Re:× ゼロから止まった異世界生活 (からまわり)
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第一章 『常人≠狂人≠■■』
第1話 『始まらないなら終わりは無い』


 

 

 

瞬きを忘れてしまうほどこの世界が美しいかったという訳ではない

 

 

 

この世界が自分の常識が何一つ当てはまらない、異常な世界であったが故に、脳が意識を保つ以上の事を出来なかったのだ

 

 

 

 

 

 

 

着用した覚えの無いジャージに、買った覚えの無いコーンポタージュスナックとカップ麺

 

 

 

 

ここ数年切った覚えの無い髪に、自身のものとは思えない程にそこそこ鍛えられた体

 

 

 

 

周りには現代では見かけない馬車のような物や電柱の無い道路、そして目に飛び込んでくるのは果物屋

 

 

 

 

果実屋の赤い果物は、リンゴではなくリンガと呼ぶ。値札を思わしき板に書き記されている文字は日本語ではなく、ましてや地球上のどの言語とも合致しない

 

 

 

 

 

「おい、大丈夫か? 」

 

 

 

 

 

心配そうにこちらを見つめてくる緑色の髪をした男の名前はカドモン。確か妻と娘が居た筈だ

 

 

 

 

 

俺はそれらを知っていた

 

 

 

 

 

「は? っは、あぁあああ! 」

 

 

 

 

 

俺はカドモンの言葉に返答すらせず、奇声を上げながら街の外へとただひたすら走った。不味い、非常に不味い。もしこの記憶(知識)が正しいとすればこの後──

 

 

 

 

 

『眠れ、永久に』

 

 

 

 

 

氷のように冷たいの声が響き渡る。それから刹那もしないうちに、白が街を包み込んだ

 

 

 

 

全身から寒気が、痛みが襲ってくる。どうにか身体を動かそうとしても指一本動かない

 

 

 

「い、いやだ! 死にたくな────ぁ 」

 

 

 

 

生きようと、必死にもがいても体はまるで永久凍土の氷に包まれてしまったかのようにピクリとも動かない

 

 

 

 

凍てついた眼球が最後に捉えたのは、街を滅ぼす、白き終焉の獣の姿だった

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

黒いまどろみの中で、俺は彼女の姿を感じる

 

 

 

 

何か言葉を発しようと試みるが不可能だった。声を出すための声帯がないのだ。けれども彼女の言葉はおぼろげながらに聞こえる

 

 

 

 

『貴方じゃ無い。だけど貴方は────』

 

 

 

 

『愛してた。愛したかった。愛せなかった。愛さなかった』

 

 

 

 

寂しそうに彼女は小さく笑い、頬に残る温度が小さく口づけを認識させる

 

 

 

 

 

『生きて、死なないで、──愛してる』

 

 

 

 

薄れゆく意識の中で、一目顔を見ようと無理矢理目を開き、触れようと手を伸ばす

 

 

 

 

重く薄らと開いた目が捉えたのは、彼女は悲しそうに泪のを流す顔だった

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい、嘘だと言ってくれよ」

 

 

 

 

 

 

昼間の日差しに照らされて、忙しなく動く街の風景を横目に、俺は路地裏に逃げ込み頭を抱えてうずくまる

 

 

 

 

 

「これってアレか....」

 

 

 

 

 

いやだ。なんでだ。そんなありきたりな言葉で今を否定したい。けれども言葉で時は戻らない

 

 

 

 

 

「異世界召喚キター....だなんて、喜べねぇよ。よりにもよってRe:ゼロだなんて....」

 

 

 

 

 

Re:ゼロから始める異世界生活。ひきこもりの凡人、ナツキ・スバルがコンビニ帰りに異世界へと召喚され、死をトリガーに発動する『死に戻り』という魔女からの祝福を手に、死んで死んで死に続けて、何度も世界を繰り返し、自身の屍山を築きながら、困難をギリギリで切り抜け、幸せを手にする物語

 

 

 

 

 

 

客観的に見る分にはとても面白いモノだった。特に優れていない凡人が、足りない知恵を巡らせ、人に助力を求め共に最悪の結末を覆すために、運命に抗うストーリー。それは俺の心をおおいに踊らせた

 

 

 

 

 

 

しかし主観的に見てみるとただの地獄でしか無い。死をトリガーに発動する死に戻り? 

 

 

 

 

 

凡人は人間はそう何度も死を経験出来るような精神構造をしていない。痛み、恐怖、後悔、絶望、エトセトラエトセトラ。いとも簡単に精神を崩壊させてしまうのがオチだ

 

 

 

 

 

たとえ、なにかの奇跡が重なって死の要因を取り除いても、自身の死を引き換えに手に入るのは束の間の休息だけ、また少しすれば死は背中を追いかけるようにして着いてくる

 

 

 

 

 

 

 

何故それほど頑張れるか、その理由が、

 

 

 

 

『君を助けたい、君の力になりたい。君が好きだから』

 

 

 

 

なんて言うんだから笑いを通り越して恐怖を、狂気を感じる

 

 

 

 

 

「っつてもこの場合は憑依か? 俺ってば『ナツキ・スバル』になっちゃったよ! 死んでも頑張って君を救うよ! ってでも言えと? ハハッ、無理だね」

 

 

 

 

 

さて現実を観るとしようか、一度冷静に今の状況を確認する……間もなくどうやら最初のイベントが発生したようだ

 

 

 

 

 

「おいテメェ、よくも逃げやがったな....」

 

 

 

 

「さっきは精霊術者が居たが今は一人みたいだな」 

 

 

 

 

「逃げられると思うなよ....」

 

 

 

 

 

トン、チン、カン。ナツキ・スバルの三回目の死因となった集団だ

 

 

 

 

 

ナツキ・スバルが対峙してきた中でも最弱クラスのチンピラ達だ。逃走に徹すれば俺でもなんとか逃げ切れる

 

 

 

 

 

チンピラ達は血走った目で俺を睨み付ける。はは、今にも人を殺しそうな目だ。まぁ、死なない程度に頑張っていこうか

 

 

 

 

 



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第2話 『進みたくても巻き戻る』

 

 

 

トン、チン、カン。奴らはナツキ・スバルに対し集団で暴行、及び鋭利なナイフを用いた刺殺。あとは物盗りの犯行行っている

 

 

 

 

ここまでされて何故ナツキ・スバルは奴らに殺意を抱かないのだろうか。疑問が浮かぶ

 

 

 

 

 

 

でもわからない、わかりたくない。その答えを知りたくない

 

 

 

 

 

ちなみに、戦闘力は体格の良いガストン、痩せ細ったナイフ持ちのチン、チビのカンの並びだ。隙を作るには頭を潰すのが一番だが、何分、体格差がかなりある

 

 

 

 

 

 

「おいおい、黙ってないで何とか言ったらどうなんだ? 」

 

 

 

 

 

「仲間が居ねぇとヒビリ過ぎて声も出ねぇのかよ」

 

 

 

 

 

 

相手はナイフを、人の命を簡単に刈り取れる道具を持っている。さらに先を言えばナツキ・スバルが殺された事実を知っている(・・・・・)。警戒を解く事は決して出来ない

 

 

 

 

 

だが何故だ? 奴らとの遭遇は今回が初めての筈だ、それなのに既に会ったことがあるかのような発言をしているのか

 

 

 

 

 

「痛ぇ目に遭わねぇとわからねぇみてぇだなッ! 」

 

 

 

 

 

どうやら思考の海に漂える程、時間に余裕は無いらしい。トン、チン、カンの内の一人、正直誰が誰なのかわからないが

 

 

 

 

 

軽く思考に集中しようと意識を向けたほんの一瞬の間に、ヒョロガリの男が俺を押し倒し、駆けつけた二人と三人揃って何度も何度も踏みつける

 

 

 

 

 

その貧弱そうな肉体には、思いの外力がついていたらしい。まぁ、こんなことを毎日やっていたら嫌でも力は付くか

 

 

 

 

まぁ、こいつらの目的は俺の待つ貴重な異世界の品々であろう。気が済むまで殴られていれば、なんとか命乞いをするくらいは出来るかもしれない、逃げる隙だって今は無理だが、耐えていればきっと、チャンスはある筈だ

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

どれほどの時間が経過しただろうか。日は既に傾いていたが、暴力の時間は終わりを迎えることはなかった

 

 

 

 

 

何度も何度も何度も何度も何度も、繰り返し踏み続ける

 

 

 

 

 

骨が折れる音がした。皮膚が切れる感覚がした。体内から赤い液体が流れ出していた

 

 

 

 

きっとこれは、コイツらが飽きるか、俺かコイツらのどちらか死ぬ事でしか終わらないのだろう

 

 

 

 

怖い怖い怖い。死にたくない。何で死にたくない? 次があるなら、もし俺にもナツキ・スバルと同じように『死に戻り』があるのならば、これは本当の意味での死では無い。なのに何故恐怖している?

 

 

 

 

わからない、わからないけれども怖い。人は未知を恐れるものだ

 

 

 

 

元に戻すから腕を切断させてくれ。なんて言われて、笑ってOK出来る訳が無いのと同じだろう。いや、それは話が違うか

 

 

 

 

 

そもそも皮はナツキ・スバルでも中身はナツキ・スバルじゃ無い。『死に戻り』が発動しないかもしれない。クソ、どうすれば良い? このままでは本当に死んでしまう

 

 

 

 

 

襲いかかる死に怯え、頭を抱えて地面に蹲っているが、不思議な事に痛みは徐々に消え失せてゆく。それどころか生傷は付いたそばから消え去り、折れた骨は既に正常な姿を取り戻していた。それになんだか頭もスッキリする

 

 

 

 

 

暴行を受け破れたジャージ服や、画面のひび割れたガラケーすらも、肉体だけで無く所持品までもが元に戻っていた

 

 

 

 

 

ナツキ・スバルに驚異的な再生能力は無かった筈だ。あるのは魔女の祝福『死に戻り』だけの筈。それに何故服や所持品まで元に戻っているのか

 

 

 

 

 

 

 

まぁいい、とりあえず1発殴らせろ

 

 

 

 

 

 

 

俺は素早く立ち上がると巨体の男と低身長の男に殴りかかる。ぐにゃりと生々しい感触が拳を伝って脳は気持ち悪いと言う感覚を発信する

 

 

 

 

 

低身長の男はその一撃で倒れたが、巨体の男にカウンターを入れられて俺は勢い良く後方に吹き飛ばされる

 

 

 

 

 

「テメェ....もう許さねぇ、楽に死ねると思うなよ! 」

 

 

 

 

 

ヒョロガリの男は懐からキラリと輝く銀のナニカを取り出し、俺の腹部に突き立てる

 

 

 

 

 

腹部には鈍い輝きを放つナイフが突き刺され、傷口からはドクドクと赤い血液が滴っている

 

 

 

 

血液はナイフを伝って足元に血溜まりを作っている。チンピラ達はそれに触れるのが嫌だったのか、一時的に俺から距離を取っていた

 

 

 

 

 

「お、おい、刺しちまったのかよ....ヤベぇよ! 衛兵が来ちまう! 」

 

 

 

 

 

「お、お前がワリぃんだよ! お前が大人しく出すモン出せば....」

 

 

 

 

 

 

腹部に損傷を与えたナイフはどうやら切れ味はあまり良く無い粗悪品らしく、突き刺す、と言うよりは押し潰しながら俺の肉を浅く切断していた

 

 

 

 

 

しかし全く痛みを感じない。アドレナリンか? いや、これ程の出血量であるならば循環血液量の大幅な減少が起きているはず。それなのに何故俺は意識を保てている?

 

 

 

 

 

懐かしいような、何処か心地の良い違和感が脳を埋め尽くす

 

 

 

 

 

「....なんでだよ....」

 

 

 

 

「あぁ? なんだよ。物言うときはハッキリ言いやがれ」

 

 

 

 

 

俺にナイフを刺してきたヒョロガリの男が俯きながら掠れた声を出す。俺は腹に突き刺さっていたナイフを引き抜き手元で弄びながら、ヒョロガリの男を見つめ聞き返す

 

 

 

 

 

「おかしいだろッ! なんで....そんだけ血ィ出してんのに立ってられんだよ! 普通死ぬ筈だろうが! 」

 

 

 

 

なんだ、そんな事か。確かに異常であると認識しているが、俺にも理由は分からない

 

 

 

 

しかし痛みが消失して致命傷ですらすぐに癒えていく不思議な力があるのなら、それはとても素晴らしい事だ。有効活用しなくては損だろう

 

 

 

 

 

「ば、化け物が....クソッ! 逃げるぞ! 」

 

 

 

 

「逃がすと思うか? 」

 

 

 

 

 

巨体の男が地面に倒れている低身長の男を抱きかかえ、トン、チン、カンは、その場から逃げだした

 

 

 

 

 

が、ヒョロガリの男は絶対に逃がさない。俺は背中を晒し逃亡を図るヒョロガリの男目掛けて先ほど俺を突き刺したナイフを投擲し、ナイフは的外れな方向へと飛んでいく。それでも相手の恐怖を煽るには充分だった

 

 

 

 

俺はすぐさまヒョロガリの男に近寄り、強引に髪を掴み、顔面にストレートパンチを叩き込む

 

 

 

 

 

ヒョロガリの男は血を吐きながら地面に叩き付けられる。この状態なら反撃の心配はしなくていいだろう、このままなぶり殺してやる

 

 

 

 

 

「まずはその気に入らない顔から変形させようか。次に四肢を削いで、死んだら魔獣の餌にでもしてやるよ。これがSDGsってやつだ。死ぬ前に学びを得られて良かったなチンピラ」

 

 

 

 

 

非常に気分が良い。いまならなんだって出来てしまいそうなくらいに、全能感に満ち溢れている

 

 

 

 

 

しかし相手は負傷者を含め三人居た。そのことを失念していた俺は巨漢の接近に気付けず、そのままタックルを受けてしまった

 

 

 

 

強い衝撃を受けた俺は後方に吹き飛ばされ、運の悪いことに積み上げられていた木箱と接触、崩れてきた木箱の下敷きになる

 

 

 

 

 

 

暗くて前がよく見えない。それに木箱が重くて体が思うように動かない

 

 

 

 

 

 

「おい! 大丈夫かよ! 今のうちに早く逃げよう! 」

 

 

 

 

「チッ、大丈夫だ....早く逃げるぞ! 」

 

 

 

 

 

 

逃げる? 逃げるのか? 俺を散々殴る蹴るしてナイフまで刺してきたのに? 俺を殺そうとしたのに? 巫山戯るな。ぶっ殺してやる

 

 

 

 

 

 

俺は体を動かそうとするが、やはり木箱が重くてじわりじわりとしか動けない

 

 

 

 

 

 

「待ちやがれ! クソが! 逃げんじゃねぇよ! 」

 

 

 

 

 

 

口は動いても体は動かない。俺が木箱の崩れ山から抜け出した頃にはトン、チン、カンは既にその場から消えていた

 

 

 

 

 

 

苛立ちながら、ふと上を見てみると、建物の間から青と赤

の混じった美しい空が見えた。もう夕方のようだ

 

 

 

 

 

 

もうじき火の大精霊、パックが街を永久凍土へと変化させる。原因は銀髪のハーフエルフ、エミリアの死、契約とやらに基づいた行動らしい

 

 

 

 

 

 

血の気が引いてきた。いくら俺に強い再生能力が備わっていたとしても治ったそばから凍らされたら流石に詰みだろう。仮に死ななかったとしても凍らされてしまえば身動きの取りようがない

 

 

 

 

 

俺は落ち着き、もう一度、改めて状況の確認を行う

 

 

 

 

 

第一章の話の内容は大雑把にすると、貧民街の少女、フェルトに奪われた徽章を盗品蔵で取り戻すため取引を行う。しかし交渉決裂、腸狩り、エルザ・グランヒルテとの戦闘が発生、これによるエミリアの死亡を防ぐ事が目的だった気がする

 

 

 

 

 

勝利条件は自身の生存、徽章の回収、エミリアの死亡の回避、と言った所か

 

 

 

 

 

 

「とりあえず盗品蔵に急ぐか....」

 

 

 

 

 

 

俺が歩みを始め、路地裏から大通りへと抜け出した。その時だった

 

 

 

 

 

王都ルグニカの街にはこの世の、あの世の闇ですらも、何もかもを黒く混ぜ合わせたような、不吉な、恐怖を感じる暗い影が、街を飲み込んでいた

 

 

 

 

 

二千(嫉妬の魔女)の影は濁流のように街を平らげ世界を無に返してゆく

 

 

 

 

 

逃げようという気持ちにはなれなかった。恐怖も感じない。アレはそういった類いのものではない。恐怖を感じる対象なんかではない

 

 

 

 

 

むしろ逆だ。あの影は美しかった。王都を飲み込み、そこに住まう大勢の人々を害したのだとしても、あの影の美しさは霞まない。その程度で、高々数万人の命で霞む訳がない

 

 

 

 

愛しき影が眼前に迫る。俺は影と一つになれる幸福を噛み締めながら、押し寄せる影に身を投げた

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 

『愛してた』

 

 

 

 

声が聞こえた。一人の強くてか弱い少女の声が、俺の心に直接響いてくる

 

 

 

 

 

『生きて』

 

 

 

それは願いだったのかもしれない。だか強すぎる願いは歪み、力を持ってしまった

 

 

 

 

 

 

『愛してた』

 

 

 

少女は既に菜月昴に干渉出来なくなってしまった。菜月昴が消えて、ナツキ・スバルが生まれるのは定められていた事実であるからだ

 

 

 

 

 

 

『生きて』

 

 

 

 

それでも少女は願ってしまった。どちらも救いたいと、願ってしまった。どちらかを選べと言われ、両方を選ぶ事。それはきっと、傲慢で、強欲な事なのだろう

 

 

 

 

 

 

故に少女の想いは、死を否定する呪いへと変質してしまう

 

 

 

 

 

さぁ、世界は巻き戻る。いくつかの異物を残して、ナツキ・スバルを生かすため、何度も何度も巻き戻る

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

一時辺りが暗闇に包まれたかと思うと、数回瞬きをした一瞬の間に、影はどこかへと消え去っていた

 

 

 

 

「....は? 」

 

 

 

 

これが『死に戻り』か。そう、頭の中で今の現象を定義しようとしたが出来なかった。今起きた現象が『死に戻り』では無いと、直接理解させられたからだ

 

 

 

 

 

目に映る光景はリンゴによく似た果実、リンガを勧めてくる強面の男、カドモンの店では無く衛兵の詰め所。衛兵の一人が不審そうな顔で俺の事を見つめている

 

 

 

 

 

今にもこちらに声をかけてきそうだ。マズい、職質なんてされたら困る

 

 

 

 

 

俺は疑問を残しながら、逃げるように急いでその場を立ち去った

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 『何度も何度も繰り返す』

 

 

 

全力で走って衛兵の詰め所から離れた俺は、息を切らしながら、いつの間にか貧民街へとたどり着いた。日はまだ落ちていない

 

 

 

 

 

辺りには薄汚れた汚らしいボロボロの建物がぽつぽつと建ち並び、所々破れ、変色している古着に身を包んだ住人と思わしき人物達の目は、どこか、諦めているかのような、明日はどう生きれば良いのかと、途方に暮れた目をしていた

 

 

 

 

 

「なぁ、盗品蔵ってどっちだ? 」

 

 

 

 

 

 

俺は記憶との差異を確認するため、小汚い服に身を包んだ男に声をかける。男はこちらを少し見つめた後、俺が何か物を盗まれたと勘違いしたのか笑顔で盗品蔵の場所を教えてくれた

 

 

 

 

 

「じゃあな! 強く生きろよ! 」

 

 

 

 

 

 

強く生きろという言葉は貧民街に住まうもの達にとってのスローガンかなにかなのだろうか

 

 

 

 

 

だとしたらこの言葉をスローガンしようと考えた奴は性格が悪い。強く生きる事が出来る人間なんて、ほんの一握りだというのにそれを皆に強要するのだから

 

 

 

 

 

そいつはきっと生き方を変えられない人間を馬鹿にして生きているのだろう

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

 

舗装されていない悪路を歩んでいると、盗品蔵(目的地)にたどり着いた。辺りの建物に比べて頑丈そうだが....これを剣による一撃で全壊させる奴が居ると言うのだから笑えない

 

 

 

 

 

扉の前に立ち、トントントンと軽い調子でノックする。確か合い言葉は....

 

 

 

 

 

「大ネズミに」

 

 

 

 

 

「万能薬だと思って販売していた薬品が“毒”だった件について」

 

 

 

 

 

「....スケルトンに」

 

 

 

 

 

「おう! 寒そうにしてたから”落とし穴“に落としといたぜ! 」

 

 

 

 

 

「........我らが尊きドラゴン様に」

 

 

 

 

 

「なんやかんやでドラゴンって“クソッタレ”なボケ老龍(ボルカニカ)しか記憶に強く残ってないわ」

 

 

 

 

 

 

 

ふざけながら答えると百戦錬磨の巨人族、クロムウェル。通称ロム爺が扉をドンと強く開き怒ってきた

 

 

 

 

 

軽く茶化しながら俺は勝手に盗品蔵の中に押し入り、カウンターの適当な席に座り、飲み物を要求。ミルクが出てきたが、味が薄い。ケチんな爺

 

 

 

 

 

「お前さん、本当厚かましいな! ....それで何が望みだ? 」

 

 

 

 

 

クロムウェルは薄めたミルクを俺に手渡すと、表情をキリッと引き締め、何を欲しているのかと聞いてくる

 

 

 

 

 

「望み? ……あぁ、そうだ、徽章。今日ここに持ち込まれる予定の徽章が欲しい。俺に譲ってくれないか? 勿論タダで譲ってほしいって訳じゃあないそれなりのお礼はするつもりだ」

 

 

 

 

 

一種何を言っているのかわからないといった様子を見せた後、顔をビシッと引き締めて、渋い声で重く言葉を発する

 

 

 

 

 

「....対価は? 金はあるのか? 」

 

 

 

 

 

「それがこの国に来たばかりで余裕が無くてね。出世払いでどうだ? 」

 

 

 

 

 

魔法器、ミーティア、ガラケー、コンポタスナックにカップ麺。ジャージ服やこのビニール袋だっておそらくこの世界には存在しないオーバーテクノロジーによる産物だ。貴重品で高値で売れはするだろう

 

 

 

 

 

しかし破れても何故か自動で元に戻る服や、グチャグチャに中身がぶちまけられても元に戻る食料はこの世界でも簡単に入手できる物では無いはずだ

 

 

 

 

 

それをこんな所で消費するだなんてとんでもない

 

 

 

 

 

「ふざけとるのか!? 帰れ! 」

 

 

 

 

 

怒られた。しかし徽章が入手出来なければ銀髪のハーフエルフに恩を売ることが出来ない。うーむ、どうしようか

 

 

 

 

いっそのこと殺してしまおうか。しかし相手は巨人族、そこらのチンピラ達とは格が違う。ナイフを突き立てようものなら一瞬で挽肉にされてしまう

 

 

 

 

 

心なしかクロムウェルの視線が鋭くなってきた気がする。いつまで居座るつもりなのかとでも言いたげな表情だ

 

 

 

 

 

このまま居座ったらクロムウェルに棍棒で殴られる気がしたので、俺はとりあえずその場から離れ、辺りをうろうろと歩き回る。しかしする事が無い

 

 

 

 

 

「このままじゃ食い扶持が無いまま貧民街の住民になっちまう……どうしたもんかね」

 

 

 

 

 

助けを求めようにも誰も接点が無い。異世界から召喚された人間に、そんなものがある訳がない

 

 

 

 

 

やはり徽章を回収して銀髪のハーフエルフに手渡せば....俺が干渉しなくても盗品蔵に辿り着く事は確定している訳だし。俺は徽章を回収するだけで銀髪のハーフエルフを探す必要は無い

 

 

 

 

 

 

やはり盗品蔵に戻って徽章の買い取り交渉を........

 

 

 

 

 

 

「よし、まずは....」

 

 

 

 

 

 

しまった。適当に歩きながら考えていたので人にぶつかってしまったらしい

 

 

 

 

 

「あ、すんません....」

 

 

 

 

 

 

接触してしまったのは黒衣を纏う、やたら露出の多い黒髪の女性

 

 

 

 

 

 

スリムなボディラインに豊かな胸。しかし顔を見てしまったからには全く欲情出来ない

 

 

 

 

 

 

「あら、私も注意を疎かにしていたみたいだから、ごめんなさいね? 」

 

 

 

 

 

 

腸大好き系アブナイお姉さんことエルザ・グランヒルテ。こいつは危険だ

 

 

 

 

 

 

原作ではガーフィールに吸血鬼と呼ばれていた。が、実際はグステコ王国特有の呪術、対象を殺すまで死なない、呪い人形というモノにもたらされた不完全な不死性を持つ人間

 

 

 

 

 

 

エルザの生命力は途轍もない。腕が斬られた所でまた生えてくる。限界があるとは言え、卓越した戦闘技術と高出力の再生能力が組み合わさった化け物など相手にしたくない

 

 

 

 

 

「お、お姉さん美人さんだなぁ、怪我も無いようだし、俺はここで失礼するぜ! 」

 

 

 

 

 

 

そう、言葉を吐き捨てると、エルザに言葉を発する隙すら与えずに、俺はその場を走り去った

 

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

 

 

 

 

息を切らして王都まで戻ると、俺は適当な路地裏に入り込み、コーンポタージュスナックを開封し、よく噛まずに飲み込むようにして食べ尽くす。ゴミは地面に投げ捨てる

 

 

 

 

 

 

するとどうだろうか。袋の中を見てみると

 

 

 

 

 

 

手元には未開封の(・・・・・・・・)コーンポタージュスナックが存在した(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

ゴミは地面に捨てたままだし、巻き戻っているという様子では無い。まるで、ここにコーンポタージュスナックがここに存在するのだと強制されているかのように、コーンポタージュスナックはそこに存在した

 

 

 

 

 

 

どういう原理かは理解できないが、最低限、無くならない食料を入手出来たのは喜ばしい事だ。栄養が偏ってしまう為、こればかり食べる訳にはいかないが

 

 

 

 

 

 

 

それから無心でコーンポタージュスナックを貪っていると、コンビニの袋が風に吹かれて何処かに飛ばされてしまった

 

 

 

 

 

 

しかし、すぐに、コーンポタージュスナックと同じように手元にはコンビニの袋が戻ってきた。本当どんな仕組みなんだこれ

 

 

 

 

 

 

 

結構本気で何故かと気になり始めた頃。ソレは訪れた

 

 

 

 

 

 

 

黒い影が、世界を包み込む。まどろみのような黒い濁流が、街を押し流す

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、また会えた。また出会えた」

 

 

 

 

 

 

愛しき影の姿は何度目にしてもとても美しくて、慈愛に満ちた愛そのものの形のように思えた

 

 

 

 

 

 

 

しかし何故影はこうも頻繁に会いに来てくれるのだろうか。あの彼女も俺の事を好きでいてくれているのだろうか? そうだったらとても嬉しいが、その可能性は限りなく零に近いだろう

 

 

 

 

 

 

 

では何故?

 

 

 

 

 

 

 

俺は【死に戻り】について誰にも話していない。それなのに世界は影に飲まれていく

 

 

 

 

 

 

何故──そして2回目の世界は幕を閉じた

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

世界が影に飲まれると、世界は時を巻き戻す。これは影が高度な陰魔法を使用していると考えられる。しかし何故、影が世界を巻き戻すのか

 

 

 

 

 

 

影は俺を愛してくれているのではないのか? 俺は生きている。ならば世界を巻き戻す必要はない筈だ

 

 

 

 

 

 

 

何故、何故、何故こうも腹立たしい気持ちになる

 

 

 

 

 

 

 

 

訳がわからなくて、苛立ちが募り、近くの壁を思い切り殴る。拳は皮膚が破れ、血が流れ出してきたがそれも束の間。傷は瞬く間に消え去る

 

 

 

 

 

 

 

「訳がわからない事だらけだ....とにかく、エミリアを探してみるか」

 

 

 

 

 

 

 

原作に定められた物語を辿れば、この場面から抜け出せるかも知れない。そう、淡く脆い希望を抱き、俺は路地裏から出て大通りの道を歩く

 

 

 

 

 

 

 

大通りの道には二人の人物を中心に、なにやら人だかりが出来ていた

 

 

 

 

 

 

 

「....もしかしてエミリアか? 」

 

 

 

 

 

 

 

人の波をかき分けて、一歩、一歩と中心に近づく。しかしある程度の距離、目を凝らしてなんとか見えるくらいの距離までしか近付けなかった。しかし、それでも見えない訳では無い

 

 

 

 

 

 

 

確かに見えてしまったのだ

 

 

 

 

 

 

 

「ま、待ってくれ! サテラ!」

 

 

 

 

 

 

 

「あなた、誰だか知らないけど....どうして私を嫉妬の魔女の名で呼ぶの!? 」

 

 

 

 

 

 

 

「あ、いや、だって君がそう呼べって....」

 

 

 

 

 

 

 

白いローブを羽織った、銀髪のハーフエルフ。エミリアに声を掛ける、黒髪黒目、ジャージ姿の『ナツキ・スバル』(原作主人公)の姿を

 

 

 

 

 

 

 

「は? 」

 

 

 

 

 

 

 

口から溢れた言葉は、意味を成していなかった。頭の中が混乱で満ち満ちてゆく

 

 

 

 

 

 

 

 

自分と全く同じ顔、服装、荷物。何もかもが自分と同一な人物が目の先に居た

 

 

 

 

 

 

 

「嘘だ……そん……ありえない…俺は、俺が....」

 

 

 

 

 

 

 

『ナツキ・スバル』(えいゆう)のはずだろう? そう言葉を続けようとしたが、はっと思い直す

 

 

 

 

 

 

 

何を馬鹿な事を。たまたま(・・・・)俺が『ナツキ・スバル』(原作主人公)憑依しただけの事、本物があちらで、俺はただの贋作であっただけの事

 

 

 

 

 

 

 

 

あの影が、彼女が愛していたのは俺ではなくて、あいつだった。ただそれだけの事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにも気にする必要はない。重圧から解放されたと思えば良いんだ。すべてあいつに任せておけば良い

 

 

 

 

 

 

そう、現実逃避をしようとその場を離れ、金も無いのに様々な店の建ち並ぶエリアをふらふらと歩き回った

 

 

 

 

 

 

ふと、もしかしたら服装や手荷物が同じだけで顔は全くの別人なのではないかと思い、店の店外ガラスに反射した自分の顔を見る

 

 

 

 

 

 

 

「....やっぱりそうだよな」

 

 

 

 

 

 

 

俺の顔は紛うこと無き、正真正銘『菜月昴』(ナツキ・スバル)のモノだった

 

 

 

 

 

 

 

もう何もかもがわからない

 

 

 

 

 

 

 

いきなりラノベの主人公に憑依させらて、でもそれは勘違いで。訳もわからず何度も何度も巻き戻されて。自分がもう一人居て、俺は俺じゃ無いかもしれなくて

 

 

 

 

 

 

あぁ────もう、訳わかんねぇよ

 

 

 

 

 

 

俺は精神的疲労が溜まっていたのか、道の中心でバタリと倒れでしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい、そんな所で寝そべられると、迷惑だ」

 

 

 

 

 

 

ちょうど果実店の店前だったらしい。リンガ売りのカドモンに声を掛けられた。確かに店前で人が倒れていたら客がえ店を避けるかもしれない

 

 

 

 

 

 

ストレートに物事を言うカドモンのそゆとこ、嫌いじゃ無いぜ

 

 

 

 

 

 

「ちょっとこっち来い」

 

 

 

 

 

カドモンに腕を捕まれて、俺は店裏まで引きずられるようにして連れられる。ったく、服が汚れるっての

 

 

 

 

 

 

カドモンは俺に木箱の上に座らせ、少し待つように伝えると、一度店に戻り、コップ一杯の水とリンガを一つを手に、店裏に戻ってきた

 

 

 

 

 

 

「金は要らねぇ。ほら、とりあえずリンガと水」

 

 

 

 

 

 

俺は無言で水とリンガを受け取り、リンガを一口齧る。あまり甘くないと思ってしまうのは、現代社会で味付けの濃いものばかり食べて馬鹿舌になってしまっているのだろう

 

 

 

 

 

 

水を少し飲み込む。水は冷たくて、喉の渇きを潤した。しかしジュースという飲み物を飲み慣れているからなのか、物足りなさが心を締め付ける

 

 

 

 

 

 

思えば俺は、これまで、様々なモノを無駄に浪費し、捨ててきた

 

 

 

 

 

美味しくないから、食べたくないから、機嫌が悪いから

 

 

 

 

 

 

そんな理由で食べ物を捨ててきた。明日の、今日の食べ物だって危うい人達が居るにも関わらず、そんな事を、平気で行ってきた

 

 

 

 

 

 

俺みたいなのが、優しい施しを受けるのは、間違ってる事なのかもしれない

 

 

 

 

 

 

現に俺は今、せっかく貰ったリンガをあまり美味しくないと思っている。けれども

 

 

 

 

 

 

けれども、このリンガは、このリンガの味は、人間の情の味がした

 

 

 

 

 

涙が出てきそうなほど、優しい味が、した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんて、まともに人生を生きてきたのなら、そんなことが思えたのだろうか

 

 

 

 

 

 

全てが上っ面だけの、嘘っぱち。貰った水はキンキンに冷えた黒い炭酸飲料水より味気無かったし、リンガには確かにほんのりと甘みを感じたが、それは到底キャンディやチョコレート等の甘さには到底敵わない素朴な味だ

 

 

 

 

 

それでも普通は感謝をする物だと知っているから。少しばかりこころを入れ替えるフリをせざるを得ない

 

 

 

 

 

 

ああ、全く、善性の人間の相手をするのは非常に面倒くさく、気分が悪くなる

 

 

 

 

 

 

 

リンガを強引に口に押し込み、水と共に胃の中に無理やら流し込むとコップを返しにカドモンの元に向かおうと立ち上がった

 

 

 

 

 

 

俺はふと、曲がり角から俺を見つめる二つの目に気付く。あぁ、この子はカドモンの娘さんか。こいつを誘拐すればカドモンはどんな風に鳴いてくれるのだろうか。実行はしないが想像するだけで幾分か気分が良くなってきた

 

 

 

 

 

 

 

「おいで、お嬢ちゃんに良いモノを見せてあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

聞くものが聞けば一発で牢獄へ一直線ルートな言葉を放ちながら、俺は手招きをしてカドモンの娘を呼ぶ。カドモンの娘はスタスタと簡単に近付いてくる。この娘、俺が誘拐しなくても近い内に誘拐されそうで怖いわ

 

 

 

 

 

「さてさてさーて! ここに取り出したるは1枚のギザ十に御座います....あとは、えーっと、何だっけな」

 

 

 

 

 

 

ナツキ・スバルはどうしていただろうか。嫌に鮮明な記憶をたよりに、ナツキ・スバルの模倣を行う

 

 

 

 

 

 

「さてさて、このギザ10を右手で強く握ります。そんで....お手を拝借、はい、いぃーち! にぃー! さぁーん!  右手を開いてみるとギザ10が....おやおや? ギザ10が消えてしまった。一体全体何処に消えてしまったんだー! っと、おや? ギザ10はどうやらお嬢ちゃんのポケットに入ってましたとさ」

 

 

 

 

 

 

リスペクトも何もない。大嫌いなナツキ・スバルの模倣。こんなことしなきゃ良かったと少し後悔しつつも、カドモンの娘はきゃっきゃきゃっきゃと喜んでいるのだから。それで、良いのだとも思う

 

 

 

それから俺は、カドモンの娘と日が暮れるまで遊び尽くした。久し振りな新鮮さを感じながら、脳が冷めてゆく

 

 

 

 

 

 

別れが来てしまう事さえも理解出来てしまうくらいに、落ち着いて物事を考えられてしまう。だからだろうか

 

 

 

 

 

 

「なぁ、俺の事を、忘れないで、また明日も俺と遊んでくれないか? 」

 

 

 

 

 

 

こんな問いかけをしてしまったのは

 

 

 

 

 

 

この娘に、来るべき明日が来ないと知っていながら、こんな言葉を投げかけてしまったのは

 

 

 

 

 

 

カドモンの娘は答えた。勿論。絶対に忘れないと、また明日も一緒に遊ぼうと

 

 

 

 

 

 

手を振りながら、カドモンの娘は家族の待つ家に帰って行く

 

 

 

 

 

 

小さかった影がさらに小さくなって、視界から消え失せた

 

 

 

 

 

 

今回は、もしかしたら影が来ないんじゃないか、なんて希望的な考えを自分自身に言い聞かせながら。俺は王都を当てもなく歩き回る。そして、時は来た

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二千の影が世界を優しく溶かしてゆく。愛するナツキ・スバルの為に、愛を伝える為に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界は終わった

 

 

 

 

 

 

 

 

「…あー……やっぱりか」

 

 

 

 

 

 

予想通りの結末だ

 

 

 

 

 

夜は来なかった。約束の明日は、来なかった

 

 

 

 

望んだ未来は訪れなかった

 

 

 

 

 

 

結局世界は巻き戻る。原因なんてくだらない物だ。嫉妬の魔女に愛された、ちっぽけな一人の人間が死亡する事によって、予め記録されたセーブポイントに回帰する

 

 

 

 

 

 

愛、記憶、経験。なにもかもを巻き戻し、スタートラインからのリスタートを始める

 

 

 

 

 

 

『ナツキ・スバル』だけが、ただ一人記憶を引き継いで

 

 

 

 

 

 

それをわかっていたのに、理解していたのに、俺はどうしようも無く期待してしまった

 

 

 

 

 

 

毎度の事、息を切ら切らしてリンガ売りのカドモンの店まで走り、カドモンに気付かれぬよう、注意しながら住居に押し入る。カドモンの娘は一人で絵を書いて遊んでいる様子だった

 

 

 

 

 

 

「な、なぁ。俺の事、覚えてる....よな? 約束したもんなぁ? なぁ!? 答えてくれよ! 」

 

 

 

 

 

 

カドモンの娘は怯えた様子でこちらを見ていたが、俺が言葉を絞り出すと泣き出してしまった

 

 

 

 

 

 

そりゃ、そうだ

 

 

 

 

 

 

見知らぬ男が家に押し入り、狂言を叫び散らかしているのだから

 

 

 

 

 

 

「あぁ、そうか」

 

 

 

 

 

 

俺はカドモンの家から逃げるようにして、王都の人混みに紛れ込む。何人か心配して声をかけてくる人達も居たのだが、一目俺の顔を見ると、気まずそうな顔をしたり、気味の悪そうな顔をしたりして俺から離れていった

 

 

 

 

 

 

きっと俺は、醜いくらいに酷い顔をしているのだろう。

悲しい。辛い。苦しい。死にたい。生きていたく無い

 

 

 

 

 

 

「知ってたさ、無理だって」

 

 

 

 

 

 

誰に語る訳でも無く、一人、ポツリポツリと、言の滴を溢す

 

 

 

 

 

 

本当はわかっていたんだ。魔女の呪いからは逃れられる筈が無いと、知っていた。知っていながら、期待してしまった

 

 

 

 

 

 

「でもさぁ....ちょっとは信じちゃったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

もしかしたらを望んでしまった。起こり得る筈のない奇跡を願ってしまった

 

 

 

 

 

 

そのツケが回ってきただけだろう? なぁ?『菜月昴』?

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、永遠に眠りたい気分だ」

 

 

 

 

 

 

 

俺は近くの川に身を投げた。何もしたくなかったから、無気力にただ死にたいと、漠然とした感情のままに、自殺しようとした。しかし、死ねない。川の流れに沿って流されてゆくだけだ

 

 

 

 

 

 

なぁ、可笑しいだろう? 

 

 

 

 

 

 

何故死ねない? 俺は死にたいんだよ、もう何もしたくないんだ

 

 

 

 

 

 

俺が居なくても世界は回るんだよ

 

 

 

何度か巻き戻るとしても、どうせ幸せな結末(ハッピーエンド)で終わるんだろ? 

 

 

 

じゃあ、別に良いじゃないか

 

 

 

 

 

世界が必要としてるのは『菜月昴』()じゃなくて『ナツキ・スバル』(原作主人公)なんだ

 

 

 

 

 

 

 

何が『ナツキ・スバル』(原作主人公)に憑依した、だよ。自惚れてんじゃねぇぞ。クソが

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、畜生。頼むからさぁ

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、死なせてくれよ(誰か俺を助けてくれよ)

 

 

 

 

 



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第4話 『福音書に導かれて』 以下未改行

死んでしまいたい。救いがないのなら、救われないのならもうその方が楽でないか。

 

具体性を持たない考えを持ちながら、俺は川に流されていた。

 

 

 

かれこれ丸一日は流されるままになっていた気がする。お腹がすいた気がしたら、コーンポタージュスナックを食べて空腹を満たしつつ、流れに身を任せる。

 

 

 

どうやらこのコーンポタージュスナック、落としたり、飛ばしたり、食べ尽くしたり、捨てたりしても、意識すると完全な状態で戻ってくるらしく、今の俺の手荷物はゼロである。

 

 

 

ガラケーもカップ麺も同様に完全な状態で戻ってくるので、食事の心配もいらない。マジで何なんだコレ。呪いの装備なのかもしれない。

 

 

 

 

 

そう、心配は無いのだ。無いのだが問題が一つ。

 

 

 

 

 

いつまで経っても死ねない、という事だ。つーかこれだけ長い時間川で流されてるんだから低体温症仕事しろ。そして謎の再生能力は休暇を取れ。この社畜が、働き過ぎは良くねぇぞ。

 

 

 

試しに水中に顔を突っ込んで息が吸えない状況を作り出してみても、少し違和感を感じるだけで苦しさはちっとも感じない。

 

 

 

便利に感じたこの再生能力も、今の状況では邪魔でしかない。

 

 

 

あぁ、気が狂いそうだ。

 

 

 

なんて言ってみても、狂うなんて状態を知らないので、もし狂っていたとしても判断がつかないのだろう。もうこのまま眠ってしまおうかと、そう、思考を放棄した思いを巡らせながら、俺は短い眠りに就いた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

暗く歪んだ記憶の狭間。俺は影を身に纏う銀髪の魔女と対峙していた。魔女は身動ぎ一つせず、無を感じさせる単一のトーンで愛を嘆く。

 

 

「愛してる」

 

 

そうか、俺はお前を愛していないがな。

 

 

「愛していない? 」

 

 

 

そうだ、俺はお前の事を知らない。顔も名前も、趣味も声も、髪や瞳の色も。何も知らない奴を愛せるか? 否だ。それをどうして愛せようものか。愛せる訳が無い。

 

 

 

「....愛してくれた」

 

 

 

ハハッ、妄想乙。それはお前の勘違いだ。俺はお前の事を愛してない。一人寂しく永久的に妄想でもやってろよ。

 

 

 

「愛してる」

 

 

 

それしか言えないのかよ。一周回って哀れだなぁおい! 

 

 

 

「だから貴方も」「私を愛して」

 

 

 

嫌だね。絶対に嫌だ。俺はお前を愛さない。

残念だったな! あっはっは! ざまぁみろ! 

 

 

「....貴方じゃ無い? 」

 

 

コクリと不思議そうに首を傾げると、突如として、まるで脳が震えているかのような強い振動が頭にかかる。徐々に五感が消え失せて行く。

 

 

 

さぁ、夢から(もど)る時間だ。

 

とっとと現実を直視しろよ、(クソ野郎)

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

目が覚めると、俺は水中に沈んでいた。しかし苦しくない。窒息もやはり出来ないらしい。長時間ならと少し期待したのだかやはり無理だった。

 

 

 

とりあえず水上に浮上し、辺りの様子を確認してみよう。そう考え俺は浮上しようとした。しかし足が水底の岩岩の隙間に挟まっているようで、浮上出来ない。

 

 

 

もどかしさを感じながらも、俺は足を引っこ抜こうと岩と格闘し、体感で20分程の時間を要し、水上へと浮上する。

 

 

 

「何処だここ...? 」

 

 

 

寝て、目が覚めると、そこは忌々しいほどに自然豊かな森でした。

 

おい、ちょっと待て。マジで何処だ。ひとまず俺は、陸に上がる為に、軽く平泳ぎをして、足が着くくらいの浅瀬まで泳ぎ、地上に上がり、陸の土を踏みつける。

 

 

 

辺りは何処を見ても木、木、木。たまに岩? いや、崖か? とにかく家とかの人工的な建物が全く見当たらない。完全に迷子だ。別に問題は無いが。

 

 

 

「ありゃ? 少し寝ただけなのに、何でこんな所に? 」

 

 

 

まぁ、起きてしまったモノは仕方ない無い。意味が無い。

考えるべきはこれから如何するか、である。

 

 

 

しかし困った事に何もやる気が起きない。無気力状態とでも言うのだろうか、心が煙草の煙のように定まらず、ふわっ! と増した感情は、9.2秒後には消え失せる。

 

 

 

もうこのまま、もう一度眠ってしまおうかと考えるのを、考えるフリを辞めてしまおうとしていたら、上から風を切る音がした。

 

 

頭上を見ると、そこには高い高度から黒い本が視界の中で徐々に大きくなっていくのが見える。

 

 

避けようとは思わなかった。どうせ俺を害せる物など何も無いと自身の悲劇に酔っていたからだ。混濁した認識は曖昧な自信を生成して頬を吊り上げ張り付いた笑みで高速落下してくる本を確実に認識する。

 

 

 

あぁ、あの本が都合の良いチート武器で、俺の頭にブチ当たったら頭蓋骨の後頭部が陥没して呆気なく死亡。そんな結末が待ってたりしないかなぁ、と無意味なシミュレートを重ねる。

 

 

 

本はコツンと小さな音を鳴らして、上を見上げていた俺の顔面に激突する。勢いのまま、俺の体は地面に叩き付けられた。

 

 

 

寝転がりながら顔を触ってみると、ぐにゃりと柔らかい感覚がした。あ、これ頭蓋骨砕けてる。

 

 

 

でも死ねない。まるで動画を逆再生するかのように、陥没した頭蓋骨は再生を初めて行く。心なしか再生速度も上昇している気がするが気のせいだろう。....気のせいだと思いたい。

 

 

 

俺はごろりと寝返りをうち、空から降ってきた黒い本に目を通す。

 

 

 

......

 

 

 

あぁ、これあれだ。魔女ファンクラブの会員の人、もとい魔女教徒の所有している福音書じゃないか? 確か叡智の書の大幅な機能縮小版。叡智の書に比べると、少ない回数で、薄らとした内容を記述する予言書。

 

 

 

軽くパラパラとページをめくってみると、表紙の裏には日本語で『生きて』と生存を強要するような恨めしい言葉が書かれていた。一番最初のページには森を歩けと言う指示だけが記述されている。

 

 

 

当然文字は読めない。イ文字もロ文字も知らない。しかし頭が無理矢理理解しているように読める。妙な感覚だ。

 

 

 

何日、何時、何分。何処の森を歩けば良いのかわからない。本当に森を歩けと言う指示だけしか記述されていないからだ。もう少し詳しく記述してくれても良いのではないだろうか? 

 

 

 

文句を言っても仕方が無いので、軽く溜息を吐きつつ、俺は目の前の木々が生い茂る森へと踏み入る。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

木々が生い茂るこの森は、魔獣の群生地だった。何故そんな事がわかるのかって? それは今現在、魔獣と全力の追いかけっこを実施しているからだ。

 

ウルガルムが腕に噛み付いてきた。別に、なんら障害は無いが煩わしい。何せ数が数だ。30体のウルガルムが群がって俺に噛み付いてきてみろ、絶対身動きが取れなくなる。それでは森を歩けなくなってしまう。かと言って俺がなにかウルガルムに致命的な傷を負わせることの出来る有効打がある訳でもない為、走って逃げる他方法がないのだ。

 

しかし魔獣と人間、それもただ死なないだけの不死の体を持った、ただの人間では魔獣の身体能力を上回れる筈が無く、地面の凹凸に足下を取られ、転んでしまう。

 

ウルガルムはじっくりと食事を楽しむように、俺に近づき、先頭の数匹が空中に飛び上がり、俺の方に飛びついてきた。

 

しかし何故逃げていたんだろう。もしかしたら魔獣なら俺の事を殺してくれるかもしれない。

 

俺は逃げるのを辞め、ウルガルムの顔をじっと見る。一瞬ギョッと身を震わせた気がしたが気のせいだ。死ねるかなぁ、死ねないかなぁと一人ワクワクしていると、

 

目に見えない何かが、ウルガルムを縛り付けるようにして、捻り殺した。

 

ウルガルムは血飛沫を撒き散らし、見るも無惨な肉塊へと姿を変える。

 

あぁ、知っている。俺はこの惨状を作り出す事の出来る人物を知っている。俺より少し高いぐらいの身長で、細身の体型。まるで骨に必要最低限の肉を縫い付けたようなその姿に、異様なまでに見開かれた双眼は狂気を帯びている。

 

「まさか、まさかまさかまさかぁ! このような場で! これほどの寵愛を与えられし者と出会えるとは、思いもしなかったデス! 」

 

「ペテルギウス...」

 

「おや? おやおやおやおやおや? アナタ? 何故ワタシの名前を知っているのデスか? 」

 

魔女教大罪司教怠惰担当、ペテルギウス・ロマネコンティ。原作にて『ナツキ・スバル』がユリウス...ユーリと共に、最初に討伐した大罪司教。本名はジュースだったか。

 

エリオール大森林で虚飾のパンドラと強欲のレグルス・コルニアスに襲撃された際、フリューゲルより託されし黒い小箱に収められていた怠惰の魔女因子を体内に取り込む。しかし不適合の魔女因子を取り込んだ副作用により、体は蝕まれ...って何処まで深く思い出してるんだ、俺。

 

俺が沈黙している間にもペテルギウスは狂気的な笑みを浮か、ブツブツと狂った言葉を唱え続ける。

 

「あァ! 何故ワタシはこれほどの寵愛を受けし信徒を! これまで同胞として迎え入れなかった怠惰を! 怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰ぁあ! 」

 

言葉は意味を形成できず、歪んだ形が現れるようだ。ペテルギウスはひとしきり自傷行為を済ませ、長ったらしい狂言を耳に聞かせてくれた後、俺に福音書の提示を求めてきた。

 

俺が...魔女の寵愛を受けていると? そう言ったのか? おかしい。俺はまだ一度も死んで無い。それに死に戻りに関する発言もしていない。何故だ?

 

もしかしたら『ナツキ・スバル』が死に戻る度に、何故か俺も一緒に戻されている事が原因なのかもしれない。ハッキリとした確証は持てないが。

 

「あぁ、コレで良いか? 」

 

疑問を浮かべつつも、俺は恐る恐る空から降ってきた黒い本を見せてみる。ペテルギウスの行動、言動を見るに、どうやらこの黒い本が福音書で間違い無かったようだ。

 

「おや? しかしおかしいデスね? ワタシの福音書にはアナタに関する記述が無いのデス」

 

ペテルギウスは首を垂直に傾げ、疑問を口にする。

俺の福音書にはただ、森を歩け。としか記述されていない。雲行きが怪しくなってきたかと考えていると、突如、俺の手に持つ福音書に、何かが流れ込んでくる感覚があった。

 

「おぉ...これはこれは...素晴らしい、素晴らしいのデス! 」

 

感服したように空を仰ぐペテルギウスを横目に、福音書を開いてみると、そこには新たな記述が現れていた。

 

ペテルギウス、試練、協力。

 

立ち並ぶ単語をどう取るかはそれを読む人物次第だ。だからこそ俺のような凡人でも簡単に利用し、都合の良いように解釈させる事が出来る。

 

「俺の福音書にはペテルギウスの試練に協力しろって記述があったぞ? つーか試練って何よ? 」

 

ペテルギウス(常軌を逸した破綻者)に、小手先の敬意等は必要ない。俺はおどけるようにして知っている事を、さも知らないようにとぼけてみせる。

 

「試練! そう! 試練デス! 此度の王戦、愚かにも巫女に選ばれた半魔が、魔女を降ろす器足るか、見極めなければ! 試さなければ、試すのデス! 我々は魔女の愛に報いなければならないのデス! そして! 半魔が器として、相応しかったのであれば! 嫉妬の魔女、サテラは、再びこの世界に蘇る時なのデス! あぁ! そのためにも早く同士に会いに行かなければ! 」

 

事前知識が無ければ頭を抱えて、投げたしたくなってしまいそうな程にペテルギウスの言葉は支離滅裂だった。それに同士に会いに行く。とはどう言う事だろう? そんなイベントあったか? 

 

疑問を頭に浮かべ、聞き返そうと口を開く前に、ペテルギウスは言葉を垂れ流してくれる。

 

「王都に潜り込ませていた我々の同士が騎士に捕まってしまったのデス。その同士は最近、半魔に付きまとう正体不明の男の情報を集めさせていたのデスが、騎士に捕まってしまったのデス! 騎士に! 目的の情報をワタシに報告する事無く! 捕まってしまったのデス! あぁ、怠惰! なんと怠惰な事デスか! 」

 

最初は冷静な様子で話していたが、話の後半になると興奮した様子で指を齧りながら、捕まってしまった同士の事を怠惰だと罵り始める。

 

「あぁ、ほんと怠惰だよな。情報の一つも報告できないだなんて、本当使えない奴だぜ」

 

俺は相槌を打ちつつ、ペテルギウスの発言を待つ。ペテルギウスは指を齧り、グロテスクな血をべっとりと付けたまま、ぎろりと目をこちらに向けて続きを語る。こっち見んな。

 

「来たるべき試練を前に事が露見する可能性! 実に怠惰デス! しかしここで情報収集を諦めるのも怠惰! 怠惰極まりないのデス! 故に、故に故に故に故に! 情報を聞き出し、処罰を下すの、デス! 」

 

やべぇ、全然わかんねぇ。いや、なんとなく、うっすらとはわかる気がする。

 

俺は適当に話を合わせながら、森の中を特に警戒もせずずかずかと進んでいくペテルギウスに続き、薄暗い森の中を歩き、目的の地へと進んで行った。

 

 

 

 

 



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第5話 『新人魔女教徒・菜月昴』上

森を抜け、街を駆け。湖を照らす月下、雲に隠れ薄暗い中、跳ね橋の上を歩く怪しげな黒いローブの男が二人。

 

一人はひどく痩せこけたそうな貧弱な体。病人と言っても不自然では無いくらいの顔色。ただ一つだけを盲信する狂人の瞳。魔女教大罪司教怠惰担当、ペテルギウス・ロマネコンティ。

 

一人はそこそこに鍛えられた体に、まるで何処かの貴族のように傷の一つも無い綺麗な肌。この地域ではあまり見かけない黒髪に鋭い黒目。ローブの中には見慣れない、変わった服装をしている。何を考えているのかわからない、気味が悪い人間。悪名高き魔女教、一般教徒、この俺、菜月昴だ。

 

って誰が気味悪いって!? と心の中で無駄に壮大な現状確認を行い、セルフツッコミを入れていると、目的の地に辿り着いた。

 

堅牢な壁を見つめ、俺は声を震わせながら、なんとか言葉を絞り出す。

 

「な、なぁ、ペテルギウス。ここってもしかして、いや、もしかしなくてもアレだよな...」

 

「? そう、そうデス。そうなのデス! この程度の外壁、ワタシの権能で木っ端微塵に出来るのデスが、今回は隠密行動を取らなければならないのデス。事が露見する可能性を残す等という怠惰を! 犯すわけには、許すわけには、絶対に! あってはならないの、デス! 」

 

俺が恐る恐る聞いてみると、ペテルギウスは大声で事の概要を話し始めた。隠密行動じゃ無かったのか。

 

「我々がここで果たすべき目的はただ一つ! 囚われた同士から、情報を聞き出す事デス! 出来るだけ騒ぎを起こさず、勤勉に行動するように心がけましょう」

 

ペテルギウスはそう言うと、足早に外壁付近へと近づいて行った。正直、さっきのペテルギウスの話は全然頭に入ってきて無い。それよりも強い、予想外の事実が、俺の頭に突き付けられたからである。

 

「いやいや、これ、アレじゃんね。リゼロスのIFストーリー....マジかよ」

 

マジか。いや、本当マジか。今まで原作基準のRe:ゼロ世界だと思っていたが、ゲームのお話も混じってくると俺の知識も怪しくなる。

 

今回はこのI(あり得たかもしれない)F(可能性のお話)を知っていたからいいが、もし、全く知らない展開が存在したとしたら? 考えるだけで寒気がする。そもそも俺はただ原作知識を持っている、ただの一般人なのだ。知識が通じなければ立ち回りすらもままならない。

 

いやな考えが脳を埋めるばかりだ。一度思考を切り上げて、今の話を思いだそう。

 

スマホゲーム、リゼロスにて公開されたオリジナルIFストーリー。ナツキ・スバルは王都にて、エミリアとレムと劇を見た後、あと、それから...それから......

 

頭にドンと、重く、酷いノイズが走る。

 

俺は久々の痛みに耐えられず、みっともなく声を叫び散らかしてその場に倒れた。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

男が居た。その男は忌々しげにこちらを見詰めると、恨みのような言葉で、首を締め付けてきた。

 

「よぉ、兄弟。ってでも言えばご満足か? 」

 

男が小さく何かを言うと、俺の体は動かなくなる。目で見えないのだが、感触からして何やら長い手のような物が体に絡み付いているようで、うんともすんとも動かない。

 

「わからない? ありえない? あってはならない? 存在しない? 理解できない? 無理だって? お前、巫山戯てんのか? 」

 

体が強く締め付けられる。肉体が圧迫され、痛みを感じる。だが死ねない。

 

「お前が、お前が邪魔したんだろうが。お前さえ居なければ救えたんだよ」

 

知らない。何が救えただよ。そんな事知らねぇ。知らねぇって言ってるだろうが。そう、言おうとしたが声が出ない喉が存在しないのだ。

 

は? 視界が低くなった。それに驚く事は無かった。それを上回る出来事が起こったからである。俺の体は跡形もなくズタズタにされ、残るのは汚れた肉塊のみ。

 

普通の人間なら、死んでいると言えるだろう。だが菜月昴は死ぬ事を許されていない。

 

「権能も効力が薄いか...クソが。ざけんじゃねぇぞ」

 

あからさまに舌打ちしながら、男は俺を睨みつける。その数秒後には、何事も無かったかのように、まるで菜月昴の死が見間違いであったかのように、菜月昴は再構築、いや、巻き戻される。

 

「千日手、か。仕方ない、なんて言えるかよ。俺は約束したんだ、だから──」

 

目覚めの時が来た。そう、自覚できた。男は俺に鋭い眼光を当てながら、睨みつけている。意識が朧気になって行く。まるで、正しくない異物を、そこから排除するかのように、形を正常に戻そうと同じ処を何回も繰り返してゆく。

 

薄れゆく意識の中、男は最後に、必ず、殺してみせると、そう、言った気がした。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

目が覚めると俺は、ペテルギウスに担がれていた。突然倒れて意識を失っていたらしい。誰かに会った気がするが、上手く思い出せない。いや、今はそんなあやふやな、夢みたいな事を考えている場合では無いか。それよりも今は、とらわれた魔女教徒から情報を聞き出すのが重要だ。

 

もぞもぞと体制を整えていると、ペテルギウスが声をかけてきた。どうやら最低限安全を確保できるエリアを見つけたため、少し休憩をするようだ。いきなり倒れた事に対し、何か言われるかと思ったがペテルギウスの口から飛び出してきたのは、想像とは違う言葉だった。

 

「しかし素晴らしい。この短時間で魔女からの寵愛が明らかに濃くなっている。サテラは我々の事を見守ってくださっているのデス! あぁ! これは素晴らしい事デスよ! 我々も愛に応えなければ! あぁぁぁぁ! 脳が震えるうぅぅ! 」

 

ペテルギウスは興奮し、壁に頭を打ち付け自傷行為を繰り返す。どうやら俺がいきなり倒れたことに対して、怠惰だとか怒っている様子は無さそうだ。

 

休憩時間と言う事なので、軽くコーンポタージュスナックを食べ、ペテルギウスと軽い雑談みたいなモノを始める事にした。しかし話題が無い。

 

少し考えてみたが、思いつかなかったので、俺は気になっていた事を聞いてみる。

 

「なぁ、ペテルギウス、俺に魔法の使い方を教えてくれないか? 」

 

「魔法、デスか? 今は時間が無いのデスが...少しだけなら良いデスよ」

 

ペテルギウスは少し悩む様子を見せた後、快く了承してくれた。これで俺の魔法適正を把握する事が出来る。ナツキ・スバルとの違いを知ることが出来るかもしれない。

 

魔法適正は異世界に転移させられた時にランダムで決められると言う話を聞いたことがある。もし、これで陰属性以外の適正であったのならば、俺はナツキ・スバルとは違う存在だという証明になる。かもしれない。

 

「では、まず属性の適正を調べます。良いデスか? 動かず、じっとしていてください」

 

ペテルギウスは俺の心臓の辺りに手を当て、目を瞑り集中している様子で動かなくなる。俺も同じく動かないように心がけ、自分でも不思議なぐらいに微動だにせずに、石のように固まった状態で、属性の適正確認の終了を待つ。

 

何も聞こえない、ジメジメとした無の時間がしばらく過ぎた頃。ペテルギウスはおもむろに目を開き、地べたに座り直してこちらを見つめ、結果を教えてくれた。

 

 

俺の、魔法の属性の適正は...陰属性だった。

 

 

ペテルギウスが懇切丁寧に魔法についてのご講義を聴かせてくれているが、コクコクと頷くのみで内容は頭に入ってこない。けど立ち直った。俺には目的がある、あるんだ。だから、こんな所で止まれない。止まってはならない。

 

「ペテルギウス、その辺でもう大丈夫だ。大体わかった。手間取らせて悪かったな」

 

早々にペテルギウスの魔法に関する解説を遮り、袋に残ったコーンポタージュスナックの残りを少しつまみ、壁にもたれかかって精神を休める。

 

少しするとペテルギウスがそろそろ先に進もうと言い出したので、軽く体をほぐし、ラジオ体操をした後に監獄の奥へと立ち入ってゆく。

 

道中、看守を避けながら、喧嘩が起こっている食堂をチラリと見て、ナツキ・スバルがここに居ない事を確認する。ナツキ・スバルがここにやってくる可能性があるのは....いや、ナツキ・スバルはここには来ない。あれは有り得たかもしれない可能性のお話。時系列的にもおかしな点がいくつか存在する。

 

ナツキ・スバルがレムと和解するのは原作第二章。

 

ナツキ・スバルがオットーと友人(ユージン)になるのは原作第四章。

 

ナツキ・スバルがリカードらとある程度の良い仲を持つのは原作第三章。

 

レムは第三章終了後から暴食の大罪司教の一人に権能を使われ、原作第七章まで眠り姫状態になる。

 

なんらかの要因で原作第三章が始まる前にオットー、リカードらと会い、仲を深めた? ならば第三章の結末は、少し変わったモノになるかもしれない。しかしながらそれはIFの話。今ここで論じても意味の無い、無意味な話だ。

 

 

 




ありがとうございました。


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第6話 『新人魔女教徒・菜月昴』下

「おい、貴様ら。何をしている」

 

湿っぽく薄暗い監獄の中を、警戒しながら進んでいると、前方から男の声が聞こえてきた。このままでは遭遇してしまうと思い、俺は急いで来た道を引き返そうと、ペテルギウスに声をかけ、逃げようとする。

 

「ほぅ...脱獄か? 生きの良い塵だな」

 

幸いにも男との距離はまだ少しは離れているはずだ。だから今の内に──

 

「遅いわ! 」

 

殴られた。俺が振り向いた瞬間に、背中から拳の感覚が伝わった。衝撃は骨まで浸透し、背骨を複雑に砕かせ、俺の体を勢い良く吹き飛ばし、すぐ近くに壁にめり込ませた。

 

痛くは無いが、動けない。動かない体が鬱陶しい。ウザったい。ひとまずは体の自由を確保しなければ。

 

そう考えた俺は、辛うじて埋もれていない左手を器用に動かし、ローブから十字ナイフを取り出す。

 

 

「腕よーし。ナイフよーし。切れ味は...多分よーし? それでは男菜月昴! 脱出マジックを決行したいと思いまーす! 」

 

ナイフを勢い良く、骨を断ち切るように強く首に当て、首から上を切断する。気分はさながら、首無しのデュラハンにでもなったみたいだ。

 

ここで止まってはいけない。まだ動く体の最後の力を振り絞り、俺の自身の生首を俺を殴りつけてきた男の背後に投げて転がす。

 

途中で アレ? コレ本当に大丈夫か? と疑問が浮かんだが意図的に無視。もう実行してしまったのだし、後は結果を待つしかない。

 

少しの不安を残したまま肉体の再生が開始される。さてさて、ここからは本当に賭け。どうなるかはわからない。エキドナが大好きな未知の領域だ。果たして俺は埋もれたまま再生されるのか、生首の方が再生するのか。

 

俺的には生首の方で復活したいなと思いながら体の再生を待つ。

 

結果として、

 

「ほら、食らいやがれよ俺の異世界初魔法! シャマク! 」

 

感覚の遮断。原作のナツキ・スバルのように煙幕をばらまく物ではない。順当なシャマクを放てたのは、頭の片隅で落っこちかけていたペテルギウスの講義のおかげだろう。

 

世界から孤立させられた感覚を、強制的に植え付けられたのだ。どんなに怖い思いをしているのだろうか? まぁそんな事は俺には関係ない。俺でも簡単にボコボコに殴れる。それが重要な結果だ。

 

「この程度の子供だましが...通用するとでも思ったかぁぁぁああ!! 」

 

痛ぇ。殴られた。パワーがすげぇ。まーた骨がズタズタだよコンチキショウ。あーもーやってらんねぇ。ペテルギウス司教、あいつ我らが嫉妬の魔女様の事を散々馬鹿にしてました! もーやっちゃって下さい! あざっす!!

 

テンションを無駄に高くして、明るく陽気を装うのは疲れる。しかしそうしないと苦しい。なるほど、これがジレンマなんだなと頭の中で考えながら、壁に埋まりながらペテルギウスと男の戦闘を見守る。

 

「魔女を! 我らが誉れ高き魔女に! あろう事か暴言を貶す言葉を吐く等とは...不敬! 実に不敬デス。敬意が足りていないのデス! 信仰が足りないのデス! 愛を! 愛を示す時なのデス! 」

 

「? なにを、気が狂っ...グッ...ゲッボッお......なん...だ、これ、は」

 

勝負は一瞬だった。なぁに簡単な事だ。完全な認識外からペテルギウスの見えざる手が心臓を握り潰した...のだと思う。だって見えざる手が見えないから、本当にそうなのかはわからないが、ちょうど胸の辺りが血に染まっているので間違いないと思う。もしかしたら貫いたのかもしれないが。

 

身体的には若干、男の方が有利であったが戦闘面において、身体等はただの要素の一つに過ぎない。その分、総合するとペテルギウスは所見殺しに特化している為、あの男に勝ち筋は存在しなかったと言う訳だ。それこそ、死に戻りが無ければ、ラインハルトぐらいしか、初見でペテルギウスに勝てる相手はいないのでは無いだろうか。

 

「あぁ、アナタ、怠惰デス。実に怠惰! ワタシのように勤勉に務めなかった結果がこの状況! 理解すると良いのデス! 」

 

「なぁ、ペテルギウスちょっと良いか? 」

 

「ハイ、なんでしょう? 我々の勤勉さを証明したこの瞬間、ああc実に素晴らしいの、デス! 」

 

勝利の余韻に浸り、狂った笑い方でケタケタ笑うペテルギウスに、俺はふと、気が付いたことを聞いてみる。

 

「今回って、一様隠密行動しなきゃいけなかったと思うんだけどそこん所どうよ? ペテルギウス司教」

 

ペテルギウスはピシャリと写真に撮られた液晶の中の住民にでもなったのかのごとく固まり、少ししていつもの懺悔と自傷行為を始め出す。

 

適当に放置して待っていると、急に落ち着きを取り戻すので黙って待っておく事にした。しっかし眠い。うん。疲れてんのか? 仕方ない。少しだけ...眠ろう。

 

 

 

目が覚めたら監獄じゃなく、森に居た。なんでだ。一番重要な魔女教徒からの重要な情報を盗み聞きできなかったのは惜しいが、仕方ない。自己責任だ。

 

ペテルギウスがここまで運んでくれたらしいので一様礼を言っておく。すると俺は丸1日も眠っていたという事実を聞かされた。いやぁ、少しびっくり。

 

軽く鼻歌でも歌いながら。ペテルギウスから受け取ったリンガを、遅めの朝食代わりに食していると、俺の福音書が、かすかに輝き、福音が記述されたという感覚が伝わってくる。

 

「あああああ! 福音書に記述成されたのデス! あぁ! サテラが!サテラが我々を見守っていて下さるのデス! 愛に愛に愛に報いなければあぁぁぁ! 」

 

どうやら今回はペテルギウスにも同じように福音の記述があったようだ。涙を垂れ流しながら愛を嘆いている。正直、軽い嫌悪感を覚えるかと思ったがそうでも無かった。

 

「えーと、なんだ? 」

 

福音書の記述を目で読んでみると、そこには“メイザース辺境伯の領地へと赴け”との記載が成されていた。ペテルギウスにもきっと同じ記述があったのだろうと思い、ペテルギウスの方を見る。ペテルギウスは俺の顔をまじまじと見つめていた。

 

俺はペテルギウスの目を見つめ、サムズアップしながら笑顔で頷く。ロズワールの屋敷もちらっと覗きたいなーと思いながらペテルギウスの方に歩いて近づいて行くと、瞬間、時が静止した。

 

まるで、動画を再生している最中に一時停止ボタンを押したかのように、とでも言えば良いのだろうか。声を出そうと声帯へと意識を向けてみても、肉体が自分のモノじゃ無いみたいに、ピクリとも動かない。

 

この世界で、こんな現象を起こせる奴は、俺の知っている限りで2人だけ。サテラと、嫉妬の魔女。しかしどちらも今活動できる状況では無い。今はまだ、大瀑布の近くで、封印されているはずだ。

 

いや、思い出せ。記憶を辿れ、引き寄せろ。

 

この現象は何かに似ている。そうだ、ナツキ・スバルが誰かに死に戻りを打ち明けた時に発生するペナルティ。その内の一つ。0.1秒を永遠に限りなく近い時間へと引き延ばす、いくつかの術式を併用した高度な魔法。いや、権能なのかもしれない。

 

だとすれば、今から俺は心臓を撫でられるのかと待っていると、予想とは反し、胸元から見覚えのある一本の影の腕が現れた。陰の腕はペテルギウスの方へ伸びて行き、体の内部にすり抜けるようにして入って行く。

 

「あ...あ......! ま...じょ。あ...あああ...!! 」

 

ペテルギウスの、感極まった途切れ途切れの言葉が俺の耳に入ってくる。違ぇよ。魔女じゃねぇよと反論したい気持ちが、どこからがふつふつと湧き上がってきたが、根拠も理屈も意味も無いので意図的に思考を切除する。

 

少しすると、黒い腕はペテルギウスの体の中から、小さな、黒く蠢く何かをつかみ取り、俺の元へと戻ってくる。瞬間、時は正常な刻を刻み始めた。

 

黒く蠢く何かは、俺の体に溶け込み、移植され、隅々に浸透してゆく。ごく僅かだった何かが、体の中で培養され、増殖していく感覚に伝わり、即座にこれが何なのかを理解した。

 

大罪の名を冠する因子。大罪因子とでも言うべきか。大罪司教の所有する権能という事象において、切っても切れぬ重要な要素。これが無ければ権能は発動できない。しかし適合者では無ければ、権能に飲み込まれてしまう。リスクの高すぎる品だ。

 

あぁ、こうやって思考している間にも、今すぐナツキ・スバルを殺したい、殺意が込み上げてくる。あいつを殺せば、俺はあいつに成り代われるのでは無かろうか。では、今すぐ決行しなければならない。今すぐに奴を殺害しな──

 

 

 

 

 

一瞬、強い殺人衝動に襲われかけたが、どうやら俺の摩訶不思議な再生能力は相当優秀らしい。瞬く間に精神は汚染を除去し、異常な状態を取り戻した。

 

そういえば......因子が無ければ権能が発動できないのであれば、ペテルギウスは今、見えざる手が発動できないのでは? と思い、ペテルギウスに近くの木を倒して欲しいと頼み、じっと観察してみる事にした。

 

「? 良いのデスが...何に使うのデスか? 」

 

「いいからいいから。頼む! なっ? ほら! 俺らは同じ魔女様に忠誠を誓った同士じゃんか! 頼むよ」

 

ペテルギウスは少し渋りつつも、相変わらず視認できない見えざる手で木を根元からへし折る。木は大きな音を立て崩れ、残ったのはゴツゴツした不格好な切り株のみ。

 

検証結果をまめよう。ペテルギウスは俺に因子を移った後も、権能を発動し続けている。これは俺の方に来た因子が、ごく少量だったため、大半の原本の因子がペテルギウス側に残っている為であろう。

 

そして、見えざる手が見えないというのも問題だ。ナツキ・スバルには見えていたモノが、俺には見えない。この差異が今後、どのような影響を与えるのかは、まだわからないが、根本的な考え方に、俺とナツキ・スバルはあくまでも同一人物では無い。という事を入れておいた方が良さそうだ。

 

考えをまとめ、頭を楽にした俺は、ゆっくりと休憩を挟みながら、権能の検証を始める事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ありがとうございました。


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第7話 『虚言回し』

それから2日ぐらいの期間を権能の検証等に費やし、大凡の確認を終えた。何か根本的な大事なモノに、直接刻み込まれているような感覚がして、意識すれば権能の内容もフンワリとしたニュアンスだが、ある程度の事は浮かんでくる為。ただの確認作業。予習。答えを知っているテストの反復にすら思えるほど簡単に終わった。

 

ペテルギウスから抜き取った怠惰の大罪因子で獲得した権能は二つ。

 

一つは見える見えざる手。いや、矛盾してるのはわかる。しかしこれ以外に表現が思いつかなかったのだ。

 

ペテルギウスの見えざる手は、魔女のからの寵愛の証は、自分だけにしか見えないはずだといった、狂気的な愛の盲信と、何もわからない、何も見えない不確かな場所で、不安でも、何よりも掴み取りたい物があるという意思から生まれた、ナツキ・スバルは例外として、ペテルギウス以外、誰も視認できない手。これが見えざる手だ。

 

対して俺が手に入れたのは劣化バージョンと言える物。視認することの出来る影の魔手を、一度に10本まで出せるという物。因子は今もまだ培養され、増殖が止まる勢いは無いので、今後、出せる手の数が増えるかもしれない。期待大だ。

 

二つ目は、限定的な重量操作。これは結構使える。例えば戦闘の時に、相手の体や所持品を重くして、干渉不能な重しを強制的に付けたり、逆に自分の体を軽くして、移動するスピードを早め、攻撃を当てる瞬間に勢いをつけて重くする。これは結構良い攻撃手段だと自画自賛。

 

現状では重量操作にも制限が存在し、重くするのは大体、体感で100㎏までが上限だ。軽くするのは30㎏以上であれば可能だが、あまり軽くしすぎると体がうまく動かせない為、今は3㎏までがコントロールできる限界だ。

 

しかしこれはあくまでも基本的な事。権能について、もっと深く理解をすれば、ほかにも何かが出来るようになるかもしれない。まぁ、それはまだ先の話だろう。今、強く気にする事ではない。

 

さて、そんなこんなで少ない荷物は纏め終わった。これで準備はOK(おーけー)だ。最後に、テーブルの上に不用心にもポンと置いてあった貨幣の入った袋から聖金貨を20枚抜き取っておく。

 

「んじゃ、ペテルギウスとはここいらでお別れだな」

 

簡易的なログハウス的建物から出て、近くの遺跡のような場所で、今も変わらず狂い、一人自己完結し、嫉妬の魔女を崇拝する愛を嘆き続け、勤勉に自傷行為にいそしむペテルギウスに向かい、俺は解散しようと話を切り出す。

 

しかし簡単に話はまとまらない。狂人相手に話が通じる訳が無かった。ペテルギウスは首をぐるりと90度傾げ、こちらの肩を細い腕で強く握りしめる。

 

「何故! 何故なのデスか! これから試練を行おうと、事を動かそうとしている今! 魔女の寵愛に答えずにこの場を去ろうなどとは! 何故アナタはそれ程の寵愛を受けていると言うのに! その愛に、答えようとしないのデス! それは勤勉では無いのデス! 勤勉に勤勉に勤勉に! 務めなければ、ならないの、デス! 」

 

顔と顔が触れ合いそうなぐらいの至近距離で、何故だと言葉を投げられる。俺は逆にペテルギウスの肩をガッシリと掴んでやり、右の眼球を舌でペロリと一舐め。

 

原作でペテルギウスがナツキ・スバルに行った行為を、菜月昴がペテルギウスに行う。このなんとも言えない背徳感すらも心地が良い。ペテルギウスはギョッとした様子で俺の顔を凝視する。

 

眼球を舐めるという明らかに常軌を逸した行動は、ペテルギウスの意識に瞬間的な無理解を与えた。本来であれば、なんてこと無いほんの一瞬。しかしその一瞬こそが俺にとってのチャンスとなる。

 

「そうだよな、ペテルギウス。勤勉に務めないといけない。だから俺はお前と別れるんだ」

 

いかにも何か事情があるように装い、その事情を隠すように意味深な発言で簡単に取れる布切れを被せる。相手がそう信じ込むように真剣味のある表情を作り出す。

 

「...どう...いう事......デスか?」

 

途切れ途切れになりつつも、ペテルギウスは言葉を絞り出す。その目の色には恐怖の色が浮かんでいるように思えた。ペテルギウスは恐らく恐怖しているのだろう。十分とは言えないがこれ以上話を装飾してしまうと、逆に嘘だとバレてしまうかもしれない。

 

「俺も寵愛に答える為に、愛の為に動くってことだよ。さっき俺の福音書に新しい記述が標されたんだ。だから俺は、俺の試練を乗り越えなきゃならない」

 

「なんと! 先の記述よりそれ程時間が経過していないのにもかかわらず! 既に! 新たな導きがもたらされたと言うのデスか! 素晴らしい...素晴らしいのデス! その身に纏う寵愛...もしやアナタ、傲慢ではありませんデスか? だとすれば400年ぶりに大罪司教が6人、揃う事となるのデス! これは素晴らしい事デスよ! あぁあ! 脳がぁぁぁ震えるぅぅう!  急ぎパンドラ様に報告しなければならないのデス! 我が指先を一人、遣いに送る事に...」

 

ペテルギウスは上手く口車に乗り、深い思考にはまったようだ。ペテルギウスは狂気を取り戻し、虚空を見てブツブツと何かを言っている。俺はペテルギウスの手を肩から退かし、歩みを始める。

 

目指すはメイザース辺境伯領、なんとなく浮かんできた一つの目的を果たすために、俺はその場から立ち去った。

 

 

メイザース辺境伯領までの道程は、当初は徒歩向かおうと思っていたが、道もちゃんとわからなかったたため、途中、服を買う為に立ち寄った街で黒と白を基調としたファンタジー感満載のフード付きの衣服を一着購入し、同じ店で顔を隠すための、同じく白と黒を基調とした仮面も購入。別の店で魔石もいくつか購入。保存の利く食料、それに片手直剣も買っておく。仮面は今は使わなくてもいいと思うので、いつか姿を隠して行動しないといけない時に備え、ビニール袋に入れておく。

 

合計して使用した金額は聖金貨は15枚。思ったよりも服や仮面の値段が高かった。まぁあぶく銭なので問題は無しだ。

 

食事を済ませた後、残りの金銭を使い、竜車に乗せてもらえるよう交渉した。相手は最初、難色を示していたが金銭を見せた途端に態度を軟化させた。やっぱ世の中金だと思う。

 

無事、交渉は成功。数日かけて移動し、メイザース辺境伯領の少し手前で下ろしてもらう。道中、旅の話など、様々な面白い話を聞かせてくれたこの人には感謝だ。

 

「本当にこんな場所で良いのかい? 遠慮しなくて良いんだよ? 」

 

心配そうに聞いてくるが問題ない。むしろここで無いと逆に不都合が発生してしまう。俺は大丈夫だと告げ、金銭の入った袋...の中身を予め別の袋に入れ替え、来た道を少し戻った所で投げ捨てたのち、別の袋に入っていた石を詰め、火と水の魔石を2、3個ずつ混ぜた物を相手に渡す。

 

「それじゃね、お兄さん。ご達者で」

 

「おう! 元気でな! 」

 

明るい笑顔を浮かべ、竜車を走らせて行ったが、奴におそらく明日は存在しないのだろうと思うと、それは少し寂しいなと思う。

 

俺が荷物を回収し、アーラム村に向かっている最中。森で大きな火柱が現れたが、即座に大量の水も現れ、火は鎮火、代わりにそこは氷漬けになったらしい。意識してみると、かすかに温度が下がった気もする。

 

まぁなんら問題にはならないだろう。どうせこの世界もまた巻き戻る。ちょうど時期的には第一章を突破したくらいだと思うから全然大丈夫だ。あの人も次の世界ではまた生き返るのだから、一時的な死など問題にはならない。

 

大事なのは結果だ。そこに行き着く過程には犠牲を許容する必要がある。と、かの強欲の魔女ことエキドナも言ってた気がする。確か似たような事を言ってた。俺には理解出来ないが、魔女ってそう言うもんだろうと無理矢理納得する事にしておく。

 

俺はとりあえず、ロズワールの屋敷が見渡せる崖のような場所まで移動し、ちょうど良くあった小さな洞穴に荷物を投げ入れると、崖から落ちるスレスレの場所に立ち、目を凝らして屋敷を観察してみる事にした。

 

 

 

 

 




ありがとうございました。


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第8話 『宮廷魔導師の力』

何故、俺がわざわざペテルギウスと別れ、メイザース辺境伯領までやって来たのか。それにはいくつかの理由があるが、第一はナツキ・キスバルを克服する為。

 

 

 

前回ナツキスバルを見た時は、もの凄く情緒不安定な状態に陥り、川に身投げしてみたりと自殺をしようとしてしまった。死ななかったから良いものの、もし死んでしまっていたらと思うとゾッとしない。

 

 

 

現在俺が潜伏しているこの場所は、原作にてナツキスバルが屋敷を見張ってたあの崖だ。エミリアを救った報酬、食客としての身分を得て、屋敷での食っちゃ寝生活を要求するルート。

 

 

口止め料貰って屋敷を出た後、外から見張ってたら最終的にはレムに拷問されるって奴。今考えても仕方が無いが、後日、別の見張れる場所を探しておいた方が良さそうだ。

 

それから俺は、塩辛い干し肉片手に、ロズワールの屋敷をじっと観察していた。夜になっても関係ない。数日間。眠らずに観察し続けた。不思議と苦痛は無い。いや、絶対おかしいだろ。どうなってんだ俺の体? 疑問を浮かべつつも観察する。

 

しかし長年、暗いところでゲームをやり続けた弊害が、朝、ナツキスバルとエミリアがラジオ体操をしている所以外、全くと言って良いほどに何も見れなかった。

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

ナツキスバルに最接近できたのはアーラム村に買い出しに来た時、残念ながらタイミングが合わず、メイザース家の使用人を確認することが出来なかったが、子犬に擬態したボスガルムがナツキスバルの手にガブリと一齧りし、呪いをかける光景を目撃できただけでも良しとしよう。

 

 

その日の夜。問題が発生した。

何時ものように洞穴から干し肉だけを取り出し、屋敷の観察を行っていると突如空から人が飛来してきた。俺は驚き、手に持った干し肉を地面に落としながら、大きく仰け反る。

 

「おや? スバルくぅーん? 何でこんな所にいるのかぁーな? 」

 

奇妙な道化師のような服装にピエロメイク。ふざけたように間延びした特徴的な声。間違いない。ロズワールだ。

 

ナツキ・スバル(原作主人公)は屋敷に居る筈なのに、何故、ここにお前が居るのかと問いかけているその声には、僅かながらに驚きをはらんでいた。

 

さて、どうするか。誤魔化す? 無理だ。もし屋敷に連れ戻されたら? 何故この場に居るのかを、強く聞かれたら? ほら、俺の愚図な脳でも、これだけの問題が簡単に浮かんでくる。

 

これじゃ駄目だ。黙って逃げるのも無駄。相手は六種類の属性の魔法を、高度な水準でいとも簡単に操り、近接戦闘もそこらの達人よりも上の強者だ。弱者の俺が全力を尽くしたとしても簡単に拘束されてしまう事だろう。

 

ほかに、もっと良い考えも浮かばないか、考えても考えても何も浮かばない。まるで、自分から沈んでばかりいた俺の人生を嘲笑うかの如く、何も考えは浮かばなかった。

 

「......スバルくん。私は何故、この場にいるのかと聞いているんだ」

 

ロズワールがおどけた調子を辞め、無表情で淡々とした意思を発してくる。こうなってしまったらもう、時間は無い。じきに魔法攻撃が飛んでくる事だろう

 

でも、それで良い。それでも良い。どうせこの世界は終わるんだ。巻き戻る世界の事なんて気にする必要は無い。つまり今回は捨て回って訳だ。

 

 

なら、少しぐらい馬鹿をやっても許されるだろう。

 

 

「ん? あぁ、ロズワール(・・・・・)それには海よりも深く山よりも高い理由が...」

 

「御託はいい。君はただ、私の質問に答えるだけでいい」

 

ロズワールは威嚇の為か俺に火の魔法を放つ。火の魔法は俺の頬を掠め、頬を焼き付けるが、すぐに火傷の後は消え去る。失敗した。軽いジョークで油断を誘って至近距離から確実な致命傷を与えてやろうと思ったのに。

 

「おいおい止してくれよお師匠様大好きの初恋拗らせ野郎。俺は男色の趣味は無いんだ」

 

影の魔手を10本出して、ロズワールに一斉にけしかけ、握り潰してやろうとするが、相手は変態宮廷魔導師。流石に分が悪い。ロズワールがフーラと一度呟けば、俺の影の魔手は一撃で消し飛ぶ。魔法の余波で木々は吹き飛び、地形が荒れてしまった為、足下を取られないように注意もしなければならないので、正直集中力がいくらあっても足りない。

 

俺は、転びつつも背中を向けて全力で走り、ロズワールからの逃走を図る。いや、だって無理じゃんね。あいつ魔法がバケモンレベルに強いだけじゃなく近接格闘術もそれなりに極めてるからね? 無理無理勝てっこない。

 

「粋がるなよ『ナツキ・スバル』。君程度の力では私を倒すことは出来ない。さぁ、怒っていないから、叡智の書との照らし合わせを...」

 

「は? 」

 

言葉を聞いた瞬間、自然と俺の足は止まり、無意識の内にロズワールのへ向けて、重量の増した重い回し蹴りを当てていた。ロズワールは一瞬顔をしかめたが、すぐにバックステップで俺との距離を取り、間合いを計っていた。

 

「なにもそこまで嫌がる事じゃ無いじゃ無いか。それにこれは『スバルくん』の為でもあるんだぁーよ? 」

 

「俺と......俺と『ナツキ・スバル』を同列に語るんじゃねぇよ。今すぐにその認識を改めて死ね」

 

火の魔石をロズワールの方に向けて投げて、それの重量を最大限に重くする。火の魔石は衝撃を加えられ、爆発という事象を発生させる。その爆発にもすかさず重量を最大限に重くして、被害を拡大する。

 

ロズワールは氷で盾を作り出し、被害を免れたが、氷の盾は溶けて砕けて崩壊し、いくらかのダメージは通ったようだ。それ以上に目に残ったのは、ロズワールの表情だった。たかが小規模の爆発にも関わらず、ロズワールは酷く怯えていた。何故かと思考してみるもこれと言った理由が思いつかない。なので気にせず攻撃を再開する。

 

「あぁ、ウゼぇ。邪魔だ。鬱陶しい。腹が立つ」

 

俺はロズワールに向かい、足下を気を付けながら一歩ずつロズワールに近付く。

 

「く、来るな! 来るなぁぁぁぁぁあああ!! 」

 

急に取り乱し始めたロズワールは俺に向け、無詠唱で7色の魔法を、大小構わず無作為に放った。人一人に放たれるにはあまりに膨大すぎるソレは、ただ一人のニンゲン(化け物)に向けてその威を翳す。

 

まず最初に、意識が暗黒に刈り取られ、灼熱の炎が身を焦がし、迅速の風が体を切り刻み、超高密度の大岩が半身を抉り、極光が脳を焼き、氷点下を下回る氷が全身を包み込んだ。

 

次は溶岩を幻視するような高熱度のドロドロとした液体が体を溶かし、暴風により舞い上がった木々が体の至る所に突き刺さり、雷が直撃し、突如として足下に空いた、深い穴に突き落とされる。

 

しかし、それでも俺は死なない。死ねない。死ぬことが出来ない。しかしこれでは上に上がれない。自身の重量を軽くし、飛んでみたが全く届かない。それなら...

 

「ムラク」

 

一瞬、強い不快感が表れたがそれもすぐに消えた。発動した陰属性の魔法により、質量は減り、重力の影響が少なくなった。しかし未だに届かない。まだだ、まだ足りない。

 

「ムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラクムラク」

 

ゲートが壊れて再生して、大体30回くらいの重ねがけを行ったムラク。最低効率で最低レベルの効果を発揮した魔法も、これだけ重ねれば通常の3倍程にはなる。

 

あとは真っ直ぐに跳ぶだけだ。脚に力を込め、体制を整える。これで行ける。何故かはわからないが確信が頭に弾き出される。アレだ。テスト前に勉強し忘れてあぁ、大丈夫。なんとかなる。と言った風な感じに似ていると思う。いや、そんなことはどうでも良いが。

 

はっと息を吐いたと同時に、俺の肉体は地上へと跳ね上がる。が、止まらずにそのまま上空へ。あとは自由落下に身を任せるだけだ。ロズワールは...居た。よし。少し軌道を修正してと。

 

ドンと大きな衝撃をたてながら、俺の肉体は地面に叩き付けられる。体がまだ重い。負荷を掛けすぎたからか、再生がまだ追い付いていないようだ。しかし最低限動くことは出来る。

 

「よ゛ぉ゛...ロズワ゛ール。なに...逃げでんだよ゛」

 

声帯もまだ損傷したままのようだ。しかし問題は無い。ロズワールは驚愕の表情を浮かべ、その場で腰を抜かして倒れ込んでしまっている。よし。これなら行ける。

 

俺は背中から剣を引き抜き...剣が無い。何処かで落としてしまったのだろうか? まぁいい。それならミーニャ撃てば良い。そう思いロズワールに向けて魔法を放とうとした瞬間、終わりは訪れた。

 

 

 

世界を飲み込む影の濁流は、全てを飲み込み時を戻した。

 

 

 

あぁ、次に行くのか。にしてもこの感覚にも慣れてきた。もう取り乱すことも無いし、自分でも不気味なくらい落ち着いている。でも、それは良いことじゃないか。なぁそうだろう? 菜月昴()

 

 

 

 

 

 

 

 



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第9話 『記憶の混濁』

世界が形を再構築してゆく。その奇妙な光景を俺は、意識を保ったまま(・・・・・・・・)ぼーっと眺めていた。

 

まず世界の全てが影に飲み込まれた。空の高く遠くで、強く光り輝いてきた一つの星が影に飲み込まれた時。世界が闇に堕ちて絶対的で完全な無が世界を支配する。

 

「愛してる」

 

そんでもってお馴染み嫉妬の魔女のご登場だ。

 

「愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる──愛してる」

 

騒音レベルの愛を叫んでも中身がねぇ猿真似じゃ響かねぇんだよ。愛し人すら間違えるようじゃ、お前はサテラと似ても似つかない。皮だけの存在なんだよ。ははっ、調子にのんなよクソッタレが。

 

世界が独り善がりの愛を嘆き押し付け去って行く。時は戻り、異物を除き、全く同一の新たな世界が始まった。

 

灰の焦土と化した森林には緑が芽吹き、暗く仄暗くなっていた雲は本来の白さを取り戻し、地面に空いた深い大穴は、まるで、存在自体が嘘だったかのように埋まる。

 

全て全て何もかも、世界はいくつかの不具合を抱えながら、元の姿を取り戻した。

 

 

 

さぁ、現状確認を行おう。薄々気が付いていたのだが、どうやら服は燃え尽きてしまっていたようだ。おかげで今の俺は全裸。何か服が欲しいと思うと、手元にはジャージ上下に靴下、シャツ、パンツとスニーカー。慣れ親しんだとも言える初期装備が何処からともなく現れたので即座に着用。ゆっくりと周りを見渡してみる。

 

目の前にピエロメイクの変態は居ないし、地形の破壊は発生していない。つまりは世界の巻き戻し、ナツキ・スバルの死に戻りは成功したと言う事だ。そしてここは第二章、2週目の世界。ナツキ・スバルは何故死んだのか訳が分からず、原因を探るために一週目と同じ行動を取ろうとする。

 

その姿は自分一人が頑張って、何度も繰り返せば幸せが来ると信じている、無知無力モラルの無い約束も守れない恥の塊。で、あるにも関わらず輝きを放つ一等星。なんとも矛盾した人間だと思う。だからこそ美しく醜いのだが。

 

残念な事に道中で買い集めた保存食や魔石等は引き継がれていないようだ。辺り一帯を探してみたが、それらしき物は見つからない。残念、残念。本当に残念だが仕方ない。

 

結局、新たに引き継げた物はビニール袋の中にしまってあった仮面と、ジャージのポケットに入っていた聖金貨5枚と火の魔石2個。不幸を嘆きたい気持ちが出て来るが、少しでも引き継げてるだけ万々歳だと思い直す。

 

さて、今からどうしようか。二週目の世界でのナツキ・スバルの死亡地点は屋敷の中。魔獣に噛まれ刻まれた呪いを受発動され、もがき苦しみ助けを求め屋敷を彷徨っている最中レムのモーニングスターにより死亡。

 

つまりこのままここで待機していれば、一週目と変わらない結果が訪れる。ロズワールに発見されてしまい、千日手の勝者の居ない戦いを強要されてしまう。それは少し面倒だ。

 

俺は即座にこの場から立ち去る事を決めると、ある程度道と呼べるように整備された通りをアーラム村を目指して歩いて向かった。

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

魔獣に遭遇する事もなく、誰ともすれ違わずに、俺はアーラム村にたどり着いた。現在、屋敷には原作主人公が居る筈なので、何かの拍子に原作主人公が村に降りてきた場合、偶然顔を合わせてもいいように仮面を装着し顔を隠しておく。

 

さて、どうするか。正直アーラム村と言えば第三章の惨殺シーンの印象が強くてそれ以外は特に印象に残っている物、興味のある物は特に無い。

 

今は第二章、2週目の世界なので、もう少し待たなければペテルギウス達に合流する事も難しい。考え無しにその場の勢いで魔女教を飛び出したのは間違いだったかもしれない。しかし今悔やむ事に意味は無い。

 

幸いにも村の子供は距離を取り、遠目に俺の方を警戒した様子で見ているだけなので、子供に絡まれて行動を縛られる事は無さそうだ。

 

一先ず俺は、今晩の寝床を確保する為に村の家を何軒か回ってみる事にする。そうと決まればまずは目の前の家に近づき、コンコンコンと軽い調子でノックをし、家の家主が出て来るのを待ってみる。しかし体感で5分程待ったが家主は一向に出て来ない。どうやら留守か、それても眠っているのか。

 

しかし押し入って問題を起こす訳にはいかないので隣の家に移動し、またノックを三回繰り返して家の中からの返事を待つ。こんどは少し待っていて欲しいと言う風な返事があった後、しばらくして若い青年が扉を開き現れる。

 

「こんにちは。どうかしましたか? 」

 

「すんません。突然悪いんだけど一晩泊めてもらえねぇかな? 」

 

軽い調子でみんなに愛される狂人を演じ、見様見真似の言葉を用いて青年に非常識な頼みを言う。本来であれば相手にされず終わるか、怒鳴られるか。どちらにせよ、要求が通る訳が無いのだが、いくつかの条件を整える事さえすれば、こちらの要求はすんなり通る。

 

「いや! 待ってれ! 言いたいことはわかる。でも俺の話を聞いてから判断してくれないか? 」

 

「は? はぁ....? 」

 

「っとその前に自己紹介からだな。俺の名前は....■■■、珍しい品を扱う商人をやってる。今はカララギからある物品を届けてる最中なんだが....道中、魔獣に襲われて積み荷を駄目にされてな....とりあえず王都に向かおうと思うんだが、ここまで我慢してきた疲労が一気に来ちまって正直大分キツい」

 

最初に相手に怪しい人物だと思わせる。使い捨ての偽名を使い、原作主人公への対策も忘れてはいけない。これは後で別の印象で塗りつぶし、関係を錯覚させる為のかさ増し分なので少しぐらい矛盾があっても大丈夫だ。

 

「そこで何日かこの村で休息を取らせて欲しいって言う最初の頼みに戻る訳だ。もちろん、タダでとは言わない。だけど手持ちもあんましあるわけじゃ無いから、聖金貨1枚で寝床だけでも用意してもらえないか? 」

 

すかさず一日を何日かと曖昧な表現に言い換え、目先の大金を代金としてチラつかせると、大抵の奴は面白いように忠実になる。結果として俺は、聖金貨1枚を支払い、使われていなかった空き家を数日間借り受ける事に成功した。

 

 

 

 

 

床があり壁があり屋根がある。所々の損傷箇所は存在せず、目に付いたのは少しの汚れぐらいの物。俺はコンビニ袋を部屋の隅に置き、上着のチャックを開いて床に寝ころがり、現状、何をすればいいか、何が、出来るのかを再確認してみる。

 

「っと! その前に...」

 

ふと、立ち上がって壁をコンコンと叩いて強度を確認してみたが、さすがに現代の建築物のような耐震性、防音性がある訳が無く、その音は思ったよりも響き、俺は不審がられてやしないだろうかと少しの不安を感じた。

 

けれども、相手の感情なんて他人には分からないし、元いた現実世界、果てやここ、異世界でも....いや、死者の書、又は暴食の権能を用いれば十分可能だったか。

 

それにしても、久々に一人でゆっくり考える時間を得た気がする。しかし何を考えると言うのだろう。既に俺は知っている。この物語の始まりを、進行を、結末を。全てを知ってしまっている。

 

その場で即席の筋書きを建てたとして、その通りに進行させる事は簡単であるし、逆に物語を破綻させ、ナツキ・スバルをIfルートに、異なる大罪に染め上げる事だって出来る。

 

路地裏のチンピラから火の大精霊。宮廷魔導師でも剣聖でも。大罪司教は勿論。大罪魔女も、ナツキ・スバルだって。殺せるだけの知識を、弱点を、好きな物も、嫌いな物も。全部全部知っている。

 

まるで全知全能の神にでもなったかのように錯覚するような知識量が思考を巡らせようとすると奥底から湧き出してくる。

 

「いや、おかしいだろ」

 

違和感。違和感が生じた。

 

それは必然的に生じる筈の違和感が、死の副作用により遅延され、体に回るのが遅れただけの。麻酔のような一時的な停止であったが、いくらかの日時が経ち少しすれば簡単に気付ける程度の、その程度の、お粗末な物で。お世辞にも上手く騙せているとは言えない。ただ認識を逸らさせている程度の物であり、程度の低いと言っても足りぬような。まるで子供が必死に隠している物事を暴いてしまったような、そんな感覚がした。

 

「なんてな」

 

知るか。お前が勝手にした事だろう。

 

しかしどうするか。俺の不死性に脆弱性がまた一つ発見されてしまった。圧倒的格上相手には殺され続け、遠距離の多人数には近付くことすらままならず、重い物が落ちてくれば普通に潰され、体の修復の際には楽観的な思考回路を会得してしまう。

 

ハッキリ言ってしまえば、俺はただ死なないだけの凡愚な人間なのである。それがどうしてあれほどまでに膨大な記憶を、知識を、情報を記憶しておける事が出来るのか。どこか重要な部分が抜け落ちてやしないだろうかと、いくら整合性を確認してもそれは成り立ってしまっていて、何度確認してみても綻びは生じてくれはしない。それがより、違和感を補強する。

 

何故だ? この知識は何処から流れてきている? 疑問に対しての答えは既に頭に浮かんでしまっていた。クエスチョンに対するアンサー。その正解はオド・ラグナだ。しかし部分的に靄がかかってそれ以上がよく分からない。

 

何故だ? 再び疑問を浮かび上がらせ、もう一度記憶の再確認を行ってみる。すると途中、まるで切断されたかのようにバッサリと浮かび上がらない部分が存在している事に気が付いた。

 

断線が起こっているのは第三章。それ以降の話が全く見えない。断片的な情報であれば簡単に、自由に思い出せると言うのに、少し深い情報を収集しようとすれば、何者かに阻まれるように壁が生じて見えなくなる。

 

「んー? ロックがかかってるのか? そりゃまた何で、誰が、何のために? 」

 

どうやら正確な情報は一章先までしか思い出せないらしく、何度試してみても第4章の正確な知識は頭に浮かび上がらない。第4章の断片的な情報なら思い出せるのだ。だけど詳しい事を考えると全然駄目。

 

俺はコンビニ袋からコーンポタージュスナックのお菓子を取り出し、開封すると書き込むようにそのまま乱雑に、飲み込むような形で食べ進める。

 

詳しい情報が思い出せない事で何か大幅な、修正不可能のミスをしでかしてしまうかもしれないと、少しの不安を感じたが、そもそも断片的な情報だけでも大きなアドバンテージになると思い直す。

 

「しっかし、どうするかねぇ...」

 

しまった。どうやら途中で考えが脱線し、一人妄想を初めてしまっていたようだ。これだけの時間を無駄にして、まだこれからの事を一つも決める事が出来ていない。とりあえず、明日の事だけでも決めてしまわなければ。そう思い考えようとした。考えようとはした。しかし眠気が来たのだ。

 

不眠不休で川に流され続けた時は一度も感じなかった、眠気が来たのだ。久し振りだなぁと眠気特有のふわふわとした、現実と非現実の境界が薄れて、崩れて、乱れで行くような。そんな感覚を楽しみながら、瞼が閉じでは開いてを繰り返し、視界が二、三度チカチカすると、俺は多分、眠りについた。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

臨場感のある映像が映し出される。

 

 

扉を開けて、声を出した。正直に言えば怖かった。だけど彼女が心配で、怖さが恐ろしさに変わって、いてもたっても居られなくなって、薄暗く視界の悪い、建物の中へと足を踏み入れた。それから数歩歩けば、ポツリ、ポツリと血痕が見え始めた。

 

心拍数が上昇し、これまでの人生で感じたことの無いような、酸素が無くなるなんて言葉じゃ生易しい、呼吸を無視して、短い距離を急ぎ、血痕を辿る。

 

祈っていた。どうか無事で居てくれと。血痕を辿った先に居たのは、見知らぬ巨体の、死体だった。正直、安堵した。それと同時に酸っぱい液体を床に吐き溢した。

 

とにかく、早く。彼女を連れてここから逃げ出さなければ。彼は弱腰になりつつも恐る恐る、最大限出来る限りの急ぎ足で彼女の名前を呼んで、返事を欲しがった。しかし帰ってきたのは返事では無く痛みだった。

 

腹に何かが当たる感覚がしたあと、視界がゆっくりと低くなり、それまで以上に息が苦しくなる。熱い。腹部の熱が、毒のように全身に回って行き、鋭い痛みと共にゆっくりと意識を奪い去ろうとして行く。

 

それでも、ここで終わってしまうのを諦めきれず、目を見開くと、彼女は、口から血を流し、複数の箇所に怪我を負った状態で隣に倒れていた。

 

名前を呼ぶ。彼はその名が、彼女の本当の名では無いと知らず、彼女の寂しい優しさを知らず、ただただ喚く子供のように、縋るような、迫るような声で、かすれかすれになりつつも名前を呼ぶ。何度も、呼びかける。

 

彼女の手がピクリと動いたような気がした。まだ、生きてる。そう確信を持った彼は、床を這いずり彼女に近付き、彼女の手に、手を重ねるようにして手を握る。

 

まだだ。まだ、死ねない。この思いを、覚えて居なくちゃならない。

 

死の匂いが漂う、薄暗く活気のない貧しい者達の住まう領域に建てられた盗品蔵にて、彼は決意を固めたらしい。

 

「待っていろ」

 

いや、きっと固めていたのだろう。決まっていた、決めていたと言った方が正しいのかもしれない。それが正しい認識かどうかは彼しか知り得ない。

 

「俺が、必ず」

 

血は流れていた。贓物は腹から姿を覗かせていた。死は、着々と彼に近づいていた。それでもなお、彼は己に呪いを刻み込むのを辞めようとしない。

 

「お前を」

 

背負って、拾って。重くなった体を何度も何度も痛め付けて、屍を積み重ねて。何度でも、繰り返して。次は必ず、君を

 

「救ってみせる」

 

救ってみせる。それは押し付けだ。自己満足だ。不慮の事故で彼女は死ぬ運命だったのだ。けれども彼は抗った。運命様上等だと、打ち勝って見せたのだ。決まっていた結末を、覆してみせたのだ。

 

それはまさしく、英雄(きょうじん)と言って間違いない姿であった。

 

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

映像が切り替わる。

 

 

轟々と空に暗影が立ち籠める。それは400年前、遙か昔の過去の事。彼は何度も何度も繰り返した。試行錯誤を重ねに重ね。多くを救う事を諦め、ただ一人。彼女の為に全てを尽くした。それでも足りなかった。

 

「大丈夫だ。まだ何か方法がある筈なんだ」

 

そんな物は無い。自分で解っていた。常識の範囲内でも、範囲外でも。明らかに倫理観を無視した行為ですらも、もう方法は試し尽くした。それでも、無理だったのだ。無駄だったのだ。

 

「だからもう少し、もう少しだけ耐えてくれないか? 」

 

憎い憎い。彼女に苦しみを強要するこの世界が、いや、彼は自分自身を憎悪した。解決策が無いと理解していながら、終わりのない苦しみを与え続ける自分自身を、殺したくて仕方が無かった。

 

「大丈夫。大丈夫だ。次こそは」

 

そうやって引き延ばして、引き延ばして、結局訪れたのは破滅でしかなかった。彼女は人格を乗っ取られ、魔女達は無残に殺害され。力を増した別人格は世界の半分を飲み込んでしまった。

 

もう、時間が無いと一人が龍剣に手をかけた。

 

ここまでだと、一人が双翼を羽ばたかせ、上空から攻撃の機会を窺い始めた。

 

「ま、待ってくれ! もう少し、あと少しだけ」

 

遅い。既にその段階は過ぎてしまっていると、現実を突きつけられた。わかってた。ずるずると何時までもあんな不安定な状態が続くわけが無いとわかっていた。それでも、彼女に死んでほしくなくて。どうしても生きててほしくて。

 

「...わかった。だけど殺すのは駄目だ。そもそも無理だ。だから封印する」

 

嘘だ。下手に封印するよりも、今の段階でなら、さっさと殺した方が簡単だ。別人格が目覚めてからそれほど時間が経っていない今なら、今ここに集結した勢力で十分殺せる筈なのだ。それでも彼は嘘を吐く。

 

仲間達も、それが嘘だと解っていたのだろう。けれども誰も、その事について何かを言おうとする者は現れなかった。

 

急ぐ、ただ急ぐ。小手先だけの権能を操り、その場しのぎで影の攻撃を避け、少しでも速くと、後先考えず彼女の元へと急ぐ。

 

「ごめんな。俺じゃ君を救えなかったみたいだ」

 

何を言えば良いかも解らず、思った事だけを、紫紺の瞳を見つめながら、言葉として吐き出して。場違いに安心しながら、落ち着いた感情でゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「でも大丈夫。今度こそ、今度こそは大丈夫だから。俺じゃ無い俺が、きっと君を救ってくれる」

 

自身の身を犠牲にした他力本願とでも言えば良いのだろうか。いいや、それではまだ足りない。そんな表現では温すぎる。ただ一人の為にソレを行うのは、不釣り合いな事を、この世界に住まう無関係な人々を巻き込んでまで行うのだ。普通は、駄目なのだろう。常人なら、こんな選択をしないのだろう。

 

だけども彼は、常人では無く、賢人であった。悲劇を何度も乗り越えてしまった、英雄(きょうじん)であった。

 

「だから待っててくれ」

 

それは苦痛の強要だ。地獄の強制だ。彼女を苦しめ続ける事でしか無い。いっそこのまま死んでしまった方が楽なのかもしれない。だけど、だけども。たとえそれが無責任だとしても、彼女に生きていてほしくて。

 

「俺が、必ず」

 

これは決意なんかじゃない。愛なんて綺麗な物でもない。汚れ、穢れ、悍ましい。呪いの言葉だ。

 

「救ってみせる」

 

絶対なんて無い。だから何度も繰り返す。次に託す。死体をいくつも積み重ね、屍の山の向こう側へと進むために、ハッピーエンドを掴み取るために、何度でも人の想いを踏みにじる。

 

「なに、400年なんてあっと言う間だ。俺も一緒に居るから、一緒に待つから。だから、安心して眠っていてくれ」

 

優しい笑みを浮かべ、人間らしい表情を少しの間浮かべた後、彼は表情が抜け落ちたように真っ新な顔をして、その身を黒い感情で包み、怒りを静かに放出する。

 

「おい、嫉妬。どうせ今のも聞こえてんだろ? そんでもって怒ってる訳だ。みっともなく■■■■に嫉妬して、何で何でと駄々をこねる」

 

まるで大人が子供を叱りつけるように、ただし、決定的に優しさの欠如した、損傷したような、説教とは違う。子供同士の喧嘩にも見える無言と罵声の応酬が始まった。

 

「愛してだぁ? 馬鹿かよ。お前の事なんて愛してやるか。身の程知らずも大概にしろよ。俺が愛するのはオンリーワン。■■■■ただ一人だけだ。そこにお前が入り込む余地なんて一欠片も空いちゃいないんだ」

 

一瞬、青い髪の使用人の姿がよぎったが、意図的に思考をシャットアウトする。

 

「だから返して貰うぞ、嫉妬。俺は次のデートが楽しみで仕方ないんだ。お前なんて眼中にないんだよ」

 

影が大きく姿を揺らし、威嚇するように甲高い声を叫ぶ。

 

「俺が、必ず」

 

影の波が彼を飲み込んだ。彼は無抵抗のまま影に飲み込まれた瞬間、プツリと映像が途切れた。

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

──まだ、足りない。

 

賢人の声がした。400年前、死したはずの、消滅した筈の、その人の声がした。

 

──彼女を救うには、それでは力不足すぎる。

 

その声は酷く冷たく、嘆き、侮り、軽んじていて。見下しているような声であり、期待と声援と恐怖の入り混じった声でもあった。

 

──謎の不死の性質については、ある程度の有用性があるが...いや、それはいい。

 

少し、人間らしく悩んでいるような姿を見せる賢人に対し、俺は何処かで視たことのあるような、そんな妙な既視感を覚えた。

 

誰だ。お前は誰なんだ。頭の中で何度も何度も記憶を精査し、一人一人と照らし合わせる。ナツキ・スバル、違う。菜月賢一、違う。アルデバラン、違う。パック、違う。

 

──今は、まだ忘れていろ。

 

記憶が薄れ、意識が現実へと回帰して行く。今、ここで答えを提示したとして、その記憶を保持する事は不可能なのだろう。それでも、だとしても知りたい。俺の中の強欲が、それを求めている。

 

違う違う違う違う。

 

レイド・ヴァン・アストレア、違う。ホーシン、違う。シャウラ、違う。

 

フリューゲ

 

──おっと、そこまでだ。今回は時間切れで脱落だが、次はもっと大胆な活躍を期待してるぜ。これまでみたいに、いや、これまで以上に、努力して、不要なモノを捨てて、試行錯誤を繰り返して。いつか、最善でなくとも。なんでも良いから彼女を救えるぐらいの何かを得るために、どしどし頑張ってくれ。

 

聞き覚えのある言葉を最後に、俺は意識を失った。

 

 

 




ありがとうございました。


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第10話 『青髪メイドは鼻が利く』

目眩がする。頭が痛い。身体は怠さが支配していて、行動をしたくない気分だ。このまま二度寝してしまおうか。いや、駄目だろ。目を覚ませ。

 

なんか寝る前に考えてた気がする...が、思い出せない。まぁ、思い出せないと言う事はさして重要で無いと言う事の裏付けになり得る。ってどっかで聞いたことがあるような気がするから...多分大丈夫だと思う。

 

ただ、このまま眠り続けるのは非常によろしくない。せめて何時間寝ていたのかだけでも確認しなければ。

 

俺は重い瞼をどうにかこじ開け、まだ完全に起きていないままの頭を動かし、フラフラと不安定な足取りで家の扉を開き外に出る。

 

「まっ...ぶし......」

 

外は嫌になるぐらい眩しい太陽が輝いていた。どうやら今は昼間のようだ。しかし少し暑い。と、少しの時間感じたが、その感覚も数秒後には嘘のように消え去ってしまう。

 

少し反抗心が刺激されて、空に浮かぶ太陽をじっと見つめてみると、少しの間目が眩んで地面に倒れ込みそうになったが、それでもじっと見つめ続ける。しばらくするとまた、その感覚は消え去り、状態は巻き戻されてしまう。

 

嫌な感覚だ。気持ちが悪くて気味が悪い。だけど嫌いでは無い。矛盾だ。矛盾と言う言葉でしか表現する方法を知らない、曖昧な感情が心を漂っている。

 

寝起き特有の持続する鈍い痛みに耐えながら、俺は渇いた喉を潤すために、不用心にも顔を晒したままの状態で、村に来る前に見つけた、村から少し外れた所にある湧き水を飲みに村の外へと、定まらない足取りでゆっくりと向かった。たかが水分ごとき摂取を我慢すれば良かったのに、喉が渇いた、水を飲もうと甘えた考えをした。

 

「本性を現しましたね、魔女教徒」

 

その結果がこれだ。呑気に警戒もせず、死なないからと緩みきった気持ちで慢心して。疑われるような、目立つような行動をして。ただ獣のように水を飲んだ。喉は満足に満たされたが、立ち上がり、振り返るとそこには青髪の使用人が、眼光だけで人を殺せそうな目をしながら俺を睨み付けていた。

 

目の前に立つ青髪の使用人の手には、その可愛らしさに似合わない凶器が握られており、その凶器は一撃でナツキ・スバルの命を一つ、簡単に奪うことが可能である事は原作において実証済みである。

 

どうしよう。困った。画面は付けていないから、多分、と言うか絶対。青髪の使用人は俺をナツキ・スバルだと誤認している筈だ。そして、現時点でナツキ・スバルが青髪の使用人から得ている好感度は存在せず、魔女の残り香によりマイナスを振り切れてその数値は地獄の底。どう考えても挽回出来る方法が思い付かない。

 

それに、ここで青髪の使用人を殺す事は出来ない。今回の周において、青髪の使用人にはナツキ・スバルを殺してもらう必要があるからだ。

 

「俺が魔女教徒だって? 生憎俺は無信仰だ。ったく、いきなりそんな物持ち出してきてなんなんだよ」

 

誤魔化しでどうにかなる次元では無い。効果があっても、それは僅かばかりの時間を稼ぐだけ。これは積んだかもしれない。いや、確実に積んだ。あぁクソ、失敗した。

 

「御託は結構。そんなに濃い魔女の匂いを漂わせておいて、無関係だなんて言わせませんよ」

 

「え? そんなに匂う? 今はちょっとは薄くなってるんじゃね? ほら! もう一回匂いを嗅いでみろよ! さんはい! 」

 

 

青髪の使用人は俺の戯れ言に微塵も耳を傾けず、冷たい怒りを宿した表情を浮かべ、白く細い腕でモーニングスターを振るう。濃密な殺意が、目に見えて視野を狭めている。選択肢を、殺人の一直線に絞ってしまっている。

 

「だから、お前は俺に勝てない」

 

「何を言って...? 」

 

そりゃ、青髪の使用人の目から見れば腕は壊死、俺の貧弱な肉体に比べ、青髪の使用人の身体能力は桁違い。逃亡はまず不可能だ。青髪の使用人の中では、俺は既に取るに足らない、いや、最初から警戒などしていなかったのか。

 

これは恥ずかしい。無意識の内の自己評価が高過ぎた。意識を、考え方を正常な物に矯正しておかなければ。こんな馬鹿な考え方では、いずれ何処かで致命的な間違いを起こしてしまう。軽い自己反省を行っている間に、腕の怪我は、少女の細い首を絞め殺せるぐらいには回復した。

 

「楽に殺して差し上げますから、抵抗しないで下さい。レムは姉様のように優秀ではないので、つい手元が狂ってしまうかもしれません」

 

「まったまたー。つい、じゃなくてわざとだろ? 過失では無く故意。あらやだレムってば俺に恋してんの!? いやぁ~気持ちは嬉しいけど、俺にはエミリアが」

 

どうにも策が浮かばず、ナツキ・スバルの真似をして。この場にそぐわぬ話題を、場違いな陽気な、無神経な声で話し、相手をただただ苛立たせる。

 

どうやら青髪の使用人は感情のコントロールが余り上手くないようで、手元のモーニングスターを、怒りに任せて振り回した。足と、胴体、腕の骨は砕かれ、腹部からは贓物が溢れ落ち、右足と左腕は根元から抉り取られており、傷口からは絶えず血液が、水道の蛇口を捻ったときのようにドハドバ垂れ流されている。

 

しかし痛みは感じない。みじんたりとも苦しくは無い。それがどうして、どうも虚しい。

 

「おいおい嫉妬か? 嫌いだ。大嫌いだ。虫唾が走る反吐が出る。ウザったいみっともない見苦しい。何故だ? 何故嫉妬する? あぁ、また一つ目的が出来たな。ありがとよ、レム」

 

何でもいい。誰でもいい。どんな事をしてもいい。だから、とにかくこの空白を埋めなければ。強い脅迫的な概念に追われるように、俺は目の前の青髪の使用人を、つい最近得た生まれつきらしい鋭い目つきで睨みつける。

 

感情が、罪が、青髪の使用人の人相に浮かんでいる気がした。怒り、羨ましさ、嫌悪。そして激しい、嫉妬と罪悪感。その意味は、きっと青髪の使用人自身にしかわからない物だ。たかだか原作を傍観者の立場から読んだだけの、観ただけの人間がおいそれと語れるような、それなちっぽけな物じゃあ無い。

 

「死ねッ! 魔女教徒! 」

 

純粋な怒りに染まった、モーニングスターは、容易に俺の顔面に命中し、胴体と首を引き離した。俺の首は空を舞い、ボロボロの胴体から少し離れた位置に転がる。

 

どうするか。今身体を再生させても、青髪の使用人が鬼化してしまえば、確実にロズワール邸に居るラムに共感覚で現在の状況が伝わってしまう可能性が高い。現在の時点で既に伝わってしまっているかもしれないが、念には念をと言う奴だ。

 

とりあえず身体の再生を止めようと意識してみると、今までは勝手に元通りになっていた身体は、まるで本当に死んでしまったかのように再生を辞め、死体のような状態で活動を停止した。

 

活動を停止した、と言うのは揶揄表現だ。身体を動かそうと思えば、今の状態でも再生させずに動かす事も出来るっぽい。しかし、本当に俺の身体はどうなってしまったのだろう。少しの不安を抱きつつも、俺の頭は既に、どう、青髪の使用人を殺すかの一点だけを考えていた。

 

原作第3章、大罪司教怠惰担当、ペテルギウス・ロマネコンティのように、見えざる手で、四肢を捻り生を侮辱し殺すか。いや、俺の魔手は怠惰であって怠惰ではない。目に見えない、見えざる手を扱うペテルギウスと違い、俺の魔手は常人にも認識できてしまう。

 

ならばいつぞやの憂鬱の魔人、ヘクトールのように、重力を操り、強い圧力を圧殺するか。それも無理だ。俺の憂鬱の権能は、これまた憂鬱であって憂鬱でない。そもそもヘクトールが扱っていたのは重力だが、俺の用いるのは重量操作。似ているようで確かに違うものだ。

 

たとえ青髪の使用人の重量を増加させたとしても、青髪の使用人はきっと、感情に任せてツノを生やし、身体能力その他もろもろを大幅に向上させてしまう。それでは状況の改善どころか、さらに深刻な悪化を引き起こすだけだ。

 

考えろ。考えて考えて考えて。

 

俺は青髪の使用人が振り向いて三つを心の中で数えると、怠惰なる魔手を10本展開し、重量操作で自身の体重を何も考えず、制御を放棄して思い切り軽くする。今はとにかく速度が欲しい。

 

風を切る速度なんて高速には到底及ばない。けれども、確かに素早さを感じる速度で魔の手は青髪の使用人の四肢に絡み付いた。

 

「──ッ!? 」

 

その内の1本の魔手を強引に開いた口の中へとねじ込み、呼吸を阻害。青髪の使用人は驚いた様子で、怒りの色を濃く浮かばせている。

 

「はっ。いくら亜人族とは言え、エラ呼吸なんて器用な呼吸法が出来るわけねぇよな! 」

 

青髪の使用人は口を動かし何かを言おうとしていたが、今も喉の奥底へとじわじわ進む魔手が発音を邪魔する。身体は動かせず、声も出せない。さぁ、後はペテルギウスのように四肢に絡めた魔手を捻るだけだ。たったそれだけで、この青髪の使用人はぼろ雑巾のように、簡単にその命を散らす事になる。

 

それはまるで、あの時目に焼き付けた狂人が行った行為の焼き直しのようで。

 

──い、きぇ

 

誰かの声が聞こえた気がした。知識の中から、俺でない俺に向けられた、愛の言葉がフラッシュバックする。

 

「やめろ」

 

──い、きて

 

既視感が、懐かしさが、愛らしさが染みついたこの想いは、俺に向けられた物ではない。これはナツキ・スバルに向けられた物だ。そもそも、時系列からして違う。これは第三章での出来事のはずだ。まだ先の悲劇のはずだ。

 

「やめろ」

 

駄目だ。聞きたくない。辞めてくれ。頭がこんがらがってくる。それは俺に向けた愛じゃない。勘違いすんな。頭では、違うとわかっているのに、ぼーっとして考えが纏まらない。夢を見ているような、そんな非現実的な感覚と共に、終わりの恐怖が差し迫る。

 

──だい…

 

「黙りやがれ! うるさいうるさいうるさい! 死ね! 死ねよ! 」

 

恐怖に溺れ、何も考えずに振るわれた制御させていない純粋な暴力は、無遠慮に身体を捻り、その形を歪めた。俺がそっと、身体に纏わり付いた魔手を引くと、少女の身体はぐったりと地面に倒れ込む。

 

あぁ、やっちまった。殺してしまった。貰い物のショートケーキを思いもよらず腐らせてしまった時のような、なんとも言えない微妙な悲しさが、薄らと湧き上がってきた。最初は少ししか、悲しさも苦しさも感じては居なかった筈なのだ。

 

しかしそれは秒を刻む毎に、かの鼠の数式のように膨れ上がり、今すぐに喉を貫いてやり直したい気持ちに襲われた。しかし、それが出来るのは、彼女からの愛の祝福を受けている者のみ。ナツキ・スバルにしか扱えない、間違っても俺が使う事の出来ない力。

 

死をトリガーとしたその力はただ一人の運命を覆す為にだけ、正しく効力を発揮する。時を巻き戻し、死の充満した袋小路から、ただ一人を逃がすためだけに作用する。

 

今回の周回での、ナツキ・スバルの死因はレムによるモーニングスターでの撲殺。もしかしたらこのまま放置していても、上手くガルムの呪いが発動し、衰弱死を遂げてくれるかもしれない。しかしそれは不確定な要素だ。もし、買い出しに出掛けたレムが屋敷に戻らなかったら、ナツキ・スバルは。ラムは。エミリアは。パックは。ベアトリスは。ロズワールは。

 

誰が、どんな行動を取るか予想が出来ない。そもそも

 

「死になさい! 『エル・フーラ』ッ!」

 

思考を深くするといつもこうだ。何者かによって邪魔される。不幸に嘆きつつも、状況の再確認を行わなければと思い、俺は身体の様子を確認した。

 

どうやらかまいたちのような斬撃により切り刻まれたようだ。と言ってもこの時点でこの状況。魔法を行使した張本人の目星は付いている。しかしごく僅かの可能性を考慮すると、犯人候補となる人物の数は5人。決め付けてかかることはまだ出来ない。

 

怪我の具合は、右腕は肘から下が消失し、下半身はズタズタ。頭部に至っては原形をとどめていない程度で済んだ。身体は既に、緩やかな再生を始めている。ものの一分もせずに元の傷のない身体に戻る事だろう。悲観することは無い。

 

しかし現時点では身体は動かず、部分的に残った俺の破片に意識を集めて動かしてみても意味がない。ならばせめて相手の顔を確認しようと眼球を動かし、誰がこの風のマナを用いた魔法を放ったのか、分かり切った事を無意味に確認する。

 

「『フーラ』ッ! 『フーラ フーラ フーラ フーラ』ッ!! 」

 

眼に映った桃色の鬼は、泣きそうな顔で殺気を放ちながら、俺の肉骸にひたすら魔法を放ち続けていた。常人であれば何度死んだ事だがわからないほどの致命傷が、俺の身体に次々と刻み込まれる。

 

痛みは感じなかった。代わりに感じたのは強い憎しみと憎悪、恨み、絶望。嫌な感覚が体に浸透してゆく。

 

「ル...フー......ラ」

 

額から血を流し、文字通りに血反吐を吐きながら、今にも死にそうな様子になってまでも、桃色の鬼は俺に魔法を放ち続けた。桃色の鬼の行動は、世間という物の一般的なつまらない考えに基づけば、馬鹿と言われるものなのだろう。

 

「エ...ル......」

 

しかしそれは、愛、故の行動であると理解できたのなら、称賛に値するものなのだろう。無論、生きて帰る事が出来ればの話なのだが。

 

「エル...フ......ラ」

 

けれども、俺に対して、そんな魔法を放った所で、俺の体はすぐさま修復されてしまう。桃色の鬼が命を犯してまで伸ばした風の刃は、確かに俺を切り刻んだ。しかしながら、傷が元に戻ってしまえば、そんな努力は、無駄になる。行動は意味を持てなくなる。

 

「フー...ラ」

 

何故だか、それがどうしてか、とても悲しい、悔しい、虚しい気持ちになってしまって。俺は今も身体に襲い掛かる魔法による攻撃を無視し、無理矢理身体を動かし立ち上がると、地面に蹲る桃色の鬼へと少しずつ、不確かな足取りで確かに近づく。

 

腕が飛んだ。だがまぁ良い。どうせまた生えてくる。

 

足が切断された。それもどうでも良い。また修復される。

 

風の刃で腹部を裂かれた。が、元に戻る傷など、目の前の悲惨な地獄を味わっている。否、俺が地獄を味あわせている少女の苦しみに比べれば、そんなもの塵芥に等しい。そもそも比べる事自体が烏滸がましい。

 

そもそも、そもそもそもそも。俺がこんなちっぽけな罪悪感情を抱くこと自体間違っている。申し訳なさを感じるぐらいなら、最初からやらなければよかったのである。それでも、やると決めた。だから最後まで。やり遂げる。成し遂げてみせる。そうだろう? 菜月昴。

 

自分自身に自己暗示をいくらしてみても、気分が乗るような感覚は訪れない。そうやって後悔と懺悔を繰り返している間に、俺は桃色の鬼の元まで辿り着いてしまった。

 

桃色の鬼は、もう俺に魔法を撃つ気力すら残っていないのか、地面に伏したままピクリととも動かない。もしかして死んでしまったのだろうか。それならば運が良い。自らが手を下さなければ、いくらか罪悪感も薄れてくれる。

 

「なぁ」

 

無意識に口が動いた。まるで身体が、意志を持ち、勝手に動いているかのような、現実逃避したさに生まれた、偽りの感覚が、俺の身体を支配した。

 

「ごめんな。ラム。本当は殺すつもりなんて無かった。いや、嘘吐いたわ。最初から殺すつもりだった。だけどそれは今じゃ無かったんだよ」

 

死体に向かい戯言を嘯く俺は、魔女からみればどんな風に映るのだろう。きっと、汚く醜く穢れて見えるんだろうなぁと達観し、同時に、そうであって欲しいとも願いながら、俺は廃棄された未来設計図を話して聞かせる。

 

「本当なら第3章で、ナツキ・スバルが王城に乗り込んでいる内に、二人を殺しておく予定だったんだ。それなら邪魔も入らないし、ナツキ・スバルはまだ英雄になれて無い状態で、レムが消えれば、ナツキ・スバルは英雄にはなれなくなる。ロズワールの計画も破綻し、何もかもがその一回で崩れる。そんな予定だったんだ」

 

 

しかし予定はあくまでも予定。そうも簡単に上手く行く訳が無いと解っていたと思っていたが、再度認識を深く刺された。今後は予定が崩れることを前提に計画を練らなければ。でなければ到底、ナツキ・スバルを殺すなんて出来ない。

 

「だけど、俺がヘマしちゃってさ。レムに見つかっちゃったんだ。それで、追い詰められたから殺した。でも仕方ない。俺のミスだからな。だから、ラム。お前もちゃんと死ねるから、安心して良いぜ」

 

流れるように桃色の鬼の、小柄な身体にのしかかり、白く細い首に手を添えて、ゆっくりと力を込める。生きている肉を屍に変える感覚が。首を締め付ける手からそのまま伝わり、なんだか気が引けてきた。首から視線を逸らして、視界を上に上げると、桃色の鬼は苦しそうに目を見開き、かすれかすれの声で呟き、魔法を放つ。

 

「そっか。生きてたのか。てっきり俺は死んだもんだと思ってたよ。だから死んでくれ」

 

至近距離で生み出された風の刃は、俺の全身を一撃で大きく切り付け、全身に浅い傷を負わせ、俺の首を切り落とした。なるほど。決死の攻撃とは正にこの事か。しかしそれにも意味は無い。身体は勝手に再生を始めた。

 

それに伴い、怒り、では無く、綺麗な言い方をすれば、慈悲の心と言う物が。それから装飾を一切合切取っ払えば、ア憐れみの感情が。嫌に冷たく身体を巡る。

 

首を絞める。少女は必死に、空気を取り入れようと、呼吸をしようと、生きようとしていた。首に触れている手の力を強める。喉仏と言うのだろうか、細い骨に当たる感覚がした。ギジギシと、さらに力を強め、骨を折る。

 

首を、絞める。少女は目を開いていた。しかし、そこに生きている者特有の生気は全く感じられない。死者だ。死者の顔だ。少女の瞳に映る顔に、気味の悪さを感じ、さらに手の力を強め、少女を死へと近付ける。

 

首を、絞め、た。殺した。少女を殺した。2人の、救われなかった。報われなかった。幸せになれなかった少女をこの手で殺した。

 

「あぁ、そう、だ。俺が、殺した。俺が、俺が、殺し、た」

 

首を絞めた手を何度も見ていると、甲高い不気味な笑い声が、何処からか聞こえてきた。

 

「ふひ」

 

怖い

 

「ひひひひひ。ふはははははひひひひひひ! 俺が、殺し、だぁ! ひはははははは!! 」

 

笑っていたのは、俺だった。よく見てみれば、少女の亡骸の瞳に映った顔は、俺の顔だった。

 

「ひはははははふひふひふふふふふひっ! レム、ラム! 俺が、ふひゃひひひひは! 」

 

死んだ顔をした生き物は、狂った笑みを縫い付けて、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第11話 『殺しの味は』

やっちまった。殺しちまった。どうしよう。まずは死体を隠す...いや、それよりもこの場からの逃走を優先すべきか。混乱した思考が脳を駆け回り。さらなる混乱を呼び寄せる。笑みが止まらない。別になんにも面白いことは無いのに、口が縫い付けられたように笑みを強要する。

 

いや、いやいやいや。それも今はどうでもいい。これからを考えろ。今からどうすれば良いかを考えるべきだ。回らぬ頭を無理矢理動かし、知恵無き愚図で、劣っている思考を働かせ、適度な取得選択を繰り返し、いくつもの可能性を整理する。

 

「くひっ」

 

このまま逃げてはナツキ・スバルが三周目に突入せずに、第三章に移行する可能性が発生してしまう。駄目だ。逃げられない。もし、万が一。ナツキ・スバルが発症した呪いを解呪してしまったら、その時点で積みだ。

 

「ひひっ。ふひひひひっ」

 

それから数日経過すれば、買い出しに出掛けたまま屋敷に戻らないレム。同じく姿が見えないラム。二週目のナツキ・スバルでも、まだ、生温い覚悟すら決めていない、決められていないナツキ・スバルだとしても、明らかな違和感に気が付いてしまう。

 

「あひゃひゃひゃひゃ。ふひゃひひ」

 

幸い、ロズワールについては叡智の書の記述から外れた時点で廃人同然の状態になるため、注意する必要は無くなるが、それでは駄目だ。原作との差異を現時点で発生させるのはよろしくない。その時点で俺の原作知識は死んでしまう。

 

「ふーふー。あひふゃ」

 

深呼吸をして呼吸を整える。げらげらと笑っている場合ではない。それよりも今は、他に考え無ければならない事がある筈だ。そうだ、考えなければ。

 

確実にナツキ・スバルを殺せる場面で。死に戻りを用いても運命の袋小路から脱出出来ない、積みの状態に陥らせる事の出来るその時まで、静かに殺意を練り上げ、予想外の、油断している隙に、動揺している隙に、大きな差異を叩き付けるべきだ。

 

「その、為には」

 

その為には、ナツキ・スバルの関与せぬ場で、小さな差異を積み重ね、認識外において自由に扱える手勢を揃え。状況を引き寄せられる場面を整え。その時を静かに待ち、粛々と準備を行わなければならない。

 

「つまり、今じゃ無い。今じゃあ、無いんだよ」

 

小難しい事を全て省き考えると、現時点でナツキ・スバルに第三章に移行されては困るという事だ。故にナツキ・スバルを一度、殺さなければならない。勢い余って殺してしまったレムの代わりに、俺が、ナツキ・スバルを殺さなければならない。ナツキ・スバルを、殺して良いのだ。

 

そこまで考えてしまうと、頭が真っ白になった。何も、考えられなくなった。もちろん、それはただの揶揄表現でしか無いが、そう思えてしまう程の幸福感が、麻薬として脳内で生成され続けている。

 

「あぁ──」

 

あぁ、最高に良い気分だ。あの憎くて恨めしい、ナツキ・スバルを殺すことが出来る。合法的に、合理的に、仕方ないと言う大義名分を盾にして。ナツキ・スバルを殺す事が出来る。

 

「ひひひっ。くひひふぁ! 」

 

顔には笑みが蘇っていた。憶えていない遠い記憶の、いつか何処かで冷たく願った、何が何でも殺したい程に忌み嫌った狂人の笑みだ。なのにそれすらが蕩けるような甘い快楽として脳に出力されてしまっている。こうなってしまってはもう、ダメだ。

 

身体が嫌に力を溢れさせる。全能感すら感じさせる貧弱な俺の身体は、ロズワール邸へと歩み始めていた。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

「だーれだだれだ。ふひっ。ははは。ぶっ殺す。ひひはっ。あーうー! くへへっ」

 

意味を成さない言葉の羅列は、妙に俺の心を落ち着かせ、自然な笑いが奥底から這い出て来るような感覚を巻き付けた。それが、枷だと分かっていても、退化だと分かっていても、道を踏み外す足を止められない。

 

「鬼さーんこちら、てーのなーるほーへ! あひひはっ! そっか。死んだんだった! だったなぁ。ひひっ。はははははっ!! 」

 

無事、屋敷に到着出来た俺は、魔手を出現させ、ナツキ・スバルの部屋へと窓から侵入。窓は閉まっていたので叩き割ったが、特に問題も無くナツキ・スバルの部屋への侵入に成功した。結構な物音が鳴り、騒音が屋敷に響いていると思うのだが、誰も来る様子は無い。つまり何の問題も無い。

 

素早いとは言えず、最適な動きでは無かったが、ふらふらと不安定な足取りでナツキ・スバルの眠るベットに近付き、首に手をあてがい軽く力を入れてみる。少しずつ、少しずつ入れる力を強めて、キリキリと苦しそうに悶え始めた瞬間、魔手で両目を抉り取り、視界を奪う。

 

「くひっ。ひゃははははっ、ひひひゃ。ひーひーっ」

 

から笑いが止まらない。酸素が足りない。呼吸が出来ない。それでもちっとも苦しくない。だからこそ死を感じられない。楽しめない。故に詰まらない。

 

手に力を込める。もう少し。あと少し。キリキリと力を徐々に強めて行っていたら、ボコッと手に触れる物がへこむ感覚がした。きっと喉仏が折れたのだろう。痛いのか、もう感覚すら分からないのか、ナツキ・スバルは口を餌を求める金魚のように開いて閉じるを繰り返している。

 

「哀れだなぁ! 惨めだなぁ! ひひっ! 弱い弱い! 死ぬしか能の無い凡愚な猿が! 自分の事しか考えられねぇ阿呆が! くふっ、ひひひ。ばーか! あは、くはははは! 」

 

声を聞かせてしまった。幸いな事に、笑い続け、渇き掠れた声であった為、流石に気付かれていないとは思うが、これは安易な考えだ。良くない良くない。けど楽しいから辞められない。嬉しい。幸福だ。違う。幸せだ。違う。気持ち悪い感情がどこからか現れた。

 

「違う。ひひゃ、ちがひゃ。う。違、ははひゃあっ、違う」

 

ナツキ・スバルは抵抗を辞めた。きっと死んだのだろう。死ねた訳では無いのだが、決してそういう、人生の終着点に辿り着いただとか、終点に到着しただとか、エンディングかなんとかだとか。そんな意味では無く、この周回での死亡という、無限の残機が一つ減っただけの、ただそれだけの事なのだが。

 

「違、く、ひゃうっ、違、う。」

 

何故だろうか(それは嫉妬でしかない欲だ)、それが酷く、羨ましく思えてしまうのだ。 

 

何故だろうか(それは虚飾に塗れた欲だ)、それが格好良く見えてしまうのだ。 

 

何故だろうか(それは怠惰な欲だ)、それに成りたいと願ってしまうのだ。 

 

何故だろうか(それは憂鬱故に鬱陶しい欲だ)、縋りたいと、救われたいと、祈ってしまうのだ。 

 

何故だろうか(それは傲慢で何も持たない、無力な欲だ)、それを嫌悪し、憎悪し、恨み、気持ち悪いと感じるのだ。 

 

何故だろうか(それは強欲を束ねる欲だ)、それが欲しくてたまらなくて、何をしてでも求めてしまうのだ。

 

何故だろうか(それは暴食を繰り返す欲だ)、彼の全てを喰らい尽くし、自身の血肉としたいと考えてしまうのだ。 

 

何故だろうか(それは憤怒から破壊を翳す欲だ)、殺したいと、大事なモノを穢し、怒りに任せ殺してしまいたいと殺意を抱いてしまうのだ。  

 

何故だろうか(それは色欲を重ねる欲だ)、愛を奪いたいと、横から掠め取りたいと、強引に、強要を強いてしまいたいのだ。 

 

何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故──何故、

 

「違う」

 

頭が痛い。芯から来る痛みだ。叫び地面にみっともなく転がり回りたいと即座に思い、本来であれば実行できてしまう程の痛みである。しかし俺の口は、ただ一言だけの否定の言葉を繰り返し、こちらの痛みをちっとも理解してくれず、取り合ってくれやしない。

 

「違う。違うんだよ。そうじゃ無いんだ。仕方が無かった。他に手段が無かった。あの状況ではあれが最善策だったんだ」

 

違う。全て同一だ。いや、今は過去形か。仕方が無かったのでは無い、別に詰んでいた訳では無い。他に手段が無かったのでは無い、他に方法はいくらだってあった。あの状況での最善策があれであった筈が無い。それを原作は証明している。

 

──愛して、る? 

 

何処からか聞こえてきた声に反応し、ふと窓の外を眺めてみると、世界の色は仄暗い闇に包まれた、飾り付けたようなキザな言い方をすれば、終わる世界と言って誰もが理解できる、闇が広がっていた。

 

俺は身体を魔手で包み込み、窓から闇に向かい飛び込む。

 

──愛してる。

 

「だから、何回言わせりゃ気が済むんだよ。俺はアレとは違うんだ。んで、俺がお前の大好きな愛しのスバルくんを殺した犯人な訳だ。ほら、俺が憎いだろう? 早く殺してみろよ」

 

頭から響く痛みに耐え、生物的な格の違いを感じる格上の存在感に耐え、そんな様子を表に出さぬよう、嘘の作り笑みで取り繕い、魔女に怒りを沸かせ、終わりが欲しくて死を願う。

 

──愛してる。

 

しかし魔女は表情を変えず、俺はそのまま影に飲み込まれ2周目の世界から姿を消した。

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

歪な愛の形は、どうやら俺を殺してくれないらしい。

 

「あひ、くははっ」

 

これで仮説の一つが潰れてくれた。俺の完全な死の条件に、ナツキ・スバルの死亡は関係していない。それだけが分かっただけでも、十分な収穫だ。俺は服に付着した土を軽く払いながら、身体を魔手で包み込み、ウルガルムの住む、魔獣の森へと飛び去った。

 

 

 

 



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第12話 『精神半壊』

どのぐらい、離れただろうか。どの位、時が経ったのだろうか。きっとそれ程離れられて無いのだろう。それに時間も少ししか経過していないと思う。

 

それでも、メイザース辺境伯の屋敷から離れられたという安心感は、充分に得ることが出来た。笑いも興奮も大分落ち着いてきた。しかしながら、死への仮説が一つ潰れてしまったのは辛い。いや、結果的には選択肢が減り、正しい、正解を引く確率が高くなったとも言える為、良い。良かった筈なのだが。

 

それでも、辛いのだ。苦しいのだ。肉体的にも精神的にも、痛みを苦しさも感じづらくなっていても、分からなくても。それは確かに辛いのだ。

 

今回は、三周目。なにがあったか。いや、今は何も考えたく無い。何処か、近くに雨風防げる場があれば...あれ...? 何で、雨風を防ぐ必要があるのだろう? 

 

「いや、そうだった。そうだったんだよ! そんな物は必要ない。意味が無い。故に探す行動すらが無意味! あはははっ! 」

 

冷静な頭で考えたら、別に雨風を防ぐ必要なんて無かった。無かったのだ。以前、川に流され、眠った時も、低体温症や風邪などにならなかったし、この身体はもはや病気とも無縁と言う事だろう。何も縁が無い。何もかもが無い。孤立した肉体だと、言える。

 

それに寂しさを感じなかったといえば嘘になるが、虚実とて覆い隠せば真実になる。いや、違うか。ただ無意味な見栄を張り、剥がれ落ちるまでを怯えるだけか。

 

喉から掠れ、曇った笑い声が自然と漏れ出す。そうか。そうだったよな。

 

俺は事実の再確認を終え、結果を基に問題は無いと判断した。全身の力を抜いて地面に転がり目を瞑って睡魔を静かに待つ。

 

 

 

しかし眠気は訪れない。当然だ。そんな物をこの身体は感じない。必要としない。これまでなら眠ろうと思えば眠れていたが、それも深い眠りとは到底言えず、浅い眠りであったが、眠れてはいたのだ。しかし今は、先程まで興奮していたせいか、全く眠気は存在しなかった。けれども苦くて辛い、この幻のような痛みは、少したりとも消えちゃあくれない。

 

何もわからない。だから何も出来ない。いいや、違うか。何もわかろうとしない。その上自分は無力だから、持たざる者だから何も出来ないのだと、逃げて逃げて、逃げ続けて。その結果が、それによってもたらされた現状がこの様だ。ヒクつく笑いが止まらない。しかし苦しみは一向に収まらない。

 

辛くて痛くて苦しくて。子供が癇癪を起こすような動作を身体が勝手にしてしまう。それに応じて、呼んでもいないのに忌々しい魔手が30本展開され、周りの木々を手当たり次第に薙ぎ倒し、地面を抉り岩を砕き。壊して壊して壊して。それでもこの気持ちは収まらなくて。

 

「──んぁ? 」

 

まだだ。まだ壊し足りない。そう思い次の八つ当たり先を探そうと辺りを見渡すと。どうやら数匹の獣に、囲まれてしまっているようだった。

 

獣の姿は狼によく似ていて、角が生えていると言う事と異質なカラーリング以外は、ほぼ狼にそっくりだった。と言うかこれ、ウルガルムだ。ロズワール辺境伯の屋敷近くの村のすぐそば、森に住まう魔獣、ウルガルム。噛み付いた相手に生命力だかそう言う類いの物を吸い取る呪いの術式を植え付け、食事の際に術式を発動。呪いを刻まれた者は死に至る。だったか。何故だか知らないが考えが上手く纏まらない。それに記憶の精度も曖昧だ。

 

眼前のウルガルムの唸り声には侮りの感情が込められた。狼風情が俺に侮りだと? 許さない。それは俺の権利の侵害ではないか。俺が考え事をしている最中に横から思考を乱しておいて、何か用があるのかと目を合わせればそんな態度を取るとは。あくまでも俺は友好的に接しようとしていたのだ。嘘? 違う。嘘ではない。そもそも俺が嘘を吐こうが吐くまいが、俺の自由だろう。それをとやかく言うのは俺の自由の侵害ではないか。やはり許さない。殺してやる。

 

そこまで考えた所で、やけにウルガルムが近くに、まるですぐ目の前に居るかのように目に映っている事に気が付いた。なんだなんだと見てみれば。ウルガルムはどうやら、俺の喉に噛み付いているようだ。

 

 

醒めた思考が再起動しようとする。しかし鳴り止まない興奮の所為か、それは不完全な物だった。

 

 

馬鹿か俺は。狼風情? 相手は魔獣だ。精々一般人程度のの身体能力しか無い貧弱な俺の身体では、どう頑張ったって勝てる訳が無いではないか。数だって相手の方が上、力量も連携も、何もかもがウルガルムの方が上だ。それに対して、俺には何もありやしない。力が無ければ友も居ない。倫理も溶ければ愛も分からない。何も、何も残っちゃいないのだ。

 

虚無感、苦痛すらも薄れて、世界から切り離されたような、孤独感が、俺を縛り付けて離さない。

 

呪い。これはきっと、呪いだ。呼ばれてもいないのにこんな場違いな場所に来てしまった、何かの間違いで、勘違いで、すれ違いで、何もかもが噛み合わぬ、ズレたまま回り続ける歯車のような、いつ崩れるか分からない、そんな、単純で複雑な、簡単で難解な。

 

名を、愛と言う呪いである。

 

そんな事を、今更ながらに再確認しながら、俺の視界は。ウルガルムの口の中を最後に黒く塗り潰された。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

微睡みに沈み行く中、消えゆく意識の外側で、小さな小さな声がした。

 

『──死なないで』

 

愛してるとは言わなくとも、その言葉には優しい愛が込められていた。

 

『──生きて』

 

ある人によれば、言葉とはナイフであり、またある人によれば優しさであったり。様々に形を変える、極めて不安定な物だ。だからこそ、彼女の愛は、彼を生きる事から逃がさない。

 

歪な形に歪んでしまった、一つの愛がそこにはあった。

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 

 

死んだのか? ただ喰われただけで? いいや、いやいやそんな訳が無い。その程度で死ねるような、死なせてくれるような、彼女の愛は、そんな温い物なんかじゃない。

 

つまり俺は、死んでいないと言う事だ。

 

気味の悪い、発生源の分からない、何処に仕舞われたかも分からない記憶が過ぎった。しかしそれは酷く現実的であり、それが事実であると認識を植え付けられるような記憶であった。

 

事実を自覚した瞬間に、俺の身体はハッキリと形を整形する。蘇った視界が真っ先に映し出したのは、赤い液体溜まりと、返り血を浴びたような赤い斑点模様を付けたウルガルムと、赤く染まった自身の身体だった。何やら肉片のような物も体に纏わり付いているが、今は気にしない。今はそれよりも先に、目の前の標的を無力化する。

 

「そら、犬っころ。唸るだけじゃなんも変わんねぇぞ? 早く俺を殺してみろよ」

 

本当に殺してくれたら良いなと無意味な希望を微かに抱きながら、俺は展開した状態で放置していた魔手を操り、ウルガルムの身体を拘束する。魔獣のツノを折れば、奴等は俺の手駒となる。ウルガルムは森の中等の悪路を速く移動するのに役立つ為、出来るだけ無傷で捕まえたい。

 

俺の展開した魔手は何故か硬直し動かなくなったウルガルムをいとも簡単に拘束してしまった。拘束を緩めれば俺の肉を残さず喰らってくれないだろうか? いや、多分無理だろうな。悩む事すら意味が無い。

 

俺は魔手で捕らえたウルガルム達の角を折り、自由に扱える手駒とし、その内の一匹のウルガルムに乗り森の奥へと逃げ去った。

 

 

 

 

 

 

 

森の中を動き回り、辿り着いたのは少し開けた原っぱ。辺りを見渡してみると、頭は違和感を覚え、既に見ていると感じる既視感が記憶を呼び起こす。そうか、思い出した。ここは魔獣使いの女の子...メイリィが倒れたフリをしてナツキ・スバルを誘き寄せた場所だ。

 

「だけど...なんだってこんな場所に......」

 

口が勝手に言葉を生み出し、思考に回す分のリソースを僅かに奪い取ったが、いくらなんでもその程度で状況を理解できなくなるほどの馬鹿ではない。何を考えてこんな行動を取ったのかは全く理解し難いが、状況の把握が可能であれば問題は無い。

 

あの時俺は、ウルガルムに乗り、......何処か雨宿りができて、休めそうな。適当な場所に移動しようと行動を開示したが、相手は魔獣。行き先を伝える事はおろか、会話や意思疎通すらも成り立たない。種が違うとはそう言う事なのだが、何故かすっかり忘れていた。そのまま訳も分からない雄叫びを至近距離で聞かされながら、森の中を駆け巡り、それで、昨日の夜ここに着いた。

 

......ん? 昨日の夜? と言うことは少なくとも既に一日は経過しているという事だ。不味い。不味い不味い不味い! 日時の把握を怠っていた。これは怠惰だ。非常に愚かしい、愚図の行い。これではいつ魔女が訪れるかすら分からないではないか。あぁ怠惰。実に怠惰。しかしこう嘆くだけと言うのももっと悪い行いだ。

 

なればこそ挽回しなくては。俺にはそれを可能とする方法がある。なぁに簡単だ。ただ記憶を辿れば良いだけなのだから。力とは言ったが人間であれば殆どの者達が行える行為なので、明確に言えば人間に備えられた標準機能と呼ぶべきだが。

 

朝、夜、朝、夜。記憶を辿り回数を数える。数えて数えて、今日が何時なのかを理解した。まぁ、それも無意味な事であったが。

 

 

 

──愛して「うるさい」る。

 

魔女の声が聞こえてきた。大体ナツキ・スバルでも数回に一度しか聞こえてこなかった声が毎回。こうも何度も聞こえてくるのは、俺がナツキ・スバルより優れている数少ない美点と言えるのではなかろうか? 全く嬉しく無いが。

 

──愛してる。愛してる愛してる愛してる。だから、愛して。

 

「ハッ、絶対に嫌だね。お前を愛すぐらいなら死んだ方がマシだ」

 

──? 愛してる筈。愛してる。愛してる。だから、愛して。

 

無意味で無価値な愛の言葉を無作為に。本人であるか、認識すらまともに行わず嘆き続ける魔女の姿には、若干の殺意が芽生えるが、今はまだ、殺せない。力が足りない。知恵も足りない。あるのは死ねない身体と知識だけだ。

 

だから、

 

「残念だったな、時間切れだ。今日の所はとっとと失せろ」

 

何度も死体を再利用(リサイクル)して、使える物は何でも使って。邪魔な物は、消して壊してゴミにして。

 

ナツキ・スバルのような全てを救う英雄なんて、大層ご立派な評価が得られなくても、生きる意味がわからなかったとしても。

 

何度でも繰り返して、答えを、正解を。必ず、俺が────

 

覚悟なんて決まっちゃいない。信念は無いし、意地も根性も無い。そんな何も無い無価値な命でも、それでも、可能性に縋りたいから。忘れて、思い出したくない、二度と見たく無い、地獄があるから。

 

未来を変えて、全てを救うなんて、そんな事は出来やしないけど、少しのズレならぐらい作ってやれる。手が届く距離ならば、俺がなんとかしてやれる。

 

傲慢な考えだろうが何だろうが、知ったことか。それで何が悪い?

 

自分を騙すための言い訳の言葉を並べながら、俺の身体は二千の影に呑み込まれていった。

 

 

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

助けてと、素直に言えない、寂しがり屋の声がした。

 

酸いも甘いも、辛い経験も悲しい過去も、幸せだったあの日々も。

 

全部全部、思い出せぬように蓋をした。鍵を掛けて、その鍵は彼女に預けた。扉は深い大森林の奥に設置してある。ついでみたいな物だ。便乗、とも言えるかもしれないが。

 

後悔が無い訳では無い。もし、何か方法があるのなら、何度やり直しても、何度繰り返しても、どんな手段だって構わない。いくら時間が掛かろうと、彼女のいない日々に比べればあっと言う間だ。

 

だから、頼むから。

 

もう、死なせてくれ。無意味な希望を持たせないで、無価値な理論で誤魔化さないで、無理解の予想でねじ曲げないで。

 

ただ、安らかに眠らせて。

 

◆◇◆◇◆

 

 

 

死んだような気がした。いや、俺の身体は死とは無縁だが。

 

世界が巻き戻る感覚は、何度味わっても奇妙で、到底慣れなどしない。一定の日々を終わりの見えない中繰り返すナツキ・スバルはきっと、内心恐怖しているのだろう。それでも尚未来へと突き進む狂気には、多少の共感を覚えたが、それでもやっぱり、ナツキ・スバルを殺したい気持ちは変わらなかった。

 

憎いのだ。羨ましいのだ。酷く嫉ましく、その立場を、肉体を、関係を。何もかもを奪い、成り代わりたいと思ってしまうのだ。

 

俺にはこの記憶(原作知識)がある。俺ならもっと上手くやれる筈なんだ。再試行の回数を減少させて、被害を最小限に抑えて。

 

数多のナツキ・スバルにより生み出された屍山の上に成り立つ、英雄では無く、もっと、もっと──

 

 

 

生臭い。思考にリソースを注ぎすぎた。視界は黒く暗転し、ドロドロとした感触が身体に纏わり付く。あぁ、これは腹の中だ。また食われてしまったらしい。俺はウルガルムの体内から脱出する為に魔手を生み出し、強制的に体の膨張を引き起こす。

 

内側から強制的に圧力を加えられたウルガルムの体は、赤い噴水を吹きながら弾け飛んだ。目新しいジャージには血や削げた肉が付着したが、瞬きをするとそれは消え去り元に戻る。

 

 

異様に頭がスッキリする。悩みも恨みも何もかも。ちゃちな言い方だが、まるで別人に生まれ変わったかのような、それぐらいに真新しく、それでいて長年連れ添った半身と交わったような、手足を扱うように、記憶に無くとも覚えている感覚によく似た、ほぼ同一と言って良い程に似た、素晴らしい感覚だ。

 

装飾を外し、端的に例えれば、

 

『しっくりくる』

 

の6文字で収まる、簡単なものであるが。

 

 

 

『さて、と。時間もあまり残っちゃあいないし。急いで準備しないとね』

 

上機嫌に口角を吊り上げ、音の外れた鼻歌を歌いながら、俺は準備に取り掛かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 『愚者と道化』





「──そろそろか」

 

 

あの日から揃えることの出来たウルガルムの数は28体。身体の負傷を無視して準備を行ったと言うのに、たったそれだけしか集める事が出来なかった。魔操の加護を持つ魔獣使っ......メィリィ・ポートルートなら、もっと魔獣を集められた筈だ。それも一度も死なずに。

 

嫉ましい。その才能が羨ましい。世界から愛され、与えられて。メィリィ・ポートルートはなんて不幸(・・)な人間なのだろうかと憐れんでしまう。俺がいちいち気にする事では無いが。

 

屋敷からナツキ・スバル、ベアトリス、ラムが屋敷から飛び出した頃を見計らい、用意したウルガルムを屋敷の近隣に解き放ち、荒いながらも包囲網を形成する。

 

 

さて、準備を整え、来たるこの日は記念すべき覚悟の日。英雄になる少年が、逃げるのを辞めて立ち向かう為のお話。

 

殺されたくなくて、恨まれたく無くて、ツギハギ狂った演技を続けて、ゲロ吐きながらも道化を演じ、泣いて泣いて、泣き叫んで。気が付いて。ダガを外して何度も死ぬ覚悟を決めて、自殺する。

 

勝手にへこんで、勝手に立ち直って。ハッキリ言ってウザったい事この上ない。その恵まれた力が、幸せな環境があるにも関わらず、自分が不幸だとか喚く姿は見ていて腹が立つ。殺してやりたい、けど出来ない。ナツキ・スバルは諦める事を許されていない。だからこそ、別の方法で精神に傷を付ける。

 

 

 

 

前方に見えるのは数日前に押し入ったメイザース辺境泊の屋敷。早朝特有のほの暗い朝日が登り始めた頃。レムが死んだ朝だ。

 

怯えきった弱い弱い人間、ナツキ・スバルは人工精霊ベアトリスの甘さにつけ込み契約を結んだ。ベアトリスはナツキ・スバルがその人なのではないかと淡い希望を持っていたのではなかろうか。だからまだ英雄ではないただの凡愚、ナツキ・スバルと契約を結んだ。

 

大精霊に守られていても、ナツキ・スバルは終始怯えていた。しかしレムが呪い殺される前日の夜には、禁書庫で本を読み、時間を無駄に費やす程度には緩みきっていた。

 

本来、ナツキ・スバルが本領を発揮すれば、全力を尽くし、最善を導き出せは。次の周回は要らなかったのだ。レムが死ぬ必要は無かったのだ。ナツキ・スバルにはそれが可能だった筈だ。何故ならば彼は英雄になるのだから。英雄になるのならば、その程度、救えない訳が無い。

 

なのに救えなかった。無駄に死体を放棄し、その存在から目を背けるように狂った覚悟を決め、世界から逃げた。

 

 

おっと、通りすぎてしまった。もう少し前の記憶を確認せねば。

 

 

時はレムの死体が発見された朝。ナツキ・スバルは無事朝を迎えられた事に喜び、エミリア達はレムの死を悼んでいた。だと言うのにナツキ・スバルは持ち前の空気の読めなさを発動し軽い調子でトークを続けた。

 

レムの部屋には屋敷の住民が集められていた。最後に部屋に入ったのは大罪人、ナツキ・スバル。ただ呆然と立ち尽くし、何かを言う訳でも無く、ただ、逃げた。ラムが怒りを露わにした事が原因? 馬鹿を言うな。そんな事関係なしに、ナツキ・スバルは逃げたはずだ。死を受け入れられずに、望む未来の為何度も死ぬような奴だ。何かと理由を付けて、死に物狂いで助けようとする。

 

いつまで、一体いつまで、ありもしない幻影の背中を追っているつもりだろうか? 上っ面だけの表面だけを真似し続けるのだろうか? まぁ、俺の知った事ではないけど。

 

「で、今に至ると言う訳だ。しっかし、この状況はどうしようかねぇ」

 

レムは死亡し、ナツキ・スバルは勿論、ベアトリスにラム。エミリアとパックの所在は知らないが、パックはともかく、エミリアはまともに動ける状態では無いだろう。仮想的となる人物で、屋敷に残っているのはロズワールただ一人。警備はずさんな筈であった。

 

「おっじゃましまーす」

 

屋敷には開けっ放しにされていた正面玄関から侵入した。廊下には予測通り人の気配はしない。俺が軽々とした陽気なステップで、目的の場所を探し、鼻歌交じりに屋敷を探索していると、火球が飛んできて、俺の身体は焼き尽くされた。

 

「ちょ、ロズワール。出会い頭に炎って...そんなに俺と熱い恋がしたいのかな! ヤダ、俺ってばナニされちゃうんだろ!! あっ、でも俺に男色の趣味は無いからごめんな......」

 

「...私の従者を殺しておいて、よくもまぁぬけぬけと帰ってこれたものだね」

 

全く面白みのない笑えないジョークを交えて不服の意思を示したのだが、ロズワールの表情は石像のように固まったままだ。

王国最高峰の魔法使いの名は伊達じゃ無い。故に貧弱な俺の体で普通に戦えば、絶対にかなわない。それどころか体を切り刻まれ大瀑布の彼方に放棄される可能性だってある。そうなれば俺も蘇る事が出来るかどうか...まぁ死ぬことは無いだろうけど。

 

「私はもうお終いのようだ。さぁ、早く、もう一度やり直すんだ」

 

現状、ロズワールに対抗する手段として、武力は最も適さない、馬鹿な選択肢だ。ここで3つの再確認を行おう。

 

1つ、ロズワールは叡智の書の記述により、ナツキ・スバルの死に戻りを断片的に知っている。やり直し。トライ&エラーを繰り返し、必ず無理難題を成し遂げる事が出来ると思っている。2つ、ロズワールの目的は強欲の魔女、エキドナの復活。最後に、ロズワールの最も恐れている者、それは憂鬱の魔人。

 

確か既に討伐済みであったと思うが、原作知識として読み取れる範囲外の記憶の為、確証は持てない。しかし今はそれで十分だ。実際、俺が少しそれっぽい言葉を言ってやったらロズワールは恐れていたじゃないか。人間、一度染みついた恐怖は、トラウマとして残り、一生消えてはくれない物だ。

 

 

ヘクトールを欺くために、自らを虚飾に染め上げる。心構えの問題だ。軽く息を、溜息を吐き、鬱陶しそうな雰囲気を放出させる。

 

「──ロズワール。随分と、偉そうな口をきくようになったーぁね」

 

重々しく口を開く。怠さを隠さず、怠惰を示し、何処までも憂鬱な心模様を曝け出す。気怠げに重くも軽くも無い体を、さも大岩の如き巨大を動かすかのように、大袈裟な歩みで、額に汗と恐怖を浮かべたロズワールの方へと近付く。

 

「何? 努力したら、報われると思った? 力を持てば、もう、無くさないと思った? ──取り戻せるとでも、思ってた? 」

 

ロズワールの目が大きく見開かれる。顔には怒りの色が浮かんでおり、今にも魔法を放ってきそうな勢いだ。鍛錬による結果、自信が生み出した慢心と言う奴だろうか。何にせよ、まずはそれからへし折ってやろうか。

 

ロズワールの自信の源は何か? エキドナの弟子である事だろうか? これは下手に刺激すれば一体が焼け野原になる爆弾だ。そんな事になっては折角の準備が無駄になる。

 

では他には? 叡智の書か? いいや、違う。叡智の書は自信では無く、安心をロズワールへ供給している。自信とは違う物だ。

 

で、あるならば、やはり魔法か。しかし困った事に俺が行使できる魔法はゴーアやシャマクなどの低位の物しか無い。それも純粋なマナを使用した魔法では無く、オドを削った魔法でさえ最低位の物しか放てないのだ。

 

これではとてもじゃ無いがロズワールの自身をへし折る事など到底不可能。

 

 

状況打開の為の策は思い浮かばばず、なにか無いかと思考を回すが、いくら考えてめ何も浮かばない。俺自身の力がなさ過ぎるのだ。それでも考えて、考えて。突如体が揺らぎ、視界一瞬暗転し、俺の視界は低くなる。

 

「口だけでは成す事も成せないんだぁーよ? 弱い君では、ただやり直す事しか出来ない。さぁ、早く、早くやり直したまえ」

 

そうだ。ロズワールは魔法以外にも体術等の武術も高い技術を持っている。天は二物を与えぬとは何処の何奴が言ったものか。目の前に居るじゃ無いか。

 

「やだね。俺はまだやることがあるんだ。それに次に行くのはあと数時間後だし。あっ、ロズワール、時間って...わかるか? ......あっ、あっあっあっ! 無能な坊ちゃんには分からないか! 」

 

「あまり、騒ぐんじゃーぁなーぁいよ? 君は今、私に生かされている事をわかっていないのか? だとしたらよほどの馬鹿。と言う訳だーぁね」

 

煽れば煽り返される。見た所、既にロズワールは正気を取り戻しているようなので、演技にもこれ以上の意味は無いだろう。

 

しかしなんだ。この男は。何故、大事な者を一度失った癖に。何故、のうのうと偽りの余裕を浮かべ、理性を装えるのだ。何故こうも明るく演じることが出来るのだ。何故、この男の演技には、後悔の影が一切見えないのだ。

 

訳がわからない。あり得ないと思いたいが、400年の時間が、思いを風化させた可能性も考えられる。だとすると、思い、感情にまで、消費期限は存在するという事か。

 

悲しい。あぁ、なんと悲しき事か。気持ちが沈む。気が滅入る。しかしながら、未だ愛を感じる。一方的な愛。麻薬のように脳に浸透するそれが、いくら目を背けても、逸らしても、視界にはいつもそれがある。

 

鬱陶しい。散々な心模様だ。視界を少し上げてみれば、奇抜なメイクの道化が一人。燃やしてやろうか。よし。そうしよう。

 

「ネロ、ゴーア」

 

意識の改革と言えるほどの違いを生み出す物では無いが、無いよりはマシ。その程度の、ただただ詰まらない、怨嗟の込められた闇色の炎は、道化の体に命中せず、道化の眼前を掠め、遙か後方の木々に衝突する。

 

「狙いが外れたか。おいおい宮廷魔導師殿は、俺のへっぽこ魔法にもビビっちゃう程度の、そんなちゃちな強さしか持ち合わせていないのかな!? 正直言って拍子抜けだぜ。仮にも王国最高峰の魔法使いを名乗るなら、このぐらい受け止めてくれないと」

 

「冗談がキツいねぇーえ。その炎、ただのゴーアじゃあ無いんだろう? そんな得体の知れない物を触るなんて、私には怖くて無理だぁーね」

 

「たかが色違い個体のゴーアってだけだよ!? っつても流石にバレるか。あぁ失敗した。まぁ、いい。次に生かそう。学習の積み重ね、そうか。これがディープラーニングとか言う奴か。ははっ。クソが」

 

狙い外れ、ロズワールの遙か後方の木々に着弾した俺の魔法は、その火力を大きく広げ、三つの木々を包み込んでいた。炎の威力を考えれば、他の草木に燃え移りそうな物だが、不思議な事に延焼は全く発生していない。

 

「見た所、命中した対象だけを燃やすだけの炎。用途を限定したゴーアって所かぁーな? しかし、何故こんな、訳の分からない改良を、改悪を施した制限付きのゴーアなんて者を私に放ったんだい? 何故、わざわざ劣化させたゴーアを」

 

ごちゃごちゃと良く喋る道化は俺の炎を、ただのゴーアの劣化品だと思ったらしい。劣化品? 劣化と言ったな。それは彼女への侮辱ではないか? 愛の否定ではないか? あぁ気が滅入る。嫌な気分だ。リフレッシュしなければ。

 

殺す。殺してやる。骨をガタガタに砕き、内臓をぐちゃぐちゃに掻き混ぜ、心をバキバキにへし折る。

 

「そんなところで、どうーぉうだい?」

 

一度、完膚無きまでに散り散りに破け、剥がれ落ちた仮面(マスク)を付け直す。時間が無いんだ。周りに与える被害は気にしない。それにもうすぐ終わるこんな世界だ。少し森が業火に飲まれたぐらい、誰も気にする余裕は無いだろう。

 

「ネロゴーア」

 

恨み妬みを言の葉に込め、有るのか無いのかも分からない命を削り、闇色の小さな火種を放つ。

 

「ネロゴーア。ネロゴーアネロゴーアネロゴーア!! 」

 

一発で駄目なら、避けられない程の密集率で。何発も何発も、弾幕を張るように闇色の炎を撒き散らす。しかしロズワールは素早く空へと飛翔し、上空から岩を生み出し俺の体へと落下させた。おそらくドーナ、土属性最低位の魔法を使ったのだろう。

 

しかし最低位の魔法でも、高位の魔道士が行使した最低位だ。練度の差か、込められた魔力の差か。その質量、密度は膨大で、容易に俺の身体を地面に叩き付け、骨を砕き、血肉を磨り潰す。

 

身体を動かそうにも、持ち上げられない程に重い大岩が体にのし掛かっている為、いつぞやの路地裏での時とは違い、ビクとも身体は動かない。

 

「鬱陶しい。お前、」

 

「魔人の真似事をいつまで続けるのかぁーな? 悪あがきもこの辺で辞めて、早くやり直しの力を使ったらどうだい? そうすれは君も──」

 

口で精神を乱そうとしても、もうこの手は通用しない。まるで口を閉じろと言わんばかりに、岩の被害をから辛うじて免れた顔を、嫌そうな顔で踏みつけてくる。

 

 

あぁ、だから駄目なんだ。その余裕。その自信。その過信。それが怠惰だと言うのだ。それを理解していると思っているんだろう? 自分は慢心などしていないと思い込んでいるのだろう? だからお前は駄目なのだ。

 

「重量操作、魔手」

 

重量操作で身体にのし掛かる大岩の重量操作を極限まで軽くし、重しを退けて立ち上がり、本家とは違い、視認されてしまう魔手でロズワールの足を絡み取る。しかしこれだけでは足りない。まだだ、最後の一ピースが足りない。

 

何か、何でも良い。少しでも可能性のある、有効策を。どんな手段だって良いんだ。今、この場でロズワールを戦闘不能に追い込めれば。

 

──熱い

 

視界が白に飲まれてゆく。ジリジリと肌の焼ける音と共に、全身に違和感が蔓延する。呼吸が出来なくなり、頭が曇る。違和感、感覚が消える。ここまで来て、愚鈍な俺の脳はようやく思考の合間に疑問を挟む事が出来た。疑問を抱ければ、答えは勝手に現れる。

 

身体が焼かれている。ただそれだけの事。たったそれだけで、俺をただ火達磨にしただけで、安心している。安堵している。気を緩めている。あぁ、だから。

 

「だから駄目なんだよ。お前」

 

ただの人間、掃いて捨てる程凡愚な、やり直しの力以外、何の利点も持ち得ていない、何も持っていない、愚かで無力な人間。そう思ったのだろう? 現にロズワールは俺の身体を炎で焼いた直後、明らかにホッとしたように表情を柔らげ、警戒を緩めた。

 

だから駄目なのだ。例えそれが事実だからとしても、その態度は愚かとしか言えない。

 

「死なねぇ人間は始めてかよロズワール! 」

 

死体に警戒できる人間が、この世に何人存在するだろうか? 時代をを恐れる人間や、先祖返りを気持ち悪がる人間は多くいるかもしれないが、死体が自分を害すと考え、警戒できる人間は少ない。少なくともロズワールは前者の人間だったようだ。

 

ロズワールとの距離は、手を伸ばせば届いてしまう程。これ程近ければ、俺の魔法でも必中距離だ。不意を突かれたロズワールを怨嗟の炎が焼き焦がす。

 

メイザース・L・ロズワールには魔法使いとして、ある致命的な欠陥が存在する。

 

それは、あらゆるマナを用いた治癒魔法が一切行使できない事だ。ラインハルトのように精霊に好かれ、剣聖の加護により、瞬時に望んだ加護を修得する事が出来たなら、この状況を打破できたかもしれない。

 

 

しかし今、この場に居るのはロズワール(人間)だ。

 

 

少しの才能が有ったとは言え、今のロズワールを形成しているのはロズワールの努力と執念の結果。例えそれが狂った思想だとしても、その努力は称賛に値する物だ。

 

 

それでも彼は人間だ。逸脱した力を持ち得ない、ルールの中での強さしか保有していない、ただの人間だ。

 

 

「だからこそ殺す。今、ここで、確実に」

 

 

常人であれば身を焼かれた時点で死んでしまうだろう。しかも今放った炎は燃え広がりはしないが、対象を燃やし尽くすまでその炎を絶やす事はない。この魔法をくらって生きていられる筈がない。

 

 

しかし今、この場に居るのはロズワール(王国最高峰の宮廷魔道師)だ。

 

 

妥協は出来ない。確実に息の根を止めるその時まで。闇色の炎が鎮火するその時まで。ロズワールへの警戒は少したりとも緩める事は出来ない。踠き苦しむヒトガタから、一瞬たりとも眼を外せない。

 

もし、この炎が通用しなかったら、俺の炎が消えた時、もしロズワールが生きていたら。その時は、万が一にもそんな事になってしまったら。

 

 

詰みだ。俺ではロズワールを殺すことが出来なかった。そんな失敗例だけが残り、次の世界を待つだけの時間が始まる。拷問も尋問も意味がない。苦痛を感じられないのだからロズワールはさぞ困るだろう。

 

いや、もしかしたら叡智の書により俺の、俺自身でもはっきり理解していない、最も欲する物何て物を餌に、ボロ雑巾のようにこき使われたり、なんて。

 

 

「ナツ……キ、スバル、この先君は、君はきっと、後悔する。私をいまここで、殺してしまった事を」

 

しぶとく耐えていたロズワールは限界を悟ったのか、なにかを語ろうと酷く爛れた顔で地に転がったまま俺を見上げる。

 

 

「後悔? 後悔と来たか! ははっ傑作! 笑えるよロズワール! テメェも似たり寄ったりな目的で動いてるじゃねぇか」

 

喉が既にやられてしまっているのか、ロズワールの声は聞き取りづらくぎこちない。内容も理解できない。こりゃ、脳まで炭になっちまったらしい。

 

「……私の目的に気付いていた、なら、手を、取り、合える、未来、も」

 

失望した。まだそんな幻想を抱いていたとは。手を取り合える? 最終的な到達地点が相反している時点で俺とロズワールが協力し合える余地なんて無いじゃないか。

 

ナツキ・スバルと自分が似ている、なんて勘違いをするような奴だ。英雄願望、龍を殺すだったか? それすらロズワールでは役不足。

 

甘い、甘い、余りにも甘すぎする。実に滑稽。身に余る程の夢を抱きながら、ただ死んでいくしか無いのだから。

 

実に──羨ましく、妬ましい。

 

「死んだ…か。はは、所詮ロズワールもただの人間だったって訳だ。はははっ」

 

 

 

ロズワール・L・メイザースが死亡した。IFルート以外での死亡歴が自殺以外に存在しないような奴がだ。勿論、ナツキ・スバルもロズワールを殺すことは出来ていない。

 

そのような者を殺してしまった。

 

「おいおい、ビビってんじゃねぇぞ俺。まだ通過点だろうが……急がないと」

 

太陽は傾き始めている。ナツキ・スバルの死亡時刻までもう残りいくらかもない。クソ、ロズワールの相手に時間を取ら過ぎた。

 

俺は辺りに潜ませておいたウルガルムを呼び寄せ、その内の一匹にまたがり目的地へと急行する。

 

目指すは亡きメイザース辺境伯の屋敷。ロズワール邸だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第14話『とてもじゃないが、救えない』 

 

人間は想定外の事象を目の当たりにすると、硬直し、思考を停止、恐怖で狂ってしまう事もある。非効率的なつくりからか、構造上の多くの弱点を克服出来ていない生物だ。

 

で、あれば。多少なりともこの状況に戸惑いを抱いている俺はまだ人間であると言う証明にはならないだろうか? 

 

状況を整理しよう。

 

森でロズワール・L・メイザースを殺害した後、俺は予めツノをへし折っておいたウルガルムを引き連れメイザース辺境伯の屋敷へと向かった。

 

物語(ストーリー)がロズワールの引き起こした差異を除き、原作通りに進行したとして。現在、屋敷に残る住民はエミリアとパックのみの筈。

 

火の大精霊、終末の獣とも呼ばれた正真正銘の怪物。エミリアの契約精霊パックを現時点で殺すことは出来ない。が、依り代破壊し、時間を稼ぐことは俺でも出来る……かもしれない。やる必要が無いなら無いに越したことはないが。

 

そもそもエミリアの潜在能力値で言えば、例えパックが依り代を破壊され、エミリアの元を離れなければならなくても問題ないくらいの魔力を保有者している。

 

まぁ、第四章攻略以前の現在ではエミリアの潜在的な魔力値を気にする必要性はあまり無いが。

 

屋敷の門と邸宅の扉は、原型を留めない破壊を伴って解放されていた。

 

根拠の無い推測にはなるが、ラムが怒りに任せ、得意の風魔法で扉を破壊。門を吹き飛ばしたのだろう。お陰で屋敷への侵入が容易になってありがたい。

 

俺は邪魔な扉の残骸を退かしつつ屋敷に侵入する。内装は画面越しの映像で見た記録より酷く荒れてしまっているが、大体の間取りは記憶できている為、移動に支障はない。しかし屋敷の装飾が床の至るところに散らばっており、ウルガルム達は歩きづらそうにしていた。

 

ウルガルム達はここに置いていくべきか。このままのろのろと鈍行を進める訳にも行かない。早く目的を果たさなければ。ここに来た、意味を果たさなければ。

 

そのために魔獣を集め、物語(ストーリー)の進行を確認し、入念な準備を……

 

そのために?(・・・・・・) 

 

 

 

 

脳に致命的な空白が入力される。それは本当に自分の意思で行った行動なのかと、違和感が過る。

 

 

 

そもそも、ここに来た目的は何だ? 何故この場に来ようとした?

 

 

 

 

何故だ。何故いくら考えても〝必ずこの場に居なければならない〟と言う啓示のような物が浮かぶのみで、理由はちっともわからない。

 

 

ここまでの行動を行うまでの過程に、何故そうしようと思ったのかと言う意志があまりにも欠けている。そうすべきだと思ったから。そうしなくてはと思ったから。脅迫概念のような何かが、これまで俺の認知外に存在していた。まるで──

 

 

「ッ! エル・ヒューマ!」

 

──俺以外の何者かが、俺の行動を操作しているかのような

 

 

無数の氷の礫が身体中に殺到する。氷の礫は当然肩を砕かれ腹を抉り、頭蓋骨を砕き、それでも勢いは止まらずそのまま後方へと速度を保ち、廊下の突き当たりにまで吹き飛ばされてしまった。

 

損傷は両腕とを根本から骨ごと丸々、頭蓋骨を正面から砕かれ、腹部には中心に楕円状の大穴が空いており、肉がかろうじて下半身と上半身を繋いでいる状態だ。

 

 

誰がやった? 誰にやられた? いいや、たった一人しか居ない。火属性の大精霊と契約を結んだ銀髪のハーフエルフ。

 

 

どこか幼くも見える可憐な顔立ち。母親の面影を残し、美しい白銀の髪を持つ、あのハーフエルフ。

 

容姿が嫉妬の魔女と酷似しているからと銀髪の半魔と蔑まれ、普通ではない、平等ではない特別扱いを強いられている彼女はごく普通の女の子である。いや女の子と言うには少々歳を取りすぎているかも知れないが、精神年齢は少女と呼ぶにふさわしいものだ。

 

 

 

「エミリア、俺だ。菜月昴だ」

 

 

 

嘘だとバレる訳がない。嘘を吐く。嘘でも、真実もない。何故なら俺はナツキ・スバルなのだから。ナツキ・スバルの肉体を持った、正真正銘の菜月昴であるのだから。

 

 

粉砕された骨は元の健全な姿を取り戻したが、削げた肉の切断面は一部が凍ってしまっていて再生を阻害している。

 

 

俺は素早く魔女教徒からくすねた短剣で凍ってしまった部分の肉を削ぎ落としながらエミリアへと迫る

 

 

 

 

エミリアは困惑した表情を浮かべながら駆け寄ってくる。ああ妬ましい。その姿を見ただけで美しいと感じ、幼い愛が隠れて見える。その愛が俺ではない俺(ナツキ・スバルではなく菜月昴)に向けられているとわかってしまう

 

それだけで、それだけの事で。たった、それだけの事が羨ましく、そしてひどく妬ましい

 

 

 

しかしエミリアも所詮その程度という訳だ。容姿や声が同一であればそれを菜月昴だと認識してしまうのだから

 

 

 

まぁ俺にとっては好都合だ。このままエミリアと雑談に興じて、タイムリミットが来たら次に向かえば良い。どうせ目的は思い出せやしないんだ。何をしに来たのかも、頭が痛くて考えられたもんじゃない

 

 

「おいおい、今のが異世界人の挨拶かよエミリ────ッ」

 

 

しかし精霊の洞察力は化け物じみているようで俺の身体と同程度の質量を持つ氷塊によって俺は床を貫いて一階へと擂り潰されるように叩き付けられた。

 

 

幸いにも見えざる手を即座に壁を貫くように複数展開した事で屋敷の外に吹き飛ばされる事はなかったが、このままではろくに近付けやしない

 

 

 

しかしながら何故あの大精霊には俺が菜月昴ではないとバレた?

 

 

「なんでボクが君がニセモノだと見抜けたんだーって顔してるね」

 

 

吹き飛ばされた俺の死亡を確認する為なのか近付いてきた猫耳の大精霊はうざったいくらいに舐めた調子で語りかけてくる。ああそうだったな。精霊は他人の心を盗聴出来るんだっけか。はぁ、そりゃすごい。大精霊さまさまだな

 

 

 

「そんなんだからすぐにバレちゃうんだよ。君、もしかして馬鹿なのかな」

 

 

 

ナツキ・スバルが居なければ自分の大切な娘も護れないハリボテの大精霊がよく吠えることで。

 

 

 

 

「最後に教えてあげるよ。スバルはねエミリアを呼ぶときに異世界人なんて呼ばない。エミリアたんって変な愛称を付けて呼ぶんだ。そんな事で、って思っただろう? それが君とスバルの差だよ」

 

 

 

差か、差と言ったか。あぁ、失念していた。まさかナツキ・スバルとの差がこんなにも近くに存在していたとは。微かな喜びからか口許に笑みが自然と浮かぶ

 

 

 

「ボクの娘に手を出したんだ。ただて済むと思うなよ」

 

 

ドスの聞いた声で凄む終末の獣はルグニカの王都を永久凍土の氷で包み込んだあの時と同じように怒りに染まっている

 

 

 

「なぁパック。お前に俺が殺せるか? 誰のお陰でエミリアが今こうして生きている? エミリアの前で、エミリアの恩人のこの俺を! 殺せるのかって聞いてんだよ! 」

 

 

 

 

軽い挑発を含んだ脅迫の言葉への返答は絶対零度下回る氷の礫だった。四肢を根本から削いだ氷の礫は地面に縫い付けるようにして俺の身体を拘束している

 

 

 

「あーらら、もしかして図星突かれてピキッちゃってる? やーいパックのオタンコナス! 」

 

 

 

骨は氷を突き破って生え変わったのだが、先程同様肉の切断面を氷の礫で塞がれてしまっているため、肉の再生速度が著しく低下している。どうにかして一度態勢を立て直さなければ

 

しかし四肢を拘束されたこの状況では先程のような復帰行動を取ることは出来ないが、手段がない訳じゃあない

 

 

 

 

「お控えなすって! 手前大瀑布の遥か彼方、東の島国から参った人呼んで無銘の大英雄!  」

 

 

 

ナツキ・スバルは英雄である。想い人を救い、自分のことを想ってくれている人を救い、顔も知らぬような万人を救い、己を貶めた者すらも巻き込み、力を合わせて困難を乗り越える

 

 

 

 

「つきましては今宵、そちらのお嬢さんとお話がしたく参った次第。しかしこのような姿で楽しく談笑などとても滑稽で片腹が痛くてしょうがないでしょう? 」

 

 

 

 

ナツキ・スバルは英雄である。世界の厄災、暴食の魔女が産み落とした三大魔獣を内の二体、白鯨と大兎を討伐し、魔女大罪司教を仲間との連携でほぼ壊滅状態に追い込み、都市を奪還。その働きは英雄という言葉が霞む程の活躍ぶりである

 

 

 

「そこで今回執り行いますは人体脱出マジック! これには大歓声と拍手喝采が鳴り止まない! 」

 

 

 

 

道化のように明るく繕い、場にそぐわない常軌を逸した言動と行動

 

 

 

「それではまた数秒後、なんてな」

 

 

 

それは実にナツキ・スバルらしいのではないだろうか

 

 

 

 

愛しき魔女より授かった見えざる手を展開し、かつてペテルギウスがレムにしたように自分の身体を持ち上げ、捻る

 

 

 

 

辺り一帯には鮮血が撒き散らされ、赤い絨毯の上には原型を留めていない肉塊が蠢き、やがてそれはヒトガタを形造る

 

 

 

「やぁサテラ(・・・)会えて嬉しいよ」

 

 

 

十の影を伸ばす狂人は権能を使いサテラに危害を加えるのではなく、ただ手を伸ばす。なんの力もない、なんの努力もしてこなかった、綺麗すぎる(怠惰なる)手を伸ばす

 

 

 

「話をしよう、下らない話を。手を繋いで村まで出掛けるのも良いな。一先ずは食事からが良いか……って、あれ?」

 

 

 

手は届かない。菜月昴の手では、俺の手では彼女の元まで届かない。

 

 

 

 

近付かなければ、届かないのなら、届くまで歩き続けなければならない。

 

 

 

 

例え首を落とされ、脚を断たれても、地を這ってでも彼女に、少しでも、少しでも

 

 

 

「呪い人形の術式? だとしてもこの再生力はあり得ない。どこからそんな力が……魔法でも、精霊術でも、ましてや呪術でもない。なら一体……」

 

 

 

わからないか? わからないよな。悠久の時を生きる精霊風情が理解できる訳がない。永遠を怠惰に貪るお前達が、知った風に語っていい言葉でない

 

 

 

「愛してる」

 

 

囁かれ続けた呪いの言葉が、自然と口から溢れ落ちた

 

 

 

「───」

 

 

愛しき人の声は聞こえなかった。耳を削がれてしまったからだ。

 

絹のような白銀の髪は見えなかった。目が潰れていたからだ。

 

 

削げた肉の断面からは蛆虫のような物が蠢き、肉を再生させているが、その速度では世界が巻き戻るまでに間に合わない。

 

 

 

影が世界を飲み込んでいく、アーラム村は既に影に飲まれ、影の波はすぐそこまで迫っていた

 

ナツキ・スバルは死亡した。この世界はもうじき無に還る。ならばこの言葉に意味などは無いのだろう。この告白になんの意味もないのだろう

 

 

 

 

贋作なりの原型を模倣しただけの愛情表現(アプローチ)には、なんの価値も無いのだろう

 

 

 

 

それでも、ほんの僅かであったとしても。疑惑の入り雑じるものだったとしても。たとえそれが自分に向けられたもので無くても

 

 

 

嬉しかった。愛を、感じた。その事実だけが、たったそれだけの事が脳を容易く犯してゆく

 

 

幸福に、快楽に蕩けさせられた頭から発される言葉は、自分に都合の良くねじ曲げられた事実を現実だと認識した狂人の戯れ言でしかない

 

 

 

 

 

 

「影に沈む前に、君に会えて良かった。愛してるぜサテラ(・・・)

 

 

 

大きく眼を見開いた狂人の姿は、何かに取り憑かれた──否、何かに呪われたような怖気の走るものを纏っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第15話 『その場所に居たかった』

 

 

 

愛しい人が俺を見てくれていた。俺に関心を向けてくれていた。にも関わらず俺はなんの結果も残す事が出来ず、ただへらへらと脳の無い猿のように、浅ましくも彼女に触れようとする始末。

 

 

 

 

あぁ、怠惰、それは怠惰である。彼女の愛を受け取っておきながら、この俺の行動ときたらなんだ。

 

たかが精霊の一匹くらい、弄びならがら惨殺できるくらいでなければならないというのに。これ程の愛を受け取っておいてどんな言い訳が通用すると思っている

 

 

 

「挽回しなければ」

 

 

 

あの夜の失敗を、失言を、愚図で愚かな過ちを

 

 

深いまどろみから這い上がり、朦朧とする意識の中、ただその事だけがハッキリと、脳に焼き付くように爛れた使命と成って不確かな意識に刻み込まれる。

 

 

 

明け方。日も登らぬ暗がりには、影を身に纒い飛び去る狂人の姿があった。

 

 

 

 

 

▽▲▽▲▽

 

 

 

どうすれば挽回できる。どうすれば失敗を上書きできる。どうすれば、いや、それ以前に、

 

 

 

 

とうすれば期待に応えられる。

 

 

 

 

彼女の期待に応える為には、彼女の理想を越えなければならない。なら彼女の理想とは何だ? それもわからない。こんな不自由な脳を持った人間等という種に産まれたことを、今日ほど後悔したことはないだろう。

 

 

 

「ペテルギウスを頼るか……? いや、今あいつは試練の準備で手が空いていない筈だ。あぁクソ、手が足りねぇ」

 

 

 

周りには誰も居ない。この俺は菜月昴であるというのに。隣人も、友人も、誰一人として居やしない。

 

 

それに比べてナツキ・スバルはどうだ? この際大勢の仲間に囲まれているのは割り切る事にしよう。だが彼女の愛を独占している事だけはどうしても認められない。

 

 

ナツキ・スバル。お前は何もかもを持っているじゃないか。俺にない何もかもを、お前は持っているじゃないか。それなのにお前は、俺に残った最後の愛までも奪っていくつもりか。

 

 

なにがなんでも奪われてはならない。これだけは、この身体を生かし続ける忌々しい権能が証明する、この愛だけは失われてはならないのだ。

 

 

愛しき魔女からの寵愛、それだけは守り抜かなければならない。しかし、魔女がかの英雄に関心を向けている以上、魔女が英雄に惹かれてしまう可能性は大いに存在する。既に好意を持っている可能性もある。

 

 

そのような状況ではいつ寵愛を失うか、いつ魔女に捨てられてしまうかもわからない。

 

 

一刻も早く最適な状況で、最適な条件で、死にも戻りの怪物、ナツキ・スバルをこの世から完全に消し去らなければならない。

 

 

 

 

 

「あぁ、それこそが。それこそが最愛の魔女への、最大の供物になる」

 

 

 

許しを乞うために、愛を願うために、不死の狂人は行動を開始した。

 

 

▲▽▲▽▲

 

 

 

もはや持病である。恋という病に犯され、愛という名の呪いに蝕まれ、その思いを独占したくて奇っ怪な策を張り巡らせる。

 

 

 

正気の沙汰ではない。以前も気を引くために狂ったフリをしたりしていた時期もあったが、今はソレの比ではない。

 

 

 

狂気の沙汰でもない。俺は至って正常だ。愛がほしい。愛しい魔女(ヒト)の全てを独占したい。それは至極真っ当な思考であり、そこに間違いなど生じる余地は存在しない。

 

 

 

屋敷を囲うように配置したウルガルムは、原作通りの働きをしてくれる事だろう。それを行ったのが魔獣使い、メィリィ・ポートルートであるか、俺であるかの違いしかない。

 

 

もしかしたら原作よりもウルガルムか多少増員されているくらいか。

 

 

かの白鯨を討伐せしめた英雄殿なら、この程度の苦難。その鮮やかな手腕で余裕綽々と乗り越えてくれる事だろう。本当に腹立たしい。

 

 

ちなみに、ナツキ・スバルが白鯨を討伐したのは第三章の事であり、現時点ではまだ何も成し遂げてないのだが、それは意図的に考慮しないものとする。勿論。嫌がらせだ。

 

 

 

ウルガルムの背に乗り、森を駆け回っていた俺は、ある少女に会った。遭ってしまった。

 

 

 

「お初に御目にかかるぜ色欲の傀儡。出会い頭にこんな事を頼んでも聞いては貰えないと思うけど。まぁ、一応聞いてみようか」

 

 

 

その表情には色が存在していない。貼り付けられた笑みは魔獣使いのこれまでの人生から形成された、腸狩りの模倣である

 

 

 

「この森に潜ませているウルガルムを連れて撤退しろ。お前の出番は次だ。今じゃない」

 

 

 

恐らく通る事の無い要求だ。メィリィ・ポートルートの上司(ママ)。色欲の大罪司教、カペラ・ルグニカは失態を犯した子供には躾を行うことだろう。

 

 

 

「出会ったばかりなのに勝手な事ばっかり言って。そんな事をしたってママが知れば、きっと大目玉になっちゃうわあ」

 

 

 

身体を弄くり回される感覚を味わった事は無いが、とても辛いものらしい。しかしメィリィ・ポートルートにはそれを耐えて貰うしかない。

 

 

傲慢を育む為に、実績を作る必要があった。諦めない心を生み出す為に、半魔の娘との関係性を構築させた。

 

 

死を超越し、何度も何度も世界を繰り返し、望む未来を掴み取る権能。攻略法は見当がついている。要は殺しさえしなければ良いのだ。

 

 

ナツキ・スバルを生かしたまま、その英雄的信念を完膚なきまでに打ち砕く。傲慢な在り方を歪め、その精神を壊す。

 

 

故にこれ以上の経験はかえって不都合だ。セカンドステージ、『ロズワール邸』四日目、五度目の挑戦に必要以上の魔獣の驚異は必要ない、それは後々悪影響を生じさせてしまう。

 

 

 

「どうして会ったばかりのお兄さんの言うことを聞かないといけないのかしらあ? 」

 

 

 

「そりゃ死なない為だろ。意地でもここに居座るってんなら、俺はお前を殺さなきゃならない」

 

 

 

メィリィ・ポートルートに配慮の欠片のすら存在しないような傲慢な二択。それを押し付けるだけの力を今の俺は有している。

 

 

「あぁ怠惰。油断怠慢それ即ちなんとやらってやつだぜ。メィリィ・ポートルート」

 

 

愛しい赤子を諭すように語りかける声を演出したつもりだったが、優しさが足りなかった。

 

 

優しさを信じる事が出来ない人間のソレは、他人に分け与える事の出来る優しさを持ち得ない

 

 

 

「なにを言っているの? 私が魔獣さん達に一言お願いするだけで、お兄さんなんてバラバラになっちゃうわあ。それなのに、どうして私がお兄さんの言うことなんて」

 

 

 

メィリィ・ポートルートの言葉は続かなかった。言葉を遮るように起きた菜月昴の爆散により、メィリィポート・ルートの淡い青色のワンピースに暗い赤色の花が添えられる

 

 

「なぁ、魔獣使い(・・・・)効率良く死ぬ方法ってなんだと思う? 」

 

 

夥しい量の血液と肉片の飛び散った空間の、その爆心地で汚れ一つない清潔な服装(ジャージ)に身を包む男が、メィリィ・ポートルートの双眼を覗き込んだ

 

 

「火の魔石。あれは随分と都合の良い造りだよな。一定の衝撃を加えると意図も簡単にエネルギーの暴走。つまりはヒト一人が容易に死亡できる程度の爆発を、誰でも簡単に引き起こすことが出来る」

 

 

火の魔石は衝撃を与えれば熱エネルギーの暴走により爆発を引き起こす。目の前で発生したこの事象は火の魔石により引き起こされたのだと、逆説的に証明するようなものだ。

 

 

後は答え合わせだった。しかし、ママ(色欲)に狂わされ、壊されたメィリィ・ポートルートでさえ、答えを理解する事は出来ない。

 

 

思わず吐瀉物を地面に撒き散らしたメィリィ・ポートルートの口を死により強化された『魔手』で強引に塞ぎ、嘔吐を強制的に中断させ、吐き戻そうとしたモノを無理やりの飲み込ませる。

 

 

 

「ああ待てよ、思考を放棄するな。それは『怠惰』だぜ」

 

 

 

途端、魔獣使いは表情を歪め、金切り声をを上げたと思ったら、その場で気絶してしまった。

 

 

それが引き金になったのだろう。魔獣使いの支配下(コントロール)から逃れた魔獣達が、一斉に四方八方に走り去ってゆく。

 

 

その中でも数匹ウルガルムは魔獣使いを助けようとしての行動か、三匹が俺の腱、右腕、喉笛を食い千切り、その他のウルガルムが意識を失った魔獣使いを背に乗せて走り去ろうとしている。

 

 

俺としては魔獣使いは此方で管理しておきたかったのだがウルガルムの俊敏な動きに追い付ける程、俺の肉体は強靭なものではなかった。

 

 

その場に残った二匹のウルガルムの胴を魔手で捻り殺しながら、俺は次のステージに向かう為に、王都へと歩みを進めようと、振り返り、(英雄)の姿を見た。瞳に映してしまった。

 

 

 

 

 

 

青鬼を背負うツノナシの赤鬼の後ろ姿を見送り、相対する魔獣を睨み付ける目つきは非常に悪く、この世界では珍しい黒髪を揺らし、瞳には覚悟の色が浮かんでいる。

 

 

 

使用人服に身を包んだ青年は、ボロボロの身体に鞭を打ち、文字通りの死に物狂いで極少の可能性の先にある、最善の未来の為に命を張る。

 

 

 

それは常人の成し得る行動ではない。特異性を持たないただの人間が、常識の範疇にあるただの人間にはそのよう蛮行に身を投じる事など出来る訳がない。

 

 

 

ならば超人の行動か? 否、否である。卓越した剣術を扱える。加護が宿っている。高位の精霊術を行使出来る。強力な装具を所有している。

 

 

 

そのどれもが揃っていたとしても、備わっていたとしても。超人にはソレを行う必要がない。まるで意味がない。無益の為に無意味を重ねる。結局の所、ただ、常人よりも少し優れた才能を持つだけの人間には、そのような非常識に身を滅ぼすような事は出来ない。

 

 

 

 

それは狂人の行動だ。人としてのガタの外れた、欲にまみれた怪物の意思である。

 

 

 

自分が頑張れば必ず全てを救うことが出来る。そのような傲慢を押し通す事が出来てしまう、大罪を背負った、彼女に愛される存在。あぁ、非常に忌まわしい男だ。今にでも殺してやりたい気持ちを捻り殺し、心の平常を保つ。

 

 

 

 

咆哮が轟く。それはナツキ・スバルの物ではない。狂人に相対する魔獣が吠えた。ナツキ・スバルとの体格差は二倍以上。

 

 

 

通常のウルガルム何倍も屈強な肉体を操る化け物の退治は、ものの数分の出来事だ。

 

 

 

ウルガルムを一掃する名案は提唱者であるナツキ・スバルですら知るよしもない。それは架空のアプローチだ。誰一人として答えを知る者の居ない、虚偽の提案だ。

 

 

 

それはナツキ・スバルの犠牲の許容を強要するような物だ。次があると知らない少女達に傷を残してしまう。

 

 

 

それは一種の正しさなのだろう。正しさを守れば傷付く事はない。しかし一人はそれをよしとしなかった。

 

 

 

手は届かない。声は届かない。それでも、それでもせめて、想いだけは届くように、名前を呼ぶ。

 

 

 

それは紛れもない恋が生じた瞬間であった。(呪い)に至る魔性の誕生である。複雑に呪われた身体に鞭を打ち、鈍い輝きを放つ剣を掲げたナツキ・スバルは、その瞬間、英雄へと足を踏み入れた。

 

 

 

黒煙が辺りに撒き散らされる。初歩的な陰属性の魔法。実際のシャマクとは違う暴発状態。ナツキ・スバル特有の広範囲に広がる妨害魔法。

 

 

 

黒い霧の中で無理解の世界が広がる。形も色も、匂いも感触も、何もかもが存在し、なにもかもが存在しない。認知できない。

 

 

 

闇の世界は終わっている。無理解が支配する無意味で無機質な世界には何かが足りない。何かが欠けている。

 

 

 

無意識のまま、意識を得る。たった一つの最優先事項を繰り返し脳に刻み、復唱を何度も繰り返す。

 

 

 

まだ終わらない。まだ終われない。わからない。無理解を理解する。忘却と思考を繰り返し、無理解のその先を理解する。

 

 

 

無理解の世界から脱したナツキ・スバルと未だ無理解の世界に捕らわれ、無防備に急所を晒すウルガルム。それだけの好条件が揃っても尚、ナツキ・スバルの勝利は確定しない。

 

 

 

一撃では足りなかった。ならば二撃目をと振りかぶるナツキ・スバルはウルガルムの口内を切り裂く。睨み合いと罵りの応酬。一対一の獣同士の戦いは第三者の介入により幕を閉じた

 

 

 

あぁ、やはり予想通りだ。予定調和とでも言うべきか。俺が過度な介入を行わなければ世界は原典通りの道筋を辿る。

 

 

 

幸福と絶望を繰り返す、地獄のような日々を駆け抜け、幸せを掴み取る。それがナツキ・スバルの人生だ。

 

 

 

妬ましい。その立場は本来俺のものである筈だ。経験を知識として知っている。俺ならもっと上手くやれる。俺が偽物なんじゃない。お前が、お前が偽物なんだよナツキ・スバル。

 

 

俺が本物だ。俺が英雄だ。俺こそが彼女からの寵愛を一心に受ける、俺こそが彼女の愛を受けるに相応しい。

 

 

なのに、なのになのになのに。お前が居るせいで彼女が迷ってしまうではないか。気の迷いが生じてしまうではないか。

 

 

お前のせいで。お前のせいだ。なにからなにまで、なにもかも。全て全て、お前が悪い。

 

 

怨嗟の言葉が溢れ出す。しかし行動に移す事は出来ない。理性を捨て去り、本能のままに行動する愚行は、魔獣にも劣る無能な行為だ。

 

 

全てはナツキ・スバルを消し去り、『ナツキ・スバル』に成り代わる為に。

 

 

燃え広がる魔獣の森を背に、俺はメイザース辺境伯領を後にした

 

 

 

 

 

 




『怠惰』
大罪司教怠惰担当、ペテルギウス・ロマネコンティから吸収した魔女因子を体内で培養し得た模造品の権能。

オリジナルに近い性能をしているが、菜月昴の場合、通常時は使用できない。使用しても効果がない。


オリジナルの『怠惰』は精神汚染効果のある黒い霧を周囲一帯に広げ、耐性のない者を強制的に発狂させ、戦意を挫かせるものであったが、これは劣化品。それほど高性能ではない


模造した『怠惰』の発動条件は直近で最低一度は死んでおく事と相手に触れている状態。見ての通りの超近距離技である。
 
効果は記憶の伝達。今回の場合は菜月昴は体内に取り込んだ火の魔石に衝撃を与え砕き、体内で爆発を発生させた際の記憶を植え付けた。




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第16話 『歪みきった意思』

 

 

 

「俺はお前のお師匠サマでも何でもない。愚図で鈍間で阿呆な、菜月昴だ。欠点だらけで良いところなんて一つもありゃしない、みっともない男だ」

 

 

 

それは卑下する言葉ではない。語る言葉はどれもが真実だ。故にその言葉には重みがある。

 

 

 

「けどな、俺ならお前を救える。俺が、お前を救って見せる」

 

 

 

それは奇しくも四百年の愛の言葉(呪詛)と同一のものであった。

 

 

 

「四百年間も待たせるクソ男なんざ忘れちまえ。笑え。笑えよ、シャウラ。俺はお前をこんなボロ臭い塔に縛り付けておくつもりはないぜ」

 

 

 

言葉には出来ない四百年だ。累積された孤独は認識を狂わせるには十分な物だった。

 

 

 

狂っている。互いに壊れきっている。姿形が似ていて、声帯から発される言葉は同質で、濃密な魔女の寵愛を身に纏っている

 

 

 

それだけで十分だった。それ以上を認識する機能は、経年劣化により既に廃されていた。

 

 

 

「はいッス! お師様! 」

 

 

 

何故プレアデス監視塔にやってきたのか。何故スコルピオンテールの彼女を手懐けているのか。いくつもの"何故"を解消する為には少し話を遡る必要がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

 

 

 

第二章『激動の一週間』を終え、王都にとんぼ返りした俺は魔女教から支給された資金で詰所から離れた安全な宿で寝泊まりをしていた。

 

 

 

第二章のシナリオは原作通りに終了した。このまま原作通りに事が進むと仮定して、第三章『再来の王都』が始まるまでの期間は一ヶ月。

 

 

 

IFルートを予め潰しておく為にカララギを予め滅ぼしておこうか。一ヶ月もあれば街一つを壊すくらい苦にはならない。

 

 

 

粗末なベッド──それはこの世界の文明レベルにふさわしい一般的なものであったが──に身を投げ、眠る為に目を瞑る。

 

 

 

 

 

が、待てども睡魔は訪れない。最近は睡眠さえも俺の不死性が阻害し、眠気を消し去ってしまう為、夜の間は眠るフリをして目を瞑っている。

 

 

 

毎夜毎夜周辺を彷徨いていたら衛兵にマークされる可能性がある。窮屈な生活だ。食欲まで薄くなってきているし、性欲、と三大欲求が消失してしまうのも時間の問題か。

 

 

 

今のうちに無理矢理にでも胃に食料を詰め込み、適当な女と遊んでおくべきか。

 

 

 

 

「菜月様。ペテルギウス様よりこちらを届けるようにと」

 

 

 

 

「ちょい待ちちょい待ち。今どっから現れた? ドアは鍵閉めてたし、窓も空いてないだろ? どうやったんだよ。俺にもそれ教えてくれよ」

 

 

 

 

どこからともなく現れた一般の魔女教徒は軽口に応じない。自己意識があるのか無いのかわからないような機械的な行動と言動。

 

 

 

抑揚の無い声と表情がデフォルトの癖に、一般人に擬態するとなると馴染みやすい自然な表情で警戒心を薄れさせる。

 

 

 

やっぱ福音書ってチートだわ。なんて思考を停止した感想を抱きながら俺はペテルギウスの遣いが届けてきた封筒を開く。入っていたのは一枚の便箋た。

 

 

 

 

「一応聞いておきたいんだけど……これ読まなかった事にとか出来ない? 」

 

 

 

 

手紙を届けた魔女教徒は既にその場から姿を消していた。クソが。

 

 

 

 

 

手紙の内容を簡単に要約すると、二週間後に開催される魔女教大罪司教の集まりに同行するようにとの事。手紙の差出人はペテルギウス・ロマネコンティ。

 

 

 

どうやら他の大罪司教が一斉に集うこの機会に、俺の顔見せを行っておきたいらしい。虚飾には既に話を付けてあると綴ってあるが、どうなることやら。

 

 

 

ペテルギウスの遣いである指先が宿まで迎えに来るのが三週間後。大人しく魔法の練習でもしていようか。王都を適当に歩いて使えそうな奴でも探してみるか。いや、万が一ラインハルトに見つかった時が面倒だ。

 

 

 

複音書は白紙のまま。ペラペラとなにも記述されていない頁を捲っていると、複数の頁がなにやら禍々しく変色している。触っても問題は無いみたいだが、ペテルギウスに知られたらなにを言われることやら。この事は隠しておいた方が良いだろう。

 

 

 

 

期限は三週間。不死性と権能を用いれば迂回しなくてはならない道も強引に進むことが出きるだろうし、行き帰りの事を考えるとやはりカララギに向かうのが一番効率的か。

 

 

 

 

 

 

──視界が歪む。少女の姿が見える

 

 

──視界が歪む。少女の後ろ姿から楽しげな声が聞こえる。

 

 

──視界が歪む。否定された。煩く泣き喚く少女のに近付き、背中をさすりながら少女の顔を覗き込んだ。

 

 

 

 

その肉塊には顔と呼ばれるものが存在していなかった。穴だ。その位置にぽっかりと穴が空いている。欠落している。

 

 

印象を思い出せない。声を思い出せない。カタチを思い出せない。何が好きで、何が嫌いで、何をしたのか。何を約束していたのか。何一つとして思い出せない。

 

 

 

 

肉塊がどろけおちる。一人だ。一人ひとりヒトリ独り。

 

 

 

「寂しい」

 

 

 

無意識の内に言葉が溢れる。涙は流れない。それは視覚を狭める異常であるからだ。

 

 

しかしなんだ。寂しいか。俺は今、寂しいと言ったのか。はは、何ふざけた事を言ってんだか。

 

 

馬鹿げている。この現状は俺の選択の結果だと言うのに。

 

 

 

 

自己嫌悪からか無意識の内に展開された瘴気を纏う魔手が俺の首を締め上げた。喉に違和感を感じる。

 

 

 

骨が磨り潰され、肉は潰され、流れる液体は嫌なくらいに赤色だ。そう言えばあの鬼族のメイドを殺した時も同じ色を見た気がする。

 

 

 

 

フラッシュバックした情景に配置された二つの骸にはあるべき顔が存在しなかった。

 

 

 

 

脳ミソが理解することを拒んでいるのだろうか?

ああ、なんと愚かしい。どれだけ脆弱で、貧弱な精神なのだろうか。殺したくなってくる。

 

 

 

 

途端吐き気を覚えたが、それは異常である。不死性がすぐさま身体の修復を開始、吐き気はすぐに収まるが、奇妙な違和感は残り続ける。

 

 

 

穴が空いている。欠落しているのだ。精神を、人間性を形成する上で最も重要なファクターが欠けている

 

 

 

 

ナツキ・スバルの殺害、成り代わりという目的だけはハッキリと刻まれているのに、その後のビジョンは酷く曖昧なのだ。

 

 

 

上手く行くはずだ──なぜそう言い切れる。お前はそれほどに優れた人間だと言えるのか?

 

 

 

終わりの無い問答が鋭利な刃物のように突き刺さる。一度頭を切り替えよう。そうしよう。

 

 

 

魔女教徒から拝借したナイフは手入れを怠ったせいで切れ味の悪くなっているし、やはりここは飛び降りが最適か。

 

 

 

窓を開ける。施錠は内側から簡単に開けるような作りになっており、現代のマンションなどに見られるような安全の為の鉄格子なども存在しない。

 

 

 

少ない手荷物をまとめ、頭から身を投げる。浮遊感に身体が硬直し、強制的に視界は空に向けられる。たった数秒の時間感覚的にはが何倍にも引き伸ばされ、肉が潰れ、骨が割れ、血が噴水のように飛び散る。顔は潰れ、眼球は転がり、視界が黒に染められた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ま、たかだかあの程度の高さから落ちた程度じゃこれくらいか」

 

 

 

欠損した部位は修復され、体外に流れた血液が補充されていく。思ったよりも軽症だったが、俺の目論見通り脳内環境はきれいさっぱり。

 

 

 

そのお陰か今までの失敗を丸々挽回できるような妙案まで浮かんできた。

 

 

 

決戦の時は第三章『再来の王都』ここで確実に奴の。ナツキ・スバルの息の根を止める。俺が、俺こそが本物になるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




あれから半年たったけどこれだけしか書けてないってマ?
来年からかんばるます。許せ……許せ……


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