神薙の軌跡・改 (檜山アキラ)
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序章 トールズ士官学院
プロローグ~別れ、そして……~


 幻影城の最奥部。

 それぞれの死闘の末、影の国を支配していた聖痕は完全に消滅するに至った。

そして、聖痕が消えたことにより、主を失った影の国は再び不安定な状態へと戻りつつあった。

 彼らがいる幻影城もじき、その実体を保てず消滅することとなる。

 急いでアルセイユまで戻ろうとする一同を引き止め、セレストが天上門の開門を始める。

 それは、七耀教会の聖典に記された煉獄門と対になる現世と天界を結ぶ門。

 宙に浮かぶ天上門が開かれ、そこに至る光の階段が架けられる。それを通れば、各自、取り込まれた時にいた場所の近くに戻れるはずだと告げられるが、突然突き付けられた別れの時に誰もが二の足を踏んでいた。

「それじゃあ……」

「……まずは我々から行かせてもらうとしようか」

 しかしそんな中、先陣を切ったのはジンとリシャールだった。

このままでは名残惜しくて誰も先に行けなさそうであり、ならば年長者である我々が口火を切らせてもらう。

 そう言う彼らにも惜別の念はあれど、表情に悲しみの色は見えなかった。

 リシャールはかつて罪を犯した自分を受け入れてくれたことに感謝し、ジンは皆に再び会えた喜びを伝え、皆が口々に二人へと言葉を返していく。

 挨拶も程々といった所、ジンにまで大佐呼ばわりされ苦笑するリシャールだが、皆にならそう呼ばれるのも悪くないと溢し、天上門を駆け抜けていく。

 それに続くのはオリビエとミュラーだった。

 オリビエは相変わらずの軽口だったが、ミュラーの呼び掛けに己の心情を吐露する。

 こんな機会が再びあるとは思ってもいなかった。ガラにもなく少し胸に迫っている、と。

 しかし神妙な表情を浮かべたかと思うと、次の瞬間にはシェラザードと意味深な会話を交わしていた。

 その様子に周りが驚いていると、ふとオリビエがある人物へと視線を送る。

「……前に話した件だが」

「どうするかは、もう決まっているさ」

 そう言って、オリビエと視線を交わした青年――レイルは気負う様子もなく、当然とでも言うように答えた。

 そして彼は、傍らにいる最愛の人へと目配せする。それに対して彼女――エミナも笑みを浮かべ力強く頷く。

「僕から提案しておいてなんだけど……本当に良いのかい?」

 オリビエが、レイルとエミナに、そして彼らの側に寄り添う2人の少女達に語り掛ける。

「……興味はあったから、別にいいよ」

 1人は相変わらず眠たげな表情を浮かべているが、その目元が潤んでいるのが決して眠気から来るものではないとオリビエは知っていた。

「私も、世の中のこともっと知りたいです」

 もう1人は寂しげな表情ではあるが、これからの日々に期待を抱き、静かに――けれど、力強く答えてくれる。

 彼女達のこれからを考えると、自身の計画に巻き込むべきではないのでは、とオリビエは躊躇ってしまう。

 だが、そんなオリビエの心配を他所に、レイルは力強く答える。

「大丈夫だ。それに、教会の情報通り目的の物が見つかるかもしれないってんなら、俺達としては渡りに船ってことだしな」

「……そうか。なら、これ以上とやかく訊くのは野暮ってものだね」

 詳しい内容を濁した会話に興味を抱く者もいたが、残された時間が限られていたので詮索されることはなく、別れの挨拶が続いていく。

 そして、次々に仲間達は元いた世界に戻っていく。

 彼らを見送り、残りのメンバーが少なくなった段階で、レイル達4人が前に出る。

「さてと、それじゃあ俺達も行くか」

 残りのメンバーに別れと再会の約束を告げる。

 そして、振り返ることなく光の階段を駆け上がる。

「あっちに戻ったら皆にちゃんと説明しないとな」

 予期していなかった仲間達との再会は、

「それとリューネの紹介も忘れちゃ駄目だからね」

 不可能だと思われた絆を結び、

「そだね。それと、クロスベル市の案内がまだ途中」

 明日へと続く道を照らし出す。

「あ、改めてよろしくお願いします。レイルさん、エミナさん、フィーちゃん」

 約束と希望を胸に、レイルは最愛の人と家族として迎え入れた少女達と共に、天上門を駆け抜けていく。

 

 

 そして時は流れ、七耀暦1204年3月31日――

 

 

 




初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方は大変ご無沙汰しています。
檜山アキラです。

拙作「神薙の軌跡」の更新を途切れさせて、3年近くとなりましたが、未完のままではあまりにも居心地が悪いと思い、設定を見直し、再スタートを切ろうと決心しました。
今更閃の軌跡Ⅰからか…………、という思いがあるのは確かですか、お付き合いいただけましたら幸いです。

なお、ベースとなる「神薙の軌跡」ですが、色々な方からのコメントを頂いていることもあり、削除せずにそのままにしておこうと思います。

しばらくの展開は無印のものとさほど変わらないので、微調整しながら投稿していく予定です。


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入学式

 S1204.3.31 トリスタ

 

 エレボニア帝国。

 ゼムリア大陸西部において最大規模を誇る古き大国。その中央に位置する帝都ヘイムダルから大陸横断鉄道に乗って東へ20分ほどの距離にその街はある。

 近郊都市トリスタ。帝国中興の祖であるドライケルス大帝により創設されたトールズ士官学院を構えるその都市は、今一際活気に満ち溢れていた。

 本日よりトールズに入学する新入生達が各地から集い、街の窓口であるトリスタ駅から普段の何倍もの人数が下車していく。

 ある者はこれからの新生活に胸を躍らせ、ある者は環境の変化に少なからず不安を抱いているようだった。

 そんな彼らを平等に、白の花弁を舞い散らすライノの花と優しい陽光が出迎える。

 日の光に照らされた純白が美しく宙を舞うその光景は、不安を感じていた者がその存在すら忘れて見入ってしまうほどだった。

 その様子を喫茶兼宿泊宿として営まれているキルシェの窓際席から見守る者たちがいた。

 

 

「初々しいなぁ」

 そう呟くのは、艶のある銀の短髪を風にそよがせ、純度の高い金耀石を想起させるような瞳を優しげに細める青年だった。

 彼は注文していたハーブティーを口に運びながら、道行く新入生の姿を眺めている。

「レイルってば発言が年寄り臭いわよ」

「……判定厳しくないか?」

 青年――レイルは肩を竦めて、正面に座る女性――エミナに言葉を送る。

 エミナは鮮やかな朱のストレートヘアを黒のリボンを使いうなじ辺りでまとめており、彼女の澄み切った翡翠の瞳には苦笑の色を浮かべている。

「でもお姉ちゃんの言う通りだよ? 私達だって新入生なんだし」

 そう言うのはレイルとエミナの斜め前に座る少女――リューネだった。

 淡い緑色の髪を肩口辺りで揺らしながら、大海原を髣髴とさせる蒼耀石のような瞳でレイルを見つめている。

 義妹のリューネにまで言外に先の発言が年寄り臭いと言われたように感じ、レイルは言葉を詰まらせた。

「そ、それより、あっち見てみろよ」

 レイルが指し示す先では、ライノの花に見とれていたのか、駅から出てすぐの場所で立ち止まっていた黒髪の男子生徒にぶつかり、金髪の女子生徒が尻餅をついて倒れる光景だった。

 男子生徒が慌てて女子生徒に手を差し出し、助け起こしている。

 両者の不注意だったため特に拗れる事はなく、むしろ楽しげに会話を交わしているようだった。

「なんて言うか、ベタね」

「ははは……」

 エミナは嘆息し、リューネが苦笑いを浮かべる。

 しかし注目すべき点はそこではなかった。

 件の2人が身に纏うトールズ士官学院の制服。その色が重要なのだ。

 他の生徒達の大半は緑の制服を着ている。これは彼らが平民の出自を表しており、その中に少数紛れている白の制服は、貴族の子弟であることを表している。

 しかしあの2人は、そのどちらでもない深紅の制服を着ている。

「……そっか。あの子達が」

 そのことに気付いたエミナが目を細めて、口元を綻ばせる。

 それを受けレイルも同じく笑みを浮かべて頷き、リューネは緊張しているのか表情を少し強張らせていた。

 同じ制服を着るレイル達にしてみれば、彼らへの興味は尽きないのだが、時間も迫っていたので話を切り上げることにする。

「さて、そろそろ行かないと式に遅れちまうな」

「そうね……フィー! まだ準備出来ないの!?」

 エミナが階上の宿泊部屋で未だ準備中であろう少女へと問い掛ける。

 暫くすると、扉の開閉音に続いて、慌しくも軽やかな足音が響き渡る。その音は数段飛ばしで階段を踏み鳴らし、やがてレイル達の前へと舞い降りてきた。

「ん。お待たせ」

 眠たそうな眼とは裏腹に力強いVサインを決めている。

 その様子を見たレイルがやれやれと首を振る。

「フィー。スカートを履いてるんだから気を付けろよ」

「大丈夫。スパッツも履いてるから」

 そう言ってフィーがスカートの裾を持ち上げようとしたので、リューネが慌ててその手を押さえる。

「フィーちゃん、何してるの!?」

「?」

 何を咎められているのか分からないといった様子のフィーを見て、レイルとエミナが目を見合わせて肩を竦めた。

 その生い立ちゆえ、フィーの知識や情操といったものは世間一般のそれとはズレがあるのは否めない。レイル達と出会ってからは少しずつ改善されてきてはいるが、

 ――恥じらう気持ちがないんだよなぁ……

 いっそ恋でもすれば変わるのだろうか、と思うレイルだったが、空想上の相手に怒りを覚えそうになったので、思考を振り払う。

「さてと、本格的に遅刻しそうな時間だな」

 店内の時計を見やったレイルが合図を出すと、各々が出発前の最終確認を始める。学院から送られてきた戦術オーブメントや得物など忘れ物がないかを確認し終え、マスターのフレッドやウェイトレスのドリーに礼を述べて、キルシェを後にする。

 キルシェを出て左。駅から真っ直ぐと伸びたメインストリートの先にトールズ士官学院がある。

 そこに向かう学生の数は、既にまばらとなっており、式の時間が近付いていることを告げている。

「結構ギリギリだな」

「流石に初日から遅刻は勘弁したいわね」

「ま、間に合うかなぁ?」

「……誰のせい?」

『フィー(ちゃん)だからな(ね)!』

 全速力で駆けながら口論していると、次第に校門が見えてきた。

 すると、そこで待ち構えていたらしい小柄な女子生徒と恰幅の良いつなぎ姿の男子生徒がこちらに気付き、手招きしてくる。

「良かった~! 中々来ないからなにかあったんじゃないかって心配してたんだよ」

 とまだ日曜学校に通っていても違和感がないような小柄の女子生徒がほっと胸を撫で下ろした。

 それでも士官学院の制服を纏っているというのだから彼女もまた立派な士官学院生であり、こうして校門で待ち構えていた事からレイル達にとって上級生なのだと推測出来る。

「すみません、ギリギリになってしまって」

 レイルが代表して謝罪すると、恰幅の良い男子生徒の方が柔和な笑みを浮かべて、

「いや、無事に到着してなによりだよ」

 と言ってくれた。

「じゃあ時間もあんまりないから、さくっと確認するね」

 女子生徒が前置きし、レイル達の氏名を確認していく。

 レイル・クラウザー。

 リューネ・クラウザー。

 エミナ・ローレッジ。

 フィー・クラウゼル。

 それぞれが間違いのないことを伝えると、次に男子生徒が続ける。

「それじゃあ申請してくれていた品を預からせてもらうよ」

 そう言うと男子生徒は手際よくレイル達から得物が入ったトランクや包みを回収していく。

 預かった荷を確認して、彼が頷く。

「確かに。ちゃんと後で返される手筈になっているから心配しないでくれ」

「入学式はあちらの講堂で行われるからこのまま真っ直ぐ向かってね」

 女子生徒がこちらから見て左手にある建物を指し示す。

「それと――入学おめでとう! トールズ士官学院はあなた達を歓迎します!」

 

 

 上級生2人にお礼を言い、レイル達は入学式が行われる講堂へと急いだ。

 講堂では既に多くの新入生が着席しており、後ろ側の席が残り少なく空いている程度だった。

 なんとか間に合ったようだが、席に着いて数分と経たずに入学式が執り行われた。

 教頭であるハインリッヒから式の開始が告げられ、そのまま新入生に対してトールズ士官学院生としての心構えを伝えられる。その段階で既にフィーが船を漕ぎ始めており、レイル達3人は苦笑いを浮かべる。

 長々と続いた教頭の話が終わり、次に各教科の担当教官達を紹介していく。

 その中の1人、ワインレッドの髪を結い上げた女性を見つけ、レイルとエミナは自然と笑みが溢していた。

「どうかしたの?」

 リューネが小首を傾げて尋ねてくるのに対して、エミナが口元を綻ばせながら答える。

「事前に聞いていたんだけど、教官達の中に昔の同僚がいてね」

 つい嬉しくなっちゃって、というエミナの言葉を受け、リューネが得心したように頷く。

 そして教官陣の紹介が済んだところで、学院長からの挨拶が始まった。

 演台に立つその姿は2アージュにも迫る巨漢だった。

 ヴァンダイク学院長。かつては帝国軍にその人ありと謳われた英雄であり、前線を退き後進を育てる現職に就いた今でも、その気迫に衰えを感じさせない豪傑である。

 朗々と力の込められた言葉に多くの者が居住まいを正し、先ほどまで船を漕いでいたフィーでさえ眠りの淵から引き戻されていた。

「『若者よ――世の礎たれ。』」

 より一層力強い言葉が講堂にいる全員の耳朶を打つ。

 それはドライケルス大帝が遺した言葉で、今尚この学院の理念として息衝いている。

 “世”という言葉をどう捉えるのか。

 何をもって“礎”たる資格を持つのか。

 その言葉の意味をこれからの2年間で自分なりに考え、切磋琢磨する手がかりにして欲しいと告げ、学院長は締め括った。

 再び進行が教頭に委ねられ、式の終了が告げられる。

「――以後は入学案内書に従い、指定されたクラスへ移動すること」

 解散の号令を受け、新入生達がそれぞれの教室へ向かっていく。

 しかし、深紅の制服を着た生徒達は講堂に取り残され、どうすれば良いのか困惑していた。

 彼らの元に届いた入学案内書、そこにクラスについて記された項目がなかったためである。

「ふむ……そのような案内はなかったはずだが」

「ど、どうなってるんだろう?」

 取り残された面々が不安げに周囲を見回している。

 その中でレイル達はこちらに近付いてくる女性を待った。

「はいはーい。赤い制服の子達は注目~!」

 先程紹介された教官陣の一人。ワインレッドの髪の女性が陽気な声で注目を集める。

「実は、ちょっと事情があってね。君達にはこれから特別オリエンテーリングに参加して貰います」

 それじゃあ全員あたしについて来て、と言って女性教官が講堂を出て行こうとする。その際、レイルとエミナ、そしてフィーに視線を送ってきて、優しげに微笑む。

「……なんか変な感じ」

「確かに、な」

「あのサラ姐が、だもんね」

 フィーとレイル、エミナが意味深な視線を交し合うが、詳しく話している時間はなく、気付けば講堂に残っているのは彼ら4人とこちらの様子を遠巻きに伺っている数名の貴族生徒だけだった。

「……なんだか、凄く仲間外れな気が」

 疎外感を感じて機嫌を損ねたリューネを宥め、レイル達は急いでサラ達の後を追った。



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特別オリエンテーリング(前編)

 レイルは正直頭を悩ませていた。

 入学式の後、旧知の仲である女性教官サラ・バレスタインに案内されて連れてこられたのは学院の裏手、森林の奥にひっそりと構える旧校舎だった。

 既に校舎として利用されてはおらず見てくれは正に古い建物だったが、しっかりと保全されているため、廃墟というイメージは浮かんでこなかった。

 その旧校舎の中、ホールに設けられた舞台の上でサラから自分達の教官であること、そして深紅の制服を着る自分達が今年から設立された特科クラスⅦ組に配属されることが告げられた。

 ここまでは特に問題はなかった。

 レイル達4人は、その話を踏まえた上での入学だったからである。

 問題は、Ⅶ組の在り方に異を唱える存在だった。

 本来であれば貴族と平民は区別され、それぞれⅠ・Ⅱ組とⅢ~Ⅴ組という形でクラス編成が行われるのだが、Ⅶ組では貴族や平民という身分に関係なく選ばれているのである。

 そのことを聞いた瞬間に異議を申し立てる男子がいたのだ。

「まさか貴族風情と一緒のクラスでやって行けって言うんですか!?」

「うーん、そう言われてもねぇ」

 マキアス・レーグニッツと名乗る濃緑色の髪をした眼鏡男子がサラに不服を申し立てている。

 食って掛かられたサラの方は、さも面倒臭そうに溜め息を漏らしている。その様子を傍目に、レイルはある人物を思い出していた。

 カール・レーグニッツ。帝都ヘイムダルの知事にして帝都庁長官。平民出身でありながら多数の大プロジェクトを成功に導き、帝都庁でのし上がった優秀な人物である。そして重要なのは、革新派の筆頭で鉄血宰相と称されるギリアス・オズボーンの盟友であるという点だ。

 もしマキアスがカールの息子であれば、革新派の立場にある帝都知事の子が貴族に対して反感を抱くのも分からない話ではなかった。

 ――それにしても、度が過ぎているようだが。

 何か事情があるのかと推測出来るが、現状では判断の付けようがなかった。

 そしてもう1つの問題。

「ふん……」

 マキアスとサラのやり取りを聞いていた金髪の男子が鼻で笑ったのだ。それに気付いたマキアスが険のある声音で問い詰める。

「……君。何か文句でもあるのか?」

「別に。“平民風情”が騒がしいと思っただけだ」

 金髪の男子が履き捨てるように言うと、マキアスがこめかみに皺を寄せた。

「これはこれは……どうやら大貴族のご子息殿が紛れ込んでいたようだな」

 マキアスもマキアスで言葉の端々に棘を含み、金髪の男子に誰何する。

 それに対し、金髪の男子が端的に己の名と出自を告げる。

「ユーシス・アルバレア」

“貴族風情”の名前ごとき覚えてもらわなくても構わない、と不遜な態度で返すユーシスに殆どの者が驚きを露わにした。

 そのような中、レイルとエミナだけは別の理由で驚きを感じていた。

 2人は顔を見合わせ、自分達の聞き間違いでなかったことを確認する。

 その間にもマキアスとユーシスの口論めいたものが続けられていく。

「アルバレア……確か、四大名門だったけ?」

 彼らの諍いを気にも留めず、フィーがレイルに確認してくる。

「……ああ。よく覚えていたな」

 レイルが褒めてやると、フィーが得意げに微笑む。

「まぁね。あれだけ勉強したから」

「じゃあ、補足説明を……リューネ、出来るか?」

「えっ!? わ、私?」

 矛先を向けられたリューネが動揺するが、少し思案した後、落ち着いた様子で説明を始めた。

「えっと、帝国東部クロイツェン州を治める公爵家で、その力の表れとして、≪四大名門≫と呼ばれる帝国貴族の筆頭格に数えられている、だよね」

「よしよし。ちゃんと覚えてるみたいだな」

「偉いわね、リューネ」

 それを聞いていたレイルがリューネの頭を撫でながら、そしてエミナが優しげな表情を向けて彼女を褒める。出会ったばかりのリューネは、生育環境の特殊性から学術的な教養はあっても、世間一般の事に疎かったのだ。それが、この半年の猛勉強の甲斐もあり、立派に成長してくれている。そのことに2人は喜びを覚えていた。

 リューネもリューネで2人に褒められて、非常に喜んでいる様子だった。

 しかし、レイルの頭には疑問が残されていた。

 なぜ彼がユーシス・アルバレアなのか?

 それはエミナも同様のようであり、彼女も怪訝そうにしていた。

「…………むぅ」

「どうかしたか、フィー?」

 考えに耽っていたせいでフィーの不満げな呟きを聴き逃してしまう。聞き返したところでフィーは別に、と呟いてふいっとそっぽを向いてしまう。

「はいはい、そこまで」

 突然サラが手を叩いて注目を集める。そこでようやくマキアスとユーシスのやり取りが中断される。

「色々あるとは思うけど、文句は後で聞かせてもらうわ。そろそろオリエンテーリングを始めないといけないしねー」

 それを聞いて金髪の女子と眼鏡の女子がサラに尋ねるが、サラは笑みを溢すだけで答えることはなかった。

 すると黒髪の男子が何かに気付いたようで、

「もしかして……門の所で預けた物と関係が?」

 と質問すると、サラは嬉しそうに彼へと視線を向ける。

「あら、良いカンしてるわね」

 それだけを告げて、サラが後ろへと下がっていく。その段階でレイルは言いようのない悪寒を覚えた。

 サラが舞台後方に聳える柱に近付くと、その側面に人差し指を添える。こちらから詳しくは見えないが、それはさながら何かのボタンを押すような仕草だった。

 ――まずい!

 レイルが危険を感じ取った直後、ホール内に振動が伝わってきた。これから起こるであろう出来事を予測して、レイルはサイドステップでその場から離れる。

 直後。先程までいた床一帯が急勾配に傾き、地下へと生徒達を飲み込んでいった。

「あぶなー」

 冷や汗を拭いながら周囲を確認すると、レイルの近くにはエミナとリューネが、天上の梁にワイヤーフックを引っ掛けてぶら下がっているフィーの姿が確認出来た。

「心配しなくても大丈夫よ。怪我しないように調整してあるから」

 そう言ってサラが舞台から降りてレイル達に近付いてくる。

「手紙で連絡取り合ってたけど、こうして会うのは2年振りね」

 元気にしてた? とサラが微笑を浮かべて尋ねてくる。

「まぁな。サラ姐も元気そうで」

「でも最初に聞いた時はびっくりしたわよ。まさかサラ姐がトールズの教官してるだなんて」

 エミナの言を受けて、サラが色々あってねと苦笑する。

「それと……その子がリューネ、だったわね」

「は、はい! 初めまして、リューネ・クラウザーです」

 リューネが慌ててお辞儀をすると、サラが嬉しげに頷いた。

「礼儀正しい良い子ね。さて……積もる話はあるけど、あんた達も下に降りてちょうだい」

 もちろんあんたもよ、とサラが未だぶら下がったままのフィーを見咎める。

「えー」

 と渋るフィーだったが、サラが投擲したナイフによりワイヤーを切断され、地下へと落とされた。

 その後を追い、レイル達も大口を開く穴へと身を飛び込ませた。

 

 

 地下に降り立つと、既に何人かは身を起こして状況を確認しているようだった。

 先程サラが言っていた通り、怪我をしている様子は見受けられなかった。

 しかし未だ床に倒れている者もいたので、レイルは安否を確認するために声を掛けようとした。

「だいじょう――」

 倒れている生徒の様子に気付き、後の言葉を飲み込んでしまう。

 ――何と言うか……

 倒れている生徒は2人。まるで抱き合うかのような状態で、黒髪の男子が下敷きになり、金髪の女子が彼に覆いかぶさっているのである。

 更に言えば、男子の顔は女子の胸元に埋もれている様子だった。

「ううん……何なのよ、全く……」

 金髪の女子が呻きながら上体を起こそうとする。

 そこで彼女の動きが停止する。

 どうやら自分がどんな状態であるのか気付いたようである。彼女は息を呑み、沈黙してしまう。その様子を周囲が固唾を呑んで見守っていると、下敷きになっている男子がくぐもった声を漏らした。

 その声に反応した金髪の女子が飛び退き、黒髪の男子も起き上がる。

 金髪の女子が俯き肩を震わせているのに対し、黒髪の男子が申し訳なさそうに謝罪している。

「でも良かった。無事で何よりだった――」

 彼がそう告げた瞬間、頬を打つ乾いた音が静まり返った空間に反響した。

 

 

「あはは……その、災難だったね」

「ああ……厄日だ」

 黒髪の男子はくっきりと手形の跡が残った頬を押さえ肩を落としており、その近くにいた小柄な赤毛の少年に慰められている。

 片や金髪の女子は彼に背を向けてご立腹の様子であった。

 ――と言うより、照れているの方が正しいか。

 今日初めて会った異性の顔に胸を押し付けるといった出来事は、男性であるレイルから見てもその恥ずかしさを想像するに難くなかった。

 そのことはさて置き、レイルは現在自分達がいる場所について確認してみる。

 先程までいたホールよりも広さも高さもある円形上の広間。その壁沿いに台座が左右に6台ずつ設けられ、上のホールよりも薄暗くてはっきりと確認できないが何かしらの荷物が置かれているようである。

 状況を確認していると、不意に懐から音が鳴り響く。

 他のメンバーも同様で、それぞれ音の出所を探っている。

 そして取り出したのは、学院から送られてきた戦術オーブメントである。しかし大半の者が、それが何なのか分かっておらず、首を傾げている。

『――それは特注の戦術オーブメントよ』

 すると戦術オーブメントからサラの声が聞こえてきた。

 各々が通信機能を内蔵している事に驚いているのを他所に、金髪の女子が手にしている物の正体について感付いたようである。

「ま、まさかこれって……」

『ええ、エプスタイン財団とラインフォルト社が共同開発した次世代の戦術オーブメントの1つ。第五世代戦術オーブメント、ARCUSよ。結晶回路をセットすることで導力魔法が使えるようになるわ。というわけで、各自受け取りなさい』

 サラの声に呼応するかの様に、視界が急に明るくなった。

 部屋の上部に取り付けられた照明が灯り、部屋全体を照らし出す。

 先程まで確認出来なかった細部まで見通すことが可能となり、台座に置かれていたのが校門で預けていた荷物だと判明する。

『君達から預かっていた武具と特別なクオーツを用意したわ。それぞれ確認した上で、クオーツをARCUSにセットしなさい』

 サラの指示でそれぞれ自分の荷が置かれた台座へと向かう。

 台座には武具と宝石類を収めるのに丁度良い大きさの小箱が置かれていた。レイルはまず武具に異常がないか確かめてから、小箱の中身を確認した。

 中に収められていた特別なクオーツは、通常のクオーツの倍近くはある代物だった。しかも普通のクオーツとは違い、中心に何らかの紋様が描かれていた。

 ――これは、羽根だよな。

 レイルが特別なクオーツに描かれた紋様を眺めていると、タイミング良くサラから説明が入った。

『それはマスタークオーツよ。ARCUSの中心に嵌めればアーツが使えるようになるわ』

 言われてみて、ARCUSの中央には通常の物より大きいスロットが設けられていたことを思い出す。

 普通のクオーツを嵌めるには大き過ぎるため、用途が不明だったが今の説明で得心する。

 そしてサラに促されマスタークオーツをセットすると、ARCUSと身体が淡い光に包まれる。これにより、自身とARCUSの共鳴・同期が完了したことになる。

『これでめでたくアーツを使用出来るようになったわ。他にも面白い機能が隠されているんだけど……ま、それは追々って所ね』

「隠された機能?」

 レイルにとってそれは初耳だった。事前に大まかな説明を受けていたのだが、自分達にも知らされていないことがまだまだあるように感じられた。

 レイルはやれやれと溜め息を溢した。

 ――あいつのことだ。きっと面白がって伝えなかったんだろうな。

 道楽好きの音楽家のことを思い、当たりを付ける。恐らく、問い質したところで『何でもかんでも教えてしまったら、君達へのお楽しみが減るじゃないか』などと答えるに違いない。

『――それじゃあ、早速始めるとしますか』

 サラの合図により、広間の奥に設けられていた扉が自動で開かれた。

 そこから先はダンジョン区画となっており、ちょっとした魔獣が徘徊していると告げられる。

 そのことに緊張する者もいたが、流石に死人が出るような凶悪な魔獣がいるとは考えられない。

『――それではこれより、士官学院・特科クラスⅦ組の特別オリエンテーリングを開始する。各自、ダンジョン区画を抜けて旧校舎1階まで戻ってくること。文句があったらその後に受け付けてあげるわ』

 何だったらご褒美ホッペにチューしてあげるわよと付け加え、それを最後にサラからの通信が切れた。

「え、えっと……」

「……どうやら、冗談という訳でもなさそうね」

 オリエンテーリングの開始を告げられたものの、大半の者はどうしたものかと困惑しており、自然とダンジョン区画の入り口前に集まる形となった。

 サラの説明ではチームを組んではいけない、とは言われていないので、数人に分かれて行動するのが妥当だろうとレイルが考えていると、

「フン……」

 と鼻を鳴らしたユーシスが1人で奥に進もうとする。

 マキアスが慌てて引き止めるが、ユーシスは馴れ合うつもりはないと突っ撥ねる。先程マキアスから“貴族風情”と言われたことを根に持っている様子である。マキアスが言い淀んでいると、更にユーシスが彼を煽る様なセリフを言い放つ。

「貴族の義務として、力なき民草を守ってやっても良いが?」

「だ、誰が貴族ごときの助けを借りるものか!」

 ユーシスの単独行動を見咎めたはずのマキアスだったが、頭に血が上ってしまったのか、冷静さを失い、そのまま1人で奥へ進んで行ってしまった。

 それを見送ったユーシスもマキアスに続いてダンジョン区画へ入っていく。

「えっと……」

「ど、どうしましょう……?」

 赤毛の男子と眼鏡の女子が困惑していると、エミナが1歩前に進み出る。

「仕方ないなぁ……あの2人は私とフィーが追うわ。皆は適当にチームを組んで行動して」

「了解」

 とフィーがエミナに応じる。

「気を付けてね、お姉ちゃん、フィーちゃん」

「そっちは頼んだぞ」

 リューネとレイルに手を上げて応え、エミナとフィーが2人の後を追いかけて行く。

 彼女達を見送った後、腕を組んで成り行きを見守っていた青髪の女子が口を開いた。

「では、先程の彼女も言っていた様に我々は数名で行動することにしよう」

 そう言って彼女は残った女子メンバーに声を掛けていく。

 金髪の女子や眼鏡の女子が快諾する一方、リューネが戸惑いの視線をレイルに送る。

 レイルが笑みの表情で頷いてやると、リューネも意を決してラウラに答えた。

「よ、よろしくお願いします!」

「うむ。こちらこそよろしくお願いする。――では、我らは先に行く。男子ゆえ心配無用だろうが、そなたらも気を付けるがよい」

「あ、ああ……」

 青髪の女子のあまりにも堂々とした言葉を受け、黒髪の男子が少し緊張した様子で頷き返す。

 そして彼女が踵を返し、ダンジョン区画へ入っていく直前。

「…………」

 レイルに対して視線を送ってくるが、特に何かを告げることなく、歩を進めていった。

「?」

 レイルはいぶかしがるも、疑問符を浮かべるだけでその背中を見送った。

 ――なんだったんだ?

 そして、青髪の少女に少し遅れ、眼鏡の女子、金髪の女子、リューネが後に続いた。

「…………フン」

 金髪の女子が去る際、彼女は黒髪の男子を睨み、すぐにそっぽを向いて奥へと消えて行った。

「……はぁ…………」

 彼女達の姿が完全に見えなくなったところで、黒髪の男子が深い溜め息を吐いた。

「すっかり目の仇にされたみたいだな」

「あぁ、後でちゃんと謝っておかないとな……」

 レイルが気遣って声を掛けると、黒髪の男子が一層肩を落とした。しかしすぐに気を持ち直したようで、残ったメンバーで一緒に行動しないかと提案してくる。

「うんっ、もちろん!」

 先程から黒髪の男子と仲良さ気にしていた赤毛の男子が真っ先に同意する。

「異存はない。オレも同行させてもらおう」

「俺もだ。よろしくな」

 長身で褐色肌の男子に続き、レイルも提案を受ける。

 他のメンバーは先に行ってしまったが、レイル達はまずこの場で自己紹介を済ませておくことにした。

「ガイウス・ウォーゼルだ。帝国に来て日が浅いから宜しくしてくれると助かる」

 聞けば長身の男子ガイウスは留学生とのことである。

「こちらこそ、よろしく。リィン・シュバルツァーだ」

「エリオット・クレイグだよ」

 続けざまに黒髪の男子と赤毛の男子が、そして最後にレイルが名乗る。

 一通り名乗りを終えると、エリオットがガイウスの持つ得物に興味を示した。すると、ガイウスが手馴れた手つきで得物を操り、構えをとる。

「十字の槍……」

「随分と様になっているな」

「へぇ、何だかかっこいいね」

「故郷で使っていた得物だ。そちらはまた……不思議なものを持っているな?」

 次に、ガイウスがエリオットの持つ杖のような得物に興味を抱いたようだ。

「あ、うん、これね」

 エリオットが説明するにそれは、新しい技術で作られた導力杖と呼ばれる物で、入学時に適正があると言われて選択したとのことである。

 ――帝国でも実用化に向けて動き出したか。

 クロスベルでそれを用いる少女のことを思い出しながら、レイルは初見を装い、エリオットの話に耳を傾ける。

「何でもまだ、試験段階の武器なんだって。それで……リィンとレイルの武器はその?」

 2人同時に聞かれる。それもその筈である。先程からお互いに気付いてはいたが、リィンとレイル、2人の持つ武器が酷似していたからである。

「それって……剣?」

「帝国で使われている物とは異なっているようだが……?」

 エリオットとガイウスが首を傾げるのを見て、リィンとレイルが誇らしげに自らの武器の説明をする。

「これは太刀さ」

「東方から伝わった武器で、剣以上の切れ味がウリだ」

 その分扱いが難しいんだが、と同じ太刀を使う者同士で苦笑する。

 エリオットとガイウスにはそれ以上に、その刀身が放つ輝きに目を奪われているようだった。

 自己紹介やそれぞれの武器についての確認が済んだところで、そろそろ出発することになった。

 緊張感もそこそこにダンジョン区画へと足を踏み入れていく一行。その殿を務める形で、レイルは皆の後をついていく。

「!? ……………………やっぱりな」

 ある気配を感じ、足を止めて離れて行く背中を見つめながら、誰にも聞こえない声量で呟くレイル。

 その表情は、緊張と――歓喜。可能性が確信に近付いたことにより、口角が僅かに釣り上がっていた。

 ――感じる。ここに間違いなく、アレがある……

 やはり、ここに来て正解だったと感じたレイルは、足早に先を行く3人を追った。

 

 

 サラの説明にもあったが、ダンジョン区画とは正にその通りだった。

 薄暗い石造建築に、入り組んだ内部構造。脅威とは言い難いが、時折襲い掛かってくる魔獣の存在など、正しくダンジョンと呼べる場所だった。

 エミナはフィーを引き連れて、先行していったマキアスとユーシスを探しているのだが、中々見つかる様子がない。

 内部構造が入り組んでいるせいか、どこかで追い越してしまったのではという懸念もあるが、それならそれで後続のメンバーと出会う可能性もあるので、今は奥を目指して歩を進めていく。

「そう言えば、エミナ」

「なに?」

 エミナがフィーへと振り返る。その表情には何か問いたげな雰囲気が滲んでいた。

 すると案の定、フィーの口から疑問が発せられる。

「あのユーシスって人のこと、何か知ってるの?」

「……どうしてそう思ったの?」

「エミナとレイル、ユーシスの名前を聞いたとき凄く驚いてたから」

「そりゃあ、ね。四大名門のご子息だなんて思わなかったし」

「……2人がそれだけで、あんなに驚くとは思えない」

「う……」

 フィーの鋭い指摘を受けて、エミナは言葉を詰まらせた。

 ――すぐに平静を装ったつもりだったけど、よく見てるわね……

 ふぅ、とひとつ息を溢すと、エミナは改まってフィーを見やる。

「別に隠すことじゃないんだけどね……あの子とは、顔馴染みなの。ただ……」

「?」

 エミナが次の句を繋げようとしたところで、通路の奥から2人の耳にある音が届いた。

「! エミナ、これって」

「あの2人かもしれない。急ぎましょ!」

 魔獣の咆哮に嫌な予感を覚え、2人は先を急いだ。



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特別オリエンテーリング(中編)

 レイル達と分かれ、女子グループとしてダンジョン区画を進むリューネ達は道すがら、それぞれの自己紹介を行っていた。

「アリサ・Rよ。よろしく」

 先程のあられもない事故のせいで未だ機嫌を損ねているらしい彼女だったが、言葉に険が出ないよう落ち着いた口調で名乗っていた。

 出身は帝国北方、四大名門ログナー侯爵家が治めるノルティア州の州都ルーレとのことである。ルーレは大陸有数の重工業メーカー、ラインフォルトの本社があることでも有名である。

 Rというのはファミリーネームのイニシャルなのだろう。しかし、それを伏せるということは何か事情があるのでは、とリューネは思っていたが、青髪の女子があまり気にした風もなくアリサに尋ねていた。

「Rというのはファミリーネームのイニシャルであろう? なぜ伏せるのだ」

「……ち、ちょっと訳ありでね」

 青髪の女子が放った直球に、アリサが言葉を詰まらせる。青髪の女子は特に気にした様子もなく、そうかと頷いていた。

 ――ご、豪胆な方ですね。

 振る舞いも堂々としており、彼女を見ていると昔話で読んだことのある中世の騎士を彷彿とさせる。

「えっと、エマ・ミルスティンです」

 次に眼鏡の女子が丁寧なお辞儀と共に自己紹介を始める。彼女曰く辺境の裕福でない家の出ではあるが、高等教育に興味があり、奨学金制度が充実しているトールズに入学したらしい。

「と言うことは、エマさんはかなり優秀な方なのですね」

「そ、そんなことは……」

 リューネが尋ねてみると、エマは身を縮こまらせて否定する。しかし、奨学金制度を利用するためには入学試験で優秀な成績を修めなければならなかったと記憶している。

「確か、今年の入学試験の主席は女性であったと耳にしたが、もしやそなたなのでは?」

「う……」

 青髪の女子に問われ、エマが言い淀む。その態度だけで答えは明らかだったが、彼女はか細い声ではい、と溢した。

「主席、って凄いじゃない!」

「うむ。恥じることはないと思うぞ」

「そうですよエマさん」

 リューネたちに尊敬の眼差しを向けられ、エマの顔が赤く染まっていく。その様子にリューネは、エマは照れ屋という印象を抱いた。

「ラウラ・S・アルゼイドだ。故郷はレグラムという湖畔の町だ」

「アルゼイド……」

 リューネは思わずその名を反芻していた。以前、レイルが話していた記憶があったのだ。

 帝国においてヴァンダール流と共に武の双璧をなすアルゼイド流と呼ばれる流派。その筆頭伝承者であり、≪光の剣匠≫と謡われる帝国最高の剣士でもあるヴィクター・S・アルゼイド子爵。レイルが以前手合わせした際には手も足も出なかったと言っていたが……

「ラウラさんは、あの光の剣匠の」

「うむ。光の剣匠は私の父だ」

 ラウラがしっかりと頷くのを見て、リューネは得心がいった。

 ラウラの騎士道を感じさせる佇まいは、武の名門という育ちからくるものなのだと。

「残るはそなただな」

「あ、はい。リューネ、リューネ・クラウザーです」

 よろしくお願いします、と先程のエマ同様にしっかりとしたお辞儀をする。

「こちらこそよろしく頼む。……ところで、そなたは我らより少し年が下に思われるのだが」

「そうですね。私が……えっと、15ですので、皆さんより2つ程下になるはずです」

「15歳!?」

「その若さで士官学院に……」

「……ふむ。そなたにも事情があるようだな」

 と、年を告げると各々が驚きの反応を返してくる。

「そっかぁ……ねぇ、リューネ。もし困ったことがあったら言ってね」

 力になるわ、とアリサが申し出てくる。その様子からは先程まであった不機嫌さはどこかに消えてしまったようである。

「その、ありがとうございます」

「遠慮しなくていいからね」

「私も力になれるか分かりませんが……」

「これから共に過ごす仲間だ。困ったことがあれば助け合っていこうではないか」

 アリサに続き、エマとラウラも年若いリューネを気遣ってくれている。

 その優しさをありがたく感じ、リューネは3人に礼を述べた。

 

 

「そう言えば、先に行った女子のことをお姉ちゃんって呼んでいたわよね」

 打ち解けて和気藹々とダンジョンを進む途中、ふとした瞬間にアリサがリューネに質問する。

「エミナお姉ちゃんですね。血は繋がってないんですけど、家族同然に大切な人です」

 そう語るリューネの表情は、大切な宝物を自慢しているかのように輝いており、彼女がエミナのことをどれだけ大事に想っているのかがはっきりと伝わってきた。

「それにお姉ちゃんはお兄ちゃんの恋人なので、いつか正真正銘のお姉ちゃんになると思います」

「ふむ。リューネには兄上もいらっしゃるのだな」

「もしかして、先程一緒にいた銀の髪の……?」

 エマの問いにリューネが頷く。

「そうです。レイルお兄ちゃんです。……と言っても、お兄ちゃんとも血は繋がってないんです」

「え……?」

 告げられた言葉にアリサは虚をつかれて、歩みを止めてしまう。養子なんです、とリューネが付け加える。その表情に少しだけ影が差す。

 養子。

 それはつまり、元の親に捨てられたか。

 ――あるいは……

 嫌な想像がアリサの脳裏を過ぎってしまう。そのせいできっと自分の顔はひどく強張っているように感じられる。

 エマとラウラを見やると、彼女達も表情が硬くなってしまっていた。

 そのことに気付いたリューネが申し訳なさそうに謝罪してくる。

「ごめんなさい。変な空気にしてしまいましたね」

 そしてさっきまでの翳りを感じさせない笑顔で、

「今はレイルお兄ちゃんとエミナお姉ちゃん、フィーちゃん……それにお義父さんやお義母さんが本当の家族のように……いえ、家族として受け入れてくれています。だから大丈夫です!」

 リューネが両手で握り拳を作り、自分は大丈夫だとアピールする。

 その様子を見てアリサ達は安堵すると共に、より一層健気に振舞うリューネの力になってあげたいという思いを強くしていった。

「ところで、フィーというのは先程の銀髪の少女のことだろうか? もしや、彼女も……」

「はい。私と同じでクラウザー家の養子――では、ないんですけど、詳しいことは私の口からは」

「……そうか。すまない、差し出がましいこと訊いてしまったな」

 陳謝するラウラにエミナはお気になさらず、と応じる。

 リューネに笑みが戻り、歩みを再開したが彼女達だが、アリサは1人だけ少し遅れて後に続く。

「…………家族かぁ」

 リューネの家族話に触発され、アリサも自分の家族について想いを馳せて、誰にも気付かれないほどの小声で呟いていた。

 先程の話を聞いて、リューネに抱いた気持ちは紛れもない本物だった。

だけど少しだけ、リューネのことを羨ましく思っている自分がいた。

 血が繋がっていなくても家族としての固い絆を結ぶリューネ。

 血が繋がっていてもすれ違いを繰り返す自分の家族。

 その違いに、思わず溜め息が零れてしまう。

「家族って、何なのかしら……」

 その問いに答えてくれる人は誰もいなかった。

 

 

「リィン、そっちに行ったぞ!」

「了解!」

 レイルの呼び掛けに応じ、リィンが太刀を中段に構える。迫りくる魔獣、飛び猫の蹴りを避け、振り返り様に隙だらけの背後から一閃を放つ。

「やったぁ!」

「よし、今のでこの一帯の魔獣は片付いたようだ」

 リィンの成果にエリオットが歓声を上げ、ガイウスが満足げに頷いていた。

 リィン達男子グループは戦闘を重ねていく毎に、それぞれの連携を強めていっていた。

 前衛はリィンとレイルで分担し、敵陣に切り込んでいく。その突破力やスピードを活かしたかく乱により、おおよその魔獣は翻弄され敢え無く撃破される。2人が取りこぼした魔獣は、そのリーチの長さから中衛で敵への牽制といったフォローに回っているガイウスにより掃討される。そしてエリオットは後衛を担当し、アーツや魔導杖から放たれる無属性の導力衝撃波による援護や、グラスドローメという物理的な攻撃が効きにくい相手への対応を行っている。

 少々前衛寄りなチームではあるが、連携によって危なげなくダンジョンを攻略していた。

「3人とも凄いよね」

 幾度目かの戦闘が終わった時、エリオットが感嘆の声を上げる。

「そう言うエリオットも十分凄いと思うぞ」

「そんなことないよ。皆に付いて行くので精一杯だよ」

 リィンの言葉を否定するエリオットだが、的確なタイミングでアーツを発動させ、皆のサポートをしっかりと実行出来ているのは確かである。

 ただ、他の3人に比べて体力面で劣っているため、今も肩で息をしている。

「だいぶ進んだし、この辺りで一旦休憩を執らないか?」

 エリオットの様子を見て、リィンが休憩を提案する。

「そうだな。まだまだ先があるみたいだし、丁度良いんじゃないか」

「ああ、慎重になるに越したことはない」

 レイルとガイウスの同意を得て、車座になって休息を入れる。

 エリオットが申し訳なさそうにしていたが、3人が口々に気にしないようにと伝える。

「リィンの剣術だが、八葉一刀流だよな」

「流石にレイルは知っているみたいだな」

 自身の流派を言い当てられたリィンだったが、そのことについて別段驚くことはなかった。

 太刀を使う身であれば、八葉一刀流の名を知らぬ者はいない。

 そう称されるだけ、この流派の知名度は高いのである。

 剣仙ユン・カーファイにより編み出された刀や太刀を用いる剣術であり、一から七までの剣術の型と無手の型を併せた八種の武術により構成されている。また、剣術の型どれか1つまで極めた者は剣聖と呼ばれ、大陸中でも指折りの実力者として知られている。

 近隣諸国においては剣聖カシウス・ブライトや風の剣聖アリオス・マクレインの活躍により、八葉一刀流の名は広く知られるようになったのである。

「俺がユン老子に師事していた頃には、剣聖は剣の道から離れていたらしいがな」

「ああ。今じゃ得物を棒術具に変えてはいるが、その実力は衰えるどころか更に増しているようだったな」

 レイルが語りながらどこか遠い目をしていた。

「もしかして、剣聖と手合わせしたことがあるのか?」

「……んー、まぁ、な。そういう機会に恵まれて、な」

 剣の道を歩む者として、剣聖のような実力者に手合わせをしてもらえるというのは願ってもない幸運と言えるだろう。

 しかし、レイルの様子からは嬉しさなどは見受けられず、むしろあまり思い出したくない記憶のように感じられた。

「あれは、何て言うか……うん、化け物だな。正直、サシじゃ勝てる見込みが、全く……なかった」

「……剣聖と謳われる実力は並大抵のものではない、ということだな」

 レイルの全力がどれ程なのかはまだ分からないが、少なくとも自分以上だとリィンは推測している。

 ――そんな彼でも歯が立たないと言うんだ。初伝止まりで修行を打ち切られた自分じゃ足元にも及ばないだろう。

 分かりきっていることだというに、そのような思考が浮かんできたことに対し、リィンは自嘲するように笑みを浮かべていた。

「ところで、レイルはどこの流派なんだ?」

 気を取り直して、話題をレイルの方へと移す。

「俺か? 俺のは神薙流という流派だが、八葉一刀流と違って知っている者は数少ないはずだ」

「かんなぎ……」

 初めて聞く名であり、どのような字面か想像が付かなかった。

「神を薙ぎ払うで、神薙だ」

「!?」

「それって……」

「……正直、物騒な名だな」

 今まで聞き手に回っていたエリオットとガイウスも、レイルの言葉を聴いて一様に驚きを露わにした。

 神を薙ぎ払う。つまりは主である神を殺める、と想像出来る言葉を聞かされ、驚くなと言うのも無理な話であった。

 しかしレイルは、3人の反応を気にした様子もなく、自らの考えを語った。

「確かに字面を見ればこれほど物騒な名はないだろうな。ただ、俺としては『神が定めた運命ですら薙ぎ払う』という意味を持っていると思うんだ」

「なるほどな。そういう見方も出来るのか」

「なんだかカッコいいね、そういうの」

「物事には様々な側面がある、ということだな」

 レイルの言葉にそれぞれが感想を述べる。

 ガイウスの感想を聞いたレイルは得意げに頷く。

「そう言うことだな。1つの側面に捉われずに、あらゆる可能性を考慮し、真実を見極めること」

 結構大事なことだと思うぞ、とレイルがニッと白い歯を見せて笑う。

「さてと、そろそろ動くとするか」

「そうだな。行けそうか、エリオット」

 ガイウスが先に立ち上がり、エリオットに手を差し出す。エリオットがそれを掴むと、腕を引いて助け起こす。

「ありがとう。しっかり休めたし、もう大丈夫だよ」

 エリオットの表情からは疲れの色が薄れており、強がりで言っている様子もなかった。

「よし。油断せず慎重に進もう」

 リィンの号令を受け、男子メンバーは再び奥を目指し始めた。

 

 

 フィーはエミナと共に暗がりの通路を疾走していた。

 先程、ほんの僅かにだが聞こえてきた魔獣の咆哮が気掛かりとなり、音の方向へと急ぐ。

 この地下迷宮に生息する魔獣は、基本的に気性が大人しい部類に含まれる。

 しかし、外敵と遭遇し、これを排除するためであれば容赦なく牙を剥いてくる。

 ――この先で、誰かが戦っている。

 誰かまでははっきりとしないが、自分達が追って来た内のどちらかだろう。

 ダンジョンに入っていく前の様子から、共闘しているとは考えにくく、たった1人で魔獣を相手取っていると推測出来る。

 彼らがどれ程の力量かは分からないが、単独で魔獣に襲われているのならリスクは相当に高い。

 更には、戦闘音を聞きつけて周囲から他の魔獣が集まってくる可能性だって存在する。

 フィーがエミナに視線を送ると、エミナが頷き、2人とも進行速度を速める。

 瞬く間に戦闘音が大きくなってきた。

 魔獣の咆哮や断末魔、それに加えて剣戟の響きが聞こえてくる。

 どうやら金髪の貴族生徒、ユーシスが戦っているようである。

「先に切り込む。援護して」

「了解!」

 エミナの返事を背後に聞き、フィーは己の身に更なる加速を加える。

 通路が途切れ、開けた空間に出た瞬間、速度を殺すことなく即座に状況を確認する。

 広間の中央、6体の魔獣に囲まれてユーシスが孤軍奮闘している。その周囲にはユーシスが屠ってきたであろう魔獣の亡骸が無残にも打ち捨てられていた。その数から、彼の腕前が相当に高いことが窺い知れたが、流石の数を相手にその表情には疲労の色が浮かんでいた。

「! お前は……」

「話は後。今は魔獣を殲滅する」

 こちらに気付いたユーシスが目を見開くが、それに構わず身近にいた1体を銃剣のブレードで切り捨てる。

「私もいるわよ!」

 追いついたエミナが即座の射撃を放つ。それにより2体の魔獣が屠られる。

 こちらの強襲で数を殺がれた魔獣が慌てふためいたかのような素振りとなる。そこから先は一方的な戦いだった。

 魔獣を倒しきった後、ユーシスが深い息を吐いて呼吸を落ち着かせていた。

「ふぅ…………助けてくれと頼んだ覚えはない。が、一応礼は言っておく」

 ぶっきらぼうだが『助かった』と告げるユーシスに、フィーは問題ないと返しておいた。

 しかしエミナの方は、何故か眉根を寄せてユーシスを睨んでいた。

「……何か言いたげだな。貴様もあの男と同様に“貴族風情”に不満でもあるのか?」

「別に。不満なんてないわよ……ユーシス・リアライトくん」

「!?」

 エミナの言葉にユーシスが全身を強張らせる。

 ――リアライト? アルバレアじゃなくて?

 どういうことか分からずフィーは首を傾げるだけだが、2人はそれで通じるものがあるらしかった。

「貴様ッ――どこでその名を!?」

「その反応……やっぱりあのユーシスなのね」

「おい! 質問にこた――」

「エミナ・ローレッジ」

「――――ッ!?」

 エミナが名乗るとまたしてもユーシスが硬直してしまった。そして信じられないものでも見たかのように狼狽する。

「その朱色の髪……きさ、いや、貴女は」

「ようやく、思い出してくれたみたいね」

 やれやれ、といった様子でエミナが溜め息を溢した。

「話したいことは山程あるけど……まずは1つだけ、聞かせてちょうだい」

「な、何を……」

「翡翠の都バリアハート。そこで母親と2人で暮らしていた平民のユーシス・リアライトくん。そのあなたが、どうしてアルバレアを名乗っているのかを、ね」

 

 

「すまない。君達のおかげで助かったよ」

「いや、無事で何よりだ」

 武器を収め、レイルはマキアスのお礼に応じた。

 レイル達が少しばかり広い空間に辿り着いたのと同時に、奥の通路から魔獣の群れに追われたマキアスが現れたのである。

 間一髪、レイル達の助勢を得て、マキアスは事なきを得たのである。

 ここまで必死に逃げてきたこともあって、マキアスは息を切らしていたが、単独行動を始めた時とは打って変わって、冷静な状態を取り戻しているように感じられた。

 実際彼の話では、あれから頭を冷やし、誰かと合流しようと引き返して来たところで、魔獣の群れに追われることになったらしい。

 その説明の後、独断専行したことについて謝罪してきたのは、彼が本来真面目で礼儀正しい少年であることを物語っていた。

「良かったらここからは俺達と一緒に行動しないか」

「そうだな。恐らくオレ達より後には誰もいないはずだ」

 リィンがマキアスに提案し、ガイウスがそれを後押しする。

「ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ。……それと……君達の身分を聞いても良いだろうか?」

 リィンの提案は願ってもないものだったらしく、マキアスは快諾してくれた。すると、彼は表情に緊張を帯びさせ、真剣な眼差しでこちらに質問してきた。

 含むところはないが相手が貴族かどうかをしっておきた、と告げるマキアスに対し、レイル達は顔を見合わせた。

「えっと……ウチは平民出身だけど」

「同じく――そもそも故郷に身分の違いは存在しないからな」

「なるほど、留学生なのか」

 エリオットとガイウスが貴族でないと知ると、マキアスから緊張の色が薄れていった。

「それで、君達は?」

 残るレイルとリィンに問い掛ける。それにはレイルから応じた。

「俺は、自分にどんな血が流れているか分からないんだ」

「それは……すまない。不躾な質問をしてしまったようだ」

 マキアスが申し訳なさそうに頭を下げてくるが、レイルが慌てて否定する。

「そんな深刻な話じゃないから謝らないでくれ。俺の家、クラウザー家は先祖代々から大陸中を旅してきた家系でな。どこでどんな血が入っているか分からない、ってことなんだ」

 そういう意味ではどこかの国の高貴な血が混ざっている可能性もあるかもな、と冗談めいて付け加えるが、スケールの大きさに皆反応に困っているようだった。

「そ、そうか……それでリィン、君は?」

「ああ……」

 最後に残ったリィンへと話が振られると、彼は少し間を置いてから口を開いた。

「――少なくとも高貴な血は流れていない。そういう意味では皆と同じと言えるかな」

「そうか……安心したよ」

 リィンの答えに納得したのか、マキアスが嬉しそうに頷く。

 しかし、レイルは先程のリィンの言に違和感を覚えていた。

 貴族でないのならそう言えば済む話なのだが、彼の言い方は何かを含みがあるように感じられた。

 特に、『そういう意味では皆と同じ』という言葉が、レイルの脳裏に引っ掛かった。

 ――なら、どういう意味では違う?

 貴族ではないという明言は避け、なおかつ高貴な血は流れていないという言い回し。

――と、なると……そういうことか?

 推測を重ねていき、自身の中で理に適った答えを導き出し、内心で嘆息する。

 レイルの推論通りであれば、リィンのあの言い方はベターな回答のはずである。

 あくまでベターではあるが、リィンにも事情や考えがあるのだろう。ならば、ここでレイルが横槍を入れるのは余計なお節介になってしまうだろう。

「あ、ちょっと良いかな? マキアスってもしかして」

 突然、エリオットがマキアスに尋ねる。その言葉は途中だったが、マキアスはエリオットが訊こうとしている内容をさっしてか、1度咳払いした後、居住まいを正した。

「君の想像している通りだ」

 マキアスの言葉に、エリオットはやっぱりという反応を示す。

 すると、レイルも2人が話している内容を察して、先程の推論が正しかったことを知る。

 リィンやガイウスは首を捻って話の推移を見守っていた。

「いつか分かることだろうが……僕の父は帝都知事を務めている」

「帝都知事!?」

「……それはどういった類のものなのだ?」

 マキアスが告げる言葉にリィンは驚きを顕わにし、帝国について詳しくないガイウスは更に疑問を抱いている様子だった。

「帝都知事というのは、帝都ヘイムダルを管理する組織のトップってことだ」

「なるほど。オレの故郷で言う族長と似たようなものか」

 レイルがなるべく簡潔に説明してやると、ガイウスが故郷のことと置き換えて、多少の差異はあれど何とか理解したようであった。

「若い頃から大きなプロジェクトを成功させ、歴代初となる平民出身の行政長官。清廉潔白を地でいく優秀な人って新聞にもよく書かれてるよね」

「詳しいな、エリオット」

 自分の父親を好意的に説明するエリオットに驚きながらも、マキアスはどこか誇らしげだった。

「一応これでも帝都出身だしね」

「そうだったか。僕はオスト地区だが、君は?」

「あ、僕はアルト通りだよ。もしかしたらどこかですれ違ってるかもね」

「……………………?」

 出身が同じと知れて2人が会話を弾ませている。それを聞きながらレイルの中である可能性が過ぎった。

 ――帝都のアルト通りに住む、クレイグ……?

 その情報からかつて知り合った音楽教室で講師を勤める女性を思い出していた。

 そして直接の面識はないが、彼女の父親についても記憶から引っ張り出してくる。

 筋骨隆々の巨漢。豪胆にして大胆不敵。

 今目の前にいる中性的で気弱なエリオットとは全くもって結びつかなかった。しかしよくよく考えれば、彼の者に付けられた異名の由来を、エリオットもまた持っているのである。

 ――何ですぐに気付かないかなぁ……

 自分の間抜けさに呆れてしまうが、それだけ彼らが似ても似つかないということだ、と内心で言い訳を浮かべる。

「さて、そろそろ奥に進もう」

 しかし、エリオットに直接確認する前に、リィンの提案を受け、一同は出口を目指して先を急ぐことになった。

「エリオット、ちょっと良いか?」

「どうしたの?」

 だが、流石に気になったレイルはエリオットを手招きし、他の3人より少し遅れて後に続くことにした。

「間違っていたらすまないが……エリオットのお父さんってオーラ――」

「ストーップ!」

 エリオットが慌ててレイルの口を塞ぎに掛かる。その反応だけで、答えは得たも同然であった。

 エリオットの突然の大声に、前を歩いていた3人が振り返るが、エリオットが気にするなという旨を伝えると、不思議そうにしながらも歩みを再開させた。

「な、なんで分かったの!?」

「んー、気付いたのはついさっきなんだが」

 エリオットが小声で尋ねてくるので、レイルもそれに合わせて声量を落とす。気付いた理由は彼の姉にあたるであろう女性と知り合いであることが大きいのだが、そこを詳しく尋ねられるとこちらの素性に関わることとなるので、レイルは曖昧に暈した理由を述べるに留めた。

「そっか。……悪いけど、父さんのことは黙っててくれる?」

「それは別に構わないが……やっぱり、気になるのか」

「そりゃあ、ね。父さんの息子って知られたら、ここだとどうしても色眼鏡で見られると思うし」

 そう語るエリオットの表情はかなり複雑な心境のようであり、そのこと以外にも悩みの種があるように感じられた。

 

 

「む。どうやらここで行き止まりのようだな」

「仕方ありませんね。先程の分岐点まで戻りましょう」

 ダンジョンに入ってから1時間程が経過した頃、リューネ達は3度目の行き止まりに行き着いていた。

「もぅ、いったいいつになったら出口に着くのよ」

 流石に辟易とした感じで、アリサが愚痴を溢した。

 彼女の言うことは最もであるし、長い時間薄暗い地下迷宮にいれば自然と気分が滅入ってしまう。

 とはいえ、ここで不満を述べていても仕方がないので、早々と前の分かれ道へと戻ることにする。

「しかし、学院の地下にこんなものがあるとはな」

 ラウラが気になっていたのか、ふと、そのようなことを口に出した。

「確かにそうですよね。わざわざこのために用意した、という訳ではなさそうですが」

「何にせよ、常軌を逸しているわ」

「……………………」

 と、リューネとアリサが口々に感想を述べる。しかし、エマだけは何かを考え込んでいる様子だった。それに気付いたリューネが彼女に呼び掛ける。

「エマさん?」

「あ、すみません。……そうですね。随分と古くからあるみたいですし、もしかしたら学院が出来た時、あるいはそれ以上前からあるのかもしれませんね」

 呼ばれたことではっとしていたエマだが、すぐに自分の所見をすらすらと口にする。

 それを聞いたリューネ達はそれぞれが感嘆の言葉を漏らした。

 ――確かに古い建物だとは思っていましたが、それ程に古いとは思っていませんでした。

 少なく見積もっても自分が生きてきた時間を遥かに超える年月である。そう考えると、驚くな、というのはまだまだ年若いリューネにとっては難しい話だった。

「止まれ」

 先頭を歩いていたラウラが後ろ手にこちらの動きを制してきた。

 場所は先程の分岐点。ラウラの様子は右手の通路の方を窺っているようである。何かの気配が近付いてきているのだと推測出来たリューネは意識を集中させ、気配の正体を探った。

 ラウラとリューネの様子を見て、残りの2人が武器を構えて臨戦態勢に入った。

 ――この気配は……

 数は5。しかしその気配は魔獣ではなく、人が放つものであった。向こうもこちらの気配に気付いたのか、幾つかの気配が一瞬張り詰めたが、すぐにその緊張は解かれ、こちらへと近付いてくる。

「そなた達は……」

 真っ先に相手を視認したラウラが安堵の表情を浮かべる。

 右手の通路から現れたのは、レイル達一行の5人組だった。

 

 

「アリサ・R。宜しくしたくない人もいるけど、それ以外の人はよろしく」

 そう告げるアリサに、リィンは表情を強張らせた。一応笑顔は保てているだろうが、その笑みはとても歪なものだろうと思う。

 分かれ道に行き着いたところで女子のグループと出会い、自己紹介を兼ねてお互いの情報を交換し合っていたのだが、アリサの様子は始終不機嫌そうで、こちらが話題を振っても取り付く島もない状態である。

 ――不可抗力とはいえ、あれはまずかったよなぁ。

 いくら彼女を助けようとしたという大義名分があろうと、その後のあの状況は問題だった。それを理解しているので、どうにか謝ろうと四苦八苦しているが、まともに取り合ってもらえず、リィンはどうしたものかと肩を落とした。

「そうか。そなた達もまだ彼を見掛けていないのだな」

「多分、先に行ったエミナ達が見つけているはずだ。……提案なんだが、ここからは一緒に行動しないか?」

「――!?」

「なっ!?」

 レイルの突然の提案に、リィンだけでなくアリサまでもが表情を緊張の色に染めた。

「いや、ユーシスとやらが見つかっているか確証がない以上、今まで通り分かれたまま行動するのが得策ではなかろうか」

「一理あるが、まだ調べてない通路はこっちだけだろ?」

 そう言ってレイルが丁字路の右側を指差す。彼の言う通り、未探索の通路はそちらのみである。

「人数が増えれば全体の動きが鈍くなるのは確かだが、ここは親睦を兼ねて一緒に行かないか」

 そう言うとレイルがさり気なくリィンへと視線を送ってきた。するとそれに気付いたのか、ラウラまでもがこちらを見遣った。そして何か逡巡した後、

「……なるほど。そう言うことであれば是非もない。同行させてもらおう」

「ちょ、ちょっとラウラ!?」

 ラウラが承諾すると、アリサが悲痛な声で彼女を呼び止める。

「どうしたのだ、アリサ? 何か不都合なことでも?」

「いや、その……」

 アリサが言い淀み、目線を泳がせている。すると、彼女の様子を窺っていたリィンとばったり目が合う。彼女はこれでもかとリィンを睨みつけるとそっぽを向いてしまった。

「別に、何でもない!」

「うむ。それでは行くとしようか」

 ラウラが先陣を切り、先に行ってしまった。アリサを始め、他のメンバーもそれに次々と続いた。

 気が重たかったが、リィンも後を追うことにする。その途中で前を歩くレイルがリィンのことを呼び寄せて、彼に耳打ちする。

「一緒に行動するお膳立てはしてやったんだ。早いこと彼女の機嫌を直してきたらどうだ」

「やっぱりそういうことか…………気持ちはありがたいが、上手くやれる自信がない」

 リィンが肩を落として溜め息を吐く。その様子を見たレイルが、ふむと唸った後、何かを思案している素振りを見せた。

「どうしたんだ?」

「いや……そうか。それならもう一押ししてやろうじゃないか」

 レイルが口角を吊り上げると、尋ねる間もなく先に行くリューネの元に寄って行った。

 ここからでは何を話しているのか分からないが、リューネが何度も頷き、2人で笑顔を見合わせていた。

 すると、リューネがこちらへとやって来て、レイルはアリサの方へと向かったようであった。

「リィンさん、少し良いですか?」

「あ、ああ……」

 何を言われるのか、とリィンは緊張した面持ちで、リューネからの言葉を待った。

「アリサさんですが」

 やはりその話題か、とリィンは内心で身構えた。

 リューネは先程までアリサと共に行動していたのだ。その際、リィンへの罵詈雑言を聞かされていたのではないか、そしてそれをリィンに伝えようとしているのではないかと勘繰ってしまう。

 しかし、リューネの口から出た言葉は予想していたものとは全く異なっていた。

「――怒っている、という訳ではないと思いますよ」

「え……?」

 どういうことだ、とリューネを窺うと、彼女は苦笑して話を続けた。

「全く怒っていない、ということはないでしょうけど、それ以上に――恥ずかしさの方が勝っているんだと思います」

「そう、なのか?」

「恐らくですが。それにアリサさんも、リィンさんに助けてもらったことはちゃんと分かっていると思います。それでもあんな態度をとってしまうのは」

「照れているから……」

 そう言うことだと思います、とリューネが頷いてみせた。

「ありがとう。君のおかげで気持ちが軽くなったよ」

「お役に立てたようで何よりです」

 そう言ってリューネは微笑み、頑張ってくださいねと言い残して、元の場所まで戻って行った。

「……………………」

 具体的にどうすれば良いか分からなかったが、とにかく機会を窺い誠心誠意謝ろうと心に決めたリィンであった。

 

 

「よっ。アリサ、で良かったよな」

「え?」

 背後から声を掛けられ、アリサは慌てて振り返った。

 そこにいたのは銀髪の男子、リューネの義兄レイルだった。

「えっと、何か用かしら?」

 何故声を掛けられたのか分からず、アリサはつい身構えてしまった。アリサの態度を気にした様子もなく、レイルは話を切り出した。

「用ってのは他でもない、リィンのことなんだが」

「!? ……その話なら他所でしてくれないかしら」

 リィンの名を出された途端、アリサは自分の表情が強張ったのが分かった。声音も少しばかり刺々しくなってしまう。

「そう言われてもな……君がその調子だと、リィンが報われないしさ」

「あ、あんな奴どうだって――」

「君を助けたのに?」

「!?」

 アリサの言葉を遮って、レイルが疑問を差し挟んでくる。

「それは、その……」

 アリサも理解はしているのである。リィンが自分を守ろうとした、その結果彼は自分の下敷きになってしまったのである。

 ――それで、その……胸を……

 触られたのではなく、自分から押し付ける形になってしまったのである。それも理解しているが、あまりの出来事に動揺し、挙句リィンには平手打ちをお見舞いしてしまったのである。

「分かっては、いるのだけど……」

 手を上げたことを謝り、助けてくれたことには感謝を示さなくてはならない。頭では理解しているのだが、彼女の中に渦巻く感情が素直な行動を阻害しているのである。

「まぁ、分かっているなら良いけど。なるべく早くに済ませておいた方が良いと思うぞ」

「え、ええ」

 アリサがか細く頷くと、それに満足したのかレイルは後方へと下がっていった。

 ――やっぱり早く謝った方が、良いわよね。

 レイルも言っていたが、後回しにしていては謝る機会を逃してしまうかもしれない。

 まだ照れや申し訳なさでまともにリィンと対峙出来そうになかったが、両手で頬を張り、心に気合を入れる。

「よしっ!」

 周りから訝しがられるが、そんなことは今のアリサにとって些事でしかなかった。

 謝ろう、そう決めてアリサは振り返り、リィンを呼ぼうとした。

「ふむ。またしても分かれ道か」

「そのようだな」

 その矢先、先頭を歩いていたラウラとガイウスから声が上げる。

 機先を挫かれたアリサは表情を引きつらせながら2人に振り向くと、確かに2人が言う通り、道は再び丁字路として行き先が別たれていた。

「……………………」

 リィンに謝ろうとした直後、グループは再度2つに分かれ、それぞれ探索を開始することになった。



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特別オリエンテーリング(後編)

 ユーシスは頭を悩ましていた。

 魔獣の群れに襲われていたとき、自分を助けてくれたエミナとフィー。3人連れ立って、地下迷宮の出口を目指していた。

 ユーシスの悩みの種は、同行する相手である。

 フィーはマイペースで黙々とユーシスの前を歩いている。彼女は特に問題ない。問題は彼の背後にいるエミナである。

 ユーシスがそっと背後を確認すると、エミナは未だ膨れっ面でじとっとした目をユーシスに向けていた。

 ユーシスの知るエミナであれば、理由もなくそんな態度をとることはない。

 ――悪いのは、俺だ。

 それは、エミナから発せられた質問に対して、自分が答えをはぐらかしたことが原因だった。

 どうしてアルバレアの姓を名乗っているのか。

 その問いの答えは単純な話なのだが、ユーシスはそれを説明するのを躊躇ってしまった。

 かつて、お互いにまだ子供の頃とはいえ、世話になった相手に対して不義で応じてしまっていることは理解している。それでも尚、自分の身に何があったのかを話すのに腹を決めかねていた。

「…………」

 しかし、流石にこのままにしておく訳にもいかず、ユーシスは意を決して振り返った。

「…………何よ?」

 ユーシスを正面に見据え、彼に問う。その声音は重く、低い。

 彼女の発するオーラに気圧されるも、ユーシスは何とか口を開いた。

「その、貴女には申し訳ないが……今はまだ、待ってもらえないだろうか」

「……………………はぁ~」

 暫しの沈黙の後、エミナが深い溜め息を吐いた。

「そんな済まなさそうな顔でそんなこと言われたら何も訊けないじゃない」

「……申し訳ない」

「別にいいわよ。それに、謝るのなら私の方よ。ユーシスの事情も知らないでずけずけと訊き出そうとしたんだし…………ごめんね」

「――ッ!」

 ユーシスは彼女からの謝罪が、己の胸の奥に刺さるのを感じた。

 悪いのは自分の方なのに、という自責の念が彼女の言葉を受けて胸の奥を抉っていく。

「けどね」

「?」

 エミナの表情がふっと柔らかくなった。まるで慈愛に満ちた笑みのまま、彼女は人差し指を立て、それをユーシスの鼻先に突き付けた。

「私も……それにレイルだって、ユーシスの味方だからね。どんなことがあったとしても、それはあの時からずっと変わらない。だから、ユーシスが話しても良い――話したいって思えるときまで待つことにするわ」

 それくらいなら良いでしょ? と微笑む彼女を見て、ユーシスは胸の痛みがほんの少しだけ和らいでいくのを感じた。

「……ありがとう、ございます」

「どういたしまして、で良いのかな? あ、そうだ。この際だから敬語はなしにしない?」

「そ、それは……」

「だって、これから2年間は同じ士官学院の仲間なんだし」

 彼女の言は最もであった。同じ士官学院、それも同学年であるならば変に敬語で接するよりは良いのかもしれない。

 しかし、かつては頭が上がらなかった彼女に対して、他と同様の接し方をするというのは、ユーシスにとって酷く抵抗のあることだった。だが、自身の過去についてはエミナが譲歩してくれている以上、ここは自分が折れる番だと感じ、少し躊躇ってからだが、ユーシスは口を開いた。

「…………了解した。これで構わないか?」

 それに対しエミナは何度も満足げに頷いていた。

「話、終わった?」

 ユーシスの背後からフィーが声を掛けてきた。

 振り返ると、少し離れた場所で壁に寄り掛かり、こちらの様子を窺っていたらしい。

「待たせたな。先に進もう」

「ん」

 フィーが頷き、再度先頭に立って進んでいく。

 彼女の後を追うようにしてユーシスとエミナがそれに続いた。

「……そう言えば、レイルの名が出てきたが、もしかしなくとも先程一緒にいた銀髪の男子が?」

「そ。レイルもユーシスのこと気にしてたから、これが終わった後にでも声掛けてあげて」

「あぁ、了解した」

「ストップ。向こうから誰か来る」

 少し前を進んでいたフィーから静止の声が掛かる。

 誰か、と言うからには魔獣ということはないのだろうが、地下迷宮という場所のせいか、自ずと身構えてしまう。

 程なくして通路の向こう側からこちらへやってくる人影が目に映った。

「お前達は……」

 向こうからやってきたのは、一緒に地下に落とされたメンバーの内、女子のみで構成されたグループだった。

「ふむ。どうやら上手く合流出来たようだな」

 向こうの先頭に立っていた青髪の女子がユーシスを一瞥した後、安心したかのように言ってくる。

「要らぬ心配を掛けたようだな」

「ユーシス」

 エミナが突然ユーシスの脇腹を肘で小突いた。何事かと彼女を見れば、何か物言いたげな視線で見詰め返される。

 ――む。

 彼女が言わんとしていることを何となくだが察し、ユーシスは1度咳払いした後、

「すまなかった」

 と頭を下げた。

「あ、いや……無事ならそれで良いのだが」

 青髪の女子が面食らった様子で言葉を紡いでいた。向こうの他の面々はお互いに顔を見合わせて、何かを不思議がっているように感じられた。

「……どうかしたのか?」

「い、いえ、何でもないの。気にしないで」

 金髪の女子が慌てて取り繕うように言ってきた。

 ――俺が謝るのが、そんなにもおかしいのか?

 いや、おかしいのだろうな。

 貴族階級、ことエレボニア帝国においてその存在は、特権階級の権化である。その筆頭格である四大名門に名を連ねる人間が頭を下げるなど、帝国人としては信じがたいものなのだろう。

 だから彼女達――延いては自分のために言っておくべきことがあった。

「これから先、同じ士官学院生としてやっていく以上、変に畏まられると窮屈で敵わん。身分に捉われず接してもらって結構だ」

 ユーシスがそう告げると、青髪の女子以外は困惑した様子だったが、程なくして了解の意を返してきた。背後でエミナが満面の笑みを浮かべていたが、ユーシスがそれに触れることはなかった。

 その後、女子グループからもう一方の班、男子グループと先程一緒に行動していたことを聞き、これで単独で動いている者がいないことが判明した。

 つまり、自分に食って掛かり啖呵を切った男子――マキアスもまた、男子グループの一員として行動しているとのことである。

 ――フン。殊勝なことだ。

 あれだけ大口叩いていたくせに、と思うが、それを口にすればエミナから再度小突かれると分かっていたので、ユーシスはその考えを胸の内に留めておいた。

 情報交換を終わらせ、残るは出口を目指すだけとなったため、ここから先は共に行動することになった。その際、簡単に自己紹介をすることになった。

 青髪の女子、ラウラはかのアルゼイド流の門下生にして、帝国で名高い光の剣匠の娘とのことだった。

 眼鏡の女子、エマは辺境の出身とのことだが、今年の入学試験で主席合格した才媛らしい。

 金髪の女子、アリサはファミリネームを頑として明かそうとはしなかったが、かのラインフォルトの本社があるルーレ市の出身とのことだ。あと、その表情がどこか影を帯びているように感じられたが、ユーシスはあえてそれに触れないでいた。

 そして緑髪の女子、リューネはレイルの義理の妹とのことだった。その経歴は不明だが、クラウザー一家のことを考えれば、何らかの事情があるのだと察せられる。

「自己紹介も済んだことだし、そろそろ出口を探しましょう…………はっ!」

 音頭を取り、これからのことを提案しようとしていたエミナが何かに気付いたように、表情を強張らせ、その眼を限界まで見開いていた。

「どうした?」

「今気付いたんだけど……」

 ユーシスの問い掛けに、エミナが全身を小刻みに震わせる。そしてユーシスを見て、こう告げた。

「ユーシス……君、今凄いハーレムじゃん!」

「…………くだらん。早く出発するぞ」

 エミナの戯言を即座に切り捨て、ユーシスは頭を痛めながらも出口を目指して歩を進めた。

 

 

「ようやく戻ってきたな」

 女子グループと別れた後、リィン達は一本道を進んでいたのだが、そのルートは行き止まりへと行き着いてしまった。仕方なく先の分岐地点まで戻って、女子達の後を追うことになった。

「流石に、もうゴールに着いてるかな?」

「どうだろう。だが、こちらの通路に来てからは徐々にだが、風の流れが強くなっているようだ」

「そんなことが分かるのか!?」

 出口はこちらだろう、と語るガイウスにエリオットが羨望の眼差しを向けており、マキアスがその凄さに驚いていた。それを傍目に、リィンは横を歩くレイルに話を振った。

「言いそびれていたが、さっきはありがとう」

「ん? あぁ、あれか。リューネがどう言ったのかは知らんが、少しは気を持ち直したみたいで何よりだ」

「それもだが……あの後、アリサと何か話していたようだし、もしかしてフォローしてくれていたんじゃないのか」

 分岐点での別れ際、アリサがリィンに対して何か言いたげに視線を送ってきていたのだ。結局話は聞けず仕舞いだったが、レイルが彼女の怒りを静めてくれたのではないかと考えられた。

 ――あのとき謝れたら良かったんだが。

 アリサの視線に気付いて、こちらから声を掛けようとした瞬間、アリサが先に進んだラウラから呼ばれ、機を逸してしまったのだ。

「あれについては、リィンのフォローと言うより、アリサの背中を押したって感じだがな」

「? どういう――」

「また分岐点だね」

「やれやれ、これで何度目だ」

「……ふむ」

 ことだ? と訊こうとしたところで、前を歩いていた3人が立ち止まっているのに気付いた。

 道が直進方向と右に曲がる丁字路に差し掛かっていたようだ。

「……………………こちらから風の流れを感じる」

 目を閉じ、集中していたらしいガイウスが右に曲がる通路を指し示した。

「なら、こっちに行こ――ッ!?」

 言葉の途中で、リィンの耳朶を重く振るわせる轟音が届いてきた。

「い、今のって……」

「確かに聞こえたよな」

「この奥からだな」

「急ぐぞ!」

 その音は全員の耳に届いていたようで、通路の奥にいる存在を想起させていた。レイルが真っ先に駆け出し、リィンも急いで後に続いた。

 

 

 アリサは目の前で起きている状況に己の目を疑った。

「くっ……何なのよ、あの化け物!?」

 やっとの思いで辿り着いた出口へと繋がる階段部屋であったが、アリサ達はそこで強襲を受けていた。

 それはただの魔獣ではなく、階段部屋の台座に鎮座していた石像である。

 アリサ達の到着を感知してか、あるいは別の要因で動き出した石造りの魔獣が襲い掛かってきたのである。

 数は2体。それぞれをエミナの指示の下、アリサ・リューネ・ラウラ・エマ、エミナ・フィー・ユーシスという元のグループに分かれて応戦している。

 数という優位はこちらにあるものの、相手の身体は凄まじい硬度を誇っており、こちらではラウラの大剣とリューネの体術により少しずつだがダメージを与えているが、中々有効打とはならなかった。そのような相手にはアーツで対応するのが常道だが、発動準備に入った瞬間、石造りの魔獣は目聡くこちらへの妨害を行ってくる。

 物理攻撃は相手の鉱石並みの皮膚に阻まれ、アーツは駆動中に妨害され発動すらままならない。

 ――もう少し戦力がいれば……!

 先程別れた男子グループもいれば、と思うが、そう都合良く援軍として現れないだろう。

 自分達でどうにかしなければならない。

 手に嫌な汗を浮かべながら、それでもアリサは反抗の手を緩めない。自分の導力弓では相手の皮膚をほんの少し穿つ程度だが、陽動には使える。それに、隙があれば即座にアーツの発動準備に入り、可能であれば相手へとそれを叩き込む。抗う手段は幾らでもあった。

 何とかなる。

 その思いで自らを奮い立たせ、アリサは戦い続けた。

 だが、時間が経つに連れて、こちらが押され始めてきた。

 戦闘が続く以上、疲労の蓄積は否めなかった。それは魔獣も同じ筈だが、魔獣と人間という種族差が明暗を分けた。

 このままではジリ貧である。

 魔獣もこちらの劣勢が分かっているのか、その口角が上がっているように感じられた。

 そして徐々に、しかし確実な足取りで魔獣がこちらを追い詰めてくる。

 ――このままじゃ――

 アリサの脳内に嫌な予感が過ぎった。

 瞬間。

『――ッ!!?』

「……え?」

 声ならざる声。それが魔獣の上げた叫び声だと気付くのに、アリサには数瞬を要した。

 悲痛な叫びを上げた魔獣はエミナ達が相手していた方のものであった。

 何が起きたのか。思わずアリサはそちらの方に振り返っていた。

「あれは……」

 石造りの魔獣の背中。その上には、いつの間にレイルが立っており、その手に握る片刃の剣を深々と突き刺していたのである。

 ――あの硬い皮膚を貫いた!?

 信じ難い光景だったが、事実として魔獣は苦悶の叫びを上げ、刺し抉られた背面からは血が吹き出ていた。

「アリサさん、危ない!」

「!?」

 リューネの言葉が届いた瞬間、アリサは自分の迂闊さを呪った。

 自分が相手していた魔獣から目を逸らし、別の魔獣へと意識が行ってしまっていた。

 慌てて振り返った視界に移ったのは、こちらへと獰猛な爪を振り下ろそうとしている魔獣の姿だった。

「――ッ」

 迫り来る一撃にアリサは目を閉じてしまった。

 一瞬の間もなく自分を襲うだろう痛みに恐怖を覚えたが、いつまで経ってもそれはやって来なかった。

 恐る恐る目を開けると、自分の眼前はその殆どが深紅の色で覆われていた。

 それが何なのか分からず、徐々に視線を上げていく。

「大丈夫か!?」

「あ……」

 目の前に人がいると分かった瞬間、眼前の男子が振り返り、こちらの安否を確認してくる。

 彼は手にした片刃の剣で魔獣の爪を防ぎ、こちらを守ってくれたのだ。

 危険を顧みず、魔獣の凶爪を受け止めた彼の名をアリサは知っている。

 彼の名は――リィン・シュバルツァー。

 

 

「はっ!」

 リィンは一瞬だけ腕の力を抜き、即座に力を込め直す。虚を突かれた石造りの魔獣が体勢を崩し、そこを全力で押し返した。

 魔獣が後退した瞬間、リィンと魔獣の間に左右からラウラとリューネが割り込んできた。そしてすかさずそれぞれが魔獣へと一撃を加える。それを受け、魔獣が更に飛び退き、こちらとの距離を開けた。

 今のダメージが堪えたのかすぐさま襲い掛かってくることはなく、こちらを警戒して間合いを推し量っているようだった。

「立てるか?」

 その隙に、気が抜けたのか座り込んでしまっていたアリサへと手を差し出す。

「え、ええ。……その、ありがと」

 ぎこちなくではあったが、アリサはリィンの手を掴み、それを支えに立ち上がった。最後の方は尻すぼみになっていたが、その言葉はリィンにしっかりと届いていた。

 ――良かった。

 と安堵の念が溢れるが、安心するにはまだ早い。

 魔獣は未だ健在で、こちらの様子を虎視眈々と窺っている。

 気を張り詰め、魔獣を正面に見据え、太刀を構える。

「な、何あれ!?」

「石造りの、魔獣だと!?」

「……帝国にはこんな化け物がいるのか」

 部屋の入り口からエリオット達の声が聞こえてきた。こちらが先行し過ぎていたようで、少しばかり遅れての到着だった。

「どうやらこいつらが出口の門番みたいだな。……かなりの硬度だが、生物である以上関節といった稼動部は構造上脆い。前衛は連携してそこを狙い、後衛はアーツ等で前衛のフォローを!」

 レイルが声を張り上げる。その気合の篭った指示に、皆がそれぞれ力強く頷いた。

 全員が武器を構え、魔獣へと立ち向かっていく。

 その瞬間、リィンは不思議な感覚を得ていた。

 ――え?

 それはまるで時間がゆっくりと流れているかのような感覚だった。しかもそれだけではない。共に戦う仲間達。彼らの挙動が手に取るように把握出来たのだ。こちらの魔獣を相手取るメンバーだけでなく、もう1体の魔獣と戦うメンバーも含めて、である。

 誰がどのタイミングでどこを狙っているのか。特に示し合わせた訳でもないのに、脳裏に浮かぶイメージがこれから起こるであろう戦局の流れを告げてきていた。

 幻覚か何かかと思ったが、しかし、戦局は浮かび上がってきたイメージ通りに動いた。

 アリサの導力弓から放たれた矢が魔獣を牽制し、その間にエマが振るう魔導杖から無属性の導力衝撃波が生み出され、魔獣の視界を一瞬だが奪った。その隙にリューネが魔獣の懐に潜り込み、拳打の嵐を叩き込む。魔獣が苦悶の表情を浮かべ、肺から空気を吐き出していた。そこでリィンは持てる力を振るい、魔獣の腱を断ち切っていく。魔獣の体勢が一気に崩れた。

「今だ!」

「――任せるがよい!」

 リィンの叫びに応じ、ラウラがその手に握る大剣を上段に構える。そして裂帛の気合を放ち、大上段からの振り下ろしが魔獣の首を見事に刈り取った。

「やった!」

 アリサが歓喜の声を上げるのが聞こえてきた。

 魔獣の頭が床に転がり落ちると、胴体を含めまるで生気を失ったかのように、元々がそうであったのか石像のように動かなくなった。

 もう1体の方を確認すると、そちらも片がついたようで、それぞれが安堵の表情を浮かべていた。

「それにしても……さっきのあれ、何だったのかな?」

「そう言えば……何かに包まれたような」

「ああ、俺を含めた全員が淡い光に包まれていたぞ」

 エリオットにアリサ、ユーシスが口々にそう言う。

「皆の動きが手に取るように“視えた”気がしたが……」

 ラウラがそれに続き、自分が体験したことを語った。

そのことから、リィンは先程の怪現象を体験したのが自分だけではないと分かった。

 ――もしかしたら、さっきのような力が……?

 リィンはポケットに収めているARCUSへと視線を向ける。

 だが、今の自分に真相がどうなのか判断する手がなかった。恐らく、この後にサラから説明があるだろうと考え、思考を中断させた。

 殆どの者が疲労を露わにしている様子であるため、リィンは早々にここから出ようと提案しようとした。

 その矢先。

『――――ッ!!!』

「な――!?」

 部屋中を震撼させる轟きが突如として襲い掛かってきた。

 ――まさか!?

 嫌な予感が脳裏を過ぎった。先程の響き。間違いなく、先程まで戦っていた石造りの魔獣と同様の叫びだった。

「!? 上だ!」

 気配を察知したガイウスが上空を指し示した。

「と、飛んでる!?」

「先程の魔獣とは様子が違うようです!」

 エリオットとエマが告げる内容通り、石造りの魔獣はリィン達の上空で羽ばたいており、その体表も先程の固体とは色が異なっていた。

 ようやく魔獣を倒したという安堵も束の間、追い討ちを掛けるようにもう3体目が現れ、こちらへと襲い掛かってくる。

「くっ」

 急滑降から地面擦れ擦れに腕を振るってくる魔獣。

 それをどうにか回避し、反撃に移ろうとするが、そのときには既に魔獣は上空へと舞い戻っていた。

「フン。小賢しい」

 ユーシスが悪態をつくが、その様子はどこか苦しげであった。

 他のメンバーも同様で、苦々しげに奥歯を噛み締めている者もいれば、得物を支えに今にもくずおれそうな者もいる。

 ――くそっ。こうなったら……

 やるしかない、そう意を決しようとした。

 そのとき、

「やれやれ、仕方ないわね」

「これ以上は厳しそう……だよね」

「ああ。ちょっと出しゃばらせてもらうか」

「しょうがないね」

 エミナが、リューネが、レイルが、フィーが、余裕を感じさせる笑みを携え、皆より前に進み出た。

「ま、待ってくれ! まさか4人で奴と戦う気なのか!?」

「もちろん。……フィー、アレの視界を封じてくれ」

ja(ヤー)。……皆、目を閉じて」

 リィンの制止の声を気に留めず、レイル達だけで話が進められていく。

 そして、フィーが周囲に忠告した直後、彼女は何かを上空へと放り投げた。

 弧を描き、上空に達したそれは、突如として内に封じた力を解き放った。

「!?」

 リィンは咄嗟に視界を腕で覆い隠した。直後、襲い掛かってきたのは眩い閃光だった。

 ――閃光弾!?

 何故フィーがそのような物を所持していたのか疑問だったが、そんなものは目の前の光景を前に掻き消されてしまった。

 閃光の猛威が消え去った後、リィンは魔獣の様子を確認した。魔獣は何が起きたのか分からない様子で、困惑の色を帯びた叫びを漏らしていた。

「あれは……!?」

 その魔獣の背後、地上から5アージュ以上はある位置にリューネの姿があった。

 身体を弓形にそった彼女の両手は力強く組まれており、その両手を闘気のような輝く何かが覆っていた。

 彼女は全身のバネを利用し、組まれた両手を魔獣の背面へと叩きつける。

「――メテオハンマー!!」

 視界を奪われた上での背後からの強襲。それをまともに受けた魔獣が、物凄い勢いで地面へと墜ちてくる。

「良くやった! ――神薙流剣術、地の型・秘技、臥竜爪!!」

 レイルが太刀を地面へと突き刺す。すると、そこを中心に光り輝く幾何学模様が浮かび上がり、その陣から光の帯が生み出され、地を這い、魔獣の元へと伸びていく。

 そして、光の帯が魔獣の下へと潜り込んだ瞬間、その体躯を鋭い何かが貫いた。

 ――あれは、爪?

 違う。

 地面から隆起したそれは、3本の爪のようであったが、そんな生易しいものではなかった。先端を鋭くしたそれは、岩石によって生み出された槍と言った方が正しいと、リィンには感じられた。

 腹部に当たる位置を貫かれ、四肢を切断された魔獣が苦痛に悶える咆哮を放つ。致命傷ようにも思えたが、抵抗の意志は失われていないようであった。

「悪いけど、これでお仕舞いにしましょう」

 エミナが淀みない動きで魔獣へと近付いていく。そして銃を構える。その狙いは、叫び続ける魔獣の口内。

「――バーストバレット!!」

 部屋に反響する銃声。それが耳に届いた数瞬後、魔獣の頭部が内側からの爆発によって消滅した。

「……凄い」

 彼らの戦いぶりを見て、リィンは思わず声を漏らしていた。あの魔獣をあっという間に倒してしまったその手並みに、感嘆の意を抱かざるを得なかった。

 だが。

 ――なら、さっきはすぐにそうしなかった?

 それが何を意味するのか、はっきりと分からなかった。疑問は残るが、今は全員が無事であったことを素直に喜ぼうと思い直す。

「良くやったわね、あなた達」

「あ……」

 そう言って、拍手と共にサラが階段の踊り場からこちらを眺めていた。

「いや~、友情とチームワーク……若いって良いわね~。うんうん、お姉さん感動しちゃったわ」

 満足げに微笑んで、サラがこちらまでやって来る。

「これにて入学式の特別オリエンテーリングは全て終了なんだけど……何よ君達、もっと喜んでも良いんじゃない?」

「よ、喜べる訳ないでしょう!」

「正直、疑問と不信感しか湧いてこないんですが……」

 マキアスとアリサが皆の気持ちを代弁して、サラに不満をぶつけていた。その反応が予想外だったのか、サラは頬から汗を流していた。

「――単刀直入に問おう。特科クラスⅦ組……一体何を目的としているんだ?」

 ユーシスが物怖じせず、一歩前に歩み出てサラに対して切り出した。恐らく、この場にいる誰もがその疑問を抱いているはずである。

 だが、リィンの視界の片隅には、特に気にした様子もないレイルの姿が映っていた。彼だけでなく、エミナとリューネ、フィーにも疑問に思っているような素振りはなかった。

 そのことが気になったのだが、リィンの疑問を遮るかのように、サラの口から問いの答えが告げられる。

 特科クラスⅦ組。エプスタイン財団とラインフォルト社が共同開発した第五世代型戦術オーブメントARCUS、それに対する適正が高い者で構成される新設クラスで、それゆえに身分も出身も関係がない、とのことだ。それ以外にも理由があるとのことだが、1番の理由としてそれが大きいらしい。

 また、ARCUSは今までの戦術オーブメントと異なり、通信機能を始めとする多彩な機能を有しているが、その真価は戦術リンクと呼ばれる現象にあった。

「戦術リンク……」

「さっき、皆がそれぞれ、繋がっていたような感覚……」

「ええ、例えば戦場においてそれがもたらす恩恵は絶大よ。どんな状況下でもお互いの行動を把握出来て最大限に連携出来る精鋭部隊……仮にそんな部隊が存在すればあらゆる作戦行動が可能になる」

 それは正に戦場における“革命”と言っても過言ではなかった。

 ――つまり俺達は、ARCUSが実戦配備される前のテスター、と言うことか。

 いきなり前線で試験運用させるより、士官学院での実施した方が手間やコストは抑えられるだろうし、何よりリスクという点では言わずもがなである。

「トールズ士官学院はこのARCUS適合者として君達12名を見出した訳だけど、やる気のない者や気の進まない者に参加させる程、予算的な余裕がある訳じゃないわ。それに、本来所属するクラスよりもハードなカリキュラムになるはずよ。それを覚悟してもらった上でⅦ組に参加するかどうか――改めて聞かせてもらいましょうか?」

 サラの言葉を聞き、リィンは周囲の様子を窺った。皆が皆――レイル達4人を除いて、困惑の表情を浮かべていた。

「あ、ちなみに辞退したら本来所属するはずだったクラスに行ってもらうことになるわ。貴族出身ならⅠ組かⅡ組、それ以外ならⅢ~Ⅴ組になるわね。今だったらまだ初日だし、そのまま溶け込めると思うわよ~?」

 と、サラが軽い口調で言ってくるが、リィンは意に介さず、名乗りを上げた。

「リィン・シュバルツァー。――参加させてもらいます」

「え……」

「リ、リィン……!?」

 周りから驚きの声が聞こえてくるが、リィンは気にせず、真剣な眼差しをサラへと向ける。

「1番乗りは君か。何か事情があるみたいね?」

「いえ……我侭を言って行かせてもらった学院です。自分を高められるのであればどんなクラスでも構いません」

「ふむ、なるほど」

 サラが神妙に頷くと、リィンに続くように、ラウラとガイウスが一歩前へと身を乗り出した。

「――そう言うことならば私も参加させてもらおう。元より修行中の身。此度のような試練は望む所だ」

「――オレも同じく。異郷の地から訪れた以上、やり甲斐がある道を選びたい」

「アルゼイド流の使い手にノッポの留学生君も参加と。さあ、他には?」

 サラの表情が徐々に笑みを濃くしていく。そして彼女に促され、次に返答したのはエマとエリオットだった。

「私も参加させてください。奨学金を頂いている身分ですし、少しでも協力させて頂ければ」

「ぼ、僕も参加します……! これも縁だと思うし、皆とは上手くやって行けそうな気がするから」

「魔導杖のテスト要員も参加と。ARCUSと同じくまだテスト段階の技術だから運用レポート、期待してるわよ」

 それに対してエマが微笑み返し、エリオットが早まったかなと肩を落としていた。

「――私も参加します」

「あら、意外ね。てっきり貴女は反発して辞退するかと思ったんだけど?」

 次に参加を表明したのはアリサだ。サラから意外そうな顔をされるが、

「……確かに、テスト段階のARCUSが使われているのは個人的には気になりますけど……この程度で腹を立てていたらキリがありませんから」

 という理由から参加を決意したらしい。

「フフ、それもそっか。これで6名だけど――君達はどうするつもりなのかしら?」

「……………………」

「……………………」

 サラに話を振られても、マキアスとユーシスは押し黙ったままだった。

「まあ、色々あるんだろうけど、深く考えなくても良いんじゃない? 一緒に青春の汗でも流していけばすぐ仲良くなれると思うんだけどな~」

 と、サラが軽口を言うと、マキアスが信じられないことを聞いたかのように悲痛な叫びを上げる。

「そ、そんな訳ないでしょう!? 帝国には強固な身分制度があり、明らかな搾取の構造がある! その問題を解決しない限り、帝国に未来はありません!」

息巻くマキアスに対し、サラはそんなことをあたしに言われてもねぇ、と苦笑するばかりだ。

「――ならば話は早い。ユーシス・アルバレア。Ⅶ組への参加を宣言する」

 2人のやり取りを見ていたユーシスが唐突にⅦ組への参加を告げる。

 それに対し、マキアスが目を見開いてユーシスを問い詰めた。

「な、何故だ……!? 君のような大貴族の子息が平民と同じクラスに入るなんて我慢出来ないはずだろう!?」

「勝手に決め付けるな。Ⅶ組に入れば勘違いした取り巻きにまとわり付かれる心配もないし、むしろ好都合というものだろう」

「…………」

「かといって無用に吠える犬を側に置いておく趣味もない……ならばここで袂を分かつのが互いのためだと思うが、どうだ?」

 と、ユーシスがマキアスに問いかけるが、その淡々とした口調が癇に障ったようで、マキアスの語気が強まった。

「だ、誰が君のような傲岸不遜な輩の指図を聞くものか! ――マキアス・レーグニッツ! 特科クラスⅦ組に参加する! 古ぼけた特権にしがみつく、時代から取り残された貴族風情にどちらが上か思い知らせてやる!」

「……好きにしろ」

「これも青春ね~」

 サラが生暖かい眼差しで2人を見遣る。そして残った4人へと向き直った。

「あとは、あんた達だけど……確認、いる?」

「いやいや、そこは確認してくれないとさ」

「……手抜き過ぎ」

「答えは決まってるけど、ね」

「はい!」

 レイルとフィーが呆れたかのような視線をサラへと向け、エミナが苦笑し、リューネが力強く頷いた。

「レイル・クラウザー、特科クラスⅦ組に参加させて頂く!」

「エミナ・ローレッジ、同じく特科クラスⅦ組への参加を希望するわ!」

「フィー・クラウゼル、特科クラスⅦ組に参加する。よろしく」

「リューネ・クラウザーも同じくです。皆さん、よろしくお願いします!」

 それぞれがⅦ組への参加を宣誓し終えると、サラが満面の笑みを浮かべた。

「これで12名――全員参加ってことね! ――それでは、この場をもって特科クラスⅦ組の発足を宣言する。この1年、ビシバシしごいてあげるから楽しみにしてなさい――!」

 

 

「やれやれ、まさかここまで異色の顔ぶれが集まるとはのう。これは色々と大変かもしれんな」

 階下の様子を物陰から見守っていたヴァンダイクは、これからのことを思い、その精悍な顔に苦笑を浮かべていた。

「フフ、確かに。――ですがこれも女神の巡り合わせというものでしょう」

 それに応じるのは、彼の横に立つ金髪の青年だった。気品を感じさせる深紅のコートを身に纏う彼は、若者達を見据え、笑みを浮かべている。

「なるほど……しかし、女神の巡り合わせ、と呼ぶには些か――いや、かなり人の手が加わっておりますがな」

「それを言われると、返す言葉もありません」

 ヴァンダイクの言葉に金髪の青年が肩を竦める。

「私が呼び込んだ彼らが、他の者達にどのような影響を与えるか……それは私にも分かりません」

 ですが、と彼は続けた。

「彼らを含めたⅦ組こそが“光”となると信じています。動乱の足音が聞こえる帝国において対立を乗り越えられる唯一の光に――」

 

 

 トリスタの南東部、大陸横断鉄道の線路沿いに居を構えるトールズ士官学院第三学生寮。

 特別オリエンテーリングの後、サラによってここへ案内されたレイル達はそれぞれの荷解きにあたっていた。

 故郷を発つ前に運送会社に依頼していた品々は一度士官学院に届けられた後、用務員や学院関係者の手により、寮へと運ばれてきたらしい。

 その量はそこまで多いとは言えなかったが、特別オリエンテーリングの疲れもあって、その進行は遅々として進んでいない様子であった。

 結局、キルシェという喫茶で夕飯を兼ねた休憩を挟んでいたこともあり、21時を回ってもなお、作業を続けている物音が絶えなかった。

「よし、これで大丈夫だな」

 そんな中、一足先に作業を終えたレイルは、休憩がてら階段横の談話スペースに腰を落ち着けていた。

 ――エミナ達は……もうしばらく掛かりそうか。

 今後のことを話しておきたかったが、今部屋に押しかけるのは流石に迷惑だろう。

「親しき仲にも礼儀あり、ってな」

「確か、東方由来の言葉だったか」

 なんとはなしに溢した言葉に女性の言葉が返ってきた。

 声がした方へ視線を送ると、上の階から降りてくる姿を捉えた。

腰まで届く青髪に凜とした佇まいの少女――

「ラウラ、だったか……部屋の方はもう良いのか」

「それほど荷物を持ってきていなくてな……少し、良いだろうか?」

「ああ。どうしたんだ?」

 そう言って、レイルは対面の席に座るよう勧める。

 その内心、レイルも気掛かりになっていたことを思い出していた。

 ――あの時……

 今日のオリエンテーリング、そのダンジョン区画に入る前、ラウラが送ってきた視線の意味が気になっていたのだ。

「あまり探り合いは得意ではないのでな。単刀直入に訊かせてもらう。――そなたは、あのレイル・クラウザーで間違いはないか」

「…………」

 質問というよりは、確信を持っての確認という言葉に、レイルは思考を巡らせる。

 ――あの、っていう口振りから俺のことを知っているってことだよな……

 そして、彼女のファミリーネーム――アルゼイドとは、レイルにとって多少なりと縁のある名前であった。

「…………」

 レイルの返事をただじっと待つラウラ。

 その瞳は揺るぎなく、レイルを見据えている。

 ――あ……

 その真っ直ぐな視線が、レイルの記憶の片隅に引っ掛かった。

「もしかして……俺が光の剣匠に稽古をつけてもらってた時に」

「思い出してくれただろうか」

 レイルの言葉を受けて、微笑を浮かべるラウラ。

「あぁ、思い出したよ。そういや見学してる門下生の中にいた剣匠の娘さんだったよな。いやぁ、背も伸びて綺麗になったな。見違えたよ」

「ふふ、世辞でも嬉しいものだな。でも良いのか? エミナだったか……彼女とは恋仲なのであろう」

「褒めるべきとこはしっかりと褒める。それが俺の信条だからな……って、初日でもう広まってるのかよ」

 まぁ、隠す気はないんだがと付け加えるレイルに対して、ラウラが居住まいを正す。

「して、先程の続きなのだが……」

「あぁ、そうだったな。何をして『あの』なのかはともかく、俺はお前が知っているレイル・クラウザーで間違いない」

「そうか……」

 ラウラがその言葉を反芻するかのように目を閉じる。

 そして数瞬の後、意を決して自らの疑問を声に乗せた。

「そなた程の腕前の剣士が何故士官学院に? それに私の記憶が確かなら、そなたは――」

「ストップ」

「むぐ」

 身を乗り出したレイルに口を塞がれ、ラウラは二の句を繋げられなくなる。

「ちょいと訳ありでな。時期が来たら全員に明かすつもりだから、それまでは伏せておいてくれないか?」

「――」

 覆われた口元に掛かる手のひらに力は込められておらず、少し身を引けばそれだけでレイルの腕を引き剥がすことは可能だった。

 しかし、レイルの力強い眼光に射貫かれたラウラは、にべもなく頷くしかなかった。

「悪いな。脅すようなことして」

「それにしては随分と優しく感じたがな……それに謝るならこちらの方だ。無粋な詮索をして申し訳ない」

 そう言って立ち上がり、ラウラが頭を下げてくる。

 ――随分と真面目だな……

「じゃあ、お互い様ってことで」

 そう告げると、ラウラが安堵の表情を浮かべる。

「さ、明日もあることだし早いこと休むんだぞ」

「ああ、そなたもな。――おやすみ」

「おやすみ。良い夢を」

 軽い足取りで階上へ戻るラウラを見送り、レイルは壁に掛けられた時計を確認する。

 ――もうちょい、時間はありそうだな……

 どう時間を使うかを考え、レイルは気になっていた相手の元へと向かうことにした。

 

 

「ふぅ……ようやく片付いたな」

 リィンが実家から送った荷解きを終えたのは22時を回ってからのことだった。

 ベッドに腰掛け、部屋を見渡す。

 今日からここで生活していくことを思い、期待と不安を織り交ぜた吐息を漏らす。

 ――これで良かったんだよな……

 卓上に飾られた家族と自身の写真を眺め、ふとそんなことを考えてしまう。

「今更、だよな……」

 既にそう決めて、家を出てきたのだ。

 そう言い聞かせ、自分の中の憂いを抑え付ける。

 ――水でも飲みに行くか。

 喉の渇きを覚えたリィンは1階のダイニングキッチンへと足を向ける。

「あ……」

 すると、そこには先客がいた。それが誰なのか気付いた瞬間、リィンは、そして相手もまた表情を固くしていた。

「アリサ…………まだ、起きてたんだな」

「に、荷物を片付けていたから……貴方も?」

「ああ。随分と遅くなってしまったよ」

「そう……」

「そ、そう言えば、疲れは出ていないか? 初日から結構ハードだったが」

「そうね。流石にちょっと疲れたわ。……そ、そういう貴方こそ平気なの」

「いや、俺も少し疲れたよ……明日に響かないように、早く寝ないとな」

「え、ええ……」

「……………………」

「……………………」

 ぎこちない会話。それすらも途切れてしまい何を話したら良いのか分からず、リィンは視線を泳がせてしまった。

 ――いや、そうじゃないだろ、リィン・シュバルツァー!

 まずはあの件のことを謝らないと、そう思いすかさず頭を下げた。

「ごめん!」

「ごめんなさい!」

 すると、アリサの方もリィン同様に頭を下げていた。

「ど、どうして謝るんだ?」

「ど、どうして謝るの?」

 これもまた同じタイミングで重なってしまう。それが何とも可笑しくて2人はつい笑みを溢していた。

「ふふっ……変に気が合うわね」

 そう笑った後、アリサが居住まいを正して、改めて頭を下げてきた。

「その……本当にごめんなさい。あれが事故だったっていうのはちゃんと分かっていたのに……ちょっと気が動転しちゃって頬まで叩いてしまって……しかも、あれって私を助けようとしてくれたのよね?」

「いや、それでも君に不快な思いをさせてしまったのは事実なんだし、謝るのは俺の方だよ」

「そんなことないわ。どう考えても私の方が一方的に理不尽だったわ」

 リィンが謝ろうとしても、アリサは頑として己の考えを曲げなかった。

 あくまで悪いのは自分なのだと。

 それでもリィンは自分の非を伝えようとするが、アリサがそれを遮った。

「それと、助けようとしてくれて、ありがとう」

 そう言われてしまうと、これ以上自分がごねるのは野暮のように感じられた。

「いや……うん。どういたしまして、だな」

 リィンがアリサの言葉を受け入れると、彼女はふと笑みを溢した。

「あ……」

「? どうかしたの?」

「あ、いや……すまない。どうもこういうのは不調法で。妹にもたまにたしなめられているんだけど」

 リィンは内心を悟られまいとし、慌てて話題を逸らした。

「あら、妹さんがいるんだ?」

「ああ、俺よりもしっかりした妹だよ。アリサは、ご兄弟は?」

「私は1人っ子よ。姉みたいな人はいるんだけど……って、それはともかく!」

 アリサが突然に顔を紅潮させ、リィンに詰め寄ってくる。

「貴方に非がないのは分かっているけど、それとこれとは話は別だからね!?」

「へ――えっと、何の話だ?」

 彼女が何を言っているか理解できず、リィンは思わず間抜けな声を出してしまった。

 リィンの様子をもどかしく感じたのか、アリサは語気を荒げていく。

「だ、だから、その……ああもう、分かるでしょ!?」

「えっと、旧校舎の地下に落とされたことだよな?」

「ええ、私が貴方の顔に胸を押し付けちゃった――」

 そこまで言うと、アリサの顔は更に赤みが増していた。

「と、とにかく! 思い出すのも厳禁だから! い・い・わ・ね!?」

「あ、ああ……了解だ」

 アリサの剣幕に圧され、リィンはしどろもどろになりながら頷かざるを得なかった。それで納得したのか、アリサの様子が落ち着いていく。

「明日もあることだし、先に休ませてもらうわね」

「ああ。お休み」

 そう言ってアリサが、ダイニングキッチンから出て行こうとするが、その直前で振り返り、リィンを呼ぶ。

「どうかしたのか?」

「繰り返しになっちゃうけど……本当にありがとう」

 満面の笑みを向けた後、どこか恥ずかしそうにしたアリサが、足早に階段を上って行った。

「…………」

 足音が遠ざかり、遂には聞こえなくなった段階でリィンは手のひらで口元を押さえていた。

 きっと自分の顔は今頃真っ赤になっていることだろう。

 まだ記憶に新しいあの感触のこともそうだが、

 ――笑うと、凄く可愛いんだな。

 そうでなくても可愛いと思うが、などと考えてしまい、更に顔が熱くなってくるのを感じる。

 先程まであった悩みは、今はすっかりと忘れ去っていた。

 

 

 夜も更け、町が徐々に眠りに包まれていくのを感じながら、サラは第三学生寮の屋上で夜風に当たっていた。

 彼女の手にはビール瓶とその中身が注がれたジョッキが握られており、その頬は赤く染まっていた。

「あー、サラ姐ったらもう出来上がってるじゃない」

「全く……学生と一緒に暮らすなら、少しは控えたらどうなんだ?」

「んー?」

 屋上の入り口から声が聞こえ、そちらに振り返る。そこには呆れ顔のエミナとレイルがいた。

「別に良いじゃない。これがないとやってられないのよ~」

 サラが陽気に返すと、2人はあっさりと引き下がり、こちらの両脇に並んだ。

「…………どうだった、あの子達?」

 頬は依然として赤いままだが、サラは真面目な表情で2人に問い掛けた。

「そうだな。さっきユーシスと話してきたんだけど、あいつを始め色々と問題を抱えているような感じだな」

「はっきりと分かってない子もいるけど……きっと、誰もが何かしら抱えている感じよね」

「あんた達込みで、でしょ?」

 サラの問い掛けに2人はばつが悪いかのような表情浮かべる。

「フィーやリューネのこともそうだけど…………あれから貴方達に何があったのか、訊きたいことは山程あるけど、これからたっぷり時間はあるわけだし、追々ってことにしとくわ」

「……ありがと、サラ姐」

「良いわよお礼なんて。私はあんた達に出来る限りのことをしてあげたいの。教官としてだけじゃなく、仲間として」

 サラは自分の嘘偽りない気持ちを2人に伝えた。

「ありがとう。けど、あいつらのこともちゃんと見てあげてくれよな」

「分かっているわよ。私は教官として、彼らを導く」

 そして。

「俺達は側であいつらを支えていく」

「でしょ?」

「よろしく、頼むわよ」

 そう言ってサラはジョッキに残った液体を煽る。自然と見上げる形となった夜空は、雲1つとしてない、満天の星の海だった。



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紅のお茶会

4月4日(日) 近郊都市トリスタ

 

 レイル達がトールズ士官学院に入学して最初の日曜日が今日である。

 入学式から数日しか経っていないが、授業は既に本格的に執り行われていた。しかし、日曜日は休息を目的とし、授業は午前中で終了となる。午後からの時間の使い方は人それぞれで、クラブ活動や自習に励む者もいれば、アルバイトで労働に勤しむ者もいる。

 だがそんな中、レイルは1人、町の外れにまで足を伸ばしていた。

 トリスタの東部。細い路地を進んだ先に小ぢんまりとした建物が見えてくる。

 質屋・ミヒュト。

 学生の身であれば、質屋という存在には縁遠いはずであるが、レイルは軽い足取りで歩を進めていく。その目的は金銭の類ではなく、そこの店名と同じ名の店主に用があったのだ。

「こんちわー」

「ん? お前さんか」

 入り口から中を覗くと、カウンターで新聞に目を落としていたミヒュトが気だるそうな感じで、レイルを一瞥する。

 店を営む者としてその態度は如何なものかと思わないでもないが、昔からこの調子なのでレイルには今更そのことに物申す気は起きなかった。

「お前に頼まれていた件だが、既に調べはついている」

「さっすがミヒュトさん、仕事が早いな」

 差し出された封筒を、レイルは礼を述べてから受け取った。そしてすぐに中身を確認する。

 中に入っていたのは、数枚の調査報告書と古い新聞記事の複写だった。

「……………………そう言うことか」

 素早く内容に目を通したレイルは、神妙な面持ちで言葉を溢した。

 報告書はとある貴族にまつわる出来事について纏められた物で、新聞記事の方は当時のその出来事について報じられた物だった。

 それを読んだ今、あのとき彼に感じた違和感の正体がはっきりと分かった。

「しかし、学友の素性を調べろたぁ、あまり良い趣味とは言えねぇんじゃねぇか」

 ミヒュトがぶっきらぼうな口調でこちらを窘めてくる。そうは言ってもしっかりと依頼をこなしてくれるのが、彼らしいとも言えるが。

 彼の忠告にレイルは分かってるよ、と肩を竦めた。

「けど、俺達の立場上、知っておくに越したことはないしさ」

「ならサラにでも訊けば良かったんじゃねぇのか?」

「教官が生徒の個人情報を漏らす方が問題だって。最近は特にそういうのが厳しくなってるみたいだし」

 そういうもんかよ、とミヒュトは面倒臭そうに鼻を鳴らした。そして何かを思い出したかのようにカウンターの引き出しを漁り始めた。そして取り出したのは、先程レイルが受け取ったのと同じ見た目の封筒だった。

「これは?」

「お前宛に今朝届いた物だ」

 どういうことかレイルは一瞬分からなかった。自分宛に届けられるなら第三学生寮のポストに入れられて然るべきだ。それが何故ミヒュトの元に届いたのか。

 だが、ミヒュトが告げる名を聞いた瞬間、その疑問は霧散した。

「スウェードからだ」

「――ッ!?」

 レイルは目を見開き、慌てて封筒を受け取る。

 告げられたのはレイルの同胞にして、大陸中を旅する旧友の名であった。なるほど。彼からの手紙とあれば、おいそれと学生寮のポストに入れられたら誰かに見られるという危険が生じる。故に信頼の置けるミヒュトの元へ届けられたのであろう。逸る気持ちをどうにか抑えながら、封筒内に収められた便箋を取り出す。

「……………………」

「何て書いてあるんだ?」

 内容を読んで押し黙るレイルに、ミヒュトは眉を顰めながら尋ねてくる。

 レイルは一瞬話すのを躊躇ったが、彼もまたこちら側に詳しい人間である。ならば、話しても差し支えはないだろうと判断し、レイルは口を開いた。

「各地で教団の残党らしき者の動きあり、注意されたし」

「!? ついこないだもお前さん達が取り締まったってのに……なかなか根絶って訳にはいかねぇみたいだな」

「ドクターからの情報提供で残党の検挙が進んでるのは確かだけどな。後は……教団関係かははっきりしてないみたいだけど、クロスベルの方で失踪者が増えてるみたいだ」

「失踪者、ね……教団と結びつけて考えると嫌な予感しかしねぇが、まぁ、あっちにはお前さんの従兄やアリオスがいるから、大丈夫だろ」

 ミヒュトの言う通り、クロスベルにはレイルの従兄ラカムを始め、風の剣聖アリオス・マクレインなどの実力者が揃っている。彼らの前には、並みの相手では歯が立たないだろう。

 それでも奴らを相手に油断は禁物であったし、何よりも気掛かりなのは、

 ――ここ数年、奴らの動きが活発化している?

 何かの前触れでなければ良いがと思うが、嫌な予感というのは中々頭から離れてくれなかった。

「そう言う意味だと、今の立場はある意味足枷でもあるよな」

 クロスベルに立ち込める暗雲に対し、遠い場所から見守るしか出来ない歯痒さを覚える。

 しかし、そういったことを承知の上でトールズに入学したのである。愚痴を溢していても仕方のないことだ。

 ――それに、ここにアレがあるのは間違いないしな。

 動乱の足音が迫る帝国。それに乗じてよからぬ者達が動きを見せる筈である。そのときのためにも今はこの地で己の力を研ぎ澄ませ、情報を掻き集めるだけだ。

「ミヒュトさん……これから定期的にスウェードや他のメンバーから手紙が届くはずだ」

「ああ。必ずお前さんかエミナに渡すようにするさ」

「ありがとう。それじゃあこれで――?」

 暇を告げようとした矢先、懐に仕舞っていたARCUSから音と共に振動が伝わってくる。ARCUSを取り出して確認してみると、エミナからの通信が入っているようだった。

 レイルはミヒュトに断りを入れ、通信を開いた。

『レイル、今どこにいるの?』

「ん? ミヒュトさんの所だが」

『あ、ちょっと待ってね』

 ミヒュトの名前を出した途端、エミナの声が小さくなった。物音が微かに聞こえてくるが、もしかしたら周囲に人がいない場所へと移動しているのかもしれなかった。暫く待っていると、ようやくエミナの声が聞こえてきた。

『……お待たせ。ミヒュトさんの所ってことは、例の件が分かったんだ?』

「ああ。それと悪い報せだが」

 レイルは手紙から得た情報を簡潔に説明した。すると、エミナの声が重苦しいものへと変わった。

『……そう。あいつらが』

「分かっているとは思うが、俺達は」

『ええ。ここで来るべきときに備える、でしょ?』

 ちゃんと分かっているわよ、とエミナが苦笑を溢していた。

「なら良いが……それで? 何か用があったんじゃないのか?」

『あぁ、うん。こんな話の後にするのもアレなんだけど……これからⅦ組の女子で親睦会を開こうって話になってね』

「へぇ、良いじゃないか。クロスベル方面はラカム兄さん達に任せるしかないんだし、気分転換も兼ねて楽しんでこいよ」

『ありがと。……で、お願いがあるんだけど~』

 先程の沈鬱な声はなりを潜め、エミナの口から甘えたような声が発せられる。

『お菓子作って!』

「……店で買ってくる、じゃいけないのか?」

『フレッドさんには悪いけど、レイルが作ってくれた方が美味しいし!』

 本当に悪い。本人を前にして言うなよ。

「……デザートならエミナの方が得意だろ」

『それだと私が話に混ざれないじゃない!』

 ちなみに場所は第三学生寮の3階、女子フロアの談話スペースとのことである。

 それならダイニングに場所を移せば、調理しているエミナも話に加われるだろうと思ったが、それはそれで他の女子が気を遣うのか、と思い至る。

『皆もレイルが作ったのが食べたいって言ってるしさ~』

 尚も続けられる説得に、レイルは仕方なく折れることにした。

「分かった分かった。作ってやるよ」

『ホント!? ありがとう、レイル! 愛してる!』

「ああ。俺も愛してるぞ、エミナ」

『――ッ!』

 導力波の向こう側で、エミナが頬を赤らめて悶えているのがありありと分かった。言い返されて照れる彼女の様子を愛おしく感じ、ミヒュトの前であったがレイルは表情を綻ばせていた。

 その後、ミヒュトに茶化されながら店を出たレイルは、食材の買い出しとしてブランドン商店へと足を向けた。

「さて、作るからには最高の物を出してやらないとな」

 

 

 14時前。

 第三学生寮の3階、女子フロアの談話スペースにはⅦ組の女子勢が揃っていた。

 テーブルにはティーカップが準備されており、そこに芳しい香りを漂わせる紅茶が注がれている。その他には各部屋から持ち寄ったおやつ類が用意されていたが、その場にいた誰もが手を伸ばそうとしなかった。

 1階から立ち上ってくる甘く上品な香り。キッチンにてレイルが焼き上げているパイの香りだ。熱を加えられて甘みを増した果実から発せられる芳醇な香りが、彼女達の期待を高めている。そのため、目の前に用意されたおやつを食そうとするものはいなかった。

 期待に胸を膨らませていたが、完成は15時頃になるとのことだったので、今は待ちわびながらも、話に花を咲かせていた。

 

 

「レグラムと言えば、エベル湖やその畔に建つローエングリン城が有名ですよね。獅子戦役で活躍した聖女リアンヌ・サンドロッドが鉄騎隊と共に拠点としていたとされる」

「流石はエマ。よく知っているな」

「そ、そんな……帝国に住んでたら一般常識の類ですよ」

 ラウラから感心されたエマは身体を縮め、謙遜するように両手を振った。

 その様子を見ながら、ラウラは己が故郷のことについて語られたことで、つい表情を綻ばせてしまう。

 エマが語る通り、ラウラの故郷レグラムでは、獅子戦役にてドライケルス大帝と共に戦場を駆け抜けた槍の聖女リアンヌ・サンドロッドが英雄として称えられ、毎年初秋には彼女と鉄騎隊の慰霊祭が行われるほどである。そしてこれは帝国に住む多くの者が知る程に有名だと自信を持って言える。

 しかし、エマが語る内容に興味を示す者がいたことにラウラは引っかかりを覚えた。

 リューネである。

 自分より年下である彼女からすれば、槍の聖女や鉄騎隊はまだまだ興味のそそられる話なのだろうと考えたが、どうもそれだけではないように感じられた。

 ――まるで、初めて聞くような感じが……

 その考えが過ぎったとき、ラウラの中である仮定が浮かび上がった。が、彼女が養子だと知る身としては、その仮定を口にすることは憚られた。きっと何かの事情か己の勘違いとして済ませておくことにした。

 その代わりとして、ラウラは別の者へと話を振ることにした。

「そういえば、エミナの出身を聞いていなかったな」

「言われてみれば、教えてなかったわね」

 それまで話の聞き手に回り、紅茶を口にしていたエミナがティーカップをそっとソーサーに戻すと、居住まいを正して、その口を静かに開いた。

「隠すつもりはなかったんだけどね。私の出身は……カルバート共和国の西端、帝国との国境に程近い小さな山村よ」

「!?」

 エミナの告げる国名にラウラは身を硬くしていた。アリサとエマも同様で、エミナの表情を凝視していた。

 カルバート共和国。エレボニア帝国の東部に位置する民主国家であり、クロスベルを始めとする領有権の問題等で対立する国である。

 2年前、リベールの女王主導により結ばれた不戦条約により対立状態は大幅に軽減されたが、それでも帝国民からしてみればカルバートは敵国と呼ぶに足る存在である。

 エミナがそこの出身だと聞かされ、ラウラはつい身構えてしまう。

 それを察したのか、エミナは手をひらひらと振って何ともないかのように続けた。

「と言っても、12のときにはバリアハートに移ってきてたし、その後も大陸中を転々としてきたから国籍なんてあってないようなものよ」

 あくまで自分は自分であると語るエミナに毒気を抜かれ、ラウラは全身から力を抜いた。

 ――出身がどうであれ、彼女は彼女でしかない、か。

 それなのにカルバートの出身と聞かされて動揺してしまうなど、まだまだ未熟だとラウラは自らを律した。

「って、今バリアハートって言ったわよね?」

「言ったけど……それがどうかしたの?」

 アリサの疑問にエミナが首を捻って聞き返していた。すると、エマが代わりに尋ねていた。

「エミナさんとユーシスさんって、そのときからのお知り合い、だったのですか?」

「ふむ。そういえば、随分と親しげだったな」

「そういえばその頃の話聞いたことなかった」

「私もお姉ちゃん達がバリアハートにいたときの話って詳しく聞いたことがなかったなぁ」

 ラウラに続き、フィーとリューネもエミナへと視線を向ける。

「質問の答えは、イエス。バリアハートに移ってきて1月ぐらいした頃に、ユーシスと出会ってね」

 そう語るエミナは懐かしむ様子とは別で、どこか寂しげな表情を浮かべていた。

 

 

「?」

 学院の図書館から戻ってきたユーシスは、寮に入った瞬間にこちらを迎えた香りに首を傾げた。

 それは懐かしく、自分にとっては慣れ親しんだものだった。

 ――何故それがここで?

 疑問に思いながらも、香りの発生源であろうキッチンへと足を向ける。ダイニングの扉を開け、その奥に設えられたキッチン内の様子を窺う。

 予想していた通り、キッチンで何かを調理している者がいた。

「お! おかえり、ユーシス」

「レイル、貴方か」

 キッチンで調理していたレイルがこちらに気付き、満面の笑みを浮かべてくる。

 彼が調理しているというのであれば、この香りにも合点がいく。

 香りの正体。それは様々な果実をふんだんに使った特製のフルーツパイである。

 ――母がよく作ってくれたものだ。

 それはかつてユーシスだけでなく、レイルやエミナにも振舞われた懐かしのものである。

「貴方が作っているのか」

「ああ。おばさんにレシピを聞いといて良かった。ユーシスも食べるだろ?」

「……良いのか?」

「本当は3階でお茶会中の女子に作ってるんだけどな。少し多めに作ったから遠慮しなくて良いぞ」

 味はおばさんのに劣るだろうけどな、と笑ってみせるレイルにつられ、ユーシスも笑みを浮かべた。

「そうだな。……久し振りに頂くとしよう」

「…………」

 瞬間、レイルの表情が固まったのが分かった。

 そして己の失言に気付くが、時既に遅く、レイルが意を決した表情でこちらに向き直ってくる。

「なぁ、ユーシス。訊いても良いか?」

「……母のことか」

 レイルが目を伏せ、そっと頷いた。

「この前、ユーシスが話すまで待つって言ったけど、どうしても気掛かりでな」

「……すまない」

「謝らないでくれ。それに、ある程度推測は出来ている」

「……聡明な貴方のことだ。恐らく、その推測であっている」

 そう言うと、レイルは眉尻を下げ、切なさとでも表すべき色を帯びた。

「そう、か……なら、――の場所を教えてくれないか。時間を作って挨拶に行かせて貰いたいんだが」

「ああ。きっと、母も喜ぶはずだ」

 

 

「って、ユーシスの許可なしに昔の話をするわけにはいかないわよね」

「あら残念。結構興味があるのだけど」

 話の流れ的にエミナやユーシスの昔話を聞く感じだったのだが、当の本人の了承を得ていないということから、その話はまた別の機会に、ということになった。

 興味津々といった感じで身を乗り出していたアリサにとっては肩透かしもいいところであった。他のメンバーも同じような感じであったが、そういうことならと先程までの期待の眼差しを収めていた。

「それより、私はアリサの話が訊きたいんだけどなぁ」

「わ、私の!?」

 エミナがいやらしい笑みを浮かべながら、こちらへと話題を振ってくる。それにつられて周囲の視線が一斉に集まってくる。

 エミナの昔話がお流れになったせいで、飢えた興味という名の野獣達がアリサを獲物と認識したようである。

 ――私の話って、もしかして家のことじゃ――!?

 とある事情から隠している実家のこと。貴族と平民が集うトールズ士官学院では己の家名はどちらにとっても特別な意味をなす。それを理解しているからこそ隠しているというのに、今ここで明かすわけにはいかない、とアリサは身構えてしまう。

「で、どうなの? 仲直りしたみたいだけど、リィンとはどんな感じなの?」

「って、そっちかーーい!?」

 しかしエミナから発せられた疑問は、自分の予想とは全く異なっていた。予想外の質問に加え、身構えていたせいでつい大声を出してしまう。

「ふむ。あのときはどうなることかと思っていたが、無事解決したようでなによりだ」

「そうですよね。その日の内に仲直りが出来たようで良かったですね」

「お兄ちゃんと頑張ったかいがありました」

「う……それは、その。ご心配、お掛けしました」

 ラウラとエマ、リューネが安心したといった風に言ってくる。特にリューネはあの地下迷宮でレイルと共にリィンとアリサの後押しをしてくれているので、彼女には一際頭が下がる思いだった。

「で、ぶっちゃけどうなの?」

「うっ」

 フィーが前のめりになって、アリサに問うてくる。彼女のまっすぐな視線を受け、アリサは思わず呻いてしまった。

 ――ま、まさかフィーまで……

 正直、彼女はこの手の話題には興味がないように感じていたのだが、それはアリサの勝手な思い込みだったようで、彼女も立派な“女子”だったのだ。

「ど、どうもこうもないわよ! それに仲直りしたって言うけど、リィンとは別にケンカしてたわけじゃないし! そ、そう! あれは事故! 不幸な事故なのよ!」

「ふ~ん」

 アリサが捲くし立てると、エミナがにたにたとした笑みを浮かべて、生暖かい目をしているのが見て取れた。

「な、なによ」

「べっつに~、随分必死だなぁ、って」

「――ッ!?」

 彼女の言う通り、自分とリィンとの間に特別な何かがないのであれば、適当に受け流していれば済んだ話だったはずだ。

 だが、あのときの恥ずかしさを思い出したことで冷静さを欠いていたアリサには、そこまで思考が至ることが出来ず、ついムキになって反応してしまったのである。

 そのことに気付いた瞬間、アリサは自分の顔が熱くなるのを自覚した。それを見た皆が微笑ましいものを見るかのような表情になっている。

 それが更にアリサの感情を加速させ、ついに彼女は立ち上がり、全員を睨み付けた。

「ほ、本当にリィンとはなにも――」

「俺がどうかしたのか?」

「!?」

 突如として聞こえてきた、聞こえる筈のないと思っていた声。

 声がした方向に慌てて振り向くと、そこには今正に話題に上がっていたリィンがいた。

「――――ッ!!?」

 彼の姿を認識した瞬間、アリサの喉からは声にならない叫びが発せられ、それと共に手近にあったクッションがリィンの顔面目掛けて投射された。

 

 

「邪魔してすまなかった……」

 申し訳なさそうに謝ったリィンは、とぼとぼと階段を下りていった。

 彼曰く、レイルからお菓子の仕上げに使うシナモンを苦手としている人はいないか訊いてきてくれと頼まれたとのことらしかった。

 だが3階に上がってきたタイミングがまずかった。

 丁度アリサが彼の話題で感情を爆発させようとしていた直後の登場である。彼に非がないとしてもあまりにも間が悪かった。

 ――彼、持ってるなぁ。

 と、エミナは苦笑を浮かべながら去っていくリィンの背中を見送った。

 特別オリエンテーリングのときといい、今回のことといい、彼はトラブルに巻き込まれやすい性質のようだった。

「で、落ち着いた?」

「――!」

 エマとリューネによって宥められたアリサへと視線を向ける。すると、アリサからは鋭い無言の睨みが返ってきた。

 ――ちょっと弄り過ぎちゃったか。

 思っていた以上に初々しい乙女だったようである。なんて考えていると、アリサが更に視線を鋭くして、エミナに問い掛けた。

「私のことより、エミナはどうなのよ?」

「どうって?」

 アリサが言っていることが分からず、聞き返してしまう。すると、アリサは先程自分が浮かべていた筈の“悪い笑み”へと表情を変えた。

「レイルと付き合ってるんでしょ」

「――ッ!?」

 今度はこちらが絶句する番だった。

 公言していないはずなのにどうして彼女が、と驚いたが、見れば他のメンバーは驚いた様子ではなかった。つまり既に知られていたらしい。

 エミナはその情報源と成り得る存在へと振り返った。すると、フィーはすかさず首を横に振った。

 ――となると……

 もう1人の容疑者へと視線を送る。

「?」

 リューネは一瞬何のことか分からないといった様子で首を捻っていたが、こちらの意図を察したのか慌てた様子で言ってくる。

「え、えっと、言ったら駄目だった?」

 どうやら彼女が情報源だったようだ。

 それ以外のことで口を硬く噤むと決めてはいたが、そういったことに関しては全く決めてはいなかった。

 ――別に隠すつもりもなかったけど……

 それでも若干の照れを感じるので、大っぴらに公言するつもりもなかったのである。

 だが、口止めしていなかったのも確かなのでリューネを非難するのはお門違いである。エミナはリューネへと至極優しく微笑みかけ、

「別に構わないわよ。いつかは分かることだし」

 そう言ってやると、リューネは胸を撫で下ろしていた。

 その傍ら、アリサは先程の意趣返しとしてにやにやと笑っていた。

「そう。だったら何を聞かせて貰おうかしらねぇ」

「ア、アリサさん……」

 エマがアリサを宥めようとしているが、エマの意識もしっかりとエミナへと向けられているのが分かった。ちらちらとこちらを窺う視線が、興味津々だと語っていた。

「そうね。じゃあ、2人が付き合う切っ掛けを訊かせて貰おうかしら」

「ふぅ、仕方ないわね」

 平静を装ってみたが、若干頬が熱く感じられる。

 だが、気にしても仕方がないので、エミナはそのまま語り始めた。

 

 

 そう……あれは、とあるお城で開かれたパーティーで、

 

 

「いやちょっと待って」

「何よ急に」

 語り始めた矢先にストップが掛かり、エミナは口を尖らせた。しかもそれがアリサによるものだったので、不満は一入であった。

「お城でのパーティーってどういうことよ!?」

「そなたはそういった類のことに縁があったのだろうか?」

 アリサの問いを補足するようにラウラも訊いてくる。

 その疑問も最もであった。

 元々カルバートの田舎生まれである自分がどうしてお城でのパーティーに招待されるようなことがあるのか、甚だ疑問なのだろう。

「まぁ、そこは色々事情があるの。で、そのパーティーが開かれた空中庭園の片隅で想いを告げあい、晴れて付き合うことになったわけなの」

 言っていて更に顔が紅潮してくるのが分かる。

 あのときの胸の高鳴り。結ばれた喜び。触れ合う肌の感触や溶け合っていく2人の熱を思い出してしまったのだ。

『……………………』

 しかし、それを聞いていた彼女達は、フィーやリューネを除いて猜疑心に満ちた目をしていた。

「そもそもお城でのパーティーってところからして怪しいんだけど」

「夢のある話ではある、とは思うが」

「流石にちょっと……」

 と、それぞれから手厳しい反応が返ってきた。

「ちょ!? 本当のことなんだってば! ね、フィーも知ってるでしょ?」

「……決定的瞬間は見逃した」

「その後すぐに報告したでしょ!?」

 エミナが幾ら説明しようとも彼女達からの疑いは晴れることがなかった。

「随分と楽しそうだな」

 するとそこに誇らしげな笑みを浮かべたレイルが3階へと上がってきた。

 その手にはトレイに載せられたスイーツがあった。

『おぉ……』

 それを見た全員が今までの会話を放り出して色めきだした。

 狐色に焼き上げられたパイ生地。煌びやかな宝石の如く輝いているような数々の果肉。鼻腔を擽る果実の芳醇な香りとシナモンの独特のそれが混ざり合い、彼女達の食欲を刺激する。

 今まで持ち寄ったお菓子類に手を付けずに待っていて良かったと、誰もがそう思った筈だ。

「流石ね、レイル」

「凄いよお兄ちゃん!」

「た、確かに凄いわね」

「本当にそなたが作った、のだな?」

「……こんなに美味しそうなフルーツタルト、初めて見ました」

「お店を開いても良いレベル」

 女性陣から賞賛や畏敬の眼差しを受け、レイルは鼻高々といった様子だった。

「さあ、冷めない内に召し上がれ」

 レイルに促され、エミナ達は期待を胸に出来たてのフルーツパイを食す。

 1切れ、口に含んだ瞬間。

 サクサクとした食感のパイ生地と共に、熱されて甘みが増した果実が爆発した。それは比喩表現ではなく、正に爆発だった。口全体に一瞬にして広がった甘さがその勢いを衰えさすことなく、全身へと広がっていく。

 嫌味のない、大自然を髣髴とさせる優しい甘さが全身を包み込んでいく。だが、それだけではなかった。優しい甘さの中にある甘辛い刺激。仕上げに使用されたシナモンパウダーだ。これにより、優しい甘さの中に少しだけ刺激的なアクセントが添えられたのである。

 優しさだけでなく、少し刺激的なフルーツパイ。

 エミナ達は抗う術もなく、その味に、魅せられていく。

 

 

「そうだ。この際だから、レイルにも訊いてみましょうか」

 レイル特製のフルーツパイを半分程食した頃、アリサは先程の会話を思い出し、そう提案した。

「ちょっと、アリサ!」

「ん?」

 エミナが慌てて止めようとするが、気にせず首を傾げているレイルに問い掛けた。

「さっきまでエミナと貴方が付き合う切っ掛けについて話を訊いていたんだけど、どうも信じられなくてね」

「それで俺にもそのときのことを訊きたいと?」

 そういうこととアリサが頷くと、レイルはエミナと異なり特に照れた様子もなく語り始めた。

 

 

 そうだな。あれは、とあるお城で開かれたパーティーで、

 

 

「いやいやいやいや」

「どうかしたのか?」

 レイルが語り出した途端、またもやアリサによりストップが掛かった。

「それ、エミナも言ってたんだけど、本当なの?」

「そうだけど」

 そう言ってレイルがエミナへと視線を向ける。それを受けてエミナが諦めの籠もった溜め息を溢した。

「何度もそう言ってるんだけど、全然信じてくれなくて」

「そうか……」

 するとレイルが目を瞑り、顎に手を添えた。何かを思案しているようだったが、暫くするとエミナを傍へと招いた。何だろうと疑問に思いながらも、エミナは素直にレイルへと近付く。

「どうしたの?」

「いや、あのときのことを説明しても信じて貰えないなら……あのときのことを再現したら少しは信じて貰えるんじゃないか?」

「……は?」

 レイルが何を言っているのか理解出来ず、エミナは思わず間抜けな声を出してしまった。

だが、頭の中で彼の言葉を反芻すると、その意味が理解出来た。

 直後。

 エミナの中に焦りや照れといった感情が暴れだした。

 ――ア、アレをここでやるの!?

 流石にアレは恥ずかし過ぎる。あの時はその場の雰囲気や感情の昂ぶりなど色々な条件が揃っていたから良いものの、改めてアレをやるのは正直キツイものがある。

 レイルを止めようと目で訴えかけるが、真剣な瞳で見つめ返してくるレイルを前に、エミナの意識は奪われてしまった。

「『……そこから先は、俺から言わせてくれないか?』」

 

 

『え……』

『――ガキの頃はさ、子供心にも俺がエミナを守らないと、って思ってたんだ』

『そ、そうなんだ』

『けど、逆に俺の方が助けられていたな。前向きな考えや行動力は勿論だけど、何よりエミナの笑顔が俺の支えだった』

『……うん』

『気が付いたら、いつもエミナのことを目で追っていた』

『それは、私も一緒。離れているときだって、レイルのこと考えてた』

『ははっ、俺もだ。……けど、いつも一緒だったから余計に怖かったんだ』

『…………』

『自分の気持ちを告げて、今の関係すらなくしてしまったら。そう考えると最後の一歩が踏み出せなかった』

『私も。――臆病者同士だね』

『だな。でも、今回の一件で強く思ったんだ』

『……何を?』

『例えどんなことがあってもエミナを手放したくない。ずっと傍にいたい、って』

『…………うん』

『だから、言わせて欲しい。俺と、生涯を共にして欲しい。相棒としてだけじゃなく、1人の女性として』

『…………喜んで!』

 そして2人の影は1つになっていく――

 

 

「ってそれ以上は禁止ぃ!!」

「――ッ!?」

 レイルの顔が至近に迫った瞬間、エミナは我に返り、レイルから身を放し、その勢いを利用した回し蹴りを放っていた。

 蹴りは見事レイルの顎を捉え、彼を一撃で昏倒させることに成功した。

「はぁ、はぁ……」

 雰囲気に呑まれレイルの話に乗ってしまっていたが、これ以上は恥ずかしさが勝ってしまい、続行不可能となったのだ。

 きっと凄い注目を浴びているのだろうが、皆の方を振り返ることが出来ない。

「――ッ」

 何かを言われる前にエミナは一目散に自分の部屋へと逃げ込んだ。

 

 

「な、何と言うか……」

「……凄かったですね」

「あ、ああ。見ているこちらが恥ずかしくなってしまったな」

「話は聞いていたんですけど、まさかここまでとは……」

「2人共、クサイね」

 それぞれが頬を赤く染めながら――フィーだけは淡々とした調子で――さっきまで繰り広げられていたエミナ達のやり取りについて感想を溢していた。

 流石にあれだけのことをやられると彼女達の言を信じざるを得なくなってきたのだが、当面の問題としてフィーが皆に尋ねる。

「これ……どうする?」

 フィーが指し示したのは、未だ残っているフルーツパイである。

 それを皆で見詰め、お互いに顔を見合わせた後、口を揃えてこう言った。

『もうお腹一杯』

「じゃあ頂くね」



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第1章 新学期~初めての実習~
私のしたいこと


<???>

 気付けば、俺は深い霧の中にいた。
 ここがどこで、今がいつなのかも分からない。
 あるのは全身を包み込む浮遊感と心に影を差す寂寥感のみだった。
 暫くの間、果てなく続く霧の中を漂っていたが、ふとした瞬間、少しだけではあるが霧が薄らいだ。
 真っ白に染まっていた視界に色が宿った。それもまた白を基調とした光景だったが、薄紫や碧といった色合いが落ち着いた気品を感じさせた。
 ――ここは……どこかの部屋、か?
 徐々に鮮明になっていく視界が部屋内の様子を認識していく。
 清潔感が保たれた寝具や調度品など、そのどれもが一級品であると感じられる。そのことから、ここは貴族の館の一室なのではないかと推測出来た。
 依然として霧が残った視界と浮遊感。この段階で、これが夢であると理解出来たが、それならそれで別の疑問が浮かび上がってくる。
 ――俺は、ここを知らない。
 見たこともない光景を、夢に見ることがあるのだろうか?
 それともこれは、俺の失われた記憶……?
 そんなことを考えていると、突如、視界が明滅し始めた。
 ――これは!?
 訳も分からず、抗う術もなく、明滅が収まるのをただ待ち続けていた。
 それは一瞬だったのか、あるいは何時間にも及んだのか判然としなかったが、明滅が収まった頃には次の変化が訪れていた。
 場所は先程と同じ部屋だと思うが、目の前。突然、ベッドに腰掛けた少女が現れた。
 彼女に見覚えがあった。
 今の彼女より幼く、髪も少し短かったが、間違いない。
 エミナ・ローレッジ。
 トールズ士官学院1年Ⅶ組。先月末の入学式で出会ったクラスメイト。
 その彼女がこちらを凄まじい剣幕でこちらを仰ぎ見ている。澄み切った翡翠の双眸には涙を浮かべている。
 何故?
 疑問を浮かべても答えはどこにもなかった。
 少しでも状況を把握するため、周囲を窺おうとしたが、視界は正面に座るエミナを見下ろしているまま動こうとしなかった。
『――ねぇ、どうし――さんが――に――』
 不意にエミナが口を開いたかと思うと、不鮮明な声が聞こえてきた。大半がよく聞き取れなかったが、何かに対して憤りや悲しみ、その他にも様々な感情がごちゃ混ぜになったかのような声だと思った。
『諦め――ようや――まだお前の――が――だと――ない』
 すると今度は俺が喋っているかのような感覚に見舞われる。
 しかし、その声は俺のものではないし、そもそも俺の意思に関係なく言葉が喉を震わせていた。
 ――この声……まさか、レイルか?
 いつも聞きなれたものよりも少し低いが、きっと間違いないだろう。
 ――じゃあ、これは、この夢と思っていたものは、レイルの記憶?
 1つの推論に辿り着いたとき、目の前で感情を露にしていたエミナが立ち上がり、こちらへと詰め寄ってくる。
 そして、怒りを通り越し、憎しみすら感じさせる声を浴びせてきた。
『――私に、お父さんを殺せって言うの!!?』


<4月17日 近郊都市トリスタ>

 

「そういや、2人はクラブ決めたの?」

昼休み。学生会館内の食堂で昼食をとっていたリューネは、ふとエミナからそう尋ねられた。

「まだ決めてないけど、良さそうな所は見つけた」

 同席していたフィーが少しだけ口角を上げてVサインを示す。

「そんなこと言って、昼寝しやすそうとかじゃないでしょうね」

「エミナ失礼」

 エミナの疑いの目を受けてフィーが不満そうに頬を膨らませていた。

 だが、普段からフィーはよく昼寝をしているので、エミナの疑いも無理からぬものだった。

「で、リューネはどうなの?」

「えっと……実はまだ」

 一応、Ⅶ組の女子で時間が合ったメンバーとは放課後を利用してクラブ見学をしていたのだが、リューネは未だに決めかねていたのである。

「色々と興味はあるんだけど……お姉ちゃんはどこが良いと思う?」

「そうねぇ……」

 すると、エミナが腕を組んで唸りだした。1分近く唸った挙句、返ってきた答えは、

「こういうことは、リューネの気持ちが大事だしね。リューネがやってみたいことをするべきだと思うわ」

 というものだった。

「……私が、やってみたいこと」

 そう言われてもリューネはより困惑してしまう。

 特殊な環境で育ってきたせいか、自身の願望というものが弱いように感じる。

 ――ドクターは、そのことを懸念して……

「まぁ、そこまで深く考えなくても。リューネがこれだ!って思ったものにチャレンジすれば良いんじゃない?」

 思考の海に埋もれていた意識がエミナの声によって引き上げられる。どうやら、クラブ選びのことで深く悩んでいるように思われたらしく、その凝り固まった様子を解きほぐすためにエミナが軽い口調で言ってきた。

 それに乗じてフィーも「ファイト」と応援の言葉を送ってきてくれている。

 本当のところは別のことを考えていたのだが、わざわざ弁解して話をややこしくするものどうかと思い、曖昧に頷いておくことにする。

「お姉ちゃんの方はどうなの? この間一緒に見て回ったときには凄く悩んでいたみたいだけど」

「そうなのよね~。一応、2つに絞れてはいるんだけど」

「へぇ、どことどこ?」

 フィーが尋ねると、エミナが苦笑しながら答えてくれた。

「うん……調理部か技術部なんだけど」

 

 

「――お疲れ様。今日の授業も一通り終わりね」

 リューネにとって午後の授業は瞬く間に過ぎ去り、気が付けば放課後、終業のHRが始まっていた。

 サラからは明日が自由行動日なるもので、その日の過ごし方について連絡がなされていた。自身の過ごし方を一例として挙げたときにはクラス中が微妙な雰囲気に包まれていた。その後は、クラス委員長のエマや副委員長のマキアスが何点か質問していた。

「えっと、学院の各施設などは開放されるのでしょうか?」

「図書館の自習スペースが使えるとありがたいんですが……」

「ええ、そのあたりは一通り使えるから安心なさい。それとクラブ活動も自由行動日にやってることが多いからそちらの方で聞いてみると良いわね」

「…………」

 クラブ活動。

 今まさにリューネの頭を悩ませている話題が挙がってきた。そこで、昼間の会話のことを思い出す。

 エミナがどちらにしようかと悩んでいる2つのクラブ。調理部と技術部。全く別系統のクラブだが、エミナには明確な目的意識があって決めかねているとのことだった。

 料理のスキルの上達のために調理部を選ぶか、幼い頃から導力器弄りに縁があったり今の彼女の得物である導力銃を自分でカスタマイズ出来るように技術部を選ぶか、そのどちらかで悩んでいると、エミナは語った。

 どちらにしても、はっきりとした目的がある。

 けど、リューネにはそれがない。だからどうすれば良いのかが分からないでした。

 原因は、自分でも分かっている。

 ――依存、してるから。

 レイル達と出会う前は、面倒を見てくれていたドクターの言われたとおりにするのが当然のことだと思っていたし、レイル達に引き取られてからは彼等に付いていくことに執着していた。

 レイル達がいれば大丈夫。いつしかその思いが自分の中で当たり前になっていた。

 けど、折角手にすることが出来た自分の人生。彼等に依存しっぱなしで良いわけがないと、今更になって思い知らされる。

「――それと来週なんだけど、水曜日に実技テストがあるから」

 質問に答えていたサラが、忘れていたと言わんばかりにそう言い出した。

「実技テスト……」

「それは一体どういう……?」

 リューネも入学して今まで聞いたことのない話にクラス中がざわつく。ふと、レイルとエミナの様子を伺うと2人は動じていなかった。

「ま、ちょっとした戦闘訓練の一環ってところね。一応、評価対象のテストだから体調には気を付けておきなさい。なまらない程度に身体を鍛えておくのも良いかもね」

「……フン、面白い」

「ううっ……何かイヤな予感がするなぁ」

「……ふぁぁ…………」

 サラの言葉を聞いて口々に感想を漏らしているが、フィーだけは眠たげに欠伸をかみ殺していた。

「そして――その実技テストの後なんだけど。改めてⅦ組ならではの重要なカリキュラムを説明するわ」

 Ⅶ組だけのカリキュラム。

 これについてはリューネも事前にレイル達から聞かされている。

 Ⅶ組が設立された主な目的の1つ。それがついに始まろうとしていたのだ。

「ま、そういう意味でも明日の自由行動日は有意義に過ごすことをお勧めするわ。――HRは以上。副委員長、挨拶して」

「は、はい。起立――礼」

 サラに促されてマキアスが号令する。その後、何人かが教室を後にする中、リューネはレイル達に明日のことを相談しようと声を掛けようとした。

 ――あ……

 そこで自分の行動に気が付く。

 つい先程、彼等に依存していてはいけないと考えていたはずなのに、こうしてまた3人に頼ろうとしていた。

 ――駄目だなぁ、私……

 などと自己嫌悪に囚われていると、教室を出ていこうとしたサラが振り返り、レイルとエミナを呼びつけた。

「ちょっと話したいことがあるから、付いてきて」

 と、2人の返事も聞かずにサラは先に行ってしまったが、どちらも不満そうな感じもなく、リューネに一声掛けてから彼女の後を追う。

「じゃあ、ちょっと行ってくるな」

「また後でね」

 図らずしも、今だけとはいえ2人に頼ろうとする状況から脱することが出来た。

 ――後はフィーちゃんだけど……

 そう思いフィーの姿を探すと、いつの間にか来ていた白い制服の女性と何やら話し込んでいた。相手の女生徒の佇まいはとても大人びていて、おそらく2年生なのだろう。

「ごめん、リューネ。ちょっと行くところあるから……」

「うん。気にしないで、行ってきてね」

 上級生の女性といくらか話した後、フィーが来てその旨を伝えてくる。

特に約束があったわけではないけど、フィーが珍しく申し訳なさそうにする。

 そんなフィーを気遣い、リューネは努めて明るく振る舞う。

 後ろ髪を引かれながらも、フィーが上級生と一緒にどこかへ向かった。

 これで、1人になれたわけだが、今までが今までであったため、不安を拭い去ることは出来なかった。

 ――って、こんなことじゃ駄目だよね……

 気持ちを奮い立たせ1人で校内見て回ろうかと思ったが、教室にまだ残っているメンバーが会話に興じているのに気が付いた。

 リィンにエリオット、それにガイウスだった。

 3人は実技テストのことで話しこんでいるようだった。

「実技テストかぁ……ちょっと憂鬱だなぁ。魔導杖もまだちゃんと使いこなせてないし」

「そんなに心配なら一緒に稽古でもしておくか? 修練場もあるみたいだし、良かったら付き合うぞ」

「あ、うん……ありがたいんだけど、実はこの後、クラブの方に顔を出そうと思ってるんだ」

 話がクラブのことに変わった。参考までに彼らの話を聞いてみたいと思ったリューネはタイミングを見計らい、話に加わった。

「エリオットさんは、もう決めたんですか?」

「あ、リューネ。うん……吹奏楽部だよ。と言っても担当するのはバイオリンになりそうだけど」

 リューネの飛び入りに特に抵抗を見せることなく、エリオットははにかんでみせてくれた。それが非常に嬉しく感じられたが、それを表に出すと折角の話の腰が折れてしまうので、話の続きを促すことにした。

「バイオリン、弾けるんですね……以前から音楽を?」

「うん。趣味の範囲でだけど、どうせならもっと腕を磨きたいと思ってね」

 と言うエリオットはどこか照れくさそうな感じだった。

「ガイウスさんはどの部に入るか決めましたか?」

「ああ、オレは美術部という所に入ろうかと思っている」

「美術部……ちょっと意外だな」

「ガイウス、絵とか描くんだ?」

 リィンやエリオットと同じく、リューネも少なからず驚きを覚えた。失礼とは思いながらも、どうしてもガイウスと美術というものが結びつかなかったのだ。

「故郷にいた頃、たまに趣味で描いていた。ほぼ我流だから、きちんとした技術を習えるのはありがたいと思ってな」

「そうでしたか……」

「ちょっと見たい気がするな」

「だね。機会があれば見せて欲しいな」

「ああ。楽しみにしていてくれ」

 ガイウスが快く承諾している。彼としても自分の作品を誰かに見てもらいたいと思っているのだろう。

 ――凄いなぁ……

 エリオットやガイウスも目的を持って、自分のやりたいことをやろうとしている。その姿がリューネにはとても眩しく見えてしまった。

「ところで、リューネはもうどこか決めたのか?」

「私、ですか?」

 突然リィンから話を向けられ、リューネは内心焦ってしまった。

 エリオットやガイウスがきちんと決めている一方で、候補ですら決まっていない自分に言いようのない後ろめたさを感じたからだ。

 だが、次のリィンの一言は、リューネが予想していたものとは全く異なっていた。

「実は、俺はまだ全然決まってなくてさ。良かったら参考までに訊かせてもらえないか?」

「あ……」

 まさか自分と同じように悩んでいる人がこんなにも近くにいるとは思ってもいなかった。それゆえに、間抜けな声を漏らしてしまったが、気を取り直して自分も正直に告白した。

「その、私もまだ決めてないんです」

「そうなのか? じゃあ、この後一緒に校内を見て回らないか?」

「良いんですか?」

 と聞き返したものの、1人を不安に感じていたリューネにとって、それは願ってもない申し出だった。

 リィンも同じ悩みを共有できる者がいて、気が楽になったようである。ならば断る意味はないと判断し、リューネは首を縦に振った。

「良かった、まだ残ってたわね」

「サラ教官?」

 話が纏まったところで、サラが教室に戻ってきた。少し困ったような表情をしていたので、どうしたのかと尋ねてみると、

「いや~、実は誰かに頼みたいことがあったのよ。この学院の生徒会で君達Ⅶ組に関わる物を受け取って欲しくてね」

 ということだった。そういうことなら、先程声を掛けたレイルとエミナに頼めば良かったのではと疑問に思うと、それを感じ取ったのかサラが肩を竦めてみせた。

「あの2人は用があるみたいでね。他に暇を持て余している子達がいないか探しに来たってわけ。そうねぇ……リィンとリューネ、暇してない?」

 名を呼ばれたリューネは、もう1人のリィンを窺う。

 すると彼もリューネを見て頷いき、サラへと向き直る。

「――ええ、大丈夫ですよ。生徒会という所にこの後、行けば良いんですね?」

「え、でも……」

「良いのか?」

「ああ、2人はこれからクラブの方に行くんだろう?」

「私とリィンさんはまだ決めていませんし、見学ついでに受け取ってきます」

「そっか……じゃあ、お願いしようかな」

「よろしく頼む」

「決まったようね。生徒会室は、学生会館の2階にあるわ。遅くまで開いてるはずだから――それじゃあヨロシクね❤」

「? ええ……」

 リューネはサラの笑顔に予感めいたものを感じたが、それが何なのか分からずリィンと共に首を傾げるばかりだった。

 

 

 サラ曰くクラブ活動は自由行動日に実施されていることが多いとのことだったが、放課後である今でも多くのクラブが執り行われていた。

 しかもその大半が新入部員確保のための勧誘を熱心に行っていた。

 Ⅶ組メンバーを見かけたのは、ラクロス部・水泳部・吹奏楽部・美術部の4つだ。

 ラクロス部ではアリサとエマが見学しており、水泳部ではラウラがいたが、彼女は既に入部を決めていたようだった。残る2つは先程エリオットとガイウスが言っていたクラブで、2人共既に活動に参加しているようだった。

 他にもフェンシング部や馬術部、調理部なども回ってみたが、やはりリューネにはぴんとこない感じであり、それはリィンもまた同じ様であった。

「……そろそろ生徒会室に向かおうか」

「そうですね」

 一通り見て回ったことで日もだいぶ傾いてきていた。サラも遅くまで開いているとは言っていたが、あまり遅くに窺うのも失礼だろうし、2人は生徒会室へと向かうことにした。

 学生会館は敷地内の東側に位置する。本校舎のよって出来た影の中を進み、目的の場所まで辿り着く。

「生徒会室は、確か2階にあるって言ってましたよね」

「ああ。早速入ってみよう」

 と、リィンが学生会館の扉を開こうとした瞬間。

「よ、後輩君たち」

 突如、背後から声を掛けられた。

「えっと……?」

 振り返ると、ピアスにバンダナといった装飾品を見に付け、濃緑色の制服を着崩した男子生徒が近付いてくるところだった。

「お勤めゴクローさん。入学して半月になるが調子の方はどうよ?」

 何故声を掛けられたのか分からないリューネ達は面食らうばかりだが、その様子を気にした風もなくバンダナ姿の青年は軽い調子で続けてくる。

 話し振りからして恐らく先輩のようであったので、2人はなるべく失礼のないように努めるようにした。

「――ええ。正直大変ですけど、今は何とかやっている状況です」

「今はまだ大丈夫ですけど、授業なども本格化したら目が回りそうな気がしますね」

 すると、バンダナ姿の青年は妙に嬉しそうに笑みを溢して、うんうんと何度も首を縦に振っていた。

「特にお前さん達は色々てんこ盛りだろうからなー。ま、せいぜい肩の力を抜くんだな」

「は、はあ……」

「……分かりました」

 そこで会話が一区切りしたので、このタイミングを逃さずリィンが彼に尋ねた。

「えっと、先輩ですよね。名前を窺っても構いませんか?」

 しかし、先輩だろう彼はそう焦るなと言って、リィンを制した。

「代わりといっちゃなんだが、まずはお近付きの印に面白い手品を見せてやるよ」

『手品……?』

 リューネとリィンが顔を見合わせていると彼はポケットを弄りだした。が、目的の物が見当たらなかったので、苦笑しながらこう頼んできた。

「ちょいと50ミラコインを貸してくれねえか?」

 先輩に要求を不振そうにしていたが、リィンが財布から50ミラコインを取り出して先輩に渡した。

 満面の笑みでそれを受け取った先輩は、肩に担いでいたバッグを地面に下ろし、居住まいを正した。

「そんじゃあ――よーく見とけよ」

 すると、コインを親指で弾き上げる。リューネとリィンは自然とその行く先を視線で追った。回転しながら宙を舞うコイン。上昇する力が失われ、中空で一瞬の停滞を経て、地面目掛けて落ちてくる。

 先輩は腕を交差させた瞬間にそれを掴み取ったようで、握り拳のまま両手を突き出してくる。

「――さて問題。右手と左手。どっちにコインがある?」

「それは――右手、ですよね」

「私もそう思います」

 それなりに動体視力には自信のあるリューネからすれば、彼は間違いなく右手でコインを掴んだはずである。そして、リィンも同じく右手を示したので間違いではないだろうと思った。だが、先輩は口角を吊り上げて、してやったりといった表情を浮かべる。

「残念、ハズレだ」

 開かれた右手には何も握られていなかった。

 ――そんな……

 結構自信があったのだが、事実として先輩の右手にはコインが握られていなかった。ということは、コインは左手の中ということになる。

「って、あれ? 手品っていうことは――」

 リィンが何かに気付いたようで、その疑念を口にしようとすると、先輩が早々に“手品”の結末を教えてくれた。

「え」

「そんな!?」

 開かれた左手にも何も握られていなかった。

 その結果にリューネとリィンは目を剥いて、先輩の手のひらを凝視した。それで50ミラコインがひょっこり出てくるわけではなかったが、あまりの出来事に思考が追いついていなかった。

「フフン、まあその調子で精進しろってことだ。せいぜいサラのしごきにも踏ん張って耐えて行くんだな。あと、生徒会室は2階の通路奥の部屋だぜ――そんじゃ、よい週末を」

 彼は下ろした荷物を再び肩に提げ、後ろ手に手を振って去っていた。

 2人は呆然とその後姿を見送るだけだったが、彼の姿が見えなくなったところでリィンがふと呟いた。

「あ、50ミラ……」

 言われてみればリィンが差し出した50ミラは返してもらうことなく、先輩は去っていってしまった。

「……一本、取られちゃいましたね」

「ああ、完全にな。それに俺達が生徒会室に行くことも何故か知っていたみたいだし」

 2年生もクセモノ揃いみたいだ、と締めくくりリィンが肩を落とした。

 

 

 リィンはリューネと共に生徒会室を訪れていた。

 生徒会室と表札を掲げられた入り口前で中の様子を窺うと、人の気配を感じられたので、控え目にノックをする。

 すると朗らかな女子の声が聞こえてきた。

「はいはーい。鍵は掛かってないからそのままどーぞ」

 その声は聞き覚えがあった。

 ――確か、入学式の日に正門で出迎えてくれた……

 リューネを窺うと、彼女もやはり聞き覚えがあったらしく、目をぱちくりとさせながらこちらを振り仰いでいた。

 しかし、いつまでも呆けているわけにもいかず、気を取り直して扉を開くことにした。

「――はい、失礼します」

 部屋の中にはやはりというか、予想通りの人物がいた。

 少し癖のある長髪を青いリボンでまとめた小柄で幼い顔立ちの女子生徒。

 間違いなく入学式に出会った人物であった。

「2週間ぶりだね。生徒会室へようこそ。リィン・シュバルツァー君、リューネ・クラウザーさん。――サラ教官の用事で来たんでしょ?」

「え、ええ。そうですが……生徒会の方だったんですね」

 そう言ってリィンは目の前の女子生徒を窺う。あまりじろじろ見ていては失礼なので、気付かれないようにこっそりと、ではあるが。

 ――飛び級なのか……? 改めてみるとリューネやフィーと同じか、下手をするとそれよりも年下に見えるんだが……

「えへへ、生徒会長を務めている2年のトワ・ハーシェルです。改めてよろしくね、リィン君、リューネちゃん」

 これ以上にないという程の笑顔で名乗る彼女の言葉がリィンの鼓膜を振るわせた。しかし、その意味を理解するのに数瞬を要した。そして、リューネと共に驚きの声を上げた。

『せ、生徒会長っ!?』

 予想もしていなかった役職名に度肝を抜かれてしまった。

 しかし、当の本人は何故リィン達が驚いているのか分からないといった様子だった。

「うん、そうだけど? これから、君達新入生に関わることも多いと思うんだ。困っていることや相談したいことがあったら是非生徒会まで来てね? いっしょうけんめいサポートさせてもらうからっ」

「は、はい……」

「その、よろしくお願いします」

 未だ理解が追いついておらず、恐らく同じ状態であろうリューネと顔を見合わせる。

 しかし、それで目の前の現実がどうこうなるわけではないので、事実として受け入れて話を進めることにした。

「……コホン。それでサラ教官の用事ですが。自分達Ⅶ組に関する何かを預かってもらっているとか?」

「あ、うんうん。これなんだけど……はい、どうぞ。上からリィン君とリューネちゃんのだよ」

「これは……学生手帳、ですか?」

「そういえばまだ貰っていませんでしたよね」

 聞けば、Ⅶ組のカリキュラムや支給された戦術オーブメントが通常とは異なるため別発注となり、その編集作業の遅れから届くのが遅くなったとのことだった。

「そうだったんですか……って、そもそも、それって生徒会の仕事なんですか? 明らかに教官が手配するべき仕事のような気が……」

 そう疑問を抱いても、トワ自身は特に苦にした様子もなく、

「うーん、サラ教官もいっつも忙しそうだし……他の教官の仕事を手伝うことも多いから、今更って感じかなぁ?」

 と、あっけらかんと言ってのけるのだった。

 ――良い人だ……途方もなく。

 その人の良さに付け込んで仕事を押し付けたであろう担当教官に代わり、リィンは内心で目の前の女性に謝罪しておいた。

「――えっと、それでは他の手帳をⅦ組の皆に渡しておけば良いんですね?」

「うん、よろしくねー。それにしても、リィン君達も1年なのに感心しちゃうな」

「……?」

「えっと、何がでしょうか?」

 トワが何を言っているのか分からず、首を傾げてしまう。

 リューネも不思議そうにしており、その言葉の意味を問うていた。

「えへへ、サラ教官からバッチリ事情は聞いてるから。何でも生徒会のお仕事を手伝ってくれるんでしょ? うんうん。流石、新生Ⅶ組だねっ」

 ますます話が見えなくなってきた。しかし、トワはこちらの疑念に気付くことなく話を続けていく。

「生徒会で処理しきれないお仕事を手伝ってくれるんでしょう? 特科クラスの名に相応しい生徒として自らを高めようって――皆張り切っているから生徒会の仕事を回してあげてってサラ教官に頼まれたんだけど」

『……………………』

 そこまで言われて、先程抱いたサラ教官への違和感を思い出していた。

『――それじゃあヨロシクね❤』

 ――あの“❤”はこれか……

 自分達の担当教官はあろうことか生徒を労働力として無償提供したらしい。しかも当人達の承諾など一切なしで。

 流石にそれはと呆れ返っていると、ようやくこちらの様子に気付いたようで、トワが心配そうに慌てだした。

「ひょ、ひょっとしてわたし、何か勘違いしちゃってた……? 入学したばかりの子達に無理難題を押し付けようとしてたとかっ……!?」

「そ、それは……」

 目尻に光る雫を溜めながら、こちらを見上げるトワ。その様子に、リィンはどうしても否定の言葉を吐くことが出来なかった。

 それに、ある意味ではこれは良い機会なのかもしれないと感じられた。ただこの場には自分以外にもリューネがいるので彼女の意志も確認しておいた方が良いだろう。

「……すみません、ちょっと待ってもらって良いでしょうか?」

「リィンさん?」

 トワに断りを入れ、リューネを部屋の隅へと連れて行く。そして、トワには聞こえないよう小声で囁きかけてくる。

「俺は、この話に乗っても良いと思うんだが、リューネはどうする?」

「私は……」

 やはりと言うか、目の前の少女は突然の話にどうするかを決めかねていた。それでも逡巡の後には、彼女なりの答えを口にしていた。

「その……正直、どのクラブもしっくり来ませんでしたし……だったらいっそのこと、生徒会のお手伝いをさせて頂きながらやりたいことを見つければ良いのかなぁ、なんて」

 言葉が徐々に尻すぼみになっていたが、2人の意見は一致した。そうと決まれば、早速トワへと返事を送る。

「お待たせしました。――その、サラ教官の話通りです。随分お忙しそうですし、遠慮なく仕事を回して下さい」

「そ、そっかぁ……ビックリしちゃった。えへへ、でも安心して。あまり大変な仕事は回さないから。えっとね、大抵のものは士官学院や町の人達からの依頼になると思うんだ」

「依頼……ですか?」

「うん、生徒会に寄せられた色々な意見や要望ってところかな。今日中にまとめて、朝までに寮の郵便受けに入れておくから。とりあえずリィン君のポストに入れても良いかな?」

 特に異論はなかったので、2人はトワへと頷き返した。

 

 

 学生会館を出た頃には日はすっかり暮れていた。

 あの後、リューネとリィンはトワから夕食をご馳走になり、その際に生徒会を始めとする学院やトリスタの話を聞かせてもらっていた。

 事前に今日の夕食担当であるエミナに連絡しておいたので、ある程度遅くなっても大丈夫だろうが、それでもあまり心配を掛けさせたくなかったので、そろそろ寮に戻ることにした。

 ――そういえば……

 エミナに連絡した際、彼女の声音が妙に嬉しそうな、けどどこか寂しそうな感じだったのが気になったが、今は気にしても仕方がないので、頭の片隅にその疑問を追いやった。

「クラブ決めで悩んでいたのに、予想外の流れになっちゃいましたね」

「そうだな」

 とリィンが苦笑したところで、彼のARCUSから耳に良く響く高音が鳴り響いた。

 どうやら誰かから彼のARCUSに通信を飛ばしてきたようである。

「えっと……リィン・シュバルツァーです」

 すかさず通信回線を開きリィンが名乗ると、相手からの声が聞こえてきたようである。そして徐々に眉間に皴を寄せていく。

「……その愛しの教え子をよくもだまし討ちしてくれましたね。どういうつもりなんですか?」

 どうやら相手はサラのようであった。その後幾度か会話を交わしていると、リィンがARCUSの盤面を操作し始めた。すると、今まで聞こえなかったサラの声がこちらにも聞こえるようになった。

『リューネも聞こえるかしら?』

「あ、はい。しっかりと聞こえます」

 通信の副次機能としてのスピーカーモード、というものらしい。これを起動させることで受話口から聞こえる相手からの音声を大きくすると共に、通話口の集音範囲を拡げられる、とのことだった。

『――で、今回のことだけど。詳しくは言えないけど来週伝えるカリキュラムにもちょっと関係してるのよ。誰かにそのリハーサルをやってもらおうと思ってね。生徒会が忙しすぎるのも確かだし、一石二鳥の采配だと思わない?』

「生徒会の仕事を増やしているのは教官達な気もするんですが…………まぁ、趣旨は判りました。明日の自由行動日に生徒会の手伝いをすれば良いんですね?」

『あくまで君達の判断に任せるわ。特定のクラブに入るつもりなら無理にとは言わないわよ?』

 サラはそう言うが、2人してどのクラブにもピンと来ていないのが現状なので、断る理由は特になかった。

 しかし、リィンにはまだ思うところがあったようで、それをサラへと突き付けた。

「――1つだけ訊かせてください。どうして俺達なんですか?」

『……………………』

 サラは黙ったままリィンの言葉を聞いていた。

「クラス委員長はエマだし、副委員長はマキアスですよね? 身分で言うなら、ユーシスやラウラのような真っ当な貴族出身者までいる――なのに何故、俺達なんですか?」

『ふふっ……まずはリィン。それは君が、あのクラスの“重心”とでも言えるからよ』

「え……」

『“中心”じゃないわ。あくまで“重心”よ。対立する貴族生徒と平民生徒。留学生までいるこの状況において君の存在はある意味“特別”だわ。それは否定しないわよね?』

「それは……」

「……?」

 リィンが押し黙ってしまう。

 何故彼が“特別”なのか理解出来ないリューネは首を傾げるばかりだった。

 そんな2人を気にすることなく、サラの言葉は続いていく。

『そしてあたしは、その“重心”にまずは働きかけることにした。Ⅶ組という初めての試みが今後どうなるかを見極めるために。それが君を選んだ理由よ』

「それでは、私は?」

 リィンが選ばれた理由は何となくだが理解出来たが、自分が選ばれた理由は何なのかはさっぱりだった。

『リューネの場合はもっと単純な話よ。――もっと広い“世界”を知ってほしい、ってのが理由よ』

「…………あ」

 そう言われ、状況が何となくだが理解することが出来た。

 ――お兄ちゃん達だ。

 きっと2人――いや、きっとフィーもがリューネのことを思って、サラに進言したのだろう。

『言っておくけど、別にあの子達に頼まれたからじゃないわよ? リューネの話を聞いたあたし自身がそう願っただけ。そこは勘違いしないように』

 しかしサラが告げた言葉はリューネの想像とは異なるものだった。

 ――どうして?

 というのが正直な思いだった。

 出会ってまだ半月しか経っていない自分に、何故彼女はこうまで気に掛けてくれるのか?

 いや。

 本当は分かっているはずだ。

 これこそが人の“優しさ”なのだと。

 それはあの場所で、あの人達を通して感じていたものと同じだ。

 全ての人がそうであるというわけではない。けど、だからといって“これ”が彼女らに限った“特別”でないことをリューネはもう知っていた。

 自分に向けられる無償の“優しさ”を感じ、リューネの胸に暖かい何かがこみ上げてきた。

「サラ教官……」

『うぐっ、うぐっ――っぷはー!』

 だがそれも、導力波に乗せられて届いた声により、一瞬で冷え切ってしまった。

「……サラ教官。何を飲んでいるんですか?」

 折角の感動が台無しにされ、幾分声音を低くしてサラへと問い掛ける。

『ビールよ、ビール。週末なのに部屋で寂しく1人酒に決まってるじゃないの。まったくもう、ダンディで素敵なオジサマの知り合いでもいたら一緒に飲みに行ってるんだけど』

「あのですね……」

 良い話だと感じていたのに締まらないことこの上なかった。リィンもリィンで苦笑しながら明後日の方向へと視線を泳がせている。

『――ま、あんまり深く考えずにやってみたら? 2人共“何か”を見つけようと少し焦ってるみたいだけど……それだと、見つけられるものも見落としちゃうわよ?』

『!?』

 内心感じていた焦りを言い当てられ、リューネだけでなくリィンも驚いた表情を浮かべる。

『ふふっ、あくまで自分のペースでね。そうすれば自分の“立ち位置”も見えてくるでしょうし』

 後は寮の門限に遅れないように、と付け加えて通信は終了した。

「サラ教官にはお見通しだったみたいですね」

「だな。適当に見えて、しっかり俺達のこと見てくれているんだな」

 これで普段からしっかりしていればとても魅力的な女性なのに、と冗談交じり話しながら、2人は帰路に着いた。

「ふふ……自分のペースで、かぁ」

 先程のサラの言葉を復唱する。少し前を歩いていたリィンがどうかしたのかと尋ねてくるが、リューネは適当に笑って誤魔化した。

「何でもありません。さあ、早く帰らないとお兄ちゃん達が心配してると思います」

「あ、ああ。そうだな」

 リィンの背中を押して、寮への道を急ぐ。

 けど、リューネの心はとても落ち着いたものだった。

 ――焦る必要はない。

 自分のペースで、したいことを見つけていこう。



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副委員長の悩み

<???>

 気付けば、私は真っ白な霧の中にいた。
 クラスメイトが作った夕食に舌鼓を打った後、自室で予復習を済ませて、シャワーを浴びて……それからすぐにベッドに潜り込んで、眠りに就いたはずだった。
 なのに、どうしてこんな所にいるのか、さっぱり分からなかった。
 暫くの間、果てなく続く霧の中を漂ってみると、ほんの少しだけ、霧が薄らいだように感じられた。
 真っ白に染まっていた視界に色が宿る。霧の白とは少し違う白。それを基調とした光景の中に、薄紫や碧といった色合いが混ざり、見る者に落ち着きを感じさせてくれた。
 ――どこかの部屋、かしら?
 徐々に鮮明になっていく視界が室内の様子を捉えていく。
 清潔感が保たれた寝具や調度品など、そのどれもが一級品であると感じられる。
豪奢、とまではいかないが、それでも並々ならぬ気品を感じ、どこかの貴族の館の一室なのではないかと考えられた。
 けど私は、ここを知らない。
 そこでようやくこれは夢なんだと思い至った。
 きっと雑誌か何かで見た写真の光景が深層意識に残っていて、こうして夢に現れたんじゃないかと思う。
 そんなことを考えていると、突如、視界が明滅し始めた。
 ――何なのこれ!?
 突然のことに訳も分からず、抗う術もなく、私は明滅が収まるのを待ち続けていた。
 それは一瞬だったのか、あるいは長時間にも及んだのかは判断が付かなかったけど、明滅が収まった頃には明確な変化が訪れていた。
 場所は先程と同じ部屋だと思う。
しかしさっきとは明らかに異なるものがあった。目の前に1人の男が現れていたのだ。
 その男を見上げる形で、私はベッドに腰掛けていた。
 彼には見覚えがあった。
 今の彼より幼く、少年らしさが残っていたが、間違いない。
 レイル・クラウザー。
 トールズ士官学院1年Ⅶ組。先月末の入学式で出会ったクラスメイト。
 その彼がこちらを沈痛な面持ちで見ている。純度の高い金耀石を思わせる瞳に、今は翳りを帯びている。
 何故?
 疑問を浮かべてみても、答えはどこにもなかった。
 今がどういった状況なのかを把握するため、周りを窺おうとしたけど、視界は正面に立つレイルを見上げたまま動いてはくれなかった。
 夢だから仕方のないこと、かしら?
 などと諦めていると、徐々に視界がぼやけていく。
 これは霧じゃなくて……涙?
 気付いたときには胸の奥が苦しくなってくる。
『――ねぇ、どうしてお父さんが――物なん――なっちゃた――』
 何故自分が涙を浮かべているのか疑問に思っていると、自分が意図せず喋っているかの様な感覚に襲われた。
 耳に届く途切れ途切れの声は自分のものではない。それでいて自分の声帯が震えているという奇妙な感覚に襲われながらも、私はあることに気付いた。
 ――この声、もしかして……エミナ?
 耳に覚えのある声よりも幾段か低く感じられたけど、間違いない、と思う。
 そしてその声は、何かに対して憤りや悲しみ、その他にも様々な感情がごちゃ混ぜになったかのようなものに感じられた。
『諦め――ようやく会え――まだお前の――親父さんが――だと――わけじゃない』
 すると今度は目の前のレイルが口を開く。
 彼の声も所々がよく聞き取れず、何を言っているのかは分からなかったけど、その表情や声音から相手を慮っていることは理解出来た。
 そして、その相手は……エミナ。
 ――これは、もしかして、エミナの記憶?
 何故そんなものを見ているのか、分からない。
 分からないだらけの状況に、ますます頭が混乱してくる。
すると急に、目線が高くなり、レイルの顔が至近に迫る。
 ――ち、近い!
 異性の顔が間近に迫ったことで一瞬ドキッとしたが、それも束の間、私は胸の奥から身を焦がすような怒り――いや、憎しみと呼んでいい感情が湧き上がってくるのを感じた。
『――私に、お父さんを殺せって言うの!!?』
 説明出来ない感情。そしてエミナが発した言葉の衝撃に翻弄される中、私は目の前の彼の表情をしっかりと捉えていた。
 その表情に浮かび上がった感情は、恐らく、悲しみと――怒り。
『――そうは言ってないだろ。けど、このまま何が本当なのかも見極めないままでいるつもりなのか?』


<4月17日 近郊都市トリスタ>

 

「ん~~、風が気持ち良いわねぇ」

 目の前のサラが肌を撫でる風を受けて、全身を伸ばして気持ち良さそうな声を漏らした。

 放課後。

 エミナとレイルは彼女に呼び出され、誰もいない屋上へと連れて来られた。

「それでサラ姐、話ってのは?」

「呼び方」

「……サラ教官、お話とは?」

 呼び方が私的なものになっていたことを指摘され、エミナは渋々呼び方と、ついでに口調を改めた。

「まあ、察しは付いているとは思うけど――特別実習についてよ」

 そう言ってサラがエミナとレイルにそれぞれ封筒を差し出してきた。

 それを受け取り、サラの視線に促され中身を検める。

 中に入っていたのはどちらも同じもののようで、来週より実施される特別実習についての内容だった。

 実習が行われる場所や班構成、注意事項などが纏められた用紙にさっと目を通していく。

「予定通り、特別実習は2班に分かれて行わせて貰うわ。そしてあんた達は」

「それぞれの班に分かれて、か」

 レイルの確認にサラは静かに頷いた。

 ――ようやく始まるのね。

 エミナ達がトールズにやってきた目的を果たすための一歩がようやく動き出すことになる。

「あんた達なら大丈夫でしょうけど……よろしく頼んだわよ?」

「ああ、任せてくれ」

「大船に乗ったつもりでいてよね」

 かつて、幾度となく似たようなやり取りを交わしていたのを思い出し、エミナは思わず笑みを溢していた。

 どうやらレイルとサラも同様に笑みを浮かべている。その光景がエミナには嬉しくてたまらなかった。

「それじゃ、仕事が残ってるから先に行くわね」

 そう言ってサラは足早に屋上を後にした。

「……ようやく、だな」

「そうね」

 2人で柵に寄り掛かり、手元の資料へと再度視線を落とす。

 エミナが振り分けられたのはB班。指定された実習地はパルム市。

 そこはサザーラント州南部に位置する紡績業で栄えた町で、現在、最もリベール王国との国境に近いとされている場所である。

「あそこかぁ」

 以前にも訪れたことのある町であったため、エミナはかつての町の様子を思い浮かべる。

 だが、昔と今とでは彼の町に対する印象が異なっていた。

 あの村を知ってしまった今では……

「レイルはケルディックかぁ……女将さん達、元気にしてるかな」

 気持ちが暗くなっていきそうになったので、エミナは慌てて思考を別のものへと移した。

 レイルが振り分けられたA班の実習地は東部クロイツェン州の大穀倉地帯の中心に位置する交易都市である。大陸横断鉄道の中継駅もあり、毎週開かれる大市では国内外を問わず様々な品が取引される。長閑な情景の中にある活気溢れる大市は、帝国時報などでもよく取り上げられる程の人気を博している。

 そこでお世話になった宿酒場の女将達を思い浮かべ、気持ちを切り替える。

「最後に会ったのが、もう2年近く前になるのか」

 レイルが言って、笑みを溢す。

 それはきっと、この2年の回顧によるものだ。

 エミナもそれに同調し、帝国を離れてからの日々を思い返した。

 ――色々あったなぁ……

 掛け替えのない出会いもあれば、心が張り裂けそうになる別れも経験した。

 楽しいことも辛いことも沢山あったが、共通していることが1つ。

 ――いつも、傍にいてくれたよね。

 隣にいる彼へと視線を向ける。

 そよ風を受け気持ちよさそうに目を細め、眼下の町並みを眺めるレイルがその視線に気付き、優しい声音で問い掛けてくる。

「どうかしたのか?」

「……うんん。何でもない」

 満面の笑みを返すと、レイルはそうかと静かに微笑を浮かべるだけだった。

 静寂。

 けど、それは嫌な雰囲気ではない。

 言葉を交わさずとも安らぎを感じられる、この雰囲気がエミナのお気に入りでもある。

 それはレイルも同じだとエミナは確信している。

 レイルが浮かべる穏やかな表情がその証である。

「平和、だな」

「ねー」

 時折発せられる言葉は他愛もなく、そして手短に。

 緩やかで穏やかな時間が2人を包み込む。

 たまに、春風に運ばれてクラブ活動に励む学院生の声や町の賑わいが微かに届いてくるが、それが余計にこの屋上を2人だけの世界にしているように錯覚する。

「ねぇ、レイル?」

 ふと、エミナは隣に立つ彼へと呼び掛ける。

「どうした?」

 レイルがこちらへ振り向く。

 そのタイミングを見計らい、エミナは彼との距離をゼロにする。

 少しの間だけ背伸びして、触れるだけの口付けを交わす。

「えへへっ」

 ステップを踏んで距離を開ける。そして、きょとんとしたレイルに向けて悪戯っぽい笑みを浮かべてみせる。

「……珍しいな。こんな場所でエミナからしてくるなんて」

 確かにレイルの言う通り、人目に付きそうな場所でエミナがこの手の行為を実行するのは滅多にないことであった。

 しかし、この2人だけの時間がエミナにはとても愛おしく感じられ、感極まった末、衝動に駆られてしまったのである。

「たまには良いかなって……さてと、そろそろ夕飯の買い出しをして帰らないとね」

「なら一緒に行くか。どうせなら、放課後デートと洒落込むとしようぜ」

「……たまにはそういうのも良いわね。その代わり、ちゃんとリードしてよね?」

 大半が見知った人の中でデートというのは、エミナにとってかなり難易度の高いものだったが、いつまでも恥ずかしがっているわけにもいかず、少しの逡巡の後、エミナはレイルからの誘いを承諾した。

 楽しげに会話を交わしながら、屋上を後にしようとした時、エミナの聴覚に聞きなれた声が微かにだが届いてきた。

 レイルの様子を窺うと、彼にも聞こえていたらしく、2人で顔を見合わせてから、声がした方へと近付いていく。

 本校舎と学生会館の間。そこを上から窺い見ると、予想通り、リューネとリィンがいた。すると2人に近寄ってくる深緑色の制服を纏った男子が現れた。

 男子生徒が2人に声を掛けたようで、2人が男子生徒へと振り向いた。

 詳しい会話内容までは聞き取れないが、様子からして別段変わった様子という感じではなかった。

 一瞬、変な生徒に絡まれているのではと不安が過ぎっていたが、特に問題がなさそうで安堵の息を漏らした。

 ――それにしても……

「あの子が私達以外の誰かと2人で行動するなんてね」

 正直、意外だった。

 入学してから――いや、それ以前から、リューネはエミナとレイル、そしてフィーにべったりといった感じだった。

 それ故に、自分達以外の誰かと2人で、というのは見たことがなかったからだ。

「……俺達が過保護になり過ぎていたのかもな」

 レイルがそっと呟く。

 それを受けて、エミナはリューネと出会ってからのことを思い出してみた。

 ――あぁ、確かに。

 言われてみれば、自分達のリューネに対する行動は過保護以外の何ものでもなかった。

 それゆえに、自分達にべったりなリューネになってしまったと考えられる。

「だったら、これは良い傾向なのかもね」

「けど、お姉ちゃんとしては複雑?」

「……お兄ちゃんとしてはどうなのよ?」

「……多分、一緒だ」

 レイルが肩を竦めて苦笑する。

 2人揃って、妹離れは当分先のようであった。

 

 

「そういえば、聞きそびれてたんだけど……旧校舎の件、どうだったの?」

「あぁ。オリビエの情報通りだった」

 エミナの前を行くレイルが階段の半ばで立ち止まり、こちらを仰ぎ見るように振り返った。

 その表情は真剣なもので、あの情報に間違いがなかったのだと如実に語っていた。

「けど、あのダンジョン区画にはそれらしいのはなかった、よね?」

「そこが引っ掛かってんだよな。それに、感じられた力が微弱過ぎたのもあるし……あの旧校舎、まだまだ謎が隠されていると見て間違いないだろうな」

「そっか……」

 探し物の手掛かりを見つけ、1歩近付いたと思えばまた壁が立ち塞がる。

「ここのを含めれば、所在不明は残り4本、か」

「そうだな。早いこと見つけてしまわないとな……それに」

「現地にいる調査員……まだ接触出来てないもんね」

「あぁ、その人からも情報を得られたら良いんだけど、ケビン曰く何らかの重要任務の最中らしいからな」

「向こうがタイミングを見て接触を図ってくるまで、独自で調査するしかないわけね……」

 だな、とレイルが肩を竦めて、歩みを再開させる。

 それを追うようにエミナは続き、彼の横へと並ぶ。

 エミナの姿を横目で確認したレイルが、ふと――この話題はこれで終わりと言いように――話題を変えてきた。

「ところで……良かったのか?」

「? 良かったのかって、何が?」

 レイルの問い掛けが何を指しているか分からず、エミナは首を傾げたまま立ち止まった。

 するとレイルはエミナの数段先で振り返り、何の躊躇いもなく、エミナにとっての爆弾を投げつけてきた。

「キスしたときだけど、校門辺りでこっちを見てた生徒がいたん――」

 レイルが言い終わる前。

 落下速度も加えた渾身の右ストレートが彼の左頬を捉えた。

 

 

 翌日。

 暖かな日差しの中、キルシェのオープンテラスでマキアスは全ての怒りを眉間に集約させたかのように皴を寄せていた。

 自由行動日である本日。マキアスは丸1日を自習に使おうと計画していた。朝一から学院の図書館に籠もり、勉学に精を出そうと決めていたのである。

 しかし、図書館に辿り着いたとき、あろうことか先客がいたのである。

 ただの先客ならば、その相手も勉強熱心なのだと思うぐらいだっただろうが、その先客というのが彼にとっての天敵とも呼べる存在だった。

 ユーシス・アルバレア。

 マキアスより少し前に寮を出て行くのを見掛けてはいたが、まさか自分と同じ場所に向かっていたとは露にも思わなかったのである。

 入り口で立ち止まっているマキアスに気付いたのか、ユーシスが手元から視線を上げて、マキアスを一瞥。

「……フン」

 静かに、しかし確かに聞こえてきた。

 ――は、鼻で笑った!?

 ユーシスはその後、何もなかったのかのように手元の本へと意識を戻していた。

マキアスから見て、ユーシスの態度はひどく鬱陶しそうなものに感じられ、それが彼の心を荒立たせる。

一言文句を言ってやろうと肩を怒らせるが、直後に司書のキャロルの咳払いが聞こえてきて、自分が今居る場所を思い出した。

――以前も注意を受けてしまっていたな。

 数日前にも図書館でユーシスと鉢合わせしたときには、口論ともつかない言い合いになってしまい、キャロルからお叱りを受けていたのである。

「くっ……」

 予定を変更するのは非常に癪ではあったが、ユーシスがこの場から動こうとする気配がないので、マキアスは手早く目当ての参考書等の貸し出し手続きを済ませ、図書館を後にしたのだった。

 そして他に自習出来そうな場所を探して辿り着いたのがキルシェである。

 マスターのフレッドが淹れた特製の焙煎コーヒーを口にし、一先ずは先程までの怒りを静めることにした。

 その間は、メインストリートを行きかう人々の様子を眺めていた。

 自由行動日ということもあって、町はいつも以上の賑わいを見せている。

 ――普段なら学院生は授業を受けている時間だもんな。

 商店街でショッピングに興じる者もいれば、友人達との語らいに華を咲かせている者もいる。その中に見知った顔を見つけた。

 リィンとリューネだ。

 2人は何か荷物を抱えて、町中を行き来している様子だった。

 徐々に抱えていた荷物の量が減っているところを見ると、届け物をしているのだと推測出来た。

 ――そう言えば、今日は生徒会の手伝いをすると言っていたな。

 詳しい経緯は知らないが、ご苦労なことだとマキアスは感心した。

「……………………」

 各々が好き好きに今日という日を満喫している。

 それを傍らで眺めているマキアスの心中に、ふと暗い気持ちが過ぎった。

 ――こんな日に1人で自習しているなんて、僕はもしかして……

 思考が最後に行き着く前に頭を振って、暗い考えを振り払う。

「勉学こそ学生の本分だもんな」

 自分に言い聞かせるかの様にマキアスは呟いた。

「さて、そろそろ始めるとするか」

 旨いコーヒーを飲んだことで、怒りは既に静まっていた。

 マキアスは借りてきた参考書を開き、本日のノルマを消化していく。

 途中、お昼時になったので、昼食にピザとコーヒーのお代わりを注文し、休憩を挟んだ。そして、更に2時間程が経過した頃、本日予定していた分の自習が終了したのであった。

「随分と捗ったな。まだ時間は十分あるし、このまま続けるか」

 入学試験を主席で通過したエマに負けていられない、という対抗心もあり、彼の勉学に対する意欲は衰えることがなかった。

「熱心なのは良いけど、たまには息抜きも必要じゃない?」

 次のページを捲ろうとしたところで、背後から声が掛かる。

 背もたれ越しに声の主を確認すると、紙袋を小脇に抱え朱の髪を揺らす女子生徒がいた。

「エミナ君か」

「やっほ。同席しても良いかしら?」

 屈託のない笑顔でそう尋ねてくるエミナに、マキアスは一瞬口ごもったが、彼女に席を勧めた。

 

 

「しかし、本当に良いのかい?」

 店内で紅茶を注文し、それを受け取ってオープンテラスに戻ってきたエミナを出迎えたのは、マキアスのそんな質問だった。

「? どういうこと?」

 質問の意図がはっきりせず、エミナは聞き返した。

 すると、マキアスは言いにくそうに口をまごつかせると、絞り出すかの様な声を発してきた。

「……その、なんだ……君とレイルは、付き合っているのだろう? それなのに」

「他の男と2人きりで良いのか、ってこと?」

 マキアスが言い切る前にエミナが確認すると、彼は静かに頷いた。

「っぷ!」

 その様子を見て、エミナは思わず噴き出してしまった。本来であれば、レイルとの関係を指摘されたりすれば、多少の照れ臭ささを覚えるのだが、今はそれ以上にマキアスの態度に笑いが込み上げてきてしまったのだ。

「ちょ、何も笑うことはないだろう!?」

 マキアスの発言はこちらを気遣ってのことなので、笑うのは失礼だと思うのだが、それでも笑いを堪えるのは難しかった。

「――ッ、ごめんごめん。けど、マキアスって真面目過ぎない?」

「……それは、どういう意味かな?」

 マキアスの表情がムスッと不機嫌の色を帯びる。気遣いの発言を笑われた上に、自分の性分を茶化されているかの様に言われ、彼が気分を害さないわけがない。それが分かった上で、あえてエミナは言葉を続けた。

「だって、付き合っている人間が全員マキアスみたいな考えだと、世の中窮屈じゃない?」

「そ、それは……そうかもしれないが」

「もちろん、マキアスの言うことも理解出来るし、浮気は良くないわ。それに、恋人達が築き上げる“2人の世界”はとても居心地が良いかもしれない」

 けど、とエミナは続けた。

「それは凄く限定的で閉塞された関係でしょ? 折角色んな人と出会っても、その籠の中に篭っていたら勿体無いじゃない」

「……なら君は、レイルが他の女性と一緒にいても」

「嫉妬は、するかもね。けど、心配はしないわよ?」

 エミナが即答すると、マキアスが良く分からないという風に首を傾げた。彼の疑問を解消するために、エミナはその問いに答えた。

「私にだって独占欲はあるわよ。けど、レイルの心が私から離れる心配はしてないの」

「それは、どうして……?」

「信じているから。ただ、それだけよ。……あ、もちろん、レイルに嫌われないように日々の努力は怠っていないわよ?」

「――!? き、君って人は」

 エミナが静かに、しかしはっきりと告げると、マキアスが顔を赤らめてエミナから背けてしまった。

「どうしたの?」

「き、気付いていないのか!?」

「だから何が?」

「ッ、今の凄い惚気だったぞ」

 マキアスに指摘され、エミナは先程までの会話内容を思い返した。

「――ッ!!?」

 エミナは勢い良くテーブルに顔をうつ伏せた。

 顔が熱い。焼けるように熱い。恥ずかしすぎて焼け焦げそうだ。

 ――わ、私ってばなんてことを!

 普段のエミナなら、ここまで開けっぴろげに惚気ることないはずだったが、今は何故か意識せずに自分の気持ちを口にすることが出来ていた。

 その後に羞恥に身を焼かれそうになってはいたが、この半月程の学院生活や以前のお茶会の影響で、エミナの羞恥心ないし心の箍が緩くなってきているようであった。

 ――昨日のこともそうだけど……自分の気持ちを素直に表現出来るようになってきた、と思いましょうか……

 ことあるごとに照れ過ぎるのは、付き合っているレイルにも申し訳ないと感じていたので、自身の変化を良いように捉えることにした。

「……コホン。ところで、その紙袋は?」

 マキアスがあからさまに話題を変えてきた。それは今のエミナにとっても有り難かったので、素直に乗っかることにする。

「さっきケインズ書房で買ってきた本よ」

 そう言ってエミナは中身を取り出して、マキアスに差し出す。

「これは……導力技術の本?」

「そ。今日から技術部に入部したから、復習も兼ねてね」

「技術部? 君が?」

 マキアスが目を剥いて驚いていたので、エミナは苦笑を溢した。

「そんなに意外? あぁ、でも、部長には泣いて喜ばれたわね」

 エミナは先程、入部届けを出しに行ったときのことを思い出した。

 技術部は現在、入学式の日に正門で会ったジョルジュのみが活動しているとのことで、入部希望者は大歓迎とのことだったのである。彼意外にも部員はいるらしいのだが、総じて幽霊部員と化しているとのことだった。

「そう言うマキアスは、部活は決めたの?」

「ああ。第二チェス部に入ろうと思っている」

「第二? ってことは第一もあるの?」

「そうだ。第二は平民生徒のみが、そして第一は貴族生徒のみが所属しているんだ」

 そう言うマキアスの顔が苦々しいものに変わった。

「部長のステファン先輩に聞いたところ、第二チェス部はいつも第一チェス部に苦渋を呑まされているらしい」

 それを聞き、エミナは思わず苦笑いを浮かべていた。

 ――こんなところにも貴族と平民の対立の構図があるなんてね……

 貴族平民両方が集うトールズならでは、ということだろう。それを両派の対立が根強いものと捉えるか微笑ましいものとするかは悩みどころだとエミナは感じた。

「ってことは、もしかしなくてもその第一チェス部に一泡吹かせてやろう、とか考えてたり」

「……元々チェスを嗜んでいたのもあるが、貴族生徒の鼻を明かすには丁度良いと思ったのは否定しない」

「相変わらず、貴族に対しての敵対心は凄まじいの一言ね。けど、Ⅶ組の副委員長として、もう少しクラスの雰囲気に気を遣って欲しいわね」

 エミナが言外にユーシスとの険悪な雰囲気について釘を刺すと、マキアスが申し訳なさそうにした。

 この半月、マキアスとユーシスは毎日の様に衝突を繰り返していた。殴り合いのケンカにならない様に、エミナやレイルを筆頭にクラスの面々で仲裁を心掛けているが、それでも2人が同じ場にいるだけで、場の空気は張り詰めたものになってしまう。

 マキアスもそれが分かっているみたいだが、それでもユーシスとの関係を改善させようとは思えない様である。

 何故彼の心をこうまで頑なにしているのかがエミナには分からなかった。

 ――革新派であるレーグニッツ帝都知事閣下の息子、ってだけが原因じゃないんでしょうけどね……

 気は引けたが、彼のこともミヒュトに頼んで調べてもらうことにして、今は少しでもクラスの雰囲気改善に出来ることをしておこうと決めた。

「マキアス。これ、何だか分かる?」

 

 

「む……?」

 マキアスは眼前に突き出されたものを見て、顔を顰めた。

 それは先程エミナから見せてもらった導力技術の本だ。

 彼女はそれを突き出し、これが何だか分かるかと問うてきた。普通に考えるならば『本』と答えればそれで良いのだろうが、わざわざそれを問い掛ける意味がマキアスには理解出来なかった。

 しかし、いつまでも無言でいるわけにはいかなかったので、見たままを答えた。

「どこからどう見ても本だろう」

「そう……じゃあ、こっちに来てくれる?」

「?」

 訳が分からなかったが、エミナに促されるまま、彼女の傍へと移動する。

「あ……」

 すると、彼女に突き出された本の裏側――エミナの側からすれば手前に、ティーカップが掲げられていたのに気が付く。

「エミナ君、流石にそれは反則じゃないのか?」

「くすっ……そうね。私もやられたときにはそう思ったわ」

 どうやら彼女もこの反則めいた問い掛けに引っ掛かった口らしい。

「それでもここにこの2つが存在することに変わりはない」

「え?」

 唐突にエミナが口を開き、真剣な表情で語り始めた。

「世界にとっての事実は常に1つ。だけど、それをどう解釈するかは、君の立ち位置や価値観などによって左右される」

「それは、一体……?」

 マキアスが問うと、エミナは遠く眺め、まるで何かを懐かしむかの様に口を開いた。

「昔、私にこの問い掛けをした人の言葉よ。自分にとっての真実は自分によって作り上げられる、って話。小さい頃はいまいち良く分からなかったけど、色んなことを経験した今なら『ああ、なるほどなぁ』って思えるようになったの」

 何故、その話を自分にするのか。マキアスは何となくだが、エミナが言わんとしていることに察しが付いた。

 ――貴族。そして、ユーシス・アルバレアに対する評価は僕自身が作り出しているに過ぎない?

 そんな馬鹿な、と頭を振ってそんな思考を振り払う。

 貴族という存在は、平民を見下し、古ぼけた特権意識にしがみ付く、卑しく傲慢な存在でしかないはずだ。

 その見方が自身の思い込みに過ぎないと言われて、どうして信じることが出来るだろうか。

「……………………」

 マキアスは口を噤み、自問自答を繰り返した。その様子をエミナは静かに見守るだけだったが、エミナがふと立ち上がり言う。

「さっきの言葉だけど、どう解釈するのもマキアスの自由だからね」

 そう言ってエミナは夕飯の買い物をして帰ると、この場を去ろうとした。

「ま、待ってくれ!」

 マキアスは慌てて立ち上がり、エミナを引き止めた。

「その、1つだけ聞かせて貰えないか……君から見て、ユーシス・アルバレアという奴はどんな人間なんだ?」

「そうね……」

 エミナは暫し考えた後、マキアスの目を見据え、柔和な笑みを浮かべて答えた。

「――白鳥よ」

「は……」

 思わぬ答えが返ってきたため、マキアスは呆気に取られた。

 それを気にすることなく、エミナはキルシェを後にした。

 マキアスは彼女の後姿を、ただ呆然として見送った。

 すると、ブランドン商店に向かうと思われた後姿が、左手に転進。士官学院の方角に突然駆け出してしまった。

 その様子も含め、理解不能であり、脳内は混乱を極めた。

「ふう……」

 嘆息と共に腰を下ろす。すると、身体がどっと重くなった様に感じられた。

 目にも疲れが溜まっている様だったので、眼鏡を外して指先で目元を揉み解す。

 ――勉強のし過ぎ、だけではないよな……

 先程の会話が原因だろう。

 今まで積み重ねてきた価値観が揺さぶられる会話は、精神的に疲弊するに十分だった。

「…………」

 彼女の言葉を思い返す。

『世界にとっての事実は常に1つ。けれど、それをどう解釈するかは、君の立ち位置や価値観などによって左右される』

 確かに立ち位置やものの捉え方を変えれば、マキアスの中にある感情も別のものへと変わるのかもしれない。それでもマキアスは、貴族に対する嫌悪を――いや、怒りを捨てることは出来なかった。

「…………姉さん…………」

 空を仰ぎ、マキアスは1人呟く。

 気付けば空は、茜色に染まり始めていた。



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新世界の扉

<???>

「それで……例の場所はどんな様子なのよ?」
 目の前の彼女がその瞳を鋭くして私に問い掛けてくる。
「今はまだなにも……試練が始まった様子もないし」
「……そう」
 私の答えに彼女が目を伏せる。少しの間、何かを考えていたようだったが、突然その瞼を持ち上げ、こちらを見据えてくる。
「婆様の占い通りなら、候補者はあの学院にいるみたいだからその内試練は始まるでしょうけど……それ以前に」
 彼女がそこで言葉を区切り、私の目をじっと見詰めてくる。それだけで彼女が言わんとしていることが分かり、私は冷や汗を浮かべてしまう。
「だいたいの目星はついているけど……ごめんなさい。特定は出来てないの」
「はぁ~」
 彼女がやれやれといった様子で溜め息を溢した。
「そんな調子で本当に使命を全う出来るのかしらね?」
「それは……」
 私自身、自分の力不足を痛感しているだけに、他から指摘を受けると返す言葉がなかった。
「ともかく、アンタは候補者の特定を急ぎなさいよね」
「ええ、分かってるわ」
 なら良いけど、と言って彼女がこの場を去ろうとする。しかし、ふと立ち止まり、こちらを振り返った。
「話は変わるけど、例の彼らはどうなの?」
 随分と抽象的な質問ではあったが、長年連れ添っている彼女の意図はすぐに汲み取ることが出来た。
「そっちも何も。ごく普通に接してくれているし、もしかしたら気付いていないのかも」
「どうだか……彼らも裏の世界と関わりのある存在だし、私達の事を知っていても不思議じゃないのよ」
 彼女の言葉を聞き、私は彼らのことについて考える。
 神薙の一族。
 詳しくは知らされていないが、大崩壊以降、混迷の時代にて突如として現れ、裏社会で暗躍する悪しきものを討つ存在として私達の一族にて語られている。
 私達ほどではないにしろ、その存在を知る者は大陸広しと言えどごく一部に限られているとのことらしい。
 そしてその主流となる家系が――クラウザー家。
 私のクラスメイトである兄妹の姓が正にそれなのだ。
 妹であるリューネさんは養子であるが、レイルさん――先の特別オリエンテーリングにて神薙流剣術を以ってガーゴイルを屠った彼は、間違いなく彼の一族の末裔と見て然るべきだと思う。
 そして、彼の恋人であるエミナさん、そして彼等3人となにかと行動を共にするフィーちゃんは、恐らくある程度の事情にも通じていると考えて間違いはないはずだ。
「悪い人達では、ないと思うけど……」
「油断しちゃ駄目よ」
 彼女が私を諌める様にきっぱりと告げてくる。
「彼らの目的が分からない以上警戒するに越したことはないわ。それにあのレイルって男――桁外れの霊力だって気付いてるわよね?」
「……そうね。レイルさん程じゃないにしても他の3人も並の人とは比べ物にならないし、警戒するに越したことはない……けど、もし彼らが敵対しないなら――」
「任せるわ」
 彼女がこちらの言葉を遮ってくる。そして、再びこちらに背を向け、路地裏の闇の中へ溶け込んでいく。
「しっかりやりなさいよ――エマ」
 振り返ることなくそう言い残した彼女が私の視界から消えていくのを、私は黙したまま見送った。


<4月18日 近郊都市トリスタ>

 

 初の自由行動日とあり、トリスタの町は色めき立つ新入生を筆頭にかなりの賑わいを見せていた。

 そんな中レイルは1人、学生会館へと訪れていた。

 エミナとフィーとは先程まで一緒にいたが、彼女達はそれぞれ技術部と園芸部への見学に向かうため、学生会館前で別れた。

 そして、リューネは生徒会の手伝いをすると昨夜に聞かされており、今朝も早くからリィンと寮を出ていた。

 フィーとリューネ。血は繋がらずとも本当の妹のように接してきた彼女達が自分の手を離れ、己の意思で何かをしようとしている今、それを喜びこそすれ、阻むつもりはない。

 彼女達にはもっと広い世界を見て欲しい。ならば、今彼女達がしようとしていることこそ、レイルの望み通りに他ならなかった。

 ――それでも、寂しく感じるのは俺の我侭だよな。

 姉として慕われているエミナも同様に感じているだろうが、昨日2人してリューネへの過保護を反省したばかりである。今はただ、2人の成長を見守っていくだけだ。そう決めたところで、兄として多大な信頼を受けていたレイルとしては複雑な思いであった。

 しかしいつまでも思い悩んでいても仕方がないことなので、レイルは1度深呼吸をし、気持ちを切り替える。

 そうこうしている内に目的の場所まで辿り着いていた。

 学生会館の2階。階段を上がってすぐの部屋である。

 丁寧に3回ノックすると、暫くして中から女性の声が返ってきた。

「失礼します」

 扉を開けて中を窺うと、レイルの鼻腔を刺激するものがあった。

 長い年月と共に積み重ねてきた書籍独特の匂いである。

 部屋の両サイドに設けられた書棚にはギッシリと書籍が納められており、部屋の奥にあるテーブル上にも様々な本が積まれていた。

 図書館の書庫と同質の雰囲気に満ちたここは、文芸部の部室である。

「もしかして、見学の方ですか?」

 テーブルの向こう、詰まれた書籍の奥から眼鏡を掛けた女子生徒が顔を出してくる。

 腰まで伸びた黒髪をゴムで纏めた女子が、戸惑いを瞳に浮かべている。

 レイルは相手を不安がらせないよう、落ち着いた調子で答える。

「はい。お邪魔しても構いませんか?」

「え、ええ! 是非どうぞ」

 レイルが見学に来たと知ると、女子生徒が色めき立ち、レイルを招き入れた。

 話を聞けば、女子生徒はドロテといい、文芸部の部長とのことだった。

「こうして見学に来てくれて嬉しいです。今年は新入部員がゼロでしたので」

「そうなんですか?」

 トールズは文武両道を掲げているものの、士官学院という特色上、クラブ活動はどうしても文よりも武の方が盛んである。それを差し引いても、まさか新入部員がゼロだとは思ってもいなかった。

 しかも2年生も積極的に活動しているのはドロテぐらいで、他は部員はたまにしか顔を出さないらしい。

「……寂しい話ですね」

「そうなんですよ。古代より脈々と受け継がれてきた文学の系譜――士官学院だからこそ、そういったものにも精力的に取り組んで然るべきだとは思いませんか?」

「そうですね。軍人としては無用のものかもしれませんが、それ以前に人としての豊かさ――教養というのは蔑ろにして良いものではありませんよね」

「分かって頂けますか!?」

 レイルが同調すると、ドロテが目を輝かして身を乗り出してくる。

 周囲に話が合う人が少なかったと語ったドロテが、水を得た魚の如く饒舌になっていく。

 レイルにしても幼い頃から読書を嗜んできたのだが、彼も同等に語り合える存在が少なかったこともあり、自然と話に熱が込められていく。

 近年大流行した作品についての語り合いから始まり、中世の歴史考察を踏まえた作品などの見解を述べ合っていく。

「ふふ、私の話に付いて来て頂けるとは……レイルさんもかなりの読書家ですね」

「俺なんかはまだまだですよ。ドロテ部長こそ、どの作品もかなり読み込んでいらっしゃるみたいじゃないですか」

「それほどでも」

 ドロテは謙遜するが、その表情は柔和に綻んでおり、レイルとの話にかなりご満悦の様子であった。

 ただ、それはレイルも同様であり、鏡を見ずとも己の表情が満ち足りたものになっていると分かる。

 ――これは決まりだな。

 他のクラブも見学していたが、今ここで得た充足を勝るものはなかった。ゆえに、レイルは文芸部に入部すると心に決めたが、それを目の前の彼女に告げるより先に確認しておくことがあった。

「ところでドロテ部長。文芸部の活動は今みたいな作品についての評論がメインになってくるんですか?」

 レイルがそう尋ねるとドロテはばつが悪そうに、先にそちらを説明するべきでしたね、と言って居住まいを正した。

「基本的にうちの活動は作品評論のレポート作成や品評会のようなものも行っています。部員は私だけといっても過言ではないですが、たまにトマス教官が遊びに来られて、品評会はそのときに実施しています」

「トマス教官が」

 トマス・ライサンダー。

 歴史と文学を担当する教官で、専門分野の博識さはかなりのものであり、大半の生徒が彼の執り行う授業に惹き込まれるという噂である。しかし、授業という枠組みの外で彼の薀蓄語りが始まると何時間も拘束されるのが玉に瑕である。

「ってトマス教官のことはともかく……も、と言うことはそれ以外にも活動しているんですよね」

「はい。現在、文芸部の活動は作品制作を主軸にしているんですよ」

「へぇ!」

 レイルは思わず感嘆の声を漏らしていた。

 まさか作品制作をしているとまでは思ってもいなかったので、彼女から告げられた言葉がより一層レイルの好奇心を刺激していた。

「ということはドロテ部長の作品もあるんですよね?」

「はい。といっても、未熟な拙作ばかりですけど」

「それは、今この部室に?」

「そう、ですけど?」

 問いの意図が分からなかったのか、ドロテがきょとんとした表情で首を傾げている。

 そんな彼女に対し失礼とは思いつつも、レイルは湧き出る好奇心を抑えずに彼女へ告げる。

「その作品、読ませてもらって良いですか?」

 

 

「…………え?」

 ドロテは最初、目の前の彼が何を言ったのか理解出来ずにいた。

 頭の中で先程彼が言い放った言葉を反芻してみる。

 ――ソノサクヒン、ヨマセテモラッテイイデスカ?

 その作品、読ませてもらって良いですか?

 彼は間違いなくそう言ったはずだ。

 つまりそれは、

「ッ!!?」

 言葉の意味を理解した瞬間、ドロテは全身の血液が沸騰したかのような錯覚に見舞われた。だがそれはすぐに極寒の地に薄着で放り出されたかのような感覚へと変わる。

 ――そ、そんなの無理です!!

 ただの作品を見せると言うのであれば、彼女もまたそれ程抵抗を感じることはなかっただろうが、今この部室においてある彼女の作品に問題があった。

 長い間ほとんど1人で活動していたため、ドロテは自身の趣味である“とあるジャンル”の作品ばかり書いていたのである。

 ――あれを誰かに、特に男性に読まれるわけには!

 折角の見学者であるレイルにアレを読まれたら、彼が入部しないという可能性も考えられたので、尚のことドロテの抵抗感が強まっていく。

 ――そうだ!

 第2学生寮の自室に戻れば、ごく普通な作品も置いてあるのだ。レイルにはそれを読んでもらおうと決め、ドロテは立ち上がろうとしたが、

 ――取りに戻っている間に、ここにあるアレらを読まれては――!

 適当な理由を付けて、一緒に第2学生寮まで来てもらうという発想は今のドロテには思いつかず、彼女の混乱は増す一方であった。

 ――ど、どうすれば……

 ドロテは混乱の窮みに陥り、遂には頭を抱えてしまった。

「ドロテ部長」

 ドロテの様子をいぶかしんだのか、レイルが彼女に呼び掛ける。ドロテは恐る恐るレイルへと視線を向ける。

「読まれたくないのであれば、無理にとは言いませんよ」

「そ、それは……」

 ドロテにとって、それは救いの手だった。彼の言葉に乗じて、自分の作品を読ませない。それで解決する、はずだった。

「けど……それで良いんですか?」

「!?」

 曖昧な問い掛けだったが、ドロテには彼の言葉が心の奥底まで響き渡った。

 ――そう、ですよね……

 プロの作家ではないにしても、物語の紡ぎ手が、作り上げた作品をひた隠しにするなど本末転倒ではないか。

 他者に語り、読まれるために、物語は生み出されるのだ。

「…………レイルさんこそ、良いんですね? 私の作品は、特にその、男性には受け入れ難いものだと思いますよ」

「構いませんよ。これまでも様々なジャンルのものを読んできましたし――むしろどんなものが読めるのか楽しみですよ」

 そう言って笑みを浮かべるレイルを見て、ドロテは決心した。

 アレを読んだ結果、レイルが文芸部に入部しなくても構わない。

 これ以上、自分自身を偽るのは、終わりにしよう。

 心が決まれば、後は行動するのみである。

 ドロテは書棚から我流で装丁した原稿用紙の束を取り出し、レイルへと差し出した。

 不安は未だに心を覆っている。けど、これが彼女にとっての新しい1歩となった。

 

 

「は、はいっ!」

 エマが扉をノックすると、中から裏返った女性の声が返ってきた。

 自分のノックに驚いたのだろうかと怪訝に思いつつも、エマは目の前の扉を開く。

 中にいたのは長い黒髪をゴムで束ねた女子生徒と、もう1人。赤い制服を身に纏った銀髪の男子生徒――レイルがいた。

 女子生徒――恐らく先輩であろう彼女は何故かそわそわして、傍らにいる人物をちらちらと窺っている。その人物、レイルの方は手元にある紙面に真剣な面持ちで目を通している。

 ――えっと……

 まさかレイルがここにいるとは思っていなかったので、鼓動が一瞬跳ね上がるが、レイルの方はまだこちらを視界に捉えていなかったようなので、気付かれない内に平静を装う。

「えっと、見学の方ですか?」

 エマが呼吸を整えていると、女子生徒が落ち着かない様子で問い掛けてくる。

「は、はい。そうなんですけど」

 そう答えながら、レイルへと視線を向ける。女子生徒も同様に彼の様子を窺う。

 すると程なくして、レイルが原稿用紙の束を机に置き、そこでようやくエマへと視線を移した。

「よう、エマ。来ていたのは気付いていたけど、これに集中しちまってたよ」

 そう言ってレイルが手にしていたものを掲げてみせた。

「それは?」

「先輩が書いた作品だよ」

 レイルの傍らで女子生徒が畏まって身を縮めていた。

 レイルが喋り出したことで部屋の中の緊張感が和らぎ、エマはレイルの言う先輩――ドロテより椅子を勧められたので、お言葉に甘えることにした。

「それで……ど、どうでしたか?」

 ドロテが緊張の面持ちでレイルに尋ねていた。

 詳しい経緯は分からないが、レイルが読んでいた作品について感想を求めているようであった。

「そうですね……」

 問われたレイルは、目を閉じて作品の内容を振り返っているようだった。

「最初は身分が違う少年達の友情物語かなと読んでいたんですけど、途中からは……衝撃を受けました」

「ッ!」

 レイルの言葉を聞いたドロテが全身を硬直させる。俯きがちなその顔には冷や汗が浮かんでいる。

 エマは彼女の様子を疑問を覚えるが、状況を把握しきれていない今、自分が口を挟むべきではないと思い、レイルの次の言葉を待った。

「王国騎士団に所属する貴族のユージーンとかつて騎士団に所属していたが離反した平民のシモン。幼い頃からの親友である2人が、互いの信念のために道を分かつ。互いに譲れぬもののため、2人は剣を取る。そして対立する中、2人は自身の気持ちに気付くわけですね」

「…………はい」

 ドロテがか細い声で頷く。その表情は全身の血が集まっているのかと思わせる程、真っ赤に染まっていた。

「過ぎ去りし日に交わした約束。貴族と平民の確執。王国に渦巻く陰謀。様々な要素が絡み合い、2人の愛を加速させていく。とても、感動しました」

「!?」

「……………………はい?」

 レイルの感想にドロテはバッと面を上げた。まるで予想外のコメントに驚いているようだった。

 そしてエマも、レイルの言葉に思考が停止してしまい、再起動するのに時間を要してしまった。

 ――レイルさんは今何と?

 2人の愛を加速させていく。

 エマは、ユージーンとシモンはどちらも男性だと思っていた。名前からして男性のそれであるし、先程レイルは『身分違いの少年達』と言っていたので、それは間違いないと思っていた。

 けど、愛?

 いや、とエマは頭を振った。

 きっと自分の勘違いで、愛は愛でも友愛の類だろうと思うことにした。しかし、

「貴族と平民という身分の差に葛藤することに加え、男性同士という背徳に懊悩する2人。その心情の描かれ方がとても丁寧で、思わず話にのめり込んでいましたよ」

 というレイルのセリフにエマの一縷の望みは打ち砕かれてしまった。

 つまり、レイルが読んだドロテの作品というのは、男性同士の愛を綴った物語ということである。

 ――えっと……

 自分は来る場所を間違えたのではないか、とエマの脳裏に疑念が過ぎった。

 昔から本を読むことが好きで、文芸部という環境はエマにとって願ってもないものだと思っていた。

 しかしいざ来てみれば、そこは自分の知らない混沌の巣窟のように感じられた。

 ここは危険だと、エマの本能が警鐘を鳴らしている。ここにいると、自分はもう後戻り出来ない深淵へと堕ちてしまうだろう、と。

 レイルがここに入部すれば、探りを入れるのにも丁度良いと思ったのだが、それに伴う代償が割に合わないと感じられた。

 ならば、ここは撤退するのみ――

「エマも読んでみたらどうだ?」

「ひゃい!?」

 突然話を振られ、機先を封じられたエマは素っ頓狂な声を出してしまった。

 だが、レイルはそんなエマの様子を気にした風もなく、手にした書籍を差し出してくる。

「確かに万人受けする話じゃないかもしれないけど、かなりのクオリティーだと思うぞ」

「は、はぁ……」

 エマは差し出された書籍とレイルの顔を交互に見遣る。そのついでにドロテの様子を窺うと、先程同様に顔を紅潮させていたが、その原因は羞恥というより興奮と呼べるものだった。

 どうやら、この本を読むまで自分が解放されることはない。そう悟ったエマは渋々ドロテの作品を受け取った。

 

 

 夕暮れ時。

 エマは未だ冷めぬ頬の火照りを隠すかのように、俯きがちに歩いていた。

 場所は正門を抜けたところ、士官学院とトリスタの町を繋ぐ坂道。そして隣には満足げな笑みを浮かべているレイルだった。

 あれからエマはレイルとドロテが見守る中、ドロテの作品を読まされることになった。

 結論だけ述べると……面白かったのである。

 男性同士の恋愛とあって、エマは顔を真っ赤に染めながら読み進めていたのだが、徐々に作品そのものの出来に感嘆し、続きが気になって仕方がなかったのだ。

 読み終わる頃には作品世界の中に没頭してしまっていた。

 そのことを素直に告げると、作者であるドロテだけでなくレイルも嬉しそうな表情を浮かべていた。

 男性同士のそれに関心を覚えたわけではないので、そこはしっかりと否定したが、あれだけの作品を作り上げるドロテ――そして文芸部に対する興味が湧いたのは確かだった。

 結果、レイルの誘いもあり、エマは文芸部に所属することになった。

「それにしても……レイルさんがあのようなものに興味があるだなんて思いもしませんでした」

 エマがそう言うと、レイルは一瞬何のことを言われているのか理解出来ていない様子だった。しかし、すぐにはっと目を見開くと、慌てて弁解してくる。

「ちょっと待ってくれ! 別に俺は男色趣味じゃないからな」

「本当ですか? それにしては随分熱く語られていましたよね」

「それは、ドロテ部長の作品が面白かったからで……決して他意はないからな」

 エマが悪戯っぽく茶化すと、レイルがぶすっとした表情で睨んでくる。

 その様子が妙に子供っぽくて、エマはつい堪えきれずに笑ってしまった。

「な、笑うなよ」

「ふふっ……ごめんなさい」

「ったく…………良かった」

「え?」

 不意に、レイルが溢した言葉にエマは驚いてしまった。彼の言葉の意味が理解出来ず、溢れ出ていた笑いが一瞬で引き去ってしまう。

 レイルの真意が分からぬまま、エマは隣の彼を振り仰ぐ。

「エマって、俺の前だと他の皆といるとき以上に……何て言うか、構えてる? って感じだったからさ」

「そ、そうでしょうか?」

 突然の指摘を受け、エマは手の平に嫌な汗が浮かぶのを感じた。

 確かに、レイルに対して警戒心を抱いていたのは間違いないが、なるべく自然を装ってきたつもりだった。

 だが、目の前の彼にそれは通じなかったようだ。

 他と同じように接してきたつもりだったが、こちらの警戒を悟られてしまっていた。

 そして今、彼はこちらに探りを入れてきている……のだと思う。

 偶然か、あるいは作為的にか、周囲に2人以外の人影はない。

 ――不味いですね……

 彼がエマにとってどのような立ち位置にいるか分からない以上、今の状況は決して良いものとは言えなかった。

 エマの身体に緊張が走る。

「いや~、もしかして知らない内に嫌な思いでもさせてたかなぁ、って不安だったんだけど、どうやらそうじゃないみたいで安心したよ」

「……………………」

 ――はい?

 安堵の表情でレイルがそのようなこと言ってきた。

 想像していたものと全く異なるそれは、エマにとって完全なる不意打ちだった。

 しかし、いつまでも呆けていては怪しまれるので、エマは持てる頭脳を駆使して、どうにか取り繕った。

「嫌な思いだなんてしてませんよ? …………ただ、エミナさんとの、その仲睦まじい様子を見せられると、どう接したものかと」

「あー、アレが原因かぁ」

 アレ、というのは恐らく、以前に行ったお茶会での出来事を指しているのだろうと思った。

 やっぱりやり過ぎだったかな、と独り言を呟いているレイルを傍目に、エマはほっと一息を吐いた。

 ――な、なんとか誤魔化せました。

 レイルが勝手に勘違いしてくれたというのが大きいが、どうにか詮索されずに済ますことが出来た。

 どうやら、彼に対する警戒心は杞憂のようであったみたいだ。

 なんて彼女に報告すると、甘い! と叱られるだろうが、一先ずは安心して良いのかもしれなかった。

「あら?」

 緊張と共に流れた時間が終わり、気付けばエマとレイルは坂を下り終えていた。

 そしてエマは前方に見知った人影を捉えた。

 赤い制服を纏う3人組。

「リィンさんとアリサさん、それにリューネちゃんですよね」

「あいつらも今から帰りかな……おー――」

「あ――」

 少し離れていたので、レイルが大声で3人に呼び掛けようとしていたが、その動作が途中で停止した。

 それはエマも同じで、目の前の3人――正しくはリィンの行動に視線を釘付けにしていた。

 どういう経緯かは知らないが、突然、リィンがリューネの頭を撫でたのである。

 はっきりとは分からないが、リューネは少し照れくさそうに、そしてアリサは愕然としているように見受けられた。

 そして、隣にいるレイルは――

「ひっ!?」

 まるで鬼のような形相で前方を睨み付けていた。

 先程のじゃれ合いの中で浮かべたものとは比べようがないまでに凄まじい剣幕だった。

 人という存在は、これほどまでの形相を浮かべることが出来るのかと、エマはこのとき初めて知った。

 すると、レイルが何の初動もなく、凄まじいスピードで駆け出していった。

「レイルさん!?」

 止める間もなく、レイルがリィン達との距離を詰めていく。

 接触まで数瞬というところで、エマは気付いた。

 リィン達の向こう側から朱色の髪を振り乱した女性が駆けてくるのを。

 ――あれは、エミナさん!?

 彼女が向かってくる様子は、レイルのそれと同様であり、ただ一点を睨んでいた。

 睨まれた対象――リィンがようやく2人の接近に気付いた。

 だが、既に手遅れだった。

 避けることも防ぐことも叶わぬまま、得物を狩るために放たれた挟撃がリィンを襲い、どういう物理法則が働いたのか、彼の身体が数アージュ上空へと弾き飛ばされていた。

 上空で何回転もしたリィンが地面へと叩きつけられる。

 なおも追い討ちを掛けようとするレイルとエミナを、リューネとアリサが必死で止めているようだった。

「あ、はは……」

 エマは苦笑いを浮かべ、すぐに治療が出来るようにARCUSを起動させながら、彼らへと近付いていった。



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夕暮れに集う

<4月18日 近郊都市トリスタ>

 

「なんだか凄いことになっちゃったね」

「そうだな」

 エリオットが苦笑を漏らすと、ガイウスが相槌を打った。

 それにつられて、リィンは先程経験した事態を思い返していた。

 旧校舎地下。半月程前にも特別オリエンテーリングで訪れたそこで起こった異変――それは、内装が変わった、などというレベルを遥かに超えるものだった。

 ――内部構造が、明らかに変わっていた。

 石の魔獣と戦った広間はその大きさが半減していたし、散々探索した迷宮部も内部構造が全くの別物へと変じていた。

 最早人智を超えた事態と呼べる状況を前に、リィン達は愕然とした思いを抱かざるを得なかった。

「けど、腕試しにはちょうど良い感じだったし、大きな問題がないようなら今後も調査を続けようと思うんだが」

 学院長からは調査の継続に関してはこちらの裁量に任せると言われ、サラの方でも調査を行うと言っていたので、無理にリィン達が調査を続ける義務はなかった。

 それでも乗りかかった船でもあったし、何より旧校舎の謎が気掛かりということもあり、リィンは3人へと自らの意思を表明した。

「ああ。その時には声を掛けてくれ。協力させてもらおう」

「うぅ……ちょっと怖いけど、これも訓練だと思って僕も協力するよ」

「そう、ですね……」

 ガイウスとエリオットがそれぞれ同意を示してくれる中、リューネだけはどこか上の空、といった返事があるだけだった。

「どうかしたのか?」

「あ、いえ……何でもないですよ」

 迷宮部の奥で遭遇した魔獣との戦いでけがをしたのかと思ったが、どうやらそういうことではないらしい。

「ふむ。疲れが出たのかもしれないな」

「無理しちゃ駄目だよ?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 ガイウスとエリオットから心配されると、リューネが微笑みを浮かべて礼を述べていた。

 その後、部活動に戻るエリオットとガイウスを見送ると、リィンは隣を歩くリューネの様子を窺った。

 彼女の表情は何かを考え込んでいる、といった感じだった。それが妙に気になったリィンは、単刀直入に疑問を投げかけた。

「旧校舎のことで、何か気掛かりでもあるのか?」

「えっと……」

 問われたリューネが視線を泳がせている。だが、少しすると、しっかりとリィンの目を見据えて、返事を送ってきた。

「はい……と言っても、何がどう気になるのかと訊かれると、説明が難しいんですけど」

 旧校舎からは不思議な感じがする、とリューネは溢した。

 あれだけの異変を目の当たりにした今、リィンも首を縦に振らざるを得なかった。

「確かガイウスも旧校舎に入った途端、妙な風を感じるとか言っていたな」

「そうですね。けどガイウスさんもそれが何なのかは分からなかったみたいですが」

 旧校舎には“何か”があるのは間違いなかった。

 しかし、それが“何か”なのかは、今のリィン達では答えようがなかった。

「これ以上考えても、仕方がないか。……これからどうする? さっきので今日の依頼は全部終わらせたが」

「そうですね……まだ時間もありますし、校内や町を回って何か手伝えることを探してみませんか?」

「俺はそれでも構わないが……大丈夫か?」

 朝から動き回っていたので、疲労が溜まっていないかと心配したが、リューネは先程までの様子と打って変わって輝かんばかりの笑顔で答えた。

「大丈夫ですよ! あ、リィンさんこそ大丈夫ですか?」

 正直少し疲れを感じてはいたが、年下の少女に気遣われた挙句、みっともない弱音を吐く、などリィンには考えられなかった。

 ――負けてられないな。

 つい昨日まで、一緒に部活動をどうするか悩んでいたリューネがまるで水を得た魚の如く活き活きとしている。本来の目的から逸れてはいるのだが、それでも何かを成そうと意欲的になっている彼女を見習おうという思いを強くし、リィンはリューネに力強く頷いてみせた。

 

 

 純白の花弁で街中を彩っていたライノの花。

 その花吹雪はさながら、春先に舞い踊る雪の精と比喩されるほどである。

 しかし、美しいがゆえにその栄華の期間は極めて短い。

 半月前に執り行われたトールズ士官学院での入学式。その頃はまさに満開であったライノの花も、今ではその半数以上を散らしてしまっていた。

かつては見事なまでに咲き誇っていた樹木の下。敷地内を白く染める花弁を箒で集めながら用務員のガイラーは寂寥を感じていた。

 来年になればまた拝むことが出来ると思っていても、美しいものが消え行く様には寂しさを禁じ得なかった。

 ――それだけでは、ないのだろう。

 この時期特有の感覚がガイラーの心中に寒風を吹きつける。

 新入生が学院に馴染み始めるこの時期。彼らの中に、一月前まで親しんだ者達の面影を探してしまっている。

 もう彼らはここから巣立ったのだと言い聞かせても、何度同じ経験を積み重ねようとも。

 ――慣れないものだ。

「ふぅ……」

 掃き掃除が一段落したところで、思わず溜息が漏れ出てしまう。

 それは仕事を終えた後の疲労感から来るものからなのか、心労からくるものからなのかは不明だったが、どちらにしても自分は疲れているのだという結論に至った。

 今日は早目に切り上げて、ゆっくり休むことにしよう。

 そう決めて掃除用具を片付けていると、背後に人の気配を感じた。

 振り返るとそこには、深紅の制服を纏った男女がそこにいた。

 

 

「はぁ~…………」

 夕暮れに染まり始めたグラウンドでアリサは盛大な溜め息を漏らした。

 初の自由行動日。アリサはラクロス部に所属することにし、今日から早速活動に参加することになった。

 活動内容は士官学院ということもあり、それなりにハードな練習ではあったが、それでもぐったりと疲弊する程ではなかった。むしろ程よい疲労感があって清々しいはずであった。

 しかし、現在自身が置かれた状況のせいで、折角の充足感が台無しになっていた。

 ――あの貴族の子……

 脳裏に浮かぶのは、一緒に練習に臨んでいたフェリス・フロラルドという女生徒の姿だ。伯爵家のご令嬢とのことだったが、高飛車で練習の最中もことあるごとにアリサに突っかかってきたのである。

 それに関しては、アリサにとっては想定の範囲内だった。

貴族と平民の軋轢。帝国に根付くその問題を考えれば、彼女の態度も許容出来ずとも受け流すことは可能だった。

 だが、最後の最後でアリサは頭に来てしまった。

 今日の練習が終わり、先輩であるエミリーとテレジアから用具類の片付けを任されたのだが、フェリスは先輩達が居なくなると片付けを放り出して帰ろうとしたのだ。

 流石にアリサもカチンと来てしまい、きつい口調でフェリスを呼び止めたのだが、結果は今ここに居るのがアリサだけだということが答えである。

 ――なにが『片付けなど貴族のすることではありませんでしょう?』よ!?

 フェリスが去り際に残していったセリフを思い出してしまい、折角静まっていた怒りが再沸する。

「はぁ…………」

 そして再び溜め息が口をつく。

 捨て台詞に面食らって捕り逃してしまった以上、自分1人で片付けを済ませてしまわないといけないし、ここで怒っていても片付けが終わるわけではない。

 フェリスのことは、今は保留にし、目の前のことに集中する。

「さてと、早く終わらせましょう」

 誰とはなしに言葉が漏れ出る。

 実際、のんびりしていたらあっという間に日が暮れてしまうだろう。

「大丈夫ですか、アリサさん?」

「片付け、大変そうだな」

 ふと、背後から声を掛けられる。

 聞き覚えのある声に振り返るとそこには、それぞれの深紅の制服を小脇に抱えたリューネとリィンがいた。

「あなた達……どうして」

 確かこの2人は、生徒会の手伝いであちこち走り回っていたはずだ。その二人がどうしてここに来たのかとアリサは言外に尋ねた。

「用務員のガイラーさんに聞いてきたんだ。アリサが1人で片付けをしてるってさ」

「私達の用事はもう済みましたし、お手伝いさせてください」

 そう言う間にも2人はグラウンド脇にある芝生の上に制服を置き、シャツを腕まくりしている。

 正直、その申し出は大変ありがたいものだった。しかし、部に所属していない彼らに手伝わせるというのはしのびなかった。

「そんな、良いわよ……あなた達も疲れているでしょう?」

 どんなことをしてきたかは知らないが、見たところ2人の姿は何故か薄汚れており、手の甲などに擦り傷らしきものが見受けられた。それに気付いてしまうと、尚更手伝ってもらうわけにはいかないと、アリサは思ってしまった。

「それはそうだが……」

「だったら」

「けど、女の子が困っているのを見過ごすわけにはいかないしさ」

「なっ――!?」

 リィンの直截な物言いに、アリサは顔に血が集まってくるのを感じた。

 ――って、何を動揺してるのよ!?

 頬が真っ赤に染まっているだろうが、それは夕暮れが隠してくれていると願い、アリサは努めて平静を装った。

「そ、そう? それならお願い、しようかしら」

「任せてください!」

 鷹揚に頷くリューネの姿が、今のアリサには何よりもありがたかった。

 

 

 用務員室の施錠を確認し、ガイラーは帰路についた。

 一日の仕事を終え、身体は疲れているはずなのに、心は年甲斐もなく弾んでいた。そこには先刻まで感じていた寂寥などなく、あるのは胸を熱くするものだった。

 それはささやかな出会いがもたらしたものだ。

 深紅の制服を纏った新入生。

 今年から設立された特科クラスⅦ組に所属する2人との邂逅が、ガイラーの沈んだ心を引き上げたのだった。

 特に何かをしてもらったわけではない。

 生徒会の手伝いの一環として何かやれることはないかと尋ねられただけだ。

 会話にすれば一分にも満たない時間だっただろう。

 それでもガイラーは2人の姿に目を奪われていた。

 薄汚れた制服。所々見え隠れする傷跡。滲む汗。そして充足を得たかのような表情。

 それらを見た瞬間。ガイラーの胸中に立ち込める霧は掻き消されてしまっていた。

 懸命に何かを成そうとするその姿が眩しく、そして尊いものに感じられたからだ。

 失ったものは確かにある。けれど、新しく得たものもある。

 その初々しい輝きは、年老いてきた肉体に活力を与えてくれる。

 それに失ったものがあるからといって、失ったものの輝きまではなくなってはいない。

 ならば、悲嘆に暮れる必要などない。

 そんなこと分かっていたはずだ。

 それでも繰り返される別れの方に意識が入ってしまうのは年を取った証拠だろうか、と苦笑を浮かべる。

「おや?」

 思索に耽りながら校舎を出ると、前方に先程目にした者達の後姿を捉えた。

 先程と違うのはそこに金髪の少女の姿が加わっていることだ。

 ここからでは会話の内容は聞き取れないが、時折見える横顔は笑顔で溢れていた。

 ――ああ、そうだ。

 この時期特有の光景は、過去への哀愁だけではない。

 出会ったばかりの者達が結んでいく絆の数々。

 そんな輝かしい光景を忘れていたとはなんたることだ。

 大切なことを忘れていたと、ガイラーは反省した。

 彼らの道行きは決して楽なものではないだろう。

 仲違いすることもあるだろうし、巨大な壁にぶつかることもあるだろう。

 それでも今は、力の限りその青春を謳歌して欲しいと願う。

 そして、眼前の光景に目を細め、ガイラーはそっと呟いた。

「実にいいね」

 

 

 ラクロス部の片付けを終えた後、リィンとリューネはアリサの着替えを待ち、連れ立って学院を後にした。

 そしてこのまま寮に向かうつもりだったのだが、アリサの提案によりキルシェに向かう段取りとなっていた。まだ夕食には早いし、軽食でも摘んでいこうか、という流れである。

「でも、本当に良いのか?」

「もう、良いって言っているでしょう」

 リィンは何度目になるかも分からない確認を行っていた。

 キルシェに行くのは問題ないが、アリサの奢りに引け目を感じているのだ。それは隣を歩くリューネも同様だが、アリサは頑として譲ろうとはしなかった。

 アリサ曰く、手伝ってもらったのにお礼をしないのは流儀に反する、とのことだ。

 お礼目当てで手伝ったわけではないので、それとなく断ろうとしたのだが、それだと彼女の気が収まらないらしい。

 これ以上は反感を買うだけだと判断し、素直にアリサの厚意に甘えることにした。

「それで、あなた達は今日一日どんなことをしていたの?」

 学院とトリスタを繋ぐ坂道の中腹辺りでアリサがこちらに話題を振ってきた。

 Ⅶ組のメンバーには生徒会を手伝う旨を伝えていたので、そのことについて訊かれたのだと判断し、リィンは簡潔に今日こなした依頼について説明した。

 途中までは何故か苦笑いを浮かべていたアリサだったが、旧校舎の件になるとその表情を一変させた。

「…………構造が変化する地下迷宮、ね」

「はい。間違いなく以前の迷宮区画とは別物でした」

 アリサの呟きに、リューネが補足するように頷く。

 アリサは暫く黙考していたが、肩を落として嘆息する。

 リィン達同様に、考えても答えが出ないと結論付けたようであった。

「判断材料が少な過ぎるし、今の段階でどうこう言えないわね。……で、旧校舎の調査は今後も続けるのよね?」

「ああ、そのつもりだ」

 リィンが即答すると、アリサは意を決するかのように頷くと、リィンとリューネの前に回りこみ、2人に向き直る。

「だったら、今度からは私も呼んでちょうだい」

「良いんですか?」

 リューネが問うと、アリサは勿論と力強く頷いて見せた。

「クラスメイトとして協力を惜しむつもりはないわ。それに立場上気になるってのもあるし」

「アリサの、立場?」

「どういうことですか?」

 アリサが溢した言葉が引っ掛かり、リィンとリューネは顔を見合わせて首を捻った。

 するとアリサはしまった、という風に視線を泳がせている。

 言い難いことなら詮索するつもりはない、とリィンが伝えようとしたが、その前にアリサの方から話題を逸らされた。

「そ、それにしても良かったわね、貴方達」

「え?」

「どういうことですか?」

 アリサの言っている意味が理解出来ず、再度首を傾げる2人。

 それを見たアリサも自身の言葉足らずを察し、言葉を足してくる。

「昨日までどこのクラブに所属しようか凄く悩んでいたでしょ? 正式に生徒会に入ったわけじゃないにしても、取り敢えずの方針は決まったみたいだし」

 だから良かった、と言うことだろう。

「それに今の貴方達、とても良い顔してるわよ」

 そう付け加えて、アリサが笑みを浮かべている。

 言われてみても自分が今どんな顔をしているかは分からない。けど、今日の手伝いの中で充実を得られたというのならば、ここに来て良かったと思わせてくれる。例え、より大きな悩みを未だ抱えているとしても、である。

 ――けど……

「リューネはともかく、俺も悩んでいるってよく気が付いたな」

 リューネはⅦ組の皆に相談していたぐらいだから当然だとしても、リィンがそのことを打ち明けたのは昨日の放課後が初めてだったのだ。

 何故彼女に自身の悩みの一端を知られていたのだろう、と疑問に思ったときには、言葉を口にしていた。

「なっ――! べ、別にあなたのことを見てたわけでもなにか悩んでるのかなぁとかたまに表情が翳るときがあるけどどうしたのかななんて気になっていたわけじゃないわよ!?」

「そ、そうか……」

 あまりの勢いにリィンは気圧されてしまう。アリサもそこで勢い込んでいることに気付いたのかわざとらしく咳払いをしていた。

 結局、疑問への答えを得ることはなかった。そして、隣を歩くリューネが妙にニコニコしているのが気に掛かった。

「どうかしたのか?」

「あ、いえ……」

 一瞬、リューネの視線がアリサに向けられたが、すぐにリィンへと戻される。

「今日のことを思い返していて……やりたいことの方向性が見えてきたのが嬉しくて」

 

 

 生徒会の手伝いとして任された依頼をこなすたびに、依頼者から向けられる感謝の言葉。

 ありがとう。

 ありふれたその言葉は――ある人から教えられるまで聞き馴染みのなかったその言葉は、リューネの心を熱くさせた。

 初めて聞いたときはただただ戸惑うばかりだった。

 それがいつしか心に馴染み始めて、聞くと嬉しくなった。

 そして今日、自分が成したことで向けられる感謝の言葉に、その“嬉しさ”が大きくなっていくのを感じた。

 日常的にはおぼろげに感じていたそれは、今日の経験で少しだがその輪郭が露になったと思う。

 きっとその先に、自分のしたいことがあるのだと感じられる。

 ――だから。

「私、生徒会に入ろうと思います」

 突然の決意表明に、リィンとアリサが面食らったかのような表情になる。

 だが、すぐにそれぞれに優しい笑みを浮かべてくれた。

「良いんじゃないかしら」

「ああ。……偉いな、リューネは」

 そして、リィンが近寄ってくると、不意に頭をそっと撫でられる。

「あ……」

「ちょっ!?」

 突然のことに反応が遅れてしまう。

 だが、頭を撫でる手付きはとても優しく、リューネは一切の嫌悪を抱くことはなかった。

 大きくて温かみのある男性の手。

 レイルとは少し違っているが、リューネは言いようのない心地よさを感じていた。

 だが、それも束の間。アリサがリィンに怒鳴ったことで終わってしまった。

「ちょっとリィン! あ、貴方何をしてるよの!?」

「何って……どうかしたのか?」

「どうかしたかって貴方……そんな軽々しく女の子の頭を撫でるもんじゃないわよ!」

「あ……そうか、そうだな。妹にもこうしてたから、つい」

「つい、って……まったく――」

 尚も言い募ろうとするアリサだったが、リューネにはその言葉を聞き終えることが出来なかった。

「え?」

 リューネの視界にこちらへ急接近するエミナが映った。それも見たこともない形相である。

 ――な、なに!?

 疑問に思うも答えはなく、その姿は瞬く間に近付いてくる。

 そして、背後からも同距離に気配を感じた。

 ――これは、お兄ちゃん!?

 何故2人が凄まじい速度でこちらに迫っているのかが分からなかった。

 混乱する頭で状況を把握しようとするが、2人の速度がその時間を与えなかった。

 リューネに出来たのは目の前の光景を見守ることだけだった。

 レイルの腕がリィンの首を刈り取るように、上段から斜めの軌跡を描いて振り抜かれる。

 それと同じタイミングでエミナの拳がリィンの腹部を下方から突き上げる。

 見事なまでのコンビネーション。

 そして、物理法則が生み出した奇跡が、リィンの身体を上空へと跳ね飛ばした。

 上空にて綺麗な円を描いていたリィンは、やがて重力に引かれて地に墜ちてくる。

 僅か数秒で起きた出来事に呆然としていたリューネだが、正気を取り戻すと地に伏したリィンへと駆け寄った。

 

 

「ふぅ」

 水泳部の活動を終え、ラウラはギムナジウムを後にした。

 アルゼイド流の剣士として、部活動も剣に触れられるものを、と考えもしたのだが、師である父の教えもあり、剣から離れる部活動を選ぶことにしたのである。

 元より湖畔の町レグラムで育ったラウラは、剣術に等しく泳ぎに慣れ親しんでいたのである。そういう意味では水泳部はラウラにとってうってつけの場と言える。

 事実、今日の活動だけでも大いに刺激を受けたので、ラウラは自身の選択に間違いはなかったと確信する。

「ん?」

 手応えを感じながら、中庭を横切ろうとしたら、視界の片隅に見知った姿を捉えた。

 フィーだ。

 彼女はギムナジウムの裏手にある花壇の前で屈みこんでいた。

「フィー?」

「あ、ラウラ。やほー」

 ラウラの呼び掛けに反応したフィーが気の抜けた返事を返してくる。

 その姿は至る所が土埃で汚れていた。そして手にはスコップが握られている。

「もしや、その花壇はそなたが?」

 ラウラはフィーの眼前にある花壇を指し示して訪ねる。他の花壇には名前も分からないような花や野菜などが植えられていたが、フィーの前にあるそこには、まだ花らしい花は見当たらない。恐らく種を植えたばかりなのだろう。

「そ。園芸部に入ったからね」

 どこか誇らしげにVサインで応じるフィーに対し、ラウラは自分の認識を改めていた。

 出会って半月ほどであるが、フィーという少女はまるで猫のような自由奔放とした存在だと思っていたのだ。そんな彼女と植物の世話とが結びつかず、正直面食らった次第である。

「ラウラはもう帰るの?」

「あぁ、そうだが……そなたは?」

「今、終わったところ。すぐ片付けるから一緒に帰ろ」

 そう言ってテキパキと道具類を片していく。

 その様子を見ながら、ラウラは更に自分のフィー像を書き換えていく。

 飄々として表情に乏しいきらいがあるが、フィーは人懐っこい側面を持っている。

 ――猫のようであり、そうではない……不思議な少女だ。

 勿論、彼女は人間なので猫と全く同じ生態をしているわけではないのだが、どうしてもイメージと実際とにズレを感じてしまう。

 それは印象や先入観に囚われている証拠だと、己の未熟さを内心で叱責する。

 そうこうしている内に、フィーの準備も整ったらしい。

「お待たせ。……どうかした?」

「いや、何でもない」

 頭を振って、雑念を振り払う。

 帰り道は不思議と会話が尽きることはなかった。

 ラウラ自身口下手というのもあるが、フィーも物静かなタイプである。だが、何も考えていないように見せかけて色々と考えている節が垣間見えたり、植物――特に花に関しては博識とまではいかないまでも中々の知識量であったり、軽く話を振ってみるだけでも話題に事欠くことはなかった。

「む?」

「おや?」

「あ、ユーシスだ」

 話に身が入っていたため、図書館から出てきたユーシスに気付くのが遅れてしまった。

「そなたも今から帰るのか?」

「ああ」

「なら一緒に行こ」

「……好きにしろ」

 ユーシスが素っ気無く返すと、先を歩き出した。だがその歩調はラウラ達を突き放すようなものではなく、ゆったりとしたものだった。

「あれ?」

「奇遇だな」

 校門に差し掛かったところで背後から声が掛かる。振り向くとそこにはエリオットとガイウスの姿が見受けられた。

 どういった偶然なのか、次々とⅦ組のメンバーが集まり始めていた。

「この調子だと寮までに全員集合とかしちゃったりして」

「それはそれで面白いかもしれぬな」

「さて、どうだろうな」

「ハッ、流石にそれはないだろう」

「賭けてみる?」

 などと他愛もない会話を続けていると、ふとガイウスが口元を緩めたのにラウラは気付いた。

「どうしたのだ?」

「これも女神と風の導きなのだろうな」

 ガイウスが意味深なことを言うに対し、他の4人は首を傾げるばかりだった。

 だが、彼の言わんとしていることは程なくして理解出来た。

 前方。未だ遠く離れてはいるが、Ⅶ組を示す深紅の制服が目に留まったのだ。

 距離があるので誰がいるかは分からないが、恐らく5~6人はいるように見える。

「あはは、本当に集まっちゃうかもね」

「……フン」

 エリオットが楽しそうに笑うのに対し、ユーシスは面倒そうに鼻を鳴らしていた。

 そのやり取りに笑みを浮かべながら見守っていたラウラだったが、徐々に鮮明になってくる級友達の姿に疑問を抱かざるを得なかった。

 ――何をやっているのだ?

 不思議に思ったのは自分だけでなく他のメンバーも首を傾げていた。

 トリスタを横断する川に架けられた橋の上。そこにいるのは正座させられているレイルとエミナに、それを叱っているかのようなリューネとアリサ。その傍らでぐったりしているリィンを介抱しているエマの6人であった。

 益々状況が分からない。

「そなた達、何をやっているのだ?」

 考えても仕方がないので、ラウラは他を代表して彼らに尋ねてみたのだった。

 

 

 レイルとエミナによる弁明とリューネとアリサによる非難の声が飛び交っていたが、エマによって話が纏められ、フィーはようやく状況を把握することが出来た。

「2人共過保護が過ぎる」

『返す言葉もございません』

 フィーの呟きに対し、未だ正座のままという醜態を晒しているレイルとエミナが口を揃えて反省の意を示してくる。

「……本当に反省してる?」

『してるしてる!』

 リューネの静かな問い掛けに、2人が大げさに頷いてみせた。

 それを受けて頬を膨らませていたリューネは仕方ないなという表情を浮かべた。

 2人の犯行がやり過ぎだったとはいえ、根底にあるのがリューネを守ろうとするものだったので、彼女も怒るに怒りきれないのだろう。

「今回は俺の軽率な行動が原因だし、もう良いんじゃないか?」

 と、被害者のリィンもそう言ったことで、ようやく2人が正座から解放される。

「そういや、ほとんど揃ってるな」

 脚を擦りながらレイルが確認すると、この場にいないⅦ組メンバーはマキアスだけであった。

「あ、だったら折角だし」

 エミナが両手を打ち合わせて、提案してくる。

「キルシェで夕飯にしない? マキアスもまだいるだろうし」

 それを聞いて、フィーだけでなくその場にいた1人を除いて誰もが一点に視線を集中させる。

「…………フン」

 全員から注視され、不機嫌そうに嘆息するユーシス。

「俺は別に構わん。が、奴が同席を善しとするかは知ったことではない」

 とりあえずの満場一致を得て、一同はキルシェへと向かった。

 

 

 エミナが店を後にして30分が過ぎた頃。

 そして彼女が他のⅦ組メンバーを引き連れて戻ってきて10分が経過した頃。

 マキアスは目の前の光景に眉根を寄せていた。

「マキアスってば眉間に皴出来てるわよ」

「む……」

 エミナに指摘され眉間を揉み解すが、正直元に戻っているとは思えなかった。

 それだけ現状がマキアスにとって受け入れがたいものだったのである。

 ――何故僕があいつと一緒に夕食を――!

 視線の先、極力距離を取っているはいるが、そこにいるのはマキアスの天敵とも呼べるユーシスだった。

 寮での食事もなるべく時間をずらしていたというのに、まさか共に外食をする羽目になるとは思いもよらなかった。

「……何を考えているんだ、君は」

「ん? 別に。クラスメイトなんだし、一緒に食事しようって誘っただけでしょ」

 その原因とも呼べるエミナに恨みがましい視線を送ると、彼女は飄々と受け流すだけだった。

 確かに、戻ってきた彼女は皆で夕食にしようと誘ってきただけで、そこに強制はなかった。それなのに首を縦に振ったのはマキアスの意思に他ならなかった。だが、彼にそうさせたのもエミナの影響が大きかったのは間違いない。

 先程までの2人で話していた内容が内容なだけに、最初はマキアスとユーシスを仲良くさせよう、などという身の毛がよだつ考えがあるのではないかと思いもしたのだが、特にそういった素振りを見せることはなかった。

 オーダーも済ませてしまった以上、今更とやかく言っても仕方がないと腹を括り、マキアスは黙ってユーシスの様子を窺うことにした。

 ユーシスはマキアスの視線に気付いた様子もなく、レイルやガイウス達と何やら話し込んでいる様子だった。

 楽しそうに話に花を咲かせている。その光景が、マキアスに言い様のない不安を与えていた。

 脳裏に過ぎるのは、先程思い浮かべてしまった疑念。

 ――貴族。そして、ユーシス・アルバレアに対する評価は……

 頭を振って疑念を振り払う。

 そんなことあるわけがない、と。

 結局悶々としたまま、注文していた食事を終え、食後のコーヒーに口を付けたのだが、その味は、これまでにないほど苦かった。

 

 

 ユーシスは違和感を覚えていた。

 それは、マキアスが夕食に同伴することを承諾したことに始まり、席が離れているとはいえ、こちらに食って掛かってこないことによって生じていた。

 ――先程から、こっちを睨んできているがな。

 だが、所詮はそれだけである。

 それについても何か言ってやろうかと思うが、ここに来る途中でエミナから釘を刺されていたので、あえて視線に気付かない振りをしている。

 恐らく、エミナが何かをしたのだろうが、彼女はマキアスの近くに座っているので、それを問い質すことも出来ない。

 ――余計なお節介を。

 ユーシスとしては、マキアスと仲良くしようなどという考えは毛頭ないので、面倒なことこの上なかった。

 それでも、エミナからのお節介ということもあって、ユーシスは真っ向から拒絶するという気を起こせないでいた。

 ――昔から、そうだったな……

 思い返すのは初めて彼女に出会った日のこと。

「……ふっ」

 幼き日の回想と共に口にした紅茶は、とても温かく、優しい風味でユーシスを満たしていった。

 

 

 夕食を終え各々で寛いでいた中、バンッ、という耳を衝く音と共にキルシェの扉が開け放たれた。

 何事かとリィンが視線を向けると、そこには肩を怒らせたサラの姿があった。

「あ、あんた達ね~……」

 鋭い視線でこちらを睨んでくるサラ。すると、彼女は大きく息を吸い、一気に捲くし立ててきた。

「ようやく教頭のねちねちしたお説教から解放されてへとへとで寮に戻ったら誰もいないしもしかしたらと思ってきてみれば案の定でどうしてあたしを誘ってくれなかったのよマスタービール!!」

 こちらへの文句と注文を一息で済ませると、ドカッとカウンターに腰を据える。

「いや、ARCUSで連絡しても通じませんでしたし」

 頃合いを計って、レイルが説明すると、出されたビールを呷ったサラが更に目くじらを立てる。

「だから教頭から説教を受けてたって言ってるでしょ!」

 ならばどうやって誘えば良いのか、とリィンは疑問に思ったが、それを口にすれば絡み酒の標的になるのは目に見えていたので、黙して相手をレイルに任せることにする。

「サラね……教官が怒られるようなことしてるからいけないんじゃ」

「何ですって!」

「おいエミナ、火に油注ぐなって」

「レーイールー、エミナが苛める!」

「教官が生徒に泣き付くなよ!」

 と、サラを中心にした状況が混然としてくる。それに伴い、リィン達はレイルとエミナ、そしてマスターのフレッドを置き去りにしてサラから距離を取ることにした。

「あーもー、こうなったらじゃんじゃん飲んでやる! あんた達も付き合いなさい!」

 サラのテンションがヒートアップして、遂にはレイルとエミナに酒を勧める次第であった。

「ちょ、ちょっとサラ教官! 学生の飲酒は駄目でしょう!?」

 サラの問題発言に真っ先に反応したのはマキアスだった。彼の表情からは巻き込まれたくないという心境以上に、未成年――特に校則で飲酒を禁じられている士官学院生に飲酒させようという違反を見逃せない、といった正義感を感じ取ることが出来た。

「アァン?」

「ひっ」

 だがそれもサラの一睨みで一蹴されてしまう。

「マァキアース、帝国法におけるぅ、飲酒は何歳からぁ?」

「えっ、18歳以上から、ですよね」

 突然振られた質問に動揺しながらも、マキアスが答える。彼が言う通り、帝国法――だけに限った訳ではなく、おおよその諸国家の法――において飲酒は18歳以上からと定められている。

「だぁったら、大丈夫よぉ~。だって、その2人ぃ……20歳なぁんだし~」

『え……えーーーーーーーー!!?』

 突如として明かされた事実にリィン達は驚愕を露にした。

 何故年齢を隠していたのか、妹のリューネや入学前から行動を共にしているフィーはともかく何故ユーシスやラウラまでそのことを知っていたのか等々、キルシェが喧騒に包まれることになる。

「それでも、士官学院生の飲酒は駄目でしょう」

 と、リィンが呟くが、騒ぎの中心で荒れ狂うサラの耳に届くことはなかった。



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実習開始~疑念~

 交易地ケルディック。

 帝国東部、クロイツェン州の北部に位置する交易で栄えた町である。

 北にはヴェスティア大森林、南部には大穀倉地帯が広がるのどかだが活気溢れる場所である。

 また、大陸横断鉄道の中継地でもあり、帝都と公都バリアハート、更には貿易都市クロスベルを結ぶ拠点としても知られている。

 その立地から、ケルディック産の農作物全般を始め、バリアハート特産の宝石や毛皮、大陸諸国からの輸入品が、1年を通して開かれる大市にて商われている。

 近郊都市トリスタから導力列車で約1時間というその町に、リィン達は向かっていた。

 事の始まりは3日前。

 実技テストと称された謎の傀儡との戦闘訓練後に発表されたⅦ組専用のカリキュラム――特別実習。

 サラの口から説明されたそれは、A班・B班の2組に分かれ、帝国各地にて指定された課題に取り組む、といった内容のものだった。

 そしてリィンが所属するA班のメンバーは、レイル・エリオット・リューネ・アリサ・ラウラを合わせた6名であり、今回指定された実習地が彼のケルディックだったのである。

「うわぁ」

「凄いですね」

「話では聞いていたけど、こんなにも綺麗なのね」

 列車に揺られて20分が過ぎた頃、車窓から覗く風景にエリオットとリューネ、アリサが感嘆の声を漏らした。

 そこには黄金色に輝く平原が広がっていた。それは牧歌的でありながら、人の目を釘付けにする幻想的な光景に感じられた。

「あれは秋播きのライ麦のようだな」

 黄金色の正体を説明するラウラもその光景に目を奪われているようだ。

「この辺りは温暖な気候と肥沃な土地のお陰で二期作を行えるらしいな」

 リィンが以前本で見た知識を口にすると、レイルが感心したかのように頷いた。

「その通り。ちなみに特産品の中でもライ麦で作った地ビールが有名だな」

 そう言ってレイルは、通路を挟んだ向かいの席で眠るサラへと視線を移した。

 特別実習の特性上、実習は学院生のみで行われるものと聞かされていたのだが、初回と言うこともあり、宿に着くまでは同行するとのことであった。

 それならばユーシスとマキアスという入学以来の犬猿の仲である2人がいるB班に付いて行った方が、と進言したものの、面倒臭いのを理由に同班のエミナやエマ達に任せてきたと言う。

 そして今、ここ最近徹夜続きと言うことで、穏やかな寝息を立てている。

 ただ、先程のレイルの言葉を聞いてしまうと、A班に同行した理由が別にもあるように思えて仕方がなかった。

「って、まさかとは思うが、レイルもそれを目当てにしてるんじゃないだろうな?」

 いぶかしむ目で問い詰めると、レイルはさも心外だと言わんばかりに否定してきた。

「馬鹿言うなよ。流石に学院生でいる内は禁酒するっての」

「本当かしらね?」

「おいおい、アリサも信じてくれよ」

「あはは、けど本音は飲みたいんじゃないの?」

「それは……否定しません」

 レイルが白状すると、場に笑い声が満ちた。

 先週の日曜日。酔っ払ったサラにより年齢を明かされたレイルとエミナ。初めは3つも年上ということもあり、戸惑いを隠せないメンバーもいたが、彼らの持ち前の性格や気質のお陰で、今のように壁を感じさせることなく接することが出来ている。

 そんな中、リィンは1人で硬い面持ちをしている人物に気が付いた。

「どうかしたのか、ラウラ?」

「ん? いや、何でもない」

 何か考え事をしていたのか、返事もどこか上の空といった感じだったが、すぐに頭を振ってリィンに向き直ってきた。

「少し、緊張していたようだ」

 ラウラの言い分は理解出来る。今回が初となる特別実習。リィンにも、そこで何が待ち受けているのかという不安がないわけではなかった。

 だが、それでも、先程のラウラの表情は……

 ――もっと別のことを考えているように感じられたんだが……

 特に根拠があるわけではないので、はっきりと違うと断じることが出来ないままでいると、ラウラが意を決したようにリィンの目を見据えてきた。

「とにかく、何が待ち構えていようとお互い“力を尽くす”としよう」

「あ、ああ」

 ラウラから妙な気迫を感じ、リィンはただ頷くしか出来なかった。

 

 

「う~~ん、よく寝た」

 駅舎から出たサラが陽光を浴びて気持ち良さそうに身体を解していく。

 その後を追って出てきたリィン達を待ち受けていたのは、のどかな町並みを行き交う人々の群れだった。

「随分と人が多いな」

「殆どの人はあれ目当てだな」

 レイルが指し示したのは、一際賑わいを見せている場所だった。

「あれは?」

「ケルディックの名物とも言える大市、よね」

「そうよ。けど、詳しく見て回るのは後にしなさい。先に宿まで案内するわ」

 すぐそこだけどね、と言ってサラがさっさと行ってしまう。

 遅れないようついて行こうとしたリィンだが、レイルが立ち止まったままなのに気が付き、彼へと呼び掛ける。

「レイル? どうかし――」

 だが、言葉は最後まで口に出来なかった。

 振り向いた先、レイルはどこか遠くを見詰めている様だった。

 そして、彼が放つただならぬ気迫――殺気ともとれる気配に気圧されてしまう。

リィンが声を掛けあぐねていると、ようやくレイルが振り返ってくる。

「っと、すまない。行こうか」

 そして何食わぬ顔で追い越していくレイルに、リィンは我に返り、慌てて彼の背中を追うのだった。

 

 

「<紫電>の君……こんな所でお目に掛かるとは。それに……フフ。興味深い雛鳥達の中にまさか彼が紛れているとは」

 白の装束を纏った貴族風の男がぽつりと呟く。

「流石は<銀嵐>……下手に刺激するのは控えた方が良さそうだな」

 呟きは雑踏に紛れ、男は行き交う人混みの中へと消えていった。

 

 

「う~……」

 アリサは内心で頭を抱えていた。

 というのも、サラに連れて来られた宿酒場<風見亭>に問題があったのだ。

 女将のマゴットやウェイトレスのルイセは人当たりが良く、店の雰囲気も酒場を兼ねているのに落ち着いており、アリサの第一印象としては『良い場所』だったのだが、案内された部屋でその印象が吹き飛んでしまった。

 一部屋に6つのベッド。

 つまり男女で相部屋だったのだ。

 マゴットもそれについてはどうかと思っていたらしいのだが、サラの方から構わないとゴリ押しされたらしい。

 あの教官は何を考えているのか。

 異議申し立てをしようとしたアリサだったが、ラウラに士官候補生としての心構え如何を問われ、渋々納得せざるを得なかったのだ。が、それでも全く気にするなというのは、今の彼女には土台無理な話であった。

 ――レイルとエリオットは、問題ないでしょうけど……

 と、アリサはリィンの様子をそっと窺う。

 リィンもアリサと同じく、男女相部屋に困惑しているようだったが、サラが決めたことだと半ば諦めのような納得をしているようで、エリオットと共に苦笑していた。

 そんな彼と自分に見舞われたトラブルを、アリサはつい思い出してしまう。

「~~~~っ」

 その日の内にわだかまりも解け、その後の生活でも何ら支障はなかったはずなのに、どうして今になってそれを思い出すのか、アリサには自身のこととはいえ、全く理解出来なかった。

 ただ、これから大事な実習が始まるのだ。

 よく分からない雑念に囚われてミスを犯すへまはしたくない。

 1度大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせる。

 ――ん。大丈夫。

 原因は不明だが、精神の安定は取り戻せた。

「さて」

 気合を入れ直した所で、アリサはマゴットから受け取った封筒の中身を検めている輪へと加わった。

 

 

「……それで、どういうことなの?」

「何か気付いているみたいだけど」

 アリサとエリオットに問われ、リィンは自分の考えを纏めていた。

 実習内容として渡された封筒の中に入っていたのは、ケルディックの住民からの依頼書と呼べるものだった。

 依頼は2種類有り、必須のものと任意のものである。

 依頼内容は壊れた街道灯の交換や薬の材料調達、そして魔獣の討伐依頼である。

 いわゆる便利屋、といった内容にリィンは思い当たる節があった。

 それは先日の自由行動日。生徒会の手伝いとして任された依頼の数々。それらと今回の実習内容の共通点からサラの狙いがおぼろげながらだが見えてきた。

「先の自由行動日、そなたとリューネが行った生徒会の手伝いと関係があるようだな」

 リィンと同様の答えに思い至ったラウラが呟くと、首を傾げていたアリサとエリオットがはっと目を見開いた。

「そうですね。あの日の依頼も今回みたいに誰かのお手伝い、といった感じでしたし」

「そして、それらをこなしている内に、トリスタについて詳しく知ることが出来たな」

 リューネを補足する様にリィンが続けると、レイルが得心したという風に頷いてみせた。

「つまり、この実習を通してその土地ならではの実情を自分達なりに掴ませるのが目的ってことだろうな」

 そのために自分達でどのように行動するのかを決めていかなくてはいけない。

 サラの方からも必須のもの以外は別にやらなくても構わないと言われている。

 ――そういった判断も含めての特別実習、というわけか。

「とにかく、サラ教官の思惑は何であれ、一通りやってみましょうか」

 アリサの提案に頷き、リィンは再度実習内容が書かれた書類を拡げた。

「依頼内容は3つ。まずは依頼人に話を聞いて回るついでに町の様子を確認しよう。それからどれを先にこなしていくかを決める、で構わないか?」

 リィンの確認に異議を挟む者はいなかった。

 かくして、リィン達の特別実習が幕を開けた。

 

 

「解析完了! 皆、そいつの弱点は水属性だよ!」

 エリオットが導力杖に備え付けられた解析ユニットの結果を告げる。それに応じて、リューネとアリサがアーツの駆動を開始する。

 アーツの駆動中は精神を集中させなくてはならないため、2人の動きが止まる。

 それを目聡く捉えた大型魔獣――スケイリーダイナが彼女達に狙いを定める。

 全長3アージュはあろう巨体が猛スピードで接近してくる。

「リィン!」

「ああ!」

 だが、そう易々と相手の思い通りにはさせない。

 ARCUSの戦術リンクで結ばれたリィンとラウラが不意を突く形でスケイリーダイナを挟撃する。

 リィンの太刀とラウラの大剣が、大型魔獣の肉を裂き、骨を断つ。

 予想外の激痛に苦悶の叫びを上げる魔獣。

 その隙にリューネとアリサのアーツが駆動を終え、その力を解き放った。

『アクアブリード!』

 2人の声が重なり、圧縮された水撃が魔獣を襲う。

 鼓膜を破らんばかりの轟音が魔獣の口から放たれる。

 エリオットがもたらした解析結果通り、水属性の攻撃が大ダメージを与えていた。

 苦痛に喘ぐ魔獣。その巨躯が体勢を崩していく。

「体勢が崩れた! 一気に畳み掛け――」

 敵の隙を逃さぬとばかりに、ラウラの号令が大気を振るわせた。

「! 耳を塞げ!」

 だが、スケイリーダイナも一方的にやられることを良しとしなかった。

 その背びれを震わせた直後、レイルが声を張り上げる。

リィン達はそれに従おうとするも、咄嗟の事で反応が遅れてしまった。そこに魔獣から放たれた怪音波が襲い掛かる。

「くっ!」

 鼓膜を震わす音が脳内を揺さぶってくる。不快なその音に、リィン達は思わず怯んでしまう。

 

 

 その隙を彼は見逃さなかった。

 無防備となった人間達に肉薄し、持てる力を以って全身を捻る。

 その結果放たれるのは、長大な尾による薙ぎ払いである。

 奴らにそれを避ける術はなかった。

 故にスケイリーダイナは確信した。

 一時は劣勢に追いやられてはいた。

 だがこれで、己の勝ちだ、と。

 自身に比べ、脆弱な存在が薙ぎ払われていく。

 全身を捻っており、その姿は確認出来ない。そして、あまりにも軽過ぎるせいか捉えた感覚がよく分からなかった。

 だが、結果は分かりきっていた。

 勢いのまま、身体が1回転する。

 そして目に飛び込んできた光景に、スケイリーダイナは何が起きたのか理解出来なかった。

 人間達が平然とそこにいたのである。

 先程と異なるのは、最早誰も耳を塞いでいなかったこと。

 そして、銀髪の人間が得物を手にして、悠然と立ち塞がっていたこと。

 それが何を意味するのか理解出来なかった。

 だが、その直後に訪れた音の正体で彼は理解せざるを得なかった。

 どさっと、重い何かが地に落ちた音が聞こえてきた。

 遥か先に落ちたそれの正体は……己の尾。

 それが視界に飛び込んできた直後、彼の本能が悲鳴を上げた。

 

 

「皆、大丈夫か?」

 レイルは眼前で怯む魔獣から目を逸らすことなく、背後の仲間達へと声を掛ける。

 背中越しに感じる気配は、動揺や呆然といったものだ。その中に負傷に呻く痛苦の声が混じっていないことにそっと胸を撫で下ろす。

 その反面で、レイルは冷静に状況を分析し、そして評価を下す。

 ――まぁ、こんなものか……

 ARCUSの戦術リンクにより、道中の戦闘は危なげなく済ませられていた。そしてこの戦いも先程までは完全に優勢に立っていたと言える。

 だが、まだ足りない。

 戦闘経験の乏しさからか、あるいはARCUSがもたらす恩恵による慢心か……彼らは追い詰められた相手の死に物狂いの一撃を見誤った。

「油断大敵ってことだな」

 そう告げて、レイルは太刀を握る手に力を込める。

 そして、内なる力を放出し、世界に満ちるモノへ干渉し、己が支配下に置く。

 そこで魔獣が我に返ったのか、咆哮を上げ、レイルに襲い掛かろうとしてくる。

 だが、レイルは動じずに力の制御に集中する。

 戦術リンクで彼女と繋がっているわけではない。

 それでも彼は、彼女の動きを把握していた。

 そんな彼の横を一陣の風が吹き抜ける。

「はあぁぁぁぁっ!!」

 リューネだ。

 彼女の拳には光が宿り、燦然と輝きを放っている。

 そして、リューネが相手の懐に潜り込み、その拳を下から振り上げる。

「フォトンインパクトッ!!」

 打撃と共に爆ぜる光輝が衝撃を生み、軽く見積もっても10倍近くの重さがあるだろう体躯を上空へと打ち上げる。

「サンキュー」

 礼を端的に伝え、レイルは太刀を下段に構え、狙いを定める。

 刃に集うは流水。それがある形を成したとき、レイルは太刀を振り抜き、凝縮した力を魔獣目掛けて解き放つ。

「神薙流剣術水の型・秘技、水蛟!!」

 刀身より放たれたのは大蛇を模した水の奔流。それが正に生きているかの如く、激しいまでにうねり、空中で無防備となった魔獣へと襲い掛かる。

 結果、水の大蛇が魔獣を呑み込み、内部で荒れ狂う水刃が対象を絶命へと追いやった。

 

 ◆

 

「さてと……依頼者への報告も済んだし、これで今日の分は終了だな」

 魔獣の討伐依頼を最後に、今日の分は全てこなしたことを確認すると、リィンは一同を見回した。

 ARCUSの内臓時計が示す時刻は16時を過ぎたばかりである。

 特別実習中の出来事は1日毎に纏めて担当教官に提出すること、と指示を受けてはいるが、そのレポート作成の時間を考慮しても、時間が十二分に余った次第である。

 さてどうしようかと考えながら町へと戻ってきたところで、エリオットからの提案が入った。

「それじゃあ、大市を見て回らない? さっきはじっくり見てる暇なかったし」

 彼の言う通り、依頼の関係で立ち寄りはしたものの店を1つ1つ見ている時間はなかったのである。

 彼の提案には皆異論はなく、特にリューネとアリサが乗り気になってはしゃいでいる。

「まぁ、少しぐらいなら、良いか」

 リィンはその様子を見ながら苦笑する。

 あくまで自分達は士官学院の実習としてここに来ている。そうである以上遊んでいるわけにはいかないだろう。が、時間に余裕がある上、どのように動くかは自分達に一任されている。

 ならば、現地の様子を把握するという名目で、少しばかりの息抜きをしても良いのかもしれない。

「そうと決まれば行きましょうか」

「そうね。帝都とはまた違った品揃えみたいだし、興味有ったのよね」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 さっさと行ってしまう2人を追い掛けるようにエリオットも続く。

「リューネはともかく、アリサは明らか疲れているようだったが、どこからあの元気が出て来るんだ?」

「女の子ってのは、基本的に買い物が好きだからだろ」

「そういうものなのか」

 と溢すリィンだったが、妹も確かにショッピングに熱が入りやすいところがあったと思い返していた。

 それが正解なら、本当は気になって仕方がなかったのだろうか。

 あるいは――

「……………………」

 魔獣討伐後からこちら、ずっと黙したままこちらを射抜くような視線を送ってくるラウラの雰囲気に耐えかねて逃げ出したかのどちらかだろう。

「なあ、レイル。俺は何かしてしまったのか?」

「あー……想像はついている」

「そ、そうなのか?」

 ラウラの様子が変わったのは大型魔獣討伐の後である。

 その戦闘で起こったことを思い返してみる。

 ――特に印象に残っているのは……

 視線が隣を歩くレイルへと向かう。

 大型魔獣を仕留めた神薙の技――それは明らかに同世代の力量を遥かに凌ぐものだった。

 オリエンテーリングの時もそうだったが、彼が振るう剣技には度肝を抜かれてばかりだ。

 ――それを見てから、ラウラの様子が急変した……?

 しかし、ラウラは入学以前からレイルのことを知っているようだったので、彼の技を見て険のある様子になるだろうか、という疑問がある。

 などと考え込んでいると、ふとレイルが、

「まぁ、あれだな。ラウラもリィンの剣に思う所があるんだろうな」

「え……」

 レイルの言葉に、リィンの意識は不意打ちを受けた。

 彼の言い方から判断出来ることは、

 ――レイルも俺の剣に、思う所がある?

 どういうことだ、と問いかけようとしたが、リィンの口は寸での所で動きを止めた。

「あ……」

 脳裏に浮かぶイメージはかつての記憶だった。

 それはまだ幼かったリィンが八葉一刀流を教わる前の――そして、八葉一刀流を学ぶきっかけとなった出来事。

 その時の光景がフラッシュバックし、今目の前にいる2人が抱いているであろう疑念と結びつこうとしていた。

「けど……それはお互い様だよな」

 そこでレイルがぽつりと呟く。まるで自分の考えを見透かされたかのようなその言葉に、リィンはある想像を浮かべる。

 ――レイルの剣。

 その太刀筋や技について、リィンには思う所があった。

 そういう意味では、確かにお互い様と言えるだろう。

「さて、とりあえず俺は仲介役ってことで……そろそろ我慢の限界なんじゃないか?」

 考えを巡らせていたリィンを他所に、レイルがラウラへと振り返る。

 言いたいことがあるならどうぞ、とでも言わんばかりのレイルの言葉に、ラウラは意を決して閉ざしていた口を開く。

 

 

「リィン、そなた……どうして本気を出さない?」

 



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剣士問答

「本当に大丈夫なのかなぁ」

 ケルディックの大市。その片隅に設けられた休憩所で、エリオットが溜め息混じりに溢す。

「……レイルが『俺に任せろ』って言ってたんだし、仕方ないんじゃない」

 大型魔獣の討伐後、明らかに雰囲気が豹変したラウラについて、帰路の途中でレイルがそのように耳打ちしてきたのである。

 それを受けて、自然を装いここまで逃げてきたのであるが、アリサはバツが悪そうにしている。

「きっと大丈夫ですよ」

 と言うリューネもどこかそわそわしており、置いてきたレイル達のことが気になっているようであった。

 だが、ラウラが放つ重々しい雰囲気の中に戻るという選択は生まれてこず、エリオット達は彼らがここに現れるのをひたすらに待ち続けた。

 

 

「どうして本気を出さないのか、か……」

 鋭い眼光のラウラを正面に見据え、彼女が投げかけた問いを反芻して、リィンは困った表情を浮かべていた。

 その隣でレイルは静かに2人の動向を伺っていた。

 ――にしても、随分と直球だな。

ラウラの疑念。

 レイルとしても、その問いはいつか時期が来れば自分からリィンに投げかけるつもりでいたものだ。

 ただ、それが自分以外の誰かが、それもこんな早い時期にぶつけられるとは想定外であった。

 ――流石は子爵閣下のご息女、といったところか……

 それだけではなく、今日だけでも何度と繰り返してきたARCUSの戦術リンクが、抑えているリィンの力量を彼女に察せさせたのだろう。

 リィンの実力はこんなものではない。

 では何故力を抑えて――いや、彼女からすれば手を抜いているとでも感じたのだろうか。

 ここ1ヶ月程で見えてきた彼女の人となり、武に真摯に彼女だからこそ口を出さずにはいられないのだろう。

 ただ、

 ――俺の時には納得してくれたんだがなぁ……

 レイルの場合、ラウラが彼の過去を知っており、かつ、彼の口から事情があるという説明をなされていたからというのもあったのだろうが、

 ――なら、リィンにも何か事情がある、って考えには至らんかね……

 随分と視野が狭窄しているように感じられ、レイルはラウラを宥めようとする。

しかし、それを遮る様にして言葉を放ったのはリィンだった。

「俺は……手を抜いているわけじゃないんだ。これが、俺の限界だ」

 そう言うリィンの表情は沈痛なもので、どこか自嘲めいたものを感じさせた。

 その答えに納得がいかなかったのか、ラウラが問い質すようにリィンへと詰め寄る。

「そなたの流派――八葉一刀流は剣仙ユン・カーファイが興した東方剣術の集大成とも言うべき流派だ。皆伝に至った者は理に通ずる達人として剣聖とも呼ばれるという。流石にそなたが剣聖だとは思わぬが、それでも、今日一緒に戦っていてそなたの力はあんなものではない……そう、感じたんだ」

 だから、先程の言葉は冗談だと言って欲しい。そう言いたげな熱の篭った視線に晒されて、それでもリィンは違うんだと首を横に振った。

「確かに一時期は老師に師事していたこともあった。だが、剣の道に限界を感じて老師から修行を打ち切られた身なんだ」

 

「俺はただの初伝止まり……誤解させたのならすまない」

 

 告げられた瞬間、ラウラの表情に様々な感情が浮かび上がるのを、レイルは見逃さなかった。

 それは、怒り。あるいは、落胆。失望。

 恐らく、ラウラの中でそれらの感情が暴れ回り、彼女の心を掻き乱しているのだろう。

 そしてそれは――レイルも同じだった。

 ――ああ、なるほど、ね。そういうことか……

 拳を堅く握り締めた彼女が胸中の想いをぶちまけようと口を開く――前に、レイルの拳がリィンの横っ面を捉えていた。

 

 ◆

 

「ぐっ……」

 無防備な状態でレイルに殴り飛ばされ、リィンは元いた位置から3アージュも離れた場所で倒れ付した。

「何を」

 するんだ、と抗議の声を挙げようと身体を起こすと、レイルの怒りに満ちた視線に射貫かれ、リィンは身体を竦めてしまう。

「リィン」

 静かなトーンで呼ばれる。だが、名を呼ばれただけだというのに、レイルからはこちらを叱責する意思がありありと伝わってきた。

 

「さっきの言葉――本気で言ってるのか?」

 

 静かに告げられる問い。それを聞いてリィンは、己の軽率が過ぎる言葉を自覚した。

 確かに自分は初伝で修行を打ち切られた身だ。

 そんな自分が八葉一刀流を名乗るなど、流派の名を汚しているはずだ。

 それでも――

「すまない。どんな理由があろうと、“剣の道”を軽んじて良いわけがなかった」

 ただの、だなどと口が裂けても言うべきではなかった。

 それは、老師を、八葉一刀流を、そして全ての“剣の道”を蔑ろにするに等しい言葉だった。

 それを口にした自分は、殴られて当然だ。

「それだけじゃ、満点とは言えないな」

 肩を竦めて、レイルが呆れた様子で続ける。

「剣の道もそうだが……お前は、お前自身を軽んじたことを反省すべきだ」

 そう言って、レイルが近付いてきてリィンへと手を差し出す。

 リィンは戸惑いながらもその手を掴み、彼の引き起こされるように立ち上がった。

「限界なんて言葉も軽々しく使うもんじゃない。……確かに、剣の腕は一朝一夕で上達するものでもない」

 だがな、とレイル。

「覚悟や心持ち次第で踏み込みや体捌き、技のキレは飛躍的に進化するもんだ。だから――いつか、お前が抱えている何かが解決すれば、お前はもっと実力を発揮出来るはずだ」

「あ……」

 何故だか分からなかったが、レイルのその言葉が全身に染み渡っていくような感覚を覚えた。

 リィンが抱える何か――それは、リィンが力を求めたきっかけで、そして、力を抑えることを望むことになった、かつての記憶。

 それを感じ取ったからか、レイルもラウラもリィンの剣に思う所があったのだろう。

 だが、

 ――アレを、乗り越えられるのだろうか……

 一抹の不安がリィンの心に影を射すが、こちらの表情を見取ったレイルがすかさず、

「1人で何でも抱え込むなよ? 不安や悩みがあるならお兄さんが聞いてやるからな」

 と、優しい手でリィンの肩をぽんぽんと叩いてくる。

 たったそれだけのことで、不安が和らいでいくのを感じた。

「そう、だな……その時は、よろしく頼む」

 すると、レイルが力強く頷いてくれた。

「ラウラも、本当にすまな、かッ……た……」

 そこでようやく、先程から一言も発していなかったラウラへと向き直ったリィンだが、その言葉は尻すぼみに消えていく。

 レイルもラウラへと視線を移すが、彼も絶句し、目を見開いて硬直してしまった。

 2人の視線の先、そこにいたのは……

「…………」

 こちらを凝視したまま、静かに流れる雫で頬を濡らすラウラの姿だった。

「ラ、ラウラ!?」

「どうしたんだ!?」

 静かに涙を流す彼女に気付き、リィンとレイルは慌てて彼女の元へと駆け寄った。すると、ラウラは我に返ったのか、慌てて頬の湿りを拭い去る。

「その……すまない。色んな事で頭がぐちゃぐちゃになってしまったようだ」

 ラウラは1つ深呼吸し、そしてゆっくりと話し出した。

「……昔、父から『そなたが剣の道を志すならば、いずれ八葉の者と出会うだろう』と言われたことがある」

「光の剣匠が?」

 帝国で指折りの実力者として名を馳せる光の剣匠、ヴィクター・S・アルゼイド。ラウラの父でもある光の剣匠から、自身の流派の名が挙がるとは思ってもいなかったので、リィンは面映く感じてしまう。

「うん。故に、そなたが八葉一刀流の者と聞いた時には、内心ひどく喜んだものだが、今日の戦いの中でそなたが手を抜いているように感じた時は……正直、怒りにも似た感情が湧き上がってくるのを抑えられなかった」

「……すまない」

 やはりまだ怒りは収まる――どころか、先程の発言のせいでより膨れ上がらせてしまったのではないかと思い、リィンは精一杯の謝罪の意を込めて頭を下げた。

「謝らないでほしい。謝るべきなのは、私の方だ」

「え……?」

 ラウラの意図が読めず、リィンは間の抜けた声を出してしまう。

「そなたにも事情や抱えているものがあるだろうに、それを無視して不躾に問い詰めたこと……どうか、許してほしい」

 今度はラウラが頭を下げると、リィンは再度面食らって慌ててしまう。

「か、顔を上げてくれ。それこそ謝らないでほしい」

「だが……」

 と渋るラウラだったが、何とか説得して面を上げさせることに成功した。

「……ならば、あと1つだけ良いだろうか?」

「ん?」

 ラウラがリィンを見つめ、真剣な面持ちで――だが、そこに張り詰めた空気は存在せず――問い掛けた。

「そなた、“剣の道”は好きか?」

 その問いに、リィンは目を見開いた。

 まるで、そんなことを考えたことがないという風に。

「好きとか嫌いとか……もうそういった感じじゃないな。あるのが当たり前で、自分の一部みたいなものだから」

「そうか。それを聞いて安心した」

 私も同じだ、と語るラウラは、先程までの憑き物が落ちたように晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 

 

「さて、一件落着みたいだし、俺達も大市に向かうとしようか」

「あ……ちょっと待ってくれないか」

 さっさと行こうとするレイルをリィンが引き留める。

「この流れで訊くのも何なんだが……レイルも力を抑えている、よな?」

「まぁ……そう、だな」

 やっぱり気になるよな、とばつが悪そうにするレイル。

 それに対して、リィンはしっかりとレイルを見据えて声を発してきた。

「今はまだ無理でも……いつか全力で手合わせしてくれないか?」

「へぇ……そいつはどうして?」

「こうして剣の道を進む身としては、自分にどれだけのことが出来るのか……どれだけの高みに至ることが出来るのか試してみたい、その為に胸を貸してもらえないか?」

 そう告げるリィンの表情を見て、レイルが目を見開き――直後、心底楽しそうな笑みを浮かべる。

「ハハッ、良いぜ! この数分でえらく顔付きが変わったじゃないか。根っこの問題が解決したわけじゃないんだろうが、良い傾向だ」

 だから、

「……少しだけ、サービスだ」

「どうしたのだ?」

 黙って2人の様子を伺っていたラウラが怪訝そうに尋ねてくるが、レイルは答えず、神経を研ぎ澄ませる。

 この身に宿る力を静かに、そして力強く練り上げていく。

 そして、大気の流れを読み、最善のタイミングでそれを解き放つ。

 すると、街路樹の枝が道端に落ちる音が聞こえてきた。

「なっ!?」

「そんな!?」

 それに遅れて気付いたリィンとラウラが驚愕に目を見開く。

 そんな2人の傍らを、レイルは太刀を収めながらゆっくりと抜き去っていった。

「本当ならここまでの技はしばらく見せるつもりはなかったんだがな」

 未だ呆然としている2人に顔だけ振り向き、笑みを浮かべてはっきりと宣言する。

「若人が決意を胸に新しい一歩を踏み出そうとしたんだ」

 だから特別だぞ、と、より笑みを深めて、レイルは告げた。

「――早く、ここまで登って来いよ」

 そう言い残して、レイルは先に大市へ向かったリューネ達を探すことにした。

 その間、レイルはリィンとラウラの様子を思い返していた。

 自分の力を振るったことで、2人は唖然としていたが、その表情がレイルの心を昂ぶらせていた。

 ――あいつら、笑っていやがった。

 自身を凌駕する力の前に浮かべるそれは、虚勢と捉えるべきか。

 あるいは、自身の矮小さを嗤う自嘲と捉えるべきか。

 だがレイルは、そのどちらでもなく、そこに強者としての素質を感じ取り、笑みを深くしていた。

 

 

「なぁ、ラウラ」

「何だ?」

 大市に向かっていたレイルの姿が見えなくなった今、それでも視線をある場所から外すことなく、リィンはラウラに声を掛けた。

「ラウラは、レイルのこと昔から知っている感じだったが……」

「……うむ。3年程前に父と手合わせしているのを見たことがある」

 ラウラが心ここにあらず、といった様子で頷く。

 いや、呆然としているのはリィンも同じである。

 その視線の先にあるのは、道端に落ちた街路樹の枝。

 その根元は綺麗な断面を晒している。

 それだけで、綺麗な太刀筋で断たれたのだと把握出来る。

 問題があるとすれば、その枝が付いていた街路樹の位置が、枝が落ちた瞬間、レイルが立っていた場所から少なくとも10アージュも離れていたこと。

 そして、

「レイルは、いつ太刀を抜いたんだ?」

「……分からない。ただ、これだけは確かだ……」

 一拍置いて、ラウラが冷や汗を流しながら口に出す。

「あの時とは比べものにならない程、強くなっている」

 

 

「ふぅ、疲れた~」

 夕食前、少しでもレポートを片付けておこうということになり、アリサ達は宿泊先の風見亭に戻り、机に向かって今日一日の報告書を作成していた。

 アリサは一段落着いた所で、同じ姿勢で固まっていた体を伸ばしながら、周りの様子を窺う。

「それで、貴方達は何をしていたのかしら?」

 アリサがジトッとした眼差しで睨むと、レイルとリィン、ラウラが表情を微かに引き攣かせながら、

「うん、まぁ、な」

「その、色々とな」

「うん。気にしないでくれ」

 と、顔を上げることもなく話を濁すのだった。

 あの後、アリサ達が休憩所で時間を潰していると、まずレイルがやって来て、ラウラの様子が元に戻ったという報告を受け、安堵の息を溢したのだ。

 だが、そこに遅れてやってきたリィンとラウラの様子にアリサ達は目を剥くことになった。

 片やリィンは片頬を赤く腫れ上がらせており、片やラウラは薄っすらとだが瞳が充血していた。

 いったい何があったのか。

 いや、何かがあったとしか思えなかった。

 3人が3人とも話をはぐらかす中、なおも問い詰めようとしたアリサ達だったが、途中で大市の一角が騒々しくなり、詰問は中断せざるを得なかった。

 催し物とは違う、物騒な雰囲気を感じ取り駆けつけたアリサ達が目にしたのは、大市の出展者同士が出店場所を巡って争っていたところだった。

 その場を治めた大市の代表であるオットー元締め――彼が今回の実習課題を手配してくれていた――によると、クロイツェン州における大幅な増税に対して嘆願を行っているが、それを取り止めない限り、領内の治安を維持する領邦軍が不干渉を貫くとの通達。その矢先に同じ場所の出店許可証を持つ商人達の諍いが発生――出店許可が領主であるアルバレア公爵家の管轄であることを考えると、明らかに仕組まれたとしか思えない状況にアリサだけでなく誰もが良い顔をしなかった。

 ――けど、私達に出来ることなんて……

 はっきり言って、ないのが当たり前なのだ。

 名門とはいえ、一介の学生である自分達に口出し出来る問題ではないのだ。

 オットー元締めも余計なことを話したと謝罪し、アリサ達には実習に集中するようにと言ってくれている。

 だが、

「う~……」

 釈然としない思いがアリサの脳内で蟠っている。

 ――解決出来なくても、何か力になれれば良いのだけど……

 そういう意味では、実習課題をしっかりこなすのがオットー元締め――そして、ケルディックのためになるはずだ。

 だが、それだけじゃなくて、もっと他に……

「何か出来ないのかしら……」

 机に突っ伏したアリサが溢すと、隣で必死にレポート作成に挑んでいたリューネが心配そうに覗き込んでくる。

「アリサさん、大丈夫ですか?」

「う~ん、大丈夫~」

 と、気の抜けた声で返すと、レイルが近寄ってきながら、

「あんまり思いつめても、身が持たないぞ」

 それより、とレイルが壁に掛けられた時計を指差す。時刻は18時30分を過ぎたところで、窓の外はだいぶ暗くなっていた。

「この辺で中断して夕食にしようか」

「……そうね」

 悩み続けていても仕方ないと割り切り、アリサは先に部屋を出て行くメンバーに遅れないよう後を追いかける。

「ところで」

 階段を下りながら、アリサがふと口を開く。

「そろそろ話す気になったかしら?」

「……………………」

「……………………」

「……………………」

「こら」

 どうやら口を割る気はないらしい。

 

 

「今頃B班のエマ達はどうしてるのかしら……?」

 地の物をふんだんに使った夕食に舌鼓を打った後、食後のコーヒーを味わいながらアリサが溢すと、リィンが苦笑を浮かべて答える。

「そうだな……こんな風に一緒にテーブルを囲んではいなさそうだけど」

「そうだねぇ……」

 エリオットは呟き、B班の様子を想像してみた。

 個々で見れば、ほぼ全員がしっかり者だし、最年少のフィーもなんだかんだで問題なくやれてそうな気がする。

 ただ、組み合わせを考えると、苦い笑みが浮かんできてしまう。

 ユーシスとマキアス。

 入学初日から犬猿の仲である2人が同じ班で上手くやれているとは想像出来なかった。

 それに、風見亭に戻ってくる前、ケルディックを後にするサラが残した一言が更に不安を掻き立たせた。

『向こうがグダグダになってきた』

 そう言い残したサラの言を信じるなら、何か問題が生じたと考えて間違いなさそうだった。

「向こうにはエミナもいることだし、大問題になることはないと思うが……」

「お兄ちゃん、それだと少なくても問題は起きるって聞こえるよ?」

「だが、あの者達のことだ。諍いの1つや2つ、起こしているのが目に浮かぶな」

 リューネに突っ込まれるレイルに便乗し、ラウラが軽口を言う。

 それに一同が、『まぁ、確かに』と気持ちが1つになるのを感じた。

「それにしても、どうして僕達Ⅶ組は集められたんだろう?」

 話が途切れたのを見計らって、エリオットが前々から感じていた疑問を口に出した。

 ARCUSの適性によって集められたのであれば、今日のような実習内容にはならないはずである。

 特別実習はまるで彼らに色々な経験を積ませようとしているようにも感じられた。

「……士官学院を志望した理由が同じ、でもないよな」

「その発想はなかったわね……」

 リィンが呟くと、アリサが何かを考え込むように俯いた。

 そして、話の流れがそれぞれの志望動機へと変わった。

 ラウラは目標としている人物に近付くため。

 アリサは上手く行っていない実家から自立するため。

 女子2人の話を聞いて、エリオットは自分の理由が少数派に属することを察した。何かを目的としている2人に比べ、自分は、

「元々、士官学院とは全然違う進路を希望してたんだよね」

「確か……音楽系の進路だったよな」

 以前そのことを話したリィンが確認してくる。

 他のメンバーにはまだ話したことがなかったから、一様に驚いていた。

「言われてみれば、確かに似合ってると思うぞ」

「そうかな? まぁ、そこまで本気じゃなかったけど……」

 レイルに言葉に破顔しそうになるのをぎりぎりで堪える。

「レ、レイルはどうなの?」

 話題を自分から逸らすために、矛先をレイルへと仕向ける。

「俺? 俺とエミナは……色々と理由があるんだが、ある人物への借りを返すため、だな」

「借り?」

「ああ。詳しくは話せないけど、そいつにでかい借りがあってな。それを返すために俺達はトールズに入学したって訳だ」

 士官学院に入学することが借りを返すことに……?

 いまいち要領を得ないエリオット達だったが、今ここで問いかけても明確な答えは返ってこないだろうと察し、彼の妹へと話題を移した。

「えっと……じゃあ、リューネやフィーも?」

 エリオットがレイルの隣に座るリューネへと視線を移すと、自然と彼女へと関心の目が注がれる。

「えっと、私の場合、その人に凄いお世話になったのもあるんですけど……広い世界を見てみたい、というのが1番の理由です」

「フィーに関しても、似たような感じだ」

「へぇ」

 頬を赤く染めて恥ずかしそうにしているリューネだが、その姿はエリオットにとってとても眩しく感じられた。

 ……それに比べて、僕は……

 思考がネガティブになりかけているのに気付き、内心冷や汗を流しながら、嫌な考えを頭の片隅へと追いやる。

「それで、あとはリィンだけど」

「俺は……そうだな……」

 話を向けられたリィンが瞳を閉じ、考え込む。

 そして、顔を上げた彼は士官学院に入学した目的を口にした。

「自分を――見つけるためかもしれない」

「え?」

 思わぬ発言にリィンを除く全員が目を丸くしていた。

 その様子にリィンは困惑した様子で弁解してくる。

「その、大層な話じゃないんだが……あえて口にするならそんな感じで……」

「ふふ、貴方がそんなロマンチストだったなんて。ちょっと意外だったわね」

「あまりからかわないでくれ……」

 変なことを口走ったなと溢すリィンの耳がはっきりと紅く染まっていたのをエリオットは見逃さなかったが、それを指摘するのは可哀想に思えたので、心の片隅に留めるだけにしておいた。

 

 

「さて、そろそろ部屋に戻ってレポートの続きをしないとな」

 空腹が満たされ落ち着いてきた頃合で、リィンが号令を掛ける。

「このままベッドに倒れこみたいけど、そういう訳にもいかないわね……」

 と、肩を落とすアリサを先頭に各々が階上の部屋へと戻っていく。

「どこに行く気だ、レイル?」

 そんな中、レイルだけは別方向、外に向かおうとしたのをリィンが見咎めて声を掛ける。

 すると、レイルは手をひらひらと振りながら、

「俺はもうレポート書き終わったから、ちょっと夜風に当たってくる」

「な……もう終わったのか」

 その速さにリィンだけでなく、階段を上り切ろうとしていたメンバーたちをも驚愕に震えさせた。

 スムーズに作成出来ていたと思っていたリィンですら、ようやく半分程度を書き上げただけなのに、レイルは既に完成しているというのである。

 その事実に驚かざるを得なかったが、当のレイルは気にした様子もなく、

「遅くならない内には戻るから、お前達はちゃんとレポートを仕上げておけよ」

 と言い残して、外へ出て行こうとしたので、リィンは思わず彼の名を呼び、

「もし良かったら、後で稽古に付き合ってくれないか」

「早速だな……あんまり気負いすぎるなよ」

「あぁ、ありがとう」

 じゃあまた後でな、と了解の意を告げて、今度こそレイルは風見亭を後にした。

「ふふ、あの子は相変わらずだねぇ」

 その様子を窺っていたマゴットの言葉が耳に留まり、リィンはふと浮かび上がった疑問を口にした。

「マゴットさんは、レイルのことを知っているんですか?」

 思えば、ここに来た時にはサラとも親しげに話していた。その上、レイルとも知り合いというのであれば、彼女の交友関係――はともかくとして……

 ――そう言えば、レイルとエミナも入学する前からサラ教官のことを知っているような感じだったな……

 今更ながら、彼らの関係性について気になりだし始めた。

「あの子達とは、3年前からの付き合いだからねぇ……相変わらず、どこか掴み所のない――風のような子だけど、元気そうで本当に良かったよ」

 かつての日々を思い出しているのか、彼女のそう語る表情は、とても暖かなもののように感じられた。

 

 

「夜分に失礼します……ええ、お久し振りですね……取り次いで頂けますか? ……ありがとうございます……………………いえ、待ってませんよ。と言うより、随分と呼吸が荒いようですが大丈夫ですか? …………ええ、しばらく連絡もせずにすみません。…………そんな、謝らないでください。あの件については……・・はい、直接お会いしたときにでも……それで、本題なんですけど……既に察知していると思いますが……ええ、そうです……もしかしたら協力を、って即答ですね……いえ、助かります…………恐らくですが、明日にでも状況が動くと思います……そちらの動きについては任せます……はい、それでは」

 

「よろしくお願いします、クレアさん」

 



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ルナリア自然公園

「これは……」

「随分と荒らされたようだな……」

 特別実習2日目の朝。マゴットから渡された本日の実習内容を確認している所、駆け込んできた風見亭のウエイトレス――ルイセから聞かされた内容に、リィン達は大市へと急行した。

 そこで待ち受けていたのは入り口正面にある屋台が無惨に破壊されているという光景だった。

 更に、遠目でも分かるほどに、そこには屋台の残骸しか見当たらなかった。

 ルイセの証言通り、その屋台の商品が根こそぎ盗まれているのだろう。

「まずいな」

 レイルが苦虫を噛み潰したかの様に顔を顰める。

「この野郎!」

「絶対に許さんぞ!」

 離れているこちらまではっきりと聞こえてくる2つの罵声に、リィン達は事態の深刻さを理解した。

 視線の先、昨日も出店場所を巡って争っていた帝都商人のハインツと地元商人のマルコが、昨日以上に鬼気迫る勢いで口汚く争っていた。

 その傍らでオットー元締めが必死に2人を宥めようとしているが、辛うじて取っ組み合いにならないのを防いでいるだけに留まってしまっている。

「ぼ、僕たちも止めに行こう!」

 引け腰ではあるものの、エリオットの提案にリィン達は頷き、争いを仲裁するために駆け出した。

 その時、リィン達は誰もが予感していた。

 何かよからぬ事が起ころうとしていると……

 

 

「さて、一度情報を整理してみよう」

 リィンの提案に他のメンバーが一様に頷く。

 あの後、リィン達は大市で引き起こされた騒動に疑念を抱き、オットー元締めに頼み込み調査へと乗り出していた。

 帝都方面行きの最終列車というタイムリミット、そして必須ではないとはいえ用意された課題をこなしつつ、リィン達は二手に分かれての調査を開始した。

 そして、それぞれが掴んだ情報をまとめるため、風見亭で落ち合い、昼食を摂りつつ情報を交換し合う。

「って、そう言えばレイルはどうしたんだ?」

 1度は戻ってきたはずの彼がいないことに気が付いたリィンが周囲に尋ねてみると、リューネが申し訳なさそうに答えてくれる。

「えっと、ちょっと気になることがあったみたいで、それを調べてくるって」

「そうか。なら、俺達はレイルが戻って来るまでに可能な限り情報をまとめておこう」

 レイルが何を気にしたのか、リィンは僅かな引っ掛かりを覚えたが、今は自分達に出来る事に集中しようと意識を切り替える。

 屋台の破壊並びに商品の盗難が発覚したのは今朝方の話である。

 商人達が証言していることから、大市の門が閉められた昨夜21時から大市の準備が始まる今朝6時までに犯行が行われたとみて間違いない。

 そして、被害にあったのは大市に入って正面、絶好の位置取りにあったハインツの店――と、大市奥に位置するマルコの店の2箇所である。

 2人は昨日、同じ場所の出店許可証を持っているとして、場所を巡って口論を繰り広げていた。

 オットー元締めの仲裁により、定期的に場所を入れ替えて商売を行うことになり、先に大市正面を使うのはハインツになったのだった。

「これだけ聞くとマルコさんが腹いせにハインツさんの店を滅茶苦茶にしたって思われるけど……」

「それだとマルコさんの店が滅茶苦茶にされていた理由が分からないわね」

 アリサの言葉を受けてエリオットがだよね、と肩を落とした。

「マルコさんはそれについて、ハインツさんが出店場所を独占するためにやったことだろうって仰ってましたね」

 リューネがその時の様子を思い浮かべるように視線を中空へと向ける。

 だが、ハインツが犯人だとすると被害者側に立つためとはいえ、自分の店を滅茶苦茶にするだろうか、という疑問が浮かび上がる。

「領邦軍が言っていた“互いに互いの店を滅茶苦茶にした”と言うのもこじ付けでしかないわよね」

 アリサが今朝の諍いを仲裁に来た領邦軍が下そうとした判断を口にして、それに続く形でラウラが、

「確かに。ろくに調査もしない内から決め付けるのは、如何に領邦軍と言えど横暴が過ぎる」

 と、彼らの態度を非難する。

「…………妙だな」

 皆の話を黙って聞いていたリィンが口を開くと、一同の視線が彼へと集中する。

「妙って、何が?」

 エリオットが代表して尋ねると、リィンが眉間に皺を寄せながら自身の中に覚えた引っ掛かりを口にする。

「領邦軍の動きが妙なんだ」

 オットー元締め曰く、大市に対する増税撤廃の嘆願を取り下げない限り、領邦軍はそこでの問題に不干渉を貫くときていた。

 だが、その領邦軍が何故今日の争いを、横暴とはいえ、取り持つような真似をしたのだろうか……

「言われてみれば、おかしな話だな」

「行動に一貫性がないですね」

「ってことは、領邦軍が今回の事件に関係してるってこと?」

 エリオットが信じられないと言いたげに溢すが、リィンは明言を控えた。

「……分からない。けど、彼らに“何か”あるのは間違いないと思う」

 だったら、

「手掛かりが少ない以上……打って出よう」

 リィンの言葉に一同は力強く頷いた。

 

 

「思っていた以上に真っ黒だったわね……」

 アリサは呆れたと言わんばかりの溜め息を盛大に吐いてみせる。

 リィンの提案により、領邦軍の詰め所まで押し掛けたアリサ達。

 エリオットの機転により、引き出した情報は大当たりであった。

「うん。よくぞ有益な情報を引き出してくれたな」

「はは、たまたま上手くいっただけだよ」

 ラウラの賛辞に照れ笑いを浮かべるエリオット。

 だが、彼の話術によって、ろくに調査を行っていないはずの領邦軍が、被害にあった商人が所有していた商品を把握している、という情報を得ることが出来た。

 そしてこれまでの大市を取り巻く状況から導き出せるのは……

「計画的犯行、か……」

 リィンの言葉にアリサは頷き返した。

 大市の管理が公爵家であるなら、その子飼いである領邦軍が情報を得ていてもなんらおかしくはない。

 そして、許可証の重複や盗難などの問題を引き起こし、領邦軍の介入が不可欠という状況に追いやることで、

「ケルディックの人達の方から増税取り止めの陳情を撤回させる、ってことかしらね」

 アリサの推論に異を唱える者はいなかった。

「でもどうしよう? 領邦軍が犯人だとしたら、僕達じゃどうしようにも……」

 折角解決の糸口が見えたのに、相手が領邦軍では士官候補生である自分達に手出しは出来ない。たとえ告発したところで、学生の戯言だと揉み消されるのが目に見えている。

「いや、プライドの高い領邦軍のことだ。自ら手を汚すことはするまい」

 恐らく実行犯がいるはずだ、と語るラウラに1度は沈み掛けた雰囲気が持ち直す。

「それじゃあ、その実行犯を捕まえることが出来れば……」

「問題は残るが、事件は解決するだろうな」

 リューネの言葉を継ぐように、一同の輪の外から声が掛かる。

 そこにいたのは、

「お兄ちゃん!?」

「よう」

 と、気軽に手を上げて輪に加わるレイルに、アリサはジト目を向けた。

「あなた、どこに行ってた……のは、後で良いわ。それより、問題が残るってどういうことよ?」

「簡単なことさ。実行犯を捕まえたところで領邦軍は我関せず……つまり罪を擦り付けて自分達は無傷。大市への嫌がらせも続くだろうな」

「なっ――!?」

 確かに、少し考えれば想像の付く話である。

 今回の一件を根本的に解決させるためには、領邦軍そのものに罪があると糾弾しなければならない。だが、今の自分達に出来るのは、いつでも切り捨てられるトカゲの尻尾を掴むのが限界だった。

 ――それでも、何もしないよりは――!

「それでも、何もしないよりかは良い筈だ」

「え……?」

 悔しさに歯噛みするアリサの傍ら、リィンが彼女の心を代弁するかのように宣言する。

「この町の人達を苦しめる理不尽を見て見ぬ振りは出来ないし……俺達に出来ることがあるならどんな些細なことでもやり遂げるべきだと思う」

 リィンの迷いのない言葉にラウラが、エリオットが、リューネが、決意に満ちた瞳を湛えて頷いている。

 そしてその視線がアリサへと移る。

 ――私は……

 どうなのだ、と問われている気がしたが、聞かれるまでもなかった。

「勿論よ。どんなに小さな事だとしても、動かなければ事態を好転させることは出来ないわ!」

 きっぱりと、アリサは自分の意思をレイルへとぶつける。すると彼は、肩を落としながら、

「おいおい。この流れだと、俺が反対してるみたいじゃないか」

 アリサにはそのように聞こえたのだが……

「俺も賛成だよ。俺達は俺達に出来る精一杯のことをやっていこう……それに問題を解決する手がない、わけじゃない。だから」

 そして、レイルが今まで見せたことのない、悪戯を思い付いた無邪気な子供の様な笑顔を浮かべて――

「――まずは“王手(チッェク)”を掛けに行こうか」

 

 

 ルナリア自然公園。

 ケルディック北部に位置するヴェスティア大森林の一画を使って作られた観光名所である。

 古代の精霊信仰において精霊を鎮めるために用いられた鎮守の森としての逸話も残されている場所だった。

 だが、この場を訪れた者であれば、その逸話もあながち間違いではないと思うことだろう。

 鬱蒼と生い茂る木々の隙間から差し込む陽光が大地を照らし、静謐に包まれた空間はまさに荘厳と言っても過言ではなかった。そして極めつけなのが、各所に点在する石碑の数々である。これらを見た者は皆、この地に根付いていた精霊信仰の存在をはっきりと感じ取ることになるだろう。

 だが今は、普段の静けさとは異なる張り詰めた空気が辺りを満たしていた。

「魔獣だけじゃないな……普通の動物達もピリピリしてるな」

 自分達が来る前から緊張に満ちた空気を感じたレイルは、自分達以外の誰かがこの公園内にいることを悟った。

 ただの観光客というのであれば、こうはならないだろう。

 ――恐らく、縄張りを荒らすような無遠慮な存在、か。

 それに――

「それが落ちてたから、間違いないな」

 レイルはアリサが握っている物へと視線を注ぐ。

 それは自然公園の入り口に落ちていた物で、同時に、ハインツが取り扱っていたブランドの商品と同じ物でもあった。

 レイルが集めてきた証言を元にここまでやってきたのだが、どうやら間違いなかったようだった。

 実行犯はこの中のどこかにいる。

 そう確信した一同は、慎重かつ迅速に犯人を追い詰めるため、先を急いだ。

 そして……

 

 

「ハッ! 所詮はガキ共だ! 一気にぶちのめしてやれ!」

 自然公園の奥地――開けた場所で大市から盗み出したと見える商品の数々を前に油断していた偽の管理人達。

 領邦軍に雇われたであろう相手はリィン達の出現に驚きはしたものの、こちらが学生であると見ると一変、強気な態度でそれぞれがライフルを構える。

 数の利では向こうが不利なはずだが、手にした獲物が気を大きくさせているのだろう。

「ARCUSの戦術リンクを最大限に活用するぞ!」

『了解!』

 しかし、銃口を向けられて尚リィン達は怯むどころか、彼の号令に応じ、即座に陣形を組み立てる。

 先陣を切ったのはリィンとレイル。持ち前の速度を生かし、敵の陣形を切り崩していく。そこを続くリューネとラウラが相手を無力化していく。そして反撃に移ろうとした相手を後方支援担当のアリサとエリオットが牽制する。

「こいつら、ただのガキじゃねぇ!?」

 4人中3人――瞬く間に仲間の半数が制圧され、驚愕に顔を歪めるリーダー格の男。

「こ、この!」

 最早苦し紛れに銃を乱射しようとするが、引き金を弾く直前、アリサが放った炎を纏った矢がライフルを破壊する。

「なっ!?」

 男の顔が最早恐怖と呼べる色へと染まる。

「――勝負ありだ」

 そして、リィンの一言で男は地面に膝を着いて項垂れた。

「投降して、大市の人達にきちんと謝罪してもらうぞ」

「そちらの盗難品も全て回収させてもらうわ」

「それと、“誰”に頼まれたかも話してもらう必要がありそうだな?」

「くっ……」

 男達の表情が苦悶に歪む。

 先程レイルが語ったように、彼らを捉えたところで黒幕は彼らを切り捨てるだろうが、彼らの口からその名を聞き出すことが出来れば、事態は好転するはずだろう。

 だが――

「…………?」

「エリオット?」

 エリオットが何かに気を取られたのか、周囲の様子を窺っている。それに気付いたレイルが声を掛けると、エリオットが自信なさ気に答えた。

「何だか笛のような音が聞こえたような気が――」

 エリオットの言葉がそこで途切れる。

「!?」

「な、なんなの!?」

 その場にいた誰もが緊張に表情を固くする。

 耳を劈く咆哮。

 それは大型の獣を彷彿とさせるには十分過ぎるもので――

「来るぞ!!」

 レイルの叫びにリィン達は身構えた瞬間。

 地響きを伴って近付いて来るソレが姿を現す!

 

 

「ひ、ひぃぃぃ」

 その姿に怯える男達が哀れな悲鳴を上げる。

 だがそれも無理からぬものだった。

 全長5アージュはゆうに超える巨体。巨木を思わせる前肢に剥き出された鋭利な牙。

 巨大なヒヒにも見える彼の存在こそ、ルナリア自然公園のヌシであるグルノージャ。

 己が縄張りを荒らす存在を許さぬ彼は、極限まで気が立っている様子で、その獰猛に射竦められた男達は腰を抜かし、無様に後ずさるだけであった。

 だが、彼らは違った。

 レイルが、

「どうやら、俺達を排除しに来たみたいだな」

 エリオットが、

「それにしても尋常じゃない怒り様だけど……」

 リューネが、

「こちらに敵意がないことを分かってもらえれば良いんですけど」

 ラウラが、

「それは難しいだろうな」

 アリサが、

「ええ。やるしかないようね」

 リィンが、

「ああ。彼らを放り出す訳にはいかない! 何とか撃退するぞ!」

 各々に武器を構え、グルノージャへと対峙する。

 それを見取ったグルノージャが一際大きな咆哮を轟かせる。

 すると、木々の隙間―リィン達を挟み込む様に両サイド―から中型の魔獣・ゴーディオッサーが姿を現す。その数は――4。

 それには流石にアリサとエリオットが表情を曇らせる。

 だが、リィンとラウラはレイルへと視線を注ぎ、無言で問い掛ける。

 それを受けてレイルは、余裕の笑みさえ浮かべて応じる。

「任せとけ。だが、位置が悪いな……リューネ、左の2匹を頼む」

「うん。任せて、お兄ちゃん」

 そう言って進み出るリューネの顔は、普段の愛らしいそれではなく、静かな闘志を宿した戦士のそれであった。

「ちょ、ちょっと……」

「幾らなんでも分が悪すぎるんじゃ……」

 敵の増援に弱気が顔を覗かせた2人に、それでもリィンは大丈夫だと頷いてみせた。

「あのレイルが言うんだ。きっと大丈夫だ」

 昨日リィン達にその力量を披露したレイル――そんな彼が任せておけと言ったのだ。そして、彼から敵の半分を任されたリューネもまた問題ないのだろう。

「俺達は目の前の大型に集中する――行くぞ!」

 リィンの号令が響くと共に、火蓋が切られた。

 

 

「ふっ」

 リューネは短く息を吐き、小刻みに刻むフットワークで相手の攻撃をかわし続けていた。

 身の丈約2.5アージュ――昨日戦ったスケイリーダイナに比べると小柄だが、それでも自分の倍近くある巨体である。

 振るわれる腕が今の自分を捉えれば大怪我は免れない。だが、その巨体ゆえに動作は大振りで、今のところ掠りもしない。

 厄介なのは、

 ――連携をとってくること、です。

 魔獣の中には群れで行動するものも珍しくない話である。ただ、そういった行動をとる種というのは、概ね2つのパターンに分類される。

 1つは個々の能力が低く、群れることが必須の種。

 1つはカリスマある統率者によって群れを形成する種。

 そして目の前の魔獣は――後者。

 群れなくても十分な力を持っているであろうゴーディオッサーは、それを纏め上げるボス的存在であるグルノージャによって統制が摂られている。

 故に複数で獲物を狩る場合、彼らは巧みな連携でターゲットを追い詰める。

 けど、

「それだけだと、私は捕まえられませんよ」

 呟き、リューネは規則的に刻んでいたリズムをあえて乱した。

 左右に振っていた身のこなしに縦の動きを加える。

 すると、リューネの動きに慣れつつあったであろうゴーディオッサー達が彼女を見失い、戸惑いに包まれる。

「これで決めます」

 その隙を突き、1体の懐に潜り込んだリューネは、その胸部へと手を添える。

 取り込む呼吸は丹田へ。溢れ出そうとする力を一点に集約し、対象となる存在――その内側へと衝撃を叩き込む。

「神薙流体術・奥義、剛掌破!」

 体内で練り上げた破壊のエネルギーを手の平を介して、魔獣の体内へと叩き込む。

 強靱な肉体の内側へと深く響いた衝撃により、魔獣はその体を跳ね上がらせると、痙攣と共に泡を吹いて、地に伏した。

「次!」

 仲間が倒されたことで尻込みするもう1体へと向き直り、リューネは己の気を高めていく。

 

 

「流石は霊長類型、と言ったところか」

 こちらを捉えようとする拳を見切り、レイルは危なげなくそれを回避しながら、冷静に相手の分析をしていた。

 巧みな連携から繰り出される攻撃は、優秀な統治者の存在が生み出した賜物なのだろう。群れとして統率が取れていることに感心する一方、レイルはある疑問を抱いていた。

 確かにグルノージャは気性が激しい魔獣に分類されている。だが、

 ――ここまで荒れ狂うか?

 縄張りを荒らされたり、仲間に危害を加えられれば、当然のように怒り狂うだろうが、それにしても今の様子は常軌を逸していた。

 横目でリィン達と対峙するその姿を観察する。その様子は狂気とも呼べるものに捉われているように感じられた。

 ――まさか……

 嫌な予感が脳裏を過ぎり、レイルは舌打ちする。

 もし予想が当たっていれば、グズグズしている暇はなかった。

「悪いがお前達の相手をしている余裕はないみたいだ」

 バックステップで距離を取り、2体を射程圏内へと納める。

 太刀を上段に構え、その刀身へと力を注ぐ。

 力は変質し、渦巻く炎へと姿を変える。

 螺旋を描く炎が刀身を包み込み、鍔元を基点、刀身を軸として広がっていく。

 その形は東国に伝わる扇を連想させるもの。

 その形状を保ち、規模を膨れ上げさせ、魔獣諸共地面へと叩き付ける。

「神薙流剣術火の型・奥義、業火扇!」

 地を焼き、魔獣達を包み込む紅蓮の扇――だが、程無くして炎は霧散して消え去った。

「流石にここを燃やすわけにはいかないからな」

 焼け焦げた地面と倒れ伏し辛うじて息をしている魔獣達を一瞥した後、レイルはリィン達に加勢すべく動き出そうとした。

 だが、

「…………」

 茂みの奥から現れたゴーディオッサー達にレイルは先程の予感が確信に変わるのを感じた。

 血眼でレイルを睨み付けるゴーディオッサーの群れ。

 先程のゴーディオッサーとは違い、今リィン達が対峙しているグルノージャと同様に狂気に満ちたその姿を捉え、レイルは呟く。

 

「この群れ……操られてるな」

 



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踏み出す一歩

 戦局は一進一退を繰り返していた。

 狂乱状態のグルノージャの猛攻は、夏季に訪れる嵐を彷彿とさせるものであり、常人では到底近寄ることも叶わない程であった。

 対するリィン達は、ARCUSの戦術リンクを駆使することにより、巨躯から放たれる攻撃をかわし、懐へと潜り込み、その体躯へとダメージを刻んでいく。

 だが、グルノージャの巨躯が持つ生命力は、人間のそれとは桁外れであった。

 リィンとラウラが肉薄し、アリサとエリオットが遠距離からのアーツで攻撃を加えようと、グルノージャは怯むどころか、煩わしいものを払いのけるかのように豪腕を加速させる。

「そんな……ダメージは通っているはずなのに」

 魔導杖の解析ユニットに映し出された結果では、確かに生命力は低下していた。だが、依然弱まる気配を見せないグルノージャに対して、エリオットの表情に絶望が漂い始める。

「なんとか怒りを鎮めることが出来れば……」

 自身のダメージを省みないのは狂乱状態に陥っているためなのは推測出来たが、何故そのような状態になったのかが分からない。原因が分からない以上、怒りを鎮めるというのは難しい話だろう。アリサもそれが分かっていたのだが、その表情が苦悶に歪む。

 幾度かの攻防を凌ぎ切り、グルノージャから距離を置き、態勢を整える。

 グルノージャの方も態勢を整えるためかこちらの様子を窺っているが、いつまた襲い掛かってくるか分からない状態であった。

「……ならば、渾身の一撃で戦闘不能に追い込む以外あるまい」

 額を流れる汗を鬱陶しそうに、されど両手は柄から離しはせずにラウラが打開策を提案する。

 アリサとエリオットが息を呑む。そんなことが可能なのか、と。

 だが、リィンは深く追求することなく、敵から視線を逸らさずにいるラウラへと簡素な言葉を投げかけた。

「……いけるのか?」

「勝算はある」

 間を置かずして返ってきた答えに、リィンも腹を決めた。

「なら、俺達で奴を引き付ける。その隙にラウラはとどめを」

「すまない」

 アリサとエリオットが後方支援を主体とした戦闘スタイルであるため、敵の気を引くとなれば、その標的は主に前線で戦うリィンへと集中してしまう。

 強大な敵の猛威に晒させてしまうという引け目から、自ずとラウラの喉は震えていた。

 そんな彼女を安心させるために、リィンははっきりと告げた。

「大丈夫だ。必ず俺達でラウラの道をつける」

「私達もサポートするから無茶しないでよね」

「女神様、どうかご加護を」

 意気込むリィンに続き、アリサが頷き、エリオットが不安を紛らわせるために空の女神へと祈る。

「かたじけない」

 仲間の存在をありがたく感じ、ラウラは今一度大剣を握り締める。

 敵は未だに余力を残しているように感じられる。

 それを自らの一撃の下、戦闘不能へと追いやる。

 出来る、と言い切ることは叶わぬが、成さねばならぬという思いが、ラウラの感覚を研ぎ澄ましていく。

 そして、こちらの動静を窺っていた相手が呼吸を整え終え、耳を劈く咆哮を上げ襲い掛かってくる。

「――推して参る!!」

 

 

「このままじゃ、ジリ貧だな」

 ゴーディオッサーの群れをいなしながら、レイルは戦況を分析していた。

 群れの長であるグルノージャはリィン達が相対しているが、決定打に欠け、長期戦にもつれ込んでいる様子だった。

 こちらも二手に分かれた群れの片方を相手取り、もう片方はリューネが対処している。

 ゴーディオッサーの相手であれば、レイルもリューネも危なげなくこなせている。だが、徐々にその数を増しているため、このままのペースだとやがて戦線を突破されリィン達にも襲い掛かるだろう。

 群れを無力化しきるのが先か、突破されるのが先か……先の見えない状況での現状維持はあまりにも分が悪かった。

 ならば、

 ――アレを使う、わけにもいかないか……

 この状況を打開出来る奥の手はあるが――消耗が激しく、あくまで短期決戦向けである。この場を凌げたとしても、増援が来た場合、力を使い果たした自分は足手まといになるのが関の山である。

 それにこの群れは、何者かによって操られていると見て間違いない。つまり、巻き込まれた側だ。

 ――なら、無益な殺生は極力控えるべき、だよな……

「……仕方ないな」

 ゴーディオッサーの攻撃を受け流し、距離を取ったレイルが言葉を漏らす。

 状況の面倒臭さを感じて表情が歪むが、すぐにその色を消し、リューネへと呼び掛ける。

「こっちは俺が引き受ける! その間に元凶を叩いてくれ!」

「――! 了解!」

 リューネの方も群れが操られていると察していたのか、疑問を抱くことなくレイルの言葉に頷いて見せた。

 リューネは敵の力を受け流し、別の個体へとぶつける。同士討ちを起こさせた隙に戦線を離れ、森の奥へと姿を消していった。

 それを見送ったレイルは、態勢を整えリューネを追うものとリィン達に向かおうとしたものに対して牽制を入れる。

「行かせねぇよ」

 瞬時に二撃。それぞれの進行方向を遮るように斬撃を飛ばす。

 神薙流剣術・秘技、烈閃。

 闘気をまとわせた斬撃を飛ばし、相手の機先を制した。

「悪いがここからは俺が纏めて相手してやる。殺しはしないが――」

 レイルの身体が不意に揺らぐ。

 直後。今までレイルが相手取っていたゴーディオッサー達が背後から襲いかかってきた。しかし、彼らが振るった腕の先には何もなく、空を薙ぐだけに終わった。

 標的を見失い動揺を浮かべるゴーディオッサー達の背後。瞬発的な加速を以って攻撃を掻い潜ったレイルが声を発した。

「――心して掛かって来い」

 瞬間。レイルの周囲で風が荒れ狂う。

 例えるならば、その姿は暴風を纏った鬼。

 暴虐を体現したかのような姿を前に、ゴーディオッサー達の顔に恐怖が浮かび上がった。

 

 

「そこ!」

 アリサの裂帛の気合と共に炎を宿した矢が放たれる。

「い、行けぇ!」

 少し遅れてエリオットがARCUSを起動させ、紅蓮の火球がグルノージャの頭部目掛けて弧を描く。

 火を苦手とするグルノージャであったが、正気を失った今では傷を負うことを厭わず、直撃を受けても尚、獲物を狩ろうと侵攻を止めない。

 だが、今の攻撃で動きが鈍ったのが目に見えて分かった。

 ここが好機だと察したリィンは、グルノージャの眼前に躍り出た。

 至近距離へと間合いを詰めたことで、標的がリィンへと移る。

 受けた傷のお返しとばかりに、グルノージャの猛攻は止むことはなく、リィンに降りしきる。

 だが、動きが低下した今、その連撃は隙だらけだった。

「はあっ!」

「――ッ!!」

 隙を縫い、太刀を浴びせていく。一撃一撃は微々たるダメージだが、幾度も繰り返していくうちに、グルノージャの体表には無数の裂傷が刻まれていった。

 しかし、リィンも全くの無傷というわけにはいかなかった。

 直撃は免れているものの、その豪腕から放たれる一撃は掠っただけでリィンに傷を負わせていく。

 アリサやエリオットからの援護があるもののこのままでは分が悪かった。

 ――まだだ。

 それでもここで退くわけにはいかなかった。

 この窮地を脱するためには、相手に大きな隙を作らせる必要がある。

 こちらからは勝負に出ず、小さな隙を縫うように反撃を繰り返していく。そして遂に、業を煮やしたグルノージャがリィンを屠るために腕を大きく振りかぶった。

 それは今までとは異なる必殺の一撃だった。

 全身の力を込めて放たれる一撃は、例え外れたとしても生み出した衝撃だけで大ダメージは必至だと想像出来る。

 だが、リィンは浮き上がって来そうになる恐怖を押さえ込み、無理にでも口角を上げた。

 ――今だ!

 グルノージャの拳が放たれる直前、リィンは持ち前のスピードでグルノージャに肉薄する。そして、接近と同時に太刀を納刀。続けざまにすれ違い、その脚部を斬りつける。

 八葉一刀流、紅葉切り。

 渾身の一撃を放つためにバランスを取っていたグルノージャだが、脚部へのダメージにより体勢を崩してしまう。

 しかし、強靱な身体能力でどうにか踏み堪え、リィンへと振り返ろうとする。

「――!?」

 だが、それも途中で止まらざるを得なかった。

 リィンが作り上げたその隙を逃さぬよう、機会を窺っていた者がグルノージャに迫る。

「はあぁぁぁっ!!」

 ラウラだ。

 彼女の持つ大剣が輝きを纏い、グルノージャへと振り下ろされる。

「奥義――洸刃乱舞!!」

「――ッ!!」

 光の剣が巨躯を捉える。

 グルノージャの喉からは苦悶の叫びが放たれるが、ラウラの手は止まらない。

 二撃、三撃と続けて放たれる剣閃は、まさに乱舞と言うに相応しい猛々しくも高貴さを感じさせるものだった。

 その流れるような連撃に見惚れていたリィンだったが、異変を感じ取り、思うより先に駆け出していた。

「ラウラッ!!」

 

 

 奥義を放ち終え、くず折れていくグルノージャ。

確かな手応えを感じたラウラは、自分が成しえたことを噛み締めていた。

 ――厳しい戦いだった。

 故郷にいた時にも大型魔獣と遭遇し、これを撃退したこともあったが、その際は父も共にいたので絶対の安心の中で戦うことが出来た。

 だが、今は父もおらず、生まれも育ちも違う学院生のみで対峙し、それに打ち勝つことが出来たのだ。

 まだまだだと、己の未熟さを感じる傍ら、共に戦う仲間がいることの喜びを感じ、ラウラはふと笑みを浮かべていた。

 それが、致命的なミスだった。

「ラウラッ!!」

 リィンの叫びが耳朶を打つ。

 その声に込められた緊迫感に、ラウラは己の油断を呪った。

「!!」

 眼前。確かに打ち倒したと思っていたグルノージャが、先の攻撃を耐え切り、今まさにラウラへと反撃を加えようとしていた。

 ――駄目だ。

 ラウラは瞬時にそう悟った。

 剣を盾にすることも、無理にでも身体を飛ばして避けることも、間に合わない。

 逃れようのない死が襲い来る。

「――!」

 言い知れない恐怖を覚え、声にならない叫びが喉を振るわせた。

 直後。

 その視界に、紅の色が映ったのに気付いた。

 血の色ではない。

 血よりも鮮やかに、そしてここ最近で見慣れた――トールズ士官学院特科クラスⅦ組の制服。

 それを纏う者の名は――

「リィン!?」

 

 

 咄嗟に駆け出していたリィンは、心の奥底から湧き上がってくる衝動を抑えようとしていた。

 それは暗く、黒い、おぞましささえ感じる衝動。

 何もかもを壊して、壊して、壊し尽してしまいそうになる激情。

 その衝動に身を委ねてしまえば、きっと目の前の敵を倒すことが出来るだろう。

 ――けど、それじゃ駄目なんだ!

 かつてもそうであったように、その力で仇なすものを屠ることが出来る。

 ――それじゃ意味がないんだ!

 それでは、何のためにこの道を選んだのか分から、な……く……

 ――あ……

 自分は何のために力を求めたのか?

 ――俺、は……

 敵となるものを屠るため?

 ――ちが、う。

 己の中に巣食う恐怖に打ち勝つため?

 ――それもあったかもしれない。けど……

 それだけじゃなかったはずだ。

 ――それがきっかけだったとしても……それが始まりじゃない!

 全ては――!

 

『兄様』

 

 自分をそう呼ぶ少女の姿が脳裏に浮かび……

 カチッと、何かが噛み合うのを感じた。

 

 

 離れた位置でアリサは事の流れを眺めているしかなかった。

 倒しきれなかったグルノージャが拳を振り上げ、ラウラに放とうとしている。

 咄嗟に導力弓を構えようとするが、今からでは到底間に合わない。

 分かってはいるが、それでも身体は動くことを止めない。

 間に合わなかったとしても、途中で諦めたくはなかった。

「お願い――!」

 ――間に合って!

 だが、無常にも矢を番えた所でグルノージャの腕が動きを見せた。

 もう、間に合わない。

 諦めと絶望に心が塗り潰されそうになった時、アリサの視界で動きを見せた者がいた。

 ――リィン!?

 まるで突然現れたかのようにラウラとグルノージャの間に割り込んだリィンに、アリサは目を奪われた。

 たった1ヶ月足らずの付き合いではあるが、その表情が、眼差しが、今までのものとは異なっていた。

 何がどう変わったのかを言葉には出来ないが、今のリィンからは力強さを感じられた。

 それは、何かを決意した強さだったのかもしれない。

 それは、己の殻を破った者が手にする信念の現われだったのかもしれない。

 身の内から湧き上がる何かの熱が、離れているアリサにも届いていた。

 熱く、猛々しい――それでいて優しさに満たされた炎。

 やがてそれは苦難の道を照らす篝火として、彼の者の元へと顕れる。

「はぁぁぁぁぁっ!!!!」

 それは正に焔ノ太刀。

 あらゆる困難を焼き払う一撃が放たれた。

 

 

 鬱蒼と生い茂る森の中。

 リューネは道なき道を、微かに感じられる気配を頼りに駆け抜けていた。

 ――この辺り、のはず……

 獣道を抜けた先にあった空間で、リューネはようやくその足を止めた。

「流石にもういない、よね……」

 誰もいない場所で独り言を溢す。

 当然返ってくる言葉がないのを確認して、リューネは目を閉じる。

 感覚を研ぎ澄まし、ここまで辿って来た“力”の残滓を読み取る。

 すると、ここに来るまでに感じていた“力”と同質のものをより強く感じ取れることが出来た。

 ――ここで“力”が使われたのは、間違いないみたい。

 それこそが魔獣達を操っていたものと考えて間違いないだろう。

 けど、こちらの接近に感付いたのか、その使用者の気配は微塵も感じられないほどに遠ざかってしまったようだった。“力”についても徐々に効力を失いつつあるのを感じ取れた。

 ――残滓の濃さからそう遠くには行ってないと思うんだけど……

 どうせなら捕縛しておくべきだろうと思ったが、独断で深追いはしないのが得策だろうと思い直し、リューネは来た道を急いで戻ることにした。

 

 

 遠目にグルノージャが地に伏したのを見届けると、レイルは戦いを終わらせるために周囲へと視線を投げ掛けた。

「お前達のボスはやられたけど……まだ続けるか?」

 人語を理解しているとは思えないが、周囲のゴーディオッサー達は後退り、蜘蛛の子を散らすように森へと消えていった。

 その様子は先程までと異なり、操られている様子は見受けられなかった。

「さて、と」

 レイルは自分の周りで倒れ伏している魔獣達にも視線を送る。

 どの個体もまだ息はしている。

 彼らの生命力であれば、数日で動けるようにはなるはずだろう。

「……ごめんな」

 そう溢した後、レイルは皆と合流するため広場の中央に向かった。

「よ。お疲れ様」

 悠然と声を掛けた先には、息も絶え絶えといった様子でリィン達が座り込んでいる。

「な、なんとか撃退出来たわね……」

「もう駄目かと思ったよ……」

 後方支援組の2人が深い息を漏らして全身から力を抜いていく。

「大丈夫か?」

「あぁ、すまない」

 太刀を支えに立ち上がろうとしたリィンの腕を掴み引き起こす。

 その姿はボロボロで立っているのもやっとといった様子だった。

「けど、最後の最後で何かをものにしたみたいだな」

「ラウラを助けようと無我夢中で動いただけさ。ただ、何か1つ殻を破れたのかもしれないな」

 そう言って笑ってみせるリィンに、レイルも笑顔で返す。

 遠目では詳細まで分からなかったが、ラウラを守るためにリィンは己の中の何かを乗り越えたのかもしれない、ということは理解出来た。

 ――あれは見事な一撃だったな。

 今までのリィンとは違う、力強い意志が込められた一撃。

 それは今までの修行の成果なのか、あるいは――

 ――僅か1ヶ月足らずの学院生活、いや、昨日の1件での心境の変化か……

 どちらにしても彼が成長している証なのは間違いなかった。

「ところで、リューネはどこに行ったの?」

 呼吸を整え、余裕を取り戻してきたエリオットがふとこの場に彼女がいないことを尋ねてきた。

「ああ。そのことなんだがな……」

「ああっ!!」

 先の魔獣達が操られていた事も含め事情を説明しようとしたところで、突然の声に遮られる。

 声の主は、レイル達に制圧された挙句、魔獣達に腰を抜かしていた事件の実行犯、その1人だった。

 その彼が、レイルを指差しながらわなわなと震えながら言葉を何とか紡ごうとしている。

「ど、どうして……」

『?』

 その様子に一同は首を傾げたが、その中で1人だけが違う反応を示していた。

 レイルはあー、と口を半開きにしたまま困った表情を浮かべていた。

 そして、

「どうしてお前がここにいるんだ、《銀の――」

「おぉっと、手が滑ったぁーーーー!!」

 

 ◆

 

 エリオットが目の前で起きた事を理解するのには時間を要することとなった。

 ――え~っと……

 状況を整理しよう。

 エリオット達は特別実習の最中、ケルディックの大市で引き起こされた騒動を解決するために、実行犯である彼らを追って自然公園の奥地まで追い掛けて来た。

 その後、犯人達を制圧するも自然公園のヌシ達の登場により窮地に陥るが、これを撃退。後は犯人達をケルディックまで連れ帰り、盗品を元の商人達に返却すれば事件解決! というところまで来ていたはずなのだが……

 ――どうしてレイルは犯人の1人に鞘を投げつけたのだろう……?

 犯人の1人がレイルを指して何かを言おうとしたところで、彼による凶行が引き起こされた。

「さて、と」

 そして飛び切りの笑顔で何事も無かったかのように振舞うレイルを前に、申し立てが出来る者はエリオットをはじめ、この場には誰もいなかった。

 ――リューネがいればなぁ……

 などと考えているうちに状況は更なる進展を見せた。

 突如として鳴り響く警笛。

 音源を辿ると、そこにいたのは領邦軍の面々。

「こ、これって……」

「いたぞ! 取り囲め!」

 隊長格の男が命じると、兵士達が一斉に押し寄せてきて、エリオット達を包囲した。

 こちらに有無を言わさず、武器を突き付けてくる領邦軍。

 彼らを前にエリオットは固唾を飲む。

 そしてその傍らで呟かれたレイルの言葉が、強く、エリオットの鼓膜に残った。

「――チェックメイト、だな」



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鉄道憲兵隊

 エリオットは背筋に流れる汗を感じていた。
 激しい戦闘を終えた後だとか、気温が高過ぎるからだとか、そういった理由からではない。
 ただただ、現状に対する緊張感からその汗は流れている。
 自分と対峙する者を見据えることが出来ない。
 それは恐怖――あるいは畏怖によるもののせいでもあるのだが、少年と呼んでも未だ差し支えのないエリオットにしてみれば致し方ないことであった。
 しんっと広がる静寂。
 それでもエリオットは僅かばかりの勇気を振り絞り、
「あの……レイルとはどういった関係なんですか?」
 目の前の麗しき女性――クレア・リーヴェルト大尉へと抱いた疑問を口にした。


「いたぞ! 取り囲め!」

 押し寄せてきた領邦軍の小隊が、各々の武器を構えながら周囲に展開していき、盗難の犯人達――ではなく、エリオット達を包囲してきた。

「ど、どうして僕達を……」

「取り囲むなら彼等ではないのですか?」

 狼狽するエリオットを背に隠すようにリィンが1歩前に出る。

 それを受けて、隊長格の男が不適な笑みを浮かべる。

「彼等がここにある商品を盗んだという証拠はどこにもない。それに――盗んだと言うなら貴様達こそ犯人ではないのか?」

「私達を疑う根拠があるって言うの!?」

 男の言い分にアリサが食って掛かる。しかし、男は卑しい笑みのまま、エリオット達を嘗め回すかのように見てくる。

「我々独自の調査の結果、貴様達が容疑者として浮かび上がってきたのだ」

「なっ……」

 その物言いにエリオットは息を詰まらせた。

 事件の犯人を追って行動していた自分達が、あろうことかその犯人として疑われるとは思ってもいなかった。

「そんな……何か証拠があるんですか?」

「深夜の大市で貴様達を目撃したという証言が寄せられている」

「――!?」

 突き付けられた言葉に、エリオットは今度こそ呼吸が止まったかのように感じた。

 昨晩は夕食後に実習のレポートを仕上げ、その後はすぐに寝支度を済ませて眠りについたのだ。

 リィンがレポートを書き終えてからレイルとラウラと共に剣の稽古に出掛けたが、戻ってきたのは22時より前だったので、深夜と呼べる時間でもないし、仮に犯行に及んだとしてもあまりにも人目に付きすぎる。

 故に、彼の言う目撃情報は真っ赤な嘘である。

 そう糾弾しようにも、有無を言わせぬ彼らの態度が、エリオットの両肩に諦観となって重く圧し掛かってくる。

 どうすれば良いのか。

 どうすれば、この状況を打開できるのか。

 必死に考えを巡らせるエリオットの肩に、物理的な重みが加えられた。

「え?」

 振り返るとそこには、今まで黙っていたレイルが笑みを浮かべて、エリオットの肩に手を乗せていた。

「大丈夫。言っただろ? チェックメイトだって」

 ぽんっと、エリオットの肩を叩いてレイルが前へ躍り出る。

「少し宜しいですか?」

「なんだ? 今更言い逃れしようとしたところで――」

 隊長格の男が面倒臭そうに言ってくるが、レイルは気にすることなく続ける。

「こちらとしても独自の調査の結果、盗難事件の犯人がここに潜伏していると目星を付けてやってきたわけです。捜査の経緯は逐次書き記していますので、それと市民の証言を照らし合わせて頂ければ、我々は無実だと理解してもらえるかと」

「ハンッ、所詮学生が調べたこと。我々の調査より信憑性があるとは思えんがな」

 男が一笑に付すが、それでもレイルは態度を変えることなく、冷静な口調で言葉を紡ぎ続ける。

「確かに。我々はあくまで学生であり、貴方達からすれば取るに足らない存在かもしれません。ですが、ケルディックに住まう人々の声には耳を傾けても良いのではないでしょうか?」

「民衆が何と言おうと、我々が掴んだ情報に間違いなどない!」

 男が苛立ちを滲ませて吐き捨てる。それを見てレイルは僅かにだが口角を上げた。

「それは、領邦軍のあり方として如何なものかと」

「貴様ごときが領邦軍のなんたるかを語るか!? 我らクロイツェン領邦軍はアルバレア公爵家に使える身だ! その当主であらせられるヘルムート様の言葉こそが我らにとって至上――」

 

「そこまでです」

 

 男が激昂して叫ぶのを遮り、静かな、それでいて響き渡る涼やかな声がエリオットの鼓膜を震わせた。

 その声の主へと全員の視線が集中する。

 しかし、声の主である女性は臆することなく毅然とした態度で一同に継げた。

 

 

 鉄道憲兵隊。

 灰色を基調とした軍服を身に纏う者達こそ、帝国正規軍の中でも最精鋭と謳われるエリート中のエリートである。

 帝国中に敷かれた鉄道網。その中継地点での捜査権等を有し、専用列車で帝国中を駆け巡る鉄道憲兵隊は、今や帝国における治安維持の大部分を担っているとされ、正規軍を志す若者達からは羨望の眼差しを、そして彼女らを疎ましく思っている領邦軍には常に煙たがられている。

 そして、羨望の眼差しを向けられる要因として、鉄道憲兵隊を指揮する若き女性将校の存在が大きい。

 クレア・リーヴェルト憲兵大尉。

 清楚可憐な容貌と導力演算器並みの指揮・処理能力を併せ持つことから《氷の乙女》の異名を持つ彼女に魅了された者は数知れない。

 そんな彼女が言葉巧みに領邦軍を言い包めると、すぐさま同行させて来た隊員達に指示を飛ばし、犯人達の拘束、盗難品の確保、と手際良く処理していく。

 そして大方の作業が終了した段階でクレアがエリオット達に近付いてくる。

 指示を出す姿もそうだったが、動作の1つ1つに隙がなく、颯爽と歩み寄ってくる。

 エリオットは知らず知らずの内に緊張で身体を硬直させてしまっていた。

 残り10アージュを切り、エリオットの緊張が高まってきた所で、クレアの様子に変化が生じた。

 規則正しいテンポで地面を踏みしめていた軍靴が、みるみる速度を上げていく。

 まるでこちらに突撃する勢いで、距離を一気に縮めてくる彼女に、エリオットは面食らったのだが、それ以上のことが直後に起きた。

「レイルさん!!」

「おっと」

 制動を掛けることなく、全力で飛び付くクレアをレイルは事も無げに抱き留める。

 そして、

「ごめっ、なさ……い……」

 クレアが嗚咽と共に溢した言葉。

 それを受けて、レイルはいたたまれないような表情を浮かべながらも、彼女を引き剥がすようなことはせずに宥め続けた。

 その光景にエリオット達は反応することも忘れ、ただただ見守るしかなかった。

「……お……」

 そんな中、突然聞こえてきた声に振り返ると、どこかに行っていたはずのリューネの姿があった。

 その全身は戦慄き、信じられないものを見てしまったという絶望感が、彼女の表情に影を差している。

 そして、彼女の悲壮な叫びが木霊する。

「お兄ちゃんの浮気者ッ!!」

 

 

 暫くして平静を取り戻したクレアを始め、憲兵隊員達に導かれ、エリオット達はケルディックへと戻ってきていた。

 その間、レイルはリューネを宥めるのに必死になっていたが、それもケルディック駅舎内に設けられた取調室まで連れて来られたことで中断となった。

 そして、エリオット達は各々別の部屋で待機を命じられ、個々での取調べが執り行われ、今回の調書を作成する運びとなった。

 危急の事態は解決したとはいえ、置かれた状況にエリオットはそわそわと落ち着かない時間を強いられることになった。

 そんな時間がどれほど過ぎた頃だろうか、扉をノックする音が響いた後、涼やかな声が聞こえてきた。

「お待たせしました……先程は見苦しい姿を見せてしまい、申し訳ありません」

「い、いえ!」

 現れたのはクレア・リーヴェルト大尉であった。まさか隊を指揮する彼女自ら調書を取りに来るとは思っていなかったので、エリオットは咄嗟に立ち上がり、彼女を出迎える。

 その様子を微笑ましく感じたのか、クレアは「どうか緊張なされずに」と微笑みながら、着席を促してきた。

 その後の流れは至ってスムーズであった。クレアの質問の仕方が良かったというのもあるが、エリオットが学生手帳に事のあらましを書き残していたので、滞ることなく調書の作成が完了した。先に済んでいたメンバーも同様だったため、クレアは何故か嬉しそうに「流石はトールズの方々ですね」と口にしていた。

「それではこれで聴取は終了させて頂きますね。他の方が終了するまでもう暫くお待ちくださいね」

 そう言って退席しようとするクレアを、ある衝動に駆られたエリオットが呼び止める。

「あの!」

「如何しましたか?」

 突然の呼び止めにクレアはいぶかしむ様子を見せることなく、自然と小首を傾げてきた。

 その仕草にドキッとしたエリオットが言葉を詰まらせてしまう。

背筋に流れる汗を妙に熱を持っているように感じられる。

 流れていく静寂。

 それでもエリオットは僅かばかりの勇気を振り絞り、

「あの……レイルとはどういった関係なんですか?」

 先程の邂逅から感じていた疑問を口にした。

 すると、沈黙が再び部屋を満たしていく。

「…………ふふっ」

 それを突然破ったのは、クレアが堪え切れないといった感じで漏らした微笑だった。

「やはり、皆さん気になられるようですね」

 そのセリフから、既に他のメンバーからも似たような質問を投げ掛けられたのだろうと推測出来た。

「他の方にも申し上げましたが……3年程前から付き合いのあるご友人、とだけお答えしておきます」

 そう告げるクレアの表情は、どこか憂いを帯びたものだとエリオットは感じてしまった。

 

 

「君達には感謝してもしきれない。本当にありがとう」

 駅舎での取調べを終えた後、リィン達は事の経緯をオットー元締めへと報告しに来ていた。

 根本的な問題が解決した訳ではないが、鉄道憲兵隊の介入により大市へと圧力は軽減されるだろう旨を伝えると、オットー元締めを始め、居合わせた大市の面々より感謝の言葉を受けた。

 最後は鉄道憲兵隊のおかげでどうにかなったが、自分達が動いた結果が良い方向へと繋がったことに面映く感じながら、リィン達は元締めの邸宅を後にした。

「さてっと、帰りの列車にはまだ時間があるな」

 ARCUSで現在時刻を確認したレイルが告げると、一同が足を止めて思案する。

「そうね……もう少し大市を見て回るのも良いかもしれないわね」

「そうだね。課題や盗難事件のせいで落ち着いて見て回れなかったしね」

「そうです、けど……それ以上に」

 アリサ、エリオットが繋げた流れを断ち切るように、リューネがレイルを睥睨する。

「まだクレア大尉とのこと、ちゃんと説明されてないんだけど?」

 珍しく険のある声で威圧するリューネ。

 だが、それを軽くあしらいレイルが踵を返す。

「俺から今説明出来るのは、さっきも言った様に『帝都にいた時に知り合った友人』ってだけだ」

 じゃっ! と手を挙げて、レイルはどこぞへと逃げていった。

「あっ、ちょっとお兄ちゃん!?」

 それを逃すまいと慌てて追いかけるリューネ。

 そんな兄妹のやり取りを微笑ましく見守っていたリィンだったが、ふと先程まで一緒にいた筈のラウラがいないことに気付いた。

 その姿を探して周囲を窺う。すると、街道への出口に向かって歩くラウラを見つけた。

 ――まさか1人で外へ!?

 行動の意図は分からなかったが、如何にラウラと言えど、先の戦いで消耗した今、1人で街道に出るのは危険行為だった。

 そう思った時には、リィンは既に駆け出していた。

 必死に追いかけたが思いの外距離が開いていたため、追いついたのは町から少し離れた場所だった。

 そこでは既にラウラが複数の魔獣と対峙していた。

「ハアッ!」

 裂帛の気合と共に大剣を振るうラウラ。

 だが、その姿からは普段の自信に満ちた泰然とした気配を感じることはなかった。

 今の彼女から感じるのは、焦燥。

 余裕なく、なにかを逸り、焦りに満ちている。

 故に――死角から忍び寄る魔獣にも気付けずにいた。

「危ない!」

 すんでのところで、リィンが割って入り、飛び掛ってきた魔獣を切り払う。

「リィン!?」

 リィンが現れた事が余程意外に思ったらしく、ラウラが目を見開く。

「今はこの場を乗り切るぞ!」

「しょ、承知!」

 2人を包囲する魔獣達を背中合わせで迎え撃つ。

 ARCUSの戦術リンクを結び、冷静に対処すればそう問題のない数であったが、実際に撃退するまで想定していた倍以上の時間を要してしまった。

「どうして、こんな無茶を」

 グルノージャ達との戦いでの疲れが抜け切っていなかったのもあるが、想像以上に体力を消耗したリィンが肩で息をしながらラウラへと問い掛ける。

「はぁ……はぁ……」

 だが、リィン以上に呼吸を乱しているラウラは、態勢を整えるだけで精一杯といった様子だった。

 仕方なくリィンは周囲を警戒しながら腰を据えて、ラウラが落ち着くのを待った。

「…………己の未熟を恥じていた」

 ようやく落ち着きを取り戻したラウラが静かにその口を開いた。

「先の戦い……肝心なところでミスを犯してしまった、だけでなく――怖かったんだ。力を身に付けたとしても、より強大な力の前では、私はなんて非力なのだろう、と」

「…………」

「父からアルゼイドの剣を学び、故郷では私に敵う者が片手で数える程になり――自分は強いのだと錯覚していたのだろうな」

 ラウラが自嘲じみた笑みを浮かべる。

「レイルの力量を垣間見た時に、その様な錯覚に気付かねばならなかったのだがな」

 でも、と彼女は続ける。

「だからこそ、私はもっと強くなりたいのだ。何者にも屈せず、何者にも負けることのないように」

「……だから、1人で街道に?」

「うん。良い鍛錬になるだろうと思ってな」

 そう語るラウラに、リィンは諭すように語り掛ける。

「それは、水臭いんじゃないか?」

「うん?」

 リィンの言葉の意味を理解出来ていないのか、ラウラが首を傾げる。

「自然公園での戦闘で何かを掴めたけど……それでも、俺も自分の未熟さを痛感しているんだ」

 たとえ、初伝で修行を打ち切られた身だとしても、今回の特別実習で思うところがないわけではない。

「俺も強くなりたい。そう思ったんだ。だから1人で無理をせず、共に強くなっていこう」

「リィン……」

「それが、仲間ってもんだろう?」

 リィンは立ち上がり、ラウラへと手を差し出す。

 するとラウラは、喜びに満ちた表情でリィンの手を取った。

「ありがとう、リィン。どうやら気が逸って、周りが見えていなかったようだ」

「それは今もじゃないかしら?」

 突然聞こえてきたアリサの声と共に2人の間を過ぎる矢。直後に近くの草むらから魔獣の悲鳴が上がり、遠くへと逃げていく姿が見えた。

 それを見送った後、導力弓を携えて呆れ顔のアリサと苦笑を浮かべているエリオットが近付いてきた。

「まったく、街道のど真ん中で何をやってるんだか」

「ごめんね。盗み聞きするつもりはなかったんだけど……僕達も思うところがあるんだよ?」

「む……」

 先程の話を聞かれていたのが恥ずかしかったのかラウラが頬を赤らめるが、2人は気にせずに続ける。

「さっきの戦いだって、レイルとリューネが群れを引き付けてくれなかったらどうにもならなかったわ」

「あの2人みたいにって訳にはいかないけど、それでも足手まといにはなりたくないからさ」

 だから皆で強くなろうと、エリオットがラウラへと手を差し出す。

「うん。改めて宜しく頼む」

 握手を交わす2人を見守りながら、リィンは不思議な高揚感を覚えるのだった。

 

 

「随分とお疲れのようですね」

「手強い義妹が出来たんで、ね」

 追い縋るリューネを撒くために町中を駆け回ったレイルが逃げ込んだのは、ケルディック駅舎内にある鉄道憲兵隊の指揮所であった。

 そこに居合わせたクレアに挨拶を済ませ、軽く滲んだ汗を拭う。

「良いお嬢さんですね、彼女」

「そう、ですね。むしろ良い子過ぎるぐらいで、もう少し世話を焼かせて欲しい、ってのは贅沢な悩みですかね」

 言い合って、2人して笑みを浮かべる。およそ2年振りの邂逅ではあったが、あの時と変わらず接することが出来ていることにレイルは喜びを感じていた。

 厳密に言えば、全く同じという訳ではない。

 2年前のとある事件のせいでレイルは居場所の幾つかを失ってしまうことになったのである。その直接の原因がクレアにあるわけではないのだが、責任感の強い彼女は自らを責め、この2年を苦悩と共に生きることになってしまったのである。昨夜の通信でも気に病まないで欲しいと言い含めたのだが、彼女が抱く罪悪感はこちらが思っていた以上のようだった。その結果、出会い頭に行われた涙の謝罪というのだから、レイルの方が彼女への申し訳なさで一杯だった。

 取調べ中も依然と謝り続けようとする彼女をどうにか宥めて、以前のように笑い合えることに、喜びだけでなく安堵を感じるレイルだった。

「話は変わりますけど……四大名門の動き、どうなっていますか?」

 レイルは意図的に和やかな空気を引き締め、クレアに確認を取った。

 聴取の時間では先の理由により訊ねる時間がなかったが、今はそうではない。

 出発の時刻までまだ時間はある。それに、この指揮所には他の憲兵隊員はおらず、秘密の会話にはもってこいである。

 クレアも表情を引き締めて、レイルの問いに応じた。

「レイルさんも掴んでいるでしょうが、正直芳しくありません。特にここクロイツェン州での軍備増強が著しいですね」

「やっぱり、そうですよね」

 故に、大市に対する課税を引き上げ、軍事資金を徴収しようという策略であり、それが今回の事件を引き起こした原因でもある。

「名目上はカルバートの侵攻に備えて、というものですが」

「不戦条約が締結された今日で、そんなお題目が通る訳がない……ってのは、向こうも百も承知ですよね」

「ええ。その上でまかり通してしまえるのは、それだけ四大名門の影響力が強大であるという顕れでしょう」

 ふぅ、とクレアが深い溜め息を溢す。

「革新派としては大きな悩みの種みたいですね」

「……否定はしません。それに……」

 そこでクレアが言い淀む。それを察してレイルが助け舟を出す。

「言い難いことなら無理に聞き出そうとはしませんよ」

「いえ、いずれは耳に入ることでしょうし……実は――」

 そして告げられる内容に、流石のレイルも耳を疑った。

「それはまた……物騒なことになっているじゃないですか」

 想像の斜め上を行く事態に、レイルは思わず苦笑いを溢した。

「あくまでその兆候が見られるという段階ですので……我々としては最悪の事態にならないように最善を尽くしていくだけです。ただ……」

「その時が来たら、流石に俺達も動かせて貰いますよ」

 クレアの言葉を先回りしてレイルが告げると、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべた。

「私が言えた義理ではないのですが……」

「だから気にしないでくださいって。それに、俺達が動くのはあくまで民間人のためであって、どちらかの勢力に肩入れするわけにはいきませんから、そこは理解しといてくださいよ」

「重々承知していますよ。けど今更ですが、こうして私と繋がっていることはアリなんですか?」

「それはそれ。柔軟な対応が出来なければやってられませんよ。そういう意味ではクレアさんの方が大変でしょうに」

「私もまあ、上手く立ち回っていますよ?」

 と言葉を濁すクレアだったが、レイルは深く追求するのを控えた。

「お互いイレギュラーな立場ってことですね」

「そういうことです……私自身、レクターさんからの影響を受けているように感じられるのは、正直どうかと思いますが……」

 そこまで話したところで、クレアが肩の力を抜く。

 話すべきことは話したということだろう。それを察して、レイルも堅苦しい雰囲気を解く。

「ところで」

「何ですか?」

「エミナさんとはあれから進展しましたか?」

「……………………あー」

 とても軽い調子で、世間話でもするようにクレアが訊ねてくる。いや、実際に話題としては世間話のそれであるのだが、レイルにとってそれをクレアに答えるのは、少々難易度が高い話であった。

 だからといって、避けては通れないというのは前々から理解していたので、腹を据えて答える。

「遅くなりましたが……エミナとは無事お付き合いさせて頂いています」

「それは良かったです。でなければ、私の立つ瀬がありませんし」

「うっ」

 クレアに悪気はないのだろうが、彼女の言葉がレイルの胸を抉る。

「えっと、不躾な質問で申し訳ないんですが……クレアさん、もしかして、まだ」

「2年という月日があれば気持ちの整理がつく、と思っていたのですが……それに、こんなこと言えるような立場じゃないことは重々承知していますが」

 レイルが言い切る前に、クレアがきっぱりと告げてくる。

「異性として、貴方をお慕いしていますよ、レイルさん」

 

 

 夕暮れに染まるケルディックの町並み。

 リィン達はトリスタへ戻るため、少し早めに駅舎前へと集合していた。

 そこではお世話になった風見亭のマゴットやルイセ、オットー元締めなどが見送りのために集まってくれていた。

「君達には本当に世話になったよ。重ね重ねになるが、本当にありがとう」

「そんな……自分達に出来る事をしただけですし、それに最後は鉄道憲兵隊が動いてくれなければどうなっていたことか」

 リィンがそう言うと、人垣の向こうから近付いてくる人物が声を掛けてくる。

「皆さんが動いていなければ犯人を取り逃がしていたかもしれません。ですので、今回の事件を解決したのは、他でもない皆さんですよ」

「ということだから、今回は素直に受け取っておこうぜ」

「クレア大尉……それにレイルも」

「お兄ちゃん、どこ行ってたの!? もしかしてクレア大尉と――」

 レイルがクレアと一緒にいるのを見つけて、リューネが我先にと噛み付く。

 だが、レイルは何故か憔悴した様子で、リューネに言われるがままであった。

「ですが、頼まれたとは言え……余計な事をしてしまったかもしれませんね」

 2人のやり取りを尻目に、クレアがリィン達に向き合う。

「今にして思えば、領邦軍が駆けつけた後の対処も含めて《特別実習》だったのかもしれませんし」

「え――」

 クレアの口から出た言葉に、リィンは驚きを顕わにした。

 ――どうして?

 その問いを発する前に、駅舎の中から現れた人物から声が掛かる。

「――流石にそこまでは考えてもないけどね」

「あー!」

「サラ教官!?」

「……ようやくのお出ましか」

 現れた女性――サラに対して各々が反応を示す中、サラは迷うことなくクレアの元へと進み出る。

「こうして直接会うのはいつ振りかしらね? ――ねぇ、クレア?」

「サラ、さん……」

 険のある笑みを浮かべるサラに対して、クレアが申し訳なさそうに顔を背ける。

 その異様な雰囲気に、居合わせた誰もが固唾を呑んだ。



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帰路~明かされる秘密~

 夜の帳が下り、星の輝きが空を埋め尽くした頃。断続的に感じる揺れに身を任せながら、レイルは思案していた。
 ケルディックの騒動、その背景に蠢く貴族派の策謀。
 レイル達の活躍――それに、革新派の精鋭部隊である鉄道憲兵隊の介入により、貴族派の動きは大きく制限されることになった。根本的な解決には至ることはないが、暫くは大市への圧力も解け、ケルディックは平穏を取り戻すことになるだろう。
 だが、問題は他にもある。
 自然公園でレイル達に襲い掛かってきた魔獣の群れだ。
 あれだけの群れを操っていたのだとすると、もしかしなくても……
 ――入学早々、きな臭いことになってきたな。
 トリスタに戻ったら、すぐさまミヒュトに情報を集めて貰おうと決め、直近で対処しなければならない問題へと思考を切り替える。
「情報局の連中が動いているとは踏んでいたけど……まさか、あんたの差し金で鉄道憲兵隊まで動くとはねぇ?」
 ジトッ、と蛇が獲物を睨むかの様な視線を向けてくるサラ。
 その機嫌はすこぶる悪く、レイルはやれやれと肩を竦めた。


「流石に学生の手に余ると判断したから、根回ししたんだけど……それが気に入らなかった?」

 先程の問いに対して、レイルは苦笑を浮かべながら問い返す。

 するとサラはイライラした様子で言葉を返してきた。

「……別に。使えるカードは有効に使う――そういう意味では今回のことは許容範囲だと思うわ」

 だがそれ以外のことで苛立ちを覚えている。言外にそう言っている様に感じられ、現にそれは、クレアとのことを指しているのだとレイルは理解していた。

 ――けど、なぁ……

 もしかしたら、という懸念がないわけではなかった。しかし、レイルが想定した以上にサラとクレアの関係性は拗れてしまっていたのだった。

 3年前の出会い――この時も立場の違いから決して良好な関係とは呼べないものだった。しかし、時間は掛かったかもしれないが、いつしか2人は親友――あるいは仲睦まじい姉妹みたいに見える様になったのだ。少なくとも、その様子を傍で見ていたレイルには、そう感じられたのだ。

 それが――

「……どうしてそこまで険悪になってるのさ?」

 苛立ちを隠そうともしないサラに、レイルは疑問を投げ掛ける。幸いにして、2人のいる車両には他に乗客はいないし、リィン達は別の車両で待つ様にサラが指示を出しているので多少声を出しても誰かに聞かれることはなかった。

 サラもそれが分かっているので、険を含ませて声を荒げてくる。

「どうして、ですって? あんた、本気で言ってるの!?」

「本気だよ」

 レイルはサラの問いに端的に返した。それを受けてサラが言葉を詰まらせた。

 次の言葉が発せられるまでの合間に、レイルは先程の2人の様子を思い返した。

 今にも爆発しそうな怒りを隠そうともせず、鋭い眼光でクレアを睨み付けるサラ。

 それに対して、どう声を掛けて良いか分からず、結局サラから視線を逸らすことしか出来なかったクレア。

 結局、導力列車の時間が迫っていたこともあり2人がそれ以上言葉を交わすことはなかったが、そのただならぬ雰囲気はその場にいた誰もが感じ取れたであろう。

「…………どう、接していいか分からないのよ」

 ようやくポツリと言葉を溢すサラ。そこには先程までの怒りはなく、表情には困惑の色しかなかった。

「2年前のあの一件にクレアが関わっていないのは分かってる――それどころか、あたし達のために色々手を回してくれていたのも知っている。けど、あの子の兄弟筋と親玉がしたことを許すことは出来ない。そしてあの子が《鉄血の子供達(アイアンブリード)》である以上、あの頃のように彼女の前で笑うことは出来ないわ」

「…………」

 サラが吐露した言葉を聞いて、レイルはやはりという思いを抱いた。

 やはり――2年前の出来事が2人の関係にひびを入れてしまっていたのだ。

「ねぇ、レイル……あんたはどうなの? あんたは何も感じないの?」

「そんなわけないだろ……正直、あの時帝国にいなかったことを歯痒く思ってるさ。けど、クレアさんとのことは別問題だろ」

「それは……」

「サラ姐だって分かっているはずだ。鉄血の子供達であろうと、クレアさんはクレアさんだって」

「…………」

「今度時間を作って、クレアさんと話してみなよ。そうすれば、きっと蟠りもなくなるはずだし」

 押し黙ってしまったサラに告げると、レイルは腰を上げてリィン達が待つ車両へと向かう。

「流石は《絆を紡ぐ者》、ね」

 背後からぼそりと声を掛けられ、レイルは静かに振り向く。

「それ、皮肉だって知ってて言ってる?」

「あたしは素直に尊敬しているわよ?」

 そこにいたのは、先程までの路頭に迷う子供の様な存在ではなく、大胆不敵に笑みを浮かべるいつものサラの姿だった。

「あんたみたいに割り切れるほど出来た大人じゃないけど、それでもあの子と向き合ってみるわ…………ありがと」

 そして、レイルは自分を追い抜き先に行ってしまった彼女を見送り、やれやれと息を吐いた。

「切り替えが早いというか何というか……」

 けど、きっと彼女のことだ。あの日から今まで誰かに弱音を吐いたことはなかったはずだ。散り散りになってしまった仲間達とまた集う日のため戦ってきたのは想像に難くない。それが今日、クレアと鉢合わせたことをきっかけに、迷いやごちゃ混ぜになってしまった感情を吐き出してもらえたのだとすれば、

「後輩として、役に立てているなら良いんだがな」

 と呟いてみる。

 だが、悩みの種は彼女達の関係性だけではない。

 ――俺は俺でどう接するべきか、だよな……

 尽きぬ悩みに頭をもたげるものの、今はとにかくサラの後を追うことにした。

 

 

「随分と盛り上がってるみたいね」

「サラ教官、ようやく戻られたか」

 別車両から戻ってきたサラに気付いたラウラが声を上げる。すると少し遅れてレイルも戻ってきた。

「遅かったね、お兄ちゃん」

「まぁ、色々とな……それで? 何を話していたんだ?」

 リューネの詰問を飄々と受け流して、レイルが問い掛けてくる。

 それに対してリィンが、レイル達が不在だった間に話し合っていたことについて説明を始めた。

 今回の特別実習を通して、特別実習の目的がARCUSのテストだけでなく、自分達に様々な経験をさせようと感じられたということだ。

 知識上でしかない帝国各地やそこで生きる人々の実情を知り、あらゆる問題に対処できるだけの判断力や決断力を養わせようとしているのではないか、ということである。

「半分くらいは当たりね」

 リィンの話を聞き終えたサラが彼らの推測に評価を付ける。

「――君達の指摘通り、現地の生の情報を知っておくは軍の士官にとっても非常に有益よ。そして、いざ問題が起こった時に、命令がなくても動ける判断力と決断力、問題解決能力――そうしたものを養わせるために特別実習は計画されているわ」

 サラの説明を受けて、アリサ達が感嘆や更なる疑問の声を挙げる中、リィンは黙って今の話を吟味していた。

「どうかしたのか?」

 その様子を見たレイルが呼び掛けると、リィンは頭を振ってから、自分の中にある考えを言葉にした。

「いや、そういった理念や実習内容を考えると、それって何だか――《遊撃士》に似ているなと思って」

「言われてみれば確かに……最近じゃあんまり見かけなくなったけど」

 遊撃士協会。

 《支える篭手》を紋章と掲げ、大陸各地に支部を持つ地域平和と民間人の保護を目的とする民間の組織であり、その担い手達を人々はこう呼ぶ――遊撃士、と。

 そして実習内容と先程のサラの話を合わせて考えると、特別実習とは遊撃士の活動を模倣したものの様に感じられたのである。

 その真偽を確認するために、リィン達はサラへと視線を向ける。

「てへ――バレたか」

 サラがウインクすると、わざとらしい寝息を立てて寝入ってしまった。

「あ、あはは……」

「はあ……どこまで本気なのかしらね」

「遊撃士か……何か関係はありそうだけど」

「まあ、いずれその辺りも明かされる可能性は高そうだ」

「俺達は俺達で、次の実習に備えれば良いんじゃないか」

「そうだな……」

 各々が話す中、リィンだけが考え込むような表情を浮かべている。

「まだ何か気になることでもあるの?」

 エリオットが問い掛けるが、リィンは首を縦に振った。

「あぁ……今の話とこれまでのことから、ふと思ったんだが……」

 そこで言葉を途切れさせ、リィンはレイルへと向き直る。

「もしかして……レイルは、遊撃士なんじゃないか?」

「え……?」

「レイルが、遊撃士?」

 リィンの指摘に、エリオットとアリサが面食らってリィンの言葉を反芻している。

 そして、ラウラは静かに事の成り行きを見守り、リューネは戸惑いを表情をレイルに向けている。

 当のレイルは、

「どうしてそう思ったのか、聞かせてくれるか?」

 リィンの推論に笑みを浮かべ、続きを促してくる。

「入学から今までのことを思い返してみると、レイル――それに恐らくエミナもなんだろうが、立ち位置が違うように感じられたんだ」

 教官であるサラと旧知の仲、ぐらいではそこまで不思議に思わなかったのだが、その戦闘力の高さやケルディックの人々や鉄道憲兵隊に至るまでの顔の広さ――そして何より、昨晩彼が語って聞かせてくれた『士官学院に入った理由』と特別実習の目的、それぞれのピースが組み合わさっていき、朧気ながらも推論を打ち立てるに至ったのである。

「多分、レイルとエミナはⅦ組創設に関わる誰かからの『依頼』で士官学院に来たんじゃないのかって……そして、その目的は――」

「Ⅶ組メンバーのサポート、ってところだ」

 リィンの言葉を継ぎ、レイルがやれやれといった様子で繋げる。

「大した洞察力だな……八葉一刀流でいうところの『観の目』ってやつか」

「その域に達しているか、自信はないが……」

「だが、正解だ。まさかこんなに早く勘付かれるとは思わなかったぜ」

「やはり、そのような理由だったか」

 それまで静観していたラウラが、得心がいったという風に頷いてみせる。

「そう言えば、ラウラは以前からレイルと面識があったんだよね」

 固唾を呑んでいたエリオットが我に返り、ラウラに確認する。

 それに対してラウラは頷き、過去にレイルが父である光の剣匠に稽古を付けてもらっていたことを明かし、その時から彼の素性を知っていたと語った。

「あれ? ってことは、もしかしてサラ教官も……」

 と、何かに気付いたアリサが視線を移すと、

「…………(ビクッ)」

 と寝息を立てていたサラが不自然に身体を震わせた。

「まぁ、お察しの通りだ」

「ちょっとは隠しなさいよ!」

 すんなりと認めたレイルに対し、サラが飛び起きて抗議を始めるのを他所に、リィンが改めて判明したことについて噛み締めていた。

「何と言うか……思った以上に、このⅦ組には色々な思惑が絡んでいるみたいだな」

「そうね。ARCUSの試験導入に、遊撃士の活動を模した特別実習……それに身分に囚われないクラス編成についても、色々とありそうね」

「リューネは何か聞かされてるの?」

 と、エリオットに訊ねられたリューネが、困ったように笑いながら、

「一応、知ってはいるんですけど……そのことについては、然るべきタイミングに然るべき方から説明がある……筈です、多分、きっと」

 どんどんと尻すぼみになっていく言葉に不安を禁じ得なかったが、彼女がそう言うのなら、今は詮索すべきでない、ということだろう。

「あ、そうだ。俺やエミナの立場だけど、Ⅶ組で共有してもらうぐらいなら問題ないだろうけど、あまりおおっぴらに話すのは控えといてくれないか」

「そうなのか?」

 どうにかサラを宥め終えたレイルが、リィン達に頼み込んでくる。

「士官学院に入った理由はともかく……これでもそれなりの立場にあったのもあるし、今は資格も凍結中だしな」

 高位の遊撃士となれば、国際問題をも仲裁する立場として扱われることもある。そのような存在が一国の――それも軍に関わる教育機関に属するというのは、各所で軋轢を生む原因となり得る。

「今じゃ何の権限もないが、そういう理由があるから、そこんとこ頼むぜ」

「あぁ……それは構わないが」

 と、リィンが代表して返事をすると、他の者達も一様に頷いて見せた。

 だが、

 ――暗に、自分が高位の遊撃士である、と言っているようなものだよな……

 そんな考えが過ぎったが、リィンの立場としては、あまり踏み込みすぎるのも気が引けたので、代わりの人物へと話題を向ける。

「サラ教官もレイル達と同様に資格凍結中、ということですか?」

「…………はぁ」

 と、諦観の溜め息を漏らしたサラが、

「あたしの場合、教官になるに当たって資格は返上してるから、元、だけどね」

「ふむ……となると、サラ教官が立場を隠そうとしたのには何か意図があった、ということだろうか」

 ラウラのふとした疑問に、サラへと視線が集まる。

 レイルに至っても、そういや隠す必要性はなかったよな、と首を傾げている。

「……………………それは、ね」

 サラが視線を泳がせながら、小声で答える。

「みんなのピンチに颯爽と現れて、正体を明かす……って格好がつくかなって」

『えぇ……』

 なんだそれは、という思いが籠もった眼差しがサラを貫くこととなった。

 

 

「この流れで話しておきたいんだが……皆にはずっと不義理をしていたんだ」

「不義理?」

「それは、リィンの“立場”について、ということだろうか?」

 皆の質問に、リィンは静かに頷いた。

「ああ、具体的には――俺の“身分”についてだ」

 その一言だけで、誰もがリィンの言わんとすることを察していた。

「もしかして、リィンさんの家は……」

「ああ、マキアスの問いにははぐらかす形で答えたけど……俺の身分は一応貴族になる。帝国北部の山岳地ユミル――そこを治めているシュバルツァー男爵家が俺の実家なんだが……俺は養子だから、貴族の血を引いていないんだ」

「え……」

「……ふむ」

「それで、あの答えなんだね」

 エリオットが指したのは、特別オリエンテーリングの際にマキアスから問われた身分への答えである。あの問いにリィンは『少なくとも高貴な血は流れていない』と答えているのだが、その濁した答えの理由がそこにあった。

「貴方も……色々事情があるみたいね?」

「はは、そんな大層な事情じゃないけど……それでも、皆には黙っていられなくなったんだ。共に今回の試練を潜り抜けた仲間として……これからも同じ時を過ごす、Ⅶ組のメンバーとして」

「……まったく。生真面目過ぎる性格ね。その話、帰ったら他の人にもちゃんと伝えなさいよ?」

 アリサがやれやれといった様子で、リィンを促すと彼も素直に聞き入れていた。

「ああ――そのつもりさ」

 その表情からは、どこか肩の荷が下りて和らいるように感じられたのだった。

 

 

 大陸横断鉄道を見下ろせる小高い丘の上。

 西から東へと過ぎ去っていく導力列車を見送りながら、黒尽くめの仮面の男が声を挙げる。その声は機械的で、仮面の下の存在がどのような人間なのかを不明瞭にしていた。

『やれやれ、あのタイミングで《氷の乙女》が現れるとは。少々、段取りを狂わされたな』

 それを受けて、彼の隣に立つ目付きの鋭い眼鏡を掛けた男が反応を返した。

「……想定の範囲内だ。今後の計画の障害となりえる鉄道憲兵隊と情報局……その連携パターンが見えただけでも大きな成果と言えるだろうし、それにこの笛の真の力を試すことが出来たのも僥倖というものだろう」

『フフ、確かに。彼らには感謝しなくてはな――それではこのまま《計画》を進めるとしようか?』

 仮面の男が踵を返して去っていこうとする。その背中に眼鏡を掛けた男が振り返らずに、声を送った。

「ああ――もちろんだ。全てはあの男に無慈悲なる鉄槌を下すために」

 仮面の男が立ち止まり、言葉を返す。

『全てはあの男の野望を完膚なきまで打ち砕かんがために』




「ふぅ、ようやく帰ってきたな」
…………………………………………………………………………………………………………
「たった2日のことなのに、なんだかとても長い時間特別実習していた気分だよ」
………………………………………a………………………………………………………………
「エリオット、それは流石に言い過ぎではないだろうか?」
…………………………………………………………i………………………………………………
「それだけ濃厚な体験だったってことだろ?」
……………………………………………………………………l……………………………………
「そうね。それに皆のこと、色々知れて良かったと思うわ」
…………………………………………………d……………………………………………………
「そうですね。絆が深まった、って感じですね!」
……………………………s………………………………………………………k…………………
「絆かぁ……良いね、そういうの」
………………………………………………$…………………………………9……………………
「うん。そう言う意味では、確かに掛け替えのない経験だったな」
……………*……………z…………f……………!…………………f………………………………
「さてと、青春してるところ悪いけど、あんた達は早く寮に戻って今日のレポートを纏めておきなさいよ」
………………@………………………………r………………………7……………g………………
「サラ教官はどうされるんですか?」
…………q…………………^…………………………]………………c…………………s…………
「あたし? あたしはこれからB班の方に向かうわよ」
……………………k:………………………d[…………………………………a…………e………
「お、お気をつけて」
……………kid@…………………………………sags………………………er…………3………
「ありがと。それじゃあね~」
…;,iu-……………………(2RS……………………………fj6$………………………o\sw………
「行ってしまわれたか……我々は寮に戻るとしようか」
……………jaoa……ada098u2……………aj7fjosds………………lpoa-1m……………………
「そうね。レポートもさっさと終わらせてゆっくり寝たいわね」
………………………………………el…………ie…………………………………………………
「夕飯はどうします?」
………………t…………………………………i………………………………………o…………
「今から用意するのも大変だしキルシェで済ますか?」
………………………r………………an………………………dy…………………………………
「ん? なんなら俺が作るぞ? レポートももう終わってるし」
……………………………l……………………………loy…………………………d………………
「はやっ!?」
…………………………t0aqr9yq5jm,dir98yタfoish9yfa2om4ir9fgu89sw8rケrya842-ss-91
「寮に戻ったら買出しに行くから10秒以内に食べたいの決めてくれよ」
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「え、ちょっと待ってよ!」
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「ほら、3…………2…………1…………零」

――――ミンナヲタスケテ――――

ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーープツンッ


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エミナの記録①

 トールズ士官学院1年特化クラスⅦ組B班

 第1回特別実習記録

 実習地:サザーラント州紡績都市パルム

 

 

 初となる特別実習を通して見えてきた各人の課題点は下記の通りである。

 

<マキアス・レーグニッツ>

 学業における成績は優秀であるものの、有事の際の応用力並びに柔軟性に乏しく、固定観念に囚われがちである。

 また、貴族に対しての見方が偏重しており、度々衝突を繰り返している。

 上記の点を改善出来れば、チームの指揮に回すのが妥当かと思われる。

 それとは別にフィジカル面での強化は必須である。

「副委員長なんだから、もうちょっとクラスの和を保ってほしいんだけど」

「貴族に対して、恨みがある、と言っても過言じゃなさそうだよな」

「マキアスさん……なにか理由があるのかな?」

 

<ユーシス・アルバレア>

 知識・交渉力・戦闘能力など広い分野で同世代の中では水準以上のレベルであるものの、頭一つ抜き出るものがない器用貧乏タイプ。

 能力の底上げを行うことで、あらゆるチームでの不足を補えることも可能だろう。

 ただし、一部の生徒に対して生来の口下手が表に出て、衝突を生み出してしまっているため、その点も要改善項目である。

「昔は素直で可愛かったのに……公爵家に引き取られてから色々あったんだろうけど、心配よね」

「公爵家の一員たらんとして、自分を追い詰めている節はあるかもな」

 

<ガイウス・ウォーゼル>

 身体能力は高水準。その反面、導力技術関連は苦手な模様。

精神面に置いては、同年代の中でも一際落ち着いている。不測の事態に対しても冷静な対応に長けている。

また、ノルドからの留学ということもあり、帝国における制度――貴族制度といったものに馴染みがないため、今後は重点的に指導の必要あり。

「ただ、知らないからこその物事の見方、ってのもあるし……それがⅦ組にとってプラスに働くこともあるかもしれないわね」

「ガイウスの落ち着きっぷりは、正直マキアスとかに見習ってほしいものがあるな」

 

<エマ・ミルスティン>

 委員長を任せられるだけの学力・知識量には目を見張るものがある。それに、意外ではあるが体力もあり、野営などの知識も豊富なことから、サバイバル――あるいはそれに類する経験があるように思われる。

性格上致し方ないのか、リーダーシップに長けているとは言い難い。根っからのフォロータイプであるため、今後の方針としては後方支援に特化させるのが良いと思われる。

「胸に関しては、クラス一主張してのにねぇ……」

「あれは凄いよね」

「確かにな……冗談だよ、睨むなよ」

「……お兄ちゃん……」

 

<フィー・クラウゼル>

 一緒に過ごすようになって3年近くが経つけど、随分と成長したなと驚かされる。

 人見知りで主体性に欠けていた子がよくぞここまで、というのはあまりにも身内贔屓過ぎるか。

 出会った当初に比べ、自分から様々なことに挑戦しようとしてる姿勢が見受けられて、正直嬉しくもある。(中略)ただ、まだまだ対外的な言葉遣いや社会的なマナーなどに関しては身に付け切れていない感が否めなく(中略)あと、今回の実習中にユーシスとマキアスの喧嘩を仲裁したのには感心したけど、もう少し手加減ってものを(後略)

「フィーのだけやたらと長くないか?」

「やっぱり、姉目線で見ちゃうとさ…………はい、以後気をつけます」

「というか、本人前にして話すのやめてほしい……正直、恥ずかしい」

 

 

<実習内容・所感>

 遊撃士の活動を元に作られた特別実習の為、今回行った活動は私にとっては馴染み深いものであった。

 市民の悩み解決を主軸に、素材集め、紛失物捜索、手配魔獣の討伐――私やフィー以外のメンバーからしてみれば経験のないことばかりだったらしく、街中や周辺の街道を駆け回っている内に、疲労の蓄積が如実に表れてきていた。

 そうなると気持ちに余裕がなくなってくるのか、ユーシスとマキアスの口論が頻繁に繰り返されるようになる。

 出発前にだいぶ釘を刺したつもりではいたけど、この問題は中々に根が深そうである。

 ただ、この件に関して嬉しい誤算があった。

 2人の仲裁をしたのが、まさかのフィーだったのだ。

 まさかあの子が、と思う反面、彼女も成長しているんだなと、目頭が熱くなったのは皆には内緒にしないとね。

 どうにか初日の実習を終えて休憩の合間に、面白い出会いがあった。

 パルム市の片隅にあるヴァンダールの剣術道場で、あのミュラー少佐の弟くんと遭遇!

 名前を聞くまで全然分からないくらい、線の細い美少年だった。

 それにミュラー少佐と違って、彼は双剣使いなんだって。話した感じ、何か思うところがあるみたいだけど、同年代の中ではトップクラスの才能があるかも……これは成長が楽しみかもね!

 あー……出会いって言ったら、あいつとも会ったわ。

 相変わらずの憎まれ口というか、斜に構えてるというか……

 まあ、あいつのおかげで2日目に起きた事件も無事に解決できたわけだけど……

 そう言えば、あいつ、しっかりリベールで経験積んで、今じゃ正遊撃士として活躍してるんだって!

 ……昔からの夢だ、って言ってたから、そこは正直叶って良かったなって思う。

 そういう意味ではブライト家の持つ『力』って凄いなぁ、って感心しちゃうわ。

 そういや、別れ際にまたレイルと手合わせしたい、って言ってたけど--

 

 

「最初の方はまだ体裁保ててたけど、所感の方は最早日記だよな」

「うーん、報告書として書くなら大丈夫なんだけど、こう、なんていうの、どうしても個人の感想を前面に出して書くと、ねぇ?」

「ねぇ? って言われてもよ……」

 瞬く間に流れゆく景色を他所に、2人は雑談を交わしているが、傍らの少女達は時々会話に加わるものの、見るからに気を張り詰めさせていた。

「気持ちは分からなくもないが、今からそんなんじゃいざっていうときにへばっちまうぞ」

「ん。分かってる。けど……」

「どうしても、ね」

 フィーとリューネが口々に答えるが、どちらも顔を強張らせていた。

 その原因を考えれば、致し方ないことなのかもしれない。

 片や、行方不明となった古巣の仲間達の手掛かりが見つかったかもしれず――

 片や、かつて所属させられていた組織の残党が彼の地で暗躍している可能性があったとしては――

「けど、向こうに着くまでまだ時間あるし、ちょっとでも休んでなさいよ」

 そう言うエミナであったが、今の2人に言っても聞き入れられるとは思っていない。

 それだけ気が張っているということだ。

 ――状況が状況だものね。

 向かう先で待ち受けるであろう事態、だけでなく、リューネに至っては現状に対する緊張感もあるのだろう。

「間もなくガレリア要塞に到着します。その後は、民間の車両に乗り換えて頂き、目的地を目指します」

 エミナ達がいる車両へ来た人物が、これからの流れを再確認してくる。

 車外に目を向けると、景色が流れる速度が緩やかになっていくのが分かった。

「まさか、こんなにも早く戻ることになるなんてねぇ」

 エミナが思っていたことを呟くと、レイルがそれに頷く。

「……そうだな」

 そして、傍らにやってきた人物へと向き直る。

「すみません、クレアさん。巻き込んでしまって」

「いえ」

 レイルに謝罪された人物――クレア・リーヴェルトは頭を振り、彼等に言い聞かせる。

「情報局からの要請や宰相閣下からの命もありますし……帝国側としては色々な思惑がありますが、それを抜きにしても協力させて頂ければと」

「鉄血宰相が絡んでるとなると、後が怖いですが……それでも、ありがとうございます」

 レイルが改めて礼を伝えると、エミナがクレアに問い掛ける。

「情報局ってことは……もしかしなくても、あのちゃらんぽらんが?」

「ええ。現地にいるレクターさんが働きかけたようで」

 それで通じるんだ……とフィーがツッコんでいたが、レクターの名を聞いたレイルが嫌そうに吐き捨てた。

「あいつのことだ。『これで借りは返した』とでも言いたいんだろうよ」

「そういえば、以前レクターさんがお世話になったようですね」

「まぁ、色々ありまして」

 と、具体的な説明は濁して、レイルが話題を反らした。

 窓の外に見えてきた威容――ガレリア要塞のその先を見据え、

「俺達に与えられた時間は3日、か」

 その限られた時間でどれだけのことが出来るのか。

 焦燥、期待、不安。

 様々な思いを乗せて、列車は東へと向かう。

 陰謀渦巻く彼の地――魔都・クロスベルへと……

 




こんにちは、檜山アキラです!
駆け足で、前作「神薙の軌跡」でも書き上げてきた部分を改良して参りましたが、如何でしたでしょうか?
ここからはより一層オリジナル要素を加えて、執筆していきたいと思います。
更新速度はゆっくりになるかと思いますが、ゴールまでお付き合い頂けましたなら幸いです。


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断章~クロスベルの一番長い日~
魔都からの呼び声


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 まず初めに感じたのは嗅覚を刺激する鈍色の臭いだった。
 全身を包み込むようなむせ返るそれは――血の臭いだ。
 ――ここは?
 混濁する意識をなんとか動かし、周囲の状況を確認する。
 薄暗い空間は端が見通せない程広く、その中央辺りにレイルは立っていた。
 幅広い通路の両側には淀んだ湖があり、その所々に赤黒い染みが広がっていた。
 人だ。
 人が、倒れていた。
 四肢を引き裂かれ、惨たらしく打ち捨てられた骸達。
 ――あ、れは?
 物言わぬ屍達を見据え、レイルは未だ茫洋としたままの思考を働かせる。
 何故彼等は殺されたのか、何故自分はこんな所にいるのか? そもそもここはどこなのか……
 情報が少なく、事態が判然としない。
 けど、分かることがあった。
 倒れ伏す彼等が身に纏う衣服――千々に裂かれ、血で染め上げられたそれを、レイルは知っていた。
 ――そん、な……
 馬鹿な、と思考するよりも先に、レイルは前方に聳える存在に気が付いた。
 床に落としていた視線をゆっくりと上げていく。
 その先に佇んでいたのは――赤黒い巨躯の、禍々しい存在だった。
 ――なんなんだ……
 この手の存在には慣れていたレイルにとっても、その存在は異様なものであった。
「――!」
 そして、その背後。祭壇と覚しき建造物の最上部にあるものを見つけ、レイルは息を呑み込んだ。
 巨大な天球儀を思わせる装置の中心部。透明な球体の中で揺蕩う少女の姿が飛び込んできた。
 まだあどけない姿。義妹に似た淡い翠耀石を彷彿とさせる髪。彼女が球体の中で瞼を開けていく。
 そして、声ならぬ声でレイルへと懇願してくる。

――――ミンナヲタスケテ――――


<4月26日 近郊都市トリスタ>

 

「――ッ!」

 声にならない叫びと共にレイルは飛び起きた。

 呼吸が荒い。それに、酷く汗を流してしまっている。

 ――夢、なのか?

 恐らくそうなのだろうが、先程まで見ていた光景があまりにも鮮烈で、五感の何もかもが現実だと誤認している。

「ただの悪い夢、なら良いんだが……」

 先日届いたスウェードからの手紙が思い返される。

 ――各地で教団の残党らしき者の動きあり――

 その一文と、先程見た夢の内容が全くの無関係であるとは、今のレイルには到底思えなった。

 ――ミヒュトさんの所から向こうに通信してみるか……あぁでも、国境越えでの通信だし、傍受対策に暗号文でのやりとりか……

「四の五の言ってる場合じゃないよな」

 ここであれこれ気を揉んでいても仕方ないと思い、レイルは素早く身支度を調えていく。

 窓から差し込む光はいつもの起床時より高く、時計が指し示す時刻がいつも以上に寝入っていたのだとレイルに告げていた。

 ――リィンとラウラは……

 支度を進めながら同じクラスの2人について、考える。

 昨日一昨日に行われたⅦ組の特別実習。

 その中で彼等は色々なものに触れ――そしてあの2人は、剣士としての思いをぶつけ合った。

 高みを目指す者として研鑽を誓い合った彼等は、今日も朝早くからの鍛錬に勤しんでいるのだろう。

 ――鍛錬に付き合うって約束だったけど、さすがに……

 申し訳なさもあったが、今はそれどころではないという予感があり、手早く準備を済ませてしまう。

 エリオットやアリサ、リューネ辺りはまだ眠りの中だろうから、極力音を立てずに部屋を後にする。

 階段を降りきるところで、玄関戸が外から開かれるのが見えた。

「いつもならもう起きているはずなんですが……確認してきます」

「悪いな。だが、急を要する。眠りこけてるならたたき起こしてくれ」

 リィンであった。

 既に朝の鍛錬で汗を流した後らしく、タオルを肩に掛けた状態で寮に入ってくる。

 その背後にいるのは、聞こえてくる声からミヒュトだと判断する。

 嫌な予感が、形を帯びてレイルに絡みついてくる。

 だが、頭を振り、邪念を振り払う。

「起きていたのか、レイル。外に質屋のミヒュトさんが来ているんだが……」

「みたいだな。悪いけど、今朝の鍛錬には付き合えそうにない」

「それは別に構わないが……」

 冷静を装い、レイルはリィンの脇を通り抜ける。

 玄関先にはいつも以上に鋭い剣幕のミヒュトが待ち構えていた。

 その表情を見た瞬間、レイルの中にあった言いようのない不安が膨れ上がった。

「緊急の要件だ。俺の店まで来い」

 

 

「これは……!」

 質屋《ミヒュト》。その裏口から住居スペースに入り、ミヒュトより渡された書状の束に表情を硬くした。

 書状の一つは彼の仲間であるスウェードからのものである。

 そして、残りは――

「遊撃士協会クロスベル支部……それに、帝国軍情報局だと!?」

「あぁ、複雑なルートを使って、俺の所まで届けてきやがった。しかも、遊撃士協会からの連絡もあるだろうから、併せてお前に渡せと」

 つまり、遊撃士協会と情報局が同時にレイルへと連絡を取ってきたということである。

 ――しかも、情報局は協会の動きを把握した上、ってことか……

 そこにスウェードからの連絡も重なるとなると、

「きな臭くなってきたな」

 ミヒュトが溢した言葉にレイルが頷く。

「あぁ……とにかく中身を確認してみるよ」

 嫌な予感を抱えながらも、レイルは書状を一つ一つ確認していく。

 

 

「……………………ふぅ」

「大丈夫か?」

 逸る気持ちを抑え、全ての書状に目を通したレイルが重い息を吐き出した。

 様子を伺っていたミヒュトの問いにレイルが答える。

「かなり、まずい状態だな」

 まず、スウェードからの手紙の内容は、

「クロスベル各地で異形の存在――天使のようでいて禍々しい存在の目撃情報について書いてあったよ」

「そいつは――」

「あぁ。半年前に潰したはずの――リューネがいたロッジで研究されていた存在で間違いないかと」

 レイルの脳裏に、かつて関わった事件の情景が浮かび上がる。

 人里離れた山奥の洞窟内部。人の目から逃れるために設けられた研究施設内に立ち並ぶ培養槽――

「確か、<依代>に霊的な存在を憑依させて――ってやつだよな」

 ミヒュトの確認にレイルは頷いた。

 2人の表情が苦々しく歪む。

「つまり、奴らの残党がいることが確定したってわけだな」

「そう、だな……それと」

 レイルが2つ目の紙束を示す。

 遊撃士協会クロスベル支部からの連絡だ。

「クロスベルにて蒼い錠剤が出回っている、とさ」

「嫌なことは重なると言うが……あまりにもな状況だな」

 蒼い錠剤。

 かつて国際的犯罪組織として各国の軍や遊撃士協会、七耀教会などの共同作戦により制圧された狂信的な宗教団体が、大陸各地の拠点にて行っていた実験に使用していた違法薬物。

「<真なる叡智(グノーシス)>……」

 その宗教団体の一斉検挙が行われたのが6年前――レイルやエミナが遊撃士になる前の話であったが、3年前のとある事件により、レイル達にも深い関わりがあった。

 その事件にもこの蒼い錠剤がとある猟兵団に流されており、様々な協力もあり、無事解決したはずだが――

「天使のような怪物や蒼い錠剤――教団の関与は揺るぎないな」

「となると、お前達の出番ってわけか」

「そうなるよなぁ」

 ミヒュトの言う通りだ。

 これまでの経験上、天使のような怪物への有効打となるのは、神薙としての力――即ち霊力を用いた力である。

 ――導力魔法も多少なりと効果はあるが……

 高位のアーツでなければ、焼け石に水、というのが正直なところである。

 クロスベルにも同じく神薙の一族である従兄がいるのだが、戦力は多いに越したことはない。

 それに件の違法薬物に関わったことがあるのだから、尚更だろう。

「けど、どうする? 今のお前さん達は、要らぬ波風を立てねぇように資格凍結中だ。この件のために凍結解除して、首を突っ込むとなると……まず間違いなく、横槍が入るだろ」

「それについては、ミシェルさんと……こっちの方で動きがあったみたいだ」

 レイルが残る書状をミヒュトに示した。

「遊撃士協会としても俺達の資格をそう簡単に切り替えるのは信用に関わる、と渋っているみたいだ」

「だったら――」

 どうする? という言葉を言われる前に、レイルが続ける。

「過去にも“裏”で出回った違法薬物――その事件に携わった人間として、俺達を重要参考人として召喚するってことで押し通すつもりらしいな」

「なるほどな……自発的に首を突っ込む訳じゃなく、事情を知っている一般人として呼び出されるってことか」

「そう言うこと。それに――現地に行けさえすれば、事態への関与はどうとでもなるしな」

 つまり、たまたま事情を訊きたいと呼び出された先で、事態に巻き込まれでもしたら――正当防衛として動かざるを得ない、ということだ。

「随分と狡いことを考えやがるな」

「それだけ切迫した状況、ってことだよ」

「そっちの方は良いとして……帝国側の横槍についてはどうするんだ?」

「それについては、現地にいる情報局の人間と密約を交わしたみたいで」

 最後の書状――帝国軍情報局からの通達文の要約はこうである。

 違法薬物の流布は周辺諸国にも多大な影響を与えるため、即刻の事態解決が求められる――ただし、異形の存在がこの件に関与していると見られる以上、まずは専門家による対処を優先し、推移を見守る。

「つまり……ある程度は見逃してやるから、さっさと解決してこいってことか」

「それもあるけど、無闇に正規軍に被害を出したくないから、ってのもありそうだな」

 本来であれば、クロスベル内で起きた事件に帝国側が介入するとなれば、利権争いで敵対している共和国側からの反発は必然だろうが、クロスベル自身に問題解決能力がないとして、併合への一手としそうなものだが、

 ――異形の存在が相手となると、流石の帝国軍でも手を焼くってことだ……

 だから、容認するということだ。

「まぁ、だからといって向こうも野放しにする気はないみたいだけど」

「……監視がつく、ってことか」

 ミヒュトの言葉に頷いてみせる。

「名目としては事件関係者に対する護衛って感じだな」

 帝国の思惑を額面通り受け取って良いものか不安はあるが、何にしてもレイル達の介入する手筈が整っているということだ。

「鉄道憲兵隊の方で移動手段を用意してくれているみたいだし……一先ずヴァンダイク学院長に連絡しないと――」

「ならば、手間は省けたようであるな」

 レイルが行動を起こそうとした直後、扉の向こうから声が掛けられた。

 視線を向けると、そこには声にも感じられた風格と威厳を身に纏ったかのような長身の初老――ヴァンダイク学院長と、その巨躯の脇から顔を覗かせているリューネがいた。

 

 ◆

 

「ヴァンダイク学院長? それにリューネも……どうしてここに」

「まずい状態だと思って、学院長殿は俺が呼んでおいたんだ」

 そう告げるミヒュトの傍らを抜け、ヴァンダイクがレイルへと歩み寄る。

「聞き耳を立てるつもりはなかったが……おおよその話は聞かせてもらった。それと、彼女についてだが、丁度近くで鉢合わせてな」

 2アージュ近い長身に促されるも、リューネは物怖じすることなく、リューネがレイルを見据える。

 レイルもその視線をしっかりと受け止めた。

 ――奴らの残党となると、リューネが狙われる可能性は捨てきれない……

 だが、神薙の一族でないものの、彼女の力は異形の存在に対して有用である。

 彼女の身の安全を考えれば、彼女が言わんとしている内容は拒むべきだ。

「お兄ちゃん。私も行くよ」

 静かに、だけど強い意志が込められた宣言にレイルの耳朶を震わせる。

 ――そう、だよな……

 自身と同じ境遇の存在が今尚悪意ある存在に利用されているなど、心優しい彼女が見過ごせる訳がない。

 例え救うことが叶わなくても、自分達なら止められると、リューネは理解しているのだ。

だから、彼女は躊躇うことなく、そう告げたのだ。

「…………分かった。けど、無理はしてくれるなよ」

「ありがとう……お兄ちゃんもね」

 そう言って安堵の表情を浮かべるリューネを尻目に、レイルはヴァンダイクへと向き直る。

「……そう言うことなんで、俺とエミナ、リューネ――それにフィーの4人を、クロスベルへ行かせて下さい」

「…………」

 レイルの言葉を聞いたヴァンダイクが瞳を閉じて黙考する。

 重い沈黙が部屋を包み込むが、程なくして、

「君やエミナ・ローレッジの立場や使命を考えれば、致し方ないのだろう……彼女にも事情があるのは分かった。だが」

 重々しく言葉を投げかけるヴァンダイク。

 レイルは静かに、彼の言葉を受け止めた。

「フィー・クラウゼルを同行させる意図は何かね?」

 話題にも上らなかった彼女を同行させる理由は何か。

 それは、

「蒼い錠剤についてはフィーも関係者の一人です。それにあの違法薬物が絡んでいる以上、行方知れずとなったフィーの古巣――西風の旅団が動きを見せるはずです」

 かつての事件が解決した折に交わされた約束。

 それを取り交わした者はもういないし、その団員も今では散り散りとなって行方を眩ませている。

 けれど、彼の意志を継ぐ者達が健在であるならば、彼等はきっと行動を起こすはずだ。

「それだけでは、同行を許可する理由としては弱い」

「ッ!」

「だが――」

 食い下がろうとするレイルを抑えるように、ヴァンダイクが笑みを浮かべる。

「彼女が動くには十分な理由なのだろう」

 下手に抑え込んで暴走される方が危険だろう。

 だから、

「君達がよく見ていてあげなさい」

「! ありがとうございます!」

「ただし、3日だ。それ以上は君達の身を預かる立場としては許可出来ぬ」

 本来であれば生徒の身を案じ、止めるべき立場にある彼からの最大限の譲歩である。

 そのことを深く受け止め、レイルが改めて頭を下げる。

 それを見て、ヴァンダイクが鷹揚に頷く。

「だが、これだけは忘れてはならん」

 君達は今、トールズの学生であることを。

 だから無事に、ここへ帰ってこなければならないと――

 

 

 かくして、ヴァンダイク学院長からの許可を得たレイル達であったが、すぐにクロスベルへと向かうわけにはいかなかった。

 B班として特別実習に出ているエミナとフィーが戻ってくるのは昼前の予定であるし、情報局からの通達では、途中――ガレリア要塞までの移動手段として鉄道憲兵隊の高速車両を帝都ヘイムダルにて待機させているとのことだ。

 ミヒュトへパルムにいるサラ宛てに連絡を頼み、帝都にて合流――その後、クロスベルへと出立となる。

 それまでに2人の分を含めた準備を整えていく。

 慌ただしく用意を済ませていくレイルとリューネを見て、リィン達が様子を伺っていたが、詳しい説明をしている暇はなかった。

 最低限、3日程出掛ける旨と、そのことは学院にも連絡して許可を得ていることだけを伝えて、2人は足早に駅舎へと向かっていった。

 そして――

 

 

「お待ちしておりました」

 ヘイムダル駅に降り立ったレイルとリューネを出迎えたのは、

「やっぱり、クレアさんでしたか」

 レイルの視線の先にいたのは――灰色を基調とした鉄道憲兵隊の制服ではなく、本革仕立てのジャケットに膝丈より少し短いスカート姿のクレアであった。

 情報局が手配した鉄道憲兵隊による移動手段、という情報から薄々と感じてはいたが、予想通りの人選に内心頭を抱えた。

 ――レクターの野郎……

 今回の情報局の動き――まず間違いなくレクター・アランドールが絡んでいるだろうと予測していた。

 そして、こちらに付ける護衛兼監視の人選も彼からの推挙があったに違いない。

 奴のことだ。問い詰めたところで『知ってる顔の方がやりやすいと思ったからよ~』などと嘯くだろうが、どうせクレアとの関係性を抑えた上での面白半分の所業だろう。

 ――次に会ったらシメる!

 と、怒りを燃やしていたが、クレアの声で意識を引き戻される。

「まさかこんなことになるとは思っていませんでしたが……どうか、よろしくお願いしますね」

「え、えぇ。こちらこそ」

 差し出された手を握り返す。

 挙動が怪しくなっていなかっただろうかと思ったが、特に不思議に思われずに済んだようである。

 ――あくまで普通に接してくれる、ってことか……

 それはそれでありがたいような、いたたまれないような、と複雑な心境である。

 それに、

「……………………」

 リューネの視線が痛かった。

 クレアとの関係性を疑われて間もなしの再会である。昨日のうちに一応は納得してくれたようであるが、それでも疑いの目は晴れきっていないようだった。

「大丈夫ですよ、リューネさん」

 すると、クレアがリューネへと優しげに語り掛ける。

「レイルさんとエミナさんのことは存じ上げていますから、お二人の邪魔はしませんからご安心ください」

「あ……」

 自身が抱いている疑念――あるいは不安の要因を言い当てられた上で、そのことを心配しなくて良いと諭される。

 レイルへの疑念やクレアへの警戒心があからさま過ぎたことへの羞恥心や、クレアの言葉を信じて良い物かという懊悩が、彼女に複雑そうな表情を浮かばせるが、

「分かり、ました……」

 そう言って、クレアに頷いてみせる。

 それを受けたクレアも安堵の表情を浮かべ、2人に着いてくるよう促してくる。

「じきにエミナさん達も到着されます……どうぞこちらへ」

 案内されたのは駅舎の奥まった位置に設けられた鉄道憲兵隊の指揮所だった。

「こちらでお待ちください。私はエミナさん達を迎えに行ってきます」

 指揮所の一角――会議室の一つへと案内された2人が中に入ろうとしたところ、クレアがレイルへと耳打ちしてくる。

「ごめんなさい。昨日のことはあまり気にしないで頂ければと」

「それは……」

「本来であれば伝えるつもりはありませんでしたが……気持ちを切り替えられない女の戯言と思ってください」

 それでは、と言い残してクレアが離れていく。

「………………」

 彼女に対するぎこちなさを見透かされ、気を遣わせてしまった。

 彼女から向けられる感情を嬉しく思ってしまう反面、それに自分が応えることはない。

 であるならば、彼女を突き放すべきなのだろうが、

 ――そうしたくない、ってのは俺の我が儘だ……

 考えれば考える程、自己嫌悪に陥りそうになる。

「どうにかしないとな……」

 小さく溢した言葉が、いやに耳にこびりついた。

 だが、エミナのことを思えば、これはレイルが向き合わなくてはならない問題だった。

 

 

「クレアさん!」

 セントアーク方面から到着した飛び出してきたエミナが、待ち構えていたクレアを見つけると一目散に駆け寄ってきた。

「お久しぶりです、エミナさ――きゃ!」

 そしてその勢いを緩めることなく飛びつき、力の限り抱き締めてくる。

「良かった……元気そうで。それに心配してたんだよ?」

「エミナさん……」

「ギルドの排斥が進む中、なるべく穏便にことが進むように働きかけてくれてたんでしょ? そのせいで立場を悪くしたんじゃないかとか……それに、クレアさんのことだから、自分を責めてるんじゃないか、って」

「それ、は……」

「ごめんなさい。もっと早く会いに来られれば良かったんだけど」

「……怒ってはいないんですか?」

 と、不安げに訊ねるクレアに対し、エミナが即座にデコピンを放った。

「ていっ」

「!? なにを――」

「怒るわけないよ……立場は違っても、今でもクレアさんのことは仲間だって思ってるよ」

 誰かさんはまだうだうだ悩んでるみたいだけど、と続けたエミナが停車している車両へと鋭い支線を向ける。

 その先には車窓越しにこちらの様子を伺っている深紅の制服を纏った学生達とサラの姿があった。

 クレアがつられるように目を向けると、すぐさまサラが顔を逸らせる。

 それを見たエミナが吐息を溢し、

「まったく……列車の中で少し話したんだけど、サラ姐はサラ姐で色々悩んでるみたいだから、もう少しだけ待っていて欲しいかな」

「完全に嫌われて……憎まれているものだと思っていました」

 だけど、エミナの言葉でそうではないと知れた。

 ならば、今はそれで十分だ。

 時間は掛かるかも知れないが、関係を修復する余地が残されているのだ。

 それに――

 ――私には勿体ないくらいです。

 道を違えたと言っても過言ではない自分に対し、今尚信頼を寄せてくれるエミナがどれだけありがたい存在なのかを噛み締める。

 そんな彼女だからこそ、一度は身を引こうと決意したのだが、

 ――ままなりませんね……

 昨日、レイルに告げてしまった想いを振り返り、自身の軽率さに頭を悩ませるが、彼女のことを思えば、この気持ちには蓋をしてしかるべきだ。

「ごめんなさい……それと、ありがとうございます」

 改めて決心し――そこでようやく、クレアはエミナを抱き締め返した。

「2人ともイチャイチャしすぎ」

 と、今まで様子を伺っていたフィーから指摘され、クレアは身を引き剥がした。

 周囲には好奇の視線が集まってきていた。

「し、失礼しました……フィーちゃんもお久し振りですね」

「ん。益々美人になったね、クレア」

 フィーの率直な讃辞を面映ゆく感じるが、平静を装ってクレアは話を本筋へと移す。

「ありがとうございます――レイルさん達は既に到着されているので、すぐにでも出立しましょう」

 

 

 クレアに引き連れられた先で待ち構えていたのは、鉄道憲兵隊が所有する高速列車だった。

 鉄道網が通った地域で問題が生じた際に直ちに駆け付けられるよう、専用車線を設けられた特殊車両である。

「この列車であれば、ガレリア要塞まで2時間と掛かりません。そこから一般の列車に乗り換えて、クロスベル市内までの移動となると――到着は15時頃の予定です」

「えぇ。――行こう、クロスベルへ!」

 レイルの号令の後、皆が車両に乗り込む。

 程なくして動き出した列車が、すぐさま速度を高めていく。

 目指すは陰謀渦巻く魔の都、クロスベル――



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幕間① 車内での会話

<フィー>

「そう言えば……クロスベル行き、勝手に決めて悪かったな」

「問題ない。むしろ、感謝してる」

「そっか……そう言ってくれるとありがたい」

「こっちの気持ちをちゃんと理解してくれてるってことだし……サンクス」

 

 

「もし除け者にされてたら、それこそ一人でクロスベルに向かってたかもね」

「……だろうな(団のことが絡むと気が逸るようだし、しっかり見といてやらないとな)」

 

 

「団の皆があの約束を覚えているなら、きっと動きがあるはず」

「行方を眩ませた理由、しっかり問い質さないとな」

「ん。(こくり)」

 

 

 

 

<リューネ>

「…………(じー)」

「えっと……リューネ?」

「お兄ちゃんのこと信じてるけど……人誑しだしなぁ」

「酷い言われようだな!?」

「クレアさんも悪い人じゃないって分かったけど……心配だな、って」

「それは……心配掛けてすまない」

「私の方こそ色々勘ぐってごめんなさい。お兄ちゃんにも色々事情があるんだもんね」

「そう、だな……(やっぱり、なるべく早く解決しといた方が良さそうだな)」

 

 

「お兄ちゃんのことだから大丈夫だと思うけど……お姉ちゃんのこと、悲しませたら嫌だよ?」

「あぁ、分かってるよ」

 

 

 

 

<エミナ>

「エミナ、ちょっと良いか?」

「うん? どうしたの?」

「ちょっと個人的なことで……場所を変えて話せないか?」

「? 別に良いけど……」

 

 

「それで、改まってどうかしたの?」

「ああ、実は……」

 

「……そっか、クレアさんが……」

「隠すつもりはなかったんだが、今まで黙っていてごめん」

「うんん、そのことを責めるつもりはないの。むしろ、教えてくれてありがとう……でも、そっか……何だかぎこちないように見えたのは、それが原因なのね」

「やっぱり、分かっちまうか……」

「何となくだけどね……思い返せば、2年前に帝国を出る前にも似た感じだったわね」

 

 

「それで、レイルとしてはどうしたいの?」

「正直に言うと……出来ることならクレアさんを突き放すようなことはしたくない。けど……」

「レイル」

「?」

「私のことを第一に考えてくれてることは嬉しいけど……だからって、私以外との関係性を蔑ろにして欲しくないの」

「それは」

「勿論レイルの恋人として、レイルにとっての一番でありたいって気持ちは変わりない。だけど、私が好きになったレイル・クラウザーは、どんな人とでもすぐに仲良くなって、困っている人がいれば手を差しのばさずにはいられない――そんな優しすぎる人だから」

「あ……」

「難しいかも知れないけど、クレアさんに対しても普段のレイルで接し続けてあげて欲しいな」

 

 

 

 

<クレア>

「レイルさん? ガレリア要塞まではもう暫く掛かりますが……どうかされましたか?」

「……改めてなんですけど、クレアさんに言っておきたいことがありまして…………クレアさん。立場は違っても俺達は変わらず仲間だと思っています。だから、どうかこれからもよろしくお願いします」

「…………ふふ」

「クレアさん?」

「ごめんなさい。先程、エミナさんともお話ししたのですが」

「(流石の行動力だな……)」

「私達のことを知った上で、先程のレイルさんと同じことを仰ってくださって」

「そう、でしたか……」

「ありがとうございます。余計な波風を立ててしまったのは私なのに」

 

 

「レイルさんには心労を掛けてしまいましたが……以前と変わらず、接して頂ければと」

「はい。クレアさんも、そう望んでくれるのであれば」

 

 

「じきにガレリア要塞に着きますので、僅かな時間ですが心身を休めていてくださいね」

「そうですね。お言葉に甘えさせてもらいます」

 




こんにちは、檜山アキラです!

今回の話は、本編に盛り込むとテンポが悪くなりそうだったので割愛した部分なのですが、かといって完全に省いてしまうのもどうかと思ったので、このような形で差し込んでみました。
あえて情景描写をせず、台詞のみで表現してみましたが如何でしたでしょうか?


さて、原作と異なる部分が大きくなってきましたが、それも二次創作の醍醐味として楽しんで頂けるなら幸いです。

正直、クレアを同行させる予定はなかったのですが、「魔都からの呼び声」を書いている途中で、急遽軌道修正した次第です。
それが吉と出るか凶と出るか……

それでは、次回更新まで暫くお待ちくださいませ。


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浮かび上がる闇の輪郭

<???>

「ふぅん……お兄さん達もやっとそこまで辿り着いたみたいね」
 薄暗い工房の一角、端末を扱う者のために設けられた照明に照らされる中、少女はその見た目に見合わぬ怪しげな笑みを浮かべる。
「出席者も揃って、招待状も届けられた……これで(パーティー)の準備は全部整ったのかしら? 先に鬼さんを見つけるのはエステル達? 警察のお兄さん達? それとも神薙のお兄さん達かしら?」
「……相変わらず全てが見えておるらしいな」
 やれやれ、といった様子で老人が近寄ってくる。
 少女が振り返ると、笑みを濃くして応じる。
「うふふ、レンはそこまで自信過剰じゃないわ……レンに見えるのは絡まり合った因果(システム)だけ」
 老人から端末のモニターへと視線を戻しながら、
「お互い別々に作動する因果が、このクロスベルという場でどんな織物を編み上げるのか……それが見えるというだけよ」
「ふむ……なるほどな。マフィアと例の教団が何をするつもりかは知らんが……少々、騒がしくなりそうだの」
 老人が短く溜め息を溢し、続ける。
「まぁ、これも自業自得――いや因果応報というものか」
「ええ、あの灰色の街が積み重ねてきた因果の報い、と言うべきかもしれないわね――てっきり《結社》の関与もあるかと思っていたのだけど」
「この地は《結社》と《教会》の緩衝地帯のもなっておるからな。法王は騎士の活動を禁じ、盟主は執行者を派遣しない」
 あくまで建前としてはだが、と老人は言外に双方の暗躍をほのめかせる。
「おじいさんの工房がある時点で怪しいものだけど……まさかクロスベルの導力ネットに介入出来る遠隔システムまで用意してると思わなかったわ」
 そのおかげで、少女は退屈せずに済んでいると楽しそうに告げる。
「お前さんの役に立ったのなら、用意した甲斐があったというものだ。あやつが押しつけてきた時にはブチ壊してくれようと思ったが……」
 そう言う老人の脳裏には――心底嫌であるが――弟子と呼べる存在の顔がよぎった。
 表情を歪める老人を見て、少女が可笑しそうに笑う。
「相変わらず、博士と仲が悪いのね――《星辰》のネットワークがあるのに、今更エプスタインの試験運用に何の興味があるのかしら?」
「フン、あやつのことだ。どうせロクでもない企みのために役立てようと思っとるのだろう」
 と、老人が吐き捨てる。
「まったく、開発途中の実験作を適当にバラ撒きおって……」
「うふふ、警察のお兄さん達が戦った、あの紅い武者さんね」
 少女が先程まで見ていた映像のことを思い出す。
「モニターで見た限りでは、中々優秀な子みたいだけど?」
「やはり、自律的な状況判断と柔軟な行動選択に難アリだな……中々、お前さんの相棒のようにはいかんさ」
 老人が壁面に固定されている巨体に視線を向ける。
「……レンはともかく、彼について博士は何も言ってこないのかしら?」
「今のところはダンマリだな。どうやら新しい機体の開発に熱中しておるようだが……あやつに余計な口を挟ませる隙は見せんさ」
 そう告げる老人に少女は感謝を述べる。
 そして、
「これでやっと……最後の賭けが始められるわ」
「……ふむ……」
 少女の言葉に老人が表情を曇らせる。
 それを見た少女が、殊更に明るく言葉を紡ぐ。
「人形繰りを教えてくれたり、偽者の人形さんを作ってくれたり、こうして匿ってくれたり……おじいさんには感謝してるわ」
「なに、大したことはしておらんさ。それより――今日は忙しくなるのだろう? 少々早めだが、午後のティータイムにしよう」
「うふふ、そうね。今日は長い一日になるわ」
 少女が立ち上がり、自身の両親を見上げながら、
「たぶん、この自治州が始まって、一番長い一日にね」



<4月27日14:50 クロスベル>

 

「よぉ、待ってたぜ」

 クロスベルの駅舎から出たレイル達を待ち構えていたのは、レイルより頭一つ抜き出た長身に金髪碧眼の顔立ちが整った――そして、雰囲気が軽そうな男だった。

「ラカム、久し振り……って言ってもまだ2ヶ月も経ってないか」

 そう言って、レイルが拳を突き出すと、ラカムと呼ばれた男もそれにならい、力強く突き合わせた。

「この方は……」

「これは失礼しました、レディ。俺はレイルの従兄で愛の狩人ラカムと申します、以後お見知りおきを」

 この中で唯一面識がなかったクレアが訊ねると、ラカムが恭しく彼女の前に跪くと、その手を取ろうとした――ところで、横合いから振り下ろされた太刀により遮られる。

「相変わらずのナンパ振りには安心するけど……そういうの今は良いから」

「おぉ怖……」

 レイルの鋭い眼光をものともせず、ラカムが改めてといった感じでクレアに向きなおる。

「遊撃士協会クロスベル支部所属、B級遊撃士ラカム・フォーグナーだ」

「……エレボニア帝国鉄道憲兵隊所属、クレア・リーヴェルトです」

「へぇ、あんたが噂の《氷の乙女(アイスメイデン)》か」

 と、クレアの名を聞いた瞬間に、ラカムの視線が値踏みするかのように細められる。

「帝国支部の連中が随分世話になったみたいだな」

「それは……」

「言っとくけど、クレアさんはあの時協会の為に動いてくれてたんだから――責めるのはお門違いだからね」

 ラカムの視線を遮るように、エミナがクレアの前に進み出る。

「悪い悪い。別に恨み言を言うつもりはないんだ。ただ、鉄血の子飼いであるあんたが、何故そうまでしてくれたのか気になってな」

「……個人的に皆さんとは親交もありましたし、あの件については政府側のやり方があまりにも強硬的でしたので――これでは理由になりませんか?」

「んー……いいや、あんたからは打算も裏も感じられねぇ。信頼に値する、ってことで」

 改めてよろしく頼むわ、と破顔するラカムから手を差し出される。

 クレアは一瞬躊躇ったが、

「――ありがとうございます。こちらこそ、宜しくお願いします」

 そこでようやく張り詰めた空気が溶け、様子を見守っていたフィーやリューネが大きく息を吐き出した。

「ヒヤヒヤしちゃった……」

「普段はチャラチャラしてるくせに」

「厳しいねぇー、もちっと優しくしてくれるとお兄さん嬉しいんだけどなぁ」

「馬鹿やってないで、早く行きましょ」

 呆れ顔のエミナから促されて、ラカムが思い出したかのように、

「じゃあ早速、ギルドに行くとするか」

 ラカムを先頭に歩き出す一行。

 その後方――少し離れた位置を歩くクレアに、レイルが様子を伺う。

「クレアさん、大丈夫ですか?」

「えぇ、ありがとうございます。ある程度は予想していましたが、思っていたよりは好意的に受け入れて頂けていることに驚いているくらいです」

「それは――そう、ですね。帝国支部にいたヴェンツェルさん辺りも同じように思ってくれてる筈ですよ」

 そうだと良いんですが、と儚げな笑みを浮かべるクレアだったが、

「さぁ、私達も急ぎましょう」

 と、先を行くラカム達の後を追うのだった。

 

 

「――なるほど。そんな事になっていたとは」

「こちらでも失踪者や蒼い錠剤についてはこちらも掴んでいたけど……今回は完全に出遅れちゃったわね」

 ロイド達支援課が伝えた情報を受け、アリオスとミシェルは一様に眉間に皺を寄せるのだった。

「D∴G教団……6年前、根絶やしに出来ていなかったのが悔やまれるな」

「……あの、アリオスさんも教団事件に関わっていたんですよね? 残党の規模はどれぐらいのものと思いますか?」

 ロイドからの質問にアリオスが思案する。

「……そうだな。かつて、我々が掴んでいた全てのロッジが制圧されたが……3年前に起きたエレボニア帝国での蒼い錠剤を巡る事件や昨年のリベールの異変、それに半年程前にレイル達が制圧したロッジの存在を鑑みるに、奴らの残党が犯罪組織の手を借り地下に潜り、今日まで息を潜めながらも勢力を取り戻しつつある、と考えてもおかしくないだろう」

「………………………………」

 教団の脅威を知っているティオが表情を青ざめさせる。

 ロイド達が心配そうに様子を伺うが、ティオは静かに大丈夫だと伝え、続きを促す。

「まさにルバーチェなんかは打って付けの隠れ蓑だったわけか」

「でも、どうしてそんなリスクの高いことを……計算高いマルコーニ会長にしては、少し違和感がありますけど」

 エリィの疑問にミシェルが考え込む。

「……確かに、あの教団の残党を匿ったりしてると分かったら、放っておかない所は多い筈よ。ウチはもちろんだけど……教会とか例の《結社》とかもね」

「となると……まだ見えていない事情が存在しているんでしょうか?」

 と、訊ねるロイドにアリオスが答える。

「そうだろうな。それにお前達が月の僧院で遭遇したという悪魔――それと天使のような化け物についてだが、こちらも教団が関わっているとみて間違いない」

「そうなんですか!?」

 告げられる言葉に支援課の一同が動揺する。

 思い返すのは、ノエル曹長と行った月の僧院の調査。

 僧院の奥で見た何らかの儀式の間に現れた悪魔と、それに呼応するように出現した天使のような化け物。

「悪魔の方は倒せたが……天使みたいなのは悪魔を倒した途端にどっかに消えちまったな」

 その時の様子を思い返していたランディが説明する。

「……私が知る限りでは、教団がそのような存在を扱っているようには思えませんでしたが……」

「それについては、詳しい者に説明してもらうとしよう」

 アリオスの言葉に首を傾げたロイド達だったが、すぐにその意味を理解する。

「遅くなっちまってすまねぇ……重要参考人達を連れて来たぜ」

「記念祭以来だが、元気にしてたか?」

「あれから派手にやらかしたみたいね」

 階下から上ってくる声に、全員の視線が注がれる。

「レイルにエミナ……?」

 

 

 ラカムに引き連れられてきた一行を見て、ロイドは驚きを隠せなかった。

 そこにいたのは、とある事情でクロスベルから旅立ったとされるレイルとエミナ、フィーとリューネ、それに見知らぬ女性――訊けば、エレボニア帝国の鉄道憲兵隊の大尉を務めるクレア・リーヴェルトであった。

 ――どういう組み合わせなんだ……?

 という疑問を抱くが、ミシェルやレイル達本人からここに至るまでの経緯を聞かされて納得する。

「なるほど……そちらの事情は理解したけど、俺達が遭遇した天使のような化け物に詳しいってのはどういうことなんだ?」

「それについては、私からお話ししますね」

 リューネが一歩前に身を乗り出してくる。

「え……?」

「嬢ちゃんがか?」

「…………まさか…………」

 ティオの呟きにリューネが頷く。

「はい……私がいたロッジで研究されていたのが、まさに天使のような化け物だったんです」

 

 

「私がいたロッジは、教団の中でも特殊な立ち位置にあったそうなんです」

 あくまで聞いた話ではですけど、とリューネが注釈を入れる。

「そのロッジでは教会の聖典に記されたような悪魔とは別に、霊的な存在――私のお世話をしてくれていた人が言うには、異界の存在について研究していたらしいんです」

「それが、あの化け物……」

「異界というのは、聖典にあるような天界や煉獄ということかしら?」

 エリィの問いに、リューネが首を振る。

「いえ……この場合の異界というのは、正真正銘の異なる世界――異世界を指すそうです」

「マジかよ……」

 信じられないとばかりにランディが溢す。

「そして、その異界の存在を《依代》と呼ばれる素体に憑依させることで、この世界への顕界を実現させる事が目的――いえ、これも手段の一つだったんです」

「……まさか《依代》というのは」

「はい。各国から攫われてきた子供達や……私のような人造人間(ホムンクルス)のことです」

「そん、な……」

 ロイドがレイルへと振り返る。

 彼は静かに頷くと、リューネの話が本当であると伝えた。

「突拍子もない話だと思うだろうけど……全て真実だ。半年前、俺やエミナ――他数名で制圧したロッジでそのことを裏付ける記録が残されていた」

「じゃあ……あの化け物は、元は人間だというの……?」

 エリィが悲愴な顔で聞いてくる。

 そうでないと言って欲しい……そんな縋るような思いが籠もっていたが、レイルはその問いを肯定する。

「あぁ、その通りだ」

「……それは、どうにかして助けられないのですか?」

 ティオが問い掛けるが、それに答えたのはエミナだった。

「残念だけど、それについてはドクターからの証言で否定されているの。憑依した存在が完全に同化すると、素体となった人間は変質し、元に戻す事は叶わない」

 それに、

「リベールの異変の最中、《依代》にされたお父さんを助け出そうとしたけど……それは叶わなかったの……もし、助けようと思っているのなら――」

 そこでエミナが言葉を詰まらせる。

 レイルが彼女の肩に触れる。

 その様子を見ただけで、ロイド達は理解してしまった。

 ――助けたければ、《依代》にされた人達を……

「……………………」

 沈黙が重くのしかかる。

 告げられた情報量が多すぎて、頭の中がどうにかなってしまいそうだ。

 エリィは教団の非道な行いによって犠牲となった者を想い、涙を浮かべている。

 ティオはかつての恐怖を思い出し、身を竦めている。

 ランディは湧き上がる怒りに拳を握りしめている。

 だが、

「失踪者がどんな目に遭っているか分からない以上、事態は刻一刻を争う……今は手分けして、マフィアと失踪者達の行方を追うべきだ」

 ロイドは立ち上がり、皆に呼びかける。

 悲しみが、恐怖が、怒りがないわけではない。

 だが、それに囚われて歩みを止めたり、成すべきことを見失ってはいけない。

「その通りだな。恐らくそれが、教団の残党の正体を炙り出す事にも繋がるはずだ」

 ロイドの言葉に、アリオスが賛同する。

「あの、それでは……」

「協力体制を結ぶってことで、そっちも良いのかよ?」

 ティオやランディの確認にミシェルが頷く。

「ええ、こちらも異存はないわ。市民から失踪者が出ている時点でアタシ達は無関係ではいられない――それに、薬物被害についてもね」

「そうと決まれば、役割分担を決めておきたい所だが……エステル達はともかく、他のメンバーはどうしている?」

「幸い、緊急の依頼を受けているメンバーはいないから……主力の8名は確保出来るわ。それと――非公式という形でレイル達にも協力してもらう……そういうことで良かったわね」

 ねぇ大尉さん? とミシェルがクレアに視線を流して確認する。

 それを受けて、クレアが静かに肯定する。

「情報局としてもある程度は黙認するとのことです。ただし、制限もなしにとはいかないでしょうから――現職の遊撃士の方、もしくはそちらの警察の方に同行する形での協力、というのが一番角の立たないやり方かと」

「でしょうね。だったら、ラカムと一緒に動いてもらおうかしらね」

「よろしく頼むぜ! 特に綺麗なお嬢さん方達は」

「従弟にもよろしくしろよー」

 やだよー、等と軽口を交わしている2人を尻目に、ミシェルがこの場にいないメンバーへの連絡のため、階下へと向かった。

 するとそこで、今まで黙っていたフィーが挙手の後、告げてくる。

「もしかしたらだけど、西風の旅団のメンバーが動くかも知れないけど……この件に関しては協力出来ると思う」

「そいつはどういうことだ?」

「ランディ? 西風の旅団ってのは――」

「俺の古巣と散々やり合った猟兵団だ。そこのフィーも元々は西風の旅団の出身だが……」

 西風の旅団。

 大陸最強の猟兵団の名を掛けて、赤い星座と衝突を繰り返してきた団であるが、

「なんだって奴らがこの件に首を突っ込んでくる?」

「ん。ランディの言う事はもっとも……雇われてもいない猟兵団が関わる事はまずない案件だからね」

 だけど、

「西風の旅団は3年前の帝国で起きた薬物事件に関わっている。その関係で、蒼い錠剤が関わる事件があれば、協力するって話になってる」

「そこは俺やエミナが上手いこと働きかけたってことで」

「……ふ。猟兵団と手を組んで薬物事件を解決したと聞いたときは耳を疑ったがな」

「あー、あったなそんなこと」

 と、アリオスとラカムが苦笑する。

「だが、そういうことなら無用な衝突を避けるよう、ミシェルから連絡させておこう」

「じゃあ、こっちから伝えておくわ」

「そうだな、俺達もそろそろ行かせてもらうんで……ラカム」

 そう言って、レイルがラカムへと声を掛ける。

「行動方針はそっちに一任する形となるけど、どこから当たっていく?」

「そうだな……お前達もいることだし、まずは失踪者の関係者への聞き込みにマフィアの目撃証言――それと街の様子を確認しておこうぜ」

「分かった。そうと決まれば行動開始だ!」

 レイルの号令の元、一同は力強く頷くのだった。




「そういえば、レクターの奴、こっちにいるんですよね」
「……あまり詳しいことは言えませんが、昨夜の内に帝都に戻っているみたいです」
「チッ……入れ違いか……いや、あいつのことだ。逃げやがったな……」
「レイルさん?」
「あ、何でもないです、ええ、はい」


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行方知れずの防人達

前話でラカムがさっさと調査に向かってしまいましたが、それだと折角オリキャラを出す意味が薄くなってしまうなと思ったので、修正を加えました。
それに修正前のままだと、レイル達も身動き取りづらいな、という結論になったので改めて読み直して頂けると助かります。


<4月27日16:30 クロスベル>

 

「特務支援課からの報告にもあったが、実際に聞き込みをした感じ、失踪者には共通点が見られるな」

 ラカムの先導の下、状況確認を行ったレイル達は、一度情報を纏めるために中央広場に面するカフェレストラン《ヴァンセット》を訪れていた。

 そこでラカムが手帳に書き記した情報を纏め上げていく。

 失踪した市民の特徴としては、各々の仕事やプライベートで何らかのトラブルを抱えていた、ということだ。

 だが、ある時を境に状況が好転――成績不振を起こしていた者は急激に莫大な利益を生み出し、ある者はギャンブルで神懸かったツキを引き寄せたそうだ。

「そして、その人達は横柄な態度をとるようになって……身体能力も常人の者とは思えない程になっていた、と」

 エミナがミルクたっぷりのホットカフェオレを啜り、呟く。

 それに応じたのはフィーだ。

 彼女はアルモリカ村産の蜂蜜を使用したハニーレモネードで喉を潤すと、

「3年前の薬物事件の時と症状が似ているね」

「だな」

 紅茶を口に含ませ、鼻孔を抜ける香りを味わいながら、レイルが首肯する。

「人格が豹変するってのは薬物事件だとお決まりの症状だが、常軌を逸する身体能力の向上や異常なまでの運やツキ――それこそ異能とでも言える領域の力を手にするのは、あの時の物と同じと見て間違いなさそうだ」

「そして、ルバーチェ商会の構成員もその薬物を摂取している可能性がある、とのことでしたね?」

 珈琲に角砂糖を加えながら、クレアがラカムに確認する。

 ラカムは手帳片手にジンジャーソーダのストローを加えながら、

「これも特務支援課からの情報提供だが、一昨日の黒月(ヘイユエ)襲撃時の状況から見ても間違いないだろうな」

 重機関銃を片手で振り回していたとのことで、蒼い錠剤の摂取は間違いないだろう。

 それに、

「ルバーチェ商会の構成員の統制が摂れなくなってるみたいだしね」

 ルバーチェ商会の営業本部長にして若頭であるガルシア・ロッシ――元西風の旅団の部隊長を務めていた男により、纏め上げられていた構成員達だったが、薬物影響で豹変した者達が彼の指示に従わなくなっているとのことだった。

 同郷とはいえ、所属していた時期がズレていたせいで面識がなかったフィーだが、団の仲間から聞かされた話だと、腕が立つ上に統率力もかなりのものらしい。

 そんな彼に対して、一介のマフィアが反抗するというのは常ならば想像出来なかった。

「けど……一体何が狙いなんでしょう?」

 フルーツジュースの甘さに目を輝かせていたリューネが、ふと疑問を呈する。

「ドクターの話だと私がいたロッジでも、依代となる子達への薬物投与が行われていたみたいですけど、それは教団の主目的からは逸れていたってことですし……」

 淡々と紡がれる内容に場の空気が張り詰めるが、リューネは意に介することなく続ける。

「最終的には悪魔崇拝による空の女神(エイドス)を否定する教義の実現だと思うんですけど……それと蒼い錠剤の効果が結びつかないような……」

「つまり、蒼い錠剤の流布は手段であって、何か別に目的があって――それが奴らの最終目標に繋がる、ってことか」

 レイルがリューネの言葉を要約すると、彼女は頷いた。

「協会本部に収監されたドクター……ハングドマンだったか? 彼からの情報提供は見込めないのか?」

 ラカムがリューネではなく、レイルやエミナへと確認する。

「あの人はリューネの世話や健康維持で関与していただけで、本筋の情報とは遮断されていたみたいだからな……」

「それでも、知り得た情報は全て開示してくれてるみたいだけど」

 なら仕方がないか、とラカムが呟くと、

「次に、天使のような化け物についてだが――っていちいち長ったらしいな」

「言われてみればそうだな。確か教団では《御遣い》って呼ばれていたが」

 流石にアレを天上からの使者ってのはなぁ、と表情を歪めるレイル。

「天使のような……霊的な存在を憑依……とりあえず、天依体(てんいたい)とでも呼称するのはどう?」

 と提案するエミナに異を唱える者はいなかった。

「じゃあ、その天依体だが、ロイド達が月の僧院で遭遇したのとは別で星見の塔や太陽の砦付近で目撃情報が上がってきている」

 星見の塔や太陽の砦。

 そのどちらも月の僧院と並び、中世の遺構としてクロスベルの人間に知られる場所だった。

「今のところロイド達との交戦を除けば、実害はないが……どう思う?」

 ラカムの問い掛けに応じたのはクレアだった。

「現状を鑑みれば、捜査を攪乱させるための罠である可能性が高そうですね」

「そだね。こっちの戦力を分散させるってのもあるかも」

「何かを企んでる線も否めないが……警戒はしておいた方が良さそうだな」

 と、フィーとレイルが続ける。

「後は、マフィア達の行方だが……これについては目撃情報もなくて手詰まりだな」

「クロスベル警察の捜査一課が監視していたようだが……空港の爆破予告を受けて、そっちに人員を回した矢先の失踪だったか」

 ああ、とレイルの言葉を受けてラカムが手帳のページを手繰る。

「きな臭い上層部からの圧力があったみたいだな。空港での警戒態勢は依然継続中ってことだ」

「もしかしたら、何か手掛かりがあるかも知れないし、捜査一課に話を聞いてみるのはどう?」

 エミナが提案すると、各々が賛同の意を示した。

「そうだな。集めた情報の整理はこんなもんだし、早速行ってみるか」

 そう告げるラカムが、じゃあこれを、と長方形の物体をレイルの前まで滑らせてくる。

「…………何のつもりだよ」

 レイルが持ち上げたそれは、バインダーに挟まれた伝票だった。

「最近でかい出費があって金欠なんだよな……よろしく頼むわ!」

「…………」

「…………」

 無言で視線を交わす2人だったが、

「ノンノさんお会計お願いしまーす! 領収書の宛名は遊撃士協会クロスベル支部ラカム・フォーグナーで!」

「てめぇ!?」

 

 

<同日17:15 クロスベル空港>

 

 中央広場から駅前通りを抜けた先にクロスベル空港は位置する。

 普段であれば、国際便での出入国で大勢の人が行き交う場所だが、今はクロスベル警察による厳戒態勢が敷かれ、飛行艇の離着陸さえ制限されている状態だった。

 ルバーチェ商会の行方について何か情報を得られないかとやってきたレイル達だったが、とてもそんな余裕がある状況ではなかった。

 辛うじて、ゲート前で警備についていた捜査一課の一人を捕まえたラカムが聞き込みを行ってくれている。

 それを遠巻きに見ていたレイル達だが、

「少しでも手掛かりが得られたら良いんだけど……」

「目撃証言のなさから、かなり計画的な行動みたいだし……ちょっと厳しいと思う」

「だよなぁ…………ん?」

 エミナとフィーの会話に相槌を入れたレイルが、ふと視界の隅に何かを捕えた。

「お兄ちゃん、どうかしたの?」

「いや、ちょっとな」

 レイルの視線の先――ゲートの先にある建物前でなにやら話し込んでいる人達が目についたのだ。

 3人いる内の2人は警察の人間と――恐らく、空港の職員だろう。

 だが、残る1人の風貌にどこか見覚えがあったのだ。

「ん~……」

 精神を研ぎ澄まし、身のうちに宿した霊力を眼球へと集中させる。

 すると、遠巻きでぼやけていた視界が鮮明になり、

「何やってんだ、あいつ?」

 男の姿をはっきりと捕えたレイルが首を捻った。

「誰かいたの?」

 その様子を訝しんだエミナが、レイルの視線を追う。

 そして暫くした後、

「げっ」

 レイルと同様に視力を強化したであろう彼女が顔を引きつらせる。

「そういやエミナ。昨日の実習で会ったって言ってたよな」

「そうだけど……それが、なんであんなところにいるのよ!?」

 聞きたいのはこっちだ、と返すレイルにクレアが問い掛ける。

「どなたかお知り合いが?」

「えぇ……多分、昨日の晩にリベールに戻って、グランセルから飛行艇で来たんでしょうけど」

 運悪く、爆破予告による騒動に巻き込まれたのだろう。

 ――その流れで、警察に協力している、ってところか……

「悪い、待たせたな……残念だが、手掛かりになりそうな情報はなかったな」

 そう言って戻ってきたラカムだが、レイル達の様子を見て不思議そうな顔になる。

「どうかしたのか?」

「いや……ここでの収穫は見込めそうにないし、いったんギルドに戻ってみるか」

 他のメンバーから何か情報が入ってきているかもしれない、ということで一同は来た道を戻ることになった。

「…………」

 ふと、視線を感じたレイルは、気配を感じた方へと振り返る。

 すると、先程の男がこちらを捉えており、

 ――こちらは任せろ、か。

 口の動きを読んで、メッセージを受け取る。

 それにならい、レイルも口の動きだけで言葉を返した。

 ――頼んだぜ、レーヴェ(・・・・)……

 

 

<同日17:30 ウルスラ病院行きバス停前>

 

「ロイド達じゃないか……何かあったのか?」

 ギルドへ戻る途中、ウルスラ病院行きのバス停前で立ち往生している支援課の面々を見つけ、レイル達は声を掛けてみた。

 事情を聞いてみれば、バスが遅れているらしく、ロイド達以外にも多くの人がどうしたものかと困り果てていた。

「薬の成分解析を依頼していた先生からの連絡が中々来なくて、直接出向いた方が良いと思ってやってきたんだが」

「聞けば20分以上待ちぼうけを食らってるみてぇだ」

「こうなると、徒歩で向かうしかなさそうね……」

「やれやれです……」

 と、女性陣が辟易としているのを見て、ラカムが口を挟む。

「だったら俺が! と言いたい所だが、今はこいつらもいるし、ご期待には添えそうにないな」

「? どういう――」

 レイルが訊ねようとしたが、突如ロイドの懐から着信を知らせるアラームが鳴り響いた。

「こっちはなんとかするので、そちらはそちらで調査を続けてください」

 そう言ってロイドが通信に出てしまったので、残りのメンバーと二言三言言葉を交わして、レイル達はこの場を離れることにした。

 

 

<同日17:40 駅前通り>

 

「なにか、騒がしいね」

 先頭を歩いていたフィーが振り返りながら、皆に指し示す。

 フィーが指さした先は、クロスベル駅の駅舎前だ。

 見れば、大勢の人が詰めかけているようで、それを抑えようと駅員達が対処しているようだ。

「こちらも、トラブルみたいですね」

「様子を伺ってみましょ」

 エミナの言葉に頷き、一行は人混みに近付いていく。

 すると、喧噪の声が明確に耳へと届いてきた。

「ただいま列車は帝国方面、共和国方面どちらも運休を停止しております!」

「復旧の目処は立っておりません! どうかご了承ください!」

 駅員達が声を張り上げて、押しかける利用客へと説明を行っているが、彼等は喧々囂々として、駅員達へ非難の声を浴びせかけている。

「空港にバス、それに鉄道でもトラブル……いくらなんでも偶然、じゃないよね?」

「だろうな。とにかく、事情を聞いてみないとな」

 見知った顔を見つけたレイルがラカムにも着いてくるよう、促す。

 そして、3人の女性客に集中砲火を受けているルクスの腕を引っ張り、彼女達から引き剥がす。

「あ、ちょっと!」

 なおも言い募ろうとする彼女達の前へ、着いてきていたラカムを押し出す。

「おい、レイル!?」

 ラカムが突然のことに反応出来ずにいると、

「なに、お兄さんがどうにかしてくれるの!?」

「あ、この人、遊撃士のバッジ付けてるじゃない!」

「なら、どうにかしてよ! 折角の旅行が台無しじゃない!」

「ちょ、ちょっと落ち着いてくれって!」

 矛先を向けられたラカムに後を託し、レイルはルクスを引き連れて人混みから離れる。

「は~、助かったよレイル。帝国に行ったとは聞いてたけど、帰ってたんだ」

「一時的にだけどな。それより、かなり大事みたいだけど、何が起きてるんだ」

「実は……」

 

 

「お兄さんに何か言うことはあるかな?」

「良かったじゃないか、3人もの女性に言い寄られてたんだろ?」

「あれを! 言い寄られるとは! 言わない!!」

 ルクスから事情を聞き出した後、ラカムに苦情を叩き付けていた女性達から回収し、レイル達は中央広場まで戻ってきていた。

「それでどうだったの?」

 エミナに促され、レイルはルクスから聞かされた話を共有した。

 どうやら、帝国との国境に位置するベルガード門との連絡が途絶えたことに加え、

「既に到着しているはずの列車が大幅に遅れている、ということですか……」

 クレアがそう言うと、彼女は瞼を閉じてなにやら思案し始める。

「私達が通過した際は、特に異常は見受けられませんでしたが……交通網が遮断されたとなると……目的は、クロスベルを隔離……いえ、封じ込める……でしょうか」

 高速で思考を巡らせ、口に出して整理していく。

「封じ込める、ですか……嫌な予感しかしませんね」

 クレアの言葉を拾い、レイルが溢す。

「これは、確認しといた方が良さげかもね」

「そうね」

 フィーの提案に賛同するエミナだったが、

「けど、この状況だと、ベルガード門方面のバスもトラブルに巻き込まれてそうね」

「歩いてだとざっと小一時間は掛かるな」

 何か良い移動手段はないかと思案する一向に対し、1人だけ不敵な笑みを浮かべていた。

「こんなこともあろうかと、ってな」

 思わせ振りな台詞を吐くラカムに視線が集まる。

「移動手段はこっちで手配するから、お前達は西通りを抜けた街道入り口で待っててくれ」

 

 

 ついでにギルドへ寄ってベルガード門の異常をタングラム門に伝えてもらうと言い残したラカムと別れた後、レイル達は彼の指示通り西通りを抜けた先、西クロスベル街道の入り口までやってきていた。

「予想はしてたけど、こっちも案の定ね」

 エミナの視線の先では、バス停前で困惑の表情を浮かべている人達が立ち尽くしていた。

「ラカムさん、どうするつもりなのかな?」

「……もしかしたら、警察車両を借りてきたりしてな」

 リューネの問い掛けに、レイルが苦笑交じりに答える。

 すると、程なくして市街地から腹の底まで震わせるかのような導力エンジン音が聞こえてきた。

 ――まさか……

 そう思って、音のする方を向いたレイルが見たのは、

「おー!」

「お、おっきい……!」

「待たせたな!」

運転席から上半身を覗かせたラカムの憎たらしいまでのどや顔だった。

「……でかい出費ってこれのことかよ」

「市場に出回ったばかりのラインフォルト社製の7人乗り導力車だ――どうだ羨ましいか?」

 まるで子供が買ってもらったばかりの玩具を自慢してくるようにも感じられたが、相手にするのも煩わしく感じたので返事も程ほどに、そそくさと乗り込むことにした。

 ともあれ、これでベルガード門へは10分前後で移動可能となったのだ。

「シートベルトは締めたな? それじゃあ行くぜ!」

「安全運転で頼むぞー」

 と、声を掛けてみたものの、はしゃぐラカムの耳に届いているかは怪しかった。

 

 

<同日18:10 ベルガード門>

 

「さて、到着っと」

 運転席から降りたラカムが、目の前に聳える威容を見上げる。

 国境を挟んですぐ向かいにあるガレリア要塞に比べれば見劣りするものの、クロスベルの西側を守護する要所である……のだが、

「人の気配は……あることはあるけど、静かすぎるな」

 後部座席から降りてきたレイルが告げてくる内容にラカムは頷いた。

「守衛の隊員がいないのも気掛かりだ」

 内部を確認するぞ、とラカムが言い、一同は周囲を警戒しながら施設内へと足を踏み入れた。

 

 

「もぬけの殻、みたいね」

 内部で待ち受けていた状況を見て、エミナがそう溢した。

 帝国へと通じる陸路では入出国の際、警備隊による検問が執り行われるのだが、担当している者の姿は見受けられず、検問所に併設されている詰め所にも人の姿がなかった。

「食堂の方も誰もいないね」

「けど、人の気配はするんだよね?」

 リューネに訊ねられ、レイルが首肯する。

「ああ……どうやらこの下、列車のホームから感じられるな」

「そちらを確認する前に、私の方からガレリア要塞側に連絡しておきますね。異常事態発生につき、一時的に陸路・鉄道網を閉鎖するよう伝えておきます」

「お願いします。ワルター中将のことだ……今のままだと、いつ乗り込んでくるか分かりませんしね」

 そうですね、とクレアが苦笑する。

 ガレリア要塞に詰める帝国軍第五機甲師団の師団長であるワルター中将はとにかく頭が固いことで有名である。

 情報局からの根回しで、クロスベルへの介入は見送り、静観するよう通達が入っているはずだが、搦め手を主とする情報局に対して反感を抱いているというのはもっぱらの噂だ。

 となると、情報局からの指示を無視してベルガード門に乗り込んでくる可能性はあり得ない話ではなかった。

 タングラム門にも異常発生の旨は伝えてあるとのことなので、そちらから人員が寄越させるまで凌げれば良いということで、そちらの対処はクレアに一任する。

 程なくして詰め所の通信機を切ったクレアがやれやれといった様子で戻ってきた。

「向こうもここの異常に気付いていたようで、介入の準備を進めていたようです……一先ず、宰相閣下の名前を出して牽制しておきましたので、応援が来るまでは大丈夫かと」

 そんなことをすれば共和国側が黙っていないでしょうに、とクレアが珍しく不平を漏らしていた。

「じゃあ、列車の方を確認しに行くとするか」

 

 

 階下に設けられた列車のホームでは、帝国方面から到着した列車が静かに佇んでいた。

「これは……」

 窓から中の様子を覗いてみると、中には乗客の姿が確認出来た。

 だが、

「全員眠ってるみたい……」

「乗客だけでなく、検問担当の兵士も同じみたいね」

 何らかの催眠ガスが使われたのかと思われたが、誰も苦しんでいる様子はなく、ただただ眠りに落ちている、という感じであった。

「一体何が――」

 あったのか、と言葉を紡ごうとしたレイルだったが、口を閉じ、周囲への警戒を強める。

 エミナやリューネ、ラカムもどうように身構える。

 そんな中、フィーとクレアだけが状況から取り残されそうになったが、4人の様子からただならぬ気配を察し、それぞれの得物を構える。

 肌をヒリヒリと刺激する感覚。

 フィーとクレアの反応が遅れたことから、その気配の正体は霊力を伴った存在だと皆が把握する。

「さっそくお出ましか……」

 ラカムが列車の上へと視線を移す。

 全員がそちらを注視すると、列車の上部――その空間が歪み、内側から歪な存在が姿を現していく。

 それは、まるで石膏で出来た彫像に思えた。

 それは、まるで人肌の温もりを感じさせる質感を与えてきた。

 それはさながら高尚な美術品を想起させながらも、全身を取り巻く鎖や内部から突き出た鉄片のような何か――そして、端正である筈の相貌に流れ続ける赤黒い涙がその異様さを強めている。

 天依体。

 悪しき業の末に変質を果たした異形が、彼等の前に立ち塞がった。




 さて、閃の軌跡としては外伝に位置する零の断章ですが、そこでレイル達が立ち向かうべき敵の存在が登場と相成りました。
 オリキャラ勢達が原作にどのような影響を与えていくのか、これからの展開をお楽しみ頂ければと幸いです。

 ちなみに、ラカムが購入した動力車ですが、イメージとしてはラン○ル辺りを想像してくださればと思います。
 描写で表現出来ればよかったのですが……これからも精進が必要ですね……

 次話では天依体との戦闘シーンを中心に描いていく予定ですので、今暫くお待ちくださいませ。


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天依体

 それはクレア・リーヴェルトにして初めて感じる悍ましさであった。

 無機質じみた中に感じる生物感。

罪人を想起させる鎖や肉を突き破った骨片のような金属類が、目の前の存在の異様さを際立たせている。

 そして、止めどなく溢れている血涙はまるで、

 ――怨嗟の顕われ、でしょうか……

 明確な言葉を交わしている訳ではないのに、その姿は見る者の不安を掻き立て、自らをこのような境遇に貶めた存在への恨みや怒りを叩き付けられているかのような錯覚に陥る。

 気のせい、で済ませてしまえれば良いのだが、彼の存在の成り立ちを知ってしまった今では、どうしてもその懸念を捨てきれないでいた。

 ――ですが……

 だからといって、戦うことに躊躇いはない。

 鉄道憲兵隊――正規軍において警察活動を行う部隊に所属しているが、軍人であることに変わりはない。

 祖国の脅威となり得る存在を討つことに躊躇すれば、それは祖国に――守るべき者達に危険を及ぼすことになる。

 例えそれが、元は人間であったとしてもだ。

 元に戻す方法を見つけ出し事態の解決に当たる――そんなものは理想論でしかない。

 天依体の総数がどれだけなのかは分からないが、その全てを無力化し、あるとも分からない方法を模索するなど、現実的ではない。

 明確な現実は、目の前の異形を討たなければ人々の脅威となる、ただそれだけだ。

 ――皆さんは……

 周囲の様子を伺うと、誰もが身構え、交戦に備えていた。

 レイルやエミナ、ラカムだけでなく、フィーやリューネもである。

 年若い2人の表情に緊張の色はあれど、動揺や迷いは感じられない。

 かつての戦いを経て、既に覚悟は出来ているのだろう。

 そのことに言いようのないもの悲しさを覚えるクレアだったが、頭を振り余念を振り払う。

 列車上の空間の歪みから顕われた天依体の数は、10を超えている。

 空間の歪みはその役割を終えたのか、徐々に収縮した後、霧散してしまった。

 見上げる位置に浮かぶ天依体が表情のない相貌でこちらを見下ろしている。

 天依体から意識を反らすことなく、クレアはリューネへと呼びかける。

「リューネさん、お願いします!」

「はい!!」

 力強く応じたリューネが、その周囲の空間ごと光を帯び始める。

 そして瞬く間に光はリューネの手先へと凝縮していき、

霊力付与(エンチャント)!」

 輝きが増した光が二手に分かれ、クレアとフィーが持つ武器へと吸い込まれていく。

 天依体には物理攻撃や下位のアーツでは有効打にならない。

 それ故に、事前に打ち合わせていた対抗策である。

 霊力による攻撃手段を持たない2人へとリューネによる霊力の供給を行うことで、パーティー全員が天依体に対抗出来る手段を備えることとなる。

 心なしか熱を帯びたを軍用拳銃を構え、

「状況開始! 乗客を護衛しつつ、敵性体の排除を開始します!」

 戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 クレアの号令の元、戦端が開かれた。

 エミナは首元から引っ張り出したペンダントを掴み、相棒へと呼び掛けた。

「さぁ、目を覚まして――銃妃(ディスティハーダ)!」

 それは、今はなき故郷の村で祀られていた神具であり、数々の苦難を共に乗り越えてきた戦友である。

 エミナの呼び掛けに、ペンダントに組み込まれた紅耀石のような深紅の宝石が輝きを放つ。

 その輝きは瞬く間に形を織り成していき、エミナの手元に二丁の導力銃を創出させる。

 それが銃妃と呼ばれる古代遺物の能力である。

 所有者の霊力を用い、あらゆる銃器・弾丸を生成する神秘の具現。

 手に馴染む感触を確かめながら、エミナは前に歩み出る。

「《銃舞神妃》エミナ・ローレッジ――飛ばしていくわよ!」

 

 

「出番だ! 神滅剣・伍型(エクセリオン・フュンフ)!」

 頭上に手を翳したラカムの手元へ稲光が集まっていく。

 空気を震撼させて顕現したのは、一振りの太刀であった。

 流麗な刃文に透き通るような刀身、鍔元にはめ込まれた色鮮やかな黄色の宝玉が見る者を魅了する。

 それが、神薙(かんなぎ)の一族で受け継がれる伝説の武具――八振りの古代遺物・神滅剣の1つである。

 ラカムは手にした太刀により、自身の霊力が昂ぶっていくのを感じる。

「悪いが、異形退治の専門家としちゃあ、お前らを見過ごすわけにはいかねぇ……例え、元が人間だったとしてもな」

 だから、

「――せめて、苦しまないようにしてやる」

 言うや否や、ラカムの姿は1体の天依体の背後へと着地していた。

 足先に霊力を集中させることで、爆発的な瞬発力をもって跳躍。そして、すれ違いざまに雷を纏った太刀を振るっていた。

 神薙流剣術・雷の型、秘技――雷迅石火。

 断ち切られたことを理解させぬまま、天依体が霧散していく。

「相変わらずの早業、だな!」

 同じく列車上に上がってきたレイルが、天依体から放たれた光弾をはじきながら声を掛けてきた。

 彼が振るう武器――ごく普通の太刀に霊力を纏わせているだけの物を見て、ラカムが顔をしかめる。

「おまっ――なんで神滅剣使ってねぇんだよ!?」

「こんなとこで使ったら、生き埋めになるだろ!」

 レイルの反論にラカムは彼が持つ力を思い出す。

 ――そういや、レイルの技、半端ない威力だったよな……

 神滅剣が持つ力には、所有者の霊力を増幅させる効果がある。

 その力もあり、神薙の一族は異形退治の専門家、と知る人ぞ知る存在として噂されているのだが、レイルの力は一族の中でも群を抜いているのである。

ただでさえ強大な力なのだが、レイルはレイルでその出力の調整が下手くそなのである。

そんな彼が神滅剣を使えば、周囲の被害もただ事では済まないだろう。

そして今は、足下の車内に大勢の乗客がいる状態である。

 ――なら、仕方ねぇか……

「やられても神滅剣使ってなかったからって言い訳するなよ!」

 世話の焼ける従弟にそう言い残し、ラカムは次なる敵へと向かっていった。

 

 

 天依体の腕から振るわれる複数の鎖が不規則な軌道を描きながら、リューネへと襲いかかる。

 彼女はそれをものともせず、最小限の動きで交わし、敵へと肉薄する。

「リューネ!」

 残り僅かで拳が届く距離へと迫ったとき、背後からフィーの呼び掛けが届く。

「!!」

 彼女と結んだARCUSの戦術リンクを通じて、フィーの呼び掛けの意味を汲み取る。

 ――下!

 リューネの視界の外から鎖が跳ね上がるような軌跡を描く。

 上体を反らすこと攻撃をやりすごすが、態勢を崩されてしまった。

「フィーちゃん!」

 勢いを殺さずにバク転に踏み切ったリューネがパートナーへと声を上げる。

 その身体に複数の鎖が振り下ろされそうになったが、

「させないよ」

 フィーが双銃剣から弾丸を放ち、次々に弾かれた鎖の群れは、リューネの身体にかすることもなく、地面へと叩き付けられた。

 そこへ無防備となった敵へ、着地を終えたリューネが距離を詰める。

 握る拳に力を込め、纏わせた霊力が輝きを放つ。

「フォトンインパクト!!」

 突き出した拳が敵の胸部へと至り、破壊の光が放出され背面まで穿たれた。

 直後、声にならない断末魔を上げ、天依体が大気へ溶けていった。

「…………」

「大丈夫?」

 立ち尽くすリューネへとフィーが心配そうに声を掛けてくる。

 大丈夫だよ、と静かに返したリューネは、手に残る感覚と今し方倒した天依体へと意識を向けた。

 ――あの子達は、お兄ちゃん達と出会えなかった私……

 むしろ、自身に課せられていた役割を思えば、まだマシなのだろうが、彼等が感じたであろう悲しみや絶望は並大抵のものではなかったはずだ。

 天依体へと変異した彼等を解放するには、その命を奪う他ない。

 死が救い、などというのは欺瞞だ。

 どのような形であれ、命を奪うことに変わりはない。

 自身の出自に向き合う以上、それは避けては通れないことだと理解している。

 ならば、彼等という存在を胸に刻みつけ、忘れないことがせめてもの贖いになるだろうか、と考え、意識を周囲へと戻す。

 構内全域に広がった戦闘は間もなく終わりを迎えようとしていた。

 

 

 天依体が攻撃手段は大きく分けて2つである。

 体中に巻き付かせた鎖を操る近距離攻撃と光弾を様々な形で放つ遠距離攻撃である。

 エミナは3体の天依体を引きつけ、最前線(・・・)にて攻撃を躱し続けていた。

 手にする武器は2丁の導力銃。本来であれば、陣形の後方にて牽制といったフォロー役である。

 だが、これこそがエミナにとって最善の位置取りであった。

 淀みなく刻むステップは、幼き頃に亡くなった母から教わった神楽の舞を応用したものだ。

 今はなき故郷に祀られていた銃妃に奉じる舞――エミナの母方が代々受け継ぎ、村の神事で披露されたものだ。それ家系の出であるが故に、幼少の頃より母に厳しく教え込まれたものである。

 ――それが、こんな形で役立ってるなんて――!

 皮肉なものね、と内心独りごちる。

 村の守り神へと捧げる舞が、今では異形を討つ力へと変じている。

 そのことに対して後ろめたさを覚えたこともあるが、今はこの戦い方に誇りすら感じている。

 ――どのような形であれ、お母さんが私に遺してくれたものだから!

 迫り来る鎖を紙一重で躱し、身体を旋回させる。

 流れる動きの中、遠距離からこちらを狙う相手に牽制の銃撃を放つ。

 腕に伝わる反動は、続く動きへの補助とする。

 躱す。銃撃。サイドステップ。跳躍。銃撃。スライド。ターン。銃撃。

 動きの1つ1つが次へ、次へと新たな動きを生んでいく。

 呼吸は逸ることなく、だけど動きは軽やかに、迅く。

 タン、タタンッ、タン、タン――

 打ち鳴らす足音が小刻みに、その速度を高めていく。

 身体の内から燃えるような熱が湧き上がる。

 喉元を抜ける呼気が熱い。

 浮かぶ汗が頬を伝う間もなく、激しさを増す動きの中で弾かれていく。

 1体。また1体と撃ち抜かれた天依体が消失していく。

 そして自分を囲っていた最後の4体目の消滅を確認したところで、エミナは徐々にステップを緩め、制動を掛けていく。

「……ふぅ」

 籠もった熱が汗を浮かび上がらせる。

 額を袖口で拭い、周囲の様子を確認したところで――

「エミナさん!!」

 直後。

 銃声が1つ、構内へと響き渡った。

 

 

 その個体は、物陰に潜み機を伺っていた。

 次々に打ち倒される同胞に対して抱く感情はなく、ただただ下された指令を全うするためにその個体は待ち続けた。

 そして、その機会がようやくやってきた。

 銃撃の乱舞を放つ女がその動きを止め、気を抜いたところを――

「エミナさん!!」

 女の背後から飛び出したこちらに気付いた別の女が、彼女に呼び掛けるが、女は振り返ることはなかった。

 静かに腕を前方に向けて――何故か呼び掛けた別の女へと手にした得物から光を放った。

 その意図を解することもせず、機械的に女の命を刈り取ろうとするが、

「――!?」

 何故か、自身の眉間が撃ち抜かれていた。

 訳も分からぬまま、その個体は身体を構成する力を失い、宙に溶け消えていった。

 

 

 エミナとクレアの連携を横目で確認したレイルは、感嘆を覚えていた。

 ――戦術リンクもなしによくやるな!

 彼女達が行った行動は、単純なようでいて信頼がなければ為し得ぬものだった。

 エミナの背後から飛び出した天依体に気付いたクレアがエミナに呼び掛け、その手にミラーデバイス――エネルギーを反射・増幅させる鏡面体の装置を掲げたのだ。

 その意味を即座に察したエミナが導力エネルギーを発射。後は、ミラーデバイスによって弾き返されたエネルギーが天依体を貫いたのだが、どちらか一方のミスがもう片方を危険に晒すような連携だった。

 それを難なくやり遂げるあたり、2人の間にある信頼は今もなお堅いということだ。

 そのことを嬉しく感じるが、今は目の前のことに集中しなければならない。

「これで――最後だ!」

 神薙流剣術・風の型、秘技――風烈刃。

 風の刃を纏った一閃が天依体を断ち切る。

 残心を解き、仲間や乗客達の無事を確認する。

「車体の所々に損傷――これは、まぁ仕方ないか」

 人的被害は皆無である。とりあえずはそれで良しとする。

 ただ、

 ――先程の空間転移は……

 記憶にある天依体の能力と照らし合わせても、該当するものがなかった。

「やつらも、進化しているってことなのか……」

「その通り!」

「!?」

 

 

 その男は、誰に気付かれることもなく、その場に現れた。

 上等なスーツを着込み、髪は丁寧にオールバックに固められている。歳は40程で、すらりと伸びた手足とピンとした立ち姿からは好印象すら与えられる。

 ただし、その整った顔立ちに浮かぶ底知れぬ笑みと――宙に浮いていることで、明らかな異質感を醸し出していた。

 そしてその傍らに、天依体のようで、今までのそれとは異なる存在を引き連れていた。

 その個体は、これまでレイル達が遭遇したものとは違い、全身に絡みついた鎖はなく、体外へと突き出た金属片も見掛けられず、その代わりというように手には深く吸い込まれそうな紫紺の宝珠が携えられていた。

 正に高尚な芸術作品そのもののような存在であった――が、その個体から放たれる強大なプレッシャーにレイル達は緊張の糸を張り詰めさせた。

「あんたは……」

「お初にお目に掛かる。私はフェルディナンド・ベリアル! 君達も知るところのD∴G教団にて幹部司祭を務める者だ」

 レイルの誰何に男が何の躊躇いもなく、名乗りを上げる。

「てめぇが今回の違法薬物や失踪事件の黒幕ってわけか!」

「それについてはNo! とお答えしよう」

 鋭い剣幕で睨むラカムをものともせず、フェルディナンドは飄々としている。

「もっとも――主導は私の仲間であり、彼の計画に乗じて私は私の研究を進めているからね……黒幕の共犯者、が正しい位置付けだね?」

「あんたの細かい立ち位置なんかはどうでも良い……それより、何が目的で俺達の前に姿を現した?」

「それに、ここにいる乗客達を眠らせたのもあんたの仕業なの?」

 レイルとエミナの問い掛けに、フェルディナンドは嬉しそうに頷きながら、

「すぐに拘束しようとしてこない辺り、この子の凄さが伝わっているようで何よりだよ」

 隣に控えている天依体の頬に手を添え、恍惚の表情を浮かべる。

 彼の指摘にレイル達が眉をしかめる。

 フェルディナンドが言うように、彼の傍らにいる天依体からはそれまでの個体に比べ、底知れない力を感じている。

 それ故に、軽率に動くことなく、相手の出方を伺っている。

「こちらも研究成果を披露したくてウズウズしていたんだよ……それに君と話がしてみたかったというのも目的の1つだ」

 リューネ君、と男の視線が彼女を捉える。

「私、ですか……?」

 リューネの表情が目に見えて強張っていく。

 その脳裏には、かつての記憶が蘇り、ともすれば足が竦みそうになった。

 男の視線を遮るように、フィーがリューネの前へと身を乗り出した。

「フフ、安心したまえ小さな騎士(ナイト)君。この場で彼女をどうこうするつもりはないからね。それにしても、ハングドマン君のおかげで健康に育っていて何よりだよ……」

 男は柔和に目を細め、

「それに、君達との交流の中で、驚くべきスピードで情緒が育まれているようだね。有り難いことだよ」

「あんたに礼を言われる筋合いはないと思うが?」

「彼女は我々にとっても大切な存在なのだよ。丁重に扱ってくれていることに感謝を述べるのは当然では?」

 男の問い返しに、レイルがそうかよ、と小さく吐き捨てた。

「ああ、それと……ヴェルガー君の暴走で辛い目に遭わせてしまったね。あの件に関しては本当に申し訳なかった」

「――ッ!」

 ヴェルガー。

 その名を耳にした直後、リューネが肩を抱いて震えだしてしまう。

 その様子にフィーとエミナがそれぞれの得物を構えるが、レイルがそれを制する。

「おっと? 彼の名前がトラウマを刺激してしまったかな……重ね重ね申し訳ない」

「あんたが何をしたいのかは知らないが……目的はこれで達したんじゃないのか?」

「それもそうだね。研究成果もまだまだ改善点が山積みだが、今は良しとしよう」

 そう言うと、フェルディナンドが指を鳴らす。

 それに応じるように、傍らの天依体が手に携えた紫紺の宝珠を頭上に掲げる。

 宝珠が輝きを放ち、レイル達の緊張が高まるが、

「安心したまえ――彼等を解放しよう」

 言うと、彼の背後に空間の歪みが生まれ、そこから新たな天依体が姿を現す。

 その姿も今までのものと――そして、男の傍らにいるものとも異なり、その目元を血が滲んだような赤黒い布が覆い隠していた。

「レム、力を解除しなさい」

「――――」

 男の呼び掛けに、レムと呼ばれた個体が静かに高音の響きを発する。

「これで乗客達はじきに眠りから覚めるだろう」

「……その天依体は、人の睡眠欲求と覚醒力を操れるってことか」

「それ以外も可能だが、概ねその通りだよ。理解が早くて有り難いね。――それに、てんいたい……転移、いや天依か……うん、実に良い呼び名だ」

 今後は私もそれに倣うとしよう、と男が笑みを濃くしていく。

「ついでと言ってはなんだが、こちらのラウムも紹介しておこうか――彼女の力はお察しの通りの空間転移だが、一度行ったことのある場所や視認出来る範囲でないと力が及ばないのが難点だがね」

「それを、我々が信じるとでも?」

 クレアの指摘に、フェルディナンドが口角を吊り上げる。

「言っただろう? 研究成果を披露したかった、と……どんなに偉大な研究だろうとその結果が広く知られなければ意味がない」

 それに、

「私は私の研究に対して真摯でありたい――故に、虚偽の報告は私の美学に反するのだよ」

「それにしたとしても、それだけ明け透けに話すのは――知られた所で大勢に影響はない、ってことの裏返しか」

「君は、本当に聡明だね」

 フェルディナンドがレイルの推測を肯定し、

「君達がどう足掻いたところで、私の悲願成就は揺らぐことはない。むしろ、どのような動きを見せてくれるのかが、楽しみなくらいだよ」

「言ってくれるじゃねぇかよ」

 ラカムの声音に怒りが孕まれるが、フェルディナンドは飄々と受け流す。

「さて、あまり長居し過ぎると仲間にどやされてしまうからね。我々はそろそろお暇しようか――ラウム」

 彼の呼び掛けに宝珠を持つ天依体――ラウムが再度宝珠を掲げると、フェルディナンド達を覆うように次元が歪んでいく。

「それでは諸君、またすぐに会うことになるだろう。その際にはこの子達以外の子もご紹介しようじゃないか」

「……最後にこれだけは答えろ――マフィアや警備隊といった失踪者は、どうなっている?」

「――私の管轄外なので、詳しくは知らないが――今のところ命に別状はないはずだよ?」

 それがどうかしたのかとでも言うようにフェルディナンドが小首を傾げる。だが、レイルはそれで聞くべきことは聞けたといった感じで、

「……なら良い」

「そうかい? では、今度こそ――っと、そうだそうだ」

 歪みの中へと呑み込まれる中、フェルディナンドがふと何かを思い出したかのような素振りを見せ、

「そこの金髪の君――そう、君だ。確か、ラカム君だったね? ゼオラ君のことは、本当に残念だったよ」

「なん、だと……」

袂を分かった(・・・・・・)とはいえ、彼女の幸せを願っていたのだがね」

 真意が読めなかったが、憐憫を感じさせる表情を浮かべたかと思った直後、フェルディナンド達の気配は完全に掻き消えてしまった。

 

 

「ふぅ……」

 敵が退いたことを確認し、レイル達は緊張を解き、体内に溜まった重たい空気を吐き出した。

 あのままこの場で戦うことにならずに済んで良かったと、心底安堵する。

 ――乗客を巻き込まずに、は到底無理だったよな……

 それだけ、彼が引き連れていた天依体が強大な力を有していた、ということだ。

 ――むこうも、こちらが手を出せないと踏んだ上で表に出てきたんだろうな。

 厄介な相手が出てきたことに嘆息するが、今はそれよりも、

「リューネ、大丈夫か?」

 極度の緊張から解放され、へたり込んでしまったリューネへ声を掛けると、リューネが力ない笑みを浮かべ、

「う、うん……なんとか」

「……無理、するなよ」

 そう伝え、頭をなで回してやる。

 くすぐったそうにするリューネをフィーに任せ、車内の様子を確認しているエミナとクレアへと目配せする。

 乗客達が意識を取り戻しつつあるのを確かめていた彼女達が、レイルの視線に気付き、1度頷いて見せた。

 ――乗客達は2人に任せて――

 残る人物へと向きなおる。

「ラカム……」

「……あ、ああ」

 呼び掛けに対して、気の抜けた返事が返ってくる。視線が泳ぎ、明らかに動揺しているのが見て取れた。

 それでも、レイルはラカムに確認しておくべきことがあった。

「ゼオラって確か――」

「……ああ。3年前の、とある強盗事件で命を落とした――俺の、婚約者だ」




 こんにちは、檜山アキラです。
 今回はオリジナルキャラ達の戦闘シーンを描く形となりましたが、如何でしたでしょうか?
 正直、彼等のバックボーンが未だ作中で描けていないので、いつかは形にしたいと思っております。特にエミナが使う古代遺物についてやリューネの過去などは過去編の候補として挙げております。
 今回現れたフェルディナンドや天依体がこの後の展開にどう絡んでいくのか、時間は掛かるかも知れませんが、しっかりと書き切りたいと思います。
 それでは、次回更新をお待ち頂ければ幸いです。、


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クロスベル市襲撃

<???>

 

「ほんっと、懲りない人ね……」

 心底呆れたという様子で俺を見下ろす彼女だったが、何度も繰り返される猛烈なアタックに根負けしたようで――やれやれといった様子で差し出した手を握り返してくれた。

そこから俺達の交際は始まった。

 彼女との出会いはある依頼を通じてのことだった。

 眼鏡の奥に覗かせる切れ長の瞳が、ふとした瞬間に儚さを帯びる。そんな、どこか影のある女性だった。

 ……正直な所、今までの嗜好としては、正反対に位置するような彼女だったが――顔を合わせる内に、その姿を目で追うようになっていた。

 意外に子供っぽくて、意地っ張りで――そして、自身が幸福になることを極端に忌避していた。

 その理由は終ぞ語られることはなかったが――いつしか俺は、彼女の笑顔が見たい――ただそれだけの理由で、彼女にアプローチを続けた。

 最初は気の迷いだとされ、歯牙にもかけてもらえなかった。

 何度も何度も繰り返していく内に、本気で疎ましがられもした。

 それでも諦めきれずに、あの手この手で想いを伝え続け――ようやくの思いで、結実へと至った。

 その頃には功績が認められ、B級遊撃士へと昇格し、慌ただしくも充実した日々を送るようになっていた。

 こんな幸せな日々が永遠に続けば良いのに――

 何気なく溢した台詞に対して、彼女が浮かべた表情を、俺は一生忘れないだろう。

「馬鹿ね……形あるものに永遠なんて存在しない」

 それは、哀れみでも、蔑みでもない。

 ただただ、こちらを諭すかのような声音が、耳の奥へと染みこんでいく。

「限りあるからこそ、目の前の一瞬を大切にしたいと思うし、愛おしく感じるの」

 だから、

「私は――」

 

 

 フェルディナンドが撤退した後、レイル達は意識を取り戻した乗客達の容態を確認しつつ、タングラム門からの応援を待つこととなった。

 程なくして駆け付けたタングラム門付きの警備隊に状況を説明し、乗客の保護とベルガード門の警備を託し、クロスベル市に引き返そうとした一行だったが、警備隊よりウルスラ病院や警察学校、留置所といった市外設備にてマフィアによる襲撃があったと知らされる。

 警察学校や留置所の方は既にマフィアを撃退したとのことだったが、念のためということもあり、レイル達は警察学校等の様子を確認していくことになった。

 結論からすると、マフィアによる襲撃は何らかの陽動ではないか、と推測が成された。

 現場は重機関銃による破壊の跡が残されていたが、負傷者は少なく、本格的な交戦が行われた様子がなかったためである。

 騒ぎを起こし、警察やギルドの捜査を攪乱するため、というのが一行の見解であった。

 ただし、留置所の警備を担当していたはずのベルガード門の警備隊が所在不明となっていたため、言い知れぬ懸念が皆の中に募っていった。

 一通りの検分を済ませ、今度こそクロスベル市へ戻ることとなった、その車内で――

 

 

<同日 20:50>

 

「――と、まあ……これが俺とゼオラの事のあらましって訳だ」

 クロスベル市に戻る最中、なんとか気持ちを持ち直したラカムの口からは、自身とその婚約者であった女性との過去について、説明がなされていた。

「彼女の部屋は荒らされていて、いくらかの金品が盗まれていたことから、事件は強盗目的の殺人――それで片がつけられたんだが……」

 犯人は未だ捕まっておらず、ラカムは日々の依頼の最中にも犯人の手掛かりとなるものを探し続けていたようだが、

「それが、教団の幹部司祭の口から名前を聞かされるとは、な……」

 ラカムの手に力が込められ、革張りのハンドルが軋みを上げる。

 その様子を助手席で見ていたレイルが気遣わしげにラカムへと視線を向ける。

 それを横目で確認したラカムが小さく、大丈夫だ、と頷いてみせる。

「思い返せば……ゼオラは自身の過去を話すことはなかったが、教団のことがあったから、なんだろうな」

 そして、どういう経過は不明だが、フェルディナンドの発言から、彼女は教団から離反し――何者かの手によって、その命を奪われたのだ。

「教団によって口封じされた、ってことかしら?」

 バックミラー越しに目線を合わせたエミナがラカムに問い掛ける。

「だろうな。金品を盗んだのもカモフラージュのため、って考えるのが妥当だよな」

 そうなると、

「この一連の騒動――俺にとっては弔いって訳だ」

 ラカムの視線が鋭くなり、眼前を睨み据える。

 間もなく、街道が終わりを見せ、車が市内へと到着した。

 

 

<同日 21:00>

 

「何か、様子がおかしいぞ」

 西通りに入ってすぐ、レイルが何かを感じ取り、皆に注意を促す。

 ラカムが運転の速度を落とし、エミナが扉に備え付けられたボタンを操作し、車窓を開放する。

 すると、エンジン音に紛れてではあったが、微かに人々の慌てふためく悲鳴と、

「これ――機関銃による銃撃!?」

 エミナの声に一同に緊張が走る。

「一体何が」

 起きている、とラカムが言い切る前に、その視界があるものを捉えた。

 進行方向の先に、通りを遮るように鎮座する物体。

 それは、

「警備隊の、新型装甲車じゃねぇか」

 しかも、その周りには警備隊員が各々の武器を構え、周囲を警戒しているのを見て、ラカムが訝しげに声を上げる。

 スピードを落としながら、距離を縮めていくと、向こうもこちらに気付いたようで、装甲車を背後に置くようにし、武器を構えて立ち塞がってくる。

 その姿がライトに照らされた瞬間、レイルが声を張り上げる。

「全員身を屈めろ! ラカム!!」

「あぁ!!」

 後部座席にいた面々は状況が読めなかったが、切羽詰まったレイルの声に異常を察知し、すぐさま指示に応じる。

 そして、ラカムも手早くシフトレバーを操作し、アクセルを踏み抜くように力を加える。

 慣性を無理矢理抑え込み、車体が後方へと全力疾走する。その直後――

「くっ――!」

 前方より銃撃の雨が降り注ぐ。

 フロントガラスが割れ、車体に次々と穴が開けられていく。投下していたライトが明滅の後、暗転する。

「――ッ!」

 猛スピードで後退する車体が不安定に揺れ、誰ともない悲鳴や苦悶が車内に満ちる。

 暫くすると、銃撃音が止んだかと思ったら、ボンッと何かが弾け、ボンネットの中から煙が吹き出してきた。

「全員無事か!?」

 レイルの声に各々が無事である旨を告げてくる。

 ただ1人を除いて……

「ラカム!? どこか撃たれたのか!?」

 ハンドルに額を押しつけ、苦悶の声を溢すラカムにレイルが声を掛ける。

 目立った外傷はないようだが、どこか内臓をやられたのかもしれない。

「…………俺の…………相棒がぁぁぁ」

「言ってる場合か!!」

 前方からは駆け付けてくる足音が複数。先程の警備隊員達が追撃に来たようである。

「各自、応戦体制! 敵は――ベルガード門警備隊だ!!」

 

 

「相棒の、仇ぃぃぃぃ!!」

 血涙を流す勢いで、ラカムが怨嗟の声を上げながら、最後の1人の意識を刈り取った。

 肩で息をしていたラカムが覚束ない足取りで今尚黒煙を吐き出している車体に近付いていき――スクラップと化した愛車に手を添えたかと思うと、膝から崩れ落ち、煉獄から漏れ出したような負のオーラを放ちながら、男泣きしていた。

「お兄ちゃん……今の人達って」

「あぁ。生気のない目からして、催眠操作を受けていたようだな」

「……しかも、半端なく強かった」

「蒼い錠剤を服用したのは間違いないでしょうね」

「薬物投与と催眠による傀儡化、ですか……」

 悲壮感に満ちたラカムをそっとしておき、残るメンバーで先程の交戦から得た情報を整理していく。

 経緯は不明だが、ベルガード門に詰めていた警備隊員は蒼い錠剤を服用し、教団の手によって操られてしまっているとみて、間違いなさそうだった。

「問題は何が目的か、だよな」

「ギルドで何か掴んでないか確認してみるわね」

 そう言って、エミナがARCUSを捜査し、ギルドの番号を呼び出す。

 耳にあてがって、向こうの反応を待つが、一向に繋がる気配がなかった。

「ギルドで何かあったんじゃ?」

 フィーの疑問に、エミナがかもしれない、と答える。

「距離は離れてますが、銃撃の音が止んでいません……操られた警備隊を制圧しつつ、ギルドに向かいますか?」

 クレアからの確認に、レイルが頷く。

「ギルドの安否が気になるので、それで行きましょう」

 そう告げて、レイルがラカムの様子を伺う。

 それにつられて、皆がラカムへと視線を向ける。

 いつの間にか嗚咽は止まっており、代わりに幽鬼の如く、腕をだらりと垂らして立ち尽くす姿がそこにはあった。

「この恨み……晴らさでおくべきか……」

「……………………」

 人を殺しかねないその様子に、一抹の不安を覚える一行だったが、時間が惜しかったので、あえて触れないようにし、行動を開始した。

 

 

<同日 21:30>

 

「よっしゃ……何とか切り抜けたか!」

 東通りを抜け、街道へと続く橋上にて、倒れ伏したマフィアの構成員達を見て、ランディが安堵の息を漏らした。

 ウルスラ病院にてD∴G教団についての情報を掴んだ特務支援課は、彼等の狙いがキーアの身柄だと知り、彼女を国外へと逃がそうとしていた。

 その手配を遊撃士協会に委ねようとしていた所で、操られた警備隊による襲撃を受け、市内から脱出を試みていた。

 セルゲイやダドリーの陽動により、ようやく警備隊からの追跡を免れた矢先に、マフィア達に襲われていたのである。

「皆、このまま街道に――!?」

 安心するのはまだ早いと、ロイドが皆を促すが、更に前方からルバーチェが所有する大型車両が行く手に立ち塞がった。

 中から次々と現れる構成員達に息を呑むロイド達。

「チッ……流石にアレは無理だな」

 顔をしかめたランディが、撤退を提案するが、

「どうやら……それも無理みたいです」

 背後からの気配を感じ取ったティオが苦々しく告げてくる。

 振り返れば、市内から巻いたはずの警備隊が押し寄せてきていた。

「そ、そんな……」

「絶体絶命ってやつか……」

 逃げ場のない橋の上で、完全に追い詰められる。

 ――何とかこの子達だけでも……!!

 キーアやシズクだけでもどうにか逃がせないかと、ロイドが隙を伺うが、包囲網は今もその間隔狭めていき、拘束されるのも時間の問題だった。

 その時だった。

 けたたましいエンジン音が唸りを上げながら、近付いてくるのが見えた。

「あれは……ディータ―総裁のリムジン!?」

 ルバーチェの大型車両を掻い潜り、ロイド達の前に身を滑り込ませたリムジンが、その扉を開け放ち、中から女性が手招いてくる。

「さあ! 早くお乗りなさい!」

「ベル!」

 IBC――クロスベル国際銀行の総裁、ディータ―・クロイスの愛娘であるマリアベルが救いの手を差し伸べてくる。

「皆! 乗り込むぞ!!」

 ロイドの指示の元、急ぎリムジンへと駆け込んでいく。

 しかし、リムジンの突入により、ルバーチェ側の陣形は崩れていたが、反対側に位置した警備隊側がロイド達の撤退を阻もうとしてくる。

「――ッ! ロイド! ここは俺がどうにかするから早く逃げろ!」

「ランディ!?」

 時間を掛ければ、ルバーチェも体勢を立て直して、撤退は不可能となってしまう。

 それをいち早く悟ったランディが、ロイド達の先を急がせる。

「そんなこと出来るわけないだろ!」

「優先順位を間違えんな!! 今はキー坊やシズクちゃんを逃がすことが先決だろうが!」

 1人残ろうとするランディに追いすがろうとするロイドを一喝する。

 そして、

「心配すんな……いざとなりゃあ、川にでも飛び込んで逃げ延びてやるさ」

 と口角を吊り上げてみせる。

 得物となるスタンハルバードを構え、迫り来るかつての同僚達に啖呵を切る。

「どいつもこいつも良いように操られやがって……俺が目ぇ覚まさせてやる!!」

「えらいカッコつけたとこ悪いが……ここはオレ等に任せてもらおか」

「闘神の息子と巡り会うとは、奇妙な縁があったものだな……」

 警備隊の更に奥から、強大な威圧感を放ちながら近付いてくる2人の男。

 その姿を捉えたランディは目を見張った。

「……フィーが言っていた通りだな」

 片方は細身ながらに巨大なブレードライフルを担いだ細目の男。

 片方は身の丈ほどのマシンガンドレッドを携えたドレッドヘアの巨漢。

 どちらもが黒を基調とした上着を纏っており、その左胸には彼等が所属する団のシンボルが取り付けられている。

 《西風の旅団》。

「《罠使い(トラップマスター)》、《破壊獣(ベヒモス)》――!!」

 

 

<同日 21:40>

 

「ミシェルさん!」

「良かった……無事だったんだ」

 暴徒と化した警備隊員達を制圧しつつ、どうにかギルドまで戻ってきたレイル達だったが、襲撃の跡が残る建物を目にして肝を冷やしたが、中にいたミシェルの姿を見つけ、一安心する。

「なんとかね……それより、貴方達はすぐに東クロスベル街道に向かってちょうだい!」

 切羽詰まったミシェルが、掻い摘まんで事情を説明してくる。

「黒の競売会で特務支援課が保護したっていう子が、教団の狙いなのね」

「ええ。どういう理由でかは分からないけど……間違いないわ」

 すぐにフォローにあたってちょうだい、というミシェルの言葉を背後に受け止め、レイル達は急ぎ、ロイド達の後を追おうとしたが、

「っと!」

 ギルドから出た瞬間、目の前を豪奢なリムジンが駆け抜けていった。

「今の……IBC総裁のリムジン、だったわよね」

 顔を覗かせたエミナに頷いたレイルが、リムジンが去って行った方向を見やる。

「一瞬だったが……今のリムジンにロイド達も乗っていたようだ」

 ならば、とレイル達はIBCへと進路を変更し、リムジンの後を追うのだった。



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夜の静寂に

<同日 22:00>

 

「そうか……そのようなことが」

 IBCの総裁室にて、ロイド達の――そして、彼等を追ってやってきたレイル達の説明を受け、ディーター・クロイスは、思わず眉間に皺を寄せてしまった。

「嘆かわしいことだ……その《教団》の残党とやらの罪深さはもちろんだが、そんな連中に付け込まれ、ここまでの事態を引き起こした愚か者達には心底呆れ果てたよ」

 クロスベルを想う一市民として、教団に加担したハルトマン議長や警察上層部、ルバーチェに対する憤慨を露わにする。

 クロスベルが抱える問題として、ルバーチェのような存在や議員や役員の腐敗はある程度仕方がないと諦めていたディーターだったが、政界に影響力のあるIBC総裁という立場ゆえに中立を保ってきた怠惰も今回の一因にもなったのだと、目の前の青年達に頭を下げる。

「いや、流石にそれは気にしすぎじゃないッスか?」

「実際、権限や責任があるわけでもないですし……」

 と、ランディとティオが気遣って発言を差し挟むが、なおもディーターは己を恥じるように心中を吐露する。

「私にもクロスベルを愛する市民の1人という自負があったはずだが……忙しさにかまけて、その愛郷心も薄れていたらしい」

「……それは私達市民、1人1人がそうだったと思います」

 寂しさを感じさせる表情でエリィが同意を示す。それを見たディーターが重くなってしまった空気を拭うように、声音を明るくして振る舞う。

「いずれにせよ、ここで愚痴っていても仕方ない。この事態を解決するために、我がIBCは総力をもってロイド君達に協力させてもらおう――君達もご協力願えるだろうか?」

 そう言って、レイル達へと視線を送ると、

「教団が関わっているなら、俺達も無関係ではいられませんからね」

「クロスベルは思い入れがある街だし、ここまで事態に関わった以上協力は惜しみません」

 レイルとエミナが代表するように意思表示を行い、それに続く形でクレアが、

「……皆さんからすれば、微妙な立場にありますが……国際的な犯罪組織を野放しには出来ませんので」

「そう言って頂けるならありがたい」

 ディーターが謝意を述べると、横に控えていたマリアベルが、短く息を漏らして、

「と言っても、この状況は如何ともしがたいですわね」

 先程から警察本部やタングラム門との通信が途絶しており、救援を呼び掛けることが叶わないでいた。

「ARCUS同士の通信は大丈夫みたいだから、各施設の通信設備が何らかの妨害を受けているみたいだな……導力ネットワークによる連絡も難しいのですか?」

 すぐ近くにいるエミナ達への通信接続を試みた後、レイルが打開策を提示してみるも、マリアベルからは何者かによってジオフロント内の導力ケーブルが遮断されていると教えられる。

「何とか迂回ルートを確保すれば、通信網を回復出来ると思いますが……」

「ならば技術部のスタッフに最優先でやらせたまえ」

 協力関係にある各所だけでなく、市内の各端末との連携がとれるように、とディーターが指示を飛ばす。

「そして……もう1つの心配は、キーア君か」

「はい。操られていた警備隊が俺達を執拗に追った目的はキーアの可能性が高いと思います」

 ウルスラ病院で入手した教団に関する資料に挟まっていた写真や追撃時に受けた発砲が威嚇射撃に留まっていたことから状況証拠としては充分だった。

「殿の課長達には容赦なく撃ってきてたみてぇだしな」

「キーアを決して傷つけずに身柄を奪い取れ……そんな風に操られているのかも知れませんね」

「なら、俺達が遭遇した天依体のこともあるし――俺とエミナとラカムが持ち回りで護衛についた方が良さそうだな」

 フェルディナンドの証言を信じるなら、空間転移による強奪は可能性としては極々低いのだろうが、敵からの情報を鵜呑みにする訳にもいかず、レイルが念の為としての提案を行う。

「すまないが、よろしく頼む」

 ロイドの言葉に頷いて見せたレイルが、1番手として部屋を辞去する。それを見送ってから、

「ヨアヒムといったかしら? 随分、不気味な男みたいですわね」

 と、マリアベルが今回の首謀者と目される人物へと言及した。

「正直、彼が何を考えているのか、はっきりとした事は判らないんです」

 何のためにキーアを狙っているのか、資料に挟まれていた写真がどこで撮影されたものなのか――そもそもキーアが何故競売会の出品物であるトランクに入れられていたのか、

「……キーアちゃんの記憶が戻っていたら手掛かりになったんでしょうけど……」

 事態はそう上手く行かず、謎ばかりが積み重なっていく。

「いずれにせよ、これだけの事態を引き起こしたと思われる人物だ。フェルディナンドという仲間を含め、恐ろしく危険な男であるのは間違いないと思った方が良いだろう……君達をこのビルに匿ったのは簡単には特定出来ないだろうが――」

 万が一を想定して、覚悟だけはした方が良いと、ディーターはこの場にいる全員へと言い含めるのだった。

 

 

「ところで――ラカム君はどうしたんだい? 随分と気落ちしているようだが……」

 入室してから今まで一言も発せず、悲壮感を漂わしている姿が気になったのか、ディーターが心配そうにしている。

「買ったばかりの愛車がスクラップにされたからね」

 IBC総裁相手であっても物怖じしないフィーが、簡潔に説明すると、ディーターがふむと何かを考える素振りを見せる。

「彼がこの調子では、キーアの護衛にも差し障るだろう……この事態が収まった暁には、事態収束のために生じた損失の補填として、新しく導力車を手配させよう」

 新車は難しいかもしれないがね、と注釈を入れるディーターだったが、今のラカムにとっては効果覿面であった。

 ラカムの目にみるみるうちに生気が戻っていき、誰の目にも留まらぬ速さで、気付いた時にはディーターの足下に傅いていた。

「一生付いて行きます!!」

「いや、そこまでは……」

 あまりの迫力にディーターはたじろぐばかりだった。

 

 

「……おにいさん、だれー?」

 物音を立てないようにしたつもりだったが、レイルの入室で目を覚ましたらしい少女が、寝ぼけ眼をこすりながら誰何してくる。

 腰まで伸びた少し癖のある若草色の毛髪を揺らす少女――キーアに近付き、レイルが上体を起こした彼女と目線を合わせるように屈んでみせる。

「ごめん、起こしちゃったか? 俺はレイル。ロイド達とは――友達なんだ」

「そうなんだー」

 半分夢の中、といった様子でキーアが破顔する。

「ロイド達はまだお話中だから、代わりにキーアちゃんやシズクちゃんが安心して眠れるよう様子を見に来たんだ」

「そっかぁ……ありがとー、レイル」

 人懐っこい笑みを浮かべるキーアに、レイルは思わず彼女の頭へと手を伸ばしていた。

「ん……へへっ」

 最初はむずがゆそうに、けれどすぐに和らいだ表情を浮かべる彼女の髪を梳くように、レイルはそっと頭を撫でてやる。

「さあ、キーアちゃんも疲れただろ? 今はゆっくり眠ると良いよ」

「はーい」

 横で眠っているシズクを起こさない範囲で明るく返事をするキーア。

 彼女が再び布団に潜り込み、小さな寝息を立てるのを確認したレイルは、部屋の調度に合わせて設えられた豪華なソファに腰を下ろした。

 何があっても即時対応が出来るよう、腰に佩いていた太刀はすぐ側に立て掛けておく。

 ――それにしても……

 こんな幼気な少女を何らかの目的に利用しようとする教団の度し難さに、嫌気を覚える。

「必ず、守らないとな……」

 そう呟いた直後――

 

――――ミンナヲタスケテ――――

 

「――っ!」

 脳内に響く声に、思わず顔を顰める。

「今のは……」

 思いの外疲れが溜まっていたのだろうか、と自身の様子を鑑みるが、まだまだ余力は残っている。

 気のせいだろうか――そう思おうとしたが、その声が今し方聞いたばかりの少女の声にそっくりだったため、レイルは奇妙な感覚を覚えるのだった。

 

 

「ランディ、ちょっと良いか?」

 総裁室を出て、各々が装備の確認や補給に向かう中、ランディは背後からロイドに呼び止められた。

 その表情があまりにも真剣なものだったので、普段の軽薄な感じが出ないよう、ランディは応じた。

「……そこの回廊で良いか?」

「ああ」

 エレベーターホールの先にある、吹き抜けとなった回廊まで来るとランディは振り返り、ロイドに用件を問い質す。

「それで、話ってのは?」

「さっきの――俺達を逃がそうとしたときの事だけど……」

 そこで1度言葉を切るロイドを見て、ランディは彼が何を言おうとしているのかを悟った。

 思わぬ救援があったから良かったものの、あの場で誰かが足止めしなければ、全滅する可能性があり、キーアも敵の手に落ちていたかも知れないのだ。だから、自身の判断は間違ってはいない。ランディは、確信を持ってそう言える。

 だが、

「あんな無茶は、もうしないでくれ」

「……さっきも言ったが、優先順位を間違えるんじゃねぇぞ。キー坊を守る事を第一に考えなくちゃいけねぇだろが」

 甘い考えだと、僅かばかりの怒気を孕ませた声で、ロイドに詰め寄る。

「だからこそだ」

「お前は――」

 ランディの視線を真っ向から受け止めてロイドが反論してくる。

「ランディの言う事も理解出来る――けど、俺達の誰かが犠牲になる事を、キーアが望んでいるとでも思うのか?」

「それは……」

「キーアを守るってことは、あの子の心も守ることだと思ってる……だから、誰1人欠けちゃ駄目なんだ」

 誰1人欠けることなく……そんなものは戦場で生きてきた自身にとって、なんと甘く――唾棄すべき理想論だろうか。

 だが、

「それがどれだけ難しいことか、判った上で言ってんのか?」

「難しいからこそ、皆で力を合わせるんだ」

 これまでのように、とロイドが笑みを浮かべる。

 その様子を見て、ランディは自分が知らず知らずのうちに、彼や支援課の皆を庇護すべき対象として下に見てしまっていたことを恥じた。

 ――いつの間にか一人前の顔するようになりやがって……

「そう、だな――頼りにしてるぜ、相棒(・・)

「! ああ、こちらこそ」

 そう言って、2人は拳を力強く突き合わせるのだった。

 

 

 エレベーターホールに戻るロイドを見送り、ランディが窓ガラス越しに街の様子を見下ろす。

 夜が深まり、住宅地の方では明かりが消えている場所が散見している。

 時折、市内の各所で不規則な明滅が起こるが、警官隊と警備隊による銃撃戦が今尚繰り広げられているのだろうか。そんな光景をぼんやりと見やりながら、ランディは先程の会話を思い返した。

「すまねぇな、ロイド……」

 彼の手前、同意を示したものの、

 ――それでも、いざという時は……

「良くないこと考えてるね」

「……盗み聞きとは感心しねぇな」

 特に気配を消しているようではなかったので、とっくに気付いていたのだが、あえて指摘することもせず、ランディは振り返って、フィーへと対峙する。

「ランディの気持ちも理解出来るから、敢えて何も言わないけど……信頼を裏切らないのは、何事でも基本だと思う」

「いや、言ってんじゃねぇか」

「これは、独り言」

 いけしゃあしゃあと言ってのける少女が、月明かりを浴びるように、欄干へと身を預ける。

「ゼノとレオに会ったんだって?」

「……あぁ、お前さんの言った通り、違法薬物の噂を聞きつけて来たみたいだったぜ」

「そっか」

 短く、そう呟いた表情はどこか嬉しそうに感じられた。

「探しに行かなくて良いのか?」

「無事って判ったから、今は大丈夫かな。今はあの子を守ることを優先しないと」

 フィーが、キーア達が眠っている部屋の方へと視線を向ける。

 その横顔を見て、

「お前さん、随分と変わったな」

「そう?」

 不思議そうに小首を傾げるフィーだったが、戦場で初めて見たときのことを思えば、雲泥の差だった。

 感情のない瞳を見たときには、猟兵というものの業の深さを感じたものだが、

「そういう意味だと、ランディも変わったと思う」

 そうだろうか?

 そうであって欲しい――そんな細やかな願望が、いつの間にか胸の奥で疼いていた。

 

 

「ティオとリューネはここにいたのか」

 エントランスで補給を行おうと降りてきたロイドが目にしたのは、待合用のソファで話し込んでいる2人だった。

「お疲れ様です」

「ロイドさんは、物資の補給に?」

「そんなところさ……2人はここで休憩を?」

 ロイドがそう問い掛けると、2人は顔を見合わせた後、

「それと、教団についての情報交換をしていました」

「そう、だったのか……」

 内容が内容だけに席を外した方が良さそうだと思ったロイドだったが、ティオだけでなく、リューネにも引き留められたので、同席させてもらうことになった。

「ギルドでもお話ししましたが、私がいたロッジは教団の中でも特殊な立ち位置だったみたいで――多くのロッジがカルバード共和国に集中していた中で、ノーザンブリアを拠点にしていたんです」

「ノーザンブリア――かつて大公国として栄えていた帝国の北に位置する国だったか」

「今は自治州で、その切っ掛けとなったのが――《塩の杭》事件ですね」

 《塩の杭》事件。

 ノーザンブリア大公国の公都ハリアスクの近郊に突如として全高数百アージュを超える白色の巨大物体が出現し、周囲一帯を侵食し、塩に変えていった大厄災である。

 大公国の人口8分の1を死に至らしめた大厄災の最中、国家元首であるバルムント大公が国を見捨ててレミフェリア公国に亡命していたことで、国民の失望と怒りから暴動に発展し、クーデターの結果、大公家による統治が廃され、民主議会による自治州となったのである。

「その影響で領内は混迷を極め――教団が潜伏するにはもってこいだったのでは、と」

「それでも大部分が共和国に拠点を構えていたのは、移民問題で人口の管理が行き届かずに、子供達の拉致が容易だったから、か」

「ノーザンブリアの場合、猟兵団が幅を効かせていたので、子供であっても油断ならなかった、というのもあるかと思います」

 リューネの補足を聞き、ロイドが顔を歪ませる。

 聞けば聞くほど、D∴G教団の異様さが浮かび上がってくる。

「……そう言えば、ギルドで君は自身のことを……」

 聞こうかどうか躊躇ったが、この際にと思い、ロイドはリューネに訊ねる。

人造人間(ホムンクルス)、と言ったことですよね……あれは言葉の通りなんです。私は命の営みの中で生まれたんじゃなくて、人工的に生み出された存在なんです」

「リューネさん……」

「すまない。軽々しく聞くようなことじゃなかったな……」

 ロイドが謝罪するも、リューネは気にした素振りも見せず、静かに微笑んでみせる。

「大丈夫ですよ。生まれはどうであれ、私は私であることに変わりありませんから」

 そうレイル達に教えられたのだと、彼女は悲壮などころか、少し誇らしくあるように言ってみせた。

「強いんですね、リューネさんは」

「そんなことないです……支えてくれる人達がいるから、今こうしていられる。その想いに応えたいから、前を向いていられる――ティオさんもそうじゃないんですか?」

 投げ掛けられたティオが驚いた様子で目をしばたたかせた後に、ロイドを横目に見て、

「そうですね……誰かさんの影響で、前向きに頑張ろうって思うようになりましたし」

「えっと、それは……俺ってことで良いのか?」

 よく分かっていないロイドを尻目にティオが吹き出し、それに釣られてリューネも笑い声を上げたのだった。

 

 

「もうすぐ5月なのに、夜はまだ少し肌寒いかな」

 IBCのビルは小高い位置に立てられており、すぐ近くに大きな川が流れている影響で夜間は陸地から川へと流れる川風により、思った以上の冷え込みが身体の熱を奪っていく。

 ビルの屋上に出たエミナが、風にながれる髪を抑えながら、縁の方へと歩みを進める。

 すると、ビルの縁を遮蔽物とするようにして、街の様子を伺っているクレアの姿を捉えた。

「クレアさん、良かったらこれ」

 差し入れ、と言って振り返ったクレアに持ってきた物を手渡す。

「これは、缶コーヒー……良いんですか?」

 躊躇うクレアに温かい缶コーヒーを押しつける。すると、両手で包み込むようにして、暖を取るクレアを見て、エミナは小脇に挟んでいた物を手に取り、広げてみせる。

「軍人だからって無理しないでよ? ブランケット借りてきたから使って」

「すみま――いえ、ありがとうございます」

「よろしい」

 申し訳なさそうに謝ろうとするクレアにデコピンのジェスチャーをして、言葉を改めさせる。

 ――まだどこか引け目がある感じかなぁ……

 中々に根が深そうだと頭を悩ませるエミナだったが、今すぐ劇的な変化が起こるというのは難しいと思い、思考を切り替えていく。

「街の様子はどんな感じ?」

 クレアに倣い、身を隠しながら眼下の光景を観察する。

「操られている警備隊と、警官隊でしょうか――散発的に銃撃戦が行われているようですね」

「装備の制限はあっても、警備隊も立派な軍人だし……警察がどれだけ耐えられるか、って感じかぁ」

 タングラム門からの応援が駆け付けてくれれば、事態は好転するかも知れないが、

「いつまた天依体が出てくるかも知れないし、油断は出来ないだろうけど……」

「ですね」

 クレアが短く相槌を打つ。そのまま視線を街に向けたまま、

「エミナさんは、天依体と戦うことに対して、どうお考えですか?」

「……遊撃士としては、助けられないことに悔しさを感じるし、やるせない、かな」

 少し考え、整理した考えを口にしていく。

「一個人としては、どうです?」

「……躊躇いはない。ただ、それだけ」

 クレアが視線を寄越してくるが、エミナは眼下を見据えたまま続ける。

「お父さんを撃った後にね……これ以上誰かに自分と同じような思いをさせたくない、天依体にされてしまった人達が害を及ぼす前に止めたい――そう思うようになったから」

 だから躊躇わないよ、とはっきりと告げる。

「クレアさんはどうなの?」

「軍人である以上、命のやりとりは覚悟の上です」

「一個人としては?」

 受けた質問をそのまま返すと、意地悪ですね、とクレアが嘆息する。

「……自ら望んだわけではない相手というのは、やりにくいですね」

 しかも依代にされたのが子供とあっては尚更だろう。

「ですがやはり、守るべきもののために、私は戦いますね」

 その相手が元・守るべき相手であっても。

 すぐ近くにいるはずなのに、そんな悲痛な覚悟を感じさせるクレアが何故か消えていなくなってしまいそうな錯覚を覚え、エミナは思わず、

「エミナさん?」

 ブランケット越しにクレアを抱き締める。

 その行動の意図は自分でもよく分からないけど、

「なんか、こうしないといけないような気がしたから」

「そう、ですか……?」

 自分でもよく分かってないのに、クレアがこちらの心中を推し量れるわけもなく、ただされるがまま、エミナの抱擁を受け入れていた。

 ブランケット越しに感じたクレアの体温は、少しずつ暖かみを帯びてきているように感じた。

 

 

「ここにいたんだ」

 地下の端末室へと向かったティオとキーア達の様子を見に行ったロイドを見送った後、リューネはエントランスのソファで手持ち無沙汰となっていた。

 そこへ見計らったかのようにフィーがやってきたので、自身の隣を勧める。

「フィーちゃんは、ランディさんとお話し出来た?」

「ん。ゼノとレオ――団のメンバーのこと聞けた」

 そう告げるフィーの横顔を見て、リューネは心配そうに眉根を寄せる。

「大丈夫? 無理してない?」

「――ランディには大丈夫って言ったけど、今すぐ会いに行きたい気持ちは否定出来ない、かな……」

 けど、感情に任せて単独行動をするのは良くないと、そう判断したのだろう。

「きっと、どこかのタイミングで会えると思うよ」

「ん。サンクス」

 それは単なる気休めにしかならなかったかも知れないが、フィーが謝意を口にすると、リューネの肩に寄りかかるように身体を預けてくる。

 ――普段はお姉さんぶるのになぁ……

 それだけ心労が溜まったということなのだろうと思い、身を委ねてくる彼女をあやすように頭を撫でてみた。すると、

「ん……」

 反発されると思っていたが、存外悪くないらしく、不思議な感覚を覚えながらも、リューネはフィーの頭を撫で続けた。

 

 

「それにしても良かったな。車、手配してもらえそうなんだろ」

「この騒動が無事収まったら、だがな」

 エミナに護衛を代わってもらった後、ディーターの計らいで用意してもらった休憩スペースで、レイルは1人寛いでいたラカムと話し込んでいた。

「気持ちは落ち着いている、で良いんだよな?」

「……まぁ、な。動揺はしたけど、今は大丈夫だ」

 導力車ではなく、彼の許嫁――ゼオラのことである。

 ラカムもそれが分かっているので、表情を引き締めて答える。

「フェルディナンドを捕まえて、知ってることを洗いざらい吐いてもらう――ゼオラを殺した犯人が別にいるって言うなら、そいつも捕まえて罪を償わせる」

 それが遊撃士として彼女に出来る手向けだと、ラカムが片方の拳をもう片方の平手に打ち付ける。

「それが分かってるならいい」

 間違っても復讐心で犯人を殺めようとするなら、全力で阻止するつもりだったが、その心配は無用だったらしい。

「ゼオラが死んですぐは腐ってた時期もあるし、寂しさを紛らわせようと軟派に走ったりもしたし――」

「え?」

 聞き捨てならない台詞に思わず目を見開いてしまう。

 驚愕の表情のままラカムを見ると、向こうは目を点にして呆気にとられている。

「昔からずっと、ラカムは軟派な奴だろ?」

「お前は俺を何だと思ってんの?」

「だから軟派な奴」

「…………」

「…………」

「お前とは1度本気でやり合わねぇといけねぇみたいだな!!」

 

 

「どうか、されたのですか?」

 レイルと交替するために屋上を去ったエミナを見送った後も、市街地の様子を伺っていたクレアだったが、自身の準備を済ませておこうと思い、階下に戻ってきた所、周遊回廊の一角で佇むエリィの姿を見つけ、その表情がどこか浮かないものだったので思わず声を掛けていた。

「えっと……クレア大尉、でしたか」

 呼び掛けに応じてくれたが、その声音には緊張が滲んでおり、クレアは声を掛けてしまったことを軽率だったと感じてしまう。

 ――クロスベルの方にとって、帝国軍人など忌避すべき存在でしょうに……

「随分と思い詰めていたようでしたが……私がいては余計煩わせしまいますよね」

 そう告げて、踵を返そうとしたが、

「あの……1つ訊いても良いですか?」

 思い掛けず呼び止められてしまい、少しの間硬直してしまう。

 ゆっくりと、こちらの動揺を悟られないよう振り返り――真っ直ぐにこちらを見据える瞳を受け止める。

「……何でしょうか?」

「貴女から見て、クロスベルはどのような場所ですか?」

 その問いを、クロスベルの人間が帝国の人間に発する意味。

 建前はどうであれ、支配される側とする側という関係性を内包する以上、その問いもそれに対する答えも政治的な意味合いが絡んでくる。

 迂闊なことは言えない。

 帝国軍の尉官とはいえ、立場ある人間として軽率な解答を示すものではない。

 だが、

「個人の見解としてですが」

 彼女の、縋るような、けれど真っ直ぐな視線を受けて、クレアは言葉を紡いでいく。

「かなり難しい立場にあると感じています」

「…………」

 こちらの言葉にエリィは黙したまま、続きを待っている。

 ――そのことは重々承知の上、ということですね……

 それゆえの不安や葛藤が、彼女の問いの根幹にあるのだろうと推測する。

「帝国と共和国に挟まれる形で、大陸最大の金融機関や豊潤な鉱山資源を有していることから、日々多くの人やミラが動いていますよね。それゆえに、発展の影の部分として、犯罪の温床としての側面を孕んでしまっている」

 ルバーチェといったマフィアが良い例である。

「ですが……だからこそ、良くも悪くも多くの可能性を秘めていると、そう思います」

「……え?」

 不意を突かれたようで、エリィが呆気にとられている。

 これはだいぶ踏み込んだ発言だと自覚しながらも、真剣な問いに対して真摯に向き合う。

「今回のように良からぬことを企てる者もいれば……この街をより良くしようとする方々もいるはずです」

 貴女方もそうでしょう? と投げ掛けると、エリィが力強く頷いてみせる。

「帝国の人間としてこのような発言はどうかと思うのですが――帝国が宗主国としてクロスベルに干渉するのは、なにも憎いからではないのです」

 ただ、自国をより豊かにしたい、そのベクトルがこれまで積み重ねてきた歴史や慣習と重なり、今の形となっているだけなのだ。

「互いに手を取り合い支え合える関係というのは、理想論でしかありませんが」

「いえ……帝国の方にもそんな考えを持った方がいる――それが知れて良かったです」

 表情を和らげたエリィが頭を下げてくるので、オフレコでお願いしますね、と釘を刺しておいた。

「見つかると良いですね……貴女方が歩むべき道が」

 その道が、帝国との対立を生む可能性も否めなかったが、今はただ彼女達が紡ぐ未来がより良きものであれば良いと、1人の人間として願うばかりだった。

「エリィ……ここにいたのか」

 そうこうしていると、背後から近付いてくる気配があったので振り返ると、彼女達のリーダー格であるロイド・バニングスがいた。

 ロイドがこちらの姿を認めると、軽く会釈してくるので、こちらもそれに倣う。

「では、私はこれで」

 エリィに挨拶を済ませ、ロイドの脇を通り過ぎる。

 別れ際、彼女の顔が少し紅潮しているのが見て取れたので、お邪魔虫にならないよう足早に退散することにした。

 

 

「クレア大尉と何を話してたんだい?」

「クロスベルのことで少しね……あの人の話を聞けて良かったと思うわ」

 詳しい内容は伏せていたので、ロイドもあまり詮索しないようにし、話題を切り替える。

「……改めて言うのも何だけど、大変なことになったよな。市内にいる人達……無事でいると良いんだけど」

「そうね……」

 こちらの言葉に、彼女の表情が陰りを見せた。

 その理由を察し、安心させるように語り掛ける。

「エリィ。マクダエル市長なら大丈夫だ。警備隊を操る黒幕にも市長を害するメリットはないさ」

「ロイド……うん、ありがとう。そうよね、おじいさまは何度も紛争を経験されている……この程度の危機くらい、何とか切り抜けられるはずよね」

「ああ……あの人なら絶対に大丈夫さ!」

 元気づけるように殊更に力強く頷いてみせると、エリィの口元に笑みが浮かぶ。そして、どこか悪戯っぽく言葉を紡いでいく。

「あーあ、何で貴方はそんな風に私のことが判っちゃうのかしら」

 唐突に感じた台詞にロイドの思考が追いつかないでいると、エリィがまるで非難するような目を向けてくる。

「……考えてみれば不公平よね。私はもう……色々なものを貴方に曝け出してしまった。なのに貴方の方は……」

「え、えっと、エリィ……?」

 妙な迫力を感じさせる彼女に、ついたじろいでしまうが、エリィがふと全身の力を抜き、静かに問い掛けてくる

「――ねぇ、ロイド。お兄さんの背中、少しは近付いてきた?」

 それは、自分が常日頃意識してきていることだ。

 そのことを見透かすように、

「多分貴方は……お兄さんの背中をずっと追い続けて来たのよね。貴方がよく言っている《壁》という言葉……あれはひょっとして、お兄さん自身のことを指してもいるんじゃないかしら?」

 多分そうだと、エリィの言葉に頷いてみせる。

 欄干に手をつき目を閉じると、今は亡き兄の姿が脳裏に蘇る。

「昔からさ、兄貴は俺のヒーローだったんだ」

どんな逆境にもめげずに、何でもやり遂げる凄いヤツ。だけど3年前……いきなりその背中が無くなって途方に暮れてしまって……そして、その事実を受け止めきれずに自分は逃げ出したのだ。

「……兄貴みたいになれる自信が無かったから。兄貴みたいに色んなものを守れる自信が無かったから――だから、知らない町へ逃げ出したんだ」

「……でも、貴方はクロスベルに戻ってきた。それは、どうして?」

 続きを促すように、エリィの問いが投げ掛けられる。

 答えは自分自身理解していたから、考えることもなく口から発せられる。

「はは、やっぱり……この街が好きだったからかな。兄貴や、セシル姉。一緒に過ごした友人達……他の町で暮らしていてもやっぱりそれは俺の一部で、忘れることは出来なかったから……だから俺は無理して警察学校のうちに捜査官資格を取ったんだと思う。少しでも兄貴に追いつけないと……兄貴の代わりになれないとクロスベルに戻ってくる資格はないと思ったから……」

「で、でもそれで本当に捜査官資格を取るんだもの。お兄さんに負けないくらい素質は合ったのでしょう?」

 こちらをファローするような言葉が胸を温かくする。

 その優しさに心を委ね、今まで誰にも聞かせてこなかった胸の内を吐き出していく。

「いや……白状するとそれもズルしたようなものさ。なにせ規格外ではあるけど、捜査官としては一流の人間をずっと見てきたから……兄貴だったらどうするだろう、兄貴だったら絶対に諦めない……そう自分に言い聞かせて、俺は何とかやって来れたと思う。でも……それは俺が、俺自身として強くなれたわけじゃない」

「…………」

「……最近になってやっと気付けた気がするんだ。兄貴の背中を追い続けるだけじゃ本当の意味で強くはなれないってね。はは、それに気付けるのにどれだけ掛かってるんだよって話なんだけど……」

 自嘲するように笑ってみせると、不意に背中を包み込むような温もりを感じた。

「……ロイド」

「エ、エリィ……?」

 彼女に背後から抱き締められているのだと、理解するのは容易かったが、その意図が判らずにいると、

「……ねえ、ロイド。私はガイさんを――貴方のお兄さんを知らない。でも、1つ言えることがあるわ。今まで私達を引っ張っていってくれたのは他ならぬ貴方自身だってこと」

 静かに、こちらに言い聞かせるように紡がれる言葉が、耳に染み込んでいく。

「いつだって貴方は……私を――私達を導いてくれた。この灰色の街で迷うだけだった私や、ティオちゃんや、多分ランディも……優しくて、ひたむきで、肝心なところではニブいけど……でもやっぱり、大切な時には側にいてくれて、一緒に答えを探してくれる……そんな貴方がいてくれたから、私達はここまで辿り着けた」

 他の誰でもない、ロイド・バニングスだからこそ出来たことだと、エリィが教えてくれる。

 ひたむきにやったきたこれまでのことを、認めてもらえたようで嬉しさがこみ上げてくる。

「だから私は……この街で貴方に出会えた幸運を空の女神に感謝しているわ。ふふっ、幼い頃に日曜学校で出会っていればもっと良かった……そんな益体もないことを考えてしまうくらいに」

「エリィ……」

「自信を持って。ロイド・バニングス。お兄さんに憧れている所も自分自身であろうと足掻く所も全てが貴方だから……そんな貴方が私達は……ううん――私は好きだから。だから……貴方は貴方であるだけでいい」

 彼女の言葉が、何の抵抗もなく胸の奥まで届いてくる。

 気付いたときには振り返り、エリィの肩を掴んでいた。

「……エリィ…………」

「……ぁ…………」

 示し合わせたようにお互いの瞳が閉じられていき――

「だから悪かったって!」

「本当にそう思ってんのか? 昔っから俺に対して辛辣過ぎじゃ――」

 月明かりに照らされた2つの影が今正に重なろうとした瞬間。

 騒々しく周遊回廊へやってきたレイルとラカムが、

『あ』

 こちらの姿を見つけて、言葉を詰まらせていた。

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 視線がぶつかり、気まずい沈黙が周囲を包み込む。

 どれだけの時間が経ったのか、膠着状態を打ち破ったのは、レイルとラカムの2人だった。

「その……邪魔して悪かったな」

「ごゆっくりー」

 取り残されたロイドとエリィだったが、顔を見合わせるとどちらからともなく吹き出してしまった。水を差されてしまい、そういう(・・・・)雰囲気はどこかへ霧散してしまっていた。



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守りぬく意志

 皆さんこんにちは!
 年末年始の繁忙期が終わり、更新再開です!


「失礼します」

 ディーターからの呼び出しで総裁室へと赴いたロイドを出迎えたのは、緊張や不安といったで表情を浮かべた面々だった。ラカムはキーア達の護衛についているようで、それ以外の面々が揃っている状況だった。

 何事かとロイドが問うと、机上で組んだ手に額を預けていたディーターが面を上げ、事のあらましを説明し始める。それを受け、

「爆弾だって!?」

IBCビルのゲート前で警備隊員が円筒状の装置のような物を設置しようとしている、とのことで、更にランディがその正体に当たりを付けた途端、集まった一同に動揺が走る。

「各国の軍が破壊工作などに使われるような物ですが……そのような物まで持ち出してくるとは」

「流石に特殊合金製のゲートでも保たないかと……」

 苦々しく告げるクレアに続いて、ティオが嫌な汗を浮かべて呟く。

「このままだと、突破されるのも時間の問題だろうし――ランディ、打って出よう」

 だが、追い詰められようとしている状況の中でも、ロイドは抗う意志を損なわせることはなかった。

 ランディが表情を一変させ、待ってましたと言わんばかりにほくそ笑む。

「貴方達……無駄死にをするつもり!?」

 すぐにでも部屋を出て行こうとするロイド達を、マリアベルが慌てて引き留めに掛かる。

ロイドが爆弾の設置を妨害するだけだと説明するが、そのまま警備隊との衝突は避けられないだろう。

 なおも言い募ろうとするマリアベルに、同行を申し出たエリィが安心させるように微笑んでみせる。

「大丈夫……これが私達の仕事だから」

「心配ご無用です」

 ティオからの念押しもあり、やれやれといった様子でマリアベルが肩から力を抜く。それを見たロイドがディーターへと向き直り、

「無論、俺達も無駄死にするつもりはありません。警察本部か副司令の部隊か……応援が来るまでの辛抱ですから」

「ゲート前から地形の利もある。それに――」

 ランディが静観しているレイル達へと視線を送る。

「強力な助っ人もいることだしな」

「勿論、俺達も出る――と言いたい所なんだが」

 一度言葉を切り、レイルが思案するように瞳を閉じたかと思った直後、すぐさま顔を上げ、周囲を見回し、

「エミナ――ディスティハーダで生成した武器を維持出来るのは30アージュ程だったよな」

「弾丸とかならともかく……銃器そのものだと、それくらいね」

 なら、

「俺とリューネとクレアさんの3人で屋上からロイド達の援護を行いつつ、天依体への警戒にあたる。エミナはクレアさんにライフルを渡して、キーアちゃん達の護衛に。ARCUS持ちを1人にするのは最適解じゃないが――フィーは、ラカムと一緒に正面ゲートに向かってくれ」

了解(ヤー)

「天依体……来る可能性が?」

 次々に発せられる指示に応じて行動を起こしている彼女達を尻目に、ロイドがレイルへと疑問を投げ掛けると、彼は躊躇なく頷いて見せた。

「恐らく、だがな。天依体を操っている人物は、この件の主犯じゃないみたいだが、協力者である以上、この機を逃すとは考えにくい。だから――」

 こっちは俺達に任せておけ、とレイルが拳を突き出してくる。ロイドもそれに応じ、拳を突き合わせる。

「ああ! 空の女神(エイドス)の加護を!」

 

 ◆

 

 屋上に上がってきたレイルが身を隠しながら、眼下の様子を伺う。

 正面ゲート前。閉ざされた鉄扉の影で動く気配があるが、ゲートそのものが視界を遮ってしまっているので、直視は難しい状態である。

「ここからだと、門前よりも坂を上がってくる相手に狙いを絞った方が良さそうですね――いけそうですか?」

 隣でエミナから託されたライフルの調子を確認しているクレアへと声を掛けると、彼女は手元に視線を送ったまま、

「これなら十分にいけるかと」

 ライフルを構えて、スコープを覗き込む。

 エミナ曰く、このライフルは霊力を弾体形成し射出するという、いわば魔導ライフルと呼ばれる物らしい。銃身側部のスイッチ操作1つで殺傷/非殺傷の設定が切り替えられるとのことで、今は着弾と同時に衝撃波に変換される非殺傷設定となっている。スコープも特別製で、昼夜を問わず良好な視野を射手に与えてくれる。

「流石は、古代遺物(アーティファクト)ですね……」

 クレアがしみじみと溢すのを聞き、レイルは古代遺物がそう呼ばれるようになる以前――古代ゼムリア文明について、思考を巡らせた。

 ――リベルアークからして尋常じゃなかったが、古代遺物のどれもが今の文明レベルを凌駕しているよな……

 自身が持つ神滅剣もまたその1つなのだが、自分達がそれだけの危険性を孕んだ物を使役していることを実感せざるを得なかった。

「お兄ちゃん、ゲート前で動きが!」

 リューネの声に、思考の海から引き上げられたレイルが、最小限に身を乗り出して、状況を確認する。

 外敵の侵入を阻んでいたゲートが重々しい音と共に、その身を地下格納部へと収納されていく。視界が通り、門前で何らかの工作を行っていたらしい警備隊員と、その足下に設置された円筒状の装置が目に映った。

 突然の開門に不意を突かれた警備隊員達が、強襲を掛けたロイド達によって制圧されていく。その隙を突いてIBCの警備員や避難してきた旧市街のギヨーム達によって速やかに導力爆弾が回収されていく。

「初手は問題なくクリア――敵の増援、来ます!」

 スコープを覗いていたクレアが声を上げる。

 港湾区からIBCへと続く坂道を警備隊員達が駆け上がってくる。

「それじゃあ――俺達もやりますか」

 レイルはそう告げると、意識を周囲へと集中させていく。

 風の流れ、大気の振動――空間を伝播するあらゆる情報を捉え、掌握していく。

 神薙流体術風の型・奥義、風詠み。

 レイルを中心とした半径500アージュが、彼の知覚に補足されていく。視覚だけでは捉えきれない物陰から風が入り込む隙間があれば建物の内部までもが、レイルは掌握したのである。その情報をクレアへと伝達していく。

「正面3名に牽制2発――道沿い左手、手前から2つ目のビル屋上に上がってくる気配あり、行動を移される前に制圧を!」

「――!」

 返す言葉はなく、クレアが的確にレイルの指示を実行していく。正面の敵の内、1人は右肩に着弾し、衝撃波により頭部を揺らされ昏倒。続いて、ビル屋上に上がってきた警備隊員達がこちらのようにライフルで援護に入ろうとした所を、機先を制するように撃ち抜いていく。

「! 伏せろ!!」

 だが、操られているとはいっても向こうも精鋭部隊である。こちらの位置が補足され、坂を駆け上がってくる人員や補足範囲外からの長距離狙撃で応戦され始める。

「一筋縄ではいかないか」

「それだけ訓練が行き届いているということですね」

「今のうちに補給をしますね!」

 身を隠している間にリューネがクレアの持つライフルへと手をかざすと、淡い光が生まれ、銃身へと吸い込まれていく。同じようにレイルにも霊力の補給を行ってくれる。

 膨大な霊力を保有するリューネがいれば、魔導ライフルのエネルギー切れの心配は皆無である。

「場所を移しつつ、サポートを継続しましょう」

 天依体の襲来がない今の内に、可能な限り敵の数を減らすべく、レイル達は行動を再開した。

 

 

「第3波、来ます!」

 ティオの感知能力が警備隊員達の接近を告げ、ロイド達は休む間もなく、波状攻撃を凌ぎ続けていた。

 屋上からの援護もあり、正面ゲート前まで辿り着く敵の数を減らしているが、警備隊側もクレア達への対応を開始し、徐々にだが押し寄せる警備隊員の数が増してきている。

「神薙流剣術雷の型・秘技、天雷!」

 ラカムが太刀を上段から振り下ろすのに合わせて、彼の前方5アージュ辺りの上空から雷撃が降り注ぐ。直撃を受けた警備隊員が痙攣して倒れ伏すが、難を逃れた敵がラカムへと肉薄する。

「させない」

 2人の間に身体を割り込ませたフィーがすれ違いざまの連撃で脚部にダメージを与え、相手の機動力をそぎ落としていく。

「ヒュー、相変わらずやるじゃねぇか」

 フィーの動きを見て、ランディが軽口を挟んでくるが、その額には汗が浮かんでいる。薬物によって強化された相手がこちらに撤退の余地を与えず攻め続けてきていることもあり、この場で1・2を争う戦闘力を有するランディでさえ、疲労の表情が浮かび始めている。

 ――このままじゃ、ジリ貧……

 流れる汗を拭うこともせず、フィーは眼下より迫る軍勢を見据える。

 正直な話、形勢はこちらが不利である。

 個々の戦闘力では、強化された隊員達をものともしないメンバーだっている。しかし、不殺を貫く以上、加減は必須である。それに加えて物量差も圧倒的である。

 負け戦といっても過言ではない。

 名も知れ渡っていないような低級の猟兵団であれば、契約違反であろうと割に合わないと尻尾を巻いて逃げ出す状況だろう。

 だが、自分はそうではない。

 大陸西部で<赤い星座>と覇を競った<西風の旅団>の団員であり――遊撃士として人々を守るために戦う者達と共にあることを選んだ自分に、諦めるという選択肢はなかった。

 この場にいる誰もが、同じ思いでいるはずだ。だから――

「守り抜いてみせる!」

 

 

「フフ……頑張りますね」

 眼鏡の奥に鋭利な瞳を携えた男がIBC前で行われている戦いを見下ろし、楽しそうな笑みを浮かべる。特務支援課やその協力者達の戦いを見世物のように眺めている彼を、横に控えていた屈強な男が忠言する。

「ですがツァオ様……あのままではいずれ」

 ツァオと呼ばれた男が、言わずもがなと言う風に吐息を溢す。

「ここで倒れてしまうのであれば彼等も所詮、その程度の器だったということ――ほら、次が来ましたよ」

 

 

「このまま左に3アージュ移動――合図を送りますので、正面屋上の敵をお願いします!」

「はい!」

 レイルの指示を来ると、クレアは身を乗り出し、速射で敵を制圧していく。撃ち漏らした敵がいれば、深追いはせず、身を伏せ、次の好機を伺う。

「!! クレアさん、次のタイミングで右手の街路樹、手前から7番目に潜む相手を!」

 レイルが一瞬目を見開かせたが、鋭く飛んでくる指示に応じ、標的をスコープ越しに捉える。

「!」

 軽薄そうな男が、こちらではなくゲート前の戦況を忍び見ている。いかにも観光中といったラフな出で立ちだが、その顔を見紛うことはない。

 自身にとって血は繋がらないが、立場として兄弟筋と呼べる存在。その姿を認識した瞬間――クレアは躊躇いなくトリガーを引き絞った。

 

 

「しかしこのままだと、ギリアスのオッサンの狙い通りになっ――どぅわっ!?」

 

 

「避けられました!!」

「チッ! 相変わらず勘の鋭い野郎だ!」

「?」

 

 

「い、今のはミレイユ准尉……」

「そんな、あの人まで……」

 幾度目かの襲撃を退けた後、操られた隊員の中に見知った顔を見つけてしまい、ロイド達に動揺が走るが、その声はランディに届かなかった。

「クソが……ふざけやがって……!」

 沸々と身体の奥底から怒りがせり上がってくる。脳が痺れ、全身の血が沸騰するかのような錯覚を覚える。

 ――なんで、お前が――!

「――――――――ッ!!」

 沸き起こる衝動に身を任せ、喉から大気を引き裂く咆哮が夜気を震わせる。

 戦場の叫び(ウォークライ)

 爆発的な闘気を引き出す猟兵独自の戦闘技術が、周囲を――仲間達すら威圧していく。

 だが、今のランディにロイド達を気遣う余裕はなかった。

 奴らはミレイユを――俺の――

「落ち着け!!」

 突如、耳元で叫ばれ、放たれていた闘気が霧散していく。

「怒りで周りが見えなくなってどうする!」

 疲労の色が濃くなってきた顔でラカムが叱責してくる。その表情からは普段の軽薄さがなりを潜めており、真剣な眼差しでこちらを睨み据えている。

「なに、を……」

「惚れた女がいいようにされてブチ切れる気持ちは解る! だけど――」

 頭部を上から鷲掴みにされ、背後のビルの上層階を見上げさせられる。

「今すべきことを忘れんな!」

「……………………わりぃ」

 毒気を抜かれ、素直に頭を下げる。

 それに満足したのか、ラカムが武器を構え直し、目前に迫った敵に備えた。

 彼に倣い、ランディも体勢を整える。

「……1つ訂正だ」

「なんだよ?」

 横に並んだラカムにすがめを向けて、

「別に……俺が、ミレイユに惚れてるとかじゃないからな」

『…………』

 非難の目が集中したが、追求は事が済んでからだ。

 

 

「! お兄ちゃん!!」

 戦闘が開始され30分以上が過ぎた頃、何の前触れもなく、それはやってきた。

 リューネが真っ先に気付き、遅れてレイルもその気配を察知する。

 それは風詠みの認識範囲外――東に20セルジュ以上離れた位置に現れたのだ。

 夜天の星々に紛れるようにして現れたそれらは、淡い輝きを纏った天依体の群れであった。それも、10や20の話ではない。

「少なくても200以上、だな……」

 途中から数えるのを止め、レイルは捉えた光景の悍ましさに怒りを覚えた。

 恐怖ではなく、怒りだ。

 迫り来る猛威ではなく、それが生み出された背景を知るからこその怒りであった。

 ――あれだけの数の人間が、犠牲に――!

 気付いたときには、その右手に神秘の具現を握り締めていた。

 神滅剣・肆型(エクセリオン・フィーア)

 翠耀石のような宝珠を鍔元に填め込まれ、透き通るような刀身を携えた一振りへと周囲の大気が引き寄せられていく。

「クレアさん、離れて――どこかに捕まっていて下さい……リューネ、いけるな?」

 東を見据えたまま、クレアには下がるように伝え、リューネに可否を問う。

「…………お願い――あの子達を、解放してあげて」

 リューネの表情が一瞬、躊躇いに歪むが、それでも意を決してレイルへと力を託す。リューネが手を組み、祈りを捧げるように膝をつくと、彼女の全身を包み込むように目映い輝きが生まれる。煌々と夜闇を照らし出す光が揺蕩い、その光度と規模が増していく。膨れ上がるごとにその揺らめきは激しさを増していく。その波長が僅かの間、凪のごとく静まりかえった直後、レイルの元へと怒濤の勢いで放出されていく。そして、輝きがレイルへと至り、

「霊力回路――直結! 霊力、超過供給!!」

 

 

「――ッ!」

 リューネから伸びた光――莫大な霊力がこの身に届いた瞬間、全身を跳ね上がらせるような衝撃が襲い掛かる。

 導力よりも、より根源的な霊力が流し込まれ、自身の回路が瞬く間に膨張していく。その影響は物質的な身体にも及び、筋肉が軋み悲鳴を上げ、循環する血液が熱を帯びてこの身を内部から焼き尽くそうとしてくる。視界が明滅し、ともすれば意識を飛ばしそうになるのを食いしばって眼前を睨み据える。

 異形の軍勢が脇目も振らずにこちらに迫りつつある。目に映る光景がその姿で刻々と埋め尽くされていく。

 異様な光景、緊迫した状況であったが、心は平静を保っていた。やるべきことが定まっているならば、心を乱す必要はない。

 身の内で暴れ回る力の奔流を手にした得物へと流し込んでいく。すると、取り込んだ力に呼応して、鍔元の宝珠が輝きを放つ。

 周囲を取り巻くように大気がうねりを生み、旋回していくごとにその勢力を増していく。次第に風の流れが嵐の如く渦巻き、刀身へと収束していく。

「我が罪――数多の命を奪う罪業を、この身に刻む」

 右半身を引き、太刀の切っ先を前方に向け、突きの構えを取る。

 荒れ狂っていた嵐が止み、一瞬の静寂の後、レイルは迫り来る軍勢に対し、渾身の踏み込みと共に翠緑の嵐刃を解き放つ。

「神薙流剣術風の型・秘奥義――虚空穿!!」

 

 

 その光景を目の当たりにした者は、何が起こったのか理解するのに時間を要することとなった。

 IBC屋上にて、突如として風が吹き荒んだかと思った直後、東から近付いてきていた光点の群れが暴虐の具現と化した嵐のような何かに呑み込まれ――そのことごとくが消え失せたのである。

 街中の騒動を遠巻きに見ていた住人達だけでなく、当事者の関係者達ですら、初見の者であれば、起こった出来事に呆然とせざるを得なかった。

 何が起きた、あれは一体何なのだ。

 至る所から疑問の声が上がるが、そのほとんどが明確な答えを得ること叶わず。

 ただ起きた結果を把握するしかない。

 嵐刃過ぎ去りし後、穿たれた空間は正しく虚空――故に、この力を知る者はこう呼ぶ。

 虚空穿、と――

 

 

「凄まじい威力だな」

 レイルが放った一撃により、あらゆる状況が停滞したのも束の間。

 ロイド達をその物量で押し潰そうとしていた警備隊員達を掻き分けるようにして、1人の男が姿を現した。

「ロギンス!? 何でお前が――」

 その男と面識があったランディが食って掛かろうとするが、男が手のひらを突き出して、訂正を加える。

「“僕“は君の元同僚ではない。彼の身体を借りて、こうして話し掛けているだけさ」

「その口調……まさか、ヨアヒム先生――!」

 ロイドがその正体を言い当てると、男は嬉しそうに笑ってみせる。

「てめぇ、一体何が目的だ!」

 ラカムが牙を剥くが、男は動じることもなく、こちらを仲間に引き入れようとする始末である。

「彼等のように《グノーシス》を服用してもらえれば、我々の崇高な目的を理解してもらえるはずだよ?」

「ふ、ふざけないでください!」

 下卑た笑みを浮かべる男にティオが涙を滲ませながら、睨み付ける。

「……あなたが……あなたがあんな酷いことを……!」

「フフ、別に各ロッジの儀式は僕がやったわけではないけれどね。無論《グノーシス》のプロトタイプの実験データは回収させてもらったよ」

「裏ルートを使って、猟兵団に薬を流してたのもアンタが黒幕ってこと?」

 フィーの問い掛けに、男が無論と大仰に頷いてみせる。

「そのデータを元に、この古の聖地で僕は《グノーシス》を完成させた……そう、全ては運命だったのさ!」

 その物言いに各々が嫌悪感を顕わにするが、男は意に介することもなく要求を突きつけてくる。

「あの方を――キーア様を返してもらおうか」

「あんた……あの子をどうするつもりだ!?」

「キーア様は元々、我らが御子。その身を君達が預かったのは、ただの偶然に過ぎない。あの方にはただ、あるべき場所に還って頂くというだけさ」

 淡々と告げられる言葉を、ロイド達は拒絶する。

「あんたらの狂信に……あの子を巻き込ませるものか!」

「さっきから聞いていれば、妄想めいたことばかり……!」

「てめぇみたいな変態野郎の元にキー坊を戻せるわけねぇだろうが!」

「おととい来やがれ……です……!」

「話し合いの余地すら、ないね」

「やれやれ……交渉は決裂か」

 頭を振って見せた男が手を上げると、周囲に控えていた警備隊員達が武器を構え直す。

「ならば君達の屍を超えて、キーア様をお迎えさせてもらおう」

 男が手を振り下ろし、警備隊員達が距離を詰めようとした直後、

「だめーーーーーー!!!!」

 

 

「キ、キーア!?」

 護衛に付いていたエミナや屋上で援護に回っていた3人を引き連れて、キーアが警備隊員達の前へと立ちはだかる。

「ロイド達をいじめちゃだめ!」

「ど、どうして……」

 この場に連れて来たのかと問い詰めようとするロイドに、エミナが肩を竦めてみせる。

「どうしてもって聞いてくれなくてね……上の状況も落ち着いた感じだったし、ね」

 その代わり、キーアから距離を取ることはせず、何かあっても即座に対応出来るようにしてある。

「おお、キーア様……」

 自らその姿を現したキーアを前に男が歓喜の表情を浮かべる。最早他のことなど気にも留めていないといった状態である。

「お前達! すぐにキーア様を保護して差し上げるんだ!」

 そして、物言わぬ操り人形と化している警備隊員へと興奮気味に指示を送ると、彼等が再び距離を詰めてこようとする。

「させるかよ!」

 戦闘の隊員を峰打ちで叩き伏せたレイルを筆頭に、増援組が応戦を開始する。エミナもキーアをロイドに託し、フィーやラカムを引き連れて参戦する。

「キーア……どうしてこんな無茶を」

「だって、キーアがいる……ロイド達にメーワク掛かるから……」

 

 

 だから一緒にはいられない、と。

 悲しそうに告げるキーアの様子に、ロイドは胸の奥が引き絞られるような苦しさを覚えた。

 自分達に迷惑を掛けたくないから、元いた場所に戻ろうとする彼女に、

「キーア……“暗い”のが怖いんだろう!? 本当は、俺達から離れるのが寂しくて嫌なんだろう!?」

 彼女がいつか溢していた言葉を投げ返す。気丈に振る舞い、自分達を守ろうとする心優しい少女の本心を、彼女自身の言葉で聞きたくて、

「だったら、こんなヤツの言うことなんて聞いたら駄目だ!」

「で、でも……」

「俺は――俺達はキーアに側にいて欲しいんだ! キーアはどうなんだい?」

 真っ直ぐと彼女の瞳を見据える。涙を湛え、今にも溢れそうな眼がロイドを映し出す。

「……ロイ、ド……」

 それでもまだ言いあぐねる彼女に仲間達が語り掛ける。

「多分、私達は……あなたがいてくれたおかげで本当の意味で成長出来たと思う……あなたを見守る――そのことに、それぞれが求める意味を見出すことによって……!」

「はい……何のために生きているのか分からない私ですけど……皆とキーアを守るためなら何だって出来る気がします!」

「だからキー坊、余計なことは気にすんじゃねえ……お前はノンキに笑いながらすくすく育っていけば良いんだ。それだけで俺達はパワーを貰えてるんだからよ!」

「……エリィ……ティオ……ランディ……」

「グルルル……」

 そして、それまで建物内で状況を見守っていたツァイトも駆け付け、同意を示す唸りを上げてみせる。だが、

「そのような妄言で我等の御子を誑かさないで頂こうか!」

 警備隊員達の後方へと下がった男が憎々しく声を荒げる。

「様子見で預けていたのがそもそもの誤りだったようだ……特務支援課! 貴様等やそれに与する者達全員、嬲り殺しに――」

「うるせぇ!!」

 男の言葉を遮るように、ラカムが裂帛の気合いと共に広範囲に雷撃を落とす。

「大事な話の途中だ! 外野がしゃしゃり出てんじゃねぇ!」

「! 邪魔をするな!」

 広範囲だったためかさしたるダメージはなく、警備隊員達がすぐさま体勢を立て直してくる。だが、お陰で敵の意識がラカム達へと逸れている。

「キーア……キーアがどうしたいか、教えて欲しい」

「……キーア、は……」

 少女が大粒の涙を溢し、だけどはっきりと心の内を告げてくる。

「キーア、みんなと一緒にいる……一緒にいたい!!」

 

 

 少女が本心を告げたとき、何がどのように作用したのかは分からないが、青白い輝きが彼女の全身を包み込む。

「おお! それでこそ、それでこそ我等の御子だ!」

 目聡くその様子を捉えた男だけが、得心がいったというように喜びを顕わにする。

「やはり貴女は我等の元へと還るべきだ!」

「絶対にヤダ!!」

 男が差し出した手を、キーアは今度こそはっきりと拒絶する。

「だ、そうだぜ? まだ続けるか?」

 このまま戦闘が長引けば、不利なのはこちら側なのだが、それでもランディが威勢良く問い掛ける。だが、相手もそれを理解しているので、引き下がる気配はなかった。

「……大人しくキーア様を引き渡せば、命だけは見逃してやろうと思ったが――こうなってしまっては……鏖殺あるのみだ!!」

 男が手を空に翳す。が、何かが起きる様子もなく、

「? 何故だ、市内に展開した警備隊員が制御下から外れていっているだと……!?」

「流石に昏倒させてしまえば、操ることは叶わないようだな」

「市内の戦力は、最早あてには出来ないだろう」

 訝しむ男の背後――坂の下より2人の剣士がそう告げる。

 濃紺の長髪とアッシュブロンドの短髪。流麗な太刀と金色の魔剣。その出で立ちは全く異なるものの、纏う気迫は共に見る者を震撼させるものだった。

 《風の剣聖》と《剣帝》。

 この地に集う最大戦力と呼んでも過言ではない2人の登場であった。



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突入

「ぐっ……」

 駆け付けたアリオスとレーヴェによって、瞬く間に警備隊員達が制圧されていき、2人に遅れながらもやってきたセルゲイとダドリーの手でヨアヒムに操られた男が拘束される。

「良いタイミングできてくれたもんだな」

 身体から力を抜き、呼吸を落ち着けたレイルが息1つ乱さずにいるレーヴェへと声を掛ける。

「このビルの屋上から放たれたアレ(・・)があったからな――それに手を貸してくれる者もいたおかげで、何とか間に合ったわけだ」

 そう告げるレーヴェの視線を追うと、坂下にて警備隊員相手に立ち回っている集団が目に映った。

「あれは……《テスタメンツ》と《サーベルバイパー》か」

 青と赤の対照的な集団が警備隊員達と派手にやり合っている。旧市街の不良集団達が、薬物で強化された警備隊員相手に渡り合えているのは、それぞれのリーダーであるワジとヴァルドによる統率とその物量による各個撃破が功を奏しているようであった。

「あいつら……!」

「プロ相手にやるじゃねぇか!」

 ロイド達もその様子に驚いていたが、彼が持つエニグマから突如として通信音が鳴り響き、その会話から警察本部が反撃に転じ、導力通信や導力ネットの復旧が叶ったようである。

「D∴G教団幹部司祭、ヨアヒム・ギュンター……これ以上、このクロスベルで好き勝手な真似はさせんぞ?」

 抜刀した切っ先を男の顔先へと突きつけ、静かに闘気を張り詰めさせたアリオスが静かに告げる。だが、男は動じた様子もなく、不気味な笑みを浮かべてみせる。

「クク……些か油断が過ぎるんじゃないかい? フェルディナンド!」

 男が声を張り上げた瞬間、レイル達の意識がキーアへと集中する。空間転移能力を持つ天依体によるキーアの強奪を警戒し、身構える。

 が、いくら待ち構えていても彼女の周囲にその存在が現れることはなかった。

「何をしているんだ!? キーア様がすぐそこにいるんだぞ!」

「いやいや……そうも守りを固められては流石に無理難題というものだよ?」

 男の激昂に答えるように、上空から声が落ちてくる。

 見上げた先には空間転移能力を持つ天依体――ラウムと呼称された存在を傍らに置き、宙に浮かぶフェルディナンドがやれやれといった様子で男を見下ろしている。

「彼女を周囲の空間ごと転移させるには距離も時間も足りていないからね……それよりも」

 フェルディナンドの双眸が鋭さを持ち、怒気を孕んだ声が響く。

「忠告したのに、君がどうしてもと言うから提供した私の子達だが……呆気なく一網打尽にされてしまった落とし前――どうつけてくれるのかな?」

「ハッ……あんたの作品がその程度だったということだろう」

「……言ってくれるじゃないか」

 互いに張り詰めた視線を交わすが、男がふっと表情を歪に歪める。

「まぁいいだろう……こちらの戦力はマフィアと併せて数千近く……癪に障るが、彼が保有する戦力も加えれば、貴様達を皆殺しにするのも容易いだろう」

 その上で御子を――キーアを取り返してみせると高らかに宣言する。

「ハハハ……! 楽しみにしているがいい……!! では、今回の所はこの辺りで――」

 耳障りな嘲笑を放つ男の身体が黒い靄のようなものに抜け落ちていく。

「待ちな」

「……ん?」

 撤退の兆しを見せた男に、今まで静観していたラカムが呼び止める。

 男の身体からはなおも靄が放たれており、その濃度も徐々に薄まっていく。そのほんの僅かの間に、ラカムが問いを放つ。

「ゼオラ・ルーベル――その名前に聞き覚えはないか?」

「クク……忘れもしないさ。我等を裏切った愚かな女の名じゃないか」

 男の顔が下卑た笑みを浮かべ、

「探し出して始末するのに、随分手間を掛けさせられたものだ……」

 その言葉を最後に男から発せられていた黒い靄が消え去り、男は力が抜けたようにぐったりとしている。

「ラカム……」

「大丈夫だ。馬鹿な真似はするつもりはねぇよ」

 レイルの呼び掛けに振り返りもせずに答えたラカムが、成り行きを見守っていたフェルディナンドを睨み付ける。

「それで――お前はどうするんだ?」

「……私もここいらで失礼させてもらうよ」

「逃げられるとでも思ってるの?」

 撤退の兆候を見せたフェルディナンドに対し、エミナを中心とした銃撃戦主体のメンバーが彼へと狙いを定める。だが、彼は気にも留めずに飄々と告げてくる。

「逃げるとも……まぁ、またすぐにでも会うことになるだろうけど」

 フェルディナンドが言葉を切ったと同時に、流れる動作で指を鳴らす。すると、天依体が淡い輝きを放ち、フェルディナンドと共に背後の空間へと吸い込まれていく。逃がすまいとエミナ達が引き金を引き絞ったが、放たれた弾丸は男を守る不可視の障壁に阻まれてしまう。

 空間の歪みが消えた後には、雲間から覗く月明かりがレイル達を照らし出していた。

 

 

「古戦場……あんな場所に!」

 当面の危機が去り、一同がIBCのエントランスに戻ってきた所で、アリオスから敵の潜伏先についての情報がもたらされた。

 各地で捜査に当たっていた遊撃士協会――そのうち、エステルとヨシュアが行方不明者達の痕跡を見つけたとのことである。

 そうと分かればと、突入作戦が直ちに練り上げられていく。

 ディーター総裁から防弾性のリムジンが供出されることとなり、東クロスベル街道に展開された敵勢力突破に必要な機動力は確保された。そして、敵の狙いであるキーアの護衛としてアリオスが残ることとなり、

「俺もこちらに残る方が良さそうだな」

「そうね……あんたの剣なら、天依体にも有効だし」

 エミナの視線がレーヴェの持つ魔剣ケルンバイターへと移る。

 結社・身喰らう蛇の盟主より授けられた外の理で生み出された剣であれば、天依体に対して有効であることはかつての経験から明白である。

 残りのメンバーとして、セルゲイとダドリーは警察本部やタングラム門警備隊と協力し、敵勢力の鎮圧に行うとのことである。そして、

「レイル……大丈夫なの?」

 エミナはソファに座り込んでしまっているレイルへと声を掛ける。

 レイルは今、リューネにより消耗した霊力を補填してもらっているところなのだが、

 ――超過出力の反動で身体が悲鳴を上げてる、ってところね……

 しかも、それを微塵も感じさせずに虚勢を張り続けていたのだから困ったものである。

 相変わらずの無茶に頭を悩ませるが、そうせざるを得ない状況だったのも確かだ。レイルという一大戦力が機能しないと知られれば、敵に付け入られる隙を与えてしまう。

 ただ、あまりの消耗ぶりに彼を突入メンバーから外すという選択肢も浮かんだが、

「もう大丈夫だ。作戦に支障はない」

 と、立ち上がり、心配する皆に頷いてみせる。

 心配は尽きないが、彼がそう言うのであれば今は何を言ってもその意志は覆らないだろう。

 ――事が済んだら説教ね……

 そう心に決めて、作戦内容を改めて確認していく。

「それじゃあ、特務支援課の4人はラカムが運転するリムジンで古戦場に向かってもらう形で……定員オーバーであぶれた私、レイル、フィー、リューネ、クレアさんの5人がルバーチェか警備隊から車両を奪って後を追う形ね」

 警察本部辺りで車両を調達出来れば良かったのだが、向こうは向こうで余裕がない状況とのことなので、奪取の方向性で話を進めていく。

「まず私達が先行して東クロスベル街道入り口に布陣する敵勢力を攪乱し、その隙にラカムさん達に突破して頂き、混乱に乗じて車両を確保、ですね」

 と、流れを再確認するクレアに続いてエミナが、

「戦端を開く前に信号弾で合図するから、確認次第出発するようにしてちょうだい」

 とラカムに念押しすると、彼は力強く頷いて見せた。

「作戦開始時間は――23:20! みんな、よろしく頼むわよ!」

 

 

<同日 23:20>

 

「なぁ……ほんとに大丈夫なんだが……」

 ゲートが開放されたと共に敷地内から駆け出したレイル達だったが、その隊列に彼は異議を放った。

 先頭を走るエミナとリューネ。その後に続くフィーとクレア。そしてその背中を追いかける形となったレイル。つまり彼は剣士でありながら後衛へと回されてしまったのである。先程までの消耗ぶりを見た彼女達から作戦参加は拒まれなかったが、極力消耗は抑えるようにと釘を刺されたのである。

 現にレイルの身体は節々の痛みや倦怠感を残しており、万全な状態ではなかったのだが、

 ――そうは言ってられないしな……

 先程の防衛戦もあり、むしろ万全な状態な者こそ少ない状況である。直接戦闘に参加していないエミナもまた、古代遺物の能力使用で多少なりとも消耗しているのだ。それなのに自分だけが休んでいられるはずもなかったのだが、

「無茶する癖は治らないんだから……」

「それがレイルらしいと言えば、そうなんだけど……」

「相変わらず、ですね……」

「無理しないでね、お兄ちゃん?」

 呆れ半分心配半分といった様子で、苦言を呈される。

「頼りにしてるさ……ただ、何もせずに後悔したくないだけで……」

「美人美女にそれだけ気に掛けてもらっているってことじゃないか……羨ましい限りだね」

 と、淀みない流れでレイル達の疾走に併走する影が1つ。浅緑の短髪に切れ長の金の瞳、濃淡2種の青を用いたストライプのマフラーを流れる風に靡かせる中性的な美貌を持つ少年。

「ワジ!?」

 先頭を走るエミナが横目で併走者の姿を捉えると、その名を叫んだ。

 ワジ・ヘミスフィア。

 旧市街の二大不良集団の片割れ――テスタメンツのリーダーである彼は、何か面白いものを見つけた子供のような笑みを浮かべて、かなりのスピードを出した疾駆の中で器用に手を振ってみせる。

「街中が大騒動のなか、どこに行こうっていうんだい? それもこんなにも女性を侍らせて」

 ニヤついた表情を向けるワジに、レイルは表情を歪めて、

「人聞きの悪いこと言ってんじゃねぇよ……そういう()こそ、こっちに来てて良いのかよ?」

「……悪かったよ。だからそう呼ぶのはよしてくれないかい」

 肩をすくめてみせるワジに、レイルは大きくため息をついて、話を本筋へと移す。

「元凶の潜伏場所に突入を掛けるとこなんだが……丁度良い、手伝えよ」

 レイルの言葉に、ワジと面識がないクレアからは心配そうな視線が飛んでくるが、レイルは大丈夫と言うように頷いてみせる。

 ワジはワジで面白そうだと笑みを濃くしていく。

「その話、乗らせてもらおうじゃないか……それに、君に貸しを作っておくのも悪くなさそうだ」

「借りを返しておくの間違えじゃねぇのか?」

「さて、何のことやら」

「後ろの2人、もうすぐ街道に出るわよ!」

 エミナが眼前を見据えながら、声を掛けてくる。

 彼女の背中越しに、街道の様子が目に入ってきた。橋上にマフィア達が陣取り、行く手を阻んでいる。向こうはまだこちらに気付いていないようだが、それも時間の問題だ。

「エミナ!」

「ええ!」

 エミナの手元に信号拳銃が創出され、すぐさま上空目掛けて信号弾を射出する。軽快な音を引き連れて上昇するそれが上空50アージュほどの地点で破裂、煌々とした明滅を繰り返す。

 これでロイド達への合図は完了し、前方のマフィア達も何事かと意識が上空へと逸れている。その隙を突いて、レイル達は奇襲を掛ける。

 

 

 少し遡り、レイル達が出立して間もなく、ロイド達もすぐに出られるようにと準備に取りかかっていた。その様子を遠巻きで眺めていたセルゲイは、煙草をくゆらせながらある種の感慨を抱いていた。

――ついこないだまではクロスベルにひしめく「壁」に抗うことの出来ないひよっこだったが……

それがこの4ヶ月という限られた時間の中でそれなりに成長し、一人前まであと少しのところまで来ている。

 ――ようやく、あいつが目指したものが……

 特務支援課設立の根底にある、かつての部下の遺志が真の意味で成し遂げられようとしている。

 一癖も二癖もあるメンツがお互いの足りないものを補い合いながら、ここまで成長してきた。その中心となる人物が彼の弟ということもあり、

 ――血は争えない、ってな。

 彼よりかは生真面目で大人しそうではあるが、時より見せる突拍子のなさや不屈の精神は彼を想起させるのに十分であった。

 出会って間もない頃は、亡き兄の姿を追いかけるあまり、自身を追い詰めているようにも感じられたが、

「良い顔付きをするようになったな……」

 誰に聞かせるともなく、言葉が口をつく。

 詳細は不明だが、大方エリィあたりに何か言われて、己が目指すべき在り方というものに気付けたのだろう。

 それは他の3人にも言えることだろう。

 それぞれがそれぞれに抱えているものがあっただろうし、その全てが解決したわけでもないのだろうが、それでも今は前を向いて歩みを進めている。

 ならばこそ、自分は彼等を送り出すために、かかる火の粉を払ってやらねばならない。

 紫煙を吐き出し終えて、懐に忍ばせていた携帯灰皿に用済みとなったそれを放り込み、セルゲイは一人前になりかけの部下達へと檄を飛ばすために、歩み出した。

 

 

「行くわよ、リューネ!」

「うん!」

 先陣をきった2人が、ARCUSによる戦術リンクを結び、敵陣へと切り込んでいく。

 エミナより前に出たリューネが敵の懐に潜り込むのに合わせて、エミナが射撃で敵の機先を封じる。リューネに攻撃を加えようとしたマフィアの武器が銃弾で弾かれ、狙いを狂わせる。その隙を逃さず、リューネが拳打を叩き込む。激しく動き回るリューネと的確な援護を入れるエミナ。下手をすれば、友軍誤射(フレンドリーファイア)が起きかねない状況だったが、積み重ねてきた経験や信頼、そしてそれらを増強させるように用いられた戦術リンクにより、見事な連携で敵陣を切り崩していく。

「僕も負けていられないね」

「ん」

 2人の突撃により陣形を崩したマフィア達が体勢を立て直そうとするも、追撃を掛けるワジとフィーにより瓦解させられていく。

「クロノドライブ!」

「クロックダウン!」

 レイルと、ワジが加わったことで後衛に回ったクレアにより、援護となるアーツが発動する。味方には敏捷性強化、敵には敏捷性低下を掛けることで、こちらの手数が敵を圧倒していく。

 しかし、マフィア達は薬物によって身体強化が成されており、1度や2度の痛撃では戦闘不能に陥ることはなかった。

「……」

「駄目ですよ」

 アーツの駆動に取りかかりながらクレアが眇を向けてくる。レイルが考えていることをお見通しと言わんばかりに機先を制してくる。

「レイルさんが前線に出れば、制圧までの時間を短縮出来るでしょうが……今は温存することを優先して下さい」

「……はい」

 制圧するに超したことはないのだが、それが主目的ではないのだ。本腰を入れなければならない場面が先にある以上、ここは後衛に徹して、回復に努めるべきである。

「常に人の前に立ち、物事を解決しようとする姿は、レイルさんの良い所だと思いますが……貴方が傷付くことで気を病む人がいることをお忘れなく」

「……俺もまだまだですね」

 理解しているつもりなのだが、結局はつもりでしかないのだろう。根っからの性分なのか、我が身を省みず動こうとするきらいが抑えられないでいる。

 ――それに、皆にも失礼だよな……

 周りの者を押しのけて自分が前に出るということは、他の者達を信頼していないと取られてもおかしくない行為だ。たとえその気がなくとも、周囲にはそのような印象を与えかねない。

 ――なら、我慢しないとな……

 任せろと、そう言ってくれた彼女達の意志を踏みにじってはいけないと、レイルは衝動を抑え込んで、彼女達に援護を送り続ける。

 そして幾度かのアーツ発動を終えた頃、背後より地面の震動と轟音を引き連れて近付いてくる存在を察知した。

「来たか!」

 エミナが放った信号弾を確認し、手筈通りに出発してきたリムジンが猛スピードでレイル達の脇を過ぎ去っていく。

乱戦の最中に現れたリムジンに残っていたマフィア達が翻弄されていく。目の前のリューネ達と過ぎ去っていくリムジン、そのどちらに対応するべきかの判断が下される前に、マフィア達を圧倒していく。

「クレアさん! この車両ならいけそう!!」

 周りのマフィアを制圧したエミナが背にした車両に視線を向ける。それを受け、すぐさまクレアが運転席へと乗り込み、導力エンジンを起動させる。すると、エンジンが唸りを上げ、出発の準備が整う。

「乗って下さい!!」

 クレアが声を上げるが、マフィア達がそれを阻もうと、躍起になって押し寄せてくる。

「このままじゃ……」

「しつこい」

 押し寄せるマフィア達を振り切れず、乗車の隙を見出せずにいたが、

「ここは我等に任せてもらおう……」

 橋の入り口から届いた声に振り向くと、そこには青い統率のとれた衣装に身を包んだ集団が集まってきていた。

「良いタイミングだ、アッバス」

 その先頭に立つ禿頭の偉丈夫を見つけたワジが口笛を吹いてみせる。

「なら、ここは僕達に任せてもらおうか」

 そうワジが微笑むと、彼の仲間達が一斉に押し寄せ、マフィア達を引き剥がしていく。

 テスタメンツによって確保された間隙を縫い、レイル達が素早く乗車を済ませる。

「助かった、ワジ! ありがとな!」

 レイルが礼を述べると、ワジは振り向きざまに薄らと笑みを浮かべるだけだった。

「しっかりと捕まっていて下さい!」

 クレアが言うやいなや、車両が猛スピードで発進、街道へと駆け出していく。

 

 

「……これで、グラハム卿が作った借りを少しは返せたかな――おや?」

 レイル達を見送ったワジの脇を、猛スピードで警備隊車両が駆け抜けていく。

 その車両を運転する人物を見つけたワジは笑みを深めていった。

 

 

「クソッ――流石に振り切れねぇか!」

 ラカムは悪態をつきながらも、アクセルペダルに乗せていた右足を限界まで踏み込み、リムジンを最大速度で駆けさせていた。

「ウォウ!!」

「次、来ます!!」

 車内にツァイトの咆声とティオの叫びが、迫る危機を知らせてくれる。

 レイル達による陽動で無事に街道まで抜けることが出来たのだが、その先には操られた警備隊が警邏に当たっており、運悪く遭遇してしまった結果、追撃を受ける形となってしまった。

迫り来る2台の新型車両から放たれる誘導弾をバックミラー越しに確認したラカムはハンドルを操作し、すんでのところで着弾を免れる。爆風が車体を揺らし、少しの操作ミスでコースアウトしそうになるのを必死で押さえつける。

「流石の新型……このままだと追い付かれるぞ!」

 後方を確認していたランディが声を張り上げるが、スピードは限界にまで達しているので振り切るのは困難を極めた。誘導弾発射による反動で向こうも都度スピードが緩まっているが、こちらも回避のために蛇行しているため、結局追い付かれるのは時間の問題であった。

 何か手はないかと思案するのも束の間、遂には車両の左と背後を抑えられてしまう。そして、

「きゃあ!?」

 突然放たれる轟音の乱打が車体に打ち付けられ、小刻みだが途切れることのない衝撃が襲い掛かってくる。

 新型車両の上部に装備された機関銃がこちらを睨み、その威力を遺憾なく吐き出し続けてくる。だが、リムジンも防弾仕様となっているため、放たれた弾丸に穿たれることなく、その長躯を揺らす程度で収まっていた。

「だけど、このまま攻撃されたら……」

 流石にいつかは蜂の巣にされてしまうだろう、とロイドの言わんとすることを察したラカムは、

「とにかくどうにか振り切るしかねぇ!」

 車高の低さを利用して、左に付いた車両をすくい上げるように体当たりするか、いやクラッシュして後ろのも巻き込んで大事故になりかねない、などと思考を巡らしたところで、

「――!!」

 つんざく悲鳴のような破砕音が車内に響いたかと思うと、直後、左脚に焼けるような激痛が走る。

「ラカムさん!?」

「ッ――心配ない! かすり傷だ!」

 集中砲火を浴びたガラスがその耐久力を失い、数発の弾丸が貫通してしまったようである。そしてその1発に左脚を撃ち抜かれてしまった。

 激痛に歯を食いしばり、浮かぶ脂汗を拭うことはせず、ただ全身に力を込める。

 ――こんなところで足止めを喰らうわけには――!

 今はなんとしてでも、元凶が潜む場所に向かうことが急務である。こちらの動きを察知された挙句、取り逃がしたとあっては目も当てられない。仮に向こうが迎え撃つ姿勢であっても態勢を整えさせる暇を与えるのは下策だ。

 だが、思いとは裏腹に現状を打開する術は出てこず、焦燥感がつのっていく。

「! 後ろから更に車両が接近……これは、ノエルさんの警備隊車両と――レイルさん達です!!」

 

 

 高速で駆ける車両の揺れに神経を研ぎ澄ませたエミナはスコープ越しに前方の車両――ロイド達が乗るリムジンに迫る警備隊の新型車両の右後輪へと狙いを定めようとしていた。

 フロントガラスは既に撃ち抜いており、車内に風が吹き込んでくる。

現出させた狙撃銃を仰向けの姿勢で抱え込むようにして構える。銃床を肩に押し当て、左手で先台をホールド。シート位置とリクライニングを調整し、両足を突っ張って安定性を上げる。銃身をダッシュボードに乗せるが、車体の動きに合わせて小刻みに振動する。街道の舗装に経年劣化などで凹凸が刻まれており、一際大きな揺れが不規則に生まれる。そのような状況での精密射撃など、至難の業であったが、エミナは心を落ち着け、狙いを見据える。

 悠長にしていれば、リムジンに致命的な損傷が与えられるのは想像に難くない。かといって、数を打てばいいわけではない。こちらの狙いに勘付かれたら、相手も回避行動を取り、目的達成が更に困難となる。だから、狙うは1発による必中。それも残り僅かの時間の中で、だ。

「…………」

 周囲の音が遠のいていく。感じられるのは自身の呼吸の音のみ。深く、長く、吐き出されたそれに合わせて、車体が跳ねる。銃身が押し上げられて不安定になる。まだだ。微妙に沈んだ車体が反力により浮き上がる。焦るな。銃身をボンネットに沿わせる。タイミングは。微細な振動が数度続き、振れ幅が零へと至り、

「――狙い撃つわ!」

 引き金を引き絞ると、反動が肩を抜けていく。放たれた弾丸がフロントガラスの穿穴を抜け、大気を切り裂いていく。果てに、弾丸は過つことなく、目標を撃ち貫いた。

 ゴムが弾ける音が響き、前方の車両が態勢を崩す。その直後、併走していたノエルが運転する車両が速度を上げ、その車両の側面目掛けて体当たりを敢行した。

 すると、ただでさえ右に傾いていた車両が更に右側へと押し込まれていく。ハンドルを切って抵抗しようとしたみたいだったが、縁石に乗り上げた勢いで横転し、街道から外れて行ってしまった。

「ひゅ~、やるなぁ」

 それはエミナの狙撃にかノエルの思い切りの良さにかは分からないが、感嘆の声を上げるレイル。だが、敵はまだ残っているのだ。

 残りの1台へと狙いを付けようとしたエミナだったが、リムジンの左側にいた車両がノエルの警備隊車両に狙いを移し、速度を緩めていく。そして、ノエルもノエルでそれに応じるように激しく車体をぶつけにいく。

『残りもこちらが引きつけます! このまま進んで下さい!!』

 外部スピーカーからノエルの声が響いてくる。前を行くリムジンにもその声が届いたのか、徐々に距離が開いて行っている。

「ありがとう、ノエル!!」

 届くことはないだろうが、エミナは声を張り上げる。直後、クレアに頷いてみせると、こちらも速度を上げて、リムジンの後を追いかけた。

 

 

<同日 24:00>

 

「来たわね……!」

 古戦場を抜けた先、太陽の砦と呼ばれる中世の遺構まで辿り着いたレイル達を待ち構えていたのはエステルとヨシュアの2人だった。

「2人とも、久し振りだな」

「うん。レイルは……消耗しているみたいだけど、大丈夫なのかい?」

「まぁ、なんとかな……それより」

 心配するヨシュアから視線を逸らしたレイルが、目の前に聳える砦を見上げる。

「ここに奴らが……」

「ちょうどそこの入口を開けたからいつでも突入出来るわよ」

 エステルが指し示す先には、深く内部へと続いている大穴があった。

「以前は閉じていた扉が……」

「っと……なら、さっさと行くとするか」

 そう言ってリムジンから降りてきたラカムへと視線が集中する。その左脚には包帯が巻かれており、血も滲んでいる様子が見て取れた。

「ラカムさん、無茶は……」

「どうってことねぇよ……頼む、止めてくれるな」

 引き留めようと肩を掴むロイドに、ラカムが真剣な眼差しを向ける。

「因縁の相手を前に、除け者はひでぇだろ?」

「それは……」

 言い淀むロイドがどうしたものかと言葉を探していると、

「随分と早い到着だったね」

 頭上からの声に一同が一斉に振り仰ぐ。

 そこには月明かりを背に宙に浮かぶフェルディナンドの姿があった。

「またてめぇか」

「さっきといい、随分と人を見下ろすのが趣味みたいだな」

 ラカムとレイルが睨み付けると、フェルディナンドが苦笑を溢す。

「これは失敬……だが、これぐらいの位置にいないとリスクが高過ぎるので」

 ご容赦願うよ、と薄い笑みを浮かべるフェルディナンドに、エミナが1歩前に踏み出して問い質す。

「あんたが出てくるということは……ここで私達の相手をするってことかしら?」

「いかにも――と言うべき場面なのかもしれないが、流石に君達全員が相手だと分が悪すぎる。だから――」

 直後、レイル達を中心に地面に幾何学的な紋様が浮かび上がり、怪しげな紫紺の輝きを放つ。

「――空間転移!? 皆さん1カ所に――」

 リューネの言葉が途中で途切れ、その姿が光に覆われてしまい、後には姿形すら残っていなかった。周囲の者も同様で次々にその姿が光の中へと呑み込まれていく。

「さぁ、何人生き残れるだろうね?」

 フェルディナンドからの言葉を最後に、レイルも光の中へと姿を消していった。




こんにちは、檜山アキラです。
ようやく零のラスダンに到着となりましたが、如何でしたでしょうか?
今後の展開的に後5~6話程で零の断章は終了予定となります。本筋となる閃のストーリーに早く戻れるように、しっかり更新していきたいと思います。

さて、閃の軌跡のアニメ情報が公開され、私めは待ち遠しい日々を送っております。ゲームでは省略された北方戦役がどのように描かれるのか楽しみでなりませんね!

黎Ⅱの発売もありますし、益々軌跡シリーズが盛り上がっていくことを願っております。


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