挨拶された。

 

「春香ちゃん、おはよ」

 

「ねね、結果見た?」

 

 食い気味にそう質問される。

 しかし何のことか分からない。

 

「え? 結果?」

 

「ほら、男子のランキングだよ。先週からやってたじゃん」

 

「あ……あーー、あれかあ……」

 

 どうやら昨日で投票が締め切りだったらしく、教室内でもちらほらその話題で盛り上がっているのが分かる。もちろん男子には聞こえないように。

 

「その反応まだ見てないでしょ? 私もまだざっとしか見てないから一緒に見よ」

 

「う、うん……」

 

 イケメンランキング、彼氏にしたいランキング……このあたりのプラスのランキングはまだいいとしても、根暗そうランキング、果てはど直球にブサイクランキングまである。

 正直なところ、私も「根暗そう」とか「ブサイク」とか思う人はいる。だけどそれを投票という形でアウトプットするのはかなり気が引ける。

 あと細かいところでいえば壁ドンされたいランキングに守ってあげたい男の子ランキングなんてものもあるけど、このあたりになってくると私の感性がついていかない。

 なので私は投票そのものを行わなかった。とはいえ結果はちょっと気になるのでそれさえ見られればいいと思っていたけど、今日が発表日なのをすっかり忘れてしまっていた。

 

「イケメンランキング1位は里中くん、2位が平田くんかあ……順当って感じだね」

 

 男子には聞こえないよう、小さな声で春香ちゃんが結果を呟く。

 確かに1位から3位までの3人は入学当日からそこそこ話題になっていたため、意外性はない。

 

「5位の綾小路くん……って知ってる?」

 

 見慣れない名前がランキングに出てきたようで、春香ちゃんがこちらを向いて尋ねてくる。

 

「名前は知ってるよ。だけど顔は分からないなあ……」

 

 速野くんと仲が良いらしく、たまにやり取りの中で名前が出てくる。けど知っているのはそれだけだ。

 

「彼氏にしたいランキングは……1位は柴田くんだね」

 

 それ以降も春香ちゃんが見せてくれる画面を流し見していく。

 と、その中に速野くんの名前を見つけた。

 載っているランキングは……根暗そうランキング。しかも2位という高順位。銀メダルだ。

 正直納得感はある。

 実際速野くんは決して明るい性格じゃない。ただ、2位の得票数をもらっているのは恐らく彼の容姿が比較的整っているからじゃないかな、と思う。だからこそ女子の目につきやすい。しかし最終的に整った顔立ちよりも性格が暗そうというイメージが優先されてしまって、このような結果になったのだと思う。

 彼の場合は眼鏡をかけるだけでかなりイメージが変わるだろう。イケメンランキングにランクインするかは微妙なところだけど、ラインナップを見ている感じ壁ドンされたいランキングあたりには入ってきそうだ。

 ただ、別にそこはどうだっていい。

 これはなにも速野くんに限ったことではない。

 このランキングに載っている人の中にも私の友だちが何人もいる。

 イケメンでもブサイクでも根暗でも、友だちは友だちだ。それが変わることはない。

 

「これ、絶対に女子だけの秘密だからね?」

 

「うん、もちろん。絶対だよ」

 

 言わないよ。ていうか言えないでしょ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 




データベースの方は元々あらすじの方に載せさせていただいていましたが、このような形にしました。


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プロローグ
速野知幸の独白


オリ主の思考が垣間見えるプロローグとしてお読みください。


 

「人間は平等か。平等とはなにか」

 

 

 これは、俺がある人物から受けた問いだ。

 問われたときには質問者の意図が読めず、「いきなりどうしたんだ」と問い返した。

 すると相手は「いや、なんでもない。忘れてくれ」と言って引き下がった。

 それで俺もこの質問に関しては気に留めないことにしていたが……いま、なぜか急に思い出した。

 せっかくの機会だ。ここで、その問いについて少し真剣に考えてみることにする。

 まず一つ目、人間は平等であるかどうか。

 これに関しては断言してもいい。

 

 平等であるはずがない、と。

 

 では、仮に人間が平等であるとして。

 なぜ「平等であるべきだ」なる言説が賞賛される? なぜ人々は必死に「平等」を訴える?

 平等であるべきだ、という主張は、平等でない現状を前提として、それを改善していくべきだ、という意味に他ならない。

 したがって、人間は間違いなく平等ではない。

 いや、こんな回りくどい言い方をしなくても、少し考えればわかることだ。

 性別、年齢、容姿、声質、出自、能力、所得、エトセトラエトセトラ。

 不平等が生じる要因なんて、そこら中に転がっているのだから。

 では次の問い、平等とは何か。

 これは非常に難しい問いだ。

 まず一口に平等といっても、大きく分けて二つの種類が存在する。

 弱者に補助を与えることによる、結果の平等。

 一切の操作を加えないことによる、機会の平等。

 これはしばしば、野球観戦の様子を描いた絵で例えられる。

 身長175センチの成人と、身長130センチにも満たない幼い子供が、スタンドの向こう側から野球を観戦している。

 スタンドの高さを考慮すれば、子どもはゲームの様子を観ることはできない。

 そのため、子どもに箱を与えてそれに乗せ、観戦できるようにしてやる。

 結果として、成人も子どもも野球観戦ができる。これが結果の平等だ。

 しかし見方を変えると、この操作によって、子どもには箱を与えて、成人の方には何も与えていない、という不平等が生じているとも解釈できる。

 つまり、双方ともに箱を与えず、放置しておくこと。これもある意味では平等であるということだ。これが「機会の平等」である。

 平等に寄って不平等が生まれ、不平等に寄って平等が生まれる。

 このようにして考えてみると、「平等」とは非常に面白い概念であると思う。

 しかしこのような矛盾を含んだままでは、少々気持ちが悪いだろう。

 そこで、俺は一つ、自分の中での答えを示そうと思う。

 

 

 平等とは、無である。

 

 

 宇宙始まってこのかた、平等であった空間など存在しない。

 しかし、約138億年以上前、ビッグバン理論による宇宙誕生よりも前。そこは無であったという。

 ならば、それこそが真の意味での平等ではないだろうか。

 何かが存在する時点で、平等であることなどありえない。

 本当に平等でありたいなら、全てを消滅させるしかない。

 しかし、そんなことはできはしない。

 つまり、平等に関する思考はおおよそ全て無意味だと思う。

 結局、平等を求める声というのも、所詮は不平不満の噴出に過ぎない。

 平等という言葉は、その旗印として有用であるから使っているだけだろう。

 俺たち人間に考えるべきことがあるとすれば、それは「いかにして平等を実現するか」ではない。

 いかにして不平不満を解消するか、ということだ。

 平等な社会はいらない。人間は不満のない社会を欲している。

 他人と同じことではなく、自身の不満の解消を欲している。

 そしてその不満を解消するのに、非常に有用なものが現代社会には存在する。

 それは何か。決まっている。

 

 マネーだよマネー。

 

 




はじめましての方ははじめまして。お久しぶりの方はお久しぶりです。2100と申します。
あらすじにも書かせていただきましたが、この作品は以前投稿していた「実力至上主義の教室に数人追加したらどうなるのか。」をリメイクした作品となっております。前作は1年生編まで完結しましたが、展開や描写に納得いかない点が少なからずあることを途中から感じはじめ、なら1年生編を終わらせたらリメイク書いてやろう! という発想に至った次第です。
2年生編にもしっかりと力を入れていくつもりですが、1年生編と比べるとかなり複雑かつ高難度になっており、新巻が出るたびに嬉しさと難しさで悲鳴を上げております。もちろんそれは巻を追うごとに「よう実」という作品の素晴らしさが増しているということでもあるので、一読者としてこれほどうれしいことはなのですが……。

こちらの方で1年生編が完結した場合、2年生編もこちらで引き続き投稿することになると思います。
ということで、よろしくお願いいたします!


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第1巻
新たな日常Ⅰ


 2015年4月6日。

 今日この日をもって、俺は晴れて高校1年生となる。

 小学校、中学校計9年間の義務教育を終え、初めて自分の意思で入学する学校。

 だからと言って、俺自身に何か特別な変化があるわけではない。

 急に背は伸びたりしないし、髭が濃くなったりもしない。

 変わるのは俺自身ではなく、環境だ。

 制服、通学路、人間関係、学習の内容。

 しかし、理論上はそうであっても、感情はそうとは限らない。

 どこか新鮮で、シャキッとした心持。

より大きく、大人への一歩を踏み出したような気分だ。

そんな思いを胸に、俺は今日から3年間お世話になるであろう学校へと足を踏み入れる。

 

 東京都高度育成高等学校。

 

 日本政府が主導で作り上げた、これからの日本の未来を支えていく若者を育成していく高校。

 生徒の望む将来に全力で応えます、と学校案内のパンフレットに大きく書かれていた。

 その謳い文句は伊達ではない。

 実際にこの学校は、就職率、進学率ともに100パーセント、という現実離れした実績を誇っている。

 政府系の組織とあって、正直めちゃくちゃ闇を感じる数字ではあるが……俺がこの学校に入学を希望した動機は、他の部分にある。

 というのもこの学校、全寮制なのだが……寮費はもちろん、入学金、授業料が全てタダなのだ。

 つまり生徒側の負担はゼロ。

 中学の担任教師からの推薦もあり、これは行くしかない、というか行かない理由がない、ということで受験。見事合格を果たしたというわけだ。

 俺の配属されたクラスはDクラス。

 廊下の所々にあった案内に従って歩き、5分ほどでDクラスの教室に到着した。

 

 

 

 

 

 1

 

 入り口の引き戸を開けて教室に入ると、8×5の40名分の座席があることが確認できる。

 机の上には一つ一つ、ネームプレートが置かれている。

 そこから自力で自分の席を探せ、ということらしい。

 入り口から教室全体を見回して、「速野知幸」という名前を探し、そこに着席する。

 座席の位置は、窓際の後ろから二番目。

 日はあたるし出口からは遠いし、あまり好みとは言えない席だ。どうせなら一番後ろが良かった。所謂主人公席ってやつ。

 ひとまず、持ってきていた荷物を机の上に置いた。

 そして一息ついて、教室の様子を俯瞰する。

 座席は既に約半分ほどが埋まっている。

 キョロキョロしてるやつ。

 ボーっとしてるやつ。

 机に突っ伏してるやつ。

 本や学校の資料を読んでるやつ。

 誰かと話してるやつ。

 大まかに分けるとこの5パターンか。

 若干1名、机の上で足を組んで爪を研いでいるやつがいるが、どう考えてもパターン分けの母数に入れるべきじゃないので無視だ。多分やばいやつだろう。

 さて、それを踏まえて俺はどのような行動をとるべきか。

 資料を読み込むのは悪くない選択肢だ。家では斜め読みしただけのため、内容を把握したとは言えない。しかし生憎内容に興味が持てない。却下だ。

 机に突っ伏す。要するに寝る、或いは寝たふりをするという案だが、眠たくはないし、なんか嫌なのでこれも却下だ。

 となるとやはり、誰かに話しかける、という選択がベストか。

 つまり、友達を作りにいくということだ。

 これから3年間の学校生活、友達がいなければ、ちょっときついどころの話じゃない。

 そうと決まればさあ、早速。

 と、言いたいところだが。

 ———できたらとっくにやっとるわ、と心の中で吐き捨てる。

 まず大前提として言っておきたいのは、俺はすんごく友達が欲しい。ぼっちがいいとか孤高こそ至高とか、青春は嘘であり悪であるとかそんなことは微塵も思っていない。

 しかしそんな思いとは裏腹に、俺という人間はコミュ障に分類されるタイプらしく。

 対人コミュニケーション能力が著しく低いのである。

 年齢が離れている人物相手なら、むしろ楽だ。

 そういった人たちに対しては、ひたすらに他人行儀に接していればいいだけだ。

 問題は同級生や、ある程度年齢や立場が近しい人を相手取ったとき。

 こういったパターンの人に対しては、微妙な距離感の違いを正確に測って、コミュニケーションを取っていく必要がある。俺はどうもこの能力がゴミクズらしい。距離感が全然わからないのだ。

 こんな俺でも、小学校4年生まではかなり多くの友達がいた。

 しかし5年生以降、だんだんと俺の周りから人がいなくなっていき、中学の3年間に至っては友達と呼べる存在は誰一人としていなかった。中学に関しては、俺の声を知らないやつすらたくさんいるだろう。

 だから友達が欲しいというのも、一人で過ごすことのデメリットはもちろん、メリットもしっかり理解したうえでの欲求だ。

 にしても、友達ってマジでどうやってる作るもんだったっけ。

 とりあえず話しかけないと話にならんというのはもちろん分かってるが、それにしたってこんなに勇気いるようなものだったっけ?

 どうやって話しかける? 話題はどうする? 天気とか? というかそもそも誰に話しかける?

 などとあーだこーだ考えているうちに、スーツを身にまとった女性が一人、教室に入ってきた。

 

「お前たち、席につけ。ホームルームを始める」

 

 口ぶりからして、このクラスの担任か。生徒たちはその指示に従い、各々の席に戻っていく。

 この時間での友達作りはあえなく失敗か。

 ……ま、まあこれからまだチャンスはあるだろ。多分。

 担任の教師とみられるその女性は、一度咳ばらいをしてから話し始めた。

 

「えー、諸君。Dクラスの担任になった茶柱佐枝だ。科目は主に日本史を担当している。まず初めに言っておくが、この学校にクラス替えなるものは存在しない。3年間同じメンバーで過ごしていくことになると思うので、よろしく。今から1時間後、体育館にて入学式が執り行われるが、その前にこの学校の特殊な決まりについて、いくつか説明しておこうと思う。今から資料を配布する。これは入学案内に同封されていたものなので、既に持っている人もいるかもしれないが」

 

 配布された資料を見ると、なるほど確かに見覚えのある表紙だ。

 あとクラス替えないのか。知らなかった。斜め読みしかしてないだけあって知識がザルだ。

 となると、尚更このクラスで友達作りに失敗するわけにはいかんな……という俺の不安をよそに、全員で資料の読み合わせが始まる。

 先ほど茶柱先生の述べたこの学校の特殊な決まりとは、例えばこのようなものだ。

 

・生徒は3年間、敷地内の寮で生活する

・原則、敷地外に出ることはできない

・敷地外の人間との連絡はできない

 

 特に二つ目と三つ目。

 この学校の特殊性が非常によく表れている。

 つまり今日の朝、登校中のバスから見たのを最後に、俺はしばらく外の景色を見ることができない、ということになる。

 その代わりこの学校には、生徒が退屈することのないよう、様々な娯楽施設が用意されている。

 ショッピングモール、カラオケ、映画館など。どれもこれも最新式のものが誘致されているらしい。この学校の敷地全体が一つの街を形成しているような感じだ。

 そしてもう一つ、この学校の特殊性を象徴するような決まりがある。

 

「これより、Sシステムに関する説明を行う。それに先立って、まずは学生証カードと個別端末を配布する」

 

 今配布されている学生証カードには、この学校において通貨の役割を果たす「プライベートポイント」がICデータとして入っている。1プライベートポイント=1円のレートだそうだ。

 

「この学校において、プライベートポイントで原則買えないものはない。指定のポイントを支払うことで、あらゆるものの購入や、施設の利用が可能だ。そしてポイントは、毎月一日に自動的に振り込まれることになっている。そして学生証カードとともに配布した個別端末を使って、ポイントに関連する操作を行える。ポイントの譲渡や受取、残高照会、さらにポイントの出入りの詳細が示される帳簿機能もついている優れものだ。また、この端末には通常のスマートフォンとしての機能も備えられている。この中には個人で携帯電話を所持している生徒もいるかもしれないが、入学前に通知していたように、そちらでの通話やインターネット通信はできないので、気を付けるように。なので今後は、この端末を自身の携帯電話として使用することをお勧めする。すでにポイント関連のアプリが端末にインストールされている。試しに残高照会でもしてみるといい」

 

 とのことなので、早速アプリを開き、残高照会という項目をタップする。

 それと時をほぼ同じくして、教室内がざわめき始めた。

 俺自身も思わず「えっ」と声を上げてしまった。

 確認したポイントの残高は……10万。

 俺たちはいきなり、10万円相当もの大金を手にしてしまったのだ。

 

「ふふ、額の大きさに驚いているようだな。この学校は実力によって生徒を測る。この学校に入学を果たしたお前たちには、その時点でそれだけの価値があるということだ。先ほども言ったが、このポイントが毎月1日に自動的に振り込まれることになっている。なお、ポイントをいくら貯め込んだとしても、このポイントは卒業時に全て学校側が回収することになっているので、その点は気を付けておけ。ポイントは何にどう使おうとお前たちの自由だ。遠慮なく使え。ただし、他の生徒からポイントを巻き上げる、なんてマネはするなよ? 学校はそういったことには敏感に対処する」

 

 と、いうことらしいが、ほとんどの生徒は額に呆気にとられ、その後の説明など右から左の様子だった。

 今の説明、だいぶ違和感だらけだったと思うんだが。

 今日高校生になったばかりのガキに、10万円もの大金をポンと渡しておいて、積極的に散財することを促すような説明の仕方。「計画的に使え」とか「無駄遣いするな」などの注意は一切なかった。いまどき消費者金融ですらやってるのに。

 義務教育ではないから、自主性を尊重する、ということか。

 果たして、先生の言葉通りに使いまくってもいいのかどうか。

 

「質問はないようだな。では、よい学生ライフを送ってくれたまえ」

 

 

 

 

 

 2

 

 入学式。

 それは新入生の新たな門出を飾る、重要な行事の一つ。

 ……と思っているのは、生徒の親など、ごく一部だけだろう。

 その他大勢、特に主役たる新入生にとっては、何も面白みのない形式的なだけの行事にすぎない。

 学校の理事やら役員やらが語る、それはそれはありがたいお言葉。

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます、なんて本当に耳にタコができるほど聞かされてうんざりする。オクトパスなんて受験のゲン担ぎアイテムだけで十分だ。

 そんな退屈な入学式を終え、一度教室に戻った。

 その後は茶柱先生から敷地内の施設の簡単な説明を受け、そのまま解散を告げられた。

 生徒の多くは、そのまま寮に戻るようだ。

 しかし、中には早くもグループを形成し、早速ポイントを使ってショッピングやらカラオケやらに行く生徒もちらほら確認できる。

 俺も誰かに誘われないかなーと思うが、この学校に来てから俺が発した言葉は「えっ」だけ。そんなやつ誘われる方がおかしいというものだ。当然の流れとして、放課後は1人で時間を過ごすことになる。

 そのまま寮に行ってもいいんだが、俺はその足でコンビニに向かうことにした。

 端末に登録されていた敷地内のマップを調べていたのだが、この学校にあるコンビニは、大手コンビニチェーン店のどれにも当てはまらない店名だった。

 品ぞろえもわからないので、それを把握するのが一つ。ついでに昼飯もそこで買っていこうと思う。

 敷地内を歩いていて感じることは、やはり管理が行き届いているな、ということだ。

 流石は政府主導の学校。汚れやほこりなどは目につかない。非常に清潔に保たれている。

 校舎を出て数分歩くと、目的地であるコンビニに到着する。

 店内では、俺と同じ新入生と思われる生徒が買い物をしていた。

 結構、いやめちゃくちゃ広いな。コンビニは確か法的規制の問題で店舗面積を抑えていたはずだが、その規制面積ギリギリを攻めてるんじゃないか。

 そのためか、品ぞろえはかなりよさそうだ。何十種類ものカップ麺が同じ棚に並んでいる光景なんて、壮観ですらある。

 

「もしかして、Dクラスでオレの前の席に座ってたか?」

 

 羅列されたカップ麺の光景に感心していると、ふとそんな声が聞こえてきた。

 Dクラス、って単語が出てくるってことは、もしかしてこれ、俺に話しかけてる……?

 そんな淡い期待を胸に、声のする方へ振り向いた。

 

「えーっと……」

 

 そこには、茶色がかった髪の男子生徒が立っていた。

 顔を見ると……あーはいはい、確かに、俺の後ろの席のやつだ。配布物を後ろに回す時に見た顔で間違いない。

 これは交友関係を築くチャンスだ。この機を逃すわけにはいかない……。

 

「あー……ああ、多分それで合ってる」

 

「自己紹介のとき、いなかったよな。どこに行ってたんだ?」

 

「……自己紹介?」

 

「入学式の前、先生が教室を出て行ったあと、みんなで自己紹介しようって話になったんだ」

 

「……マジで?」

 

「ああ」

 

 うそだろ、そんなイベントがあったなんて……。

 

「いや、まあちょっと……雉を撃ちに行ってて」

 

「ああ、そうだったのか。悪いこと聞いたな」

 

「……ま、まあ、気にすんな」

 

 マジかよこいつ。雉撃ちで意味通じるのか。想定外だった。「雉を撃つ?」って聞き返される予定だったんだが……。

 ちなみに意味はトイレの大のことだ。有体に言えばうんこだ。

 つまり俺は、便意の解消と引き換えに、友達作りのきっかけとなる重大イベントをみすみす逃してたってことだ。

 後悔の念がどっと押し寄せてくる。

 ……まあ、俺が自己紹介を友達作りに有効利用できるかは大きな疑問だが。

 終わったことをいつまでもくよくよしていても仕方がない。今は目の前のチャンスを逃さずに掴むことが先決だ。

 

「オレは綾小路清隆だ。よろしく」

 

 どう会話を続けていこうか考えていると、向こうの方から自己紹介をしてきた。

 

「……」

 

 なるほど。友達が欲しいのは俺だけじゃなかったってことか。

 

「……速野知幸。よろしく」

 

 互いに自己紹介を済ませただけではまだ友人とは呼べないだろうが、「顔も名前も知らないクラスメイト」から「知り合い」くらいにはなっただろう。

 綾小路にとってはどうかわからないが、俺にとっては非常に大きな一歩だ。

 

「よかったわね、お仲間ができて」

 

 突如耳に入る、女子生徒の声。

 棘の含まれたセリフは、綾小路の後ろにいた女子生徒からのものだった。

 

「言い方に悪意を感じるんだが?」

 

「別に、好意も悪意もないわ。あなたの交友関係に興味なんてないもの」

 

「そうですか……」

 

 穏やかでないやり取りを繰り広げる綾小路。

 その会話相手の女子生徒は、一目見ただけで美人と言えるほど、整った容姿をしていた。

 え、綾小路こいつ、女子とコンビニ来てたのか……こいつ実は中々やり手? いやでも、会話の内容を聞く限りだと全然仲良くなさそうなんだが……

 まあそれはさておき、俺はこの女子生徒にも見覚えがあった。

 

「綾小路とは知り合いなのか」

 

「……それは私に話しかけているの?」

 

「あ、はあ、一応そのつもりだけど……?」

 

 変なことは聞いてないはずだが、めっちゃ嫌そうな顔をされてしまった。

 

「はあ……そうね。彼とは一応知り合い、ということになるわね。ちなみに勘違いしないうちに言っておくけれど、私が彼とここにいるのは偶然よ」

 

「……そうなのか?」

 

「堀北とは不思議な縁があるんだ。今朝登校したバスも一緒だったし、席も隣。今もこうして同じコンビニに居合わせてる」

 

「嫌な偶然もここまで重なると、呪いでもかけられているのかと疑いたくなるわね」

 

「同感だな」

 

「……」

 

 この二人のぎくしゃくした会話はさておき、俺がこの女子生徒に見覚えがあった理由が分かった。綾小路の隣だから、何かの拍子に目に入ったんだろう。

 あと、この女子生徒の名前は堀北っていうのか。把握。

 てかこの二人、いくら何でも偶然重なりすぎじゃないか。窓際の一番後ろとその隣って。ラノベの主人公とヒロインかよ。戦死者に鬼の補習が待ってたりするの?

 

「ねえ……これ、どういうことかしら」

 

 声に反応して振り返ると、堀北が少し驚いた表情で、ある方向を指さしていた。

 そこにあったのは、「無料コーナー」と表示されたワゴン。

 1カ月3点まで、と注意書きがなされ、歯ブラシや絆創膏などの雑貨がワゴンに詰め込まれていた。在庫処分セールかと一瞬思ったが、無料なんだからセールですらない。

 

「なんだこれ……」

 

「ポイントを使い過ぎた人への救済措置、ってことかもな」

 

「1カ月に10万円も与えておいて、随分と甘い学校なのね」

 

 全く同感だ。

 この学校でポイントが必要になる場面なんて、生活必需品費を除けば娯楽などの嗜好品費くらいのものだろうに。

 もちろん、むやみやたらに散財を続けていれば、月10万なんてあっという間に消えてなくなるだろう。しかし常識に則って計画的に使えば、月5万円でも十分すぎるくらいだ。

 学校側の意図は分からないが……今はそんなことは関係ない。

 無料ならそれを利用しない手はない。

 ありがたくその恩恵に預かることにする。

 俺はそのワゴンから歯ブラシを2本、歯磨き粉を1つ手に取り、近場にあったカゴに入れた。

 

「早速買うの? 浪費しろとは言わないけれど、このタイミングで無料の商品を取るなんて、かなりの守銭奴ね」

 

「守銭奴って……」

 

 言い方きつすぎるだろ。まだ会って数分のはずなんだけど。

 

「別に粗悪品ってわけでもなさそうだし、いいだろ。それに安いもので済ませたいって思ってるのは、堀北も同じじゃないのか」

 

 堀北の持っているカゴの中には、シャンプーや保湿クリームなどが入っている。しかしどれも安価なものばかりだ。

 

「……まあ、浪費家よりはいいかもしれないわね」

 

 納得したんだかしてないんだか、よくわからない返事が返ってくる。

 表情は相変わらず不機嫌そうだが……これは同意を得られたってことでいいんだろうか。少なくとも反発はしてなかったし……なら同意だな。うんそうだ。そういうことにしておこう。

 

「ねえ」

 

 そんなことを考えていた中で堀北に呼ばれ、体が跳ねそうになるのを抑えて答える。

 

「ん、何か」

 

「あなたいつの間に私の名前を知っているの? 名乗った覚えはないけれど」

 

 ああ……なんだそのことか。

 

「俺も別に名乗られてない。綾小路がさっき口走ったのを覚えてただけだ」

 

「そういうこと……迷惑なことをしてくれたわね」

 

「迷惑って……名字で呼ばれるのに何か不都合あったか。なら希望の呼び方を教えてくれ」

 

「出来れば呼ぶことそのものを控えてほしいわね」

 

「仮にもクラスメイトでそれは難しいだろ。しかも話によれば、三年間クラス替えはないらしいしな」

 

 つまり予定ではこいつと3年間同じ教室で過ごすわけだ。

 その間に名前を呼ぶ機会がないということはあり得ない。

 

「はあ……堀北鈴音。呼び方は堀北でいいわ」

 

「お、おお……そうか。わかった。堀北ね。了解」

 

 名乗るべきと考えてはいたものの、……まさかこんなに素直に名乗るとは思ってなかった。

 こちらの名前を聞かなかったのは、興味がないのか、それともさっき綾小路に名乗ったのが耳に入っていたのか……後者だと信じておこうか。

 さて、とりあえず昼飯の調達にかからなければ。

 既にメニューは決まっている。

 さっき見た段階で、今日はカップ麺の気分じゃないことは分かっていたので、そこからおにぎりのコーナーに移動する。

 やはりこっちも種類が豊富だ。

 適当に見繕い、おにぎりを二つと、そしてすぐそばに陳列されていたサラダを手に取ってレジに並んだ。

 

「っせえな、いま探してんだよ!」

 

「早くしてくれよ。後ろがつっかえてるんだから」

 

「あ? なんか文句あんのかよ!」

 

 そんな不穏なやり取りがレジのカウンター付近から聞こえてきた。

 言い争っているのは2人の生徒だ。

 片方はごくごく普通の生徒。

 しかしもう片方、いきなり怒鳴り始めた方は、赤い髪をしたガタイのいい大男だった。ザ・不良って感じ。色々な意味で目立ちまくっていた。

 そしてまたしても、俺はこいつに見覚えがあった。

 俺と同じDクラスの生徒だ。こんな目立つやつ、一回見たら忘れないだろう。

 

「何かあったのか?」

 

「あ? なんだお前」

 

 そのやり取りに割り込み、赤髪に話しかけたのはなんと綾小路だった。

 

「……」

 

「意外ね」

 

 買い物を終え、俺の後ろに並んだ堀北がそう呟く。

 

「何が」

 

「事なかれ主義を自称している割に、あんな面倒ごとに首を突っ込むなんて」

 

「事なかれ主義?」

 

「彼がそう言ったのよ。自分は事なかれ主義だ、とね」

 

「ああ、そう……」

 

 確かに、それが事実だとしたら言行不一致だ。

 ただ、あの赤髪にビビることなく声をかけ、事態の収拾にあたってくれたのはありがたい。

 どうやら先ほどの揉め事は、あの赤髪が一度寮に戻った際に、自室に学生証を忘れてきてしまったことが原因らしい。綾小路が支払いを建て替えるということで、その場は解決した。

 ……てことは、あの赤髪が全面的に悪くね? なんであいつあんなにキレてたの?

 この赤髪といい、教室で足組んで爪を研いで、この赤髪と同じでめちゃくちゃ目立ってたやつといい、今俺の後ろにいる堀北といい……少々厄介な奴らとクラスメイトになってしまったらしい。

 とにもかくにも無事問題は解消され、つかえていた列が進んでいく。

 俺と堀北はそれぞれ別のレジでほぼ同時に会計を済ませ、出口まで一緒に歩くことになる。

 

「便利だな、この決済方法」

 

「財布や現金を取り出す手間が省けるのは、確かに楽ね」

 

 これからは間違いなくキャッシュレスの時代が来ると確信した。

 店を出る直前、レジ横のスペースでカップ麺に熱湯を入れている綾小路が目に入った。

 

「カップ麺買ったのか」

 

「買ったには買ったが、これは須藤……さっきの背がデカいやつのものだ。オレのはこっちだ」

 

 あの赤い髪のやつは須藤か。覚えとこう。しばらくはあんまり深く関わらない方向で。

 

「お前須藤の分まで準備してるのか」

 

「要するに、使いっ走りね。それともこれも友達作りの一環?」

 

「友達作りっつーか……まあ、ついでだしいいさ」

 

「そう。まあ勝手にするといいわ。私には理解できないわね。初対面からこんな扱いを受けて、それを甘んじて受け入れるなんて」

 

 堀北の気持ちは分からなくもないが、発言ひとつひとつに棘を含めないと気が済まない性格なのかこいつは。あと初対面の俺を守銭奴呼ばわりしてきやがったお前がそれ言う?

 反論されても面倒なので、心の中だけでそう毒づいておいた。

 なんというか、堀北としゃべるのは楽だ。

 俺は空気を読めない人で、堀北は空気を読まない人。言いたいことだけ言って、言いたくないことは言わなくていい。距離感を測る必要が全くないのだ。

 

「カップ麺って簡単に作れるな」

 

「え、作ったことなかったのか?」

 

 おかしな言い回しをする綾小路に、気になって突っ込みを入れる。

 

「いや、そういうわけじゃないんだが。こう、改めてな」

 

「……そうか」

 

 いやまあ、確かにめちゃくちゃ簡単だよね。それでいて大体美味い。安藤百福先生には頭が上がらないぜ。

 綾小路がお湯を入れ終わったのを確認して、3人でコンビニを出る。

 店を出てすぐ、数本ののぼり旗が並んでいるスペースに、先ほどトラブルの種となった須藤が座っていた。

 綾小路は持っていたカップ麺の一つをお湯がこぼれないように須藤に手渡す。

 

「おう、あんがとよ」

 

「ここで食べるのか?」

 

 戸惑いを見せる綾小路。

 

「たりめーだろ。ここで食うのが常識だっつの」

 

 迷いのない返答を聞いて、堀北は呆れ交じりにため息をついた。

 常識かどうかは知らないし、絶対そんなことはないと思うが、確かにコンビニの前でたむろってカップ麺食ってる集団は街中で見かけたことがある。

 ただ店側は迷惑だろうし、行儀の悪い行為なのは間違いない。ああいうのは中学あたりで卒業するべきだろう。

 

「私は帰るわ。ここにいたら、私の品位まで落ちそうだもの」

 

「あ? どういう意味だよコラ。お高くとまってんじゃねーぞ」

 

 すかさず堀北に噛みつく須藤。対して堀北は全く意に介していない様子で、ガン無視を決め込んだ。

 須藤の沸点の低さはどうかと思うが、その前の堀北の言動もなかなかのものだ。

 誰とも仲良くするつもりがない、って姿勢はめちゃくちゃ伝わってくるが、それならそれで余計なこと言うなよ。

 誰とも仲良くしないことと、自ら周囲に敵を作って嫌われにいくことは全然違うことなんだが、堀北はそこらへんちゃんと分かってるんだろうか。

 

「おい、人の話聞けよ!」

 

「ねえ、どうしたの彼、急に怒り出したけれど」

 

「は……」

 

 え、そこで俺に回すのか堀北さんよ。文字通りのキラーパスだ。

 俺が対応に困っているうちに、須藤の怒りは勢いを増していく。

 

「こっち向けよ、おい!」

 

「おい須藤、堀北の態度も少し、いや大分悪かったが、それにしてもちょっと怒りすぎだ」

 

 例によって、綾小路が止めに入る。

 しかし須藤の怒りは収まらない。

 なんか、俺もちょっと帰りたくなってきた。コンビニに来た目的は達成できたしもういいかな帰っても。

 

「ああ!? この女が生意気なのが悪いんだろうが!」

 

「やかましいわね。思い通りにいかないとすぐにわめき散らす。3歳児と同じレベルね。2人とも、その人とは友だちにならないことをお勧めするわ」

 

 そう言って、堀北は寮へと歩き出していった。

 

「待てよコラ! おい!」

 

「落ち着けって」

 

「クソが! なんなんだよあの女! ああいう真面目ぶったやつが一番嫌いなんだよ俺は!」

 

 怒りをぶつけるようにして、須藤は持っていたカップ麺をすすり始める。

 堀北が真面目ぶっているかはさておき、あんな態度では悪印象を持たれても仕方がない。

 どうしたものか、と綾小路に視線を送るが、向こうも向こうで困ったような表情をするだけだった。

 そして、災難というものはえてして続くものだ。

 

「おい、お前ら1年か? ここは俺たちの場所だぜ」

 

 俺も寮に戻るか、と思ったところで、綾小路と同じく熱湯を入れたカップ麺を持ってコンビニから出てきた3人組に声をかけられた。

 口ぶりから、上級生であることが分かる。

 マジかよ、この人たちもここで食べるクチか。

 政府が運営してる学校のくせに、こういうの内申評価とかでふるいにかけなかったのかよ。

 

「あ? いま俺が食ってんのが見えねえのかよ。失せろ」

 

 フラストレーションが溜まりまくっている須藤。その苛立ちを隠すことなく言い放つ。

 

「おいおい聞いたか? 失せろ、だってよ。こりゃ生意気な新入生が入ってきたもんだ」

 

 俺たちを馬鹿にしたように笑う3人組。

 この場に堀北がいなくてよかった、と安心したのも束の間。

 須藤がやおら立ち上がり、食べていたカップ麺を地面に叩きつけた。

 当たりに飛び散る麺と具とスープ。おい、俺の靴にちょっとかかったんだけど……なんてとても言い出せるような雰囲気ではない。

 

「1年だからって舐めてんじゃねえぞ!」

 

「うるせえガキだな。ほら、ここに荷物置いてんだろ?」

 

 そう言いながら、上級生の1人がぶちまけられたスープを避けるようにして「今」荷物を置いた。

 

「はい、ここに俺たちの荷物がありました。わかったらどけよ」

 

「上等じゃねえかコラ……」

 

 須藤の後ろには、メラメラと怒りの炎が見えてくるようだった。

 ただこの件に限っては、須藤よりも、悪質な絡み方をしてきたこの3人組に非がある。キレている須藤を責める気にはなれなかった。俺の靴にスープがかかったことを除いて。

 このままでは暴力沙汰になりかねない。

 気がかりなのは、天井で俺たちを撮っている監視カメラがある中、須藤が暴力沙汰を起こしても問題にならないのか、ということだ。

 あとこの上級生も。今日入学したばかりの新入生に対してこんなちょっかいをかけるなんて。発覚したら注意されるんじゃないのか。

 様子をみる限り、この3人はそんなこと全く気にしてなさそうだが。いまも怒りをまき散らす須藤を見て、愉快そうに笑っている。

 

「おー怖い怖い。お前らのクラス当ててやろうか? どうせDクラスだろ」

 

「あ!? だったらなんだっつんだよ!」

 

 須藤が答えると、上級生は一瞬の間の後、今までよりさらに盛大に笑った。

 

「はは、やっぱりな! お里が知れるってもんだよなあ」

 

「どういう意味だよコラ!?」

 

「うるせえガラクタだな。んじゃ、今日だけはお前ら『不良品』にこの場所譲ってやるよ」

 

 そんな捨て台詞を残し、荷物を取って立ち去ろうとする三人。

 しかし、須藤はまだ噛みつこうとする。

 

「逃げんのかよおい!」

 

「吠えてろよ。どうせお前ら、いずれ地獄を見ることになんだからよ」

 

 そう言って、ようやく3人は俺たちの前から姿を消した。

 須藤の怒気は未だに収まっていないが、これ以上ゴタゴタが起こらないよう祈るばかりだ。

 それにしても。

 不良品。それに地獄を見る。か。

 どちらも気がかりなワードだ。それに、俺たちがDクラスだとわかったときの反応も妙だ。

 気になったが、質問しようにも3人の姿はすでにない。それにあの様子だと、聞いても馬鹿にされるだけで答えてはもらえないだろう。

 

「あーうぜえ。女といいあいつらといい」

 

 舌打ちをしながらそう言い、須藤は散らかったカップ麺の残骸をそのままに立ち去ってしまった。

 残されたのは、完全にとばっちりを食らった形の俺と綾小路。

 

「……片付けるか」

 

「……そうだな」

 

 2人してしゃがみこんで、ごみの片づけを始めた。

 コンビニを出る生徒が例外なく寄越す「何やってんのこいつら」みたいな視線が痛い。

 奇遇だな、全く同感だ。何やってんだろうな俺たちは。

 綾小路との親密度が深まった気がした。

 

 



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新たな日常Ⅱ

 須藤の件が片付いた後、俺は綾小路とは別行動で寮に戻り、昼食を済ませた。

 一緒に戻ってもよかったんだが、そこはなんかこう、その場の雰囲気でそうなった。恐らくこれこそ俺がぼっちたる所以だろう。

 その後、荷物の整理を行った。

 衣類やタオルなど先に郵送できるものは入学前に学校側に郵送し、寮の自室に届けられていた。それを備え付けのクローゼットやベッド下の収納スペースに片付けていく。

 空になった段ボールをまとめるところまで作業を終えると、次は生活必需品の買い出しだ。

 向かった先はホームセンター。

 掃除機やドライヤー、電子レンジ、冷蔵庫など、基本的な家電は寮に備え付けのものがある。調理器具もフライパン、まな板、包丁、さじ等は用意されていた。食器も最低限はそろっており、材料を買えばすぐに調理ができるようになっていた。

 電気代、および水道光熱費はかからないことになっている。そのためポイントを節約したければ自炊するのが得策だが、10万ものポイントが支給された今、そんな億劫なことをする生徒はいないだろう。

 ホームセンターではシャンプー等のバスグッズ、指定のゴミ袋、各種洗剤、それからペットボトルの水を2L購入した。何か不足があったら、また次の機会に買い足せばいい。

 その整理を終えると、本格的にやることがなくなった。

 いや、それは正確じゃないな。

 やることはあるが、とりあえず作業がひと段落したために、体が動きたくないと言っている。

 虚無の時間。部屋には静寂が流れる。

 

「……昼寝するか」

 

 睡眠には、脳内の情報を整理する働きがあるという。

 とりあえず気持ちを落ち着けよう。

 腹が減ったら勝手に起きるはずだ。夕飯はその時でいいや。

 

 

 

 

 

 1

 

 俺が昼寝から目を覚ましたのは、午後6時ごろのことだった。

 

「ちょうどいい時間に起きたな……」

 

 早すぎず遅すぎず、夕飯にはジャストタイミングだ。俺の腹時計に称賛を送ろう。

 さて。どこに食べに行こうか。

 コンビニは昼に行ったので、どこか違うところに行きたい。

 となると、学食か、どこかのレストラン……

 学食にするか。

 今日配布された端末を利用して調べると、放課後の営業時間は夜7時まで。ラストオーダーは6時半だ。

 買い物から帰ってきてそのまま昼寝をしたので、最初から服は外出しても問題ないものになっている。準備に時間がかからないから、恐らく間に合うだろう。

 寝癖がやばくないかだけチェックして、部屋を出る。

 学食はその名のとおり、学生のための食堂。放課後だけでなく、昼食時間も学生でにぎわう。というより本来の役割は昼食時間だろう。そのため当然、校舎に併設されている。

 つまり寮から学食への道のりは、イコール校舎への道のりということになる。

 寮からそのまま校舎に向かうのは、これが初めてのことだった。

 所要時間は大体10分弱ってところか。

 

「今日からこの道を通って、学校に通うことになるのか……」

 

 と言っても、通っている時間帯が違うからな。

 朝の登校時に見る景色は、いまとは全く違うものになるんじゃないだろうか。空の色や太陽の方角、歩いている生徒の数や方向とか。

 学食は空いていたが、十人ほどが食事をとっている。

 新入生かどうかの判別はつかないが、大半はこの時間まで学校に残っていた生徒だろう。

 部活か、あるいはそれ以外の用事か。

 寮からなら、ケヤキモールという大型ショッピングモールの中や、その付近にあるレストラン街の方が若干ではあるが近い。

寮からわざわざ学食に来る物好きは、滅多にいないだろう。

 早速メニュー表を見て、何を注文するかを品定めする。

 

「……?」

 

 その時、俺の目に飛び込んできたもの。

 それは昼間のコンビニと同じ「無料」の二文字。

 

「またか……」

 

 日用品だけじゃなく、食事にも……

 無料のメニューの一つは「山菜定食」と名付けられている。

 写真が載っているが、見るからに貧相で、はっきりいって美味しくなさそうだった。

ただ、無料か……。

 

「……いや、やめとこう」

 

 興味本位で注文してみようかと思ったが、寸前で踏みとどまる。

 夕飯はしっかりと食べたいという欲求が、好奇心を上回った。

 とはいえ、山菜定食も当然気になる。そっちは不味いこと覚悟で明日の昼にでも食べるとしようか。

 結局、450ポイントの生姜焼き定食を選択。

 お膳を受け取り、会計を済ませる。

 ここでも、ポイントによる決済の利便性を実感した。

 小銭はあまり綺麗ではないからな。食事の直前に触れたいものじゃない。

 対してこの決済方法なら、端末を機械に通すだけで、つり銭もなくスムーズにできる。

 端末をポケットにしまいつつ、適当に空いている席に腰かけた。

 飯に口をつける前にウォーターサーバーから水を入れてこようと思い、椅子を引いて席から立ち上がろうとした。

 そのとき。

 

ゴツン

 

「あっ!」

 

「え」

 

バシャッ~

 

 ……うっそだろおい。

 立ち上がろうとした瞬間、後ろを歩いていた生徒に引いた椅子が直撃。

 そしてその生徒が、持っていたお膳を落とした。

 結果、俺は頭から味噌汁をぶっかけられることになってしまった。

 頭皮に広がる生暖かい感覚。

 ブレザーにも味噌汁がしみこんでいく。

 米も付着し、これじゃまるで猫まんまだ。

 

「あ、ご、ごめんなさい! いま拭きます!」

 

 ぶつかってしまった生徒は女子生徒で、焦った様子でスカートのポケットからハンカチを取り出している。

 

「え、ああいや、大丈夫なんで……」

 

「で、でも拭かないと……」

 

 遠慮したが、その女子はすでに俺のブレザーにハンカチを当てていた。

 さすがにここまでされて無理やり拒否するわけにもいかない。素直に拭かれることにする。

 そして、そろそろいいか、というところで声をかける。

 

「あの……もう大丈夫ですよ。いきなり椅子引いてすいません」

 

「い、いえ、私の方こそ味噌汁かけちゃって……本当に……」

 

 お互いに平謝り。

 まあ双方不注意だったし、それを自覚している。どちらが悪いわけでもない。強いて言えばどっちも悪い。

 これ以上の問題はなさそうだ。

 ただ、謝ってばかりでは先に進まない。

 

「あの、床も汚れてるし、そっち片付けませんか」

 

 床には、米やおかずなど、彼女が注文したとみられるメニューが散乱していた。

 

「そ、そうですね」

 

 汚れてしまったブレザーを脱ぎつつ、しゃがみこんで床を片付ける。

 なんか、数時間前にも似たようなことした気がするんだけどなあ。

 たぶん厄日だ、今日は。

 

 

 

 

 

 2

 

「水、どうぞ」

 

 二つ持ってきたコップのうち、一つをその女子の前に置く。

 

「あ、ありがとうございます」

 

「いえ……」

 

 その女子はそれを受け取り、ごくごくと飲み始める。

 白く細い喉がかすかに動く様子が目に入り、視線を固定されてしまった。

 襟足が長めの銀髪のショートボブで、色白。身長は平均的だ。目はくりくりとしていて大きく、かなりレベルの高い美少女だろう。

 あと、胸がめっちゃでかい。

 それから……いや、気のせいか。

 

「あの、学年、教えてくれませんか?」

 

 コップの4分の1ほどを飲み終えたのち、その女子が聞いてくる。

 

「1年……ですけど」

 

「あ、そうだったんだ。私と同じ。よかったあ」

 

 そう言って、安心した表情を見せる。

 まあ、これが普通の反応だろうな。あんなことになったのが年上なら少し怖くなるし、年下なら申し訳なさが増大する。

 だが、個人的にはあんまり安心はしない。例によって、俺は同級生とのコミュニケーションが苦手だ。

 とりあえず頑張ってはみるが。

 

「私、Aクラスの藤野麗那。よろしくね」

 

 明るく自己紹介をされた。

 俺と違って、相当コミュ力が高いらしいというのがすぐに分かる。

 

「あ、ああ。……Dの速野知幸だ。よろしく」

 

「うん。よろしく」

 

 頷いて、俺に笑顔を向けてくる藤野。

 ああ、男女問わず人気者なんだろうな、こいつ。

 いいことではないとは思っていても、やっぱり人って見た目で判断してしまうものだ。見てくれと雰囲気がいいやつってずるい。

 にしても、どうすっかなあこの雰囲気。

 普通に腹減ってるし、早く生姜焼きを食べたいんだが……なんかこう、食べづらい。

 恐らく原因は、俺が藤野の夕飯を台無しにしたことへの罪悪感だ。

 なら……仕方がないな。

 

「……藤野、これ食っていいぞ」

 

「え?」

 

「俺の不注意でお前の夕飯おじゃんにしちまったし……まだ手は付けてないから大丈夫だ」

 

「そ、そんな、悪いよ……それに、速野くんはどうするの?」

 

「山菜定食でも食べればいいだろ」

 

 試すのは明日の昼、と思っていたが、まあいいや。遅いか早いかの違いでしかない。それに案外美味しいかもしれないし。

 そうして再び注文カウンターへ行こうとしたのだが。

 

「ちょ、ちょっと待ってってば。そんなことできないよ」

 

「俺はいいから。気にせず食えよ」

 

「私がダメなの」

 

「ダメなの、って言われてもな……」

 

 このままガツガツ食うわけにもいかないし……。

 

「うーん……あ、そうだ。じゃあ半分こしようよ」

 

「……はあ?」

 

 突然わけの分からない提案をしてきた藤野。

 

「意味が分からん」

 

「そのまんまの意味だよ。お肉は2枚ずつ食べて、ご飯もサラダも半分ずつ。それから生姜焼き定食は450ポイントだから、その半分の225ポイントを私が速野くんに譲渡する。これでお互いすっきりするでしょ?」

 

「味噌汁はどうすんだよ」

 

「えっと……それは、まあ感覚で」

 

 そこだけ適当かよ……。

 

「いいから、俺のことは気にせず食えって」

 

「気にするよ……今回のことは、私にも責任あるし……」

 

 申し訳なさそうにつぶやく。

 ……ここまで主張するなら、ちょっと面倒だがもう仕方がない。

 

「ああもう、分かったから。それじゃ先に食ってくれ。俺が残り食うから。ポイントは別にいらないけど、払いたいならあとで払ってくれ」

 

 妥協案としてはこれが最適だろう。

 藤野もそれで納得したのか、頷いて俺に笑顔を向ける。

 こうして藤野の表情を見ると……うん、すごい美少女だなって思います。

 そうと決まれば、まずは俺の前にあったお膳を、藤野の前に寄せる。

 

「ありがとう。じゃあ先にいただきます」

 

 言うが早いか、藤野は豚肉、キャベツ、米を一緒につかんで口へ運ぶ。

 

「んー、おいしい」

 

 その後も、次々と食材を頬張っていく。

 美味そうに食べるなあ……作った人がこれ見たら喜ぶだろうな。

 余計に腹減ってきた。

 いい食べっぷりを見せる藤野は、5分と経たないうちにノルマである半分を完食してしまった。

 

「ごちそうさま。これ美味しいよー」

 

 テーブルの上にあるティッシュで口を拭きながら、生姜焼き定食の感想を述べた。

 

「はい、次は速野くんの番だよ」

 

「ん、ああ」

 

 こちらにお膳が返ってきた。

 早速箸を取って、生姜焼きを口に運ぼうとしたのだが……。

 なんか、めっちゃ見られてる気がする。

 

「……もう半分食うか?」

 

「えっ? あ、ううん、そんなつもりじゃないよ。ごめん、気にさせちゃったかな」

 

「いや、特に用がないならいいんだが」

 

 どうやら無意識だったらしい。

 さて、ようやくだ。ようやく飯にありつける。

 

「それじゃ……いただきます。……おお」

 

 豚肉のいい味が出ていて、サラダの食感とマッチしている。そしてそれを白米がうまく中和している感じだ。

 注文してから時間が経っているため、少し冷めているのが残念だが、それでも美味い。藤野のさっきの食べっぷりにも合点がいく。

 それにしても……藤野はびっくりするくらい本当に半分ジャストを残している。

 肉が2枚だったのはもちろん、サラダも半分。米に関しては真ん中でぶった切られたような感じだった。味噌汁も、この残量は恐らく半分くらいだろう。

 想像以上に律儀な性格だ。

 まあ多分、俺でも同じようにしていた気はするが。

 

「ふう……美味かった」

 

「美味しいよね。こんど友達も誘ってこようっと」

 

「……もう友達ができたのか?」

 

「うん。数人だけどね」

 

「へえ……なんで夕飯には誘わなかったんだ?」

 

「今日初めて会って、さっき一回遊んだばっかりだしね。今日のところはこれくらいがちょうどいいと思うから」

 

 遊びに行ったのか……その時点で、俺の思う「ちょうどいい」の範囲は大きく超えている。

 ごみの片づけと昼寝で放課後の時間を潰した俺にはまったく理解のおよばない世界だ。

 感服していると、突然藤野が思いがけない提案をしてきた。

 

「ねえ速野くん」

 

「ん?」

 

「連絡先交換しようよ。せっかくだしさ」

 

「……」

 

 おお……これは感動してもいいんだよな?

 

 いままで家族の連絡先しか入っていなかった俺の携帯に、ついに赤の他人の連絡先が……!

 

「まあ、俺のでいいなら構わないが……」

 

「ほんと? やった。クラスメイト以外では初めてだよー。速野くんは誰かと交換した?」

 

「いや……見ての通りだ」

 

 端末で連絡先一覧のページを開き、まっさらな画面を見せてやる。

 

「あはは……変なこと聞いちゃったかな。ごめんね」

 

「……」

 

 ……え、入学初日に誰とも連絡先交換してないのって、別に普通のことじゃないのか? みんなもう数人と交換してるの?

 でも確かに思い返してみれば、綾小路と交換しようと思えばできた場面はあった。

 みんなああいう場面で交換するのが普通で、逆に俺と綾小路が変だってことか。

 

「はい、連絡先登録できたよ。ありがと」

 

「あ、ああ、こっちこそ」

 

 藤野に渡していた端末を受け取ると、画面には「藤野麗那」の文字があった。

 記念すべき、初めての連絡先登録者である。

 ああ、感動だ。

 しかし、いつまでもその感動に浸っているわけにはいかない。そろそろ学食は閉まる時間だ。早く退店しないと。

 

「じゃあ、ひとまず出るか」

 

「うん、そだね」

 

 食器を片付け、学食を出る。

 校舎の玄関で外履きに履き替え、俺は寮とは違う方向へと歩みを進めた。

 

「じゃあな」

 

「あ、ちょ、ちょっと待って」

 

「……?」

 

 俺はこのまま別れるものだと思っていたが、藤野の中では違ったらしく、呼び止められる。

 

「もしかして、クリーニングに行くの?」

 

「ん、ああ。さっき調べたら、平日は8時までやってるらしい。今のうちに出しに行こうと思ってな」

 

 学校から支給されたブレザーは2枚ある。

 味噌汁のついたこの1枚をクリーニングに出しても、学校生活に何ら問題はない。

 

「じゃあな」

 

「あ、ちょ、待ってって。なんですぐ行っちゃおうとするの……?」

 

「いや……ここで解散じゃないのか?」

 

「私も一緒に行くよ」

 

「……なんで?」

 

 クリーニング屋に服の所有者本人以外が行ってもなんの意味もないことだ。

 

「さっきも言ったけどさ、この件は私にも責任があるから……せめてこれくらいは、ね? もちろん、クリーニング代も半分出すよ」

 

「……まあ止めないけど、面白くはないと思うぞ?」

 

「面白さは関係ないよ」

 

 さっきの食べ方といい、ほんと律儀な性格してるな、藤野は。

 ただ、全員とこんな接し方をしているとは思えない。

 この接し方を「いちいち細かい」とか「面倒くさい性格」などと思う人もいるだろう。いくら俺がコミュ障だといってもそれくらいは分かる。

 藤野は恐らく、この短時間で俺の性質を自分なりに分析して、それに適した接し方をしている。

 恐ろしい人間観察力の持ち主だ。

 

「クリーニング屋さんって、どこにあるの?」

 

「ケヤキモールの一角のはずだ……ん?」

 

「ど、どうしたの急に……?」

 

 急に立ち止まった俺に驚く藤野。

 

「……いや、あの自販機」

 

「え? ……普通の自動販売機じゃない?」

 

「左上のミネラルウォーター……0ポイントって書かれてるよな」

 

「あ、ほんとだ……無料、ってことだね」

 

 また出た。無料。

 

「この学校、やけに無料のものが多くないか」

 

「あ、確かにそうかも。さっきの山菜定食もだし、遊びに行ったショッピングモールにも、ちょこちょこ無料の商品があったよ」

 

「ショッピングモールにも……?」

 

「うん」

 

 いたるところに無料のモノがあるんだな。

 さすがにかなり引っかかる。

 学食も無料、水も無料。となると極端な話、食費をゼロに抑えることも理論上可能だ。

 そのうえ娯楽も我慢する、ってことになると……

 学校側は、たとえ生徒のポイントがゼロの状態でも、禁欲すればちゃんと生活できるようにしてるってことだ。

 おかしくね? 俺たち10万も貰ってるのに。

 これが月5,000ポイントや10,000ポイントしか支給されないなら話は別だが……

 ……ん?

 

「確か……」

 

「どうしたの速野くん?」

 

 よくよく思い出してみると……Sシステムの説明のとき、茶柱先生は「毎月10万」とは一言も言ってなかったような……

 かなり微妙な言い回しではあったが、それと確定できるような言い方はしていなかった……

 藤野にも意見を聞いてみよう。

 

「……ちょっと聞いていいか?」

「なに?」

「俺たち、今月10万もらってるけど……今後、支給額が減るって、あり得る話だと思うか?」

 

 聞くと、藤野は思案顔になる。

 午前中の教師からの説明を思い出しているのか。

 

「そんな説明は受けてないけど……でも確かに、『毎月10万』とは一言も言ってなかったかも……」

 

 どうやら藤野のクラスでも同じのようだ。

 説明に使う語句には教師間で些細な違いはあるだろうが、その点は一貫している。

 

「……節約、した方がよさそうだな」

 

「うん……私もちょっと不安になってきたかも……」

 

 仮に支給ポイントが変動するとしても、学校側がこんな不親切な説明の仕方をするとは考えにくい。

 ただ可能性が捨てきれない以上、最初の1カ月間は様子見で節約を心掛けた方がよさそうだ。

 せっかくあちらこちらに無料の商品があるんだ。利用しない手はない。

 自炊は落ち着いてから、なんてさっきまでは考えてたが、明後日からでも始めよう。

 

「……取り敢えず、いまは早くクリーニングに行ったほうがいいな。時間にたっぷりの余裕があるわけじゃない」

 

「あ、そうだね。8時までだっけ」

 

 立ち話をしている間に、時刻は7時20分を回っていた。

 時間に遅れるとまずい。味噌汁がかかったブレザーを1日部屋に置かなければならなくなってしまう。

 少し歩くスピードを速め、クリーニング店への道のりを急いだ。

 

 

 

 

 

 3

 

「思ったより安く済んだね」

 

「……ああ、確かに」

 

 1000ポイントくらいは覚悟してたが、意外にも600ポイント弱で引き受けてもらうことができた。割り勘で一人当たり約300ポイントの支払いだ。

 仕方がないこととはいえ、これは防げた出費だよなあ……。

 店員のおばちゃんに「入学初日にここに来る新入生なんて初めてよー」と困り顔で言われた。まあそりゃそうだろうな、と思いつつも、こちらとしては苦笑いするしかなかったわけで。

 

「ショッピングモール、まだ結構人いたね」

 

「そうだな」

 

「私たちと同じ新入生かな?」

 

「新入生もいただろうな」

 

 中には俺のクラスメイトもいたかもしれないが、まだ顔も名前も覚えていないので認識はしていない。

 紙袋を2つも3つも持って上機嫌に歩いていた女子生徒たちは、多分新入生だ。早速服か何かを買ったんだろう。

 あの様子だと、10万なんて1カ月でぱっと使い切ってしまいそうだ。

 さっきは男子の姿は見なかったが、ゲーム機なんかに大量のポイントを使う人は少なくないだろうな。

 節約するなら、欲は大敵だ。俺がゲームにもファッションにも全く興味を持ってなくてよかった。

 道中こんな感じで会話を少しはさみながら、10分ほど歩いて寮に到着した。

 タイミングよく1階に来ていたエレベーターに二人で乗り込む。

 

「今日はほんと、ごめんね」

 

「お互い様だ。こっちこそ悪いな、こんな時間まで」

 

「ううん、全然。次からは気を付けないとね」

 

「ああ。もう二度とこんなことはごめんだ」

 

「あはは……」

 

 いや、冗談抜きでもうこりごりだ。

クリーニング代かかるし、あと今まであんまり気にしてこなかったが、まだ髪の毛が味噌汁で若干湿ってるんだよな。

 明日、学校に行ったら髪の毛からほんのり味噌汁の香りが……なんてことがあっては困る。

 今日買ってきた新品のシャンプーで入念に洗おう。

 

「あ、ついたよ、5階」

 

 そうこうしているうちに、エレベーターが俺の降りる5階で停止した。

 寮の規定上、下の階が男子、上の階が女子ということになっているので、俺が先に降りることになる。

 ボタンを見る限り、藤野の部屋は10階にあるようだ。

 

「じゃあな」

 

「うん、またね。あ、今夜連絡するね」

 

「ああ、分かった。……え?」

 

 俺の疑問の声が藤野に届く前に、エレベーターのドアは完全に閉まってしまった。

 少しの間、その場で立ち尽くしてしまう。

 

「……いや、社交辞令だよな、さすがに」

 

 

 




メインヒロインの登場です。


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新たな日常Ⅲ

部活動説明会の時系列を変更しました。


 入学2日目。

 高度育成高等学校の時間割は、午前中4コマ、昼食をはさんで午後2コマで、1日合計6コマとなっている。

 今日が初めての授業。しかし、学習内容には入らなかった。

 教科書の配布や、その科目の導入に際しての話など、全てのコマで、所謂オリエンテーションが執り行われていた。

 また4コマ目にあたる昼食の直前のコマを利用し、新入生に向けた部活動説明会が体育館で開かれることになっていた。

 この学校に部活の加入義務はない。

 しかし学校の方針としては、部活に加入することを生徒に推奨している。

 授業のコマを消費して話を聞かせるのもその一環だろう。

 俺たち新入生は、敷地外に出ること、および外部との連絡は一切禁止、という旨の説明を受けている。じゃあ対外試合の場合はどうするのか、ということは個人的に気になっていたが、それは普通にオッケーで、その代わりに現地では厳重な監視がつくらしい。

 連絡といえば、昨夜、藤野から本当に連絡が来て軽くびびった。

 確かに「今日の夜連絡するね」とは言われたが……まさか社交辞令じゃなかったとは。

 で、どんな会話をしたかというと、藤野の「よかった、ちゃんと繋がったね」、という言葉で始まり、今何してたかを言った後、話題が尽きて沈黙が流れ、じゃあまた明日、で終わった。

 まったくもって面白味のないやりとりだったが、俺にまともな会話スキルを求めたのが悪い、と責任転嫁しておくことにした。すまんな藤野。

 それにしても、どうしてこの学校は外部との連絡を固く禁じているのだろうか。

 漏れたら困る情報があるのか。

 悪評が広がるのを未然に防いでいるのか。

 しかし現時点では、この学校に悪評が生じる要因なんてない気がするんだが。

 不自然ではあるが、大量のポイントが付与されている。

 それに昨日1日過ごしただけでも分かるが、設備のレベルも相当高い。

 昨日改めてパンフレットを見てみたが、本当に多種多様の娯楽施設が完備されていて、おおよそ生徒たちは不自由しないだろう。

 設備に関して少し気になることといえば、校内のいたるところに監視カメラがあるということ。

 巧妙に設置されており、普段から神経質な人間でなければ気づかないだろう。

 現に須藤は昨日のコンビニでの場面、カメラには全く気づいていなかった。

 今日の朝、教室にも設置されているのを見つけたが、それも昨日の時点では分からなかった。

 注意して見てみると、廊下、階段、それに通学路など、本当に監視カメラをよく目にする。

 監視カメラをつける目的なんて、普通に考えれば防犯くらいのものだ。

 しかしただの防犯目的にしては、設置する箇所が多い気もする。

 何か他の理由があるのか……。

 生徒を監視して緊張感を与える、という目的でつけるなら、生徒にカメラの存在を周知しておかないとその効果は期待できない。

 とすれば、生徒の出来るだけ自然な姿を見たい、という事だろうか。

 それなら、生徒に監視カメラの存在がバレるまでは効果的だと言える。

 だが、それでも早い段階で監視カメラの存在は周知の事実になるだろう。もって2ヶ月くらいか。

 効果的ではあるが、長続きはしない。

 仮にも政府主導で作られたこの学校が、そんな方法を取るだろうか。

 考えても、現時点では答えは見えてこない。

 この学校で時を過ごしていけば、いずれ分かる時が来るだろうか。

 

 

 

 

 

 1

 

 部活動説明会の真っただ中。

 俺は漏れ出そうになるあくびをかみ殺すのに苦労していた。

 それに失敗した場合は、手で口を抑え、周りに口を開けているのが見えないようにする。

 なぜ俺がこんなことをしているのか。

 理由は単純。説明会に全く興味が湧かなかったからだ。

 上級生たちは新入部員獲得のため、新入生の興味を引こうと頑張っている。

 たまにウケを狙ってくる人もいたが、ドン滑りで失笑を買うだけだった。気の毒。今発表が終わった先輩なんてちょっと泣きそうになってたぞ。

 部活か。

 部活には所属したことはないな。

 個人的には運動は得意でも不得意でもないが、少なくとも嫌いなわけじゃない。

 少なくともバスケは好きだ。

 だが、部活に入ってまでやりたいとは思わない。

 部活に所属すると、知らず知らずのうちに自分の中で「練習行かなきゃ……」といった義務感が働く。

 俺は、スポーツはやりたい時にやり、やりたくないときはやらない、というのが一番いいと思っている。

 こんなこと言うとプロを目指している人に怒られるかもしれないが、俺はただの趣味に義務感で時間を割くような真似はしたくなかった。

 紹介された部活は、いま俺が言及したバスケのほか、バレー、野球、サッカー、陸上、水泳等々、王道の部活は揃っていた。

 文化系部活もあったが、そちらはほとんど覚えていない。

 たしか……花道部とか茶道部とか、あと家庭科部だか料理部だかはあった気がする。

 ともあれ、俺が部活に入るということは現時点ではなさそうだ。

 

「……」

 

 そう結論付けると、いよいよ退屈である。

 本当に退屈した時は、無性に体をひねったり動かしたりしたくなる。俺もその欲求に従って首を回し、ついでに周りを見回した。

 割合にして半分くらいの生徒たちは、俺同様退屈している様子だった。

 俺のように部活そのものに興味がない人だけではなく、既に興味のあった部活の紹介が終わってしまった、という人も多いだろう。

 

「んー……お?」

 

 首が右を向いた時、後ろの方に堀北がいることに気がついた。

 もしかして最初からそこにいたのだろうか。移動したときはバラバラだったし、体育館に来てからはずっと益体もない考えごとばかりしていたため気づかなかった。

 その堀北の視線は、舞台上に不自然なほどに一直線に注がれている。

 もちろん、今は部活動説明会。本来そうすることが正しい。

 しかし今堀北が向けている視線には、単に説明している先輩を見る目とは違う、他意を感じた。

 俺が見ていることに気づかれても困るので、視線を外し、堀北と同じ方向に目を向けた。

 

「カンペ持ってないんですかー?」

 

 1人の生徒のヤジが飛び、場内は笑いに包まれる。

 堀北が視線を向けるその上級生は、舞台に立っているにもかかわらず、一切何も話そうとしない。

 始めはみんな緊張で固まっているものだと思い、その上級生をいじるような雰囲気だった。

 しかし上級生は微動だにしない。

 そのうち、体育館の中は妙な空気に包まれ始める。

 徐々に、徐々に話し声が小さく、少なくなっていく。

 そしてあのヤジから十数秒と経たないうちに、誰も一言も喋らない、いや、喋ってはいけないと思わせるような静寂が訪れた。

 そのタイミングで、壇上の男は話し始める。

 

「私はこの学校で生徒会長を務める、堀北学です」

 

 堀北。

 その苗字は、隣にいる俺のクラスメイトと同じものだ。

 

「生徒会でも、他の部活同様、一般生徒から役員を募ります。立候補に必要な資格はありませんが、入会した場合は、他の部活動との掛け持ちは、原則認められません」

 

 丁寧な口調で淡々と説明していく生徒会長。

 普通なら、特別な感情を抱くことはない。言葉だけを追えば、今までの部活動紹介と何も変わらない。いや、むしろつまらない部類に入るものだ。

 しかし、先ほどまでその約半数が暇を持て余していた体育館の新入生総勢160名は、いまはそのほとんど全員がこの生徒会長の演説に聞き入っていた。

 この生徒会長が、堀北学という男が話す一言一言には、丁寧ながら、確かな鋭さがあった。

 その場にいて直接触れることでしか実感することのできない凄み、カリスマ性といったものが、この生徒会長には備わっている。

 そして、と、会長は続ける。

 

「生徒会は、半端な気持ちでの立候補者は必要としていない。もしもそのような気持ちで立候補した場合、恥をかくだけでなく、この学校に汚点を残すことになることを理解してもらいたい。この学校の生徒会は、それだけの学校からの信頼と、誇りを持って活動している。確かな信念を持つもののみ、ぜひ私たちとともに活動していこう」

 

「堀北さん、ありがとうございました」

 

 会長の発表が終わった。

 しかし、拍手すら生まれなかった。

 司会進行が説明会の終了を告げるまで、この場にいる者は誰1人として口を開くことができなかった。

 

 

 

 

 

 2

 

 体育館も人がだんだんと少なくなっていき、俺も戻るか、と出口に向かって歩みを進める。

 その時ふと、不自然な光景が目に入った。

 

「……おい、堀北?」

 

「……」

 

 立ち尽くしたまま、一言も喋らない堀北。

 無視して先に行ってもいいのだが、少し気になる。

 

「おーい」

 

「……」

 

 やはり、声をかけても無反応だ。

 無視を決め込んでる感じもしない。

 これ、俺の声聞こえてないんじゃないのか。

 なら……

 

パンッ

 

「ひあっ!」

 

「……」

 

「……な、何を……」

 

「いや、呼んでも無反応だったから……」

 

 ビンタを食らわせたわけではない。

 顔の目の前で手を叩く、猫騙しというやつだ。

 堀北を驚かせて気づかせるのには成功したのだが、あまりに意外すぎる堀北の小動物的な反応に、逆にこっちが驚かされてしまった。

 堀北自身も今の反応は恥ずかしかったのか、ちょっと顔が赤くなっている。

 珍しいものが二連発で見れたなー、とか思っていると、堀北の表情はいつの間にか普段通りに戻っていた。

 いや、訂正しよう。普段の8割増しの殺気が溢れていた。

 今後このことを言い出そうものなら殺すと堀北の目が語っている。言わねえよ。言わねえから睨むな。怖いなまったくもう。

 

「……みんな戻り始めてるぞ。早く歩けよ」

 

「先に行けばよかったでしょう。待ってほしいなんて頼んでないわ」

 

「……でも、お前あのまま1時間くらい立ち尽くしてそうだったぞ」

 

「……別に、少し考え事をしていただけよ」

 

 堀北はそう言って、何も問題がないことを強調する。

 考え事……というより、頭が真っ白になって動けなかった、という感じがしたが。

 ここは一つ探りを入れてみるか……

 

「同じ苗字だったな、お前とさっきの生徒会長」

 

 そう口にした瞬間、堀北の体が跳ねたのがわかる。本人は隠そうとしたようだが隠しきれていない。

 いまの反応で確信に変わった。この二人は恐らく兄妹、そうでなくても何かしらの血縁関係がある。

 そして恐らく二人の関係は、あまり良いとは言えない状態にある。

 とは思うものの、他の家族の問題に首を突っ込むなんて野暮なことだ。

 今は、これ以上この話題に触れることは避けておく。

 

 

 

 

 

 3

 

「速野くん、だよね?」

 

「……?」

 

 放課後を迎え、寮に帰宅しようとしたところで、突然名前を呼ばれた。

 

「僕は平田洋介。よろしくね」

 

「あ、ああ。よろしく。速野知幸だ」

 

 爽やかな雰囲気で、且つイケメン。ザ・好青年という感じの男子生徒だった。

 

「……何か用か?」

 

「ああ、ごめんね。そんなに時間は取らせないつもりだよ」

 

「いや、急いでるわけじゃないが……」

 

 平田は今朝、多くの生徒(特に女子)から頻繁に声をかけられていたため、よく目立っており、記憶に残っている。

 そんなクラスの人気者が、いったい俺に何の用なのか。

 

「実は昨日、クラスで自己紹介をしたんだ。でも、速野くんはその場にいなかったよね?」

 

「ん……ああ、話は聞いてる。先生が出て行った後にやってたらしいな。ちょうどその時……トイレに行ってたんだ」

 

 昨日と同じく「雉を撃ちに行ってた」と言おうとしたが、やめた。

 

「そうだったんだ。安心したよ」

 

「……安心?」

 

 俺がトイレ行ってたことで安心する要素なんてあるか?

 思いつくこととしては俺が便秘じゃないことが確認されたくらいだが……そうなると、平田が初対面の生徒の腸内事情を心配する変人ということになる。

 

「実は、自己紹介を拒んで教室を出て行ってしまった人たちがいてね……当然、強制することじゃないから、不快に思わせてしまったことを申し訳なく思ってたんだけど、速野くんはそういうわけじゃなかったんだ」

 

 ああ、なるほどそういう話か。納得。

 自己紹介を拒んだのは、多分堀北や堀北、それに堀北とかのことだろう。

 話を聞く限り、自己紹介をやろうと発案したのはこの平田らしい。

 入学初日で誰もが戸惑っている中、そう簡単にできることじゃない。

 きっとこれから、クラスのリーダー的存在になっていくんだろう。

 

「今日の部活動説明会、何か気になる部活はあった?」

 

「いや……どこにも入る気はないな」

 

「そうなんだ。僕はサッカー部に入ろうと思ってる。中学から続けてるんだ」

 

「……そうなのか」

 

 サッカー部か……なんというか、イケメン要素を詰め込んでるな。

 いまここで俺に話しかけてるのは、自己紹介ができなかった俺への気遣いだろう。

 ……あれ?

 俺が自己紹介をしてないってことは……。

 

「そういえば平田、なんで俺の名前知ってたんだ?」

 

 俺は自己紹介をしていないんだから、本来平田が俺の名前を知っているはずがない。

 

「ああ、さっき君が持っていた教科書にそう書かれているのを見たんだ。ごめん、驚かせちゃったかな」

 

 ああ……そうだったか。納得した。

 

「いやいい」

 

「ごめんね、急に呼び止めたりして。これからよろしく、速野くん」

 

「あ、ああ。こちらこそ」

 

 そう言うと、平田は荷物を持って教室を出て行った。

 確か、部活の申し込みは今日からスタートだったな。サッカー部に入ることをすでに決めている平田は、恐らく入部申請をしに行くんだろう。

 俺はこれ以上学校にいる用事もないので、寮に帰宅することにする。

 ただ、俺と同じように放課後に直帰するのは少数派だ。

 多くの生徒は、与えられた大量のポイントを使い、昨日と今日で仲良くなったメンバーで娯楽施設に遊びに行く。

 中には未だに友達を作れていない生徒もいるが、一人でも楽しめる娯楽施設は敷地内に多数存在するので、特にこれといった用がなくても足を運ぶ生徒もいる。新入生にとっては何もかもが目新しい光景のため、退屈はしないだろう。

 いずれにせよ、寮に直帰、という選択をする生徒はあまり多くない。

 

「平田と何話してたんだ?」

 

 荷物を背負ったところで、後ろの席の綾小路に声をかけられる。

 今日一日の様子を見ている限り、綾小路は昨日トラブルがあった須藤、それに同じくクラスメイトの池や山内と多少話す関係になったようだ。

 こういったところから友達の輪というのが広がっていく、というのは分かっているのだが、俺が知りたいのはどうやって多少話す関係になったのか、という部分だ。

 しかし今それを考えても答えが出ないことは分かりきっているので、ひとまず綾小路の疑問に答えることにする。

 

「別に……世間話みたいなもんだ。昨日俺が自己紹介に参加してなかったから、気を遣って話しかけたんだろ」

 

「なるほどな」

 

 綾小路もいま教室を出るところだったらしく、並んで教室を出る。

 こいつもそのまま寮に行くので、一緒に帰ることになりそうだ。

 とはいえお互いによく話すタイプではないので、俺たちの間に流れるのは、そのほとんどが沈黙の時間だ。

 ……学食の無料の商品のこと、綾小路にも共有しておくか。

 

「もう学食行ったか?」

 

「いや、まだ行ってない。昨日も今日もコンビニだった」

 

 確かに、今日の昼も教室でコンビニ飯食ってたな。

 

「実は、学食にも無料のものがあったんだ」

 

「……本当か?」

 

「ああ。『山菜定食』ってメニューだったんだが、マジでおいしくなかった」

 

「食べたのか……」

 

「今日の昼にな。……悪いか?」

 

「いや、悪いってことはないが……」

 

 たしかに10万ものポイントを貰ったばかりの1年生の中にこんなメニューを口にしたやつは俺ぐらいしかいないだろうが、別にそれを禁じるルールがあるわけではない。

 ちなみに山菜定食の味だが、先ほど言ったように確かに全くおいしくない。

 しかし重要なポイントは、決して不味いわけでもない、ということだ。俺が「おいしくない」という表現を使い続ける理由はここにある。

 おいしくないので積極的に食べようとは絶対に思わないが、「食べたくない」とは思わない。むしろ無料というメリットを考えると「食べてもいい……のか?」と思ってしまう、非常にタチの悪い商品だった。

 

「コンビニの次は学食にも、か」

 

「ああ。それと、あそこにあるミネラルウォーターも無料だ」

 

「……本当だ」

 

 マジかよ。今歩いてる場所から自販機まで割と距離あるんだが、見えるのか。目いいなこいつ。モンゴルの遊牧民かよ。

 

「ポイントが足りなくなったら、オレも使わないといけなくなるかもな」

 

「そりゃそうだろうけど、昨日堀北が言ってたように、10万も貰って足りなくなるって普通じゃないと思うけどなあ」

 

「まあ、確かに」

 

 支給されるポイントが減る可能性については、全く考えていない体で会話を進める。

 そのことについても言おうか迷ったが、話がややこしくなりそうなのでやめておいた。

 

「なあ、速野」

 

「ん、何」

 

「一つ頼みがあるんだが」

 

「……急だな。どうした」

 

 大したことではないだろうとは思いつつも、少し身構える。

 

「よければでいいんだが、連絡先交換しないか?」

 

 ……前言撤回。俺にとってはめちゃくちゃ大したことだった。ごめん綾小路。

 マジで急だな。いや、もちろん大大大歓迎なんだが。

 

「ああ、いいぞ」

 

 他の生徒の歩行の邪魔にならないよう、一度歩道の端に避けて作業を行う。

 交換の操作は滞りなく終わり、無事二人目(クラスメイトでは初めて)の連絡先を入手することに成功した。

「そういえば、Dクラス全体と、男子用のグループチャットができてるんだ。一応招待しておくぞ」

「あ、ああ、助かる」

 もうそんなのできてたのか……

 それに綾小路がすでに参加していたということにも、失礼ながら少し驚きを感じてしまった。

 俺が招待された二つのチャットのルームには、それぞれチャットへの参加人数が表示されており、クラスの方は32人、男子の方は17人が参加していた。

 クラス全体で40人、男女比は半々だから、クラスチャットには8人、男子チャットには3人、それぞれ参加してない生徒がいることになる。

クラスの方の8人のうち1人は絶対に堀北で確定だとして、それを除いてもあと7人も参加していない人がいるんだな。少し意外。

 そういえば、綾小路は何人の連絡先を持ってるんだろうか。

 せっかくだし聞いてみるか。

 

「今までに何人と連絡先交換したんだ?」

 

「速野含めて4人だ」

 

「……なるほど」

 

 いや、何がなるほどなのかは自分でもわかってないんだけど。

 俺の倍か。

 4人という数字が少ないのかは分からないが、恐らく多い方ではないだろう。

 対して、俺の2人という記録が少ない数字であることは間違いない。

 



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新たな日常Ⅳ

「おはようっ」

 

「……?」

 

 時計の針が朝の8時を回り、俺がいつも通り教室に入った直後、突如肩をトントンとたたかれ、朝の挨拶をされた。

 あまりにも突然の出来事だったため、一瞬無言になってしまう。

しかし挨拶をされた以上は、こちらも返さないわけにはいかない。

 後ろに振り返りつつ、挨拶をする。

 

「あ、ああ……おはよう」

 

 そこに立っていたのは……見覚えのある女子生徒だった。

 クラスメイトだからなんとなく見覚えがあるのは当然なんだが、そういう意味ではない。

 まずこの女子生徒、めちゃくちゃ美少女なのである。

 また、おととい昨日とみている限り、男女問わず多くの生徒が彼女に話しかけていた。

 そしてそれを本人もうれしそうに対応していたのを覚えている。つまりコミュニケーション能力もかなり高いということ。それは今この瞬間、それまで会話をしたことすらないはずの俺にいきなり挨拶をしてきたことからもうかがえる。

 

「えっと、速野くん、で合ってるかな?」

 

「ん、ああ、合ってるけど……」

 

「あ、よかったー。初めまして、だね。櫛田桔梗です」

 

「はあ……速野知幸です」

 

 デジャブだ。昨日の平田との場面と被る。

 なんで俺の名前を知ってるかに関しては、人づてに聞いたんだろうと勝手に考えて質問はしないことにした。

 

「下の名前、知幸くんっていうんだ。よろしくね」

 

「あ、ああ……よろしく」

 

 なんというか……すごい可愛いと思います。

 元々の容姿が優れているのは間違いない。それに加え、櫛田本人が自分をさらに可愛く見せる方法を熟知している感じだ。

 意地の悪い言い方をすれば「あざとい」という表現になるわけだが、不思議と嫌な感じはしない。

 この点が男女問わず人気である要因の一つなんだろうか。

 一昨日の櫛田が一体どんな自己紹介をしたのかも、少し気になるところだ。

 

「速野くん、入学式の前に自己紹介があったのって知ってる?」

 

「ん、ああ、平田と綾小路から聞いたよ。ちょうどその時俺はトイレに立ってたから、参加できなかったんだ」

 

「そうだったんだ。でも、同じクラスの友達なのには変わりないからねっ」

 

「……」

 

 ちょっと待って、いまこいつ友達って言ったか?

 まだ顔合わせて2分も立ってないのに、同じクラスってだけで友達になるのか?

 櫛田の態度はこれ以上ないほどに友好的だが、いきなり「友達」と言われると違和感はぬぐえない。

 

「ところでさ。速野くんって、堀北さんと仲いいの?」

 

「……は?」

 

 唐突な、脈絡のない質問。

 

「いや……そんなことはないと断言する」

 

「でも、堀北さんが話してる相手、速野くんと綾小路くん以外に見たことないよ?」

 

「……まあ、多少話す関係ってことは事実だけど。でも、それがどうしたんだ」

 

「私ね、この学校のみんなと友達になるのが目標なの。でも昨日、堀北さんに話しかけたら拒絶されちゃって……」

 

「へえ……」

 

 いまの「へえ」は、「この学校みんなと友達になる」という、一見無謀ともいえる櫛田の目標に向けたものだ。

 櫛田が堀北に拒絶されたことに向けてのモノではない。

 堀北が会話の相手を初手で拒絶するなんて想像通りすぎて、反応を示すほどのことじゃない。

 

「堀北は誰かれ構わずそんな対応だと思うぞ。俺も最初に話しかけたときは滅茶苦茶いやそうな反応されたし。気にしない方がいいんじゃないか」

 

「そう、なのかな」

 

 まあ、俺の言葉には微塵も説得力ないけどな。よりによってアドバイスを受ける相手が中学で一人も友達がいなかった俺とは。

 櫛田は質問する相手を間違えている。

 

「うん、そうかも。私も頑張ってもう一度話しかけてみるね」

 

「お、おお……そうか」

 

 どうやら櫛田に諦める気はないらしかった。

 まあ、止める理由はないし、頑張ってくれとしか言いようがない。

 

「じゃあ、またね、速野くん」

 

「あ、ああ。また」

 

 そうして、櫛田はまた別のクラスメイトの元へと駆け寄っていった。

 いつまでも突っ立っているわけにもいかないので、自分の席に向かい、荷物を置く。

 

「みんなと友達になる、か」

 

 着席して一息つくと、櫛田のそんな言葉が耳に残る。

 友達という存在に特別性を見出している俺からすると、全員と友達になるという行為はその特別性を失わせるものでしかない。全員と友達になったら、その友達は果たして本当に「友達」と呼べるのか、俺には疑問だ。

 万人の友人は誰の友人にもなれない。

 万学の祖、アリストテレスの格言だ。

 まずそれ以前に……俺には、初対面から数分しか経ってない人物のことを、友達なんて呼ぶことはできない。

 

 

 

 

 

 1

 

 一日の授業を消化し終わり、Dクラスの生徒たちは今日もハイテンションで敷地内の娯楽施設に遊びに行く約束を交わしている。

 それ自体を否定するつもりはない。

 せっかく大金を貰ったんだ。それを使って遊びたいと思うのは真理。俺にだってそういった願望がないわけじゃない。

 ただ、「今日カラオケ行かなーい?」や「ゲーセン行こうぜー!」みたいな会話を、授業中に、それも大声でするのは本当に遠慮してほしい。

 マジで超うるさい。

 ただそれに関して何より疑問なのが、各授業の教師陣が、生徒たちの酷い授業態度に対して一切何の注意もしないことだ。

 放任主義といえば聞こえはいいが、度が過ぎるんじゃないだろうか。俺や堀北を含め、真面目に、静かに授業を受けたいと思っている生徒は少なからずいる。そういった人たちにとって、この状況は少々耐え難いものがあった。

 ……まあ俺の場合は、話し相手がいないから授業を静かに受けるしかない、という見方もできるが。

 俺がこの学校に入ってから会話を交わした人の数は両手で足りる。

 具体的に挙げると、綾小路、堀北、コンビニ店員、学食の店員、藤野、クリーニング屋のおばちゃん、平田、そして櫛田。

 そこから、単発で会話を交わしただけの相手を除くと……

 俺は綾小路、そして藤野以外に、話し相手を作ることができないでいた。

 藤野と面と向かって話したのは、学食での事件のときが最初で最後だ。

 しかしチャットでのやり取りは継続的に行われている。昨夜もチャットで雑談を行った。

 だだ、藤野の人間関係を総合して見たときに、俺の序列は最下層だろう。

 実際に会ったのは一度だけだが、彼女に非常に高いコミュニケーション能力が備わっていることは明らかだ。初日からいきなり遊びに行ってたしな。その遊び相手とは昨日と今日で親交を深め、しっかりと友人関係になっているだろう。

 そういった人間と比較すると、俺と藤野の関係は希薄というべきだ。つまり、現時点で藤野を友達に含めるのは不適切のはずである。

 知り合い数人、そして友達がゼロ。それが今、俺の置かれた現状だ。

 

 ……俺、めちゃくちゃ成長してるぞ。

 

 当然だ。以前まで話し相手すらゼロだったんだから。話し相手が「いる」ということ自体、確かな成長だ。

 あまりに会話をしなさすぎると声の出し方を忘れてしまう、という話を聞いたことがあるだろうか。あれマジの話だから注意したほうがいい(体験談)。

 ちなみに今日は綾小路、堀北と話したからセーフだ。

 さて。

 そんな俺だが、実を言うと今日の放課後、予定が入っている。

 俺がただの暇人じゃないことがこれで証明されたわけだ。

 ……まあとはいえ、当然のごとく一人での予定なんだが。悲しい。

 そんなわけで、俺が学校を出て向かう先は寮ではない。

 目的地に向かうために、教室を出て廊下を歩きだそうとした時だった。

 

「あ、速野くん」

 

 名前を呼ばれた方を見ると、そこには藤野の姿があった。

 他クラスの生徒の来訪は珍しい。それに来た生徒が藤野という美少女、さらにいえば最初に呼び掛けた相手が俺ということで、周囲から大きな注目を集めていた。

 なんで藤野がこんなところにいるんだろうか。

 

「どうしたんだこんなところで」

 

「実はちょっと用があってね」

 

 用というと、誰かに会いに来たのか。

 

「そうか。Dクラスの誰だ?」

 

 教室内に首を向けたが、藤野は首を横に振った。

 

「違う違う。用があるのは速野くんにだよ」

 

「……俺に?」

 

「うん。このあと、食品スーパーに行くんだよね?」

 

 そう。藤野の言う通り、俺が今から向かう目的地は敷地内にある大型の食品スーパーだ。

 俺は今日から自炊を始める。その食材を買いに行くため、放課後にスーパーに行くことを決めていた。それを昨日、藤野とのチャット内やり取りの中で話したのだ。

 

「ああ」

 

「それなんだけどさ。……私も一緒に行っていいかな?」

 

「……?」

 

 非常に急な申し出で、答えに窮してしまう。

 

「……なんで?」

 

「私も自炊始めようかな、って思ってさ」

 

「……そう、なのか」

 

 少し疑問が残るやりとりだったが、もちろん俺に断る理由はないので、頷いて承諾の意を示す。

 

「ありがとう。じゃあ、早速行こうよ」

 

「……ああ」

 

 藤野の方も荷物は持ってきていたので、ここから直接スーパーに向かうことになる。

 入学直後のこの時期に、男女1対1の組み合わせというのは珍しいだろう。

 廊下ですれ違うタイミングで、少なくない生徒が俺たちのことを二度見してくる。

 俺はあまり居心地がよくなかったが、藤野の方は気にしていないようで、すました顔で歩を進めている。

 食品スーパーは、ケヤキモールの隣、俺が一昨日買い出しを行ったホームセンターの近くに位置している。

 学校からはゆっくり歩いて7、8分ほどの距離だ。

 店内に入ると、空調の効いた、ちょうどいい温度の空気が中から流れて出てくる。

 スーパーなので空調が効いているのは不自然なことではないが、この学校の凄いところは、校舎内のほとんどの場所で冷暖房が完備されているところだ。

教室はもちろんのこと、廊下も過ごしやすい温度に調節されている。普通廊下にまではつけないよな。

 だから、というわけではないだろうが、俺たちは季節を問わず、一年中ブレザーの着用が義務付けられている。

 今は大丈夫だが、夏にはちょっとつらいものがあるだろうな。

 カゴを手に取って、まずは入り口付近に位置する野菜コーナーから何を取ってやろうかと吟味しようとしていたとき。

 

「速野くん」

 

「ん?」

 

「商品取る前に、ちょっと私についてきてくれないかな?」

 

「え? ……わかった」

 

 あえて理由は聞かなかった。

 藤野の背中についていきつつ、店内を俯瞰する。コンビニ同様、品揃えはかなりのものだ。組み合わせ次第でなんでも作ることができるだろう。

 だが藤野はそれらには目もくれず、どんどん先に進んで行く。

 そして、一番奥に到達した。

 

「あったあった。ここを紹介したかったんだー」

 

 そこに現れたのは、この学校の敷地内でよく見かける文字。

 

「……無料コーナー?」

 

「うん。友だちに聞いてね。私も来るのは初めてだったんだけど」

 

「へえ……」

 

「驚いた?」

 

「ああ、まったく想定してなかった。スーパーにも無料のモノがあるなんて」

 

「よかったー。速野くんを驚かせたくってこんな紹介の仕方にしたんだよね」

 

 藤野の言う通り驚きはある。だがそれ以上に、助かったという気持ちの方が強かった。

 恐らくいま紹介されなかったら、無料コーナーの存在に気付くのに少し時間がかかっただろう。無駄なポイントを使わずに済んだ。

 品揃えも品質も、当然一般のコーナーと比べればかなり劣る。

 消費期限ギリギリだったり、これ大丈夫か? と思いたくなるような色や、へんてこな形をした野菜もある。多くの生徒は食う気が失せるだろう。

 しかし、タダであろうと売りに出されているということは、まあ多分大丈夫なんだろう。

目的は美味しいものを作ることではなく、食費を浮かせることだ。

 期限ギリギリだろうと食えればそれでいい。

 なんならちょっと過ぎたものでも、俺は大丈夫だ。

 

「速野くんは、いつから料理やってるの?」

 

「えーっと……小6とか」

 

「あ、私も同じくらいだよ」

 

 俺の場合、「料理を始めた」という表現は少し不適切だ。

 正確には、「料理を始めざるを得なかった」。

 だがいちいち訂正するほどのことでもないので、スルーして会話を続ける。

 

「こうやって友達と食材を買いに行くの、初めてなんだよね。普通友達と買い物っていったら、洋服とかファッション系だしさ」

 

「……」

 

 そんな藤野のセリフに、少し黙り込んでしまう俺。

 

「どうしたの?」

 

「え、ああいや、悪い」

 

 いま出てきた「友達」というワード。

 今朝、櫛田にも言われた言葉だ。

 

「どこからが友達なのか、って思ってな」

 

「え?」

 

「いや、はっきりした基準がないことは分かってるんだが……」

 

 例えば恋人同士ならば、どちらかが想いを告げて付き合ってほしいと言い、それをもう片方が了承することでその関係がスタートする。つまり明確な基準が存在するわけである。

 しかし、友達は違う。

 なんとなく話すようになって、なんとなく遊ぶようになって……気づいたら友達、というパターンが多いだろう。どこまでが赤の他人で、どこからが友達なのか、その基準はグラデーションのように曖昧で、はっきりしない。

 

「うーん、確かに、普通はないよね……」

 

 藤野も少し考えこんでいる様子。

 俺にまだたくさんの友達がいた小学校のころは、そんなこと全く気にもしていなかった。

 今のように余計なことを考えなくても、自然と友達ができていた。恐らく、「友達」という曖昧な概念を、感覚だけで使いこなすことができていたんだろう。

 

「でも私は速野くんのこと、友達だと思ってたよ。速野くんは……違ったのかな」

 

「……いや、悪いな。分からないんだ」

 

 藤野と比較的仲が良いことは間違いない。少なくとも、今のように一緒に出掛けるくらいには。

 だが、友達かどうか、と問われると、俺は自信を持って頷くことはできない。

 

「じゃあ、質問を変えるね。速野くんは、私と友達になりたいって思ってくれてる?」

 

 その問いには、俺は自信を持って肯定した。

 すると、藤野の表情がぱっと明るくなる。

 

「じゃあさ……」

 

 藤野は俺の手を取り、握手のような形にさせる。

 

「今この瞬間から、私たちは友だち。これでどうかな?」

 

「……」

 

 面食らってしまった。

 どこからどこまでが友達なのかは、俺には分からない。話を聞く限り、恐らく藤野もその基準は分かってはいない。

 しかし、客観的に見てある程度の仲の良さがあって、お互いに友達になりたいと思っているなら、その二人はもう限りなく友達に近い存在だ。あと一押しがあれば、友だちになることができるだろう。

 その一押しを、藤野はこのように目に見える形でやってみせた。

 

「改めてよろしくね、速野くん。友だちとして」

 

「……ああ、分かった。よろしく」

 

 俺は少しの間の後、藤野の手を握り返す。

 そして10秒ほど経った頃、どちらからともなく手を離した。

 

「じゃあ買い物、しよっか」

「……そういや、何にもカゴに入れてないな」

 

 友達がどうこうという俺が持ち出した変な話題に時間を費やし、まだ肝心の買い物ができていなかった。

 

「速野くんなに買う?」

 

「一回全部見てから決める」

 

「それ時間かからない?」

 

「まあかかるだろうけど……どうせ無料だしな」

 

「あはは、確かに」

 

 藤野の言葉を素直に信じるなら、俺は藤野と友達になった。

 久々の友達だ。

 うれしくないわけはない。

 だが、俺が友達なんて持ってもいいのだろうか。

 いざ友達ができてみると、こんな感情が俺を支配している。

 鶏肉の炒め物でも作るか、と今日の夕飯のメニューを決めつつ、俺はそんなことを考えていた。

 



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新たな日常Ⅴ

 今日は、いつもより多めの荷物を持っての登校だ。

 教室内の様子は、いつも通りに……いや、いつも以上に浮ついていて、騒がしかった。

 

「今日は待ちに待ったプール授業!」

 

「プールといえば女子の水着!」

 

「ああ、想像するだけで興奮してくるぜ!」

 

 そんな、文字通りの馬鹿騒ぎをしているのは、クラスメイトの池と山内だ。

 2人とも、クラス内では所謂「お馬鹿キャラ」として定着している。

 この2人に、コンビニで色々あった須藤も加え、「三羽カラス」ならぬDクラスの「三馬鹿」と呼ばれていた。

 そんなことしてたら好感度落ちるぞ。まあ落ちるような好感度があればの話だが。

 ああいうのが健全な男子高校生というやつなんだろうか。だったら俺は不健全で結構。

 俺が問われるとすれば、健全な男子高校生かどうか以前に、健全な人間生活を送っているか、だろうな。

 人付き合いの観点からすれば、俺はすでに余命宣告出されるレベルの危篤状態だ。

 だが、ついに先日、俺にもはっきりした「友人」という存在が出来てしまった。危篤状態から、一気に脈拍安定くらいには回復した。

 このことに関連して、俺の中で小さな驚きが一つあった。

 それは、はっきりと「友人」になる前と後で、藤野との距離感や接し方には、何ら変化が生まれなかったことだ。

 もうちょっと何か変わるかと思っていたが、実際のところこんなものか。

 もしくは俺の中で、すでに前々から藤野のことを世間一般でいう「友人」にカテゴライズしていたのか。

 実際のところはよくわからなかった。

 と、まあそんなことはさておき。

 今日はプール授業がある。

 いつもより多めの荷物も、いつもより浮ついた教室の様子も、理由はこのプール授業の存在だ。

 こんな感じで色々無意味に頭を回しつつ、席に座ってぼーっとしていると、先ほどの山内たちの話し声がもう一度耳に入ってきた。

 

「博士ー」

 

「呼んだか?」

 

 博士、とはクラスメイトのあだ名。本名は外村というらしい。

 体系は小太りで、眼鏡をかけている。なんというか、一世代前のオタクのイメージを投影したような生徒だ。

 

「何してんだ?」

 

 そこに須藤があらわれ、会話に加わる。

 

「実は博士に、おっぱい大きい女子ランキング作ってもらうんだよ」

 

「体調不良で休んで観察するつもりンゴ」

 

「……大丈夫かよそれ」

 

 外村……博士でいいか。博士のわけの分からない語尾と、池たちの企みに、須藤は少し引いていた。

 その後綾小路が呼び出され、野次馬の話に加わっていった。

 会話からは、途切れ途切れに「長谷部」や「佐倉」などのクラスメイトの名前が聞こえてくる。

 俺だってこれまで友人を作る努力をしてこなかったわけじゃない。今日までの間にクラス全員の名前は覚えた。……でも顔は覚えてない。意味ねえ。

 こんな具合なので、2人の容姿までは知らない。ただまあ、巨乳なんだろうな。たぶん。

 男子はこの手の話題(猥談)に敏感らしい。始めはほんの数人の集まりだったにも関わらず、ものの数分で10人強の規模の集団と化していた。

 周りには聞こえないように注意していたのも初めのうちだけ。段々と会話のボリュームが大きくなっていき、最終的に女子には丸聞こえ。全員がゴミを見るような目で見られていた。

 一方で男子はその視線にも気づかず、猥談に花を咲かせていた。

 

「あなたも参加してきたら?」

 

 後ろから堀北に話しかけられ振り向くと、俺にまで軽蔑のまなざしを向けてきた。

 

「おい、そんな目線向けんな。俺は無関係だっつの」

 

「どうかしらね。本当は参加したくてたまらない、という目で彼らのことを見ていた気がするけれど」

 

「そんなわけないだろ……。少なくとも俺は参加しない。勝手にやらしとけばいいんじゃねえの」

 

「やられる方からしたら、不愉快極まりないけれどね」

 

 だろうな。だが、俺にはどうすることもできない。

 

「そんなに気になるなら自分で説得してこいよ。とはいえ話題が話題だし、お前は引き合いに出ないだろうから安心していいと思うぞ?」

 

 言うと、堀北の睨みが一気に強くなる。

 

「……それはどういう意味かしらね。苦しさに這いつくばりながら死ぬのと、苦痛にのたうち回りながら死ぬの、どちらがいい?」

 

「……どっちも却下で」

 

 やっぱり堀北にこんなことを言うのは間違いのようだ。

 まあ今のは俺の発言がクソだったが……それを抜きにしても、堀北はやはり癖が強い。

 堀北以外にも、須藤、それに入学初日に机の上に足を組んで爪を研いでいた、俺がドン引きした高円寺。

 他のクラスもこんな曲者ぞろいなのだろうか、この学校は。

 

 

 

 

 

 1

 

「っしゃ、プールだ!」

「でっかくね!?」

 

 着替えを終えた男子が、プールサイドに集まっている。

 屋内プールもこれまたかなり立派だ。

 スイミングスクールでも25メートルが普通だろうに、ここは50メートルプールだった。

 しかしこの男子高校生どもは、すぐに別のことに関心を示し始める。

 

「女子はまだかっ……!!」

 

「着替えに時間がかかるからまだだろ」

 

「やべえ、俺興奮してきた……」

 

「あんまり水着とか意識しないほうがいいと思うぞ?」

 

「意識しない男がいてたまるか! ……勃ったらどうしよう……」

 

「そんなことしたら櫛田ちゃんに一生嫌われるぞ!」

 

「そんなあああ!!」

 

 いや、櫛田以外からも普通に嫌われると思うぞ。

 まあ名指しで出てきたのは、櫛田が男子から大の人気を誇っているからに他ならないんだが。

 ただ、その分苦労も多そうだな。例えば夜、一体櫛田は何人の男子の頭の中に登場してくるのだろうか。

 ……俺? いや、俺はそんなことしてないよ? ホントホント。

 いや、マジで。

 

「へー、すごい広ーい!」

 

「ホントだー!」

 

「「「「ぅぉぉぉぉぉ……」」」」

 

 着替えを終えた女子が更衣室から出てきた。

 男子が小さな声で、女子には聞こえないように唸り声をあげる。

 男子の目は文字通り釘付け。今肩をトントンと叩いて知らんぷりするゲームをやってもバレない自信がある。

 しばらく鼻の下が伸びきっていた男子連中だが、次第にあることに気づきはじめる。

 

「あ、あれ、長谷部がいねえ!?」

 

「ど、どういうことだ博士!?」

 

「ンゴゴッ!?」

 

 二階の見学者席の博士が唸る。だからそれ何語だよ。ドミン語?

 

「あ、う、後ろだ博士!」

 

 指摘されて後ろを振り向くと、そこには長谷部、加えて先ほど話題に上がっていた佐倉もいた。

 その後も、見学者組の女子が続々と姿を現す。

 

「巨乳がっ、見られると思ったのにっ……巨乳がっ!」

 

「キモ……」

 

 池の叫びが聞こえていたのか、長谷部の嘲るような声が上から降りかかる。

 長谷部に同意だ。今のは俺から見ても少し……いやかなりアレだと思う。

 一方で、池にはその声は聞こえていなかったようだ。

 

「落ち込んでる場合か池! 俺らにはまだたくさん女子がいるじゃないか!」

 

「そ、そうだよな。こんなことしてる場合じゃないよな!」

 

 そんなことを言いながら、山内と2人で握手を交わしていた。

 下心で繋がる友情かあ……あんまり羨ましくないなあ……。

 

「何してるの? 楽しそうだね!」

 

 そこにやってきたのは、男子のほとんどが待ち焦がれていたであろう、櫛田だった。

 クラス内での櫛田人気は凄まじい。それに藤野から聞く限りじゃ、学年全体でも櫛田はものすごい人気を誇っているそうだ。それも男女問わず。さすがに「全員と友達になる」なんて目標を掲げているだけはある。

 そんな櫛田は男子の視線を一身に集めるが、その男子はみんな一瞬で体ごと櫛田から逸らしてしまう。

 ……あー、まあ、生理現象だものね。朝とかつらいよね。

 だが、櫛田のスクール水着姿を見ているとそれも納得がいく。制服の上からでは分からない身体の細かなラインが、スクール水着によって明らかになっている。

 すると、櫛田がこちらに歩いてきた。

 

「……みんなどうしちゃったのかな?」

 

 疑問の表情を浮かべながら俺に質問してくる。

 

「さあ、どうしたんだろうな……トイレにでも行きたくなったんじゃないのか」

 

 俺としてはこう答えるしかなかった。

 だって、これは男子の生理現象でだな……とか言えるわけないだろ。どうしても知りたいなら国指定の保健体育の教科書を勧めていたところだ。

 それにトイレに行きたくなったというのも、あながち間違いじゃない。

 

「綾小路くん、あなた以前運動部だったの?」

 

 堀北のそんな声が聞こえてきて、俺もそっちを振り向く。

 ……確かに。須藤とは違い隆々ではないが、身体は運動部である平田よりも、ガッチリしている印象を受ける。

 

「いや、オレはずっと帰宅部だ」

 

「それにしては、筋肉の発達が尋常じゃないけれど……」

 

 堀北は気になるのか、綾小路の全身を見ている。

 

「親から貰った恵まれた身体、ってやつじゃないのか?」

 

「それだけでここまでになるかしら……」

 

「何だよ疑い深いな。お前筋肉フェチか? 命賭けるか?」

 

「そこまで否定するのね……」

 

 渋々といった表情で引き下がる堀北。

 すると今度は視線の先に俺を捉えたのか、こちらをさっきの綾小路と同じように見てくる。

 

「……どちらかというと貧相ね」

 

「おい」

 

 ひどくね? 確かにあんまり筋肉付いてないけどさ……これでも中学までやってた体力テストでは平均かそれ以上出してたぞ。握力以外。

 お返しに堀北のも見てやろうか、なんてそんな勇気があるはずもなく、俺はその場から目をそらした。

 

「おーし、全員集合しろー」

 

 そんな実りのないやり取りをしていたところで、水泳担当の先生から集合がかかる。

 

「1年Dクラス、だな。見学者が随分多いみたいだが……まあいいだろう」

 

 確かに。先ほどは気にしてなかったが、かなり多いな。半数近くか。

 女子には生理なる日がある、ということくらいは俺も知っているが、その日がこんなに被るとは思えない。何人かはサボりだろうな。

 

「早速だが、実力をチェックしたいので、準備体操を済ませてから泳いでもらうぞ」

 

「あ、あの、俺あんまり泳げないんですけど……」

 

「安心しろ。俺が担当するからには、夏までには確実に泳げるようにしてやる」

 

「で、でも、そんなに必死で泳げるようにならなくても」

 

「そうはいかない。泳げるようになれば、必ず役に立つ。必ずだ」

 

 随分と「必ず」という言葉を強調したことに違和感を覚えながらも、準備体操をする。

 それが終わると、体を慣らすためにウォームアップとして、軽く泳ぐよう指示された。

 プールか。かなり久しぶりだな。小6のときに授業で入った以来か。

 泳ぐこと自体が3、4年ぶりくらいだ。

 確かその時、自由時間中の遊びに混じれなくてひたすら遠泳してた記憶がある。この学校に50メートルプールを30ターン近く、ノンストップで泳いだやつはいるだろうか。

 

「とりあえず、ほとんどの者は問題なく泳げるようだな。よし、じゃあ競争始めるぞ。50メートル自由形だ。女子は5人2組、男子は最初に全員泳いだ後、タイムの速かった者上位5人で決勝を行う」

 

「え、きょ、競争!?」

 

「男女別で1位になった者には、先生から特別に5000ポイント支給しよう。その代わり、男女ともに最下位のやつは、それぞれ補習を受けてもらうからな」

 

 一位にポイント支給、か。

 茶柱先生が言っていた、「この学校は実力で生徒を測る」。その片鱗が早くも見え始めている。

 この先生がサービス精神旺盛なだけなのか、それは分かりかねるが、一つ言えることは、これは社会の構図にもあてはまるということだ。

 実力があって、結果も出せるやつは稼げる。

 逆に実力がなければペナルティが待っている。

 ここでは補習がそれに当たるが、社会なら減給なんてこともある。そういう意味では、以前から懸念していた支給額の減額措置があっても別に不思議ではない、と最近思うようになった。

 俺がネガティブ思考に勤しんでいる中でも、プールサイドは騒がしい。

 なんか「今日のおかずを確保するんだ!」って声が聞こえて来たが、おかずならスーパーとかに売ってるぞ。……あ、そっちじゃない? ですよねー。知ってた。

 

「おおおー、堀北やるなー」

 

 とある男子の声に促されるように、プールを見てみる。

 堀北は既に一位で泳ぎ終わっていた。それに続き、他の女子も続々ゴールする。

 堀北が宣告されたタイムは28秒と少し。かなり速い。俺勝てるかな……?

 驚いている俺とは裏腹に、堀北は呼吸一つ乱さず、涼しい顔をして歩いている。このタイムでも、まだ本気ではないってことか。

 

「ふおおおおーー!」

 

 男子の誰かが奇声を上げたと思ったら、どうやら次は櫛田が泳ぐらしい。

 応援する男子に、櫛田が手を振っているのがみえる。それが余計に男子の興奮度合いを高めた。

 ほとんどの奴が櫛田に下卑た視線を送っていて、中にはバレないように股間を抑えている者までいた。そういう目で見ていないのは平田ぐらいのものか。

 櫛田の組のレース展開は、水泳部らしい小野寺という女子がぶっちぎりで一位だった。櫛田もまあまあ速かったとは思うが、小野寺がいるためか、速さの面ではあまり目立ってはいなかった。けど、男子は櫛田しか見てなかったな……

 次に男子の番が来た。

 俺は2番目の組で泳ぐことに決まった。

 1組目には、かなり速いと予想される須藤と、体格に恵まれている綾小路がいた。

 合図があり、一斉に飛び込むと、須藤の一方的なレースが始まった。とにかく速い。2位と4秒ほどの差をつけてゴールした。

 綾小路は……まあ平凡なタイムだ。だが、フォームのそれは小野寺と似ている感じがする。理想形に近い、ということだろうか。

 

「すごいな須藤、25秒切ってるぞ。水泳部にこないか? これなら、大会も十分狙えるレベルだ」

 

「俺は昔っからバスケ一筋っすよ」

 

 水泳なんて遊び、と言いながら戻っていく。遊びでこれか。すげえな。

 そして、いよいよ俺が属する組が泳ぐ番になる。

 隣のコースには、Dクラスのイケメン筆頭、平田がいた。

 スタート台に立つと同時に「きゃー」という女子からの叫び声が上がる。

 男子から櫛田への声援の男女逆バージョンみたいなものなんだろうが、女子がやると別に気持ち悪がられないってずるいと思う。

 平田は細身だが、しっかりと筋肉が付いている。かなり速いだろう。可能かどうかは別問題として、補習を免れるためには、平田についていけば間違いなさそうだな。

 

「頑張ろうね、速野くん」

 

「あ、……ああ」

 

 そして俺に話しかける気遣いの心も持っている。誰か平田の欠点教えてくんない?

 笛が鳴り、全員一斉に飛び込む。

 と、ここで事件が発生した。

 

「やばっ……」

 

 入水した瞬間、俺のゴーグルが外れてしまった。

 足をつけるわけにもいかず、煩わしいので左手でゴーグルを取り、そのまま泳いだ。左手の使い勝手が非常に悪いが、この際仕方がない。

 一応のこと泳ぎきる。組の中では3着だった。

 平田は当然1着。タイムはおよそ26秒らしい。「サッカーだけじゃなくて水泳も得意なんだね!」とか「平田くんかっこいい!」などなど、女子に囲まれて色々言われていた。

 俺のタイムは35秒ほど。可もなく不可もなく、という感じか。

 

「速野くん」

 

 プールサイドに上がり、元に戻ろうとしていた俺に声がかかる。

 櫛田だった。

 

「……なんだ?」

 

「最初に話して以来、速野くんとちゃんとおしゃべり出来てなかったからさ。迷惑……かな?」

 

 ここで必殺上目遣いか。

 天然でやってるのか、自分を最大限可愛く見せる方法を知っていらっしゃるのか。どちらにしても可愛いのでどうしようもない。男子って単純だよなあ……。

 

「いや、そんなことはない」

 

「よかったぁ。それでさ、速野くん、泳ぐの速かったね」

 

「……そうか? そうでもなかっただろ」

 

「ううん、最初にゴーグル外れてなかったらもっとすごいタイム出てたよ!」

 

 そう言って櫛田が一歩、ずいっとこちらに近寄ってくる。

 

「……」

 

 以前、綾小路とパーソナルスペースに関して話をしたことがある。

 人は他人に近づかれすぎると、不快感を覚える。

 だが櫛田の場合は、なぜかそれが発揮されない、と綾小路は言っていた。

 確かに、と、櫛田の凄さを実感する。

 だが、ギリギリのところでそれが発揮され、俺は一歩後ずさった。

 

「あ、ちょっと速野くん危ない!」

 

「え? あっ」

 

 後ずさった先、それは……地面ではなく、水面だった。

 

「おおっ!」

 

 ぐいっ、と櫛田に腕を掴まれるが、残念、それは悪手だ……

 

「きゃっ!」

 

「うわっ!」

 

 ザッパーン。

 

 俺の腕を掴んでいた櫛田も一緒になってプール内に落ちる。

 背中にダイレクトでダイブの衝撃が行った。腹打ちの背中バージョンみたいなもので、とても痛い。

 

「ぷはっ!」

 

 水の上に顔を出し、酸素を吸う。

 その瞬間、俺の顔の数センチ先に櫛田の顔があって、驚きで心臓が跳ね上がった。

 

「うおっ!」

 

 水の中でもう一度後ずさる。

 大げさに後ずさった理由は顔以外にあった。顔があれだけ近いということは……その……櫛田様のお胸が、水着越しに俺に押し付けられている状態でしてね……形が変わってるのが目に入って、さっきゴーグルなしで泳いだせいで、ただでさえ赤くなった目がさらに血走りそうになってですね……。

 

「あ、あの……その、手が……」

 

「……手?」

 

 櫛田に言われ気づく。

 水中で何が起こったのか分からないが、俺の腕を掴んでいたはずの櫛田の手に指が、何故か俺の指に絡まっていた。

 いやいやいや、不自然にもほどがある。一体どういうことだこれは……。

 だめだ、考えてる暇はない。取り敢えず今はこの手を離さないと。

 

「あ、ああ、悪い……」

 

「ううん、大丈夫だよ」

 

 そう言いながらプールサイドに上がる。

 

「おい、何をしてるんだお前ら」

 

 仮にも授業中。通常の授業と違って、プールでのおふざけは命の危険につながる。いくら放任主義とはいっても、この場で注意が入るのは当然か。

 

「ごめんなさい、脚を滑らせちゃって……」

 

「桔梗ちゃんドジだなー」

 

 誰かがそう言うと、プール内は笑いに包まれた。実際は脚滑らしたのもドジ踏んだのも俺だが、この場はこうしておいた方が丸く収まるだろう。

 いや、そんなわけなかった。男子からの怒りの目線が俺に突き刺さる。だが櫛田が戻っていくと、その視線も表面上はおさまった。

 代わりに殺気が溢れていたが。

 

「一体何をやっているのかしら、あなたたちは」

 

 通りすがり、堀北にそう言われてしまう。

 

「……俺にもよく分からなかった」

 

 仕方ないだろ。一瞬の出来事すぎて、未だに頭の中で整理が追い付いてないんだから。

 俺と櫛田が妙な喜劇を行っている間に、男子最終組のレースは終了していた。

俺がその様子を観ることは叶わなかったが、高円寺が須藤を超える23秒22という驚異的なタイムをたたき出して、軽く騒ぎとなっていた。

 

 

 

 

 2

 

 入学してからまだ2週間足らずであるにも関わらず……いや、これだけの期間があれば十分なのだろう。クラス内では、すでに仲良しグループの概形が出来上がっていた。

 形成されたグループが顕著に表れるのは、主に放課後と、この昼食時間だ。

 多くは三、四人ほどで集まり、食堂やカフェに昼食にでかけている。

 初めの1週間くらいは、教室で食べる生徒もそこそこいた。しかし今やそれは、コンビニで買ってきた昼食をグループで食べる人か、もしくは取り残されたぼっちかのどちらか。いずれにせよ、極少数の人間だけだ。

 中でも自分で弁当を作ってきている人物となると、さらに限られてくる。

 確認できるだけで、俺ともう一人だけ。確か佐倉と言ったか。プール授業の際、胸がデカいとかで少し話題になった生徒だ。

 俺のようにポイントを節約したいと考えているのか。あるいは単に料理が趣味なのか。

 いずれにせよ、それだけの共通点で、俺と彼女の間に何かしらの接点が生まれることはない。

 互いに干渉せず、静かに、一人で飯を食う。

 俺の弁当の中に入っている食材は、当然、すべて藤野から紹介してもらった食品スーパーの無料コーナーのものだ。昨日の夕飯の残りをそのまま弁当につっこんでいる。

 食費がほぼゼロになったのは、ポイントの節約をするにあたって非常に大きな役割を果たしている。

 いくら禁欲とはいっても、食欲まで放置し続ければ当然人は死ぬ。

 本来必要な出費として出ていくはずだったポイントがなくなることで、俺の手元には未だに9万強のポイントが残っていた。

 ポイントを潤沢に残した先に何があるのか、未だに見えてこないが……

 少なくとも、誰かと遊びに行く、という使い道はほとんどなさそうだ。

 クラス外に藤野という友人と、クラス内にも綾小路という話し相手がいることで、なんとか本物のぼっちという状態は回避できている。

 そんなジリ貧の俺に対し、綾小路はなんだかんだで馴染んできている風だ。

池や山内などと一緒にいるところを何度か見かける。

 他方、俺の右斜め後ろの席に座る、堀北鈴音。

 彼女は俺など比較にすらならないほど、ぼっちの道を極めていた。

 稀に俺や綾小路と会話を行うが、一言二言で途切れ、そのあとは沈黙、というのがほとんどだ。

いまも1人でコンビニで買ったであろう昼飯を、1人で食って、1人で本を読んで、1人で過ごしていた。

 そんなことを考えていた時。

 

「前から気になっていたけれど……あなた、それ弁当手作りでしょう。自炊なんてできたの?」

 

 珍しい。堀北の方から話を振るとは。

 

「……まあ少しはな」

 

「そう。意外ね」

「……」

 

 あ、会話途切れた。

 

 

 

 

 

 3

 

 昼食直後、5コマ目の授業。

 腹が満たされ、多くの生徒に睡魔が襲ってくる時間帯。

 事実、大半の生徒は机に突っ伏して、堂々と寝ていた。

 昼休み時間中なら全く問題はない。

 問題は、授業開始のベルが鳴っても、起きることなく寝続けていることだ。

 起きろよ。まあ俺は起こさないけど。

 起きてるやつは起きてるやつで、デカい声でしゃべってるし。

 そいつらのおかげもあって、俺は授業に集中することがほとんどなかった。

 授業開始のベルが鳴ってもガヤガヤしている教室に、茶柱先生が入ってくる。

 

「おーい、お前ら静かにしろ。あと、寝てるやつは起きろ。今日は少し真面目に授業を受けてもらうぞ」

 

「どういうことですか佐枝ちゃんせんせー?」

 

 今の受け答えからすると、真面目に授業受けていないことは自覚しているらしいな。なら直せよ。

 

「月末だからな。小テストを受けてもらう」

 

「げ、マジで?」

 

「安心しろ、これはあくまで今後の参考資料にするだけだ。成績表には何ら影響はない」

 

 その言葉を聞いて、多くの生徒は安心したようだ。

 テスト用紙が手元に来て、先生の合図で早速解き始める。

 英数国理社、各科目4問ずつの全20問。全ての問題に目を通してみるが、大体一瞬で答えの求め方が分かるものばかりだった。

こんなの5分とかからず終わるだろ。

 そんな、ほとんどの問題が拍子抜けするほど簡単だった中。

 

「ぁっ……?」

 

 ラスト3問に関しては、桁違いの難易度だった。

 英語、化学、数学。

 英語の問題は、言っていることは単純なのに単語、文法のレベルが高すぎる。

 化学に関してもかなりの暗記量と計算力が必要だ。

 数学も計算が複雑な上に、そもそもこれは範囲でいうと高校1年のものじゃない。

 この三問に関しては、問題文の意味を読み解けるやつがどれだけいるかすら怪しい。

 そもそも、この問題を出した意図がわからない。差をつける問題として出題したにしても、これでは正答率が低すぎて逆に差がつかないだろう。

 俺はこの問題をどう捉えたらいいのだろうか。

 

 

 

 

 

 4

 

 放課後。

 寮に直帰……と行きたいところだが、今日は用事がある。

 俺の用事といえば当然、食材の買い出しだ。むしろ、放課後に敷地内でこれ以外のことをしたことがほぼない。

 品揃えが悪い棚から粗悪な商品を見繕い、カゴに入れる。

 スーパーの無料コーナーにも、コンビニと同様利用の制限はかけられている。

 利用していいのは4日に1回、買い物カゴ1個分まで。

 ただコンビニに比べるとかなり甘い制限だ。

 食べ盛りの男子高校生とはいえ、一人の人間の胃の容量なんてたかが知れている。

 それに、大食漢というわけでもない。

 4日に1回、買い物かご1個分で、4日間の食事の必要量は十分に確保できる。

 そのため遠慮なく利用させてもらっている。

 買い物が終わり、他に寄るところもなく帰宅する。

 食品スーパーはケヤキモールと隣接しており、これから買い物やらカラオケやらに行くであろう生徒たちとすれ違う。

 1人でここを歩いているのも、両手に買い物袋を持っているのも俺だけという事実が重くのしかかる。めちゃくちゃ居づらい。

努めて意識しないようにしつつ、寮への道のりを進んでいく。

 

「……堀北?」

 

 校門前で信号待ちをしている堀北に遭遇した。

 向こうも俺に気づいたらしく、何やら警戒した表情をしつつも、声をかけてくる。

 

「……今度は偶然、のようね」

 

「は? どういうことだ?」

 

「いえ、何でもないわ」

 

「……?」

 

 こいつも今から帰るらしく、進む道は一緒なので、自然と一緒に歩く展開になる。

 あれ、でも確かこいつ今日……。

 

「お前、ホームルーム終わってすぐ綾小路とどっか行ってなかったっけ?」

 

 聞くと、堀北は苦虫をかみつぶしたような表情になる。

 

「……嫌なことを思い出させないで」

 

「……何かあったのか」

 

 とりあえず話を聞いてみると、ああ、確かにこいつが不機嫌にもなるわ、という内容だった。

 なんでも、櫛田が堀北と仲良くなるために、綾小路や他のクラスメイトを使って、校舎に併設されたカフェパレットで偶然出会う、というシチュエーションのセッティングを頼んだらしい。

 その話を加味した上で、質問してみる。

 

「まあお前が不愉快になるのも分からんこともないが……そもそもの話をしていいか。何でそこまで櫛田を毛嫌いする?」

 

 堀北の櫛田嫌いは、クラス内でも有名だった。

 頻繁に近づこうとする櫛田。それを拒絶し続ける堀北。時には少し、いやかなりひどい言葉を投げつける場面を目にすることもある。

 

「言ったでしょう。私は1人が好きなのよ。それに一度、櫛田さんにはもう誘わないでとはっきり言っているのよ。それを根回ししてまでやろうとした櫛田さんには、とても強い不快感を覚える。それに、綾小路くんにも思うところはあるわ」

 

 ただ単に1人を邪魔されたから、ってことか。

 

「この話はもう終わりでいいかしら」

 

「……ああ、分かったよ」

 

 堀北としてもあまり好ましい話題ではなかったんだろう。俺もおとなしく従うことにする。

 話題切り替えの皮切りに、堀北が話を始める。

 

「一つあなたに聞きたいことがあるわ」

 

「何だよ」

 

「この学校の制度について」

 

「……随分大きな話だな」

 

「この学校が国主導であっても、私たちは一介の高校生にすぎない。そんな人間に10万なんて大金を持たせることに、あなたは意味があると思う?」

 

 ポイントについて、堀北も前から疑問に思っていたようだ。

 

「さあな。あるとすれば自己管理能力の向上を促すとか、そこらへんじゃないのか?」

 

「だったらこんな大金を積む必要はないはずよ。それだとむしろ金銭感覚がおかしくなって、自己管理能力は下がるんじゃないかしら」

 

「まあ、確かに。それに、校内のいたるところに無料のものが置いてあるのも、俺としては気になる」

 

「そうね。ポイントが底をついても生活できるようにしてある、としか考えられない」

 

 水と食料は、0ポイントでも最低限は確保できる。つまりポイントがなくても死にはしないということだ。

 

「それに授業中にしゃべっていても寝ていても、誰も何も注意さえしない。甘すぎるんじゃないかしら」

 

「放任主義にしても度が過ぎるのは同感だ」

 

 もし今のDクラスの状況が全学年全クラスに共通するものだったら、この学校は学校として成り立っていないし、宣伝できるような成果もあげられているはずがない。

 

「俺たちがまだ経験していないだけで、生徒の気を引き締めることにつながる何かがある、ってことか」

 

「そう考えた方が自然でしょうね。授業を受けていて分かるけれど、教師のレベルが高いことに間違いはないわ」

 

「何人か有名な人もいるみたいだったな」

 

 敷地内の本屋で参考書や問題集を見ていた時、監修や編集の人名欄に、ここの教師の名前をちらほら見かけた。

 堀北の言うように授業のレベルも中々のものだ。

 まあ、Dクラスの奴らほとんど聞いてないけどな。まだ先の話ではあるが、テスト期間になってどれだけ苦労することやら……。

 それから、テストと言えば……。

 

「今日の小テストも、かなり不自然だったと思うんだが」

 

「あの最後の3問のことかしら」

 

「ああ。出題意図が読めないと思わないか」

 

「確かにそうね……」

 

 堀北の学力がいかほどかは分からないが、これまでの少ないやり取りからでも優秀であろうことはうかがえる。

 その堀北も、俺の違和感には同意らしい。

 

「もうちょっと様子を見るしかないか……」

 

「……そうね。手遅れになっていなければいいけれど」

 

「……そうだな」

 

 この学校には、まだ何か俺たちが知らない、いや知らされていないような裏がある気がしてならない。

 少なくともこのままの状態が卒業まで続くとは、絶対に思えなかった。

 



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終わりを告げた日常Ⅰ

あの日を迎えます。


 授業をちゃんと受けなくても怒られない。

 放課後や休日は、支給された10万のポイントを使い、遊び回る。

 そんな「天国のような」生活を続けて、1カ月が経過した。

 多くの生徒は、5月1日になれば、また10万ポイントをタダでもらい、夢のような生活を引き続き送ることができるのだ、と信じてやまなかった。

 それが4月30日、昨日までの話。

 日付が変わって、今日はその5月1日。

 ポイントの支給日だ。

 言うなれば、子どもが親から小遣いをもらえる日。

 生徒はたいそう盛り上がっているだろう、と思われた。

 しかしこの教室内には、浮かれるとか、ワクワクするとか、そんな生易しい感情はない。

 あるのは疑問、不安、焦り、そういった負の感情だけ。

 しかし「まあ大丈夫だろう」と言い聞かせて、自分を安心させようとしている。

 そんな異様な空気が流れる中、教室のドアが開き、茶柱先生が入ってくる。

 そして、すぐに違和感を覚える。

 教卓に立った茶柱先生の持つ雰囲気。

 昨日までとは全く違う。

 

「せんせーどうしたんすか? 閉経しちゃったとか?」

 

「これより朝のホームルームを始める。その前に何か質問のある者はいるか? もしいるなら、今のうちに聞いておくことを勧めるぞ」

 

 池のクソ面白くないセクハラをガン無視し、茶柱先生は冷たい声で教室全体に告げた。

 質問を促され、クラスの何人かが手を挙げる。

 その中の1人、本堂が口を開いた。

 

「あのー、今朝見たらポイントが振り込まれてなかったんですけど。ポイントって毎月の1日に振り込まれるって話じゃなかったんですか?」

 

 全員同じ疑問を持っていただろう。

 4月30日時点と、5月1日時点。その間のポイント残高の変動が全くなかった。

 Dクラスの異様な空気も、全てはこれが原因だ。

 俺も今朝、端末のポイント残高を確認して少し驚いた。

 これに、茶柱先生はどう答えるのか。

 

「その通りだ本堂。入学時の説明を忘れたわけではないだろう? ポイントは毎月1日、お前たちに自動的に振り込まれる。そして今月分は、すでに問題なく振り込まれた」

 

「え? いや、で、でも……」

 

 本堂が戸惑うのも無理はない。

 先ほども言った通り、俺たちのポイントに変動はなかった。にもかかわらず、ポイントはすでに振り込まれたという。

 

「……本当に愚かだな、お前たちは」

 

「お、愚か……?」

 

「座れ本堂。ホームルームを始める」

 

「え、さ、佐枝ちゃんせんせー?」

 

「座れと言ったはずだ。次はないぞ」

 

 見たことも聞いたこともない茶柱先生の雰囲気と口調。

 本堂は気圧され、席に座りこんだ。

 それを確認して、茶柱先生は再び話を始める。

 

「間違いなく、ポイントは振り込まれた。学校側のミスでもなければ、ましてやお前達だけ忘れられた、なんて幻想もあるはずがない。分かったか?」

 

「い、いや分かったかって言われても……事実振り込まれてない訳だし……」

 

 本堂は未だに分かっていないようだ。茶柱先生が何を言いたいか。

 いや、学校側が何を言いたいか。

 

「はは、分かったよティーチャー。このくだらないなぞなぞのような話の真相が」

 

 いつものとおり、足を机にあげながら、高円寺が笑って言った。

 

「要するに、今月私たちに振り込まれたポイントはゼロポイントだった。そういうことだろう?」

 

「は? 何言ってんだよ。毎月10万ポイント振り込まれるって言ってただろ?」

 

「私はそんな説明を受けた覚えはない。どこか間違っているかい、ティーチャー?」

 

「ふむ。態度には問題ありだが、その通りだ高円寺。今月お前たちに振り込まれたポイントは、ゼロだ。全く、これだけのヒントをやっておきながら、気づいたのが数人とはな」

 

 先生はあっけなく、1つの衝撃的な事実を告げた。その言葉が浸透していくと同時に、教室内はどんどん騒がしくなっていく。

 

「……あの、先生。質問いいでしょうか。腑に落ちない点があります。どうしてポイントがゼロだったんでしょうか」

 

 騒然とした教室の中、そう主張したのはクラスのリーダー、平田だ。

 その平田の質問にも、先生は冷たく答える。

 

「遅刻欠席、合計98回。授業中の私語や携帯を使用した回数、391回。一月でよくもまあこれほど怠惰を続けられたものだな。以前も説明しただろう。この学校は実力で生徒を測る、と。この学校は、クラスの成績がそのままポイントに影響する。この1ヶ月間を総合して、お前たちDクラスの厳正な査定を行なった結果、その評価は、『ゼロ』だ」

 

 突如として明らかにされる、ポイントの支給制度、「Sシステム」の裏側。

 俺が入学初日の夕食時に立てた仮説は、なんだかんだで当たっていたのだ。

 貰えるポイントは増減する。

 そして俺たちは今月、0ポイントを獲得した、というわけだ。

 点と点がつながり、線となってその形が露わなっていく。

 後ろでは、堀北がシャーペンを走らせるサラサラという音が聞こえてくる。

 メモを取っているのは恐らく、先ほどの遅刻欠席などの回数や、先生の発言。事態の把握を狙っているんだろう。

 

「ですが先生、僕らはそんな説明は……」

 

「受けた覚えはない、か?」

 

「はい。もし説明を受けていれば、誰も私語や欠席なんてしなかったはずです」

 

「それはおかしな話だな。お前たちは小、中学校合計9年間の義務教育の中で、授業中の私語や遅刻はしてはいけないことだと習わなかったのか? そんなわけがないだろう。その程度のことを説明しないと分からないのか。お前たちが当たり前のことを当たり前にこなしていれば、こんな結果にはならなかった。全てお前らの自業自得ということだ」

 

 それは絶対的な正論だった。出来て当たり前のことを、俺らは出来ていなかった。それだけのことだ。

 恐らく平田は今になって、授業をちゃんと受けよう、とこれまで注意してこなかったことを後悔しているだろう。

 

「大体、高校に上がったばかりのお前たちが、なんの制約もなく1ヶ月に10万もの大金を使わせてもらえると思ってたのか? 優秀な人材を育成することが目的のこの学校で? あり得ないだろう。常識を少しは身につけたらどうだ。なぜ疑問を疑問のまま放置しておく?」

 

 言われて気づく。

 疑問を解消しようとしてこなかったのは、完全に俺の落ち度だ。

質問して情報に確実性を持たせるべきだったのに、立てた仮説を仮説のまま放置していたのは悪手だった。

 しかし想定外なのは、支給されるポイントはクラスごとに決定されているらしい点。先ほどから「クラスの評価がゼロ」といった言い回しをしていることから恐らく間違いない。

 俺は支給額が変わるとしても、それがクラスごとに評価されるという可能性には全く思い当たっていなかった。そのため俺は自分さえちゃんとしていればいいと考え、特にクラスメイトに声かけをするようなこともなかった。

 ただたとえ声かけをしたとしても、昨日までのDクラスの生徒に届くとは思えないが……。

 

「では……せめてポイント増減の詳細を教えてください。今後の参考にします」

 

 悔しそうな表情を見せる平田だが、また新たな可能性を模索し、先生に言う。

 

「それは出来ない相談だ。人事考課、という言葉は知っているだろう。ポイントの増減は、この学校の決まりで公開出来ないことになっている。……しかし、そうだな。私も一応お前らの担任だ。一ついいことを教えてやろう」

 

 そう言うと、茶柱先生に一気にみんなの視線が集まる。

 

「お前たちが今後、私語や遅刻を完全に無くし、マイナスをゼロにしても、プラスになることはない。来月も、その次も0ポイントだ。つまり、お前たちが今までやってきた私語も遅刻も、授業中の携帯使用もし放題というわけだ。どうだ、覚えておいて損はないだろう?」

 

 皮肉たっぷりの先生の言葉に、平田の表情が沈む。俺も少し気分が悪くなり、先生を睨んだ。

 ……いや、或いはここでキレさせることが目的か。

 そんな時、ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 

「どうやら、少し無駄話をしすぎたようだ。本題に移るぞ」

 

 そう言うと、先生は持ってきていた大きな白い紙を黒板に張り出す。

 そこには、A~Dクラスの文字、そしてその横には数字が書かれていた。

 Aクラスが940。Bクラスが680。Cクラスが490、そして俺たちDクラスが0。

 Dクラスの数字から、これはポイントに関連することだろうと推測できる。

 にしても、AからDにかけて、随分と綺麗に数字が下がっている。

 それを奇妙に感じたのは堀北と綾小路も同じらしく、後ろで何事か話しているのが聞こえてきた。

 

「お前たちは入学してから昨日まで、贅沢三昧をしてきた。もちろん、それを糾弾する気も否定する気もない。ただの自己責任だからな。事実、学校側はポイントの使い道に関しては制限をかけなかっただろう」

 

 確かに、そのようなことも言っていた。「このポイントは振り込まれた時点でお前たちのものだ。遠慮なく使え」と。

 その説明は、俺らにポイント使用の権利を付与したとともに、ポイントに関しての無限責任を課すことにも繋がっていたということだ。

 

「この数字は『クラスポイント』と呼ばれるものだ。このクラスポイント1につき、月初めに100ポイントのプライベートポイントが支給される。クラスポイントが0であるお前たちに支給されるポイントは当然、0というわけだ」

 

「そ、そんなのあんまりっすよ! こんなんじゃ生活できませんって!」

 

「安心しろ。お前たちも敷地内で目にしただろうが、この学校には、いたるところに無料で購入できる物資が存在する。それを使っていけば死にはしない」

 

 やはりそうか。

 1ヶ月3点までのコンビニの無料コーナー。

 学食の無料のメニュー。

 自販機で無料で購入できるミネラルウォーター。

 そしてスーパーの無料食品コーナー。

 無料のものを使わないと生活できないほどの状況になることも、学校側は想定済みということだ。

 

「それに、よく見てみろ。お前たち以外のクラスには、1ヶ月生活するには十分すぎるほどのポイントが支給されているだろう」

 

 俺たちの次に少ないCクラスでも、49000ポイントが支給されたことになる。

 茶柱先生の言った通り、1カ月には十分だ。

 

「言っておくが、一切不正は行われていない。査定は全クラス同じ基準で、厳正に行われた。そのうえで、このようにポイントが並んでいる。どうだ、段々分かってきたんじゃないか? お前らがどうしてDクラスに選ばれたのか」

 

 ……Dクラスに、『選ばれた』?

 

「え? 理由なんて適当じゃないのか?」

 

「普通そうだよね……」

 

「この学校では、優秀な生徒たちと、そうでない生徒たちのクラスを順に分けて編成することになっている。優秀な人間はA、ダメな人間はD、とな。つまりお前たちはこの学校では最下位。最低最悪の『不良品』というわけだ」

 

 聞き覚えのあるフレーズだ。

 入学初日、コンビニで上級生に言われた「不良品」という単語。

 この学校ではこの「不良品」という言葉が浸透しているらしい。

 須藤もはっとしたような表情をしている。

 

「私は逆に感心しているんだ。歴代のDクラスでも、1ヶ月で全てのポイントを吐き出したのはお前たちが初めてだ。実に立派だよ」

 

 再び皮肉のこもった言い方で、今度はぱちぱちと拍手まで加えてきた。

 

「このポイントが0である限り、僕らはずっと0ポイントということですか?」

 

「そうだ」

 

 先生が返事をした瞬間、ガンッ、と音が聞こえてくる。

 須藤が机を蹴り飛ばした音だ。

 

「……俺たちは卒業まで、ずっとバカにされ続けるってことか」

 

 恐らく、あの上級生たちのことを想定して言っているんだろう。

 

「なんだ、お前にも人の評価を気にする気があったんだな。なら、上のクラスに上がれるように頑張ることだ」

 

「あ?」

 

 上のクラスに上がる、とはどういうことだろうか。

 

「クラスのポイントは、個人の支給ポイントを示すだけではない。クラスのランクに反映される。つまり、現時点でお前たちが490より上のポイントを保有していたら、お前たちはCクラスに昇格していたということだ」

 

 上のクラスに上がる。

 それはDクラスにとって、文字通りゼロからのスタートだ。至難の道であることは火を見るより明らかだった。

 

「さて、お前たちにもう1つお知らせがある」

 

 そう言うと、先生はもう一枚の大きな紙を再び黒板に張り出した。

 

「いくらお前たちが馬鹿だとはいえ、これが何のことかくらいは察しがつくだろう」

 

 その紙には、Dクラス全員の氏名、そしてその右には先ほどと同じく数字が書かれていた。

 

「先日行った小テストの結果だ。不良品にふさわしい結果だな。お前たちは一体中学で何を勉強してきたんだ?」

 

 俺も点数の一覧を見てみるが……おいおいマジかよこれ。

 あのテストの問題は最後の三問を除いて、解けて当たり前の問題ばかりが並んでいた。

 そのため平均点は7割5分、少なくとも7割はあるだろうと踏んでいたのに、実際には60点台が多くを占めていた。

 申し訳ないが、茶柱先生の言った通りだ。中学のうちに勉強したことが何も発揮されていない。

 

「これが本番でなくてよかったな。もし本番だったら、下位7人はすぐに退学になっていたところだ」

 

「は!? た、退学!?」

 

「この学校は、赤点を取ったら即退学だ。説明してなかったか?」

 

「お、おいふざけろよ! 退学なんて冗談じゃねえよ!」

 

「私に喚かれてもどうしようもない。これは学校の制度だ」

 

 それは初耳だ。

 これはもう一度、学校案内を読み直しておく必要がありそうだ。

 まあ、支給ポイントが増減する、なんて重要事項を記載していなかった学校案内にはあまり期待できないが……

 

「ふっ、ティーチャーの言うように、このクラスには愚か者が多いようだね」

 

 相変わらず机に脚を乗っけたまま、上から目線でそう言う高円寺。

 

「は!? お前もどうせアホみたいな点数なんだろ! 見栄張るなよ」

 

「やれやれ、どこに目が付いているのか、甚だ疑問だねえ」

 

 言われて、高円寺の名前を探して見る。

 下から上へと視線が動いていくが、中々見つからない。

 

「な、う、嘘だろ!?」

 

 高円寺の名前を見つけたであろう生徒が、驚きの声を上げる。

 高円寺の名前があるのは、上位中の上位。点数は90点だ。つまり、あの3問のうち少なくとも1問を解き明かしたことになる。

 

「そんな……須藤と同じくらい馬鹿だと思ってたのに……」

 

 俺やクラスの奴らは、プールの件で高円寺の身体能力が驚異的だというのは知っていたが、ペーパーテストについてもここまで優秀とは、正直俺も驚いた。

 

「それともう1つ。この学校は高い進学率と就職率を誇っているが、その恩恵にあやかることが出来るのは上位のクラスだけだ。お前たちは全員がこの特権の対象だと思っていたかもしれないが、お前たちのような低レベルの人間が、自由に好きな大学、好きな就職先に行けるなんて話が、世の中で通るわけがないだろう」

 

「つまりその特権を得るためには、Cクラス以上に上がらないといけないということですか?」

 

「いや、違うな。CクラスでもBクラスでも無意味だ。この特権を手にできるのは、卒業時にAクラスに所属していた生徒のみだ」

 

「え、Aクラスに!?」

 

「ああ。それ以外の生徒については、学校側は一切の保証をしない」

 

 Aクラスだけの特権、か……。てことは、藤野ってすげえやつなんだな。薄々感じてはいたが。

 

「そ、そんな! 聞いてないですよ! あんまりだ!」

 

 話を聞いてそう叫んだのは、幸村という男子。

 小テストの結果は高円寺と同じく90点を獲得している。高得点だ。 

 

「みっともないねえ。男が慌てふためく姿は」

 

 そんな幸村に、高円寺の呆れたような声が降りかかる。

 

「お前……不服じゃないのかよ。Dクラスに配属されて、『不良品』なんて言われて! おまけに進学も就職も保証されないなんて!」

 

「不服? なぜ不服に思う必要があるのか、私には理解できないねえ。学校側が私を最低ランクと評価するのは、学校側の勝手さ。それは学校側が私のポテンシャルを測ることができなかっただけに過ぎない。私は私自身を誰よりも素晴らしい人間であると自負し、そう確信している。学校側がどんな評価を下そうと、私には何の関係もないということさ」

 

 なんというか……言葉も出ないな。

 天上天下唯我独尊という言葉がこれほどまで似合う人間は、世界広しといえどなかなかいるもんじゃないだろう。

 

「それに、私は進学や就職を学校側に頼ろうなどとは、微塵も考えていないのでね。私は高円寺コンツェルンの後を継ぐことが決まっている。進学や就職の保証があろうとなかろうと、私には一切関係ないのだよ」

 

 高円寺コンツェルンか。名前だけは耳にしたことがある。

 高円寺は、そこの跡取り息子ってところか。それがこんなんで、果たしてその企業は大丈夫かと心配になる。

 まあそんなことはさておき、少し気になる点がある。

 高円寺はさきほど「学校側はポテンシャルを測れなかった」と言ったが、恐らく学校側は個人のポテンシャルのみを見て評価を下しているわけではない。

 高円寺の他にも、学力の高い生徒はDクラスにいる。さっきの幸村もそうだし、堀北もそうだ。3人とも小テストの点数は90点と高得点だ。

 それに、高円寺は水泳のときに見せた圧倒的な身体能力も備わっている。それに関しては堀北も同様だ。

 そして、その2つに加えてコミュニケーション力とリーダーシップも備えた平田も、Dクラスに在籍している。

 このことから、学校側はもっと何か別の基準を設けて、生徒をクラスに振り分けたと考えることができる。

 高円寺の演説は、気休めにもなりはしない。それどころか、クラスの士気を余計に下げるものとなってしまった。

 教室内に沈黙が流れる。

 

「どうやら、自分たちがいかに愚かで、悲惨な状況に立たされているかは理解が及んだようだな。中間テストまで残り3週間。精々頑張って退学を回避することだな。私はお前たち全員が赤点を回避して、退学を免れる方法があると確信している。それまでじっくり考えて、出来ることなら、実力者にふさわしい振る舞いをもって挑むことを期待している」

 

 

 

 

 1

 

 先生が教室を出た直後、今度は平田が教卓に立ち、クラス全体での話し合いが始まろうとしていた。

 

「みんな、少し話を聞いてほしい。特に須藤くん」

 

「あ?」

 

 平田に名指しされた須藤。不服そうに目を向ける。

 

「僕らは今月、ポイントを獲得できなかった。これはとても大きな問題だ。まさか、このまま卒業までポイントなしで生活、なんてわけにもいかないだろう?」

 

「そ、そんなの無理!」

 

「分かってる。だからみんなで協力して、力を合わせて解決していかないといけない。出来ることから始めたいんだ。授業中の私語をお互いに注意し合うとか、遅刻をゼロにする、とかね」

 

「は? なんでお前に指示されてそんなことしなきゃいけねんだ。それやってもポイントは増えないって言ってたじゃねえか」

 

「でも、そこから直していかない限り、僕らのポイントはずっとゼロのままだ。今はとにかく、マイナス要素を削らないといけない」

 

「チッ、納得行かねーな。真面目に授業受けてもポイントもらえないなんてよ」

 

 須藤は悪態をつき、乱暴に舌打ちをする。

 真面目に授業を受けてもプラス査定にならないのは、当然といえば当然の話だ。

 それはやって当たり前のこと。この学校に望んで入学した者として、やらなければならない最低限のことだからだ。

 そんなことで一々プラス査定なんてしてたらキリがない。そんなことをすれば、Aクラスは今頃1500やら2000ほどのクラスポイントを稼ぎだしていたかもしれない。

 しかし、俺たちはその当たり前のことすらもできず、このような結果が生まれた。そんなことは自明のはずだが、須藤は認めようとしなかった。

 この教室に須藤の味方は元々多くない。ましてや、対立しているのは平田。話している内容も平田の方に理がある。どちらが支持を受けるか、それは言うまでもないことだ。

 段々と、須藤に非難のこもった視線が向けられるようになる。

 それで居心地を悪くした須藤は、もう一度露骨な舌打ちをしながら、教室を出て行った。

 

「須藤くんほんと空気読めないよね。ていうか、生活態度一番悪いの須藤くんだし」

 

「あいつがいなければ、ポイントだって少しは残ってたんじゃないか?」

 

 鬼の居ぬ間に洗濯、というか、不在裁判、というか。本人がいなくなった瞬間、須藤への批判が集まり始める。

 その様子を見ていると、来月もポイント入るのかこれ……? と強い不安に駆られる。

 この状況で何もできない俺は、平田のリーダーシップに期待を込めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 2

 

「速野くん」

 

 1時間目の授業が終了した直後、堀北が俺に話しかけてきた。

 

「参考までに聞かせて、あなたは先月何ポイント使ったの?」

 

「えーっと……確か7000行かなかったくらいだ」

 

 言うと、驚いた表情を見せる堀北。

 

「随分と切り詰めたのね……。あなたが自炊なのは知っていたけれど、それでもここまでポイントを使わずに生活することが可能なの?」

 

「……飯を作るのに使ってる食材は、全部食品スーパーにある無料のものだ。ポイントはかけてない」

 

「食品スーパーにも無料のものが……そういうことだったのね。こんなことをするなんて、あなたはポイントの件について知っていたの?」

 

「あり得ない話ではない、とは思ってた。他クラスのやつにも確認したら、『毎月10万とは言ってなかったかもしれない』ってことだったからな。付け加えるなら、単純に金銭感覚が狂うのが怖かった、ってのもある」

 

「なるほど……あなたに他クラスの知り合いがいたことはこの際置いておくとして……そうなると、入学時のポイントに関する説明の際の言い回しは、生徒をミスリードするために学校側で練り上げられたもの、ということかしら」

 

 さらりと重要なことが置いて行かれた気がするが……気にしている余裕はなさそうだ。

 

「多分、そういうことだろうな。まあかわいそうではあるが、ポイント使い切ったやつは自業自得だ」

 

「そこは概ね同意ね。ところで」

 

 と、堀北が言いかけたところで、平田がこちらに歩いてきた。

 

「堀北さん、綾小路くん、それに速野くんも、少しいいかな。実は放課後、ポイントを獲得していくために、Dクラスがどう行動していくべきか、話し合いを持とうと思ってる。そこに参加してほいんだ」

 

「何でオレたちなんだ?」

 

 綾小路が疑問をぶつける。

 

「君たちだけじゃない。全員に声をかけるつもりだ。でも全体の場で言っても、真剣には耳を傾けてくれない人がいるかもしれない」

 

 平田はそう言うが、俺たち3人に始めに声をかけたのは、参加する確率が低いと踏んだからだろう。事実、俺は乗り気ではなかった。

 

「申し訳ないけれど、遠慮させてもらうわ。他を当たってくれる? 話し合いは得意ではないの」

 

「無理に発言しなくてもいいんだ。参加してくれないかな」

 

「私は意味のないことに関わりたくないの」

 

「でも、これはDクラスの今後に関わることだと思うんだ。だから……」

 

「私は参加しない、と言ったはずよ」

 

「……そ、そっか、ごめん。でも、気が変わったら、いつでも待ってるから」

 

 平田はそう言ったが、堀北はすでに関心を示していなかった。

 

「綾小路くんと速野くんは、どうかな?」

 

「あー……悪いな」

 

「俺もパスだ。すまない」

 

「……ううん、僕の方こそ急にすまなかった。でも堀北さん同様、気が変わったらいつでも言ってほしい」

 

 そう言うと、それ以上強く誘ってくることはなかった。

 平田が立ち去ってから、俺は堀北に聞く。

 

「……で、堀北、お前何か言いかけなかったか?」

 

「いえ、何でもないわ。気にしないで」

 

「ん、そうか」

 

「にしても、平田はああやって行動を起こせるところがすごいよな」

 

 俺たち全員に断られた後、他のメンバーにも声をかけている平田を見て、綾小路が感心するように言った。

 

「それはどうかしらね。そもそも話し合って解決できる問題ではないわ。能力のない人間が集まって話し合っても、建設的な結論が出るとは思えない。迷走して終わるのが関の山。それに私には、今のこの状況を受け入れることなんて、到底できない」

 

「……?」

 

 最後に付け足すように言った堀北の一言の意味を、俺は汲み取ることができなかった。

 

 

 

 

 

 3

 

 その日の放課後。

 Dクラスの生徒たちは、常々とは違う行動を取っていた。

 放課後にどこに行って遊ぶか、なんて話は一切ない。

今までそのようなことを楽しそうに話していた連中は、平田の開く話し合いに参加するために席についている。

 いや、そもそもそういった生徒には、放課後に遊びに行くようなポイントなんて残っていないだろう。

 遊びたくても遊ぶ金がない。少なくとも1ヶ月間、我慢と禁欲を強いられる地獄のような生活が、彼らを待ち受けている。

 本当に、節約しておいたのは大正解だった。おかげですぐに金欠になることはなさそうだ。1カ月前の俺に感謝だ。

 ただそうはいってもやはり、新しいポイントが入らないというのは、少し辛いものがある。

 予想していたシナリオの一つとはいえ、俺だって本気でそんなことを考えていたわけじゃない。

 今日にはポイント残高が19万くらいになっていて、やっぱり杞憂だったな、ははは、みたいな展開を思い描いていた。

 嫌な予感は当たるもの、という言葉は間違いじゃないのかもしれない。

 俺は幸いにも「金」を使わない生活にはすでに慣れている。そのため現時点ではあまり心配はしていない。

 しかし普通は、1か月間ゼロポイントで生活するなんて考えられないだろう。ましてや入学したての高校1年生だ。0円生活なんてバラエティ番組の企画の中だけだ、と思っていたはずだ。

教室を見渡していると、どうやらクラスメイトからポイントを貸してもらおうとする人もいるようだ。

 たとえば、山内は綾小路にゲーム機を売りつけようとしていた。絶対売れないだろうけど。

 また、軽井沢に関しては「あたしたち、友達だよね?」という言葉を使い、確実に返すつもりがないであろうポイントを様々な人から借りていた。

 そろそろ話し合いが始まりそうなのを予期して、俺は1人で教室を出る。

 その時、校内放送のチャイムがが校舎に鳴り響いた。

 

『生徒の呼び出しをします。1年Dクラス、綾小路清隆くん。1年の綾小路くん、茶柱先生がお呼びです。職員室までお越しください』

 

 山内のゲーム機の押し売りを追い返した綾小路に、哀れみをこめた視線を送る。向こうは「そんな目で見るなら助けてくれ」とでも言いたげな表情だ。

 悪いな、俺にはどうしようもない。

 綾小路のことは悪いが見捨てさせてもらい、気を取り直して歩き出そうとした。

 

「ねえ、速野くん」

 

 しかし誰かに呼ばれ、再び足を止めることになってしまう。

 振り向くと、櫛田が立っていた。

 

「話し合い、本当に参加してくれないの?」

 

 少し不安げな表情を浮かべ、こちらを見上げる櫛田。

 

「ああ、悪いな」

 

「……そっか。うん。ごめんね? 急に呼び止めて」

 

「いや、いい。じゃあ、話し合い頑張ってくれ」

 

「うん、ありがと」

 

 そう言い残して、俺は今度こそ、今度こそDクラスの教室から離れた。

 俺が話し合いに乗り気ではなかったのは、堀北が断った理由とは厳密には違う。

 あいつはバカが何人集まっても意味がないと言っていた。

 対して、俺は話し合いそのものに意味がないとは考えていない。

 話し合いで決まることが大体予測できるからだ。

 一つ予言しておくと、この話し合いでは、授業中の私語を止めること、遅刻欠席を止めること、授業中、携帯の電源は切っておくことなどが提案されるんじゃないだろうか。

 さらに言えば、中間テストに向けての提案として、勉強時間を増やすこと。もしくは、自分たちで勉強会を開くことなんかも可能性としてはあり得る。

 そして学校に対する姿勢として、先生の話をよく聞き、疑問に思ったことはすぐに質問するよう意識することも、平田あたりは考えていそうだ。

 ただ、現状ポイントの増やし方が不明である以上、それは根本的な解決にはならない。そんなことは誰でも分かっている。

 だからこの話し合いの目的は、解決ではなく、解決の糸口を掴むこと。

 そしてもう一つ、クラス全体の意識や雰囲気づくり、一致団結するためのある種の儀式としての意味合いも強いだろう。そういったことに意味を見出さない堀北は、恐らくこの部分を取って「無意味な話し合い」と断じたんじゃないだろうか。

 堀北といえば……あいつ、今日はやけに早く教室出てったな。

 



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終わりを告げた日常Ⅱ

「たうあ!?」

 

 授業中、俺の背後から、突如としてへんてこな叫び声が聞こえてきた。

 

「どうした綾小路、私語か?」

 

「い、いえ、ちょっと目にゴミがですね……」

 

 何やってんだこいつ。

 そう思って後ろを振り返ったとき。

 俺は見てしまった。

 悲痛な表情で腕をさする綾小路。

 そして、自身の筆箱にコンパスをしまう堀北。

 

「……」

 

 俺はガタガタと震え上がりながら、授業を終える羽目になってしまった。

 

 

 

 

 

 1

 

 衝撃的な始まりで迎えた、皐月5月。そこから1週間ほどが経過したある日。

 茶柱先生の指摘以降、Dクラスの生活態度は劇的に改善していた。

 遅刻や無断欠席はない。授業中の私語も当然なくなり、全員が努めて真面目に授業を受けていた。

 悪態をついていた須藤も、なんだかんだで改善はしてきている。こいつに関しては授業中普通に寝てることがあるけどな。

 昼休み、昼食のために各々教室から出てこうとしていたところで、平田が立ち上がった。

 

「みんな、お昼ご飯の前にちょっといいかな」

 

 平田の一声で、クラス全員が手を止め、耳を傾ける。

 

「茶柱先生の言っていた中間テストが、今から2週間後に迫っている。そこで、先週の話し合いでも議題に上がった通り、僕たちで独自の勉強会を開こうと思うんだ」

 

 やっぱり、勉強会は話し合いで出た案の一つだったか。

 

「今日からテストの前日まで、平日は毎日夕方5時から7時まで2時間。この教室で勉強会を開くことになった。途中で帰ってもかまわない。でも、出来ることなら是非参加してほしい」

 

 その提案に、平田目当ての女子や、多くの赤点組がこぞって平田の元に駆け寄った。

有効な提案の上、話し合いで決まったことというのもあって、反対意見は出そうにない。参加人数もなかなかのものになりそうだ。

 ただ、十分とは言えない。

 一番参加しないといけないはずの須藤、池、山内の3人が参加に名乗りを上げていない。

 まずいだろこれは。あの3人の点数、まあ特に須藤だが、ちょっとやばかったぞ。

 自分で勉強するとも思えないし、何かしらのインセンティブ、或いは強制力を持って勉強させないと、現時点では3人とも退学濃厚だ。

 何か方法はないか、と考えるが、有効な手立ては思い浮かばない。

 

「あなたたち、お昼暇かしら?よければ一緒にどう?」

 

 そんな中、堀北がそんなことを言い出した。

 

「あなたたち、というのは、オレと速野のことか?」

 

「それ以外に誰がいるというの?」

 

 まあ、堀北が俺たち二人以外に話しかけるのを見たことがない、というのは確かにそうなんだが……

 

「急にどうしたんだ。怖いぞ」

 

「怖がる必要はないわ。山菜定食で良ければ奢らせてもらうけど」

 

「お前それ無料のやつだろ……速野曰くおいしくなかったらしいぞ」

 

 綾小路のセリフに、堀北が一瞬目を丸くする。

 

「あなた、あれを食べたの……?」

 

「興味本位だよ。……なんか文句あるか」

 

「別に文句はないわ。……あなたの守銭奴ぶりに、改めて呆れを覚えていただけよ」

 

「おい」

 

「話を元に戻すわ。さっきのは冗談よ。ちゃんと奢ってあげる。好きなものを食べて構わないわよ」

 

「……」

 

 そう言われても、これまでの堀北の行いからすると疑惑の目を向けざるを得ない。

 しかしその視線を躱して、堀北は言った。

 

「人の好意を素直に受け取れなくなったらおしまいよ?」

 

「まあ、確かに……」

 

 なんだかんだで丸め込まれ、綾小路は行く方針で固まったようだ。

 

「あなたはどうするの?」

 

「パスだ。裏がありそうだし、まあ仮にないとしても、弁当持ってるしな」

 

 俺には初めから、行くという選択肢を取ることは物理的に不可能だった。

 

「そう。残念ね。たまには少し高いもの、食べたくならない?」

 

「今日は随分食い下がるな、堀北。お前、一度断ったあとにもう一度同じように誘われること、不快に思ってたはずじゃないのか」

 

 先ほどの平田の件、しつこく誘われたことに対して堀北は強い不快感を示していた。

 

「……そう。ならいいわ」

 

 ようやく引き下がり、堀北は綾小路とともに食堂へ向かっていった。

 ……カッコつけて啖呵切ったはいいものの……本当はあの日の生姜焼き定食、改めてちゃんと食いたかったなー……なんて欲望も、あったりなかったり。

 

 

 

 

 

 2

 

 放課後を迎えた。

 この教室でやることはないので、早々に帰り支度を済ませる。

しかし教室を出ようとしたところで、出口付近で待ち伏せていたらしい堀北に声をかけられた。

 

「速野くん、少しいいかしら」

 

「今度はなんだ。昼といい今といい、ちょっと不自然だぞ」

 

「あなたは私の自然を知っているとでも言うのかしら?」

 

「一人が好きで、少なくとも放課後に待ち伏せしてまで誰かに話しかけるようなことはしない。違うのか?」

 

「気分が変わることもあるわ」

 

「やっぱり自然な状態じゃねえじゃんか……」

 

 俺に矛盾を突かれても、堀北はあっけらかんとしている。

 こんなやり取りはどうでもいいということらしい。

 

「で、要件は?」

 

「歩きながら話すわ」

 

 どうやらすぐに話すつもりはないらしい。歩きながら、となると、寮まで一緒に帰ることになりそうだ。

 こいつと帰宅すること自体は2回目だが、教室から、というのは初めてだ。

 俺と堀北の身長差は大体15センチほど。それだけ歩幅も違ってくる。俺は特に気にせず歩いているが、堀北も文句は言わずについてくるので、これからも配慮の必要はなさそうだ。

 学校から出て数分歩いたところで、堀北が言った。

 

「用件を言うわ」

 

「ああ、やっとか」

 

 続きの言葉を待つが、堀北は何か迷っているのか、少し間が生まれてしまう。

 だがそれも数秒の間で、決心したようだ。

 

「……今日の夜、私の部屋に来て」

 

ポク・ポク・ポク・チーン。

 

「……うん?」

 

「聞こえなかったかしら。今日の夜、私の部屋に来なさいと言ったのよ。夕飯、こしらえてあげるわ」

 

「……うん?」

 

「馬鹿なの?」

 

「いや言ってる意味は分かる。わからんのは行動の意味だ。俺を部屋に呼んで、飯を食わせてどうする。餌付けでもするつもりか?」

 

「餌付けしても私が迷惑なだけよ。それにさっき、あなたも聞いていたでしょう? 人の好意は素直に受け取るものよ。スペシャル定食を食べて、綾小路くんは美味しそうな顔をしていたわ。たまにはこういうこともやってみるものね」

 

「……」

 

 怪しすぎる。

 非常に怪しすぎる。

 

「……返事をする前に、ちょっと電話かけていいか」

 

「誰に?」

 

「他クラスのやつ、とだけ言っとく」

 

「……分かったわ。手短に済ませてもらえるかしら」

 

「ああ、そうする」

 

 ポケットから取り出し、俺の数少ない電話帳の中の……綾小路に電話をかけた。

 数コールして、綾小路が出る。

 

「もしもし?」

 

『どうしたんだ急に』

 

「お前今日の昼、堀北に飯奢ってもらってたよな。その後何された?」

 

「ちょっとあなた……!」

 

 何やら堀北がわめいているが気にしない。電話を掛けたらこっちのもんだ。

 

『なんかいま、そっちから堀北の声が聞こえた気がするんだが……』

 

「ん、ああ今隣にいるが……」

 

『……グッドラック、とだけ言っておく』

 

「は? なんだそ」

 

 れ、と言いかけたところで、綾小路は一方的に通話を切った。

 堀北が隣にいることが分かった瞬間、綾小路は会話を打ち切った。

 これはもう、堀北に何かされました、と言ってるようなもんだ。

 隣に立つ堀北に目を向ける。

 

「……他のクラスの生徒にかけるんじゃなかったの?」

 

「……綾小路にかけるって言ったら、お前無理やり止めてただろ」

 

「……」

 

「……で、もう1回聞く。俺を部屋に呼んで、飯を食わせてどうするつもりなんだ」

 

 改めて問うと、ついに堀北は観念したのか、ふっと息を吐いて口を開いた。

 

「単刀直入に言うわ。Aクラスに上がるのに協力して」

 

「Aクラスって……いきなり随分と大きいことを言い出したな」

 

 俺たちは、クラスポイントというシステムそのものを知ったばかりだ。まだその価値もいまいち見えてこない。

 しかし、Aクラスとの間に開いた940の差がとてつもなく大きいことくらいは分かる。

 Aクラスに上がる。言うのは簡単だが、とてつもなく壮大な目標だ。

 

「いきなりじゃないわ。自分がDクラスであるということがどういうことかを知ってから、ずっと考えていたことよ」

 

「……自分が最低の『不良品』だと言われるのが耐えられない?」

 

「ええ。当然」

 

 ……プライドの高そうなこいつらしいといえばらしいが……。

 

「Aクラスに上がるといっても……具体的にはどうするんだ」

 

 本当ならば、俺に飯を食わせ、退路を潰してから話すつもりであったはずの内容。

 それを聞かせてもらう。

 

「Dクラスの授業態度や生活態度は、当初に比べれば大きく改善しているわ。ポイントのマイナス要素は、ほとんど削ることができたと思って間違いない」

 

「まあ、そうだな……」

 

「けれど、それでは不十分よ。茶柱先生の言っていたように、授業態度を改善してマイナスを削っただけでは、プラスになることはない。そしてポイントをプラスにするためには、間違いなくこの中間テストが鍵になってくるはず」

 

「つまり中間テストを好成績でクリアすることで、クラスポイントが増加する、ってことか」

 

「ええ。恐らくね」

 

「なるほどな……」

 

「だから勉強会を開くという平田くんの選択は悪くない。けれど、大きな問題があるわ」

 

「前回の小テスト、下位3名の不参加か」

 

「ええ。赤点ラインを割った7人の中でも、池くん、山内くん、そして須藤くんの3人は飛びぬけて点数が悪かった。このまま何もしなければ、彼らの退学は避けられないでしょうね」

 

 俺が考えていたこととほぼ同じだ。

 

 ただ、こいつのこの言い回しは……

 

「……まるでお前が何かをする、みたいな言い方だが」

 

「察しがいいわね。あの下位3名を集めて、私が個人的に勉強会を開く。綾小路くんに頼んだのは、あの3人を勉強会に参加させることよ」

 

「……そういうことか」

 

 綾小路はあの3人と比較的関わりがある方だ。委託先としては、確かに間違ってはいない。

 

「それで、俺には何をさせるつもりだったんだ?」

 

「あなたには、私と一緒に彼らの講師役をしてもらう」

 

「いや、してもらうって……」

 

 まるでもうそうすることが既定路線みたいな言い方だ。俺は何をさせる「つもり」だったのか、って聞き方をしたはずなんですけど……

 

「断る、とは言わせないわよ。小テストで満点を獲得した、1位の速野くん?」

 

「……」

 

 なんて皮肉たっぷりな言い方だ……

 と思っていたが、次の瞬間、急に神妙な顔つきになる。

 

「……結果を見たとき、正直驚いたわ。最後の3問、あれほどの難易度の問題を、時間内に解ける人がいるとは思わなかった。あなたは圧倒的な学力を持っている。Aクラスに上がるためには、間違いなくあなたの学力が必要になる」

 

「……」

 

 急に素直だな。

 ……まあ、受けてもいいか。

 俺も元々、似たようなことやるつもりだったし……。

 いや、ただそれ以前に、だ。

 

「お前、そんなボランティアみたいなことする善良な人間だったのか」

 

「……それは喧嘩を売っているのかしら」

 

「ごめんなさい」

 

 生物としての防衛本能が働き、考えるよりも先に謝罪の言葉が口を突いて出た。

 

「一瞬でもあなたを認めるような発言をした私が馬鹿だったわ……」

 

 うんざりしたような溜息が漏れる。

 

「さっきも言ったでしょう。私の目的はAクラスに上がること。これはそのための一手に過ぎない。決して彼らのためなどではない、ということをよく覚えておいて」

 

「……ああ、そう。ならそういうことにしとく」

 

「気に食わない言い方だけれど……まあ、分かったならいいわ」

 

「ああ。勉強会を開くのはAクラスに上がるため。つまりはお前自身のためだ、ってことだろ」

 

「ええ、そうよ」

 

「なら、Aクラスに上がるのは何のためなんだ?」

 

「……」

 

 言葉に詰まる堀北。

 Aクラスに上がる、という目標を聞いてから、ずっと疑問に思っていたことだ。

 一人が好きで、他人に干渉されることを嫌うこいつが、進学や就職に関してだけは学校の世話になろうとするのだろうか。

 それはちょっと引っかかる。

 何か違う目的があるんじゃないか。

 いま言葉に詰まったのがその証拠だ。「特権を得るため」とすぐに言うことができなかった。

 

「……とにかく、あなたには彼らに勉強を教えてもらう。いいわね?」

 

 どうやら、答える気はないらしかった。

 まあ、確かにこんなの余計なお世話か。答えないことを責めるのはお門違いだろう。

 

「ああ、分かったよ」

 

 池、山内、須藤の講師役を、正式に引き受けた。

 ……まあ、綾小路が3人を参加させることができたら、の話だが。

 そう考えていると、堀北がポケットからおもむろに折りたたまれた紙を取り出し、俺に渡してきた。

 

「これ、私の連絡先。空メールを送っておいて」

 

「あ、ああ……了解」

 

 ……思いがけないタイミングで堀北の連絡先をゲットしてしまった。

 空メールを送れと言われたが……

 綾小路は昼飯をおごってもらったんだよな。

 なら、同じように頼みごとをされた俺にもその権利はあるはず。

 今から飯作ってもらう、って空気でもないし。

 ここは『明日の昼飯、学食の生姜焼き定食』と送っておいた。

 滅茶苦茶無視された。

 

 

 

 

 

 3

 

 

 風呂上り、コップ一杯の水をちょうど飲み干し、机に置いたときだった。

 

『♫ー』

 

 初期設定から変更されていない着メロが部屋に響く。

 ベッドの上で充電中だった端末をプラグから外し、画面を見ると、そこには「藤野麗那」の文字が表示されていた。

 そういえば最近連絡取ってなかったな、と思いつつ、電話に出る。

 

「もしもし」

 

『あ、速野くん、今大丈夫?』

 

「ああ。どうした。久しぶりだな」

 

『う、うん。その、Dクラス大変みたいだったから……』

 

 クラスのことを指摘されて思い出す。

 そういえば、藤野はAクラスだったな。

 気を遣われたってことか。

 

「大変といえば大変だな」

 

『速野くんは大丈夫?』

 

「おかげさまで」

 

 俺がここまで節約できた大きな要因は藤野のスーパーの件だ。あれを知らなかったら、俺はもう2,3万ポイント使う羽目になっていたかもしれない。

 

「Aクラスは流石だな。ノーヒントのまま減ったクラスポイントが60だけなんて」

 

 当たり前のことを当たり前に行える、というのは社会で生き残るために必要不可欠な能力だ。

 それでも60減っているということは、Aクラスの中でもそれができない奴が一部だがいた、という事なんだろうか。それとも何か別の要因があるのか。「人事考課」とやらでポイント増減の詳細が伏せられている以上、憶測の域を脱することはできない。

 

『う、うん。そうなんだけどね……』

 

 ところが、俺の羨望の声とは裏腹に、藤野の声は沈んでいた。

 

「……なんかあったのか?」

 

『……話、聞いてくれる? もしかしたら、誰かに話すだけで気が楽になることもあるかもしれないから……』

 

「……」

 

 心理的ストレスは発散しないと気が狂う。だから、一見ストレスがなさそうに、楽しく、優しく生きている人でも、見えないところでは様々な形でストレスを発散しているのかもしれない。

 藤野のように誰かに話したり。あとは日記をつけるのも一つの方法だ。

 だから話を聞いてやろうとは思うのだが、問題は、俺にその効果が期待できるかどうかだ。

 藤野が先に述べたような効果を欲しがっているなら、俺よりも寧ろ櫛田の方が適任だろう。

 藤野と櫛田はすでに結構仲いいみたいだし。

 

「櫛田に相談した方がいいと俺は思うぞ。親身になって聞いてくれるだろうし」

 

『うん、きっとそうだと思うけど、櫛田さん、普段からいろんな人の相談受けてて……あ、速野くんが暇そうだって言ってる訳じゃないよ? それに、誰かにこの事を相談したいって思った時に、はじめに思い浮かんだのは速野くんだったから……』

 

「……」

 

 どういうことだろうか。

 信頼度の点から言って、俺が櫛田に敵う要素なんて一つも存在しないはずなのに。

 藤野の感覚は俺にはよく分からないが、向こうから話を聞いてくれ、というなら断る理由はない。

 

「……聞くだけでもいいなら、いいぞ」

 

『ほんと? ありがとっ』

 

 電話口からでも分かる、安心したような声色。あまり過度な期待はして欲しくないな、と思いながら、俺は耳を傾けた。

 

『実は……クラス内がちょっと殺伐としてて……』

 

「……Aクラスが、か?」

 

 94000ポイントも貰っておいて、どうしてそんな状態になるのか。

 

『なんか、派閥争いっていうか』

 

「……政争かよ」

 

 少し戯けて突っ込みを入れてみたが、よくよく考えてみると、案外的外れな例えでもない気がした。

 茶柱先生の言う通りなら、Aクラスは、この学校でも最優秀の生徒が集中しているクラス。優秀な者同士、意見や考え方がぶつかれば、そういうこともあるのかもしれない。

 そして恐らくそれは、ただの高校生のくだらない内輪揉め、といった具合で済むものではないんだろう。

 

『それで、クラスが二分されちゃってて……今までそんな隔たりとか関係なく、両方の人と仲良くしてきたけど、どっちつかずって言われちゃったらそれまでだし、そもそもこの立ち位置にいられるのも時間の問題で……』

 

「ふーん……」

 

 両方の側の人間と仲良くできている、ということは、派閥争いが起こる前から、藤野はAクラスメンバーのほとんどと良好な関係を築いていたということか。

 派閥争いの様相は全く見えてこないが、藤野を引き入れようと両方の派閥が取り合いになる構図は想像に難くなかった。

 

「悩み相談なんて初めてだからよく分からんが、ここで俺が何か言っても、無責任なことにならないか?」

 

『そんな訳ないよ。相談したのは私だから……何か思いついた、ってこと?』

 

 藤野は俺の発言をそう捉えたらしく、期待のこもった声で聞いてくる。

 

「いや、特には……取り敢えず選択肢は、頑張って中立公平を保つか、どちらかの派閥につくか……どっちかにつくにしても、その判断基準が何なのかで話は変わってくるな……自分に合った考えの側か、優秀だと思った側か、決めきれないなら、神様の言う通りにしてみるのも一つの手だ」

 

 といっても、ここまでは藤野にも分かっているだろう。それが解決できないから相談しているわけだしな。

 ここで一つ、考えてみる。

 俺が知る限りの、藤野麗那という女子生徒について。

 

「藤野。突飛な発想だが……」

 

『うん、何でも聞かせて』

 

 コミュニケーション能力は櫛田並み。普段の様子を見る限り、Aクラスでは相当な信頼と人気を誇っている。そのことを加味した上で、俺は第三の選択肢を藤野に告げた。

 もちろん、これもきっと藤野の中ではすでに思いついていたことだろう。

 だが、藤野からは中々返事が返ってこない。

 

「……やっぱりぶっ飛びすぎだよな。悪い、今のは忘れてくれ」

 

『……ううん、なんか話しててすごいスッキリした。ありがとね、真剣に考えてくれて』

 

 そう言う藤野の声には、言葉通り、さっきまでの不安そうな色は薄まっているように感じた。

 

「いや、別にいい。また悩み事があったら誰かに吐き出せよ。溜めこむと、ストレスにもなると思うし」

 

『うん。じゃあその時は速野くんに相談するね』

 

「……お手柔らかにな」

 

 そう答えると、電話口からクスッと藤野が微笑した音が聞こえた。

 

『本当にありがとう。おやすみ、速野くん』

 

「ああ、おやすみ」

 

 お互いにそう言い、俺は画面の通話終了ボタンを押した。

 藤野は冗談めかしていたが、Aクラスの悩み事はハイレベルそうだから、本気で勘弁してほしい。

 それに対し、まずは中間テストを乗り切らなければ、というのが悩みであるDクラスの方が、格段にやりやすく思えてきた。

 ……寝るか。

 

 

 




次回更新は11月18日15時です!


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終わりを告げた日常Ⅲ

 結果的に、綾小路は池、山内、須藤の3人を勉強会に参加させることに成功したようだ。

 にもかかわらず、堀北はご機嫌斜めの様子だ。

理由は単純。結果までの過程で、堀北にとって都合のよろしくないことが起こったからだ。

 綾小路は、あの3人を参加させるのは自分の力では無理だと判断し、櫛田に協力を仰いだそうだ。それは功を奏し、3人は「櫛田が言うなら」と参加を決めた。しかし、櫛田が綾小路の頼みを聞く条件として提示したのは、自分もその勉強会に参加することだった。で、そのことに堀北が腹を立てたということらしい。

 堀北も苛烈だ。綾小路が呼びかけても応答はなし。しかしながら綾小路が無視を決め込む態勢をとると、すかさずコンパスで攻撃準備。

 さながら『やる気がないなら帰れ!』→帰り支度を始める→『舐めてるのか!?』という理不尽。

 綾小路はどうしていいか分からないだろう。俺にも分からん。

 そんな状態が続いたまま、放課後、勉強会の時刻になる。

 

「勉強会に参加する人は、過不足なく集まったかしら?」

 

 それまで綾小路のことなどガン無視だった堀北が、今日初めて綾小路と口を聞く。

過不足なく、というのは櫛田のことを揶揄しているんだろう。

 

「櫛田が説得してくれた。多分全員集まるはずだ」

 

「彼女に参加させない旨は伝えたの?」

 

「ああ、伝えた」

 

 本当にどうしても櫛田を参加させたくないらしい。

 

「……櫛田がいれば、あの3人のモチベーションもいくらか上がる。櫛田の参加はメリットしかないと思うが」

 

「そんなことで上がったモチベーションなんて、すぐに消え失せるのが関の山よ。彼女の小テストの点数を見れば、赤点を取るとは思えないし、かと言って講師ができるほど高いというわけでもない。そんな人の参加を認めるわけはいかないわ」

 

「……」

 

 だめだな、これは。

 やっぱり、堀北が櫛田を一方的に嫌う理由を推察するのは難しい。

 まあ今考えても、すぐに答えが出る問題でもない。

 勉強会の主催者は堀北だ。その主催者が参加を認めないというなら、俺にはどうすることもできない。

 いったんそのことは横に置いておき、勉強会の会場として堀北に指定された図書館へ向かう。

 図書館は、校舎の外部、通学路とは反対方向の場所に位置している。と言っても遠くはない。徒歩1,2分で着く距離だ。

 勉強会に参加する人数は恐らく6人。櫛田が参加するとすれば7人。それだけの人数の席が確保できる机に腰掛けた。

 そこから少しして、赤点組のご登場である。

 櫛田が3人の来訪を伝えながら、図書館に入ってきた。

 ここまでは予想通り。しかし、1人想定外の人物がいた。

 

「沖谷? お前赤点だったっけ?」

 

 小さい体。この世に男の娘って存在するんだなあ、と思わせられる、そんな容姿をした男子生徒だった。

 

「赤点じゃなかったんだけど……その、かなりギリギリで、不安だから……参加してもいい、かな? 平田くんのグループには入りにくくて……」

 

 あー、確かにわかるその気持ち。あそこ変に女子が多いし、カースト上位限定、みたいな空気がある。

 それに比べ、こっちは普段から基本的にぼっちの奴×3人だ。さらに言えば櫛田に誘われたから行きやすくなった、というのもあるだろう。

 

「……そういうことなら、拒否はできないわね」

 

 堀北が承諾すると、沖谷の表情がぱっと明るくなり、赤点組の隣の空席に座った。

 それを見て、今度は櫛田が口を開いた。

 

「あの、じゃあ私も参加していいかな?」

 

「待って。あなたはギリギリどころか、上位の成績だったはずよ」

 

 覚えている。櫛田の点数は確か80点付近だった。

 最後の3問を解き明かすには至らなかったが、それでもそこそこの点数を獲得している。

 

「あの小テスト、選択問題が多かったから、実はほとんど当てずっぽうの偶然だったんだ。実力的には、沖谷くんと同じか、それより下だと思うの……だから私も不安で」

 

 これは櫛田の作戦だろうか。だとしたら素直に感心した。

 沖谷の参加を認めさせることで、この勉強会への参加基準が赤点組かそうでないかではなくなる。

 これで、堀北は櫛田の参加を拒否する理由がなくなってしまった。

 

「……分かったわ。好きにして」

 

「ほんと? ありがとう」

 

 恐らく櫛田の狙い通り、堀北は参加を了承した。

 ここは自分の好き嫌いより、勉強会を進めることを優先したか。

 だがもしこれが策略なら、櫛田の学力レベルは並以上ある可能性が高い。

 小テストがあてずっぽうだったなんて嘘っぱちで、あの点数は櫛田の実力通り。

 その場合、この場にいる全員に嘘をついたことになる。

 そこまでして、堀北の開く勉強会に参加したかったのか。

 こうなってくると、櫛田の執着のしかたも異常だと言わざるを得ない。

 この二人の間に一体何があるんだ。

 

「では早速だけど、まずは簡単な問題を解いてもらうわ。あなたたちには、赤点のラインを余裕で超えられるレベルにまで伸びてもらうつもりよ」

 

「え、でもそれって大変なんじゃ……」

 

「ギリギリのラインを狙うのは危険度が高すぎる。もし失敗したら、もっと大変なことが起こるぞ」

 

 すなわち退学だ。

 発言の意図は察してくれたらしく、堀北が渡した問題を解き始めた。

 内容は数学の連立方程式。

 

「えっと、A+B+C=2150で……」

 

 沖谷の方は、割と順調に連立方程式を組み立て始めていた。それを櫛田が笑顔で眺めている。

 いやお前は解かなくていいのかよ。一応沖谷より学力低いって設定だろ。

 まあ、そちらはどうでもいいとして、問題は赤点組の方。

 

「わっけ分かんねえ……」

 

「俺も……」

 

 始めの問題から躓いていた。

 ついひと月前の入試問題とはとてもじゃないが比べ物にならないくらいに易しい問題だ。

 それを「わっけわかんねえ」って……

 こいつら、この学力でなんでこの学校に入学できたんだ。

 いや、こいつらだけじゃない。あの小テストで50点を下回った生徒全員、あの入試問題をクリアできるほどの学力が備わっていたとはとても思えない。

 これは教えるのに相当苦労しそうだ。

 そして、解き方が分からない問題と睨めっこを続けるのは、苦痛でしかない。

 

「あーもう、やってらんねえ」

 

「こんなに早い段階から諦めてたら、この先無理だぞ」

 

 シャーペンを放り出した須藤に、綾小路が警告を入れる。

 

「まさか連立方程式も分からないなんて……いい? これはこう解くのよ」

 

 堀北がそう言い、ノートに文字式を組み立てて問題を解き明かしていく。

 模範的、教科書通りの解き方。

 しかし、それでも赤点組は理解できていなかった。

 

「やっぱ分かんねえよこんなの」

 

「これは考え方次第では、連立方程式を習っていない中学1年生でも解ける問題よ。もっとちゃんと考えてみなさい」

 

「え、じゃあこれも解けないって、俺ら小学生並み……?」

 

 まあ、確かに中一でも解けないことはない。

 連立方程式と似たような問題を解くために、難関私立中学受験の対策を行なっている塾では、鶴亀算やら仕事算やらを頭に叩き込ませているだろう。

 

「心配するな池。連立方程式以外の解き方で解ける中一は少ない」

 

「やっぱそうだよなー。そいつら、頭の構造からして俺らとは違ってるんだよ」

 

「いや、高校で連立方程式解けないってのは不味いレベルだぞ」

 

「えー、上げて落とす感じかよ速野ー」

 

「……」

 

 反応するところそこかよ……てか、お前らを上げたんじゃなくて頭が柔軟な中一を上げただけだぞ。

 その様子をみて、櫛田も会話に参加する。

 

「でも、堀北さんと速野くんの言う通りこれはちょっと不味いレベルかも。諦めないで、もうちょっと考えてみようよ。ね?」

 

「……まあ櫛田ちゃんが言うならもうちょっとやってみるけどさ。てか、櫛田ちゃんが教えてくれたらもうちょっと行けると思うんだけど」

 

「え、えっと……」

 

 言われた櫛田は困ったような表情をこちらに向ける。

 だが、もはや手段を選んでいる場合ではない。堀北は「そんなモチベーションはすぐに消える」と吐き捨てていたが、とりあえず今は櫛田にやってもらうしかないだろう。

 

「えっと、これは堀北さんも言ってたように、連立方程式を使って解く問題なの。一回、問題文を文字で表してみるね」

 

 そんな感じで櫛田の解説が続いていく。俺から見ればそこそこ分かりやすい解説だ。難しいことは特に言っていない。

 だが問題は、堀北の解説のスローモーションのようになってしまっているということだ。

 

「だから、答えは710円になるの」

 

「……え、これで答え出るのか? なんで? てかそもそも、さっきから言ってる連立方程式って、なんだ?」

 

 その言葉に、俺のみならず、櫛田や堀北も閉口していた。

 そして、堀北から視線を送られる。

 次はお前だ、とでも言いたげだ。

 一応俺も教える側としてここに来ているし、やることはやっておくべきか。

 連立方程式の利用方法どころか、名前すら知らないこの状況では、堀北や櫛田の考えでは無理だ。

 恐らく「文字で表す」ことの意味すら理解していない。

 この勉強会にふさわしいとは言えないが、堀北が言っていた中一でも解けるやり方でやってみるしかない。

 

「数直線を使って考えてみる。まず、全体が2150だ。次にAとBの関係を書くと……」

 文字を使っていないだけで、やっていることは連立方程式とあまり変わらない。それを具体的に数直線上で表しただけだ。

 

「で、590+120で、答えは710円だ」

 

 何とか分かってくれ、という気持ちを込めて3人を見つめる。

 

「……なんか、急に計算の量が増えた気がするんだけど……」

 

 いかん、解き方の内容に突っ込んでくれない。

 

「今まで我慢していたけれど、あえて言うわ。あまりに無知・無能すぎる」

 

「あ?」

 

「聞こえなかったかしら。あなたたちは無知・無能だと言ったのよ。この程度の問題も解けない頭で、この先どうしていくつもりなのか理解できないわ」

 

「お前には関係ねえだろうが。勉強なんて不要なんだよ」

 

「何をもってそのようなことが言えるのか、気になるところね」

 

「俺はバスケのプロになるためにこの学校に入ったんだ! こんな下らねえことするためじゃねえ」

 

 そこから、堀北と須藤の言い争いが始まる。

 堀北が降りかざす論を、須藤が独創的な考えで拒否していく。客観的に見てどちらが正しいのかは明らかだが、堀北の口撃には全員が唖然としていた。

 そして堀北の言葉の矛先は、須藤の部活、つまりバスケにまで向いた。

 

「どうせ、練習に対しても真摯には取り組んでいないでしょう。あなたはさっきバスケットのプロになると言ったけれど、そんなに簡単にいく世界だと思っているのかしら。そもそもプロになれたとして、満足な収入が入ってくるとは思えない。そんな職業を選択する時点で、あなたは愚かよ」

 

「てめえ!」

 

 須藤はブチギレ、堀北の胸倉を掴んだ。

 しかし堀北は、コンビニの件同様引く様子を見せず、一層冷たい視線を須藤に送っていた。

 

「そうやってすぐに暴力に走り、場の雰囲気を壊すその性格も、あなたはクラスにとってマイナスの要素でしかない。今すぐに学校をやめてもらって構わないわ」

 

「……ああそうか、お望み通りやめてやるよこんなもん。じゃあな」

 

「そう。さようなら」

 

 荷物をまとめて席を立つ須藤の姿を、堀北は侮蔑を込めた目線で見ていた。

 すると、須藤以外の池、山内も片付けを始める。

 

「俺も帰る。そんな上から来られたら勉強する気もなくなるって。みんながみんな、堀北ちゃんや速野みたいに頭いいわけじゃないんだからさ」

 

 もうこの流れは止められない。勉強会は完全に崩壊した。

 これ以上、池や山内の恨み言も、櫛田の説得も堀北には意味をなさない。

 沖谷も帰ってしまい、残ったのは堀北、綾小路、櫛田、俺の4人だけとなった。

 

「……堀北さん、何であんなこと……」

 

「足手まといな人たちは、クラスのポイントが0で、実害がないうちに消えてもらった方がいいと判断した。それだけのことよ」

 

「そんな……堀北さんが勉強会を開いたのって、あの3人を助けたかったからじゃないの?」

 

「とんでもない誤解ね。すべてはAクラスに上がるため。私のためよ」

 

「……2人からも何か言ってよ……」

 

「堀北がそう判断したなら、いいんじゃないか?」

 

「綾小路くんまで……」

 

「あの3人を見捨てたいとは思ってない。でも、オレにもどうにもならないからな」

 

「……速野くんは?」

 

 今度は名指しで言ってきた。

 

「あー……とりあえず堀北」

 

「何かしら?」

 

「場を乱す性格ってのは、間違いなくお前のことだと思うけどな」

 

「私は事実を事実として言っただけよ」

 

「そうか。それなら俺から言えることは何もねえよ」

 

 言って、俺は堀北から目線を切った。

 

「そんな、何で……でも、私はなんとかしてみせる。大切なクラスのメンバーのために」

 

「あなたがそう言うなら勝手にやって。でも、私はあなたが本心からクラスのメンバーのためにやっているとは思えない」

 

「どうしてそんなことばっかり言うの? 意味わかんない。私、悲しいよ……」

 

 言うと櫛田は俯き、悲しんでいる表情を見せる。しかしすぐに向き直り、カバンを持った。

 

「じゃあ、また明日、ね……」

 

 短い別れの言葉を述べ、櫛田は図書館から出ていった。

 終わってみれば残ったのは、堀北とその手下2人。

 

「これで勉強会は終了よ。あなたたちは、他よりはましな人間のようね。速野くんには必要ないでしょうけど、綾小路くんには特別に勉強を教えてあげても構わないわよ?」

 

「いや、いい」

 

 堀北の誘いを断った綾小路は、荷物を片付け始めた。

 

「帰るの?」

 

「いや、須藤たちと雑談しに、な。俺は友達と話すのが嫌いなわけじゃない」

 

「友人と言っておいて、退学を止めようとはしないのね」

 

「さっきも言ったが、俺にはどうすることもできないからな」

 

「そう。勉強会は終わったのだし、自由にしてもらって構わないわ」

 

「ああ。じゃあな」

 

 綾小路も退室し、残ったのは俺と堀北だけとなった。

 

「あなたはここで勉強を続ける?」

 

 堀北はそのまま勉強を続けるらしく、新たに教科書を開いている。

 

「それもいいかもしれないが……そうだな、堀北。この問題解いてみてくれ」

 

「構わないけれど……」

 

 そう言って、堀北は俺が差し出したノートを受け取り、問題に取り組む。

 この問題は、さっき堀北と須藤が言い争っている間に過去にある参考書で出題されたのを思い出し、それを書いたものだ。

 難易度は非常に高め。小テストの最終問題よりも難しいと思われる。

 堀北は考えているが、これはそうそう考えて解けるものではない。こんな問題が出たら間違いなく後回しにする。

 そのまま7分ほどが経ち、堀北はついにシャーペンを置いた。

 

「悔しいけれど、手に負えないわ。これは私が解ける範囲なの?」

 

「ああ。何なら中学の知識だけでも解けないことはない」

 

「……本当に?」

 

「ああ。つまりお前は中学生以下ってことだ」

 

 連立方程式の問題を「中一でも解ける」と言い放った堀北に刺さるセリフだ。

 

「……何が言いたいのか分からないけれど、取り敢えず解説してもらえるかしら?」

 

「自力で解かなくていいのか?」

 

「この問題はテスト範囲外の上に、明らかに常軌を逸した難易度よ。実際の試験で出題されたらまず後回しにするでしょうね」

 

 堀北が言っていることは至極真っ当だ。一定レベル以上の大学入試の数学は、大体5~6割の正解率でも十分合格圏内に入る。そしてその中には捨てるべき問題が必ずといっていいほど存在する。

 だが、ここで俺が言いたいのは受験テクニックではない。

 

「お前の言い訳なんて知らん。何を言おうが、お前はこの程度の問題を解き明かせない無能ってことだろ?」

 

「この程度というけれど、この問題はほとんどの生徒が解けないはずよ」

 

「根拠に乏しいな。それはお前の主観でしかない。そのほとんどの生徒とやらに実際に聞いて回ったのか」

 

「それは屁理屈と言うのよ」

 

 確かに、堀北の言う通り俺が言っているのは屁理屈だ。

 だが、堀北はそろそろ俺が何を言いたいか気づいてくれてるんじゃないだろうか。

 

「まあ、じっくり考えてくれ。その問題の解説は後で送るから。ただ、テスト勉強の妨げにならない程度にな」

 

 言いながらカバンを持ち上げ、席を立った。

 

「……ええ。そうするわ。また明日」

 

「ああ」

 

 




次回更新は11月20日15時です。


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終わりを告げた日常Ⅳ

今回はオリ主の頭脳の一端が発揮される回となっております


 勉強会崩壊の後、俺はすぐに帰る気にはなれず、寮を通り過ぎて、その先にある散歩道を歩いていた。

 やはり夕焼け空は綺麗だし、見惚れる。

 だが、こんな話を聞いたことがある。

 普段都会で生活している人が、田舎の満天の星空を見ると、「気持ち悪い」という感情を抱くことがあるらしい。

 都会には高層ビルが乱立していて、空を見上げる機会などそうそうない。

 たとえ見上げたとしても、「光害」によって、田舎のようにきれいな星を空に見ることはできないのだ。

 見る側の人となりや立場、環境によって、同じものを見ていても、抱く感情はこれほどまでに変わってくる、という典型例だ。

 俺が住んでいたのも田舎ではなかったが、俺にはまだそう言ったものを綺麗だと思う感性は残っているらしい。

 空を見上げながら歩くなんて、俺にしては珍しいこともあるものだ。

 この散歩道の人通りはない。

 ほとんどないではなく、ない。ゼロだ。俺と同じ方向に行く人も、すれ違う人も一人もいない。

 放課後に賑わうのは、カフェやショッピングモール。寮の奥側に行く人なんて誰もいない。そのうえ中間テストが近づいている今、ほとんどの人は教室や図書館、もしくはそれ以外の静かな場所でテスト勉強にいそしんでいるだろう。

 寮を過ぎて直進すると、小さなバスケットコートがあるということは、いったいどれほどの人に知られているだろうか。

 恐らく上級生は知っている。だが新入生は知らないだろうな。配られた地図や、端末に入っている学内マップには「バスケットコート」とは書かれてなかったし。

 完全な気まぐれ。俺はそこを折り返し地点にすることにした。

 一歩一歩踏み出すごとに、バスケットコートに近づく。

 予想通り、プレーしている人はいないようだ。

 プレーしてる人は。

 

「……?」

 

 バスケットコートの脇にあるベンチ。そこに一人の女子生徒が座っているのを見つけた。

 長めの髪を後ろで2つにまとめている。

 その顔と背格好には、覚えがあった。

 

「え……」

 

 向こうも、俺が突っ立っているのに気がついたようだ。

 そして目が合う。

 

「あ、あ、……」

 

 見られたくないシーンだったのか、その女子生徒は焦った様子でカバンを持って全力でダッシュ。

 

「あ、おい……」

 

グアアアアアアアン

 

 

 

 

 

 1

 

「っぅぅ……」

 

「……大丈夫か?」

 

「あうう……は、はい……」

 

 その女子生徒、同じクラスの佐倉愛理は、猪突猛進で頭から電柱に突っ込んだ。

 さぞかし痛かっただろう。ぶつかる瞬間、見てるこっちも無意識に目をつぶってしまったくらいだ。しばらくの間こぶができるかもしれない。

 佐倉はどうやら、この場所で自撮りをしているところだったようだ。

 恐らく、ここなら誰も通らないと踏んでのことだったんだろう。たとえ通ったとしても、ここの通りは一本道。すぐに気づいて隠れられると考えていたのかもしれない。

そんなところにいきなり俺が来たら、まあ驚くし、焦るわな。ごめんね影薄くて。

 

「あ、あの……」

 

「……ん?」

 

「その……こ、このことは誰にも言わないでくれますか……?」

 

「……電柱とケンカしたって?」

 

「そ、そっちじゃなくてっ。あ、そっちもだけど……そ、その、自分で自分を撮ってたこと、です……」

 

 丁寧にですます調で話す佐倉のセリフを受け、少し考えてみる。

 ……そもそも言う人いないなあ。

 

「別に言うつもりはないけど……」

 

 そう言うと、佐倉は少しほっとしたような表情になった。

 俺が佐倉について知っていることは少ない。

だがこれは俺がコミュ障だから、という以前に、佐倉自体もあまり人と関わるタイプではないから、というのも大きい。

特筆すべき点といえば、俺と同じく昼食に弁当を持ってきていること。

 それから、確か水泳の授業のときだったか。佐倉は胸がでかいだの何だのと言われて、一時期男子から注目を浴びていたこともあった。

 ただし、話題が沸騰したのは一瞬だけ。その後は雰囲気の地味さからか、徐々に男子の視界からフェードアウトしていった、という流れのはずだが……

 今隣に座っている佐倉からは、普段の地味さが微塵も感じられない。いや、地味どころか、クラストップレベルと言っていい容姿を持っている。はっきり言ってめっちゃ可愛い。

 何で……と考えていると、普段の佐倉と今とで、決定的な違いがあることに気づいた。

 

「……佐倉、いつもは眼鏡かけてなかったか?」

 

「え!? あ、そ、そうなの! カメラの前ではかけないことにしてるんです!」

 

 慌てふためいた様子で、メガネをかける佐倉。

 その様子を見て、さらなる疑問が頭によぎる。

 カメラの前ではかけないということは、その方が可愛く映ると自分でもわかっているということだ。

 じゃあ何でわざわざ地味にしてるんだ……?

 それにこの眼鏡……

いや、詮索はよそう。

 何か事情があるんだろう。

 

「あ、あの……変、ですか? 自分を撮るのが趣味なんて……」

 

 恐る恐る、といった感じで聞いてくる。

 やはり、俺に見られたことを相当気にしているらしい。

 まあ当然か。隠していた自分の秘密を他人に知られたら、強く気にするのは自然な流れだ。

 

「……さあ。他の人がどんな趣味持ってるかなんて知らないから、比較して言うことはできないが……でも、ちゃんとした趣味があるってのはいいことだと思うぞ」

 

「……ほ、本当、ですか?」

 

「ああ。別に他人に迷惑かかってるわけでもないんだろうし……」

 

 他人に迷惑がかかるようなことは自重すべきだが、そうでないなら、個人の趣味嗜好は最大限尊重されるべきだ。

 法的な言葉を借りるなら、「公共の福祉」に反しない限り、個人の趣味嗜好を馬鹿にしたり、邪魔する権利は誰にもない。

 まあ、たまにびっくりするような趣味持ってるやつはいるんだろうが……佐倉の場合はその限りではないだろう。佐倉とは方向性が違うと思うが、世の中の高校生なんてパシャパシャ自撮りしまくってるしな。

 

「……ありがとうございます」

 

「……別に感謝されるようなことは何もしてないぞ」

 

「その、こんなところ誰かに見られたのなんて初めてで……もし見つかったらどんな反応されるんだろうって、怖かったから……」

 

 俺は素直に感想を述べただけだが、対応の仕方としては、どうやら正解のくじを引いたらしい。

 そうこうしているうちに、段々と日が傾いてきた。

 

「……じゃあ、俺はもう帰るから。じゃあな」

 

「あ、私も戻ります……」

 

 そう言って立ち上がった佐倉は、猫背で、地味な雰囲気を持った、あるいは「意図的に醸し出した」いつもの佐倉だった。

 寮のエレベーターで別れるまで、会話は一切生まれない。別れる際も、俺が少しだけ手を上げ、佐倉もそっぽを向きながら控えめに手を振り返す、というものだった。

 まあ、仕方ない。コミュ障だもの。多分お互いに。

 

 

 

 

 

 2

 

 その夜、勉強の息抜きに、夜風にあたりに外に出た。

 5月中旬とはいえ、夜も更けてくると少し肌寒い。

 

「……これからどうするんだろうな、堀北は」

 

 寮のロビーを出て外を歩きながら、夕方の勉強会のことを思い出す。

 残酷なことを言うようだが、今この瞬間、短期的な視点で見れば、須藤たちにこの学校にいてもらう必要はない。

 堀北の言っていた通り、現時点であいつらはクラスのマイナス要因だ。

 だがそれは、いま求められているのが学力だから、というだけの話だ。

 今後、身体能力が求められる場面があれば、須藤はかなり重要なキーになるはずだ。

 池、山内にも同様のことがいえる。

 人には得手不得手がある。確かにあの3人は勉強を不得意としているが、その部分だけを見て人を無能と断ずるのは、あまりにも愚かだろう。

 

「っ!?」

 

 俺の考え事は、目の前に飛び込んできた光景によって一瞬で途切れさせられた。

 そこにいたのは、男女の組み合わせ。

 1年Dクラスの堀北鈴音、そして生徒会長の堀北学だった。

 瞬時に体が反応し、二人に悟られないように物陰に隠れた。

 二人のやり取りの様子をうかがう。

 

「兄さんに追いつくために、ここまで来ました……必ず、必ずAクラスに上がって見せます!」

 

 こいつ今、兄さんって……やっぱりこの二人は兄妹関係だったか。いや、察しはついていたが……

 

「追いつく、か……。お前はまだそんなことを言っているのか」

 

「私は本気です! Aクラスに上がって……兄さんに認めてもらえるように」

 

 兄に認めてもらうため?

 堀北がAクラスを目指す理由も、自分がDクラスにいる現状を受け入れられないのも、全部はこの兄に認めてもらうためだった、ってことか。

 俺がAクラスに上がる目的を聞いたとき、言葉に詰まったのはそのせいか。

 妹の必死な訴えに対し……兄は冷たい視線を送るだけだった。

 

「俺と離れてから2年間……まるで変っていないようだな。失望した。お前には上に行く力も、その資格もない。それを知れ」

 

 危険だ。

 しかし、この場で堀北のためにできることはない。あの動きは明らかに武道の有段者のそれだ。俺が出て行っても何もできない。

 このまま堀北が投げ飛ばされる……と、そう思った次の瞬間だ。

 

「おい、あんた今本気で投げとばそうとしてただろ。下コンクリだぞ」

 

「兄妹だからと言って、やっていいこととダメなことがあるんじゃないか。その手を離せ」

 

 その生徒会長の手を取ったのは、真反対の建物の影から出てきた綾小路だった。

 

「手を離せ、というのはお互い様だ。そちらが離せ」

 

「やめて、綾小路くん……」

 

 堀北の、怯えた猫のような震えた声が耳に入る。

 こいつ、こんな声も出すのか……

 と、そんな風にのんきに考えていた時。

 堀北会長のとんでもない速さの裏拳が綾小路に迫った。それを綾小路は腕で守る。その直後、急所を狙った蹴りが、またしても凄まじい勢いでとんでくるが、それを手ではたき落とす。今度は綾小路の服の襟を掴んで地面に叩きつけようとするが、綾小路はそれも手ではねのけた。

 そうして、お互いに距離を取る。

 

「……」

 

 とんでもないな……

 生徒会長の攻撃は、1発でもまともに食らえば確実に意識が飛ぶだろう、と分かるほどに重く、しかも速い。

 そして、それを完全に防ぎきった綾小路。あれは全部の動きを見切っていないとできない動きだった。

 常人には今何が起こったのか、それすらもわからないだろう。それほどに速く、キレのある動きだった。

 2人とも武道に精通しているんだろう。

 ポケットに物を入れながら、3人の様子を息を殺して観察する。

 

「良い動きだな。なんの経験者だ?」

 

「まあ、ピアノと書道なら何年か前に」

 

「ふっ、なかなかユニークな男だ。そういえば、入試の点数を全科目50点にそろえた生徒がいる、と聞いたな。確か名前は、綾小路清隆、といったか」

 

「すごい偶然もあるもんですね」

 

 ……なんで個人の入試の点数を生徒会長が知ってるんだ、なんて疑問はどうでもいい。

 入試を50点にそろえた? 綾小路が?

 ある意味じゃ全科目満点取るより難しいぞそれ……正解する問題は正しく正解し、間違える問題は正しく間違える。とてつもない学力と集中力を要する。

 それに確かこいつ、小テストの点数も50点だったはずじゃ……

 

「鈴音、お前にもこんな友だちがいたとはな」

 

「彼は、友だちではありません。ただの知り合いです……」

 

「相変わらず、孤高と孤独をはき違えているようだな。だからお前は、いつまでたっても上に行くことができない」

 

 そう言い残して、二人の前を立ち去る生徒会長。

 そのまま、あろうことかこちらに向かってきた。

 いや、よく考えれば当たり前のことだ。3年生の寮は俺がいる方向にある。寮に戻るなら当然この道を通る。

 今逃げても見つかるのは必至だ。

 ……ここは正面から受けよう。

 

「……貴様、いつからそこにいた」

 

 曲がり角で俺を発見した堀北生徒会長は、驚いた表情で開口一番そう言った。

 相対してみると、高校生とは思えない貫録を感じる。

 

「……」

 

 俺はその質問にすぐには答えず、代わりにポケットの中から端末を取り出した。

 操作し、画面を生徒会長の側に向ける。

 

『お前には上に行く力も、資格もない。それを知れ』

『おい、あんた今本気で投げ飛ばそうとしてただろ。下コンクリだぞ』

 

 再生される映像、そして音声。

 瞬間、会長の腕が俺の端末に迫る。

 俺はすぐに端末を後ろへ放り投げた。

 そしてダッシュで取りに向かう。

 当然、堀北会長も走る。

 しかし、途中で急に減速した。

 

「……どうしました。俺を追わないんですか」

 

「……」

 

 追えない理由は分かっている。

 俺が端末を投げた場所は、先ほどの現場と違って監視カメラの網の中だ。

 不審者対策でも何でもなく、俺たち生徒を監視する目的で設置されているであろう、膨大な量の監視カメラ。

 証拠映像が残ってしまう環境下では、先ほどのように手荒な真似をすることはできない。

 それを理解したうえで、会長に問いかける。

 

「それで……俺がいつからいたか、疑問は解消されましたか」

 

「……まさか、見られていたとはな。これは俺の失点だった。それで、どんな取引が望みだ」

 

「取引、と言うと?」

 

「その映像を使って俺を嵌めるためなら、お前はすぐに走り去るべきだった。その後ろ姿を俺に一瞬見られたとしても、だ。だがそうしないのは、それを使って俺と取引をしたいからだろう」

 

 一瞬で看破された。

 

「もったいぶるのは時間の無駄だ」

 

「はい、分かってます」

 

 これは恐らく会長の戦略の一つ。

 時間的圧力をかけて、俺の判断力をできる限り鈍らせようとしている。

 だが今さら考えずとも、俺の要求はもう決まっている。

 

「始めに言っておきますが、取引に応じていただければ、俺はこの映像を決して外部に出すことはない、ということは絶対に約束します」

 

「なるほど。取引に応じれば、その映像が俺とお前以外の目に入ることは絶対にない、と約束するんだな」

 

「……」

 

 これは……ダメだな。

 この人の方が1枚も2枚も上手だ。

 俺はあえて「外部」と言った。ここで言う外部とは、堀北会長と綾小路、堀北とのひと悶着を知らない者、と定義できる。

 つまり、俺がこの映像を2人のどちらかに送ったところで、それは外部に漏らしたことにはならないという解釈が可能だ。そしてその2人からこの映像が漏れたとしても、それは取引の対象外、ということになる。

 さらに、「取引に応じれば」という文言を入れることで、取引成立前のことに関しては無関係、という要素も用意していた。

 それを、取引内容の再確認に見せかけて「俺とお前以外の目に入ることは絶対にない」と表現を変えることで、そういった俺の逃げ道を完全に潰してきた。

 俺は、素直に認めざるを得ない。

 

「……ええ。そうです」

 

 俺はまだこの人には勝てない。

 加えてこの人は生徒会長。学校のことを知り尽くしている。

 この取引以外に余計なちょっかいを出せば、こちらが足をすくわれる可能性がある。

 恐らく会長はこのやり取りを録音しているだろう。俺が端末を投げ、会長から目を切った一瞬の間に。

 下手を打ったら一気にこちらが不利になる。

 あの映像を気づかれずに撮るという、不意打ちの先制攻撃で取ったリードを奪われることは避けなければならない。

 ここは安全な橋を渡るべきだ。

 

「ほしいのは2つ。まず1つ目は情報です。今後、プライベートポイントが大きく増える機会はあるのか。あるとしたら、それはどんなものか。教えてくれますか」

 

「……ほう。クラスポイントではなく、か」

 

「そうです」

 

 俺はクラスポイントにはそれほど興味はない。もちろん、増えるに越したことはないのだが。

 ただもし、プライベートポイントが大量に入る機会があるとしたら……

 

「そういった機会は存在する。詳しく言うことはできないが……今後、学力や身体能力以外の面が大きく問われる試験が、お前たちに課されるだろう。名前は『特別試験』という」

 

「特別試験……」

 

 定期的に行われる学力試験とは全く別物か。

 

「特別試験では、プライベートポイントもそうだが、クラス間対決の色が強く、クラスポイントの大きな変動もある。むしろ多くの者はそちらの方に注目するだろう」

 

 Aクラスに上がることを切望する生徒は特にそうだろうな。

 各種ポイントが大きく増減する特別試験。覚えておこう。

 

「もう一つはなんだ」

 

「プライベートポイントです」

 

「予想はできていた。いくらだ」

 

「堀北会長が、いまこの瞬間に所持しているポイントの10パーセント、でどうでしょう」

 

「……なるほど」

 

 割合で提示することによって、定数提示の場合と違って分かることが一つある。

 堀北会長が現状ポイントをいくら所持しているのか、ということだ。

 まあ普通に聞けばいい話ではあるんだが、関係ない質問だ、とか言われてはぐらかされるのもアレだしな。

 

「いいだろう。小数点以下は切り捨てで構わないな」

 

「それでいいです」

 

 放り出されたまま放置されていた端末を拾って戻り、送金を受けた。

 入ってきたポイントは、約31万ポイント。

 この人は約310万ものポイントを所有していたことになる。

 クラスポイントが0になり、ポイント不足にあえいでいる俺たちにとっては、とても考えられない量のポイントだ。

 

「取引成立ですね。映像消します。見ててください」

 

「分かった」

 

 取引内容に映像の消去までは含まれていないが、この形をとった方が変な禍根を残さずに済むだろう。

 

「確認した」

 

「どうも」

 

 用を終えた端末をポケットにしまう。

 このまま帰ってもいいのだが……せっかくの機会だ。

 

「あの……これは取引とは全く関係ない、個人的な質問なんですが」

 

「なんだ」

 

「この学校の入学基準は、いったい何なんですか」

 

 聞くと、会長は驚いた表情になる。

 

「この学校のクラス分けが、単に学力や身体能力、コミュニケーション能力などを基準としているわけじゃないことはなんとなくわかります。ただ、クラス分け以前の入学そのものに必要な試験は、学力試験と面接試験。この2つをクリアしないと、入学は叶わない。と思ってたんですが……それだとちょっとおかしい点がありまして」

 

 それが須藤の存在だ。

 学力は壊滅的。面接でも、普段の様子を見ていると最低に近い評価を受けているはず。

 それに、話を聞く限り綾小路もだ。

 全科目50点。須藤のように「壊滅的」とまでは言えないが、この学校の倍率を考えれば、そんな点数で合格を果たせるなんて普通は考えられない。

 にも関わらず、須藤も綾小路もこの学校にいる。

 これは一体どういうことなのか。

 

「それは俺にも分からない」

 

「……そうですか。綾小路の入試の点数を知ってるなら、そのあたりも知ってるんじゃないかと思ったんですが」

 

「ああいった情報は、こちらの耳に届く方が稀だ」

 

 まあ、それもそうか……

 

「だがお前の考えている通り、この学校の入学条件は、学力、面接の2つ以外にもある、というのは恐らく間違いないだろう。俺たち生徒の知らないところで、何かフレキシブルに生徒を取ることが出来るような規定がある、と俺は考えている」

 

「……なんというか、こんなにすんなりと考えが聞けるとは思ってませんでした」

 

 お前に教える理由はない、と門前払いを受けることも考えていたのだが。

 

「この学校のシステムは複雑で、且つ非常に秘密が多い。入学に関することもその一つだ。そのヒントになり得ることを共有するのは、悪いことではないからな」

 

 この学校に2年いて、生徒会長を務めるこの人でも、まだまだ解けない秘密があるのか。

 

「速野」

 

「……っ!」

 

 急に名前を呼ばれ、一瞬体が跳ねる。

 なんで俺の名前を……と思ったが、先ほど送金作業をするときに、端末に表示されたのを見たんだろう。

 と思っていたが。

 

「俺は端末でお前の名前を見る前から、お前を知っていた」

 

「……どうして」

 

「入試において全科目満点を獲得した新入生の名前は、一度でも聞いたら忘れない」

 

「……」

 

 情報が届くのは稀だとか言っときながら、しっかり俺の点数も知ってんじゃねえか……どうなってるんだこの学校の情報網は。口が滅茶苦茶軽い職員でもいるのか? 口裂け女とか?

 

「始めに聞いたときには驚いた。あの入試で全科目満点を獲得した生徒が出たのは、史上初めてのことだ」

 

「そうでしたか。それは光栄です」

 

 確かに、解いてて「あ、これ満点潰しの問題だな」とあからさまに分かる問題が各科目に1問ずつあった。

 

「今年の1年は、面白い生徒が揃っているようだな。入学1カ月でポイントを0にしたDクラス……お前たちがどう足掻くか、楽しみに見ておこう。……お前の成長にも、期待している」

 

 そう言い残し、3年生の寮へと歩いていく堀北生徒会長。

 

「……化け物か」

 

 いや、もしくは俺の実力が足りないだけか。

 今気づいた。あの人はまだ本気じゃなかった。

 俺が取引成立前にあの映像を堀北に送るのと同時にあの人があの確認をしてきたら、俺は逆に追い詰められていた。

 だが、それをしなかった。

 入学祝いの餞別のつもりか。

 弱者が強者を上回れるのは奇襲のみ、と相場が決まっている。

 学年が違って、直接の対決がなさそうなのを幸運に思うしかないな。

 

 

 




次回更新は11月22日15時です。


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必要な変化Ⅰ

 その翌日の昼食時間。

 直前の授業で使用した教科書類を片付け、代わりに弁当箱をカバンから取り出す。

 それを持って立ち上がろうとしたとき。

 

「速野くん、少しいいかしら」

 

 直前で堀北に話しかけられ、動きを止める。

 

「ん……なんだ急に」

 

 堀北に呼び止められるときは大体ろくなことが起こらないので少し嫌だが、ここはひとまず話を聞く。

 

「あなたが昨日送ってきた解説、わかりやすかったわ」

 

 意外や意外。褒められてしまった。

 

「そうか、なら良かった」

 

 昨日、佐倉の件の後、俺は堀北から図書館で出した問題の解説を送らなければいけなかったことを思い出した。

 ぱっと解説を作成し、勉強会のための業務連絡用としか考えていなかった堀北の連絡先にそれを送った。

 やはり連絡先があると便利なものだ。

 

「それで、何の用だ?」

 

 要件を言うよう促す。

 まさか、昨日の解説のことを言うためだけに話しかけてきたわけでもあるまい。

「今日の放課後、また一緒に来てもらえるかしら?」

 

「……なんでまた」

 

 放課後に何をすると言うのか。俺にもやりたいことがあるし、正直乗り気ではなかった。

 

「……それ、断ってもいいか?」

 

「断りたいのね。それでもいいけれど、あなたの身の回りに奇怪な現象が起こらなければいいわね」

 

「……と、いうと……?」

 

「そうね…………で、どうするの? 断る?」

 

「おいなんか言えや」

 

 何も言わないのが余計に怖い……

 

「はあ……放課後に何があるんだ。それが何かによる」

 

 先日の堀北による綾小路の昼飯買収事件から、俺も学び取った。まずは要件を聞いてからだ。

 それが分からないままついていくと、どんな結末になるのか分かったもんじゃない。

 

「……昨日、あなたがなぜ私のことを無能無能と言っていたのか、分かったわ。私は、あの問題だけで無能と判断されるのはいい心地がしなかった。でも勉強会で、私も彼らの学力面だけを見て、すぐに無能だと決めつけた。あなたはそこが気に入らなかったんでしょう?」

 

 急にそんなことを言ってくる。

 

「……どう解釈しようがお前の自由だ。でもどうした。心境の変化でもあったのか?」

 

 あったとすればあの時。

 昨夜、堀北が綾小路に助けられた場面だが……

 

「ええ、そうかもしれないわね。どこぞの事なかれ主義者のせいで」

 

 そう言うと堀北は、机に突っ伏している綾小路に目を向けた。

 ということは生徒会長の件の後、綾小路が堀北をどうにかして言いくるめたのか。

 

「事なかれ主義のくせに、論破しちゃったのか」

 

 いやそれ以前に、事なかれ主義者が生徒会長と事を構えるってどうなんだ……と言いたかったが、俺があの場面を見ていたことは、この二人には知られない方がいいだろう。

 

「おーい……」

 

 綾小路の背中に言うが、反応はない。

 

「ちょっと、人の話を聞いているの? 頭は大丈夫?」

 

 堀北は手のひらを綾小路の額に当て、その後、自分の額にも当てた。

 

「風邪を引いたわけではないようね」

 

「引いてねえよ! つか、失礼だろ!」

 

「人の話を無視して寝たふりを決め込んでいたのは誰かしら?」

 

 堀北が即答で正論を言う。

 

「……ちょっと長めの回想に入ってただけだ。それで、オレに何か御用でしょうか……」

 

「須藤くん達にもう一度勉強会に参加してもらうために、あなたには体を張ってもらわなければならないわね」

 

「体を張るって……」

 

「具体的に言うと、土下座でもしてみたら?」

 

「なんでそうなるんだ……そもそもお前が揉めたんだから、お前が自分でなんとかしろよ」

 

「あの勉強会が壊れたのは学ぶ姿勢のなかった側の責任よ」

 

「おいちょっと、ストップストップ」

 

 話についていけなくなった俺は、二人の会話を強引に止めた。

 

「お前ら、もう一回勉強会やるのか?」

 

「ええ。そうなんでしょう綾小路くん?」

 

「いや、開くのお前だろ」

 

「あなたが私を引き戻したんでしょう。最後まで責任を取りなさい」

 

 その言葉で、綾小路は何もいえなくなる。

 どうやら本当に堀北の説得に成功していたらしい。

 綾小路がここまでするとは思っていなかった。 

 昨日はどうすることもできない、とか言ってたのに。

 まあでも勉強会が再開されるというのは朗報だ。

 おかげで、自分で動かずに済んだ。

 

「話を戻すわ。速野くん、それで放課後だけではなく、今日この時間にも来てほしいのよ」

 

 元々勉強会再開のために動く予定だったし、それなら構わないだろう。

 

「……分かった。行く。場所は?」

 

「まだ決まってないわ」

 

「なら、この弁当を持ち込める場所にしてくれ」

 

「そうね。あなたの質素な弁当のせいで雰囲気を壊されるのは、他人が迷惑するでしょうし」

 

「そうそう。できればそのディスによる俺への迷惑も考えてほしいんだけど?」

 

「あら、何か間違っていたかしら?」

 

 まあ間違ってはないんだけどさ……

 と、そこで、綾小路が忠告するように言った。

 

「堀北。分かってると思うが、櫛田の協力は必須だぞ」

 

「……ええ。分かってる」

 

 そう言うと、堀北は櫛田の元へ向かい、話しかけた。

 

「櫛田さん、話があるの。お昼、少しいいかしら?」

 

「堀北さんからのお誘いなんて珍しいね。うん、もちろん!」

 

 櫛田は快諾。昼飯の場所に選ばれたのは、校内で絶大な人気を誇るカフェパレットだった。

 なんか、流れに身を任せていたらパレットに来てしまったが……ここ、俺が弁当食ってもいいのか? 俺の質素な弁当とやらで雰囲気壊す場所の最たる例じゃねえのここ。

 弁当持ち込み禁止とは書いてなかったけど……

 まあ……いいか。とっとと食っちまおう。

 

「お代は私が出すわ」

 

「ありがとう。それで、お話っていうのは……?」

 

「須藤くんたちの勉強会。もう一度協力して欲しいの」

 

「それって、やっぱり……堀北さん自身のため?」

 

「ええ、彼ら3人のためではなく、私のため。それでは手を組めない?」

 

「ううん、正直に言ってくれて嬉しい。それに私たち、クラスメイトだもん。喜んで協力するよ」

 

「ありがとう。助かるわ」

 

 堀北が素直に礼を言う姿は初めて見る。

 1日でこんなにも変化があるのか。

 よほど綾小路の説得が響いたらしい。

 俺は櫛田の発言の方にも、わずかな違和感を覚えた。

 

「堀北さん。もう一回聞くけど、これはAクラスに上がるためにやることなんだよね?」

 

「そうよ」

 

「そんなことって、本当に出来るのかな……あ、堀北さんを馬鹿にしてるんじゃないよ? でも、たとえ中間テストを乗り切っても、ポイントが入るかどうか……正直、クラスのほとんどの人は現実的に考えてないんじゃないかな、って……」

 

 概ね櫛田の言う通りだろう。

 上に行きたいとは思っていても、精々Cクラスに行ければいいかな、くらいにしか思っていない人がほとんどのはずだ。

 いくら「進学、就職時の安泰」という入学目的があっても、俺たちはその教師から「不良品」と面と向かって言われてしまったのだ。

 そして、それを表す膨大なポイントの差。

 Aクラスっていいよね、という声はあっても、Aクラスに上がりたい、という声は堀北以外からは聞いたことがなかった。

 しかしそれでも、堀北はぶれない。

 

「私はやるわ。Aクラスに上がるために。私自身のためにね」

 

「綾小路くんと速野くんも?」

 

「ええ。2人とも私の助手として、Aクラスに上がるために粉骨砕身、働いていく所存だそうよ」

 

「は?」

 

 いきなり助手認定され、顔を見合わせる俺と綾小路。しかも粉骨砕身とまできた。聞いてないんだけど堀北さん。

 そんな俺たちの心情はスルーで、堀北と櫛田は会話を続ける。

 

「……うん。分かった。じゃあ、私も堀北さんたちの仲間に入れてくれる?」

 

「ええ。だから勉強会の手伝いをお願いしているのだし」

 

「ううん、そうじゃなくて。Aクラスを目指す仲間に入れて欲しいの。私にも何か協力できることがあるかもしれないし……ダメ、かな?」

 

 言いながら櫛田は、堀北の表情を伺うように覗き込む。

 俺、堀北、綾小路が3人集まった文殊の知恵でも足りないものを、4人目の櫛田は持っている。断る理由はない。

 

「ええ。では、この勉強会が無事成功したら、正式にお願いするわ」

 

「ほんとに? やった」

 

 堀北の了承を得ると、櫛田は体を起こして、堀北と綾小路の前に手を差し出した。

 両者ともに、渋りつつも手を握る。

 そして今度は、俺の前にも手を差し出してきた。

 

「速野くんも、ね?」

 

 少し抵抗があったが、俺も櫛田の手を取った。

 女子との握手。

 これで、少し藤野のことを思い出した。

 櫛田と藤野。

 二人のキャラクターは被っているところがある。

 しかし……何かが決定的に違う。

 具体的なことは何もわからないが、確かにそう感じた。

 俺のことをクラスメイトというだけで友だちと言った櫛田が、先ほど堀北のことを「クラスメイト」と呼んだことと、その違和感は何か関係あるのだろうが。

 

 

 

 

 

 1

 

 放課後。

 櫛田が、帰ろうとしていた赤点組の3人を呼び出し、堀北の元へ連れてきた。

 

「なんだよ今さら。櫛田ちゃんがどうしてもって言うから来たけどさー」

 

 当然ながら、勉強会をあんな形で終わらせた堀北にいい印象は持っていない。

 

「あなたたち、本当に一人でこのテストを乗り切ることが出来ると考えているの? もしその絶対の自信があるなら、私はもう何も言わない」

 

「それは……でも、今までもなんだかんだで乗り切ってきたしさ。一夜漬けで何とかなるって」

 

「それは絶対の自信とは言わないわ。その姿勢で仮に今回は乗り切ることが出来たとして、テストは今回で終わりじゃないのよ。次も、またその次も危険な綱渡りを続けるつもり? それでもまだ、自分は生き残ることが出来ると考えるの?」

 

「……」

 

「そう思えないのなら、今からする私の話をよく聞いて」

 

 一応のこと、3人に聞く気はあるようだ。

 池の言った、今までは乗り切ることが出来た、というのは、もしかしたら嘘ではないかもしれない。

 しかし、その「今まで」は、「今」とは全く状況が違う。

 今までは赤点をとっても、追試や追加課題などがあった。それをやれば、なんだかんだで合格を貰うことが出来ていた。

 しかし今は、赤点を取れば退学なのだ。

 幅10センチほどの平均台がある。それが高さ10センチほどの場所に設置されていれば、難なくわたることが出来るだろう。

 しかし、それが高さ数十メートルのビルとビルの間に渡されていたら、どうだ。

 危険があるかないかの違いだけで、人間のパフォーマンスにはとても大きな差が出る。

 いまこの3人は、後者の状況にある。

 恐らく堀北の話を聞いたとき、赤点を取って退学に追い込まれる姿が容易に想像できてしまったんだろう。

 

「あなたたちは、授業中に居眠りや私語をすることはなくなったけれど、授業内容は全く聞いていないわよね?」

 

「い、いや、そんなこと……」

 

「そんなことない、と言うの?」

 

 そんなことありまくる、ということは自身が一番よくわかっている。

 

「……だって、先生がなにしゃべってるか頓珍漢なんだよ。仕方ねーじゃん」

 

「つまりあなたたちは、60分×6コマ分、6時間という勉強時間をどぶに捨てているということになる。まずはその無駄を削ることよ。授業中はとにかく集中して、先生の話にかじりつきなさい」

 

 これをこなすだけで、3人の勉強時間は激増する。

 

「分からなかったところは、次の10分間の休憩中に私たちが解説する」

 

「けど、さっきも言ったけど、俺たち先生の話なんて聞いてもわかんないぜ?」

 

「気づいていないかもしれないけれど、この学校の授業の質は相当高いわ。ちゃんと集中して聞けば、何一つ分からない、と言うことはないはずよ。一度やってみなさい」

 

「わ、分かったよ」

 

 以前と比べて、かなり効率的な方法だ。これなら須藤が放課後に部活を休む必要もなくなる。

 

「それに加えて、私と速野くんが、その授業の中でテストに出題されそうな部分をまとめるわ」

 

「え、俺も?」

 

「当然でしょう。あなたは授業中暇を持て余しているようだし、これは私たちの勉強にもなる。違う?」

 

「……まあ、確かに」

 

 授業の要点をまとめることで、自身のテスト勉強の効率化も測ることができる。さらに人に教えることで理解も深まる。一石二鳥というわけだ。

 ここまで説明を終え、池と山内は好感触だった。

 しかし、残りの須藤は……

 

「お前が俺たちの赤点を阻止しようとしてくれてんのは分かった……けど納得いかねえ。あのな、俺はお前が俺に言い放ったことを忘れちゃいねえ。バスケのプロを目指すのが愚かなことだと? こんな奴に教わるなんざまっぴらごめんだ。まずは謝罪から先にすんのが筋だろ」

 

 納得いかない、というより、納得したくないといった様子で突っぱねる。

 プライドが邪魔しているんだろう。

 それほど、バスケットと自分の夢を馬鹿にされた怒りは大きかったということだ。

 それに対し、堀北が言う。

 

「私はあなたが嫌いよ須藤くん」

 

「は!?」

 

「でも、あなたがバスケットを好きなのは伝わってくる。あなたはバスケットに対してなら全力を出せるであろうことも。その集中力を、今回は少し勉強に向けてほしい」

 

 それは堀北から須藤への、少しだが、明確な歩み寄りだった。

 罵倒するしかなかった昨日の堀北とは、まったく見違えるほどだ。

 

「……俺は興味ねえ。もう行くぞ」

 

 しかし、届かず。

 須藤はそのまま教室を出て行こうとした。堀北もそれを止めない。

 俺ももう無理か、と思ったとき。

 それまで黙って話を聞いていた綾小路が動いた。

 

「櫛田、お前もう彼氏できたのか?」

 

 突然の綾小路の質問。櫛田も少し戸惑いながら答える。

 

「え、今はいないけど……ど、どうして?」

 

「じゃ、じゃあ、この中間テストで平均50点取ったら、俺とデートしてくださいっ」

 

 そう言って、綾小路はキレのある動きで櫛田の前に手を差し出す。

 その様子を見て、池も山内もすかさず反応した。

 

「な!? じゃ、じゃあ俺は51点取るから、俺と行ってくれ櫛田ちゃん!」

 

「な、なら俺は52点だ!」

 

 この2人は天然でやってるんだろう。

 綾小路の狙いに気づいたとは考えにくい。

 俺もこの流れに乗っておこうと思う。

 

「じゃあ、俺は53で……」

 

「「お前は満点取れ!」」

 

「なんで俺だけ……」

 

 池と山内から思いっきり突っ込まれる。だが、満点取っても櫛田とデートすることはないから大丈夫だ。

 

「え、えと、私、テストの点数で人を判断したりしないよ?」

 

「でも、モチベーションの向上にも繋がると思うんだよ。頑張った後のご褒美みたいなもんで」

 

 綾小路がそう言うと、櫛田も綾小路のやりたいことが分かったらしい。

 

「じゃ、じゃあ、一番点数が高い人と、っていうなら……目標のために頑張れる人って、かっこいいと思うな」

 

「「うおっしゃああー!!」」

 

「見とけよ速野! 負けねえからな!」

 

「お、おう、頑張ってくれ……」

 

 池の気合いに気圧されながらも、激励しておいた。

 そうして、視線は残りの1人、須藤に集まる。

 

「……デートか、悪くねえ。俺も参加してやる」

 

 綾小路がやったのは、須藤が参加しやすいようにするきっかけづくり。

 デートのために堀北を利用してやるだけ、という理屈付けを須藤がするよう誘導したのだ。

 結果、須藤も折れて参加が決定した。

 

「覚えておくことにするわ。男子は単純で馬鹿だと言うことを」

 

 堀北はチクッと刺すようにそう言った。

 須藤を迎え入れるために堀北なりに考えたものだと信じたいが……多分9割9分本音だよなあ……

 

 




次回更新は11月24日15時です。


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必要な変化Ⅱ

「なあ春樹、思ったんだけどさ、授業受けてみると結構簡単なところもあるよな」

 

「ああ、それ俺も思った。今日の地理とか、化学とかだろ?」

 

「そうそう」

 

 綾小路と櫛田の遅刻によって、1分ほど遅れて始まった昼休みの勉強会。

 その最中に、池と山内がそんなことを言い出した。

 

「まあ確かに、全部が全部難しいわけじゃない」

 

「ちゃんと授業を受けたから分かったことだね」

 

 櫛田も3人を励ます。

 

「油断は禁物よ。まだ提示されたテスト範囲の全てが終わったわけではないし、あなたたちの学力レベルはまだまだよ」

 

「うは、手厳しい!」

 

「それに、社会科に関しては時事問題も出題される可能性があるわ」

 

 堀北はそう指摘する。

 確かに、入試でも、この前の小テストでも時事問題は出されていた。

 

「……ジジイ、問題?」

 

 しかし、須藤の反応は予想の斜め上を行くものだった。

 世の中のお爺さん限定の高齢化問題かよ。一応時事問題の内容としてあり得るものなのが余計にムカついた。

 

「時事問題ってのは、最近起こった社会の動きとか、主に政治経済の分野から出される問題のことだ。お前らもネットは見るだろ? そこに情報はいくらでも載ってるから、調べといて損はないぞ」

 

 外部との連絡の一切を断たれているこの学校の生徒が外の情報を手に入れるためには、テレビを見るか、ネットで検索するかしかない。

 須藤たちが普段、ネットでナニを調べているのかは知らないが……

 「定期テスト 時事問題」で検索すれば、出題されそうなネタはいくつでも転がっているはずだ。

 

「今はできることをやりましょう。だらだら過ごしている時間はないはずよ」

 

「うーい」

 

「じゃあ、私から問題。帰納法を提唱したフランシスベーコンに対し、演繹法を提唱したのは誰でしょう」

 

「あー、えっと誰だっけ。ベーコンの方は覚えてたんだけど……」

 

「なんつーかこう、ゴツゴツした感じの名前だった気がすんだけど……」

 

 山内と須藤が頭をひねる中、隣の池は得意げな表情でそれを見ていた。

 

「な、寛治てめーまさか……」

 

「はっはっは。2人ともまだまだだな。答えはデカルトだろ、櫛田ちゃん!」

 

「おー、正解っ。池くんすごーい」

 

 出題者の櫛田はぱちぱちと手を叩く。

 

「だーくそっ。頭のてっぺんまで出かかってたのに!」

 

 基本中の基本問題ではあるが、始めはこいつら悩むことすらなくノータイムで「そんなの知らない」って答えてただろうからな。頭を悩ませるだけ成長したと捉えるべきだ。

 あと須藤、ゴツゴツした感じの名前って……お前まさか、「デカルト」の名前「デコボコ」で覚えてんのか。テストでそっち書くなよ。

 

「おっし、これで満点は固いぜ」

 

「その自信はどっから湧き出てくるんだ……」

 

 そのプラス思考は少し羨ましい、と思いつつ、勉強に戻るために教科書に目を落としたとき。

 

「おい、騒がしいぞ。図書館で騒ぐなよ」

 

 後方から声をかけられた。

 表情を見ずとも、声色から多少の苛立ちが感じ取れる。確かに今の音量は迷惑だったかもしれない。配慮が足りなかったな。

 

「あ、うるさかったか? 悪い悪い。問題解けたのが嬉しくってさ。デカルトだぜ? モネ・デカルト。覚えておいて正解だろー」

 

「池、正しくはルネ・デカルトだ……」

 

「あっ……」

 

 池のしょうもないミスに突っ込みを入れる。

 そんな様子を見て、注意しにきた生徒の表情が変わった。

 

「……あ、もしかしてお前ら、Dクラスか?」

 

 この学校は「Dクラス」という言葉に敏感だ。

 その単語が口から出た瞬間、それまで勉強に集中していた周りの生徒も一斉にこちらに目を向ける。

 

「は? なんだお前ら。Dクラスだからなんだっつんだよ!」

 

「いやいや、別にどうとは言ってないさ。俺はCクラスの山脇だ。よろしくな。にしても、この学校が実力で生徒を分ける制度でよかったぜ。お前らみたいな『不良品』と一緒に過ごさなくて済むからな」

 

「喧嘩売ってんのかてめえ! 上等だ! かかってこいよ!」

 

「なんだ、喧嘩か? やってみろよ。どんな処分を受けるか楽しみだぜ。あ、減るポイントもなかったんだっけ?」

 

 相手の安い挑発。しかし、沸点の低い須藤はそれに乗ってしまいそうになる。

 俺はそれを止めることにした。

 

「おい止まれ須藤」

 

「るせえ!」

 

「……おう」

 

 その一喝で、俺は引き下がるほかなかった。

 須藤の怒りの矛先がこちらに向かって怪我するようなことはまっぴらだ。

 ごめん、俺には無理だったよ。

 それをだらしなく思ったのかは知らないが、次は堀北が止めに入る。

 

「やめなさい須藤くん。ここで問題を起こしても百害あって一利なしよ。それと、先程からDだDだと馬鹿にしているけれど、あなたたちもCクラスといったわね? そこまで上位とは言えないでしょう」

 

「AからCまでの差なんて誤差の範囲だ。ま、お前らはポイントがなくなっちまうほど別次元だけどなあ」

 

「ずいぶん都合のいい判断基準ね。私から見れば、Aクラス以外はどんぐりの背比べよ」

 

 そうは言うが、お前の判断基準も結構都合良いと思うんだけど。一応Cクラスとは490差があるんだぞ。

 

「はっ、底辺のくせして生意気だな。ちょっと顔がいいからっていい気になってんじゃねえよ」

 

「聞いてもいない情報をありがとう。私自身自分の容姿について興味はなかったけれど、あなたたちに評価されて非常に不愉快に感じたわ」

 

「っ、こいつ……」

 

 あーあ。前のコンビニでの場面でもそうだったが、こういうのに堀北が関わると面倒なことになりそうだな……。

 と、そんな中、山脇という生徒とともに勉強していたと思われる男子生徒が耳打ちするように山脇に言う。

 

「お、おい山脇、俺らから仕掛けたなんて噂になったら……」

 

「……?」

 

 噂になったら、何だろうか。

 学校側に追求される?

 ポイントを減らされる?

 クラスからバッシングを受ける?

 

「ま、お前らからどれくらい退学者が出るか、楽しみだぜ」

 

「ご期待いただいてるところ悪いけれど、今回、Dクラスから退学者は出ないわ。それに、人のことばかり気にしてていいの? 油断していると、足をすくわれるわよ」

 

「はっ、なんの冗談だそれ。俺たちはお前らとは違って、より良い点数を取るための勉強をしてるんだよ。大体、テスト範囲外の勉強をしてる馬鹿のどこに勝ち目があるって?」

 

「え?」

 

 いまこいつなんて言った? テスト範囲外だと?

 

「まさか、テスト範囲すら知らないのか? だから不良品なんて言われるんだよ」

 

 ……ちょっと待て。どういうことだそれは。茶柱先生から伝えられたテスト範囲は確かにここのはずだ……

 

「良い加減にしろよてめえ! 上等だ!」

 

 しかし、頭に血が上りきった須藤にはそんなことは関係ないらしく、再び掴みかかる。

 

「おいおい、さっき言われたこと、覚えてないのか?」

 

「こちとら減るポイントなんてねえんだよ!」

 

 須藤が叫び、腕を引く。マジで殴るつもりらしいが、俺では止められない。

 これでまたマイナス査定か、と覚悟した瞬間だった。

 

「はい、ストップストップ」

 

 一人の女子生徒が、須藤と山脇の間に割って入った。

 

「あ? なんだてめえは。部外者は下がれよ」

 

「部外者? 心外だなあ、この図書館を利用させてもらっているれっきとした関係者として、君たちの行為を止めに入っただけだよ。喧嘩するなら外でやってもらえる? それに、君たちもちょっと挑発が過ぎるんじゃないかな? これ以上やるなら、学校側に報告しなくちゃいけなくなるけど」

 

「わ、悪い、そんなつもりじゃないんだよ一之瀬」

 

 Cクラスの連中は、今一之瀬と呼ばれたこの女子生徒のことを知っているらしい。

 それも、ただ知っているだけという感じではなさそうだった。俺たちに対して取っていた尊大な態度は、この一之瀬の前では鳴りを潜めている。

 

「お、おいもう行こうぜ……」

 

「あ、ああ、これ以上ここにいたら馬鹿がうつっちまう……」

 

 そんな捨て台詞を残し、俺たちというより、一之瀬から逃げるように退散していった。

 

「君たちも、図書館を利用して勉強するなら静かにやらなきゃ……ん?」

 

 一之瀬は、颯爽と自分がいた席に戻って行く、と思いきや、急に立ち止まった。

 その姿を何気なく見ているうち、俺と目が合っていることに気がついた。

 

「君は確か……」

 

 何か考えるような顔で、俺に近づいてくる。

 

「……何か?」

 

「あ、ううん、何でもないよ。ごめんね。じゃあ、またどこかで」

 

 ばいばい、と言い残し、今度こそ自分の席に戻っていった。

 

「堀北とは違って、しっかりとこの場をおさめていったな」

 

「私は事実を述べたまでよ」

 

 綾小路のセリフにも、堀北は動じることなく堂々とそう答えた。

 だが今重要なのは、一之瀬という奴の人となりでも、Cクラスの幼稚な挑発でも、須藤と堀北のトラブルメーカー気質でもない。

 

「なあ、さっきCクラスが言ってた……」

 

「……うん。テスト範囲外って、どういうことかな……?」

 

「各クラスでテスト内容が違う、とか?」

 

「それは考えにくいわ。学年で問題を統一しなければ、定期テストの意味がなくなってしまうもの」

 

 俺も同感だ。

 この学校がクラス間競争の色が強いところからしても、学年全体で基準が違うということはあり得ないだろう。

 考えられる可能性として有力なものは2つ。

 Cクラスだけがテスト範囲の変更を知っていた可能性。

 そして……Dクラスだけが知らされていない可能性。

 Cクラス連中の口ぶりからして、可能性が高いのは圧倒的に後者だ。

 とにかく事実を確認するため、勉強を中断して職員室に向かった。

 

 

 

 

 

 1

 

 職員室に入って茶柱先生を見つけるや否や、堀北が問い詰めるように質問した。

 

「先生。私たちが伝えられたテスト範囲には確かにこの部分が含まれています。しかしある生徒から、ここはテスト範囲外だという指摘がありました。どういうことか、説明を求めます」

 

 すると、茶柱先生は気圧されるでもなく悪びれるでもなく、淡々と答える。

 

「……ふむ。ああ、そういえば、テスト範囲は先週の金曜日に変更になったんだった。すまないな、お前たち伝えるのを失念していたようだ。これが新しいテスト範囲だ。堀北のおかげでミスがわかった。みんなも感謝するように、以上」

 

 言いながら、メモ用紙にサラサラっと新しいテスト範囲を書き、堀北に渡す。どうやら変更は全科目で行われていたようだ。

 

「は!? そんな、どうしてくれるんですか!?」

 

「そう言われても、失念していたんだ。仕方ない。それに、まだテストまでは1週間ある。今から詰め込めば間に合うだろう?」

 

「くっ、自分のミスのくせに……!」

 

 須藤の顔が再び怒りで染まり始めている。怒りのメーターが上がったり上がったり忙しいやっちゃなお前は。

 

「行きましょう」

 

 そんな須藤とは裏腹に、堀北は冷静に退室を提案する。

 

「で、でも……」

 

「こんなところで突っ立っていても、何も始まらないでしょう? 急いで新しいテスト範囲の勉強を始めた方がよっぽど効率的よ」

 

 そう言う堀北だが、いつもよりいくばくか早口になっている。

 訂正しよう。堀北も冷静ではなかった。

 それも当然のことだ。この瞬間、俺らが今までやってきた勉強会は全て無駄足だったことを突きつけられたのだから。

 そして何より不思議なのが、一担任の重大なミスであるはずなのに、職員室の教師たちは全く驚いた様子を見せない。

 それどころか、何の先生かは知らないがこちらに向かって手をひらひらと振ってくる人までいる。

 誰に向かって……と思って後ろを振り向くと、そこには微妙な表情をした綾小路がいた。

 この2人は前に会ったことがあるのか……?

 いや、もうそんなことはどうでもいい。

 変更後のテスト範囲が、すでに授業で学習した部分であることは不幸中の幸いだが……赤点組3人はその授業をやっている時、まともに受講していなかった。

 1週間の詰め込みでどこまで通用するのか、それは全く見当がつかない。

 職員室を出るが、皆一様に意気消沈している。

 

「な、なあ堀北……大丈夫なのか?」

 

「……新しく勉強会のスケジュールを組み直すわ」

 

 努めて冷静に話す堀北。

 だが、落胆ぶりは見て取れる。

 そんな中、須藤が何かを決意したようにふっと息を吐いた。

 

「決めたぜ。俺も今日からテストまで部活休む。それで何とかなるか?」

 

 驚いた。

 いま須藤が言ったことは当然合理的な判断だ。だが、そんな提案が須藤自ら飛び出るとは誰も予想していなかっただろう。

 

「……いいの? 1日勉強漬けなんて、あなたに耐えられるとは思えないけれど……」

 

「ムカついてんだよ。担任にも、Cクラスの奴らにも……だから、ちょっとは見返してやりたいっつーか」

 

 そう言って、職員室を睨みつける。恐らく、この壁の向こうの茶柱先生を想定しているんだろう。

 珍しく、須藤の怒りがいい方向に向いている。

 

「それに……勉強ってのは辛いもんなんだろ?」

 

 そしてニヤリと笑いながら、堀北の肩をポンと叩いた。

 

「……それなら、私が……いえ、私たちが何とかしましょう。早速今日の放課後から始める、ということでいいわね?」

 

 ……堀北が自分以外の人間を勘定に入れたぞ。「私たち」って……

 

「ああ、どんとこい」

 

「それと須藤くん」

 

「おう、何だ」

 

「私の体に次接触するようなことがあれば、容赦しないから」

 

 少し丸くなったと思えばすぐそれか……

 そんなに須藤が嫌いか。綾小路の額は自分から触りにいってたのに……

 

「……可愛くねえ女」

 

「でも、なんかいい感じになってきたかも」

 

 櫛田の言う通り、いい感じになってきたのは間違いではない。

 共通の敵ができたことによる効果だろう。

 須藤が自分から勉強に対して前向きな姿勢を見せた。本人はもちろん、池や山内のモチベーションも今までと比べて高いだろう。

 あとは結果。

 だが、それが最大の難題であることに変わりはなかった。

 

 

 

 

 

 2

 

 テスト範囲の急な変更で、堀北率いる勉強会メンバー、そしてDクラスの生徒全員に衝撃が走ったのが、今から23時間ほど前のこと。

 今はその翌日の昼食時間だ。

 昨日の放課後の勉強会は、かなりガタガタだった。

 須藤たちにとっては振り出しに戻ったも同然なのだから、それも当たり前といえば当たり前だ。

 ゼロから知識を蓄えなければいけないため、教えるのにもこれまで以上に苦労することになるだろう。

 今後の対策を考えていた時、俺の目の前の席に人影が現れた。

 

「……堀北? 何してんだお前」

 

「見てわからない? ここで昼食を済ませるのよ」

 

「いや、お前いつも自分の席で食ってただろ……」

 

「あなたと対策を練る時間は、この時間くらいしかないでしょう」

 

「……まあ確かに」

 

 堀北は、俺の前の席の椅子を回転させ、こちらに向かいあわせるように座った。

 

「いつも綾小路と食ってなかったか?」

 

「彼はすぐに教室を出て行ったわ。それに、綾小路くんと食べるのが日課というわけではないし」

 

「ふーん……」

 

 そういえば昨日、職員室から引き上げる時に「気になることがある」みたいなことを言ってた気がするな、綾小路。

 それに関しての用事かもしれない。

 俺も気になることはあるが、それを確認するよりも対策を練った方がいいと判断した。

 

「正直に答えなさい。私の解説はわかりやすい?」

 

 それは唐突な質問だった。

 

「……なんだ急に」

 

「これからテスト当日に向け、ペースをさらに上げなければいけなくなった。そんな時に、私の解説がわかりづらかったら話にならないでしょう? 客観的な意見が欲しいのよ」

 

「客観的も何も、そんなの本人に聞け、としか」

 

「あなたから見て、の話よ。彼らに聞いたところで具体的な話をしてくれると思ってるの?」

 

「……まあ、無理だろうな」

 

 あの3人は、勉強会での知識をインプットするのに精一杯。

 その上、勉強会を開くまで授業内容を一切理解していなかった。

 意見を求めても「以前よりわかる」としか感じていないだろう。

 

「にしても意外だな、お前が他人に意見を求めるなんて。お前は独断専行とか傍若無人とか、あるいは唯我独尊とかそういう精神だとばかり……あ、いや悪い謝るだからそのコンパスをしまえ今すぐに」

 

 テスト前に俺にケガ負わせるつもりかこいつは。

 

「はあ……話を戻すけれど、素直に意見を言ってちょうだい。細かいことでも構わないわ」

 

「そんなこと言われてもな……俺自身、人に勉強を教えるなんて経験そんなにないし。それに隣でお前の解説に耳傾けてる余裕もそんなにない。でも様子見てる限り、解説のうまさはお前に軍配が上がると思うぞ。悪いが俺から言えることはないな」

 

 これは俺が本当に思っていることだ。

 積極的に解説しているのは堀北だし、須藤たちも大抵堀北に質問している。

 たまに俺にも質問が飛んで来はするが、質問される数は分かりやすさと比例しているんじゃないだろうか。

 ……まあ、堀北が女子だから積極的に質問してる、って線もあるが。

 

「そう……分かったわ」

 

 具体的な意見は何も聞けず、期待外れという表情を見せながら、堀北は持っていたサンドイッチを頬張り始めた。

 

 

 

 

 

 3

 

 時間はいくらあっても足りない。

 そう意識すればするほど、人間は時間の流れを速く感じるものだ。

 気がつけば、中間テスト本番は明日に迫っていた。

 テスト前最後のホームルーム終了直後、櫛田が突然立ち上がった。

 

「みんな、帰る前にちょっと話を聞いてもらえないかな」

 

 櫛田の声は教室内全体によく通った。

 本当はみんな、すぐにでも明日のテストに向けた最終確認をしたいところだろう。しかし呼びかけたのが櫛田ということもあり、帰ろうとしていた生徒も全員立ち止まる。

 

「みんな、明日に向けてすっごく頑張って勉強したと思うんだ。それで、そのことで役に立つかもしれないものがあるの。今からプリント配るね」

 

 紙の束が、櫛田から各列の先頭に人数分渡されていく。

 これは……

 

「……テスト問題? これ、櫛田さんが作ったの?」

 

「ううん、そうじゃないんだけどね。実はこれ、中間テストの過去問なんだ。昨日の夜、先輩からもらったの」

 

 教室内が少しざわつく。

 過去問? そんなのあったんだ、といった声が聞こえてくる。

 

「これ、使えるの?」

 

「うん、多分ね。一昨年の中間テスト、これとほとんど問題が同じなんだって。しかもこの前私たちが受けた小テストも、去年、それと全く同じ問題が出題されてたらしいの」

 

 櫛田のその言葉で、俺が気になっていたことは全て解決した。

 茶柱先生の言っていた、Dクラス全員が赤点を回避し、退学を免れる方法。恐らく、過去問の利用のことを言っていたんだろう。

 そして小テストの、あの異様に難易度の高かった最後の3問。

 あれは、過去の小テストも全く同じ問題が出されていた、ということを示すヒントだったということか。

 

「だからこれを勉強したら、役に立つんじゃないかって思ったんだ」

 

「うああああ! まじか! サンキュー櫛田ちゃん!!」

 

 突然の救いの手、あるいは蜘蛛の糸。

 クラス全員が例外なく歓喜した。

 中にはこのプリントを抱きしめているやつまでいる。おいおいしわくちゃになるぞ……

 

「なーんだ。こんなのがあるんなら、今まであんなに必死で勉強する必要なかったな」

 

 山内がそう漏らした。

 ……これ、配るのが今じゃなかったら危なかったな。

 非常にいいタイミングだ。

 

「須藤くんも、今日はこれを使って勉強してね」

 

「おう、助かる」

 

「これ、他のクラスには内緒にしとこうぜ! 高得点とってビビらせるんだ!」

 

 それには賛成だ。

 一瞬藤野にこれを共有しようか迷ったが……あいつにこれは不要な気がした。なくても、池や山内より点数が取れないなんてことはあり得ないだろう。

 過去問を入手する、という手は、俺自身全く思いもよらなかった。

 全国模試や入試問題は、過去問を解いて研究し尽くすというのが常とう手段だ。だが定期試験で過去問を使用するという習慣はなかった。

 テストをクリアするためには何を利用したらいいか、それを考えさせる。

 学校側から出題された課題だった、ということか。

 俺、堀北、綾小路の三人で、櫛田の元へ向かう。

 

「お手柄ね、櫛田さん」

 

 堀北が素直に櫛田を賞賛した。

 

「えへへ、そうかな。ありがとう」

 

「過去問を利用することは、私も全く思いつかなかったことだから。それに、これを公開したタイミングを今にしたのも正解ね。もし不用意に過去問の存在をばらしていたら、テスト勉強への集中力が削がれていたかもしれないわ」

 

「手に入れたのが昨日だった、ってだけなんだけどね。でも、もしこれと同じ問題が出されたら……」

 

「高得点、期待できるだろうな」

 

「ええ。それに、この期間中の勉強も無駄にはならないはずよ。内容を理解できていれば、答えも頭に入りやすい。あとは、試験中に頭が真っ白にならないことを祈るだけね」

 

 そこは一人一人の本番の強さ次第。俺らの管轄外だ。

 

「じゃあ、私たちもそろそろ帰ろっか」

 

 そう言って帰り支度を始める櫛田。

 

「櫛田さん、今日まで本当に感謝しているわ。あなたがいなければ、勉強会は成立していなかった」

 

「そんな、気にしないでいいよ。みんなで上のクラス……できるなら、Aクラスを目指したいって私も思ってるから」

 

 そんな櫛田の言葉に、堀北はしばらく反応を示さなかった。

 しかし、やがてゆっくりと口を開く。

 

「……櫛田さん、あなたに1つ、確認しておかなければいけないことがあるわ」

 

「確認?」

 

 帰り支度を終え、教室から出ようとしていた櫛田が立ち止まる。

 

「ええ。Aクラスを目指すために、あなたが本当に力を貸してくれるというなら、必要なことよ。綾小路くん、速野くんがいるこの場でね」

 

 一体どういうことなのか。

 質問する前に、堀北が口を開いた。

 

「あなた、私のことが嫌いよね?」

 

「……」

 

「おいおい……」

 

 俺は唖然とし、綾小路も驚きの声を出す。

 だが、綾小路の反応は俺とは違うベクトルのもののような気がした。

 これは……元々何かを知っている人間の反応だ。

 

「……どうして?」

 

「そう感じるから、ただの勘に過ぎないけれど……間違ってる?」

 

「あはは、困ったな……」

 

 持っていたカバンを肩にかけなおし、櫛田もまっすぐに言い放った。

 

「うん。大っ嫌い」

 

 それはもう、清々しさすら感じる笑顔で。

 

「理由、話した方がいい?」

 

「いいえ、それが確認できただけでも十分よ。これからは気兼ねなく、あなたと関わることができそう」

 

 嫌いだ、と正面を切って言われたにもかかわらず、そんなことを言う堀北。

 まさか、櫛田が堀北を好いている、という考え自体が間違っていたとは。

 堀北が櫛田を遠ざけていたのは、自分のことを嫌っているのに、それを表に出さずに近づいてくる櫛田に不快感を感じたから、ということか。

 だが、だとすれば。

 なぜ櫛田は、堀北に関わろうとしていたのか。

それも執拗に。

 1つの疑問が解消された瞬間、また新たな、そして以前よりも難しい疑問が出てきた。

 

 

 

 

 

 4

 

「速野くん」

 

 靴を履き替えたところで、後ろから声をかけられる。

 

「……櫛田?」

 

「あはは……一緒に帰らない?」

 

「……いいけど」

 

 承諾し、歩き出す。

 校舎を出てからしばらくはお互いに無言だったが、校門を出てすぐの信号に引っかかったタイミングで、櫛田の方から話を始める。

 

「さっきの、びっくりさせちゃったかな」

 

 さっき、というのは言うまでもなく、堀北への発言のことだろう。

 

「まあ……驚いたといえば驚いた。でも、誰かに言うつもりはないから安心してくれ」

 

「……うん、ありがと」

 

 やっぱり、口止めしたかったのか。

 

「言っても得しないからな……それに、少し安心もした」

 

「え、安心?」

 

 予想外のワードに、櫛田も驚いている。

 

「ああ。櫛田にもちゃんと好き嫌いはあったんだ、ってな」

 

「ちゃんとって……」

 

「誰からも好かれるのも考えものだが、誰のことも好きになるなんて普通無理だろ? みんなと仲良くしたいと思ってるお前にも、嫌う人はいた。人間らしいところが見られて、逆に少し安心した、って意味だ」

 

 嫌いな人もいるが、それを飲み下してうまく人と付き合っていく。社会に出る上で重要な実力の項目の一つだ。

 

「そんな見方もあるんだ……速野くんって面白いね」

 

「人生で初めて言われたぞ、それ」

 

「そうなの?」

 

「ああ」

 

 陰口で、あいつって暗いよな、とかは言われたことあるが。いや事実なんだけどさ、それ聞こえてんだよもうちょい声潜めろよ。

 俺の悲しい過去はどうでもいい。

 ところで、と、俺は気になっていることを聞くことにした。

 

「綾小路はこのこと知ってたのか?」

 

「え……どうしてそう思ったの?」

 

「いや、あの時の綾小路の反応が、なんか知ってた風だったから」

 

 綾小路の「おいおい……」という反応は、「まずいんじゃないかこれ?」みたいなニュアンスが含まれているように感じた。

もし何も知らなかったなら、俺のように堀北の質問自体に疑問を持つはずだ。

 

「……知ってた、かもね」

 

「……やっぱり、そうだったか」

 

 微妙な反応ではあるが、どうやら予想通りだったらしい。

 いつ知ったのか、知られたのかについては、ここではあまり突っ込まない方がよさそうだ。

 

「もう一つ、聞いてもいい?」

 

「……なんだ」

 

 少し間を開けて、櫛田が恐る恐るといった様子で口を開く。

 

「……速野くんは、さ。もしも、もしもね? 私と堀北さんがぶつかるようなことがあったら、どっちの味方につく?」

 

 突然の、それもかなりぶっ飛んだ内容だった。

 堀北と櫛田がぶつかる、か。

 いまいちイメージが湧かないな。

 

「その質問、綾小路にも?」

 

「うん。したよ」

 

「あいつはなんて答えてた?」

 

「うーん、はぐらかされちゃった感じかな……」

 

「まあ、そりゃそうだろうな……」

 

 そもそも答えづらい質問だし、答えてもあまりいいことがないからな。

 

「じゃあ、俺は櫛田につく」

 

「……え?」

 

 いつも柔らかな櫛田の表情が固まる。予想していなかった答えだろう。

 もちろん、俺の本心ではない。

 

「なんて言ったら、お前はそれを信じるのか」

 

「あ……うん、確かに信じきれないかも」

 

「なら、この質問に答えること自体が無意味ってことだ。俺も綾小路みたいにはぐらかしてもいいか?」

 

「でも、今ここでちゃんとした答えが欲しいな」

 

 言いながら、櫛田は俺の顔を覗き込む。

 これも、俺の答えを引き出すための計算されたポーズ、ということなんだろうか。

 堀北の件を知っていると、どうしてもそう考えてしまう。

 だがそのうえで、元々可愛いやつが、さらに自分を可愛く見せる方法を知っているとなるとタチが悪い。

 男子高校生は、大抵それで落ちてしまうんだから。

 

「……俺の得になるように対応する、とだけ言っとく」

 

 いつかのプール授業のときのように、後退りながら答えた。

 

「……そっか。じゃあもしかしたら、私と堀北さん、両方の敵になるかもしれないんだね」

 

「……」

 

 少し驚いた。

 よく話を聞いてるな。

 もしくは本音を読むのが上手いのか。

 

「……まあどちらにせよ、今はお前と堀北がぶつかるってイメージが湧かないから、具体的なことはなにも考えられない」

 

「……そっか。そうだよね。ごめんね、急に変なこと聞いて」

 

「いや、別に」

 

「テスト、絶対頑張ろうね!」

 

「……ああ」

 

 その後は自室に戻って早速過去問を解き、内容の暗記を始めた。

 明日はテスト当日。

 いろんな意味で混乱があったが、果たしてどうなるのか。

 神のみぞ知るところだろう。

 




次回更新は11月26日15時です。、


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問い

1巻分最終話です。


 テスト当日、登校時間。

 時計は午前8時を少し回ったころ。

 普段は半分しか埋まっていないDクラスの教室の座席は、その8割ほどが埋められ、生徒たちはテストに向けた最終確認を行っていた。

 問題を出し合う者。友人に教えを乞う者。一人で机に向かう者。

 その方法は様々だが、それでも一貫しているものがある。

 この中間テストを見事クリアし、ポイントを得る、という目標。

 10万ものポイントに胡坐をかいていた入学直後の状態とはえらい違いだ。

 人は金のためなら頑張れる、ということを体現している。

 別に、それが悪いとは微塵も思っていない。

 俺だって同じだからだ。

 金のためなら、自分の利益のためなら何でもする。

 資本主義が染み渡った現代日本において、「本心では」誰もが当たり前に持っているであろう考え方だ。

 

 

 

 

 

 1

 

「欠席者はいないようだな。テストを怖がって休む者がいるのではないかと考えていたが……杞憂だったようで安心したぞ」

 

「当然です。僕らはこれまで、テストに備えて十分な対策をしてきました。僕らの中から退学者が出ることはありません」

 

「ほう、それは大きく出たな平田」

 

 俺は三バカ以外の学力事情を把握していないが、今日に向けて、それぞれが一生懸命やってきたのは雰囲気で伝わってくる。

 平田の自信は、これまでの勉強量に裏打ちされたものだろう。

 そこで、茶柱先生が口を開く。

 

「今回の中間テスト、もしもお前たちが退学者を出すことなく乗り切ることができたら、夏休みにはバカンスに連れていってやろう」

 

「ば、バカンス?」

 

「そう、バカンスだ。青い海に囲まれた、夢のようなひと時が待っているぞ」

 

 まるでどこかのリゾートホテルのキャッチコピーのような文言だ。

 と、そんなことを考えているのは俺だけ。

 

〈健全な男子高校生の発想〉

夏の海→女子の水着→大興奮!(今ココ)

 

「みんな、やってやろうぜ!」

 

「「「「「うおっしゃあああー!!!」」」」」

 

 池の音頭に続き、Dクラス男子のおよそ9割が叫んだ。俺は残りの1割なので悪しからず。

 その勢いも、堀北の「変態」の一言で一気に引っ込んだが。

 

「気合があるのはいいことだが……本番でしくじれば全ては水の泡だ。お前たちの健闘を祈っておこう」

 

 全員に問題用紙が配布され、準備完了だ。

 

「では、始め」

 

 先生の合図と同時に、クラス全員が問題用紙をひっくり返した。

 

 

 

 

 

 2

 

「案外楽勝だな!」

 

「ああ、これなら120点も夢じゃないぜ!」

 

 昨日の櫛田の予想通り、テストの問題は過去問とほとんど、というかほぼ完全に一致していた。

 池や山内は余裕の表情。それ以外の生徒も、焦った様子は全く見られない。

 全員昨夜過去問にかじりつき、必死で暗記したんだろう。

 それでも復習は欠かしていないようで、昼食をできる限り早く食べ終え、各々英語の過去問を使い準備を整えている。

 しかしそんな中、1人険しい表情で英語の過去問の解答を睨んでいる人物がいた。

 

「須藤くんはテスト、どうだった?」

 

 櫛田がその人物、須藤に話しかける。しかし、須藤にその声は聞こえていないらしい。

 

「須藤くん?」

 

「……あ? ああ、わり、ちょっと今焦ってる」

 

 言葉通り、須藤の額には冷や汗が浮かんでいた。

 こいつまさか……

 

「おい須藤、お前過去問やらなかったのか?」

 

「英語以外はやったんだ。でも寝落ちしちまって……」

 

「「「え!?」」」

 

「くそ、全然頭に入らねえ……」

 

 英語は異国の言語。

 基礎ができていなければ、それは解読不可能な暗号のように、摩訶不思議な文字列に見えてしまっていても不思議ではない。

 寝落ちって事態は想定外だった……

 連絡先を聞いて、確認しておくべきだったか。

 

「昼食休憩で、他の科目よりインターバルが長いのが救いだな」

 

「全くだわ……仕方ない。須藤くん、英作文は捨てて。それ以外で配点の高い問題と、記号問題を優先的に覚えましょう」

 

「あ、ああ……」

 

 堀北も焦っているが、それでも素早い判断で取りに行く問題、捨てる問題を仕分け、暗記する。

 記号問題は確実に取る。

 数学、国語、理科、社会の問題から、問題の順序や選択肢の内容までほぼ一致していることが分かっている。英語も恐らく同じだろう。

 英語を書かせる問題はたとえ単語でも厳しいと判断し、捨てる。

 その代わり、日本語を書かせる問題は、英文和訳でもニュアンスだけ覚えさせて部分点を取りに行く。

 ギリギリの応急処置としては適切だ。

 しかしそれでもなお、須藤はかなり苦戦しているようだった。

 そして。

 

「席につけ。問題用紙を配布する。教科書や資料等は片付けるように」

 

 茶柱先生が教室に入ってきた。

 タイムリミットだ。

 

「やれることはやったわ。あとは覚えている問題から順に解いて。10秒考えて全く分からない問題は飛ばして次に行きなさい」

 

「あ、ああ、わかった……」

 

 須藤は一瞬だけもう一度過去問を見て、机の中にしまった。

 集まっていた全員が席に戻る、その直前。

 

「速野くん、協力して」

 

 その言葉に続き、堀北が俺に耳打ちする。

 

「……なるほど、ああ、わかった」

 

 そして混乱のさなか、英語のテストが始まった。

 カンニングを疑われないようにそっと須藤の様子を見てみると、「やばいやばいやばい」という心の声が聞こえてきそうなくらい、動揺しているのが分かった。

 しかしもう、俺らが須藤に直接手を貸してやることはできない。

 運に任せるしかないだろう。

 

 

 

 

 

 3

 

 テスト終了後、勉強会メンバーは、堀北ではなく須藤の席の周りに集まっていた。

 

「お、おい大丈夫かよ健?」

 

「わかんねえ……あーくそ、なんで俺は寝ちまったんだ……」

 

 自分自身への苛立ちを隠せず、拳をガン、と机にぶつける須藤。

 そこに、堀北が姿を見せる。

 

「須藤くん」

 

「……なんだよ、説教か? なんとでも言えよ……」

 

 自分の失態を自覚し、自暴自棄になりかけている須藤。

 

「過去問をやらずに寝たのは完全にあなたの落ち度よ。でも、それは手を抜いた結果ではないでしょう? それに、あなたがちゃんとやれているかの確認を怠った私たちにも、一定の責任はある。あなた自身は、やれることをやってきた点について自信を持っていいわ」

 

「は、なんだそれ、慰めか」

 

「私は慰めなんて言わない。事実を言ったまでよ。あなたがどれだけ苦労したかくらいは、すぐにわかるわ」

 

 確かに、今朝の須藤の表情には明らかに疲れがあった。

 連日続く勉強で、ついに昨日の深夜、限界がきてしまったんだろう。

 それより驚くべき事実は、あの堀北が、しかも嫌い合っているはずの須藤を素直に褒めているということ……

 最近、堀北に驚かされることが多いような気がする。

 こいつにも、変化が訪れているということか。

 

「それと、もう一つ」

 

「今度はなんだよ……?」

 

「訂正させて欲しいのよ。以前私は、バスケットのプロを目指すことを愚かだと言って罵ったわ」

 

「それ、今思い出させることか……? 退学になっちまったら、それすら叶わなくなるかもしれねえってのに……」

 

「話を聞きなさい。あの後、バスケットについて調べたのよ。そして、プロになる道のりがどれほど大変か、以前より理解が深まったわ」

 

「で、だから俺には諦めろって言いてえのか」

 

「そうは言ってないわ。あなたが、私の調べたことを理解していないはずがない。それを知った上で、あなたはその道を進もうとしているのね」

 

「ああ、そうだ。俺は馬鹿にされようとバスケのプロを目指す。お前に言われたとおり生活に困っても、その夢は諦めねえ」

 

 強く言い切る須藤の目には、確かな強い志が宿っている。

 

「夢の実現の難しさや大変さを理解していない人間が、そのことについて語る資格はない。よく知りもせずにしたあの発言を、今は後悔してるわ」

 

 表情こそずっと真顔だったが、その頭は徐々に下がって行く。

 

「あの時はごめんなさい……私が言いたかったことはそれだけ。じゃあ」

 

「うわ、ちょ」

 

 堀北は1人で教室を出るのかと思いきや、俺の手首を引っ張って、強引に教室の外に出した。

 いきなりすぎて滅茶苦茶ビビった。

 

「なんだよ急に。びっくりしただろうが。寿命縮んだらどうする気だ」

 

「損な役回りを押し付けてしまったわね」

 

「……」

 

 堀北の言わんとすることはすぐにわかった。あの耳打ちのことだろう。

 

『おそらく赤点の算出方法は、平均点の二分の一未満よ。できる限り点数を下げて』

 

「点数を下げろ、なんてな。驚いたよ」

 

「あなたと私で、合わせて少なくとも80点は下がったんじゃないかしら」

 

「ああ、でもこれでカバーできるかどうか……」

 

「でも、これが限界よ……もしダメだったら、私にも責任があるかもしれないわね」

 

「ん、まあそうだな。一回勉強会ぶち壊したんだし」

 

「勘違いしないで、あなたにも責任の一端はあるのよ」

 

「……マジで?」

 

「当然でしょう」

 

 当然らしい。

 勉強会崩壊を止めなかったのが悪いんだろうか。

 

「……まあ責任っていうか、誰が一番悪いかっていう話なら間違いなく茶柱先生だし、お前が必要以上に責任を感じることはないと思うぞ。もちろん最低限は感じてもらわなきゃ困るが」

 

「だから責任を感じていると言っているでしょう」

 

 同じことを言わせるな、という目で睨んでくる。

 

「悪い悪い……」

 

 俺はそれを受け流した。

 普通に怖いし。

 

「……にしても、お前変わったな」

 

「そうかしら。いつも通りだと思うけれど」

 

「いや、変わっただろ。自分に責任を感じてたり、須藤に謝ったり。以前ならあり得ないんじゃないか?」

 

「以前の私には責任感がないと言いたいのかしら?」

 

 再び睨みを強める堀北。

 ……須藤に謝った点については、突っ込まないんだな。

 

「まあ、側から見れば変化しているように見える、ってだけだ。俺の言うことなんてあんま気にすんなよ」

 

「保険はかけておくのね」

 

「誰かと違って責任感がないからな」

 

 そう答えると、堀北は一瞬体を固める。

 その後すぐに真顔に戻って、言う。

 

「……あなたは食えない人間ね」

 

「……どういう意味だよ」

 

「皮肉に決まっているでしょう」

 

 無愛想にそれだけ言い残し、せっせと歩いて行ってしまった。

 

「そうですか……」

 

 俺と堀北の間の距離は約5メートル。

 俺のつぶやきは、あいつの耳に届いていないだろう。

 もうそろそろ俺も帰宅しようと、荷物を取るために教室に戻る。

 そして、ドアを開けた瞬間。

 

「や、やべえ、俺、堀北に惚れちまったかも……」

 

 赤い髪のやつが顔まで赤くしながら、心臓に手を当て、そう言った。

 

 

 

 

 

 4

 

 教室内の雰囲気には、ただならぬものがあった。

 いつもの通り、クラス全員を代表して平田が発言する。

 

「先生、今日は中間テストの結果発表日と聞いています。いつですか?」

 

「……なるほど。教室の雰囲気がいつもと違うのはそういうことか」

 

 腐っても担任教師。さすがに気づいてるか。

 

「お前はそこまで気を張る必要はないだろう、平田」

 

「教えてください。いつですか」

 

 強気で問う平田。

 

「喜べ、たった今発表する。放課後じゃ、手続き上問題があるからな」

 

 手続上の問題、という言葉に、教室内の雰囲気が強張る。

 

「……どういう意味ですか」

 

「そう慌てるな。今点数を発表する」

 

 茶柱先生はそう言って、以前の小テストの結果発表の時と同様、大きな紙を五枚、黒板に張り出した。

 英、国、数、理、社。それぞれの教科の一人一人の点数が表示されている。

 

「正直に言って、感心した。お前たちがここまでの高得点を取るなんてな。満点が10人以上いる科目もあるぞ」

 

 各教科、一番上には100という数字がずらりと並ぶ。その光景に、生徒たちは歓喜の声をあげた。

 だが俺たちにとって重要なのは須藤の英語の点数。ただそれだけだ。

 英語の順位表を上から下に見ていく。

 そして、その一番下。

 須藤の名前の横には、39点と表示されていた。

 

「っしゃ!」

 

 以前の小テストの際には書かれていた、赤点ラインを示す赤い線は引かれていない。

 須藤は思わず立ち上がって喜び、池、山内もそれに続いた。

 

「どうすか先生! 俺たちもやるときはやるってことっすよ!」

 

「ああ、お前らが健闘したことは認める。ただし、だ」

 

 妙なタイミングで言葉を切る先生。

 教室内には不穏な空気が流れる。

 先生は赤ペンを取り出し、「須藤健 39」の文字列の上に線を引いた。

 

「須藤、お前は赤点だ」

 

「は!? おい冗談だろ!? 赤点は31点だって言ってたじゃねえか!」

 

「そんなことは一言も言ってないぞ?」

 

「い、いや言ってたって! なあ!?」

 

 須藤の抗議に続き、池もクラスに呼びかける。

 

「お前たちが何を言っても結果は変わらない。今回の赤点ライン、その算出方法を教えてやろう」

 

 すると、茶柱先生は黒板に何やら書き始める。

 

 79.6÷2=39.8

 

「赤点ラインはクラスごとに違う。今回のDクラスの英語の平均点は79・6点。その二分の一は39.8。つまり、39点だったお前は赤点ということだ」

 

「う、嘘だろ……そんなの聞いてねえって……」

 

「放課後、退学届を提出してもらうことになるが、その際には保護者の同伴が義務づけられている。ご両親には私から連絡しておこう」

 

 淡々と須藤に報告する茶柱先生。その言葉が、ようやく事実として教室内に浸透していく。放課後だと問題が起こるというのは、このことだったのだ。

 

「せ、先生、待ってください。本当に須藤くんは退学なんですか? 救済措置はないんでしょうか?」

 

「ない。これはルールだ。受け止めろ」

 

「では、須藤くんの解答用紙を見せてください」

 

「構わんが、採点ミスはないからな」

 

 抗議が出ることを予め予想してか、須藤の分の解答用紙だけを持ってきていたようだ。

 平田がそれを確認する。

 そして、絶望した表情を見せながら、言う。

 

「採点ミスは……なかった」

 

「満足したか。ではホームルームを続けるぞ」

 

 須藤への同情は一切なし。

 機械的に須藤へ退学を言い渡した。

 池も山内もさすがに空気を読み、須藤には何も言わなかった。いや、言えなかった、という方が正しいか。

 退学となった須藤は、半ば放心状態。

 しかし生徒の中にはホッとした表情を見せる者もいた。

 須藤がこれまでやってきたことのツケ、とでも言えばいいだろうか。

 

「先生、一つよろしいでしょうか」

 

 そんな中、1人の生徒が手を上げた。

 

「なんだ堀北。珍しいな」

 

 先生の言う通り、堀北の挙手は誰もが予想していなかっただろう。

 教室内は1人残らず意外そうな表情を見せていた。

 

「今回の赤点ラインの算出方法は、本当に前回と同じものですか?」

 

「ああ、間違いない」

 

「しかし、それでは矛盾が生じます。私が計算した前回の平均点は、64.4。それを2で割ると、32.2。赤点ラインは32点未満。つまり、小数点以下を切り捨てているんです。にもかかわらず、今回は切り捨てられていない。これは間違っているのではありませんか?」

 

 堀北が見出した、淡い淡い光。

 クラスの須藤擁護派も希望を持ち始める。

 

「なるほど、お前と速野はそれを見越して点数を落としていたのか」

 

 茶柱先生の言葉で、教室全体がハッとした表情になる。

 俺も堀北も、英語以外は満点を獲得した。

 しかし英語だけは、堀北の耳打ちで点数を落としていた。

 堀北は51点、俺は62点。

 

「お前ら……」

 

 須藤もようやくそこで気づいたようだ。

 

「そうか、なら、もう少し掘り下げて話をしよう。お前自身も気づいているかもしれないが、お前の計算方法には一つ間違いがある。赤点算出方法は小数点以下切り捨てではなく、四捨五入だ。32.2の場合は切り捨て、39.8ならば切り上げ。よって前回の赤点ラインは32点未満、今回は40点未満というわけだ。残念だったな」

 

 先生の言う通り、堀北も気づいていただろう。

 そのうえで、わずかな可能性を信じての進言。

 しかし、結果は覆らない。

 

「そろそろ授業が始まる。私はいくぞ」

 

 教卓と黒板を片付け、茶柱先生は教室を出て行った。

 

「ごめんなさい……私がもう少しギリギリまで点数を削るべきだったわ」

 

 自らを責めるように言う堀北。

 いや、だがこいつはギリギリまで削った。

 俺と堀北以外が全員満点を取ったとすると、落とせる点数は49点が下限だ。

 これ以上落としたら、堀北の方が退学になってしまう。

 こいつはやれるだけのことをやった。

 対して俺の点数は……62点。

 計算上、俺が49点まで落としていれば、平均点が38.5を割り、須藤の退学は防がれていたことになる。

 結果論ではあるが、もう少し落とすべきだったか。

 その時、後ろからガタッという音が聞こえる。

 綾小路が椅子を引いて立ち上がった音だ。

 

「……どうしたんだ?」

 

「トイレ」

 

 それだけ言って、足早に教室を出る。

 嘘だというのはすぐに分かる。

 授業開始直前。本当にトイレなら手短に済ませるはず。そんな中でわざわざ机の上の端末をポケットに入れて席を立つ理由はない。

 つまり、あいつは今から端末を要する行動を起こすということだ。

 

「行くか」

 

 俺も綾小路と同じように席を立つ。

 

「ちょっと、あなたまでどこに……」

 

「綾小路と同じ場所に」

 

 あいつは恐らく茶柱先生のところに向かったはず。

 とすれば、職員室の方向か。

 あいつが歩いて行った方向からも、そうだと推測できる。

 同じように俺も歩くと、話し声が聞こえてきた。

 職員室に近づくにつれて、その話し声は大きくなっていく。

 そのうち、その話し声が綾小路と茶柱先生のものだと断定できるまでになった。

 

「綾小路。私は個人的にお前のことを買っているんだ。過去問を入手し、クラス全員で共有して点数を高める。素直によくやったとほめてやろう」

 

 ……ん?

 あれ?

 

「過去問を入手したのも、クラスで共有したのも櫛田ですよ」

 

 間髪入れずに綾小路が言う。

 そうそう、そういう話だったはずだが……

 

「出来る限り目立ちたくないというお前の心情は察するが、お前が3年Dクラスの生徒に接触したこと、ポイントを使って過去問を入手したことは把握済みだ」

 

 ……どうやら間違いなさそうだな。

 それを「先輩からもらった」と言っていた櫛田もグル、ってことになる。

 ……決行したのは、この二人が行動を共にしていたタイミングか。

 昼食時間や放課後など、何度かそういった場面があったのを覚えている。

 

「だが、最後の詰めを誤った。他と比べて圧倒的に学力が不足する須藤に対してだけは、もっと早くから過去問を暗記させるという選択肢もあったはずだ。そうすれば、須藤が赤点を取るようなことにもならなかっただろう。今回は諦めて、須藤を切り捨てたらどうだ」

 

 過去問を入手したのがテスト前日ではなくそれよりもっと前のこと、というのが事実なら、確かにそれも可能だった。

 

「隠れて何をしている速野。出てきたらどうだ」

 

 ……おっと。

 いや、隠れていたつもりはないんだが。

 仕方なく、二人に近づいていく。

 

「速野。いたのか」

 

「まあ……」

 

 俺に背中を向けていた綾小路は、俺がいることに気づいていなかったようだ。

 

「あと、いるのは俺だけじゃないぞ」

 

 そう言って、綾小路の視線を俺の後ろに誘導する。

 

「あなた、いつから……」

 

「いや、足音聞こえてたから」

 

 そこには、堀北が立っている。

 俺が教室を出てから、すぐに後を追いかけてきた。

 本人は気づかれないように努めていたようだが。

 

「ふふ、お前たちは面白い生徒だな。まさか、この3人が揃うとは。いったい何をしに来た?」

 

 挑戦的な笑みを浮かべながら問う茶柱先生。

 

「決まってるじゃないですか。須藤の退学を止めるべく動いた綾小路に、助太刀しに来たんですよ」

 

「ほう?」

 

 そうだよな? と、綾小路の左手に握られた端末を見て言う。

 

「あなたたちは、いったい何を……」

 

 堀北はまだ、理解するには至っていないようだ。

 はぁ、と、ため息ともとれる音を漏らし、綾小路が言った。

 

「先生。須藤の点数を1点、俺に売ってください」

 

「……」

 

 想定していなかった答えなのか、茶柱先生は目を丸くして綾小路を見る。

 やっぱり、そういうことだったか。

 あの場面で、綾小路が端末を持って教室を出る理由として考えられるものは2つ。

 誰かとの通話。

 もう一つは、ポイントを使った取引。

 茶柱先生と話していたことで、前者の可能性が消える。

 そして、この状況でポイントを使う対象は、須藤の退学に関連したもの以外には考えられない。

 

「ははは、なるほど。確かに私は入学時、『原則ポイントで買えないものはない』とお前たちに伝えた。お前の言う通り、須藤の点数を買うことも可能だ。速野、お前はそれを予期してここにきたのか?」

 

「綾小路が何かしら行動を起こすことは察してましたよ。言ったじゃないですか。助太刀するために来た、と」

 

「なるほどな」

 

「それで、いくらで売ってくれるんですか」

 

「そうだな……今回は特別に、10万ポイントで売ってやろう。速野、そして堀北、お前たちがここに来たのは正解だったな」

 

 本当にそうだ。

 綾小路一人だけでは払うことのできない額だろう。

 

「支払うポイントの配分は、お前たちの好きにしろ。合計10万ポイントを私の端末に送れ。退学取り消しの件、お前たちから須藤に伝えろ」

 

 3人では割り切れない額だが、綾小路が4万払うことを自分から申し出て、俺、堀北から3万ずつを綾小路の端末に送った。

 

「どうだ堀北。綾小路の有能さが、少しは分かったんじゃないのか?」

 

「……どうでしょう。点数を取れるのに取らなかったり、過去問の手柄をわざわざ櫛田さんに譲ったり、嫌味な生徒にしか思えませんが」

 

「嫌味って……」

 

「点数取れるのに取らない……?」

 

 会長とのやり取りを目撃しているので知ってはいるが、そのことは二人には秘密なのでひとまずこんな反応をしておく。

 

「ふふ。お前たちがいれば、確かに上のクラスに上がることのできる可能性もあるかもしれない。だが堀北、一つ事実を伝えておこう。この学校が始まって以来、Dクラスが上に上がったことは一度もない。お前たちは学校側から『不良品』の烙印を押された生徒だ。それでも、上を目指すつもりか?」

 

 先生からの忠告。

 堀北の覚悟を問うているようだった。

 

「お言葉ですが先生。不良品はあくまで不良品。少し手を加えれば、良品に変わる可能性を秘めていると、私は考えています」

 

「……ほう。堀北、まさかお前の口からそのような言葉が出るとはな」

 

 堀北は変わりつつある。

 実感したんだろう。

 不良品が良品に変わる可能性を。

 自身の変化そのものと、須藤の勉強に対する姿勢の変化を見て。

 

「なら、楽しみに見ておこう。担任として、これから3年間、お前たちがどう動くのか」

 

 

 

 

 

 4

 

 用事を終え、堀北と綾小路は教室へと戻っていった。

 しかし、俺はその場に残っている。

 

「先生、本題に入りたいんですが」

 

「なんだ。もう授業が始まるぞ。遅刻して、クラスに迷惑をかける気か?」

 

「そのセリフ、先生にだけは言われたくないんですがね」

 

「……どういう意味だ?」

 

 俺の言い回しに少しいらだったのだろう。

 雰囲気が変わるのを感じる。

 ……コワイ。

 

「テスト範囲の変更を伝えるのが、他クラスに比べて一週間も遅れた。これはどういうことか、説明してもらえますか」

 

「それを知ってどうするつもりだ?」

 

「今後の参考にしますよ。先生が同じような凡ミスを起こさないように」

 

「以前も話した通り、私の伝え忘れだ。それ以上でも以下でもない。綾小路も同じ攻め口で須藤の退学を止めようとしてきたが……言っておくが、無駄だぞ」

 

「分かってますよ。それに、その件はすでに10万ポイントを払って解決しましたからね」

 

「なら、今更どうしてそんなことを問う?」

 

「一つ、気になったことがあったんですよね。先生のあの重大なミス。にも拘わらず、あの時職員室にいた職員は誰一人として驚かなかった。これは一体どういうことか……」

 

 このところずっとそれを考えて、導き出した一つの答え。

 

「先生、こういったミスの常習犯なんじゃないですか?」

 

 いつものことだから、なんの騒ぎにもならなかったと考えれば、辻褄は合う。

 

「そうだとして、お前に何の関係がある?」

 

「そうだとして、で流さないでもらえますかね。今回は解決しましたが、そのミスが遠因で1人の生徒が退学になりかけたんですよ。違うというなら、なんで職員たちは何ら反応を示さなかったのか、説明してもらえますか」

 

「義務がないな」

 

「義務ですか……」

 

 確かに、そう言われてしまえばそれまでだが。

 生徒の疑問に「義務がないから答えない」ってありなのか……?

 まあいい。

 

「先生、俺は一つ仮説を立てたんですよ。この学校の実力主義、それは生徒だけでなく、教師にも適用されているものかもしれない、と。クラス分けの仕組みが説明されたとき、先生は『優秀な人間はA、ダメな人間はD』と言っていた」

 

「ああ、そうだ」

 

「先生は『生徒』という言葉を使わなかったですよね。これはつまり、教師にも同じことが適用され、優秀な教師はA、ダメな教師はDに配属される。つまり先生は、Dクラスに配属されたダメな教師。テスト範囲の変更を伝え忘れるようなレベルの、不良品」

 

「随分な度胸だな速野。それは教師に対する暴言か?」

 

 すでに苛立ちという段階は通り越したのか、笑顔を見せている茶柱先生。

 

「違う、というなら明確に否定してください。誠心誠意詫びさせていただきます。土下座でも靴舐めでも、三回回ってワンでも、いくらだってしますよ。さあ」

 

 何か間違いがあれば、素直に認めるのが一番いい。

 特にこういった交渉の場では尚更だ。相手に付け入られる前に、こちらから白旗を揚げる。

 

「ただその代わり、もし先生が『自分はそんなレベルではない』と言い張るなら……俺たちにテスト範囲の変更を伝え忘れたのは『わざと』って線が出てきますけどね」

 

 さて。

 ここまでの展開を見て、先生はどう答えるのか。

 

「答えは変わらない。伝え忘れたのは私のミスだ」

 

 ……ダメだったか。

 故意だと認めるつもりはないようだ。

 まあ、仕方ない。

 

「そうですか。分かりました。ですが先生、今後こういったミスは避けていただけませんか。今回上手くいったのは偶然にすぎません」

 

「お前も聞いていただろう、私が先ほど綾小路に言ったことを。過去問を入手し、もっと早くから須藤に暗記させていれば、このような事態にはならなかった。これはお前たちのミスだ」

 

「確かにそうかもしれませんが、教師が生徒に対して伝えるべきことを伝えないのは、仕事上の義務を果たしていないことになる。ミスはミスでも、俺たち生徒と同じ次元で比較できるものではないと思いますが」

 

 生徒と教師には立場の違いというものがある。

 これは一般的には、生徒側に不利な論理展開がなされる場合に持ち出されるものだが、今回は少し違う。

 生徒が試験をクリアするために過去問を使うのは、権利の行使。

 教師が重要な伝達事項を生徒に伝えるのは、義務の達成。

 重要度の違いは明らかだ。

 

「そうか。では、一つ教師の職務として、生徒であるお前にアドバイスをやろう。お前の洞察力は大したものだ。敷地内のいたるところにある無料の品物からポイント制度に疑問を抱き、かなり切り詰めた生活を送っているようだな。だが、もしその疑問をクラスで共有していたら? お前は結果的に、クラスの傷を広げているということだ」

 

 なんだその見つけたやつが片付けろ的な理論は……

 ……だが確かに、先生の言っていることは間違いじゃない。

 Aクラスがあれほどのポイントを残すことができた理由は、単に持ち合わせていた真面目さだけではないはず。

 恐らく藤野か、あるいは他の誰かが疑問を共有していたんだろう。

 俺がそうしていれば、少なくとも0ポイントなんて事態は避けられた。クラスにそういった関りを作ってこなかった俺の失点だ。

 

「お前に言わせれば、これも義務ではない。単にお前が気付き、他の者は気づけなかっただけのことだ。だが、義務をこなすだけでは、この学校では生き残ることはできない。これは社会へ出ても同じことだ。お前たちはもう義務教育の枠を外れている。その自覚を強く持つことだ」

 

「……肝に銘じておきますよ。今日は色々無礼を申し上げてすみませんでした。もう授業始まって5分経ってるんで、戻りますね」

 

「ああ」

 

 義務をこなすだけでは生き残れない、か。

 要するに、自分が本当に何をすべきか考えて動け、ってことだ。

 

「……結構動いてるつもりなんだけど」

 

 廊下には響かない程度に小さな声で、愚痴を漏らす。

 まあ、茶柱先生がああ言うのも仕方のないことかもしれないな。

 学校側……少なくとも担任教師が把握しているのは、監視カメラの範囲内だけ。

 監視の外で行った会長とのやり取りは、明らかになっていないのだから。

 ……いや、でもそれは「するべきこと」ではないか。

 俺がこの学校でするべきこと。

 今の段階では、全く見えてこない。

 

 

 

 

 5

 

「ったく、あいつら、せめて片付けくらいしてから帰ってほしかった……」

 

 ぼそりと不満を漏らす綾小路。

 中間テストの結果発表から一夜。

 勉強会メンバーで綾小路の部屋に集まり、祝勝会を開いた。

 まあそこそこ楽しかった。だが俺にとって今日一番の収穫は、櫛田、須藤、池、山内の連絡先を知れたことだ。

 みんなすでに解散し、部屋に残っているのは、家主である綾小路と俺。

 現在後片づけ中だ。

 

「悪いな、手伝わせて」

 

「いやいい。こうして二人で片付けてると、入学直後のことを思い出すな」

 

「ああ、須藤のあれか……なんつーか、もうずいぶん前のことみたいに感じる」

 

「その間に色々ありすぎたからな」

 

 入学時の俺たちが思い描いていたことは、様々な意味で裏切られた。

 ポイントを争うクラス間競争。

 これから、この学校の様々な側面が見えてくることだろう。

 中間テストなんて、まだまだ序の口に過ぎない。

 

「もういいぞ速野。そろそろ8時だし」

 

 ごみ袋を縛りながらそう言う綾小路。

 部屋はおおよそ元通りになっている。

 なら、俺はお役御免か。

 

「ん、ああそうだな。じゃあ、これで帰るわ。また明日学校で」

 

「ああ」

 

 居間を出て玄関に向かう。

 靴を履くために、床に腰を下ろしたその時だった。

 

「悪い速野。ちょっと待ってくれ」

 

 綾小路がわざわざ玄関に来て、俺に声をかけた。

 

「……なんか忘れ物でもあったか?」

 

「いや、そうじゃないんだ。ちょっとお前に聞きたいことがあってな」

 

「……はあ」

 

 なんか急だな。

 何か気になることでもあるのか。

 どんな質問がくるんだ。

 

「この世界は、人間は平等だと思うか?」

 

「……は?」

 

「『平等』って、なんだと思う?」

 

 

 それは、あまりにも予想の斜め上を行く内容だった。

 

 




1巻分完結です。ここまでお読みいただきありがとうございます!
次回、2巻分スタートです!主人公が動きます。
更新は11月29日午後3時です。お楽しみに!


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第2巻
火種Ⅰ


第2巻分開幕です。


「だいぶ暑くなってきたな……」

 

 日はすでに大分傾いていて、あと数分もしないうちに日入りだというのに、若干汗ばんでしまうほどだ。

 鬱陶しく思って、オレンジに染まる空を見上げる。

 と、その時だ。

 

「……ん?」

 

 不思議な光景が目に映った。

 誰かは分からないが……3人の生徒を目撃した。

 それが普通の生徒だったら、あるいは目に入ることもなかったかもしれない。

 しかし、その3人は傷だらけだった。

 血も流れている。

 千鳥足で、ヨタヨタとどこかへ歩いていく。

 

「……保健室も診療所もそっちにはないぞ」

 

 

 それは、ある日の夕方のこと。

 何の変哲もない……いや、ないと思っていた、ある日の出来事だった。

 

 

 

 

 

 1

 

 午前8時ごろ。登校してきて、すぐに教室内の違和感を感じ取る。

 今日のクラスの雰囲気は、日常とは異なっていた。

 どこか浮ついている……というより、教室全体に緊張感があった。

 理由は分かり切っている。

 今日は七月の月初め。

 クラスポイント発表の日なのだから。

 俺たちDクラスは、入学してからの1か月間に怠惰に怠惰を重ね、クラスポイントをゼロにまでしてしまった。

 この学校では、月初めにクラスポイント×100のプライベートポイントが、小遣いとして生徒に支給される。

 つまり、5月に俺たちに支給されたポイントはゼロ。

 しかしこの学校は質の悪いことに、施設内のいたるところに無料のモノを設置している。

 学食の山菜定食。

 自販機のミネラルウォーター。

 コンビニの雑貨。

 食品スーパーの無料コーナー。

 つまり極端な話、ゼロポイントでも死にはしない、ということだ。

 当然ながら、ゼロポイントでは、この学校ご自慢の娯楽施設など利用できるはずがない。

 4月にやりたい放題やったツケが回った、とでも言えばいいだろうか。学校側から「不良品」の烙印を押されたDクラスの大半の生徒は、5月、6月の2カ月間、禁欲を極める地獄のような生活を送った。

 しかしDクラスの中でも、綾小路や堀北、平田、櫛田などをはじめとして、一部の生徒は、禁欲などをそこまで強く意識しなくても生活できるようなポイントを残している。

 俺も、そちらの方に入る。

 というより、現在のDクラスで最も多くのポイントを所持している生徒は、恐らく俺だ。

 額にして、約36万ポイント。

 単純に計算すれば、この3カ月間でAクラスに支給されたポイントの合計額よりも高い数値だ。

 俺は、先の堀北生徒会長のやり取りで受け取った約31万ポイントと、堀北から度々「守銭奴」なんて罵られるほど徹底した禁欲と倹約によって、この数値を実現している。

 食品スーパーの無料コーナーを利用しているため、食費はゼロ。

 ポイントを使ったのは、無料ではどうしても手に入ることのなかった生活必需品と、須藤の退学阻止のための3万ポイントだ。

 俺、綾小路、堀北の3人で合計10万ポイントを支出し、須藤の英語の点数を1点買った。

 この行動について、俺は一切後悔していない。

そうした方が今後の利益が見込めると踏んだ上での判断だ。いわば、未来へ向けての投資だ。

 須藤はいずれ、クラスに必要不可欠な存在になる。その考えは今でも変わっていない。

その須藤は、四月に比べると問題児っぷりはいくらかマシになっていた。

 そして、だ。

 プライベートポイントの使用用途がとてつもなく広いことも、その件で明確なものになった。

ポイントを支払えば、点数すらも操作できる。

 これまでは「貯めておいて損はない」だったのが、今は「貯めておけば得する」に考えが変わった。

 と、そこまで考えたところで、茶柱先生が教室に入ってきた。

 

「おはよう。なんだ、今日は空気が違うな」

 

「佐枝ちゃん先生! 俺らもしかしてまたポイントゼロだったんすか!? 朝見たら振り込まれてなかったんすけど!」

 

「なるほど、そのせいか」

 

 池の主張に、茶柱先生が納得したような表情を浮かべる。

 ここDクラスは、入学当初とは本当に見違えるクラスになっていた。

 無断欠席、遅刻はなくなり、授業中の私語もかなり少なくなった。いつだったか堀北が言っていたが、マイナス要素はほとんど削れたはずだ。

 加えて前回の中間テストも、高い水準でクリアした。

 今月こそはポイントを獲得できる。誰もがそう確信した。

 にも拘わらず、俺たちの端末にポイントは振り込まれていなかった。

 茶柱先生が察した通り、教室の雰囲気が変だったのはそのせいだ。

 

「そう結論を急ぐな。Dクラスが頑張ったことは、学校側もしっかり把握している」

 

 言いながら、持ってきていた巨大な紙を取り出して、黒板に貼り付ける。

 

「では、今月のクラスポイントを発表する」

 

 広げられた紙を見る。

 これは……

 

「あまり良くない傾向ね……まさか、もうポイントを増やす方法を見つけ出したのかしら」

 

 堀北が不安そうに呟いた理由は、Aクラスのクラスポイントだ。その数値は1004と、入学時のポイントをわずかに上回る結果となっている。

 Aクラスを本気で目指す堀北にとって、これは由々しき事態だろう。

 だが堀北と違って、クラスの大半は他のクラスのポイントのことなど眼中にない。

 肝心なのはDクラスのポイント。

 そこには……87と表示されていた。

 

「87……8700ポイントってことか!? よっしゃあ!」

 

 山内の歓喜の声を皮切りに、クラス中が沸き立つ。

 その気持ちも分かる。約2ヶ月ぶりのポイントだ。喜ばないわけがない。

 しかし、それを茶柱先生は制す。

 

「そう単純に喜んでいていいのか? 他のクラスのポイントを見てみろ。お前たちと同等か、それ以上にポイントを増やしているだろう。今月のポイントの増加は、テストを乗り切ったお前たち1年生に対する褒美のようなものだ。一定のポイントを全クラスに支給することになっていたに過ぎない」

 

 なるほど、だから全クラス綺麗に上昇していたのか。

 

「あれ、じゃあなんでポイント振り込まれてないんすか?」

 

 誰かがそう呟く。

 そう、問題はそこだ。

 前に張り出された紙には、確かにクラスポイント87と書かれている。

 しかし俺たちの端末に8700のプライベートポイントは支給されていない。

 

「少しトラブルがあってな。ポイントの支給が遅れているだけだ。気にするな」

 

「えー、なんすかそれー。学校側の不備なんだから、お詫びでポイント追加とかないんすか?」

 

「そんなことを私に言われても困る。ポイント関連の決定権を持っているのは担任ではない。トラブルが解決され次第、問題なくポイントは振り込まれるはずだ。ポイントが残っていれば、の話だが」

 

 そう言うと、茶柱先生は次の連絡事項の伝達を始めた。

 またこの人は意味深な一言を……

 

 

 

 

 

 2

 

「変わってるようで変わってないよな、須藤のやつ。退学した方が良かったんじゃないか?」

 

 誰かのそんな言葉が耳に残る。

 いま発言に出た須藤は、放課後になってすぐ、部活に向かおうとしていたところを茶柱先生に呼び出されていた。

 さっきの言葉は、また何かやらかしたのか、というニュアンスと、呼び出しを受けた際の先生に対する態度が悪かったこと、この二つが含意されていそうだ。

 だがバスケに情熱を注ぎ、人生の中心に据えている須藤にとって、それを邪魔されてまで呼び出されるのはよっぽど嫌なことだろうな、とは察する。

 もちろん、須藤の態度には問題ありだが。

 

「あなた達もそう思う? 彼は退学すべきだったと」

 

 さっきの声は堀北の耳にも届いていたのか、帰り支度の時間潰しに綾小路と俺に問うた。

 

「オレは別に」

 

 綾小路はそうさらっと答える。

 別に、そうは思わない、なのか。

 別に、あまり興味がない、なのか。

 続く言葉によって全く別の解釈が可能な言い方だ。

 俺も少し考えてから答える。

 

「俺は須藤に関しては退学すべきじゃないと思う」

 

「綾小路くんとは違ってはっきり言うのね」

 

「体力バカのあいつは、いずれどこかで役に立つかもしれない。お前こそどうなんだよ」

 

 堀北も、中間テストでは須藤たちの勉強を全面的にフォローした身だ。

 多少なりとも思うところはあるのだろうか。

 

「須藤くんがクラスにとってプラスになるのか、それはまだ未知数ね」

 

 どうやらそんなことはないらしい。

 須藤よ、お前の想い人はお前に無関心だぞ。

 その想い人、堀北は帰り支度を終えて立ち上がり、綾小路も同時に荷物を持って席を立った。

 この2人は最近、寮まで一緒に帰ることが日常になっているらしい。

 

「お前も帰るか?」

 

「いやいい。いつも通り2人で帰れよ」

 

 綾小路の提案を丁重にお断りする。

 なんとなくの雰囲気で分かるが、あの2人の間には共有する秘密がいくつかある。

 俺が綾小路について知っていることといえば、頭がいい、喧嘩めっちゃ強い、顔もそこそこ良い。あれ、めっちゃ高スペックじゃね?

 もっとも、頭がいいというのは俺が実際に目にしたわけではなく、俺が盗み聞きした堀北会長とのやり取りや、堀北からの伝聞だ。

 さらに、会長と綾小路が対決した時の綾小路のあの俊敏な動き。運動神経も相当なものだということは瞬時にわかる。

 そのはずなのに、テストの点数は平均、むしろそれ以下。

 プールでは平々凡々の速さだった。

 綾小路は意図的に自分の能力を隠している。どうやらこれだけは間違いなさそうだった。

 自分の秀でた部分を隠したがる。

 その一点だけでいえば、佐倉もそのタイプの人間に分類される。

 佐倉の容姿のレベルは相当高い。堀北や櫛田、藤野とは違うタイプの美人だ。

 しかし、自撮りが趣味であると言う彼女は、カメラの前以外ではそれを隠している。

眼鏡……それも、度の入っていない伊達眼鏡をかけ、地味な雰囲気を意図的に醸し出している。

 見た感じ、人付き合いは俺並みに苦手そうだ。誰かと仲良く話している場面を見たことがない。

 そんなことを考えながら、綾小路と堀北に数分遅れて、俺も教室を出る。

 教室を出て、廊下の角を曲がったところに、その人物はいた。

 

「あ、速野くん来た」

 

「悪い、少し遅れた」

 

 俺の数少ない知り合いで、この学校で最優秀のAクラスに所属しているその少女。

 名前を藤野麗那という。

 綾小路と堀北が一緒に下校する習慣を作ったように、俺も3、4日に1度ほどの割合で藤野と帰る習慣がついていた。

 まっすぐ帰るわけではない。

寄り道先は、藤野が俺に紹介した食品スーパーの無料コーナー。

 学校からのルート的に、一度寮に戻ってからスーパーに出かけるより、学校帰りにそのまま行くほうが効率的だ。

 Dクラスとは違って潤沢なポイントがあるはずの藤野だが、俺と一緒に無料コーナーで買い物をしている。

 料理が楽しいかららしいが……それなら無料コーナーじゃなくてもいいだろうに。

 無料コーナーは無料だけあって、品ぞろえも品質もクソ。賞味期限なんてギリギリが当たり前で、なんなら期限切れの商品すら普通に置いてある。この材料を使えば、料理もそれ相応のレベルに落ち着いてしまうというものだ。

 まあ、よくわからないことはあるが……こんな美少女と一緒に帰れるなんて役得役得。

 ……なんか、リアルが充実してきている感じがするぞ。いい傾向だ。

 靴箱で外履きに履き替え、外に出る。

 季節は夏に近づき、気温が上がってくるこの時期。

 校舎内で着用が義務付けられているブレザーを煩わしく思うようになる日も、そう遠くはないだろう。てかすでに脱ぎたい。

 

「今日は何買うの?」

 

 そう問う藤野。

 その左手には、今日買う食材の一覧がメモされた紙が握られている。

 

「いつも通り、行ってから決める。メモ書いても、どうせ予定通りにいかないことの方が多いしな」

 

 俺も最初のうちはきっちりメモをとって決めていたのだが、結局はスーパーにいるときの気分でメニューが変わることに気づき、以降は全く決めなくなった。

 スーパーに着いて中に入り、今日は何を作ろうかと吟味する。

 ……今日は肉って気分じゃないし、野菜炒めでも作るか。

 そう決め、まずはキャベツを取ろうとする。

 瞬間、女子のものとみられる細い腕が見え、瞬間的に手を引いた。

 そこに目を向けると。

 

「……堀北?」

 

 俺の右側にいたのは、綾小路と帰ったはずの堀北だった。

 Dクラスがゼロポイントになってから、堀北もこの無料コーナーで食材を調達していることは知っていたが……。

 

「久々に嫌な偶然ね……あなたも買い物?」

 

 嫌なのかよ。悪かったな。

 

「まあ、な。お前はどうしたんだ? 綾小路と帰ったんじゃないのか」

 

「……材料を切らしていたことを失念していたのよ」

 

「珍しいな」

 

 堀北でもこういうミスはするのか。

 考え事でもしていたんだろうか。

 

「あれ、速野くん?」

 

 そこに、少し離れた場所で商品を見ていた藤野がひょこっと顔を出す。

 

「……奇怪なこともあるのね。あなたが誰かと買い物するなんて」

 

 ひでえ反応。

 

「奇怪とまで言うか……」

 

「えっと……」

 

 見知らぬ人間のいきなりの出現に、流石の藤野も戸惑いを見せる。

 堀北の方は全く気にかけていないようだが。

 

「……お前のこと紹介しといていいか?」

 

「はあ……勝手にすればいいわ」

 

 ため息をつき、うんざりしたようにそう呟く。

 ではお言葉に甘えて、勝手にさせてもらうことにする。

 

「同じクラスの堀北ってやつだ。なんか突然悪かったな」

 

「ううん、全然。えっと、藤野麗那です。よろしく」

 

「よろしく。では、さようなら」

 

「えっ……」

 

 それだけ言って、堀北はスタスタとレジに向かって歩いて行ってしまった。

 俺たちが来る前に、既にキャベツ以外の材料は買い揃えてあったようだ。

 

「悪い、ちょっと」

 

「あ、うん……」

 

 藤野に一言断りを入れ、堀北を追いかけて声をかけた。

 

「おい堀北」

 

「何? まだ何かあるの?」

 

 少しは改善されたとはいえ、他人との関わりを嫌う性質はまだまだ健在だ。

 今回の場合、自己紹介を求められる空気になる前に素早く退散したんだろう。

 

「言っておくが、あいつは多分お前が見下せるレベルの人間じゃないぞ」

 

「……どういうこと?」

 

「あいつについて知ってること、何かあるか?」

 

「あるわけないでしょう。今日初めて会ったのよ」

 

 まあ、そりゃそうか。

 

「あいつの所属クラスは……Aクラスだ」

 

「………」

 

 Aクラス、という単語を聞いた瞬間。

 表情には出さないが、堀北の雰囲気が強張るのがわかった。

 

「まあ、俺たち不良品とは違って超優秀ってことだな。これをどう受け取るかはお前の自由だが……現時点でのお前の目標なんだろ? Aクラス」

 

「……確かに私はAクラスに上がることを目標に設定したわ。でも、私はまだ自分がDクラスであることを認めたわけじゃない」

 

 前にも同じようなことを言ってた気がする。

 

「……つまり、お前はあいつより優秀な自信があるってことか?」

 

「随分彼女のことを持ち上げるのね。私と彼女のどちらが優秀かは測りかねるけれど、あなたは彼女の方が優秀だと思うの?」

 

 俺を睨みつけながら、食い気味にそう言う堀北。

 実を言うと俺も、藤野と堀北のどちらが優秀かなんてことは分からない。

 堀北に関しても藤野に関しても、知らないことが多すぎる。

 藤野の学力レベルは堀北と同等。以前聞いたが、あいつの小テストの点数は90点。中間テストは5科目総合で497点。優劣はつけられない。

 堀北は運動能力も高いが、藤野はその項目についてまだ未知数だ。

 コミュ力は誰がみても藤野に軍配があがる。これは1+1=2とか、俺はコミュ障とか、エジソンは偉い人とかそのレベルで当たり前。

 分かっている比較項目はこれだけだが、お互い、まだ明らかになっていない優秀な部分があるかもしれないし、期待外れに能力が低い項目もあるかもしれない。

 

「まあ、今の時点で判断はつかないが……お前が本気でAクラスを目指してるなら、藤野の関門は避けては通れないと思うけどな」

 

「……抽象的すぎるわ。全て想像でしょう?」

 

「そうだ。でも、変にポジティブな希望的観測よりよっぽどマシだろ?」

 

 特に堀北のようにゴールが大きい場合、常に最悪のケースを想定して行動しなければならない。いくら用心してもしすぎることはない。

 不服そうな視線を俺に向ける堀北だが、それ以上の反論はしてこなかった。

 

「……もういいかしら」

 

「ああ、言いたいことは言った。じゃあな」

 

「ええ、さようなら」

 

 堀北は俺の方を見向きもせず、それだけ言ってレジへと歩いて行った。

 

 

 

 

 

 3

 

「私、嫌われちゃったかな……」

 

「あれで普通だから大丈夫だ」

 

 心配そうにつぶやく藤野にそう言ってやる。

 

「あ、あれで普通なんだ。それはそれで……」

 

 まあ、そんな反応になるわな。

 あれでも改善されてる方だ、とは言えなかった。

 でも、フレンドリーな堀北なんてちょっと想像できない。アレも一つの個性、と言ってしまえばそれまでだ。

 買い物袋を手にひっさげて、店を出る。

 これ以上の寄り道はせず、寮に向かって真っすぐ歩く。

 その道中で、藤野が思い出したように言う。

 

「そういえば、トラブルがあってポイントの支給が遅れてるって……」

 

 今朝のホームルームで茶柱先生から言われたことだ。

 Aクラスにも同様の説明があったらしい。

 

「そうみたいだな」

 

「大変だね。Dクラスは特に、1日でも早くポイントが欲しいところなのに……」

 

「全くだ。他クラスが羨ましい」

 

 今月のAクラスのクラスポイントは1000を超えている。それ以前も950弱のクラスポイントをキープしていた。

 

「参考までに聞きたいんだが……いくら残ってるんだ?」

 

「えっと確か……大体20万ポイントくらいかな」

 

 ということは、これまでに使ったのは大体8万ポイントってところか。

 藤野に友達が多く、適度に遊んでいるであろうことも考えると、まあまあ切り詰めている方なんじゃないだろうか。

 

「速野くんは?」

 

「あー……大体9000弱くらい使ったな」

 

 須藤のことや、堀北会長のことは伏せ、このような答え方をする。

 

「相変わらずすごい切り詰め方だね……」

 

「俺に限ったことじゃない。5月以降、1ポイントも使えてないやつもいるぞ。それに俺の場合、元から一緒に出かけるような人もいないしな……」

 

「ここでこうしてることはお出かけに入らないの?」

 

「これは金がかかってないからな。俺が言った『出かける』ってのとは意味が違うだろ」

 

「あ、そっか。……でもそう言えば、速野くんと週末にお出かけしたことなかったね」

 

 確かに、週末はちょくちょくチャットのやり取りがあるだけで、実際に顔を合わせるのは学校のある日だけだ。

 

「そだ。今度遊びに行かない? Aクラスの人も何人か一緒にさ」

 

「それはDクラスの財布事情への当てつけですか……」

 

「あ、ち、違うよ。……奢ってもいいよ?」

 

「断る」

 

「えー?」

 

 確かに奢ってもらえれば金銭的な負担はゼロになるが、そういう問題じゃない。

 

「Aクラス、なんかギクシャクしてるんだろ?」

 

 以前、クラス内で派閥争いがあってクラスが二分されていると相談を受けた。その時にちょっとしたアドバイスはしたが……。

 

「大丈夫だよ。一緒に行くとしても、さすがにギクシャクした人同士を一緒にはしないよ」

 

「まあそうだろうけど……それに、お前はどうか知らないけど、Aクラスのやつらは多分、俺らを『不良品』だって見下してるだろ。正直いい気はしないな」

 

 Aクラスが、と言うよりは学校全体が、という方が正しいだろう。

 そういう風潮が、おそらく俺たちが入学する何年も前から染みついている。

 

「……確かに、ごめん。そういう雰囲気があるのは否定できないかも……でも、私はそんなことしないよ?」

 

「お前がそうだとは言ってない。それに、いい気はしないと言っただけで、見下すなと言ってるわけでもない。見下されても仕方のない結果が、実際に数字として出てるわけだしな」

 

 Dクラスがポイントを全て吐き出した期間中も、Aクラスはしっかりとポイントをキープしていた。

 格の違いは明らかだ。

 

「それにあれだ、こんな形で奢られたら、俺も奢り返さないと気が済まなくなるからな」

 

「そんな、気にしなくてもいいのに……」

 

「味噌汁の件ではお前も同じようなこと言ってただろ」

 

 何か施しを受けると、何かお返しをしないと気が済まない。

 これはもう人間の性としか言いようがないだろう。ただより高いものはない、という諺の原義でもある。

 

「そっか、そうだよね」

 

「分かってくれたか」

 

「うん。でも、速野くんが遊びたかったらいつでも誘ってね?」

 

「それを考えるのは、もうちょっとポイントが入ってから、だな」

 

「そっか。楽しみにしてるね」

 

 藤野は笑顔でそう言った。

 今のDクラスに、無駄な支出をするような余裕はない。

 ただ、藤野と遊びに出かけるようなことがあるとすれば、それは無駄ではない支出……必要経費、と捉えてもいいんだろうか。

 そんなことを考えながら、寮への道のりを歩いていた。

 

 




明日15時、オリキャラ2人のデータベースとショートストーリーを公開します!
2巻分の第2話は明後日12月1日15時に公開です。


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火種Ⅱ

「須藤とCクラスの生徒3人の間で、トラブルがあった。分かりやすく言えば喧嘩だな」

 

 翌朝のホームルーム。

 茶柱先生の口からそんなことが告げられた。

 喧嘩、というと、須藤の場合殴り合いでもしたのか。

 だが、事はそんな呑気な考えができるほど他人事ではなかった。

 

「校内での暴力行為は、当然ながら校則違反だ。須藤個人への罰則はもちろん、クラスの連帯責任として、クラスポイントの没収がなされる可能性もあるが……まだ確定はしていない。お前たちに今月分のポイントが入っていないのには、そういった背景がある」

 

「は!? なんすかそれ!」

 

「どういうことですか先生!? なんであたしたちまで!」

 

「私に言われても困る。処分は私が決めることではない」

 

 頑張って貯めたクラスポイントが、須藤のせいでゼロになるかもしれない。

 その恐怖や理不尽さから、教室内はざわついていた。

 

「先生は先ほど、可能性がある、とおっしゃっていましたよね。……結論が出ていないのはどうしてですか?」

 

 混乱するクラスの中、まとめ役である平田が努めて冷静に質問する。

 

「面倒なことに、須藤側とCクラス側で主張が食い違っているからだ。Cクラス側は須藤に呼び出されて一方的に殴られた、とのことだが、須藤は自分が呼び出されて喧嘩を売られた、と言っている」

 

「俺は嘘なんてついてねえよ。正当防衛だ」

 

「だが須藤、お前の言い分には証拠がない。違うか?」

 

「は? そんなもんあるわけねえだろ。つかそれを言うならよ、向こうの言い分にも証拠はねえだろうが」

 

「その点はその通りだ。つまり双方の主張のうち、どちらが正しいとも言い切れない状況だ。だから結論を出すのが長引いている。結論によっては、責任がどちらに傾くかが大きく変わってくるからな」

 

 なるほどな。

 確かに双方の主張は食い違っている。

 が、一つだけ共通点があった。

 須藤が暴力行為に及んだという点だ。

 須藤は正当防衛だと言っていた。暴力に及んだことは否定していない。あくまで最終手段としてそうしたという主張。

 これまでの状況から察するに、経緯はどうあれ、須藤が一方的にCクラスの三人をボコったのは間違いなさそうだ。。

 そして恐らくは、その時に負った傷がCクラスの訴えの根幹になっているわけだな。

 喧嘩の原因がどちらにあるかは分からないが、傷を負っていることだけは確たる事実だ。

 

「目撃者が出てくれば、状況に何らかの変化があるかもしれない。須藤はその場に誰かがいた気がする、と言っていたが、どうだ。誰かこの中で、須藤とCクラスの生徒が喧嘩をしている場面を見た者はいるか?」

 

 茶柱先生は目撃者に挙手を呼びかける。

 だがそれは須藤のためというより、事務的、機械的に行われているものだった。

 

「残念ながら須藤、名乗り出る者はいないようだな」

 

「ちっ……!」

 

 須藤はがっかりしたような表情を浮かべ、目を伏せる。

 

「今、全クラスで同じような呼びかけが行われているはずだ」

 

「は!? バラしたのかよこのこと!?」

 

「目撃者を求めているのはお前だろう? それを募るとなれば当たり前のことだ」

 

「くそっ!」

 

 狼狽している須藤。

 だが目撃者の話がなかったとしても、プライベートポイント支給の遅延に繋がったこんな事件、遅かれ早かれ明るみに出ていただろう。

 バスケ部での立ち位置などについて不安があるのかもしれないが、隠し通そうという方が無理な話だ。

 

「とにかく、この話はここまでだ。責任がどちらにあるか、どのような罰を受けるのかも含めて、来週火曜の話し合いを経て、最終的な判断が下されることになるだろう。それではホームルームを終了する」

 

 そう言って、先生は教室を出て行く。

 それとほぼ同じタイミングで、須藤も教室を出た。

 出入り口の扉が乱暴に閉められる。

 自身を疑うような視線が投げかけられるこの場に居づらくなったのか、あるいはここにいると自分を抑えきれそうになかったからか。

 もしも後者なら、須藤も少しは成長しているということか。

 しかし須藤が出ていくやいなや、次から次へと須藤に対しての文句が噴出する。

 

「あーあ、あいつのせいでまたゼロポイントかよ」

 

「ほんと使えねーよなあいつ」

 

 その中には、須藤と普段からつるんでいる池や山内もいた。

 つるんではいても、不満はある、ってことか。

 教室内は、須藤に対する悪口でどんどん埋め尽くされていく。

 この教室に、須藤の「正当防衛」という主張をすぐに信じる者は少ない。

 いよいよ収拾がつかなくなってきた時、櫛田が立ち上がった。

 

「みんな、少し私の話を聞いてくれないかな。須藤くんは確かに喧嘩しちゃったかもしれないけど、本当に巻き込まれただけなの」

 

「巻き込まれたって、櫛田ちゃんは須藤の言ってること信じるのかよ?」

 

 池は少し不満そうに櫛田を見る。

 その視線をしっかり受け止めた上で、櫛田は事の詳細を語り始めた。

 須藤がバスケ部のレギュラーを取りそうで、それに嫉妬したCクラスのバスケ部員である小宮と近藤が須藤を特別棟に呼び出し、なぜかその場にいた石崎と共にバスケ部をやめろと脅してきた事。その流れで須藤は先に仕掛けられ、防衛のために相手を殴った事。要約するとこんなところだ。

 俺たちが知らなかった情報がどんどん入ってくる。

 クラスのほとんどは、櫛田の必死の説明に聞き入っていた。

 

「改めて聞きます。もしもこのクラスの中や、知り合いや友達にこの事件を目撃したっていう人がいたら、教えてください。お願いします」

 

 そう言って、櫛田は着席した。

 櫛田の説明した、嫉妬で喧嘩に発展、という流れは、確かにあり得ない話ではない。だが、それは並かそれ以下の高校なら、だ。

 そんな短絡的思考で動く奴が、この学校に、しかもよりによって俺たちより上という査定を受けたCクラスにいるとは。

 櫛田の話を全部信じてそのまま受け取ったら、の話だが。

 クラスの反応も芳しいとはいえない。

 

「でもさ、やっぱり須藤の言ってる事信じらんねえよ、俺。あいつ中学の頃、喧嘩ばっかやってたらしいしさ。めっちゃ自慢してくるんだぜ」

 

「私、廊下でぶつかった子の胸ぐら掴んでるの見たよ」

 

 などなど、須藤の悪行を裏付けるようなエピソードが次々出てくる。

 櫛田の力をもってしても、クラス全員の賛同を得ることはできなかった。

 こうして聞いていると、須藤という人間の悪名高さがよくわかる。

 そもそも須藤の話が信頼されていないのも、須藤のこれまでの態度が原因の1つだ。

 疑いがかけられてるのが平田だったら、男女口を揃えて「あり得ない」と言っていたはず。

 築いてきた信頼度の差は大きい。

 

「僕は信じたい」

 

 そう言ったのは、今ちょうど頭の中で思い浮かべていた平田だった。

 

「他のクラスの人が疑うなら、それは仕方ないことかもしれない。でも、同じクラスの仲間を信じてやれないのは、僕は間違ってると思う」

 

「私も賛成ー。濡れ衣だったらひどい話だし」

 

 平田の声に続くようにして言ったのは軽井沢だ。平田と付き合ってるとかいないとか、そんな話を聞いたことがある。

 軽井沢本人が持つリーダー気質と、平田のガールフレンドという肩書き。

 Dクラス全体というより、Dクラスの女子のリーダー格だった。

 その軽井沢が須藤擁護に回ったのを機に、女子はだんだんとその方向に流れ込んで行く。

 それをみた男子の方も、須藤擁護という形でだいたいまとまったようだ。

 集団行動が得意というべきか、我が弱いというべきか。

 とはいえ、俺もとりあえずはその流れに逆らわないことにした。

 須藤のために動けば、クラスポイントの没収がなくなったり、色々俺にとってもプラスになるかもしれないしな。

 

 

 

 

 

 2

 

「フェードアウト、の予定だったんだけどな……」

 

「……ん、なんか言ったか綾小路?」

 

「なんでもない……」

 

 よく聞き取れなかったが、まあいいか。

 昼休み、食堂に集まっていたのは、1ヶ月半前の勉強会のメンバー7人だった。

 俺はいつものように弁当を持ってきていたので、食堂に来てわざわざ弁当を食べるという、若干異様な光景が作り出されている。

 

「全く、あなたは次から次へとトラブルを運んでくるわね」

 

 堀北が呆れた様子で須藤を見る。

 

「ま、仕方ないから助けてやるよ」

 

「ああ、悪いな」

 

 朝のホームルーム後には須藤のことをさんざん責め立てていた池だが、本人を目の前にして手のひらを返したように態度を変えている。

 

「それと堀北、また迷惑かけちまって悪い。でも、本当に俺は悪くねえんだ。クソみてえな嘘ついてるCクラスに一泡吹かせてやろうぜ」

 

 須藤は少しテンションを上げて堀北に言う。

 須藤は堀北を好いているようだし、また一緒に動けると思って嬉しいんだろう。

 しかし。

 

「悪いけれど、私はこの件、協力する気にはなれないわね」

 

 堀北はそんな須藤の声をバッサリと切り捨てた。

 

「は!? どういうことだよそりゃ!」

 

「あなたはどちらが先に仕掛けたか、に話の重きを置いているようだけど、それは些細な違いでしかないことに気づいているかしら?」

 

「さ、些細ってなんだよ。全然ちげえだろ!」

 

「そう。そう思うなら、精々頑張るといいわ」

 

 素っ気なく言い、堀北は飯にほとんど手をつけないままお膳を持ち上げ、立ち上がった。

 

「何だよそれ! 俺ら仲間じゃなかったのかよ!」

 

「仲間? あなたと仲間になった覚えはないわ。そもそも、何よりも重要なことに気がついていない愚かな人間と、話すことは何もない」

 

 毒舌を浴びせ、須藤が唖然とする中、そそくさと歩いて行ってしまった。

 

「何だよクソっ!!」

 

「あっ」

 

 須藤が拳を机に叩きつけた衝撃で、箸でつかんでいた人参が床に落ちた。

 

「……」

 

 おい、またか須藤。

 お前が俺の靴をカップ麺のスープで汚したの、許した覚えはねえからな。

 汚れは水で流せても、この気持ちは水に流せない。

 ……まあ、今はそのことはどうでもいいか。

 あいつに少し確認したいことがある。

 

「悪い、ちょっと外す」

 

「お、おいお前まで抜けんのかよ!?」

 

 椅子から立ち上がる俺を見て須藤が狼狽する。

 

「違う。ちょっと堀北を追うだけだ。すぐ戻る」

 

 須藤を制しながら立ち上がり、堀北を追う。櫛田も不安そうな顔してるが……まあ、うん、なんかごめんね。

 堀北の姿を捉え、声をかける。

 

「堀北」

 

 名前を呼びかけると、堀北はうんざりしたようなこちらに振り返った。

「はあ……あなたストーカー?」

 

「お前を好き好んでストーキングするやつなんていねえよ……」

 

 やったら殺されそうだし。

 コンパスとかで。

 

「で、何か用かしら。野暮なことを言うつもりじゃないわよね」

 

「ああ……引き止めはしない。お前の言ってることも分からんでもないからな」

 

 こいつは今回の事件、須藤にも原因があると考えている。

 俺は須藤擁護派だが、須藤の責任がゼロかといえばそうは思っていない。

 だから、俺が気にしているのはそのことじゃない。

 

「お前、何か知ってるだろ」

 

 堀北の顔に、明らかな動揺が走る。

 

「……何の話?」

 

「今日の朝、全員の前で櫛田が説明してたときのことだよ。……お前あの時、櫛田の話聞かずにどっか向いてただろ。一点見つめてたようだったけど、お前あの時何見てたんだ?」

 

 言うと、堀北は目を細めて俺を睨む。

 

「……あなたに教える必要がある? それに、私が何を見ていたかくらい、あなたはわかっているんじゃないの?」

 

「やっぱり何か見てたのか。言っとくが、お前が何見てたかなんて本当に知らないからな。みんな櫛田の話聞いてるなー、とか思って周り見渡したときに、全力でそっぽ向いてるお前が目に入っただけだ」

 

 正確には、堀北が櫛田の話をどう聞いているかが気になって、ピンポイントで堀北を見てたんだが。

 言うと話が面倒な方向に行きそうだったので、それは伏せる。

 

「まあ、話したくなければ話さなくて良い」

 

 無理に聞いても何も話してくれないだろう。というか、無理やり聞こうとしたら俺の心が傷ついて終わりそうだ。

 

「ただ、綾小路あたりには話を入れといても良いんじゃないか?」

 

「……なぜそこで彼の名前が出てくるの?」

 

「他の奴より話す気起こるだろ」

 

「……私の勝手にさせてもらうわ。話はそれだけ?」

 

「ああ、呼び止めて悪かったな」

 

 そう言って堀北の前を離れ、須藤たちがいる場所に戻る。

 取り敢えず、堀北が何か知っていることは確定だ。具体的に何を、かは皆目見当もつかないが。

 

「おせーぞ速野」

 

 戻ってきた俺に、須藤が軽く手を上げて言う。

 

「ああ、悪い……あれ、櫛田は?」

 

「櫛田なら、知り合いがいるとか言ってさっきどっかに行ったぞ」

 

 俺の質問には綾小路が答えた。

 まあ、あいつ知り合いめちゃめちゃ多いだろうしな。

 

「で、何の話してたんだ?」

 

「あ、そうそう、この中の誰が一番早く彼女作るかって話なんだけどよー」

 

「……」

 

 こいつら、一体なんのためにここにいるんだ……?

 

 

 

 

 

 3

 

 放課後になった。

 本格的に目撃者探しが始まる。

 一緒に行動することになるであろう池たちの姿を探していると、すでに櫛田、山内と集まって談笑している姿を発見した。

 俺もそこへ行こうとしたとき、急に呼び止められる。

 

「速野くん。少しいいかな」

 

「……平田」

 

 クラスのリーダーである平田。

 須藤擁護派が多いとは言えないDクラスの中でも、最も積極的と言っていいほど、須藤のために動こうとしている人物だ。

 

「……何か?」

 

「ごめん。場所を変えたいんだけど、構わないかな」

 

「……ああ」

 

 平田に連れられて、教室から少し離れた廊下に場所が移る。

 あまり大っぴらに話すことじゃないのか。

 

「ごめんね、急に。時間は取らせないから」

 

「ああ。……それで、俺に何の用だ?」

 

「実は櫛田さんから、堀北さんがこの件について非協力的だって話を聞いてね。さっきの授業の合間に話を聞こうとしたんだけど、突っぱねられてしまって。もちろん、本人が嫌がっている以上は協力を強いることはできないけど……君なら何か知ってるんじゃないかと思ったんだ。堀北さんがなぜ協力を渋るのか」

 

 なるほど、その話か。

 

「堀北自身から全部聞いたわけじゃないから推測が混じるが……あいつは今回の件、たとえ須藤が騙されたものだとしても、あいつ自身にも非がある、って考えてるからだと思うぞ」

 

「須藤くんにも、非がある?」

 

「クラスの中で須藤を信用する生徒が多くないのは、普段のあいつの生活態度が原因だろ。学校側は当然須藤のそういった素行を把握してる。だから須藤に呼び出されて殴られた、ってのがCクラス側の嘘だとしても、学校側はそれを不自然さのない筋の通った説明として受理してる」

 

「……なるほど。もし須藤くんがしっかりと分別をつけて生活してれば、こんなことにはならなかった」

 

「ああ。そしてそれを須藤が全く理解してないから、協力する気が起こらないんだろうな」

 

 そう伝えると、平田は少しの間思案して、そして顔を上げる。

 

「そう、だったんだね。分かった。ありがとう速野くん」

 

「平田は、この話を聞いたうえで須藤のために動くのか」

 

 堀北の理屈———まあ俺の予想でしかないが———は、一面では非常に正しい。

 それを聞いたうえで、平田の態度は変わるのか。

 

「もちろんだよ。クラスメイトが困っていたら、絶対に助けるべきだ」

 

「……そうか」

 

 変わらない、というのが、俺の疑問への答えのようだった。

 

 

 

 

 

 4

 

 翌日の登校時間。

 いつも通り、通学路をえっちらおっちら歩いて学校へと向かう。

 昨日は結局、放課後に目撃者探しを行ったが……特に成果は得られず。

 全員、先生から「須藤とCクラスの3人が喧嘩をした」という話を聞いた以外は何も知らないそうだ。

 まあ、そう簡単に上手くはいかないよな。

 そもそも目撃者の存在だって、須藤が「いた気がする」と言ってるだけ。

 それは須藤の勘違いで、いない可能性だって大いにあるのだ。

 期限は来週の火曜まで。

 もしこのまま目撃者が見つからなかったら、その時は……

 

「あ、あのっ!」

 

「……?」

 

 その呼びかけに反応して、思考を止める。

 立ち止まって振り返ると、俺の背後には、なぜかめちゃくちゃオドオドしている佐倉が立っていた。

 当然ながら、あの時とは違って眼鏡をかけている。

 

「え、えと、お、おは、おはようございませっ」

 

「……おはよう」

 

 ご丁寧にどうも。ただその前にとりあえず落ち着けよ。な。おはようございますといらっしゃいませがフュージョンしてるぞ。

 

「……なんか用か?」

 

 聞くが、佐倉はオドオドしたまま下を向き続けている。

 

「え、あ……その……す……」

 

「す?」

 

「す、すど……」

 

「……?」

 

「すど……り、素通り、出来ない性格で! こ、声、かけたんです!」

 

「お、おう、そうだったか……」

 

「じゃ、じゃあっ! 私、学校に行かなきゃいけないからっ!」

 

「あ、おい……」

 

 俺の静止は全く耳に入っていない様子で、そのまま小走りで立ち去ってしまった。

……学校行かきゃいけないから、って……いや、そりゃ今ここにいる奴らもれなく全員そうだろうよ。

 いくら何でも緊張しすぎじゃないだろうか。

 あのコミュ障っぷりは俺以上だ。あれがデフォだとしたらまともに生活できるレベルじゃない。

 社会に出て大丈夫かしら……なんて親心が芽生えかけたとき。

 何者かに肩をちょいちょいと触られる。

 

「おはよ、速野くん」

 

 振り返って姿を目で捉える前に挨拶され、その声で正体が分かった。

 

「……ああ、なんだ藤野だったか。おはよう」

 

「うん、おはよ。さっきの人、知り合い?」

 

 隣に並んで歩き始める藤野。

 さっきのやり取りを見ていたようだ。

 

「ああ。同じクラスのやつだ」

 

「なんか、ちょっと変な感じだったけど……」

 

 たぶんちょっとどころじゃないくらい変だっただろう。

 

「俺と同じかそれ以上にコミュ力がない子でな」

 

「あはは……」

 

 苦笑いされてしまった。

 が、すぐに笑顔は引っ込み、代わりにこちらを気遣うような表情になる。

 

「大変なことになっちゃったね、Dクラス……」

 

「……まあなあ」

 

「目撃者、いそう?」

 

「全く分からん。取り敢えず昨日は進展ゼロだった」

 

「そっか……」

 

 昨日聞き込みを行ったのはBクラスだけで、藤野のいるAクラスにはまだ手は回ってなかったが……

 あまり期待はできなさそうだな。

 と、そう思っていたのだが。

 

「私もこの事件に関しては、真嶋先生が教室全体で発表した以外には何も知らないんだけどさ。少し個人的に気になることがあって。もしかしたら、Dクラスの助けになるかも」

 

「……本当か?」

 

「うん」

 

 期待できない、というのは撤回する。まさか藤野から何か情報があるとは。

 すぐにでも聞きたいが……その前に少し気になることがある。

 

「……俺たちにそれを流すってことは、お前は須藤の言い分の方を信じてるのか?」

 

「うーん、先生の説明だけではなんとも言えないけど……でも、事件の解決は真実の追及につながるでしょ? なら、集まる情報は多くて損はないじゃない?」

 

 要するに、Aクラスとしては須藤が黒でも白でもどちらでも構わない立場だが、この事件の真相は気になるから情報を提供する。で、その情報がたまたまDクラス側に有利なものだった、ってことか。

 

「……分かった。じゃあ教えてもらえるか」

 

「うん。事件のずっと前に……確か、5月の頭くらいに聞いた話なんだけどね。Cクラス側の3人の中に、石崎くんって人がいたでしょ」

 

「ああ、あの一人だけバスケ部じゃないのに現場にいたっていう……」

 

 頷く藤野。

 

「その人、中学時代は結構な不良で有名だったらしくて。喧嘩もかなりやってたらしいよ」

 

「……本当か」

 

「伝聞情報ではあるけどね」

 

 いや、それでもこれは大きな材料だ。

 

「もしそれが本当のことだったとしたら……」

 

「運動部二人と喧嘩慣れしてる石崎くんで、須藤くんひとりに一方的に、って少しおかしいよね」

 

「ああ……須藤は嵌められた、って話が補強される……」 

 想定されるシナリオとしては、須藤を呼び出し、挑発、威圧などをして、須藤から暴力を引き出す。もちろん自分たちは一切手を出さず……か。

 

 いや、そうだとしても、普通に考えれば少し妙な点が思い浮かぶ。

 

「須藤を嵌めるため……いや、多分Dクラスを嵌めるためでもあるんだろうが……とはいえそこまでするか?」

 

 そのシナリオの通りだとすると、三人が負った役回りはあまりにも理不尽が過ぎる。

 いくらクラス対決とはいっても、さすがに度が過ぎる、というのが普通の感覚だろう。

 

「うん、それは私も思ったんだけど……でも、Cクラスならできる」

 

 そう言う藤野の表情には、確信的な何かを感じた。

 

「……何か根拠が?」

 

 問いに対し、勢いよく頷く藤野。

 

「Cクラスの体制だよ。いまのCクラスは、ある一人の生徒の独裁体制みたいな感じになってるの」

 

「独裁って……」

 

「大げさなんかじゃなくて、本当にそうとしか形容できないんだよ。だからその生徒が命じれば、それ以外の生徒は動くよ。それがたとえ、一方的に暴力を振るわれてこい、っていう話だったとしてもね」

 

「……そこまでのものなのか」

 

「うん」

 

「その生徒っていうのは……」

 

「龍園翔くん、っていう男子生徒だよ」

 

 その名前に聞き覚えはないが、ひとまず把握した。

 Cクラスがそんな状況になっているとは。

 いや、だがそれ以上に。

 それをAクラスは知っていて、俺たちは微塵も知らなかった。

 浮き彫りになる情報力の差。

 どうやらDクラスは、他クラスに比べてあらゆる面で相当な後れを取っているようだ。

 

「……色々助かった。サンキューな」

 

「うん。何か相談事があったら、いつでも連絡してね」

 

「ああ、そうさせてもらう」

 

 そう言葉を交わし、俺と藤野は玄関で別れた。

 靴を履き替えて教室に向かう。

 そして歩きながら、少し考える。

 藤野の情報提供は本当に助かった。

 助かったのだが。

 ……今は気にすることじゃないか。

 

 

 



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証明のためにⅠ

 目撃者探しが始まって、3日目の昼休み。

 当然ながら多くの生徒は昼食を摂っている。

 入るはずだった8700ポイントの支給が遅れていることで、全体的に質素な食事だ。しかし0ポイントで作っている俺よりも質素な料理は存在するまい。

 俺はその質素を極めたような昼食を味わっているが、中にはいち早く昼食を終え、須藤の事件に関する目撃者の調査を行う者もいた。

 そんな中、俺の斜め後ろに座る女子生徒、堀北鈴音は、何やら思案顔だった。

 

「気になってるのか、朝の話」

 

「……ええ、まあ」

 

 今日の朝、Dクラス教室内の会話の流れから、茶柱先生が重要なことを俺たちに話した。

 須藤を助ける手立てを考える場のはずが、行き詰まり、なぜかAクラスをひたすらに羨む空間になってしまっていたとき。

 誰かがぽろっと「Aクラスに行ける裏技みたいなのねーのかなあ?」と漏らした。

 それに茶柱先生が反応し、次のようなことを俺たちに伝えた。

 2000万プライベートポイントを支払えば、強引にクラスを移動することができる、と。

 要するに、何でも買えるプライベートポイントを使って自分の所属するクラスを買え、ってことだ。

 2000万。Dクラスにとっては、あまりにも次元の違いすぎる話だった。

 いま俺たちが欲しがっているのは未来の2000万ポイントなんかじゃなく、目の前の8700ポイントなのだ。

 そんな話に現を抜かしている場合ではない、と、生徒の多くも目が覚めたようだ。

 まあ、単にそれだけの一幕だったのだが。

 

「当面はクラスポイントを貯めるしかない、ってことだろ」

 

「分かってるわよ。それに、私が考えているのはその次の話よ」

 

「部活で活躍したらポイントが入る、って話か」

 

 そのカミングアウトは俺たちにとっては衝撃的だった。それも他クラスにはすでに伝えられているだろう、という。

 なんで茶柱先生は今までそんな重要なことを話していなかったのか……まあ本人は「伝え忘れていた」とか言ってたが……。

 それを聞いた生徒たちは、なんでもっと早く伝えなかったんだと文句たらたらだった。

 茶柱先生が言うには、部活はポイントのためにやるものじゃないんだから、いつ知っても同じだ、とのことだ。

 それも正論っちゃ正論だが……意図的か無意識か、茶柱先生には一つ見落としている点がある。

 まあ、今はそれはどうでもいいとして。

 

「須藤がバスケ部のレギュラーに選ばれる、って話が本当なら、須藤を助けるメリットが生まれたことになる」

 

「……」

 

 堀北はその点で頭を悩ませていたのだ。

 須藤を反省させるためにも、そして自らの心情としても、今回須藤に手を貸さないという選択肢の妥当性が高い。

 しかし、バスケ部での活躍でポイントを得る可能性を潰す恐れもある。それはひいては堀北の目標であるAクラスへの昇格を遠ざけることにも繋がってしまう。

 それを踏まえて自分はどう動くべきか、決めかねているのだろう。

 そんな堀北に、俺は少し声を潜めて問いかける。

 

「堀北。一つ確認したいことがある」

 

「……なに?」

 

 訝しむような堀北。

 なんの話題か理解しているからこその反応だ。

 お察しの通り、一昨日の件でございますよ。

 

「一昨日、お前が櫛田の説明中に見ていたのって……佐倉なんじゃないのか」

 

 驚き、目が大きく見開かれる。

 図星か。

 

「どうして……」

 

「昨日の朝、登校中に佐倉に声をかけられたんだ。何か言いかけてたんだが……どうも、須藤の件について話そうとしてたらしくてな。結局何にも言わずに先に学校に行ったが」

 

 佐倉の口走った「すど……」から連想される、「須藤」の名前。

 恐らく間違いないだろう。

 あの時堀北が見てた方向にも佐倉の席があった。

 

「どうなんだ」

 

 問い詰めると、堀北は観念したようにため息をついた。

 

「……どういうわけか、あなたは彼女に信頼されているようね。彼女と何かあったの?」

 

「いまそれはどうでもいいだろ……それで、なんで見てたんだ?」

 

「櫛田さんが説明しているとき、私が見た限りでは、彼女だけが目を伏せていたのよ。私やあなたのようによそ見をしていたわけじゃなく、何かを不安がるように下を向き続けていた。何か変でしょう?」

 

「……なるほど。確かに」

 

「彼女は事件について何か知っている。恐らく、須藤くんの言っていた目撃者は彼女なんじゃないかしら」

 

「……」

 

 佐倉は人と関わるのを苦手としている。目撃者を募っていたあの場で、挙手をするのは到底無理なことだった。しかし、それでは須藤を見捨てることにもつながる、という葛藤があった。

 だから櫛田の説明中に目を伏せていた。

 筋が通る。

 

「可能性はかなり高いな」

 

「ええ。少なくとも無関係な人間の反応じゃないわ」

 

 そう言うと、堀北は急に立ち上がった。

 

「ん、どこ行くんだ」

 

「直接確認しに行くのよ」

 

 佐倉の席へと歩き出す堀北。

 

「いや、おいちょっと」

 

 俺の静止の声など聞こえないようで、足早に佐倉の元へと歩いていく。

 二人の会話の声はここまで届かないが、堀北のことだ。恐らくドストレートに「あなた、須藤くんのことについて何か知ってる?」って感じで聞いてるんだろう。

 そう考えつつ二人の様子を見ていると、佐倉が席を立ち、堀北から逃げるようにして教室を出て行った。

 

「……やっぱり、そういう反応になるよな」

 

 その場に残された堀北は、すぐにこちらに戻ってくる。

 

「逃げられたわ」

 

「そりゃそうだろ。見りゃ分かる」

 

「けれど、反応からして彼女が目撃者であることは間違いなさそうね」

 

「……マジかよ、確信を得たのか」

 

 やりとりはかなり短い時間だったと思うんだが。

 

「ええ。質問したときの挙動不審具合もそうだけれど、私は『何か知ってるか』と聞いたのに、『何も見ていない』と答えたのよ」

 

「……」

 

 つまり、焦るあまり墓穴を掘ったってことか。

 気の毒に。

 ただ、間違いなく失敗すると思っていただけに、かなり意外な結果になった。

 何の成果もなく戻ってきた堀北に、交渉の何たるかを学問的見地から説いてやろうという俺の計画は崩れ去った。

 

「これで、目撃者の問題は解決ね」

 

「……まあ、そうだな。一応は」

 

 しかし、事態が進展したかといえば全くそんなことはない。

 目撃者が佐倉だというのが、また新たな悩みの種だ。

 

 

 

 

 

 1

 

 放課後。

 俺は須藤たち3人と櫛田と共に、綾小路の部屋に集まって話し合いを行っていた。

 

「目撃者が、佐倉さん……?」

 

「ああ。根拠はいま言った通りだ。半分は堀北からの伝聞だが」

 

 佐倉のことについて、この場にいる全員に共有した。

 佐倉には少し申し訳ないが……仕方ない。心の中で謝っておこう。ごめんね。

 

「まさか、こんな身近に目撃者がいたなんてな」

 

 綾小路がそう呟く。俺も同意だ。

 しかし。

 

「……なあ、佐倉って誰だっけ?」

 

 眉をへの字にして池がつぶやいた。

 おい、その段階なのか。

 池のまさかの反応に、櫛田から思わずため息が漏れる。

 

「クラスメイトくらい覚えてようよ……須藤くんの右斜め前に座ってる子だよ」

 

「右斜め前? ……ああ、なんか誰かいたような気はするぜ」

 

 そりゃ誰かはいるだろ。空席じゃないんだから。

 てか須藤も覚えてねーのかよ。

 ……まあでもよく考えてみると、仕方ない、のかもしれないな。確かに佐倉は雰囲気が地味だ。これは罵倒ではなく事実。わざわざ伊達メガネをかけてまで、本人の方が地味だと思われたがっている節があるのだから、これは侮辱でもなんでもない。

 バスケットコートで佐倉に遭遇してなかったら、俺も覚えていなかった可能性も大いにある。この点で3人を責めるのは少し酷な面もあるかもしれないな。

 と、そう思った矢先。

 

「あ、思い出したぜ! あの胸がすんげえデカいやつだろ!」

 

「え……あ、あああ、あいつか!」

 

 手法は最低のものだったが、どうやら須藤を除く二人ははっきり思い出したようだ。

 まあ、お前らプール授業のときに「佐倉の胸がデカい」とか盛り上がってたもんね。記憶の片隅に残ってたんだろう。

 そんな男子特有の下劣なやりとりの様子を、櫛田はジトッとした目で見ている。

 それに気づいた池が誤魔化すように手をわちゃわちゃさせながら言う。

 

「で、でもラッキーだよな! 同じクラスなら絶対証言してくれるぜ!」

 

 喜んで見せる池。

 ただ、話はそう単純じゃない、と綾小路が指摘する。

 

「同じクラスに目撃者がいたことが、一概にいいことだとは言えないと思うぞ。第三者からすれば、須藤は無実だったってことにするために嘘の証言者を立てた、って考えるかもしれない」

 

「無実だったってことにする、って何だよ。だから俺は本当に無実だっつってんだろ」

 

「第三者から見た場合の話で、そういう反論も想定されるってことだ。それに、証言だけじゃ証拠にはならない」

 

「え、なんでだ?」

 

「証言というのは、裏を取って初めて証拠能力を持つんだ。現段階ではその証言の真実性がどこにもない。だからこの場合は、証言しても事態は改善しない、どころかむしろ悪化する可能性もある」

 

「あ、そ、そっか……」

 

「それに、まだ佐倉さんが証言してくれるって決まったわけじゃないよね……」

 

「ああ。目撃者が見つかったのは吉報だが、オレたちが思ってるより進展はしていないと考えるべきだと思うぞ」

 

 問題はまだまだ山積みだ。佐倉という証言者が手に入ったことで進展するかと思いきや、また新たな問題が見えてくる。

 現時点では、佐倉の証言の証拠能力がなさすぎる点。

 櫛田の指摘した通り、そもそも佐倉が証言台に立ってくれるかすらまだ分からない点。

 もしもこのまま証拠能力のない証言しかできないなら、むしろ証言しない方がマシとすら考えられる。

 

「なんだよクソッ。行けると思ったのによ」

 

 悪態をつく須藤。

 我が物顔でベッドを占領してるところといい、その上なんかゲームしてるところといい、こいつ自分も原因の一端だとはこれっぽっちも思ってないな。

 困るなまったく。須藤にはいろんな意味で成長してもらいたいんだが。

 

「でも堀北ちゃん、あんなこと言っておいてしっかり須藤のために調べてくれてたんじゃん。ツンデレってやつ?」

 

「……そういや、そうだな。堀北……ありがとよ」

 

 おい須藤、髪が赤いからって頬まで赤らめるな。

 今のを堀北が聞いてたら、罵倒を交えた全否定の上に汚物を見る目が贈呈されるぞ。

 なんて考えていると、場を総括するように櫛田が口を開く。

 

「取り敢えず、このことは平田くんにも報告しておくね。いいかな、速野くん」

 

「ああ。目撃者探しなんていう無駄な行動を続けて、これ以上醜態をさらすのはやめなさい、だってよ」

 

 堀北から預かった伝言だ。

 

「ははは、堀北ちゃんの真似だろいまの! ちょっと似てるぜ速野!」

 

 なぜかツボった池と山内が笑い転げている。

 あ、そう、似てた? でもこのこと堀北には言わないでね。命の危険があるから。お互いに。

 ……それはいいとして。

 平田は今日も目撃者探しをしているはずだ。櫛田から平田に佐倉のことを伝えてもらえば、もうそんなことをする必要もなくなる。

 

「それからみんな、佐倉さんが目撃者だってわかっても、本人に強引に迫るようなことはしないでほしいの。今までよりももっと心を閉ざしちゃうと思うから。そうなったら、本当に証言してくれなくなっちゃうかもしれない。だから佐倉さんへの交渉は、全面的に私に任せてくれないかな?」

 

 忠告するように言う櫛田。

 まあ、もう堀北がそれやっちゃったけどな。

 もちろん櫛田の提案に対して反対意見が出るはずもなく、ひとまずこの場はその結論で解散となった。

 

 

 

 

 

 2

 

 その帰り。

 俺は櫛田とともに、上行きのエレベーターを待っていた。

 池と山内は、先に来た下行きのエレベーターですでにその場を離れている。

 いい機会だ。

 俺は櫛田に一つ質問することにする。

 

「なあ櫛田。須藤だけじゃなく、Cクラスの3人に関する目撃情報はあったのか?」

 

 言うと、櫛田ははっとしたような表情になった。

 俺たちは「須藤を見たか」や「喧嘩の様子を見なかったか」などは聞いて回って方が、「Cクラスの3人を見たか」については聞いていなかった。

 

「そういえば、その線では調べてなかったかも……」

 

「名前は石崎、小宮、近藤だったっけ。写真とかあるか。そいつらのこと知らなくてな」

 

「あ、うん、多分あると思うよ。ちょっと待ってね」

 

 さっと端末を操作し、俺に画面を見せてくる。

 

「これが近藤くんで、こっちが小宮くん。それからこれが石崎くんだよ」

 

「……」

 

 なるほど。

 

「ありがとう」

 

「うん、どういたしまして。他にも何かあったら何でも言ってね」

 

「ああ。助かる」

 

 会話が終わると同時に到着したエレベーターに乗り、櫛田と別れた。

 さて、どうなるかねこの事件。

 俺は最悪、須藤やクラスが処分を受けても一向にかまわないという立場だ。

 どうでもいいとすら考えている。

 いや、それは少し語弊があるか。あくまでも最悪の場合は、の話だ。

 俺が須藤擁護派として協力しているのは、それがクラスメイトとして「やるべきこと」だと思っているから。それに、得られるはずだった8700ポイントを逃したくはない、ってのもある。

 須藤が無実だってことだけは確実だ。それはつまりCクラス側が嘘を吐いているということ。それを示せればポイントは入るからな。

 ただ、俺は俺で「やりたいこと」が別にある。それさえ達成されれば、俺の中で最低限のノルマはクリアだ。

 1つ気がかりなことがあるとすれば……「やりたいこと」があるのは、どうやら俺だけではないらしい、ということだが。

 

 

 

 

 3

 

 佐倉が目撃者、という事実が発覚した翌日。

 事態は進展どころか、悪化の一途をたどっていた。

 

「ごめん、失敗しちゃった……」

 

 まず、櫛田が佐倉との交渉に失敗した。

 櫛田がやさしく語りかけても、佐倉は最後の最後まで拒絶し続けた。

 あの様子だと、誰が話しかけても同じだろう。櫛田でダメならもう無理だ。

 その上気の毒なことに、勢いよく教室を飛び出した佐倉は、廊下で他の生徒とぶつかり手に持っていたカメラを落としてしまった。

 そしてどうやら、それが落下障害か何かで壊れてしまったらしいのだ。

 一難去ってまた一難、とはよく言ったものだ。

 

「ったく。俺を助ける気あんのかよあの女。つかえねーな」

 

 そして、この謎にデカい須藤の態度。

 渦中の人間が動くのは得策じゃないから、ということで、目撃者探しなどには全く参加しなかった須藤。

 自分が何もしない中、みんなが自分のために動いている、というのを、自分が祭り上げられてると勘違いしてんじゃねえのこいつ。

 まあともかく、そういったこともあってクラスの雰囲気は悪い。

 須藤の無実の証明を諦める者も多くなってきた。

 そしてはた迷惑なことに、火に油を注ぐ者もあらわれる。

 

「使えない? 面白いことを言うのね」

 

「あ?」

 

「もう諦めたらどうかしら。佐倉さんは証言台には立ってくれない。けれどそう悲観することでもないわ。ポイントが87しかない今の時期でよかったと考えるのよ。たとえペナルティがそれを上回っていたとしても、ゼロ以下になることはない。クラスへの被害は小さく、そしてあなたは愚かな自分自身を見つめなおすいい機会を得る」

 

「……どういう意味だよそりゃ。見つめなおすも何も、俺は無実なんだよ」

 

 反発する須藤に、さらに言葉が降りかかる。

 

「君は退学したほうがいいんじゃないかな、レッドへアー君。君の存在はとても醜い」

 

 その声は高円寺のものだった。

 

 いつも通り、足を机の上で組みながら、常備している手鏡で自分の顔を眺めている。

 

「……あ? もう一度言ってみろよテメエ」

 

「同じことを繰り返すなどナンセンスさ。理解力が欠如しているようだねえ」

 

 的確に須藤の神経を逆なでていく高円寺。

 元々沸点の低い須藤を切れさせるには、それだけで十分だった。

 机を蹴り飛ばす「ドガッ」という音が教室に響く。

 

「上等だよコラ高円寺! 一発ぶん殴ってやる!」

 

「そこまでだよ二人とも。やめるんだ」

 

 そんな二人を止めに入ったのは、クラスのリーダーである平田だ。

 

「どけよ平田!」

 

「だめだ須藤くん。高円寺くんも悪いけど、今ここで君が暴れても何にもならない。むしろ学校からの心証が悪くなるだけだよ。違う?」

 

「っ……」

 

「平田くんの言う通りだよ。やめよう二人とも。私、友達が喧嘩してるところなんて見たくないよ……」

 

 櫛田も、二人の間に立って止めに入る。

 

「……ちっ」

 

 櫛田にまで止められては、さすがに須藤もこれ以上は何もしない。

 舌打ちをして、須藤は教室を出て行った。

 これまでも、このようなトラブルの種は何度かあった。

 そのたびに、平田と櫛田のコンビネーションで事態を収束させてきた。

 ガタガタに見えても、クラスのシステムは正常に機能しているということだ。

 

「一つ訂正させてもらうよ平田ボーイ。私は産まれてこのかた、間違ったと思うことはしたことがない。私が悪いというのは、君の勘違いだよ」

 

「でも、須藤くんを責め立てるのは間違ってる。彼に謝るんだ」

 

「私は悪いと思っていないのだから、謝罪する必要はどこにもないねえ。では、私はこれからデートの約束があるので失礼するよ」

 

 そう言って颯爽と立ち去るあの変人を止める者は、誰一人としていなかった。

 デートって言ってたが……あの高円寺と一緒に過ごそうと思うやつがいるなんてな。

 世界は広い。

 高円寺と須藤という台風の目が去ったことで、教室内の空気が元に戻っていく。

 

「あーあ、空気最悪だぜ、須藤のせいで」

 

「もうあきらめた方がいいんじゃね? 打つ手もないみたいだしさー」

 

 池と山内がそんな愚痴を漏らす。

 いや、2人だけではない。クラス全体として、そんな雰囲気だった。

 須藤の無実は証明できない。

 もしくは、最初から嘘を吐いていたのは須藤だった。

 だから諦めた方がいいんじゃないか、と。

 しかし、そうでない生徒もいる。

 例えば櫛田だ。

 

「……私、佐倉さんの説得をもう一度やってみる。そしたら、この状況も改善するかもしれないから」

 

 しかし、そういった生徒はもはや少数派だ。

 すぐさま堀北が否定する。

 

「とてもそうは思えないわね。昨日、話に出たんじゃないのかしら。佐倉さんが目撃者だということの問題点について」

 

「それは……そうかもしれないけど」

 

 昨日綾小路が指摘した点だ。

 その綾小路が、突然口を開いた。

 

「今回の事件が教室とかで起こったものだったら、また話は違ったと思うんだけどな」

 

 そんなことを言い出す。

 

「どういうこと?」

 

「ほら、教室にはカメラがあるだろ?」

 

 綾小路が指さす先にあるのは、2台の小型監視カメラ。

 こいつもカメラの存在に気づいてたか。

 しかし、どうやらそれは少数派のようだ。

 

「カメラなんてあったのかよ……」

 

「私も初めて知ったよ……あ、でも、5月に茶柱先生、私語の回数とか正確に言ってたよね。それって、このカメラがあったからかな」

 

「そうでしょうね。私もその時に気づいたわ」

 

「このカメラが現場にあれば、目撃者探しなんてしなくても事件は片付いてた、ってことか」

 

「ああ」

 

「まあ、確かに……」

 

 だが、それはないものねだりというものだ。

 恐らくCクラス側は、カメラのない場所を現場に選んだはず。

 カメラがないからこそ、Cクラスがこんな嘘を今の今までつき続けることができているわけで。

 ただ……それは推測に過ぎない。

 この目で見て確かめたわけじゃない。

 いや、それを抜きにしてもだ。

 暴力事件の調査をするのに、今までその現場に一度も足を運んでいないというのは、初動として致命的だったかもな。

「綾小路、それから堀北も。ちょっと頼みたいことがあるんだが」

 俺は二人に、事件現場となった特別棟への同行を頼んだ。

 

 

 

 

 

 4

 

「あっつ……」

 

 暑い。

 マジで暑い。

 特別棟では、冷暖房なんてご立派なものは機能していないらしい。一応あるにはあるんだが、それだけ。電源は切られているんだろう。

 

「どうして私たちをこんなところへ?」

 

「何か思いついたのか……?」

 

 堀北は大丈夫そうだが、綾小路にとってはこの環境に少し辛いもののようだ。

 俺の方は、どちらかと言えば堀北寄りだ。暑いが、この程度なら慣れている。

 

「いや別に。俺にはそんなたいそうな思考力はないからな。ただ、一度は現場に足を運んだ方がいいと思っただけだ。何か新しい発見もあるかもしれないし」

 

「……そうね。確かに一理あるわ」

 

「きつそうなら帰ってもいいぞ、綾小路」

 

「いや、いい。ただあんまり長居はしないでくれると助かる」

 

 やっぱりそう答えるか。

 そう考えた俺とは対照的に、堀北は綾小路の返答に意外そうな表情を浮かべる。

 

「あら、あなたなら喜んで帰ると思ったのだけど」

 

「須藤は友だちだからな。できる限り手助けしたいとは思ってる」

 

「そう。まあいいわ」

 

 自分から尋ねておいて、どうでもよさげな反応だ。ひでえ。

 そんなことを話しているうちに、現場となった特別棟の3階に着いた。

 

「ここ、本当に人通りが少ないのね。特別棟に入ってから、誰一人としてすれ違わなかったわ」

 

「向こうはそういうのも想定済みで、この場所を選んだんだろうな。監視カメラがないのも」

 

 3階に着いてからすぐに天井を探したが、まあ当然ながら、監視カメラなどあるはずがない。

 

「どうだ堀北。なんか思いつくか」

 

 現場を見回している堀北に問う。

 

「……いいえ、特には。それに、この環境では少し思考が鈍るわ」

 

「確かにな。頭がボーっとしてくる……」

 

 俺たちが日常を過ごしている校舎は冷房が完璧だからな。

 綾小路と比べて平気そうな堀北も、普段と比べれば思考が鈍るのも当然だろう。

 

「須藤にはあきらめろとか言ってた割に、策は考えてるんだな」

 

 綾小路の鋭い指摘。

 あまり突っ込まれたくないことだったのか、堀北は睨みをきかせる。

 

「いや、文句じゃない。むしろ嬉しいくらいだ。今回の件、須藤にも原因があるっていうお前の考えは、オレも間違っていないと思う。ただそれでも、Dクラスにとってプラスになるように動いてほしい」

 

 綾小路も、堀北と同じような考えのようだ。

 そしてこの言い回しからすると、綾小路は、須藤の無実を証明することと、Dクラスにとってプラスになることを別のものと考えている。

 

「……須藤くんにはああ言ったけれど、私も、須藤くんの責任はできるだけ軽くしたいと思っているわ。結果的にポイントが残るなら、それに越したことはないもの」

 

「無実を証明する、とは言わないんだな」

 

「あなたもわかっているでしょう? そんなことは不可能。だからCクラス側の嘘を暴く必要があるけれど、証拠はどこにもない」

 

 その通りだ。ここには監視カメラもなかった以上、証拠も望めない。

 俺の周辺で、Cクラスの嘘を暴けるような証拠映像、なんてものを持ってる人間なんて……まあいるわけないよな。そもそも「俺の周辺」とかいう母数の少なさと言ったらもう……

 ん?

 あれは……

 

「どうしたんだ速野」

 

 急に壁に向かって歩き出す俺を不思議がり、綾小路が聞いてきた。

 

「いや……このコンセント、なんだろうなと思って」

 

 壁の少し高い位置……そう、ちょうど監視カメラを設置するくらいの高さのところに、謎のコンセントがあるのを見つけた。

 

「まさか、監視カメラのための……? となると、カメラは設置されていた、ということ?」

 

「いや、それはないと思う。最近までカメラがついていたなら、どこかにカメラの日焼け跡みたいなのが残ってるはずだ」

 

「確かに……ないわね、日焼け跡」

 

「ああ。残念ながらな。もしついてたとしても、それは日焼け跡が消えるくらい前のこと、ってことになる」

 

 もしくは、設計上ついてるだけ、ってこともあり得る。いずれにせよ事件の証拠となるものではなかった。

 新たな発見もむなしく、また行き止まりに当たってしまう。

 これ以上ここにいても、特に進展はなさそうだ。

 

「……そろそろ戻るか」

 

「そうね」

 

 そうして、3人で引き返す。

 特に会話もなく、廊下の角を曲がったとき。

 

「うおっ」

 

「あっ……」

 

 誰かにぶつかってしまう。

 

「っ、おお……」

 

 少し驚いてしまった。

 そのぶつかった「誰か」は、他でもない、佐倉だった。

 

「あ、えっと……っ!」

 

 俺以外にも人がいることを認識し、そしてその中に堀北の存在を視認した途端、佐倉に強い動揺が走る。

 堀北は、あの時に佐倉にしっかりとトラウマを植え付けていたようだ。

 

「佐倉さん、少し聞きたいことがあるのだけど、いいかしら」

 

 そんな佐倉の心情などまったく気にしない堀北。

 堂々と真正面から佐倉に言葉をぶつける。

 

「こ、この前のことなら、私、何も知らないって……」

 

「けれどあなたは」

 

「堀北」

 

 強引な追及を試みる堀北を、綾小路が声で制した。

 想定外の行動だったのか、堀北は思わず黙り込んでしまう。

 

「さ、さよなら」

 

 その隙に、足早にその場を立ち去る佐倉。

 このまま見送るのかと思いきや、佐倉の背中に向かって綾小路が声をかける。

 

「佐倉。無理はしなくていいからな。もしお前が目撃者だったとしても、証言するかはお前の自由だ。誰かに強要されそうになったら、一人で抱え込まずオレに相談するんだ。役に立つかは分からないが、力になる」

 

 綾小路の声が廊下に響く。

 それに佐倉は立ち止まって答える。

 

「わ、私、本当に何も見てないから……人違い、だよ」

 

 あくまでも佐倉は目撃者だということを否定する。

 曲がり角を曲がっていったため、すぐに佐倉の姿は見えなくなってしまった。

 

「あなた、あれでよかったの? 千載一遇のチャンスを逃したかもしれないわよ?」

 

「佐倉があれだけ違うと言ってるんなら、やっぱり佐倉は目撃者じゃないんじゃないか。いや、もしそうだとしても、無理強いするのは違う。それにお前も言ってただろ。Dクラスの目撃者は証言としては弱いって」

 

「まあ、そうだけれど……」

 

「……」

 

 なんだろうな、この違和感。

 綾小路が佐倉に言ったことは、ある種正しい。

 証言台に立つかは佐倉の自由だ。無理強いすべきことじゃない。

 しかし、それならそっとしておけばいいだけだ。

 あそこで声をかける必要は全くなかった。ましてや、「強要されたら自分に相談しろ」なんて。

 誰の言うことも気にするな、というニュアンスの発言をしておきながら、自分を含めた誰かのことを気にさせるよう仕向けている。

 やはり綾小路は、間違いなく佐倉のことを目撃者だと考えている。

 そして佐倉を逃がしたのも、その背中に声をかけたのも、恐らく佐倉の証言を引き出すための行動だろう。

 全く、何が事なかれ主義だって? 聞いて呆れるというものだ。

 

「君たち、こんなところで何してるの?」

 

 綾小路の行動を考察していたところに、何者からか声がかかる。

 

「……」

 

 そこにいたのは、見覚えのある女子生徒だった。

 確か……一之瀬だったか。

 図書館で須藤が揉め事を起こしそうになった時に、勇敢にも止めに入った生徒だ。

 そういえばあの時、なんか俺のこと知ってる風だったけど……

 

「私たちに何か用かしら」

 

「うーん、用っていうか、純粋な疑問かな。何してるのかなーって。君たち3人ともDクラスの生徒だよね? もしかして、あの喧嘩騒ぎの調査だったりする?」

 

「……ああ、そうだ」

 

「ちょっと」

 

「ここで誤魔化しても意味はないだろ」

 

 誤魔化すことに意味をなくしたのは、一之瀬の問いに肯定した綾小路なんだがな……まあ確かに、ここで隠し通したところで、大した意味はないかもしれない。

 

「オレたちのこと知ってるのか?」

 

「中間テストのとき、図書館で集まって勉強してた3人だよね。そしてそのうちの1人が速野くん、で合ってるよね?」

 

 名指しされ、少し驚く。

 え、なんで知ってんの。名乗った覚えないんだけど。

 

「ありゃ、これは自覚なしかな? あの小テストで満点を獲得した、Dクラスの速野知幸くん。君かなり有名だよ? まさかこんなところで会うなんてね」

 

 ……マジか。

 正直全く自覚はなかった。

 そしてなぜか堀北からにらまれる始末。なんだよ……。

 いやーでもそっかー、俺が有名人かー。はははーいやー光栄だなー。なのになんでこんなに友達少ないんだろうね?

 そんなどうでもいいことを考えていると、堀北が一歩前に出て、一之瀬に言う。

 

「確かに私たちは、暴力事件の調査のためにここに来たわ。そうだとしても、DクラスでもCクラスでもないあなたに何か関係がある?」

 

 ……どうしてこう、初対面の相手に常に喧嘩腰なんだこいつは。敵意なんて人に簡単に向けるもんじゃないぞ。

 しかし、相手の一之瀬はそれを軽くいなすようにして答える。

 

「うーん、関係があるかと言われれば、直接の関係はないね。でも騒動の概要を聞いてちょっと気になることがあったから、一度現場に行ってみようと思ってここに来たの。そしたら、君たち3人に遭遇したってわけ」

 

 つまり、完全なる興味本位ってことか。

 一之瀬はさらに続ける。

 

「よかったら、事情聞かせてくれないかな? この前私がいないタイミングで、Dクラスの子がBクラスに目撃者を探しにきた、っていうのは知ってたけど、それ以外は、Dクラスの須藤くんとCクラス3人の間で喧嘩騒ぎがあった、みたいなことしか説明されてなくって」

 

 一之瀬の言葉を受け、どうすべきか、一瞬綾小路と顔を見合わせる。

 その後堀北の方にも目を向けたが、こちらのことなど知らん顔で「勝手にしろ」と言っているようだった。

 なら、まあ話してもいいか。

 綾小路が説明を行う。

 

「実は……」

 

 一之瀬のほうは、綾小路の説明に時折相槌を打ちながら、頭の中で状況を整理していっているようだ。

 

「うーん、なるほどね。それで目撃者探しを……ねえ、これって結構大きな問題なんじゃない? 絶対にどちらかが嘘を吐いてるってことだよね」

 

「ああ。オレたちは何としてもCクラスの嘘を暴く必要がある。それでこの現場に足を運んだんだ。まあ、事件の手がかりみたいなのは何も見つけられなかったが」

 

 まるでそれ以外の手がかりは見つけられたみたいな言い方だが……いや、今は細かいことはいいか。

 

「君たちはもちろん、須藤くんの言い分を信じて調べてるんだよね?」

 

「ああ」

 

「それって、何か根拠のあることだったりする?」

 

 須藤の言い分を信じるに足る根拠か……。

 Dクラスとしては、そんなものは持ち合わせていない、というのが答えだな。クラスメイトだから一応信じているだけ、というのがほとんどだろう。

 

「ないわね。だからもし彼が嘘を吐いているんだとしたら、正直に告白させる」

 

「うん、私もそうすべきだと思うよ」

 

 タイムリミットは来週火曜の話し合い。

 もし須藤が嘘を吐いているなら、なるべく早くそれを学校側に伝える必要があるのは間違いない。

 

「もしよかったらさ、手伝おうか? 事件を調べるのとか、目撃者探しも含めて」

 

 思いがけない提案。

 これにはさすがに、先ほどはスルーだった堀北も反応を示す。

 

「ちょっと待って。どうしてそういう話になるのかしら。これも単なる興味本位だと言うのなら、もう手を引いてほしいのだけど」

 

「興味本位、っていうのもないとは言わないよ。でもそれ以上に、このままだと嘘を吐いた方に有利な結末になっちゃうよね。クラス間対決の色の強いこの学校で、それはすごくまずいことだと思うから。それに、事情を聞いちゃった以上は見過ごせないしね」

 

 前半はともかく、後半に関しては、一之瀬は事情を聞こうとした時点で俺たちを手伝おうと考えていた、ってことになるんじゃないか。

 

「裏がないとは考えられないわ」

 

 正直、それは俺も同感だ。

 パッと見た感じ悪意は感じられないが……だからこそ信じきれない部分がある。

俺たちを手伝ったところで、Bクラスの一之瀬にメリットがあるとは考えづらい。となれば、俺たちの気づかないメリットが一之瀬の中にはある、と考えるのが妥当だ。

 そんな疑心暗鬼な俺たちに、一之瀬は続けた。

 

「私はあくまで真相の追及に手を貸すだけ、ってことでどうかな? もちろん、調べていく中でDクラス側に不利な証拠や証言が出てくる可能性もある。これでもまだ裏を感じる?」

 

「……そこまでして手伝いたいのか」

 

「さっきも言ったでしょ? 嘘をついた側に有利な結末にはさせたくないし、ここまで聞いたら放ってもおけない。まあ、偽善って思われても仕方ないかもしれないけど……私としては、そんなに重いものを背負うつもりもないしね」

 

 聞いた限りではだが……構わない、と思う。

 たとえ一之瀬に何か裏があったとしても、それは恐らく俺たちを害するものではなく、Bクラス、もしくは一之瀬個人の得になるもの、だと思う。

 俺たちはいま、須藤の無実を証明するために何ふり構っていられない状態なのだ。俺たちの助けになるなら、それを利用して得でもなんでもしてくださって一向にかまわない。

 それに、一之瀬のことが信用できないと判断したら、それ以降は一之瀬の話に耳を傾けなければいい。

 

「手伝ってもらいましょう」

 

 答えを決めたのは堀北だった。

 どんな思考経路だったかは分からないが、行きついた結論は俺と同じだったようだ。

 

「うん、分かった。えっと……」

 

「堀北よ」

 

「綾小路だ」

 

 二人が名乗る。さすがに堀北も、協力相手に自己紹介を渋るほど常識外れではなかったようだ。

 

 俺はすでにフルネームまで知られているため名乗らなくてもいいと判断し、二人に続いて軽く会釈をするにとどめる。

 

「よろしくね3人とも。早速質問なんだけど、調べていた目撃者は見つかったの?」

 

「ええ、それ自体は見つけたわ。Dクラスの生徒だったけれど」

 

「あちゃー、それは……幸い中の不幸、って感じだね」

 

 一之瀬は、同じクラスから目撃者が出てしまったことの問題点にすぐに気づいたらしい。

 やり取りしていて分かるが、頭の回転が速い。優秀だ。さすがはBクラスってところか。

 

「でも、他に目撃者がいないとは限らないしね」

 

「ええ。望みは薄いと思うけれど、今は目撃者の目撃者、そしてCクラス3人の方の目撃者、という線でも探しているらしいわ」

 

 らしい、という語尾を使い、自分は関与していないことを暗に示す堀北。

 

「でも、凄いよね須藤くん。一年生でバスケのレギュラーなんて。大会とかで活躍すればクラスポイントも入るし、身体能力の面で今後Dクラスのかなりの戦力に……あれ、どうしたの?」

 

 ……おいおい、なんて言った今。

 

「クラスポイントが入る……?」

 

「え、もしかして知らなかった?」

 

「私たちが聞いていたのは、活躍した個人にポイントが入ることだけ。それすら先日初めて聞かされたというのに……これは明日、すぐにでも追い詰める必要がありそうね」

 

 おお、問い詰めるんじゃなくて追い詰めるのか……恐ろしい。

 その様子をみた一之瀬が不思議そうに言う。

 

「なんか変だね、君たちの担任の先生。私たちの担任、こういう情報は5月になった瞬間に私たちに伝えてきたよ? みんな頑張ってポイントを稼いでねって。何でも、卒業時のクラスがそのまま査定に関わるらしくて」

 

 ……そうなのか。

 なんだ、この学校では教師にも実力主義が適用されるって話、当たってんじゃん。

 となると恐らく、配属クラスに関してもそれまでの実績が重視されると考えられる。

 優秀な実績をあげればAへ、ダメならDへ。

 

「無欲なのか何なのか……教師の査定なんてどうでもいいけれど、私たちに伝えるべき情報を伝えないのは迷惑極まりないわね」

 

「ここまで情報格差があると、クラス間で争う以前の問題だよね。Dクラスだけ土俵に上がらせてもらえてない感じがするよ」

 

「まさか、敵に塩を送られる形になるとは思わなかったわ」

 

 ここまでくると、もうわざととしか考えられない。

 担任として楽しみに見ておこう、とか言ってたくせに……。

 いったい何がしたいんだあの人は。

 

「なんていうか、色々気になることはあるけど……取り敢えず、円滑に連絡を取るために、3人の連絡先教えてくれないかな?」

 

「ああ、分かった」

 

 俺と綾小路は端末を取り出して一之瀬の元へ行くが、堀北は動かなかった。

 ……頑なだなーこいつ。そういう姿勢、損はしても得はしないと思うんだが。

 前言撤回だ。堀北は協力者相手との連絡先の交換を渋る常識はずれなやつだった。

 

 



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証明のためにⅡ

 一之瀬という協力者を取り付けた俺たち。

 しかし佐倉についても、平田や櫛田たちが探しているという新たな目撃者についても特に進展はない。

 現在は金曜日の放課後。

 話し合いが行われるまで四日と言う中で、俺は目撃者探しには参加せず、藤野と買い出しに出かけていた。

 現在レジに並んでいる最中だ。

 

「そういえば、今日は抜けてもよかったの? 目撃者探し」

 

「ん、ああ。そういえば言ってなかったっけか。実はもう目撃者の目星はついてるんだ」

 

「え、そうなの?」

 

「ああ。ただ同じクラスだった上に、本人は目撃者であることそのものを認めてない。表舞台に引きずり出されるのをかなり嫌がってる。櫛田でも懐柔は無理だった」

 

「ああ、そういうことかあ……櫛田さんでも無理ってなると、かなり厳しいね」

 

 状況を把握し、気の毒そうにつぶやく藤野。

 

「もしかして、この前登校中に速野くんに話しかけてた子だったりする?」

 

「おお、よく分かったな。それで合ってる」

 

 答えると、藤野はなにかを思いついたように一度手をたたいた。

 

「それなら、あの子の懐柔の鍵を握ってるのって、もしかしたら速野くんなんじゃない? 速野くん、この騒動が起こってからその子が自分から誰かに話しかけてるの見た?」

 

 その質問の答えはよく考えなくても明らかだ。

 

「見てない」

 

 というか何ならこの騒動以前でも、佐倉が誰かに話しかけてる場面なんて見たことがない。元々そういうタイプではない上に、自分が目撃してしまったこの騒動……余計にふさぎ込んで当然だ。

 そんな中で、なぜか俺には話しかけてきたことの意味……なるほど、藤野の言っている意味が分かった。

 ただなあ……残念なことに、佐倉と同様に俺だってコミュ障なのだ。

 純粋なコミュニケーションだけで佐倉の証言を引き出す能力なんて、俺は持ち合わせていない。

 

「状況は悪いままだね……」

 

「ああ。非常に困った」

 

 商品をレジに通して袋詰めまで行い、スーパーを出る。

 帰るためには左に曲がらなければならない道に差し掛かったところで、藤野に話しかけた。

 

「ああ、そうだ。ちょっとモール内の家電量販店に用があるんだが。どうする? ここで別れるか」

 

「え?」

 

 俺の申し出に、なぜか藤野が固まる。

 

「……どうした?」

 

「いや、その、今までの速野くんだったら、問答無用でスタスタ行っちゃってたから……なんていうかこう、感動?」

 

「……」

 

 グサリ、と心臓に矢が刺さる感覚に陥る。

 いや、わたくしがコミュ障であることは全く間違いのないことでございますけど……まさかそんな反応がくるとは……

 そんな俺の表情を見て、藤野が焦った様子で言う。

 

「あ、ご、ごめんね。本当に他意はないよ? うれしかっただけだから。……うん、じゃあよかったら、一緒に行ってもいいかな?」

 

「……分かった。いくか」

 

「うん」

 

 いや、悪気がないのは分かってるというか。だからこそ傷が深いというか……

 まあいいか。

 こういうのを「成長の証」とか言ったりするんだろうか。

 次からもこうしよう。

 

「何か買いたいものがあるの?」

 

「ああ、イヤホンとかな」

 

「イヤホン? 速野くん、あんまり音楽は聴かないイメージだったけど……」

 

 あんまりどころかほぼ聴かない。

 

「音楽じゃない。英語のリスニング用だ。買ってからまだ2カ月なのに、もう断線したっぽくてな」

 

「ありゃー、それは気の毒に……断線しにくい巻き方とか、試してみた?」

 

「一応調べて実践してたんだが」

 

「そっかあ……もういっそ、フックか何か買って、巻かずにそのままフックに下げて保管するとか」

 

「……アリだな」

 

 こんな感じで雑談しながら、モール内の家電量販店へ向かう。

 人通りはそこそこ。

 暑いため、ブレザーは脱いでいる人がほとんどだ。

 俺も藤野も脱いで手に持っている。

 目的地に到着して入店すると、クーラーの冷気が体に染みる。

 

「涼しいねー」

 

「ああ……」

 

 これからどんどん暑さが厳しくなってくると思うと、少し気が滅入るな。

 ところで、この敷地内の家電量販店には、普通の店と違って販売していないものがある。

 テレビだ。

 寮には壁掛けのテレビが備え付けてあるため、売っても買い手がいないのだろう。

 そのため店内の様子は、一般的に「家電量販店」といって思い浮かぶ光景とは少し異なる。

 さらに利用客が学生に限られていることもあって、敷地面積もだいぶ狭い。無駄にでかかったコンビニとは大違いだ。

 

「お前は何か見たいものとかあるのか」

 

「うーん、特にはないんだけど……あ、イヤホンコーナーだよ」

 

「ん、ああ」

 

 同じ陳列スペースの手前側がヘッドフォン、奥側がイヤホンだ。

 狭いとは言ったものの、品ぞろえは豊富だ。

 どれがいいかなー、などと吟味していると、少し見慣れない文字が目に入る。

 

「bluetoothワイヤレスイヤホン……?」

 

 興味を持ってそのスペースに行くと、藤野も気になったようで、ついてくる。

 

「へえ、ついにイヤホンもワイヤレスになったんだ……って、凄い高いねこれ。2万ポイント……」

 

 あまりの額の高さに驚きを見せる。

 普通のイヤホンの5、6倍はある。

 

「これもしかして、まだ一般の市場には出回ってないやつなんじゃないか」

 

「ちょっと調べてみる……うん、そうみたい。先行発売ってことかな」

 

 やっぱりか。正式な発売はまだのようだ。

 

「こういうところ、なんか政府主導って感じだな」

 

「あはは、確かにね。この手の先行発売、ショッピングモールとかだと結構やってること多いよ」

 

「へえ……」

 

 若者向け製品のテスト販売をここで行うことで、その製品が市場で通用するかどうかを見極めるって狙いだろうな。マーケティングの一環だ。

 地理的な特性を踏まえて、こういった先行販売は静岡や広島で行われることが多い。

 ポイントに余裕もあり、友だちも多い藤野は、こういったものに目を触れる機会が多いのだろう。

 

「まあ、さすがにこれに2万かけるのはな」

 

「だね」

 

 その後、一通りイヤホンを物色し、俺は藤野に一言断って店内をぐるっと見て回ることにした。

 なるほど……品ぞろえはこんなもんか。

 数分経って、そろそろ戻るか、と思ったところで見知った顔を発見する。

 最近何かと渦中の人物、佐倉だ。

 俺たちと同じく学校帰りなのだろう。

 

「何してるんだこんなところで……」

 

 気になって様子を見ていると、佐倉の視線が一点に注がれているのに気づく。

 視線の先にあるのは、サービスカウンターだ。

 なるほど、とそれで納得する。

 佐倉は恐らく、昨日壊れてしまったデジカメの修理を頼みに来たんだろう。

 この遭遇を活かすことはできないか。

 先ほど藤野から「佐倉懐柔のカギ」と言われたのを思い出し、声をかけようかと考える。

 

「……」

 

 しかし、やめた。

 いや、声かける勇気がなかったとかそんなことでは……うん、あるわ。勇気なかった。

 ただそれ以上に、佐倉の様子が少し変だったからだ。

 何かに恐怖を感じているような、そんな様子。

 あの状態の佐倉に須藤の件について尋ねるのは得策じゃない、ということくらいは流石に俺でも分かる。

 結局佐倉はサービスカウンターでは何もせず、逃げるように店を出て行ってしまった。

 

「……なんなんだ?」

 

 単にサービスカウンターでのやり取りが苦手だから、って感じでもなかった。

 少し気になって、佐倉が見ていたサービスカウンターの方へ目を向ける。

 そこには、一人の男性店員が立っていた。

 なぜかボーっとした様子で、店の出口を……佐倉が歩いて行った方向をじっと眺めている。

 なんだ?

 佐倉の動きが不審だったのは間違いないが、その不審さが気になった故の視線、とはまたちょっと違うような……。

 

「……?」

 

 考えても、なんのこっちゃわからない。

 とりあえず、待たせてしまっている藤野の元へ戻ることにした。

 

「悪い、少し時間かかった」

 

「ううん、大丈夫。他に何か見たいものとかある?」

 

「いや、これで十分だ。そっちは?」

 

「私もいいかな。じゃあ帰ろっか」

 

「ああ」

 

 佐倉とあの店員のことはちょっと気がかりだが……家電量販店に来た目的は達せられた。

 

 

 

 

 

 1

 

 飯、歯磨き、風呂を済ませ、あとは寝るだけ。

 軽く伸びをしてベッドにダイブ。

 それと同時に、端末に着信が入る。

 

「……櫛田か」

 

 恐らく須藤関連のことか。そんな予想をしながら電話に出る。

 

「もしもし」

 

『あ、速野くん。ごめんねこんな時間に』

 

「いや、別に。何か進展でもあったのか」

 

『うーん、進展とはちょっと違うっていうか。須藤くんの件と直接関係あるわけじゃないけど、無関係じゃないっていうか……』

 

「……?」

 

 全くもって要領を得ない説明だ。

 続きを促す。

 

『昨日、佐倉さんのカメラが壊れちゃったでしょ?』

 

「ああ」

 

『それで私に何かお詫びできることはないかな、って考えて、困ってることとかないかなって佐倉さんに伝えたの。あれは、私が急に話しかけたせいっていうのもあると思うから……』

 

「……はあ」

 

『そしたら、カメラを修理に出すためにケヤキモールに行きたいけど、店員さんとやり取りするのに自信がないって言ってたの。だから私が一緒に行くって申し出たんだよ』

 

「……そうか」

 

 今日一人で行こうとしたが、やっぱり無理だったから櫛田に相談したって感じか。

 先ほどの佐倉の様子を思い出す。

 見たときにも思ったが、あれは単に「店員とのやり取りが苦手」って様子じゃなかったように感じる。

 一体佐倉は何に恐怖していたのか……。

 いや、今はそれより。

 

「話は分かったが、なんでそれを俺に?」

 

『あ、うん。実はね、速野くんも一緒に誘ってほしいって言われたんだよ』

 

「……俺も?」

 

『うん』

 

 ……そうか。そういうことか。

 

『この前も佐倉さん、速野くんだけには何か話そうとしてたらしいし……二人って、何か接点があるの?』

 

「いや、まあ、ないこともないが……」

 

 言葉に詰まる。

 コミュニケーション能力が異様に高い櫛田は、それで何か「自分には言えない事情」があるのだと察したようで、話題を切り替えた。ありがたい。

 

『それで、どうかな速野くん。日曜日のお昼前、時間ある?』

 

「ああ、それは全く問題ない」

 

 そのあとは集合時間と場所をスムーズに決める。

 櫛田の要件が終わったので、次に俺から話を持ちかける。

 

「櫛田。俺からも一つ頼みがあるんだが」

 

『何?』

 

「佐倉の連絡先を貰えないか」

 

『えっ、どうして?』

 

「ちょっとな。ああ、もちろん佐倉に確認を取ってもらってからでいい。断られたら引き下がる」

 

『う、うん。分かった。じゃあいったん切るね』

 

「ああ。頼む」

 

 

 

 

 

 2

 

 少しして、櫛田から佐倉の連絡先が送られてきた。

 櫛田に謝辞のメッセージを送り、そのまま佐倉に電話をかける。

 少し長めのコールのあと、電話に出た。

 

「もしもし。佐倉か」

 

『は、はい……えっと……』

 

「速野だ。悪いないきなり」

 

『い、いえ……どうしたんですか……?』

 

 相変わらずオドオドとして声も小さいが、その点についてこれ以上は突っ込まないことにする。

 

「さっき櫛田から、カメラの修理に俺も同行してほしいって頼まれた」

 

『あ……はい……私から、頼みました。えと、ご、ごめんなさい。やっぱり、迷惑でしたよね……』

 

 どうやら佐倉はクレームのための電話だと思っているらしい。

 

「いや、そうじゃない。櫛田から聞いてないか? 同行するのは構わないって答えたはずなんだが」

 

『は、はい……それは、聞いてた、んですが……』

 

「俺が言いたいのはそういうことじゃない。一つ頼みたいことがあるんだ」

 

『な、なんですか……?』

 

「日曜日にもう一人、綾小路も連れて行きたくてな」

 

『え……?』

 

 思わぬ人物の名前が出たことで、驚いている様子だ。

 

「昨日、去り際に綾小路が言ってただろ。証言を強要されるようなことがあったら相談しろって」

 

『……』

 

 反応を示さない佐倉。

 言葉を続ける。

 

「佐倉。正直俺は、お前のことを目撃者だと思ってる。そしてお前も、一度俺には打ち明けようとしてくれた。そういう認識で合ってるか」

 

『……そ、その、私』

 

 何か言おうとしているが、遮って話を続ける。

 

「いや、結局打ち明けなかったことや、今も目撃者として表に出るのを嫌がってることを責めるつもりはない。ただ本音を言うと、俺は佐倉に証言してほしいと思ってるんだよ。櫛田や須藤、堀北と同じように。ただ綾小路だけは違う。あいつはお前の意思を最優先に考えてる。だから佐倉、これからは俺じゃなくて綾小路を頼れ」

 

『……どうして、そんなことを……?』

 

「その方がいいと思ったからだ」

 

 それ以上のことは語らない。

 佐倉も何も口にしない。

 お互いに黙り込み、しばらくの間沈黙が続く。

 20秒か、あるいは30秒か。

 それくらい経ったところで、沈黙を破る。

 

「要件はこれだけだ。悪いな、いきなりで」

 

『い、いえ……そ、それじゃ』

 

「ああ」

 

 通話が終わる。

 綾小路を呼ぶことは拒否してなかったし、まあ承諾されたと思っていいだろう。

 櫛田と綾小路にその旨を伝え、眠りについた。

 

 

 

 

 

 3

 

 時間はあっという間に流れ、日曜日の昼前。

 約束の時間である。

 エレベーターに乗ると、先客がいた。

 眼鏡をかけ、マスクをつけ、帽子をかぶり、猫背で、長い髪を後ろで二つにまとめている女子。

 

「お、おはようございます……」

 

 ……あ、佐倉かこれ。声でやっとわかった。

 

「おはよう……」

 

 挨拶を返す。

 声聞いてなかったらたぶん分からなかった。

 ましてやケヤキモールの人込みの中だったら、一発で見分けるなんて絶対に無理だ。

 

「……なあ佐倉、どうしてもって言うならいいんだが、せめてマスクは外した方がいいんじゃないか。暑いし、多分櫛田も綾小路も分からない気がする……」

 

「あ、そ、そうですよね……不審者っぽい、ですよね」

 

「いや、不審者っていうか……目立ちたくないって思ってのことかもしれないが、逆に目立ちまくると思うぞ」

 

 目立ちたくない→顔をできるだけ見せない、って発想に至ったのかもしれないが、この出で立ちは逆に人の目につきそうだった。

 俺のアドバイスを聞き入れ、そっとマスクを外す佐倉。

 とりあえずこれであの二人も佐倉だと認識はできるだろう。

 寮を出て、ケヤキモールへ向かう。

 俺がケヤキモールに行った回数はかなり少ない。理由は行く相手がいないため。

 しかし、俺が普段から利用しているスーパーの食品館はケヤキモールの隣にあるため、道のりとしてはいつものものだった。

 待ち合わせ場所は、モール内にある広場。

 モール内といっても屋内ではなく、周囲をモールの建物に囲まれた屋外スペースだ。カフェなどのオシャレな店のイートスペースや、噴水、植え込み、ベンチなどがあり、開放的で人気があるらしい。

 俺と佐倉は適当に場所を見繕って、日陰のベンチに腰掛ける。

 もちのろんで、ここまでの会話はゼロだ。

 コミュ障とコミュ障を足し合わせたら、まあこうなるわな。人数としては2人であっても、1人と1人と言った方が実態としては正しい。

 周囲の喧騒だけが耳に入る。

 

「あ、二人ともー」

 

 そんな喧騒を切り裂くようにして、広場に声が響く。

 櫛田だ。

 それと綾小路もいる。

 二人に手を上げて合図し、ベンチから立ち上がる。

 

「お待たせしちゃったかな?」

 

「いや、そうでもない」

 

 時間を見ても、待っていたのはせいぜい2分程度だ。沈黙が気まずかったせいで長く感じたが。

 

 全員揃うや否や、佐倉が頭を下げた。

 

「あ、あの……今日はこんなことに付き合わせてしまって、ごめんなさい」

 

「ううん、佐倉さんと一緒に出掛けることができて、私たちとっても嬉しいから。ね、二人とも?」

 

「まあ、オレたちのことは気にするな。どうせ暇だったし」

 

 綾小路に同意し、俺も頷く。

 

「じゃあ、行こ」

 

「は、はい」

 

 

 

 

 

 4

 

 一昨日の放課後にも来た家電量販店。

 当然、その時となんの代わり映えもしない光景が広がる。

 唯一といっていい相違点を挙げるとすれば、客である学生たちが全員私服姿だってことくらいか。

 まあ、休日だし当然のことだが。

 そういやあんま意識してなかったが、クラスメイトの私服姿を見るのはこれが初めてのことだったな。

 櫛田も佐倉も、地味ではあるが綾小路も、着る服が違うだけでかなり新鮮に映る。

 

「ここだな」

 

「速野くん、道知ってるんだ」

 

「一昨日の放課後にたまたま来たんだよ」

 

 そう答えた途端、佐倉の肩がビクッと跳ねるのが見えた。

 ……ああそうか。言ってなかったな。

 いろんな意味で、見なかったことにしておくか。

 

「確か、修理の受付はあのサービスカウンターだったよね」

 

「は、はい……すぐ、直るかな」

 

 不安そうにボソッとつぶやく。

 

「本当にカメラが好きなんだな、佐倉は。学校でも携帯してたよな」

 

「は、はい……変、ですか」

 

「いや、全然そうは思わない。むしろいい趣味だと思うぞ。カメラ、早く直るといいな」

 

「……はいっ」

 

 佐倉と綾小路の会話。

 聞いていると、佐倉がこちらに向けて軽く会釈をしてきた。

 ……そういうことか。

 ああ、お前がカメラ好きで、自分を撮るのが趣味ってのは誰にも言ってないぞ。安心しろ。

 

「あったよ、サービスカウンター」

 

「は、はい。あっ……」

 

 一歩を踏み出した佐倉だが、そのまま足が止まってしまう。

 

「……」

 

 これは、先日と同じか。

 ……いや、遠巻きにしか見ていなかった先日とは違うものも感じた。

 カウンターには、その時と同じ店員がいるが……その店員に向け、明確な嫌悪を示しているのが分かる。

 

「佐倉さん、どうしたの?」

 

「え、あ、えっと……いえ、大丈夫です」

 

 賢明に平静を装う佐倉。

 意を決したように、カウンターへと一歩一歩進んでいく。

 その様子には櫛田も妙なものを感じたようで、俺と綾小路に不安そうなまなざしを向ける。

 

「……取り敢えず行くか」

 

「う、うん。そうだね……」

 

 ここで立ち止まっていても仕方がない。

 櫛田は小走りで佐倉の隣へ、俺と綾小路はその一歩後ろをついていく。

 カウンターの目の前に着き、店員へは櫛田が説明を始めた。

 

「あの、すみません。友だちのカメラが壊れてしまって、その修理をお願いしたいんですけど……」

 

 やはりこういったコミュニケーションはお手の物なのか、スムーズに説明を進めていく櫛田。

 一方、俺が気になったのは店員の様子だった。

 櫛田の説明を聞きながらも、その視線がちょくちょく佐倉の方に注がれているのが分かる。

 

「……?」

 

 佐倉が説明して、櫛田の方に視線が持っていかれる……というなら話は分かる。

 だが佐倉はいま、地味な見た目と雰囲気をしている。

 優れた容姿は眼鏡と帽子により隠され、男の視線を吸い寄せる大きな胸も、それが目立たないような服装を選んでいるように見受けられる。

 この状況、普通なら櫛田に視線が固定されるだろうに。

 今といい、そして昨日といい、この店員はいったい……。

 と考えていたが、どうやら店員は櫛田のこともロックオンしたようだ。

 カメラの故障とは全く関係ないであろう話題を櫛田に対して振っている。

 一体何やってるんだあの店員は。

 こっちにも明確に聞き取れるくらいデカい声で、しかも早口でまくし立てている。

 最初はそこそこやり取りに応じていた櫛田だが、話があまりにも脱線しているのをまずいと思ったのか、改めてカメラのことを話しだす。

 やり取りそのものはつつがなく行っている様子だ。

 カメラの故障の原因は、落下によって中の部品が破損したこと。それによって電源が入らなくなっているそうだ。

 保証期間内のため、修理は無料でできるらしい。

 

「よかったね、佐倉さん」

 

「う、うん」

 

「では、この用紙に必要事項を記載してください」

 

 店員がカウンターの引き出しから紙とペンを佐倉に差し出す。

 

「あ……」

 

 しかし、ペンを握る佐倉の手は動かない。

 記入を渋っているのか。

 そしてさらに妙なのは店員だ。

 さっきはちらちら見る程度だった佐倉への視線だが、今度は一直線に、じっと見つめていた。

 確か、この前佐倉が店を出て行ったあの時も……

 

「ちょっといいか」

 

「あ、綾小路くん?」

 

 固まる佐倉からペンを取り、代わりに綾小路が必要事項を記入した。

 さっきまで少し遠くにいた気がするんだが、今のやり取り、聞こえてたのか。

 突然の出来事に、店員も驚いている。

 

「え、き、君、いったい何を」

 

「修理済みのカメラはオレが受け取りますので、オレの方に連絡をください」

 

「い、いや、でも」

 

「何か問題がありますか。この紙の注意事項にも、所有者と受取人は同じでなければならない、なんて説明はないようですが」

 

「……わ、分かりました。どうぞ」

 

 店員も渋々といったようすで受け入れた。

 半ば無理やりな交渉だったな。口調といい睨むような視線といい、ちょっと怖かったぞ綾小路。

 ともかく、これで一連の手続きは終わったようだ。

 

「ありがとうございました」

 

 櫛田が感謝の言葉を述べる。

 佐倉は店員とは目を合わせず、軽く頭を下げるにとどめた。

 俺も綾小路も同じようにして、4人で店を立ち去った。

 そして、カウンターを振り返る。

 

「……」

 

 まただ。

 あの視線。

 次の仕事に移るわけでもなく、こちらをじっと見つめている。

 俺の視線には気づいていないらしい。

 となると、見ているのは俺以外の人間。

 まず間違いなく佐倉だろう。

 この店員……。

 

 

 

 

 

 5

 

「あ、あの、さっきはありがとうございました……」

 

「いや、別にいいさ」

 

 必要事項の記載には、氏名や学籍番号、電話番号、寮の部屋番号などの個人情報が多く含まれていた。

 それをあの店員に伝えるのはつらいだろう、ということで、綾小路が代わりにそれを引き受けたそうだ。

 なんでも、以前佐倉はあの店員に話しかけられたことがあるとか。今回俺たちについてきてもらったのも、やはりあの店員が怖かったかららしい。

 

「……うーん……?」

 

 そんな中、櫛田が佐倉を見て首をかしげている。

 

「どうかしたか」

 

「あ、ううん、何でもないよ。佐倉さん、私たち、役に立てたかな?」

 

「は、はい。とても助かりました……あの、ほんとにありがとうございました」

 

「それならよかったよ。私も嬉しいな。それから佐倉さん、良かったら普通に話してほしいな。同級生なのに敬語なんて、なんか変な感じがしちゃって」

 

 確かに、敬語にはそういう面もあるかもしれないな。

 そういや藤野も、最初は敬語だったが、俺が同学年だって分かった途端に普通の口調になったっけ。

 ただ、キャラクターというか、個性の一つとして誰に対しても敬語を使う人物というのは存在する。

 しかし佐倉のそれは個性というより、俺たちに対して精神的な壁を作っているような感じを受ける。

 

「そ、そう、ですか? 意識してるつもりはなかったんだけど……わ、わかり……わかった。頑張ってみる」

 

 まだ慣れないのか少したどたどしいが、櫛田の提案を受け入れようと努力しているようだった。

 

「無理はしないでね」

 

「う、うん。大丈夫……」

 

 今日一日を通して、櫛田のコミュニケーション能力の高さを思い知った。

 最初は取り付く島もなかった佐倉だが、今では櫛田と笑顔を交えて会話するまでになっている。この間わずか1時間足らずだ。

 すごいな、本当に。

 

「それじゃあ、寮に戻ろっか」

 

 そう言ってモールの出口に向かい歩き出す。

 しかし、なぜか佐倉はその場に留まっていた。

 

「……佐倉?」

 

「どうかしたの?」

 

「あ、あの……私……す、須藤くんのことで! 協力できることが、あるかも……」

 

「……」

 

 俺の時には言えなかった「すど」の続きを、櫛田、綾小路もいる前で言うことができた。

 

「佐倉……」

 

 俺は「よくやった」という意味を込めて佐倉を見る。

 しかし、櫛田は違った意味で、佐倉に心配そうな視線を向けた。

 

「あの、佐倉さん。気持ちはすごくうれしいんだけどね、私たち、そういう目的でこの場を設けたわけじゃないよ?」

 

「ち、違うの……。お礼とかじゃなくて……いま言わないと、たぶん、ずっと後悔すると思うから……」

 

 そういうことらしかった。

 ずっと気にしていたんだろう。事件のことを隠したかったわけでもあるまい。もしそうなら俺に伝えようとするはずがない。

 

「須藤の喧嘩の一部始終を見ていた、ってことでいいのか」

 

 綾小路の問いに、佐倉はゆっくりと頷く。

 

「……そうだったんだね。ありがとう佐倉さん。きっとみんな喜ぶと思うっ」

 

 そう言って、櫛田が佐倉の手を取った。

 とりあえずはよかった、のだろうか。

 話し合いの場でも、きっと佐倉は勇気ある証言をしてくれることだろう。

 俺も、自分のやることをやらないとな。

 寮のエレベーターでみんなと別れた後、俺は元来た道を引き返した。

 

 

 

 

 

 6

 

 家電量販店に戻ってきた。

 目的地は、先ほどと同じサービスカウンター。

 担当の店員が変わっていないことを確認し、そこへ向かう。

 

「すみません」

 

「あ、何でしょうか……」

 

「さっきカメラの故障に関して対応してもらった子の連れなんですけど……」

 

「えーと……」

 

 どうやらはっきりと覚えてないらしい。

 まあ、この人櫛田と佐倉しか見てなかったからな……。

 

「故障したカメラの持ち主と修理後の受け取り人を別にしてもらったの、覚えてますかね? 眼鏡をかけた子と一緒にいたんですけど……」

 

 その時、店員の雰囲気が一瞬変わるのが分かった。

 しかしすぐに仕事のモードに戻り、俺に対応する。

 

「ああ、先ほどの……失礼いたしました。何か御用でしょうか?」

 

「ああいえ、大したことじゃないんですが……」

 

 ここから本題に入っていく。

 

「いま話にでた眼鏡の子……めちゃくちゃ可愛いですよね」

 

「え?」

 

「いやほんとに、なんであんな可愛いのに、それを隠すように眼鏡なんてかけてるんだろう……」

 

 わざとらしくそんなセリフを吐く。

 

「あの、それでもしかして彼女とは以前からの知り合いだったりしますか? まさか……こっそり付き合ってたりとか……?」

 

「え、えーと……」

 

 俺の急な語り口に少し戸惑っている様子だ。しかしその反応に兆しを見た俺は止まらずに畳みかける。

 

「ああいえ、すみませんね急に……ただ、何というかあなたと佐倉の組み合わせを見たときに、こう……ピーンと来るものがあったんですよね」

 

「ピーンと、来る……?」

 

「そう、ピーンと来たんです。それに遠目からしか見てませんでしたけど、あなたと彼女、なかなかお似合いだと思うんですよ」

 

 遠目から見ただけの奴に何が分かるんだ、とツッコミが入るかもしれない。しかしいま、この店員はそんなことにまで頭が回っていない状態だ。

 俺がかけ続ける言葉に口角が上がりそうになるのを必死でこらえているのが分かる。

 さらに続ける。

 

「ほら、必要事項を記入する時だって……あれがあなたと彼女がいちばん近づいたタイミングでしたけど、あまりの恥ずかしさに目をそらしちゃってたじゃないですか、彼女。おまけに緊張のあまりフリーズしてペンを動かせなくなるし……」

 

 実際には佐倉は間違いなく恐怖感から目をそらしたのだが、この店員はそんな理解の仕方はしない。

 

「こんなのを目の前で見せられたら、やっぱりどうしても気になるんですよ。こういうの野次馬根性って言うのか……まあ分かりませんけど、なので聞かせてくれませんか? あなたと佐倉の話」

 

 これまでは俺が一方的に話すだけだったが、今度は店員の側に口を開くことを求める。

 

「お願いします。……あなたと彼女のこと、できれば応援したいとすら思ってるんですから」

 

 俺のその言葉が決定打になったらしく、ようやく店員は口を開いた。

 

「そ、そうだなあ……彼女と会ったのは確か、2年前だったかなあ」

 

「え、2年前って……」

 

 入学する前……中学時代の佐倉?

 

「本当に可愛くて、雫ちゃん、ブログもやってて、僕がコメントすると返事が返って来たんだ」

 

「ブログ? え、雫?」

 

 全く想定外の単語が次々に飛び出してくる。

 困惑した表情を浮かべていると、店員はしたり顔で俺に話した。

 

「君は何も知らないんだね。君は佐倉って呼んでるみたいだけど……雫ちゃんはアイドルなんだよ」

 

「アイドル……」

 

「そうだよ。雑誌で一目見た時から運命を感じたんだ。あの日ここで再会した時は、僕は神様は本当にいるんだって思ったよ。そのことはブログにもコメントしたんだ」

 

 すぐに携帯でアイドル、雫と画像検索する。

 検索結果に映っていたのは……以前バスケットコートで偶然見かけた、眼鏡をかけていない佐倉だった。

 

「そうだったのか……」

 

 通常検索にすると、店員が言っていたブログも出て来た。

 そのページに飛ぶと、佐倉……アイドル雫が自分で撮ったであろう写真がアップされている。写真の内容から見るにグラビアアイドルらしい。

 にわかには信じがたい事実ではあるが……投稿されている写真の中の一枚。この背景に映り込んでいる部屋の内装は、間違いなくこの学校の寮の部屋のものだった。

 つまり、ここに映っているのは確かに佐倉だ。

 なるほど……佐倉がカメラを大事にし、そして自撮りを趣味にしている事実はここにつながってくるわけか。

 店員の言っていたコメント欄を見てみる。

 基本的に応援のメッセージが寄せられているが、その中には一際不気味なコメントがあった。

 その内容は、「運命を感じるよ」「目があったの、気づいた?」「神様は本当にいるんだなあ」などなど。

 先ほどの言葉とほぼ一致していることから、この店員のものであるということは間違いなさそうだ。

 なるほどな……。

 

「今年の4月に入ってから突然返信してくれなくなったときは驚いたけど、ここで雫ちゃんを見つけて全て納得したよ。君たち、外部との連絡は取れないって校則があるんだよね? それを破ったら退学にされかねない……退学したら、僕といられなくなるからだって」

 

 間違いなくこの店員は関係ない。退学なんて誰でもしたくないに決まっている。

 このようにあり得ない妄想をぺらぺらと俺に話してくる。さっきから口調も崩れに崩れ、もはや客と店員が行うようなものではなくなっている。

 しかしそれは、俺がこの店員の警戒心を解くことに成功している証拠でもある。

 

「すごいですねそれは……。もっとあなたの話を聞きたいんですけど、いまちょっと時間がなくて……できれば、連絡先の交換をお願いできませんか? 今夜また話しましょうよ」

 

「ああ、それくらいならいいよ。それにしても君、雫ちゃんの可愛さを見抜くなんて流石だね……」

 

「まあ……はは」

 

 店員と連絡先を交換して目的を果たした俺は、二言三言会話を交わしたあと家電量販店をあとにした。



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証明のためにⅢ

 櫛田たちと共に家電量販店へ出かけた翌日の月曜日。

 言うまでもなく登校日だ。

 空調が効いているのは、当然ながら寮のロビーまで。

 通学路を歩く数分間は、とてつもない猛暑に晒される。

 ロビーを出て数秒だというのに、既にエアコンが恋しい。もはや依存症の域だ。

 まあでもそれは一面では事実かもしれないな。最近では、エアコンを憲法25条における最低限度の生活の維持に必要不可欠な物資として認めろ、と求める動きが強まっているという。

 つまり人間は、こんなクソ暑い中でエアコンなしでは生きてはいけないってことだ。

 くそったれ。太陽なんてほくろだらけになっちまえばいいんだ(黒点)。

 そんな、俺たちを容赦なく照らすお天道様への恨みつらみを心の中で述べていたところだった。

 目の前に見知った顔を発見する。

 

「綾小路……?」

 

 寮のロビーを出てすぐのところにある掲示板の前に立ち、それを眺めていた。

 声をかける。

 

「何やってるんだ」

 

 すると、綾小路は振り返り、なんだお前か、という顔をする。俺で悪かったな。

 

「いや、これを見てたんだ」

 

 綾小路が指さしたのは、掲示板にいくつかある貼り紙の中の一つ。

 

「これは……須藤の喧嘩の目撃者を募る掲示か……報奨のポイントまで」

 

「こんなことできるのは……」

 

「ああ、多分な」

 

 掲示を見て感心していた俺たち。

 

「おはよー速野くん、綾小路くん」

 

 そんな俺たちに、後ろから声がかかる。

 暑さを打ち破るような、快活で清涼感のある声。

 Bクラス、一之瀬のものだった。

 

「おはよう一之瀬」

 

「おはよう」

 

「うん、おはよう二人とも。何してたの?」

 

「この掲示を見てたんだ。一之瀬がやってくれたのか」

 

 綾小路が問うと、一之瀬がその掲示を覗き込む。

 

「ふむふむ、なるほど……確かにこの形での呼びかけは考えてなかったな。良い手だね。でも、これをやったのは私じゃないよ」

 

「え、そうなのか」

 

「うん。多分これは……あ、ちょうどいいところに。神崎くーん」

 

 神崎……?

 俺たちの知らない名前が一之瀬の口から出る。

 その声に反応した男子生徒が、ゆっくりこちらに近づいてきた。

 

「おはよう神崎くん。この張り紙、神崎くんだよね?」

 

「ああ。金曜日の夕方にな。この場所は生徒全員が例外なく通る場所だから、掲示には最適だと思ったんだ」

 

「さすがだよ。これなら人の目に留まりやすいね」

 

 金曜の夕方……となると、俺は少なくとも、今この瞬間を除いて5回ほどこの場所を通る機会があったわけだが、まったく目に入らなかった。

 この場所の掲示事項は、部活の部員募集だったりが大半だからな。多くの生徒はそんなに注目していないだろう。だがそれでも、一人ひとりに確認を取るよりは効率的だ。

 

「……助かる。わざわざポイントまで」

 

「礼には及ばない。お前は確か、速野だったな」

 

 神崎という名前らしいその少年は、俺の目を見てそう言った。

 

「……知ってるのか」

 

「にゃはは、だから言ったじゃない。速野くん有名だよって」

 

「そうだったな……」

 

 俺の名前は予想以上に一人歩きしてしまっているらしい。

 もちろん、警戒対象としてだろうけど。神崎の視線がちょっと鋭かった。

 

「もう一人の彼は綾小路くん」

 

「神崎だ。よろしく」

 

「よろしく」

 

 初対面の挨拶と同時に握手を交わす二人。

 そんな穏やかな様子を、少し羨ましく思ってしまう。

 学力だけの俺なんかより、綾小路の方を警戒したほうが絶対にいい……なんてことを、この場で言い出せるわけはないんだが。

 

「何か情報はあった?」

 

「いや、残念ながら有力なものはなにも」

 

「うーん、そっか……私も掲示板見てみよっかな」

 

「掲示板? 他にも何か貼ってるのか?」

 

「にゃはは、違うよ綾小路くん。私の掲示板はこっち」

 

 そう言って、一之瀬は自身の端末を指し示す。

 

「学校のホームページに、インターネット掲示板があるんだよ。そこで情報提供を呼び掛けてたんだ」

 

 言われて、綾小路が自身の端末でも調べ始める。

 俺はそれをのぞかせてもらうことにした。

 

「なるほど……閲覧者数もみられるのか。しかもこっちにもポイントを……」

 

 プライベートポイントの支払いが滞っている原因でもあるこの事件の注目度はそれなりに高く、多くの生徒がこの掲示板を閲覧しているようだ。

 

「ほんと悪いな、何から何まで」

 

「ううん、気にしないで。私たちが勝手にやってることだから。えーっと……あ」

 

「どうかしたか?」

 

「うん、書き込みについて、2件ほどメールで来てるみたい。えーっとどれどれ……Cクラスの3人のうちの石崎くん、中学時代は相当な悪だったらしくて、喧嘩の腕も立つみたいだよ。地元じゃかなり恐れられてたって」

 

 俺が藤野から聞いたものと全く同じものだ。

 

 俺はこの情報を、櫛田や平田をはじめとするDクラスの面々に共有していなかった。

 

「学外のことについては裏取りは不可能だが、もしも事実だとしたら興味深いな。バスケ部2人に、喧嘩慣れした人物が1人。その3人が須藤1人に一方的にやられたというのは不自然だ。須藤にやられたのはわざとかもしれない」

 

 かなり頭の回るらしい神崎が、素早く筋の通った推測を立てる。

 

「うん、私もそう思う。でも、これだけだとまだ弱いかな……」

 

「そうだな。須藤が暴力をふるったという事実を帳消しにできるほどのものじゃない。うまく心証を操作できても、よくて須藤6、Cクラス側4が限界というところだろう」

 

「うーん、そうだねえ……。Dクラスの方はどう? 目撃者について、何か進展あった?」

 

 俺はそれに答えようとしたが、出しかけた声を打ち消すようにして綾小路が言った。

 

「いや、それについてはまだ何とも言えない。交渉中だ」

 

「うーん、そっか……何か事情があるのかな」

 

 ……言わないのか、この2人に。

 堀北じゃあるまいし、知らせたくないってわけじゃないんだろうが……。

 佐倉が態度を翻したときの逃げ道を作ってやるつもりか。

 

「取り敢えず、約束は果たさないとね。情報をくれた子にポイントを……あれ、相手は匿名か。どうやって送ればいいんだろ……?」

 

「ああ、そのやり方ならオレが知ってる」

 

 その様子を見て、俺はその場を立ち去る。

 

「ふたりとも、協力ありがとう。俺はそろそろ登校するから。またの機会に礼をさせてくれ」

 

「そんな、気にしなくてもいいんだよ。行ってらっしゃーい」

 

「ああ」

 

 少し小走りで寮の敷地を出て、学校へ続く横断歩道を渡る。

 その途中、ピロン、と、俺の端末に通知が来た。

 

 

 

 

 

 1

 

「おはよう、速野くん」

 

 教室に入り、自分の席に向かっていたとき。

 すれ違いざま、佐倉に挨拶をされた。

 

「あ、ああ……おはよう」

 

「……うん」

 

 なんだ……?

 何か、俺を見る目が前と違うような……

 

「……」

 

 ……いや、そういうことか。

 そうか。

 佐倉、気づいたんだな。

 俺のわずかな認識の変化に。

 恐らく、彼女の中でも根拠があるわけじゃない。

 当然のことながら、日曜日に寮のエレベーターで別れてから、彼女と顔を合わせるのは今が初めてだ。

 だから、直感だろう。

 しかし確かに感じ取ったのだ。

 俺が……佐倉のもう一つの顔……グラビアアイドル「雫」としての顔を持っていることに気づいた、ということを。

 

 

 

 

 

 2

 

 その日の昼休み。

 教室の隅っこ、俺たちの席付近で、明日の話し合いに向けた作戦会議を開いていた。

 参加メンバーは、当初目撃者探しの櫛田班として動いていた5人に須藤、堀北を加えた7人。

 

「先生の言い方、ちょっと酷かったと思わない? あれじゃあ、勇気を出した佐倉さんがかわいそうだよ……」

 

 朝のホームルーム終了後、櫛田と俺、堀北、綾小路は、佐倉を連れて茶柱先生のもとに報告へ行った。

 しかし茶柱先生は、佐倉が目撃者だという話を最後まで疑っていた。

 なぜもっと早く名乗り出なかったのか、などと、佐倉を責めるように。

 

「あれくらいは言われて当然よ。全て事実だもの。それに佐倉さんが悪いわけじゃないわ。恐らく、佐倉さん以外のDクラスの生徒が佐倉さんより早く目撃者として名乗り出ていたとしても、状況は大して変わらなかったでしょうね。目撃者がDクラスの生徒だった時点で、避けることのできない問題よ」

 

「そう、かもしれないけど……」

 

 櫛田はどこか納得のいかない様子で目を伏せる。

 そんな櫛田の様子など知らん顔で、堀北はそのまま話を続ける。

 

「明日の話し合いには、須藤くんに加えてあと二人、Dクラス側の弁護役として参加することが認められたわ。参加するのは私と……あなたたち二人のどちらかになる」

 

 どちらかというのは、当然俺と綾小路。

 譲り合いという名の押し付け合いになるかと思われたが。

 

「……俺がやるよ」

 

 自分から名乗り出た。

 話がこじれて、呆れられるよりはいい。

 

「……意外ね。立候補するなんて」

 

「自分でもそう思うが……綾小路もできればやりたくないだろ?」

 

 当然、とでも言わんばかりに綾小路が頷く。

 

「おいおい、大丈夫かよ速野。お前で」

 

 何やら文句ありげな視線を須藤に向けられる。

 綾小路をご所望だったか?

 

「何かご不満かしら須藤くん?」

 

「い、いや、不満ってほどのことじゃねえんだけどよ」

 

「なら文句を言わないで。速野くんでも綾小路くんでも、あなたよりはよほど弁が立つわ」

 

「ケッ」

 

 赤い髪をした暴れ馬も、想い人である堀北にかかればタジタジだ。

 

「……まあ、頼りないっていうお前の気持ちは分かるが、できるだけ頑張るから我慢してくれ須藤」

 

 俺も8700ポイントは欲しいしな。

 そんな中、隣が少し騒がしくなる。

 

「おい、ちょ、返せよ寛治」

 

「いいじゃんかよ、俺もポイント半分出してんだからさ。読み終わったらすぐ返すって」

 

 どうやら漫画雑誌を取り合っているようだ。小学生か。

 こいつらほんと、参加するならするで話くらいはちゃんと聞いてくれよ。堀北に粗大ごみを見る目で見られてるぞ。

 その喧騒の中、櫛田がぼそりとつぶやく。

 

「……もしかして……」

 

「どうした櫛田?」

 

「あ、ううん、何でもない。明日は頑張ってね、堀北さん、速野くんっ」

 

 そういって受け流す櫛田だが……昨日もこんな感じのやり取りがあったよな。

 昨日のと何か関連があるのか?

 

 



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証明のためにⅣ

 その翌日。

 Dクラスは全体的にそわそわした空気の中で、6コマの授業を全て消化し終わった。

 そしてホームルームが終わり、放課後。

 運命のときである。

 

「行くか」

 

「ええ」

 

 討論に必要になると読んでのことか、堀北は筆記用具とノートを携えて席を立つ。

 

「準備はいいかしら須藤くん」

 

「ああ……つか、俺は最初から準備満タンだぜ」

 

 須藤は一度気合を入れるように左右の拳をぶつけ合って、席から立ち上がる。

 

「……佐倉」

 

「え、あ、う、うん」

 

 ……まあ、そりゃ緊張もするか。

 そんな様子の佐倉に、綾小路が駆け寄って、みんなには聞こえないよう小さく声をかける。

 

「佐倉。昨日言った通りだ。お前の好きにやればいい」

 

「……うん、ありがとう、綾小路くん」

 

 断片的な会話しか聞こえてこなかったが、それが佐倉を勇気づけたのか、席から立ち上がった。

 

「行きましょう。遅れると印象が悪いわ」

 

「そうだな。あと10分か」

 

 茶柱先生には、話し合いに参加する者は職員室に集まるように言われている。

 

「やっほー。Dクラスの皆さん集まってるうー?」

 

 職員室に着いた途端、そんな陽気な声を発する教師が一人。

 誰かは知らないが見覚えはある。

 確か中間テストのテスト範囲の件で職員室に来た時、綾小路に向かってひらひら手を振ってた人か……

 

「あれれ? 綾小路くんはいないんだー」

 

「何をやってるんだお前は」

 

 冷たい声が、その陽気な教師の後ろから聞こえてくる。

 資料の束を持った茶柱先生だ。

 

「ありゃ、見つかっちゃった?」

 

「お前がコソコソ出ていくときは、たいてい私に何か隠していることがある時だ」

 

「あははー、ごめんごめん。でさーサエちゃん、私も参加しちゃダメ? なんか面白そうだし」

 

「Bクラスの担任で部外者のお前が、そんなことできるわけがないだろう」

 

 Bクラス? ってことは、一之瀬や神崎の担任か。

 毎日こんなのを相手にしてるのか……他クラスも結構苦労してんだな。

 

「そっかー残念。ま、どうせすぐに結果出るだろうしねー。あうっ」

 

 茶柱先生は名も知らぬBクラスの担任教師の頭をひっぱたいた後、ぐいぐいと職員室の中へ押し戻した。

 

「さて、掃除が終わったところで、行こうか」

 

 いや掃除って……。

 

「話し合いの会場は職員室ではないんですか」

 

「ああ。通常このような話し合いでは、生徒会室が使用されることになっている。生徒同士の揉め事の仲裁も、生徒会の役割の一つだからな。原則として生徒会長が立ち会うことになっている」

 

 生徒会長、という単語が耳に入った瞬間、堀北に露骨に動揺が走る。

 は……マジかよ。

 堀北、お前ちゃんとやれるんだろうな。

 

「引き返すなら今のうちだぞ」

 

 配慮なのか何なのか、茶柱先生は堀北に対しそう忠告する。

 事情を知らない須藤は、頭にはてなマークをいくつも浮かべているようだ。

 

「……いえ、問題ありません」

 

「……」

 

 少し、いやかなり不安が残るが……。

 Dクラスの要はお前なんだぞ、堀北。しっかりやってくれよ。

 心の中でそう念じながら、俺は端末を操作し、話し合いの会場である生徒会室へ出向いた。

 先頭を歩いていた茶柱先生がノックをし、最初に生徒会室へ入る。

 それに続いて俺、須藤、そして最後に堀北が入った。佐倉は出番まで外で待機だそうだ。

 Cクラス側は全員揃っているようで、生徒3人、教師と思われる男性1人が既に着席してた。

 

「遅くなりました」

 

「いえいえ、お気になさらず。時間まではまだ余裕がありますから」

 

 そう答えた男性教師……先ほどに続いて、これまた知らない人物だ。

 その様子を察したのか、茶柱先生が紹介する。

 

「Cクラス担任の、坂上先生だ」

 

「どうも」

 

 それに対して軽く会釈を返し、用意されていた席に座った。

 生徒会室には長方形の大きな長机があり、奥側にCクラス、手前側に俺たちDクラスが座っている。

 そしてその上座に位置する席には……生徒会長、堀北学先輩が座っていた。

 その妹、堀北の様子は……やはり兄を意識して、かなり委縮しているようだ。

 一方で会長はこちらには目もむけず、資料に目を通している。

 そんな会長に茶柱先生が話しかける。

 

「まさか、この程度の揉め事に生徒会長が立ち会うとはな。普段の出席率はあまり高くないと聞いているが?」

 

「それは日々多忙故、仕方なくです。原則私は立ち会うことにしていますよ」

 

「ふっ、偶然、ということか」

 

「ええ、もちろん」

 

 そんな問答が交わされる。

 生徒会長がここにいるのが意図的か偶然か、そんなことはどうでもいい。

 それより、堀北の無力化によって戦力大幅ダウンを強いられているこの状況そのものを、何とかする術を考えなければ……。

 ……これしかないか。

 

「それではこれより、先々週の金曜日に発生し、未だ係争中である暴力事件に関して審議を行います。司会進行は生徒会書記、橘が務めます。よろしくお願いします」

 

 綺麗なお辞儀を見せる橘書記。

 

「まずは事実関係の確認です」

 

 そう言って、須藤の主張、Cクラス側3名の主張が食い違っていること、そして唯一の確定事項が、須藤が3名に暴力行為を働いたということ……既に周知の事実である情報を淡々と述べていく。

 先週から何度も考え抜いたことだ。今さら言われないでも頭に入っているが……まあ、手順の都合上そうせざるを得ないのだろう。

 

「以上の経緯から、どちらの主張が真実であるかについて、検討していきます。小宮くん、近藤くんは、バスケット部の練習後、須藤くんに呼び出されたと主張していますが……これについて反論は」

 

「あるに決まってんだろ。それは全部嘘だ。俺の方が特別棟に呼び出されたんだよ。小宮、テメエにな!」

 

「身に覚えがないですね」

 

「んだとコラ! 嘘ついてんじゃねえよ!」

 

「嘘を吐いているのは須藤くんの方ですよ」

 

「双方とも落ち着いて。今は須藤くんに質問しています。そして須藤くん、主張の際は冷静にお願いします」

 

「……くそ」

 

 ここでの自分の立場はそれなりに理解しているようで、橘書記に注意されると、須藤は大人しく引き下がった。

 

「どちらも相手に呼び出された……と主張しており、食い違っています。ですが、どちらかがどちらかを呼び出すに足るようなきっかけとなる出来事は、両者間に少なくとも存在はしていたようですね。では近藤くん、あなたが須藤くんに呼び出された理由やきっかけに、心当たりはありますか」

 

 今度はCクラス側に質問する。

 

「……須藤くんは、いつも僕たちを馬鹿にしてきたんです。彼はバスケがとても上手く、レギュラー候補にも選ばれていましたが……それを鼻にかけて、僕らを見下していました。僕らも一生懸命に練習に励んでいますが、そういった態度を取られるのは、いい気分ではありませんでした。なので恐らく、今回もそういった関連のことなんじゃないかと」

 

「こっ……」

 

「おい須藤」

 

 再び立ち上がろうとした須藤を制する。

 こういう場において、こいつの沸点の低さはかなり厄介だな……。

 

「須藤くん、何か反論はありますか」

 

「反論も何も、そいつらの言ってることはほとんどが嘘だ。俺がレギュラーに、って話をコーチからもらってたのは本当だが、それを鼻にかけたことなんざ一度もねえ。それに嫉妬してんのか知らねえが、練習中に絡んできたり、邪魔してきやがったりしてんのはお前らの方だろうがよ!」

 

 ……おいちょっと待て須藤。それ初耳だぞ。

 なんでこういうのをもっと早くに言わなかったかなあ……。

 

「平行線ですね。こうなれば、今ある材料で判断するほかないと思いますが」

 

 食い違っている主張、そしてそれに証拠がないとなれば、この話し合いの結論を決定する要素とはならず、双方の主張ともに棄却される。

 

「堀北……」

 

 呼びかけても、まったく返事がない。心ここにあらずとはまさにこのことか。

 てか、生徒会室に入ってから一言もしゃべってないぞこいつ。

 このまま行くのは非常にまずい。

 

「あの、発言いいですか」

 

 俺はすっと手を上げる。

 

「Dクラスの速野くんですね。どうぞ」

 

 認められたので、始める。

 

「須藤、バスケの練習中にこの3人が邪魔してきたって話、本当か」

 

「あ、ああ。そうだ」

 

「では小宮くん、近藤くん」

 

 ……同級生に「くん」付けするの、なんか変な感覚だ。

 が、今はそんなことはどうでもいい。

 

「須藤くんはいつもあなたたちを馬鹿にしている、と言っていましたね」

 

「え、ええ」

 

「いつも、というのは、練習中も、ですか」

 

「そ、そうです」

 

「ならばこの点については、他のバスケ部の証人がいれば、真偽が分かりますね。練習中は衆人環視ですから。どうでしょう生徒会長」

 

 そう言った瞬間、Cクラス側にわずかに動揺が走るのが分かる。

 それはそうだろうな。今のCクラスの主張には恐らく、かなりの脚色が入っていたはず。

 加えて須藤の言っていることは、等身大の事実だろうからな。

 俺のよびかけに、堀北会長が口を開く。

 

「確かにその点については速野、お前の言う通りだ。だがその証人を用意できているのか?」

 

 できてるわけないだろ。この話は初耳だったんだから。

 

「……いいえ。なので後日、新たに証人を用意させていただければはっきりするかと」

 

 Cクラス側は動揺が止まらない。これはいけるか……と思ったが。

 

「生徒会としても学校側としても、審議が伸びることは望まない。後日、といったが、それはそちらが今日この日までにやっておくべきことだった。それは理解しているか?」

 

「……はい」

 

「以上の理由により、後日の証人の喚問は現時点では認められない。残念だったな」

 

「……そうですか」

 

 まあ、こうなるだろうなとは思っていた。

 

「失礼しました。ではもう一つよろしいですか」

 

「許可する」

 

 続けざまに質問を飛ばす。

 間髪を入れないことで、相手側に余裕を与えない。

 

「須藤、喧嘩が終わったのはいつか、覚えてるか」

 

「いつ、って、時間かよ。覚えてねえよそんなもん。時計なんて見てねえしよ」

 

「石崎くん、小宮くん、近藤くんはどうですか」

 

「僕たちも正確な時間は覚えてません。分かるのは、須藤くんに呼び出されたのが部活の終わった6時半ごろで、その後に特別棟に行ったということです。それはそちらも知ってるはずです」

 

「はい、そう言い張ってるのは知ってますよ。体育館から特別棟までは約3分ほどかかりますから、3人が特別棟に来たのは6時35分ごろのこと、と考えて構いませんか」

 

「そ、それが何だって言うんですか」

 

「肯定と受け取りましょう。では、先ほどとは聞き方を変えます。喧嘩は何分ほどの長さでしたか。体感で構いません。10分か、あるいは20分か」

 

「……そのくらいだったと思います」

 

「その時、日は出ていましたか」

 

「は? で、出てました……」

 

「眩しかった?」

 

「だから、そんなこと聞いて何になるって」

 

「答えてください」

 

「……殴られたときに、一瞬目にはいってしまうことはありました」

 

「つまりその時、日はまだ沈み切ってはおらず、近藤くんの目に入ってしまうくらいの位置にあったということですね。日の入りの……少なくとも10分以上は前だと考えられる。先々週の金曜日の日の入り時刻を調べたところ、19時ちょうどでした。つまり喧嘩が終わったのは大体18時50分前後、ということですね」

 

 ここまでつらつらと推測を並べ立てていたが、ここで一泊置いて堀北会長に目を向ける。

 このまま持論を述べ続けて構わないか、という問いだ。

 

「続けろ」

 

「ありがとうございます。ところで三人とも、その怪我、かなり重そうですね」

 

「あ、当たり前です。呼び出され、一方的に殴られたんですから」

 

「ええ、それはこちらも気の毒に思ってます。大事に至らなくて何よりでした。たいそう急いで保健室に駆け込んだんでしょう」

 

「保健室ではないですよ」

 

「ではどこで」

 

「保健室はもう閉まっていたので、8時まで開いてる診療所に」

 

「喧嘩の現場となった特別棟から診療所までの距離は約300メートル。道に迷うこともないほぼ直線の道ですね。300メートルであれば、普通に歩けば5分ほどで着く。怪我をかばって向かったことを考慮しても……20分ほどあれば着くはず。つまりその診療所には、どんなに遅くても19時20分ほどには着いていなければおかしい。橘書記、そちらに3人の診断書があるはずです。それによれば、来院時刻はどうなっていますか」

 

「……19時45分です。診療終了15分前、かなりギリギリですね。いまの速野くんの推測には一定の合理性があると思われますが、会長」

 

「そうだな。石崎、小宮、近藤、なぜお前たちの来院はこんなにも遅れた?」

 

「そ、それは……」

 

 言葉に詰まるCクラス。

 しかし、その中の一人、小宮が発言する。

 

「速野くんの推測には誤りがあります。それは僕たちの怪我の具合です。僕たちは、300メートルを20分で歩けるような状態じゃなかったんです。診療所まで急いだことは事実ですが、僕らはお互いの怪我を庇い合いながら歩いていました。そしたら、40分もかかってしまった、ということでしょう。僕らは一々時間を気にしていなかったのでわかりませんが。それに、推測は推測でしょう。全て正しいものとは限らない」

 

「……と、いうことだが。速野、何か反論はあるか」

 

「……いえ、分かりました」

 

 かなり丹念に解説していったが、Cクラス側のボロを引き出すことは叶わなかった。

 だが、これでいい。

 いま俺がこの発言をしたことには、この審議とは全く別の目的がある。

 元々俺が話し合いに自ら参加したのもそのためだ。

 そして、それは達せられた。

 

「速野。お前の推測には一定の合理性を認めるが……それは推測の域を出ない。分かっているな」

 

「……はい」

 

「続けてくれ橘」

 

「はい。では先ほども述べた通り、いまある材料で判断していくこととします」

 

 橘書記の言う「いまある材料」とはつまり……

 

「僕たちは須藤くんにめちゃくちゃに殴られました。一方的にです」

 

「それが嘘だ! 確かに殴ったは殴ったが、先に仕掛けたのはそいつらの方だ!」

 

 やはり、こうなるか。

 一方的に殴られたという事実。Cクラスのこのカードはシンプルかつ非常に強力だ。

 そしてこちらが非常にまずい状況だというのに、堀北はまったく動こうとしない。

 目を伏せ、黙っている。

 

「……」

 

 こいつほんと……。

 ああもう、仕方がないな。

 俺は、ここまで何の役にも立っていない堀北の筆箱を勝手に物色し、その中からコンパスを取り出した。

 そして、少し大きな声で話しかける。

 

「おい堀北。寝るな」

 

 堀北の体がビクッと跳ねる。

 流石にこれは聞こえたようだ。

 それに対し堀北は、少し震えた声でこう言った。

 

「ね、寝てなんか……」

 

 この場で初めて発した言葉がそれか……。

 

「寝てるのと同じだろ。座って俯いて一言もしゃべらない。授業中の須藤と何が違うんだよ」

 

「テメエ……」

 

 引き合いに出させてもらった須藤には、悪い悪い、とジェスチャーで伝える。

 

「いい加減に起きないと刺すぞ」

 

 そうして、事前に奪い取っていたコンパスの針を堀北に向ける。

 居眠りしようとしていた俺や綾小路に、コンパスの針を向けていたのは堀北だ。つか綾小路は一度刺されてたっけ。

 

「なっ、それ、いつの間に……」

 

「それにすら気づいてなかったのか。お前やっぱ寝てただろ。寝るなら保健室か寮のベッドで」

 

「だ、だから、寝てるわけないでしょう!」

 

 今までより一層大きな堀北の声が、生徒会室に響き渡る。

 そして流れる沈黙。

 全員の視線が堀北に集まった。

 周りを見渡し、徐々に状況を理解していく堀北。

 頭の中にかかっていたもや、それに狭かった視界も晴れていっているだろう。

 そして意識がクリアになればなるほど、今の自分の言動に恥ずかしさを覚え、顔を少し赤らめていった。

 そんな堀北にこう付け加える。

 

「……その息だ。さあ、なんか反論しろよ。お前が寝てる間に、お前が用意してた要素のいくつかを使って代わりに反論したが、ダメだった」

 

「だ、だから寝てないと言って……というか用意してたよう」

 

「このまま負けるぞ。……お前が何もしなければ」

 

 堀北の言葉を遮って言う。

 負け。敗北。

 意識の覚醒した堀北には、刺さる言葉だ。

 ようやく正気を取り戻したか。

 んんっ、と一度咳払いをして、堀北が発言する。

 

「……失礼しました。私の方から、Cクラスの3人に質問したいことがいくつかあります。よろしいでしょうか」

 

「構いませんか、会長」

 

「いいだろう。許可する」

 

 それに一礼し、話し始める。

 

「先ほどあなたたちは、部活終わりに須藤くんに呼び出された、と言っていましたね。では、どうして石崎くんが現場にいて、このように喧嘩に加わっているのですか。彼はバスケット部には無関係のはずです」

 

「それは、用心のためですよ。須藤くんが暴力的だというのは知ってましたから」

 

「なるほど、その用心棒のために、中学時代に不良で、喧嘩の強かった石崎くんを連れて行ったと」

 

「自分の身を守るためです。それに、石崎くんが中学時代に不良だったなんて知りませんでしたよ。信頼のおける友人だったから、来てもらったんです」

 

「石崎くんは、二人にどのように呼ばれたのですか」

 

 ……なるほど、いい質問だ。

 

「携帯ですよ。通話記録だって残ってます」

 

 だが、対策済みだったようだ。

 

「……そうですか。分かりました」

 

 須藤が呼び出された側なら、それはCクラス側では事前に示し合わせていたこと。石崎が現場に来るのに連絡なんて必要ないことになる。

 もし通話記録が残っていなければ、Cクラスの供述は嘘ということになる。そこから崩せると考えたんだろうが……相手が一枚上手だったようだ。

 しかし、これでは終わらないようで、堀北の質問は続く。

 

「私にも、多少ではありますが武道の心得があります。相手が3人、それもその中に喧嘩慣れしていたという石崎くんがいる状況で、須藤くんに一方的にやられたというのが、腑におちません」

 

「それは、僕らに喧嘩の意思がなかったからです」

 

「無抵抗だった、と?」

 

「そうです」

 

「客観的に見て、どちらか一方が無抵抗な場合に、それほどの怪我をする確率は低いと考えられますが」

 

「その考えが、須藤くんには当てはまらなかったということですよ。無抵抗だった僕らは須藤くんに一方的に殴られ、こんな怪我を負わされた。それが事実なんです」

 

 改めて、怪我というカードの強さを思い知らされる。

 堀北の客観的考察も、具体的証拠の前には弱い。そしてそれは分かり切っていたことだ。

 

「それで終わりか?」

 

 生徒会長が、今日初めて堀北に言葉を向けた。

 それに一瞬動揺を見せるが……すぐに立ち直って言葉を続ける。

 

「……いえ。まだあります。確かに須藤くんは暴力をふるいました。しかし、先に仕掛けたのはCクラス側です。その一部始終を目撃した生徒もいます」

 

「では、Dクラス側の証人、入室してください」

 

 橘書記の声に促され、佐倉が生徒会室に入る。

 ……やっぱり、ガッチガチに緊張してるな。

 綾小路との会話で少しは和らいだかと思ったが、本番という壁を乗り越えるのはやはり辛いものがあったか。

 

「1年Dクラス、佐倉愛理さんです」

 

「おや、目撃者と聞いて少し驚きましたが、Dクラスの生徒でしたか」

 

「何か問題でも? 坂上先生」

 

「いえいえ。どうぞ続けてください」

 

 失笑を漏らす坂上先生。それによって、佐倉はさらに精神的に追い込まれる。

 この坂上先生とやらは、うちの担任と違って随分とクラスに協力的だな。

 

「では、証言をお願いします。佐倉さん」

 

 橘書記に促される。

 

「は、はい。あの、私は……」

 

 しかし、佐倉の言葉はそこで止まってしまう。

 

「わた、しは……」

 

 その続きの言葉が口から出てこない。かき消えてしまう。

 それきり、黙り込んでしまった。

 

「佐倉さん……」

 

 たまらず堀北も声をかけるが、届かない。

 するとCクラス側から、はあ、とため息が聞こえてくる。

 

「どうやら、彼女は目撃者ではなかったようですね。どうぞお下がりください」

 

 坂上先生だ。

 場を持たせるため、本意ではないが反論する。

 

「坂上先生、それはつまり、彼女が嘘をついていると?」

 

「そうは言っていません。ですがそうですねえ……嘘を吐いているのではなく、吐かされている。クラスのためなどと言って、あなたたちが言葉巧みにこの場に連れ込んだのではありませんか? その説得に時間がかかった。証言者として名乗りを上げたのが遅かったのがその証拠だ」

 

 それには堀北が反論した。

 

「そのような事実はありません。もしそうだとしても、代役にはもっと適任な人物がいるはずです」

 

「彼女のような人物を起用して、リアリティを持たせようとしたのでは?」

 

「リアリティ……」

 

 もはや堀北は、呆れを隠そうとはしなかった。

 もちろん坂上先生も、本気でそんなことを思っているわけじゃないだろうが……。

 つまり同じクラスからの目撃者は、それだけで証拠能力が極度に薄まる、ということだ。当初から懸念していた通りではあるが、あらためて実感する。

 しかし、一応のこと反論はする。

 

「リアリティを持たせるなら、他クラスの生徒、いや他学年の生徒をポイントで買収するという手もあります」

 

「ははは、それはそれは。私にはそのような手は思いつきませんでした。やはりあなたたちの中には、優秀だが狡猾な考えをお持ちの生徒がいるようだ」

 

 くそ、上手いな。さすがはこの学校の教師だ。

 

「……リアリティを持たせるために彼女を起用した、というデタラメを撤回していただけますか」

 

「分かりました。それは撤回しましょう。しかしですね、彼女は現に証言を行うことなく、こうして固まってしまっている。これはいったいどういうことでしょう?」

 

 そして、再び佐倉に注目が集まる。

 佐倉は、震える視線で、一度こちらを見た。

 

「……」

 

 そうか。

 不安か。怖いか。

 まあ問うまでもなく、不安だし怖いだろうな。

 俺はその視線を返す。

 どのような意図が伝わったのかは分からないが……佐倉は胸に手を当て、ふっと息を吐いた。

 そして、ゆっくりと口を開く。

 

「私は……私は、あの日、特別棟で、須藤くんたちの喧嘩を見ました! 間違いありません!」

 

 先ほどの様子からは考えられないほど大きな声で、そう言った。

 しかし、坂上先生はそれを笑い飛ばす。

 

「佐倉さんだったね。もう無理はよしたまえ」

 

「無理なんかしてません!」

 

 少し裏返ってしまうほどの大きな声。もはや叫びにも近かった。

 佐倉の予想外の勢いに、坂上先生も少し気圧されている。

 吹っ切れたみたいだな。

 

「ここに、証拠もあります!」

 

 そう言って佐倉は、7,8枚ほどの写真の束を差し出した。

 

「拝見しますね」

 

 橘書記がそれを受け取り、会長に手渡す。

 

「私が、あの日、特別棟にいたという証拠です……」

 

 会長はそのすべてを見て、そのうち一枚を黒板に貼りつけた。

 そしてつぶやく。

 

「撮影日時は容易に変更が可能……しかし、これは動かぬ証拠といえる」

 

 会長が貼り付けた一枚。

 その写真には、伊達眼鏡を外し、今の佐倉からは想像もつかないほどかわいらしい表情のグラビアアイドル、雫が手前に。

 そしてその後ろには、須藤と石崎、小宮、近藤の姿が、ピンボケしながらもしっかり捉えられていた。

 

「こ、これは……」

 

 坂上先生も、Cクラスの3人にも再び動揺が走る。

 確かに、佐倉があの日、この現場にいたことを証明する確たる証拠だ。

 これに驚いているのは俺も同じだった。

 まさかこんな物的証拠があるとは、俺も知らなかった。

 それに現在、佐倉のデジカメは壊れ、修理に出されている。つまりこれがプリントアウトされたのは、少なくともデジカメが壊れる木曜日より前。

 佐倉はその段階から、この写真を用意していたということになる。

 

「私はあの日、自分を撮るためのスポットを探して、特別棟にいました。そしたら、この現場に遭遇して……最初に殴りかかっていったのは、この人でした!」

 

 佐倉の指さす先には、石崎が座っていた。

 

「なっ……!」

 

 その現場に間違いなくいた目撃者からの、真実の告白。

 指された石崎は、焦りからか一瞬言葉に詰まるが、それでもすぐに突破口を見出す。

 

「ま、まて! その写真からじゃ、俺から殴りかかったかどうかなんてわからないだろうが!」

 

 いい子ちゃんぶってた先ほどまでとは違って口調が崩れてはいるが、石崎の言っていることは確かだった。

 写真には4人の姿が映っているだけ。

 Cクラスから仕掛けたことの証拠にはならない。

 すると、再び坂上先生が口を開く。

 

「……どうやら、彼女がその現場にいたことは本当のようですね。疑ったことは謝罪します。しかし石崎くんの言う通りだ。それはDクラス側の主張を裏付けるものとはならない。そこでどうでしょう。落としどころを模索するというのは」

 

「……落としどころ、ですか」

 

「私はCクラスの3人にも、いくばくかの責任はあると思っています。特に石崎くんの中学時代の素行は、決して褒められたものではない。しかし私は今回の事件、須藤くんが引き起こしたものだと確信している」

 

「てめ———」

 

「おいよせ須藤。ほんとにやめてくれ頼むから」

 

 荒ぶる須藤を何とか抑える。

 その様子を鼻で笑い、坂上先生は続ける。

 

「しかし、私の確信を裏付ける決定的な証拠がないのもまた、事実だ。そこでここは、喧嘩両成敗といきませんか。須藤くんに2週間の停学、Cクラスの3名には1週間の停学とする。罰の重さの違いは、相手に傷を負わせたかどうかです。どうですか茶柱先生?」

 

「すでに結論は出たようなものでしょう。妥協点としてはこれ以上ないものです」

 

 茶柱先生は呑む意向のようだ。

 まあ確かに、絶望的な状況から、責任割合2対1まで持っていけたのは上出来だろう。

 しかし、これではだめだ。

 俺が……いや、あの似非事なかれ主義者の思い描く未来のためには、これを結論とすることは受け入れられない。

 

「堀北、ここであきらめるのか」

 

「……」

 

「ここまで、恐らく向こうのシナリオ通りだぞ。すべての証言証拠を確たるものではないと一蹴して、自身が怪我を負ったことのみを判断材料にさせる。それでいいのか」

 

「……」

 

 こんなのキャラじゃない、とは分かっていつつも、語りかける。

 

「監視の目のない場所で起こった事件だ、それも仕方のないことかもしれない。向こうも、最低限それを確認したうえでやったことだろうからな。おちおち証拠を残すようなヘマなんて期待できない。今の特別棟の設備なら、証明なんて不可能と言わざるを得ない」

 

 俺にできるのはここまでだ。

 あとは、堀北の国語力次第。

 

「もう一人語りは終わりましたか? では堀北さん、意見をお聞かせください」

 

 一瞬の硬直の後、堀北はゆっくりと立ち上がった。

 その一瞬の硬直で何を思ったのか。

 それで、全てが決まる。

 

「……私は、須藤くんは大いに反省すべきだと思っています」

 

「な、この―――」

 

 須藤の腕を取り、抑える。

 

「彼は入学してから、他人に迷惑をかけ続けました。何か気に入らないことがあれば、喚く。当たり散らす。さらには暴力まで。このようなことが起こったのも、当然の帰結といえます」

 

「おい、堀北てめえ!」

 

「須藤。やめろって」

 

「てめえさっきからゴチャゴチャうっせえんだよ速野! ぶっ殺すぞ!」

 

「あなたのそういう態度が、この事件を引き起こした大きな要因であることを自覚しなさい」

 

 俺を凄んでいた須藤を、堀北が一括して黙らせる。

 堀北の気迫に負けたのか、須藤もそれで引き下がった。

 

「先ほども述べた通り、彼は大いに反省すべきです。しかし、それは過去の自分を……今までの自分を見つめなおす、という意味です」

 

 堀北の話が、Cクラス側の思い描いていたであろうものから脱線し始める。

 

「私は、係争中の暴力事件については……須藤くんの完全無罪を主張します」

 

「なっ」

 

「ほ、堀北……」

 

「目撃者である佐倉さん、そして須藤くん本人の証言通り、この事件はCクラス側によって仕組まれ、意図的に起こされたもの。須藤くんに何ら非はありません。彼は完全なる被害者です。よってそちらの提案は、到底受け入れられるものではありません。どうか、間違いのないご判断を」

 

 どうやら、それが堀北の出した結論のようだ。

 Cクラス側はもちろん、拒否反応を示す。

 

「はっはっは、また可笑しなことを。生徒会長、あなたの妹は不出来であると言わざるを得ませんね」

 

「そうだ、被害者は僕たちです! 信じてください!」

 

「ざけんなよてめえ小宮! てめえが俺を呼び出したんだろうが!」

 

「違う! お前が俺たちを呼び出して殴ったんだ!」

 

 そこからはまた、お前がやったそっちがやったの水掛け論が始まる。

 それを心底くだらないといった様子で、堀北生徒会長は眺めていた。

 そして、ゆっくりとつぶやく。

 

「―――時間の無駄だな」

 

 それで、双方の声の応酬が収まる。

 ……あの時と同じだな。

 入学二日目にあった、部活動説明会。あの時も、この人は圧倒的な雰囲気と圧力で、その場の生徒たちを黙らせた。

 

「両者の主張は常に真逆。お互いに嘘を認めようとせず、認めさせることもできない。この場でこれ以上話しても、時間の無駄だと言ったんだ。両者に確認しておく。自らの証言に嘘偽りは一切ない、そう誓えるか?」

 

「も、もちろんです」

 

「はい!」

 

「ったりめーだ!」

 

 当然、問われた方としてはそう答えるしかない。

 

「……ならば特例として、明日の午後4時から再審を行う。それまでに、相手の嘘を示すか、もしくは自分の嘘を告白するか。その動きがなければ、現在で揃っている条件で結論を下す。場合によっては……退学措置も視野に入れ、検討することとする。以上だ」

 

 堀北生徒会長はそう総括し、解散させた。

 

「それでは、会長のおっしゃった通り、明日の午後4時から再審の時間を設けることとします。全員、速やかに退室してください」

 

 橘書記の声に従い、まずはCクラス側が立ち上がる。

 それを見て俺はすぐに席を立ち、いち早く生徒会室の外に出た。

 出口から少し離れたところで、端末を持って壁にもたれる。

 少しして、Cクラス側の4人が生徒会室から出てきた。

 4人とも、俺を睨むように視線を寄越しながら、歩いていく。

 そしてすれ違う瞬間。

 肩と肩がぶつかる。

 

「っ」

 

「ってえな、何すんだよ!」

 

 小宮の怒鳴り声が、廊下に響く。

 

「いや……悪い。ちょっと放心状態でな」

 

「ああ? ったく、これだから不良品はよ」

 

「Dクラスのクズのせいで、時間が無駄になっちまったぜ!」

 

 わざとらしい悪口をまき散らしながら、Cクラス側4人はその場を立ち去って行った。

 あの物言い、教師が注意すべきもんなんじゃねーのと思うんだが……

 

「……」

 

 手ぶらの俺はポケットに手を突っ込み、教室へと歩を進める。

 その途中で、綾小路とすれ違う。

 

「……これで満足したか」

 

 俺の問いには答えず、綾小路は、話し合いが行われた生徒会室へと向かっていった。

 



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勝利のために

 審議を終え、生徒会室から教室へ戻ってくる。

 すでに時刻は5時半を回っている。もう誰もいないと思っていたが、数人の生徒が居残っていた。

 

「お疲れ様、速野くん」

 

 まずは櫛田。

 

「ちょっと遅かったね」

 

「結果はどうなった」

 

 そして、Bクラスの一之瀬と神崎だ。

 簡単にではあるが、概要を伝える。

 

「佐倉の証言が有効で、Cクラス側が須藤2週間、他3名1週間の停学措置という妥協点を提示してきた」

 

 それを聞いた一之瀬は、少し驚いた様子で言う。

 

「えっ、すごい、それって破格の条件なんじゃない?」

 

「そうだな。成果としては十分すぎる」

 

「でも蹴った。明日再審だそうだ」

 

「「「え!?」」」

 

 そう告げると、3人とも呆気にとられた顔になる。

 意味が分からないといった様子だ。

 

「……ど、どうして?」

 

「さあ。堀北が決めたことだからな。もうすぐ戻ってくるだろうから、本人に聞いてくれ」

 

 話し合いに参加したメンバーの荷物は、教室に残されたままだ。ここで待っていれば、時間はかかるが全員集まる。須藤はさっさと帰ったみたいだが。

 自分の席に戻り、軽く伸びをすると、背中からボキボキボキッ、と音がする。

 

「……ふう」

 

 あー疲れた。

 覚悟はしていても、やっぱり緊張はするもんだな。

 肩の荷が下りた、って感じだ。

 束の間のくつろぎタイムを過ごしていると、一之瀬が何かを決心したように一度力強く頷き、言った。

 

「堀北さんが戦うなら、ダメ元だけど、私ももう一回、ネットで情報提供を呼びかけてみるよ」

 

「俺の方でも、できるかぎり心当たりを当たってみよう」

 

「私も戦うよ。堀北さんも速野くんも、凄く頑張ってくれたんだって伝わるから」

 

 ……どうやら、3人ともそう考えてくれているようだ。

 

「その必要はないわ」

 

 そこに、突然声が降りかかる。

 話し合いの主役だった、堀北だ。

 

「堀北さん」

 

「おかえりなさい」

 

 3人に出迎えられて、教室に入ってくる。

 そして荷物のある自分の席に座った。

 

「あなた、戻ってたのね」

 

「……まあな」

 

「すぐに飛び出していったけれど、どうして? それに、あなたがいなくなったかと思えば、なぜか綾小路くんが外に立っているし……いったいどういうこと?」

「ああ、ここに戻ってくるときに綾小路とすれ違いはしたな。ただ、あいつが何で生徒会室に向かってたのかまでは……」

 

 堀北としては色々気になることがあるようだが、ここで答えることではない。

 

「あ、佐倉さんと綾小路くんも」

 

 櫛田がそう言うと同時に、その二人も教室に入ってきた。

 

「お疲れさま、佐倉さん」

 

「佐倉さん、頑張ったね。ありがとう」

 

「うん、でも、私……」

 

 自信なさげにそうつぶやく佐倉。

 

「話し合いを再審に持ち込むことができたのは、間違いなくあなたのおかげよ、佐倉さん。感謝しているわ。ありがとう」

 

「……うんっ」

 

 堀北がこんなにも素直に謝辞を述べるなんて、珍しいな……そんな生暖かい視線を送っていると、滅茶苦茶睨まれたので目を反らす。

 

「それで、堀北さん、Cクラスからの妥協案を蹴った、って速野くんから聞いたんだけど……」

 

 一之瀬は遠慮なく、単刀直入に気になることを質問した。

 

「……ええ、そうよ」

 

「どうしてだ。聞いた限りでは、あれは受け入れるべき条件だった。明日の再審で、その案より不利な結論になってしまうリスクは高い」

 

 神崎の言い分は正しい。

 だが堀北も、それは分かったうえでこのような暴挙ともいえる行動に出たのだ。

 

「簡単なことよ。勝ち筋が見えたから。そうなった以上、須藤くんの完全無罪以外は受け入れられるはずがないわ」

 

 あっさりと、そう言い放った。

 

「か、勝ち筋!?」

 

「ええ」

 

 みな一様に驚いている。

 絶望的な状況から、Cクラス側から妥協案を引き出しただけでも上出来、と考えていた俺たち。引き分けになんてなったら万々歳、といった具合だった。

 それが引き分けどころか、勝ち筋が見えたというのだから、当然の反応だ。

 

「一体、どんな……?」

 

 櫛田に問われ、堀北はゆっくりとその作戦の中身を語りだす。

 

「……あの特別棟の事件現場、監視カメラを取り付けるような高さの壁の位置に、コンセントがあったのよ。そこに監視カメラを設置するわ」

 

「え、どうしてそんなことを?」

 

「明日、話し合いの前にCクラスの3名を呼び出し、そのカメラを見せる。彼らはきっと驚くはず」

 

「それはそうだろうが……向こうも当然、カメラがないことなんて下調べしたうえで、今回の件を引き起こしてるはずだ」

 

「ええ。けれどそのあたりはどうとでもなるわ。実際にカメラは仕掛けられているのだから。確認ミスじゃないか、と言われれば、彼らはその可能性を捨てきれない」

 

「……確かに」

 

 堀北の策略に、みんなだんだんと納得の意を示し始める。

 俺からも一つ質問する。

 

「堀北……学校側の対応はどう誤魔化す? あそこにカメラがあるなら、そもそも問題はこんなに拗れてないだろう。カメラの映像を学校側が確認して、有責者を罰して終わりのはずだ。なのに実際は拗れに拗れ、再審なんて話になってる」

 

 その疑問にも、堀北は即答した。

 

「私たちはまだ1年生。学校側の対応のセオリーなんて、まったくと言っていいほど分かっていないわ。学校側が、自分たちでしっかりとした結論を出して解決できるかどうかを試していた、なんて言われたら、あなたはそれを否定しきれる?」

 

「……なるほどな」

 

 確かに、これなら大丈夫だろう。

 

「それに、あの特別棟の環境はかなり過酷よ。その点は、あなたも一之瀬さんも体験し

ているわよね? そんな中で、冷静な思考を保てるとは思えない。判断も精彩を欠いたものになってくる」

 

 あの空間のあの暑さは、いま思い返すだけでも汗ばんできそうだ。

 一之瀬も思い出したのか、苦笑いを浮かべている。

 

「……最終的な着地点は、どこにするつもりだ?」

 

 Cクラスに嘘だと認めさせるか。それとも。

 

「彼らを精神的に追い詰め、訴えそのものを取り下ることを要求し、呑ませるのよ。彼らに罰を与えることはできないけれど、須藤くんの罰を完全に消し去るためには、恐らくこの方法しかないわ」

 

 やはり、そう来たか。

 訴えを取り下げれば、この事件は初めから存在しなかったことになる。

 加害も被害も、罪も罰も全部なくなるわけだ。

 もちろん、監視カメラは俺たちが後から仕掛けたものじゃないか、という疑念は最後まで消えないだろうが……もしも本当だったとしたら、あの3名は退学になる可能性がある。生徒会長が「退学措置も視野に入れる」と述べたのが効いている。

 そしてそのリスクを払しょくするためには、俺たちの提案「訴えそのものを取り下げる」ことを受け入れるしかない。

 作戦を聞いた一之瀬は、少し興奮気味に言った。

 

「……すごいよ、この作戦。確かに、唯一の勝ち筋かも」

 

「堀北さん、それ、いつから思いついてたの……?」

 

「話し合いが終わる直前よ。偶然ね」

 

 かなりギリギリだったな。

 思いつくのがもう10秒でも遅れていたら、堀北はCクラス側の妥協案を受けていたかもしれなかった。

 危なかった。

 

「嘘で始まったこの事件を終わらせることが出来るのは、それを上回る嘘しかない。私はそう思うわ。あなたの信条には反するものかもしれないけれど……一之瀬さん、協力してもらえるかしら」

 

 真正面から、誠実に、一之瀬に対して嘘を吐くことを求める。

 そう簡単に受け入れられるような話ではなかったためか、一之瀬は返答を渋っている。

 そして、同じクラスの神崎に目を向けた。

 

「神崎くん。……もしかしたら私たち、とんでもないことをしちゃってるのかも」

 

「……そうだな。そうかもしれない」

 

 そんな短いやり取りのあと、一之瀬はふっと息を吐き、顔を上げる。

 どう答えるのか。

 

「でも、乗り掛かった舟だしね。ここまで来たら、最後まで協力させてもらうよ。でも、これは貸しだからね。いつか返してもらうよ?」

 

 苦笑いだったが、一之瀬は間違いなく、堀北の申し出を承諾した。

 

「分かっているわ。ありがとう一之瀬さん。それから速野くん、櫛田さん。あなたたちにも、それぞれやってもらいたいことがあるわ」

 

 一之瀬の懐柔が終わり、次は俺と櫛田に目を向けてくる。

 

「うん、何でも言って」

 

「……お手柔らかに頼むぞ」

 

「あなたたち二人には、そんなに複雑なことを頼むつもりはないわ。まず櫛田さん、今回の件に関わっているCクラス3名のうち、誰かの連絡先を持っているかしら」

 

「石崎くん、小宮くん、近藤くん、だね。うん、全員持ってるよ」

 

 流石だな。さらっと言っているが凄いことだ。他クラスまで抜け目がない。1年生ほぼ網羅してるんじゃないのか。

 

「なら、その中の誰でもいいから、その3名を指定の時間に特別棟に呼び出してほしいのよ。あなたからの呼び出しなら、喜んで飛んでくるでしょう」

 

 それは容易に想像がついた。というか、男子で櫛田の呼び出しを拒否するやつなんて、恐らくほぼいないに等しいだろう。

 

「うん、分かった」

 

「そして速野くん」

 

 いよいよ、俺の番がくる。

 

「……何でしょう」

 

「あなたは今から買い出しよ。家電量販店に行って、監視カメラを買ってきなさい」

 

 よりによって、一番疲れそうな役割を……。

 

「……人使い荒すぎるだろ。話し合い終わったばっかだぞ」

 

 少しは休ませてほしいと思うのだが。

 

「何か文句ある?」

 

 ありません。

 いやあるけど……まあ、いいか。

 話し合い中の俺の不審な点について、この場で話していないことに対しての感謝、ということにしよう。

 

「……分かった。買ってくる。ただし、割り勘ってことでポイントはあとで請求するからな」

 

「ええ、それで構わないわ」

 

「あと一口にカメラと言っても、どんな機種を買えばいいんだ? そこらへん詳しくないんだが……」

 

 そんな俺の懸念には、綾小路が答えた。

 

「博士……外村が、そこら辺の分野に詳しい。いまから家電量販店に行ってもらうよう頼むから、合流して、買ったらそのまま特別棟に行ってくれ」

 

「……分かった」

 

 博士とは別に友だちってわけじゃないが、話したことがない仲、というわけでもないので多分大丈夫だろう。

 あまり時間的余裕はないだろうと思い、駆け出す。

 しかし教室を出る瞬間、一之瀬の声が飛んでくる。

 

「あ、速野くん、ポイントは大丈夫なの?」

 

 それに俺が答える前に、堀北が言い放った。

 

「大丈夫よ。彼は守銭奴だから、相当貯めこんでいるわ。監視カメラを買うことを2つ返事で了承するくらいにね。そうでしょう?」

 

「お前ほんとさ、もうちょいマシな言い方してくれよ……」

 

 堀北の物言いに少し嫌な気分になりながら、家電量販店へと急いだ。

 

 

 

 

 

 1

 

「これでいいんだな」

 

「拙者の見立てでは、これで可能なはずでござる」

 

「……うん、そうか。オッケーオッケー」

 

 こいつのこのしゃべり方慣れねえな。

 もう全力でスルーしていくしかないか……。

 博士の見繕った監視カメラを購入した俺たちは、気持ち早歩きで特別棟へ向かう。

 

「な、なんという暑さでござろうか……」

 

 特別棟に入った瞬間、博士がそう洩らした。

 階段を登る博士の体中から、大量の汗が拭きだしている。制服はびしょ濡れだ。

 仕方のないことなのも分かるし、気持ちも理解できるのでそれについては責めないが、それを抜きにしてもゼーハー言っててちょっとうるさい。

 博士のペースに合わせてゆっくり階段を登り、現場となった3階に到着する。

 それと同時に、多数の人影を認識した。

 どうやら、先ほど教室にいたメンバー全員で、ここに移動してきたらしかった。

 いや、よく見たら佐倉と櫛田はいないな。一緒に帰ったんだろう。

 ただそれでも、かなりの大所帯だな。

 

「お疲れさま、二人とも」

 

「ああ」

 

「遅かったわね」

 

 おい、ちょっとは労えよ堀北。

 隣の博士は呼吸を整え、カメラを入れた紙袋を差し出す。

 

「買ってきたでござるよ」

 

「う、うん。ござる……?」

 

 一之瀬も外村の口調に戸惑っている。

 対して堀北は、口調など全く気にも留めていない様子で淡々と指示を出す。

 

「では外村くん、早速だけど取り付けてもらえるかしら。椅子は用意してあるわ」

 

「合点承知でござる」

 

 指示を受けた博士は、なぜか妙に手慣れた手つきで作業を進めていく。

 プラグを俺が以前見つけたコンセントに刺し、監視カメラ側で何かの操作を終えると、カメラが起動した。

 

「やった!」

 

「へえ、本当に点いてるな……」

 

「これなら全く問題なく、事を運べるだろう」

 

 成功したことで、各所で喜びの声が上がる。博士のスキルおそるべしだ。

 ともかく、これで下準備はすべて完了した。

 

「あとは私と綾小路くんが、本番で上手くやるだけだね」

 

 明日、Cクラスの3人と相対するのは一之瀬と綾小路だ。

 一之瀬が加わったのには、Dクラスとの対決だと思っていたところに一之瀬が登場することによって、Cクラス側の動揺を誘う、という狙いがあった。

 

「オレができることは少ないからな。基本的には、一之瀬に任せるつもりだ」

 

 またこいつはそういうことを言う。

 徹底してるんだかしてないんだか。

 全部暴露してやろうか……とも思ったが、それはやめておいた。そんなことをすれば、こっちの首まで絞まりそうだ。

 

「じゃあ、帰ろうか」

 

「うん」

 

 全員ここで解散するつもりだったようで、荷物を持ってきていた。

 あれ、てことは俺の荷物は……と思ったが、どうやら心配する必要はなかったようだ。

 

「持ってきておいたぞ」

 

「おお……助かる」

 

 綾小路が俺の荷物を手渡してきた。気が利くねえ。

 

「あ、悪い綾小路。重ねてちょっと頼みがあるんだが」

 

「なんだ?」

 

「……携帯貸してくれないか」

 

「どうしたんだ急に」

 

「いや、実は端末失くしたっぽくてな」

 

「え!?」

 

 隣にいた一之瀬が驚きの声をあげる。

 

「それ大丈夫なの?」

 

「いや、大丈夫じゃない。ただ多分教室にあるだろうから、ちょっと戻って俺の端末に電話かけて鳴らしたいんだ」

 

 鳴らして、その着信音で場所を特定する。携帯探しの常套手段だ。

 

「ああ、まあいいぞ」

 

 特に怪しむことなく、端末を手渡してきた。

 

「悪いな。端末はあとで部屋に返しにいく」

 

「分かった」

 

 そう言って俺は集団から離れ、教室の方向へと向かった。

 

 

 

 

 

 2

 

 翌日。

 俺と堀北、そして須藤は、昨日と同じく、生徒会室にいた。

 俺たち3人以外は橘書記のみだ。

 

「ああ、さすがに緊張してきたぜ……」

 

 ソワソワした様子でそうつぶやく須藤。

 時刻は再審が始まる10分前、3時50分ごろ。

 恐らくいま、綾小路と一之瀬が最後の仕上げをしているころだろう。

 個人的な観測では、ほぼ勝ちだと思っている。恐らく、Dクラス側の誰よりも楽観的だろう。

 しかし、隣に座る堀北は不安げな表情をしている。

 まあ俺とは違って、この件を動かした責任を負ってるからな。

 失敗した際のことを考えずにはいられないのだろう。

 堀北が俺に目を向けて、問いかける。

 

「……あなたは、上手く行くと思う?」

 

「……さあ。何とも」

 

 そう答えておいた。

 ここで俺が「大丈夫だ」なんて答えても、気休めにしかならないだろうからな。

 そこで、堀北生徒会長、そして茶柱先生、坂上先生が到着した。

 生徒会長は橘書記から資料を受け取り、読み始める。

 そして、一度驚いたような顔をしてこちらを見た。

 

「……」

 

「……」

 

 無言でのにらみ合いが数秒続いた後、生徒会長はふっと笑った。

 その間、妹の堀北は昨日と同じように目を伏せているが……しかし、昨日よりは意識がはっきりしているようだ。

 そして、話し合い開始まで30秒を切ったころ。

 バタン、と少し乱暴に生徒会室の扉が開かれた。

 Cクラス側の3名、石崎、小宮、近藤がようやく到着したのだ。

 焦って来たのか、汗はびっしょり、それに息も切れている。

 

「よかったです。間に合いましたね」

 

 坂上先生がほっとしたように声をかける。

 開始2分前になっても生徒が来なくて、少し焦っていたみたいだったからな。

 橘書記が時計を確認し、口を開く。

 

「では、定刻になりました。昨日に引き続き、先々週の暴力事件について、再審を行います。Cクラス以下3名、着席してください」

 

 そう指示がなされるが、3人は席に座ろうとしない。

 

「……どうしました? さあ、座りなさい」

 

 坂上先生のその呼びかけにも、応じることはなかった。

 代わりに、こんな答えが返ってくる。

 

「あの、先生……この事件に関する訴えを、なかったことにしてくれませんか」

 

「え、い、一体どういうことですか?」

 

 驚きを見せる坂上先生。

 須藤も、茶柱先生も、橘書記も、俺と堀北以外の人間にとっては、完全に予想外の出来事だった。

 

「どういうことだ。説明しろ」

 

 会長がそう命じる。

 

「今回の事件、どっちが悪いとか悪くないとか、そんな話ではないと気づいたんです。訴えそのものが間違っているとわかりました」

 

 どうやら、あの二人は上手くやってくれたらしい。

 こうなれば、意地でもこの3人は訴え取り下げを撤回することはないだろう。

 坂上先生があれこれ言っているが、3人には響かない。

 ここで引けば、自分たちは退学に追い込まれてしまう……その一心で動いているからだ。文字通り命がけというわけだ。

 

「Dクラス側、それで異存はないか?」

 

「わけわかんねーぞテメエら! 勝手に訴えといて勝手に取り下げるなんて———」

 

「黙って、須藤くん」

 

 騒ぐ須藤を一括し、下がらせる。

 

「訴えを取り下げるというなら、こちらに従わない理由はありません。受け入れます」

 

「いいだろう。では双方合意の下で、この一連の審議そのものを取り消すものとする。規定に則り、審議にかかった諸経費をCクラス側で負担することとなるが、構わないな?」

 

「……はい。支払います」

 

「ならばいい。では、解散とする。速やかに退室するように」

 

 これで、終わった。

 俺たちの、Dクラスの勝利だ。

 しかし、まだだ。

 クラスの戦いは終わっても、俺個人の戦いはまだ終わってない。

 これからしばらく———

 ……まて、なんだこれは。

 嘘だろ。

 これ、まさか……。

 考えるより先に、俺の足は動いていた。

 

「ちょ、ちょっと速野くん?」

 

「おいどこ行くんだ速野!?」

 

 堀北と須藤の声など、気にしている余裕はない。

 とにかく今は、急がなければ。

 

 

 

 

 

 3

 

 場所は家電量販店の搬入口。

 それが、佐倉たちの位置情報が示していた場所だった。

 俺はその場所を追ってきたのだが……なんと驚くべきことに、その場所には綾小路と一之瀬もいた。

 

「っ」

 

 しかし、決して音は出さないよう、静かに2人に近づく。

 3メートルほどの距離まで詰まったところで、2人も俺の存在に気付いたようだ。

 合流し、物陰から様子をうかがう。

 その場には、佐倉と……そして、あの家電量販店のサービスカウンターの店員がいた。

 その空間に、佐倉の悲痛な叫び声が響き渡る。

 

「やめて! もうやめてください! なんなんですかこの手紙! どうして私の部屋知ってるんですか!」

 

 そう言って佐倉が取り出したのは、遠目からは数えきれないほどの数の封筒だった。

 なんだあれは……手紙って言ってたけど、あれ全部この店員が……。

 

「当り前さ。僕らは心で繋がってるんだ」

 

 そう言って、店員は一歩、佐倉との距離を詰める。

 

「や、やめて! 来ないで! 迷惑なんです、こんなの!」

 

 佐倉は、無数の手紙の束を地面に叩きつけた。

 明確な拒絶の意思。

 それに、店員は逆上する。

 

「そ、そんな……どうしてこんなことをするんだ! 君のことを想って書いたのに!」

 

 店員は佐倉の腕をシャッターに押し付け、体を押さえつける。

 一之瀬が俺たちに視線を送る。

 これ以上見過ごすのはまずい、という意思表示だ。

 

「ぼ、僕がい、いまから……本当の愛を君に教えて、あげるよ……そうすれば佐倉も……雫ちゃんも、きっとわかってくれる」

 

「い、いや、やめて……」

 

 その瞬間、綾小路と一之瀬が出る。

 綾小路は携帯で写真を撮って、いまの店員と佐倉の状態をバッチリ記録していた。

 そのシャッター音に驚き、店員が綾小路の方へ振り向く。

 

「いやー、すげえもん見ちゃったっすねー。家電量販店の店員がJKに暴行とか、マジありえないっしょー」

 

 そんな、気の抜けるような綾小路のセリフ。

 

「ち、違う! これは暴行なんかじゃ」

 

「えー、違う? どこがあ? って感じい?」

 

「……」

 

 一之瀬までそれやるのか……。

 ……この二人は一体何がしたいんだ。

 

「うっわあ、何この手紙キッモー。つーかオレたち、ばっちり現場見たんで。誤魔化しとか効かねーっすから」

 

「ご、誤魔化しなんかじゃないよ。か、彼女に暴行なんて、ほ、本当に僕、知らないんで……」

 

「知らないだ? テキトーこいてんじゃねーぞオッサン。次この子の前に現れたら、あんたの今の所業全部バラまくぞ」

 

「い、いまの所業? な、なんのことか……」

 

 まだ言い逃れを図る店員。

 それに、綾小路は強くにらみつける。

 

「散れ。二度は言わねーぞ」

「ひ、ひいっ! ごめんなさいもうしませんッ~!」

 

 綾小路の圧に負けた店員は、情けない声をあげながら、一目散にその場を立ち去ろうとする。

 このまま放置して一件落着……というシナリオもあるかもしれないが。

 それはだめだ。

 俺はその店員の前に立ち、肩を掴んで止める。

 

「なっ、お、お前は……」

 

「久しぶりですね……楠田ゆきつさん」

 

「こんなところで、何を……そ、その手を離せ!」

 

「こんなところで何をって、そりゃこっちのセリフだ、と言いたいところなんですが……まあそれは、然るべきところでしゃべってもらいましょうか」

 

「な!!!?」

 

 驚きの声を上げるのも当然だ。

 楠田の前には、4人の警備員が立ちはだかっていたのだから。

 この場所に向かう途中で、俺が事前に通報しておいた。

 

「この人です、警備員さん。お願いします」

 

 俺がそう言うと、警備員は4人がかりで楠田を抑える。

 

「ぐあっ! こ、この! 速野ぉ!!! 裏切ったなぁぁぁぁ!!!!」

 

 連行される楠田は、無駄な抵抗をしながら目一杯そう叫んだ。

 

「……はは」

 

 そんな様子を見て思わず、乾いた笑いが出る。

 おかしなことを言うオッサンだな。

 裏切るも何も、俺はあんたに協力したことなんて一度もないんだが。

 俺が協力してたのは、楠田でもない。

そして佐倉でもない。

 警備員だ。

 さらに言えば、それは佐倉のためじゃなく、自分のためだ。

 

「いやーどうも、協力ありがとうございました」

 

「いえ……」

 

 楠田につくのは3人で充分、と考えたのか、1人がこちらに戻ってきて礼を言った。

 

「お話を伺いたいので、被害にあった生徒も一緒に時間をいただきたいのですが」

 

「今ですかね……?」

 

「できれば今がいいですね」

 

 とのことだった。

「……分かりました。ちょっと話通してきます」

 

「お願いします」

 

 俺がその場を離れても、その警備員は動かなかった。

 待っているつもりらしい。

 

「あ、速野くん戻って来た」

 

「ああ……ちょっと警備員に話つけてたんだ」

 

「いつの間に呼んでたのか」

 

「まあな。大丈夫かさく……」

 

 ら、と言いかけたところで、言葉につまってしまった。

 視線の先の佐倉は、いつもの佐倉ではなかった。

その姿は、あの日バスケットコートで見たのと同じ……伊達眼鏡を外し、グラビアアイドル雫の顔になっていた。

 普段から意図的に醸している地味な雰囲気も、今は放っていない。

 

「……ありがとう、速野くん」

 

「い、いや……まあ、俺は逃げた店員足止めしただけだから」

 

 なんというか、佐倉と話している気がせず、何の気もない会話でも少したじろいでし

まう。

 

「速野くんも知ってたの? 佐倉さんがアイドルだってこと」

 

「……まあ、つい最近な」

 

 も、ということは、綾小路も知ってたのか。さすがに一之瀬は知る由もないだろうし。

 いつ知ったのかは分からないが、多分俺と似たようなタイミングだろう。

 

「あ、そうだ。私たち靴履き替えなきゃ」

 

「……そういえば」

 

 佐倉を除く俺たち3人は全員、上履きのままだった。

 

「どうしよっか。私たちは一旦靴箱に戻るけど、佐倉さんは遠回りになっちゃうよね……」

 

「ああ、それなんだが佐倉、警備員が話聞きたいらしくてな。悪いが俺と来てくれないか」

 

 そうだそうだ。忘れかけてたが、俺佐倉呼びに来たんだった。

 

「あ、うん……分かった」

 

 助かったとはいえ、佐倉は強姦未遂の被害者。それを考えれば、本人も二人もこの呼

び出しに特に疑問はなさそうだった。

 

「じゃあ、私たちは先に」

 

「ああ……じゃあな」

 

 一之瀬と綾小路は、一足先にその場を離れる。

 

「……行くか」

 

「う、うん」

 

 佐倉を連れ、待機していた警備員の元へ。

 上履きも早く替えないといけないし、短い時間で終わるといいなあ。

 

 

 

 

 

 4

 

 俺と佐倉は、それぞれ別の部屋で取り調べのようなものを受けた。

 取り調べと言っても、今回は被害者側なので、当然そんな詰められるようなことはなかったが……。

 ただ警備員、というより学校側としては、事件に関する話よりも別の部分に本題があったようだ。

 この事件に関することの口止めである。

 在学中だけでなく、この学校を出てからも他言は無用、だそうだ。もし破ったら重い罰が下るとのこと。

 まあ国が運営するこの学校で、そこに勤めるスタッフが女子生徒に強姦未遂、なんて外部に漏れたら汚名どころの騒ぎじゃないからな。話は分からないでもない。

 この件に関わった佐倉、綾小路、一之瀬には、別途4、5万程度のポイントが振り込まれるらしい。要するに口止め料だな。もちろん俺にも分け前はある。

 本人たちにもメールで知らせるそうだが、出来れば俺の口からも直接話してほしい、と言われたので、後で二人には電話を入れておくことにした。

 話を終え、部屋を出ると、茶柱先生が立っていた。

 

「……どうしたんですか」

 

「佐倉が強姦未遂の被害にあったというのでな。担任である私が呼ばれたんだ」

 

 ああ、そういうことか。

 

「佐倉は?」

 

「一足先に話を終え、部屋に戻った。念のため、男性と女性の警備員1人ずつの同伴でな」

 

「……そうですか」

 

 まあ当然の対応だろう。

 そう考えていると、茶柱先生がこちらにいぶかしげな視線を送っていることに気付く。

 

「妙だな。なぜ直接の被害者である佐倉が、お前よりも先に話を終える? お前は中で何の話をしていた?」

 

 ……なんだ、この人結構鋭いな。

 

「佐倉の件に関することです」

 

 さらっとそう答える。

 嘘は言ってない。

 逆にそれ以外に俺が警備員と何の話をするというのか。警備員の服装って暑そうですけどクールビズとかないんですかーとか?

 

「……まあいい」

 

 追及は諦めたようだ。

 

「取り敢えず、ご苦労だったと言っておこう。事前に警備員と示し合わせ、例の男を捕まえたそうだな。お前の助力で、この学校にあった膿が一つ消えた」

 

「いえ……」

 

 ツンデレとか照れ隠しなどではなく、本当にこの学校のためにやったわけじゃない。

 あの店員が気に入らなかった、とかそんなこともない。

 ただ……ただ自分のために、利用できそうなものを利用しただけだ。

 俺が警備員と協力していた、という話も、茶柱先生には事実とは異なる形で伝わっているはずだ。

 

「速野、お前は今回何をした?」

 

 突然、先生がそんなことを聞いてきたので、少し驚く。

 何か嗅ぎつけたのか。

 

「……え、警備員から聞いてません?」

 

「佐倉の件じゃない。須藤の件だ」

 

 どうやら、そういうわけではなかったらしい。目的語のはっきりしない質問はこれだから困る。

 

「……それこそ、堀北から何か聞いてないんですか?」

 

「何やら答えたくない事情があるようでな。想像に任せると言われてしまった」

 

「なら、俺に聞いても同じです」

 

「教師に伝わるとまずいことをしでかした、と捉えていいのか?」

 

「それも含めてご想像にお任せしますよ」

 

 個人的には言ってもそんなに問題はないと思うが、堀北が言ってないのに俺が勝手に言ったのがバレたら、ちょっと怒られそうだ。

 

「……まあ、私が本当に聞きたいのはそこではない。お前たちがこの窮地を乗り切った作戦、誰が考案したものだ?」

 

 そんな、端から見れば非常に奇妙な質問をしてくる。

 この人は……。

 

「……俺は堀北に従って動きましたが」

 

 取り敢えずは事実を……それでいて、心にもないことを言ってみる。

 

「生徒会室でのあの語りもか?」

 

「……あれは独断ですよ」

 

 そう答える俺の表情から何かを察したのか、茶柱先生はふっと笑った。

 

「……もう帰っていいですか?」

 

 それには答えず、茶柱先生はまた新たな問いを俺に投げかける。

 

「……面白い。速野、お前はどこまで理解したうえで動いていた?」

 

 それを半ば無視するような形で、俺はその場を立ち去った。

 今回の綾小路の動き、そして一之瀬や神崎など、他クラスの生徒から見た俺への認識を総合して……俺は今後の学校生活におけるある方針を立てた。

 その方針に従い、俺は堀北を利用させてもらった。

 綾小路と同じように。

 ……いや、俺の行動すべても、堀北と同じように綾小路に操られていたとみるべきだ。

 堀北を利用した俺は、綾小路に利用されていた……。

 どこまで理解していたか、という問いへの答えだ。

 しかし俺が今回最も気になったのは、綾小路の動きもそうだが……もう一つ。

 なんであいつはあの時、あんなことを……。

 



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ビジネスチャンス

 あの店員……楠田ゆきつが、佐倉に対して特別な感情を抱いていることに気付くのは容易だった。

 まあそれでも櫛田はナンパされてたみたいだが……ただ櫛田に向ける目と佐倉に向ける目、この二つは明らかに性質が違っていた。

 櫛田へのものはミーハー的なそれだったが、佐倉に対しては……なんというか、アブない感じだった。目が据わっていた、という表現が近いか。

 俺はそこに1つのチャンスを見出した。

 チャンスとはビジネスチャンス。金儲けのチャンスだ。

 

 

 

 

 

 1

 

 佐倉たちとともに家電量販店へ出かけた日。

 俺は店員の楠田と、夜9時ごろに再会した。

 ちなみに「楠田ゆきつ」の名前は連絡先交換の際に知った。

 

「どうも。……案内助かりました。入学してまだあまり経ってないもので……」

 

「いいよそれくらいなら」

 

 集合場所の指定は楠田が行った。

 おそらくマップを使えばたどり着くのは造作もなかったが、俺はあえて楠田に端末のやり取りを通じての案内を頼んだ。

 

「ほんとありがとうございます。それじゃ……早速聞かせてくださいよ。楠田さんと……アイドル雫の話」

 

 そう言うと、楠田は嬉しそうに口角を上げた。

 

「ふふ、分かったよ。まず彼女は……」

 

 そこから楠田のマシンガントークが始まった。

 店で軽く話した時とは比べ物にならない熱量で語る楠田。

 その内容はほとんど覚えていない。

 何せその中の7割が妄想で3割が嘘だったのだから、真面目に聞く気が起こるはずもない。

 よくもこれだけ「ありもしない自分と雫との仲」の話をできるものだと感心しながら、楠田の言葉を右耳に入れてそのまま左耳から出す、という作業を行っていた。

 しかし、その中でも興味深い話がなかったわけじゃない。

 

「コメント以外のやり取りとかもしてるんですよね? その話も聞いてみたいなあ」

 

「雫ちゃんも学校とかが色々忙しいみたいで、あんまりできてないんだよね……寂しいって言ってたよ」

 

「そんなこと言って、本当はあるんですよね? もったいぶらないで教えてくださいよ」

 

「な、し、仕方ないな……雫ちゃんとは手紙のやり取りもしてるんだよ、実は」

 

「手紙ですか……どんな返事が返ってきたんですか?」

 

「それも忙しいみたいで、まだ読んでくれてないんだ……」

 

 佐倉の部屋番号も知らない楠田が、一体どうやって手紙を送ったのか。

 送ったというのは嘘で、手紙は書いただけで送っておらず、部屋番号はこれから調べる……ということか。

 それとも、すでにストーキング行為などで調べ上げ、送り付けているのか。

 そのほかに、こんなものもあった。

 

「思い出の写真とかってあります? ぜひ見てみたいなー」

 

「ああ、もちろんある」

 

 そうして楠田が見せてきたのは、佐倉が敷地内を一人で歩いている写真ばかり。

 思い出の写真と言ったはずだが、当然二人が一緒に映っているものなどありはしない。

 つまり、これらの写真は盗撮されたものだということ。

 楠田が語った内容の中で覚えているのはこの2つだけだ。

 その後もしばらく楠田の話は続き、10分ほどが経過したところでようやくひと段落した。

 

「すごいですね……二人の仲がどれほどのものなのか、よくわかりました」

 

 粘着している側とされている側、加害者と被害者という構図が。

 

「でも……まだ満足できてないですよね」

 

「え?」

 

「分かりますよ。話し方や内容からも感じられたので……もっと彼女と……雫と近づきたい。そう思ってますよね」

 

 話し方や内容なんて聞き流していたのだから覚えているわけがないが、このように言っておくことで、相手に「自分はあなたのことを理解している」と思わせることができる。

 所謂「コールドリーディング」の一種だ。

 盗撮までしているような人間が、その人物ともっと近づきたいと思っていないわけがない。

 

「コメント欄のやりとりだけじゃ、満足できるわけないですよね。ブログを更新する人とコメントを書く人って、結局はアイドルとそのファン、っていう構図を抜け出せないわけですから」

 

「だから、手紙のやり取りがあるって……」

 

「でも、学校があるせいで返事が来ない……ですよね?」

 

「……そ、そうだけど」

 

「返事が来ない相手に手紙を送るって……それって、ファンレターを送るのとあんまり変わらないんじゃないですか?」

 

 俺はここで、初めて楠田の気分を害するようなことを口にした。

 

「俺は佐倉がアイドルやってるなんてさっきまで知らなかったのに、昨日佐倉と電話したんですよ。残念ですね」

 

「っ……」

 

「その気になれば今この場で佐倉に電話することもできますよ? もちろん、あなたに話させることはできませんけどね」

 

「な、何!?」

 

「ほんと、残念ですよ。これだけ熱い想いを抱いているのに。今のあなたでは佐倉と話すこともできない。対して、俺は佐倉のことを1人のクラスメイトとしか見ていないのに、好きなタイミングで会話ができるなんて」

 

「く……この……」

.

「あなたはいま無力なんです。自分は話せず、俺は話せる。こんなに理不尽な格差があるのに、あなたは指を咥えて待っていることしかできないなんて……」

 

「……うるさい」

 

「ほら、俺がいまこのボタンを押せば佐倉に繋がりますよ。でもあなたはそこで黙って見ていることしか……」

 

「うるさいんだよぉぉ!!」

 

 そんな叫び声とともに、楠田は俺との距離を一気に詰め、端末を奪い取ろうとする。

 端末は取らせまいと、端末を持っていた右腕を後ろに回す。

 すると、楠田の伸ばした腕は俺の胸板にぶつかり、俺はその衝撃で転んだ。

 かなり派手に転んだため、後ろに回していた右腕に少し大きめの傷を負った。

 

「何を……」

 

「端末を、僕に寄越せ!」

 

 再び叫ぶ楠田。

 

「暴力を振るうなんて酷いじゃないですか……防犯カメラがあること、忘れてませんか?」

 

「な……っ……く、くそ……」

 

 防犯カメラの存在を知らされたことで、少しだけ落ち着きを取り戻したようだ。

 

「勘違いしないでください楠田さん……言ったじゃないですか。俺はあなたと彼女の仲を応援したいんです。俺の言葉が機嫌を損ねたなら謝りますが、全ては応援の気持ちの発露だと思ってください」

 

 今度は少し優しめの言葉をかけ、さらに気持ちを落ち着かせる。

 

「ぐ……な、なら……いいぞ……許してやるよ……」

 

「どうも。では、話の続きを……。ブログのコメント欄もダメ。手紙も返事がない。そして、佐倉の電話番号を知っている俺は教えられない。だとしたら、あとは何が残ってると思います?」

 

「え……?」

 

 まだ俺の言わんとすることを理解できていない様子。

 俺はさらに誘導するように言葉を続ける。

 

「連絡手段として、電話がダメなら……」

 

「……も、もしかして……」

 

「……知りたくないですか? メールアドレス」

 

 そう口にした瞬間、楠田の目が大きく見開かれる。

 

「な……ほ、本当に教えてくれるのか……雫ちゃんのアドレスを」

 

 興奮気味に問う楠田。

 その問いに対しては俺は頷かず、ゆっくりと首を横に振った。

 

「いや……そう簡単には。この話は俺にもリスクのある話なので……それなりの対価をもらわないと、ちょっと」

 

「た、対価って……ポイントってことか」

 

「まあ、そういうことです。もちろん、払えないということであればこの話はなかったことにしますが……」

 

「い、いや、払えないとは言ってない!」

 

「そうですよね。あなたの熱意は本気だと俺も信じてます。だから……そうですね、100万ポイントでどうでしょう。それだけ払ってくれるのなら、喜んでお渡しします」

 

「ひゃ、100万!?」

 

 額の大きさに驚いているようだ。入学当初、いきなり10万ポイントが振り込まれた俺たちとリアクションとしては一緒だな。

 

「そ、そんな額用意できるわけ……」

 

「それなら……仕方ないですね。この話はやめましょう」

 

「ま、待ってくれ!」

 

 立ち去ろうとする俺を楠田は必死で止めた。

 

「せ、せめて10万なら……」

 

「やめましょうか」

 

 即答でそう言った。

 

「な……じゃ、じゃあ、20万だ……!」

 

 ……まだだな。まだいける。

 

「世の中、アイドルのグッズに何百万とかける人もいるんですよ」

 

「そ、そんなこと言っても……」

 

 ……ここだな。

 

「……確かに、流石に3桁は行き過ぎたかもしれないですね。なら、少し下げて80万でどうでしょう」

 

 ここで、少し譲歩の姿勢を見せる。

 俺がこの姿勢を見せたことで、楠田としてもまだこの交渉を抜けるわけには行かなくなる。

 これで沼にはまった。

 

「ぐ……さ、30万なら……」

 

「80万です」

 

「くそ……40万ならっ……」

 

「ふむ……75万でどうでしょう」

 

「よ、45万!」

 

「70万で」

 

「くそ、ご、50万だ! それ以上はもうっ……!」

 

 ……これが限界だろう。

 上出来だ。元々40~50万取れればいいと思っていたので、成果としては十分だ。

 

「分かりました。50万で契約成立にしましょう」

 

「っ! よ、よし……じゃ、じゃあ早速……」

 

「そうですね……端末貸してもらえませんか?」

 

「え?」

 

「ポイントの受け取りとアドレスの登録済ませるので……善は急げですよ」

 

「あ、ああ……」

 

 言われるがまま俺に端末を手渡す楠田。

 俺はそれを受け取り、まずはメッセージアプリでない方の連絡先プロフィールを開いた。

 そこでさっと操作を済ませ、その後新規のアドレスを登録。そしてポイント支払いの操作を行い、俺の端末向けに50万の譲渡を行った。

 

 

「終わりました。しっかりと50万は受け取らせてもらいましたよ。見覚えがないアドレスがあったらそれが新しく登録したやつなので、名前登録は好きにいじっちゃってください」

 

「よ、よし……へ、へへへ……」

 

 俺から端末を受け取ると同時に、登録したアドレスを確認して不気味な笑みを浮かべている。

 どうやらご満足いただけたようだ。

 

「それでは……そろそろ時間も遅いので、俺はここで」

 

「ふふ……これからたくさん話せるね、雫ちゃん」

 

 俺の言葉など耳に入っていないようだ。

 ……そっとしておいた方がよさそうだな。

 

 

 

 

 

 2

 

 そして、時系列はその3時間ほど前までに遡る。

 寮から道を引き返し、家電量販店で楠田と話し終えた俺は、その足である場所へと向かっていった。

 その場所とは、ケヤキモールの近くにある「保安センター」と呼ばれる建物だ。

 保安センターは、この敷地内の警備を取りまとめている組織。校舎外での落とし物や不審物、それに生徒間、あるいは生徒とスタッフの間のトラブルなどについて受け持っている。もちろん日常的な警備も役割の一つだ。

 生徒がこの施設を利用することは、基本的には落とし物の確認などを除いてほとんどない。

 須藤の件のようなことは稀も稀。

 トラブルを起こして失点などされないよう、多くの生徒はおとなしく過ごしているからだ。事実、今も利用している生徒は一人もいない。

 俺自身もこの日初めて足を踏み入れる。

 

「えーっと……」

 

 まずは利用者の登録のため、専用の端末に学生証をスキャンする必要があるようだ。飲食店などの施設を利用するときの同じようなものだが、ポイントはかからない。

 スキャンを済ませると、レシートのような紙が1枚印刷されて出てきた。

 紙には大きく「3」という数字が書かれており、その下に「上記の番号の窓口までお越しください」とあった。

 それに従い、3番の窓口へ向かう。

 

「失礼します……」

 

 すでに担当者がカウンターの向こうに座って待機している。30代後半くらいの男性だ。

 

「速野知幸さん、ですね。担当の田村です。どうぞ、座ってください」

 

 先程学生証をスキャンした際のデータが届いていたようで、担当者は俺が名乗る前に俺の名前を呼んだ。

 1つの窓口にはそれぞれ2つの椅子が用意されており、俺はそのうち右側の椅子を引いて腰掛けた。

 

「今日はどうしましたか?」

 

 接客ではないため、担当者の対応は若干粗雑な印象を受けるが、別にそれに関して何か文句があるわけではない。

 向こうとしても時間をかけたくないであろうことは重々理解しているので、こちらも単刀直入に話していく。

 

「ざっくり言うと……クラスメイトがストーカー被害を受けている可能性があるので、その相談に来たんですが……」

 

「クラスメイトが……ということは、本人ではない、ということですか」

 

「そうです。ただそのクラスメイトは大ごとになることを嫌うタイプなので……このままだといつまでも放置してしまうと思ったので、本人には言わずに勝手に相談しに来ました」

 

「そうですか……そのクラスメイトというのは?」

 

「1年Dクラスの佐倉愛理です」

 

「えー……この生徒ですね。なるほど……」

 

 パソコンに入っているクラス名簿から、俺の口にした名前を照合したらしい。

 少しの間考え込む田村さん。

 

「事情は分かりました。ただ本人でないとなると、我々としてもやはり対応が難しいところがあるんですが……」

 

 まあ、当然そうだろうな。

 本人の付き添いとして他人が来るのならともかく、本人がいないのでは話にならない。

 

「そもそも、この生徒は自分がストーカー被害に遭っていることを自覚しているんですか?」

 

「そうですね……それに関しては一つ証拠というか、現状を示す材料を持ってきたので、目を通していただきたいんですが……」

 

「わかりました」

 

 承諾を受けたので、俺は早速グラビアアイドル「雫」のブログを検索し、指し示す。

 

「これは……?」

 

「佐倉がグラビアアイドルとして運営しているブログです。コメント欄を見てほしいんですけど……ところどころ、異常と言えるようなものがありますよね」

 

 端末を手渡す。

 おそらく俺がわざわざ指定しなくても一目でわかるはずだ。

 コメント欄には返信機能があるが、これはブログの投稿主だけでなく、一般の閲覧ユーザーも返信が可能になっている。

 その異常なコメント……つまり楠田のコメントに対してのみ、閲覧ユーザーからのバッシングが酷く、返信数が目に見えて多い。

 

「なるほど……」

 

「異常なコメントは1人のユーザーから送られているのが分かると思います。このユーザーっていうのが、さっきも言ったストーカー……家電量販店の店員の楠田ゆきつという男です」

 

「それは裏が取れてるんですか?」

 

「はい。ついさっきその家電量販店で行った楠田との会話を録音したので、それを聞いてもらえれば……」

 

 田村さんに端末を一度返してもらい、録音データを再生する。

 

『あの日ここで再会した時は、僕は神様は本当にいるんだって思ったよ。そのことはブログにもコメントしたんだ』

 

 それを聞いて、田村さんもはっとしたような表情になる。

 

「さっき見たコメントの中に『神様はいるんだなあ』というのがありましたよね。これで裏は取れたと言えると思うんですが……」

 

「なるほど……確かに、このコメントが楠田という店員によるものだということは事実でしょう」

 

 ここまでくれば認めるしかないだろうな。

 

「このコメント主と店員を結びつけることはそう難しくありません。投稿主なら猶更です。なので、被害に関しては自覚的だと考えたほうが自然だと思いますが」

 

「なるほど、わかりました……ただ、それでも本人からの相談がない状態だと……」

 

 そうだな。

 そもそもストーカーというのは本人からの親告がなければ公訴が不可能な親告罪だ。その時点でこの相談内容に無理があるのは分かっている。

 しかし、俺がここに足を運んだ目的はストーカー被害の立件ではない。

 

「このまま放置すれば……ストーカー被害だけでは済まないかもしれないですよ」

 

「……どういうことです?」

 

「佐倉という生徒に実害が加えられる可能性があるってことです。これは俺が実際に楠田と直接話したからこそ感じたことなんですよ。事態は思ったよりも楽観視できない状態にあると思います」

 

「……」

 

 直接会ったから何かが分かるというわけでも、会っていないから何も分からないというわけでもない。しかしながら、与える印象の差は大きい。

 

「さっきも言った通り、佐倉は大ごとになるのを嫌います。最悪の場合……強姦なんてことにまで発展してしまうかもしれない」

 

「少し飛躍が過ぎると思いますが……」

 

「現状ではそうだと思います。でもそうなった場合……俺はこの保安センターで田村さんという担当者に佐倉のストーカー被害について相談したことを学校側に伝えますよ。なのに本人からの相談がないという理由で追い返されたと。その時誰が責任を取るんですか?」

 

 田村さんの表情が強張るのが分かる。

 人間というのは「責任を取る」ということを嫌う。もちろん俺も大嫌いだ。

 ここに相談を持ちかけたのも、ある種保安センターへの責任転嫁という側面がないわけではない。

 それ以外にも、俺の態度が急変したというのもあるだろう。

 

「保安センターの責任者の方も交えてお話しさせていただけませんか」

 

「……少し待っていてください」

 

 険しい表情のまま田村さんは席を立った。

 5分ほどが経過し、田村さんよりもさらに一回り上の年齢とみられる男性を連れて戻ってきた。

 

「島崎です。よろしく」

 

「どうも……田村さんからお話は聞いてますか?」

 

「大体はね。このまま放置したら責任問題になる、なんて言ったらしいじゃないか、君は」

 

「はい。失礼を承知で言わせてもらいました。こうした方が島崎さんのようにより地位の高い人と話せると思ったので……」

 

 今から俺が語る内容は、保安センターの一メンバーが承知していればいいという話ではない。

 しっかりとした決定権を持つ人間が介入していなければ成り立たないことだ。

 

「俺も、何もせずにただ保安センターの責任がどうのと押し付けるつもりはありません。ただ、これから話す佐倉への被害を未然に防ぐ方法を聞いて、それが採用に値するかどうかを見極めてほしいんです」

 

「君には具体案があると、そういうことかな」

 

「はい。被害者本人が不在の状態でのストーカー被害の解決なんて保安センターでは難しいことは分かってます。状況的な意味でも、手続き的な意味でも。なので、動けない保安センターの代わりに俺がどう行動するかを耳に入れておきたかったんです」

 

 俺は端末を操作し、2人に見せる。

 

「これは……位置情報?」

 

「はい。お二人も俺たち生徒と同じ端末を持っているので分かると思いますが、この端末は連絡先を交換して位置情報サービスの機能をオンにすると、その端末の場所が分かるんです」

 

 今映し出されている位置情報は佐倉、櫛田、池、須藤、山内の計5人。連絡先を交換していてここに映し出されていない人物は全員位置情報サービス機能をオフにしていることになる。

 楠田もオフにしているようだった。

 

「俺はすでに楠田と連絡先の交換を済ませてます。なので、もし楠田の端末の位置情報サービスをオンにすることができれば、俺は佐倉と楠田の両方の位置情報を追うことができます」

 

「……なるほど。二人の位置情報が近ければ、その生徒がストーキングされている、ということになるのか……」

 

「はい、そうなります」

 

 佐倉の方から楠田に近づくというパターンはほとんど想定できないと言ってもいい。

 カメラの修理申請に4人も付き添ったのは楠田への恐怖からなのだから。

 つまり、二人の位置情報が同じ場所にあれば、それは楠田が佐倉に近づいているという可能性が高まる。

 

「そしてそれは、危険信号でもあります」

 

 単にストーキングをしている、というだけならまだいい。いやよくはないが……それこそ、先ほど言ったような「強姦」なんて事態に発展している可能性もあるわけだ。

 

「その危険信号を察知できるのは、楠田と佐倉の両方の連絡先を持っている俺の端末だけです。つまり俺がいれば、佐倉への実害を未然に防ぐことができるということです」

 

 佐倉が被害を訴えているわけでもなく、楠田の行為が「現時点では」この学校のルールに抵触しているわけでもない以上、保安センターには楠田の動きを直接監視する大義名分はない。

 しかし、連絡先を交換した俺がそれを見るのであれば何も問題はない。

 保安センターとしては俺を利用しない手はないだろう。

 

「なるほど……だが、現状その店員の位置情報はオンになっていないのだろう。どうやってその機能を使わせる?」

 

 当然の疑問だ。

 

「その点についても考えてますよ。まず、俺はこの後楠田と会う約束をしています。その時に俺が作ったフリーの捨てアドレスを、まるで佐倉のアドレスであるかのように言って、ポイントでそのアドレスの情報を買わないかと持ちかけます」

 

 俺のその発言に2人は眉を顰める。

 

「それは詐欺行為にあたる。こちらから君の行為を報告することもできるぞ」

 

「いいえ、少なくとも詐欺にはあたりませんよ。俺はそのやり取りの中で一度も『佐倉愛理のメールアドレス』とは口にしませんから」

 

 詐欺罪が成立するには、どのような行為にせよ「虚偽の事実」を伝えている必要がある。

 しかしそれがなければ犯罪として立件はできない。

 刑事裁判ではなく民事裁判なら、悪質な契約であるとして金品の返還が命じられることはあり得るだろう。

 つまり最悪の場合でも俺がしなければならないのは楠田から受け取ったポイントの返還のみだ。罰を受けることにはならない。

 

「その話が決まれば、当然ポイントの譲渡とアドレスの入力が発生しますよね。その作業を俺がすると言って端末を預かれば、それに乗じて位置情報の機能をオンにできます」

 

「……なるほど。それならば確かに可能だろうね。しかし君がポイントを得たことに関してその店員に訴えられても、私たちは一切責任は取らないよ」

 

「それについては問題ありません。ただ、二つ頼み事があります」

 

「聞くかどうかは話を聞いてから判断するが、それでいいかな?」

 

「はい、もちろんです」

 

 言うからには聞け、なんて横暴が通用するとは流石に思っていない。

 

「一つ目ですが……この後会う楠田との会話を、俺の電話越しに聞いていてほしいんです。俺は会話の中で楠田が悪質なストーカーであるという判断材料を引き出します。それで、もしさっきの俺の提案を実行する必要があると判断できたら、その通話を切ってください」

 

「……なるほど」

 

 もし通話を切らなければ俺は協力しない。

 その代わり佐倉に取り返しのつかない被害が及んだ場合、事態を過小評価してしまった保安センターがその責任を取らされることになる。

 

「そして二つ目ですが……俺は楠田との話を終えた後、体のどこかしらに傷を負った状態でここにまた来ます」

 

「……どういうことだ?」

 

 疑問の表情を浮かべる2人。

 しかし詳しく説明することはない。

 

「今はもちろん無傷ですが……俺は楠田と会っていた時間帯に傷を負ったという証人になってほしい。頼みたいのはこの二つだけです」

 

 要求を聞いて、2人は目を見合わせる。

 そしてどちらからともなく頷き、島崎さんが口を開いた。

 

「……いいだろう。その二つ以上のことは要求しない。それでいいね?」

 

「はい。それで十分です」

 

「なら、これでこの話は終わりだ。捜査の協力を頼むよ」

 

「わかりました」

 

 そして、俺は楠田とのやり取りへ足を運んだ。

 

 

 

 

 

 3

 

 俺の予想では、楠田は恐らくアドレスの件については訴えないだろう。

 そもそも楠田には、あのアドレスが佐倉のものではないと判断できる材料がない。

 また、仮に訴えてきたとしても心配はない。

 その時はこのように主張するだけだ。

 

『俺が佐倉の連絡先を持っていることに対して逆上して俺に襲い掛かり、怪我をさせた。その怪我を負わせたことへの口止め料として50万円を受け取った。アドレスについて嘘をついたのは、楠田の精神を落ち着けて自分がこれ以上暴力を振るわれないための防衛手段だった』

 

 そこで、島崎さんと田村さんに対しての2つ目の頼みごとが効いてくる。

 俺は実際に傷を負っている。楠田が俺に襲い掛かる様子は防犯カメラにも記録されているはずだが、もしその映像が処分されてしまったあとで訴えられたとしても、楠田と会っているときに傷ができたという確固たる証人が2人もいる。

 それがそのまま、俺の主張の裏付けになる。

 当初思い描いていた通りの展開だ。

 ひとつ想定外だったのは、楠田が佐倉に接触するタイミングだ。

 あれはちょっと早すぎた。まさか連絡先入手からたった3日であそこまでやらかすとは……。いつかはやるだろうと思っていたが、正直気を抜いていなかったといえば嘘になる。

 ただまあ、佐倉も無事だったし、俺にポイントも入った。

 これで一件落着だ。



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大暑の一幕~運動~

 暑い。

 暑い。

 それから暑い。

 あと暑い。

 暑い暑いうるせえと思うかもしれないが、本当に暑いんだから仕方がない。あっつ。

 ただそれは自業自得というか、こんな真っ昼間に俺が室内にいないのが主な原因だ。

 今俺がいる場所は、通学路とは反対の方角に位置するバスケットコート。以前佐倉と遭遇した場所でもある。

 こんな場所でやることといえば一つしかないわけで。

 もちろん、バスケである。

 いやまあ、佐倉はここで自撮りしてたが……例外だろう。

 バスケは俺の数少ない趣味の一つだ。

 BリーグやNBAなどにはあまり興味はない。プレイ専門だ。

 今月は8700ポイントしか支給されなかったDクラスだが、俺には男子バスケ用公式球を余裕で買えるくらいの財力はある。

 幼少期に父親に教わって以来、ずっと続けている。部活に入ったことはないが。

 小学校高学年、そして中学時代、友達が一人もいなかった時期でも、バスケは継続してやっていた。

 そこら辺のバスケ部員よりも、バスケ歴は長いくらいだろう。

 ただしずっと一人でやり続けてきたので、技術の発展具合はかなり極端だ。

 合同練習が必要なパスやディフェンスは並以下。

 できるのは、一人でいくらでも練習できるシュートとハンドリングくらいか。ドリブルもスムーズにはできるが、対人戦などほぼ経験がないので、相手を抜き去ることができるかは分からない。

 ドリブルからレイアップシュートを決め、ボールがゴールネットをスパッと綺麗に通り抜ける。

 そのボールが地面に落ちるダムッという音が聞こえた直後、俺は膝に手をついて、切れた息を整える。

 

「はぁ、はぁ……ふう、きっつ……」

 

 尋常じゃないほどの汗の量だ。今のように頭を下に向けていると、コートにポタポタと滝のように汗が滴る。

 すでに大量に汗を吸い込んだタオルで顔を拭き取り、持ってきていた無料のミネラルウォーターで水分補給を行う。

 上着なんて、汗で湿っていない場所を探す方が難しいくらいだ。放置したら馬鹿みたいに臭くなりそうだし、帰ったらシャワー入って即洗濯だな……。

 そんなことを考えていた時。

 

「おお、誰かと思えば速野じゃねえか」

 

 バスケットコートに、同じDクラスの同級生、須藤が姿を表した。

 

「……おう」

 

「お前バスケ好きだったのか」

 

「まあな。……みたとこ、部活前か」

 

 須藤は動きやすい恰好をしており、スポーツ用のセカンドバッグを肩にかけていた。

 

「ああ。練習は1時からなんだけどよ。その前に軽く動こうと思ってな」

 

「なるほどな……」

 

「にしてもお前、バスケ好きなんてわかってんじゃねえか。やっぱり一番だよなあ!」

 

 俺をバスケ好きの仲間だと考え、嬉しそうにそう言った。

 

「いや、まあ、球技の中ではな……てか、正直意外だ。お前個人競技向きなんじゃないのか」

 

 こいつほどの体格と身体能力があれば、練習すれば割とどのスポーツでも高いレベルまで到達できそうだが。実際、水泳なんて本当に速かったし。高円寺に負けはしたが。

 

「最初は俺もそう思ってたんだけどな。実際やってみたら、バスケが一番しっくり来たんだ」

 

「へえ……」

 

 まあそういうこともあるか。

 懸念点としては、須藤にチームプレーができるかどうかだが……まあレギュラーに選ばれるくらいだし、そこら辺はしっかりやってる、と考えていいのか。

 

「それよりちょうどよかったぜ速野。やろうぜ、1on1」

 

 嬉々としてそんな提案をしてきた。

 

「いや……勝負にならんだろ」

 

「いいからやってみようぜ! な?」

 

「……俺が雑魚過ぎて文句言うなよ」

 

「わあってるって」

 

 ほんとにわかってんのかな、こいつ……

 

 

 

 

 

 1

 

「はぁ、はぁ……須藤お前馬鹿か、ダンクなんか止められるわけねえだろ……」

 

 須藤の動きは、実際に相手取ってみると想像のはるか上を行っていた。

 ドリブルは力強く、動きは素早い。それでいてパワーも十分。レギュラーに選ばれるのも納得だ。

 

「もう時間ねえし、お前のボールで最後な。ほらよ」

 

「ああ……」

 

 須藤からボールを受け取り、まずは息を整える。

 すこし落ち着いたところで、ドリブルを始めた。

 須藤は俺から少し距離を取っている。

 まだあまり警戒してる様子はない。

 これならいけるか。

 俺はドリブルをやめ、シュートを放った。

 

「は!?」

 

 驚きの声を上げる須藤。

 無理もない。

 俺の位置は、スリーポイントラインから3メートルほど後方。

 こんなところから打っても、入らない。いや、入る入らない以前に届かない。

 だから警戒なんてしないし、すべきじゃない。ディフェンスは距離をとってドライブに備えるべきだ。須藤の選択は正しい。

 しかし俺の放ったボールは、リングの中心をスパッと通過した。

 

「う、うそだろ……」

 

 フリーの状態からのスリーポイント。

 俺がバスケで一番得意な動きだ。

 この距離でも届くような体の使い方、力の入れ具合のコツをつかんでから、何千何万と練習してきた。

 

「も、もっかいだ!」

 

「いや、でもお前、さっき最後って」

 

「いいから!」

 

 そういって、こちらにボールを渡してくる。

 ならば、と俺はその瞬間にシュート体制に入った。

 

「させるか!」

 

 須藤が距離を詰め、ブロックをしにくる。

 しかし須藤の足が地面から離れた瞬間、俺はボールを前に突いて、右から抜き去る。

 

「くそっ!」

 

「……はやっ、マジか」

 

 完全に置き去りにできたと思っていたのに、フリースローラインを越えたところですでに須藤の姿が左に見えた。

 追いつかれた。

 このままレイアップに行ったら、ボールは間違いなく叩き落される。

 そのため俺は、シュートをフローターに変えた。

 

「があっ! 届けっ!!!」

 

「おおっ……!」

 

 ボールはすこし高めの弧を描き、ガツン、とリングにぶつかる。そこから落ちてきたボールもまたぶつかる。それを繰り返し、そのうちリングの上をぐるぐると回る。

 入るか入らないか、と見ていたところ……ボールは、リングの外側に落ちた。

 

「っし!」

 

 ガッツポーズを作って喜ぶ須藤。

 

「……お前、触ってたのか」

 

「まあな。ギリギリだったぜ」

 

 目ではわからなかったが、どうやらそれでボールの軌道が変わっていたらしい。

 

「これで満足したか」

 

「ああ。あんがとよ。つかお前、マジで上手いな。絶対バスケ部入ったほうがいいぜ」

 

「いや……部活はちょっとな」

 

「そんなこと言うなって。練習して体鍛えたら、レギュラーもあり得るぜ!」

 

「いいって言ってるだろ。入らん」

 

「か、頑なだなオイ……まあ、無理には言わねえけどよ」

 

「そうしてくれ」

 

 なんとか面倒な事態はさけられそうだ。

 

「っと、もう時間だ。わりいな。部活行ってくる」

 

「ああ。頑張ってくれ」

 

 軽く汗を拭きながら、須藤はコートを出ていく。

 レギュラーとして活躍して、その暁には是非とも俺たちにクラスポイントをもたらしてもらいたい。

 

「……俺もそろそろ終わるか」

 

 キリもいいので、今日のところはここで引き上げることにした。

 

 

 

 

 

 2

 

「ふあぁ……あーよく寝た」

 

 バスケから帰ってきた俺はすぐにシャワーを浴びて着替え、爆睡した。

 あんな炎天下で動き回っていれば、疲労の蓄積も半端ではない。そんなに長い時間眠っているつもりはなかったが、現在時刻は午後6時で、軽く5時間は寝ていた計算になる。

 夕飯の時間だし、何か作るか……と思って台所に向かおうとしたところで、不在着信があるのに気づく。

 合わせて3件。全て堀北からだった。

 須藤の件以来、こうして堀北から不在着信が入ることが多い。

 まあなぜ不在着信かといえば、単純に俺が全部無視してるってのが理由なんだが。

 今日も折り返すことはせず、そのまま放置しておこうとした瞬間だった。

 堀北からまた着信が来てしまった。

 

「……」

 

 ちょうど端末を手に持ってる時にドンピシャでかかってくるのは初めてだ。

 同じ着信を無視するという行為でも、端末が手元にないときとあるときでは罪悪感が全然違う。

 それに……。

 

「……はあ」

 

 もういいか。取ろう。

 受話器のマークをタップし、端末を右耳にあてる。

 

「……もしもし?」

 

『覚悟はできているかしら』

 

 電話に出た瞬間、ノータイムでそう告げられる。

 

「……なんのことですか」

 

『私からの着信、散々無視してくれたわね』

 

「ちょうど手が離せなかったんだよ。で、何の用だ」

 

 話が拗れそうだったので、話をそらして要件を促す。

 

『この……まあいいわ』

 

 何を言いかけたのか気になるところだが、突っ込まない。怖いし。

 

『要件はあなたもわかっているはずよね。生徒会室での話し合い、あの時のあなたの発言。一体どういうことなのか、きっちり説明してもらうわよ』

 

 やっぱり、それだよなあ。

 俺は素直に答えることはせず……逆に問い返す。

 

「お前はどう思ってるんだ。俺のあの奇行について」

 

『……素直に答えなさい』

 

「まずは自分の考えを言ってみろよ。今日まで散々考えてたんだろ?」

 

 考えてた、というより、無意識のうちに頭がそのことに考えを回してしまう、という言い方が正しいだろう。

 

『……あなたが私たちを現場に行かせたことも、話し合いの最後であなたが一人語りを始めたことも、私にあの策を思いつかせるための誘導……そうよね』

 

 やっぱり、そこまでは考えが及んでいたか。

 俺は答える。

 

「少し違う」

 

『……どういうこと?』

 

「確かに現場に行こうと提案したのは俺だ。だが、そのきっかけとなった言葉は誰が発したものだった?」

 

 俺の思考はこうだ。

 特別棟に監視カメラはおそらくない→しかし、まだ直接この目で確認したわけじゃない→ならば現場に行く必要がある。

 

『……まさか、綾小路くんの……?』

 

 気づいたみたいだな。

 

「それにだ。あの話し合い、参加してたのは俺たちだけじゃないんだよ」

 

 参加した、ということと、あの場にいた、ということは必ずしもイコールじゃない。

 

『……分からないわ。一体どういうこと?』

 

「俺はあの話し合い中、ずっと綾小路と通話をつないでたんだ」

 

『っ! そんなことが……』

 

 綾小路は、話し合いの様子をずっと聞いていたのだ。

 

『……なるほど、だから討論終了直後、綾小路くんが生徒会室の前にいたのね』

 

 話し合いの様子が通話で分かっていれば、それが終了するタイミングも把握できる。

 

「そういうことだ。これで俺の行動の理由、片付いただろ」

 

 堀北にとって納得のいかないあの時の俺の行動は、全て裏から綾小路が糸を引いていた。

 そう結論づけられる。

 

『ちょっと待って』

 

 しかし、まだ引き下がらないようだ。

 

「……まだ何かあるのか」

 

『まだ疑問は解消されていないわ。あなたの日の入り時刻に基づいた推定……あれも綾小路くんがやったものだとは言わないわよね』

 

「……」

 

『彼の最終的な目的は、私に監視カメラの策略を思いつかせることだった。けれどあなたのあの行動に関しては、その目的から外れているわ。つまりあれは、あなたが独自に動いたこと』

 

 鋭いな、結構。

 やっぱり根本的にこいつは頭がいい。

 ここは素直に答える。

 

「ああ、あれは自分で頑張ったことだよ。俺だってDクラスが負けるのは嫌だからな。結局、ほとんど効果はなかったけど」

 

『だとしたらどうして、まるで私が考えていたことのように言ったの?』

 

 そこはやっぱり気にしてるよな。

 

「まあ、あれだよ。ああいうのは、お前の考えってことにしといた方がキャラ的に合ってるだろ」

 

『ふざけないで。真面目に答えなさい』

 

「いや……結構マジなんだけどな、この答え」

 

 いたって真面目なトーンで言うと、堀北は黙りこんだ。

 少し間を開け、電話口から声が聞こえてくる。

 

『……つまりあなたは、目立ちたくないから、私を隠れ蓑に利用しようと?』

 

「当たらずとも遠からずだ」

 

 堀北を隠れ蓑に使うというのは正しい。だが、それは単に「目立ちたくないから」という理由だけではない。

 ……まあ、ここまでしゃべったんだから、あとは自分の頭で考えていただくことにしよう。

 

「もういいか。切るぞ」

 

『ちょ、ちょっとまっ』

 

 言い終わる前に、俺は通話を切った。

 追い打ちで着信が来ることを予想し、俺は通信をオフにして端末を置いた。

 キッチンに移動し、蛇口をひねって手を洗いつつ、つぶやく。

 

「……俺は別に、どっかの誰かみたいに事なかれ主義ってわけじゃないぞ」

 

 そこを一緒にされてもらっては困る。

 

 俺が……。

 

 俺が、このポイントがモノを言う「実力主義の学校」で、やりたいことは……

 



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第3巻
無人島へ


 希望。

 意味は、未来への期待。

 英語では「ホープ」。

 そして、イタリア語では「スペランツァ」。

 この「スペランツァ」こそ、俺たちが乗っているこの豪華客船につけられた名前だ。

 地上5階、地下2階。

 太平洋上に浮かぶ巨大な鉄の塊。

 その中には、俺たちが泊まる宿泊部屋のほか、一流のレストランやカフェテリアなどの飲食施設、演劇シアター、プレイルーム、屋外プール、さらに高級スパなんてものまで……多種多様なものが揃っている。

 あらゆる面が最高といえるこのバカンス。

 期間は2週間と設定されている。

 最初の1週間は、現在向かっている無人島のペンションで過ごす。残りの1週間はこの豪華客船でクルージング、という予定だ。

 そして期間中は、全ての施設をプライベートポイントの消費なしに使用できる。

 慢性的なポイント不足にあえぐDクラスにとっては、文字通り渡りに船というか、とにかく最高の待遇だった。

 もちろん、ここに至るまでに壁がなかったわけではない。

 このバカンスに参加するための条件として、1学期中間、期末テストで一人の退学者も出さないこと、というものがあった。

 他のクラスはともかく、Dクラスはかなり危ぶまれたが……須藤、それに池、山内などの不安要素を含め、全員が条件をクリア。晴れてこのバカンスへの参加を許されたというわけだ。

 それはもう大喜びだろう。

 天気も、さあ楽しめ、と言わんばかりの快晴。

 今の時間なら、屋上のスペースが人気のスポットかな。

 まあどこにいようと、多くの生徒はテンション高くはしゃいでいることだろう。

 しかし、その例に漏れる生徒も当然いる。

 その一人が俺だ。

 俺は出港してから、ほとんどの時間を部屋で過ごしている。

 この船内を一緒に満喫するような友達がいない、なんてことは……まあ、あるにはあるが……それ以上に、俺には船酔いという天敵がいるのだ。

 船以外でも、乗用車やバス、飛行機など、俺は基本的に乗り物には弱い。

 乗船前に服用した酔い止めの薬と、この船の乗り心地がかなりよく、ほとんど揺れないおかげで今のところは大丈夫だが……油断は禁物。

 ちょろちょろ動き回ってもいいことはないと判断した。

 しかし、それもあくまで「基本的には」の話。

 何かやりたいことがあったり、用事があれば当然出歩く。

 そして、今はその用事だ。

 俺はある人物から呼び出しを受け、その人物の元へ向かっている。

 ドアを開けて外に出ると、その人物はすでにそこに立っていた。

 

「おお……もう来てたか佐倉」

 

「う、うん……。ごめんね、わざわざ」

 

 俺を呼び出したのは、クラスメイトの佐倉愛理だった。

 

「それで、どうしたんだ急に。俺に用って」

 

 前置きなしにズバリ問うた。

 

「え、えと、それは、その……」

 

 しかし、佐倉はもじもじとして、口を閉ざしてしまう。

 心なしか顔も赤い。

 俺は手すりに背中を預け、言葉の続きを待った。

 すると、佐倉は意を決したように口を開く。

 

「その、えと、お、教えてほしいの!」

 

「……なにを?」

 

「綾小路くんの、こと!」

 

「……」

 

 綾小路について……。

 

「……知ってどうすんだ?」

 

「ふぇっ! い、いや、それは……」

 

 ……ちょっと意地の悪い質問だったな。

 早い話が、佐倉は綾小路にほの字なんだろう。

 

「悪い悪い、深くは聞かない。ただ、綾小路についてって言われてもな……」

 

「は、速野くんなら、綾小路くんと仲が良いから、何か知ってるかな、って思って……」

 

「いや、まあ、比較的親交が深いのは事実だが……」

 

 ただなあ……佐倉が知りたがってるような、好き嫌いとか、趣味とか、そんな感じのことはほとんど……。

 いや、でも確か……。

 

「……本好き、かもな、あいつは。休み時間とかよく本読んでるし、図書館にも結構行くみたいだし」

 

「そ、そうなんだ……本、かあ……」

 

 佐倉の興味の対象からは外れてるかもな、読書は。

 

「……まあ、勇気出して誘ってみるのもありだと思うぞ。あいつも俺と似て、旅行中は基本暇してるだろうし。考えようによっちゃ、このバカンスは大チャンスなんじゃないか」

 

「そ、そう、だね。大チャンス……え、だ、大チャンス!?」

 

 その単語に驚きを見せる佐倉。

 ああ、綾小路への好意、俺にバレてないと思ってたのか。

 

「ああ……はは」

 

「っぅ~~~~~!!!」

 

 俺に悟られたのがよほど恥ずかしかったらしく、声にならない声を上げて、何やらジタバタしている。

 

「お、おい、佐倉……?」

 

「は、速野くんっ、あの、こ、このことは、ひ、秘密にっ……!」

 

「お、おう……おーけー」

 

 身を乗り出して言ってくる。気迫たっぷりなのは分かるが、色々近い……顔とか……あと胸とか……。

 と、そんなときだった。

 船内全体にチャイムが鳴り響く。

 時報でもなさそうだし、何かのアナウンスの合図か。

 

『生徒の皆様にお知らせします。間もなく、当校所有の無人島が見えてまいります。お時間がありましたら、ぜひデッキにお集まりください。非常に有意義な景色を、ご覧になれることでしょう』

 

 と、そんな内容だった。

 綺麗な、でもなく、素晴らしい、でもなく、有意義な、景色か。

 

「……行くか? デッキ」

 

 足を運ぶことに決めた俺は、佐倉にも呼び掛ける。

 

「う、ううん、私は……その、すごく人が多そうだから……」

 

「……そうか」

 

 今のアナウンスを聞けば、興味本位の生徒が大勢デッキにやってくる。人込みの苦手な佐倉は行きたがらないか。

 

「じゃあ……俺はいくから」

 

「う、うん。ありがとう、本当に……」

 

「いやいい。暇だったし。まあ、他にもなにか相談事とかあれば連絡してくれ」

 

「ありがとう……」

 

 それには軽く左手を上げて応え、俺はその場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 1

 

 この場所からデッキまでなら、一度船内に入って、その中の階段から降りた方が速く着く。

 船内を歩き、廊下の曲がり角に差し掛かったとき。

 コツン、と誰かにぶつかってしまった。

 

「おっと」

 

「あ、ごめんなさ……」

 

 ぶつかった相手は、クラスメイトの堀北鈴音。

 その堀北は、相手が俺であると認識するなり、謝罪の言葉を言い終える前にスタスタ歩いて行ってしまう。

 

「おいちょっと、せめて言い終わってから行けよ……」

 

「……なぜ私が一方的に謝らなければならないのかしら?」

 

 

「いや、別に一方的に謝れとは……悪い、不注意だった」

 機嫌を損ねないよう素直にそう述べるが、堀北はそっぽを向き、ふたたび歩き出す。

おい。

 

「こらお前、自分が俺に一方的に謝らせてるじゃねえか」

 

「はあ……何? 謝罪の言葉が欲しいのかしら。なら、ごめんなさい。これでいいかしら」

 

「この……」

 

 ……須藤の事件以来……というか、あの日の電話以来、こんな調子なんだよなあ。

 機嫌を損ねないように、なんてこちらが気にするまでもなく、既に機嫌は思いっきり損なわれていたらしい。

 まあ、俺が無理やり通話切ったのが原因の一つなんだろうが……。

 

「……ん?」

 

 俺は、こちらに鋭い視線を向ける堀北にいくつかの違和感を見つけた。

 船内は適温だが、堀北はジャージの一番上までチャックを完全に上げ切っている。暑くないのか?

 まあそれは個人差の問題だとしても、加えて心なしか少し猫背の気もする。普段姿勢の良い堀北だからこそ気になる。

 それから、手に持ってる白いビニール袋は……?

 

「……お前、デッキに行かないのか?」

 

「デッキ? 行かないわ。私は水を買いに出てきただけよ」

 

「ん、そうか……」

 

 堀北なら、あのアナウンスに違和感を持ってると思ったんだが……そうじゃないのか。

 まあいいか、それならそれで。

 以降は言葉を交わすこともなく別れた。

 階段を降り、デッキへ出る扉を開ける。

 予想してた通り、かなり人が多い。

 開けた場所のため、最初からそこそこの人気はあったが、それにしても多すぎる。やはり、さっきの放送で人が集まったか。

 俺はその中にDクラスのメンバーも見つけ、そこに近づく。

 

「あ、あのよ堀北。ちょっと、いいか?」

 

「オレは堀北じゃない」

 

 そんな、須藤と綾小路の意味不明な会話が聞こえてきた。

 そら、綾小路は堀北じゃないんだから、こんな反応されて当然だろうよ。須藤のやつついにボケたか?

 

「何をやってんだお前ら……」

 

 呆れた顔で俺が聞くと、それに須藤が反応した。

 

「お、おお、速野! じゃあお前でもいいや。今、堀北のことを名前で呼ぼうとしてるんだけどよ」

 

「今話しかけてたの綾小路だっただろ」

 

「だからその練習だ練習! さっきは綾小路を堀北に見立ててたんだよ。いいから付き合えよ!」

 

 ああ、なんだそういう話か……そういや、須藤は堀北に惚れてるんだったな。

 

「近づかないで。気持ち悪い」

 

 俺は少し顔を赤らめてそう言う須藤に、努めて突き放した言い方をした。

 

「な、なんだよそれ! 一緒にバスケした仲じゃねえかクソが!」

 

 須藤は俺の反応に少し切れたようだ。いや別にバスケやったのは関係ないんじゃ……

 だが、こいつは半分勘違いをしている。

 

「いや……お前がさっきみたいなこと言った時の堀北の反応、だいたいこんなもんだと思うが……」

 

 須藤は少し間の抜けたような顔をした後、ああ、と俺の言ったことの意味を理解したようだ。

 そう、俺は須藤の言う通り、しっかりと協力してやったのである。

 

「そういうことか……お前、やっぱいいやつだな」

 

「別にいい」

 

 演技要らなかったし。堀北が言いそうなことと、俺の本音同じだったからな。

 これ以上ここにいるとまた面倒なことになりそうだったので、俺はその場を離れ、デッキの側面に移動した。

 すると、柵から外を見ている1人の女子生徒の姿が目に入った。

 

「あ、速野くんだ」

 

 藤野麗那。

 この学年の最優秀クラスであるAクラスに所属しており、且つ俺の友人だ。

 船を叩く潮風が、藤野のショートボブカットの銀髪をなびかせる。

 俺は軽く手を上げながら、その場所に向かった。

 

「なんか久しぶりだね。最近買い物一緒に行ってなかったからかな?」

 

「まあ、多分そんな感じだろうな」

 

 俺と藤野は須藤の事件の後、一度も連絡を取っていなかった。

 何故かは分からないが、お互いに連絡するのが気まずくなってしまったのだ。

 そのため、約2週間ほど連絡を取らない状況が続いて現在に至るが……なんか、あっさりと話せたな。

 

「あ、島ってあれのことかな?」

 

 藤野が指差す方向を見ると、たしかに島の輪郭が確認できた。

 夏休みのバカンスの日程の一つ、無人島でのペンション宿泊は、この島で行われるのだろう。

 船はどんどん島に近付いていき、島に生えている木の1本1本が肉眼で確認できるまでになる。

 しかし、このまま船着き場に船を停めるのかと思いきや、そこをスルーし、何故か旋回を始めた。

 しかも割と速度が速い。

 

「結構綺麗だねえ……船が着いたら、ここのビーチで自由に泳げるんだよね?」

 

「ん、まあ、自由行動って書いてあったし、それもいいんじゃないか」

 

 答えながら、俺は思わず藤野の水着姿を想像してしまう。

 うーむ……。

 と、いかんいかん。いまは島を見なければ……。

 結局、船は島を一周した後、船着き場で完全に停止した。

 そこで、藤野が口を開く。

 

「……あのね、はや」

 

 しかしそれを遮るようにして、船内にアナウンスが流れる。

 

『これより、当校が所有する無人島に上陸いたします。生徒は全員ジャージに着替え、所定の荷物と携帯電話を確認した後、それらを忘れることのないように持参し、30分後にクラスごとにデッキに集まってください。それ以外の一切の私物の持ち込みを禁止します。また、暫くお手洗いに行けない可能性がございますので、忘れずに済ませてください』

 

 そんな注意事項だった。

 

「……行くか」

 

「そう、だね」

 

「……なあ、お前さっき何か言いかけなかったか?」

 

「え?……あ、ううん、何でもない。気にしないで」

 

「……そうか、ならいいんだが」

 

「じゃあ、また後でね」

 

「わかった」

 

 まあ多少気にはなるが、今はそれよりも、指示に従って下船の準備をしないとな。

 バカンスとはいえ、遅れるとまずい。

 

 

 

 

 

 2

 

『敷地内への携帯の持ち込みは禁止だ。各担任にしっかりと預けるように』

 

 拡声器から聞こえる声に従い、生徒がぞろぞろと船から出ていく。

 太陽が容赦なくジリジリと照りつける中、下船には意外と時間がかかっていた。

生徒からは暑い暑いと不満が噴出している。

 俺も暑いので、ジャージの上を脱ぎ、手に持つのも面倒だったので袖を腰で結んでいる。

 こんなに時間を取っている原因は、タラップの両脇に立っている教師だ。

 降りる生徒一人一人に、厳しい荷物検査を行っている。

 普通登校日は私物の持ち込みは自由なのに、何故バカンスであるはずのこの日だけはこんなにも厳しいのか。ふつう逆じゃないか。

 それ以外にも、気になることはいくつもある。

 客船のヘリポートに停まっているヘリは、一体何のためにあるのか。

 それに、俺たちが事前に聞いてた話じゃ、無人島に建てられているペンションで1週間を過ごすことになっているはず。しかし先ほど高速旋回した際に、宿泊施設らしき人口建造物は一切確認できなかった。

 浮かび上がる疑問。

 あの時の生徒会長との会話を思い出す。

 これは、まさか……。

 しかしほとんどの生徒たちは、まだこれが単なるバカンスであると信じて疑っていないらしい。暑い暑いと文句は言いながらも、その表情は明るいものだ。

 長い時間をかけて下船を終えた俺たちに、茶柱先生の声が響く。

 

「これよりDクラスの点呼を行う。名前を呼ばれたものはしっかりと返事をするように」

 

 素早く40人分の点呼を終え、ピシッと整列する各クラス。

 そんな中、1人の筋肉質の男が、用意されていた壇上に上がった。

 以前藤野から話を聞いていた、Aクラスの担任の真嶋先生だ。

 堅物で真面目。一見体育系だが、頭脳は明晰で、複数の教科を教えることもできるらしい。

 

「今日、この場所に無事につけたことを、まずは嬉しく思う。しかし、1人の生徒が病欠でこの行事に参加できなかったことは、非常に残念でならない」

 

 それは確かに残念だ。

 まあ、本当にこれが純粋なバカンスであったなら、の話だが。

 そのうち、多くの生徒たちも次第に疑問を持ち始める。

 特設テントに、複数台のパソコン。そして教師の険しい表情。

 どれもこれも、バカンスにしては不自然だ。

 そして、生徒が疑問を持つようになるのを待っていたかのようなタイミングで、一際大きい声が拡声器から鳴り響いた。

 

「ではこれより、本年度最初の特別試験を開始する」

 

 やはり、そうだったか。

 特別試験。

 堀北会長によれば、学力や身体能力だけでなく、様々な面の実力が問われる特殊な試験。

 当然ながら、この単語に聞き覚えのある人間は俺だけだったようで、他の生徒は「特別試験」というワードそのものに疑問符を浮かべていた。

 真嶋先生は説明を続ける。

 

「期間はこれより一週間。8月7日の正午に終了となる。試験の内容は、これから1週間、この無人島でクラスメイト全員と集団生活することだ。また、これは実在する企業でも実施されている現実的、且つ実践的なものであることをはじめに告げておく」

 

「無人島で生活って……この島で、寝泊まりするってことですか?」

 

「その通りだ。その間君たちは、寝泊まりする場所はもちろん、食料や飲料水に至るまで、全て自分たちで確保することが求められる。試験中、許可のない乗船は許されない。試験開始時点で、各クラスにテント2つ、懐中電灯2つ、マッチを一箱支給する。また、歯ブラシに関しては各生徒に1セットずつ、日焼け止め、女子生徒のみ生理用品は無制限で支給する。各クラスの担任に願い出るように。以上だ」

 

「は、はあ!? マジの無人島サバイバルかよ!? そんなの聞いたことないっすよ! 漫画の世界じゃないんですから! 第一、8人用テント2つで全員寝られるわけないじゃないっすか! てか、飯も自給自足とかどういうことっすか!?」

 

 池がその場にいる全員に聞こえるほど大きな声で喚く。

 しかし、真嶋先生はその声に呆れたように返答した。

 

「君は今聞いたことがないと言ったが、それは君が歩んできた人生が浅はかなものであっただけにすぎない。はじめに説明しただろう。これは実際に、企業研修でも取り行われているものだと」

 

「そ、そんなの特別じゃないっすか!」

 

「これ以上みっともないマネはするな、池。真嶋先生が言ったのはほんの一部。これは、誰もが知る有名企業でも取り入れられている内容だ。それを、まだただの高校生に過ぎないお前たちに、否定する権利があると思ってるのか?」

 

 そう池に冷たく言い放ったのは茶柱先生だ。

 確かに、世の中には様々な企業が存在する。成人した社会人でもない俺らには頭ごなしに否定する権利はなかった。

 しかし、それでもいくつか疑問が残る。

 

「しかし先生、今は夏休みですし、この行事の名目は旅行のはずです。企業研修であれば、こんな騙し討ちのような真似はしないと思いますが」

 

 ある生徒が疑問をぶつける。それも俺が気になった部分の1つだ。

 もう1つ気になったのは、中途半端に物資が支給されている点だ。

 食料は全員自給自足、日焼け止めや生理用品は無制限だからいいとしても、池の言った通り、テントが2つでは全員が寝られるようなスペースがない。

 もし企業研修なら、こんな不平等を生み出すだろうか。

 真嶋先生は、質問した生徒に少し感心したように答えた。

 

「なるほど、確かにそういう点では不満が出るのも納得できる。だが試験と言っても、これは苦痛を強いるものではない。この1週間、君たちは何をしようとも自由だ。海で泳いだり、バーベキューをしたり。キャンプファイヤーで、友と語り合うのもいいだろう。この試験のテーマは『自由』だ」

 

「んっ? え、試験、なのに自由って……? ちょっと頭こんがらがってきた……」

 

 そうなるのも無理はない。他の生徒も困惑している。

 そもそも、バーベキューやらキャンプファイヤーやら、支給された物資だけでは不可能だ。

 ということは、それらを入手できる方法が存在するのか。

 そんな俺の思考に答えるように、真嶋先生が言葉を続ける。

 

「この無人島における特別試験では、まず、試験専用のクラスポイント、Sポイントを全クラスに300ポイント支給する。これを上手く使うことで、この試験を乗り切ることが可能だ。今から配布するマニュアルには、ポイントで購入できるすべてのものが載っている。食料や水、無数の遊び道具なども取り揃えている」

 

「つまり……その300ポイントで、欲しいものがなんでも買えるってことですか?」

 

「そうだ」

 

「で、でも試験っていうくらいだから、何か難しいのがあるんじゃ……」

 

「いや。2学期以降への悪影響は何もない。それは保障しよう」

 

 また、この学校は変な言い方をしてくる。

 真嶋先生は「悪影響」という言葉を使った。

 つまり、影響がないとは限らない。

 俺たちにはまだ説明されていない、2学期以降に影響が出る何らかのルールがあるんだろう。

 俺のその疑問を含め、次の真嶋先生の言葉ですべてが明らかになった。

 

「この特別試験終了時には、各クラスに残ったSポイントをそのままクラスポイントに加算し、夏休み明け以降に反映する」

 

 生徒全員に衝撃が走る。

 やはりきた。2学期以降への「影響」。

 つまり、これはプラスを積み重ねることを目的とした試験。

 会長からはプライベートポイントが増えるとも聞いていたが、今のところそんな話は出てない。今回関わってくるのはクラスポイントだけか……?

 

「今からマニュアルを各クラスに1冊ずつ配布する。紛失の際は再発行も可能だが、ポイントを消費するので確実に保管しておくように。また、試験中に体調不良などでリタイアした生徒がいるクラスは30ポイントのペナルティを受ける。今回の旅行の欠席者はAクラスだ。よって、Aクラスは270ポイントからのスタートとなる」

 

 さすがに優秀な生徒が揃っているだけあって、Aクラスに驚きはなかった。しかし、他クラスにとっては無条件でAクラスとの差が30ポイント縮まった瞬間でもある。「おお!」と思った生徒も少なくないだろう。

 

「全体での説明は以上だ。以降は各クラスに分かれて、それぞれ担任の教師からさらなる説明がある。では、諸君らの健闘を祈る。解散!」

 



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無人島サバイバル 序の口

 真嶋先生の指示に従い、各クラスごとに別れ担任教師の前に集まる。

 全員揃ったことを確認した茶柱先生が口を開いた。

 

「ではこれより、特別試験のクラスごとの説明を行う。まずは全員に一つずつ、この腕時計を配布する。これは時刻のほか、体温や脈拍などの体調管理機能、GPS機能、さらには自身の緊急事態を学校側に通知する通報機能なども搭載されている。通報する際には遠慮なくボタンを押せ。なおこの腕時計は試験期間中、常に着用しておくことが義務付けられる。許可なく取り外しを行った場合にはペナルティを課す」

 

「あの、壊れたりとかした場合はどうするんですか。水に浸かったりとか」

 

「安心しろ。完全防水で、そのまま海に入っても全く問題ない。故障した場合は直ちに担当者が取り換えにくることになっている」

 

 そのあたりは抜け目ないようだ。

 

「続いて、追加ルールの説明だ」

 

「つ、追加ルール? まだ何かあんのかよお……」

 

 うんざりしたように池が言う。

 そんな声に取り合うつもりはないのか、茶柱先生はそのまま説明を始めた。

 

「まずは各クラスごとに一人ずつ、必ずリーダーを決めてもらう。決め方は自由だが、それは今日の点呼までだ。それまでに決まらなければ学校側でランダムに指名することになる。リーダーとなった生徒は私に申し出ろ。このキーカードにその生徒の名前を刻印して渡す。」

 

 茶柱先生が、何も刻印されていない状態のキーカードをこちらに見せてきた。

 

「そしてこのキーカードの用途だが、この島には、いたるところにスポットと呼ばれる場所が存在する。そこには専用の機械があり、その機械にこのキーカードを通すことで、スポットをそのクラスが占有できる。ただし、それができるのはリーダーのみ。リーダー以外の人物が誤占有した場合、マイナス50ポイントのペナルティを受ける。占有したスポットは、そのクラスが自由に使用可能だ。ただし、他クラスが占有中のスポットを誤占有した場合にも、先ほどと同様50ポイントのペナルティが入る。また占有が認められるのはキーカードを通してから8時間。継続して占有するためには、占有時間が途切れた後、先ほどの操作をもう一度繰り返す必要がある」

 

 なるほどな……。

 

「そして一度の占有につき、ボーナスポイントが1ポイント加算される」

 

「え、ボーナスポイント!?」

 

 一部の生徒から驚きの声が上がった。

 声を上げた生徒は、俺のようにマニュアルから遠くにいた生徒たち。マニュアルを読める距離にいた生徒たちは理解したように頷いていた。

 詳細なことはマニュアルに書いてあるのか。

 俺は今は見られないし、先生の説明を聞くしかない。

 

「そうだ。ただしそのポイントを試験中に使用することはできない。またこれは暫定的なポイントだ。占有しただけではポイントは確定しない」

 

「え、ど、どゆこと……?」

 

 つまりスポット占有で得たポイントは取り消される余地があるってことか。

 

「7日目の最終日、試験終了直前に、各クラスのリーダーを指名する権利が与えられる。そこで、見事リーダーを当てることができれば、報酬として、当てたクラス一つにつき50のポイントが得られる」

 

「ご、ごじゅう!?」

 

「50ってことは、5000ポイントってことかよ!」

 

「そうぬか喜びをしていていいのか? このルールにはリスクも大きい。リーダー指名を外した場合、その外したクラス一つにつきマイナス50ポイントのペナルティが入る。注意しておけ」

 

 よほどの自信がない限り、リーダー指名の権利行使は控えておくべき、か。

 

「そしてリーダーを当てられたクラスも、50ポイントのペナルティを受ける。そして、スポット占有で得たポイントも全て無効となる」

 

「え、そ、そんな!」

 

 なるほど。スポットを占有するにしても、キーカードを機械に通す瞬間を他クラスに見られてはいけないってことか。

 そしてあのキーカードも。リーダーの名前が刻印されてるってことは、あれを一瞬でも見られたらまずい。

 無暗にスポット占有に動けば他クラスにリーダーを悟られ、ボーナスも無効、か。

 バランスが大事だな。

 

「追加ルールの説明は以上だ。何か質問はあるか?」

 

「なあ先生、船降りる前に急いでジュース飲み干したから、さっきからずっとトイレ我慢してんだけどよ。どこですりゃいいんだ?」

 

 須藤が挙手して発言した。

 追加ルールとは関係ないが、確かにみんな気になっていたことだ。

 

「次にその説明をしようとしていたところだ。用を足す際にはこれを使え」

 

 そう言って、茶柱先生は積み上げられた段ボール箱の一つを指し示す。

 

「え……ま、まさか段ボールにするんですか……?」

 

 嘘でしょ、ありえない、などの声が主に女子生徒から飛び交う。

 

「説明を聞け。各クラスにはこのトイレ代わりの段ボール一つ、そして目隠しとしてワンタッチテントを一つ支給する。組み立て方は簡単だ」

 

 ワンタッチというだけあって、頂点部分についている紐を引っ張るだけで簡単にテントが完成した。

 

「そしてこの段ボールだが、中にビニール、さらにその中にシートを敷いて使用する。このシートは吸水ポリマーシートといって、汚物をカバーし固め、においも抑制する。一枚のビニールで5回前後使用可能だが、ビニールとシートは無制限で支給される」

 

 無制限か。なるほど。

 トイレの使い方を理解した須藤は、早速用を足しにテントへ入っていった。

 その様子を見ていた池が言う。

 

「いいじゃんこれ。トイレはこれで行けるぜ!」

 

「うわー無理無理。こんなところでトイレなんて、できるやつどんな神経してるわけ?」

 

「なんだよ篠原。我慢したら毎月3万以上だぜ。これくらい我慢しろよ。なあ?」

 

 池が同意を求めると、大半の男子が頷く。

 俺もトイレはこれでも全く問題はないが……というか池、いや他の男子も、1ポイントも使わずに1週間耐えるつもりか……?

 

「言っておくが、トイレを使わずに用を足すことは禁じられているからな。マニュアルの最後のページに禁止事項がまとめられている」

 

 付け加えるように茶柱先生が言うと、マニュアルを持っていた平田が最後のページを開く。

 

「マニュアルにはこう書いてあるね。『体調不良や負傷などによって試験続行が不可能と判断された場合、その者はリタイアとし、マイナス30ポイント』『環境を著しく汚染する行為をした場合、マイナス20ポイント』『毎日午前8時、午後8時に行う点呼に不在、および遅刻した場合、一人につきマイナス5ポイント』『配布された腕時計を許可なく取り外した場合、対象者は即時リタイアとし、マイナス50ポイント』『他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、その生徒の所属するクラスは即失格とし、違反者のプライベートポイントは全て没収』。先生が言っていたのは、このうちの2番目、環境の著しい汚染にあたるんだろうね」

 

「そうだ。そして無茶をした結果体調不良者や負傷者が10人を越えれば、Sポイントはゼロ。すべてが水泡に帰すというわけだ」

 

 我慢を続けても、それでマイナスを重ねてしまえば元も子もない。

 

「先生。リタイアした生徒が10人を超えた場合、ポイントはどうなるんでしょうか」

 

 堀北が挙手して質問する。

 

「その場合は引き続きゼロとなるだけだ。見えないマイナスが加算されることもない。いかなる場合でも、お前たちがこの試験で現在のクラスポイントを87から減らすことはない。真嶋先生の言っていたように、来学期以降への不利益は一切ない」

 

「……分かりました。ありがとうございます」

 

 なるほどね。見えないマイナスが加算されることもない、か。

 いい質問だったぞ堀北。

 

「ねえ、ある程度のポイント使用は仕方ないってことじゃないの?」

 

 説明を聞いていた篠原がそうつぶやく。

 

「何言ってんだよ篠原。我慢できるとこまでやるべきだぜ。最初から妥協なんてしたら、クラスポイントが入らなくなるだろ? 食べ物だったら魚獲ったり、森にも果物とか生えてるはずだしさ!」

 

「でも池くん、寝るところはどうするつもり? ポイントを使わず、8人用のテント2つだけだと、全員をカバーするのは無理だ」

 

 平田の疑問系の反論。

 正論を含んだ反論に池はたじろぐ。

 

「そりゃ……ほら、葉っぱ拾って、寝転がれるようになんとかすればさ」

 

「それは厳しいんじゃないかな。葉っぱを敷いても、平坦な場所の少ない森で野宿には限界があると思うし、何より、天気がいつまでも晴れだとは限らないからね。雨に濡れたり、睡眠不足になったりで体調を崩してリタイアしてしまったら、それだけでマイナス30ポイントだ」

 

「そ、それは……」

 

「マニュアルの購入物資一覧には、テントも、それから仮設のトイレもあるみたいだね」

 

 そう言うと平田の周りに……正確には平田の持つマニュアルの周りに女子生徒が集まる。

 

「ほんとだ、トイレ! 絶対いるよこれ! てかほんとはこれでも嫌だけど……あんな段ボールよりマシ!」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 そう声を上げたのは幸村だった。

 非常に高い学力を持っている生徒。それでもⅮクラスにいるのは、やはりどこかしらに「不良品」たるゆえんがあるからだろう。

 

「平田の寝床の話は確かにその通りだ。テントは必要かもしれない。でもトイレは別だ。さっきの簡易トイレで用を足したところで体調不良になったりはしない。トイレはあれで我慢すべきだ」

 

「は、勝手なこと言わないでよ。女子として当然の要求よ」

 

「トイレの購入だってそっちの勝手なわがままだろ。それに、与えられたSポイントは女子のモノじゃない。クラス全員のものだ。ポイントを使いたかったら、少なくともクラスの過半数の賛同を取り付けてもらおうか」

 

「と、とりあえずふたりとも落ち着いて……言い争っていても、何も始まらないよ」

 

 平田が幸村と篠原の間に入る。

 まとめ役は大変だな。

 衝突が絶えないDクラスだが、他クラスの様子に目を向けると、既にA、Bクラスは森の中に入って行っている。

 もう話がまとまったのか。さすがは上位クラスだ。対応力があるというか。

 

「AとBは、もう話し合いが決着したみたいだな」

 

 近くにいた堀北にそう話しかける。

 堀北は一度こちらをにらみつけた後、森へ入っていく両クラスの様子を見て、頷いた。

 

「……そうみたいね」

 

「お前は一度俺をにらみつけるというワンステップを踏まないといけない病気か何かか」

 

「あら、そんなことしてないわ。私ににらみつけられていると思い込むほど、私に後ろめたいことでもあるのかしら」

 

「思い込むって……あのな堀北。頼むからそろそろ機嫌直せよ。あの電話の件は悪かったと思ってるが、これから試験だって時に、ただでさえ円滑ではない俺たちの間のコミュニケーションをさらに拗らせる気か」

 

 そう言うと、堀北はやはり俺をにらみつけた後、ため息のようにハッと息を吐いた。

 

「……そうね、いつまでも意地を張っていても私がバカみたいなだけ。ひとまず、この試験中は忘れることにするわ」

 

「……ああ、そうしてくれ」

 

 それでもこの試験中だけですか……根に持ちすぎ。

 まあでも、これでとりあえずは良しとするか……。

 

「それで、あなたはどう思う?」

 

 根には持っていても、この試験中は忘れるという言葉を口にした以上その切り替えは早いようで、さっそく俺に質問をぶつけてきた。

 

「……どうって?」

 

「トイレをはじめとする、ポイントの使用よ。限界まで我慢すべきか、それとも余裕を持たせるべきか……」

 

「……なんだ、自分の中で答え出てないのか?」

 

「ええ。こういった環境での生活は全く経験のないことだから。Aクラスとの差を詰めるためには我慢する必要がある……けれど、それでリタイアしてしまえば元も子もない……そのバランスを測りかねているところよ」

 

「なるほどな……まあお前に限らず、全国の高校生の大半がこんなサバイバルなんて未経験だろ。俺は最初からある程度ポイントを吐き出すのに賛成だな」

 

 答えると、堀北は少し意外そうな顔をする。

 

「……目の前の1ポイントを必死で節約している守銭奴とは思えない発言ね」

 

「だから守銭奴って……」

 

 入学式の日以来、相変わらずの言い草だなあ……。

 まあ間違っちゃないんだけどさ……。

 

「理由を聞いてもいいかしら」

 

「ああ、お前の言う通り、俺一人だったら限界まで我慢する方を選ぶだろうな。でも俺は、Dクラスの生徒の忍耐力をそんなに高く見積もってない。間違いなく試験期間中に限界が来る。その場合、都度注文する食料はまだしも、テントやトイレ、シャワーみたいな継続利用を想定した道具は、注文するタイミングが遅れれば遅れるだけ損だ。どうせ買うなら早い方がいい。恩恵を受ける期間はそれだけ長くなるわけだし、不満の溜まり方も全然違うだろう」

 

「なるほどね……」

 

「それに、我慢に我慢を重ねて、それが祟って爆発した時を考えるとな……」

 

「確かに、抑制していたタガが外れて、ポイントを使いつくしてしまう可能性もあるわね」

 

「まあ、理由としてはそんなところだ」

 

「意外ね。あなたもちゃんと考えているの、ね……」

 

「……どうかしたか?」

 

 不自然なセリフの途切れ方に疑問を持つ。

 

「いえ、あの人……」

 

 堀北がある方向を指さす。

 そこには、Bクラス担任の星之宮先生がいた。

 

「やっほー、サエちゃん」

 

 言うと、星之宮先生は茶柱先生に後ろから抱き着いた。

 

「……何をしてる」

 

「何って、スキンシップ?」

 

 今の名前の呼び方……さえ、って、茶柱先生のファーストネームだよな。

 

「あの二人、仲が良いのかしら」

 

「その割には、茶柱先生はだいぶ不機嫌そうだけど」

 

「そうね……」

 

 俺が星乃宮先生のことを認識したのは、かなり最近のことだ。

 それ以前、俺は一度この人を、星乃宮先生とは知らずに見かけている。

 一学期中間テスト、堀北が茶柱先生にテスト範囲の変更について問い詰めたとき、こちらに向かって……いや、恐らくは綾小路に向かって手を振っていた人だ。

 その時にも思ったが、綾小路はこの人と何か面識があるのか……?

 と、そんなことを考えていると、星乃宮先生は、今度はその綾小路に話しかけているようだ。

 

「……?」

 

 その後、綾小路、そして茶柱先生と何事かやり取りした後、星乃宮先生は逃げるようにその場を離れていった。

 

「……一体何をしに来たのかしら」

 

「……さあ」

 

 わけのわからない星乃宮先生のことは放っておくとして、いまは特別試験のことに神経を注がなければ。

 

「少し邪魔が入ったが……これで、特別試験の説明は以上だ。いまから点呼の時間まで、森を散策するなり話し合うなり、好きにしろ」

 

 

 

 

 

 

 

※※※2015年度夏季無人島特別試験 マニュアル(抜粋)※※※

 

1. 実施要項

・試験期間

8月1日正午~8月7日正午

 

・試験日程

8月1日12時~12時30分 試験説明

8月1日12時30分~8月7日12時 試験(最終日は片付けも行う)

8月7日12時00 試験終了、試験結果発表、乗船

 

2. 実施概要

 試験開始前、生徒に安全管理を目的とする腕時計を配布する。無断で取り外した場合、後述のペナルティを課す。

 1日のうち、午前8時と午後8時の二度、点呼を行う。

 試験開始時、各クラスに300Sポイントを支給する。300Sポイントを利用することで、後述の物資を購入できる。

 300Sポイントは増加はしない。以降に減少要因を記載する。

・リタイアした生徒がいた場合、マイナス30ポイント

・追加ルールの項で説明されるリーダー指名関連。ポイント減少幅も後述。

・規則違反行為。ペナルティは後述。

 

 残ったSポイントは、試験終了後に精算され、夏休み明け以降、各クラスのクラスポイントに加算される。

 

3. 購入可能物資一覧

・8人用テント 10ポイント

・仮設トイレ 20ポイント

・栄養食 6ポイント

・飲料水 6ポイント

・栄養食+飲料水セット 10ポイント ……

 

※Sポイント消費による物資購入によらずに取得できる物資一覧

 試験開始時に支給される物資

・8人用テント 2つ

・懐中電灯 2つ

・マッチ 1箱

・歯ブラシ 各自1つずつ

・簡易トイレ用段ボール 1つ

 

 試験中、無制限に支給される物資

・日焼け止め

・簡易トイレ用吸水ポリマーシート

・簡易トイレ用ビニール

・生理用品(女子生徒のみ)

 

4. 追加ルール

・各クラスに一人ずつ、リーダーとなる人物を定める。

・リーダーとなった生徒には、その生徒の名前が刻印された専用のキーカードが支給される。

・島内に点在するスポットには、専用の機械が設置されている。その機械にリーダーがキーカードを通すことで、スポットはそのクラスが占有することとなる。

・占有可能時間は8時間で、継続して占有するためにはその都度占有を更新する必要がある。

・スポットを8時間連続で占有することで、ボーナスポイントを1ポイント獲得できる。ただし、ボーナスポイントの試験期間中の利用は不可能であり、ポイント精算時に初めて加算される。

・キーカードを使用することができるのは、リーダーのみに限定される。

・正当な理由なく、リーダーを変更することは認められない。

 

・各クラスには、最終日の片づけ時間中、他クラスのリーダーを指名する権利が与えられる。

・リーダーを指名し、それが正解だった場合、当てたクラス1つにつき報酬として50ポイントを加算する。

・リーダーを指名し、それが不正解だった場合、不正解だったクラス1つにつき、ペナルティとして50ポイントを減算する。

・リーダーを指名しなかった場合、報酬、およびペナルティは発生しない。

・他クラスからリーダーを当てられた場合、そのクラスはペナルティとしてマイナス50ポイントを減算し、試験中に獲得したボーナスポイントは全て無効とする。

 

5. 禁止事項

・体調不良や負傷などによって試験続行が不可能と判断された場合、その者はリタイアとし、マイナス30ポイント。

・環境を著しく汚染する行為をした場合、マイナス20ポイント。

・毎日午前8時、午後8時に行う点呼に不在、および遅刻した場合、一人につきマイナス5ポイント。

・配布された腕時計を許可なく取り外した場合、対象者は即時リタイアとし、マイナス50ポイント。

・他クラスへの暴力行為、略奪行為、器物破損などを行った場合、その生徒の所属するクラスは即失格とし、違反者のプライベートポイントは全て没収。

・その他、試験の実施を著しく妨げる行為を行った場合、退学処分を含めた相応のペナルティを課す。

 



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無人島サバイバル 1日目Ⅰ

 茶柱先生に解散を告げられたDクラスは、早速荷物を持って森の中へと入って行った。

 しかし俺はそこから外れ、現在は池、須藤、山内とともに森の探索へ向かっている。

 スポットはもちろんそうだが、森の様子や、食料のありかなども目的の一つだ。

 このままクラス全員で固まっていても仕方がないということで、平田も止められなかった。

 

「にしても意外だったぜ速野。お前が俺たちについてくるなんてよ」

 

 最後尾を歩く俺に、須藤が話しかけてくる。

 

「は? 誘ったのお前だろ須藤」

 

「そりゃそうだけどよ。ダメ元ってやつだよ。断ると思ってたぜ」

 

「荷物持ちするよりは楽かと思ってな」

 

「んだよそんな理由かよ」

 

 呆れられてしまう。

 

「別にいいだろそんな理由で。スポットの探索だってそこそこ大変だぞ。暑いし、綾小路は即答で断ってただろ」

 

「まあな」

 

 最初に探索に名乗りを上げた池、須藤、山内の3人のほか、須藤が追加で俺と綾小路を誘い、俺はその誘いを受けたという流れだ。

 森の中の道なき道を、池を先頭にして進んでいく。

 

「なあ寛治、道忘れてないよな……?」

 

 不安そうにつぶやく山内だが、一方の池はそこまで気にしている様子はない。

 

「なんだよ春樹、心配性だな。大丈夫だって。海の方まで出れば、あとは適当に浜辺を歩いたらクラスに合流できるって」

 

「あ、そ、そうか……」

 

 こういう場所で迷った際の基本だな。とにかく開けた場所に出ること。それを知っている池、こういったことに慣れてるのか。

 ちょっと聞いてみるか。

 

「池、お前、こういう森とかって慣れてるのか」

 

「ん、まあ、少しはなー。子どものころ、よく家族でキャンプしてたからさ。迷ったときの対処法とか、父さんに叩き込まれたんだ」

 

「なるほどな……」

 

 とすればこの試験、池はクラスにかなり貢献するかもな。

 火起こしだったり、森で食べられる植物だったり……。

 

「……」

 

 と、俺はその場で立ち止まる。

 それに気づいた須藤がこちらを振り返って言った。

 

「どうしたんだよ速野。はぐれちまうぞ」

 

「悪い須藤、トイレ行きたくなってな。やっぱ戻るわ」

 

「は!? マジかよ!」

 

 驚きを見せる須藤。

 

「悪いって」

 

「ったく、しゃーねえなあ。平田に一人で行動すんなって言われたし、俺がついてってやるよ」

 

「いやいい。まだそんなに距離歩いてないし、木の間から海岸も見えてる。さすがに迷ったりしない」

 

 そう言って、須藤がこちらについてくる前に逆方向へと歩き出す。

 

「どうしたんだ健。あれ、速野は?」

 

 俺と須藤がついてきていないことに気付いた山内。

 

「あいつトイレ行きてえから戻るってよ」

 

「はあ? お前馬鹿だなあ」

 

「馬鹿って……馬鹿で悪かったな……」

 

 須藤に呆れられた挙句、山内に馬鹿にされるとは……。

 まあ下船前にトイレ済ませとけって指示あったし、ここで催すのは確かに馬鹿なやつかもしれんが……。

 こんなところで悠長にしてる場合じゃない。もうあまり余裕がないんだ。

 

「おい、マジで気をつけろよ! 迷っても知らねえからな!」

 

「ああ、肝に銘じとくよ」

 

 そう答え、俺は須藤たちを見送った。

 そして3人の背中が完全に見えなくなったことを確認し、俺は歩き出した。

 

 

 

 

 

 1

 

 森の中を歩いていると、前の方から話し声が聞こえてきた。

 

「で、でも、ほんとにいいの? あんな凄い秘密、綾小路くんに報告を任せちゃって……」

 

「ああ、大丈夫だ」

 

 そこにいたのは、見知った二人。

 クラスメイトの佐倉と綾小路だった。

 植物がうっそうと茂っている環境のためか、二人は俺に気が付いていない様子。

 その背中に話しかける。

 

「なんだ、凄い秘密って」

 

「はひゃあっ!!」

 

 背後からの突然の声に驚いたのか、佐倉はしりもちをついてしまった。

 え、そんなに驚く?

 

「おお、わ、悪い……」

 

「大丈夫か、佐倉」

 

 それを見た綾小路が、すっと佐倉に手を差し伸べる。

 

「あ、ありがとう……えっ、は、速野くん!?」

 

 佐倉は綾小路に支えられて立ち上がると同時に、今度は俺の顔を見て驚いた。

 

「あ、ああ、俺だが……」

 

「ど、どうして、ここに……?」

 

「須藤たちはどうしたんだ。一緒に探索してたんじゃないのか」

 

 綾小路は周りを見て誰の姿も見えないことに気付き、問うてくる。

 

「ああ、実はトイレ行きたくなって、元の場所に戻ろうと思ったんだが……迷ってな」

 

「え……」

 

 俺の言い分に唖然とする佐倉。さっきから驚きすぎだろ。

 まあとりあえずそれは横に置いといて……。

 

「だから二人が通りがかってくれて助かった。今から戻るところか?」

 

「ああ」

 

「よかった。ちょっと俺もお供させてくれ」

 

「構わないが……平田に絶対に一人で行動しないでくれって言われてただろ」

 

「いや、距離的にそんなに歩いてなかったから、迷うとは思ってなかったんだよ……」

 

 情けない話ではあるけどな。

 

「それで、トイレは大丈夫なのか」

 

「迷ったのに気づいて、尿意なんて引っ込んだよ」

 

 こんな右も左もわからない森の中、迷った時点で「え、俺終わった?」と思ってしまうのも自然だろう。

 まあ幸い、2人に遭遇して助かったとはいえ、勝手に行動したのは事実だ。あとで平田には謝っとこう。

 

「それより、何人で探索してるんだ?」

 

「オレたちを入れて12人だ」

 

「じゃあ、6組に分かれてるのか」

 

「いや、4組だ。3人1組だったんだが、もう一人の高円寺は……」

 

「ああ、なるほど……」

 

 高円寺の名前が出た時点で、みなまで言われずとも理解する。

 勝手にずんずん進んで行って、追いつけなくなったってことか。あまりにも簡単に想像がついた。

 にしてもなんて組だよ。綾小路に佐倉に高円寺……。クセありすぎだろ。

 まあ多分、佐倉は綾小路が探索に参加するのを見て決めたんだろうけど……。

 そんなことを考えていると、正面にDクラスの生徒の集まりが見えた。

 現在のDクラスの待機場所か。

 

「ああ、良かった。戻れた……」

 

「次から気をつけろよ」

 

「分かってるよ……」

 

 綾小路の忠告はありがたく受け取っておいた。

 俺だって、別に好き好んでこんなことしてるわけじゃないんだよ。

 

 

 

 

 

 2

 

 集合場所に戻ってすぐ、森で迷いかけて綾小路たちに助けられたことを平田に伝えた。

 

「そうだったんだね……とりあえず、戻ってこられてよかったよ。でも、これから単独行動は絶対に避けてほしい。森を散策するときは必ず複数人で。頼めるかな?」

 

「わかった。悪かった」

 

「いや、君が無事なら何よりだよ。全員で力を合わせて、この試験を乗り切ろう」

 

「ああ」

 

 いや、注意やさしっ。

 怒られないだろうとは思ってたが……まあいいか。

 一応今の会話は他の人に聞かせるつもりはなかったんだが、特段声を潜めていたわけではないため、近くに座っていた生徒には聞こえていたらしい。俺を呆れ顔で見つめる一方、平田を聖人か何かのように崇める表情をしていた。

 平田からの優しい説教をうけ、気を背もたれにして座っていると、こちらに堀北が近づいてきた。

 

「なぜ須藤くんたちと探索に出たあなたが、綾小路くんと佐倉さんと3人で戻ってくるのかしら。彼らは高円寺くんと行動していたはずなのに、一人で戻ってきて海に泳ぎに行ってしまうし……」

 

「面目次第もございません……え、高円寺戻ってたのか」

 

「ええ」

 

 しかも海に泳ぎに行ったって……あいつ点呼までに戻ってくるのか?

 そんな心配事は堀北の叱責の声で吹っ飛ぶ。

 

「事情は綾小路くんからあらかた聞いたわ。あなたバカなの?」

 

「もうやめてくれ反省してるから……」

 

「……におうわね」

 

「え?」

 

 やだ、俺もう汗臭い? と思ったが、どうやらそういうことではないらしい。

 

「あなた、何を企んでいるの?」

 

「は? 企み?」

 

「あなたがただ迷ったとは思えないわね」

 

「なんだその疑い方は……」

 

 まあでも、鋭いな。

 こいつが『本調子』なら、もう少し核心に迫った問いかけができたんだろうけど……。

 試験のことを考えると、本調子じゃなかったのがこいつでよかったのかもしれないな。

 近くにあった木に背中を預けて休んでいると、向こうのほうから何やら大きな声が聞こえてきた。

 

「川だよ、川があったんだよ! めっちゃ綺麗で、なんか装置みたいなものもあってさ! あれがスポットってやつなんだよきっと!」

 

 探索から戻ってきた池だった。スポットらしきものを見つけたことを平田に力説している。

 須藤と山内がいないところを見ると、二人はその場所に残って見張り役をしているのだろう。

 

「それはお手柄だね池くん」

 

「すぐにでも行こうぜ! 他のクラスにとられる前に!」

 

「そうだね。ただ探索に出ているグループが2つ、まだ戻ってきてないんだ。誰かがここに残る必要がある」

 

 数名がこの場に残り、それ以外は池の案内の元、スポットと思しき場所へ向かう。

 この無人島は、面積約0.5平方キロメートル、最大標高約230メートル。船で1周した時に見た感じではいびつな形はしておらず、円形や正方形に近かった。つまり、700メートル×700メートルぐらいだと考えていい。この島を歩いて移動するとして、通常時のスピードを時速4キロとすると、このクソ歩きにくい地面と全く慣れていない環境を考慮すれば時速2キロが妥当ってところか。分速に直せば大体30メートルになる。

 体調が万全であれば、この島のどこにいても4、50分できるだけ同じ方向へ歩けば開けた浜辺に出られるだろう。

 しかしこの予想は、あくまでも終始冷静な思考を保つことができたらの話。この試験、素直にクリアするならまず大前提として体調管理をしっかりとしておくことが肝要だろう。

 そんなことをいろいろ考えているうちに、池の言っていた場所にたどり着いた。

 開けた場所だ。明らかに人工的に整備されている。

 

「うん、川もあるし、木陰で太陽も防げる。それに地面も平らだ。ここならベースキャンプに向いてるね」

 

「だろだろ? それにほら、これ見てみろよ!」

 

 池が指し示す場所には、不自然にでかい岩が一つある。

 平田が確認すると、どうやらそれにはスポットの装置が埋め込まれているようだった。

 

「なるほど、まさにここがスポットということだね。ベースキャンプをここにするのは決まりとして、ここを占有するかどうか……」

 

「するに決まってんじゃん! ポイントも入るんだし、メリットしかないだろ」

 

「いや、占有に動いたらリーダーを見破られるリスクも大きくなるよ。ここは開けてるけど、周りはたくさんの植物があって、他クラスが身を隠して盗み見するのは容易だからね。そうなればマイナス50ポイント、その上スポット占有で得たポイントもなくなってしまうんだ」

 

「それは、あれだよ。こう、みんなで囲うようにして守れば見えねえって」

 

 突発的な策ではあるが、有効ではありそうだ。背の大きな生徒に囲ませれば隠れるか。

多分他のクラスも同じような感じで動くだろう。

 

「じゃあ、あとはリーダーを誰にするかだね」

 

 一番の問題はそこだ。この重責を誰が負うのか。

 そこで、櫛田が挙手して発言した。

 

「あ、そのことなんだけどさ。ちょっと私に考えがあるんだけど……みんな小さく円になってくれるかな?」

 

 そう言って櫛田はみんなを集め、小さい声で話を始めた。

 

「私ちょっと考えてみたんだけど、リーダーになるには、平田くんや軽井沢さんだと目立ちすぎる人は避けたほうがいいよね? でも、キーカードを管理する以上は責任感が強い人じゃないといけないし……その二つを満たしてるのは、堀北さんだと思うんだけど、どうかな?」

 

 櫛田からありがたい提案だ。

 本人はまさか櫛田から推薦があるとは思っていなかっただろうが、驚きの色は見られなかった。

 

「僕も賛成、というか、元々僕も堀北さんがリーダーに適任だと思ってたんだ。堀北さんさえよければ、頼めるかな?」

 

 堀北は少し考えたあと、俺の方に視線を向けてきた。

 俺は黙って、やってくれ、という気持ちを込めて見返す。

 すると、小さくため息をついてから言った。

 

「分かったわ。私が引き受ける」

 

「本当かい? ありがとう堀北さん!」

 

 堀北が了承の意を示すと、平田はすぐに茶柱先生のところに報告に行き、キーカードを受け取って堀北に渡した。

 

「じゃあ、占有しよう」

 

 背の高い生徒が堀北、そしてダミーの生徒数人を囲み、作業を隠す。こうすることで、たとえこの光景を盗み見られたとしても、中で囲まれている生徒の誰がキーカードを使用しているか絞れなくする作戦だ。

 占有はつつがなく完了した。

 

「よし、これで風呂と飲み水はいけるな!」

 

「え、まさかこの水飲むの……?」

 

「あんた正気?」

 

 池はこの川を飲み水としても利用するつもりらしいが、主に女子から反対意見が出る。

 

「なんだよ、綺麗な水じゃんか。いけるって」

 

 確かに見た感じ透き通っていて、飲んでも問題なさそうに見える。子どものころによくキャンプを経験したという池なら、大丈夫であることは感覚的にわかるのだろう。

 しかし抵抗を感じる人は大勢いる。

 

「ね、ねえ平田くん、やっぱり無茶だよ、川の水飲むなんて……」

 

「なんだよみんな、何が不満なんだよ。天然水みたいなもんだろ? せっかく見つけた川なんだしさ、有効活用しようぜ!」

 

「じゃあ試しにあんたが飲んでみなさいよ」

 

「は? まあ別にいいけどさ……」

 

 篠原に言われ、池は川の水を手ですくい上げて一気に飲む。

 

「キンキンに冷えててうっめえー!」

 

「うわ、マジで飲んだよ。ドン引きなんだけど」

 

「はあ!? お前が飲めって言ったんだろ!?」

 

「無理無理、こんな野蛮人、私が一番嫌いなタイプだわ」

 

「なんだと!?」

 

 まあ、俺自身川の水を飲むのに抵抗がないといえば嘘になるし、篠原の気持ちも一部わからないではないが……。

 トイレの次は飲料水の問題か……。堀北に聞いたところ、トイレはどうやら購入することで決着したらしいが、争いの種は尽きないな。

 

「篠原、お前いちいち文句つけんなよ。みんなで協力しないといけない試験だろ、これって」

 

 突然、須藤がまともなことを言い出した。その姿に少し驚いてしまう。

 こんな冷静で常識人っぽい須藤は初めて見た。

 

「ちょ、なに笑わせにきてるの? それ須藤くんが言う?」

 

「俺が今までクラスに迷惑かけてきたことは分かってんだよ。だからこそ分かったんだ。自分がやったことは自分に跳ね返ってくるってな」

 

「……なにそれ。結局須藤くんもポイント使いたくないだけでしょ?」

 

「そんなこと言ってねえだろ。寛治、お前も少し落ち着けよ。いきなり川の水飲むなんて言われたら俺も抵抗あるし。なあ、確か水って沸騰させたら殺菌できるんじゃなかったっけ?とりあえずそれで試してみるってのはどうだ?」

 

「沸騰って、化学の実験じゃないんだから……思いつきで発言するのやめてよ」

 

 馬鹿にしたように言う篠原だが、実際に滅菌するのに煮沸処理は有効だ。

 それにさっき川魚が見えた。あれはたぶんイワナだろう。イワナは比較的きれいな川にしか生息しない。

 こういった川の水なら、煮沸処理ののちろ過でもすれば安全に飲めるだろう。煮沸処理だけで取り切れない有害物質は、おそらく学校側が取り除いているはずだ。

 

「とりあえず解散にしよう。今喧嘩しても意味はないし、まだ時間もあるしね」

 

 クラスのリーダーである平田が出した結論は、保留。

 篠原たちが喧嘩になる前に止めたかったんだろう。

 解散を告げられたDクラスの面々は、各々好きなように散らばっていった。

 



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無人島サバイバル 1日目Ⅱ

 日が傾き始めた。無人島に来て最初の夜がすぐそこまで来ている。

 特にすることもなく木陰でボケーっとしていたところで、綾小路に話しかけられた。

 

「速野。ちょっと頼みたいことがあるんだが」

 

「ん、なんだよ」

 

「平田に焚火に使う枝を拾ってきてくれって頼まれたんだ。手伝ってくれないか」

 

「わかった」

 

 二つ返事で了承した。遭難しかけたところを助けられた恩があるし、さすがに断れない。

 

「あー、俺はあっちらへん探してくる」

 

 二人固まって探すのもいいが、捜索範囲は広いほうがいいだろうと考え、提案する。

 

「いや、単独でやるのはやめたほうが……」

 

「必ずお前やほかのクラスメイトを視界に入れとくからさすがに大丈夫だ……」

 

 俺が言っても説得力がないのは理解しているが、ベースキャンプから10メートルも離れなければ迷うことはないだろう。万が一迷っても、焚火をするならいずれは遠くからでも確認可能な目印ができる。点呼に遅れるようなことにはならないはずだ。

 

「気を付けてくれよ」

 

「了解」

 

 綾小路の注意を受けつつ、離れて作業をすることに。

 効果的な火のつけ方、か。ガスがあれば余裕なんだけどな。

 焚火の経験は俺にはない。しかし火がつく仕組みを考えれば、とりあえず湿り気のない枝を拾うのが得策か。

 枝の大小にかかわらず、とにかく乾いた枝を見繕って拾っていく。もちろん、常にDクラスの誰かしらを視界に入れながら。

 綾小路、そしてどうやら途中から作業に合流したらしい佐倉と山内。そしてショートカットの……誰だこれは。

 1学期を過ごして、さすがにクラスメイトの顔と名前は全員一致させている。つまり、いま視界に入ったこいつはDクラスの生徒じゃない。

 なら、こいつはどこの誰だ。ここで何をしている。

 

「おい」

 

 近くに行き、そのショートカットの少女に話しかける。

 

「……何?」

 

「何してるんだこんなところで」

 

「……別に。ほっといて」

 

 近くに来たからこそ気づくことがある。

 こいつ、頬が腫れている。誰かにぶん殴られた傷だろう。

 それから、手が土で汚れている。よく見ると爪の間にも土が挟まっている。どこかの土を掘り返したのか。そしてこいつが座っている足元を見ると、周りと比べて土の色が少し濃い。掘り返された証拠だ。つまり、こいつが掘ったのは足元の土か。

 そしてもたれている木の枝にはハンカチが括り付けられている。

 

「おーい何してんだ速野……って、え? どうしたんだよその子」

 

 そこに山内がやってきて、疑問を示す。

 

「枝拾ってたら、座りこんでるこいつが偶然視界に入ったんだ」

 

「へえ。って、だ、大丈夫かよその傷? 誰かにやられたのか?」

 

「別に。何でもないから」

 

「いや、なんでもないって……なんでもないような腫れ方じゃないじゃん。かなり痛いんじゃね? 先生よぼうか?」

 

「クラス内で揉めただけ。気にしないで」

 

 自嘲を含んだ微笑を浮かべ、山内の申し出を断る。

 

「気にするって。俺たちDクラスなんだけどさ、ベースキャンプに来るか?」

 

「は?そんなことできるわけないでしょ」

 

「ほら、困った時は助け合いっていうか、な?」

 

 山内に同意を求められ。綾小路も佐倉も、そして俺も頷いて同意する。

 

「……馬鹿じゃないの? とんでもないお人好し。あのね、私はCクラス。つまりあんたたちの敵ってこと。わかった?」

 

「それでも女子1人残して行けないって。君が動くまで俺もここに残るから」

 

 そう言って地面に座り込む山内。

 まあ、その言葉もこの少女には届いていないようだが。やはり根はいいやつってことなんだろう。

 

「にしてもさ、森の中ってジメジメして嫌な感じの蒸し暑さだよな。佐倉暑くない?」

 

「い、いえ、私はその……大丈夫です」

 

 そう答える佐倉だが、山内の言う通り、これは嫌な暑さに分類されるな。カラッとした暑さなら心地よさも感じるが、こういうジメジメした暑さには不快感を感じる。

 森の中が蒸し暑いのは光合成の影響だろう。光合成では、光エネルギーと二酸化炭素から、酸素と水が生成される。水は水蒸気として空気中を漂う。そしてその水蒸気の高い温室効果により、この嫌な蒸し暑さが再現されているというわけだ。

 そんな環境の中、頑として目の前から離れようとしない山内の粘りに負け、その少女は腰を上げた。

 

「……相当なお人好し。うちのクラスじゃ考えられない」

 

「困ってる子をほっとけないだけさ」

 

 他クラスに自分たちの情報が漏れるリスクより、人助けを選んだ。やっぱりいいやつなんだよな、基本は。

 

「でも、良かったわけ? 他クラスの人間に自分たちのキャンプの場所教えるなんて。案内までするとか」

 

「え? なんか不都合あんの?」

 

「……」

 

 ……リスクと人助けを天秤にかけたわけじゃなく、ただリスクの方を分かってなかっただけか。

 まあでも、ベースキャンプの場所なんていつかバレる。遅いか早いかの違いと言えばそれまでか。

 

「いや、別に問題はないと思うぞ」

 

「だよな? じゃあノープロブレムってことで。俺は山内春樹。よろしく!」

 

「……私は伊吹」

 

 傷跡のある頬をなでながら言った。

 

「最近の女の子って殴り合いの喧嘩すんのかよ……こわっ」

 

「ほっとけよ。他のクラスには関係ないことだろ」

 

 女子同士の喧嘩ではないだろう。誰がこの傷を作ったか、俺はなんとなく想像がついた。

 おそらくは以前藤野から聞いていた、龍園翔という男子生徒だろう。

 我慢はしているが、時々痛そうに頬を撫でている。

 そしてどこか煩わしそうにカバンを持ち直した伊吹の仕草を見て、山内は突然綾小路に持っていた枝を押し付けながら言った。

 

「な、カバン面倒臭いんだろ? 持ってやるよ」

 

「は? いいって、ちょっと、やめろよ」

 

 しかし伊吹はそれを拒絶し、山内から離れようとして体を移動させた瞬間、バッグが木にぶつかってゴン、という鈍い音がした。

 

「わ、悪い、悪気はなかったんだって」

 

「分かってる。でも、私はお前らのことをまだ信用してない」

 

 そう言うと、伊吹はそれっきり黙ってしまった。

 これ以上話しかけても拒絶されるだけだと思ったのか、山内も黙ったまま歩きだす。

 綾小路に押し付けた枝を取ることなく。

 最初からやけに持ってる枝の量が多いな、とは思っていたが、ここにきてさらに山内の分まで足されてしまった。枝に隠れて綾小路の顔が見えないほどになっている。

 

「……少し持とうか?」

 

「……悪いが頼む」

 

 さっき山内に押し付けられた分を俺が引き受けた。

 

 

 

 

 

 1

 

 ベースキャンプに戻ってきた俺たち。

 伊吹は少し離れたところにいるといい、ベースキャンプから少し外れたところに腰を下ろしていた。

 伊吹に関して平田に報告しようとした俺たちだったが、あいにく平田はどこかに出ているようで、姿は見当たらない。

 とりあえず伊吹のことは後にし、先に焚火の作業に取り掛かろうという話になった。

 拾ってきた枝を、空気の通りがよくなるように、素人なりに考えて並べていく。

 

「俺に任せろよ! いいとこ見せるからさ! マッチとってくる!」

 

 山内はそう言って、茶柱先生のもとにマッチの支給を求めて走っていった。

 置かれた枝に目を落とすと、あることに気付く。

 二人が置いた分の枝の中には、ところどころに俺が避けた湿り気のあるものが見受けられた。

 

「なあ、とりあえず湿った枝は取り除いたほうがいいんじゃないか。水分が含まれてたら燃えにくいだろ」

 

「……確かに、そうだね」

 

 佐倉が同意する。それを受け、綾小路もうなずいた。

 

「じゃあ、そうするか」

 

 乾いた枝と湿った枝をさっと仕分けし、乾いた方だけを残していく。

 少しして、マッチを手にした山内が戻ってきた。

 

「よっしゃーつけるぞー……」

 

 シュッ、シュッとマッチを何度かこする。しかしうまく火がつかないようだ。

 何度目かの挑戦で、ようやくマッチに火が付く。

 

「おし! これで……」

 

 火が付いたマッチを枝に落とし込む。

 しかし火は太い枝を少し焦がしただけで、消えてしまった。

 

「あれ? おっかしーな……」

 

 様子を見ていた綾小路が口を開く。

 

「もっとじっくり火をつけるんじゃないか?」

 

「あ、ああ、そうか。おし、じゃあ次はもっとじっくり……」

 

 山内は、枝どころかマッチに火をつけるのすら次々に失敗し、折れてお役御免となったマッチが1本、また1本と地面に落ちていく。

 

「くそ、また折れた……不良品じゃねえの? このマッチ」

 

 3本目の失敗のあたりでいい加減心配になってきた。

 

「山内、このままのペースで使ってたらあと1週間もたないぞ」

 

「大丈夫だって。まだこんなにあるし」

 

 言いながら、マッチが大量に入った箱を見せてくる。いやまあ、多いは多いんだが……大丈夫かな本当に。

 

「おし、ついた。今度こそ!」

 

 ようやく成功し、今度は綾小路のアドバイス通りじっくりと火をつける。

 しかし、火は枝を少し燃やすだけでやはり簡単に消えてしまった。

 

「くっそ、なんでだよ。俺どこも間違ってないよな!? ちょっと先生に聞いてくる」

 

 そう言って駆け出していく山内だが、まあ期待度はゼロだな。特殊な形式とはいえ、これは試験なのだ。自分で考えろと言われて追い返されるのが関の山だ。

 山内の行った方向に目を向けていると、平田の姿が見えた。

 

「悪い、俺もちょっと」

 

「どうしたんだ?」

 

「平田が帰ってきてる。伊吹のこと、伝えておこうと思ってな」

 

「そうか。じゃあ頼む」

 

「ああ」

 

 俺はその場を立ち去り、平田が一人になるタイミングを見計らって話しかけた。

 

「平田」

 

「あ、速野くん。どうしたんだい? 何か相談事?」

 

「あー、まあな。実は……」

 

 ことのあらましを平田に伝える。

 Cクラスの伊吹という女子生徒がベースキャンプの近くの木にもたれて座っていたこと。クラス内で揉めたとかで、頬を腫らしていたこと。

 

「……なるほど、そういうことだったんだね。連れてきて正解だったと思う。そんな状態だった彼女を放っては置けないから。いまはどこに?」

 

「ここからちょっと外れたところに座ってる。あそこだ。見えるか?」

 

 俺の指さした方向に目を向ける平田。

 少し遠いが、姿を確認できたようだ。

 

「彼女か……うん、わかった。報告ありがとう。ここで受け入れてあげたいけど、僕の独断で決めるわけには行かないし、折を見てみんなに話そう」

 

「そうしてもらえると助かる」

 

「うん。また何かあったら、なんでも言ってほしい」

 

「ああ」

 

 平田への報告を終え、綾小路たちのいる元の場所に戻る。

 そこで見た光景に、俺は驚かされた。

 

「うおっ……」

 

 そこには、いつの間にか見事な焚火が完成していた。

 気になって、その場から少し離れたところにいた綾小路に声をかける。

 

「できてたのか、焚火」

 

「ああ。池のおかげでな。どうやら、いきなり太い枝に火をつけようとしたのが間違いだったみたいだ」

 

「……なるほど」

 

 池のキャンプの知識か。

 自らの活躍の場を失った山内は何やらぶつぶつと文句を言っているみたいだが……。まあ、枝が太いせいで火が付かなかったんなら、あのままやっていてもマッチを無駄に消費するだけだっただろうな。

 やはりこの試験、池はクラスのキーになりそうだ。

 

 

 

 

 

 2

 

 そこからの池の活躍には、目を見張るものがあった。

 アウトドアに精通していることがクラス全員に知れ渡り、先ほどから様々な知識やアドバイスをクラスメイトに披露している。

 

「これ、クロマメノキだよ。桔梗ちゃんが見つけたの? すげーじゃん。あ、こっちはアケビだぜ。甘くて美味いよ。いやー、懐かしいなー!」

 

 俺たちがみたこともない植物の種類を、一目見ただけで当てる池。どうやら食料として利用できるらしい。

 その流れで、先ほどの真っ向から池と対立していた篠原も仲直りできたらしい。

 池を中心として、クラスがまとまりを見せていた。

 平田はこれを好機と見て、話を始める。

 

「皆、少し聞いてほしい。この試験を乗り切るためには、クラス全員で協力していかないといけない。揉めることもあって当然だ。でも、慌てず騒がず、力を合わせて乗り越えていきたい」

 

 そこで一旦言葉を切り、次にマニュアルを手にしながら再び話し始める。

 

「誰だって1ポイントでも多く残したいよね? そこで、僕なりに現実的な数字を叩き出してみたんだ。試験終了時に120ポイント残せるかどうか。それがこの試験を勝ち抜くカギになるという結論になったんだ」

 

「つまり180ポイント使うってことか? 納得し難いな」

 

 幸村がそれに反論する。

 しかし、平田はあくまで落ち着いた口調でつづけた。

 

「まずは最後まで聞いてほしいんだ。ここにポイントの内訳を書いてあるから、見てほしい」

 

 視線を移すと、そこには細かい計算結果が書かれていた。

 栄養食と飲料水のセットが一食10ポイント。日に二食、今日の夕飯と試験終了日を一食ずつで合計12食。テント2つ、トイレ、その他諸経費を加算して180ポイントという数字だ。

 

「残りポイントが少なく感じてしまうのは、皆300っていう数字の印象が強いからだと思ってほしい。今までのクラスポイントの変動から見ても、120っていう数字は決して低くないプラスだと思うんだ」

 

 確かにそうだ。先月のDクラスのポイントは87のプラス。どのクラスでも、ポイント上昇幅は100に届いていなかった。

 

「それに、この数字はあくまで最低ラインだ。例えば、みんなの1日分の食料と水を確保できたら、それだけで20ポイント節約できる。さらに飲み水に困らないっていうことなら、4,50ポイント近く削減できるんだ」

 

 飲み水に困らない、つまり、川の水を飲料水として利用するなら、ということだ。

 それにボーナスポイントが加算されれば、得られるポイントはさらに多くなるだろう。

 

「俺はそれでいいと思うぜ。120ポイントから、俺らが頑張ればどんどん増えていくってことだろ? やろうぜ」

 

 開始時に300ポイントを全く使わずすべて残す気でいた池とはまるで別人。この現実的な策を受け入れた。幸村の方も、池が折れたこと、それ以上に平田が出した結論が非常に合理的だったことで、納得せざるを得なかったようだ。

 その後も、平田の意見に異論が出る様子はない。これには、平田の言葉選びの上手さも寄与しているだろう。

 マイナスの面から伝えて、最後にプラスの面を一気に知らせる。情報伝達の順番をそうするだけで、同じ内容だったとしても人間が抱く印象は大きく変化する。

 

「聞きたいんだけど、川の水を飲んでもいいってやつ、手を上げてくれないか?」

 

 池がそう呼びかける。どうやら話し合いの話題が次に移ったようだ。

 様子を伺っていると、少数の女子と約半数の男子は手を上げている。

 だいぶ前、池は川の水を飲んでいた。もし飲んだらまずいものが川に入っていたら、すでに体調に何らかの変化が訪れていてもおかしくないはず。しかしそんな様子は見られない。結果的に池が実験台となって、川の水の安全性を高めたことになる。

 川の水は信頼しても良さそうだな。

 俺もすっと手を上げた。

 

「さっき健が言ってた沸騰させるって話、悪くないと思う。怖かったら、まずはそこから始めてもいいんじゃないか?」

 

 池がそう言うと、さらに6人ほどの手が上がる。

 篠原も渋っていたようだが、自信なさげながらもゆっくり手を上げた。

 そして最終的に、堀北と綾小路以外全員が挙手するという展開が出来上がってしまった。

 それに気づいた2人も面倒くさそうにしながら手を上げた。視線が集まるのが不快だったのか。

 

「みんなありがとう。ただ、いきなりはやっぱり厳しいと思うから、まずは今日の分の水を買いたい。ペットボトルもちゃんと洗えば再利用できるしね。いいかな?」

 

 平田の声に、皆一様に頷く。

 なるべく節約したい組も、そのことに反対はしなかった。

 

「それから、みんなに一つ言わなければいけないことがあるんだ。もう気づいた人もいるかもしれないけど……そこに座っている女の子のことで」

 

「あの子……Cクラスの伊吹さん、だよね?」

 

 伊吹のことを知っていたらしい一人の女子生徒が言う。

 

「ああ、なんかクラス内でトラブルがあったらしくてさ……」

 

 事情の一部を知っている山内がそうつぶやいた。

 

「ああ。それで、僕らのベースキャンプで彼女を受け入れたいんだけど……どうかな?」

 

 善意からそう提案する平田。しかしいくら平田の発言であっても、他クラスの人間を近くに置くことに対して難色を示す者は多い。

 

「で、でも平田くん、あの子スパイかもしれないよ? もしリーダーを知られちゃったら……」

 

「あ、そ、そっか、リーダー当てるってルールが……」

 

 山内は、そこでようやく伊吹をここに連れてくることのリスクに気がついたようだ。

 

「それも確かめよう。綾小路くんと速野くん、それに山内くんも、いいかな?」

 

 伊吹と関わった俺たちが呼び出される。佐倉が外されたのは平田の配慮か。さすが、細かいところまで気が回る。佐倉もほっとしているようだ。

 伊吹が座り込んでいる場所に向かい、まず平田が話しかける。

 

「ごめん、少し時間いいかな?」

 

「邪魔だろ私は。今まで居座ってて悪かったな」

 

「そうじゃないよ。伊吹さん、話を聞かせてもらえないかな? 力になりたいんだ」

 

「話したところでどうにもならないことだってあるだろ。それに、これ以上作戦が筒抜けになるのも嫌じゃないのか」

 

 伊吹には先ほどの俺たちの話が聞こえていたらしい。

 

「もしも君がスパイなら、自分から追い出されるようなことは言わない。違う?」

 

「とにかく、これ以上世話になるつもりはない。私は自分で寝るところを探すだけだから」

 

 平田の声掛けにもかかわらず、意地でもここに残るもりはないような口ぶりだ。よっぽどクラス内での揉め事がひどかったのか。

 

「だめだよ。女の子が1人で野宿なんて危険すぎる」

 

「危険でもそうするしかないんだ。私を助けて何の得がある?」

 

「損得は関係ない。困ってる人を助けたいだけだよ」

 

 そう言い、笑顔を向ける平田。

 裏に隠れた打算的なものもない。こいつは本気でそう思ってる。

 平田のまっすぐな言葉に、伊吹も観念したように口を開く。

 

「……クラスである男と揉めて叩かれた。それで追い出されただけだ」

 

 言いながら、苦々しい表情を浮かべる。

 どうやら、思った通りだな。こいつの顔にこんな腫れを作ったのは龍園で間違いない。

 

「ひどいな。女の子に……」

 

「これ以上詳しくは話さない。じゃあな」

 

「ちょっと待って。事情はわかった。クラスの子に君を置いてもらえないか頼んでみるから、少し時間をくれないかな?」

 

 そう言うと、平田は俺を連れてDクラスのみんなに確認を取る。

 結果、クラスの7割ほどは賛成した。平田は喜んでそれを伝えに行く。

 と言っても、全員が全員、平田のように善意からの行為というわけではなかった。伊吹がずっとここに留まることで、Cクラスは点呼のたびに5ポイントを吐き出す。最終日まで続くとしたら、60ポイントものSポイントを失うことになる。そう言うリターンも勘定に入れた上での納得だった。

 しかし気になるのは、リタイアしてしまえば30ポイントのマイナスで済むということだ。つまり、リタイアの方がCクラスの傷は浅くなるということだ。

 伊吹の場合は顔の腫れがひどいから治療したい、なんていえばすんなり行くだろう。いやたとえ心身ともに健康だったとしても、外見には出ないような精神的なダメージが、なんていえば学校側としてもその生徒のリタイアを止めることはできない。

 にも拘わらずリタイアを選択する素振りを全く見せないのは……何かそれなりの理由があるということなのか。リタイアできない、特別な理由が。

 そんな俺の心配事など、口にしない限り伝わるはずもなく。結局、伊吹の面倒をDクラスで見ることになった。

 そんなこんなで日は暮れ、夕食の時間となった。

 当然ながら。櫛田たちがとってきた植物だけではクラス全員の食料を確保するには至らなかった。よって今日のところは全員分の保存食をポイントで購入。櫛田たちがとってきた植物は、明日以降に持ち越すこととした。

 俺含め一部の生徒は、煮沸消毒した川の水を飲んでいる。平田の提案で、飲料水を川で済ませる人の分のペットボトルは川に入れて保存し、冷やしておくことにした。川には、まだ未開封のペットボトルが20本ほど浸されている。

 ちなみに伊吹は、櫛田たちから分けてもらったものを食べているようだ。

 

「馬鹿じゃないのどいつもこいつも。お人好しすぎ。Cクラスとは大違い」

 

 そう言って悪態をつく伊吹。しかしなんだかんだ言いながらも腹は減っていたのか、もらった食料はしっかり口にしていた。

 と、そんな時、奇妙な動きをする人物が目に入った。

 山内だ。さっきから立ち上がるのかそうじゃないのか、はっきりしない体勢をしている。

 

「……お前さっきからなにしてるんだ?」

 

「え? あ、い、いやほら、佐倉が一人で飯食ってるからさ、かわいそうだから一緒に食べてやろうかなーって思っただけだよ」

 

「ん……ああ、ほんとだ。でも、やめといた方がいいんじゃないか。怖がらせるだけだと思うぞ」

 

「綾小路にもそう言われたんだよ。くーっ、もどかしいぜ……」

 

 なるほど、それであんな動きを……。なんだ、もしかして山内は佐倉のこと狙ってんのか。

 女子のうちで一人で食べてるのは、佐倉のほかには堀北だけか。それ以外の生徒は全員、何らかのグループに属して一緒に食べている感じだ。

 男子の方はそこまで隔てなく、全体的にまとまって食べているが……

 と、クラスの様子を俯瞰していると、あることに気付いた。

 

「……高円寺は?」

 

「あれ、そういやいないな」

 

 俺の左前にいた池が反応する。

 

「ああ、高円寺なら先ほど体調不良でリタイアして船に戻ったぞ。つまりお前たちは30ポイントのマイナスだ。高円寺には、船内で治療と休養が義務付けられた」

 

 俺たちの疑問を聞いていたのだろう。茶柱先生がその答えを……衝撃的な事実を口にした。

 

「「「はあああ!!!???」」」

 

「何考えてんだあいつ!!」

 

 クラス中から悲鳴にも近い叫び声が上がる。

 点呼に来ないのは予想していたが、勝手にリタイアするのは想定外だった。

体調不良などと言っていたが、それが仮病であることは明々白々。これで俺たちは、高円寺一人のせいで月3000円を奪われたことになる。

 

「クソっ、なんてやつだ高円寺の野郎!!」

 

 その叫びは、今頃船内でくつろいでいるであろう高円寺には届かない。

 深い森に、空しく響くだけだった。

 

 

 



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無人島サバイバル 2日目

 2日目の朝。8月2日における、俺にとって2度目の目覚めだった。

 

「……背中いってえな」

 

 起き抜けに出た最初の言葉がこれだ。

 地面の上に直接テントを置いてるんだから無理もないことだ。布が一枚間にあるだけでは、固い地面の上で寝ているのと大した違いはない。

 こんな状態だと、満足に疲れをとることは難しい。テントと地面、あるいは体と地面の間に何か柔らかいものを挟めるといいんだが。

 腕時計を確認すると、時刻は7時半を少し回っていた。

 外からは談笑する声も複数聞こえる。1度目の起床の際は誰も起きていないであろうタイミングでテントを抜けて用を済ませたが、この時刻になるとさすがに起きている生徒も少なくない。

 とはいえテント内にはまだ寝ている生徒もいるため、起こさないようにそろりそろりと歩いてテントを出た。

 

「ああ、おはよう速野くん」

 

 すると、偶然テントの出入り口付近にいた平田に挨拶された。

 

「おお、おはよう」

 

「やっぱり、寝起きはあまりよくないみたいだね」

 

「ああ、まあな……よく気付いたな」

 

「体が痛そうな顔をしていたからね。君に限らず、みんな同じような感じだよ」

 

「ああ、そういう……」

 

 まあそりゃそうだろうな。

 昨日一日の疲れのせいで、寝付けない者はいなかったようだが。

 

「うん。この問題は、早急に解決する必要があると思うんだ。速野くん、何か意見はないかな?」

 

 先ほどの穏やかな表情とは違い、真剣に問うてくる平田。

 クラスの問題を解決するために常に奔走する。何がこいつをそこまで駆り立てるのか……。

 まあなんにせよ俺自身、これは解決しておきたいことだし、何より俺は遭難しかけてクラスに混乱をきたした前科があるからな。その詫びも兼ねて、ちょっと真剣に考える必要がありそうだ。

 

「……できるだけポイントは使いたくないよな」

 

「もちろん、それで解決できるならそうしたい。でも、睡眠の質は試験中のパフォーマンスやモチベーションにも直結してくることだからね。多少の支出はやむを得ないと僕は考えてるよ。ポイントで購入可能なものの中には、ちゃんとしたマットもあるしね」

 

「……そうか」

 

 平田の言うことも間違いではないが、その甘えが多少のポイントで収まればいいんだが……。

 やはりここは、ポイントを使わない方策を考えるべきだろう。

 

「……利用するとしたら、無料で、かつ無制限に支給されるものだな」

 

「それって、簡易トイレ用のビニールとシートのこと?」

 

「ああ。それを使ってどうにかクッション代わりに……とまでは行かなくても、地面の硬さを軽減できるような道具にできるといいんだが……」

 

 無料で無制限。好きな時に好きなだけ手に入れられるものだ。利用しない手はないだろう。

 しかし平田には懸念材料があるようだ。

 

「でも、大丈夫かな。その二つが無制限に支給されるのはトイレの後処理のためで、それ以外の目的で使うのは……」

 

「もし道具を目的外で使用することを一律に禁止したら、例えば座って釣りをしている状態から立ち上がる時に、釣竿を支えにするのも禁止ってことになる。釣竿を魚を釣る以外の目的で使ったことになるからな。こういう解釈違いを防ぐために、そういった規制をするには細かくルール設定をする必要があるが、そんな記述はマニュアルのどこにもなかった。今ある道具をどう最大限に生かすか、ってのも、この試験で問われてることの一つだと思うぞ」

 

 まあ、これは「自由」がテーマの特別試験だ、って学校側が言ってるんだから、そんな規制を設けるなんてことは絶対にないだろうけどな。

 

「……なるほど。確かに、君の言うとおりだね」

 

 どうやら納得したようだ。

 

「ビニールとシートだけど、ビニールなら、丸めて置くだけである程度地面の硬さを和らげる効果はありそうだね」

 

「確かに……その使い方はありだな」

 

「うん。早速、点呼の時にみんなに話してみよう」

 

「ああ、それがいい」

 

「本当に助かったよ。ありがとう速野くん」

 

「いや」

 

 そうして、平田はまた別の生徒のところへと奔走していった。

 

 

 

 

 

 1

 

 朝の点呼とスポット占有の更新を終え、俺たちは各々の時間を過ごしていた。

 ちなみに、点呼と占有の時間が重なっているのは偶然ではない。

 他クラスも点呼を受けているこの時間にスポットの更新を行えば、盗み見られるリスクを減らすことができるだろうという判断で、昨夜のうちに時間を調整していたのだ。

 俺は現在やりたいこともやるべきこともないため、日光を避けるために木陰に入って時間をつぶしている。

 そんなとき。

 

「なんだよお前ら!」

 

 池の怒鳴り声が、Dクラスのベースキャンプ内に響き渡った。

 みんな何事かと声のする方に目を向ける。

 そこに立っていたのはCクラスの生徒二人。小宮と近藤だった。

 二人の手には、それぞれペットボトルの炭酸飲料とポテトチップスの袋が、俺たちに見せつけるかのように握られている。

 

「はっはは、そんなにカッカすんなよ。こんなクソみたいな森の奥でみじめな生活してるお前ら不良品に、いい話を持ってきてやったんだからよ」

 

「はあ? どういう意味だよ!」

 

「龍園さんからの伝言だ。夏休みを満喫したかったら、浜辺に出て来いよ。こんな生活が一瞬で嫌になるくれえの夢の時間を共有させてやる」

 

 こんな調子で、強い言葉を使って俺たちを刺激し、挑発してくる。

 先ほどから伊吹の姿が見えないが、おそらくどこかに隠れているんだろう。追い出されたって話が本当なら、クラスメイトとは顔も合わせづらいだろうし。

 俺たちからすればひたすらに迷惑でしかないこの騒ぎ。反感を覚えた生徒たちが二人の前に集まり、野次馬を形成していく。

 俺もその輪の中に入った。

 Cクラスの二人との距離は5メートルほど。十分に顔は識別できる距離だ。お互いに。

 そのうちの一人と一瞬だけ目が合った。するとそいつはぎょっとした表情になる。

 そいつはすぐに俺から目をそらし、隣に立つもう一人に何やらこそっと話しかける。

 そのやり取りの内容はこちらには聞こえてこなかったが、話しかけられたもう一人も納得したように頷いた。

 

「……ま、ってわけだ。素直に龍園さんの誘いに乗ることをお勧めするぜ。じゃあな、Dクラスの不良品ども!」

 

 ぎゃははは、と下品な笑い声を残し、二人は立ち去って行った。

 

「ったく、なんなんだよあいつら!」

 

「こないだの須藤の件も、騒ぐだけ騒いで結局訴え取り下げたんだろ? Cクラス」

 

「なんかウゼエよなあ、あいつら」

 

 口々に文句を漏らしながら少しずつ野次馬を解いていき、Dクラスの面々はまた元通りに各々の時間を過ごし始めた。

 にしてもあの二人、「夢の時間」とか言ってたな……。

 ジュースと菓子を持っていたところを見ると、俺たちと比べる財布のひもがかなり緩いのか。

 俺たちを挑発するためだけに揃えたって線もなくはないが……。

 いずれにせよ、少し気になる。

 挑発に乗せられた、という形にはなるが、そんな体裁よりも実利を優先すべきだだろう。俺はあの二人の言うとおり、適当なタイミングで浜辺に出てみることを決めた……が、そのタイミングは今この瞬間のようだ。

 浜辺に出る方向へと歩き出していく生徒が二人。

 そのあとを追い、声をかける。

 

「お前たちも浜辺に出るのか。綾小路、堀北」

 

「速野か。ああ、偵察も兼ねてな」

 

「……あなたも来るの?」

 

 堀北には嫌そうな顔をされてしまう。

 

「……いいだろ別に」

 

「まあ、止めはしないけれど」

 

「そうですか……」

 

 なら、最初からそんな顔すんじゃねーよ。

 

 

 

 

 

 2

 

「これは……一体どういうことなの……?」

 

 驚愕に染まる声を漏らしたのは、俺の隣に立つ堀北。

 声には出さないものの、驚いているのは俺も同じだった。おそらくは綾小路も。

 小宮と近藤の言っていた通りに浜辺に出た俺たちの目の前には、想像を絶する光景が広がっていた。

 バーベキューにビーチバレーに水上バイクに、それ以外にも名前もよく知らない遊び道具がわんさか……。

 仮設トイレもシャワーも完備だ。

 何か作業している様子もなく、全員が全員、海辺での遊びにふけっていた。

 

「どういうつもり……? 多少の散財なんてレベルじゃない。完全な無駄遣い……」

 

「ああ、これは……少なく見積もっても130ポイント以上は溶かしてるな」

 

 もちろん、これは目に見える範囲での計算だ。これ以外にも何かしら購入しているとしたら……。

 と、衝撃的な光景の前に立ち尽くしている俺たちの前に、一人の男子生徒が駆け寄ってくる。

 

「あ、あの、龍園さんが呼んでます……」

 

 はきはきとしていない、何かに怯えているような、そんな声色だった。

 

「……どうする? 招かれているようだけれど。行く?」

 

「それはオレが決めることじゃないだろ」

 

「まあ、いいわ。招かれてあげましょう。こんな愚かな行動に出た王様気取りの人物に、少し聞きたいこともあるし」

 

 行くことに決めた堀北、それに綾小路は、男子生徒についていく。しかし俺はその場にとどまった。

 

「あれ、来ないのか」

 

「ああ。龍園とやらの相手は二人に任せるよ」

 

「わかった」

 

 俺を残し、二人はパラソルの下でビーチチェアの上にふんぞり返っている人物に接触した。

 あれが龍園か。

 ここから距離はそこまで遠くないため、その様子をうかがい知ることができる。チェアの横にあるテーブルには、バーベキューで焼きあがった食材と炭酸飲料、それに無線機が置かれている。

 それを見届け、俺は浜辺の周囲を歩き回った。

 先ほどは視界に入らなかったアイテムなども見えてくる。

 本当に、惜しむことなく湯水のようにポイントを使ったことが伺える。

そうしていくうちに、Cクラスの取っている行動の意味が、薄っすらとだが見えてくる。

 バーベキューの材料はまだまだ豊富に蓄えているようだし、それに加えてかなりの数の釣竿と保存食も用意しているようだ。

 本来寝るためのものであるはずのテントは、どちらも大量に買い込んだ道具の物置と化していた。

 

「なるほどな……」

 

 まだ何かを理解できたわけではないが……一見滅茶苦茶に見えるCクラスの行動には、しっかりとした戦略が見え隠れしている。

 少なくとも、ただ単に遊び呆けているだけってわけじゃなさそうだ。

 俺は誰も使用していないタイミングを見計らって、仮設トイレに近づく。

 その裏側には、『貸し出し用』と書かれたシールが貼ってあった。これはポイントで購入できる物資のうち、飲食料などを除いた耐久消費財に例外なく貼られているものだ。

 それをいじっていると、そのシールが剥がれてしまった。

 

「おっと……」

 

 俺はそれを貼り直し、そそくさとその場を立ち去った。

 数分後、龍園とのやり取りを終えたであろう堀北と綾小路が戻ってくる。

 

「どうだった。何か分かったか?」

 

「分かるも何もないわ。彼、龍園くんは愚か者だった。それだけよ。どうやら、今日ですべてのポイントを吐き出したらしいわ」

 

 会話の流れで、龍園自らそう明かしたのか。堀北が呆れたようにつぶやいた。

 

「……やっぱりそうか」

 

「やっぱり、って……」

 

「浜辺の様子や今の伊吹の状況を見れば、大体の想像はつく。ゼロポイントだから、伊吹がベースキャンプにいなくて点呼に遅れようが関係ないってことだろ。だからさっき来たCクラスの奴らも、伊吹のことを全く気にかけないまま帰っていったんだろう。ポイントを残す気があるなら、伊吹を見かけなかったか、とか聞くのが普通だ」

 

 つまり、伊吹をこのまま匿えば60ポイント削れるとか、リタイアして30ポイントに抑えるべきとか、そういったちまちました計算は初めから全くの無意味だったってことだ。

 

「なるほどね……じゃあ彼らはこれから6日間、どうやって乗り切るつもりなの……?」

 

 その疑問には、綾小路が答える。

 

「あいつらは多分、6日間なんて見てないと思うぞ。単純な話、高円寺がやったようにリタイアすればいいだけだ。そうすれば俺たちがサバイバルしている間、船内の施設を満喫して夏休みを楽しめる」

 

 俺も同感だ。物置状態になっていたあのテント、あれは寝ることを考えた使い方じゃない。おそらく昨日の夜を明かした時点で用済みになったから、購入した道具を適当に突っ込んだんだろう。

 

「理解不能だわ。これはプラスを積み重ねることを目的とした試験のはずよ……」

 

「先生も言ってただろ。『自由』がテーマだって。これも考え方の一つだ」

 

「そうだとしても、よ……そもそも、こんなふざけた作戦に反旗を翻したのが伊吹さんとあと一人だけだったなんて……異常よ、このクラスは」

 

 そんな堀北のセリフに引っ掛かりを覚える。

 

「え、伊吹のほかにもいるのか?」

 

「ええ。そのもう一人も、ベースキャンプから追い出したらしいけれどね」

 

「……そうだったか」

 

 なるほどな……。

 

「ちょっと疲れた。俺はもうベースキャンプに戻るが、二人はどうする?」

 

「そうね……」

 

「そのことなんだが、Bクラスのベースキャンプに行ってみないか」

 

 さらっとそう提案する綾小路だが、俺と堀北は少し驚いてしまう。

 

「あなた、いつの間にそんな情報を……」

 

 そう。試験が始まってからほとんどベースキャンプを離れていない綾小路が、どうしてBクラスの場所を知っているのか。

 

「今朝……と言っても、まだほとんど全員が寝てた6時半ごろだったが、神崎がベースキャンプに来たんだ。それで、大まかな道のりを教えてもらった」

 

 そんな、聞いてみればなんというほどのこともない、実に単純な種明かしだった。

 まあその代わり、なんで神崎がDクラスのベースキャンプの場所を知ってんのかって疑問が新たに生まれたわけだが……たぶん単純にリサーチしたんだろうな。

 

「神崎くんが……そうだったのね。では、そこに行きましょう」

 

 堀北もBクラスとコンタクトをとることに賛成のようだった。

 俺だけ目的地が違っていたが、途中までは同じルートだった。

 そんな中折れた大木が目に入ったとき、綾小路は「こっちだ」といい、左折してBクラスのベースキャンプへ。

 俺はそのまま直進して、Dクラスのベースキャンプへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 3

 

 日が傾いて、空がオレンジ色に変化している。

 俺は平田に頼まれ、ベースキャンプの周りに食べられるものが生えていないか、その探索をしていた。

 そこに、恐らくは散歩でもしていてたまたまここにたどり着いたであろう綾小路が姿を現す。

 

「よう」

 

「ああ」

 

 綾小路と堀北と別れた後、3時間経たないくらいの時間に二人はベースキャンプに戻ってきてはいたが、話しかけるタイミングがなく今に至っていた。

 

「Bクラスの様子、どうだった」

 

 せっかくの機会ということで、偵察の成果を尋ねる。

 

「総合的に見て、Dクラスの上位互換って感じだった。いろんなものを有効活用してポイントを節約してる。それから、寝るときの地面の硬さについては、うちと全く同じ手で対処してたぞ」

 

「丸めたビニールを大量に置くやつか」

 

「ああ。あと、伊吹のほかにももう一人、Cクラスから追い出された生徒がいたって言ってただろ。その生徒はBクラスに拾われてた」

 

「……そうだったか」

 

 Cクラスから追い出された生徒二人が、BクラスとDクラスに一人ずつ、か。

 Bクラスの生活の様子も含めて、想定の範囲内ではある。

 Bクラスの話はこれで終わり。俺は新たに疑問をぶつける。

 

「そういえば、Bクラスの様子を見に行っただけにしては、かなり時間かかったな。お前たちが迷うとは思えないし、あの後どこか寄り道でもしたのか」

 

「ああ、あの後Aクラスの様子も見に行ったんだ。一之瀬に場所を教えてもらってな」

 

「……さすがのリサーチ力だな、Bクラスは。それで、どうだったんだ」

 

「いや、Aクラスに関しては何の成果もなかった。洞窟がスポットになっているようだが、その入り口がビニールで覆い隠されてて、中の様子は全く見られなかった。まさに秘密主義って感じだ」

 

「そうか。それは仕方ないな」

 

 まあでも、総じていえば偵察の成果としては十分といえるだろう。

 

「ああ綾小路、暇なら手伝ってくれ。平田に食材が生えてないか探してきてくれって頼まれたんだ」

 

「ああ、いいぞ」

 

 会話を切り上げ、二人で探索を始めた。

 



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無人島サバイバル 3日目

 なんだかんだで、Dクラスはうまく機能していた。

 この無人島サバイバルという特別試験を乗り切る、という一つの明確な目標のもと、即席ではあるが団結力のようなものが垣間見えている。

 初日や2日目に比べると、生徒の心にも余裕のようなものができていた。

 そんな、サバイバル3日目の午前10時ごろのことだった。

 

「なあ、海行こうぜ海! せっかくあんなきれいな浜辺があるのに、泳がないなんて勿体ないだろ!」

 

「だな!」

 

「っしゃ行くか!」

 

 須藤、池、山内のいつもの三人は、海で泳ぐために浜辺に出るようだ。

 その大きな声を聞きつけ、海に行きたい生徒たちが3人の周りに数人集まる。

 数分後には、男女混合の8人ほどの集団が出来上がっていた。

 

「……ちょうどいいな」

 

 俺はそれについていくことにした。

 もちろん、海で泳ぐわけじゃない。水着持っていかないし。

 しかし傍から見れば、俺も海に泳ぎに行くメンバーのひとりにしか見えないだろう。

 初日のこともあって、俺は一人でベースキャンプから離れられないからな。ベースキャンプの外で何か行動を起こすときには、こういう集団に乗じるしか方法がないのだ。一人で行こうとすれば止められてしまう。お前また遭難する気か、と。

 準備を整え、ベースキャンプを出発。

 20分ほど歩いて、ようやく浜辺に到着した。

 

「うっほー海だ!!」

 

「いえーい!!」

 

 綺麗な海に魅せられてはしゃぎ、服を脱ぎ捨てて一直線に海に飛び込む。どうやら全員服の下に水着を着てきていたらしい。準備がいいな。

 楽しそうなクラスメイトの様子を傍目に、俺は周囲を見回す。

 いまDクラスが泳いでいる砂浜の右側……少なくとも目視できる範囲には、昨日までCクラスのベースキャンプがあったはず。

 しかし、その場所はもぬけの殻だ。俺と綾小路の想像通り、全員がリタイアする作戦をとったようだ。

 特に道具も残されてはいない、か。

 それを確認し、俺はBクラスのベースキャンプへと歩を進めた。

 昨日と同じ道のりを進んでいく。

 

「折れた大木が目印だったな……」

 

 10分ほど森を歩いていくと、昨日も目にした折れた大木を見つける。

 

「昨日は気にならなかったが、この折れ方は……」

 

 自然に折れたにしては少し妙な切り口をしている。

 おそらくこれは人為的なもの。この近くにスポットがあるというヒントとして学校側が用意したのかもしれないな。

 昨日あの二人がやったようにここを左折し、そのまま進んでいくと、何やらにぎやかな声が聞こえてくる。

 間違いない。Bクラスのベースキャンプだ。

 

「あれ、君、Dクラスの速野くんだよね? どうかした?」

 

「……」

 

 ベースキャンプにお邪魔しようと近づいた瞬間、Bクラスの生徒と思われる男子に声をかけられる。

 名前、知られてるのか……と一瞬たじろいだが、そういえば前に一之瀬が言ってたな。あの小テストで満点を取ってから、俺は軽く有名人だと。

 怪しまれることのないよう、勤めて冷静に対応する。

 

「ああ。神崎にこの場所を教えてもらったやつから又聞きしたんだ。迷惑だったら帰るが」

 

「いや、迷惑なんてことはないよ。ちょっと待ってて、一之瀬さんを呼んでくるから」

 

「え、あ、ああ」

 

 名前も知らないその男子生徒は、そう言って駆け足でベースキャンプへと入っていく。

 そして1分もしないうちに、一之瀬が一人でこちらに来た。男子生徒の姿は見えない。

 

「こんにちは速野くん」

 

「ああ、突然悪いな。さっきのやつはどうしたんだ?」

 

「あ、浜口くん? 彼には戻ってもらったよ。君も、知り合いの方が話しやすいでしょ?」

 

「ああ、まあな……」

 

 そういう気遣いがあったようだ。

 

「それで、ここに何か用かな?」

 

「それなんだが、ここというより、お前に用があったんだ」

 

「え、私に?」

 

「ああ」

 

 そのため、偶然だとは思うが、こちらから何も言っていないのにあの男子生徒……浜口っていったな。そいつが一之瀬を呼んできてくれたのは、正直かなり助かった。

 

「なになに、私に用って?」

 

「綾小路と堀北に、Aクラスのベースキャンプの場所を教えたって聞いてな。俺にも教えてほしいんだ」

 

 言うと、一之瀬は思案顔になる。

 

「え? うん、それは全然かまわないけど……どうしてあの二人に聞かないの?」

 

 まあ、当然そこは気になるよな。

 

「ちょっといろいろと事情があってな。はぐらかさせてくれ」

 

「はぐらかさせてくれって……にゃはは、そんな言葉初めて聞いたよ」

 

 苦笑いする一之瀬。

 

「事情を聞かなきゃ教えられないか?」

 

「ううん、別にいいよ。たぶん私たちには関係ないだろうしね」

 

「そう言ってくれると助かる」

 

「いいのいいの。それで、Aクラスの拠点だよね。ここを抜けると開けた場所があって、そこから右に入ってまっすぐ行くと洞窟が見えるの。そこがAクラスの拠点だよ」

 

 シンプルで分かりやすい説明だ。迷うことなくたどり着けるだろう。

 

「分かった。助かる」

 

「でも、二人からも聞いてるでしょ? Aクラスの様子。見に行っても情報は得られないと思うけど……」

 

 この言い方からして、Bクラスも独自に調査しようとしたが、断念したんだろう。

 

「たぶんな。でも、聞いただけじゃわからないこともあるし、この目で確かめようと思ったんだ」

 

「ふーん……そっか。じゃあ気を付けてね。間違っても遭難なんてしないように」

 

 そう言う一之瀬は、子どもに言いつける教師のようだった。

 

「ああ、肝に銘じるよ。それから一之瀬、質問ばっかりで悪いんだが」

 

「ん、何?」

 

「Aクラスの状況について、ちょっと教えてほしいんだ。なんか、派閥争い? みたいなのが起きてるって話は聞いたんだが、それ以外は何にもわからなくてな」

 

 藤野から聞いたのは対立があるという話だけ。具体的なことは聞かされていない。

 

「うん、いいよ。Aクラスは今、葛城くんの派閥と坂柳さんの派閥に分かれてるの。二人ともとても優秀なんだけど、まったくと言っていいほど馬が合わないみたいでね。葛城くんが保守派で、坂柳さんが革新派、って言ったらいいのかな。そんな感じで、とにかく考え方が真逆なんだよ」

 

「……なるほど。今どっちが優勢とかあるのか?」

 

「うーん、そこまでは……でも、この特別試験を取りまとめてるのは葛城くんのはずだよ。坂柳さんは、このバカンスそのものを欠席してるから」

 

「そうだったか」

 

 そういえば、Aクラスからは欠席者が出て、初めから30ポイントマイナスされてたな。その欠席者が坂柳ってやつだったのか。

 

「情報助かった。お返し、と言っちゃなんだが、こっちも一つ伝えることがあるんだ」

 

「え、何?」

 

「浜辺に陣取ってたCクラス、全員リタイアしたみたいなんだ」

 

「全員リタイア……!?」

 

 驚きを見せる一之瀬。

 

「ああ。さっき見てみたら、昨日のバカ騒ぎの跡形もなかった」

 

「……なるほど。最初から全員リタイアするつもりだったから、あんなポイントの使い方をしてたんだね」

 

 落ち着きを取り戻して冷静に思考し、一之瀬は正解にたどり着いた。

 

「たぶんな」

 

「とんでもないこと考えるよね。まさかゼロポイントであることを逆手に取るなんて」

 

「ああ、まったくだ。ただ、これでCクラスはプラスを積み重ねることができなくなった。うちにとってもBクラスにとっても、好都合な展開ではあるな」

 

「確かに、そうだね……」

 

 そう答える一之瀬だが、その表情はどこか固い。

 

「……何か気になることでもあるのか」

 

 気になって、単刀直入に質問する。

 すると一之瀬は表情を崩し、首を横に振った。

 

「ううん、なんでもない。じゃあ、お互い頑張ろうね」

 

「そうだな」

 

 お互いに励ましの言葉をかけあい、そこで一之瀬とは別れた。

 

 

 

 

 

 1

 

 Bクラスのベースキャンプを出てからは、一之瀬に教えてもらった通りの道を進んでいく。

 歩き始めて30分ほど経ったころだろうか。大きな洞窟が俺の目に飛び込んできた。

 そしてその穴を塞ぐように、ビニールがかけられている。綾小路から聞いていた通り。

 ここが間違いなく、Aクラスのベースキャンプだ。

 ビニールで塞がれた洞窟の入り口付近には、シャワー室と仮設トイレが2台ずつ置かれていた。

 いくら秘密主義といっても、こういうのは洞窟の外に置くしかないよな。生活スペースは洞窟の中だろうが、そこに便所を置くのは衛生的にも精神的にも避けたいはずだ。

 俺は2台並べられた仮説トイレの裏側に回る。

 

「おい、何してるんだ」

 

 するとその瞬間、背後から声をかけられる。

 その声からは、俺に対する警戒の色がありありと読み取れた。

 振り向くと、これまた見知らぬ男子生徒が俺をにらみつけていた。

 

「お前、Dクラスの速野だな。昨日の今日で懲りないな、お前たちも」

 

「……」

 

 なんか、俺というよりDクラス全体に敵意を抱いてる感じだ。昨日ここで何しでかしたんだよ堀北。

 とりあえず、今はこの場を乗り切るか。

 

「……いや、悪い。偵察に来たわけじゃない。探索してたら、たまたまここに出ただけだ。それから、昨日堀北と綾小路がここに来たのは知ってる。その時に何か失礼があったなら、俺が代わりに謝る」

 

「そんなことはもうどうでもいい。それより、ここはAクラスの占有場所だ。部外者のお前がいていい場所じゃない。今すぐに出ていけ」

 

「……ああ、わかったよ。ただその前に」

 

「なんの騒ぎだ」

 

 俺の発言の途中に割り込んでくる声。

 大柄で、スキンヘッドの男子生徒だった。

 

「葛城。こいつ、Dクラスの速野だよ。Dクラスのやつ、懲りずにまた来やがったんだ」

 

 怒りをあらわにしている男子生徒。

 ……なるほど、葛城ってのはこいつか。

 好都合だ。

 

「そうなのか、速野」

 

 葛城は俺の方を見て質問する。

 

「いや、さっきこいつにも言ったが偵察に来たわけじゃない。探索してたら開けた場所が見えて、それがここだっただけだ」

 

「そうか。町田、こいつは先の堀北のように無理やり中を見ようとしたわけでもない。手荒な真似はやめておけ。下手をすればこちらの落ち度ということになりかねない」

 

 今にも俺に食って掛かりそうな町田という男子生徒を、葛城が言葉で制する。

 そして今のセリフで、町田と呼ばれたこの男子生徒がDクラスに対して敵意むき出しだった理由が分かった。堀北お前……。

 

「で、でも葛城、探索してたらたまたまここに来たなんて話、信じるのかよ。Dのベースキャンプはここからかなり遠いんだぞ」

 

「どれだけ疑ったところで証拠はない。ここは引け」

 

「……わかった」

 

 このやり取りを見ている限りじゃ、この葛城が対立している派閥の一方の頭、というのは間違いなさそうだ。

 

「ややこしい真似をしてすまなかったな、葛城」

 

「構わん。だがAクラスとしては、他クラスの生徒にベースキャンプの近くをうろつかれるのは耐え難い。早急にこの場を立ち去ってもらおう」

 

「ああ、わかった。ただその前に葛城、クラスのまとめ役であるお前に一つ頼みがある」

 

「なんだ」

 

「さっき話に出た堀北なんだが、無人島に降り立つ前から体調がすぐれないようでな。そのうえこの環境のせいで今も悪化してる。このままだと、最終日までには限界がきてリタイアする可能性が高い。もしもの時は、外界からより遮断されたこの洞窟内で、堀北を匿ってはもらえないか」

 

 そんな俺のふざけた申し出に、葛城は間髪入れずに答える。

 

「断る。こちらにメリットがない。何より、我々のクラスの生徒に風邪がうつったら、どう責任をとるつもりだ」

 

 ぐうの音も出ない正論だ。もちろん本気でお願いしたわけではないため、俺はおとなしく引き下がる。

 

「まあ、そりゃそうだよな。悪い、冗談だ」

 

「早く出ていけよ!」

 

 おどける俺に怒鳴り声を飛ばす町田。

 

「分かった、分かったから。じゃあな葛城。そっちも、体調不良には気をつけろよ。もしもリーダーがリタイアなんてことになったら、どうなるかわからないからな」

 

「無論だ」

 

「それから、藤野によろしく言っといてくれ」

 

 そう言うと、葛城は何か思い出したようにはっとした表情になる。

 

「……そうか、藤野とお前は仲が良いんだったな」

 

「ん、ああ、まあ。友達だよ」

 

「今から藤野のいる場所に向かうところだ。お前も来るか」

 

 そんな、予想だにしていなかった誘いが葛城から持ち出される。

 

「ちょ、おい葛城! Dクラスの奴にそんなこと……!」

 

「AクラスだろうとDクラスだろうと、クラスポイントというファクターを除けば一人の同期生だ。いらぬところで対立する必要はないだろう」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

「町田。試験中だから気が立つのは仕方のないことだが、冷静な思考を失うな。肩の力を抜け」

 

 そう語りかける葛城の声色は、先ほどより少し穏やかなものに聞こえた。

 

「……そうだな。悪い、ちょっと取り乱した。速野も悪かったな」

 

 町田も落ち着きを取り戻したようで、俺にまで謝罪の言葉を述べてきた。

 

「いや、疑われるようなことをしたのは俺の方だ。こっちこそ悪かったな」

 

 この町田は、恐らく葛城派の生徒なんだろう。

 葛城からは、チームリーダーとしての器の大きさを感じるな。

「それから葛城、さっきの藤野の話なんだが……」

 

 

 

 

 

 2

 

 俺は葛城の言葉に甘え、藤野のいる場所まで案内してもらうことにした。

 

「ほんと、悪いな」

 

「構わない。さっきも言ったとおりだ。クラス間争いと関係のない部分では、他クラス

の生徒との対立は避けたいと俺は考えている」

 

「そうか」

 

 このあたりの考え方は、藤野とも通ずるものがありそうだな。

 ちなみにだが、俺は今、葛城と二人ではない。

 俺たち以外にもう一人、戸塚弥彦という男子生徒も合流して、一緒に歩いている。なぜか手に大きな袋を持っているが、何に使うかは判然としない。

 戸塚は、はじめは俺を見て一瞬警戒するような顔をしたが、葛城が事情を話すと納得したらしく、それ以上何かしてくることはなかった。

 雰囲気からしておそらく葛城派の生徒、それもかなり距離が近い存在だ。互いに信頼しあっている……側近、って感じか。ただの高校生には似合わない言葉ではあるが。

 

「着いたぞ。ここだ」

 

「ああ」

 

 葛城と戸塚が立ち止まり、俺もその一歩後ろで止まる。

 ここって、確か……。

 と、考え事をしていた中、生い茂る植物の間から藤野の姿を確認できた。

 葛城は一歩前に出て、藤野に話しかける。

 

「待たせたな藤野」

 

「あ、葛城くんと戸塚くん……と速野くん!? え、な、なんでここに……?」

 

 この場にはいるはずのない俺の登場に、当然ながら驚きを見せる藤野。

 

「探索しているうちに、我々のベースキャンプにたまたまたどり着いたそうだ。ついでにここまで連れてきた」

 

「そ、そうだったんだ……いやあ、まさかこんなところで会うなんて、思ってもみなかったよ」

かったよ」

 

「ああ、まったく同感だ」

 

 Aクラスの洞窟に来たのはもちろん目的あってのことだが、まさかそこからこんなことになるとは。

 

「そんなことより藤野、そのキャベツ誰かが取りにきたりしなかったのかよ」

 

 戸塚は全く別のことが気になるようで、藤野にそんな質問を飛ばす。

 突如出てきたキャベツというワード。

 疑問に思って藤野の足元に目を向けると、そこには20個余りのキャベツ畑があった。

 

「あ、うん。大丈夫。袋は持ってきた?」

 

「ああ」

 

「じゃあ、持ってっちゃおっか」

 

 ……なるほど、袋はキャベツの収穫のためか。

 

「よく見つけたな、こんな場所……」

 

「3人で探索してたら、葛城くんが見つけてね。その時は手ぶらだったから、私が見張って、二人が収穫用の袋を持ってくるのを待ってたんだ」

 

「そうだったか……」

 

 ならば、と、俺もキャベツ畑に足を踏み入れ、土から掘り起こす。

 

「お、おい速野! ここは俺たちAクラスが見つけたんだ! 勝手に取っていくなよ!」

 

 焦ったように戸塚が言う。

 どうやら勘違いされてしまったらしい。

 

「さすがにそんな卑しいことはしない。収穫を手伝おうと思っただけだ。短い時間だが、葛城にはちょっと世話になったしな。それすらもダメなら手を引くが」

 

 答えながら、俺は引っこ抜いたキャベツを戸塚が持ってきた袋に入れる。

 その行動で俺に持ち帰る意思がないことを悟った戸塚は、それなら、と引き下がった。

 俺はそのままもう一つも抜いて袋に入れ、残りはAクラスの3人に任せた。

 

「ありがとう速野くん」

 

「いや、せめてこれくらいはな」

 

「あ、ねえ葛城くん、ちょっと速野くんとおしゃべりしていってもいい? 道はちゃんと覚えてるし、後から戻るからさ」

 

 キャベツの入った袋の口を縛っていた葛城は、藤野の言葉にはっとため息をつく。

 

「……止めはしないが、勧めもしないぞ。絶対に迷うなよ」

 

「うん、大丈夫」

 

「なら、好きにしろ」

 

「ありがと」

 

 収穫したばかりの新鮮なキャベツを抱え、二人はベースキャンプへ戻っていった。

 藤野なら、迷うことはないと信頼しているのか……ただそれにしては、ちょっと突き放したようなニュアンスがわずかに含まれていた気がしないでもないが。

 

「……本当に大丈夫か?」

 

「うん、私こういうの覚えるの得意な方だから。それに、ベースキャンプから歩いてきた速野くんならわかるでしょ? ここからベースキャンプまではほぼ直進でいけるんだよね」

 

「……そういえば、そうだったかもな」

 

 俺は二人の後についていっただけだったから、あまり意識していなかった。

 

「それより速野くんこそ大丈夫なの? ここからDクラスのベースキャンプまで一人で戻れる?」

 

 心配そうに言う藤野だが、その点は問題ない。

 

「ああ。実は一回この近くを通ったことがあるんだ。その時の道は覚えてるから、たぶん戻れる」

 

「え、でも、ここって目印になるようなものあるかな?」

 

「ああ、あれだよ」

 

「あれ?」

 

 俺が指さす先には、数えるのも嫌になるほどの木。

 しかし、その中の一本に明確な目印がある。

 

「木に白いハンカチが巻かれてるのが見えるだろ。あれだ」

 

「……あ、あぁぁあ、ほんとだ! 気づかなかったよ……!」

 

 藤野にも見えたようで、興奮気味に声を上げた。

 

「誰があんなところに……」

 

「さあ、それはわからないが」

 

 つけてる現場を目にしたわけじゃないしな。

 

「でもよかった。なら大丈夫そうだね」

 

「ああ」

 

「ただ、ちょっと気になるなあ、あの木。行ってみない?」

 

「え、ああ。構わないが……このキャベツ畑の近くに木にも、何かしら印付けておいた方がいいんじゃないか」

 

「あ、確かに。じゃあこの木にハンカチをつけて、と」

 

 俺のアドバイス通りに、自身の目の高さほどの位置にある細めの枝にハンカチをつける。

 

「よし、完了。じゃあ行こうよ」

 

「ああ」

 

 転ばないように注意しながら、例の木を目指して歩く。

 その途中、雑談がてらに気になっていたことを質問する。

 

「そういえば、お前は結局葛城派になったのか? 一緒に行動してたみたいだが」

 

「ううん、そういうわけじゃないよ。一応まだ中立を保ててるけど……この特別試験では坂柳さんがいないから、葛城くんがクラスを引っ張ってるの。それについていってる感じかな。坂柳さん派の人たちは気乗りしてない感じだけどね」

 

「まあいくら派閥が違うっていっても、葛城以上に優秀な奴がいなければどうにもならないからな」

 

「うん。二人の特徴は知ってる?」

 

「ああ、一応聞いてるよ。葛城が保守的、坂柳が急進的で、考え方が真逆。それが対立の原因でもある、だったか」

 

「うん。何を話し合っても、方向性が真逆で常に平行線。どっちもとても優秀なのは間違いないから、二人が和解したらすごいことになると思うんだけどなあ……」

 

「そりゃ怖い……」

 

 なんせ、対立している現状でも、学年で最も高いクラスポイントを維持しているのだ。いがみ合っている二人の歯車がかみ合えば、今以上に手が付けられないクラスになるだろう。

 

「本人たちだけじゃなく、葛城派の生徒と坂柳派の生徒同士も対立してるのか?」

 

「うん。前に電話で相談した時も言ったけど、殺伐としてるよ」

 

「それ大丈夫か。情報伝達とか、上手くいかないこともあるんじゃないか」

 

「……正直、そうなんだよね。もちろん、基本的なことは連絡できてるけど……自分の派閥を有利にするために、クラスの妨げになるような動きをすることもあるんだよ」

 

「……大変だな」

 

 1年生の中で数値の上では頭一つ抜けているAクラスも、決して盤石というわけではなさそうだな。

 などと、考え事をしていたその時。

 藤野が急に立ち止まり、言った。

 

「……ねえ速野くん、なんか話し声聞こえない?」

 

「え?」

 

 俺は体の動きを止めて耳を澄ます。

 藤野も同様にして、余計な音をたてないように細心の注意を払う。

 

「……バン、……れば…ったね」

 

「そう……一度……そうに…い」

 

 風に吹かれて植物の葉が擦れる音に紛れて、確かに人の……おそらくは俺たちと同じく、男女ペアの話し声が聞こえてきた。

 

「……本当だ」

 

「誰だろう?」

 

「さすがにこれじゃ判別はつかないな。もう少し近くに行ってみるか」

 

「そだね」

 

 声のした方に7歩ほど近づく。

 

「え、えええええ!? な、なにしてるの綾小路くん!? そんなのい、いくらなんでも早すぎるよお!」

 

「あ、悪い悪い、断りを入れておけばよかったな。って、早すぎるって、なんだ……?」

 

 と、そんなよくわからない内容の会話が、今度は鮮明に聞こえてきた。

 

「……んん?」

 

 この声、もしかして……。

 

「速野くん、もしかして聞き覚えあるの?」

 

「あ、ああ、こりゃ多分……」

 

 さらに歩みを進めていくと、先ほどの会話の主をはっきりとこの目でとらえることに成功する。

 

「やっぱり……綾小路と佐倉、お前たちだったか」

 

 俺の声に反応し、二人とも振り向く。

 

「……速野」

 

「え、は、速野くんっ……!?」

 

 先ほどの藤野と同じく、ここにいるはずのない俺の登場に驚く二人。まあ綾小路は顔色一つ変えていないが……。

 なんかデジャブ……って、そう感じるのは当たり前か。一昨日にほとんど同じようなことが起こったばかりだ。

 

「お前、なんでこんなところにいるんだ」

 

「いや、まあ紆余曲折あって……迷ったわけじゃないんだが」

 

 話せば少し長くなる……いやそれより、その紆余曲折の末にたどり着いたこの場所で、あの時と同じく綾小路・佐倉のコンビに出くわすなんて、一体どんな確率だよ。

 と、その瞬間、俺と藤野はほぼ同時にある事実に気が付く。

 それは、綾小路の恰好。

 身に着けていたシャツを脱いで、今は上裸の状態だった。

 

「ね、ねえ、もしかして私たち、お邪魔だったんじゃ……?」

 

 その様子を見た藤野が、恐る恐るつぶやく。

 

「そう、みたいだな……」

 

「まて速野。それにあんたも。確実にとんでもない勘違いをしてるぞ」

 

 珍しく、綾小路の声から焦りの色が見て取れた。

 

「いや、でも……なあ」

 

「うん、この状況はさすがに……」

 

 上裸の男と、それを見て赤くなっている女。

 これはどう見ても……。

 

「頼むから誤解しないでくれ。これだよ」

 

 綾小路は脱いだシャツを左手に持ち、右手で地面を指さす。

 

「これって……トウモロコシ?」

 

 藤野の言う通り、そこには大量のトウモロコシが、黄色い実を覗かせていた。

 

「ああ。いま見つけたんだが、入れるものを持ち合わせてなかったから、シャツの口を結んで袋代わりにしようと思ったんだ」

 

 綾小路が上裸だった理由が明らかになる。非常に理にかなった決断で、俺も藤野も一気に申し訳なさがあふれ出してきた。

 

「あ、なるほど……」

 

「……いや、その、悪かったな二人とも」

 

 綾小路の言う通り、盛大な勘違いをしていたようだ。

 

「わ、私は、別に……」

 

「オレも、いきなり脱いだのは不用意だったが、できればこういう勘違いは勘弁してくれ」

 

「ああ、善処するよ」

 

「私も、ほんとにごめんなさい……」

 

 藤野も深々と頭を下げる。

 しかし、二人ともきょとんとしている。どうやらこの女子生徒が誰かわかっていないらしい。

 

「ああ、こいつはAクラスの藤野で、俺の友人だ」

 

「あそっか、まだ自己紹介してなかったね。Aクラスの藤野麗那です。初めまして。綾小路くんと、佐倉さん、だよね」

 

 名前を呼ばれた二人はそのことに少し驚きながらも、軽く会釈をしていた。

 まあ、綾小路は俺がよく話に出してるし、佐倉も以前通学路で見かけたことがあったはずだ。藤野の情報網なら、顔と名前を一致させていても不思議じゃない。

 

「お詫びにトウモロコシの収穫、手伝うよ。持ち運べるようなものは持ってないけど、取ることはできるから。それと、これ全部持っていくつもりでしょ? こんなに大量だと、たぶんクラスメイトをここに呼び寄せるんだよね。その間誰かに持っていかれないように、私が見張ってるからさ」

 

 状況を適切に分析し、先を読んでそう提案する藤野。

 

「ああ、確かにそうするつもりだったが……いいのか」

 

「うん、もちろん。お詫びも兼ねてだから。ね?」

 

 綾小路は即決はしない。何を懸念しているのかくらいは予想がつく。

 

「大丈夫だ綾小路。俺たちがいない間にくすねたりするような人間じゃないぞ、藤野は。まあそんなに信用できないなら、俺たち3人のうちの誰か1人がここに残るって手もあるが、それだと藤野のいる意味がほとんどなくなる」

 

 見張りは1人いれば十分だからな。

 ここまで言うと、さすがに綾小路も大丈夫だと判断したようだ。

 

「わかった。じゃあ頼めるか、藤野」

 

「うん、おっけー」

 

 藤野の協力を取り付け、その場に生えていたトウモロコシ50本余りをすべて収穫。

 結果的に、そのすべてをDクラスが手にした。

 ちなみに後から聞いた話では、この場所は初日の探索の時に高円寺が妙なことを言っていた場所で、あの白いハンカチはその場所の目印として木にくくりつけた佐倉のものだったらしい。

 にしても、キャベツにトウモロコシか。学校の手が加わってるのは明らかだな。そして、それを高円寺は初日のあの探索だけで見抜いていたのか。

 

 



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無人島サバイバル 4日目

今回はかなり短めです。


 4日目の午後。

 俺はまたこっそりとベースキャンプを抜け出し、森の中を歩いている。

 実を言うと俺は2日目以降、隙を見てはこのような行動をとっていた。

 具体的には2日目の午後と3日目の午後、そして今日の午前中もだ。

 目的地はぼんやりとしか設定していない。

 それは「Aクラスのベースキャンプ付近」だ。

 ちなみに昨日の午前中も同じように抜け出して行動し、Aクラスのベースキャンプに行ってあんな妙ちくりんなことになったが、あれは別枠というか、違った目的を持っての行動だ。

 こう何度も何度も歩いていると、DクラスのベースキャンプからAクラスのベースキャンプへの道のりも慣れたものだ。

 木々や茂みが広がっているだけとはいっても、景色の特徴はやはり存在する。そして何度も通っていれば、無意識のうちにそれを記憶しているものだ。それを頼りに、迷うことなく歩いていく。

 この行動において重要な点は、Aクラスの生徒が多数集まっているベースキャンプから直接目の届く領域には絶対に入らないこと。そして、4人以上の大勢で行動している集団の目に触れないこと。

 どちらも大して難しいことじゃない。ベースキャンプの場所を常に頭に入れておけば、つい近づいてしまったなんてことにはならない。また4人以上で行動しているグループはこちらから見えやすいし、多くの場合は話し声が聞こえてくる。気配を察知して隠れるのは想像より簡単だ。

 俺はこの2つを強く意識して、この3日間歩き続けている。

 まあ、今のところ成果はないが……そう焦ることでもない。成果が上がればラッキー、くらいの認識でいる。

試験終了まで成果が全くなく、ここでの俺の行動が無意味なものとなる可能性も十分にあるが、それならそれで構わない。

ベースキャンプに留まっていても、今はあまり実りはないからな。

 

「……今日はこっちの方を歩いてみるか」

 

 周囲の景色からAクラスの洞窟に近づいたことを察した俺は、洞窟から少し遠ざかるようにして右折した。

 そのまままっすぐ歩いていくと、段々と道が開けていくのがわかる。

 そして同時に、俺のことを追跡する2人の人間の気配を察知した。音を出さないように注意を払っているようだが、それも完ぺきではない。

 俺はそれに全く気付かないふりをして、そのまま歩き続ける。

 しばらくすると、目の前に傾斜の強い上り坂が見えてきた。

 

「これは……ちょっとした登山だな」

 

 この坂の頂上にはおそらく、客船が島を高速旋回した時に見えた塔があるはずだ。はじめはそこに行こうと思っていたが、いまはその必要もなくなった。

 近くにあった木にもたれて座り込み、持ってきていた水を2口飲んだ。

 ペットボトルの口を閉めて一息ついたその時。

 

「おい、こんなところで何をしている」

 

 途中から俺を尾行していた2人組が目の前に現れ、そう言った。

 

「……お前、Dクラスの速野だな」

 

「……俺のこと知ってるのか。葛城から聞いたのか?」

 

 言うと、そいつはむっと眉を顰める。

 

「なぜそこで葛城の名前が出てくる。確かにお前は昨日も俺たちのベースキャンプ付近をうろついていたそうだが、お前のことは初めから知っていた。坂柳と同等の学力を持つ、Dクラスの要注意人物のひとりとして」

 

 今の反応、そしてセリフ。こいつは坂柳派だ。ビンゴ。

 

「……そりゃどうも」

 

「それで、何をしている。答えろ」

 

「……」

 

「なんだ、答えられないのか」

 

「……いや、その……」

 

「言え」

 

 一人が、持っていた木の枝をまるで武器のように使って俺に突き出し、脅しをかける。

 マニュアルにあった禁止事項に抵触しそうだが、誰かが見ているわけでもない。違反を証明する術はないか。

 俺は脅しに屈したという形をとり、口を開く。

 

「……これは、秘密にしておいてほしいんだが」

 

「それはお前の発言次第だ」

 

「……わかった」

 

 確約はもらえないようだ。まあいいか。

 

「……Dクラスは居心地が悪い。もらえるポイントは少なくて、無料で手に入れられるもので耐え忍ぶばかりの生活だ。この無人島試験に限っても、考えなしに動くやつが多いうえに騒がしい。仲のいい友達もいないしな。だから……その、偵察も兼ねて抜け出したんだ。昨日洞窟周辺をうろついてたのも、同じ理由だよ」

 

 俺は愚痴をぶちまけるようにして、言葉を吐き捨てる。

 

「クラスに大きな不満を持っている、と」

 

「……そうだ」

 

「その割には偵察に来るなんて、殊勝な心掛けだな」

 

「不満があっても、Dクラスの一員って事実は卒業まで続くからな……」

 

「藤野から聞いていたお前の人物像とだいぶ乖離しているな。お前がクラスに不満を持ってるなんて聞いたことがない」

 

「藤野に話してるわけ、ないだろ……友達でも、クラスの上では敵同士なんだから。たぶんお前たち以外誰も知らねえよ……」

 

「なら、なぜ俺たちにはこんなにも簡単に話した?」

 

「なぜって……言えと脅してきたのはお前らだろ。木の棒まで突き付けて……もう勘弁してくれよほんと……」

 

 情けない声でそう言うと、二人は俺を見下すような失笑を浮かべた。

 そしてその笑顔を保ったまま、俺に顔を近づけて話す。

 

「そんなお前に、一つ朗報があるぞ。キーカードを受け取ったDクラスのリーダー情報を俺たちに流せば、報酬を払う用意がある。数千数万じゃない。10万……いや、20万やってもいい。どうだ、Dクラスが今までに支給された額よりもはるかに大きいだろう」

 

 入学初日、突如として10万ポイントを手にした時のように、額の大きさに驚き目を見開く。

 

「……いや、でも、ポイントでクラスを売るのは……」

 

「何を躊躇してる。ポイントに不満があると言ったのはお前自身だろう。高々あんなクラスを裏切るのに、どこにためらう必要がある?」

 

 目の前のポイントか、クラスか。ポイントを取れと迫ってくる二人。

 

「言っておくが、ほかの連中にも同じ話を持ちかける。早い者勝ちだぞ」

 

 まるでセールスのように、俺を誘惑してくる。

 二人から目をそらし、間をためる。

 そして、口を開く。

 

「……43万だ。43万出せるなら……リーダー情報を流す」

 

 最初に提示された額の倍のポイントを要求する。

 上乗せを求められることは想定済みだっただろうが、ここまでの額とは思っていなかったのだろう。強気の要求に多少面食らっている様子だ。

 

「……妙に数値が細かいな。なぜ43万なんだ」

 

 当然の流れとして、この数値をはじき出した計算式を問うてくる。

 

「俺がいまここでリーダー情報を流したら、Dクラスはマイナス50ポイント。そのうえボーナスポイントはゼロだ。Dクラスが占有しているスポットは一つだから、試験中に20たまるはずだったポイントがゼロになる。50+20=70、それに100掛けで、月7000のプライベートポイントを損失する。そして卒業までの月一のポイント支給の機会は残り32回だから、7000×32=224000、千の位以下切り上げで23万だ。つまり俺は23万を受け取ってようやくトントンだ。そしてその額に、さっきお前たちが提示した額の20万を上乗せして、43万。20万出すといったのはお前たちなんだ。それを『俺に20万の利益をやる』と解釈すれば、妥当な額だろ」

 

 突如として饒舌になった俺を見て何かを感じたのか、後ろを向いて何事か相談する二人。

 俺はその背中に追い打ちをかけるようにして話す。

 

「藤野から聞いてないか。俺は金にがめついんだ。クラスメイトから守銭奴と罵られるくらいにな。クラスを裏切れと言うなら、これくらいは出してもらわないと納得がいかない」

 

 この二人にはいま、迷いが生じている。

 43万なんて額を吹っ掛けられることは想像していなかっただろう。しかし、この金額は出そうと思えば出せる額だ。

 有益な情報か、想定以上の出費の抑制か。

 絶妙な数値設定により立場は逆転。今はこの二人が2択を迫られている。

 数分間、こちらには聞こえないように議論した二人。

 結論が出たようで、こちらに向き直って口を開く。

 

「……なら、この条件でどうだ。お前は今後も、AクラスのスパイとしてDクラス内の情報を俺たちに流す。それなら43万出してやってもいいぞ」

 

 なるほど……そう来たか。

 悪手だと思うが、それならそれでこの好機に乗らない手はない。

 

「……その条件だと、43万じゃ釣り合わない。さらに上乗せして50……いや、60万なら引き受けてやる」

 

 さらに上乗せを要求する。

 今度は二人とも一瞬思案するだけで、すぐに返事が返ってきた。

 

「いいだろう。契約成立だ」

 

 おそらく先ほどの話し合いで、いくらの上乗せまでなら許容できるか、ということまで話していたのだろう。スムーズな返答だった。

 

「口約束ほど信用できないものもない。紙に書き留めたいんだが」

 

「いいだろう。紙とペンはこちらが持っている」

 

 リーダー情報を売るという交渉を持ちかける予定だったなら、念書にして残すことは当然想定済みか。

 

「契約を反故にされないよう、ペナルティは重めに設定させてもらうぞ。契約を破れば相手方に200万ポイント。これでいいな」

 

 あまりに大きな額に、二人とも驚きを見せる。

 

「Dクラスのお前に、そんな額が出せるわけがないだろう」

 

「ああ。現状では不可能に近い。もし俺が破ったら、学校側も巻き込んで俺に相応の措置が取られるだろうな。逆に言えば、こちらに破る意思は全くないってことだ。この数字はその意思の表れだ、とでも思ってくれ」

 

「……まあいいだろう」

 

「紙は何枚持ってる?」

 

「1枚だが」

 

「ならそれを半分に切って2枚にして、まったく同じ文章の契約書を互いに持ち合おう」

 

「……なるほどな。分かった」

 

 契約書が1枚しかないのは非常に危険だ。それを所持している人間が破棄してしまえば口約束と何ら変わりない。

 そしてトラブルを防止するために、俺の書いた契約書はAクラス側に、Aクラス側が書いた契約書は俺に手渡された。

 こうすれば後でどちらかが契約書の内容を書き換えようとしても、筆跡が違うために露呈する。

 

「それから、この話は葛城にも伝えることも盛り込ませてもらいたい」

 

「……なんだと?」

 

 再び出てきた葛城の名前に不快感を示す二人。

 

「単純な話だ。お前たちの心情はともかく、この試験でAクラスを取りまとめているのは葛城なんだろ。そいつにも話を通しておいた方がいいと思っただけだ。それに、悪い話じゃないだろ。葛城派に、Dクラスのリーダー情報を手にしたという成果をアピールできる」

 

「……いいだろう」

 

 やはり、この文言を出せば呑むと思っていた。

 その後も、互いに認識の齟齬がないよう、文章のすり合わせを綿密に行っていく。

 例えば、リーダーの定義なんてその最たる例だ。クラスを引っ張っていくという意味でのリーダーではなく、スポット占有を行うリーダーであることを明確にするために、「リーダーとは、試験初日に受け取ったキーカードに名前が刻印されている者である」という文言を加えた。

 こうして、お互いに絶対に守らなければならない契約が完成した。

 

 

 

『Aクラス清水直樹、森重卓郎とDクラス速野知幸の間に結ばれた契約』

 

・8月4日、速野知幸(以下甲とする)は、清水直樹(以下乙とする)、森重卓郎(以下丙とする)に、Dクラスのリーダーの名前を教え、本用紙に記述する。ここでいうリーダーとは、試験初日に受け取ったキーカードに名前が刻印されている者である。

・甲は、Aクラス(以下丁とする)に自クラスの情報を流すスパイとして立ち振る舞う。

・乙、丙は、甲に対する報酬としてプライベートポイント60万を支払う。支払いに関しては、8月7日午後10時に船の屋上のデッキに集合とし、30分以上遅刻した場合は契約違反とみなす。

・船とは、高度育成高等学校1年生が無人島に上陸する際に使用した船である。

・乙、丙はこの契約を葛城康平(以下戊とする)に共有する義務を負う。

・契約成立後、甲、乙、丙、戊以外にこの契約の存在を他言してはならない。

・契約違反をした者は、相手側に違約金として200万プライベートポイントを支払い、この契約は無効とする。

・契約を無効にする場合、相手側に違約金として200万プライベートポイントを支払う。

 

 Dクラスのリーダー『堀北鈴音』

 

 



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無人島サバイバル 5日目

今回もかなり短めです……。


「ちょっと男子、集まってくれる?」

 

 試験5日目の早朝。

 やけに怒気を含んだ女子の声が耳に飛び込んできた。

 恐らく篠原のものと思われる声に反応した男子は1割ほど。他の男子は深い眠りについている様子だった。

 しかし女子の声はそれに続き、さっさと出てこいだの何だの、穏やかではない口調で男子テントに向かって叫んでいる。

 その騒々しさに耐えかねた俺は、テントの入り口のジッパーを開けて外の様子を見る。

 

 同時に、平田がテントの外に出て女子の話を聞きに行った。

 

「どうしたの?」

 

「あ、平田くん……悪いんだけど、男子全員起こしてきてもらえる?」

 

 平田に対しては口調が和らぐ篠原。しかしテント前の女子生徒は全員、こちらを強く睨んでいた。やはりかなり怒っている様子だ。

 ただ事ではない空気を感じ取った平田は、篠原の頼みに従って男子に呼びかける。

 

「ごめん、みんなちょっと起きてくれるかな」

 

 女子生徒の声で目が覚めていた者は、その呼びかけで体を起こし、立ち上がる。

 それでもまだ起きない生徒に関しては、体をゆすって無理やり起こした。

 もう一つの男子テントの方でも同様にし、男子全員が目を覚ましてテントの外に出た。

 

「それで、こんな早朝にどうしたんだい?」

 

「ごめんね、平田くんには関係ない話なんだけど……今朝、軽井沢さんの下着がなくなってたの。これ、どういうことか分かる?」

 

「え、下着が……?」

 

 平田も俺も、恐らく男子全員が衝撃を受ける。

 

「今、泣いてる軽井沢さんをテントで慰めてる……」

 

 一瞬視線を女子用テントに向けた篠原だが、すぐに男子たちに戻し、強く睨みつける。

 

「え、なに、俺たち疑われてんの!?」

 

「当たり前でしょ。どうせ、男子の誰かが夜中に荷物漁って盗んだんでしょ? 荷物はテントの外にまとめてあるから、誰にでもできたわけだしね!」

 

「いやいやいや、え!?」

 

 池は大慌てだ。

 確かに篠原の言う通り、テントのスペースを広く使うために荷物はテントの外に置いている。

 

「そういや池、お前遅くにトイレに行ったよな、結構長かったし……」

 

「いやいや、あれは暗かったから苦労しただけだって!」

 

「ほんとか?」

 

「マジだよ!」

 

 男子の中でもなすりつけ合いが始まる。

 

「とにかく、これ大問題だと思うんだけど? 下着泥棒がいるなかで一緒に生活とかありえないし!」

 

「だから平田くん……犯人、見つけてもらえないかな?」

 

 懇願するような女子の声。

 平田は困り顔だ。

 

「で、でも……男子が犯人だって証拠はないんじゃないかな。紛失しただけっていう可能性もあると思うし」

 

「そうだ! 俺らは犯人じゃねえ!」

 

 必死で無実を主張する男子一同。

 

「平田くんが犯人じゃないのは分かってるけどさ……取り敢えず、男子全員の荷物検査させて」

 

「は? 意味わかんねえし。断れよ平田」

 

 女子は一貫して男子が犯人であると疑っている。

 もちろんそれは自然なことだが、男子からすれば理不尽に疑いをかけられているに過ぎない。反抗する声が生まれるのも、また自然なことだ。

 

「取り敢えず、男子で集まって話してみるよ」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 俺は、この場で自分の意見を言うことにした。

 もちろん、こんな目立つ行為は苦手だしできればやりたくないが、この場ではそうした方がいいと判断した。

 

「何よ」

 

「荷物検査をするのには反対しない。でも、もし平田のバッグから出てきたらどうする?」

 

「は? 馬鹿じゃないの? そんなことあるわけないでしょ」

 

「決めつけるなよ。俺だって平田が犯人だなんて思ってない。仮定の話だ。いいから少し考えてみてくれ」

 

「そんなの、盗んだ誰かが平田くんのカバンに入れたに決まってるでしょ。……」

 

 自分のセリフに、はっとしたような表情になる篠原。

 

「そう、そういう可能性もあるんだよ。下着が誰かのカバンから出てきたとしても、そのカバンの持ち主と犯人が一致してるとは限らない。だから荷物検査をして誰かの鞄から出てきたとしても、犯人の特定はできない。それを理解してくれ」

 

「何よそれ。あんたが自分で盗んで、自分のバッグに入れたのを誤魔化すために言ってるだけなんじゃないの?」

 

「勿論、その可能性もあり得る。それも含めて、全員が平等に犯人の可能性があるってことだ」

 

 俺の主張が理にかなったものであることを証明したのは篠原自身だ。それを否定すれば自己矛盾に陥る。そのため、篠原は俺に何も言い返せなくなってしまう。

 

「……とにかく、荷物検査はさせてもらうから」

 

「ああ。わかった」

 

 

 

 

 

 1

 

 荷物検査を終え、平田が俺に駆け寄ってきた。

 

「さっきはありがとう、速野くん。女子のみんなも、あれで少し冷静になれたと思う」

 

「あ、ああ……もし自分のカバンから出てきて、犯人にされたらたまったもんじゃないからな……」

 

 そうなった場合、当然俺は断固として無罪を主張するが、そんな状況になれば女子たちが聞く耳を持つとは思えない。むしろ主張すればするほど、犯人のレッテルを貼られてしまうだろう。あーもう想像するだけでも恐ろしい。こうやって冤罪が生み出されていくんだな……。

 

「それでも、助かった。……実は、綾小路くんが軽井沢さんの下着を持っていたんだ」

 

「……は?」

 

 突然、衝撃の事実を告げられる。

 

「でも綾小路くんが言うには、池くんの鞄から下着が見つかって、それを押し付けれてしまったらしい」

 

「そうなのか……」

 

 言われて、少し前の記憶を思い出す。

 なるほど、荷物検査の時にやけに池の周辺が騒がしかったのはそのせいか。

 でも……そうか。池のカバンから出てきたか。 

 

「下着はもう返したのか?」

 

「うん。僕から返しておいたよ。一応彼氏だからね。これは僕の役目だ」

 

「はは……まあそうだな。池のカバンから出てきたことは話したのか?」

 

「それは話してないよ。誰のカバンから出てきても犯人の特定ができない以上、話しても仕方がないと言ったら、何とか納得してくれた」

 

「……そうか」

 

「正直、君のアシストがなければ、僕は下着が見つかったことすらも隠していたと思う。だから君には感謝しているんだ。ありがとう」

 

「いや……さっきも言ったけど、俺は自分の身を守っただけだから……」

 

「それでもだよ。ただ、女子のみんなはまだ男子を強く疑ってる。大きな溝ができることは避けられないね……」

 

 悲しそうにつぶやく平田。

 クラスの平和を誰よりも願う平田だからこそ、こんなのは最も望まない展開だろう。

 

「……まあ、でもそれはもう仕方がないな」

 

 おそらく、それが犯人の狙いだったんだろうし。

 下着泥棒をやらかす人間の心情なんてわからないが、もしこの環境下で誰かのものを盗んだとして、俺ならこのうんざりするくらい広い森のどこかに隠す。カバンなど、自分の身の回りの物なんて真っ先に調べられるのがわかりきっているからだ。事実俺たちは荷物検査と身体検査を受けた。

 下着を抜き取ったことそのものを露呈させたくなければ、自分やほかの人間のカバンに隠すなんてことはせず、軽井沢のカバンに元通りに戻せばいい。

 つまりどんな場所であろうと、男子から下着が見つかった時点で、犯人の目的は下着そのものではなく、このDクラス内に亀裂を生むことだと推測が立つ。

 そしてそんな目的を持ちうる人物はただ一人。

 状況証拠のみで確証はないが……高い確率で、下着泥棒は伊吹だ。

 もちろん、犯人が男子の中にいる確率も、完全に捨てきることはできないけどな。

 

 

 

 

 

 2

 

 男子の中に犯人がいると確信する女子たちの要求によって、男女の生活区画を分割。また平田と綾小路、そして俺が女子用テントの場所を男子テントから遠ざけた。

 当初の予定では平田だけが協力する予定だったのだが、堀北の謎の推薦によって俺と綾小路も手伝わされることとなった。

 なんでも、平田一人では信用できないとかなんとか。

その時篠原や軽井沢からはむっつりスケベだの人畜無害だの言われたが、気にしていない。……気にしてないんだ。気にするな俺。クソが。

 作業を終えて一息ついたところで、日陰に突っ立っていた堀北を見かける。

 近くに伊吹がいることを確認しつつ、声をかける。

 

「何やってるんだこんなところで」

 

「見ての通りよ。何もしていないわ」

 

「……そうか。ならお前、テントで横になっといた方がいいんじゃないか」

 

 そんな俺のセリフに、ぎょっとしたような表情の堀北。

 

「……何を言ってるの」

 

「お前、船にいたときからずっと体調崩してるだろ」

 

 今まで黙っていたが、このタイミングで本人に直接告げた。

 船の中で堀北に遭遇した時に感じた違和感の原因はすべて、体調不良だ。

 白いビニール袋はおそらく、船内の医務室でもらってきた薬か何かだろう。

 そしてこの無人島試験中も、堀北はあまりにも行動をしていなさすぎる。今のように何もせず、ただ突っ立っていたり座り込んでいたりがほとんどだ。

 

「……気づいていたのね」

 

「俺で気づけるんだから、ほかにも気づいてる人いると思うけどな」

 

「どうかしらね。私を気にかけている人なんていないんじゃない?」

 

 まあな。いないとは言わないまでも少ないだろう。ただそれはこいつが入学から今までどんな学校生活を送ってきたか、その帰結だ。特に堀北の場合は望んで作り出した結果、という言い方もできる。

 

「……なんにせよ、横になっとけ。茶柱先生も言ってただろ。この腕時計は体温や脈拍が測れて、学校側はそれを管理してる。このまま悪化したら、強制的にリタイアなんてこともあり得るぞ。そうなればマイナス30ポイント。でも、寝るだけなら昼寝したって言い訳もたつ」

 

 我ながら思うが、こんなのリーダー情報をAクラスに流した裏切り者の言うことじゃないな……。

 

「……そうね、分かったわ」

 

 俺の主張にも一理あると考えたらしく、素直に従うようだ。

 病人への一応の配慮として、いけるところまで付き添う。

 男女の生活区画の境目に差し掛かったところで、急に堀北が立ち止まった。

 

「……どうした?」

 

「……あなたにも報告しておくわ」

 

「は? 何を」

 

 報告されるようなことがある覚えはないが……。

 

「あなた、テントを持ち上げた時に何か感じなかった?」

 

「テント? ああさっきの作業中のことか……さあ、3人で運んでもやっぱり重いなーとしか思ってなかったから……」

 

「テントを運ぶ直前、女子がテントの入り口を閉め切ったのは分かったわよね?」

 

「あ、ああ、なんか慌ただしかったな……」

 

 閉めるから近づかないで、中見ないで、など色々と強く言われた。

俺はただ単にこの件の反動で男子の視線に過敏になっているだけだと感じていたが、堀北の口ぶりからしてそれだけじゃなさそうだ。

 

「あの中には、軽井沢さんたちが勝手に購入したものがあるのよ。勿論、女子用テント両方にね」

 

「は? マジで?」

 

「ええ、私が見た時には全てが揃った後だった。綾小路くんにもこのことは言ったけれど、あなたたちの反応からして平田くんは男子には情報を共有していないようね。だから彼は信用ならないのよ」

 

 予定外の出費だ。堀北の話によれば、テント2つ分で8ポイント。もし平田が床の件を解決していなければ、恐らくフロアマットまで購入されていただろうとのこと。

 確かにこれは大問題だな。クラスのコンセンサスも取らずにポイントを使い込むとは。

 ただ平田も悪意があって隠したわけではないだろう。事実、軽井沢の下着が池のカバンから出てきたことも女子には話していない。混乱を避けるためのあえての黙秘。だが、堀北はそれが気にくわないらしい。

 

「物資の購入って、誰にでも申請できるんだな」

 

 確かに、マニュアルにはそこらへんのルールの記述は特になかったが……。

 

「ええ。大きな欠陥だわ」

 

 堀北はそう言うが、学校側としてはそれも試験の一環だと捉えているんじゃないだろうか。

 全員がクラスの一員としての自覚を持っていれば、こんな勝手な行動はしない。

 Dクラスの管理能力がなっていないことの証左だな。

 

「正直ちょっとむかつく気持ちがないわけじゃないが……もう使ったポイントは戻ってこないからな。取り敢えずお前は今は休め」

 

「分かってるわ。リタイアするわけには行かないもの」

 

 そう言い残し、堀北は女子用テントに戻っていった。

 リタイアしない決心は堅そうだな。安心した。

 軽井沢たちが勝手に購入した物資も、堀北の体調面ではプラスに働くだろう。

 



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無人島サバイバル 6日目・最終日・結果発表

「うわああああああ!!!」

 

「!!??」

 

 誰かの叫び声がテント内にこだまし、俺の意識を強制的に覚醒させる。

 

「……っせえな、起こすなよ綾小路……んん……ぐう」

 

「……」

 

 いまのは須藤の声か。

 そして今のセリフからすると、さっきの叫び声はまさか綾小路……? こいつこんな声も出せるのか。

 

「……」

 

 なんかもう、眠気吹っ飛んだわ。

 それはどうやら綾小路も同じらしく、2人して起き上がる。

 

「なんだよさっきの叫び声は。変な夢でも見たのか」

 

「夢だったらどれほどよかったか……」

 

「……?」

 

 なんだそれ。レモンか。

 

「あんまり思い出させないでくれ。鳥肌が……」

 

「……オーケー」

 

 ぶるっと体を震わせ、腕をさする綾小路。

 こんな綾小路は初めて見た。何かはわからないが、相当嫌なことがあったらしいな。ほじくり返さないでおいてやろう。

 テントの外に出ると、想像していたものとは違った景色が広がっていた。

 

「これは……」

 

「夜中、少し降ったみたいだな」

 

 隣で綾小路がそう呟く。

 テント付近には小さな水たまりが数か所できている。

 荷物と靴は外に出していたが、雨除けのカバーをしていたため無事だ。

 雨は今は止んでいて雨音もしていなかったため、テントの中では気づかなかった。

 止んではいても晴れてはおらず、むしろ空はかなり厚い雲に覆われている。6日目にして、いよいよお天道さんも機嫌を悪くしてきた。

 快晴の時よりも暑さはある程度緩和されるだろうが、湿度が高くなるせいで不快感は増すだろう。

 いや、実を言うと不快感は今もかなりある。

 

「……ちょっと体が気持ち悪いな」

 

「テントの中は蒸し暑いうえに、女子にシャワー室使用禁止を言い渡されたからな」

 

 綾小路の言う通り、変態がいるかもしれない男子にシャワー室は使わせられない、というよくわからん理屈で、男子は昨日シャワーを浴びられなかったのである。

 

「……川で水浴びしてくる」

 

「それがいい」

 

 水着に着替え、タオルを持って川へ。

 時間にすれば10分足らずの行水だったが、これだけでも全然違う。起床時の不快感はだいぶ軽減された。

 体を拭いて戻ると、綾小路は何かを必死に振り払うようにして何度も川の水で顔を洗っており、俺が戻ってきたことに気付くまでにかなりタイムラグがあった。

 いや、ほんとマジでお前の身に何が起こったの?

 

 

 

 

 

 1

 

 程なくして全員が起床。

 点呼とスポット更新という毎朝のルーティンを終え、平田の指示のもとそれぞれやるべきことに取りかかる。

 最優先事項は食糧の確保だ。今日の分を確保できれば、試験終了までポイント消費なしでしのぐことができるからな。

 平田は挙手制で参加者を募り、まとまった人数のグループに振り分けていく。

 最後まで挙手をしなかった俺が配属されたのは、綾小路、堀北、山内、佐倉、櫛田のチームだった。

 

「櫛田、このグループでよかったのか? いつも一緒に行動してる女子はどうしたんだ?」

 

「あー、えっと、うん。ちょっとね……」

 

 俺の問いかけに対して、少しばつが悪そうな反応を見せる櫛田。仲違いとは思えないし、男子には言えない、または言いにくい事情なんだろうか。

 だが、それでも不可解だ。

 俺たちは最後まで挙手をしなかったメンバーで組まれた余り物グループ。櫛田と仲のいい人物が固まっている班はほかにもあるはずなのに、そこに行っていない。

 

「堀北さんとは旅行中ほとんど話せてないから、おしゃべりしたいなーって」

 

 どうやらそんな理由らしい。

 お互い嫌い合っていながら、櫛田は堀北にグイグイ行く。この2人の関係はよく分からない。今のところより謎が多いのは櫛田の方の行動だが。

 俺は堀北に近づき、話しかける。

 

「体調はどうだ」

 

「……休みを取れたおかげで、幾分マシになったわ」

 

「……そうか」

 

 見る限り、まだ万全とは程遠いようだが……昨日より顔色がいいことは確かだ。

 

「軽井沢が勝手に購入した物資、皮肉にもお前の回復に寄与したんじゃないか」

 

「……否定はしないわ」

 

 不機嫌そうにそうつぶやく。

 確認は済んだので、俺は堀北のもとを離れる。

 

「伊吹、お前も一緒に来ないか?」

 

 出発の直前、綾小路は伊吹にそう声をかけた 。

 

「私……?」

 

「ああ。ぜひ手伝ってほしいんだ。嫌なら無理強いはできないが……」

 

「……Dクラスには助けられた恩もあるから、分かった。手伝う」

 

 こうして伊吹の加入も決定。

 山内は女子メンバーが増えたことに対してテンションが上がっているようだ。

 あれ、山内が佐倉のこと狙ってるってのは俺の勘違いだったのか……? と一瞬思ったが、どうやら別に勘違いというわけではなかったらしい。

 山内は機会があればしつこく佐倉に話しかけている。

 

「明日で試験も最後だしさ、頑張ろうぜ佐倉!」

 

「は、はい……」

 

 しかし山内の思いとは裏腹に、佐倉はどんどん距離を取っていく。

 山内……そんな目でそんな方向見るからだ。人に話しかけるときは胸じゃなくて顔を見なさいって教わらなかった?

 

「少し急いだ方が良さそうね。雨雲が近づいてるわ。予想より早く雨が降るかもしれない」

 

 空と腕時計を交互に見ながら、堀北がそうつぶやく。

 腕時計にはコンパスの機能も付いており、それをもとにすると雨雲は南西の方から来ているようだ。見た感じ動きも速く、且つかなり厚い。

堀北の言う通り、あまり悠長にしてはいられないだろう。

 

「ねえねえ速野くん」

 

 さて、食い物探すか、と意気込んでいると、櫛田に名前を呼ばれる。

 

「なんだ?」

 

「速野くんと綾小路くんって、堀北さんと仲いいよね。ずっと気になってたんだけど、どうやって仲良くなれたの?」

 

「いや、前も言ったが、仲良くはないぞ? そりゃ他の生徒と比べれば多少話す関係ではあるけど……そこらへんは綾小路に聞いた方がいいんじゃないか? 俺よりあいつの方が堀北と話すこと多いぞ。ほら、今も隣歩いてるし」

 

「確かに。うーん……」

 

 そう答えると、再び考える仕草を見せる櫛田。

まあ、クラスメイト、どころかこの学校の全生徒と仲良くなろうとしている櫛田のことだ。俺たちとは話して自分とはろくに話もしてくれないことが気になるんだろう。

 綾小路と堀北はただの協力関係だ。櫛田もその中には入れているのだから、立場的に言えば綾小路も櫛田も堀北とは同程度の関係だと言える。

 違いがあるとすれば、堀北が櫛田を嫌っていて、櫛田も堀北を嫌っていること。恐らく一朝一夕でどうにかなる問題でもないんだろうと思う。

 

「あっ」

 

「どうしたんだよ櫛田ちゃん?」

 

 櫛田の突然の声に、山内が反応する。

 

「私、見つけちゃったかも。速野くんと綾小路くん、それに堀北さんの共通点」

 

「え?」

 

 俺たち3人の共通点、と聞いてすぐに思い浮かぶのは、「僕らは友達が少ない」くらいだが、櫛田が言ってるのはそういうことではないだろう。

 

「なんだよそれ」

 

「3人の共通点はねー……全員、ほとんど笑顔を見せない!」

 

 思わぬ角度からの指摘だった。

 笑顔か……。

 

「……俺はまだ笑う方じゃないか?」

 

「あの二人に比べたらそうかも。でも、少ないでしょ?」

 

「……まあ、その点に自覚がないわけじゃないが。でも、それ俺たちが比較的話す関係になった理由になるか?」

 

「……確かに。うーん、結局わからずじまいだなー……」

 

 そう言ってしょんぼりして見せる櫛田。

 

「この辺りを重点的に探しましょう。絶対に2人以上で行動することだけは心がけて。良いわね」

 

 俺たちの会話は堀北に聞こえていなかったのか、聞こえていてスルーしたのか。どっちかはわからないが、堀北はよく通る声で全員に適切な指示を出した。

 それを皮切りに、それぞれ組を作っていく。櫛田は伊吹と。山内は佐倉と。堀北は綾小路と。

 俺は……あれ、俺は?

 

「速野くん、私たちと来てくれると嬉しいな。男の子の手も欲しいからさ」

 

 余りものグループの中でもさらに余ったという事実に軽く涙がちょちょぎれそうになっていたところに、櫛田からありがたい申し出があった。

 

「分かった、そうさせてもらう」

 

 一言断りを入れ、櫛田と伊吹に合流した。

 本格的に探索を始めてからも、櫛田は途切れることなく話題を振ってくる。伊吹も櫛田の会話量に驚き、少し目を逸らしながら時々話す。俺も話を振られたらそれに答えるという感じ。ほとんど櫛田一人でこの場の会話をコントロールしているが、櫛田の非常に高い会話能力によって、傍から見れば会話が弾む楽しげな作業現場に見えるだろう。

 やっぱり櫛田のコミュニケーション能力は凄い。改めて実感する。

 と、そんな時。

 

「あっ!」

 

 驚いたような、焦ったような綾小路の大きな声が聞こえて来た。

 すぐに振り向くと、目に映ったのは堀北が何かを上着のポケットに入れている場面だった。

 

「どうしたんだろう?」

 

「……」

 

「速野くん?」

 

「……あ、ん? なんだ?」

 

「いや、今の綾小路くん、どうしたんだろうって思って」

 

「……さあ、何か落としたんじゃないのか?」

 

 堀北は何故か激怒していて、綾小路を鬼の形相で睨みつけていた。それにたじろいだのか、綾小路はその場を離れ、佐倉と作業をしていた山内に声をかけていた。会話の内容は聞こえてこないが、山内は何か神妙な顔をしている。

 

「……」

 

「……速野くん?」

 

「え?……あ、ああ、悪い。集中する」

 

 櫛田の呼びかけで我に帰り、再び作業を続けた。

 しかし、そこから10分も経たないうちに事件は起こった。

 

「うはははは! 泥だらけだぜ堀北! いや、ドロ北だドロ北。あははは!!」

 

 そんな頭の悪そうな笑い声に反応して振り向くと、そこには泥にまみれて無言で立ち尽くす堀北と、その頭に泥を塗りたくっている山内の姿があった。

 その山内に、堀北にそれはそれは綺麗な一本背負いをくらわせる。

 

「がふえぇっ!!!!!」

 

「や、山内くん!?」

 

 こうなると、食料採集なんてやっている場合ではなくなる。

 泥まみれの堀北と、ぶん投げられた山内への対応に追われ、俺たちのグループは右往左往していた。

 そんな光景を眺めつつ、俺の頭を支配しているのは、一つの疑問。

 

 なぜ綾小路が、俺のやろうとしていたことをやっているのか。

 

「悪い櫛田、俺ちょっと」

 

「え、は、速野くん?」

 

 俺は櫛田に断りを入れ、その場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 2

 

「お、おい火事だ! トイレの裏でなんか燃えてるぞ!」

 

 午後5時ごろ。事件は突如として起こった。

 ただならぬ状況を察知し、俺も手に持っていたものをポケットにしまって現場に向かう。

 聞こえてきた通り、トイレの裏で炎が燃え盛っている。

 すでに火の手はかなり大きくなっている。このままだと大惨事になりかねない。いますぐに消火が必要だ。

 俺の近くにいた伊吹は、炎が上がるその光景を見て驚愕と混乱が混ざったような表情をしていた。

 

「何があったんだ!?」

 

 焦り交じりの声とともに平田も現場に駆けつけ、状況を理解して感嘆する。

 

「だ、誰がこんなことを……」

 

 握りしめた拳を震わせている平田。

 それは、怒り、焦り、その他あらゆる負の感情がないまぜになったような声だった。

 

「平田、取り敢えず消火だ。川や注文したペットボトルから水が欲しい」

 

「わ、分かった。みんな、お願いできるかな」

 

 平田もだいぶ切羽詰まっているようで、少し早口になっていた。

 常に冷静で温厚な平田が、こんな反応を示している。その事実から危機感をさらに膨らませたクラスメイトが、すぐに水をかけて消火活動を行う。

 

「これでとりあえず燃え広がる心配はないな……」

 

 水を運んで来てくれたうちの1人である綾小路がそう呟く。

 燃焼が収まったところで、ようやく現場の状況が詳しくつかめてきた。

 

「燃やされたのは……これはマニュアルね」

 

 燃え残った残骸の中に、僅かながらに見覚えのあるイラストが読み取れる。

 これはポイントで購入可能な物資の一部。堀北の言った通り間違いなくマニュアルだ。

 

「僕がちゃんと管理していれば……マニュアルは、鞄の中に保管してあったんだ。昼間だからって油断してしまった……」

 

 平田が自らを悔いるように歯噛みする。

 

「……最終日で良かったな。あと1日なら、別にマニュアルがなくても乗り切れる」

 

「……そうだね」

 

 そう声をかけるが、いまのこいつには少しの慰めにもなっていないだろう。

 そのうち、Dクラスのベースキャンプ内に怒号が飛び交う。

 

「もう無理。ここに下着泥棒の変態と放火魔がいるなんて、もう耐えらんない!」

 

「俺らじゃねえよ! いつまで疑ってんだよ!」

 

「み、みんな待って……」

 

「分かんないじゃない。もしかしたら下着泥棒を誤魔化すためにやったかもしれないでしょ?」

 

「んなことしねえよ!」

 

「みんな、お願いだ。落ち着いて話し合おう……」

 

 また先日のように、犯人の押し付け合いが始まる。

 雨が降り出した頃、俺はDクラスの騒ぎの様子を横目で見ながら、森の中に足を踏み入れた。

 

「どうしてなんだ……僕は、今まで何のために……これじゃ、あの時と……!」

 

 壊れたようにそうつぶやく平田に目を向けながら。

 

 

 

 

 

 3

 

 俺が森に入って、すでに1時間半は経過しただろうか。

 時刻は午後7時を少し回ったくらい。真夏の太平洋上ということもあって、まだ真っ暗というわけではなかったが、すでにかなり視界は狭まっている。懐中電灯は必須だ。

 俺は前方に、不自然に動く光と複数の人間の話し声を確認した。

 

「そろそろか……」

 

 そこに向かって、足を動かす速度を速める。

 そして、お互いがお互いを認識するのに苦労しないほどの距離に来たと判断した段階で、俺は声を発した。

 

「お、お前たち……なにやってるんだ、こんなところで……」

 

 俺の声がしっかり聞こえたのだろう。先ほど認識した不自然にうごめく光……つまり懐中電灯の光が2つ、俺に向かって照らされる。

 

「あ? 誰だてめえは」

 

「速野か……」

 

「速野? ……あぁ、鈴音の腰巾着その2じゃねえか」

 

「葛城……それに、龍園、伊吹も……っ! 伊吹お前、やっぱりスパイだったのか……」

 

 悔しさを滲みだすように呟くと、龍園が笑い出す。

 

「おめでてぇ連中だな。ま、今更気づいても手遅れってやつだ」

 

「手遅れ……? な、お、お前、それ……!」

 

 龍園の手に握られていたのは、堀北が持っていたキーカードだった。

 

「ほら、確認しろよ葛城」

 

 龍園はそれを葛城に手渡す。

 葛城はそれを確認し、龍園に戻す。

 伊吹に関しては、最初からあまり話についていけていない様子だった。

 俺はそれを無視し、目を落とす。

 ここ数分で、視界はさらに悪くなっている。

 持っていた懐中電灯を照らして足元を見ると、そこには傷だらけの堀北が横たわっていた。

 

「は? お、おい堀北!? しっかりしろ!」

 

 体をゆするが、反応はない。

 息はあるようだが、気を失ってる……。

 

「……他クラスへの暴力行為は即失格のはずだろ」

 

「……あぁ? 知らねえよ。伊吹が言うには、鈴音の方から手を出してきたらしいぜ。暴力をふるったのはどっちだろうなぁ?」

 

 この状況下で、どちらに非があるかを完ぺきに判断することはできない、か。

 

「……くそ。なら、キーカードはどうだ。明確な略奪行為だろ!」

 

「略奪だ? そりゃまた知らねえなあ」

 

 龍園はニヤつきながら自らの衣服でキーカードを丹念にふき取り、その後横たわる堀北の手に握らせた。

 

「そのキーカードから指紋でも出てくりゃ、話は別だがな」

 

 指紋はたった今龍園によりふき取られてしまった。そんなものが出てくるはずがない。

 

「くそが……どちらにせよ、この状態じゃ、どのみちリタイアさせるしかない、か……はは、葛城、クラスのリーダーがリタイアしたらどうなるかわからないから気をつけろ、なんてお前に言ったのに、まさかそのまま自分たちに当てはまってしまうとは思ってなかったよ」

 

「……リーダーのリタイア……」

 

 堀北の体ができるだけ雨に濡れないよう、着ていたジャージを堀北に重ね着させる。

 そんな俺を見ながら、葛城は何かに思い至ったようだ。

 

「……リーダーのリタイアによる入れ替えか!」

 

「あ?」

 

 全てを悟った葛城の大声に、龍園も何事かと振り向く。

 

「マニュアルにはこうあった。正当な理由なく、リーダーの変更はできない。逆に言えば、正当な理由があればリーダーの変更が可能だ……怪我や体調不良によるリーダーのリタイアはおそらく、正当な理由に当てはまる……!」

 

 葛城のそのセリフを受け、龍園の目が見開かれる。

 

「……クソがぁ!!」

 

 降りしきる雨の中、龍園の雄叫びがこだました。

 そのまま苛立ちをぶつけるように、横に生えている木を勢いよく蹴る。

 蹴られた木は大きく揺れ、木の葉についていた水滴がその衝撃で落ち、まるで一瞬、その空間だけ土砂降りの雨が降ったかのような光景が作り出された。

 何が何だかわからない。そんな表情をしている俺に、龍園が凄んでくる。

 

「誰だ……」

 

「は?」

 

「こんな計画考えやがったのはどいつだ」

 

「……」

 

 凄む龍園。しかし俺はそれにだんまりを決め込む。

 

「鈴音か? 平田か? 別の人間か? 言いやがれガリ勉野郎」

 

「……」

 

 それでも口を開かずにいると、突然、ノーモーションから龍園の右拳が俺の顔に向かって飛んでくる。

 

「っ……!」

 

 しかし、寸前のところでそれを止めた。

 

「痛い目を見たくなけりゃ、言え」

 

 俺の胸倉をつかみ、再度脅しをかける龍園。

 

「……やめといたほうがいいぞ、龍園。俺は倒れてる堀北を見つけてすぐに腕時計のボタンを押した。到着はまだみたいだが、いつ来るかは誰にもわからない。もし駆け付けたスタッフにお前の暴力行為を見られたら……」

 

 俺が言い終わる前に、龍園はつかんでいた俺の胸倉を乱暴に突き飛ばすようにして離した。

 その衝撃でバランスを崩し、こけそうになるのをすんでのところで堪える。

 

「……ずらかるぞ伊吹」

 

「ちょ、ちょっと龍園」

 

「待て龍園!」

 

 立ち去ろうとする龍園を葛城が呼び止める。

 

「言っとくが、契約は成立だぜ。俺がリーダー情報を流し、てめえがその両の目で見た、その瞬間にな」

 

 そう吐き捨てて、龍園は立ち去った。

 

「……くそっ」

 

 葛城は何も言い返せない。

 俺はその背中に、さらに話しかける。

 

「葛城。今回の試験では坂柳派に足を引っ張られてるのか」

 

「……答える義務はない」

 

「それはそうだが……藤野から聞いた。派閥間対立のせいでコミュニケーションがうまくいってないって」

 

「……」

 

「クラス内に、とんでもない裏切り者がいる可能性も否定しきれないな。例えば……俺のように、リーダーの情報を他クラスに流したりする……そういうやつがいないことを祈るよ」

 

「……余計なお世話だ」

 

 そのまま悔しそうに地面を踏みしめ、自らのベースキャンプへと戻っていった。

 後に残ったのは、俺と、意識のない堀北。

 時刻は7時20分。

 

「……さて」

 

 俺は持ってきたハンカチで、堀北の頭を拭く。

 気休め程度にしかならないけどな。

 ただ、雨が降っているとはいえ、今は真夏。今日は熱帯夜で夜でも気温は30度を越している。そのおかげでこれほど雨に降られても低体温症になっていないのが救いか。

 そして俺は、暗闇に向かって声を発する。

 

「……手伝ってくれ、綾小路」

 

 

 

 

 

 4

 

 森を抜けてDクラスのベースキャンプに戻り、点呼を受け終えた俺は、クラス全員にある報告をした。

 

「堀北さんがリタイア?」

 

「ああ。どうも、無人島に来る前から風邪をこじらせてたらしくてな。火事騒ぎの中で逃げ出した伊吹を追いかけてるうちに力尽きたみたいだ。自分で時計のボタンを押して、今は船で療養してる」

 

 そう言うと、クラス中から落胆の声が上がる。

 

「えー、これでマイナス30ポイントー?」

 

「占有できないからボーナスポイントも1点なくなっちゃうよね」

 

「マジでー? てかあの火事騒ぎ、やっぱり伊吹さんだったんじゃん」

 

「信じてたのに最悪―」

 

 堀北の心配より、獲得できるポイントが減ってしまったことへの心配の方が強そうだった。これも普段の行いの帰結か。

 そんな中、ベースキャンプから少し外れた場所では、綾小路がキーカードを伊吹に見られたことを平田に報告している。

 その衝撃的な報告に絶望する平田を見ながら、俺は再び森の中へ入っていった。

 

 

 

 

 

 5

 

 最終日。

 昨日とはうってかわっての快晴だ。

 昨日の雨水が太陽光により蒸発している。片付けは楽だが、まるで蒸し風呂にでも入っているかのような環境はかなり辛いものがある。

 各クラスの生徒たちはすでに片づけを終え、初日に真嶋先生から全体説明を受けた浜辺でくつろいでいる。

 

『試験はすでに終了しております。飲み物やお手洗いなどは休憩所をご利用ください。まだ船内に戻ることはできませんので、ご注意ください』

 

 そんなアナウンスが定期的に流されている。

 その時、平田が紙コップを二つ持ってこちらに駆け寄ってきた。

 

「お疲れ様速野くん」

 

「ああ……ありがとう」

 

 差し出された紙コップを一つもらう。

 昨日はいろいろあってかなり参っていたようだが、今は大丈夫そうだ。

 平田は最後の最後まで、クラスのために奔走している。

 

「お礼を言うのは僕の方だよ。この試験期間中、君には何度も救われたからね」

 

「救うなんて……俺はそんな殊勝なことは一切やってない。それをしたのは……」

 

「……そうだったね」

 

 再確認するように頷く平田。

 

「それにしても……本当にCクラスは誰もいないんだね」

 

「ああ……そうだな」

 

 浜辺には、森への入り口から見て右側からA、B、C、Dクラスの順に並んでいるが、俺たちの右隣にいるはずのCクラスの待機場所には、誰一人として生徒が確認できなかった。昨日まではいたはずの龍園もだ。

 

「じゃあ、また後で」

 

「ああ」

 

 そうして、平田はまた別のクラスメイトのところへ駆けていった。

 

「……すごいな」

 

 無意識のうちに、声が漏れ出ていた。

 試験中、誰よりもクラスのために行動し、悩み苦しんだのは間違いなく平田だ。試験が終了した今、肉体的にも精神的にも今すぐに休息を取りたいはずなのに、嫌な顔一つせずにクラスメイトをねぎらっている。

 俺にはとてもあんなことはできない。

 ……とはいえ、あまり見習いたいとは思わないが。

 と、突然浜辺にキィンという機械音が響き渡る。

 音のする方を向いた生徒たちは、真嶋先生が右手に拡声器を持っているのを見て瞬時に状況を理解し、姿勢を正した。

 そんな生徒たちを見て、真嶋先生は穏やかな声で言う。

 

『すでに試験は終了している。この時間は夏休みの一環のようなものだ。各々自由に過ごしてもらって構わない』

 

 そういわれても、生徒たちの緊張は全く解けない。

 先生が拡声器のスイッチを入れたということは、学年全体への発表事項……つまり、特別試験の結果発表のときが近いことを意味しているからだ。

 

『この1週間、我々は君たちの特別試験への取り組みを興味深く観察させてもらった。正面から挑む者も、工夫して挑む者もあったが、総じて素晴らしい試験結果だったと考えている』

 

 教師からの素直な誉め言葉に、生徒一同は安堵の表情を浮かべていた。

 

『ではこれより、簡潔にではあるが試験結果の発表を行いたいと思う。なお、結果の詳細に関する質問は一切受け付けない。自分たちで分析し、反省し、次の試験へと生かすことだ』

 

 さて、どうなったか。

 

『下の順位から発表していく。最下位は……Aクラス。170ポイント』

 

 最上位クラスであるAクラスは最下位。

 Aクラス側からはざわめきが起きている。

 葛城も驚いている様子だ。

 

「え、まって、最下位のAクラスが170ポイント……?」

 

「どういうこと? 私たちそれより高いの……?」

 

 高円寺や堀北のリタイアなどで多くのポイントを失ってしまっているはずのDクラスからも、疑問の声が沸き起こっている。

 

『続いてBクラス。207ポイント』

 

 Bクラスからは歓喜と同時に、困惑の声が聞こえてくる。

 207ポイントも取って、3位なのかと。

 だが、その認識には誤りがある。

 Bクラスは3位ではなく……2位だ。

 

『そして……1位、Dクラス。259ポイント』

 

「え……えぇ!? 俺たちが1位!?」

 

「よっしゃああああ!!!」

 

 歓喜に沸くDクラス。

 しかし、すぐに新たな疑問が噴出する。

 

「あれ、Cクラスはどうしたんだよ……?」

 

「そういや発表されてねえよな……」

 

 その疑問に答えるように、真嶋先生が口を開く。

 

『なお、発表がなかったCクラスは、他クラスに対する略奪行為が発覚したため、試験は失格、対象者のプライベートポイントをすべて剥奪する処分とした。以上で結果発表を終わる』

 

「Cクラスが失格って……」

 

「マジで?」

 

 そう、Cクラスは順位付けされる資格すらも失っていたのだ。

 

「ほ、堀北ぁ!!!!?????」

 

 突然、後ろの方で堀北の名を絶叫する声が聞こえてきた。

 それもそのはずだ。

 リタイアして船にいるはずの堀北が、自分たちの後ろに堂々と立っていたのだから。

 

「え、な、なんで……?」

 

「どういうこと!?」

 

 当然、Dクラスはパニックに陥る。

 そしてそれはAクラスも然りだった。

 

「どういうことだ葛城!」

 

「説明しろ!」

 

「お前ら落ち着けよ!」

 

 順当で予想通りの結果だったのはBクラスだけだろう。

 ほか2クラスが混乱を極める中、純粋に喜びを分かち合っていた。

 これじゃ、どっちが勝利クラスかわからないな。

 だがしかし、数字の上ではDクラスの完全勝利だ。

 波乱と混乱と歓喜、そして失格の特別試験は、これをもって幕を閉じた。

 

 

 



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真相

「やあDクラスの諸君、一週間の無人島生活はどうだったかな?」

 

 船のデッキに戻った俺たちは、ドリンクを片手に持った、それはそれは元気そうな高円寺に激励を受けた。

 

「てめえ高円寺! お前のせいで30ポイント失ったんだぞ!」

 

「落ち着きたまえよレッドヘアー君。私は体調を崩してしまったんだ。仕方がないだろう?」

 

「こんの……! んなツヤツヤした肌で何言ってやがる! サボった一週間でみっちり焼きやがって!」

 

「人聞きの悪い。これも療養のうちさ」

 

「くそったれ!!!」

 

 落ち着け、と言いたいところだが、まあ怒るのも無理はないというか当然だし、しばらくは好きに暴れてもバチは当たらないだろう。むしろそれで気が済むなら存分に荒ぶってもらって結構だ。

 

「あれ、堀北さんは?」

 

 少しして、堀北がいないことに気づいた生徒のひとりが言う。

 

「ああ、彼女は部屋に帰って休んでいるよ。この一週間、無理をしてしまったからね。かなり疲れが出てるはずだよ」

 

「ねえ、そういえばなんで堀北さんは最後島にいたの? リタイアしたんじゃなかったの?」

 

「だよね。速野くんは確かにリタイアしたって言ってたよね……」

 

 おっと、話の矛先が俺に向いてきた。

 

「いや、あの時は俺もリタイアしたもんだと……だからリタイアしてないと知ったときはたまげた。俺にもよくわからないんだよ」

 

「それについては僕から説明するよ」

 

 平田がそう言うと、注目が俺から平田に移る。

 助け舟を出してくれた、ってことだろうか。

 なら、それに甘えよう。

 平田は綾小路からことのあらましを聞いているだろう。それで上手くクラスの疑問を解消してくれるはずだ。

 嘘で塗り固められた説明ではあるだろうけど。

 

「……飯でも食いに行くか」

 

 俺も結構働いたんだ。もう腹が減って仕方がない。

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 場所は客船内のとあるカフェテリア。

 ここは船内でもあまり人通りが多くなく、聞かれたくない話をするのに適した場所だ。

 

「大丈夫か、堀北」

 

「大丈夫なわけがないでしょう。見事に風邪がぶり返したわ」

 

 にらみつけられるが、体調が万全でないせいかいつもより弱弱しい。

 

「でも、どうせリタイアするつもりはなかったんだろ、最初から」

 

「だからと言って、まさか野宿させられるとは思わなかったわ。……覚悟はできているのかしら」

 

 いったい何の覚悟をしろと……。

 

「いや、それは悪かったよ……でもできる限りのケアはしたろ」

 

「言い訳にすらなってないわよ」

 

「マジで悪かったって……」

 

 やはり滅茶苦茶怒っているようだ。

 

「洗いざらい、すべてを話してもらうわよ。誤魔化さずに言いなさい。この試験、一体何が起こったのか……」

 

 Dクラスの高得点、そしてCクラスの失格。堀北からすれば理解の及ばないことが多いだろう。

 

「ああ、お前をあんな形で巻き込んだ時点でそのつもりだ。ただその説明をするには俺だけじゃ足りない。もう少しで……ああ、来たな」

 

 その人物が到着し、俺の隣に腰かけた。

 

「綾小路くん……」

 

「今回の試験の全容を説明するには綾小路が不可欠なんだよ。というわけで、説明しろってさ」

 

 綾小路は状況を理解したようで、俺の言葉に頷いた。

 

「どういうこと? あなたたち二人は、協力して動いていたということ……?」

 

 突然の綾小路の出現に、訳が分からないといった様子の堀北。

 

「いや、初めは全く別々に動いていた。動き方はかなり似てたけどな」

 

「オレもこいつも、無人島に降り立ってすぐに洞窟のスポットに先回りしようと考えた」

 

「洞窟のスポットって、Aクラスが占有していた……そこに先回り? そんなことはできないはずよ。スポットの場所なんて森に入って探し回るしかないのだから……」

 

「いや、それは違う。お前は体調崩して船内にこもってたから見てないだろうが、無人島への入港直前、この船は島の周りを大きく一周した。アナウンスがあったの覚えてるか? 『意義ある景色が見られるから、デッキに出てみろ』って。葛城も気づいてたが、あれは洞窟のスポットに気付かせるための学校側からのヒントだったんだ。俺たちが気づいたのもその時だ」

 

「……じゃあ、あなたが遭難しかけたという話は」

 

「もちろん嘘だ。須藤たちが歩いているルートが洞窟へ向かうルートから外れる前に、3人から離れて洞窟に向かった。その後は普通にDクラスの待機場所に戻るつもりだったが、洞窟に向かう途中で偶然こいつと佐倉に出くわしたのはかなりビビったよ」

 

 俺もこいつもお互いを認識しあったが、佐倉もいた手前下手に接触はしなかった。

 

「そこで、オレたちはある光景を目にした。その時の話はしたよな?」

 

「ええ。キーカードを持った葛城くんが、戸塚くんと一緒に洞窟から出てきたのよね」

 

 いつの間に話してたのか……まあ、機会はいくらでもあったから不思議ではないが。

 

「ああ。そのあと洞窟を見たら、Aクラスによって占有されていた」

 

「つまり、Aクラスのリーダーは葛城くん?」

 

 早合点する堀北に、綾小路は首を振って否定した。

 

「いや、隣にいた戸塚だ。葛城は慎重で堅実な策をとる男だ。二人しかいない空間で占有したりはしないだろう。リーダーが絞り込まれてしまうからな。それに、誰の目があるかも分からない外でキーカードをさらす行為もだ。つまり欲に駆られて先走って占有した戸塚がリーダーで、葛城がカードを持ってでてきたのは、それを隠すためのカモフラージュだと考えるのが自然だ」

 

「ちょっと待って……あなたたちの話によれば、Aクラスはスポットの場所を絞り込めていたのよね。ならどうして全員で移動しなかったの? 大勢で動いていれば、リーダーを特定されることもなかったはず……」

 

 その点は堀北の言う通りだ。事実俺たちDクラスは、占有するとき大人数で堀北を囲って隠した上に、ダミーの生徒まで用意した。リーダーを絞り込ませないために。

 

「たぶん、原因はAクラスの内部事情だ」

 

「そこに何か問題があったということ?」

 

「ああ。Aクラスは今、葛城をリーダーとしたい派閥、坂柳という生徒をリーダーにしたい派閥に分かれて足を引っ張りあってるんだ。そのうえ、今回Aクラスの欠席者はその坂柳だった。だから表向き葛城に従うしかなかった坂柳派の生徒の不満は大きく、かなり不安定な状態だったんだろう。戸塚が成果を急いで先走ったのも、坂柳の派閥のことが頭にあったからだろうな」

 

「なるほどね……」

 

「その時点でオレはAクラスを一度眼中から外した。洞窟の周辺にはそれ以外にもスポットが点在していたが、それでいくら稼いでもリーダーを当てればすべて無効にできるからだ」

 

「一度、ということは、もう一度Aクラスに目を向けるきっかけが試験中にあったということ?」

 

「ああ。そのきっかけの発端が、伊吹の登場だ」

 

「伊吹さん……彼女はスパイだったのよね?」

 

「ああ。Dクラスのリーダーを探るためのな」

 

 伊吹はスパイとして十分な働きをしたと言っていいだろう。

 Dクラスに近づきすぎず、かといって離れすぎず。

 だが何より功を奏したのは、伊吹が頬に負っていた外傷だ。あれで、クラスで揉めて殴られた挙句追い出された、という話の説得力が格段に上がった。

 

「伊吹が最初に座り込んでいた地面には、掘り返された跡があってな。それに、木の枝にはハンカチも括り付けられていた。これはここに何かあって、その場所を忘れないようにするための目印だ。俺は二日目の夜中に調べに行ったんだ。そしたら、無線機が出てきた」

 

「無線機が……?」

 

「ああ。それをこんなところに隠す理由は一つしかない。俺はその時点で伊吹をスパイだと断定した」

 

「オレも伊吹を怪しんで、あいつのリュックを調べた。伊吹はデジカメを持ってたんだ」

 

「デジカメを……」

 

「ああ」

 

「俺もリュックは怪しいとにらんでいた。そのため無線機を探し当てた後に伊吹のリュックを調べ、俺もデジカメを発見したが……その時すでにデジカメは故障してた」

 

「オレが壊しておいたんだ」

 

 直接目にはしなかったが、これが単なる故障ではなく何者かによって壊されたということは何となく察しがついた。そしてその何者かというのが、恐らくは綾小路であることも。

 

「でも待って、なぜデジカメなの。リーダーの名前を知らせるなら、キーカードを見て無線機で伝えればいいだけじゃないかしら」

 

「その点は俺も疑問に思ったが、その時すぐには解けなかった。完全に解けたのは3日目だ」

 

「3日目……その日に何かきっかけがあったということかしら」

 

「ああ。その前に2日目の午前中、Cクラスの様子を3人で見に行っただろ」

 

「ええ。あなたは途中で離れたけれど……」

 

「その時俺は、浜辺の奥に保管されてた、Cクラスが購入した物資を調べてたんだ。そしたらバーベキューの材料、菓子ジュース類、遊び道具のほかに、俺たちが毎日食ってた保存食、それに釣竿が出てきた」

 

「何か不思議があるかしら」

 

「あるだろ。趣味で釣りをする生徒がいるかもしれないから釣竿はまだわかるとしても、保存食なんてその日のうちに全員リタイアする作戦をとるクラスが好き好んで購入するものじゃない」

 

「確かにそうね……」

 

「俺はそれを、他クラスに供与するためのものだと考えた。おそらくその時使っていたシャワー室や仮設トイレも一緒にな。そう踏んで俺は、仮設トイレに目印をつけるために、ある仕掛けをした」

 

「その仕掛けって……」

 

「『貸し出し用』と書かれたシールだ。うちが使ってたものにもついてただろ」

 

「ええ。それを剝がしたの?」

 

「いや、剥がしたら怪しまれすぎる。シールの向きを変えたんだ。貸し出し用の文字は横書きで、横に読めるようにシールが貼られてる。それを縦に貼りなおした。そしてそのシールが縦に貼られた仮設トイレは、3日目にAクラスのベースキャンプで見つけたよ」

 

 3日目の午前中、Bクラスのベースキャンプを経由してAクラスに向かったのはこれの確認のためだ。

 

「つまり、AとCは裏で手を組んでいたのね……」

 

「そうだ。まあ最初からある程度Aクラスだろうとは思っていた。BクラスにCクラスの生徒が伊吹と同じように匿われてたってのもそうだし、それ以前に一之瀬が龍園と手を組むとは思えなかったからな」

 

「なるほどね……」

 

「AクラスとCクラスの契約の内容は具体的には知らないが、恐らくCクラスは物資の供与とリーダー情報の提供を約束してたんだろう。そこで、伊吹がデジカメを持っていたのはAクラスがリーダー情報に関して確たる裏付けを欲しがったから、という答えにたどり着いた」

 

「でも、デジカメはオレによって壊されてしまった。だから伊吹はお前からキーカードを盗み出すなんてリスキーな行動に出ざるを得なかった」

 

「そう、そのあたりも不自然よ。私はキーカードを見られた。ならば当然Dクラスのリーダーは当てられるはず。なのになぜあんな高得点を……」

 

 それは堀北にとって最も大きな疑問の一つだろう。

 

「今まで似たような動きをしていたオレたちだったが、それの対処に関する方針が決定的に食い違っていたんだ。オレの方は初め、リーダーの入れ替えによって対処しようとした」

 

「リーダーの入れ替え……? 待って、そんなことはできないはずよ」

 

「本当にそうか? マニュアルにはこうあった。正当な理由なく、リーダーの変更はできない。裏を返せば、正当な理由を用意すればリーダーの変更が可能だ。それが、リーダーのリタイアだ」

 

 それを聞いた堀北は目を見開く。

 

「あなたたちはまさか……私が体調不良だということを知っていたうえで、リタイアする可能性の高い私を推すように櫛田さんに言ったの……?」

 

「いや、櫛田が堀北を推したのは全くの偶然だ。ただもし櫛田がそうしなかったとしても、何らかの形で堀北を推すつもりではあった」

 

 一応フォローしておくと、体調不良であることを抜きにしても、リーダーとして適格な人物は堀北だと考えていた。

 体調不良なら誰でもいいというわけじゃない。

 

「リーダーの入れ替えが可能なら、他クラスにリーダー情報が流れるのは弱みどころか武器になる。証拠付きならなおさらな。知ったクラスは100パーセントの自信を持てるから、リーダー当てに参加してお前の名前を書く。そして外す。そう考えた」

 

「じゃあ6日目、あの探索の場に伊吹さんを誘って参加させたのも、あの時カードを落としたのも、私が川へ行くよう誘導したのも、すべて伊吹さんにカードを盗ませるための作戦だったというの……?」

 

「そうだ」

 

 呆れて言葉も出ないといった様子の堀北。

 しかし、すぐに一つの疑問にぶつかる。

 

「……でも変よ。私はリタイアしていない。ならどうして……」

 

「それが、オレと速野の方針の食い違いによって生み出された結果なんだ」

 

「さっきから話に出ている速野くんの方針というのは、いったい何なの?」

 

「リーダー情報を敵に流したうえで、相手にリーダー入れ替えの可能性を悟らせ、リーダー当てに参加させない、というものだ」

 

「……可能性を悟らせる、って、いったいどうやって」

 

「まあそこらへんは誘導だな。そのための布石は打った」

 

 俺はポケットからある紙を取り出し、堀北に見せた。

 

 それは4日目の午後、俺がAクラスの生徒二人と交わした契約書だった。

 

「これ……あなた、裏でこんなことを……!」

 

 内容を読み、怒りに震える堀北。

 何の説明もないままこれが表に出れば、俺は大バッシングだろうな。本当の意味で終わりだ。現時点で何か始まってるわけではないが、その始まりすらも許されなくなる。

 

「最後まで聞いてくれ。言っただろ、これは布石だって。この契約の話が葛城に伝われば、疑念を持つはずなんだ。こんなに簡単に裏切るのは、この契約に何か裏があるからなんじゃないかとな」

 

 そしてその疑念の答えが明らかになったのが、葛城がDクラスのキーカードを確認しに来た現場だ。

 

「お前は気を失ってたから何も知らないだろうけどな」

 

「あの時にそんなことが……」

 

 堀北と伊吹がやりあったところもしっかりと見ていた。龍園と葛城が来るまでは身を潜め、タイミングを見計らっていたのだ。

 あれはかなり迫力のある戦闘だったなあ、なんて考える。

 

「葛城はその性格からしてリーダー当てに参加しなくなることは読めていた。だが龍園は未知数だったのと、葛城のように接触の機会を持てるかどうかは分からなかったから、堀北の名前をリーダーとして書く可能性を排除しきれなかった。それへの対処として、Cクラスを失格に追い込んだ」

 

「あの失格はあなたの仕業だったのね……」

 

 Cクラスの失格。その裏にある事実が明かされる。

 

「お前が山内に泥ぶっかけられた直後、俺はその場を抜け出して森に身を潜めつつ、伊吹の動向を追った。デジカメで録画し続けながら」

 

「デジカメ? ……あなた、勝手に購入したのね」

 

 誰にでも購入できることを知った直後、すぐに申請した。

 それまではどう平田に事情を説明して購入してもらうか考えていたが、その手間が省けたのは大きい。

 

「まあな……。いずれ俺も伊吹がカードを盗み出すよう誘導するつもりだった。綾小路がそのお膳立てをしたのにはかなり驚いたが……伊吹がお前のキーカードを盗み出す瞬間をデジカメでばっちり映し、その映像をすぐに学校側に提出した。有無を言わさぬ証拠だったからな。問答無用でCクラスの失格は決まったよ」

 

 こうすることによって、Cクラスの動きは完全に封じた。

 ちなみに、失格になったクラスのリーダーを当てても問題なく50ポイントが入ることは、もちろん事前に確認済みだった。

 

「Cクラスのリーダーが龍園であることは、Cクラスのベースキャンプに行ったときにすぐにわかった。伊吹と同じ型の無線機が置いてあったからな。Cクラスのほとんどがリタイアしても、島に潜伏しているのは間違いないと踏んでいた」

 

「龍園くんがリーダーを入れ替えることはなかったのかしら」

 

「入れ替えようにも入れ替えられなかったんだよ。龍園がリーダー入れ替えの可能性に気付いた時には、すでにCクラスは失格になってたんだ。映像をすぐに学校側に提出したのはこのためでもある」

 

「……話が読めてきたわ。あなたが私に浜辺付近に野宿させ、自分がいない間に島から船に戻った生徒がいなかったかを確認するように言ってきたのは、戸塚くんがリタイアしたか否かを確認させるためだったということね」

 

 ご明察。その通りだ。

 

「葛城くんはリーダー入れ替えを行わなかったのね……」

 

「ああ。さっきも言った通りだが、葛城は内部に不安要素を抱えてる。坂柳派の生徒が、葛城の勢いを落としたいがためにリーダー情報を他クラスに渡す、なんて暴挙に出ないとも限らない。もしそんな裏切り者がいたら、リーダー変更を行っても無駄だ。むしろリタイアのペナルティ30ポイントをどぶに捨てることにしかならない」

 

 慎重で堅実な葛城は常に最悪の事態を想定して行動している。それはつまり、最悪の事態を避けることにこだわっているということだ。

 ここでいう最悪な事態とは、リーダー変更を行って30ポイントを失い、そのうえで変更後のリーダーを当てられてしまうこと。

 裏切り者がいれば、たとえ変更してもリーダーを当てられることは避けられない。

 だが変更を行わなければ、少なくとも30ポイントは守られる。

 クラスのリーダー情報を他クラスに渡す裏切り者がいる可能性をほのめかせば、葛城ならこの選択肢を取るだろうと考えていた。

 ただし絶対というわけではなかったから、念のため堀北に戸塚がリタイアしないか見張らせていた。

 もちろん堀北が見張りをしたのは俺がいない間。体調を崩しているこいつにできる限り無理をさせないため、俺はDクラスのベースキャンプで点呼を終え、堀北がリタイアしたと偽の情報を流した直後、堀北のもとへ向かい見張りを変わった。

 俺が見張りをしている間は、堀北は休んでいた。その間も手で仰いだり汗を拭いたりなど、できる限りのケアはしたつもりだ。

 堀北をベースキャンプに戻さなかったのは、Dクラス全員に堀北がリタイアしたように装うためだ。

 AクラスがDクラスのベースキャンプに来て、本当に堀北がリタイアしたかどうかを探りに来る可能性があったからな。その相手を完璧に騙すためには、Dクラス全員が堀北がリタイアしたと「本当に」思い込む必要があるというわけだ。

 

「言葉にならないわ……」

 

 試験の全容を聞き、唖然とする堀北。

 

「ただ……心底気に入らない。あなたたち二人は私を散々利用していたということじゃない」

 

 ああ、その通りだ。

 

「その点については申し訳ないと思ってる。詫びを入れる手はずは整えてるよ」

 

「……何をしてくれるのかしら」

 

 俺は端末で時刻を確認する。

 10時5分前か。ちょうどいい。

 

「堀北。俺と一緒に屋上のデッキに来てくれ」

 

「……どういうこと?」

 

 俺の誘いを怪しむ堀北。

 だが来てもらわないと困る。

 

「いいから」

 

「……わかったわ」

 

 念押しが効いたようだ。それとも、ここまで来たら最後まで付き合あわされてやろう、という心理か。

 

「じゃあな綾小路」

 

「ああ」

 

 綾小路とはここでお別れだ。

 体調不良の堀北に合わせ、ゆっくりと屋上のデッキへ向かった。

 

 

 

 

 

 3

 

 デッキに到着する。

 そこにいたのは、俺と契約を交わしたAクラスの清水と森重の二人。

 俺からリーダー情報を得ていたにも拘わらず、期待していたポイントを得られなかったことに対する悔しさが、表情からにじみ出ていた。

 しかしその表情は、俺と一緒に来た堀北を見た瞬間に変わった。

 

「おい、なんでこの場に堀北がいるんだ?」

 

 当然、その点をついてくる。

 

「……いや、それは……」

 

 俺は口ごもる。

 

「お前……堀北にこの契約のことを知られたな?」

 

「……」

 

 俺は何も言わない。

 

「契約違反だ」

 

「……違う」

 

「違うだと? いいかよく見ろ。俺、森重、お前、葛城以外に知られてはいけないって条項がある。そしてここは支払いの場だ。支払いは契約の一部だ。たとえお前が堀北に何も伝えていなかったとしても、ここに堀北を連れてきた時点で、契約の内容をお前が露呈させたってことになるんだよ。これでもまだ否定するのか?」

 

「っ……そういう考え方もあるか」

 

「認めろ速野」

 

「そうだとして……どうすればいい。俺には200万の持ち合わせなんてないんだぞ」

 

「開き直るのか。だが簡単さ。お前自身が言ってたことだろ? 学校側を巻き込んでお前の処遇を決めてもらうんだよ。どんな対応が取られるか見ものだな。クラスポイントの没収なんてこともあり得るんじゃないか?」

 

 好機と見た二人は何事か相談し、そのうちの一人が駆け足でこの場を離れた。

 おそらく、教師を呼びに行ったんだろう。

 時間がない。

 俺は頭をフル回転させて、この状況をひっくり返すにはどうすればいいか、それを考える。

 教師がどんな質問をしてくるか。こいつらがどう反応するか。俺はどう発言すべきか。綿密にシミュレーションしていく。

 しかし無情にもタイムリミットが過ぎた。

 教師……よりにもよってAクラス担任の真嶋先生を引き連れて、森重がデッキに戻ってきた。

 真嶋先生がさっそく口を開く。

 

「話は聞いた。速野、契約違反を犯したという話は本当か?」

 

「……はい」

 

 正直にそう答えた。

 

「そうか。だが」

 

 そのセリフを遮って、俺は言う。

 

「森重が、今まさに契約違反を犯しました」

 

 俺のその言い分に、Aクラスの二人は驚きを見せる。

 しばらく呆気にとられていたが、俺への反論のために森重が口を開く。

 

「……は、何言ってんだよ。契約違反を犯したのはお前だろ、速野。堀北を支払いの現場に連れてきて、契約の内容の一部を露呈させた。これは十分違反に値するものだ。そして契約違反を犯せば契約は無効。つまり真嶋先生に話しても問題にはならないだろう」

 

「一つ勘違いしていることがあるが、堀北はこの契約の内容をすべて知ってる。この場で支払いがあることだけじゃなく、俺が何を売り、その見返りに何を受け取るかも全部」

 

「それはつまり、契約の内容全部を知られたってことじゃないか。お前が契約違反を犯したことがより明確になっただけだ」

 

「違う。堀北がこの契約を知っていたのは……最初からだ」

 

「……は? 最初から?」

 

 発言の意味が分からなかったようで、聞き返してくる森重。

 なら、解説してやろう。

 

「そもそもこの契約を結んで来いと俺に指示を出したのは、堀北なんだよ」

 

「……何?」

 

「う、嘘をつくなよ。この契約は俺たちとお前ですり合わせたもので……」

 

「確かにな。だが俺は、交渉の場でどうやって相手を誘導すればいいか、そう言った言葉選びも堀北からの指示のもと行っていた。もちろん、契約の具体的な内容はある程度幅を持たせて考えてたが、リーダーを教えて見返りに大量のポイントをもらう、というこの契約の根幹は堀北の考えだ」

 

 あの時のやり取りを思い返せば、確かに誘導されていた気がしてくるはずだ。

 

「……でも、関係ないだろそんなの。お前が俺たち以外の他人に契約を知られた事実は……っ!!!」

 

 言い終わる前に、清水の目が大きく見開かれ、その体が跳ねる。

 どうやら、気づいたみたいだな。

 

「契約書にちゃんと書かれてるはずだ。『契約成立後』、他言してはいけないって。つまり、成立前に契約の内容を把握していた場合はこれには違反しない」

 

「……」

 

「つまりさっきの時点ではこの契約は有効。その状態でお前たちは真嶋先生に契約のことを話した。つまり、契約成立後に外部の人間に契約のことを他言した違反者は、俺じゃなく森重だってことだ」

 

 盛大に仕組まれた罠。

 その存在に気付いた時には、すでに罠にかかった後だ。

 

「ま、待てよ! 堀北が考えた契約だって話が嘘かもしれないだろ! そもそも、この契約は俺たちから持ちかけたものだ! つまり、俺たちとお前が偶然出くわさなければなされなかったもののはずだ! それなのに、契約の内容を堀北が考えてたって……理屈が通らないだろ!」

 

 かなり狼狽しているが、発言の内容は一理ある。

 堀北が契約を考えていたなら、こちらから持ちかけるという形になるはず。

 俺とこの二人が出くわしたのも、契約を持ちかけられたのも偶然である以上、その点の不自然さはぬぐえない。

 だがそれも対策済みだ。

 

「確かに、俺とお前たちが出くわしたのは偶然だ。ただ、確率としてはゼロじゃないだろ」

 

「それは詭弁だろ!」

 

「いや違う。俺はその確率を上げるための努力をちゃんとした。この契約を結んだ日まで、俺は暇さえあればAクラスのベースキャンプ周辺をうろついてたんだ。Aクラスの誰かに出くわして、リーダー情報を流す契約を持ちかけられることを期待して。そのことは、俺の腕時計についていたGPSが証拠になるはずだ。調べてもらえればわかる」

 

 向こうが推測による状況証拠しか並べられないのに対し、こちらは物的証拠を積み上げていく。

 

「……結論は出たな」

 

 俺たちの様子を見て、真嶋先生が静かにつぶやく。

 

「ま、真嶋先生!」

 

「そろっている証拠を整理したうえで現状確定している事実は、森重、お前が俺にこの契約の内容を話したことだ。これは契約違反と言わざるを得ないだろう。お前には200万の支払い義務が生じ、契約によれば速野をスパイにすることが決まっているようだが、それも無効だ」

 

「そんな……」

 

 担任である真嶋先生から、無情な結論を突き付けられる二人。

 

「話は以上だ」

 

 そう言い残して、真嶋先生はこの場を去ろうとする。

 

「すみません、もう少し待っていただけませんか」

 

 俺はそれを呼び止めた。

 まだこの場を離れてもらうわけにはいかない。

 教師という、生徒に対して平等でなければならない立場とはいえ、担当するクラスの生徒の敗北を目の前にするのは辛いものがあるだろう。ましてやクラスの成績は自身の査定にも関わってくるというのだからなおさらだ。

 心なしか、真嶋先生の表情は険しい。

 一方、同様に絶望の表情を見せる、清水と森重の二人。

 

「……そういうことだ。200万ポイント、しっかり払ってもらうぞ」

 

 追い打ちをかけるようなセリフであることは自覚している。そのうえでそう語りかけた。

 

「……これも全部、計画通りっていうのか……」

 

「ああ。そこにいる堀北のな。言っておくが、さっき俺が話した内容に何一つ嘘はないぞ」

 

 あくまでも、すべて堀北の指示ということで片づける。

 

「……今手持ちは払う予定だった60万しかない。残りの支払いは延期にしてもらえないか」

 

 まあ、だろうな。

 Aクラスだろうと200万なんてそうそう用意できるもんじゃない。

 

「……らしいが、どうする堀北」

 

「……いいんじゃ、ないかしら」

 

 何かをかみ殺すようにして、堀北はそう言った。

 俺はそれに頷き、二人に向き直る。

 

「ただ一つ条件はつけさせてもらう。契約が無効になったから、他言無用の条件もなくなったわけだが……それを復活させてもらいたい。契約のこと、そして今日ここであったことは他言無用。それなら延期してもいい」

 

「……わかった」

 

 いま全額支払えない以上、この条件は呑むしかない。

 

「延期と言っても、期限は決めておきたい。どれくらい経てば全額用意できる?」

 

 なんだかんだと言っていつまでも支払われないのは望ましくない。

 

「……それは……正直、めどが立たない」

 

「Aクラスのポイントは1000以上あったよな。毎月7万ずつ返してくれれば、二人合わせて10か月で完済ってことになるが……」

 

「そ、それは……7万はさすがに」

 

「じゃあ……5万ならどうだ」

 

「それなら……大丈夫だ」

 

 二人合わせて月10万。完済まで1年と2か月か……。

 ただ、これからの特別試験ではプライベートポイントが関わってくるものもあるはず。

 とすれば。

 

「じゃあ、原則月5万で、月利1%ってことでいいか」

 

 こうすれば、二人が無暗に返済を先延ばしにすることもなくなるだろう。延ばせば延ばすほど負債が膨らんでいく。

 この利率なら利息制限法にも引っ掛かってないし、無効だと主張される心配もない。

 

「……それでいい」

 

 新たな契約が成立し、俺は清水と森重から真嶋先生に視線を移す。

「真嶋先生にはこの取引を見てもらいたかったんです。保証人になってほしかったので」

 

「……そういうことか。安心しろ。ここで交わされた取引が確かなものであることは、俺が保証しよう」

 

 口約束ではあるが、教師の言葉だ。信頼してもいいだろう。

 その後60万の譲渡はスムーズに行われ、清水と森重の二人は足早にこの場を去った。

 そのあとに続き、真嶋先生も立ち去る。

 それを見届け、デッキの手すりに持たれて立っている堀北に話しかける。

 

「この60万をお前に譲渡するから、それで手を」

 

 パン、と乾いた音が響いた。

 左頬にジーンという感触が残る。

 

「……」

 

「……どれだけ私のことを馬鹿にしたら気が済むのかしら。こんなもので私が納得するとでも?」

 

「……気に障ったなら謝るが」

 

「言っておくけれど、先に私の顔を札束で殴ろうとしたのはあなたよ。今のはその報いだと思いなさい」

 

 なんだこいつ結構上手いこと言うな、なんて思ってしまう。

 一つの問題は、いまの堀北の怒りは利用されたことではなく、その詫びをポイントで済ませようとしたことに対してのものだということだ。

 つまり償いどころか、怒りを増幅させてしまっただけ。どうすればいいのか分からなくなってしまった。

 

「……どうすればいいんだ」

 

「……もしあなたが本当に申し訳ないと思っているのなら、答えは一つよ」

 

「……なんだよ、その答えって」

 

「Aクラスに上がるのに協力しなさい。今回のように、積極的に。それで今回のことは不問にしてあげるわ」

 

 ……なるほど、そういう要求か。

 

「……今回のようにすればいいんだな」

 

「ええ」

 

「分かった。それで不問にするっていうなら、協力する」

 

「契約成立ね」

 

 これで、とりあえずひと段落、ってところか。

 そう思って一息ついた、次の瞬間。

 

「あ、堀北さんやっと見つけた!」

 

 そんな声が、大人数の足音とともに聞こえてきた。

 後ろを振り向くと、そこには笑顔を浮かべるDクラスの生徒たちがいた。

 突然のことに、堀北も困惑しているようだ。

 

「何……?」

 

「平田くんから全部聞いたの。堀北さんがAクラスとCクラスのリーダーを当てたって!」

 

「私たちのポイントが高かったの、そのおかげなんだよね!」

 

「Cクラスが失格になったのは、軽井沢さんの下着を盗んだ犯人が伊吹さんだって証拠を見つけたからなんでしょ?」

 

「い、一体何を言って……!?」

 

「謙遜する必要はないよ堀北さん。今回のDクラスの勝利は、間違いなく堀北さんによってもたらされたものだ」

 

「すご! 天才じゃん堀北さん!」

 

「リタイアしたふりして、AクラスとCクラスのリーダーを調べてたんでしょ!?」

 

「い、いや、そんなこと……っ!」

 

 一斉に質問攻めを受ける堀北。

 俺と綾小路の差し金であることを察してこちらを睨みつけてくるが、その視線は堀北に群がるクラスメイトによって遮られてしまった。

 

「……一件落着だな」

 

 騒ぎを横目に、俺はデッキから船の自室に戻った。

 

 

「……悪いな」

 

 ここにはいない堀北に謝罪の言葉を述べる。

 

 今回のようにしろ、と言われた以上、それには従う。だがその場合、俺はAクラスに上がるための動きをするつもりはない。

 堀北はこの点を勘違いしている。

 俺が今回こんな動きをしたのは、他クラスに勝つためじゃない。

 

 Dクラスが得るポイントを……俺に入るポイントを最大化するためだ。

 

 そもそもクラスの勝利を優先するなら、綾小路の策に介入したりはしない。あいつの作戦通り、堀北をリタイアさせ、AクラスとCクラスがDクラスのリーダー当てを間違えてくれる方が俺たちとの獲得ポイント差は大きくなる。

 だから俺にとって、他クラスに勝つことは二の次。

 俺にポイントが入りさえすれば、それでいい。

 



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第4巻
舞台は豪華客船


 言うまでもないことではあるが、この場所……豪華客船『スペランツァ』は楽園だった。

 船の上で用意できる娯楽施設、おおよそその全てがそろっている。

 しかもそれらを全てタダで使える。

 1週間、無人島の過酷な環境で溜まったものを解放するように、生徒たちは遊びまくっていた。

 まあ2日目の時点でリタイアしたCクラスの生徒を除いて、ではあるけどな。遊びまくっているのは同じだとしても、別にあのクラスには溜まるもんもなかっただろう。ポイントも溜まらなかったのは想定外だったんだろうけど。

 そんなことは今はいいんだ。

 とにかく、無人島の環境下で辛くなかった生徒がいないのと同様、この豪華客船上の環境ではしゃいでいない生徒もいないということ。

 落ち着き払っていて、一見感情の起伏がない生徒でも例外ではないはずだ。堀北も、恐らくは綾小路も。かくいう俺もだ。

 しかし、船に戻ってからしばらくの間はそういったお気楽な雰囲気ではなかった。

 それも当然と言えば当然だ。俺たちは無人島でバカンスを楽しむと言われて連れてこられ、ふたを開けてみればサバイバルをさせられるという騙し討ちのような形で特別試験を受けさせられた。船に戻ってもすぐには安心できない。学校側が何か仕掛けてくることがあるかもしれない、と考えるのは当たり前だ。

 しかし、船が無人島を発ってから今日で3日。何かが起こる気配はかけらもない。

 何も起こらないならそれが一番。生徒一同、それを心から望んでいる。

 何も起こらないでほしい、という生徒の期待は、3日という時間をかけ、何も起こらないだろう、という楽観的思考へと変わっていく。

 そして、何かが起こるかもしれない、という警戒心は時間をかけて解きほぐされていった。

 つまり、今この瞬間が一番警戒心の薄いタイミングということにもなるわけだが。

 この3日間という期間は、俺たちの気を緩めさせるために学校側が用意したインターバルではないか。

 ……まあ、そんなこといま考えても仕方がない。

 昼飯行くか。

 起きたのが10時頃のため朝飯は食べていない。結構空腹だ。

 がっつり行きたい。

 となると……中華だな。

 レストラン街は5階にある。部屋を出て階段へ。

 

「あれ、速野くん?」

 

 階段に足をかけたその時、後ろから声をかけられる。

 

「平田と……綾小路か」

 

 そういえば、2人はルームメイトだったな。

 そんな2人がこの時間に階段を登ろうとしてるってことは、今から一緒に飯でも食いに行くんだろう。

 

「何か用か」

 

「いや、実は君の端末に連絡を入れたんだけど、反応がないからちょっと心配してたんだ」

 

「え、マジ?」

 

 連絡を受けた覚えはないが……と考えていると、思い出した。

 

「ああ……悪い、電源入れてなかった」

 

 昨夜電池切れを起こしてから充電していたのだが、使うタイミングもなかったため、充電が完了してからもそのまま放置していた。

 

「そうだったんだね」

 

「悪いな、不注意だった。それで、何か俺に用事でもあったか」

 

「うん。一緒にご飯でもどうかなと思ってね。綾小路くんも入れて3人で」

 

「……俺も今から食べに出るところだったし、それは構わないが」

 

「本当かい? よかったよ。屋上のファストフードなんだけど、それでいいかな」

 

「ああ」

 

 中華の予定だったが……まあ、別に今じゃなきゃ食べられないってわけじゃない。この船で過ごす時間はあと5日ある。その間に食べるタイミングはいくらでもあるだろう。

 屋上は備え付けのプールがあるということもあり、かなりにぎやかな場所らしいと聞いている。そのため、俺のように遊び相手がいない奴にとっては近づきがたく、Aクラスの清水と森重との取引で使って以来一度も足を運んでいない。伝聞情報なのもそのためだ。

 3日ぶりに来た屋上だが、聞いていた通り……聞いていた情報から予想していた以上に騒々しかった。

 このような真昼間の時間帯にここに来るのは初めてだ。騒がしい騒がしいと話には聞いていても、実際に目にしてみると圧倒される。

 ジュースを片手に談笑する者。プールに入ってボールで遊んでいる者。レンタルできる水着で歩き回る大胆な者の姿も。

 彼ら全員の共通点は、非常に楽しそうな表情を浮かべているということだ。

 無人島生活での疲れなど、高校生にとっては1日2日あれば吹っ飛んでしまう。疲労感など微塵も感じさせず、今を全力で楽しんでいる感じだ。

 平田はそんなキラキラした空間を涼しい顔をして歩いているが、こういった場所に慣れていない俺と綾小路は先ほどから挙動不審である。

 いや、それにしても……本当にかなりの込み具合だ。

 

「これ席空いてるか……?」

 

「予想以上の混雑だね……あ、向こうのテーブルが空いたみたいだ」

 

 平田が指さした先のテーブル。そこに陣取っているグループは、空になった食器のトレイを持って今まさに立ち上がろうとしているところだった。

 

「あそこに座ろうか」

 

「そうだな」

 

 ほかのグループにとられないうちに、少し小走りでそこへ向かい席を確保する。

 

「ふう……運がよかったね」

 

「ああ。この炎天下で待ちぼうけは流石にな……」

 

 プールのそばとはいえ、今は夏真っ盛り。いや、プールが近くにあるからと言って必ずしも涼しくなるわけじゃない。プールの水の蒸発により発生した水蒸気が漂い、湿度が上がっている空間は、短時間であってもとても留まっていられるものじゃない。

 その点、パラソルで日陰を作ってくれるこの飲食テーブルをすぐに確保できたのは、その実かなり幸運なことだ。

 無人島で頑張ったからかなー、などとその幸運を噛み締めつつ、何を食おうかと置かれていたメニュー表を手に取った瞬間。

 

「……実は、二人に相談があるんだ」

 

 真剣な表情で、平田はそう切り出した。

 

「……相談?」

 

「うん。ごめんね、二人を呼んだのも、実はこの相談事を話したかったからなんだ……」

 

「……」

 

 なるほど。なんで急に俺と綾小路の組み合わせを……と薄々疑問に思ってはいたが、そういうことか。

 なら、相談内容に関してもある程度推測が立つ。

 

「もしかして、堀北のことについてか」

 

 言うと、はっとしたような表情になる平田。

 

「……よくわかったね」

 

「俺と綾小路の共通点といえば、クラスの中では堀北と話す方、って点くらいだからな」

 

 どうやって堀北と仲良くなったのか、なんて質問を受けることも1度や2度じゃない。ただ問題は、俺もこいつも別に堀北と仲が良いわけじゃないってことなんだが。

 

「そう、速野くんの言う通り、相談は堀北さんに関してのことなんだ。頼みたいことは一つ。君たち二人に、僕と彼女の橋渡し役になってもらいたいんだ」

 

「橋渡し役?」

 

「うん。今回の特別試験、僕たちDクラスは彼女の活躍で大きなポイントを得ることができた。きっとこれからも、堀北さんはDクラスにとって重要な存在になっていくと思う」

 

「ああ」

 

 もはや英雄だからな、堀北は。

 本人にそのつもりがなくても、Dクラスの面々は自然と堀北を頼りにするようになる。

 

「だから僕を含め、彼女とクラスのみんながもっと仲良くなる必要があると思うんだ。本当の意味で、全員が一致団結していけば、きっとAクラスだって夢じゃない」

 

 それはかなり楽観的な見方だとは思うが……少なくとも、堀北が輪に加われば、その分可能性が高まるのは確かだ。

 

「でもいきなり、というのはさすがに厳しいものがあるから、まずは君たちを介して、という形を取りたい」

 

「具体的にはどうするんだ。あいつは俺たちが橋渡ししたところでどうにかなるものでもないと思うけど」

 

 橋渡し、という言葉の意味を、単純に俺たちが意思の疎通の媒体になる、と仮定して考える。

 例えばあいつに意見があったとして、俺から平田に話しておく、と提案しても「必要ないわ」と言いそうだし、平田からの意見を伝えようとしてもやはり「必要ないわ」と言いそうだ。

 つまりあまり意味をなさない。

 しかし平田はその辺も想定していたらしく、自分の考えを述べる。

 

「僕の考えを二人に伝えるから、それを二人なりに解釈して、彼女に伝えてほしいんだ。その逆……彼女の考えを二人になりに解釈して僕に伝える、ということもお願いしたい。僕の存在は伏せてね」

 

 なるほどな……。

 平田の意見を伝える際には俺たちが平田に成り代わり、逆の時には堀北に成り代わる。平田に成り代わる時には、そのことは伏せて。こうすれば、堀北本人は全く自覚なしに、平田、ひいてはクラスの輪に加わっていることになる、ということか。

 まあ確かに、全部がうまくいけばそうなるだろうけど……。

 

「平田……悪いが、そういう話なら俺は降りてもいいか」

 

 誤魔化さずにきっぱりと断ると、平田は残念そうな表情になる。

 

「……理由を、聞いてもいいかな」

 

「単純にバレたときに怒られるのが怖い」

 

 こういう風に裏でこそこそやられるのを極度に嫌うからな、堀北は。そういう意味じゃ、特別試験での俺と綾小路のムーブはあいつの逆鱗に触れただろう。

その怒りがあれだけで収まったのは、単純に自分にも至らぬところがあったと自覚しているからということと、その自分の至らなさが帳消しになるほどの結果がついてきたからに過ぎない。

 

「堀北の協力がクラスに必要だってのには俺も同意見だが、そのやり方に加担するのは……ちょっとな」

 

 何より、平田らしくない。

 もちろん、堀北相手に正面から語り合っても進展はないであろうことを理解し、そのうえでの策なんだろうが、それにしても少し焦りを感じる。

 普段の平田なら、思いついても実行はしないやり方なんじゃないだろうか。

 俺の意見を述べるのであれば……いま必要なのは、そういった強引なやり方じゃなく、仲間を持つことの重要性を堀北に強く自覚させることだろう。

 

「……そっか」

 

「悪いな」

 

「謝ることじゃないよ。ごめんね、いきなりこんな話を持ちかけて」

 

「いや、他に協力できることがあればまた言ってくれ」

 

「ありがとう、助かるよ」

 

「ああ。じゃあな」

 

 そう言って、俺は椅子から立ち上がる。

 

「え、ここで食べないの?」

 

「想像以上に人混みがきつくてな。ほかの場所行ってくる」

 

 平田は、少し早歩きで立ち去る俺を止めることもできず、その場に座っていることしかできなかった。

 ……いや、勘違いしてほしくないのは、飯だと言われてここに誘い出され、こんな話を持ちかけられたことに怒ってるわけじゃない。人混みがきついってのも本音だ。

 単純に、頼みを断って勝手に気まずさを感じてるだけだ。

 それ以外には……やっぱり中華が食べたくなったってのも、まあ、なくはないけどな。

 

 

 

 

 

 1

 

「ふう……うんまいな、どれもこれも」

 

 当初の予定の通り中華のレストランに足を踏み入れた俺は、炒飯と餃子と油淋鶏を注文。たった今完食したところだ。

 これだけ聞くとかなり重い料理を食べたように見える。実際ちょっと胃がもたれる感覚があるが、このレストランは本格的な中華を追求しているというより、日本人の舌に合うように作っているようで、名前から受けるインパクトほどは重くない。最後まで非常に美味しくいただけた。満足。平田には悪いが、ここにきて大正解だった。

 無料で使っているこの施設の費用を負担しているのはすべて国の税金。国の金で食う中華は最高だ。……このセリフ、世が世なら非国民として吊るし上げられそうだな。

 たぶんまた来る。その時は八宝菜と中華そばでも頼もうか。

 満腹により、気分上々で部屋へ戻る。

 ドアを開けると、ルームメイトのひとりがベッドで横になっていた。

 端末を手に持って操作しているようなので、寝ているわけではない様子だ。

 そのルームメイトとは、三宅明人。

 これまで特に交流はなかったが、すぐにはルームメイトが決まらなかった余り者組同士で組んだ結果、こういうことと相成った。

 同じ空間にいても、特に共有するような話題もない。実際、このバカンスが始まってから今まで、二言三言しか会話を交わしていない。

 居づらさがないことはないが、もう一つの余り者グループには高円寺がいる。それよりはよっぽどマシだ。そのグループに組み込まれた綾小路と幸村には黙とうを、自ら進んで引き受けた平田には称賛を。

 いっぱいになった腹を落ち着けるがてら、ベッドに腰かけながら今後の予定を考えようとしていたその時。

 突然、部屋の中にキーンという音が鳴り響いた。

 発信源の特定は容易だった。

 俺と三宅、それぞれの個別端末だ。

 

「……なあ、これって」

 

 俺の方を向いて問いかける三宅。

 

「……ああ。学校側が重要な連絡事項とかをメールで伝えるときの受信音だよな」

 

 以前茶柱先生から連絡事項として伝えられた。マナーモードでも、電源を切っていている状態でも、電池または通信回線が切れていない限りこの音は鳴るそうだ。

 今までこの機能が使われることなんてなかったんだが……俺と三宅の間に緊張が走る。

 それと同時に、船内アナウンスが流れる。

 

『ただいま、全生徒に一斉メールを送信しました。記載されている内容の指示に従ってください。受信できていない生徒は、近くのスタッフに申し出てください。重要事項ですので、確認漏れのないようお願いします。繰り返します……』

 

 言われるがまま、メールを確認する。

 

『間もなく特別試験が開始されます。各自以下の文章の指示に従い、行動してください。本日19時20分までに、202号室に集合してください。10分以上遅刻した場合、ペナルティを科す場合があります。所要時間は20分ほどですので、お手洗いなどを済ませ、端末はマナーモードか電源をオフにしてお越しください』

 

「特別試験……またか」

 

 三宅がうんざりしたように呟いた。

 やはり……このタイミングで仕掛けてきたか。

 無人島での特別試験は、クラスポイントのみに影響がある試験内容だった。

 堀北生徒会長の話によれば、特別試験にはプライベートポイントが大きく関わってくるものもあるとか。

 今回はどうか。クラスポイントか、プライベートポイントか、あるいはその両方か……。

 そう考えつつも、俺もうんざりした表情を浮かべる。

 

「厄介なものじゃないといいけどな……」

 

「せめて、船から降りるようなことはもうないことを祈る」

 

 記載内容からしてそれはなさそうだが……。

 気になる点といえば、19時20分という少し中途半端な時間指定だ。

 

「三宅、集合時間はいつだ」

 

「俺は19時からだが……全員そうじゃないのか?」

 

「いや、俺は19時20分だ。生徒によって指定時間が違うみたいだな」

 

「そうなのか……場所はどうなんだよ。俺は204号室なんだが」

 

「……こっちは202だ」

 

 指定時間だけでなく、場所も違うのか……。

 おそらく、俺たちに今回の特別試験の説明を行う場なんだろうが……だとしたら、なぜ一斉に説明を行わないのか。

 この違和感……残念ながら、厄介なものじゃないといい、という俺の希望は、早々に打ち砕かれたってことになりそうだ。

 そんな疑念を巡らせていると、再び端末にメールが届く。

 今度の差出人は学校ではなく、堀北だ。

 

『今、メールが届いた?』

 

『ああ。指定時間と場所は? どうも個々人で違ってるらしいんだが』

 

『私は19時20分、202号室よ。そっちは?』

 

 おっと……少し驚いた。

 

『全く同じだ。偶然か?』

 

『そのようね。綾小路くんは18時らしいわ。とりあえず、行ってみるしかないわね』

 

『そうだな。ペナルティは御免だ』

 

そう返信したきり、堀北からの返事は返ってこなかった。

 

 これはまた……面倒なことが始まりそうだ。

 

 

 

 

 

 2

 

 指定時間間近、2階のフロアは全クラスの生徒が入り交じり、かなりざわついていた。

 同じDクラスの生徒も何人か確認できたが、話しかけられることも話しかけることもない。ぼっちの悲しい運命だ。

 

「……っと、あと1分切ってるな」

 

 端末で時間を確認し、指示通りマナーモードにした後で202号室の前へ。

 ノックをしてから入室する。

 まず、正面には茶柱先生が座っていた。

 そして椅子が3つ並べられ、そのうち2つはクラスメイトによりすでに埋まっている。

 1つは堀北。これは事前のメールでのやり取りで予測済み。

もう一方に座っていたのは、菊池という男子生徒だ。

 必然、俺は空いている残りの1つの椅子に腰かけることになる。

 それと同時に、茶柱先生が口を開いた。

 

「全員揃ったようなので、これより試験の説明を始める。今回の特別試験では、1年生全員を13のグループに分け、そのグループ内で試験を行う。この試験はシンキング能力を問うものだ。この段階での質問は一切受け付けないので、まずはしっかり説明を聞くように」

 

 13とはまた不吉な数字だ。なぜ12で分けなかったのか。その方がキリがいい気がするが……など、いきなり数か所突っ込ませてほしいところが出てくるが、質問ダメ絶対というのなら仕方がない。まあ質問が認められていたところで「なんで12グループじゃないんですか?」と聞いても、まともに答えてはもらえないだろう。

「社会人に求められる基本的なスキルは、アクション、シンキング、チームワークの3つに大別される。無人島での試験はチームワークに比重が置かれた内容だったが、今回はシンキング。つまり考え抜く力が必要になる」

 

 そう説明する茶柱先生だが、内容も明らかになっていないのに外側から説明されても謎だらけだ。

 

「ここまでで何か質問はあるか?」

 

「どうして少人数での説明なのでしょうか? 試験の内容からクラス単位というのは無理でも、グループ単位で説明を受けた方が手間がかからないと思いますが」

 

 堀北が質問を飛ばす。

 1学年160人———欠席している坂柳という生徒を勘定に入れれば159人の生徒を13のグループに分けるなら、1グループあたりの人数は12人か13人だと予想される。少なくとも、こんなに少ない人数であることは考えられない。

 

「今回の試験では、各クラス3から4人を抽出してグループを作るためだ。事前に説明していなければ、混乱をきたす恐れがあるだろう」

 

「え、違うクラスとグループ組むんですか?」

 

 先生の言葉に、反射的に菊池が質問する。

 

「そうだ。それに関してはこれから説明する」

 グループと聞いて、俺たちは先入観からそのメンバーはクラスメイトだと思い込んでいた。

 しかし、そもそもそれが誤った認識だったのだ。

 他クラスの人間とグループを組まされる試験。想定の範囲外だ。

 

「まず、お前たち3人が同じグループになることは決定事項だ。そして、お前たちはグループI。ここにグループIの全員のリストがある。持ち出しと撮影は禁じるが、メモは取っても構わない」

 

 その言葉で、堀北は素早くメモ帳を取り出す。お前それ携帯してんのか……。ただ、ここではファインプレイだ。

 茶柱先生から、ハガキほどのサイズの紙を受け取る。

 

Aクラス…石田正弘 里中拓人 和田琴美

Bクラス…上林真美 佐藤ゆかり 葉山隼輝

Cクラス…小川勝 樫本耕太 三嶋加奈

Dクラス…速野知幸 堀北鈴音 菊池修

 

 各クラス3人ずつ、合計12名だ。

恐らく、12名グループが10個、13名グループが3個あるんだろう。これで計159名。バカンスに参加していないAクラスの坂柳1人を除いた1学年の総人数となる。

 書かれている名前は、各クラス毎に苗字の頭文字順か。ふりがなはふられておらず、1人読み方が分からんのがある。

 

「先生、Bクラスの葉山ってやつの名前、なんていうんですか?」

 

「それに関してはいずれ分かることだ」

 

「……そうですか」

 

 流されてしまったが、まあいずれ分かるならいいか……。

 

「試験期間は明日から、1日の完全自由日を挟んで3日間とする。その間、お前たちは1日に2回、午後1時と午後8時から1時間、指定された場所でグループ内でのディスカッションを行ってもらう。ただし、初顔合わせの際に自己紹介と連絡先交換が義務付けられている。この連絡先だが、電話番号とメールアドレスではなく、学校側からお前たちに個別端末を配布した際、初めからインストールされていたチャットアプリを使い、プロフィール設定の全てを記載しろ。そしてグループのメンバーの連絡先は試験終了のアナウンスが流れるまで削除することを認めていない。これらを守らなかった生徒にはペナルティを科す」

 

 自己紹介に関してはまだ納得できるが、連絡先交換の強制は理解に至らない。それもわざわざチャットアプリ、さらにはプロフィールの全入力まで指示してきた。

一体何の目的があってのことなのか。

 

「個人情報を開示しろ、ということですか?」

 

「そうだ。そのあたりの詳しいルールはこの紙に書かれている。そしてこの紙には、この試験の結果に関する重要事項も記載されている。この紙に関しても撮影、持ち出しを禁止する。メモを取るか、頭で理解して覚えろ」

 

「試験結果、ですか?」

 

 結果が記載されている、という文章にはかなり違和感がある。

 ディスカッションで何を話し合うかは知らないが、試験結果とはその時々の様々な状況に左右され、無限の可能性が考えられるのではないか。

 俺のそんな思考を見透かすように、茶柱先生は続ける。

 

「この特別試験の結果は、4通りしか存在しない。どのような方法を取っても、この4通りの結果になるように設計されている」

 

 茶柱先生から紙を受け取り、読み込んでいく。

 

 

 

 夏季グループ別特別試験説明

 本試験では、グループ毎に割り当てられた優待者を基点とした課題となる。定められた方法で学校に回答することで、4つの結果のうち必ず1つを得る。

 

・試験開始当日午前8時に、一斉メールを送信する。『優待者』に選出された者には、同時にその事実を伝達する。

・1日に2度、所定の場所においてグループ内で話し合いを行うこと。ただし、指定されたこと以外の話し合いの内容に関しては、全て生徒に委ねるものとする。

・試験最終日、午後9時半から午後10時までの間のみ、グループ内の優待者が誰であったかの回答を受け付ける。また、回答は1人1回までとする。回答は、自身の端末で学校側に送信することでのみ可能である。

・『優待者』には回答権が存在しない。

・自身が配属されたグループ以外への回答は全て無効とする。

・試験の最終結果については、試験終了当日の午後11時に全生徒へメールで伝達する。

 

 基本ルールはこんな感じ。そして禁止事項として、連絡先交換をした者への迷惑行為や、優待者に関する学校側からのメールを当人の承諾なしに強引に見ること、盗み見ること、最終ディスカッション終了後の一定時間、他クラスの生徒間で集まること、連絡を取り合うことなどが書かれている。破れば退学という厳罰だ。

 優待者という単語は新出だが、続きを読めばその意味は分かるだろう。

 そして、結果の一部が掲載されていた。

 

・結果1…優待者、及び優待者の所属するクラスと同じクラスのメンバーを除くグループ全員が回答時間内に回答し、全員が正解していた場合、グループ全員に50万ポイント、優待者は100万ポイントを得る。優待者の所属するクラスと同じクラスのメンバーも、同様のポイントを得る。

 

・結果2…優待者、及び優待者の所属するクラスと同じクラスのメンバーを除くグループ全員が回答時間内に回答した中で1人でも不正解がいた場合、または未回答者がいた場合、優待者のみ50万ポイントを得る。

 

 

 なるほど、結果が記載されているってのはこういう意味か。

 グループ内で導き出される結果が4通りになる、ってことね。

 見ると、報酬はプライベートポイントのみ。となるとこの試験は、プライベートポイントのみが関わってくる試験なのか……。

 ただ……そもそもこれは試験と言えるのか?

 まだ残り2つの結果が明かされていない段階だが、これだけではどのグループも結果1を目指すに決まっている。

 それにこの優待者は、言葉通りかなり優遇されている。選ばれた時点で50万ポイント以上を得ることが確定的だ。なんと羨ましい。

 

「残りの2つの結果はなんですか」

 

「まずはここまでのルールを理解できたか? そうでないと先に進めない」

 

「問題ありません」

 

「菊池、お前はどうだ」

 

「……な、なんとか大丈夫っす」

 

 ルールが記載された紙とにらめっこしながら、そう答える菊池。

 俺はこの菊池という生徒と接点を持ったことはないが、俺と堀北が孤独型ということもあってかなり居づらいだろう。さっきから体が縮こまっているのがわかる。ごめんね。

 

「この試験の肝は1つ、優待者を当てることだ。優待者は原則として各グループに1人存在する。例えば速野、お前が優待者に選ばれた場合、グループIの答えは『速野知幸』ということになる。グループ全員がそれを回答時間内にメールに記載して送信すれば、結果1が成立するということだ」

 

 原則として1人、か。

 

「そしてここからが、残り2つの結果の説明だ。優待者をより早く暴き出すことで、結果の3つ目と4つ目が現れる。紙をめくれ」

 

 指示を受け、3人とも裏面を見る。

 

 

・結果3…グループ内の何者かが、試験終了を待たずに回答し、正解していた場合、正解者には50万ポイント、正解者の所属クラスには50ポイントのクラスポイントを与え、優待者を当てられたクラスは50ポイントのペナルティを受ける。なお、この時点でグループ内の試験は終了とする。また、優待者と同じクラスに所属するメンバーの回答は無効とする。

 

・結果4…グループ内の何者かが、試験終了を待たずに回答し、不正解だった場合、回答者の所属するクラスは50クラスポイントのペナルティを受け、優待者には50万ポイント、優待者の所属するクラスには50クラスポイントを与える。なお、この時点でグループ内の試験は終了とする。また、優待者と同じクラスに所属するメンバーの回答は無効とする。

 

 

 ……なるほど、そういう仕組みか。

 裏切り者のルール。しかもクラスポイントにも関わってくる。となれば、優待者の情報をグループ内で共有するわけにもいかず、当然見破られてもいけない。この2つの結果の存在だけで、試験の様相はがらりと変わった。

 

「次に、匿名性について説明を行う。学校側は、優待者が誰であるか、そして結果2に至った場合の回答の正否、結果3または4に至った場合に回答者が誰であるかに関して、一切の発表を行わない。誰にいくら振り込まれたか、ということに関しても同様だ。希望すれば、ポイントを振り込んだ仮IDを発行し、後から受け取ることも可能だ。本人が明かさなければ、その情報が漏れることはない。試験結果は、それぞれのグループがどの結果に至ったか、そして最終的なクラスポイント、プライベートポイントの増減をクラス単位でのみ発表する」

 

 なるほど。まあ確かに、仮に優待者に選ばれたらそれだけで大量のポイントを得られる可能性が高くなる。変に目立ったりすることを嫌う佐倉のような生徒からすれば、非常にありがたい措置だろう。

 

「優待者に選ばれるか否かで、試験の難易度がかなり変わってきませんか」

 

「そうだ。その点は学校側も承知の上で、この試験を組んでいる」

 

「先生、先ほど優待者はグループ内に1人と聞きましたが、優待者に選ばれた生徒が所属するクラスが偏ってしまっては、公平性に欠けるのでないでしょうか。どれだけ調整しても、1クラスだけ優待者が4人いるクラスが出来てしまうと思うのですが」

 

 堀北がしっかりとその点を質問してくれた。茶柱先生は満足げにうなづいてから、答える。

 

「各クラスの優待者の割合をここで話すことはできない。ヒントにつながってしまうからな。だが、優待者の選定に関しては、公平を期して学校側が厳正に調整している。そしてこれはルールにも記載していることだが、優待者の希望や交換はいかなる理由があろうとも受け付けない。メールが送られてから試験終了まで、優待者か否かの各自の立場は絶対に変わることはない」

 

 つまり、無人島の時のようにリーダーを交換するような裏技は存在しないということ。

 この方面から崩していくのは不可能だな。正当な理由なく、という条件否定ではなく、いかなる理由でも不可能、と完全否定してきた。

 

「また、優待者がグループに1人だと言ったのはあくまで『原則』の話だ。つまり、優待者が1人だけでないグループが存在するということだ」

 

 その説明で、俺たちの頭には一気にハテナマークが大量生産された。

 茶柱先生の述べたフレーズに引っ掛かりを覚えた部分もあったが、今はそれより優待者が1人でないグループの説明を聞かなければならない。

 

「それについて今から説明する。まずは先ほどまでに配った紙を全てこちらに返却しろ。新たに紙を一枚配布する」

 

 紙を返し、新たに一枚受け取る。

 俺は受け取った紙に強い違和感があることに気付いたが……そんなことは一瞬意識から吹っ飛んでしまうほど、驚くべき記載があったた。

 

「そこにも書いてあることだが、口頭でも説明しておこう。お前たちが振り分けられる13のグループのうち、1つだけ性質の異なる『特殊グループ』が存在する。そのグループには計4人の優待者が存在し、そしてそこには3つの結果が存在する」

 

 

・結果1…特殊グループにおいて、自身のクラスの優待者以外の全てのクラスの優待者を全員が正解した場合、優待者は100万ポイント、グループのメンバーは50万ポイントを得る。

 

・結果2…特殊グループにおいて、1人でも不正解、または未回答者がいた場合、回答されなかった、或いは外された優待者のみが50万ポイントを得る。

 

・結果3…特殊グループにおいて、試験終了を待たずに回答した者がいた場合、その回答者は正解、不正解の数によってポイントを得る。例えば、優待者と思われる人物を2人回答して1人が正解だった場合、正解が1つで50万ポイント、不正解が1つでマイナス50万ポイント、合計で0ポイントとなり、この回答者のポイント変動は無し。1人回答してそれが正解だった場合、回答者は50万ポイントを得る。また、得るポイントが0未満の場合はポイント変動はないものとする。また、回答者のクラスのクラスポイントも、1人正解ごとに50ポイントのプラス、1人不正解ごとに50ポイントのマイナスを受けるものとし、クラスポイントに関してはマイナスの値も適用する。この結果で、回答者に回答されなかった、或いは外された優待者は50万ポイントを得る。逆に正解された優待者のクラスはマイナス50ポイントのペナルティを受ける。なお、複数の人物が同じ人物を回答した場合、報酬、およびペナルティは最も初めに回答した者が受けるものとし、最も初めに回答した者以外の回答は無効とする。このグループは他のグループと異なり、グループ内合計で優待者だと思う人間を3人分回答しない限り回答が行われたことは通知せず、試験は続行する。また、自クラスの優待者の名前を答えた回答は無効とする。

 

 

 そしてその横に注意事項として、「特殊グループ以外のグループの生徒が複数人の名前を書いて学校側にメールを送った場合、その回答は例外なく不正解として扱う」と書かれてあった。

 

「また、特殊グループがどのグループであるかに関しては、学校側は一切の説明を行わない。必要があれば自分たちで調べることだ」

 

「え、えっと……? つまりどゆこと?」

 

 菊池は複雑すぎるルールに戸惑っている。

 堀北の方はすでに理解したようだが、これは確かにかなり難解だ。菊池を責めるのは酷というものだろう。

 この特殊グループがどのグループかを見つけ出すこと自体は簡単だ。単純な話、クラス間で情報を交換して、優待者が他クラスと被ったグループ、それが特殊グループだ。

 だがそれはあまりにもリスクの高い手法だ。そうそうやりたがる生徒は出てこないだろう。

 つまり、優待者を見つけることはもちろん、特殊グループがどこであるかを特定することさえ、恐ろしく難易度が高い課題ということになる。

 

「これでこの特別試験の説明は全て終了だ。質問があれば受け付けよう」

 

 それを受け、堀北が挙手する。

 

「なんだ」

 

「この右下に小さく書かれているアルファベットに、何か意味はあるのでしょうか」

 

 やはり、堀北も気づいていたか。

 俺が覚えた違和感の原因もこれだ。

 堀北の言っていた通り、この用紙の右下に、注意していなければ気づけないほど小さく、Opというアルファベットが印刷されていた。

 

「ああ、それは印刷時に設定された紙の記号のようなもの。グループにアルファベットが付けられているのと同じようなものだ。まあ、お前がそれに意味を見出すのなら、確かに意味はあるのかもしれないな」

 

「……わかりました」

 

 堀北も感じただろう。茶柱先生の説明は、明らかに俺たちを煙に巻こうとしているものだった。

 この文字列に関するこれ以上の答えは望めない、か。堀北もそれを察してか、それ以上は追及しなかった。

 部屋を退室した直後、俺と堀北はルールに関して菊池から質問攻めにあった。

 

 

 

 

 

 3

 

 菊池にルールを理解させた後、俺は堀北と二人になった。

 これから説明を受けるであろう生徒達で騒がしかった廊下から離れ、今はしんとした場所にいる。

 周囲を見回した後、堀北が口を開く。

 

「あなたはどう思う? この試験」

 

 恐らく、これを聞くためにわざわざ移動したのだろう。

こちらの考えを他クラスに聞かせる必要はない。だから口を開く直前に誰もいないことを確認した。

 

「どう思うか、と言われれば、かなり複雑で面倒な試験だとしか……」

 

 結果3、4の裏切り者のルールまではまだいい。

 厄介なのは特殊グループに関する決まりだ。これでだいぶかき回されてしまった。

 課題は大きく分けて2つ。

 最優先事項は優待者の特定。その上で特殊グループがどこかを発見できればなおのこといい。だが、他のクラスとの情報交換が実現しなければ発見はほぼ不可能だ。

 だが、学校側はノーヒントで課題をこなせと言っているわけではない。先ほどの説明の時にも、あちらこちらに手がかりが隠されていた。

 

「連絡先の交換義務というのも気に入らないわね。試験中に必要になるのかしら」

 

「超個人的な意見だな……」

 

 堀北は1人を好む性質上、むやみに連絡先の交換はしたくないんだろう。俺と交換したのだって、元々は業務連絡用みたいなもんだしな。……いや、今もか。

 無人島試験を経ても、このあたりの考え方の変化はまだ堀北には訪れていないようだ。

 

「確か、プロフィールも絶対に書かないといけないんだったな」

 

 俺も茶柱先生の説明内容を思い出しながら言う。

 

「もう1つ気になるのは、あの右下のアルファベットね……茶柱先生はああ言っていたけれど、あの答え方は何かを誤魔化そうとしていた。何らかの意図があることは間違いないはずよ」

 

「だろうな」

 

「ほかのグループにも同じものがあったか気になって、綾小路くんにも聞いたわ。アルファベットの文字は大文字のAと小文字のqだったとのことよ」

 

「Aとq……」

 

 言われてすぐに思い浮かんだフレーズは、アンサーとクエスチョンの頭文字。だがその場合はふつうQ&Aと表記するはず。この直感は的外れだ。

 となるとおそらく、この2文字は何かの英単語の頭の2文字か……。

 そして綾小路の説明の時にもあったということは、恐らく残りのすべてのグループにも同様のアルファベットがあると考えて間違いなさそうだ。

 

「すべてのアルファベットを知るためには……平田と櫛田の協力が不可欠だろ、堀北」

 

 あの二人に協力を求めろ、と働きかける。

 

「……櫛田さんはともかく、平田くんと連絡を取る手段はあるの?」

 

「普通に連絡先持ってるからな」

 

「……意外ね。似合ってないわよ」

 

「失礼な……似合う似合わないの話じゃないだろこれは」

 

 連絡先を交換したからといって、俺と平田が友達同士になったわけではない。

 交換したのは、クラスが上に上がっていくための協力関係。コミュニケーションの効率化だ。必要なことだからやったに過ぎない。

 

「……協力の重要性、身に染みて分かったんじゃないか?」

 

 自分一人が気づいただけでは何の成果にもならない。クラス中の協力があって初めて意味を持つ、という現状。

 堀北は頑固だが優秀だ。しっかりと理解しただろう。

 

「……連絡は任せたわ」

 

 それだけ言い残して、堀北は立ち去った。

 

 



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ディスカッション

 その翌日の朝8時前。

 俺は平田たちの部屋に呼ばれていた。

 

「来てくれてありがとう、速野くん。その椅子に座って」

 

「ああ」

 

 言われるがまま、備え付けの背もたれがついた椅子に座る。

 俺たちの部屋と構造、宿泊人数が変わらないのに、より小綺麗な印象を受けるのは、ベッドのシーツや荷物の散らかり具合が俺たちより数段きっちりしているからだろう。

 部屋のメンバーである平田、幸村は自身が使うベッドに腰かけている。

 幸村とはほとんど関わったことはないが、特段仲が悪いというわけでもないし、楽しく語らう場でもない。それにこの場には平田という共通の知り合いがいるため気まずいこともなかった。

 高円寺の姿はないが、あえて言及する者はいない。

 まあ、あいつに関して考えなくて済むならそれが楽だからな……。

 ただ、高円寺だけじゃなく綾小路の姿もないのは少し驚いた。

 

「綾小路は?」

 

「1時間くらい前に部屋を出ていったきりだね。直接聞いてはいないけど、たぶん堀北さんと会ってるんじゃないかな」

 

「そうか」

 

 長時間ここにいないとすれば、堀北しかないか。

 俺を呼ばなかったのは、同じグループになったからだろう。いくらでも話す時間はあるからな。

 

「そろそろだね……」

 

 あと数十秒で午前8時。自分が優待者であるかどうかを知らせるメールが送られてくる。

 沈黙が流れる。

 そして午前8時。俺、平田、幸村の端末が同時にメールを受信した。

 

「来たな」

 

 すぐさまそのメールを開き、文章を確認する。

 

『厳正なる調整の結果、あなたは優待者に選ばれませんでした。グループのひとりとして自覚を持って行動し試験に挑んでください。本日午後1時より試験を開始いたします。本試験は本日より3日間行われます。グループIの方は2階のI室に集合してください』

 

「二人とも、どうだった?」

 

 優待者に選ばれたかどうか、平田が聞いてくる。

 幸村も俺も首を横に振った。

 その証拠として、端末を渡して平田に文面を確認させる。

 

「……」

 

 幸村も俺の行動に流されるようにして端末を平田に手渡した。

 メールを見せるのは抵抗があったみたいだが、俺が当たり前のように手渡したのを見て自分もやった方がいいと判断したんだろう。ここで渋っては、嘘をついているわけでもないのにいらぬ疑いがかかってしまう。

 

「ありがとう。僕も優待者じゃなかったよ」

 

 平田も、俺たちにメールの文面がわかるように端末をこちら側に見せる。

 俺がグループI、平田がグループK、幸村がグループLであるという違い以外、文面は全く同じだった。

 優待者に選ばれた人間には、恐らく『優待者に選ばれました』という記述があるんだろう。

 

「3人とも優待者じゃなかったか」

 

「残念がるべきではあるんだろうね。この試験、優待者に選ばれるか選ばれないかの違いで、試験の難易度は雲泥の差だから」

 

「そうだな」

 

 だからこそ、意味を持ってきそうなのがメールにあった「厳正なる調整」という文。

 昨日の説明の際も、優待者は「厳正に調整している」と茶柱先生は述べていた。優待者に関するキーワードとみて間違いない。

 

「この『厳正なる調整』の部分、少し気になるね。不自然な表現だと思わないかい?」

 

 平田も俺と同様の部分に着目していた。

 

「……確かにそうだな」

 

「言われてみれば」

 

 俺はあえて、いま初めてそのことに気が付いたように装う。

 

「つまり……優待者の選定はランダムじゃない、ってことかな」

 

「そういえば、昨日の説明の時に堀北が質問してたな。13グループで優待者が一人ずつだと、優待者の人数がクラス間で違って不公平じゃないか、って」

 

「でも、特殊グループには優待者が4人いるから、各クラス4人ずつで平等な振り分けが可能だろう」

 

「堀北がその質問をしたのは特殊グループに関する話が出る前だった。だからあんな質問の仕方になったんだろう。でもたとえ平等な振り分けが可能だとしても、もし優待者がランダムで選ばれる仕組みだったとしたら、不公平が生まれる可能性は排除できない。でも、厳正なる調整、って単語が出るってことは……」

 

「うん。優待者は各クラス4人ずつ、平等になるように調整されて振り分けられていると見ていいね」

 

 平田の言う通り、調整の意味をそのまま解釈すれば、不公平が出ないよう調整した、と受け取ることができる。

 優待者は12グループに1人ずつ、そして残りの1グループには4人、計16人。おそらく各クラスに4人ずつ優待者が振り分けられている。そして優待者が4人いるグループでは、各クラス1人ずつが振り分けられていると考えられる。

 

「各クラスから同じ人数の優待者が出るように調整して……あとはランダムで選んだのか?」

 

 どのグループにはどのクラスから優待者を出すか、さえ決めておけば、具体的に誰を優待者にするかはランダムに決めたとしてもクラス間の公平を保つことは可能だ。

 

「それはまだ分からないね。厳正なる調整によって優待者を選んだ。この言葉をどう解釈するかによるけど……もしかしたら、優待者にも何かの法則があるのかもしれない」

 

「な、なあ、それって、説明の時に見たアルファベットと何か関係あるんじゃないのか?」

 

 平田の話を聞いて、幸村がはっとしたような表情で言う。

 

「その可能性は大いにあると思う。あのアルファベットは、優待者を導き出すための学校側からのヒントかもしれない」

 

 その推測はおそらく的中している。

 あのアルファベットの意味を解けば、優待者がわかる。

 つまり、優待者は何らかの法則に則って決められている。

 ディスカッションによらず、試験をクリアする「裏技」とも呼ぶべきものをこの段階で見つけられたのは大きい。

 だが、他クラスを出し抜けたとは考えない方がいい。法則が存在することに気付くこと自体は難しすぎるほどのことじゃない。葛城や龍園は気づいているだろう。一之瀬はまだ実力のほどを測りかねているが……会話した感じや、流れてくる情報などでは頭の回転は速そうだった。気づいていると考えておくべきだ。

 

「そういえば、他のグループのアルファベット、分かったか」

 

「あ、うん。全部のグループとはいかなかったけどね」

 

「教えてくれるか」

 

「うん、もちろんだよ。元々気づいていた人と、君たちの後に説明を受けた人のグループを合わせて、新たに5つのグループのアルファベットがわかったよ」

 

 端末にメモしているようで、画面を見せてくる。

 

 グループAがAr。

 グループCがGe。

 グループDがCa。

 グループEがLe。

 グループJがSa。

 そして綾小路が気づいたグループLのAq。平田たちのグループKがCa。俺たちのグループIがOp。

 

「なんでCaが二つあるんだ……?」

 

 そう疑問を口にする幸村。

 

「グループDとKだね。僕も最初に見たときは少し驚いたんだ。でも、今のところとっかかりもつかめていないよ」

 

「見間違いとかじゃないのか?」

 

「それはないと思うよ。どっちもアルファベットの存在に堀北さんが気づいた後に確認してほしいって頼んだグループだから。全員Caだって言ってたしね」

 

 全員が意識してアルファベットを探してる状態で、その答えがグループ内全員で一致してるなら、間違えている可能性は限りなく低い。

 

「それから……学校側の手が加えられているのは、たぶん優待者だけじゃないと思う。これは僕が振り分けられたグループKのメンバーなんだけど……」

 

 平田はそう言って、端末のメモ機能を表示して俺たちに見せる。

 

 

Aクラス…葛城康平・西川亮子・藤野麗那・的場信二

Bクラス…安藤紗代・神崎隆二・津辺仁美

Cクラス…鈴木英俊・園田正志・龍園翔

Dクラス…櫛田桔梗・平田洋介・王美雨

 

 

「これは……」

 

 錚々たるメンツだ。俺が知っているだけでも、葛城に藤野、神崎、龍園、それに平田と櫛田。

 各クラスの中心に位置する生徒がずらりと並んでいる。

 まさに激戦区だ。明らかに学校側の手が加わっている。

 

「大丈夫かよ平田」

 

 心配した幸村が声をかける。まあ心配といっても、平田本人というよりDクラスが負けはしないかというニュアンスではありそうだが。

 

「不安はあるけど、全力でやるだけだよ」

 

 前向きな言葉が返ってきたのを見て、ひとまず幸村もうなずいた。

 学校側の作為で、優秀な人物が集められたであろうこのグループ。

 だが、そうだとするとおかしな点が見られる。

 

「このメンツなら、一之瀬や堀北が入っててもおかしくない気がするんだが……」

 

「うん、僕もそこは気になったんだ」

 

「ただそれを抜きにしても、このメンバーには学校側の作為を感じずにはいられないな……くそっ」

 

 なぜか少し悔しそうな表情になる幸村。

 自分がこの中に入っていないのが気に食わないのか。あるいは自身のグループのメンバーを思い浮かべて、そこに自分が振り分けられたことが納得いかないのか。

 幸村のグループのメンバーはわからないので何とも言えない。

 

「じゃあ、俺はそろそろ戻る」

 

 そこまで考えたところで、俺は椅子から立ち上がる。

 今この段階の話し合いでは、出せるものは出尽くした感がある。

 

「うん。また呼んでもいいかな?」

 

「構わない」

 

「ありがとう。じゃあ、試験頑張ろうね」

 

「ああ」

 

 グループごとに振り分けられての試験。

 今の俺の状況で、何ができ、そして何ができないか。

 とりあえず、この試験での俺の行動指針は決まった。

 まずは……あのアルファベットの意味を解き明かすことに全力を注ぐ。

 

 

 

 

 

 2

 

 試験開始時刻の午後1時が近づき、俺は指定されたI室に入った。

 中には、すでに堀北を含め8名が円状に並べられた椅子に腰かけていた。何人か雑談している生徒も見受けられる。

 堀北の両隣りの椅子はいずれも座るのを遠慮されたようで、空いている。

 無人島試験でDクラスを勝利に導いた立役者として注目を浴びているというのもあるし、堀北本人のこっちに来んなオーラを感じたからというのもあるだろう。

 俺は堀北の左隣の椅子に腰かけた。

 しかし、即座に睨まれてしまう。

 もしかしてこいつ、誰かが近づいてくるたびにこんな睨み効かせてるんじゃないだろうな……。

 

「……必ず誰かはお前の隣に座るんだ。それがたまたま俺だっただけだ」

 

「別に何も言ってないわ」

 

「……」

 

 この……いまの睨みは明らかに「なぜあなたが隣に来るのかしら。離れて」ってニュアンスだっただろうが。

 と、そんな突っ込みを入れつつ、俺は端末を操作する。

 直後、堀北の端末がブーッと震えた。

 理由は単純。俺が堀北に向けてチャットを送ったからだ。

 

『方針は決まったのか』

 

 俺からのチャットを受け取った堀北は一瞬俺に顔を向けたが、すぐに俺の意図を察してか、俺から顔を背ける。

 俺と堀北がやり取りをしていることを周りに悟らせないための行動だ。

 

『まだ分からないことだらけで、定まってないわ。自クラスに優待者がいるのか、他クラスにいるのか、それともこのグループが特殊グループで、すべてのクラスにいるのかさえ分からない。一応聞くけれど、あなたは優待者?』

 

 堀北からのチャットが通知なしに届く。音はもちろん、バイブレーションも切っておいた。

 

『いや、違う。証拠が欲しいならあとでメールを見せてもいい』

 

 先ほどはあった堀北の端末のバイブレーションも、今回はなかった。俺と同じように切ったんだろう。

 

『そう。一応信じておくわ』

 

 俺は堀北に優待者であるか否かを聞かなかった。

 優待者であることを自クラスの生徒に隠す理由は、試験後に報酬を得たことを知られたくないからだ。

 仮に堀北が優待者なら、そういった考え方はしないだろう。こいつはAクラスに上がることを目標にしているし、優待者の報酬を得たことを知られたところで気にも留めないはずだ。

 そして堀北が優待者であれば、俺の最初の「方針は定まったか」という質問には「定まった」と答えるだろう。

 これらの理由から、堀北が優待者に選ばれなかったであろうことは今のやり取りで確信できた。

 後から誰にも見られないよう、今のやり取りを端末から削除しておく。

 ……まあいずれにせよ、俺はこのディスカッションの場で何かを発言する気はない。

俺の方針はアルファベットの意味の解読……ひいては、高い確率で存在が予想される優待者の法則の看破だ。

 ディスカッションに関しては、全面的に堀北に一任することとしよう。

 ふと周りを見渡すと、いつの間にやら全員が揃い、用意されていた椅子も埋まっていた。

 同時に、船内アナウンスが入る。

 

『時間になりました。ディスカッションを開始してください』

 

 いよいよもって、特別試験が始まった。

 しかし室内はしんとしたままだ。

 どうやらこのグループIには、決定的な進行役というものがいないらしいな。

 Dクラスに限ってではあるが見てみると……俺も菊池もそういう柄じゃない。堀北は説明されることに対し積極的に質問したり反論したりはするが、自分から先頭になって進めていく、という場面は今まで見たことがない。

 果たしてどうしたものか……と思いつつも沈黙を決め込んでいると、俺のちょうど真向かいの椅子に座っている女子生徒が遠慮がちに口を開く。

 

「えっと……取り敢えず、自己紹介と連絡先の交換はした方がいいよね? 指示があったし……」

 

 それに呼応するように、隣の男子生徒も発言する。

 

「そうだな。そうしよう」

 

 しかし、それに反論するような声も上がる。

 

「連絡先の交換はともかく、自己紹介は要るのか? どうせ連絡先交換で知ることになるし、今の時点でもある程度お互いの顔と名前は把握してると思うんだけど」

 

 おっと、それはちょっと違うぞ。現に俺はあんたの顔も名前も、それどころかクラスすら知らないし。

 

「した方がいいんじゃない? 学校側からの指示は守っておいた方がいいと思う。ペナルティを受けるかもしれないし……」

 

「でも、できるだけ効率よく済ませるのには賛成だ。ディスカッションの時間が削られるのも癪だしな」

 

「それはそうだね。じゃあ、自己紹介の時に自分のチャットのIDも発表することにしようよ。そうすれば自己紹介と連絡先交換を一気にできるよね。それでいいかな里中くん?」

 

「……分かった」

 

 自己紹介に否定的だったこの男子生徒も、渋々といった感じで了承した。

 こいつ里中っていうのか。確かフルネームは里中拓斗。Aクラスの生徒だったな。

 その後、提案された通りに、一人ずつごく短い自己紹介とチャットのIDを発表した。ちなみに、読みがわからなかった葉山のファーストネーム「隼輝」は、「はやて」と読むことが分かった。

 義務付けられていたということもあり、さすがの堀北も自己紹介や連絡先交換を拒絶するなんて暴挙には出なかった。

 やることを全て終えてしまい、室内には再び沈黙が流れる。

 初めに提案を行ったBクラスの上林、そしてそれに乗っかった同じくBクラスの葉山、そしてCクラスの樫本と三嶋、それに俺たちと同じDクラスの菊池は、この沈黙に「大丈夫かな」といった一抹の不安を覚えている様子だ。何とかしたいが何もできない、といった心情が少し顔に出ている。

 ここで注目すべきはAクラス。3人ともこの沈黙に全く動じていない。何もするつもりがないようだ。中でも里中は、ポーカーフェイスというよりもむしろこの沈黙を歓迎しているようにすら映る。

 

「どう進めたらいいかな……?」

 

 最初に場を仕切るような格好になったことで、雰囲気に流されるように司会進行としての役割を追ってしまった上林。

 明確に誰に向けての質問、といったわけでもなさそうだったが、どちらかといえばクラスメイトの佐藤と葉山に相談を持ちかけた感じがあった。

 しかし、そんな上林に答えたのは、Aクラスの里中だった。

 

「進める必要はないんじゃないのか?」

 

「え、どういうこと?」

 

「つまりこういうことだ。この時間はディスカッションと名前が付けられてはいるけど、指定されたこの部屋にさえいれば基本的には何をしようと自由。裏を返せば、何もしないことだって選択肢の一つだろ?」

 

 その言葉に、室内が少しざわつく。

 何もしないってことはつまり、話し合いそのものを放棄するということか。

 

「でもそれじゃ、優待者はどうするの?」

 

「放っとくんだよ。普通に考えて、優待者なんて見つけられると思うのか?」

 

「そのためのディスカッションだよ。話し合いによって、もしかしたらボロを出してくれるかもしれない。それとも自分のクラスからボロが出るのが怖いの? 里中くん」

 

 話し合いが進むことによって困るのは、基本的には優待者とそのクラスの生徒だけ。この時点で話し合いを拒否する態度を見せれば、優待者を抱えているのではないかと疑われるのも自然なことだ。

 

 しかし里中はそれを見越していたように口を開く。

 

「Aクラスにそんなボロを出す奴はいないさ。この中に優待者がいてもいなくても。いや、関係ないと言ってもいいかな」

 

「関係ない……? ってどういうこと?」

 

 発言の真意が分からない、といった様子で聞き返す上林。

 里中はその答えとして、椅子から立ち上がり、高らかに宣言した。

 

「俺たちAクラスは、全グループの全生徒、最初から最後まで話し合いを拒絶するということだ。初めから一切口を開かなければボロが出ることもない、だろ?」

 

「ぜ、全グループ全生徒?」

 

「そうだ。もうAクラスは方針を固めたんだよ。これが葛城さんのやり方だ」

 

 なるほど……葛城の策か。

 葛城の名前が出た瞬間、不快な表情を示す石田を俺は見逃さなかった。おそらく坂柳派の人間だ。隣の和田という女子生徒は……普通だな。ただ葛城の策に納得がいっているかは分からない。

 石田だけでなく、すぐさまCクラスの小川が拒否反応を示す。

 

「正気の沙汰とは思えないぞそれ。試験を放棄してるのと一緒だ」

 

「人聞きが悪いな。これも戦い方の一つだよ。それに試験の放棄って、皆Cクラスにだ

けは言われたくないと思ってるんじゃないか?」

 

「……」

 

 言葉に詰まる小川。

 少し笑ってしまった。

 まあ確かに、Cクラスは無人島試験で2日目にして全員リタイアという、それこそ試験の放棄とも言うべき奇策を打ったからな。

 小川を黙らせた里中は、ここぞとばかりに言葉を続ける。

 

「それに最初に説明を受けただろ? この試験はどうあっても4つの結果のうちどれかになるって。どんな戦い方をしても、結果はついてくる。そう考えれば、一概に試験の放棄とも言えないんじゃないか?」

 

「それは……」

 

「まあ特殊グループはまた違った事情があるけど、いったんそれは度外視して考えよう。俺たちの策を実行すれば、結果はどうなる?」

 

 先ほど黙らせた小川の隣に座る樫本に問いかける。

 

「それは……優待者がわからないからすべて結果2、か」

 

「そう。そして結果2の報酬は優待者に50万プライベートポイント。結果1と並んで、一切のマイナスが存在しない結果だよ」

 

「……確かに」

 

「結果3でも4でも、マイナスが出ちゃうよね……」

 

 一切話し合いを持たない、という突拍子もない意見だが、里中の説明によって説得的な主張に思えてくる。

 風向きが変わったのを感じたのか、葉山が反論する。

 

「でも……優待者が誰かわからないってことは、どのクラスに何人いるかもわからないってことだろ。その状態で優待者の勝ち逃げを許したら、各クラスに入るプライベートポイントが違ってくるかもしれない」

 

 しかし里中は、それに薄い笑みを浮かべて答えた。

 

「今、言いながらも自分で気づいたんじゃないか? 試験の説明を聞いたらわかる通り、優待者はそれだけで優位な立ち位置だ。そんな生徒の分布をクラス間で統一しないなんて不公平、学校側が作るとは思えない。実際俺たちは、優待者は公平を期して選んでるって説明を受けた。だとしたら、優待者は各クラスで同じ人数……合計4人ずついるって考えるのが自然だ」

 

 言いながら、どころかディスカッションが始まる前から、葉山も優待者の各クラスの人数の平等性には気づいていただろう。

 しかし、何か反論しなければと思い、無理やり材料を持ってきた。その結果苦し紛れなものになってしまったのだ。

 

「少し待ってもらえるかしら」

 

 そういって突如待ったをかけたのは、この話し合いをずっと静観し続けていた女子生徒……堀北だった。

 

「堀北……」

 

 苦虫をかみつぶしたような顔になる里中。

 無人島試験では、Aクラスは堀北に一本取られてしまった形になっている。そんな堀北からの発言は気が気じゃないだろうな。

 

「優待者が各クラスに同じ人数だけいるという推測は、私も確度が高いと思うわ。けれど問題がないわけじゃない。結果2になってポイントが入ってくるのは優待者のみ。その点で不公平が生まれるとは思わない? あなたが優待者かそうでないかは現時点ではわからないけれど、仮に違うとしても、ポイントは欲しいはずよ」

 

「確かに欲しい。だからその点でも不公平が生まれないよう、クラス内で優待者が得たポイントを分け合えばいい。優待者が4人で50万ずつ得るから、各クラス40人で割ったとしても、分け前は1人5万ポイント。話し合いを行わずに時間を過ごすだけで、5万ポイントを得ることができるんだよ」

 

 堀北の疑問を利用し、自説の補強に使ってきた。上手いな。

 試験を放棄すれば安全に5万が入ってくる。これだけ聞くと魅力的な提案にも思える。その証拠にグループの半分ほどはAクラスの案に反対はしていない様子だ。

 しかし堀北の追及は続く。

 

「学校側は優待者の匿名性に気を使っているわ。つまり優待者はポイントを振り込まれたことを隠し通すことができる。クラスメイトが相手であってもね。そんな状況で、クラス内でポイントを分け合うために優待者は素直に名乗り出るかしら。黙秘して、ポイントを独り占めしようと考える可能性が高いわ」

 

「その点に関して、Aクラスには何の心配もない。完全な信頼関係があるからな。まあその他のクラスに関しては、俺たちの知ったことじゃないからそれぞれで解決してもらう必要はあるけどね」

 

「そう? Aクラスは確か、派閥争いでクラスが二分されていると聞いたけれど。本当に信頼関係なんてあるのかしら」

 

「どこから聞いたかは知らないけど、噂は噂だ」

 

 そう言われてしまえば、その点に関してはこちらもこれ以上は追及できない。まさか俺が「藤野も言ってた」なんて言うわけにもいかないし。

 

「……確かに、あなたの言う通りではあるわね。ポイント配分はクラス内の問題。むしろそこにAクラスが顔を突っ込んでくる方が道理に合わないことよ」

 

「ああ、そういうことだ」

 

「でも、Aクラスが完全な信頼関係で結ばれているという話は納得いかない。それはこの場にいる全員が思っていることのはずよ。さっきも言ったけれど、あなたたちのクラスは二分されている。信頼関係なんてないはず」

 

「だから、ただの噂だって」

 

「そう言い張るしかないでしょうね。けれどあなたたちはこう考えているはずよ。すべての試験を結果2で終わらせた後で、クラス内の優待者が名乗り出ようと出まいとどうでもいいと。違う?」

 

 堀北のそのセリフで、これまで余裕を醸していた里中の表情が一瞬強張った。

 しかしすぐに元に戻し、堀北に対し反論する。

 

「そんなことはないぞ。名乗り出なかったらクラス内で不公平が生まれる。それは避けたい」

 

「それは建前。なぜなら、Aクラスがこの提案をする目的は、プライベートポイントの公平な配分なんかじゃなく、この試験における全クラスのクラスポイント変動をゼロにすることだからよ」

 

 上林や葉山など、何人かの生徒は今の堀北のセリフで気がついたようだ。

 里中が……いや、Aクラスが仕掛けた罠に。

 

「結果2で終わることによって、各クラスは200万のプライベートポイントを得る。けれどそれと同時に、Aクラス以外の下位クラスは、Aクラスとのクラスポイントの差を詰める機会を一度棒に振ることになるのよ」

 

 下位クラスからすれば、とにかくポイントを増やしてAクラスに追いつき、追い越したい。

 逆に言えば、Aクラスはクラスポイントの差を今のままキープできれば最低限それでいい。

 そんな状況で、クラスポイントの変動をゼロにする案に乗ることは、Aクラスの逃げ切りをアシストすることに繋がってしまう。

 元々の明晰な頭脳に加え、Aクラスに上がりたい気持ちが人一倍強い堀北がその理屈に気付き、そして拒絶するのは当然のことといえる。

 

「彼の案に賛成していた人もいたようだけれど……今の話を聞いても、まだ賛成するのかしら?」

 

 そう問いかける堀北。

 

「……まんまとAクラスに乗せられるところだったぜ」

 

「危なかった」

 

 まあ、当然だな。Aクラスの勝ち逃げをそうそう容認はできない。

 里中の案に賛成しかけていた生徒も、それで意見を翻す。

 しかし、それでも問題が解消されたとは言えない。

 

「そうか。賛成してくれないのは残念だけど、俺たちの意見は変わらない。話し合いたいなら好きにすればいいさ。Aクラスがそれに加わることはあり得ないけどな」

 

 そう、Aクラスの策の有効性の一つは、このように賛成が得られずとも話し合いの拒絶自体は強引にできてしまう点だ。

 先ほど里中が言っていた通り、ディスカッションの時間に何をしようと自由だ。強引に拒絶するなら、それに対抗する手立てはない。

 

「……厄介ね、これは」

 

「でも、グループ全体が優待者を放置する流れになることは避けられたよ。ありがとう堀北さん」

 

 自分では止められなかったと、謝辞を述べる上林。

 

「これくらいは気づいて当然よ……それよりも対策を考えないと」

 

 そう言って思考を巡らす堀北に対し、無駄だと言わんばかりに笑顔を向ける里中。Aクラスの3人はそのまま椅子から立ち上がり、部屋の端へ移動した。

 話し合いへの参加拒否を目に見える形で実行して見せた。

 

「どうするんだ堀北」

 

 俺は困惑した顔を作ってそう尋ねた。

 それに堀北が答える前に、今度は俺の方が話しかけられる。

 

「速野、だよな。俺はむしろ、お前の意見を聞きたいんだが」

 

 葉山のそのセリフで、部屋中の注目が俺に集まる。

 やめて、視線で溶けちゃう。

 

「俺の意見?」

 

「私も。何しろ成績が圧倒的だもんね」

 

 佐藤もそれに乗っかってきた。

 こういう時、俺の答え方は一つだ。

 

「いや……こういうの苦手なんだよな。学校の勉強と違って明確な答えがない。今の議論にもついていくので精いっぱいだったし、意見を求められても……ってのが正直なところだ。こういうことは全部堀北任せだ」

 

 お手上げ、といった感じで答えた。

 

「それでもいいから、聞かせてほしいな」

 

 上林は意外にも食い下がってきた。

 いや……なるほどな。

 ここで俺が答えを拒絶すれば、それは話し合いを拒否したAクラスと同じ穴の貉。ならば俺は、多少強引に迫られても答えようとするはず。そこから何か手がかりをつかもうという腹か。いい戦略だ。

 

「そりゃ、希望を言えば、優待者を見つけたいとは思ってるよ。そうすれば結果1にも持っていけるかもしれないし……裏切れば、結果3で、俺にとっては一番いい形になるし。でも、現実問題として優待者を見つけるなんて相当難しいことだからな。自クラスにいるか他クラスにいるかも分からない。その点はさっき里中が言ってた通りだと思う」

 

 なんの面白みもない、極々当たり前のことを述べた。

 

「やっぱりそうだよね……ありがとう、聞かせてくれて」

 

「いや」

 

 形式的に謝辞を述べる上林だが、これで俺への元々の興味関心は極度に薄れたと判断していいだろう。

 そして新たに、これほどに単純な答えしか出せない生徒なら、話を振っていけば何かボロを出すかもしれない、といった方面での利用価値を見出した可能性もある。

 頻繁に話しかけられるようなことがあると、少し面倒だな。

 今この段階では俺との会話はここで切り上げるようで、じゃあね、と言って他の生徒に話しかけに行った。

 

「ふう……」

 

 俺の隣に座る菊池から、そんなため息が聞こえてきた。

 うんざりというより、何か安堵を含んだような……そんな感じだった。

 上林が離れていったことに対してか。

 

「……」

 

 まあどれだけ気になる点があっても、自分の洞察力によっぽどの自信がなければ、それだけで何かを確信するに至ることはできない。少なくとも俺には無理だ。

 その後、Aクラスに対する有効打もないまま話し合いは滞り、特別試験最初のディスカッションは終了した。

 

 

 



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最初の裏切り

 午後8時、特別試験二度目のディスカッション。

 

「試験に参加しろ里中」

 

「またその話か? 俺たちはちゃんと試験には参加してる。話し合いに参加しないだけだ。何かルールに触れることがあると思うなら、学校側に訴え出てみたらいいんじゃないか?」

 

「……くそっ」

 

 予想通り、先ほどと状況が変化することはなかった。

 いや、悪い方面に悪化したというべきか。このディスカッションでは、Aクラスの3人は初めから椅子に腰かけることすらせず、部屋の隅で端末を弄っていた。

 まあAクラスも戦略としてこのやり方を取っているわけで、それは時間でどうこうできる問題じゃない。

 初めのディスカッションが終わってから、推測でしかないがBクラスは何らかの形で独自の話し合いを持っただろう。しかし今のように呼び掛けるのみに留まっている。それは実質的に何もできていないのと変わらない。そしてそれこそが、Aクラスの手が有効であることの裏付けにもなっている。

 あくまでも現時点では、という話だが。

 そのまま何もないまま時間だけが経過し、5、6分ほどが経ったころだろうか。

 

「ちなみに、みんなはどの結果が1番いいって考えてるの? 私は結果1かなって」

 

 Bクラスの佐藤がそんな質問を全体に投げかける。

 

「俺もだな」

 

「私も。やっぱりポイントは欲しいよね」

 

 佐藤と並んで座っていた同じくBクラスの葉山、上林が席順通りにそれに続く。

 上林がその隣に座るCクラスの樫本に目配せして、答えを促す。

 

「まあ、そうだよな……」

 

「理想としてはそうなるよね」

 

「結果1だな」

 

 樫本に続き、三嶋、小川も答える。

 その隣に座る俺の番になる。

 

「……俺もそうだな。前にも答えたけど」

 

 流れに逆らわず、そう答えた。

 そして俺の隣の堀北の番を迎える。

 その堀北は、腕組みをしながらゆっくりと答えた。

 

「どうかしらね。結果1は確かに魅力的ではあるわ。でも私としては、クラスポイントの変動がある結果3、4が望ましい。無人島試験で差を詰めたとは言っても、私たちDクラスは他クラスと大きな差があるのよ」

 

 ここは流石、空気を読まない堀北。

 ここまで全員が結果1を持ち上げたにも拘わらず、堂々と結果3、4を主張した。中々できることじゃない。

 

「確かに、それも言えてるなあ……」

 

 堀北の隣に座る菊池は、若干堀北に乗っかるような形でそう答えた。

 

「……確かにそうだね。みんな答えてくれてありがとう」

 

 言い出しっぺの佐藤がそう謝辞を述べ、一連の流れはひとまず途切れた。

 今の一連の流れ、何の変哲もない一幕に見えて、恐らくBクラスの戦略だったと考えられる。

 流れはこうだ。

 タイミングを見計らって、Bクラスのひとりが、どの結果がいいかという質問を投げかけると同時に、自分は結果1がいいと言う。そしてすかさず隣に座るBクラスの生徒2人が、自分も結果1が望ましいと乗っかる。

 こうしていくと、椅子に座っていないAクラスの生徒を除くメンバー全員が、席順の通りに答える流れになる。尚且つ、3人続けて結果1がいいと答えたことで、それ以外の結果が望ましいと答えれば不自然に映る状況が完成される。

 グループの結果を結果1に持っていくためには、優待者を含めた全員が協力していく必要がある。しかし当然ではあるが、今の時点で優待者はその正体を隠している。そこで「結果1が望ましい」と答えれば、確かな嘘が生まれることになる。

 嘘をつけば、ただでさえ正体を隠している優待者には確実にプレッシャーが募っていく。

 そしてそれこそがBクラスの狙いなんだろう。この中にいるであろう優待者に嘘をつかせること。Bクラスの3人は、質問に答えていく人物を注意深く観察していた。様子がおかしい人物はいなかったかと。

 この戦略は、Bクラスの3人がまとまって座り、且つその中でも端に座る人物が最初に呼びかけを行わなければ有効性が一気に落ちる。

 恐らくは、このI室に早めに来て、3人がまとまった席を確保するところから計画のうちだったんだろう。

 しかし、それを壊したのが堀北だ。

 全員の答えに流されることなくDクラスにとっては結果3、4が望ましいと答えることで、あとに続く菊池がプレッシャーなく答えられるようにしたのだ。

 だからおそらく、先ほどの堀北は単に場の空気を読まなかっただけではないと考えられる。

 もちろん、菊池が優待者でなければ取り越し苦労ということにはなるが、それが不明である以上、賢明な処置といえるだろう。

 しかし、それでBクラスの攻撃を全てしのぎ切ったと判断するのは、いささか楽観的過ぎる考えだ。

 今のがすべて、Bクラスには優待者がいないと思わせるためのフェイクって可能性も十分にあるわけだからな。

 誰かに疑いをかければかけるほど、その疑いから導き出される結論とは全く逆の疑いもどんどん濃くなっていく。

 まだまだ手探りの状態は続きそうだ。

 

 

 

 

 

 1

 

 Bクラスが仕掛けてきて以降は特に目立った動きもなく、2度目のディスカッションも進展ゼロで終えた。

 現在時刻は日付が変わる10分前。

 本来ならもう寝ている時間だが、試験の経過の話し合いをするとのことで、俺は朝と同じく、平田たちが宿泊している部屋を訪れていた。

 

「また来てくれてありがとう、速野くん」

 

「いいよ別に。暇だったしな」

 

 そんな会話の隣では、上半身裸の高円寺が逆立ちのまま腕立て伏せをしている。

 何もかもが規格外だな……俺は逆立ちすらできないのに、その状態で腕立てまでやるのか。

 

「高円寺くんも参加してくれると嬉しいんだけどね」

 

「すまないね平田ボーイ。私は今、肉体美の追及中だ。邪魔しないでくれたまえよ」

 

 はっはっは、と笑いながら言う高円寺。すまないね、とは微塵も思ってないだろう。

 高円寺がDクラスの戦力になればこれほどすごいことはないと思うが、こいつが俺たちに協力するなんて地軸が180度変わってもあり得ない気がする。

 つまり気にするだけ無駄ということだ。

 平田も本気で高円寺が参加すると思って声をかけたわけじゃなさそうだしな。

 高円寺から目を切り、平田は居住まいを正した。

 

「実は……僕のところに3人、優待者が名乗り出てくれたんだ」

 

 突然の告白。かなりの重要事項だ。

 

「何? ……それは誰だ?」

 

 幸村がそれに食いつく。

 

「それは……言えないよ。信頼して教えてもらってるからね」

 

 その言葉に幸村が眉を顰める。

 

「俺たちが信用できないっていうのか。お前が知っている以上、俺たちにも知る権利はあるはずだ。それに優待者の情報を共有することで、何かわかるかもしれないだろ」

 

「……そうだね。僕も相談したいと思っていた」

 

 幸村の説得に折れた、という形で、平田はその情報を明かすようだ。

 だがおそらく平田は、最初から打ち明けるつもりだったんだろう。優待者が名乗り出たことを告げれば、それが誰かを聞かれることは簡単に想像できるはずだ。

 

「実は……」

 

「待ってくれ平田、一応携帯かなんかに打ち込んだほうがいい」

 

 平田が人物名を口に出す直前、俺はそれを引き止める。

 

「……そうだね。どこに耳があるか分からない」

 

 俺の意見に賛同し、平田は端末を取り出して文字を打ち始める。

 非常に慣れた手つきで素早く打っていく。

 打ち終わった平田が端末をこちらに向けてきた。

 

『グループKの櫛田さん、グループIの菊池くん、グループAの南くん』

 

「っ……なるほど」

 

 菊池が優待者だったのか……。ディスカッション中の挙動から少し疑ってはいたが、いざ実際に聞くと改めて驚いた。

 となると、堀北のあれはファインプレーだったってことになるな。

 そして、各クラスの中心が集まっているグループK、櫛田が優待者だったか……。これはいい展開だ。櫛田なら、ちょっとやそっとのことで悟られるなんてことはなさそうだ。

 

「平田、こいつらの連絡先持ってるか?」

 

 言いながら、平田の端末の画面に表示されている南の文字を指で示す。櫛田の連絡先はずいぶん前にもらったし、菊池のは同じグループなので持っている。

 一応のカモフラージュとして、知りたいのは南一人だが「こいつら」と複数形にしておいた。

 

「え? うん、持ってるけど……ただ、本人の許可なく連絡先を教えることはできないよ」

 

「いや、俺が知りたいのは連絡先じゃなくてプロフィールだ」

 

「……それなら、構わないけど」

 

 少し迷ったようだが、見せてくれた。

 俺はすぐにメモを取って南のプロフィールを記録する。

 ずっと変だと思ってはいたのだ。なぜわざわざプロフィールを全て書かせる必要があるのか。グループのメンバーに個人情報を共有する必要があるのか。たった3日間、計6時間同じ部屋で過ごすだけの関係なのに。

 この中に、優待者の法則を解き明かすヒントがあるかもしれない。

 学籍番号、名前、ふりがな、生年月日、血液型。これらの情報から得られるものは何か。

 そして試験説明の際に散りばめられていたたアルファベットとの関係性は。

 このアルファベットに関する話はディスカッション中に一度も出てこなかったが……恐らく試験をクリアするための最重要ヒントであるために、下手に話題に出すことを避けているものと考えられる。

 アルファベットということなら、一番は血液型との関連性が考えられる。でもABO以外の文字がほとんどを占めているし、違うなこれは。そもそも13ってのと繋がらない。

 一旦考えるのをやめ、話し合いに意識を向けた。

 

「優待者は4人いるんだよな? だとしたらまだ足りないぞ」

 

 幸村は優待者を全員知りたがっているようだ。

 

「そうだね。でも名乗り出ることを強制はできないよ。本人の意思の問題もあるし、誰かに話せばその分リスクが高くなるわけだしね」

 

 平田の言う通り。つまり平田は今そのリスクを取っているわけだが。

 そんな感じで話を進めていく中、部屋に鼻歌が響き出した。

 どうやら……というか、やはり発生源は高円寺。

 逆立ち腕立て伏せをしながら鼻歌歌えるって、どういう構造してるんだこいつの体は。

 真剣に話している中で集中を乱された幸村が、しびれを切らして高円寺に詰め寄る。

 

「ああくそ高円寺! 気が散るから鼻歌を止めてくれっ! それと、今回は最後までちゃんと試験に参加しろよ。無人島の時みたいなことは絶対にするな!」

 

「そう言われても、私はあの時体調を崩していたんだ。そんな状態で無理はできないさ」

 

「っ、仮病のくせにっ……!」

 

 無人島から船内に戻った際、高円寺の身体は1週間みっちり焼かれていたことは記憶に新しい。こいつが体調を崩したと言っても信じる奴は1人もいないし、高円寺もそんなことはどうだっていいんだろう。

 

「ふむ、しかし、この面倒な試験があと2日も続くのは気が乗らないねえ」

 

「面倒って、真面目に考えてもいないくせに何言ってるんだ」

 

「意味のないことを真面目に考えても仕方がないだろう? 嘘つきを見つけるだけの簡単なクイズさ」

 

 そう言ってベッドに置いてあった自身の端末を操作し、何かを打ち込んだ後、再び端末をベッドに放り投げた。

 高円寺が何をしたか。この場にいる人間は直感的にそれを理解してしまった。

 

「お、おい、何をしたんだ!?」

 

 そう叫ぶ幸村だが、時すでに遅し。高円寺が操作を終えるのとほぼ同じタイミングで、この部屋にいる5人全員に一斉にメールが届く。

 

『グループEの試験が終了いたしました。グループEの方は以降の試験に参加する必要はありません。他のグループの妨げにならないよう、注意して行動してください』

 

「おい、グループEってお前のグループだろ高円寺!」

 

「その通りだよ。私は晴れて自由の身となったわけだね。では、アデュー」

 

 そう言って、意気揚々とバスルームの中へ消えていった。

 

「くそっ、なんてことをしてくれたんだあいつ! 俺たちが必死に考えてる間にっ!」

 

「まだ分からないよ。彼なりの考えがあったのかも……」

 

「そんなもんあるわけないだろ! あいつは単に試験を放棄しただけだ! 自分さえよければそれでいいんだよ! もう最悪だ……!」

 

 頭を抱えて嘆く幸村。

 適当に優待者を答えたのならもちろん最悪だ。Dクラスは50ものクラスポイントを失うことになる。

 だが高円寺はもしかしたら、さっきの言葉通り本当に「嘘つき」を見つけたのかもしれない。

 しかしあまりにも想定外の行為なのは事実。

 高円寺の行動により、全員大混乱を起こしていた。夜更けにもかかわらずグループチャットの通知がどんどん溜まっていく。

 

「……みんな混乱してるみたいだね」

 

 そりゃそうだ。初日時点で裏切り者が出るなんて誰も予想できなかっただろう。

 それも裏切ったのが高円寺と知ったら、混乱はさらに酷くなるだろうな。対応に追われる平田が気の毒だ。

 

「くそ、あいつのせいで話し合いどころじゃなくなったじゃないか!」

 

「……だな」

 

「ごめん、少し電話してくるよ」

 

 そう言って端末を持って立ち上がる平田。

 幸村も冷静さを欠いてるし、平田は平田でクラスの対応に追われている。

 綾小路はいつも通りだが、この部屋の中で俺と綾小路が話し合っても成果は生まれない。

 こんな状態じゃ、今日はもう話し合いが行われることはなさそうだな。

 なら、ここに俺がいる必要もないか。

 

「じゃあ、俺は戻る」

 

 それだけ告げて、俺は部屋を後にした。

 



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ヒント

「……それで、同じ空間にいながらみすみす彼の暴挙を許したと」

 

「おいおい、あの状況で止められるわけないだろ。一瞬何してんのか分からなかったし、まさか試験終わらせるなんてあの瞬間で思いつけるかっつーの。全部理解できたのはあいつが端末を放り投げたあとだったよ」

 

 翌朝、俺と綾小路は、堀北に昨夜の一件を報告していた。

 チャットでのやり取りは早い段階から行っていたが、直接話を聞かせろと言われ、はせ参じたというわけだ。

 

「はあ……高円寺くんには一度、直接言って聞かせる必要がありそうね」

 

 そう意気込む堀北だが、とてもそんなのが通じる相手とは思えない。

 

「やるだけ無駄だと思うぞ。そんなのであいつの態度が改善されたら苦労はない。過ぎたことは過ぎたこととして、今は目の前の試験に集中すべきだ」

 

 露骨に話題を変えにかかる綾小路。

 ま、このままこの話を続けても、俺たちが理不尽に責められ続けるだけだからな。

 

「……話がこれだけなら、俺はもう行くぞ。まだ朝飯食ってないんだよ」

 

「ええ、どうぞ」

 

 堀北も俺を止める気はないようで、勝手にしろと言ってくる。

 お言葉に甘えて退散しようと、モーニングビュッフェをやっている店に向けて足を向けたとき。

 

「なんだ行っちまうのか? もうちょい俺と喋ろうじゃねえかガリ勉野郎」

 

 突然左肩をつかまれ、かと思うと押されてしまう。

 

「なっ……」

 

 体のバランスを崩してよろけるが、何とか転倒は防いだ。

 

「この……っ」

 

 俺を押した輩の顔を拝む。

 その人物とは。

 

「……龍園」

 

「暴力行為として学校に通告するわよ、龍園くん」

 

「クク、暴力だ? 俺はただ話がしたい相手を呼び止めただけさ。そいつが勝手によろけやがっただけだろ。船が揺れでもしたんだろうぜ」

 

 こいつ……相対するのは二度目だが、いつでもどこでもこんな感じなのか?

 

「ようガリ勉野郎。森ん中以来だな。あん時のてめえの怯えた表情は傑作だったぜ」

 

 この人の神経を逆なでるような口調に言葉選び……こりゃ天性のものだな。思わず舌打ちが出てしまいそうになる。

 

「っ……ああ、お前の方こそ、堀北にすべてを台無しにされたと知った時のあの狼狽えた顔、暗い中でも鮮明に覚えてるよ。森の中で5日も潜伏した挙句、その結末が失格だったときの気持ちはどうだった?」

 

「ほお、思ったよりも『喋れる』野郎じゃねえか。仲良くできそうで嬉しいぜ」

 

 椅子を引いてドガっと腰かけつつ、そんなことを言ってくる。

 仲良くって……それだけは御免だ。

 

「ま、無人島ではてめーらDクラスに後れを取ったのは事実さ。こいつは俺の不覚だ。潔く認めてやる。が、今回はどうだ。思いついたのか? 優待者を絞り込む算段をよ」

 

「あら、まるで自分たちはできているかのような言い方ね」

 

 そんなわけがない、というニュアンスを含んだ堀北のセリフ。

 しかし龍園はそれを待っていたかのように口角を上げた。

 

「その通りさ。俺はすでにクラス全員の優待者を把握した。この試験の根幹、そこにある仕組みの解析に手を突っ込んだってわけだ」

 

 それを聞き、堀北に動揺が走る。

 

「……おかしな話ね。あなたのような人間に、素直に優待者が名乗り出るとはとても思えないけれど?」

 

「名乗り出る? 甘ちゃんの考えそうなことだなあオイ。強制的に突き止めるのさ。優待者かどうかを知らせる学校側からのメールを一人一人確認してな」

 

 不気味な笑みを浮かべながら、それが当たり前だと言わんばかりの龍園。

 なんという強引な手法だ。

 

「あなた……正気? 携帯を強引に見るのはルール違反のはずよ」

 

「クク、俺が何の咎めもなくここにいる。それが答えさ」

 

 Cクラスは龍園翔の独裁体制。

 強引に端末を見られたと訴えるような人間もいない、か。

 これで龍園は、都合4人の優待者を知ったことになる。

 

「場合によっちゃ、Cクラスが圧勝することもありうる。状況が分かったか?」

 

「……ええ、あなたが今の時点では何も突き止められていないことはね。法則がわかったなら、まだ試験が続いているはずはないもの」

 

「俺が遊んでいるだけ、って可能性は考えねえのか?」

 

「いつ誰が答えにたどり着くか分からないこの状況で、そんなことをする余裕はないはずよ」

 

「クク、そいつはどうかな。ま、せいぜい足掻けよ雑魚ども。俺は詰めの段階に入らせてもらうとするぜ」

 

 そんな捨て台詞を残し、龍園はその場を立ち去った。

 無人島で負けておいて雑魚どもか……ただの自信過剰な奴ならいいんだが。

 ……いや。

 

「くそ……余計に腹減った。今度こそ俺は戻るぞ」

 

 そう言いつつ、俺は端末のメモ帳に文字を打ち込み、二人に見せる。

 

『龍園が座ってた椅子の下に端末を置いていった。たぶん録音されてる』

 

「っ……ええ」

 

 堀北は少し驚いたようだが、声には出さないよう注意し、俺に言葉を返した。

 

「じゃあな」

 

「ああ」

 

 龍園と遭遇しないよう、あいつが歩いて行った先とは逆の方向に歩いていく。

 ビュッフェやってる店とは真逆の方向だ。遠回りを強いられてしまった。むかつくなまったく。

 にしても、端末を放置して会話を録音か……中々強かだな。

 さっきはああ言ったが、一人で5日も無人島に潜伏するのだって、相当な行動力と根気が必要だ。

 あのむかつく態度に振り回されて、冷静な思考を失ってはいけない。それすらも狙いのうちだろう。

 分かってはいたことだが……龍園翔は、やはり油断ならない人物のようだ。

 

 

 

 

 

 1

 

 2日目の昼のディスカッションも、やはり進展なく終わった。

 Aクラスはもちろん、最初から最後まで部屋の隅で黙って過ごすだけ。

 そして今回は、今までのようにBクラス側から特に何かを仕掛けてくるようなこともなかった。

 まあ合間を見てはいろんな人に話しかけに行ってたが。特に上林。

 ただ耳に入ってきた会話を聞く限り、試験に関することは何も話していなかった。他愛もない雑談、世間話を繰り返している感じだった。

 だからあれは作戦というより、単に上林がおしゃべり好きなだけだな、たぶん。

 つまり今回に関していえば、Bクラスも正真正銘ノープランだった可能性が高い。

 そんな正直退屈だったディスカッションを終えてしばし。

 俺は5日前、堀北に無人島でのことを話した際に使ったカフェテリアに来ていた。

 その時は人っ子一人いなかったこの場所だが、現在は数名の生徒の姿がある。

 そこで紅茶とちょっとした菓子を嗜みつつ、俺は頭を回す。

 当然、優待者の法則、そして特殊グループがどこかを割り出すために。

 今のところ手がかりは……。

 

 13という全体数。

 その中に1つの特殊グループという、12:1の構成比。

 義務付けられた学籍番号、氏名、ふりがな、生年月日、血液型のプロフィール入力、そして連絡先の交換。

 南、菊池、櫛田というDクラスの優待者。

 そして試験説明の際に見つけられたアルファベット。

 グループAがAr。

 グループCがGe。

 グループDがCa。

 グループEがLe。

 グループIがOp。

 グループJがSa。

 グループKがCa。

 グループLがAq。

 

 このアルファベットの意味から考えたのでは、恐らく答えにたどり着くことは不可能だ。

 アルファベットは、それ以外の材料から導き出された答えの検算として使うのがいいだろう。

 

「速野」

 

 思考に没頭しようとしたところで、名前を呼ばれて意識が覚醒する。

 声のした方を向くと、綾小路がこちらを見て立っていた。

 

「綾小路……どうかしたか」

 

「ここに入ったら偶然お前を見つけたから、声をかけただけだ。迷惑だったか」

 

「いや別に迷惑ってことはないが……座るか?」

 

「悪いな」

 

 一言断りを入れ、椅子に腰かける綾小路。

 新たな来客を見て、ウェイターがすぐにこちらに来る。

 

「お客様、こちらメニュー表になります。ご注文お決まりになりましたらお申しつけください」

 

「じゃあコーヒーを」

 

「かしこまりました。そちらのお客様は、何かございますか?」

 

「えーっと……じゃあこのミルクレープください」

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 注文を取り終え、ウェイターが厨房へそれを伝えにいった。

 

「……結構甘いの好きなのか」

 

 綾小路は俺の側のテーブルを見て、自分が来る前も何かを食したことを察し、聞いてくる。

 

「好きっちゃ好きだ。それに、カツカツのDクラスは普段こういうのにはありつけないからな」

 

「カツカツって……まあそうか」

 

 俺が節約に節約を重ねていることを知っている綾小路は、俺が別にカツカツでもないことを知っている。しかしそれは、普段からカツカツの状態と変わらない生活を送っていることと同義だ。

 そしてもう一つ。綾小路は俺と清水、森重の契約を知っているため、カツカツなどではないことも同時に把握できている。

 

「まあ無人島試験でクラスポイントも増えたし……この試験で大敗しなければ、ちょっとは余裕も出てくるんじゃないか」

 

「そうだな。大敗しなければ……」

 

 そこから、話題はこの試験……主にディスカッションの様子へと移っていく。

 

「そっちのグループでも、Aクラスは話し合い拒絶してるのか」

 

「ああ。取り付く島もないって感じだ。一之瀬はあの手この手でけん制してるが、それも実ってない。そっちのグループでも、ってことは、お前のところでもか」

 

 綾小路の問いに頷く。

 

「初っ端に宣言されたよ。Aクラスは全グループ全生徒、話し合いに参加することはないってな」

 

 そしてそれは策として有効だ。Aクラスが話し合いに参加しないことを咎めることはできても、強制的に参加させることはできないからだ。

 

「一之瀬のあの手この手って、例えばどんなのなんだ?」

 

 先ほどのセリフで気になっていたことを質問した。

 

「色々あるが……さっきの話し合いでは、いきなりトランプをやろうと言い出した」

 

「トランプ……?」

 

「一之瀬によれば、話し合いがうまくいかないのは信頼関係がないからなんじゃないか、ってな。だからトランプで遊ぶことで、その壁を取り払おう、ということらしい」

 

「なるほど……それで、肝心のAクラスはそのトランプに参加したのか」

 

「いや」

 

 これ以上ないほどの即答だった。

 

「ダメじゃん……」

 

「一之瀬も困り顔だったな」

 

「まあそりゃそうなるだろうけど……」

 

 くだらない、と失笑して無視を続けるAクラスの姿が目に浮かぶ。

 それにしても……。

 

「トランプか……」

 

「どうかしたか」

 

「いや、なんでも」

 

 トランプ、というキーワード。

 これは、俺が先ほど並べた手がかりとの一致率が高いのだ。

 トランプは、エースからキングまでの13種類。

 しかもジョーカーという、まさに「特殊」と表現するほかないカードもある。

 そしてダイヤ、スペード、ハート、クローバーという4種類の絵札。これはA、B、C、Dという4つのクラスと同じ数字ではないか。

 これは……。

 

「お待たせいたしました。コーヒーと、ミルクレープでございます」

 

 俺の思考を打ち切ったのは、俺たちの注文品を持ってきたウェイターの声だった。

 綾小路の前にはティーカップに乗せられたコーヒーが、俺の前にはミルクレープが乗った小皿がフォークとともに、それぞれカチャリと置かれた。

 

「……どうも」

 

「ごゆっくりお過ごしください」

 

「あ、すいません、紅茶のおかわりもらえますか」

 

「承りました。ミルクはお付けいたしますか?」

 

「あー、お願いします」

 

「承知いたしました。空いたお皿、おさげいたします」

 

「お願いします……」

 

 ウェイターが諸々の作業を終え、テーブルから離れる。

 

「紅茶なんだな。甘いものにはコーヒーの方がいいんじゃないか」

 

 そんな他愛もない質問をしてくる。

 

「単純に舌に合わない。たぶんまだお子ちゃまなんだよ」

 

「お子ちゃまって……」

 

 いやほんとに。コーヒー苦手。だって苦いじゃんあれ。だから苦手。苦いだけに。

 俺の誕生日が3月27日で、学年でも1、2番目に遅いことが関係してるのか、それは分からないが……1年後の俺が綾小路のようにコーヒーを嗜んでいる姿は、想像できなかった。

 

 

 

 

 

 2

 

 綾小路とのティータイムを終え、午後3時ごろ、俺は地下のフロアに移動した。

 目指した先は、図書スペース。

 閑散とした廊下には、俺の足音だけが響く。

 この様子だと、誰もいなさそうだな……と、そんな予想を抱きながら、目的の場所に足を踏み入れる。

 

「……っと」

 

 入った瞬間、少しだけ驚く。予想に反して人がいたからだ。一人だけではあったが。

 少し小柄で、染めているわけではなさそうだが藤野と似て色素の薄い髪。見た目や雰囲気から察する分には、かなり大人しそうな印象を受ける女子生徒だった。

 俺はこの女子生徒を知らない。つまり少なくとも、同じクラスの人間ではないということになる。

 抜き足差し足で来たわけじゃないから足音はそれなりに出ているはずだが、俺に気付かないのか、或いは来たのが誰であろうがどうでもいいと思っているのか、こちらには一切目もくれなかった。

 まあ俺も別に気付いてほしいと思ってるわけじゃないから、特に声をかけることもなく図書スペースを歩く。

 学校の図書館はかなり広大だが、船の中の図書スペースは、それと比して数段規模が小さい。まあ当然のことだが。

 そのためこの図書スペースでは、電子書籍用のタブレットが十台ほど設置されており、何か本を読みたい生徒は主にこのタブレットを使用することになる。紙媒体の本も置いてあるが、それは作者や出版社などの意向が絡んで電子書籍化できなかったものに限られているようだった。

 この工夫により、あまり広いとはいえない図書スペースでも、作品そのものを楽しむことは十分に可能だった。

 しかし今ここにいる少女は、タブレットではなく紙媒体の本を読んでいるようだった。彼女の座る机には紙の本が3冊ほど積まれている。

 世の中には、デジタルの画面よりも実物の本を好む人がいるという。かさばったり重かったり、そういった一般的にはデメリットに思える部分も、それこそが「自分は今読書をしている」と実感させる要素だ、とかなんとか。俺にはその気持ちはいまいち分からないが、彼女もその口か。

 いや、あまり気にすることでもないか……。

 とりあえず、自分の目当ての本を探そう。

 そう考え、本棚を流し見していく。

 

「何かお探しですか?」

 

「すぇっ……!?」

 

 背後からいきなり話しかけられ、変な声が出てしまった。なんだよ「すぇっ」て。

 てか、いつの間に……。あーびっくりした。

 

「すみません、驚かせてしまいましたか」

 

「いや、まあ……」

 

 めちゃくちゃ驚いた。

 

「で、何か探してるのか、だったな。別に特定の本を探しに来たわけじゃないんだが……何となく立ち寄って、何となく眺めてただけだ」

 

「そうでしたか。宜しければ、私のおすすめを紹介しましょうか?」

 

 そんな申し出を受ける。

 ……ふむ。ここで断るのも変か……。

 

「じゃあ……聞かせてもらう」

 

 そう答えた瞬間、彼女の表情、雰囲気が変わった。まるでスイッチが切り替わったように。

 あ、まずいかも……と思った時には、すでに彼女のマシンガントークは始まっていた。

 正直なところ、彼女の話した内容はほとんど頭に残っていなかった。

 かなり早口だったし、それに俺は元々ほとんど読書はしてこなかった人間だ。そんな俺に、なんとかチャンドラーやらなんとかロバーツやら、その中のうんたらシリーズやら言われても一切知らない。さすがにアガサクリスティとかシェイクスピアぐらいなら一般常識として名前くらいは知ってるが……こいつには悪いが、まさに右から左って感じだった。

 俺が戸惑いの表情を浮かべているのにようやく気付いたのか、ようやく勢いが収まった。

 

「あ……すみません、本のことになると少し感情が高ぶってしまって……」

 

「ああ……うん、そうみたいだな……」

 

 少しどころじゃないと思うが……とは口には出さなかった。

 

「ここに来る生徒は、元々あまり多くないんですよね。皆さん娯楽施設の方に行ってしまうので……来ても、タブレットで電子書籍を見る方がほとんどなので、本棚を眺める方は珍しいんです。それで声をかけさせていただきました」

 

「そうだったか……。そういえば、お前も紙の本を好んで読んでるみたいだな。こだわりか?」

 

「こだわり……いえ、特に強いこだわりがあるわけではありませんよ。ただ電子書籍と実物の本では、同じ文量を読んでも目の疲れ方が結構違うので、その点で、体力的に多く読むことのできる紙の本の方が好きではありますね」

 

「ああ、なるほど……」

 

 純粋に作品を読むのが好きなんだろう。俺の予想は外れていたみたいだ。

 と、そこで椎名が「あ」と何かを思い出したように言う。

 

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。Cクラスの椎名ひよりと申します」

 

 そう言ってぺこりと軽く腰を曲げた、椎名という女子生徒。

 

「あ、ああ……Dクラスの速野だ。よろしく」

 

 こちらも自分の名前を伝えると、はっとした表情になる椎名。

 

「あなたが速野くんでしたか……」

 

「……知ってるのか」

 

「名前だけではありますが」

 

 ……本当に、会う人会う人みんな俺の名前知ってんな……。

 

「不快にさせてしまいましたか?」

 

 俺の表情からそう感じ取ったらしく、申し訳なさそうに言ってくる。

 

「ああいや、そういうわけじゃない……そう受け取ったなら悪いな」

 

「いえ、一方的に知られているというのは、気分がいいものとは限りませんから」

 

 実体験からなのか一般的な視点から述べた意見なのかは分からないが、実際椎名の言う通りだ。嫌でも人に知られる有名人……一之瀬や藤野なんてその最たる例だろうが、そういった人たちの凄さを改めて実感する。

 

「この後はどうされますか?」

 

「ん、ああ……せっかく来たし、何かちょっと読んでいこうと思ってる」

 

 そう言って、目の前の棚の本を適当に手に取る。

 その本は、レオナルド・ダ・ヴィンチにより描かれた名画『最後の晩餐』が表紙になっていた。

 

「最後の晩餐……」

 

「どうかされましたか?」

 

「いや……ちょっと電子書籍で探してみることにするわ」

 

「そうですか。では私も読書に戻りますね」

 

「ああ」

 

 そうして、いそいそと元の席に戻っていく椎名。

 それを見送りつつ、俺は先ほど手に取った本をもう一度見る。

 

「……」

 

 13人の使徒。13のグループ。

 ユダという1人の特殊な人物。優待者が4人いる特殊グループ。

 イエスキリストという中心人物。各クラスの中心人物が集まったグループK。

 

「これは……」

 

 俺はその本を手に、椅子に座った。

 

 

 

 

 

 3

 

 図書館を後にした俺は、演劇や映画が見られるスペースに移動した。

 そこで、意外な人物と邂逅することになる。

 

「あれっ、速野くん?」

 

「……一之瀬」

 

 Bクラスの一之瀬帆波。いつもの通り、快活な雰囲気を周囲に振りまいている。

 

「や、久しぶりだね。ちゃんと話すのは無人島以来かな?」

 

「そうだな。試験の前後に2階で何度か見かけることはあったが」

 

「だね。君は映画?」

 

「ん、ああ。お前は違うのか?」

 

「うん。近くにダーツできるところあるでしょ? そこで遊ぼうって話になってね。待ち合わせまでの時間つぶしにぶらぶらしてたんだよ」

 

「そうだったか」

 

 だから一人だったのか。

 

「やっぱりリフレッシュは必要だよね。1日中試験のこと考えてたら、ガス欠になっちゃうよ」

 

 言いながら、んん、と伸びをする一之瀬。

 その仕草に、周囲にいた男子生徒の視線が一瞬一之瀬に集まる。

 理由は単純。ただでさえ大きな胸がさらに強調される形になっているからだ。かくいう俺も視線が吸い寄せられないと言ったらウソになる。

 ……いや、仕方ないだろ。俺だって男なんだから。遺伝子に刻まれてんだよ。

 伸びをしている間、一之瀬は目を閉じているので大丈夫だが、いつ気づかれるか分からないので即座に目をそらす。

 そのすぐあと、伸びを終えた一之瀬がふう、と息をつき、口を開く。

 

「龍園くんと話した後は特に疲れるなー」

 

「……なんだ、話したのか?」

 

「うん。まあディスカッションが終わった直後だから、時間は結構経ってるんだけどね。私としては、葛城くんにAクラスの生徒を試験に参加させるよう交渉するだけのつもりだったんだけど、思いがけず捕まっちゃって」

 

「そりゃ……気の毒に」

 

「にゃはは、ありがとう」

 

 同じく龍園と相対した者として、気持ちは理解できる。

 

「実はそこで、龍園くんがある提案をしてきたんだよね」

 

「ある提案? ……それ、俺に話してもいいことなのか?」

 

 話を聞く前にそれを確認しておく。

 

「君たちとは協力関係だし、その場には堀北さんも綾小路くんもいたから大丈夫だよ。それに隠すようなことでもないからね。あまりにも非現実的なものだからさ」

 

 堀北もいたのか……今朝の一件といい、完全に龍園に目をつけられてるな。

 

「じゃあ、お言葉に甘えて聞かせてくれるか」

 

「オッケー。と言っても、本当に非現実的な提案だからね。簡単に言えばこうだよ。AクラスをのぞくB、C、Dクラスのすべての優待者を共有して、特殊グループと優待者の法則を突き止め、Aクラスを狙い撃つこと」

 

 少し困り顔で言う一之瀬。

 それは……。

 

「いくらなんでも無理があるだろ……」

 

「だよねー。もちろん、龍園くん以外全員が反対して、この話は立ち消えになったよ」

 

「そりゃそうだろうな……」

 

 この作戦は、共有した優待者の情報がすべて本物であり、且つそれを使って同盟内から裏切り者が出ないという前提条件のもとに成り立つ。

 が、龍園にはそういった信用がない。まったくと言っていいほどに。いや、むしろ自分からかなぐり捨てている印象だ。

 ……それ以前に、俺は提案者がこの一之瀬だったとしても、その案に乗ることはないだろう。

 

「龍園くんも、こんな話が成立するわけないって絶対にわかってたはずだよね。そのうえであんなに場をかき乱すことを言うんだから……ほんとに厄介だよ」

 

「……まったくだな」

 

「名前に龍なんて入ってるけどさ、あれはまるで蛇だね蛇。狙った獲物はどこまでも逃がさない、って執念を感じるよ」

 

「蛇……」

 

 蛇といえば、十二支か……でも、グループは13個あって……。

 いや、でも13なら……。

 

「っ!」

 

 その瞬間、俺は自分の脳が高速で回転していくのを感じる。

 散りばめられていたパズルのピース。

 英語の頭文字。13という数字。

 そして今この瞬間、新たに加わった貴重な貴重な最後のひとかけら。

 ……つながった。

 何もかも。

 

「どうしたの?」

 

「……いや、確かにその印象はあるかもしれない、と思ってな。それより、リフレッシュだなんだって言っておきながら、結局試験の話に戻ってるぞ」

 

「え、あっ、ほんとだ! にゃははー」

 

 やっちゃったー、とでも言いたげに頭を掻く一之瀬。

 そして腕時計を確認し、はっとした表情になる。

 

「わ、そろそろ時間だ。じゃあまたね速野くん、映画楽しんでね!」

 

「ああ。また」

 

 小走りで移動していく一之瀬。

 その背中に、俺は見送ると同時に感謝した。

 一之瀬にとっては何気ない一言だっただろう。

 しかし、それがあまりにも大きすぎるヒントになった。

 ありがとう一之瀬。

 お前のおかげで、膠着していた現状を打ち破ることができそうだ。

 

 

 



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もう一つの試験

 2日目、夜のディスカッションの時間となる。

 

「さて、また話し合いの時間が来たけど……やっぱりAクラスは不参加?」

 

「ああ。どうぞ勝手にやってくれよ」

 

「うん、そうさせてもらうよ」

 

 上林はそう答えると、やおら立ち上がって言う。

 

「みんな、このままだとやることもないだろうし……人狼ゲームでもやらない?」

 

「人狼?」

 

「うん。みんな知ってるよね?」

 

 聞かれて、周りは全員頷く。

 ……あれ、マジ?

 

「……え、お前人狼ゲームって知ってる?」

 

 隣の堀北に尋ねる。

 

「聞いたことはあるけれどルールは知らないし、やったこともないわ。……逆に知らないの?」

 

「う、うん、聞いたことすらございません……」

 

 堀北ですら名前は把握しているこの状況で、そんなもん知らねえよと大っぴらには言いだすこともできず、端末で調べる。

 どれどれ……村の中で人狼側と市民側に分かれて殺し合う。

 人狼は夜に市民側を殺し、市民側は人狼と疑わしい人物を処刑によって殺す。

 人狼を全滅させれば市民の勝ち、人狼と市民が同数になれば人狼の勝ち、と。

 市民側には様々な役職がある。人狼の殺しから誰か一人を守ることができる騎士、生きてるやつが市民か人狼かがわかる占い師、死んだやつが市民か人狼かがわかる霊能者、市民のくせに人狼側に与する狂人……それ以外にも狂信者にてるてるにパン屋に妖狐にエトセトラエトセトラ、一体いくつあるんだよこれ。つかてるてるって何?

 ただまあ……なるほど、概要を言えば、集団での頭脳ゲームか。

 俺の中学での生活を踏まえれば、知らなくても当然かもしれないな。

 それよりこの人狼ゲーム、少しこの試験に似ている気がする。

 集団の中から、人狼という嘘つきを見抜いて殺すゲーム。

 グループの中に潜む優待者という嘘つきを見抜いて報告する試験。

 ただ市民側は疑わしい人物を殺していき、最終的に人狼を全員殺せば勝ちというシステムだが、この試験は一度間違えればそこで多大なマイナスを受けて致命傷となる。

例えるなら、リーグ戦かトーナメント戦かの違い、といったところだ。

 

「速野くんはどう? 参加する?」

 

「……パスで」

 

 多少の興味は沸いたが、ちょっとルールの把握が追いつきそうにない。

 

「堀北さんは?」

 

 上林は堀北にも声をかけるが、誘いを受けた堀北は即答で首を横に振った。

 

「私も遠慮するわ。Aクラスの勝ち逃げを許しそうなこの状況で、ゲームに興じる気分にはなれない」

 

「でも、何か策は考えついたの?」

 

 それを言われると弱いだろうな。堀北は何も思いついていない。

 これはシンキングの試験であると最初に説明を受けたが、この試験、どれだけ考えたところで一人では何もできない。

 

「しーんとただ1時間過ごすよりさ、ゲームでもして過ごした方がよくない?」

 

「……とにかく、参加はしないわ」

 

「うーん、そっか。残念」

 

 意思は固そうだとみて、上林もあきらめたようだ。

 Aクラスと俺、堀北を除く7名は全員参加するようで、固まって楽しそうに話している。

 優待者である菊池も参加するのは一瞬どうかと思ったが、かといって変に止めれば他クラスに怪しまれる。

 それに……このグループに関しては、他のグループよりもバチバチに神経を尖らせる生徒は少ないだろう。

 ただ、堀北には折を見て菊池が優待者であることくらいは伝えておこう。

 明日にでも。

 

 

 

 

 

 1

 

 今日のディスカッションはなかなか賑やかだったな。

 人狼ゲームの根幹は議論タイム。そこで市民側は人狼と思しき怪しい人物を導き出し、人狼側は上手くそれを切り抜け、さらには自分以外の市民側の人間に疑いの目が向くように誘導する。そのためかなり活発な会話が繰り広げられていた。

 それを俺は「なるほどこういうふうに進めていくのか」と眺めていた。次やる機会がいつ訪れるかは分からないが、プレイ自体は多分もう問題なくできるだろう。

 そんな感じで振り返りながら、部屋で制服から私服に着替え、夕飯にありつくべく部屋を出る。

 

「おう、速野じゃねーか。飯か?」

 

 ドアを開けた瞬間、須藤と池が目の前を通り、そのうちの須藤が話しかけてきた。

 

「ん、ああ」

 

「なら一緒に食いに行かね? 俺たち、5階のラーメン行くところなんだけどさ」

 

 ラーメンか……まだ手出してなかったな。

 

「ああ。そうする」

 

「おし、じゃあ行こうぜ」

 

 すでに場所は把握しているらしく、船内の案内図も見ずに歩いていく二人。

 

「何回か食いに行ってんのか?」

 

「これで3回目だ。やっぱラーメンは基本だろ」

 

「そうなのか……」

 

 まあ、食べ盛りの男子はああいうガッツリしたものを好むんだろう。気持ちは分からないでもない。

 タイミングを見て、先ほどから気になっていることを尋ねる。

 

「そういえば山内はどうした? 一緒じゃないのか」

 

「ああ、なんかあいつ、最初の話し合いが終わって少ししてから妙に張り切っててさあ。絶対に優待者を見つけてやるんだああとか言って、今も部屋にこもって考え込んでるんだよ」

 

「へえ……なんかきっかけでもあったのか」

 

「詳しくは知らねえけど、なんかアドレスがどうとか独り言言ってたぜ。よくわかんねえ」

 

「アドレス……」

 

 ああ、なるほどね……。

 となると、ちょっと危ないかもしれない。

 

「不用意に優待者のメール送らないように見張っててくれ。送った瞬間に50のマイナスだからな。月5000が消えるぞ。月5000だぞ月5000」

 

 数字を明示して危機感をあおる。

 

「うお、なんか月5000って聞くと途端にやばく聞こえんな……ぜってー送らせんなよ寛治」

 

「お、俺かよ! お前も一緒に見張れよ健」

 

「分かってんよ」

 

 二人とも山内の回答を全く信用してないのには内心少しかわいそうになったが、まあとりあえずはこれで大丈夫か……。

 それからも雑談を続け、そしてくだんのラーメン屋に到着した。

 

「ここだぜ」

 

「おお……」

 

 入り口の前に立っただけではあるが、スープの出汁のいい匂いが漂ってくる。

 おそらくはここまで漂ってくるように空調の風向きなんかを調節して、集客しようとしてるんだろうけど……とはいえ、本能的に食欲をそそられてしまう。

 

「とっとと入っちまおうぜ。腹減って仕方ねえ」

 

「だな。行こうぜ行こうぜ」

 

 中に入ると、数人の生徒が麺をすすっているのが確認できた。

 ディスカッションが終わってから直接ここに来た生徒だろう。

 入り口のすぐそこに、俺の身長と同じくらいの高さの機械が置いてある。食券制ってやつか。

 須藤と池の二人は3度目の来店とあってメニューが頭に入っているのか、迷うことなく食券のボタンを押して注文していた。

 

「えーっと……」

 

 醤油に味噌に塩、それに魚介とんこつか、あらかたはそろってるな……へえ、つけ麺もあるのか。

 サイドメニューはライス、炒飯、餃子、小さめの丼ものにキムチなどの小鉢。

 餃子と炒飯は食ったしな……。

 

「おい早くしろよ速野」

 

「ちょっと待ってくれよ……お前らと違って来るの初めてなんだから……」

 

 ここは直感で……味噌野菜ラーメンの普通盛りと、チャーシュー丼のボタンを押して、店員に渡した。

 その後、10分ほどで頼んだものが揃い、ずずっと食べ始めた。

 

「ん……うまいな」

 

 あっさり感の強いスープと麺がよく合う。野菜の茹で時間は少なめでシャキッと歯ごたえが強く、スープの味を邪魔していない。

 池と須藤は喋りながら麺をすすっていたが、俺はその会話をBGMにしばらくラーメンを堪能していた。

 

「そういやよ速野」

 

 と、いきなり須藤に話しかけられる。

 

「ん?」

 

「いや、その……」

 

「……?」

 

 ごにょごにょと口ごもる須藤。らしくもない。

 

「どうしたんだよ」

 

「……ほ、堀北の様子、どんな感じなんだよ。お前、あいつと同じグループなんだよな!?」

 

 ……なるほどね、想い人の様子を聞くのを恥ずかしがったわけか。

 

「どう、って言われても……いつも通りなんじゃねえの。俺がわかる範囲では変わったことはない」

 

 基本的にずっとぶすっとして、不機嫌そうに座ってる。

 

「お、俺のこととか、なんか言ってなかったのかよ」

 

「いや、残念ながら一言も」

 

「……そうか」

 

 かなり落胆している様子だ。

 恋愛ってのは面倒だな……フォローしとくか。

 

「試験のことで頭がいっぱいなんだよ、今のあいつは。Aクラスが話し合い拒否しただろ?」

 

「あ、ああ、あいつら勝手なことしやがって……」

 

「まあ、そういうのもあって気が立ってるんだろ。俺も話しかけづらいし。そう落ち込むことでもないと思うぞ」

 

 と、一応嘘ではないことを言っておいた。

 

「……だな。俺はあきらめねえぞ鈴音!」

 

「おい健、食いながらしゃべるなよな! 汁が飛んでる!」

 

「っと、わりいわりい」

 

 そんなコントのようなやり取りが繰り広げられる。

 須藤の場合はちょっとくらい落ち込んでた方がいい、って気もしてたが……こいつにもじもじされると想像以上に違和感がすごくてむず痒い。

 いつも通りに戻ったようで、まあよかったか。

 と、そこで池が、思い出したように手を叩いて言った。

 

「そういや速野、松下がお前のこと聞いてきたんだよ」

 

「は? 松下?」

 

「そうそう」

 

 松下って……クラスメイトの松下だよな。確か須藤と池と、あと佐倉と同じグループGだったか。

 

「……なんて聞かれたんだ?」

 

「幸村のタイプか堀北のタイプかどっちに近いかって。マジで意味不じゃね? 聞き返したら、もういいって言われたけど」

 

「……そりゃ謎の質問だな」

 

「だろー? てか俺的には、幸村と堀北の違いもよくわかんねーしさ」

 

「あ? 全然違うだろーが」

 

 須藤がキレ気味に突っ込みを入れる。

 

「い、いやほら、二人とも成績いいけど、割といつも一人だし、あと態度もキツイとこあるじゃんか!」

 

「堀北の場合はそこが良いんだよ」

 

 いや、それはお前にとってはそうかもしれんが……お前の好みは聞いてない、と池の目が語っている。

 少し意外だったのは、池の幸村に対する印象だ。

 無人島試験の最初、ポイントを使わずに限界まで我慢するという一致した考え方で共闘していたが、それでも幸村はキツイ性格ってイメージなんだな。

 しかし理解はできる。短い時間ではあるが接してきて、幸村は学力で人を測る癖があることがわかった。そして学力が低い人間を見下してしまう。入学当初の堀北と同じだ。

 堀北は誰彼構わずキツイ感じだが、幸村に関しては、その見下されてるのを「キツく当たられている」と感じているんだろう。

 ただ松下の質問は、恐らくそういった性格面の話ではない気がする。

 わざわざ幸村と堀北を対比させたってことは……。

 

「なあ、お前それ本人に言うなとか言われなかったのか?」

 

「え? ……あ!」

 

「……お前な」

 

「その、黙っててくんね……?」

 

「別に言わねーよ……松下とは喋ったことすらないしな……」

 

 やっぱり、口止めを受けていたようだ。

 となると……。

 

「……聞かれたのが池でよかったか……」

 

「ん? なんか言ったか速野」

 

「いや……そろそろ腹も満たされてきたと思ってな」

 

「そうだな。もう食い終わったし、出よーぜ」

 

「ああ」

 

 ラーメンには満足できた。

 それに、たまにはこうやって誰かと食べるのもありなのかもしれないな。

 こうやって思わぬ情報を得ることもある。

 まあ、今はこんな些細なことに構っている心の余裕はないが……。

 

 

 

 

 

 2

 

 夕飯も食べ終わり、風呂や歯磨きなどを含めた寝支度も済ませた。

 時刻は夜11時すぎ。

 明日はディスカッションがない完全自由日のため、皆いつもより就寝時間は遅いだろう。

 しかし、こんな時間に船内の施設で開いているのは、地下にあるスタッフ用のバーくらい。酒以外も置いてるし、特段利用制限がなされているわけではないが、そうじゃなくてもそんなところに行く生徒はいない。入りづらい雰囲気だしな。

 起きていても、自分の部屋の中か、もしくは違う部屋の仲のいいグループで過ごしているか……男女で外に出て夜空を眺めているか。ま、そんなところだろう。

 そういったものとは到底無縁の俺ではあるが……しかし、俺もまだ就寝していない生徒のひとりではある。

 そして今いる場所は、三宅たちのいる自分の部屋ではなく……2階だ。

 そんな中、コツ、コツ、と足音が近づいてくる。

 

「お待たせ、速野くん」

 

 こちらに小さく手を振りながら、俺を見つけて少し小走りでこちらに来る女子生徒。

 俺の友人で、Aクラスの藤野麗那だ。

 ボブカットの綺麗な銀髪はまだ完全には乾ききっていない。少し前まで風呂に入っていたんだろう。

 今から1時間ほど前、俺は藤野に、話がしたいので会ってほしい、と連絡していた。

 少し長くなるかもしれないから、今から行く場所と合わせてその旨をルームメイトに伝えてくれ、ただし俺の名前は伏せて、とも。

 

「悪いな、急に」

 

「う、うん、それは全然いいよ。でも、なんで途中で集合場所を変更したの?」

 

 そう。俺は初め、落ち合う場所を船外のデッキと指定していた。

 しかし途中で変更し、この2階、現在特別試験で使用しているフロアに来てもらった。

 なぜわざわざそんなことをしたのか。

 

「俺とお前がここで会ってることを、誰にも知られないようにするためだ」

 

「え……?」

 

 少し驚きを見せる藤野。

 

「で、でも、それならそうと言ってくれれば、こっそり抜け出したのに……」

 

「こっそり抜け出したら、ルームメイトに怪しまれるだろ。今の時間、大体の生徒は自分の部屋で過ごしてるだろうしな。そしたらついて来られかねない」

 

「そ、そうかな……?」

 

「その可能性はでかい。特別試験の最中とはいえとんでもなく豪華なバカンス。そんな中、こんな夜遅い時間に一人でどこかに出かけるんだ。その様子を見た周りの人間が想起するイベントは一つ」

 

「……告白、だね」

 

「ああ。この船の中でも何組かカップルできてるみたいだし、高校1年生、特に女子はこの手の話題に敏感だろ」

 

「う、うん、それは確かに……」

 

 思い当たる節があるみたいだな。寝る前に恋バナしまくってるのか。

 

「野次馬根性でこっそりついてくる可能性、あると思わないか?」

 

「……あるね。ていうか、実際ついてきてたっぽいし……」

 

「……マジかよ」

 

 よかったー保険打っといて。

 

「でも、ついてきてたってことは、速野くんの作戦、外れてるんじゃ……」

 

「いやそうでもない。もちろん、その時点でついて来ないでくれるのが本望ではあるが……船のデッキって、星も海も見えて、告白スポットとしては絶好の場所だろ?」

 

「うん。何人かそこで告白したって話は聞いてるよ」

 

「だろうな。だから船のデッキに呼び出されたとなれば、ついていきたくもなる」

 

「え、ってことは、船のデッキに行くことをルームメイトに伝えて、わざとついて来させたってこと?」

 

 その通り。

 

「ちょっと話が読めてこないんだけど……速野くんは、ついてきてほしくなかったんだよね?」

 

「ああ、もちろん。だからその次に場所を変更してもらったんだ。告白するのに絶好スポットである船外デッキで誰にも会わず、船内に戻っていくお前の姿を見て、ついてきた奴は『告白じゃないんじゃないか』って思うだろ?」

 

「っ、なるほど、そういうことだったんだ……!」

 

 藤野にも全部理解できたようだな。

 

「ああ。一瞬でも告白じゃない可能性がよぎったら、それに引っ張られるようにして思い出すはず。告白するにしてもされるにしても、こっそり出ていくはずなのに、わざわざ場所を伝えてきたこと。そしてお前の表情に告白直前の独特の緊張感が全くなかったことも」

 

 藤野は、自分が俺に告白されるなんて考えてもないだろうしな。

 

「そしたら興味を失って、おとなしく自分の部屋に戻る……」

 

「ああ。少なくとも、何としてもこの目で見たいっていう思いから、何があったかは後で部屋で聞けばいいか、って程度にはな。最初に野次馬がついてきてたとしても、それで人払いはできると踏んでた」

 

「……」

 

 呆気に取られている様子だ。

 俺がここまで手の込んだ仕掛けをすること———いや、できることを、藤野は多少気がかりに思うだろうが……そんなことは、この後すぐに問題ですらなくなる。

 

「じゃあ、入ってくれ」

 

「え? 入るって……」

 

「ここだ」

 

 俺は2階のI室のドアを開け、中に藤野を招き入れた。

 

「え、どうして開いてるの……?」

 

「鍵を借りて俺が開けたからだ。忘れ物したから貸してくれって頼んだら、割とすんなりな」

 

 試験中何度も通るから分かるが、このフロアの部屋はかなり防音がしっかりしている。

 この船の中で最も密会に適した場所は、実はここだろう。

 

「電気つけたら窓から光が漏れて怪しまれるから、ここは月明かりで我慢してくれ」

 

「う、うん」

 

 今夜は快晴で、十五夜が近いこともあって光量としては申し分ない。

 ……さて、本題に入るか。

 

「お前を今日ここに呼んだ用件、いくつかあるんだが……まず最初に話したいのは、一か月くらい前、須藤の暴力事件に関してのことだ」

 

「ああ、あの件だね。結局Cクラス側が訴えを取り下げて、Dクラスは事なきを得たって聞いたけど……」

 

「ああ」

 

 事態はなんとか収束したが、正直危なかった。

 

「お前はあのとき、俺に情報をくれたよな。石崎は中学の頃、問題行動が多かったって」

 

「うん。そうだって耳にしたから……」

 

「それが変なんだよ、どう考えても」

 

「……え?」

 

「Bクラスの生徒に確認したら、ホームルームで伝えられたのは『Dクラスの須藤とCクラスの3人が喧嘩になった』ってことだけだった。つまり、Cクラス側の人間が具体的に誰だったかなんて、説明されてなかったんだ」

 

 Dクラスへも同じく、事件の概要は「須藤とCクラスの3人」という説明の仕方だった。これは学校側として、全クラスで統一した説明口上だったんだろう。あの時点ではCクラスの3人は単なる被害者の可能性が高かったし、学校側としてはいたずらに被害者の名前を晒すのは避ける。それに事件現場の目撃者を探す目的なら、普段から粗暴で、悪い意味で目立ちまくっていた須藤の名前を出すだけで事足りるという判断を下すのも自然な流れだ。

 にもかかわらず、藤野は石崎がCクラス側のひとりであるということを知っていた。つまり藤野は、この事件に関して不自然に詳しすぎるということになる。

 

「一体どこで知ったんだ? 須藤とやり合ったCクラス側3人のうちの1人が石崎だったなんて」

 

 問うと、藤野は顎に手をやって考え込む仕草を見せる。

 

「それは……えっと、誰だったかな。Dクラスの誰かから聞いた気がするんだけど……」

 

「それが最も自然な可能性だろうな。でも藤野、お前あの時こうも言ってたよな。この事件に関しては、真嶋先生が全体発表で話していた内容以外は知らないって」

 

「……」

 

 黙りこむが、否定はしない藤野。

 

「……Dクラスの誰かに聞いたってのが嘘で、当然ながら先生から説明を受けたわけでもない。となると残りの可能性は……藤野、お前は……」

 

「……」

 

「……事件の一部始終をその目で見た目撃者だった、ってことじゃないのか」

 

 1か月前から、ずっと疑問に思い続けていたこと。

 それに対する決定的な答えを口にした。

 しばらくの間続いた沈黙を破ったのは、諦めを含んだ藤野のため息だった。

 

「……分かっちゃったか。うん、速野くんの言う通り、私は事件の目撃者だった。と言っても、私が見たのは事件そのものじゃなく、その直前だったんだけどね。石崎くんたちが『絶対に自分たちから須藤に手を出すな』とか、『絶対に失敗するなよ』とか話してたのを聞いてたの」

 

 その会話の内容で、須藤の暴力事件がCクラス側によって仕組まれていたものだってことは分かったわけか。

 

「やっぱりそうだったんだな」

 

「うん。……ごめんね、黙ってて」

 

「結果的にDクラスに損害はなかったし、証言するかは自由だからな」

 

「そう言ってもらえると、ちょっと心にゆとりができるけど……じゃあ、さ。私がなんで黙ってたかも、分かったりするかな?」

 

 それに関しても、俺は大方の予想がついていた。

 通常、目撃者であることを黙る理由は、そのほとんどが巻き込まれたくないから、関わり合いになりたくないからといったものだろう。最初に佐倉が目撃者として名乗り出なかったのもそれが理由だった。

 しかし藤野は違う。もし本当に巻き込まれたくないなら、石崎のことを俺に話すはずがない。

 仮に、何も話さないのは罪悪感があるから、それを緩和するためにそうしたのだとしても、ならば最初に須藤と喧嘩したCクラスの3人は誰だったのかを俺に聞いて、そこから石崎の名前を引き出してから、石崎の中学時代の素行の話を伝えればいいだけだ。それなら変に疑われることもなかった。

 さらに、だ。

 俺がさっき、事件に関して真嶋先生が言ってた以上のことは知らない、という藤野のセリフを持ちだしたとき、それを受けた藤野はいくらでも言い逃れることができた。そんなこと言ってない、記憶違いだろう、と。何しろ1か月も前のことだし、録音といった物証があるわけでもない。一方が否定すれば言った言わないの水掛け論になり、どちらが事実かを客観的に示すことはできなくなる。

 それにそもそもの話、あの時藤野がこんなセリフをわざわざ口に出してなければ、石崎のことはDクラスの誰かしらから聞いたことにできたはず。

 つまり藤野は、単に面倒だからとか、そういう理由で目撃者だったことを知られたくなかったわけじゃない。

 自身の発言、行動の中に意図的に矛盾を作り出し、俺に違和感を抱かせた。

 いや……。

 

「……俺が違和感を抱き、答えにたどり着けるかどうかを試してた、ってところか」

 

 俺の核心的な一言で、藤野の表情が苦笑に変わる。

 

「……すごい……なんでも分かっちゃうんだね、速野くん……」

 

 

 

 

 

 3

 

 一番初めのきっかけは、5月の頭。藤野が俺にクラスのことを相談した際に受けた、俺からのアドバイスだったそうだ。

 

 

「藤野。突飛な発想だが……」

 

『聞かせてほしい』

 

「……もしどうしようもない時は、自分で三つ目の勢力を作る、ってのも手だと思う」

 

『…………』

 

「……悪い、やっぱりちょっとぶっ飛びすぎてるな。今のは忘れてくれ」

 

『……ううん、なんか話しててすごいスッキリした。ありがとね、真剣に考えてくれて』

 

 

「実は、速野くんにこのアドバイスを受ける前から考えてはいたの。坂柳さんにも葛城くんにもつかないなら、自分で派閥を作るしかないのかもって……」

 

「……そうだったのか」

 

「でも、勇気が持てなかった。だから速野くんに相談して……そしたら、私の考えと全く同じことを言われちゃって。これはもう、やるしかないなって」

 

「なるほどな……」

 

「だから今、Aクラスには葛城くん、坂柳さんとは別の3つ目の勢力があって、私はそこに入ってる。今まで中立だった人たちも、多くはそのグループだよ。もちろん、葛城くんと坂柳さんにはそのことは知られてない」

 

「そうか……」

 

 さらっと言ってるが、これはそんな簡単なことじゃない。

 ただでさえ葛城と坂柳のどっちにつくか決めかねている人間に、新しく第3の選択肢を与え、そして仲間に引き入れるなんて……こいつの人徳のなせる業なんだろうが、一体クラスメイトからどれほどの厚い信頼を持たれているのか。櫛田や一之瀬に匹敵……下手すりゃそれ以上だぞこれは。

 

「お前は……Aクラスの台頭を狙ってるのか?」

 

 聞くと、藤野は首を横に振った。

 

「ううん、私にそんな力はないよ。でも、葛城くん派と坂柳さん派、両方の失脚を狙っているっていう点では、クーデターを企ててるって言い方が正しいかも」

 

「両方の失脚……」

 

「私の見立てでは……たぶん、葛城くんは坂柳さんには勝てないと思う」

 

「……それってのは、Aクラスには、葛城のような慎重な考え方を持ってる人間より、坂柳のような積極的な考え方を持ってる人間の方が多いってことか?」

 

「ううん、それは違うよ。むしろ、Sシステムの裏が説明されてからしばらくの間は、葛城くんの派閥が優位だったくらい……」

 

「なら……」

 

「単純な話だよ。葛城くんには、ちょっときつい言い方になるかもしれないけど……格が違う、と思う。もちろん、葛城くんもとても優秀だよ? でも坂柳さんは多分、立ってるステージそのものが違う」

 

 真剣なまなざしで語っていることが、月明かりに照らされた藤野の顔で分かる。

 

「じゃあ、いずれ葛城派は失脚して、坂柳が台頭するのか」

 

「たぶんね。事実、葛城くんは無人島で失態を犯し、求心力を急速に失ってる。もちろんこの特別試験では、皆表面上葛城くんに従ってるけどね。ほかに先頭に立てる人がいないから……。あの結果だと、多分Dクラス、というより、速野くんは気づいてるよね。葛城くんがCクラスと繋がってたこと」

 

 もはや、お互いに隠しても仕方がないところまで来てる感じだな。

 

「ああ。Cクラスの様子を見に行った時、釣竿や保存食とか、豪遊してすぐにリタイアするクラスには不要なものまで揃えられてたからな。それで気づいた」

 

 俺も素直に答える。

 

「Aクラスは、Cクラスから200ポイント分の物資と、各クラスのリーダー情報の提供の見返りに、Aクラスの全生徒から龍園くんに、卒業まで毎月2万のプライベートポイントを譲渡する契約を結んだの」

 

「……プライベートポイントを……しかも、その言い方だと龍園個人にか」

 

 となると龍園は、毎月80万もの膨大なポイントを得ることになる……。

 

「そんな契約を結んでたのか……」

 

 あの時、清水と森重が「月7万の返済」という条件で渋い顔をしたのは、こういった理由もあってのことだったか……。

 

「うん。でも、私は無人島の試験が始まってすぐ、Aクラスの勝利はないって確信した。今のAクラスの状況だと、必ず内部から裏切り者が出ちゃうから……」

 

「……リーダー情報が流れる、ってことか」

 

 それでリーダーは当てられ、マイナス50ポイント。せっかくいいスポットを手に入れて大量に貯めたボーナスポイントもパーになる。

 そして後に残るのは、卒業まで延々と続く毎月2万の支払い。

 葛城が勢いを失うのは必然ってことか。

 

「うん。まあ、裏切り者によってリーダー情報が漏れたCクラスは失格になって予想は外れたけど……今度は、Dクラスに自力で見破られちゃってたみたいだから、数値の上では、一周回って私が当初思ってた通りの結果になった」

 

 藤野は最初から、Aクラス……葛城が失態によって勢力を落とすことを見越してたのか……。

 

「そのうえで、何もしなかったんだな。正直、お前のAクラスの中での影響力がこれほどとは思ってなかった……お前なら、変更後のリーダーをクラス内にすら知られずに、ボーナスポイントを守ることもできそうだ。でも、葛城の失脚を狙ってそうしなかった」

 

「うん……そういうことになるね」

 

 つまりあの試験のカギを握ってたのは、実は藤野だったってことか。

 こいつの動き方によっては、Aクラスは倍以上のポイントを保持し、逆にDクラスはリーダー当ての50ポイントを得られていなかったかもしれないわけだ。

 

「一つ聞きたいんだが……坂柳って、そんなにすごいのか」

 

 その問いに、藤野は間髪入れずに頷いた。

 

「うん。私はもちろん……葛城くんでも、多分足元にも及ばない」

 

「お前や葛城でもか……」

 

「……うん」

 

「それで……俺が、坂柳を降ろすための協力者として相応しいかどうかを見極めるために、こんな回りくどいことを……」

 

 その問いにも、こくりと頷いた。 

 

「……都合のいい、勝手なお願いだってことはわかってるけど……でも、お願い。私に協力してほしい」

 

 いつになく、表情は真剣だ。

 

「……それはつまり、試験の合格通知って意味か?」

 

「そんな上から目線なこと、もう絶対に言えないよ……私自身、速野くんを試したのは後悔してるもん」

 

「……」

 

 恐らくその藤野の後悔の念が、俺たちの間になんとも言えない気まずさを生み、一時期連絡が途絶えることに繋がったんだろう。

 

「……俺とお前とじゃ学級が違う。この学校のシステム上、藤野の派閥に協力することで、俺が不利益を被ることだってあり得るんじゃないか?」

 

「だったら、それ以上の見返りを私たちが用意する。もし速野くんが見返りに納得できなかったら協力しなくてもいい。それに、クラスを裏切れ、なんて頼んだりしないよ。少なくとも速野くんがDクラスにいる間は、Dクラスのマイナスになるようなことは絶対しないって約束する。……プラスの要素を奪っちゃうことは、あるかもしれないけど」

 

 例えば今の船上試験で例えるなら、Dクラスの優待者が分かっても指名しない、とかそういうことを言いたいんだろう。

 

「それから、これは個人的な望みになっちゃうんだけどね……」

 

 そう前置きして、藤野が言った。

 

「私ね……速野くんと同じクラスで卒業したいって思ってるの。もちろんこれは私が勝手に思ってることだから、速野くんが気にする必要はないんだけど……速野くんが、私たちとの協力を通して2000万ポイント貯められたら、その時は私たちのクラスに来てほしい」

 

 今ここで協力すると言っても、その都度見返りに納得できなければ協力しないという選択肢も取れる。内容の自由度は高い。デメリットといえば、Dクラスが獲得するはずだったプラスがなくなってしまう可能性があることだが、その場合は、さらに大きい見返りで相殺するか、Dクラスの利益も損なわない方法を考えればいい。要は俺次第ということだ。

 恐らく藤野の言っていることは信じていいだろう。

 ……いや、たとえ罠が仕掛けられていたとしても、俺は……。

 

「……分かった。協力する方向でいく」

 

「ほんとに!?」

 

「ああ。ただ、俺は自分の利益を最優先させてもらう。貯めたポイントをクラス異動に使うかどうかも、俺の判断で決めさせてくれ。その条件が呑めるなら……」

 

「もちろん。速野くんに無理強いすることだけは絶対にないよ」

 

「分かった」

 

 こうして、ここに俺と藤野の協定が成立した。

 

「……藤野。早速なんだが質問がある。グループIの生徒の中に、お前の派閥の人間はいるか?」

 

「え? う、うん。琴美ちゃんがそうだよ」

 

 和田か……やっぱりそうか。

 手間が省けて都合がいい。

 

「なら藤野、一つ頼みがある」

 

「頼み?」

 

「ああ。だがその前に……」

 

 そう前置きし、俺があることを口にすると……藤野の顔は、驚愕の色に染まった。

 

 

 

 



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終わりは突然に

 特別試験開始から3日目。

 今日はディスカッションが行われない、完全自由日となっている。

 どういった意図で学校側がこんな日を設けたのかは正確には分からないが……少なくとも、この日を使って最終日に向けての作戦を立てろ、と言っていることだけは明白だ。

 それくらいは少し考えればすぐにわかることだ。

 だからこそ、クラスの中心人物……いや、決してそうとは言えない生徒も、試験最終日のディスカッションでどういった戦い方をするか、それを思案するつもりだったはずだ。

 しかし、そんな生徒たちの意識は、学校側からのあるメールによって一瞬そらされることになる。

 

『グループGの試験が終了いたしました。グループGの方は以降の試験に参加する必要はありません。他のグループの妨げにならないよう、注意して行動してください』

 

 メールの受信時刻は午前5時半ごろ。生徒は全員部屋にいたはず。さらにルームメイトが寝ていることを確認してから裏切り者がメールを送ったとすれば、誰が送ったかの目星を付けることすら難しいだろうな。

 

「グループGっていえば……須藤や佐倉のいるグループか」

 

 状況把握のために話を聞いておきたい。

 須藤や池の話は、2人には悪いが正直少し参考になりにくい。かといって松下とは全く接点がない。

 聞くとすれば……佐倉しかいないか。

 俺はチャットで佐倉に、試験終了の件で話を聞きたいとメッセージを送った。

 意外にもメッセージ送信から10秒と開けずに既読が付き、返信が来た。

 

『今ちょうど綾小路くんにも同じことを頼まれたから、二人で一緒に来てもらうことって、できるかな』

 

 おっと、綾小路と行動が丸被りだったか……。返信が早かったのは、綾小路とやり取りしていてチャットアプリを開いてたからか。

 

『わかった。綾小路と連絡とって合流する』

 

 佐倉にはそう返信し、そのまま綾小路にメッセージを送る。

 

『佐倉に話聞くんだってな。俺も同じだから合流したい』

 

 今度は1分弱の間が開いて既読が付き、返信が来る。

 

『わかった』

 

 その後、連絡を取り合って綾小路と合流。そこからは綾小路と佐倉の間で連絡を取り、3人が集まった。

 

「悪いな佐倉、急に呼び出して」

 

「ううん、その、私も急に試験が終わっちゃって、不安だったから……」

 

 本当に戸惑っている様子でそう言う佐倉。

 佐倉と会うのは、なんだかんだで結構久しぶりだな。無人島試験の最終日以来か。

 

「佐倉のグループの優待者について、何か分かったことはあったか? もしくは、お前自身が優待者ってことは……」

 

 そう問うが、佐倉はそれを真っ向から否定するように首を横に振った。

 

「私は優待者じゃなかったよ。ただ、誰が優待者かについては、全然……ごめんね」

 

「いや、謝ることじゃい。それが分からないのはオレたちも同じだ」

 

 そう言って安心させる綾小路。

 

「ほか三人の様子はどうだったんだ? 裏切る素振りとかあったか?」

 

 それに対しても、佐倉は首を横に振る。

 

「ディスカッション中に見てた限りだと、そんなことはなかったと思う……でも、それ以外の時間は分からないから……」

 

「……そうか」

 

 ディスカッションでは特に変わった様子はなく、突然裏切りが起こったってわけか……。

 

「Aクラスはどうだった? 噂には聞いてると思うが……やっぱり話し合いには参加してなかったか?」

 

「うん。ほんとに全然話す気がない、って感じだったよ……」

 

 まあ、それはそうだろうな。藤野も言っていた通り、坂柳派の生徒もこの試験では表立っては葛城の策には逆らわない。

 だが、優待者メールの送信はどうだ。誰が送ったかが全く分からない以上、表立っての反逆にはならない。葛城派をさらに失脚させるために、適当にメールを送ってAクラスにマイナスをつけた可能性も否定はできない。

 だが、藤野の話によれば葛城派はすでに求心力をかなり失っている。放っておいても葛城派は失脚し、坂柳が台頭することはほぼ確実。そんな状態で迎えたこの試験で、わざわざ50のマイナスをつけることに果たして意味はあるのか。

 もう一つの可能性は、Cクラス。

 だが……龍園の話によれば、Cクラスは優待者の法則を看破することを目指していたはず。つまり勝負をかけるとすれば、それは法則を見破ったとき。そしてその時は一気に片を付けるはずだ。グループGの1つだけを裏切るというのはおかしな話だ。

 決め手に欠ける。どちらのクラスにももっともらしい理由があり、それを否定する材料も同時にある。今そろっている材料だけでは判断することはできない。

 試験結果でポイント増減が明らかにされれば、特定できるかもしれないが。

 今はDクラスが裏切ったわけではなさそうだ、ということが分かっただけでもよしとしておくべきだろう。Dクラスの優待者が見破られたという可能性は、このグループに限って言えば『絶対にあり得ない』。

 

「話してくれて助かった。ありがとう佐倉」

 

「う、うん。こんな私でも、役に立ててよかった……」

 

 ほっと胸をなでおろす佐倉。

 

「この前みたいに、相談事があったらいつでもオレに伝えてくれ。できる限り力になる」

 

「ありがとう綾小路くん。速野くんも、またねっ」

 

「ああ」

 

 小さく手を振り、立ち去っていく佐倉を見届けてから、俺は綾小路に向き直る。

 

「……佐倉から何か相談受けてたのか?」

 

「ああ。グループのメンバーがきつくて憂鬱だ、と相談を受けた」

 

「なるほど……須藤に池に松下、佐倉の気が滅入るのも仕方ないか」

 

 堀北と同じグループになった俺は、ある面では幸運といえるのかもしれないな。

 

「順調に佐倉の信頼を得ていっているようで何よりだ」

 

「そう誘導したのはお前だろ。佐倉本人から聞いたぞ。これからはオレを頼れって、お前から佐倉に進言したらしいな」

 

 あら、話伝わってたか。なら正直に答えよう。

 

「まあな……。須藤の暴力事件の時、佐倉に証言台に登ってもらうためにはそう言う方がより確実だと思ったんだ」

 

 それがあったからこそ……と言えるほどの影響があったかはかなり疑問だが、結果としては佐倉の証言のおかげで再審となり、Dクラスは事なきを得たのだ。結果オーライ結果オーライ。

 

「話も聞けたし……俺はまた用事があるからもう行くが、お前はどうする?」

 

「特にこれと言って用事はないが、ちょっと地下の方をぶらつこうと思ってる。あんまり行けてないからな」

 

「地下か。何階だ?」

 

 何の変哲もないこの質問に答えるのには少し不自然な間があったことを、俺は見逃さなかった。

 

「いや、特には決めてない」

 

「そうか。なら途中まで一緒に行くか。俺も行き先は地下なんだよ」

 

「そういうことなら、いいぞ。ちなみに何階なんだ?」

 

「2階だ」

 

「そうか」

 

 同意を取り、二人で地下へと足を運ぶ。

 さっきの間……本当に地下何階に行くかを決めていないなら、あんな間は生まれない。

 こいつ、地下で一体何をするつもりなのか。

 

 

 

 

 

 1

 

 綾小路と地下1階で別れた俺は、地下2階にある演劇鑑賞スペースに来ていた。

 昨日映画を観た際にこの近くを通ったものの、演劇を観るのはもちろんこのバカンスで初めてのことだ。

 掲示の注意書きに従い、携帯の電源を切って中に足を踏み入れる。

 椅子は50席ほどが用意されており、観客は現在のところ俺を含めて7名のようだ。

 

「……まだか」

 

 俺は用意された席のうち、出入り口から最も遠く、且つ斜めからの鑑賞になってしまう一番人気の低い席に腰かけた。

 そして出入り口に注意深く目を向けること数分。

 目当ての人物が入ってきた。

 声は出さず、手を振り上げて自分がここにいることを伝えると、その人物も俺の視認に成功したようで、こちらに歩いてくる。

 

「悪いな急に」

 

「ええ、本当に正気か疑ったわ。話さなきゃいけないことがあるから演劇スペースに来いなんて……」

 

 俺の目当ての人物とは、何を隠そう堀北鈴音である。

 演劇鑑賞という場であるためにこの空間は通常より暗がりではあるが、堀北が不機嫌であることはプンプン伝わってくる。

 

「それで、手短に済ませてくれるかしら。劇が始まってしまうわ。その前にここを出ないと……」

 

 そう言って急かす堀北。

 どうやら、大きな勘違いがあるらしいな。

 

「いや、俺は演劇中に伝えるんだよ。だからお前もこの劇を観ることになる」

 

 そう伝えると、あまりに衝撃的過ぎてか、堀北の体が硬直する。

 

「……冗談でしょう」

 

「いやマジだよ。ほら、もうあと1分でトイレ除いて原則入退室不可になるぞ」

 

「なっ……」

 

 もう迷っている時間はない。決断するなら今しかないという状況。

 演劇鑑賞か、この場からの逃走か。

 堀北が選んだのは……前者だった。

 観念したように、俺の隣の席に腰かける。

 と同時に、俺の足を思いっきり踏んづけてきた。

 

「んゔうゔっ……!!!!」

 

 叫び声を何とか我慢する。

 い、痛すぎる……こいつなんちゅーことを……足先の爪のところ的確に踏みやがって。確実に内出血だ。下手すりゃ爪割れてるぞこれ。

 

「お前な……!」

 

「あら、ごみを踏んだかと思ったらあなたの足だったのね。ごめんなさい」

 

「……」

 

 こいつ……いま龍園以上にむかついたぞ。

 騙し討ちみたいな真似になったのは悪いと思ってるが、明らかに負った傷が釣り合ってないだろうがこれは。

 いってえ……

 と、そんな俺の悲惨な状況をよそに、演劇が幕を開けた。

 題目は『オペラ座の怪人』。

 この作品に触れるのは俺自身初めてのことで、右足の爪が痛くて、実のところ痛くて割と楽しみにしていたりするいってえなマジで!

 

「……」

 

 ……ちょっとあまりにも痛すぎるので、できるだけ音をたてないように靴を脱ぎ、患部をさすって痛みを誤魔化す。

 ふう……少しはマシになったか……。

 まだまだ痛いことに変わりはないが、先ほどのように思考の途中に割り込んでくるほどではなくなった。

 この空間には時計がなく、今どれくらい経過したかは分からないが、ストーリーの進行は起承転結の承に差し掛かったあたりくらいか。

 そろそろか、と思い、声を潜めて堀北に話しかける。

 

「結構見入ってるところ悪いが……話すぞ」

 

 かなり小さい声だが、隣にいる堀北には十分聞こえる大きさだ。

 

「……何」

 

 堀北の方も努めて小さい声で返答する。

 お互いにこの声量なら、他の誰かの耳に入ることもない。

 そう確信し、俺は一つの事実を口にする。

 

「……菊池は優待者だ」

 

「っ……!」

 

 驚きを隠しきれず、思わずこちらに顔を向けてしまう堀北。

 しかしすぐに舞台の方に向き直る。

 

「……それは確かなことなの?」

 

「……ああ。一昨日の夜、平田から聞いた」

 

「……なぜもっと早く言わないの」

 

「……タイミングも場所もなかったからだ」

 

「……まあいいわ。他に平田くんに名乗り出た優待者は?」

 

「……グループAの南と、グループKの櫛田だ」

 

「……あと一人足りないわね」

 

「……平田から聞かされたのは、今の3人だけだ」

 

「……そう。わかったわ。それで、それを聞いていたあなたは法則を掴めたのかしら」

 

「……無茶言うな。サンプルが3つじゃ厳しすぎる」

 

「……それもそうね」

 

「……取り敢えず、当初報告する予定だったのはこれだけだ」

 

「……当初? ……ほかにも何かあるというの?」

 

「……さっき、グループGの試験が終わったことについて、佐倉に話を聞いてきた」

 

「……それで?」

 

「……聞いた限りでは、Dクラスの生徒が裏切った可能性は薄い」

 

「……優待者がDクラスにいて、それを見破られた可能性は?」

 

「……完全に否定はできないが、グループGのDクラス生は池、須藤、佐倉、松下だ。佐倉は優待者じゃないと言ってたし、もしそうでも綾小路あたりには名乗り出そうだ。それ以外も、松下なら平田に、須藤ならお前に、池なら須藤を介してやっぱりお前に、それぞれ名乗り出ると考えられる」

 

「……なぜ須藤くんが私に名乗り出るかは分からないけれど……そうね、その4人なら、確かにクラスにまで隠し通している可能性は低いといえそうね……」

 

「……ああ。だからグループGの結果が3と4のどちらであれ、俺たちがマイナスを被る可能性はかなり低いとみていい」

 

「……そうね」

 

「……これで報告は終わりだ」

 

「……わかったわ」

 

 言うべきことを言い終え、それ以降はお互いに演劇鑑賞に興じた。

 

 

 

 

 

 2

 

 上演が終了し、係員の案内に従って鑑賞スペースを出る俺たち。

 ……いや、よかった。演劇。マジで。

 こういう機会でもないと触れることさえなかったであろう世界。今日ここに来たのは間違いなく正解だった。

 隣を歩く堀北も、恐らくは同じように感じているだろう。相変わらず表情はぶすっとしているが、初めここに入ってきたときにはあった不機嫌さが消えている。少なくとも不満ということはないようだ。

 

「さて、電源つけるか……」

 

 ボタンを長押しし、端末の電源をつける。

 そんな時、俺はちょっとした違和感に気付いた。

 

「……なあ、なんかやけに騒がしくないか」

 

「……そうね。何かあったのかしら」

 

 そう、フロア全体が不自然にざわついているのだ。

 もともと地下1階~3階は娯楽施設が集まっているフロアということもあって、地上階よりも騒がしいことは騒がしい。

 しかし、それを加味してもおかしいと感じた。俺だけでなく堀北も感じたというのだから、程度の甚だしさがわかるだろう。

 それに、生徒一人一人の表情を見てみると、何かトラブルでも発生したかのような、そんな不安を感じさせるものだった。

 

「あ! 堀北さんと速野くん、こんなところにいた!」

 

 そんな中、その声とともに一人の男子生徒がこちらに駆け寄ってくるのを視認した。

 Dクラスの沖谷。この船における俺のルームメイトでもある生徒だ。

 

「どうかしたか沖谷」

 

「や、やっぱり……二人とも連絡が取れないって聞いてたけど、知らないんだね!」

 

 かなり必死に探し回っていたようで、息を切らしながら必死で言葉を紡いでいる。

 

「あ、ああ。さっきまで端末の電源切ってたから……」

 

「それで沖谷くん、何が起こったというの? そんなに焦って」

 

「本当に大変なんだ! 二人ともメールを見て!」

 

「メール……?」

 

 言われるがまま、メールの受信フォルダを確認する。

 するとそこには、あまりにも衝撃的な内容のメールが受信されていた。

 

「そこにも書いてあるけど……グループIの試験が終了したんだ!」

 

「なっ……!」

 

「ど、どういうこと……!?」

 

 俺も堀北も驚きを隠せない。

 それも、つい先ほど菊池が優待者だという話をしたところというのもあり、その動揺、焦燥は頂点に達していた。

 そのせいかは分からないが、堀北は疑惑の目を俺に向けてきた。

 

「……あなたまさか」

 

 それに関しては即座に否定する。

 

「待て待て、お前俺が今まで端末の電源消してたの見てただろ。演劇スペース内は電源オフなんだから。そんな状態でどうやってメール送るんだよ」

 

「……そう、よね」

 

 冷静に考えれば、俺がメールを送って試験が終わったわけではないことはすぐに分かる。

 

「……平田から話したいってメッセージが来てる。とりあえず俺は平田のところ行ってくるからな」

 

「え、ええ……」

 

 少し顔色がよろしくない堀北を置いて、俺は男子の宿泊部屋がある3階へ向かった。

 ここまでグループE,グループGと試験終了になったが、次に自分のグループの試験が終了するとは微塵も思っていなかったようで、堀北は半ば放心状態になっていた。

 まあ、致し方ないことなのかもしれない。

 この試験が裏切り者によって終わる場合……ほぼ例外なく、その時は突然やってくるのだ。

 

『グループIの試験が終了いたしました。グループIの方は以降の試験に参加する必要はありません。他のグループの妨げにならないよう、注意して行動してください』

 

 メールの受信時刻は、演劇の真っ最中である11時ちょうど。

「……予定通りだな」

 

 

 

 



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それぞれの思い

 グループIの試験が終了したという話は、俺と堀北が演劇鑑賞で外界との連絡を絶っている間に全生徒に駆け巡った。

 その件に関して、平田と話し合うことに。

 演劇スペースのある地下2階から、急ぎ足で平田の部屋へ向かう。

 ドアの前に立ってノックすると、すぐに平田がドアを開けて迎え入れてくれる。

 

「速野くん」

 

「おう……」

 

「まあ、入って。立ち話もなんだしね」

 

「分かった」

 

 促されるまま部屋に入る。

 中には平田のほかにも幸村、そしてグループIの優待者である菊池もいた。

 以前2度来た時に座ったのと同じ椅子に腰かける。

 菊池とは丸テーブルをはさんで向かい合う形になったが、二人とも体はベッドに座る平田と幸村の方を向いているため、対面とは少し違う感じだ。

 早速平田が口を開く。

 

「君が来る前に菊池くんからも話は聞いたけど、あえて同じことを速野くんにも聞くよ。菊池くんが優待者であることを見破られてしまった可能性はある?」

 

 まずは一番の懸念点を聞いてくる。

 自クラスに優待者がいるグループで試験が終了したとなれば、一番気になるのはその点だろう。

 

「俺の肌感覚で構わないなら……菊池がそうだと悟られるような失言はなかった、と思う。ところどころ疑問を抱いたとしても、裏切るに足るほどの材料をディスカッションの場で揃えられたとは思えない」

 

「だ、だよな! 大丈夫だよな!」

 

「ああ……」

 

「ふう……な? 言っただろ幸村」

 

 俺の証言もあり、ひとまずは自分のミスではないことが証明されてほっと胸を撫でおろす菊池。俺が来る前、幸村にだいぶ強く詰め寄られたらしいな。

 

「いや、まあ……もちろん絶対とは言い切れないが……」

 

「お、おい!」

 

「お前の発言を一字一句聞いて覚えてるわけじゃないし……」

 

 狼狽えている菊池には悪いが、一応こう言って保険をかけておく。

 

「でも、見破られた可能性は低い、と考えていいんだね」

 

「ああ。可能性の話ならそう考えていいと思う」

 

 ああは言ったものの、少なくとも、菊池の様子から見破られた可能性は限りなくゼロに近いと言っていい。

 

「可能性の話なら、もう一つあるだろ」

 

 幸村が俺に鋭い視線を向けつつ、そう言う。

 

「なんだよその可能性って」

 

「このグループIが特殊グループで、Dクラスの誰かが3人の名前を書いて裏切った可能性だ」

 

 ……仕方のないことではあるが、かなり疑心暗鬼になってるな、幸村は。

 幸村の疑問は、平田がすぐに否定した。

 

「それだけはないんじゃないかな。優待者である菊池くんに回答権はないし、速野くんと堀北さんは試験が終了した瞬間は演劇スペースにいて、端末の電源を切ってたんだ。だからこそ初めは連絡がつかず、話を聞くのが遅れたわけだしね」

 平田は理路整然とした説明で、俺たちの裏切りの不可能性を説く。

 

「……そうだったな。悪い」

 

「いや、分かってくれたならいい」

 

 俺にも堀北にも完璧なアリバイがある。

 堀北も一瞬俺に疑いの目を向けてきたが、俺の無実である証拠を目撃したのは堀北自身。疑うことしかできないどころか、疑うことすらできない状況だ。

 

「でも、演劇スペースで何してたんだ?」

 

 些細なことも気になるのか、幸村が質問してくる。

 

「普通に二人で演劇鑑賞、とは思わなかったのか」

 

「いや……別にそれならそれでいいんだが」

 

 まあ、幸村の疑問も分からないではない。俺も堀北も、演劇を見るにしても一人で行くだろうと思われているはずだ。そして実際それは当たっている。事情がなければあんな場所に誘ったりはしない。

 

「……さすがに冗談だ。ただ見に行ったわけじゃない。堀北に、平田から聞いてた優待者の件と、早朝にグループGの試験が終わった件について聞いた話を報告してたんだ。あそこなら誰かに聞かれる心配もないと思ってな」

 

「……そうだったか」

 

 幸村もそれで納得したようだ。

まあ本当のことだし、これ以上勘繰られてもこっちが困る。

 

「でもこうなると、特殊グループがグループIである可能性は低くなったとみていいね」

 

 そう平田が言った。何か一つの結論に達したようだ。

 

「え、どうしてだ?」

 

 菊池が尋ねる。幸村も理解するには至っていないようで、平田に視線で疑問を投げかける。

 

「もしグループIが特殊グループだった場合、少なくとも菊池くんが見破られていない状態で、Dクラス以外の誰かが3人の名前をメールで送った可能性が高いことになる。けどそれはおかしなことだ。確信を持てない人物の名前は書かないのが自然だよね。間違えればその分マイナスを受けてしまうから」

 

「そっか……確かに」

 

「このグループが特殊グループなら、試験は続行してるはずってことか」

 

「うん、そう考えるのが自然だと思う」

 

 平田の言う通り、可能性としてはそっちの方が高い。

 しかし、俺はここであえて違う説を唱えることにした。

 

「いや、でもそうとも限らないんじゃないか。もしかしたら、何らかの方法でこのグループが特殊グループであることを見破った人間がやみくもに3人の名前を送った可能性もある」

 

「え?」

 

「でも、そんなことをしたらクラスポイントが……」

 

「ああ。でも、クラスポイントなんかより、目の前のプライベートポイントの方に目がくらんだ人間がいたとしたら……」

 

「っ、そういうことか……」

 

 幸村は理解するに至ったようだ。

 

「説明してもらえないかな、幸村くん」

 

「ああ、速野が言ってるのは、単純に期待値計算の話だ。だよな?」

 

 その問いに俺は頷く。

 

「特殊グループの説明に、プライベートポイントのマイナスはされない、って書いてあっただろ? つまり、クラスポイントを無視すれば、優待者を適当に指名してもそいつにとって損はないってことだ。計算したら分かるが、3人を適当に指名しても、大体4分の1弱の確率でそいつには50万ポイント以上が転がり込んでくる」

 

 さすがにこのあたりの数字に強い幸村。一瞬で確率計算を組み立てたようだ。

 計算上、3人を適当に指名して得られるプライベートポイントの期待値は16万ポイント強。クラスポイントを無視すれば、という条件は入るが、それができる人間にとっては賭けに出ないほうがおかしい勝負なのだ。

 

「なるほど……確かに、そういう考え方もできるね」

 

「そして、俺たちは3分の1の確率でそのとばっちりを食って、50クラスポイントのマイナスだ……」

 

 最悪の事態を想像して頭を抱える幸村。

 そんな幸村の肩に手を置き、諭すように平田が言う。

 

「幸村くん、あまり思いつめすぎるのはよくないよ。これに限らず、今まで出た話も全て『その可能性もある』ってだけだし、それにもしそうだとしても、確率としては3分の2で50ポイントのプラスだよね。こう考えればポジティブに捉えることもできる」

 

「それはそうだが……」

 

「グループIがどんな結果になっても、言ってしまえばすでに終わったことだ。僕らにはもうどうすることもできない。そんなことで心を乱しても、明日のディスカッションに悪影響が出てしまうだけだ。だから焦ることはないよ」

 

「……そう、だな」

 

 まだ幸村のグループの試験は終わっていない。

 すでにどうすることもできない過去にばかり気を取られて、今やるべきことを見失ってしまうのは愚かなことだ。

 

「二人とも、試験お疲れ様。あとは僕らが頑張るよ」

 

「あ、ああ。頼むぜ」

 

「うん」

 

 それでこの場は解散となり、俺と菊池はそれぞれの部屋に戻った。

 いろんな可能性が唱えられ、検証もされたが……平田にしても幸村にしても、見落としている可能性が一つある。

 だが、指摘することはなかった。気づいていないなら気づいていないで、こちらにとっては好都合だからだ。

 俺が指摘しなくても不自然な部分はない。平田にも思い至らなかった可能性に俺が思い至らなくても当然だろう。

 

 

 

 

 

 1

 

 平田の部屋を出た後、俺は次に堀北から呼び出を受けていた。

 12時に演劇スペースを出てから怒涛の展開で昼食を食べそびれたため、そのついででいいなら、ということで了承した。

 ただ一方で向こうはすでに昼食を済ませたらしく、行くならカフェにしろと言われた。なのでまたあのカフェを使うことになる。これで3度目だ。

 その場所に赴くと、すでに堀北が到着してコーヒーを飲んでいるのを確認したため、その席に行って堀北に向かい合うようにして座る。

 

「……待たせたな」

 

「ええ。5分待ったわ」

 

「……そすか」

 

 別に謝りはしない。平田の部屋から最短ルートで来たのだから、俺が責められる謂れはない。

 ……ない、はずなんだけどな。一体全体なんでこいつは俺を責めるような口調なんだ。生まれつきか。

 新たな来客にウェイターが気づき、俺にメニューを渡してくる。

 以前と同じウェイターだった。

 

「ご注文お決まりになりましたら、お申し付けください。いつもご利用ありがとうございます」

 

「あ、ああ……どうも」

 

 どうやらウェイターも俺の顔を覚えていたらしく、去り際にそんな一言を添えてくれた。

 

「……頻繁に利用しているの? ここ」

 

 そこに疑問を覚えた堀北が聞いてくる。

 

「いや、頻繁って程じゃないが、三度目だ。顔覚えられてたっぽいな」

 

「……そう。まあいいわ。それで、平田くんと話してどういった結論に至ったの?」

 

「別に、目新しい話はなかったぞ。全部お前が思いつく範囲のことだったと思う」

 

 実際そうだろう。試験終了の報告を受けてすぐはこいつもかなり焦っていたが、昼食も挟んだようだし、冷静になって考える時間はあったはず。

 菊池が見破られた可能性は高くないこと。

特殊グループだった可能性はあるものの、Dクラスがメールを送った可能性はあり得ないこと。他クラスがメールを送っていたとしても、確率的にDクラスがマイナスになる可能性は低いこと。

これら全て、堀北なら一度通った思考の道だろう。

 

「まあ結論としては、終わったことを気にしても仕方がないから試験に集中しよう、ってことになったけどな。平田たちはまだ試験続いてるわけだし、当然と言えば当然の結論だが」

 

「……そうね」

 

 そんな、少し弱弱しい声が返ってきた。

 先ほどから妙に堀北の反応が鈍い。

 

「……何か腑に落ちないことでもあるのか?」

 

 気になったので直接質問する。

 すると堀北は、こちらに強い視線を向けて口を開いた。

 

「……気がかりなのはあなたの行動よ、速野くん」

 

「は? ……俺?」

 

「……私は前回の無人島試験での行動を受けて、あなたのこの試験での行動を疑っていた。今回も何かしでかすんじゃないかとね。そしてあなたが所属したグループで裏切りが起こり、でもあなたが裏切っていないというアリバイ証人が私……都合が良すぎないかしら」

 

「いや、そんなこと言われても……裏切りが起こる時間なんて予測できるわけないだろ。俺があの場所を指定したのだって、話を誰にも聞かれないためにはどこがいいのかってのを考えてのことだし……お前もそれは納得済みで、演劇スペースに来たんだろ?」

 

「それは、そうなのだけれど……」

 

「そんなことで疑惑をかけられても困るぞ。偶然以外に説明のしようがない。お前いずれ、俺とお前が同じグループに振り分けられたことすら怪しむんじゃないのか」

 

「話をそらさないでくれるかしら」

 

「そらしてねえわ。……つまり俺から言えることはだな、あんなの偶然以外の何物でもないってことだ。俺だって、演劇見て終わったら試験まで終わってた、なんて驚いたに決まってるだろ」

 

「……」

 

 偶然で片づけられているものに疑いをかけるのは、別に悪いことじゃない。

 しかし、偶然で片づけられていることにも理由がある。

 その理由を解き明かさない限り、疑いは永遠に疑いのまま。

 偶然で片づけた側は、偶然だと言い張るのみだ。

 話がひと段落したことを感じ、俺は手を挙げてウェイターを呼び寄せる。

 

「お伺いいたします」

 

「パスタセットで……パンかライスの選択はパン、紅茶かコーヒーは紅茶、デザートは……バナナタルトで」

 

「かしこまりました。少々お待ちください。メニューおさげいたします」

 俺の注文を記録し、立ち去っていくウェイター。

 再び二人になり、今度は俺から話を振る。

 

「それで……どうだ堀北。前回の試験と今回の試験、総合して、一番クラスの役に立ってるのは誰だと思う? あいつは除いて」

 

 俺や綾小路はひとまず度外視して、誰が最もクラスに貢献したか。

 

「……何が言いたいの?」

 

「いいから答えてみろよ」

 

「……平田くん、でしょうね」

 

 平田のことを信用していないとは言いつつも、その功績や実力はちゃんと認めているようだ。

 無人島で、Dクラスが一つの学級としての体をなして試験に挑むことができたのは、ひとえに平田の功績だ。

 それに今回も、優待者やアルファベットなど、有用な情報を集めたのは平田だ。

 

「翻って、自分はどうだ。1学期に役立たずだと思ってたDクラスの人材より活躍できたと、胸を張って言えるか?」

 

 これは特に無人島試験で顕著だ。

 Dクラスがベースキャンプにした川のスポットを見つけたのは、堀北が一時「退学した方がいい」とまで宣った須藤、池、山内の三人だ。

 池の持っていたキャンプ知識で、食料などの面でDクラスの消費ポイントを抑えることもできた。

 しかし堀北は、まあ体調を崩していたというのもあるが……そう言った面での活躍はまったくと言っていいほどできなかっただろう。その点に自覚がないわけではあるまい。

 

「……だから、それが何だというの」

 

「お前もそろそろ、Aクラスに上がるためには、お前自身が『クラスの一員』として協力していくことの必要性をいやでも分からせられたんじゃないかと思ってな」

 

 先ほど「そう言った面での活躍ができなかった」と言ったが、別にそれはそれで必ずしもダメなことというわけじゃない。適材適所という言葉があるように、こいつの得意分野は別にあるだろうからな。

 しかし適材適所が通用するのは、その集団内でしっかりと協力体制が取られている場合に限る。

 そうでないと、適材も何もないだろう。一人で生きている人間の材は自分しかないのだから。

 

「……この夏休みの二つの試験で、自分一人では何もできないことを実感させられたことは否定しないわ」

 

「なら」

 

「話はこれで終わりよ。私は戻るから」

 

「あ、おいちょっと……」

 

 俺が制止する間もなく、堀北は席を立ち店を出て行ってしまった。

 

「……あともう一押しか」

 

 逆に言うと、これでもまだ一押し足りないということになるわけだが。

 まああいつもあいつで、今まで貫いてきた生き方ってものがあるんだろう。

 それがここでは通用しないことを受け入れるのは、それなりに辛いものがあるだろうからな。

 

 

 

 

 

 2

 

 夕食の時間。

 俺は、自分と同じく試験が終わった組である須藤と池とともに夕食を食べていた。

 なんの巡り合わせか、この二人と二日続けて夕食を共にすることになるとは……。

 今日はラーメンではなく、ビュッフェをやっている洋食レストランに来ている。

 

「まさかお前のところまで試験終わっちまうなんてな」

 

「まあな……本当に突然終わるんだな。……お前らもびっくりしただろ」

 

「そりゃそうだぜー。朝起きたらいきなりだもんな」

 

「裏切った奴に心当たりとかねーのかよ」

 

「ああ……全く。堀北も最初はかなり混乱してたよ」

 

 というより、俺たちDクラスに限らず、そのほかのグループIの「ほぼ」全員が混乱していただろう。

 あのグループは、初めからどんなことがあろうと誰も裏切るつもりはなかっただろうしな。

 

「……つか、そんなことよりよ、俺はお前に聞きたいことがあんだよ」

 

「……?」

 

 目を伏せてそう言う須藤。

 ジュースが入っていたグラスを飲み干し、それをガン、とテーブルにたたきつけて、俺を睨みつける。

 その音に驚いた池は体を跳ねさせるが、それにも構わず須藤は俺の肩を掴んで言う。

 

「……聞いたぜ速野。お前、試験が終わったとき、堀北と二人で演劇見てたらしいじゃねえか!」

 

「あー……」

 

 なるほど、そういう怒りだったか……。

 

「いや、まあ確かにそれは事実だが……」

 

 ったく、これ説明するの今日で何回目だ……?

 俺はひとまず須藤をなだめ、周りには聞こえないよう小さい声で返答する。

 

「……あの時、グループの試験が終わるなんて知らなかったからな。試験について話し合うために会ってたんだよ」

 

「んなら、あんな場所じゃなくても……」

 

「ああいう場所だからいいんだよ。皆作品に集中してて、こうやって小さい声で話しとけば、周りからは何言ってるか聞こえないからな。この試験、話し合いを持つにしても、他クラスには秘密にしといたほうがいい内容が多いのはお前も分かるだろ?」

 

「あ、ああ……」

 

「それだけのことだ。だから安心しろ須藤。それに、これ見てみろ」

 

「あ?」

 

 俺は履いていたスリッパを脱ぎ、素足を晒す。

 普段は学校から持参した上履きを履いているが、風呂を終えるなどしてもうやることが残り少なくなると、スリッパに履き替える生徒が多いのだ。

 

「うおっ、お前なんだそれ……」

 

 それを見て須藤が驚く。

 右足の爪が、内出血によって赤黒く変色しているのだ。中々にグロテスクな光景だ。

 

「堀北に足踏んづけられたんだよ。俺に誘われたのが相当むかついたらしくてな。でも試験の話だからって嫌々誘いに乗ったんだ。これがその証拠だ」

 

「お、おっかねー……」

 

 池が軽く引いている。

 対して、須藤はそれを見て何か考え込む所作を見せ、少し間をおいてからうんと頷いた。

 

「……わあったよ。信じてやる」

 

「そりゃよかった……」

 

 恒常的な痛みはずいぶん前に消えているが、足先に力を入れると痛むため、踏ん張ることができない。そこそこの傷を負ったものの……まあ、よしとするか。いやよくはないけどな。

 

「……っと、料理切れた。ちょっと取ってくる」

 

「おう」

 

 そう断りを入れ、料理が置かれているスペースに移動する。

 スパゲッティ……これはボンゴレビアンコか。それが目に留まり、トングで皿に盛りつける。

 すると、その隣に一人の体格のいい男が立っているのに気づく。

 

「……葛城」

 

「速野か」

 

 葛城もここで夕食をとっているようだ。

 しかし、俺を見る葛城の表情は渋い。

 

「正直、あまりお前と話したくはない」

 

「……は?」

 

「無人島で、お前とは2度会話を交わしたが……あれは2度とも、俺の思考を誘導するためのものだったのだろう。リーダー入れ替えの可能性に気付かせ、堀北の名前をリーダー指名の際に書かせないため。そしてもう一つ、内部にある不安要素を煽り、俺たちにリーダー指名をさせないため。それに加え、例の件に関してもその一環なのだろう」

 

 例の件、とは、恐らく清水と森重から伝え聞いていたであろう契約のことか。

 誘導されていたこと自体には気づいてたんだな。

 

「……それで、今回も誘導されるんじゃないかと考えてるわけか」

 

「……」

 

 悔しさからか、口を噛み締めている葛城。

 

「……安心してくれ。今回は別に堀北から何か指示受けてるわけでもないし、てか、俺と堀北のグループが既に試験終わってるの、お前も知ってるだろ?」

 

「……ああ。だが、堀北とお前への警戒を解くことはない」

 

「一度してやられた他クラスの生徒に対しての警戒を解け、なんて言う方が無理な話だ。そんなことは言わない。会話したくないなら俺が離れる」

 

 そう言って、俺は隣にあったピザを一切れ皿にのせ、その場を離れようとした。

 

「俺の作戦について、何か言ってくると思っていたんだがな」

 

 葛城のそんな言葉で、俺は足を止める。

 ……なんだ、探りを入れてきたのか。

 

「……そりゃ俺だってやめてほしいとは思ったよ。でもそんなこともう何度も何度も言われてきたんだろ? 一之瀬や……それに直接聞いたわけじゃないが、堀北本人からだって接触があったんじゃないか? それで変わってないなら、俺が何言ったって無駄だろ。じゃあな」

 

 それだけ言って、俺は今度こそトレイを持ってその場を離れた。

 無人島での件、結構根に持たれてるみたいだな。当然と言えば当然のことではあるんだが。

 俺が何言っても無駄というのは、まるっきり嘘というわけでもない。

 無人島において葛城への誘導が効いたのは、それが「事実」に基づいていたからだ。

 リーダーの入れ替えという、葛城と龍園の思惑を完全に打ち破ることのできる解決策が存在する「事実」。

 葛城が内部に不安要素を抱えているという「事実」。

 しかしこの試験では、そういった誘導のもとになるような「事実」がない。

 さらに言えば葛城は俺のことを警戒しきっている。

 その警戒心を逆に利用して、俺が「いい作戦だと思う」なんて言ったら、少しは可能性が出てくるかもしれないが……それでも、0が0.01になる程度のもの。作戦を変えることはないだろう。

 そもそも、俺は葛城の作戦を変えたいとは全く思っていない。

 なら動く理由もない。それだけのことだ。

 

 

 

 

 

 3

 

 池と須藤と別れ、自室に戻っている最中。

 持っていた端末にメッセージが入った。

 

「綾小路……?」

 

 内容は呼び出し。

 今から屋内階段に来てくれ、と。

 

「……なんだ?」

 

 特に断る理由もないので、了承のメッセージを返す。

 屋内階段は今歩いている方向とは逆方向にあるため、Uターンすることになる。

 そこに着いて少ししてから、綾小路がやってきた。

 

「……もういたのか」

 

「ちょうど廊下にいたときにメッセージが来たからな。そのまま向かったんだ」

 

「いま時間は大丈夫か」

 

「……まあ、後は歯磨いて寝るだけだから」

 

 てか、そういうのはメッセージ送る段階で確認しとくことなんじゃないのか……。

 

「少し話せないか」

 

「話す? ……って、何を?」

 

「それを言う前に場所を移したいんだが、いいか」

 

「……ああ」

 

 周りに聞かれたくない話をするようだ。

 人払いができる場所に心当たりがあるのか、迷った様子もなく船を歩いていく綾小路。

 その背中についていき、たどり着いたのは船首だった。

 ここには光源がなく、夜に来るにはあまりにも暗い。

 ここなら誰かに話を聞かれる可能性も低いってわけか。

 

「で、なんなんだよ話って」

 

「協力してほしいことがある」

 

 急な申し出だ。

 

「協力……?」

 

「そうだ。試験に勝つために」

 

「……」

 

 こいつからこんなセリフが飛び出すとは……。

 さすがに気になる。

 

「……お前、無人島の時から変だぞ。前々からなんだかんだ言って裏からDクラスを助けてはきてたが、こんなに積極的じゃなかっただろ」

 

「まあ、意識が変わったんだ」

 

 うわあ、こんなにわかりやすい嘘もなかなかないぞ。

 

「嘘だな。こうやって動かざるを得ない事情が何かあるんだろ。まだ何か隠すつもりか」

 

 ちなみにだが、綾小路が暗躍していることに関しては、俺が反論の余地もない状況に追いやって強制的に認めさせた。

 無人島試験6日目のあの時、キーカードをわざと落っことしたこと。山内に頼んで堀北を泥だらけにさせたこと。

 これらのことで綾小路の狙いを看破した俺は、伊吹が堀北からキーカードを盗み出す場面をデジカメで撮影した後、次に綾小路の動向を追っていた。カードを持った伊吹が、Dクラスのベースキャンプから抜け出しやすくなる状況を何らかの形で作ると踏んでいたからだ。まさかマニュアルに火を放つとは思わなかったが……驚きつつも、俺はその様子もデジカメに収め、森に入っていった綾小路を捕まえ、映像を見せた。

 それすらも「出来心だった」で誤魔化そうとしたのには笑ってしまったけどな。放火よりも暗躍の方がバレるのが嫌なんて、こいつの中の優先順位はどうなってるんだと。

 しかし、葛城にリーダー入れ替えの可能性を悟らせたことを告げると、ついに認めた。

 まあ、それはこいつの作戦の総崩れを意味していたからな。認めなければDクラスの躍進はない。もはやこれまでと思ったんだろう。

 

「どうなんだよ」

 

 念を押すように、改めて問う。

 

「……事情はある。だが詮索はするな」

 

「……」

 

 綾小路の雰囲気が変わるのを直感的に感じた。

 殺気にも似た凄みが綾小路から溢れ出る。

 なるほどね……アンタッチャブルな場所だったか。

 

「……わかったよ」

 

「タダで協力してくれとは言わない。ポイントを払う用意はある」

 

「いや、お前そんなにポイント持ってないだろ。それにお前への協力の対価を安いポイントで済ませるのは勿体ない。貸し一つにしてくれ」

 

「……わかった」

 

「ただ、まだ協力するとは言ってないぞ。内容を聞いてから決める。俺に何をしてほしいんだ?」

 

「そんなに難しいことじゃないんだけどな」

 

 綾小路の頼みは、至極単純なもの。

 それでいて、確かにDクラスの勝利へと近づけるものだった。

 

「なるほど……わかった。それでいいなら協力する」

 

「助かる」

 

 綾小路がこんな作戦を立て、そして俺にこんな協力を頼んだってことは……グループLの優待者はDクラスにいることに気付いたんだな。

 でもそうだとすると、気がかりなことがある。

 この作戦のためには、綾小路とその優待者が協力し合っている必要がある。まあそれに関しては、平田が間を取り持ったと考えれば説明はつく。

 もう一つ。誰が優待者かってことは、恐らく平田から直接聞いたんだろう。

腑に落ちないのは、なんで平田はそんなことを綾小路に話したのか。

 俺や幸村がいる中では秘密にしていたのに……。

 

 



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結末

「これがラストのディスカッションか」

 

 部屋にいる三宅に声をかける。

 

「ああ。ただ、やってもやらなくても変わんねえだろう、ってのが正直な感想だ。Aクラスにあんなことされちゃ、まともに話し合いもできやしない」

 

「はは、まあな……」

 

 やっぱりほとんどの生徒は、Aクラスが断固として話し合いに参加しないことに対して何も手出しできず、指をくわえているしかない状況だ。

 

「……でも行くしかないだろ。行かなかったらペナルティなんだから」

 

「分かってるよ。行ってくる」

 

「ああ」

 

 そう言って三宅は部屋を出ていき、ドアが閉まる。

 

「……さて」

 

 俺はここから約1時間、ある人物からの連絡を待つことになる。

 部屋に流れるのは沈黙のみ。

 常に端末は肌身離さず……時々端末を弄り、時々持参した参考書を読み、時々部屋を出てあてもなくぶらぶらし……そんな感じで、時間をつぶしていく。

 そうして三宅が出て行ってから約1時間後。

 一件のメールを、幸村のアドレスから受け取った。

 

「……そういうことになったか」

 

 もちろん、想定していなかったわけじゃないが。

 ただ俺も……そして綾小路も、発生する確率としては低いとみていたからな。

 そのさらに後、俺は1通のメールを受け取る。

 

『グループLの試験が終了いたしました。グループLの方は以降の試験に参加する必要はありません。他のグループの妨げにならないよう、注意して行動してください』

 

 グループLの誰かが裏切ったというメールだ。

 こうなれば、俺にはもうやることは残っていない。

 そう考えて、ベッドに倒れこんだ瞬間。

 俺の携帯に、立て続けにメールが4件届いた。

 それは、試験が終了した旨を伝える学校側からのメール。

 

「……っと、こっちも少し意外な展開になったか」

 

 その呟きが誰かに聞かれることはない。

 俺はそのまま、少しの間仮眠をとった。

 

 

 

 

 

 1

 

 夜10時50分ちょっと過ぎ。

 俺は約束の場所へと足を運んでいた。

 その場所は、屋上のカフェ。

 高円寺の裏切りの話を堀北に報告しに行き、龍園に突き飛ばされた場所だ。

 そこに到着すると、すでに予定されていた人数は集まっていた。

 

「あ、速野くん。よかった。来ないんじゃないかと思ったよ」

 

 真っ先に俺に声をかける平田。

 それ以外には、平田のガールフレンドである軽井沢、それに綾小路、堀北。

 そして堀北の隣には、なぜか須藤がいた。

 須藤は集合する予定はなかったはずなんだが……まあ、堀北が不機嫌な顔をしているところを見ると、勝手に堀北についてきたんだろう。

 

「いや……仮眠してたら寝すぎてな。正直遅刻するところだった」

 

「そ、そうだったんだね……」

 

 平田も戸惑っている。

 後ろの堀北は呆れたようなため息をついていた。

 ……いいだろ別に。結果としては時間に間に合ったんだから。

 

「でも、これでようやく全員がそろったね。さあ座って速野くん」

 

「ああ」

 

 目の前にあった椅子を引き、平田と堀北の間に腰かける。

 

「それにしても今回の試験、あのアルファベットの意味は結局なんだったんだろう」

 

 早速平田が、まだ解けていない謎を口にする。

 

「結局、特殊グループがどこなのかも分からないままだね」

 

「あのアルファベットはかなり徹底されていたようだし、意味のないブラフという線もないはず。私も試験が終わってから考えてはみたけれど……分からないわ」

 

 堀北にも解読は不可能だったらしい。綾小路にも目配せするが、首を振られた。こいつにも解けていない。

 この分だと、誰かが解いて公開するまで真実は闇の中だな。

 

「ねえ、さっきの立て続けのメールって……」

 

「うん、僕もそれが引っかかってるんだ」

 

 先程きた、延べ4通ものメールは全て、試験終了を告げるものだった。

裏切りを受けたのは、それぞれグループA、B、F、J。

メールの受信はほぼ同時だった。

 

「グループAは南くんが優待者だったわね」

 

「うん。つまり正体を見破られてしまった可能性がある、ってことだね」

 

「なあ平田。残りの3つのメール、Dクラスの誰かが送ったって可能性は?」

 

 一応確認をとる。

 

「僕もそれを危惧してみんなに連絡を取ったんだ。でも、男子の中からメールを送ったと思われる人は出てこなかったよ」

 

「山内は大丈夫だったのか」

 

 山内の動向を気にする綾小路。

 それもそのはず。

 綾小路は山内に堀北を泥だらけにさせる際、佐倉のメールアドレスを餌にしてやらせたらしい。

 しかし綾小路としては、佐倉に断りなく山内にアドレスを教えるわけには行かない。やむを得ず連絡先を持っていないと嘘をつき、その後なんやかんやと上手く話を持っていって、この試験で優待者が誰かを見抜けば50万ポイントが入るから、そのポイントでデジカメを買って佐倉を喜ばせてやれ、みたいなことを吹き込んだらしい。

 池や須藤が「山内が妙に張り切っていた」と言っていたが、そのせいだ。

 つまり山内には、勇み足で優待者メールを送ってしまうリスクがあるのだ。

 

「あ、うん。山内くんはグループEだったんだけど、メールを送ろうとはしてたみたいなんだ。でも、最後まで悩んで、最終的に送らなかったようだよ」

 

「どこの誰かは知らないけれど、先に裏切ってくれたのは好都合ね」

 

「そうか」

 

 それで綾小路も一安心したようだ。

 

「女子の方も私が確認した。誰も送ってない」

 

 軽井沢はそう力強く言い切る。

 

「……そう」

 

 そんな軽井沢を見て、堀北が少し考え込む表情になる。

 こういったクラスのまとめ役は堀北にはできない。軽井沢の長所、そして自分の短所を自覚しているところだろう。

 

「綾小路くん、それに軽井沢さん。あなたたちのグループは、ちゃんと手はず通り行ったのよね」

 

「ああ」

 

 この場にいる人間———須藤を除く———は、綾小路が決行した作戦を知っている。まあ大っぴらには堀北が考案したことになってるが。

 その作戦とは、端末の入れ替え作戦。

 まず前提として、グループLの優待者は軽井沢。これは試験が終わった瞬間に平田からメールで聞いた。だが綾小路はそれより前……少なくとも昨日の時点でこのことを知っていた。

 そして次に、綾小路が軽井沢と端末の入れ替えを行う。

 それも単なる入れ替えじゃない。SIMカードごと入れ替えるのだ。

 SIMカードは所有者の電話番号と紐づけされている。つまり、ある人物AのSIMカードを別の人物Bの端末に差し込むと、Bの端末の電話番号はAのものになってしまうのだ。

 SIMカードは端末ごとにロックがかかっており、別の端末に別のSIMカードを入れると端末は使えなくなってしまう。だが、そのロックはポイントを払うことによって解除が可能だ。

 綾小路と軽井沢はこの作業を行い、端末の交換を行った。結果、優待者に指名されたというメールを受け取った軽井沢の端末の電話番号は綾小路のものに。そしてその端末は綾小路が手にした。この作業は、あとから重要な意味を持ってくる。

 次に綾小路は幸村と接触。その際、自分が優待者だと名乗った。証拠としてメールを見せれば、幸村としても信じざるを得ない。その後、綾小路からの提案で、その端末を幸村の端末と入れ替え、ディスカッションの場で優待者として接するよう頼んだ。

 ここで行った端末の入れ替えは、SIMカードの入れ替えを伴わない普通の入れ替えだ。

 SIMカードを入れ替えるか否かによって変わること。それは、端末の入れ替えの気づかれやすさだ。

 SIMカードを入れ替えていない端末同士の入れ替えは、誰かが電話をかければバレてしまう。

 そして俺が綾小路に頼まれたのは、まさにその役割だった。

 最終ディスカッションの際、幸村のアドレスから「今」というメッセージが届けば、俺は綾小路の端末に電話をかける。そして空メールが届けば、電話はかけない。後者は、グループ内の誰かが入れ替えに気付き、綾小路に電話を掛けた場合を想定していた。

 そしてあの時、俺のもとに届いたのは空メールだった。あとで聞いた話では、一之瀬が見破っていたらしい。

 電話をかけた結果、綾小路と幸村の間での端末の入れ替えはバレてしまい、本当の優待者は綾小路だと誰もが思い込む。

 嘘の後に出てきたことを、人間は真実だと思い込みやすい。嘘の裏にあったまた別の嘘、つまりSIMカードの入れ替えという発想に至らない人間が、回答時間前に裏切り、綾小路が優待者だと回答する。そして外す。結果4となり、Dクラスには50のクラスポイントが入るという流れだ。

 一つ驚いたのは、一之瀬はそのすべてを見破っていたこと。というより、まったく同じ作戦を思いついていたということだ。

 裏切るとすればAかCだと踏んでいたため、あの場でSIMカードのロック解除については言及しなかったらしいが。

 一之瀬の高い実力。協定がある今はまだしも、今後脅威になってくる可能性は否定できない。

 

「それよりも気になるのは、あの4通のメールがほぼ同時に届いたってことだね」

 

「ただの偶然じゃねえのか?」

 

 須藤はそう思っているらしい。

 

「裏切る時間が30分しかないとはいえ、あのメールの届き方はどう考えても不自然よ」

 

「高円寺くんが裏切りのメールを送ってから、試験終了を伝えるメールが届くまで、ほとんどタイムラグがなかったんだ。自動返信になっているんだろうね。ということはこの4件、裏切った4人は同時にメールを送ったってことになる」

 

「1つのクラスが示し合わせて、同時に送ったのかもしれないわね。自分たちが送ったと誇示するために。そしてそんなことをしたがる人物は一人だけ」

 

 そんな堀北の言葉と同時に、一人の人物が姿を現す。

 

「あなたね、龍園くん」

 

 龍園翔。

 Cクラスをまとめるリーダー……否、独裁者だ。

 

「よう、やっぱりここにいたのか鈴音」

 

「あ? 誰だてめーは」

 

 須藤は龍園を知らないようで、堀北をファーストネームで呼ぶこの男にかみつく。

 しかし龍園はそれに構うことなく、堀北に近寄っていく。

 

「クク、今からメールで送られてくる結果をお前と楽しもうと思ってな。結果はどうなってるだろうなあ」

 

「何を白々しいことを。あのメールはあなたの指示でしょう?」

 

「はっ、にしても鈴音、お前にしちゃ大所帯だな。どういう風の吹きまわしだ?」

 

「そうね。あなたにしつこく付きまとわれて困っている、と相談していたところよ」

 

 堀北のそんな言葉に須藤がヒートアップする。

 

「な、マジかよ堀北! おいてめえ、堀北につきまとってんじゃねえぞ!」

 

「あなたは黙ってて」

 

「お……おう」

 

 吠える須藤を堀北が制止する。

 

「あなたの方は随分と余裕そうね。手応えはあったのかしら」

 

「クク、そうでなきゃわざわざ出向いたりなんかしねえぜ」

 

「そう。けれどあなたはこの試験では何もできなかった。違う? 今回も失格なんて事態にならないといいわね」

 

「おいおい虚勢張るなよ鈴音。あとで後悔するのはお前だぜ? 俺は自分のグループの優待者も、お前らのグループの優待者も分かってたんだからな」

 

「そう。それは良かったわね」

 

「だが安心しろ。俺の慈悲深さを知れば、感動で股を濡らすだろうな」

 

 なんとも下品な言葉を使い、堀北を挑発する龍園。

 

「……なら聞かせてもらおうじゃない。あなたが見抜いた優待者」

 

 当然、堀北は答えられるはずがないと思って聞いたはずだ。

だが龍園は、堀北のその言葉を待っていたかのように不気味に笑う。

 前の時と同じだ。

 そして射抜くような視線でこちらを見て、言った。

 

「櫛田。そして菊池。そこの軽井沢もだったなあ」

 

「……え?」

 

 この場にいる者全員に衝撃が走った。

 どちらもまさしく、Dクラスの優待者だったからだ。

 

「ど、どうして……? それを見抜いていたのなら、あなたは自身のグループの試験も終わらせていたはずよ。試験終了までそれをしなかったってことは、少なくともグループKの優待者は、試験が終わってから知った。違う?」

 

「悪いが俺は2日目の時点で気づいてたぜ。こいつが必死にバレないようにしてんのが面白くってよ。俺に見抜かれてるとも気づかずにな」

 

「そんな……」

 

 龍園は平田を見て嘲笑するように言う。

 

「鈴音がその場にいたらどんな顔すんのか想像してたら、時間が過ぎちまったってわけだ」

 

 嘘か本当か分からない龍園の言葉。

 だが、現に龍園は優待者を的中させている。全員の表情に動揺が走っていた。

 

「どうやって……あなた、何をしたの……?」

 

「クク、そいつはすぐに分かるさ。まあ安心しろ。一番悲惨なのはAクラスだろうからな」

 

 余裕の笑みを浮かべる龍園。

 そして時刻は午後11時を回り、生徒全員にメールで結果が通知される。

 

 

グループA…結果3とする

グループB…結果3とする

グループC…結果2とする

グループD…結果2とする

グループE…結果3とする

グループF…結果3とする

グループG…結果4とする

グループH…結果2とする

グループI…結果3とする

グループJ…結果3とする

グループK…結果1とする

グループL…結果4とする

グループM…結果2とする

 

各クラスポイント増減

Aクラス…マイナス150cl プラス300万pr

Bクラス…マイナス50cl プラス250万pr

Cクラス…プラス100cl プラス550万pr

Dクラス…プラス100cl プラス400万pr

 

 

 Aクラスが最下位。次点にBクラス。CクラスとDクラスはクラスポイントでは同率で1位だが、プライベートポイントも考えると、結果としてはCクラスがトップだ。

 誰もが予想していなかった結果となった。

 

「これは、いったい……」

 

「よかったなあ。俺に情報が漏れたグループKはみんな仲良く結果1だ」

 

 そう、一番の疑問はそこだった。

 

「俺は今回、厳正なる調整、その裏にある優待者の法則を見つけ出し、全ての優待者を把握した上でAクラスだけを狙い撃ちしたのさ。だが、もう容赦はしねえ。これは宣戦布告みたいなもんさ。次の標的はお前だ、鈴音。身も心もズタズタに引き裂き、絶望を味わわせてやるよ。2学期を楽しみにしとくことだな」

 

 そう吐き捨て、龍園は立ち去った。

 Cクラスの勝利。

 その結果に堀北は言葉が出ない様子だ。

 

「龍園くんが情報を集めて優待者を見破ったまでは理解できる。でも、僕らのグループKはどうしてこんな結果に……」

 

 平田もやはりそこが気になるようだ。だが、その言葉に続く者は誰もいない。

 正解が思い浮かばないのだ。

 全員のそんな困惑を打ち破ったのは、意外にも綾小路だった。

 

「別に難しいことじゃない。やろうと思えば可能なことではある」

 

「どういうこと?」

 

「優待者が櫛田であることを龍園が見破ったことは、ひとまず前提として考える。試験終了直後に、優待者が櫛田であることをDクラスのメンバー以外に吹き込めばいいだけだ。龍園の言葉には全く信用がないから、裏切る者は出てこない。優秀な生徒がそろっていたグループKならなおさらな。でも、正式な回答時間になれば話は別だ。たとえ龍園の言葉が嘘で、櫛田が優待者でないとしても、回答するのに何もリスクがないだろ?」

 

 このままでは、どうせ優待者の逃げ切りを許して結果2になってしまう。

 ならば、龍園の言葉を全く信じていないとしても、結果1になるわずかな可能性に賭けて一応櫛田の名前を書いてメールを送る。

 そして全員が正解。それで結果1になったという話。

 確かに話の筋は通っている。

 だがそれでも、全員が全員そういう発想になるかどうかに疑問は残るが……。

 

「堀北。……もしかしたら俺たちはこれから、窮地に立たされるのかもしれないな」

 

「窮地って、龍園くんにかしら? 彼が今回上手く立ち回ったのは事実だけれど、これからも苦戦するかしら。たまたま勝利を手にして調子に乗っているだけとも考えられる。それに、事実あなたのグループは勝っているわ。違う?」

 

 そんな堀北の言葉。

 たしかに、綾小路が属するグループLは結果4。

 

「……そうだな。俺の考え過ぎかもしれない。気にしないでくれ」

 

 綾小路はこの試験結果に……特に、グループKが出した結果1に、何か危ういものを感じているようだ。

 火のないところに煙は立たないというが、まったくその通り。俺も危うい何かを感じていないといえば嘘になる。

 なぜ全員が櫛田の名前を書いたのか。

 龍園の言葉以外にも、何か根拠があったんじゃないか。

 

 



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答え合わせ

 龍園は、優待者の法則、それを見抜いたという。

 それはまさしく、試験の根幹の見抜いたことに等しい。

 だが、それを成し遂げたのは龍園だけではない。

 少なくとももう一人存在する。

 ……それが、俺だ。

 全員が寝静まった午前4時半。

 場所は屋上のデッキ。

 日の出が近づき、空は薄明るくなってきている。

 オレンジと青が入り交じった空と、目の前に広がる広大な海。その二つが相まって、神秘的な光景を作り出していた。

 日中に比べれば気温は低い。緩やかな潮風もあって、恐らく今が一番過ごしやすい時間だろう。

 今から約10時間後には船は東京に到着する予定だ。この景色を見られる時間も、残りごくわずかとなっている。

 

「綺麗だね」

 

 後ろから、そんな声が聞こえてくる。

 

「……そうだな」

 

 素直にそう返答した。

 こんな時間に起きて、船のデッキに出てくる生徒は、俺が待ち合わせている相手以外にはいない。

 そう、藤野だ。

 

「待たせちゃったかな」

 

「いや、そんなに」

 

「そっか、ならよかった」

 

「……座るか」

 

「うん」

 

 そうして二人でベンチに腰掛ける。

 近づきすぎず離れすぎず、一人が座れるほどの間を空けて座った。

 

「もうちょっとこの景色を楽しみたいけど……そうしてると時間を忘れて、みんな起きてきちゃうかもしれないから」

 

「……そうだな。早速やるか。答え合わせ」

 

 

 

 

 

 1

 

 時刻は2日目の深夜、俺と藤野がI室にて密会を開いたときまで遡る。

 

「え……?」

 

 藤野は、俺のセリフに動揺を隠しきれていなかった。

 それも仕方のないことだ。

 今俺が口にしたのは、Aクラスの優待者4人全員のフルネームだったのだから。

 その中には、俺が所属しているグループIの一員である石田の名前もあった。

 同じグループである石田と菊池が優待者。つまり13のグループの中に1つ紛れ込んでいる特殊グループは、俺が属するグループIだということになる。

 

「い、一体、どうやって……」

 

「悪いが藤野、今それは言えない。でもこれで分かっただろ。俺は優待者の法則を見破った。正直なところ、サンプル数が自クラスの3人だけじゃ不安だったんだが……お前の反応で確信が持てた」

 

 今の反応が演技ではないことくらいは分かる。

 

「でも待って……見破ったなら、どうして試験を終わらせないの?」

 

「さっきも言ったが、サンプル数が3だけだと不安があるからだ。他クラスの人間にも確認して、それが的中していてようやく確信に至る」

 

 どれだけその法則に自信を持っていたとしても、だ。

 

「それからもう一つ、そんなことをしたら、俺にポイントが集まらない」

 

「え……?」

 

「全グループで試験を終わらせたとしたら、その報酬はそれぞれのグループでメールを送った生徒に入る。おそらくクラス全員で山分けになるだろうな。でもそれだと俺の取り分が少なくなることが予想される」

 

 すでに裏切りの起こったグループEはこの際度外視するとして、もしグループA,K、Lを除く全グループで試験を終わらせたとしよう。

 得られるクラスポイントは600ポイント。卒業までに31回支払われるから、計186万ポイントだ。クラスポイントとプライベートポイントの価値の変換は、以前無人島で契約を結んだ際にも利用した「クラスポイント値×100×残りの支給回数」という計算式が一件合理的に見えるが、経済学的に見ればこれは誤り。現在の金の価値と未来の金の価値は違うという通説のもと、現在から遠い時間軸になるほど、それだけお金の価値を多く割り引いて計算するのが正しい。未来に得られる金を現在に換算する場合は、この割引を考慮に入れた「割引現在価値」として算出する。割引率の設定はその時々の状況に合わせた裁量によるが、先ほどの186万の割引現在価値は、いいとこ175万ってところだろう。

 そしてプライベートポイントは600万ポイント。先ほども言った通りこれはおそらく山分けになる。単純に40で割れば一人15万ポイント。法則を見破った上乗せを考慮に入れても25万が関の山だ。

 つまり全グループの試験を終わらせても、得られるポイントは200万ポイント。そのうえ大胆に立ち回ることで俺の名前が知れ渡り、クラスでの動きは制限され、今後無人島の時のように裏でせこせこポイントを稼ぐ機会もなくなってしまう。

 さらに言えば、この計算はDクラスにしてやられたA、B、Cクラスが団結してDクラスの優待者を当てに行かないという前提がある。

 龍園は法則を見破っていたし、葛城や一之瀬もサンプル数が増えればおそらく法則にたどり着いただろう。

 そうなれば、結果的に俺が得るポイントは200万を大きく下回ることが想定される。

 

「でも、それでも大金を得ることには変わりないんじゃない?」

 

「ああ。だがこんなのよりももっといい方法がある。俺が所属した特殊グループでは、最大200万のプライベートポイントを稼ぎ出すことが可能なんだ」

 

 そう言うと、藤野は疑問符を浮かべる。

 

「え……でも、特殊グループは3人指名したら試験終了なんじゃ……」

 

「いや、試験の規定は3人指名されるまで試験続行、だ。つまり、2人までなら通知もされず、試験は続く」

 

 俺は携帯を取り出し、メールにAクラスとCクラスの優待者の名前を打ち込む。

 

「は、速野くん? まさか……」

 

「ああ。そのまさかだ」

 

 そして、それを学校側に送信した。

 これで俺は裏切り者。だが、まだ3人目が指名されていないため試験は続行している。

 

「そして、だ。この状態から、もう一人がBクラスとDクラスの優待者を指名したらどうなる?」

 

 それで、藤野がはっとした表情になる。

 理解に至ったようだ。

 

「そっか、そうすれば速野くんが100万、そのもう一人が100万……合計200万ポイントを学校側から引き出せるんだ……」

 

「そうだ。そしてそのBクラスとDクラスの優待者を指名する役を、さっき言ってた和田にやってもらいたい。時間は……そうだな、明日の午前11時ちょうどくらいに」

 

 言うと、藤野は思案顔になる。

 

「……頼めば、やってくれるとは思うけど……でも速野くんの口ぶりからして、琴美ちゃんが得る100万ポイントは、全額速野くんに譲渡する、って条件があるんだよね? それから、琴美ちゃんには速野くんのことを話す必要が出てくるけど、それでもいいの?」

 

「ああ、和田だけに、ってことなら話しても構わない。それから譲渡する額に関しては、確かに交渉の余地ありだな」

 

 いくら法則を解き明かしたのが俺とはいえ、得た100万ポイント全額を譲渡しろと言っても簡単に納得できる話じゃない。他クラスの生徒である俺ならなおさらだ。それくらいは理解している。

 そこで、俺はある「秘密」を口にする。

 

「藤野。これは極秘で得た情報なんだが……Cクラスの龍園は、俺と同様優待者の法則を解き明かし、且つ全グループで裏切りは決行せず、Aクラスだけを狙い撃ちするそうだ」

 

「え……?」

 

 当然、驚きを見せる藤野。

 

「なんでそんなこと……ていうか、そんな情報どこで……?」

 

「それは言えない。だが一定程度信頼できる情報だ。Aクラスが狙い撃ちされるってことは、特殊グループであるグループIも同様にターゲットの一つってことだ。だがこの取引を行えば、Aクラスはその被害を未然に防ぐことができる。そのうえ2クラス分の優待者を当てるから、逆に50クラスポイントのプラスだ。その対価としての100万。これでどうだ?」

 

 考える仕草を見せる藤野。

 手ごたえありだ。

 

「もちろん、この情報が本当だってことが確認できてからでいい。これが嘘だったら、俺に譲渡するポイントはゼロでいい。だが本当にCクラスがAクラスだけを狙い撃てば、Cクラスは大量のポイントを得て、Aクラスは最下位に沈むはずだ。この取引を交わしたうえでも。最後の結果発表が、同時に答え合わせにもなる」

 

 もちろん俺は嘘はついていない。少なくとも、CクラスがAクラスを狙い撃つという情報を仕入れたのは本当だ。その情報元が嘘をついている可能性がなくはないが……それは限りなく低いとみていい。

 だがこう言うことで、藤野に対して真を取ることができる。

 

「……わかった。そういうことで、琴美ちゃんに話してみるね」

 

「ああ、頼む」

 

「あ、速野くんが嘘をついてるとは思ってないよ。琴美ちゃんにどう説明するか考えてたの。勘違いさせちゃったらごめんね?」

 

「いや……むしろ疑って当然だ。気にしてない」

 

「ありがと」

 

 

 

 

 

 2

 

 あの場であったやり取りは、これですべてだ。

 

「それで、和田はなんて言ってたんだ?」

 

「うん、100万の譲渡に応じてくれたよ。自分で突き止めたわけじゃないから仕方ないって」

 

「……そうか」

 

 これだけ素直だと、なんか逆に罪悪感が湧いてこないでもないが……。

 それでも、譲渡される100万を受け取らないってことにはならないけどな。

 

「ところでさ。今回の優待者の法則って、一体どんなものだったの?」

 

「やっぱり気になるか」

 

「うん。すっごく」

 

 俺は裏切りを恐れ、保険として法則は教えなかった。

 法則を秘密にしたうえで、俺の教えた優待者の情報が本当なら、逆に俺の信用を勝ち取る材料にもなるしな。

 だがもう試験は終わったし、隠しておく必要もなくなった。

 藤野には説明してもいいだろう。

 

「俺が法則に気付いたのは、2日目の夕方だった」

 

 あの日、俺はいくつか優待者の法則につながっているかもしれない糸に、立て続けに遭遇した。

 一つ目が、綾小路との会話で出た「トランプ」。

 二つ目が、図書スペースで見つけた「最後の晩餐」。

 三つ目が、一之瀬との会話で出た「蛇」。そこから連想される干支。

 干支に関しては12個だが、有名な絵本である「十二支のおはなし」には、十二支のほかに猫が登場する。それを加えれば13になる。

 だが、俺が最終的にたどり着いた答えは、「トランプ」でも「最後の晩餐」でも、「干支」でもない。

 

「お前もクラスの優待者を把握してたんなら、何となく誕生日が関わってきそうだってことには気づいてただろ?」

 

「う、うん。グループのアルファベットが若い方から、誕生日が早い順に並んでるな、とは思ってたよ。チャットアプリのプロフィールを全部入力させたのも、グループ全員に誕生日を把握させるためって考えたら筋が通るし。でもそれ以降は全然……」

 

 そう。それ以降に進むことができないのだ。

 しかし、ある一つのキーワードを踏まえることで、一気に答えに近づくことができる。

 

「この謎を解く最も重要なキーワードは……『星座』だ」

 

「星座……あっ!」

 

 藤野も何かに思い至ったようだ。

 

「ああ。星座は普通、黄道十二星座が一般的に言われているが……黄道上を通る星座は、その12個以外にもう一つ。それが『蛇遣い座』だよ」

 

 一之瀬の「蛇」から、俺は「蛇遣い座」に思い至り、その瞬間に確信した。

 優待者は『星座』に基づいていると。

 

「そして次に出てくるのが、説明の時にあったあの不自然なアルファベットだ」

 

「あ、うん。あったね……。私たちはCaだったけど、確かもう一つCaのグループがあって……」

 

 確か、グループDがそうだったな。

 

「あのアルファベットの正体は、蛇遣い座を含めた13星座を英語のスペリングで表したときの頭文字だ」

 

「っ、そういうことだったんだ……」

 

 おそらく、あのアルファベットが何らかの頭文字であるという発想に至ったのは俺だけではないだろう。

 その正体が何かは分からなくても、その頭文字に当てはまる英単語をローラーしていけば、いずれ何らかの共通点が見つかり、無理やりにでも答えにたどり着くことはできる。

 そのためのツール……英和辞典を用意できれば。

 そう思って図書スペースに行ったが、本棚にも電子書籍にも、英和辞典はなかった。おそらくこの解き方を潰すために、学校側が意図的に取り除いたものと考えられる。

 だが、逆は可能だ。端末で星座のスペリングを調べればいいだけ。

 すると、ものの見事に一致した。

 グループAのArはAriesで牡羊座。

 グループCのGeはGeminiで双子座。

 グループDのCaはCancerで蟹座。

 グループEのLeはLeoで獅子座。

 グループIのOpはOphiuchusで蛇遣い座。

 グループJのSaはSagittariusで射手座。

 グループKのCaはCapricornusで山羊座。

 グループLのAqはAquariusで水瓶座。

 今回のこの並びは、牡羊座を最初の星座として、その星座に当てはまる誕生日が早い順に並んでいる。

 このことから、俺たちDクラスで明らかにすることができなかったグループB,F、G、H、Mも推測が可能だ。それぞれ、Bは牡牛座、Fは乙女座、Gは天秤座、Hは蠍座、Mは魚座。

 そして、グループに割り当てられた星座の誕生日の範囲の中に自身の誕生日がある生徒が、そのグループの優待者ということになる。

 そして、黄道上にありながら12星座から省かれてしまった特殊な星座……蛇遣い座にあたる俺たちグループIが、特殊グループになるという仕組みだ。

 

「これが優待者の法則だ」

 

「すごい……全部完璧に見抜いてたんだね」

 

「……まあな」

 

 最初にアルファベットに気付き、そのことを平田に知らせて情報を集めることができたのが非常に大きかった。

 だが、答えにつながる最大のヒントをくれたのは一之瀬のあのセリフ。

 一之瀬には感謝しなきゃな。

 

「ほんとに……すごい」

 

 藤野は改めてそうつぶやく。

 そして、なぜか目を伏せた。

 顔が下に向けられ、その表情をうかがい知ることは叶わない。

 

「……藤野?」

 

 名前を呼びかける。

 返事を待つが、聞こえてくるのは、船体に打ち付ける波の音だけ。

 

「……ごめんね」

 

 数分の沈黙ののち、藤野から出たのは謝罪の言葉だった。

 

「……何が」

 

 尋ねると、藤野はようやく顔を上げて、答える。

 

「もちろん、速野くんを最初にけしかけたのは、私なんだけど……驚きと同時に、ちょっと怖くなっちゃったの。速野くんがこんなにすごいなんて、想定外だったから……」

 

「……」

 

 俺はその言葉に何も言い返せずにいた。

 すると突然、藤野が俺との距離を詰めた。

 

「おい……」

 

 止めようとしても止まらない藤野。

 そのまま距離は縮まり続け……ついには距離がゼロになる。

 まずは腕が触れ、そして肩が触れ……最後には、自身の顔を、俺の肩の上にもたれさせてきた。

 意識せずとも感じてしまう。藤野がその綺麗な髪につけたであろう、シャンプーのにおい。

 

「……どうした」

 

「……さっき怖いって言ったけど、それにはもう一つ意味があるの。……こういう形で協力関係になることで……私たち、友だちじゃなくなっちゃうんじゃないかって」

 

 ……それを心配してたのか。

 

「だから……速野くんがよければ、だけど……これからも、友だちでいてくれないかな?」

 

 まるで懇願するようなその声は、少し震えているようにも聞こえた。

 

「……」

 

 自分の心に聞いてみる。

 確かに今回の一連のこともあって、俺たちの間にあるのはもう友情だけではない。

 だが、だからと言って、藤野と友だちでなくなってしまうことを俺は許容できるか。

 ……否だ。

 俺はもう、後戻りできないところまで藤野のことを友人だと認識してしまっている。

 それだけは確かだった。

 

「……ああ、もちろんだ」

 

 そう答えると、藤野の目が大きく見開かれる。

 しかしすぐに、普段の穏やかな表情に戻る。

 

「……ありがとう」

 

 そして、安心したような声でそう言った。

 太陽が、水平線から顔を覗かせ始めている。

 俺たちはしばらくそのまま、綺麗な日の出に見入っていた。

 

 

 

 

 だが、一つ……俺には気になることがある。

 ……俺と藤野の間にあるのは、元から友情だけではなかった。

 勘違いしてほしくないのが、それは決して「恋心」なるものではないということ。

 もっと、何か別の……。

 いったい、これはなんだ。

 藤野に出会った瞬間から感じている、友情やら恋心やらとは全く別の、「俺はこの人のために生きなければならない」という、妙な感情は。

 なんで俺は、こんな感情を……。

 



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第4.5巻
本当の夏休み~贈り物~


 一癖や二癖どころではないバカンスが終わり、俺たち1年生は高度育成高等学校の敷地内に戻ってきた。そこからすでに四日ほどが経過している。

 バカンス、なんて言ったが、その実態はバカンスとは程遠いものだった。

 もちろん、使用された船「スペランツァ」はとてつもなく豪華だったが、2週間のバカンスのうち1週間は船ではなく、無人島での過酷な生活を余儀なくされ、もう1週間は船上にはいたものの、その半分以上は特別試験のことで頭が埋め尽くされ、のんびりクルージングを堪能するような余裕もなかった。

 そういったこともあり、この2週間でバカンスどころか、俺たちは心身ともに疲労を蓄積させる結果となった。

 寮の自室に帰り、ベッドにダイブした時のあの何とも言えない安心感。決して高そうな布団でもないのに、どんな高級マットレスに勝るとも劣らない最高の寝心地だ。空腹が最高のスパイスであるのと同様、疲労は最高の睡眠導入剤というべきか。その日は結局電気を消すのも忘れたまま爆睡してしまった。

 そんな色々あったバカンスだったが、俺にも手に入れることのできたものがある。

 一つは大量のプライベートポイント。

 まずは無人島で結んだ契約により、200万。ただ、現状受け取ったのはまだ60万。残りの140万は……まあ、のちに、ということで。

 そして優待者当てで100万、和田から100万で計200万。

 総計で260万ものプライベートポイントが、9月になれば俺の端末に入ってくる。これはかなり大きい。

 そして次に、平田の信用と、それに伴うクラスとのパイプ。

 俺が個人で動くには限界があることを思い知らされた。無人島試験はまだしも……船での特別試験、もしあの時平田との円滑な協力関係がなければ、おそらく俺は優待者の法則にたどり着くことはできなかっただろう。クラスの中枢の情報を、すべてではないにしろ、手に入れられるルートを確保できた。

 もう一つは、藤野との協力関係。

 俺は藤野に対しては純粋に協力するつもりだ。ただ、それへの見返りと言ってはなんだが、藤野もある程度は俺に協力してくれるだろう。そうなれば、多少やりやすくなることもこれから出てくるはずだ。

 バカンスで得られた収穫は大きく分けるとこの3つか。

 そして俺はこの夏休み、また新たな収穫を手に入れるために行動することにした。

 

 

 

 

 

 1

 

「……あっちーなもう……」

 

 思わず、そんなうんざりした声が出てしまう。

 南中時刻を過ぎ、日が傾き始めているとはいえ、今も変わらず太陽の光は俺めがけて容赦なく注がれ、その影響で体は熱気に包まれている。

 寮から学校までの道のりは時間にして10分ほどだが、ちょっと外に出ただけで俺の体は汗だく。これから時間をかけて歩くと思うと気が滅入って仕方がない。

 そんな感情の中でえっちらおっちら歩いていると、寮を出てすぐのところで見知った顔を発見する。

 

「……綾小路?」

 

「速野。どうしたんだこんなところで」

 

「いや……それはこの炎天下でこんなところに突っ立ってるお前にこそぶつけられるべき質問なんじゃねえの」

 

 誰かを待っているなら……寮のロビーは知らない女子たちに占領されてたから厳しいとしても、それなら時間ギリギリまで部屋で待つなり、そうでなくてもどこか室内にいればいい。この学校の屋内施設は、基本的に空調設備が整っているからな。普通はそうするだろう。

 少なくとも、目的地がこんな場所であるとは全く考えられない。

 寮から出てすぐのところ。ここにあるのは並木だけで、特段これといった施設もない。

 この場所の特徴と言えば……寮に出入りする人を、学年問わずに把握できる点くらいだが……。

 

「こっちは何というか……野暮用だ」

 

「なんだ野暮用って」

 

「本当に説明するまでもないことだ」

 

「そんな言われ方したら気になるだろ」

 

 そうは言ったものの……恐らく本当に大したことではないのだろう、と察する。少なくともこいつにとっては。

 

「そんなことより、お前の方こそ制服着て何してるんだ」

 

 やはりその点を突っ込まれる。

 夏休みというのは学習指導要領の外。そのため学校指定の服装をしている生徒は滅多にいない。

 そのため、制服を着て敷地内を歩いている生徒がいるとすれば、そいつの目的地は一つ。

 制服以外での立ち入りが禁止されている、校舎内だ。

 

「ん? ああ、学校に忘れ物を取りにな」

 

 俺は適当にそう答えた。もちろん嘘だ。

 実を言うと、先ほど綾小路の言った野暮用が本当に当人にとって大したことないと断じた根拠はこれだ。

 本当に大した用なら、今の俺のように適当に辻褄合わせの嘘をつくだろうからな。

 そう判断し、俺はこの場を離れることにする。

 

「……まあ、こんなクソあっついところでこれ以上話したくない。学校行ってくる」

 

「ああ。またな」

 

 綾小路に別れを告げ、校舎へと向かう道を歩く。

 その道中、何人かとすれ違うが、みんな俺の制服というなりに好奇の視線を向けてきた。

 まあ、仕方ないことだ。みんな少しでも涼しい気分になるようにと考えて服を選んでいるのに、そんな中で制服、しかも長袖の、さらに言えばあんな赤いブレザーとくれば嫌でも目立つ。

 そしてそれはこちらから見ても同様だ。

 俺は、自分と同じく制服に身を包んだ男女二人組を視認する。

 男の方は俺に気が付いたようで、足を止めてこちらに目を向けてくる。

 こっちに来いと言われているようだ。

 まあ今から俺が通るつもりだった進路にいるし、言われなくても行かざるを得ないんだが……。

 お互いの声が届く距離にまで近づくと、まず口を開いたのは男の方……堀北学生徒会長だった。

 

「久しぶりだな」

 

「どうも……」

 

「あなたは確か……須藤くんの暴力事件の際に、Dクラスの陣営にいた速野くんですね」

 

 俺の顔を見て、思い出すようにそう言うのは女子生徒の方。こちらは確か橘茜という書記を務める生徒会役員だったはずだ。

 そちらにも軽く会釈をして答える。

 一通りの挨拶を終えたタイミングを見計らい、堀北会長はふっと薄笑いを浮かべて俺に語り掛ける。

 

「こちらにも、お前たちの特別試験の結果の報告が上がってきた」

 

「はあ……」

 

「無人島での試験結果は驚くべきものだな。4クラス中2クラスが200ポイント以上を記録し、1位はDクラス。そして残りのクラスの中の1クラスは失格。誰も予想だにしなかっただろう」

 

「まあ、俺たちなりに頑張ったので……ただ、まさか泥棒が出るとは思いもよりませんでしたよ。万が一盗まれるとしても、何というかこう、盗んだのすら気づかないような些細なものくらいしかないだろうと思ってましたんで」

 

「盗まれたのはキーカードだったな」

 

「え、そうなんですか。てっきり下着泥棒のことかと……」

 

「その件も把握はしているが、Cクラスが失格扱いとなった直接の要因はキーカードを盗んだことだ。お前が知らないわけはないだろう。お前が無人島でかなり大胆に動き回ったことは把握している」

 

 おいおいそこまで報告するのか学校側は。情報漏洩どころの話じゃねーぞ。

 

「ああ、まあ、堀北……会長の妹さんの手となり足となり、いろいろ働かされましたよ」

 

「あくまで作戦は鈴音が考えたものだ、と」

 

「少なくとも俺はそう聞かされてますけど。現にあいつから指示受けましたし」

 

「キーカードを盗まれながらあの高得点……ここからは直接聞かなくても、Dクラスがとった戦略はおのずと見えてくる」

 

 なんと生徒会長には試験の全容が見えているという。

 ……この人ならあり得ない話じゃないな。

 

「だがその戦略を思いつくことは、今の鈴音には不可能だ」

 

「そう決めつけてやるのはちょっと気の毒なんじゃ……?」

 

「仮にも兄妹である以上、力量は正確に把握できている。そのうえで言っていることだ」

 

 一見妹に冷たい兄貴という図だが、実のところそうではない。

 会長は妹にとても大きな期待を抱いている。言い回しからそれがありありと伝わってくる。

 あえて突き放したような言い方や接し方をしているのはもしかしたら……。

 と、そこまで考えていると、会長が口を開く。

 

「立ち話もなんだ。この続きは応接室で話そう」

 

「え、か、会長?」

 

 橘書記の方は、会長が俺にそう提案したことに驚きを隠しきれないようす。

 だが、これは会長のちょっとした冗談だ。

 

「今から面談の予定が入っているはずでは……?」

 

 動揺を見せる橘書記に対し、会長は薄く笑って答える。

 

「問題ない。その面談の相手というのが、この速野なんだからな」

 

「え、えええっ!?」

 

 そう、俺がわざわざ制服を着て学校に出向いたのは、この人を交えての話し合いのためだ。

 

「そろそろ時間だ。行くぞ」

 

「そうですね」

 

 そう言って校舎に向かって歩いていく俺たちに対し、橘書記は不思議そうなまなざしを向けてくる。

 さっきの会話にも、あまりついていけていない様子だった。

 3年Aクラスである以上しっかりとした実力を持ってはいるんだろうけどな。

 

「あの、一つ聞いてもいいですか速野くん?」

 

「……なんでしょう」

 

 その橘書記から話しかけられる。

 

「君は、その、Dクラスなんですよね?」

 

「……まごうことなきDクラス配属ですけど」

 

 だからなんだってんだ。別に大して負い目を感じているわけじゃないが、そこ弄ってくる気か。

 

「その、不満はないんですか? 私はこの言葉はあまり好きではないですが、不良品と揶揄されるクラスですし……」

 

「ああ……」

 

 なんだそんなことか。

 

「大してないですよ。俺は自分が不良品だという自覚があるんで」

 

「……そうなんですか? 君は学力も非常に高いですし、Cクラスとの話し合いから察するに知性も感じられます。コミュニケーション力は少々改善の余地があると思いますが、それでもDクラスに配属されるほどとは……」

 

「知性とかはよく知りませんけど、学力だけじゃ不良品の烙印からは逃れられないってことで納得のいく話ではあります。俺や堀北以外にも幸村や王、高円寺といった生徒がDクラスにはいますし。それにその疑問は、俺よりも平田や櫛田に対してふさわしいものでしょう」

 

 二人とも学力もコミュニケーション力も優秀だ。

 その二人についての疑問ということであれば、俺も同意だ。なんでDクラスなのか全くわからない。

 

「それに俺は、元々進学就職の特権にはさして興味なかったですし」

 

「興味がない……珍しい生徒ですね」

 

「そうですか? まあ確かに魅力的な特権ではありますけど、みんながみんなそれを強く望んでここに来たとは限らないでしょう」

 

 先ほど話に出た堀北なんてまさにその最たる例だ。

 あいつがAクラスにこだわりを見せているのは、特権が目的じゃない。

 あれは……そう、無人島試験6日目の深夜。

 息も絶え絶えといった様子のあいつは、それでも俺の質問に対してはっきりと答えた。

 Aクラスに上がるのは、兄……堀北学に認めてもらうためだと。

 この学校に来たのも、その兄を追いかけるためだと。

 

「では、あなたはどうしてこの学校に来たんですか?」

 

「シンプルに言えば、金がかからないからですよ。本当にそれだけが目的でここに来たと言っても過言じゃないです」

 

 もちろん進学率、就職率100パーセントというのもたいそうなうたい文句ではあるが、それを差し引いても入学金、授業料タダというのも十分に魅力的な要素だ。

 

「だから今強いて不満があるとすれば、こんな暑い中でも制服を着なきゃいけないことくらいです」

 

「あはは、そうなんですか……君は親孝行ですね」

 

「……そりゃどうも」

 

 素直にそう答えておいた。

 親孝行、か。

 まあ確かに、俺は俺を育ててくれた人たちに感謝してるし、そんな人たちに金銭的負担をかけたくないと思っていたのは事実だ。

 ただ……俺には自覚がある。自分がとんでもない親不孝者であると。

 

 

 

 

 

 2

 

 それから30分ほど後のこと。

 面談を終えた俺は、校舎内を会長と橘書記の二人とともに歩いていた。

 

「速野、今日の面談で改めて実感した。生徒会に入らないか?」

 

「え、か、会長!?」

 

「いや、あの、謹んでお断りします……」

 

「あ、あなたも即答で断っちゃうの!?」

 

 さっきから橘書記が賑やかしにしかなっていない。この人実はそういうキャラなんだろうか。天然、というか。

 

「お前は生徒会に入るにふさわしい実力を持っている」

 

「そういうのは無理です。部活動説明会の時に言っていたような心意気なんて持ってないですし。それに何より、この面談のあとでそれを誘いますかね……? 『特例』を認めてもらうわけにもいかないんでしょう?」

 

「あ、そ、そっか……」

 

 橘書記も俺の言いたいことに理解が及んだようだ。

 

「いや、認めてやらないこともない」

 

「……マジですか」

 

 会長の答えは想定外だった。

 そこまでして、一体何を……。

 

「……会長が認めてくれても、次の生徒会長がそれを継続してくれるかの保証はないですよね。会長の任期、もうそんなに長くないでしょう? やっぱりお断りします」

 

「そうか、残念だ。その次の生徒会長のことで、お前の力を借りたかったんだがな」

 

「それって、南雲くんのことですよね?」

 

 南雲? おそらく人物名だろうが、知らない名前だ。

 次期生徒会長候補なのか。

 

「ああ。俺が生徒会長の座から降り、この学校を去った後、その時の生徒会長によってこの学校のシステムは大きく変わることが予想される。それも望まない方向にな」

 

「心配は分かりますけど、私には、彼が悪い学校づくりをするようには思えないんですが……」

 

 そう言った事情に疎い俺は、先ほどから会話についていけていないのだが……要するに、次期生徒会長に不穏な動きがあって、それを現会長の堀北先輩が警戒してる、と、そいうことでいいのか?

 

「政争、という理解でいいですかね。そのための人材を欲しがっていると。それにしては時期がちょっと遅すぎるんじゃ……?」

 

 もう3か月もしないうちにこの人は生徒会長を引退する。任期の75パーセントを消化しきっている現状では……。

 

「耳の痛い話だが、もっともな指摘だ。派閥づくりを怠っていた俺のミスだな」

 

「……ずいぶん素直ですね」

 

「事実だからな。それを受け止めたうえで、お前に頼んでいることだ」

 

「お断りします」

 

 軽く頭を下げ、きっぱりとそう言った。

 再三断りの返事を入れ、会長も諦めたようにふっと笑う。

 

「まあ、お前がこの面談を持ってきた時点で、半ば諦めてはいたことだ。他を当たることにする。だが、気が変わったらいつでも生徒会室に来るといい。改装工事も終わったことだしな。茶くらいは出そう」

 

「え、改装してたんですか」

 

「ああ。つい今日出来上がったところだ」

 

「内装がやけに新しげだったのはそういうことだったのか……」

 

 生徒会室の中で生じた疑問が片付いた。

 

「……じゃあ、俺はこれで」

 

 二人はこれからまた用事があるらしく、学校に残るらしい。これから帰る俺とはここで分かれ道だ。

 

「ああ」

 

 軽く会釈をし、会長たちと別れた。

 そこからしばらく歩いたところで、俺は再びある人物と遭遇することになる。

 

「お前……」

 

「よう……」

 

 そう、綾小路である。

 向こうからしても想定外の邂逅のようで、少し戸惑っているような感じがある。

 

「マジで一体何やってるんだ……?」

 

 この場所はちょうど校門を出たところにある横断歩道付近で、綾小路は俺から見て右側から歩いてきた。その方面には俺が普段使いしている食品スーパーやケヤキモールがあるが……。

 

「知りたいか?」

 

「……」

 

 思わず少し黙り込んでしまう。

 なんか……挑発的な口調だな。

 ちょっとよくない予感がしたが、気にならないと言えば嘘になるので頷いた。

 

「なら、今からオレの部屋に来てくれ」

 

「え?」

 

「そこで話す」

 

「……はあ」

 

 うーん、やっぱり嫌な予感がする。

 これはそうだな。5月の中間テスト前、堀北に学食で「なんでも奢ってやる」と言われた時の感じに似ている。

 まあ、もう乗り掛かった舟だ。どうにでもなってしまえ。

 そんな心持ちで綾小路の背中についていき、こいつの部屋である401号室に到着する。

 カードキーで鍵を開け、ドアが開く。

 すると、玄関には複数人分の靴があり、部屋の中からは雑談の声が漏れてきた。

 疑惑の目を綾小路に向けるが、同じく目で「入れ」と促される。

 漏れそうになるため息を我慢し、靴を脱いで中へ。

 そこには、須藤、池、山内のいつもの3人がいた。

 

「おっ、速野じゃん。なんでいんの?」

 

「いや……」

 

「そこでたまたま会ってな。ちょっと知恵を借りようと思ったんだ」

 

 山内の疑問には綾小路が答えた。

 

「知恵を借りる? なんかクイズ大会でもやってんのか?」

 

「クイズじゃないが、謎解きみたいなものだ」

 

「謎解きって……俺そういうのは苦手なんだが」

 

「いいから一緒に考えろって!」

 

 勢いのまま、否応なしに参加させられることになってしまう。

 ……仕方ないか。

 

「で……なんなんだその謎って」

 

「葛城のことなんだよ」

 

「葛城?」

 

「そうそう。あいつ昨日、ケヤキモールでプレゼントみたいの買っててさ。誰に渡すかってのを知りたいんだよ。あいつの彼女をさ」

 

「彼女……って、そのプレゼントは女子向けのものなのか?」

 

「ああ。選んだ商品とラッピングからして、それは間違いない」

 

 まあそうだな。男物のプレゼントなら、そもそもからしてこいつらがそんなに気にするわけはないか。

 

「あと、多分誕生日プレゼントだぜ。店員に誕生日カードつけてくれって頼んでたから」

 

「その誕生日もいつか分かるのか?」

 

「8月29日だ」

 

「……なら、絞り込むのはそんなに難しくないんじゃないのか?」

 

 8月29日生まれの女子を探せば、その人物が可能性としては非常に高くなる。

 

「オレもそう思ったんだが、この学年の女子生徒に、8月29日生まれはいなかったんだ」

 

「……そうなのか? だとしてもなんでそんなこと分かるんだよ」

 

「櫛田に聞いた」

 

「なるほど」

 

 一瞬で納得した。櫛田が言ってたならたぶん間違いない。

 

「ただ一つ、8月29日が誕生日の男子はいたんだ」

 

「え? それって誰だ」

 

「葛城本人だ」

 

「……えぇ?」

 

 なんだそれは。ますます意味が分からないな。

 ただの偶然で片づけることもできるが……。

 

「それで苦戦してるわけか……」

 

「もし仮に上級生だったら、オレたちに突き止めるのは無理だ」

 

 他学年の誕生日まで把握している生徒なんてごくごく少数だろうし、そういった生徒に話を聞けるほど、俺たちの顔は広くない。

 

「あ? そういや速野、なんでお前制服なんか着てんだよ」

 

「そういえばそうじゃん。何してたんだ?」

 

 須藤と池が違和感に気付いて質問してくる。

 

「いや、教室に忘れ物を取りにな。ただ思い違いだったみたいで、目的のものはなくて今は手ぶらだが」

 

 現在何も持っていないことの理由としてそう言っておく。

 

「なあ、そういえば、葛城も制服着てたよな……」

 

「あ、そうだそうだ。確かにおかしいよな?」

 

 池と山内の二人が思い出すように言った。

 なるほど確かに、ケヤキモールで制服姿というのはかなり違和感がある。

 少し考えていると、綾小路が発言する。

 

「それで一つ報告があるんだが、実はさっき葛城には会えたんだ。昨日と同じ場所で」

 

「マジかよ! 見直したぜ綾小路」

 

「それで、誰かわかったのかよ?」

 

「いや、そこまでは絞り込めなかった」

 

 それはそうだろうな。わかったんならここに俺を呼ぶ必要はないわけで。

 にしてもそうか。今日綾小路があんな行動をしてたのは、葛城の捜査のためだったわけか。

 確かに、説明するほどのことでもない野暮用だ。

 

「ただ、葛城は今日も制服を着てたんだ」

 

 ……へえ、昨日に続いて今日も、同じ場所に同じく制服で、か。

 

「葛城のやつ、制服好きなのか? それとも着る服ないんじゃね?」

 

「それはないって。あいつAクラスだぜ? 服買うポイントなんて腐るほどあるだろー」

 

 そんな会話を遮るようにして、俺は口を開く。

 

「いや、葛城が制服を着てたのは多分、学校に行くためだ」

 

「え、そうなの? なんでわかんの? 校舎で葛城見たとか?」

 

「いや、直接見てはないけどな。でもこんな暑い中で、わざわざ好き好んで制服なんて着ないだろ」

 

「ま、まあそりゃそうだけど」

 

「だったら、必要に駆られて制服を着たって考えるのが自然だ。で、この敷地内で制服着用が義務付けられてるのは校舎内だけだ」

 

 ちなみに、単に校門をくぐるだけであれば、別に制服でなくとも可能だ。そうでないと部活生があまりにもかわいそうだからな。

 

「なるほど!」

 

「まあ、まさに俺がそれだったからな」

 

「てことは、葛城は校舎にいる誰かにプレゼント渡そうとしてるってことか?」

 

「そうかもしれないな。昨日は渡せなかったから、今日こそ渡しに行くつもりだったと考えれば、昨日も今日も制服姿だったのも頷ける」

 

 その線で考えれば筋は通る。

 ただ、一つ問題があるとすれば……。

 

「え、じゃあさ……その相手ってまさか、先生?」

 

 若干引いたような口調で池が言う。

 そう、問題はこれだ。

 校舎内の誰かが相手だとすれば、その予測を立てるほかないのだ。

 

「普通に日ごろの感謝ってことで渡すって線はないのか?」

 

「いや、でもあいつ、周りキョロキョロ気にしててさ。プレゼント買ってるのバレないようにしてる風だったんだ。感謝のプレゼントなら、そんなことやんなくても堂々としてりゃいいじゃん」

 

「……確かに」

 

 とするとやっぱり、恋愛関係が濃厚になってくるのは確かだ。

 ただ、葛城にしても教師にしても、生徒と教師がそういった関係になることが様々な面でよろしくないことくらい理解しているはず。

 ただ可能性として排除できない以上、その線を捨てるわけにも行かないか……。

 ……一応、確認しておくのがいいだろう。

 

「ちょっと電話かけてくる」

 

「は? 誰にだよ」

 

「他人の誕生日に詳しそうなやつだ。櫛田以外のな」

 

 そのセリフ回しで、池には思い当たる人物がいるようだ。

 

「お、おいそれって……藤野ちゃんかよ!」

 

 ご名答。

 

「だからちょっとドア閉めるぞ」

 

 そう断り、俺はリビングのドアを閉めて空間を遮断。

 何やら悔しがるような池と山内の声が聞こえてくるが、ドア越しのため音がこもっていて正確には聞き取れない。閉めて正解だったな。

 その後端末で藤野に電話をかける。

 友達と遊んでいるなら出ないかもしれないが……と思っていると、数コール後につながった。

 

「もしもし」

 

『速野くん? どうしたの急に?』

 

「いま時間大丈夫か」

 

『うん、部屋にいるから』

 

 なら好都合だ。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだ。8月29日が誕生日の人、誰か知らないか。この学校の生徒に限らず、教師とか敷地内のスタッフとか」

 

『8月29日……ちょっと待ってねー……』

 

 おそらく、端末に入っている連絡帳などから探し出しているんだろう。

 おとなしく待っていようと思ったのだが、その途中で付け加えるように藤野が言う。

 

『あ、先に言っておくと、先生とかスタッフとかの誕生日はさすがに分からないよ?』

 

「……ああ、やっぱそうか」

 

 いくら藤野でも、そこまでは知らないか。さすがにこちらの期待度が高すぎたか。

 

『うん。でも、生徒の中に8月29日が誕生日の人はいたよ』

 

「葛城か」

 

『あ、知ってたんだ』

 

「櫛田がクラスメイトに伝えたのを、そのクラスメイトから又聞きした」

 

『そうだったんだ。でも、もしかしたらこれは知らないんじゃない? 私が知る限り、8月29日が誕生日の人はもう一人いるよ』

 

「え、マジか」

 

 確かに、そんな人物がいるとしたら櫛田も知らなかった情報だ。

 一気に希望が高まった。

 藤野の言葉を待つ。

 

『うん。それはね……葛城くんの双子の妹だよ』

 

 答えを言う藤野。

 

「……」

 

 ……なるほど。そういうことか。

 

「……双子の妹がいたのか、葛城」

 

『うん。前にちょろっと聞いただけだから、ちょっと体が弱い子ってことくらいしか知らないけど』

 

「いや、十分だ。助かった」

 

『これくらいなら全然いいけど……突然どうしたの?』

 

「ちょっとな。礼はまた次の機会に」

 

『ありがと。じゃあ、またね。いつでもかけてきていいよ』

 

「助かる」

 

 そこで通話を終える。

 期待した収穫ではなかったが……それでも答えにたどり着くことができた。

 満足し、俺はリビングに戻る。

 

「お、速野。たぶん解けたぜ、葛城の謎」

 

「……え?」

 

 なんでだ。こいつらが葛城の双子の妹に関して知ってるとは思えない。

 ただ、一応聞かせてもらうことにする。

 

「つまりこういうことだよ。自分の誕生日に女子からプレゼントをもらえないのはきついから、誰かから貰ったように見せかけるために買ったんだ!」

 

「……」

 

 言葉が出ない。

 とんでもない新説だ。

 完全に俺の思考の外。要は見栄を張るために誰かから貰ったように見せかけるってことだが、そんな発想、多分一生かかってもたどり着かなかっただろう。

 

「ってわけでさ、俺たちで葛城に誕プレ買ってやろうって話になったんだ。お前もポイント出せよ」

 

「……はあ?」

 

「だってなんか気の毒だろ? 誰からも祝ってもらえないからってあんな行動取るなんてさ。だから俺たちでポイントを出し合って、救いの手を差し伸べてやるんだ!」

 

「……」

 

 まあ、思考回路として理解できなくはないんだが……。

 ……いや、単純に結果だけ考えれば、葛城に誕生日プレゼントを買ってやるというだけのことだ。つまり純粋な善意。

 なら、ポイントを出すのも悪くないかもしれない。

 

「……わかったよ。と言っても俺も別に余裕があるわけじゃないからな。500ポイントで勘弁してくれ」

 

「んだよケチだな。まあいいけどさあ」

 

「明日買いに行くから、お前も来いよ」

 

 池からそう誘われた、というより指示されたが、それはできない相談だ。

 

「明日は無理だ。ついでに明後日もな。今日と同じで学校に用事がある」

 

「はあ? なんだよその用事って」

 

「進路相談みたいなもんだ。色々考えてるんだよ」

 

「進路相談って……俺たちまだ高1だぞ?」

 

「早すぎていけないことはないだろ。てことで、ポイントは綾小路に渡しとくから、頼む。じゃあな」

 

「え、あ、おい」

 

 呼び止める山内の声は無視し、俺は綾小路の部屋を後にした。

 その後、俺は綾小路に500ポイントを送金するとともに、1通のメールを送った。

 

 

 

 

 

 3

 

 翌日の夕方、日が落ち始めたころのこと。

 俺は空き教室をあとにし、校舎を出るべく靴箱に向かって廊下を歩いていた。

 と、その時である。

 

「……」

 

「……」

 

 何も語らずとも、目を見るだけで互いに言いたいことは伝わっていた。

 またお前か、と。

 

「……最近よく会うな、綾小路」

 

「まったくだ」

 

 当然ながらここは校舎内のため、綾小路も制服を着ている。つまり今日、校舎に来ることは事前に予定していたということになる。

 俺の送ったメールが影響しているか。まあ仮に俺が送っていなかったとしても、こいつなら予測して制服を着るという行動をとっていたかもしれないが。

 というわけで、こいつがなんで制服を着てここにいるかも理解している。そのためあえてその理由を聞くこともない。

 そのままお互いに何も語らず、寮への道のりを歩いていく。

 寮のロビーには、葛城が少し沈んだ様子で腰かけていた。

 その葛城はこちらに気付いて立ち上がる。

 

「綾小路、お前を待っていたのだが……速野もいたか」

 

「学校で用事済ませた後、帰ろうとしたときに遭遇したんだ」

 

「……そうか」

 

 やっぱり、気分は沈んでるみたいだな。

 以前俺は葛城に会話を拒否されたことがあるが、あれは特別試験の中での話。夏休みでしかない今なら全く問題ないだろう。

 そう判断して口を開く。

 

「帰ってくる道中で大体の話は聞いた。それ、双子の妹へ送るつもりだったプレゼントなんだってな」

 

 もちろん話など聞いていないが、昨日の時点で推測していた結論を口にする。

 

「ああ、そうだ」

 

 もちろん、外部へ物を送る行為は公式に認められているものではない。

 それを叶えるために生徒会に手助けを求めたが、あえなく断られたって感じだろう。連日学校へ出向いていたのは生徒会とコンタクトを取るため。しかし昨日堀北会長から聞いた話では、確か生徒会室は昨日まで改装工事を行っていたはずだから、それで会うことができなかったんだろう。

 

「もしよければ、これは仲間内で食べてくれ。俺には必要なくなってしまったからな」

 

 自嘲気味に笑い、おしゃれにラッピングされた箱を俺たちに差し出してきた。

 

「これ、中身は?」

 

「チョコレートだ」

 

「なら、ちょっと行儀が悪いがいま貰っていいか。糖分がほしくてな」

 

「構わない」

 

 箱を受け取り、リボンをほどいてしまう直前で俺は動きを止める。

 

「……どうした、開けないのか?」

 

「いや、開けていいものかと思ってな」

 

「お前がさっき聞いてきたんだろう。そして俺は許可した」

 

「まあな。でも、まだ策はあるのにもったいない」

 

「……なんだと?」

 

「って、そんな顔をしてたからな。綾小路が」

 

 そう言うと、葛城の視線が俺から綾小路へと移る。対して、綾小路の視線は俺に向けられていた。迷惑そうな目だ。余計なこと言いやがってと思っていそうだ。

 綾小路は葛城の強い視線からは逃れられず、しぶしぶといった様子で口を開く。

 

「……策はないこともない」

 

 やっぱり、ちゃんと思いついていたようだ。

 

「それは本当か綾小路。生徒会に断られた話だぞ」

 

「校則の中で行動しようとしていたら、もちろん無理だ。なら、その外に出ればいい」

 

「……校則を破れと言うのか」

 

「その覚悟がなければプレゼントを贈ることは不可能だ」

 

 覚悟が問われる葛城。

 悩んでいるのか、すぐには答えられずにいる。

 

「いずれにせよ、こんな場所でする話でもない。話だけでも聞きたいと思うなら、オレの部屋に来るか?」

 

 リスクを取らない葛城には、恐らく思いつくことのできない策。それを綾小路は思いついている。となれば、葛城に選択肢は残されていない。

 

「そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらう」

 

 実行するにしてもしないにしても、策があるなら聞かないわけには行かない。

 俺としてはここで帰っても特に問題はないが、事の顛末を見届けるために綾小路の部屋に同行することにした。

 到着し、葛城とともに綾小路の部屋に入る。

 

「片付いているというより……入学時から様子が変わっていない感じだな」

 

 部屋に入って開口一番、葛城は少し戸惑ったように言った。

 

「よく言われれる」

 

「そのせいで何かと集合場所に使われてるよ」

 

 主に三馬鹿プラス櫛田の。あの4人に関しては合鍵まで持ってるらしいからな。家主に無断で合鍵作れるって、そのセキュリティレベルはちょっと、いやかなりまずいと思うんだが、ちゃんと改善したんだろうかこの学校は。

 

「二人とも何か飲むか? といっても水かお茶しかないが」

 

「構わないでいい。それより、お前の思いついたという策を教えてもらえないだろうか」

 

 要約して砕けた言い方にすると、能書きはいいから早く言え、ということだ。

いつも冷静な葛城にしてはかなり気が逸っている。それだけこのプレゼントには強い感情を抱いているのだろう。

 促され、綾小路が語り始める。

 

「まず前提として、学校から直接配送する手段はない。校則で禁じられていることだから、間違いなく郵便局も取り合わないだろうな。いかなる理由があっても」

 

「ああ。だからこそ困っている」

 

 学校が運営する施設を通すことは絶対にできない。

 

「つまり、荷物を敷地外の妹のもとへ届けるには、少なくとも学校の外に荷物を運び出す必要があることになる」

 

「それこそ無理な話だろう。俺たち生徒は敷地の外に出ることができないんだ。まさか、教師やスタッフに頼む、なんて話じゃないだろうな。そんなことは不可能なうえに、不正を摘発されてペナルティを受けるだけだろう」

 

「そうじゃない。頼むのは生徒だ」

 

「……だから、それは無理だと」

 

「いや、葛城、生徒に関しては絶対に無理ってわけじゃないと思うぞ。現に俺たちは、先のバカンスで敷地の外に出ただろ?」

 

「それは例外的な状況だからだろう。それに特別試験中にプレゼントを送り出すようなチャンスはなかった。そもそも29日までに特別試験はない」

 

「例外があるかないかはかなり大事な点だ。つまり敷地外へ出ることが禁じられているのはあくまで原則の話ってことだ。俺は思い浮かばないんだが、特別試験の他にも、生徒が外に出られる状況があり得るんじゃないか?」

 

 試験などではなく、もう少し生徒の自由が効きそうなもの。

 

「……なるほど、部活動の対外試合だな」

 

 葛城が答えにたどり着く。

 

「そういうことだ」

 

「だが、厳しいことに変わりはない。学校側も荷物検査は徹底するはずだ」

 

「徹底しているといっても限度はあるだろう。所詮は高校生の部活動だ。学校側の監視を超えればいい話だ。交渉の余地があって、近々対外試合を控えている人物に当てがある」

 

 綾小路のそのセリフで、俺は一人のクラスメイトの顔が頭に浮かぶ。

 

「……須藤か」

 

「ああ。ちょっと呼び出してみる」

 

 そう言って端末を取り出し、須藤との連絡を試みる。

 時刻は……6時を回ったくらいか。なら、部活が終わるまであと30分か1時間ってところだな。須藤がここに着くのはそれにプラス20分前後加算した時刻だ。多少のずれがあるにしても、少し長い間待つことになる。

 正直、生徒会と交渉してどうにもならなかった時点で、こうなることは予想がついていた。

 今後の展開に関しては、予測とかそういう話じゃない。須藤が来て、話を聞いたうえで葛城の提案を受けるか断るか、その2つに1つ。そしてそのどちらになろうとも俺にはあまり興味が湧かない。

 明日の用事に向けてこの後も少しやることがあるし、俺はここでお暇させてもらうことにする。

 

「じゃあ、俺はそろそろ」

 

「ああ」

 

「少し待ってくれ速野」

 

 床から立ち上がろうとしたところで、葛城に呼び止められる。

 

「……ん?」

 

「せっかくの機会だ。船の中での出来事について、謝らせてほしい」

 

「船の中……?」

 

 言われて、思い出す。

 

「……ああ、あの夕食会場でのことか」

 

「試験中で気が立っていたとはいえ、礼を欠いた物言いだった」

 

 そう言って頭を下げる葛城。

 

「そのことなら気にするなって言っただろ。これからああいうことは幾度となく訪れるんだ。逆にこれからこっちが多少乱暴な言い方をしても、見逃してもらわなきゃ困るぞ」

 

「ああ」

 

「それだけなら、俺はこれで帰る。綾小路、上手くいったかどうかだけ後から報告頼むわ」

 

「分かった」

 

 それだけ言い残して、俺は部屋を出た。

 その数日後、須藤の協力のもと万事うまくいったという報告が上がってきた。

 葛城は、須藤に10万、綾小路に1万の合計11万ものポイントを報酬として支払ったらしい。

 妹が病弱とはいえ、どうしてプレゼント一つにここまでこだわるのか疑問だったが、よくよく話を聞いてみると、葛城の両親はすでに他界しており、誕生日を祝ってやれる家族が葛城自身以外にいなかったそうだ。

 何とも美しい家族愛を見た気がする。

 俺にはそういう情を抱けるような兄弟姉妹はいなかったからな。

 

 



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本当の夏休み~分析~

 夏休みといえば、プール、花火、夏祭り……まあ色々と単語は出てくるわけだが、俺にはそのどれも当てはまらない。

 まあそもそも、この高度育成高等学校には花火大会も夏祭りもないわけで、この2つは俺に限らずこの学校の生徒全員無縁だ。

 プールも通常は水泳部の専用施設となっている。夏休みの最後の短期間だけ、一般生徒向けに開放されるそうだが……。

つまりそれまでの間、この学校の敷地内では所謂「夏の風物詩」的な遊びはできないのだ。

 しかし、それらがないならないなりに、多くの生徒はケヤキモールでのショッピングや、カラオケ、ボウリング、映画など、貯えたポイントを使って楽しんでいる。

 だがそういったものも含めて、俺には当てはまらないのだ。

 なんせ遊ぶ相手がいない。もちろん先ほど挙げた4つの例すべて一人でやろうと思えばできないことはないが、わざわざポイントを使ってまでやろうとは思わない。

 俺の夏休みは、基本的に部屋にこもって過ごし、日が落ちて比較的過ごしやすい気温になったらたまーに散歩、そして定期的に食材の買い足し。まあ、ひどくつまらない日常だ。これといった苦労もないが、同時に楽しみもない。

 こうしてみると、自由というのも考えものだな。

 人間は自由の刑に処されている、とはサルトルの言葉だ。その名言が含む意味とは若干違うが、今の俺の状況には、この言葉がぴったりだ。

 さて、今はその過ごしやすい気温になる時間帯だ。

 俺は寮から外に出て、買い出しのためにスーパーへと足を運ぶことにした。

 ロビーを出てすぐのところには並木道があり、そこを抜けて大通りの横断歩道を渡ると、大通りと大通りをつなぐように敷設された少し広めの歩道に出る。そこにはコンビニなど、少数ではあるが施設が軒を連ねる。

 そこをまっすぐ歩いていくと、次の大通りに出る。その横断歩道を渡り、そのまままっすぐ進むと学校へ、左に曲がるとケヤキモールや、俺の目指す食品スーパーがある。

 俺はそのスーパーへ向けて、大通りの歩道にて歩を進めている。

 向かい側にも歩道があり、その奥にはベンチと、手入れの行き届いた極々小さな草原がある。

 ふと目を向けると、そこに見知った人物が座っているのが見えた。

 こちらとは反対側に向いたベンチに座っているため、後ろ姿しか確認できないが、それでもあれが誰かを特定するには十分だった。

 普段ならスルーしてそのまま歩いていくところだが、この日は気分的に、その人物に接触することにした。

 横断歩道のある場所まで戻るのはひどく面倒だったのだが……この場所に俺を映す監視カメラがある以上は、ガードレールを乗り越えるなどして交通ルールを破るわけにもいかない。

 やむを得ず遠回りをして、そこへ向かう。

 

「おい、何してるんだこんなところで」

 

 その人物———堀北鈴音は、俺の声に反応してこちらを振り向いた。

 手にはブックカバーがつけられた文庫本が握られている。どうやら読書中だったようだ。

 

「……何か用かしら」

 

「いや、別に用ってことはないけどな。スーパーに向かう途中にお前を見かけたから声をかけただけだ。いけなかったか?」

 

「いけないわ」

 

「あ、うん、そうですか……」

 

 相変わらずだな全く。

 一向に態度が柔らかくなる気配がない。カチコチで冷たいままだ。誰か解凍しろよ。

 と、ふと堀北の手に目を向けるとあることに気付く。

 

「……お前、めっちゃ勉強してるんだな」

 

「急に何?」

 

「いや、ペンだこが見えてな」

 

 本を持っている右手中指の爪の横が、不自然にボコッと膨らんでいる。

 

「……ええ。少しでもクラスポイントを上げるため、余念はないわ」

 

「そりゃ結構なことで」

 

「まるで他人事のような口調ね。それとも、頭のいいあなたは勉強しなくても余裕で満点を取れるのかしら」

 

 嫌味を含んだニュアンスでそう言う堀北。

 だが、それには反論しなければなるまい。

 

「本当にそう思うか?」

 

 俺は右手を堀北に差し出す。

 その中指には、堀北と同様にペンだこができていた。

 

「……」

 

 それを見て、驚いたような表情で俺を見上げる堀北。

 

「俺だって努力してる。別にそれを鼻にかけるつもりはないが、さっきの言われ方はちょっと心外だぞ」

 

「いえ……ごめんなさい」

 

 さすがによくないと思ったらしく、案外素直に謝罪の言葉を述べる。

 

「分かればいいんですよ分かれば」

 

「それで、スーパーに行く途中と言ったわね」

 

「ん、ああ」

 

「なら同行させてもらうわ。私にも買い物があるし、何よりあなたに話しておくことがあるから」

 

「……まあ、いいけど」

 

 なんだろうな、俺に話しておくことって。

 少々疑問を抱きつつも、堀北が本をしまい終えるのを待つ。

 支度が整い、堀北がベンチから腰を上げたのを見てから、スーパーに向かって歩き出した。

 そしてすぐに堀北が口を開く。

 

「一つ言っておくけれど、このペンだこは勉強だけのものじゃないのよ」

 

「……え?」

 

「船上試験の振り返りよ」

 

「……なるほど」

 

 確かに、それはやっておくべきことだな。

 

「でも、どうやって振り返ってるんだ。優待者の法則も分かってないのに」

 

「ええ。だから分かる範囲でやっているわ。まず、櫛田さんが優待者だったグループK」

 

「どうして結果1になったかってことか」

 

 頷く堀北。

 

「結果1は、優待者がクラスにいないグループにとっては非常にいい結果だけれど、優待者がクラスにいるグループにとっては避けるべき結果よ。それにそもそも、避けるまでもなく結果1を実現するのは至難の業だわ」

 

「そうだな」

 

「もし他クラスが一方的に優待者を突き止めたなら、その瞬間に裏切って結果3もしくは4になってしまう。つまり、結果1に持ち込むには優待者のいるクラス……もしくは、優待者自らが協力する必要性が高い。そしてこの一件には間違いなく龍園くんが関わってる」

 

 段々と堀北の言いたいことが見えてくる。

 

「つまりお前は、櫛田が何かやらかしたんじゃないかと睨んでるわけか」

 

「その可能性が高いわ。そしてもしそうだとしたら、クラスに対する裏切りに他ならない」

 

「なるほどな……」

 

 まさかそんなバカげた話、とは口が裂けても言えない。なぜなら俺もそれに近い考えを持っているからだ。

 

「そのことを綾小路くんに話したら……彼にこう言われたわ。もし仮に櫛田さんがあの結果にかかわっていたとしても、それを防げなかった私が悪いとね」

 

「それは……ずいぶんと手厳しいことを言うのな、あいつも。お前と櫛田は別グループなのに」

 

「たとえ別グループであっても、Aクラスを目指してクラスを引っ張っていくなら、抜け目があってはダメだと言われたわ」

 

「ほーん……」

 

「いささか理不尽ではあるけれど、全面的に間違っているわけでもない。確かに私は、彼女の裏切りを防ぐことができなかった。それは間違いのないこと」

 

「……」

 

 少し気になるな。

 俺自身、櫛田の関与はあり得ない話じゃないと思っているが……それはあくまでも可能性の一つとして考えているに過ぎない。

しかしどうも堀北は、櫛田が裏切ったと今の段階で断じている節がある。

 単に櫛田が嫌いだからか。いや、たとえ嫌っているとしても、これまでの櫛田を見ていればクラスを裏切ることなどそうそうないと判断するはずだ。

ならばこいつは、櫛田がクラスを裏切る動機に何か心当たりでもあるのか。

 そう分析しているところで、俺たちは目的地のスーパーに到着した。

 空調が行き届いていて、入った瞬間にここはオアシスかと思ってしまう。日が傾いて気温が下がったとはいえ、まだまだ熱気はあるからな。

 二人とも買い物かごを取り、無料コーナーへと向かっていく。

 と、そこで再び堀北が口を開く。

 

「クラスから裏切り者を出すわけには行かないわ」

 

「そりゃ当然だろ。クラス間競争の根本が崩れかねない」

 

 事実、葛城はそれで足をすくわれた形だ。

 

「私が船上試験について考えていたことはもう一つ、それは私たちのグループ」

 

「ああ、2番目に早い裏切りを受けたな」

 

 その裏切りの主犯は俺なのだが、当然それを告げることはない。

「試験終了後、一之瀬さんに連絡を取って確認したわ。私たちのグループだった浅田さん、佐藤さん、葉山くんの中に優待者がいるかどうか。私たちのクラスに優待者がいたことも合わせて告げてね。そしたら彼女、驚いていたわよ。そして『いる』と答えた」

 

「つまり、俺たちのグループIが特殊グループだったってわけか」

 

「そういうことになるわね」

 

「そりゃ驚きだな。どこかのクラスが3人の優待者の名前書いてメール送ったってことか。可能性の一つとして考えてはいたが」

 

「ええ、正直私も驚いたわ。あんなに早くに試験が終わったグループIが特殊グループなんて」

 

 優待者メールを3人分送らないと試験が終了しない特殊グループは、通常最も裏切りによる試験終了の可能性が低いグループだ。驚くのも無理はない。

 

「けれど、これがどういうことか分かるかしら、速野くん」

 

 突如、堀北はそう言ってこちらを強く睨んでくる。

 

「……なんだよ」

 

「あなたのアリバイが崩れたということよ」

 

 射貫くような鋭い口調でそう言った。

 

「……どういうことだよ」

 

「試験が終了した時点では、あなたは私のそばにいた。だから3人目の優待者の名前を送ったのはあなたではないわ。けれどそれ以外の2人分に関しては別よ。1人目か2人目か、あるいはその両方か……いずれにせよ、あなたにも優待者メールを送ることは可能だったということになる。グループIの試験が終わったとき、当然それが特殊グループである可能性も頭をよぎった。けれどその時、どれか1クラスが3人の優待者を指名したものだと思い込んで、複数クラスが絡んでいる可能性に思い至ることができなかったのよ」

 

 先入観、だな。

 メールを送るなら、一気に3人送って片をつけるはずだ、という先入観。

 そこから抜け出し、堀北は真相に一歩近づいた。

 

「で、それを俺がやったと?」

 

「あなたならやりかねない、と私は思っているわ。無人島の試験で、勝手にあんな危険な契約を結んだあなたならね」

 

「……なるほど」

 

 どうやら、あの一件で堀北からの俺の信頼は(元からほとんどなかったが)地に落ちたらしい。

確かにあれは危険な契約だった。だが、たとえあそこで契約を反故にすることができず、スパイ契約が生き残ってしまったとしても、やりようはあった。俺だってリスク回避の手法くらい考えたうえで行動している。

 

「俺がなんのためにそんなことをするんだ」

 

「当然、プライベートポイントが狙いでしょう。たとえ間違えてもポイントが没収されるわけではないから」

 

「堀北、俺はそんな行動はとらない。9分の4の確率で100のクラスポイントが減るんだぞ。しかもそうなったらプライベートポイントも入らない。無視できるリスクじゃない」

 

「本当にそう思っているかしら」

 

「当たり前だろ。無人島試験、俺は葛城が戸塚からリーダー変更を行わないことに関しては9割方の自信があったが、残りの1割を想定してお前に見張りを頼んだんだ。5割近い確率を無視できるなら、お前にあんなことはやらせねーよ」

 

 実例を用いて否定する。そんなことはしないと。

 

「それにだ。お前、俺が試験終了の瞬間にお前のそばにいたことを疑ってたよな。アリバイ工作じゃないかって。それについてはどう考えるんだ。偶然ってことでいいのか」

 

「それは……」

 

「偶然じゃないとしたら、俺は他クラスと繋がって終わらせたことになるが、そんなことをしても俺には何の得もない。お前の言うような行動をとったとしても、俺ならそのあとは試験終了まで何の騒ぎも起こさずに静観するぞ。あわよくばこのまま最後まで行ってしまえばいいってな。その方がより痕跡を残さずに済む」

 

 矛盾点をつくと、黙り込んでしまう。

 ……ここまでだな。

 今の堀北にはこれ以上の追及は不可能だ。

 すべてを解き明かすには、俺と和田との間の繋がりを突き止めなければならない。そのためにはさらに、Aクラス内に藤野という第3の勢力が存在することを看破する必要がある。クラス内にも隠し通しているこの事実に、堀北が気づけるはずがない。

 

「……いいわ。今はあなたの言い分を信じましょう。私にはあなたの策を見破ることはできなかった」

 

「おい疑いまくりじゃねーか。何が信じるだ」

 

「これからのあなたの働きに期待するわ」

 

 堀北はそう言って俺から顔を背け、買い物かごに食材を入れ始めた。

 

「……はあ」

 

 まあ、信じてくれとは言わない。

 実際信用に値する行動なんて取ってないわけだしな。以前も今も、そしておそらくはこれからも。

 

 

 

 

 

 1

 

 その翌日、午後3時ごろのこと。

 俺はある人物とケヤキモールのカフェにいた。

 

「んー、おいしい~」

 

 俺の目の前に座るその人物、藤野麗那は、とても幸せそうな表情で巨大なパフェを頬張っている。

 

「ホームページで見たときからずっと食べたかったんだよね、このジャンボ夏みかんパフェ」

 

 ジャンボ夏みかんパフェ。

 高さ20センチにも至ろうかというほど大きなグラスに、下からゼリー、バニラアイス、生クリーム、シリアル、そしてまたバニラアイスが層を作って積まれている。その上には球形のシャーベットが3つ並べられ、それぞれ夏みかん、シークヮサー、グレープフルーツ味。そしてそのシャーベットに夏みかんのドライフルーツが差し込まれている。さらにその横には生クリームと、控えめな甘さを持ったプレッツェルとビスケットが差し込まれている。

 お値段、占めて3000ポイント。めちゃくちゃ美味そう。

 サイズがでかいが、デザインも工夫が凝らされ洒落て見える。よくある「でかすぎて品がない」というような感じはなかった。

 

「速野くんも注文して食べたら?」

 

「いやいい。甘いのは好きだが、このサイズになると胸焼けする未来が見える。……逆によく食えるな」

 

「こういう時、スイーツは別腹だってほんとに実感するよー」

 

 そう言って再びパフェを口に運び、「ん~」と歓喜の表情を浮かべる。

 女子の食欲ってのは不思議なもんだな。

 いやまあ、藤野がよく食べるタイプっていうのもあるのかもしれないが。

 

「俺じゃなくても、他にもいたんじゃないか? 一緒に来る人」

 

「うーん、ここってあんまり大人数で来るには向かないでしょ? ってなると、2人か3人がちょうどいいけど……その人数で集まる友達、あんまり食べるタイプじゃなくてさ」

 

「いや、別に俺も食べるタイプじゃ……」

 

「そそ、そこがちょっと予定外だったんだよね。甘いもの好きって聞いてたから誘ったんだけど……迷惑だったかな?」

 

「いや、迷惑ってわけじゃない。どうせ部屋に引きこもってばっかだったし、連れ出してもらって感謝すらしてる」

 

「あはは、それはよかった」

 

 ちなみに俺もここで何も食べていないわけではない。700ポイントのケーキセットを注文して食べている。

 ただ、その量は藤野と比べれば歴然の差。藤野が半分を食べ終わるころには、すでにケーキも紅茶も胃の中だった。

 

「一口食べる?」

 

 食べ終わって手持ち無沙汰にしている俺を見て、藤野がそう申し出る。

 

「ん、いいのか?」

 

「もちろん。こんな巨大だしね」

 

「なら……一口」

 

「うん、どうぞ」

 

 グラスを差し出される。

 俺は夏みかんのシャーベット、ヨーグルト、シリアルをスプーンで拾い、口に運ぶ。

 

「……うまっ」

 

 そんな単純な言葉が、無意識のうちに口から飛び出した。

 本当に美味いものを食べたとき、人間は語彙を失う。食レポどころじゃない。

 

「でしょ?」

 

 藤野の問いかけに、うんうんと何度もうなずいて答える。

 

「速野くんも注文すればよかったのに」

 

「……正直この味見せつけられると、後悔の念が出てくるな」

 

 この味をもう一度味わいたいという欲求が脳を支配する。が、んなことは無理だと言い聞かせる。ケーキ食べた後にこの量は胃が死ぬ。

 周りを見てみると、客は大体10人前後。その中の2人がこの巨大なパフェを食べている。やはりかなり注目されている目玉商品のようだ。ネーミングからしても夏季休暇限定とか銘打たれてるんだろう。

 

「んーー、おいしかった。ごちそうさま」

 グラスの底まで食べ終えた藤野の表情は、それはそれは幸せそうだった。

 

 

 

 

 

 2

 

「ほんとに幸せー。この暑さにも余裕で耐えられちゃう」

 

 寮への帰り道、そう言って腹をさする藤野。

 

「ちょうどいい量、って感じではなかったみたいだな」

 

「あはは、まあそりゃね。もう1杯は絶対無理」

 

「当たり前だ」

 

 俺なんて1杯でも無理そうなのに。よく完食できたなほんと。

 

「あ、ねえ、あそこでちょっと休んでいかない?」

 

 そう言って藤野が指さした先には、東屋のような休憩所があった。

 

「ん、ああいいぞ。消化のついでか」

 

「うん、そんな感じ」

 

 この暑さだと、本当は空調の効いた屋内で休むのが良いんだろうが、考えることはみんな同じだ。ケヤキモール内のめぼしいベンチは、すべて生徒によって占領されてしまっていた。

 そのため、仕方なくモールを出て行ったのだ。藤野も落ち着ける場所が欲しかっただろう。

 東屋の日陰に入り、設置されていたベンチに腰掛ける。

 ふう、と一息ついてから、お互いに無言の時間が流れる。

 聞こえてくるのはセミの声。ただその声も、無人島から帰ってきた当初と比べると少し落ち着いている印象だ。

例年、セミの全盛期は8月の上旬だからな。すでに中旬から下旬に差し掛かっている今は、その時よりは数が少なくなってきているんだろう。

 額から流れ落ちる汗を腕でぬぐう。

 それを皮切りにして、俺は藤野に話しかけた。

 

「なあ。今聞くようなことじゃないとは思うんだが……」

 

「え、なに?」

 

「船上試験のことだ」

 

 それを受けた藤野は、なるほど、と納得したような表情になる。

 

「わかった気がする。私たちのグループの結果について、だよね?」

 

「ああ」

 

 さすが。

 櫛田のグループは藤野のグループでもある。つまり、藤野は回答時間内に優待者は「櫛田」と回答したメンバーのうちの一人だ。

 

「何があったのか、話を聞きたくてな」

 

 平田は何が起こったのかを理解していなかった。あれは最後のディスカッションが終了するまで優待者を隠し通すことができたという自信があった証拠。つまり少なくとも平田と王にはこの結果に至る過程が分かっていない。いや、分かっていたとしたらそれは龍園と手を組んでいた裏切り者だ。知らぬ存ぜぬを貫き通すに決まっている。

 となると、グループKに属していた生徒の中で、話を聞けるのは藤野だけなのだ。

 

「うーん、これ実は他言無用だって言われてるんだけど……」

 

「話して不都合があるなら無理には聞かないが」

 

「ううん、話すよ。速野くんが心のうちに止めて置いてくれればいいだけだから」

 

「肝に銘じとくよ」

 

 約束し、藤野が真相を語り始める。

 

「試験が終わって、回答受付時間になる少し前のタイミングで、Cクラスの木下さんが私と西川さんの部屋に来たの。西川さんとは同室だったから」

 

 Cクラスの木下とAクラスの西川。どちらも関わりはないが、木下の方は聞いたことはある。確か陸上部だったか。

 まあ今は俺がその二人を知っているか否かはさして重要じゃない。

 

「最終ディスカッション終了後しばらくは、他クラス同士での話し合いは禁止されてたはずじゃないか?」

 

 それも、破ったら退学というかなり厳格なルールだった。

 

「うん。だから部屋に来たっていうより、部屋の前にいたっていう感じ。部屋のドアからドンっていう音が鳴ったから開けてみたら、木下さんが立ってたの。たぶんノックはまずいと思ったから、体をぶつけたんじゃないかな。バランスを崩したふりをして」

 

「なるほど……」

 

「私たちも話すのはまずいから無言でいたんだけど、そしたら目の前に端末を落としてどこかに行っちゃったんだ。それで端末を見てみたら、メモ機能が開いたままになってて、私と西川さんの名前と、このことは他言無用だっていうこと、それから今から送られてくる映像を見て優待者メールを送れって書いてあったの」

 

「映像を……」

 

「で、回答時間になった瞬間に、木下さんの端末に映像が送られてきた」

 

「どんな映像だったんだ」

 

「同じグループのメンバーだったCクラスの鈴木くん、園田くん、龍園くんが、櫛田さんの名前を書いて学校側にメールを送ってる映像だよ」

 

「……なるほどな」

 

 そういうことか。これで納得できた。

 

「あとで話を聞いたら、葛城くんと的場くんのところにもCクラスの人が来てたみたいだから、多分Bクラスの方にも同じように人が行って、その映像を見たんだと思う」

 

「すでに優待者メールを送ってしまった映像、それもCクラス3人が全員同じ名前を書いたとなれば、どれだけ龍園に信用がなくても、同じ名前を書いて送るしかないな」

 

 メールを送らなければもちろん結果2。そして櫛田以外の名前を書いて送っても結果2。送った名前が違う時点で、どちらかが不正解であることが確実だからだ。

 櫛田の名前を書いて送った場合にのみ、結果1の可能性が存在する。

 優待者でない者にとっては、ゼロか50万か。どちらを取るべきか、まったく悩むまでもないことだ。

 

「それで結果発表の後、木下さんが端末を取りに来て、改めてこのことは他言無用だって念を押されたの」

 

「そう契約したんだな」

 

「契約っていうか、どちらかと言うと口約束かな? ただ、他言しても基本的にこっちに得はないってことは強調されたよ。もし学校にバレて不正ってことになったら、受け取ったポイントが没収される可能性が高いって」

 

「……なるほどな」

 

 一連の行為はすべてグレーゾーンではあるが、明るみになった際に学校側が不正でないと認めるかは絶対とは言えない。

 だが、これで一つ分かったことがある。

 少なくとも、他クラスのグループのメンバーに櫛田の名前を書いて送らせる、という過程に関しては、櫛田も含めてDクラスの生徒は関わっていなかった。

 ちょっと読み違えたか。

話し合いが禁じられている中、他クラスに使者を送りつけるというハイリスクな行為は、龍園の支配が及んでいるCクラスだからこそ取れる戦略だな。

 

「龍園くんが試験を終わらせなかったのは、やっぱり私たちAクラスを狙い撃ちにするため?」

 

「それで納得するしかないな。それに加えるとすれば、俺と同じでクラスポイントよりプライベートポイントを優先したかったか」

 

 無人島試験の戦略から見ても、龍園がプライベートポイントに固執していることは見て取れる。

 

「龍園くんはよくわからないね……」

 

「まあ俺たちをこうやって戸惑わせることも、あいつの狙いの一つだとは思うが」

 

「あはは……」

 

 龍園は思考も行動も無茶苦茶な面があるが、そこには一つのビジョンがある。だからこそ厄介だ。できれば龍園についてはあまり頭を回したくないのだが、しかしあいつから振りかけられる火の粉は払わなければならない。

 

「でも、龍園くんはどうやって優待者の法則を看破したんだろ? 速野くんも、導き出した法則に関して確信に至るには、自クラスのほかにもう1クラス分のサンプルが必要だって言ってたでしょ?」

 

「導き出したわけじゃなく、Aクラスから情報を得ていた、って可能性は?」

 

「うーん、それもないとは言えないけどね。グループBの優待者は坂柳さんの派閥だから、情報を流さないとも限らない。でも、残り3人は琴美ちゃんと葛城くんの派閥の人だし、3人とも自分が優待者ってことは基本的に秘密にしてたから。私には話してくれたけど……少なくとも、Cクラスに情報を流すリスクがある人には話してないんじゃないかな」

 

「なるほど……」

 

 情報源がAクラスである可能性は考えにくい。となると、やはり龍園が法則性を導き出したことは間違いなさそうだな。

 

「ってことはさ……BクラスかDクラスから情報を得てたってことになるよね?」

 

「ああ。龍園が自クラスだけで確信に至ったんでない限りは」

 

 俺も様々なヒントから法則にたどり着くことができたが、その際他クラスの優待者は知らなかった。たどり着くだけなら自クラスのみでも不可能じゃない。俺の場合は確信に至るのに後4人ほどのサンプルが必要だっただけだ。

 この「確信に至る」のラインは人それぞれ。龍園の場合は俺と違って、自クラスの優待者と符合した時点で確信に至った、という可能性もあるわけだ。

 リスクを取ることを厭わない龍園ならあり得る。

 

「ちなみに、Dクラスで情報を流す人に心当たりはあるの?」

 

 そう藤野が尋ねてくる。

 

「試験中に優待者を3人以上知ってたのは、平田、幸村、綾小路、俺。あとたぶん櫛田も知ってただろうな。その中にいるかどうか……」

 

「うーん、裏切るような人には思えないね」

 

「ああ。しいて言えば俺だ」

 

「あはは……」

 

 櫛田のきな臭さを知らない藤野としては、そう考えて当然だな。

 龍園は試験終了後、堀北をターゲットにすると息巻いていたが、その堀北を櫛田は嫌っている。ここに利害の一致があることになる。

 また俺としては、平田の可能性も捨てきれない。

 無人島試験で火災が起こったときに見せた平田の様子は明らかにおかしかった。

 平田も櫛田も、どちらにも深い闇がある。恐らくはその闇が、この二人がDクラス配属になった理由とも直結しているのだろう。

その闇が裏切りに走らせた可能性はある。

 いずれにしても、次の行事では他クラスとの競争のほかに、クラス内部にも目を向けることが絶対に必要だ。いや、先々の不安要素を取り除くという点ではむしろそっちを優先した方がいいとすらいえる。

 クラス内に裏切り者がいるとすれば、そいつは必ず動く。それを見極め、その人物を絞り込む。

 

 

 



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本当の夏休み~危険な遊び~

 楽しかった……楽しかったか? まあ楽しくないわけじゃなかったから楽しかったってことでいいや。楽しかったことにしよう。ということで、楽しかった夏休みも、残すは今日を除いてあと2日。

 あっという間だった、と感じている生徒は多いだろう。そしておそらくそれは気のせいではない。

 通常、夏休みというと期間は1か月。もちろん、この高度育成高等学校でも、学事暦の上では夏季休暇は1か月とされている。

 しかし俺たち1年生は、その前半はバカンスという名の特別試験に駆り出されていた。そのため実質的に俺たちが夏休みを過ごしたのは2週間程度。通常の半分ということになる。

 短く感じるのは全くもって正常な感覚だ。

 さて、そんな貴重な一日を部屋にこもって消化した俺。

 夕飯を食べ終わり、皿洗いをしていたところで、机の上に充電して放置していた端末が、電話の着信音を奏でた。

 

「……っと、電話か」

 

 手に付着した食器用洗剤の泡を落とし、水を止めて端末を確認しに行く。

 着信の相手は綾小路だった。

 通話ボタンをタップして電話に出る。

 

「もしもし」

 

『今大丈夫か』

 

「皿洗い中だったから、用件は手短にしてくれると助かる」

 

『わかった。速野、明後日は予定空いてるか』

 

 おっと、何かの誘いか。

 

「明後日……夏休み最終日か」

 

『ああ』

 

 なんの誘いかは分からないが、俺の返事は決まっている。

 

「すまんが無理だ。その日は終日予定がある」

 

 迷うことなくそう言う。

 その答えに驚いたのか、綾小路が電話口で黙り込んでしまった。

 

「……何か言えよ」

 

『……ウソだろ?』

 

「おいなんだその反応は」

 

 心外だ。

 いや、まあ俺が暇人なのは認めるよ? ただ俺だって予定が入る日くらいはある。

 まあそれもさっき埋まったところなんだが。

 

「とにかく、その日は予定があるから。悪いな」

 

『わかった。それなら仕方ない。じゃあな』

 

「ああ。また学校で」

 

 そこで通話を切り、俺は台所に戻って皿洗いの続きを再開した。

 

 

 

 

 

 1

 

 さて、やってきた夏休みの最終日。

 時刻は8時半の少し前。

 俺は寮のエレベーターに乗りロビーを目指す。

 しかし乗り込んだエレベーターは、5階から1つだけ降りて4階のところで停止した。

 どうやら4階にも利用者がいるようだ。

 誰もいないからということでエレベーター内のど真ん中に立っていた俺は、すぐに斜めに移動して隅によける。

 チン、と小気味の良い音が鳴ってドアが開く。

 そしてこのエレベーターを4階で停止させた犯人(人聞きが悪い)が乗り込んでくる。

 その瞬間、心臓が跳ねた。

 

「……お、おはよう」

 

「……おう」

 

 なんとその人物は綾小路だったのである。

 今日の誘いを断った相手に、エレベーター内という密室で出くわすとは……これ以上に気まずいことも中々あるもんじゃない。

 それは向こうも同様なのか、挨拶を交わしたきりお互いに視線を別方向にやっていた。そのため服装や所持品などはほとんど頭に残っていない。

 ようやくエレベーターがロビーに到着する。5階からロビーまでの移動がこんなに長く感じたのははじめてだ……。

 エレベーターの手前側に立っていた綾小路が先に出て、俺はその後ろを歩く形になる。

 ロビーが目に入った瞬間、俺は再び驚愕することになる。

 そこには、池、山内、堀北、櫛田、佐倉、そして藤野の6人が集まっていたのだ。

 

「……え?」

 

「あ、速野くんこっちこっち」

 

「あ、お、おう……」

 

 藤野に呼びかけられ、そこに向かう。

 

「なあ、これはいったい……」

 

「ね、私もびっくりしちゃった。すごい偶然だよこれ」

 

 藤野のその言い回しで、いろいろと察してしまった。

 

「……まさか」

 

「うん、そのまさかだよ」

 

 藤野は早めに来て、すでに事態を把握していたようだ。

 そもそも俺が綾小路の誘いを断ったのは、電話をもらうほんの30分ほど前に藤野から「夏休みの最終日にプールに行かないか」と誘われたからだ。

 それで8時半ごろにロビーに集合、ということになったのだが……。

 どうやら綾小路からの誘いの内容も、これと完全に一致していたらしい。

 夏休みの最終日である今日この日にプールに遊びに行くこと。

 そして集合時間が8時半であること。

 集合場所がロビーであること。

 これらが全て。

 

「こんな偶然があるんだな……」

 

「私も藤野さんから話を聞いた時には驚いたよ」

 

 そこで、櫛田も会話に加わってくる。

 

「それで、よかったら一緒に遊ぼうっていう話になったんだけど、速野くんはそれでいい?」

 

「ああ、もちろん」

 

 そういうことなら、断る理由は全くない。というか、どうせ行先も目的も一緒なのだから、わざわざ同意しなくとも自然にそうなるだろう。

 

「ほんと? うれしいな」

 

「いや、このままだと藤野がかわいそうだとは思ってたんだ。渡りに船ってもんだ」

 

「え、藤野さんがかわいそう?」

 

「そこら辺の事情は本人に直接聞いてくれ」

 

 それだけ言って、俺は櫛田のもとを離れた。

 そして池、山内、綾小路の男子連中が固まっている場所に向かう。

池と山内の二人にも挨拶をしておこうと考えてのことだったのだが、二人の表情を見て足が止まる。

 まるで般若面のような顔。

 俺はそのまま池と山内の二人に両腕を掴まれ、ロビーの奥まで連行されてしまう。

 

「お、おいちょっと……なんだよ急に」

 

「てめえこの野郎! 藤野ちゃんと二人でプール行くつもりだったのかよっ!」

 

「あ、ああ、まあ……」

 

「裏切り者! お前やっぱり藤野ちゃんとっ……!」

 

 ああ……やっぱりこういう勘違いが出てくるか。

 

「いいか、落ち着いて聞け」

 

「これが落ち着いてられるかっ!」

 

「無理でも落ち着け。いいか、そもそもなんで藤野が最終日までプールに行かなかったと思う?」

 

「はあ?」

 

 今から俺たちが向かうプールは、通常の授業で使用するプールではなく、特別水泳施設。水泳の大会でも使用されるようなプールで、授業で使われるプールの倍以上の広さを誇る屋外施設だ。

 この施設が、夏休みの最後の3日間、一般生徒向けに開放される。

 しかしこれには条件があり、各生徒が利用できるのは3日間のうち1日だけなのだ。

 つまり最終日にプールを利用する人物は、1日目、2日目にプールを利用してこなかった人物ということになる。

 

「お、お前が誘ったからじゃないのか」

 

「違う。誘ってきたのは向こうからだ」

 

「なっ、さ、誘われただと!?」

 

 さらに怒りを増幅させる二人。落ち着けって言ってんのに。

 

「言っとくが、藤野が俺を誘ったのは、やむを得ない事情があったからだ」

 

「は? なんだよ事情って」

 

「藤野は男女問わずに人気だ。それこそ櫛田といい勝負するくらいにはな。プールの誘いなんてかなり早い段階からあったに決まってるだろ。事実、藤野は本当は1日目にプールに行くはずだったんだよ」

 

「じゃ、じゃあなんで今いるんだよ……?」

 

「気の毒なことに……その前日に夏風邪をこじらせて、プールに行けなくなったんだ」

 

「「え!?」」

 

 二人して驚きを見せる。

 何を隠そうこれが真相だ。

 

「それで藤野は予定をキャンセルしたんだ。その穴埋めとして、俺にお鉢が回ってきたってことだ」

 

 正直、この話を聞いた時は俺も驚いた。と同時にめちゃくちゃかわいそうだと思った。

 

「つまりだ、俺は藤野にとって補欠人員なんだよ。向こうが一番遊びたかった相手は俺じゃないんだ。分かったか?」

 

 俺の不遇ぶりをこれでもかと強調して説明する。

 すると、二人は俺に聞こえないように何かこそこそと話し合う。

 

「……?」

 

 納得してくれたのならいいが……と思っていると、二人が同じタイミングで俺の両肩に手をやる。

 

「な、なんだよ……」

 

「速野……」

 

「……」

 

「「スーパーファインプレーだぜ!」」

 

「……は?」

 

 気色が悪いほど満面の笑顔でそう言い、二人とも元の場所に戻っていった。

 

「……なんなんだ一体」

 

 まあ……藤野は容姿といいスタイルといいめちゃくちゃいいからな。そんな女子と一緒にプールで遊べるんだから、テンションが高くなるのも当然か……。

 

 

 

 

 

 2

 

 中々ロビーから動こうとしない集まりに疑問を抱き、隣に立つ綾小路に聞く。

 

「なあ、まだ行かないのか? 集合時間8時半だったんだろ? もう10分くらい過ぎてるぞ」

 

「ああ、須藤がまだ来てないからな。たぶん部活の疲れが溜まって……と、来たみたいだぞ」

 

 エレベーターの方から大あくびをしながらこちらに歩いてくる須藤の姿を確認する。

 

「そういうことだったか。須藤も誘ってたんだな」

 

 てかあいつ、学校だけじゃなくこんな時にも寝坊するのか。

 まあ部活の大会で気張ってたらしいから、情状酌量の余地は十分にあるが。

 

「これで全員揃った。移動ももうすぐだ」

 

「了解」

 

 その言葉通り、櫛田の「じゃあ移動しようか」という言葉で、全員ロビーを出ようとする。

 

「ねえ、もしかして君たちもプールに遊びに行くの?」

 

 しんがりを務めていた俺の背後から声がかかる。

 自分たちのことを言われていると察して、皆足が止まる。

 

「……一之瀬か」

 

「おっはよー速野くん」

 

「おお、おはよう」

 

 一之瀬のほかにも、その友達と思われる女子二人が隣に立っていた。

 

「君たちも、ってことは、一之瀬たちもか」

 

「うん。もしよかったらご一緒していいかな? Dクラスのみんなの邪魔にならなかったら」

 

 一之瀬が連れの二人を見て「いいよね?」と確認し、その二人はもちろんとばかりに首を縦に振った。

 

「一応言っとくと、Dクラスだけじゃないぞ。藤野もいる」

 

「え? あ、ほんとだ」

 

 一之瀬は背伸びしながら藤野に向けて手を振る。

 向こうもそれに気づき、手を振り返していた。

 

「なになに、一之瀬ちゃんたちもプール?」

 

 そこに池が会話を挟んでくる。

 

「そうだよー。だから、もしよかったら一緒にどうかなって」

 

「もちろん大歓迎だぜっ! な!」

 

「ああ!」

 

 このイベントの発起人である池と山内が賛意を示せば、それに異を唱える者もいない。

 堀北も特に口をはさむつもりはないようだった。

 

「じゃあ一之瀬さんたちも加わったってことで、改めて出発しよっ」

 

 櫛田を先頭にして、特別水泳施設へと歩いていく。

 かなりの大人数になったな。元々7人だったのが、俺と藤野を加えて9人、さらに一之瀬たちを加えて12人だ。

 

「なんかすごい大グループになっちゃったね」

 

 俺と同じことを考えていたのか、一之瀬が隣でそうつぶやく。

 

「そうだな」

 

「でも、佐倉さんが参加してるのはちょっと意外かも。あ、他意はないよ?」

 

「それは俺も思った。ただ、綾小路に誘われたって考えると……」

 

「あ……なるほどねっ」

 

 それで察したらしく、一之瀬が「皆まで言わなくていいよ」とでも言いたげにウィンクした。

 一之瀬は佐倉がグラビアアイドルであることや、楠田のストーカー事件のことを知っている。佐倉が綾小路に特別な感情を抱いているという発想に至るのは難しくない。

 

「俺としては堀北の参加の方が不思議だ。あいつは綾小路に誘われたからって理由で来るようなやつじゃない」

 

「確かに……なんでだろ。ちょっと聞いてくるよ」

 

 即断即決。迷うことなく、一之瀬は堀北のもとへと駆け出していく。

 そして二言三言会話を交わしたかと思うと、再びこちらに戻ってきた。

 

「理由、聞けたか?」

 

「うーん、なんか、自分の意思とは関係なく、甘んじて受け入れなければいけないことがあるとかなんとか……」

 

「……なんだそりゃ」

 

「さあ……?」

 

 そのまま解釈するなら、自分は参加したくなかったが止むを得なかった、ってことになる。

 やむを得ずに参加を決意する理由ってなんだ? 謎は深まるばかりだ。

 

「でも、藤野さんって速野くん以外にもDクラスの人たちと仲良かったんだね」

 

「あ……あー、そのことなんだが……」

 

 そうか。一之瀬は途中参加だから、俺と藤野が最初からいたものだと思い込んでしまっている。

 勘違いを招かぬよう、池と山内と同様に経緯を説明する。

 

「なるほど、そんな偶然があったんだ」

 

「ああ。たまげたよ」

 

「にゃはは、そりゃそうだよね」

 

 一之瀬は愉快そうに笑顔を見せた。

 

「君と藤野さん、入学当初から仲良いよね。何かきっかけがあったの?」

 

「あー……なんと説明すればいいやら」

 

 あの食堂でのことを要約するのはちょっと一苦労だ。

 

「や、無理には話さなくてもいいからね」

 

「ああ……」

 

 一之瀬が問いを取り下げたことで、会話は一度途切れる。

 すると一之瀬は、こんどは後ろを歩いていたBクラスの女子生徒二人との会話に華を咲かせていた。

 このままだと盗み聞きのような格好になってしまうため、俺は一之瀬たち3人から少し距離を取るようにして前に進んだ。

 そのままの流れで堀北に話しかける。

 

「正直めちゃくちゃ意外だぞ、お前の参加」

 

「……自覚はあるわ。でも、仕方がないこともあるのよ」

 

「一之瀬にも聞いたが、なんだその仕方がないことって」

 

 問うと、キッと睨みつけられてしまう。

 そんなこと聞くな、殺すぞと目が言っている。

 

「……わかったわかった、聞かねえよ」

 

 観念して両手を上げ、ようやくその視線から解放された。こええ。

 

「ねえ、そんなことより、池くんと山内くんの荷物、プールに行くにしては少し多すぎはしないかしら」

 

「ん?」

 

 言われて、二人の荷物に目を向ける。

 確かに俺や綾小路の荷物と比べると二回りくらいでかいな。

 

「ほんとだな……」

 

「あら、あなたは素直に認めるのね」

 

「……はあ?」

 

 発言の意味が分からずに聞き返す。

 

「須藤くんに似たような質問をしたら、そうは思わないと答えたのよ。綾小路くんはそれを誤魔化すようにして遊び道具が入ってるんじゃないかと言い出すし。何かよからぬ企みがあるんじゃないかと勘繰らずにはいられないわね」

 

「よからぬ企みって……いやまさか、そんなことは……」

 

 池と山内、それに須藤に目を向け、少し考える。

 

「あり得ない、と言い切れる?」

 

「……いや」

 

 正直、全く言い切れない。

 あいつらならやらかしかねない。

 3人の今までの行い———特に池と山内———は、そう思わせるのに十分だった。

 

「とりあえず、怪しい行動をとらないかどうか見張っとく」

 

「お願いするわ」

 

 もしも本当に覗きなんてマネをやらかして、それがバレたら、クラスポイントの大幅減どころか退学処分にもなりかねない。

 それだけは阻止しなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 3

 

 特別水泳施設に到着した。

 この施設は学校のそばに併設されているが、一般生徒向けに開放されている期間は特別に制服を着用しなくてもいいということになっている。

 すでに男女ごとに分かれ、俺たちは男子更衣室の行列に並んでいる。

 入場できるのは9時からで、それまでまだ5分ほどの時間があるが、更衣室前はすでに大盛況だった。

 利用できるのは3日間のうち1日だけ、という制限を付けたのは大正解だな。今以上に混みあうとケガ人やトラブルが起きかねない。

 人の波に押し押されしながら待機していると、時計の針が9時を回り、入場可能時間となる。

 池と山内は我先にと更衣室に突撃。そして一番奥の通風孔付近のロッカーを占拠した。

 あいつらがそこに行くなら、と、俺もその近くのロッカーを利用することにする。

 

「はぁ、はぁ……い、いよいよだぜ春樹っ!」

 

「ああ、俺たちは一歩、いや、十歩先に進むんだ!」

 

 何やら意味不明な会話を繰り広げる池と山内。

 それを止めるようにして、須藤が二人の首根っこをつかむ。

 

「ぐぇっ! な、なにすんだよ健!」

 

「はやる気持ちは分かんなくもねーけどよ、ちょっとは落ち着けよ。怪しまれるだろーが」

 

 そう言いつつ、須藤はその握力で二人の首を絞めていく。

 

「がぁぁぁっ、ちょ、ギブギブギブ!」

 

「死ぬって! マジで!」

 

 当然だが、さすがに須藤も殺すつもりはないようで、数秒ののちに二人を解放した。

 さっきから会話の流れがよく分からないな。十歩進むだの怪しまれるだの。

 

「綾小路、ちょっと」

 

「なんだ」

 

 3人の様子を少し離れたところから見ていた綾小路に声をかける。

 

「俺はもう着替え終わったからプールに出るが……あの3人がよからぬ動きを見せないか、見張っててくれないか」

 

「……わかった」

 

「頼むぞマジで」

 

 頷く綾小路を横目に、俺は更衣室を後にしてプールサイドに出た。

 

「……ひっろ」

 

 話には聞いていたが、実際に目にするとまた格別だな。

 授業で使うプールとはやはり比べ物にならない。

 そもそもプールの個数からして違う。

 合計3つ。

 通常通りに泳げる50メートルプール。こっちはかなり本格的で、高さ10メートルと5メートルのところに飛込用の台まで設置されている。深さも国際大会などで使用されるような感じで、水深1メートル弱から徐々に深くなり、一番深い飛び込み台の真下の水深は4メートルにもなる。

 次に流れるプール。特殊な装置で定期的に大波が来るようにもなっているらしい。

 そして最後にスポーツ用のプール。水中ドッジや水中バレーなどに興じることができる。

 恐るべし特殊水泳施設。正直水泳部が普段使いするにははじめの50メートルプールだけで事足りてるはずだが。この3日間のためだけに残りの2つも整備しているとすれば、ちょっと税金の無駄な気がしないでもない。

 さらに言うと、プールサイドでは出店のようなものも出されていた。

焼きそばやらかき氷やら、海の家で出されていそうなメニューが取り揃えられている。

 そして少し興味深いのが、その出店を営業しているのはこの学校のスタッフではなく、生徒本人らしいという点だ。

 おそらくは上級生。

 たぶん売り上げに応じてポイントが入る、って感じなんだろう。特別試験の一環かどうかは定かではないが、来年は俺たちもこういったことをやるんだろうか。

 そんなことを考えつつ。俺はプールサイドの壁際で他のメンバーが着替え終わるのを待つ。

 10分ほどして、綾小路と3バカの4人が出てきた。

 しかし、どうも池と山内の様子がおかしい。

 明らかに挙動不審で、何度も何度も更衣室の方を振り返っている。

 須藤にも若干その仕草が見られた。

 大体、普通男子の着替えに10分もかかるか?

 

「遅かったな」

 

「へっ!? ああいや、ちょっと着替えに手間取って……」

 

 受け答えする池の声は上ずっている。

 

「4人全員か?」

 

「わ、悪いかよ!」

 

「いや……」

 

 興奮気味の池。

 俺はそんな池に手招きして、こちらに近づけさせる。

 

「な、なんだよ」

 

 そしてそのままの流れで池の左腕を引っ張り、プールに突き落とした。

 と同時に俺も飛び込む。

 

「ぎゃぇぇっ!」

 

 断末魔のような池の悲鳴。

 すでにプールで遊んでいる生徒は何人か見受けられたが、このような乱暴な入り方をする生徒はおらず、当然ながら注目を集める。

 

「な、なにすんだよ速野!」

 

「悪い悪い、テンション上がっちゃって」

 

「お、お前そんなキャラだっけ……?」

 

 池が狼狽えるのも無理はない。確かにいま俺はらしくないことをした。

 基本的にプールは飛び込み台以外からの飛び込みをよしとしていない。明確な禁止事項というわけではないため直接の注意はされなかったが、監視カメラにもいまの映像は映っているはず。いくらかのマイナス要素にはなるかもしれないな。

 だがその程度のことは甘んじて受け入れる必要があるだろう。もっと大きなマイナスの可能性を未然に防ぐために。

 

「ちょっとトイレ行ってくる」

 

「あ、お、おう」

 

 俺は4人をプールサイドに残し、更衣室に戻った。

 プールに入ったせいで体はびしょ濡れだ。持ってきていたタオルで軽く水分をふき取る。

 そして俺はロッカーのカギを開け、中のカバンを漁った。

 ……そう、池のカバンを。

 さっき池を突き落としたのは、あいつが左手首につけていたロッカーのカギをくすねるためだ。

 

「あいつらはいったい何を……」

 

 バスタオルと着替えをよけ、カバンの底をのぞき込んだ瞬間。

 

「ぶーーーーーーーっ!!!!!!!??????」

 

 すぐにその光景から目を背けるために首ごと明後日の方向に動かす。

 しかしその動かした方向が悪く、開いているロッカーの扉に頭を強打してしまった。

 ガツン、という音とともに俺の頭部に鈍い痛みが広がっていく。

 

「っつうぅぅー……」

 

 当然、俺の奇行に周囲の視線が集まる。

 更衣室は学年ごとに分けられているため、ここにいるのは一年生のみ。そのため顔だけは見たことのある人物が多数存在している。

 

「あ……その、ちょっと虫が飛び出してきて……気にしないでくれ」

 

 そう言って何とか誤魔化し、俺から視線を外させた。

 

「……」

 

 あいつらは……ほんとになんてことを……。

 俺が見たもの、それはとある映像だった。

 その映像とは……水着に着替えるために衣服を脱いでいる女子の映像。もっと正確に言えば、これから俺たちと一緒に遊ぶ一之瀬たちの映像だ。

 完全に見てはいけないものを見てしまった。

 これがまだ着替えを始める前、或いは着替え終えた後だったならまだよかった。

 しかし俺が目にしてしまった瞬間は、全員思いっきり服を脱いでいたのだ。

 私服を脱いだ後、且つ水着を着る前。最悪中の最悪の瞬間だ。

 それにだ。あのモニター、確かRECの文字が見えた。つまりあの映像は録画されているということ。

 あのモニターはコントローラーのようなものに付随しているものだった。恐らくラジコンカーを通風孔の中に入れ、女子更衣室のところまで走らせて撮影しているんだろう。

 とんでもないことをやらかしてくれたな、あいつら……てか、綾小路はこれ止めなかったのか。

 この作業をするにはかなりの手間もかかる。

 考えたくはないが……あいつもグルってことか?

 それともあいつには何かしらの策が……。

 ……くそっ、最悪の場合も想定して、今ここで手を打つ必要がありそうだな。

 一番手っ取り早い方法はラジコンカーをバックさせてしまうことだが、俺はこういった操縦は不慣れ、というかほとんど経験がない。さらに言えば、モニターを見ずに操縦なんてできない。

 それにこの通風孔、取り外しにはドライバーが要るはず……と思ったのだが、存外簡単に外すことができてしまった。

 おそらく、あの3人がしっかりと閉めなかったんだろう。

 よし……これならいけるかもしれない。

 俺は自分のロッカーのカギを開け、自分の端末から佐倉に電話をかけた。

 

「もしもし」

 

『は、速野くん、どうしたの急に……?』

 

「悪い、ちょっと緊急事態なんだ。他のみんなに気付かれないように、何も言わずに言うことを聞いてくれ」

 

 佐倉の着替えが遅いであろうことは予測がつくし、佐倉ならあまり事情を話さなくても動いてくれる。

 そう考えた上での人選だった。

 

『う、うん……』

 

 思い通り、了承してくれた。よし。

 

「更衣室の奥に通風孔があるだろ」

 

『うん、あるけど……』

 

「それをカバンか何かで塞いでくれ」

 

『え……』

 

 戸惑いの声を出す佐倉。しかし事情を話すわけにもいかない。ここは勢いで押し切るしかない。

 

「頼めるか」

 

『で、でも、今通風孔のところには軽井沢さんたちがいて……近づけないんだけど……』

 

「……軽井沢が?」

 

『うん……』

 

「近づくことすらできないのか」

 

 単に軽井沢には近寄りがたいから、ということなら、佐倉には無理やりにでも行動してもらうしかない。

 しかし、どうやらそうではないようだ。

 

『う、うん。軽井沢さんの横に園田さんと石倉さんがいて、まるで通風孔を覆い隠すみたいにしてるの……』

 

「……」

 

 覆い隠すように……。

 これは偶然か?

 いや、そう片づけるにしては何もかもが都合がよすぎる。

 ってことは……。

 

「佐倉、軽井沢たちがどこかに行ったらでいい。通風孔を塞いでくれ」

 

『う、うん。わかった……』

 

 素直に言うことを聞いてくれる佐倉。選んで正解だった。

 少しして、軽井沢たちが通風孔から離れた旨が佐倉から伝えられる。

 

『ふ、塞いだよ』

 

「助かる。少しの間そのままでいてくれ」

 

 俺は再び池のカバンの中を漁り、モニターを確認する。

 すると、先ほどまであったはずのRECの文字がモニターから消えていた。

 ……やっぱり、そういうことか。

 俺はラジコンカーには詳しくないが、録画機能がついているということは、どこかにそれを保存するためのメモリーカードが必ず存在しているはずだ。

 池のカバンにあったモニター付きのコントローラーにそれがなかった。となれば、恐らくあるのはラジコンカー本体。

 軽井沢たちはそのメモリーカードを引っこ抜き、録画を停止してしまったのだろう。園田と石倉はその作業を隠すためのバリケード役として駆り出されたか。

 いずれにせよ、そのデータが入ったメモリーカードは軽井沢が所持しているとみて間違いない。

 なら……ひとまずは安心していいかもしれないな。

 

「佐倉、もういいぞ。助かった」

 

『う、うん。力になれたなら、よかった……』

 

「じゃあ、プールサイドで」

 

『うん』

 

 佐倉との通話を切り、端末をしまって池と俺のロッカーを元通りにする。

 

「ふう……」

 

 結局俺は何もしていないが……取り敢えずは一件落着ということでよさそうだ。

 にしても、池か山内のカバンの2分の1を引き当てたのは大きかったな。

 池がハズレだったら、次に山内のロッカーのカギを盗み出す算段を考える必要があった。

 ……と、そこで、先ほど目にしてしまった映像が頭にフラッシュバックする。

 一之瀬に、堀北に、佐倉に、櫛田……そして藤野。

 学年でもトップ10には確実に入るであろう5人の肉体。

 

「……やっべ」

 

 どうやら、本当にトイレに行く必要が出てきてしまったようだ。

 自然に収まるまで籠っておかなければ。

 

「はあ……」

 

 あまりの情けなさに、自然とため息が出てしまう。

 結構理性は強い自信があったんだが……結局、本能には逆らえないということか。

 俺は池のロッカーのカギをその真下の床に放置して、あいつが自分でカギを落としてしまったように見せかけてから、一目散にトイレに駆け込んだ。

 



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本当の夏休み~水遊び~Ⅰ

「あ、遅かったねー速野くん」

 

 やっとの思いでトイレを出て、プールサイドに着くと、すでに全員着替え終わって集まっていた。

 

「悪い、ちょっと腹痛がな」

 

「え、大丈夫?」

 

 腹をさする俺を心配する一之瀬。

 

「ん、ああ、もう収まった」

 

 収まったのは腹痛じゃないんだが。

 

「ならよかった」

 

 俺の無事を確認して、一之瀬はその場を離れた。

 俺は間違っても先ほどの映像を思い出したりなどしないよう、自然対数の底、ネイピア数を頭の中で暗唱しながら会話をしていた。

 円周率はダメだ。パイはまずいパイは。

 

「な、なあ、ちょっと俺もトイレ行きたくなってきた! 行こうぜ健、春樹!」

 

「お、おう!」

 

 そう言って、今度は3バカが更衣室へと戻っていく。

 目的は分かっている。恐らくラジコンを回収しに行くんだろう。

 なんの映像も残っていないあのラジコンを。

 

「あ、おいちょっと待て池」

 

「え!? な、なんだよ。漏れそうなんだよ」

 

「いや、さっきトイレ行ったときに見たんだが、お前のロッカーのカギ、更衣室に落ちてたぞ。なくす前に拾いに行った方がいい」

 

「え、ま、マジで!? そ、そういや手首に着けたはずのカギが……サンキュー速野!」

 

「ああ」

 

 そう言って、3人とも駆け足で更衣室へと向かっていく。

 とりあえず、これでカギの件は怪しまれずに済みそうだな。

 

「妙に慌ただしいわね。あの3人に何か怪しい動きはあった?」

 

 堀北が俺の隣に来て、聞いてくる。

 

「いや、特にはなかった。俺の目の届く範囲ではだが」

 

「そう」

 

 あんなことを堀北に告げるわけにもいかない。

 俺の答えを聞いても、堀北は特に俺を怪しむ様子はない。演技はうまくいったようだ。

 俺はその場を離れ、次に佐倉のもとへ向かった。

 周りに会話が聞こえぬよう、声を潜めて話しかける。

 

「佐倉」

 

 自分の名前を呼ばれたことに反応し、佐倉がこちらを振り向く。

 

「さっきはすまなかった」

 

「う、ううん、全然……でも、ほんとにどうしたの?」

 

「いや、ちょっと諸事情でな。あの電話のことはオフレコで頼みたい」

 

「速野くんが、言うなら……」

 

「ほんとに助かる」

 

 以前の出来事などを通じて、俺は佐倉から一定の信頼を得ているようだった。佐倉には申し訳ないが、それを利用させてもらう形になる。

 とりあえず、これで火消しは完了だ。

 

「あれ、一之瀬たちじゃん。そっちも今日来てたんだな」

 

「あ、柴田くんたちだ。やっほー」

 

 そんなやり取りが前の方で聞こえてきた。

 見ると、男子生徒3人と一之瀬が話し込んでいる。

その中の一人に見覚えがあった。神崎だ。須藤の事件の際に一之瀬とともに協力してくれた人物だ。

それで、あの3人の男子生徒が全員Bクラスの生徒だと想像がつく。

 

「せっかくだから、俺たちも混ぜてくれよ」

 

「私は全然いいよ。寛治くんたちもいいかな?」

 

 池たちからすれば、男子の誰が加入しようと心底どうでもいいだろう。櫛田が言うなら、ということで承諾された。

 ただでさえ大人数だったのが、さらに膨れ上がるとは。

 15人なんて……もう何が何だか分からなくなってきた。

 そもそも俺は藤野と二人で来るはずだったんだぞ……。いや、正直藤野と二人きりというのも少し居づらいものがあったから、ある程度増える分にはむしろ助かるんだが……この人数はその「ある程度」を悠に超えている。

 

「なんか、凄いことになっちゃったね」

 

 人だかりから一歩引いたところで様子を伺っていた俺に、藤野が隣に来てそう言った。

 

「全くだ……。15人っていったらほぼクラスの半分だ」

 

「賑やかになるのはいいことだけど、ちょっと多すぎるかもねー」

 

 眉をへの字にして困り顔の藤野。

 藤野でさえそう思うなら、俺の感覚は正しいってことだ。よかったよかった。

 と、その時。

 バチャーンッ、と、何かが水面を叩く音が響いた。

 施設内にいる者なら全員に聞こえたであろう今の音。みんな何事かと音のした方に目を向ける。

 音の発生源を特定するのは容易だった。

 ネットが設置されてあるプールで、上級生とみられる生徒たちがバレーボールに興じている。

先ほどの音は、アタックしたボールが水面に叩きつけられた時のものだろう。

 暇つぶしついでに観戦してみることにする。

 俺から見て左側のコートからのサーブ。

 速く、そして綺麗なドライブ回転がかけられている。恐らくは経験者か。

 ドライブ回転のかかった鋭いサーブは、レシーブも容易ではない。しかし、レシーバーは体勢を崩されながらもなんとかコート内にボールを上げた。

 そしてトスから、スパイクが放たれる。

 バレーのスパイクは、未経験者にはスパイクを打つのも一苦労だ。トスされたボールが最高到達点に達し、そこから落ちてくるタイミング。そして自分がジャンプし、最高到達点に達するタイミング。腕を全力で振るう位置。これらすべてがマッチして初めて理想的なスパイクを打つことができる。しかし、素人にはそれらを合わせることは非常に困難だ。

 スパイクを打てる時点で、バレーのスキルがそこそこであるということ。しかし、動きにどこかぎこちなさがある。恐らくセンスのある未経験者だろう。

 左側のコートに向けて放たれたスパイクは、レシーバーによって上げられる。そして理想的なトスから、先ほどとは比べ物にならないほどの強力なスパイクが放たれた。

 ボールは水面に叩きつけられ、先ほどと同じくバチャーンという音が施設内に響き渡る。

 

「さっきの音もあの人のスパイクか……」

 

 スパイクを打った上級生は、この異様にレベルの高いバレー対決の参加者のなかでもひと際異彩を放っていた。

 

「い、イケメンでスポーツもできるとか……なんなんだよあの人は!」

 

 前方から、山内たちの僻みの声が聞こえてくる。

 確かに、容姿は整いすぎているほどに整ってるな。目鼻立ちはもちろん、綺麗に染められた金髪に、細身で無駄がなく、それでいて強靭な筋肉がついた体躯。ファッション誌の表紙を飾っていても不思議じゃないレベル。

 やけに女子のギャラリーが多いが、ほとんどはあの人が目当てだろう。

 

「相当なものね。彼一人であの場を支配している」

 

 堀北も素直に認めるほどだ。

 

「南雲雅先輩。2年Aクラスで生徒会副会長。次期生徒会長確実って言われてる人だよ」

 

 ここにいる俺たちに説明して聞かせるように言ったのは、一之瀬だった。

 

「藤野、知ってるか?」

 

「名前と、2年生の先輩の中でも一番の実力者、ってことだけは一応ね」

 

 学内でかなりの有名人らしい。

 この前、橘書記が南雲って名前を口走ってたな。一之瀬曰く副会長らしいし、間違いなくこの人のことだろう。

 

「でも、私南雲先輩が生徒会の、しかも副会長やってるなんて知らなかったよ」

 

「それは多分、今の堀北会長が凄すぎるからじゃないかな。生徒会といえばこの人、って感じで、他のメンバーを覆い隠しちゃうくらいのオーラがあるから」

 

「なるほど……確かにそうかも」

 

 一之瀬の説明で藤野も納得したようすだ。

 特に今年の1年生には、部活動説明会で強烈な印象を残しただろうからな。堀北会長以外の生徒会メンバーに目が向かなくても無理はないか。

 

「でも、実力では南雲会長も負けてないって噂だよ。去年の生徒会選挙も、堀北会長と当時まだ1年生だった南雲先輩の実質的な一騎打ちだったみたいだから。その時は大敗しちゃったらしいけどね」

 

「やけに詳しいんだな」

 

「うん。私生徒会に入ったから。そのあたりの事情には自然と詳しくなっちゃったんだ」

 

「……あなたが、生徒会に……?」

 

 驚きを見せる堀北。

 

「うん。生徒会に入るためには、4月から6月いっぱいまでの間か、生徒会の任期が終わる10月に面接を受けて、それに受かる必要があるんだ。実を言うと最初は断られてたんだよね。会長が中々認めてくれなくて。でも何回受けてもいいってことだったからあきらめずに挑んだの。そしたら副会長の南雲先輩が認めてくれて、入れてもらえたって感じかな」

 

「……そんなことが」

 

 なんかちょっと申し訳なくなってきた。こっちは逆に入らないかと誘いを受け、そのうえで即断ったってのに。

 

「堀北会長は確かにすごい。けど、私の目標はたぶん南雲先輩になると思う。実は南雲先輩、私と同じBクラスでスタートしたんだ。でも実力でAクラスに上がって、今では次期生徒会長にまで……だから私も、ってね」

 

 自分と似たような境遇の南雲先輩にシンパシーを感じているのだろう。

 

「スタートでBクラスと出遅れている時点で、たかが知れているというべきかしらね」

 

 堀北は堂々とそう言い放った。

 おいおい、ここにはそのBクラスの生徒が6人もいるんだぞ……いや、それよりもだ。

 

「Dクラスでスタートしたお前がそれ言うのか?」

 

「私は自分がDクラスであることを認めてないわ」

 

「……本気かお前」

 

「当然でしょう」

 

「……」

 

 いや……もはや何も言うまい。

 

「うーん、でも堀北さんが疑問に思うのも無理ないかな。単純に優秀な生徒から順に上のクラスに配置されてるってわけじゃないっぽいしね。もしそうだとしたらさ、堀北さんもそうだけど、ここにいる櫛田さんや、平田くんがDクラスなのも変だと思わない?」

 

「……それでも、納得は行かないわね」

 

 納得いかないというより、したくないんだろうな。こいつは。

 クラス分けに関しては、俺も前々から疑問に思ってはいたことだ。一之瀬の言う通り、単に個々の生徒の総合力で上から振り分けられているとは考えにくい。

 Aクラスの戸塚なんて最たる例だ。正直なところ、あいつがAクラス並みの総合力を持っているとはちょっと思えない。

 以前堀北会長に尋ねたときにも、そのあたりのことはまだ分からないと言っていた。あの人でもだ。

 しかし、当時と比べれば俺もこの学校に関する知識が増えた。それで分かったこともある。

 この学校はクラス間競争の色が強い。そんな中で総合力で劣った人間ばかりがDクラスに集められれば勝ち目なんかあるわけがない。そんなことを学校側が強いるのか。それはあまりにも理不尽というか、無意味なことだ。事実、落ちこぼれと言われるDクラスにも、平田や櫛田、それに堀北(一応高円寺も)など戦力は揃っている。

 学校側は、クラスがクラスとして機能し、そのうえでAからDにかけてその格が下がっていくよう計算して組んでいるんじゃないか。

 Aクラスには坂柳と葛城、Bクラスには一之瀬、Cクラスには龍園、Dクラスには平田や櫛田など、各クラスに必ずクラスをまとめられる人材がそろっているのがその証拠だ。

 そしてこれはほぼ確定的なことだが、入学に関して、全受験者の中から総合的に優秀な者を上から合格させていった、というわけではないだろう。

 基本的には入試と面接、中学での内申書である程度ふるいにかけ、須藤のような特殊な人材はそれとは別枠で取る、というのが想定できる。

 池や山内もその別枠である可能性がある。が、あの二人に須藤のような特殊性があるかといえば、ない。少なくとも今のところは発現していない。

 だとすれば……Dクラスというクラスを編成するにあたって、ぴったりとはまるピースだったから……か?

 いやいや、だがそれじゃ本末転倒だろう。合格者の中からクラス編成をするのであって、クラス編成のために合格者を選ぶわけじゃない。それだと試験や面接に何の意味もなくなってしまう。

 ……これも俺の思い込みなのか? あんなぶっとんだ試験を生徒に課すこの学校は、その大原則すらも容易く打ち破ってしまうのか?

 

「……駄目だな。こりゃあの人も分からないわけだ」

 

「え? なんか言った速野くん?」

 

「ワンサイドゲームだな、って言っただけだ」

 

「あ、う、うん。ほんとだね……南雲先輩のチームが圧倒しちゃったよ」

 

 ギャラリーの女子に囲まれる南雲先輩を見つつ、まだまだこの学校には苦労させられそうだ、としみじみと思った。

 

 

 

 

 

 1

 

「ねえ、私たちもバレーで対決しない?」

 

 上級生たちがネット付きのコートから引き上げてから、一之瀬が全員にそう提案した。

 

「Dクラス対Bクラス+藤野さんで。8人と7人でちょっと人数はオーバーしてるけど、そこらへんはローテーションで交代しながらさ」

 

「おお、やるやる! 俺も南雲先輩みたいに活躍して……うへへ」

 

 池が気色の悪い笑顔を浮かべている。恐らくあの人と同じようにギャラリーの女子に囲まれている自分を思い浮かべているんだろうが、そんな機会は訪れない。

 南雲先輩並みに一方的な活躍を果たすとすれば……須藤だろうな、たぶん。

 

「あ、あの、私、運動は苦手だから……見てますね」

 

 一歩引いてそう言う佐倉。

 本当に体を動かすのが嫌なんだろうな。それがあまりにも態度に現れていたため、無理に参加させようとする者は現れなかった。

 

「私はこの遊びそのものに乗り気じゃないわね」

 

「うーん、確かに遊びだけどさ。Aの藤野さんが加わってるにしても、これはクラス間対決の延長にあると思わない? DクラスとBクラス、どちらが運動神経やチームワークに優れているか。それでも堀北さんは勝負を避けたい?」

 

「……いいわ。やりましょう」

 

 見え透いた安い挑発だったが、堀北は乗っかった。

 あの性格は苦労しそうだな。自他ともに。

 

「盛り上がりを持たせるために、負けた方が勝った方のお昼ご飯代を全額負担する、ってことでどう?」

 

「昼飯か……テンション上がってきたぜ!」

 

 人の金で飯を食いたいのはみんな同じで、これに関しては反対意見は誰からも出なかった。

 

「たかが遊びでも、やる以上は勝ちに行くわ。あなたが使えるかどうか、試させてもらうわよ須藤くん」

 

「おう。よく見とけ鈴音。あんな連中蹴散らしてやっからよ」

 

 自信満々に答える須藤。

 試合前のその言葉通り、須藤の活躍は目覚ましい。

 

「おっしゃ任せろ!」

 

 水中からこんなところまで跳べるのか?というほどのジャンプ。そこから全身の力を腕に伝えて振り抜くと、ボールは勢いよく水面に叩きつけられた。

 

「っしゃ!」

 

 そのアタックをBクラスチームは誰も止められず、再びこちらの得点になる。試合開始時から、この場は須藤の独壇場と化していた。歓声をあげる人はいないものの、先ほどの南雲という上級生並みのアタックだ。

 

「凄いね今の球!」

 

「へっ、まあ落ち込む必要はねーぜ。女に俺のアタックは返せねえよ」

 

「おっ、それは女性蔑視かな? こっちだって負けないんだからね!」

 

 須藤の言葉にも楽しそうに返す一之瀬。得点は7対3とDクラスがリードしていた。

 次のサーブは山内。放たれたボールを神崎が打ち上げる。

 

「よし、俺にくれ一之瀬! 狙い目を見つけた!」

 

「オッケー!」

 

 トスが上がり、スパイクを打ったのは柴田だった。

 一之瀬のトスは位置や高さもさほど良くなかったが、それでも運動神経の良さをうかがわせるアタックだ。

 そのボールは綾小路めがけて迫っていった。

 

「取れよ綾小路!」

 

 そんな須藤の声に呼応するかのように綾小路は動き出す。伸ばした腕にボールが当たるが、明後日の方向に飛んでいってしまった。

 

「うげ……」

 

「いえーい!」

 

 その様子を見て、一之瀬たちはハイタッチを交わした。

 

「なんだよ今のヘナチョコレシーブは!?」

 

「悪い……まあ、どんな形で取った1点も結局は1点ってことだな」

 

「ふざけんなよコラ。あれくらいせめて上にあげろよ」

 

 そう言われる綾小路だが、できないものはどうしようもない、と言いたげな表情をしていた。

 次にBクラス側、藤野のサーブだ。

 高く上がったボールは、細い腕によって振り下ろされたとは思えない鋭い軌道で俺の正面に向かってきた。

 

「っと」

 

 オーバーかアンダーかで迷ったが、今立っている位置の顔の目の前だったので、一歩前に出てオーバーでレシーブしてボールを上げた。比較的上手く行ったんじゃないだろうか。

 

「堀北」

 

「ええ」

 

 言われなくても分かっている、という動きで綺麗にトスを上げる。

 

「おらっ!!」

 

 大きな声の気合と共に腕が振り下ろされ、ボールは敵陣の水面にワンバウンド。こちらの得点だ。

 

「あちゃー、取られちゃったか」

 

「藤野さんサーブ速いね。もしかして経験者?」

 

「うん。小学校5年生くらいからやってたよ。中1で辞めちゃってからはやってないけどね」

 

 なるほどそういうわけか。言われてみれば確かに、今までの動きも経験者を感じさせるものだった。堀北も素人とは思えないほどのレベルだが、纏っている雰囲気みたいなものは藤野の方が一枚上手という印象を受ける。

 順番が巡り、俺のサーブの番になった。

 俺にはスピードのあるサーブを打てる藤野のような技術もなければ、須藤のようなパワーもない。それ以外の面で工夫するほかなかった。

 相手は、前衛に一之瀬と柴田、後衛に藤野と神崎の2人を置き、なるだけ隙がないようにしていた。

 俺は藤野と神崎の間の、申し訳ないがBクラス側の中では一番動きが鈍いと判断した女子生徒にめがけてサーブを放った。

 スピードのない、「文字通り」フラフラとしたサーブ。取るのは簡単そうだったが、その女子はしっかりと捉えることができず、腕に当たったボールはプールサイドへ転がって行ってしまった。

 

「あ、あれ?」

 

「ドンマイ千尋ちゃん! 今のは仕方ないよ」

 

 一之瀬はミスした生徒にも優しく声をかける。うちの須藤とは大違いだ。

 俺の元にボールが返ってきて、再びサーブを放つ。次も同じ位置を狙った。さっきよりスピードは出ていたが、やはり遅い。千尋と呼ばれたその女子は両手を頭の上に構え、オーバーレシーブの構えを見せる。

 しかしボールは思ったより手前で落下し始め、オーバーではレシーブできない。しかし今から構えを変えることもできず、オーバーの構えのまま前のめりになってボールを前に押し出す形になってしまった。

 ボールはネットにかかり、そのまま落ちる。再びこちらの得点だ。

 

「やったねっ」

 

 隣にいた櫛田が手を差し出してくる。ハイタッチを求められているとわかり、ゆっくりと伸ばした俺の手が櫛田の手に触れた。

 さらに、前にいた堀北にも声をかけられる。

 

「あなた、経験者、ではないわよね?」

 

「ああ」

 

「じゃあ1球目の無回転サーブや、今の高速回転のサーブは勘でやったということ?」

 

「まあ、テレビで見たのを思い出して見よう見まねでな」

 

 無回転サーブはボールの軌道がゆらゆら揺れ、レシーブが難しくなる。文字通りのフラフラサーブだ。

 2球目は打つ瞬間に手首を巻いてドライブ回転をかけ、ボールを落下しやすくした。それで2球ともあの女子はボールを上げられなかったのだ。

 

「パワーがないから、スピードのあるサーブは打てなくてな。これくらいしか工夫をこらす点がなかったんだ」

 

「……そう。では、3球目はどんな工夫をこらすのか、楽しみにしておくわ」

 

「素人に期待すんなよ……」

 

 思いつくものはすでにやってしまった。ネットのギリギリに当てて落とすという作戦も考えはしたが、そんな技絶対無理だと断念した。

 結果、1球目の無回転サーブを打つことにする。しかし打つコースをミスしたうえ、かなり回転がかかってしまう。ボールは藤野のところへと飛んでいった。

 

「えいっ」

 

 無回転でなければ、あんなのはただのへなちょこサーブでしかない。

 藤野の余裕のレシーブで綺麗に上がるボール。それを柴田がトスした。そして最後、一之瀬と藤野が同時に跳んだことで、どちらが打つか判断がつかない。

 結果的に一之瀬がアタックし、球は堀北の元へ。しかしあまり勢いはない。堀北はそれを難なく拾い、俺がトスを上げる。そして須藤が跳躍し、強くスパイクを放ってこちらの得点になった。

 

「っしゃ! ナイスだぜ」

 

 須藤からお褒めの言葉を賜った。

だが、褒めた気持ちの割合的には俺1に対し堀北99くらいだろう。下手すりゃもっと。いや、むしろ俺褒められてない説がある。あいつ堀北の方しか見てなかったし。

 そのままの流れでサーブを打つが、ボールは狙いとは大きく外れ、一之瀬の正面へ行ってしまった。

 

「あ、やべ」

 

 そう思ったが、一之瀬によってレシーブされたボールは想定外に取りにくい場所へ飛んでいった。

 そこから何とか立てなおし、Bクラスチームはアタッカーへとボールをつなぐ。

 スパイクされたボールは、綾小路の方へ向かっていった。

 その動きはさっきとは見違えるほどスムーズ。しかし、レシーブすると同時に不恰好に足を滑らせ、プールの中に転んでしまった。

 やるな、綾小路。

 

「うわ、下手くそだなー綾小路」

 

「下手でもなんでも上がりゃオッケーだ! 行くぜ!」

 

 そして、須藤の体から再び凄まじい勢いのスパイクが放たれた。

 

 

 

 

 

 

 2

 

「いやー、完敗だよー」

 

 試合を終え、プールから上がった一之瀬が悔しそうにそうつぶやいた。

 

「まあ、須藤の一人勝ちみたいなもんだけどな」

 

「そうね。ほとんど彼一人の得点だし」

 

 綾小路の言葉に続いて、堀北も素直に須藤をほめたたえる。

 

「じゃあ約束通り、だね。お昼ご飯にしよっか」

 

「な、なあ一之瀬ちゃん、ほんとになんでも食っていいの?」

 

「うん、もちろん。言い出しっぺだしね。遠慮しないで注文しちゃって」

 

「よっしゃあ!」

 

 Dクラスの今月の支給ポイントは、先月と変わらず8700ポイント。少なくはないが、それでも毎日毎日美味い飯を食えるほどじゃない。二つの特別試験で350以上のクラスポイントを得たものの、その反映は夏休み明け以降だ。今も変わらず金欠だろう。せっかく他人のポイントで飯を食える機会を得たのだから、本当に遠慮なく注文するつもりだろう。

 

「悪いな、ごちそうさん」

 

 注文を終え、近くにいた藤野に声をかけた。

 

「あ、うん、実は私は出してないんだよね。一之瀬さんが全部持ってくれて」

 

「……そうなのか」

 

 Dクラス側の8人に、自分自身も含めて9人分。奢られる奴らが遠慮なく注文すれば、出費は1万5000近くにもなるだろう。少ない額じゃない。

 

「太っ腹だな……」

 

 アイドル並みのスタイルしてるのに、とは言わなかった。さすがにセクハラだ。

 ……にしても。

 

「藤野……」

 

「ん? なに?」

 

「いや……スク水着てるのがほとんどなのに、お前はその、違うんだなと」

 

 表現が難しいが、かなり際どいものを身に着けている。

 白を基調として、ところどころに緑がかった白い造花が添えられている。泳ぐためというより、ファッション色の強いものだ。

 

「あ……うん。実は、最初に来る予定だった子たちと、買った水着を見せ合おうって約束してたんだよね。でも、私の風邪で話が流れちゃって。でも、着ないのももったいないと思ってさ。……どうかな?」

 

「いや……まあ、似合ってるんじゃないかと」

 

「ほんと? ありがと」

 

 人の身体を見比べるなど失礼極まりないことだが、無意識のうちにやってしまう。

 藤野のスタイル……一之瀬と同じか、それ以上にいいのでは……?

 胸は引けを取らないし、ウエストに関しては一之瀬より引き締まってる気がする。

 いやいやいや……思い出すな思い出すな、あの映像だけは絶対に。

 

「2.71828182846……」

 

「は、速野くん?」

 

「……いただきます」

 

 藤野に余計なことを言われる前に、購入したオムそばを口に入れた。

 すべての邪念を食欲に変換するんだ。ああオムそば美味い。実際には普段の学食や施設内の飲食施設のほうが味は上なんだろうが、プールサイドで食べるという状況が味を上げているのだろう。祭りで食う焼き鳥が異常に美味いのと同じだ。

 

「ねえ、ちょっと聞いてもいい?」

 

「……ん?」

 

 できるだけ藤野の顔を見て対応する。一瞬でも目を下に向けると、視線が固定されそうになってしまうからだ。

 

「山内くんと佐倉さん、何かあったの?」

 

「……は? なんでそんなこと」

 

「いや、二人きりになった時、すごく気まずい雰囲気が流れてるの」

 

「単純に普段から関わりが薄い人同士だからじゃないのか?」

 

「うーん、そんな感じには見えなかったけど……二人は関わりが薄いの?」

 

「いや、仲良くはないが関わりがないわけじゃない」

 

「やっぱり。変に隠し事しないでよー」

 

 腕をつんとつつかれてしまう。

 藤野の人を見る観察眼は圧倒的だな。

 

「少し前までは、山内から佐倉に対してかなり露骨なアプローチがあったんだが……」

 

「あー……なるほどね。たぶん山内くんが告白して、振られちゃったのかな」

 

「……そんなことが分かるのか」

 

「たぶんだけどね。ああいう空気を見たの、これが初めてじゃないから」

 

 以前にも似たようなのがあったってことか。

 

「山内、いつの間に告ったのか……」

 

「あれ、知ってるわけじゃないんだ」

 

「何も知らないよ。綾小路は知ってるかもしれないけどな」

 

「……綾小路くん」

 

 俺がその名前を出すと、反復するように呟き、その人物へ目を向ける藤野。

 

「なんていうか、不思議な人だよね」

 

「……なんでそう思うんだ?」

 

「雰囲気もそうだけど……特にさっきのバレーだよ」

 

「バレー?」

 

「うん。最初のレシーブの時の動きは素人同然というか、初めてやったみたいな感じだったのに……次のレシーブの時は、足の運びから腕の持って行き方まで経験者顔負けだったよ。あの一瞬でとんでもないレベルアップをした上に、最終的にはわざとこけて下手なフリなんて……」

 

「……」

 

 綾小路、見抜かれてるぞ。すべて。完ぺきに。

 

「速野くんは気づかなかった?」

 

「ボール追いかけるのに夢中で、綾小路の動きまではちゃんと見てなかったから。こけたのわざとだったのかよあいつ」

 

 藤野に綾小路の実力のことを話す理由はない。

 協力関係があってもあくまでクラスは別。その線引きはしっかりとしないとな。

 しかし、全く心当たりがないと答えるのも不自然ではある。

 

「でも、俺も不思議には思ってたんだ。あいつはなんか、自分が『できる』部分を隠してる節があるからな」

 

「……それ、私に言ってもいいことなの?」

 

「あんな観察眼見せられたら、隠そうって気も起らない」

 

 変に隠すより、こういう相手には、事実を話して信じさせた方がいい。

 もちろん、ありのままの事実ではないけどな。

 

「目立ちたくないんだろうな。テストでも、あいつ本当は80点以上取れるくらいの学力はあると思うんだが、いっつも60点そこそこに落ち着いてる」

 

「そうなんだ……」

 

 あいつなら全科目満点なんて恐らく余裕だろうけどな。ここは80点以上と言っておくことで印象を操作する。

 嘘は言っていない。80点だろうが100点だろうが、数値としてはどちらも「80点以上」だ。

 と、そこで藤野が俺の肩ととんとんと叩いてくる。

 

「ねえねえ、オムそば2口くらいちょうだい」

 

「は? 普通1口じゃないのか」

 

「焼き鳥一本あげるからさ」

 

「……確かにそれなら1口じゃ釣り合わないな」

 

 その後、昼食休憩は30分ほど続き、俺たちは屋台の味を満喫した。



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本当の夏休み~水遊び~Ⅱ

 昼食を食べ終えた俺たち一行は、再びプールで遊びに興じた。

 鬼ごっこやフリスビー、それに単純なリレー勝負など。遊びとはいえかなりハードで、かなり疲労が溜まっている。

 今は特にみんなで何かするでもなく、流れるプールでロングビート板や浮き輪に乗ってぷかぷか浮いておしゃべりしていたり、度胸試しとか言って飛び込み台から飛び込んでたり、それぞれ気ままに過ごしている。

 俺はプールサイドに上がり、ベンチに座って一息ついていた。

 と、そこで、座る場所がなく立ち尽くしている佐倉を発見した。

 俺のベンチは隣が空いているため呼びに行くのがいいのだが、恐らく立ち上がった瞬間に席は他の誰かに確保される。

 かといってその場にとどまり大声で呼び出すのも、目立つのを極度に嫌う佐倉は望まないだろう。

 

「……俺に気付くまで待つか」

 

 そう決め、音は出さず、身振り手振りでなんとか佐倉の目に入ろうと努める。

 幸いなことに佐倉はキョロキョロしていて挙動不審だったため、合図を出している俺に気付くのにそう時間はかからなかった。

 手招きして呼び寄せる。

 

「速野くん……」

 

「座りたいならここ使っていいぞ。俺の隣が嫌じゃなければ」

 

「い、嫌だなんて……ありがとう。座るね」

 

「ああ」

 

 断りを入れ、隣にちょこんと腰かける佐倉。

 圧倒的なスタイルを誇っているであろうその体は、ラッシュガードによって覆い隠されている。

 

「……正直、お前がこの場にいるのは堀北と同じくらい意外だぞ。何かきっかけでもあったか?」

 

 ずっと気になっていたことを聞く。

 

「自覚は、あるけど……その、綾小路くんに誘われたから……行ってみようかなって」

 

「……そうか」

 

 想像以上に懐かれてるなあいつ。そうなるよう仕向けたのは俺ではあるんだが。

 

「そういえば、あのストーカーの店員……楠田の話は聞いたか?」

 

 この話題になった瞬間、佐倉の表情と体が強張るのが分かる。

 しかし、それを押さえつけるようにして佐倉は口を開いた。

 

「……うん。無人島で、綾小路くんから聞いたよ。懲戒解雇になったって」

 

「ああ。まったく反省しようとせず、意味不明な供述ばかりしてたらしいからな。仕方がない」

 

 結局、学校側が俺に何か言ってくることは最後までなかった。ということは、メールアドレスの件は楠田の口からは何も出てきていないか、出てきたとしても虚言や妄言の類だと判断されたということだろう。

 

「目の前の心配事は取り除かれたが……ブログはどうしてるんだ」

 

「学業に集中したいから、って、小休止してる」

 

「……それがいい」

 

 あんなことがあった後では、さすがにな。

 それに、考えることもあっただろう。

 アイドル雫としての自分と、佐倉愛理としての自分について。

 今回この集まりに参加したのも、心境の変化があったから、って面も無きにしも非ずなんじゃないかと勝手に思っている。

 

「……ただ、この学校は、単に学業だけじゃどうにもならないのが難しいところだな」

 

「え? あ……う、うん、そう、だね……」

 

「……」

 

 あれ、なんか気まずい空気が……。

 

 

 

 

 

 1

 

「あ、おーい速野、お前もキャッチボールするかー?」

 

 プールサイドを歩いていたところで、Bクラスの柴田に話しかけられる。

 今日まで全く関わりはなかったのだが、こうしてフレンドリーに話しかけてくれるおかげで接しやすい。

 

「ありがたいんだが、さっきのリレーがさすがにこたえた。もうちょい休む」

 

「んーそうか、お大事にー!」

 

「ああ」

 

 柴田たちは、Bクラスの男子三人で三角になってキャッチボールをしていた。

 プールサイドの一番近くに神崎が位置している。

 その神崎に話しかける。

 

「柴田のコミュ力はすごいな」

 

「……その点は同意だ。俺はああいう風にはなれないが、学校生活の中であの性格に助けられることは多い」

 

「……想像つく」

 

 グイっと引っ張ってくれるやつがいるだけでだいぶ楽になる。

 

「Bクラスには、一之瀬や柴田みたいな人材が集まってるのか」

 

「どうかな。全員が全員ってわけじゃない。中には俺のような生徒もいる。でも、学年全体で見れば、明るいクラスだって自負はある」

 

「当たってる。『いいクラス』はどこかってアンケート取れば、間違いなくBクラスが一番だろ」

 

「『いいクラス』……そうだな」

 

「……」

 

 純粋な褒め言葉として言ったつもりなのだが、神崎はその表現を快く思わなかったのか、一瞬眉をひそめた。

 しかし、すぐにそれは消え、元の真顔に戻る。

 ……人の地雷って、どこにあるのか分かったもんじゃないな。まあだからこそ「地雷」なんて呼ばれてるわけだが。

 話題転換のついでに、俺はずっと気になっていたことを聞いた。

 

「そういえば、バレーの時に思ったんだが……一之瀬、あんまりバレー得意じゃないんじゃないか?」

 

「……どうしてそう思ったんだ?」

 

「いや、動きとか見て何となく……言い出しっぺだから得意かと思い込んでたが、どうもそうじゃないっぽいんでな」

 

 サーブを打つとき、顔の向きとボールの方向が全く一致していないことも結構あった。初めはフェイントかと思ったが、打った後なんか「やべっ」みたいな表情してたし。あれは顔は狙っていた方向を見ているのに、実際はあらぬ方向にボールが行ってしまったってことだろう。

 思ったままを述べると、神崎はふっと笑った。

 

「クラスの機密情報は教えられないな」

 

「……それほぼ答え合わせみたいなもんだろ」

 

「ふっ、なんのことだ?」

 

「……」

 

 聞いたことがあるだろうか。旧ソ連において、スターリンはバカだと言った民が機密漏洩罪で逮捕されたというジョーク。

 冗談めかした顔をしているあたり、本気で隠すつもりはないらしい。

 

「もしかして、バレー以外も苦手なのか?」

 

「どうだろうな」

 

「……」

 

 この、絶対確かめてやる。

 

「柴田ー、俺にもボールくれー」

 

 奥の方にいる柴田に声をかける。

 

「お、混ざるか? いいぜー。ほらっ」

 

 快くボールを渡してくれた。

 さて。

 

「一之瀬ー」

 

 たまたま近くで遊んでいた一之瀬に声をかけ、ボールを投げつける。

 

「えっ、は、速野くん? わっ、ちょちょっ」

 

 いきなりボールを投げつけられ、しっかりとキャッチできずにお手玉した挙句、最終的にボールはあらぬ方向に行ってしまう。一之瀬はそれを追いかけようとするも叶わず、バシャバシャと水音を立ててプールの中へと沈んでいった。

 

「わははは! 何やってんだよ一之瀬ー!」

 

 その様子を見て柴田は腹を抱えて爆笑し、神崎も呆れたように笑っている。

 

「悪い悪い、一之瀬、こっちに投げ返してくれ」

 

「う、うん。それっ」

 

 掛け声とともに投げられたボールは、ふらふらっとした軌道を描き、俺のところ……からは大きく逸れ、明後日の方向のプールにぽちゃっと落ちた。

 

「……」

 

「あははは!」

 

「も、もう柴田くん、笑いすぎだよー……」

 

「相変わらずだなー一之瀬は!」

 

「もー……」

 

 一之瀬は自らの失態を恥ずかしがるように身をよじらせる。

 

「……相変わらずってことは、あれがいつもの様子ってことか? 神崎」

 

「……」

 

 沈黙を貫く神崎。

 体力やスピードはありそうなのに、それを全く使いこなせてないな一之瀬は。馬力はあるのにハンドルとタイヤがイカれてる車みたいなもんか。

 まあそこはセンスが物を言う領域ではあるし、ある程度仕方ない面はあるか……。

 一之瀬の意外な欠点を見つけたな。

 

 

 

 

 

 2

 

「そろそろ解散にしよっか」

 

「え、まだ閉館時間まで結構あるぜ?」

 

「ギリギリまで遊びたいのはみんな同じだから、これ以上いるとものすごい混雑になっちゃうと思うんだ。だからその前に出たほうがいいかなって」

 

「そうだね。私もそれがいいと思う」

 

「櫛田ちゃんが言うならさんせー」

 

 と、そんな流れで、少し早いが解散することになった。

 

「それじゃあ、また出口でね」

 

「オッケー」

 

 そう言葉を交わし、男女別の更衣室へと向かう。

 Bクラスの3人とは離れたロッカーを使用しているため、必然的に距離を取ることになる。

 そこである異変に気付いた。

 

「綾小路はどうしたんだ?」

 

 先ほどから綾小路の姿が見当たらない。

 疑問に思って声を上げたが、池たち3人はそれに答える様子がまったくない。

 というか、さっきから挙動不審だ。全く落ち着きがない。

 理由はまあ……例のビデオだろうけど。

 

「おい、おいって」

 

「へ!? な、なんだよ速野、驚かすなよ……」

 

「いや、肩ゆすっただけで、そんな驚くようなことじゃないだろ……綾小路がいないんだが、あいつどこ行ったんだ?」

 

「綾小路? し、しらないけど……」

 

「……そうか」

 

 まだ着替えを終えるほどの時間は経っていない。

 更衣室に見当たらないということは、トイレか、まだプールに残ってるってことだ。

 トイレならいいんだが、プールに残っていた場合は少し気になる。

 俺は体の水気をタオルで軽く拭き取った後、プールサイドへと戻った。

 そこでは、まだ遊んでいる生徒に紛れて、綾小路……そして軽井沢が、二人で何か話しているのが確認できた。

 

「……」

 

 悟られないようにすぐに視線を外し、更衣室へと戻る。

 あの様子を見る限り……午前中の軽井沢はやはり、綾小路の指示で動いていたとみてまず間違いない。

 ただ、いつの間にあの二人にこんなつながりが……。

 確か船上試験で同じグループだったな。その時に仲良くなったのか?

 いや、でも試験結果発表のときの様子を見るに、今のように二人きりで話すような間柄とはとても思えなかった。ましてや、更衣室盗撮を阻止するために動くような関係性にあるとは……。

 俺が今まであの二人に注目していなかったから、見えていなかっただけか……。

 ずっと船上試験でのSIMカード入れ替えの作戦は平田が仲介したものだと思っていたが、もしこの2人が直接つながっていたとしたら……。

 もし仮に何らかの事情で、綾小路と軽井沢が協力関係にあるんだとしたら……いい手駒を手に入れたな。綾小路。

 あいつもあいつで、あの2つの特別試験から自分一人で動くことの限界を感じ取ったってことか。

 ……俺もそろそろ、考える必要がありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 3

 

「お待たせーみんな。じゃあ寮に帰ろっか」

 

「おう」

 

 着替えを終えた女子が出てきて、全員で帰ることになる。

 バスタオルで拭き取ることのできる水分には限界があり、全員まだ乾ききっていない。また、プールの水に混ぜられている塩素の匂いも、ほんのりとただよってくる。

 

「堀北」

 

 長い髪を揺らして俺の前を歩く少女に声をかける。

 

「……何かしら」

 

「楽しかったか」

 

「……そうね。案外悪いものではなかった、と言っておくわ」

 

「……へえ、そうか」

 

 こいつにしてはかなり素直な表現だな。

 最初は渋々の参加だったみたいだが……まあ、楽しめたならそれでいい。

 感心した視線を向けていると、堀北が前方に意識を向けているのに気づく。

 

「どうかしたか」

 

「結局、なんだったのかしらね。あの3人の変な様子は」

 

「……さあ。更衣室でも別に普通だったし、分からん」

 

「そう。ならいいけれど」

 

 いや、よくはないんだけどな決して。

 ただすでに事態は綾小路と軽井沢によって片づけられている……はずだ。

 大ごとになるようなことはないだろう……たぶん。

 なんかやっぱ心配になってきたな。まあ俺にはもうどうすることもできないんだが。

 学校の敷地から寮までの道のりにあるコンビニが近づいてきたとき、一番前を歩いていた一之瀬が立ち止まり、皆に呼びかけた。

 

「ねえみんな、コンビニに寄ってアイスでも食べない?」

 

「おっ、いいね。行く行く」

 

「俺も!」

 

 みんなも疲れた体に冷たいものを欲しているようで、特に反対する声は出なかった。

 15人の大集団が一斉にコンビニになだれ込む……と思いきや、それは正確な表現ではなかった。

 より正確には14人。まあそれでも十分多いのだが……俺は店に入らずに残った人物に声をかける。

 

「お前行かないのか、堀北」

 

「ええ。一時の欲を我慢するだけでポイントが残るんだもの」

 

「なんだお前、いつの間にか俺に負けず劣らずの守銭奴になったな」

 

「何とでも言えばいいわ。勝つために、小さな一歩でも惜しまないと決めたのよ」

 

「そうか。まあせいぜい頑張れよ。守銭奴の生活ってのも中々厳しいぞ」

 

 節約生活経験者の先輩としてそう助言しておく。

 

「別に、あなたのように1ポイントも使わないというわけではないわ。100ポイントあれば余裕を持ってシャープペンシルの芯が買える。私ならそっちに費やすわね」

 

「熱心なことで」

 

 まあ、最近は俺も財布のひもがだいぶ緩んできてるけどな。今みたいな状況でも、アイスを我慢することもない。4月5月あたりでは考えられなかったことだ。

 コンビニに入り、アイスのコーナーまで移動する。

 

「は、速野、お前何買うんだよ?」

 

 クーラーボックスの前、俺の隣に立つ池が聞いてくる。

 焦ってるなあ。怪しまれないために、あえて俺に話しかけたのか。でも完全に逆効果だな。嘘のつき方を知らないのかこいつは。

 まあ、敢えて突っ込みを入れるようなことはしない。ここは普通に答える。

 

「ん、ああ……今は何というかこう、さっぱりした感じのやつが欲しいから……これとか」

 

 手にしたのは、水色を基調としたパッケージに包まれた、ソーダ味のアイス。見るからに清涼感があって、今の俺の食欲にマッチしている感じだ。

 

「それにすんのか。んじゃ俺はこれで……」

 

 池は、俺が手にしたものとは色違い……というより味違いか? とにかく、同じシリーズのアイスで、オレンジ味のものを選んだ。

 

「春樹ー、お前は何にするんだよ」

 

「ん? 俺はこれだ!」

 

 そう言って山内が取り出したのは、コーン付きのソフトクリーム型のアイスだった。

 

「お前それ……結構高いんじゃないのか」

 

「なーに、明日になればポイントが入ってくるだろ? どうってことないって!」

 

 そう言って山内は余裕綽々の態度を見せた。

 確かに山内の言う通り、Dクラスは夏休み期間中に359ものクラスポイントを稼ぎ出した。元々あった87ポイントと合わせて446ポイント。つまり4万5000弱ものプライベートポイントが入ってくることになる。生活は今までよりも数段よくなることは間違いない。

 が、ああも露骨に気が緩んでいると、ちょっと心配になるな。

 まあ俺が何を言っても、ケチケチすんなと聞く耳を持たないだろう。ほっとくか。

 

「レジ行ってくる」

 

 じゃれあう二人を放置し、俺は会計のためにレジへ向かった。

 結構並んでいるが、様子からして俺たちと同じくプール帰りの生徒がほとんどだ。

 そのため買い物の点数は少なく、混雑の割に列はすんなりと進んでいった。

 俺もこのアイス1点のみ。30秒とかからず会計を終え、外へ出る。

 店の外では、みんなが購入したアイスを頬張っていた。

 

「んー、冷たくておいしー!」

 

「疲れた体に染みるねー……」

 

 そんな会話を耳に入れつつ、俺も早速開封して口に入れる。

 いや、文句なしに美味いなこれは。

 もはや味の説明など不要だ。夏、プール後、そしてアイス。美味くないわけがない。同意できないやつは虫歯か口内炎か重度の知覚過敏症だろう。

 そのままガリガリと勢いよく食べ進めていく。

 ガリガリガリガリ。

 

「……んっ?」

 アイスで隠れていた木の棒が半分ほど姿を現したところで、俺はあることに気付いた。

 

「……マジかよ」

 

 これは……。

 俺はそのまま食べ進め、店内入り口のすぐ外に設置されているごみ箱に袋のみを捨てたのち、店内のレジに並んだ。

 先ほどの混雑は解消されており、カウンターに着くのにそれほど時間はかからなかった。

 

「どういたしましたか?」

 

「いや、あの……これ」

 

 店員に見せると、ひどく驚いた表情になる。

 

「……おお、あたり棒ですか! わかりました。あちらのクーラーボックスから、このシリーズの中で好きなアイスを持って、レジにお越しください」

 

「……わかりました」

 

 店員の指示に従い、クーラーボックスへと向かう。

 そして俺が買ったのと同じ味を取り、レジへ戻って手続きを済ませ、店を出た。

 

「当たりが出ると、こういう対応になるんだな……」

 初めての経験だったため、何というか新鮮な感じだった。

 そのまま、この中で唯一アイスを持たない人物へと近づく。

 

「ほら、これ」

 

「……何のつもりかしら」

 

 堀北は素直には受け取らず、訝しむような視線で俺を見てくる。

 

「当たったんだよ。さっきのアイスで。その当たり棒と交換してきた」

 

「……だからと言って、なぜ私に……?」

 

「んなもん分かるだろ。お前以外にあげるやつがいないからだよ」

 

 堀北を除く全員、すでにアイスを一つずつ購入済みだ。

 

「ならあなたが食べればいいでしょう」

 

「全く同じもの二つもいらん。いいから受け取れ。溶けるだろ」

 

 俺に全く食べる気がないことを察して、ようやく堀北は受け取った。

 

「……そこまで言うなら、食べてあげるわ」

 

「ああ、そうしてくれ」

 

 こいつの謎の上から目線の物言いなんて気にしてる場合じゃない。俺の親切心が溶けてなくならなければそれでいい。

 

「あなたが他人に施しを与えるなんて……明日は豪雪かしらね」

 

「お前よりはレアリティ低いぞ、少なくとも」

 

「そうね。私は益のないことはしないから」

 

「それはそれでいい心がけだと思うぞ」

 

 俺だって同じだしな。

 まあ、気まぐれでこんなことをすることもあるが。

 

「……ありがとう」

 

「……あ? なんて?」

 

 何か言ったのは分かったが、声が小さくて聞き取れない。

 

「なんでもないわ」

 

 聞き返したものの、今度ははっきりと聞こえる声でそう言い、スタスタと歩いて行ってしまった。

 

「……なんだありゃ」

 

 あんなごにょっとした物言いのあいつは、俺がアイスをあげること並みにらしくない。

 ちょっと気色が悪いな。

 つか、感謝の言葉くらいくれたっていいだろうに。なあ。

 



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第5巻
ただの体育祭


 夏休み明け最初の授業日。

 生徒たちはまだ休みの気分が抜けきってないのか、どこか授業にも身が入っていないようすだった。

 しかし、さすがにDクラスも1学期で散々学んだ。クラスポイントが減らされるような失態は犯さない。誰も居眠りはしないし、携帯を弄ったりもしていなかった。

 そのまま午前中の授業を消化し終わり、昼休みとなる。

 ダルそうにしている者、これ幸いと教室を出ていく者様々ではあったが、全員に共通しているのは疲労困憊ということだろう。授業ってこんな疲れたっけ、と。

 さて、俺はいつも通り、学食などへは行かず、教室に残って昨夜の残りで作った弁当を広げている。

 

「あなたは夏休み中、先取りで学習を進めていたのよね」

 

 突然、俺の左斜め後ろに座る少女、堀北から声をかけられる。

 

「……まあ、そう考えてもらっていいが」

 

「先取りでの学習は学力向上には効果があるけれど、副作用もあるみたいね。授業中に気を抜きすぎじゃないかしら、あなた」

 

「……なんで授業中の俺の様子を知ってんだよ」

 

「あれほど集中を欠いていれば、嫌でも目に入るわよ」

 

「別にいいだろ。減点されるようなことはしてない。話は聞いてるし、ノートはちゃんととってる」

 

 そもそもそれについては今に始まったことじゃない。俺は高校範囲の学習まではすでに一通りやり終えている。全教科だ。

 夏休み中の学習も、通常の授業進度で見れば先取りだが、俺にとっては復習だ。

 

「……まあいいわ」

 

 俺に小言を言い終えると、堀北は席を立ちあがった。

 

「どっか行くのか?」

 

「ええ」

 

「どこに?」

 

「あなたには関係のないことよ」

 

「……そうですか」

 

 そう冷たく言い放ち、スタスタと行ってしまった。

 

「……疑いは全く晴れてないみたいだな」

 

 あの分だと、当面の間は無理そうだ。

 行動で示していくしかないか。

 時間はかかるが。

 

「……飯だ飯」

 

 ひとまず、大した量も入っていない弁当をかきこんだ。

 

 

 

 

 

 1

 

 午後の授業の2コマは、どちらもホームルームということになっていた。

 始業ベルが鳴ると同時に、担任である茶柱先生が教室に入ってくる。

 

「ふむ。休み明けで少々気が抜けているかと思ったが、全員席にはついているようだな」

 

 教室の様子を俯瞰して、先生がそう言った。

 

「当たり前っすよ先生。せっかくもらったポイントなくしたくないじゃないですか!」

 

「殊勝な心掛けだな。だが池、今のは私語としてカウントされかねない行動だぞ?」

 

「ゲッ……」

 

 先生が警告すると、クラス中の視線が一瞬で池に集まる。

 

「はは、冗談だ。まあとにかく、これからも意識を高く持つことだ」

 

 これまでの話をまとめるような言葉に、クラス全員頷いた。

 

「さて、この授業から2つ続くホームルームの時間だが、すべて来月に行われる体育祭に関連した内容になる」

 

 大方の予想はつけていたが、やはりこの内容だったか。

 

「その体育祭に向けて、これからしばらくの間は体育の授業の時間が増えることになる。そのため、期間限定の新しい時間割表を配布しておく。そして同時に体育祭に関する資料も配布する。しっかりと保管しておけ。また体育祭の資料に関しては、これと同じものが今日の放課後より学校のホームページで閲覧可能になる。必要なら適宜参照することだ」

 

 手元に来た資料をざっと眺める。

 体育祭に関するルール説明……か。

 斜め読みしただけでも、ポイントがどうたらといった記載があることが分かる。

 

「先生、この体育祭もポイントが絡んでくる、特別試験ということですか?」

 

 平田が手をあげて質問した。

 

「どう捉えるのも自由だ。いずれにせよお前の言う通り、ポイントが絡んでくることに間違いはない」

 

 返ってきたのは、そんな曖昧な答え。

 平田も少々腑に落ちないといった表情をしている。

 何気ないが、非常にいい質問だった。

 おそらく学校側は、これを特別試験という枠組みでは考えていない。

 無人島で配られたマニュアル、そして船の上で説明の時に受け取ったプリント、そのどちらにもはっきりと「夏季特別試験」という記載があった。

 しかし、今受け取った資料には「特別試験」の言葉はどこにも載っていない。

 それが答えだ。

 要するに、いらんことをうだうだ考えずにひたすら体育祭の競技の練習に集中するのが吉、ってことだ。

 そこまで考えたところで、一度教室の様子に目を向ける。

 ……割とはっきり分かれてるな。

 こういった体を使うイベントに自信を持つ生徒は張り切っている。対照的に、体を動かすことを苦手としている者は、すでにかなり気分が沈んでいる。そのどちらでもない者は、淡々と先生の説明に聞き入っていた。

 

「さて、すでに目を通した者の中には把握している者もいるかもしれないが、この体育祭での採点方式は、今までのものとは違い少々特殊だ。全学年のAクラスとDクラスを紅組、BクラスとCクラスを白組にわけ、紅白で競う。体育祭の間は、今まで敵だったAクラスが味方になるというわけだ」

 

「うお、そんなことあるのか!」

 

「ああ。ただ、それだけではない。学年ごとのクラス別でもしっかりと順位付けがなされる」

 

 つまり、紅白別とABCDクラス別、二本立ての採点方式ということだ。

 俺は再び資料に目を落とす。

 

 

 体育祭のルールおよび採点方式

 

 各学年のクラス別のほか、全学年のAクラス、Dクラスを紅組、BクラスとCクラスを白組と分け、競う。

 体育祭で執り行う競技は、全員参加競技と推薦競技の二つがあり、それによって点数付の方法が異なる。また、その点数の合計により順位をつける。

 

〇全員参加競技の点数付け

・個人競技の場合

 1位に15点、2位に12点、3位10点、4位8点、5位以降は7点から、1点ずつ低くなっていく。

・団体競技の場合

 紅白のうち、勝利した組に500点が与えられる。

 

〇推薦参加競技の点数付け

 1位に50点、2位に30点、3位15点、4位10点、5位以降は8点から、2点ずつ低くなっていく。最終競技のクラス対抗リレーでは、クラスごとに3倍の点数が付けられる。

 

〇紅白の競争でのポイント配分

 紅白の組のうち、敗れた組のクラスポイントが100引かれる。

 

〇学年別クラス間の競争でのポイント配分

 1位となったクラスに50クラスポイント

 2位となったクラスは変動なし

 3位となったクラスはマイナス50クラスポイント

 4位となったクラスはマイナス100クラスポイント

 

〇個人競技での報酬およびペナルティ

各個人競技の順位により、報酬もしくはペナルティが存在する。

 1位を取った生徒には5000プライベートポイント、もしくは学力試験において3点分の点数を与える。

 2位を取った生徒には3000プライベートポイント、もしくは学力試験において2点分の点数を与える。

 3位を取った生徒には1000プライベートポイント、もしくは学力試験において1点分の点数を与える。

 最下位を取った生徒にはマイナス1000プライベートポイントのペナルティを課す。所持ポイントが1000を下回る場合は、学力試験において1点のマイナスとする。

 

 学力試験の点数は、次回中間試験で利用可能である。ただし、マイナスは必ず適用される。また、点数を他の生徒に贈与することはできない。

 

〇最優秀生徒報酬

 全競技で最も高い点数を取った生徒には50万プライベートポイントを与える。

 

〇学年別最優秀生徒報酬

 学年別で、全競技で最も高い点数を取った生徒には10万プライベートポイントを与える。

 また、1位を含む上位3名には各1万プライベートポイントを与える。

 

〇学年別下位生徒ペナルティ

 学年別で最も低い点数を取った下位10名の生徒には、ペナルティを課す。

 ペナルティの内容は学年ごとに異なる場合があるため、各クラス担任からの説明時に発表とする。

 

 

「見ての通り、運動が得意な者も苦手な者も、全員が全力で競技に参加することが求められる設計になっている。しっかりと励むことだ」

 

「あの、先生、紅組と白組で、勝った方の報酬はないんですか? 書かれてないんですけど……」

 

「ない。負けたら100クラスポイントを引かれる。それだけだ」

 

「ええ、マジかよ……」

 

 落胆の声が上がる。勝っても得がないというのは、少々やる気がそがれるのも仕方がない。

 この体育祭、全体を通してみてもマイナス要素が大きい。

 プラスを積み重ねることに重きが置かれていた夏休み期間中とは、うってかわっての内容だな。プライベートポイントのペナルティと言うのも、俺たちにとってははじめてのものだ。

 その代わり、と言っては何だが、少々特殊な報酬も用意されているようだ。

 

「せ、先生、この学力試験で何点とかって……どういうことっすか!?」

 

「お前たちの考えている通りだ。例えば1位と3位を1回ずつ取り、4点分の点数を確保した場合、次の中間試験で国語に2点を加算、英語に2点を加算といった具合に、自由に配分できる。須藤、お前のような生徒にはうってつけの報酬だろう」

 

 確かに。

 須藤の身体能力を考えれば、いくつもの競技で1位を取ることが可能だろう。次の試験がだいぶ楽になるはずだ。

 

「あの、それで、この下位10人のペナルティってのは、なんなんすか……?」

 

 池が恐る恐るといった様子で質問する。

 仔細が書かれておらず、かなり不気味な記述になっている。怯えるのも無理はない。

 

「今から説明しようとしていたところだ。お前たち1年生には、次回中間試験での減点というペナルティを課す。下位10名、例外なく10点のマイナスだ」

 

「ええええええ、マジすか!?」

 

「具体的にどう減点するかは、中間試験本番が近づいてから追って連絡する」

 

「そんなあ……」

 

 ここでも中間試験関連か。学力、身体能力ともに心もとない生徒にとっては、かなり厳しい行事になるな。

 Dクラスの中でいえば、池や山内、井の頭、佐藤、外村、それに佐倉もか。このあたりだ。

 運動がだめでも、学力が申し分ない生徒に関しては対処のしようもあるが。

 

「さて、開催競技についてだが、次のページに書かれている。目を通しておくように」

 そう言って、先生はページをめくるよう促した。

 

 

 全員参加競技

➀100メートル走

➁ハードル競争

➂棒倒し(男子)

➃玉入れ(女子)

➄男女別綱引き

➅障害物競走

⑦二人三脚

⑧騎馬戦

⑨200メートル走

 

 推薦参加競技

⑩借り物競争

⑪四方綱引き

⑫男女混合二人三脚

⑬3学年合同1200メートルリレー

 

 

「え、ちょ、多すぎないっすか!?」

 

「1日でできる量じゃないですよ!」

 

 口々に驚愕と不満の声が上がる。

 

「安心しろ。この体育祭では、応援合戦や組体操などといった順位付けがなされないような行程は一切行わない。1日すべて、これらの競技の遂行に費やす」

 

 いや、それを勘定に入れたとしてもだろう。こりゃ息つく暇もないハードスケジュールになりそうだ。

 体のケアをしっかりしておく必要がありそうだな。ま、そんな立派な体でもないが。

 

「次に、この参加表について説明する」

 

「参加表、ですか?」

 

「私の手元に1部だけ用意してある。この参加表に、どの種目に、誰が、どの順番で参加するか、すべてを記入し、提出期間である体育祭当日1週間前から、前日の午後5時までの間に私に必ず提出しろ。期間内に提出がなければ、すべてランダムに振り分けられることになるので注意するように」

 

「すべてを、決めるんですか……」

 

「そうだ。そして受理されれば、いかなる理由があろうとも内容の変更は許されない」

 

 なるほど。

 客船であった特別試験のメール同様、この参加表は絶対に他クラスに知られてはならないものになりそうだ。

 自分たちで必ず守り通す必要がある。

 

「私から質問してもよろしいでしょうか」

 

 あらかたの説明を終えたところで、堀北が手を挙げてそう言った。

 

「構わない。今のうちに聞けることは聞いておけ」

 

「では……。参加表は受理された時点で変更ができなくなる、ということですが、当日欠席や、競技中の怪我などで参加できない生徒が出てきてしまった場合はどのように対応するのでしょうか。個人競技であれば欠席扱いで済みますが、二人三脚や騎馬戦の場合は、一人かければ競技そのものが成立しません」

 

「その場合は、そのグループそのものが失格扱いとなり、競技に参加できなくなる。二人三脚ではパートナーも失格、騎馬戦であれば、一騎少ない状態で戦いを強いられることになる。だが、救済措置も存在する。全員参加競技では今述べたような対応になるが、推薦競技に関しては、一人あたり10万ポイントで代役を立てることが可能だ」

 

「10万ポイント、ですか……」

 

「高いか安いかは、お前たちの考え方次第だが」

 ……今の俺たちであれば、出せない額ではないな。絶妙な値段設定といえる。

 

「……わかりました。もう一つよろしいですか。仮に当日体調不良になったとして、その場合はドクターストップがかかるなどして参加を止められることはあるのでしょうか」

 

「あまりにも度が過ぎると学校側が判断した場合は止めに入ることもあるが、基本的には生徒の自主性に任せる方針だ」

 

「……ありがとうございます」

 

「ほかになければ、これで話は終わりだ。次の時間は体育館に移動し、他クラスと顔合わせの時間となっている。まだ授業時間は20分ほど残っているが、どう使うのもお前たちの好きにしろ」

 

 特に手が上がることがないのを確認し、茶柱先生は教室の端に控えた。

 それを見て、俺は席を立つ。

 

「ちょっと、どこへ行くの?」

 

 それを咎めるようにして、堀北が俺に声をかけた。

 

「ちょっと先生に確認ごとだ」

 

 それだけ言って、俺はその場を離れ、茶柱先生のもとへと向かった。

 

「……どうも」

 

「なんだ、珍しいな速野」

 

「まあ……先生に頼みごとがありまして」

 

「ほう、言ってみろ」

 

 まずは一つ、頼みごとを伝える。

 それを聞いた茶柱先生は、眉をひそめた。

 

「……そんなことをしてどうする?」

 

「念には念を入れるんですよ。それに、今の時点で先生が何かをするわけじゃありません。俺がやることを黙認してもらえればそれで充分です。先生も、クラスの不安要素がいつまでものさばるのは本意じゃないでしょう? クラスが上に上がるために」

 

「……何が言いたい?」

 

「話は聞いてますよ。卒業時のクラスが、査定やらなんやらに色々と響いてくること。だからクラスの担任教師は、公平な立場でいながらも自分のクラスをできるだけ押し上げたいと思っている」

 

「私はそんなことに興味はない」

 

 すました顔でそう言う茶柱先生。

 

「どうですかね。夏休み中の特別試験でのあいつの動きには、どうにも違和感がありました。あいつは自主的にあんなことをするようなやつじゃない。先生に脅されでもして、やむなく動かされてたんじゃないですか?」

 

「根も葉もない話だな」

 

「そうでもないですよ。あいつ本人から聞いたことですからね」

 

「何?」

 

 まるで睨むような視線で、綾小路を見つめる茶柱先生。

 

「口止めしていたはずなのに、って感じですね。まあでもあいつを責めないでやってください。綾小路は俺には何も言ってませんよ」

 

 そう告げると、茶柱先生ははっとしたような表情になる。

 そして鋭い視線を俺に向けた。

 

「……お前、カマをかけたのか」

 

「先生、隠し通す覚悟のない嘘はつくもんじゃないですよ」

 

 俺ははじめからずっと「あいつ」としか言っていなかった。にもかかわらず茶柱先生は「誰のことか」と聞くともなく、さらには綾小路に目まで向けた。

 先生の中で、夏休み中に違和感のある動きをした生徒イコール綾小路、と初めから繋がっていたのだ。

 何か心当たりがある決定的な証拠だ。

 

「やっぱり、あいつが急に動いたのは茶柱先生の差し金だったんですね。納得がいきました。相当強い脅しをかけたんでしょう。力を発揮しなければ退学にするぞ、といった具合で」

 

「……」

 

「……え、マジですか」

 

 おいおいこの人……職業倫理も何もあったもんじゃないな。

 クラス間競争に興味がないかのような振りをしておきながら、とんでもない野心家だ。

 だがこれは……ともすれば茶柱先生の弱みにもなる。

 こちらとすれば、都合の悪い話ではない。

 

「……では先生、もう一つ」

 

「……なんだ」

 

 そして、俺は二つ目の頼みごとを伝えた。

 

「……なんだと」

 

「やってもらえますよね。これもクラスが上に上がるためには不可欠なことです」

 

 教師と生徒ではあるが、先ほど綾小路の件が露呈したことで、それが一時的に逆転現象を起こしている。

 

「……わかった。お前の言った条件が整えば、やろう」

 

 茶柱先生も、承諾せざるを得ない。

 

「どうも。じゃあ、さっそく今夜にでも作業をするので」

 

「……今夜か。ずいぶん急な話だな」

 

「早い方がいいでしょう。それじゃあ、俺は席に戻ります」

 

 ゴネられたり話が長引くのも面倒なので、俺は少々無理やり話を終わらせ、自分の席に戻った。

 俺の近くの堀北の席には、須藤、池、山内の3人が集まって、体育祭に関する話をしている。

 

「おー速野、何してたんだよ」

 

「先生にちょっと確認をな。お前らは?」

 

 主に堀北に向けた問いかけだったのだが、それに答えたのは須藤だった。

 

「あぁ、おい速野、お前からも言ってやれよ。こいつら推薦競技も含めて平等にチャンスが欲しいとか言ってやがんだよ。大して運動得意でもねえくせによ。ポイント稼ぐためには、役に立つやつが多く競技に出るのが一番だろ?」

 

 くだらない、と吐き捨てる須藤。

 

「いや……まあ、確かにそれが一番だが」

 

「だろ?」

 

「須藤くんの言うことは間違ってはいないし、私も同感よ。けれどこれは時間をかけて話し合うべきことよ。恐らく池くんのように考えている人はクラスの中に一定数いるはず」

 

 堀北の予測はおそらく正しい。

 点数をもらえるなんて、学力に問題を抱える生徒にとってはこれ以上ない好機だ。

 体力自慢ではないにしても、そのチャンスすら最初から与えられないのは理不尽に感じても仕方がないかもしれない。

 

「とりあえず、次のホームルームを踏まえてから考えたほうがいいわ」

 

 

 

 

 

 

 2

 

 続く時間、茶柱先生が予告していた通り、俺たちは体育館に集められていた。

Dクラスも時間通りに移動し、まとまって並ぶ。ABCD順ではなく紅組白組で分かれているのか、隣には1年のAクラスが座っていた。

 この学校は生徒の数が固定されており、1クラス40人の一学年4クラス。全校生徒は総勢480人となっている。数人の退学者はいるだろうが、教職員も合わさったこの体育館にはおよそ500もの人数が集まっていることになる。

 席が近いこともあり、俺、綾小路、堀北の3人は一緒に移動し、体育館の中でも近い場所に座っていた。

 堀北に目を向けると、どこかソワソワしている様子。恐らく、兄である生徒会長の堀北学を探そうとしているんだろう。

 本人に直接確認したことはないが、恐らくこいつはお兄ちゃん大好き人間だ。態度の節々にそれを感じさせる要素がある。5月ごろに盗み見したあの光景や、先日のプールで南雲先輩と生徒会長の話題になった際も、兄である堀北会長を持ち上げる態度を取っていた。

 まあ、そんな家庭の事情を一々気にする必要はない。それにこんな人だかりの中、見つけるのは容易ではないだろう。

 体育座りで待機していると、上級生とみられる生徒数名が前に出てきた。

 

「3年Aクラスの藤巻だ。今回、赤組の総指揮を執ることとなった。まず始めに、1年生に1つアドバイスをしておく。一部の連中は余計な世話だと思っているかもしれないが、この体育祭は非常に重要なことだということを理解しろ。この経験は必ず次につながる。これからの試験は一見遊びのように思えるものもあるかもしれないが、それら全てが、例外なくこの学校での生き残りをかけた戦いとなる。今はまだ自覚がないかもしれない。だが、やる以上は勝ちに行く。それだけは肝に命じておけ」

 

 アドバイスの内容は曖昧だが、これらが今までの経験に基づくものなら藤巻という先輩の言っている内容は的確なんだろう。

 

「3学年合同のリレーを除き、競技は学年別のものばかりだ。残りの時間は学年に別れた話し合いを好きにやってくれ」

 

 そう言って、藤巻先輩は3年Aクラスの集団へと引っ込んでいった。そしてその指示通り、学年ごとに分かれた集団が形成される。

 それぞれの学年のAクラスとDクラス。

 その代表者が前に出て、話し合いを始めている。

 1年Dクラスからは平田が、1年Aクラスからは葛城が出た。

 

「奇妙な形で協力することになったが、仲間同士、滞りなく協力関係を築いていきたいと思っている。よろしく頼む」

 

「こちらこそだよ葛城くん。一緒に頑張ろう」

 

 積極的協力関係、というわけではないだろう。同じ組になった以上は足の引っ張り合いだけはしないようにしよう、という感じか。Aクラスにしてみれば、最下位クラスであるDクラスと組むメリットは本来ないわけだしな。

 

「……ん?」

 

 少し想定外の光景が一瞬目に入り、その方向を振り向いた。

 

「話し合いをするつもりはないってことかな?」

 

 俺が向いた方向とほど近い場所から、一之瀬のそんな声が響いた。

 体育館はその様子を見てざわついている。理由は簡単。1年Cクラスの生徒が全員、体育館から出ようとしていたからだ。

 龍園を先頭に、出入り口付近に固まっているCクラス。

 独裁政権は揺るぎなし、か。

 

「俺はお前らのことを考えてやってんだぜ? 俺が協力しようと言ったところで、お前らが素直に受け取るとは思えない。なら、初めからやらねえ方がいいってことさ」

 

「なるほどー。時間の無駄を省くためなんだねー?」

 

「そういうことだ。感謝するんだな」

 

「協力なしで、今回の試験に勝てる自信があるの?」

 

「クク、さあな」

 

 船の上のカフェの時のように不気味に笑い、そのまま体育館を後にしていった。

 その瞬間、石崎、小宮、近藤の3人と一瞬目が合うが、こちらが見返すとすぐに逸らした。

 石崎は龍園の側近のような立場だ。中学時代は不良で喧嘩慣れしているということもあり、Cクラスの龍園体制への不満を力で押さえつけているんだろう。山田アルベルトもその1人かもしれない。伊吹……は多分違うだろうな。戦闘力は申し分ないが、あいつは本気で龍園を嫌っている。

 

「早くも動き出した、ということでしょうか」

 

 そんな落ち着きのある声が後方から聞こえ、それにつられて多くの生徒が後ろを振り向いた。

 声の発信源は、とても小柄な少女だ。藤野とはまた違う、藍色がかった銀髪。落ち着いた雰囲気なのに、どこか強い意志を感じさせる目。

 何より注目を集めたのは、多くの生徒があぐらをかいたり、体育座りで過ごしている中、その少女は杖を持ち、椅子に腰掛けていた点だ。異様に細い体躯も合わさり、体を不自由にしていることは容易に想像がつく。

 そんな時、右肩をツンツンと叩かれた。

 振り向くと、そこには手を振りながら笑っている藤野が立っていた。

 俺の隣に座りながら話しかけてくる。

 

「やっほ、速野くん」

 

「おお……」

 

「坂柳さんが気になる?」

 

「ああ、やっぱりあれが坂柳だったのか」

 

 坂柳は夏休みのバカンスを欠席している。それがあの体の不自由そうな生徒なら辻褄があう。

 

「うん。坂柳有栖さん。訳あって、学校から杖や椅子を許可されてるの」

 

 体が不自由で、と直接言うのは気が引けたんだろう。遠回しにそう伝えてくる。

 

「別に遠慮して言う必要はありませんよ、藤野さん。隠すことでもありません」

 

 カツ、カツ、と杖をつく音とともに、坂柳はこちらに近づいてきた。

 そして、今度は全体に向けて語りかける。

 

「残念ですが、この体育祭、私は戦力としてお役に立てません。全ての競技で不戦敗となります。ご迷惑をお掛けすることになるでしょう。その点についてまずは謝らせてください」

 

「謝ることはないと思うよ。そのことについて追求することはないから」

 

 平田の言葉通り、そんなことをする人間は1人もいない。須藤もだ。どうしようもないことを責めても仕方がない。

 多くの人は、どこか前評判と違う印象を坂柳に受けたんじゃないだろうか。攻撃的な性格とは思えない。口調も穏やかで、礼儀正しい。かく言う俺もだ。想像とはいささか乖離している。

 だが、今受けている印象の通りの人となりや考え方なら、葛城と真っ向から対立するとは思えない。今は感じられない何かがあるんだろう。

 

「あなたが速野くん、ですね。お噂は予々。藤野さんのご友人で、とても高い成績を保持していると聞いております」

 

「は、はあ……」

 

「申し上げた通り、私は今回参加は叶いませんが、Dクラスの皆さんのことも、影ながら応援させていただきますね」

 

「あ、ああ、是非よろしく頼む」

 

 妨害されたら溜まったものではないが、応援してくれると言うなら素直に受け取ることにする。

 

「では、頑張りましょうね」

 

「……ああ」

 

 そう言い残し、坂柳は椅子に戻っていった。

 前では、平田と葛城のスムーズな話し合いが行われている。その様子を見て、俺は藤野に言った。

 

「一応まだ影響力はあるんだな。葛城は」

 

「今回は、っていうか今回もだけど、坂柳さんが参加できないからね。葛城くんに引っ張ってもらわざるを得ないんだと思う。見ての通り対立はしてるけど……」

 

 藤野の言う通り、Aクラスは一見クラスでまとまって座っているようで、葛城派と坂柳派が綺麗に分かれている。

 だが、その差は明らかだった。現時点で坂柳派に属す生徒がクラスの大半を占めている。葛城派は坂柳派の半分に満たない。

 当初は均衡していると聞いていたが、ここまで坂柳派が勢力を伸ばした理由は、単にバカンス中の葛城の失態だけではないような気がする。坂柳も、俺たちの見えないところでしっかりと成果を残していると言うことか。

 

「今も葛城派に属してるわけじゃないんだよな?」

 

「うん。私は中立だよ」

 

 一方で、影で第三勢力を作りクーデターを狙っている藤野。

 藤野が当初目的としていた葛城の失脚はすでに達成されたと言っていい。残るは坂柳。葛城としても相手に実権を渡したくはないだろうし、利害の一致ということで(もちろん藤野側の利益は伏せて)葛城派に属している可能性があったが、そうではなかったか。

 気になることが1つあったので、声を潜めて聞く。

 

「藤野……1ついいか」

 

「どうしたの?」

 

「……あの中の何人がお前の派閥なんだ?」

 

 あの状況から鑑みるに、どちらにも属していない中立の生徒は大体10人ほど。その中の何人が藤野が第三勢力を作っているのを知っており、またそれに属しているのか。

 

「……7人、かな。私を含めたら8人」

 

 ……なるほど。

 いや、非公式にしては上々の出来だろう。葛城派の人数と大差ない。

「俺がお前と協力してるっていうのは知ってるのか?」

 聞くと、藤野はコクリと頷く。

 

「ほかのクラスに協力者がいる、っていうことは。ただ、速野くんの名前は琴美ちゃん以外には出してないよ。琴美ちゃんにも口外しないように言ってあるから。速野くんもその方が都合がいいでしょ?」

 

「……まあ」

 

「1つ謝らせてほしいのは、最後まで隠し通す自信はないってことだけどね。私と速野くんがこうやって話すのを見られるたび、速野くんって存在が仲間の頭の中に残っちゃうから」

 

「……聞きづらいが、仲間の裏切りの可能性は?」

 

「悔しいけど、ゼロとは言えないかな。今だって、出来るだけ信頼できる人に声をかけて、考え方も含めて協力できると思った人だけに協力をお願いしてるけど、どちら側かのスパイを私が見抜けなかったって可能性もある。でも、これに関しても時間の問題じゃないかな」

 

 藤野から依頼を受ければ、俺はそれに協力して坂柳の妨害をするだろう。いずれ坂柳も何者からかの妨害を受けていることに勘付く。第一に疑われるであろう葛城派がシロだとわかった場合、次に疑われるのは中立的立場の人間だ。そうなれば、第三勢力の藤野派の存在が明らかになるのは必至だろう。

 まあ、それ自体は大分先の話になりそうだが。

 

「取り敢えず、今回に関しては動いても大した効果は望めそうにないな」

 

「そう、だね。特別試験じゃないみたいだし」

 

「……ああ」

 

 藤野もやはり、そこには気づいていたか。

 単に「誰も特別試験とは言っていないから」というだけではない。

 ポイント増減の仕組みが特別試験と同じだとしても、そもそもの根幹、求められているモノが根本的に違う。

 体育祭で問われるのはあくまで運動神経。無人島試験の際のリーダー探しや、船上試験での騙し合いなどの特殊な要素はほとんどない。唯一あるとすれば参加表の守り合いだが、よほどのことが無ければ流出はないだろう。学校側もあまり想定していないように思える。

 つまり学校側が思い描いているのは、純粋に運動能力の勝負。「ただの体育祭」だ。

 まあだからこそ、やろうと思えば自分のクラスをどん底に落とすことも出来る。

 

「何かできるとすればお前だが……別にお前もAクラスを落としたいわけじゃないだろ」

 

「それはもちろん」

 

 藤野の目的はあくまで葛城、坂柳両リーダーの失脚。妨害するにしてもBクラスに追い越されない程度にしなければならない。

 9月1日現在、Aクラスは1024ポイント、Bクラスは820ポイントで、その差は約200クラスポイント。初めよりも詰まっている。

 ちなみにCクラスは592ポイント、Dクラスは446ポイント。その差約130だ。

 ここは、発想の転換……いや、原点に戻って考える、というのが正しいか。

 

「……藤野、お前個人の発言力を高める手段はある」

 

「え?」

 

「単純なことだ。お前から、Aクラスに有益な提案をするんだよ。今回AとDは味方でもあるからな。俺が知恵を貸すハードルも比較的高くない」

 

 藤野は圧倒的なコミュニケーション力で、クラス全員の信頼を勝ち取っている。

 もちろん、それだけでなく、藤野が頭の切れる生徒であることもAクラスは分かっているだろう。しかし、恐らく葛城には及ばないという印象を持たれているはず。

 藤野が頭脳面でも葛城並み、もしくはそれ以上に有能だとクラス全体が認識すれば、台頭した時に反発されにくくなる。

 

「一つ、思いついてることはあるんだけど……でも、葛城くんがうんと言うかどうかは……無人島でのCクラスとの一件で、他クラスとの協力に及び腰になってると思うから」

 

 どうやら藤野は、他クラスと協力するような策を思いついているらしい。

 

「その一件っていうのは……Aクラスの坂柳派が協力したクラスと結びついて、裏切るかもしれないって可能性を考えさせられたことか?」

 

「ううん、無人島に関しては、可能性じゃなくて確定だよ」

 

 意外にもはっきりとそう言い切った。

 

「……本当か」

 

「Aクラスの中に、スポットを誤占有した人がいる。それでマイナス50ポイントを受けちゃったの。たぶんその人は、Aクラスのリーダー情報をCクラスに流すつもりだったんだと思う。そのCクラスが失格になったから、そうはいかなくなったけど」

 

「……なるほど」

 

 クラス内……あるいは派閥内で、さまざま検討があったんだろうな。170ポイントという結果に至るプロセスが一体どのようなものだったのか。そうしてはじき出された結論だろう。

 

「……葛城は尻込みするだろうな、そうなると」

 

「うん。というか、そうじゃなくても今回は元からかなり危険な綱渡りだよ。この体育祭、クラスを窮地に陥れようと思えばかなり簡単だから」

 

「……参加表を外部に漏らすだけでいいからな」

 

 頷く藤野。

 

「……だから今回は、あんまり複雑なことは考えずに、純粋に体育祭を楽しもうよ。せっかく同じ組だしさ」

 

「……それもいいかもな」

 

 ただ、同じ組とは言うものの……平田と葛城の話し合いは、お互いにあまり深入りはせず、必要最低限の協力にとどめる、という方針で固まっているようだ。

 手堅い戦略を打つ葛城。平田も、無理はしない方がいいとそれに同調している。

 クラスのリーダーたちが決めた方針があるうえに、さらに俺と藤野のような男女間となれば、ますます関わることは少ないだろう。

 にしても……裏切り者への悩みはAクラスもDクラスも同じ、か。

 前途多難だ。

 



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先手

 新しく発表された時間割の変更点は、単に体育の授業時間が増えるというだけではなかった。

 体育祭に向けての話し合いの時間として、週に1度、午後の2コマにホームルームが設けられている。

 今はそのホームルームの時間。Dクラスでも、いよいよ話し合いが始まった。

 今回も平田が率先してクラスを引っ張っていくことに変わりはない。

 ホームルームの時間はどう使おうと自由だと言われている。平田が自分の席を立ち教壇に立っても、茶柱先生は特に何も言うことはなく、教室の主導権を明け渡すように端に移動した。

 

「早速、話し合いを始めていきたいと思う。まず何よりも最初に決めなきゃいけないことは、競技に出る順番や組み合わせをどう決めるか、その大本になる方針だ」

 

「方針?」

 

「うん。ただやみくもに決めていくのは得策じゃないよ」

 

「平田くん、その方針って例えばどんなものなの?」

 

「僕は大きく分けて二つあると考えてる」

 

 より分かりやすく説明するため、平田はチョークを手に取り、黒板に書きだす。

『挙手制』、それから『能力制』という文字。

 

「まずは挙手制。これは文字通り、競技に参加する順番や組み合わせなんかを、挙手で募って決めていくことだ。みんなの希望が通りやすいから、体育祭に楽しく挑むことができる。ただ、希望が重なった場合はその通りには行かなくなってしまう。そしてクラスの勝敗という点では、あまり好材料とは言えないね。たぶんムラが出てきてしまうと思う」

 

 わかりやすい説明に、クラスの多くがうなずいている。

 好感触を得た平田は、説明を続ける。

 

「一方でもう一つの能力制は、運動に自信のある人達が勝てるような配置を考えて決めていくことだ。例えば100メートル走でいえば、足の速さに自信がある人同士を別の組み合わせにする、というふうにね。クラスの勝利のためにはこの方法が一番だけど、配置に偏りが出てしまうから、クラスみんなの意思を反映することはできない。はっきり言ってしまうと、運動に自信がない人を切り捨てる策、って捉え方もできてしまう」

 

 平田は挙手制、能力制の文字の先に、自身の説明のまとめのような形で言葉を書き足していく。

 クラスの面々も、それで理解の足しになっただろう。

 

「この二つのやり方のうち、どちらを念頭に置いて組み合わせを決めていくかだけど……」

 

「んなもん、能力で決めるのがいいに決まってんだろ」

 

 平田が言い終える前に、いの一番にそう発言したのは須藤だ。

 この体育祭で、間違いなくDクラスで一番の活躍を見せるであろう生徒。

 全員がそれを理解しているため、今回に関しては須藤の発言力はかなり大きい。

 須藤本人も水を得た魚のように、自信満々な態度を覗かせる。

 

「できるやつが点数稼げば、それでクラスの勝率も上がんだろ。それでいいじゃねえか」

 

「……まあ、そうかもしれないけど」

 

 須藤の言うことは間違っていない。それぞれ思うところはあるだろうが、積極的な反論は出てこない。

 

「俺は運動が不得手だ。推薦競技なんてとてもじゃないが出られない。それを須藤が全て引き受けてくれるっていうなら、賛成してもいい」

 

 須藤を後押しするような意見を表明したのは幸村だ。

 学力は非常に高いが、運動は苦手。定期試験の時などとはうってかわって、あまり活躍が期待できない生徒だ。

 

「もちろんだぜ。俺が推薦競技に全部出てやるよ。つか、運動できねえ役立たずには元々任せらんねえ役割だしな」

 

「ちょっと須藤くん、そんな言い方ないんじゃないの?」

 

 須藤の乱暴な物言いに、気の強い篠原が立ち上がって反発した。

 

「あ? なんか文句あんのかよ」

 

「さっきの平田くんの話だと、能力制になったら運動が苦手な子は切り捨てられちゃうんでしょ? そりゃ、あんまり戦力にはならないかもしれないけど、私たちだって勝つチャンスは欲しいっていうか」

 

「勝つチャンスってなんだよ。お前が勝てると思ってんのか?」

 

「特典は3位の人まで用意されてるんでしょ。もしかしたら、ってこともあるかもしれないじゃない」

 

 運動が得意ではなくても、組み合わせ次第で可能性があり、それを捨てたくはないという主張。

 

「それはあまりにも非効率的な戦い方じゃないかしら」

 

 その様子を見て、堀北も篠原に対する反論に加わった。

 

「適材適所よ。須藤くんのような運動能力の高い生徒に頑張ってもらう。他の生徒はそれを支える。運動のできない生徒の勝利に期待するより、確実性の高い方法であることは明らかよ」

 

「支えるって……言い方で誤魔化さないでよ。結局、私たちが勝つ可能性を切り捨ててるんでしょ」

 

「どう捉えるのも勝手だけれど、それがクラス一丸となって戦う、ということよ。特典に関してのことなら、運動ができる生徒と組まされた生徒は、上位入賞を支えたとして報酬の一部を振り分けることも提案するつもり。個人競技で最下位になってしまった生徒も、ポイントの負担は実質的にゼロにする。それなら文句はないでしょう。勝利より個人的な欲求を優先してもし負けたら、その責任をあなたは取れるというの?」

 

「そ、それはっ……」

 

 クラスの勝利を目指さないという意見が採用されれば、負けたときの責任はその意見を貫いた者が負わなければならない。

 内容的なこともそうだが、クラスの中の意見も堀北に同調するものが多いようだった。堀北の言葉に頷く生徒が随所にみられる。

 しかし、自らの不利を肌で感じながらも篠原は反論を続けた。

 

「……特典はポイントだけじゃないじゃん。テストの点数に不安を抱えてる子はどうするの?」

 

「それはおかしな話ね。テストの点数は日々の勉強の積み重ね、その帰結よ。こんな特典に頼らなくても安心できるような勉強量を普段からこなしておけばいいだけのことじゃないかしら」

 

「でもさー」

 

 と、突如としてそんな声が挟まれる。

 その声を発したのは、軽井沢だった。

 椅子から立ち上がり、堀北を見つめている。

 

「何かしら、軽井沢さん」

 

「テストでミスって退学、なんてこともあるかもしれないわけでしょ。そんな時、もしも特典があったら、ってことになったらどうするの? それこそ、堀北さんが責任取ってくれるわけ?」

 

「そうならないように全力でサポートするつもりよ」

 

「でも絶対じゃないでしょ?」

 

「絶対なんてこの世には存在しないわ。それを言うなら、たとえ特典があったとしても絶対の安全が保障されるわけじゃない。小学生レベルの反論ね」

 

 くだらない、と吐き捨てる堀北。

 キツイ言い方に軽井沢も一瞬言葉に詰まる。

 

「っ、とにかくさ、そんなことで大切な機会を捨てさせられるなんて、理不尽でしょ」

 

「先ほど言ったことの繰り返しになるけれど、それがクラスで一丸となって戦うということよ。分からない?」

 

「分かんないんだけど。ねえ、櫛田さんはどう思う?」

 

 軽井沢は、それまで口を開いていなかった櫛田に話を振った。

 問われた櫛田は、少し考えるような所作を見せ、そしてゆっくりと口を開く。

 

「難しい、問題だよね……。正直、どっちの気持ちも分かるよ。両方の意見を汲んだ形にできれば、一番いいと思うけど……そういう意味では、堀北さんの言ったポイントの分配は、いい意見だと思ったかな。でも軽井沢さんの言う通り、それだけじゃテストの点数の問題は解消できないし……みんなはどう思う?」

 

 自分一人では答えを出せないと踏んだのか、櫛田は他の生徒の意見に耳を傾けた。

 その中の一人が、ぽつりとつぶやく。

 

「私は……軽井沢さんが反対なら、反対かな」

 

 そんな弱弱しい主張を、堀北はすかさず潰しにかかる。

 

「ちょっと待って。意味が分からないわ。軽井沢さんが反対だから反対? 自分の頭で考えることをしないのかしら」

 

「何それ。意見は意見でしょ。出る競技を公平に決めてもらいたいって思ってる人もいるの。そういう人たちを無視してそっちの意見を押し通されるのは納得できない」

 

「これは試験なのよ。勝つための戦略を考えるのが当たり前。他のクラスにあなたたちのような愚か者は存在しないわ」

 

「はあ!?」

 

 議論はヒートアップしていき、使う言葉も強くなってきている。

 このままではまずいと思ったのか、すかさず平田が二人の間に入って止めにかかる。

 

「ちょっと待って二人とも。言い争うのはよくないよ。まずは落ち着いて考えよう。みんなが納得のいく形で……今この場で、多数決を取るのはどうかな?」

 

 状況を打開するための提案。

 平田は教室を俯瞰したのち、堀北と軽井沢にも目を向け、伺いを立てる。

 

「ま、洋介くんが言うならいいけど」

 

 彼氏である平田にまで噛みつくようなことはせず、軽井沢は引いた。

 

「……それで構わないわ。今はクラス内で争っている場合じゃない。あなたたちが正しい判断を下すことを期待するわ」

 

 堀北もそれで収まり、不満げな表情を浮かべながらも椅子に座った。

 いまの、堀北と軽井沢の言い争い。

 俺はそれに強い違和感を覚えていた。

 無人島試験の初め、軽井沢はポイントをできるだけ使わないという男子の意見に賛同していた。多少生活が不便になってもポイントを貯めたいと。

 それならこの体育祭の方針に関しても、どちらかといえば堀北寄りの意見を持つのが自然のはずだ。その点に関する違和感がぬぐえない。一体どういうことなのか。

 

「なあ、なんか変じゃないか軽井沢のやつ」

 

 俺はその疑問を堀北にぶつけた。

 しかし、返ってくるのは斜め上からの反論だった。

 

「彼女が変なのは常でしょう」

 

「……いや、うん、そうじゃなくてな」

 

 この展開にいら立っているのは分かるが、話は最後まで聞け。

 

「無人島試験の時と今、論調が違うと思わないか」

 

「……そういえばそうね。けれど、彼女の行動をいちいち分析していてもキリがないわ」

 

 それだけ言って、俺から目をそらしてしまった。

 その違和感について考えることもない、投げやりな態度だ。軽井沢のことは頭に思い浮かべるのすら嫌そうだな。

 

「まあ、気分なんじゃないか。……ん?」

 

 思考を放棄した堀北の代わりに綾小路がそう言った。

 しかしなぜか語尾に疑問の声を残し、そしてその視線は天井に注がれている。

 

「どうかしたか綾小路」

 

「……いや、なんでもない」

 

 そう言って目線を戻した。

 俺も綾小路と同じ方向に目を向けるが、これといって想定外のものはない。幽霊でも見たのかな。

 そんなやり取りのあと、平田が全員に呼びかける。

 

「じゃあ、決を採るね。もしも決めきれない人がいたら、無投票でも構わない。まず、運動が得意な人を優先する、堀北さんの案に賛成する人は手を挙げてほしい」

 

 堀北、須藤をはじめとして、上位に食い込む自信のある生徒、そして最初から自分には望みがないとあきらめている生徒が手を挙げた。

 後者に関しては、この案においては切り捨てられてしまう存在だが、それでも支持するのは堀北の言ったポイントの融通というのが大きいか。それに、元々体育祭に対してのモチベーションがかなり低いというのもあるだろう。切り捨てられても気にしない生徒たちだ。

 

「えっと……16人、だね。ありがとう。じゃあ次に、個人個人の意向をできるだけ反映する、軽井沢さんの案に賛成する人」

 

 こんどは、確実に上位に食い込むとまではいかないものの、組み合わせ次第では可能性がある生徒、それに軽井沢に乗っかる生徒が手を挙げた。

 

「13人……だね」

 

 16人と13人。堀北の意見に賛同する者の方が3人多い、という結果になった。

 

「これで決まったわね。出場競技の組み合わせ等は、運動能力の高い人を優先して勝つための戦略を立てる。あとは平田くんにお任せするわ」

 

「じゃあ、皆そういうことでいいかな?」

 

 多数決で決まった結果。さすがにもう反論は出なかった。

 軽井沢もそれで大人しく引き下がる。自分の案が否決されたにしては少々大人しすぎるくらいに。

 

「じゃ、さっそく決めようぜ。俺はさっき言った通り、全部の競技に出る」

 

「ちょっと待って須藤くん」

 

「んだよ」

 

 勝手に話を進めようとする須藤を平田が引きとめる。

 

「組み合わせを決めたら、最後に参加表に記入する前にそれをメモすることになるよね。このメモは、絶対に他クラスに見られてはいけないものだ。まずはこのメモの保管方法について話し合いたいんだ。何か意見はあるかな?」

 

「んなもん、平田が保管するんじゃだめなのかよ」

 

「それが最善の方法なら、僕としてもそれで構わない。でもそれに関して、速野くんから意見をもらってるんだ」

 

 なんでここでお前の名前が出るんだ、といった視線が教室中から俺に集まる。

 堀北も疑惑の目を俺に向けているだろうが、俺は後ろを見ていないので実際のところどうかは分からない。

 

「速野くんからの提案は、メモを教室で管理することなんだ」

 

「教室で? でもそんなの、見られやすいんじゃ……」

 

「そうだね。でもメリットもある。紛失の可能性を限りなく低くできることだよ。先生に提出するまで一切教室から出さなければ、たとえ一時的に場所が分からなくなっても必ず教室にあることが分かっているから探しやすい。それから見られやすいっていうデメリットは、ダミーのメモをいくつか用意することで、本物のメモがどれかを分からなくすれば対応できるよ。何より教室には監視カメラがある。他クラスも迂闊な動きはできない。放課後や僕らが教室を空けるときは、カギを締め切ってしまえば入られることもない。どうかな?」

 

 かなり説得的な平田の言葉で、クラスの大半が同意するように頷いた。

 

「じゃあ、これで決まりだね」

 

「悪い平田、もう一ついいか」

 

 次の話題に移る前に、俺は立ち上がってそう言った。

 

「速野くん?」

 

「朝早く、一番乗りで教室に入って見張るやつと、放課後一番最後まで残って見張るやつを、当番制で決めたい。……言い出しっぺの俺はもちろんやるが、さすがに毎日はきついからな。他に信頼できるやつにも頼みたい」

 

 そして教室を見渡す。

 

「平田、櫛田……それに堀北も、やってくれると心強いんだが」

 

 そして、この当番にふさわしいと思った3人を名指しした。

 

「僕は構わないよ。できることは協力したい」

 

 最初に答えたのは平田だった。

 

「うん、私も大丈夫。堀北さんも、どうかな?」

 

 櫛田もそう答え、全員の注目が堀北に向く。

 堀北の目は……一瞬だけこちらを向いた後、すぐに教壇にいる平田に向き直った。

 

「……わかったわ。そのメモは絶対に守り通さなければならない存在。私も似たようなことを提案しようとしていたから」

 

 それを聞いた平田の表情がぱっと明るくなる。

 

「本当かい? ありがとう堀北さん。助かるよ」

 

 これで、メモを守り通す算段を整えることはできた。

 

「自分の出番が決定したら、その出番と自分のパートナー、それから前後のメンバーだけを覚えて、記録しておいてほしい。参加表やメモ全体の写真を撮ったりはしないでほしいんだ。念には念を入れてね。それから、話し合いの時間以外にメモそのものを見ることも極力避けてほしい。ダミーの方を間違って確認しちゃったら、大変なことになるからね」

 

 クラス全体に向けてそう忠告する平田。みんな参加表が漏れることのまずさを理解しているため、納得して頷いた。

 これで、メモに関する話はひと段落。

 話し合いは次の段階、具体的に誰がどの順番で競技に出るのか、といったことに移っていく。

 

「櫛田さん、前に来て、僕と一緒にまとめ役をお願いできないかな」

 

「え?」

 

 平田が櫛田に協力を仰いだ。

 こんな誘いを受けるのは想定外だったようで、櫛田は驚いた様子だ。

 

「スムーズに決めていくために、櫛田さんの力を借りたいんだ。協力してほしい」

 

 真剣な表情で頼み込む平田。

 こういった頼み方をされると、櫛田は断りづらいだろう。

 少しの間のあと、ゆっくりと頷いた。

 

「……うん、わかった。私で力になれるなら」

 

「ありがとう櫛田さん。重ね重ねごめんね」

 

「ううん、みんなで力を合わせて頑張りたいから、私にできることは何でもするよ」

 

 そんな力強い櫛田の宣言に、教室から歓声が上がった。

 その歓声に迎えられるようにして、櫛田は前に出て平田の隣に立つ。

 

「それじゃあ、まずは決めやすい推薦競技から考えていこうか」

 

 そうして、話は煮詰まっていく。

 今回の話し合い、かなり出しゃばったことをしてしまった自覚はある。

 だがダミーのメモの用意くらい、ちょっと頭をひねれば思いつく。メモの見張りのために当番を設けることも。単に思い付きの策がたまたま採用されただけ、と認識されるだろう。都合のいいことに、堀北が「自分も同じような策を提案しようとしていた」って言ってたしな。

 それでも多少のリスクはあった。だが、それはかける価値のあるリスクだ。

 すべては一つの目的のため。

 

 

 

 

 

 1

 

 帰りのホームルームが終わり、帰宅時間となった。

 

「速野くん、櫛田さん、それに堀北さんも。いいかな」

 

 みんながせっせと帰り支度をしている中、俺たち3人は平田に呼び出された。

 この4人はメモの見張りをするメンバーだ。平田はそれに関する話し合いがしたいんだろうと想像がつく。

 堀北も、ここは特に何も言わずに平田のもとへ足を運んだ。

 

「ごめんね、呼びだして」

 

「構わないわ。メモの見張りの件でしょう」

 

「うん」

 

「今のうちに当番を決めておいた方がいいよね」

 

 俺以外の二人もしっかりと用件を理解していたらしい。平田も満足げにうなずいた。

 

「そうだね。そこで3人に相談なんだけど、僕は部活があるから放課後は難しい。できれば早朝を担当したいんだ。構わないかな?」

 

 事情を説明し、申し訳なさそうに言う。

 

「そんな、全然気にしないでいいよ」

 

「習慣的なことをいえば朝の方がきつさは上だ。気にするどころか、それをやってくれるんなら助かる」

 

 櫛田も俺も承諾した。

 堀北は何も言わなかったが、かといって特に反発する様子はない。

 

「3人ともありがとう。じゃあ、僕は朝だね」

 

「分け方としては、朝夕二人ずつが望ましいな。もう一人の朝担当は俺がやるか」

 

「朝がきついと宣ったあなたに任せられるはずがないでしょう。私がやるわ。朝は得意よ」

 

 間髪入れずに、堀北がそう言った。

 

「……助かります」

 

 まさに、一刀両断だな。何となくそう言われる気はしてたが。

 

「じゃあ、残った私と速野くんが放課後の担当だね。任せて」

 

「うん。お願いするよ」

 

 結局、平田、堀北が朝、俺、櫛田が放課後の担当ということで決着した。

 続いて、今度は俺からの提案を話す。

 

「見張り中の話なんだが……俺たちも、参加表そのものを取り出したりはしないようにしないか。どこに誰の目があるか分からない」

 

「それが手堅いでしょうね。参加表は話し合いの時に取り出し、終わったらすぐに片づけて、次の話し合いの時間まで触ることすらしないようにしましょう」

 

「賛成だよ」

 

「私もそれがいいと思う」

 

 こういった感じで、スムーズな話し合いで結論が定まっていく。3人とも頭の回転が速いため、余計な言葉が必要なくかなりやりやすい。

 

「それじゃ、後は朝夕それぞれの組同士で、どうやって当番を分けるかを決めようか。放課後の見張りは、さっそく今日からお願いしたい」

 

「ああ、分かった」

 

「任せて」

 

「ありがとう」

 

 堀北、平田の二人と別れ、次は櫛田と二人での話し合いだ。

 集まった場所からは俺よりも櫛田の席の方が近かったため、櫛田は自分の席に、俺はその隣の席を拝借して腰かけた。

 

「速野くん、なんかやる気満々だねっ」

 

 俺が座ったのを確認して、櫛田がさっそく話しかけてきた。

 

「まあな。夏休みの特別試験での堀北の活躍にあてられたのかもしれない」

 

「あはは。でもすごく頼もしいよ」

 

「ダミーの参加表やら見張りやらなんやらは、たまたま思いついたんだよ。正直、採用されるのが恐れ多い」

 

「そんな、すごくいい提案だと思うよ。体育祭、皆でがんばろっ」

 

「……そうだな」

 

 こんなふうに皆を元気にする天使のような少女が、このクラスを裏切っているなんてあり得ることなのか。そう思いたくなってしまう。

 しかし、外面で判断してはいけない。あくまでも警戒していかなければ。

 

「それで、見張りの当番だが……櫛田は俺と違って、友達付き合いも多いだろ。月から金のうち、1日だけでもやってくれればいい」

 

 俺は話し合いの一歩目として、まずはそう切り出した。

 

「え……それだけでいいの?」

 

 遠慮するようにそう言う櫛田。

 

「いい。俺は教室にいても寮にいても、やることはほとんど変わらないからな」

 

「えっと、何をしようと思ってるの?」

 

「勉強だよ」

 

「わ……すごいね」

 

 素直に感心した表情を浮かべる櫛田。

 

「学生の本文でもあり、俺の数少ない取り柄でもあるからな。普段、寮の自室にいるときも勉強してることが多い」

 

「すごいなあ。私、宿題と予習復習やったら、友達と電話とかで時間潰しちゃうから」

 

「予習復習やってるだけ大したもんだと思うぞ」

 

「そうかな?」

 

「ああ」

 

 塾にでも通ってれば、そこでの学習が予習復習の役割を果たすが、この学校の敷地にそんなものはない。

 あくまでも自主性に任せられるこの学校で、テスト前でもないのにきっちりと予習復習まで習慣づいているというのは誇っていいことだろう。

 

「勉強に関することで速野くんに褒められると、自信つくかも。ありがとう」

 

「別に、素直な感想だ」

 

「あ、それから、速野くんの取り柄は勉強だけじゃないよ? 数少ないなんてことはないよ。クラスのためにこんな行動を起こせるとことか、尊敬するよ」

 

「お前に比べたら大したことじゃない」

 

 平田と櫛田のクラスへの貢献度はとてつもなく高い。二人に比べれば、この程度は仕事をしたうちにも入りはしないだろうな。

 ……櫛田といると自然と会話が弾む。コミュ障の俺でもこれだ。すごいな。

 

「あ、速野くん。1日だけでいいっていうのは凄くありがたいんだけど、それだとやっぱり申し訳ないよ」

 

「……いいのか? それ以上頼んで」

 

「うん。あ、さすがに毎日はちょっと厳しいけどね」

 

 櫛田は冗談めかしてそう言った。まあそりゃそうだ。

 

「……じゃあ、月水金が俺で、火木が櫛田、ってことでいいか」

 

 週当たりで、俺が3日、櫛田が2日。バランスとしては申し分ない。

 

「速野くんがそれでいいなら、お願いできるかな」

 

「ああ。じゃあ決まりだな」

 

 お互いに頷き合い、同意に至る。

 こうして、こちらの話し合いも平和的にまとまった。

 

「今日は俺の当番だ。櫛田は帰っていいぞ」

 

 借りていた席から立ち上がりながら、俺は櫛田に帰宅を促す。

 

「うん、ありがとう。じゃあよろしくね」

 

「ああ」

 

 感謝の言葉を述べた櫛田は、その後ほかの生徒と同じように帰り支度を始めた。

 平田と堀北の方もすでに話し合いは終わったようで、二人とも教室に姿はなかった。

 俺は自分の席に座り、勉強道具を広げつつ、考える。

 ……これで、餌は撒き終えた。

 あとは食いついてくるのを待つだけだ。

 



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練習Ⅰ

 いよいよもって、体育祭に向けて本格的に実技面での練習が始まろうとしている。

 実技面、とあえて言ったのは、そうでない部分、つまり入場行進やら競技の開始から終了までの一連の流れやらの練習は、すでに前から始まっていたからだ。

 それらに割かれる時間は、体育の授業とは別枠の「体育祭練習」として、全学年全クラス同時に取られている。

 そして、初めに言った実技面での練習を行うのが「体育」の授業というわけだ。

 この時間は何をやっても自由。もちろん、体育祭となんの関係のないことをやって遊び呆けるのは減点対象になるだろうけどな。

 ちなみにDクラスでは以前の話し合いで、ホームルームも練習に費やすことを決めている。

 

「借りてきたよ、握力測定器」

 

 そう言って、平田が小走りでグラウンドに来た。

 クラスの方針は運動ができる生徒を優先するというものになったが、運動ができるかできないかそのものを判断するために、簡易的な体力測定が必要になる。

 その中の一つが握力測定だ。

 もう一つは100メートル走。それは現在女子がやっている。

 ちなみに、測定するまでもなく運動神経が高いことが明らかである須藤や平田、堀北、小野寺などの面々は、すでに誰との組み合わせになるかは大方決まっており、参加表にも記入が済んでいた。

 

「順番に、利き手の握力を測っていこう。結果は僕に口頭で伝えてもらえば、このノートに記録していくから。測定器は2つあるから、一つは右回り、もう一つは左回りに回していって効率的にいこう」

 

「んじゃ、まずは俺から測るぜ。最初に高い目標を見せとかねーとな」

 

 順番に、という平田の言葉が聞こえていなかったのだろうか。須藤はそう言って、平田から測定器をぶんどってしまった。

 

「……じゃあ、もう一つは須藤くんの隣の外村くんから回していこうか」

 

 平田は仕方なく、外村に測定器を渡した。

 

「おらあ!!!」

 

 気合の声とともに、須藤が測定器を握る。

 モニターの数字はぐんぐん上がっていき、最終的に示した数値は82.4キロ。

 

「おま、マジでバカ力過ぎだろ! ゴリラかよ!」

 

「普段から鍛えてっからな。当然だぜ。つか、誰がゴリラだ」

 

「あだだだだだだ! 悪かった、悪かったって!」

 

 余計なことを口走った池が須藤からの折檻を受けている。

 一通り池を痛めつけ、満足したところで解放した。

 

「はあ、はあ、死ぬかと思った……」

 

「ったく。おら高円寺、お前も測れよ」

 

 体育館の壁にもたれて爪を研いでいる高円寺に、須藤が呼びかける。

 しかし、この男はやはりぶれない。

 

「興味ないねえ。君たちで勝手にやっていてくれたまえ」

 

「あ? ざけんなよてめえ。ああ、俺に負けるのがこええのか」

 

 なんとか舞台に引きずり出そうとする須藤だが、その安い挑発は高円寺には全く届いていない。

 

「……くそが。ほら、お前だぜ綾小路」

 

 そうして、測定が進んでいく。

 しばらくして、俺にも外村からの測定器が回ってきた。

 

「はあ……」

 

 少しため息が出てしまう。

 というのも、俺が体力測定で最も苦手としている種目が、この握力なのだ。

 以前堀北に貧相な体だと言われたことがあるが、あれに関してはもっともな指摘で、俺はパワーがゴミクズなのである。

 とりあえず、全力をもって測定器を握る。

 

「……32.6キロか」

 

「え、弱くね?」

 

 近くにいた本堂にそう言われてしまう。

 本堂も思わず口をついて出てしまったようで、俺が視線を寄越すとやべっとか言いながら口を塞いでいた。

 いやまあ、事実だから仕方ないっちゃ仕方ないが……。なんかむかつく。

 俺がお前のテストの点数見て「低くね?」って口走っても文句言うんじゃねえぞこの野郎。

 心の中で文句を垂れつつ待機していると、7、8分ほど経って男子全員の測定が終了した。

 上位3人は須藤、綾小路、平田。

 綾小路は60.6キロ、平田は57.9キロ。

 珍しく綾小路が好成績を残している。なんだあいつ、調整ミスったのか?

 

「とりあえず、推薦競技の四方綱引きはこの値をそのまま採用していいね。4人選ぶ必要があるから、須藤くん、綾小路くん、三宅くん、それから僕」

 

 記録を見ながらメモを取っていく。

 純粋なパワーがものをいう競技だ。特に反論は出ない。

 やるべきことをやり終え、平田は女子の方に目を向けた。

 

「100メートル走はまだ全員は終わってないみたいだけど、走り終わった女子には握力測定をやってもらうことにしよう。櫛田さんに言ってみるよ」

 

 時間を有効に活用するためだろう。測定器を2つ持って、女子の方へと駆けていく。

 櫛田と二言三言交わし、持って行った測定器を預けてこちらに戻ってきた。

 

「あともう少しで全員走り終えるみたいだから、みんな改めて準備体操しておこう」

 

 まだ終わっていない生徒は100メートルのスタートラインに集まっているが、その数は6人。あと5分もしないうちに終わるだろう。

 平田の指示通り、腱を伸ばしたり足首をほぐしたりして、その時間を潰した。

 ほどなくして、櫛田から全員終わった旨を報告され、男子の100メートルが始まる。

 2列に分かれて2人ずつ走る。計測は平田が、スタートの合図は綾小路が請け負った。

 あいつがこんな面倒ごとを引き受けるとは正直以外だったが、誰もやりたがらないので特に文句が出ることはなかった。

 

「っしゃ、見とけよ」

 

 握力と同じく、100メートルでも須藤がトップバッターを務める。

 綾小路が腕を振り下ろし、スタート。

 

「うお、はやっ!」

 

 完璧なスタートダッシュで、早くも隣を走る伊集院を置き去りにする。

 そのままスピードを落とすことなくゴール。タイムは分からないが、相当速いことだけは確かだ。

 続いて伊集院もゴールし、すぐに次の走者である池と山内が準備にかかる。

 

「運動だけはすげーよな、健のやつ」

 

「ま、俺も中学の時インターハイで決勝まで残ったけどな」

 

「嘘つけ」

 

 また山内の虚言が始まった。そもそもインターハイは高校だ、なんてツッコミはもはやする気にもなれない。

 スタートを切る。仕方のないことではあるが、須藤と比べるとかなり見劣りする。

 二人仲良くほぼ同時にゴールした。

 その後順番は巡っていき、俺の番になる。

 隣を走るのは三宅だ。

 綾小路の腕が降ろされたのを見て、すかさずスタート。

 初めの10メートルは俺がリードしていたが、その後追いつかれ、30メートル地点ではほぼ横並び。それ以降はどんどんリードを許し、体3つ分ほどの差でゴールした。

 

「三宅くんが13秒10、速野くんが13秒75だね。お疲れ様」

 

 手元のタイマーを見ながら、平田が俺たちのタイムを告げた。と同時にノートに記録していく。

 

「ほかのやつらのタイムはどれくらいなんだ?」

 

 自分がクラスでどれくらいに位置しているかを知りたいようで、三宅が尋ねる。

 

「ノートを見てみるかい?」

 

「いいのか?」

 

「見るだけなら構わないよ」

 

「じゃあ、ちょっと借りるぞ」

 

「うん」

 

 承諾を得て、三宅がノートを眺める。

 

「……俺も見ていいか?」

 

「ああ」

 

 俺も気になってはいたので、三宅の隣で拝見させてもらうことにする。

 

「須藤の奴11秒台じゃねえかよ……バケモンだな」

 

 須藤の記録を見た三宅が感嘆の声を漏らした。

 手動測定でブレも大きいため正確ではないだろうが、この数値なら陸上でも十分通用するんじゃないだろうか。改めて須藤の身体能力の高さを思い知らされる。

 俺は……一応速いほうみたいだな。12人走り終わって4番目の記録だ。

 ちなみに三宅は須藤に次いで2番目の記録だ。

 握力でも4番目だったし、三宅は高い身体能力を持っているようだ。

 そして……。

 いや、これは後で、着替えの時にでも言うか。

 全員が走り終え、結局俺は全体で7番目という立ち位置に落ち着いた。

 この結果、推薦競技であるクラス対抗リレーには須藤、三宅、平田、加えて女子からは堀北、前園、小野寺が選ばれることとなった。男女混合二人三脚についても、この6人の中からペアを見つけることになる。

 一通りの測定が終わり、Dクラスが全員集合する。

 

「これで4つの推薦競技のうち、3つを決めることができたね。まだ決まってない残りの1つ、借り物競争も、いまこの場で決めよう」

 

「でもどうやって決めるんだよ?」

 

 借り物競争は、身体能力的な部分もそうだが、この中では一番「運」の要素が絡んでくる競技だ。単純に運動神経がいい者を選ぶことは、必ずしも最適解とは言えない。

 そもそも推薦競技にすべて出場するなど、体力バカの須藤だからこそできる芸当であって、普通はスタミナ面も考えてできるだけ分担していくべきなのだ。

 休める部分で休んでもらう。そしてその「休める部分」の筆頭がこの借り物競争だ。

 

「決め方はじゃんけんでいいんじゃないかな? 運には運を、ってね」

 

 一見してふざけた提案だが、ことこの競技に関してはそれで事足りるだろう。対案もなく、反対意見が出る様子もない。

 須藤は全競技に出場することが決定しているため、それ以外の5人を決めるじゃんけんだ。

 その場で7~8人の5グループに分かれてじゃんけんを行う。勝ち残った最後の一人が出場決定となる。

 1回戦目、勝利。

 2回戦目、またも勝利。

 そして3回戦目。俺と綾小路の一騎打ちだ。

 あれよあれよと勝ち上がった綾小路だが、心の底から負けることを願ってるだろうなこいつは。

 俺も積極的に参加したいわけじゃない。借りてくるお題の引きによっては、最悪の場合最下位のペナルティを受けてしまう可能性があるのだ。

 もちろん、3位までに入賞すれば特典がついてくる。それを目当てで強く参加希望をしている生徒もいたが……。それでも俺は、あまり気は進まなかった。

 俺がいくら健闘したところで、Dクラスはこの体育祭で高い確率で完全な敗北を喫するからだ。

 

「いくぞ」

 

「ああ」

 

 最初はグー。じゃんけん———

 

 俺→パー、綾小路→チョキ。

 

 ということで、綾小路の借り物競争への出場が決定。

 どうにかこの面倒ごとに駆り出されることを回避できた。

 

「まあ、頑張ってくれ」

 

「……ああ」

 

 その返事にはいつも以上に覇気がなく、あからさまに気落ちしていることが分かる。

 ま、あれだ。お前は7人の中から八百万の神に選ばれたんだ。きっと借り物競争のくじ引きにも幸運があるさ。たぶん。

 

 

 

 

 

 

 1

 

 体育の時間が終わり、今は更衣室で着替えている。

 

「三宅」

 

 そこで、俺は近くにいた三宅に声をかけた。

 声に反応し、こちらを振り向く。

 

「なんだ?」

 

「ああ、ちょっと頼み事なんだが……二人三脚、俺と組んでみないか」

 

「え?」

 

 予想外の誘いに、少し驚いている様子だ。

 

「お前の方がかなり速いが、歩幅と足の回転の速さはほぼ同じだったから、もしかしたら合うんじゃないかってな」

 

 二人三脚は、速い者同士やタイムが近い者同士で組んだからといってうまくいくとは限らない。体のサイズ———主に足の長さ———、それに歩幅と足の回転数。タイムが同じでもこれらが全く違う人同士では走る際の感覚が異なり、息は合わなくなってしまうだろう。

 その点、俺と三宅はクリアしている。

 体のサイズは元々似ている。

 歩幅と足の回転数も同じくらいだ。

 特にトップスピードに乗った後半50メートルは、俺と三宅の足の動きは綺麗に重なっていたのだ。

 その時点で三宅は俺より前にいたから分からなかっただろうけどな。

 それでも俺と三宅でそこそこのタイムの差が出たのは、先ほど挙げた三要素のすべてで三宅がわずかに優れているためだろう。一つ一つはわずかな差でも、それらすべてを足し合わせればあれほどに広がる。

 だが、その点は調整で何とでもなるだろう。

 練習で調整を重ねて、二人そろってトップスピード並みの調子で走ることができれば、かなり上位を狙えると思っている。

 

「……別にいいぜ。とりあえず、次の機会に試してみるか」

 

「試しか……そうだな、分かった」

 

 まあ、俺がやっていたのはただの皮算用。実際にやってみないと分からない部分は間違いなくある。

 いきなり決めろという方が無理な話か。

 拒否されなかっただけで喜ぶべきところだろう。

 

 

 

 

 

 2

 

 数日後、ホームルームの時間。

 体育の時間と同様、体育祭の競技の練習をしている。

 以前と違うことがあるとすれば、その練習場所がグラウンドではなく体育館であるという点だ。

 グラウンドでは、この時間に体育の授業が入っているクラスが練習を行っている。

 グラウンドと比べて体育館は手狭だ。当然100メートル走などの競技はできっこない。満足な練習はできない。

 これだけ聞くと、不利な方に甘んじているように見えるが、見方を変えればそうではない。

 体育館は体育館で、他クラスからの偵察が困難だという利点がある。

 協議の中でも偵察されたくないような練習……そう、騎馬戦の練習には向いている。

 誰が騎手を務め、それを誰が支えるのか。その騎馬はどのような動きを見せるのか。

 他の競技に関しても偵察されないに越したことはないが、例え偵察されたとしても、結局は組み合わせ次第。実力を知ったところでどうにかなるものじゃない。

 しかし騎馬戦はそういった競技とは一線を画す。全生徒が一堂に会し、総当たりで対決する競技だ。騎馬の実力やフォーメーションを知れば対策が可能となってしまう。そういった情報を秘匿しておく必要性が最も高い競技だ。

 体育館を使えるこの時間は、その騎馬戦を練習する好機というわけだ。

 騎馬の土台となる馬役は、あまり苦労することなく決まっていく。パワーや速さという分かりやすい重要項目があるため、須藤や綾小路、それに三宅などが推挙された。

 ちなみに先ほどの3人は同じ騎馬の支えを務めるのだが、その騎馬の騎手が平田。Dクラスのエース格の騎馬だ。

 一つの騎馬の組み合わせが決まり、次にそのほかの騎馬について話し合う。

 

「速野くんは騎手に適任だと思う。身長は170センチ以上はあって、それに対して体重はあまり重くない。それに今までの練習での動きを見れば、運動神経が悪くないことも分かるからね」

 

 そんな平田の提案。

 確かに、そうかもしれない。

 何より蟻んこレベルのパワーしかない奴に土台を任せたいと思う者はいないだろう。

 

「……わかった。俺でいいなら」

 

「お願いするよ速野くん」

 

 そうして俺が騎手を務めることが決まった。

 そののち、馬役は池、山内、本堂が務めることも決まる。

 一つのグループとなった4人で集合する。

 

「まあ、とりあえずよろしく」

 

「ああ」

 

「お前騎馬できんのかよ速野―」

 

 山内が俺を見ていぶかしげに言う。

 

「土台役よりはまともにできるだろ。お前が仮に騎手役だとして俺に支えられたいか? 握力30キロだぞ」

 

「そりゃまあ……確かに」

 

 それで納得したようだ。なんか釈然としないが仕方ない。

 早速練習を始める。

 

「速野、お前軽くね? 何キロ?」

 

 あまりにも簡単に持ち上げられたことに驚きを見せる本堂。

 

「さあ……」

 

 最後の測ったのは確か……1年半前くらいだ。その時は50キロなかったはずだ。

 その時と比べて身長も少しは伸びてるし、いまは多分53か54とかじゃないだろうか。

 

「でも楽だな。お前がガリで助かったぜ」

 

「そりゃ、どうも……」

 

 ガリって……いや事実だけどさ。この間の握力の時といいちょっと言い方がイラつくぞ本堂。

 ただまあ、騎馬戦に関しては協力していかなくちゃならない。こんなことでいちいち目くじら立てている暇はない。

 信頼して、本堂にも足元を預ける。

 

「他はどうだ?」

 

「正直、割と余裕あるぜ。マジで軽いのなお前」

 

 前方を務める山内が言う。重さで騎馬が崩れるようなことはなさそうだ。

 にしても、結構揺れが大きいな。

 高い安定度があるわけではない騎馬の上でどう体を動かせばいいか、バランス感覚を身に着けておく必要がありそうだ。

 

 

 

 

 

 3

 

 ホームルームの時間は連続して二時間取られている。

 今はそのインターバルにあたる10分間の休み時間。

 水分補給を済ませた俺は、三宅とともに二人三脚の自主練習を行っていた。

 俺の左足と三宅の右足をひもで結び、そして肩を組む。

 

「じゃあ、結んだ方の足から」

 

「ああ」

 

 まずは左足、その次は右足、そして左足……と、まずは軽いウォーキングのような感じで歩いていく。

 結ばれた左足は、引っ張られたり押し戻されたり、かと思えば何の抵抗もなくスムーズに動いたりと不安定な状態。こけるようなことはないが息があっているかといえば微妙なところだ。

 それでも段々とスピードを速めていく。

 

「走ってみるか」

 

「オッケー」

 

 そして、歩きから走りへ。

 これが不思議なことに、走りに移行してからの方が足の動きがスムーズになった。

 そのまま走り続けているうちに壁際に到達したため、いったんストップする。

 

「……行けそうじゃないか?」

 

「とりあえず合わないってことはなさそうだ。グラウンド練習の時にもやるか」

 

「ああ」

 

 向こうも同じように思っていたようだ。

 相性はいいだろうとは思っていたが、まさかこんなにすんなり行くとは。奇跡的な相性だ。

 ほかにも二人三脚の練習をしている生徒は何組かいるが、俺たちのようにスムーズに動けている組は一つとしてなかった。

 

 

 

 

 

 4

 

 休み時間を終え、再びクラス全体での練習が始まる。

 

「ごめん、みんなちょっと聞いてくれるかな」

 

 授業開始のチャイムが鳴り終わると同時に、平田が全体に声をかけた。

 

「どうしたんだよ」

 

 はやく練習を始めたい須藤は、不機嫌そうに平田に問う。

 

「この時間は、綱引きの並び順を決めるのに使いたいんだ。この前、葛城くんと少し話し合ってね。僕ら紅組は、身長の小さい人を前にして、身長順に並んで綱を引く作戦に決まった」

 

 全員参加競技の一つ、男女別綱引きは、紅白の組が2クラスまとまって行う競技。協力は必須だ。

 身長順に並ぶことによって、綱に伝わる力の方向が分散しにくく、引く力をより強くできる。

 

「なら、Aクラスも一緒にやらないといけないんじゃね?」

 

「もちろん。その機会はまた今度設けるよ。でもそれまでの間に、クラスごとの身長順だけでも把握しておいた方が、その時になってよりスムーズに決められるよね。そのためのものだよ」

 

 同じ身長順に並ぶというのでも、20人と40人では大変さが違う。2クラスまとめてやろうとすれば混乱に陥ってしまうだろう。

 ここでやらなければますます面倒なことになるということで全員納得し、男女に分かれて並び始める。

 全員、自分の身長が高い方か低い方かは大まかには把握している。沖谷や池などは前へ、須藤は真っ先に後ろへ。

 俺は真ん中より少し後ろくらいのところで待機していた。近くには俺とほぼ身長が同じ三宅もいる。

 綾小路はかなり後ろの方にいた。

 身長は結構高いんだよなあいつ。

 ただ、それであいつの地味さが軽減されるかといえばそうではない。今の俺が考えたように、こういった機会があって初めて「あいつって実はけっこう身長高いよな」となるくらいだ。

 さて、本当なら須藤に次ぐ身長があるはずの高円寺だが……列に参加しようともせず、相変わらずサボりを決め込んでいた。

 Dクラスの誰もが高円寺の身体能力の高さを知っている。4月にあったプール授業で見せた驚異的な泳ぎ。あのような動きを体育祭で発揮してくれれば、比喩ではなく本当の意味で一騎当千の活躍を見せることは間違いないんだが……。

 今回の体育祭、高円寺はまったくと言っていいほどやる気を見せていない。

 そしてそんなあいつを舞台に引っ張ってくることのできる人間は存在しない。

 どこまでも自由人。どこまでも自分の気まぐれに従う。

 そういう意味では、本番中にコロッと態度を変えられるより、最初からやる気ゼロでいてくれたほうが混乱が少なくて済むかもしれない。

 例えばの話だが、身体能力順で組むと決めた以上、須藤と高円寺は間違いなく二人三脚でペアを組むことになるはず。それが本番になって高円寺が出場しないということになってしまえば、同時に須藤も失格ということになってしまう。

 しかし高円寺が初めからこの様子では、須藤とペアを組ませるなんてことはまずしない。元々犬猿の仲ということもあるし……。まあ恐らくは須藤が一方的に嫌っているだけで、高円寺の方は意に介してすらいないとは思うが。

 ともかく、これでポイントゲッターの須藤がペア不在で失格になってしまうなんて事態は避けられるというわけだ。

 しかし参加表に高円寺の名前を書かないわけにもいかないため、高円寺の名目上の二人三脚のペアは、暫定的にDクラスの男子で最も足の遅い外村ということになっていた。失格になっても一番クラスのダメージが少ない人物だ。

 と、そんな考え事をしているうちに、並び順が決まるまで俺たちを含めて残り数人、というところまで来ていた。

 平田がこちらに近づいてくる。

 

「速野くんと三宅くんは……ほぼ同じだね」

 

 パッと見ただけではほとんど差がない。

 このままでは決めるのに苦労する。が、決め手は何も身長だけじゃない。

 

「三宅が後ろの方がいいと思うぞ。たぶん三宅の方が足が長い。これもほんの少しの差ではあるが」

 

 俺はそう平田に告げた。

 この作戦の根幹は要するに、綱を引く体勢になった時に、生徒全員の綱を持つ高さが前方から後方にかけて段々と高くなっていくようにすること。

 綱を持つ手は腰とほぼ同じ高さになる。そうなると身長のほかにも決め手はもう一つ。足の長さだ。

 足が長く、腰の位置が高い方が綱を持つ高さも高くなるというわけだ。

 

「そうだね。三宅くんもそれでいいかな?」

 

「分かった」

 

「じゃあ、二人はそう並ぼうか」

 

 これで、俺と三宅の位置関係が決まった。

 それ以外の生徒については、決めるのにそこまで苦労はしなかった。

 俺とその前の生徒とは目に見えて身長が違う。それ以降も、並べて比べてみればすぐに分かる程度の身長差があった。

 結局並び順決めは15分ほどで終わり、各自前後の人を覚えておくように言われて終了となった。

 

 



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練習Ⅱ

 今日は、Dクラスでは初めてのグラウンドを使用しての練習だ。

 着替えを終え、グラウンドに出る。

 違和感に気付いたのはそれからすぐだった。

 

「うわ、あれ見てみろよ」

 

 同様に違和感に気付いたらしい池が、うんざりしたようにそう呟く。

 池の指した方向を見ると、そこからは何人かの生徒がこちらを観察するように見つめていた。

 

「あれBクラスだろ?」

 

「隣のはAクラスじゃね?」

 

「偵察ってやつかー」

 

 他クラスの実力を測る動きは当たり前のものだ。事実俺たちも、1年生のクラスがグラウンドに出た際には似たようなことをやっている。というより、自然と目が引き寄せられる。

 だが……いざそれをやられる身となると、かなり嫌な感じを受けるな。

 無視されるのもそれはそれで考えものだが、監視されるというのもまたストレスだ。

 ただ、それも授業が始まる前までだ。

 授業が始まれば、生徒たちはそこに集中せざるを得なくなる。授業そっちのけでよそ見なんかしていたら、クラスポイントの減点対象になるリスクがあるのだ。

 まあそれでもチラチラ見られるだろうから、完全に防げるわけではないとは思うが。

 

「やはり、当然こうなるわよね」

 

 女子で一番早く着替えを終えて出てきた堀北も、偵察の視線に気づいてそう漏らした。

 

「早いな」

 

「時間を無駄にしたくはないもの」

 

 実に堀北らしい理由だ。

 ま、着替え中に雑談するような相手がいないから、ってのもあるとは思うけどな、こいつの場合。

 

「気になるわね」

 

 偵察の目が向けられる方向を眺めつつ、そう堀北がつぶやく。

 

「なにが?」

 

「Cクラスよ。他の2クラスと違ってこちらを見ている気配がない」

 

「ああ……」

 

 そう、AクラスとBクラスと違い、Cクラスの教室からは一切の視線を感じないのだ。

 

「移動教室ってわけじゃなさそうだが……」

 

「偵察することすらも思いつかない、というわけではないにしろ、するつもりがないことは確かなようね。前回の無人島試験同様、まじめに取り組むつもりがない……と、以前の私ならそう考えていたかもしれないわ」

 

 堀北はそこで言葉を止め、会話の相手であったはずの俺の方ではなく、その右後ろに目を向けた。

 その方向から、綾小路が歩いてこちらに近づいてくる。

 そして俺の隣に綾小路が立ち止まったのを見てから、堀北が言葉を続けた。

 

「無人島試験と同様なら、今回もCクラスは勝つための戦略を思いついたうえでこのような行動をとっているはず。その戦略に偵察は必要ないということでしょう」

 

 それに綾小路は頷き、口を開く。

 

「大切なのは、それに思い至った時点で満足せずにその先を考えることだ」

 

「……その先?」

 

「人は何か策を思いついた時、それを隠そうとするのが普通だ。だが龍園はそうしていない。それどころか、自分が何か画策していることを周りにアピールしている。フェイクの偵察を入れることもなくな」

 

「なるほどね」

 

 つまりその理由を考えてみろ、ということか。

 まるで生徒にアドバイスを送る教師だな。

 龍園の行動の意味を考えること。つまり龍園という人間を分析するということに等しい。言うは易しだが相当難度の高いことだ。

 

「鈴音、ちょっといいか」

 

 そんなやり取りをしていた中、須藤が堀北の横に来て名前を呼んだ。

 しかし、堀北はなぜか不機嫌そうな顔をする。

 

「須藤くん、何度も言っているけれど勝手に下の名前で呼ばないでもらえるかしら」

 

 苛立ちの原因はそれか。つか公認じゃなかったのかよ。

 

「なんでだよ。なんか不都合あんのかよ?」

 

「あるに決まっているでしょう。親しくもない人に呼ばれたら不愉快で仕方がないわ。これ以上呼ぶなら、こちらも手を打たせてもらうことになるわよ」

 

 最後の忠告だ、とばかりに絶対零度の視線を須藤に向ける。

 

「まるで親しい人間になら呼ばれてもいいみたいな言い方してるけど、お前親しい人いるのか」

 

「いないわね。だから誰も私を下の名前で呼ぶことはないわ」

 

「……」

 

 突っ込んでみたが、即答でそのように返ってきた。さすがとしか言いようがない。

 明確にファーストネーム呼びを拒絶された須藤。だがそれでも諦めきれないようで、こんなことを言い出した。

 

「わあったよ……でもよ、もし体育祭で俺がクラスで一番活躍できたら、名前で呼ばせてくれ」

 

 活躍の褒美として、名前呼びを求める。

 須藤は何としても名前呼びを実現したいらしい。

 

「あなたが頑張るのはDクラスとしては非常に好材料だけれど、そのお願いに私が応える義務はないわね。第一意味が分からないもの」

 

「意味っつーか……1学期の最初の中間テストん時、お前は俺を助けてくれただろ。だからお前とこ……友達になりてーと思ったんだよ。その一環だ」

 

 そうか。そういえばあの時須藤が退学を免れた理由は、表向きは堀北の根気強い交渉の結果ってことになってるんだったな。

 綾小路が自分のしたことを隠すためにそうしたんだ。

 ただ堀北もポイントを出してはいるため、堀北が救ったというのも間違いというわけではない。

 

「別に名前で呼んだからといって友達になるわけでもない。正直理解に苦しむわね」

 

 親しくなったから名前で呼ぶのであって、名前で呼ぶことで親しくなろうというのでは順序が逆ということ。

 しかし、形から入る、ということもある。まったく納得できない話ではない。

 ただこれに関しては逆も然りで、別に名前で呼び合っていないからといって親しくないというわけじゃない。俺と藤野は友人だが、苗字呼びを継続しているし、特段名前で呼びたいとも思わない。

 さて、そのように言って捨てた堀北だったが、少し間を置いてから出された答えは、それまでの反応とは真逆のものだった。

 

「……でもいいわ。もしあなたが活躍できたら、その時は私を下の名前で呼ぶことを許してあげて構わない」

 

「っ、おっしゃマジかよ! 約束だぜ」

 

 須藤は内心では期待薄だと思っていたらしく、願いが聞き入れられたことに感激している。

 しかし堀北はそんな浮かれた様子の須藤に対し、鋭い口調で「ただし」と付け加える。

 

「条件があるわ。活躍と言っても、クラスとは言わず学年でトップを取ること。そしてもし失敗すれば、今後私のことを名前で呼ぶことも、今回のようにそのチャンスを与えることも決してないこと。これが条件よ」

 

「お、おう……やってやるぜ」

 

 厳しい条件にひるみつつも、この好機を逃すわけには行かない、と須藤は承諾した。

 ただ学年でのトップなら、須藤は十分に狙うことができるだろう。

 さらにこれが最後のチャンスとなれば、須藤はすさまじいやる気を出す。

 堀北の狙いもこういうことなんだろう。断るよりも、受け入れたうえであのような条件を付けたほうがDクラスの勝利が近づくと考えた。

 堀北は自分が須藤から好意を向けられているとはつゆにも思っていないだろうけどな。

 

 

 

 

 

 1

 

「行くぞオラア!!」

 

 そんな気合の声とともに、とてつもないスピードで100メートルを駆け抜ける須藤。

 当然のように1位でゴールした。

 Dクラスの中じゃ敵なしだな。平田ですら歯が立ってない。

 先ほどの堀北との話もあって、モチベーションも非常に高いようだ。

 100メートル走や200メートル走だけではない。ハードルや障害物競走、綱引きなどありとあらゆる面で須藤はDクラスの誰よりも秀でた実力を発揮していた。

 

「すごいよ須藤くん、何をやっても一番なんて!」

 

「ま、こんくらい当然だぜ」

 

 櫛田が須藤の躍動を称えるが、須藤はそれに浮かれることなく落ち着いた態度を覗かせていた。

 須藤にしてはドライな感じを受けるが、その理由は高円寺がいないからだろう。このクラスでは唯一須藤に対抗しうる……いや、恐らくは凌駕するほどの底知れない身体能力の持ち主。その高円寺がいない土俵でどれだけ無双しても、その喜びは小さいというわけだ。

 しかし櫛田は興奮冷めやらぬといった様子で言葉を続ける。

 

「これくらいできて当然、ってところが凄いよ。今回の体育祭、須藤くんがDクラスのリーダーだねっ」

 

「……俺がリーダー?」

 

「それは僕も賛成だよ。このクラスで一番の君が引っ張ってくれれば、これほど心強いことはない」

 

 櫛田に加え、暫定的にリーダー的役割を引き受けていた平田も推薦した。

 

「……つっても、俺そんなガラじゃねえしよ」

 

 当の本人は乗り気ではないようだが、その態度もすぐに覆ることになる。

 

「あなたは大勢の注目を浴びて大きな力を発揮できる人よ。指導者としては平田くんの方が適任かもしれないけれど、時にはあなたのように強引に引っ張っていくことが必要になることもある。もしあなたがリーダーを引き受けるなら、私も異を唱えるつもりはないわ」

 

 須藤の想い人である堀北からの言葉だ。

 明確に賛意を示すものではなかったが、須藤をその気にさせるには十分すぎるものだった。

 

「……わかった。俺がDクラスを引っ張ってやる」

 

 須藤はそう宣言し、リーダー就任が決まった。

 それからの須藤は多忙だった。

 リーダーになった以上、当然だが自分一人の練習だけに集中するわけには行かなくなる。他の生徒へのアドバイスや指導など、やることは多い。

 今は走り方のアドバイスを行っているようだ。

 

「余計なところに力はいりすぎだぜ。それじゃスピードも出ねーし、無駄にスタミナも使っちまうだろ」

 

 言葉は粗雑だが、的確なアドバイスを送っていく。

 俺はその様子を眺めながら、二人三脚の練習を行うことにした。

 パートナーに決まった三宅に声をかけて練習を始める。

 

「じゃあ、いつも通り行くぞ」

 

「ああ」

 

 スタートの合図に合わせて、結んだ足の側から先に前に出し、徐々にスピードを上げて行く。いい加速だ。

 二人三脚で1番の理想は、相手がいないかのように走れること。それに近い感覚を感じることができる。トップスピードに乗ったときの速さは、ちょうど10キロ走のラストスパートくらいか。

 こうしてこけることもなく、スムーズに走り終えることができた。

 

「ふう……本番もこんな感じなら、多分大丈夫だろうな」

 

「ああ。入賞は狙えると思う」

 

 二人三脚に関してはまったく心配いらなそうだ。その後3回ほど練習を繰り返し、三宅とは別れた。

 

「意外ね。あなたも三宅くんも、人に合わせるのは苦手だと思っていたけれど」

 

 休憩していたところに、堀北が声をかけてくる。

 

「合わせてるわけじゃない。偶然合ったんだよ。まあドンピシャで相性が良かったってことだろうな」

 

「そう……」

 

 これに関しては本当に運が良かったとしか言いようがない。

 

「それで、お前の方はどうなんだ。確かペアは小野寺だったか」

 

 俺と三宅のようなペアはそう何組もできるものじゃない。最初の段階では、ひとまず足が速い順に組んでみることが基本方針になっている。

 

「伸び悩んでいるわね」

 

「へえ。合わないのか」

 

「向こうが合うようになるまで待つしかないわ」

 

「……自分から合わせに行くという発想はないのか」

 

「遅い方に合わせてどうするの?」

 

 清々しいほどの即答だ。俺の目は点になっているだろう。

 なるほど、タイムが伸びていない理由が分かった。

 自分は全速力で走って、パートナーのことを全く気にかけていない。堀北ペアが走っている場面を直接見てはいないが、その光景は容易に想像がついた。

 まあ、今の段階で俺から言えることは何もない。

 俺も偶然三宅という非常にやりやすいパートナーが見つかるラッキーに恵まれただけで、本来他人と息を合わせるのが不得手なのは堀北と変わらない。

 

「健闘を祈るとだけ言っとく」

 

「妙に上から目線の言葉で気に食わないわね。あなたに言われずともベストは尽くすわ。パートナーがベストを尽くしてくれるかどうかは別問題だけれどね」

 

 そう言い切る堀北だが、ベストを尽くしていないのはどちらの方か、それを理解する機会が訪れることを俺は祈った。

 

 

 

 

 

 2

 

 時間は惜しいが待ってはくれない。体育祭本番は刻一刻と迫っている。

 ひと時も時間を無駄にしないよう、体育の授業やホームルームに加え、授業開始前の早朝や、さらに放課後にも体育祭に向けての練習が行われている。

 これは何も俺たちDクラスだけの話じゃない。他のクラス、そして他の学年も同様だった。考えることはみな同じということだ。

 当然、全学年全クラスが入り交じっての練習となれば、偵察もし放題され放題だ。しかし以前も述べたように、多くの種目の結果は参加表で決められた組み合わせにより左右されるところが大きく、偵察されても大きな問題はない。もちろん注意を欠かしてはならないが、むしろ偵察を過剰に恐れて練習不足になる方がよっぽどマイナスが大きい。

 今は朝。俺を含め、リーダーの須藤を中心としてDクラスの半数ほどが体育祭に向けての練習をグラウンドで行っている。

 ちなみに平田はメモの保護のため参加していない。それ以外にも運動が苦手な生徒や早起きが得意でない生徒も不参加だ。

 俺はこの場では主に200メートル走の練習を行っていた。

 100メートルの倍の距離があることに身構えて、初めはペース配分とか考えたほうがいいのかなーとぼんやり思っていたが、試しに何回か走ってみると意外にも最初から最後まで全力疾走で行った方がいいことが分かった。もちろん最後はスタミナ切れで失速してしまうが、この距離なら素人は余計なことを考えない方がいい。

 須藤にも尋ねたが、「んなもん最初から最後まで全力で走りゃいいんだよ」と返ってきた。実際にやってみるまではこの脳筋めと思ったものの、今はその時の自分を殴ってやりたい気持ちでいっぱいである。須藤の言っていた通りだった。

 走っては休み、走っては休みを何回か繰り返していると、息を切らして膝に手をついている女子生徒が俺の目に入ってきた。

 佐倉である。

 

「はあ、はあっ……は、速野くん……」

 

「おお……お疲れ」

 

 ずいぶんと頑張っている様子だ。

 1学期にあった須藤の暴力事件を乗り越えたあたりから、佐倉はこのようなことに積極的に挑むようになっていた。

 無人島試験や普段の体育の授業、それに今この瞬間もだ。以前の佐倉であれば、体育祭に向けての早朝の自主練習なんて間違いなく参加していなかっただろう。ましてや佐倉は運動が苦手で、今回の体育祭のDクラスの方針の中では犠牲を強いられる側の生徒である。モチベーションも決して高くはないだろう。事実そういった生徒は朝も放課後も、さらにはホームルームの練習にも参加していないことが多い。

 

「……頑張ってるんだな」

 

「その、少しでも、クラスの役に立てたら、って……」

 

 呼吸を整えながら俺に答える佐倉。殊勝な心掛けだ。

 今は体力回復に専念させてやった方がいいと思い、俺は一言佐倉に断ってからその場を離れた。

 そのまま右の方に目を向けると、何やら揉めているのが目に入る。

 堀北と小野寺。二人三脚の暫定的なペアだ。

 話の内容は遠いため聞こえてこないが、言い争っているのは分かる。

 少しのやり取りののち、小野寺が怒った様子で堀北のもとをツカツカと立ち去った。

 

「……だめだなありゃ」

 

 誰にも聞こえないようにそうつぶやき、俺は再び200メートル走のスタート地点へと向かった。

 

 

 

 

 

 3

 

 その日の昼食時間。

 いつもの通り、斜め右後ろの席で静かに昼食にありついている堀北。俺はそこに声をかけた。

 

「おい」

 

「……何かしら」

 

 声をかけられたことに対する不快感を隠そうともしない、いつもの堀北である。

 

「朝の練習中、なんか小野寺と言い争ってなかったか」

 

 今朝のことについて質問した。もめているのは分かったが、具体的にはどのような顛末だったのか。

 

「彼女とはペアを解消したわ」

 

「……は?」

 

「合わせる気がないなら、これ以上は私とはやれない、と言われてね」

 

「……」

 

 お前があんな認識なんだから当たり前だ、とは言わなかった。堀北相手に一を言えば四も五も返ってくる。ここのところ練習続きで疲労が蓄積していることもあり、それはひどく面倒だった。

 その言葉の代わりに、俺は一つ大きなため息をついた。

 だがこれが余計だった。余計に堀北を刺激してしまったらしい。

 

「ちょっと、言いたいことがあるなら素直に言ってもらえるかしら」

 

 強い口調でそう言ってくる。

 

「以前にも言ったわよね。速い方が遅い方に合わせても記録は落ちるだけよ。それがどこか間違っているのかしら?」

 

「俺が素直に言ったところでお前は素直に聞き入れないだろ」

 

「内容次第よ。反論すべきところは反論するわ」

 

「それが面倒なんだよ」

 

「つまり反論されるのが分かっているのね」

 

「ああ。言葉で説得できる自信はないしこの場ではする気もない。俺から声をかけたのは悪かったよ」

 

 こうして、これ以上の難儀な会話を避けた。

 しかしこちらの撤退の意思とは裏腹に、堀北は食い下がってきた。

 

「まるで言葉でなければ私を説得できるような言い方ね」

 

 自分が正しいと信じて疑わない堀北は、どうやら俺が説得可能だと思っていることそのものが気に食わないらしかった。

 

「……なら放課後やってみるか? どうせグラウンドで練習するんだろ? 教室でメモ見張っとかなきゃいけないから少し遅くなるが」

 

「ええ、構わないわよ」

 

 堀北も承諾し、決まった。

 

 

 

 

 

 4

 

 そして放課後。

 時計の針は5時半を回り、日は落ちかけている時間帯だが、それでもグラウンドでは多くの生徒が体育祭に向けての練習を行っていた。

 グラウンドの隅には、練習に参加している生徒のものと思われる荷物が並べられている。

 この時間になるとクラスの担当者によって教室は閉められてしまう。そうじゃなくても、わざわざ荷物を取りに行くためだけに教室に戻るのは面倒だ。それに体育祭期間中は指定の体育着での下校が認められているため、放課後に練習を行う生徒のほとんどは荷物をはじめから持ち出し、練習が終わればそのまま寮に直帰、というルートを辿る者がほとんどだ。

 教室の鍵を閉め、更衣室で着替えてグラウンドを訪れた俺もその御多分に漏れず隅の方に荷物を置き、グラウンドの中央に出た。

 この人数から堀北一人を探し当てるのは難度が高いが、大体はクラスごとに固まって練習している。

 1年Dクラスが固まっているエリアを見つけてそこに向かうと、堀北の姿はすぐに捉えられた。

 固まっていると言っても、やはり堀北はクラスの中では孤立して一人で練習を行っていた。

 

「来たぞ」

 

 ハードルを飛び越える練習をしていたらしい堀北に来訪を告げる。

 

「ようやくね」

 

「時間も惜しいしさっさとやるぞ」

 

 俺は手に持っていた二人三脚用の紐を見せる。

 

「あなたと私で二人三脚を?」

 

「言葉での説得が無理なら、残る手段は実践しかないだろ。俺との接触は嫌かもしれないが我慢してくれよ」

 

 そこだけは堀北に折れてもらうしかない。一つの心配要素ではあったが、「あなたとは無理」とは言われなかったので助かった。

 

「私が結ぶわ」

 

 とはいえそれでも俺に……というより他人に触れられるのが嫌なようで、足を固定する作業は自らが買って出た。

 

「お前、タイムは?」

 

「13秒97だったわ」

 

「了解」

 

 俺とは大体0.2秒差くらいか。さすがに男子である俺よりは遅いが、部活未所属の女子にしては非常に良いタイムだろう。

 紐を結び終えて足の固定が完了し、準備が整う。

 

「じゃあ行くわよ……」

 

 他人からの接触を嫌う堀北だが、二人三脚のために渋々といった様子で俺と肩を組む。

 説得のためとはいえ、滅茶苦茶をするつもりはない。最初はゆっくり、徐々に速く。これが基本だ。

 しかし、進んでいくにつれて堀北には徐々に焦りが見え始める。

 

「っ、ちょっとっ……」

 

 俺はそれに構うことなくずんずんと進み、強引に堀北の足を引っ張って加速する。いや、堀北の足による抵抗があるため正確には加速になっていない。

 全く足並みがそろわず堀北はこけそうになってしまうが、俺は腕を強くつかんで無理やりそれを阻止した。堀北は重くないため、俺のミジンコ以下のパワーでも支えることができる。

 それでも堀北はどうにかしてついて来ようとするが、最終的に堀北の足は二人三脚のペアとして全く機能せず、半ば俺に引きずられるような形になっていた。

 その惨状を確認し、俺はようやく足を止めた。

 

「はっ、はっ……」

 

 距離にしては70メートルも走っていないが、そうとは思えないほどに息を乱している。

 

「……もし私が怪我をしていたらどうするつもりだったの?」

 

「こけないように腕掴んだだろ。でもこれで分かったか。片方がペアのことを無視して強引に走れば、もう片方は上手く走れない。どころか怪我のリスクすら負うんだぞ」

 

 自身でそれを体感したことで、俺に対して一切反論できずに押し黙る堀北。

 

「でも、誰かが言ってたぞ。二人三脚で上手く走れないのは、遅い方が速い方に合わせられないのが原因だって。先に言っておくが俺のタイムは13秒75だった。つまり俺に合わせられないお前が悪いんだってよ。そいつの理屈に従うなら、もしお前が怪我したら自業自得と思えとしか言えない。そんな主張してるやつのこと、どう思う?」

 

「っ……」

 

 当然「そんな主張してるやつ」とは目の前にいる堀北だ。だが敢えて煽るような口調で言い放つ。

 

「……まあ、危険にさらしたのは悪かったよ。俺は二人三脚のペア失格だ。じゃあな」

 

「ちょっと———」

 

 呼び止める声を無視し、俺は違う練習をするためにその場を離れた。

 正直、こんな説得なんて俺のガラじゃないし、積極的にやりたいとも思わない。そのうえこの体育祭、1年Dクラスは敗北がほぼ確定している。

 それでもこんな事をやったのは、そうはいっても一縷の望みは残っているからだ。ワンチャンあるってやつだ。

 堀北とペアを組むのは、小野寺もそうだったが走力の高い生徒になる。つまりそれだけ期待値も高い。それなのに上位を取れないとなれば大きな損失だ。さらに堀北の強引な走りで走力の高いもう一人のペアに怪我を負わせれば、さらに大きな損失が積み重なる。

 ただでさえ敗色濃厚な勝負にこのような要素までのしかかるとなっては、いよいよ勝つ見込みなどゼロになってしまう。

 この行動はそんな事態を避けるためのものだ。

 振り返って堀北の様子を見てみると、練習に戻ることもなくひとりで立ち尽くし、何か考え事をしているようだった。

 響いてくれてるといいんだが。

 



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本番に向けて

 そんなこんなで時間は流れ、体育祭まで残り1週間と迫ってきた。

 今はその金曜日の放課後。俺はメモの保護のために教室に残っている。

 この役割は、メモに書かれている情報が増えてくるほどにその重要性が格段に増す。他クラスの人間が教室に入ってこないか、しっかりと注意を向けつつ教室での暇な時間を潰していた。

 堀北の二人三脚についてだが、俺との一件があった後は、堀北が誰かと揉めている姿は目に入ってこなかった。

 堀北が譲歩することを覚えたからといって、すぐにペアが決まるわけでもない。試行錯誤のためにペアの変更は何回か行っていたようす。そしてその結果、ペアは櫛田に決まったらしいという話が流れてきた。

 よりにもよってこの二人か……水と油どころか混ぜるな危険の領域なのでは、とは思ったが、だからこそ安心できるという見方もある。つまりは個人的な感情よりも優先するほどに、櫛田との二人三脚の相性が良かったということでもあるからだ。

 櫛田も足は速いし、堀北さえ協力的であれば申し分ないタイムが期待できるだろう。

 そんなことを考えながら、暇つぶしのために自分の席でテキストを開いている俺に、綾小路が声をかけてきた。

 

「ちょっといいか」

 

「どうした?」

 

「明日の午前中、空いてるか?」

 

「ああ」

 

 何も考えずとも即答した。

 休日の俺に予定が入った回数なんて、片手どころか親指と人差し指だけで足りる。

 

「他クラスの偵察がしたくてな。時間をもらいたいんだが」

 

「……俺とお前でか?」

 

 自分で言うのもなんだが、このクラスではトップクラスに向いていない2人だろう。

 そう思ったのだが、どうやらそうではないらしかった。

 

「いや、櫛田と堀北も一緒にな」

 

「ああ……なるほど」

 

 帰りのホームルームが終わってすぐ、綾小路と櫛田、それに堀北が一か所に集まって何事か話していたのを思い出した。この話だったんだろう。

 

「まあ、いいぞ」

 

「助かる。明日の10時にロビーに来てくれ」

 

「わかった」

 

 俺との約束を取り付けると、綾小路は荷物を持って教室を出た。

 

「……本当に偵察が目的か」

 

 いや、そうだとしたら俺は要らない。何なら堀北も要らないだろう。発起人である綾小路と櫛田、この二人だけで充分だ。

 なのに綾小路は堀北と俺も加えた。そこには何か別の狙いがあるとみていい。

 そして俺にはその心当たりがある。

 先日、綾小路は不思議そうに教室の天井を眺めていた。

 あれだけで、俺が何らかの策を弄したことに気付いていたとしたら。

 

「……ちょっと恐ろしいな」

 

 俺が勝手に怯えているだけだった、という間抜けなカラクリであることを望もう。

 

 

 

 

 

 1

 

 そして迎えた土曜日。

 綾小路との約束の時間が迫り、俺はそれに遅れないように身支度を済ませ、エレベーターに乗った。

 ドアが開くと、その中には堀北が立っていた。

 

「……そういえば、あなたも誘ったと言ってたわね」

 

 偶然、かと問われればそうは言い切れない。同じ時刻、同じ場所で待ち合わせをしているのだから、このような事態も十分に起こりうる。

 

「いちゃ悪かったか」

 

「別に」

 

 口ではそう言うものの、不機嫌なオーラは隠しきれていない。というより隠すつもりもなさそうだ。

 その原因は俺以外にも、そもそもこの集まりそのものに気が進まないということもあるだろう。

 堀北が積極的にここに加わったとは思えない。綾小路にうまい具合に丸め込まれたのだろう、と推測する。

 堀北とともにロビーに降り立つと、備え付けのソファにはすでに綾小路と櫛田が腰掛けていた。俺と堀北の来訪に気づいた櫛田が立ち上がる。

 

「おはよう堀北さん、速野くんっ」

 

 櫛田の明るい社交辞令には軽く手を上げて返す。櫛田の姿を見た堀北の不機嫌オーラがさらに大きくなった気がしたが、それでいて尚こんな対応ができる櫛田には尊敬の念を抱かざるを得ない。

 櫛田がいるとはいえ、この4人の間に世間話なんてものが生まれるはずもなく、足早に目的地であるグラウンドへと向かった。

 

「おー、やってるね」

 

 グラウンドでは、サッカー部が紅白戦を行なっている。その中で俊足を生かしてプレーする平田の姿を発見した。

 が、今は他クラスの情報収集だ。見知ったクラスメイトからは視線を外し、改めてグラウンド全体を俯瞰する。

 

「なんか諜報活動みたいでドキドキするね」

 

「そんな立派なもんじゃないけどな。偵察と言っても、見えるものは限られてる」

 

「でも、堀北さんはそうは考えなかったんだよね?」

 

「ええ。情報は多いに越したことはないわ」

 

 綾小路の言ったことも堀北の言ったことも真理ではある。

 ただ、偵察に成功して多くの情報を持って帰ることができたとしても、何組目に出るのか、自クラスの誰と当たるのかが運要素である限りは強力な一手にはなり得ない。

 その運要素を排除できて初めて、偵察により集めた情報は本当の威力を発揮する。

 ところで、今の一連のやり取りで一つの事実が発覚した。櫛田はこの件、綾小路ではなく堀北が発起人であると伝えられていたようだ。

 当然俺はそれに対してツッコミを入れることはない。

 しかし、櫛田は甘くない。

 

「今日私を誘うって決めたの、堀北さんじゃないよね?」

 

 と、真理をつく発言をした。

 

「どうしたんだ急に。なんでそう思った?」

 

「あはは、人が悪いよ速野くん。私と堀北さんの仲が良くないのは知ってるでしょ? 堀北さんが自分から私を誘うとは思えない。決めたのは速野くんか綾小路くんのどっちか、だよね?」

 

「少なくとも俺じゃないぞ。俺は綾小路を介して堀北から誘われた。そう言ってたよな」

 

 俺は綾小路に目を向けて確認を取る。

 綾小路から直接誘われたことが事実である以上、その綾小路が発起人であることを隠し通したいなら、今の俺の言葉を事実であると認定するしかない。

 そんな俺の問いに、綾小路はゆっくりと頷いた。

 

「それに、別に不思議でもないんじゃないか? 例えばだが、1学期中間テストの時の勉強会、覚えてるか」

 

「うん。皆で頑張って乗り越えたよね」

 

 ここにいる櫛田以外の3人が計10万ポイント失ったアレである。

 

「一度勉強会が崩壊した後、改めて勉強会を開くにあたってお前を誘うことを決めたのは堀北だったし。好き嫌い関係なく、適材適所ってことじゃないのか」

 

 最後だけ堀北に向かって言葉を投げかけるが、当の堀北は口を開こうとしない。

 俺の言っていることに嘘はない。中間テストのことも、こういった情報収集には櫛田が最適であることも。が、櫛田がどういう印象を受けるかはわからない。肯定とも否定とも受け取れない反応を示している。

 話を一旦打ち切り、グラウンドに向き直って偵察を再開する俺たち4人衆。

 いや、4人というより、2つの意味で3人と1人という表現が正しいかも知れない。

 まず、一つ目の意味は櫛田が1人の側であるという捉え方。

 これはまあ単純で、綾小路本来の実力を知っているかどうかの違いだ。

 そしてもう一つ。それは、俺が1人の側だという捉え方だ。は? いつものことだろと思ったそこのアンポンタンはお口にチャック。俺が言ったのはそんなことじゃない。

 分断する基準は何かというと、いま目の前にいる櫛田桔梗という生徒の裏や闇といった類の部分をどれほど知っているか。

 俺が知っているのは、櫛田が堀北のことを嫌っているということだけ。だが綾小路と堀北は恐らく、それ以上の何かを知っている。それが具体的に何か、は知る由もないが。

 一人であれこれ考えながらぼーっとグラウンドを眺めていると、平田以外にもう一人、知っている生徒がいることに気づいた。

 

「あれ……確か柴田だったよな。プールの時にいた」

 

「うん。平田くんがよく自分より上手いって褒めてるよ。仲良いみたいだね」

 

 柴田は上手さだけじゃない。平田をも上回る速さも兼ね備えている。プールでのバレーの時から運動神経はかなりいいとは思っていたが、足の速さだけなら須藤にも負けていないと思われる。

 

「やってるやってる。今日も元気があって最高だなー!」

 

 そんな時、やたらテンションが高くさわやかな声が後ろから聞こえてきた。なんだ、と思って振り向くと同時に、その人物が俺の横を通り過ぎる。

 

「南雲先輩、おはようございます」

 

 櫛田は顔見知りなのか、声をかけた。

 櫛田以外の3人も夏休みのプールで見かけたが、それはこちらが一方的に知っているというだけのことだ。顔見知りではない。

 櫛田の挨拶を受けた南雲先輩は、笑顔でそれに答える。

 

「お、君は確か桔梗ちゃんだね。ダブルデート?」

 

「い、いえ、そういうのじゃないんですけど……ちょっと気になって見に来ちゃいました」

 

「じゃあ、ゆっくりしていくといいよ。うちの部はいつも本気だから、実力測るにはバッチリだしネ」

 

 こちらの考えてることは見通されているようだが、南雲先輩にも不満はないだろう。AクラスとDクラスは同じ赤組なのだ。他学年であれば対決もないし、向こうとしてもこちらには勝ってほしいはずだ。

 

「なあ、生徒会と普通の部活の掛け持ちってありだったか?」

 

 グラウンドに向かって走っていく南雲先輩の背中を見ながら、綾小路がそう呟く。

 

「絶対禁止、ってわけじゃないみたいだけど、今は退部してるって聞いたよ。でも辞めても一番上手いから、こうしてたまに練習に参加してるみたい」

 

 確かに生徒会の説明の時、掛け持ちは『原則禁止』って言ってたな。掛け持ちしてもいい、あるいはせざるを得ない条件があるのだろう。

 南雲先輩がグラウンド、もといピッチに入ると、一気にそこにボールが集まり、マークも厳しくなる。

 そんなものを物ともせず、一人二人、そして三人をするすると抜き、ミドルの位置からシュート。大きくカーブがかかった球はキーパーも上手く反応出来ず、そのままゴールネットに突き刺さった。

 

「うま……」

 

 思わず感嘆の声が漏れ出る。

 

「次期生徒会長の肩書きはダテじゃないってことだな」

 

「……運動神経はね」

 

 プールでもそうだったが、兄が生徒会長という手前、堀北は南雲先輩を素直に認めようとしない。

 聞いた話によれば、この人は堀北兄の望む方向とは違う場所へこの学校を導いていく方針らしいが……どのような公約を掲げるのかは未だ不明。というか、そもそも堀北兄が何を望んでいるのかすらも俺は知らない。

 少なくとも言えるのは、生徒会長の意志という鶴の一声は学校の方針を180度変えることすらできるということだ。

 

「そんな目で見つめられても困っちゃうなー」

 

 隣から、櫛田のそんな声が聞こえてくる。

 なんのことかと思ったが、櫛田は俺ではなく綾小路に対して言ったようだ。

 対する綾小路は、誤魔化すわけでもなく、正面から櫛田を見て言った。

 

「これ以上オレからは何も聞かないと約束する代わりに、ひとつだけ教えてくれないか」

 

「……ずるい言い方だよね。これ以上聞かないって」

 

「どうしても気になってな。……お前と堀北の不仲の原因はどっちにあるんだ?」

 

 かなり踏み込んだ質問だが、先ほどの条件により、答えを引き出させやすくすることができる。

 

「本当にこれだけだからね?」

 

 櫛田もそう念押しし、答えた。

 

「……私だよ」

 

 普通、仲が悪い者同士は、その原因を相手に求めようとするものだと思ってたが……やっぱりただならぬ何かがある。そういうことか?

 俺は櫛田の返答を聞いて堀北の様子を伺ったが、綾小路と櫛田のやり取りを無言で見つめているだけだった。今は、こいつから何も言うつもりはないんだろう。

 元から櫛田と堀北の関係に関する情報には二歩も三歩も遅れを取っている。この件は綾小路と堀北に一任した方が良さそうだ。俺が最優先に注意すべきはあくまでその先。

 

「やめだ。考えるだけ無駄な気がしてきた」

 

「あはは、そうだよ。今は偵察が優先でしょ?」

 

「そうだな……」

 

 今日この場にこのメンバーを集めたのも、恐らくは今のやり取りを見せるためだったんだろう。

 船でのグループ別試験のグループKの結果について、綾小路は龍園のほかにも櫛田が何かしら絡んでいるとみている。それへの探りを入れた。そしてその結果として仮に何か分かった時、そのことを知っておいた方がいいと判断した人物……つまり俺と堀北をこの場に揃えた、ってところか。

 まあ結局何も分からなかったみたいだが。

 頭を切り替え、サッカー部の偵察に集中した。

 そこから10分ほどが経ち、紅白戦を終えたサッカー部が休憩に入る。直後、南雲先輩と何事か話していた平田と柴田がこちらに駆け寄ってきた。

 

「4人ともおはよう。珍しいね、こんなところに来るなんて」

 

「おはよ桔梗ちゃん。それから……速野と綾小路、堀北ちゃんだっけ。ダブルデートかー?」

 

「いや、違うって」

 

 南雲先輩と全く同じノリだ。

 

「今日はどうしたの?」

 

「偵察だ。他クラスの情報を集めようと思ってな」

 

「お、じゃあこの快速柴田マンはマークしてくれたか?」

 

 バッチリマーク済みなので安心してほしい。

 あれだけ速ければ、仮に須藤と当たってもいい勝負するんじゃないだろうか。

 

「本当に要注意だよ柴田くんは。Bクラスでは一番速い。僕も同じ組では走りたくないな」

 

「へへ、でも油断しないぜ洋介。お前も速いんだからな」

 

 一般校の体育祭には、多分こんな感じの光景が随所に見られるんだろうと思う。誰が速いとか、上手いとか、俺この組なんだよな、とか。本来なら、隠し事やら裏切りやらを警戒して挑むものではない。こんな人間不信に陥っても良さそうな学校、高校生にとっては精神不衛生にもほどがある。

 休憩時間の終わりが近づき、平田と柴田は練習のためグラウンドに戻った。それを見て俺たちもその場を立ち去り、他の部を見て回る。

 今はテニスコートを見て、体育館に向かっている最中。堀北がこんなことを言い出した。

 

「櫛田さん。あなたのことには興味ないの」

 

「わ、いきなり手厳しいね」

 

「でも、私にはひとつ聞かなければいけないことがあるわ」

 

「綾小路くんに続いて、だね。何かな?」

 

「夏休みの船での試験、自分が優待者であることを龍園くんに教えたのはあなたなの?」

 

 堀北がそう質問したのを聞いて、なるほど、と思った。

 どうやら綾小路の目的はもう一つあったらしい。

 サッカー部もそうだが、バスケもテニスも、Dクラスには部活に入ってるやつがいるからそいつに聞けばいい。本来偵察する必要があるのは不確定要素。つまりスポーツ系部活以外の部活生、そして帰宅部だ。

 だから今日の本当の目的は偵察ではなく、堀北と櫛田が会う場を作ること。そして櫛田の裏切りの可能性について堀北が言及すること。事前に綾小路が堀北に何かを吹き込み、こういった質問を行うよう誘導していたと思われる。

 質問した堀北だが、直後にこう続けた。

 

「聞かなければいけないこととは言ったけれど、答える必要はないの。終わったことを掘り返しても意味がないわ。でも私はこれから、あなたをクラスの仲間として信頼してもいいのかしら」

 

「もちろんだよ。私はDクラスの皆でAクラスに上がりたいって思ってる。堀北さんがなんでそんなことを聞いたのかは分からないけど、信じてほしいな」

 

 いつもの笑顔を見せながらも、真剣に堀北を見返す櫛田。

 

「じゃ、オレは帰るわ」

 

「は?」

 

「元々提案したのは堀北だし、櫛田の人脈があれば事足りるだろ」

 

「いや、ちょ、そういうことじゃなくてだな……」

 

 止めようとしたが、綾小路はスタスタと寮の方へ歩いて行ってしまった。

 

「……」

 

 えー……どうすんだよこれ。

 ここで抜けるってのをあいつだけの問題だと思わないでほしい。

 険悪な仲の2人に俺が加わったらどうなるか。

 気まずくなる。答えはそれ以上でもそれ以下でもない。だが俺にとって死活問題だ。呪うからな綾小路。

 

「とりあえず歩こうか」

 

 櫛田の提案に乗り、元々の行き先だった体育館へと足を進める。

 やっているのはバスケ。サッカーと同様紅白戦をやっているらしく、須藤が出場していた。以前揉めたCクラスの2人、小宮と近藤はベンチにいる。

 

「やっぱり、須藤くんすごいね」

 

 プレーの様子を見て櫛田が言う。

 当然だが、俺が以前須藤とやった時とは比べものにならないほどの速さとキレがある。

 須藤が成長したというのもあるし、その時とは気合の入りようだって全く違うだろう。今やってもボールには指一本触れられそうにない。

 

「確か、1年生でベンチ入りしているのは須藤くんだけだと言ってたわね」

 

「……ああ」

 

「なら、これ以上ここにいて得られるものはなさそうね。他に出ている1年生もいないようだし」

 

 他学年の情報は、今は役に立たない。退散するのも手だ。

 

「堀北さん、帰るの?」

 

「ええ。もう十分よ。悪かったわね、付き合わせて」

 

 綾小路ではなく堀北からの提案だと言う体裁を保つため、そう説明した。

 

「ううん、そんなことないよ。それに、堀北さんもちゃんとクラスのことを考えてくれてるんだなって思ったから」

 

「必要なことはするわ。仕方なくよ」

 

「私も頑張らなくちゃね」

 

 以前に比べて多少丸くなった堀北と、嫌いという感情が全く態度に出ない櫛田。この2人の仲が本当に険悪なのか、一見して見抜ける人物は多くはなさそうだ。

 堀北も寮に向かって歩いていく。俺も帰ろうかと思ったが、ここは櫛田の意見を聞いてみることにした。

 

「お前はどうする? 帰るか?」

 

 櫛田が帰るなら帰るでいいし、何か提案があるのならばその時考える。

「どうしようかな、まだ時間はあるし……あ、そうだ」

 

 何か得策を思いついたらしい櫛田に言葉の先を促す。

 

「よかったら、お昼ご飯一緒にどうかな? ケヤキモールのフードコートで」

 

 昼飯の提案だった。

 断る理由はないな。

 

「ああ、いいぞ」

 

 ここからショッピングモールまではそこまで遠くない。それも計算に入れての提案だったのだろう。

 

 

 

 

 

 2

 

 箸が皿にあたる音があちらこちらでカチャカチャと鳴る中、俺も例に漏れず、食事を口に運ぶ。米をつかむ際に、俺の茶碗からもカチャッと音が鳴った。

 俺と櫛田が足を運んだフードコートには、大勢の生徒が客として来店していた。俺の顔が狭いせいで知り合いは見つけられないが、そんな俺とは違い、目の前の櫛田の知り合いデータにはビシバシヒットしているだろう。

 

「美味しいね」

 

「ああ」

 

 食事中ということと、相手が俺だということもあってか、櫛田も普段に比べると口数少なく、静かに食べていた。会話といえば、たまに先ほどのような短いやりとりがあるくらいだ。

 ちなみに俺が注文したのは肉じゃがだ。

 安定して美味い。日本人はやっぱこれだねー。最後まで汁たっぷり。問題はその汁が余ってしまい、膳を持ち上げるときにこぼしそうになることだ。それから、しらたきの先っぽについた汁がその遠心力でこっち側に飛んでくるのもかなりうざい。服が汚れる。

 まあそんなことはいいんだ。

 改めてこの状況を吟味してみると……少しあの時を思い出す。

 俺と藤野が初めて出会った日。

 俺が席を立ち上がったところで藤野にぶつかり、あいつのお膳がひっくり返って、結局俺の注文したものを半分ずつ食べることになった。そもそも俺が立ち上がったのも、食事に手をつける前に水を取ってくるのを失念していたからで、要は藤野との出会いのきっかけは俺の凡ミスだとも言える。

 だが、それがもう半年ほど前の出来事なのだ。少し懐かしさを感じる。

 藤野のことを考えたところで、俺の頭に一つの命題が思い浮かぶ。

 櫛田と藤野は似ているのか。

 あの時以降、俺は何回か自分自身に問うていた。

 4月の時点では結構似ていると思っていた。

 今の見解を示そう。

 似ている要素はある。だが、この2人には決定的に違う部分がある。

 それは、俺が2人に対して抱く意識だ。

 藤野に抱いている「大切にしないといけない」意識や、「裏切ってはいけない」意識。そういうものを、俺は櫛田に感じていなかった。

 そんなことを考えていると、無意識のうちに櫛田を凝視してしまっていたらしい。それに気づいた櫛田がこっちを向いて笑いかけてくる。そうそう、そういうところはちょっと似てるんだよな。

 

「速野くんと2人でご飯、なんて初めてだね」

 

「そうだったか?」

 

「うん」

 

 まあ、考えてみるとそれもそうか。誰かと飯を食うこと自体が稀だ。綾小路と堀北とは前に食べたことがあるが……。

 朝夕の食事を一人でとるのはまあ当たり前。俺の場合はそれに加え、昼食も教室で一人で食べることが多い。

 佐倉や堀北も教室組だが、ほぼ会話することはない。綾小路もたまに教室で食べることはあるものの、大体は須藤たち3人と学食に食べに行っている。

 俺と須藤たちは仲が悪いわけではないし、男子の中ではむしろ比較的親しくしているが、食事に付き合うほどではない。結果的に1人で食べることになるわけである。

 その後も、櫛田の話に時折首肯しながら食べ進める。櫛田はやはり話が上手いし、話題が尽きない。常日頃から誰よりも人と接している賜物だろう。

 そろそろこの不思議な食事会も佳境を迎えた頃。白米が入っていた茶碗の底が見え始めたあたりで、俺は口を開いた。

 

「櫛田、ひとつ聞いていいか」

 

「速野くんも質問? あはは、いいよ」

 

 箸を置いた櫛田。それを見て、話題に切り込む。

 

「お前が前に言ってた、堀北と対立するって話、それが今なのか?」

 

 1学期中間テストの前日、俺のいる前で堀北のことが嫌いだと明かした櫛田は、帰る際に自分が堀北と対立することがあったら自分側についてほしいと言ってきたのだ。あの時は少し衝撃を受けたが、今はどうだろうか。

 

「違うよ。体育祭はみんなで助け合ってやっていかないといけないから、私は出来る限りクラスのために頑張らなくちゃって思ってる」

 

「さっき言ってたな」

 

「うん。本心だから」

 

「……そうか、なら安心だな」

 

 櫛田の発言を様々な角度から考え、俺はそう答えた。

 

「体育祭、頑張ろうね」

 

「……ああ」

 

 参加するからには、俺もできる限りのことはするつもりだ。

 できる限りのことは。

 

 

 

 

 

 3

 

「じゃあ、体育祭の最終的な組み合わせを決めようと思う」

 

 体育祭まであと3日と迫ったこの日のホームルーム。

 今日はこの時間を練習ではなく、参加表を完成させることに使う。

 これまで大事に保管してきたメモをもとに、平田が読み上げて異論反論がないことを確認し、そして櫛田が参加表を埋めていく。

 この1か月間、全員の練習の成果をもとに決められていく組み合わせだ。今更反論する者も見られない。

 今現在もクラスを仕切っている平田と櫛田。この二人も本当によく働いた。常にクラスの前に出て動いていた。

 常にクラス全員の目にさらされるこの役割、いかに慣れているとはいっても大変だっただろう。心の中で労いの言葉を送っておく。

 

「じゃあ、クラス対抗リレーのアンカーは須藤くんだね」

 

「うん」

 

 最後の競技である1200メートルリレー。男女3人ずつを選出する必要があるが、須藤、平田、三宅、堀北、小野寺、前園と手堅いメンバーで固められている。

 そしてその最後を飾るアンカーに須藤を抜擢することに、反論などあろうはずがない。これで参加表のすべての項目が埋められ、Dクラスの組み合わせが決定した。

 ただしすぐに提出はしない。受理されて以降の変更はできないというルールのため、万が一変更があったときに対応できるよう、ギリギリまでは教室で保管しておく。

 そのため、今日と明日に関しては、俺たち保護役はメモだけでなく参加表もカバーする必要がある。その重要度は段違いに跳ね上がるわけだ。

 ちなみに今日の放課後は櫛田が保護を行い、明日の放課後は俺や櫛田といった放課後組だけでなく堀北、平田も立ち会って4人で参加表を提出しに行く手はずとなっている。

 授業時間が終わり、茶柱先生が解散を告げる。

 するとすぐ、堀北が荷物も持たずに立ち上がり須藤のもとへ駆け寄っていった。

 

「須藤くん、少し時間をもらえるかしら」

 

「え? あ、ああ……」

 

「それから平田くんも、構わない?」

 

 堀北と二人きりの時間になるかも、と一瞬考えた須藤だが、その希望はあえなく粉砕されて少し落胆している様子だった。

 平田も堀北の呼びかけに応じ、教室の奥に移動して何やら話し合っている。

 途切れ途切れに聞こえてくる会話を要約するとこうだ。

 堀北はアンカーを須藤から譲り受けたいとのこと。

 そんな突拍子もない提案を受けたほかの二人は当然困惑する。

 

「でもよ……アンカーって一番速いやつがやるもんじゃねえのかよ」

 

「常識ではそうね。けれど、この学校では常識に従っているだけでは勝てない。そのことは今までの生活で充分に痛感したはずよ。それにこれは勝つための戦略でもある。須藤くん、あなたはスタートダッシュも得意よね。そこで他クラスを突き放すことができれば、私たちのクラスは一番内側のコースを取り、以降のレースを有利に進めることができる」

 

 堀北の言うことも一理あるとは思う。

 しかし、何か違和感を感じる。そんな気にさせるのは、先ほどの堀北の「勝つための戦略『でも』ある」という言い回しのせいだろう。これはつまりそれ以外の目的があるという証拠だ。

 堀北がアンカーになりたがる、できれば隠したい理由。

 答えにたどり着くのにそう苦労はしなかった。

 俺は話し合っている3人に近づき、堀北に対して発言する。

 

「おい堀北……お前の兄に関することが理由なら、隠さず正直に言った方がいいぞ」

 

 そう言うと、堀北の表情に明らかな動揺が走った。

 その後俺を睨みつけるが、その視線もすぐに弱まってしまう。

 

「堀北さんの、お兄さん……って、もしかして」

 

 平田も思い至ったようだ。

 それで堀北も観念し、正直に告白する。

 

「……ええ。生徒会長の堀北学は、私の兄。兄は必ずアンカーになるはずだから……」

 

 一時でもその兄の近くにいるためには、アンカーになる必要がある。その目的のために、色々理屈をこねてアンカーを変更させようとしたのだ。

 

「オレも詳しくは知らないんだが、なんかギクシャクした感じらしくてな。仲直りのキッカケが欲しいんじゃないか」

 

 横から綾小路も会話に加わってきた。

 そうか……こいつも知ってるクチだったな。

 堀北の気持ちはまあ分からないでもない。

 ただ、私情を排してクラスの勝利のために組み合わせを決める、と最初の方針で定まった。しかもそれはほかならぬ堀北が強く言い出したことだ。それこそクラスメイトを軽く罵倒してまで。にもかかわらず、自らが思いっきりプライベートな事情を組み合わせに持ち込むのはいただけない。

 堀北にもそういった自覚はあるからこそ、それを隠そうとしていたんだろうが。

 俺が決める立場ならこの申し出は拒否する。

 二人の反応はどうか。

 

「……急に何の話かと思ったらそういうことかよ。正直、アンカーやりてえ気持ちはあるが……譲ってやってもいいぜ」

 

 夏休み中に葛城に助力した時もそうだったが、須藤は案外情に厚いところがある。その同情心と、頼まれた相手が堀北ということもあってか、受諾した。

 そうなれば、もめ事を好まない平田の答えも定まる。

 

「二人が納得した結果なら、僕もそれで構わないよ。クラスのみんなも、リーダーの須藤くんが納得している話なら受け入れてくれると思う。須藤くんがスターターで、堀北さんがアンカー。参加表はそう修正しておこう」

 

「ありがとう……」

 

 堀北は深く謝辞を述べ、リレーの走順の変更が決まった。

 

 



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体育祭Ⅰ

 ついに開幕した体育祭。

 使用するのは、いつも体育の授業や練習で使っていたグラウンドではない。立派な陸上競技場だ。

 といっても、ここに来るのははじめてではない。体育祭のリハーサルと称して、何度かここでプログラム一連の流れを確認したことはある。

 そしてそのリハーサル通り、入場行進や開会宣言を終え、早速競技が始まる。

 全員参加の個人種目は、全て1年生から始まる。最初に1年男子で始まって3年女子で一つの競技が終了。インターバルを挟んでからは、1年女子から3年男子、という風に切り替わっていく仕組みだ。

 競技に参加するため、1年男子がぞろぞろとグラウンドへ出ていく。

 須藤は開幕スタートの1組目。開幕直後に圧倒的な走りを見せ、流れに乗ろうという算段だ。

 須藤以外の1組目の生徒がそれぞれスタート地点につく。

 

「1位は健で決まりだなー。なんかデブとガリしかいないし」

 

 酷い言いようだが、確かに須藤以外に足が速い生徒はいなかった。池の言うとおり須藤のトップはほぼ確定だ。

 しかし、考えようによっては運がないとも言える。

 須藤ならおおよそ誰が来ても勝てる。ならば本来1位を取れたはずの他クラスのエース格を倒し、2位以下に落としておきたかった。

 1つの組には各クラス2人ずつが配属され、合計8人で競う。Dクラスからは須藤ともう1人、外村が選出されていた。

 そして合図がなり、スタート。

 同時に全員が体を起こすが、須藤だけは別格で、初めから体二つ分ほど抜け出したかと思うと、最後には圧倒的な差をつけて1位でゴールした。

 

「っしゃ!!」

 

 ゴールでは須藤がガッツポーズ。そしてこのタイミングでようやく外村が最下位でゴールした。

 そして、間髪入れずに次の組の用意に入る。プログラム上、このようにぎゅうぎゅう詰めにしないと消化できないんだろう。

 1つの組が用意してからゴールするまで大体30秒ほど。1学年男女10組ずつの3学年なので、全員が走り終えるのには30分ほどかかる計算だ。

 そうこうしている間にも順番は進んでいく。葛城、神崎のいた3組目は神崎が1位、葛城が3位という結果に、平田、綾小路のいる7組目は平田が僅差で1位、綾小路は5位という結果に落ち着いた。また4組目には龍園がおり、しっかりと1位を取っていた。

 ちなみに3組目には高円寺もいたのだが、出場していなかった。では今どこにいるかといえば、体調が悪いと申告して休憩所のような役割を果たしているコテージで過ごしている。

 もはや仮病であることは誰の目にも明らかなんだが……まあ、それはもうどうしようもない。とりあえず今は俺の番だ。

 9組目のDクラスは俺と池。パッとしない組み合わせとなっている。

 他のコースも見てみるが、足が速いと有名な生徒はいない。これなら入賞は狙えるかもしれないな。

 パン、の合図と同時にスタートする。俺にはクラウチングスタートなんて無理なので、野球の盗塁スタイルだ。須藤が特殊なだけで、一部の生徒や陸上部以外は大体この走り方だろう。

 圧倒的でもなく接戦でもなく、特に盛り上がりどころのない9組目。ここでは1位と2位の生徒が頭半個分くらい抜けて速く、俺は次点の3位という結果に落ち着いた。

 狙いは2位、あわよくば1位を、と期待されていたが、下振れしてしまったことになる。こればかり組み合わせに恵まれなかったと諦めるしかない。俺より上位に入った2人はかなり速く、転倒でもしない限りノーチャンスだった。

 ちなみに池は6位だ。

 そこから2分と経たないうちに、1年女子へと交代する。すでに1組目はスタートしていた。

 そんな中、コテージの方が騒がしいことに気づく。

 コテージには高円寺がいる。胸騒ぎがしてそちらを向くと、やはり嫌な予感は当たっていて、まさに須藤が高円寺に詰め寄っている場面だった。

 当然ながらここまで声は聞こえてこないが、仮病でサボっている高円寺に須藤が怒り、大声で怒鳴りつけているのは遠目からでも分かる。

 この流れによくないものを感じたらしく、途中で平田と綾小路がコテージの中に入っていった。

 しかし須藤は収まらない。

 そのうち怒りが頂点に達した須藤が、高円寺に殴りかかった。

 

「おいおい……」

 

 しかし、その拳を高円寺は何事もなく受け止める。

 その後平田が働きかけ、須藤は怒りを撒き散らしながらもどうにか身を引いた。

 

「クソが! あの野郎ぜってー殴り殺してやる!!」

 

 Dクラスのテントに戻ってきた須藤は荒れに荒れている。

 これまでDクラスに貢献してきたリーダーとはいえ、こんな様子では人は離れていく。

 怒りで自分を制することが全くできなくなってしまうのは須藤の大きな欠点だな。指導中にもそれが見られる場面が多々あった。

 そんな時、スタートの合図が耳に入った。

 どうやら女子の4組目がスタートしたらしい。

 トラックの方向に目を向けると、すぐに目に入ったのは佐倉の姿。見知らぬ女子と抜きつ抜かれつの熾烈な順位争いを繰り広げている。もちろん、争いといっても最下位争いだが。

 1位がゴールしてから数秒後、その2人はほぼ同時にゴール。だが、わずかな差で佐倉が上回ったようだ。

 

「おお……」

 

 素直に驚いた。

 言っちゃ悪いが、佐倉は外村と同じ最下位要因だった。クラスでの練習においても最下位でなかったことはない。それを免れたことは、ポイント的にも大きい。

 運が良かったのももちろんあるだろうが、もしも練習期間中に佐倉がまじめに取り組んでいなければ、この結果はなかったんじゃないだろうか。

 少し経って、佐倉が息を切らしながらこちらに向かってくる。

 

「はあ、はあ……み、見ててくれた? 私、初めてビリじゃなかったよっ……!」

 

「お、おう……とりあえず落ち着いて、呼吸整えろ」

 

 興奮気味の佐倉を宥めるようにして言う。佐倉にとって最下位脱出は、俺が考えている以上に嬉しいことなのだろう。

 俺は一旦佐倉から目を切り、再びトラックの方へと視線を移した。

 6組目が走り終え、7組目がスタート地点にて準備を始めている。

 

「堀北と……伊吹か」

 

 伊吹澪。無人島試験の際、龍園からDクラスに送られたスパイの役割を果たしていた。その際に体調不良でボロボロだった堀北と一戦交えており、かなりの身体能力の持ち主だと記憶している。

 スタートの合図と同時に飛び出す女子。やはり抜け出したのは伊吹と堀北。その中でも、若干ではあるが伊吹がスタートダッシュを制した。

 付かず離れずの熾烈な争い。半分を走ったところで、堀北がほんの少し前へ出た。

 そしてラストスパート。この段階で、伊吹がジリジリとその差を詰めていく。並ぶか、並ばないか、という微妙なところで、2人ともゴールした。

 

「す、すごい速いね、堀北さんも、伊吹さんも……」

 

 隣の佐倉は2人の走りに感嘆の声を漏らす。

 まあ、佐倉の目にはあの2人が超人か何かのように映っていても不思議じゃないな。自分が走った直後だし。

 結果から言うと、堀北が接戦を制したようだ。ゴール付近には定点カメラが設置されており、恐らくビデオ判定を行ったんだろう。肉眼で差を見極めるのは不可能に近いものだった。

 だが見た感じ、伊吹は走っている途中、正面ではなく堀北の背中を見ていた。少し意識が強かったのかもしれないな。ゴール地点ではひどく悔しがっている伊吹の様子が見られた。

 にしても、これまた少し残念といえば残念。堀北、伊吹を除くさっきの組の他の女子生徒のレベルはかなり低かった。

 

「速野」

 

 トラックに目を向けていた俺に話しかけたのは、二人三脚で俺のペアとなる三宅だった。

 集団での行動を好まない三宅は、普段1人で行動することが多い孤独体質の俺と二人三脚以外でも割と気が合う。というか、気を使わなくて済む。お互い口数が少なく、話すのも楽だし、もちろん無言もオーケー。むしろウェルカム。こういうのがドライな関係というものなのかは知らないが、少なくとも俺はこの付き合い方は性に合っていると思っている。

 

「ん、どうしたんだ」

 

「3位だったらしいな」

 

「ああ。そっちは」

 

「俺も2位だ。できれば1位になっておきたかったけどな」

 

「まあ、仕方ないだろ。1人や2人速いやつに当たるのも自然だ。お前もその速い方にカテゴライズされるだろうし」

 

 確かに、と言って、三宅は引き上げていった。そうそう、切り替えは大事だ。

 そんな短いやり取りを終え、俺は改めてトラックの方へと視線をやる。

 

「……ん、次は藤野か」

 

 9組目の3コースにスタンバイしている藤野が見えたので、レースを見ることにする。

 スタートしてすぐ、2人の生徒が飛び出した。1人は藤野。そしてもう1人は、さっきは藤野の身体に隠れて確認できなかった5コースの一之瀬だ。

 

「おいおいかなり速いぞあれ……」

 

 勉学や頭脳、さらには性格においても非の打ち所がない2人には、どうやら運動能力まで備わっているらしい。これは伊吹と堀北の勝負にも匹敵するレベルの高さかもしれない。

 2人はほぼ同時にゴール。だがわずかな差で一之瀬が勝利した。

 

「すっげえええ! 見たかよアレ!」

 

「ああ、やばかったな!」

 

 興奮したように池と山内が言う。

 伊吹と堀北のときもそうだったが、観客席から小さく拍手が巻き起こった。観客席には、この学校で働くスタッフや従業員などが疎らだが来ている。いつも使っているスーパーのレジのおばさんも確認できた。

 

「これで今日のは決まったぜ!」

 

「勿論だ!」

 

「「あの乳揺れっ!!!」」

 

 閉口した。

 まあ、そんなこったろうと思ってたけどさ。

 

 

 

 

 

 1

 

 続いての競技はハードル走。

 ハードル走は、公式陸上と同じ110メートル区間。ハードルは10個ある。

 だが、この体育祭のハードル走には公式陸上とは大きな違いがある。

 公式陸上では、ハードルに触れたり倒したりしたとしても基本的に何ら咎めはない。もちろんその分スピードが落ちるため、選手たちは絶対にハードルに触れないよう普段からの練習をこなしていくわけだ。

 しかし体育祭においてはペナルティがある。ハードルに接触で0.3秒、倒してしまうと0.5秒の加算だ。公式陸上よりもはるかに大きく順位にかかわってくる。

 恐らく多くの生徒が引っ掛かってしまうだろう。中にはハードルを飛び越えられない生徒も出てくる。公式ルールではハードルを意図的に倒せば失格を言い渡されるが、この体育祭ではそのようなことはない。そういった生徒は、ハードルを倒して0.5秒のペナルティを積み重ねつつ完走するしかない。

 

「えー、外村くんいませんか? 不在の場合は失格となります」

 

 スタート地点にいる審判からの警告。

 

「せ、拙者腹痛でござるよ……欠場してもいいでござるか……?」

 

 先ほどの競技終了からかなり時間が経っているが、外村はいまだに息を切らしており、そして腹痛という言葉通り右手で脇腹を抑えている。

 

「あ? どんな手使っても完走しろ。眼鏡叩き割るぞ」

 

「ひ、ひぃぃっ! こ、ここにいるでござるよ!!」

 

 須藤の脅迫に負け、怯えながらコースに入っていった。まあ、最下位でも得点は入るからな。失格よりはマシだ。結局、練習でもハードルをほとんど跳ぶことができていなかった外村は案の定全てのハードルを手で倒し、圧倒的最下位でゴールした。

 そんな外村は、先ほどの100メートル走と同じく1組目。俺は今回その後ろ、2組目に配属されている。そしてそこには……

 

「よ、速野。よろしくな」

 

「……お、おう」

 

 Bクラスの快速柴田マンがいた。しばった(しまった)なー。はっはっは。少し冷え込む日も出てきた今日この頃である。

 まあ、このように冗談で笑い飛ばしたくなるほどの速さが柴田にはあると思ってくれればいい。

 柴田以外は……とびぬけて速いと聞く選手はいない。中堅層か。だが中堅層でも速い方の選手が固まってしまっていた場合、単純な走力では俺より速い生徒が何人もいる可能性がある。

 俺は2コース、柴田は4コース。合図と同時に飛び出した。

 一歩目を早く踏み出したのは俺だった。だが、その後一瞬で柴田に追い抜かれる。俺はスタートが割と得意だが、その後のスピードは普通のため、取れるリードは微々たるものだ。

 また、その時点で俺を抜いていたのは柴田だけではない。7コースにいるCクラスの生徒、8コースにいるAクラスの生徒も俺からリードを奪った。どうやら中堅層の中でも上位の生徒が集まる組み合わせを引き当ててしまったらしい。

 これが100メートルや200メートルなら、順位を覚悟した方がいいかもしれない。だがこのハードル走に関しては、俺は走力で劣る生徒にも食らいついていく所存だ。

 俺はこの体育祭、比較的自信を持っている競技がいくつかある。三宅と組んでいる二人三脚、そしてこのハードル走がその一つだ。そしてクラスの練習では、とにかくその自信のある競技だけを練習し続けた。

 それぞれのハードルまでどの程度の歩幅で何歩進めばスムーズに跳ぶことができるのか。幾度となく検証し、なんとかそれをつかんだのである。

 おかげで減速することなくハードルを跳べる。

 それによって、1つ目のハードルを跳んだ時点で柴田以外の生徒を置き去りにすることに成功した。

 一瞬柴田にも追いつくが、次のハードルまでの直線でまた離される。跳んで追いつき、走って離される……を繰り返していく。

 柴田はハードルの経験は浅いのか、跳ぶたびに減速を余儀なくされている状態だった。

 徐々に徐々に差を詰める。

 しかし結局最後まで柴田の前に出ることはできず、さらに最後の直進で圧倒的な走りを柴田が見せたことで、ゴール地点では接戦とは言い難い差が出ていた。

 

「ふう……」

 

「速野、ハードル跳ぶのめっちゃスムーズじゃん! もしかして陸上やってた?」

 

 前評判通りに1位を取った柴田に声をかけられる。

 

「今まで部活の経験は一回もない」

 

「それであの動きかよー。すげえな!」

 

「ああいうのは元々得意だったからな……でも、その得意分野でもお前には勝てないって分かった結果になったな」

 

「へっへー」

 

 得意げに胸を張る柴田。

 できれば1位を取りたかったが……規格外に速い柴田がいては仕方がない。2位でも十分だろう。

 ひとまず俺はその場を離れ、Dクラスのテントに戻った。

 息つく暇もなくレースは進んでいく。須藤は最終組で、ここでも難なく1位を獲得することができた。しかしここでも須藤の相手はぱっとしない生徒が多かった。悪運が重なっている。

 1年男子は全員走り終え、次は1年女子だ。

 Dクラスの1組目には堀北と佐倉が選出されている。堀北に緊張の様子はないが、佐倉は緊張でガッチガチの状態だ。

 

「ちょっと良くない組み合わせになったね、堀北さん」

 

「ん、そうなのか」

 

 隣に座った平田が静かにそうつぶやく。

 

「うん。Cクラスで一番速いといわれてる陸上部の矢島さんと木下さんがいるんだ」

 

「へえ……」

 

 スタートするが、堀北はリードを奪えない。食らいついてはいるものの、ついた差が縮まる気配は残念ながらなかった。

 結局堀北は3位。平田の言っていた女子2人がワンツーフィニッシュとなった。

 堀北も速いが所詮は帰宅部。陸上部には敵わないか。

 

「やっぱダメか」

 

「……速野くん、ちょっと変じゃないかな、これ」

 

「……確かにそうだな」

 

 平田の言わんとすることは分かる。

 Dクラスはよりポイントを多く稼ぐために、速い人を同じ組には入れなかった。しかし、Cクラスは足の速い2人を同じ組に突っ込んだ。

 あの速さなら、違う組に入れたとしても両方1位を取れるはずなのに。

 それをしなかったCクラス、龍園には、何か別の作戦があるというのか。なんとも不気味さの残るレースとなった。

 

 

 

 

 

 2

 

 続いて、男子団体競技の棒倒しだ。

 

「お前ら絶対勝つぞ。高円寺のクソがいない分気合入れろよ!」

 

 須藤が前に出て、A、Dクラスの男子に喝を入れる。

 俺は対戦相手となるB、Cクラスの方を見た。

 棒倒しでは、速さと同じかそれ以上にパワーが要求される。体格でみると、俺たちにとって1番の脅威はCクラスにいる山田アルベルトという生徒だ。圧倒的な体格で、パワーは須藤以上だという。遠近法による目の錯覚で、アルベルトの隣にいる生徒が遠くにいるように見える。

 それ以外にも屈強そうな生徒はいるが、果たしてどうなるのか。

 今回は、二本先取した方の勝ちとなる。事前の話し合いで、クラスごとに攻めと守りを交互にやることを取り決めていた。まずはDクラスからオフェンス。須藤の突破力を考えてのことだろう。

 

「ま、心配いらねえぜ。俺が1人でも相手ぶっ倒すからよ」

 

「倒すのは人じゃなくて棒で頼むぞ……?」

 

「保証できねーな。高円寺の件でイラついてるからよ」

 

 言いながら相手に向かってファッ◯サインを示す須藤。

 暴力行為は違反なので非常に心配だが……まあ、無事を願うしかないな。

 そして試合開始のホイッスルが鳴り響く。鳴る前から前のめり状態だった須藤はすぐに飛び出していった。

 俺も全力ではないが走り出す。相手側の攻撃陣の数人とすれ違うが、接触は禁止されている。あくまで攻撃側は防御陣に向かって攻めていかなければならない決まりになっていた。

 俺は影が薄いという自覚はある。しかし誰にも気づかれないうちに棒に近づき……なんてことは現実には不可能だ。そこまでの影の薄さは持ち合わせていない。

 

「止めろー! 須藤を止めるんだ!」

 

 防御側のBクラスの男子が叫ぶと、一斉に須藤に人が集まる。

 

「がっ、くっそ、何人来るんだよ!?」

 

 初めこそ、言葉通り相手を吹っ飛ばしながらとにかく前進を続けていた須藤だが、棒に近づくにつれぶつかる人数が増え、苦しくなっていく。

 俺も棒を目指して進んでいくが、そこに1人の生徒が立ちはだかった。

 

「久しぶりだな、速野」

 

 Bクラスの神崎だ。

 話すのは多めに見積もって約2ヶ月ぶりくらいか。

 

「ああ、お手柔らかにな」

 

「お互い様だ」

 

 俺は素早く右足を一歩踏み出す。神崎が反応したところで、今度は左へ。もちろんこれも阻んでくる。それを見て次は右、と見せかけてそのまま左へ突っ切る。だが、神崎の運動神経は並ではない。この動きにも追いついてきた。

 そこで一旦ストップ、したところで間髪入れずに再びダッシュをかけた。

 

「く……!」

 

 普段冷静な神崎から悔しがる声が聞こえる。

 しかしそれでも置き去りにすることはできず、ついて来られる。

 完全に置き去りにすることは叶わなかったが、何とか棒の近く、最前線までたどり着くことができた。

 

「これは……」

 

 当たり前だが、棒の周りには人が密集していて、一度入ろうものならもみくちゃにされて放り出されてしまうだろう。ここからはまさにパワー勝負。通用する人員は限られている。

 

「や、やばいぞAクラスが! 山田なんとかってハーフが暴れてる!!」

 

 池がそう叫んだ。

 やはり。あれは技でどうにかなるものじゃなさそうだからな。力を込めて進んでいくだけで大抵の人間は吹っ飛ばされてしまう。

 紅組の棒が倒されるのは時間の問題だ。勝つためにはそれより速く倒すしかない。

 俺は須藤を阻む人間の壁に突っ込む。

 もちろん俺程度の力が加わったところでびくともしない。

 俺はこの密集地では審判の目が行き届かないことを確認し、右腕と左腕を壁になっている生徒2人の脇に突っ込む。

 そしてくすぐった。

 

「うぃっ!?」

 

「ぬぇっははっ!!!」

 

 完全に想像の斜め上からの攻撃。くすぐられた壁の生徒は奇声をあげ、瞬間的に力が抜けた。

 

「おっしゃ!」

 

 その隙を見て須藤が壁を突破する。俺はバレないようにそっとその場から離れ、適当な相手と組みあった。

 もう少しで須藤が棒にたどり着くか、というところで、1試合目終了を告げるホイッスルが鳴った。

 後ろを振り向くと、赤組陣営に立っていた棒の姿が確認できない。防御していたAクラスの足元に無残にも転がっているはずだ。

 紅組の敗北である。

 

「クソ、何やってんだよお前ら! もっと死ぬ気でいけよ!」

 

「そ、そんなこと言ってもよ……あいつら結構強いぜ? いつつ、脚ちょっと擦りむいてるしよ……」

 

「一本取られてしまったことは仕方がないよ。今度は僕たちが守る番だ。頑張ろう」

 

 須藤の怒りも上手く抑える平田。流石といったところか。

 

「わーってるよ……ちっ、お前ら次は絶対守り通すからな!」

 

「分かってるよ! やれる限りはやるって」

 

「やれる限りじゃねえんだよ。死守だよ! 何時間でもよ!」

 

 その気合いには感服するが、残念なことにそれについて来る者は少ない。

 こういう行事に積極的なBクラスと、龍園の絶対王政を敷くCクラス。それに対し、Dクラスのモチベーションは高いとは言えなかった。

 

「Cが攻めてこい……」

 

 そう呟く須藤の声が聞こえてくる。

 完全に私情だけで言ってるな。Cクラスには体格のいい生徒が多く、パワー面ではBクラスよりも圧倒的に優れている。

 防御側の俺たちとしては攻め手はBクラスが受け持ってくれた方が好都合なのだが……。

 

「っしゃ来た!」

 

 開始のホイッスルと同時に、Cクラスの生徒がこちらに向かって走ってきた。

 やはり思う通りには行かないか。

 勢いよく突撃してくるCクラス。

 

「おおっ……」

 

 俺はすぐに吹っ飛ばされ、防御の機能を果たさなくなる。他の生徒もCクラスの勢いに押され、防御壁はみるみるうちに枚数を減らしていく。

 ここでも活躍しているのは山田アルベルト。圧倒的な体格差とパワーで、須藤ですら追いすがるのがやっとという感じだ。

 

「ぐっ、がっ! 誰だ今腹殴りやがったのは!?」

 

 そんな中、須藤の苦悶の声が聞こえてくる。

 どさくさに紛れて須藤に直接攻撃を加えている輩がいるようだ。

 さっきも言った通り、暴力行為は違反だ。つまり、バレないと絶対の自信を持ってやっている。そして事実、やり方はうまい。人が入り乱れて砂塵が巻き起こっている中、その接触が偶然なのかそうでないのかを見極めるのは非常に難しい。

 だが、間近で見ている者にはわかる。

 先ほどから須藤に攻撃を仕掛けているのは、Cクラスのトップに君臨する男、龍園だ。

 その素足が、須藤の背中を踏みつける。

 

「がっ!」

 

 その一撃で、今までなんとか踏ん張っていた須藤が崩れ、防御が意味をなさなくなり、人と一緒に崩れるようにして棒が倒れた。

 勝敗が決し、須藤は龍園を睨みつける。

 

「はあ、はあっ……てめえ、反則だろうが……!」

 

「なんだ、そんなところにいたのか。気づかなかったぜ」

 

 そう言って悪びれる様子もなく去っていく龍園。

 

「ぐっ……」

 

 背中の痛みからか、須藤はすぐに立ち上がることができないようだった。

 

「クソが……次やったら殴り飛ばしてやる」

 

「よせ、それこそ龍園の思うツボだ」

 

 相手の思う通りにさせたくない。そういう気持ちを喚起させる言い方をする事でなんとか踏みとどまらせる。

 事実、これはおそらく須藤の精神をかき乱すための龍園の策だ。

 Cクラスなら小細工なしでもDクラスの守る棒を倒すことはできていただろう。須藤に対しては規格外の怪力を持つ山田アルベルトをぶつけ、それ以外のパワー自慢の生徒で棒を倒す。須藤や平田以外にパワーに秀でた生徒が不足しているDクラスは、それだけで総崩れになってしまう。

 にもかかわらず、龍園があのような形で須藤とぶつかったのは、勝つ以外の目的があったと考えて間違いない。

 何とか痛みが引いた須藤は立ち上がると、たちまち怒りをまき散らす。

 

「あー、イラつくぜ! 全勝するつもりだったのによ!」

 

 須藤の叫びは1年の赤組陣営に浸透した。

 怒りをぶつけられるような言い方にAクラスの数人から睨まれていた須藤だが、頭に血が上っているせいか、元々敏感なタイプでないのも相まって全く気づいていなかった。

 反論しようとする者に関しては、余計ないざこざを起こしたくない葛城が抑える。

 

「すまない、攻めきることができなかった」

 

「いや、僕らもしっかりと守れなかったから。また次頑張ろう」

 

 こんな時でも、平田と葛城は落ち着きを持ってクラスのまとめ役という大役を全うしている。

 果たして、平田の言う「次」という名のチャンスがいつまであるのか。

 そもそも、今の時点でチャンスなるものは存在するのか。

 まあそれは体育祭の全日程が終了して初めて、結果論として言えることだ。

 全員、一度陣営に戻り、女子の玉入れを見守ることにした。

 

 

 

 



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体育祭Ⅱ

「合計54個で、紅組の勝利です」

 

 女子の玉入れの結果がアナウンスで報告される。

 紅組が勝利したことで、先ほどの俺たちの棒倒しでの完敗によるマイナスは綺麗に消えた。女子には感謝しなければならないだろう。

 しかしほっとしたのも束の間。すぐに次の競技、綱引きに関する説明が始まる。

 綱引きも先ほどの棒倒しと同様、2本先取した組の勝利という規定になっている。

 

「綱引きは直接の接触がないから、向こうも単純な力で勝負するしかない。さっきみたいなことにはならないはずだよ」

 

「まあな……だからこそ負けらんねえ」

 

 互いの距離が離れているため、不正が介入する余地はない。いくら龍園でも、勝つためには正々堂々やるしかないだろう。

 

「打ち合わせ通りに一気に叩く。いいな?」

 

「うん、わかってるよ」

 

 平田と葛城が作戦の最終確認を行う。

 といっても複雑ではない。事前の取り決め通り、背の低い順に前から並ぶだけだ。そのための調整も準備期間で済んでいる。

 Dクラスは事前の取り決め通りに、綱の大体の位置につく。

 しかし、問題があるのはAクラスだった。

 

「葛城くんさー、いつまでも偉そうに仕切らないでもらいたいねー」

 

 長めの髪を後ろでまとめた男子生徒がそう言った。

 

「……どういう意味だ橋本」

 

 葛城から橋本と呼ばれたその生徒は、身長は高い方で雰囲気は柔らかそうだが、葛城に対しては馬鹿にしたような目を向けている。

 その橋本を筆頭にして、Aクラスの男子の半数が並ぼうとしないのだ。

 

「どういうって、そのまんまだよ。あんたのせいで今Aクラスが失速してるんじゃないか? 本当にこの作戦で勝てるって言い切れるの?」

 

 おそらく、坂柳派の人間だろう。橋本と呼ばれた生徒に続き、葛城の作戦に異を唱える者が出てくる。

 拭えない今更感。ちょっとタイミングがおかし過ぎやしないだろうか。

 そもそもの話、今は作戦について話し合うべきときではない。クラス内で議論する時間はいくらでもあったはず。だが、状況から見てその時に異を唱えた者がいるとは思えない。

 坂柳の指示だというのは想像がつく。

 問題は目的だ。

 俺たちにクラス内での対立、そして自らの派閥の優位性を見せつけるため? 坂柳は攻撃的な質だと聞くし、ありえない話ではないかもしれない。

 

「Dクラスも動揺している。冷静に進めるべきだ」

 

「答えになってないなー」

 

 もしここで葛城が「何か案があるのか」と問えば、どうなるだろうか。

 いや、これは愚問か。葛城の性格上それはしないだろう。今ここでそれを話しても無意味だし、もし坂柳の側に戦略があるのであれば、提案された時点で葛城派はまた窮地に追い込まれる。葛城ならそこまで考えているはずだ。

 

「俺の決定を疑う気持ちは理解するが、これ以上場を乱すようなことがあれば坂柳の責任が生まれるだろう。それでも構わないか?」

 

「何も見えてないねー葛城くんは」

 

 橋本は何やら意味深なことを言うだけで、真面目に受け答えしている様子はない。

 そんな時、Aクラス陣営から声を上げたのは、この次の競技に当たる女子綱引きに向けて後ろでスタンバイしていた藤野だった。

 

「橋本くん、派閥が違うっていっても、今はなりふり構っていられないんじゃないかな? もし橋本くんたちがすごくいい案を今出しても、Dクラスのみんなはついてこれなくなっちゃうし。今は勝てるかどうかじゃなくて、勝つために全力を尽くすべきだと思うな」

 

 どちらの派閥にも属していない中立(表向きは)の立場からの発言に、葛城陣営は勢いづく。

 一方の橋本、その他坂柳派は、初めから言葉通りのことは考えていなかったのだろう。ここが引き際と見たのか、自分が担当する綱の位置につきながら言った。

 

「じゃあ、やろうか。連携不足と言われても癪だしねー」

 

 その点に関しては時すでに遅しの気もするが、始まるのならそれでいい。

 

「ったく、不安だぜ。やっぱただのガリ勉連中かもな」

 

 須藤もそれをひしひしと感じ取っている様子だ。

 俺の後ろは三宅、前は見知らぬAクラスの生徒だ。綺麗に身長順になっている。

 他方で、白組は連携を取っていないため、クラス単位で前方後方の綱の担当が綺麗に分かれていた。綱の前方を担うBクラスは俺たちと真逆で、身長が高い順に前から並んでいる。綱を引く位置を高くすることが狙いか。

 だがCクラスは特に何も決めていないのか、バラバラだ。

 

「こっちが有利だぜ! 行くぞお前ら!」

 

 試合開始の合図とともに、思いっきり綱を引く。

 

「オーエス! オーエス!」

 

 本当にこんな掛け声するんだな、と思いながらも、一応俺も声を出す。

 これはシャウト効果とかシャウティング効果とか言われていて、アスリートもよくやっていることだ。詳しいメカニズムは知らないが、声を出すことによってパワーが上がることは確からしい。実感もある。もう一つの目的としては、力がかかるタイミングを一致させてより強く綱を引くためだ。

 

「オラオラオラ! 余裕余裕!!」

 

 初めこそ均衡が保たれていたが、連携を取っているこちら側が優勢。20秒ほどで決着がつき、赤組の勝利となった。

 

「しゃー! 見たかオラ!」

 

 綱の一番後ろを担当する須藤が吠える。

 

「BクラスとCクラスは、本当に協力してないみたいだね」

 

「……だな。まあそっちの方がありがたい」

 

 可哀想なのはBクラスだが……。

 

「なー、やっぱ協力した方がいいぜ? 相手強いしさー」

 

 柴田がそう言うが、龍園は全く相手にしていない様子だ。

 しかし何も対応しないわけではない。

 

「よしお前ら配置変えるぞ。チビから順に並べ」

 

 指示というより命令という感じだ。龍園の指示通りに小さい順から並んでいく。完成した白組の並び方は、ちょうど弓なりになっていた。

 

「へっ、楽勝だな。あんなんで勝てるわけないぜ」

 

「いやそうとも言い切れん。全員気を抜くな」

 

「でもさっきも余裕だったじゃん? 俺らみたいに小さい順に並んでるわけでもないしさ」

 

「そうじゃな……いや、今は時間がない。とにかく全力で引け」

 

 インターバルが終わったため、葛城は説明を諦めざるを得なかったようだ。

 

「オーエス! オーエス!」

 

 試合開始とともに掛け声が響く。だが、異変を感じたのは始まってすぐだった。

 明らかにさっきと重さが違うのだ。紅組に動揺が走る。

 

「おら粘れよお前ら。簡単に負けたら死刑だぜ」

 

 さらに龍園の呑気な号令が飛ぶ。すると、また少し綱が重くなった気がした。

 

「ぐああ、痛い痛い!!」

 

 前方で苦しむ声を出す池たち。

 1回目よりもさらに長引いた勝負は、わずかな差で白組が勝利を収めた。

 

「なんでさっきと違うんだよ!? 誰か手抜いたんじゃねえだろうな!?」

 

「落ち着け須藤。相手が正しい陣形の一つを取ったこと、そしてこちらの油断が主な敗因だ。だがこれで分かっただろう。相手は連携がなくても戦う力がある。次は油断せず、気を引き締めて綱を引くことだ。それから綱を引くときは斜め上に向かって引くようにするといい」

 

 流石にAクラスをまとめ上げてきただけのことはある。荒ぶる須藤を止め、且つ的確なアドバイスを送る。今打てる最善の手だ。

 

「よーしお前らにしちゃよくやった。次も同じようにやりゃいい。勝てると思ってるカスどもに思い知らせてやれ」

 

 一方、クラスを支配しているからこその鼓舞の仕方をする龍園。

 ……いや、今の声掛けすらも、鼓舞というより俺たちへの挑発の意味合いのほうが強そうだ。

 龍園は徹底して相手をかき乱す策を取るらしい。

 そんな中、いよいよ最終戦が始まった。

 

「オーエス! オーエス!」

 

 掛け声とともに綱に力を込める。

 さっきと同様、なかなか決着はつかない。だが、試合開始時の足の位置より後ろにいるところを見ると、わずかではあるがこちらに引かれているようだ。

 

「ぜってえ勝つぞ! もう一息だ! 引けええええ!!」

 

 須藤の叫び声に合わせ、気持ちさらに力を入れて引く。

 しかし。

 

「「「うわああ!!?」」」

 

 その瞬間、綱の重みが一気に解消され、体重が後ろに行ったまま倒れてしまった。

 前を見て、ようやく状況が把握できた。白組、それもCクラスが、急に綱から手を離したことが原因だ。

 Bクラスとしてもこれは予想外だったらしく、数人倒れている生徒がいた。

 

「ふざけてんのか!?」

 

 噛みつく須藤だが、対する龍園は涼しい顔で言い放つ。

 

「勝てねえと思ったから手を休めたのさ。よかったなお前ら、ゴミみたいな勝ちを拾えて。虫みてーに這い蹲る様は面白かったぜ」

 

「テメエ!」

 

 棒倒しの件もあり、頭に血が上った須藤が走り出そうとする。しかし、葛城は腕を掴んでそれを止めた。

 

「やめろ須藤。こうやって怒らせるのもあいつの作戦の一部だ。それで体力を消耗させる、あるいは暴力行為での反則勝ちを狙っているかもしれない」

 

「けどよ!」

 

「落ち着け。龍園のやったことは褒められたことじゃないが、ルール違反ではない」

 

 須藤のように当たり散らさないだけで、龍園の態度に対して怒りを抱いているのは葛城も同じだ。その声には怒気が感じられる。

 それを受けた龍園はこれ以上留まっても仕方ないと思ったのか、Cクラスを従えてせっせと立ち去ってしまった。

 

「くそ、勝ったのになんかスッキリしねえ」

 

 恨み言を漏らす須藤。その様子を見ながら、俺も自陣へと歩いていく。

 その時、俺の隣に並んで歩幅を合わせてくる人影が現れた。

 

「あはは……さっきはみっともないところ見せちゃったね」

 

 少し苦笑いを浮かべながら話すのは、先ほど橋本を説得していた藤野だった。

 

「いや、お互い様だろ。須藤がうるさくて悪いな」

 

 アレは一応気合いが有り余ってのことだからフォローのしようはあるんだが、須藤の場合は限度を知らなさすぎる。

 だがフォローするまでもなく、藤野の須藤に対する印象はそんなに悪いものではなかった。

 

「すごいね、須藤くん。とっても頑張ってるの、見たら分かるよ。今のところ全部1位だよね?」

 

「ああ。最初から学年1位狙ってるし、狙えるやつだからな、あいつは」

 

 すべての競技を圧倒的大差で制している。

 他には、確か柴田も全て1位だったはずだ。どこかで直接対決をする場面があれば、そこが一つのポイントとなるだろう。

 

「須藤くんも言ってたけど、ちょっと水差されちゃったね。流石、って言った方がいいのかな……?」

 

「……まあな」

 

 俺自身はあまり気にならない。ただ須藤のように精神的にムラのある人間には、転んでもただでは起きないという龍園のスタンスは効果てきめんだろう。

 どの場面でも必ず何かを仕掛けてくる。そしてそれが当たり前になってくると、面白いことに「何もしない」ことすら仕掛けたことになってしまうのだ。

 

「まあ、頑張ってくれ」

 

「うん。オッケー」

 

 そう言い残し、藤野は女子の綱引きへと向かっていった。

 

 

 

 

 

 1

 

 続いての競技は障害物競争。

 用意されている障害物は、平均台、網潜り、頭陀袋。難易度は高くないが、どれもスピードダウンを余儀なくされるものだ。

 もうすぐ俺が配属された7組目のレースが始まる。

 1つ前の6組目のレースには綾小路が出て、結果は3位という中々の好順位だった。

 そして俺と同じ組には、Cクラスの石崎がいる。お互いに認識してはいるが、当然会話などあるはずがない。

 

「おい速野! 変な順位取るんじゃねえぞ!」

 

 最終組に配属された須藤からそんな声が飛んできた。俺は振り返って頷くことでそれに答える。

 開始の合図とともにスタートする。

 初めの平均台までの直線で1位だったのはBクラスの生徒だ。

 俺はその生徒と石崎に続き、3位で平均台に突入する。

 だが俺はここで前の2人を抜き、一気にトップに躍り出ることに成功した。走るスピードほぼそのままで平均台を渡りきり、次の網潜りへと向かう。

 網潜りに関してはスピードにほぼ差が出ないため、そのまま順位をキープ。

 そして急いで最後の障害物である頭陀袋に足を通して、一生懸命飛び跳ねる。

 頭陀袋を脱ぎ捨てた時点ではほぼ同時。しかし最後の50メートルの直進に入ると完全に追い抜かされ、2位に後退した。

 そして後ろからは「うおおおおおお」といううなり声をあげて迫ってくる石崎。追い抜かれないように必死で前進し、なんとか2位でゴールすることができた。

 

「ふう……」

 

 レースを終えて呼吸を整えていると、俺の正面に堀北が立っているのが目に入った。

 

「どうした。女子はもう向こうで準備してるが」

 

「……お手洗いよ」

 

「……あ、了解っす」

 

 ……ちょっとまずいことを聞いてしまったな。

 そんな微妙な空気を払拭するためか、ただ単に気にも留めていないのかは知らないが、堀北が言葉を続けた。

 

「あなた、足の速さはそこそこだけれど身のこなしはかなり上手いわね。何か訓練でもしていたの?」

 

 意外や意外、堀北の口から出たのは称賛だった。

 どうやらレースの一部始終を見ていたらしい。

 

「訓練って……別にそんな軍隊みたいなことはしたことないぞ」

 

 俺は体のバランス感覚を要する競技についてはそこそこ自信がある。

 

「そろそろ行くわ」

 

「ああ、次も強敵と当たるだろうけど頑張れよ」

 

「? ……ええ、負ける気はないわ」

 

 そう言って、堀北は待機場所へ駆けていった。

 そのようすを見届け、俺はレースが行われているトラックに目を向ける。

 それと同時に、池の叫び声がこだました。

 

「はあ!? 健のやつまた野村と鈴木じゃん! ズルすぎだろ!」

 

 ちょうど最終組がスタートする直前、その組全員がレーンにそろったところだった。

 確かにCクラスから出ている生徒は、いっちゃ悪いが見るからに運動音痴だった。そしてこれは100メートル走の時と同じ組み合わせだ。だからこそ池も「また」という言葉を使ったのだ。

 だが、その組に須藤の最大の敵が立ちはだかる。

 Bクラスの柴田だ。

 ハードルという特殊な競技ではあったが、柴田の同じ組で走ったからこそ分かる。柴田の速さは常軌を逸している。

 しかし、それは須藤も同じだ。この対決は非常に見ものだ。ギャラリーの注目度も今までにないほどに高い。

 スタートした瞬間、やはり須藤と柴田が一気に抜け出し、他を置き去りにしていった。

 その中でも、わずかではあるが須藤がリードしているように見える。誰よりも速く平均台を渡った。柴田もそれを背後から追いかける。

 網潜りも、2人ともとてつもない速さでクリアした。まだ須藤がリードを保っている状態だ。

 須藤は跳躍も得意だ。次の頭陀袋で少し離したが、それでもわずかだ。

 そしてラスト50メートルのストレート。いよいよ柴田の本領発揮である。

 須藤は背後の柴田の気配を感じているだろう。

 はた目からでも柴田が追い上げてきているのが分かる。これはやばいか、と思ったが、わずかなリードをなんとか保ったまま須藤が1位でゴールした。

 かなり厳しい戦いだったんだろう。須藤は今日初めて肩で息をしていた。

 それより驚きは、純粋な直線の勝負なら柴田に分がありそうだという事実だ。のちに行われる200メートル走、もしも柴田と当たるようなことがあれば須藤も磐石とは言い難いのかもしれない。

 そしてその可能性をあり得ないと笑い飛ばすこともできないのが現状だ。事実須藤はCクラスの野村、そして鈴木と連続で同じ組にあたっている。

 しかし、それでも勝利は勝利。呼吸を整え終えた須藤は自身に満ちた表情で帰ってきた。

 

「オラ見てたぞ寛治! おめえ6位だっただろ」

 

「お、お前だって危なかったじゃんかよ! アイコだろ」

 

 結局1位を獲得した須藤と6位という下位に沈んだ池ではアイコであるはずがない。

 

「1位取ったじゃねえかよ。ま、柴田のやつも結構速かったけどな」

 

 柴田の速さを認める発言をしながら、アホな事を言い放った池を折檻していた。放してやれよ……。

 次は女子の障害物競争だ。その後には二人三脚も控えており、あまりダラダラしていられない。

 女子の1組目には堀北がいる。そして同じ組には、不運なことに先ほども同じ組だった矢島と木下がいた。

 

「さっきも見た展開だな」

 

 隣にいた綾小路がそう呟いた。

 

「ああ」

 

 一応そう返事をしておく。

 スタートすると、やはりまず抜け出したのは木下とそれを僅差で追う矢島。その後ろを堀北が追っている状態だった。

 だが、向こうもいつもの土俵ではないため、多少の苦戦は強いられている様子だ。差は案外ついていなかった。

 この時点で抜き出たのは矢島。

 ここで動きがあった。木下が頭陀袋を外す際にバランスを崩したことで、その隙をついた堀北がリードを奪ったのだ。

 

「おお!」

 

 Cクラスのワンツーフィニッシュを阻めるチャンスにDクラスが湧いた。

 そしてラストの直線を全力で走り抜ける。

 しかし後ろの様子が気になるのか、堀北は何度も木下の方を振り返っていた。結果としてそれが失速につながったのか、木下に追いつかれてしまう。

 そして次の瞬間、2人の足が互いに絡まり合い、かなりのスピードのまま転倒してしまった。

 

「おおお!? なんか凄いことになったぞ!?」

 

 倒れた2人の横を5人が通り過ぎ、順位が一気に落ちる。ようやく堀北が起き上がって7位でゴール。対する木下は競技続行不可能ということになり、最下位という扱いになった。

 

「……」

 

「どうしたんだい綾小路くん」

 

「次も同じ『偶然』が起こるなら、もう『偶然』ではないかもしれないな」

 

 隣で静かに綾小路がそう呟いた。

 

「……速野くんはどうかな?」

 

 平田がこちらを向いて、俺の意見を求めてくる。

 

「……ああ、まあ、そう考えるのが自然だな」

 

 特に不自然なポイントは、今の堀北と須藤だろう。

 Cクラスに都合のいい偶然が連続して起きすぎている。

 

「状況は悪いみたいだね……ほかの生徒も、徐々に気づき始めるころだと思う」

 

「もし気づく生徒が出てきたら、ケアを頼めるか?」

 

「もちろんだよ。それが僕の役目だからね。でも……何か手はないのかな?」

 

「あればいいんだけどな」

 

 そう言い残すと、綾小路は不自然な足取りでこちらに歩いてきた堀北の方へ向かっていった。

 

「……大丈夫かな、堀北さん」

 

 不安そうに呟く平田。

 

「さあ……俺にできるのは、一つでも上の順位を目指すことだけだ」

 

「……そうだね。頑張ろう」

 

「ああ」

 

 女子の障害物競争が後半を迎え、そろそろ次の競技への準備に入る。直前、前方のテントの方を見やると、木下は龍園に肩を抱えられ、足を引きずりながら移動していた。

 

 

 

 

 

 2

 

 1年生全員が二人三脚のスタンバイをしている中、俺は駆け足でその集団の中に入っていった。

 そしてペアである三宅の隣に座る。

 

「遅かったな」

 

「悪い、トイレがちょっと並んでてな……」

 

 俺と三宅の組の前には、俺の少し前に準備を済ませたと見られる龍園の姿も確認できる。

 そして今、須藤と池のペアがスタートしたのだが……。

 

「どわああああああ!!」

 

 須藤は池を半ば持ち上げた状態でトラックを爆走していく。一応池の脚は地面に付いているので違反にはならないが、作戦を分かっていたうえでも池の驚きはとてつもなかっただろう。

 そして結果、1位を獲得してしまった。

 

「おいおい……」

 

 ゴールした2人を苦笑いで見る三宅。

 

「……須藤ならではの勝ち方だな」

 

 まさに力技だ。

 そんなことを考えていると、次の組にいた平田&綾小路がスタート。ペースは順調。相性の良さもあり、須藤に続いて1位を獲得した。ちゃんと正攻法で。

 

「きゃー! 平田くんかっこいい!!」

 

 平田に向けられた女子の黄色い声援が耳に入る。

 ああいうミーハーみたいなのが本当にいるんだな……と思いながら、ともに1位に輝いたペアにも拘わらず全く見向きもされない綾小路に心の中で手を合わせた。

 

「龍園も一位か」

 

 5組目のレースの結果を見て、三宅がそう呟いた。

 そういえば龍園もほとんどの競技で1位を取ってたな。身体能力の高さでは間違いなく須藤の方が2枚も3枚も上手だが、点数だけを見ればひっ迫しているかもしれない。

 

「……とりあえず、今は競技に集中だな」

 

「ああ」

 

 7組目、俺たちの出番である。

 スタートのコールと同時にハイペースで飛び出す。全速力とまではいかないが、この時点で他の組を置き去りにすることができた。練習の通り、動きに狂いはない。そのまま2位と6、7メートルという圧倒的な差で1位を獲得した。

 これでDクラスの男子は、10組中3組で1位を獲得したことになる。上場の出来だろう。

 

「ふう……目標は達成だな」

 

 呼吸を整えながら三宅に言う。

 

「ああ。お疲れ」

 

 お互いの脚を結んでいた紐を解き、どちらのペースに合わせるでもなくDクラスの待機場所へ戻って女子の観戦に移る。

 女子2組目のDクラスは、櫛田と堀北のペアだ。

 二人の関係性が最悪であることを加味しても、好タイムが期待できる。

 堀北が大丈夫なら、だが。

 

「綾小路、堀北の足の状態はどうなんだ?」

 

 綾小路は先ほど堀北が戻ってきたとき、怪我の状態を確認しているようだった。

 

「正確なことはよくわからないが……期待はしない方がいいな」

 

 スタートした2人の姿を見ながら答えた。

 出だしは良かったものの、堀北の怪我の影響もあってか徐々に失速していく。速く走りたいという意思に反し、堀北の足は全くついていかない様子だ。

 

「やっぱり動き固いな」

 

 気づけば最下位争いに転落していた。

 競う相手はBクラスのペア。現時点ではわずかにリードしている。

 2人はBクラスの進行方向を妨げ、逃げ切る戦法を取ることにしたようだ。Bクラスの2人も必死に追う。

 しかし一瞬の隙が生まれ、Bクラスに追い越されてしまった。

 

「ああ! 惜しい!!」

 

 結果、堀北と櫛田は最下位という順位に終わった。

 堀北の足の状態が悪かったにしても、1位を取ることを狙っての組み合わせだったため、この敗戦はDクラスにとって大きな痛手になることは必至だ。

 二人三脚の次の競技は騎馬戦だが、その間に10分間の休憩がある。それ以降は男女の競技順が逆転する決まりになっていた。

 俺は身体が冷えて固まってしまわないよう、グラウンドの外側を軽くウォーキングしながら休憩時間を過ごした。

 

 



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体育祭Ⅲ

 休憩時間が終了し、生徒がぞろぞろと競技場に戻ってくる。

 次は1年女子からの競技順となっている。

 インターバル後の最初の種目は騎馬戦だ。

 4人1組で騎馬を作る。1クラスから4騎ずつ出る決まりとなっており、紅白それぞれ8騎ずつということになる。残りのメンバーはリザーバーだ。

 騎馬はそれぞれポイントを所持していて、敵の騎馬の騎手がつけているハチマキを奪えば、1本ごとにそのポイントが手に入る。それにプラスして、最後まで生き残っても同様にポイントが入るルールだ。

 4つのうち1つの騎馬は大将騎と役割づけされている。通常の3つの騎馬の所持ポイントは50だが、大将騎は100ポイントが配分されるのだ。もちろん、大将騎のハチマキが奪われれば敵に100ポイントが行ってしまう。

 強気で攻めれば大量のポイントを期待できる反面、自分も奪われやすくなるリスクがある。Dクラスはリスクを負わない方を取り、決して運動神経がいいとはいえない森の騎馬を大将騎とし、それを残り3つの騎馬で守る狙いだ。

 ちなみにAクラスの騎手には、大将ではないが藤野もいた。運動神経のいい藤野の動きにも期待がかかる。

 スタートと同時にB、Cクラスの騎馬が迫ってくる。

 

「な、なんだあれ!?」

 

 池が驚くのも無理はない。

 Cクラスの騎馬4つ全てが、開始と同時に堀北が騎手を務める騎馬に向かって一直線に進撃を開始したのだ。

 いや、より正しく言うならば堀北本人、か。

 他の騎馬には目もくれていないCクラス。あっという間に堀北の騎馬は他の騎馬と分断され、4対1の構図が出来上がってしまう。

 その様子を見ていた須藤は、歯を食いしばってその様子を睨みつけている。

 

「龍園の指示だろっ。あのクソ野郎が!」

 

「仕方ないだろ。リーダーを潰すのは作戦として邪道なわけじゃない」

 

 悔しそうな須藤の声に、綾小路の冷静な指摘が入る。

 苦しい状況の中、救援に動いたのは軽井沢の騎馬、そして藤野の騎馬だ。

 しかし、軽井沢に対してはBクラスの大将騎である一之瀬が、藤野に対しては白波の騎馬がそれを阻む。

 軽井沢の騎馬は仲良しのメンバーで組まれているのに対し、一之瀬の騎馬はBクラスでも指折りの実力者だった。

 だが、仲良しチームの連携力も負けていない。正直すぐに決まるんじゃないかと思っていたが、軽井沢対一之瀬の勝負は意外と長引いた。

 藤野の騎馬はその様子を見て、白波の騎馬から離れて一之瀬の騎馬へと向かった。軽井沢と挟み撃ちにする狙いだ。

 藤野の騎馬の動きは速く、白波の騎馬はどんどん距離を離され、軽井沢と藤野の合流を防ぐことができなかった。

 

「あ!!」

 

 と、ここで状況に変化が訪れる。

 堀北がハチマキを取られ、落馬してしまったのだ。

 悔しそうにしながら立ち上がる堀北。先ほど痛めた足のこともあるので少し心配だ。先ほどのインターバルでもらってきたのか、湿布が貼られているのが見えた。

 そしてここから状況は大きく動いていく。

 堀北が狙われている間にハチマキを奪えなかったDクラスの軽井沢以外の2つの騎馬は、抵抗空しくあえなく撃沈。

 しかしその間、軽井沢と藤野に挟まれた一之瀬が軽井沢にハチマキを奪われて失格となった。

 堀北のほかDクラスの二騎を倒したCクラスの四騎は、次に軽井沢と藤野を囲みに出る。

 それをいち早く察した藤野の騎馬は、素早い動きでその場を離れてそれを回避。しかしスピードのない軽井沢の騎馬は間に合わない。

 Cクラスの四騎に加えてBクラスの三騎にも囲まれ、瞬間的に7対1という状況を作られてしまった。

 こうなるともう勝ち目はないと悟ったのか、軽井沢は自爆覚悟で特攻し、Bクラスの一騎のハチマキを奪って相打ちで勝負を終えた。

 その間に背後をとらえた藤野の騎馬が、Cクラスの騎馬のハチマキを1つかすめ取ることに成功している。

 しかし戦況は不利だ。2騎減ったとはいえ、数の上では向こうが圧倒的。残りのAクラスの騎馬も包囲殲滅を喰らってしまう。

 囲む騎馬の数が増えるほど、囲まれた騎馬が抵抗できる時間は少なくなる。そしてその短時間では、後ろをとってもハチマキを奪うまでには至らない。

 最終的に6対1に持ち込まれた藤野の騎馬。軽井沢と同様に特攻し、Cクラスの大将騎との相打ちで終わった。

 こちらは全滅。向こうの損害は3騎だけという大敗北を喫してしまった。せめてもの救いは、倒した3騎の中にB、Cクラスの大将騎が含まれていたことか。

 最後の場面、藤野がCクラスの大将騎にぴったり張り付いていなければ、その騎馬には撤退されてしまいハチマキを奪うことはできなかっただろう。あれは好判断だったといえる。

 ただ、敗北は敗北だ。Aクラスの騎馬で動きが良かったのは藤野の騎馬のみで、それ以外はかなり鈍かったといわざるを得ない。そしてそれらAクラスの騎馬がCクラスの動きに動揺したのか漁夫の利を狙ったのかは知らないが、堀北に対してほとんど何の救援策も展開しなかったことがまず大きい。そして様子見をしている最中にも敵のハチマキを奪えなかったことが敗因の多くを占めるだろう。この敗北に関しては、ひいき目を抜きにしてもAクラスの責めが大きいと言われても仕方がないと考えられる。

 しかし、終わったことを考えても仕方がない。仕切り直しだ。

 

「っしゃ行くぞお前ら!」

 

 須藤の叫び声とともにスタンバイする。

 ただ正直、憂鬱だ。

 須藤、綾小路、三宅。騎手に平田を擁立した最強の騎馬。初めはこの騎馬を大将にする方向で話が進んでいたのだが、どこでどう間違えたか、俺が騎手を務める騎馬が大将騎ということに決定してしまっていたのである。

 

「はあ……」

 

 女子が全滅という結果になってしまったので、なおさらその責任は重大だ。思わずため息が漏れてしまう。

 まあ、もう騎馬の池、山内、本堂に頑張ってもらうしかないだろう。

 俺が騎手をやると決まった時点で、俺が騎馬役に頼んでいた作戦。それは制限時間の3分間、絶対に囲まれないようにただひたすら逃げ回ることだ。敵のハチマキを奪うことなんてこれっぽっちも考えない。初めから逃げることだけに100パーセントを出し切る。みっともないと言われるかもしれないが……いや、認めよう。これはみっともない作戦だ。大将なのに逃げ回るとか大将の器疑うレベル。だから平田たちを大将騎にしろって言ったんだ。俺は悪くねえ。

 

「頼んだぞ」

 

「おう!」

 

 平田にもこの話は承諾してもらっている。何か作戦会議のようなことをやっているが、俺は攻撃には参加しないので話半分に聞いていた。

 そして、スタートの合図が鳴る。

 

「狙うはクソ龍園の首一つ! ぶっ飛べやオラあ!!」

 

 スタートと同時に、俺の騎馬を除く赤組の7つの騎馬が突撃していく。

 その様子を見ながら、Cクラス大将騎の騎手である龍園は不敵に笑っていた。

 須藤のあの馬力と平田のテクニックなら、あのエース騎馬だけで2、3騎は潰せると踏んでいる。そして1騎は釘付けにできるだろう。それ以外の4騎は他の騎馬になんとかしてもらう。

 俺の騎馬は、複数騎が仕掛けてきたときのことを警戒して、体力温存のために自陣からほぼ動かない。

 だが、戦局は予想以上に良好だった。

 須藤は敵に向かって体当たり作戦を発動し、白組の騎馬を合計3騎崩していた。もっとも騎手が落馬しただけのためこちらにポイントは入らないが、それでも大金星と言っていいだろう。

 言い方を悪くすれば孤立しているともいえる俺たちの騎馬。しかし先ほど女子の戦いで各個撃破の有効性が実証されたため、前線での勝負に直接加わっていない騎馬もA、D連合の計7つの騎馬の塊に釘付けにされてしまいこちらには来られない状況だった。

 しかし状況は段々と動いていく。まずAクラスの騎馬が、Bクラスの神崎や柴田を擁する騎馬を討ち取るのに三騎を消費してしまった。

 その後も前線の小競り合いで、互いにじりじりと騎数を減らしていく。

 しかし、数の上では紅組残り三騎、白組残り二騎と有利だ。ただし俺の騎馬はスタート地点から動いていないため、前線では実質2対2だ。

 

「俺たちも前線に行くぞ」

 

「え、いいのかよ!」

 

「積極的に戦うわけじゃない。ただいるだけでもプレッシャーは与えられる。それが狙いだ」

 

「お、オッケー! 行くぜ!」

 

 3人に指示を飛ばして前線に向かう。

 しかし、そこにたどり着く前に龍園でない方のCクラスの騎馬がこちらに向かってくる。

 

「うわっ、こっち来た!」

 

「よし、練習通りに頼む」

 

「わ、わかった!」

 

 まあ、練習通りと言っても大したことはしていない。前後左右への方向転換をスムーズにするように頑張っただけだ。それでもまだまだガタガタだが、逃げることだけに100パーセント集中していればなんとかなるだろう。

 

「くそ、待て!」

 

 敵の騎手の声が聞こえてくる。

 

「はあ、はあ……は、速野、そろそろ限界が……」

 

 前方を務める本堂が悲痛な声でそう言った。

 

「……え、もう? 俺はガリだから楽勝とか言ってただろお前」

 

「し、仕方ないだろ! 実際に移動すると結構重いんだよ! で、どうすんだよ!?」

 

 前線の様子を伺う。

 そこでは、少し不思議な光景が広がっていた。

 

「なんで挟んでないんだ……?」

 

 なぜか平田の騎馬と龍園の騎馬で一騎討ちが行われていた。その横にはもう一騎、葛城の騎馬がいるのに、加勢する様子がない。

 気になるが、それは今はいい。龍園がこちらに来る様子はないし。ここも一騎討ちに持ち込めるだろう。

 

「止まってくれ。迎え撃つ」

 

「え、出来んの!?」

 

「じゃあ走るか? 無理ならもう仕方ないだろ。なんとかする」

 

 俺がそう言うと、3人とも止まって相手の方を向く。

 その様子を見て、相手の方も止まってこちらへの攻撃の機会をうかがっているようだ。

 攻撃はいい。とにかく避け続けることだけに集中する。大将騎の俺は奪うことより守ることが絶対優先だ。

 敵の騎手が素早く手をハチマキに向けてくる。俺はそれを後ろに反るようにして避けた。するとさらに近づいてきたので、今度は腕自体を受け流して防御した。

 

「くっ……」

 

 その後も同じようにして避け続ける。攻撃の意思が全くなく、ただただ避けるだけの俺は心底うざったく映っているだろう。攻撃しないことで、守備にも隙が生まれづらい。対して相手は、こちらが攻撃してこないということがある程度分かっても、俺が攻撃する可能性への警戒を怠ることができない。一騎討ち、かつ防御に徹して欲張らないということを心に決めておけば、守備側が絶対的に有利なのだ。これは葛城あたりが好みそうな戦法かもしれないな。

 タイムリミットが迫る。残り1分。しびれを切らした相手はここで防御を捨て、無防備に手を伸ばしてきた。

 これを待っていた。

 俺は馬鹿正直に伸びてきた腕をつかみ、こちら側に引っ張ってバランスを崩させる。

 

「うわ!?」

 

 体が前に倒れると、必然、ハチマキを巻いた頭がこちらに近づく。

 取られる、と察知した敵が後ろに下がったが、すでに俺はハチマキを掴んでいた。そしてそれが相手の頭からするっと外れる。

 

「よし……」

 

「すげえじゃん! ハチマキ取ったよこいつ!」

 

「ああ、まあ相手がラストスパートで無防備に攻めてくれたからな……」

 

 とりあえず、成功してよかった。

 呼吸を落ち着けて、先ほどの平田たちの方に目を向ける。

 しかし、平田のハチマキは龍園の手にあった。

 

「……取られたか。急ぐぞ」

 

「お、おう!」

 

 現在は葛城の騎馬の騎手である戸塚と龍園が対峙する形になっているが、そう長くは持たないかもしれない。戸塚の救援に急いだ。

 しかし、そこで不自然な光景を目の当たりにした。

 

「くそっ、なんだこれっ……!」

 

 戸塚は何度か龍園のハチマキに手をかけているが、引き抜こうとすると、するりと手が離れてしまう。

 この不可解な現象に、戸塚自身も納得がいっていない様子だ。

 俺たちが救援する間もなく、戸塚は隙をつかれてハチマキを奪われ、落馬してしまった。

 残り30秒。俺と龍園、大将騎同士の一騎打ちとなる。

 

「よう。久ぶりだなガリ勉野郎。まさかてめえが大将とはな」

 

 緊迫した状況の中でも全く臆することなく、俺に挑発的な言葉を投げつける龍園。

 大した胆力だ。

 

「お前、なんだそのハチマキ。戸塚がつかんだと思ったら滑って離れていく。なんかつけてるのか」

 

「ああ? 知るかよ。平田も戸塚も間抜けだっただけだろ」

 

 残り15秒。

 このまま何もしなければ、ポイント差で白組の勝ちが決まる。それが分かっているからか、龍園からはあまり攻撃の姿勢が見えず、俺に対してゆったりと構えていた。

 何かは分からないが、龍園のハチマキに何か滑りやすいものがついていることだけは間違いない。

 となると……。

 

「じ、時間ないぞ速野!」

 

「なんとかしてくれ!」

 

 山内と本堂の焦る声。

 俺は作戦を定めた。残り3秒。

 まずは左手を前に出した。

 

「がっ……!」

 

 その瞬間、龍園が突然目を閉じてしまう。

 俺はその隙を逃さず、先ほど奪ったハチマキを持つ右手で龍園の長い髪を引っ張る。その瞬間、手に粘性のある何かが付着した。ワックスだ。滑るハチマキの正体が判明した。残り1秒。

 しかし今はそれはどうでもいい。重要なのは素手で取ろうとしても不可能だということ。

 俺は取るのではなく、奪ったハチマキを龍園のハチマキと頭の隙間に滑り込ませた。ここでは滑りやすい性質が逆に幸いしてスムーズに行く。

 そして滑り込ませたハチマキの先端と、もう一方の先端2つ合わせて右手で握り、ロック。

 そのまま奪った方のハチマキを引っ張った。

 すると龍園のハチマキは俺のハチマキに引っ張られ、龍園の頭から外れた。と、ほぼ同時にタイムアップ。試合終了を告げる合図が鳴った。

 

「「「おおおおおおお!!!!!!」」」

 

 平田と葛城でも崩れなかった龍園の牙城。それが崩れた事実に、主に紅組から大歓声が沸いた。

 

「てめえ……」

 

 ハチマキを取られた龍園は俺を強く睨みつける。

 

「これ、ワックスか。それがしみ込んで滑りやすくなってるとしても仕方ないな。なら、砂塵が巻き上がる中でお前の右目に砂粒が入るのも同じく仕方のないことだよな」

 

 龍園が目をつぶった理由。それは俺が左手を前に出した瞬間に、ポケットから取り出してはじき出した大きめの砂粒が右目に直撃したことが原因だ。

 もちろん、何も証拠はないため龍園は追及できない。

 自分では勝てなかったが、龍園を負かすことができた事実に須藤は留飲を下げていることだろう。

 しかし、それもつかの間。

 紅組にとって残酷極まりないアナウンスが流れる。

 

『ただ今紅組騎手の速野知幸君が、白組騎手の龍園翔君のハチマキを奪いましたが、これはタイムアップ後のプレーであったと判断し、無効とします。よって、最終結果350対500で白組の勝利とします』

 

 お互いの大将騎だけが生き残った形だが、ハチマキを取った数も換算すると白組には及ばなかった。

 その瞬間、紅組からは落胆の声が、白組からは安堵の声が上がった。

 

「ざけんなよコラ!! どう考えても時間内だっただろうが!!!!」

 

 この結果に須藤は怒り狂い、怒鳴り声をあげている。

 正直、ただ負けるよりもよっぽどフラストレーションの溜まる結果になってしまったかもしれないな、須藤にとっては。

 

「お前の勝ちだってよ。……よかったな龍園。無人島の時みたいにならなくて」

 

 俺はそう言って奪ったハチマキを龍園に放り返し、その場を立ち去った。

 龍園の視線を感じながら歩いていく。

 その道中、池が少し震えたような声で俺に話しかける。

 

「お、お前、なんであんな普通に龍園と話せるんだよ……睨まれた時マジで殺されるかと思ったぜ俺」

 

「こんな大衆の面前で暴力なんか振るえるわけないからな。須藤とは違う」

 

 須藤は怒りに任せて暴力を振るってしまうが、龍園は暴力の使いどころを分かっている。自分にとって何の利にもならない暴力は振るわない。

 

「いや、でもさ……報復とかこええじゃん」

 

「報復されたら学校側に訴えりゃいいだろ。変な言いがかりで暴力振るわれたってな。もしかしたらCクラスに上がれるチャンスかもしれないぞ」

 

「……」

 

 池、そして山内と本堂までもが俺の言動にドン引きしていた。

 

「……冗談だよ。怖かったに決まってるだろ。でも何かされる前にビビってたら、なんとなくちょっと悔しいだろ?」

 

「ま、まあ……」

 

 取り敢えず、そう言って誤魔化しておいた。

 閑話休題。

 俺には一つ疑問があった。

 たまたま近くにいた平田の騎馬の1人、三宅に尋ねる。

 

「なあ、なんで葛城たちはあの時龍園を挟み撃ちにしてなかったんだ?」

 

「ああ、実は……」

 

 そこで、龍園が須藤を挑発してタイマンに持っていく方向に誘導したこと。須藤が挑発に乗ってしまったこと。そして説得できなかったこと。龍園のハチマキを何度か掴んだが、不自然に滑って奪うには至らなかったこと。そして結果的に自分たちが取られてしまったことなどの説明を受けた。

 

「なるほどな……」

 

 俺はため息混じりに須藤の方を見る。

 溜まりに溜まったフラストレーションを発散できず、須藤は顔を真っ赤にして怒り狂っていた。

 俺はその須藤に近づいて言う。

 

「おい落ち着け須藤。なんでお前が俺より怒ってんだよ」

 

「ああ!? てめえ悔しくねえのかよ! あんな反則ばっかのカス野郎にいいようにやられて!」

 

「……龍園のハチマキが変に滑ったあれ、多分髪につけてたワックスだ。もう乾いてるだろうからたぶん証拠は残ってない。反則とは認められない可能性の方が高いぞ」

 

「だったらあのカスぶん殴って自分の口から認めさせりゃいいんだよ!!」

 

「それは絶対にダメだよ須藤くん」

 

 具体的に暴力を示唆する言葉が出たことで、さすがにまずいと思った平田が止めに入る。

 

「っせえよ平田! 悪いのはあいつだろうが!」

 

「ここで龍園くんを殴ったとしても、得をするのは君じゃない。殴られた龍園くんの方だよ。冷静になって考えれば君なら分かるはずだ」

 

「知るかよんなこと! 殴り込みに行くぞ平田。おい速野、てめーも来い」

 

「ダメだ須藤くん。とにかく今は冷静になることだよ」

 

「この体育祭のリーダーは俺だぜ。てめえが俺を薦めたんだろうが。だったら俺の言う通りに動けよ」

 

「君がリーダーという役割を担っていることは間違いないよ。でも須藤くん、いまDクラスのクラスメイトの中に、今の君を真にリーダーとして認めている人がどれだけいると思う?」

 

 須藤のクラスへの貢献度は大きい。

 しかし、限度を超えてやりすぎた。

 気に入らないことがあれば喚き散らす。暴力をちらつかせる。威張る。これだけでも、クラスの信頼を失うのには十分だった。

 

「……なんだよそりゃ。俺はクラスのためにやってやってんだろうがっ……!」

 

「本当にそうか須藤」

 

 そんな言葉をはさんだのは、これまで状況を静観していた幸村だった。

 

「お前、クラスを勝たせることより、自分が活躍して、注目を浴びて気持ち良くなりたいだけじゃないのか。葛城と挟み撃ちにできたはずなのに、お前が手を出すなって喚いてたのは聞こえてたぞ。それが自分さえよければいいと思ってる証拠だ。お前はクラスより自分の気持ちを優先したんだ。リーダーならそんなことはせず、冷静に、客観的に行動する必要があるだろ」

 

 幸村の発言はまごうことなき正論だった。

 しかし、今の須藤には神経を逆なでる言葉にしかならない。

 

「須藤くん、僕らは君を頼りにしているんだ。だからこそもっと大局的に見て、力を貸してほしいんだよ」

 

「……っせえよ」

 

「君にしかできない役割なんだ。だから———」

 

「っせえって言ってんだろうが!!」

 

 まずい……と思った時にはすでに遅かった。

 バキッ、と音が鳴る。それはほかでもない、須藤の拳が平田の頬を叩いた音だ。

 その衝撃で平田は俺の足元に転がる。

 他方の須藤は、もはや誰かの言葉が届くような状態ではなかった。いや、話しかければたちまち殴り掛かられてしまう。そんな危険な状態だった。

 

「何があった」

 

 騒ぎを聞きつけた担任の茶柱先生が、倒れた平田のもとに駆け寄る。

 その質問には、誰かが答えるまでもないだろう。握り拳を作って、明らかに正気を失っている須藤と、倒れこんで頬を腫らしている平田。

 これだけ材料がそろっていれば、状況を把握するのは容易だ。

 

「お前が殴ったのか」

 

 暴力沙汰があったのか否か。その事実だけを問うた。

 

「……何やってるんだ平田。何もないところでこけたりして。疲れてるんじゃないか」

 

 須藤が何かを口にする前に、俺が言った。

 平田も俺の意図を察して口を開く。

 

「……そうだね。厳しい競技続きで、足が限界だったのかもしれない。そういうことです茶柱先生。僕が勝手にこけてしまっただけです。須藤くんは関係ありません」

 

 クラス内部でのこととはいえ、暴力沙汰があったと学校側に認知されれば何らかのペナルティが下ってしまう。それを避けるための猿芝居だ。

 

「加害者と被害者がそろわないのなら、何か問題行動があったという判断はできない。だが客観的に見て、お前たちの間で何らかのトラブルが発生した可能性が高い。今はお互いに距離を取れ。そしてこの件に関しては、再発防止のため上の方に報告を上げておく」

 

「トラブルは何もありませんが、これ以上騒ぎが大きくなることは望みません。わかりました」

 

「お前もそれでいいな須藤」

 

 茶柱先生は須藤にも確認を取る。

 しかし怒りを抑えきれない須藤は、答える代わりにすぐそこにあったパイプ椅子を蹴とばした。

 

「やってられっか。勝手に負けてろよ雑魚ども。体育祭なんざクソ食らえだ」

 

 そう吐き捨てた須藤は、こちらには見向きもせず寮の方向へ歩いて行ってしまった。

 

「……大丈夫か、平田」

 

「うん。ちょっといいのをもらっちゃったけどね……それより、ありがとう速野くん」

 

「いや、あれぐらいしかできなかった。お前が怪我する前に止めらられれば良かったんだが」

 

「僕のことは大丈夫だよ。それより、この状況は流石にまずいね」

 

 この状況でも、平田は自分が須藤に殴られたことよりも須藤が抜けたことを気にしているようだった。

 平田の言う通り、今のDクラスは客観的に見て非常にまずい状況だ。

 全ての元凶である龍園の方を見て、少しため息をついた。

 

 

 

 

 

 1

 

 3年男子の騎馬戦が終了目前となり、俺たち1年生は最後の全員参加競技である200メートル走に向けて準備を始める。

 時間になっても須藤は戻ってこない。もちろん、それで競技が止まることはない。

 絶対的エースの不在。Dクラスにとってはかなりの痛手だ。

 

「平田。須藤はどうした。便所か?」

 

 龍園は不気味な笑みを浮かべながらこちらに近づき、平田に声をかけた。

 

「彼は訳あって休憩中なんだ。すぐに戻ってくると思うよ」

 

「クク、根拠のねえことは言うもんじゃねえぜ」

 

 俺はこの200メートル走、龍園と同じ組に選出されている。しかも隣だ。龍園の名前が呼ばれた直後、俺の名前も呼ばれ、スタンバイする。

 

「龍園くんは、個人競技全てで1位を取ってるって聞いたよ。さっきの速野くんとの攻防も結局時間切れで君が勝った。ずいぶん運がいいみたいだね」

 

「クク、ツキはあるほうだからな」

 

 結果的には負けていないということもあってか、俺にハチマキを奪われたことも全く尾を引いていないようだった。

 

「そうみたいだね。でもそのツキもいつまで続くか分からないよ。流れというのはちょっとしたことで変わるからね」

 

「ああ? 何が言いたい」

 

「君の考えていることはわかってるってことだよ。Dクラスが参加表に記入した組み合わせを君が全て把握していることも、それを利用してることもね」

 

 俺にとっては初めて他人から聞かされる事実。

 だが、近くにいた綾小路には驚いている様子はない。

 

「それがハッタリじゃなきゃ面白いんだがな。これまでの状況を見てれば気づく程度のことだ。いくらでもカマはかけられるだろうからなあ?」

 

「うん。だから君に一つ宣言しておくよ。この体育祭が終わるまでに面白いものを見せるって」

 

「面白い物だと? そいつは楽しみだな」

 

 なんだよ面白いものって……なんか、俺だけ会話についていけてない。

 龍園はその平田の発現も戯言だと本気にはしていないようだ。

 龍園が4レーン、俺は5レーンで、スタート位置に着く。

 まあ、細かいレース展開については語るまでもない。低レベルというわけでもなく、熾烈な争いがあったわけでもなく、起伏のないレース。順位の変動もあまりないまま、龍園が1位、俺が4位でゴールした。

 俺は少し息を整えている中、龍園は涼しい顔をしている。身体能力に開きがある証拠か。

 

「ふう……木下の具合はどうだ?」

 

「ああ?」

 

 龍園の鋭い視線がギロリと俺を捉える。

 

「お前はこれでもCクラスの頭なんだろ? 俺に負けかけたショックで、木下の怪我について十分な気が回ってないんじゃないかと思ったんだ」

 

 あえて挑発的な口調でそう言った。

 

「てめえ……殺されてえのか」

 

「殺せるのか? 俺は絶対にお前が犯人だって証拠を残すぞ。そうなればCクラスは転落、お前は退学どころか牢獄行きだ」

 

「クク……おもしれえ。単なる鈴音の腰巾着かと思ってたが、どうやら認識を改める必要がありそうだぜ。てめえはこの体育祭の後、鈴音の次に相手してやるよ」

 

「ずいぶん堀北にご執心だな。でも悪いけどお前の相手をする気はない」

 

「なんだと?」

 

「お前が思ってるような意味じゃない。俺じゃお前の相手は務まらないってことだ。さっきお前が俺に一本取られそうになったのは、俺のことをガリ勉だと思って油断してたからだろ?」

 

 龍園は肯定はしないが、否定もまたしなかった。

 

「あいつはそこに隙が生まれると踏んで、俺に指示を出したんだ」

 

「あいつ?」

 

「お前がご執心の堀北だ」

 

「俺に調理された今の鈴音が、あんな指示出せる状態とは思えねえがな」

 

「それに関しちゃ同感だよ。でも落馬した後、足抑えながら息も絶え絶えに言ってきたぞ。今なら隙をつける。砂粒を隠し持っとけって。あいつもあいつで往生際が悪いんだろう」

 

「クク、まあだからこそ潰しがいがあるってもんだが……呑み込めねえな。なぜそんなことを俺に言う必要がある?」

 

「お前に目を付けられると面倒なのが分かり切ってるからだよ。堀北の指示には、クラスの勝ちのためには従う。でもお前に個人的な恨みを買うことまでは俺の領分じゃない」

 

「はっ、ヤる前から降参宣言とは、とんだチキンじゃねえか」

 

 その瞬間、龍園の目は今までにないほど俺を蔑んだものになった。

 

「何とでも言えよ」

 

「だが残念な知らせだ。お前に煮え湯を飲まされそうになった以上、容赦する気はねえぜ。てめえが救いようのねえチキンだろうと、俺は借りモンはきちんと返すタイプなんだよ」

 

 どうやら、がっちりとマークされてしまったらしい。

 

「龍園。一つ言っとくぞ。堀北はともかくとして、お前は俺なんかに気を取られているべきじゃない。お前が競う相手は別にいる」

 

「あ?」

 

 本音半分、ってところか。

 ……まあ、これでいいだろう。

 そのような言葉を残した俺は一瞬龍園の方を振り向いた後、逆方向にあるDクラスのテントへと戻った。

 

 

 

 



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体育祭Ⅳ

 午前中のプログラムを全て消化し終わり、現在は昼食の時間である。英語で言えばランチタイム。

 昼食は自分で用意するのも買ってくるのも自由だが、大半の生徒はそのどちらでもない。

 学校側が用意してくれているからだ。

 敷地外から取り寄せた高級弁当、しかも無料ときている。

 その説明を事前に受けていた生徒たちは、昼食時間が始まるとこぞってその高級弁当の受取場所へと駆けて行った。

 体育祭で疲労を溜めた体だ。みな食欲には正直である。

 かくいう俺も例外ではない。俺は別に料理が好きで普段から自炊しているわけじゃない。しなくて済むならしたくない。

 というわけで、俺も高級弁当の利用者の一人なのだが……受取所の混雑具合はちょっと半端ではない。

 今あの場に行く気にはなれない。混雑が落ち着くまで少し待機していることにした。

 その間に、俺は綾小路から話を聞く。

 

「綾小路、堀北と何話してたんだ」

 

 一年生の200メートル走が終わった後、綾小路と堀北は少し長い間話し込んでいた。そしてそのあと、堀北はテントを飛び出していった。

 こいつが何か吹き込んだのは明白だ。

 

「別に、気にするほどのことは言ってない」

 

「じゃああいつは何しに行ったんだよ。須藤のところか」

 

「だといいんだけどな」

 

 そう言って、寮の方向を眺める綾小路。

 なるほど……大体分かった。触発したのか。須藤のところへ行かせるために。

 

「お前も飯は取り寄せの弁当を食べるのか?」

 

 露骨に話題を切り替える綾小路。

 俺もこれ以上は何も聞き出せないことを察し、それに乗る。

 

「ああ。人混みが緩和されてから取りに行くよ。……そろそろいいかもな」

 

 混雑具合はさっきよりは解消されている印象だ。

 

「じゃ、取りに行ってくる」

 

「ああ」

 

 手短な会話を終えて、弁当求めて三千里。いや遠すぎか。大体0.05里くらい。メートル単位にして200くらい。

 こういった単位の計算は非常に面倒くさいことが珍しくない。海外のニュース映像が流れた時に、天気予報の気温表示がファーレンハイト温度で「temperature:76」とか表示されて初見だと「はっ!?」とか反応してしまうアレだ。温度表示の統一は割と需要ある気がする。

 んなことはどうでもいいんだ。

 俺が到着する頃には混雑はほぼなくなっており、スムーズに弁当を受け取ることができた。

 弁当箱を片手にDクラスのテント付近に戻る。

 

「速野くん。今から昼ごはん?」

 

 そんな時、通りがかった平田に声をかけられた。

 

「え、ああ、まあ」

 

「じゃあ、一緒に食べない? みんなで食べた方が美味しいし、速野くんとご飯を一緒に食べる機会は今まで持ててなかったからね」

 

 平田は少し離れたところにいる男女数人のグループを指しながら言う。

 その中には軽井沢や前園などの女子、それに池、山内、綾小路もいた。

 ただそれは一つのグループというより、二つのグループが同じ場所に集まっている感じだ。恐らく平田が声をかけてドッキングしたんだろう。

 

「……じゃあ、そうする」

 

 断ってもよかったが、このままでは1人寂しく(いつも通りに)食べることになりそうなので、承諾した。

 敷かれたブルーシートの上に胡座をかき、弁当をかきこむ。さすが高級弁当ということもあって美味い。普段がお粗末な出来の手作りなので、美味さが余計に強調される。

 集団の中でも、平田や軽井沢のようによく話す人と、俺や綾小路のようにあまり喋らず食べている人がいて、食べ終わる時間にも差異が出てくる。

 池や山内が女子との雑談に夢中になっている中、それに加わっていない平田、綾小路、軽井沢、そして俺の4人のグループが自然に出来上がる。

 いや、今思えばこの4人がひとまとまりになるために俺がここに招待され、そしてこの位置に座るよう誘導された気がしないでもない。

 そんな疑問が頭に生じたのと同じタイミングで、平田が自分を含めて4人だけに聞こえるように話を切り出した。

 

「龍園くんは、やっぱり動いてきたね」

 

 平田の言う龍園の動きとは、さっきのハチマキのことなのか、それとも……。

 

「それで裏切り者は誰なわけ? 洋介くんは知ってるんでしょ?」

 

 軽井沢の言葉で、それが「Dクラスにいる裏切り者」のことだと分かる。

 その裏切り者がいつからDクラスを裏切り始めたのかは分からない。だが、少なくともその存在と、そいつがこの体育祭で何かしでかすということは予見していた。

 いや、事前に知っていたと言うべきか。

 

「おいちょっと待ってくれ。なんだ裏切り者ってのは」

 

 しかしここでは何も知らない体を装う。

 すると軽井沢が呆れ交じりに言った。

 

「あんた分かんないの? Dクラスの参加表をCクラスに渡した裏切り者のことよ」

 

「いや、参加表がCクラスに漏れてるっぽいことは察してたが……それは見張ってた俺の責任だと思ってたんだよ。だからその分を取り返せるよう頑張ってたんだが……裏切り者がいたのか」

 

 驚いた演技をしながら言う。それに平田は頷いた。

 

「君に心理的な負担をかけてしまったことは謝りたい」

 

「いや、平田が謝ることじゃないだろ」

 

 平田自身が裏切り者でない限りな。

 だがそれはあり得ない。

 なぜなら俺はすでに知っている。

 Dクラスの裏切り者は平田ではなく、櫛田であるということを。

 

「実は僕にも分からないんだ。具体的に誰なのか。その疑問を解消してもらえないかな、綾小路くん」

 

「いずれはそうするつもりだ。だが、今ここで誰が裏切り者かを言うことはできない」

 

「はあ? なんでよ」

 

「クラスで混乱が生まれる可能性があるからだ」

 

 確かにその通りだ。だが綾小路が本心で言っているとはとても思えない。

何か目的があると考えた方がいい。

 

「ちょっと待った。まずなんでお前が知ってるんだよ。堀北から聞いたのか?」

 

「いや、堀北から聞いたわけじゃない。でもそれは話すほどのことでもない」

 

 言うつもりはないらしい。

 

「分かった。それらについてむやみに聞くことはしないよ。でも、それが分かっていて、どうして参加表の提出を止めなかったんだい? もし気づいてたなら、場合によっては有利に事を運べたかもしれないのに……」

 

 学校側に提出するものとしてクラスメイトに最終確認を行った参加表を後でこっそりと書き換えれば、Cクラスに漏れる情報と実際にDクラスが決めた組み合わせとで齟齬が生じ、Cクラスを混乱に陥れることができる。

 しかしその手法によって混乱するのは、直前で出番の変更を余儀なくされるDクラスも同様だ。それでは意味がない。敵はCクラスだけではないのだ。

 さらに言えば、裏切り者が櫛田である限りその手法は無意味だ。クラスメイトから全幅の信頼を寄せられ、この体育祭でも女子のまとめ役を務めた櫛田は、恐らく参加表の変更会議にも加わる。そして裏切り者を自分に絞らせないために、その会議の参加人数を増やすことも忘れないだろう。

 それへの対策としては、あらかじめ複数の参加表を作ってクラスメイトと共有しておくことが挙げられるが、結局は同じことだ。最後に提出するのは一つだけ。その一つを、例えば裏切り相手とこっそり通話をつないでおくなどしてリアルアイムで伝達すればそれまでだ。

 結局Dクラスの組み合わせが漏れることは避けられない。

 

「そうだな」

 

 綾小路もその程度のことは理解しているはずだが、否定することはしなかった。

 

「なんでそんな他人事みたいな反応なわけ……そんな呑気でいいの?」

 

 言いながら軽井沢は、身近な人間にそれがいるかもしれない、と疑惑の目を向けている。

 

「裏切り者の道徳心を測ってる、ってとこか」

 

「は? 道徳心?」

 

 想定していなかった言葉に、思わず反射的に返してしまった。

 

「こちらから追い詰めることなく改心してほしい、ってことだよ」

 

 あまりにもバカバカしい答え。この場で本当のことを話す気はなさそうだ。

 

「この話は堀北さんの指示のもと、ってことなんだよね?」

 

「ああ。そうだ」

 

 なるほど。やっぱり平田にはそう説明してるのか。

 ただもはや信じられてはいないだろうな。その堀北自身が身も心もあれだけ徹底的にやられていては、すべて知っていたうえでそうしたと言われても「嘘つけ」という感想しか出てこない。

 

「それで、その堀北さんはどこにいるわけ?」

 

「……須藤を探しに行ってる、んだっけか?」

 

 綾小路からはそう聞いている。

 

「そうだといいんだけどな」

 

「うん。僕らにとっては須藤くんが頼りだ」

 

 そうだ。

 Dクラスがどれだけ食い下がれるかは、この場に須藤が戻ってくるかどうかにかかっている。

 そして、須藤をこの場に戻らせることができるのは堀北のみ。

 クラスの命運は堀北が握っているといってもいいかもしれない。

 これは何も体育祭に限った話じゃない。

 そのあと……今後のDクラスが熾烈なクラス間競争を勝ち上がっていくうえで必要不可欠なことだ。

 これは堀北にとっても、さらに言えば須藤にとってもチャンスである。

 Dクラスには、あの二人の『進化』が必要だ。

 

 

 

 

 

 1

 

 昼食時間を終え、午後からは推薦競技が始まる。

 俺は推薦競技には一つも出場しないため、これ以降は椅子に座って観戦するのみだ。

 結局、堀北は時間になっても戻ってくることはなかった。

 昼食を終えたDクラスの生徒がテントに集まると、堀北の不在が全員に知れ渡る。

 男女それぞれのエースであった須藤と堀北が抜けてしまった。その事実が、Dクラスの悪い雰囲気にさらに拍車をかける。

 Dクラスでの俺の肩身は元々広くない。居心地の悪さを感じた俺は、テントから少し距離を取って観戦を行った。

 今行われている競技は借り物競争。お題を見て、それに合った人や物を連れてゴールへと突っ走る。

 迷うことなくお題を用意できる生徒もいれば、お題が書かれた紙を見て右往左往している生徒もおり、その様子はばらばらだ。どうやらお題の中身にかなりの差があるようだ。

 そんな中、ある人物がこちらに向かって走ってきた。

 

「速野くんっ、端末持ってる!?」

 

 赤いハチマキを巻いたAクラスの藤野だ。

 

「端末?」

 

「借り物競争のお題で男子の端末が必要なの! Aクラスの子にあたってみたんだけど誰も持ってなくて! そういえば速野くんは持って行くって言ってたの思い出したから!」

 

「ああ……」

 

 そういえばこの前電話した時にそんなこと伝えたっけな。

 まあ確かに、この会場に端末持ってくる生徒はあまりいないだろう。競技時間中の競技場内では端末の使用は禁止されている。持っていても邪魔にしかならない。

 そのうえで端末をお題に指定するのだから、何とも意地の悪いことだ。

 俺はポケットから端末を取り出し、藤野に手渡した。

 

「ありがと! これ終わったら返しに行くね!」

 

「ああ」

 

 そう言って、藤野はゴールへと全力疾走。様子を見ている限り1位を獲得することができたようだ。

 にしても、Dクラスのテント内で今のやり取りをしていたら、こんな状況で他クラスに協力する裏切り者として袋叩きにあっていたかもしれないな。テントから離れていて正解だった。

 

 

 

 

 

 2

 

「惜しかったね。もう少しで3位を狙うことができたんだけど」

 

「仕方ないさ」

 

 次の推薦競技、四方綱引きで、俺たちDクラスは最下位という結果に終わった。

 須藤がいればまた結果も違ったかもしれないが、たらればに意味はない。

 それよりも心配なのは平田だ。

 

「手持ち大丈夫か平田。もう30万使ってるだろ」

 

 そう、須藤2回分、堀北1回分の都合3回分の代役の支払いを平田が一手に引き受けているのだ。

 

「船の試験で大量のポイントを獲得できたからね。ここが使いどころだよ」

 

「俺もほかに比べればポイントは持ってる方だ。まあ最大限出せて3万程度だが……必要なら支援するぞ」

 

「ありがとう。気持ちはうれしいけど、心配しないで。代役を勝手に立てているのは僕だから、その責任は果たすよ」

 

「……そうか」

 

 この場に堀北がいたら、3万という数字を提示した俺にブチギレるだろうな。だが仕方がない。俺の保有するポイントの収入源のほとんどは表に出せないものなんだから。

 

「次の二人三脚も代役立てるのか」

 

 正直なとろ、先ほどの四方綱引きの敗北でDクラスの最下位は決定づけられてしまった。

 須藤には今までの競技で獲得してきた特典があるし、堀北の方は成績もポイントにも元から余裕があるはず。

 代役を立てることに、もはや10万ポイントをかける価値はないというのが個人的な意見だ。

 

「うん。テストに不安がある人が参加して入賞できれば、次のテストで有利になる。そのチャンスをあげたいんだ。自腹参加だと尻込みしてしまうだろうから」

 

「……それで最下位になった時のペナルティも肩代わりするのか」

 

「必要ならそれも辞さないつもりだよ」

 

「……」

 

 それだけのためにこんな……。

 悪いが俺にはまったく理解の及ばない領域だ。

 こいつの異常なまでのクラスへの執着ぶりはいったいどこから来てるんだ……?

 戦々恐々ともいえるような視線を平田に寄越している中、その平田に近づいてくる人物がいる。

 

「あの、平田くん、私にも協力させてもらえないかな? 二人三脚、堀北さんの代役で私が出たいんだ。もちろんポイントは払うから……ダメかな?」

 

 そう言って、櫛田が自ら代役を買って出た。

 

「もちろんだよ。櫛田さんなら運動神経もいいし、ぜひお願いしたい」

 

 平田も問題なくそれを承諾した。

 

「ありがとうっ。じゃあ早速茶柱先生に代役の報告をしてくるね」

 

 奥の方にいる茶柱先生の方へと駆けていく櫛田。

 しかし、その足は途中で止まってしまった。

 

「わりぃ、遅くなった! 今どうなってんだ!?」

 

 そんな声とともに、須藤、そしてそのすぐ後ろから堀北が、走ってDクラスのテントに戻ってきた。

 

「須藤くん、それに堀北さんも。戻ってきてくれたんだね」

 

「……わり、ウンコが長引いた」

 

 歓迎するように明るい笑顔を浮かべる平田とは対照的に、クラスメイトの多くは須藤に冷めた視線を向ける。

 それもそのはずだろう。須藤はクラスの信頼を完全に失って出ていったのだ。

 推薦競技を欠場し、その代役としてポイントを吐き出しているのは須藤が殴り飛ばした相手である平田。いい顔をする者がいるはずがない。というか異常なのは平田の方だ。

 須藤も自分に向けられる視線がどのようなものか、それくらいはわかっているだろう。

 しかし須藤は、そのすべてを正面から受け止めた。

 そして、その場で勢いよく頭を下げたのだ。

 

「わりい! 俺のせいでクラスに迷惑かけた」

 

 これまでの須藤ではありえない行動に、クラス全員戸惑いを隠せない。

 

「平田も殴っちまって悪かった。堪えられなかった俺のせいだ。それから寛治も、正直お前に当たってたところがあった。謝らせてくれ」

 

 2人に対しては個別に謝罪の言葉を述べる。

 

「戻ってきてくれただけで充分だよ須藤くん」

 

「……んだよ健、らしくねえな」

 

「間違ってたところは謝んねえとな」

 

 入学以来友人をやっている池も、須藤にこのような態度を取られるのは初めてのことだろう。むず痒そうにしている。

 

「……別に、俺も全然活躍できてねーし。足引っ張って悪かったよ」

 

 そんなやり取りを皮切りに、張りつめていた空気も弛緩していく。

 須藤の誠意ある行動がクラスメイトの心を動かしたのだ。

 

「須藤くん、実は今から男女混合二人三脚が始まるところなんだ。まだ間に合うよ。走ってくれるかな」

 

「ああ、もちろんだぜ」

 

「私には代役をお願いしても構わないかしら。二人三脚だけじゃなく、リレーの出番も……」

 

 それまで口を開いていなかった堀北がすっと前に出て、申し訳なさそうに言った。

 

「……いいのかよ。あそこまでリレーのアンカーやりたがってたじゃねーか」

 

「構わない、というよりもうそうするしかないのよ。この足の状態では、もうまともに走ることすらできないわ。今の私は……いえ、この体育祭、最初から私は役立たずだったわね。事前にあれだけ大口を叩いていたにもかかわらず、立派な成績を残すことができたわけでもない……本当にごめんなさい」

 

 須藤に続き、堀北までもが深く頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。

 

「頭を上げて堀北さん。君が最大限の努力をしてきたことはみんなが知ってる。誰も責める人はいないよ。代役はさっき櫛田さんが名乗り出てくれたんだ」

 

「そうなのね……お願いするわ櫛田さん。ポイントも私が出したいところだけれど、生憎20万の持ち合わせがないのよ。貯められるまで、建て替えをお願いできないかしら」

 

「そんな、気にしないでいいよ。さっき平田くんが言ってたんだ。船の試験で得られた大量のポイントの使いどころはここだって。だから建て替えなんて言わずに私が持つよ」

 

「そうはいかないわ。クラスに迷惑をかけた上に、ポイントまで……」

 

 堀北の性格上そこだけは譲れないのか、何としても食い下がる。

 訴えるその手は震えていた。

 龍園によって作り出された自分のこの現状への悔しさ。それがにじみ出ている。

 

「……じゃあ、そういうことにしとくね。堀北さん」

 

 ここが引き際だと思ったのか、櫛田も折れた。

 

「ええ、ありがとう櫛田さん」

 

 止まっていた足を動かし、櫛田は茶柱先生へ代役の報告を行った。そしてそのまま須藤とともに二人三脚の待機場所へと移動していく。

 それに伴い、Dクラスの生徒たちもテントへ戻っていった。

 しかし俺はしばしその場にとどまった。

 右足を引きずりながらこちらに向かってくる堀北の姿を認識したためだ。

 たまたま俺のいる方向に歩いてきたわけじゃないことは分かる。その目はまっすぐに俺を見据えていたのだ。

 

「テントから消えて戻ってきたかと思えば、お前も須藤もまるで別人だ。正直、そっくりさんだってオチの方がよっぽど素直に呑み込めるぞ」

 

「あなたはこんな時にもそんな物言いをするのね……まあいいわ。今はあなたを責めることのできる立場にはない。むしろ恥を忍んで、あなたに頼まなければならない立場だもの」

 

「頼む? ……って、何を」

 

 奇妙なことを言い出す堀北。

 

「けれど……そうね、その前にあなたに言わなければならないことがある」

 

「は……?」

 

 すると、堀北は先ほどクラス全体にして見せたように、俺にも深く頭を下げた。

 

「今までのあなたへの非礼を詫びさせて。ごめんなさい」

 

「……ほんとどうしたんだ急に」

 

「須藤くんですらできたことを、私ができないのでは話にならないでしょう」

 

 ……そういう張り合いの感情からくる謝罪かよ。お前謝る気あんの……とは口には出さなかった。せっかくその気になってるんだから、口を挟まず最後まで話を聞くべきだろう。

 

「……あなたの行動が気に入らないことも信用ならないことも、すべて事実よ」

 

「お前謝る気あんの?」

 

「けれど……私自身のことやクラス間競争で上手くいかないことについて、そういった不信感のあるあなたに当たっていたという面があることもまた事実。それについては謝らなければならないわ」

 

 実際のところ、俺は別に堀北に謝ってほしいと思っていたわけではなかった。

 それはおそらくクラスを欺いているという負い目が多少なりとも俺にあったからだろう。もっとも、負い目があるからといってそれをやめるかは別の話だが。

 ただ、謝罪をしたいというならそれを受け取らない理由はない。堀北に恨みがあるわけあないしな。……いや、船で右足踏んづけられた時はちょっと恨んだな。あれは痛すぎた。

 

「ああ……分かったから頭上げろよ。お前にそうされるとなんか気色が悪い。……それで、そんなに丁寧に謝って、俺に何を頼まれてほしいんだ」

 

 後回しにされていた本題に切り込む。

 

「……借金よ」

 

「……はあ?」

 

 想定内の答えではあったが、口調の上では驚いて見せた。

 

「詳細は後で話すわ。とにかく今は大量にポイントが必要なの」

 

「額は?」

 

「……100万ポイント」

 

「……マジかよ……って無理だ無理。60万しか持ってないぞ俺は」

 

「なら50万ポイントで構わない。もちろん、あなたの望む利率で返すことを約束するわ」

 

「利子付きか……」

 

 ここで高利を押し付けることも可能だ。

 だがもし、堀北がポイントを必要とする理由が俺の想像通りだったとしたら……。

 

「……いずれにせよ詳細な話を聞くまでは決められないな。ただお前が俺に借金頼み込むなんて、よっぽどのことなんだろ。前向きに考えとく」

 

「感謝するわ。……本当に」

 

 噛み締めるようにそう言った。

 状況はかなり追い詰められてるみたいだな、堀北。

 

「とりあえず戻るぞ。あんまり長いとクラスメイトも不審がるだろ」

 

「そうね」

 

 やり取りを終わらせ、俺たちはテントへと戻った。

 

 

 

 



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体育祭Ⅴ

 いよいよ体育祭のフィナーレ、1200メートルリレーだ。

 1年Dクラスの最下位はもはや確定的だ。

 しかし明らかに変化のあった須藤と堀北の帰還により、クラスの雰囲気は一変。何としてでも最後に一矢報いたい、とモチベーションはこの体育祭で最も高かった。

 堀北は足のケガにより、二人三脚に続いてリレーも櫛田に出番を交代。

 櫛田が代役の報告をしにそんな時、平田が手を上げて前に出た。

 

「ごめん、実はみんなに言わなきゃいけないことが……」

 

「少し待ってくれ平田」

 

 平田の声を遮るようにしてそう言ったのは三宅だ。

 

「実は、午前中の200メートルで足ひねっちまったんだ。昼休憩中に休めば痛みも引くかと思ってたんだが、ちょっと走るのは厳しそうだ。誰か代役を頼めないか?」

 

 堀北に続き、三宅も負傷してしまっていたらしい。

 しかし名乗り出る者は出てこない。まあそれも致し方ないことではある。これだけクラスのモチベーションが上がっている中、しかも最大の目玉競技のリレーで、もし迂闊に名乗り出て失敗してしまったら一気に戦犯扱いだ。

 男子が互いにけん制し合っている中、一人の生徒が手を挙げた。

 

「その代役、オレがやってもいいか? もちろんポイントは自分で出す」

 

 ほかでもない、綾小路だった。

 

「え、なんでお前が……」

 

「僕は賛成するよ。今まで彼のことを見てきたけど、必ず結果を出してくれる人だと思う」

 

 不審がる声が多く上がる中、平田が率先して賛成した。

 それで反対する雰囲気も徐々にしぼんでいく。そして最終的に全員が容認する形となった。

 

「じゃあ、三宅くんの代役は綾小路くんだね。これは提案なんだけど、Dクラスはベストメンバーじゃないから、先行逃げ切りの形をとるのはどうかな。須藤くんは予定通りスターターをやってもらって確実にインコースを取り、とにかくリードを作って後ろの人に託すんだ。2番手は僕、3番手は小野寺さん、4番手に前園さん、5番手に櫛田さんで、できるだけリードを守る。そして最後に綾小路くんが走るんだ」

 

「平田がアンカーじゃダメなのかよ? 綾小路より適任だろ」

 

「いや、綾小路くんはバトンパスの練習をしていないからね。やってもらうとしたらスターターかアンカーがいいと思う。スターターは須藤くんから変えるわけには行かないから、彼にアンカーをやってもらうんだ。どうかな?」

 

「……ま、しゃーねえな。それがよさそうだ」

 

 須藤が頷いたことで、走順もそれで定まった。

 メンバーがトラックへ向かう。

 そこに集まっているのは、全員が各クラスの精鋭たちだ。

 柴田や一之瀬、それに藤野。他学年からは堀北の兄である現生徒会長堀北学、次期生徒会長候補という南雲雅の姿もあった。

 その中でも一番のダークホースはやはり綾小路だろう。

 100メートルでもハードルでも200メートルでも、目立った走りを見せていたわけでもない生徒。

 しかし俺や堀北兄、そして堀北は、以前綾小路の運動能力の高さの一端を垣間見ている。そんなあいつの走力はいかほどのものなのか。

 その前に……この展開はおそらく、綾小路と平田によって作られたものだろう。

 先ほど平田は何かを言い出そうとしていた。三宅の怪我の報告に遮られて何を言おうとしていたのかは闇の中だが、おそらく用件は三宅と同じ、怪我をしたという報告だろう。

 そして代役を募り、綾小路が名乗り出る。さらに平田が先行逃げ切りの形を取ろうと言って、綾小路をアンカーに推す。平田が言うなら反論も出にくいだろうしな。

 根拠もある。平田は綾小路をアンカーに推し、これでいいかと確認を取る際、リレーメンバーを中心としたクラスメイトの方を向いていたが、綾小路本人には一切見向きもせず、確認を取ることもなかった。まるで綾小路からアンカー辞退の声が上がることはないということを分かっていたかのように。

 綾小路は基本的に目立つことを嫌う。それは平田も理解しているはず。だとしたら、アンカーをやってもらうことを提案する際に確認くらい取るだろう。しかしそうしなかった。理由として考えられるのは、この展開が平田と綾小路によって事前に打ち合わせられていたもの、ということ。

 気になるのはなぜそんなことをしたのか、だが……今の時点では分かるはずもない。ひとまずレース展開を見守るしかないだろう。

 

「今いいかしら」

 

 そこに、堀北が来て話しかけてくる。

 

「さっきの詳細を聞かせてくれるのか」

 

「ええ。なぜあなたに借金をしなければならないのか。……正直憚られるけれど、すべてを話すわ」

 

 顔を見ずとも、声色から堀北の感じている悔しさが伝わってくる。

 

「昼食時間、私がここを離れたのには気づいていたかしら?」

 

「ああ。綾小路となんか話した後に飛び出してったな」

 

「そのあと……恐らく200メートル走の出番が終わった後でしょうね。櫛田さんが私を保健室へ呼びに来たのよ」

 

「櫛田が……」

 

 てことは、途中で櫛田もテントを離れてたのか。気づかなかった。

 

「そこには龍園くんと、怪我を負った木下さんがいた」

 

 障害物競走で堀北と接触した生徒だ。

 

「彼らの言い分はこうよ。あの接触は私が意図的に引き起こしたことだと」

 

「へえ……実際はどうなんだよ。お前しきりに木下の方振り向いてたよな」

 

「意図的なわけがないでしょう。あれは途中、木下さんが何度も私の名前を呼んだからよ。けれど、彼らはその状況を利用して主張してきたわ。もちろん否定したけれど、どこまで行っても水掛け論。怪我の具合が木下さんの方が酷いこともあって、こちらの分が悪かったわ。兄さん……生徒会長を巻き込んで学校側に提訴すると言ってきた」

 

「なるほど……」

 

 堀北の弱点を的確についたな。

 

「そして向こうは示談の条件として、100万ポイントと私の土下座を要求してきた。それに従うか、学校側に判断を仰ぐか、今日の放課後までに決めろ、とね。櫛田さんが私を迎えに来る手はずになっているわ」

 

「そこで100万か……ってか、土下座までねじ込んできてたのか」

 

 やはりこの体育祭、龍園の狙いは単にDクラスというだけではなかったらしい。

 堀北を徹底的につぶすこと。それが第一命題だったんだろう。

 とりあえず、堀北が借金を頼んできた理由は想定通りだった。

 

「……わかった。貸すよ。50万と言わず、100万まるごとな」

 

「……どういうこと? あなたさっき持っていないと」

 

「それだ。今後俺の所持ポイントについて一切詮索しないこと。もし知ったとしても他人に絶対に漏らさないこと。それが貸す条件だ。それを守ってくれれば無利子でいい」

 

 堀北としても簡単に納得は行かないだろうが、ここは頷いておくしかない。

 

「……わかったわ。これから先、あなたのポイントの原資を問うことはない」

 

「……よし、話は整ったな」

 

 そうこうしているうちに、リレーのスタートが近づいてくる。

 スターター総勢12名がスタート位置に一列に並んだ。

 そして競技場全体に響き渡るピストルの音。スタートの合図だ。

 

「はっや!」

 

 須藤はその初動から他の追随を許さないスピードで駆け出した。各所から感嘆の声が聞こえてくる。

 学年の違いなど意味をなさない。狙い通りにインコースを獲得した須藤はそのまま圧倒的な走りを見せ、2位と20メートル近くの差をつけて次の平田にバトンをパスした。

 それを受けた平田も安定した走りを見せる。若干差は詰まったが、それも誤差の範囲。十分なリードを保って3走の小野寺へ託した。

 しかし問題はここから。3、4、5走と女子が続くDクラスでは、順位ダウンは免れない。

 獲得していた差は瞬く間につまり、4走の前園にバトンをパスする瞬間に2年Aクラスに追い抜かれた。その後も次々と追い越しを許してしまう。

 全体のレース展開としては2年Aクラスと3年Aクラスが頭一つ抜け出している。しかし、ここで3年Aクラスが転んでしまった。すぐに立ち上がって走り出すが、数人に抜き去られてしまい3年Aクラスは大きく順位を落としてしまった。1年生の中で最も健闘しているのは3位のBクラスだ。

 その間、俺たちDクラスは1年Aクラスにもリードを許していた。そのまま5走の櫛田へとつなぐ。

 3年Aクラスの5走は賢明な走りで順位を上げ、3位へと浮上していた。

 ここで競技場内にいる全生徒に衝撃が走る。

 3位でバトンを受け取った3年Aクラスアンカーの堀北兄が、走り出すことなくその場に留まったのだ。

 

「一体何を……」

 

 隣にいる堀北も、兄の奇行に驚きを隠せない。

 状況が変わったのは次の瞬間。

 櫛田が7位で綾小路にバトンを繋いだ時だ。

 その瞬間、止まっていた堀北兄が綾小路とともにスタートを切った。

 

「なんだあれは……」

 

 2人とも、形容のしようもないとんでもない速さだった。

 アンカーを任されている生徒はクラスでも1番速いはず。しかしこの2人に比べれば明らかに見劣りする。格が違うとはまさにこのことだ。

 もはやトップ争いなどどうでもいい。2人の走りは会場中の注目を一手に集めた。

 この日一番の大歓声が競技場を包み込んだ。

 

 

 

 

 

 1

 

 走り終えた綾小路に好奇の視線が向けられる。

 結果から言うと、綾小路は堀北兄に敗北した。だが、これは2人の驚異的な追い上げに慌てた走者がこけて、綾小路の進路を塞いでしまうという不確定要素が絡んだもの。それがなければどうなっていたか分からない。

 ただ、レースの結果自体はそれほど重要ではない。着目すべきは、これで綾小路に注目が集まったということ。そして綾小路は、わざわざ平田と裏工作をしてまでこの展開を作り出そうとしていたということだ。

 とまれこうまれ、これで体育祭の全日程が終了した。

 得点が開示され、各クラスの順位が明らかになる。俺たちは他学年の順位には目もくれず、1年生だけに注目した。

 

 

1位 1年Bクラス

2位 1年Cクラス

3位 1年Aクラス

4位 1年Dクラス

 

 

「うわ! やっぱ俺ら最下位かよ!」

 

 予想通りの順位。得点を見ても、言い訳のしようもない清々しいほどの大敗北を喫した。

 唯一の救いは、赤組白組の対決は赤組が制したということくらいだろう。

 これによってCクラスもDクラスもマイナス100ポイントとなり、差は開きも縮みもしなかった。1年は全クラス後退だ。圧倒的大差をつけて勝利した2、3年のAクラスには感謝のしようもないな。

 また、須藤が狙っていた学年別最優秀賞には柴田が選ばれた。須藤の敗因はやはり途中の欠場だ。自分の非を自覚している須藤は、悔しそうにしながらもその結果を冷静に受け止めていた。

 

「須藤くん、約束は覚えているわよね?」

 

 そんな須藤に、堀北が近寄って声をかける。

 

「……ああ。分かってるさ。これからは堀北って呼ぶ」

 

「いい心がけね。……そう、一つ思い出したことがあるわ。あの時、私はあなたに一方的に要求を突きつけられただけで、私は何も言っていなかったわね」

 

「は? なんだよそれ」

 

「あなたが目標を達成できなかった時の要求。私にはそれをする権利があるはずよ」

 

「まあ、そうだけどよ……」

 

「要求は……そうね。金輪際、正当な理由なく他人に暴力を振るうことを禁止する。自クラス他クラス関係なく、ね。約束できるかしら」

 

「……ああ、罰ってやつだろ。守るさ」

 

 堀北の言葉にも大人しく従う須藤。

 今回一番成長したのはこの2人かもしれない。

 

「……そうだわ。今回、私はあなたのように結果を残すことができなかった」

 

「あ? 怪我したんだからしゃーねえだろ」

 

「でも、私自身を許すことができないの。だから自分にも罰を与える。あなたが呼びたいのなら、私を下の名前で呼ぶことを許可しても構わない」

 

 堀北のそんな言葉を聞いた須藤は驚愕の表情を浮かべる。

 

「は? お、おい……」

 

「これが私の罰」

 

 そう言うと、堀北は須藤から視線を外して後ろを向く。

 

「最下位だったけれど、お陰でこれからの戦いに希望が持てた。感謝しているわ」

 

「お、おう……」

 

 須藤は、少し照れ臭そうに鼻の下を擦りながら、グラウンドを立ち去る堀北の姿を見つめている。

 

「うおおおおおおおおおっしゃああああああああああああああ!!!」

 

 勢いよく腕を振り上げた須藤の大絶叫が、体育祭の余韻の残るグラウンドに響いた。

 

「よかったな須藤」

 

「おう!」

 

「盛り上がってるところ悪いんだけど、ちょっといい?」

 

 そんな中、1人の静かそうな雰囲気を持つ女子生徒が綾小路に声をかけていた。

 

「着替えた後でいいんだけど付き合ってもらえる?」

 

「……なんでオレが?」

 

「話があるから。5時になったら玄関に来て」

 

「お、おい、話って……」

 

 言いたいことだけを簡潔に述べ、その女子生徒はその場を立ち去った。

 

「お、おいおいなんだよ、どういう展開だよ綾小路!?」

 

 須藤が言外に示しているのは告白の可能性だろう。

 しかしもしそうだとしたら、その相手にこんなにうんざりしたような態度で接してくるだろうか。

 

「なんだよ、お前にも春が来たのかよ」

 

「そんな風には見えなかったが……」

 

「いや、最後の走りを見て一目惚れしたやつがいてもおかしくはないぜ」

 

「参ったな……」

 

 なんとも青春っぽい会話をしながら着替えに戻っていく綾小路と須藤を見ながら、俺はその場にとどまる。

 グラウンドには、片付けをしているスタッフ以外はほぼ誰もいない。

 いるとすれば、俺。そして……。

 

「お疲れさま。速野くん」

 

 その後ろにいる、藤野だけだ。

 先ほどから姿を確認していたので、敢えてここから動かなかったのだ。

 

「端末返そうかなと思って」

 

「ああ、助かる」

 

「はい」

 

 藤野が手渡してきた端末を受け取り、ポケットの中に入れる。

 すると、藤野が思い出したように聞いてきた。

 

「そういえばさ、なんで速野くん端末持ってたの? どうせ使えないからって、教室に置いてく人が多かったのに」

 

「まあそうだろうけど……ちょっと撮りたいもんがあってな」

 

「あれ、もしかして写真好き?」

 

「いや、全く違う。まあ目的物は撮れたよ」

 

「? そうなんだ……」

 

 藤野はまだ腑に落ちていない様子だ。

 協力関係があるとは言っても、何でもかんでも話すわけじゃない。

 

「あ、ねえ。折角速野くんが携帯持ってるからさ、一緒に写真撮ろうよ」

 

「写真?」

 

「うん」

 

 ニコニコしながら手を広げてくる藤野。携帯貸してという意味だろう。

 ……まあいいか。

 俺は承諾して頷きながら、端末のカメラアプリを開いて手渡す。

 

「ありがと。じゃあ行くよ?」

 

「あ、ああ」

 

 インカメラモードで、こちら側の映像が反転した状態で映し出される。藤野の顔が近い近い。あと俺の肩に髪の毛当たってる。いいのかこれ。そんな感じで頭が錯乱状態のまま、藤野の親指によってシャッターが切られた。

 

「ん、撮れたよー」

 

「お、おう……」

 

 あー……なんかどっと疲れた。自分の携帯を持つようになってから人と写真を撮ったことなんてなかったから知らなかったが、写真1枚撮るのってこんなに体力使うものなのか……?

 ようやくこれで緊張の瞬間が終わるかと思ったが、あろうことか、藤野は撮った写真を俺にも見せるためにさらに密着してきてしまった。こ、今度は胸が……主張のめっちゃ強い胸が……当たって……ないな。当たらないようにギリギリの距離を保ってる。よかったよかった。

 ようやく離れてくれて、上がりきった心拍数が落ち着きを取り戻す。

 

「あとで私にも送ってね」

 

「分かった」

 

 藤野から手渡された端末をポケットに仕舞い、俺はロッカーに向かって歩き出した。

 

「途中まで一緒に戻ろうよ」

 

「ん、ああ、いいけど」

 

 藤野が俺の隣に並んで歩いてくる。一応の配慮として少しだけ歩幅を縮めた。

 体育祭で撮れる写真は酷いものだけかと思っていたが、最後にいい思い出ができただけ喜んでおくべきだろう。

 

「ああ、藤野。ちょっと頼みごとがあるんだが」

 

「え?」

 

 突然のことに、藤野はキョトンとした表情をしていた。

 

 

 

 

 

 2

 

 着替えを終えた生徒が、教室から自分の荷物を持って帰宅していく。

 これから用事がある者なんてほぼいないだろう。飯、風呂、寝る。帰る途中に打ち上げとしてどこかで夕飯を食べていく生徒も中にはいるかもしれないが、基本的には今言った3ステップのはずだ。

 しかし、その例外が堀北、そして俺だ。

 堀北は龍園に呼び出されている。

 そして俺はそんな堀北に100万ポイントを貸すこと……そしてもう一つ。

 

「譲渡できたぞ。言っとくけど下らんプライドで土下座拒んだりするなよ。俺が汗水たらして稼いだ100万が無駄になる」

 

「本当に汗水たらしたのかしらね。……でも、その点については安心してもらっていいわ。私は今回龍園くんに完敗した。今更プライドも何もないわよ」

 

「……ならいいんだが」

 

 話はひと段落した。

 しかし席から動こうとしない俺を、堀北は訝しむ。

 

「帰らないの?」

 

「お前がここに戻ってくるまではな。これを持ってってくれ」

 

「これって……」

 

 堀北に差し出したのは、通話状態になった端末だ。

 

「あなた、一体何をしようというの……?」

 

「別に。ただお前と龍園……そしてDクラスの裏切り者がどんなやり取りをするのか、それを聞きたいだけだ」

 

「……本当にあなたはどこまで……」

 

 俺が櫛田=裏切り者であると知っていることに驚いているようだ。

 

「これくらいいいだろ。お前の債権者として」

 

 これを持ち出せば堀北としても断りづらい。

 端末を無言で受け取り、教室を出ていった。

 

 

 

 

 

 3

 

「逃げずに来たようだな、鈴音」

 

「当然よ。ここで逃げたら私はとんでもない愚か者になる」

 

「はっ、前よりもいい女になったじゃねえか」

 

 そんな龍園の言葉を全く意に介さず、堀北は櫛田に向き直った。

 

「そんなことより櫛田さん。そろそろ茶番は終わりにしないかしら」

 

「茶番? って、どういうことかな堀北さん」

 

「もう誤魔化すのはやめましょう。ここには私たちしかいないわ」

 

 本当は速野が堀北に渡した端末を通して速野がやり取りを聞いているが、それを言うことはない。そもそも堀北は、速野に櫛田の事を知っておいてもらうのが得策だと考えていた。

 

「あなたがDクラスの参加表をそこにいる龍園くんのCクラスに漏らした。そうよね」

 

「……やだな、そんな話誰から聞いたの?」

 

「私自身が疑問に思っていたことよ。ひとつ前の特別試験でもそう。自分が優待者だと龍園くんに名乗り出て、結果1に導いたのもあなたね」

 

「さっきから何を話してるのか分からないな」

 

「いい加減向き合うべきじゃないかしら」

 

「向き合うって、何に?」

 

「自分自身の過去によ。初めはあなたのことなんて分からなかった。でも、学期が始まってすぐに気が付いたわ。櫛田さん、あなたが私の中学にいたことに」

 

「……」

 

 その瞬間、櫛田の表情が変わる。

 

「そして……あなたの過去を知る私を、退学にしたいと思っていることもね」

 

 明かされる事実。

 

「けれど、それは非常にリスキーなことじゃないかしら。私と明確に敵対すれば、あなたのことを暴露しない保証はどこにもないわ」

 

「そうかもね。でもこの学校であんたの言うことを信じる人間がどれだけいるの? 中学の時と同じ、惨めなぼっちのあんたが」

 

「それでも疑念は残るわ」

 

「その時は生徒会長を巻き込んであんたを追い込む。私はあんたを追い出すためならなんだってするつもりだから」

 

 龍園は櫛田が過去に何をしたのか、その具体的な内容を知っているわけではなかった。

 そのため、「なんだってする」という櫛田の言葉の重みを真に感じているのは堀北だけだった。

 そして、ここでも出てきた生徒会長の名前。

 堀北に対するこれ以上ない防衛策だ。

 

「ああ言っておいてなんだけれど、私は余計なことを言うつもりはない。それはあなたも分かっているわよね。なら私のことなんて無視しておけばいい話じゃないかしら」

 

「言うとか言わないとかもう関係ないの。私が私でいるためには、私の過去を少しでも知る人間にはいなくなってもらわないと困るんだよね」

 

「つまり、この話を聞いてる俺も、てめえのターゲットにされるわけか」

 

「場合によっちゃそうなるね」

 

「クク、おもしれえ女だぜ。ま、だからこそ手を組むことにしたわけだがな」

 

 不敵に笑う龍園。

 電話口で話を聞いている速野は、とんでもないとばっちりを食った形になった、と龍園とは対照的にため息をついていた。

 

「話を先に進めましょう。私の土下座と、100万ポイントだったわね。龍園くん……いえ、あなたたち二人の望みは」

 

「クク、ああそうだ。言っとくが鈴音、あの接触は偶然の事故だ。お前が疑ってるような事実はねえぜ」

 

「……そうね、証拠はない。潔白を訴えても、その言い分が素直に聞き入れられることはないでしょうね。けれどそのうえで言い切っておくわ。今回の件、すべてあなたが裏で仕組んでいたことだとね」

 

「妄想だな」

 

「それでも聞かせてもらえるかしら。あなたがこの体育祭でどんな罠を仕組んだのか」

 

「せっかく土下座するんだ。お前がどんな被害妄想をしてんのか、話してやるよ」

 

 愉快そうに笑いながら、龍園はカラクリを話し始める。

 

「俺は櫛田を使ってDクラスの参加表を手に入れた。そしてどうやったら効率的にDクラスを潰せるかを考えて組み合わせを完成させた。もちろんAクラスも徹底的に調べ上げたうえでな」

 

「それが功を奏して、CクラスはAクラス、そしてDクラスに勝った。けれどそれにしては不自然な点もあるわ。陸上部二人を私にぶつけ続けるなんてことをしなければ、Bクラスにも勝てていたかもしれない」

 

「んなことはどうでも良かったのさ。今回の俺の目的はお前を潰すこと、そんだけだ」

 

「そう。けれど、幸運だったわね。私が続行不可能な怪我を負ったことも、木下さんが転んで大けがを負い、私に疑いの目を向けることができたのも、どちらも偶然の出来事だったのだから」

 

「クク、確かにお前の怪我は偶然だ。だが木下は違う。俺は体育祭の期間中、木下に一つのことだけを練習させ続けた。偶然を装って他人と接触し、転ぶ練習をな。そしてもう一つ。木下の大けがだが……あれが偶然だと本当に思ってんのか?」

 

「……どういうこと?」

 

「転ぶことはできたとしても、そこで大けがを負う練習なんてできやしねえ。だから俺は木下にけがを負ったふりをさせて競技場の外に連れ出し……こうしてやったってわけだ!」

 

 龍園はその右足を高く上げ、そして勢いよく地面に叩きつける。

 つまり、今のようにして木下の足を踏み潰したということだ。

 

「そんなことを……」

 

「ま、普通は断るだろうな。だが50万やるっつったら素直に承諾したぜ。ったく、金の力ってのは恐ろしいもんだ」

 

 堀北は内心、龍園を恐ろしく感じていた。

 目的のためにどんな手段も取る実行力と度胸。その策に強引に従わせる支配力。

 しかし……同時に勝機も見出していた。

 

「そう……ありがとう龍園くん。あなたの取った非道な策は、これで学校側に知れることになるわ」

 

「あ?」

 

 堀北は速野から預かっていた端末……ではなく、自らの端末を取り出して龍園に見せた。

 

「ここでのやり取りはすべて録音させてもらった。あなたがここで私に土下座とポイントを要求するなら、私はこの証拠を持ってあなたと争うわ」

 

 堀北のそのセリフで、龍園の表情から余裕が消える。

 

「鈴音、お前……」

 

「私としても、これ以上事を荒立てることは望まない。今回はこれで収めないかしら?」

 

 勝利を確信してそう告げる堀北。

 しかし。

 

「……ク、クク、クハハハハ!」

 

 龍園は再び大声で笑う。

 

「そうかよ、そうかよ鈴音。お前がここまで楽しめる女だとは思わなかったぜ! 想定以上だ! だが、俺の想像を超えることはできなかったようだな」

 

「一体どういう……」

 

 龍園は手に持っていた端末を堀北に見せる。

 それは、録画状態のカメラアプリだった。

 

「俺は最初に言ったはずだぜ? 今から話すのはてめえの妄想を俺が推理しただけだってな。この録画映像にはそのセリフも全て入ってんだぜ。お前がその録音をどう使おうが自由だが、それで問題は起こりゃしねえのさ」

 

 龍園は先の先まで読んでいた。

 堀北の完敗だ。

 

「素直に認めろよ鈴音。お前の負けだ。とっとと土下座してポイントを払いな」

 

 堀北は打てる手をすべて失った。

 龍園に促されるまま、今まさに櫛田と龍園の前に跪こうとしている。

 その時。

 この場には似合わない、ピロリンという電子音が響いた。

 それは端末の通知音。龍園の端末から発されたものだ。

 龍園も特に何かあるとは思っていなかっただろう。ただその通知の正体が気になったから画面に目を向けたに過ぎない。

 しかしその瞬間、それまでの不敵な笑みが龍園の表情から消え去る。

 堀北のことなどそっちのけで、端末を操作していた。

 そしてそこから、こんな音声が流れだす。

 

『いいかお前ら。今からDクラスを潰すための策を授けてやる。よく聞けよ。木下、お前を鈴音と同じ組に入れてやる。お前が鈴音に接触して転ばせろ。それからお前自身も転べ。そのあと俺がお前に本物の怪我を負わせて鈴音から金をぶんどってやる』

 

 先ほど龍園が堀北の妄想として説明していた策。

 それが妄想などではないことの証拠だった。

 龍園も、櫛田も、堀北も……そして電話越しの速野も、この音声に驚きを隠せない。

 

「ねえ、これどういうこと?」

 

「……なるほど。なるほどなるほど。なるほどなあ。クク、面白え。これがどういうことかわかるか? 裏切り者はCクラスにもいるってことだ。そしてそれを影で操ってるそいつは、桔梗の裏切りも、鈴音が敗れることも全て計算尽くで、お前らだけじゃなく俺も手のひらの上で踊らせてたってことさ! 面白え! お前の裏にいるやつは最高だぜ鈴音!」

 

「ねえ、説明して。どういうこと?」

 

「利用されたんだよ桔梗。お前の裏切りは最初から予想されてたってことだ。じゃなきゃこんな録音用意できやしねえよ」

 

「裏切りを読んでた……? 誰にそんなことできるっていうの? まさか綾小路くん? たしかにあの足の速さは知らなかったし……」

 

「まあ決めつけはしねえ。鈴音も綾小路も、場合によっちゃ平田すら操れる存在の可能性も考えて、これからじっくりあぶり出すんだよ」

 

 この場で名前は出なかったが、龍園はもう一人、速野の可能性も強く疑っていた。

 そして堀北もまた、同じ人物を頭に思い浮かべている。

 しかしそれは的はずれ。速野も、このような展開は予想外だったのだから。

 だが速野は同時に確信していた。

 この録音を用意したのは綾小路であり、そしてその綾小路は自分と似たような策を実行に移していたということを。

 

「今回はここまでだ。ポイントと土下座は逃したが、でかい収穫があっただけでもよしとしてやる」

 

「それでいいの? これを元にゆすられたら……」

 

「そうするつもりならもっと後で出す。この場でわざわざ送り付けるような真似しやしねえよ。これを送り付けてきやがった奴も、これ以上は要求してこねえだろうさ。目的は半分達成できた。俺としちゃそれで十分だ」

 

 

 

 

 

 4

 

「さっきのはいったいどういうこと……?」

 

 教室に戻ってきた堀北は開口一番、俺に疑問をぶつけてきた。

 

「俺を疑う気持ちもわかる。でも今回に限ってはマジで何もしてないぞ俺は。やったのは多分あいつだ」

 

 そう言って、俺はある方向に目を向ける。

 窓際の一番後ろ。

 俺の後ろで、堀北の左隣の席。

 綾小路が座っている席だ。

 

「あなたでないとしたら、彼しかいないけれど……」

 

「間違いなく綾小路だ。そもそも俺が用意してたのは別の証拠だ」

 

「……あなたも何か用意していたというの?」

 

 そう。俺もタイミングを見計らって、その証拠を龍園ではなく櫛田に送り付けるつもりだった。

 しかし、俺が送ろうとしたのとほぼ同時に龍園のもとににあの録音が届き、タイミングを逸してしまったのだ。

 

「一体どんな証拠?」

 

「見てもあんまいい思いはしないぞ」

 

 何を言っても見せろと言われるのは目に見えているため、そう前置きして俺は手元の端末を堀北に見せた。

 それは、ある録画映像だった。

 映っているのは木下と龍園。

 

 

『りゅ、龍園くん、私、やっぱり……』

 

『おいおい、50万やるっつったら承諾したのはお前だぜ木下。安心しろ。すぐに終わらせてやるよ』

 

『ぎゃあああああああああああ!!!』

 

 

 あまりにもショッキングな映像に、堀北は思わず画面から目をそらした。

 その映像は、人気のない校舎で龍園が木下の足を踏み潰している瞬間だった。

 この映像により、木下の負った怪我は堀北ではなく龍園による作為的なものだったことが分かり、さらにそのうえ木下に50万の謝礼が渡っていたことも明らかになる。

 堀北が木下に意図的にけがを負わせたという前提が崩れるのだ。

 

「一体どうやってこんなものを……」

 

「お前と木下が倒れた後、木下の動向をずっと見張ってたんだが、龍園に連れられて校舎に入っていくのが見えたからな。それを尾行して撮影したんだ」

 

 二人三脚の整列に少し遅れたのはこのためだ。

 

「あなたはこの展開を全て読み切っていたということ……?」

 

「大体はな。龍園は毎回手口が同じなんだよ。嘘の中に事実を紛れ込ませて、その嘘を強引に通そうとする。そしてその事実ってのが実際に負った手傷だ。須藤の喧嘩騒ぎの時も、無人島で伊吹がDクラスのベースキャンプに来たときもそうだっただろ。この手口が頭に入ってれば、龍園が木下に対してやるであろう所業は予想がつくってことだ。お前に簡単に100万を貸したのも、それが絶対に龍園の手には渡らない自信があったからだ。何かしら仕掛けてくると思って端末を用意してて正解だった」

 

「……」

 

 呆れて言葉も出ないといった感じで、堀北はこちらを見つめている。

 それを特に気に留めることなく、言うべきことを言う。

 

「とりあえず堀北、端末と100万返してくれ」

 

「……え、ええ……というかこの端末は誰のものなの?」

 

「藤野のものだ」

 

「藤野さん……彼女はこのことを知っているの?」

 

「いや」

 

 これは本当に知らないはずだ。俺は藤野に「何も聞かず、放課後に端末を貸してくれ」としか伝えていない。

 堀北としても、俺が藤野と仲が良いことは知っている。俺が藤野から端末を借りたとしても、特に怪しくは映らないはずだ。

 

「にしても綾小路、いつの間にCクラスにスパイなんて作ってたんだ……」

 

「あなたでもそれは分からないのね」

 

「俺に綾小路のことが分かるわけないだろ。あいつは俺とは次元が違う」

 

 綾小路とだけは敵対したくない。何か行動を起こすにしても、綾小路を敵に回す形にだけは絶対にしないよう、注意する必要がある。

 

「それよりお前、櫛田と同じ中学だったなんてな」

 

「……ええ。特に言う必要のないことだから言っていなかったけれど」

 

「過去に何かあったんだろ? なら言わなくて正解だ」

 

「聞きたいとは思わないのね」

 

「なんだ、聞いたら教えてくれるのか」

 

「知っている範囲のことならね。といっても私が知っているのは断片的なことだけで、全貌は全く知らないけれど」

 

 良心的だな。

 

「別に聞かねーよ。あいつから変な恨みを買いたくない」

 

 櫛田の過去が一体どんなものなのか、それを知らなくても、今回で分かったこともある。

 堀北を嫌う原因が自分にある、という櫛田の発言の意味。そして入学当初の櫛田が堀北にあれほどこだわり、逆に堀北は櫛田を遠ざけようとした、その理由も。

 それが分かっただけでも十分だ。

 櫛田の過去に全く興味がないといえば嘘になる。しかし、情報の重要度という観点で言えば今日の茶柱先生の晩御飯のメニューと同じレベルだ。知っても知らなくても益も損もない。

 大事なのは、櫛田がクラスを裏切っているという明確な事実。

 一手目はうまくいった。あともう一押し、ってところか。

 

 



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体育祭後の一幕~テスト勉強~

「いててててててて……」

 

 どうも、体育祭で大した活躍してないくせに全身筋肉痛の俺です。

 まあやる前からこうなることは分かっていたので、体のあちこちにあらかじめ買っておいた湿布貼ってるんだが、今のところあんまり効いてる感じはない。

 そのうえ部屋に独特のにおいが充満してちょっと臭い。そのため換気のために窓を開けていた。夏が過ぎて涼しくなってきたからこそできる。

 いずれこの湿布が痛みを吸い取ってくれるだろう。それまでは我慢だ。

 腕は痛いが、料理くらいはできる。まあ料理といえるか微妙だが。パンを焼いて、その上に熱したフライパンでひたすら混ぜたいり卵乗っけて食うだけ。作って食うまで合わせて10分もかからずに朝食を終えた。

 体育祭が終わってすぐの俺たち生徒にとっては頭の痛い話だが、もう次の中間テストは遠い未来の話ではない。早い人はもう勉強を始めていてもいい頃だ。流石に今日は体育祭翌日ということもあって休息にあてる生徒が多いだろうけど。

 勉強しようにも、匂いが取れきっていない部屋の中でする気にはなれない。

 窓を開け放ったままでいても、侵入してくるような不届き者はこの学校にはいないだろう。

 そんなわけで、俺は窓を放置したまま図書館へ向かった。

 

 そういえば、須藤や池、山内と櫛田は綾小路の部屋の合鍵を勝手に作って出入りしたことがあるらしいが……え、大丈夫だよね?

 

 

 

 

 

 1

 

 高1のこの時期になってくると、多くの科目の中でも特に古典が煩わしく感じてくる。助動詞の活用とか、推量とか伝聞とか、副詞の呼応とか係り結びとか。中学範囲と比べて覚える量がけた違いに多い。

 まあ、古典の基礎から標準の部分は99パーセント暗記だ。応用レベルになるとかなりの読解力も求められるが、それはこれから積み重ねていく部分だ。そのための問題集なわけだし、傾向からして中間テストは今解いている問題集より5、6段階レベルの低い問題になると思うので不安はない。

 ひとまず大問をひとつ解き終わり、採点を終えた。点数は8割ほど。まあ今マジもんの大学入試解いたらこんなものだろう。

 

「速野。中間テストの勉強か?」

 

 一息ついていた中、名前を呼ばれて顔を上げると、立っていたのは体育祭の二人三脚でペアだった三宅だった。

 

「ん……まあな。足は大丈夫か」

 

「ああ。一晩寝たら割とな。まだちょっと痛むが、歩く分には支障はないぜ」

 

「そりゃよかった。お前も勉強か」

 

「一応。部活も休みだし、不安な科目も少なくないしな。できたら教えてくれないか?」

 

 そんな申し出を受ける。

 三宅の得手不得手は知らないが、手に国語と世界史の教科書を持っていることからすると苦手科目はこの2つ、というか文系科目か。

 

「まあ、俺でいいなら」

 

 こうして、俺と三宅の勉強会が始まったのである。

 

 

 

 

 

 2

 

「これはここに構文があってな……だからこう読める」

 

「なるほど……」

 

 今は三宅に古文を教えているが、ちょっとこれは割とまずいレベルかもしれない。池、須藤、山内とまではいかないが、基礎的なところが大きく欠落していると言っていい。

 

「なあ、前回の期末テスト、国語何点だった?」

 

「実はかなり危なかった。44点だ」

 

「本当にギリギリだな……理系は?」

 

「数学は70点、化学は77点だった」

 

 ガチガチの理系か……世界史の点数も振るってないだろう。

 正直なところ、体育祭やる時期間違えたんじゃないかと思う。中間テストまでは余裕があるようでない微妙な期間だ。国語に時間を費やせばいい点が期待できるが、それだとそれ以外の科目が疎かになってしまう。

 

「文系科目、赤点取らない自信あるか?」

 

「正直、あると言ったらウソになる。毎回40点から50点の間をうろうろしてる感じだ」

 

 ちょっとまずいなこれは。もしも平均点が高い時にその点数だと赤点もあり得る。といっても、今から本格的な勉強を始めてもタイムオーバーだ。

 どうやって危険ゾーンを抜け出させようかと考えていると、1人の女子がこちらに近寄ってくるのが見えた。

 

「あれ、みやっちと速野くんじゃん。ここで勉強してんの?」

 

 確か……長谷川? いや、長谷部か。みやっちとは三宅のことだろう。

 

「そうだ。あんまり邪魔しないでくれよ」

 

「私も混ざっていい? 速野くん頭いいし、私にも教えてほしいんだよね」

 

 みやっち、じゃなくて三宅の話を聞いているのかいないのか、そんな問いを俺にしてくる。

 

「……三宅がいいなら」

 

 俺としてはどっちでもよかったので、三宅に選択権を譲った。

 

「はあ……分かった。静かにやってくれ」

 

「分かってるってー」

 

 返事からは不安しか感じなかったが、その後30分間、俺への質問を除けば長谷部は本当に静かに勉強していた。

 3人のキリのいいところで一旦休憩を挟む。静かだった雰囲気の糸が切れて、全員リラックスしている。

 今ならいいだろうということで、ひとつ気になっていることを長谷部に聞いた。

 

「長谷部、今まで話したことすらないやつと勉強するのって気まずくないのか」

 

 俺が聞くと、長谷部はうーんと少し考えてから答える。

 

「そりゃみやっちに比べたら気まずさはあるけど。でも速野くんも私たちと同じでクラスの子と付き合い薄い側じゃない? 妙な親近感があるっていうか、とにかくそんな感じなんだよね」

 

 特定のグループに属さない、無派閥という共通点からくるシンパシーか。

 人付き合いやコミュニケーション能力に関しては、入学時と比べると格段に向上している自覚はある。でなければ三宅とこんなに関わることもない。まだコミュ障の域は脱していないだろうが、中学の頃の俺が見たらたまげるだろう。

 それでも、まだ長谷部のいう親近感を理解するには及んでいないらしい。

 

「速野くんって案外話せるね。もうちょっと暗くて取っ付きにくいイメージあったけど」

 

「話せるかどうかは置いといて、暗くて取っ付きにくいに関しては自覚がある」

 

 長谷部は割とストレートにものを言うタイプらしい。

 

「俺が意外なのは長谷部の方だけどな。お前誰かと一緒に勉強するような柄じゃないだろ」

 

 この2人が知り合うのにどういった経緯があったかは分からないが、三宅は長谷部のことを結構知っているらしい。

 

「まあ、それは偶然ってことで。図書館で勉強するつもりで来たら、同じように勉強してるみやっちと、質問したらどんなものでも答え返って来そうな速野くんがいたわけだし。実際返ってきたしね」

 

 なんか俺機械みたいに見られてない? まあこれくらいの距離感保ってくれた方がやりやすいんだけどさ。

 にしても……。

 長谷部と三宅、この2人を見ていると色々驚かされる。さっきの30分間、長谷部も三宅も俺に4回ずつ質問してきたが、質問する箇所、内容、解き方全てが酷似している。

 

「長谷部、前回の期末テスト、国語の点数は44点だったか?」

 

「え?いや、惜しいけど違うよ。前回は45点。なんで分かったわけ?」

 

「お前ら2人とも、考え方が相当似てる。三宅からさっき点数聞いたからそれを言ってみただけだ。ちなみに前回、数学は70点前後だっただろ?」

 

「前後っていうかジャストだけど。ねえ、なんか運命感じないみやっち?」

 

「感じねえ」

 

「あ、そ」

 

 恐らくだが点数だけじゃなく、当たっている箇所や間違い方なんかもほぼほぼ一致しているかもしれない。

 これは驚きを通り越して逆に面白いぞ。こんな偶然、なかなか目の当たりにできるものでもない。

 

「2人はこのあとも勉強するのか?」

 

 柱にかけられている時計を見ながら、三宅が俺と長谷部に聞いた。

 

「まあ、一応は」

 

「私は昼ごはんの時間まではやる気だけど」

 

「なら、席を離してやらないか。俺ら以外に人はいないみたいだし、そっちの方がお互い合ってるだろ」

 

 たしかにそうかもしれない。言った本人の三宅はもちろん、長谷部も1人の方がいいらしいしな。俺は言わずもがな。

 

「さんせー。んじゃ、私あっちでやるね。質問あったら行くからよろしく」

 

「ああ……」

 

 言うが早いか、長谷部は広げていた勉強道具一式を持って向こうの机に行ってしまった。

 

「どうする速野。この席使いたいなら俺がどくけど」

 

「いやいい。そんだけ広げてると手間だろ」

 

 俺は問題集一冊しか広げていないのに対し、三宅は教科書、ノート、ワークブックなどが机の上にある。俺が移動した方が効率的だ。

 こうして、3人はそれぞれ離れた席で勉強を始めた。

 やはりというか、2人とも質問する箇所が全く同じだったので少し吹き出しそうになってしまう。

 なので、俺はこの中間テスト「だけ」をクリアするための勉強法を教えた。

 世界史は、教科書で太字になっているものとそれの説明を覚えるまでノートに書くこと。

 現代文は、選択問題に関しては本人達に頑張ってもらい、記述問題については、これじゃないかと思うところを抜き出し問題ではなくても本文丸写しで書くこと。

 古典は、文法問題は捨て去り、出題範囲の本文と現代語訳をとにかく頭に叩き込むこと。

 これをテストまでやり続ければ、平均点には及ばないだろうが、赤点ラインはクリアできるはずだ。まさに中間テストのため「だけ」の勉強。学習内容はほぼ身につかないので本来はあまりやってはいけない方法だが、本格的にやるには時期が遅すぎた。

 だが、勉強に対する姿勢は前向きだし、1学期中間テストの時の須藤、池、山内よりは格段にいい。この2人ならなんとかなるだろう。

 その後も各々自由に勉強し、3人バラバラで解散した。そしてそれ以来、この3人で集まって勉強するなんてこともなく、テストまでの期間を過ごした。

 最近は平田や藤野など、コミュ力がオーバーヒート気味の人といる時間が長かったのでわからなかったが、こういう良い意味で自分勝手な、緊張感ゼロの付き合い方もいいかもしれない。気を使う必要がなく、使わなくても何も言われないし、言わない関係。

 まあ、平田や藤野といるときに俺が気を使ってるのかは甚だ疑問だが。

 それに藤野の場合ははっきりとした友人ではあるものの、それ以外にも様々な要素があって色々特殊だ。同列に考えない方がいいかもしれない。

 それにそもそもの話、平田や藤野との関わり方に現状文句があるわけでもない。

 

 

 

 

 

 3

 

 テスト前日の放課後。今日は食材の買い出しの日だった。

 この藤野との買い物の習慣はそれなりに長く続いている。

 テスト前でもそれは例外ではなかった。唯一途絶えたのが夏休み前だが、それも色々事情があってのことだ。

 すでに買い物を終え、荷物を持って寮までの道を歩きながら、俺は英語を、藤野は世界史を勉強していた。たまに問題を出し合う。

 藤野の出す問題は高難度だ。絶妙なところに引っ掛けが潜んでいたりするため面白い。問題を慎重に聞いてなんとか正解していく。俺も出来るだけ難易度の高いものを出すが、藤野はそれらをことごとく正解する。

 問題の出し合いがひと段落したところで、藤野が話題を転換する。

 

「速野くんは、今日は部屋で勉強するんだよね?」

 

「ああ、そのつもりだけど」

 

 テスト前日ともなれば、今ごろ図書館は人でごった返しているだろう。そんな場所で好き好んで勉強しようとは思わない。自室の方が集中できるし、慣れている。

 

「私、去年の2学期中間テストの過去問持ってるんだけど、一緒に解かない? もちろん、速野くんが良ければだけど」

 

「……どこで?」

 

「私の部屋でオッケーだよ」

 

 過去問の有用性は1学期中間テストで証明されたところではあるが、今回はその過去問と同じような問題が出ることは期待しない方がいい。1学期期末テストは、中間テストの時よりも過去問との共通点が極めて少なかった。

 だが、出題形式はほとんど変わらない。演習ができるというなら乗らない手はないか。

 

「じゃあ頼めるか」

 

「オッケー。私の部屋、来る?」

 

「……分かった」

 

 そう返事すると、藤野は頷きながら微笑んだ。

 

「あ、悪いが一回部屋寄っていいか」

 

 言いながら俺は、手に持っている買い物袋を藤野に示し、部屋に置いておきたいということを言外に伝えた。

 

「うん、オッケー」

 

 

 

 

 

 4

 

 部屋の玄関に買い物袋を置いて、藤野と俺は藤野の部屋に向かう。今すぐに冷蔵、冷凍する必要があるものは買っていないので大丈夫だろう。

 藤野の部屋は12階にあった。エレベーターを降りてその背中に着いて行き、部屋に到着。

 

「ここだよ」

 

 言いながら鍵を開け、俺を招き入れてくれる。

 

「お邪魔します……」

 

 よく考えると……いや、よく考えなくても、女子の部屋に入るのはこれが初めてだ。

 空気感が男子とは全く違う。まあ男子の部屋も自分を除けば綾小路のしか知らないんだけど。

 それに行き慣れてるのもそれはそれで問題ある気がする。

 

「いま過去問持って来るから」

 

「ん、ああ」

 

 俺の部屋に寄った際、買い物袋と同時にバッグも置いてきたため、手元にあるのは筆箱だけ。それを足の短い丸テーブルに置き、カーペットに座り込んで待っていると、紙の束と、コップ一杯の水を持った藤野が戻ってきた。

 それらを手渡しながら藤野が言う。

 

「はい。場所そこで大丈夫?」

 

「お前が机使うんだから、他に場所ないだろ。それに特に不満はない」

 

「なら、いいんだけど」

 

 受け取った過去問を広げ、早速解き始める。

 それを見て、藤野も机に向かって問題を見始めた。お互いに無言の状態がしばし続く。

 男子が女子の部屋の階に居られる時間は制限されている。そうでなくてもあまり長居するのは憚られるので、スピードを意識して解き進めていく。

 解き終えた後も見直しなどせず、シャーペンを置く。全て合わせて80分で終わってしまった。

 背伸びをすると、身体中からゴキゴキゴキ、というものすごい音がする。

 その音に反応して、藤野がこちらを振り向いた。

 

「すごい音だね……」

 

「あー、悪い。集中乱したか」

 

「ううん、ちょうど2科目おわったところだから……え、まさかもう終わったの?」

 

 テーブルの上の様子から察したらしい藤野は、驚愕の表情を見せる。

 

「ああ、まあ」

 

「ちょっと速すぎない……?」

 

 軽く引いているのが声で分かる。

 

「スピード重視でやったからな。その分いくつか間違いはあると思うが」

 

「いや、それにしてもだよ……私も解こうっと」

 

「落ち着いてな」

 

「うん」

 

 まあ藤野は俺と違って変なミスをしないだろう。先に採点しておくか。

 採点結果。

 国語100点。数学100点。英語97点。理科98点。社会98点。合計493点。

 英語はスペルミス、理科は単位のつけ忘れ、社会は漢字ミスと、ザ・凡ミスのオンパレードである。原因は明らかに焦りすぎとチェックを怠ったことだ。

 実際にはこういったミスでは部分点がもらえるはずなので、本来の点数はもう少しだけ高めに出るはずだ。数学で計算ミスがなかったこと、国語で漏れがなかったことは誇っていいだろう。

 今回は全部15分から20分ほどで解いたが、明日は見直す時間が30分以上ある。しっかりやれば、取りこぼしも無くすことができる。

 ……女子の部屋という緊張のなかでこんだけ取れれば十分だろう。

 自分の採点が終わった1時間後、藤野も全科目の回答を終えた。

 

「んー、やっと終わったー……」

 

 藤野が先ほどの俺と同じように伸びをする。その姿勢は当然、豊満な胸元を強調する形になるわけで。

 俺は反射的に目を逸らし、すでに全てを終えた過去問に視線を移した。

 

「速野くん、全部で何点だった?」

 

 ペンと紙の摩擦音とともに、藤野が聞いてくる。

 

「あー……493だった」

 

「高いね……敵わないかも」

 

 ペーパーテストは俺の得意分野だ。これに関しては堀北にも勝ちを譲る気はない。

 まあ、今の堀北に求められるのはそういった力ではないが。

 少しして採点を終えたようで、藤野は赤ペンをぱっと机に放りだした。

 

「できた。490点。化学の最後、ちょっと難しくなかった?」

 

 藤野が失点したのはどうやらそこらしい。確かに少し立式が複雑だったかもしれないな。答えは出たが、俺が単位のつけ忘れで失点したのもそこだった。

 

「今は多分焦ったからだろ。本番で落ち着けば解けないレベルじゃない」

 

「うーん……早く解けるようになるコツとかってあるの?」

 

「とにかく演習していろんなパターンを経験しとく、とかか」

 

 通信教材の宣伝に入ってくる漫画なんかで、「あ、これベネ○セで出たやつだ!」とか「あ、これZ○で出たやつだ!」とかいう場面があるのをご存知だろうか。要はあの状況を頑張って作るのだ。勉強は量だけでは伸びない。ただ、量をこなさなければできるようにはならない。高1のガキが当たり前のことを何を偉そうにって感じかもしれないが、今までにやってきた勉強量なら、俺はそこらの受験生とも張り合える自信がある。狂ったようにバスケと勉強だけしかやってなかった時期があるからな。

 

「やっぱりそれしかないよね……」

 

「少なくとも俺はそれしか知らない」

 

 他に効率的な方法があるなら是非とも教えてほしい。特に藤野に。

 その後、お互いの解き方などを確認して時間が経過。ふと時計を見ると、時刻は7時40分を過ぎようとしていた。

 だいぶ遅くなってしまったな。そろそろ帰り支度をしなければ。

 机の上を片づけている最中、俺は自分の使用した問題用紙を手に取り、藤野に言う。

 

「藤野、これ持ってっていいか?」

 

「全然いいよ。コピーだし」

 

 要るのは国語と社会だけなんだが、それ以外を残していくのも変だし、全部持っていかせてもらおう。

 

「ちょっと遅くなっちゃったね……」

 

「まあ、全部解いたしな……」

 

 藤野も1科目30分ほどで解いている計算だから、決してスピードが遅いわけではない。

 

「じゃあ、解散しよっか」

 

「ああ。長居して悪かったな」

 

「そんな。私から誘ったんだもん」

 

 もちろん、こんな時間になることは予想していなかったわけではないが、「こんな夜に女子の部屋にいる」という事実を体感すると、こうも重くのしかかってくるのか。

 雰囲気が変になる前に出よう。

 

「じゃあ」

 

「うん。また一緒にやろうよ」

 

 言われて、少し考えてみる。

 緊張はしたが、心地が悪かったわけではない。

 そもそも藤野といる時間はそういう感じであることが多い。その時々でどんな感情を抱くにせよ、嫌気が差すとか、帰りたいとかそういった類のものは感じたことがない。流石に初対面のあの状況のときはかなり居心地が悪かったし、帰りたいと思ったが。

 

「わかった」

 

「ほんと? ありがと。またね」

 

「ああ」

 

 出て行く直前に軽く手をあげると、ドアが閉まって見えなくなるまで藤野がこちらに手を振り返してくれた。

 この場面を誰かに見られるのはあまり望ましくない。ささっとエレベータホールに移動すると、片方のエレベーターが到着した。

 そこから、制服をきた女子生徒が降りてくる。

 

「あ、速野くんじゃん」

 

 数日前に図書館で一瞬だけ一緒に勉強したクラスメイト、長谷部だった。

 

「なんでこんな時間に? あ、もしかして彼女?」

 

「違う」

 

「なーんだ」

 

 聞いてきた割に超興味なさそうな反応だ。

 まあ、遭遇したのが長谷部だったのはラッキーと同時に好機と捉えるべきだろう。見られたのが池や山内だったらまた変に追求されてたかもしれないし。今ここでもう一つの目的も果たせる。

 

「お前、三宅の連絡先持ってるよな?」

 

「みやっちの? まあ一応」

 

「なら、これ、お前に渡すから三宅にも送ってやってくれ」

 

「?」

 

 一瞬渡されたものが分からなかったようだが、中身を見てすぐに理解する。俺が渡したのはさっき藤野から譲り受けた過去問のうち、国語と社会の問題だった。

 

「あったんだ。助かるー。みやっちにも送っとくね」

 

「ああ、頼む」

 

 そこでちょうどエレベーターが到着し、長谷部と別れることにする。

 

「じゃあねー」

 

「ああ。明日な」

 

 それだけ言い残し、長谷部はその場を立ち去る。俺もエレベーターに乗り込んだ。

 とりあえず、是非とも赤点は回避してほしいものだ。

 



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第6巻
ペーパーシャッフル


 体育祭と中間テストを終え、着用が義務付けられたブレザーの存在がだんだんとありがたく感じ始める時期になってきた。

 とはいえ、まだまだ寒さは本格的ではない。今現在のように全校生徒が体育館に集まると、空気がこもりがちになって心地はあまりよろしくない。

 そんな空気感の中、壇上では、現生徒会から次期生徒会への引き継ぎ式が行われていた。

 壇上の生徒会役員たちの中には、知り合いの一之瀬の姿もある。

「現」会長である堀北兄からの簡素で義務的な挨拶を終え、次に「次期」生徒会長に既定路線で当選した南雲雅からの挨拶だ。

 生徒会長が切り替わるのは厳密にはいつなのかは知らないが、いちいち定義づけるのも面倒だし分かりもしないので俺の脳内では次から変えることにしよう。

 ポチッとな(切り替えるスイッチ)。

「現」生徒会長の南雲先輩が壇上に登り、挨拶を始める。

 

「改めまして、自己紹介をさせていただきます。この度、高度育成高等学校の生徒会長に就任することになりました、南雲雅です。これからどうぞよろしくお願いします」

 

 そう言って頭を下げると、中規模の拍手が起こる。それは、特に2年生の方から大きく聞こえてきた。

 頭を上げる。すると、纏っている雰囲気が一変した。

 

「早めではありますが、皆さんに私が掲げる公約を周知させていただきます」

 

 先ほどまで見せていた控えめな姿勢ではなく、自らの公約を訴える姿には凄みがある。

 その公約は、革新的なものだった。

 会長を含めた全生徒会役員は、任期を在学中無期限とすること。

 生徒会選挙制度と人数制限を撤廃し、いつ何時でも受け入れられる体制を作ること。勿論、除名の規約も作ること。

 

「ここで宣言させていただきます。私は生徒会長としての活動を通して……これまで生徒会が守ってきた、こうあるべきという学校の姿を壊していくつもりです。近々大革命を起こすことを約束します。実力のある生徒はとことん上に。反対に、実力のない生徒はとことん下に。この学校を真の実力主義の学校に変えていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします」

 

 力強い宣言に、体育館はしんと静まりかえる。しかし直後、やはり2年生の方から拍手喝采が巻き起こった。

 対照的に、3年生の方にはあまり元気がない。

 上級生同士の間でも、色々とせめぎ合いがあったということか。ただたとえそうだとしても、下級生である俺たちの知るところではない。

 仮に「現」生徒会長の言う通りの大革命が成功したとしたら、綾小路にとってはいろいろと生きづらい学校になるかもしれないな。

 

 

 

 

 

 1

 

 10月中旬。

 Dクラスの教室内には緊張の糸が張り詰めていた。

 2学期中間テストの結果が発表されるのだ。

 緊張といっても、1学期中間テストのときのような、世界の終わりが告げられたかのような空気ではない。

 あるのは程よい緊張感だ。

 Dクラスも、全体として成長したということだろう。

 

「揃いもそろって真剣な顔つきだな。だが、赤点を取った者には覚悟を決めてもらうぞ。では、点数を発表する」

 

 例によって、茶柱先生が黒板に全員の点数が記された紙を貼り出す。

 

「全教科平均して40点以上がボーダーと思ってもらって結構だ。だが、表示されている点数には体育祭での活躍で得た点数も加減されている。結果として満点を超えた者もいたが、一律100点として扱っている」

 

 体育祭で点数が加算されたのは須藤や三宅など。逆に外村は、学年ワースト10の1人となってしまったため点数が引かれている。

 ちなみに俺は、入賞特典全てでプライベートポイントを選んだ。

 3位が1回、2位が2回で計7000ポイントを入手し、そのうち3000ポイントは事前の打ち合わせ通り下位組に回した。

 点数が貼り出され、全員のテスト結果が白日のもとにさらされる。

 

「うわっ! まじかよ!」

 

 貼り出される表は、点数の高い順に並んでいる。その一番下にあったのは、今声を上げた山内春樹の名前。その横にその点数。幸いなことに赤点のラインは上回っているものの、すれすれだ。

 その上に池、井の頭、外村と続いていく。

 恐らくこの教室のほとんどは、須藤が最下位だと踏んでいただろう。

 しかし、須藤の名前が載っていたのは下から12番目。大躍進だ。

 

「一気に自己記録更新! 平均60までもあとすこしだぜ!」

 

「その程度の点数で騒がない。今回は体育祭で稼いだ分もあるのだから。みっともないわよ」

 

「お、おう……」

 

 騒ぐ須藤を一瞬で落ち着ける堀北。既に調教済みらしい。怖い。

 堀北は休み返上で須藤に教えていたと聞く。その効果は抜群だったようだ。

 ちなみに余談だが、三宅は16位、長谷部は17位と試験をクリア。苦手な文系科目でも、得点率は50パーセント超えを達成していた。ひとまずはよかった。

 

「見ての通り、赤点による退学者はゼロだ。無難に乗り越えたな」

 

 腕を組み、どこか感慨深そうな表情で教室全体を見渡す茶柱先生。

 

「私が着任して過去3年間、この時期までにDクラスから退学者が出なかった年はなかった。よくやった」

 

 普段茶柱先生が生徒を褒めるなんてことは滅多にない。その意外さから、数人の生徒はむず痒そうにしていた。

 しかし同時に、茶柱先生(この学校の場合茶柱先生に限らずだが)はこれで終わる人ではないということを、わずか7ヶ月ほどの学校生活で痛いほど理解している。

 案の定、何か話に続きがあるのか、教壇を降りて教室全体を歩き回る。そして平田の横で足を止めた。

 

「平田。この学校には慣れたか?」

 

「はい。設備には文句のつけようがありませんし、友達もたくさんできて、充実した学校生活が送れています」

 

「一度のミスで身を滅ぼすかもしれないリスクに不安は感じないか?」

 

「その都度、全員で乗り切っていくつもりです」

 

 クラスの優等生、まとめ役として100点満点の回答だ。

 それを聞き届け、茶柱先生は教壇に戻る。

 仕切り直し、とでも言うように、「さて」と言ってから連絡事項を口にする。

 

「お前たちも知っていると思うが、来週、期末テストへ向けて8科目の問題が出される小テストを実施する」

 

 少し前の話にはなるが覚えている。ホームルームで全員に告知されていたことだ。

 

「げ、中間終わったばっかりなのに!?」

 

 しかしどうやら池は分かっていなかったらしい。しっかりしてくれや。

 

「嘆きたくなるのもわかるが安心しろ。小テストは全100問の100点満点だが、その全てが中学レベルの問題だ。要は基礎の習得状況を確認する試験。0点だろうと100点だろうと取って構わない」

 

「おお! まじすか!」

 

 安直な反応を示す山内に、「だが」と釘をさすように続けた。

 

「この小テストの結果が、期末テストに大きく影響を及ぼすことも同時に伝えておく」

 

「影響? なんだよそれ。もっと分かりやすく言ってくれ」

 

 乱暴な言い方をする須藤だが、これはクラスの総意でもある。

 茶柱先生、いや、どちらかといえば学校全体のクセだろう。直接的な表現はせず、遠回しな言い方で暗示し生徒にヒントを与える。非常にまどろっこしい。

 

「お前に分かるよう説明できるといいんだがな須藤。まず前提として、その小テストの結果に基づいて、クラス内の誰かと2人1組のペアを組んでもらう」

 

「ペア、ですか?」

 

 想定外の言葉に平田が疑問を呈する。

 

「そうだ。そして試験本番においては、ペアの合計の点数が大きく結果にかかわってくる」

 

 ペアで挑む定期試験。これはまた俺たちにとっては新しい形だ。

 

「まず、期末テストは全8科目、各100点の合計800点満点だ。そして先ほど説明したペアの点数を合計し、各科目60点以上を取れていなかった場合、そのペアは2人とも退学だ」

 

「ぺ、ペア二人ともですか!?」

 

「そうだ。そしてそれだけではない。ペアの全科目の合計点が学校側の設定するボーダーを下回っていた場合も、同じく退学となる」

 

「そのボーダーってどれくらいなんですか」

 

「現時点ではまだ発表することはできない。だが、例年700点前後に設定されている。今回もそれくらいに設定されると考えて構わない」

 

 どれか1科目でも3割を下回るか、総合点で4割5分程度を下回れば退学か。

 学力の低い者同士がペアとなってしまった場合、必ず回避できるとは限らない、いやむしろ危険度の高いラインだ。

 となると、肝心なのはペアの決定方法だが……。

 

「先生、先ほど小テストの結果によってペアが決定すると聞きましたが、その決定方法はどのようなものなのでしょうか」

 

 同様の疑問を持った平田が質問した。

 

「ペアの決定方法をお前たちに明かすことができるのはペアの決定後、つまり小テストの結果が出てからだ。いまその質問に答えることはできないな」

 

「……決定後ですか」

 

 つまり、今この段階でどのように点数を調整すればよいのか、その術を知ることはできないということだ。

 だが、少なくともランダムではないということは確かだ。それだけでも考察のしようはある。

 

「マジかよ。最下位と一緒になったら最悪じゃねえか」

 

「うげ、健に屈辱受けた! 絶対次挽回してやる!」

 

「無理すんなよ。口だけだろお前は」

 

 山内と須藤のそんなやりとりが聞こえてきた。

 確かに、須藤は実際に結果を出して見せた。発言の重みの差は厳然としてある。

 

「そしてもう一つ。お前たちには違う側面からも試験に挑んでもらう」

 

「違う側面、ですか?」

 

「そうだ。次の期末テストは、通称ペーパーシャッフルとも呼ばれる形式だ。これは試験の問題をお前たち自身に作成してもらい、それを他3クラスのどれかに割り当てるというものだ。問題は各科目50問、8科目計400問。問題が割り当てられたクラスと、自クラスの総合点を比べ、勝ったクラスが負けたクラスから50ポイントを得る。直接対決となった場合は、負けたクラスから勝ったクラスに100ポイントが移動することとなる」

 

「え、ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 自分たちで問題を作る、って、そんなのアリっすか!」

 

「アリも何も、それがこの特別試験の大きな特徴の一つだ。配布された教科書や参考書だけでなく、敷地内の書店で売られている参考書、さらにはインターネット上の問題など、あらゆるものを活用して構わない」

 

「滅茶苦茶な引っ掛けとか、やばすぎる計算とか出されたら無理っすよ俺ら!」

 

「その点は安心していい。提出する問題は学校側で厳しく審査することになっている。その手の悪質な問題は都度修正が指示されるだろう。それを繰り返すことによって、試験に公正さをもたらす。分かったか?」

 

「うーん……まあ、なんとか」

 

 その説明を受けた瞬間、俺はノートにシャーペンを走らせ始めた。

 

「とはいえ、油断できないことはお前たちも理解しているだろう。このペーパーシャッフルでは、毎年1組か2組の退学者を出している。その殆どがDクラスだ。これは脅しではなくれっきとした事実だ。最後に指名するクラスについてだが、小テストの前日に私に報告するように。他クラスと指名先がかぶっていた場合はクラスの代表者によるくじ引きを行う。以上が小テストと期末テストの説明だ。あとはお前たちで考えることだ」

 

 そう言い残し、茶柱先生は教室を出た。

 

「作戦会議よ綾小路くん。平田くんたちを呼んできてもらえるかしら」

 

「了解」

 

 ガタっという椅子の音で、綾小路が席を立ったのがわかる。

 

「あなたは……既に始めているようね」

 

「まあ、先に終わらせておいた方が修正もしやすいだろ。1ヶ月の猶予はあるが、悠長にしてる余裕はない」

 

 俺のノートには5分ほどで作り上げた2問の地理の問題が書かれていた。

 期末試験の8科目は現代文、古典、数学、英語、化学、物理、世界史、地理。問題作成班の負担は軽くない。

 堀北はすぐにでも問題作成を始めるよう俺に指示を出すつもりだったようだが、こちらもそれは想定済みだ。

 

「そうね。中間テストの1位だもの。どうせあなたは問題作成に深く関わることになるわ。そのまま続けて」

 

「はいはい」

 

 中間テストではきっちりと見直しの時間を取り、全科目で満点を獲得することができた。

 堀北の方も全て95点以上という高得点だが、満点は数学のみに留まり、総合点では俺に次いで幸村と同点の2位となっている。

 学習指導要領を超えない範囲で、且つ出来るだけ難しく。

 例えば数学なら、池が懸念していたようにややこしい数字にして計算をかなり煩雑にさせれば点数は削れる。だが、露骨すぎると学校側によって訂正される。証明問題をずらりと並べれば3割解き切らずにタイムオーバーさせることもできそうだが、難解な証明は出題数が限定されるだろう。

 だが、初めから妥協するのも得策ではない。だから早いうちから「超難問」と言われるくらいの問題を作成し、学校側に提出してどの程度なら許容されるのかを見極めるのがいい。

 

 

 

 

 

 2

 

「遅いんですけど。今まで何やってたわけ」

 

「すぐに始めるわ。部活がある人もいるでしょうし」

 

「うわ無視。謝罪もないし」

 

 小言を言う軽井沢。しかし堀北はそれを全く意に介していない。

 作戦会議には、綾小路、堀北、軽井沢、平田、俺、そして櫛田と須藤が参加していた。

 場所は、校舎隣接で生徒からも人気が高いカフェパレット。

 俺が一人で問題作成の続きをやっているうちに参加者から場所、時間までぜーんぶ決まり、「あ、これ俺いらないパターンかな?」と思って帰宅しようとしたところで堀北に止められてしまった。くそ。

 

「それじゃあ、まずは来週の小テストのことから話しましょうか」

 

「あまり気にしなくていいんじゃないかな? 立て続けの勉強はみんなの負担も大きいだろうし。成績には影響しないとも言ってたしね」

 

「小テストに関しては、私は無理に勉強させようとは思ってないわ。でも、単に点数を取ること以外に何か意味があるはずよ。茶柱先生の言っていた通り、小テストの結果が期末テストに影響を及ぼしてくる」

 

「ペアの決定には法則がある、ってことかな?」

 

 小テストの結果に基づいて、と先生は言っていた。その可能性は十分にありうる、というかほぼ間違いないだろう。

 

「点数が近い同士でペア、とか?」

 

「正解不正解が似てるとかもあんじゃね?」

 

 軽井沢と須藤がそれぞれ直感で意見する。

 

「どの可能性も否定できないわね」

 

「ちょっと気になることがあるんだけど、いいかな」

 

 平田が手を上げて話の流れを一度止める。

 

「何かしら。どんな意見でもあると助かるわ」

 

「法則性の存在がちょっと疑問なんだ。例年同じ試験をやってるなら、上級生に聞けば教えてくれそうだよね。わざわざ学校側が隠すことじゃないと思うんだ」

 

 これまでやってきた特別試験で「上級生に聞く」というカードを切れなかったのは、舞台が無人島や船の上だったからだ。学校にいる今なら、聞くことも可能かもしれない。

 櫛田もそれに同調するように頷いた。

 それについてはあまり期待しない方がいいだろうな。以前堀北会t……いや、いまはただの先輩か。堀北先輩と話した時にも、特別試験に関連することについては詳しくは言えない様子だった。恐らくそう定められているのだろう。

 

「あなたはどう思うかしら」

 

 そこで突如として、堀北から話が振られてしまう。

 何か言わないといけない空気になってしまった。勘弁してくれよ……。

 

「あー……なんというか、学校側は隠してるんじゃなくて、いう必要がないってことじゃないのか。毎年毎年全クラスが法則性を見抜いて試験受けてるとも考えづらい。なのに、例年退学者が1組か2組しかいないんだろ」

 

「え? それっておかしくない?」

 

 俺の発言に軽井沢が反応を示した。

 

「話が見えてきたよ。つまり、法則性を見抜けなくても、大量の退学者が出るような深刻な影響は出ないようになっている、ってことかな」

 

「正解よ」

 

「だめだわかんねえ。どういうことだ?」

 

 話し合いに何とかしてついていこうとしていた須藤だが、ここでギブアップ。俺に顔を向けて説明を求めてきた。

 

「もし法則性があるとして、それを見抜けなかったら普通どうなる?」

 

「そりゃ、やばいだろ」

 

「退学者はかなりの数になるだろうな。なのに、茶柱先生の説明によれば退学者は1組か2組だ」

 

「あ? おかしくねーかそれ」

 

「だから今その話になってんだよ」

 

 須藤にもご理解いただけたようだ。

 

「平田くんの言う通り、法則性を見抜けなくても深刻な影響は出ない。そう考えると……ペアの法則は、『高得点者と低得点者から順に組んでいく』。おそらくそれで間違いないわ」

 

 この話し合いを持つ前からたどり着いていたであろう結論を口にした。

 全員が納得する答えに異論が出ることもない。

 

「なるほどね。でもそれって平均点くらいの人が一番危ないんじゃない?」

 

 軽井沢の懸念は正しい。成績上位者なら、恐らく一人でボーダーを突破、もしくはそれに近い点数を取ることもできる。よって最も赤点の危険度が高まるのは、平均点同士のペアが二人とも下振れしてしまうケース。

 

「そうね。でも、そこは正面から実力をつけてかかる他ないと思うわ。そしてそのためのサポートを全力で行う」

 

 ……あ。

 

「ちょっといいか」

 

「何かしら」

 

「平均点くらいの成績で、得意不得意も被ってたらよりまずいんじゃないか」

 

 名前を出すことは避けたが、俺が懸念しているのは三宅と長谷部。あの2人が組むのはちょっとまずい気がする。

 笑えるレベルで傾向が似ているのだ。

 

「……そうね。その配慮も必要になるわ。全員のカバーはおそらく無理でしょうけど、できる限りその組み合わせは避ける。得意科目と不得意科目の確認、お願いできるかしら」

 

「分かったよ」

 

「任せて」

 

 こういうのには平田と櫛田が向いている。多分大丈夫だろう。

 

「それが確認できたら、私たちは次の段階に行くことができるわ。指名するクラスだけれど、狙うべきはCクラスよ」

 

 俺の心配をよそに、話し合いは次のフェーズに移行していった。

 

「それには賛成だよ。でも、AクラスもBクラスも多分そこをついてくる。最悪のパターンになることも予想されるんじゃないかな」

 

 AクラスとDクラスの直接対決にでもなったら、かなり厳しい戦いになるだろう。

 

「でも、やはり無理をする理由はないと思うわ。各クラスにどれほどの学力差があるかはわからないけれど、Cを指名して、くじ引きで争うことになっても他のクラスがCを叩いてくれることに期待しましょう」

 

 まあ、堀北の言う案が堅実だろう。平田のいう可能性を危惧したとしても、それでBクラスを狙って冒険する理由にはならない。

 そしておそらく、Aクラスと直接対決することにはならないと思う。

 体育祭での成績も芳しくなかったことで、いまAクラスはほぼ完全に坂柳の政権下にある。葛城派も潰れたわけじゃないが、かなり弱体化している。

 今までは身体のこともあって表に出てこなかったが、今回の学力に特化した特別試験はその限りではない。

 藤野やそのほかの生徒から聞いている坂柳の性格なら、必ずBクラスを指名して叩こうとしてくるはずだ。

 

「それにしても……随分と静かね須藤くん。こういうとき、あなたは大体口を挟んでくると思っていたけれど」

 

「俺が分かるレベルじゃねえし。うるさかったら邪魔だろ?」

 

 須藤のそんな常識的な発言に、堀北は驚きを隠せない。

 

「んだよ、なんか変だったかよ」

 

「変じゃなかったから驚いているのよ……なんともいえない気分だわ」

 

 確かにおとなしかったな、須藤。

 今までの須藤を見ていれば、途中で話に変に介入して乱されると考えられてても文句は言えないだろう。

 

「まあ一つ言えんのは、いきなりAになれるわけでもねえし、目の前の相手を一個一個潰してくって考えたらわかりやすいぜ」

 

「なるほど、そういう面もあるかもしれないね。もし今回Cクラスに勝てれば、僕らは逆転できるかもしれないところまで来てるしね」

 

 そう。

 現時点でCクラスは492ポイント、Dクラスは346ポイント。もしCクラスと直接対決になって勝利するか、Dクラスがどちらにも勝利し、Cクラスがどちらにも敗北した場合、またはCクラスとDクラスの直接対決でDクラスが勝利した場合、DクラスはCクラスのポイントを逆転し、クラスが昇格するのだ。

 

「まじかよ!」

 

「うん」

 

「頑張らないとねっ」

 

 もしかしたら平田は、この事実を終盤に言おうと決めていたのかもしれないな。須藤はもちろん、全員のモチベーションを上げるために。

 全員で気合を入れ直し、その場は解散となった。

 カバンを持って席を立ち上がる瞬間、堀北に声をかけられる。

 

「速野くん、あとで話があるわ。外で待っていてもらえるかしら」

 

「話? 何の?」

 

「その時に話すわ」

 

 ここでは一切話すつもりはないらしい。俺は首肯するほかなく、言われた通り外のベンチに座って堀北の到着を待つ。

 数分後、店から堀北が出てきた。

 

「歩きながら話すわ。寄り道はしないでしょう?」

 

「まあ。まっすぐ帰るつもりだ」

 

 向こうもそれは同じのようで、通学路を並んで歩く形になる。

 ……入学したての頃、これと同じようなことが同じような場所であった気がする。

 少し懐かしいことを思い出していると、堀北が話題を切り出す。

 

「あなたに頼みたいことがあるの。その前に、聞いてもいいかしら?」

 

「答えるとは限らないぞ」

 

「安心して。あなたのポイントについてではないわ」

 

 ポイントを貸すにあたって俺がつけた条件はしっかりと記憶しているようだ。

 

「櫛田さんがクラスを裏切っていたこと、あなたはいつ知ったの? この前は少し混乱していて聞きそびれていたから、ここではっきりさせておきたい」

 

 ……なるほど、それを気にしてたか。

 まあその点に疑問を持つのも当然といえば当然か。

 

「いつかっていえば……体育祭後に龍園と会いに行くのに櫛田が迎えに来るって聞いた時だな」

 

 クラス対抗リレーが始まる直前、堀北が俺に借金を頼む理由の詳細を話したときだ。

 

「たったそれだけのことで、櫛田さんが裏切り者だと?」

 

「俺は元々、クラスで裏切り者がいるとすれば平田か櫛田の二択に絞ってたんだ」

 

「一体どうして……」

 

「船上試験で、龍園が優待者の法則を看破しただろ」

 

「少なくとも本人はそう言っていたわね」

 

 龍園が法則を見破ったという話を完全に信じているわけではないらしい。

 まあ、そこはどうでもいい。大事なのは、DクラスとAクラスの優待者はすべて龍園に知られていたであろうということ。

 

「その法則が何なのかは俺にも分からないが……自クラスの優待者を全て把握して法則を導き出したとしても、それだけでは裏切りメールは送れない。それができるのは他クラス……少なくとも1クラス分の優待者も照合して確証を得てからだ。その他クラスの優待者の情報をDクラスから得ていたとしたら、漏洩源はDクラスの優待者を把握していたあの2人のどちらかである可能性が高い」

 

 Dクラスでの信頼が最も厚いあの二人には、必然的にそういった情報が集まりやすい。

 

「けれど、あなたと幸村くん、それに綾小路くんも耳にしていたんでしょう?」

 

 知っていたという点では確かにそうだが、それで全員が全員高い確度で疑わしいということにはならない。

 

「綾小路が自分から直接龍園にかかわりに行くと思うか? いや直接的じゃなくても、スパイ仕込んで間接的に龍園にかかわりに行ってることすら、俺からしたら不思議でしょうがないことなんだぞ。あいつを裏切り者として疑えるわけがない」

 

「……確かに、それはそうね。それに加えて、幸村くんも考えにくい。彼は自分が最下位クラスに配属されたことに納得がいっていない節がある。裏切るとしても、裏切り先に2番目に低いランクのCクラスを選ぶとは思えない。せめてBクラスを選択する。そういうことね」

 

「そんなところだ。それ以外にも、龍園と同じグループのあの二人なら、学校側の指示で連絡先を交換してる。接触の機会はかなり作りやすかったはずだ」

 

「なるほどね……」

 

「まあそれでも、疑いの割合は櫛田が8で平田が2くらいだったよ。櫛田と龍園にはお前っていう共通のターゲットがあったから、利害の一致がある。それで櫛田が迎えに来るっていうんだから、ああやっぱりなと思っても不思議じゃないだろ」

 

 俺の発言には、嘘と事実が混在している。

 しかしそれがどの部分かを確定させることは堀北にはできない。

 それに、俺の嘘は別にクラスを裏切るようなものじゃない。

 やましいことがないわけではないが、それは堀北に責められるようなことじゃない。隠したいことの十や二十、誰にだってあるだろう。

 

「……筋は通っているわね」

 

「本当のこと言ってんだから当たり前だ」

 

 堀北も俺がどのように答えるかくらい予見していたように思う。そしてどうせ尻尾も出さないであろうことも。

 そのうえで俺を尋問した。

 ただ段々と馬鹿らしくなったのか、幸村の疑いに関しては自分から否定しだしたが。

 

「それで、一体何なんだ頼み事って」

 

 話を初めの段階に戻す。

 

「……そうね、その話に行きましょう。頼み事は、私たちが作成する問題についてよ」

 

「作ることそのもの以外にも何かやってほしいのか」

 

「ええ。あなたが作った問題、学校側に提出する前にすべて私を通してもらえないかしら」

 

「……というと?」

 

「すべての問題を私が一元的に管理し、必ず私が問題を提出するという形にするのよ」

 

 ……なるほどそういうことか。

 堀北の発言の意味、それを理解する。

 

「……問題の精度の確認のために、元々お前を通すつもりではあった。要は勝手に提出しなければいいんだろ。お前の言う通りにしとく」

 

「助かるわ」

 

 堀北のこの方針は、今回も必ず動くであろう櫛田への対策として非常に有効だ。

 体育祭では櫛田と龍園に散々にやられた。二の足を踏んでなるものか、という強い意志を感じることができる。

 失敗から学び、確実に成長を見せている。

 俺は俺で、詰めの段階に向けて行動していかないとな。

 

 

 



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クラスのまとまり

 6時間目。

 授業開始のチャイムが鳴るとともに、茶柱先生は教室を出て行ってしまった。

 Dクラスの面々は、先生の謎の行動に困惑している様子。

 そんな中、平田、そして俺の右後ろに座る堀北が席を立ちあがり、二人で教壇に立った。

 まずは平田が口を開く。

 

「今日のホームルームは、明日の小テストに向けての話し合いをしたいんだ。茶柱先生に許可は貰ってある」

 

 茶柱先生は事前に知っていたからこそ、すぐに教室を後にしていったわけだ。

 先生としても助かるかもしれないな。授業1コマ分の時間を丸々事務作業等にあてることができる。

 これまでのクラス内での話し合いにおいては、この位置は平田の専売特許に等しかった。体育祭では櫛田も出ていくことが多かったが、それでもメインで場をまとめていたのは平田だった。

 そこに、今回初めて堀北が加わることとなる。

 堀北はそのスペックの高さから、元々クラスでの発言力は低かったわけではない。しかしこのように表立ってクラスの先頭に立つというのは初めてのことだ。

 

「……話し合いを始める前に、過ぎたことだけれど一つ改めて謝罪させてほしいの。私は体育祭でふがいない結果を残してしまった。口では強いことを言いながら、結局何も残すことができなかったことを謝らせて」

 

 そう言って、ゆっくりと頭を下げた。

 堀北は体育祭の最中、須藤を連れて戻ってきたときにも、クラスメイトの前でこのようにして頭を下げた。それで堀北も「改めて」という言葉を使っていたが、謝罪というのは一度しかしてはならないというものではない。これが堀北なりのケジメというやつなのだろう。

 

「べ、別に、負けたのは堀北さんだけのせいじゃないし」

 

「そうだぜ鈴音。何の役にも立たなかったやつもいるしな」

 

「結果としては、ね。でも、そこに至るまでの一連の過程も含めて、体育祭の私に評価すべき点はほとんどないわ」

 

 例えば、話し合いの段階で起こった軽井沢たちとの言い争い。自分を含めた運動のできる者を優遇して組み合わせを決めていく、という方針を堀北は強く推していた。時には罵倒ともとれる強い言葉を使って。その挙句で結果があれでは示しがつかないというもの。

 自らの無力さを自覚し、それを通して成長した堀北の姿が、こうして平田とともにクラスの前に出るという形で表れている。

 

「けれど、謝罪はいったんここで終わり、次の期末試験、クラス全員で協力して全力で挑みたいと思っているわ」

 

「それは、そうだけどさ。具体的にどうするの? ペアの決め方とか分かってないし……結局、とにかく勉強するしかないってことになるんじゃ……」

 

「勉強は必須。これは当たり前よ。けれど、ペアの決定方法はもう分かったも同然よ」

 

「えっ、そ、そうなの?」

 

「ええ。そしてクラス全員で協力すれば、ある程度組み合わせを操作することもできるわ。平田くん、お願い」

 

「うん」

 

 指示を受けた平田が、チョークを持って黒板に字を書き込む。

 

 

 小テストの順位が1位の人と最下位の人、2位の人と最下位から2番目のひと、という順にペアが組まれる

 

 

「おお、なるほどー!」

 

「やったじゃん!」

 

「ぬか喜びは禁物よ。ここまでは少なくない人がたどり着いている結論のはず。つまりここまできてようやくスタートラインに立ったと考えるべきだわ。問題はその次。この法則でペアが決められていくのであれば、法則を見破れなかったとしてもある程度バランスの取れた組み合わせになるわ。けれど例外は起こりうる。例年、その例外が起こってしまった1、2組のペアが退学になっているのよ。そこで、その例外を排除する方法を説明するわ」

 

 次は堀北が黒板に字を書きだす。

 書かれたのは、池、須藤、山内、井の頭など10人の生徒。共通点は、Dクラスの中でもとりわけ勉強を苦手としていることだ。

 

「この10人は、小テストでは名前を書くだけで、あとは白紙で提出すればいいわ」

 

「わざと0点取るってことかよ」

 

「ええ。先生は成績には影響はないと強調していたから、心配はいらないわ。むしろこれはあなたたちを確実に成績上位者とのペアにするための策よ。そしてそのためには、成績上位10名には8割以上、あわよくば満点を目指して全力で取り組んでもらう必要がある」

 

 先ほどの10名の上に、俺、幸村、平田、櫛田、王、高円寺などの成績上位者10名の名前が書きこまれる。もちろん、堀北本人の名前もあった。

 

「それ以外の中間層20名に関しても、これまでの成績を踏まえて上位下位10名ずつに振り分け、上位には5割ほどを、下位には1点だけ取ってもらう。ただしこの中間層に関しては、科目の得意不得意も考慮に入れて考えるわ。平均点あたりのペアが不得意科目まで被ってしまうと危ないから」

 

 俺が指摘した点もしっかりと反映してくれている。ひとまずは安心だ。

 

「あなたもそれで異論はないかしら、高円寺くん」

 

 Dクラスの最大のイレギュラー、高円寺にも確認を取る。

 

「異論などないさ。試験内容も当然把握している」

 

「では、小テストでは確実に80点以上を取ってくれると踏んでいいのかしら」

 

 

「さあどうだろうねえ。それはテストの内容や難易度次第さ」

 

「あなたがもし意図的に低い点数を取るようなことがあったら、システムそのものが成り立たなくなるわ」

 

 堀北の言う通り、これはクラス全員が協力して初めて成立する作戦だ。

 普段の高円寺を見ていれば、その作戦に従わないことも十分に考えられる。

 

「じっくり検討しておこう、ガール」

 

 そんな適当なセリフだけ言って。高円寺は自前の手鏡に視線を移した。

 それを見た堀北もこれ以上の追及は無駄だと考え、ため息をついてから補足説明を始めた。

 自分以外に信じるものがない高円寺は、どうせ期末テストでは自分一人でペアの退学ノルマを達成するくらいの高得点を取ってくるはずだ。つまり小テストでしっかりと点を取って学力の低い者とペアを組んでも、サボって学力の高い者とペアを組んでも、結局高円寺のやることに変わりはない。

 だからこそ、この男はどう出るか全く読めない。俺たちにできるのは祈ることだけだ。

 

 

 

 

 

 1

 

 堀北の作戦の通り、つつがなく小テストを終えたDクラス。

 その結果によって決定されるペアは、早くもその翌日に俺たちに知らされた。

 

「それではこれより、ペーパーシャッフルのペアを発表する」

 

 茶柱先生は、小テストの点数とともにペアが記載された紙を黒板に貼りつけた。

 上から順に確認していく。

 平田と山内。堀北と須藤。櫛田と池。幸村と井の頭。

 俺は菊池と、綾小路は佐藤と。

 三宅と長谷部もうまい具合にばらけ、それぞれ佐倉、前園とペア。

 事前の想定通りだ。

 

「高円寺くんも、今回は合わせてくれたみたいね」

 

 安堵を含んだ堀北の呟き。

 高円寺のペアは沖谷。しっかりと高い点数を取っている。

 

「まああいつの場合はいつも通りなんじゃないか。合わせたつもりはないと思うぞ」

 

「そうかもしれないわね。ただ好材料であることは間違いない。ひとまず第一段階はクリアよ」

 

 ペアはほぼほぼ理想通りになった。

 クラス指定も、被りでくじ引きになることなくCクラスになることが決まった。

 またCクラスもDクラスを指定、そしてAクラスは予想通りBクラスを、BクラスはAクラスを指定したため、全クラス被ることなくAクラス対Bクラス、Cクラス対Dクラスという直接対決の形になった。

 Dクラスとしては最も戦いやすい形になったといえる。

 

「結果を見るに、お前たちの中にペアの法則を理解していた者がいたようだな。今更伝える必要もなさそうだが、ペアの法則は点数の高い者と低い者が順に組んでいく、というものだ」

 

 見事に法則を見抜いていた堀北にクラスから称賛する視線が集まった。

 

「重要なのはここからよ。クラス全体の点数を高めること。先生、宜しいでしょうか」

 

「好きにしろ」

 

 茶柱先生に一言断り、以前と同じく堀北と平田が前に出て教壇に立つ。

 

「対戦クラスの組み合わせにペア、ここまでは全て上手くいっているわ。協力ありがとう。ここからは単純に学力勝負になる。点数を底上げするために勉強会を開こうと思っているわ」

 

 チョークを手に取り、その内容を書いていく。

 

「部活動のある人も考慮にいれて、1日2部構成にしようと考えているわ。今書いたように、1部は放課後になってすぐの午後4時から6時、2部は部活動終了後の午後8時から10時」

 

「僕は部活があるから、2部を担当するよ」

 

「お願いするわ平田くん。そして私が1部を担当する。学力に不安がある生徒は1部と2部両方出ても構わないけれど、その場合2部では部活動のある生徒を優先的に見ることになるわ」

 

 このようにして、勉強会の中身が決まっていく。

 教師役は基本的に堀北と平田。この2人に加え、1部と2部の両方に出てそれぞれの中間層を担当する役割に櫛田が抜擢された。

 

「んだよ、鈴音が2部じゃねえのか」

 

 そう不満を漏らした須藤。

 

「極力2部の方にも顔を出すようにするわ」

 

「マジかよ。っしゃ、俄然やる気が出てきたぜ」

 

「けれど、私がいてもいなくてもしっかりやってもらわくては困るわ。分かっているわよね?」

 

「……ああ、分かってんよ。ペアだしな。俺も頑張らねえと」

 

 しっかりとコントロールが効いているようだ。

 こうなると不安なのは、須藤よりも池や山内、それに喋るのが好きな女子の方かもしれない。

 

「勉強会は、とりあえずこのような形でやっていくわ。何か問題が発生したり疑問点があれば、都度私か平田くんに伝えて」

 

 話し合いがまとまり、堀北が自分の席に戻ってくる。

 俺はそのタイミングで一つの提案をすることにした。

 

「堀北。Bクラスと合同で勉強するはどうだ」

 

「……珍しいわね。あなたから提案なんて」

 

「悪い提案じゃないと思うんだが」

 

「そうね。一之瀬さんが了承してくれれば、Dクラスとしては非常に助かると思うわ」

 

 堀北の発言を裏返すと、BクラスにとってDクラスが足手まといになってしまわないか、という懸念があるということ。

 ただ、一之瀬なら多少不利な件でも無下に断るとは思えないし、俺が出て教える役に回ると言えばBクラス側としても悪い話にはならないはずだ。こういった名声は利用するに限る。

 

「俺から話してみる」

 

「分かったわ。断られたかどうかにかかわらず、結果を報告して」

 

「了解」

 

 俺はすぐに一之瀬にメールを送り、それから机に向かって問題作成を始めた。

 

 

 

 

 

 2

 

 放課後。

 問題作成を進めるためにさっさと帰宅しようとしたところで、教室のドア付近で三宅に呼び止められた。

 

「悪い、ちょっといいか速野」

 

「……どうかしたか」

 

 三宅についていき机を見ると、用件はすぐにわかった。

 

「この部分なんだが……ちょっと何がどうなってるかさっぱりでな……」

 

 勉強の質問だ。

 科目は古文。テキストにはその部分にかなりの回数線を引いた跡があり、長い間悩んでいることが伺える。

 そこまで高難度というわけではないが、苦手としている三宅にはきつかったか。

 

「長谷部、ちょっと」

 

「え、なに」

 

 ちょっと嫌そうな顔をされてしまったが、めげずに手招きをする。一応呼びかけに応じて三宅の席に来てくれた。

 

「三宅がこの部分分からないって言うから、お前にも解説しとこうと思ってな。興味ないなら帰っていいぞ」

 

「あー、そこ私も分かんなかったんだよね。解説見てもさっぱり」

 

 どうやら呼び止めたのは間違いではなかったらしい。

 ゆっくり丁寧に説明していく。

 解説を見ても分からない、というのも仕方がないなこの部分は。なぜか解説の記述が非常に雑になっているという、たまにあるパターンだ。

 俺の説明で何とか合点がいったようで、二人ともうんうんと頷いていた。

 

「や、速野くんの解説でなんとか分かったけど、テスト本番で解けって言われたら無理って感じ」

 

「同意だ」

 

「解けないと思ったら捨てるのも手だぞ。後ろの問題のほうが簡単だったり、解きやすかったりするのはよくある」

 

 問題番号順に解かなければならないなんて決まりはない。

 

「それはそうなんだけどさ。ただ難しいって感じるだけで、どれくらい難しいかは分かんないから捨てようにも捨てられないわけ」

 

「なるほどね……」

 

「そう考えると、点数操作するときに得意不得意も考えて分けたのはよかったな。お前とペアにでもなってたら詰んでたぞ」

 

「そうなったら仲良く退学だねえ」

 

「そこまで仲良くしたくねえよ」

 

「ただ、言っちゃ悪いが安心できるレベルじゃないぞ。大丈夫か? 二人とも勉強会には参加しないんだろ?」

 

「たぶんねー。向いてないし、大人数でやるの」

 

「俺も一人でやるつもりだったが……やっぱまずいか?」

 

「俺個人としては、独学はおすすめできない」

 

 ただ、長谷部の言うように勉強の方法にも向き不向きがある。

 向いていない環境でやっても、苦痛が増すばかりで成績は伸び悩んでしまう。

 

「お前が教えてくれると助かるんだが」

 

「速野くん問題作るんじゃなかったっけ? じゃあ無理でしょ」

 

「ああ。だから悪いがそれは厳しいな。ただ限界感じたら知らせてくれ。当てがないこともない」

 

 平田や堀北などの教師役を除き、成績優秀で、かつ比較的時間に余裕があるであろう人物。2人ほど候補がいる。

 

「あんまり気は進まないけど……考えといたほうがいいかもね」

 

「みたいだな。わかった。ただひとまずは一人でやってみる」

 

「頑張ってくれ」

 

 俺は直帰する予定を変更し、二人のもとを離れて自分の席に戻った。

 まずは綾小路に話しかける。

 

「ちょっと頼まれてほしいんだが」

 

「面倒ごとは勘弁だぞ」

 

「別に面倒ごとじゃない。幸村を呼んできてくれ」

 

 綾小路は夏休み中、船で幸村と同室だったはずだ。俺が呼ぶより印象がいいだろうと判断した。

 

「まあ、それくらいなら」

 

「助かる。あと堀北も話聞いてくれ」

 

「私も? 何かしら。手短に頼める?」

 

「善処する」

 

 少しして、綾小路が幸村を連れてもどってきた。

 

「なんだ? 話があるって聞いたんだが」

 

「ああ。これなんだけどな」

 

 俺はカバンの中から紙の束を取り出し、幸村と堀北にそれぞれ一部ずつ渡した。

 

「これって……」

 

「ここまでで俺が作った問題、二人に解いてもらいたいんだよ」

 

 クラスでトップの学力を持つ二人。これ以上の適任はいないだろう。

 

「……なるほど。私たちを難易度の指標にするということね。私たちがどれくらい解ければ納得するのかしら」

 

「そうだな……制限時間を20分として、お前たちで7割弱なら上出来だろ」

 

 この制限時間とこの問題量でこの二人が7割しか取れなければ、Cクラスからは退学者が出てもおかしくないレベルだ。

 

「確かに勝率は高まるな。俺たちが良い点を取るほど問題の質も上がっていく」

 

「ああ。だからかなり真剣に解いてくれ」

 

「分かってる。簡単に低い点数を取ったりはしない」

 

「頼んだ」

 

 とりあえずはこれでいい。

 次に本題へと入っていく。

 

「幸村、あと一ついいか」

 

「……まだ何かあるのか?」

 

「悪いが聞いてくれ。勉強を教えてやってほしいやつらがいる」

 

「池や山内なんて言わないよな?」

 

「違う。長谷部と三宅だ」

 

 先ほど考えついていた2人の候補。そのうちのひとりが幸村だ。

 ちなみにあと1人は高円寺だったので初めから全くあてにしていない。

 

「あの二人の成績は壊滅的ってほど悪くはないんじゃないか?」

 

「総合点はね。ただ、あの二人はどちらも文系科目をかなり苦手としているわ」

 

 幸村の疑問には堀北が答えた。

 

「それは把握できていたから、あの二人はペアにならないように調整したはずだけれど……それだけでは手に負えなかった、ということ?」

 

「そういうことになる。加えて二人とも大人数での勉強会を好まないタイプだ」

 

 特に心配なのは長谷部のほうだ。俺が行ったその場しのぎの応急処置で国語の点数が良化し、中間テストに関してはそこそこの順位だったが、本来の学力は中間層のうちの下位に位置する。それを三宅との調整の兼ね合いで、小テストでは中間層上位の点数を取ったため、同じく中間層下位の前園とペアになった。

 

「それを知っていたということは、あなたはあの2人との接点はあるけれど、教える時間が取れないから幸村くんに頼み込んだのね」

 

 堀北の完璧な推理に頷いた。

 

「まだやることが確定したわけじゃない。1人での勉強に限界を感じたら、声をかけてもらうことになってる」

 

 あとで文句を言われないよう、一応まだ未定であることも伝えておく。

 

「分かった。引き受ける」

 

「……お、マジで?」

 

 正直五分五分だった。場合によっては少し手のかかる交渉が必要かと考えていたが、すんなりと承諾を得られた。

 

「ああ。その二人と俺の橋渡し役はお前がやってくれるんだろ?」

 

「できる限りは。……でもいいのか? こっちから頼んでおいてなんだが、こういうのあんまり好まないんじゃないか?」

 

「体育祭では何もできなかったから、俺も最初から何かできることはないかと思ってたんだ。どんな試験でも、クリアするためにはクラスで協力していかなきゃならない。この学校で過ごしていくうちに、どんどんその考えが強くなっていった」

 

 これまでの生活で心境の変化があったのは、何も堀北に限ったことではないのだろう。

 須藤も、いまの幸村も。もちろん俺もだ。

 

「一応準備はしておく。やることになったら声をかけてくれ」

 

「悪いな、助かる」

 

 やり取りを終え、幸村は自分の机へ戻っていった。

 こちらの会話が幸村に聞こえなくなるくらい離れたところで、堀北が口を開く。

 

「橋渡し役、あなたに頼めるかしら。綾小路くん」

 

「……オレが?」

 

 堀北に言われた瞬間、いやだというオーラを全身から出す綾小路。

 

「そうしてくれると助かるな。俺の代理みたいな役割で。考えようによってはコミュニティを広げられるきっかけにもなるだろ」

 

 綾小路はいざとなれば無理やり突っぱねることもできるが、こうして色々理屈をこねることで断りづらい状況に持っていく。

 船上試験の件での貸しを使うこともできたが、それをこんな小さなことで使うのはかなりもったいない。

 

「……はあ、分かった。オレは何をすればいいんだ……?」

 

 うんざりした様子を見せながらも、ひとまず了承してくれた。

 

「まあ……管理、って言い方が一番当てはまるか。2人の呼び出しまでは俺がやるから、そのあと勉強会が円滑にいくように立ち回るんだ。それ以外はぼーっとするなり勉強するなり自由にしてくれ」

 

 どうせ勉強せざるを得ない雰囲気になるだろうけど。

 

「まあ、やれるだけはやってみる」

 

「助かる。じゃあ正式に決まったらまた伝える」

 

 綾小路は心の中で「決まりませんように」と願っていることだろう。

 そんな願いが儚く散ったのは、早くも翌日のことであったことをここに記しておく。

 

 



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勉強会

 さらに翌日の放課後。

 俺は三宅と長谷部と3人で教室の一角に集まっていた。

 

「やっぱり、独学じゃ厳しかったか」

 

 今日の昼休み、三宅が代表して「やっぱり勉強会をセッティングしてくれ」と頼みに来たのだ。

 やっぱり来たか、ということで、すぐさま綾小路と幸村に話を通した。今はその二人を待っているところだ。

 

「情けない話だけどな……」

 

「あんまり気は進まないけど、さすがに退学はごめんだし。それに今回は他人も関わってくる話だしね」

 

 今回の試験に限っては、自分の退学はペアの退学につながってしまう。今までにないほどの強い責任感が生まれる。

 

「賢明な判断だと思うぞ」

 

 あのレベルのまま勉強会などの対策も取ろうとしなければ、俺が無理やりにでも時間作ってどうにかするという最終手段を取るしかなかった。しかしそれはちょっとあまりにも面倒なので、ひとまず避けることができてよかった。

 

「どこでやるとか聞いてないの?」

 

「いや。やるのは俺じゃなくて幸村だからな」

 

 そこは勉強会に参加するメンバーが決めることだ。俺が知るようなことじゃない。

 

「悪い、少し遅れた」

 

 と、そこで幸村と綾小路が到着した。

 とりあえずこれで顔合わせはできた。俺の役割はここまでだ。

 

「じゃあ、俺はこれで。あとは頼んだ」

 

 橋渡し役を委任した綾小路にバトンをパスし、俺は荷物を持って教室を出た。

 恨めしそうな視線を感じたが、こういう時は知らないふりをするに限る。ま、頑張ってくれ。問題作るよりよっぽど楽だろ。

 

 

 

 

 

 1

 

 俺がこの試験で堀北からの指図をあまり受けず、比較的自由に行動を取ることができているのは、俺が問題作成という役割を引き受けているからだ。

 問題作成自体は教室や図書館、カフェなど、机とペンさえあればどこでもできる。しかし、作った問題はCクラスには絶対に見られてはいけないもの。いや、例えDクラスの人間であっても、問題作成に協力しない生徒には見られない方がいい。それほどまでに警戒度を上げて対応すべきものだ。

 どれだけ高度に洗練された問題を作り上げたとしても、それが解く側に筒抜けでは全く何の意味もなさない。

 先に挙げたような人目を避けるのが難しい場所では、そういった危険性がどうしても高まる。

 ではどこが一番安全か。

 答えは簡単で、寮の自室だ。

 そのため俺は放課後はすぐに寮へ帰宅し、問題作成を行う必要がある。そういった事情があるため、堀北も俺に変に他の頼みごとをするわけにもいかないのだ。

 幸村たちの合流を見届けて教室を出た俺は、すぐに校舎を出て寮への道のりを歩く。

 

「おーい速野くん」

 

「……?」

 

 そんな道すがら、急に名前を呼ばれたので立ち止まる。

 

「……藤野か」

 

 俺が振り向くと、笑顔で右手を振りながらこちらに近づいてくる。

 

「今帰り?」

 

「そうだ」

 

「私もだよ。一緒に帰ろ」

 

「ああ、オッケー」

 

 そんな流れで、寮まで隣を歩くことになる。

 このような場面で最初に話を振るのはほとんどが藤野だが、今回は俺から口を開く。

 

「勉強会とかないのか? お前なら教師役やりそうなのに」

 

「今日は各自で、ってことでお休み。まあ、これから女子3人で私の部屋でやるんだけどね。ご飯会も兼ねて」

 

「なるほど」

 

 同性同士なら、夜の立ち入り制限も特にない。夕飯を挟んで多少遅い時間になったとしても何の問題もないだろう。

 

「速野くんこそどうなの? 今日は勉強会は?」

 

「俺は主に問題作成だから、そっちは今日に限らず堀北とか他の人に任せてる」

 

「あ、そうなんだ。結構難しいし時間かかるよね、問題作るの」

 

 藤野も問題作成に関わっているという話は以前聞いた。

 Aクラスはこの試験、坂柳が主導で取り組んでいるが、問題作成を一人で行うのは無理がある。普通ならその補佐役には派閥の人間を起用するが、坂柳はあえてそうせず、派閥の外から藤野、さらには政敵であるはずの葛城にも頼んでいるらしい。

 派閥の取り込みだ。坂柳が指示を出し、葛城がそれに従ったという形を演出することで、いまだに葛城派に残っている生徒に精神的な圧力をかける狙いがあるんだろう。

 

「ああ。それで自信のあった問題が学校側に訂正の指示受けたときには結構ショックだ」

 

「うわ、それはキツイね……」

 

「ま、もうそういうもんだと思うしかないが……」

 

 雑談を交わしていくうちに、寮までもうすぐという距離に近づいた。

 ここで俺は話題を切り替える。

 

「そうだ……Bクラスとの勉強会、無事決まったぞ」

 

 言うと、藤野の表情が一瞬強張り、立ち止まる。

 

「昨日のうちに一之瀬から返事があった。いつやるかはこれから決めるが、開かれるのはほぼ間違いない。上手く持って行けば定期開催にもできる」

 

「……ありがと。じゃあ、それについてはまた連絡するね」

 

「ああ」

 

 藤野にとってはあまり楽しい話ではなかったな。

 最後のやり取りで雰囲気が重くなり、「じゃあ」という別れ際の言葉を除けば無言でそれぞれの部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

 2

 

 週末。

 当然授業など行われておらず、がらんとしている校舎内を俺は歩いていた。

 といっても、完全に無人というわけではない。たまに教師や生徒とすれ違う。

 ちなみに、休日でも校舎に入る際には制服の着用が義務付けられているため、俺もすれ違う生徒も制服だ。

 窓は開け放たれており、外からは部活動を行う生徒の声が風に乗って入ってくる。

 そんな音をBGMにしながら廊下を歩き、職員室を経て、目的地に到着。

 そこは通常の教室の倍ほどの広さを持つ空間。視聴覚室だ。

 中に入ると、そこにはすでに数名の生徒が座って談笑していた。

 

「あ、おはよう速野くん」

 

 その中のひとり、一之瀬が俺の到着に気付き、挨拶をしてくる。

 

「おお、おはよう。てかほんとに早いな……」

 

 実のところ、すでにここに誰かが来ているのは知っていた。職員室に寄ったのはこの視聴覚室の鍵をもらい受けに行くためだったのだが、すでにBクラスの生徒が持って行ったと職員から言われたのだ。

 

「せっかく誘ってくれたのに、遅刻したら申し訳ないからね」

 

「いや、こういう場合って提案したDクラス側が先に来て待ち受けるもんなんじゃ……」

 

 そう、ここで今から行われるのは、俺が堀北に提案したBクラスとの合同勉強会だ。

 平日の放課後や夜はDクラスもBクラスもそれぞれすでに勉強会が組まれているため、そこを無理やりドッキングするよりも新たに休日に勉強会を立ち上げたほうが分かりやすい、という結論に至ったのだ。

 

「正直びっくりしたよー。堀北さんからこんな話をもらえるなんて」

 

 実は話を通しやすくするため、これは俺ではなく堀北からの提案であり、俺は一之瀬の連絡先を持っているため交渉窓口に抜擢されただけということにしてある。昨日そのことを堀北に伝えたら案の定小言をもらったが、「はいはい」って感じで聞き流した。

 ひたすらに無視していたら「あなた子ども?」なんて言葉も受けたが、「はいはい」だから子どもどころか赤ん坊だろうな。

 

「以前の堀北さんなら、こんなことはきっとなかったよね」

 

「体育祭で根本のところに変化があったみたいだ。正直、あいつの変わりようにはDクラスも驚いてる」

 

「大変だったもんね堀北さん……龍園くんに執拗に狙われてたのははた目からでも明らかだったよ」

 

 やっぱり他クラスから見ても分かりやすかったらしいな。

 まあ、龍園が敢えて見せびらかすようにしたというのもあるが。

 

「お互いにクラスの勉強会があるからって休日にしたけど、実は昨日と一昨日も堀北さんたちと一緒にやったんだよね」

 

「……え、そうなの?」

 

 何とも衝撃的な事実だ。

 

「一昨日偶然図書館で会ってね。近くにCクラスが座らないように協力をお願いされたんだよ」

 

「ああ、なるほど……」

 

 偶然の産物だったわけか。

 確かに、敵クラスに勉強会の様子を見られないようにするための対策としては非常に有効な手だ。

 それに昨日も一昨日もやったからといって、今日の勉強会の価値が落ちるわけでもない。

 

「ま、とにかく、今日はよろしくね速野くん。私も質問するところあるかもしれないから」

 

「そんなことあるか……?」

 

 一之瀬の成績なら俺の手助けなど不要だと思うが。

 まあ参加する以上、勉強の質問にはできる限り答えるつもりだ。

 そのうち、どんどんと生徒が集まってくる。

 参加者は主に各クラスの下位層で、且つ部活のない生徒だ。

 

「一之瀬ちゃん久しぶりー!」

 

「あ、池くんだったよね! 会うのはプール以来かな?」

 

 教室に入ってきた池と山内が一之瀬とそんな会話を交わしている。

 Dクラスからはこの2人のほかにも、井の頭など定期テストで下位常連となってしまっている生徒が集まっている。Bクラスも恐らく同じような感じだとは思うが、申し訳ないことに全く名前を知らないので詳細はわからない。

 講師役には一之瀬、俺、そして今教室に入ってきた堀北。

 2クラス合わせて13人ほどの集まりだ。

 

「おはよう堀北さん。こんな機会を作ってくれてありがとう」

 

 堀北のもとに駆け寄り、謝辞を述べる一之瀬。

 それを受けた堀北は一瞬こちらに視線を向けたが、すぐに一之瀬に向き直って答える。

 

「いえ……感謝するのは私たちの方よ。昨日と一昨日の様子であなたも感じたとは思うけれど、学力に不安がある生徒はBクラスよりDクラスの方が圧倒的に多い。こちらの方がより大きく力を借りることになってしまうと思う。よろしくお願いするわ」

 

「こちらこそだよ。じゃあ、さっそく始めよっか。みんな好きな場所に座ってね」

 

 一之瀬の指示で、談笑の声が静まる。

 池や山内も可愛い女子の指示には従うようで、口を閉じた。

 ま、特にこの二人は一之瀬目当てで来たようなもんだろうからな。

 別にそれに対して否定や非難をするつもりはない。動機が不純でも来ないよりマシだ。

 勉強会は授業形式だ。全員横並びで基礎の基礎から復習し、全体の学力の底上げを図る。

 授業を取り仕切るのは一之瀬と堀北。こういった前に出る役割に慣れていない俺はチューター役を担う。

 まず最初は英語をやることになっている。担当は一之瀬。堀北の担当は次の化学だ。

 

「みんな第1文型から第5文型まで覚えてる?」

 

 引っ張り出してきたホワイトボードを使って一之瀬が授業を始めた。

 日本の英語の授業は所謂「受験英語」と揶揄され、海外の実生活で使うような実践的な英語を学ぶ機会は非常に少ない。

 英語の成績が優秀で、試験で出題されるような文法や文章読解、リスニングなどはできても、ネイティブスピーカーと相対すると何もできないというのはよくあるパターンだろう。

 まさに俺がそうだ。まったくといっていいほど喋れない。「え、あ、あー……あ、アイム、えー……」って感じ。一単語ごとに言葉に詰まる。傍から見ればキョドってるようにしか映らないだろう。あれ、もしかして日本語しゃべってる時と変わらない……?

 発音やアクセントは試験で問われることがあるため暗記しているが、そういう問題ではない。

 暗記しているだけではだめだ。喋れるようになるためには喋るしかない。幼いころに習得した日本語だって同じだ。なのにこれまでの人生で英語を喋る機会がなかったのだから、今の俺が喋れないのも当たり前のことだ。

 まあでも、今回の試験でスピーキング能力を問われることはない。

 これといった悪影響はないだろう。

 一之瀬がはきはきとした声で授業を進めている中、俺と堀北はたまに飛んでくる質問に答えていく。

 授業は普段のように1時間ぶっ続けで行うわけではない。勉強中に集中力を欠くことのないよう、こまめに休憩をはさむ。

 計1時間半ほどが経過し、英語の授業は終了となった。

 

「お疲れ様、一之瀬さん」

 

「やー、授業って結構大変だね。先生たちいつもこんな難しいことやってるんだ。改めて尊敬するよ」

 

 一之瀬はそう言いながらふう、と息をついた。

 教師はそのうえ、1時間という授業時間内にキリのいいところまで進めるために、授業進度の計算も必要になる。この学校の教師は例外なくそのあたりが非常に上手い。とても優秀な人材が集められている事をひしひしと感じる。

 もちろん一之瀬の力量も中々のものだったが、それでも素人とプロの差は歴然。「ただの生徒とは思えない」レベルではあったが、お世辞にも「教師顔負け」と言えるようなレベルではなかった。

 しかし内容自体は十分に分かりやすいもので、質問を受ける合間に見回っているときも、頭を抱えているような生徒はいなかった。

 この勉強会の狙いである「学力の底上げ」は十分に達成されている。

 次に化学を担当した堀北のときも同様だった。一之瀬が近くに来た時にやたらと質問していた池と山内を除けば、だが。いや別に一之瀬が迷惑そうにしている様子はなかったしいいんだけど。

 ひとまず、勉強会は成功したといっていいだろう。

 やはり普段の授業とは違い時間制限がなく、こまめに休憩時間を取ることで勉強中の集中力を高められたのが功を奏したと思う。

 定期テストで得点率が4割ほどになってしまう生徒の多くは、恐らくだが授業中に集中力を欠いてしまって、基礎的な部分が大きく欠落してしまっていることに原因があると思われる。

 1学期中間テストで、堀北は池たちに対して「授業中にとにかく集中すること」という勉強法を授けたが、その結果池たちは「授業内容は意外と分かる」と発言していた。

 つまり、基礎の部分であれば集中すれば分からないわけじゃないということだ。

 フレキシブルに時間を活用できるのは大きな利点だな。

 

「みんな、お疲れ様。5時回っちゃったから今日は解散っ。帰っても復習を忘れないようにね」

 

 一之瀬がそう告げると、「はーい」という間延びした返事とともに全員ぞろぞろと帰り支度を始めた。

 疲れが顔に出てるな。苦手な勉強を計4時間もやったんだから、こうなるのも当然か。

 しかし堀北としては、この程度はやってもらわなければ、という思いだろう。成績が下位の生徒は上位の生徒とペアになったことで退学の恐れは大きくないが、この試験の目標は退学者を出さないことではなく、Cクラスに勝つことだ。そのためには下位の生徒をどれだけレベルアップさせられるかが重要なポイントになる。

 

「今日はありがとう一之瀬さん」

 

「ううん、こちらこそ。速野くんもありがとう」

 

「いやまあ、俺は見回ってただけだから……」

 

 勉強会への貢献度でいえば、俺はこの二人の足元にも及ばないだろう。

 

「それに、他の科目については自分たちでやらないといけないってなると、先が思いやられるな……」

 

「なら、他の科目についても是非一緒にやろうよ。今日と同じく週末に。私の方からも頼もうと思ってたことだから」

 

 ありがたいことを言い出してくれた。

 

「どうかな堀北さん?」

 

「私としては非常に好都合なことだけれど……構わないの?」

 

「もちろん。有意義な時間になるってことは、今回だけで十分わかったからね。ただひとつだけ、ふたりの参加を条件にしてほしい」

 

「ふたりって……俺と、堀北?」

 

 一之瀬は頷いた。

 お互いに顔を見合わせる俺と堀北。

 

「もちろん、発起人の一人として参加はするわ」

 

「俺もそうするつもりだが……」

 

 そんな俺たちの少し戸惑ったような答え方を見て、一之瀬が「あ」と言って付け加える。

 

「もしかしてこんな条件つけたことを不思議に思ってる感じかな? や、特に深い意味はないよ。単純に円滑にコミュニケーションが取れて、教える力も十分っていう条件を満たしてるのが君たちだからさ」

 

 櫛田もその条件には当てはまりそうだが、堀北に比べれば多少授業のクオリティは下がってしまうことが予想される。

 講師役を増やす分には一向に問題ないが、それは俺と堀北が参加したそのうえで、ということだ。

 それに加えて、上手くいった今の形をあまり崩したくない、というのもあるだろう。

 まあ納得できる理由ではある。

 言われずとも最初から参加するつもりだったしな。でなきゃこの勉強会を企画した意味がない。

 

「じゃ、私たちもそろそろ帰ろうか」

 

「そうね」

 

 そう言って、帰り支度のために各々の席に戻る。

 授業を進めるために色々なテキストを広げていた二人と違って、俺は立って見回っていただけのためバッグからほとんど荷物を出しておらず、すぐに支度を終えた。

 その足で俺は一之瀬に近づいて話しかける。

 

「一之瀬、ちょっと渡したいものがある」

 

「ん? なになに?」

 

「これなんだが」

 

 俺が手渡したのは、問題とその解答と回答欄、計3枚の紙だった。

 

「これは……」

 

「作った問題だ。人数分コピーしてBクラスで使ってくれ」

 

「え、いいの?」

 

「そのために作ったんだ。ただ、答えはこの回答欄に書いてもらって、そのあと回収して俺に返してくれ。できる範囲で構わないから」

 

 最後ちょっと関白宣言みたいなセリフになってしまった。

 

「なるほど、Bクラスがどれだけ解けるかを調べて、難易度の指標にしたいんだね」

 

「そういうことだ」

 

「でも大丈夫? Cクラスに漏れたりしないかな? もちろん十分気を付けるけど」

 

「まあ……十分気を付けてくれ」

 

 策はない。

 

「う、うん、分かった……責任重大だな……」

 

 いや、別にそんな重く考えなくてもいいんだが。

 実のところ、Cクラスになら漏れたって一向に構わないしな。

 

「一之瀬、この教室のカギ持ってるか。俺が返しに行くから渡してくれ」

 

「ん、じゃあお願いするよ。ありがとう」

 

 カギを受け取り、二人が教室を出るのを外で待ってからカギを閉め、職員室へ返却した。

 

 

 

 

 

 3

 

 Bクラスとの休日の合同勉強会は、次の週、その次の週も順調に進んでいった。

 初めよりも扱う科目の数も増え、それに伴い時間も長くなったため午前中から始めるようになった。最初から最後まで参加する生徒は昼食を持ってくることになる。ただ途中退室、途中参加はすべて自由であり、午前中のみ、あるいは午後のみに参加する生徒も中にはいた。

 俺は毎週問題を作り、一之瀬を介してBクラスに提供している。

 毎回クラスの半分ほどの回答が一之瀬から俺に戻ってくる。実際に解いた生徒からの評判は良好らしい。何よりだ。

 俺が参加していない平日の勉強会も、聞いた限りでは問題は起きていないらしい。先日、幸村からのアドバイスで、Cクラスの問題は金田という男子生徒が作成する可能性が高いらしいということが分かり、それを想定して問題を予想して勉強する手法も取り入れたそうだ。

 ここまでは順調にいっていると判断していいだろう。

 そんなある日の放課後、視聴覚室での用事を済ませて学校を出た俺はいつもと違う道を歩いていた。

 行先はケヤキモール内のカフェ。

 そこでは綾小路、幸村、三宅、長谷部の4人が勉強会を開いている。

 俺はそこに参加するわけではない。一応初めのキッカケを作った人間として勉強会の様子を見に行くだけだ。

 さっと見に行ってさっと帰り、また自室で問題作成の続きをする。ここまでが今日の俺の予定である。

 モール内に入り、目的地のカフェへ。

 放課後を迎えてしばらく経ったこの時間にこの場所に来たことはないのであまり分からないが、恐らく普段よりも利用客は多いんじゃないだろうか。

 ほぼ全員がティーカップや軽食とともに勉強道具を広げ、試験勉強を行っている。テストが近づいているこの時期ならではの光景だ。

 カフェに入店してから綾小路たちを見つけるのにそう時間はかからなかった。

 その場所にやけに人だかりができていて、俺の目を引いたためだ。

 そしてその人だかりの中には、いま最も会いたくないと言っていい人物がいた。

 

「ほお、てめえもここに来るとはなあ。速野」

 

 Cクラスの龍園翔が、俺の入店に気付いて声をかけてきた。

 その横には須藤の一件で色々あった石崎、小宮、近藤の三人。

 さらにもう一人、バカンスの際に船内の図書スペースで一緒になった椎名ひよりという女子生徒も一緒だった。

 

「……何か用か? ってかその前に、お前俺の名前ちゃんと呼ぶの初めてなんじゃね?」

 

 今までガリ勉野郎としか呼ばれていなかった気がする。

 

「クク、そっちの呼び方をお望みだったか?」

 

「呼びやすい方で呼べばいいだろ」

 

 この基準なら間違いなく本名の方だろうけど。

 

「ま、ちょうどいいところに来たことは褒めてやるよ。綾小路、幸村、速野、てめえら3人にまとめて聞いてやる。俺からの『贈り物』は届いたか?」

 

「贈り物?」

 

「一体何の話だ……?」

 

「さあ……」

 

 俺には全く身に覚えがない。となると、届いたのは恐らく綾小路か。当たり前ながらこの場の本人はすっとぼけているが間違いない。

 龍園が何をどんな手段で贈ったのかは知らないけどな。それはこの2人にしか知りえないことだ。

 

「どうだひより。何か引っかかることはないか?」

 

 俺たちに質問をぶつけた龍園は、椎名に意見を求めた。

 

「どうでしょう。今の段階ではなんとも……」

 

 当然の返答だ。このやり取りだけでは何も得られるものはないだろう。

 俺がこの女子生徒について知っているのは、本が異様に好きらしいということだけ。なぜこの場に呼ばれているのかに関してはまったく見当もつかない。

 引っかかることはないかと龍園に問われていたことから、そういった洞察力に優れたものを持っているのか。まあどうやっても想像の域を出ない。

 

「一体何の用なんだ龍園。俺たちはいま忙しいんだ」

 

「別に用なんかねえよ。今日のところは挨拶だけさ。お前らに一つ言っとくぜ。近いうちに改めて会おうってな」

 

「どういう意味だ」

 

 三宅は龍園に対し、この場の誰よりも強気に出る。

 それにまともに応じることなく、龍園と取り巻きはカフェを去っていった。

 嵐が過ぎ去り、一瞬の静寂ののち、店内はまた元の喧騒を取り戻す。

 しかし綾小路たちが勉強していたスペースには、いまだに一人、椎名が居座っている。

 

「ねえなんなの? そんなところにいられると邪魔なんだけど」

 

「少々お待ちくださいね」

 

「はあ? さっさとどっか行ってって言ってんだけど。意味わかってる?」

 

 かなり乱暴な口調でそう攻め立てる長谷部だが、椎名の方は特に気にした様子もなく、バッグを置いたままレジの方へ歩いていった。

 

「……お前なんか機嫌悪くないか? どうかしたか」

 

「速野くんが来る前、龍園くんに拾おうとしたカップ踏み潰されたの。あーイラつく」

 

「ああ……」

 

 今の説明ですべてを理解したわけではないが、まあ何となく想像はつくのでそれ以上深掘りすることはない。

 相変わらず龍園は周囲に敵しか作らないような行動をとる。今回の被害者は長谷部だったようだ。

 

「まあ……取り敢えず、勉強会そのものは順調に進んでるみたいでよかったよ。じゃあ俺もこれで」

 

「もう行くのか?」

 

「様子を見にちらっと寄っただけだからな。頑張ってくれ」

 

 滞在時間は10分しない程度だっただろう。俺は店内を後にした。

 途中でコーヒーの入った紙コップを持った椎名とすれ違った。お互いにそれは認識していたが、軽い会釈だけで言葉を交わすことはなかった。

 龍園がこうしてこの場に現れたということは……綾小路の思惑通りに事は進んでいるのだろう。

 先日Cクラスでは、例の録音を外部に……綾小路に漏らした裏切り者を探し出す会があったそうだ。さらに、堀北の裏で暗躍するDクラスの生徒を探り当てようともしている。仮に『X』と名付けて呼んでいるそうだ。

 まあそこでの話を耳にした時点で、俺は少々軌道修正を強いられることになってしまったわけだが。

 それについては仕方がない。

 これからは以前までの通り目立たず騒がず。これを意識して行動するだけだ。

 

 

 



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注視すべき動き

 試験本番がいよいよ間近に迫ってきた。

 テストの点数を上げてCクラスに勝利するため、1分1秒も無駄にできない。生徒たちは必死な思いで日々の時間を勉強に費やしていく。

 ただ、全員が全員勉強だけをしておけばいいというわけではない。俺や堀北などには問題作成、それに他の生徒に教える役割もある。

 そして今日のこの集まりも、勉強以外に必要不可欠なことの一つだ。

 場所はケヤキモール内のカラオケルーム。

 ここで、試験に向けての最終的な話し合いを行うことになっている。

 参加者は、試験の概要が発表されたときに集まった7人に幸村を加えた8人。

 場所がカラオケになった理由は、話し合いの様子を他クラスに聞かれたくないためという至極単純なものだ。

 しかしそれだけの理由ならば、寮の誰かの部屋を使えばいい。わざわざポイントを払ってカラオケルームを利用する必要なんてないと考えるのが普通だろう。

 いや俺もそう思うんだよ。てかみんなそう思ってた。

 しかしそれをよしとしなかったのが、いま慣れた手つきでてきぱきと軽食やドリンクの注文を行っている軽井沢だ。

 

「ねえ、歌っていい?」

 

「ちょっと、軽食とドリンクだけで我慢して。今日は遊びに来たわけじゃないのよ」

 

「でもさ、カラオケに来て歌わないのおかしくない?」

 

「あなたが寮はどうしても嫌だというからここにしたんでしょう……」

 

 敷地内で誰かの部屋以外に完全な密室を用意するとしたら、必然的にカラオケになる。

 そこで店員が部屋に来て、注文したものをテーブルに置いていく。

 カラオケに来るのは小学生以来ずいぶん久しぶりで、そこで軽食を注文することに至っては初めての経験である。処女航海ならぬ処女注文。犯罪臭がやばい。

 にしても、このカラオケの軽食メニューってのは値段の割に量が少ないな。飲食類持ち込み禁止となっていることからも、利益の源泉の多くを占めているであろうことがわかる。お金に羽が生えて飛んでいった先の一つはここだな。

 

「じゃあさ、この話し合い終わったらデュエットしようよ洋介くん」

 

「終わった後なら構わないと思う。息抜きにもなるしね。みんなどうかな」

 

 平田の呼びかけには誰も反対はしなかったが、積極的に賛意を示したのは櫛田だけで、残りは「勝手にしてくれ」と思っているだろう。俺も含めて。

 

「……始めるわよ」

 

 小さくため息をついた後、堀北が口を開いた。

 

「まず、勉強会の方は非常に順調と言って構わないと思うわ。一部も二部も、休日に私と速野くんでやっているBクラスとの合同勉強会の方もね。初めは一部の男子や女子がやや騒がしかったけれど、今はしっかりと集中して勉強している。おかげで、テスト範囲のものはある程度対応できるようになっていると思うわ」

 

「顔から英単語帳が飛び出るくらい頑張ったぜ」

 

 顔から火が出るの応用バージョンだろうか。須藤なりに考えた表現なのかもしれないが正直意味が分からん。

 

「あなたの努力は認めるわ。試験範囲の問題ならある程度対応可能でしょう。けれど基礎学力に関しては中学1年生未満だということを忘れないで」

 

「あんだけやっても中1レベルかよ……」

 

「中1レベルじゃないわ。未満よ。概念は教えたでしょう」

 

「未満っつったら……げっ、マジかよ」

 

 なるほど、確かに中1未満だなこれは。

 

「もう分かった。先に進めてくれ……」

 

 その光景を見た幸村は頭痛を抑えるようにして手で頭を押さえている。

 さらっと話を聞いただけでこれだ。期末試験の範囲だけでも対応可能なところまで持って行った堀北の心労は推して知るべしだな。

 

「幸村くんの方はどうなのかしら。長谷部さんと三宅くんの状況は」

 

「問題ない。それは間近で見ていた綾小路が証明してくれる。そうだな?」

 

「ああ。これ以上ないやり方だったと思う」

 

「そう、分かったわ。速野くんに主に任せている問題作成の方はどうかしら?」

 

 俺にお鉢が回ってくる。

 

「……ペースとしては十分だ。期限に間に合わないなんてことにはならない。ただ作る問題への学校側の関与が想定以上に厳しい。堀北と幸村には一回見せてるが、試しに解いてみるか?」

 

 近くに座っている平田に問題の書かれた紙を手渡す。

 

「これは……学校側に修正されてこの難易度なら、十分だと思うよ。今までの試験のどんな問題よりも難しいものが並んでる。さすがだよ速野くん」

 

 平田がそう考えるのなら、ひとまずは大丈夫ということだ。

 ただ以前藤野にも伝えた通り、「これは難しい問題ができた」と思ったところに学校側から修正が入るとかなりへこむ。

 やはり学力を適切に測定するというテストの目的から外れることは許されないらしい。

 ちなみに、単純な難易度面以外の点からも策を入れ込んでいる。

 まず一つは、出会い頭の大問1に難問を持ってくること。1つ目の問題に躓かせることで、受験する生徒のペースを乱す。

 そして、問題の並びを教科書の記述順にしないこと。これは特に暗記科目についてだ。多くの生徒は教科書のページの若い方から勉強していく。するとそこには暗記の順番が無意識のうちに生まれる。例えば日本史において、天皇や幕府、執権時代の出来事の解説は、当然ながらその地位に就いた人物の早い順になされる。北条氏執権時代でいえば2代目義時の時代(承久の乱発生、六波羅探題の設置)→3代目泰時の時代(御成敗式目の制定)といった流れがあり、生徒はその流れを覚える。しかし、出題の際には泰時の時代を先に出し、その後の問題で義時の時代の出来事を出すことで、その流れをかき乱してやる。

 そういった罠を仕込んだ問題で直接的にバツがつかなくてもいい。ペースが乱されたり焦りが生まれれば、その影響はテストの結果全体として現れる。普通ならあり得ない凡ミスをしたり、普通なら簡単に答えられる問題をド忘れしてしまったり。このようにして点数を削っていくのが狙いだ。

 このことは堀北以外には話していないため、他の生徒にとっては知る由もないことだが。

 

「現時点でできる限りのことはやり切っている状態よ。あとは本番までこれを継続して、Cクラスへの勝率を高めるだけ」

 

「すごくいい感じだねっ。このままいけばきっとうまくいくと思う」

 

「……ねえ、本当に大丈夫なわけ?」

 

 いい雰囲気に水を差すような言葉を発したのは軽井沢だ。

 

「そりゃあたしもクラスメイトが退学になるのは嫌だけど、毎年そういう人は出てるわけでしょ。あたしがそうならないっていう保証があるわけ?」

 

「……保証は、できないけど……」

 

「ならさ、そんな軽々しく上手くいくとか言わないでよ」

 

「わ、私はただ、皆で試験を乗り越えたいだけで……」

 

「そんなの綺麗ごとじゃん。勝手にそんなこと言って、もしあたしが退学になったら責任とれるの?」

 

 いったい何を言ってるんだろうか軽井沢は。いちゃもんとかいうレベルじゃない。無茶苦茶な言い分だ。

 当たり前だが、軽井沢が退学になったとしても櫛田に責任はない。

 しかし謎の怒りをあらわにする軽井沢は、あろうことか自らのコップに入っていたジュースを櫛田にかけてしまった。

 ブレザーとワイシャツにシミが広がっていく。

 

「軽井沢さん!」

 

 そんな行動に、黙っていた平田もさすがに声を上げた。

 

「今のはダメだよ軽井沢さん。やっていいことといけないことがある」

 

「だ、だって……私が悪いわけ?」

 

「あなたが全面的に悪いわ軽井沢さん。どう考えても櫛田さんに非はなかった」

 

「みんな、私は大丈夫だから……軽井沢さんを責めないであげて?」

 

 自らが被害を受けたにも関わらず、櫛田は加害者である軽井沢を擁護するような動きを見せる。

 

「いや、軽井沢が悪いんだ。そうもいかないだろ」

 

 しかし幸村も軽井沢を責める。

 

「あっそ。そうよね、櫛田さん人気者だもんね。速野くんはどっちの味方なわけ?」

 

 ついに矛先が俺に向いた。

 どう答えるのが正解か、一瞬考えてから言う。

 

「ん、ああ……とりあえず謝ったらどうだ」

 

 ひとまず常識的な受け答えを行う。

 軽井沢が一体何をしたいかはよく分からないが、この場を収める方法があるとすれば謝罪するしかないだろう。

 

「速野くんのいう通りだよ軽井沢さん。櫛田さんに謝るべきだ」

 

「悪くないと思ってるのに謝らなきゃいけないわけ?」

 

「まずは口にすることだよ」

 

 彼氏である平田に言われ、無言で立ち尽くす軽井沢。

 

「……ごめん」

 

 平田の説得に折れるようにして、軽井沢が謝罪した。

 

「ううん、大丈夫だよ。私ももうちょっと軽井沢さんを理解した上で発言するべきだったなって」

 

「なんか、ほんとにごめん。冷静じゃなかったかも」

 

 今の一瞬で頭が冷えたのか、何回か櫛田に謝る。なんとかその場がおさまり、平田は安心した様子だった。

 空気が変わると、また新しい疑問が浮かんでくる。

 

「そういえば櫛田さん、替えのブレザーはあるの? 明日大丈夫?」

 

 汚れた櫛田のブレザーを見ながら、平田が心配そうに言う。

 

「実は前にブレザー一着ダメにしちゃってて、今着てるこれしかないんだよね……」

 

「だったら近くのクリーニング屋に持ってけばいいんじゃねえか。俺も部活とかで汚した服はそこに持ってくぜ。今から持ってって、明日朝イチで取りにいきゃ間に合うだろ」

 

 部活をやっている須藤ならではの経験だ。

 まあ、俺も入学当日に持って行ったことあるんだけど。味噌汁がかかったブレザー。あの時は本当にびっくりしたし、その藤野との付き合いが今も続いていることはもっとびっくりしている。

 

「その、お詫びってわけじゃないんだけど、クリーニング代は私に出させてくれない?」

 

「いいよそんな、気にしなくて」

 

「でも、全部私が悪いから、それくらいはさせて」

 

 こうして落とし所がつき、この一連の騒動は収束した。

 

 

 

 

 

 1

 

 その後はカラオケを楽しむようなお気楽な空気ではなくなり、話し合いが終わると全員そろって施設を出た。

 しかし全員一緒に帰るわけではない。恋人同士である平田と軽井沢は並んで歩いていたが、それ以外はカラオケを出てからはバラバラだった。

 櫛田はブレザーをクリーニングに出しに行った。須藤は途中で夕飯を買うとか言ってたな。

 俺も一人で歩いていたが、ふと隣に並んでくる人影があった。

 

「あなたに一つ話があるわ」

 

「堀北……」

 

 俺の名前をはじめに呼びかけることもなく、本当に唐突に話しかけてきた。ちょっとは前置きがあってもいいと思うんだが。時間が惜しいのか。それとも嫌なのは俺と話す時間の方?

 

「なんだ話って?」

 

「私の分の問題作成を、すべてあなたにやってもらいたいのよ」

 

「……は?」

 

 なんなんだ急に……いや、堀北のことだ。ちゃんとした理由があるんだとは思うが……。

 

「櫛田さんと賭けをしたのよ。期末テスト8科目のうち、櫛田さんが指定した数学で私と点数を比べる。私が勝ったら今後私への妨害行為をしないこと、逆に私が負けたら、私と綾小路くんが自主退学すること、そしてどんな結果になってもこれらの件について私が公にすることはないことを約束した。兄さんを保証人にしてね」

 

 ……そういうことか。

 ん? いやまて。

 

「なんでそこで綾小路の名前が出る? お前と櫛田の賭けじゃないのか」

 

「正直、それは想定の範囲外のことだったわ。私と櫛田さん、兄さんの3人で賭けの内容についてやり取りしている現場を、あなたが私にやったように電話でこっそりと綾小路くんに繋いでいたのよ。そのことを櫛田さんに見抜かれてしまった。櫛田さんは、自分の過去を知る綾小路くんも退学にすることを望んだ。もちろん私は彼を巻き込むつもりはなかった。けれど彼自身がその賭けに乗ったのよ。私が勝つ方に賭ける、とね」

 

「……話は分かった」

 

 あいつも奇妙なことをするもんだ。

 ただ、これでなぜ堀北がこんな頼みごとをしてきたのかは理解できた。

 

「つまり、賭けに勝つために自分の勉強に集中したいと」

 

「ええ。もちろん、講師役はしっかりとまっとうするわ。だけどそれ以外の時間を自分の勉強のために使わせてほしい。頼めるかしら」

 

 俺をまっすぐに見据えてそう言う堀北。

 

「その話、お前は俺にどんなメリットを用意できるんだ?」

 

 二つ返事で受けることは簡単だ。俺の負担が増えると言っても、元々問題作成はその多くを俺が担当していたため、堀北の分量はたかが知れている。

 しかしタダ働きというのもなんか癪だ。

 

「5000ポイント用意するわ。それで手を打ってもらえるかしら」

 

 ……まあ、妥当なところか。

 

「分かった。それで受ける」

 

 話が一つまとまったところで、俺は別の気になる部分について尋ねることにする。

 

「その賭け、お前にだいぶ不利じゃねえの?」

 

 そもそも勝つことができるかどうかも怪しい。

 櫛田は龍園と繋がっている。それはCクラスが提出する問題文と解答を手に入れる手段が櫛田にはあるということ。

 龍園が堀北を退学させたがっているようには見えないが、それでも堀北が敗北し、退学という運命に絶望するところを見られるなら、と協力する可能性はある。いや、相手が櫛田であることを考えると、何としても手に入れると考えなければならない。

 そうなれば堀北は満点以外を取ることは許されない。

 そして学校側の修正が入っているとはいえ、その分野に関して素人である生徒の作成する問題を解くという経験はほとんどないに等しい以上、それは普段の試験で満点を取ること以上に難しいはずだ。

 そして勝負が決した時。もし仮に堀北が負ければ、畏敬の念を抱く自身の兄を保証人にしている以上、必ず堀北は契約通りに退学する道を選ぶだろう。

 だが櫛田はどうだ。堀北先輩は今年度限りで卒業する身。保証人であるあの人が卒業してこの学校を去って以降、堀北を妨害しないという約束を櫛田が守るかは分からない。いや、破られる可能性の方が高いとみるべきだ。

 

「それでも、やる価値のあることだと思っているわ。櫛田さんはDクラスにとって必要不可欠な戦力。櫛田さんが安心して全力を尽くせるよう、まずは彼女の汚点を知る私が彼女からの信頼を獲得していく必要がある。これはそのための一手よ」

 

「……なるほど」

 

 堀北の覚悟は分かった。何か策を弄することもなく、実力で満点をもぎ取ってこの賭けに勝つつもりであるということも。

 だがこれはかなり危ない橋を渡っている。

 覚悟を決めれば上手くいくというものではない。

 堀北が退学しても俺に致命的な何かが起こるわけではないが、打つべき手は打っておくべきだろう。この機に乗じるためにも。

 

 

 

 

 

 2

 

 先ほどのやり取りを終えた俺と堀北は、他に何か会話をするでもなく寮までの道のりを並んで歩いていた。

 そして寮のロビーに到着したとき。

 俺たちは同時に違和感に気付いた。

 

「……妙に騒がしいわね」

 

 時刻は午後8時半をとうに回っている。にも拘わらずロビーには多くの一年生が集まっており、ざわついていた。

 中に入ると、そこにいる生徒たちは例外なく1枚のプリントを眺めていることに気付く。

 その中には先ほど別れた綾小路の姿も見えたため、事態を把握すべく堀北が声をかける。

 

「これは一体何事?」

 

「ポストを見てくれ。全員のものに同じ紙が入ってるみたいだ」

 

「ポスト?」

 

 言われるがまま、俺も堀北も自分のポストを開く。

 すると綾小路の言う通り、一枚の紙が入っていた。

 そこには活字でこう書かれてあった。

 

 

『1年Bクラス、一之瀬帆波が不正にポイントを集めている可能性がある。 龍園翔』

 

 

「これは……」

 

「相変わらず滅茶苦茶な手を打ってくるわね……」

 

 体育祭での苦い経験がある堀北が憎らしそうに呟いた。

 堀北に言う通り滅茶苦茶な手だ。しかし非常に龍園らしいやり方でもある。わざわざ最後に名前を書いて自分がやったと誇示するところまで。

 名誉棄損で学校側に訴えられてもおかしくないが、それすらもまったく気にしていない様子だ。いや、このような活字ならパソコンがあればだれでも打ち込める。いざ訴えられても誰かが自分の名前を勝手に使っただけ、と言い逃れられると考えてるのかもしれないな。

 しかし一体どのような根拠でこんなことをやったのだろうか。確かに一之瀬は人に奢ることにほとんど抵抗がなく、かなりポイントに余裕があることはうかがい知れるが……やったのが龍園であるだけにその目的は読み切れないのが正直なところだ。

 

「おい、龍園が来たぞ!」

 

 そこに、下校してきた龍園が到着した。

 

「おい龍園、どういうつもりだ!」

 

「あ? なんだよいきなり」

 

 Bクラスの生徒がつかみかかる勢いで龍園に詰め寄るが、龍園はまるで知らないように振舞っている。

 

「決まってるだろ! この手紙だよ!」

 

「手紙?」

 

 突き出された手紙に目を通すと、龍園は薄くフッと笑った。

 

「ああそれか。クク、おもしれえだろ?」

 

「何が面白いんだよ! ふざけたことしやがって!」

 

「だったら事実を証明してみろよ。一之瀬が不正にポイントを得てねえって事実をよ。なあ?」

 

 龍園が目を向けた先には、騒ぎを聞きつけて今ここに来たばかりであろう一之瀬の姿があった。

 

「どうなんだ一之瀬?」

 

「それは……今ここで何を言っても、龍園くんは信じないでしょ?」

 

「当然だな。事実かどうかを判断するのは学校側だ」

 

「そうだね。みんなごめんね、こんな騒ぎになっちゃって」

 

 騒ぎを招いたのはこの手紙をばらまいた犯人だが、一之瀬は自ら謝罪した。

 

「でも安心して。明日先生にこのことを伝えて、不正はしてないってことを証明して見せるから」

 

「クク、この場じゃ何も言えねえってことか。不正を疑われても仕方ねえな」

 

「ううん、不正なんてしてないからこそだよ。所持しているプライベートポイントの残高は、いずれ特別試験で戦う武器になっていくかもしれない。だからこそ、他クラスの君の耳に入れるわけには行かないな。それに、先生にこのことを伝えて私が説明すれば、調査がされるはずだよ。そうすれば不正かどうかは自ずと明らかになるし、もし不正だと判断されたら私がこの場で言うまでもなく公表される。違う?」

 

「なるほどなあ。だがお前が明日学校に報告する保証はどこにある?」

 

「なら、君の口からこのことを伝えても構わないよ。結果は変わらないけどね」

 

「クク、自信たっぷりじゃねえか。なら、明日を楽しみにしとくぜ」

 

 そんな捨て台詞を残し、龍園はエレベーターに乗ってこの場を立ち去った。

 

「一体龍園くんは何がしたいのかしら。一之瀬さんが不正を犯しているなんて全く信じられない話だけれど……」

 

「一之瀬のあの様子からしても、不正はないだろうな。少なくとも学校側に咎められるようなことはしてないだろ」

 

 その点だけはまず間違いない。学校側から出されるのは、一之瀬の身の潔白を証明する結果だろう。

 俺が気になるのは別の部分。

 この手紙を配布したのが、本当に龍園だったのかということ。

 お前さっき龍園らしいやり方って言ってたじゃねえか、と突っ込まれるかもしれない。

 いや、その時点ではそう思っていたのだ。

 龍園がここに来るまでは。

 仮に龍園が犯人だとして考えると、ここに来た時の龍園の態度は実に龍園らしくなかった。

 あいつは「なんだよいきなり」とこの騒ぎについて何も知らないような言動を取っていた。いや、言動だけならいい。気になったのは、あいつはその仕草や態度まで、まるで本当に知らないかのようだったことだ。

 これは龍園らしくない。あいつがやったなら、ロビーが騒がしくなっている時点でこの騒ぎの原因がこの手紙であることを想像できているはずだ。ならばあいつはどのように登場するか。ロビーに入った時点で、以前堀北に対してしていたようにニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、その場にいる者を挑発するような態度を取るだろう。

 しかし龍園が笑みを浮かべたのは、手紙を全て読み終わった後だった。これは龍園が取る行動としては引っ掛かる。

 そもそも龍園が犯人なら、Bクラスの生徒に差し出された手紙を最後まで読む必要なんてないだろう。あの時の龍園は間違いなく文章を最後まで目で追っていた。あれはこの文章を初めて読んだからこそ生まれる動きだ。そして龍園はこんな細かい演技をするような人間じゃないし、今回の場合する必要もない。本当にあの時に初めて目にしたと考えるのが自然だ。

 そのため、あの龍園の態度を見た時点で、この件の主犯が龍園ではないことはほぼ確信していた。

 犯人は、龍園なら勝手に名前を使っても自分が犯人であることを否定しない、と読んだ何者かだ。

 龍園の名前を使おうなんて考える人物は限られているんじゃないだろうか。

 普通なら無記名を選ぶだろうし、たぶん俺でもそうする。

 一度視点を切り替えて考えてみる。

 これをやられた龍園はどう思う? 誰がやったと考える?

 いま自らが探している、Dクラスで暗躍している人物……『X』の仕業、という考えが頭を過るはずだ。

 そしてそれすらも犯人の狙いである可能性が高い。

 そう考えると、この手紙の犯人はおそらく……。

 

 



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最後の仕込み

 期末試験まで残り三日。

 今日は、作成した問題の提出期限だ。

 授業を終えて放課後になるなり、堀北と綾小路は席を立ち、完成した問題を入れた茶封筒を持って職員室へと向かっていった。

 そのほかの生徒たちは、寮に戻るための帰り支度を済ませている。

 今日からは、これまで講師役を務めていた生徒も自分の勉強に専念する必要があるということで、クラスとしての勉強会は開かれていない。

 もちろん、中には自学自習が厳しい生徒もいるため、そこは各自で講師役を用意するなどして対応している。あくまでもクラス全体としての勉強会を取りやめたというだけだ。しかしそれだけでも講師役の負担は段違いに軽くなる。

 問題作成の仕事から解放された俺は、今日と明日は須藤、池、山内の勉強の面倒を見ることになっている。場所は図書館。よりにもよってこの三人か、とも思ったが、今まで講師役の方はほぼほったらかしていたので、これくらいは甘んじて受け入れよう。須藤は講師役が堀北でないことに非常に不満そうだったけどな。

 俺もそろそろ支度を済ませて向かうところだ。

 

「速野」

 

 と、教室を出ようとしたところで幸村に声をかけられた。

 

「どうした?」

 

「作った問題はこれ以上ない出来になったと確信してる」

 

「そうだな。やれることはやった」

 

 幸村も問題作成にかかわっていたため、その出来栄えはよく理解している。

 

「だが前回の体育祭、参加表がCクラスにバレてたんだったよな。それと同じことが起きないかが気がかりなんだ」

 

 Dクラスの面々は、櫛田が裏切り者であるということは全く知らないが、何らかの原因で参加表が漏れてしまったことそのものは平田から説明を受けている。

 そのため、そういった心配を抱く生徒がいてもおかしくない。いや、抱いているべきだろう。

 幸村の懸念は妥当なものだ。

 

「……対策は万全にしたはずだ。作った問題は寮の部屋から持ち出してないし、堀北に作った問題を報告するときも画像データで送信する形をとった。今日あの茶封筒に入れるために持ち出したものを除けば、寮の外に出た問題は1問も採用してない」

 

 はじめのころに堀北と幸村に試しに解いてくれといって渡した問題も含めてだ。あの時使った問題はすべて不採用にした。

 

「ただ、体育祭の時も万全の対策を取ったつもりであのザマだったからな。絶対安全とは言い切れないのが正直なところだよ」

 

 しかも体育祭の時の対策案には俺の提案も含まれていた。そのため一部では俺を責めるような声もあったと後で平田から聞いた。

 どうやら平田がそれを収めてくれていたようで、そういった声が俺の耳に入ることはなかったが。

 

「一応、問題を提出した後は誰であっても開示しないように先生に頼む、って堀北が言ってたぞ」

 

「そうなのか……」

 

「だからまあ……そこはもう気にしても仕方がないんじゃねえの。正常な勝負ができる前提で挑むしかないだろ、俺たちは。前に失敗した俺が言うのもなんだけどな」

 

「いや、お前を責めてるわけじゃない。そうだな。あまり気にしすぎないことにする」

 

「それがいい。……じゃあ俺は行くから」

 

「ああ。呼び止めて悪い」

 

 そこで俺たちは別れた。

 廊下を歩きながら考える。そして改めて実感した。堀北の成長を。

 堀北の取った問題漏洩対策は、先ほど幸村に説明したことだけではなかった。

 話は一度、ペーパーシャッフルの説明があった日にまで遡る。

 堀北は、作成した問題を必ず堀北に届けること、問題はすべて自身が管理することを俺に確認させた。

 これはどういうことか。堀北が問題提出の全権を握るということだ。

 直接話を聞いたわけではないが、恐らく堀北はその日の時点で茶柱先生にもこのような話を通していたはずだ。自分が提出する問題がDクラスの正式な問題のため、他の誰が提出しても受理したふりをしてほしい、という感じか。

 つまり堀北は、櫛田が勝手に問題を提出してしまう可能性を考慮に入れ、それを潰したのだ。

 そしてそれは的中した。櫛田が用意していた手はまさにそれだったのだ。

 綾小路はそれを知らない。いや、あいつなら見抜いていたとしてもおかしくないが、もし見抜けていないとすれば驚くだろう。

 そして綾小路以上に驚くのは、龍園率いるCクラス。テスト期間中、図書館やカフェなどでCクラスが勉強している姿を一切見かけなかったのは、放っておいても問題と答えが手に入ると高をくくっているからだろう。

 このまま何もしなければ、Cクラスからは退学者が出てもおかしくない。勉強不足のまま挑んで攻略できるほど、こちらは甘い問題を用意していない。

 そしてそれは本来こっちの望むところだ。

 図書館の入り口付近に来たところで、ポケットの中の端末が震える。

 堀北からのメッセージだ。

 『万事上手く行ったわ』と。

 了解、とだけ返信し、俺は須藤たちの待つ席へと向かった。

 

 

 

 

 

 1

 

 テスト前日。

 1年生の教室が集まる校舎内は、来るべき時へ向けての焦りと緊張で空気が非常にぴりついていた。

 どこを歩いていても、聞こえてくるのは常にテストに関する会話ばかり。もちろん、それだけ意識を高く持っているということでもあるのだが。

 そんな中で授業を終え、放課後を迎える。

 俺は職員室でパッと用事を済ませ、そのまま寮への帰り道を歩いている。

 12月に入り、それに伴って冷え込みも厳しくなってきた。

 俺と同じように通学路を歩く生徒の多くは、歩きながら教科書や単語帳などを広げてテスト勉強にいそしんでいる。

 どんな時間も無駄にしないという強い意識が見てとれる。

 今日は一段と寒いため、手袋を外さすに読んでいる生徒も中にはいた。しかし本と手袋の摩擦が弱すぎて落としそうになってしまう。だーくそ、寒いけど外すしかねえ、とか言って、覚悟を決めて手袋を外し、しっかりと本を持って再び勉強に戻っていった。

 俺はこんな環境でやっても全く集中できないのが目に見えているためやっていない。

 

「あ、速野くん」

 

 そんな光景を横目に歩いていると、後ろから藤野の声が聞こえたので振り返る。

 そこにいたのは声の主である藤野だけではなかった。

 もう一人、櫛田桔梗の姿もあった。

 

「おお……なんか意外と初めて見る組み合わせだな」

 

 二人とも俺の姿を見て、こちらに手を振ってくる。

 俺も軽く手を上げて応答した。

 以前から交友はあったらしいのだが、今までこのように並んで歩く姿を俺は見たことがなかった。

 

「二人でどっか行くのか」

 

「ううん、実は藤野さんの部屋にお呼ばれしたんだ。一緒に勉強しようって」

 

「そうだったか……」

 

 二人の成績に高低をつけると藤野に軍配が上がるが、それでも櫛田の成績も優秀であることに変わりはない。そんな二人が一緒に勉強すれば有意義な時間になるだろう。

 

「でも、誘われた時はびっくりしたよー。先週の金曜日だったっけ」

 

「うん、そうそう」

 

 先週の金曜というと、カラオケルームで話し合いがあった日の翌日だ。

 

「もちろんクラスは違うけど、せっかくの機会だからと思って。実は櫛田さんと二人って初めてだよね」

 

「あ、確かにそうかも。よろしくね藤野さん」

 

「こちらこそだよー」

 

 そんな感じの明るいやりとりが繰り広げられる。

 ああ、なんというかしあわせいっぱいの空間だな。周囲も、藤野と櫛田が並んで歩いている光景に自然と目が吸い寄せられている様子だ。俺完全に除け者、というかお邪魔虫レベル。

 以前外村……博士が「ゆる百合の間を邪魔する人間はゴミ虫以下でござるよ!」とか言ってたっけ。その時は何言ってんだこいつと思ったが、今なら5%くらいは理解できる気がする。

 ま、二人には楽しく明るく勉強してもらって、俺は一人寂しく黙々と勉強しよう。

 ……いや別に悔しくねーし。一人で勉強した方が効率的だって信じてるし。異論があるやつはかかってこい。点数勝負だ。

 そんなくだらないことを考えているうちにいつの間にか寮に到着し、エレベーターに乗り込む。

 

「じゃあね速野くん。明日のテスト頑張ろうね」

 

「ああ」

 

 

 

 

 

 2

 

 そして、いよいよやってきたテスト当日。

 これまでの勉強付けの日々。今こそその努力の成果を発揮するときだ。

 生徒たちのテストに挑む姿勢は、当然ながら普通の学校とは違う。

 この学校はクラスの成績がクラスポイント、つまりクラスの地位と支給ポイントに直接かかわってくる。

 勝てば100のクラスポイントが加算される。負ければ逆に100クラスポイントが引かれる。さらにペアの点数がボーダーを下回れば退学処分という、この上なく厳しい措置が待っている。

 これほど多くのものを背負って期末試験に挑む高校生は、この学校の生徒のほかにはいないだろう。

 しかしDクラスの生徒は、焦りや緊張はありながらも、冷静さを失うことはなく試験までの時間を過ごしていた。中には今までの努力を信じ、敢えてギリギリでの詰込みを行っていない生徒も見られた。

 本当に、1学期のころとは見違えるようだ。

 予鈴のチャイムが鳴る。試験開始5分前となり、人数分の問題用紙を持った茶柱先生が教室に入ってくる。

 それと同時に、生徒たちは広げていた勉強道具をロッカーの中にしまう。机の上や中に残していいのは、当然ながら筆記用具のみだ。

 

「これより1時間目、現代文のテストを行う。試験時間は50分。原則として途中退室は認められない。トイレなども極力控えるように。どうしても我慢できない場合や、その他体調不良などやむを得ない場合は、挙手して私に伝えろ。では、問題用紙を配布する」

 

 廊下側から順に問題用紙の配布を始め、2分と経たずに最後の綾小路まで全員にいきわたる。

 試験開始までの緊張の時間。

 聞こえてくるのは、生徒が微動した際の衣擦れの音、そして加速していく自らの心拍音。

 それ以外にあるのは静寂のみ。

 やがて、チャイムがその静寂を切り裂く。

 その音に重なり、先生の「はじめ」という声、そして全生徒が一斉に問題用紙を裏返す音が聞こえてきた。

 シャーペンを動かすカリカリという音が教室中に響き渡る。そんな中、俺はいきなり解き始めることはせず、まずは問題を全て流し見する。これによって、問題の大体の性格を把握することから始める。

 それを済ませてから、ようやく問題に取り掛かる。

 中々に骨のある問題がずらりと並ぶ。予想はしていたが、やはり今までの定期テストのどれよりもレベルが高い。平均点ラインは良くて60点に到達するかしないかだろう。

 これは決して悲観するような数字ではない。これは俺が問題作成にかかわったからこそ分かることだが……確かにレベルは高い。しかし、俺たちDクラスが提出した問題に比べれば1段階ほどレベルは低い。そのうえ、幸村の提案した金田対策の中で予想されていた問題がピンポイントで出題されているものも見受けられた。

 もしもCクラスが俺たちと同じくらいの勉強量で挑んでいれば、平均点はおそらく55点前後。しかしCクラスは間違いなく勉強不足だ。恐らく半分に満たないだろうな。

 平均点勝負での勝ちは固い。あとは誰一人退学者を出すことなく乗り越えられるかどうかだ。

 賭けを行っている堀北と綾小路を含めてな。

 

 

 

 

 

 3

 

 3時間目の地理のテストが終わり、いまはインターバルだ。

 

 

「ここまではいい意味で想定通りね」

 

 ふう、と息をつきながら、堀北がそうつぶやいた。

 

「満足のいく出来みたいだな」

 

「ええ、まあね。もちろん油断は禁物だけれど」

 

「そうだな」

 

 そんな短いやり取りのあと、俺は席を立ち、櫛田のもとへいって声をかける。

 

「櫛田、ちょっといいか」

 

「え? うん、どうしたの速野くん?」

 

 俺の来訪に少し驚きながらも、快く受け答えをしてくれる。

 堀北との賭けもあって気が気じゃないだろうに、さすがといったところか。

 

「いや……実はな、昨日の夜、勉強会について質問したくて櫛田にメッセージを送ったんだが……既読がつかないからちょっと心配になってな」

 

 櫛田は基本的に即既読、即返信だ。もちろん充電が切れていたり、就寝していれば話は別だが、それ以外の時間ならどんなに遅くても10分以内に返信が来る。

 

「昨日の夜? 速野くんからのメッセージ……」

 

 思い出そうとするものの、身に覚えがないらしい櫛田。

 

「もしかしたらこっちの端末の不具合で届いてないかもしれない。いま確認してくれないか?」

 

「うん、いいよ。ちょっと待ってね」

 

「悪いな」

 

「そんな、大丈夫だよ。もし私が気づいてないだけだったらごめんね」

 

「いや」

 

 櫛田にはおそらく毎日大量の通知が来るだろう。その中の一つや二つ見逃していても不思議じゃない。

 端末を起動して操作を行う櫛田。テスト中は当然端末の電源を切っておくことが義務付けられているため、このような手順が必要になる。

 それと同じように俺も端末を操作する。

 

「えーっと……あ、速野くんからメッセージ届いてる」

 

「マジか?」

 

「うん。でも届いたのは昨日の夜じゃなくて……ついさっき、3時間目のテスト終わった直後になってるよ」

 

「……えぇ?」

 

 俺の発言と実際のデータの食い違いに困惑する櫛田。

 と、そこで櫛田の端末から通知音が鳴る。

 今この瞬間に誰かからのメッセージが来たようだ。

 

「メッセージか?」

 

「誰かからのメールみたい……っ!」

 

 そのメールを見た瞬間、櫛田の表情が一気に強張る。

 そしてそれとほぼ同時に予鈴のチャイムが鳴り、問題用紙を持った茶柱先生が教室に入ってきた。

 

「お前たち、席に着け。これより4時間目、数学のテストを始める」

 

 そう指示が出される。

 次の科目は数学。櫛田と堀北の賭けの対象となっている科目だ。

 

「悪い櫛田、また後で」

 

「あ、う、うん。頑張ろうね」

 

「ああ」

 

 端末の電源をオフにしつつ、先生の指示通りに席に戻る。

 そして、堀北に声をかける。

 

「準備はできたか堀北」

 

「ええ。全力を尽くすわ」

 

 覚悟は決めた。そんな表情だった。

 先ほど述べた、テスト直前に最後の詰込みをやっていない生徒。その中の一人は堀北だった。

 タイトルは分からないが、文庫本を読んでいたな。

 できることはすべてやり切ったからこその芸当だ。

 自らの退学がかかった試験でこれだけ冷静でいられるということは、相当な猛勉強を積み、そしてそれに自信を持っていることの証左でもある。あとは自らとの闘い。そのための精神集中の手段として、日課である読書という選択をしたのだろう。

 いや、本当に立派なものだ。

 問題用紙が全員にいきわたり、再びあの独特の緊張感と静寂が訪れる。

 そして、チャイムと同時に試験が始まった。

 

「んなっ……!」

 

 開始直後、そんな焦りとも驚愕ともとれる櫛田の声が前方から聞こえてきた。

 

「どうした櫛田」

 

「い、いえ、なんでもありません……すみません」

 

 生徒たちの意識は一瞬だけ櫛田に傾いたが、今はテストの最中。他人のことを気にしてはいられない。

 俺もその例に漏れることはない。

 しっかりと集中して試験に取り組む。

 

 

 

 

 

 4

 

 数学の試験が終了した。

 

「ふう……」

 

 解き終えた堀北は、そんなため息とともにシャーペンを放り出し、天井に目を向けている。

 

「やり切ったって感じだな」

 

「ええ。悔いはない。特に最後の1週間、間違いなく私の人生で一番勉強したわ。速野くん、答え合わせをお願いできるかしら」

 

「はいはい」

 

 1問目から順に、互いの答えが合っているか確認していく。

 難易度はやはり高かった。しかし、所感はこれまでと同じだ。悲観するようなレベルではない。

 そして最後の50問目。空間図形の応用問題。

 

「答えは29だ」

 

「……同じよ。29」

 

 俺と堀北の答えは、50問すべてで一致していた。

 

「私とあなたが同じ間違いをしていない限り、満点と言っていいということね」

 

「そうだな」

 

 それだけ言うと、堀北は櫛田の元に向かった。お互いに点数を確認し合うのだろう。綾小路もついていくらしい。

 満点なら堀北の勝利だ。間違いない。

 とりあえず、一山は超えたか。

 一方で櫛田の方を見ると、明らかにどの生徒よりも精神的に疲労していた。

 あの様子や、テスト中のあの驚嘆の声から察するに……推測でしかないが、どうやら綾小路の策が効いていたと思われる。

 賭けは堀北の勝ちで確定だろう。

 これで一つの懸念材料は解消された。

 しかし、テストはまだ明日も残っている。

 それに向けて、今日はまた勉強だ。

 

 

 

 

 

 5

 

 テスト終了から2日後。

 クラス内は緊張に包まれていた。

 

「では、2学期期末テスト、ペーパーシャッフルの結果を発表する」

 

 これまでも、テスト結果発表のときは緊張感が走っていた。しかし、今日のそれは段違いに強い。

 理由は簡単。この結果次第では、Dクラスはついにクラスが昇格するかもしれないのだ。

 しかし、まずはそれよりも先に大事なことが発表される。

 

「まず、今回の試験でボーダーに至らず、退学となったペアだが……なしだ。全員見事にボーダーを上回った。よくやった」

 

 その瞬間、歓喜の声が上がる。

 ボーダーを上回ったことに関しては、全員事前にペアと自己採点の結果を確認し合って自信を持つことができていた。そのため予想外の結果ではない。しかしいざ正式な結果として受け取ると、大きな安堵が押し寄せてくる。

「そして次に、各クラスの平均点を発表する」

 そう言って、茶柱先生がゆっくりと結果を張り出す。

 1枚目の紙には、個人の成績とペア合計の成績。

 そして2枚目に、各クラスの平均点が書かれてある。

 

 

Aクラス……70.39

Bクラス……69.75

Cクラス……46.91

Dクラス……61.27

 

 

「と、いうわけだ。よく試験を乗り越えたな」

 

「「「「「うおおおおおおおおーーー!!!」」」」」

 

 平均点は約15点離れている。文句なくDクラスの勝利だ。

 これで年明け、1月の頭まで生活態度などで減点されない限り、DクラスはCクラスに昇格することが決定した。

 

「お前すげえぜ速野! 平均46なんて、Cから誰か退学したんじゃねえか!?」

 

 今まで散々Cクラスにコケにされてきた須藤がテンションを上げて俺に言ってくる。

 

「お前にとっては残念かもしれないがな須藤、今回の試験で退学者は出ていない。だが、Cクラスには明らかな勉強不足が見られた」

 

 それゆえのこの平均点、ということだろう。

 正直、俺も2組くらい退学者出るかと思ってたが、学校側に修正受けたのが大きかったか。どの科目でも、全体の2割ほどは難易度を抑えた問題でなければ認めてもらえなかった。それで何とかボーダーを上回ることができたのだろう。龍園とは別で独自に勉強会を開いていた、という可能性もあるか。

 

「それにしても……今回はAクラスがかなり危なかったわね。いつもの平均点を知っているわけではないけれど、Bクラスとの差はいつもここまでギリギリなのかしら」

 

 AクラスとBクラスとの差は1点もない。

 

「Bクラスの調子が良かったんじゃないか。合同勉強会、案外効いたのかもな」

 

「そういうことなのかしらね……にしてもあなた、本当にペーパーテストが得意なのね」

 

 堀北は黒板に貼られている成績一覧を見ながら、少し呆れ気味に言った。

 

「褒められてると捉えていいのか」

 

「少なくとも貶してはいないわね。数学で同点だった以外は全て負けているもの」

 

 俺は必死の勉強の末に現代文、地理でそれぞれ98点、それ以外の科目では満点を獲得することができていた。堀北も点数的には大きな差はないが、それぞれ2、3点ずつ俺に出遅れている。総合点では15点ほどの差がつくという結果に落ち着いた。

 

「まあ、取り敢えずは良かったな。退学することもなくなった」

 

 櫛田の数学の点数は78点。決して低いわけではないが、もし仮に龍園から解答を入手していたとすればあり得ない点数だ。

 

「このままいけばCクラス昇格だ。お前のゴールへの第一歩だろ」

 

「……そうね」

 

 まずはあまり余計なことは考えず、その事実を素直に喜んでおくべきだ。

 勝って兜の緒を締めよとはけだし至言ではあるが、それをするのは少し間を置いてからでも遅くはない。引き締め過ぎても息苦しいだろう。

 

 



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第7巻
それでも平穏は訪れない


「寒いな……」

 

 そんな呟きが、幾度となく口をついて出る。

 人間というのは、その感情を口に出さずにはいられない生き物らしい。今のように寒ければ寒いと言うし、暑ければ暑いと言う。驚いた時には「びっくりしたー……」なんて少々長い言葉であっても、まるで流れるように口から出ていく。

 それはもう無意識の領域だ。何か特別な要因でもない限りこの現象は止めようがないし、別に止める必要もない。

 では、意識的に感情と逆のことを口に出してみるとどうなのだろうか。

 やったことがないので分からないが、やるだけなら簡単だ。

 なのでやってみることにする。

 

「暑いな……」

 

 ……こう、喉に小骨が刺さったというか、錠剤の薬飲んだ時に上手く呑み込めずに喉に残った時というか、残尿感というか。とにかく何となくむしゃくしゃする感覚に襲われる。

 自分の感情に嘘をつくとこうなるのか。

 いや、それは少し違うだろう。

 実験だからといって全くつきたくもない嘘をついたから、という言い方が正しいかもしれない。

 ただ少なくとも、「寒いなんて口にするから余計に寒くなるんだ! 弱音を吐くな!」なんて主張が大嘘だということは分かった。

 一人での登下校の最中や、寮の自室での暇な時間など、何の益体もなくただただ無駄に時間が流れていく時を過ごしていると、このようにクソほどどうでもいいことに自然と頭が回ってしまうものだ。

 しかし、学校に到着したことでそれも終わり。

 校舎内は空調が効いており、暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい温度に保たれている。

 いつも通りに廊下を歩き、Dクラスの教室へ到着する。

 2学期最後の山場である期末テスト、ペーパーシャッフルを完勝という形で乗り越えたDクラス。

 つい最近までのどこか殺伐とした空気は鳴りを潜め、今は落ち着きを取り戻している様子だ。

 このDクラスという称号も、今月限りで手放すことになるかもしれない。

 先ほど述べたように、俺たちDクラスはCクラスに勝利した。これによりポイントが変動。12月1日時点でCクラスは496ポイント、Dクラスは346ポイントだったが、100ポイントずつ増減し、それぞれ396ポイント、446ポイントとDクラスがCクラスを逆転したのだ。

 このまま生活態度等で再逆転されないまま1月を迎えれば、俺たちは晴れてCクラスとなるわけだ。

 入学からしばらくして、Sシステムの裏側、クラスポイントの存在を明かされて以降、不良品だのなんだのと散々嘲りを受けてきたDクラス。それだけに、この逆転の喜びは非常に大きかっただろう。

 しかし、それで浮かれ倒しているようなことはない。先ほども言った通り、Dクラスのようすは以前の落ち着きを取り戻している。それだけDクラスも成長したということだ。

 まあ、意地でも再逆転を許すものかという意識の表れでもあるが。これで油断して減点なんてされたらシャレにならないしな。

 試験に勝ち、クラスも逆転した。

 このまま何事もなく、平穏無事に冬休みを迎えることができたらいい。Dクラスの多くの生徒の願いだろう。

 しかし、物事はそう上手くは運ばないものだ。

 

 

 

 

 

 1

 

「Cクラスのクラスポイントが減点された」

 

 帰りのホームルーム。茶柱先生からそんな報告があった。

 突然のことに、教室内がざわつく。

 

「え、な、何ポイント引かれたんすか?」

 

「100ポイントだ。詳細は言えないが、Cクラスの生徒に重大な校則違反があった。連絡事項は以上だ」

 

 茶柱先生はそのまま解散を告げ、教室を出ていった。

 それからはこのことが教室中の話題をかっさらう。

 

「はは、あいつらDクラスに落ちそうになってヤケになったんじゃね?」

 

 生徒たちは帰り支度を整えつつ、先ほどの衝撃の連絡事項について好き勝手に話している。

 

「一体どういうことかしら。独裁を敷く龍園くんがこのようなことを許すはずがないけれど……」

 

 訝しげにそう呟いたのは、これまで龍園と渡り合ってきた堀北。

 直接相対したからこそ、龍園がこのようなミスを犯すはずがないと直感している。

 

「実際どう考えてるんだ?」

 

「これも何かの策だと言われた方が納得がいくわね。けれどクラスポイントを100も削ってまで、一体何がしたいのかしら……」

 

 いい線だと思う。俺もこれが単なる大ポカだとは思っていない。

 クラス間競争において100のクラスポイントは非常に大きな価値を持つ。

 しかし龍園は、クラスポイントよりもプライベートポイントの方に重きを置いているのかもしれない。それは無人島試験でAクラスと結んだ契約の内容からも伺える。

 だがプライベートポイントを重視しているにしても、クラスポイントが100減るということは月々に支給されるプライベートポイントが1万減るということ。クラス全体で月に40万の損失だ。

 この大きな犠牲と引き換えに、龍園は何を手にしたのか。

 『X』探しに関することなのは、恐らく間違いないのだが。

 

「それにしても、最近は随分楽しそうね、彼」

 

 いくら考えても答えの出ない話題を切り替え、堀北はそう呟いた。

 

「彼?」

 

「綾小路くんよ」

 

「ああ……」

 

 嫉妬というわけでも、もちろん歓喜というわけでもなく、ただただ思ったことを口にした感じだ。

 弓道部に所属する三宅を除き、期末テストの勉強会のメンバーだった幸村と長谷部、それに加えて佐倉とともに教室を出ていく綾小路。

 最近、特にテスト終了後はそんな様子を目にする機会が顕著に増えた。

 一学期のころは池や山内あたりと比較的親しくしていた綾小路だが、親密度合いでいえば今とは比べ物にならない。

 

「あいつ無表情すぎるからよくわからないんだが、楽しそうなのか」

 

「表情が動かなくても見ていれば分かるわ。最近帰る支度がスピーディーになっているもの」

 

「へえ、よく見てるなあいつのこと」

 

「……イラっとする言い方だけれど、別に大したことじゃないわ。7か月も隣の席で過ごせば嫌でも分かるというだけ」

 

 いやそれでもかなり目ざといだろう。あいつもそんなんで見破られたと知ったら驚くと思う。

 そういえば、改めて考えると綾小路と堀北が隣の席っていうのも中々の奇跡だよな。

 クラスで最もAクラスへ上がることを欲している生徒と、クラスで最もAクラスへの熱意がなく、それでいてとんでもない能力を隠し持った生徒。

 席順はおそらくランダムで決められているはずだ。神様のいたずらというのも頭ごなしに否定できるもんじゃないな、なんてことを思う。

 もしこの2人の席の位置が互いに離れていたら、Dクラスはまた違った道を辿っていたかもしれない。

 

「今度はあなたの方が憐れね」

 

「なんだよそれ」

 

「彼はクラス内でのぼっちを脱却したわよ?」

 

 俺には藤野という友人がいるから、という言い訳を封じるような言い回しだ。

 

「お前も似たようなもんだろ。一人を苦にしてるわけじゃない」

 

「私は苦にしていないわけじゃなく、好きなのだけれどね」

 

「ああ、そう……」

 

 格が違うと言いたいらしい。

 一皮むけても、そのあたりの認識は前とあまり変わってないんだな。

 まあそんなことで張り合っても無意味だ。

 一人を苦にしない、という共通項があっても、俺は友達を欲していて、堀北は欲していないという違いはある。そんな格でよければ遠慮なく譲ってやろう。ってか全くもっていらねえし。

 往生際が悪いと思われるかもしれないが、俺は別にまだ友達づくりをあきらめたわけじゃないから。

 ここにきて綾小路にああいう友人ができるなら、俺にもできたって確率論的にはおかしくないはずだ。たぶん。

 

「せいぜい孤独ライフを楽しむことね」

 

 荷物を持って立ち上がりながら、こちらを煽るように言う堀北。

 

「そうしたいところだが、今日はこれから藤野と合流する予定だ」

 

「そう」

 

「……」

 

 え、それだけ?

 こっちが言い返したらこの反応だよ。うざ。

 

 

 

 

 

 2

 

 教室を出て藤野と合流し、食材の調達のためにいつもの食品スーパーへ向かう。

 もちろん目当ては無料コーナーの商品だ。

 

「この習慣もずいぶん長く続いてるな」

 

「だねー。4月からだもんね」

 

 この学校の1年生の中にこのスーパーの、それも無料コーナーにここまで通い詰めている生徒は、俺と藤野を除いて他にいないだろう。

 あまりにも頻繁に行くせいで、藤野に関してはレジのおばちゃんと会計中に雑談するまでになっている。俺もそこまでは行かないものの顔は覚えたし、向こうも認識はしているようだった。前に「よく来るねえ」と言われたことがある。

 食品スーパーに入り、いつもとは少し違うルートを通って遠回りで無料コーナーへと向かう。

 そして藤野はあらかじめ決めていたものを、俺はその場で夕飯のメニューを考えて、粗悪な質の無料商品を買い物かごへ突っ込んでいく。

 ここまで淀みのないスムーズな動き。主夫力を競わせたら上位に食い込む自信あるね。

 ちなみに購入する量については、いつも俺の方が藤野よりも倍ほど多い。

 単純に食事量に差があることも要因の一つではあるが、藤野は俺とは違って毎日無料の食材で自炊をしているというわけではないから、というのが一番の理由だ。

 Aクラスはポイントにも余裕があるし、友達も多くその付き合いで飲食店で飯を食うこともある。

 俺とのこの買い物も、藤野にとっては友達付き合いの一環という解釈だろう。まあポイントの節約になるというのもあるだろうけどな。

 いつもの通りゼロポイントの会計を済ませ、袋を引っ提げて店を出る。

 俺たちが通った後、開ききった店の自動ドアが閉まり始める音がするが、直後にそれが止まりまた開き始める。誰ともすれ違わなかったため、誰かが俺たちの後に退店したということだ。そして当然ながらその人物はいま俺たちの後ろを歩いている。

 しかし特に振り返ることはなく歩みを進める。

 

「……ねえ」

 

 そんな中、声を潜めて俺に話しかける藤野。

 そのままの距離でもギリギリ聞き取れるくらいの声量だ。耳を近づけたりはせず、言葉の続きを促す。

 

「やっぱり……つけられてるよね?」

 

「……」

 

 声には出さず、小さく頷いて肯定した。

 俺たちは追跡されている。いま後ろを歩いている生徒に。

 スーパーに入った後、無料コーナーに行くのにわざわざ遠回りをしたのはそれを確かめるためだ。

 尾行の上手さはそこそこのレベルだったが、放課後に学校から直接食品スーパーに向かう生徒はそう多くない。違和感に気付くのにそう時間はかからなかった。

 

「……誰かわかるか」

 

「……Cクラスの子だね」

 

 やはり。

 龍園の『X』探しの波がここまで及んできた、ということか。

 

「なんのためにこんなことしてるんだろ……?」

 

「さあ……」

 

 ここでは知らないふりをしておく。藤野が相手であってもだ。

 まだ何も噂になっていない今の段階で、龍園のDクラスに対する不可思議な行動を『X』探しと結びつけることができるのは、堀北の裏で試験を動かしていた影の人物の存在が頭に入っている人間だけだ。Cクラスの生徒以外では、まず綾小路本人、そして元から綾小路の隠れ蓑をやっていた堀北、体育祭終了後のやり取りの現場を知る櫛田と俺だけだ。

Dクラスの頭脳が堀北の他にいるというのは、クラス間競争の戦略上とても重要なことで、他クラスには隠し通すべきものだ。藤野にも黙っている理由の一つはこれだ。藤野であってもクラスが別である以上敵は敵。この基本姿勢はお互いに持っているもので、友人関係と信頼を維持していくために必要なことだ。

 もちろん、いずれ龍園の口からその目的は明るみに出ることになるかもしれないが。

 それを受けて藤野が尋ねてきたときにどう答えるかは、また少し考えておこう。

 

 

 

 

 

 3

 

 朝の登校時間。

 今日は比較的早い時間に部屋を出た。

 特に何か目的があるわけではない。単純に普段より少し早い時間に目が覚め、それに伴って飯や着替え等のタイムテーブルが前倒しされたというだけのことだ。

 いつもは端末のアラーム機能を頼りにして起床しているが、今朝はそれが鳴る前に目が覚め、惰眠をむさぼることもなく起き上がった。

 時間にして10分も差はないが、どこかいつもより空気が冷たい気がする。

 おそらくほとんどは気のせいかもしくは単純に今日がいつもより寒い日というだけのことなのだが、しかし同じ10分でも早朝と昼間ではそれに伴う気温水準の変化の度合いが違うというのも事実だ。

 そもそもなぜ朝より昼間の方が気温が高いのか。もちろん太陽光が地球に届いている時間の長さも要因の一つだが、もう一つ大きいのが太陽光が地球に当たる角度だ。

 懐中電灯で例えると分かりやすく、教科書でもよく採用される。地面を照らす際、地面と直角に光を当てれば照射される面積が小さくなる分明るくなるが、これを斜めに傾けると、照射される面積が広がり明るさが薄まる。これはつまり一定面積あたりに提供されるエネルギー量が小さくなることを意味している。これを太陽光に置き換えれば、前者が南中時の、後者が早朝および夕刻の状況で、地上との角度が直角からズレるほど温度も低くなりやすいわけだ。

 ここでもう一度地面と懐中電灯のたとえを採用して考える。地面と直角に光を照射している状態から10度傾けても、光量の変化は大してない。しかし、地面とほぼ0度の角度から10度傾けると、明らかに光量が増えるのが分かる。つまり地面との角度が元々小さいほど、供給されるエネルギーの変化量がより増える。

 太陽は時間経過によって地面との角度が変化していくわけで、よって早朝は昼間と比べて時間経過とともに気温が上昇しやすい傾向にあるということがいえる。

 10分後の気温がより上昇するということは、その10分前の気温はより低いということになる。つまり、冒頭で寒く感じた俺の感覚も、一概に気のせいと切って捨ててしまうのが正しいとはいえないということだ。

 いや、だからなんやねんって話なんだけどね。お付き合いありがとう。

 

「や、おはよう速野くん」

 

 俺のどうでもいい思考がまとまったのとほぼ同時に、横から挨拶をされた。

 1年Bクラスの一之瀬が、手を振りながらこちらに近づいてくる。

 

「おお……おはよう」

 

「この時間に速野くん見かけるなんて珍しいね」

 

「いつもより早く目が覚めたんだ」

 

「あ、なるほどー」

 

 逆に一之瀬はいつもこの時間なのだろうか。だとしたらさすがだな。快活な少女というイメージに違わない。

 

「最近冷え込んできたでしょ? だからベッドから起き上がるのもだんだん難しくなってきちゃって。今日みたいにいつもより遅い時間になっちゃうことはあっても、早い時間には起きられないんだよね」

 

 どうやら俺の予想は外れていたようだ。いつもはこの時間どころかもっと早かったらしい。何という健康優良児。

 

「速野くんもしかして寒いのに強い?」

 

「いや……まあ、暑さ寒さには慣れてる方ではあるかもしれない」

 

 慣れているとはいっても苦にしないというわけじゃない。むしろその「苦」に慣れているという表現がより正しいかもしれないな。

 

「あ、そういえばまだちゃんとお礼言えてなかったよね」

 

「礼?」

 

 急なことで、何を指しているのか要領を得ない。

 

「勉強会のお礼だよ。速野くんたちが開いてくれたおかげでAクラスとも善戦できたから。ありがとう」

 

「ああ……いや、あれは相互的なもんだから、こっちが一方的に礼を受けるもんでもない。言うにしても堀北に言ってくれ」

 

「もちろん、堀北さんにも折を見て伝えるつもりだよ。でも私は速野くん個人にも感謝してるから」

 

「俺個人に?」

 

「速野くんが渡してくれた問題があったでしょ? あの中に3問か4問、Aクラス側が出題したものとほぼ同じ問題があったの。それもかなりの難問でさ。みんなそれですごく助かったって言ってたから」

 

「ああ……」

 

 堀北も少し疑問に思っていたが、Bクラスが平均点にして0.5点差までAクラスに肉薄できた秘訣はこれだ。

 

「完璧に偶然だが、役に立てたならよかったよ」

 

「まあ、惜しくも負けちゃったけどね。にゃはは」

 

 後頭部を掻いて情けなさを表現する一之瀬。

 ちなみにこの件だが、偶然というのはもちろん大嘘だ。

 解き方がほぼ同じ3、4問というのは、間違いなく事前に藤野からAクラス側の問題として情報提供を受けていたものだろう。正確には4問。それを偶然を装ってBクラス側に提供し、Bクラスの点数を引き上げること。これが藤野から俺への依頼だった。

 まず俺は堀北にBクラスとの合同勉強会を提案した。そして対外的には「堀北からの提案」ということにし、俺の意思ではないということにした。この勉強会における俺のただ一つの目的は、藤野からの問題をBクラス側にこっそりと提供することだ。定期開催に持ち込もうとしたのは、出題する問題が定まるのは試験本番がかなり近づいてからのことであるため、それまでの時間稼ぎだ。それと同時に、問題を提供することに違和感を覚えにくくするためでもある。もし勉強会が1回限りで終わってしまい、その時に提供した問題の中に何問もAクラスの出題した問題が含まれていては不自然さを覚える者も出てくる。それをできる限り減らすためだ。

 藤野の目的はAクラスを負けさせることではない。完全な坂柳体制になってから初めての本格的な試験、Bクラスとの接戦を演じさせ、「坂柳になってもこんなものなのか」という空気をクラスに作ることだ。

 藤野はこれまでの傾向から分析して、そのまま何もしなければAクラスとBクラスの平均点の差はざっと見積もって1科目あたり2点ほどになるだろうと予測していた。そこで、正解率が特に低いとみられる4問をBクラスの7割が事前に知っていたとすると、平均点は0.7点ほど上昇する。

 それ以外にも自作した解説などでAクラスから出題される問題の傾向をBクラスの生徒に刷り込み、点数を引き上げる。こういった手を加えることで、平均点の差は1点から1.2点までに縮まるだろうというのが藤野の予測だった。

 最終的には0.5点差で予測よりも小さく、危うく追い越されるところだったと肝を冷やしてたな。その部分はBクラスが想像以上の努力を重ねたということだろう。

 しかし結果としては藤野の目論見は達成された。Aクラスには坂柳も絶対的ではないという空気が広まり、派閥の勢いはそれまでより低下しているとのこと。

 もちろん、これらの行動に対する見返りは受けた。

 まあ、この件に関してはここまででいいだろう。

 思考を切り替えるべく、俺は新たな話題を提供する。

 

「そういえば……この前の龍園の件は災難だったな」

 

「ああー……うん、まあね。突然のことでびっくりしたよ」

 

 直接的に表現しなくとも、俺が何のことを言っているのかすぐに思い当たったらしい。

 先日一年生の寮のポストに、一之瀬が不正にポイントを得ているという紙を龍園が仕込んだという件。

 結局その後、一之瀬に一切不正がないことは学校側により保証されたが、あの時は軽く騒ぎになったからな。

 犯人は十中八九龍園以外の人物、恐らくは綾小路だろうけど。

 

「ほんとに、龍園くんはいつどんな場面で何を仕掛けてくるかが全く分からないから厄介だよ。君たちも気を付けてね」

 

「肝に銘じとく」

 

 そういえば、以前Bクラスも何らかの形で龍園の攻撃を受けたと言ってたな。そういった経験則からの忠告だろう。

 今のDクラスにはドンピシャで当てはまるであろうアドバイス。ありがたく受け取っておいた。

 

 

 

 

 

 4

 

「だーくそっ。なんなんだあいつらは」

 

 教室に入ってくるなり、怒りを露にする須藤。

 それを見たクラスメイトは須藤から距離を取る。

 口に出すだけに止めて物に当たっていないあたりには精神的な成長が感じられるが、まあそれでも、カリカリしている赤い髪の大男に近づきたいと思うやつはいないわな、常識的に。

 

「ちょっと聞いてくれよ鈴音」

 

「一体どうしたというの」

 

 すでに登校して読書をしていた堀北に声をかける須藤。

 

「さっき龍園の奴らが変なイチャモンつけてきやがったんだよ。廊下塞いできたりよ。邪魔で仕方なかったぜ」

 

「怒りに任せて妙なことはしてないでしょうね?」

 

「してねえよ。お前との約束だしな。言いつけ通りひたすら無視してきてやったぜ」

 

 なるほど、堀北からの指示か。いい選択だな。

 

「けどマジでむかつくぜあいつら」

 

「道を塞がれた以外には何をされたの?」

 

「悪口っつーか、バカだの猿だの言ってきた」

 

 高校生とは思えないほど低レベルな煽りだ。もはや悪口にすらなっていないが、かといって言われた方が何も感じないかといえばそうではない。ストレスは溜まるだろう。

 

「明人……三宅の部活中にも、Cクラスの連中が貼りついてきたらしい」

 

「三宅くんにも?」

 

 それまで静かに話を聞いていた綾小路が情報を付け加えた。

 ってか、お前いま明人って……短期間でずいぶん仲良くなったもんだ。

 

「お前にはないのか、綾小路」

 

 一応質問しておく。

 

「分からないが、最近グループで行動しているときにCクラスの奴に見られてる、ってのを明人が気づいてたな。誰を対象にしているのかは分からない。個人じゃなく、オレたち全体を監視しているって可能性もなくはない」

 

「あなたはどうなの速野くん」

 

 今度は堀北から俺に対しての質問。

 

「実を言うと心当たりはあるんだよ。最近他クラスの同じ生徒をよく見かける。藤野といるときに聞いたらCクラスの生徒だった」

 

 あの買い物の日以降も、俺はそいつに追い回された。あの時点では藤野をストーキングしているはた迷惑なだけの奴という線も細胞レベルであったのだが、俺が一人で登下校しているときにもついて来られたのでその線は切れた。

 

「全員に聞き取れば、そういったケースはまだまだ出てきそうね……」

 

「つかよ、鈴音はどうなんだよ。龍園の野郎に何かされてねーのか」

 

「私の気づく範囲では特にないわね」

 

「そうか……なんかあったら俺に言ってくれよ」

 

「あなたに言ったら余計に厄介なことになるでしょう」

 

 須藤には悪いがこれは堀北に賛成だな。今のこいつは自分よりも想い人の堀北に何かされることの方が頭に血が上りそうだ。

 

「変なことはしねーよ。俺はただ鈴音の力になりたいだけだ」

 

「それなら私の心配なんてしないで、今後そういった接触がよりエスカレートするようなことがあったらあなたが私に報告して。一応こちらでも対策を考えておくわ。今はとにかく大人しくしておくこと。いいわね」

 

「ああ、分かってんよ」

 

 堀北からまた新しく指示をもらい、須藤は自分の席へと戻っていった。

 

「だいぶ操縦が上手くなったな」

 

「ようやく人並みかしらね、彼に関しては」

 

 そう言うが、入学当初からよくここまで持ってきたものだと素直に感心する。

 もちろん須藤が堀北に特別な感情を抱いていて比較的素直に言うことを聞くというのもある。まあ堀北本人はそれに無自覚だが。しかしそれを加味しても、あのとんでもない暴れ馬をコントロールする手腕はなかなかのものだ。

 

「それより、こんな話を聞いたかしら。Dクラスには陰に潜んだ策士がいるって」

 

 話題を切り替えた堀北。

 多くの生徒が教室にいる現状、この3人の間では最も避けるべき話題だ。しかしだからこそ敢えて、堀北は声を潜めることもなくそれを口にしたのだろう。

 

「初耳だ。そういう噂話には疎いんで」

 

 これは嘘でも誤魔化しでも何でもないただの事実だ。

 その策士が綾小路であることは知っていても、そんな話が巷で噂になっていることなど全く知らなかった。普段人との会話がほぼないに等しいのだから、そういう話を耳にする機会も生まれない。むしろ同じぼっちのはずの堀北がそんな情報を持っていることの方が不思議なくらいだ。

 

「オレはどこかで聞いた覚えがあるな。たぶん偶然耳にしたんだと思う」

 

「私も同じような感じよ。そんな話が巷でちらほらと噂になっているみたい。その人物を見つけ出すことが龍園くんの狙いなんじゃないかしら? ペーパーテストの点数が異常に良い速野くん、体育祭で急に非凡な走力を見せて注目を浴びた綾小路くん。目をつけられていても不思議じゃないわ」

 

 もはや茶番でしかないこのやりとり。

 俺はその最中、堀北は案外素直に綾小路のことを評価しているんだな、と考えていた。

 堀北の隠れ蓑はもはや機能していない。完全に龍園に目をつけられてしまった。この状態からでも自身の正体を隠し通せる算段が綾小路にはある。そう考えていなければこのような会話を公衆の面前でしたりはしない。

 まあ、裏を返すと「そのように対応しろ」という無言の圧力でもあるわけだが。

 

「そんな人物がいれば、の話だけれどね」

 

 最後にこんなセリフを付け加えることで、そんな人物などいはしないと暗に伝える。

 俺も、綾小路なら上手くやるだろうということに関してはそんなに心配していない。

 そもそも、綾小路の龍園への「対応」が始まったのは今じゃない。恐らくそのもっと前から……物事は綾小路の狙い通りに動いていた。

 それに気づいた時には驚くと同時に「ああ、勝てんわこいつには」と悟った。

 ただ気づいたとはいっても、それは察したという程度のことで、綾小路の手を完全に理解したわけではない。

 直近の課題はその不明点の解消だ。

 

 

 



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直接対決

 放課後、Cクラスの生徒に常に自分の後をつけられるというひどくストレスの溜まる日々が続いて久しい。

 そんな日常に変化が訪れたのは突然のことだった。

 そのきっかけとなったのは、とある日、帰りのホームルームを茶柱先生が終えた直後のことだった。

 先生が教室を出ようとしたのとほぼ同時に、教室の入り口が乱暴に開かれた。

 そこに立っていたのは、龍園をはじめとして、そのほかに山田アルベルト、石崎、小宮、近藤といったCクラスの武闘派として知られる4人の生徒。

 先生は特に気に留めた様子もなく、そのまま教室を出ていった。

 学校が終わり、和気あいあいとした空気から一変。教室内に緊張が走る。

 

「なんだよオイ。ここはDクラスの教室だぜ」

 

 沈黙を破ったのは須藤の言葉だった。

 先日の一件や、他のDクラスの生徒がCクラスからちょっかいを出されているということで警戒心が高いのだろう。

 このままでは険悪な空気になってしまう恐れがあることを見越して、平田が間に入って対応する姿勢を見せた。

 

「うちのクラスに何か用かい? 龍園くん」

 

「おいおい、何をビビってやがる。他クラスっつっても同じ学校の同じ学年の教室だろ。訪ねちゃいけない理由でもあんのか? 他クラスの友人を訪ねるのはよくある話だろ」

 

 石崎たちのように腕の立つ生徒を集めておいてこの物言い。相変わらずの様子だ。

 

「確かにそうだね。だけどこの学校は他の学校とは事情が違ってくるんじゃないかな。少なくとも君は、これまでそんな友好的な態度を示してこなかった。僕らとしては警戒してしまうのも当然のことだよ」

 

「クク、確かにな。ま、心境の変化ってやつだ。これからはもっと他クラスとも交流していこうと思ったのさ」

 

 到底本音とは思えない発言だが、もちろん龍園もそれが全く受け入れられないことは分かっている。分かったうえでこのような態度をとっているのだ。こいつにとってはこれも遊びの一環なんだろう。

 

「それで、用件を聞かせてもらえるかな。龍園くん」

 

 平田としては一刻も早くこの事態を収拾したい。しかし龍園には平田の思いなど全く関係のないことだ。

 不気味に笑い、口を開く。

 

「俺は今、お前らDクラスに対して警告をしてやってるのさ。丁寧にな」

 

「警告? どういう意味かな」

 

「理解してないやつに説明してやるほどお人好しじゃねえからなあ。それとも理解してないフリか?」

 

 同時にガン、と出入り口の扉に拳を叩きつけた。教室内の空気がさらに凍り付く。

 体が固まったDクラスの生徒を見回していく龍園。

 その視線は最終的に一人の生徒を捉えた。

 その生徒は、この空気の中で唯一体を固めることなく、マイペースに帰り支度を済ませて席を立ちあがった。

 そんなやつ、この教室には一人しかいない。

 高円寺だ。

 龍園のことなど意に介さず、そのまま下校のために教室を出ていく高円寺。

 それを見送ったかと思うと、直後に石崎達に目で合図を送り、高円寺の後を追わせた。

 

「邪魔したな」

 

 龍園もそれだけ言い残し、ドアを乱暴に閉めて立ち去って行った。

 張りつめた空気から解放されたDクラスの教室。あらゆる場所からため息が聞こえてきた。

 

「なあ、なんかやるんじゃねえの龍園のやつ!」

 

「一体何するつもりなんだ!?」

 

 自分たちにはあまり関係なさそうだとみるや、野次馬根性で口々にこれからの展開を予想する面々。

 しかし中にはそう楽観的に事態を捉えていない人物もいる。その一人が堀北だ。

 

「よくない展開なんじゃない? これ。あれだけの人数を用意して、高円寺くんに一体何をする気かしら」

 

「様子見に行くのか?」

 

「万一に備えて、そうした方がいいかもしれないわ」

 

 どうやら堀北はそうするようだ。

 

「俺たちも行かないか、清隆。さすがに見過ごせないだろ」

 

 三宅もこちらに来て、綾小路に声をかけた。

 

「そうだな……監視カメラはあるはずだが、絶対じゃないしな」

 

 綾小路も行くことに決めたようだ。

 最終的に、三宅、綾小路、幸村、堀北、須藤が後を追うようだった。

 平田もはじめは教室を出たのだが、すぐに戻ってきて全員に言う。

 

「みんな、とりあえず落ち着こう。大丈夫、龍園くんもあからさまなことはできないはずだよ」

 

 どうやら戻ったのは、軽く混乱状態にある教室のようすを落ち着けるためだったらしい。

 その後も平田はしきりにクラスメイトを安心させるような言葉をかけ続け、教室内は徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

「部活がある人や他の用事がある人もいると思う。ひとまずは解散にしよう。ただ、いま高円寺くんたちがどこにいるかは分からない。不要なトラブルを避けるために、校舎を出てその現場に遭遇したとしても、不用意に近づかないようにしてほしい」

 

 平田の注意に全員が頷き、その場は解散となった。

 俺も荷物を持って教室を出る。

 特に用事があるわけでも急いでいるわけでもないが、同じように教室に居残る理由もないからな。

 靴箱のある玄関を目指して廊下を歩いていると、あるグループに遭遇した。

 坂柳、そして橋本。他にも男女が一人ずついたが、名前は分からない。しかし以前体育祭で見かけたので、Aクラスであることは確かだ。

 そんなAクラスの4人グループが、俺と同じく玄関に向かって歩いている。

 杖をついて歩く坂柳に合わせるため、そのペースはかなりゆっくりだ。

 何より気になるのは、4人とも荷物を持っていないこと。

 つまり少なくとも下校するわけではないということになる。

 すると、こちらが目を向けているのに向こうも気が付いたようで、坂柳がこちらに目を合わせるとともに歩みを止めた。

 

「ご無沙汰しています、速野くん」

 

「ああ……何しに行くんだ?」

 

「ふふ、どうやら面白いショーが見られるとのことで、いまその会場に向かっているところです」

 

 相変わらずの挑戦的な目。

 なんかもう分かった気がする。

 どこからか龍園と高円寺の話を聞きつけて、そこに首を突っ込もうということだろう。

 

「あなたもご一緒にいかがですか?」

 

「いや、遠慮しとく」

 

「そうですか。それでは残念ですが、またの機会に」

 

 軽い会釈をし、坂柳は取り巻きとともに校舎の外に出ていった。

 龍園に高円寺に坂柳か。俺は坂柳について詳しく知っているわけではないが、藤野から聞き及んでいた情報をもとにすれば、カオスな現場になる予感しかしない。

 様子を見にいったDクラスの生徒たちが気の毒だな。

 坂柳たちの足取りからしてどうやら通学路の途中に現場があるみたいだが、もし見つけても平田の言いつけに従って完全スルーすることにしよう。

 

 その日を境に、放課後に俺の後をつけるCクラスの生徒は姿を消した。

 

 

 

 

 

 1

 

 誰にも後をつけられない生活ってのは、いいもんだ。

 いや、本来それが当たり前なんだが。

 しかし数日前まで、その当たり前のことが全く保証されていない状態だったからな。ストーカー被害者の心労は想像を絶する。

 龍園がDクラスの教室に来た日からは、そのようなことはしばらく鳴りを潜めていた。

 聞くところによれば、同じくあの日を境に他の生徒もCクラスにちょっかいをかけられることはなくなったらしい。

 あれほど騒がしかった龍園の行動が、いきなり大人しくなった。

 では、龍園の『X』探しは終わったのか。

 違うだろう。

 むしろこれからが本番のはずだ。

 ちなみに高円寺の一件、その概要を後から堀北に聞いたのだが、やはりカオスだったようだ。

 龍園と坂柳の煽り合いに、日本語がまったく通じない高円寺。さらには龍園が坂柳を蹴り飛ばそうとして、坂柳の取り巻きの一人が庇って吹っ飛ばされるというアクシデントまで起こったそうだ。

 興味本位で見に行かなくてよかったと心の底から思ったね。概要を語る堀北の表情はこれ以上ないほどにうんざりしていた。

 そんなことを考えながら学校からの帰り道を歩く。

 校舎内の並木道。

 帰りにどこかで遊んだりする生徒も、校舎を出るには必ずこの道を通る必要がある。普通の学校にあるような所謂裏門はこの学校には存在しない。

 そのため、登校時だけでなく下校時にも必ず賑わいを見せるのがこの道だ。

 冬休みが間近に迫ってきたこともあり、生徒たちの様子はより浮ついている感じを受ける。

 それぞれの会話はしっかりとは聞こえないが、冬休みは何をするとかどこに行くとか、そういった声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 まったく、羨ましいことこの上ない。

 俺は冬休みの予定がほとんど埋まってないからだ。もはや当たり前のようにと言っても過言じゃない。

 

「はあ……」

 

 自然とため息が出る。

 ぼっちでみじめな学校生活を送っていることに対して。

 しかしこのため息にはそれだけではなく、もう一つの意味がある。

 俺の背後には、俺のことを追跡するような人影。

 それも以前のように1人じゃない。4人だ。

 Cクラスの龍園、石崎、山田アルベルト、伊吹。

 やはり、こういうことになったか。

 先ほどの俺のため息。そのもう一つの意味は……ここまでは狙い通りに来ていてほっとしている、ということ。

 俺はそこで並木道を外れ、狭い路地へと入っていく。

 すると必然、龍園たちも俺を追って路地に入る。

 賑わいのある通学路からの距離はどんどん遠くなっていき、気づけばそこには5人分の足音が響くのみとなっていた。

 何が起こっても、下校している生徒の視界には入らない。そう判断できる場所まで来たところで、俺は立ち止まった。

 4人はそんな俺を壁に追い詰めるような形で囲い、逃げ道を潰す。

 そして龍園が一歩前に出て言う。

 

「クク、まさかてめえの方から舞台を用意してくれるとはなぁ。随分と気前がいいじゃねえか」

 

「俺としては、大ごとにされる方が不都合なんだよ。先延ばしにするよりも、ここで片を付けてもらった方がいい。そのための努力はする」

 

「素直な態度は嫌いじゃないぜ」

 

 好かれようが嫌われようがどちらでもいい。

 この件は今日、この場ですべて清算する。

 今までそのために色々と動いてきたんだ。

 

「堀北から話は聞いたぞ。堀北の後ろにいるやつを探し出すとか言って、かなり大立ち回りをしたって」

 

 龍園がこんな大所帯で俺を追う理由なんて一つしかない。何の話だ、などと誤魔化すことなく初めからその話題を提供する。

 

「話が早くて助かるぜ。鈴音の裏でコソコソ動き回って、俺の計画を邪魔しやがったヤツを見つけ出して俺の前に引きずり出し、俺の手で潰す。これはそういう遊びだ」

 

 龍園は不気味な笑みを浮かべたまま、俺に一歩一歩近づいてくる。

 

「遊びか」

 

「そうさ。鈴音を潰すのもその裏にいるヤツを潰すのも、一之瀬を潰すのも全ては遊びの延長だ。坂柳までの前菜でしかねえんだよ」

 

 へえ、龍園でも坂柳のことは前菜扱いしないのか。

 そんなのんきな思考は、次の瞬間に打ち消されることになる。

 

「俺が探し求めていたヤツはてめえだな? 速野」

 

 その言葉と同時に、龍園の右手が俺の顔に迫る。

 そしてその手は俺の首を掴み、その勢いのまま壁に押し当てた。

 

「ぐぁっ……!」

 

 背中に強い衝撃が走り、首が絞まる。

 本当に遠慮がないやつだ。俺の逃げ道を塞いだ3人は、万が一の通行人の視線を遮断する壁と見張りの役割も同時に担っていたか。

 伊吹はともかく、石崎、そして特に山田アルベルトの圧倒的な体格によってこの場所は隠され、俺のこの現状が他人に伝わることはない。

 

「ぅ……ぁあっ……!」

 

「クク、ひ弱が過ぎるぜオイ。どんだけガリなんだよ。うっかり折っちまいそうになるじゃねえか」

 

「がっ……ぐぁぁ……!!」

 

「ああ、そうか。首が絞まってちゃ喋れねえよなあ」

 

 もう少しで意識が飛ぶ。

 その寸前で、龍園の手は俺の首から離れた。

 

「くぁ……はっ……はっ……」

 

 小刻みに呼吸を行い、体内に不足していた酸素を行きわたらせる。

 想定はしていたが、明らかにその手のことに慣れている手つきだ。

 ただ殴る蹴るだけじゃない。苦痛の与え方をよく知っている。

 

「待てよ……そもそも、堀北の裏には本当に誰かがいるのか……? ぐっ!!」

 

 再び龍園の手が俺の首を掴む。

 首が絞まり、意識が飛びかける。

 そして、またギリギリで解放される。

 

「いつまでとぼけてられるか楽しみだぜ」

 

 悪魔のような笑みだ。ただの煽りや演出じゃない。言葉の通り本当に楽しんでいるからこそ、ひしひしと感じとることのできる狂気。

 一刻も早く解放されたいと、逃げろと、本能がそう叫んでいる。

 しかし、それをまた別の理性で抑え込む。

 

「とぼける? 俺は何も……っぁ!」

 

 また始まる苦痛の時間。

 意識が飛びかける。

 寸前で解放される。

 その繰り返し。

 自分の中の理性を総動員し、持ちこたえる。

 

「ぁ……はあ、はあ……がほっ、げほっ……」

 

「話す気になったかよ? あ?」

 

 項垂れる俺の髪を掴み上げ、持ち上げる龍園。

 

「……俺は、体育祭の時に言ったはずだろ……俺なんかに構うなって」

 

「それこそが、てめえが鈴音の裏にいる『X』だって証拠だ」

 

「さっきから言ってる『X』って……? ああ、堀北の裏にいるやつを……そう呼んでるのか……もし俺がその『X』だとして、そんなことを言った理由はなんだよ?」

 

「俺の手から逃げ回るため、だろ?」

 

「だったら……そんな思わせぶりなことは言わないだろ……」

 

「そう言い訳できる材料を残してたってことだ」

 

「違う……お前は結論ありきで動きすぎだ……ぐあぁぁっ!!」

 

 再び首が絞まる。

 

「だったら、なんでてめえは鈴音の裏に誰かがいることを知ってやがる?」

 

 今度は意識の限界が来る前に、質問を終えるのと同時に解放された。

 

「くはっ……はっ……堀北の下でこれだけ馬車馬働きさせられてりゃ、嫌でも気づくことがあるんだよ……無人島でお前を出し抜いた堀北と、体育祭でお前に散々にやられた堀北が同一人物には思えない……はぁ……はぁ……なら、堀北以外の誰かが裏で糸を引いてるんじゃないかと勘繰るのは自然だろ……?」

 

「なら、なぜさっき誤魔化そうとした?」

 

 さっきというのは、堀北の裏に本当に誰かいるのか、という俺の発言のことか。

 

「誤魔化しじゃない……あれは確認だ……堀北の裏に誰かの存在を感じていても、別に証拠や確信があるわけじゃない……本人に聞いても当然何も答えない……でも、お前もそう感じてるなら、その勘が正しかった確率が上がる……だろ?」

 

 龍園は少し考える仕草を見せた。

 

「……クク、なるほどなあ」

 

「ぐあぁぁっ!!!」

 

 次の瞬間、再びあの地獄が訪れる。

 首が絞まると、必然的に頭が上を向くことになる。

 しかし、髪を引っ張られ、無理やり頭を正面に向かせられる。余計に首が絞まってしまい、苦痛が増した。

 

「ぐうぅ……っ!」

 

 それをしたのは龍園ではなく、龍園の指示を受けた伊吹だった。

 その表情からは心情はうかがえない。指示を機械的にこなしている感じだ。

 龍園は余った左手で端末を操作し、その画面を無理やり俺に見せる。

 

「お前の根性はよくわかったぜ。ヒョロガリのくせに中々肝が据わってやがる。俺の想定を超えたお前に敬意を表さねえとな。だから俺も次の手に移行してやる。こいつが誰だか分かるよなあ?」

 

「ぁ……ぁぐっ……」

 

 俺の目が見開かれる。

 端末の画面に表示されているのは、隠し撮りされたと思われる一枚の写真。

 Dクラスの生徒、軽井沢恵の姿が映っていた。

 

「お前が認めないなら、こいつをここに呼び出すだけさ」

 

 それを言い終えると同時に、ようやく解放された。

 

「がっ……はあ……はあっ……ごほっ、げほっ、げほげほっっ……!」

 

 今度は少し長い間絞められていたため、苦しさも大きい。今まではなかった吐き気まで催してきた。

 幾度となく咳き込みながら何とか呼吸を整え、話せるまでに回復する。

 

「……呼び出すって……こいつが、そんな訳のわからん呼び出しに……げほっ……素直に応じるとは思えないが……?」

 

 途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。

 

「過去をバラすと脅せば、素直に来るだろうぜ」

 

「過去……?」

 

 龍園から飛び出した『過去』というキーワード。

 軽井沢の過去に何があるというのか。

 俺は何も知らない。

 しかし、龍園はそれを掴んでいるという。それをネタに呼び出されれば、ここに来ざるを得ないと龍園が確信するほどに決定的な軽井沢の弱みを。

 そしてそれはおそらく……綾小路が軽井沢を従わせているネタでもある。

 

「クク、ククク……」

 

「……」

 

 その瞬間、龍園が笑う。

 

「なるほど、クク、ククク、なるほど、なるほどなあ。クハハハハハ!」

 

 もはや通行人のことなど気に留めていないのではないかというほどに高笑いをする龍園。

 石崎も伊吹も、何が何やら分からない様子。

 山田アルベルトは、相変わらず表情を変えずに立っている。

 そんな中で、龍園はギャラリーをそっちのけで、何かを得心したように一人で盛り上がっている。

 

「そうか、そうだったのかよ速野! お前の目的を今から言い当ててやろうか? 『軽井沢の弱みがなんなのかを探ること』なんだろ!?」

 

「っ……」

 

 言われた瞬間、心臓が跳ねる。

 ……そうか、こういう展開になったか。

 

「何……どういうこと?」

 

「外れだ伊吹。こいつは『X』じゃねえ。こいつをいくら詰めても尻尾は出さねえだろうさ」

 

「はあ!?」

 

 あからさまに苛立ちを見せる伊吹。

 

「あんたがさっき言ったんでしょ。『X』を潰しにいくって」

 

「なんだお前、素直に俺の言うことを信じ切ってたのか。案外可愛いところあんじゃねえか」

 

 そう返答され、伊吹は派手に舌打ちをかました。

 無人島試験の時からそうだったが、こいつは本気で龍園を嫌ってるな。それでも従っているのは、クラスが勝ち上がっていくために龍園が不可欠だと理解しているからか。

 

「ま、こいつが『X』の有力候補だったのは間違いねえ。だがここにきて違うと確信したぜ。軽井沢が『X』の駒だってのは間違いない。そこで軽井沢を脅すと突き付けられた時、『X』の対応は素性を認めるか、軽井沢を見捨てるかの二択だ。だがこいつはそのどっちでもなく、軽井沢の弱みを俺の口から吐かせるように会話を誘導しやがったのさ」

 

「2択って……あんたが勝手に言ってるだけでしょ、それは」

 

「俺と『X』はやり口が似てる。だからこそ分かることもあるってことだ」

 

 ほぼ完璧な推理だ。まったく弁解の余地もない。

 

「だが残念だったな。お前の思い通りにはいかない。本来俺には軽井沢の弱みをお前に隠す理由はねえが……なぶられ損になったお前の面を拝んでやりたくなったんでな。引き上げるぞ」

 

 用が済んだとなるや、さっさと取り巻きを連れて引き上げようとする龍園。

 しかし俺も往生際は悪い。それを引き留める。

 

「待てよ……俺が暴力を振るわれたことを学校側に訴えると言ったらどうする?」

 

 この暴力の隠蔽と引き換えに、軽井沢の情報を渡すという取引。

 石崎や伊吹は多少うろたえる様子を見せたが、龍園は一切動じていない。

 俺に対し吐き捨てるように言う。

 

「無駄な抵抗はみっともないぜ速野。訴えたけりゃ訴えてみな。監視カメラも目撃者もいない裏路地で、お前は一切の外傷を負っていない。首を絞めたときに俺の手がお前の首に触れてるが、皮膚から指紋は検出されづらいんだぜ」

 

 やはり……殴る蹴るをしてこなかったのは、暴力の証拠を残さないためか。

 流石に抜け目がない。

 

「あばよ。お前との遊びも中々楽しめたぜ。ま、楽しみに待ってな。運が良けりゃ、軽井沢の弱みが学校中にばらまかれるかもしれねえからな」

 

「い、いいんですか龍園さん。こいつ、『X』の正体知ってるかもしれませんよ」

 

 石崎が言うが、龍園は立ち止まらない。

 

「こいつがそれを知ってようが知ってまいがどうでもいいことさ。ま、どうせ知らされてねえだろうが、例え知ってたとしてもほっとけ。俺は楽しみは後に取っておく主義なんだよ。こいつを拷問して吐かせても面白くねえ。雑魚は引っ込んでな」

 

 そう言って、今度こそ龍園は立ち去った。

 もうそれを止める手立てもない。

 

「……げほっ、げほっ……ふう……」

 

 ボロボロになった俺は、そのまま壁にもたれかかる。

 龍園からの暴行で感覚が麻痺していたが、こうして少し落ち着いてみると、体が寒さを感じているのが分かった。

 12月も中旬から下旬に差し掛かろうとしている。それも当然だろう。

 空を眺める。

 何ともいえない曇り空だ。まったく、救いがないな今日は。O型と魚座は運勢が悪そうだ。

 

「……勝率は7割くらいあると踏んでたんだけどな……」

 

 誰の耳にも届くことのない呟き。

 げほ、と何度目かも分からない咳き込みをしてから、俺はこれまでの行動を振り返った。

 綾小路と軽井沢が繋がっていることを知った俺は、どうしてこの二人が繋がりを持ったのかを知るべく行動した。

 動いたのは主に体育祭。

 そこで龍園の視界に俺を入れた。

 騎馬戦では策を用いて龍園と戦った。その後、「競うべき相手は俺の他にいる」などとわざと含みのあるセリフを吐いた。

 いずれ龍園は堀北の裏で誰かが糸を引いていることに気付く。そうなればこいつは必ず興味本位でその誰かを探すだろう。

 事前にこのような餌を撒いておくことで、龍園は俺に対して強く疑惑の目を向けるはずだ。龍園の言葉を借りるなら、『X』は俺なんじゃないか、と。それもそれなりに高い確度で。

 その疑惑を晴らすわけでも深めるわけでもなく、絶妙なラインをキープしながら動いていけば、いずれは今日のようなことが起こる。ある程度の暴力を受けることも予想していた。

 龍園が動くとすれば、綾小路の手駒の軽井沢の弱みを握ったあと。それらをネタにして追い詰めようとすると読んでいた。

 つまり、軽井沢の弱みを知る龍園とそれを知りたい俺が、秘密裏に直接向かい合う機会が間違いなく生まれる。

 その機会こそが今日だったのだ。

 あとは実際の現場で上手く会話を誘導し、龍園の口から軽井沢が綾小路に従う理由を言わせるだけ、というところまで来たが……最後の最後で龍園の読みが上回ったか。

 俺にミスと言えるようなミスはなかった。しいて敗因を上げるなら、最後の方に龍園が言っていた、自分と『X』はやり方が似ている、という部分。龍園と『X』……つまりは綾小路がそこで通じ合っていなければ、俺の会話の誘導に疑問を持つ可能性も軽減されていたかもしれない。

 しかし言い訳はない。文句なしで俺の負けだ。

 だが、今日のもう一つの目的は果たせた。

 俺が『X』とは別でチョロチョロ動いていただけの小物と知ったことで、龍園は俺から興味を失っただろう。

 『X』の正体を俺は知らないと龍園が誤解していたことがその証拠だ。

 無人島で俺が派手に動いたことも、『X』が堀北に指示を出させていたという線で解釈するはず。

 そして船上試験ですべての優待者を見抜いていた龍園なら、俺たちのグループのポイント増減の詳細も計算して気づいているはず。しかしそれも、すべて裏にいる『X』が絡んでいたと考える。

 龍園は『X』に執着し、そして自分を楽しませる存在として過度ともいえる期待を寄せている。多少無理やり『X』と絡ませたとしてもあいつは納得するだろう。

 散々俺の首を絞めたことで、体育祭で俺に砂粒をぶつけられたことへの腹いせも済んだ。

 龍園に、完全に俺を制圧できたと思わせることができた。

 これで俺は、ペーパーシャッフル前の堀北と同じくらいの立ち位置になったはずだ。

 つまり、完全に清算が済んだわけだ。

 これでいい。

 軽井沢の弱みは知れずじまいだが、最低限のノルマはクリアできた。

 端末を手に取り、電話をかける。

 

「もしもし? ……ああ、全部狙い通りとは行かなかった。でも最低限はできたよ。だからあとは取引の通りに頼むぞ……綾小路」

 

 

 



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『X』との取引

 それから2日後のこと。

 今日は2学期最後の登校日だ。

 終業式を終えた俺たちは、その後1時間ほど各々の教室で冬休み中の注意事項やその他の連絡事項を伝達され、終わり次第帰宅、という流れになっている。

 そのためクラスによって帰宅時間にはバラツキがある。

 先ほどから少し廊下が騒がしいが、これは俺たちより先に帰宅を告げられたクラスによるものだろう。

 

「今朝のホームルームでも説明したが、今日は部活も休みだ。できる限り早く下校するように。以上だ」

 

 最低限のことを生徒に伝え、茶柱先生は教室をあとにした。

 教室が一気に騒がしくなる。

 ま、これで2学期が終わり。明日から休みとなればテンション上がるだろうな。社会人だって休みの前日の夜は飲み歩いて騒ぐんだから、高校生としては当然の反応だ。

 

「げほっ……」

 

 椅子から立ち上がった瞬間、少し咳き込んでしまう。

 

「あなた、昨日から咳き込んでいるけれど風邪?」

 

 そんな俺に、堀北が聞いてくる。

 

「ん、ああ……最近冷え込んできたからなあ」

 

 と、適当に返しておいた。

 堀北の言う通り、確かに俺は昨日から少し咳の症状が出ている。

 しかし実際のところは風邪でもなんでもない。

 ただ龍園に絞められた首のダメージの影響が出ているだけだ。

 

「くれぐれも私に移さないでね」

 

「なら早く帰れよ。冬休み中に会うことはないだろうし」

 

「そうね。そうさせてもらうわ」

 

 お互いに憎まれ口をたたき合い、堀北は教室を出て下校した。

 ま、この咳き込みは今日にでも収まるだろう。俺としては昨日で収まると思ってたんだが、感覚のずれで少し読み違えたらしい。

 荷物を片付け、バッグを持って教室を出る。

 その最中、俺は気づかれないように一人の生徒の背中を追っていた。

 その生徒とは軽井沢だ。

 先ほど堀北と会話をしている間、軽井沢が一瞬綾小路に視線を合わせたのを見逃さなかった。

 それで悟った。

 龍園の決行日は今日なのだと。

 間違いなく軽井沢は龍園に呼び出されている。俺の時のように過去をバラすと脅して。

 しかし、どこで何をするかまでは分からない。

 それを探るために、軽井沢の背後を取っているというわけだ。

 追いかける対象は、理論上は綾小路でもいいんだが、それだと尾行がバレてしまう恐れがあるからな。

 綾小路にはあまり妙な動きを悟られたくない。言い訳するのも面倒だし、それで取引を反故にされるなんてことになったらたまらない。

 バレないように尾行を続ける。

 俺はこのために、昨日からわざわざ色の違うコート二着を持ち歩いていた。

 絶対に見失わないように。且つ周囲の人間に怪しまれないように。

 学校を出た軽井沢は、いつも遊んでいるであろうメンバーとともにケヤキモールに向かった。

 そこで昼食やらショッピングやらを楽しんでいた。

 当然、俺はそこでも軽井沢から目を離さないように行動していた。さすがに女性服売り場に入った時は距離を取ったが。

 それから1時間半ほどが経過したころだろうか。

 遊んでいた女子グループから軽井沢が離れ、単独行動を始めた。

 

「……いよいよか」

 

 ケヤキモールを出た軽井沢の足は、学校に向かっている。

 軽井沢の行先が分かったところで、俺はいったん尾行を止めて立ち止まり、ある人物に電話をかけた。

 数コールののちに、その人物は電話に出る。

 

「もしもし」

 

『どうしたんだ突然』

 

「いや、悪いな幸村。いま綾小路たちと一緒か? 後ろがちょっと騒がしいが」

 

『ん、ああ。みんなでケヤキモールにいる』

 

「あー……そうか。悪い、ならまた今度でいいや」

 

『別に今でもいいぞ』

 

「いやいい。大した用じゃないからな」

 

『そうか……なら分かった』

 

「悪いな」

 

 そんなやり取りののち、電話を切った。

 綾小路はまだケヤキモールから動いてないみたいだな。

 ならいい。綾小路がすでに校舎内に戻っていたら、そこで鉢合わせることは対策のしようがないからな。

 一安心したところで校舎の方向へ目を向けると、軽井沢が玄関に入って靴を履き替えるところだった。

 

「おっと……」

 

 校舎内で見失うと面倒だ。少し駆け足で玄関に向かい、靴は履き替えずに裸足で校舎の中に入った。

 ちなみに、荷物は俺とは全く関係ない3年生の靴箱のそばに放置した。

 いずれ綾小路が戻ってきたときに、馬鹿正直に俺の靴箱にバッグが置かれていたら怪しまれるだろう。念のため外履きもバッグの中に入れておいた。

 今日は全クラスに早めに帰宅するよう促されていたためか、校舎内には誰もおらず、まさにもぬけの殻だ。

 軽井沢は尾行されているなどとはつゆも知らずに行動しているので、空っぽの校舎内にその足音が響き渡っている。そのおかげである程度の距離を空けても正確に後を追うことができた。

 軽井沢はどんどん階段を登っていく。

 2階から3階、3階から4階……そして最後に、屋上へと続く階段を登っていった。

 

「っ、何よあんた……」

 

 直後、そんな声が階段に響く。

 尾行がバレたか、と一瞬思ったが、どうやらそうではない。

 おそらく屋上の扉の前に門番のように立っている生徒がいて、それを見た軽井沢の発言だろう。

 少ししてから、屋上のドアが開くキイッという音、そして閉まるバタンという音が聞こえてきた。

 軽井沢が入ったか。

 そこから少し時間が経過し、再び屋上のドアが開かれた。

 そして階段を速いスピードで降りるバタバタという足音。

 俺はすぐに身を隠してやり過ごす。

 視線をやらなかったため、誰が下りてきたのかは分からない。

 少しして、今度はゆっくりとした足音が聞こえてきた。

 それに合わせて、若干ではあるがチャプンという水音も聞こえてくる。

 

「結構重いなこれ……龍園さんは何に使うつもりなんだ? バケツに水なんて……」

 

 聞こえてきたのは石崎の声だった。

 先ほど忙しなく階段を下りてきたのは、どうやら龍園の指示でバケツに水を汲みに行っていたかららしかった。

 

「……」

 

 いや、本当に何に使うつもりなんだろうか。

 軽井沢にぶっかけるか?

 いや、濡れれば当然ながら軽井沢に跡が残る。軽井沢がそれを証拠に学校側に訴え出ればそれで終わりだが……いや、そこで軽井沢が握られている弱みが効力を発揮してくるのか。

 学校側に訴え出ればその弱みをばらまくぞ、とでも言えばいいだけ。

 そうすれば軽井沢も、そして今後も軽井沢を利用し、且つ自分の正体も隠したいはずの綾小路も屋上でのことは秘密にするはず。

 となるとやはり、あの水はいわば拷問器具のようなものってことか。

 えげつないことをするな、龍園も。この寒空の下で水でもぶっかけられれば、身体に異常をきたすのに数分もかからないだろう。

 その後、2回ほど石崎が往復して水を汲みに行っていた。

 容易に想像できる軽井沢の惨状を思い浮かべながらも、俺は身を隠す。

 そしてそこからしばらく経ったとき……いよいよ姿を見せた。

 綾小路。

 もう一人茶柱先生も連れている。

 二人とも山田アルベルトが控える階段からは十分に距離を取って、俺と同様息をひそめていた。

 何やら二人の会話が聞こえてくるが、距離が離れているためほとんど聞き取ることはできない。聞こえても、こもった声がごくたまに俺に届くだけだ。

 それから数分後。まったく想定外の人物がそこに現れた。

 堀北学、元生徒会長だ。

 元々、綾小路がここに来る際に誰かをこの件の証人として連れてくることは予想できていた。

 茶柱先生を連れてきたのを見てこの人に頼んだのかと思っていたが、本命は堀北先輩だったか。ここは少し読み違えた点だ。

 堀北先輩が到着すると同時に、綾小路はその場を離れ、屋上へ続く階段を登っていった。

 綾小路が屋上に出たのを確認して、俺は身を潜めていた場所を離れ、茶柱先生と堀北先輩の前に姿を現した。

 

「お前……」

 

「驚いたな。まさか速野、お前まで来るとは」

 

 二人とも俺の登場に驚いている様子。

 

「綾小路と茶柱先生がここに来る30分以上前からいましたよ。隠れてましたけど」

 

「そうだったのか……」

 

「軽井沢を追ってたので」

 

「お前は知っているのか。今から屋上で起こることを」

 

「知っているというか、予想ですけど……殴り合いでもするんじゃないですか」

 

 恐らくそうなる。

 龍園がそういう舞台を整えた。……と、そう見せかけ、綾小路がそうなるよう誘導していたからだ。

 

「なぜお前はここにいる? 綾小路から事前に知らされていたのか」

 

 茶柱先生はその点が気になるようだ。

 

「……知らされていた、というのは正確な表現ではないですけど。ただ俺がこの場にいることに関して、綾小路は不承知ですよ。なので俺がここに来たことは、綾小路にも、もちろんそれ以外の生徒にも伝えないようにお願いします」

 

「願うのは勝手だが、私たちがそれを守る保証はないぞ」

 

 おっと、そう来るか。

 妙にあたりがきついな。

 

「……先生はたぶん、進んでここに来たわけじゃないですよね。軽井沢の過去やクラスの行方などを盾にとられて、仕方なくここに来たんじゃないですか?」

 

「……」

 

 答えないが、どうやら図星のようだ。

 俺が軽井沢の過去を具体的には何も知らないことを、先生がこの場で判断する手段はない。

 

「なら、俺も似たような手段を取るだけです。もしくは、先生が綾小路にしたことを学校側に報告する、ということでもいいかもしれません」

 

「……」

 

 それを聞いて押し黙る先生。

 まあ、この人も本気で報告しようとしていたわけじゃないだろう。さすがに先生側に利益がなさすぎる。その程度のリスクリターン計算ができない人ではない。

 

「……なぜここに来た?」

 

「もちろん……この件の結果を知るためです。俺にとっても割と重要なことなので」

 

 俺は初め、姿を現すことなくずっと身を潜めているつもりだった。

 しかしこの人が来たことにより、その必要がなくなった。

 

「堀北先輩にお聞きしたいんですが」

 

「なんだ」

 

「綾小路が腕っぷしの面で誰かに負けるところ、想像できますか?」

 

 茶柱先生は、なぜそんな質問を堀北先輩にするのか疑問に思っているだろう。

 しかし先生がそれを知る必要はない。

 堀北先輩は俺の質問に対し、少し考えてから答えた。

 

「そうだな……素人、いや、多少の手練れが相手でも、まず想像できない。屋上にいるのが5人以内なら、軽くひねってしまうだろう」

 

 言葉を濁したりすることなく、そう言い切った。

 

「……龍園や山田アルベルトみたいな喧嘩自慢が揃っててもですか」

 

「ああ」

 

 なるほどな。

 この人が言うのであれば、まず間違いはないだろう。

 

「ありがとうございます。……そういうことなら、俺の用事は済みました。これで帰ります」

 

 二人に軽く頭を下げ、俺はその場を立ち去った。

 その人の実力は、実際に対決した人間にこそ分かる。

 堀北先輩があそこまで言っているのだ。綾小路が龍園たちに負けることはない。

 なら大丈夫だ。俺と綾小路の取引は、確実に達成される。

 

 その翌日……龍園がCクラスのリーダーを降りた、という噂が、1年生の間で流れ出すことになった。

 

 

 

 

 

 1

 

 時間は少し前に遡る。

 龍園が高円寺を訪ねてDクラスの教室の来た翌日の放課後。

 俺は綾小路を自室に呼び出した。

 

「悪いな、急に呼び出して」

 

「いや、暇だったから構わないが……」

 

「とりあえずそっち座ってくれ」

 

 そう言って促した先には、一人がけの座椅子と丸テーブルが置いてある。

 ポイントに余裕が出たことで、つい最近購入したものだ。

 最近はここで夕飯を食べることが多い。

 元々は勉強机で済ませていたのだが、キレイに使うよう心掛けていてもどうしても汚れてしまう。このままでは教科書類にまで汚れがついてしまう恐れがあると判断した。

 これらを購入したことで、かなり過ごしやすくなった。今まで腰かける場所といえば、勉強机とともに備え付けられていたキャスター付きの椅子とトイレの便座くらいだったが、そこにこの座椅子という選択肢が増えることで精神的にかなり楽になった。所謂「QOLの向上」というやつだ。購入時には全く意図していなかった点だったため、いまは購入してよかったと素直に思っている。

 丸テーブルにコップに入れた水を置く。これは綾小路の分。

 自分の分は勉強机に置き、備え付けのキャスター付きの椅子に腰かけた。

 

「それで、一体何の用だ」

 

「龍園の件についてだ」

 

 遠回しに言っても仕方のないことなので、単刀直入に告げる。

 

「龍園がどうかしたのか」

 

「いま、龍園が堀北の裏で動いていた人物……まあつまりお前なんだが、探し出そうと大きく動いてるだろ」

 

「みたいだな」

 

 さすがに黒幕が自分だって点をとぼけるようなことはしないよな。

 

「その件に関して、今日はお前と取引をしたいと思ってここに呼んだんだ」

 

「……オレと取引?」

 

「ああ」

 

 と言っても、現時点でのこいつは素直には応じないだろう。

 まずは、俺が取引相手たり得るとこいつに認識してもらう必要がある。

 

「前提条件から確認するぞ」

 

 水を一杯飲んで喉を潤してから、話を始める。

 

「まず綾小路、お前はCクラスにスパイを放ったよな。そして体育祭の時、そのスパイから堀北を潰す策を龍園が練っているという情報を手に入れ、その策を龍園が口に出している録音を提供させた。そして龍園と堀北が話し合っている時間帯を見計らって、それを龍園の端末にフリーアドレスで送り付けた」

 

「……」

 

 ここまでは、現場にいた堀北から話を聞けば分かる領域だ。当然それだけで綾小路が驚くことはない。

 なので、俺はそこからもう一歩踏み込む。

 

「お前が放ったそのスパイは三人。真鍋志保、山下沙希、藪菜々美、だろ」

 

 そこで初めて、綾小路のまとっている空気に変化があった。

 これは本来俺が知り得ない情報。綾小路も、俺がここまで知っていることなど想定外だっただろう。

 

「全員、船上試験でお前と同じグループだった生徒だ。たぶんそこで何かあったんだろ。これはただの憶測だが、行動を起こしたのは船上試験完全自由日の3日目、俺たちが佐倉から話を聞いた後に地下に降りたときじゃないのか。あの時のお前は少し妙だったからな」

 

 これに関しては付け加えの要素だ。当たっていてもいなくてもどちらでもいい。だが、様子を見ている限りではあながち的外れでもなさそうだ。

 

「そして何らかの形でその3人を支配下に置いたお前は、そいつらをCクラスのスパイに仕立て上げた。おかげで堀北はポイントを搾り取られずに済んだわけだ。ただそれはお前の本当の目的じゃなかったんだろ」

 

 たとえ堀北が龍園と櫛田に土下座をし、ポイントを取られていたとしても、こいつにとってはどうでもよかったんだろう。

 結果としてDクラス、そして堀北にとっては最高の形での幕引きとなったわけだが、それはあくまでも副産物でしかない。

 

「お前が三人をスパイにしたのも、あのタイミングで録音を龍園に送り付けたのも……堀北の裏で動く何者かの存在を、龍園に対して強烈に印象付けるため。そしてそれを受けた龍園が黒幕探しを始めるように仕向けるためだ」

 

 堀北の屈伏に成功したと思ったところで、あの録音が送り付けられる。龍園にとってこれ以上の衝撃はないはずだ。

 誰が邪魔をしたのかを突き止めにかかるのは目に見えている。

 自分の存在を隠し通す方針で動くなら、スパイにしか手に入れられないあの録音を龍園に送りつける理由がない。

 何者かがスパイ行為を働いたという事実から、Dクラスの中にそのスパイを送り込んだ何者かがいるということを嗅ぎつけられるからだ。

 

「そして次にペーパーシャッフルだ。お前、堀北と櫛田との賭けに自分から巻き込まれに行ったらしいな。それはおそらく、今後邪魔になる可能性の高い櫛田を排除……退学に追い込むための下準備だ」

 

 話の時系列が移っていく。

 

「カラオケの件が妙に気になってたんだよ。軽井沢が急に暴走しただろ。あれは間違いなくお前の指示だ。軽井沢に櫛田のブレザーを汚させ、櫛田がその替えを持っていないか確認する。替えがなく、今着ているこの一着しかないと確認出来たら、軽井沢にカンニングの材料を仕込ませる。その証拠もあるぞ」

 

 俺は端末を操作し、ある写真を綾小路に見せる。

 

「これは……」

 

 櫛田のブレザーと、その胸ポケットに仕込まれた数学の問題文の記述があるプリント。少しブレてはいるが、はっきりそれと分かるものだった。

 

「そしてお前は龍園と取引したんだろ。そしてCクラス側の数学の問題を入手した。それをさっき言った櫛田のカンニングの材料に使った。櫛田は事前に問題を入手してただろうからな。カンニングを摘発されれば退学になってもおかしくはない。それに加えて、試験中の櫛田の反応からすると数学の問題も差し替えさせたな? これで櫛田は賭けに負けた。お前も堀北も退学を免れたわけだ」

 

 龍園がこの取引に応じた背景には様々なものがあるんだろうが、そこまで推し量ることは俺にはできない。

 しかしこの場の説明としてはこれだけで十分だ。

 次に、唐突に出てきた形になった軽井沢についての説明を始める。

 

「お前と軽井沢が何らかの形でつながっているのは、夏休み最終日、プールに行ったときに気付いた。まず……池、須藤、山内の3人が、女子更衣室の覗きを画策していた。違うか?」

 

 再び綾小路の感情が揺れるのを感じる。

 

「そしてその対処を、どうやら軽井沢にやらせてたみたいだな。俺はそこでお前と軽井沢が繋がってるんじゃないかと疑問を持った。確信に至ったのは帰り際だ。俺たちが全員更衣室に引っ込んだと思って、軽井沢と軽く遊んでたのは迂闊だったな。それを見てから、軽井沢がお前を見る目が夏休み前と全く違っているのに気づいた」

 

 その点は綾小路の失策だったといえる。

 

「軽井沢と繋がりを持ったのは、さっきの三人と同様船上試験の時だろ? 軽井沢も同じグループだった。そこでお前は軽井沢の弱みを握って支配下に置いた。その弱みは、お前がスパイに仕立てたさっきの3人も知ってるな。そして3人のスパイ行為はいずれ龍園の知るところになる。そうなれば軽井沢の弱みも龍園に伝わる。当然龍園は、それを黒幕探しのための材料に使う。お前はそれを想定済みで、いやむしろ狙って行動していた」

 

 何も言わず、黙って話を聞いている綾小路。

 

「次は未来のことについてだ。お前の思い描く未来は……龍園が軽井沢を呼び出し、黒幕を聞き出そうとする。事前に握っていた軽井沢の弱みを突いて、しつこく揺さぶってな。そしてお前もまた龍園のもとに出向いて決着をつける。場所がどこであるにせよ、取っ組み合いの喧嘩でもするつもりだろ。そこでお前が龍園を完膚なきまでに叩き潰せば、お前は軽井沢の秘密も自分の正体も知られず、すべてを片づけることができる」

 

 ここまでが、ずっと綾小路が思い描いていたシナリオのはずだ。

 こいつはそれを船上試験の時点から考えていたことになる。

 いや、まったく末恐ろしいことこの上ない。

 

「まあ、ところどころ少し違う点があるかもしれないが……大筋ではこうだろ? 少なくとも、俺との取引を無視できなくなるくらいにはなったんじゃないか」

 

 俺は別に、今まで綾小路がやってきたことを正確に言い当てるゲームをやっているわけじゃない。

 ここまでは前提条件。

 本題はここから、取引に応じさせることだ。

 

「……正直、お前が何らかの策を打っていることには気づいてたが……ここまで見抜かれているとは思ってもみなかった。どんな取引がしたいんだ?」

 

 そう言って、素直に交渉のテーブルについてくれた。

 よし、これで第一関門は突破だ。

 

「お前も話を聞いてて気づいたとは思うんだが、俺はお前がCクラスの3人と軽井沢を支配下に置いた手法も、軽井沢の弱みも知らない。そして俺はそれを知りたいと思ってるんだ」

 

「それを言えばいいのか」

 

「いや、関連のある話ではあるが、取引そのものとは全く別だ。俺はそれを自力で突き止めるつもりだよ」

 

「自力で?」

 

「ああ。恐らく近日中、龍園が俺に接触してくるはずだ。今までのような監視や追跡じゃない。半分くらいは俺を黒幕だと断定して、潰すつもりで来るだろうな。お前の想定している暴力も、ある程度は使われるはずだ」

 

 龍園がそれくらいのことを仕掛ける予想ができるほどに、俺は布石を打ってきた。その時点で、それくらいのことを受け入れる覚悟はできている。

 

「もちろん俺は認めない。まあ認めるも何もそもそも俺じゃないしな……ただ龍園はおそらく、しびれを切らして軽井沢をゆすりのネタに使ってくる。その時に上手く会話を誘導して、軽井沢の弱みを龍園の口から言わせる、ってプランだ。状況にもよるが、成功率は7割くらいだと思ってる」

 

 まあ、この数字にはそこまでの意味はない。ただの直感だ。

 

「ただ、龍園が軽井沢の弱みを言う前にしろ後にしろ、恐らく龍園は俺の狙いが『軽井沢の弱みを聞き出すこと』だと気づくはずだ。そうすれば龍園は俺が黒幕でないと判断し、一気に興味を失う。そのあとに控えた黒幕との決着に向けて準備を進めるだろう。そこで頼みたいことがある」

 

「ここでか。何をすればいいんだ」

 

「俺は今まで、かなり独自に動いてきた。無人島だけじゃない。船上試験でもだ。その動きを今から説明する」

 

 そして、俺は船で藤野に説明した通りのことを綾小路にも説明した。

 優待者の法則を突き止めたこと。自分が特殊グループに配属され、それを利用して大量のポイントを入手したことも。

 もちろん、藤野のことは一切口に出さず、実際にポイントのやり取りをした和田は葛城派の人間だったということにしておいた。

 

「お前に頼みたいのは……この2件を、どちらもお前が裏から指示を出していたことにしてほしいんだよ」

 

 こちらの頼みを口にする。

 綾小路は一瞬の思考のあと、すぐに納得顔になった。

 

「……なるほどな。堀北の裏にいる人物に異様なこだわりを見せる龍園なら、多少無理筋な絡め方でも納得するだろう」

 

「そういうことだ」

 

 さすがに理解が早い。

 要するに、俺を龍園の視界からフェードアウトさせるための手助けをしてほしいのだ。

 言ってしまえば、『X』を俺の隠れ蓑にするということ。

 堀北のようにな。

 

「……そっちの要求は分かった。だが、取引というからには互恵関係なんだろう。お前はオレに何をするんだ?」

 

 そうだな。次はそれについて話さなければならないだろう。

 

「もしお前がそのように対応してくれるなら……」

 

 こちら側の行動を伝える。

 

 ここに、Xとの取引が成立した。

 

 

 

 

 

 2

 

「龍園をしっかりボコったみたいだな、綾小路」

 

 冬休みの初日。

 俺は昼頃に綾小路に電話を入れた。

 

『取引の通りにしておいた』

 

「助かる」

 

 龍園がCクラスのリーダーを降りたという噂。

 そして綾小路の名前も軽井沢の名前も、俺の名前も一切出ていないという事実。

 綾小路が取引通りに動いたという証拠だ。

 

『お前の決行はいつだ?』

 

「気になるか」

 

『答えたくないなら答えないでもいい。聞いてみただけだ』

 

 いや、別にそういうわけじゃない。

 

「……そうだな、先に延ばしてもいいことはないし、今日にでもやるか」

 

『わかった』

 

 安心しろ。しっかりこなす。

 取引を違えることはない。お前とは絶対に敵対したくないからな。

 

 

 

 



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2学期の集大成

 堀北は須藤という相棒を手に入れた。

 

 綾小路は、軽井沢という駒を手に入れた。

 

 なら俺はどうだ。

 

 手に入れるしかないだろう。

 

 自分だけの武器を。

 

 最後の決着のため。

 

 2学期の集大成だ。

 

 

 

 

 

 1

 

 12月下旬、某日。

 俺はいま、ある人物と待ち合わせをしている。

 現在地は、寮を通り過ぎたところにあるバスケットコート。1学期、俺が始めて佐倉と話した場所だ。

 少し懐かしいな。確かあのとき佐倉はアイドルとして自撮りをしていて、俺に見つかったことに焦って逃げようとして電柱に追突したんだっけ。

 そんな佐倉も、今では綾小路や長谷部たちのグループで一緒に行動していると聞いた。子供の巣立ちを見守る親鳥の心境ってこんな感じだろうな。違うか。

 

「うー、さむ……」

 

 そんなどうでもいいことを考えて寒さを紛らわせようとしたが、結果は失敗だ。ポケットに仕込んであるカイロを両手で持ってなんとか暖をとる。

 もう完全に真冬だ。それに夜ともなればさらに気温が下がる。

 端末で調べると、現在の気温は6℃だそうだ。そりゃ寒いに決まってる。

 唯一の救いは風があまり強くないことか。

 初雪はまだ観測されていないが、近々降るだろう、と天気のお姉さんが言っていた。

 ここ最近は、雪が降らない所謂グリーンクリスマスが続いていたが、ホワイトクリスマスも期待できるかもしれない。

 といっても中学の頃、俺にとって雪に関するいい思い出はなかったが。今年は綺麗な雪景色を素直に綺麗だと思えたらいいなと考えている。

 俺がここにきて5分ほど経過したころだろうか。外灯に照らされ、こちらに向かって歩いてくる人影が見える。

 この距離ではまだ誰かお互いに判別することはできないが、だいたい誰かというのは見当がつく。

 

「……速野くん? なんでこんなところにいるの?」

 

 本当に疑問に思っているような表情で、首を傾げて問いかけてくるその少女。

 

「実は人を待っててな」

 

「へえ、そっか」

 

 いつもの笑顔で、俺の目の前に佇んでいた。

 その少女は、俺の隣に立ったところで立ち止まる。

 

「私もここで待ち合わせなんだよね」

 

「……そうなのか」

 

 それはまた、面白いことも起こるもんだな。同じ時刻、同じ場所で待ち合わせなんて。

 まあ、ちょうどいい。始めるか。

 

「なあ、一つ相談していいか?」

 

 隣に立つ少女に、そんなことを問いかける。

 

「相談? うん、いいよ」

 

 承諾されたので、俺は早速話し始めた。

 

「実はいま、ちょっと厄介なことがクラスで起こっててな」

 

「え、どんな厄介ごとかな。ちょっと把握できてないかも」

 

「まあ、それでも不思議はない」

 

 その厄介ごとはほんの僅かな人間しか知らない。

 

「体育祭、覚えてるよな」

 

「もちろんだよ。負けちゃったけど、あの時からクラス一丸で、って感じになったよね」

 

「そうだったな」

 

 あそこがDクラスの一つのターニングポイントだ。堀北が一皮向け、須藤に心境の変化があった。現時点でクラスに必要不可欠であろう2人の大きな成長は、Dクラスに確実にいい影響を及ぼしている。

 

「あの時、妙に堀北がCクラスから狙われてたの、分かったよな?」

 

「うん。少し可哀想だとは思ったけど……でも、堀北さんすごく優秀だから、マークされちゃっても仕方ないのかも」

 

「でも、変だと思わないか。騎馬戦で集中攻撃食らうのはともかくとして、ランダムのはずの徒競走で、あいつは全部の出番でCクラスの陸上部2人とかち合った」

 

「そういえば、平田くんがみんなに説明してたよね。参加表がCクラスにバレちゃったみたい、って。たぶんその影響なんじゃないかな」

 

「ああ、俺もそう思う」

 

 重要なのはここからだ。

 

「なら、どうして漏れたと思う?」

 

 少女に質問する。

 

「私にはちょっと分からないけど……管理してた私たちの責任は大きいと思う。だからすごく反省してるよ」

 

「多くの人はそう思ってる。でも考えてもみてくれ。授業中や昼食時間中、休憩時間中といったDクラスの生徒が大勢いる時間帯はもちろん、そうじゃない早朝にも放課後にも、Cクラスの生徒はDクラスの教室には一切出入りしなかった」

 

「私たちが見逃してた、ってこともあり得るかも」

 

「万が一そうだとしてもだ。メモにも参加表にも多くのダミーがあって、どれが本物かを見分けることは知っている人間以外にはできないだろ。何度も何度も見比べれば多少絞り込めるかもしれないが、それが可能になるほどの回数見逃すなんて考えられるか?」

 

 徐々に外堀を埋めていく。

 

「じゃあ、速野くんはどうしてだと考えてるの?」

 

「誰かが参加表をCクラスに渡した」

 

 悩むことも遠回しに言うこともなく、ストレートに即答した。

 

「そして、そんなことをしでかしたDクラスの裏切り者が……」

 

 目線を外さず、むしろより強めて、俺はその先の言葉を口にした。

 

「櫛田、お前だよな」

 

 核心の一言を告げても、櫛田の表情はあまり変わらない。

 だが、しっかりと見ていればわかる。ほんの僅かだが、櫛田の纏う雰囲気が強張った。

 

「……やだな。どこから聞いたの?」

 

「別にどこからってわけじゃない。俺が自分で突き止めた事実だ」

 

 堀北からも綾小路からも一切情報提供は受けていない。俺が独自で動き、掴んだ。

 

「だから、今日はその真偽を確かめようと思ってここにお前を呼んだんだ」

 

 櫛田がここを通りかかったのは偶然じゃない。俺が呼び出した。いや、正確には櫛田が来ざるを得ないようにした。

 

「……じゃあ、このメールはやっぱり速野くんが送ったんだね」

 

「ああ。フリーアドレスを使った」

 

 わざわざいらぬ情報を交渉相手に与える必要はないからな。

 

「どこでこんな映像を手に入れたかは分からないけど、あれ、なんの映像なの? 私覚えがなくって」

 

 俺が櫛田に送ったメールの中身は、龍園とのつながりの指摘だ。

 Dクラスの優待者の情報を龍園に流したこと。参加表を龍園に漏らしたこと。そして龍園とともに堀北に土下座を強要しようとしたこと。

 言い逃れができないように証拠映像も添付して送ったんだが、あくまでもシラを切るつもりか。

 案外肝が据わってるな。

 まあ、いいだろう。

 

「本当に覚えがないか?」

 

「うん。ちょっと分からない」

 

「そうか……俺にはこれが、体育祭の参加表の画像を写真にとっているようにしか見えないんだけどな」

 

 送りつけたメールに添付されている映像を流しながら、徐々に徐々に、真実に迫っていく。

 

「あ、思い出したよ。確かに写真に撮ったよ。忘れないようにって」

 

「事前の確認で、参加表の写真は絶対に取らないどころか、できるだけ手に触れることすらないように、って決めてただろ」

 

「ごめん、うっかりしちゃってたな」

 

 なるほど。そう来るか。

 まあ確かに、この映像から分かるのは「櫛田が事前の約束を破り、参加表を写真に撮った」ということだけ。それを龍園に流したかどうかの証拠にはならない。

 これだけでは、櫛田をおびき出す材料にはなっても、とどめを刺すことはできない。

 

「なるほど。……自分で認めて欲しいってのはあったんだけどな」

 

「認めるも何も、私は何もしてないよ?」

 

 いつもの櫛田だ。

 そんな顔をされると信じてやりたくなる。こいつが裏切っているなんて信じたくない。そう思う人間が何人いることか。

 だが、俺はさらに強く踏み込む。

 

「……本当か?」

 

 再度、疑いの目を向けて櫛田に確認を取る。

 

「うん。私、Dクラスが好きだから。裏切るなんてできないよ」

 

 あくまでもいつもの笑顔でそう答える。

 ならば、と、俺はさらに踏み込んで行くことにした。

 

「そうか……つまり、これ以上は何も出て来ないんだな?」

 

 そう言うと、再び櫛田の雰囲気が僅かに強張るのがわかった。

 

「……どういうこと、かな?」

 

「お前が裏切ったと思わせるようは証言やら証拠やらは、もう出て来ないんだな?」

 

「それは分かんないよ。他のクラスの人が混乱させるためにそんなことをいい出しちゃう、なんてこともあるかもしれないし。でも私は本当に裏切るなんてことはしてないよ。それを言い続けるだけだから。信じて、くれないかな?」

 

 一歩詰め寄った櫛田は、懇願するような目で俺の顔を見つめてきた。

 表情を変えずに、俺も櫛田の顔を見返す。

 可愛い。

 完璧な笑顔だ。

 素直にそう思う。

 そして何より……薄ら寒い。

 

「なら、これも頑張って否定してくれ」

 

 俺は端末を取り出して操作し、「あるもの」を再生した。

 少しくぐもってはいるが、聞き取るには十分な解像度だ。

 

『先生。期末テストの問題を提出しに来ました』

 

 端末から流れてくる、ひとりの少女の声。

 

『わかった。受理しておこう』

 

『それから先生、一つお願いがあります』

 

『なんだ櫛田』

 

『この問題文と解答は絶対に漏らさないでください。それから、私以外の誰が提出しに来ても、受け取るだけで保留にしてくれませんか』

 

『どういう意図だ櫛田』

 

『問題文をすり替えようとす「もういい。やめて」

 

 まだ再生の途中ではあるが、櫛田の声に応じて停止する。

 

「……最初から私が裏切り者だって証拠を持ってたんだね」

 

 こういった流れで展開していけば、逃げ道が狭まると考えた。

 事実、ここまでのやり取りの中で櫛田は自らで自らの首を絞め、もう言い逃れできないところに来てしまった。

 もっとも、弁明なんてつもりもないみたいだけどな。櫛田の様子を見ていればわかる。

 学校では見せない、異様な雰囲気。普段はくりくりとしている目は釣り上がり、怒気とも怨恨とも取れない、黒々しい、禍々しいオーラを纏った櫛田がそこにはいた。

 なるほど……これが「裏切り者」の櫛田か。初顔合わせだ。

 

「もう隠す気は無いようだな」

 

「馬鹿にしないで」

 

 人っていうのはこんなに豹変するものだったんだな。改めて目の当たりにすると少し驚いたが、努めて冷静に会話を進める。

 

「それで……何これ。どうやってこんなもの手に入れたの? 教室の映像に茶柱先生との会話の録音なんて」

 

 一瞬、こいつに答えを伝えてもいいかを考える。

 ……まあ、問題ないだろう。すでに終わったモノだ。

 

「これは学校の監視カメラの映像じゃない」

 

 真実を告げるが、櫛田は呆然としている。

 

「……は? どういうこと?」

 

「俺が後から付けたものだ」

 

 学校のルールに触れるようなことでもなければ、学校側が一生徒に過ぎない俺に監視カメラの映像なんて提供するわけがない。

 体育祭に向けての話し合いが始まる前、茶柱先生と接触した時。

 俺はある頼みごとをした。

 

「茶柱先生に頼んで、体育祭の話し合いが本格的に始まる前に教室に1台、監視カメラを設置する許可をもらった」

 

「……」

 

 元々教室には複数台のカメラが設置されている。1台増えたところで気づく者はほとんどいない。

 俺が知っている中で、監視カメラが一台増えていることに気づいていたのは綾小路だけだ。

 あの時、天井を見て違和感を覚えていたのは俺の設置したカメラが原因だろう。

 

「それで、参加表を提出する前日……つまり櫛田、お前が放課後の見張りを務めていた時に撮れたのがこの映像だ」

 

 もちろん、俺が映像の悪用などしないよう、映像を確認する際は茶柱先生が立会いの下で行う、という条件もつけていた。

 

「茶柱先生は、平田が全員に参加表を写真に撮らないよう指示したのを聞いている。それを破って参加表の写真を撮りにいくなんて、裏切ろうとしている人間以外に考えられない。茶柱先生が撮れた映像を確認し、お前が裏切り者であることを理解させた上で、今度はペーパーシャッフルの前に、櫛田と先生が接触している際の会話を録音し、その音声を提供することを約束してもらった」

 

 茶柱先生が上位クラスに上がることを心の中で熱望している以上、クラス内の裏切り者の問題は解決してもらいたいはず。そのため、俺の頼みは断らないという確信があった。

 

「それがこの映像と音声……ってことだね」

 

「そうだ」

 

 つまり正確に言えば、初めから櫛田に逃げ道なんてなかった。俺にとってここでのやり取りの肝は他にある。

 

「期末テストで私に点数をわざと下げるよう言ってきたのも、あんたってこと?」

 

「ああ」

 

「じゃあカンニングの材料を仕込んだのも」

 

「いや、それは俺じゃない」

 

「……どういうこと?」

 

 やはり、櫛田は「あれ」を全て俺がやったことだと思っていたらしい。

 

「俺はこの出来事の背景にいるもう1人の作戦を利用して、お前に点数を下げさせただけだ。もっとも、問題が変わっていたみたいだから意味はなかったが」

 

「もう1人……?」

 

「そうだ。お前の身の回りにカンニングの材料を仕込んだのは俺じゃない。そのもう一人だ」

 

 俺はそれを利用させてもらっただけ。

 俺はカンニングの材料の証拠写真をエサに、櫛田にこの写真を学校側に提出してカンニング疑惑を争うか、数学のテストでわざと3問間違えるかの二択を迫った。

 載せた写真は二枚。ブレザーの胸ポケットの写真、そして櫛田の机の中の写真。

 それが数学のテスト前、櫛田に届いたメールの正体だ。

 まあ送信したのは俺ではなく、また別の人間なんだが。

 このメールを龍園は知らない。メール内に『このメールを龍園を含む他者に知らせた場合、問答無用でお前の裏切り行為を学校中にばらまく』と書いたためだ。

 このメールに関して知っているのは、俺、櫛田、送信した人間、そして藤野の4人だけ。

 なぜ藤野がこれを知っているのか。

 単に俺が無意味に話したわけじゃない。

 藤野も協力者の一人だからだ。

 櫛田のブレザーに何か仕掛けられると判断した俺は、藤野に協力を仰ぎ、テスト前日の放課後に櫛田と部屋で勉強する約束をしてもらった。

 その時の藤野の部屋はさぞ暑かっただろう。俺の指示で、登校するときに暖房をつけっぱなしにしてくれと頼んだからだ。これに関しては単純な消し忘れで通る。

 そんな状態の部屋に入れば、ブレザーを脱ぐのは当然の流れだ。

 そこに、櫛田のブレザーを探る時間が生まれるという寸法だ。

 何か見つけたらバレないように写真を撮って送ってくれと頼んでおいた結果、その夜にブレザーの胸ポケットに仕込まれたプリントの写真が送られてきたというわけだ。

 櫛田は間違いなくCクラスから模範解答をもらっていたはず。その確認が取れれば疑惑は深まる。尚且つ、カンニングは厳罰に処される。つまり退学を宣告される可能性だって低くはないということだ。

 おまけに龍園の名前を出すことで、Dクラスへの裏切りを知られていることを示す。

 それらを加味すれば、櫛田に選択肢は残されていない。

 俺の予想した通り、櫛田はわざと間違える方を選んだ。

 堀北が満点だったのを見て同点の可能性を考えずに堀北の完全勝利を確信できたのは、櫛田が確実に数問間違えることを事前に知っていたからだ。

 

「これがどういうことか分かるか」

 

 櫛田にここまでの状況を整理させる。

 

「……どういう意味」

 

「お前が堀北を追い出したがってるのと同じように、お前を本気で退学させようとしてる奴がいるってことだ」

 

 つまり綾小路だ。

 だがそれは言わない。櫛田には常に退学の危険にさらされていてもらう必要がある。

 

「今回は俺が偶然見つけたからいいが、もし誰も気づけなかったら、お前は本当に退学処分になっていたかもしれない」

 

「……何が言いたいの」

 

「この状況を放置してたらお前がこの学校に居られる時間はそう長くはないだろうな」

 

 目の前に突きつけられる、「退学」の可能性。

 

「だから何が言いたいわけ!」

 

 俺の言い回しにイライラしたのか、櫛田が珍しく激昂する。

 そろそろ告げてもいいだろう。

 

「俺はお前を退学させる気は無い」

 

 ここに櫛田を呼び出した目的の核心的な一言を、俺は口にした。

 

「……はあ?」

 

 だが、櫛田はイマイチ呑み込めていないようだ。

 

「お前はDクラスから失うに惜しい。もっと役に立ってもらう」

 

「何、その上から目線」

 

 心底嫌そうな顔で俺を睨みつける櫛田。

 

「クラスの一員として、邪魔されるより役に立ってもらいたいと思うのは当然だろ。言っとくが、もし数学の問題の変更がなく、俺のメールも受け取らないままお前がテストを受けて満点取ってたら、カンニング摘発されてほぼ間違いなく黒になってたぞ。俺はそれを未然に防ごうとしたんだ。お前を退学させる意思が俺にないことは、それで分かるだろ」

 

「……だから何? ……結局あんたは何が目的なわけ? さっさと言ったらどうなの?」

 

 苛立ちを募らせる櫛田。やはり勘は良いらしいな。俺が櫛田をこんな場所に呼び出し、このような話をしている目的。恐らくそれを分かった上で俺に聞いている。

 

「話が早いな」

 

 話の展開や組み立て方は、全部思い通りに行った。

 今ならもう言っても大丈夫だ。

 

「俺はお前を退学させようとしてる奴からお前の安全を保障する。その代わりにお前は俺に協力してもらう」

 

 先生に頼んで教室にカメラを仕掛けたこと、退学させようとしている綾小路からこいつを守ったこと。全ては「櫛田」という強力な手札を手に入れるためだった。

 

「俺が言うのも変だが、お前にとっても悪い話じゃないと思うけどな」

 

「ふざけないで! ……あんたみたいなのに利用されるなんて、嫌に決まってるでしょ」

 

 まあ……心中は察する。俺が櫛田の立場でも、俺みたいな根暗な奴にマウント取られるのは耐え難いだろうな。

 だが、それは俺の目的を取り下げる理由にはならない。

 

「あんたみたいなの、本当大っ嫌い」

 

「そうか……。別に好かれたいとは思ってない」

 

 俺が構築しようとしている櫛田との関係は、一方的に利用する、されるの関係。好印象を抱かれることがプラスなのは間違いないが、たとえ嫌悪感を持たれていても特に影響はない。

 藤野との協力関係とは全く別物。そこに「信頼」なんて言葉は存在せず、嫌悪感と不信感がドロドロと渦巻き、それを無理やり押さえつけて利用し、利用される禍々しい関係だ。

 

「それに、お前が俺を嫌悪してたのは、実はもっと前からだったんじゃないか」

 

「……どういうこと」

 

「いや、違うなら違うでいいんだけどな。……具体的には、1学期の最初にあったプール授業、お前はあの時すでに俺のことを気に入らない存在として認識してたんじゃないか」

 

「……」

 

 ……反応を見る限り、図星か。ようやくストンと落ちた。

 ずっと納得がいっていなかったのだ。

 俺と櫛田が誤ってプールに落ちた時、俺の腕を掴んでいた櫛田の右手が俺の左手と絡み合うなんて偶然が、果たして起こり得るのか。

「プール授業があったあの時点で、Dクラスの男子のほとんどは既にお前のミーハーみたいな感じだったからな。お前にプラスの感情を抱いていない者はほぼいなかった。ただし例外がいて、その例外が高円寺、綾小路、俺だった。そしてこの中では一番チョロそうな俺から落とそうとした、ってとこか」

 常識で言えば「自意識過剰だし。キモい」と言われて終わりだろう。

 しかしこいつの裏の性格を知った以上、そう推測したくもなる。

 こいつはあまりにも表裏のギャップが激しすぎる。恐らく池や山内なんかにも好印象なんて微塵も抱いていないんだろう。だが、好印象を抱いているかのように見せかけることで全員と仲良くできる。俺には到底到達できないほどのコミュニケーション力。だがその反動として、血反吐を吐くような精神的ストレスがかかってくることだろう。

 やはり、櫛田は単純に凄い。語彙が乏しくて申し訳ないが、素直に凄い、とそう思った。

 改めて櫛田の方に向きなおる。

 

「それから櫛田、お前に一つアドバイスがある」

 

「……何?」

 

「クラスを裏切るような真似も、堀北と綾小路を退学させようとするのもやめた方がいい」

 

 ここからは、綾小路との取引の清算だ。

 

「……どうしてあんたにそんなこと言われなきゃいけないわけ」

 

「カンニングの材料を仕込まれ、危うく退学になるところまで追いつめられたのは、お前がその二人を退学にする賭けに乗っかったからだ」

 

 もしこんな賭けに乗らなければ、櫛田がカンニングの材料を仕込まれることはなかっただろう。

 俺からのメールを受け取るだけで済んだはずだ。

 しかし簡単には納得しない。

 

「あの二人には出て行ってもらわなきゃいけないの。私の過去を知る人間がこの空間にいるなんて絶対に認めないから。そのためにはなんだってしてやる。もちろんあんたもね」

 

「一つ勘違いがあるみたいだから訂正しとくぞ。俺はお前の過去は知らないし、さして興味もない」

 

 そう言うと、櫛田は少し意外そうな顔をした。

 

「……堀北から聞いてるんじゃないの」

 

「いや、何も」

 

 櫛田の口から直接聞かない限り、俺がそれについて知ることはないだろう。

 

「いいか。堀北や綾小路を退学させようとしても、お前がより窮地に陥るだけなんだよ。そもそも俺に裏切りを知られた時点で、もっと言えば龍園と手を組んだ時点で、2人を片づければ済む問題でもなくなってる。お前が今後もクラスを裏切り続ければ、お前の行為を知る者も増え続ける」

 

 単純な理屈だ。

 クラスを裏切り続けるということは、自分の弱みを増やし続けるということ。その分リスクは跳ね上がっていく。

 

「……諦めろっていうわけ」

 

「お前が平穏な学校生活を送るただ一つにして最善の手段は、クラスを裏切ったり、誰かを退学させようなんてマネはせず、大人しく俺に協力することだ」

 

「ふざけるな」

 

「大まじめだ。分かってるとは思うが、拒否権なんてないぞ。俺がお前を守るのは、お前に利用価値があるからってだけだ。それがなくなれば俺はお前を容赦なく切り捨てる。お前の犯した裏切りを暴露することだってあり得る。堀北や綾小路にちょっかいをかけて自分から退学しに行こうとするやつはいらない」

 

 要するに、櫛田は最初から詰んでいるんだ。

 どこにも逃げ道はない、まさに八方塞がりの状況。

 いや、動けば動くほど、櫛田の秘密を知る者は増え、自身を縛り付けていく。

 それが理解できないほど櫛田もバカじゃないだろう。

 

「ああ、ただ別に堀北に積極的に協力しろとは言わない。ただ、体育祭の時やペーパーシャッフルの時のように、意図的にクラスを窮地に陥れるようなことをしなければいい」

 

 俺に協力すること。クラスを裏切らないこと。堀北と綾小路を退学させるような行動を慎むこと。

 これだけでいい。

 

「……分かったか」

 

「……で、私を利用して何がしたいの」

 

「今はなんとも言えない。だが俺たちは3学期からCクラスに上がる。必然的に課題は見えてくるはずだ」

 

 今度は追うだけでなく、追われる立場でもあるわけだ。今までとは違った戦い方も要求されるだろう。

 Cクラスも、龍園に代わる新たな牽引役として誰が担当するかは分からないが、油断はできない。

 

 必要に応じて櫛田を使い、有利な方向に持っていく。

 

 

 クラスは勿論、何よりも俺自身の利益になるように。

 

 



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第7.5巻
冬休み~ティータイム~


 世間、もとい、高度育成高等学校の敷地内も、だんだんとクリスマスカラーに染まってきた。

 先々週くらいからだろうか。夜にベランダから外を眺めると、ライトアップされた景色が目に入るようになってきた。

 素直にきれいだと思ったので少しの間眺めるのだが、5分と持たずに冬の寒さに負け、布団にくるまる。ここまでが定型化された一つの流れである。

 こういった景色を見ると、「もうすぐ今年も終わりだな」なんて思ったりする。

 クリスマスツリーやライトアップは、そういった一種のシンボル的な役割も果たしているのかもしれない。

 ところで、「クリスマス」の元々の意味をご存じだろうか。

 まあ知らない人はあまりいないだろう。

 クリスマスという行事はキリスト教の開祖、つまりイエスキリストの生誕祭である。

 実際のところキリストは別に12月25日に産まれたわけでも、クリスマス・イブと呼ばれる前日の24日に産まれたわけでもないらしいのだが。

 にもかかわらずこの日がキリストの生誕祭として扱われているのにはいろいろと理由があるそうだ。が、ここでは割愛する。

 だってみんな割とどうでもいいでしょ?

 そう、どうでもいいのだ。

 25日がキリストの誕生日ではないという事実も、クリスマスの本来の意味がキリストの生誕祭であるという事実も。クリスマスをそのような意味でとらえている日本人はキリシタンを除けば皆無と言っていいだろう。

 クリスマスには友人と過ごしたり恋人と過ごしたりぼっちで過ごしたりするわけだが、その時間、ほとんどの人間はキリストのキの字も頭に過らないと思う。

 みんな何かにかこつけて娯楽を楽しみたいだけなのである。クリスマスもそう。バレンタインもそう。ハロウィンもそうだ。

 別にそれを否定する気はない。

 まあ正直、そういった行事を謳歌している人たちを見ると、疎ましく思ったりムカッとくる心情がないわけじゃないが……それをやれ企業の売り上げ戦略に乗せられてるだけだの、やれ騒ぎたいだけしか能がないやつらだのと言って否定するのは違う。それは言うなれば「すっぱい葡萄」であって、何ら意味のないことだ。

 むしろ散財して経済を回す彼らに感謝の念を抱いたとしても、罰は当たるまい。

 

 

 

 

 

 1

 

 どことなく浮ついた雰囲気というのは、外に出かけていても感じられる。

 はいそこ、「お前外出んのかよ」って思ったやつ。

 ……いや、そ、その通りなんだけど傷つくからやめろよ。

 それに今日は少し特殊な事情もある。

 ある日の昼下がり。

 俺はその足でケヤキモールに来ていた。

 クリスマス間近のうえ、冬休みに突入したというのもあって、非常に活気にあふれている。

 施設内は、まさにクリスマス一色といった感じだ。

 配置されているクリスマスツリーは一本や二本じゃない。途中から数えるのをやめたくらいだ。

 店内のどこにいても、あの有名な「ジングルベル~♪」のミュージックが耳に入ってくる。

 時折、所謂JPOPと呼ばれるようなジャンルの音楽も聞こえてくる。おおよその若年層なら知らない人はいないくらいの有名な曲なんだろうが、俺はその方面の音楽には普段全く触れないのでよくわからない。

 その方面の音楽と言ったが、ではどの方面の音楽なら分かるのかと言われるとどの方面にも全く精通していない。

 空いた時間ができたときに「よし音楽を聴こう」なんて考えもしないし、何か作業をしているときにBGMをかけようとも思わない。やったとしても、備え付けのテレビを無意味に垂れ流すくらいだ。

 買ったイヤホンも英語のリスニング練習以外には一切使ってないしな……。

 考えてみると、俺は本当に音楽に触れる機会というのが絶望的なほどにない。

 別に音楽そのものが嫌いなわけじゃないんだが、単純に聴こうというモチベーションが湧かない。

 こんどテレビの代わりに音楽垂れ流しでもやってみるか。

 周りを見渡しながら、目的地もなくぶらぶら歩く。

 こうした時に目につくのは店頭販売の商品だが、そのほとんどが何かしらクリスマスに関連付けて販売されていた。

 包装の色が赤や緑といったクリスマスカラーだったり。袋を抱えたサンタクロースが印刷されていたり。あの手この手で消費させようと商業戦略を展開しているのがありありと分かる。

 ところで、サンタクロースというのを信じているだろうか。

 いや、流石に信じている人はいないとは思うんだが。

 では聞き方を変えよう。いつからサンタクロースを信じなくなったのか。

 昔のこと過ぎて覚えてないという人が多いだろう。

 実を言うと俺ははっきりと覚えている。

 あれは4歳の時のクリスマスイブ。

 サンタクロースはどうやってプレゼントを置いていくのかに疑問を抱き、俺は一晩中目をばっちり開けて起き続け、その正体を明らかにしてやろうと思い立った。

 結果的に俺は4歳という幼さにして、夜中に足音を立てないようそっと俺の枕元に忍び寄り、プレゼントを置く父親の姿を目撃することになったのである。

 あの時の父親の慌てようは今でもうっすらと思い出せる。まさにあわてんぼうのサンタクロースである。

 こういうのは大体途中で寝落ちしてしまうのが鉄則で、それがいかにも子どもらしい可愛いエピソードになったりするわけだが、俺の場合はただ単に夢をぶっ壊されたエピソードでしかない。

 ちなみにその翌年からクリスマスプレゼントは手渡しになった。

 と、そんな時。俺はとある商品のコーナーで足を止める。

 いや、正確には止まった、というべきか。

 俺はそこに入り、商品を見る。

 

「……いいかもな」

 

 事前に用意していたいくつかの条件にも当てはまる。

 モノはこれでいだろう。

 あとは色か……。

 いくつか商品を手に取り、吟味していく。

 そんな時。

 

「何かお探しですか?」

 

 女性の声が聞こえてきた。

 振り向くと、そにはAクラスの坂柳、そして高円寺の一件の時に取り巻きの一人だった女子生徒の計2人が立っていた。

 

「たまたまお見かけしたので、声をかけさせていただきました。ご迷惑でしたか?」

 

「いや……」

 

 迷惑ではないんだが……。

 

「ふふ、なぜ自分が声をかけられたのか、不思議に思っているようですね」

 

「……うん、そうです」

 

 え、なんで心読めるの? こわっ。

 

「理由が気になるのでしたら、この後お茶でもご一緒にいかがでしょう? ちょうど近くに喫茶店がありますし」

 

「え……?」

 

 坂柳のそんな提案に疑問の声を漏らしたのは、俺ではなくもう一人の女子の方だった。

 俺の方に目を向け、眉をひそめている。

 

「いや……そっちの人嫌そうなんだけど?」

 

「ああ、問題ありませんよ。ですよね真澄さん?」

 

「はあ……まあいいけど」

 

 真澄さんと呼ばれた女子から聞こえてきたのは、「まあいいけど」というセリフとは裏腹のうんざりしたようなため息。

 坂柳は「ね、大丈夫でしょ?」みたいな顔してるが、むしろこれで俺に大丈夫だと思わせることができたと考えていたとしたら、Aクラスの陥落は近いと思う。

 しかし、むげに断ってもいいものか。

 こういうの、大体後から面倒になってくるパターンの気もするしな……。

 

「もちろん、お代の方は私の方で持たせていただきますので、ご安心を」

 

 ……オーケー、心は決まった。

 

「分かった」

 

「ありがとうございます。では、お先にプレゼントの品定めを済ませてしまってください。それをお邪魔するのは忍びないですから」

 

「……」

 

 いや、だからそうやって人の事情読むのやめてくれよほんと。寿命縮むじゃん。1時間くらい。

 

 

 

 

 

 2

 

 その後買い物を済ませるため10分ほど坂柳に待ってもらい、合流。

 坂柳のエスコートに従って喫茶店に入店した。

 

「……行き慣れてるのか」

 

「よく行く場所の一つではありますよ」

 

「へえ……」

 

 クラスが上になって財力が上がるほど、こういった場所に詳しくなっていくものなんだろうな。

 

「速野くんはこうした場所にはあまり行かないのですか?」

 

「まったくと言っていいほどな」

 

 施設内で外食した経験なんて本当に片手で足りるほどしかないので、俺には全く分からない。

 と、そこでウェイターが通しの水を持ってきた。

 それを受け取るのと同時に、テーブルに2冊備え付けられているメニュー表を手に取り、開く。

 坂柳と真澄さんと呼ばれた女子は俺の向かいに並んで座っているが、メニュー表を見ているのは坂柳のみだ。

 一緒に見りゃいいのに。嫌なのか?

 

「このような場所もよいものですよ。Dクラスの皆さんも、今はもう日々ポイントに困窮しているというほどでもないと思いますし、たまには贅沢をしたって罰は当たりません」

 

 真澄さんと呼ばれた……って言うの長いし面倒だからもう真澄さんでいいかな? いいよね。いいってことにしよう。真澄さんにメニュー表を手渡しながら、坂柳がそう言った。

 

「Dクラスにもこういうところに来る人はいると思うぞ」

 

「ですが速野くんは毎日の食事を食品スーパーの無料コーナーのみで賄っているとか」

 

「……よくご存じで」

 

「藤野さんからお話は伺っていますから」

 

 ああ、やっぱりそうか。

 

「以前私も、好奇心で無料コーナーの食品の調理を試みたことはありますが、満足のいく出来栄えではありませんでしたね。私の調理が未熟だった、ということであれば話は別ですが」

 

「まあ、言っちまえば粗悪品だからな、あそこの食品は。味は通常より圧倒的に劣る」

 

 無料コーナーに並んでいる食品は、特に野菜や果物などに関しては規格外品と呼ばれているものだろう。通常は出荷されずに廃棄されてしまうものを何らかのルートで入手していると予想される。

 

「しかし、経験したからこそ分かるのですよ。その食品での生活をずっと続けているあなたの忍耐強さが」

 

「……まあ、俺のこれは性分みたいなもんだよ。カフェの味はこの機会にありがたく味わっておくことにする」

 

「うふふ、ぜひそうなさってください。遠慮せずにどうぞ」

 

 にしても、こうして見ると物腰そのものは本当に丁寧なんだよな。育ちの良さを感じさせる。

 そういえば、この学校の理事長の苗字も確か坂柳だったが……血縁関係があったりするんだろうか。

 まああまり聞かないでおこう。よほどのことでもない限り、他人の家庭の事情には手出し無用だ。堀北の例もあるし。

 

「そういえば速野くんは、真澄さんとは初対面でしたか」

 

「いや、この前廊下で会った時に見かけはしたが……それを省くなら初対面だな」

 

「そうでしたか。彼女は神室真澄さん。体が不自由な私のお手伝いをしてくださっている方です」

 

「手伝い……」

 

 というよりは召使いという印象を受けるが……今も目配せ一つでウェイター呼ばせてるし……。

 坂柳がどこか女王様気質というのもあるのかもしれないが。

 まあそれはいいとして坂柳ナイス。神室っていうのねこの人の名前。頭の中で断然呼びやすくなった。

 その神室が呼んだウェイターが注文を取りに来た。

 メニュー表を指し示しながら、各々の注文品を伝えていく。

 ウェイターが立ち去った後、坂柳がこちらを見て聞いてくる。

 

「紅茶派でしたか」

 

 坂柳と神室はコーヒーを注文していたが、例によって俺だけアールグレイティーという名前の紅茶を注文していた。

 

「いや、コーヒーが舌に合わないだけだ」

 

「それはお気の毒に」

 

 確かに、何事もそれを楽しむことができないというのは不幸なことだ。

 コーヒーの他にも酒、飲食物以外でいえばテーマパークの絶叫マシンなんかもその一つか。

 

「ところで、速野くんは誕生日はいつですか?」

 

 隣の椅子に置いた俺の買い物袋を見ながら坂柳が言う。

 この……。

 

「……3月27日だ」

 

「あら、そうなのですね。かなり近いので少々驚きました」

 

「いつなんだ」

 

「3月12日です。速野くんの2週間ほど前、ということになりますね」

 

「へえ……」

 

 本当に近いな。

 って違う違う。いや誕生日については違わないが、そういうことじゃない。

 

「ところで……俺を呼び止めた理由をそろそろ教えてくれ」

 

 そもそもの誘い文句はこれだった。その話を聞いておくべきだろう。

 

「ああ、これは失礼しました。そうですね、まずはその話からしましょうか。といっても、特に深い理由ではないのですよ。一言で言ってしまえば、あなたを一種の『天才』だと思っていたからです」

 

「……?」

 

 想定外の単語が出てきたことで、頭の中が疑問符に支配される。

 

「あなたはほとんどの定期テストで満点を獲得していますよね」

 

「ああ……まあ」

 

「満点を獲得するポテンシャルを持っている生徒、ということならばこの学校にも一定数いるでしょう。もちろんそれでもかなり限られてはきますが、それはせいぜい学力が優秀、という程度。天才的とは言えません」

 

「はあ……」

 

「ですが、満点を獲得し続けているとなると話は別です。常人の高校生が『確実に満点を取れる』と自信をもって言えるレベルは、高々小学生レベルの問題まででしょう。つまりあなたにとってこの学校の問題のレベルは、常人にとっての小学生レベルという捉え方ができます。そのような感覚の持ち主は、紛れもなく天才と言っていいレベルです。そんなあなたと、一度ゆっくりと話してみたかったのです」

 

「……なるほど」

 

 概要はまあ分かった。

 嘘をついているようには見えないが、この話を真面目に捉えることもない。

 と、そこでウェイターが俺たちの注文品を持ってきた。

 坂柳、神室、そして俺の順番で置かれていく。

 ごゆっくりどうぞ、というお決まりのセリフを言って、ウェイターはその場を離れていった。

 坂柳はコーヒーにミルクとコーヒーシュガーを入れ、ティースプーンで混ぜて一口すすった。

 よく来ると言うだけあって、勝手知ったるという感じの手つきだ。

 一口飲み終えた坂柳は、ティーカップをソーサに置く。

 カチャリ、という音が聞こえ、それを皮切りに坂柳が再び口を開く。

 

「群を抜いた能力を持つ人間というのは、えてして生きづらさを感じるものです。特にこの学校は様々な部分で恵まれている反面、生徒の側に求められることも非常に多いですから。そういった経験があなたにもおありでしょう」

 

 うん、確かにあるな。

 

「直近でいえば、まさにペーパーシャッフル。大きな負担があなたにかかっていたことでしょう。Dクラスの提出した問題の多くは、あなたが作ったものだったのではありませんか?」

 

 そうだな。幸村と堀北の協力もあったが、大部分は俺が作った。その負担も決して軽いものではなかったというもその通りだ。

 

「そして今も、その天才的な学力が理由で私に呼び止められ、時間を割かなければならなくなっている。面倒だ、という心情が心のどこかにあるでしょう?」

 

「……」

 

 安易に頷くわけにもいかず、口を結んで黙らざるを得なくなる。

 それを見た坂柳は、察したような微笑を浮かべた。

 

「うふふ、その点に自覚がないわけではありません。なので私は、せめてこの時間をあなたにとって有意義な時間にしたいと思っているのです。どうでしょう?」

 

「……そりゃ、意義があって悪いことはないだろうけど」

 

「ふふ、私もそう思います。なので速野くん、まずは私にあなた自身のことを話してみませんか?」

 

「……?」

 

「今まで、人からあまり理解されないことが多かったのではありませんか? お世辞にもあなたに友人が多いとは言えないことが、それを証明している」

 

「……」

 

 いや……確かにそうだけど、傷つくからあんま言わないで。

 

「うふふ、いえ、他意はありませんよ。友人と呼べるような存在が多くないのは、私とて同じことです。それは決して恥ずべきことではない、と私は思っています」

 

 と思ったらフォローされた。

 確かに、あの取り巻きは「友人」ではないだろうな。派閥の中で信頼できる人物ではあっても、ただそれだけだ。いや、信頼すらしているかどうか。

 おそらくお互いにそう認識し合っているだろう。

 

「そして同じ私には、あなたを理解することができるんです。あなたと私は同じ領域にいるのですから」

 

「同じ領域……?」

 

「ええ。常人には決して理解の及ばない領域。『天才』と呼ばれる要素を持った者だけが踏み入れることのできる領域です」

 

「……」

 

 いや、何というか恐れ入った。

 これほど自分の能力に自信を持てる者もそうはいない。

 自分が天才であると自負し、そのことに全く疑いを持っていない。

 別に非難はしていない。

 坂柳が「天才」であることは事実なのだろう。

 何せ、この年齢でここまで「コールドリーディング」のスキルを使いこなすことのできている人間を、俺は今まで見たことがない。

 つまり坂柳は自惚れも謙遜もなく、自分の能力の程度を正確に把握できているということだ。

 そしてそれもまた、坂柳を天才たらしめている要因の一つということか。

 さて、俺はそのコールドリーディングを目の前にして、どう対処するべきか。

 

「……別に、特段人に何か話すような人生は送ってきてないぞ」

 

「いえいえ、そんなことはありません。特に天才と呼ばれる人間には、その天賦の才が開花するタイミングというものがどこかに必ずあるのです。速野くんがどうして今の速野くんに至ったのか。私にあなたのことを教えてくださいませんか」

 

 ここまでの会話で、坂柳が『天才』という概念に強いこだわりを持っていることは何となくだが分かった。

 となるとこの会話の目的は、俺の実情を探ることの他にも坂柳の興味本位という色も強そうだ。

 

「なんでも構いませんよ。例えば……そうですね、速野くんのご家族の話なんてどうでしょう。あなたのお父様はどのようなお仕事をされていたのですか?」

 

 無意識のうちに自分の表情が強張ったのが分かった。

 それを見た坂柳の笑みが一瞬強まるが、すぐに俺を気遣うような表情に変わる。

 

「申し訳ありません。触れられたくない部分でしたか?」

 

「いや……そうでもない。俺の父親は特筆する点もない普通のサラリーマンだった。仕事の話はほぼしない人だったから仕事内容はよく知らないが、母さんは専業主婦だったから、それでやっていけるだけの収入のある仕事だったんだとは思う。まあ普通に良い父親だったと思うぞ」

 

「そうでしたか。どのような教育方針でしたか?」

 

「……よくわからないな。厳格ってわけでも放任ってわけでもなかった。少なくとも英才教育を施されたなんてことはない。ただ、俺の興味が向いたものはできる範囲で体験させてもらったな」

 

「穏やかな家庭で育てられたのですね」

 

「ああ、そう思うよ」

 

「先ほど『家族』という言葉が私の口から出た際、顔をしかめられたように感じたのですが……その理由をお聞きしても?」

 

 やっぱりその点は聞いてきたか。

 

「いや……正直言うのが小っ恥ずかしいんだが……これだけ親元を離れれば、軽いホームシックになっても不思議じゃないだろ? 義務教育の枠から出たとはいえ、俺はまだ15年とちょっとしか生きてないんだから」

 

「……なるほど、そういうことでしたか」

 

 表情に変化はないが、その心情はいまいち測ることができない。

 一口、コーヒーに手を付けた坂柳。

 俺ではなく、神室の方に目を向けた。

 

「真澄さんはどうでしょう? この学校に来てから、ホームシックになったことはありますか?」

 

「は……なんで急に私に」

 

「気になったものですから」

 

「別にそんなのなってない」

 

「だ、そうですよ速野くん」

 

「いや、サンプル数1じゃな……」

 

「ふふ、それもそうですね」

 

 そう言って、もう一杯コーヒーに手を付けた。

 

「これはペーパーシャッフルの話なのですが、実はDクラスが私たちを指名しないかとひそかに期待していたんです」

 

「え?」

 

 また随分急な話題転換だ。

 

「速野くんの作成した問題を解いてみたいと思っていたので。もちろん、そうなる可能性がほとんどないことも承知の上で、ですが」

 

「……そうか」

 

 なるほど。この言い方からして坂柳はDクラスがCクラスを指名すること、そしてBクラスがAクラスを指名することを読んでたな。

 Dクラスはとにかくポイントを増やさなければならない時期だ。最も勝機のあるCクラスを指名するのは必然的な流れ。難しい予想じゃない。

 Bクラスは無人島試験、船上試験、体育祭と着実にAクラスとの差を縮めてきた。その勢いでペーパーシャッフルでもAクラスをまくることができれば、一気にその座が近づく。ならばここで勝負に出る可能性は高いと考えられる。

 何よりBクラスにとってはこれが最も後悔のない選択肢で、敗北してしまっても次に引きずらないだろうからな。

 これでDクラスの指名先は被ることなくCクラスで確定することになり、Aクラスを指名する可能性はほぼない、と判断できるわけだ。

 

「一度解かせてはいただけませんか」

 

「次同じような試験があった時の楽しみに取っておいてくれ」

 

「ふふ、手の内は隠しておく、ということですか。賢明な判断です」

 

「まあ……そういうことだ」

 

 それもあるが、「単純に面倒」というのと比率的には五分五分だな。

 

「つかぬことを伺いますが……藤野さんとはどれくらいの付き合いなのでしょう?」

 

 今度は藤野の話題に移っていく。

 

「……どれくらいってのは期間の話か」

 

「はい」

 

「入学初日からだ」

 

「随分長いのですね」

 

「きっかけがあってな。詳細は省くが」

 

 あれはそう人に吹聴して回るようなことじゃないからな。

 

「それがどうかしたか」

 

「いえ、ただ一つ気になることがありまして」

 

「気になること?」

 

「彼女はクラス内外での信頼が非常に厚く、多くの人と親しくしています」

 

「みたいだな」

 

 実際にその現場を目にしたことはあまりないが、話には聞いている。

 

「しかし、特に男子生徒との関わり方なのですが……誰かと1対1で時間を過ごすということが、極端に少ないように感じるんです」

 

「……そうなのか」

 

「ええ。ご存じありませんでしたか?」

 

「ああ……」

 

 だが、ある意味納得もした。

 藤野に全く浮ついた話を聞かないのは、そういった理由があったからなのかもしれない。

 

「本当にあなただけなんです、速野くん。藤野さんが2人だけで行動を共にするのは」

 

 坂柳の視線がまっすぐに俺を捉える。

 

「……いや、そう言われても」

 

 俺としては、普通の友達付き合い以上のことをしているつもりはない。もちろん協力関係は省いてだが。

 

「速野くん本人も理由は分からない、ということでしょうか」

 

「全く心当たりはない」

 

「そうですか。申し訳ありません、根掘り葉掘り聞くような真似をして」

 

「いや……」

 

 一応、建前上の謝罪の弁を述べてきた。

 今のやり取りを、果たして俺はどう捉えるべきか。

 藤野と俺を結びつけるのは簡単だ。別に友人関係であることを隠しているわけでもない。だとしたら純粋な興味本位か。

 いや、坂柳なら藤野の派閥の存在に気付いていても不思議じゃない。そしてもしそうだとしたら、船上試験の結果から俺との結びつきに勘付いている可能性もある。

 坂柳はおそらく、俺が藤野に今の話を伝えるのも想定済みだろう。

 なら、藤野はこの話を聞いてどう考える?

 単純な興味本位。自分を派閥に招き入れようとするために入れた探り。もちろんどちらも否定しきれない。

 しかし、藤野率いる第三の派閥の存在全てを見通したうえで坂柳が一歩踏み込んだ。その可能性は必ず頭に浮かぶ。

 一度頭に浮かべば、それは行動に現れる。隠そうとしてもだ。むしろ隠そうとすればその分怪しさも増す。

 それを見て判断しようというのが坂柳の目的か。

 ならば俺が取るべき行動の正解は、この話を藤野に一切伝えないことだ。

 ともかく、ここは話題を変えよう。

 

「今日は何か買いに来たのか」

 

 なんてことのない世間話だ。

 

「いえ、何か特定のものを、というわけではありません。ウィンドウショッピング、という言い方が最も正確な表現ですね」

 

 そう受け答えする坂柳の雰囲気は、先ほどまでとは全く違う。

 独特の緊張感というか、会話の相手に与えるプレッシャーのようなものが消えている。

 まあ、それならそれでいいか。

 その後はリラックスしたティータイムを楽しみ、この奇妙なお茶会は終了した。

 

 

 

 



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冬休み~プレゼント~

 クリスマスイブ。

 俺はいつもより少しだけ早く目を覚ました。

 といっても、何のことはない。単純にいつもより少しだけ早い時刻に端末のアラームをセットしていただけのことだ。

 そこから惰眠を貪ることなく、ベッドから起き上がる。

 朝飯は……いいか。

 そのまま洗面台に移動し、水道の水とドライヤーを使って寝癖を直す。

 普段なら面倒くさがってこんなことはしないんだが……今日は違う。

 この後すぐ、ちょっとした予定が入っている。

 

「……まあ、こんなもんでいいか」

 

 人に見られても問題ないと判断できるまで落ち着いたところで手を止めた。

 別に長時間外出するわけじゃない。というより、これは外出と言えるのかどうかも一瞬迷うくらいだ。

 自分の部屋の外に出るという意味では間違いなく外出なのだが。

 クローゼットの中にある数少ない服の中から適当に見繕い、着替えを済ませる。

 そして端末の時刻を確認。

 

「……行くか」

 

 先日購入したものを持って、俺は部屋を出た。

 現在の時刻は9時。

 今日と明日は人の出入りが激しくなることが予想されるが、敷地内の娯楽施設が営業を始めるのは朝の10時からだ。そのため多くの生徒はまだ部屋の中で過ごしている。

 静かな廊下を歩き、エレベーターホールへ。

 到着したエレベーターに乗り込み……1階ではなく12階のボタンを押した。

 エレベーターは途中の階で停止することなく、目的の12階へたどり着く。

 そして、その階の1つの部屋のインターホンを押した。

 扉越しにトントンと足音が近づいてくるのが分かる。

 ガチャリと音がして、扉が開かれる。

 

「あ、速野くん。おはよ」

 

「ああ、おはよう」

 

 部屋の主である藤野麗那が、軽装で俺を出迎えた。

 事前にこれくらいの時間に尋ねることは伝えていたので、特におどろかれるようなこともない。

 

「とりあえず、これ」

 

 こういうのは後に引っ張っても仕方がない。

 特に前置きもなく、手に持っていたものを藤野に渡した。

 

「誕生日だよな、今日。おめでとう」

 

 12月24日、クリスマスイブ。

 藤野の誕生日だ。

 

「わ、ありがとう。じゃあ、これはプレゼント、ってことでいいのかな?」

 

「まあ、そうだな」

 

 これは先日坂柳と出くわしたときに購入したものだ。

 坂柳は俺があの場所で商品を見ていた時点で藤野への誕生日プレゼントを選んでいるのだと理解し、その後の会話でもちょくちょくそのことをおちょくってきていた。

 まあ、あそこらへん一帯のエリアはレディースものが揃ってたし、男の俺がそれを見ていれば誰かへのプレゼントを選んでいるとしか思わない。そのうえで俺と藤野が友人であることと、藤野の誕生日が近いことを知っていれば、それが藤野への誕生日プレゼントだろうと結論付けるのは当然だ。

 

「開けてみてもいい?」

 

「ああ。何なら今日使ってみてくれ」

 

「え?」

 

 俺の発言に疑問を抱きつつも、包装を解いて中身を確認する藤野。

 

「わ……マフラーだ」

 

 包装を床に置き、マフラーを広げて見る藤野。

 サイズなどを悩む必要がなく、且つ実用的で価格帯もプレゼントとしてちょうどいい。誰かにプレゼントを買うという経験をほとんどしたことがない俺にとっては一番いい塩梅のチョイスだった。

 藤野もマフラーは持っているだろう。使用しているのを何度か見かけたことがある。恐らくベージュのものと黒のものが1つずつあるはずだ。

 しかし、俺の個人的な感覚を述べさせてもらうと、藤野を思い浮かべてすぐに結びつく色は水色だ。

 そのため、青系統のものを選んだ。

 

「……ちょっと待ってて。あ、ドア閉めちゃっていいよ」

 

「わかった」

 

 言われるまま、ドアを閉めて玄関のたたきの部分で待機する。

 藤野は居間へ移動して何かをやっている。その間ガサゴソという音が聞こえてきた。

 少しして、藤野が玄関先に戻ってくる。

 

「どうかな?」

 

「……」

 

 俺の渡したマフラーに、コートを合わせて着ている。先ほどの居間での作業はこれだったらしい。

 これは……。

 

「……いいと思うぞ、たぶん」

 

「えー、たぶん?」

 

 はっきりとしない俺のセリフに対し、不満そうに頬を膨らませる。

 

「いや……俺のファッションセンスなんて当てにするもんじゃないぞ」

 

「違うよ速野くん。こういう場合はさ、一般的にどうとかじゃなくて、速野くんがどう思ってるかさえ聞ければいいんだよ」

 

 ……そういうもんなのか。

 

「それでいいなら……まあ、間違いなく似合ってる」

 

 正直、わざと滅茶苦茶なコーディネートでもしなければ藤野はなんだって着こなしてしまいそうではあるが、それでも今の藤野に似合っているということはどうしようもない事実だった。

 

「よかった。ありがとう」

 

 そう言って藤野はにっこりと笑った。

 

「大切に使うね」

 

「……ああ」

 

 このマフラーを手渡した時点で生殺与奪の権利は藤野の手にあるが、大切に使ってもらえるというならこちらとしてもありがたい。

 

「それじゃあ……俺はそろそろ」

 

 あまり長居するのも変なので、会話がひと段落したところで解散を提案する。

 

「これから友達と遊ぶんだろ? たぶん今日も明日も」

 

「うん、その予定。ごめんね、本当は速野くんとも遊びたかったんだけど……」

 

「いやいい」

 

 人には身の丈に合った過ごし方というものがある。

 藤野が多くの友達に囲まれて過ごすように、俺にも決められた予定がないわけじゃないのだ。

 無理をして背伸びをしたところで、伸びるのは高々10センチ程度。さらには足の裏までつりそうになってしまう始末。

 ただ、その痛みを耐えられるかどうかが、ステップアップできる人間であるかどうかの分かれ道だったりするのかもしれない。

 

 

 

 

 

 1

 

 その日の午後6時ごろ。

 俺はいま、寮から学校へと向かう通学路を歩いていた。

 多くの生徒は今まで遊んでいて寮に帰るところなので、必然的に俺とはすれ違う形になる。

 実は制服を着て歩いているのだが、上からロングコートを羽織っているため他人から見られることはない。もし何も羽織っていなかったら、俺はさらに好奇の視線にさらされていたことだろう。冬の気候が幸いした形だ。これほどまでに寒さに感謝するのは後にも先にも今回だけだと思う。

 人通りの多いケヤキモールへの道を外れ、校舎へと入っていく。それと同時にコートは脱ぎ、腕に抱えた。

 校舎の一部は改修工事が行われていて、ところどころ通ることのできない廊下がある。そこを避けて目的の場所へと向かっていくが、遠回りといってもたかが知れているので大した負担にはならない。

 当然ながら、冬休み中の、しかもこんな時間に校舎内に人の姿は見られない。工事の関係者もすでに出払っていて、相変わらず適温に調節された廊下には俺の足音だけが反響している。

 廊下の電灯はまばらについていて、いつもここで過ごしている時よりは当然暗いが、それでも歩くには十分な明るさがある。

 なんだかんだで8か月もこの学校に在籍していることになる。それだけの期間があれば、校舎内の地理もある程度は自然に頭に入っている。

 脳内の地図を応用して工事で通れない場所を避け、目的地である応接室、その扉の前に到着した。

 時間は午後6時25分。指定時間より5分ほど早いが、こういうのは5分前に行くのが社会常識というもの。その点でいえば時間ぴったりととらえることもできる。

 そう考え、俺は応接室のドアを4回叩いた。

 

「どうぞ」

 

 ドア越しにそんな声が聞こえてくる。

 

「失礼します……」

 

 入ると、そこには2名の職員が座っていた。

 1人は担任である茶柱先生。もう1人は知らない。学内でも会ったことのない職員だ。

 

「そこに座ってくれ」

 

「はい……」

 

 支持の通り、椅子に腰かける。

 2人の向かい側、ちょうど真ん中くらいの場所だ。

 就活の圧迫面接ってこういう感じなのかな。

 

「予定時刻より少し早いが、さっそく話を始める。構わないか?」

 

「はい」

 

 俺としてもその方がありがたい。別に耐えられないほどではないが、この空間を早く抜け出せるに越したことはない。

 ここは自分から話を切り出すのが得策だろう。話の主導権を取りに行く。

 

「条件は問題なく達成されたはずです。要求は通った、ということで間違いありませんよね?」

 

 この件により詳しいのは茶柱先生ではない初対面の職員の方だと判断し、その人に向けて言う。

 

「その通りだ。君の要求通り、『学習部』が君一人だけで発足されることはすでに決定している」

 

 それを聞いて、まずは一安心だ。

 7月以来、5か月間の俺の目標は達成された。

 部活を作ろうと思い立ったのは、茶柱先生が部活動の功績でプライベートポイントを得られる可能性について言及した時だ。

 あの時茶柱先生は、報酬が目当てで部活に入ったとしてもいい成績を残すことはできない、と言った。その言説は一定程度の確からしさを持っている。

 しかし、それならば自分の得意分野の部活を作ってしまえばいいだけのことだ。

 俺の場合、それは学力試験だった。

 しかし、学力試験に運動部の対外試合や書道部などのコンクールといったものはない。

 ならばどうやって功績をあげるのか。

 おおよそほとんどの高校生が受ける、大学受験予備校の主催する全国模試だ。

 運動部の対外試合は、練習試合であってもプライベートポイントが入る場合があることは確認済みだ。そうだとすれば、全国模試を受けてその結果によってプライベートポイントを獲得することもできるという理屈が立つ。

 それを確認したのが、夏休み中にあった堀北先輩、橘先輩との面談だ。

 しかし、ここで一つの問題があった。

 部活動の発足には3人以上の初期部員が必要であるという校則だ。

 つまり、俺以外に後2人用意しなければ、部活を発足できないということ。

 もちろんそれは相応のポイントを支払えば解決が可能だ。俺も部活発足に関連した校則を洗った際にはそう思っていた。

 しかし、またここでもう一つの問題が起こった。

 初期部員の制限を取り払うのに必要なポイントは、ポイントを支払うことを確定させなければ知らされないという隠れたルールだ。

 俺もこのルールの存在を明かされた時には「なんじゃそりゃ」と思ったが、ルールはルールなのだからどうしようもない。

 しかしあまりにもリスクが大きすぎた。

 いくら請求されるかも分からない契約を結ぶわけには行かない。

 そのため俺は、そのルールも回避するために学校側にある条件をつきつけた。

 その条件というのが……。

 

「私たち教師陣は君の学力を見くびっていたようだ。2学期中に受ける模試で、総合科目での全国1位を5回達成する、なんて無理難題を達成できると考えていた者は誰一人いなかった」

 

 それくらい吹っ掛けなければ認めてもらえないと思ったからな。

 しかし、十分に達成可能だろうとは考えていた。

 もし達成できなければ、その時は校則に則って三人集めただろう。

 どうして俺一人で発足しようと考えていたのかについては、ちゃんと理由がある。

 まず、できるだけ秘密裏に動きたかったためだ。大量のプライベートポイントを持っていることを他人に知られることには、基本的にデメリットはあってもメリットはない。

 そして次に、三人で立ち上げたときと比べて格段に動きやすくなるためだ。そもそもなぜ発足に初期部員が三人以上必要かと言えば、立ち上げようとしている部が本当にふさわしいものかを判断する材料にするためだ。学校の部活動には学校側の予算から部費が支給されるが、一人での立ち上げが可能になってしまうと、部の乱立を招き、その分の費用が無駄になってしまう恐れがある。そして部がしっかりと機能しているかの審査は、発足後も行われる。主に「発足時と比較して」部が機能不全に陥っていないかどうか、という観点が用いられる。つまり、発足時に部員が俺一人であれば、三人の時と比べてその後の審査が格段に通りやすくなるというわけだ。

 部の発足に関する資料を眺めていた初対面の職員が顔を上げ、こちらを見る。

 

「茶柱先生は君の担任だったな」

 

「はい」

 

「だが、今日この場にいるのは担任としてではない」

 

「……え?」

 

 少し間の抜けた声が出てしまう。

 想定外だった。

 じゃあ一体何のためにいるのか。

 

「私が学習部の顧問を務めることになった」

 

「……そうだったんですか」

 

 担任ではなく、新任の顧問としてこの場にいた、というのが真相だったらしい。

 茶柱先生が顧問か……一長一短ありそうだな。

 

「すでに提出された書類にも書かれているが、改めて聞いておく。学習部の活動内容はなんだ?」

 

「文字通り、学習です。主となるのは勉学ですが、それだけに留まるわけではありません」

 

 ありきたりな質問に、俺も事前に用意していた答えを淀みなく言う。

 用意していたと言っても、別に長時間考えてひねり出したわけじゃない。こういうのはそれっぽいことを言っておけばいい。

 

「わかった。では『学習部』の発足を認める」

 

「少し待ってください」

 

 話が終わろうとしたところで、俺が待ったをかける。

 

「何かあるのか?」

 

「学習部が発足したのはいつですか」

 

「……どういう意味だ?」

 

「学習部は今この瞬間に発足したのか、それとも自分が五回目の総合科目一位を達成したことを確認した瞬間に発足したのか。そしてどちらのタイミングで発足させるべきだったのか、ということです」

 

 俺が学校側との間で結んだ契約はこうだ。

『総合科目で全国一位を五度獲得することができた場合、初期部員一人での部の発足を認める』

 

 俺は都合七回の全国模試を受験し、最初の五回で条件は達成された。

 もし仮に五回一位を達成した時点で形式上部は発足していたということになれば、残りの二回は「部を発足させるための試験」ではなく、「部が発足したあとの正式な部活動」という扱いになる。

 

「以前、堀北前会長と話をした時にこういわれました。部活動の発足の承認に必要なのは、生徒会の承諾、担当職員の承諾、校長の承諾、理事長の承諾と。これらはすべて契約した時点で揃っています。つまり五回一位が達成された時点で形式上の部は発足していた、と解釈ができませんか」

 

 そしてもしそうだとしたら、俺は最後の二回の分の報酬を受け取る権利がある。

 職員は、少しの間考え込む素振りを見せた後、口を開いた。

 

「なるほど、つまり君は最後の二回分は正式な活動として報酬を寄越せ、と言いたいわけだな」

 

「……そうです」

 

「君の言い分は分かった。しかしその要求は認められない」

 

 きっぱりと俺の主張を否定した。

 

「……なぜですか」

 

「根拠は2つだ。まず、五回目の結果が届いた時、すでに君は六度目、七度目の受験を終えていた。そうだね?」

 

「はい」

 

「つまり、君の主張通り学校側が五回目の結果を確認した瞬間に部が発足していたとしても、それ以降部の活動は行われていないという扱いになる」

 

「……なるほど」

 

「そしてもう一つ。君は堀北に話を聞いたと言っていたな。今君の口からきいた堀北の発言は確かに事実だが、正確とはいえない」

 

「……どういうことですか?」

 

「部の発足には、理事長の承認があったあと、本人の確認や顧問の紹介などが必要になる。そのステップが今この瞬間だ。堀北の発言の趣旨は、部の発足のために突破しなければならない関門、ということだろう。しかしそれだけでは必要なステップを全て終えたことにはならない。それらが全て終わらなければ部の発足という事実は発生しない。すべての手続きが終了し、部が発足したのは今日だ」

 

 ……なるほど。

 どうやっても最後の2回分の報酬を受け取るのは無理そうだ。

 

「……わかりました」

 

「満足したか?」

 

「はい」

 

「では、私はこれで失礼する」

 

 その職員は自分の資料をさっとまとめ、応接室を後にした。

 後に残された俺と茶柱先生。

 

「残念だったな」

 

「いえ……仕方ないでしょう」

 

 あそこまで道筋を潰されては、もはや反論の材料も残っていない。

 

「それにしても……自分で部活を作るとはな。目的はポイントか?」

 

「そうですよ」

 

「先ほどの質問では勉学そのものが目的かのように答えておきながらそれか」

 

「本音と建て前を使い分けることを否定するなら、船での特別試験みたいなことはさせるべきじゃないと思いますけど」

 

 そう答えると、茶柱先生はうんざりしたようなため息をついた。

 

「まったく……口の減らない奴だ」

 

「この部活でクラスポイントが増えるかもしれないわけなので、それで許してください」

 

「……確かに、今までにお前がたたき出した成績をそのまま維持すれば、少なくないポイントが加算されるだろう」

 

 そして、それは茶柱先生にとっても歓迎すべきことのはず。

 仕事が増えたことは気に入らないかもしれないが、それでもないがしろにはしないだろう。増えたと言っても運動系などのメジャーな部活動と比べればやることは多くないだろうし、この部活で好成績を出せば、それは顧問である茶柱先生の評価にもつながる。

 

「ところで、大丈夫なんですか? この部活唯一の部員である俺のクラス担任の先生が顧問を務めるなんて」

 

「自分の受け持つクラスの生徒だからといって、私がお前を特別扱いすると思うか?」

 

「いや……俺じゃなくて学校側の認識の話です」

 

 この学校の特色上、その点はどうしても懸念材料になってくる。

 

「さあな。私は上からの命令を受け、それに従ったまでだ」

 

「……そうですか」

 

 まあでも今までの様子から見るに、茶柱先生はそのあたりの懸念度はそこまで高く見られてなさそうだ。

 変に他クラスや他学年の教師に任せるのも、それはそれで部活から得た俺の情報を自分の受け持つクラスに利用されるリスクもある。それならいっそ担任に任せてしまえ、と判断したか。まあすべては憶測だが。

 

「お前はいまだに生活を切り詰めているのか」

 

 話題を切り替え、そう聞いてくる先生。

 

「……聞いてどうするんですか?」

 

 答えることで飯でも奢ってくれるというのなら全力をもって答えさせていただくが。

 

「ポイントが部活の目的だというなら、顧問がその背景を知っておくのは当然だとは思わないか?」

 

 どうやらそんなことは全くなかったらしい。

 

「……つまり、集めたポイントの使い道が知りたいってことですか」

 

 俺のその疑問に対しては肯定も否定もしなかったが、恐らくはそういうことだろう。

 

「別に……ポイントはいくら持ってても損はないでしょう。自分の防衛手段にも使えるってことは、須藤の退学取り消しの件で充分理解できましたし。なので使い道は『もしもの時』です」

 

 そう答えるが、茶柱先生の目は訝しげに俺を捉えている。

 

「……そうか。好きにしろ」

 

「言われなくてもそうさせてもらいます」

 

 その言葉を最後に、茶柱先生も荷物を持って応接室を出ていった。

 

「……」

 

 ……直感、か。

 直感というのは基本的に無根拠だが、しかし中々に侮れないものだ。先ほどの茶柱先生は、明らかに俺を警戒していた。

 別に「もしもの時」に備えておくというのもまるっきり嘘ではないし、実際そのために使うことになるだろう。

 俺が本当に望むポイントの使い方をするには……たとえ億単位のポイントがあっても足りることはない。

 教える気も理由もないうえ、到底実現されることのないものなのだから、教えるだけ無駄なのだ。

 

 

 

 

 

 2

 

 あまりにも何もなさすぎるクリスマスだったな。

 いや、それで全く構わないのだ。

 12月25日、クリスマスといっても、それは結局24時間という時間の経過の一区切りでしかない。それで1日の価値が上下するわけじゃない。

 何もせずに休日を過ごすことくらい誰にでもある。虚無感に見舞われることはあるだろうが、それで極度に悲観したりすることはない。それは今日だって同じことだ。

 今日誰かと遊びに行くことができるような人は、今日でなくたって遊びに行っている。

 逆に普段誰とも遊びに行けないような人が、クリスマスだからって遊びに行けるようになることは通常ない。

 要するに普段の行いの帰結に過ぎない。

 なので必要以上に落胆することも別にない。

 それに何もないのが嫌だからと言って、それで何か事件や事故に巻き込まれるのはもっと勘弁願いたい。

 と、そう頭では理解しているのだが。

 今現在、日付が変わるまであと4時間ほどという時刻だった。

 夕飯を食べ終わったあと、ちょっとした作業を終え、さて寝るか、というところ。

 部屋のインターホンが鳴った。

 

「……誰だこんな時間に」

 

 寮の呼びかけの機能には、ロビーからのインターホンと部屋の前のインターホンの2つがあるが、今回は後者だ。誰かが俺の部屋の前を訪ねている。

 

「はい」

 

 玄関に向かい、返事とともにドアを開ける。

 

「こ、こんばんはっ……」

 

「……佐倉?」

 

 突然の訪問者の正体に、少し驚く。

 誰か心当たりがあったわけではないが、それでも意外な人物だ。

 

「……どうしたんだ急に」

 

「あ、あの、その……何回か電話したんだけど、電源が切れてる、って……」

 

「……悪い、充電切らしてた」

 

 今日一日端末を充電することを失念していたせいで、今は起動すら出来ず、端末はベッドの上で電源プラグにつながれて充電中だ。

 急な用事なんてないだろうと思って油断していた。少し悪いことしたな。

 

「それで、どうしたんだ」

 

 改めて要件を尋ねる。

 

「え、えと、その……これっ」

 

 少し恥ずかしそうに、ラッピングされた巾着型の小袋を手渡してきた。

 

「これは……」

 

「その、クリスマスプレゼント……最近速野くんと話せてなかったから……」

 

 ……マジかよ。

 

「……め、迷惑、だったかな?」

 

 驚きのあまり口をつぐんでいると、不安そうにした佐倉がそう聞いてくる。

 

「いや、ありがとう。開けていいか」

 

「う、うんっ」

 

 許可を得て、縛られているリボンを外して中身を確認する。

 

「これは……」

 

「く、クッキー、焼いたの。速野くん、何が欲しいかわからなかったから……」

 

 種類はプレーンのクッキーと焦げ茶色のチョコクッキー。どちらも3つずつ入っていた。

 俺はプレーンのクッキーを1つ、手にとって口に入れる。

 サクサクといういい食感とともに広がる甘み。店で売られている製品のクッキーとも違ってオリジナリティのある味だ。

 いや、美味いぞこれは。

 

「美味い」

 

「ほ、ほんと?」

 

「ああ。本当に」

 

 そういえば、佐倉も昼食には弁当を持ってくる自炊組だったな。普段やり慣れているからこその出来だろう。

 勉強のお供に使わせてもらおう。

 

「悪いな、お返しとか用意できないんだが……」

 

「あ、そんな、お返しなんて……私が急に来ちゃったから」

 

 その点についても佐倉はちゃんとアポを取ろうと行動してたわけで、責めを受けるべきは俺の方になるだろう。

 そこで少しの間、沈黙の時間が流れる。

 佐倉は帰りを切り出すでもなく、こちらを見たり、かと思えばまたうつむいてしまったりともじもじした様子。

 俺も俺でそんな佐倉の様子が少し気になり、時間も遅いし帰ったらどうかと言うことができない。

 

「……まだ何か話があるのか?」

 

 思い切ってそう聞いてみた。

 

「え、あ……」

 

 少し驚いたのか、聞いた瞬間に言葉にならない声を発した佐倉。

 しかしそのあとにこくりと頷いた。

 

「え、えと……」

 

 まだ少し迷いがあったようだが、佐倉はそんな自分にかぶりを振り、意を決したように口を開いた。

 

「大晦日、なんだけど……みんなで遊ばない?」

 

「……え?」

 

 大晦日……みんな……遊ぶ?

 本当に急だったので、黙り込んでしまう。

 ちょっと分からないことが多すぎる。一つずつ聞いていこう。

 

「……みんな、とは?」

 

「波瑠加ちゃんと、啓誠くんと、明人くん、清隆くん、それから私。実は明日も遊ぶ予定だったんだけど……清隆くんが都合つかなくって。その埋め合わせ、みたいな感じなの。どう、かな……?」

 

「……啓誠って誰だ」

 

「あっ、そっか。速野くんは聞いたことない、よね……幸村くんだよ。そう呼んでほしいって」

 

「はあ、なるほど……」

 

 まあ多分色々理由があるんだろう。

 にしても、この友人グループには名前で呼びあうという決まりでもあるんだろうか。以前綾小路も三宅のことを明人って言ってたような気がするが……

 いや、今はそのことはいいんだ。

 

「でも……そこ、俺が参加したらしらけるんじゃないのか?」

 

 1番の問題はそこだ。俺がいることによってグループに及ぼしてしまう影響。

 佐倉が誘ってくれたとしても、俺は素直に頷けない。

 

「そ、そんなことないよ!……みんなたまに、速野くんもグループに入ればよかったのに、って言ってて、なんでって聞いたらこのグループが作られたのって速野くんがきっかけって聞いて……」

 

 佐倉が身を乗り出して主張する。

 ……まあ、たしかにそういう一面はあるが。

 

「でも、それは今のお前たちには関係ないだろ」

 

「で、でも、速野くんもいた方が私は、楽しいと、思う、んだけど……」

 

 自信がなくなってきてしまったのか、言葉尻が弱くなっていく。

 

「あー……」

 

 いや、別に嫌なわけじゃないのだ。むしろその誘いは嬉しい。

 ただ俺は、あのグループは他の友人グループより排他的な性質を持っていると思っている。そもそもがあまり他者と深い関わりを持たない人たちが集まってできたグループなのだから、そうなるのも自然だ。

 俺がそこに参加することがいい結末を産むのかどうか、判断がつかない。最悪の場合、ニューイヤームードぶち壊しなんてこともありうるのだから。

 

「みんなも、速野くんが来たいって言ったら歓迎する、って言ってたから……その、どう、かな?」

 

「……」

 

 ……俺は歓迎されてるのか。

 

「……マジで?」

 

「本当、だよ」

 

 こくりと頷く佐倉。

 そりゃ……困った。

 断る理由がなくなってしまった。

 いや、そもそも断る理由なんて初めから存在していなかった。

 なかったものを、わざわざ俺自身が作り出しただけ。

 ここまでくると、俺の返事は定まっていた。

 

「……分かった」

 

 そう言った瞬間、佐倉の表情が固まる。

 

「ほ、ほんとに……?」

 

「……俺が行って迷惑じゃないなら、ご一緒させてもらっていいか」

 

「も、もちろんっ!やったっ」

 

 胸の前で小さくガッツポーズを作る佐倉。

 

「本当にいいんだな?」

 

「もちろんっ」

 

「……そうか」

 

 佐倉はきっと純粋な厚意で俺を誘ってくれているのだろう。

 ここ最近、神経をすり減らす出来事が多かった。龍園や櫛田との接触、坂柳との対談。

 ここは厚意に無警戒にもたれかかってみるのもいいかもしれない。 

 

「それじゃあ……楽しみ、だね。大晦日」

 

「……そうだな。じゃあ、おやすみ」

 

「うん。おやすみなさい」

 

 バタン、と玄関のドアが閉まり、佐倉は自室へと戻っていった。

 

 誰かと遊びに行く、か。

 それなりの人数で遊びに行くのは、夏休みのプール解放以来のことだ。あれだって元は藤野と2人の予定だったしな。 

 今年の大晦日も、どうせいつもと同じような1日になるんだろうと思っていたが……せっかくの機会だ。楽しむほかないだろう。

 

 

 



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冬休み~懐柔~

 クリスマスも過ぎ、気づけば2015年もあと3日を残すのみとなった。

 去年の今頃は入試の追い込み期間だったため、そのための勉強ばかりしてたな、確か。

 俺は計3つの入試を受けた。

 公立高校の入試、私立高校の入試、そしてこの学校の入試だ。

 3つとも問題の性格が異なるため、それぞれに合った方法で勉強していく必要があるのだが、これがまた少し億劫だったりする。

 問題の難易度はともかくとして、頭の働かせ方を切り替えるというのはそれだけでも労力を消費するのだ。国語でいえば、県立高校では抜き出しの問題か選択問題が多いが、私立の方は50~200字程度の記述問題がずらりと並ぶとか。理科なら、同じ計算問題でも文字式を使うタイプか具体的な数字を使うタイプかによって分かれる。面倒くさいことこの上ない。

 まあ、入試の話は今はいい。これは余談だが、入学から8か月が経とうとしているのに入試の話を持ちかけるとドン引きされることが多いので注意が必要らしいぜ。

 そんな一年前と比べても、今の俺の勉強量はほとんど減っていない。

 というのも、学習部の最初にして最大級のイベントが間近に控えているからだ。

 そのイベントとは、大学入試センター試験。

 形式としては模擬試験だが、使用される問題は本番と同じ。本番を受ける本物の受験生との成績比較も可能だ。

 その前に予備校主催のセンター試験の模試も2つ控えている。だらけている余裕はない。俺が休み中に「何もしてない」と言うときは「勉強以外は」という枕詞が隠れていると考えてもらっていい。

 そんなガリ勉の呼び名をほしいままにしている俺だが、今日はまた少し違った用事が入っている。

 いや、用事を作った、と言った方が正しいか。

 これほど勉強ばかりしていれば、流石に飽きが来るというもの。

 別に勉強は嫌いではない。しかし好きな食べ物であっても何時間も食べ続けていればもういらねえとなる。それが「嫌いではない」程度のことならなおさらだ。

 しかしだからといって用事を無理矢理作ったというのもまた正しくない。

 この用事は済ませておくべきものだ。

 俺にとってみれば一石二鳥である。

 その用事がある目的地に到着。

 目の前のドアをコンコン、コンコンと2回に分けてノックし、そのままドアを開けた。

 その人物は、玄関のドアの目の前で待ち構えていた。

 

「ちゃんと鍵開けて待ってたんだな」

 

「あんたがそうしろって言ったんでしょ……」

 

 目的地とは……そう、クラスメイトである櫛田の部屋だ。

 俺がここを訪れているところを誰かに見られるリスクを極力減らすため、スムーズに部屋に入れる手筈を事前に決めておいたのだ。

 10時ちょうどごろに部屋を訪れるので、その1分前に鍵を開けておくこと。

 そして俺が来た合図としてドアを2回に分けてノックすることも。

 

「それで、何の用?」

 

 この空間に俺がいる時間を少しでも短くするためか、息つく暇もなく用件を問う櫛田。

 

「いくつか聞きたいことがあってな」

 

「は? そんなの電話で聞けばいいでしょ」

 

 たしかに、ただ聞くだけならそれでもよかった。

 しかしそれにもちゃんと理由はある。

 ただそれより今は質問の内容を伝えよう。

 

「お前、覚えてるか? 一学期中間テストの直前、堀北がお前に自分を嫌ってるのを確認したこと」

 

 櫛田は一瞬疑問の表情になったが、すぐに記憶を辿り思い出したようだ。

 

「……ああ、あの時ね。あの女ほんと何を言い出すのかと思った。あんたや綾小路がいる前で……ま、あえてそうしたのかもしれないけど」

 

 わざわざあの場で堀北が発言したのにはたしかにそういう面がありそうだ。

 しかし今回の主題はそこじゃない。

 

「あの時の綾小路の反応がずっと引っかかってたんだよ」

 

 だからこそ、俺は今でもあのシーンをはっきりと覚えている。

 綾小路は驚きのあまり「おいおい……」と声を漏らしたはずだ。

 あの反応は、櫛田が堀北を嫌っていたという事実に対しての驚きではなく、それを櫛田本人に確認したことに対しての驚き、というニュアンスが強かったように思う。

 

「お前……綾小路に本性知られてたんじゃないのか? かなり早い段階で」

 

 櫛田の目つきが、普段の学校生活では想像もつかないほどに鋭くなる。

 少し間が空き、櫛田はため息をつきながら口を開いた。

 

「……知ってたかもね。一人で勉強会を壊した無様な堀北の悪口を言ってるところ、見られたから」

 

 ……やっぱり、そういうことだったか。勉強会を壊した、ということはあの時か。

 ってか、見られたって……。

 

「お前迂闊すぎない? 見られるような場所でそんなこと……」

 

「ちゃんと人気のないところ選んだに決まってるでしょ! 放課後の6時過ぎの屋上に続く階段なんて、そんなところ誰が来ると思うの!?」

 

「……」

 

 いやまあ、確かに仕方ないといえば仕方ないが……櫛田が絶対に隠し通さなければならない恥部ともいうべきあの本性を校舎内で晒す以上、もっと細心の注意を払うべきだったとしか言えない。どこまで行っても自己責任だ。

 櫛田もその点は自分の落ち度であることを理解している。だからこそこの件でこれだけ声を荒らげるわけだ。

 

「それで、どう口止めしたんだ? まさか無条件に信じたわけじゃないんだろ?」

 

「……どうだっていいでしょそんなこと」

 

 口を閉ざした櫛田。

 何があったのかは知らないが、どうやらその点については言いたくないらしい。

 取り敢えず自分で考えてみるか……。

 櫛田と綾小路にあった違和感は……。

 

「……ブレザー、が関係してたりするか?」

 

 ブレザー、という単語が出た瞬間、櫛田の身体が跳ねるのが分かった。

 

「……なんでそう思うわけ」

 

 櫛田は無意識に態度に現れてしまったためか否定はせず、俺の思考の過程を探る。

 

「この前、カラオケで軽井沢がお前に飲み物かけただろ。軽井沢の性格にきつい部分があるとしてもあれはかなり不自然だった。なんであんなことしたのかは分かってるか?」

 

「それは……カンニングの材料を仕込むのに、ブレザーの枚数を確認して……っ、そういうことか」

 

 櫛田も理解したようだ。

 

「ああ。これはお前のブレザーが何らかの理由で1着使えないことが事前に分かってないと打てない手だ」

 

 仮にブレザーの件を知らずに動く場合、ブレザーに1日やそこらでは修復不可能な傷をつけて着用するブレザーを強制的に固定させるか、もしくはもっと別の方法を考えていただろう。

 俺の言葉を受けた櫛田は、ハッとしたよう表情になり口を開いた。

 

「ちょっと待って。じゃあ私のブレザーにあの紙を仕込んだのって、やっぱり綾小路だったわけ?」

 

「もしもお前の口止め材料がブレザーなら、少なくともあいつが絡んでるのは確かだな。ただあいつがやったかどうかは分からない。他に主犯がいて、綾小路はそいつに情報を提供しただけって可能性もある」

 

 ここでもやはり、敢えて綾小路と確定はさせなかった。

 最後の詰めとして櫛田に言葉を投げかける。

 

「それで……お前のその反応からすると、やっぱりブレザーが関わってるみたいだな」

 

「……説明すればいいんでしょ」

 

 観念したようなため息をつき、櫛田はクローゼットからブレザーを1着取り出して俺の前に持ってきた。

 そのブレザーの状態はあまりいいとはいえず、少しホコリを被っているのが分かる。

 長く放置されていた証拠だ。

 櫛田はそのブレザーの左胸のポケット付近の場所を指し示した。

 

「このブレザーのこの部分……綾小路の指紋が付いてる。あいつが私の胸を触った証拠。あの場面を見たことを言いふらしたら、レイプされそうになったって訴えるって言ってあるの」

 

「……触らせたのか、自分で」

 

「……悪い?」

 

 悪いか悪くないかでいえば悪いに決まってるが……冤罪だし……。

 ……綾小路に見られたことで気が動転してたんだろう。正常な状態のこいつなら絶対に取らないであろう手段だ。

 しかし……付け焼き刃の対処であるからこそ、そこに大きな綻びが生まれる。

 

「お前……微物検査って知ってるか?」

 

「は? 何急に」

 

 唐突な俺の言葉に眉を顰める櫛田。

 

「いいから。知ってるのか知らないのかどっちだ」

 

「……知らないけど」

 

 渋々といった様子でそう答えた。

 まあ、だろうな。

 

「痴漢の疑いがある人物に対して行う検査だ。被害を訴えた人の衣服の繊維が疑いのある人の手についてないか、それを調べる」

 

「……それとこれと何の関係があるわけ?」

 

 俺の言い方に苛立ちを覚えている影響もあるかもしれないが、理解が及んでいないようだ。

 

「関係大ありだろ。なんで容疑がかかった側の検査を被害を訴えた人の衣服の検査より優先するか分かるか? 繊維系のものは指紋が残りにくいからなんだよ。服は金属やプラスチックとは違うんだ」

 

「……」

 

 櫛田の表情には若干の焦りが浮かぶ。

 

「もちろん絶対に残らないわけじゃない。ただその指紋を抽出できる技術はまだ正確性の面で課題があって証拠能力としては強くない。そして仮に抽出できたとしても、お前が着用しているタイミングでついたものかは分からない」

 

 ブレザーを脱ぐタイミングなんていくらでもある。指紋がついているだけでは、櫛田がブレザーを着ていないタイミングで綾小路がたまたま胸の部分に触れただけ、という可能性も排除できない。

 しかし、それ以前の問題として……。

 

「それに、そもそも半年以上も前の話だろ。そんな長い期間が空いて、しかもクローゼットに普通にしまってるだけじゃ、指紋の採取なんて到底無理だ。ほぼ間違いなく指紋は残ってない」

 

 警察は証拠品を厳重に、かつ慎重に保管する。

 ブレザーを証拠品にしたいなら、せめて圧縮袋に入れて真空保存しておくべきだった。

 それでも長い期間が空けば指紋の検出は難しくなっていくが。

 そこで突然、ボフッ、ボフッ、という音が聞こえてきた。

 櫛田が自分の拳をベッドに叩きつけている音だ。

 全ての行動が水泡に帰したことがたまらなかったのだろう。

 

「……どうすればよかったわけ」

 

「は?」

 

 いまいち聞き取れず、聞き返す。

 

「だから、私はどうすればよかったかって聞いてるの!」

 

 苛立ちを俺にぶつけるような金切声だ。

 一度ため息をつき、答える。

 

「……過去のたらればに大して意味はないと思うが……まあ、触らせた上で実際に叫び声をあげるべきだったな。そしてその声を聞いて誰かが来る前に交渉して、このことをバラせば退学という約束をしっかりと証拠に残る形で結ばせる。結ばなければ来た人にレイプされそうになったと訴える、って脅してな。その段階ならブレザーの指紋も検出のしようがあっただろ」

 

 約束を結ぶことができれば、単に階段から落ちそうになっただけ、とか適当に誤魔化せばいい。

 しかし、気が動転していた櫛田にそこまでの思考を求めるのは無理難題だろう。俺も実際そのような事態になればこんな冷静に考えられるかといえば自信を持って頷くことはできない。

 その上櫛田の場合はブレザーの指紋が長期の証拠にはなり得ないことを知らなかった。そのため新たに脅しの材料を作ろうという発想に至ることもできない。

 いずれにせよ櫛田は、綾小路の口止めに関して一切の後ろ盾を失った。というより盾だと思っていたそれは初めから盾ですらなかった。

 いまこいつは非常に危ない綱渡りをしている。

 

「言っとくけどな、お前が後悔するべきは対応を誤ったことじゃない。校舎内で本性を晒したことだ」

 

 もちろん、それくらいのことは櫛田も理解しているだろう。

 しかしこうして口に出して言うことで、より櫛田の心に深く刻みつける。

 

「これに懲りたら、二度と誰かの前で迂闊なことはするなよ。もちろんそれには、お前の本性を知ったやつを退学させようとする行為も入る」

 

 これは先日も櫛田に言ったことだが、こいつがそのように動けば動くほど、本性を知る者が増え、自分の首を絞めていく。

 今までは龍園、綾小路、そして俺と、むやみに言いふらすことのない人物にたまたま当たっていただけだ。極端な話、もしも山内あたりに知られたら、その日のうちに4人には広まり、一週間もすればクラスのほぼ全員が耳にすることになる、なんて展開が簡単に予想できる。

 

「お前はこれまで自分の首を絞めるようなことしかしてない。そろそろ有効な対策を打ったら……」

 

「もううるさい! さっきから上から目線であーだこーだ……そういうところほんとウザい。このクソ陰キャ、消えてよ!」

 

 俺がセリフを言い切る前に、櫛田の叫びにも似た声に遮られた。

 普段の櫛田からは考えられない、口汚い罵倒。

 しかしそれに対して俺が目くじらを立てることはない。

 むしろ歓迎したいほどだ。

 

「……それでいいぞ。初めて有効な対策が取れたな」

 

 俺のそんな言葉に少し困惑したような表情を浮かべる櫛田。

 

「……どういう意味?」

 

「お前はストレスの発散方法が表の性格と相性最悪なんだよ。元からストレス溜まりそうな生き方で、そのストレスは声にして吐き出さないと耐えられない。ただそれは綾小路の件みたく誰かに聞かれるリスクと隣り合わせだ。なのにお前は一瞬たりともそれを聞かれるわけにはいかない。といって我慢するとまたさらにそれがストレスに繋がる」

 

 これではあまりにも負担が大きすぎる。

 

「だからそういうのは自室で思う存分やれ。なんなら俺を呼びつけてもいい。俺への罵倒でも、さっきみたいに聞き流すくらいはする。とにかく一人か俺しかいないタイミングで、自室でやることだ」

 

「……何それ。自分から進んで罵倒受けたいの? キモいんだけど」

 

「受けるんじゃない。聞き流す、って言っただろ。聞いた感じお前の罵倒は自己完結してることが多いから、あんま心に響かない」

 

 これを言ったらまた櫛田のストレスが増すだろうから口には出さないが、堀北との日常会話の方がまだダメージがある。

 てかそう考えると堀北の言葉鋭利すぎるでしょ。やばあいつ。歩くジャックナイフ。

 それ以降櫛田は特に反応を見せなかったが、俺の提案が自分にとって有効であることは自分が一番理解しているはずだ。

 恐らく今後はそう対応していくようになるだろう。

 ひとまず、これで櫛田の部屋を訪れた目的は達成された。

 さて……。

 

「お前、この後誰かと遊ぶ約束してたりするのか?」

 

「はあ? 別に今日は何もないけど……急に何?」

 

 櫛田の疑問に答える。

 

「ならケヤキモールで昼飯でも食うか」

 

 そう言った。

 疑問の解消のために答えたはずだが、櫛田の表情は解消どころかそれまで以上に疑問に染まっている。

 

「……あんた頭おかしいの? 冗談にしても面白くないんだけど」

 

「ポイントは俺が出す。店のチョイスはお前が勝手にやってくれ。どんな値段でも出してやる。一人で行くのは憚られるが、普通の友だちとは絶対に行かないし行けない、って感じの店にでも行くといい。俺のことは人数合わせ兼財布だと思っていいぞ」

 

 ケヤキモールに何度も何度も行っている櫛田なら、こういう機会にしか行けない店も既に何店舗か頭に浮かんでいるだろう。

 

「……餌付けしようってわけ?」

 

「まあそういうことだ」

 

「は? 死んで」

 

 櫛田は皮肉のつもりで言ったんだろうが、俺があまりにも即答で、しかも思いっきり肯定したのが気に入らなかったんだろう。流れるような罵倒を受けた。

 ただ本当に餌付けのようなことなのだから仕方ない。櫛田をできるだけ飼い慣らすことは理にかなった行為だ。

 櫛田に嫌われたままでも、利用する上では問題ない、という考えは変わらない。

 しかし道具というのは使い勝手が良いに越したことはない。

 より利用しやすくなるように。いわばこれはそのための投資。包丁を研ぐための砥石を買うようなものだ。

 それから、俺自身もこういった機会にしか行かないような店で飯を食いたい、というのもある。1割くらい。

 

「で、行くのか行かないのかどっちだ? ちなみにポイントだけ出せ、ってことなら俺は帰るぞ」

 

 俺も美味い飯を食いたいからな。1割といったが実は3割くらいはそれ目的かもしれないなこれ。

 

「……わかった。行く」

 

「ん、そうか」

 

 俺の存在というデメリットより、高級店にタダで行けるメリットを取ったようだ。俺のアドバイス通り、財布だと思えば我慢できると判断したんだろう。

 

「とりあえず準備するからあんたはここ出てって。行く店は後で端末に送るからそこに現地集合。いい?」

 

 とはいえ、できるだけ俺といる時間は削りたいらしい。ストレスを溜めないようにするため、そしてできるだけ俺といるところを他人に見られたくないというのもあるだろう。いい判断だ。

 

「ああ、わかったよ」

 

 承諾し、俺は櫛田の部屋を出て階段で自室に戻った。

 

 櫛田はケヤキモールのランチの中で最も高いであろう店をチョイスしてきたが、それだけあって味は非常に満足のいくものだった。

 また人目があるため、櫛田は普段学校で見るいつも通りの自分を演じていたが……裏の顔の櫛田と接した直後だと、本当に同じ人物かと疑いたくなる。それほどに演じ分けのレベルは高かった。

 ただそれと同時に、普段の櫛田の姿がいかに嘘で塗り固められたものであるか、それをまざまざと見せつけられるわけで。

 表の櫛田と接する方がこっちのストレスになるかもしれない。

 そんな奇妙な感情が生まれた一日だった。



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大晦日の一幕〜綾小路グループ〜

 いよいよこの日がやってきた。

 12月31日。大晦日。

 今年最後の日。

 そして、俺が遊びに出かける日だ。

 長谷部、三宅、綾小路、佐倉、幸村。そして俺を合わせた6人で「パリピ」とやらをやる。

 パリピとは何ぞや、と思ってグループと俺の取次ぎをしていた佐倉に聞いてみると、どうやら「party people」の略称らしい。

 結局どういう意味かは謎だが、取り敢えず皆で遊び倒すという認識でいいようだ。語感が頭悪そうだからあんま使わないようにしよう。

 持ち物は端末のみのため、移動が非常に楽だ。適当に小さいバッグでも持って行こうかとも思ったが、入れるものが思いつかない。何も入ってない空のバッグを持ち歩くのも馬鹿馬鹿しいということで、手ぶらだ。

 集合時間は昼12時、場所は寮のロビー。俺がきっかりその時間に行くと、既に長谷部と幸村の2人が到着していた。

 

「おっ、ともやん来た来た」

「は、と、ともやん?」

 

 姓名に「とも」がつくのはこの場には俺しかいないため俺のことだというのはすぐに分かったが、場面が違えば反応できなかっただろう。

 

「あまり気にするな速野。こいつは人にあだ名をつけないと気が済まない。綾小路はきよぽんなんて呼ばれてる」

 

「因みにゆきむーはゆきむーね」

 

 幸村だからゆきむーか……こういうのって自分で呼んでて恥ずかしくならないんだろうか。

 

「はあ……なんか、色々あるんだな。三宅はみやっちだったか?」

 

「当たりだ。よく知ってるな」

 

 頷きながら意外そうな表情を浮かべる幸村に、俺は理由を説明する。

 

「長谷部と三宅が2人でいるところに何回か居合わせてるからな」

 

「そうなのか?」

 

「まあね〜。2学期の中間テストの時とか。みやっちと一緒に勉強見てもらったっけ」

 

 そんなこともあったな。あの時は2人の得意不得意が一致しすぎてて驚愕したっけ。

 

「お、残り3人も来たみたいだな」

 

 幸村がエレベーターの方を見て、手を上げながら言う。

 その方向を見ると、三宅、それに綾小路と佐倉がエレベーターから降りてきたのが確認できた。

 

「悪いな遅れて」

 

「ご、ごめんね、私が忘れ物しちゃって……清隆くんも明人くんも待たせることになっちゃって」

 

「だいじょぶだいじょぶ。私も時間にタイトってわけじゃないしね」

 

 そんな会話が繰り広げられる中、俺は綾小路の方を見て軽く会釈をする。向こうもそれに気づき、軽く手を上げて応えてくれた。

 なんというか、こういう所謂「日常」の中で綾小路と会うのは久しぶりだな。

 相変わらず感情の起伏の少ない無機質な表情だ。しかし様子を見る限り、このグループにはちゃんと打ち解けているらしい。

 ただ、ここにいる4人は綾小路がこの学校で何をしてきたのか欠片も把握していないのだろう。

 責める気は全くない。てか多分俺も半分くらい分かってないし。それに綾小路が秘密を明かさないからと言ってこの「綾小路グループ」が潰れるわけでもない。

「綾小路グループ」は成員上排他的な面はあるが、グループ内はラフな関係らしい。遊びたいときに遊んで、遊びたくないときは自由に不参加を表明できる。それでグループ内の雰囲気が変になるということもない。友達ではあるが決して近づき過ぎず。「仲が良い」というより「気の置けない」グループと言った方がより正確だろう。

 少し悪意を込めて言うと「都合のいいグループ」とも言えるかもしれない。

 俺が勝手にあれこれ分析しているうち、そろそろ移動しようという話になった。

 

「じゃ、まずは歩きますか。いつまでもロビーにいても始まんないし」

 

「まずは昼飯だな。みんな食ってないだろ?」

 

 三宅の質問に、みんな首肯で答える。

 

「じゃあファストフードでいい? あんまり重いのもキツイと思うし」

 

「異議なしだ」

 

「それでいいぞ」

 

 俺も佐倉も頷き、全会一致で昼飯の場所が決定した。

 

 

 

 

 

 1

 

「ともやんはファストフードとかあんまり食べなさそうだよね」

 

「その呼び方は継続なのか……まあ、初めてってわけじゃないんだが、たしかにこういう店にはほとんど来ないな」

 

 ファストフードということもあって、入店からものの10分ほどで完食し終え、いまは雑談タイムだ。

 

「確か三食自炊だったよな」

 

「一応そうだ」

 

「弁当作るのって面倒じゃないのか? 俺はいつもコンビニと寮の食堂で済ませてるんだが」

 

「別にそれも悪くないと思うぞ。俺だって好き好んでやってるわけじゃない。ポイントの節約のためにやってるだけだ」

 

 一食3~500円ほどでまともな飯にはありつける。炊事に時間を取るかポイントを払うか、どちらを取るかは人によって様々だろう。

 

「スーパーに無料の食材があって、ポイント無しで作れちゃうんだよ」

 

 自炊の話に、同じく学校には自作の弁当を持ってきている佐倉も乗っかる。

 佐倉も無料コーナーを活用しているようだ。店内に居合わせたことはないが、恐らく利用時間帯が違うんだろう。

 

「俺も自炊だが、無料の食材はちょっとな……」

 

 佐倉や俺に反論する形で、幸村がそう呟いた。

 

「無料の食材は賞味期限が間近に迫ってたり、品質も低いモノがほとんどだからな。夏休み中のバカンスで体調を崩しそうになって以来、健康にはかなり気を使うようになったんだ。安全性を考えると手が出ない」

 

 俺はそんなにデリケートな身体ではないから気にしてなかったが、幸村のように決して体が強いわけじゃない生徒もいる。無料の食材を遠ざけるのも理解できる話だ。

 

「無料っていうのは魅力だけど、あのコーナー種類少ないし、同じものばっかりになって飽きちゃうんだよねー。たまに使う分にはいいんだけど」

 

「細かく味付けを変えてみるのもいいと思うぞ。普段味の素を使ってるところを自分で一から調合してみたり」

 

「それ面倒じゃない?」

 

「だったら食材にポイントを使う他ない」

 

「やっぱそうだよねー」

 

 無料コーナーに限ったときの品揃えは悪いが、普通のスーパーとして見たときの品揃えはかなりいい。ちゃんとポイントさえ払えば何を作るにしても困ることはない。

 

「料理できないのみやっちだけみたいだね」

 

 長谷部が茶化すように言う。

 

「経験がないんだよ……ただ、今の話聞いてると料理も練習した方がいいな」

 

「無理することはない。明人は他の5人と違って部活に入ってるんだ。放課後に料理もってなると疲労が溜まる」

 

 いま綾小路が言った「部活」というワードに少し肩が跳ねる。本当に少しだったため気づかれてはいないだろう。

 今日を終えれば、また明日からは模試に向けて勉強漬けだ。

 これがその息抜きになればと思っている。

 

 

 

 

 

 2

 

 この「パリピ」に参加して驚いたのは、佐倉と綾小路の様子だ。

 1学期あれだけオドオドしていた佐倉が、このグループの中だとリラックスした様子で笑顔を浮かべている。

 そして綾小路が普通に遊んでいる。

 両者ともに今までの関わり方がアレだったこともあるだろうが、2人の新たな一面を、今更ながらに見た気がする。

 

「じゃあ、次どこ行く?」

 

「カラオケに一票」

 

「俺はお前とのカラオケにトラウマがあるんだが……」

 

 幸村が引きつったような表情を浮かべる。

 他のみんなは事情を知っているんだろうが、このグループに初参加の俺はそのトラウマの中身を知るわけもなく。

 キョトンとしていると、綾小路がフォローに入ってくれた。

 

「以前カラオケに行った時、6つのうち1つのたこ焼きが激辛っていう商品を注文して、激辛を引き当てた人が歌うって罰ゲームをやったんだ。そこで啓誠は5回連続という数字を叩き出した」

 

「……強運の持ち主だな」

 

 確率にして7776分の1。それはトラウマにもなる。

 

「速野、お前はカラオケ行ったりするのか?」

 

「いや全く。歌える歌も数曲くらいだ」

 

「数曲歌えるなら大丈夫だよ。私たちは知らない歌でも気にしないし」

 

 すかさず長谷部からのフォローが入る。

 にしても、カラオケか……

 人生でも1、2度ほどしか経験がない。この学校に入ってからは、この前の期末テストの時の話し合いの会場としてカラオケ店に入ったものの、あの時は遊び目的で行ったわけじゃないため実質未経験だ。

 

「……まあ、別に俺も反対はしない」

 

「啓誠もそれでいいか?」

 

「今度はお手柔らかに頼むぞ……ほんとに……」

 

 深刻そうな表情をしながらも嫌というわけではなさそうだ。

 全員のコンセンサスをもって、カラオケに行くことが決定した。昼食のトレイを片付け、ケヤキモール内のカラオケ店へと足を向ける。

 

「カラオケ、空いてるかな?」

 

 移動中、俺の隣を歩く佐倉が言う。

 

「確かに。俺たちと同じ発想のグループは結構いるだろうな」

 

「あ、それは大丈夫。今調べたけど空き部屋ふたつあったから」

 

 どうやら杞憂だったらしい。

 

「速野くんはどんな曲歌うの?」

 

「あー……割とマイナーなやつだ。多分知ってる人の方が少ないぞ」

 

 俺は狭い範囲をどんどん掘り下げるタチだ。気に入った曲は何回も繰り返し聴くが、そのほかは全く知らない。知識は自然と偏る。メジャーなものに関しては、CMで流れてる曲だったらサビだけ分かるか分からないか程度。大人数のカラオケに一番向かないタイプだな。

 ここで佐倉にも同じ質問を返すのが定石なんだろうが、敢えて聞かないことにする。カラオケに入ってからのお楽しみだ。個人的な意見だが佐倉は声質がいいので期待している。

 その代わりに、俺は別のことを質問する。

 

「そういえば、幸村はなんで啓誠って呼んでほしいんだ? あいつの名前確か輝彦だったよな」

 

 以前の佐倉とのやりとりではその理由までは話さなかった。

 輝彦と啓誠。2つの名前には何も関わりがないように思える。

 

「えっと……ごめん、ちょっと待っててね」

 

 そう断りを入れ、佐倉は幸村のもとへ行って一言二言会話を交わしていた。

 交渉が必要な理由なのか……。

 適当にそう考えていると、佐倉がこちらに戻ってきて口を開いた。

 

「えっとね、輝彦はお母さんがつけた名前で、啓誠はお父さんがつけようとしてた名前なの。でも、お母さんが家を出て行っちゃって……それから啓誠くんはお父さんがつけた方の名前を使ってるんだって」

 

「……なるほど。そうだったか」

 

 佐倉が幸村の元に確認に向かうわけだ。想像以上に重い理由だった。

 これ以上この話はほじくり出さないでおこう。

 

 

 

 

 

 3

 

 カラオケ店に着き、長谷部と三宅がカウンターで受付を済ませた。

 空いているとはいえ混雑が予測されるためか、保証時間は2時間半と短め。ただ値段はドリンクバー付きで750ポイントと良心的だ。

 

「じゃあ、時間もないし早速歌うか」

 

 指定された部屋に移動してすぐ、意外なことに三宅が積極的にマイクを持ち、タッチパネルを操作して選曲を始める。

 実は歌うの好きなのか。

 そんな様子を眺めながら、俺はコップが重ねられた小さいカゴを持って立ち上がる。

 

「飲み物、取ってくるから希望を言ってくれ」

 

「おっ、気が利くねー。じゃあカルピスでお願い」

 

「あ、じゃあ私もカルピスで……」

 

「俺はコーラ頼めるか」

 

「俺はウーロン茶で頼む」

 

「オレはなんでもいい」

 

 全員の希望を端末に入力しつつ、了解、と言って部屋を出た。

 俺たちが案内された部屋は11番。店の奥の方にあるためドリンクサーバーまでの距離は遠い。

 通り道に何個か部屋を通り過ぎるが、みんな盛り上がっているようだ。

 

「あれ? 速野くん、ご無沙汰だねっ」

 

 声のした方を振り向くと、ひらひらと手を振ってこちらに向かってくる一之瀬の姿が確認できた。

 俺も手をあげてそれに応える。

 

「速野くんもカラオケ来るんだねえ。ちょっと意外かも。あ、変な意味じゃなくてね?」

 

「イメージに合わないのは自覚してる。今日はまあ、特殊な事情でな……そっちはBクラスのメンバーで?」

 

「うん。年末の打ち上げでパーっとね。速野くんは綾小路くんとか、池くんとかと一緒?」

 

「綾小路は一緒だが、池も山内も須藤もいないぞ」

 

「あれ、そうなんだ」

 

 夏休みに行ったプールの時も勉強会の時も池や山内は俺と一緒にいたため、一之瀬がその発想に行き着くのも自然なことだ。

 逆に長谷部や三宅は浮かばないだろうな。俺との接点がわからないはずだ。

 もちろん、俺も一之瀬が誰と遊んでるかなんて見当もつかないわけだが。

 

「あ、そういえば速野くんたちは3学期からCクラスなんだよね? おめでとうっ」

 

「ありがとう。Bクラスとの協力関係も大きかったと思ってる」

 

「そう言ってくれると嬉しいよ」

 

 そんな会話の合間に、俺はコップに次々とジュースを入れる。

 一之瀬も俺と似たような用事らしい。まあドリンクサーバーの前に来る必要のある用事なんてこれくらいしかないが。俺と異なる点といえばコップではなく、スープ用のカップを3つほど持っている点か。

 

「結構大人数なんだね」

 

 俺が持っていたコップの数を数えたようで、そう言った。

 

「大人数……といえば大人数か。6人だ」

 

「じゃあ2時間半保証だと物足りないんじゃない?」

 

 6人で2時間半いっぱいいっぱい歌い尽くすとして、1人平均の持ち時間は25分。一曲4分ちょっとで計算すると1人が歌える曲数は5、6曲がいいとこだ。

 

「俺はあんまり歌うつもりはないから他のメンバー次第だ。それに今日はカラオケだけじゃないから、何だかんだでいい具合の時間とも言える」

 

「わ、ポジティブだね」

 

 いいと思うよっ、と付け加える一之瀬。

 

「遊びでネガティブになっても仕方ないだろ」

 

「あはは、そりゃそっか」

 

 俺は基本ネガティブシンキング寄りだが、常にネガティブな訳じゃない。

 そんなやりとりをしながらも全員分の飲み物を入れ終わり、こぼれないように留意してボックスを持ち上げる。

 

「じゃあ、今日はお互い楽しもうね」

 

「ああ。じゃあな。来年もよろしく」

 

 そう言うと、一之瀬はドリンクサーバーに向き直った。何を飲もうか悩んでるんだろう。

 因みになんでもいいと言った綾小路には水を入れ、俺はコーンスープを飲むことにした。水を出された綾小路が「何か希望を言っておけばよかった……」と後悔していたように見えたのは恐らく気のせいではないだろう。

 

 

 

 

 

 4

 

「口がヒリヒリする……」

 

「いやー、今日も見せてもらったよゆきむー」

 

 カラオケに入る前に話に出た、激辛たこ焼きを当てたやつが歌うというゲームを決行し、幸村は4回のうち3回当たりを出した。

 辛酸を舐めるとはまさにこのこと。幸村は多分呪われてる。

 ちなみに残りの1回は長谷部が当てたのだが、幸村とは対照的に美味い美味いと言って食っていた。長谷部は辛いものを苦にしない、むしろ大好物なんだろう。

 

「速野くん、歌すごく上手だったよ」

 

「ああ。正直意外だったぞ」

 

「え、そうか」

 

「全然音程外してなかったしねー」

 

「まあ、音程はな……」

 

 俺は音域が比較的広いと自覚している。地声は低い方だが、出そうと思えば高音も出せる。普段は全く使えない特技だが、今日に関しては俺の声帯に感謝だな。

 

「でも、それ以外はからっきしだぞ。ビブラートなんて出せない」

 

「そこは慣れるしかないだろ」

 

 三宅はそう言うが、慣れるほどの回数カラオケに行くことはないと思う。つまり上手くなる必要もないのだが、やはり歌う以上は上手く歌いたいとは思う。

 ただそれ以前に俺がやるべきは、歌える曲のレパートリーを増やすことだな。

 

 

 

 

 

 5

 

 カラオケを出た俺たち一行は、次の目的地を探しつつケヤキモール内をぶらぶら歩いていた。

 やはり遊びに出ている生徒が多いようで、顔だけは知っている生徒とも何人かすれ違う。向こうは俺のことを知ってるかどうか怪しいので会釈はしないが。

 そのうち、吹き抜けになっている広場のような場所に出た。

 そこそこ人が集まっており、たまにチリンチリン、とハンドベルの音がする。

 何より気になるのが、可動式のバスケットゴールがあることだ。

 

「なんだあれ?」

 

「福引じゃないか?」

 

「じゃあなんでバスケのゴールなんか……」

 

「さあ……」

 

 とりあえず行ってみるかということになり、人混みの中に突入していく。

 様子を見る限り、どうやら福引というのは間違いないらしい。

 もう少し前の方へ進むと、「大晦日福引イベント開催中!」という案内板が張り出されていた。福引への参加資格は、今日、ケヤキモール内で1500ポイント以上消費していること。

 俺はファストフード店で650ポイント、カラオケで870ポイント使ったため、条件はクリアしている。

 俺だけでなく、恐らく参加資格は全員満たしているだろう。

 

「福引かあ。やってみる?」

 

 条件を満たしているのだから、通常やらない手はない。

 しかし、考えてみてほしい。いらないものを貰って持て余してしまい、行方不明になった挙句数ヶ月後にひょっこり出てきて「これいつ買ったんだっけ? つかこんなの買ったっけ?」となるときのことを。つまりやらない方がいい場合も存在する。

 その案内板には福引の景品は書かれていなかったが、会社の名前が書かれていた。

 

「この会社は……スポーツ関係か」

 

 なるほど、やたら体格のいい人が多いと思ったらそういう理由か。どうりでさっきから俺たちが場の雰囲気から浮いている感じがするはずだ。

 俺の場合場に溶け込んでることの方が少ない気はするがそういう問題ではなく、綾小路グループ(+俺)という集団がこの場に似合っていないということを憂慮すべきなのだ。

 にしても福引ということなら、あのバスケットゴールは景品の一つか? まあそうだとしても、いきなりゴール貰っても困る。俺は不参加を表明することにした。

 

「俺はいい。どうせ景品はスポーツ用品だろうからな」

 

「オレも遠慮しておく」

 

「うーん、あたしもいいかな」

 

 次々に不参加を表明していく面々。最後まで迷っていたのは運動部に所属している三宅だったが、結局全員が不参加ということでこの広場から離れることにした。

 しかし、突然前を歩いていた長谷部が立ち止まる。ちょっとぶつかってしまった。

 一方の長谷部は俺との接触を全く気にしていない様子で、隣の柱を指差した。

 

「これ、さっきの福引の景品じゃない?」

 

 見ると、たしかに。1等から6等まで、等数に見合った景品が表示されている。

 その中で俺が注目したのは2等の景品。

 2等の景品はAコースとBコースに分かれていた。

 Aコースはランニングシューズ。2等という大当たりに見合ったなかなか豪華な代物だ。

 そして2コース。

 景品の欄には「3ポイントチャレンジ!!」と書かれていた。

 それで合点がいった。

 

「だからバスケのゴールがあったわけか……」

 

 ゲームの内容はいたってシンプル。基準となる線の後ろからシュートを放ち、10秒の間に5本以上入れられたら景品を獲得できる。その景品も結構良さげで、敷地内のボウリング施設で、7人以下のグループ客2ゲーム無料券というものだった。

 あのゴールは景品ではなく、このチャレンジにあたっての道具だったということだ。

 

「2等だから、そもそもチャレンジまで行く人が少なそうね」

「そうだな。2等なんていったら大当たりだ」

 

 あの福引機に何等の球がいくつ入ってるかなど知る由も無いが、福引なんていいところが3等だろう。ほとんどの人は5、6等で担当の人に「残念でしたー」とまるで残念がっていない明るい声で言われるのが関の山だ。

 母親と一緒に買い物に出かけて福引を何度か経験したことがあるが、俺は母親がティッシュ以上のものを貰っているのを見たことがない。

 そろそろいいかと俺が思ったと同時に、同じことを考えたらしい幸村が長谷部に言う。

 

「もう行かないか? 立ってても時間が過ぎるだけだ」

 

「ん、そだね」

 

 その声に長谷部も応じ、再び歩き出す。

 

「ところで、ちょっと思いついたんだけどさー」

 

 人差し指をピンと立て、所謂ドヤ顔でこちらを振り向く長谷部。

 

「次の行き先、ボウリング場なんてどう?」

 

 

 

 

 

 6

 

 球が床と摩擦する音と、ピンが倒れる音。並んで置かれたボール。滑りやすい床。

 長谷部の提案に全員が乗っかり、俺たちはボウリング場に到着した。

 

「このメンバーでボウリングは初めてだな」

 

「意外だな。行ったことなかったのか」

 

「盲点だったね。なんで今まで誰も思いつかなかったんだろう?」

 

 もちろん俺がここに来るのは初めてだ。

 ボウリングを最後にやったのは確か……小4だったか。確か今と同じくらいの人数だったと思うが……。

 あれ、誰と行ったんだっけ……俺は一人っ子だったから、俺、両親合わせても3人だ。つまりあとひと家族分ほどの参加者がいたことになる。

 親戚ではなかったことだけははっきりと覚えている。だが、誰だったかまでは……よく覚えていない。

 ま、いいか。覚えてないってことは、つまりは「そういうこと」なんだろう。無理に思い出そうとする必要はない。

 少し経って、受付を済ませた長谷部と幸村が戻ってきた。

 

「1、2番レーンだってさー」

 

「わかった」

 

 1番レーンと2番レーンはボウリング場の最奥にある。カラオケに続いて不便な場所に通されたものだと思ってしまった。口には出さないが。

 そこに向かって移動すると、上部に取り付けられているテレビ画面に今からプレーする俺たちの名前が表示されていた。

 

「そういえば、何ゲームできるんだ?」

 

「2ゲームだよ」

 

「そうか。ちょうどいいくらいだ」

 

 物足りないわけでもなく、疲れるわけでもない運動量だ。

 

「いま何時?」

 

「えーっと……3時半だ」

 

「じゃあ、ボウリング終わる頃には夕飯の時間かな?」

 

「ボウリングってそんな時間かかるのか……?」

 

 夕飯にいいくらいの時間と言ったら、今から3時間後の6時半前後くらいだが……

 

「それは知らないけど……でもほら、運動したらお腹空くし」

 

「……まあ、そうか」

 

 夕飯食べる時間なんて俺も普段バラバラだ。「夕飯にちょうどいい時間」なんて具体的に示す方がおかしいか。

 

「あ、そうだ。こんなのどうだ? 2ゲームの合計スコアの最下位が1位に夕飯奢るとか」

 

「お、みやっち自信あり?」

 

「最下位にならない自信はある」

 

 そう言って胸を張る三宅。

 ただ、俺としては遠慮したいところだな……正直、最下位にならない自信はない。少なくとも上位に入ることはできないだろう。俺は完全な初心者だ。

 見ると、佐倉も少し不安そうな顔をしている。

 

「オレ含めて得意じゃないやつもいるかもしれないし、やめた方がいいんじゃないか?」

 

 綾小路は反対の意を示した。その瞬間、少し嬉しそうな表情になる佐倉。本人は表に出さないよう努めたかもしれないが、俺から見ると分かりやすい変化だった。

 そして綾小路はここでも「自分は普通の人間ですよ」アピールを忘れない。もちろん綾小路が本当にボウリングが苦手という可能性もあるが……ボウリングっていうのは要するに球を転がしてピンを多く倒した方が勝ちという簡単明瞭なゲームだ。どのようにボウリングの球に指を引っ掛け、どれくらいの強さで放り、どのコースを狙えばストライクが取れるのか、それら全てを分析して修正することができてしまいそうなのが綾小路だ。

 

「ん……そうだな。悪い、配慮が足りなかった」

 

「じゃ、普通にプレイってことで」

 

「ああ」

 

 といった塩梅に落ち着き、全員席に座った。

 名前を登録した順番に、投げる順序も決められている。幸村、綾小路、長谷部、俺、三宅、佐倉の順番だ。

 まあ、取り敢えず一つ気になるのが……

 

「長谷部、お前……」

 

「いいじゃんいいじゃん」

 

 登録されている俺の名前が「ともやん」になってる。

 はあ……まあいいや。店員に言って変えてもらうのも馬鹿らしい。

 

「じゃあ早速、啓誠から投げてくれ」

 

「分かった」

 

 自分に合うボウルを見つけ、位置について転がす。

 ボウルは床を滑るようにしてピンに向かっていったが、少し右に逸れて、倒れたのは7本にとどまった。

 

「あー、くそっ」

 

「ドンマイドンマイ」

 

 今度こそ、と意気込んで放った幸村だったが、今度は狙いすぎたのか、左側のガーターに行ってしまった。

 

「ああっ!」

 

「ありゃー残念」

 

「ドンマイだ」

 

「くっそ、次こそは……」

 

 投げ終えた幸村が悔しそうな表情を浮かべつつ席に座った。

 配置は3人ずつが対面して座っている形だ。俺は右側の椅子の真ん中で、右隣には佐倉、左には綾小路が座っていた(今綾小路は投げに行っている)。俺の正面には幸村が座り、長谷部が綾小路と、三宅が佐倉とそれぞれ向かい合う形で座っている。

 2回で8本倒した綾小路が隣に戻ってくる。

 

「みんな上手だね。ちょっと緊張するかも……ボウリングなんてほとんどやったことないし……」

「まあ、頑張ってくれ。それに俺も初めてみたいなもんだから心配しなくていいぞ」

 

 俺自身ボウリングは全く得意ではないため佐倉に対してもこんな言い方しかできない。小4の時のボウリングでもてんでダメだった記憶がある。

 

「あ、あのさ速野くん」

 

 会話が途切れたかと思いきや、再び俺に話を振る佐倉。

 

「その、は「速野、お前の番だぞ」

 

 佐倉の発言を遮るようにして幸村が俺を呼んだ。もちろん幸村に佐倉の声が聞こえていたはずもなく、悪気はないんだろうが、ちょっと佐倉がかわいそうだ。

 とはいえ、順番もあるので待たせるわけにはいかない。

 

「悪い、後でな」

 

「あ、う、うん……」

 

 残念そうな表情の佐倉を残し、俺は位置についた。

 

 結果、2回投げて1本しか倒せなかった。

 

 

 

 

 

 7

 

「まさかともやんが本当にボウリングほぼ初心者だったなんて」

「悪かったな……いいだろ別に」

「いやいや、貶してるわけじゃないって。1ゲーム目は置いとくとして、2ゲーム目からすごかったじゃない」

 

 長谷部に置いとかれた1ゲーム目。俺はガーターを連発し、圧倒的最下位のスコアを叩き出した。だが、7投目くらいからどう投げればいいかコツを掴んできて、2ゲーム目は一気に2位に躍り出た。

 ちなみに1ゲーム目のトップは長谷部、2ゲーム目のトップは三宅だ。

 俺たちはいま、ボウリング施設を出て、ベンチに座り雑談している。

 既に日の入りの時刻は過ぎており、完全に夜だ。

 先日降った雪がまだ解けずに残っており、点灯している外灯の発光色と相まってなんとも言えない雰囲気を作り出していた。

 空気は冷たいがほぼ無風のため、耐えられないほどの寒さではない。

 

「速野くん、やっぱりすごいね」

 

 隣に座っている佐倉が俺を褒めてくれた。

 

「ありがとう。まあ、多分ビギナーズラックみたいなところもあるだろ。出来過ぎだ今回は」

 

 受け答えをしていて自分でも思う。素直じゃねえなあ、俺。褒め言葉すら正面から受け取れないんだから。

 でも、これに関しては仕方のないことだ。

 

「じゃあ、いい時間だし夕飯行こうぜ」

 

「そうだな。どこ行く?」

 

「うーん……」

 

「お前はどうだ」と三宅に目線で問われるが、普段外食なんてしない俺がそんなこと答えられるはずもない。

 

「えと、お、お好み焼き、とか」

 

 俺の横から、そんな自信なさげな声が聞こえる。

 佐倉だ。

 

「お好み焼き、いいかも」

 

「ああ。賛成だ」

 

「いいんじゃないか」

 

 俺も異存はない。にしても佐倉からお好み焼きという提案が出るとは……意外なチョイスだ。

 自分の案が受諾されたのが嬉しいのか、佐倉の表情が少し明るい気がする。

 

「好きなのか、お好み焼き」

 

「特別好きってわけじゃないんだけど……なんか思い浮かんだの」

 

「ふーん……」

 

 思ったことを言える。数ヶ月前の佐倉からは想像もできない姿だ。

 実を言うと、俺はお好み焼き初体験である。

 そのため好き嫌い以前の問題だ。

 ただ、本当に嫌いな人は完成したお好み焼きがゲ○に見えるらしいとどこかで聞いたことがあるので、その気持ちが理解できない俺は多分生理的には大丈夫だろう。

 あれ……それはお好み焼きじゃなくてもんじゃ焼きだっけ? いまいち覚えてないな。まあ行けばわかるか。

 座っていたベンチから立ち上がり、お好み焼き屋に向かってみんなで歩き出す。

 俺は場所を知らないので、後ろからみんなの背中に遅れないようについて行く。

 といっても俺は佐倉の歩幅に合わせており、他の4人とは3歩分ほど離れていた。

 

「あ、あの……さっきの続き、話していい?」

 

「ん? ……ああ、あれか」

 

 正直、ボウリングに夢中だったせいで今の今まで忘れてた。

 

「大事なことじゃ、ないんだけど……」

 

「お、おう……」

 

 俺にとっては大事なことじゃない、という意味だろう。佐倉にとってどうかは知らない。

 意を決したように、佐倉は口を開いた。

 

「そのっ、速野くんと藤野さんは、付き合ってたり、するのかな……?」

 

「……」

 

 ……1学期に池と山内にされた質問と同じじゃないのか、これ。

 

「はあ……どこでそんなこと聞いたんだ」

 

「あの、その、聞いたんじゃなくて……見ちゃったのっ」

 

「……見たって何を?」

 

「その……夏休みのバカンスがあったでしょ? その最終日の朝早くに……2人がデッキのベンチに並んで座ってるところ」

 

「……」

 

 あの時か……。

 まさか佐倉が目にしていたとは。

 正直、時間的に誰も来ないだろうと油断していた。全く気が付かなかった。

 

「試験のことで、藤野にちょっと質問があったんだ。会うなら深夜より早朝の方がいいかと思ってそうしたんだが……」

 

「で、でも、藤野さん、速野くんにもたれかかってた、ような……」

 

「話の途中で寝落ちしたんだよ。試験で疲れてたんだろう」

 

 佐倉は俺たちの後ろ姿しか見ていないので、詳しい状況は分からないはずだ。この言い分も多少の違和感はあるが、通らないほどのものじゃない。

 

「ってわけだから、まったく付き合ってないぞ。誤解与えて悪かったな」

 

「そう、なんだ……ううん、こっちこそ変な質問しちゃってごめんね」

 

 そう言う佐倉の表情には、少し複雑なものがあった。

 ほっとしているような……それでいて残念がるような。

 佐倉がなにを思っているのか、その心情を測ることはできない。

 

 

 

 

 

 8

 

「あー食べた食べた」

「結構ボリュームあるな……胃がもたれそうだ」

 

 お好み焼き、めっちゃうまかったです。

 野菜と肉と小麦の集合体を鉄板で焼き、その上に塗りたくるソース。このB級グルメ感がたまらん。満腹。少し食べすぎてしまったくらいだ。

 

「てか、速野って意外と食べるんだな」

 

「そうか?」

 

「身体細いし少食かと思ってたよ」

 

「普段あんまり食わないだけで、食おうと思えば食える。スピードは速くないけどな。まあ確かに、今日はちょっと食い過ぎた」

 

 俺は多分、腹8分目になる量は少なく、満腹になる量が多いんだと思う。8部目と満腹の間隙が大きいため持久力がある。ちょっと腹が膨れてからが粘り強い。

 腹一杯食いたくなるのは疲れてクタクタになったときぐらいだと思ってたが、今日に関しては場の雰囲気が俺の食べる手を止めさせなかった。運動もしてないのに腹一杯食べると少し健康に悪い気がしてくる。外が寒いってのもあるが最近運動してなかったし、学習部の模試終わったらちゃんと体動かさないとな。

 

「じゃあどうしよっか。解散する?」

 

 時刻は午後8時30分になろうとしている。頃合いとしてはちょうどいいくらいだろう。

 

「こんな時間まで遊んだのは初めてだ」

 

「ほんとほんと。いいストレス発散になったって感じ」

 

「お前あんまりストレスなさそうだけど?」

 

「うわ、それ侮辱だから。女の子にはいろいろあるのよ」

 

 こうした少しの会話でも、付き合いの期間の差というものを感じる。

 

 この5人は俺のことをグループのメンバー同然に扱ってくれている。それには感謝するが、やはりその努力だけでは透過できない壁がある。

 

「楽しかった、かな?」

 

 隣を歩く佐倉が俺の表情を伺うようにして聞いてくる。

 取り繕っても仕方がない。今日一日過ごした感想を素直に述べよう。

 壁は感じる。

 だが。

 

「ああ」

 

 今日過ごした時間は楽しかったし、いい息抜きにもなった。

 

「こんな夜遅くまで遊び倒したのは初めてだったよ」

 

「じゃ、じゃあ、また次も誘っていい?」

 

「ああ。是非」

 

 迷うことなく承諾した。

 誘われた時に気がすすまなければ断ればいい。

 とは言っても、まあ……

 

「ともやんチャット入ってたっけ?」

 

「いいや」

 

 今日の予定も佐倉を介して把握したからな。

 

「じゃあ入りなよ。連絡する時とか便利だし」

 

「ん……ああ、そうだな。じゃあ誰か入れてくれるか」

 

 確かグループへの招待は端末の連絡先を交換している者同士でしかできなかったはずだ。つまり俺を招待できるのは綾小路か佐倉ということになるが……

 

「オレがやろう」

 

 綾小路が端末を操作すると、俺の端末にグループに招待されたという通知が届いた。

 

「参加、と」

 

 グループ名はやっぱり「綾小路グループ」なのか。

 

「まさかグループのメンバーが増えるなんてな」

 

 俺がグループに参加したのを端末で確認しながら幸村が呟いた。

 

「私は最初っからアリじゃないかって思ってたけどねー。クラスでのはぐれ者って立ち位置的に」

 

「そ、そうでございますか……」

 

 はぐれ者って……いや、わかってるし事実なんだけどね。でも表現をオブラートとカプセルで二重に包んで欲しいときってあるじゃん? 薬飲む時とか。

 

「じゃあ、ともやんは綾小路グループに参加ってことで」

 

「……そうなるな。じゃあ、色々と宜しく」

 

「ああ、宜しく」

 

「宜しくな」

 

 どうやら、歓迎はされてるらしい。

 まあそりゃそうか。ここまで遊んだのに今更突っぱねられたら俺の人間不信具合がさらに増加する。

 

「じゃあこれからともやんはみんなの事下の名前で呼んでね。あだ名でも可」

 

「え……」

 

「そういえばそうだったな」

 

「あー……マジで?」

 

「「マジで」」

 

「……ど、努力します」

 

 まさかそんな決まりがあったとは……どうりで全員が全員お互いを名前で呼びあってるはずだ。そして長谷部、お前のそのニヨニヨした表情から次の展開が読めるぞ。

 お前が次に出す指示はきっと……

 

「じゃあ今呼んでみよう」

 

「分かった、波瑠加」

 

「ぇ……」

 

 やっぱり予測した通りだ。

 こういうのは恥ずかしがれば恥ずかしがるほど周りのおちょくり具合が増していく。それを防ぐためには初めからおちょくる余地をなくしてしまえばいい。先手必勝とはまさにこういうことだ。

 

「ちぇ、つまんないの」

 

「お前割と考えが表情に出やすいぞ」

 

「え、ほんと?」

 

 首肯で返す。

 

「ポーカーフェイスは慣れといたほうがいいぞ。あやのk……んんっ、清隆あたりから指南を受けてみたらどうだ」

 

 名前を言い直したところで、長谷b……波瑠加が再びニヨニヨとした表情に……こいつ……とっととポーカーフェイスに慣れろ。

 

「よし、めでたく知幸も参加したことだし、そろそろ帰るか」

 

「そうだな。時間もいい感じだ」

 

 早速三宅が俺のことを名前で呼んだ。

 名前で呼ばれたのが久しぶりすぎて、なんというか新鮮な感じだ。多分小4以来じゃないだろうか。あの頃は俺も普通に友達いたし。いたどころか、今振り返って客観的に見てみると裏のない櫛田の男子バージョンみたいな感じだったかもしれない。……ちょっと美化しすぎか。

 ただ、あの頃は本当に毎日が楽しかった。

 そう、「あの頃は」。逆に言えばそれ以降は地獄だったわけだが。まあそんなことはいい。

 

「悪い、先に帰っててくれ。トイレ行ってくる」

 

「あ、そうか。じゃあ、また来年」

 

「ああ」

 

 明人と挨拶を交わす。

 

「ばいばいともやん」

 

「そのあだ名まだ使うのか……ああ、じゃあな」

 

 波瑠加に続き、清隆、愛理、啓誠も手を振って来たので、こちらも振り返した。

 

 ……早いとこ名前呼びに慣れとかないとなあ。



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第8巻
バスに揺られて


 3学期が始まって2週間ほどが経った水曜日。

 高度育成高等学校の全校生徒が、4クラス×3学年、計12台の大型バスに乗って移動していた。

 バスの席順は苗字のあいうえお順で決められており、「はやの」の俺の隣には「ひらた」が座っている。

 みんな思い思いに移動時間を過ごしている。

 所持品に厳しい制約はなかったため、マンガ雑誌やスナック菓子を持ち込んでいる生徒が多い。その他にもトランプやUNOといったカードや、ゲーム機で遊んでいる生徒も見られる。

 そんな和気藹々とした車内。しかし俺たちはいま、自らが置かれている状況をほとんど理解できていない。

 そもそもこの移動について知らされたのは、1週間前のホームルームが初めてだった。

 そして知らされた、と言っても、茶柱先生から俺たちに与えられた情報はほんのわずかだ。

 1週間後……つまり今日、バスに乗って長時間の移動をするため、朝8時までに寮のロビーに集合すること。

 制服ではなくジャージを着用すること。

 替えの体育着や下着を複数用意することを推奨する、ということ。

 それだけだ。

 何日間、どこで、誰と、何をするのか。5W1Hの部分は一切明かされていない。

 そのため、今朝バスに乗り込む直前までは、生徒たちはみんな独特の緊張感に包まれていた。それはもちろん、特別試験が課されるのではないか、という警戒心だ。

 この学校に在籍しているであれば、「旅行なんじゃね?」みたいな淡い期待を抱くことはない。

 教育されているというべきかどうか迷うところだな。

 しかし、長いバスの移動時間中に先ほど述べたような娯楽に興じることでその緊張は解けたようで、今は全員リラックスして過ごしている。

 それをプラスに捉えるかマイナスに捉えるかは、少し考える必要がありそうだが。

 そんな空気感のため、バスの中は少々騒々しい。

 一番前の席に座っている池は、席が離れている須藤や山内と大声でしゃべっているし、トランプやUNOをプレイしているエリアでは本人たちに加え、その周りにいるギャラリーも時折盛り上がりを見せる。

 俺の隣に座る平田も、通路越しにその隣に座る女子生徒と話している。平田は優しさからか時折こちらにも意識を向けてくるが、俺が「構わないでいい」というオーラを全力で出しているうちにそれもなくなっていった。

 俺は誰ともやり取りをすることなく、一人静かに座って過ごしている。

 それは俺がコミュ障であるというのももちろんあるが、決してそれだけではないということは声を大にして強調しておきたい。

 これは乗り物酔い対策でもあるのだ。

 乗り物酔いをしないためには、酔い止め薬をしっかりと服用したうえで、寝るか、正面を見るか、できるだけ遠くの景色を見ることが重要だ。

 誰かと会話をしようとすれば必然的に首が横を向いてしまう。今の俺にとっては端末を見るために下を向くことと同じくらい危険な行為だ。

 なので俺は止むを得ず静かに過ごしているだけであって、やろうと思えば平田の慈悲で会話に参加させてもらうくらいはできる。あんまり俺を見くびるなと言いたい。

 ……堀北に言ったら「私のできうる限りの全力をもって見くびってあげるわ」とか言われそうだな。

 ま、正直な話楽しく過ごしている連中をうらやましく思う気持ちはある。コミュ力的にも三半規管的にも、俺には手の届かない世界だ。特にバスの中でゲーム機なんて考えられん。

 つい先日の話ではあるが、俺にも友人グループといえる存在ができた。

 自由席なら、恐らくそのグループで固まって座ったりしただろう。

 しかしいまはそれぞれ席が離れているため、そのグループで直接会話するということはない。

 以前長谷部も言っていたが、このグループは、元々友人グループを持たないいわば「余り物」が集まって構成されたグループだ。そのため他のクラスメイトのように離れた席同士でも声を張って会話する、というようなことはしないのである。

 その代わりに、端末におけるグループチャット欄は先ほどからちょくちょく動いている。

 俺はできる限り下を向きたくないため端末を開くことすらしていないが。

 俺の視線はバスが出発してからずっと車窓からの景色に固定されている。

 しかしそこから見える光景は非常に味気ない。

 高度育成高等学校は東京のど真ん中にあり、インターチェンジまでは目と鼻の先だ。出発から2分もしないうちに高速に乗ると、そこからの景色は微妙に曇った空と道路の防音壁のみ。これが「世界の車窓から」あたりで放送されたら苦情殺到でテレビ局のコールセンターがパンクするレベル。

 と、そこで突然窓の景色が黒くなった。そして一定の間隔で光が横切っていく。

 トンネルに入ったのだ。

 一時的に車内が暗くなり、カードゲームをプレイしていた生徒は一度中断する。

 10秒くらいで抜けるだろうと多くの生徒は考えていただろう。一般的にトンネルの長さはそんなもんだ。

 しかし10秒、さらには20秒が過ぎ、1分、2分と経過してもまだ抜けず、車内は暗いまま。かなり長いトンネルだ。

 そこからさらに1分ほどが経過したところでようやくトンネルを抜け、車内に光が戻る。

 それと同時に、マイクのスイッチが入るノイズが聞こえてきた。

 

「盛り上がっているところ悪いが、静かにしろ」

 

 マイクを通して、天井についているスピーカーから茶柱先生の指示が届く。

 

「そろそろ、お前たちがいまどこに向かっているのか、そして何をするのか、それを知りたい頃だと思ってな」

 

 確かにそれはそうなんだが、行先と目的を知りたいと思っていたのは1週間前に説明を受けたその瞬間からだ。遅すぎるでしょ。

 

「そりゃそうですよ。どこに向かってるんすかこれ? まさかまた無人島とかじゃ……」

 

 無人島においては活躍を見せた池にとってもあまりいい思い出とは言えないのか、不安そうにそう呟く。

 

「安心しろ。あの手の大規模な特別試験はそう年に何度も行われるものじゃない。しかしすでに察しがついている生徒もいるだろうが、今このバスが向かっているのは特別試験の会場だ」

 

 特別試験。

 その単語が発せられた瞬間、車内に一気に緊張感が走るのが分かる。

 

「これからお前たちをとある山中の林間学校へと案内する。恐らくあと1時間弱で到着するだろう」

 

「え、林間学校? って、夏に行くものなんじゃないんすか?」

 

 思った疑問をそのまま口にした池。

 

「池。1時間弱で到着するという私の言葉の意味を考えることだな。説明の時間が短く済むほど、それだけお前たちが使える時間が増える。そのうえで聞くが、その疑問は本当に必要なことか?」

 

「え……あ、いや、すんません……」

 

 茶柱先生からお叱りを受けてしまった。

 しかしこれはある意味非常に優しさを持った行為だ。これで池だけでなくクラス全員が説明によりいっそう集中するだろうし、その分特別試験をどのように挑むかという作戦を立てる時間も増える。クラスの勝利に近づく第一歩といえる。

 そんなことをするのはある意味では茶柱先生らしくないともいえる。

 ただ、池の疑問というのも存外的外れというわけではない。確かに林間学校というと夏に行われるイメージが強いし、事実俺が小学生の頃も夏に行った記憶がある。

 とはいえ、いきなり生徒に無人島でサバイバルやらせるような学校にそんなことを言うのも野暮というものだろう。

 

「説明を続けるぞ。今回の特別試験は通称『混合合宿』と呼ばれるものだ。今までお前たちがこなしてきた特別試験は全て1年生の間のみで競い合うものだったが、今回は学年の壁を越えての交流があり、それを今日から7泊8日の日程でこなしてもらうことになる。なお、学年の人数が異なる関係上お前たちと2年生、3年生とでは若干ルールが異なるが、他学年のルールを把握する必要はない」

 

 俺たち1年生は入学当初と変わらず160名。しかし2、3年はそれなりに退学者が出ている、という話は以前藤野から聞いたことがある。

 その点が関わってくるのだろうか。

 しかし把握する必要はないとのことなので、ひとまずその点は放っておくことにする。

 

「口頭では伝わりづらい面もあるだろう。これより特別試験に関する資料を配布する」

 

 バスのガイド席付近の収納スペースから茶柱先生が紙の束を取り出し、それが前の席から順々に回されていく。

 

「はい、速野くん」

 

「ああ……悪い」

 

 俺も平田から10数ページほどの資料を受け取った。

 決して顔が下方向を向かないように注意しつつ、資料をぱらぱらとめくり流し見する。

 途中途中で林間学校の施設のものと思しき写真が目に入った。大浴場、食堂、教室などなど。何かスキー施設のようなものも確認できた。試験内容にウィンタースポーツでも関わってくるのだろうか。

 そんなことを考えていると、茶柱先生が再びマイクのスイッチを入れ、説明を再開する。

 

「資料は全員に行き渡ったな。私が行う説明は資料にリンクしたものとなるため、目を通しつつ聞くことを勧める。今回の混合合宿は『成長』をテーマとしている。普段あまりない他学年との交流の機会は、様々な面でお前たちに成長をもたらすだろう。それに加え、普段慣れないものとの交流を通して、それへの対処や、他人と円滑な関係を築けるかどうかを確認し、またその術を学んでいくこともこの試験の大きな目的の一つだ」

 

 あー……なるほど。「混合合宿」という名称を聞いた時点で薄々感じてはいたが、つまりは俺の苦手な分野ということか。

 コミュニケーションに関しては入学時点と比べれば多少なりともマシになった自覚はあるものの、まだまだまずいレベルだという事実に変わりはない。

 

「この試験では、『大グループ』と『小グループ』の2つの括りのグループが存在する。合宿所となる林間学校に到着した後、お前たちはまず男女に分かれてもらう。その後学年ごとにも分かれ、6つの小グループのメンバー決めを行ってもらう。小グループの決定に関するルールは、資料5ページの上部に漏れなく記載している」

 

 茶柱先生がそう言った瞬間、資料のページをめくる音が一斉に聞こえてくる。

 

〇第1学年 小グループ決定方法

 

・小グループとは、男女別に話し合いを持って作成された各学年6つずつのグループを言う。

・試験初日の指定時間内に小グループを作成し、担当の教師に報告すること。

・小グループは全員が納得する形で形成されなければならない。

・1グループには、必ず2つ以上のクラスの生徒が属していなければならない。

・1グループに1人ずつ必ず「責任者」を選任すること。

・1グループの人数は、各学年の人数により変動する。男女別に分けた際の同一学年の人数が60人以上であれば8人から13人。70人以上であれば9人から14人、80人以上であれば10人から15人とする。ただし、60人未満の場合は別途参照。

 

 主なところはこんな感じだ。そして……。

 

「小グループを時間内に結成できなかった場合、そのメンバー全員が退学処分となる。注意するように」

 

 先生の口から出た退学という単語で、社内の空気に緊張が走る。

 つまり小グループの結成は、定期テストで赤点を取らないことと同じくらいにできて当然のものということだ。

 

「さて、ここまでの内容で一度質問を受け付ける。何かあるか?」

 

「先生、『責任者』とはなんですか?」

 

 隣に座る平田が手を上げて質問した。

 

「『責任者』の存在は結果に大きく関与してくる。その点については結果の説明と同時に解説する。他にはないか?」

 

 その後は手が上がることはなく、茶柱先生もそれを確認して話を続ける。

 

「もう一つ、『大グループ』の説明についても、その下部にもれなく記載している」

 

〇大グループ決定方法

・大グループとは、各学年6つずつの小グループから学年ごとに1つずつを組み合わせた、計3つの小グループにより作られる集団を言う。

・小グループを作成後、試験初日の就寝時間までに大グループを結成し、担当の教師に報告すること。

 

・なお、大、小グループの決定の話し合いに関して、教師は一切の関与を行わない。

 

「中でも小グループは非常に重要で、これから9泊10日の間、同じメンバーで授業や課題、寝食を共にするメンバーとなる。林間学校の日程は、基本的にこの小グループのメンバーでこなしてもらうことになるだろう。また食事時間は1日3度設けられるが、その中の朝食は、試験3日目以降、天候不良の場合を除いて大グループ単位で自分たちで分担を決め、作ってもらうこととなる」

 

 なるほど。

 資料に大まかな日程が書いてある。起床時間が6時。その後座禅、そして掃除の時間が設けられており、朝食時間は7時からだ。

 となると、朝食を作る場合はどんなに遅くとも5時までに起床しておく必要がありそうだ。

 分担制ということで毎日ではないのだろうが、かなり厳しい生活を強いられそうだな。

 

「今まで敵だったヤツと一緒に過ごすとか、冗談キツいぜ」

 

 質問というよりは独り言に近い形で須藤が吐き捨てた。

 しかし茶柱先生はその発言を拾いあげた。

 

「初めに言っただろう須藤。それがこの試験の根幹でもある。社会生活を送っていくうえでは、苦手な人間……言ってしまえば嫌いな人間とも関りを持たなければならない場面が必ずある。それを学ぶためのものだ」

 

「そりゃ、そうだろうけどよ……」

 

 不満そうな須藤ではあるが、一方でそれが必要なことであるということ自体は理解しているらしい。

 

「では続いて、お前たちが最も気になっているであろう結果についての説明を行う。資料の9ページに詳細を記載してあるが、口頭でも説明を加える」

 

 指定された9ページを開くと、大きく「合宿最終日実施総合テスト内容」と印字されていた。

 

「試験結果は、基本的に属している大グループの『平均点』によって決められ、順位付けがなされる。そして全員の点数は、合宿最終日に行われるテストによって算出される」

 

〇合宿最終日実施総合テスト内容

・以下の項目に関する総合テストを合宿最終日に実施し、大グループの平均点を算出する。

『道徳』『精神鍛錬』『規律』『主体性』

 

 これはまた随分と抽象的な項目だ。 

 各項目に関しての解説文があるにはあるが、どの項目を測るためにどのようなテストが行われるのか、ということに関しては一切記述がない。

 おそらく小グループ決めに関する明確な決め手をなくし、生徒により深く考えさせることが目的なんだろう。そうなると現時点でこの部分を考える優先度は高くなさそうだ。

 

「そしてその順位に伴い、お前たちに報酬、およびペナルティが与えられる。詳細の記載は10ページだ」

 

〇基本報酬およびペナルティ

・大グループごとにつけられた順位により、以下の報酬、およびペナルティを与える。

 

1位 プライベートポイント10000、クラスポイント2

2位 プライベートポイント5000、クラスポイント1

3位 プライベートポイント3000

 

 以上を、報酬としてその大グループに所属するメンバー全員に与える。

 

4位 プライベートポイント5000、クラスポイント1

5位 プライベートポイント10000、クラスポイント3

6位 プライベートポイント20000、クラスポイント5

 

 以上を、ペナルティとしてその大グループに所属するメンバー全員から差し引く。

 なお、ペナルティにより所持ポイントが0未満となった場合、累積赤字として計上する。

 

「そして、ここで先ほど平田が質問した『責任者』がポイントになってくる。各小グループの責任者が属するクラスの生徒の報酬が2倍になる仕組みだ」

 

「2倍、ですか……」

 

「そうだ。そしてこの倍率はペナルティには適用されない」

 

 つまり、マイナスが増大することはないということ。

 これだけでは全クラスがこぞって責任者になりたがるに決まっている。

 しかし「責任」という言葉を使っていることからして、何かしらその代償があることは明らかだろう。

 

「そして小グループは2クラス以上で組まなければならない、というルールを聞いて、お前たちの中には最低限の2クラスだけで組めばいい、と考えた者もいるだろう。しかしそう単純ではない。組んだ小グループ内のクラス数、それに加えて小グループに属する人数の多寡に応じて、責任者の場合と同じく倍率がかかる」

 

 倍率に関しては、報酬の項目の下部に記載があった。

 

〇報酬の倍率について

・一定の条件を満たすことで、基本報酬に倍率をかけることができる。

 

 責任者が所属するクラスの生徒は、得られる報酬が2倍になる。

 小グループ内のクラス数が2つの場合は等倍、3つの場合は2倍、4つの場合は3倍となる。

 小グループ内の人数が下限であった場合は等倍、そこから1人人数が増えるごとに0.1倍ずつ倍率が上昇していく。

 なお、この倍率はペナルティには適用されないものとする。

 

 とのことだった。

 報酬とペナルティのバランスが妙に悪いと思っていたが、恐らくはこの倍率があったためだろう。

 

「そして、最下位になった大グループにはさらなるペナルティが課せられる」

 

「え、ま、まさか……」

 

「そう、退学だ」

 

 その単語が出た瞬間、バスの中に緊張が走る。

 

「だが、大グループ全員が退学させられるわけではない。退学するのは、最下位になった大グループの中の小グループのうち、学校側が設定する平均点を下回った小グループの『責任者』に限られる」

 

 やはり、「責任」の意味はこれだったか。

 退学のリスク回避を取るか、報酬の倍率を取るか。

 小グループがどのようなメンバーで構成されるかにもよってくるだろう。優秀そうな生徒が集まっているグループとそうでないグループでは、責任者決めの様相はかなり異なってくることが予想される。

 さらに一口に「優秀そう」とは言っても、最終テストでどのような能力が問われるかが具体的に分かっていないため、判断は容易ではない。例えばペーパーテストが得意な生徒を集めてグループを組んだのに、テストで体力が問われました、なんてことになればそのグループは一気に点数を落とすことになるだろう。

 これだけでもかなり複雑な思考が絡み合ってくるが、ここで茶柱先生からさらに衝撃的な内容が告げられた。

 

「また退学になった責任者は、同じ小グループ内の人物1人を指名し、連帯責任として退学させることができる」

 

「え!?」

 

 口々に驚きの声が上がる。

 責任者の退学は、みんな警戒心を抱きつつもまだ受け入れることができた。

 しかし連帯責任の部分。

 これはいわば「道連れ」だ。

 しかしこれは、退学になった責任者の気まぐれで自分が退学になってしまうかもしれないということ。

 それは責任者の退学とは比べ物にならないほどの拒否感を生徒たちに抱かせた。

 ただこの反応は学校側としても想定済みのようで、茶柱先生は騒然となった車内を落ち着かせるように言った。

 

「安心しろ。道連れにすることができるのは、平均点のボーダーを下回った原因であると学校側から認定された生徒のみだ。よほどいい加減なパフォーマンスをしない限りはその対象にはならないと考えていい」

 

 そうか……まあ、それはあって当然の制約だろう。

 もちろん、いい加減な態度で試験に臨んでわざと責任者を退学にさせる、なんてことがまかり通ることのないようにルールの設定は必要だ。

 しかし、それでもやはりどこか今までと比べると異質さを感じるルール設定だ。

 学校側ではなく、生徒の側が敵クラスの退学者を指定できるという点がそう感じさせるんだろう。

 もちろんそれは責任者が退学になるという前提があってのことだが、それがルール上可能であるという点は非常に大きなポイントだ。

 

「そして責任者、および連帯責任で退学になった生徒の所属するクラスは、クラスポイントが100引かれるルールとなっている。このマイナスでポイントがゼロ未満となった場合、順位のペナルティと同様累積赤字として計上される。また退学者に関する救済措置も存在する。課されたペナルティに加え、クラスポイント300、プライベートポイントを計2000万支払うことで、その生徒の退学を取り消すことができる」

 

「先生、プライベートポイントは本人以外で負担してもよろしいのでしょうか」

 

 再び平田が手を上げて質問した。

 

「それは自由に対応して構わない。だが、今のお前たちには無理な話だろう」

 

 突き放したような言い方にも聞こえるが、否定しようのない事実ではある。クラス全員の所持ポイントを足し合わせても2000万ポイントには遠く及ばないはずだ。

 と、そこで端末が震えた。

 これまでも綾小路グループのチャットの進行で端末のバイブレーション機能が作動することはあったが、今回はそれとは震え方が違う。

 これはメール受信の通知だ。

 チャットではなくわざわざメールを使ったことが気になって確認してみると、メールの送信元は藤野だった。

 俺も藤野に頼み事があったのでちょうどいい。

 内容を確認し、それへの答えと元からの俺の頼み事も付け加えて返信した。

 

「これで最終テストに関しての説明は一通り完了だ」

 

 そこで言葉を切った茶柱先生は一度マイクを置き、先ほど資料を取り出した収納スペースを再びがさごそと漁っている。

 俺は先生の言い回しに違和感を覚えた。

 最終テストの説明は完了した。

 裏を返せば、まだ特別試験全体としての説明は終えていないという捉え方もできる。

 そんな俺の疑念は、そこから数秒と経たずに解消されることになる。

 

「では、ここから特別試験期間中に組まれている『スキー演習』に関する説明を始める」

 

 ということだった。

 つまり、ここからは最終テストとは別枠の話が始まるということだ。

 

「え、スキー?」

 

「お前たちが向かう林間学校にはスキー場が併設されている。そこで1日約3時間、天候の許す範囲でスキーの演習を行う。今からそれに関するプリントを配布する」

 

 資料を配布した時と同じ要領で前から後ろへプリントが行き渡っていく。

 その1行目に、「昼食後の13時半から16時半まで、スキー場にてスキー演習を行う」と記載があった。

 それを見て、車内からは「面白そう」とか「スキー1回やってみたかった」などの声が聞こえてくる。

 

「楽しむのは構わない。学校側としてもそういった意図でスキーの日程を組んだことは否定しないが、このスキーも今回の特別試験のテーマに沿って行われるテストの一環であることはしっかりと覚えておけ」

 

 一瞬、茶柱先生の視線が俺を捉えた気がした。

 それはほんの一瞬で、俺本人以外は気づかないであろう刹那の出来事。

 何の意図があるのか、今はまだ分からない。

 

「テストの一環ということは、スキーの実力によって報酬があるということですか?」

 

「その通りだ。ただし、このスキー試験は最終テストで導き出される平均点とは全く別物の独立した試験だ。報酬も違ったシステムで決定される。最終テストでは大グループごとの評価だが、このスキー試験では小グループごとの評価が存在する」

 

「小グループごとって……リレーでもするんですか?」

 

「それは現地で説明を受けてからのお楽しみだな」

 

 どうやらここで答えることはできない内容のようだ。

 

「え、でも先生、プリントに報酬とかどこにも書いてないんですけど……」

 

 池がそう漏らした。

 確かに、プリントには「タイムにより報酬を与える」とは書いてあるが、具体的な記載はどこにもない。

 その質問に対する返答をすべく、先生の口が開く。

 しかしその内容は、俺たちの想定外のものだった。

 

「スキー演習の報酬とペナルティの具体的な数値は、この場では一切伝えない」

 

 そう言った瞬間、バス内にざわめきが起きる。

 

「え、な、なんでですか?」

 

「ルールはルールだ。仕方なかろう。私から言えるのは全力で挑むことを勧める、ということだけだ。なまけた結果、どんなペナルティを受けようとも学校側は一切の救済措置を用意していない」

 

「え! 救済なしって……」

 

「じゃあもし退学になってもどうしようもないってことですか!」

 

「そういうことになる」

 

 先ほどの明るい雰囲気とは一変。報酬とペナルティのシステムが隠されたことによって、理論上無限大の不安が生徒に襲い掛かった。

 と、そんな中、一人の生徒が手を挙げた。

 

「質問よろしいでしょうか」

 

「堀北か。どうした?」

 

「スキー試験のペナルティに、退学はそもそも存在するのでしょうか?」

 

「……ほう」

 

 その質問を受けた茶柱先生は、何やら意味ありげに口角を上げた。

 

「具体的な話は伝えない、と説明したはずだが?」

 

「はい。ただ先生は『具体的な数値』とおっしゃったはずです。ですが退学は数値では測れないもの。それに関する説明はされてしかるべきだと思いますが」

 

 よく聞いてたな、堀北。さすがと言ったところか。

 この理屈に気付いた生徒は、恐らく学年でも数えるほどしかいないだろう。

 

「正解だ堀北。スキー試験に限っては、退学のペナルティは存在しない。ただしポイントのペナルティはしっかりと存在する。その点は把握しておくことだ」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 退学がない旨の説明がなされ、生徒たちはひとまず安堵の声を漏らした。

 これはかなりのファインプレーだろう。ここまでの言い回しからして、恐らく質問しなければ明かされていなかった事実だ。

 

「これで今回の特別試験に関する説明は終了だ。最後に質問を受け付ける」

 

「はいっ」

 

 即座に勢いよく手を挙げたのは最前列に座る池だ。

 

「最初に男女に別れるって話ですけど、試験中ずっと別れたまんまなんすか……?」

 

 試験とはほぼ関係がない、なんとも池らしい質問だ。

 茶柱先生も薄く笑みを浮かべて答える。

 

「基本的に生活空間は男女別だが、夕食時間は男女共同のスペースで食べることになる。スキーは男女共通の時間に行われるが、エリアが分けられているため接触は難しいだろう。そしてそれ以外の時間帯に異性の生活空間に入ることは許されない。わかったか?」

 

「りょ、了解っす」

 

 完全に隔離されるわけではないということで、池の声色からも安堵の感情が伺えた。

 漠然としたものか、あるいは誰か目当ての女子でもいるのかはわからないが、取り敢えずよかったなと言っておこう。

 

「茶柱先生、マイクをお借りしてもよろしいでしょうか」

 

 これ以上手が上がらないことを確認してから、隣の平田が立ち上がった。

 

「ああ。好きにしろ」

 

 茶柱先生もこの場を明け渡すようにしてガイド席に腰掛けた。

 走行中のバス車内で転倒に注意しながら平田は前に移動し、マイクを持って話し始める。

 

「早速特別試験の作戦を立てる、と行きたいところだけど、まずはこれだけ確認しておきたいんだ。この中にスキーの本格的な経験者、もしくは速く滑れる自信がある人はいるかな?」

 

 手は上がらない。

 仕方のないことではある。スキーは名前こそ有名だが、本格的にやるとなるとかなり骨が折れるスポーツだ。多岐にわたる道具はもちろん、雪山という少々特殊な環境を整えなければならない。

 経験したことがあっても、それは家族旅行などで何回か滑ったことがある、程度のものだろう。平田が募った条件には当てはまらない。

 

「高円寺くんはどうかな?」

 

 須藤をも凌駕するほどの非常に高い身体能力を持つ高円寺。

 確かにこいつなら常人では考えられないほどのスピードで滑りそうだが、平田の質問に対して手を上げなかった。

 

「愚問だねえ平田ボーイ。私にできないことなどない。それが答えさ」

 

「ならなんで手ェ上げなかったんだよ。本当は自信がねえからなんじゃねえのか?」

 

 すぐさま高円寺にかみつく須藤。

 

「答えがノーだったからさ」

 

「はあ? バカかてめえは」

 

「さて、バカはどちらだろうねえ。私はスキーの経験は豊富ではないが、それでも凡人の君たちなどはるかに凌駕することができる。そしてそれは自信ではなく確信なのだよ。よって平田ボーイの問いかけに対する私のアンサーはどちらもノーだった。だから手を上げなかったまでのことさ。理解できたかな? レッドヘアー君」

 

 と、いうことらしい。

 まともに相手をするだけ無駄だと思い知ったのか、須藤もこれ以上何か言うことはなかった。

 少しおかしくなってしまった場の空気を整えるべく、平田は一度咳払いをして再び口を開く。

 

「ありがとう。説明を受けた採点項目の中で唯一はっきりと説明されたものがスキーだけだったから、そこを軸にグループを組むことも考えてみたんだけど……」

 

 今の感じだと、そこを軸にするのはやめた方がよさそうだな。

 

「取り敢えず、皆の意見を聞かせてほしい。どうやってグループを組むべきか」

 

「んなの、俺たちで12人組んで、残りの3人を3クラスから1人ずつ引っ張って1位を取るのが一番だろ」

 

 安直ではあるが、決して間違ってはいない。

 

「もちろんそれが理想ではあるけど、他クラスが都合よくこちらに合流してくれるかは分からないし、万が一順位が芳しくなかった時のリスクも考えないといけない」

 

「つかさー、そのグループからあぶれた奴らって勝ち目なくね? 俺らだってポイント欲しいぜ。なあ?」

 

 山内が少し不満そうにそう呟いた。

 そんなボヤキに頷く生徒も少なくない。

 勝ちを狙いに行くグループには入れないと自覚する生徒たちだ。

 

「もっともな意見だよ山内くん。その点については、皆の賛同が得られれば体育祭の時みたいに均等に配分する方法を取りたいと思うんだ」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 話の流れに待ったをかけたのは、幸む……啓誠だった。

 後方の席から手を上げて発言する。

 

「俺も体育祭の時はその恩恵に預かった側だ。そのうえで言いたいんだが、やっぱり全員均等にっていうのは逆に公平性に欠ける気がしてる」

 

「でもよ、分け合わないってことになったら俺たち試験のたびにポイント失うばっかだぜ?」

 

「ああ。グループ分けで優遇されたうえで、ポイントを得た人が全部持って行くのももちろんフェアじゃないとは思う。分け合うことを否定したいわけじゃない。だから間を取って、分け合うのは個人のマイナス分を補填するのに止める、っていうのはどうだ」

 

 啓誠の提案はまさに折衷案。

 マイナスにはならないが、プラスになるためには自分で努力して稼ぎに行くしかない。

 上位でポイントを得た側の負担も、均等に割り当てた場合に比べれば軽くなる。

 

「なるほど……一度多数決を取ってみようか。この結果が決定事項になることはないし、後で意見が変わっても構わない。あくまで目安程度に考えてもらいたいんだ。分からなかったら手を上げなくても構わない。均等に分け合うか、マイナスをなくすか、ポイントを得た人のものにするか。まずは均等に分け合うのがいいと思う人」

 

 ちらほらと手が上がるが、数としては多くない。10に満たないだろう。

 

「ありがとう。じゃあ次に、幸村くんの案がいいと思う人」

 

 先ほどと同じくらいか。啓誠など得意不得意がはっきりしており、試験の内容によって上位にも下位にもなり得る生徒、そして比較的気性がおとなしく、一番罪悪感の少ない選択をした生徒が多い印象だ。

 

「ありがとう。最後に、全てポイントを得た人のものにするのがいいと思う人」

 

 大差はないが、前者2つと比べると若干多いかもしれない。

 やはり一番わかりやすい形の選択肢ではある。

 

「みんなありがとう。幸村くんも、貴重な意見をありがとう」

 

 平田はそう礼を言った。啓誠もそれを受けて小さく頷く。

 

「じゃあ、次に具体的な作戦の話に入っていきたいところなんだけど……細かい点を詰めるには時間が足りない。ただ最初に決めておくべきは男女それぞれのはっきりとしたリーダーだと思うんだ。基本的に男女別の試験だから、女子のみんなを今まで通りに支えていくことはできないと思う。女子のリーダーを一人決めておきたいんだ」

 

 そして平田はひとりの女子生徒に目を向ける。

 

「君にお願いできるかな、堀北さん」

 

 誰も文句はない、納得の人選だろう。

 堀北もそれを受けて小さく頷いた。

 

「分かったわ。試験期間中、何か問題が起こったら私に相談して。どんな些細なことでも構わないわ。ただ……」

 

 と、そこで言葉を切る。

 

「私ではまだ相談しにくいという人も中にはいるでしょう。そのためにサブリーダーを決めておきたいの。櫛田さん、あなたにお願いしたいわ」

 

「え……私?」

 

 自分の名前が出たことに驚いている櫛田。

 

「ええ。あなた以外に適任はいないわ。お願いできるかしら」

 

 真っ直ぐ見据えられた堀北の目。櫛田に対しての正直な評価なんだろう。因縁など関係なく……いや、因縁があるからこそ、と言うべきか。

 対する櫛田はまだ少し動揺している。

 その目が一瞬だけ俺を捉えた。

 しかしすぐに堀北の方に向き直り、言った。

 

「うん……私でよければ、喜んで協力するよ。ありがとう堀北さん」

 

「助かるわ。こちらこそありがとう」

 

 堀北は満足そうに頷いた。

 こうして、この試験での女子の体制の構築ができた。

 今のやりとりを見て、櫛田と堀北が冷戦に近い状態であることに思い至ることができる人間は事情を知る者以外ではいないだろうな。

 だが、少なくともこの試験では大丈夫だろう。櫛田も俺に釘を刺されたばかりで迂闊な真似をするとは思えない。先程目が合ったときにもそれを感じた。

 平田の言っていた通り、今回試験の面でクラスの女子に手出しできることはほとんどない。俺が櫛田の活用をする必要はなさそうだ。



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小グループ

 バスの昇降口で電子機器類を回収された俺たちは、茶柱先生の指示に従ってバスから少し離れた場所で待機している。

 バスは高速道路を降りたあと、少しの間坂道を登り続けていた。その先にたどり着いたのがこの場所だ。

 山岳地帯で、標高もかなりある。言うまでもなくめちゃくちゃ寒い。

 両手はカイロを入れているジャージのポケットから外に出すことはできず、体は体温を維持しようと必死で振動を続け、その場で足踏みしている生徒も多い。傍から見れば全員トイレ我慢してんのかと勘違いされるレベル。

 

「うお、なんだここ……」

 

 目の前に広がる光景を見て生徒の一人がそう呟いた。

 そこにあったのは「これぞ」という感じの木造校舎。正面には玄関があり、その真上の二階部分の外壁には丸い時計が設置されている。

 廃校寸前の木造校舎、みたいなテーマのテレビ番組で登場しそうな建物だからだろうか。間違いなく初めて見るはずなのに、どことなく見覚えがあるように感じてしまう。

 特筆すべき点としては、非常に規模が大きいところだろう。建物は二つに分かれており、それぞれ男女別のスペースとして使われることが予想される。

 500人近くの生徒を収容するにはこれくらいの規模が必要かもしれないが、この立地の学校にこんな規模の校舎はあまりにもオーバーサイズが過ぎる。廃校になった校舎の再利用というより、初めから林間学校を用途として建てられた施設と思われる。

 そこで、点呼を終えた茶柱先生が俺たちに指示を出す。

 

「では、男女に分かれて移動だ。男子はこちら側から見て奥側の本校舎、女子は手前側の分校舎に入れ」

 

 指示の通り、俺たちは歩いて校舎へ入っていった。近づいてみて分かったが、本校舎と分校舎では前者の方が少しサイズが大きいようだ。

 持ってきていた上履きに履き替え、先導する教師について校舎の中を歩く。

 当然ながら中も全面が木造だ。鼻腔をくすぐる木材のにおい。そして足を踏み出すたびに軋む床。

 しかし不潔な感じは受けない。さすがによく管理が行き届いている。

 

「建物の中なのにさみい……」

 

 前を歩く池がそう呟く。

 

「木造校舎だから、学校みたいに空調設備は充実してないみたいだね。さっき見えたけど、教室に1台ずつストーブがあるようだよ」

 

 平田がそう答えた。

 教室はともかくとして、いま歩いている廊下には現代の普通の高校でも空調がなく、ある程度寒いのが当たり前ではある。

 高度育成高等学校の全面空調という恵まれた施設で、少々感覚が麻痺しているのかもしれない。

 そのまま歩いていき、たどり着いたのは体育館。

 すでに1年のAクラスとBクラスが体育館に到着していた。俺たちは3番目だった。

 

「指示があるまで、整列して待機しておくように」

 

 先導役だった教師は俺たちにそう指示を出した後、元来た道を引き返していった。

 ひとまずその指示に従い、整列して待機。

 そのうちに1年Dクラス、そして2年、3年の男子生徒が順に体育館に入ってくる。

 バスを降りてから30分ほどで体育館に男子生徒全員が揃った。

 はじめのうちはそこそこ広く感じていた体育館も、全男子生徒が入ると少々息苦しさを感じる。

 点呼を終えて確認が取れたのち、教師が前に立ってマイクで話し始める。

 

「全員が揃ったので、さっそく始めさせてもらう。バスの中で行った説明で、全員試験の概要は理解しているだろう。これからお前たちには各学年6つずつの小グループを作ってもらう。学年ごとにグループ結成が完了し次第、我々教師に報告するように。バスの中で説明した通り、教師はグループ結成に関して立会人など一切の関与を行わない。全て自分たちで決めるように。なお、大グループを結成する時間は本日午後8時から設けられている。では、各自始めろ」

 

 簡潔な指示が出されると同時に各学年ごとに散り散りになり、グループ作りの話し合いが始まる。

 俺たち1年生の間で動きがあったのは、意外にもそれからすぐのことだった。

 事前に示し合わせていたかのように、Aクラスが14人で1つの固まりを作ったのだ。

 当然他クラスからは奇異の眼が向けられ、場がざわつく。

 

「何の真似だよ」

 

 そんな他クラスからの疑問への答え……というより、全体への宣言のような形で、Aクラスのまとまりの中の1人、的場が言った。

 

「見ての通り、Aクラスはこの14人で1つのグループを作りました。あと1人確保できればグループが完成します。では、参加してもらえる方を募集します」

 

 そう言い放ち、的場はまとまりの中に戻っていった。

 

「……」

 

 俺はこのAクラスの戦略に少し違和感を覚えていた。

 しかしほとんどの生徒はAクラスのいち早い行動についていけていない。

 Aクラスの独断専行と捉え、糾弾する者も現れる。

 しかしそんな反応は予想済みだったのか、的場は冷静に対処する。

 

「我々の行動が勝手なものに見えるのも仕方がありません。しかし、これはAクラスにとって利益だけがある行動ではありません。このグループはクラスが2クラスしか確保できないため、クラス数に応じた倍率を得ることができないんですよ」

 

 その点は的場の言う通りだ。

 おそらくAクラスはこのグループで1位を狙いに行くつもりだろう。メンバーを見ても、学力や身体能力などバランスの良い顔ぶれとなっている。最終テストではもちろん、スキーでも単純な実力でこのグループに勝つのは至難と言っていい。

 しかし勝った時の倍率が得られないため、報酬は低い。

 つまりAクラスのこの戦略の目的は報酬ではなく、最上位に自クラスの生徒を固め、下位のグループに入ってマイナス要因となってしまう生徒を減らすこと。そして他クラス中心のグループが1位を獲得して大きなポイントを得るのを阻止することにあると考えられる。

 俺が違和感を覚えたのはここだ。この試験の陣頭指揮は坂柳がとっているはずだが、それにしては守りの姿勢を感じる戦略だ。

 考え方が変わったのか、それとも俺が読み切れていない狙いがあるのか、あるいは……。

 そんな俺の思考をよそに、的場は続ける。

 

「それに我々の作戦がずるいというのなら、同じような戦略をB、C、Dクラスの皆さんも採用すればいいだけの話です。少なくとも不公平な戦略ではないでしょう」

 

 たしかに不公平な戦略ではない。

 しかしこの戦略を他クラスがとるかといえば、とらないだろう。

 Aクラスにクラスポイントで遅れをとる俺たちは、クラス数の倍率は何としても最大値を確保したい。その倍率を捨ててしまえるのはAクラスが最上位に位置しているからだ。

 以前、船上試験で葛城が立った作戦と同じ理屈だ。

 この作戦の提案を受けた他クラスがそれに抵抗を覚える理由は大きく分けて2つ。

 1つ目は単純に、グループに入った生徒の居心地が悪いであろうということ。

 10日間という期間は短くない。その期間中、ずっと9対1という環境下で過ごさなければならないのはストレスが溜まるだろう。

 2つ目に、万が一があること。

 このグループはたしかに優秀だ。しかし試験の詳細がよく分かっていない以上、最下位を取り、学校側のノルマを下回ってペナルティの対象になってしまう可能性は排除できない。

 そんな時、まず間違いなく他クラスから参加した生徒が道連れにされてしまうだろう。そのリスクは避けたい。

 と、そこで的場は「しかし」と口にし、続ける。

 

「それでも、我々が勝手を押し倒そうとしているのはある面では事実でもあります。ですのでもしこの提案に載ってくれれば、この14人を除いた6人のAクラスの生徒は好きに配置していただいて構いません。どのグループでも喜んで参加します」

 

 Aクラスの残り6人を好きに配置できる権利。

 グループ作成は全員が納得のいく形でなければならないというルールがあるため、少なくともAクラスの異論反論がなくなるという点では助かるといえば助かる。

 しかしそれだけでは押しとしては弱いだろう。

 的場たちもそれは分かっているようで、こう付け加えた。

 

「そして残りの1人として参加してくださる方については、特別枠として招待したいと思っています」

 

「特別枠だと?」

 

 話を聞いていたBクラスの神崎がその単語に反応した。

 

「はい。この小グループのリーダーは葛城くんが務めますが……仮に学校側のノルマを下回って最下位となった場合、参加してくれた生徒を道連れにすることはしないと約束します」

 

 それは俺が考えていた『リスク』を排除する提案だった。

 提案を受け、会場もざわつく。これだけでAクラスの提案の魅力が倍以上になったといっていい。

 

「もちろん、しっかりと試験に挑むことが絶対条件ではありますけどね。わざと試験をサボったり、このグループの点数を意図的に下げるような行為が明らかな場合は、容赦なく道連れにします。その点はお忘れなく。ですが純粋にテストの結果が悪いことは全て許容しましょう。その上で退学にはならない。つまりノーリスクということです」

 

「……なるほどな」

 

「試験に退学の不安を覚える生徒もいるのではありませんか? ですがこのグループに入れば退学どころか、グループ順位の報酬を得られる可能性すらありますよ」

 

 まるでセールスのような口上だ。しかしその言葉は確かに試験に不安を覚える生徒の心に響いただろう。

 Aクラスの勝手な主張だ、と切って捨てることもできなくなった。

 もしこの話が本当であれば、一考する余地がある。

 

「では、5分間差し上げます。その間に決めてください」

 

「時間制限を設けるのか。勝手に提案しておいて」

 

「ええ。ですが心配しないでください。あくまで特別枠の用意を5分に限るということです。それを過ぎれば一切交渉しない、というわけではありません」

 

「だがそうなると、5分が経過した時点でその1枠の価値は激減することになるが?」

 

「どう捉えてもらっても構いませんよ。しかし我々は絶対に折れませんので」

 

 それだけ言って、的場たちのグループは話し合いの場から一歩後ろに下がった。

 さあ考えろ、とでも言わんばかりだ。

 

「無視する方向で構わないだろう。時間が過ぎればこいつらも話し合いの場に戻ってこざるを得なくなる」

 

「だよなー」

 

 Aクラスの戦略に対して初めにそう述べたのはBクラスの神崎だった。

 

「あのグループに入れば、どうしたってその生徒は孤立することになる。どのような扱いを受けるか分かったものじゃない。それにAクラスが確実に約束を守るとも限らない」

 

 そうバッサリと切り捨てた。

 これだけはっきりと宣言したにもかかわらず、なぜここまで警戒するのか。

 その理由は「学校側はグループ決めに一切関与しない」というルールの存在だ。

 関与しない以上、Aクラスが特別枠の取り決めを守らなくても、学校から何らかのペナルティを課されることはない。

 つまり、その取り決めが守られる保証がないということだ。

 当然のことながら、取り決めは破るメリットが守るメリットを上回れば簡単に破られる。

 では、今回のケースはどうか。

 Aクラスは、責任者を務めるという葛城の退学、それに対するペナルティでクラスポイント100のマイナス、順位ペナルティでクラスポイント70のマイナスを受ける。

 その代わりとしてAクラスは、他クラスの生徒一人、そのクラスのクラスポイント100のマイナス、順位ペナルティでクラスポイント5のマイナスを受ける。

 明らかに釣り合っていないことが分かる。付け加えるなら道連れにできる他クラスの生徒は試験に自信を持たない、言ってしまえば能力のあまり高くない生徒に限られる。

 リスクとリターンがあまりにも釣り合っていないことは明白だ。

 つまりこのグループは本気で1位を取りに来ると考えていい。

 残る可能性は、そのうえで意図的ではなく本当に最下位を取ってしまった場合。

 しかしその点は警戒しても仕方のないことだろう。

 このグループが最も最下位になるリスクの低いグループであるということは疑いようがない。その点は作戦を無視する方向の神崎も同意せざるを得ないことのはずだ。

 もちろんリスクはゼロではないが、そんなことを言っていてはどこのグループにも入れなくなる。

 

「神崎氏と平田氏、少しよろしいでしょうか」

 

 そんな中、Dクラスの方から一人の生徒が前に出てきてそう言った。

 あれは確か……金田、といったか。

 ペーパーシャッフルの際、学力が高いと啓誠が警戒していた生徒だ。

 それにしても……どうでもいいことではあるが、クラス単位でのことを考えると、「ああそうか、自分たちはDクラスじゃなくてCクラスに上がったんだ」と自覚する。

 まだ変更後のクラスが板についていない証拠だ。

 せめて、「Cクラス」という看板に慣れるまでは再転落したくないものだ。

 Dクラスの代表のような形で前に出てきた金田は、呼んだ神崎と平田だけでなく、聴衆の俺たちにも聞き取れるような声量で言った。

 

「これはチャンスと捉えるべきと考えます。的場氏も言っていたように、あのグループは1位をとっても2クラス分の倍率しか得られない。対してB、C、Dクラスが協力し、残ったAクラス6人を調整して配置すれば、5つのグループ全てを4クラスで構成することも可能です。どうでしょう、我々3クラスで協力してAクラスへの包囲網を作るというのは」

 

「それはつまり、Aクラスの提案に乗るということか」

 

「そういうことです。仮にあのグループに1位をさらわれたとしても、4クラス分の倍率があれば十分に挽回可能だと考えます。それに、良くも悪くも試験の成績はこの小グループだけで決まるわけではありませんからね」

 

 金田の言う通りだ。スキーについては明らかにされていないが、試験そのものの順位は大グループ単位ではじき出される。

 小グループがどれほど奮闘しても、他学年のグループの成績が芳しくなければ順位の保証はない。

 

「賛成だよ金田くん」

 

 平田が金田の話に乗る姿勢を見せた。

 元々平田はAクラスの提案を渡りに船だと考えていそうだからな。

 対して、少数派となった神崎。

 腕を組みつつ、口を開いた。

 

「話は分かった。だが、誰をあのグループに入れる? 特別枠の約束はいざというときには反故にされると考えたほうがいい。少なくとも、Bクラスには入りたがる生徒はいないだろう」

 

 神崎はその部分に対する疑いを撤回する気はないらしい。

 

「Dクラスのみんなはどうかな?」

 

 平田がDクラスに問いかけるが、反応はBクラスと似たり寄ったり。やはり不安はぬぐえないということだろう。

 

「僕は、Aクラスが約束を破る可能性は低いと思ってるんだ」

 

 そんな不安を否定するように平田は言った。

 

「なぜそう思う?」

 

「まずAクラスが約束を破る必要が出てくる状況は、所属する大グループが最下位になって、且つこの小グループの成績が学校の設定したボーダーを下回った時だ。前者はともかく、後者の可能性は低いんじゃないかな。敵ではあるけど、彼らはAクラスだからね」

 

 順位付けは大グループで行われるが、退学ペナルティの基準は小グループ別。最下位になったとしてもボーダーを下回ることはないだろうという予想だ。

 

「それに万が一そんな事態になったとしても、誰かを退学に追い込むような裏切りをするには、まだ時期が早すぎると思う。僕らが3年生ならまだしも、今はまだ1年生。3年間の折り返しにすらきてないんだ」

 

 このタイミングで裏切ってしまえば、今後一切このような取引は通じなくなる。Aクラスにとってのデメリットは何も学校側からのペナルティだけではないということだ。

 

「僕はCクラスの中から1人選びたいと思ってる。彼らの言う通り、退学は避けられるし、上位に入れば報酬を獲得できるかもしれない。どうかな?」

 

 Cクラスに向けてそう問いかけた。

 問われた方は少しの間お互いに様子を伺っていたが、最終的に池、外村、山内の3人が名乗りを上げた。

 そしてじゃんけんの結果、山内がグループに加わることになった。

 

「これでいいのかな?」

 

「はい。これでグループは結成されました。約束通り、残り6名は自由に組み込んでもらって構いませんよ」

 

 それだけ言い残し、的場たちのグループは教師にグループを結成した報告をしに行った。

 いまの平田の動きは、B、Dクラスから名乗り出る生徒が出ないようにしていたものだった。

 最初はだれも積極的には名乗り出ないと読んだうえでB、Dクラスに問いかけた。その後グループに入ることへのメリットを説明したうえでCクラスに問いかけ、名乗り出させる。

 これで特別枠は誰であるにせよCクラスの生徒が確保できるという寸法だ。

 うまいムーブだった。

 

「これでAクラスに対しての包囲網を作る準備ができましたが……残り5グループ、どのように構成しましょうか」

 

「やはり4クラス構成は必須だろう。倍率を下げる理由はない」

 

「そうだね。メインとなるクラスが12人、後の3人を3クラスからひとりずつ……というのが理想の形、ということに関しては共有できていると考えて構わないかな?」

 

「異存はありません」

 

「ああ」

 

 そこから、Aクラスを省いた3クラスでの本格的なグループ決めの話し合いが始まっていく。

 平田の言っていた通り、まずは12人、1人、1人、1人のグループを3つ作る。

 そのリーダー、つまりは責任者は、現在話し合っている平田、神崎、金田の3人がそのまま務めるようだ。

 そしてそのリーダーのもとに、それぞれのクラスの生徒が多く集まってくる。グループ入りを希望する生徒たちだ。

 当然と言えば当然の流れだ。道連れにされることがまずない、どこよりも安全なシェルターがだからな。それに他クラスの生徒と過ごさなければならない、というこの試験の難しい部分も最小限で済む。

 そう、この試験は他クラスの生徒と共同生活を送る試験。

 つまり誰かは龍園翔と10日間を過ごさなければならないということ。

 龍園がDクラスのリーダーを降りた、という噂は、冬休みに入ってからすぐに流れ始めた。

 その証拠と言わんばかりに、現在この場もDクラスの指揮は龍園ではなく金田が取っている。

 しかし、それでもそれを素直に信じるような生徒は少ない。

 今現在、多くの生徒が目をそらしている事実だが、全員が納得した形で小グループを組まなければならないというルールがある以上、その道を避けて通ることはできない。

 いやでも向き合わなければならないときがくるだろう。

 その段階で、この話し合いは一度膠着する。

 俺個人としては……龍園とどうしても組みたくないというわけじゃない。

 このグループ決めは、今のところ順調に進んでいるといっていい。

 

 

 

 

 

 1

 

 そして、いよいよその時がやってきた。

 話し合いの膠着。

 沈黙の時間。

 グループがある程度固まってきた状態で、龍園をどのグループに入れるか、という問題が表面化したのだ。

 

「龍園くん、僕らのグループに入らないかい?」

 

 話し合いを動かすため、平田がそう提案するも……。

 

「ざけんなよ平田! こいつとだけは死んでも無理だぜ」

 

 須藤をはじめとし、グループ全員の猛反対を受けた。

 

「Dクラスのグループで受け入れるのが最善策だろう」

 

「それはそうなのですが、こちらとしても中々難しい状況でして……」

 

 他クラスからはもちろん、クラスメイトであるDクラスからもこのように扱われている状態だ。

 結局、押し付け合いは終わらない。

 ほとんどメンバーの固まっている3つのグループで龍園を受け入れることはほぼ不可能だろう。構成人数がすでに多い分、グループの「まとまった意見」が存在する。そしてその意見が「龍園受け入れ反対」から覆ることはあり得ない。

 つまりこの状況を動かすには、まだグループのメンバーが全く固まっていない余りものの誰かが動くほかない。

 俺は気持ちを落ち着かせるために一息ついて、一歩前に出る。

 

「俺は龍園と同じグループでも構わない」

 

 この場の全員に聞こえるような声でそう言った。

 誰かがこのように立候補してくることを望んではいただろうが、それがまさか俺とは思わなかったのだろう。自クラス、他クラス問わず、面食らっている生徒が少なからずいた。

 

「お、おい知幸……」

 

 いきなりの俺の宣言に、近くにいた啓誠が「やめておけ」とアイコンタクトで主張してくる。

 俺は啓誠たち綾小路グループのいる方に一瞬だけ目配せしつつ、片手でそれを制止した。

 

「本当か速野」

 

 代表して、神崎が俺に問うてくる。

 

「ああ。ただ、俺も退学するのだけは絶対にいやだからな。いくつか条件を付けさせてほしい」

 

「龍園を受け入れてもらえるのなら、できる限りのことは受け入れるつもりだ」

 

 すでに話し合いは、龍園の処遇さえ決まればあとはもう少し、というところまで来ている。

 神崎がそのようなことを言うのもうなずける。

 

「助かる。条件は2つだ。まず1つ目に、このグループの責任者はA、Bクラスのどちらかの生徒が務めてもらいたい」

 

「なっ……」

 

 いきなりかなり厳しい条件かもしれないな。

 龍園が所属する小グループは、どのように引っ掻き回されるか分かったものではない。現状、最も最下位の可能性が高いグループだと認識されている。

 そんなグループの責任者になるなど、退学のリスクを高めるだけ。絶対に避けたいところだろう。

 場はまだ騒然としているが、俺は目を泳がせつつも再び口を開く。

 

「次に……いま余っているAクラス6人とBクラス8人の中から計3人、このグループに入るメンバーを俺に決めさせてほしい。この2つだ」

 

 かなりふっかけたもんだと我ながら思う。

 普通なら即座に却下されるであろうこの提案。

 しかし、龍園への対処を巡って話し合いがまとまらず、鬱憤が出てきたこのタイミングならチャンスがあるかもしれない。

 ……と思っていたのだが。

 

「……速野。さすがにその条件を二つ返事で受け入れることはできない。そもそもなぜ責任者を俺たちBクラスとAクラスにやらせようとする?」

 

 やはりそう甘くはないようで、神崎からすかさず反論を受ける。

 

「AクラスとBクラスというより、うちとDクラスには責任者をやらせたくなかったから、消去法なんだよ。Cクラスからは絶対に退学者を出したくないし、万が一の時に龍園を道連れにできるように、同じクラスのDクラスから責任者は出さない方がいい。まあそういうわけだ」

 

「少し待ってください」

 

 そこで、すでにグループ結成を済ませ、一歩引き下がっていたAクラスの的場が話に割り込んできた。

 

「我々Aクラスは、確かに余った6人は好きに配置して構わないという条件を出しましたが、それはあくまでグループの話。むやみにグループの責任者を押し付けられるようなことは許容していませんよ」

 

「……」

 

 ……話が進む前に止めに入ったか。

 まあ当然そうするだろう。

 

「……ってことは、俺が好きにメンバーを選ぶことは許容してる、と捉えても構わないか?」

 

「それなら事前に出していた条件とも矛盾していませんし、ご自由にどうぞ」

 

 とのことだった。

 それを受け、俺はやり取りの相手を神崎へ切り替える。

 

「神崎。……たぶんお前なら分かってるとは思うけど、俺はメンバーを好きに選べる権利を使ってできる限り優秀な生徒を集めようと思ってる。最下位を避けて退学者を出さないためだ。ただ自分で言っといてなんだが、俺は他クラスの事情には疎いからな。責任者の条件を取り下げる代わりに、Bクラスから4人、このグループに推薦してもらいたい」

 

 神崎は責任者の条件がついていることで頭を悩ませていた。

 それを取り下げるのだ。妥協点としてはいい具合のところだろう。

 

「……4人か」

 

「ああ。できるだけ上位クラスの生徒の数が欲しいからな。その分だけ退学のリスクも減るだろ」

 

 どんな試験か具体的に分かっていない以上、実力主義の学校で測られた「クラス」という尺度は非常に有用だ。

 DクラスよりCクラス、CクラスよりBクラスだ。もちろんAクラスが1番いいが、Aクラスを大人数入れようとすると残りのグループに配置するAクラス人員が足りなくなる。

 

「……クラスで話し合う時間をくれ」

 

「ああ。分かった」

 

 そうして、神崎たちBクラスは独自の話し合いを始める。

 俺はその間に、平田のもとに歩み寄った。

 平田の周りにいたクラスメイトたちは、突然大胆な行動に出た俺に好奇の視線を向けてくるが、気にせず平田に話しかける。

 

「勝手に話進めて悪かった」

 

「……正直、驚いてるよ。君がこんな矢面に立つような行動をするなんて」

 

「このままじゃ、龍園押し付け合ってタイムオーバーなんてこともあり得そうだったからな……」

 

 龍園に関して、先が見えなかったのは平田も実感していたところだろう。

 

「……君が大丈夫だと思うなら、僕は信じるよ。どうやって責任者が決まるかは分からないけど、もし君がなったら、その時は僕もできる限りサポートする」

 

「ああ、頼む」

 

 できるだけ責任者になることは避けたいが……まあ、こればかりは運だな。

 平田から離れ、元いた場所に戻ってきたのとほぼ時を同じくして、神崎たちBクラスも話し合いを終えたらしくこちらに語りかける。

 

「話はまとまった。4人だったな」

 

「ああ」

 

「4人いれば、龍園がいても協力して乗り切れるだろうという結論になった」

 

「……そうか。助かる」

 

 Aクラスの包囲網を作るという方針になった以上、Bクラスの生徒も必ず一人以上は龍園と同じグループにならなければならない。

 取れる選択肢は2つだ。入れる人数を最小限に抑えて危険にさらされる人数を減らすか、人数を増やして危険度そのものを抑えにかかるか。

 一之瀬が仕切るBクラスの風土なら、前者のように1人を見捨てるような結論は出さないだろうと踏んでいた。

 

「神崎。もう一つ頼みがある」

 

「なんだ」

 

「いま残ってるAクラスの6人、取るとしたら候補は誰がいるか教えてくれ。3人くらいには絞りたいんだが」

 

 Bクラスは俺たちCクラスとは違い、他クラスの情報のサーチまで行っていたようだし、そうじゃなくても俺よりは詳しいだろう。

 

「3人に絞るなら……あの中なら橋本、森重、島崎だ。森重と島崎は学力が高い。橋本は総合的に優秀だが、とぼけたふりして油断ならない人物だ。坂柳にも認められている」

 

「なるほど……分かった」

 

 神崎からの説明を受け、3人を見定めるような視線を送るが……これに大した意味はない。

 すでに誰を取るかは決まっている。

 

「森重」

 

 俺に名前を呼ばれた森重は、一瞬だけ表情を歪めた。

 しかし周りに気付かれないようにすぐに元に戻り、俺に向き合う。

 

「このグループに入ってもらう」

 

 取引がある以上、森重はこれを拒むことはできない。

 

「……分かった」

 

 1年男子は80人。15人グループ4つに10人グループ2つ。

 俺と龍園を含む10人グループは7人までメンバーが固まり、定員まで残り3人となった。

 ネックだった龍園への対処が完了すると、そこからの動きは割とスムーズだった。

 俺のグループの残り3人はすんなりと決定。

 あとは余った人員でもう一つの10人グループを組み、これで小グループ6組が全て結成された。

 ひとまず、グループが組めずに退学になる、なんて間抜けな事態は避けることができた。

 




1年生男子小グループ
1.Aクラス14人(葛城、的場ほか)、Cクラス1人(山内)
2.Aクラス1人、Bクラス12人(神崎、柴田ほか)、Cクラス1人、Dクラス1人
3.Aクラス1人、Bクラス1人、Cクラス12人(平田、須藤ほか)、Dクラス1人
4.Aクラス1人、Bクラス1人、Cクラス1人、Dクラス12人(金田ほか)
5.Aクラス2人(戸塚、橋本)、Bクラス2人、Cクラス3人(綾小路、高円寺、幸村)、Dクラス3人(アルベルト、石崎ほか)
6.Aクラス1人(森重)、Bクラス4人(墨田ほか)、Cクラス2人(速野★、三宅)、Dクラス3人


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上級生

 さて、紆余曲折ありつつもまとまった小グループの話し合い。

 龍園を引き受けることになった俺たちだが、決めなければならないことが一つある。

 グループの責任者だ。

 当初俺が龍園を引き受ける条件として出していた「責任者はAクラスかBクラスの生徒が務める」という決まりは、話し合いの過程で取り消した。

 責任者についてはゼロベースに戻ったわけだ。

 

「……どうする、責任者」

 

 俺は隣に立っている明人だけに聞こえるような声量で呟いた。

 

「……さすがにここでやりたがるヤツはいないよな」

 

 Bクラスを4名入れたはいいが、それでも龍園がいる以上何が起こるかは分からない。

 そのため俺たちのグループは報酬を得る期待は大して高くない。

 つまり責任者になってもうまみがないわけだ。

 そんなものをやりたがる方が変だ。

 

「よし……じゃんけんだな」

 

「「「え?」」」

 

 全員が一斉に俺の方を振り向いた。

 もちろん龍園は除いて、だが。

 

「な、なんでじゃんけんなんて……」

 

「誰もやりたがらないならそうするしかないんじゃないか? 何かいい案があるなら聞くが」

 

「いや……」

 

 そういった案があるわけじゃないのか、言葉に詰まる。

 同じだ。龍園の時と同じ。

 結局、何かを押し付け合う膠着状態から脱却するには、誰かがそれを引き受けるか、その何かを全員で上に放り投げて、運悪く一番近くに落ちた者が請け負うしかない。

 前者が龍園の時の対応、そして後者が責任者をじゃんけんで決めようとするこの対応だ。

 

「お前がやるんじゃだめなのかよ」

 

 Dクラスの生徒の一人、小田がそう言って俺を見る。

 

「じゃんけんの結果でそうなったなら引き受けるが……それ以外で受ける理由はどこにもない」

 

「いや、でも……このグループは半分以上お前の意見で出来上がったようなもんだぞ?」

 

「確かにそれはそうだが、俺は龍園と同じグループになると言っただけで、責任者まで引き受けるとは言ってない。それとこれとは話が違う」

 

「いや、自分で集めたグループなのに責任者は他のヤツになんて、無責任だろうが」

 

「他のヤツに、なんて言ってない。じゃんけんで平等にリスクを背負うんだよ。俺も含めて」

 

「ちょっと待ってくれ」

 

 そんな中、ひと際大きい声がグループ内に響く。

 俺たちの醜い押し付け合いに待ったをかけたのは、明人だった。

 

「俺がリーダーになってもいい」

 

「え……」

 

 思ってもみない申し出だっただろう。全員驚き、明人に注目が集まる。

 

「どういうことだよ。速野みたいにまた交渉でもするつもりか? 最近Cクラスに上がったからってずいぶん強気だなお前ら」

 

 逆にDクラスに落ちてしまった小田が吐き捨てるようにそう言った。

 

「別にそんなつもりはない。単純に倍の報酬を取りたいだけだ」

 

「報酬って……それには3位以上に入らないだめだろ」

 

「3位以上だって不可能じゃないと思ってるぜ。たとえ龍園がいてもだ。だから責任者を引き受けるんだよ。何か問題あるか?」

 

 問題ない、だろうな。

 じゃんけんという運試しの手法しか提案がない現状、誰かが引き受けてくれるならそれに乗りたいはずだ。

 

「……やるってんなら別に止めはしねーよ。退学になっても知らないからな」

 

「なら最下位になった時に俺に道連れにされないようにちゃんとやれよ」

 

「っ……わかったよ」

 

 これで話し合いはひとまず終わり。

 大荒れの様相を呈していたこのグループのリーダー決めは、結果だけを見れば明人のおかげで案外スムーズに終結した。

 これで今やるべき小グループ決めは完了し、解散して自由時間、という流れ。

 しかし、誰も体育館から出ようとしない。

 理由は恐らく、上級生がまだこの場に留まっているからだ。

 様子からして2年生も3年生もグループ決めの話し合いは終わっているのに、いまだに体育館に残っている。そんな中で同じ状況の1年生が勝手に体育館を後にすることはできない。

 かといって何かやることがあるわけでもない。

 手持ち無沙汰になっていたところで、南雲会長が1年生のところに近づいてきた。

 

「全グループ結成し終えたようだな。中々スムーズだった。そこで提案だが、今すぐに大グループを作らないか?」

 

「え、でもそれは今日の夜から決めることでは……」

 

 南雲の目の前にいた的場が、1年生を代表する形で応対する。

 

「それは小グループ決めにもっと時間がかかると考えていた学校側の配慮だ。今から自由時間といっても何かやることがあるわけでもない。なら、今から大グループまで作った方が時間の有効活用になるだろ?」

 

「それは、確かに……」

 

「堀北先輩も、それで構いませんよね?」

 

「ああ。その方が都合がいい」

 

「決まりっすね」

 

 そんなやり取りで急遽大グループの結成が始まる。

 学校側としては想定外だったらしく、生徒たちのやり取りを聞いて少し焦り交じりに準備をし始めた。

 本来学校側に振り回されるだけの生徒が、逆に学校を振り回してるな。これが強い権力を持つ新旧生徒会長のコンビか。

 

「決め方は……1年生にドラフト形式で上級生12グループの中から決めてもらいましょうか」

 

「待て南雲。1年生の持つ情報量は少ない。公平な決め方ができるとは思えん」

 

「それは2、3年生だって同じっすよ。どうしたって情報量に差は出る。大きな問題じゃありません」

 

「だが」

 

「どうだ1年、この決め方に異論はあるか?」

 

 堀北先輩の反論を遮るように、1年生に確認を取る南雲。

 

「いえ……僕らはそれで問題ありません」

 

 当然、反論などできるはずがない。間違いなくそれを見越したうえでのものだろうけど。

 

「よし。なら代表者同士でじゃんけんでも何でもして、指名する順番を決めろ」

 

「分かりました」

 

 南雲会長は便宜上代表者と言ったが、実際にじゃんけんに出るのは責任者だ。

 葛城、神崎、平田、金田、明人、そして少し遅れて前に出てきた啓誠がじゃんけんを行う。

 残念ながら明人はじゃんけんに負け、俺たちは最後の指名順となってしまった。

 

「悪い……」

 

「しゃーないって。こればっかりは運だし」

 

 少し沈んだ様子で戻ってきた明人を、Bクラスの墨田が励ました。

 こいつの言う通り、運なのでそれを責めることはない。それは先ほど少し言い争いのようなことをした小田も同じだ。もちろん、龍園のリスクを低減するために少しでも指名順を上げたかった、というのが本音だが。

 

「それより明人、どのグループがいいかとかって分かるか」

 

 しかし、ここからは運だけでなく情報戦の面も出てくる。そこである程度挽回することも可能だ。

 明人は弓道部のはず。俺よりは詳しいだろう。

 

「そうだな……やっぱ目玉は堀北先輩のいるグループだな。堀北先輩もそうだが他のメンバーも手堅い感じだ。逆に南雲会長のグループは案外微妙だ。会長以外のメンバーはぱっとしない」

 

「そうなのか……」

 

「郷田先輩のグループには目立った人はいないけど、結構いい感じだと思うぜ」

 

 墨田も明人にアドバイスを送る。

 

「そうだな。もし余ってたら指名するか」

 

 しかし、そんな明人たちの目論見はあえなく崩れ去る。

 郷田先輩のグループは、3番目の金田が指名してしまった。

 

「……まあ、仕方ないな」

 

 結局2つとも満足のいくグループを選ぶことはできなかったが、明人たち部活に入っているメンバー曰く、そんなに絶望するような組み合わせでもないという。

 ただ、考えてみれば当然のことかもしれない。上級生がそんなアンバランスなグループ作りはしないだろう。

 

「さて堀北先輩。こうして別々の大グループになったことですし、1つ勝負しませんか」

 

 南雲会長が突然そんなことを言い出した。

 それに対し、3年生の一部からは呆れたようなため息が漏れる。

 

「おい南雲。いい加減にしろ」

 

 体育祭の時に紅組の指揮を執っていた3年生の藤巻先輩が南雲会長の前に出た。

 

「いい加減に、ってどういう意味ですか?」

 

「こうしてお前が堀北に勝負を挑むのは何度目だ? 今までは特に口をはさんでこなかったが、今回は1年生も加わった大掛かりな試験だ。私物化されるのを見過ごすわけにはいかない」

 

「試験を私物化できるのも実力のうち、って考え方はできませんか?」

 

 私物化することを否定するでもなく、挑発的な口調でそう言った。

 

「ふざけるな南雲。そんな勝負を堀北が受けるわけがないだろう」

 

「そりゃ本人に聞かなきゃ分からないことじゃないですかね? 一応Aクラスのナンバー2とはいえ、藤巻先輩が勝手に決めることじゃないでしょう」

 

「南雲、お前……」

 

 体躯の大きい藤巻先輩にも怯むことなく、それどころか見下すような態度を取る南雲会長。そんな態度に我慢ならなかったのか、3年生から数人の生徒が出てこようとした。

 しかし、それを堀北先輩が制する。

 それを見た南雲会長は嬉しそうに口角を上げた。

 

「どうなんスか堀北先輩。ま、売り言葉に買い言葉であんなことは言いましたけど、勘違いしてほしくないのは、俺はただ堀北先輩と個人的な勝負をしたいだけなんスよ。別に私物化するつもりなんてありません」

 

「だから、それこそが私物化だと言っている」

 

「俺はそうは思いませんけどね。先輩たちの中にも、個人的にテストの点数で勝負したことのある人はいるんじゃないスか? 俺が望んでるのはそれと同じです。まさか藤巻先輩はテストの点数で勝負することも認めないつもりッスかね?」

 

「っ……」

 

 これは、南雲会長が一本とった形だな。

 テストの点数勝負と同じ、個人的な勝負だというなら、当事者である堀北先輩と南雲会長以外が口を挟めることじゃない。

 ここで、初めて堀北先輩が一歩前に出て、口を開いた。

 

「何をもって勝負とする?」

 

 その瞬間、3年生……恐らくはAクラスだろう。その生徒たちがざわつく。

 

「やっと出てきてくれましたね。まそうッスね……ここは、どちらがより多くの生徒を退学にさせられるか、なんてどうです?」

 

 その瞬間、1年生と3年生がどよめく。

 だが不思議なことに、2年生は驚いた様子を見せていない。

 

「冗談はやめろ南雲」

 

「はは、面白いと思うんですが流石にやめときましょうか。1年生もいることですし。まあシンプルに、どっちがより上の順位を取れるか、でいいんじゃないスかね」

 

 勝負の内容としては妥当なところだ。

 

「なるほど。それならばいいだろう」

 

「ありがとうございます。受けてくれると思ってましたよ」

 

「ただし、これはあくまで俺とお前の個人的な勝負だ。相手のグループを蹴落とすような真似はするな」

 

「そういったことも、上の順位を目指す手段の一つだと思うんですが?」

 

「この試験の趣旨を考えれば、他のグループを蹴落とすのではなく、自分のグループで結束して上位を目指すことがテーマだと分かるはずだ。他のグループの妨害をすること、他の生徒を利用してけしかけることも含めて、他の生徒を巻き込むことは認めない。もしそれが守れないというのなら、この勝負は無効だ。いいな」

 

 抜け目のない禁止事項だ。

 堀北先輩の暴力行為のシーンに関して対峙した時も、俺の思惑に先回りしてそれを封じる手を打ってきた。相変わらずというべきか。

 

「ま、勝負をしかけてるのは俺の方ですし、それくらいの条件は呑みましょう。あくまで正々堂々、グループでどれだけ結束して上位を目指せるか、という勝負ってことで」

 

 話はまとまったようで、南雲会長と堀北先輩はそれぞれのグループのもとへ戻っていく。

 この勝負に関しては、俺は考慮しなくてもよさそうだ。

 どっちも俺の大グループではないし、他のグループを巻き込まない条件を堀北先輩がつけた。南雲会長が何かちょっかいをかけるようなことがあれば堀北先輩が何かしらの形で動くだろう。

 

 

 

 

 

 1

 

 このまま解散かと思われた俺たちだが、同じ大グループに所属することとなった上級生たちに呼ばれ、一か所に集まっていた。

 

「お前たちが1年の小グループだな」

 

「はい」

 

 上級生グループの一人が前に出て、俺たちに声をかけた。

 責任者である明人が代表して対応している。

 

「俺は3年の進藤だ。小グループの責任者を務める。事前の説明ですでに把握しているとは思うが、小グループと比べれば大グループは緩やかなくくりだ。だが順位がこの大グループではじき出される以上、協力していける部分はしていくべきだ。何か気になったことがあれば、手遅れになる前に上級生に聞け」

 

「分かりました。お願いします」

 

「責任者はお前か?」

 

「そう、ですけど」

 

 明人にそう確認した後、進藤先輩はある人物のもとへ近づく。

 

「誰が責任者をやろうが、仕切るのはお前だろうと思っていたんだがな、龍園。クラスのリーダーを降りたという噂は本当か?」

 

「あ?」

 

 対峙する進藤先輩と龍園。

 龍園と同じDクラスの小田は少し居心地が悪そうだった。

 確か、石崎とアルベルトが中心となってクーデターを起こし、龍園をリーダーから引きずり下ろした、というシナリオだったな。もちろん真実は違うが、一部の人間を除けばそのシナリオが龍園失脚の理由だということになっている。もちろん、クラスメイトも含めてだ。

 仲間割れである以上、あまり触れられたい話題ではないだろう。

 

「お前のクラスの小競り合いがどうだったかは知らないが、グループの足を引っ張るような真似だけはするなよ」

 

「クク、わざわざその念押しに来たのかよ。ご苦労なことだなオイ」

 

 一線を退いても、この相手の神経を逆なでるような言い回しは健在らしい。

 

「お前……」

 

「グループの順位なんざ知ったこっちゃねえが、ポイントが奪われんのは御免だ。頼みてえのはこっちの方だぜ」

 

「こっ……」

 

 進藤先輩が何か返答する前に、龍園は踵を返してこれ以上のやり取りには応じない姿勢を見せた。

 十分に舐めた態度ではあるが……龍園にしては控えめ、という言い方もできる。本来のあいつなら、今のやり取りの間だけでももうニ、三言余計な嫌味や罵倒が入っていただろう。

 

「おい、龍園を引き受けることを決めたのは誰だ?」

 

 一方、残された進藤先輩はそんな問いを明人にぶつける。

 

「それは……」

 

「俺です」

 

 明人が俺を指し示す前に、自分から名乗り出た。

 

「お前は……速野か」

 

 もう名前を知られていることには驚かない。最近は知られていることはある程度想定して動くことにした。

 

「お前が責任をもって龍園を制御しろ。いいな」

 

「え……制御って言われても」

 

「制御できる自信があるからグループに引き入れたんだろう?」

 

「いや、別に自信があるってわけではないですが……」

 

 龍園を制御できる人間なんて一握りだろう。

 

「なんだと? ならなぜグループに引き入れた」

 

「交渉して、龍園を引き受ける代わりにできるだけ優秀な生徒を引き入れることでリスクを下げようとしたんです」

 

「……なるほどな。だが、自信があろうとなかろうと制御してもらわなければ困る。しっかりやれ」

 

 プレッシャーをかけるような口調でそう言う。

 2つ下の後輩相手ならこれで何とかなると思ってるんだろう。そしてそれは蓋然性の高い事実ではある。

 

「……やれるだけはやってみます」

 

「ああ。頼むぞ」

 

 俺の返事を聞いて、進藤先輩もそれ以上言ってくることはなかった。

 進藤先輩が俺から意識を外したのを確認して、俺は龍園のもとへ行き話しかけた。

 

「お前を制御しろだってさ」

 

「ハッ、同情してやるよ。だが俺を引き入れたてめえの自業自得だぜ」

 

 相変わらず、こちらを挑発するような物言い。

 不敵な笑いもそのままだ。

 リーダーを降りたいま、以前のような凄みは鳴りを潜めているが。

 

「ああ、全くその通りだよ」

 

 俺は変に言い返すようなことはせず、そう答えておいた。

 だが龍園。俺はお前が変な動きを見せるとはあまり考えていない。

 自覚してるかどうかは分からないが、お前にはまだ生きる意志がある。

 もしも自暴自棄になって暴れるなら、清隆にやられた時点で自主退学する手もあった。

 だがそうはしなかった。

 何よりお前の目がそう物語っている。

 つまり、自分からわざと退学になろうとしたりすることはない。

 今の龍園は、独裁を行っていた過去を持つだけの普通の生徒、と捉えるべきだろう。そう考えれば、下手な生徒よりも優秀だ。

 そのため俺は、多くの生徒が認識しているほど龍園のリスクを高く見積もっていない。だからこそ俺は龍園と同じグループになることを交渉材料に選んだんだ。

 

 

 

 

 

 2

 

 そこから大グループは一度解散になった。

 しかし夕食までは自由時間。まだ3時間ほど余裕がある。

 そこで2年生の飯島先輩からの提案で、大グループ内の希望者だけで親睦を深めることを兼ねて施設内を見て回ることになった。

 施設の探索は俺もやろうとしていたことなので、迷わずついて行くことにする。

 龍園と小田、それにもう一人のDクラスである船上試験で同じ組だった樫本、そしてAクラスの森重は参加しないようだった。

 

「君、三宅くんだったよね?」

 

 隣を歩く明人が飯島先輩に話しかけられる。

 

「ああ、はい」

 

「結構難しいグループみたいだけど、責任者として頑張ってね。手伝えることがあれば手伝うから」

 

「ありがとうございます」

 

 第一印象としては、朗らかな感じを受ける。

 もちろんそれが全てではないのだろうが、進藤先輩よりは気難しくなさそうだ。

 

「それから君が速野くんだろう? 成績とんでもないんだって?」

 

 明人の次は話の矛先を俺に向けてきた。

 

「まあ……唯一といっていい得意分野なんで」

 

「いやあ、得意なんてもんじゃないと思うけどね。単純な学力だけなら南雲ともいい勝負するんじゃないかって、うちのクラスでもたまに噂になるよ」

 

「……それはどうも」

 

 評価されているのは確かなんだろうが、それでも南雲会長を上回るとは微塵も思っていないようだ。

 もちろんあの人の学力を俺が分かっていない以上、勝てるなんてことは口が裂けても言えないが。

 

「もし最終テストに筆記試験の形式があったら、その時は頼りにしてるよ」

 

「頑張ります……」

 

 この受け答えで満足したのか、飯島先輩はまた別の1年生に話かけに行った。

 随分フランクな人だな。

 

「相談しやすそうでよかったな」

 

「まあな……。ただ、確か飯島先輩ってAクラスだよな?」

 

「ああ、初めの自己紹介のときにそう言ってたっけ」

 

 それにさっきの言い方からしてもそうであることは予測がつく。

 

「個人的な意見なんだが……南雲会長をあんまり支持できないんだよな。だからそのクラスメイトの飯島先輩も、いまいち信用しきれないってのが正直なとこだ」

 

 明人は声を潜め、俺以外には聞こえないようにそう言った。

 

「そうなのか」

 

「何か明確な根拠があるってわけじゃないんだが」

 

「まあ生理的に受け付けない種類の人間の一人や二人、いたって特段不思議なことじゃない。大して負い目に感じることもないと思うぞ」

 

 実際、今の2年生に忌避感を感じる生徒はいないわけじゃないと思う。

 3か月ほど前の全校集会。南雲会長の就任あいさつの時の2年生は、ある種狂信的とも感じられた面があったからな。

 ただ、それだけではない。

 あんな色んなものがない混ぜになった感情を向けられるようになるまでに、一体どんな行動をとってきたのか。

 

「お、ここが食堂か」

 

 グループのメンバーのその声で、俺の意識は再び施設内の探索に戻された。

 

「こっから先は、飯の時間以外は立ち入り禁止だったな」

 

「唯一の男女共用スペースだろ? そりゃ制限されるかあ」

 

 朝食や昼食はここではなく、本校舎分校舎それぞれにある外のスペースで食べるため、この食堂を使うのは夜だけ。それぞれ1時間ずつだ。女子と接触できるのはその時間だけ。

 一応スキーの時間も男女共通だが、それぞれエリア分けがされているため接触できるかといえば難しいだろうな。

 食堂は、本校舎と分校舎を繋ぐ連絡口でもある。俺たちが今いる場所の真向かいには、分校舎への入り口がある。といっても、その距離はかなり離れているが。

 

「……」

 

 ……なるほど。食堂の構造は大体わかった。

 

「さて、これ以上ここにいても何もできないし、引き返すか」

 

「だな」

 

 先輩たちの声に従い、俺を含めた他のメンバーもその場を離れる。

 本校舎内は一通り見て回ったため、これ以上行くところはない。メンバーそれぞれの部屋に戻るべく廊下を歩いている。

 しかし、俺はその途中で集団から外れた。

 

「おい、どっか行くのか?」

 

 俺の離脱に気づいた明人が声をかけてくる。

 

「もう一周してみようと思ってな。夕飯までには戻ってくるから大丈夫だ」

 

「そうか。気をつけろよ」

 

「ああ」

 

 返事を確認して、明人と別れる。

 一人になった俺は、また別の道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 3

 

「戻ったか知幸」

 

 施設内の探索を終え、一人で小グループの部屋に戻ってきた俺を出迎えた第一声は明人からのものだった。

 俺がこの小グループの共同部屋に入るのは初めてなので、戻った、が正確な表現かどうかは怪しいが。

 

「ああ」

 

 ここに来るまでにいくつか小グループの共同部屋を通り過ぎたが、ところどころ談笑する声が漏れ出ているところがあった。

 比較的まとまりのあるグループなのだろう。試験の遂行もスムーズに行きそうだ。

 では、このグループがどうだったかというと……まあ、いまのこの沈黙を見れば明らかだな。

 若干ではあるが、明人も困り顔だ。

 ただ申し訳ないが、こういった場面で俺にできることはない。

 自分のことをさせてもらう。

 部屋を俯瞰してみると、そこそこの広さがあることが分かる。ただしその敷地面積のほとんどは5個ある2段ベッドに占められていた。

 そしてそれぞれのベッドにはすでに荷物が置かれている。荷物には名前が書かれているため、誰がどのベッドを使うかの目印としても機能していた。

 

「空いてるベッドどこだ?」

 

 一見しただけではどこが未使用か分からなかったのでそう質問する。

 

「ここが空いてるぞ」

 

 俺に答えるようにして小田が指し示したベッドは、最も窓に近いベッドの一段目。

 部屋で一番冷気を受ける場所だ。

 

「……オッケー」

 

 しかし、そこは施設探索を優先してベッドの場所を決めるやりとりの場にいなかった俺の責任だ。

 文句は言わず、大人しくその場所を引き受けた。

 のだが。

 

「……」

 

 果たして、これは悪運と言うべきか。少なくとも幸運ではないことは確かだが。

 俺のすぐ隣のベッドの1段目。つまり最も近い距離のベッドには、龍園が目をつぶりながら寝転んでいたのだ。

 少し尋ねたいこともあったんだが……まあ後ででいいか。

 龍園の上のベッドにはAクラスの森重が寝転んでいた。それを確認してから俺は自分の使うベッドに荷物を下ろした。

 そこから俺たちのグループには一切の会話が生まれないまま、夕食までの自由時間を過ごした。



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龍園のいるグループ

 部屋のスピーカーから流れる音楽で目が覚めた。

 時刻は6時。起床時間だ。

 周りからガサゴソと音が聞こえてくる。みんなも起床し始めているらしい。

 目覚めは決して悪いものではなかった。というのも、夕食、風呂を終えてからは全くやることがなかったのでとっとと就寝してしまったのだ。本来であれば午後8時から大グループの結成を行う場が設けられているはずだったが、それは南雲会長の提案で日中にすでに決めてしまったからな。

 俺が寝たのは夜9時前。その時はまだ電気は消えていなかったが、俺が眠りについてからそう長くないうちに消灯したはずだ。

 

「全員起きたか?」

 

 責任者である明人が声掛けを行う。全員ダルそうにしながらもそれに答えた。

 

「集合時間は6時半だからあと30分ない。それまでに準備して移動するぞ」

 

「ああ」

 

「分かった」

 

 それから全員ゆっくりと活動を始める。

 顔を洗ったり、着替えたり、トイレに行ったりなど様々。しかし共通しているのは、全員しっかりと準備に取り掛かってるということだ。

 

「……」

 

 このグループ……グループ仲は全くよくないが、まとまりがあるかという観点では意外とまともかもしれない。

 というかそもそも、龍園を除けば問題児と言われるような生徒はこのグループには属していない。

 その龍園さえ問題児っぷりを発揮しなければ、このグループはある程度の水準には達しているといえるだろう。

 明人も慣れないながら責任者としての役割を果たしているし、その明人の指示に反抗するような生徒もいない。龍園もちゃんと動いている。

 むしろ、石崎や話の通じない高円寺のいる清隆、啓誠のグループの方がよっぽど危ないかもしれない。

 まあでもあそこは南雲会長の大グループだし、なんだかんだで最下位は回避してきそうだ。一応、堀北先輩との勝負のこともあるしな。

 

 

 

 

 

 1

 

 混合合宿の1日は、施設内の清掃から始まる。

 大グループごとに割り当てられた区域を、時間内にしっかりと清掃する。もちろん、終了時には担当の教師からのチェックが入る。

 この寒い中で雑巾がけなんて御免だと思っていたが、使うのは雑巾ではなくモップだったので、その点は助かった。

 余談だが、ほうきを使っている龍園の姿はかなりシュールだったことをここに記しておく。

 そして一通り清掃を終えた俺たちは、次に大きな和室に案内された。

 いや……和室というより道場と表現した方が正確かもしれない。柔道で使用されるような畳が一面に敷き詰められている。何畳分か数える気も失せるくらいには広い。

 担当の教師からの指示があるまで待機している中、俺たちとは別のもう一つの大グループがこの道場に姿を現した。

 俺の見知った顔が多い。Cクラスの生徒が多く属する、平田たちのグループだ。

 これで延べ80人ほどがこの道場に集まっていることになるわけだが、まったく問題なく収容できている。むしろまだ余裕があるほどだ。

 平田たちの大グループ全員が入場し終え、担当の教師が声を発する。

 

「全員集まったな。今日から朝と夕方、お前たちにはこの座禅堂で座禅をやってもらう」

 

「座禅……」

 

 それで場が少しだけざわつく。

 この座禅はバスの中で事前に見せられた合宿の資料には書かれていなかったからだろう。

 つまり、いよいよ本格的に混合合宿のカリキュラムが始まったということだ。

 

「座禅は瞑想の一種だ。頭を真っ白にして行うものだと思われがちだが、そうではない。目を閉じ、イメージをすることだ」

 

 座禅は、メンタルトレーニングやイメージトレーニングの一種としてアスリートの世界でも取り入れられている手法だ。確かに、頭を真っ白にしてたらイメージなんてできないな。

 そして1グループ4列ずつで並ぶように指示が出される。

 たまたま前の方にいた俺は、このグループの先頭の右の角に並んだ。

 この列は座禅堂の中央に位置する。平田たちのグループと隣り合う列だ。

 誰が隣に来るかと思っていたところ、まさにその平田がその位置に並んだ。

 

「おはよう速野くん」

 

「ああ、おはよう」

 

 互いに挨拶を交わしたが、やり取りはそれだけ。下手に話し込むと、私語をしたとして減点される恐れもあるからな。

 そこから3分ほどが経ち、最後尾まで並び終えたのを確認してから担当の教師が再び口を開く。

 

「これまで座禅を経験したことがない者も少なからずいるだろう。はじめにその体勢から説明する。まずは手本として私がやってみる。見ておくように」

 

 そう言うと、担当の教師は胡坐をかいて座った後、両方の足先をその逆のひざに乗せた。

 これはよく仏像が取っている体勢だ。

 

「これは結跏趺坐と呼ばれる座り方だ。このようにやってみろ。まずは見よう見まねで構わない。分からない者は手を上げろ」

 

 理解すること自体は大して難しくない座り方だ。テレビや雑誌なんかで目にしたこともあるだろう。

 しかし、実際にやるとなると話は別だ。

 

「あでででで……」

 

 各所から苦悶の声が聞こえてくる。

 俺自身もその発生源の一つだ。

 片方のひざに乗せるだけなら容易いが、もう片方が乗せられない。無理やり乗せようとすると足が痛む。

 やる前から分かってはいたことだが、俺はこの座り方ができない。

 

「大丈夫?」

 

 隣で涼しい顔をして結跏趺坐を組む平田が心配そうに声をかけてくる。

 

「できない者は、まずは片方だけ乗せる半跏趺坐でも構わない。ただしこの結跏趺坐は最終テストの成績にも影響するので、注意するように」

 

 担当教師からの注意で、結跏趺坐ができない組からはため息が漏れる。

 

「……大丈夫じゃなさそうだ」

 

 残念ながら、俺がこの結跏趺坐をマスターできる未来が全く見えない。

 半跏趺坐の姿勢を保ち、俺は初回の座禅を終えた。

 

 

 

 

 

 2

 

 時刻は7時を過ぎたころ。

 朝食の時間だ。

 小グループごとに座禅堂から移動し、外に設けられた朝食スペースに到着する。

 どうやら朝食は大グループごとに摂るルールらしい。全員が到着しないと食べられないようで、すでに食事を始めているグループもあれば、到着したのに待機を強いられているグループもあった。

 俺の属する大グループは俺たち1年生の小グループの到着が最後だったようで、先輩たちはようやく食べられると安堵した様子だった。

 俺たちの大グループが全員揃ったことを確認し、案内役と思われる教師が口を開く。

 

「お前たちのグループの分はあそこに用意されている。また事前に説明されているとは思うが、明日以降天候が許す限りは朝食は事前に自分たちで作ってもらうことになる」

 

 そんな指示とともに、朝食に関する詳しい内容が書かれた小冊子が、各小グループの責任者に手渡された。

 

「そういやそうだった……マジ最悪だ」

 

 メンバーの一人が苦々しくそう呟く。

 これまで自炊の経験がない生徒にとっては苦行以外の何物でもないな。

 しかし学校側もそういったことにも気をまわしているようで、その日の献立の詳しい作り方を配布するそうだ。

 まあこれは配慮というより、自炊に慣れていないから参加したくないという言い訳を封じるためだと思うが。

 

「作るのは小グループ単位でやるとして、ローテーションはどうしますか? 進藤先輩」

 

 2年の責任者である飯島先輩が、同じく3年の責任者である進藤先輩に質問する。

 明人もその話し合いの輪に加わっているが、発言力は皆無に等しいため黙って話を聞いているだけのようだ。

 

「明日を含めて作る機会は6回。各学年2回ずつでいいだろう。1年もそれで構わないな?」

 

「はい」

 

「では、1年、2年、3年の順番にしよう。分かりやすくていいだろう」

 

「それで構いませんよ」

 

「分かりました」

 

 と、簡単なやり取りではあったが朝食づくりの順番は決定した。

 俺たち1年生の当番が最初の2日になったのは、どちらかといえばラッキーと捉えるべきだろう。

 日を追うごとに疲労は蓄積されていくため、日数が後になるほど朝食づくりの負担は大きくなる。

 目の前の朝食に早くありつくために、話し合いを終わらせようと急いだのか。あるいは最初に作るのは何となく面倒くさそうだから後回しにしようと思ったのか。進藤先輩の考えがいかなるものであるにせよ、結果としては好位置が転がり込んできたな。

 今の話し合いを受けて龍園がどんな様子かを見てみたが、まったく興味がなさそうな態度で、前方に広がる木々に目を向けていた。

 

 

 

 

 

 3

 

 午前中は座学。

 指定の教室で、大グループ単位で受けることになる。

 大グループは比較的緩やかな括り、というのが事前に受けていた説明だったが、大グループで過ごす時間も意外と短くない。少なくとも午前中はほとんど一緒だ。

 そしてその時間に一番気を遣って振舞う必要があるのは当然俺たち1年生だ。

 社会全体を見れば年の差の1つや2つなんて微々たる差だが、学校という狭いコミュニティの中ではそれだけで上下関係が決まってしまう。

 上級生がそばにいるという事実だけで、息が詰まるような感覚を覚える。

 もちろん、それも龍園を除いて、ではあるが。

 ちなみに俺たちは筆記用具とノートに関しては持参することを指示されていないため、学校側から提供があるようだ。

 しかし全体を見てみると、学年が上がるごとに筆記用具とノートを自前で用意している生徒の割合が多くなっている。

 これまでの経験から必要になることを予見していたのかもしれない。

 1年生の中で自前で用意していた準備のいい生徒は、Bクラスの2人だけだった。

 座る席は自由にして構わないというのが学校側の指示だったが、俺たち1年生は遠慮し、2、3年生が着席するのを待ってから空いている席に座った。

 そして例によって俺は無言の圧力で龍園の隣に配置されてしまった。

 明人は「悪いが頼む」って感じでアイコンタクトを送ってきたが。

 龍園が座ったのは教室の一番後ろの席だ。俺もその位置に腰かける。

 

「お前、グループ単位の行動の時いつも一番後ろにいるな」

 

 今この瞬間もそうだし、移動の時もそうだ。

 

「悪いかよ」

 

 仏頂面で短く答える龍園。

 

「いや、ただ言ってみただけだよ」

 

 分かってはいたことだが、常に人の前に、そして上に立とうとしていた以前までのこいつとはえらい違いだ。

 ただただだるい。面倒くさい。

 そう思っていそうだ。

 

 

 

 

 

 4

 

 昼食後は、いよいよ待望のスキーの時間である。

 準備体操とスキー道具の準備は事前に終わらせておくように指示があった。

 男子用のスキー板やストック、ブーツ、その他諸々の道具は全て1号館と呼ばれる巨大な倉庫に備えられており、授業前にこれらを準備しておく必要がある。

 それらを全て持って移動となると、かなり重量がかさむ。地面が雪だということもあって通常より歩きにくいのも難点だ。

 

「俺スキーなんてやったことねえんだけど」

 

「俺もだよ。でもポイントに影響するんだろ?」

 

 移動中、そんな会話が耳に入ってくる。

 当然多くの者はスキー初心者だ。学校側もそれは分かった上でやっているはず。

 しかし中にはスキー上級者もいるかもしれない。

 では、このスキー演習は本当に単にスキーが上手い人が無双するというだけのものなのか。

 それはそれで単純で分かりやすい。だがそれならわざわざ報酬内容を生徒に隠す理由がない。

 俺は報酬内容に何かしらのひねりがあると思っている。ほとんどの生徒が初心者の中で、運良く経験者がいるグループ、クラスが得をするような運任せのルール作りをこの学校がするとは思えない。

 もちろん、ただの考えすぎという可能性もあるが。

 スキー場に着くと、責任者を先頭として小グループごとに一列に並ぶよう指示が出される。

 明人とは昼食の時から別行動をしており、その姿を見つけるのに時間がかかる。そのため俺は列の最後尾に並ぶことになった。

 ただまあ、恐らく早めに並んでいたとしても龍園が最後尾に並んでいる限り俺はここに並ぶことになっていただろう。

 周囲を見てみると、全体的に高揚感というか、明るい雰囲気を感じ取ることができる。未経験の競技や明かされていない報酬内容などの不安要素はるものの、日程の説明を受けたときから混合合宿では1番楽しみなイベントだったんだろう。

 

「ただ、やっぱウェア着てても寒いな……」

 

 上下ジャージに比べれば厚着のため、施設に到着した時よりはまだマシだが、それでも寒いことに変わりはない。

 そのまま数分が経過した頃。

 

「よし。全グループの集合が確認されたので、これよりスキー演習を始める」

 

 教師の1人が拡声器を使用してアナウンスした。

 

「まずはじめに、講師を務めていただく方々を紹介する。全部で21人。全員日本で有力な、尊敬すべきスキープレイヤーだ。まずはじめに……」

 

 と、21人の講師の紹介が始まった。女性も数人いる。

 道具から察するに、俺たちがやる種目はクロスカントリースキー。残念ながら日本ではメディアに取り上げられるほどの注目スポーツではなく、したがってその選手の認知度も低い。講師を知ってる人はほとんどいないだろう。

 教師が名前を紹介して、講師の人が一礼し、生徒が拍手する、というのを21回繰り返し、およそ5分ほどで講師紹介は終わった。

 そこから拡声器が講師に手渡される。

 

「高度育成高等学校の皆さん、こんにちは。武藤です。皆さんはこれから数日の間、スキー演習をやるということですが、おそらくスキーやったことないよ、って人がほとんどだと思います。ですが安心してください。スキーは危険も多い競技ですが、非常に楽しいスポーツです。楽しみながらスキーに打ち込めば、必ず滑ることができるようになるでしょうし、私たちが全力でサポートしてそうさせてみせます。ではこれから数日の間、よろしくお願いします」

 

 非常に頼もしく力強い挨拶だった。

 やはりプロ。一目見ただけでも持っている雰囲気が全く違うのが分かる。

 拍手がおさまると、教師の指示に従って小グループごとに別れる。講師は小グループ1つにつき1人。残り3人の講師にはまた別の役割があるらしい。

 

「じゃあみんな、並ばなくていいから適当に集まってくれ」

 

 講師がそうアナウンスすると、散り散りだった大グループメンバーが講師の周りに集まってくる。

 

「全員集まったかな。さっき自己紹介したけど、35人もいたら覚えてないでしょ? なので改めて。僕は尾形です。よろしく」

 

「西原です。よろしく」

 

 しゃべる担当は尾形って人らしい。

 

「じゃあ、準備体操はみんな済ませてるって先生に聞いてるから、もう早速始めようか。まずはブーツをスキー版に固定しよう」

 

 生徒全員スキーブーツをすでに履いており、板に固定すればすぐにでも滑れる状態だ。

 ブーツを板に固定する。字面は簡単そうだが、初心者にとってはこれが結構面倒な作業なのだ。

 まずはブーツの裏の雪を落としきる。次いで板のレバーを上げ、留め金を外す。そこにできた窪みに、ブーツにある出っ張りをはめ、カチッと鳴るまでつま先を固定したまま踵を上げる。これで片足の固定完了。

 この作業を全員行い、ひとまず全員ブーツを板に固定することができた。

 

「よし、全員できたね。この合宿でみんなに習得してもらうのは、スキーの中でも『クロスカントリースキー』という種目だ。名前は聞いたことあるんじゃないかな。このストックを使って雪をこいで進み、タイムを競う。みんなにはこれを小グループごとにリレー形式でやってもらう」

 

 クロスカントリーのリレーか。まあ資料に載っていた道具やバス内での先生の言葉から予想していたいくつかのパターンの一つではあった。

 

「あの、小グループごとに人数が違うんですが、どうやってリレーのタイム計測を行うんでしょうか……?」

 

 全員気になっていたであろうことに関して質問がある。

 

「1年生は最大15人、2、3年生は最大14人の小グループを作っているんだったね。リレーの人数はグループの最大人数に合わせることになっている。例えば1年生で10人の小グループは、2回滑る必要のある生徒が5人になる。分かったかな?」

 

「ありがとうございます」

 

 グループ内で比較的速い5人を2回滑らせることができる好機と捉えるか、2回滑らないといけない体力面での心配をするべきか……。単に人数が少ないことが不利になるというわけでもなさそうだ。

 

「リレーで一人が滑る距離は約800メートル。それからもしも滑ることができない、危ないと判断された場合、その人の分は10分と計算してタイムを出すことになってるから、みんな頑張ってくれ」

 

 800メートルで10分か。スキー初心者が一週間足らずでどれくらいのタイムで滑れるようになるのかはわからないが、10分もあれば滑れる人との差別化はできているだろう。

 と、そんなことを考えていたとき。

 少しバランスを崩して倒れそうになってしまった。

 

「おっと……」

 

 とっさにストックをついて転倒を防ぐ。

 その光景を目にした尾形さんが、俺だけでなく全員に聞こえるように言う。

 

「おっと、大丈夫? 立ってるときに板を平行にしちゃうとバランスがとりずらいから、非平行にしたほうがいいよ。この板を非平行にするのはスキーの基本だから、よく覚えておいてね」

 

 非平行か。

 さっそく言われたとおりにやってみると、確かに足場がかなり安定した。さっきはスキー板を平行にしたまま立っていたが、こうすると確かにバランスがとりやすい。

 

「じゃあ、まずは軽く歩いてみよう。歩く時もさっき言ったように板を非平行にすることが重要で……」

 

 ここから、本格的にスキーの練習が始まった。

 

 

 

 

 

 5

 

 俺が想像してたより、みんな結構スキーが上手かった。

 指導開始から2時間半ほどを経て、小グループ10人のうち、いまだにある程度の滑りを習得できていないのは俺とDクラスの小田の2人だけ。残りはみんな800メートルは遅くても7、8分で滑れるだろうというレベルにまで達していた。

 滑ることができないと判定された俺たちは、ほかの8人とは別の場所に行くよう指示された。

 龍園の目付け役のような役割を負っている俺だが、龍園は滑れる組、俺は滑れない組なので強制的に分かれることになる。

 怪我の功名と言うべきか。

 

「……人が集まってるな。あそこか」

 

「多分そうだ」

 

 小田とともに歩いてそこに向かうと、目測60人ほどの生徒が集まっていた。

 男女比は女子が若干多いくらいか。おそらく全員俺たちと同様に滑れないと判断された生徒たちだろう。

 とりあえず俺たちも集まっている輪の中に加わる。

 

「左から1年生、2年生、3年生と順に並ぶように」

 

 教師からの指示が入る。

 その通りに一番左に行くと、同学年の見知った顔がちらほら見える。その中にはさく……愛理の姿もあった。

 愛理のほかにCクラスは……博士、山内、井の頭、松下。松下以外の4人はお世辞にも運動神経があまりいいとは言えないため予想のついたメンバーだが、松下もか。正直意外だ。

 少しして愛理が俺の到着に気づいたらしく、こちらに駆け寄ってくる。

 

「と、知幸くんも滑れなかったの……?」

 

「ああ。恥ずかしながらそう判断されてしまってな」

 

「そんな、恥ずかしいなんてことないよ。私も滑れなかったから……」

 

「……まあそれはそうなんだが」

 

 言葉の綾というやつである。

 俺が来たあと、一年生の並ぶ場所には追加で5人ほどの生徒が集まった。

 教師たちは何かを話し合って確認した後、一年生全体に聞こえるようにアナウンスを始めた。

 

「全員集まったので、話をはじめさせてもらう。今ここにいる君たちは全員、講師からまだスキルが滑る段階にないと判断された者だ。これから君たちには3人の講師からスキーの基礎を徹底的に学んでもらう。技術が向上し、滑っても問題ないと講師に判断された場合、この『基礎コース』を離れ、小グループ単位での練習を行う『演習コース』へ参加くることになる。また、この『基礎コース』では一学年あたり1人の講師がつく」

 

 余った3人の講師の役割はこれだったようだ。

 

「現在、お前たち以外の演習コースにいるメンバーは、本番同様のリレー形式でタイム計測を行っている」

 

「えっ、初日にもタイム計測をするんですか?」

 

「そうだ。だが計測は初日に限らず毎日行い、その結果を公表する。結果に一喜一憂することは望ましくないが、このほうが君たちのモチベーションも上がるだろうとの考えのもとに行っている」

 

 確かに。学校では中間テストや期末テストの結果を張り出すことがあるが、これは生徒のモチベーション向上を目的としていることが多い。それと同じようなことだ。

 

「また、不参加の君たちの分は自動的に10分がタイムとして計上される。最終日まで滑ることができなければかなりのハンデを背負うことになるだろう」

 

 話によればスキーによる退学処分はないらしいが、その分クラスポイントやプライベートポイントのペナルティは大きいと予測しておくべきだろう。

 

「大丈夫かな……」

 

 隣で話を聞いていた佐倉が不安そうにつぶやく。

 

「ついてるのはプロだからな。過剰に不安がることはない」

 

「そ、そうかな……」

 

「ああ」

 

 多分。という言葉は付け加えなかった。ここは佐倉を少しでも安心させるのが正解だ。

 

「残り1時間半ほど時間はある。ひとまずはここで解散とするので、戻りたい人は速やかに片づけて施設に戻るように。だが、担当学年の講師の方に監督を依頼して練習に励むのも構わない。自由にしたまえ」

 

 言い終わると、教師は前から立ち去って行った。

 さて生徒の側だが、今の話を聞いてさっさと施設に戻ろうとする人がいるだろうか。練習して滑れるようにならなければきついペナルティが課される。いまは何が何でも練習時間を確保したいはずだ。

 

「練習、しないといけないよね……」

「俺はしたいけど、先生の言う通り自由なんだから帰ってもいいと思うぞ」

「う、ううん、やるよ、練習!」

「なら、もうみんな講師のところに集まってるみたいだし行くか」

「うん」

 

 佐倉とともに、1年生担当のスキー講師のもとへ向かう。

 おそらく1年生全員いる。帰った奴はいないだろう。

 俺はすっと佐倉の隣を離れ、滑れる組がタイム計測をしている場所へ向かった。

 さっきの先生の話が約5分、移動時間が約3分だったから、まだリレーが始まっても序盤のはず……

 

「ちょうどスタートか」

 

 俺が現場に着いたのとほぼ同時に一番走者がスタートした。

 動きはぎこちないが、やはり滑れると判断されただけはある。みんな初心者にしてはそこそこのペースで滑っていた。

 そのまま最後の最後までレースを見守っていたのだが。

 合わせて3人、ずば抜けて速い生徒がいた。

 2人が男子で1人が女子。

 男子の1人は高円寺。おそらくこの3人の中でも高円寺が一番速い。

 ほか2人もかなりのものだ。間違いなく全員経験者だろう。速さもさることながら明らかに周りと動きが違う。

 

「……なるほど」

 

 これは素人が合宿期間中にあの3人に勝てるようになるのは絶対に不可能だな。

 

 まあ当たり前の話なんだけどな。素人が経験者に善戦するなんてアニメや漫画の世界でしかありえない。

 

 手も足も出なければ歯も立たず、コテンパンにやられて終了。現実はこうだ。

 

 俺が途中でいなくなったことに引っかかっていた佐倉には「トイレに行った帰りに腕時計をなくしたので探していた」と適当な嘘でごまかした。  

 

 

 

 

 

 6

 

 スキー、そしてその後の座禅を終えた俺たちは、夕食にありつく。

 この合宿中で唯一男女が時間を共有できるタイミング。俺たちは綾小路グループの6人で集まり、テーブルに座っていた。

 今日のメニューはニラ、もやし、ニンジンと豚肉の炒め物だ。それに適度に手を付けつつ、雑談に興じる。

 

「へえ、そんなことが……」

 

 俺は清隆と啓誠から、昨日のグループ決めのあとに起こった出来事について聞かされた。

 南雲会長の提案で大グループまで決まった後は自由時間で解散という流れだったが、唯一啓誠と清隆のグループだけ体育館に留まっていたのだ。

 理由はまだ責任者が決まっていなかったためだったのだが、その最中に興味深い事実が明かされた。

 その事実とは、卒業時に所持しているポイントは、若干低いレートで現金化されるというもの。

 高円寺はその事実をどこかで知り、それを利用してAクラスに上がる戦略を立てていたという。

 卒業間際になった3年生に声をかけ、そのポイントを受け取る。そして学校側で現金化されるよりも高いレートで、高円寺の卒業後に現金を譲渡する。

 普通ならこんな話を上級生は信じないだろうが、高円寺は、有名な「高円寺コンツェルン」の次期社長としてホームページに名前が載っている。数千万動かせるだけの力があることを示すことが可能だった。

 他の誰にも真似できない、高円寺だらかこそ打つことのできる手だ。

 

「え、でもさ、入学して最初に茶柱先生から受けた説明で、ポイントは現金化できないとか言われなかったっけ?」

 

「その点は俺も気になってたんだ。説明と違うって」

 

 波瑠加の指摘に啓誠も同意する。

 確かに茶柱先生からは、ポイントを貯めこんでも意味はない、という旨の説明を入学初日に受けた。

 しかし、正確には「現金化できない」とは言われていない。

 

「俺たちが言われたのは、『卒業時に学校側でポイントを全て回収する』だ。表現としてはポイントを貯めこんでも意味はない、みたいな言い方だったから、現金化できないと思い込まされたんだ。回収した後にそれに応じた現金を与える、ってルールが卒業間近の3年生にだけ明かされる予定だったんだろうな」

 

 俺の説明になるほど、と納得する面々。

 

「そういうの多いよな、この学校。説明の仕方が意地悪すぎんだろ」

 

 明人が不満そうに声を漏らす。

 

「まあ気持ちはわかるが、これに限って言えば1、2年生に現金化を見据えた勝負をしてほしくなかったってことだと思うぞ。3年の卒業間近に教えるのも、どうせ要らないからって後輩に大量のポイントを譲渡する生徒が出てくるのを防ぐためってのもあるだろうし」

 

 学校側が不親切な説明の仕方をするとき、ほとんどの場合そこには合理性がある。

 だからきっと、スキーの報酬の説明がないことにも合理性があるのだろう。



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雪山での接触

 試験3日目。いまは午前中の座学の時間で、教室に大グループが集合している。

 今日の一年生の朝は、朝食作りから始まった。

 炊事にある程度慣れている俺にとっては、早起きしなければならないこと以外はあまり苦痛には感じなかった。しかしグループの半分以上は朝食づくりそのものに煩わしさを感じている様子だった。

 グループの中には炊事の勝手がある程度分かっている生徒が俺を含めて3人ほどいたが、正直な話、10人で分担して作るより、その3人で作った方がよっぽど効率がいいと思う。

 少しして担当の教師が教室に入ってくると、大グループの全員出席を確認し、さっそく今日の授業内容を口にする。

 

「これから、お前たちには自己紹介をしてもらう」

 

 それを聞いて、少なくない生徒の頭にはてなマークが浮かんだ。

 自己紹介は普通初顔合わせの大グループ決めの際にやるべきで、実際すでに済ませている。

 試験3日目にしていったい何を言い出すのかと。

 しかし教師は俺たちの疑問の表情を意に介さずに続ける。

 

「といっても、当然ながらやってもらうのはただの自己紹介ではない。これはあくまで授業、そして試験の一環でもあることを覚えておくように。今日からこの授業では、学年ごとに設定されるテーマに沿ったスピーチを行ってもらう。評価ポイントは『声量』『姿勢』『内容』『伝え方』の4つだ」

 

 なるほど、スピーチか。ようやく繋がった。

 バスの中で読んだ資料にも、授業内容の一つとして一応触れられてはいたことだ。

 

「1年生のスピーチテーマは、今までこの学校で学んできたこと、これから学んでいきたいことだ」

 

 その指示の後、2、3年生たちのスピーチテーマの指定も行われると、用紙が配布され、スピーチの原稿を考える時間が与えられる。

 例によって俺の隣に座っている龍園にも紙を手渡した。受け取ったのを確認し、俺も考える時間に入る。

 テスト本番でも、原稿用紙を見ながら発表して構わないらしい。しかしだからといって、しゃべる内容一言一句をすべて記入するのは得策ではない。箇条書きにして、原稿を見るために視線を落とす回数を最小限に抑えるべきだ。これは恐らく『姿勢』と『伝え方』の採点項目に関わってくる。

 もちろん、完全に内容を暗記して原稿に目を落とさずに行うのが理想だが、無理をして下手に詰まってしまうよりは潔く原稿を見たほうがいい。せっかく認められてるんだから。

 ニュースキャスターだって原稿なしではニュースを読まない。

 とすれば、あとはしっかりと内容を固めることだ。

 

「……」

 

 この学校で学んだこと、か。

 常に学校側のルールを嘲笑うような戦い方をしてきた龍園は、一体この学校で何を学んだのか。そしてこれから何を学んでいきたいと思っているのか。

 ただ、この発表で龍園が自身の本音を晒すとは思えない。

 今のこいつの様子からして、当たり障りのない内容を書いてくるだろう。

 その日は、教師がランダムに指定した各学年2人ずつの6人が代表で発表し、全体のフィードバックを行って終了した。

 授業が終わり、教室から出て共同部屋に戻る最中。

 いつも通りグループの最後尾を歩く龍園に、俺は話しかけた。

 

「おい」

 

 その声には反応されない。が、恐らくは聞こえているだろうと勝手に判断して続ける。

 

「お前、本当にリーダー降りたのか」

 

「あ?」

 

 質問を耳にし、ようやく俺の方に目を向ける龍園。

 

「降りたとして、何があった。傍若無人に俺の首締め上げたやつが、その数日後に飼い犬に手をかまれてリーダーを降りるなんてどうも納得がいかない」

 

「てめえの納得なんてゴミみてえなもん、俺の知ったこっちゃねえな」

 

「答えてはもらえないのか」

 

「俺の指示に従わねえ雑魚どもをまとめるのに疲れたんだよ」

 

「俺を襲った時の石崎は、とてもお前に反抗するようには見えなかったが」

 

「知るか」

 

 そっけなくそう答えると、俺を振り切るようにして歩く速度を上げ、一人で共同部屋へ戻っていった。

 

「……」

 

 俺がこのような質問を龍園にしたのは、二つの意味でのアリバイ作りが目的だった。

 一つはグループのメンバーに対して。

 龍園と消極的ではない程度に接し、目付け役として最低限の努力はしたということを示すためだ。

 もう一つは龍園に対して。

 俺は清隆と龍園の一件を知らないということになっている。

 さっき実際に口にしたように、首を締めあげられた相手が数日後にそのクラスのリーダーを降りるなんて事態になれば、詳細を知りたいと思うのは当たり前の思考だ。

 逆に何一つ質問しない方が不自然だろう。質問することで龍園からあらぬ疑いをかけられることを事前に避ける。

 このやり取りで、それら二つの目的を同時に達成することができた。

 

 

 

 

 

 1

 

 昼食時間が終わった後、全生徒がスキー場へ移動。

 スキーは基本的に小グループ単位で練習が行われるが、俺たち滑れない組の属する「基礎コース」のメンバーは本来属する小グループから外れ、指導を受けることになっていた。

 

「基礎コースの1年生は全員集まったかな?」

 

 担当する講師がそう言いつつ、メンバーを数えて確認する。

 

「うん、全員いるね。じゃあ早速始めようか」

 

 そこからは講師の見本、それを見て俺たちが実践、見本、実践の繰り返し。

 俺たち基礎コース組は、その名の通り滑るための基礎を丁寧かつ徹底的に叩きこまれていた。

 そんな中で、すでにコツをつかんでいる生徒が2人ほどみられる。その2人は恐らく、今日中にでもグループ単位での練習を行っている『演習コース』に移動することが叶うだろう。

 それに対し、ポンコツぶりを発揮している生徒が一人。

 俺である。

 

「……滑れん」

 

 ストックを使えば進むことは進む。しかし進行方向やスピードの調整など、それらのコントロールがまったくと言っていいほど効いていないように見えているだろう。

 

「うおっ」

 

 このように体勢を崩して派手にこけることもしばしば。今日だけですでに4回目だ。

 

「ちょっと、速野くん大丈夫?」

 

 うずくまって尻をさすっている俺に声をかけたのは、同じCクラスから基礎コースにいる松下だった。

 俺の一つ前の順番で滑っており、俺のずっこける様子が目に入ったらしい。

 

「ああ……大丈夫」

 

「さっきからこけすぎじゃない?」

 

「まだコツがつかめてないんだ」

 

「まあ、私も滑れないんだけどねー……」

 

 だろうな。前方を見ていても、松下は満足に滑れているとは言えなかった。

 しかし絶望的というほどではないようにも感じる。

 

「ていうか、速野くんが滑れないことがそもそも意外だよ」

 

 突然そんなことを言い出す松下。

 

「はあ? なんで」

 

「いやさ、なんか速野くんって割となんでもできそうなイメージだったから。成績は言うことなしだし、体育祭でも割といい感じだったし」

 

 確かに体育祭では順位としてはそこそこの数字を出したが、俺は別に運動は得意というほどではない。クラスの半分より上ではあるだろうけど。

 

「まあお互い頑張ろうよ」

 

「ああ、そうだな」

 

 会話上はこれで打ち切られた形だが、戻る方向は一緒のため俺と松下はほとんど隣同士でスタート地点に戻っている。

 松下といえば……少し気になる点があったな。

 船上試験の際に池に尋ねたという、俺は堀北のタイプと啓誠のタイプ、どちらに近いか、という一見して奇妙な質問。

 そしてそれを聞いたことを俺本人には伝えるな、という頼み。まあこちらについては池のポカにより俺の知るところとなったわけだが。

 俺が松下について知っていることは、佐藤、篠原と3人でよくつるんでいるということと、その3人の中では比較的高めの実力を持っているということだけだ。学力に関してはクラスで中の上程度。3人でいるときは勉強を教える側に立つタイプだろう。

 松下に対しての印象はこれくらい。そもそも普段から関わりはないし、会話したこと自体これが初めてぐらいだ。

 

「……」

 

 いくつか松下に対する疑問点はあるが、まだ何かをされたわけでもないし、こちらから何かする段階ではないだろう。

 材料がなさ過ぎて何もできない、ということでもあるわけだが。

 

 

 

 

 

 2

 

 夕食時間。

 この合宿の中で唯一、全ての男女が空間を共有する時間。学校側の意図があるのは明白だ。

 実際、この時間の男女間での接触は多い。もちろん友人同士、恋人同士の接触が多いようだが、中にはクラス内での情報共有を目的とした接触も含まれているだろう。俺の把握できないところで。

 まあそれはいい。俺はこの試験、クラス間での小競り合いにはあまり関心がない。情報共有でもなんでも自由にやればいい。

 ただ普通にこの空間で過ごしているだけでは、目的の人物と接触することは難しい。

 なんせここには生徒や教師も合わせて500名にも及ぼうかという数の生徒がいるのだ。

 収容人数は500名ほどあるそうだが、それでも窮屈なことには変わりない。そんな空間では、人1人探すのもままならない。

 ではどうすればいいのか。端末などの連絡手段もないこの空間で目的の人物を探し当てる方法。

 実のところ確実な正解はない。だが、確率を上げる方法はある。

 それは探す方と探される方に明確に分かれ、探される方は常に同じような場所に陣取ることだ。

 動いている的と固定されている的、どちらが当たりやすいかを考えればわかりやすいだろう。

 しかしそれにはどちらがどちらの役割を果たすか、事前に決めておくか、暗黙のうちに理解しておくことが必要になる。

 俺がこの3日間、ほとんど同じ場所で食事をしているのはそれが理由だ。

 そして同じように、3日間とも俺の視界の同じ角度、同じ距離に映っている生徒も、恐らくは誰かが見つけやすいようにそうしているのではないかと予想ができる。

 その1人が、クラスメイトの軽井沢だ。

 そして今日、同じくクラスメイトの清隆がその軽井沢の近くに座った。

 事前に打ち合わせていたか、それとも軽井沢が何も言われずとも自分の役割を理解していたか。

 いずれにせよ、接触するのは清隆が必要になったときだけ。それまでは自分から接触しに行くことはない、ということだろう。

 言い方は悪いが、忠犬だな。

 軽井沢はいま友人たちと夕食を食べているため、まともに会話ができる状態じゃない。食べるペースを遅くするなどして人払いを行うだろう。

 その後、清隆との間でどんなやり取りを行うかは全く見当もつかないが。

 そしてどうやら、俺たちの初めての接触も今この瞬間になるようだ。

 俺はその人物が通り過ぎる直前に机の上に紙きれを置いた。

 その人物は紙切れを回収し、俺に何か話しかけることもなくそのまま立ち去っていった。

 誰の目にも留まらなかっただろう。これでいい。

 夕飯を食べ終えた俺はトレイを戻し、この建物内を歩き回る。食後は食べたものの消化という目的もあっていつもこうしている。

 食事を行えるスペースはこのフロアだけだが、この建物自体には2階も用意されている。といっても何かがあるわけではない。大きな吹き抜けが二つあって、1階の食堂全体のようすを見渡せるだけだ。あるものと言えば数個のベンチと観葉植物くらいのもの。

 2階へ続く階段は奥の方にあり、それを利用して2階へ。

 まだ食べ終わってない人も多いということもあってか、10人足らずの生徒が雑談に興じているだけだった。

 その中に1人、異質な生徒を見つけた。

 吹き抜けから1階をぼーっと見つめている生徒。

 それが普段から1人で時間を過ごすことが多いような生徒なら、特段不思議に思うこともなかったかもしれない。

 しかしそれをしているのが元生徒会書記の橘茜だったため、目に留まってしまたのだ。

 明らかに元気がない。

 別に俺は橘先輩と関わりが強いわけではないが、印象としてはこの手の試験は比較的得意なイメージがある。少なくとも3日目にしてここまで気疲れするような生徒だとは思えない。

 気まぐれだが、声をかけることにした。

 

「どうも」

 

「……速野くんですか」

 

 一瞬だけ俺に顔を向けたが、すぐに視線を下に落とす。

 

「ずいぶん疲れてますね。なんかあったんですか」

 

 その問いに対して、何か口から出かけた言葉を呑み込むような所作があったあと、また口を開いた。

 

「……いえ、何もありませんよ」

 

「なんですか今の間は」

 

「だ、だから何もないって……」

 

 そう言ってかたくなに否定する橘先輩。

 

「……そうですか。まあならいいんですけど」

 

 本人が何もないとここまで言うのだから、これ以上この人に直接踏み込むのは余計なお世話だろう。

 俺は軽く会釈をして、橘先輩のもとを離れた。

 

 

 

 

 

 3

 

 今日、4日目にあたるのは土曜日。

 普段の学校なら休みだが、この林間学校はそうではない。平日より終了時間が早いだけで、午後までしっかりとカリキュラムが用意されている。

 

「ったく、なんで土曜なのに休みじゃないんだよ……」

 

「ほんとだりーよな……」

 

 朝食作りの最中も、このように文句たらたらである。

 まあ、少しのやり取りもなく無言で作業するよりは、こうしたコミュニケーションが発生している方がグループとしては健全かもしれない。

 文句を言ってはいけないなんてルールはないし、作業の手が止まってしまわなければそれでいい。

 

「なあ、ずっと気になってたんだけど」

 

 そんな中、隣で野菜を切っているBクラスの墨田が話しかけてくる。

 

「なんだよ」

 

「なんでAクラスの中で森重を選んだんだ? 別に文句があるとかじゃないんだけどさ」

 

 初日の俺の決断に疑問があるらしい。

 

「別に、大した理由はないぞ。Aクラスの個人それぞれの実力なんて把握してないし、神崎に3人まで絞ってもらってからその場でなんとなく選んだだけだ」

 

「なーんだそうか」

 

 俺の答えに興味を失ったようで、墨田はそんな反応を返して元の作業に戻った。

 試験だけを考えるなら、本当に大した意味はない。別に森重を選ばなくてもよかった。いや、コミュニケーションが円滑に進みそうという意味ではむしろ橋本の方が適任だったかもしれない。

 俺がそうせずに森重を選んだのには意味がある。ランダムに選んだなんてのは当然のごとく嘘だ。

 その意味とはなんなのか、今夜にも明らかになるだろう。だが、それはグループのメンバーの知る必要のないことだ。

 

 

 

 

 

 4

 

 スキー演習で基礎コースに所属している生徒は、日に日に成長している。

 今日か明日あたりで大部分の生徒が『演習コース』へと移動になるだろう。

 愛理は今日あたり行けるはずだ。松下も今日か。

 井の頭と山内は早くても明日だ。俺も恐らく明日には移動することになるだろう。

 このように、今日移動できないにしても、明日までにはほぼ全員が移動するだろうというめどが立つまでになっている。

 本人たちにとっては、滑ることすらできなかった合宿序盤には想像すらできなかった状況だろう。

 まだ数人がコツをつかめていないようだが、そんな生徒たちも最終的には滑れるようになるだろう。少なくとも最終日のタイム計測までには。

 

「じゃあ次、行こうかー」

 

 俺の前に並んでいた松下が、講師の呼びかけと同時に滑り出す。

 やはり松下はしっかり滑れている。

 バランスもとれているし、スピードもそこそこ。基礎が習得できている証拠だ。

 

「オッケー、じゃあ次の人」

 

 そして俺の番。

 ストックに力を入れ、体重移動を意識して……

 

「うん、だいぶ上達してきてるね。スキー板のコントロールをもう少し上手くできればさらにいいと思う。今はスキー板が踏ん張れずに動きが必要以上に大きくなってるから、そこを注意してみて」

 

「……わかりました」

 

 雪は摩擦係数が小さいため滑りやすく、踏ん張り切れずに動きが大きくなってしまうことがある。それはつまり、せっかくストックで地面を蹴って生み出したエネルギーが、推進力にうまくつながっていないことを意味している。

 

「……ん?」

 

 そんな感じで滑りの自己分析をしていたところ、あることに気づく。

 白い雪の上に入っている、電車のレールのような二本のライン。

 

「これ……スキー板の跡……だよな」

 

 もちろん、この場にスキー板の跡があるのは不思議ではない。しかし疑問なのは、その跡が向かっている方向だ。

 宿泊施設側から見て、手前で練習しているのが『演習コース』。奥側を俺たち『基礎コース』組が使っている。そして『基礎コース』の生徒たちは奥側に向かって滑っている。自分の順番が来たら、10メートルほどのコースを滑り、そこから元のスタート地点まで戻って並びなおす、というのが一連の流れだ。そのため俺が今いる場所にできるスキー板の跡は、すべてスタート地点の方向にUターンしていないとおかしい。

 しかしこのスキー板は、さらに奥のほうへ向かっている。

 講師のものである可能性も考えたが、この跡は新しい方だ。先ほどから講師はコースを行き来しているだけだから、コースから外れているこの跡が講師のものである可能性はない。

 

「……まさか」

 

 スタート地点の様子を確認して嫌な予感がした俺は、スキー板の跡をたどり、奥のほうへ向かって滑り降りる。

 

「……森の方向に続いてるな」

 

 スキー場の両端は森で囲まれているのだが、スキー板の跡はその右側の森へと入っていっていた。

 滑り降りた先で見つけたのは、想像していた通りの光景。

 

「……やっぱり」

 

「は、速野くん……?」

 

 心底驚いたような声で俺の名前を呼んだのは、ストックを手放し、右足首を抑えて倒れている松下である。

 

「え、なんでここに……?」

 

「変なスキー板の跡を見つけて、スタート位置確認したらお前が見当たらなかったから、跡をたどってきたんだよ」

 

 まだ俺がこの場に来たことへの驚きが収まっていない様子だ。

 まあこんな状況になって、ただでさえ気が動転してるはず。頭の処理が追い付かないのも仕方のないことだ。

 

「足、ケガしたのか」

 

「う、うん、多分くじいたかも……」

 

 右足首をさすりつつ答える松下。見た感じ木に激突してるから、その衝撃の影響だろう。

 

「ほかにケガした場所は?」

 

「今は右足以外はいたくないよ」

 

「そうか」

 

 滑り降りて分かったが、ここは結構スピードが出る。勢いそのままで木にぶつかってケガがこれだけなのは、かなり幸運だ。

 

「とりあえずスキー板は外したほうがいい」

 

「そ、そうだね……」

 

 カチャカチャと音を立てながら松下の足からスキー板を外し、横に置いておく。

 

「歩けそうか?」

 

「多分無理……」

 

「だろうな。わかった」

 

 となると……

 

「講師に言って保険医呼んできてもらうから、ここで待ってろ」

 

「あ、うん……」

 

 俺もスキー板を外し、ブーツで雪の坂を上って『基礎コース』の1年を指導している講師に松下のことを話す。

 講師は驚きの表情を見せながらも、努めて冷静に俺に言う。

 

「わかった。すぐに保険医の先生に連絡を取るよ」

 

「ありがとうございます」

 

「君は練習に戻ってもいいけど……スキーボードはどこに?」

 

「ああ……現場に置いてきました」

 

「なら取りに行くついでに、先生が現場に到着するまで彼女のことを見てやってくれないか。2分くらいで着くはずだよ」

 

「わかりました」

 

 まあ、ついでだしいいか。

 話し終えると、講師はすぐにどこかに走っていった。保険医を呼ぶための連絡だろう。保険医は万一に備えて、そんなに遠くにはいないはずだ。

 

「保険医はすぐ着くらしい」

 

 松下のもとに戻って開口一番そう言った。

 

「あ、ありがとう」

 

 申し訳なさそうに、ボソッとそうつぶやく松下。

 

「なんでこうなった? お前は滑るコツつかめてたはずだろ」

 

 『基礎コース』の中でも上手い方だった。少なくとも技術的には、このような惨状をまねくレベルではない。

 

「その、滑ってる途中で足攣っちゃって、それでコントロールできなくなって……」

 

「……なるほど」

 

 それなら仕方ない……かもしれないな。

 「奥の方ってどうなってるのかなー?」みたいな興味本位で行ったなら松下が悪いが、足が攣るのは事故だ。なのでもし今回の件に失態があるとすれば、それは松下ではなく、講師または教師だろう。

 これだけの人数を一人で教えているために、ほかのことに気が回りづらいとはいえ、講師は生徒が誤って滑り降りてしまってケガしたのを、俺に言われないと気づけなかった。俺が気付かなければ恐らく点呼まで気づかれなかっただろう。これは講師側の落ち度。そしてこれだけの人数を一人で見る必要のある状況にしたのは、近くに監督員か何かを配置しなかった首脳部、つまり教師側の責任だ。

 

「……あれ?」

 

「ん、どうした。……お、来たみたいだな」

 

 松下の疑問の声は、保健担当の星之宮先生と他数名の教師の到着によってかき消された。

 星之宮先生は同じ学年のBクラス、つまり墨田や一之瀬のクラスの担任でもある。

 

「悪いわね速野くん、見てもらってて」

 

 手を振りつつ、俺に声をかけてくる星之宮先生。

 

「いや……まあ乗り掛かった舟なんで」

 

 実を言うと、この人のことはあんまり得意ではない。

 

「ふーん、そっか。で、『基礎コース』の君がどうやってここに無傷でたどり着いたの?」

 

「……」

 

「あそこからここまでのコースって結構急な坂だよ?大丈夫だったの?」

 

 ……そう、俺が言ってるのはこの視線だ。

 一見優しく包み込むようなのに、いつの間にか関節を極められているような、そんな感覚。

 

「星之宮先生、そろそろ……」

 

「あ、はーい。じゃあね速野くん☆」

 

 答えに窮する俺だったが、付き添いの先生の言葉によって、星之宮先生の詰問から逃れることに成功したのである。

 

「君も気を付けて戻りなさい」

 

「……はい」

 

 言われた俺はスキー板を手に持って、急な坂道を雪を踏みつつ戻っていく。

 多分松下の疑問も、さっきの星之宮先生の質問と同じだったんだろうな。

 そのあたりは敢えて考えないようにしつつ、今まで通り練習を続けた。



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与えられた選択権

 松下の一件のあとは特に何事もなく、通常通りにスキー演習を行い、一日のカリキュラムを終えた。

 やったことといえば、スキーの列に帰ってきた時に愛理に何があったのか聞かれたので答えたことくらいか。

 別に隠すことでもないので正直に答えた。

 

「よー速野」

 

 スキー場からの帰り道、後ろから山内に話しかけられる。

 

「ん?」

 

「お前まだ滑れねーの?」

 

 開口一番、まるで自分は最初から滑れていたかのような余裕の表情でそう言い放った。

 

「……悪いかよ」

 

 俺が現状基礎コースにいるのは事実なので、素直に答えておく。

 

「なんだよ急にそんなこと言い出して」

 

「ほらさ、スキーの報酬ってタイム順で決まるんだろ? クラスポイントとか関わってくるかもしんないし、お前もそろそろグループの方の練習に行かないとやばいんじゃね?」

 

 確かに、リレーでのタイムを速くするうえでは、グループの練習にいち早く参加することは重要だ。

 だが同じ基礎コースの山内に言われる筋合いはない。

 

「そりゃお前も同じだろ」

 

「いや、俺さっき合格もらったから。次から演習コースだぜ」

 

「……」

 

 なんと。

 さっき講師に何か話しかけられていたと思っていたが、合格通知だったか。

 だがなるほど、こいつが急に俺にこんな話をしてきた理由が分かった。つまりは自分が合格をもらったから、いまだに合格をもらえていない俺に対しマウントを取ろうというわけだ。

 悪意を感じないあたりがまたタチの悪い部分だ。

 

「ま、基礎コースにも飽きてきてたころだったからさ。そろそろ合格もらってもいいかと思ったんだよ」

 

 付け加えるようにして、あっけらかんとした様子で山内はそう言った。

 

「なんだ飽きてきたって……最初から滑ろうと思えば滑れたみたいな言い方だな」

 

「ったりまえだろー。中学のときはスキーの代表候補だったからな」

 

「……ああ、そうなの」

 

 また始まった、山内の経歴詐称。

 これは突っ込まないに限る。話の辻褄を合わせるための超エクストリーム理論を聞かされてうんざりするのがオチだろう。

 ただなんにせよ、早いところ演習コースでグループリレーの練習をした方がいいのは山内の言う通りだ。

 次で基礎コースは卒業しないとな。そうすればこいつにマウントを取られることもなくなるだろ。

 

 

 

 

 

 1

 

 夕食時間。

 俺はグループの責任者である明人と飯を食べていた。

 清隆も啓誠も見当たらず、愛理と波瑠加とも合流できなかったため、二人だ。

 

「グループの責任者は大変か?」

 

 ありきたりな質問ではあるが、試験中はあまり話すことがなかったため、ちゃんと聞くのは初めてだ。

 

「まあそれなりにって感じだ。上級生とのやりとりの窓口が自動的に俺になるから、そこはちょっとキツいもんがある」

 

 グループを引っ張ることそのものよりも、その副産物の方を苦々しく思っているらしかった。

 確かに責任者になってからの明人は、上級生グループの責任者である進藤さんと飯島さんと話していることが多くなった。

 明人は元々コミュニケーションが活発な方じゃない。苦手分野ながらもよくやってくれていると思う。

 

「ただ正直、龍園があんなに大人しいとは思わなかったぜ。もっと何か仕掛けてくると思って覚悟してたんだけどな。そういう意味じゃ、想定よりは大変じゃない」

 

「なるほどな。やっぱ一番の不安要素はそれだったか」

 

「そりゃそうだろ。なのに、いまはヘタなやつより真面目にやってるくらいだ。逆に気味わりいよ。今も何か裏で動いてることのカモフラージュだって言われた方が納得する」

 

「確かに」

 

 事情を知らないやつが見れば、いまのあいつは不気味にしか映らないだろうな。

 ただ事情うんぬんを抜きにしても、今までの龍園からして裏で動いてるってことは考えにくい。

 あいつは何か策を巡らせていることを隠さず、逆に敵にアピールまでする奴だ。

 無人島ではわざわざ俺たちをベースキャンプのビーチに招いた。

 船上試験では自分から俺たちに接触してきた。

 体育祭では全生徒の前で堂々と体育館を去っていった。

 フェイクは入れるにしても、何か動いていることそのものを隠そうとはしない。それが龍園という人間だ。

 もちろん、清隆との勝負に負けて根本からやり方を変えた、ってこともあり得なくはないが。

 

「俺としてもその点は助かってる。龍園に暴れられてたら、引き入れた俺が袋叩きにあってただろうから」

 

 とは言いつつ、9割9分大丈夫だと思っていた。そうでなければ引き入れたりはしない。

 

「このまま何もないことを祈るしかないな」

 

「まったくだ」

 

 例えいまから龍園の気が変わったとしても、あまり心配はいらないだろう。

 もしも何か仕掛けるなら、合宿が始まる前のバスの中でしっかりと準備しておく必要があった。

 すでにグループ分けがされてしまった以上、その枠から外れた行動はできない。無理矢理行動を起こしたとしても、待っている結末は責任者からの道連れによる退学だ。

 

「ところで、最終テストに向けては大丈夫か?」

 

 明人がそう聞いてくる。

 その点も忘れてはならない部分だ。グループの順位は結局最終テストの成績によって決まる。

 

「万全じゃないな。座禅は両足組めないし、スピーチも苦手分野だ」

 

 座禅に関してはもはや体の構造の問題なんじゃないかと疑いたくなるほどだ。

 実際は単に俺の股関節が固いだけ。最終テストまでに俺の身体ができるようになってることを祈るしかないが、正直望みは薄い。

 スピーチの方は頑張ればなんとかなりそうだ。

 

「様子見てる感じ、そっちは問題なさそうだな」

 

 明人はどの科目もそつなくこなしている印象だ。

 強いていえば座学の時間に眠気に襲われているぐらい。それでも寝落ちはしていないし、ノートも取ってはいるためマイナスにはならないと思う。

 

「スキーはどうなんだ? そろそろ参加できそうか?」

 

「ああ。明日には確実に移動するから、もうちょい待っててくれ」

 

 スキーはテストではないが、リレーということでチーム全員が関わる。

 ここはしっかりと約束しておいた。

 

「最後まで滑れないってことはないんだな」

 

「ああ、それは絶対ない」

 

 不安を消すために断言した。

 

「ならいいんだ。はやく参加してくれよ」

 

「分かった。一番に合格もらってくる」

 

 その後も何気ない雑談をして、夕食時間は過ぎていった。

 この雑談が、責任者である明人のせめてもの疲労回復の場になっていることを望んでおこう。

 

 

 

 

 

 2

 

 暗闇の中、俺は目を開けた。

 消灯時間はとうに過ぎ、全員が寝静まっている。日付が変わるまであと15分ほどか、というところ。

 音を立てないように注意しながら、布団から出て起き上がる。

 ベッドの策を跨いで、息を止めつつ抜き足差し足で共同部屋の出口へ。

 廊下に出ると、ギシッ、ギシッと床板が擦れる音が出る。

 しかしこの音は許容だ。歩くスピードを緩めずに進む。

 60キロ近くの物体がこの上を歩けば、どうやっても音が出ることは避けられない。スピードを緩めた方が音の出方が不自然になる。

 誰かに出くわしても「トイレ」とでもいえばいいだけだ。もちろん気づかれないのに越したことはないが。

 トイレを素通りし、そのまま施設の外へ出る。

 十五夜近辺ということもあって、満月に近く、月が周囲を明るく照らしている。

 誰もいないことを確認。そのまま待つこと10分ほど。

 二人の人物が俺の目の前に現れた。

 その二人とは……Aクラスの森重と清水。

 坂柳派に属する生徒で、俺に対して合計100万ポイントほどの債務がある2人だ。

 

「……なんなんだよ。こんなところに呼び出して」

 

 同じ小グループに属する森重が口を開く。

 声は小さいが、聞こえないほどではなく、万が一にも気づかれないために適切な音量に調節されているのが分かる。

 この密会自体は全く規則違反ではないが、この2人にとって俺との関係はそれ自体を隠し通したい汚点だからな。

 

「決まってるだろ。ポイントのことだよ。この3人で集まって、それ以外にあるわけがない」

 

 俺の物言いに苛立ちを募らせている様子の2人。しかし特に言い返すことなく俺を見返している。

 

「……ちゃんと払ってるだろ。月5万ずつ」

 

 その通り。この2人は今のところしっかりと債務を果たしている。

 現状、昨年の9月から12月までの4ヶ月分、計40万ポイントが俺の懐に支払われた。

 しかしまだ100万ポイント+利子という膨大な支払いが残っている。

 いくらAクラスといえども、それを2人で負担するのは容易ではない。

 それに加えて、だ。

 

「確か、Aクラスは龍園に毎月2万払ってるんだってな。俺と合わせて毎月7万の出費か。残るポイントは3万弱。いまのうちよりも少ない」

 

 娯楽にポイントを使おうと思えばそれなりに努力して食費を削る必要があるレベルだ。

 Aクラスなのに、というフラストレーションは大きいだろう。

 

「今日はいい話を持ってきた」

 

 だからこそ、俺のこの提案が効く。

 

「月5万、残り100万とちょっとのポイントの支払いをチャラにしてやってもいい」

 

「……なんだと?」

 

 森重が声をあげた。

 しかしすぐにこちらに探りを入れてくる。

 

「……まて。どうせ何か裏があるんだろ。契約の穴をついてまた俺たちからポイントをむしりとろうとしてるんじゃないのかよ」

 

「なら前の契約に関して俺は一切ポイントを請求できない、って契約を新しく結べばいい。前と同じく真嶋先生を挟んで」

 そのあたりは、俺を強く縛り付けるルールをいくらでも設定してもらえばいい。

 今回については、ルールの穴をついてさらにポイントを奪ってやろうとは全く考えていない。

 むしろここはポイントの使いどころだ。

 

「……いったい何が目的なんだよ。100万をチャラにしてまで……」

 

 こちらを睨むような強い視線を送ってくる清水。

 怪しむのは当然のことだ。あれほど強かにポイントを奪ってきた俺が、今度はあっさりそれを手放そうとしている。

 どんな条件を突きつけられるかと警戒しているだろう。

 だがまだその答えを言うには早い。

 

「その説明をするには、あと一人必要な人物がいる」

 

「……あと一人?」

 

「ああ。……そろそろか」

 

 二人とも誰のことを指し示しているのか分かっていないようすだ。

 しかし、すぐにその答えがここに姿を現す。

 

「な……」

 

「そんな……」

 

 その答えは、まったく予想だにしなかったであろう女子生徒。

 森重と清水にとってはクラスメイトである、Aクラスの藤野だ。

 

「な、なんで藤野がここに……」

 

 2人は目の前の光景に理解が及んでいない。

 この混合合宿中にこの4人が密会することは、この施設に向かうバスの中ですでに決まっていたことだ。

 まずバスの中で藤野とやりとりし、森重、清水を藤野派に寝返らせるための密会を持つことを伝えた。そして森重と清水のどちらかを俺と同じグループに所属させるため、小グループ作りの際に進んで龍園を引き入れ、A、Bクラスから好きな生徒を受け入れるという条件をつけた。

 日時と場所は、3日目の夕飯のとき、藤野派の女子生徒が回収した紙切れに書き、藤野に共有してもらった。

 密会の場所をここと決めたのは、初日の施設探索の際、グループから離れて行動した時だ。ここに至るまでに監視カメラが設置されていないことを把握し、決めた。そして共同部屋に戻って、清水を指定の時間にこの場所に呼び出すように指示を書いた紙を森重のベッドに置いた。

 全てはいま、この瞬間のためだ。

 

「100万の払いをチャラにする条件を伝える。お前たち二人が坂柳を裏切り……これから藤野に従うことだ」

 

 俺の口にした条件にさらに驚きを見せる二人。

 

「藤野に、従うって……どういうことだよ。意味が分かんねえぞ……」

 

 急に従えと言われても、藤野が派閥を作っていることを知らない以上、話が繋がらなくても当然か。

 

「その答えは本人から聞くといい」

 

 そう伝え、俺は顔を藤野に向けた。

 俺からのパスを受けた藤野はコクリと頷き、口を開く。

 

「みんなには伝えてないけど……私は裏で派閥を作ってるの。5月から」

 

「5月、からって……」

 

 坂柳と葛城が派閥を形成したのと時期的にはほとんど同じだ。

 

「まだ合計で10人にも満たない、小さいグループだけどね。でもいま坂柳さんの派閥にも葛城くんの派閥にもついてない人は、みんな私を含めた第三の派閥についてくれてる」

 

 どこにも属していないと思われていた中立の生徒たちは、実は藤野の派閥についていた。

 Aクラスは、坂柳、葛城、藤野の三つ巴だったということだ。

 

「ま、待てよ。そんな派閥があるなんて知らなかったぞ……その話が本当だって証拠はどこにあるんだよ」

 

 確かに、何一つ証拠がない状況で、藤野が裏切って俺と口裏を合わせてでっち上げた話だったって可能性を疑うのは当然だ。

 が、いまこの状況に限ってその可能性は限りなく低い。

 

「藤野がこの場所にいる。これがどういう意味か分かるか?」

 

「……」

 

 この二人もAクラスだ。俺のこの言葉で理解することができただろう。

 今この場所は、男子の生活スペースである本校舎の敷地内だ。

 そしてこの混合合宿の最中は、もう一方の校舎の敷地内に立ち入ってはならないのがルールだ。

 つまり藤野はいま、明確な特別試験規則違反を犯している。

 こんな規則違反を犯してまで、他のメンバーに確かめればすぐにバレるような嘘をついても、藤野にメリットは一切存在しない。

 つまり状況的に、森重と清水が信じるに値する話ということになる。

 学校の敷地内で話したとしても全く問題ないこの話。それを俺がわざわざ特別試験期間中にこの二人に伝えようと思ったのも、この状況を作り出すためだった。

 藤野に規則違反を犯してもらい、この話の信用性と藤野の本気度を示すこと。すべてはこれが目的だった。

 

「ねえ、森重くん、清水くん」

 

 藤野が二人に問いかける。

 

「……なんだよ」

 

「どうして二人は今この場所に来たの?」

 

「え?」

 

 予想の斜め上からの質問に戸惑いを見せる二人。

 

「なんでって……」

 

「それは……速野に来いって言われたから」

 

「じゃあ、どうして速野くんの指示に二人は従ったの?」

 

「な、なにが聞きたいんだよ……」

 

「いったん答えてみて。どうして二人は速野くんの指示に従う必要があったの?」

 

 普段の藤野とまとっている空気が違うのだろう。若干だが二人が気圧されているのが分かる。

 

「……弱みを握られてたからだよ」

 

「その弱みって、無人島試験で速野くんの策にはまって、ポイントを取られたこと?」

 

「……そ、そうだよ」

 

 中でも、船のデッキで契約違反をさせられ、まんまと200万ポイントを取られた件についてのことだ。

 そのことについて藤野はあらかじめ理解していた。

 俺がこの二人の弱みを握っているから、俺が来いと言えば来ると。

 それでも藤野は、あえて質問によりそのことを本人の口から言わせた。

 自身の恥部ともいうべき場所に踏み込まれ、森重も清水も居心地は悪そうだ。

 

「どうしてそれが、速野くんの指示に従わなきゃいけなくなっちゃうほどの弱みになるの?」

 

「……え?」

 

「何かのルールに違反したことが弱みになるのは分かるけど、二人の失敗は別にそういうわけじゃないよね。やり方としてはむしろ速野くんの方がかなりグレーだと思う。それなら普通、二人が速野くんの言いなりにならざるを得ないような弱みにはならないんじゃないかな」

 

 森重と清水の失敗は校則違反というわけではないのだから、それが明るみに出たとしても学校側から何かペナルティを受けることはない。そもそもその件については真嶋先生が了承している以上、ペナルティのリスクがないことは明白だ。

 ならばこの二人は何を恐れているのか。

 答えは一つだ。

 

「坂柳さん、だよね」

 

 藤野がその名前を口にすると、二人はコクリと頷いた。

 この二人は、自らの失敗が俺の口から坂柳の耳に入ることを恐れて、俺の指示に従っているのだ。

 

「この件を坂柳が知れば……もちろん、はっきり何かされるわけじゃないだろうけど」

 

 いざというときに切り捨てられる候補になってしまう。

 坂柳はためらわずにやるだろうな。

 

「私はね、そこがまずい点だと思うの」

 

「……どういうことだ」

 

「本来、組織の中では失敗は成功したことよりも早く報告しないといけないはずなの。しっかりと対応しないといけないからね。だけど今の坂柳さんの派閥ではそれができてない。このまま失敗を隠し通す空気のままだと、いつか大問題が起きかねない。つまり、この点が弱みになってしまうこと自体が、いまの坂柳さんの派閥の問題点だと思う」

 

 それはある種の正論だった。

 藤野は弱みを握って従わせるのではなく、自分の派閥への参加に本心からの同意をもらおうとしている。そうでないと意味がないと考えている。

 

「それから、もし坂柳さんが今の立場から失脚したとしても、私は今の葛城くんのように扱うつもりはないよ。坂柳も葛城くんも、Aクラスには不可欠な人たちだと思ってるから」

 

「……なんで他クラスのこいつがそれに協力してるんだ。本当はクラスを裏切ってるんじゃないのか?」

 

 たしかに、Aクラスの内部事情にCクラスの俺が首を突っ込んでいるのはおかしい。そもそもAクラスの大半の生徒すら知らない藤野派の存在を、なぜ俺が知っているのか、ということもだ。

 

「まず俺が藤野の派閥の存在を知っているのは、派閥を作ることを提案したのが俺だからだ。坂柳にも葛城にもつきたくなければ、自分で派閥を作るしかないってな。それから、俺が藤野に協力する見返りに、藤野が俺に協力することがあるのは事実だ」

 

「……そこは認めるのか」

 

「隠しても意味ないだろ。だがそれは俺個人に対しての協力であって、Cクラスに対してのものじゃないんだよ。そして協力の内容があまりにもAクラスの利益を損ねるものなら、藤野は断れる」

 

 もちろん断られないような協力内容にするわけだが。

 次に藤野が口を開く。

 

「それからね、私はいずれ速野くんをAクラスに入れたいと思ってるの」

 

「な……こいつをか」

 

 驚きを隠せない二人。

 

「その時に速野くんが入りたいと思ってくれるクラスでいるためには、Aクラスをキープしないといけない。だから速野くんに協力するからといって、Aクラスをわざと落とすようなことはしないよ」

 

「……」

 

「ちなみにだが、この話を断ってもお前らふたりの失敗を坂柳に話すことはないから安心しろ。その時は今まで通り月5万ポイントずつの支払いをやってもらうだけだ。お前らの失敗を坂柳に知らせるのは、お前らがこの場でのやり取りを含め、藤野の派閥の存在を坂柳にバラした時だけだ。……無理矢理従わせないのは藤野の方針だ」

 

 そう伝えると、2人とも藤野の方に顔を向ける。

 

「それじゃ意味がないから。最終的にどっちを選択するかは2人に任せたいの。もちろん、断られたからって2人に何かするってことはないよ。だからよく考えて選んで」

 

 一度相対したとはいえ、俺は坂柳の実力を詳しくは知らない。しかし藤野からの話を聞いている限りでは、Aクラスでの存在感は相当なものなのだろう。

 この場で藤野につけば、俺への払いが100万減る。実質的には100万の上乗せだ。そして藤野もリーダーとして不適格というわけではない。

 さて、この二人がどちらを選ぶか。

 顔を見合わせて、お互いに頷く。

 結論は出たようだ。

 

「……俺たちは、何をすればいいんだ」

 

 藤野につく。それが答えのようだった。

 

「ありがとう、二人とも」

 

 藤野は満足そうな笑みで喜びを表現した。

 ここからは、何をすればいいのか、という二人の疑問に答える。

 

「お前たちにやってもらうことだが……もちろん、表立って裏切るわけじゃない。藤野の派閥が存在していることを知っているのは、実際に派閥に属しているメンバー以外は俺とお前らの三人だけだからな。体面的には今後も坂柳の派閥に属する。が、いざというときは藤野に従ってもらう。まあ、スパイ的な役割ってことだ」

 

「スパイ……」

 

「ああ。と言っても、今はそんなにやることはない。だからしばらくは坂柳派にいた今までと全く変わらない生活が続くだろう」

 

「だから当面の間二人にやってほしいことは、今日のことを悟られないように、これまで通り過ごすことだよ」

 

 今大事なことは、この二人が坂柳を裏切っていることを勘付かせないことだ。

 これまで葛城派から藤野派への鞍替えはあっても、坂柳派から藤野派というルートない。これが初めてのことだ。

 しかも単に鞍替えする前の派閥の違いだけではない。葛城派の場合、鞍替えが起こったのは葛城が失脚した後。だが坂柳派は現状Aクラスのほとんどを掌握している主流の派閥だ。

 だからこそ、より慎重に動かなければならない。

 

「……本当に何もしなくていいのか」

 

「うん。今のところは」

 

 そこまで伝え終わったところで、俺はあらかじめ用意していた紙を森重と清水に1枚ずつ手渡す。

 

「100万の払いをチャラにする代わりに、お前たち二人が藤野に従うって誓約書だ。5枚分ある。俺たち4名が1枚ずつ持つ分と、真嶋先生に提出する1枚分だ。直筆で署名してくれ。真嶋先生への提出はお前らに任せるが、今日から一週間後までに提出がなければ俺が提出する。何か不備があれば期限までに俺に言え」

 

 これで文句はないだろう。

 この二人は俺への強い警戒を解かないだろうが、この誓約書は俺がつけ込めるような穴がないようにしっかりと作った。

 まああったとしても、今回に関してはそこにつけ込む気もない。

 

「とりあえず話はこれで終わりだ。時間差つけて戻った方がいい。先に行っててくれ。俺はあとから行く」

 

「ああ……」

 

 受け取った誓約書を見つつ、二人とも本校舎の方へ戻っていった。

 二人の姿が見えなくなったところで、藤野が口を開いた。

 

「……本当によかったの? 100万ポイントも手に入るチャンスをここで使っちゃって。私たちとしてはありがたいことだけど……」

 

「ああ」

 

 確かに普段の俺の行動からすれば、100万を手放すような行為をするとは考えにくいだろう。

 だが、これでいいんだ。

 

「それより、お前こそこれでよかったのか。もう少しあの二人を強く縛る条文を作ることだってできたぞ。あの二人がお前を裏切った時のペナルティも指定してないし……」

 

 あの誓約書にある縛りは、この件を他言した場合、俺との契約のことを坂柳に報告するということ。あの二人が藤野を裏切っても、今回チャラになった100万ポイントの支払い義務が復活することはない。

 はっきりいえば、あの二人に対して甘くできている。

 しかし、藤野に頼まれたのだ。二人をきつく縛るような誓約書にはしないでほしいと。

 

「……うん。縛られて仕方なく、ってわけじゃなくて、あくまで自分の意思でこの派閥に入ってもらうっていうのが私たちの派閥のテーマだから。もしそれで裏切られたら……私が人をまとめるのに向いてなかったっていうだけのことだから。それは単に私の力不足だよ」

 

 弱みを握って拘束するのは自分のやり方じゃない、ということか。

 確かにそのやり方を許容するなら、それは坂柳派と変わらない。藤野が派閥を作る意味もなくなる。

 いま藤野に与しているAクラスの生徒も、藤野のそういうところを信頼してついてきている面があるんだろう。

 

「……まあ、お前がそういうやり方でいいっていうならいいんだ」

 

 派閥を動かすのはこいつの役割だ。

 俺は余計なことは言わず、あくまでそれをサポートするだけ。

 

「じゃあな」

 

「うん。試験、頑張ろうね」

 

「ああ。戻る時に人に見つかるなよ」

 

「そこは……頑張るよ」

 

 まあ見つかったとしても、藤野は教師からの信用もあるし「ちょっと散歩に出ていた」とでもいえば大丈夫だとは思うが。

 それよりも、森重と清水が裏切ったことをいつまで坂柳に隠し通せるか、だな。

 あまり長く見積もらない方がいいだろう。



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