見えない境界少年 (迦羅)
しおりを挟む

一話

 初めまして、迦羅と申します。

 駄文ばかり投稿することになると思いますが、どうか温かい目で見てやってください。

 


 朝だ。

 屋敷の一室に太陽の光が差し込む。それを受けて、部屋で眠っていた少年がむくりと起き上がる。

 

「朝…ですか」

 

 彼は何の感慨も無くそう呟き、グーッと少し体を伸ばす。今日はいつもと眠る際の状況が少し違ったので眠れるか不安だったのだが、無事に眠る事が出来た様で少し安心した。尤も、心細いのでもう二度と御免だが。そのまま彼は手探りで床を触り、手で己の体を支えて起き上がろうとする。

 しかし上手く行かないのか、そのまま再び布団に倒れることになってしまう。

 彼はもう一度挑戦しようとするが丁度その時、彼の部屋の襖が開き、背に九本の尾を携えた女性が姿を現す。

 

「おはようございます。よくお眠りになられましたか?」

 

「えぇ、おはようございます。藍」

 

 名前を呼ばれた彼女、八雲藍は深く頭を下げる。その声を聞くだけで、彼の心細さはいくらか軽減される。彼女には世話になりっぱなしだ。感謝を述べるといつも、「それが私の役目ですので。紫様はありがとうの一言すら仰ってくださりませんよ」と若干の愚痴をこぼす。

 

「それでは、向かいましょう。紫様もお待ちしております」

 

 そう言って彼女は彼に手を差し伸べる。彼はその手を、そこにある筈の手を取る。

 

「ありがとうございます、藍」

 

「いえ、お気になさらず。(せいら)様」

 

 一言述べた後、彼女はしゅるしゅると青と呼ばれた少年の寝間着を脱がせていく。そしてそれを綺麗に折りたたみ、彼に別の服を着せていく。それが終るとまたテキパキと慣れた動作で彼の使用していた布団を畳み、押し入れにしまう。

 布団を仕舞い整えた後、彼女は青の手を取り歩を進める。自身の手を取ったまま歩き出す藍に、彼、青は少し笑みを零した後、遅れないように彼女について行く。

 藍は歩き出してから自分と手を繋いでいた青の手が真っ直ぐ伸びていることに気づき慌てた様子ですぐに速度を落とし、青と呼ばれた少年に歩幅を合わせる。

 

「藍、幻想郷は今日も美しいですか」

 

「えぇ、紫様が作られた世界は、今日も美しいですよ」

 

 藍の言葉に、青は嬉しそうに頬を緩ませる。この世界を褒められることは、彼にとっては自分が褒められる事のように嬉しいのだ。

 

「おはよう、青」

 

 すると先程まで廊下にいた筈なのに、いつの間にか彼らは食卓の前に立っていた。

 彼らの前には椅子に座ってお茶を嗜む彼の姉、八雲紫と、朝食を右手に左手に、そして頭に乗せて危なっかしく運ぶ藍の式神、橙の姿があった。

 

「おはようございます姉様。橙もそこにいるのですか?」

 

「はい!おはようございます青様!」

 

「はい、おはようございます」

 

「橙、そんなに沢山料理を運ぶんじゃない。危ないだろう」

 

「ごめんなさい藍様…」

 

 藍に注意を受け、肩を落とす橙。反省するのは良いことだが、せめて料理を置いてからにしてほしい。頭上の皿がグラグラ揺れて危ないのなんの。

 

「別に落としていないのだからいいじゃない。それに、貴女がいない間、一人で頑張ってくれたのよ?」

 

「そうだったんですね…ありがとうございます、橙」

 

「えへへ…」

 

 紫と青に褒められ、橙は照れくさそうにはにかむ。

 

「それじゃ、冷めないうちにいただきましょうか」

 

 紫の言葉に、三人はそれぞれ席に着く。そのまま彼女達は手を合わせ、いつもの様に四人で食卓を取り囲んで朝食を取り始めるのだった。

 いつものように四人で食卓を囲み、いつものように姉と過ごし、また眠りにつく。何十、何百、何千年と体験した、いつも通りの一日。

 しかし今日という日を境に彼の日常は少しずつ、時に劇的に変わっていくことになる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二話

 青は、周囲を見る事が出来ない。

 

「はい、青、あ~ん」

 

「あー…ん」

 

 己の姉、八雲紫が自分の口元に持ってきた料理を、青は口を少し開けてそれを受け入れる。

 一体いつ頃だろうか、それとも生まれつきだったのか、青の目は何一つ情報を脳に送ってくれなくなってしまった。

 彼が世界を認識するための情報源は、触感と音、そして匂いだけだ。だから彼は藍や紫がいなければ過ごしていくことが出来ない。

 

「うん、いつも通り美味しいです。藍の作る料理には外れがありませんね」

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

「藍様藍様、おかわりください!」

 

「はいはい、今よそってやるから茶碗を貸してくれ」

 

 和気あいあいと朝食を取る青達。紫はもう一度彼に料理を食べさせた後、彼に対して話しかける。

 

「昨日は一緒に眠れなくてごめんなさいね。急に仕事が入ってしまって」

 

「いえ、姉様は忙しい身ですから、理解はしています。けど、もうあまり昨日の様な事は起こってほしく無いです。心細いので」

 

「えぇ、今度からは全部藍に任せるわ」

 

「え!?私にですか!?」

 

「当然よ。仕事と青なら、私は迷いなく青を選ぶわ」

 

 藍は紫の言葉にがっくりと項垂れる。青は彼女が可哀想に思えたが、それでもこればかりは譲れない。

 

「まぁ、急に仕事が入るなんて滅多に無い事だから、そこまで落ち込む必要は無いわよ」

 

「そうだといいのですが…」

 

「姉様、お茶を取って貰っても宜しいですか?」

 

「えぇ、はいどうぞ」

 

「ありがとうございます」

 

 姉から湯呑みを受け取り、その中に入っている緑茶をコクコクと喉に通していく。

 

「・・・ふぅ、ご馳走様でした」

 

「橙もごちそうさまです!」

 

「あら、もういいの?」

 

「はい、私は自室に戻っています」

 

「なら、橙がお供します!」

 

「ありがとうございます、橙」

 

 青はゆっくりと椅子から立ち上がり、橙に手を引かれて居間を後にする。

 

「藍、今日中にでもあの子に話す事にするわ」

 

「例の件ですね。わかりました。しかし、大丈夫なのでしょうか…」

 

「大丈夫よ。あの子はまだまだ甘えん坊だけど、大分しっかりして来たし」

 

 甘えているのはむしろ紫様では…という言葉を、藍は直前でグッとこらえる。

 

「それに私が行けなくても貴女がいるから。万が一の時はお願いね?」

 

「はい、この命に代えてでも」

 

 藍の言葉に紫は満足そうに頷いた後、己の式神と二人きりの朝食を再開することにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青様、膝の上に寝転んでもいいですか?」

 

「えぇ、構いませんよ」

 

 場所は変わって青の自室、居間を後にした青と橙は、ここでのんびりと過ごしていた。

 橙は青の了承を得た後、正座をしている彼の膝の上に寝転がり丸くなる。

 

「はふぅ…やっぱり青様のお膝は最高ですぅ~」

 

「ふふっ、気に入ってくれている様で何よりです」

 

 そう言って青は橙の頭を撫でる。絶妙な手加減で頭を撫でられ、橙の表情はさらに蕩けていく。

 

「橙は、最近は何か良いことがありましたか?」

 

「はい!この前尻尾と耳を完全に隠す事が出来て、藍様に褒められたんです!」

 

「それは凄いですね…よく頑張りました。偉い偉い」

 

「えへへ…」

 

 青に褒められて、橙は恥ずかしそうに笑みを浮かべる。

 

「橙も藍も、随分立派になりましたね…昔は二人共私の後ろをついて来たというのに、今では私がついて行く側になってしまった…」

 

「青様…」

 

「この目も随分と不便な物です。私は未だに、貴女達の姿がわからない…私の記憶にあるのは、うっすらと憶えている千年以上前の姉様の姿だけ…」

 

 哀しそうな笑みを浮かべながら話す青。そんな彼の姿を見た橙は少しの間黙った後、おもむろに立ち上がる。

 

「橙は…橙は茶色の髪の毛と耳を持っていて、二本の尻尾があるんですよ!」

 

 突拍子も無くそんな事を話す橙に、青はきょとんと不思議そうな表情をする。しかし橙はそんな青を気にせず、さらに言葉を続ける。

 

「藍様は金色の尻尾が九本あって、とってもふかふかで気持ちいいんですよ!」

 

「橙…?」

 

「紫様は…えっと…えっと――わふっ!?」

 

 必死に言葉を絞り出そうとする橙の頭を、青は手探りで器用に撫でる。彼女は自分の為に言ってくれているのだ。自分達の姿を、青がイメージ出来るように。

 

「ありがとうございます、橙。でも大丈夫ですよ。例え姿は見えていなくても、貴女の声を聞いたり、こうして貴女に触れることで、感じることが出来ますから」

 

 気遣ってくれた彼女に感謝の意を表す様に、青はゆっくりと彼女の頭を撫でる。

 

「橙も大変だとは思いますが、頑張ってくださいね。貴女達の成長を感じられるのが、私は嬉しいのです。いつか貴女が八雲の姓を名乗る日を、私は楽しみにしていますよ」

 

「青様…はい!頑張ります!」

 

 青の言葉に、橙は元気よく頷く。いつか自信を持って八雲を名乗れるように頑張ろう。それで紫も藍も、そして青も喜んでくれるのなら、これ以上の喜びは無い。

 しかし今はのんびりしていたいと、再び青の膝に寝転がる。青もそんな彼女に笑みを零しつつも、再び彼女の頭を撫で、穏やかな時間を再開することにした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三話

「青、ちょっといらっしゃい」

 

 橙が自分の膝でくつろぎ始めてから一時間程経った頃、彼の耳に姉の声が入って来る。

 

「こっちよ、こっち」

 

 首を動かす事で声の発生源を辿ろうとする。すると右耳の方から声が聞こえていることが判明した。

 

「わかりました。少し待っていてください」

 

 そう姉に言葉を返してから、橙の頭を撫でる手を止める。先程から自分の膝辺りからすぅすぅという規則正しい息づかいが聞こえる。そして時折彼女の二本の尻尾が手に当たってくすぐったい。どうやら寝てしまっている様だ。

 折角気持ちよく寝ているのに起こすのは気が引けるが、呼ばれてしまった以上起こすしかあるまい。

 

「橙…橙…起きてください」

 

「ん、んぅ…?青しゃま…にゃんですかぁ…?」

 

 彼女の体を軽く揺すると、橙は眠たそうな声で青に問いかける。

 

「姉様に呼ばれてしまいました。すみませんが起きて貰えませんか?」

 

「わかりました…ふぁああ…」

 

 橙は欠伸をして彼の膝の上で軽く伸びをした後、彼の膝の上から降りる。それを感触で確認した後、青は痺れている足を使って立ち上がる。

 

「大丈夫かしら?さぁ、私の手を取って…」

 

 紫は青の手に己の手を重ね、ゆっくりと彼の手を引いて行く。彼女が向かった先は、八雲の屋敷にある一室だ。扉を閉めると先程まで聞こえていた皿を洗う水の音が消え、まるでこの世界に二人しかいない様な感覚に陥る。

 

「いきなり呼び出しちゃって、橙には悪い事しちゃったわね」

 

 青を座布団に座らせた紫は、自分も同じ様に腰を下ろしてからそう言葉を零す。

 

「あの子は物わかりが良いので大丈夫でしょう。それで、一体何の御用でしょうか」

 

 青の言葉に紫は少しの間黙った後、ゆっくりと口を開く。

 

「・・・青、貴方は今年でいくつかしら」

 

「・・・?そうですね…千五百は超えているでしょうが…詳しくは憶えておりません」

 

 突然の質問に青の頭には疑問符が浮かぶが、姉の質問に大人しく答える。

 

「そう…ずいぶん大きくなったわね…」

 

 紫は感慨深そうに呟いた後、再び口を開く。

 

「青、貴方には今日から外出を許可します。この世界を、私達の幻想郷を見て来なさい」

 

「・・・え?」

 

 紫の言葉に青は呆けた様な表情をする。紫としては、この反応は少しだけ予想外だった。

 

「あら、もう少し驚いてくれると思っていたのだけれど、嬉しく無いのかしら?」

 

「いえ…突然の事で少々困惑してしまって…でも、良いんですか?」

 

 今まで随分長い事生きてきたが、この不自由な目が故に一度も外出を許可されたことは無かった。自分もそれは正しい判断だと思っていたし、不満も無かった。しかし、外に出たいという思いが無かったわけでは無い。それ故に姉の口から呆気なく出されたその一言は、彼にとって完全に予想外の発言だった。

 

「えぇ、と言っても、流石に一人で行かせることは出来ないわ。だから外出する際は藍が付きそうことになるけれど」

 

「はい、それは構いません。自分としては、外に出る事が出来るだけで嬉しいので」

 

「そう…ごめんなさいね。この決断をするまでにこれ程時間が経ってしまって」

 

「いえ、それじゃあ、早速明日出掛けても良いですか?」

 

「えぇ、構わないわよ。藍には言っておくわ」

 

「ありがとうございます」

 

 彼を呼んだ理由はそれだけだったのか、紫は立ち上がって青の下に向かい、彼の手を取る。

 青はそのままゆっくりと立ち上がり部屋を後にするのだった。年甲斐も無くわくわくしてしまっているなぁ…と思いながら。

 

 

 

 

 

「・・・」

 

 夜は、嫌いだ。

 しかしそれは暗闇が理由では無い。目が機能していない彼にとっては、常に暗闇が故に昼だろうが夜だろうが変わらないのだ。

 ならば何故、夜が嫌いなのかと言うと…

 

「・・・」

 

 これだ。この静寂こそが、青が何よりも嫌う物。目の見えない青にとって、聴覚は外の情報を得るのに最も重要な器官と言っても良い。夜の静寂は、そんな耳に一切の刺激が無い。

 まるでこの世界が自分一人だけになってしまったかのような、どうしようもない孤独感が押し寄せて来るのだ。

 こうして横になっているだけで、涙が零れてしまいそうになる。千五百年が経っても、自分は子供のままだ。

 

「姉様…!」

 

 彼の目に溜まっていた涙が、目尻から流れていく。しかしそれは布団に流れ着くことは無く、誰かによって拭われる。

 

「少し遅くなってしまったわね。ごめんなさい」

 

「姉様…!」

 

 再び彼が己の姉を呼んだ時、それは先程とは意味が違っていた。青はその声が聞こえた方に手を伸ばし、彼女の感触を探っていく。

 すると青の手が暖かい物に包まれる。八雲紫が、彼の手を握った証拠だった。

 彼女の手によってその存在を特定した青は、体を動かして姉に抱き着く。

 

「姉様…姉様…!」

 

「やっぱり何年経っても、貴女は子供のままね…」

 

「いいです。こんなに孤独な思いをしないといけないのなら、子供のままでいいです」

 

 そう言って彼女の胸に頭をぐりぐりと擦りつける青。暫くそうしていると紫がいる方とは反対側からも布が擦れる音がし、青は驚いてそちらに振り向く。

 

「あ、申し訳ありません青様。驚かせてしまった様ですね」

 

「藍…」

 

 何故藍がここに…そのことを考えるよりも速く、青の体の上に重みが加わる。

 

「橙もいますよ…!」

 

 元気よく、しかし気を使って小さい声で喋る橙。

 

「何故二人がここに…」

 

 先程までの様子を従者である二人に見られたことに青は漸く気が付き、その顔を僅かに赤らめる。

 

「今日は皆で寝ようかと思ったのよ」

 

 左耳から紫の声が聞こえ、相当近くにいるのだろう、藍の息が彼の右耳をくすぐる。さらに胸からお腹にかけては橙の重みと、暖かさが伝わって来る。

 

「姉様と橙はともかく、藍と一緒に寝るのは随分久しぶりですね…」

 

「そうですね。最後に一緒に寝たのは…もう五百年も前になるのでしょうか…」

 

 彼女がこれ程までに成長するとは…青は思わず藍の頭に触れ、彼女を優しく撫でる。突然のことに藍は少しだけ声を漏らすが、すぐに大人しくなりそれを受け入れる。

 

「青様、橙も撫でて欲しいです…」

 

「えぇ、わかりましたよ」

 

 彼女の要望に応え、もう片方の手で頭を撫でる。するとかなりリラックスしたのか、橙が腰に手を回して来た。脇腹に彼女の腕が当たってくすぐったい。

 

「二人共青とそんなに密着して…ずるいわ。青は私の弟なのよ?」

 

 少し拗ねた声音で紫がそう呟く。その直後、彼の頭が彼女の腕によって包まれる。

 何時ものように自分を抱き締めてくれる姉の暖かさ。それを感じて青の意識は段々と微睡んでいく。

 

「やっぱり…姉様に包まれていると…安心…します」

 

「そう、それは良かったわ。その安心感に身を委ねて、ゆっくりお休みなさい…」

 

 そう言って紫は、彼の額にそっと口づけをする。彼はゆっくりと、幸せを感じたまま、完全に暗闇へと落ちていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

四話

 遠くから、雀の鳴き声が聞こえる。もう朝になったのだろうか。

 

「ん…」

 

 青はゆっくりと両腕を動かし、周囲の状況を確認する。すると左手に何かが当たった。その手を少し上に持っていくと、そこに一定のリズムで風が当たる。どうやら己の姉はまだ、自分の隣にいる様だ。

 しかしそれとは対照的に右手には何かが当たる様な感触はしない。どうやら藍は既に起きている様だ。普段より少しだけ早く起きてしまった様だ。今日が楽しみだったからだろうか。楽しみのあまり早く起きてしまうなんて、やはり自分はまだまだ子供だなと実感する。

 二度寝してもよかったが、折角だし早起きでもしよう。そう思い彼は上半身だけ体を起こす。その後自分の丹田の辺りにいる橙を起こさない様にゆっくりと移動させ、立ち上がる。

 そのまま彼は壁に手をついて廊下を歩いて行く。この屋敷の構造は既に頭の中に入っているから、一人でも歩こうと思えば歩くことが出来る。

 

「やはり朝はいいですね。涼しくて清々しい」

 

 朝の空気を肺一杯に吸い込み、そして吐き出す。そんな事を何度か繰り返していると、食欲をそそるいい香りが向こう――台所の方から漂ってくる。

 ゆっくり、ゆっくりと手をつきながらそちらへ向かう。誰がいるかは、既に予想がついていた。

 

「おはようございます、藍。いつも早いですね」

 

「え…青様?大丈夫ですか!?」

 

 まさかいきなり現れたのが青だとは思っていなかった藍は、大慌てで彼の方に向かい、介抱をする。

 

「大丈夫ですよ。家の構造は殆ど憶えていますから。一人でも歩くことは出来ます」

 

「だとしてももしもという事があります!」

 

 怒らせてしまっただろうか。青を座らせた彼女は小さく息をつくと、再び調理に戻る。

 

「もう少しで朝食が出来ますので、そこで大人しくしていてください」

 

「・・・そう言われると、動きたくなってしまいますね」

 

「一体いくつですか貴方は…!」

 

「冗談ですよ、冗談」

 

 青は苦笑交じりに藍を宥める。

 

「今日は初めて外に出られるので、少しだけ舞い上がっているのかもしれません」

 

「あぁ、そうでしたね。それと、本日は私が同行することになっておりますので」

 

「そうなんですか。私に付き合わせてしまって申し訳ないです」

 

「いえ、それが式神の務めですから」

 

 藍は青と会話をしながら動かしていた手を止め、カンカンと鍋の淵でお玉を叩く。

 

「よし、出来上がりました。紫様と橙を起こしてきますので、少々お待ちください」

 

 青に一言断りを入れて、彼女はスタスタと廊下を歩いて行く。

 これ以上彼女をヒヤヒヤさせると叱られそうだと思い、青は大人しく彼女の帰りを待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは紫様、行って参ります」

 

「えぇ、行ってらっしゃい。気を付けてね」

 

「藍しゃま、青様、行ってらっしゃいです!」

 

「はい。ありがとうございます橙」

 

 時間は少々経過し、食事を終えた青は藍と共に初めて外へと踏み出そうとしていた。彼の隣には藍が付き添っており、橙と紫は彼らを見送る。

 藍に手を引かれて、青は玄関の敷居を跨いで外へと歩き出す。二人は彼らの姿が見えなくなるまで見送った後、扉を閉めて家へと戻る。

 

「橙はこれからどうするの?」

 

「橙はこれから猫たちの所に遊びに行きます!」

 

「そう、気を付けて行ってきなさい。夕飯までには帰るのよ?」

 

 紫の言葉に橙は元気よく返事をした後、庭の方へと走っていく。それを見送った紫はスキマを開き、その中へと入る。

 

「邪魔するわよ、幽々子」

 

 そう言ってスキマを超えた先には、縁側に座る一人の女性がいた。

 

「もうお邪魔しているじゃないの、紫」

 

 そう言って笑みを浮かべる女性。彼女は西行寺幽々子。この屋敷、白玉楼の主をしている亡霊である。

 

「あら、貴女だけ?藍ちゃんはいないの?」

 

「あの子は今出かけているわ」

 

「じゃあ青ちゃんは?いつも一緒に来てくれるじゃない。まさか私嫌われちゃったの?」

 

「違うわよ。青も藍と一緒に出掛けているわ。正確には青に藍が付き添っているのだけれど」

 

 紫が何気なく発した言葉に、幽々子は驚きのあまり動けなくなってしまう。

 

「・・・幽々子?」

 

「紫が青ちゃんの外出を許可するなんて…!?一体どういう風の吹き回し!?」

 

「失礼ね。あの子はもう少し見聞を広めるべきだと思った。それだけよ」

 

「・・・それ、大丈夫なの?」

 

 その返答をする前に、紫は幽々子のいる縁側へと向かい、彼女の隣に腰かける。

 

「全然良くないわよぉ~!」

 

 次の瞬間、紫は大声を上げて床の上をゴロゴロと転がり回る。もうそこには先程までの賢者としての、姉としての威厳など欠片も無かった。

 

「青、大丈夫かしらぁ…悪い妖怪に襲われたりしてないかしら…変な女に誑かされたりしないかしら…!?」

 

「そんなことは藍ちゃんが絶対に許さないから大丈夫よ」

 

「でも…でもぉ…心配なのよぉ!」

 

「そんなに心配ならなんで外に出ていいなんて言ったのよ…」

 

「だって可哀想だったんだもん!あの子が毎日出掛ける橙と藍を見ながら羨ましそうにしているのよ!?可哀想過ぎるでしょ!」

 

 あいかわらずの過保護っぷりに呆れる幽々子だが、少しだけほっとしていた。青を外に出すなど、よっぽど考えられないことだ。過保護ではない紫など、それは最早偽者かと疑うべきである。

 

「なら見守っていればいいじゃない。貴女の能力ならそれが可能でしょう?」

 

 彼女の能力《境界を操る程度の能力》を持ってすれば青の行動を逐一監視して危険を排除することくらい容易いだろう。そう思っての提案だった。

 

「でも、それじゃあ何の意味も…むぐぐ…」

 

 頭を抱え本気で苦悩する紫、これ程悩んでいるのは、長い付き合いである幽々子も見た事が無かった。

 

「やっぱりやめておくわ。私が守り過ぎていたら、あの子の為にならないもの」

 

「・・・紫にも、そんな発想が出来たのね」

 

「さっきから失礼ね」

 

「まぁまぁ、あの子を信じたのなら私達はここで大人しく待ちましょう。妖夢にお茶を持ってきて貰うわね」

 

 幽々子はそう言って、一度縁側を後にする。紫は一度深呼吸をした後縁側に座り直し、幽々子の帰りを待つのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

五話

「大丈夫ですか?青様」

 

「えぇ、大丈夫です。もっと早く歩いても構いませんよ」

 

 八雲家を後にしてから数分程経った頃、二人は森の中をゆっくりと歩いていた。藍は一瞬空を飛ぼうか迷ったが、目が見えない中いきなり己の体が宙に浮くのは相当怖いだろうと思いやめておいた。それに万が一彼を落としてしまってはいけないからだ。

 彼はもっと歩く速度を上げても良いと言っているが、当然そんなことはしない。もしそんな事をして青が怪我でもしたら、己の主に顔向け出来ないからだ。

 

「ところで、今はどちらへ?」

 

「取り敢えず、博麗神社に向かおうかと。あそこには博麗の巫女という幻想郷の維持を担う人間がおりますので」

 

「・・・時折屋敷にも顔を覗かせていた、あの赤子ですか?」

 

「憶えていらしたんですね」

 

「えぇ、人間の赤子を触れたのは、あれが最初で最後の事でしたので」

 

 妖怪である彼にとって、十数年など一瞬だ。赤子が家に来た時のことを、まるで昨日の事の様に懐かしむ。

 

「あの子も今は、赤子から少女に成長していますよ。精神も成長しているのかと言えば、些か疑問が残りますが…あ、そこに段差がありますので、お気を付けください」

 

 頭に欲望に忠実な巫女を思い浮かべながら、藍は言葉を綴る。まぁ、金の価値が理解出来ているという点においては、成長なのだろう。

 

「彼女達は人間と妖怪の立場を調整する存在として、妖怪達が引き起こす異変を解決しているのです」

 

「そうなんですね…彼女達?」

 

「博麗の巫女の幼馴染である人間ですよ。それ以外にも人妖問わず様々な者と協力して異変を解決しています。彼女には不思議と人が集まって来るんです」

 

「姉様の持つカリスマ性の様な物なのでしょうか…?」

 

「そうかもしれませんね――っと、到着しましたよ」

 

 彼女の言葉に、青は歩くのを止める。どうやら無事に博麗神社に到着した様だ。かなり時間がかかったので、徒歩でここに来ることは今後少ないかもしれない。姉の能力を利用するだろう。

 そんなことをなんとなく考えていると、隣にいた藍から声がかかる。

 

「青様、これから92段程階段が続きます。流石にこの量の階段は危険ですので、私が青様を担いで飛ぼうと考えているのですが、宜しいですか?」

 

「えぇ、構いませんよ。ここで転んでしまっては、迷惑をかけるだけですので」

 

 青の了承を得た後、彼女は青の膝の下に手を通す。

 

「・・・どうして、お姫様だっこなのですか?」

 

「こちらの方が楽ですので。すぐに到着しますから、我慢してください」

 

 些か不満だが、これ以上何か言って時間を潰すのも勿体ない。青は仕方なく諦めて、彼女の胸に体を預けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの…藍、もう降ろしてくれませんか?」

 

「何を言っているのですか青様。まだ半分も登り切っていないのですよ?」

 

「いや嘘ですよね?さっき普通に地に足を着ける音が聞こえましたよ?」

 

 彼女は自分が不自由なのが耳だとでも思っているのだろうか。流石にそれくらいは聞こえる。

 藍は誤魔化す事が出来ない事を悟ったのか、渋々と言った様子で青を降ろす。

 

「・・・落ち葉の感触が無い。掃除は行き届いている様ですね」

 

「その発言、山の仙人や閻魔の様ですね」

 

「やはり目が見えないとなると、己の歩く場所が散らかっているというのは、かなり怖いので」

 

 そう言って彼は恐る恐ると言った様子で前へと歩いて行く。藍は慌てて彼の手を取り、彼が転ばぬようにエスコートする。

 

「この神社は、新しいのですか?」

 

「新しい、とは言えませんね。幻想郷創設当初とまでは行きませんが、建てられてからそれなりの年月が経っていますので。修理しようにもここは人里から離れており、皆妖怪を恐れて近づこうとしませんので」

 

「それは…ここの住人も苦労していそうですね」

 

「どうでしょう…おや、先客がいましたか」

 

 藍と共に神社の方へ近づいて行く程に、段々と彼ら以外の人声が聞こえてくる。しかしそれは一つでは無く、複数の声がした。

 

「ささっ、青様、中に入ってしまいましょう」

 

「え、家主の許可なしに入ってしまっても良いんですか?」

 

「大丈夫ですよ。この神社を訪れる妖精や鬼は、一々確認等しませんから」

 

 そう言って藍は言葉通り戸を叩くことすらせずに扉を開け、ズカズカと家に足を踏み入れる。勿論青が転ばぬ様、細心の注意を払ってだが。

 

「やぁ、霊夢。邪魔しているぞ。魔理沙もいたのか」

 

「紫のトコの式神じゃないか。紫はともかく、お前がここに来るなんて珍しいな」

 

「全く…なんで家に来る奴はどいつもこいつも勝手に入って来るのよ――あら?」

 

 居間にいた二人の少女はどちらも違った反応を見せるが、その内の一人が青の存在に気が付く。

 

「うん?見慣れない奴がいるな。誰だソイツ?」

 

 もう一人の金髪の少女も彼の存在に気づいたのか、藍に訝し気な視線を向ける。

 しかし藍が答えるよりも先に、青が口を開く。

 

「貴女が、博麗の巫女ですか?」

 

 その視線は、真っ直ぐに金髪の少女の方を向いていた。

 

「何言ってるんだ?私は霧雨魔理沙、普通の魔法使いだ!霊夢の事を知らないなんて、珍しい奴だな」

 

「あぁ、すみませんね。なにぶんずっと屋敷に籠っていた上に、目が不自由な物で」

 

 会話が一区切りついたタイミングで、藍がコホンと一つ咳ばらいをして、注目を自分に戻す。

 

「お前達に紹介しておこう。この方は八雲青様、紫様の弟君であらせられる方だ」

 

「うっそだろ…?」

 

「へぇ、あのスキマ妖怪に弟なんていたのね」

 

 魔理沙と名乗った少女は驚愕のあまり目を見開き、霊夢と呼ばれた少女はあまり大きな反応を見せない。さほど興味が無いのだろうか。

 

「初めまして。魔法使いのお嬢さんに博麗の巫女。藍の申した通り、私は八雲青と申します。この体の都合上あまり関わる機会は多くないかもしれませんが、宜しくお願い致します」

 

「あ、あぁ、宜しくな」

 

「・・・随分と礼儀正しい奴が来たわね」

 

 二人の物珍しそうな視線が一層強まったのを、青は感じた。幻想郷の住人には、自分の様に普段から敬語を使う者が少ないのだろうか。

 

「青様、どうなされますか?もう少しここにいる事も可能ですが…」

 

「そうですね…後はどのくらい行く場所が残っているのですか?」

 

「えぇっと…流石にこの一日で全てを回りきるのは不可能でしょうから…本日は五大老を除いた主な幻想郷勢力への訪問ですかね。吸血鬼の館に妖怪の山、人里にも向かう必要があるでしょうし、流石に神霊廟は…いや行けるのでしょうか」

 

「・・・成程、行かねばならない所が山ほどあるのがわかりました」

 

 藍の止まることを知らない言葉に若干気圧されつつも、青は仕方ないかと小さく溜め息を吐く。この幻想郷において、『八雲紫の弟』という立ち位置はとてつもなく重要なのだ。自分もそれくらいは理解している。

 青は視線を藍から霊夢達がいるであろう場所へと戻し、口を開く。

 

「そういう訳ですのでお二人共、来たばかりで申し訳ありませんが、そろそろお暇させていただきます」

 

「あぁ、まぁ、その、なんだ…頑張れよな!」

 

「どの道近々宴会やることになるだろうから、その時にまた会うのでしょうけどね」

 

「宴会…ですか?」

 

「えぇ、幻想郷の住人は事あるごとに宴会を開きたがるから。紫の弟ってことは貴方は新参者では無く大分古参なんでしょうけど、知らなかったら新参者と同じよ。そういう理由」

 

「成程…姉様の許可がおりたら、参加させてもらいます」

 

「えぇ、貴方が主役なんだから、貴方がいないと成立しないわよ」

 

 そう言った後、彼女はじゃあね~と軽い別れの挨拶を述べる。青はそれに丁寧なお辞儀を返した後、藍に手を引かれて博麗神社を後にするのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

六話

「先程の二人が異変解決を行っている人間なのですが、どうでしたか?」

 

 博麗神社に続く道を、藍と青の二人は神社とは反対側に進んでいく。その途中で藍が口を開き、青に質問を投げかけて来る。

 

「どう…と言われましても、私が彼女達と話したのはほんの数分あまり、はっきりしたことを申し上げることは出来ませんよ?」

 

「承知しております。簡単で構いませんので、彼女達の印象をお聞きしたく…」

 

 藍の言葉に青は立ち止まり、そうですね…と少しの間思案する。

 

「人間らしい…と言うべきでしょうか」

 

「人間らしい?」

 

「えぇ、霊夢さんの方は周りの殆どに興味が無さそうな印象を抱きました。対して魔理沙さんの方は年相応に周りの事全てに興味津々な様子。いわばあの二人は極端なんです。姉様の様に他人に内なる感情を見せない訳でも、幽々子嬢の様に常に周囲に笑顔を振り撒いている訳でも無い。言い方を変えれば、まだ若いという事も出来ますね」

 

「成程…貴重なご意見、ありがとうございます」

 

「と言っても、顔すら伺う事の出来ない哀れな妖怪の独り言ですがね」

 

 自虐を零し苦笑を浮かべた後、青は再び歩き出そうとするが、一歩踏み出した途端に彼の懐から何かが落ちる。

 

「青様、懐から何か落ちましたよ?」

 

「え…?あぁ、本当ですね」

 

 彼女の言葉を聞いて懐を探り、青は何を紛失したのか推測する。

 

「どうやら煙管を落としてしまった様ですね」

 

「煙管?青様、お煙草を吸っておられましたか?」

 

「いえ、私は煙草は吸いませんよ。古い友人からの貰い物なんです。昔は八雲の屋敷には何故か多くの妖怪が姉様の目を盗んで訪れましてね、その方々を相手していたので、友人は結構多いんですよ」

 

「・・・それは、大丈夫なんですか?」

 

「もう昔の話ですから、今はそんなことはありませんよ。あの人達は、今は何をしているんでしょう…」

 

 青は少し懐かしむ様に昔を思い返していたが、すぐに気持ちを現実に引き戻す。

 

「っと、まずは煙管を取り戻しましょう。藍、私は煙管を取って来るので、そこで待っていてください」

 

「いえ、私も同行致します」

 

「大丈夫ですよ。転がる音で何処に行ったかはわかります。数分程で戻ってきますので、心配しないでください」

 

「・・・わかりました。三分でお戻りください。それ以上かかった場合には、探させていただきます」

 

「わかりました」

 

 青は彼女に返事をした後、茂みの中へと消えて行った。それを見届けた藍は、頭の中で数を数え始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて…」

 

 茂みの中に入って数歩歩いた後、青は足元に落ちている煙管を拾う。煙管はほんの十数秒茂みを進んだだけで見つかった。あまり遠くに転がって行ってはいない様だ。そうなるような力加減で転がしたのだから、それも当然なのだが。

 しかし煙管がすぐに見つかっても、青は藍の下には戻らない。本当の目的は、別にあるのだ。

 青は手探りで前方へと歩き、少し進んだ先にある木の前で足を止める。

 

「貴女と会うのも…随分と久しぶりですね」

 

 目の前の木に話しかける青。ここだけを見ればただの頭のおかしい妖怪だが、当然だが彼は木に話しかけた訳では無い。

 

「・・・どうして目が見えないのに、私がいる事がわかったのかしら」

 

 そう言って木の影から現れたのは、リボンを付けた金髪の少女だった。彼の目が見えないことも知っているのか、彼の手を取って自分がここにいるという事を証明する。

 

「人は五感の一つを失うと他の感覚が鋭くなると言いますが、妖怪の場合はそれが顕著なのでしょう。・・・最後に会った時よりも随分と背が低くなって…私と同じくらいになっている様ですが、久しぶりですね、ルーミアさん」

 

「さん付けはいらないって何度も言っているでしょう。それと身長に関しては余計なお世話よ」

 

「まぁ、そうなった理由に関しては自分もある程度は知っています。ですが無事なようで何よりです」

 

「力の殆どを失ったこの状態が無事と言えるのならそうね…貴方も変わっていない様で何よりだわ」

 

「私はあの時と同じように、ずっと屋敷に籠っていますよ。今日外出出来るようになりましたが」

 

「あぁ、そういえば貴方は八雲の者だったわね。本当…惜しいわ」

 

「惜しい…ですか?」

 

「えぇ、流石に八雲紫の腕の中にいるようじゃ、私の物には出来ないと思ったのよ」

 

「あぁ、そういう…確かに私は、貴女の物になるつもりはありませんよ。少なくとも今は…ですが」

 

「連れないわねぇ…昔はお互いに愛を貪りあった仲じゃない」

 

「貪りあったのでは無く、貴女が一方的に捕食したの間違いでしょうに…姉様に隠すのは大変だったんですよ?」

 

「むしろ私はどうして事後なのにあんなに平然と出来たのか不思議よ」

 

「まぁ、今までにもそういったことが何度かありましたので」

 

「え…噓でしょ?私以外にも襲った奴がいたの?」

 

「ふふっ、それはどうでしょう…?」

 

 青は先程まで藍に見せていたものとは全く違う妖艶な笑みを浮かべ、ルーミアの唇に人差し指を当てる。突然のことに心の準備が出来なかったルーミアは思わず顔を赤くする。この姿を彼に見られなくてよかったと思うと同時に、ルーミアは僅かな怒りを抱いた。このままでは、彼の思う壺では無いか。

 

「さて、そろそろ戻る事にしましょうか」

 

「・・・このまま帰るつもり?」

 

「藍に三分で帰って来る様に言われているので。流石に貴女も、彼女と迂闊に接触するのは不味いでしょう?」

 

「それもそうね」

 

「またいつか会いましょうね。私を襲った責任は、しっかりと取って貰いますよ」

 

 そう言って青は彼女の頭を撫で、そっと唇に口づけをする。そして踵を返し、茂みの外へと歩いて行った。

 

「恐ろしい人…」

 

 先程までしていた柔らかい感触を名残惜しむ様に、ルーミアは自分の唇に触れる。暫くしてから顔の火照りを冷ますように、茂みの奥へと消えていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七話

「ふぅ、なんとか見つける事が出来ました」

 

 ルーミアとの密会を終わらせた青は、何も無かったかのように藍の下へと戻った。

 

「・・・きっかり三分、ですね。ご無事の様で、安心しました」

 

「藍はもう少し肩の力を抜いても良いと思いますよ。私だって妖怪の端くれ。そう簡単に死ぬことはありませんし、傷だって少しすれば回復します」

 

「そういう訳には行きません。これは私に与えられた任務ですので、怠る事など」

 

「昔から真面目と言いますか…頭が固いと言いますか…貴女に気の許せる友人はいるんですか?」

 

「ふぐっ!?」

 

 青の何気ないその一言は藍にとってはクリティカルヒットだったらしい。グサッという音と藍のうめき声が聞こえた。

 

「べ、別に構いません…私には橙がいますし…」

 

「私達の下から藍が離れた様に、橙もいつか貴女の手を借りなくとも仕事をこなせる日が来ますよ」

 

「聞こえません…私は何も聞いていません」

 

「あらら…現実逃避をしてしまいました」

 

 しまいには耳を塞いでしまった藍に青は思わず嘆息する。そのまま一人で歩き出すが、藍は任務を放棄する訳には行かないので渋々現実を見る。

 

「さて…次はどこに向かうのですか?」

 

「はい、人里へ行こうかと考えておりましたが、あの場所は人間の住処、八雲との関係はそこまで深い物では無い故、行き先を変更し紅魔館へと向かいます」

 

「成程、その紅魔館とやらはどんな場所なのですか?」

 

「吸血鬼が支配する紅い館です。この先にある霧の湖の向こうに存在します」

 

「ほう、吸血鬼ですか…流石に出会った事は無いので楽しみですね」

 

 新たな種族との対面を前に、青は若干浮足立った状態で紅魔館を目指す。途中で危うく転びそうになり藍に叱られる事になるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、青様、無事に紅魔館に着きましたね」

 

「・・・だとしたら何故、かれこれ五分もの間ここで立ち止まっているのですか」

 

 無事に霧の湖を超え、紅魔館へと到着した青と藍。しかし青の言った通り、藍は何故かこれより先へと進もうとしないのだ。

 

「では青様、先程から何か聞こえませんか?」

 

「え…?確かにここに着いた時から何か規則正しい音が聞こえていますが…」

 

「・・・それはですね、この館の門番の寝息です」

 

「え…?」

 

 藍の言っていることがイマイチ信じられなかったのか、青は思わず聞き返してしまう。

 

「それは…門番と言えるのですか?」

 

「この館に限っては、門番と言うことが出来る様です」

 

「えぇ…」

 

 藍の返答に青は思わず呆れたような声を出してしまう。藍も流石にこれ以上待つつもりは無いのか、寝ている門番に話しかける。

 

「おい、いい加減起きろ門番。さもなくばナイフで刺すぞ」

 

「藍、いきなり何を「ひゃぁあ!起きてます!起きてますよ咲夜さぁん!」」

 

 藍の突然の言動に青はその真意を問おうとするが、それよりも早くに聞いた事の無い声、恐らく目の前にいるであろう女性から発せられたであろう声が、彼の耳を突き抜ける。

 

「全く、そんなに罰が怖いのなら、寝なければいい話だろう…」

 

「アハハ…生理現象ですから――って、あれ?随分と珍しい方がいらっしゃいましたね。藍さんはともかくとして、そちらの方は…?」

 

「初めまして、門番さん。私は八雲青、妖怪の賢者八雲紫の弟である妖怪です。目が見えないので貴女が何処にいるのかはわかりませんが、顔はこちらに向けていて大丈夫ですか?」

 

「あ、はい、問題ありませんよ。私は紅美鈴と申します。この紅い館、紅魔館の門番を務めている妖怪です」

 

「今日は幻想郷の各勢力に青様の紹介をしていてな。アポ無しですまないが、この館の主、レミリア・スカーレットに会いたいのだが、宜しいか?」

 

「お嬢様への御用ですね?はい、大丈夫ですよ。アポも必要ありません。幻想郷でその有無を確認する人の方が珍しいですから」

 

「ふむ、そうか、ありがとう。では、入らせて貰う」

 

「どうぞお通りください。あ、青様は目がご不自由なんですよね?宜しければ私がエスコートを引き受けますが、よろしいですか?」

 

「ありがとうございます美鈴さん。しかし私は自分の従者を信用しておりますので。それと、様付けは必要ありませんよ」

 

「わかりました。それでは藍さん、青さん、どうぞごゆっくり」

 

 そこにいるであろう美鈴に軽く会釈した後、青は藍に手を引かれて紅魔館の敷地へと入っていく。途中で館内の者に伝えなくても大丈夫なのかとも考えたが、今更気にしても遅いかとその考えを切り捨て、置いて行かれることの無いように僅かに歩く速度を速めるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

八話

「さて、無事に館内へと入ることは出来ましたが…これからどうするのですか?」

 

 扉の音が閉まったのを確認して、青は藍に問いかける。

 扉の音や自分の声が周囲に良く響く。どうやらこの屋敷は相当広い様だ。

 

「予定通り、この屋敷の主であるレミリア・スカーレットに会うつもりです」

 

「それはわかっていますが、美鈴さんは私達の事を伝えた様子は無かったですよね?このまま勝手に主のレミリアさん?の下に向かっては不法侵入になってしまうのでは?」

 

「それはご安心を。私の予想が正しければそろそろ―「あら、いつもの白黒ネズミが来たかと思ったら」」

 

「!?」

 

 先程まで自分達以外に誰もいなかった筈。音も無く現れた存在に、青は思わず一歩後ろに後退ってしまう。

 

「あぁ、申し訳ございません。そんなに驚かすつもりは無かったのですが」

 

「我々は侵入者では無い。ちゃんとこの館の門番から許可を得ている」

 

「そうでしたか。失礼しました。そちらの方は初めてお見えになりますね。私、紅魔館のメイド長を務めております、十六夜咲夜と申しますわ」

 

「あ、はい。私は八雲青と言います。本日はこの館の主に一度ご挨拶をと…」

 

「レミリアお嬢様へのご用件ですね?かしこまりました。お嬢様の下へ案内致します」

 

「あぁ、そうしてくれると助かる」

 

 藍の言葉に頷き、咲夜が先導する。それを追いかける様にして藍が、その後ろを青が歩く。

 

「・・・青様、差し支えなければお聞きしたいのですが」

 

「はい、何ですか?それと様付けは必要ありませんよ」

 

「かしこまりました。それと、お聞きしたいことなのですが…何故青さんはずっと目を閉じているのですか?」

 

「あぁ、それは必要無いからですよ」

 

「必要無い?」

 

「えぇ、私は生まれつき目が不自由でしてね。開けても視界に入れることの出来る景色が無いんです」

 

「・・・申し訳ありません。不躾に」

 

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 

「青様、それを自覚しているならあまりはしゃぎすぎないでいただきたいのですが…」

 

「あはは…気をつけます」

 

 藍の言葉に青は自分の頬をポリポリとかく。きっと彼女は今半目で自分のことを見ているのだろう。視線が痛い。

 

「ふふっ、仲が宜しいのですね」

 

「えぇ、私には勿体ないくらいの式ですよ」

 

「・・・そう言う事を恥ずかしげもなく言うのは、ズルいと思います」

 

「事実ですから」

 

 クスクスと笑う青に、藍はむぅ、と唸る。年上の余裕という物が今の彼からは感じられた。

 

「到着しましたよ」

 

 二人が会話に花を咲かせていると、前方を歩いていた咲夜から声がかかる。

 

「この扉の先に、お嬢様がいらっしゃいます」

 

 彼女はそう言った後、そこにあるであろう扉を四回ノックする。

 

「お嬢様、咲夜です。八雲の者がいらっしゃいました」

 

「通しなさい」

 

 扉の向こうから聞こえて来たのは、まだ少し幼さを感じる声。しかし威厳を持ったその声は、この先に屋敷の主がいるという事を実感させる。

 

「行きますよ。青様」

 

 扉が開く音がした後その声と共に、藍が青の手を引いて室内へと入っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、予想が外れたわね。てっきりあのスキマ妖怪が来るのかと思ったのだけれど…」

 

 二人が部屋に入るなり聞こえたのは、そんな拍子抜けした様な声だった。

 

「お初にお目にかかります。私は八雲青、妖怪の賢者八雲紫の弟です。本日は幻想郷の各勢力への挨拶回りということで、この館へと参った次第です」

 

「弟?へぇ…あのスキマ妖怪と違って、随分と下に出るわね。私はこの紅魔館の主、レミリア・スカーレット。夜を支配する吸血鬼よ」

 

「吸血鬼…やはり話に聞く通り、日光が苦手なのですか?」

 

「え?まぁ、確かにそうだけど…そんなことはどうでもいいのよ。貴方、紅茶はいけるかしら?」

 

「紅茶ですか?まぁ、たまに嗜む程度ですが…」

 

「そう…取り敢えず座って頂戴な。咲夜」

 

「かしこまりました」

 

「ッ!?咲夜さん急に近づいて来ないでください。心臓に悪いです」

 

「あら、失礼」

 

 咲夜は青の言葉に返答しながらも、カチャカチャとテーブルに何かを置いている。恐らく紅茶の用意をしているのだろう。青は藍の介抱を受けながらテーブルの方へと歩いて行き、椅子に腰かける。

 

「すみませんね。目が見えないばかりにこの様になってしまい」

 

「別に気にしないわよ。ただ、貴方の目に私の姿を焼き付けることが出来ないのは残念に思うけどね」

 

「ふふっ、誘っているんですか?」

 

「冗談よ、冗談」

 

「そうですか、それは残念ですね。ところで藍、貴女も座ったらどうですか?」

 

「いえ、私は従者ですから」

 

「相変わらず固いですねぇ…さっきも言いましたか」

 

 青は手探りで紅茶のカップを探し当て、ゆっくりと口に含む。

 

「・・・素晴らしいですね。素人である私が評価することすら烏滸がましい」

 

「お褒め頂き光栄です」

 

「・・・咲夜の紅茶なんだから美味しいのは当然として、もっといい褒め方あったんじゃないの?」

 

 レミリアの指摘を青は華麗にスルーして、再び紅茶を口に含む。

 

「ところでレミリアさん、一つ気になったことがあったのですが…」

 

「何かしら?答えられる範囲なら答えるけれど」

 

「先程咲夜さんに案内されている時に、一か所だけ空気の流れが違う場所があったんです。恐らくは下へと続いているのでしょう。それは一体、何処へと続いているのですか?」

 

「・・・貴方も大妖怪なのかしら?」

 

「まぁ、それなりに長い年月を生きていますから。戦わずともそれなりのことは出来ます」

 

「空気の流れをそこまで正確に読むなんて、平常で出来ることでは無いわよ」

 

「誉め言葉として受け取っておきます」

 

「地下へとね…咲夜、貴女は大広間を通ってまっすぐここに来たのよね?」

 

「はい」

 

「ならその途中にあるのは…フランの部屋かしら」

 

「フラン?」

 

「えぇ、フラン…フランドール・スカーレット、私の妹よ。あの子は自身の持つ能力が故に生まれつき不安定でね、今は大分落ち着いたけど長い間あそこに幽閉していたのよ。今はもう自由に出歩けるようにはしているけれど」

 

「成程、それは非常に…いい話を聞けました」

 

「いい話?」

 

 青の物言いにレミリアは訝し気な視線を向ける。

 

「レミリアさん、先程も言ったのですが――」

 

 最後にもう一口紅茶を飲んだ後、青は無邪気な笑みを浮かべる。

 

「私、それなりのことは出来るんですよ」

 

 そう言った瞬間、青の体が煙の様に消える。

 

「「なっ!?」」

 

 突然のことに咲夜もレミリアも驚きを隠せない。

 そんな中数秒程呆然としていたが、藍だけは状況をすぐに理解し、扉へと駆けて行く。

 

「全く本当にあの方は…!」

 

 人騒がせにも程があるだろう。見つけたら絶対に説教をしてやる。藍はそう思いながらも来た道を猛スピードで戻り、フランドールの部屋とやらを探すのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

九話

「うーん、やはり一人では歩き辛いですね」

 

 壁に手を当てながら、青はゆっくりと廊下を一人進んでいた。

 この館の主の下へと向かっている途中に気になる場所を発見したから分身を作ってそちらへと来てみた訳だが、自分が歩くのが遅いせいか一向に到着する気配が無い。尤も、何処に向かおうとしているのかは自分でもわからないのだが。

 今己の作った分身は、レミリア達と紅茶を嗜んでいる様だ。分身とは感覚も共有されているので、口の中に紅茶の香りと味が広がる。思わず嚥下しそうになるが、紅茶は自分の口の中には無い。なんとも変な気分である。

 さて、そろそろ分身の維持が難しくなってきた様だ。もうあの体に与えた妖力が底をつきかけている。目が見えない故に戦う機会なんて殆ど無く、ありあまった妖力を自分でも使える方法を模索していたら、いつしか自分は妖精以上の悪戯技術を獲得してしまっていた。

 

 (さて、どのタイミングで分身を消しましょうか…)

 

 せっかくなら驚く顔が見たい。そんなことをしたら藍に叱られるかもしれないが、勝手にここに来ている以上今更だろう。

 青は少しの間集中した後、自分のベストだと思ったタイミングで分身を消す。

 

「ふふっ、上手く行きました」

 

 青はご機嫌で少し足を速めて奥へと進む。分身が完全に煙となって消える瞬間の彼女達の驚いた顔は実に良かった。やはり妖怪は人を驚かせてなんぼだろう。今回は人間の他にも吸血鬼と九尾がいたが。

 今頃藍が自分を探しに猛スピードでこちらに向かってきているのだろう。そう考えて青はさらに足を速める。決して怖い訳では無い。腕が震えている気がするが気のせいだろう。

 

「っとと…」

 

 どうやら奥へと着いた様だ。つま先が壁に当たって転んでしまうところだった。

 

「これは…取っ手…扉ですか」

 

 この廊下の終わりに存在する部屋、それが先程レミリアが言っていたフランドールの部屋なのだろう。

 青は取っ手に手をかけ、何の躊躇いも無くその扉を開け放つ。

 

「あなた、だーれ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあぁ…はあぁ…」

 

 息も絶え絶えに、藍は目の前の扉に手をかける。

 ここまで全力で疾走したのは実に久しぶりだ。本当に、己の主は世話が焼ける。

 最早彼女の疲れはほぼ全て怒りに変換されていると言ってもいいかもしれない。外に出られるようになったからといって、あの方は最近はしゃぎ過ぎだ。万が一自分に、そして相手にもしものことがあったらどうするつもりなのだろうか。

 

「青様!」

 

 藍は扉を壊す程の勢いで扉を開け放ち、人――妖怪騒がせな主人の名を叫ぶ。

 

「どう、お兄さん、なんて書いたかわかった?」

 

「うーん…カゴメカゴメと…クロワッサン、ですか?」

 

「すごーい!同時に書いたのになんでわかったの!?」

 

「私は普通の妖怪よりも感覚が鋭いんです。この程度朝飯前ですよ」

 

 そこには仲睦まじく遊ぶ二人、フランドール・スカーレットと、青の姿があった。

 

「青様」

 

「おや、藍。随分とたどり着くのが早かったですね」

 

「何を、なさっているので?」

 

「彼女、フランさんが私の背中に文字を書き、それを当てるという遊びですよ。いやあ、子供というのは発想が豊かですね。すぐに遊びを思いつく」

 

「お兄さん、私こう見えて495年も生きてるんだよ?」

 

「それでも十分子供ですよ。私はその何倍も生きているんで」

 

 楽しそうに話す二人。その親子――兄妹の様な二人の姿を見て、怒り狂っていた藍も拍子抜けをし、怒る気が失せる――

 

「そんなことよりも青様?」

 

 ――筈が無かった。

 彼女の普段よりも三割増しで優しい声を聞いた途端、青の体はビクリと跳ね上がる。

 長年彼女と共に過ごして来た青はわかる。この声音、間違いなく怒っている…!

 

「フラン、彼に遊んで貰ったの?」

 

「あ!お姉様!うん、とっても楽しかったよ!」

 

 後から追い付いてきたレミリアは、フランに話しかけている。妹が喜んでいるので彼女も嬉しい様だ。

 青は足音で彼女達の接近に気づき、顔をそちらに向けたが、感覚で視線を逸らされたことがわかった。

 レミリアからすれば何故助けて貰えると思っていたのだろうか。先程驚かされた仕返しだ。

 

「レミリア嬢、この屋敷の一室、使わせて貰うぞ」

 

「えぇ、日が暮れないまでだったら、好きにしてくれて構わないわ」

 

「感謝する。それでは青様?お話しましょうか」

 

「お、落ち着きましょう藍。私はただ人を驚かせたいという己の本能に従い、妖怪らしい行動をしただけ「つべこべ言わずに来てください」ちょ、ちょっと!?襟掴まないで!引っ張らないでください~!」

 

「・・・咲夜、私さっき、あのスキマ妖怪とは随分違うと言ったわよね」

 

「はい」

 

「訂正するわ。彼は間違いなくスキマ妖怪の弟よ」

 

「・・・そうですね」

 

 悪戯好きで己の従者を、時には他人をも巻き込んで困らせる。レミリアと咲夜は毎度苦労しているであろう藍に少しだけ同情した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十話

「ん~!初めての外出だからか、随分と疲れました」

 

 紅魔館の扉の前で、青は軽く伸びをする。

 およそ二時間が経った頃、青は漸く藍の説教から解放され、それなりに時間も経っていたので紅魔館を後にすることになった。

 他にもこの屋敷には無限に近い書物のある大図書館があるらしいが、目の見えない青にとってそれはそこまで重要でも無かった為に見送ったのだ。

 

「全く、まさか紅魔館だけでここまで時間がかかるとは思っていませんでしたよ」

 

 彼の隣にいた藍は、呆れたように溜め息を吐く。

 

「それは藍が私を長い時間叱ったからですよね?」

 

「そもそもの原因は青様が私の知らない間に勝手な行動をなさったからですよね?」

 

「はい…すみません」

 

 流石に返す言葉が無いのか、青は少し申し訳無さそうに縮こまる。

 

「もう日が沈みかけていますし…今日はもう帰りましょうか。夜は知能の低い妖怪が増えて面倒ですので」

 

「そうしましょうか。これからはいつでも外出できますし、焦る必要はありませんものね」

 

 藍の意見に賛同し、青は彼女に手を引かれて門の方へと歩き出す。

 

「おや、もうお帰りですか」

 

「えぇ、流石にもう帰らないと姉様が心配しますので」

 

「そうですか。またいらしてくださいね」

 

 美鈴の言葉に笑みを返した後、彼らは紅魔館を後にする。

 紅魔館の先にある森に足を踏み入れた瞬間、一瞬の暗転の後で視界が変化し、彼女達の目の前に屋敷が現れる。

 

「おや、迎えに来てくださった様ですね。いえ、私達が向かったというのが正しいのでしょうか」

 

「どうしたのですか?藍」

 

「どうやら紫様が私達を送り届けてくれた様です」

 

 藍は少し驚いたがすぐに状況を理解し、家の扉を開け放つ。

 

「「ただいま戻りました」」

 

 二人が声をそろえて言うと、奥からスタスタと歩いて来る音と、ドタドタと元気よく走って来る音が近づいて来る。

 

「お帰りなさいませ!青様!藍様!」

 

「あぁ、ただいま、橙」

 

「おかえりなさい二人共」

 

「ただいまです。姉様」

 

「藍、帰って来て早々悪いけど夕飯の用意をしてもらえるかしら?」

 

「承知しました」

 

 藍はその言葉も予想していたのか、特に声音を変えずに返事をし、青を彼女達に任せて台所へと向かう。

 

「青、廊下に上がれるかしら?」

 

「えぇ、大丈夫ですよ。よいしょ…っと」

 

 姉の手を借りて、青は家に上がる。

 

「それじゃあ青、私の部屋に行きましょう。貴方の土産話を、聞かせて頂戴…ね?」

 

「はいはい!橙も聞きたいです!」

 

「橙が面白いと思うかはわかりませんが…折角ですし話しましょうか」

 

 青の言葉に橙は目を輝かせ、彼を紫の部屋に連れて行く。

 橙に引っ張られる青の後ろを歩きながら、紫は微笑ましそうに彼らを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで藍ったら、私の事を本気で叱るんですよ?酷いと思いませんか?」

 

 時間は流れ日も暮れた頃、青達は四人で食卓を囲み、今日の夕食をつついていた。

 もう夕飯を食べているにも関わらず、彼の土産話は終わる事は無かった。それを止める者がいないので仕方がないのだが。

 

「それは青様が私に伝えないで勝手な行動をなさるからでは無いですか。そんなところまで姉君に似ないでください」

 

「ちょっと藍?今さり気なく私を貶さなかったかしら?」

 

「気のせいじゃ無いですか?橙、その皿を貸しなさい」

 

 紫の指摘を華麗にスルーして橙の皿に料理をよそう藍に、紫は悔しそうな表情を浮かべる。

 

「橙は、私と藍のどっちが悪いと思いますか?」

 

「ふぇ!?私ですか!?うーんと…えーっと…」

 

「ふふっ、意地悪な質問をしてしまいましたね」

 

 橙の反応を楽しみながら、青は紫から料理を食べさせて貰う。

 先程説教をしたばかりなのにまだ懲りていないのか。藍は思わずジト目で青を見るが、本人はどこ吹く風だ。

 

「そういえば、姉様は今日は何をしていたのですか?」

 

「私は今日は幽々子の屋敷にお邪魔していたわ。最近行ってなかったし」

 

「幽々子嬢の屋敷ですか…」

 

「前々から思っていたけど、どうして青は幽々子のことを幽々子嬢なんて呼ぶの?本人の前では言っていないじゃない」

 

「うーん、何ででしょうか。私自身もよくわかりません。いつの間にかそう呼んでいました」

 

「そう、まぁそれは別に構わないけど。それよりちゃんとお野菜も食べなさい?はい、あーん」

 

「あー…ん」

 

 幽々子にはここ数週間会っていないなぁ…と思いながら、青は口の中に入って来たサラダをもぐもぐと咀嚼する。

 

「・・・ふぅ、ご馳走様でした。それでは姉様、私は先に自室に戻っていますね」

 

「えぇ、わかったわ。藍、食べてる途中申し訳ないけど、一緒について行ってくれる?」

 

「承知しました。青様、どうぞお手を」

 

「すみませんね…」

 

 紫の言葉に頷き、藍は青の手を引いて彼の部屋へと向かう。

 それを見届けてから、紫は酒を口に含み、ゆっくりと喉に通す。

 

「紫様紫様」

 

 するとそのタイミングで、橙から声がかかる。先程までの元気のある声音とは違い、僅かな緊張が含んだ声。何か隠し事か、あるいは頼みごとがあるのだろうか。

 

「どうしたの?橙」

 

「青様の案内って、人里にも行くんですか?」

 

 橙からの問いかけに、紫は数秒程思考する。人里は彼の生活においてそれ程必要な場所では無いが、あそこには稗田邸も含め、重要な場所もいくつか存在する。しかしそれらも必ずしも行く必要があるかと聞かれたら、首を横に降るだろう。

 

「・・・青の意思によると思うわ。あの子が行きたいと言ったのなら、行くんじゃないかしら?」

 

「なら、その時の青様の案内は、橙がしたいです!」

 

 まるで寺子屋の時の様に元気よく手を挙げる橙。紫はそれに微笑ましそうに笑みを向けつつ、言葉を返す。

 

「別にいいんじゃないかしら?人里は他と違って危険も少ないし。また今度青に話してみればいいんじゃない?勿論、藍にも許可を取らないと駄目よ?」

 

「はい、わかりました!そうします!」

 

 自分の願いが聞き入れられ、橙は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 丁度そのタイミングで藍が戻って来たので話を切り上げ、彼女達は再び夕食を取り始めるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十一話

「それで、今日は貴方達は何処に行くのかしら?」

 

 次の日の朝食の時間、紫が煮物をつつきながら問いかける。

 

「あぁ、そうでした。青様、本日向かう場所について、予定を変更させていただきます」

 

「予定の変更ですか?そもそも私は何処に行くかの詳細を聞いた覚えが無いんですが」

 

 確かに藍は昨日博麗神社で何処に向かうのか例をいくつか挙げていたが、詳細な情報までは貰った記憶が無い。

 

「先日、紫様を除いた五大老の方々へのご挨拶は省くという旨の発言をしたかと思いますが…」

 

「あぁ、言っていましたねそんなこと」

 

「やはり青様の、そして相手方の立場を考えるに、正式にご挨拶をした方が宜しいかと思いまして。本日は予定を変更して白玉楼の方へ向かおうかと思います」

 

「それは、姉様の能力で向かうのですか?」

 

「いえ、冥界の入り口から向かいますよ。無数の階段がありますので少々時間がかかりますが」

 

「・・・それは別に、姉様の能力で向かった方が速いのでは?」

 

「確かにそうかもしれないけれど、それじゃあ雰囲気が出ないでしょう?いつも通り遊びに行くだけになってしまうわ」

 

 隣から聞こえた紫の言葉に、青は曖昧に頷く。理由としてはまぁ、納得は出来るが、何故こんな時だけ雰囲気を重視するのだろうか。

 

「理由はともかく、私一人では幻想郷を歩くことなんて不可能ですので、その辺りは藍に任せますよ」

 

「承知しました」

 

「ねえ藍。今日は私も一緒に行って「駄目です」なんで!?」

 

 発言の途中で食い気味に自分の願いが却下され、紫は悲鳴に近い声を上げる。青からすれば己の姉と一緒に幻想郷を旅するのも良いのだが。

 

「紫様がご同行なさっては、変に勘繰られる可能性がありますし、何より妖精や妖怪達が恐れて青様が他の妖怪達と交流出来ないと思いまして」

 

「ちょっと酷くないかしら?私ってそんなイメージなの?」

 

「あぁ…成程」

 

「青も納得しないで!」

 

 紫本人は不満気だが、残念なことに青は藍の言い分はある程度理解出来る。確かに交流という意味では、自分の姉は不適だろう。

 納得が行ったところで、青は朝食を終える。その後は出掛ける時まで、ショックを受けている姉を慰め続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それにしても、今日は一段と暑いですねぇ…」

 

 額から流れ落ちる汗を拭いながら、青は気だるげに言葉を零す。

 そんな彼の姿を見て藍が手拭いで汗を拭いてくれるが、正直あまり変わった気がしない。

 

「本当にまだ春ですよね…?」

 

「昨日までは春らしい気温でしたが…まぁ、幻想郷では異常気象なんてよくあることです」

 

「そうですけど…」

 

 それでも暑い物は暑い。青は夏よりも冬の方が好きだ。夏は暑いのを我慢して過ごさなければいけないが、冬は姉と共に冬眠するという最終手段が残されているからだ。

 ひょっとしたら今まで抱いていたこの気持ちも、外に出る事が可能になったから変わったりするのだろうか。だとしたら是非ともありがたいものである。

 

「藍、やっぱり姉様に頼んでスキマで冥界まで行きませんかぁ?」

 

「駄目です。冥界に行けば涼しいんですから、もう少しだけ我慢してください」

 

「そんなぁ…ん?」

 

 藍の無慈悲な発言に思わず泣き言を言いそうになるが、突然青は何かを感じ取る。

 

「冷気…?こんなに暑い日に?」

 

「どうかなされたのですか?」

 

「こっちの方から、冷気が漂ってきている様な気がして」

 

「冷気ですか?向こうは霧の湖辺りですが、気のせいでは?」

 

「そんなことは…藍、ちょっと立ち寄ってみませんか?別に急ぎの用では無いでしょう?」

 

「私は構いませんが…」

 

 藍の返事を聞くや否や、青は彼女の手を取って霧の湖へと向かって歩いて行く。

 藍は青が転ばぬように足元に気を付けながらも、彼の後をついて行くことにした。

 草木をかき分け進んでいく青と、彼をフォローしつつ後をついて行く藍。

 数分程経って、二人は漸く霧の湖へと到着した。

 

「おや、先程よりも歩きやすくなるましたね。ということは、漸く霧の湖に着きましたか」

 

「霧の湖付近は他の場所よりも年中気温が低いです。青様が感じたという冷気もそのせいなのでは?」

 

「うーん…そうなので「これでどうだー!」・・・おや?」

 

 藍の指摘に青の考えが揺らぎ始めたその時、威勢のいい声が彼らの耳に響く。

 その方向に彼らが歩を進めると、そこには二人の少女がいた。

 

「どうだレティ!正真正銘アタイのフルパワーだ!」

 

「うん、丁度いいサイズ。これなら大丈夫よ。お疲れ様、チルノ」

 

 元気の良さそうな声の少女と、落ち着いた声の少女の二人。どうやら青の感じた冷気はここから来ていた様だ。

 すると向こうもこちらの存在に気づいたのか、二人の視線を青は感じる。

 

「あら、どちら様だったかしら~?」

 

「むむっ!誰だお前!」

 

「ふむ、どうやら冷気の発生源はここの様ですね。ということは彼女達は寒さに関係する妖怪なのでしょうか」

 

「青様、仰った通り彼女達は冷気に関連する妖怪、妖精です。最初に声をかけた方が冬の妖怪、所謂雪女の様な存在であり、次に声をかけた方は氷の妖精です」

 

「あら、言われちゃったわね。その狐さんの言う通り、私はレティ・ホワイトロック。冷気を操る冬の妖怪よ~」

 

「アタイは氷の妖精のチルノだ!」

 

「これはどうも。私は八雲青と申します。こちらの狐さんは八雲藍、私の部下の様なものです」

 

「狐さん…それはともかく、こんな所で何を?そもそも雪女に関しては季節はもう春、そろそろ姿を消す時期の筈だろう?」

 

「私もいつも通り、春の間は眠っていようかなと思っていたんだけど…今日は特に暑いじゃない?チルノにかき氷でも食べないかって誘われたのよ~。だからもう少しだけ起きている事にしたわ」

 

「かき氷…ですか。いいですねぇ」

 

「お前達も食うか?アタイのかき氷は絶品だぞ!」

 

「自分で絶品と言うのはどうかと思いますがそれはともかくとして、宜しいのですか?」

 

「別に構わないぞ。四人くらいならこの氷で十分だ!」

 

「じゃあ、ご相伴にあずかりましょうか。藍はどうします?」

 

「私は大丈夫です。冷たい物はあまり得意ではありませんので」

 

「あら残念。それじゃあはい、お一つどうぞ」

 

「すみません。私は目が見えないので、この手のひらの上に乗せて貰えませんか?」

 

「わかったわ。冷たいわよ?」

 

「それはどういう…わわっ!」

 

 レティの言葉の直後、青の両手にまるでかき氷が直接置かれた様な、氷の様に冷たい物が置かれる。

 

「ごめんなさいね。器が足りなかったから、氷の器を作ったのよ。味には関係無いから大丈夫だと思うけど…」

 

「ありがとうございます。冷たさくらいなら、どうとでもなりますよ」

 

 そう言って青は妖術を使って、自分の手のひらの感覚を鈍らせる。

 

「うん、確かに絶品ですね。これは檸檬味ですか?」

 

「そうよ。私と一緒♪」

 

「私はイチゴ味だ!やっぱりおーどー?が最強だ!」

 

 三人は会話に花を咲かせながらかき氷を食べる。冷たいながらも頭が痛くならない優しい冷たさを持ったそのかき氷は彼女の言う通り絶品で、あっという間に平らげてしまった。

 

「ふぅ、ご馳走様でした。大変美味しかったです」

 

「とーぜん、アタイは最強だからな!アタイの作るかき氷も最強なんだ!」

 

「確かに氷はチルノのだけど、作ったのは私よ」

 

「折角頂いたのに何も返すことが出来ずすみません」

 

「別にいいのよ。私達はそんなこと考えていなかったし」

 

「ありがとうございます…それでは私はこの後用事がありますので、この辺りで失礼させていただきます」

 

 そう言って青と藍はこの場を去る。チルノとレティの別れの言葉に手を振り返しながら。

 

「とても美味しかったですよ」

 

「それはよかったです」

 

「・・・そういえば、今日は異常なほど暑いですが、数年程前は逆に真冬の様に寒かった時期がありましたよね」

 

「真冬の様に…あぁ、春雪異変の時ですか」

 

「春雪異変?あれは異変だったのですか?」

 

「えぇ、一般的にはそう呼ばれています。あれは西行寺幽々子殿が起こした異変なのですよ」

 

「幽々子嬢が?それはまたどうして…いつもの気まぐれでしょうか」

 

「それに近いと言えば近いですね。冥界に存在する大樹、西行妖を咲かせようと、幻想郷中の春を集めていたらしいです」

 

「それはなんとも人騒がせな…彼女らしいです」

 

 そう言って青は小さく笑みを零す。きっと従者も今も変わらず苦労しているんだろうなと思いながら。

 

「青様、先を急ぎましょう。これから空を飛びますので、お体に触れても宜しいですか?」

 

「・・・昨日は流れに身を任せてしまいましたが、私は一応飛ぶことが出来ますからね?」

 

「でも青様は目が見えないので飛ぶのは不得意ではないですか」

 

「確かに昨日の様な低空飛行は苦手ですが、今回は上空を飛ぶので障害物も無い上に調整も必要無いから大丈夫ですよ」

 

「・・・むぅ、それもそうですね」

 

 それでも万が一というものがある為完全には安心出来ない。渋々と行った様子で納得する藍に、青は彼女の考えが変わる前にと先に空へ飛び立つ。そんな彼を追いかける様に、藍も慌てて空へと舞い上がる。目指すは空のさらに先、生を持たぬ者達が住む世界、冥界だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十二話

「どうですか藍。私だってちゃんと飛べているでしょう?」

 

 上へ上へと進みながら、青は隣にいる藍に自慢げな視線を送る。

 自分が飛ぶことが得意ではないのは認めるが、それでも下手だと言われるのは心外だ。障害物さえなければ自分だって彼女と変わらない速度で飛ぶことが出来る。

 一方彼の飛ぶ姿を隣で見ている藍は、彼の飛行にハラハラさせられっぱなしだった。青は自分の飛行を彼女に見せつける為か、あっちにいったりこっちにいったり、一回転をしたり、見てるこっちが怖いから今すぐやめてくれと言いたいところだった。

 

「・・・ですよー」

 

「ん?藍、今何か言いましたか?」

 

「いえ、何も言っておりませんが」

 

「春ですよー!」

 

「あ、青様危険です!」

 

「ぐふっ!?」

 

 藍が自分達に猛スピードで近づいて来る存在に気づき咄嗟に青に警告するが、残念ながら時すでに遅し。青の腹に飛んできた何かがクリーンヒットする。

 

「痛たた…何ですかもう…」

 

「春ですよー!」

 

「わかった。わかりましたから!」

 

 自分にぶつかってもなお同じ事しか言わない生物に、青も流石に顔を顰める。

 

「ご無事ですか、青様!」

 

「藍、誰ですか私の前にいる人は」

 

「彼女はリリーホワイト、春が来たことを知らせる春告精です」

 

「春告精…」

 

「そうです!私こそ春の化身、リリーホワイトですよー!」

 

 彼女、リリーホワイトは青の手から離れ、彼の周りをぐるぐると飛び始める。

 

「いいですか、今は春なんです」

 

「そうですね」

 

「誰が何と言おうと、今は春なんです」

 

「・・・そうですか」

 

「なのに今日は何処に行っても『夏みたいだねー』『もう夏が来たのかな?』と言う人ばっかり。今は春なんですよー!」

 

 元気なのは結構だが、自分の耳元で叫ぶのは止めて欲しい。青は思わず指で耳を塞ぐ。

 

「どんなに暑くても今は春なんです!かき氷を作る季節じゃ無いです!春は夏じゃないんですよぉおお!」

 

 ついさっき暑いからかき氷食べたばかりなので、その台詞には納得しかねるなぁと思いつつ、青は彼女の対処法について考える。

 

「誰がなんと言おうと今が春なのに変わりは無いのですし、そんなことを言う輩は放っておけばいいのでは?」

 

「それは出来ません!私は春を告げる妖精でもありますが、同時に春の素晴らしさを伝える妖精でもあるんです。何れは春夏秋冬全てを春にしてみせます!そうすれば春春春春、年中無休で春です。皆幸せなのですよー!」

 

 初対面でもわかる春脳のこの妖精に、真面目な意見を出した自分が馬鹿だったと、青は僅かに反省した。春を何回も連呼され過ぎて、いい加減頭がおかしくなりそうだった。

 いい加減冥界にも行かねば帰る時に日が暮れてしまうだろうし、そろそろ彼女との会話を終わらせよう。そう思い、青は先程までよりも優しい声で彼女に言葉を投げかける。

 

「そうですね。リリーさん、確かに今は春です」

 

「その通りです」

 

「こんな春真っ盛りな時期にかき氷を食べるなんて愚行をする人なんて、信じられませんよね?」

 

「当たり前です!そんなヤローは夏まで飛んで行けです!」

 

「そんな信じられないことをしていた人達がさっき、霧の湖にいたんですよ!」

 

「なぬ!?それは本当ですか!?」

 

「えぇ、リリーさん、彼女達に春の素晴らしさと言うのを教えてあげてください。春なのに夏らしいことをされちゃ、春告精の名折れですよ!」

 

「勿論です!行ったりますよぉ!」

 

 相変わらずの元気な声でそう言うや否や、彼女は先程と同じ猛スピードで飛び去り、やがて彼女の声も聞こえなくなってしまった。

 

「・・・青様、売りましたね」

 

「はて、なんのことでしょうか。私はただ春の素晴らしさをあの二人にも伝えてあげようと思っただけですよ」

 

「・・・先程まで一緒にかき氷を食べていたとは信じられません」

 

「さぁ、過去の事は忘れてしまいました」

 

 先を急ぎましょう。そう言って青は真っ直ぐ上へと飛んで行く。藍は小さくなっていく彼の姿を見てはぁ、と溜め息を吐いた後、彼に追い付くべく同じ様に速度を上げて、さらに上空を目指すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、藍、まだですか?冥界ってこんなに遠い場所でしたっけ」

 

 家を出てから既に一時間以上の時間が経過しただろうか。いつもならば一瞬で到着するのにこれ程の時間がかかっていることに、青は不満を漏らす。

 

「普段はスキマを通るだけだから速いと感じるのでしょうけど、正規の行き方で行くのならば、これくらい普通にかかりますよ。もう少しで冥界なので、我慢してください」

 

 藍の言葉に青は少し不満そうだが、これ以上文句を言っても仕方ないので黙る事にする。さらに五分程空を飛び続けると、漸く変化が訪れた。

 

「青様、幽明結界が見えて来ましたよ」

 

「幽明結界?」

 

「幻想郷と冥界を隔てる結界のことです。昔はこれがある故に地上との行き来が困難だったのですが、春雪異変の際に機能が弱まってしまい、その後何故か紫様が放置しています」

 

「えぇ…何やってるんですか姉様」

 

「ですが、ここを越えればいよいよ冥界です――おや?」

 

「どうしたんです――む?何か聞こえますね」

 

 幽明結界の前にいる何かを、藍は視覚で、青は聴覚で感じ取る。更に近づいて行くと音が大きくなっていき、そこには三人の少女がふわふわと宙を漂っていた。

 

「あれ、姉さん、誰か来たよ?」

 

「ひょっとして私達のファンかな?」

 

「・・・流石に地上にまでは音色は届いていない筈」

 

「誰かと思えば、プリズムリバー楽団か。何故またここに?」

 

 青は訳が分からず困惑しているが、どうやら藍は彼女達の事を知っているらしい。

 

「藍、誰ですかこの方達は」

 

「あぁ、青様はご存じありませんでしたね。彼女達はプリズムリバー楽団と言って、幻想郷ではかなり有名なんですよ」

 

「賢者様の式神にそう言われると鼻が高いわね。そちらの人は初めまして、私はプリズムリバー楽団のリーダーで、長女のルナサ・プリズムリバーよ」

 

「私は二女のメルラン・プリズムリバー!素敵な音楽で皆をハッピーにしちゃうよ!」

 

「末っ子のリリカ・プリズムリバーでーす!」

 

「貴女達は何故ここに?観客も訪れない上空での演奏など…」

 

「今夜白玉楼で宴会を開くから、演奏をしてくれないかって誘われたのよ。幽々子さんに」

 

「宴会?幽々子様がそう仰ったのか?」

 

「そうだよ!美味しいお酒に美味しい料理、そして私達の音楽があればもっとハッピーになるでしょ?」

 

 藍は紫から今日宴会があるなんて話は聞いていない。情報の伝達ミスだろうか。藍は僅かに首を捻る。

 

「皆さん初めまして。私は八雲青。妖怪の賢者、八雲紫の弟です。目が不自由な故に皆さんの姿を拝見することは出来ませんが、どうぞよろしくお願いします」

 

 青はそう言って綺麗に一礼をする。敬語を使われることに慣れていない三人は少し驚きつつも、青に言葉を返す。

 三人からの返答に満足し、青は自分の隣にいる藍に向き直り、語り掛ける。

 

「藍、幽々子嬢を待たせてしまっているようですし、そろそろ行きましょうか。彼女の不満が溜まってしまったら、何を言われるかわかりませんし」

 

「・・・そうですね(詳しい事は白玉楼に着けばわかるだろう。少なくとも、青様や幽々子様を待たせてまですべきことでは無い)」

 

 暫く黙って彼女たちがここにいる理由について思案していた藍も青の言葉で考えを打ち切る。プリズムリバー三姉妹もリハーサルは済んだのか音楽を奏でるのを止め、青と藍の後ろについて行く。二人から五人へとなった一行は白玉楼を目指し結界を超え、冥界へと足を踏み入れるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十三話

「考えてみれば、私達って空を飛べるんでしたね」

 

 新たに三人を加えた青達一行は、冥界を悠々と飛んで白玉楼を目指していた。

 

「急にどうしたのよ」

 

「いえ、冥界の入り口から白玉楼まで大分距離があると藍から聞いていたので、億劫だなぁと思っていたんですが…」

 

「実際遠いですからね」

 

「歩く前提で考えていたので、そう考えると大分気持ちが楽になりました」

 

「まぁ、元々私は青様と歩く前提で話を進めていましたけどね」

 

「鬼ですか?」

 

「狐です」

 

 藍の言葉でその状況を想像したのかあからさまに顔を歪めながら不満を漏らした後、青は話題を変える。

 

「幽々子嬢もですが、妖夢と会うのも久しぶりですねぇ…」

 

「妖夢の事知ってるの――って、賢者様の弟なら知ってるわよね」

 

「えぇ、二人共昔からの付き合いですので。妖夢なんて、こんなに小さい頃から知ってますよ」

 

 そう言って青は自分の腰辺りに手を持っていく。

 

「へぇ、何か面白い話とか無いの?」

 

 リリカは面白半分興味半分で青に話を促す。

 

「そうですね…あ、妖夢は小さい頃私に随分懐いていましてね、一緒に寝ていた時の事なんですが――」

 

「・・・青様、お話し中すみませんが、そろそろ白玉楼に到着しますよ」

 

「む、流石に本人に聞かれるのは不味いですね。ならこの話はまた後日ということで…」

 

「「えぇ~」」

 

 いい感じの所で話を切ったのでメルランとリリカから不満の声が上がる。しかし妖夢本人に聞かれて拗ねられるのは面倒だ。ルナサはそんな二人を宥めている。長女というのは大変だなぁと青は他人事ながらに思った。

 すると自分の服の裾がクイクイと引っ張られる。恐らく隣にいる藍だろう。どうやら無事に白玉楼に到着した様だ。

 青もゆっくりと速度を落としていき、藍の手も借りて無事に地面に着地する。

 

「ようこそお越しくださいました青様」

 

 少し歩いて行くと、目の前から懐かしい声が聞こえて来た。懐かしいと言っても数週間程前に会っているのだが。

 

「久しぶりですね妖夢。背は伸びましたか?」

 

「いきなり傷を抉るのはやめてください!数週間ぽっちじゃそんなに変わりませんよ!」

 

 先程までの冷静な雰囲気は何処へやら。彼女、魂魄妖夢は青の言葉にむきになって反論する。何故自分よりも背の低い青に揶揄われなければならないのだろうか。妖怪と言うのは常に自分を棚に上げる生き物なのである。

 

「青様、知り合いに出会ったらすぐに弄るのはやめてください」

 

「いや~、やっぱり妖怪の本分ですね。ついつい楽しくて…」

 

「楽しいですか!?人の傷を抉って楽しいですか!?というか青様は私よりも小さいじゃ無いですか!」

 

「私はもう身長を一々気にする程幼くはありませんので」

 

 ケラケラと笑う青にこれ以上言っても無駄だと判断したのか、小さな溜め息を吐く。

 

「もういいです。幽々子様がお待ちですので、どうぞお入りください」

 

「はいはい、私達は先に幽々子の下に参りましょうか」

 

「そうですね」

 

 そう言って青は白玉楼の主であり古くからの友人でもある西行寺幽々子に挨拶をするために、藍の手を借りて一足先に白玉楼に足を踏み入れる。

 

「案内は…藍さんがいるので大丈夫ですね。楽団のお三方も、どうぞゆっくりしていってください」

 

「「「お邪魔します」」」

 

 プリズムリバー三姉妹も白玉楼へと入り、妖夢と並んで雑談に花を咲かせながらこの屋敷の主の下へと足を運ぶのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視点が妖夢達から変わって、青と藍は白玉楼の廊下を二人で歩いていた。

 

「妖夢達を置いて来てしまいましたが、このままでは幽々子嬢が何処にいるのかわかりませんね」

 

「ご安心を。幽々子様が何処にいらっしゃるか、ある程度の目星はついております。それにこの白玉楼の構造は、全て頭に入っております故」

 

「そういえば藍は姉様と共に結構な頻度で白玉楼を訪れていましたね…貴女も大変ですねぇ」

 

「紫様もですが、何故他人事の様に仰るのでしょうか」

 

「そりゃあ、他人事ですもの」

 

 当たり前の様に返答する苦労の元凶の一端でもある青に、藍は小さく溜め息を吐く。

 

「本当、藍ちゃんも苦労しているわねぇ」

 

 すると突然、背後からおっとりとした女性の声が聞こえてくる。

 彼らにとってはもう何百年と聞いた馴染みのある声。二人は特に驚きもせずに後ろに振り返る。

 

「それを言うんだったら、貴女の所の妖夢も大概だと思いますよ。幽々子」

 

 そこにいたのは青の古くからの友人であり、この白玉楼の主の西行寺幽々子であった。

 

「私はいいのよ。妖夢にはご飯の時にしか苦労かけていないもの」

 

「本当ですかねぇ…」

 

「お久しぶりです幽々子様、一つお伺いしたいことがあるのですが」

 

「なぁに藍ちゃん」

 

「先程プリズムリバー楽団の方達に会い、本日宴会が開かれると耳に挟みました。それは本当なのですか?」

 

「えぇ、昨日家に紫が来て青ちゃんが外に出られるようになったことを知ってね。今日の朝に紫からこっちに来るって聞いたから、妖夢に頼んで呼んで貰ったのよ」

 

「私達は何一つ聞いていないのですが…」

 

「私が紫に宴会を開くって言っていないんだもの。別に細かい事は気にしなくていいのよ。サプライズだと思えばいいじゃない」

 

「そうですよね。家の藍は真面目過ぎるんですよ。ちょっとは息抜きというものを覚えて欲しいものです」

 

「わかるわぁ。妖夢も全部手を抜かないというか…そんなに力を入れてたら疲れるだけなのにねぇ」

 

「本当ですよ。私や姉様、貴女の様に余裕を持っていないと大妖怪と言われる部類にはなれませんよ」

 

「私を評価してくれるのは嬉しいけど、私は亡霊だから妖怪じゃ無いわよ」

 

「話を逸らさないでください!」

 

 藍は思わず声を荒げるが、二人はどこ吹く風だ。藍の言葉を二人は笑みを浮かべながら軽くいなし、他愛のない会話を続けている。流石にこの二人の相手は、藍一人では手に余る。

 

「妖夢~、ようむぅ~!」

 

「はい、何の御用でしょうか幽々子様」

 

「青ちゃんも来たし、早速宴会を始めましょうか。夕飯の用意をしてくれる?」

 

「了解しました」

 

「来てくれたお客様方は私について来て頂戴。宴会場まで案内するわ。青ちゃんも私が連れて行ってあげる」

 

「ではお言葉に甘えて」

 

 青の了承を得た幽々子は、彼の手を取って先頭を歩く。

 

「ちょっと藍さん大丈夫ですか?大分疲れてるみたいですけど…」

 

「あ、あぁ、ありがとう妖夢。私ではあのお二方のノリについて行くことは出来なかった…」

 

「あぁ、わかります…」

 

 妖夢と共にはぁ、と深い溜め息を吐く藍。従者はいつも主人に苦労させられるものだ。

 

「幽々子様の相手は青様に、青様の相手は幽々子様に任せて、ご命令どおり料理を作りに行くとしましょうか」

 

「あぁ、私も手伝うよ。幽々子様だけでなく青様達の料理もとなると大変だろう?」

 

「ありがとうございます」

 

 藍と妖夢の二人は、青達とは別の方向へと並んで歩いて行く。触らぬ神に祟りなしの精神で主達から離れた二人だったが、青と幽々子を止めることの出来る存在がいなくなって大丈夫なのかという一抹の不安が結果として残ることになってしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十四話

「藍さん、そこにある人参を取ってくれませんか?」

 

「あぁ、既に皮は剥いてあるぞ」

 

 白玉楼の厨房、藍と妖夢は二人という少数ながらも、圧倒的な速度で宴会の料理を作り上げていた。

 

「妖夢、君の所の主は一日にどれ程の量を食べるんだ?」

 

「そうですね…日にもよりますが大体一食二、三十人前程でしょうか。それに加えておやつや夜食も所望されるので。おかげで白玉楼の出費の実に三分の一が幽々子様の食費です…」

 

「お前も苦労しているな…そう考えると家は四人前だから、まだ楽な方なんだろう」

 

「藍さんも大変でしょう?失礼ですけど幽々子様と同族の方がお二人もいらっしゃるでは無いですか」

 

「そうなんだよ。青様はまだいいんだが…やはりこちらは紫様の無茶ぶりが凄まじくてな…だが、家には橙という癒しがいるだけマシということも出来る」

 

「・・・大変ですね。お互い」

 

「あぁ、本当に」

 

 本当は本人の前で堂々と文句を言ってやりたいところだが、残念なことにその度胸はこの二人には無い。二人は顔を見合わせて、はぁ、と深い溜め息を吐く。

 そんな二人の背後に、一つの影がゆっくりと現れる。

 

「妖夢、藍、少し聞きたい事があるのですが…」

 

「ひゃ、ひゃい!?なんでございましょうか!?」

 

 後ろから突然聞こえて来た声に驚き変な声を出してしまう妖夢。後ろを振り返るとそこにはいつの間にか青の姿があった。

 青はあからさまに動揺する彼女に首を傾げつつも、まぁいいかと思考を切り替え、彼女に問いかける。

 

「お酒って何処にありますか?幽々子がもう始めたいと五月蝿いんですよ」

 

 怒っている様子も、何かを企んでいる様子もしない。どうやら先程の会話は聞こえていなかった様だ。妖夢はそのことにほっと安堵しつつ、彼の質問に答える。

 

「お酒でしたら…はい、こちらです。かなり重いですけど、大丈夫ですか?」

 

「えぇ、妖怪ですからね――っと」

 

 妖夢は酒瓶が十本程入った箱を青に渡す。青は突然手に負荷がかかり一瞬よろけたが、すぐに体勢を立て直した。

 

「そろそろリリカさん達が楽器を演奏し始めるとのことで、こちらにも音色が聞こえて来るかもしれませんね」

 

「それは楽しみです。ところで青様、藍さんがいなくても歩くことが出来るんですか?」

 

 目の見えない人に酒を取ってこさせる幽々子も幽々子だが、妖夢は青が人の手を借りずに歩く姿は初めて見るので思わず疑問を漏らす。

 

「私も藍と同じように白玉楼には何度も訪れていますから。屋敷の構造はある程度ではありますが頭に入っています。後は藍の気配を見つけて壁に沿ってそちらに向かえば良いだけです」

 

「しかしその状態で歩かれるのは危険です。お運びしましょうか?」

 

「いえいえ、そこまで気を使わなくても大丈夫ですよ」

 

 青は妖夢の言葉に断りを入れた後、箱を持ちながら先程よりもさらにゆっくりとした足取りで宴会場へと戻っていく。

 彼の姿が見えなくなって少ししてから、彼女達は再び調理に取り掛かる。

 

「・・・少々ヒヤッとしましたが、青様に聞かれてなくて安心しました」

 

「そうだな。これ以上なにか言うのは止めておこう」

 

「そうですね」

 

 下手にリスクを増やしても自分達が損をするだけだ。

 二人はそこで会話を切り上げ、後ろから聞こえ始めたプリズムリバー楽団の演奏を聞きながら、黙々と調理をし続ける。二人が調理を終えたのは、それから一時間後のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人が宴会場へと着いた時、そこにはもう大量の酒瓶が畳の上に転がっていた。

 藍は妖夢に料理を並べるのを任せて周囲に散らかっている酒瓶を一か所に集め、割れて破片が飛び散っていないかを確認する。

 

「青様、幽々子様、料理が出来上がりましたよ」

 

 二人の顔を見ると幽々子は既に若干酔いが回っているのか、僅かに頬が赤らんでいる。一方青の方は特に先程と変わった様子は無かった。

 

「あぁ、藍も妖夢もお疲れ様です。彼女達の演奏は素晴らしいですね。音楽という物は私にとって貴重な娯楽ですから、夢中になってしまいそうです」

 

「そう言って貰えると私達も嬉しいわ。もう少ししたらまた演奏を再開しましょうか」

 

「ルナサ姉さん!この料理凄く美味しいよ!」

 

 青達が会話に花を咲かせていると、料理を並べ終えた妖夢がこちらに向かってくる。リリカとメルランは、既に料理に手を付けていた。

 

「・・・二人とも、ちゃんといただきますをしないと駄目でしょう」

 

「「はーい、いただきます」」

 

「皆さんも、冷めないうちに召しあがってください」

 

「もう、待ちくたびれたわよ妖夢。あ、そこにあるお酒取って頂戴」

 

「幽々子様はもう大分飲まれたでしょう。もう駄目です」

 

「えぇ~、それなら青ちゃんだって私と同じくらい飲んだわよ?」

 

 その言葉に妖夢が驚いた様に青を見る。何故なら先程も言った様に、彼には全く酔っている様子が見られなかったからだ。先程見た時と全く変わらない顔色で、顔に笑みを貼り付けている。

 

「確かに幽々子さんの言う通り、彼も湯水みたいに飲んでいたわね」

 

「青様、お酒はお得意でしたっけ?」

 

「あまり進んで飲むことはありませんが、こう見えてかなり強い自信はありますよ」

 

 姉様がいない時に家に来た鬼にたっぷりと飲まされましたから。なんてことは言える筈が無く、青は笑みを浮かべ続ける。

 

「幽々子もきっと音楽に気分が高揚して赤くなっているだけですよ」

 

「そうよ。つい年甲斐もなく興奮してしまったわ~」

 

「またそうやって適当な事を…もう、わかりましたよ」

 

 二人を説得することを諦めた妖夢。その言葉を聞いた二人はまた嬉しそうに酒を手に取り、食卓へと向かって行く。

 

「ささっ、ルナサもどうぞ。早く食べないと幽々子様の胃袋に全部入ってしまいますので」

 

「・・・末恐ろしいわね。貴女の主。そういうことなら、お言葉に甘えさせて貰うわ」

 

 ルナサも妖夢に促され、彼女と共に食卓へと歩いて行く。

 一方藍は彼女達の姿を見つつも、一つ気になる事があった。

 

(青様と幽々子様以外に酒を飲んでいた様子は無い。いくらあのお二方とはいえ、私達が料理を作り終えるまでの時間であれ程の量の酒瓶を空にすることなど出来るのだろうか…それこそ青様だけでなく幽々子様までもが湯水のように飲まなければあれ程は減らない筈…)

 

「藍、貴女も一緒に食べましょう」

 

「あ…はい。承知しました」

 

 沼へと陥りかけていた藍の思考は青の言葉によって打ち切られる。己の推測よりも主の命の方が優先度が高いと判断した彼女は、そのまま思考を切り上げて青の下へと歩いて行くのであった。

 その後暫くして、藍の感じていた違和感の正体が明らかとなる。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十五話

「あれ?藍、この辺りにあったお酒飲みました?」

 

 宴会が始まってかなりの時間が経過した。先程藍達が作った料理の殆どを幽々子が食べつくしてしまい、今は妖夢と藍が協力して皿を片付け、新しい料理を作ろうとしている所だ。

 

「私はそれ程酒に強い訳でもありませんので、そこまで多くは飲んでいないのですが…」

 

「ふむ…幽々子は別の酒を持っていますし、リリカさん達が飲んだのでしょうか…」

 

 しかし彼女達は依然音楽を演奏し続けている。料理を食べた後すぐに演奏を再開していたから、これ程までの量を飲むことは出来ない筈だが…

 

「うーん、なんかさっきまでと違うのよねぇ」

 

 すると突然リリカ達が演奏を中止する。その表情は先程までと違い何処か納得のいっていない表情をしていた。

 

「おや、演奏はもう終わりなのですか?」

 

「うん。何て言うか、あんまり音が響かないのよね」

 

「響かない?先程までと何ら変わりないと思いますが…」

 

「何と言うかね…空気に余計な物が混じっているみたいな…気分が乗らないわ」

 

 メルランも手にしていた楽器を口から話してため息を吐く。

 青は二人のその言葉を聞いて不思議そうに首を傾げたが、暫くして面白そうな微笑みを浮かべる。

 

「成程、確かに不純物という意味では…あながち間違ってはいませんね」

 

「青様…?」

 

 青は藍の言葉に答えずに懐を漁り、一つの盃を取り出す。そこに並々と酒を注いだ後、自分の前にその盃を置く。

 

「『鬼殺し』この酒の名前ですよ。酒に鬼が殺されるとは、人間は随分と面白いことを思いつく。貴女に捧げるのにぴったりではありませんか?」

 

「・・・舐められちゃあ困るねぇ。鬼の名前も随分と廃れたもんだ」

 

 そんな声が聞こえたかと思うと、次の瞬間には青の目の前に一人の少女が座っており、酒の注がれた盃に口をつけていた。

 

「なっ…貴女は!」

 

「お、鬼!?」

 

「あらあら、また随分なお客様ねぇ」

 

 藍やリリカ達だけでなく、幽々子ですら、突然の来訪者に驚きを隠せない。

 そんな中で青は誰よりも冷静に、彼女に語り掛けていた。

 

「随分と久しぶりですね、萃香。今日はどの様な用件で?」

 

「用件?宴会がある所には鬼がいる。酒があれば鬼が飲む。それは当然だろう?」

 

 青と同じくらいの背の少女、彼女はこの世界においての最強種である鬼。その四天王が一角、伊吹萃香だった。

 鬼という存在は人間だけでなく、多くの者から恐怖の対象として認識されている。実際リリカ達も予測していなかった彼女の存在に僅かながら恐怖を抱いている。

 そんな視線を受けても、萃香は全く気にせずに酒を飲み続ける。

 

「しっかし、お前も恐ろしい奴だよ。まさか能力を使っていた私に気づくなんて。しかも不純物扱いと来たもんだ」

 

「不純という意味では正しいでしょう?まぁ、細かい事は気にせずに行きましょう」

 

 萃香の指摘をサラッと受け流し、青も彼女と同じように酒を飲み始める。

 

「ちょっと藍さん、貴女の主は平然としてるけど、大丈夫なの?彼女は結構な実力者の筈だけれど」

 

「・・・彼女と青様は友人としての関わりがある。手を出す事は無いだろう。青様の言葉を聞くに、気まぐれにここに来たようだ」

 

「藍達も肩の力を抜いて構いませんよ。鬼と言えど彼女はただの飲んだくれですから」

 

「酷いねぇ。まぁあながち間違いじゃないけど…」

 

 青の言葉に幾らか緊張が緩んだのか、彼女達の間に流れていた空気も段々と弛緩していく。彼女の事を知る幽々子と妖夢、藍以外は萃香の下に近づこうとしなかったが。

 

「ひょっとして、私と青ちゃんのお酒が急に減ったのも貴女のせい?」

 

「あぁ、美味かったよ」

 

「貴女を招待した覚えは無いんだけどねぇ…」

 

「宴会は人が多い方が楽しいだろう?なぁ半霊、なんかツマミくれ」

 

「は、はい!ただいま!」

 

 萃香を待たせるのは怖いのか、先程は台所から戻って来たばかりの妖夢は慌てて再び台所の方に駆けて行ってしまう。藍も自分では彼女を抑える事は出来ないと判断し、青に一言断りを入れてから妖夢を手伝おうと同じように台所へと向かって行く。

 

「相変わらず妖夢は怖がりねぇ…」

 

「鬼は目に見えて恐ろしい分、幽霊よりも質が悪いですからね」

 

「二人共、私を貶して楽しいかい?」

 

 幽々子は彼女の文句に答えない。笑みを浮かべたままその場に座り、青から酒を受け取る。

 

「見る人が見たら、錚々たる面子でしょうね」

 

「冥界の主、鬼の四天王、賢者の弟…か。確かに、私だったら近づきたくないかもな」

 

 そう言って萃香は無邪気に笑い、盃に口をつけた後、再びその視線を幽々子から青に向ける。

 

「なぁ、青。お前さんはいつもそうやって落ち着いているのかい?」

 

「いきなりなんですか。自分では結構感情豊かな方だと思っているのですが」

 

「ふぅん、私にはそうは見えないが。あんまり面白くないんだよねぇ、お前の表情。私はもっとお前の歪んだ表情が見たい。いい意味でも、悪い意味でもな」

 

「性格悪いですよ」

 

「何とでも言うがいいさ。それに別に、苦痛に歪む必要は無い、笑みでも、驚きでも、快楽でも何でもいい。お前のそんな表情は紫と同じくらい貴重だからな」

 

 遂に萃香は盃の中の酒を飲み終え、それを勢いよく床に叩きつける。幽々子が彼女の方を見ると、萃香の目は期待に満ち溢れていた。

 

「と、まぁ前置きはこれくらいにして、青、私と戦わないか?」

 

「それが本命ですか」

 

「あぁ、私の友人の中で唯一お前とだけ戦った事が無い。お前の実力ってもんを是非とも確かめたいんだよ」

 

「私は目が見えませんから、戦いは出来ませんよ」

 

「そんなのは言い訳にならないよ。つべこべ言わずに私と戦い――な!」

 

 目を野生の獣の様にギラつかせ、話し終えるよりも早くに萃香は腕を青の方に振る。

 

「!」

 

 しかし彼女の腕が青に触れる瞬間、彼の姿が煙の様に消える。

 

「それは是非とも遠慮したいですね」

 

 声がした方に萃香が振り向くと、幽々子の少し後ろで青が先程と変わらぬ表情で酒を注いでいた。先程まで萃香の手元にあった盃に。

 自分の拳を避けられた上に手に持っていた盃を取られた。視認するまで全く気づくことが出来なかったことに、萃香は目を瞬かせる。

 そしてその刹那、萃香が一度瞬きをして再び目を開けた時には青は既に幽々子の隣にはおらず、萃香の目の前に座り、彼女の顎に手を添えていた。その状態から流れるような自然な動作で萃香へと顔を近づけ、唇を重ね合わせる。

 先程とは別の意味で驚き固まる萃香の反応を楽しみながら、青は彼女の舌を弄びつつ、彼女の喉に人肌となった酒をゆっくり、ゆっくりと流し込む。

 全ての酒を流し込むためか、それともこの口づけを楽しむためか、数分もの間塞がれ続けていた彼女の口が漸く解放される。二人の間には銀色の橋が架かり、やがてゆっくりと落ちていった。

 

「夜の方の勝負でしたら、またいつでもお相手しますよ」

 

 少し浅くなった息を吐き続け、人差し指で自分の湿った唇を触りながら、青は彼女の望み通り妖艶に表情を歪めて語りかける。

 

「・・・何でそんなことを平然と言える様になっちまったのかねぇ」

 

「貴女の様な人達のせいですよ。この様な私を望んだのは貴女達で、私をその様にしてしまったのは貴女達の責任でしょうに」

 

「私、すっかり蚊帳の外ねぇ」

 

 青は先程の表情を引っ込め再び顔に笑みを貼り付け、幽々子はつまらなそうに目を細め、萃香は酒かはたまた別の影響か、少し頬を赤くして呆れた様に溜め息を吐く。三人がそれぞれ違った反応を示す中、萃香がおもむろに立ち上がる。

 

「なんか興ざめしちまった。今日はもう帰る事にするよ」

 

「おや、珍しいですね。貴女が宴会の途中で帰るとは」

 

「どうせ今度また宴会があるんだろう?ならその時今日の分も飲むことにするよ」

 

 そう言って彼女はすぐにその場から消えてしまう。恐らく能力でも使ったのだろう。

 

「彼女、この前の私と霊夢さんの会話も聞いていたのですか。その際に声をかけてくれればいいものを」

 

「お持ちしました――ってあれ?幽々子様、萃香さんは?」

 

「あら妖夢、一足遅かったわね。もう帰っちゃったわよ」

 

「えぇ!?せっかく藍さんと作ったのに…」

 

「なら私と幽々子が食べますよ。幽々子の事ですから、まだ腹は膨れていないでしょう?」

 

「えぇ、勿論よ」

 

「はいはい!リリカ達も食べる!」

 

「おや、そう言えば貴女達もいましたね」

 

「酷くない!?」

 

 青の言葉に突っ込みつつ、彼女達は妖夢の持ってきたツマミに手を出す。結局酒も(三人のせいで)底を尽き夜も大分更けて来た為に、この後そう時間も経たずに宴会はお開きとなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六話

 端的に言うのならば、青は家には帰らなかった。

 宴会が終わってから少しして、彼の姉である八雲紫が白玉楼に現れた。どうやら青達を迎えに来たらしい。

 そして彼女のスキマを通して青が屋敷へと帰還する少し前に、見送りかと思っていた幽々子が予想外の言葉を放つ。

 

「今日、青ちゃんを家に泊らせてくれないかしら」

 

 瞬間、場に静寂が訪れた。

 青ですら、幽々子のその一言に僅かに表情を変化させた。自分が泊まらせてくれと頼むならまだしも、この屋敷の主である彼女が何故泊まらせたい等と――

 当然紫は猛反対した。藍は別に良いのでは無いですかと早いうちに賛成の意を表明し、妖夢も別に困ることは無いから青の判断に任せると言っていた。

 およそニ十分にも渡り紫は猛反対していたが、

 

「誰かの家に泊るというのも、貴重な経験でしょう?」

 

「私は構いませんよ。彼女の言う通りこれも経験の内でしょう」

 

 という幽々子と青の言葉に折れることになった。

 それにしても姉がスキマを通る際に幽々子に言った言葉、「私の青を襲わないで頂戴ね」という言葉には少々驚かされた。家族には自分が襲われた事を知っている者はいない筈だ。彼女は冗談半分で言ったのだとしても、一瞬ヒヤッとしてしまった。

 しかしまぁ、彼女の言った言葉は外の世界で言う所のフラグというものに分類されてしまう訳で。

 

「はぁ…久しぶりだったせいで疲れましたよ…」

 

 早朝、目が覚めた青は隣にいる幽々子の方に顔を向けながら恨めしそうに言葉を零す。寝ようと布団に潜った際に聞こえた襖の開く音とやけに艶のある彼女の声である程度予想はついていたが、流石に夜の運動会は引きこもってばかりであったこの体には堪える。異性と交わるという行為も幻想郷が創設されてからはめっきり減ったために、実に二百年ぶりに騒がしい夜であった。

 夜の静寂が苦手な青としては心細さが無くなるのでありがたかったのだが、眠ることすら許されないとなると話は別だ。

 現在の時刻は六時過ぎ、二時間ほどしか寝ていない為に普通の人間からすれば寝不足に値するだろうが、妖怪にとって睡眠は人間ほど必要では無い為に平然と起きることが可能だ。

 

「幽々子、幽々子、起きてください」

 

 未だに気持ちよさそうに眠る幽々子の頬を数回叩く。暫くして、幽々子はゆっくりと目を開ける。

 

「あ…青ちゃん、おはよう」

 

「おはようございます。取りあえず何か羽織ってください。裸では色々と不味いでしょう?」

 

「すぐに風呂に行くから必要無いわ。・・・でも、確かにちょっと肌寒いかも…誰か私を温めてくれる人はいないかしら。出来れば人肌で――いたっ」

 

「もう体を重ねるつもりはありませんよ。妖夢に見られたらどう説明しろと言うのですか。湯浴みに行くのなら早く行ってください。私だって入りたいんですから」

 

「もう、釣れないわねぇ…」

 

 若干不満そうな態度を取りながらも彼女はそのまま立ち上がり、風呂場を目指す。布の擦れる音がしなかった辺り何も着ていない様だが、もしも来客が来ていたらどうするつもりなのだろうか。

 青は小さく溜め息を吐いてから、取りあえず姉に持ってきて貰った寝間着用の浴衣を羽織り、襖を全開にする。

 ムワッとした空気を外に逃がした後、青は隠蔽を開始する。妖夢が起きるまでまだ少し時間がある。彼女にバレる訳にはいかないので、それまでに何とかして証拠を隠滅しなければならない。

 目が見えているのではと思う程素早く効率的に、青は片付けを行う。

 

「出来れば私も早いうちに湯浴みをしたいのですが、幽々子と一緒に入る訳には行かないですしね。一緒に入った場合、幽々子が暴走する可能性もありますし」

 

 流石にこれから第二回戦は体力的にも時間的にも不味いだろう。青は独り言を零しながら部屋を片付ける。妖夢が起きてくるよりも早く彼女が風呂から出てきてくれることを願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます。青様」

 

「えぇ、おはようございます」

 

 妖夢が起きて来たのは、青が風呂から上がって火照りが引いた頃だった。幽々子が風呂から上がるまでに部屋は片付けておいたので、バレる心配も恐らく無いだろう。

 

「昨日は少し蒸し暑くて寝汗を掻いてしまいましてね。あぁ、布団は既に洗って干してあるのでお気になさらず」

 

「そんな…言ってくだされば私がやりましたのに」

 

 寧ろ妖夢にやられたら色々と不味いのだが。彼女の言葉に動揺の色が見えないことから、バレてはいない様だ。その事に心の中で安堵する。

 

「幽々子様も、今日は早いのですね」

 

「えぇ、目が覚めちゃって。二度寝してもすぐに妖夢に起こされるだろうから、仕方なく起きたのよ」

 

 幽々子と話しながらも、妖夢は朝食の用意を進める。彼女との話が終わる頃には、食卓に朝食が並んでいた。

 

「紫様が青様を迎えにいらっしゃる前にいただきましょう」

 

「そうね、紫の事だからさっさと返せと言うでしょうからね。それじゃ、いただきます」

 

「「いただきます」」

 

 幽々子に続いて、妖夢と青も朝食に箸をつけ始める。そして幽々子の宣言通り朝食後まもなく現れた紫によって、青は半ば強引な形で白玉楼を後にした。

 

「そういえば幽々子様」

 

「何かしら?」

 

「冥界は霊のおかげで年中問わず涼しいのに寝汗を掻くなんて、青様は暑がりなんですね」

 

「あー、うん、そうね」

 

 誤魔化すのも面倒だしもうそういうことでいいやと、己の従者の言葉に幽々子は投げやりに言葉を返すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青様、青様」

 

 白玉楼から帰還した青に一番最初に声をかけたのは、彼の帰りを首を長くして待っていた橙であった。

 

「なんでしょう」

 

「青様は、今日も幻想郷の何処かに行くんですか?」

 

「えぇ、その予定ですけど…」

 

「なら、今日は橙に案内を任せていただけませんか!?」

 

 予想していなかった彼女の言葉に、青は僅かに驚く。そして己の隣にいるであろう姉の方に顔を向ける。

 

「前から橙が言っていたのよ。貴方が人里に行く時は、自分が案内をしたいってね。人里には寺子屋があるし、藍よりも橙の方が詳しいだろうから」

 

 青は顎に手を当てながら考え込む。正直に言うと、今日はあまり眠ることが出来なかった為に夜の間の疲労が残ってしまっている。妖怪故に寝不足にはならないが、疲労だけはどうしても解消されないのだ。出来る事なら、あまり動きたくない。

 しかし青には橙が期待半分不安半分の視線で自分の事を見ているのが何となくわかった。もし彼女の願いを断れば、橙は少なからず落ち込んでしまうだろう。それは良心が痛む。

 

「成程…それでは今日は人里の方へ向かう事にしましょう。案内お願いしますね、橙」

 

「はいっ!任せてください!」

 

 紫の言葉を聞いて暫く黙りこくっていた青の笑みと共に放たれたその言葉に、橙は声を弾ませながらも言葉を返す。こうして今日の行き先は、人里に決定したのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十七話

「青様、着きましたよ!」

 

 橙の元気な声と共に、様々な人間の声が青の耳へと入って来る。

 屋敷を出てから半刻程経っただろうか。青と橙は無事に人里へと到着していた。日頃から寺子屋に通っているおかげだろうか。初めて青の案内をしているのにも関わらず、その足取りには迷いがなかった。

 

「橙、随分と簡単に入る事が出来た様ですが、この里には門番の様な方はいないのですか?」

 

「いえ、門番はいますよ。でも橙は門番の人と顔見知りなのですぐに通して貰えるんです」

 

 なるほど。青は心の中で納得する。しかしいくら顔見知りとはいえど、門番にとって自分は未知の存在の筈だ。顔見知りが連れて来たという理由だけで通しては、あまり門番としての意味をなさないのでは無いだろうか。まぁ人間の門番が妖怪相手に意味があるのかというのはまた別の話になるのだが。

 

「それはわかりました。それで、橙は私を何処に連れて行ってくれるのですか?案内を志願したということは、何処か連れて行きたい場所があるのでしょう?」

 

「あ、はい!青様には寺子屋に来てもらいたかったんです。今日は授業があるので」

 

「寺子屋…姉様も仰っていましたね。自ら勉学に励むのは素晴らしいことですよ」

 

「えへへ…それで青様にはその授業を聞いて欲しいんです。橙は頑張りますから!」

 

 つまり自分の成長を感じて欲しい、彼女はそう言いたいのだろう。昔は藍もその様な時期があったなぁと過去を思い出しつつも、青はニコリと微笑む。

 

「わかりました。では寺子屋まで案内してください」

 

「はいっ!任せてください!」

 

 橙は青の言葉に元気に返事をし、彼の手を取って人里を歩いて行く。青としては引っ張られるので少々スリルがあったが、偶にはこういうのも悪く無いだろうと思い、橙に案内を任せるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうそろそろ着きますよ」

 

「はいはい、別にもっとゆっくりでも構いませんよ?まだ授業が始まる時間では無いのでしょう?」

 

 青の言葉に橙は少し立ち止まって、やがて先程よりもゆっくりと歩き始める。どうやら青の指摘で自分が彼を引っ張って歩いてしまっていることに漸く気づき、興奮が収まった様だ。

 

「すみません…青様が来てくれるのが嬉しかったので…」

 

「いえいえ、喜んでくれるのは私としても嬉しいですよ。しかし、常に冷静さを忘れてはいけません。興奮しすぎては、何事も失敗してしまいますよ」

 

「はい、気をつけます!」

 

 橙の返事に満足そうな笑みを浮かべる青だが、すぐにその表情を崩す。

 

「青様、どうかなさったんですか?」

 

「橙、何か匂いませんか?いい香りが…」

 

「におい、ですか…?」

 

 青の言葉に橙もスンスンと鼻を動かすが、特に普段と変わりない。何だろうと思い周囲をキョロキョロと見回すと、その要因である可能性を持つ物が一つだけ目に入った。

 

「あ、あそこに花屋さんがありますよ!ひょっとしたら、お花の匂いじゃないですか?」

 

「花の匂い…確かに、微かに土の香りもしますね。それが原因かもしれません」

 

「青様は鼻が良いんですね。私はわかりませんでした!」

 

「えぇ、橙にも以前話しましたが私は視覚が効かない分、他の感覚が鋭いのですよ。人間にも似たようなことがあります」

 

「そうなんですね…」

 

「それにしても花を売るなんて、人間は商売に関しては面白いことを考えるものです。花は素晴らしいものですから、利益もあるでしょうし」

 

「確かに花は綺麗ですけど、その…青様にはわからないじゃないですか」

 

 少し躊躇ったが、橙は言葉を投げかける。青は辛そうな声音の彼女を安心させるように撫でつつ、言葉を返す。

 

「確かに私は花を見る事は出来ません。しかし花の魅力は見るだけに非ず。その香りも、質感も、内に秘めた強さも、全てが素晴らしく、尊いものなのですよ」

 

「・・・橙にはわからないです」

 

「ふふっ、橙には少し難しかったかもしれませんね。花は見るだけでも十分美しい物ですから、中々他の魅力に気づきにくいんです」

 

 ほら、こんな所で立ち止まっていないで寺子屋へ行きましょう?そう言おうと口を開きかけた時、

 

「やっぱり貴方はいいわね。ここまで私と気が合う人は他にいないわ」

 

「――!」

 

 聞き覚えのある声と共に、青は突然背後に凄まじい気配を感じる。一体いつから、その存在は自分の後ろにいたのだろうか。

 咄嗟に後ろを振り向くと、それを予測していたのか目の前の彼女は顎から手を滑らせ、青の頬を撫でる。

 

「・・・やはりこの里の警戒の薄さには些か問題がありますね。貴女の様な妖怪が平然といるのだから」

 

「それに関しては同意するわ。それにしても、貴方と太陽の下で会うなんて思ってもみなかった。随分と久しぶりね、青」

 

「えぇ、本当に久しぶりですね。幽香」

 

 自分の目の前にいるであろう人物は風見幽香。友好度極低、危険度極高の妖怪だった。その存在は妖怪にすら恐れられており、紫や青達大妖怪クラス以外に彼女と関わりがある者は殆どいない。一般的には彼女は花だけを愛し、それを汚す者には容赦はしない残忍な性格として知られている。

 

「青様…」

 

「大丈夫ですよ、橙」

 

 すっかり委縮してしまっている橙を自分の方に寄せながら、青は幽香を見上げる。

 

「紫から外出許可でも出されたのかしら?信じられないわ」

 

「つい一昨日のこと…ですがね。幽香は一体何をしにここへ?」

 

「私は特に用なんて無いわ。ただ当てもなくフラついていただけよ」

 

「・・・貴女ってそんなに放浪癖のある妖怪でしたっけ」

 

「そういう貴方は何を――式神のお守りかしら?」

 

「違いますよ。私がこの子に案内されているんです」

 

「へぇ…」

 

 ニヤリ、と。彼女の口が歪んだのを彼は何となく察した。あぁ、もの凄く嫌な予感がする。彼女は何処かの土着神の様に粘着質なのだ。

 

「なら、私の家に来ないかしら?」

 

「人の話を聞いていましたか?」

 

「えぇ、聞いた上で誘っているのよ。大丈夫、ただ夜になるまで一緒に紅茶を飲むだけよ」

 

「それ、絶対に適当に理由つけて朝までコースですよね?紅茶だけで済むんですか?」

 

「私、自分の欲を抑えるのは嫌いなの」

 

「貴女と言う人は本当に…何処までも妖怪らしい」

 

「ふふっ、誉め言葉として受け取っておくわ」

 

 さて、どうすれば彼女から逃れられるだろうか。仮に青一人だったのなら、彼女の誘いを受けても構わなかったのだが、今は自分のことを楽しみにしていた橙がいる。やはり身内として、彼女を優先したい。

 そう考えていた時、彼の横を何か――誰かが通った。今の自分の近くにいる者は目の前の風見幽香と橙しかいない。つまり、橙は自分の後ろから自分の前、風見幽香の前に立ったのだ。

 

「青様は橙と一緒に寺子屋に行くんです…!」

 

 青としても、橙のこの行動は予想外だった。先程まで本当に猫の様に縮こまっていた彼女が自分の前に立つなど、誰が想像しようか。

 

「・・・愚かな化け猫。彼に貴女程度の頭脳しか無いとでも?」

 

 不味い。幽香の声は、先程と比べて明らかにトーンが下がっている。ここで戦闘になるのは非常に勘弁して欲しい。自分も橙も、里を出禁になる訳には行かない。

 

「青様に私の頑張っている所を見て貰いたいんです…!だから、青様を渡す訳には行きません!橙は今は、青様をお守りする立場ですから…!」

 

「橙…」

 

 あぁ、この子はこんなにも成長していたのか。青は心の中で感動した。彼女も紫から、藍から、風見幽香の凶悪性は聞いていたはずだ。その恐怖を知ったうえで、彼女は自分を守ろうとしている。

 暫くの間辺りは静寂に包まれるが、やがて幽香のはぁ、という溜め息が聞こえた。

 

「・・・いいわ。彼女の蛮勇に免じて、今日は大人しく帰りましょう。青、いつか必ず貴方を私の物にしてあげるわ」

 

 出来れば身内の前で、その話はしないでいただきたいのだが。

 

「私は誰の物にもなる気は無いんですけどねぇ――」

 

「――少なくとも今は。でしょう?」

 

 クスリという笑みが聞こえた後、目の前から幽香の気配が消える。恐らくは空を飛んで帰ったのだろう。

 

「橙、ありがとうございました。私を守ろうとしてくれたこと。とても嬉しかったですよ」

 

「い、いえ!橙は藍様の代理ですから!」

 

「さて、命がけでお願いされてしまった訳ですし、行きましょうか。寺子屋へ」

 

「はいっ!」

 

 青の言葉に橙は元気よく返事をし、再び彼の手を引いて寺子屋へと向かって行く。式神としての役目を初めて果たすことが出来た彼女はいつもよりも誇らしげで、上機嫌だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十八話

「到着しましたよ!」

 

 風見幽香と別れてから数分程時間が経ってから、前を歩いていた橙から声がかかった。どうやらあの後は何事も無く寺子屋へと到着したらしい。

 

「橙、授業が始まるのは何時頃なんですか?」

 

「えぇっと、今は八時ごろでしょうから、三十分くらい後ですね」

 

「ふむ、では今のうちに教師の方に挨拶をしておきましょう。橙、先生はここにいらっしゃるのですか?」

 

「寺子屋の扉が開いているので、いると思います」

 

「目上の人には敬語を使いましょうね。それと案内、お願いしますよ」

 

「は、はい!」

 

 橙は青の手を取って、寺子屋の廊下を歩いて行く。二十秒程が経って、彼女は再びその足を止めた。

 

「寺子屋の先生…慧音先生はいつもここにいます。だから今日もここにいる筈です」

 

 橙はそう言って扉の下の方を三回ノックする。

 凡そ数秒後、スタスタという足音が大きくなっていき、やがて扉がガラリと開けられる。

 

「おや、随分と早いな、橙。そして、初めて見る顔だな。私に何か用でも?」

 

「あぁ、初めまして。私は彼女、橙の保護者の様な者です。八雲紫の弟、青と申します」

 

「これはご丁寧に。私は上白沢慧音、この寺子屋で教鞭を振るっている者だ。青殿、よろしく頼む」

 

 青の差し出していた手を慧音は握るが、その際に僅かに体が硬直した。何か気に障る様な事をしただろうか。

 すると慧音が橙には聞こえないくらいの小さな声で、耳打ちをしてくる。

 

「あー、その、初対面で言う事では無いと思うのだが…少々匂っている。交じりの…男と女の濃い匂いが」

 

 交じりの…?青は少しの間思考を巡らせたが、やがてあぁ、と納得した様な表情をする。

 

「匂いますか?藍にも姉様にも言われなかったのですが…」

 

「私はワーハクタク…ハクタクの血が半分混じっているんだが、ハクタクは他の妖怪よりも鼻がいいんだ」

 

「成程、私もそれなりに鼻はいいのですが…やはり自分の匂いだと気づきにくいのでしょうか」

 

 青は自分の服の袖の匂いを嗅ぐが、やはり普段と同じ、自分の匂いしかしなかった。

 

「確かに今日は幽々子――冥界の主に朝まで貪られましたが…まぁ、大丈夫でしょう」

 

 もしかしたら落としきれていなかったのかもしれませんね。あまり長風呂もしていないですし。数秒考えた末に彼が行き着いた答えは、まぁ大丈夫だろうとの判断であった。

 

「それは…大丈夫なのか…?」

 

「えぇ、子供は純粋ですからね。私が食われたと言っても、何を言っているかわからないでしょう。ねぇ、橙?」

 

「ふぇ?なんですか?」

 

 橙の反応に、青は満足げに笑みを浮かべる。慧音としては微妙なラインだったが、自分が気にしなければいい話かと思考を打ち切る。

 

「あー、青殿、もう一つ、初対面で言う事では無い…頼みをしてもいいかな?」

 

「頼み…ですか?今日の夜なら誰からも誘われていない故空いていますけど…」

 

「そ、そういうことを言っているんじゃない!全く…」

 

 声を荒げる慧音を、青は苦笑しつつも宥める。確かに今の発言は、初対面相手にすることでは無かった。外の世界ではセクハラ…?というものに分類されていただろう。流石に出会ってすぐの相手に変態とは思われたくない。

 

「すみませんね。周りにそういう友人しかいなかったもので…」

 

「・・・一度友人の選び方について、貴方と是非とも深く議論したいものだが――今はそれは置いておこう。それで頼みたい事というのは、教壇に立ってもらえないだろうか?」

 

「教壇に立つ?私に教師になれと?」

 

「えぇ!?青様、先生になるんですか!?」

 

 橙は驚きのあまり目を見開くが、それは青も同じ気持ちだった。確かに姉と共に藍と橙を育てはしたが、自分は彼女の様に学び舎で教えていた経験など全く無い為、教師としては力不足な気がするが。

 

「あぁ、この寺子屋に教師は私しかいなくてな。たまに臨時教師、私の友人が来てくれるのだが、常に人手不足なのだ。それにあの賢者、八雲紫の弟ならば、下手をすれば私以上の知識を持っているのだろう?」

 

「・・・まぁ、確かに年の功という言葉もありますから、ある程度の講義は出来ると思いますが…」

 

「あぁ、勿論極秘情報を話せとは微塵も言っていない。真面目にするも良し、子供受けを考えて面白い話をするも良しだ。それは貴方に任せよう」

 

「・・・下の方の話でも?」

 

「それをした場合、最悪貴方の記憶が全て無くなるくらいのことは覚悟して貰うことになる」

 

「ふふっ、冗談ですよ。話したところで子供達にはわからず、貴女が顔を赤くするだけでしょうから」

 

 完全に遊ばれている。自分の言葉にクスクスと笑う青を見ながら、慧音は心の中で溜め息を吐いた。

 

「まぁ、そういうことでしたら本日にでもお引き受けしますよ。保護者としてでは無く、教師として橙を見るとは思ってもみませんでしたが」

 

 思ったよりもすぐに、というか即答した青に、慧音は僅かに目を見開く。

 

「・・・自分で言っておいて何だが、かなり無茶を言っていると思うぞ?私も低い確率で引き受けてくれたとしても、数日程準備の期間を与えてから教壇に立たせようと思っていたのだが…」

 

「いえいえ、自分の知っていることを話すだけですから。それに、今までに子育ての経験もありますので。ただ、少し手伝いはしてもらいます」

 

「手伝い?」

 

「えぇ、私は目が不自由でしてね。例え生徒が背伸びをして手を挙げようと気づかないのですよ」

 

「成程。貴方の目になるくらいなら、お安い御用だ」

 

 交渉成立。青は再度慧音と握手を交わした後、若干放置気味だった橙の方に視線を向ける。

 

「――と、いう訳で橙。私は今日は貴女の先生になりますよ」

 

「青様の授業…とても楽しみです!」

 

 やはり橙は藍よりも反応が良い。青は期待の視線を向けて来る橙の頭を撫でつつも、残り少ない時間でどの様な授業を行うか思考を巡らすのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十九話

「・・・さて、今日の授業はここまでです。皆さん、気をつけてお帰りください」

 

「「はーい!」」

 

 慧音に教師を頼まれてから二時間後、青は無事に授業を完遂していた。

 彼としては自分は見た目が左程子供達と変わらない故に、教師として見られるか少々心配だったが、その心配は必要なかった。子供というのは、扱いさえわかっていれば素直に言う事を聞いてくれる。

 授業から解放されたのが嬉しかったのか、子供達は我先にと教室から出て行く。ドタドタと騒がしい足音とそれを注意する慧音の声、あっという間に教室には青と慧音、橙だけとなった。

 

「実に素晴らしい講義だった。それなりに歴史を見て来た私ですら知らない様な事実を聞くことが出来て満足だ」

 

「お気に召したのなら幸いです。勉学とは子供のものだけに非ず、大人になっても、学ぶことが山ほどあるものです。貴女はまだお若いのですから」

 

「若い…か。そんなことを言われたのは初めてだよ」

 

 青の言葉に慧音は思わず苦笑を浮かべる。自分よりも年上の人と会うことが少ないが故に、その様なことを言われるのはなんとも不思議な気分だった。

 

「青様、青様。これからどうなさりますか?」

 

「そうですねぇ、どうすると言っても…この里にはあまり知り合いが多くは無いですから、あまり長居してもという感じですね」

 

 他の場所と違って、青は自ら望んでここに来た訳では無い。橙に来て欲しいと言われたから行ったまでで、橙の望みが叶えられた以上、ここに長居する理由は無い。敢えて挙げるなら御阿礼の子についてだが、姉に何も言われていない以上会わなくてもいいのだろう。

 

「橙は、別に人里である必要は無いですか?」

 

「はい。今日は寺子屋があったから青様をご案内しようと思っただけで、青様が行きたい場所があるならそちらに付いて行きます」

 

「まだ行ってない所…慧音さん、永遠亭と命蓮寺、妖怪の山、何処が一番近いですか?」

 

「何故その三つが候補に…まぁいい。その三つとなると、永遠亭が距離的には一番近いな。距離的には、な」

 

「成程、ではそちらに向かうとしましょう。橙、案内お願いできますか?」

 

「はい!お任せください!」

 

 青の言葉に元気よく返事をする橙。正直に言うと永遠亭までの道はうろ覚えなのだが、何とかなるだろうという甘い考えである。

 

「永遠亭に行くのなら、ちょっと待っていてくれないか」

 

 そう言うと、慧音は青の返事を聞く前に教室から出て行く。やがて一分程経って、再び教室に戻って来た。

 

「永遠亭に行くのなら、これを届けて欲しいんだ」

 

「これは…箱?」

 

 慧音から渡された物は、両手で持つことが出来る程の大きさの箱だった。

 

「あぁ、弁当だ」

 

「弁当?」

 

「青殿、永遠亭に向かう途中に、迷いの竹林と言われる竹林があるのは知っているか?」

 

「迷いの竹林ですか…聞いたことありませんね」

 

「その名の通り、そこに入ったら二度と出られないと言われている竹林だ。そこを抜けるには、竹林に住んでいる案内人の手を借りるほかない」

 

「案内人?」

 

「あぁ、それが私の友人、藤原妹紅だ。その弁当を、彼女に届けて欲しい。以前貰った筍のお返しだ」

 

「成程。そこに歩いて行くには、その妹紅さんを頼る以外に手段が無いのですね?」

 

「永遠亭の住人も正しい道を知っていると思うが、彼女達は妹紅と違ってずっと竹林にいるわけでは無いからな」

 

「そういうことでしたら、お引き受けしましょう」

 

「助かる。こんなことまですまないな」

 

「いえ、ついでに届けるだけですからお安い御用ですよ。では慧音さん、私はそろそろ向かうとします」

 

「わかった。青殿も橙も、くれぐれも気をつけてな」

 

「えぇ、ありがとうございます」

 

「慧音先生、さようなら!」

 

「はい、さようなら」

 

 橙は慧音に手を振りながら、もう片方の手で青の手をしっかりと握る。

 迷いの竹林までは、しっかりと案内をしなければ。そう意気込んで、橙は歩く速度を青に合わせ、迷いの竹林へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、先程までよりも日が差さなくなりましたね。ということは、無事に迷いの竹林とやらに到着したのでしょうか」

 

 慧音と別れ、人里を後にしてから半刻程、青は橙の案内を受けて、無事に竹林へと到着していた。

 

「ちょっと不安でしたけど、無事に着いてホッとしましたぁ」

 

「橙、安堵するのはまだ早いですよ。慧音さんの言う通りならば、ここを抜けることは至難の業でしょう。早く妹紅さんを見つけなければ、私達がここから出られなくなってしまいます」

 

「そうですね…ここは化け猫の勘にお任せください!」

 

 そう言うと橙は妹紅の居場所を探ろうと更にやる気になって、少し早足で竹林の奥へと歩き始める。青が行き先を決めることは出来ないのでどの道を進もうとあまり関係無いのだが、化け猫の勘というのは少し不安だった。

 しかしどうやら彼女の勘は当たった様で、遠くから音が聞こえてくる。そして段々と近づくにつれて、それが人の話し声では無く爆発音だということがわかった。

 

「青様、なんか変な音が聞こえてきません?」

 

「騒がしいですね…自然が息づいている場所なのですから、もう少し穏やかにして欲しいです」

 

 少し怯える橙を今度は逆に引っ張る様にして、青はさらに前へと少しずつ進んでいく。さらに近づいて行くと、爆発音だけでなく四つの気配、そして声が聞こえて来た。

 

「死ねっ!死ね死ねしねぇえ!灰すら残さねぇ!いい加減三途の川を渡りやがれ!この晩年引きこもりがぁ!」

 

「あらあら、何処を狙っているのかしら。そんなんじゃ私は倒せないわよ?単細胞さん♪」

 

「あんまり竹林を燃やさないで欲しいウサ…」

 

「私達、もう帰ってもいいんじゃ…?」

 

 何やら物騒なことを言っている知らない声と、聞き覚えのある三つの声が聞こえた。青は近くから聞こえる声の主の隣に立つ。気配を消している上に足音もこの轟音のせいで聞こえないのか、全く反応されなかった。

 

「輝夜は一体何をしているのですか?」

 

「きゃあ!せ、青さん!?」

 

「きゅ、急に隣に来ないで欲しいウサ」

 

 突然隣から聞こえて来た青の声に、一人は驚き思わず飛び退き、もう一人も僅かに声音が変化する。その反応に青は満足げに笑みを浮かべ、彼女達に再び話しかける。

 

「久しぶりですね、鈴仙にてゐ。お二人共、元気そうで何よりです」

 

「あ、はい。お久しぶりです」

 

「橙も久しぶりウサね」

 

「あ、お久しぶりですてゐさん、鈴仙さん」

 

 お互い軽く挨拶を済ませた後、また彼女達の視線は目の前で大きな音を立てながら戦っている二人の方に向く。青はそのあまりのうるささに、耳を軽く塞いでいた。

 

「それで、輝夜と戦っているのは誰なんですか?」

 

「彼女は藤原妹紅。ここ迷いの竹林に住んでいる蓬莱人です」

 

「この竹林に…?ということは彼女が、迷いの竹林の案内人ですか?」

 

「えぇ、そうですけど…」

 

 これは都合がいい。永遠亭の住人である彼女達が居る以上、もう永遠亭までの案内を頼む必要は無いのだが、もう一つ慧音から頼まれたことがあるのだ。それを済ませるとしよう。

 

「鈴仙、この殺し合いはどのくらいで決着が着きますかね?」

 

「そうですね…いつもは大体二時間くらい…まだ始まったばかりなので、それくらいかかると思います」

 

「それは面倒ですねぇ…止めることにしましょうか」

 

 そう言うと青は手を口元に置き、変わらず罵声と爆発音が聞こえる方にフゥ…と息を吹きかける。

 すると青の手のひらから桜の花びらが現れ、爆風など全く意に介さずに彼女達の下へと向かって行く。

 

「あん…?桜?なんでこんな場所に――」

 

 妹紅が怪訝な声を漏らすが、その言葉を言い終えるよりも早く、花びらが彼女達に触れる。すると次の瞬間、彼女達はまるで糸が切れたかのように地面に倒れ、動かなくなってしまった。

 

「ひ、姫様!?大丈夫ですか!?青さん、何をなさったんですか!」

 

「その花びらが消えるまでは近づかない方がいいですよ。冥界の主直伝の、人を死へ誘う桜ですから」

 

「なんつー恐ろしいもん振り撒いてるウサ!?」

 

「まぁ、模倣に過ぎないものですけどね」

 

 当然青も彼女達が蓬莱人であるから放った技だ。普通の人間や妖怪なんぞにこの技を使う事は無い。

 

「二人共蓬莱人なのですから、死ぬことは無いので大丈夫しょう。私は彼女に用があったので」

 

「恐ろしいですね…」

 

 若干引いている鈴仙とてゐを無視し、青は橙に手を引かれて妹紅の下へと歩き、彼女の体を軽く揺する。

 

「ぐっ…ここは…」

 

「おはようございます。一度気を失って頭は冷えましたか?」

 

「お前は…そうだ!あのばかぐやは!?」

 

 混濁していた意識がはっきりしてきた彼女は、体を起こし攻撃に対処出来るよう体勢を整えようとする。

 

「彼女も貴女と同じように気を失っていますよ。若さ故でしょうか、貴女達は血の気が多すぎる。少しはお淑やかになさっては如何です?」

 

「私はそんなに若くねぇよ。さっきの桜…あれはお前のか?」

 

「えぇ、貴女に用があったのですが随分と時間がかかりそうだったので、蓬莱人だから多少手荒くても大丈夫かと」

 

「それでも初対面の相手をいきなり殺すか…?まぁいい。私は藤原妹紅、お前は?」

 

「私は八雲青、賢者八雲紫の弟です。こちらは私の姉の式の式である橙です。彼女は寺子屋に通っているのでご存じかもしれませんが」

 

「お久しぶりです、妹紅さん」

 

「あぁ、それで、一体私に何の用だ?」

 

 二人の言葉にぶっきらぼうに言葉を返した後、妹紅は殺されたことを気にしているのか鋭い目で青に問いかける。

 

「慧音さんからのお届け物ですよ。筍のお返しのお弁当だそうです」

 

「慧音からの弁当?別に気にしなくていいのに…まぁ、有難く受け取っておくよ。慧音にありがとうと伝えておいてくれ」

 

「いえ、私はこれから永遠亭に用がありますので、ご自身でお伝えください」

 

「そうか、なら私はお前の言う通り人里へと向かわせて貰うよ。そこで呑気に寝ているお姫様を頼んだぜ」

 

 妹紅はそう言ってぷらぷらと手を振りながら去っていく。青はその足音が聞こえなくなるまで彼女の歩いて行った方を見つめていたが、今度はその視線を輝夜に向ける。

 

「さて…」

 

 青は先程と同じように彼女の近くに寄り、妹紅の時とは違って少し乱暴な手つきで彼女を叩き起こす。

 

「ほら、さっさと起きなさい」

 

「うぅ…ちょっと、起きる。起きるから叩かないで頂戴」

 

 ペシペシと叩く青の手を鬱陶しそうに払いのけながら彼女、蓬莱山輝夜は起き上がる。

 

「貴方ねぇ…普通出会ってすぐに人を殺すかしら?」

 

「私は妹紅さんに用があったんです。貴女のために何時間も待っていようとは思いませんよ」

 

「男は待つことも大切なのよ?我慢強く待つことも出来ないとモテないわよ」

 

「私はもう十分好かれているので大丈夫ですよ。貴女だって昔はかなり男から好かれていましたけど、特に努力なんてしていなかったでしょう?」

 

「それもそうね」

 

 輝夜は立ち上がった後、青を上から下へ、下から上へ、その存在を確かめるかの様にじっくりと見つめる。

 

「そんなに見つめないでください。照れるじゃ無いですか」

 

「そういうのは少しでも頬を赤くしながら言いなさい」

 

「そ、そんなに舐める様な視線を向けないでください…!慣れていない、から、恥ずかしい…です…///」

 

「顔赤くして人聞きの悪いこと言わないで頂戴!」

 

 先程までの笑みから一転して頬を赤らめ、恥ずかしそうに顔を隠す青に、輝夜は若干の殺意を抱く。大した演技力だ。如何にもあの胡散臭い賢者の弟らしい。

 

「全くもう。我が儘ですねぇ…はぁ…」

 

「あからさまに溜め息を吐くんじゃ無いわよ。誰のせいでこういう反応になったとでも思っているの」

 

「さぁ、興味ありませんね。それよりも、何故そんなに私を見つめていたんですか?」

 

 露骨に話題を逸らした青にジト目で視線を送りつつも、輝夜は再び口を開く。

 

「別に。ただ、貴方が外にいるのが珍しいと思っただけよ。何度か八雲紫に連れられて家に来ることもあったけど、貴方が外に出ているのは初めて見たから」

 

「あぁ、成程。私はつい最近、姉様に外出を許されたばかりですので。それは仕方ないでしょう」

 

「つい最近?それじゃあ、今までは一度も外に出ることは無かったの?」

 

「えぇ、姉様に連れられて誰かの下へお邪魔することはほんの数回ありましたが、その時はスキマを介しての移動でしたので」

 

「うわぁ…過保護ね…」

 

 八雲紫の過保護っぷりに思わず引いてしまう輝夜だったが、青としては姉のその行動に不満は無いし、それが普通だと思っているので訳も分からず首を傾げるだけである。

 

「取り敢えず幻想郷の各勢力へ向かい挨拶でもしようかと思いまして。それで永遠亭に向かう途中でした」

 

「成程納得。それじゃあ私も妹紅がいなくなっちゃって暇になったし、帰りましょうか。折角だし私自ら案内してあげるわ」

 

「それは光栄ですね。橙、橙、行きますよ」

 

 青の呼びかけに応じ、橙はトコトコと青の下に向かう。

 

「橙、鈴仙達はどうしたのですか?」

 

「それが、私達が永遠亭に向かうことを伝えたら、先に永遠亭に行っちゃったんです」

 

「きっとお茶の用意と、永琳に貴方達が来るのを伝えに行ったんだと思うわよ。姫である私を置いて行くなんて、酷い従者ね」

 

「貴女の行動に付き合わせるのも酷だと思いますがね。では橙、輝夜が永遠亭まで案内してくれるそうなので、向かう事にしましょうか」

 

「はい!了解しました!」

 

 青の返事に橙は再び元気に答え、青を連れて行こうと手を繋ごうとするが、彼女の手が触れるよりも前に、輝夜が青の手を取る。

 

「・・・どうしたんですか?急に手を繋ぎだして」

 

「少しくらいは動揺してくれたっていいじゃない。案内するなら一々後ろを振り向いて貴方がちゃんと来てるか確認するよりも、こっちの方が楽だと思っただけよ」

 

「成程。橙、貴女は私達の後をついて来てください」

 

「は、はい!」

 

 案内は自分の役割なのに…そう思い青の手を掴み損ねた自分の手のひらをじっと見つめながら、橙は少し肩を落とす。

 しかしすぐに顔を上げ、置いて行かれないように青達の後を追うのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十話

「一つ、申し上げたい事が」

 

「あら、何かしら?」

 

 輝夜に手を引かれ竹林を歩くこと十数分。突然彼女の足が止まったことを鑑みるに、どうやら無事に永遠亭に到着した様だ。彼女は割と引きこもりがちだと思っていたのだが、自分の屋敷の周辺に関してはしっかりと頭に入っているらしい。折角竹林の案内人を見つけた上で永遠亭の住人にも会うことが出来たのに迷っては、時間の無駄遣いもいいところだろう。

 

「竹林の入り口からここまでの道の舗装を、私は強くおすすめしますよ」

 

 目の見えない彼にとって、永遠亭までの道のりは歩き辛いことこの上なかった。恐らく今後また永遠亭に訪れる機会があったとしても、彼が歩いて来ることは無いだろう。

 

「そういうことは竹林の管理人の妹紅に言って頂戴。勝手に手を加えたら怒られるわよ」

 

「全く…世の中は何時でも、私に厳しい」

 

「好き放題やってる癖によく言うわよ」

 

 青の言葉を輝夜は軽くあしらった後、また同じ様に青の手を引いて永遠亭の中に入ろうとしたのだが、

 

「青様、早く中に入りましょう!」

 

「っとと、橙、そんなに急がなくても永遠亭は逃げませんよ」

 

 輝夜の手を振り払う様にして、橙が青の手を取って永遠亭へと向かって行く。

 輝夜は何をされたのかわからず一瞬呆然とするが、すぐに正気に戻り、面白く無さそうに彼女、橙を見下ろす。

 

(私から男を奪うなんて、化け猫の癖にやるじゃない)

 

 輝夜は青のことは彼が永遠亭を訪れた際に共に時間を潰す程度には気に入っているし、興味もあるが、異性として好きかと聞かれたら首を縦に振ることは無いだろう。しかし過去に何人もの男を弄んだことがある彼女にとって、男を化け猫に取られるというのは面白くなかった。

 彼女はズンズンと早足で青の下に向かい、橙が繋いでいる手とは反対側の手を握る。

 

「・・・輝夜?橙が手を引いてくれる様なので、もう手を繋ぐ必要は無いんですが」

 

「別にいいじゃない。永遠亭の案内も私が適任でしょう?私はこの子以上に永遠亭のことを知っているし」

 

 輝夜はそう言いながら橙の方を見て、フッと嘲笑を漏らす。

 

(私から男を取るだなんて、千年は早いわよ)

 

 橙もその行動の意味を理解したのか、ぐぬぬと悔しそうな表情で輝夜を見る。

 

「・・・いいえ、青様の案内は橙がするので、輝夜さんの手は必要無いです!」

 

 少しの間考える素振りを見せたが、橙は変わらずに青を引っ張る様に先に進み始める。輝夜の言葉は的を射ている正論だ。橙にはこの正論に反論できる言葉が思いつかなかったのでごり押そうとした。ただそれだけである。

 

「そんな気にしなくていいのよ。貴女には永琳の居場所はわからないでしょうし」

 

 しかしその程度では輝夜は折れない。そのまま二人は謎の対抗心を見せて彼の手を離すことはせず、結果的に青の両手を二人が引っ張りながら進むという奇妙な状況に陥った。

 

「私はキョンシーでは無いのですが…」

 

 歩き辛いのでやめて欲しいなぁと思いつつも、青は彼女達にされるがままの状態で永遠亭の中へと入っていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・貴方達、何をしているの?」

 

 薬師、八意永琳が青達を見て最初に口にしたのは、そんな疑問と呆れが含まれた言葉だった。

 輝夜と橙に引っ張られるようにして永遠亭に足を踏み入れた青は、かれこれ十数分程屋敷の中を彷徨っていた。

 永遠亭も白玉楼と同じくかなり広いのだが、所詮は大きさに制限のある建物だ。永遠亭の住人である輝夜がいる以上、永琳に会うのにこれ程時間はかからなかっただろう。

 しかしその予想を見事に覆したのが、先程から謎に輝夜に対してライバル意識を抱いている橙だ。輝夜が右に曲がろうとすれば、橙が左に青を引っ張り、前へ行こうとすればもと来た道を戻ろうとする。常に反対の行動に出ようとするせいで、青達は中々目的地まで進むことが出来ずにいた。注意しようかとも考えたが、そのせいで三人の間の空気が気まずくなるのも面倒だという理由で、今までこの状況を変えることが出来ずにいた。

 このまま自分達は永久に永琳と会う事が出来ないのではというくだらない考えを一瞬抱いたが、その直後にまさかの本人から出向いてくれた。女神とは彼女のことを言うのだろうか。

 

「久しぶりですね永琳。愛しています」

 

「いきなりなによ…貴方の姉に聞かれたら私が殺されるからやめて頂戴」

 

「まぁそれはともかく…助けてください」

 

「そっちが本音ね。・・・輝夜、あまり変な事をしないでくれるとありがたいのだけど」

 

「違うわよ永琳。そもそもの原因は私じゃ無くてそっちの化け猫だもの」

 

「子供みたいなことを言ってないで…ほら、離れる」

 

 自分より年下の式神相手に何をやっているんだと呆れながら、永琳は半ば強引に輝夜を青から引き離す。

 青から引き放された輝夜は勝ち誇った様な笑みを浮かべる橙に、悔しそうに表情を歪めるのだった。その二人のやり取りに、目の見えない青は全く気づいていないのだが。

 

「それにしても珍しい…というか初めてじゃ無いかしら?貴方が玄関からこの屋敷に入って来るなんて」

 

「その言い方だと普段は玄関以外から突撃してくるみたいな言い方になるのでやめてください。つい最近、姉様に外出の許可をいただけたんですよ」

 

「成程、それで今日家に来た理由は、幻想郷の各勢力への挨拶回りってとこかしら。紫も漸く、その過保護っぷりを治そうと思ったのかしらね」

 

「人の台詞取らないでくれます?私の思考をそれ程まで読めるのは、流石天才と言った所でしょうか」

 

「紫が貴方を外に出すことは予想外だったけど、それさえわかればこの程度のこと誰でも思いつくわよ。うどんげから、貴方達が来ることも聞いていたし」

 

 永琳はそこで一度会話を切り上げ身を翻し、廊下をスタスタと歩き始める。

 

「今頃うどんげがお茶を用意してくれている頃だから、そこまでついて来なさい。貴方達が遅かったせいで、大分冷めちゃってるかもしれないけど」

 

 永琳に捕まっていた輝夜も、もう橙との争いに興味を無くしたのか、永琳の手を振り解いて彼女の後をついて行く。

 橙は彼女達を見失う事が無いように、そしてもう離すまいと青の手をしっかり握りながら、彼のペースに合わせて彼女達の後をついて行くのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十一話

「お師匠様、お茶のご用意が出来ましたよ」

 

 永遠亭の一室、患者のいる病棟から少し離れた場所には、彼女達永遠亭の住人が普段過ごしている居間が存在する。

 ここは病棟と違いプライベートな空間、輝夜と鈴仙の能力によってその存在が隠されているため、輝夜、もしくは永琳の許可を得なければここに足を踏み入れることは出来ない。

 

「えぇ、態々淹れなおしてくれたのね、ありがとう。青、少し先に机があるからぶつからない様にね」

 

「ご忠告どうも。鈴仙も、ありがとうございます」

 

「あ…いえ、お気になさらず…」

 

 青は微笑みながら鈴仙に感謝の意を述べたが、鈴仙は簡単に返事を済ませて仕事に戻ってしまう。

 彼女の足音が遠ざかるのを聞きながら、青は少し肩を落としつつ椅子に腰かける。

 

「ずっと思っていたんですが…私って最近鈴仙に避けられてる気がするんですよね」

 

「貴方、何かしたんじゃ無いの?」

 

「そんな記憶は無いのですが…」

 

 むぅ…と唸りながら首を傾げる青を、輝夜は面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべる。

 そんな二人を見ながら永琳はズズズ…とお茶を啜り、一息吐いてから会話に加わる。

 

「貴方が悪い事をしたというよりも、彼女自身が罪悪感を感じているのよ」

 

「罪悪感…?」

 

「永琳、何か知っているの?」

 

 揃って頭に疑問符を浮かべる輝夜と青。永琳はもったいぶる様に羊羹を一切れ口にしてから、彼らの疑問に言葉を返す。

 

「ほら、うどんげは一度、貴方を襲おうとしたことがあったじゃない?未遂だったとはいえ、今でもそれに対する罪悪感が残っているのよ」

 

 永琳のその言葉に、二人はあぁ…と声をそろえ、埋もれていた記憶を掘り起こす。

 もう二十年程前になるだろうか。青は姉の紫と共に永遠亭を訪れていた。紫は永琳に用があったらしく、二人は部屋に籠って議論に没頭し、青はそれを待つことになったのだ。

 何度か永遠亭に来た際は輝夜の遊び相手を青は務めていたのだが、その日に限っては輝夜は永遠亭におらず、一つの部屋で鈴仙と時間を潰す事になったのだ。

 永琳の入れてくれたお茶を飲みながら他愛も無い会話を繰り広げていたのだが、少し時間が経って、青は鈴仙の様子がおかしいことに気づいた。先程よりも呼吸が荒く、相槌も上の空。明らかに何かを抑えている様子だった。

 ひょっとしたら体調が優れないのだろうか。そう思った青が熱を計ろうと鈴仙の額に触れたその時、彼は奇妙な感覚に陥った。

 まるで一回転でもしたかのように頭が揺れ、自分の両腕は誰かに抑えつけられ、背中には椅子の背もたれでは無く畳の感触があった。数秒の時を経て青は漸く、自分が鈴仙に押し倒されていることに気が付いたのだ。

 結果的に鈴仙の理性がギリギリ勝利したために彼女に美味しくいただかれることは無かったが、あれ以降鈴仙がよそよそしくなった気が確かにしなくもない。

 そんな過去の記憶を完全に掘り起こすことに成功した青だったが、ここであることに気が付く。

 

「あれって、結局永琳が悪かったんですよね?」

 

 そう、後に永琳が入れた紅茶の中に媚薬が入っていたことが判明し、問い詰めたところ永琳がそれを認めたのだ。つまりその件に関しては鈴仙では無く永琳が完全に悪かったのだ。

 

「悪いとは心外ね。少しでも弟子をストレス発散させてあげようとする師匠の思いやりの気持ちじゃない」

 

「ストレス発散の相手として私を使わないでください」

 

「まぁ、新薬開発の実験の際に偶々生まれた産物を試したかったという理由もあるけど」

 

 結果的に鈴仙のストレスが減ることは無く逆に増やしてしまったのだが、永琳に悪びれる様子は全く見られない。幻想郷の重鎮というのは、揃いも揃ってどうしようもないのだろうか。青は心の中でやれやれとため息をつく。そのどうしようもない重鎮の中にいる筈の彼自身のことは完全に棚に上げている様だが。

 

「まぁ、永琳が悪いのは確定ですが、鈴仙もそこまで気にする必要は無いのに…それを言うなら未遂では済まなかった人なんて山ほどいますよ」

 

「それもそれで問題だと思うわよ、私は。誰とも交わるなんて最低な男じゃない」

 

「いやいや、私悪く無いですよ?全部向こうから襲って来たんで」

 

「その襲われたという被害者立場を利用するのも最低だと思うわよ」

 

「利用とは人聞きが悪い」

 

 別に被害者の立場を利用したことは…二、三回はあるかもしれないが、そこまで無茶なことを言ったつもりは無い。

 

「ならば何故、いつも押し倒された時に能力を使わないのかしら?貴方の力はそういった状況から逃れられるでしょう?」

 

「さぁ、何のことやら」

 

 あからさまにはぐらかす青に、永琳は質問に答えろと視線で訴えかける。

 すっかり話に夢中になっていた青だったが、会話が途切れたことで初めて隣にいた筈の橙の気配がしないことに気づく。

 

「あれ、橙がいませんね…永琳、彼女が何処に行ったかわかりますか?」

 

「あぁ、彼女なら貴方が椅子に座ったタイミングで部屋を出て行ったわよ。お友達を探しに行ったんでしょ」

 

「お友達…?」

 

「メディスン・メランコリーって子がいてね。私に薬の材料を提供するためにちょくちょくここを訪れるんだけど…橙ちゃんはここに来ると、いつも彼女と一緒に遊んでいるのよ。もとは人形使いを通して仲良くなったみたい」

 

「成程…そのメディスンさんと人形使いさんのことは存じ上げませんが…橙に()しっかりと友人がいる様で安心しました」

 

「今の台詞、ちょっと親みたいだったわね」

 

「親も同然でしょう。あの子が小さい頃から一緒にいるんです。あの子も藍も、育てたのは姉様では無く私ですよ」

 

「年齢的には、親というより曾祖父よりも大分上くらいじゃ無いかしら?」

 

「年齢はいいんですよ。年齢は」

 

 貴女達の方が年上でしょうに…と思ったが、それを言えば機嫌を損ねてしまうのでその言葉を飲み込む。女性に年齢を聞くのは禁忌だと姉から聞いているし、自分も身をもって経験している。

 

「橙に友人がいるのは喜ばしいことなのですが…何も言わずに消えるのは止めて欲しいですね。今の彼女は私の目ですから」

 

「まぁ、式としてはまだまだ及第点よねぇ。まだまだ伸びしろがあると考えましょ」

 

 永琳の言葉に同意を示し、青は手探りで湯呑みを探し当て、お茶を啜る。やはり自分は紅茶よりも緑茶の方が好きだなぁ…と、最近飲んだ咲夜の紅茶を思い出しながらそんな事を思う。

 

「あ、そうそう!メディスンのことなんだけどね、あの子、実は凄い子なのよ!」

 

「凄い子?彼女は大妖怪なんですか?」

 

 若干興奮気味に言葉をまくし立てる輝夜だったが、何が凄いのかわからない青はただ首を傾げるだけだ。

 

「いいえ、彼女自身はただの弱小妖怪よ。でもね、彼女はなんと、弱小妖怪なのにあの風見幽香と交流があるのよ!」

 

「・・・ほう、それは確かに珍しい。そのメディスンさんとやらに彼女の気を引く何かがあったのでしょうか」

 

 輝夜の言葉は確かに予想外で、凄い事だった。その証拠に青は僅かに眉を上げる。しかしそれを伝えた輝夜は何処か拍子抜けと言った様子だった。

 

「え…それだけ?もっとなにか反応無いの?相当凄い事よ?」

 

「いえ、まぁ確かに凄いことですが…別に私自身交流があるので…でも、そうですね…幽香と交流がある…成程」

 

 ブツブツと小さい声で輝夜の言葉を反芻しながら、青はニヤリと口元を三日月に歪める。

 

「私知ってるわ。青が笑った時は大抵良からぬことを企んでいるってことを」

 

「失礼ですね。ただ彼女に渡して貰いたい物があるだけですよ」

 

「渡して貰いたい物?」

 

 首を傾げる二人の前で、青は自分の手を軽く握る。そして次に手を開いた時には、そこには一輪の花が存在していた。

 

「これは…花?」

 

「えぇ、私が妖力で作った特別製です。この花が咲くにはまだ時期が早いですから。これをメディスンさんに渡して欲しいんです。『風見幽香に渡して欲しい』と伝言付きで」

 

「別に構わないけど…貴方が直接風見幽香に渡せばいいじゃない。交流があるんだから」

 

「私が行ったら有無を言わさずベッドに押し倒されて朝まで帰って来られる気がしないので遠慮しておきます。流石に姉様に心配をかける訳には行かないので」

 

「あぁ、そう。わかったわ。メディスンに渡せばいいのね」

 

「ありがとうございます。では、橙を呼んできて貰えますか?彼女には悪いですがもう時間も良い頃でしょう。お暇させていただくことにします」

 

「わかったわ。少し待っていて頂戴」

 

 そう言って永琳は椅子から立ち上がり部屋を後にする。少しして廊下の方から二つの足音が聞こえ、この部屋に辿り着く。

 

「橙、ご友人と遊ぶことを咎めるつもりはありませんが…せめて一言声をかけて欲しかったです。貴女がいなければ、私は歩くことすら困難なのですから」

 

「はい…青様、ごめんなさい」

 

 落ち込む橙の頭を一度撫でた後、青は彼女の手を借りて椅子から立ち上がる。

 

「玄関先にてゐがいるだろうから、竹林の案内は彼女に頼んで頂戴」

 

「えぇ、わかりました。永琳、先程の件、くれぐれもよろしくお願いしますよ」

 

「はいはい。何度も言わなくてもわかるわよ」

 

 永琳の返事に青は満足そうに笑みを浮かべる。

 そのまま橙に手を引かれて、青は永遠亭を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゆうか~、ゆうかぁ~」

 

 辺り一面に向日葵が咲き誇る花畑の横を一人の少女が少し駆け足で歩いて行く。彼女の視線の先には、向日葵に水をやる緑髪の女性の姿があった。

 

「あら、いらっしゃいメディスン。どうかしたの?」

 

 名前を呼ばれた事でメディスンの存在に気づいたのか、彼女、風見幽香は僅かに眉を上に持ち上げる。

 

「あのね、幽香に渡す物があるの」

 

「私に?」

 

「うん。私はよくわからないんだけど、はい」

 

 そう言って彼女は片手に持っていた花を、幽香に渡す。

 

「これは…コリウス…?」

 

 メディスンから渡された花を見て、幽香は思わず首を傾げる。

 彼女から渡された花はコリウスという花なのだが、この花の開花時期は夏から秋にかけてだ。例年よりも暑いとはいえ今の季節は春。本来ならこの花は咲いていない。

 

「永琳から渡されたの。青?って人に渡してくれって」

 

「青が…?」

 

 自分の欲しい相手からの贈り物と聞き、幽香は再度その花をじっくりと眺める。

 注意深く観察してみると、コリウスから妖力が溢れ出ていることに気がつく。恐らくこれは本物のコリウスでは無く、彼の妖力によって作られている様だ。

 

「・・・成程ね」

 

 何故彼は態々自分の妖力を、この花の形にしたのか。少しの間幽香はそれを考えていたが、やがてその意図がわかりニヤリと笑みを浮かべる。

 花を愛する彼女が知らない筈が無い。コリウスの花言葉、《叶わぬ恋》

 

「・・・面白いじゃない」

 

 花びらに触れてみるが何も起きない。妖力で作られているが故に、自分の能力が通用しないらしい。

 この自分の思い通りに行かない花が、青自身であるとでも言うつもりなのだろうか。つまりこの花の意味は、自分への宣戦布告。青の挑発を、彼女は真正面から受け止めた。

 

「力尽くでも、私の物にしてあげるわ…」

 

「幽香、どうしたの…?」

 

「なんでもないわ。それより、上がって行って頂戴。ちょうど紅茶を用意したところなのよ」

 

「わ~い!お邪魔しま~す」

 

 幽香は内なる感情に炎を灯しつつも、メディスンを家に迎え入れる。

 青の妖力で作られたコリウスは、いつの間にか消えてなくなっていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十二話

「姉様、姉様。今日は何処に向かえば宜しいですか?」

 

 永遠亭から帰って来た青達を迎えたのは、様子を見に行ったのに青達が人里にいないことを知り焦りに焦った藍であった。二人はただちに藍によって連行され、尋問を受ける事となった。

 青に関しては多少のお咎めで済んだが、橙は永遠亭に行く事を報告しなかったことや、青を置いて遊んでしまった事を藍にとても叱られた。

 橙の嗚咽が耳に入って来て流石に可哀想と思った青が止めるまで説教は続き、橙はすっかり落ち込んでしまった。結局昨日の残りの時間は橙を慰めるのに時間を消費してしまった。一緒に寝る直前までぐずっていたのを見ると、彼女もまだまだ子供だなと思ってしまう。

 そして次の日、青は朝食を食べ終えた後に姉の部屋で、今日の行き先について相談をしていた。

 

「青…私は寂しいわよ」

 

「寂しい…?」

 

「最近、全く私に構ってくれないじゃない!」

 

 紫の叫び声が鼓膜に響く。確かに最近は外に出てばかりで以前よりも姉に構う時間は少なくなっていた。しかしそれは今までが多かっただけで、他の姉弟からすればこれくらいが普通なのでは無いだろうか。他の姉弟を知らないのでなんとも言えないが。

 

「ちょっと前までは四六時中私にべったりだったのに…所詮私とは遊びだったのね…!」

 

「どういうことですか一体。そこまでおっしゃるのでしたら、今日は姉様と一緒に過ごしますよ」

 

「本当…?なら一緒にお布団に入りましょう。もう少し寝たいわ」

 

「さっき起きたばかりなのに二度寝ですか…?まぁ、それも良いと思いますけど」

 

 布団に入ろうと言われて寝る以外のこと、さらに具体的に言えば体を重ねることを考えてしまった自分は色々と不味いと思う。それもこれも全部幽々子達のせいだと勝手に自己完結し、青は差し出された姉の手を取ろうとする。

 

「乱れた生活は感心しませんよ。朝に起きて、夜に寝る。どれだけ生きていようが、それは変えてはいけない物です」

 

 青が紫の手を取る瞬間、部屋の入口から聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 何故彼女がここに。青はそう思ったが無視をする訳には行かないので、そちらに顔を向ける。

 

「映姫ですか…」

 

「何やら不満そうですね。私が来てはいけませんでしたか?」

 

「いえ、そういう訳では無いのですが…何故貴女が私達の屋敷に?」

 

 そこにいたのは地獄の最高裁判長、四季映姫だった。

 青は彼女の事が嫌いでは無いし、仲も決して悪いわけでは無い。しかし青は、正直に言って彼女が少し苦手なのだ。

 

「私の部下が何時もの如くいなくなってしまいましてね。山の仙人から貴方と関わりがあるということを聞いて、もしかしたらと思った次第です。あぁ、勝手に入った訳では無く貴女方の式神に断ったのでご心配なく」

 

 まぁ、久しぶりに説教をしに行こうという思いもありましたが…という最後の言葉を青は聞き逃さなかった。彼女の説教は長い上に彼女から見た悪行を全て晒される。だから姉の前では、決して彼女に説教をされる訳にはいかない。それが青が映姫のことを苦手に感じている理由だ。

 

「さて…青、貴方には色々と言いたいことがあります。貴方は淫れた生活を送り過ぎている。例え貴方の本意では無いとしても結果的にそれに付き合ってしまっては同じです。断るなり抵抗するなり、自分の意志をしっかりと持ち、それを態度に表すことこそが――」

 

「ま、まぁまぁ。こんなことをしているうちに、貴女の部下が逃げてしまうかもしれませんよ?貴女は閻魔なのですから、目的を見失ってはいけません」

 

「・・・確かに、それは正論です。しかし、それは貴方がお説教から逃げたいから出た言葉なのでは?」

 

「閻魔たる者が憶測で物を言ってはなりませんよ。ほら、お説教ならまた後日受けますから」

 

「・・・はぁ、わかりました。それではまた後日」

 

 お邪魔しました。映姫はそう言って襖を開け、廊下を歩いて行く。突然現れ、すぐに帰って行った彼女に二人は思わず目を瞬かせる。

 

「・・・一体なんだったんでしょう」

 

「さ、さぁ。それよりも、青の生活が乱れているなんて。確かに多少は夜更かしとか起きるのが遅いとかあるかもしれないけど、そんなに言う程かしら?」

 

「・・・どうでしょうね」

 

 姉に深く詮索されなかったことに青は心の中でホッと胸を撫で下ろす。今度説教を受ける事が確定してしまったが、その時は是非とも紫がいない時にしてほしい。流石にまだバレるわけにはいかない。襲われたという事実は、幻想郷の重鎮でありかつ問題だらけの集団である彼女達と上手く付き合う手段の一つなのだ。

 

「姉様、邪魔が入りましたが、二度寝をなさりますか?」

 

「うーん。なんだか興が削がれたわね。藍にお茶でも頼みましょうか」

 

 少し待っていて頂戴ねと言って、紫は部屋から出て行く。青は突如訪れた静寂に少しの不安を抱きながらも、姉の帰りを待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「同窓会でも開きましょうか」

 

 暫くして二つの湯呑みと煎餅を持って帰って来た紫は、青の隣に座り一口お茶を啜ってから、そんなことを言い出す。

 

「同窓会…?」

 

「そうよ。お店に集まってご飯を食べながら、昔のことを懐かしむの。外の世界の人間は人生で何度か、そういう催しをするらしいわ」

 

「それを悪い事だとは言うつもりはありませんが…私達と同年代の者なんて、幻想郷に誰一人としていないでは無いですか」

 

 この幻想郷には百歳を超える妖怪はそれなりに存在するが、自分達の様に二千、三千を超えた妖怪何ぞそうそう存在しない。藍ですら千五百を超えたか超えていないかくらいだろう。

 しかも青も紫も自分の年齢に関しては、千を迎えたくらいで数えるのをやめた。自分達の詳しい年齢がわからないのでは、そもそも同年代を集める以前の問題だ。

 

「あら、同年代だったらいるじゃない。私達と同じ、年を数えるのをやめた者達が」

 

「・・・あぁ、そういうことですか」

 

 確かにそういう意味では、彼女達のことを同年代と言っても問題無いのだろうか。永琳達と同い年扱いするのは流石に勘弁してほしいなぁとは思うが。

 

「・・・少し想像してみましたが、私達に集まられる店の方々が可哀想ですね」

 

「そうかしら?妖怪の賢者たる私に選ばれたのだから、寧ろ光栄じゃないの」

 

 この姉は自分が尊敬された妖怪であると思っているのだろうか。藍と橙を除いて、人妖問わず殆どの存在は彼女に対して恐れの感情しか抱いていないというのに。

 

「でも面白そうですね、それ。ちょっとやってみたいです」

 

「でしょう?今度幽々子達に言ってみようかしら」

 

 誰を呼ぼうか、何処に行こうか、そんなことを姉と話しているうちに、時間は過ぎていく。

 はたして何人が、どんな面子が集まるのか、そしてどんな被害が生まれるのか。楽しみではあるが、若干不安になる青であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十三話

「ふぁあ…」

 

 青の意識が、ゆっくりと覚醒する。

 今が何時なのか詳しくはわからないが、襖の向こうから鳥のさえずりが聞こえてくるということは、朝だと考えていいだろう。

 昨日は久しぶりに外に出ず、姉と家の中で一日を過ごした。外に出ることも楽しいが、やはり家でのんびり過ごすのもいいものだなと実感する。

 ゴソゴソと手を伸ばし、姉の存在を確認しようとする。近くに温もりが無いと不安になってしまうのは、いつまで経っても治らない。

 

「姉様…」

 

 いた。指先に触れた質感で、姉の寝間着であることがわかった。自分の寝相が悪かったのか、それとも姉が悪かったのか、少しだけ遠くにいる。

 青は姉を起こさないよう静かに布団の上を移動し、姉の体にぴったり寄り添う。

 今日はまだもう少し寝ていたい気分だ。藍はもう起きているだろうから、朝ご飯が出来上がれば呼びに来るだろう。それまでの間、もうひと眠りすることにしよう。

 姉の手をしっかりと握りながら、青は再び意識を手放すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青様、本日は今まで通り、私がご同行致します」

 

 二度寝を決意してから凡そ三時間後、藍によって強制的に起こされ、朝食を終え緑茶を啜る青に、藍はそう告げて来た。

 

「おや、また藍に戻るのですか。橙の案内も、初々しくて面白かったのですがねぇ…」

 

「青様の案内兼護衛は、橙には流石に早すぎました。一昨日のことは本人は反省していますし、同じ事をやらかすとは思えませんが…それでも戦闘という面では、どうしようもありませんので」

 

「私だって戦えますよ?戦闘になれば、少なくとも貴女よりは強いと思いますが…」

 

「確かにその通りです。しかし相手が天狗の様な速度で奇襲を仕掛けて来た場合、青様は不利と言わざるを得ません。青様のお力は、真正面から相手と戦うものでは無いのですから」

 

「ふむ…確かに一理ありますね」

 

「以上の理由から、橙よりも私の方が適任と判断しました。本来なら案内でも戦闘でも、紫様が一番の適任なのですが…流石にあの方直々に出ては、最悪騒ぎになりかねませんので」

 

「あ~、姉様は色々やらかしかねませんからねぇ…」

 

 貴方も人のこと言えませんよ。そう言いたくなる藍だったが、反撃が怖いので口を噤む。

 

「わかりました。それで、今日はどちらへ?」

 

「そうですね…私の知る限り青様のお知り合いがいらっしゃるのは、妖怪の山の頂上、守矢神社。命蓮寺、あとは地底くらいでしょうか…地底は条約によって行くことを禁じられていますので、自動的に選択肢は妖怪の山か命蓮寺になります。他の場所に行くという選択肢も勿論ありますが」

 

「なるほど…」

 

 妖怪の山か命蓮寺か、他の場所か。青は少しの間、顎に手を当てて考える。

 

(流石に知り合いには早いうちに挨拶をしておきたい。しかし妖怪の山は…守矢神社には、彼女がいるんですよねぇ…)

 

 粘着質の土着神を頭に浮かべながら、青は額に皺を寄せる。彼女に会いに行けば、最悪結界によって永久に監禁される可能性が無きにしも非ずだ。

 

(しかし行かないのも知られた後が怖いし…先に済ませておきましょうか)

 

「・・・守矢神社にしますっ」

 

「何故そんなに苦々し気なのですか…?」

 

 青の苦し気な表情に若干困惑しつつも、藍は今日の目的地を決定し、そこへ至るのに最も安全なルートを考え始める。

 

「流石に守矢はもう一柱いますから、大丈夫ですよね…?」

 

 青のその言葉に答えてくれる者は誰もいない。

 出発するまで、何度も藍に目的地を変更しようと言いかける青であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青様、ここで一度止まってください。妖怪の山に到着しましたよ」

 

 青が苦悩の末に行き先を守矢神社に決定してから凡そ一時間後、青と藍の姿は、妖怪の山の目の前にあった。

 

「成程、ここが妖怪の山…その名の通り、確かにいくつもの妖怪の気配がしますね」

 

「ここから先は天狗の縄張り。人間が立ち入ることは禁じられている場所です。人間に限らず、妖怪も許可の無い立ち入りは問答無用で排除されかねませんが…青様が訪れることは、先程大天狗に伝えましたので、襲われることは無いでしょう」

 

「そうですか。それなら安心ですね。と言っても、流石に山を歩くつもりはありません。ここは手っ取り早く、空を飛んで守矢神社に行きましょう。はぁ…」

 

「青様、いい加減溜め息を吐くのはおやめください」

 

 彼の溜め息を聞くのは、もう何度目だろうか。屋敷を出発してから口を開くごとに溜め息を吐く青に、藍は注意をする。

 

「そんなに行きたく無いのでしたら、守矢神社を目的地になさらなければよかったのに…」

 

「いえ、別に行きたくない訳では無いのですよ?なんだかんだ彼女達と最後に会ったのは、もう千年以上昔の事ですし。彼女達が幻想郷に来たと姉様に聞いた時は、一度会いに行きたいと思っていましたし」

 

 そう言いながらふわりと空へ飛び立つ青。藍は彼の話を聞きつつも、置いて行かれることの無いよう飛び立ち、彼の少し前を行く。

 

「ならば何故、それ程までに溜め息を吐かれるのですか?私は守矢の二柱とは何度かお会いしたことはありますが、青様との関係についてはお聞きしたことがありませんので」

 

「・・・行けばわかりますよ」

 

 青はそこで話を切り上げ、さらに飛行速度を加速させようとする。

 

「あやや?見慣れない顔ですね。侵入者ですか?」

 

 しかし突風と共に目の前から声がしたことで、青は加速を止め、動きを停止する。

 誰だろうかと首を傾げる青に対し、藍は目の前の人物に心底面倒くさそうに表情を歪める。

 

「お前は…文屋か。私達は大天狗から許可を得ている。そこを退いてもらおう」

 

「貴女は、紫様の式神…ということは態々貴女が行動を共にしているその方は、かなりの重要人物ということですか?これは記者の血が騒ぎますねぇ…」

 

 そう言って彼女、射命丸文は藍が制止をかけるよりも早くに青の眼前にまで迫り、ポケットから手帳とペンを取り出す。

 

「初めまして。私は烏天狗の射命丸文と申します。文々。新聞の記者でもあります。是非、貴方のことを取材させてください!」

 

「これはこれは、私は八雲青。幻想郷の賢者、八雲紫の弟にあたる妖怪です」

 

「青様…!」

 

「えぇ、わかっていますよ。藍」

 

 僅かに声を荒げる藍に青は手で制止を促す。対する文は青の自己紹介での言葉が予想外だったのか、驚きで目を見開いていた。

 

「紫様にご姉弟が…?そんな話ははたてからも聞いた事がありません!これはいいネタになります!」

 

「あー、射命丸さん、興奮している所申し訳ありませんが…私という存在に関する情報は、いわば幻想郷での最高機密事項。貴女にお教えすることは出来ません」

 

 青は申し訳無さそうにしながらも、文の頼みをやんわりと断る。何故自分の情報が最高機密なのかは自分でもよくわかっていないのだが、それは全て姉である八雲紫が原因だ。文句があるならそっちに言ってくれ。

 

「そこをなんとかお願いできないでしょうか…少し、ほんの数分で構いませんから!」

 

「いえ、申し訳ありませんが、そこを通していただけないでしょうか」

 

 青は再び文の願いを断るが、文は何度も何度もめげずに青に頼み込む。

 

「このマスゴミが…!いい加減に…!」

 

 かれこれ五分近く同じやり取りを続けている状況にしびれを切らし、藍が文を力づくで追い払おうと動こうとした瞬間、青は自身の口元に人差し指と中指を立て、ふぅ…と軽く息を吐き出す。

 

「わわっ!一体何ですか!?」

 

 すると次の瞬間、妖怪の山中の木々についている木の葉が、次々と彼女に襲い掛かる。突然のことに驚いた文だったが、即座に自身の持つ扇を使い、木の葉を吹き飛ばそうとする。

 しかしどれだけ風を起こしても、木の葉の進行方向が変わることは無かった。漸く視界が晴れたかと思ったら、既に青達は文の目の前にいなかった。

 

『射命丸さん、申し訳ありません。しかし私達にも行くべきところがありました故、少々強引な手段を取らせていただきました』

 

 青の謝罪が、周囲に響き渡る。文は少しの間ぽかんとしていたが、数秒の後、その意識を持ち直す。

 

「あやや、逃げられてしまいましたか。確かに今回はネタの欲しさに少々強引になってしまいました。・・・下手に追いかけるのも、得策ではありませんね」

 

 また追いかければ、藍だけでなく、最悪あの青という全くの未知数の人物を怒らせかねない。そう判断した文は、青達が向かった山頂とは反対に、山の麓へと降りていくのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十四話

「全く…あのマスゴミは…!青様が丁寧にお断りしたというのに…!」

 

 青の力で文の足止めから逃れた青と藍は、再び妖怪の山の頂上へと向かっていた。藍は先程の文屋のしつこさに怒りを露わにしていたが。

 

「まぁまぁ、もう過ぎたことでは無いですか。気にしていても仕方ありませんよ」

 

「青様は甘すぎますよ。ああいう輩は一度ガツンと言ってやらないと…」

 

「どうにも強く言うのは苦手でしてね。それよりも、この山には天狗以外の妖怪はいないのですか?」

 

 このまま文屋の話を続けていても、藍の機嫌が悪くなる一方だと考えた青は話題を変える。

 

「・・・いえ、この妖怪の山を統率しているのは確かに天狗ですが、それ以外にも河童や厄神が住み着いています」

 

「そうなんですか…一度お会いしてみたいですね」

 

「難しいでしょう。天狗と違い、河童たちはかなりの臆病ですから。青様の様な大妖怪の前に姿を現すとは思えません」

 

「それは残念ですね。いつか会う機会があることを、願うとしましょうか」

 

 妖怪の山の山頂を目指してから、もう十五分程経っただろうか。ここで漸く、前を飛んでいた藍の動きが止まる。

 

「青様、妖怪の山の山頂、守矢神社へと到着しました」

 

「漸くと言うべきか…早いと言うべきか…」

 

 藍に手を握られ、青はゆっくりと地上へと降りていく。彼が降り立った場所は、博麗神社と同じ、石畳の上だった。

 

「ここも手入れが行き届いている…彼女達は意外とこまめに掃除をしていたのですね」

 

 てっきりある程度は落ち葉等が散らかっていると思っていた青は、そのことに僅かに感心する。

 そのまま藍に手を引かれながら石畳を歩いて行き、遂に神社の目の前へと到達する。

 いつになく緊張している青は、一度大きく深呼吸をした後、意を決して声を発する。

 

「すみませ――」

 

 青が完全に言葉を言い終えるよりも早く、彼の体に衝撃が走る。

 危うく転びそうになったがギリギリの所で堪えた青に対し、その衝撃の元凶である人物は彼の手を取りぶんぶんと上下に振る。

 

「ようこそ守矢神社へ!入信ですか!?入信ですよね!安心してください、守矢神社は来る者拒まずです!」

 

「お、落ち着いてください。私は入信するつもりはありませんよ。そもそも私は妖怪ですし…」

 

 突然耳に響いた大声だったが、青は予想していたが故にあまり驚きは無かった。しかしその声は、彼の予想していた馴染みのある声では無く、聞いた事の無い声だった。

 

「妖怪!?一体私の神社に何の用ですか!自ら退治されに来るとは…殊勝な心掛けですね」

 

「落ち着くのだ東風谷早苗。青様は退治されにここへ来た訳では無いし、そもそも貴様程度では倒す事は出来ん」

 

「え、そうなんですか…?というより貴女は…藍さん!?何故ここに?」

 

「それを今から説明しようとしているのだ」

 

 相変わらず人の話を聞こうとしない彼女に藍はため息を吐いた後、己の主に彼女のことを紹介する。

 

「青様、彼女は東風谷早苗。守矢神社の風祝であり、青様もご存じの洩矢「せいらぁああ!」」

 

「くっ、来ましたか…!」

 

 するとその時、青が予想していた声が聞こえてくる。気を抜きかけていた青だがすぐに気持ちを建て直し、自分の胸の前に手を持っていき、これから来るであろう存在を受け止める準備をする。

 青が構えたとほぼ同時に、彼の胸に先程以上の衝撃が走る。今度こそ青は吹っ飛ばされ、石畳を背中で滑る様に藍達の下から遠ざかっていく。

 

「久しぶりですね諏訪子。相変わらず貴女は加減を知らない」

 

 青に諏訪子と呼ばれた彼女は、彼の腰に手を回し逃げられぬよう拘束した後、長い舌で彼の頬をぺろりと舐める。

 

「あぁ…あぁ…!本当に久しぶりだね青。数千年ぶりだ!漸く私の物になる決意をしたのかい?やっとわかったんだね、神から逃げる事は出来ないと」

 

「いえいえ、残念ながら、私はまだ誰の物にもなる気はありませんよ。それは貴女も例外ではありません」

 

「相変わらず連れない奴だよ。でも、この状況、明らかに青の方が不利。これから貴方を結界に閉じ込めるわ。それで私と、ずっと一緒に過ごしましょうね?…神奈子!手伝って!」

 

 神奈子、諏訪子がその名前を叫ぶと同時に、青の目の前からカラン…という下駄の音が聞こえてくる。彼女こそ守矢神社の表の神、八坂神奈子だった。

 彼女は倒れている青とその上に乗る諏訪子の前で拳を振り上げ、それを勢いよく――諏訪子の頭に叩き落とす。

 

「い…いったぁああ!」

 

 全く予想していなかったその一撃に、諏訪子は頭を押さえゴロゴロと転がり回る。

 

「全く…なんで協力してもらえると思ったんだこいつは。…久しぶりだな、青」

 

「いやぁ、助かりました、神奈子」

 

「いらない助けだったかもしれないけどね。その気になれば抜け出すことくらい出来ただろう?」

 

「こういうのは、助けて貰えることが嬉しいのですよ」

 

 神奈子の手を借りて、青は服に着いた砂を払い落としながら立ち上がる。

 

「・・・藍さん、私は状況の説明を求めます」

 

「・・・あの方々の関係は私も知らん。本人に直接聞いてくれ」

 

 三人の一瞬のやり取りに、早苗はおろか、藍ですら困惑を隠しきることは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「酷いじゃ無いか神奈子。いきなり人の事を殴るなんてさ」

 

 守矢神社の一室で、諏訪子は隣に座る神奈子を見ながら、不満そうに声を漏らす。

 今この場には、早苗と藍の姿は無い。諏訪子が、青とだけで会話したいと言い出したからだ。

 彼女達の関係は詳しくは知らない藍だったが、先程のやり取りを見てそう簡単に了承は出来ない。

 

『ならば、私も一緒にいよう。私も青とは久しぶりにじっくり話したいと思っていた所だ』

 

 断ろうと考えていた藍だったが、丁度いいタイミングで神奈子がそう提案して来た。

 先程諏訪子の暴走を止めた神奈子ならば、万が一が起きても大丈夫だろう。藍は神奈子の言葉を信じ、青を託した。

 二人きりという願いが叶わなかった諏訪子だったが、意外にも表情が変わる事は無かった。どうやら青と一人きりになりたいというのが一番の願いでは無かったらしい。

 

「さて…改めて、久しぶりだね、青。相変わらず、お前は幼いままだ」

 

「それはお互い様というものでしょう。先程抱き着かれた時に貴女に触れましたが、左程私と身長が変わらない様でしたが」

 

「む…それは言わないお約束って奴だよ」

 

 まさにどんぐりの背比べ。眉をひそめて唸る二人を見て、神奈子は声を押し殺して笑う。

 

「まぁ、それはそれとして…貴女達には本当に、驚かされる。数年前に姉様から神社ごと結界を超えて来たと聞いた時も驚きましたが、まさかこんな妖怪だらけの山で人間を雇っているとは思いませんでした。先程境内が綺麗だったのも、彼女のお陰という訳ですか」

 

 雇った人間。青の言葉に一瞬硬直する二人だったが、青の言葉が誰を指しているものなのかに気づき、その言葉を否定する。

 

「違うよ。早苗は雇った訳じゃ無い。あの子は里の人間じゃ無くて、ここに住んでいるんだよ」

 

「・・・住み込みということですか?」

 

「だから雇ったんじゃ無いって。あの子は正真正銘私達の家族、諏訪子の子孫だよ」

 

 諏訪子の子孫…諏訪子の、子孫…?数回程頭の中でその言葉を反芻させて、青は漸く意味を理解したのか、眉を上へと持ち上げる。

 

「子孫…?結婚したのですか?おめでとうございます。しかしお相手がここにいらっしゃらないとなると、相手は既に故人となった人間ということですか…?」

 

 傷を抉っては悪いと遠慮がちに尋ねる青だったが、諏訪子はその気遣いを鼻で笑い飛ばす。

 

「違う違う。あの子のもう一人の先祖はちゃんと生きているよ。私の目の前にいるじゃないか」

 

「目の前…?」

 

 試しに周囲をぐるりと見回してみるが、それらしい視線や息遣いは聞こえない。念のために周囲の気配を探ってみたが、やはりこの場には自分と諏訪子、神奈子の気配しか無かった。

 

「ははっ、信じられぬこととはいえ、ここまで鈍くなるのかい?私の夫はね…お前だよ、青」

 

「は…?」

 

 諏訪子の言葉に、青はこれまでで一番の驚愕の表情を見せた。諏訪子の夫、どれだけ頭で考えようとも、その言葉の意味は一つしか見つけられない。

 

「冗談ですよね…?」

 

「冗談だったら、どれ程良かっただろうねぇ…」

 

 今の諏訪子は、間違いなく口が三日月に開いているのだろう。笑みを抑えているのがよくわかる。

 

「まぁ、こうは言ったが、結局のところ、私達もよくわかっちゃいないんだ。なんせいつの間にか、私の体に命が宿っていたんだからね」

 

 でも、と諏訪子は一度言葉を途切れさせる。

 

「私は今まで、お前以外の誰にも体を赦したことは無い。となれば、考えられるのはたった二つだけなんだ」

 

「二つ…?」

 

「お前と私の子供か、それとも神の奇跡によって生まれた交配を必要としない奇跡の子か」

 

「・・・確かめる方法は、無いのですか?」

 

「うーん…早苗の血を探ろうにも、私はあの子の大分昔の先祖だからねぇ…他の先祖は皆人間と結ばれているだろうし、仮に青の血が混じっていても薄くなり過ぎてわからないと思う」

 

「そうなんですか…」

 

「と、いう訳で、青は私の夫!決定!」

 

「いえ違いますよ?確証が無いんじゃ言いがかりと同じです」

 

 とにかく、確定事項では無くて良かった。流石に子を成されてしまっては、こちらとしてもそれ相応の対応をしなければならなくなる。しかし妖怪と神の間に子供が生まれるというのは長い時を生きてきた青でさえ聞いたことの無い話であったため、恐らくそうなる可能性はごく僅かだろう。藍達を除いて話したいと言っていた理由はこれかと、青は一人納得する。

 

「諏訪子の妄言は置いておくとして…青は何故守矢神社に?しかも姉の紫もいない様子。まさかとは思うが、屋敷から抜け出して来たのか?」

 

 数千年も前、よく八雲家に通っていた頃は、青が外に出ることなんて一度も無かった。本人から姉に外出を禁じられていると聞いていたし、青自身も不満は抱いていなさそうだったので抜け出すことなどあるのかと思ったが。

 

「いえいえ、つい先日、姉様から外出の許可をいただいたのですよ。なので昔の友人に挨拶でもしようかと」

 

「へぇ、あの八雲紫がねぇ…幻想郷に移る前に一度会ったが、私達以上に過保護だった様に思えたが…」

 

 どれだけ心配でも、青を信頼しての決断だろう。同じ保護者としては、その気持ちはわからなくもない。

 

「そういった理由でここに来た訳ですが…久しぶりに声を聞くことも出来ましたし、そろそろお暇しましょうかね」

 

「えぇー、もう帰るの?もう少しゆっくりしていきなよ。まだ来てから一時間くらいしか経ってないよ?」

 

「そういうことは、人を歓迎する気がある人が言うんですよ」

 

「・・・バレてたか」

 

 いつのまにやら手に持っていた結界を貼る札を懐に戻しながら、諏訪子は誤魔化すように笑みを漏らす。

 しかし諏訪子が誤魔化そうとしても、青が一度決めたことを変えることは無い。ゆっくりと立ち上がり襖を開け、少し大きい声で式神の名を呼ぶ。

 

「藍」

 

「は、ここに」

 

「帰りましょう。諏訪子を受け止めたせいで、少し疲れました」

 

「かしこまりました。諏訪子様に神奈子様、我々はこれで」

 

「あぁ、また何時でも遊びに来な」

 

「青、私は諦めないよ!」

 

「夢を見るのは、神だろうが人間だろうが許されます。それを現実に出来るかどうかは、貴女次第ですよ」

 

 手をぷらぷらと適当に振りながら、青は藍にもう片方の手を引かれて守矢神社を後にする。もう少し早苗という少女と交流を深めても良かったかもしれないが、その機会はまたいつか訪れるだろう。

 

「・・・青様と諏訪子様方は、一体どの様なご関係なのですか?」

 

「古い友人ですよ。ただの友人です」

 

「御三方は、何を話していらっしゃったので?」

 

「・・・藍、諏訪子と神奈子は、私だけを部屋に誘ったんですよ」

 

「・・・申し訳ありません。出過ぎた真似を」

 

 余計な詮索はするなと遠回しに伝えてみたが、どうやら伝わった様だ。物分かりのいい従者で助かる。

 

「藍、今は何時頃ですか?」

 

「太陽の位置から考えて、正午過ぎでしょうか」

 

「・・・予定よりも随分早くに終わってしまいました。このまま家に帰ってもいいのですが、どうしましょうかねぇ…」

 

 姉からは日が暮れる前に帰って来てくれるのならいいと言われている。彼女の力があれば選択肢が増えるのだろうが、生憎自分の能力は移動用では無い為に選択肢が逆に狭まる。

 

「橙の所にでも行きましょうか」

 

 折角外に出られるようになったのだから、たまには式神と遊んでやってもいいだろう。そう思い青は藍の案内で、彼女がいるであろうマヨヒガへと向かって行く。

 青の訪問に橙は随分と喜んでいたが、縦横無尽に駆け回る猫たち相手に引きこもりだった青がついて行けるはずも無く、数時間後には藍に抱えられて屋敷へと強制送還されるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十五話

「うぅ…痛い…痛いです…」

 

 守矢神社へと足を運んだ次の日、橙の遊びに付き合った青は慣れない運動をしたせいで無事に筋肉痛となり、布団の上で痛みに悶えていた。

 

「今日は命蓮寺に行く予定でしたのに…」

 

「慣れないことをするからこうなるのよ。猫達相手にむきになって…」

 

 紫は呆れた様子で、しかし心配そうに膝の上にいる青を撫でる。運動を怠っていたとはいえ、青も妖怪の一人、普通の運動程度ならば筋肉痛になどならない筈だ。青が相当衰えたのか、マヨヒガにいる猫の運動能力が凄まじいのか、紫にはわからなかった。

 

「・・・今日は家でゆっくりしていなさい。今の状態のまま行動しても辛いだけでしょうし、白蓮も心配するわ」

 

「白蓮に…ですか。私は彼女に心配される程幼くは無いのですが…」

 

 命蓮寺で妖怪と共に住んでいる友人、聖白蓮を思い出しながら、青は小さく息を吐く。年齢的には自分の方が年上の筈なのに、彼女の下に行った場合はなにかと世話を焼かれることが多かった。

 

「自分のかつての弟と貴方を重ねているんじゃないかしら。あくまで推測の話だけど」

 

 彼女の考えなんて、私にはわからないわ。紫がそう言い終えた直後、青の部屋の襖がゆっくりと開けられる。

 

「青様…大丈夫ですか?」

 

 襖を開けた橙は、心配そうに青の方を見る。昨日青がマヨヒガに足を運んでくれて、さらには一緒に遊んでくれることに興奮した橙は、ついついはしゃぎすぎてしまった。今青がこうなっている原因は自分なのだと、彼女は罪悪感を抱いていた。

 

「あぁ、橙。気にしないでください。普段運動をしていなかったツケが回って来ただけです。橙のせいではありませんよ」

 

 彼女の悲しそうな声音で落ち込んでいることを察知して青は橙を励ます。橙は自らの失敗に対し、それを重く受け止め過ぎてしまう癖がある。失敗を反省するのは悪い事では無いが、いつまでも気にしすぎるのも心に悪い。自分も姉も、失敗なんて秒で忘れる。

 

「それで…それで、藍様と一緒に、お粥…作ってきました」

 

「お粥…ですか?」

 

 鼻を利かせると、僅かに彼女の手元から料理の匂いを感じる。橙なりに考えて作って来てくれたのだろうが、自分は筋肉痛であって風邪では無い。普通に固形物を食べる事だって出来るのだが。

 しかし起きてから何も食べていなかったので、丁度何かを口にしたかったところだ。ありがたくいただくことにしよう。

 

「ありがとうございます。丁度お腹が空いていたところです。そこの机に置いておいてください」

 

 歩く速度が赤ん坊以下になっているので、ずっと持っていさせるのも気の毒だろう。そう思っての発言だったのだが、橙は机の方では無く、自分の方に向かって歩を進めて来る。

 

「いえ、青様がこうなってしまったのは橙のせいです。・・・だから、今日は橙が青様のお世話を致します!」

 

 ふんすと橙の意気込んだ声が聞こえてくる。橙の世話と聞いて先日の永遠亭での失態を思い出し一抹の不安を抱いたが、藍から彼女も反省していると聞いていたので、流石にもうミスをすることは無いだろう。

 そう思い彼女の言葉に肯定の意を示そうとしたのだが、

 

「いいえ、その必要は無いわ。私が青の世話をするから。橙は気にせず遊んでいらっしゃい?」

 

 青を撫でていた紫はにこりと笑みを浮かべ、橙から素早く粥の入ったお茶碗と匙を奪い取る。その笑みは、いつもと違い少しだけ恐さを含んでいた。

 意気込んでいた橙だが紫のその細くなった瞳に僅かに気圧され、渋々と言った様子で部屋を後にしていった。

 

「・・・姉様、何も橙を脅かす必要は無かったんじゃないですか?あれでは橙が可哀想です」

 

「だって、青を世話するのは姉である私の役目だもの。弟の世話は式神の、ましてや式の式の役目では無いわ」

 

 紫は不満そうな声で青の頬を人差し指でつつく。橙の提案を受け入れようとした自分も悪い、とでも言いたいのだろうか。

 

「なら、橙や藍の様に何か作ってくださいよ」

 

「私は料理は苦手なのよ。それに、それは式神の役目だわ」

 

 先程とは言っていることが真逆の姉に、思わず呆れて溜め息が漏れる。しかし世話をしてくれると言っているのだ。動くことすら辛い今、それに頼ることにしよう。

 姉の膝の上に置いていた自身の頭を少しだけ起こし、匙が口元に運ばれるのを今か今かと待つ。

 

「はい、あーん」

 

「あー…ん」

 

 もうこのやりとりをするのも何千、何万回目になるだろうか。幽々子達はこの行為は恋人同士がするものと言っていた。ということは、自分と姉は恋人ということになるのだろうか。

 そんなくだらないことを考えながらも、青はまた口に入って来た水分をたっぷり含んだ米を咀嚼する。ほのかに塩味があって美味しい。

 

「これを食べ終えたら、一緒にもうひと眠りしましょう。妖怪は人間と違って傷の治りも早いけど、それでもその痛みはもう数時間は続くと思うわ。眠ればその分早く傷が癒えるだろうから、起きた時には治っている筈よ」

 

「一緒にって…姉様は眠り過ぎだと思いますよ」

 

「今日は事情があるんだから、映姫も多めに見てくれるわよ。それに、貴方は私がいないと眠れないでしょう?」

 

「・・・それはそうですけど」

 

 姉に一切の悪気が無いのくらいわかっているが、やはりこの年で一人で眠る事の出来ないことを再確認させられると恥ずかしい。もしかしたら幽々子達の夜這いを拒絶しきれないのも、自分が無意識のうちに人肌を求めているからかもしれない。とんだ遊び人だなと、青は心の中で失笑を漏らす。

 

「ん…ご馳走様でした」

 

「はい、お粗末様」

 

「それは作った人が言うんです」

 

 青の的確な指摘を紫は華麗にスルーし、青を抱き締めて強制的に布団の方へと持っていく。

 

「・・・食べてすぐ寝たら牛になると、誰かが言っていた様な気がします」

 

「大丈夫よ。私の能力ですぐに元に戻すし、牛にした奴を殺しに行くから」

 

「愛されてますねぇ…私は」

 

「当然よ。私の最愛の弟だもの」

 

 そう言って紫は彼の頭を撫で、そっと口付けをする。姉の温もりという専用の最強の睡眠薬を得た青は、あっという間に眠りに落ちていくのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「紫様…仕事をなさってください」

 青が眠りに落ちて暫くして、襖の向こうからそんな声が聞こえてきたが、紫は無視を決め込んだ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十六話

 その日、いつも通り店の戸を開けて暖簾をかけた店主、ミスティア・ローレライは、早くも店を閉めたい気持ちでいっぱいだった。

 今の時刻は午後の三時頃、基本的に夜店を開ける彼女からすれば、大分早い開店だ。

 夜雀の妖怪である彼女の店に訪れる客は、皆妖怪や妖精といった人外ばかりである。彼女が店を開ければそれを嗅ぎつけ、多くの客が店を訪れる…筈なのだが、今日はこの店に客が訪れることは殆ど無い。

 何故なら、今日この店は貸し切りになっているからだ。いや、正しくは貸し切りにせざるを得ないと言った方が正しいか。

 

「はぁ…」

 

 ミスティアは重い、重いため息を吐きながら二日ほど前の出来事を思い出す。

 その日、いつも通り繁盛していた彼女の店に、八雲藍が訪れたのだ。ミスティア自身彼女のことは知っていたが店に来た事は無かったので僅かに困惑したが、話を聞くとどうやら予約をしたいとのことだった。

 この店に気まぐれで訪れる妖怪は多かったが団体での予約というのは珍しかったので、ミスティアは快くそれを引き受けた。否、引き受けてしまった。訪れる者が誰かを聞く前に。

 藍から団体客の面子を聞いた直後、ミスティアは思わず卒倒しそうになってしまった。自分が予想していたよりも遥かに、面子が濃すぎたからだ。

 ここに訪れる者、五人の名を聞き、彼女は即座に断ろうと決心した。しかし再び視線を上げると、藍はそこにはいなかった。逃げられた、そう理解するのに数秒の時を要した。

 

「今更何を言っても仕方がないし、仕込みを始めましょうか…」

 

 もしも相手の舌に合わなかったら、殺されるかもしれないし。流石にまだ首と胴は仲良くしておきたい。

 妖怪の賢者八雲紫はこの同窓会を開催するにあたって、幻想郷で最も権力と力、名声を持った存在、五大老と呼ばれる者達へと招待状を送っていた。

 その招待状に書かれてあったことは二つ。

 

 ・この宴に参加するのは、自分の年齢を数えることを止めた幻想郷の中でも古参の者のみ。

 

 ・参加するにあたって、上記の条件を満たした人物を一人同伴させてもよい。

 

 この条件を聞いた時、ミスティアは本気でふざけんなと叫びたくなった。何故この店に十人もの幻想郷の重鎮達が勢揃いせねばならないのだ。しかも店主である彼女も訪れる者の名を半分しか聞いていない。こういうのは、予め店側が訪れる者を把握しているものでは無いのだろうか。

 しかし相手が誰であろうと、自分がすることは変わらない。一瞬遺書でも書いておけばよかったと思ったが、そんなことをしている暇は無いのだ。

 せめてこれから訪れる者が危険人物か否かを見極めることにしよう。一番いいのは全員が自分の店を害すことのない安全な人物達であることだが、どうせ五大老が連れて来る者のことだ。一癖も二癖もあるに違いない。

 

「あら、もう開いているみたい」

 

 ミスティアが早速仕込みに取り掛かろうとしたその時、店の扉が音を立てて開き、二人の人物が店へと入って来る。早速本日の客、その一組目がやって来たらしい。

 

「ねぇ、永琳、まだ誰も来てないみたいよ?やっぱり少し早かったんじゃない?」

 

「別に早く来ても損をすることは無いでしょう、姫。遅れて相手を待たせるよりはよっぽどマシよ」

 

 永琳と呼ばれた人物のことを、ミスティアは知っていた。

 永遠亭に住む薬師、八意永琳。彼女と直接の面識は無かったが、彼女のことは弟子である鈴仙からよく聞いていた。

 薬師という人を助ける役職に加え、鈴仙からはよく実験に付き合わされるという愚痴は聞いた事はあったが、性格に難があるという話は聞いた事も無いし、本人も師のことを尊敬している様子だった。

 隣にいる人物については何も聞いた事が無いが、姫という呼び方から察するに永琳の主といったところだろう。まともか否かを判断するには圧倒的に判断材料が足りないが、今のところ何かを起こしそうな雰囲気は無い。

 永琳も、流石に人の店の品に薬を入れるなんてことはしないだろう。ミスティアの目からすれば、彼女達は安全な客。十分に合格ラインだ。

 

「いらっしゃいませ。本日ご予約なされたお客様ですか?」

 

「予約…?あぁ、そういえば紫が言っていたわね。予約した本人はまだ来てないみたいだけど、私達がその客で間違いないわ」

 

「申し訳ありませんが、まだ仕込みが完全では無くて、料理をお出しするのにはもう少し時間がかかってしまいます」

 

「別に構わないわよ。どうせあと八人全員が来ないなら始めるつもりは無いし」

 

 永琳の返答に軽く会釈を返し席へと案内した後、ミスティアは本格的に仕込みを開始する為に厨房へと向かう。厨房の壁には小さな窓があるので、そこから誰が入って来たのかも確認する事が出来る。どんな妖怪が来ようと、流石に本人の前で表情を歪めるのは失礼だろう。

 厨房に籠り始めてから十数分後、再び扉の開く音が聞こえて来た。ミスティアは食材を切る速度を落とさぬまま、小窓の方に視線を向ける。

 

「おや、私達が一番最初…という訳では無い様だ」

 

「神奈子、この店でのお代は全部紫が払ってくれるのかな?」

 

 次に現れたのは、守矢の二柱として名高い洩矢諏訪子と八坂神奈子の二人だった。

 先程の永琳達とは違い、ミスティアは彼女達との交流があった。守矢神社で祭りが開かれるときは、大抵出店をさせて貰っているからだ。設営の際に彼女達のどちらかに声をかけられることは何度かあったが、二人共気さくでいい人だった。

 彼女達が何かするとは到底思えない。むしろあの二人は暴走しがちな風祝の早苗を保護者として制御する立場だろう。無論合格である。

 

「あら、守矢の二柱がお揃いで山から下りて来るなんて。貴女も紫に呼ばれたのね」

 

「あぁ、それもあるが…諏訪子の奴が青に会いに行くと言って聞かなくてね。一人で行かせたら何しでかすかわかったもんじゃないから、監視の役目も兼ねて…ね」

 

「ちょっと神奈子、それじゃあ私が我が儘な子供みたいじゃないか」

 

「おや、違ったのかい?てっきり体と一緒で頭も成長していないのかと思っていたよ」

 

「あ?喧嘩なら買うよ?」

 

「はいはい落ち着いて。店を吹き飛ばすつもり?」

 

 大丈夫…なのだろうか。今のやり取りを聞いて、彼女達への信頼が一気に急降下した様な気がした。

 ミスティアは再びテーブルを見たことで初めてお冷を出していないことに気づいた。慌てて水の入った容器と人数分のコップを彼女達の下に運び、再び調理を再開する。

 トントントンと野菜を切るリズムの良い音と、時折油で食材を揚げる音が厨房に響く。心地の良いリズムを聞いて、ミスティアも漸く気分が上がってきた。

 

 トントントン…ジュワァ…サクサク…トントントン…ガララ…

 

「ん…?」

 

 ガララ…?

 最後に聞こえた音が厨房からでは無い異音であることに気づくのに数秒の時を要した。どうやらまた、予約客の一人が店に訪れた様だ。

 再び小窓の方に視線を向けて来客を確認した直後、ミスティアは思わずため息を吐いた。この危険な宴の主催者が現れた様だ。

 

「おやおやこの気配…もう二組の方々が到着していましたか。姉様、私達は少し遅かった様ですね」

 

「そうみたいね…うっかり眠り過ぎてしまったわ。でもまだ全員は集まっていない様だし…ギリギリセーフね。私達も席に着きましょう、青」

 

 八雲紫、幻想郷でその名を知らぬ者はいない。妖怪の賢者と言われ幻想郷を創設した一人、最強の妖怪と言われている存在だ。

 彼女という妖怪は、人間だけでなく同じ妖怪にすら恐れられている。そんな彼女が予約客のリストの一番上に載っているのを見た時、思わず手にしていたペンを床に叩きつけたくなった。

 そんな歩く災害である彼女に対し、隣にいる青と呼ばれた人物。ひとこと言わせてもらおう、誰だコイツは?

 ミスティア自身、幻想郷に移住してからそれなりに時間が経ったが、青と呼ばれた少年のことは一度も見たことも聞いたことも無い。

 『姉様』という口ぶりから察するに八雲紫の弟の様だが、それ程の地位を持つ存在なのにも関わらず、一切の情報が世に出回っていない。間違いなく何かある。

 自分ですら知っている危険人物と、自分が聞いたことの無い全てが未知数の人物。このコンビが何故許されると思ったのだろうか、ぶっちぎりでアウトである。出来ることなら即刻追い返したい。

 しかし彼女にそんな勇気も無ければ度胸も無い。出来ることと言えば、手を繋いで仲良さそうにテーブルへと歩いて行く姉弟を恨めしそうに眺めるくらいだ。

 

「ギリギリセーフでも無いわよ。普通主催者が一番最初に来て席を取ったりするものじゃないの?」

 

「席なら予め藍に取らせてあったから問題無いわ。それに、宴を開くにあたっての集合時間なんて決めていないから、私達が来た時間が基準になるのよ」

 

「まぁまぁ、姉様も永琳も、折角の同窓会ですので言い争いはやめましょう?それと諏訪子は歩き辛いので離れてください」

 

「細かいことは気にしない気にしない。さぁさぁ、私の隣においで」

 

「諏訪子、私の弟にちょっかい掛けないで頂戴。それに、青は私の隣に決まっているのよ」

 

「そういうことです。私は姉様がいないと、料理すらいただくことが出来ませんからね」

 

「ちぇ、それくらいなら私だって出来るのに…まぁいいさ、隣には右隣以外にも左があるからね」

 

 厨房からでは全てを聞き取ることは難しいが、どうやら諏訪子が青と呼ばれた少年の左、紫が右に座ることで話が収まった様だ。一先ず何かを起こす気配は無さそうなので一安心である。

 

「っと、いけないいけない。調理途中なのに放置しちゃった」

 

 危うく魚を焦がしてしまうところだった。料理人が調理中に他のことに夢中になるなど有り得ないことだが、今回に限っては許して欲しい。調理に集中していている間に店が消し飛ばされたら元も子もないからだ。

 

(というかそもそも同窓会ってなによ。貴女達は別に同年代じゃないでしょ。歳数えるのをやめたから同年代って意味が分からないわ)

 

 苦笑いを浮かべながら事の発端を説明してくれた藍を思い出しながら、ミスティアは心の中で愚痴を吐き続ける。

 今厨房には彼女しかいない為、雰囲気が明るくなるか暗くなるかも彼女次第。調理のリズムに沿って段々と明るくなっていた厨房だったが、紫たちが来たことによって再びどんよりとした雰囲気へと逆戻りしてしまった。

 彼女が知る中で、まだ店に顔を出していない客は二人、命蓮寺の僧侶である聖白蓮と、冥界の主、西行寺幽々子だった。ミスティアにとっては片方が当たりで、もう片方が外れである人物達だ。

 当たりの方は当然、聖白蓮である。命蓮寺で妖怪を導く人格者。命蓮寺にも祭りの際何度か出店したことがあるが、彼女の対応に不満を持ったことなど一度も無かった。今日来る客の中で一番まともな人物であることは間違いない。

 そして大外れの西行寺幽々子。彼女は一見すると聖と同じで温厚で優しそうに見えるが何度か会ったことのあるミスティアならわかる。彼女が自分を見る目は、完全に自分を餌として見ていた。

 つまり彼女に限っては店が存続するか否かの話では無く、自分の命が尽きるか否かなのだ。出来れば視界にすら入りたくないというのが本音である。

 

「あら、もう皆さんお揃いで。もしや遅れてしまいましたか?」

 

 紫と青が来てから十数分後、またもや店の扉が開く。どうやら残る二組の内の一組がやって来た様だ。この聞き覚えのある声に柔らかい物腰。窓の方を見ずともわかる、今扉の前にいるの、間違いなく聖白蓮だ。予約客も、もう殆ど集まりつつある。

 

「あら」

 

「へぇ…」

 

「おや、この気配は…」

 

 聖ならば一安心――と思っていたミスティアだったが、先客達の反応が自分の予想していたものとは少し違う。意外なものを見た様な、そんな反応だった。

 一体何を見たのだろうか。興味を抱いたミスティアは少しの不安を抱きつつも、ちらりと小窓の方を確認する。

 

「はぁ――!?」

 

 思わず叫んでしまい、慌てて口を手で塞ぐ。幸い向こうが賑やかなおかげか、彼女達には気づかれていない様だった。

 

(よかった…じゃなくて!どういうこと…!?)

 

 先程見た光景に、ミスティアは驚きを隠せない。自分の予想の通り、扉の前には聖白蓮が立っていた。

 それだけならばまだいい。しかし何故、何故彼女の隣に、風見幽香の姿があるのだろうか。

 風見幽香、かの八雲紫と同等、下手をすればそれ以上に恐れられている大妖怪。人間妖怪問わず、彼女の名前を知らぬ者は存在しない。

 そんな危険人物が何故聖人と一緒に自分の店に訪れているのだろうか。白蓮はともかく、共に現れた幽香が恐ろし過ぎる。確実にアウトだ。触らぬ神に祟りなしという言葉を今すぐに実行したい。

 ミスティアは視線を戻し、再び調理を再開する。しかしそれは先程までとは違い、目の前の現実から目を背ける為に行っているだけに過ぎなかった。

 切り終えた刺身を皿に丁寧に盛り付ける。そろそろ調理も大詰めだ。彼女達を満足させることが出来るくらいの料理を作り終えた自信はある。あの亡霊が暴走しなければの話だが。というより、出来ればもうこのまま来ないで欲しいというのが本音だ。

 しかし現実というものはいつも非情で、聖と幽香が訪れてから五分も経たないうちに、店の扉が開かれる。

 

(あぁ、遂に揃っちゃった…)

 

 最早どうにもならない。それならば、ここから緊張続きの数時間を、精一杯乗り切るだけだ。

 一度両手で頬を叩き気持ちを切り替えたミスティアは、幽々子と共に訪れた人物が誰なのかを確認しようとする。

 しかし、

 

「・・・あれ?」

 

 目の前の光景は、またもや彼女の予想外だった。本来いる筈のもう一人の客はそこにはおらず、代わりに目尻にうっすらと涙を浮かべた幽々子の姿があった。

 五大老や青達もこの光景は予想外だったのか、困惑した様な表情を浮かべている。

 

「う…うぅ…!」

 

「えっと…姉様、幽々子は泣いているのですか?」

 

「えぇ、なんでかはわからないけど…幽々子、どうしたのかしら?」

 

 紫が恐る恐ると言った様子で問いかけると、幽々子は一瞬固まった後、涙声で叫びだす。

 

「い、一緒に来てくれる人がいなかっだのよぉ!」

 

「あらら…それはそれは…」

 

 青は鼻を啜りながら声を上げる幽々子に何と声をかけたらいいのかわからず、思わず声を詰まらせてしまう。

 

「貴女は冥界にいるから交友関係が多い訳でも無いし、貴女のところの妖夢もまだ若いから…仕方ないと言えば仕方ないですね」

 

「条件違反だけど妖夢を誘おうとしたのだけど、声をかけようとしたら家にいなかったの…」

 

 逃げたな。幽々子の言葉を厨房から聞いていたミスティアは、心の中でそう呟く。自分も出来る事なら彼女の様に逃げ出したかった。

 

「ま、まぁ別に誰かを連れて来るのは強制じゃ無いから、一人だけでも大丈夫よ」

 

「えぇ、ありがとう紫…」

 

 メンタルに傷がついてしまった幽々子を紫が介護し、空いていた席に座らせる。

 

「さて、役者は揃いました。宴を始めましょう」

 

 一堂に会した九人…八人の気配を感じながら、青は意気揚々と言い放つ。

 こうして幻想郷の古参達の…ミスティアの胃に穴を空けかねない宴会が始まるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十七話

 この店の中には、濃密な気配が渦巻いていた。

 一つの卓の前に座る紫、青、幽々子、白蓮、幽香、神奈子、諏訪子、永琳、輝夜。意識せずとも溢れ出るお互いの妖力、神力が混ざり合い、ぶつかって消滅しては、また生まれていく。

 

「いやあ、何度見ても凄い光景ですね。・・・まぁ、見えていませんが」

 

「やめろやめろ。折角の雰囲気を壊すんじゃない」

 

 真顔で小ボケを口にする青に思わず突っ込んでしまう神奈子。どうやら青自身は、この雰囲気に不満がある様だ。

 

「何言っているんですか、今日は会談では無く宴なのですよ?宴と言うのは飲めや歌えや無礼講、被害無視の何でもありでは無いのですか?」

 

「無礼講とは確かによく言われますが…節度は守りましょうか。お店の方に迷惑をかける訳にもいきませんし」

 

「白蓮の言う通りね。店が壊れてこの料理が食べられなくなるのも勿体ないし、適度に、壊さない程度に盛り上がりましょう。それじゃあ、乾杯」

 

「「「乾杯!」」」

 

 紫の言葉がきっかけで、今度こそ宴会が始まった。青は姉に様々な料理を少しずつ食べさせて貰いながら、会話に花を咲かせる。

 

「今日くらいは白蓮もお酒を飲まれては如何ですか?折角の宴の場ですのに」

 

「いえ、不飲酒戒、酒を飲むことは仏の教えで禁止されていますので。本当は今日の宴会の招待も断ろうかと思っていたんです。そんな中、星がたまには羽を伸ばすべきだと強く勧めて来たので、根負けしてこの場にいるという訳です」

 

「成程、貴女は相変わらず真面目ですねぇ」

 

「そういえば…青、あまり乗り気では無い白蓮を誘っておいて私に招待状を送らないなんて、一体どういう了見かしら?それどころか彼女が訪ねて来るまで、そんな面白そうなことが開かれることすら知らなかったのだけれど」

 

「それを私に言わないでください。誰に招待状を送るか決めたのは、私では無く姉様ですので」

 

「そこで私に振るの…?別に、ただ藍に招待状を書かせる際に貴女の名前が思い浮かばなかった。それだけよ」

 

「この私の名前を忘れるなんて…妖怪の賢者も遂にボケが来たのかしら?」

 

 幽香の嘲笑に、紫は刺々しい気配を醸し出し、彼女を睨む。二人の間に渦巻く殺気によって段々と場の空気が冷め始めて来た所で、二人の真横を鉄の輪が通り過ぎる。

 

「紫も幽香も何をやっているのさ。お互いの足の引っ張り合いなんかで剥きになっちゃって。もういい年した大人なんだからさ」

 

「(それ、貴女が言いますか…?)諏訪子の言う通りです。こう何度も睨みあいが起きては酔いに浸ることも出来ません」

 

「「それは幽香(紫)が…」」

 

「はいはい、そこまでよ二人共。全く…幽香、貴女はそんなだから必要以上に恐れられることになるのよ。もっと寛容な心を持ちなさい。紫、貴女は青の姉でしょう。弟に宥められてどうするのよ。わかったら青に料理を食べさせてあげなさい」

 

「凄い…場を一瞬で収めた。流石お母さん…」

 

「誰がお母さんよ。誰が」

 

 流石最年長、言葉の重みが違う。永琳の言葉で渋々といった様だが矛を収めた二人。因みに先程諏訪子が投げた鉄の輪のせいで、店の壁には見事にヒビが入っていた。ミスティアが悲鳴を上げた。

 

「そういえば、役者は揃ったと言っていたけれど、実はもう一組、スペシャルゲストを呼んでいるのよ」

 

「「「スペシャルゲスト?」」」

 

 紫からの唐突な発言にオウム返しをしてしまう青達と、絶望した様な表情になるミスティア。四組以外に招待状を送っていたなんてことは、青も知らなかったからだ。

 

「当人達がしつこく頼むから根負けしちゃってね。といっても具体的な時間は教えなかったから、いつ来るかはわからないのだけれど――」

 

 紫が言い終えるよりも早く、店の扉が開き…というか衝撃で吹っ飛び、外から二つの人影が姿を現す。

 

「あ~、やっちまった…おい萃香!もう始まってんじゃねぇか!当日に誘いに来るってどういう神経してんだよ!?」

 

「誘ってやっただけ有難く思いな。私だって知ったの昨日なんだから…よっ!久しぶりだな青」

 

 衝撃により体に付着した土埃を手で払い、現れた二人、伊吹萃香と星熊勇儀は隣のテーブルにあった椅子を引っ張り、空いている場所に座る。

 

「ひぃふぅみぃ…やっぱり私達のグラスは無いか…おい店主!酒とグラスと箸、あと皿持ってこい!」

 

「あ、あの~、その前に出来れば扉を直して欲しいな~、なんて…?」

 

「あぁ!?」

 

「ひ、ひぃ!?すみませんすみません!少々お待ちを!」

 

「可哀想ですね…出会っていきなり脅すなんて」

 

「ふん、素直に従わないのが悪いのさ。宴で鬼を待たせるなんて重罪だからね」

 

「はぁ…これでも飲んでいなさい」

 

 そう言って青は萃香の声がする方に向けて、酒瓶をニ本放り投げる。

 

「お、気が利くねぇ」

 

 萃香と勇儀はそれを片手でキャッチし、豪快にラッパ飲みをする。何時もと変わらないその様子に全員が呆れていた。

 

「というか萃香はともかく、何故勇儀までここに?地底との行き来は禁止されている筈では?」

 

「その条約を締結したのはこの私よ?私が一言口を添えれば、鬼の一匹くらいどうとでもなるわ」

 

「うわぁ…これが職権乱用という奴ですか」

 

「こっちもさとり妖怪の妹を黙認しているのだからお相子よ」

 

 青の言葉を聞き流し、紫はその口を塞ぐように餃子を食べさせる。

 一方の勇儀と萃香もそれぞれ酒瓶一本を空にしたせいか、ほんのり顔が赤くなっていた。訂正しよう、萃香は常に酔っているため変化は無かった。

 

「紫も面白い事を考えるねぇ…同窓会だなんて。まぁ、参加条件が大分緩いみたいだけど」

 

「それは私も思ったよ。だけど、確かに私も諏訪子も神としてそれなりに長く生きている。しかし流石に永琳と同い年扱いはして欲しくないんだが…」

 

「それもそうね。私や紫はともかく、一番若い白蓮からすれば、おばあちゃん扱いは嫌なんじゃないかしら?」

 

「いえ、私はそんなことは思っていませんが…というか、私も十分おばあちゃんですし」

 

「歳の話はやめましょう。聞いていて虚しくなるわ」

 

 しれっと弄られて若干イラっとしたが、これ以上この話をしても誰も得しないと考え、永琳は話を打ち切ろうとするが、飲んだくれの鬼はそれを完全に無視する。

 

「それを言うなら、精神的に一番幼いのは青だろ~」

 

「私が?何故?」

 

「だって、未だに孤独が怖くて、一人で眠る事も出来ないんだろ?いつまでも紫に抱き着いて眠るなんて、随分と年の食った赤ん坊じゃ無いか」

 

「え…青ちゃんって未だに一人で寝られないの?恥ずかしくないのかしら…?」

 

 萃香の口から出た言葉を聞いて、最初に反応した幽々子を筆頭に次々に周りへとその反応が伝播していく。笑いを堪える輝夜や諏訪子、微笑ましそうに笑みを零す白蓮等と言った多種多様な反応だが、青にとってそれは羞恥心以外の何物でも無いのだ。

 どうやら彼女達にはわからせる必要があるらしい。自分が、彼女達の何人かの命に係わる重大な弱みを握っていることを。

 その為に、萃香と幽々子には生贄になって貰おう。

 

「精神年齢の低さについて貴女が言いますか?白玉楼で断ったのにも関わらず私の歪んだ顔が見たいとか言って、しまいには殴りかかって来た伊吹萃香さん?」

 

「お前、ここでそれを持ち出して来るのか?あれに関しては鬼の本能だから仕方がなっ――!?」

 

 青の指摘を軽く受け流そうとした萃香だったが、突然自分の近くから膨大な殺気を感じ、思わず体が固まってしまう。

 彼女は忘れていた。今この場には、彼の姉である八雲紫がいることを。

 

「青に危害を加えようとした。私にはそう聞こえたのだけれど、詳しく説明してくれないかしら、萃香?」

 

 その荒々しい気配とは正反対に、顔に笑みを貼り付ける紫。その笑顔の恐ろしさに、萃香は言葉に詰まってしまう。

 

「え、えーっと、それはだな…」

 

「場合によっては、貴女を時空の狭間に閉じ込めることになるのだけれど」

 

「おいおい、死んだわあいつ」

 

 勇儀が冗談交じりにそんなことを言うが、当の本人からすれば本当に命の危機だ。まさか青がそれをバラすとは思ってもみなかった。

 

「青ちゃん…恐ろしい子…紫を利用して鬼を倒すなんて」

 

 青のやり口に戦慄する幽々子だったが、青はそれ以上の爆弾をぶっこんで来る。

 

「何か言いましたか?白玉楼に泊った際に姉様に忠告されたのにも関わらず、結局私を襲って美味しくいただいた西行寺幽々子さん?」

 

「ちょっ、青ちゃんその話は…!」

 

 幽々子は慌てて青の口を塞ごうとしたが、時すでに遅し。

 

「「は…?」」

 

 その瞬間、空気が凍り付く。紫の首がもの凄い勢いで幽々子の方を向く。彼女の瞳は、完全に瞳孔が開いていた。

 

「ひぃ!紫はともかく、なんで白蓮まで怒ってるのよぉ!」

 

「当然です!不邪淫戒、無闇に淫らな行為をしてはなりません!それも盲目の青を無理やりだなんて…言語道断!」

 

「ねぇ青、嘘よね?まさか私の親友が貴女を襲ったなんてこと…」

 

「いえ、本当ですよ?」

 

 そこから青は、頼まれてもいないのに幽々子との情事を事細かに話し始める。

 人肌が無ければ眠れないのは確かだが、まさか眠らせてすらくれないとは思っていなかっただの、重い軽いに関係なく上に跨られるのは普通に疲れるからやめて欲しいだの、それはもう詳細に。

 こんな形の成長はして欲しく無かった。紫は耐え切れずに耳を塞ぐ。誰が好きで自分の愛する弟と友人の情事を聞きたがるのだろうか。少なくとも紫は、そのような性癖を持ち合わせていない。

 この宴が終わった時、自分の魂は残っているのだろうか。幽々子はそれだけが不安だった。

 

「あぁ、それと白蓮」

 

「・・・なんでしょう?」

 

「私の初めてを無理やり奪ったのは貴女の所のマミゾウですので、宜しく言っておいてください」

 

「!?」

 

 先程まで萃香を説教していた白蓮が、青の更なる一言によって凍り付く。青の一瞬で為した所業に他の者達はドン引きし、幽々子と同じ立場である諏訪子は内心震えあがっていた。幽香は何故か逆に開き直っていたが。

 そんな混沌に陥っていた宴会場だが、次の瞬間、この場は更なる混沌と化す。

 

「ッ…!なんだ!?」

 

 その変化に真っ先に気が付いたのは勇儀だった。次の瞬間、店の中に轟音が響き渡り、地面が大きく揺れる。

 そして天井を突き破り、無数の大岩が落ちてきて、否、降って来る。

 驚きで僅かに目を見開く者、特に表情に変化は無く、ただ真上を見ている者、こんな状況下でも説教を続け、正座をして渋々それを聞く者、恐怖で腰を抜かしているミスティア。三者三様の反応の中、

 

「あーはっはっは!」

 

 一人の少女の笑い声が、周囲に響き渡るのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十八話

「いたた…何ですかもう…」

 

 突然の揺れに反応できずに椅子から落ちてしまった青は、床に激突して痛めた尻をさすりながら、何とか椅子に手をかけて立ち上がる。

 

「複数の強い気配を感じて来てみれば、下界の妖怪や神共が勢揃いじゃ無いか!」

 

 すると自分の目の前、では無くその少し上から、聞き覚えの無い声が聞こえてくる。

 

「姉様、この声の主が、揺れの原因ですか?」

 

「えぇ、彼女は比那名居天子、地上では無く上空、天界に住む不良天人よ。大方また懲りずにここに要石を落としたのね…」

 

「ほぅ…天人ですか。存在は知っていましたが、こうしてお会いするのは初め…うん?」

 

 青は姉の話を聞きながら、何か落とした物が無いか懐を漁るが、ここである物が無くなっていることに気が付く。

 

「姉様、この辺りに煙管は落ちていませんか?友人からの貰い物でして」

 

「煙管…?あ、あったわ。・・・どうやら真っ二つになっているみたいだけど」

 

 青は物をそれなりに大事にする。気の毒に思いながらも、紫は彼の手のひらに真っ二つとなった煙管を置く。

 

「げっ、お前は八雲紫!何故貴様がここにいる!」

 

 顔を顰めながら天人が何か言っているが、紫はそれどころでは無い。

 

「私が体勢を崩して煙管を落とした後、上空から降って来た岩によって割れた…といった所でしょうか。ふふふ…」

 

 次の瞬間、感情が揺れ動いたことによって動きを見せていた青の気配が、水を打ったかのように静まり返る。

 

「どうやら、少しお仕置きをする必要があるようですね…」

 

 やる気だ。こうなった以上青を止めることは出来ない。紫は何も言わずに天子の方へと歩いて行く青を見送り、周囲に結界を貼って青と天子以外の全員を覆う。

 

「紫、何をするつもりだ?」

 

 いつの間にか白蓮からの説教から抜け出して来た萃香が紫に問いかける。

 

「青が戦う気だわ。あの子が能力を戦闘目的で使うのは滅多に無い。久しぶりで能力の制御がうまく出来なかった場合に巻き添えを食わない様、万が一の為よ」

 

「へぇ…ということは見えるのか…青の戦いが」

 

 天子と対峙するその様子に、萃香だけでなく紫を除いた全員が注目する。今まで誰も見た事の無かった青の戦う様子、果たしてどれ程の強さを持ち合わせているのだろうか。

 

「・・・見られたらいいわね」

 

「・・・?それってどういう…」

 

「ほら、始まるわよ」

 

 たった一人で自分の方へと向かってくる青に、天子も漸く気が付いたらしい。

 

「むっ、なんだお前は?」

 

「初めまして、天人さん。私は八雲青、八雲紫の弟です」

 

「ふん、それで、下賤な妖怪如きが、私に何の用だ?」

 

「実は貴女の落とした瓦礫や岩のせいで、私の持っていた煙管が壊れてしまったのです。友人からの貰い物で大切にしていましたので。あぁ、謝罪は必要ありません。代わりに少し貴女にお灸を据えようかと」

 

「ほう…お前、私と戦うつもりか?妖怪如きが、天人に勝てると思うなよ」

 

「それを決めるのは貴女ではありません。決定権は全て私に存在します」

 

「言うじゃ無いか。ならば精々、楽しませてくれよ…!」

 

 天子は地を蹴り、目にもとまらぬ速さで青の眼前へと迫る。しかし青は端から目に頼ってはいない。気配で相手を見る青にとって、天子の速さなど大した問題では無いのだ。

 天子の拳が青の届く刹那、突然青の袖口から短刀が現れ、彼女の腕に向かって飛んで行く。

 

「ちぃ…!」

 

 天子は間一髪でそれを避けた…かに思えたが、僅かに腕を掠め、微かな痛みが彼女の体を走る。

 後方に跳び、いったん距離を取る天子だったが、青はさらに追撃を仕掛ける。

 

「な、なにこれ…!」

 

 彼女が地面に着地した直後、いつの間に現れたのか無数の木の葉が彼女の体に纏わりつく。

 恐らく青の妖力によって出来ているのだろう。払っても払っても自分の体に付着し、視界を遮る木の葉に、天子は鬱陶しそうに舌打ちをしてそれを払いのけようとする。

 十数秒後、漸く木の葉が晴れた時、彼女は先程の居酒屋では無く鏡の様に澄んだ水の上に横たわっていた。

 

「ここは…何処だ…?」

 

 起き上がり周囲を確認しようとするが、体はまるで石になったかの様に動かない。首より上だけが、辛うじて動かすことが出来た。

 

「ここは意識の世界です。幻の中…精神世界…なんと言ったらいいのかわかりませんが、そういった類のものですよ」

 

 声のする方に振り向くと、青が彼女の隣に立っていた。

 

「お前…私に何をした!」

 

 吠える天子だったが、青はまるで彼女の声が聞こえていないと言わんばかりに、勝手に話しを続ける。

 

「貴女には特別に、私の能力について教えて差し上げましょう」

 

「お前の…能力?」

 

「えぇ、私の能力は《誑かす程度の能力》誑かすという言葉には大きく分けて二つの意味が存在します。一つ目は誘惑、簡単に言うと異性に好かれやすくなるといった物なのですが、これは制御が難しい。無意識に発動してしまうことがある困った力です。きっと私が襲われやすいのも、それが原因の一つにあるのでしょうね」

 

 そんなことはどうでもいい。天子がそう言おうと口を開くよりも早く、青は再び言葉を続ける。

 

「二つ目は欺く、私の持つ大妖怪としての強さはこの一点。相手を欺き、陥れることに特化したこの能力の側面の一つ。そしてもう既に、貴女は私の作り出した幻術の中にいます」

 

「一体いつから…」

 

「最初から。貴女が私の刃物という幻術によって、怪我をする少し前くらいですかね」

 

「馬鹿な…!あの時私は確かに痛みを感じた!あれが幻なものか!」

 

「私の能力は、狐や狸のそれとは次元が違います。私の力は五感全てに作用するもの。目で見る事ができ、耳で聞くことができ、鼻で嗅ぐことができ、手で触れることができ、舌で味すら感じることが出来る。それは最早、現実と何ら変わり無いものです」

 

 唯一違う事と言えば、全てが私の思い通りになる点でしょうか。そう言って青は、天子の体の上に跨る。

 

「私に…何をするつもりだ!」

 

「言ったでしょう。お灸を据えると」

 

 青の服の袖からは、沢山の刃物が見え隠れしていた。

 ここが普通の世界ならば、天人である彼女にとってただの武器など痛くも痒くもなかったであろう。

 しかしここは全てが青の思い通りになる世界。そんな場所で彼が人器というなまくらを使うなど、あり得る筈が無かった。

 

「な…!お前、まさか…」

 

「安心してください。この世界で何日、何週間、何年経とうと、現実ではほんの一瞬の時間が過ぎるだけです。二人きりで、じっくりこの世界を楽しみましょう?」

 

 そう言って青は、ニヤリと口元を歪めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「懐かれました」

 

「どうしてそうなった」

 

 青の腕に引っ付き、頬をスリスリと擦り合わせながらご満悦な様子の天子に、一同は困惑を隠すことが出来ない。

 彼女、天子の拳が青に届くギリギリの所で、突如として彼女の動きが止まった。そしてそれから一秒もしないうちに彼女が動き出し、この現状である。

 

「この天人!私の青から離れなさい!」

 

「ふんっ、私に命令するな!私に命令していいのは青様だけよ!」

 

「本当に何があったんだよ…」

 

「いやあ、それを説明するにはまず、私の能力について話す必要がありますね」

 

「それも気になるけど…彼女達を放っておいていいの?」

 

 青の隣でぎゃーぎゃー騒ぐ紫と天子を見ながら、永琳は疑問を漏らす。

 しかし青はそれを無視して能力の説明を始める。

 

 数分後…

 

「成程。確かに中々強力な能力だけれど…それをどう悪用したらこうなるのかしら?お灸を据える筈じゃ無かったの?」

 

「えぇ、私もそのつもりで、最初はとにかく刃物で切り付けたり首を絞めたり、あらゆる苦痛を与え続けたんですけど…」

 

「発想が拷問のそれなんだが…お灸とは一体」

 

「途中で、このまま苦痛を与え続けたら精神崩壊を起こしてしまう事に気が付いたんです。流石にそれは可哀想かと思い、途中から私の言葉に逆らった場合は同様に苦痛を、従順に従った場合は快楽を与え、それを体感で三年程続けたんですが…そうしたらこの通り」

 

「それ、人を洗脳する時に使われる手法だな。しかも三年…」

 

「ち、因みに、その快楽というのは?」

 

「あぁ、それはご想像にお任せします」

 

 それだけは任せないで欲しい。天子との争いを中断して尋ねた紫であったが、一気に不安に陥った。

 

「取り敢えず経緯はわかったが…それを聞くとこいつが少し可哀想だな…」

 

「今ではすっかり私の言う事は何でも聞くようになりましたよ」

 

「恐ろしい奴…」

 

「成程…その方法を使えば私も青を…」

 

 最後に恐ろしい言葉が聞こえた気がしたが、青は全力で聞こえないふりをする。嫌な現実は見ないに限る。

 すると先程まで紫と言い争っていた天子が突然青の方を向き、全力で頭を下げる。

 

「青様、貴方の煙管を壊してしまい…本当に申し訳ございませんでした!」

 

 幻術をかける前の態度とは百八十度正反対の誠意のこもった謝罪。これが忠義なのか恐怖なのかはわからないが、本人としては自分の罪を認めてくれるだけで十分だ。

 

「いえいえ、謝罪さえいただければ十分ですよ。もうこんなことをしない様、気を付けてくださいね?」

 

「はい!えへへ…」

 

 青に頭を撫でられ、天子は恍惚とした表情になる。二人のやり取りに危機感を抱いた紫は天子を引きはがそうと再び手に力を込めるが、何故か先程以上に動かなくなっていた。

 

「さて、天子さん。折角来てくれたのに申し訳ありませんが…私達は今同窓会の途中なんです。すみませんが貴女の相手をするのはまた後日ということで宜しいですか?」

 

「え…わかりました」

 

「ありがとうございます。物分かりの良い子は好きですよ」

 

「好き…えへへ」

 

 青の言葉にこくりと頷いた天子はもう一度青の手に自分の頬を擦りつけてから、空いた天井を通って店を後にする。青は彼女の気配が遠ざかっていくのを確認した後、姉の方を向いて口を開く。

 

「さて姉様、まだまだ宴は途中でしょう?酒もまだまだありますし、再開しましょう」

 

「・・・そうね、そうしましょうか。萃香と幽々子への尋問…兼処刑は後でも出来るし」

 

「「(忘れられてなかった…!)」」

 

 もう開き直って宴会を楽しもう。逃げられないと悟った二人はいっそ開き直って乾いた笑みを漏らしながら食卓を整え始める。数分後、青達は宴を再開し、それは夜が大分更けるまで続くのであった。

 因みに壊れた店の修理代と駄目なった料理の費用は、全てミスティア持ちとなった。

 破産寸前となった彼女は、今日も明日も必死に働く。この幻想郷という美しくも残酷な世界で、生き残るために。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十九話

 青は今日、一人布団の中で目を覚ました。

 昨日の同窓会、もとい宴によって発覚した萃香と幽々子が青にしたこと。それを聞いた紫は彼女達に説教と罰を受けさせるために、宴が終わって即座に二人を引きずってどこかへと消えてしまった。そして彼女は青が眠る時にも戻って来ることは無かった。

 また一人枕を涙で濡らすのかと思い、あの場面で秘密を打ち明けてしまった自分を悔いたが、橙が気を利かせて一緒に眠ってくれたので寂しさを感じる事は無かった。自分よりも遥かに年下の式の式に慰められるとは、情けないとも思ったが。

 そして今、己の姉は自分の隣で朝食を取っている。幽々子と萃香がどうなったのかは、聞く勇気が無かった。

 

「青、今日は何処へ行くの?」

 

 隣から聞こえる姉の声。普段と同じ声音だが、昨日のことについて言及されると思っていた青は少しだけ反応に困って言葉を詰まらせてしまう。

 

「え、えっと…確か今日は命蓮寺に行く予定です。ですよね?藍」

 

「はい。命蓮寺の僧侶、聖白蓮殿を除いた他の五大老の方々の下へは向かいましたので」

 

「そう、気を付けて行ってらっしゃいね。帰ったらまた、土産話でも聞かせて頂戴」

 

「はい。面白い話が出来るかはわかりませんが」

 

 どうやら彼女は昨日の発言については何も聞かない様だ。既に興味を無くしたのか、それとも二人から全て聞き出したのか。どちらでもよかったが、変に気を使わなくていいのはありがたかった。

 その後は何事も無く朝食を食べ終え、紫と橙に見送られた青と藍は最近の日課になりつつある幻想郷での散歩を始めていた。

 

「藍、命蓮寺は確か、人里からほど近い場所にあるんでしたよね?」

 

「はい。ですから途中までの道は橙と共に向かった人里への道のりと変わりありませんので、面白みがなく少々退屈かもしれませんが」

 

「藍が気にすることではありませんよ。それに昨日の疲れがまだ完全には抜けきっていないので、刺激が少ないのは寧ろありがたいです」

 

「昨日の…同窓会のことですか。紫様も大分お帰りになられるのが遅かったですが、何かあったのですか?」

 

「そこまで一大事という訳ではありませんが、久しぶりに能力を戦闘に使用したので少し疲れたというだけです」

 

「青様が戦闘を…?相手は身の程を弁えない下級妖怪ですか?それともあの店の店員が愚行を働いたとか…」

 

「いえ、比那名居天子という天人の方と少し…」

 

「比那名居天子…チッ、あの不良天人か…」

 

 どうやら姉同様、藍も天子のことを知っているらしい。あからさまに不機嫌な声に加え舌打ちをしているところから、良い関係とは言い難いのだろうが。

 

「ですが、私は楽しかったですよ。久しぶりにいい刺激を得ることが出来ましたし。何故かしまいには懐かれましたが」

 

「懐かれた…成程。紫様がお帰りになられた際に不機嫌だったのはそれが原因ですか」

 

「まぁ、それも原因の一つ…ですかね」

 

 そう言えば天子が帰る際に自分だけに聞こえる程の声量で天界に招待されたがどうしようか。

 また会う機会があったとしたら、何かの縁だと考えてその誘いを受けることにしよう。その際は必ず姉は反対するだろうから、殆ど拉致みたいな状況になるのだろうが。誰かに拉致されるという経験も何度か味わっているが、あれはあれでスリルがあって面白い。そして拉致をした相手に美味しくいただかれるまでが鉄板でもある。

 

「青様もあまり無理はなさらぬよう。認めたくは無いですが、あの天人は幻想郷でも屈指の実力者です。幾ら青様と言えども万が一があったやもしれません」

 

「心配は無用ですよ。私の世界を利用すれば、目視すること以外の全ては可能となりますので」

 

「それは、確かにそうかもしれませんが…」

 

「それに、今後私が戦うのは何百年と先になるでしょう。またその時にでも憶えていたら注意してください」

 

「全くもう…わかりましたよ」

 

 これ以上何を言っても無駄だと判断したのだろう。藍はやれやれと呆れた様子で言葉を返した後、それ以上何かを言う事は無かった。

 暫くお互いの間に無言の時間が流れる。しかし長年共に過ごして来た二人は、それを苦だとは思わない。

 歩いて、歩いて、歩いて…一体どれ程の時間が経っただろうか。目的地である命蓮寺まであとどれ程か気になってきた時、突然藍の足が止まる。

 

「青様、到着しましたよ」

 

「もう…ですか?橙と人里へ向かった時よりも早い気がするのですが」

 

「橙は歩幅が私よりも小さかったのでは無いですか?もしくは会話に夢中になって歩くことを疎かにしてしまっていたか」

 

「どちらも心当たりがありますね。あの時は、橙は相当はしゃいでいましたので」

 

「橙もまだまだ、一人前には程遠いですね…それはともかく、ずっとここにいる訳にも行きませんから、中にお邪魔するとしましょう。ここには誰もいないようですし」

 

「誰もいない?てっきり響子が門の前にいるのかと思っていましたが…いや、その場合今頃鼓膜が破れそうになっていなければおかしいですから間違いでは無いのでしょう」

 

「・・・青様は、聖殿だけでなく他の命蓮寺の住人とも交流がおありで?」

 

「えぇ、というか、藍は姉様から聞いていないのですか?彼女達を幻想郷に誘ったのは私なんですよ?」

 

「そうだったのですか!?そんな話一度もお聞きしたことはありませんが…」

 

「まぁ、その時は一度保留という形になってしまい、その後すぐに白蓮が封印されてしまいましたが。ですのでこれから会いに行くのが、少し楽しみでもあります。最後に彼女達に会ったのも、もう何年も前のことですので」

 

「青様は、本当に紫様から外出を禁じられていたのですか…?前から思っていたのですが、それにしてはご友人が多い様子…」

 

「殆どの人が私の能力に惹きつけられてやって来るのですよ。それを考えると私自ら訪問をした彼女達は、貴重な部類ですね」

 

 自分が命蓮寺へと訪れた時は、まだ皆妖怪としての格は低く、低級とは言わないが大して強くない妖怪であった。聖を封印させてしまったのも彼女達の弱さが原因の一つにあるのだろう。

 恩人を自分達のせいで失ってしまったと考えれば、彼女達もあれから相当研鑽を積んでいる筈だ。子の成長を見守る親の様な気持ちになりつつも、青は速度を落とさず歩き続ける。

 十数秒歩いたのち、再び藍の足が止まる。

 

「青様、ここで少々お待ちください。私はこの寺の者を探してきます」

 

「えぇ、わかりました」

 

 そう言うと藍は繋いでいた手を離し、更に先へと進んでいく。随分と律儀なものだ。妖怪が勝手に寺に入った程度では、聖が怒る事は無いというのに。

 少し退屈に感じながらも藍の帰りを待つこと十数秒。ゆっくりとした足音が段々と近づいて来るのがわかる。

 

「随分と久しぶりじゃのう。こんな所で会う…とは思うておったが、まさかそれが今日になるとは」

 

 しかしその足音の主は藍では無かったらしい。随分と昔に聞いた声に驚きと懐かしさ、そして蘇る苦い記憶を頭に携えながら、青は声のした方に振り向く。

 

「えぇ、お久しぶりです。マミゾウ」

 

 それは実に数千年ぶりとなる、化け狸との再会であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十話

「まさか儂が会いたいと思っていた時にお主の方から来るとは思わなんだ。よくもまぁぬけぬけと、ここにやって来られたものじゃ」

 

 青の目の前には大きな尻尾を携えた化け狸、二ツ岩マミゾウが立っていた。

 随分と久しぶりの再会になるが、どうやら彼女にとってはあまり嬉しいことでは無いらしい。僅かだがその声に棘がある事を、青は感じていた。

 

「不機嫌そうですが、私貴女に何かしましたっけ?」

 

 本当に自覚のない青に呆れたのか、マミゾウは大きな溜め息を吐いた後に再び口を開く。

 

「お主が先の同窓会で白蓮に爆弾発言を投下したお陰で、儂は偉い目にあったんじゃよ」

 

「あぁ、そういえばありましたね。そんなこと」

 

 自分が多大なる被害を被った大事件をそんなことで片付ける青に、マミゾウは目を細める。

 

「そういえば…?お主のせいで儂は聖に長いこと問い詰められたんじゃぞ?」

 

「先に手を出したのは貴女でしょうに…自業自得ですよ」

 

 当然と言わんばかりに眉間に少しばかり皺を寄せながら、マミゾウに言葉を投げ続ける。

 

「あの時の貴女は酷かったですよねぇ。まだ穢れも、力の使い方も知らなかった私を押し倒し、三晩…いえ、十晩も泣き続ける私を犯し続けたのですから。居間で、厠で、寝ている姉様の隣で。貴女の無茶振りに私は何度、涙を流したことか」

 

「そんなこともあったのう…しかしそれに耐え、墜ちることのなかったお主の精神力は実に見事じゃった。それに、どちらかと言えば被害を被ったのは儂じゃ。お主を抱いてから、儂は一切他の男に興味が無くなってしまった。お陰でここ数千年ご無沙汰じゃ。どうしてくれる?」

 

「当然です。私の力は蜘蛛の巣であり麻薬。貴女は所詮、私の力に踊らされている憐れな妖怪に過ぎなかったのですよ。私に溺れてしまったのがその何よりの証拠」

 

「ほう…あの時ただ鳴き続けることしか出来なかった童が言うではないか。何なら今ここで、あのときの続きをしても良いんじゃぞ?」

 

「望むところですよ…!」

 

 マミゾウの挑発を、青は真正面から受け止める。

 彼女はその返事に口元を歪め、ゆっくりと彼の上半身を覆っている唯一の布に手をかけた…その刹那。

 

「貴様…青様に何をしようとしている?」

 

 ミシリ…という何かにヒビが入った様な音が、青の耳に届く。戻って来たのだろう。近くに感じる藍の気配と彼女の怒りを含んだ声。先程の音は、藍が力任せに掴んだマミゾウの腕から鳴った音だろうと推測する。

 

「あぁ、藍。おかえりなさい。無事に許可を得る事は出来ましたか?」

 

「はい、青様。先程聖白蓮殿に話を通して参りました。それで、二ツ岩マミゾウ。貴様は今、何をしようとしていた?」

 

「ふん、お主に話す必要は無い。折角の時間を邪魔しおって…これだから化け狐は困る」

 

「あ?腕を折られたいのか?子狸風情が」

 

 目の前で今にも喧嘩を始めそうな二人に、青は小さく溜め息を吐く。藍は姉の都合で命蓮寺へと訪れた際に何度かマミゾウと会った事があるのだが、何かある度に言い争いを始めてしまう程仲が悪いらしい。お互いが昔から対立している狐と狸の頂点に存在するからだろうか。犬猿の仲ならぬ狐狸の仲だ。

 

(私もあの程度の挑発に乗ってしまうとは…ある意味、マミゾウと再び出会うことが出来て嬉しかったのでしょうね)

 

「藍、狸相手にむきになる必要はありません。白蓮を待たせる訳にも行きませんし、中に入るとしましょう」

 

「・・・承知しました」

 

「酷い言い草じゃのう。主従共々臆して逃げるか」

 

「貴様…!「マミゾウ」」

 

 マミゾウの言葉に耐えられず藍が激昂する寸前、青が藍に言葉を被せ、指をパチンッと鳴らす。

 

「貴女は今、誰と喋っているおつもりですか?」

 

 その言葉の直後、まるで陽炎の様にマミゾウの視界が歪む。急な視界の変化に彼女は思わず顔を顰め、一度瞬きをする。そして再び目を開けると、その場には誰もいなかった。

 

「幻…一体いつから…」

 

 青が先程までいた場所に手を伸ばしたが、ただ空を切るだけだった。

 

「流石九尾の飼い主、といった所かのう。狸を化かすとは…」

 

 伸ばした手を降ろし、マミゾウは小さく言葉を零す。

 彼との勝負はまた後日としよう。楽しみが増えたことに無邪気とはかけ離れた笑みを浮かべながら、彼女は本堂とは反対へと足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ざまぁみろですね。あのクソ狸」

 

 命蓮寺の廊下を歩いている最中、藍が唐突にそう吐き捨てる。

 

「藍、口が悪いですよ。まぁ、気持ちはわからなくも無いですが」

 

 確かに先程のマミゾウの言動は、少々煽り文句が多かった。もしや藍と会って喧嘩している時はいつもあんな感じなのだろうか。

 

「それにしても、青様のお力は凄いですね。私にもいつ幻と入れ替わったのか判断が出来ませんでした」

 

「なに、能力を応用しただけですよ。私はその気になれば、いつでも幻と現実を入れ替えることが出来る。便利な力です。その分、面倒な側面もありますがね」

 

(本当に…恐ろしいお方だ)

 

 能力だけで考えた場合、彼の能力は己の主とも同等以上に張り合う事が出来るだろう。彼の目さえ見えていれば、数百年前の月との戦争に勝利することが出来たかもしれないのに。

 

「藍、貴女が何を考えているのかはわかりかねますが、私は貴女の先導無しに進むことは出来ません。道案内、お願いしますよ。私は今日こそ、今日こそ雲山と話して見せます」

 

 青の言葉で藍は我に返る。今更昔の敗北が何だと言うのだ。過ぎたことを気にしても仕方がない。

 

「は、はい…!それと青様、白蓮殿によると、どうやら雲山は一輪と共に出払っているそうですよ」

 

「えぇ…」

 

 藍は少し落ち込んた彼の手を少し強く握り、止まりかけていた歩みを再開しようとする――が、

 

「待ちなさい…藍、どうやら向こうから迎えが来た様ですよ」

 

 彼の言葉を受け目線を前に向けると、廊下の奥からこちらへ歩いて来る、犬の様な耳を携えた少女の姿があった。

 彼女は少し早足で此方に向かってきて、丁度青達の目の前で足を止める。

 

「お久しぶりです、青さん!」

 

「この声…響子ですか。随分と久しぶりですね。今日、白蓮はこの寺にいらっしゃいますか?」

 

 出会った際のお決まりなのか、青は手のひらを立て、響子とハイタッチを交わす。彼女も久しぶりに昔の知り合いに出会えたのが嬉しいのか、尻尾が左右に揺れていた。

 

「はい、おりますよ。早速案内しますね!」

 

 そう言うと響子は視線を青から藍へと移し、先程響子が向かってきた方向、藍達の進行方向を指さす。ついて来いということだろう。

 彼女に頷き、藍は青の手を引きながら前を歩く響子を追いかける。

 彼女達の歩みが再び止まったのは、それから数十秒後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昨日ぶりですね、青。まさか再会した次の日に寺を訪れるとは思ってもみませんでした。大した歓迎も出来ず、すみません」

 

「気にしていませんよ。貴女が昔から贅沢を嫌うことは知っています。それに、急に押し掛けたのは私達の方ですから」

 

 昔から、ここは賑やかでいい所だ。自分の手に伝わる温もりを感じながら、青は聖に返答する。

 手を軽く左右に動かしてやれば、ゴロゴロという心地よさそうな鳴き声が聞こえてくる。それは化け猫の橙を彷彿とさせるが、今彼の手の上に顎を乗せているのは猫では無く山彦だ。

 青の意志としては久しぶりの再会となる命蓮寺の妖怪達に挨拶をしたかったのだが、どうやら今日は白蓮と響子以外の者は出払っているらしい。事前に何も言っていなかったので、仕方の無いことではあるのだが。

 それにしても、何故ここまでなつかれているのだろう。隣にいる藍からの視線が痛い。

 彼女には天子とは違い、能力を使用して精神にゆさぶりをかけたことなどなかったはずだが。

 

「響子、あまりお客様に迷惑をかけないように。それと、マミゾウが何処へ行ったか知りませんか?」

 

「あぁ、マミゾウなら先程会いましたよ。しかし私達とは反対側へ歩いて行った様ですから、もうこの寺から出ているのでは?」

 

「逃がしましたか…折角青がいらしたのですから、謝罪をさせようと思いましたのに…」

 

「彼女は何があろうと頭を下げる事は無いと思いますよ。特に私達に対しては」

 

「本当にすみません。家の者が…」

 

「貴女が謝る必要は無いですよ。彼女が私の下を訪れたのは、貴女が生まれるよりも前の事ですし。それに、私は彼女にリベンジしたいという思いはあれど恨んでなどいませんから」

 

「そう言ってくれると助かります。しかしリベンジは絶対にしないでください。そうやって軽率に自分の体を預けるものではありません」

 

 青の発言に、白蓮は至極真っ当な意見を返す。二人のやり取りに事情を知らない藍と響子は訳が分からず首を傾げる。

 

「リベンジ…体を預ける…?青様、あの狸と何があったのですか?」

 

 藍の質問に、一瞬どう返答するべきかを考える。しかしもう姉にばらしてしまった以上、彼女の耳に入るのも時間の問題だろう。別にこのことを打ち明けたってマミゾウにしか被害は行かない。

 

「響子、台所から茶葉を持ってきてくれますか?」

 

「え…?はい、わかりました」

 

 どうやら白蓮は自分が何をしようとしているのかを察したらしい。すぐに響子をこの場から離脱させる。実に判断が早いことだ。

 響子の気配が遠ざかっていくのを確認した青は、藍にマミゾウとの出会い、そして成り行きを話し始める。尤も、先日の同窓会の時とは違い、自分が彼女に何をされたのかを出来るだけ簡潔に話しただけだが。

 

「あのクソ狸…次に会った時がお前の最後だ…!」

 

 凡そ五分の時間をかけて説明を終えた後の藍の反応はこの通りだ。青は今ここにマミゾウを連れてきたら面白いだろうなぁとか、別にそこまで気にすることでも無いのにと思いながらも彼女を宥める。

 

「まぁまぁ、藍、そこまでむきになる必要はありませんよ。もう過去のことですし」

 

「普通はこんな反応をするんですよ。全く貴方は…体を重ねるのに抵抗が無さ過ぎる。そんなことでは、いつか閻魔からお説教が飛んできますよ」

 

「安心してください。もう飛んで来ました」

 

 先程までと変わらない様子で笑みを浮かべながら言葉を返す青に、白蓮は思わずため息を吐く。幾ら聖人でも、開き直った彼を説得するのは難しいらしい。

 

「聖、持ってきましたよ~…何があったんです?」

 

 台所から戻って来た響子は、頭を抑える白蓮と固く拳を握りしめて毛を逆立てる藍に困惑しながら言葉を漏らす。

 

「何でもありませんよ。それよりもこうして久しぶりに会う事が出来ましたし、また昔の様に一緒に遊びましょう?」

 

「え、いいんですか?」

 

「構いませんよ。といっても以前から全く変わらないこの目ですから、外で遊ぶことは難しいかもしれませんが」

 

 藍を落ち着かせるのは白蓮に任せよう。嬉しそうな声を上げる響子に手を引かれながら、青はこの部屋を後にした。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十一話

「むぅ…また負けましたぁ」

 

 白蓮に藍を任せ、響子と遊び始めてから半刻程が経っただろうか。難しい顔をして唸っていた響子は、悔し気な声と共に持っていた札を上へと投げ捨てる。

 

「青さんはどうしてそんなにトランプが強いんですか?表情が読み取れない筈なのにおかしいですよ」

 

「ふふ、表情を見ずとも、息遣いや札越しに伝わる手の振動、場の空気からある程度の予測は出来ます。私に心理戦で勝とうなんて、一万年は早い話ですよ」

 

「それじゃあ面白く無いです。何か別の遊びはありませんか?」

 

「別の遊び…そうですねぇ、なら、オセロでもしますか?」

 

 青はトランプを片付け懐にしまい、またそこから今度は少し小さいオセロ盤を取り出す。

 

「・・・青さんの懐、どうなっているんですか?」

 

「色々な物が入っていますよ。構造に関しては不問でお願いします」

 

 というか、自分自身でもよくわかっていない。姉が百歳の誕生日の際にくれた服なのだが、その構造は姉以外誰も知らないのだろう。

 

「青さん、オセロ出来るんですか?」

 

「えぇ、このオセロは黒い面と白い面でひっくり返した際に鳴る音が微妙に違いましてね。後は位置を同じように音で把握すればいい話です」

 

「・・・もう訳が分からないです」

 

 何がわからないのだろうか。オセロは白か黒か。そして盤の正確な大きささえわかっていれば目を瞑っても出来る事だろうに。響子の言葉に首を傾げつつも、青は盤面の中心に黒と白の駒を二つずつ置く。

 

「そういえば響子、ずっと気になっていたんですが…」

 

「何ですか?」

 

 パチパチとオセロの駒の音を鳴らしながら、二人は会話を続ける。

 

「貴女はどうして、そんなにも私を慕ってくれているのですか?貴女達と共に過ごしたのは、私がこの寺を訪れてから去るまでのほんの数週間程度。その様子では貴女は私の力に魅せられた訳でも無いようですし…」

 

「そうですね…青さんの力というものが何かはわかりませんが、長い年月を生きて来た貴方にとってはたった数週間でも、まだ生まれたばかりだった私達にとって、その数週間はとても濃密な時間でした」

 

「・・・そういうものなのでしょうか」

 

「そういうものなんです。青さんは私達を疎外せず、まるで家族の様な距離感で接してくれました。それが弱小妖怪だった私達にとってどれ程嬉しかったか。今ここにいない船長も一輪も、きっとそう思っています。私は青さんのこと、お父さんの様に思っていましたし」

 

「響子…お父さんでは無くせめてお兄さんと呼んでくれないでしょうか」

 

 早苗の一件もあるので、父親と呼ばれることにあまりいい印象を持つことが出来ない。それになにより、彼女に呼ばれる度たびに自分がそんなに歳を取っていることを実感したくはないという思いもある。

 

「・・・っと。はい、これでおしまいです」

 

「はい――えぇ!?まっくろぉ!?」

 

 丁度オセロが終わった。響子が話に夢中なせいでトントン拍子にゲームが進み、挙句張り合いが無かったので少し物足りないが、まぁ勝負は勝負だろう。

 

「やはり二人だけでは遊ぶことのできる娯楽に限りが生まれてしまいますね。藍達をこっちに呼んでみるのも「あれ、随分と珍しい人がいるじゃない」」

 

 一体何の因果だろうか。自分の背後から聞こえて来た声に、青はそう思わずにはいられなかった。

 まさか今日一日だけで、千年以上も会っていなかった友人とこれ程多く再開する事になるとは。

 

「・・・ぬえ、何故貴女がここにいるのですか。貴女は寺という場所の意味を理解していますか?」

 

 封獣ぬえ。かつて都を騒がせた妖の一人であり、姉の八雲紫からも一目置かれている程の大妖怪だ。

 そんな彼女、今青の真後ろにいる彼女はニヤリと口元を歪めながら言葉を返す。

 

「貴方がそれを言う?己の内に潜む(能力)すら制御出来ない貴方が」

 

「・・・余計なお世話ですよ」

 

「ぬえさん、来ていたんですか?」

 

「えぇ、ついさっきね。たまには顔を出そうかと思って」

 

「それでしたら、一緒に遊びましょう!二人よりも三人の方が楽しいですし」

 

「別にいいけど…オセロは二人でやるものでしょ?」

 

「なら、娯楽を変えることにしましょう。三人で遊ぶとしたら…これが適切でしょうか」

 

 テキパキとオセロを片付けた青は先程と同じ様にそれを懐にしまい、またゴソゴソと懐を弄る。数秒程経った後、彼の懐から一つの大きな台紙と三つの駒、そして一つのサイコロが出て来た。

 

「・・・双六?」

 

「はい。これなら三人でも出来るでしょう?」

 

「あいつの懐…どうなってるの?」

 

「青さん曰く、不問だそうです」

 

 ぬえの質問に答えつつ、響子は青と共に準備を進めていく。

 

「これに関しては賽の目や止まったマスの指示は見なければわかりませんので、教えてください」

 

「りょーかいです!」

 

 順番は響子、青、ぬえとなり、早速響子がサイコロを振りゲームが始まる。

 

「ところでぬえ、貴女に少し聞きたい事があるのですが」

 

「ん、なに?あ、その目は四だよ」

 

「どうも、それより、私の存在を最初に知った時、誰から聞きましたか?」

 

「んー…マミゾウ」

 

「やはりそうでしたか」

 

 ぬえの返答に青は納得しつつも、溜め息を吐かずにはいられなかった。

 

「どうしてわかったの?あ、二マス進んで一回休みね」

 

「貴女がどうやって私を知ったのか前々から気になっていましてね。貴女と初めて会ったのは八雲の屋敷だった。今も昔も、私の家の在処を知っている者は殆どいません。しかし貴女は偶然見つけた訳でも、私の力に魅せられた様子も無かった。ならば誰か、過去にこの家を訪れた者から聞いたと考えるのが自然でしょう?そして当時姉様を除いて私の家を訪れたことがあったのはマミゾウだけだった。それだけの話です」

 

「ご明察。私は確かにマミゾウから貴方のことを聞いた。手懐ければ色々と便利な奴がいるぞってね。まぁ結果的にそれは叶わなかったんだけど。はい、六マス進んで一回休み」

 

「マミゾウ…なんて教え方しているんですか。今度会ったら少しお灸を据えることにしましょう」

 

 確かぬえが屋敷を訪れたのはマミゾウが最後に来た日から三日程経った頃だ。十日もの間毎晩犯され続け姉にも話すことが出来ず、メンタルが大分やられていた当時の自分によくもまぁそんなことが出来たなと、ここにはいない彼女に文句を言わずにはいられない。

 

「でもあの時の私は貴方が大分弱っていたのに気づいて優しくしてあげたし、沢山甘やかしてあげたでしょう?能力の使い方も教えてあげたじゃない。あ、五マス進んで一回休みね」

 

「そういえば、貴女は当時の私以上にこの能力の使い方というものを知っていましたね」

 

「騙し、欺くという貴方の力。それが私の能力に似ていたからね。教えることもそう難しくは無かったわ」

 

「まぁ、それには感謝していますよ。またマミゾウと同じようにされたら女性不信になるところでした。襲われておいて感謝をするのも少し変な気もしますが…というかさっきから一回休み多いですね」

 

「二人共、さっきから何の話をしているんですか?」

 

「何でもありませんよ。響子にはまだ早い話です」

 

「そうですか…さっきから会話に入れなくて少し寂しいです」

 

「ご、ごめんね?そんなつもりは無かったんだけど…」

 

「いえ、わざとじゃないならいいんです…はい、これであがりです」

 

「「あ」」

 

 会話に夢中で全く双六の方を気にしていなかった。いつの間にか負けていたという事実に、二人は思わず固まってしまう。

 そして青もぬえも年下に勝ちを譲れる程、大人として成長していない。

 

「もう一度やりましょう」

 

「賛成」

 

「えぇ!?」

 

 勝利の余韻に浸っていた響子を無視し、二人は早急に駒を振り出しに戻し、第二回戦を始めようとする。

 結局双六は青とぬえ、それぞれの白星が響子を超えるまで続いた。二人の大人達によるあまりにも大人気ない泥仕合は日が暮れて大分経った頃に漸く終わり、青は家に帰ると心配していた紫にこっ酷く叱られる羽目になったとか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十二話

「藍、今日はどちらへ?」

 

 朝食を食べ終え、青はまたいつもの様に藍に今日の行き先を確認する。

 先日姉から聞いたのだが、どうやら今日は博麗神社で宴会が開かれるらしい。どうやら青の歓迎というのが建て前らしく、是非とも参加してほしい。というか参加しろというのが霊夢からの伝言の様だ。

 五大老への訪問が終わった以上、何処に向かうのかは完全に藍に委ねている。その為行く場所によっては今日は向かう事が出来ないかもしれない。そう思っての問いかけだったのだが、彼女から帰って来た言葉は青の予想に反していた。

 

「青様、申し訳ございません。本日は外出をすることが出来ません」

 

「む、外出が出来ない…?何故ですか?」

 

「今日が何の日かはご存じですか?」

 

「今日…宴会以外になにかありましたっけ」

 

「私もつい先日紫様にお聞きしたばかりなのですが、本日は賢者会合があるとのことです」

 

 賢者会合。それは五年か十年か百年か、つまり不定期に開かれる幻想郷の賢者が一堂に会する集会である。

 何をしているのか、どの様な会話をしているのかは青すら知らない。何故なら彼は賢者では無いから。賢者会合に参加できるのは幻想郷の賢者と認められた者だけなのだ。たった一人の例外である彼女を除いて。

 

「成程。だから藍は外出が出来ないということですか」

 

「はい。私は賢者会合の際の書類の取りまとめや会話の記録、紫様を含む賢者のお三方へのもてなしを任されています故、どうしても抜ける訳には…」

 

「姉様も事前に仰っていただければいいのに…まぁ、事情はわかりました。しかしそれだけなら、また前回の様に案内を橙に任せればいいのでは?」

 

「それに関しては私が説明するわ」

 

 すると突然、青の耳元から声が聞こえる。何時の間にか姉の紫が隣におり、耳に吐息がかかる程の距離まで顔を寄せていた。

 

「率直に言うとね、青にはお守りをして欲しいのよ」

 

「お守り…?」

 

「えぇ、今日の会合はこの屋敷で開くのだけれど、隠岐奈の従者である二童子が一緒に来るそうなの。流石に彼女達を藍と同じように会合に参加させる訳にも行かないから、橙と二童子、三人の面倒を見てくれないかと思ってね」

 

「成程。そういうことでしたらお安い御用です。して、四人はいつここにいらっしゃるので?」

 

「一応予定の時刻は十時だから、もうそろそろ来ると思うけど…気長に待ちましょ」

 

 そう言うと紫は青の脇の下に腕を通し抱きかかえ、そのまま椅子に座り彼を膝の上に乗せる。

 

「姉様、会合はいつもどのくらいで終わりましたっけ」

 

「そうねぇ…もう大分前だからあまり憶えていないのだけれど、前回は少し長引いて半日程かかったから…大体夜の八時くらいには終わるんじゃ無いかしら?」

 

「およそ十時間…長いですね。さて、どう暇を潰したものか」

 

 橙に何をしたいか聞いてみよう。藍に橙を呼んでもらおうと口を開こうとしたその時、屋敷からそう遠くない場所、玄関付近から鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 

「この鳴き声…鷹?」

 

「姉様、どうやら一人、いらっしゃったようですよ」

 

 青の言葉に紫はわかっていると言う様に青の頭を一度撫で、藍に客人を連れて来る様に促す。

 数分が経って藍が青達の下に戻ってきた時、その隣には一人の女性の姿があった。

 

「随分と久しぶりね。青」

 

「えぇ、お久しぶりです。華扇」

 

 彼女の名は茨木華扇。普段は山奥に住んでいる仙人であり、同時に紫と同じ幻想郷を創設した存在、賢者の一人でもある。

 

「私にはその挨拶はしてくれないの?」

 

「貴女はしょっちゅう会っているから久しぶりでは無いでしょう。言うのならこんにちはかしら?」

 

「先程の鷹の声はやはり竿打でしたか。主の存在を私達に知らせてくれるなんて、随分と躾がなされていますね」

 

「・・・竿打と久米の鳴き声を聞き分けるの、私にも難しいのだけど」

 

「まぁ、私は耳が良いですから。鷹の鳴き声くらい簡単に聞き分けられます」

 

「便利ねぇ。私も鍛錬を積めばそれくらい出来るようになるのかしら」

 

 青の感覚の良さは鍛錬では無く日頃から視力に頼らない生活をしている故なのだ。なので鍛錬して出来るかと聞かれても何とも言えない。

 

「華扇様もいらっしゃいましたし、後は隠岐奈様がいらっしゃるのを待つだけですね」

 

「あのストーカーの神もそろそろ来る筈よ。彼女はなんだかんだ規律を重要視する性格だもの」

 

「ストーカーの神だと?お前はどうやら、人に喧嘩を売って返り討ちに会うのが好きらしい」

 

 紫の嘲笑う様な言葉に苛立ちを含ませながら反論する声が、青の後ろから聞こえてくる。どうやらもう一人の賢者、魔多羅隠岐奈は自分の後ろに扉を開いたらしい。勝手に人の背後を交通手段にしないでもらいたい。

 

「間違っていないでしょう?貴女の能力は人を監視するのにうってつけだもの」

 

「その言葉、そのままお前に返すぞ」

 

 何やら言い争っている賢者二人を華扇は完全にスルーし、藍に案内され会合の間へと向かって行く。

 昔から紫と隠岐奈は何かと理由をつけては言い争いを始めるので、もう皆慣れてしまっているのだ。青もその例に漏れず、姉達の言い争いに特に介入することはせずに隠岐奈の隣にいるであろう二人に手招きしながら話しかける。

 

「舞、里乃、貴女達はこちらへ」

 

「「はい!」」

 

 青の予想通り、元気な返事が自分の背後から聞こえてくる。というか姉も隠岐奈も自分を挟んで言い争いをするのは止めて欲しい。そう思わずにはいられなかった。

 

「お久しぶりです二人共。既に隠岐奈から聞いているとは思いますが、今日は賢者会合の日。会合が終わるまでは、貴女達は私や橙と共に過ごしていただきますよ?」

 

「はい、今日一日宜しくお願いします」

 

「えぇ、退屈はさせないように努力しますよ」

 

「青、私の可愛い二童子を宜しく頼むぞ」

 

 ガッチリ肩を掴まれた状態で、隣から隠岐奈の声が聞こえてくる。どうやら姉との言い争いは一旦幕を閉じた様だ。

 

「任せてください。これでも藍と橙の二人を育てた身。子守りは苦手では無いですよ」

 

「青様!お言葉ですが、もう僕たちは子供ではありません」

 

「舞、子供は皆そう言うのですよ。どちらにせよ、私から見ればまだまだ子供であるという事実に変わりは無いのですから。姉様、私の部屋までの案内、頼めますか?」

 

 若干不服そうな声音で訴えかけてくる舞を受け流し、青は紫に部屋までの介護を頼む。屋敷内なら一人でも歩くことも可能なのだが、それをしては藍に何と言われるかわからない。

 

「えぇ、わかったわ。里乃達も私について来なさい。隠岐奈は先に会議室に向かって頂戴。そこに藍と華扇がいるだろうから」

 

「あいわかった」

 

 紫の言葉に隠岐奈が返事をした直後、青の後ろから扉が閉まる様な音が聞こえて来た。恐らく自分の後ろにある扉を経由して会議室へと向かったのだろう。使い勝手のいい能力で羨ましい限りだ。

 隠岐奈の能力を羨ましく思いつつも、青は姉に手を引かれて自室へと向かう。会議が終わるまでの凡そ五時間を、三人と共にどうやって過ごそうか考えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「青さまぁ、何処か行きませんかぁ?」

 

 自分の腕を掴みぐらぐらと揺らしながら訴えかける里乃に、青はどうしたものかと頭を悩ませる。

 賢者会合が始まってから既に三時間が経過した。しかしこの屋敷に存在する、青の懐に存在する娯楽の数は、たった数時間で遊びつくせる程少なくはない。

 将棋、チェス、人生ゲーム、UNO、トランプ。青が屋敷に引きこもっていた間、退屈をしない様に姉が定期的に外の世界に存在する娯楽を家に仕入れていた為に、三時間経った今も娯楽が尽きることも尽きそうな様子も無い。

 しかし娯楽が尽きないのと飽きないことは違う。流石に三時間も畳に座って遊び続けていたら、外に出たいと思うことも仕方ないだろう。青とてそれは承知している。だからこそ断るに断り切れないのだ。

 

「里乃、気持ちはわかりますが貴女の主も待っている様にと言っていたでしょう?ならば主の命に忠実に、待っているべきでは無いですか?」

 

「そ、それはわかってますけど…でも、青様が一言お許しをくだされば、遊びに行けるんですよ!」

 

「青様、その…橙も遊びに行きたいなぁ…なんて」

 

「橙もですか?うーん…」

 

「ねぇ、舞も外に行きたいでしょ?」

 

「ボクはいいよ。お師匠様からの言いつけだもの。破るなんてことはしない」

 

「なら、舞だけお留守番になっちゃうね。一人ここで過ごすことになるけど」

 

「え…いや、それはちょっと…」

 

 口では真面目な事を言っているが、舞も外に行きたいらしい。しかし今は賢者会合の最中、流石に姉に何処に行くのかを伝えていないのに外に出てしまえば、相当な心配をさせてしまうだろう。

 それは逆に考えれば、行き先さえ伝えておけば外に出てもいいという事になるのだろうか。というかそもそも、姉からは三人の子守りをして欲しいとは言われたが、部屋で待っていて欲しいとは言われていない気がする。

 

「・・・仕方ありませんね、外出を許可しましょう。ただし、行き先は私が指定させてもらいますよ」

 

「し、指定?何処に行くんですか?」

 

「橙は知っていると思いますが、今日は博麗神社で宴会があるんです。そこなら退屈しないでしょうし、姉様も会合が終わったらいらっしゃると思うのでそちらに行こうかと。隠岐奈は多分行かないと思いますが。彼女は影から見守るのを好む性格ですしね」

 

「宴会が開かれてるんですか!?行きましょう、行きたいです!」

 

「はいはいわかってますよ。そう言うと思って提案したのですから。橙、勝手に出て言っては姉様達も心配するでしょうし、置手紙を残しておきましょう。『博麗神社の宴会に参加して来る』と」

 

「わかりました」

 

 青の言葉に従い、橙は簡単な置手紙を書き始める。彼女も宴会に行く事が出来るのが嬉しいからなのか、いつもよりも文字を書く速度が速い様な気がした。

 

「はい、書き終わりました!」

 

「では行きましょうか。橙、またこの前の様にエスコートをお願いします。今度は急にいなくなったりしないでくださいね?」

 

「わ、わかりました!」

 

 永遠亭に行った際の過ちを掘り返され、橙は若干罰が悪そうに返答する。

 四人は紫達の邪魔をしないようにゆっくりと玄関まで向かい、靴を履いて扉を開ける。そして青と手を繋いだ橙を先頭に、博麗神社を目指し空へと飛び立つのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十三話

「あら、遅かったじゃない。もう始まっているわよ」

 

 現在の時刻は十八時過ぎ。まだ太陽が僅かに見えているが既に周囲は赤よりも藍色が強くなっている時間帯。青達一行は暫くの間空を飛び続け、漸く博麗神社の境内へと足を踏み入れた。

 先日訪れた時とは比べ物にならない程の喧騒と、仄かに香る料理の匂い。そして自分達の少し前から聞き覚えのある、博麗霊夢の声が聞こえてくる。

 

「主賓抜きに始められる宴もおかしなものだと思いますが…こちらにも事情があったんですよ」

 

 青の言葉に霊夢はそう、と端的に言葉を返し、彼らの前から去っていく。先程の問いかけも形だけの物だった様だ。どうやら初めて会った時に感じた、周りに興味がないという推測は間違ってはいないらしい。

 そんなことを考えていると、両隣にいる橙や舞、里乃では無く、後ろから服を引っ張られる感触がする。

 

「おに~さん、一緒に遊んで欲しいのだ~」

 

 聞き覚えのある声、しかし青の頭の中では、今その声を出しているであろう人物と自分の知っている相手が一致しなかった。

 

「ちょっとちょっと。貴女が誰かは知らないけどさ、青様は貴女みたいな妖怪に構っている暇は無いの」

 

「いえいえ、舞。折角ですし、彼女の提案に乗る事にしましょう。里乃も橙も、ここからは自由時間です。好きな所に行ってもらって構いませんよ。私はこの妖怪さんに、案内を頼みますから」

 

「え…でも…」

 

「それに、この子とは少し話したい事がありますし」

 

「・・・わかりました」

 

 青の言葉に少しの間思考した橙だが、主からの命故に断る訳にも行かず、少々心配だが里乃と舞と一緒に、神社の本堂へと歩いて行く。

 三人の気配が去っていくのを確認した後、青は人の少ない森の近くへと移動し、彼女に向き直る。

 

「それで、一つ確認させて欲しいのですが、貴女はルーミアで間違いないですよね?」

 

「そうよ。貴方なら声でわかるでしょう」

 

 先程とは全く違う、しかし聞き覚えのある口調に、青は奇妙な感覚に陥る。友人の意外な一面を見てしまった時の様な、つまり何が言いたいのかと言うと、弄りたくなる。

 

「何故、子供の様な口調にしていたのですか?まぁ、子供といっても大分特徴的な喋り方の様ですが」

 

「一応私は封印されている身だからね。下手に警戒されない様に低級妖怪になりすましているのよ」

 

「成程…それにしても…ぷぷっ」

 

「失礼ね。蹴るわよ」

 

 もう既に蹴っているでは無いか。目の見えない可哀想な少年に何たる仕打ち。きっと彼女には人の心が無いのだろう。

 

「まぁそれはともかく、何故私に接触を?何か目的があるのでしょう?」

 

「目的なんて無いわよ。ただ、久しぶりに貴方と話したくなったというか…」

 

「ルーミア」

 

「な、なによ」

 

 突然呼び捨てで名前を呼ばれ、思わず体を強張らせてしまう。

 

「貴女って…意外と乙女な所ありますよね」

 

「うっさいわね。余計なお世話よ」

 

「いえいえ、私としてはその方が可愛らしくていいと思いますよ。それに多少は抜けている部分があった方が、慕われやすいとも聞きますし」

 

 口元にニマニマと笑みを浮かべながらそんなことを言う青に、ルーミアは思わず頬を引き攣らせる。

 

「随分と人の事を煽るじゃない。今ここで貴方のことを食い散らかしても、私としては構わないのよ?」

 

「ふふっ、それがどちらの意味なのかはわかりかねますが、貴女にそれをすることは不可能です。私という存在は麻薬と同然。一度手を出してしまったら最後、抜け出す事は出来ない。私が許しませんもの。貴女も、これから私と会えなくなるのは嫌でしょう?」

 

「貴方って、本当良い性格してるわよね」

 

「よく言われます」

 

 これ以上何を言っても無駄だと判断したのか、ルーミアは一度大きく溜め息を吐いてから、再度口を開く。

 

「まぁいいわ。貴方の過保護な姉がいつ来るかもわからないし、私は別の場所に行く事にするわ」

 

「それが妥当でしょう。貴女と二人だけで過ごすというのは難しいですからねぇ。私を攫ってくれれば、何でもして差し上げますよ」

 

「・・・そういうのって、普通攫われる人が言う台詞では無いと思うのだけれど。まぁ、気が向いたらね」

 

 その言葉が青の耳に入る頃には、既にルーミアはこの場にはいなかった。

 せめて神社の本堂までは案内して欲しかったと思う青であったが、もういない相手には何も伝わらない。仕方なく人の気配を探りながら、一歩一歩慎重に歩を進めていく。

 

「おや、こんな所で何してるんだお前は。何時も隣にいる式神は何処に行ったんだい?」

 

 漸く喧騒が聞こえる様になってきた時、聞き覚えのある声と共に突然腕を掴まれる。

 

「藍は今、姉様に付き添っています。流石に賢者の会合に補佐である彼女が席を外す訳には行きませんので」

 

 会議が全く進まなくなりますから。自分の目の前にいるであろう人物、八坂神奈子に青は端的に理由を説明する。

 

「納得だ。だが、それにしたって式の式がいただろう。あいつは向こうで飯食ってるみたいだが…」

 

「私が一人にさせてくれと言ったんですよ。尤も、一人になった後どうやって橙の下に行くのかは考えてませんでしたが」

 

「馬鹿だねぇ」

 

 神奈子は呆れたような声を出し、青の体を軽々持ち上げ、背中に乗せる。

 

「折角だ。私がおぶってやるよ」

 

「何故そうなったのかはわかりかねますが…助かります。所で、貴女がいるということは、諏訪子の方もこの宴に?」

 

「あぁ、と言っても、まだ来てはいないけどな。私は宴会の準備を手伝っていたんだ。流石にただ飲みは気が引けたからな」

 

「ほう、傲岸不遜の神にしては珍しい。貴女も少しは礼儀を知ったのですね」

 

「嘘だろ?私ってそんなに威張り散らしてたか?」

 

「少なくとも初めて会った時はそうでしたね」

 

 青は少しだけ懐かしそうに彼女が八雲の屋敷の障子を突き破って現れた時のことを思い出す。あの日は洩矢の国からの帰りだったらしいが、障子は破けるわ急に人の家で酒を飲み始めるわで本当に迷惑だった。暫くして家に帰ってきた姉に追い出されていたが。

 

「うぐっ…まぁ、過ぎた事は忘れるにかぎる。・・・ほら、こっからは一人で歩けるだろう?」

 

 そう言って神奈子は青を背中から神社の縁側に降ろす。確かにここから橙がいる場所まではそう遠くは無いので、一人でも向かうことが出来るだろう。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「いいよ別に。私達の仲じゃ無いか」

 

 青の感謝をに手をプラプラと降って答え、神奈子はその場を後にする。取り残された青は一人でいる時に酔っぱらいに絡まれるのも面倒なので、早いところ橙の下に向かおうと歩き出すのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十四話

「やっていることが先日の同窓会と変わらないと思うのですが」

 

 日もすっかり山に隠れ、妖怪の活動する夜の時間が訪れた。しかし山奥に佇む神社だけは燃えているかの様に明るく、騒がしかった。

 そんな中、此度の宴会の主賓(らしい)八雲青は、自分の周りにいる存在の気配を今一度確認した後、小さく言葉を漏らす。

 

「確かに。酒を飲んで飯を食い、他愛も無い会話を交わす。以前の宴と、やっていることはそう変わらないねぇ。でも、宴は何度やってもいいものだよ?」

 

「それは否定しません。しかし、私は本来ここに交流を求めてやって来たのですが…」

 

 自分の隣に座る友人、洩矢諏訪子の声を聞き、青は再度溜め息を吐く。

 現在自分の周りには伊吹萃香、風見幽香、洩矢諏訪子の三人が座っていた。今この場には紫も藍もいない。橙達は怯えて少し離れた場所に行ってしまった為に彼女達を止める者は誰もいない。いつ襲われるか内心少しだけ不安だったのだが、どうにもそういう訳では無いらしい。

 

「皆貴女達に怯えるせいで、誰もこちらに近寄って来てくれません。先程から突き刺さる様な視線を感じますが…恐らく博麗の巫女の物でしょう。邪魔者扱いされてますよ、私達」

 

「そんなもの、勝手にさせておけばいいじゃない。今日の宴の主賓は一応貴方なのでしょう?なら貴方の周りにいれば何をしても許されるのよ」

 

「そんなことは無いと思いますよ。というかそもそもその主賓である私が迷惑だと言っているのですが…」

 

「まぁまぁ、細かい事は気にしなくてだろ。ほれほれ、酒注いでやるから」

 

 いくら青と言えども三人を同時に相手していたら、流石に相手の雰囲気に流されてしまう。最早とやかく言うことも無駄だと判断し、大人しく萃香からグラスに注がれた酒をグイッと飲み干す。

 酒が喉を通った瞬間、喉を焼き尽くすような熱と共に、言いようのない感覚が彼を襲う。

 

「ッ!」

 

「あ~あ、素直に飲んじまったよ」

 

 その今まで感じたことの無い程の体の熱さに、青は思わず手にしていた盃を落としてしまう。

 萃香の声が上手く聞き取れない。何故、これ程までに胸が熱くなる?何故彼女の声を、気配を感じるだけで、言い表せないもどかしさが襲ってくる?

 

「すいかぁ、謀りました、ね…一体何を、飲ませたのですか…」

 

「流石に気が付くか。お前に飲ませた酒にはな、普通の物とは二つだけ違う所がある。一つ目はその質。その酒は一度勇儀の持つ盃に注いだ物なんだ。あいつの盃に注がれた酒は、その品質が格段に良くなる代わりに劣化が早い。味が落ちない様に態々地底まで行って今日貰って来たんだ。有難く思いなよ」

 

「有難迷惑、という奴ですよ…」

 

 青の反論も、いつもと違い冷静さを感じない。彼の顔は、萃香好みに歪んでいた。

 

「二つ目は些細な事だ。お前が今飲んだ酒に、八意印の即効性の媚薬を仕込ませて貰った。大丈夫だよ、その酒の度数に比べればほんの少しだからさ」

 

 それだ。それが一番の問題である。珍しく何もしてこないなと思い油断していた自分が馬鹿だった。警戒していれば避けられたかと言われるとすぐに頷くことは出来ないが、それでもこの未来を回避する事が出来たかもしれないのだ。

 

「(まず…い!能力の、制御が…!)」

 

 媚薬は不味い。自分の心が、能力が、外に出ようと身体中を暴れまわっているのが良くわかる。

 心を落ち着けようと深呼吸をしようとしても、喉に残る酒がそれを妨害し、逆にむせ返ってしまう。せめて誰か助けが来ればと思ったが、周囲の二人が手を貸さない以上グルなのだろう。助けが来ないのは明らかだった。

 そしてむせ返った拍子でただでさえ不安定な青の能力、《誑かす程度の能力》が遂にその制御を失う。

 

「「「っはぁぁ…///」」」

 

 その瞬間、この場にいた殆どの者が、一斉にうっとりとした溜め息を吐いた。遠くで頰を紅潮させながら息を荒げ、着物は着崩れ肌をさらけ出し、胸を抑えている青にあの興味無さそうにしていた博麗の巫女ですら釘付けになる。

 遠くにいる者でさえ彼の虜となっているのだ。ならば、その色気を最も間近で受けた三人はどうなってしまっているのか。

 結論から言うと――どうにもならなかった。

 

「面白いな…今まで会ったどんな奴とも違う感触だ…!その場にいるだけで人を、神を、妖を誘惑し、依存させるなんて。私が持っていない強さを持っている。やっぱりお前は私の理想だよ!」

 

 近くにいる幽香と諏訪子には多少の変化は感じられど、萃香からは変化を感じない。

 彼女達大妖怪や神レベルになれば、精神に影響する能力はかかりにくい。それに加え鬼は元々妖怪の種族の中でも精神防御力が高い。それ故に青の誘惑を受けても平然としていられるのだろう。青がそのつもりで力を使用した場合は、どうなるのかわかりかねるが。

 どうせならば《誑かす程度の能力》のもう一つの力も暴走して萃香達に幻覚を見せて逃げられればよかったのだが、こちらは発動する気配が全く無い。肝心な時に役に立たない能力に、青は心の中で舌打ちをする。

 しかし今この状況において、自分の能力を嘆いても何の得にもならない。

 

「(神…そうだ、神奈子なら、神奈子ならこの状況を治めてくれる筈…)」

 

「あ、残念だけど神奈子は来ないよ。さっき私が責任をもって酔い潰しておいたからね」

 

 危うく色気と一緒に殺気まで漏れ出しそうになった。責任をもって酔い潰すなど初めて聞いた言葉だ。そもそも酔い潰すという行為自体が無責任だというのに。

 

「起きている者全員が、貴方の力にやられてしまっている。わかる?私達以外は近づくことが出来ないのよ。きっと今の彼女達からすれば、貴方は神々しく映っていて、近づくことすら烏滸がましいと感じているのでしょうね。今は紫もいなければ白蓮もいない。この言葉の意味、わかる?」

 

 幽香の手が、胸を抑えている青の手に重なる。そのまま彼女は流れる様な動作で手を上へと持っていき彼の首を掴み、畳の上に押し倒す。

 押し倒した以上それなりに力が加えられている為にそれなりに苦しいだろうが、今の彼にはそれすらどうでもよかった。

 彼女の手が肌に触れる事すら、首が絞まる感覚すら快楽に感じてしまう。自分の理性がゴリゴリと音を立てて削れていくのがわかる。

 夜に複数人を相手にすることは、過去に何度かあった。しかし今、この三人に食われてしまえば…自分は依存させる側では無くする側、溺れる側になってしまうような気がした。

 今すぐ逃げ出したい。しかし体に上手く力が入らない。逃げ出そうとする自分と、受け入れようとする自分。その二つがせめぎ合っていた。

 そしてその様な心持ちでは、幽香の手から逃れることは出来ない。

 

「ナイスだ風見!それじゃあ久しぶりに、いっただっきまーす!」

 

 幽香の行動を合図に諏訪子が青の着物を強めに引っ張る。そして露わになったその白く透き通る様な肌に、全く鍛えられていない程良い柔らかさを持った胸に舌を這わせ、ピチャピチャと蛙の様に水音を立てながら堪能する。

 媚薬により感度が何倍にも跳ね上がっている今の青はそれに平静としていることなど出来る筈も無く、体を痙攣させながら何とかその感覚をやり過ごそうとする。

 しかし忘れてはいけない。この場にいるのが彼女だけでは無いことに。そして快楽を逃すなんてことを、ほかの二人がさせてくれる筈が無いという現実に。

 

「いい……今の貴方の表情、すっごくそそるわぁ…」

 

「足りない…もっと、もっと見せて、魅せておくれよ。快楽に歪んだお前を、堕ちるお前の姿を…!」

 

 暴れそうになる青の体を萃香は強引に押さえつけ、更なる刺激を与えようと彼の首筋に歯を突き刺す。青の体を電撃の様な痛みが駆け巡るが、感覚がおかしくなっている青にはそれすら快楽に感じられてしまい、滅多に浮かべることの無い涙を瞳に宿しながら、途切れ途切れに悲鳴か嬌声か判断のつかない声を上げる。

 

「だ、だめ、です……ま、まわりに、みられて、いる……んんっ!?」

 

「いいじゃないそんなの。見せつけておけば良いのよ。彼女たちは見ることは出来ても、貴方に手を出すことは出来ないのだから」

 

「安心して。誰にも渡さない。青は私の、私たちだけのものさ」

 

「そ、そういうもんだいじゃ……やあぁっ!」

 

 拘束や一日中耐久等、ありとあらゆる希望を聞きそれを受け入れて来た青だったが、唯一羞恥プレイだけは駄目なのだ。自分の情事を第三者である誰かに見られるなど、恥ずかしすぎて行為どころでは無くなる。

 何より今は自分の家族である式の式がいる。彼女に自分の喘いでいる姿を見られてしまっているというのはあまりにも情けなかった。

 

「〜〜っ!も、もうやめ……!こ、このままだと…ひゅあっ!?」

 

「泣きごとを言うなんて貴方らしくもない。貴方は言葉なんて口にしていないで、ただ私たちを昂ぶらせる悲鳴をあげ続けていれば良いの」

 

「そもそも青が悪いんだろ……会う度会う度私たちをその能力で誘惑して……!滅茶苦茶にしてくれと行っている様なものじゃないか。私がどんな気持ちで夜に自分を慰めているか知らないで……!」

 

「そ、そんなつもりは……ひぁっ!」

 

「でもそんな日々は今日でおしまい。この日を何千年と待ち望んだことか……遂にお前を私のものに出来る……!」

 

 諏訪子は彼の胸を舐め続けたまま、待ちきれないと言った様子で片手を彼の下半身の方へと持って行く。

 もはやこれまでか、青は覚悟を決め、せめてこれ以上声を上げることは無いように強く意識を保とうとする。

 しかし幻想郷の、博麗神社の神はまだ、青を見捨ててはいなかったらしい。

 

「何を…しているのかしら?」

 

「・・・あ」

 

 突如として空間に穴が空き、そこから凍える様な目をした八雲紫が姿を現す。そして諏訪子の手をへし折らんとばかりに力を込めて掴み上げ、乱暴に払いのける。同時に素早く青の真下にスキマを開き、真上から落ちてくる彼を優しく受け止める。

 

「ねぇ…さまぁ…」

 

「青…悪い妖怪に襲われるなんて可哀想に…」

 

 身に纏っていた気配をやわらげ、紫は一度彼の頭を撫でてから自分の胸に抱き寄せる。

 

「落ち着いて…一度ゆっくり、大きく深呼吸をして…そう」

 

 紫という存在は、青にとって天然の精神安定剤。こうして彼女の胸に顔を埋めるだけで、自然と体の火照りも無くなっていく。

 落ち着いた青をゆっくりと床に寝かせ再度頭を撫でた後、他の者に襲われないように結界を貼り、紫は再び萃香達を睨む。

 

「さて…貴女達、ちょっと表に出ましょうか。妖怪なりの責任の取り方というものを教えてあげるわ」

 

「い、いや、私達はまだヤってないから未遂「出ろ」…はい」

 

 姉達の気配が遠くなっていくのを、朧気な意識で感じ取る。

 先程までの緊張が弛緩したせいか、それとも今になって酔いが回って来たからなのか猛烈な睡魔に襲われ、青は意識を手放した。姉の温もりが感じられないのを、少し寂しく思いながら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

三十五話

「ん…んぁ…」

 

 どれ程眠っていたのだろうか。青は頬を撫でる冷たい空気によってその意識を覚醒させる。

 冷たい、暖かい、柔らかい…寝起きだからかそれとも酒がまだ抜けきっていないのか、思考が上手くまとまらない。ここは一体何処なのだろうか。そんなことを考えていると、いつものように頭を優しく撫でられる感覚があった。

 

「あら、起こしちゃったかしら?」

 

「姉様…?」

 

 真上から聞こえる姉の声に、青の心はたちまち安堵感で満たされる。どうやら誰かに連れ去られた。という訳では無いらしい。

 

「ここは…」

 

「貴方がいるのは私の腕の中…そして博麗神社の屋根の上よ。夜風に当たりながら飲む酒も、またいいものでしょう?」

 

 姉の言葉を聞きながら段々と冴えて来た頭で、青は眠る前の記憶を掘り起こす。さっきは本当に危なかった。もう少し姉が来るのが遅かったら、自分は今頃あの三人に美味しくいただかれていた頃だ。酔いと体の火照りで感覚がおかしくなっていたあの時に襲われたのならば、自分の意思を保っていられる自身が無かった。

 

「・・・宴は、どうなったのですか?」

 

「お開きよ。流石に貴方の能力に魅せられた彼女達をそのままにしておく訳にも行かないし、全員眠って貰ったわ。多少記憶も弄ったから、変に貴方を意識することも、欲情することも無いでしょう」

 

「すみません。私のせいで、姉様が訪れてすぐに宴が終わってしまって」

 

「貴方のせいでは無いわ。貴方をハメようとした三人が悪いのだもの。しっかり罰は受けて貰ったから、安心なさい」

 

 青は頭の中で無残な姿になった萃香達を思い浮かべようとしたが、そもそも顔も彼女達の姿も知らないが故にやられている姿が想像出来なかった。まぁ、実力的にあの三人が無残な姿になるなど考えられなかったという理由もあるのだが。

 

「・・・それ、本当に彼女達に効くような罰なのですか?」

 

「三人共白蓮に事情を話して引き渡しておいたから。十中八九更生することは無いだろうけど、少なくとも今日はもう貴方を襲いには来ない筈よ」

 

 確かに今日何かしてくることは無いと思うが、明日になったらケロッと忘れていそうで怖い。妖怪というのは過去の失敗何ぞ秒で忘れる生き物なのだから。

 まぁ、媚薬が抜けきるまでに手を出されなければ問題ない。ざまぁみろだ。青は意地の悪い笑みで顔を歪める。

 

「・・・変わったわよね、青は」

 

「変わった?私が…ですか?」

 

「えぇ、前よりもよく笑うようになったわ」

 

「・・・私って、以前はそんなにつまらなそうな顔をしていました?」

 

 萃香にも表情が変わらないと言われたが、もしかすると自分の表情筋は死んでいたりするのだろうか。自分のことは感情豊かな方だと思っていた分、だとしたら若干ショックである。

 青の気持ちが僅かに沈んだのがわかったのか、紫は慌てた様子で言葉を付け加える。

 

「そ、そういう訳では無くてね、なんか…悪い笑みが増えたなって」

 

「悪い笑み…」

 

 まぁ、確かにそれは否定しない。外に出られることによって友人と交流する機会が増え、姉には見せていなかった友人への顔を見せることが多くなった。

 

「青が幽々子達と関係を持っているなんて衝撃の事実も知ったし…」

 

 先日の同窓会のことを思い出しているのか、紫は大きな大きな溜め息を吐く。青は何と反応していいのかわからず苦笑を浮かべるだけだ。

 

「別に恋愛をするなとは言わないわ。ただ、流れに身を任せて関係を作り続けるのはやめなさい。幾ら能力がそう言う類の物だとしても、相手を拒絶することは出来るのだから」

 

「えぇ、大丈夫ですよ。私は姉様のものですから。今も昔も」

 

「そういう言葉をやめなさいって言ってるの」

 

 紫は青の額を軽く小突き、彼を咎める。

 

「むぅ…事実ですのに…」

 

「事実だろうと何だろうと普段からそういう言葉を使っていると、勘違いする輩がいるの」

 

「私は姉様になら、この身を捧げても構いませんよ?どんなことでも…してさしあげます」

 

 自分の体に置かれた姉の手を取りゆっくりと自分の着物の中に滑り込ませながら、青はそう言葉をかける。

 

「なっ…!あ、姉をからかうんじゃありません…!」

 

「からかってなどいません。私が愛を囁く時は、誰に対しても本気です!」

 

「余計にタチが悪いわよ!?」

 

 先日映姫が態々家にまで来て青を説教しようとした理由がわかった気がする。確かに自分の弟は、乱れて…淫れていると言われても仕方がない。つい先程痛い目を見たばかりなのにも関わらずこの有様だ。そんなことを考えながら吐き出された紫のため息を聞いて、青は少しだけ悲しげに表情を歪める。

 

「・・・私は、寂しかったんです。姉様が幻想郷を創設する為に奔放していた頃、まだ藍もおらずいつも私は暗闇の中で一人だった。体だけの細い繋がりでもいいから、誰かとの関係が欲しかった」

 

「青…」

 

「これがいいことだとは思っていません。しかし私は…抜け出すことが出来なかった。もう二度と、一人の静寂という孤独を味わいたくなかったから」

 

「・・・ごめんなさい。一番側にいて欲しい時に、側にいてあげられなくて」

 

 謝罪を述べながら自分の体を腕で包み込み抱き締める紫に、青は首を横に振る。

 

「でも、今は違います。もう私の周りには姉様も藍も、橙もいてくれる。私は一人では無い。だから、もうそういった関係を広げる事はありませんよ」

 

 そう言って笑みを浮かべる青の体を紫は再び強く、しかし優しく抱き締める。背中だけでなく全身に伝わって来る暖かさと仄かに香る酒の匂いが、青に幸福感を与える。

 この世に生を受けてからもう何千年経っただろうか。この不自由な目を呪ったことだって何度もある。それでも自分を慕ってくれる人達がいるおかげで、ここまで生きる事ができている。恥ずかしくて家族以外に言う事は絶対出来ないが。だから自分のことを支えて、愛してくれた彼女達には体で返す。それが不器用な彼なりの恩返しであった。

 明日は何をしようか。まだ幻想郷には行った事のない場所が沢山あるだろうから藍を連れて歩いてみるのも良いし、幽々子達の下に遊びに行くのも良い。藍に多少咎められるかもしれないが、姉と一緒にのんびり過ごすのも一興だろう。

 楽しみが尽きないことを幸せに思いながら、青は己の体を姉に預け、その温もりを堪能するのであった。




この小説を書き始めた時から最終話を宴会にしようと考えていたので、この小説はこれにて完結にしようと思います。
何か明確な区切りがある訳でも無い終わり方ですが、どうかご容赦ください。
番外編は出すつもりですが、それがどれ程の頻度でどのくらいの話数になるかはわかりません。ですのでもしも期待してくださる方がいらっしゃいましたら、気長にお待ちください。
最後になりますが、是非評価や感想、宜しくお願い致します。
ここまでのご愛読、誠に有難うございました。
また番外編で、もしくは別の作品でお会い出来ることを願っております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番外編
青、姉に頼まれ異変を起こす(壱)


ここからは番外編となります。
と言ってもどの様に書けば正しいのかはいまいちわかっていないので、自分のペースで、書きたいなと思ったことを書いて行こうかと思います。
一話完結か数話程続くことになるかは書こうと思ったものによって変わります。
今回の話は数話続きますが、思いっきり独自解釈が含まれます。どうかご了承下さい。


「異変を起こして欲しい…ですか?」

 

 ある日、いつもの様に姉に膝枕をされてのんびりとした時間を過ごしていた青は、姉の口から唐突に放たれたその言葉に普段開ける事の無い目を僅かに開いた。

 

「えぇ、そうよ。頼めるかしら?」

 

「・・・私に幻想郷の敵になれと?その考えに至った理由をご説明願えますか?」

 

「そ、そうですよ紫様!何故突然そんなことを…」

 

 青の言葉に部屋の隅にて待機していた藍も同意なのか、何度も首を縦に振る。どうやら彼女ですら何も聞かされていなかったらしい。

 

「そうね、流石にいきなりこんなことを言われても分からないでしょうし、説明をしましょうか。・・・貴方、以前異変を解決している人間に会ったことがあるでしょう?ほら、霊夢と魔理沙の二人組」

 

「えぇ、そうですね。それが何か…?」

 

「あの子たちに少し、現実を見せて欲しいと思って」

 

「現実を?」

 

 私の能力で見せられるのは幻想なのですが…なんてことを考えながら、青は姉の次の言葉を待つ。

 

「あの子たちは最近、よく言えば自信を持っているけれど、悪く言えば調子に乗り過ぎている。自分の力を信じるのは悪い事では無いのだけれど…過信して修行を怠るのは良く無いわ」

 

「それで現実を見せろと…」

 

「そもそもあの子たちは、霊夢は博麗の巫女の役割を履き違えている。博麗の巫女の役割は本来、人間を妖怪から命がけで護るもの。決して妖怪と対等に戦うものではない。彼女達が強いのはあくまでごっこ遊びでの話。実際の殺し合いでは、私達大妖怪の足元にも及ばない。それを教訓をもって教えて欲しいの。万が一こちらのルールが通用しない相手が現れた時、どうしようもないんじゃ困るわ」

 

「・・・成程、事情は理解しました」

 

「し、しかし紫様。霊夢達は今の幻想郷のルールにおいては己の力を過信するだけの実力はあります。青様がお怪我をなされてしまうという可能性も…!」

 

 まさか紫が自分の最愛の弟を戦わせるとは思ってもいなかった藍は僅かな焦りと不安を滲ませた声音で己の主に問いかける。

 

「大丈夫よ。青の実力なら万が一――いえ、億が一の確率でも傷を負う事なんで無いでしょうし。あぁそれと、態々彼女達のルール、弾幕ごっこに合わせる必要は無いわ。かといって殺しても駄目。あくまでも程々によ。わかった?」

 

「そこまで評価していただいているのは嬉しいですが…それも過信と言うものに分類されてしまうのでは?」

 

「いいえ違うわ。これは私から見た客観的かつ正当な評価だもの。貴方もそんなことを言っておいて、負けるつもりなんて毛頭無いのでしょう?」

 

「直接戦っていないのではっきりとは言えませんが…少なくとも人間相手に後れを取るつもりはありません」

 

「そう、それを聞けて安心したわ。異変の内容も、貴方が好きに決めてくれて構わないわ。幻想郷を壊さない程度なら、多少の無茶も許容範囲内よ」

 

 壊さない程度なら何しても良いって…相変わらずの行き過ぎた甘やかしに藍は心の中で溜め息を吐く。口には出さない。言った所で己の主がそれを直す筈が無いのだから。

 

「わかりました…では、藍、少し出掛けることにしましょう」

 

 青は少し名残惜しそうに姉の膝枕から体を起こし、藍に声をかける。

 

「承知しました。して、どちらへ?」

 

 自力で立ち上がろうとして失敗する青に手を貸し、彼の体を支えながら藍は問いかける。

 

「少し、協力を頼みに行こうかと。藍にも協力してもらいますよ。流石に彼女達二人だけで私に勝利しろというのは無茶にも程がありますから、多少のハンデは差し上げるつもりです」

 

「畏まりました」

 

 彼が完全に立ち上がったことを確認してから、藍は返事をして頭を下げた後足早に玄関に向かう。恐らくは靴を取りに行ったのだろう。いくらスキマがあろうと、流石に裸足で外に出る訳には行かない。

 

「あ、あんまり大規模にしなくても良いのよ?彼女達の実力を確かめて、驕りを止めさせて鍛錬を促すだけで良いんだし」

 

「わかってますよ。私の下に来るのに手こずってしまってはつまらない。首謀者を明かすこと自体は簡単にするつもりです。あとは戦いの中で如何に頭を使えるか…ですね」

 

 協力者を募ろうとする程張り切っている弟に、紫は少し不安になりながらもスキマを開くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁぁ…ねむ…」

 

 日が昇って間もない時間帯、幻想郷の東端に存在する博麗神社の一室で、霊夢はいつもの様に鏡の前で身だしなみを整えていた。

 布団を畳んで押し入れにしまい、寝間着から巫女服に着替え、使い古した櫛で髪を梳き、リボンをつけ、手元に会ったお祓い棒を手に取り数回程軽く振る。

 

「面倒くさいけど、これくらいちゃんとしないと華扇に怒られるのよね…」

 

 一仕事終えたと言わんばかりに、霊夢はグーッと軽く伸びをして立ち上がる。

 朝のひんやりとした空気を感じながら廊下を歩き、外へと出る。眠いことを除けば、霊夢はこの朝のひとときを割と気に入っている。魔理沙もおらず、針妙丸も起きていないこの時間。騒がしいのが嫌いなわけでは無いが、それでも一日のほんの数十分くらいは静かな時間を過ごさせて欲しい。

 

「お賽銭箱は…いつも通り空ね」

 

 我ながら言っていて悲しくなるわと、霊夢は日常であるその光景に肩を落とす。

 二回程見間違いかと見返してみるがやはり結果は変わらない。一分程往生際悪く賽銭箱の中を隅々まで目を凝らしてから、漸く何もないと確信し顔を上げ、目の前の非日常的な光景を視界に入れる。

 

「今日は何時にもまして、霧が濃いわね…」

 

 境内をゆっくりと歩き、霊夢は鳥居の間から階段の下を見下ろす。そこから見えるのはいつも通りの木々が生い茂った森…では無く、唯々濃い霧が広がっていた。

 

「異常気象…と判断するのはまだ早いわね。にしてもこんなに濃いと、何も見えないじゃない。昼までに晴れてくれないと飛ぶことも出来ないし、今日は大人しく家で過ごしましょうかね…」

 

 今日一日の大まか過ぎる予定を決め、霊夢が朝食を用意しようと神社へと戻ろうとした丁度その時、急激な速度で霧が晴れて行き、階段下の景色が見えるようになる。

 そこから見えたのはいつも通りの木々が生い茂った森――では無く、

 

「・・・はぁ?」

 

 木どころか草一つ生えていない、一面砂だらけの世界であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青、姉に頼まれ異変を起こす(弐)

「なに…これ…?」

 

 普段何事にも興味無さげな霊夢でさえ、目の前の光景には驚きを隠す事が出来ていなかった。

 それは当然だろう。何故なら今彼女の視界に映っている光景はとても幻想郷のものとは思えなかったからだ。当たり前の様に存在していた霧の湖も、紅い館も、うっそうと木々が生い茂った森も、何一つ存在しなかった。

 唖然としている霊夢など気にも留めず、砂漠の方向から強い風が吹いて来る。

 咄嗟に彼女は目を閉じて強風をやり過ごす。そして次に目を開けた時、そこに砂漠は存在せず、再び深い霧が視界を覆っていた。

 

「さっきの砂…本物、見間違いじゃない。いよいよ訳が分からないわね…」

 

「――!――!」

 

「この状況を見るに原因はこの霧…?いえ、それは無いわね。いくら力が籠っていようと、霧が世界そのものを変えるなんてことはありえないし」

 

「…夢!…夢!」

 

「だとしたら一体誰が「霊夢!」・・・うるっさいわねぇ魔理沙。私は今考え事してるの。邪魔しないで頂戴」

 

 まだ朝だと言うのに大声で自分の名前を呼びながら猛スピードでこちらに向かってきた友人、霧雨魔理沙に霊夢は不機嫌さを隠そうともせずに視線をそちらに向ける。

 

「どうせくだらないことしか考えてないんだろ。それよりも大変だ!私の家の周りが雪山になっちまったんだ!」

 

「アンタのとこも?私はこの階段の下が全て砂漠に変わっていたわ」

 

 どうやら別々の地点で見える景色が変わるらしい。何処を境に変わっているか、そもそも一つの地点でもずっと同じ景色なのかわからない以上、下手に動いては道に迷ってしまうだろう。

 

「・・・ねぇ魔理沙。私の神社とアンタの家が、夜のうちに幻想郷から飛ばされたなんてことは無いわよね?」

 

「霊夢、まだ寝ぼけてんのか?箒で頭を叩いてやってもいいぞ。記憶が無くなったらすまん」

 

「言ってみただけよ。となると、これはやっぱり――」

 

「「異変か」」

 

 口を揃えて同じ言葉を言った後、二人の反応は全く別のものとなった。片や巫女は面倒くさそうに目を細めつつも溜め息を吐き、片や魔法使いは面白いと言わんばかりに口元を歪め、目を輝かせる。

 霊夢はもう一度深まった霧を一瞥した後、身を翻し、神社へと歩き出す。

 

「おい霊夢。何処へ行こうとしてるんだ?これが異変なら、さっさと解決するのが博麗の巫女の務めだろ?」

 

「そんなどうでもいい務めよりもまずは朝ご飯よ。アンタは大人しく待ってなさい。お茶くらいは出してあげるから」

 

「お、いいのか?ありがたくいただくぜ!」

 

 霊夢のその一言に気を良くした魔理沙は、彼女に追い付くために少し早足で後を追う。彼女達の背に見える景色はいつの間にか霧でも砂漠でも雪山でも無く、ただ闇が広がった洞窟となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「霊夢霊夢!何時の間に引っ越しなんてしたの!?」

 

 神社へと戻ってから一時間程が経過した頃。目の前で茶を啜る魔理沙の会話に適当に言葉を返しながら朝食を取る霊夢。そんな彼女の耳に、この神社のもう一人の住人の甲高い声が聞こえてくる。

 

「引っ越しなんてしてないわよ針妙丸。第一この神社に場所を変える程のお金なんて無いもの。あったら使うわ、勿体ない」

 

「それもそうだよねー…」

 

 霊夢の朝食の隣に立ち、納得した様に腕を組みながらウンウンと首を縦に振る小人、少名針妙丸に魔理沙は思わず苦笑を浮かべる。

 

「びっくりしたよ。朝目が覚めたら窓から見える景色が一面水だったんだもん。私知ってるよ!あれが外の世界にある海って言うんでしょ?」

 

 どうやら彼女が眠っていた部屋からは、また違う景色が見えていたらしい。目をキラキラと輝かせる針妙丸は霊夢と魔理沙からすれば、幼子にしか見えなかった。

 

「ふぅ、ごちそうさま。魔理沙、皿洗いが終わったら出掛けるわよ。さっさとこの異変を解決しないと迷惑極まりないわ」

 

「えぇー、解決しちゃうの?」

 

「当たり前よ。このままじゃまともに外にだって行けやしない。アンタだって、一生ここに引きこもるのは嫌でしょう?」

 

「それは嫌だ!一刻も早い解決を要請する!お皿は私が何とかしておくから!」

 

「アンタに言われなくてもわかってるわよ。じゃ、頼むわね」

 

 一瞬その体でどうやって皿を洗うんだと思ったが、折角本人がやると言っているのだからその善意に甘えさせてもらおう。

 そう思い居間を後にしようとした時、再び針妙丸から声がかかる。

 

「あ!ちょっと待って!」

 

 そう言うと彼女は椅子を伝って机から降り、押し入れの方へと向かってしまう、そして一分程経ってから押し入れの扉が開き、大きな何かを引きずりながら出て来た。

 

「それって…打ち出の小槌?」

 

 針妙丸が手にしていた物は、かつて彼女達が起こした異変の際に使われた代々小人族に伝わる道具、打ち出の小槌であった。

 

「昨日藍さんが来て、明日霊夢が出掛ける時はこれを渡してくれって言っていたの」

 

「藍が…?」

 

 針妙丸の言葉に、霊夢は怪訝そうに眉を顰める。どうやら今回の件は、八雲も一枚噛んでいるらしい。

 改めて面倒くさそうだと感じている霊夢の隣で、魔理沙が手を挙げながら口を挟む。

 

「でもよ、それって確か小人族以外は使えない上に何かしらの代償が必要なんだろ?流石にそんなものを易々と持って行って使う訳には行かねえだろ」

 

「あ、それも藍さんから指示が出てるから大丈夫だよ。この小槌に予め私の、小人族の力を少しだけ纏わせておいたから、多分二回くらいは使えると思う。代償に関してもそこまで大きな願いじゃ無ければ、少し力を吸われる程度で収まる筈だよ。一時的に大きくなるとか、小さくなるとか。それだと多分三十秒も経たないで効果が切れちゃうと思うけど」

 

「そこまで詳細に藍から指示が…やっぱりなんか怪しいわね」

 

 確かめはしたいがここに彼女も主である紫もいない以上どうしようも無い。霊夢は溜め息を吐いた後に針妙丸から小槌を受け取り、懐にしまう。そして今度こそ居間から出て廊下を歩く。

 歯を磨き、再度髪を整えた後、いってらっしゃーいと元気な声で手を振る針妙丸に軽く手を振り返しながら、魔理沙と並んで空へと飛び立つ。

 

「お、どうやら霧がまた晴れて来たみたいだぜ」

 

 まるで二人が上空へ来るのを待っていたと言わんばかりに、霧が急速に張れて行く。

 次は何が見えるのだろうかとほんの少しの期待を持っていた彼女達の気持ちは…また裏切られることとなった。

 

「んん?」

 

「あら?」

 

 今度彼女達の目に入って来たのは木々が生い茂った森、視界いっぱいなんてことは無い湖、そしてその先に見える紅い館――つまるところ、いつも通りの風景であった。

 

「どういうこと…?異変が勝手に収まったのかしら」

 

「いや、どうもそう言うことじゃ無いらしいぜ。まだ霧は完全には無くなっていないし…妖怪の山がある筈の場所にデカい谷が見える」

 

「霧で視界が遮られるわ、ありえないものが目に入るわ、頭がおかしくなりそうよ。視界が使い物にならないと、ここまで不便なのね」

 

 小さく溜め息を吐いた後、霊夢はしっかりと前を見据えたまま隣にいる親友に声をかける。

 

「魔理沙、ここからは別行動を取りましょう。その方が効率が良いわ」

 

「別に構わないが…何処に行くつもりなんだ?」

 

「私は取り敢えず紅魔館の方に行ってみるわ。近場だし、何より一度霧を使った異変を起こしたっていう前科があるじゃない」

 

「わかった。なら、私も知り合いに聞いてみることにするぜ。霊夢と違って当ては無いから、手当たり次第に…な!」

 

 二カッと快活な笑みを浮かべた後、魔理沙は速度を上げつつ急降下する。彼女の姿が見えなくなった後、霊夢も漸く紅魔館の方へ方向を転換する。

 

「全く…どいつもこいつも、幻想郷には人騒がせな奴ばっかりね…」

 

 彼女がこの異変がいつもと違うことに気づくのは、もう暫く後になるのだろう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青、姉に頼まれ異変を起こす(参)

「よいしょ…っと」

 

 この霧が深くならないうちにと、霊夢は普段よりも速度を上げて紅魔館へと飛んで行く。

 そのおかげが再び霧が周囲を覆うよりも早くに紅魔館の門前へと降り立つことが出来た。

 周囲の様子が普段と変わっているなんてことは起きていない。やはり元々の地形等はあの霧の影響を受ける訳では無く、あくまで景色という情報を受け取る側、つまり生物の視覚に影響を与えるものなのだろう。

 冷静に分析をしながら周囲をぐるりと見回し、霊夢は最後に紅魔館の門に視線を向ける。

 そこにはいつもの様に居眠りをした門番が立っている――かと思いきや。

 

「あら…?」

 

 そこにいたのは赤い服を着た門番では無く、真っ白い服を着たメイドであった。

 

「そろそろ来る頃だと思っていたわ。霊夢」

 

「珍しいわね。門番では無く貴女がここにいるなんて。門番の方は遂に首になったのかしら?」

 

「働きから見ればそう思われても仕方ないのかもしれないけど、彼女もこの館の家族なの。そう簡単に辞めさせたりはしないわ」

 

「はいはい、素晴らしい家族愛ですこと。そんなことよりも、貴女が門の前で私を待っていたということは…そういうことでいいのかしら?」

 

 世間話から一転、目を細めお祓い棒を構える霊夢。しかしそんな彼女を見ても咲夜は臆する事など無く、至って冷静なまま両手を上げた。

 

「貴女の言いたいことはわかるけど…違うわよ。私達紅魔館の者は、今回の異変と一切の関係がございません。夜空の紅い満月に誓っても構いませんわ」

 

「今は清々しい程空が青い真っ昼間なのよ。残念だけど、アンタの言葉をそう簡単に信じる事は出来ないわ。黒では無くても、私の中ではまだグレー」

 

「それは困りました…どうすれば信じて貰えるのかしら?」

 

 その言葉が予想通りと言わんばかりに、咲夜が問いかけてからすぐに二本の指を立てる。

 

「私が出す条件は二つ。一つ、アンタ達の持つ全ての情報を教えなさい。二つ、この異変の解決に協力しなさい」

 

「協力…意外ね。てっきり貴女はいつもの様にあの白黒ネズミと二人だけで解決しようとするものだと思っていたのだけど」

 

「私もそうするつもりだったわよ。けど、何か嫌な予感がするのよ…勘だけど」

 

 彼女らしからぬ弱気な発言に、咲夜は思わずクスリと笑みを漏らす。そのお返しとばかりに霊夢から鋭い睨みを貰うことになったが。

 

「私から言うことは主に二つ――」

 

 すると咲夜は先程の霊夢と同じように、二本の指を立てる。

 

「一つ、私達は今回の異変の解決について、協力するつもりは一切無いわ」

 

「・・・はぁ?」

 

 そのあまりにも予想外過ぎる言葉に、霊夢は怪訝そうに眉を顰める。彼女が疑いを晴らすどころか、怪しまれる言動をしているのだから。

 

「どういう事よ。協力を断るなんて増々怪しいんだけど」

 

「私に言わないで頂戴。私はお嬢様のお考えを代弁しているに過ぎない。この館ではお嬢様の言葉が絶対なの。だから私は貴女に何と言われても、協力するつもりは無いわ」

 

「・・・そう。ならせめて邪魔しないで頂戴ね」

 

 もう用は無いと言わんばかりに咲夜から背を向け、再び空へと飛び立とうとする霊夢。しかし咲夜は再び彼女に言葉を投げかける事で、その動きを止める。

 

「もう一つ、お嬢様からこれを」

 

 そう言って咲夜が手渡して来たのは、一つの懐中時計だった。

 

「これ、懐中時計?」

 

「そうよ。至って普通の、誰でも手に入れることの出来るただの懐中時計。それを貴女に渡すようにと。返却は受け付けないわよ。お嬢様から承った命はこれで終わり。一刻も早い異変の解決を祈っておりますわ」

 

 咲夜は勝手に話しを終わらせ、霊夢が再度口を開くよりも早くに彼女の前から消える。

 

「これ…何に使えって言うのよ…」

 

 残された霊夢は再度懐中時計の全体を見た後、疑問が残ったままそれを懐にしまい、今度こそ上空へと飛び立つのであった。

 周囲の景色はいつの間にか日常の風景では無く、濃い青色の中に見た事の無い魚が空中を漂っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お嬢様、いただいたご命令の遂行、只今完了致しました」

 

 咲夜は目の前で椅子に座りながら紅茶を嗜む己の主、レミリア・スカーレットに恭しく頭を下げ、言葉をかける。

 

「そう…ありがとう咲夜。お疲れ様」

 

「勿体なきお言葉」

 

 そう言って頭を上げ、レミリアのティーカップに紅茶を注ぐ。しかしその表情は先程霊夢の前にいた時の澄ましたものとは違い、僅かに困惑を含んでいた。

 そんな彼女の心情を察したのか、レミリアは一度紅茶を飲んでから再び彼女に話しかける。

 

「やっぱり不思議かしら?私が霊夢に協力はまだしも、一切の情報を渡さなかったことが」

 

「・・・はい。今回の異変は少なからずこの館にも影響を与えます。あれ程環境が崩れている状態が続けば、お庭の花壇も台無しになってしまうかもしれません。お嬢様がこの館が欠けることを許されるとは思えませんでしたので…」

 

 彼女の言葉にレミリアは一度小さく笑みを零し、ティーカップに注がれた紅茶を見ながら彼女の疑問に答える。

 

「そうね…仮にこの異変が所謂人間にとって災害と言われるものであったのなら…私も動いていたでしょう。でもこれは違う。この異変はね、茶番なのよ。全てが」

 

「茶番ですか?」

 

「そう、この劇に私達は必要のない存在。全く酷い話よね。主役の座を渡さないばかりか、利用するなんて」

 

「はぁ…」

 

 失礼とはわかりつつも、主の言葉に咲夜は曖昧な返事をするしかない。恐らくこの館の中で彼女の言っていることが理解出来る者は、誰もいないだろう。この異変の事実を知っているのは、彼女だけなのだから。

 

「それに貴女は…私達はもう、十分すぎるくらいの活躍をしたわ」

 

「・・・どういうことでしょうか」

 

「だって貴女、霊夢に懐中時計を渡したでしょう?それだけで十分すぎる活躍よ。少なくとも彼女にとって、それは絶対になくてはならない物なのだから」

 

「・・・お嬢様の崇高なお考えは、凡夫たる私には理解しかねます」

 

「あとで霊夢にでも教えて貰いなさいな。異変が終わった後に…ね」

 

(私を顎で使ったのだから、面白い結果でなければただじゃ済まないわよ)

 

 レミリアは視線を咲夜から背け、再びティーカップの中の水面に向ける。

 そこに映る自分の瞳はキラキラと輝いていて、口は笑みを抑えられないとでも言わんばかりに歪んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、幽香。いるかー?」

 

 無限に続くかと思われる程の一本道を彼女、霧雨魔理沙は歩いていた。

 場所は変わってここは太陽の畑付近。普段ならば辺り一面に向日葵がまるで太陽の絨毯かのように咲き誇っているのだが、今日に限っては一面黄色という訳では無く、赤、青、紫、白、色とりどりの花が混じっていた。

 これはこれで綺麗だし放っておいても良いんじゃ?この場所に来た時、魔理沙は真っ先にそんなことを考えたが、すぐに頭を振ってその考えを消し、花畑の間に存在する唯一の一本道に降り立った。

 彼女は現在、全くと言って良い程この異変に関しての情報を集める事が出来ていなかった。

 彼女なりに努力はしていた。友人のアリス・マーガトロイドや矢田寺成美などの知り合いからこの異変に関して出来る限り詳細を聞こうとした。

 しかし全員、全く知らないの一点張りだった。異変の首謀者は愚か、怪しい行動を取っていた者さえ見ていない。そもそも、この異変を起こす事によってなんの利益があるのかもわからない。完全に手詰まり状態だった。

 そんな中取りあえず何か情報が欲しいとふらふらといつもとは違う姿の幻想郷の上空を飛んでいた結果、ここへと行きついたわけである。

 

「あら、珍しいわね。貴方がここに来るなんて。尤も、ここに来た大方の予想はつくけれど」

 

 全く行動の割にあっていない結果に思わずため息をつきそうになる魔理沙であったが、彼女の目当てとしていた人物から声がかかる。

 その声の主、風見幽香は霧が濃く、普段とはまるで違う景色の中で、当たり前のように立っていた。まるでそこが自分の場所であると言わんばかりに。

 

「それなら話は早い。今異変が起きている事はお前も知っているだろ?それについて出来る限り多くの情報が欲しい。ほんの些細なことでも構わないから話してくれ」

 

 幽香に言葉を投げかけながら、魔理沙はゆっくりと彼女の前に降り立つ。幽香はその動作をじっと見ていたが、やがて視線を周りに向け、言葉を返す。

 

「もう解決しようとしているのね。私としては色とりどりの花たちを見る事が出来ていいのだけれど…」

 

「お前は良くても、殆どの奴が困るんだよ。朝起きたらいきなり自分の家の周囲が見知らぬ場所になっているのに喜ぶのなんてお前だけだ。まさか、お前が今回の…?」

 

「それは皮算用というものよ。確かに様々な花を見る事が出来るのはいいけど、この子たちは私が育てた花とは違う。愛着のある花たちと会えないのは流石に悲しいわ」

 

「そうか…なら、協力してくれるな?」

 

 真剣な表情で、真っ直ぐとした瞳で見つめてくる魔理沙に対し、幽香は数秒程黙っていた後、唐突に自分の持っていた傘を閉じ、彼女に差し出す。

 

「なんだ…これ?」

 

「傘よ」

 

「いや、それは見ればわかるんだが…」

 

 突然彼女から差し出された傘。一応受け取りはするものの、幽香の謎の行動に魔理沙は困惑を隠す事が出来ない。

 

「・・・私は、この異変の首謀者を知っている」

 

「なに!?」

 

 それは、彼女が探し求めていた情報。あまりにも唐突であったその言葉に魔理沙は目を見開き、一歩幽香の方に足を踏み出す。

 

「教えてくれ、誰だそいつは?」

 

「・・・八雲青。貴女も名前くらいは聞いた事あるでしょう?」

 

 その名前を聞いて、魔理沙の頭の中につい最近知り合ったばかりの、大人しそうな一人の妖怪の姿が浮かぶ。

 

「あいつが…?見た所そんなに何かをやらかしそうには見えなかったが…目的は何なんだ?」

 

「彼の事を甘く見ない方が良いわよ。伊達に賢者の弟やってないわ。目的に関しては何も知らない」

 

 もう情報は無いと言わんばかりに肩をすくめる幽香に、魔理沙も落ち着きを取り戻したのか前へと出していた足を引っ込める。

 

「聞いておいて言うのも何だが、少し意外だったな」

 

「意外…?」

 

「お前のことだから、てっきり情報が欲しければ戦えとでも言われるかと思っていたんだが」

 

 そう言って苦笑する彼女の背には、左手に握られた八卦炉があった。

 

「今日はそう言う気分だったというだけよ。今彼が何処にいるのかはわからないわ。ただ、霧に身を任せてみなさい。そうすればきっと、辿り着けるだろうから。それからその傘を肌身離さず持っていなさい。私の力は彼にも届く。貴女達の切り札になり得るわ」

 

「ふーん…ま、サンキューな!」

 

 聞きたい事だけ聞いて、彼女は箒に跨り颯爽と空へと飛んで行ってしまう。

 幽香はその姿が見えなくなるまで上空を見上げていたが、やがて視線を自分の隣に移す。

 周囲にうっすらと存在していた霧が、やがて彼女の隣へと集まっていく。

 

「ご協力に感謝しますよ。これで漸く、彼女達が私を倒しうる準備が出来ました」

 

 今回の異変の首謀者、青は自分の隣にいる幽香に礼を言う。彼女の協力が無ければ、彼女達に勝ち目は万に一つも無かっただろう。

 

「今更だけど、彼女達にあれほど簡単に答えを与えてよかったの?本来の異変ならばもう少し彼女達は苦戦する筈よ」

 

「構いませんよ。この異変は茶番も同義。私に辿り着く前にやられてしまってはつまらないし、何より目的を果たせない。故に貴女に答えを教えるようにと言ったのですよ」

 

「・・・これから負けに行くというのに、随分と落ち着いているわね。彼女に渡した傘には私の妖力がそれなりに多く宿っている。貴方と言えども、油断をしていれば重傷は避けられないわよ?」

 

「わかっていますよ。しかし私とて負けるつもりは毛頭ありません。彼女達はあくまで私を倒しうる可能性を手にしただけ。後はそれをどれだけ活かせるかにかかっています」

 

「そう…それよりも、私が一時的にとはいえ唯一の枯れない花を手放したの。この埋め合わせは、しっかりとしてくれるのでしょうね?」

 

「わかっていますよ。貴女の事ですから、簡単に協力を承諾した時点で対価を求めて来ることはわかっていました。ただし、願い事は一つだけですよ?」

 

「えぇ、折角のチャンスだもの。欲張って棒に振るなんてことはしないわ。何をしてもらおうかしらねぇ…」

 

 何を想像しているのか、うっとりした表情で頬に手を当てる幽香。気のせいだろうか、彼女の瞳が獲物を狙う肉食獣へと変わったような気がする。

 

「くわばらくわばら…」

 

 悪い妖怪に食べられない為には逃げるのが一番。青は幽香から逃げる為に、ついでに何れ自分の前に現れるであろう霊夢と魔理沙を出迎える為に指をパチンとならす。

 すると次の瞬間彼の体が実態を失い始める。そして数秒経つとそこに彼はおらず、先程までと同じようにただ辺り一面に漂う濃い霧と、そして色とりどりの花が咲き誇っているだけとなった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青、姉に頼まれ異変を起こす(肆)

「あ、霊夢」

 

「あら、魔理沙」

 

 一度別れてから一時間程経っただろうか。二人は未だに霧が濃い博麗神社の上空でばったりと出会った。

 これは都合がいい。丁度探していた所だ。二人は同じような事を考え、各々が得た情報を交換し始める。

 

「率直に言わせて貰うけど、私の方は情報は殆ど得られなかったわ。強いて言うのならこの異変に一枚噛んでいるのか、紅魔館組は協力する気が一切ないということくらいね。何故か懐中時計を渡されたけど。他の奴は皆知らないの一点張りよ」

 

「レミリアが、か…まぁあいつらはいつも何かやらかしそうだもんなぁ…私の方も殆ど似たようなものだが、幽香から謎に傘を渡されて、一緒に今回の異変の首謀者を聞くことが出来た」

 

「ッ!?それは本当…?」

 

「あぁ、あいつが嘘をついていないのなら、本当の筈だぜ」

 

「どうして幽香だけが知っているのか気になるところではあるけど…取り敢えずは異変の解決を優先しましょう。それで、その首謀者は誰なのかしら?」

 

「幽香曰く、青っていう奴らしい。ほら、この前の宴会の一応主賓だった奴だ」

 

「補足されなくても憶えているわよ。それにしてもあいつが…針妙丸とのやり取り辺りから怪しかったけど、やっぱり八雲が絡んでいたわね」

 

「あぁ、紫が関わっている以上この異変には意味があると思うんだが…それは解決した後で聞けばいいな」

 

「そうね。それで、その青は何処にいるのかしら?」

 

「詳しくはわからん。ただ、幽香は霧に身を任せてみろってさ」

 

「霧に、ねぇ…」

 

 首謀者を突き止めることが出来たものの、ただでさえ視界が普段よりも悪いのに、何処にいるかもわからない青の居場所を突き止める事は不可能に近い。

 完全に手詰まりとなりかけていた二人であったが、次の手を考えるよりも早く、周囲が白く染まり始める。

 

「不味い!また霧が濃くなって来やがった!」

 

「流石にここで足止めを食らうのは不味いわ。早く離脱しましょう」

 

 二人は取り敢えず思考を打ち切り次の行動に出ようとしたが、霧の速度は先程までの比では無く、二人が飛ぶ速度よりもさらに速く、二人の周りを取り囲む。

 

「方角がわからない。面倒な事になったわね…」

 

「しかもこの霧、段々速くなっていってないか…?」

 

 魔理沙のその懸念は間違っていなかった。霧は彼女達の周囲を回転しながら段々とその速度を上げて行き、僅か二十秒後には、台風となんら変わりない風を巻き起こしていた。

 その台風と言ってもいい霧の風は、台風の様に中心は安全という訳でも無いらしく、彼女達もその暴風に巻き込まれる。

 目を開ける事さえままならないその状況が、一体何秒続いただろうか。段々と風が弱まっていき恐る恐る目を開けると、そこは空の上では無く、ただ広大な草原が広がっていた。

 

「私の下に辿り着くまでは…まぁまぁと言った所でしょうか。手当たり次第に人に聞く。地味に見えて案外それが一番、解決への近道だったりします」

 

 二人がその光景に一瞬呆然としていると、突然背後から現れた気配と共に、そんな独り言の様な言葉が聞こえてくる。

 彼女達は弾かれたように前方へと跳び、空中で体を捻らせる。その視線の先には先程までどうやってそこまで向かおうかと考えていた今回の異変の首謀者、八雲青の姿があった。

 

「な、なんでアンタが…」

 

「流石にこの幻想郷で私を探せと言われては、この異変は一向に解決しなくなってしまう。そう考えての判断でしたが、そこまで驚くことですか?」

 

「・・・そりゃあ驚くわよ。異変の黒幕が、自ら私達の下に来るんだもの」

 

「この異変に限って言うのであれば、私が貴女達の前へ現れるのはなんら問題ありません。この異変の最終目的を達成するには、遅かれ早かれ貴女達の前に姿を現す必要があるのですから」

 

「最終目的…?」

 

「そうです。この異変を起こした動機、とも言えますね。私は姉様に頼まれ、異変を起こすことになりました。その理由はこうして貴女達と対峙し、戦うことで今の貴女達の実力を見極める為です。ですので貴女達が私の下に辿り着くまでは全て前戯も良い所。本番はここからという訳です」

 

 青はそこで一息ついてから、彼女達の方に手を向け、言い放つ。

 

「さぁ戦いましょう。博麗の巫女に魔法使い。貴女方を見極めるために、私自ら相手をして差し上げます」

 

 その瞬間、彼の小さな体に似合わない程の膨大な妖力が溢れ出す。

 今まで対峙した誰よりも大きく、そして濃い妖力に無意識に一歩後退ってしまう魔理沙。一方霊夢はその姿を、ただ動かずに眺めていた。

 紫や藍と同じく八雲の姓を冠する者、八雲青。

 彼の持つ力のことは魔理沙共々宴会の翌日に紫から聞いている。《誑かす程度の能力》紫の持つ力と同じように、恐ろしい汎用性を秘めた力であることは間違いないだろう。

 今彼が放っているこの妖力も、現実かはたまた幻か彼女にはわからない。しかしそれがわかろうがわかるまいが関係ない。自分のすることはいつも通り、博麗の巫女として異変を解決するだけだ。

 霊夢は右手にお祓い棒を、左手の指の間にお札を挟み、目の前の妖怪を睨む。

 

「魔理沙、固まっていないでさっさと構えなさい。それとも、まさかとは思うけど怖いの?」

 

「はぁ!?ち、違うぜ!これは…これは武者震いだ!」

 

 誰も震えているなんて言っていないのだけれど…魔理沙の自滅に呆れる様に溜め息を吐くが、無事にやる気に満ちてくれた様で何よりだ。蛮勇でも無いよりマシだろう。

 今回の異変解決後の宴会のお代は全て紫に持ってもらおう。霊夢は呑気にそんなことを考えながら、一歩前へと踏み出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺傷力のある凶器の使用は禁止、廃人となってしまう程の精神への攻撃の禁止、勝利条件は相手を戦闘不能にすること。これでどうでしょうか?」

 

 自分の妖力に臆することなく自分の方へと踏み出した霊夢達に、青は唐突にそんなことを口にする。

 

「・・・いきなり何かしら」

 

「いえ、ハンデというものですよ。流石に私が本気でこの力を使ってしまえば、貴女達が死にかねませんので」

 

「随分となめられたものね。人間相手だからってそんな態度でいると痛い目を見るわよ?」

 

「貴女達は未来の幻想郷の担い手。今失う訳には行きません。私は貴女方のルールに従うつもりはありません。敵が常にルールを守ってくれる筈がありませんので。ですので貴女方も――」

 

 話し終えるよりも早く、青は指をパチンと鳴らす。その瞬間彼の周囲に計三本の刀が出現する。

 

「――殺す気でかかって来てください」

 

 青が完全にその言葉を言い終えると同時に、宙に浮いていただけの刀が動きを見せる。

 それはまるで見えない誰かの手によって押し出された様に凄まじい速度で二人の方へと向かい、腹を貫かんとする。

 

「おい!?発言撤回すんの早すぎだろ!?」

 

 そう遠くない未来で自分が戦闘不能になることを予感した魔理沙はすぐさま箒に乗り、自分の身を上空へと移動させようとする。

 しかし、

 

「落ち着きなさい!魔理沙!」

 

 突然の霊夢からの一喝。それによって、魔理沙は一瞬ではあったが体を強張らせ、固まってしまう。

 そして戦闘においてその一瞬は命取り。気づけば青の刀は、彼女のすぐ目の前にまで迫っていた。

 

「くっ!」

 

 避けられない。そう判断した魔理沙は咄嗟に腹を腕で覆い、傷を少しでも抑えようとし、これから訪れるであろう衝撃と激痛に耐えようと目を瞑る。

 しかし何時まで経っても痛み所か何かが触れる感触すらしない。恐る恐ると言った様子で彼女が目を開くと、そこに先程まで存在していた筈の刀は無かった。

 

「中々厄介な戦い方をしてくれるじゃないの…」

 

 訳が分からず困惑する魔理沙をよそに、霊夢は先程と同じく一歩も動かないまま、青を睨み続けている。

 しかしそんな彼女の威圧は、目の見えない青にとっては何の影響も無い。

 

「これが私の戦い方ですので。攻略のヒントを上げましょう。一度くらってみることです」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら青は右腕を横に薙ぐ。すると彼の周囲の空間が歪み、まるで別の空間から出てきたように、ニ十本近くの刀が現れる。

 

「なっ…!あの量を捌き切るのは流石に「落ち着けって言ってるでしょ!魔理沙!」な、なんだよ霊夢」

 

「怖がってないで前を見なさい。癪だけど、あいつの言葉を信じるのよ」

 

 そう言って霊夢は魔理沙の肩をガッチリ掴み、飛ばさない様に彼女の箒をはたき落とす。

 

「お…お前何やって…!」

 

 退路を断たれた上にあまりにも雑過ぎる箒の扱い。思わず魔理沙は霊夢に文句を言おうとしたが、青も彼の生み出した武器も、そんな行動を待ってくれる筈が無い。

 気がつけば先程と同じように二人の目の前に刃が迫っていた。ただ違うのは先程よりも凶器が増えたということと、魔理沙が臆してはいるものの目を開いているという事だ。

 そして結果的に言えば、霊夢の判断は正しかった。青の放った刀が彼女達の体に触れる。しかしそれは刺さることは無く、まるで初めから実態が無いかの様にすり抜け、そして消える。

 

「・・・は?」

 

「言ったでしょう。あいつの言葉を信じろって」

 

 その視線を未だに青へと向けたまま、霊夢は呆然とする魔理沙に語り掛ける。

 

「あいつは言っていたでしょ。獲物の使用禁止。八雲を名乗った以上、一つの言葉にもある程度の責任が伴う物。だからあいつが嘘を吐くとは考えにくい。なら、あいつが生み出す刀は全て偽者。私はそれに賭けただけよ」

 

「その判断の根拠は…?」

 

「博麗の勘よ」

 

「また勘かよ…便利な家系だな!」

 

 タネさえわかれば怖く無い。魔理沙ははたき落とされた箒を手に取りそれに跨り、勢いよく飛び立つ。霊夢はそんな単調な彼女に溜め息を吐きながらも、後を追う様に普段よりも速度を上げて同じく青の方へと向かって行く。

 

「よく気づきました。しかしその程度で勝てるのなら、私は大妖怪とは呼ばれていません」

 

 今度は逆に自分の方に迫ってくる二つの気配を感じながらも、青は冷静に再び右腕を横に薙ぐ。

 

「へっ!偽者だとわかってんなら、そんなのを怖がる理由なんて無いぜ!」

 

 先程の攻防で彼の力を理解した魔理沙はもう臆すること無く彼へと向かって行き、右手に持っている八卦炉を構える。

 彼女の後ろを追っていた霊夢も同じ様にお札に霊力を込めようとするが、そこで漸く青のことを、彼の周囲の光景が先程と違う事に気づく。

 

「ッツ!馬鹿ッ!今すぐ避けなさい!」

 

「え――ぐぁっ!」

 

 霊夢の言葉に魔理沙は困惑を示し、再び動きを止めてしまうという致命的なミスを犯す。

 魔理沙の体に刀が激突し、貫くことは無かったが彼女の身体に大きなダメージを与える。

 

「い、一体どういう――ゴホッ!」

 

「喋ってないで呼吸を整えなさい。言ったでしょう、厄介な戦い方をするって」

 

 魔理沙の体にを突いた刀を手に取ろうと霊夢は腕を伸ばすが、彼女の手が触れる前にそれは煙となって消えてしまった。

 本当に面倒な能力だなと、霊夢はあからさまに舌打ちをする。

 

「私は先程、殺傷力のある凶器の使用は禁止と言いました。ならば、これは問題無いでしょう?」

 

 先程魔理沙にダメージを与えた刀と同じ物――木刀を手で弄びながら、青は先程までとなんら変わりない口調で彼女達に言葉をかける。

 

「さぁ、次の段階へと行きましょう。木刀は真剣よりも殺傷力は遥かに劣りますが、それをくらい続ければ流石にしんどいのでは無いですか?」

 

 その言葉の直後、一度瞬きをした霊夢が再び目を開けると、そこには先程とは文字通り比にもならない。数百本の木刀が浮かんでいた。

 

「「なッ――!」」

 

「どれが実像でどれが虚像か。あるいは全て実像か全て虚像か。貴女達に見分けがつきますか?」

 

 青が指を鳴らすと、宙に浮いていた全ての木刀が一斉にたった二匹の憐れな獲物を、彼女達を目掛けて飛んで行く。

 

「――!」

 

 無理だ。どれが実体を伴っているのか否かなんて見極めている暇は無い。瞬時にそう判断した霊夢は陰陽玉を片手で持ち、もう片方の手で針妙丸からの預かりもの、打ち出の小槌を懐から取り出し、力いっぱい振る。

 

 『大きくなれ!』

 

 

 

 

 

 ドドドドドド――!

 

 

 

 

 

 

 青の放った木刀は、まるで矢の様な速度で霊夢が取り出した陰陽玉に衝突する。数百もの木刀が突き刺さるその姿は、最早殺傷能力の低い武器とはとても言えなかった。

 

「何を対象にしたかはわかりませんが…打ち出の小槌で巨大化させて攻撃を防ぎましたか。使用回数は減ってしまいますが、そうしなければ避けられなかったでしょうね。ある意味人間の限界と言えましょう」

 

「・・・やっぱりアンタはこれがあるのを知っているのね」

 

 自分の背丈の倍ほどの大きさになった陰陽玉の後ろで、霊夢は頬を伝う汗を拭いながら恨めしそうに口を開く。

 

「当然です。打ち出の小槌を貴女達に貸すべきだと針妙丸さんに話すよう藍に指示したのは私ですから」

 

「そんなことだろうと思ったわ。敵に塩を送るなんて、随分と余裕じゃない」

 

「本気で戦う前に敵が倒れてしまっては元も子もないでしょう。私は獅子と羽虫で戦い方を使い分けるタイプですので」

 

「それ、負ける奴の戦い方よ」

 

「負けませんよ。私は」

 

 陰陽玉の向こうから聞こえて来たその声には、一点の曇りも無かった。大した自信、そしてその自信に見合うだけの実力を持っている。

 

「魔理沙、生きてる?」

 

 このままでは勝てない。そう考えた霊夢は隣にいる相棒に青に聞こえないくらいの声量で話しかける。

 

「あ、あぁ、お陰様でな。あいつ滅茶苦茶過ぎるだろ…」

 

「妖怪なんてみんなそんなもんじゃない。それより魔理沙、今度はこっちから行動に出るわよ」

 

 打ち出の小槌が使えるのはあと一回。このまま耐え続ける事は出来ないと判断した霊夢は、魔理沙に自分の作戦を伝える。

 

「今から私はあいつを本気で倒しに行くわ。出し惜しみなんてしないし、殺す気で行く。貴女は今すぐ箒で飛んで、私の援護をして頂戴。暫くは援護に徹して、私が何とか隙を作るから、そこを突きなさい」

 

「それ、本当に上手く行くのか…?」

 

「さぁ?私の力量にかかっているわね。でも、あいつは今私達を舐めている。だからすぐにやられるなんてことは無いだろうし、貴女も飛んですぐ撃ち落とされるなんてことは無い筈よ。わかったらさっさと行きなさい」

 

「わ、わかった!わかったから蹴るなよ!ったく…」

 

 適当な作戦に本当に大丈夫なのかと不安を抱きつつも、魔理沙は蹴られた腰をさすりながら上空へと飛び立つ。

 それとほぼ同時に霊夢はいつの間にか効力が切れ小さくなっていた陰陽玉を手に取りつつ、青と対峙する。

 

「魔理沙さんの気配が上空に…何かなさるつもりですね。それは果たしてしっかりとした勝率を持った作戦か、それとも賭けばかりの無謀な物か。一体どちらでしょう」

 

「賭け…と言えば賭けになるわね。でも、アンタと同じで私は自分に、この技に絶対の自信を持っている。お望み通り、本気で行かせて貰うわ」

 

 そこで会話を打ち切り一度大きく深呼吸をした後、霊夢はたった一言、言葉を発する。

 

「《夢想天生》」

 

 幻想郷の守護者、博麗霊夢の最終奥義。それが今、解き放たれた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青、姉に頼まれ異変を起こす(伍)

「霊夢…お前の作戦、早くも前途多難みたいだぞ…」

 

 相棒である霊夢の指示で上空に滞在し、青の隙を伺うはずであった魔理沙であったが、その作戦は既に破綻しそうになっていた。

 確かに一人が敵を相手にし、もう一人が相手の隙が生まれるのを待つという作戦自体は悪く無いだろう。たった一人に敵を任せるという賭けは含まれているものの、格上相手では危険を冒さなければ勝つことは出来ない。きっと今霊夢と戦っている青も、彼女達の判断は悪く無いと言う筈だ。

 しかし――

 

「まさかまた、霧が濃くなってくるとは…流石に予想外だったぜ」

 

 そう、それが青の意図したものなのか否かは定かでは無いが、空に再び霧がかかってしまい、魔理沙は立ち往生せざるを得なくなってしまったのだ。

 一度地上に戻ろうにも、先程から下で繰り広げられている戦いの流れ弾が霧の向こうからかなりの頻度で飛んできており、下手に下に降りる訳にも行かない状況、大人しく一度戦況が落ち着くのを待たざるを得なくなってしまった。

 

「飛んでくる流れ弾の量から察するに、今の所霊夢が押しているみたいだが…」

 

 飛んでくる攻撃を箒を操作する事で軽々と避ける。その多くが霊夢との手合わせの際に見る弾幕であったことから、どうやら自分がここにいてもある程度戦いは拮抗している様だと少し安堵する。

 本気で倒しに行く。そう言った以上、霊夢が使用する技は自ずと一つに絞られる。

 霊夢だけが持つ必勝の技、夢想天生。彼女の空を飛ぶ程度の能力の集大成と言っても過言では無い。あらゆる存在や法則から浮く、逸脱することが出来る技。その力を実際に向けられたことの無い魔理沙の認識としてはこんな所だ。

 

「普段ならその技を出せば一発で決着が着く…筈なんだけどな」

 

 もうかれこれ五分以上弾幕が飛んできているあたり、やはり今回の敵はただものでは無いらしい。攻撃は当たらず触れる事すら出来ない霊夢を相手にどうやって戦っているのかはわからないが、流石は八雲紫の弟といった所だろう。

 

「ひょっとしたらこれ、いらないかもな」

 

 そう言って箒を掴んでいる方とは別の手を見る。その手は一本の傘――幽香に渡された傘を握っていた。

 幽香に渡されて困惑のあまりそのまま持ってきてしまったものの、正直戦いにおいては邪魔以外のなにものでもない。かといってその辺に雑に放っておけば幽香に何を言われるかわかった物では無い。非常に厄介な代物だ。

 

「一応あいつの力が籠っているみたいだが、正直これでマスパ打つ隙が無いよな」

 

 如何に一撃必殺の威力を持った自分の魔法でも、当たらなければ何の意味も無い。青の持つ力は、魔理沙には何かと相性が悪かった。普段ならもっと活躍できるのに…と彼女は肩を落とす。

 

「お、どうやら攻撃が一旦落ち着いたみたいだな」

 

 十秒ほど待っても弾幕が霧を突き破ってこないのを確認し、魔理沙は慎重に霧の中へと踏み込む。

 先程の激戦ぶりからして今はお互い様子を伺っている所だろう。幾ら楽観的な性格である自分でも、霊夢が勝利しているとは思わない。霊夢の様な勘という訳では無いが、魔理沙はなんとなくそうは思えなかった。

 なんてことをのんびり頭の中で考える時間がある程、今自分を覆っている霧は濃かった。しかし漸く視界が良くなっていき、先程まで見ていた草原が現れる。

 

「・・・え?」

 

 そう思っていたからこそ魔理沙は、霧の先に会った光景が信じられなかった。

 今彼女の目に映っているのは地面に膝を付き肩で息をしている青と、それを無傷の状態で見下ろす相棒の姿であった。

 

「ぐっ!はぁ…はぁ…!」

 

「夢想天生を使わなければ危なかったかもしれないけど、ざっとこんなものかしらね」

 

 いつもと変わらない様子で面倒くさそうに息を吐く霊夢に、魔理沙は声をかける事が出来ないでいた。

 いくら最終奥義を使ったと言えど、相手はあの八雲だ。一筋縄ではいかない筈。それをこうもあっさりと倒すなんて、自分には出来ない。

 自分と親友の圧倒的な力の差を見せつけられたようで、魔理沙は無意識のうちに傘を持っている方の手を固く握りしめていた。

 

「流石と言っておきましょうか…博麗霊夢…ゴフッ!驕るだけの実力は…!あるみたいですね…」

 

「誉め言葉として受け取っておくわ。そういうアンタは、戦う前に纏っていた妖力にしては呆気無かったわね」

 

 お互いに軽口をたたきつつも、霊夢はお祓い棒を青の方へと向ける。終わらせる気だ、この異変を。

 

「成程…確かにこの実力は先代の博麗の巫女達も凌ぐ。姉様の歴代屈指の逸材という言葉は正しかったという訳ですか――」

 

「取り敢えず、面倒だからアンタを倒して異変を終わらせるわ。話の続きはその後よ」

 

 ただ簡潔に。そう言って霊夢は手にしているお祓い棒を振りかぶる。

 

「――だが、まだ甘い」

 

 瞬間、世界が歪む。目眩のする程に体中に生じた違和感に魔理沙は箒ごと地面に落下しそうになるが、なんとか箒を急停止させることで持ちこたえる。

 落ちそうになった帽子を直し再び彼女達の方を見た時、今度魔理沙の目に入って来た光景は先程とは正反対の景色。地面に倒れ動けずにいる霊夢と、彼女の首を抑えつける無傷の青の姿があった。

 

「博麗の巫女としてでは無く、博麗霊夢としての奥義、夢想天生。姉様から聞いてはいましたが、まさかこれ程までとは」

 

 青の言葉に少しの間呆然としていた霊夢であったが、状況を理解し自分を見下ろす青を鋭く睨みつける。

 

「あ、アンタ、何時の間に…いえ、それよりもどうやって私に…!夢想天生が発動している時に私に触れられる奴なんて――!」

 

 気がついたら倒れていると言うこの状況には流石の霊夢も驚きを隠せず、何とか逃げ出そうと暴れる。しかし流石妖怪といった所か。彼女がどれだけ暴れても、地面に抑えつける手はびくともしなかった。

 

「私をあの程度で倒せると思わないことです。貴女の技が確かに強力であることは認めましょう。如何なる相手の攻撃を受け付けない、まさに反則と言っても差し支えない力です。しかし所詮はそれだけ。幾ら攻撃を受けなくても貴女は人間。貴女が放てる攻撃の威力には限界がある。博麗の巫女も人間だったということですよ」

 

 そこではない。確かに慢心があったのかもしれないが、彼女が聞きたいのはそこでは無いのだ。

 痺れを切らした霊夢は、自らその疑問を投げかける。

 

「そんなこ…とより、どうやって、私に触れたの…!」

 

「それこそ簡単な事です。私の能力を使用した。たったそれだけのことですよ」

 

 まるでそれが当然と言わんばかりに、青は淡々と霊夢に告げる。

 

「まさかアンタ…私の能力そのものに誤認させたの…!?私は夢想天生を解除したと…いえ、そもそも私は夢想天生を発動してすらいなかったの…!?」

 

「いえ、それも出来ましたが今回は違います。貴女の技、夢想天生は外部からのあらゆる干渉を絶つ技と姉様から伺っております。しかし貴女は人間である以上、どうしても空気との関わり――呼吸が必要になるなどの穴が生まれる。完全に外部との関わりを絶つなど、到底不可能な事なのですよ」

 

 まるで子供に言い聞かせる様にゆっくりと言葉を紡ぐ青は一度そこで話を止め、やがてまたゆっくりと話し始める。

 

「あの状態の貴女は世界の法則から限りなく逸脱していましたが、完全にはしていないようで助かりましたよ。完全な孤立でなければ対処の仕様は幾らでもあります。貴女の力も所詮、《程度の能力》に過ぎなかった。それだけのことです。まぁ、貴女は人間なわけですし、やろうと思えば最後まで能力で逃げ切って体力切れを狙う手段もありましたが、それはズルというものでしょう?」

 

 そう言いながら青は霊夢を取り押さえている方の腕にさらに力を込める。まるで先程までの荒い息が嘘であるかのように伝わって来る心拍は正常で、呼吸一つ乱れていなかった。実際疲れてなどいなかったのだろう。

 完全に遊ばれていた。その事実に、霊夢はギリ…と歯を食いしばる。

 

「貴女はここからどうするつもりですか?幻想郷の守護者たる以上、最後まで諦める事は許されません。ここからどう状況を覆すのか。私に是非見せてください」

 

 無茶を言ってくれる。爛々と輝いている瞳が、彼の閉じている瞼の先に見える様な気がした。

 今まで幾度と無く異変を解決して来た霊夢であったが、自分の動きを制限され、切り札も一切通じない今程追い詰められたことは無かった。それは神と対峙した時も、五大老を相手にした時も。

 自分はスペルカードルールというものに守られてきた。そう感じるには十分過ぎる状況であった。

 

「・・・ったりまえよ。こっちだって、伊達に巫女やってないのよ!」

 

 腕が自由なのは幸いだった。霊夢は側に転がっていたお祓い棒を握り、青の顔目掛けて投げつける。しかしその僅かな抵抗は、彼女を抑えているのとは反対側の手で容易く掴まれてしまう。

 

「魔理沙!」

 

 霊夢の言葉を聞くよりも早く、既に魔理沙は青の方へ突っ込んでいた。策なんて微塵も無い。完全な特攻であった。

 全ては友人を助けるために。彼女の止まっていた体が、漸く動き出した。

 

「(今のアイツに隙なんてねぇ!こうなったらヤケだ!)」

 

 魔理沙は器用に箒の上に立ち、いつもの様に八卦炉と、そして幽香の傘をもう片方の手で握る。

 自分達の切り札になり得る。幽香のその言葉が冗談では無い事は、この傘に宿る自分の魔力を遥かに超える妖力から容易に想像出来た。

 大妖怪という物は本当に恐ろしい。彼女は珍しく、そんな月並みな事を思った。

 

「特攻とは…単純な」

 

 叩き落としてやろう。青は彼女の周りの重力を操作しようと、魔理沙の方にお祓い棒を握った方の手を向ける。その時、初めて青の意識が霊夢から逸れた。

 

「油断大敵よ…!」

 

 この好機を見逃すものか。霊夢は懐から再び打ち出の小槌を取り出し、振る。

 

『小さくなれ!』

 

 本来は小人族のみが使える鬼の力が解き放たれる。対象は、彼女自身だ。

 急激な速度で小さくなっていく霊夢。目が見えない故にその状況に気づくことが出来なかった青は、彼女を抑えるべく重心を傾けていた為に霊夢の体が消えたことに対処できず、大きくバランスを崩してしまう。

 それはこの戦いで初めて生まれた、青の隙であった。

 

「ナイスだ霊夢!くらえ!」

 

 八卦炉と傘を強く握り、青に照準を合わせる。

 出し惜しみなんてしない。どの道これを耐えられたら終わりだ。自分の魔力と傘に込められた幽香の妖力。ありったけをくれてやる。

 

「恋心 ダブルスパァァアク!」

 

 二つの武器から放たれた巨大な魔力の波動はやがて一つに交わり、大きな力の奔流となって青へと向かう。そして防ぐ時間すら与えずに彼へと着弾するのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青、姉に頼まれ異変を起こす(陸)

「おーい霊夢、無事かー?」

 

 魔力を全て使い切ったことによる凄まじい疲労感を感じつつも、魔理沙は何とか地面に降り立つ。

 周囲を見回し霊夢を探していると、突然自分の前に肩で息をした霊夢が現れる。どうやら打ち出の小槌の効力が切れた様だ。

 

「うお、びっくりさせんなよ」

 

「アンタねぇ、いくらアイツを倒すためとはいえもうちょっと威力を考えなさいよ。もう少しで灰になる所だったのよ?」

 

「まぁ、結局無傷なんだからいいじゃねぇか。それに、あれくらいの威力が無いと仕留められなかったと思うぜ」

 

 そう言って魔理沙は先程まで青がいた場所へと視線を向ける。

 彼女の魔力と幽香の魔力、この二つが合わさったことで魔法の威力が格段に増大したのか、先程まで平らであった地面は広い範囲が抉れ、未だに煙が上がっていた。

 

「うわっ、原因である私が言うのも何だが、やっぱりちょっとやりすぎたか?」

 

「油断はしない方がいいわよ。アイツの倒れている姿を見るまで安心は出来ないわ。流石に無傷では無いだろうけど、倒れているかもわからないもの」

 

「おいおい、私の全魔力と幽香の妖力が合わさった技だぞ?それを耐えられたら流石に自信を無くすんだが――!」

 

 魔理沙がそう言った直後、二人は背後から気配を感じ、咄嗟に飛び退く。

 

「貴女方二人共、不合格。そう言わざるを得ません」

 

 そこにいたのは先程魔理沙の全力を防ぐ間もなく受けた筈の、無傷の青の姿があった。

 

「なっ…!お前、どうして!」

 

「やはり幻想郷の守護というのは、ただの人間には荷が重すぎるのでは…姉様は何故彼女達に…あくまで表向きである人間と妖怪の均衡がそこまで大事なのでしょうか…」

 

 その姿に驚愕する霊夢と魔理沙であったが、当の本人はそれが当然と言わんばかりに魔理沙の問いには答えず、ただ独り言を呟いていた。

 

「・・・まぁいいです。貴女方の攻撃は終わりましたし、今度は私の番ですね」

 

 終わらせることにしましょう。青のその言葉を受けて、二人は再び構え直す。もう力など殆ど残ってはいないが、このまま棒立ちしていてもやられるだけだと判断したからだ。

 しかし結果として、その考えた結果による行動は何の意味も無かった。青は彼女達の方に迫る訳でも無く、ただ一度指をパチンと鳴らす。

 

「「なっ――!」」

 

 絶句。二人の抱いた感想は、ただそれだけであった。

 青が指を鳴らしたその直後、周囲の景色が闇に染まった。世界が突然崩壊したと言った方が正しいのかもしれない。

 まるで硝子が割れる様に、しかし音も無く周囲の景色がバラバラに砕け散れ、残ったのは驚愕で固まる二人と、先程と変わらずに微笑を浮かべた青だけであった。

 

「まさか…!」

 

 突然何かを思い出したのか霊夢は弾かれたように動き出し、懐から咲夜から貰った懐中時計を取り出し、見る。

 咲夜から渡された、最後に見た時は何の変哲もなく一秒一秒を刻み続けていた時計。しかし今その時計の秒針は、どれだけ待とうとも動く事は無かった。

 

「(やられた!)」

 

 既に手遅れな状況にあることに気づき、霊夢は零すを固く握りしめ歯を鳴らす。

 それと同時に真っ黒であった景色がまるで時間が巻き戻るかのように修復されていく。しかし再び彼女達の目に映った景色は先程までいた筈の草原では無く、霧に包まれる前まで上空にいた博麗神社の地面であった。

 何故地面がこうも近くに見えるのか。その答えは首に添えられた手から容易に想像が出来た。つまり自分達は今、青に拘束されているということだ。先程までの自分と同じ様に。

 

「なっ!どうなってんだ!?」

 

 あまりに突然の状況の変化に驚く魔理沙であったが、青はその質問には答えずに視線を霊夢に向ける。

 

「霊夢さん、貴女は姉様から聞いていた筈ですよね?私の能力で作った世界では、体感で何日、何か月、何年経とうと時間が進むことは無い…と」

 

 確かに聞いていた。だからこそ霊夢は、そのことをたった今思い出せたのだから。

 

「貴女に懐中時計を渡せと咲夜さんに指示したのはレミリアさんです。しかしレミリアさんにそれを頼んだのは、他でもない私自身です。まぁ、やろうと思えば懐中時計が正常に動いているかのように見せる事も出来ましたが、それをしなかったのは貴女達が私の能力を看破出来るようにする為ですよ?これでも十分正解への手掛かりは与えたつもりです」

 

「い、一体いつから…」

 

「最初から。貴女達が草原で私と会った時から既に、あの空間は私の能力で作り出した幻でした」

 

 青は二人にそう告げた後、大きな溜め息を吐く。

 

打ち出の小槌(器用に動くことの出来る道具)も、幽香の傘(私に届きうる武器)も、懐中時計(力を見破るヒント)も与えました。それでもなお、貴女達は気づくことが出来なかった。正直、失望が大きいですよ」

 

 青の言葉に、二人は何も言い返す事は出来なかった。気づくどころか、その考えに至ることすら出来なかったからだ。

 懐中時計以外にも、あの空間が幻だと気づくきっかけは存在した。

 本来青には、世界の法則を変える力や重力を操作する力など無い。意思も実体も持たない法則という概念は、青の能力の対象外だからだ。

 霊夢の無想転生を世界の法則を捻じ曲げることで対処した。その時点で、彼女達は気付くべきだったのだ。自分達が青の術中にはまっていたことに。

 

「この世界を作ったのは、誰だか知っていますか?」

 

 動けずにいる霊夢と魔理沙に、青は突然そんな質問を投げかける。

 

「・・・三賢者。紫と華扇、隠岐奈の三人でしょう」

 

「半分正解といった所でしょうか。その認識は完全ではありません」

 

 一体何が言いたいのか。それを霊夢が問いただすよりも早く、青は再び口を開く。

 

「かつては外の世界の一部でしか無かったこの場所に幻想郷の基盤を作ったのが姉様…八雲紫。この世界に多種多様な動物、人間、そして妖怪を導いたのが茨木華扇。そしてこの世界に住む人間に生きる術を、独自の文化を与えたのは摩多羅隠岐奈。それは間違ってはいません…が」

 

 そこまで言って青は一度口を閉じ、顔を地面に倒れ伏している二人の耳元まで寄せ、告げる。

 

「博麗大結界を作ったのは、この私です」

 

「「――!」」

 

 それは今まで誰からも、先代博麗の巫女からも聞いたことの無い事実であった。

 

「外の者の認識を欺き、特定の者だけを幻想の世界へと案内する。欺くことは、私の得意分野ですので。いわばこの幻想郷全体が、私の能力の効果範囲内だということです。ですからこの世界にいる限り、私が後手に回ると言うことはありません。私と戦う時は、既に術中にはまっていると考えた方がいいですよ。まぁ、また戦う機会があるかどうかわかりませんし、それを知った所で、あまり意味はありませんが」

 

 青は二人の首を掴んでいる手の力を緩め、彼女達の首を軽く撫でる。するとその瞬間、二人の体はまるで石のように動かなくなってしまった。

 

「貴女達の体を欺かさせて貰いました。『もう貴女達は体力を限界まで消費してしまい、指一本動かす事が出来ない』と。あくまでただの疲労という認識にさせただけですので一時間程経てば回復すると思いますが…もう貴女達は戦闘不能状態。私の勝ちですね」

 

 そう言うと青は立ち上がり、神社の階段の方へと向かって歩いて行く。彼女達の方へ振り替えることも無く。

 

「強くなりなさい、若き者達よ。貴女方にはそうしなければならない責任がある。ルールに守られている中で驕ることなど、万に一つも許されません。私の見せる()()幻覚など、鬼のように気合だけで乗り越えてみなさい」

 

 その言葉を最後に青はもう二人に何も言う事は無く、空へと飛び去って行った。

 こうして今回の異変は終わりを告げた。それと同時に博麗の巫女と普通の魔法使い。その二人が初めて、敗北を喫した瞬間でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これでよかったのですか、姉様?」

 

 異変が終わりを告げてから数日が経った日の昼下がり。屋敷の縁側に腰かけた青は、湯呑みに入った緑茶を一口飲んで息を吐いた後、隣にいる己の姉に問いかける。

 

「えぇ、貴女に負けてから、霊夢も文句は言いつつも真面目に鍛錬をしてくれるようになったわ。ありがとう、青」

 

 笑みを浮かべながら紫は青に感謝を述べ、彼の頭を自分の胸に引き寄せ、頭を撫でる。

 

「それしても、霊夢一人、魔理沙一人ならともかく、二人同時に相手をして無傷で勝利するのは流石ね。多少腕が衰えていると思っていたのだけれど、健在な様で安心したわ」

 

「まだまだ人間二人に負ける程、私は年老いていませんよ。それにあのお二方はまだまだ精神面でも未熟。現に私の見せた幻覚は全て軽いものだったにも関わらず、彼女達は為す術も無くかかってしまいましたから」

 

「年に関係無く凄い事だと思うわよ。幽々子でも無傷という訳には行かないでしょうし」

 

「幽々子嬢が?冗談でしょう」

 

 自分の頭より少し上から聞こえてくる紫の言葉を、青は思わず鼻で笑い飛ばす。

 世界の法則に従わず、実態のある亡霊という例外的存在としてあり続ける。それでいて地縛霊の様に何かに縛られることも無く、さらには冥界の管理を任されている死を司る亡霊。

 彼女こそ常時無想転生している様なものであろう。質の悪い冗談はやめて欲しい。

 

「ちょっと!」

 

 己の色々と型破りな友人を頭に思い浮かべながらそんなことを考えていると、突然耳に姉のものでは無い騒々しい声が聞こえてくる。

 その聞き覚えのある、しかし過去に類を見ない程の大声で放たれたその声は無事に青の聞こえが良い耳へと入って行き、彼に耳鳴りを起こさせる。

 

「もう…何ですか、華扇」

 

 耳をつんざく様な甲高い声に思わず顔を顰める青であったが、しかしその声の主――華扇はそんな青に構うことなく、彼の眼前にまで迫り、再び荒々しい声を上げる。

 

「青、貴方霊夢に何を吹き込んだのよ!」

 

「別に何か特別なことを言った覚えはありませんが、どうかしましたか?」

 

「あの子、スペルカードルールが無くても戦えるようにと言って、鬼に殴り合いを挑みに行ったのよ!?」

 

 その言葉の直後、周囲がまるで水を打ったかの様に静まる。華扇の言葉を聞いた紫は数秒の間目を瞬かせていたが、やがてジト目で青の方を見る。

 青も暫くの間同じように固まっていたが、姉のジト目の視線を感じ、あからさまに首を左右に振って一言。

 

「やれやれ、愚直過ぎるのも困りものですね」

 

 怒られた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青の結婚生活(仮)

少し遅いですが明けましておめでとうございます。今年に入って初めての投稿です。
最近新しい作品を作ろうと構想を練っていまして、それに夢中になって番外編に全く手をつけていませんでした。ネタが思い浮かばないのも多少ありますが。
次の投稿がいつになるかはわかりませんが、どうか気長に、そして期待しない程度にお待ちください。
改めまして、今年も宜しくお願い致します。


「青、結婚しよう!」

 

 日が昇ってからまだ三時間と経っていない頃。

 朝食を取っている最中であった紫、青、藍、橙の四人の前に、突然障子を蹴破りながらそんなことを言い放つ諏訪子の姿があった。

 

「・・・別に構いませんが」

 

 青が了承した。

 こうして二人はめでたく結婚し、幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――んな訳無いでしょ!?」

 

 あまりに突然の出来事に一瞬意識がついて行けていなかった紫であったが、漸く状況を理解し、取りあえず自分から弟を取ろうとする害虫の頭を殴りつける。

 

「いった~…ちょっと紫、いきなり何するのさ」

 

「それはこっちの台詞よ!人の家に押し掛けて最初に出て来た言葉が告白ってどういうことよ!?」

 

 そこで藍と橙も漸く意識を取り戻し、橙は取りあえず朝食に影響が出ないようにと自分達の皿を素早く食卓から台所へと非難させる。藍は木枠ごと壊された障子を直そうと、和紙を取りに奥の部屋へと向かった。

 

「青もなんでそこで告白を了承するのよ!」

 

「だって…別に私は誰かの物になるつもりはありません。しかし外の世界ならいざ知らず、この幻想郷において結婚という物は所詮形だけの産物ではありませんか。一夫多妻がどうとか以前にそもそも幻想郷で結婚の規定など定められていませんし、結婚せずとも夜の営みは出来ますし、なんなら襲われますし」

 

「いきなり告白した私が言うのも何だけど、その考えもどうかと思う…虚しくならない?」

 

 諏訪子の突然の告白に唯一動じる事も無く朝食を食べ続ける青に、諏訪子ですら呆れた様に溜め息を吐く。

 

「青が何と言おうと駄目な物は駄目よ!貴女に青をやるつもりはないわ!」

 

「・・・過保護」

 

「これは普通でしょう!?」

 

 興奮した様子で捲し立てる紫を虫の様に払いのけながら、諏訪子は青の眼前にまで迫る。

 

「まぁ、聞いて貰って分かっただろうけど、紫がそんなこと許してくれる筈無いでしょ?」

 

「そうですね。なんとなくそんな予感はしていました」

 

「私もそう思ってた。だから、結婚生活を体験してみない?」

 

「体験…ですか?」

 

 結婚生活体験。聞きなれない言葉に青は思わず首を傾げる。

 諏訪子はコテンと首を傾ける青の反応に当然だと言う様にうんうんと頷き、そしてその仕草に若干の萌えを感じながら得意げに説明を始める。

 

「そう。一日だけ青が守矢神社に住んで、私と結婚したらこんないいことがあるんだよ~っていうのを知るの。まぁ、勿論多少悪い所は見つかると思うけど…そこは直せばいいでしょ」

 

「成程…面白そうでいいですね。私も一度結婚生活を体験してみたいと思ったことはありますし」

 

 疑似結婚生活というものを経験できる数少ない機会だ。経験は多いに越したことは無いだろう。

 最後の一品であるたくあんをポリポリと音を立てて食べながら、青はぼんやりとそんなことを考えていた。

 だがしかし疑似だからといって、青を襲いかけた前科のある粘着質な神の下に行くのを紫が許すかと言えば、そんなことは断じて無いのである。

 

「もう決定したことの様に話しているけど、一度青を襲いかけた貴女の下に、私がこの子を行かせると思うのかしら?」

 

「一回じゃないよ。青が守矢神社に来た時も襲ったし、なんなら昔結構な頻度でヤってたからね」

 

「ちょっと青、お姉ちゃんそんなこと聞いてないんだけど?結構な頻度でしてたの?」

 

「もう昔の事ですから、私は大して気にしていませんよ」

 

「まぁともかく、明日の朝まで青を借りて行くから、宜しくね!」

 

 無理矢理話を切り上げるや否や、諏訪子は青の手を取り立ち上がらせ、所謂お姫様抱っこの状態で青を担ぎながら部屋を出て行き、やがて空へと飛んで行ってしまう。

 

「諏訪子…青をお姫様抱っこするなんて…私もやったこと無いのに!」

 

 仮にもしここに藍がいたのならツッコミどころが違うと指摘していたのだろうが、残念な事に彼女は未だに戻ってこない。

 すぐさま追いかけようとスキマを開こうとする紫であったが、後ろからトントンと肩を叩かれる。

 

「姉様」

 

「青!?さっき出て行ったんじゃないの!?」

 

 顔をギリギリまで近づけて話しかけてくる青に驚く紫であったが、青はそんな彼女の反応を楽しむ様にクスクスと笑いながら話を続ける。

 

「ここにいる私は能力で作った分身です。姉様、取りあえず私は彼女の言った通り、一日だけ結婚生活を体験してみます。面白そうですし」

 

「な――!だ、駄目よ。もしも諏訪子に襲われたらどうするのよ?」

 

「私はそれでも構いませんよ。彼女一人だけなら、先の宴会の様な醜態は晒しません。ですから追いかけてこないでくださいね。もし姉様が私を取り戻しにいらっしゃれば、私は姉様を嫌いになるかもしれません」

 

「きら――!?」

 

 勿論、青の言葉は真っ赤な嘘だ。青が心の底から信頼し、甘える事の出来る数少ない人物である姉を嫌いになる筈が無いだろう。

 しかし弟一筋の紫としては、嫌われるかもしれないという可能性があるというだけで大問題であった。気づけば、考えるより先に口が動いていた。

 

「・・・わかったわ」

 

「ありがとうございます姉様、大好きですよ」

 

 そう言って青の分身は彼女の頬に口づけをし、その直後に煙となって消えてしまう。

 

「・・・なら、私の下からいなくならないで欲しいのだけど」

 

 青の言葉を易々と了承してしまった先程の自分を少しだけ後悔しつつも、紫は橙を呼ぶために台所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・という訳で。今日一日だけ私は諏訪子の夫になりますので、宜しくお願いします」

 

「はぁ、どうも…」

 

 突如として己の信仰する神が男を連れて来た。しかもお姫様抱っこで。そのツッコミどころがありすぎる状況に風祝の少女、東風谷早苗は困惑を隠しきれない。

 さらにはその妖怪は平然としながら自分に挨拶をしてくる始末。これでは気が抜けた返事になってしまうのも仕方が無いだろう。

 

「諏訪子様も、恋をなさるんですね」

 

「あの二人のは、恋なんていう程綺麗なものじゃない気もするが…」

 

 小声でそんなことをぽつりと呟く神奈子であったが、その言葉が早苗の耳に入る事は無かった。

 

「お、気になるかい早苗?私と青の、笑いあり(青を襲う事が出来たと言う愉悦)、涙あり(青を堕とすことが叶わなかったという悔しさ)のラブロマンス」

 

「ラブロマンス…是非お聞かせください!」

 

 いくら奇跡を扱える神の子孫だからといって、早苗とて年頃の少女。そう言った色恋ものへの興味だって人並みに存在する。

 しかも神と妖怪の恋愛という今後絶対に聞くことが出来ない様な代物。興味はない訳が無いのだ。

 己の問いかけに何度も首を振る早苗に、諏訪子は気を良くしたのか自慢げに青との馴れ初めを語り始める。

 

 

 

 

 ~十分後~

 

 

 

 

 

「違う…違います…私が想像していたラブロマンスじゃないですよそれは多分昼ドラでやっているタイプのやつです…」

 

 恋バナで聞かなければよかったと感じたのはこれが初めてかもしれない。なんだかんだ言って尊敬していた洩矢諏訪子という神のイメージがガラガラと音を立てて崩れ去った様な気がした。

 

「いやぁ、自分の恋バナを人に聞かせるのって結構恥ずかしいね。私まであの時の事を思い出して、ちょっと昂っちゃったよ。ねぇ青、ちょっと奥の寝室まで行かない?」

 

「いきなり何を言っているんですか?まぁ、望まれるなら受け入れますが」

 

「早苗の前で何言ってるんだお前達。まだ昼にすらなってないんだぞ?」

 

 両頬に手を当てイヤンイヤンと首を左右に振りながら顔を赤くする諏訪子と、彼女の隣に立ちながら平然としている青。早苗との温度差で風邪を引きそうだなぁと、神奈子は半ば現実から目を逸らしつつあった。

 

「と、ともかく、諏訪子様のお考えは理解しました。青さん、一日だけですが、どうぞ宜しくお願いします」

 

「そうかしこまる必要はありませんよ。この体である以上、私の方がお世話になることが多いでしょうし。こちらこそ宜しくお願いします」

 

「ね、家の早苗はいい子でしょ?流石私と青の子孫なだけあるよね」

 

「・・・ちょっと待ってください。諏訪子様、今何と仰いました?」

 

 何やらとんでもないことを聞いた気がする。早苗は恐る恐ると言った様子で諏訪子に問いかける。

 

「あぁ、言ってなかったっけ?青は早苗の先祖かもしれないんだよ。私、青としかヤッてないし」

 

「・・・まさかのデキ婚ですか!?」

 

「いえ、結婚はしていませんよ。だから夫婦の体験というものをやろうとしているのではないですか」

 

「お二方の関係はどうなっているのですか!?」

 

 常識にとらわれてはいけない幻想郷でもありえませんよ!?と頭を押さえて叫ぶ早苗。

 しかし早苗が知らないだけで、幻想郷にはそういう奴がかなり多い。しかも殆どがこの世界の重鎮であるという始末。

 どうか早苗に悪影響を与えないで欲しい。神奈子は切実にそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ早速新婚生活を送ろうって言いたいところだけど…夫婦って何するの?」

 

「それがわかっているから私を誘ったのでは無いんですか?」

 

「私が行き当たりばったりな性格なのわかってるでしょ?どうしよう、ヤる?」

 

「どうしてそっち方面にしか行かないんだ。この色ボケ共が…」

 

 脳内がピンク色に染まっている二人に神奈子は本日何度目かの深い溜め息を吐く。青は色ボケ扱いされたことに不満気であったが。

 

「・・・取り敢えずもうそろそろ昼だから、昼食でも作ってみてはどうだ?昔は家事は女の仕事だったが、最近はそういう考えも廃れて行っているらしいぞ」

 

「料理かぁ…青、出来る?」

 

「目が見えない私にそれ聞きます?」

 

 今更この神は何を言っているのだろう。愚問が過ぎるその発言に、思わず呆れて嘆息する。

 

「私ももう何千年もやってないからなぁ…全く出来ないや…私達、夫婦生活向いていないんじゃ?」

 

「まぁ、私には藍がいますから。家事をする必要はありませんし」

 

「私の所にも早苗がいる…ということは、嫁入りしようが婿入りしようが家事をする必要なんて無いってことだよね」

 

「そういうことになりますね」

 

 ホッと安堵の息を吐いている二人に、いつの間にか家事を押し付けられることとなった早苗は憐れみと若干の軽蔑の籠った視線を向ける。

 最早早苗の目に映る彼ら彼女らは妖怪でも神でもない。ただのニートだ。

 

「いや、よく考えたら結婚してからはそれでいいかもしれませんけど、少なくとも今はそれじゃ駄目じゃ無いですか?折角の夫婦体験の意味が…」

 

「確かに。ねぇ神奈子、他に何か夫婦らしいこと無い?」

 

「お前達考えなし過ぎるだろ…何を思ってそんなことを始めたんだ」

 

「「夜の運動会」」

 

「はぁああ…」

 

 決めた。今日一日は家を空けよう。何を当たり前のことを見たいな顔でこちらに顔を向ける二人に神奈子は顔を手で覆ってしまう。

 早苗は二人が話しているのを無視して昼食を作って来ると言って台所へと行ってしまった。それが本当なのかこの場から逃れるために出た嘘なのかはわからないが、ここから抜け出せたこと自体が羨ましい。

 

「取り敢えず、早苗がお昼を作って来るまではのんびりしてようか。やる事も無いみたいだし。あ、膝枕してあげよっか?」

 

「そうですね。まったりすることにしましょうか。それではお言葉に甘えるとしましょう」

 

 自分の気苦労も知らないで、元凶である二人は相変わらずマイペースに話をし、勝手にこの場を去ってしまう。

 何故だろう。神奈子は妙にムカついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ふぅ、お茶が美味しいですねぇ」

 

「そうだねぇ…」

 

 結局早苗が作ってくれた昼食に舌鼓を打った後、二人は神社の縁側に腰かけお茶を飲み、時に団子を口にしながら、のんびりとしたじかんを過ごしていた。のんびりとし過ぎていた。

 つまり何が言いたいのかというと――

 

「あ、見てください。日が山の影に隠れて行きますよ」

 

「もう一日も終わりなのかぁ。平和で何よりだよ」

 

 日が沈む…つまり昼食を取り終わってから凡そ六時間もの間、青と諏訪子はここの縁側に座って何もしていなかったということを意味する。

 夫婦の体験とは一体何だったのだろうか。結局彼も彼女も人間の夫婦なんてものはよくわからず、適当に始めた達成しなくてもよい暇つぶしであったという訳だ。

 

「結論だけを言うのなら、私達に一般的な夫婦生活は無理なようですね。検証が無事に終わったようで何よりです」

 

「まぁ、このまま青を紫の下に返すつもりなんて毛頭無いけどね」

 

「そんな事だろうと思いました。私も姉様には伝えておきましたし、大丈夫ですけど」

 

「いつ伝えたの?」

 

「私が貴女に抱き抱えられて家を後にしてからですね」

 

「?」

 

 頭にはてなマークを浮かべる諏訪子であったが、青はそんな彼女の気持ちに気づいているのか否か立ち上がり、珍しく自分の方から手を取って廊下を歩き始める。

 

「諏訪子、貴女は夕食を食べたいですか?」

 

「別に、今はそこまでお腹は空いてないよ。普段もまだ夕飯の時間じゃ無いし、早苗もまだ作ってないんじゃないかな?」

 

「そうですか」

 

 そこからまた暫くの間無言が続く。諏訪子にとってはその時間は苦では無かったが、何処に向かっているのだろうという気持ちはあった。

 しかし彼女がそう思い始めてから一分もしないうちに、その疑問は解消されることになる。

 

「ここ…寝室?」

 

 青が彼女の手を引いてやってきたのは、普段彼女が眠っている部屋だった。しかもご丁寧に押し入れから布団まで出され、敷かれている。

 

「先程神奈子に貴女の寝室の場所を聞いておきましてね。ついでに布団も敷いて貰ったんです。彼女には中々冷たい視線をいただきましたが」

 

 彼の発言に目の前に敷かれた布団。そしてゆっくりとその布団の上に座る――昼間よりも衣服を着崩した青。ここまでいけば、どんなに勘の鈍い人でも察することが出来るだろう。

 

「・・・珍しいね。青の方から誘ってくるなんて」

 

 本当に珍しい。今まで青とは数えるのが嫌になる程体を重ねてきたが、青の方から誘ってくるなんてことは一度あったか無いかくらいだ。少しは興味を惹かせることが出来たのかな?と若干嬉しくなる諏訪子。

 

「今日はそういう気分だっただけです。一時とはいえ、私自ら貴女のものになりに行っているんです。まさか夕飯前で体力が無いとは言いませんよね?」

 

「・・・勿論」

 

 諏訪子の返答に満足そうな表情を浮かべる青は、焦らす様にゆっくりと自分の体を隠す唯一の布である着物を脱いでいく。それを眺める諏訪子の目は、既に蛙ではなく蛇の目となっていた。

 寝室から甘い嬌声が聞こえるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・神奈子様」

 

「聞くな早苗。お前にはまだ早い」

 

 時間は少し経って台所。そこには頬を痙攣させつつも慣れた手つきで夕食を作る早苗と、彼女の耳を後ろから両手で塞ぐ神奈子という奇妙な構図が出来上がっていた。

 

「・・・全くあいつら、時と場所を考えてくれ。兎と同じで年中発情期なのか?」

 

「諏訪子様が青さんと結婚なさったら、毎日こんな感じになるんですかね」

 

「・・・かもしれないな」

 

「それは…嫌ですね」

 

「私もだよ」

 

 諏訪子には悪いが、万が一そう言う状況になったのなら、全力で反対させて貰おう。

 少し遠くから聞こえる水音とどちらのものかわからない嬌声を耳にしながら、神奈子の鬱憤は溜まり続けるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

退屈な世界でのひと時

告知です。
本日同時刻に新しい作品を投稿しましたので、よければ見てやってください。


「朝風呂というのも、偶にはいいものですね」

 

 天界。暇を持て余した高位の者だけが立つ事を許される神聖な地。その一角にそびえ立つ一際大きな屋敷の一室で、この屋敷の従者、永江衣玖は独り言を呟いた。

 厳密に言えば、彼女はこの屋敷の僕という訳では無い。しかし彼女に任された任、この屋敷の持ち主である比那名居家の一人娘、比那名居天子の監視役を任された時から、彼女はこの屋敷に住み込みで働いている。

 働いていると言っても基本的には天子の側にいるだけなのだから、彼女が面倒な事さえしなければ比較的楽な仕事だ。彼女が面倒な事をしなければ。

 不良天人の名は伊達では無い。実際衣久は今まで何度も彼女の無茶ぶりに付き合わされ、後処理を一方的に押し付けられてきた。面倒なのが嫌いな彼女からすれば、日々のスケジュールが埋まっているというのは非常に嫌なことであった。

 しかしある一時から、彼女の行動は見違えるように変化した。面倒ごとを起こす頻度が格段に、というか零に近くなっただけではなく、万が一そのような事が起きてしまった場合は、心の底から申し訳無さそうに自分に謝って来るようになったのだ。

 一体何が己の主を変えたのか。衣久はそのことが気になったが、その興味はすぐに失せた。なんにせよ振る舞いがいい方向に変わったのだ。追究しようがしまいがありがたいことに変わりはない。こうして朝風呂の時間すらも作れてしまったのだから。

 そんなことを考えながら、彼女は風呂場の扉を開け放つ。

 

「・・・は?」

 

「・・・おや?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 しかし、きっと今の状況を見れば誰しも共感してくれるだろう。風呂の扉を開けたら、そこには見知らぬ少年が水を滴らせて立っていたのだから。

 いや、少年というのは正しく無いのかもしれない。確かに見た目は少年だ。しかし水に濡れているからかはたまた別の理由か、妙な色気を感じた。幼き子供には出せない様な、大人の雰囲気が。

 そして水に濡れているということは、必然的に彼は体を洗っていた、もしくは洗った後ということになる。それはつまり、その少年が一糸纏わぬ姿であることを示していて――

 

「だ、誰ですか貴方は!?」

 

 気づいた時には顔は熱が感じられる程真っ赤で、大声で目の前の彼に問いただしていた。

 

「聞いた事の無い声…貴方はこの屋敷の住人ですか。ひょっとして、先程天子が言っていた従者ですか?」

 

「そ、総領娘様のことをご存じで…って、何でこっちに歩み寄って来ているんですか!?」

 

 近くに置いておいたのかタオルを首に巻いて脱衣所へと向かってくる少年――青に、衣久は咄嗟に顔を逸らす。タオルがあるのなら首にかけるのではなく、是非とも股間の部分を隠して欲しい。

 

「それにしても何故風呂場に…?ひょっとして私の下着を盗むつもりですか?別に構いませんよ。よく盗られますから今更気にしません。そもそもどうせすぐに脱がされる下着など、あまり意味はありませんから」

 

「貴方の周りは一体どうなっているのですか!?それに私はお風呂に入りに来ただけです!この格好を見ればわかるでしょう!?」

 

 そう主張する衣久だったが、なんだか裸の自分を主張している様で恥ずかしくなった。

 

「すみませんね、私はどうにも目が見えないので」

 

「あ…すみません」

 

 おかしい。何故自分が謝っているのだろう。

 お互いが裸で微妙な空気になっているこの状況に困惑していると、廊下の方からドタドタと音が聞こえ、もう一つの、脱衣所と廊下を繋ぐ扉が開かれる。

 

「衣久!どうした――グ八ッ!」

 

「そ、総領娘さまぁ!」

 

 青を一瞥した瞬間に色気に耐えきれず血を吐いて倒れた天子に悲鳴に近い声を上げて駆け寄る衣久。

 一方の青は軽く体をふき、のんびりと服を着ていた。この妖怪は、どこまでもマイペースである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、すみませんね。驚かせてしまって」

 

 風呂場での騒動から一時間程が経過した現在、三人の姿は比那名居家の一室、天子の部屋にあった。

 

「改めまして、八雲青と申します。妖怪の賢者八雲紫の弟であり天子の友人…?とでも言うべきでしょうか」

 

「は、はぁ…ご丁寧にどうも。既に総領娘様から伺っておられるようですが私も一応自己紹介を。永江衣玖といいます。厳密には天子様の従者では無いのですが…似た様なものと思っていただいて構いません」

 

 お互いが自己紹介を終えてから数秒の間、無言の時間が流れる。衣久からしてみれば相手は目が見えないとはいえ初対面の人に裸を晒してしまったのだ。気まずいなんてものでは無い。

 

「そ、それで一つお伺いしたいのですが…何故青さんは天界に?」

 

「あぁ、別に大したことはありませんよ。ただ天子に半ば拉致されただけです」

 

「天子様?」

 

「弁解は無いわ!悔いも無い」

 

「そこはせめてなにかあってほしかったです…」

 

 開き直って自信ありげに無い胸を張る天子に、衣久は呆れた様に首を振る。青はその仕草は見えなかったが、特に驚いた様子でも無い彼女にこれが日常茶飯事なんだろうなぁと少し同情した。あくまで同情しただけであるが。

 

「私の主が申し訳ございません。青さんにはすぐにお帰り頂けるよう手配致します」

 

「いえ、必要ありませんよ。天界というのもまた面白そうですし」

 

 自分としては遠回しに帰ってくれと伝えたつもりだったのだが、どうやら伝わらなかったらしい。いや、彼の浮かべている笑みが僅かに悪戯を思いついた子供の様に変化した辺り確信犯だろう。日々人の表情を観察しておいて良かったと、衣久は溜め息を吐きたくなるのを我慢しながらそんなことを思った。

 

「・・・と仰られていますが如何いたしましょう、総領娘様」

 

「勿論天界を案内して差し上げるわ!私がするから衣久は休んでても構わないわよ」

 

 もしかしたら今までの会話の中で今の言葉が一番驚いたかもしれない。比那名居家の当主から暇を出されたことは何度かあったが、いつも天子の無茶ぶりのせいで潰れてしまっていた。最早そのことに諦めをつけてはや数十年。とうとう暇を頂けたことに思わず涙が出そうになった。

 

「承知いたしました。では邪魔者は去ることにします故、青さんも是非ごゆっくり」

 

 そう言って衣久は一度深々と頭を下げ、天子の部屋を後にする。廊下に出た彼女はそのまま軽い足取りで自室へと戻り、溜まっていた本を読み始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天子が青の案内をすることが決まり彼らが比那名居家の屋敷を抜け出してから凡そ一時間程が経過した。現在二人は木陰の下に座り、幻想郷を上空から眺めている所であった。

 いくら小さな島が集まって出来た天界であろうとも、たった一時間で全てを見る事が出来る程狭くはない。しかし青はそのたった一時間を見ただけで天界の全てを見た様な、つまりは飽きてしまったのだ。

 天界には青の想像していた以上に娯楽という物が存在していなかった。彼とて長年生きて来たことから天人がそう言った俗世から離れた存在であることは認識している。しかし娯楽と言っても良い物が桃と退屈だけというのはあんまりでは無いか。常日頃から刺激を求める彼にとっては、言い方は悪いが生き地獄の様に感じられた。

 

「どうですか、天界は。地獄みたいでしょう」

 

「えぇ本当に。よく天人はこの浮いた島と桃と退屈だけで生きていけましたね。その点に関しては真に尊敬します」

 

 他ならぬ隣にいる天子本人が住む天界につまらないと堂々と言ってのける青も中々だが、どうやら彼女も同じ考えを抱いていたらしい。でなければ姉から不良天人などとは呼ばれないかと、青は以前の宴会での会話を思い返す。

 不良天人だのなんだの言われても刺激を求めに地上へと降りた彼女の行動は青には下手な天人よりも十分に理解出来た。自分は生まれた時から殆どを自分の屋敷で過ごしていたが、いざ自由となるともうあの頃の生活は苦痛に思えてしまうだろう。

 

「でも青様、住んでいる私が言うのも何ですがこの天界にはもう今まで見たものと同じ景色が広がっているだけですよ?青様を満足させることが出来るものがあるとはとても思えませんが…」

 

 彼女の言葉に青は一度考え込む仕草をする。正直これ以上面白みが無いのであれば、ここに長居する理由は無い。青としても早朝に天子によって拉致られた為に姉に何も伝える事が出来なかったのだ。きっと今自分の家は大騒ぎになっている事だろう。今回の件で紫と天子の中がより一層悪くなるのが確定した。

 

「そうですねぇ…どうやら周りに誰もいない様ですし、一発ヤッときます?」

 

「・・・丁重にお断りさせていただきます」

 

 多少の間はあったものの彼女の口から放たれた拒絶の言葉に、青は久しぶりに驚愕という感情を抱いた。彼女には一度自分の能力を発動している。確実に自分に魅せられているのにも関わらず自分からの誘いを拒否したというのが、過去に前例が無かったのだ。つまり青は生きていて初めてフラれたと言っても過言ではない。

 

「意外な返答ですね。自惚れという訳でもありませんが、てっきり貴女は私に心酔しているものだとばかり思っていました」

 

「確かに私は青様のことは好きですよ。ですがこのような場所で、しかもそう易々と身を捧げる程軽い女になったつもりも無いです。私には誰かに見られて興奮する様な性癖はありませんから」

 

「私だって無いですよ。それだけは勘弁して欲しいです」

 

 因みに青はマミゾウや諏訪子を筆頭に様々な者達による調教(本人はそう思っていないが、傍から見ればそうとしか思えない)によって羞恥プレイ以外なら全て許容出来るようになってしまった無敵の存在である。そして彼女達にとって青から欲しがる=何をしても許されるという意味であり、彼からの誘いというのは喉から手が出る程欲しいものなのだ。

 

「私からの誘いなど、滅多にあるものではありませんのに…まぁいいです。貴女の今の発言以外からは刺激を貰えなさそうですし、今日の所はお暇する事にしましょう」

 

「送らせていただきます。青様一人では何かと大変でしょうし」

 

「大丈夫ですよ。私の能力を応用すれば一度行った事のある場所へなら転移する事が出来ます。天子、今度からはきちんと玄関から私を誘いに来てくださいね」

 

 そう言って軽く手を振りながらも彼の体が徐々に透けて行き、しまいには煙となってこの場から完全に消え去ってしまう。

 次に青が訪れた際に退屈させることが無いように何か娯楽を用意しよう。あまり長い時間一緒にいられなかった天子は少しへこみながらもそう決意し、比那名居家の屋敷へと戻るのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青のバレンタイン的性活 上

お久しぶりの投稿です。バレンタインは書くしかないと思いました。
順調にいけば本日の何時もの時間にも投稿出来ると思います。バレンタイン特別編なのでバレンタインの内に終わらせたいです。


「ばれんたいん?」

 

 その日、何時ものように四人で食卓を囲っていた青は、突如として姉が発した聞き覚えの無い言葉に僅かながらに困惑の表情を表す。

 

「えぇ、そうよ。つい最近外の世界からの訪問者――宇佐美菫子によってもたらされた外の世界のイベントでね。青はきっと初めて聞く言葉でしょう」

 

「はい。なんですか?そのばれんたいん…?というのは」

 

「そうね…元々は皇帝の政策に異を唱えたことによって処刑された司祭――こっちで言う所のお坊さんね、ヴァレンティヌスを祭る日だったらしいけど…最近の外の世界では大分その本質は変化して簡単に言うのなら、女性が意中の男性にチョコレートを渡すイベント…と言えばいいかしら?」

 

「チョコレート…」

 

 青もチョコレートなるお菓子の存在は知っている。百五十年程前に姉が一度だけ外の世界から買ってきてくれたことがあり、その時の今まで食べたどのお菓子とも違ったその味に驚愕したのは懐かしい思い出だ。単純な美味しさとしては青は水まんじゅうの方が好みなのだが、あの例えようのない味と口の中でとろけるような食感は今でも記憶に色濃く焼き付いている。

 

「あのチョコレートを…女の人から貰うイベントなんですか?」

 

「えぇ、私も外の世界ではそう聞いた記憶があるわ」

 

「はいはい!橙がチョコレートを貰えたりしないんですか?」

 

「外の世界では友情の証として渡す友チョコなる物もあるみたいだけど…それは幻想郷の住人には伝わっていないわ。友達のいない宇佐美菫子が話す様な議題では無かったのね。だから主に幻想郷で言うバレンタインとは愛の証明…告白みたいなもの、かしら」

 

 姉がまだバレンタインについての説明をしているようだが、最早青にはそんなことは関係無かった。

 青は重度の――という程でもないが、割とかなりの甘党である。バレンタインというのは彼にとって、タダでお菓子を貰えるという夢のようなイベント。何やら告白とかいう単語も聞こえたような気がするが、チョコレートだけ貰って早々に逃げれば問題無いだろう。

 加えて恋が絡むという自分と自分を襲った彼女達においてこれまた重要そうなイベントだ。これは遊べる。その結論に至ってからの青の行動は早かった。

 

「姉様、どうやら今日は食欲が湧かないようなので私はこれで。もっと正確に言うのならば欲が朝食では無く別の遊び――チョコレートを求めていますので。では」

 

 そう言うが否や青は素早く立ち上がり、食事の場を後にしようとする。前々から思っていたのだが、青は時たま『お前、目見えてるだろ』と言いたくなるような行動をする。今の気が付いたら席を立ち廊下に出ようとしているという鮮やかな身のこなしも、その一つだ。

 しかし紫とて妖怪の賢者。その役職柄咄嗟の判断を要求される事など多々あった。青を外へと出してはならない。何故なら彼は自分が幻想郷の名だたる重鎮にとって(悪い意味で)影響があることを理解して動こうとしているからだ。非常に質が悪い。それに彼が立ち上がる瞬間、悪戯を思いついた様な、紫が青を外に出すようになってから何度か目にしたことのある非常に怪しい表情をしていた。幻想郷にとって不確定な要素は排除する。例え弟だろうと、それは例外ではない。

 

「藍、橙、取り押さえて」

 

「申し訳ございません青様。しかしこれも紫様のご命令。それに、貴方様は絶対に何かやらかす!」

 

「せ、青様、ごめんなさい…!」

 

 式神、八雲藍に橙。彼女達は例え八雲の下に就こうとも驕る事はせず、日々鍛錬に明け暮れている。日頃から鍛えている彼女達からすれば、普段姉の手を借りてのんびりと散歩するくらいしか運動をしない青を取り押さえるのは実に簡単だろう――

 

「全く、藍も橙もはしゃいで…謝るのは、私を捕まえてからにしましょうね」

 

 ――尤も、彼を取り押さえる以前に捕らえられるかどうかはまた別の話なのだが。

 青がしたことは至って単純。ただ何時もするように、自分の指をパチンと鳴らしただけだ。

 《誑かす程度の能力》青の持つ不可解かつ強大な能力が発動し、その瞬間彼の体は煙となって消え去る。

 この幻想郷において如何に速い速度を持った者でも、気配を消して不意を突くことが出来たとしても、青が後手に回るということはありえない。

 

「・・・やっぱり、簡単にはいかないわよね」

 

「も、申し訳ございません紫様。直ちに青様の居場所を特定し、後を――」

 

「仕方ないわ。もっと早くにこうなることを想定できなかった私の落ち度よ。青がこうなることくらい簡単に予想出来た筈なのに、どうして結界を貼らなかったの過去の私…」

 

 思わず頭を抱えそうになる紫であったが過去を嘆いたって仕方が無い。ここは大人しく合理的に――結果を天に任せるとしよう。彼を捕らえるということにおいては、絶大な力を持った妖怪の賢者ですら難しいのだ。

 

「せめてあの子が騒ぎを起こさない様に祈るとしましょう。・・上げようと思っていたけど、私からのチョコレートは無しね」

 

 しかしそんな紫の祈りをあざ笑うかのように、青は簡単に問題行動を引き起こす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・という訳で今日はバレンタイン、チョコレートを貰いに来ましたよ」

 

 場所は変わってここは白玉楼。自身の能力を使用し冥界へと転移した彼は、気配を感じて彼の下まで来たこの屋敷の主に開口一番そんな言葉を投げかけた。

 姉曰く月には量子論に基づいて物体を空間的に把握しあーだこーだする転移を使う月人がいるらしいが、青からしてみればその様な複雑な手段を使うなど愚かの極みだ。

 青が転移する際に必要な準備はたった二つ。まず初めに幻想郷中を覆っている自分が作った博麗大結界を経由して転移したい場所に自身の幻を作り出す。そして次に能力を使いその幻影を本体に、今の本体を幻影に変換する。たったこれだけ、時間にして数秒も要さない超簡単作業である。

 

「・・・青ちゃん、確かに私もバレンタインというイベントは紫から耳に挟んでいるし、貴方にあげるつもりもあったけど…流石に早すぎるわ。今何時かわかってる?」

 

「私の起きた時間から推測するに、午前七時頃ではないですか?」

 

「わかってるなら来ないで欲しかったわ…私、まだ朝ご飯食べていないのよ」

 

 彼女の言葉と同時に、ぐぅ…と腹の音が聞こえる。今この場にいるのは自分と彼女だけ。誰の腹の音がなったのかは明白だろう。

 

「むぅ…それなら仕方ありませんね。しかし私を待たせた分、質のいいものを用意してくださいね。私が驚きの声を漏らすくらいの」

 

「青ちゃんが早まり過ぎただけじゃない…」

 

 彼女が何か言っている気がするがそんなことはどうでもいい。青は何かを望むときに、質だけを望む、あるいは量だけを望む様な謙虚な妖怪では無い。質の良い物を大量に、それが彼の望む理想だ。

 その為に使えるものは何でも使う。例えそれが、自分の体であろうとも。

 紫が祈っていた平穏が、当然の如く崩されようとしていた。

 

「・・・そうですねぇ…いくらそういった行事であるとはいえ、私だけ一方的に貰うのは申し訳ない。私も一肌脱いで、貴女達に与える事にしましょう」

 

 そう言って青は――本当に脱いだ。

 あまりにも突然の彼の奇行に目を瞬かせる幽々子。普段の常に周りに振り撒く笑みなど一切無い、完全な素のリアクションであった。

 前にも言った通り、青は下着というものを着ない。動く際に煩わしく感じるというのもあるが、着ていた所でどうせ行為の後や風呂に入っている時に盗まれるのだ。ならば初めからあってもなくても変わらないという大分頭のおかしい理論の下、ノーパンツノーライフを貫いてきた。

 彼の着物がズルズルと音を立て落ち、彼女達喰う者にとっては幾度と無く見た、しかし飽きを感じさせるどころか一層魅力を感じさせる裸体が露わになる――かに思われたが、

 青は何の対価も無しに欲しい者を、欲しい光景を見させる程聖人では無い。彼の裸体は殆どが見えていたが、胸や股間の辺りは何処から現れたのか細い布で隠されていた。

 いや、布と表現するのは少し大雑把すぎるかもしれない。彼の体を隠しているのは、正確に言えば誰かへの贈り物を包装する際に使う布――リボンだ。

 それが彼の首や腕、胸に足の先まで彼の肌の上を縦横無尽に駆け巡っており、如何にも身動きが取れませんと言わんばかりに青は両腕を交差させて上へとあげる。一見純粋そうな少年が縛られているというその構図は、見た者の支配欲を激しく刺激するだろう。

 その様ないつでも襲われかねない姿なのに関わらず青は挑発的な笑みを浮かべ、自身の唇をペロリと舐める。今の彼の姿、仕草の全てを加味して率直な感想を言うとするなら、もの凄くエロい。最早能力とか関係ないし必要無いのではと思うくらいエロい。

 

「私の最も気に入ったチョコレートをくださった方には私もお返しをすることにしましょう。プレゼントは私ということで――ね?」

 

 その瞬間彼女の目つきが変わったのを、青は敏感にも感じ取った。

 何時もの彼女の笑みを浮かべた時の目でも、食べ物を前にした餌を見る目でも無い。絶対に逃がさないという強い意志を含んだ、相手を喰らう時の目だ。その凄みは普段の情事の際の比では無い。

 やはりこのネタは使える。自身の体は幻想郷のおける最高の宝なのだと、青は文字通り身をもって実感した。

 

「青ちゃん、貴方…どうしてこんな朝早くから私をその気にさせるの?貴方から来たってことは、朝食の前に貴方を食べちゃってもいいのよねぇ?」

 

 食べ物を前にした時の幽々子の動きは普段の比では無い。どうやら今この場においても、その認識は適応されるらしい。気が付けば彼女は、自分の目と鼻の先まで迫り、自分の肌に触れていた。生まれてこのかた瞬きというものをしたことが無い青であったが、恐らくこの様な動きを一瞬と言うのだろうと呑気にそんなことを考えた。

 しかし青とて彼女に大人しく食われるつもりは無い。先程言った通り、自分はこの日においての景品なのだ。そうでなければ、美味しいチョコレートを食べる事が出来ない。

 なのでその気にさせるだけにしておこう。そう考えた青は完全に押し倒されるよりも早く彼女の服の襟を掴み、少々強引に唇を重ね合わせる。

 彼女達によって鍛えられた舌技を存分に発揮し、幽々子の舌を弄びながら長い長い口づけを楽しむ。相手に楽しむ隙など与えない。何度も言うがこれは挑戦者を焚き付ける為の行為であり、報酬では無いのだから。

 一方的に彼女の味を堪能した後、青は彼女の口を解放する。間には銀の橋がかかるが青はそれを舐め取ることも掬い取ることもせずに、幽々子の耳元に口を持って行き、吐息と艶をたっぷり含ませた声で囁く。

 

「楽しみにしていますよ。私だけのお姫様…」

 

 直後、彼は何時ものように指を鳴らし、己という存在を曖昧にする。数秒の間の空間の歪みが直った頃には、既に彼の姿は白玉楼には無かった。

 

「・・・チョコレート、作りましょうか」

 

 今日ばかりは食を優先している暇など無い。味見で腹を満たそう。幽々子は一度自分の唇に触れた後、紅くなった頬もそのままに台所へと向かって行くのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

青のバレンタイン的性活 下

 青の誘惑の効果は絶大であった。

 白玉楼を去った後も青は守矢神社に太陽の畑等様々な場所を回り、同様の方法で彼女達を誘惑し、焚き付けた。その結果現在彼の目の前には幾つかのチョコレートの箱が塔の様に積み重なって存在している。

 普通の人間ならこの量を食べれば糖尿病まっしぐらだろうが、妖怪のかかる糖尿病など存在しない。青はその鋭い嗅覚でチョコレートの匂いを堪能しながら、誰の物から食べようかと思考を巡らせる。

 青が動いた事による幻想郷への被害は以外にもあまり多くはなかった。ただ青を自分のものにすべく動き出した幽々子達によってチョコレートが全て買い占められ、ただでさえ幻想郷では貴重なチョコレートが大暴騰した程度だ。彼女達にとっても中々の量の出費であったが、値段を付けることの出来ない青を手に入れるチャンスなのだ。金なんぞ幾らでもドブに捨てる。

 一応言っておくがここにあるチョコレートの全てが優勝賞品への権利を持っている訳では無い。例えば箱の積み重なった塔の下から三番目にある他の物よりもシンプルな包装のチョコレート。

 これは紅魔館に住むフランドール・スカーレットから、以前遊んでくれたお礼と称されて貰ったものだ。流石にこれを対象にするわけにはいかない。『フランさんに私を食べて貰いに来ました』なんて言って紅魔館を訪れでもしたら、即座にレミリアの手によって映姫の下に連れて行かれるだろう。地獄行き確定である。

 本来ならば橙と藍、そして姉もチョコレートを作ってくれる筈だったらしいのだが、姉の許可なしに外に出たので全て無かったことにされた。一体自分のしたことの何がいけなかったのだろうと、青は純粋にその様な疑問を抱いた。

 そしてフラン以外にも想定外として、風見幽香が存在する。まさかチョコレートに関してどうこうを説明するよりも前に美味しく頂かれるとは思いもしなかった。流石に優勝賞品を勝手に食べた彼女はルール違反ということで、このイベントに参加する事は叶わなかった。本人は青を味わえただけで十分に満足していたが。青としても襲われたことよりも、チョコレートを彼女が結局用意してくれなかったことの方にショックを受けていた。

 

「最初はどれに…これにしましょうか」

 

 そう言って青が手に取ったのは、マミゾウから貰ったチョコレートであった。

 因みに青はどのチョコレートが誰の物なのかは理解している。と言っても目が見えないのでただ渡されただけでは判別はつかない。青は彼女達からチョコレートを貰う際に、包装ほ端に少し切り込みを入れて貰ったのだ。それぞれが形の違う切り込みを入れる事で、青が誰のチョコレートか触るだけで判断に出来るというものである。

 手で模索しながらもなんとか包装を開け、その中にあるチョコレートを一つとって口に入れる。

 

「・・・意外ですね。ちゃんと甘くて普通のチョコレートです」

 

 食べてみると意外や意外。極めて普通のチョコレートであった。口溶けも滑らかで喉の奥へと甘みがスー…と入って来る。恐らくこれはミルクチョコレートの類だろう。

『お前にはお子様用のミルクチョコレートがお似合いじゃよ』と言われている様で腹が立つ。被害妄想かもしれないが、それ程までに彼女が何の仕掛けも無しに純粋に普通のチョコレートを渡したことに驚いているのだ。

 全部食べてしまいたいが、万が一全種類食べ切る前に腹が膨れてしまっては誰が優勝を手にするかを決められない。後で橙にも上げようと思いつつ、青は次の箱に手を伸ばす。

 

「さてさて、一番最初に伺った幽々子のチョコレートですが、一体どんな仕上がりになっているのやら――うん、これも中々の味。箱の大きさ的に量も多い様ですし…沢山あって美味しいという私の理想を体現してくれていますね」

 

 幽々子のチョコレートはマミゾウの物よりも苦みが強い、所謂ビターチョコレートという物であった。チョコレートの甘さにチョコレートの苦みでつり合いを取るのは如何なものかと思うが、彼女もまたマミゾウに負けず劣らず美味しい。それなりに長い間友人として彼女を見て来たが料理をしている様子など一度も見たことが無い。恐らく妖夢に手伝って貰ったのだろう。

 彼女達のどちらが上かと聞かれたら非常に悩ましいが、取り敢えず次のチョコレートを食べよう。自分がこの味に飽きてしまう前に。

 

「これは…ルーミアの物ですかね。何か変なにおいがしますけど」

 

 既に本来チョコレートからしない様な香りが漂っている。考えてみれば彼女が料理をしている事などただの一度も見たことが無かった。ひょっとして彼女は料理が下手で、この中に入っているのは謎の物質なのではないだろうか。

 しかし目が見えない上に匂いで判断がつかない以上、実際に食べるしか方法は無くなる。今まで長い間生きてきたが妖怪を絶った一口で殺す食べ物なんてお目にかかったことが無いから多分大丈夫だろう。

 青は暫くの間口の前でチョコレートを持つ手を止めていたが、やがて意を決してそれを口の中に入れる。

 

「・・・ちょっと個性を出し過ぎでは無いでしょうか」

 

 結論から言うのならば、別に食べられなくはない。たった一つ隠すことの出来ない隠し味が使われている以外は、至って普通のチョコレートだ。因みにその隠し味とは彼女がよく食べる人肉である。

 青も妖怪である為に人肉は食えなくはないが、妖怪としてそれなりに力をつけてからは殆ど食べなくなった。殆どの大妖怪がそうなる中で、一人だけずっと人間を食べ続ける彼女が異常なのだ。出来れば偏食家の基準で贈り物を作らないで欲しい。

 ともかくこれは今のうちに食べておこう。今はチョコレートの甘い香りがあるお陰でそこまで気にならないが、その匂いが消えた際に血生臭い香りが部屋から漂ってくるのは勘弁だ。

 微妙に肉としての柔らかい食感が残るチョコレートを完食した後、青は次なる箱へと手を伸ばす。

 実を言うと、今日青が貰ったチョコレートの数はあまり多くはない。幻想郷では友チョコという物の存在が知られていない為に、青にチョコレートを渡すのは彼のことが本気で好きである者だけだ。フランドールという自ら友チョコと似た様な発想を思いつく人物もいたが、彼女は唯一の例外と言って良い。そして彼の事を本気で愛している者の中で、青を襲いたくないなんて人物は存在しない。

 今彼の前に残っている未開封の箱は、フランのを含めて三つ。天子やぬえ等会うことの出来なくて声をかける事が出来ずチョコレートを貰えなかった人物も存在するが、それでもチョコレートは六つ貰う事が出来た。そもそも材料が外の世界に比べて圧倒的に少ないことを考えれば、そこそこの量を貰うことは出来ただろう。

 自分が査定すべきチョコレートは残り二つ。そのうちの一つを無造作に取り、包装を剥がす。

 

「これは諏訪子の物ですか。では一つ、いただきましょう――ッ!」

 

 油断していた。一つ口に入れてからそう時間も経たないうちに、青の体を異様な感覚が駆け巡る。それは普段は感じない、しかし今まで何度かは味わった事のある感覚で、つい最近だと宴会の際に体感した体の火照り――媚薬を飲んだ際に現れる症状であった。

 

「やってくれましたね諏訪子…このチョコレートに媚薬を入れても、貴女に得は無いでしょうに…!」

 

 ルーミアといい諏訪子といい、貰ったチョコレートに個性がありすぎてはいないだろうか。彼女達は食べ物を粗末にしてはいけないと教わったことが無かったらしい。どうしようもなく体が火照るがこれはルーミアのチョコ同様橙にあげることは出来ない。青は暫くの間悩んだが、結局そのチョコレートを食べる事にした。ゴミ箱に捨てたとして万が一蟻にたかられたら困るし、一度口にしてしまった以上どれだけ食べても発情していることに変わりは無いだろう。

 体の火照りを冷ます為に彼女の下へ向かうとでも思ったのだろうか。当然彼女は失格だ。例え理性が無くなる程に気持ちが昂ったとしても、絶対に彼女の下には行かない。

 

「あぁ、ムラムラする…取り敢えず、次のチョコレート…萃香のを食べましょう」

 

 そう言って青は残っている箱の包装を少々乱雑に剥がし、中のチョコを一つ手に取る。彼女も例に漏れず手作りの様だが、他のチョコとは違い触れてわかる程形が歪なのが如何にも大雑把な鬼らしい。青としては形なんて見えなければ意味が無いので、味さえよければ何でもいいのだが。

 そしてそれを口の入れようとした時、彼は気づいてしまった。チョコレートから嗅いだことのある匂いがする。それは媚薬と同じく、宴会の際に嗅いだ未だに記憶に新しい匂いであった。

 

「よりによって諏訪子の後にこれですか。萃香のに限って言えば何となく嫌な予感がしていたんですけど…」

 

 萃香のチョコレートは彼女らしく、中から酒の匂いがした。これは諏訪子とは違い一切の悪意は存在しないのだろう。青も姉から外の世界には酒を使ったチョコレートがあることを聞いているので、彼女の作ったチョコレートが悪いと言うつもりは微塵も無い。

 しかし今は状況が最悪だ。鬼の飲む酒で造られたという事は、このチョコに使われている酒も度数はかなり高いだろう。宴会の際の醜態が頭をよぎる。流石に自分の家で能力のタガが外れるのは不味い。橙を発情なんてさせてしまったら、藍に間違いなく怒られるだろう。

 だからといって萃香の作ったチョコを食べないのもそれはそれで後で彼女に何をされるかわかったものではない。青は悩みに悩んだ挙句、萃香のチョコレートを食べる事にした。今日は自分の家で寝るのはやめよう。明日の朝にここにいなければ姉に心配されるかもしれないが、それは全責任を媚薬を入れた諏訪子に押し付ければ解決する筈だ。万が一自分が理性を失ってもすぐさま転移出来るように能力を発動しながらも、青は萃香の作ったチョコレートを口に入れる。

 

「美味しい…」

 

 その言葉は、彼が意図して言ったものでは無かった。マミゾウや幽々子の作った物も十分に美味しかったが、萃香のチョコレートはそれを遥かに凌ぐ出来だった。これが店の商品だと言われても信じてしまうかもしれない。この形の歪さが無ければ、彼女が作った物だと信じなかっただろう。

 

「美味しい…美味しいですけどぉ…!」

 

 宴会の時に感じた感覚が彼を襲う。能力が自分の体の中で暴走を開始しようと暴れ回っているのがよくわかる。青はそれを力づくで抑える様に胸を片手で押さえながらも震える指を何とか鳴らし転移に成功する。

 

「うぉっ!青か!?いきなり私の前に転移す――わわっ!」

 

 突然自分の目の前に現れた青に驚いた伊吹萃香は状況を確認する暇も与えられずに青に押し倒される。今まで青を押し倒す事はあれど押し倒される事は無かった彼女にとって今の彼に馬乗りにされているこの状況は更なる混乱を与えることとなったが、青は彼女の気持ちなどお構いなしに話を進めていく。

 

「すみませんね萃香…文句があるなら媚薬を飲ませた諏訪子に言ってください。約束通り、貴女に私というお返しを渡しに来ましたよ。能力という厄介なおまけつきですが…!」

 

 そこでとうとう限界が来たのか、青の持つ『誑かす程度の能力』が制御を失う。突然の事で全く精神面の警戒をしていなかった萃香はその影響で僅かに頬が赤くなり、しかし漸くその言葉と状況を理解したのか爛々と目を輝かせた。

 

「いいんだな…いいんだよな青。お前のことを食っちまって!」

 

「えぇ、どうぞ好きなように使ってください。どうにも体が火照って仕方ないんですっ…!」

 

 姉曰くバレンタインにはホワイトデーというお返しをする日が決められているらしいが、そんなことは知ったこっちゃない。自分は今すぐに、萃香に食べて欲しいのだ。

 結果的に二人は眠ることは無く、太陽が昇るまでお互いを貪りあった。いくら無尽蔵の体力を持つ彼女と言えど青の能力による魅了効果と彼のテクニック、そして朝までの長丁場というトリプルパンチは相当キツかったらしく、バレンタインの翌日には酒を飲む余力すら残っていない鬼という非常に珍しい光景が見られたとか。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初めまして(上)

「何ですか、これ?」

 

 突如として自分の手の上に置かれたズッシリとした何かの感触に、青は思わず怪訝な表情を浮かべる。

 今彼がいる場所は永遠亭。普段通りのんびりと過ごしていた青であったが、突然屋敷を訪問して来た永琳の手によって半ば強制的に永遠亭へと連行されたのだ。

 青としてはせめて藍に一言断ってから外出するべきだと思ったのだがその暇すら無く、気が付いた時にはお姫様抱っこ状態で外へと運び出されていた。普段は冷静で人の話を聞く彼女が問答無用と言った様子で自分を連れて行くのだ、余程自分に見せたい物があるらしい。

 青自身も先程誰か家の者がいないと帰る際に困ると抗議した時に彼女の口から出て来た『今日は必要無い』という言葉が非常に気になっていたのだ。拘束されているこの状態で何かが出来るとは思っていないし、大人しく連れ去られる事にしよう。そう考え永遠亭へと拉致され部屋に通されるなり渡されたのが、今自分が手にしているよくわからない何かだ。一応落とさない様にと注意はしているものの、やはり何度経験しても知らない物が手のひらに乗っているのは怖い。仮に少しでもこの物体が動けば躊躇なく床へと叩き落とすだろう。

 

「ついこの間適当に薬を弄っていたら面白い事を思いついてしまってね。それを河童に話してみたら向こうが乗り気になっちゃって、二人で機械の部品とかを切り離してくっつけて、色々試した末に生まれたのがその装置よ。デザインも大きさも全く考慮していなかったから、一応は試作品ということになるのだけれど」

 

「貴女…機械を弄る事も出来たんですね。流石自ら天才を名乗っているだけあります」

 

「機械と言っても月の都で使用されていた物よりかは遥かに単純だもの。安直な名前を付けるなら、『盲目の人の目を見える様にする装置』といった所かしら?」

 

 永琳の口からさり気なく出て来た言葉に青は今日一番の驚きを見せた。普段は殆ど変化することなく常に微笑みを浮かべ続けているその表情があからさまに変化する。

 

「・・・本気で言っているんですか?」

 

「本当よ。だからこそこうして貴方に被検体になって貰おうと連れて来たんじゃない。この幻想郷で盲目の知り合いなんて貴方だけだもの」

 

「にわかに信じられないんですが…河童の技術は凄まじいですね」

 

「流石に盲目の人間の視界を取り戻す技術は河童にも外の世界にも無いわよ。そうね…貴方は電気は知っているでしょう?」

 

「えぇ、科学とやらに疎い私でもそれくらいは存じ上げています」

 

「実は生き物の体も電気の回路の様になっていて、脳から信号を送っているのだけど…目が見えない人はその回路に何らかの異常をきたしているのよ。それを月の技術を搭載したこの装置で補う事で、盲目の人の視界を取り戻す事が出来るって訳。そもそも生き物の脳は右脳と左脳にわかれていて身体への命令は主に――」

 

 永琳の説明を青は黙って聞いていたが、正直あまり頭には入ってこなかった。青にとっては理屈よりも、目が見えるようになるのかという結果の方が遥かに重要だからだ。

 

「・・・ちょっと、ちゃんと聞いているの?」

 

「いえ、聞いていませんよ。そんな事よりも早くこの装置を使わせてください」

 

「貴方ねぇ…まぁ、今回は私が貴方に被検体として協力して貰っている側だから大目に見るわ。それじゃあ装置を取り付けるから少しだけ待っていて頂戴」

 

 そう言って永琳は一度青の手から装置を取り上げ、彼の後ろに回り装置を位置を調節しつつ頭へと装着する。

 

「重いですね。これでは首が痛くなりそうです」

 

「あくまでも試作品段階だと言ったでしょう。重いし大きいしバッテリーも長くは持たないから日常での使用には向かないわ」

 

「ばってりー…とは何ですか?」

 

「簡単に言うと、バッテリーが持たないというのは長時間使う事が出来ないという意味よ――っと。終わったわ。電源をつけるわね」

 

 永琳は装置に付いている幾つかのボタンの内の一つを長押しする。それによって電源が付いた様だが音や振動等の明確な確認手段が存在しない為、青には今一正常に動作しているのかがわからなかった。

 

「この装置は貴方の瞳を媒介とするから、瞼を開ければ視界に目の前の光景が映る筈よ。ただしゆっくり目を開けなさい。貴方は普段は何も見ないのだからいきなり目を開けては慣れない光景に脳が情報過多で大変な事になってしまうかもしれないわ」

 

 永琳の言葉に従い、青はとてもゆっくりとした速度で瞼を上げる。感情が顕著に表れた際は何度か瞼を上げることはあった彼であったが、これ程恐る恐ると言った動作で瞼を動かしたのは生まれて初めてであった。

 まず最初に彼の視界に飛び込んできたのは、真っ白な景色であった。経験したことの無い『明るい』という感覚に思わず顔を顰め目を細める。

 段々と視界が慣れて行き、次に彼の視界の中心にいたのは、姉とよく似た誰かであった。

 ここでいうよく似たとは、普通の人間にとってはあまりにも大雑把な表現であろう。しかし過去に目が見えていた期間が極僅かであった青にとって憶えているのは姉の姿のみであり、目の前の彼女はその姉と同じ――所謂人の形をしていた。

 

「どう…かしら?ちゃんと目が見えているの?」

 

 先程までの自信のある発言とは思えない少々不安げな声を聞いて、青は目の前の存在が八意永琳であることを初めて理解した。

 次に視線を下に映すと、自分の腕が震えているのがわかった。青は震える腕をなんとか動かし、のろのろと永琳の方へと腕を持って行き、やがて彼女の頬に触れる。

 

「成功…みたいね。何か違和感だったり、気持ち悪かったりはしないかしら?」

 

「・・・」

 

「青?」

 

「・・・あぁ、いえ、すみません。少しばかり動揺してしまって何と言えばいいのか…すみませんね」

 

「貴方、泣いているの?」

 

 永琳に言われて青は彼女の頬に触れていた手を、今度は自分の頬へと伸ばす。確かに彼女の言う通り、頬が濡れている感触があった。実際に触れてみることで、青は自分が泣いていることを初めて認識したのだ。

 

「すみません…今はこの感情を何と表現すればいいのか…」

 

「さっきから謝ってばかり。普段の貴方からは考えられない様な発言ね」

 

 彼の様子から危険はないと判断したのか、永琳も僅かに強張っていた表情を緩め、彼を落ち着かせる為に軽い冗談を述べる。それによって青も漸く落ち着きを取り戻して来たのか、段々と表情が普段の微笑みへと戻っていく。

 

「どうかしら?視覚というものを得た感想は」

 

「そう、ですね…取り敢えず、これだけは言わせてください」

 

 そこで青は一泊を置いて背筋を伸ばし、永琳へと軽く会釈する。

 

「初めまして、八意永琳さん。私は八雲青と申します。貴女にお会いできて光栄です」

 

 この日、彼は初めて旧友と出会った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青が一時的に視覚を取り戻してから早くも三十分が過ぎようとしていた。彼は一度も見たことの無かった永遠亭の診察室を目の当たりにしてまるで子供の様に目を輝かせ、興味津々と言った様子で様々な物を見て、触っていた。

 この部屋に彼が知らない物も触れたことの無い物も一つも存在しない。しかし同時に彼が見た事のある物も何一つとして存在していなかった。

 

「永琳永琳、この透明で下の部分が丸い容器は何と言うんですか?」

 

「あぁ、それは丸底フラスコよ。貴方がここに遊びに来て暇だった時に、よく輝夜と投げつけ合って何十個も壊していたあれよ」

 

「これが丸底フラスコ…こんなに綺麗な形で、しかも向こう側が見える程透明度が高いんですね…透明度という言葉の使い方合ってます?」

 

「合っているわよ。なんだか普段の貴方の言動とは全く違うから四、五歳児に言葉を教えている気分だわ」

 

 そう言って永琳は丸底フラスコにペタペタと指紋を付けては消えていく様子を眺めている青の頭をポンポンと撫でる。彼は四歳児扱いをされている事に不満気な様子であったが、永琳と視線が交わると頬を僅かに赤く染め、恥ずかしそうにそっぽを向いた。

 

「あら、その反応はどういう意味かしら?貴方が頬を赤く染めるなんて所、初めて見たのだけれど」

 

「だ、だって人の顔を見るなんてこと姉様以外では殆ど経験が無くて…私、人の顔に耐性が無いんです。だから綺麗な人を見るのは恥ずかしい…」

 

「嬉しい事言ってくれるじゃない。その言葉、萃香か諏訪子辺りにでも言ってあげなさいな」

 

 青が下手に反撃をしてこないのをいい事に、永琳は彼の頬をツンツンと突き、抓り、両手でこねくり回す。青はそれを嫌がりブルブルと顔を横に振り、再び先程まで座っていた椅子へと座り直す。

 

「そういえば…永琳、この部屋に鏡はありますか?私、生まれてこのかた自分の顔と言う物を見たことが無いんです。日本に鏡という物が伝わって来たのは私が失明した後の事でしたし」

 

「それなら私の手鏡があるわ」

 

 永琳は懐から手鏡を取り出し、青へと渡す。青はそれを受け取ってすぐ、鏡を食い入るように見つめ、うっとりとした表情で自分の頬に手を添える。

 

「ふふん、流石私ですね。同姓ですら油断してしまえば惚れてしまいそうなほどの素晴らしい美貌を持っています。この顔を毎日鏡で見る事が出来なかったのだと思うと…自分の体を呪わずにはいられません」

 

「そもそも人の顔をまともに見たことの無い貴方が何を基準に自分の顔が美しいと判断したのよ」

 

「見た事無いと言っても殆どですよ。数人程度は見たことがあります。それに今まで何十人もの異性を落として来た私の顔が醜い訳も平凡な訳も無いでしょう?鏡の向こうの自分に惚れることは無いようで安心しました」

 

「貴方ねぇ…」

 

 青の言い分に永琳は思わずジトっとした視線を向け、溜め息を吐く。しかし何時ものように軽口を言っている彼も恥ずかしさ故か決してこちらに顔を向けようとはしないので、何処かいつも通りの雰囲気にはなりえない。

 

「永琳、この装置を姉様に見せに行っても良いですか?」

 

「今日は駄目ね。さっきも言ったけどその装置は試作品だからバッテリーも長くは保たない。それにその装置は言わば脳に電気信号という異物を直接送り込んでいる様な物だから、脳の負担だって大きい筈よ。だから長時間の使用は控える必要があるわ。また使いたいのなら、明日来て頂戴な」

 

 そう言うと彼女は素早く装置の電源を切り、青の頭から装置を取り外す。普通の人間なら視界を取り戻した後再び闇に放り出されるこの状況は耐え難い物なのだろうが、日常生活において何ら不自由のない青にとっては多少残念な程度だ。その程度でショックを受ける様な柔な精神は持ち合わせていない。

 

「はい、お疲れ様。今日の用事はそれだけだからもう帰っても良いわよ。また明日来てくれたら、実験ついでに装置を装着した状態での外出も許可してあげる」

 

「それはそれは…明日が楽しみですね」

 

 最初の内は永琳が自分を攫うなど珍しいので何事かと思ったが、自分にとって利益のあることでよかった。

 明日驚かせたいからこの事は姉達には内緒にしておこう。青はそう決心した後指を鳴らして能力を発動し、永遠亭を後にするのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

初めまして(下)

「ほらほら、何時もの威勢はどうしたんだい青~?顔背けてなんかいないで歯の浮く様な台詞の一つや二つ吐いたらどうだね?」

 

 永琳の手によって青が再び目に光を取り戻す事が可能になってから一週間程経ったある日の守矢神社。そこには未だに人の顔を直視するのに慣れていないのか耳を赤くし悔しそうに表情を歪めながら、視線を逸らし続ける青と、そんな彼の姿をこの機を逃すものかと言わんばかりに全力で煽る諏訪子の姿があった。

 赤くなっている青の頬をツンツンと突き、彼が別の方向を向けばまさしく神速で顔が向いた方へと移動し、ニヤニヤしながら煽りまくる。完全に神の力の無駄遣いである。

 

「う、五月蝿いですよ諏訪子。そ、そういうえっちぃのは…その、駄目です」

 

 そう言って青はさらに頬を赤くし、視界を塞ぐべく両手で自身の顔を覆う。というか諏訪子は一言もエッチな事とは言っていないのだが、やはり普段からそういう事しか考えていないが故なのか。

 

「あっはははは!青は『ハンドルを握ると性格が変わる』ならぬ『視覚を取り戻すと性格が変わる』タイプなんだね!まさか青の口からエッチなのは駄目なんて台詞を聞くことが出来るなんて!」

 

「・・・諏訪子殿、あまり青様を揶揄わないでいただけないか。青様の羞恥心が常に最高潮ではまともな会話にならない」

 

「いやぁ、ごめんごめん。青がこんなに恥ずかしがるネタなんて滅多に無いからさ。久しぶりに思いっきり笑わせて貰ったよ」

 

 諏訪子の笑いは青に同行していた藍が注意することで漸く収まった。先程まで青と諏訪子のやり取りだけが繰り広げられていた為に空気となっていた神奈子もここで漸く口を開く。

 

「それにしても、永琳も随分と便利な道具を作るねぇ…付けるだけで一定時間盲目が解消する眼鏡とは、月の賢者さまさまだよ」

 

 永琳は試作品を作ってからこの一週間の間で、機械をさらにコンパクトで軽い形状の眼鏡型にするという改良を施していた。しかしどう頑張っても脳に負荷をかけている事実は変わらないので、長時間の使用は厳しいらしい。それ故に何処で使うのかは慎重に判断せねばならないのだ。正直に言ってしまえば態々そんな事を考えるのは不便なので、恐らく今後使うことはあまり無いだろう。

 

「その眼鏡、紫には見せたのかい?」

 

「えぇ、見せましたよ。『もう一度青と目線を合わせて会話できるとは思わなかった』と号泣されました。私が恥ずかしくてすぐに顔を逸らしたので台無しでしたが」

 

「それにしても、青様は何をそんなに恥ずかしがっておられるのです?紫様からお聞きしましたが貴方様は女性経験はかなり多い筈…それに私も長年貴方様にお仕えしてきましたが、恥ずかしがっているお姿など見たことがありません」

 

「その、こうして視覚を使って諏訪子達を見ると…私が関係を持っていた相手はこんなに綺麗な人だったのかと思って…今までそんな感情を抱いた事などありませんでしたから、と、とにかく!視線を合わせると顔が熱くなるんです!」

 

「ねぇねぇ神奈子聞いた?これがあの青なんだよ、信じられる?」

 

「凄いな、たった一つの感覚の有無だけでここまで変わる物なのか。それに下の話を全くしてこないのも私的にはポイント高いぞ。こっちの青の方が上手く友人としての付き合いが出来る気がするのだが」

 

 諏訪子も神奈子も揃って驚愕と言った表情で青の顔をマジマジと見る。青はそれに再び顔を赤くし、視線を逸らすのに徹し始める。

 

「お二人共、それ以上青様の顔を見つめるのはおやめください。先程似たような事を注意したと思いますが?」

 

 このままでは青が顔を赤くしそれを二人(主に諏訪子)が弄るというのが無限に行われると悟った藍は守矢の二柱に軽く注意した後、彼を守るべく自分の方へと抱き寄せる。それは藍がいつも青に何気なくしている行為であったが、今回に限ってはそれが不味かった。

 

「なっ!なななぁ…!」

 

 不意に体に伝わって来た柔らかい感触、そして程よい温もりが自分を包んでいる。今まで幾度と無く嗅いできた藍のにおいが今日は途轍もなく特別な物に感じた。視線を上へと向ければ自分の事を守ろうとしているからであろうか、彼女の顔は引き締まっており、綺麗であると同時に格好いいという感情を抱いた。今まで感じたことがない程、胸がキュンキュンと締め付けられたのだ。

 まるで初めて好いた人に触れた生娘の様な反応をしてしまった。青の口から出た声にならない悲鳴を聞き、藍も漸く自分のしたことが彼に更なる羞恥心を与えている事に気づく。

 

「も、申し訳ございません青様!すぐに離れます!」

 

 元々目が見えていなかった時ですら羞恥プレイを嫌がり避けていた青の事だ。羞恥心という感情が人一倍苦手であることは間違いない。藍は慌てた様子で片手で抱き締めていた彼の体を畳へと戻したが、青の目尻には涙が溜まっていた。

 

「も、もうやだぁ…!お家帰えるー!」

 

 普段の口調すら忘れて青は泣きながら守矢神社を飛び出し、大空へと消えて行った。どうやら彼は目の見えている状態の時に弄り過ぎると幼児退行を起こしてしまうらしい。

 

「羞恥心で泣いてる青も、結構そそられるね…」

 

「マジかお前」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えーりん!えーりん!助けてえーりん!」

 

「変な掛け声しないで頂戴。輝夜に聞かれたら絶対に真似されるから」

 

 守矢神社での騒動から少し時間が経ち場所は変わって永遠亭、お家に帰ると言って泣きながら守矢神社を後にした青は家に帰らず永遠亭へと向かっていた。彼は瞬間移動が使えるので態々守矢神社を飛び出す必要は無かったのだが、その考えに至らない程精神的に余裕が無かったらしい。

 

「それで一体何の用よ。貴方がその装置を持って永遠亭から瞬間移動でいなくなってまだ一時間も経っていないのだから、もう少しくらいは使える筈なの「この装置お返しします!もういりません!」――貴方、今なんて?」

 

 彼のその言葉は天才的な頭脳を持つ永琳でも予想外であった。まさか盲目であった人間が視界を取り戻す手段を自ら手放そうとするとは思ってもいなかったのだ。彼が喜ぶと思って作ったのだが、何か不満でもあったのだろうか。

 

「この眼鏡をかけて色んな人と会ってきましたが…誰も彼も私の想像していたよりも美人な方ばかりで話しているだけで恥ずかしいんです!これじゃあ平然とセクハラが出来ませんよ!」

 

「いい事じゃない」

 

「私の数少ないストレス解消法がぁ…!諏訪子に会っても幽香に会っても萃香に会ってもルーミアに会っても言われるのは純粋だのピュアだの生娘だの調教したいだのと…私が求めているのはおねショタでは無くショタおねなんです!襲われる展開もそれはそれで好きですけど、完全に相手にマウントを取られてはいけないんです!」

 

「貴方はショタ名乗れる程若く無いでしょう」

 

「見た目は少年だからいいんです!合法というものですよ!というか皆さん時と場所を選ばず私を襲い過ぎじゃ無いですか!?今更ですがとんでもない人達だという事を実感しましたよ。特に萃香!お酒のせいで赤らんだ頬のまま胸元をチラつかせてすり寄っって来るのはやめなさい!自分が普段そんなことをされていると知った時の私の気持ちがわかりますか!?」

 

「それを私に言わないで頂戴」

 

 相当言葉をまくし立てたせいで乱れた呼吸を整え、青は平静を装うべく何時ものように目を閉じ笑みを貼り付ける。

 

「・・・と、いう訳で。この眼鏡を返しに来ました。もう今後は使う事も無いでしょうし、何か研究の役にでも立ててください」

 

「被験者本人がそう言うのなら止めはしないけど、本当にいいのね?」

 

「えぇ、この一週間で姉様や藍や橙、幽々子達の姿も見る事が出来ましたし、幻想郷の姿も見る事が出来た。もうそれだけで満足ですよ」

 

 そう言った後青は眼鏡に手をかけそれを外し、永琳の方へと差し出す。永琳としてはもう少し実験のデータが欲しかったのだが、青相手に力づくという手段は取れないだろう。

 

「ふぅ、これで漸く落ち着いて情事が出来る――」

 

 そこまで言って、青は何故か言葉を途切れさせる。一体どうしたのかと永琳が首を傾げていると、彼の肌からじわじわと大量の汗が分泌されていることがわかった。

 

「ど、どうしましょう永琳…目が見えなくなっても記憶が無くなる訳じゃ無いんで脳裏に焼き付いた彼女達の顔が消えなません!これじゃあ恥ずかしくて夜に騒げないままですよ!」

 

「まぁ、そうでしょうね。人の脳ってそんなに貧弱な仕組みはしていないもの」

 

「い、一体どうすればぁ…!これじゃあ眼鏡を返した意味が無いですよ…どうしてこんな時だけ私の脳みそは優秀な働きをするんですか!?もう知らねーですよ、ばかやろーですよぉお!」

 

 一人で叫ぶだけ叫んだあと、青はそのストレスを運動エネルギーに変換したのか部屋の外へと全力で走って行ってしまった。壁にぶつかっているのか何秒かに一回ゴンッ!という音が響き渡るが、まぁ妖怪だから大丈夫だろう。永琳は騒ぎ立てる青を無視し、再び試験管を手に新薬の開発に勤しむのであった。

 彼が以前の様に平静を取り戻すには、まだまだ時間がかかりそうだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

喧嘩

どうも、超お久しぶりです。
ネタが思いつかない&リアルが忙しかったせいで殆ど執筆に手をつけられないでいました。
漸くリアルが落ち着いて来ましたが相変わらずネタ切れであることに変わりはないので投稿日は不定期ですが、上がってたら見てやるかくらいの感覚でいてくださると嬉しいです。
新しい作品も頑張って書いている最中ですので、どうか期待せずにお待ちください。


「ヒック…もう、なんでしゅかぁ…!やってられませんよぉ!」

 

 ここはかつて人間達から忌み嫌われた者達が集まる楽園の最後の砦、地底。そんな不穏ながらも美しい世界でもやはり娯楽というものは必要のようで、真昼間なのにも関わらず居酒屋には暖簾がかけられていた。

 そして店内には二人の客がカウンターに座っており、そのうち一人はもう大分酔っているのか自分の両手以上の大きさの盃を豪快に傾け、衣服や肌に酒が零れようとお構いなしに呑み続けている我らが賢者の弟、八雲青であった。

 

「お、落ち着けよ青…幾らお前と言えど鬼専用の盃で酒を飲むな。その盃に酒の質を上げる効果があるのは知っているだろう?翌日の二日酔いは避けられんぞ!」

 

 一方珍しく荒れている青を隣で宥めているのは、地底に住む鬼の星熊勇儀であった。これまで勇儀が騒ぎ、青がそれを宥めるというシーンは数多く見られたものの、配役がまるっきり逆な状態は例え飲み仲間の萃香でも見たことが無いだろう。

 

「うるさいですよ勇儀!どうせ貴女には今の私の気持ちなんてわかりませんよぉ!」

 

「だからお前がそうなった理由を話せつってんだろ!?もうこの会話七回目だしなんなら最初にしてから軽く一時間は超えたぞ!」

 

 遂に堪忍袋の緒が切れたのか、勇儀は苛立ちを隠そうともせずに思い切りカウンターを叩く。

 仮にこの動作を地上の店――例えばミスティアの店ですれば、一瞬で卓は真っ二つに砕かれ、残っていた料理もさぞ悲惨な事になったであろう。

 しかしそこは流石地底の荒くれ者が使う事を想定して作られた店。勇儀の一撃を受けてもカウンターは新たに大きく凹みを作るだけに留まった。尚、衝撃と凹んで出来た傾きのせいで、料理と酒は全て台無しになった模様。

 

「理由…ですかぁ?それは、その…察してください」

 

「ふざけんな。今まで一時間近くお前に付き合って時間を無駄にしたんだぞ私は。知る権利くらいあって当然だろ」

 

「無駄とは酷いですね。貴女は友人との時間を無駄と言うんですか?一体いつからそんな冷酷な鬼に…シクシク」

 

「ダル絡みうっざ…あぁ、断言してやるよ。今までのお前とのやり取りは全部時間の無駄だ!わかったらつべこべ言わずに理由を吐け!このエロガキがぁ!いつからお前は泣き上戸キャラになった!?」

 

 そう言って勇儀は青の首に腕を回し、思いっきり締め上げる。流石の大妖怪と言えども鬼からの暴力は辛いのか、彼女の腕を何度もタップして降参の意を示し、少し呼吸を整えた後でポツポツと語り始める。

 

「その…実は、昨日姉様と喧嘩をしまして…」

 

「へぇ、お前が紫と喧嘩?そりゃまた珍しい。明日は槍でも降るんじゃないか?」

 

「茶化さないでくださいよ。だから貴女に話すのは嫌だったんです」

 

「悪かったよ。それで、お前達が喧嘩をした理由は何なんだ?お前を溺愛する紫が並大抵の事で怒るとは思えないんだが」

 

 そこまで聞かれて青は再び数秒の間だんまりを決め込む。これは他人に家族の事情を詳細に聞かれるのが恥ずかしいのかそれとも喧嘩の非が自分にある事がわかっているのか、全ては彼の次の言葉を聞けばわかる事だ。

 

「・・・その、姉様に、最近の私は少し自由奔放すぎる。少しは慎みを覚えろと言われまして…そこから発展して言い合いになって、最終的には屋敷の庭で戦ってました」

 

「大災害すぎるだろ」

 

 大妖怪同士の戦闘が勃発すれば、地形の変動は愚か最悪の場合この幻想郷そのものが崩壊してしまう恐れがある。紫も青も幻想郷の創造者である為ある程度の手加減は当然しているのだろうが、それでもこの世界で一二を争う程の大妖怪だ。果たして八雲の屋敷は無事に残っているのか、それが非常に気になる所である。

 

「というか、今の話だけを聞くとどう考えてもお前が悪いんだが…」

 

 勇儀としては、紫の言いたい事は十二分に理解出来る。そもそもとして皆忘れがちだが、青は両目の視力を失っている盲目の妖怪なのだ。日常生活にすら支障が出るレベルなのにもかかわらず、この様に一人で平然と外を出歩かれては心配だろう。

 だからこそ、紫は何百年も青を屋敷に幽閉していたのだから。

 

「えぇ、確かに冷静に考えると姉様の言い分は十分に理解出来ますし、非はこちらにあると思うのですが…当時は熱くなっていたので自分の意見を曲げることが出来ず、結局謝らないで家を出てきてしまいました」

 

「成程なぁ…でも、お前達が喧嘩をしても紫の所の式が上手いこと仲裁してくれるような気もするが」

 

「あぁ、藍と橙の事ですか。あの二人なら私と姉様の戦闘の余波にやられて早い段階で伸びてましたよ」

 

「本当に何やってるんだお前等」

 

 きっと二人は哀れにも訳も分からず大妖怪同士の抗争に巻き込まれ、そして散って行ったのだろう。理不尽に被害を受けた二人の事を思うと涙が止まらない勇儀であった。鬼の目にも涙とは正にこのことである。

 

「・・・まぁ、それはいいとして、ならもうすることは決まってるだろ。素直に紫に謝ってそれでおしまいだ。態々地底までヤケ酒を飲みに来る事でも無いだろうに」

 

「それもそうなんですけど…姉様と喧嘩したのも初めてですし、私ちゃんと謝った事というのが一度も無いので不安で。誰かに話を聞いてもらいたかったんです」

 

「お前…今までどれだけ我が儘な人生送って来たんだ」

 

 これまで聞いた青の所業に呆れかえっている勇儀だが、それとは対照的に青の顔は出会った当初よりも幾分か晴れやかだ。

 青は最後に一口、今度は盃に注がれていない酒を飲んだ後、席から立ち上がり店を後にしようとする。

 

「色々と迷惑をかけましたね、勇儀」

 

「気にすんな。なんだかんだお前とは付き合いも長い。今更愚痴を聞かされたくらいでお前への好感度が下がったりはしないさ。聞いている時はかなり鬱陶しかったけどな」

 

 そう言って豪快に笑う勇儀に青は少しだけ顔を向けた後、クスリと笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

「いえ、それもありますが、お酒の代金を払っていただいて申し訳ないという話です」

 

 これが本当に彼の最後の言葉だった。青は一度指をパチンッと鳴らす。すると彼と周囲の景色との境界が段々と薄くなっていき、そしてやがて彼の姿は完全に無くなった。

 

「・・・あのやろぉ、今度会ったら絶対にぶっ飛ばしてやる…!」

 

 今この場に残っているのは嵌められたという事実に漸く気が付き、怒りで拳を震わせている勇儀だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴女にわかる…?あの子は昔はあんな子じゃ無かったの!それがいつの間にかあんな不摂生で淫らな子に育っちゃって、一体何処で育て方を間違えたのかしらぁ…!」

 

「お、落ち着きましょう紫?そんなに泣いたら畳が水分を吸っちゃって駄目になるわ」

 

「なんで私よりも畳の心配なのよ!」

 

 場所は変わって白玉楼。青が地底で飲んだくれていたのとほぼ同時刻に天の上では、涙で畳を濡らす妖怪の賢者とそれを必死に慰めている亡霊姫の姿があった。

 紫も青同様初めての姉弟での喧嘩でこの怒りをどう発散すれば良いのかわからず、一番の親友である幽々子の下へと泣きついたのだ。因みにその手にはしっかりと酒瓶が握られている。飲まなきゃやってられない。

 

「というか幽々子…青があんな子になっちゃったのは貴女にも責任の一端があるのよ?そこら辺どう思ってるのよ」

 

「・・・てへっ?」

 

「そんなんで誤魔化される程チョロく無いわよ私は!それにやるなら自分の年を考えなさいよ!」

 

「なっ…紫に年に関して言われる筋合いは無いわよ!?よく自分の事をゆかりんって呼ぶ癖に棚に上げないで頂戴!」

 

 そしてこちらもまた地底の二人同様、今にも新たな喧嘩が勃発しそうな険悪な雰囲気へと発展しそうになっていた。

 と言っても紫は自分が今やっていることが八つ当たりだとわかっているし、幽々子の方も紫がストレスを発散したいのだとわかっているからあまり怒りも湧かない。長年の付き合いは伊達では無いのだ。歳の事を言われた時はそこそこ腹が立ったが。

 

「でもねぇ…紫の気持ちも確かに分かるけど、青ちゃんの気持ちもわからないでも無いわ」

 

「どうして?だってあの子は目が見えないのよ?今もこうしているうちに一人でよくわからない所ほっつき歩いてるんだから危ないでしょう。だから私はあの子にもう少し慎みある行動を――」

 

「前々から言ってるけど貴女は過保護すぎるのよ。私は目が見えない家族を持ったことが無いからわからないけど、それでも青ちゃんは戦闘に関しては貴女と張り合えるくらいの実力を持っているじゃない。紫や藍ちゃんと青ちゃんは性別が違うんだから、一人での時間が零っていうのも可哀想だわ」

 

「そ、それはそうだけど…」

 

 幽々子の言っている事は確かに正論だ。しかしだからと言って納得は出来ない。これに限っては幾ら論じられても、結局は気持ちの問題なのだ。

 青がまだ妖怪としての格が低かった頃、目の見えない彼は何匹もの妖怪に殺されかけた。その度に紫が身を挺して守っていたのだ。いつも彼を一人で外に出す度に、あの時の記憶が頭に蘇る。

 

「これは私の勝手な推測だけど、変に縛るからその規則を破ろうとするのよ。貴女がもう少し広い心を持って接すれば、あの子も自然と落ち着いた行動をすると思うわよ?」

 

「・・・そうかしら?」

 

「それに青ちゃんは貴女の事が大好きだし愛しているんだもの。好きな子には意地悪したい心理で言いつけを破ってるだけかもしれないわよ?」

 

「それはそれで複雑な心境ね…」

 

 どれだけ青に言い寄られても、血がつながっている以上ノーとしか言えないのだが。

 

「・・・吐き出したら大分すっきりしたわ。これ以上長居するのも妖夢に迷惑をかけるだけでしょうし、そろそろ帰る事にするわ」

 

「そう。謝るなら自分から謝った方が良いわよ?そうしたら向こうの罪悪感も刺激されて青ちゃんも素直に謝ると思うし」

 

「そんな邪な考えなんて持たないでちゃんと精神誠意謝るわよ。それじゃあ、またお邪魔するわ」

 

 そう言うと紫は自分の手元にスキマを開き、一切の躊躇もなく中へ入り姿を消してしまう。

 一人となって数秒が経った後、幽々子は卓上にある湯呑みに手を伸ばし、中の緑茶を全て飲み終えて一言。

 

「言い忘れてたけど、貸し一にしておきましょうか」

 

 そんな今更過ぎる恐ろしい発言を、サラッと呟くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姉様…その――」

 

「青、ごめんなさい。私は自分の不安な気持ちを落ち着けたいが為に、貴方への制約を厳しくしてしまった。貴方の為では無く私の為に貴方を縛ってしまった事、どうか許して頂戴」

 

「い、いえ!謝らないでください!私の方こそ姉様の気持ちを理解せず身勝手な行動を…それに姉様に酷いことを言ってしまいましたし…その、ごめんなさい…」

 

「いいのよ。可愛い弟との初めての喧嘩だもの。確かに言われた時はちょっと辛かったけど、これも良い思い出の一つとして残しておきましょう。さて、青。仲直りして早速だけど手伝って欲しい事があるの」

 

「奇遇ですね。私もです」

 

「「藍と橙の機嫌を直す方法、一緒に考えましょう」」

 

 八雲家の屋敷に帰ってからはや三時間。

 一向に開かれる事の無い玄関の扉を前に、賢者達は頭を抱えるのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼の目にも…

お久しぶりです。
この度青様のイメージイラストを作成しましたので、よければあらすじの欄をご覧ください。
ただし、自分のイメージを崩したくない方は閲覧注意です。


 妖怪という存在は、全ての生物の中で最も適応能力が高い種族として有名である。

 スキマ妖怪や唐傘妖怪などその種類は多様であるが、全ての妖怪は一貫して人間の感情を揺れ動かすという事を目的として存在している。恐怖であったり驚きであったり、人間の感情そのものが彼ら彼女らの生きる糧だからだ。

 妖怪は人間を食らうことで力を得る為、必然的にその生活は人間に適応したものとなる。その最たる例が封獣ぬえだろう。彼女は能力そのものが個々の人間に対し影響を与える能力であることから、最も妖怪らしい妖怪と言うことが出来る。

 妖怪としての格が高くなればなる程、長い間人間に依存し、適応し続けて来た証となる。故に紫やぬえを筆頭とした高位の妖怪はあらゆる環境に適応する事が出来る。ましてや病にかかるなどもっての外だ。

 

「・・・その筈なんですけど、なんでこうなったんでしょ――ックシュン!」

 

 自分の額に貼ってある僅かに冷たさが残る冷却シートに触れながら、青はくしゃみを一つ零す。

 つい先日、起床した時に少しの気怠さと寒気を覚え姉に頼んで永遠亭に向かった所、風邪と診断されてしまった。

 理由としては人間としてはありがちな気候の変化によるものらしいが、青には永琳の言った『人間としては』という部分がやけに胸に深く突き刺さった。

 

「私、これでも最高位の妖怪なんですけど…以前の筋肉痛の時も思いましたが、私やっぱり妖怪としての格落ちてません?」

 

 流石にこれ以上は自分の妖怪としての大事な何かが失われてしまう気がする。姉にでも頼んで運動に付き合って貰おうかと考えていた。その場合、まずは以前の喧嘩の様にならないことを藍に説得する必要があるのだが。

 普段より回らない頭を適度に使いつつのんびりと過ごしていると、不意に襖が開き、誰かが入って来る音が聞こえた。足音的に入って来たのは藍だろう。何百年と共に過ごして来たんだ。今更間違える様なことは無い。

 

「青様、お粥をお持ちしましたが…食べられますか?」

 

「えぇ、大丈夫ですよ。別に食欲が無いとかはありません。今日は姉様ではなく藍が食べさせてくれるんですか?」

 

「はい。紫様は少々、というかかなりご乱心でしたので、外の空気を吸わせようと散歩に行かせているところです」

 

「・・・姉様の扱い、雑じゃありません?」

 

 今まで一度も病にかかったことの無い青が体調を崩したという事実は、八雲家にちょっとした騒動を引き起こした。

 特にまだ幼い頃に弱かった彼の姿を知っていた紫の乱心っぷりは相当で、外の世界へと向かいあらゆる風邪薬を買い占めようとして藍に止められた程だ。今は橙が付き添って外出をしているらしい。

 

「青様、あーん、ですよ。これ、実際にやると結構恥ずかしいですね…」

 

「そうですか?私はこれが普通なので何とも思わないですけど」

 

 目が見えない以上常に他人からの介護を必要とする青だが、妖怪相手では風邪をうつす心配が無いのが救いだろう。

 いつもより少しだけ時間をかけつつも、青は朝食を食べ終える。いつも通り完璧な味付けだ。

 

「青様、申し訳無いのですが私はこれから紫様に課せられた仕事に取り掛からねばなりません。ですので少しの間外出してしまうのですが…」

 

「別にそこまで気にしなくて大丈夫ですよ。姉様から与えられた仕事を邪魔する訳には行きません。式神としての責務を全うしなさい」

 

 そう言って頭を撫でてやると、藍は少しだけ申し訳無さそうにしながら、恥ずかしがりつつもそれを受け入れる。

 暫くの間そうしていると、藍はそろそろと言って立ち上がり、一礼した後に部屋から出て行った。襖の閉まる音と藍の足音が遠ざかって行くのを感じながら、青は再び布団へと潜り込む。

 

「(永琳からは風邪は非常に軽いもので早ければ二日ほどで治る、重症化もしないだろうと言われましたが…それでも一人だと些か心細いですね)」

 

 今は朝だから鳥の鳴き声や日の暖かさで気持ちを誤魔化す事が出来る。もしこれが夜なら多分心細さから号泣していただろう。大妖怪としての気品など一切感じさせないガチ泣きだ。寂しさは青の一番の天敵。それを倒せるならプライドは無い。

 気分もそこまで優れている訳でも無いのでもうひと眠りしようかと思っていた青だったが、ふと自分の枕元に気配を感じ、再び体を起こす。

 

「ありゃ、起こしちまったか?私としては完璧に気配を消していたつもりだったんだが…」

 

「いえ、元から起きてましたよ。姉様にでも用事ですか?萃香」

 

 特に驚いた様子も無く、青は自分のすぐ横に当たり前の様に居座っている彼女――伊吹萃香へと言葉をかける。

 また何時ものように酒を飲んでいるのだろう。口を開く度に出る彼女の吐息には、濃い酒の匂いがした。

 

「いんや、今日はお前が体調を崩したっつう話を聞いたからな。一人ぼっちが大嫌いなお子様の世話をしに来てやったんだよ」

 

「お子様呼ばわりは取り敢えずいいとして、何処でそんな事知ったんですか」

 

「おいおい、私の能力は知ってるだろ?私は常に体の一部を霧状にして幻想郷中に霧散させているんだ。私の情報収集能力は天狗を超えるぜ?」

 

「怖すぎると思う反面、私だけが常に監視されてる訳じゃ無いことを知って安心しました」

 

 相変わらず化け物じみている萃香に青はそう言った後一度小さい席を零す。彼には見えないものの、萃香はその様子を少しだけ心配そうに眺めていた。

 そもそも先程述べた様に高位の妖怪が体調を崩す事は殆ど無い。しかも今回の青の様にただの季節の変化によって体調を崩すことなど、それこそ人間が人生を五回やり直しても起こりえないくらいの出来事だ。

 萃香は永琳の独り言を盗み聞きしただけなので、青が体調を崩した事は知っていても、その病がどれ程重いものかまでは知らない。もしただの軽い風邪だと知っていれば、なんだと一蹴して態々見舞いには来なかっただろう。

 

「ま、体調悪いんだったら余計な事せずに寝てな。何か欲しいものあったら私が取って来てやるよ」

 

「・・・どういう風の吹き回しですか」

 

「普段世話になってるお前に、酒呑童子様からのささやかな恩返しだよ。言ってくれれば勇儀の角までは用意してやれるぜ?」

 

 軽い冗談を述べつつ、萃香は青の世話をする紫の様に彼を軽い力でベッドへと寝かせ、毛布をかけてやる。

 対して青は一瞬勇儀の角の話が気になったが、仮にそれを頼んで彼女が本気で持ってきた場合、今度勇儀に殺される事は確定なのでやめておいた。萃香にも勇儀にもそれを実践できる実力がある。

 

「萃香、お願いがあるんですけど…」

 

「ん、なんだ?」

 

「こんなことを貴女に言うのは少し恥ずかしいんですが、手、握ってくれませんか?さっきまで一人だったから、貴女がいなくなってしまうんじゃないかと思うと心細くて…」

 

・・・可愛いかよ

 

「何か言いました?」

 

「いんや、何でもねぇよ」

 

 普段の生意気な子供の様な姿とは違って、滅多に見せない青の弱々しい姿にギャップ萌えをくらってしまった萃香は、それを本人に悟られないようにしつつも、要望の通り彼の手を握る。

 やはり熱が出ているのか、その手は少しだけ普段よりも温かかった。

 

「治ったら、二度とこんなことにならないよう私が組手をしてやるよ」

 

「それ、大丈夫なんですかね…主に幻想郷が。多分藍に止められますよ」

 

 普段は突拍子のない発言をして悪く言えば空気を読まない彼女だが、今はそのいつもの調子を維持できるマイペースさがありがたい。

 三時間後、紫からの命を終えて帰って来た藍が見たのは、まるで彼の姉の様に優しい笑みを浮かべながら頭を撫で続ける鬼の姿であった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。