対魔忍ユキカゼ2 〜藍空風歌〜 (茶玄)
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キャラクター紹介&設定

【キャラクター紹介①】

 秋山 達郎

 

 本作の主人公。聖修学園潜入任務より帰還後、姉の凜子が黒井(淫魔の王)に屈した責任を感じ、自室にて引き篭り生活を半年間送る。

 

 その後1ヶ月半に及ぶゆきかぜの献身的な介護と、桐生医師が発案したマイクロチップ “アーベル” の脳幹接続により、心身虚弱状態を脱する。

 

 “アーベル” の試験運用中に紫先生から助言を受け、ゆきかぜへの想いが「守れる強い男になる」から「助け並び立つ忍びになる」へと変わり、伸び悩んでいた才能が一気に開花。

 

 気圧制御による真空生成術を新たに体得しており、人間的にも急成長を遂げている。

 

 対魔忍として正式に復帰した後は、不在の凜子に代りゆきかぜとペアを組み任務に臨む。

 

 凜子&ゆきかぜペアに比べ純粋な攻撃力は劣るものの、風遁を駆使した全周知覚・索敵と冷静沈着な状況判断、迅速かつ的確な行動指示により、任務遂行能力は大幅に向上し、戦闘時における周辺被害も激減。

 

 その余りにも高い任務成功率により、敵対者からはゆきかぜのつがいの意味も込めて「風雲の対魔忍」として恐れられるほどとなる。

 

 現在は、学園では凜子に代わる逸刀流の跡継ぎとして紫先生との稽古に明け暮れ、屋敷では凜子の猥褻(わいせつ)動画(隔週更新)に手かがりを探しつつ、救出作戦を検討する日々を送る。

 

 なお、五車学園生徒としては留年している模様。

 

 遁術:風遁

 異名:風雲の対魔忍

 得物:忍刀「夜霧」

 身分:五車学園一年生

 技能:

 逸刀流秘奥義「無元結界」

   広範囲に真空を展開し、対象に無重力による行動

   制限と酸欠による呼吸困難をもたらす対団遁術。

   術解除後は気圧傾度力の瞬間的な上昇により、

   術範囲に応じ疾風〜暴風が発生する。

 

 逸刀流奥義「烈風縛陣」

   対象の周囲に風を起こし動きを封じる対人遁術。

   風圧の調整により圧殺も可能。

 

 逸刀流忍術「無元結装」

   刀や手甲等の武具や、身体の周囲に真空の

   薄膜を纏わせる防御遁術。

   凜子の作る次元跳躍の泡と特に相性が良い。

   泡は大気中の水分を媒介にした対魔忍粒子の

   集団のため、ゼロ気圧の真空下では形状を

   保てずに蒸散してしまい、その効力を失う。

 

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【キャラクター紹介②】

 秋山 凜子

 

 達郎の実姉。黒井の奸計に(おちい)り、淫魔に(くみ)して以降は専属のメイドレディ兼淑女として、昼夜を問わず性行為に及ぶのは勿論のこと、戦闘時には先陣に立ち、対魔忍を一刀のもとに斬り伏せる堕ちた斬鬼。対魔忍からは侮蔑の意味を込めて「奴隷斬姫」と呼ばれている。

 

 達郎が最愛の人であることに変わりはないが、マイクロチップ “イブ” の脳幹接続と性的調教により、その行動理念の歪みは極限に達している。

 

 あらゆる性的快楽・悦楽の享受を無上の喜びとし、黒井との性行は姉弟の禁忌を犯さず達郎と愛し合うための今生唯一の方法で、達郎も喜ぶであろうと信じて疑わない。

 

 また、堕落した凜子にとって、黒井は達郎との関係を新たな段階(ステージ)へと導いてくれた尊師同然であり、既に彼との間に娘を出産している。

 

 静流から達郎の動向を聞くにつけ、達郎の活躍自体は喜びつつも、そも達郎の全快は自身との決別の表れではないのか。ペアを組むゆきかぜに遠からず達郎を根こそぎ奪われるのではと危惧しており、達郎とより強く結ばれることを願い、黒井や男達との過激な性行為を日々繰り返している。

 

 遁術:空遁

 異名:斬鬼の対魔忍→奴隷斬姫

 得物:長脇差「石切兼光」

 身分:五車学園三年生→メイドレディ

 技能:

 逸刀流秘奥義「胡蝶獄門」

   刀身に次元跳躍の泡を纏わせる強化遁術

 

 逸刀流奥義「烈風牙斬」

   斬撃により烈風を起こし真空刃を発射

 

 逸刀流忍術「無限抱擁」

   周囲に次元跳躍の泡を発生

 

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【キャラクター紹介③】

 水城 ゆきかぜ

 

 達郎の幼なじみ。達郎が聖修学園潜入任務より帰還した後、間を置かず聖修学園第一次強襲作戦に参加するも大隊ごと撃退されてしまい、凜子と母である不知火の救出にも失敗し自信を喪失。

 

 以降は任務を一時離れて献身的に達郎の介護に努め、その過程において互いの気持ちを確認し身も心も結ばれる。

 

 達郎とのペアは、ゆきかぜ本人の嘆願によるところが大きいが、達郎本人はその経緯を一切知らない。

 

 他種多様な任務を遂行する内に、雷遁の出力制御とその命中精度は大きく向上しており、専用装備を用いた長距離狙撃術を新たに体得している。

 

 達郎とは任務では常に行動を共にし、また夜の営みが明け方まで続くことも少なくない。日を追うごとに達郎への愛情は深まりその依存度を増している。

 

 義姉とも慕っていた凜子に対しては、既に愛憎相半ばする感情を抱くまでになっており、凜子の救出に成功したあかつきには、達郎は必ず凜子を選ぶに違いないと考えている。

 

 遁術:雷遁

 異名:雷撃の対魔忍

 得物:二丁雷銃「ライトニングシューター」

 身分:五車学園一年生→二年生

 技能:

 雷爆「ライトニングバッシュ」

   密着状態からの雷撃

 

 雷鎚「トールハンマー」

   高威力の雷撃

 

 雷鎚跳躍「トールハンマー・ザ・リープ」

   凜子の「石切兼光」を媒介に雷撃を

   空間跳躍させる回避不能攻撃

 

 雷閃槍「ライトニングランス」

   極集束状態の雷撃による長距離狙撃

 

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【キャラクター紹介④】

 八津 紫

 

 五車学園教官。心身虚弱状態を脱した達郎に助言を与え、以後も稽古に付き合う等、達郎本人の成長と風遁に大きな期待を寄せている。

 

 現状は大気の流れを操作しているに過ぎないが、姉の凜子が稀有な空遁の使い手であることから、遠からず気圧制御の域にまで達することを予見していた。

 

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【キャラクター紹介⑤】

 桐生 佐馬斗

 

 対魔忍組織に属する元妖魔の天才外科医(魔科医)で、マイクロチップ “アーベル” の発案者。マイクロチップの摘出手術は特殊な技能が必要となるため、桐生医師にしか行えない。

 

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【設定①】

 マイクロチップ “イブ”

 

 鷲津マテリアル社製のマイクロチップ。脳幹に移植すると性的調教に対する否定的思考を抱くと頭痛を誘発し、妥協や肯定的思考に至ると停止する。

 

 無意識に痛みを避けようとする内に性的調教を受け入れ、全ては自分で選んだ結果なのだと信じて疑わなくなる。

 

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【設定②】

 マイクロチップ “アーベル”

 

 鷲津マテリアル社製の “イブ” の設計・解析結果をベースに、桐生医師が発案したディザイア・テック製のマイクロチップ。

 

 視神経より脳内に侵入し脳幹に自立接続する。極度のストレスに見舞われた際に、セロトニン神経を活性化しノルアドレナリンやドーパミンを抑制する機能を有する。結果として前頭前野の回路回復、高次認知機能の維持を促し、ストレス対処能力が向上する。

 

 高コストにつき、使用は特級任務時における主力要員のみに限定しており、また人道的見地から時限停止機能を有する。

 

 ゆきかぜの懸命な介護により心身虚弱状態を脱しつつあった達郎であったが、依然として凜子の猥褻(わいせつ)動画を閲覧する度に過呼吸に陥る等、完治には至らなかったため、同チップの被験者に選ばれた。

 

 達郎の使用チップは治療用の試作品のため、時限停止機能は実装されていない。また、本人の病状に合わせて、神経制御の出力特性にも繊細なチューニングが施されている。

 

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【時系列】

 2081年06月02日(月)

    聖修学園・潜入任務開始

 2081年07月21日(月)

    凜子第1子妊娠

 2081年07月22日(火)

    聖修学園・潜入任務失敗

 2082年01月22日(木)

    聖修学園・第一次強襲作戦失敗

 2082年03月09日(月)

    達郎対魔忍復帰

 2082年04月24日(金)

    凜子第1子出産

 2082年10月11日(日)

    聖修学園・第二次強襲作戦成功《Ex-奴隷斬姫》

 2082年10月18日(日)

    達郎病院訪問《本編-第1話》

 2082年10月24日(土)

    達郎病院訪問《本編-第2話》

 2082年11月07日(土)

    凜子退院《本編-第3話》




 達郎くんのキャラクター設定にはかなり時間を要しました。特に注意したのは、本編エンド後からの復活について、まぁまぁ説得力があること。それと、新たに体得した遁術が強過ぎないことでしょうか。まぁ、本編では一切使用しないのですが…

 マイクロチップ “アーベル” は完全にオリジナルですね。達郎くんの復活に欠かせない小道具として、それなりの設定を用意したつもりです。

 最後に時系列。ゲーム本編を参考に整理したのですが、近未来の話だったのをすっかり忘れてました。そも、近未来っていつですか…原作中の季節も判然としませんし…結局、よく分からないのでそのままです。

 対魔忍RPGのメインクエスト(Chapter 17 - AD2068)を参考に、時系列およびキャラクターの学年を見直しました。
(2022年1月15日 変更)


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Main story
第1話 姉弟の絆


2082年10月18日(日)15:00 対魔忍病院

 

 聖修学園第二次強襲作戦から一週間後、達郎は対魔忍病院三階の凜子の病室に向かいながら、先程の紫先生との会話を思い返していた。

 

(凜子姉の脳幹のマイクロチップの摘出は無事成功し、正常な思考・判断能力を取り戻したらしい。けれども、今や性行為に対する耐性は皆無に等しく、対魔忍としての前線復帰は絶望的だとも仰っていた)

 

(ゆきかぜの長距離狙撃による右太ももの負傷は、退院後しばらく松葉杖が必要だが、大事には至らずに済んだようだ)

 

(となると…残るは心の問題。これまでに犯した数多の淫行と味方を斬殺した事実が、凜子姉の精神面に悪影響を与えているであろうことは想像に難くない)

 

(アーベルによるマイクロチップ療法も凜子姉は拒否したそうだし…こればかりは根気よく回復を待つしかないのだろうか)

 

 考えがまとまらないまま凜子の病室に着いた達郎は、暫く逡巡した後、迷いを振り払い病室のドアをノックした。

 

「…はい」

 

 達郎が意を決し病室に踏み入ると、室内にはベージュの入院着を(まと)った凜子が、ベッドから上半身を起こし少々恨みがましい視線を達郎に向けていた。

 

「遅かったじゃないか達郎、よもや、私が入院しているにも関わらず、一向に見舞いに訪れないとはな…我が弟ながら失望したぞ」

 

 声色に強さはないものの、昔と変わらない凜子の口調。達郎は思わず零れそうになった目尻の涙を拭った。

 

「凜子姉の容態が安定するまでは、紫先生に会わないよう言われてね。そうじゃなければ、勿論ずっとそばにいたかったよ」

 

「そ、そうか。ま、まぁ、達郎のことを信じてはいたのだがな。その…私も少々待ちわびてしまってな」

 

 凜子のやわらいだ表情とたどたどしい返答に、許しを得られたと判断した達郎は、凜子へと近づきベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。

 

「そ、そういえば、ゆきかぜにもまだ会えていないのだが、やはり同じ理由でなのか?」

 

「…それもあるけど、不知火さんの方は洗脳期間が長かったせいか、まだ意識が混濁しているようでね。ゆきかぜもそばを離れられないみたいなんだ」

 

 実際、ゆきかぜの母である不知火の容態は予断を許さない状況だった。あの黒井の側近という過酷な役割を長期間担わされていたのだ。回復するにしても相当の時間を要するだろう。

 

「私だけでなく、不知火殿の救出にも成功したのだったな。全く大した戦果ではないか。私の居ない間に随分と腕を上げたのだな達郎は」

 

「いや、俺だけの力では決してないよ。ゆきかぜや他の皆がいてくれたから…」

 

「ふふ、そんなことは分かっているさ。だが、先日の私との戦いで見せた剣技、遁術の冴えは見事だったぞ。一体どんな修練を積み、あれほどの域に達したのか。機会があれば聞いてみたいものだ」

 

 確かに先日の強襲作戦にて、達郎は凜子との死闘に及んだ。だが、最後の決め手は、予め計画していたゆきかぜの長距離狙撃。一対一の戦いであれば、達郎は間違いなく負けていただろう。

 

 だがしかし、今の達郎にとっての気掛かりは別にあった。

 

「そんな話で良ければ幾らでも。ところで…凛子姉は聖修学園にいた頃の記憶って、その…今も残ってるのかな…」

 

 達郎も頭では理解していた。マイクロチップに記憶操作や人格改変の類の直接機能はなく、効果はあくまで思考・判断能力の阻害と間接誘導。最終的に結論を下すのは本人であることを。

 

 だが、達郎は凜子の依然と変わらない様子に聞かずにはいられなかった。あれほどまでに醜悪な淫行や凶行を、本当に凜子自らが望み受け入れたのか。

 

 性的調教以前の強い凜子を間近で見ていた達郎だからこそ、どうしてもその事実を素直に受け入れることができなかった。

 

「…あぁ、そうだ。私が何を選び捨て、何を望み誤ったのか覚えている…全て覚えているよ。達郎はそれを聞きたいのだろう?」

 

 凜子の表情は瞬く間に曇り、瞳から光が失われていく。今や病室内は一変し重苦しい空気に包まれていた。

 

「辛かったの最初だけだった。私の心は徐々に歪んでいったのだろうな。いつしか男達に全身で媚び、全力で尽くし、辱められるたび悦びに震える淫売に成り下がっていた。だって、仕方がないだろう?あの時は、それが正しいと信じられた…幸せだと感じていたんだ」

 

「凜子姉、もう…」

 

「達郎も私が輪姦される動画を見たのだろう?ならば知っているはずだ。私がどのように喘ぎ、乱れ、絶頂していたかを。そんな淫売が、今更昔の生活に戻ろうなどど…あぁ、こんなにも辛くて惨めな思いをするなら、いっそ殺して欲しかった達郎。そうすれば地獄で罰を受けられた、罪を償えたんだから…」

 

 凜子が性的調教に屈した原因は、マイクロチップであることに間違いはない。だが、凜子に今更そんな話をしても、何の慰めにもならないのだと達郎は痛感した。

 

 達郎は返す言葉を必死に探す。何か話さなければ、今度こそ永遠に凜子を失うような気すらしていた。

 

「凜子姉は、まだ心の整理がついていないだけなんだと思う。マイクロチップ療法を受ければ、辛い記憶に耐える助けにもなる。紫先生からは断ったと聞いているけれど、もう一度考え直してみたらどうかな?」

 

「く…うぅ…うあぁ…」

 

 達郎の話を聞いていた凜子は、身体を前に屈めると、両腕で肩を掻き抱きながら嗚咽を漏らし始めた。

 

「お…お前は私の脳に、またチップを埋め込むつもりなのか。ずず…ひっく…あ、頭を弄られるのはもう嫌だ…怖いんだ。た、たとえ達郎の頼みでも、それだけは絶対に無理だ…許して…うぇ…許してくれ達郎」

 

 達郎は凜子の左肩で震えている手に、自らの右手をそっと重ねた。そして、もはや取り繕うような言葉には意味がないのだと悟り、心の思うがまま凜子に語りかけた。

 

「ごめん凜子姉、悪かったのは俺の方だ。チップの話はもう二度としないと誓う。うん… 凜子姉の言う通り動画は全て見ていたよ。そうだね…初めは己の劣情のままに。心が落ち着いてからも、凜子姉を救出する手がかりがないかと何回も見返したよ」

 

 凜子の肩の震えが達郎の手にも伝わる。

 

「だから… 凜子姉がどれほど背徳的な行為に溺れ、男達の慰み物にされていたのを、俺はちゃんと知っている。けれどね、姉さん。それでも俺は嬉しいんだ。こうしてまた、凜子姉の近くにいられることが」

 

 凜子はゆっくりと身体を起こし、達郎の手を静かに握り返した。

 

「だから、凜子姉が良ければ話をしよう。離れ離れの間、俺もどれほど辛くて惨めだったかを凜子姉に知って欲しい。凜子姉も辛い思いを俺に全部吐き出してくれていい。俺は絶対… 凜子姉を嫌いになったりしないから」

 

 凜子はようやく頭を上げ、達郎に顔を向けた。目の周りは涙で赤く腫れ上がり、嗚咽も未だ止まってはいない。

 

「ひっく…た、達郎。あ、あの…うぅ…匂いが、男達の精液のあのすえた匂いが、頭から全然離れないんだ。どんなに身体を洗ってもこびり付いて取れなくて…匂いが消えないんだ!う…うぁ、ぁああ!!」

 

 達郎は居ても立っても居られず席を立ち、自らの胸に凜子の頭を抱き寄せた。

 

「…っ!た、達郎!?」

 

「消えないのなら、俺の匂いを嗅げばいい。う、あ…その、凜子姉が嫌じゃなければ…なんだけど」

 

 凜子は突然の抱擁に驚くも、やがて身体の力を抜くと目を閉じ、自ら達郎の胸に顔を埋めた。そして、吐息の感触が達郎にも伝わるほど近くで、幾度となく鼻から息を大きく吸い、口からゆっくりと吐いた。

 

「すぅ…はぁ……達郎の匂いだ…身体の中が達郎で満たされていくかのようだ」

 

「ちょ、凜子姉、その表現はちょっと…」

 

 達郎が気恥ずかしさに身を引きそうになるも、凜子の両腕が達郎の腰に回りそれを許さない。

 

「駄目だ、もうちょっと」

 

 観念した達郎は、右手で凜子の頭を優しく撫でながら、ようやくその言葉を伝えるに相応しい場所に辿り着いたことに気が付いた。

 

「おかえりなさい、姉さん。ずっと会いたかった」

 

「うん、私もだぞ。ただいま、達郎」

 

 秋の夕暮れ。日が傾き病室内が少しづつ暗くなっていく中、そう言うと凜子は顔を上げ、達郎に微笑み返したのだった。




 入院後の凜子が受けた手術は、マイクロチップの摘出手術と右太ももの外科手術のみです。敵方の調教により高められた性感は、服薬治療により多少緩和しているものの、常態に戻るまでかなりの期間を要する見込みとしています。

 …って、公式サイト眺めてたら、桐生医師なら性的調教による身体変化も治療できるような記載が。ちょ、流石にそれはご都合主…マジっすか…

 次話にて達郎と凜子の関係が大きく進展する予定です。ゆきかぜは…ごめんなさい、おそらく第3話まで出番はありません。


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第2話 心の置き場所

2082年10月24日(土)14:00 対魔忍病院

 

 日差しにはまだ暖かさが残るものの、日陰に入ると肌寒さを感じる秋の午後。少し厚手のガウンを羽織った凜子は、達郎に車椅子を押され病院内の庭を散歩していた。

 

 今も不意に(よみがえ)る淫行と恥辱の記憶に怯え、動悸や息苦しさに襲われてはいたが、入院直後に比べてその頻度は減り、自身のみで対処し持ち直す回数も徐々に増えていた。

 

 頻繁に面会に訪れる達郎の存在が、過去を受け入れ前に進もうとする凜子に勇気を与えてくれていた。

 

(そろそろ、退院後の身の振り方を考えねばな)

 

 しばらく庭内の遊歩道を移動していると、病院の駐車場から赤子を抱え歩いてくる母親が凜子の視界に入った。母親は二人の横を抜け病棟へと向かっていく。

 

 凜子はその姿を目で追うのをやめると、少し間を置いてから達郎にぽつりと尋ねた。

 

「達郎、私の子供…(あや)がその後どうしているか知らないか?」

 

 (あや)とは、凜子が黒井との間にもうけた半人半魔の子の名前だ。凜子の猥褻(わいせつ)動画のホームページには、出産の様子も投稿されていたため、達郎も当然知っていた。

 

 第二次強襲作戦の折、達郎は静流に逃走を見逃すのを条件にその居場所を聞き出し、地下施設の調整ポッドにいた(あや)を保護していた。

 

 外見は人間の子と何ら変わりなく、生後6ヶ月を過ぎたその姿は、紫の瞳に青紫の髪は凜子、薄褐色の肌は黒井を連想させた。

 

 達郎は車椅子を押すのを止め、重苦しい雰囲気にならないよう努めながら返事を返した。

 

「凜子姉の子は無事に保護されて、今は対魔忍研究室で預かっているんだ。紫先生や桐生医師をはじめ、職員の人達にとても大切にされていてね。凜子姉が望むなら退院後に会えるよう連絡しておこうか?」

 

「そうだったのか…けれども会う…のはまだ少し難しいな。実はあの子とは、出産してから一度も会っていないんだ…」

 

 凜子は尚も過去を思い返すかのように言葉を紡ぐ。

 

「産んですぐ何処かに連れて行かれたようだが…あの頃の私は母より女であることを優先し、子供より男に触れられることを望んでいたからな」

 

「だからな、達郎。そんな母親失格も同然の私が、今更あの子に会いになんて…」

 

 黒井の子でもある(あや)に対しては、達郎も言葉では言い表せない思いを抱えていた。しかし、生まれて間もない命だ。親から受け継いだ業はあっても罪はないのだ。実際に(あや)の愛らしい姿を目にしてからは、更にその思いが強くなっていた。

 

 「今の (あや)ちゃんはとても可愛らしい子だよ。凜子姉に少し似ているかも。でもまぁ、(あや)ちゃんのことは後々考えるとして、先ずは凜子姉自身が元気にならないとね。当分の間は、俺が(あや)ちゃんの様子を見に行くよ」

 

「世話をかけるな達郎。それにしても…ふふ、 (あや)“ちゃん“とはな。そんな風にあの娘を呼んだのは達郎が初めてだ。でも…うん、何か温かいな。いつか、私もあの子とちゃんと向き合えたらと…不思議とそう思えてくる」

 

(達郎は私だけでなく、あの子のことまで考えてくれているのだな)

 

 改めて達郎の優しさに触れた凜子は、背中の達郎に顔を向けると、達郎を思い耐え忍んでいた頃のことを口にした。

 

「本音を言うと達郎の子なら良かったのにって、ずっと思ってたんだ。初めて結ばれたあの夜に、達郎の子種を宿したのではとも期待した。まだ黒井の責苦(せめく)(あらが)っていた頃の私には…それが唯一の心の支えだったんだ」

 

 凜子の告白に、一向に返事を返さない達郎。不安に感じた凜子は、俯いて達郎の視線を逃れた。一方、当の達郎は凜子の話を聞き愕然としていた。

 

 凜子は知らなかった。あの夜の情事が黒井の見せた淫夢であったこと。そして、実際に凜子と肌を重ねたのは黒井であったのだということを…

 

(神も仏もないとはこのことか…)

 

 意を決した達郎は、車椅子のグリップから手を離すと、凜子の正面に移動し片膝をついた。達郎の行動に戸惑った表情をする凜子。達郎は目を閉じ深呼吸すると、左右の肘掛けに置かれた凜子の手に自らの手を重ねた。

 

「凜子姉、どうか冷静に聞いて欲しい。あの夜、俺にも凜子姉を抱いた記憶がある。けれどもあれは…黒井の奸計だったんだ。実際にあの時、凜子姉と一緒にいたのは…」

 

「そんな馬鹿な…じゃあ、あの時の相手は…」

 

 凜子の問いに、達郎は(うなず)かざるを得なかった。

 

「俺も…後で凜子姉の動画を見てそのことを知ったんだ」

 

 達郎の話を聞いた凜子は、絶望に打ちひしがれ、涙で濡れた顔を両手で覆うと天を仰いだ。

 

「は、はは…私は純潔までも奴に奪われていたのか。私の必死の抵抗ですら、奴は…意味のないものと嘲り楽しんでいたというのかっ!」

 

 なんとか凜子を落ち着かせなければ…達郎は立ち上がり、車椅子に座る凜子の肩にそっと手を添えようとした。その瞬間、左頬に痛烈な一撃を受けて達郎の体は横によろめき、たたらを踏んだ。

 

 凜子の右手が達郎の頬を激しく叩いたのだ。達郎が驚きつつ凜子の方を振り返ると、その表情はやり場のない怒りに満ちていた。

 

(達郎に私が綺麗な内に身体を捧げられた)

(達郎に女として愛されて凄く嬉しかった)

(でも違った。全て幻だった…)

 

(達郎は静流と逢瀬を重ねていたようだけど)

(惨めな私は達郎の横で毎夜犯され続けただけ)

 

(達郎は叫んでも起きてくれなかった)

(達郎は最後まで助けてくれなかった)

(達郎はメス豚の私には何もしてくれなかった!)

 

(う、あぁ…なんで!どうして!!)

 

 次々と湧き上がる感情を制御できず、激情に任せて達郎に手をあげた凜子は、その後すぐ後悔に(さいな)まれた。自己嫌悪と達郎に嫌われるかもしれない恐怖に怯え、その顔色は急激に青ざめていく。

 

「あ、あ…うぁ…わ、私は何て…」

 

「ち、違う…これは、こんな…違うんだ」

 

「ご、ごめんなさぃ…ゆ、許して…許して…」

 

 達郎は車椅子の前に戻り、凜子の両方の二の腕を強く掴んだ。

 

「俺は大丈夫、大丈夫だから安心してっ」

 

「あ…あ、ああぁ…っ!」

 

 達郎の赤く腫れた左頬を見て更に動揺する凜子。達郎は頬を見られないよう凜子を強く抱きしめた。

 

「謝らなきゃいけないのは俺の方だ。凜子姉の勘違いを正さないと、これからの凜子姉との関係が全て嘘になってしまうような気がして。辛い思いをさせると分かっていたのに…」

 

「それに俺は…凜子姉に謝らなきゃいけないことが他にも沢山ある」

 

「静流さんの誘惑に負けてしまった」

「隣りで寝ていたのに気付けなかった」

「俺に力があればもっと早くに助けられた」

 

「俺が不甲斐ないばかりに…本当にごめん」

 

 達郎は、ようやく落ち着いてきた凜子から体を離すと、凜子の視線の高さまで腰を落とし、その左手に自分の右手を重ねた。

 

「でもね、凜子姉。黒井の見せた淫夢は確かに仮初めのものだったけど、あの夜の自分の気持ちに嘘はなかったと今でも信じてるんだ」

 

「うぅ…ひっく…ぐす」

 

「全然頼りにならない,凜子姉には到底釣り合わない俺だけど、それでも…」

 

 徐々に涙が止まりつつある凜子。他方、今度は達郎の目に涙が滲みはじめる。

 

「それでも俺は、凜子姉を愛している。これからも、ずっと一緒にいて欲しいって思ってる」

 

「……ぁ」

 

 それは、姉弟であるなら意味を解することすら(はば)られる忌詞(いみことば)。だが、お互い口にせずとも感じていた想い。

 

 相手に伝えてしまえば、それは決定的なものとなるから。これまで築いてきた姉弟の関係には戻れないからと、互いに気持ちを抑え込んでいたのに……その一線を達郎は遂に踏み越えた。

 

 達郎の過ちを正さねば…凜子は自分の気持ちとは裏腹な返事を返す。

 

「…ぬか喜びをさせるな達郎。お前にはゆきかぜがいるだろう?そう…私は二番目で良い。達郎の一番はゆきかぜであるべきだ」

 

(こんなにも嬉しいのに…苦しいだなんて、な…)

 

「ゆきかぜのことは大切だし愛している。でも、愛しているけど駄目なんだ、もう戻れない。俺は凜子姉を一番にしたい。凜子姉を…俺が幸せにしたいんだ」

 

「だから、ゆきかぜのことは俺に任せて…俺から話をするから。凜子姉は何も心配しなくていいんだ」

 

「駄目だ、駄目だぞ達郎。私を幸せにしようだなんて考えがそもそも間違っている」

 

「俺はもう自分に嘘はつけない。たとえ間違いだとしても、このまま嘘をつき続けて、また凜子姉を失うよりは余程ましだ」

 

(間違いと分かってても、達郎はこんな淫売を…私を求めてくれるというのか)

 

「お前は大馬鹿者だ達郎。ゆきかぜみたいな良い()(そで)にして、私に(なび)くなど…」

 

「あぁ、その通りだよ凜子姉。ゆきかぜは何も悪くない…悪いのは全て俺だ」

 

(すまない、ゆきかぜ。もう無理だ…もうこれ以上は耐えられない…)

 

 心の内の歓喜を抑えられなくなった凜子は、頬を流れる涙もそのままに、遂に本当の気持ちを口にした。

 

「まったく、一度言い出したら聞かないのは相変わらずだな。参った…降参だ。だから、もう一度私を愛していると…そして、二度と私を離さないと約束してくれるか達郎?」

 

「愛しているよ、姉さん。俺はもう…姉さんを一生離さない」

 

 二人はゆっくり顔を近づけると長く優しい口付けを交わした。その後も二人は静かに抱き合うも、凜子は身体中を駆け巡る幸福感に、もはや姉としての体裁を保つのも難しかったようで…

 

「私も達郎を愛しているからな?分かっているな?そもそも私の方が先に好きになったんだから、これからも私の方が、達郎のことをもっと好きになるに決まってる。私は姉なのだから…そう、仕方がないんだこれは…当然なんだっ」

 

 凜子の物言いがあまりにも可笑しくて愛しくて。達郎は我慢できずにもう一度、先程より少しばかり強引な口づけをしたのだった。




 後半の告白シーンがどうにも納得できず、投稿後に何回も書き直したのですが…もう無理、私には少々荷が重かったようです。

 ちなみに、凜子は敵方に性的調教を受けた名残りにより、1回目のキスで軽く、2回目の追打ちで普通にイッてます。それでも身体の疼きはおさまらず、この後二人は病室に戻り、人目を盗んで云々…

 幸いにも、原作序盤の静流との行為を見る限り、達郎くんは性器・精力共に凡人離れしているので、凜子もおそらく満足することでしょう(淫魔の王たる黒井に1段劣る程度かなと)


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第3話 陽だまりの道、描く未来

2082年11月7日(土)10:30 対魔忍病院

 

【1】

 柔らかな陽射しと冷たい風が心地良く感じられる11月初旬の午後。凜子の退院当日、制服姿のゆきかぜは病院の正面玄関にいた。その様子は落ち着きがなく、今すぐにでもその場を離れたがっているようにも見えた。

 

 結局、凜子の入院中に一度も見舞いに訪れなかったゆきかぜだったが、退院し家に帰られてからでは流石に遅過ぎると観念し、達郎と凜子が現れるのを十分程前からこうして待っていた。

 

 実際、入院中である母との面会の合間に、凜子に会いに行く時間は幾らでもあった。ただ、どうにも決心がつかず、会いにいけなかったのだ。ゆきかぜは凜子ではなく、ずっと凜子のそばにいたに違いない達郎をこそ避けていた。

 

(達郎と凜子先輩が一緒にいるところを見たくなくて)

(達郎の気持ちが私から離れていくのが分かってしまいそうで)

(だから…怖くて会えなかった)

 

(らしくないな私、本当何やってんだろ…)

 

 憂鬱な気分から抜け出せないまま、何とはなしに正面玄関から院内に目を向けると、こちらに歩いてくる達郎と凜子の姿が視界に入った。

 

 松葉杖をつき歩いてくる凜子の装いは、チャコールのダンボールニットフーディにカーキのワイドパンツ。過度にボディラインを拾わない緩めのコーディネイトだ。

 

(凜子先輩にこんな顔は見せられない。しっかりしろ私っ)

 

 ゆきかぜはそう自らを奮い立たせて二人の方へと向かうと、普段と変わらない快活な挨拶を口にした。

 

「凜子先輩、お久しぶりです。それに達郎もっ!」

 

 達郎は数日前に凜子の退院日をゆきかぜにメールで伝えていた。だから、ゆきかぜが正面玄関で待ち構えているのではと予想もしていた。

 

「ゆきかぜも元気そうで安心した。でも、先ずは凜子姉に言うべきことがあるんじゃない?」

 

「そうだよね、達郎。えっと…凜子先輩。全然お見舞いにいけなくて…結局、退院当日になっちゃって、本当にごめんなさいっ!」

 

 そう言うと、ゆきかぜは凜子に深々と頭を下げた。

 

「頭を上げてくれ、ゆきかぜ。不知火殿に付きっきりだったのだろう?達郎から話は聞いている」

 

「そ、そうなの。三日前くらいからかな、ようやく毎日一、二時間程度の会話ができるようになったの。お医者さんも、峠は越えたから後は良くなるだけだって」

 

「それは何よりだ。ゆきかぜは達郎と共に、不知火殿だけなく私も救い出してくれたのだ。本当に色々と迷惑をかけたな…改めて礼を言わせてくれ」

 

「い、いいよそんな。凜子先輩とは長い付き合いだし…そんなの当然なんだから」

 

「そう言ってもらえると助かる…が、この恩は何れ必ず返さねばな。そうしなければ私の気が済まんのだ」

 

「まったく、相変わらず凜子先輩は頭が固いんだから…」

 

 凜子の依然と変わらない様子を見て、ようやく少しは気分が晴れたのか、屈託のない笑顔を見せるゆきかぜ。他方、凜子の心中は穏やかではなかった。

 

(ゆきかぜ、そんな笑顔を私に向けないでくれ…)

 

 達郎と結ばれたことで、ゆきかぜに負い目を感じていた凜子は、横にいる達郎の上着の裾を指でぎゅっと摘み、気を強く持たなければと自分に言い聞かせた。

 

【2】

 病院を出た三人は最寄りの駅に向かって、凜子を真ん中に横並びに歩道を歩いていた。松葉杖の凜子を気遣い、駅までタクシーを使うつもりでいた達郎だったが、凜子が歩きたいと言い出したのだ。

 

「凜子姉、無理せずタクシーを呼んだ方が良かったんじゃ?」

 

「いや、大丈夫だ。今日は歩きたい気分なんだ。それに、週明けからは学校だ。それなりに歩けるよう松葉杖にも慣れておかないとな。さもないと、あっという間に卒業を…」

 

 凜子姉の話を遮り、すかさず突っ込みを入れるゆきかぜ。

 

「ちょ…待っ、凜子先輩は二留確定してるからっ!来年も三年生だから…って、達郎。アンタ話してなかったの?」

 

「あぁ、話そうとは思っていたんだけど、ね…」

 

 凜子に告白して以降、それよりも優先すべき凜子とのあれこれが多過ぎて…とは、とても言えない達郎であった。

 

「達郎は一年留年したけど、学業・任務共に優秀だったんで、来年は一年飛び級。で…どうやら、凜子先輩は二年留年が決まったみたいなんです」

 

「ふむ…となると……一体どうなるのだ?」

 

「ぁ…あはは……つまりですね、来年から三人とも三年生。同学年になるわけです。どう?驚いたでしょ、凜子先輩」

 

 凜子は左右の二人を見やり、しばらく呆けていたかと思うと、やがて顔を赤くして俯き、恥じらうような態度を見せた。

 

「…そ、そうか。来年は達郎とも同学年か。それはまた…その、案外悪いものではないな、留年も」

 

「そうだね、どうせなら凜子姉と同じクラスになれると俺も嬉しいな」

 

「ぇ…ぅあ、あぁ。そ、そうだな達郎」

 

 二人の雰囲気を敏感に感じ取ったゆきかぜは、目を見開き驚くとやがてその表情を失った。

 

(あ〜ぁ、これは…やっぱり凜子先輩に達郎取られちゃったか)

(達郎のことだから、母さんがちゃんと回復するまでは言い出さないかな)

 

(けど、まだ諦めたりしないよ達郎?)

 

(達郎が凄く苦しんでたのを知っているから)

(達郎が段々強くなっていくのを見てきたから)

(達郎の一番近くでずっと一緒にいたのは私だから)

 

(我儘だね、私。きっとこれから達郎を沢山困らせるから…)

(だから、今日だけは許してあげるね)

 

 ゆきかぜは努めて明るく振る舞いつつ、会話に再び加わった。

 

「まぁ、三人の内でこの一年半、高校にちゃんと通っていたのは私だけですから。凜子先輩も、復学後に何か悩みごとがあれば、遠慮なく私に相談してくださいね♪」

 

「あぁ、よろしく頼む」

 

「凜子姉、何か困ったら俺も頼ってよね」

 

「達郎、アンタは駄目よ。まだ、高校通い出して半年程度だし。大体、五車学園で飛び級だなんて……あぁ、もうっ!来年もアンタは学校ではゆきかぜ[セ・ン・パ・イ]と呼ぶのよ、分かったわね!」

 

「ぅう…何て理不尽な……」

 

 ゆきかぜの物言いに、思わず涙目になる達郎だった。

 

【3】

 他愛のない会話がしばらく続き、そろそろ遠くに駅が見えてこようかという時に、凜子が神妙な面持ちで達郎に話しかけてきた。

 

「達郎、家に帰る前に…(あや)に会ってみようと思うのだが。無論、突然押しかけて迷惑じゃなければ…なんだが」

 

 達郎は凜子の突然の願いに驚くも、すぐさま喜び返事を返した。

 

「全然大丈夫だと思うよ、凜子姉。じゃ、ちょっと紫先生に電話するから」

 

「凜子先輩、私も一緒に行っていい?(あや)ちゃん超可愛いって達郎からも聞いてるし」

 

「もちろん構わないさ。それに、ゆきかぜがいてくれた方が私も心強い。達郎だけでは少々心許ないのでな」

 

「凜子姉ぇ…」

 

「ふふ…冗談だ。許せ達郎」

 

「達郎は先に帰ってもいいよ別に」

 

「ゆきかぜまで、そんなこ…」

 

 突然背後から聞こえてきたその声に、達郎は言葉を失った。

 

『ほう…よりにもよって自らの姉を…しかも、こぶ付きの使い古しを選ぶとは。ほとほと人間とはつまらぬ生き物よな』

 

「……っな!?」

 

 瞬時に激昂し後方を振り返る達郎。

 

(誰も…いない?)

(でも、あれは…確かに黒井の声だった)

 

 任務中さながらの真剣な顔付きで、射殺すような視線を誰もいない歩道に向ける達郎。

 

「達郎どうしたのよ、突然」

 

 達郎が横を向くと、そこには怪訝な表情をし返事を待つゆきかぜと、達郎の緊張が伝わったのか、不安な表情を浮かべる凜子がいた。

 

(二人には聞こえていない。幻聴…だったのか?)

 

 本当に黒井の声だったのか、或いは達郎の心の隙が生んだ幻聴だったのか…達郎には最後まで判断がつかなかった。

 

「ごめん、誰かいたような気がしたんだけど…気のせいだったみたいだ。二人は先に駅前でタクシーを捕まえておいてよ。俺も紫先生に電話したら、すぐに追いつくから」

 

「まったく驚かさないでよね。達郎も疲れてるんじゃないの?帰ったら少し休んだ方がいいんじゃない?」

 

「…確かに。自分では分からなかったけど、案外疲れているのかもしれない。ありがとう、ゆきかぜ」

 

 ゆきかぜがもたらす何気ない会話と穏やかな空気感が、今の達郎にとっては救いのように感じられた。

 

【4】

 二人の背中を見送った後、達郎は目を閉じて頭を少し下げると、誰にも聞き取れない程の小さな声で呟いた。

 

 その呟きは、先程の幻聴(黒井)への返答であり、凜子と妖への誓いであり…そして、己の迷いを断ち切る覚悟とも受けとれた。

 

 再び頭を上げ前方を見つめる達郎の瞳に、もはや迷いの色は見られない。落ち着きを取り戻した達郎は、紫先生との電話を手短かに済ませ、再び駅に向かい歩き出した。

 

(凜子姉のこと、ちゃんと名前で呼べるようにならないと駄目だよな。凜子姉も少し気にしているようだし。それに、ゆきかぜのことも…)

 

 二人に合流するべくその歩みを速める達郎。やがて、駅間近の上り坂に近づくと、そこには道路脇のガードレールに寄りかかる凜子の姿があった。

 

「遅いぞ達郎。先日の見舞いの時といい、私を待たせるのはお前の悪い癖だ」

 

「凜子姉なんで…もしかして足が痛むとか?」

 

「いや…さっきの達郎の様子が少し気になってな。私の足を心配するゆきかぜに無理を言って、此処で待たさせてもらったんだ」

 

 凜子の優しさに感じ入った達郎は、無言で凜子に近づくとその身体を強く抱きしめた。達郎の背後にそっと左腕を回し、背中を優しく撫でる凜子。

 

「何があった達郎。私はお前だけのものだから…頼って、かまってもらわねば、その責務を果たせないのだぞ?」

 

「心配してくれてありがとう、凜子姉。今夜にでもちゃんと話すよ。今はゆきかぜを待たせてるから、早く合流しないと…」

 

 達郎は腕を解き凜子から離れようとしたが、今度は凜子が達郎の腕を掴みそれを許さなかった。

 

「分かった。達郎がそう言うなら、夜まで待つことにしよう。だが、先に褒美くらいはいただかなくては…な」

 

 顔を近づけキスをせがむ凜子を、達郎は慌てて右手で制した。

 

「ダメ、それも今夜。大体キスなんてしたら…凜子姉、絶対我慢できないでしょ?」

 

「…っな、何でそんな意地悪をするのだ?達郎は私を愛してないのか?」

 

「違う、違うって。けれど、凜子姉も少しは我慢しないと。先々週からこっちほぼエッチしてばかりなんだし」

 

「むぅ…それは心外だぞ達郎。毎回最後までしてたわけでは…」

 

「あ〜、はいはい分かったから」

 

 達郎は強制的に会話を切り上げると、松葉杖の凜子を気遣いつつ先を急いだのだった。

 

【5】

 片付けなきゃならない問題は山積みで、これからも辛いことが沢山あるに違いないけど…最後は必ず幸せに。

 

 道標は幻のように現れては消えるけど、進むべき方角を見誤ることは二度とないだろう。

 

 そう信じられる今を、俺と凜子姉はようやくその手に掴み取ったのだから。

 




 私の稚拙な作品に最後までお付き合いいただいた方々へ、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 何分、初めての二次創作でしたので、お見苦しい点ばかりで本当に申し訳ありません。執筆中は自分の語彙力のなさに身悶えてばかりでした。

 他方、よもや自分で文章を書くのが、こんなにも楽しいことだったとは思いもしませんでした。そのことに気付けただけでも、私にとっては価値ある挑戦だったと感じています。

 なお、ゆきかぜの下りは初期の構想から大きく変わってしまいました。当初は達郎に振られ涙するただの引立て役だったのですが、キャラクターと向き合う内に、ゆきかぜがヒーローで達郎はヒロインのように思えてしまい…結果、ご覧の通りとなりました。

 また、その後の(あや)ですが、秋山家に引き取られ「秋山 綾」と名を変え、母の凜子と叔父の達郎のもとで幸せに暮らします。そして16年後、五車学園に入学する頃には、剣術(逸刀流皆伝)、遁術(空遁)、そして妖力を自在に操る歴代最強クラスの対魔忍に成長します。あ、ちなみに二重人格持ち(妖と綾)の達郎おじさん大好きっ娘ですので。

 最後にここまでお読みいただいた方々に改めて感謝を。本当にありがとうございました。


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Side story
凜子の想い


『ほう…よりにもよって自らの姉を…しかも、こぶ付きの使い古しを選ぶとは。ほとほと人間とはつまらぬ生き物よな』

 

 聞き慣れた背後からの声に凜子は戦慄した。一年半に渡り主人として仕えた黒井の声を忘れるはずもない。性欲の命ずるまま快楽に溺れた当時の記憶が瞬時に(よみがえ)り、凜子の精神を急激に蝕んでいく。

 

(…っあ、ぁああ)

 

 客観的に見れば凜子はあくまで被害者であり、本人にその責がないことは明らかだ。だが、当時の凜子は意思まで奪われていたわけではない。マイクロチップと性的調教により誘導されていたとはいえ、快楽を欲し自らの意思で黒井の軍門に下った記憶があるのだ。

 

 ゆえに、凜子は自責の念に駆られずにはいられない。未だ自刃もせず下劣な生き様を晒す自分を卑下し、否定し続けてしまうのだ。

 

 今の凜子は過度のストレスに耐えきれず、精神的な視野狭窄に陥っていた。

 

 堪らず達郎に救いを求めようと横を向くと…そこには近付くのも憚られる程の殺気を纏い、鬼神の如き形相で後方を睨みつける達郎がいた。

 

 達郎の立ち姿には、以前の可愛らしい弟の面影は微塵も感じられない。四肢は弓を引き絞ったかのような緊迫感を保ち、眼光は鋭く後方を睨みつけている。

 

 凜子をして、一人の男性として信愛に値する頼もしさをも感じさせた。その余りにも凛々しい姿に、凜子は目を奪われずにはいられなかった。

 

(男子三日会わざれば刮目してみよ、とはよく言ったものだ…)

 

 凜子は達郎に見惚れながら、虚無感に苛まれ凝り固まっていた自分の心が、徐々に解きほぐされていくのを感じていた。

 

「達郎どうしたのよ、突然」

 

 達郎に問うたのはゆきかぜだ。どうやら、ゆきかぜには黒井の声が聞こえなかったようだ。達郎は私達の方を振り向くとその硬い表情を解いた。

 

「ごめん、誰かいたような気がしたんだけど…気のせいだったみたいだ。二人は先に駅前でタクシーを捕まえておいてよ。俺も紫先生に電話したら、すぐに追いつくから」

 

 その後一旦達郎と別れ、ゆきかぜと共に一足先に駅へと向かう凜子は、黒井の姿が無かったことに安堵しつつも、先刻とはまた別の不安を抱え込んでしまっていた。

 

(おそらく、達郎にもあの声が聞こえていたのだろう)

(そもそも、達郎はあの言葉をどう受け止めたのだろう)

(できれば、達郎の気持ちを確かめたい…今すぐにでも)

 

 遂に不安を抑えきれなくなった凜子は、隣りを歩くゆきかぜに躊躇(ためら)いがちに話しかける。

 

「ゆきかぜ、その…実はさっきの達郎の様子が少しばかり気になってな。だから……」

 

 その様子は、相手の気持ちを確かめずにはいられない、悩める初々しい少女そのものだった。

 




 本編 第3話の黒井の声が、もしも幻聴でなかったら…っていう凜子視点の if ストーリーです。元々頭にあった展開だったので、自分の欲求のまま一気に書ききってしまいました。

 達郎と凜子にだけ声が聞こえるという展開に、どうにも無理があるように感じたので…本編には数えず別枠で投稿させていだきました (_ _) 


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Prequel
奴隷斬姫 〜月華無辺〜 第1話


【2082年10月11日(日)22:12 聖修学園外縁部・森林前】

 

「よもや、これほどの威力とは…」

 

 聖修学園前の森林入口に立った八津紫は、その遁術の想像を超える破壊力に戦慄せざるを得なかった。

 

 ほんの数分前までは鬱蒼とした森だった一帯が、今は全ての木々が薙ぎ倒され、所々地面が剥げ上がった荒地と化している。

 

 達郎の逸刀流秘奥義 “無元結界” の広域展開により、鷲津マテリアル社の研究施設へと続く道に陣を敷いていた妖魔部隊は、その大半が窒息死を免れず、僅かに残った妖魔も戦意を喪失し敗走。

 

 更には術解除後の気圧傾度力の瞬間上昇により、烈風が発生した結果がこの有り様だ。

 

(これでは、風に飛ばされ墜落死した妖魔も少なくないだろう…)

 

 雑木林の木々が失われ見通しが良くなった今では、紫のいる場所からでも敵の本拠地である研究施設の様子が見て取れた。

 

「計画通りとはいえ…やり過ぎですよね、これ」

 

 苦笑混じりに声を掛けてきたのはゆきかぜだ。その何とも言えない表情は、恋人の遁術の冴えに呆れながらも賞賛を隠しきれないといったところだろうか。

 

「あれだけの妖魔を相手にこちらの損害は一切無しだ。秋山に対して文句などあろうはずもない。だが…この威力は少々持て余してしまうな。これでは、戦略兵器と大して変わらん」

 

「ですよね〜♪じゃあ、そろそろ私も行きますね。紫先生もご武運を」

 

「予定の時間には、まだ早いのではないか?」

 

「ほら、達郎って本当は偵察や諜報が専門じゃないですか。時間にルーズだと後で凄く怒るんですよ」

 

「ゆきかぜ、あまり秋山の手を(わずら)わせるな…任務であれば役目を問わず時間厳守は絶対だ」

 

「あ、あはは…も、もちろん分かってますよ?だから早めに移動するんですし…」

 

 ゆきかぜはそう言い残すと、小振りのアタッシュケースを携え聖修学院の普通科棟へとそそくさと向かっていった。

 

 ゆきかぜを見送った紫は、改めて研究施設の方へと向き直る。

 

(稽古をつけ始めた頃は、見るからに頼りない男子だったのだがな。やれやれ、どうやら姉と同様、傑物であったか…)

 

 

【2082年10月11日(日) 22:30 鷲津マテリアル社 研究施設前・広場】

 

 作戦開始後三十分を経過し、達郎の率いる部隊は鷲津マテリアル社 研究施設前の広場に到着していた。

 

 他の部隊が各方面より研究施設への突入を試み、戦闘を繰り広げている中、広場に到着した達郎達は待ち構えていた凜子により、その進行を停止せざるを得ない状況にあった。

 

 凜子を見やる達郎は、濃紫の対魔忍装束の上に、黒を基調に金の縁取りが施されたクロームモリブデン鋼の胸当て、小手、脛当てを身につけ、腰裏には無銘の忍刀“夜霧”を帯刀している。

 

 片や凜子の姿は対魔忍装束ではなかった。禍々しい銀色の装飾が施された露出度の高い黒のボンテージスーツ。その上に深紫の軽量チタンの防具を肩、腰、脛に身につけている。

 

 凜子は抜き身の刀のような冷酷な眼差しで達郎達を見据え、鞘に納めたヒヒイロカネ由来の日本刀“石切兼光”を地面に突き立て、仁王立ちの構えでその行く手を塞いでいた。

 

 これまでに、凜子に返り討ちにあった対魔忍は五名。内二名が達郎の目の前に、残り三名の亡骸は凛子の足下に転がっている。

 

 周囲に凛子以外の敵の姿は見当たらない。おそらく妖魔共は、前回の第一次強襲作戦時と同様の布陣で臨んでいるに違いない。

 

 正面突破は困難と判断した達郎は、ここは自分に任せて残りの人員に他部隊へ合流するよう指示を下した。

 

 雲の隙間から零れる月光に照らされ、距離を置き対峙する達郎と凜子。

 

「…会うのは一年半振りか。存外に壮健のようだな」

 

「凛子姉は随分と変わったみたいだね。こうも無慈悲に昔の仲間達を手に掛けるだなんて…」

 

 姉弟の久々の再会に笑顔はない。今はまだお互い完全に間合いの外だ。

 

「先刻の森での戦闘。もしやあの風遁は達郎の仕業か?」

 

「あぁ、その通りだよ。でもあれほどの広域展開には極度の集中と過大な気力が必要でね。流石に今夜はもう使えないかな」

 

 手の内をあっさりと晒す達郎に、凜子は怪訝な表情を見せる。

 

「そうか、大したものだ…だが、残念ながら私を救いにきたのであれば無駄骨であったな。既に私は身も心も…黒井(ご主人)様に全てを捧げている」

 

 達郎は沸々と胸に湧く焦燥を、懸命に押さえ込みながら返事を返す。

 

「勿論、嫌というほど知っているよ。凜子姉の猥褻(わいせつ)動画には全て目を通しているからね。弟の俺のことも、今はもう…快楽のための道具に過ぎないんでしょう?」

 

「それは違うぞ、達郎。今も達郎への愛情は何一つ変わってなどいない。ただ、愛情表現が少しばかり過激になっただけに過ぎん」

 

「……」

 

 俯き無言を貫く達郎の様子を苦悶の裏返しと受け取った凛子は、達郎の心を踏みにじる確かな感触と愉悦に、その顔を卑しく歪めていく。

 

「それよりもだ。達郎は私が男達に媚態を示し凌辱される様を見て、ちゃんと欲情してくれたのだろうな? 自慰(オナニー)如きの(オカズ)としてなら申し分のないものと自負しているが…生憎、自分の動画を見るほど暇ではないのでな。 姉として弟の吐精の助けになれたのなら、これに勝る喜びはないのだが」

 

 尚も達郎は俯いたままだ。嗜虐心をそそられた凛子は、更に優しい口調で達郎に語りかける。

 

「本人である私の前で恥ずかしがる必要などあるまい。達郎の口からちゃんと感想を聞かせてはくれないか?」

 

 凛子は意地悪げな笑みをたたえ、刀を左手に持ち両腕を広げると、達郎との間合いを少しづつ詰めていく。

 

 その身体は嗜虐の快感に身震いし、胯座(またぐら)からは淫靡な雫が湧き出し太腿を濡らしている。

 

(達郎は必死に慟哭を(こら)えているに違いない。おぉ…何という快感だ。やはり弟は本物に限る。く、くはぁ…凄い濡れている。いつもと全然違う…こんなにも感じてしまうとは。あぁ、愛している…私は心の底からお前を愛しているぞ、達郎)

 

 達郎はようやく凛子の方へ顔を向けると、神妙な面持ちで話し始めた。

 

「うん、まぁ…最初の頃はね。でも、ごめん凛子姉。今はもう…ゆきかぜを抱く時にしか見ていないんだ」

 

「………は?」

 

 驚愕し立ち止まる凜子。達郎が何を言っているのか、全く理解できない凛子を他所に、達郎は悠揚たる態度で以て尚も語り続ける。

 

「実は…凜子姉の動画を流しながらすると、お互い凄い興奮するんだよ。俺とゆきかぜはちゃんと愛し合ってる、二人の幸せを再確認できるっていうのかな。快感も倍増しな感じで最高なんだ」

 

「な、ぁ…?」

 

(達郎は一体何を…ゆきかぜと二人で、私を(さげす)み哀れんでいたとでもいうのか)

 

 凛子は動揺を隠しきれず、右掌で頬を押さえた。気付けば達郎は、腐り果てた汚物を見るような眼差しを凛子に向け、侮蔑を込めた憫笑の吐息を漏らしている。

 

「無論、凛子姉のことを軽んじたり(ないがし)ろにしているつもりはないんだ。プレイ内容も少しは参考になるしね。でも、流石に凜子姉はやり過ぎだよ。あれはちょっと…もう人間辞めてるよね」

 

「ぁあ…わ、私があんな目に会っていたというのに、達郎は…何も感じなかったというのか?」

 

「またまた、そんな…嘘は良くないよ凛子姉。身も心も黒井に捧げて喜んでたくせに、今更何言ってんのさ。どうせ今も子宮にあいつの子種でも溜め込んでるんでしょ?」

 

「う、くぅっ……」

 

「大体さぁ、この距離でも精液のすえた臭いが漂って来るってどうなの?できればこれ以上は近寄って来ないで欲しいんだけど…」

 

「達郎、お前は…」

 

「それでも、一応は俺の元姉さんだからね。そうだね…作戦が終わるまで何処かで、妖魔とでも(さか)っててくれると助かるんだけど。それなら俺も無理に追撃したりしないからさ。ねぇ、駄目かな?」

 

「ぁああ、ああああ…止めろ、止めろ達郎!!」

 

(違う…これは私の知る達郎ではない。昔の達郎ならもっと私のことを心配してくれたはずだ!)

 

「あ、でも今後も動画はお願いしたいかな。ゆきかぜとの営みが捗るんでね」

 

 凛子は俯いて返事一つ返さない。居合す者を畏怖させずにはおかない気配を凛子から感じ取った達郎は、これまでの軽口を捨て去ると、凛子の攻撃に備えて姿勢低く身構えた。

 

「私には…もう弟はいないのだな」

 

「俺のことは諦めろ。姉弟プレイしか頭に無い姉に興味はない」

 

「潜入任務の時に助けてくれなかったではないか」

 

「責任転嫁も(はなは)だしい。俺に黙って犯されてたくせに…自業自得と知れ」

 

「私を…愛していたのではなかったのか」

 

「俺の愛した姉さんの魂魄(こんぱく)は…薄汚れたその身体にはもういない」

 

「………」

 

チャキ…

 

 凛子は物言わず刀を左腰に引きつけると鍔に親指をかけ、柄に右手を添えた。未だ顔は俯いたままその表情は読み取れない。

 

 達郎もまた、腰裏の忍刀の鯉口を下げると右手で柄を握り、凛子の抜きに備える。

 

 剣戟の始まりは…達郎の不敵極まる一言だった。

 

「…消えろ、この家畜にも劣る淫売が」

 

ガキィーーン!

 

 凛子は瞬時に達郎の間合いに踏み込むと、殺意に満ちた鞘鳴りとともに刀を抜き払う。

 

 間髪入れず達郎もはばきの上辺を目掛け、逆手に持つ忍刀を振るい、その一刀を受け止める。

 

「お前が私の望む達郎でないのなら…斬って棄てるも、(えぐ)って屠るも容赦しない!」

 

「ふっ!」

 

 達郎は刀を受け止め痺れた右手をそのままに、斬撃の衝撃を肩で殺さずに、逆に体を捻り己の腿力を加え左足で前蹴りを放つ。

 

「ぐはっ!」

 

 みぞおちに蹴りの直撃を受け、即座に後ろに飛び退き距離を空ける凛子。

 

「本音が出たね、凛子姉。都合の良い弟役が欲しいなら、他を当たってくれないかな?」

 

「……」

 

(もう軽口には答えてくれないか…とりあえず本気にはなってくれたようだが。さて、後は凛子姉との剣戟に俺がどれだけ耐えられるかどうかだが…)

 

 過去、一度として凛子に達郎の剣が通用したためしはない。しかし、対魔忍に復帰して以降、凛子の無事を祈り、救出の機会を待ち続け、紫先生の薫陶(くんとう)を受けてきたのだ。

 

 ならば、今この瞬間この場所こそが、己が全てを賭すに相応しい絶死の戦場(いくさば)

 

「さぁ、往こう凛子姉。これより先は呼吸一つが生死を分かつ。奴隷斬姫の殺戮剣技、その(ことごと)くに応じてみせよう!」

 




 久々にユキカゼ2の凜子エンドを見てたら、無性に腹が立ってしまい…凜子にお仕置きするべく書き始めました。

 本編ではあらすじのみで割愛した凜子救出戦のお話となります。戦闘シーンなんて書いたことがないので、私にとっては非常に敷居が高いです。武術書等を参考にしながらの執筆になるので、次話の投稿はかなり遅くなるかと思います。

 格好良い達郎を書く…その一点に集中して頑張ります。


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奴隷斬姫 〜月華無辺〜 第2話

 激情に身を任せ刀を抜いた凜子だったが、今やその憤怒は胸の奥底に沈んでいた。

 

 達郎は凜子の居合いを易々と受け止め、反撃までしてのけたのだ。凜子の知る昔の達郎では、到底成し得ない体捌きだった。

 

(死線に於いて激情に捉われては、活路を見失うのは私の方やもしれんな…)

 

 凜子は慎重を期して無理に間合いを詰めず、その場で青眼の構えを取った。

 

 如何に達郎の剣技が上達しているとはいえ、達郎の得物は太刀より刀身の短い忍刀。

 

 正面から打ち合えば、達郎の劣勢は火を見るより明らかだった。凜子の間合い深くに入り込み刃を交えねば、早々に勝敗は決してしまうだろう。

 

 ゆえに達郎は、機先を制するべく打って出る。刀の構えを解くと身体を前方に低く屈め、短距離走者のスタートさながらの姿勢を取った。

 

(何と愚直な…まさか、走って近付いて来るとでもいうのか)

 

 凜子との間はおよそ10m強。走力頼みで間合いを詰めるには、(いささ)か距離があり過ぎる。だがしかし、凜子を見やる達郎の眼差しに迷いの色は見られない。

 

ドンッ!!

 

「…なっ!?」

 

 刹那、凜子の視る景色が一変する。突如眼前に地を這うように宙を舞う達郎が現れたのだ。

 

 耳をつんざく爆音。達郎の後方で巻き上がる砂埃と飛散する歩道のアスファルトの破片。二人の間合いは、既に致命的なほどに深々と交錯していた。

 

ガキィーン!

 

 凜子は下段から迫る刃を辛うじて受け止めた。達郎の身体を刀身ごと押し返し、間合いを取ろうと試みる。

 

 宙を舞う突進頼みの刃圧はすぐに衰えるのが道理。()ね除けるのは容易いように思われた。

 

(馬鹿な…圧し込めないだとっ?)

 

 達郎と凜子の間合いに変化はない。踏ん張りのきかない状況にも関わらず、達郎の刃圧は一向に衰えない。

 

 一進一退の鍔迫り合いが続く中、凜子は頬を撫でる強風に気が付いた。

 

(風…達郎は風遁の助力を得ているのかっ!)

 

 凜子の予想は正鵠(せいこく)を射ていた。逸刀流忍術 “追風”。圧縮空気を推進力に変換した突進。風圧に身体を預けた空中機動。何れも風遁によるものだ。

 

 凜子は力押しを諦め達郎の刃を虚空に受け流すと、淀みのない動作から横薙ぎを放った。

 

(…何とっ!?)

 

 斬らば致命となる一閃。だが達郎は受けるでもなく、後ろに退くでもなく、空中で身体を捻り横向きに旋転し、凜子の攻撃を躱しきる。

 

 反撃とばかりに、姿勢の天地を逆転させた達郎の振り下ろしが凜子に襲いかかる。

 

キィーン!

 

 凜子は上段から刀を振り下ろし辛うじて刃を弾き返すも、達郎の連撃に肝を冷やす暇もない。達郎は風圧による変幻自在の姿勢制御を頼りに、間断なく凜子に攻めかかる。

 

 今や凜子の脚は動かない。(ただ)の一刀のみにて達郎の刃を撥ね上げ、或いは打ち払い、全て在らぬ方向へと流しきる。

 

 達郎もまた、浅く掠め過ぎる凜子の刃に幾多の傷を負いながらも、躱し、惑わし、受け流し、旋風の如き体捌きで応じ続ける。

 

 数十、数百手にも渡り二人の剣戟が連環する。

 

 均衡が崩れ出したのは果たして何手目からだったか。凜子の呼吸は次第に乱れ、守勢に入り徐々に後退せざるを得なくなっていった。

 

 凜子の持久力不足は明らかだ。日々、男達の慰み者にされていた凜子に、鍛錬に割ける時間などあるはずもなかった。

 

 加えて達郎に分のある間合いでの立回り。あらゆる角度から繰り出される斬撃に応じなくてはならない悪条件。凜子の息が上がるのも無理からぬことだった。

 

 達郎は凜子の刃速の衰えにすぐさま反応する。剣戟の間隙を縫い、地に足を着け身体を捻り旋回させると、腿力に風圧を上乗せした渾身の後ろ回し蹴りを放つ。

 

「くっ!」

 

 躱しきれないと判断した凜子は、上半身を横に反らし肩当てで攻撃を防ぐことを選択した。

 

ガンッ!!

 

 達郎の蹴りの衝撃に、肩当てごと斜め後方に吹き飛ばされた凜子は、広場を転がるもその勢いのまま地面を蹴り、更に達郎との距離を稼いだ上で立ち上がった。

 

ゴトッ…

 

 一瞬の無音の後、地面に落ちる肩当ての音が広場に響き渡る。

 

「無様だね凜子姉。免許皆伝の名が泣くよ?」

 

 達郎は凜子に剣先を向け挑発の言葉を投げかけた。呼吸を荒げ消耗の色の濃い凜子には、返事を返す余裕も無いようだ。

 

「…逸刀流忍術 “無限抱擁”」

 

 凜子の空遁により次元跳躍の泡が無数に(あらわ)れる。接触した万物を次元の狭間に消し去るその泡は、達郎との間に壁のように立ちはだかった。

 

「死合の最中に、壁の後ろに隠れるだなんて…」

 

 嘆息して哀れむような達郎の声が、壁の向こうから聞こえてくる。

 

「はぁ…はぁ…ふふ、この私が剣戟に於いて達郎に一歩後れを取るとはな」

 

 必死に調息を続ける凜子は、達郎の挑発に自嘲気味に呟いた。

 

「…逸刀流忍術 “烈風縛陣”」

 

 達郎が遁術を発動した。凛子の周囲を暴風が吹き荒れる。本来は敵を捕縛するための遁術だが、達郎の狙いは別にあった。

 

 所詮は只の泡なのだ。凛子を中心に渦巻く暴風に泡の壁は崩れ、やがてその泡は渦を巻きながら凛子の方へと向かっていく。

 

「くっ、賢しい真似をっ!」

 

 危険を察した凜子は即座に遁術を解除した。霧散する無数の泡の向こうに、此方にゆっくり歩み寄る達郎の姿が見えた。

 

「調息する(いとま)など与えないよ、凛子姉」

 

 このまま持久戦となれば凜子に勝機はない。凜子は残された体力の全てを以て一気呵成に攻めかかる決意を固めた。

 

「見事だ達郎。これより振るう剣技こそ、紛うことなき逸刀流の真髄。既に入神の域にある鏖殺(おうさつ)の刃。しかとその(まなこ)に焼きつけ、冥土の土産話にするがいい」

 

 月光を吸い冴え冴えと冷える“石切兼光”の刀身。その寒々しいまでに鋭い煌めきを見た達郎は、魂を喰らい尽さんとする妖刀の類いを連想せずにはいられなかった。

 




 自分自身のあまりの遅筆に書く気力を失いそうなので…文字数少なくても、こまめに投稿することにしました。


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奴隷斬姫 〜月華無辺〜 第3話

【2082年10月11日(日)22:48 聖修学園 普通科校舎・屋上】

 

標的(ターゲット)まで、う〜ん…二キロ弱ってところかしら」

 

 任務中にも関わらずいつも通りの声色で、ゆきかぜは遠くの鷲津マテリアル社の研究施設に目を向けていた。

 

 ゆきかぜが立っているのは、 聖修学園 普通科校舎の屋上。予め達郎から指示されていた狙撃ポジション。狙撃に邪魔だった森林は、達郎の風遁によって既に荒地と化していた。

 

 ゆきかぜは屋上のネットフェンスを雷遁で破壊すると、手持ちのアタッシュケースから取り出した観測用のスコープを覗き込み、達郎と凜子の姿を探した。

 

「達郎、相手が凜子先輩だからって、入れ込み過ぎてなければ良いけれど…ま、無理な相談か」

 

 こと対人戦において、達郎は凜子の“胡蝶獄門“やゆきかぜの“雷鎚(トールハンマー)”のような、決め手となる技を持ち合わせてはいなかった。

 

 偵察・諜報を専門とする達郎にとって、必殺技の(たぐい)など二の次だったのだ。無事帰還を果たし有用な情報を持ち帰ることが最優先。それが困難なら救援が来るまで可能な限り生き延びねばならない。

 

 ゆえに達郎は紫との稽古においても、膂力より風遁(風圧)に耐えうる身体強度を、瞬発力よりも持久力をひたすらに追い求めた。

 

 継戦能力のみを磨き上げた対魔忍、それこそが今の達郎だった。それでも、異能系忍法“不死覚醒”を扱う紫に比べれば数段見劣りするのだが…

 

 「達郎との鍛錬って、こっちが根を上げるまで終わらないのよね…全くねちっこくて嫌になるわ」

 

 しばらくして、ゆきかぜの観測用スコープが達郎と凜子の影を捉えた。

 

「あー、やってるやってる。あの調子だと凜子先輩も今頃、驚いているに違いないわね…うわっ、あれは辛いわー」

 

「…って、いけない。私もそろそろ準備しないと」

 

 ゆきかぜは、伏せ撃ちをするのに適当な場所を探し腰を下ろした。右腰のホルスターから雷銃(ライトニングシューター)を引き抜くと、アタッシュケースに仕舞われていたパーツを、手際良く銃に取付け始めた。

 

 銃身をロングバレルに交換し、下からフォアエンドとバイポッドを挟み込む。銃上部のレールに暗視スコープをマウントし、銃後端にはストックを接続する…

 

 元々は雷遁制御の覚束(おぼつか)ないないゆきかぜの補助触媒に過ぎなかった雷銃だが、多様化する任務に対処するべく、より実用的な銃器として扱えるよう改修が施されていた。

 

 フリントロック式の古式銃のような見た目だった雷銃は、ゆきかぜの換装作業によって、今や近代的なスナイパーライフルへと変貌を遂げていた。

 

 ゆきかぜが新たに体得した雷遁 “雷閃槍(ライトニングランス)”用の長距離狙撃形態(ロングスナイピングフォーム)。右手持ち用の雷銃にのみ用意されたアタッチメントと、専用パーツによって構成された遁術と銃科学の複合技術兵装(ハイブリッドアーム)だ。

 

 風や重力の影響を一切受けず、極集束状態で撃ち出される雷撃は、秒速三万キロ弱の速度と対物ライフルを遥かに凌ぐ超長距離射程を以て、標的(ターゲット)を穿通する。

 

 ゆきかぜはバイポッドを展開すると、ストックを抱え俯せになった。肩の付け根にストックを押し付けるようにして銃を固定。姿勢に問題ないことを確認したら、ストック内蔵のモノポッドを引き出して、床との高さを調整する。

 

「よし、大体こんなもんね」

 

 欲を言えば護衛に観測手(スポッター)がいれば安心なのだが、校舎内に人の気配はなく、主戦場の研究施設は遥か遠くだ。任務の遂行自体に影響はないだろう。

 

 ゆきかぜはスコープのキャップを外すと、レンズの奥の十字線(レティクル)を覗き見る。

 

 実弾ではなく雷撃による狙撃である以上、その命中精度と出力調整は、ゆきかぜ自身の繊細な雷遁制御に依るところが大きい。

 

「凜子先輩…悪いけれど達郎を苦しめた罰、きっちり受けて貰いますからね」

 

 ゆきかぜはスコープの十字線(レティクル)標的(ターゲット)の影を捉えると、己の集中力を徐々に研ぎ澄ませ、やがて訪れる刹那の瞬間に備えるのだった。




 お読みになられてお分かりかと思いますが、今話の主役は雷銃(ライトニングシューター)です。つい、悪乗りしてしまいました。

 ゆきかぜの性格を考えると、狙撃手(スナイパー)って地味なので嫌がりそうな気もしたのですが…1年半経って精神的に成長したということで、飲み込んでいただければと思います。


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奴隷斬姫 〜月華無辺〜 第4話

【2082年10月11日(日)22:57 鷲津マテリアル社 研究施設前・広場】

 

 達郎と凜子が刀を交えて既に二十分余り。二人の死闘は遂に終盤へと差しかかっていた。

 

 目に見えて消耗の激しいのは凜子の方だ。だが、実のところ達郎もまた極度の疲労に襲われていた。

 

 表面上は(おくび)にも出さなかったが、技量に勝る凜子の斬撃を凌ぐ度に精神は擦り減り、空中機動の風圧に耐え続けた四肢の関節は軋み、骨は悲鳴を上げていた。

 

 凛子を煽ってペース配分を乱し、持ち前の持久力に任せて有利を得る作戦だったが…必ずしも成功したとは言い難い状況だった。

 

(それでも…何とかここまで来れた)

 

 凛子は切先を地面に下ろし、幽鬼のようにゆらりゆらりと達郎へと歩み寄る。達郎は攻防一体の構えを取り、凜子の攻撃に備えた。

 

「ふぅ…ゆきかぜにも手伝ってもらうべきだったかな」

 

 達郎が左頬の切傷の血を(てのひら)で拭いながら呟いた瞬間、何の前触れもなく凜子の姿が揺らぎ虚空へと消えた。

 

「…っ!?」

 

 直後、達郎は左斜め後方の風音の変化を感じ取る。既に躱す余裕はなく、視認する暇もない。咄嗟の反射運動で身体を捻り、気配の感じた方へと刀を振り払う。

 

ガキィーン!!

 

 それは紛うことなき凜子の一刀であった。先程まで達郎の前方にいたにも関わらず、忽然と凛子がそこに(あらわ)れたのだ。

 

 空間跳躍の法による瞬間移動。凜子のみが成し得る超高等遁術だった。

 

 その空遁は、術者が集中力を欠き(わず)かでも油断が生じれば、次元の狭間を永遠に彷徨(さまよ)いかねない危険性を孕んでいた。

 

 (ゆえ)に、これまでは作戦地点への移動や、戦地からの離脱時にのみ使用を限定していたはずが…その空遁を今、凜子は達郎を追い詰めるべく、惜し気もなく使用する決断を下したのだ。

 

「ほう…風を読んだのか。だが、死角から次々に襲いくる斬撃に、果たしていつまで耐えられるかな?」

 

「…初めに言ったはずだよ凛子姉。その(ことごと)くに応じてみせるってね」

 

 達郎は額に伝う冷や汗を凛子に気付かれぬよう、気丈な返事を返した。

 

「ははっ!」

 

 凛子は喜悦に満ちた笑い声を上げると、またしてもその姿を虚空に消した。

 

 詰まるところ、空間跳躍とて達人の域に至れば大道芸と大差はない。

 

 凜子が姿を顕すまでの一秒にも満たない僅かな時間に、此方(こちら)の立ち位置を半歩ずらすだけでいい。

 

 跳躍前の位置しか知らぬ凜子の見当は外れ、刀勢を削ぐことになるだろう。

 

 それでも尚、死角からの攻撃は厄介極まりなかった。視界のみに頼ることほぼ不可能だ。

 

 達郎は呼吸を整えると得意とする全周知覚・索敵遁術を発動した。

 

「…逸刀流忍術 “連達(つれだち)”」

 

 凜子の出現する瞬間、それはほんの僅かな差となって風に乗り顕われる。耳の声境(しょうきょう)に、鼻の香境(こうきょう)に、そして皮膚の触境(そっきょう)に。

 

 それはまるで、極北の流氷の上で舞い踊る一触即発の死のステップのようだった。

 

キン、キィン、キィーン!

 

 全方位より顕れては消える凛子の斬撃に、達郎は防戦一方に立たされる。

 

 あたかも、凜子の刃の巻き起こす旋風に煽られるかのようにその立ち位置を変え、身を捻り体を流し、返す刀で刃を()ね退け続けた。

 

(凌ぎきれ…何としてもっ!)

 

 達郎の四肢の疲労は限界を超え、脳の思考能力も臨界に近い。これまでの会心の疾さにも翳りが見え始めていた。

 

キン、キィーン!……

 

(……終わっ…た?)

 

 極度の集中状態にあった達郎は、凜子の斬撃が止んだことにすぐには気付かなかった。

 

 刀を下ろし周囲を見回すと、長脇差を杖代わりに上半身を屈め、肩で大きく息をする凜子の姿を見つけた。

 

 凜子は息も絶え絶えで、達郎を見やる余裕もないようだ。その立ち位置は今や逆転し、聖修学園側に立つ凜子に対し、研究施設を背中に相対するのが達郎だ。

 

(空間跳躍の連撃を以てしても届かぬか…)

 

 事ここに至って凛子に悲嘆はない。(むし)ろ己が全力を阻む相手を前に、心は歓喜に打ち震えていた。ましてや、その相手が他ならぬ達郎であれば尚更だった。

 

(かつては一緒に剣の高みに至れればなどと……ふ、叶わぬ夢と思っていたのだがな)

 

 せめて真剣でなければ…今の凛子にそんな後悔は微塵もない。命を賭したがゆえの互いの剣技の冴えだった。

 

 ならば、この命尽きるまで、この身を唯一刀の修羅と化すことこそ武芸者の誉れではないか…と。

 

 また、今の凛子には淫行や凌辱にまみれた奴隷淑女としての面影も感じられない。

 

 その有り様は、剣士としての矜持に酔いしれる、かつての姉の姿を達郎に思い起こさせるほどだった。

 

「達郎、次が最後の剣戟となるだろう。勝敗の如何を問わず、私はお前を誇りに思おう。逸刀流の剣士として…そして勿論、我が弟としてもだ。よくぞここまで己を鍛え上げた!」

 

「凛子姉…」

 

 凜子の凛々しく気高い声色に気勢が削がれたのか、達郎の返事にはやや力が無い。

 

「なればこそ、私も逸刀流の最奥を以てお前に応えよう!」

 

 凛子は刀を水平に掲げると、左掌を刀身に沿わせて切先へとゆっくり滑らせていく。掌の後を追うように顕れた虹色の光彩を放つ泡々が、次々と刃に(まと)わり付いていく―――

 

「…逸刀流秘奥義 “胡蝶獄門”」

 

 日本刀"石切兼光"の刃に纏う次元跳躍の泡沫(ほうまつ)が、刃圏に捉えた万物を分け隔てなく切断する入神の御技。凜子の剣を最強足らしめる絶刀絶技。

 

 凛子が泡を纏い終えた刀を真横に軽く振るうと、白刃の輝線と虹色の泡が水飛沫のように虚空を流れ散った。

 

「構えよ達郎。そして我が一刀の華と散るがいい!」

 




 何ていうか…書けば書くほど、達郎よりも凜子の方が格好良くなっちゃう謎回でした。

 次で最終話の予定です。ここまで来るともう、遁術なのか忍術なのかとか、何でも逸刀流の技で良いのかとか…どうでもよく思えてきました。


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奴隷斬姫 〜月華無辺〜 第5話

(こんなことなら、凜子姉の一人稽古をちゃんと見学しておくべきだった…)

 

 達郎はかつての己の怠慢を、今更ながらに後悔した。

 

 胡蝶獄門こそ、凡人の認識を超えた先にある神秘の具現であり、凜子の切り札だ。

 

 (ゆえ)に、対人稽古で目にする機会などあるはずもない。達郎ですら精々任務中に、数回遠目に見た程度に過ぎない。

 

 踏み出せば脚がもつれかねない程に疲弊した今の達郎では、その未知の刃に応ずることは不可能に近い。

 

(まぁ、泣き言を言ったところで…逃げるつもりは更々ないんだけどね)

 

 進退此処(ここ)に窮まったがゆえに、()すべきこともまた単純にして明快。もはや、壊れかけた体躯の限度を(かえり)みる必要もない。

 

「是、我が痛みを以て、意の法境に至らん」

 

 達郎は脳内に仕込まれたマイクロチップ “アーベル” の特級命令(アドバンスド オーダー)を呟いた。

 

――神経制御機能ノ使用申請(リクエスト)ヲ確認シマシタ

 

 女性的な機械音声(マシンボイス)が脳内に響く。紫先生に寄せた声色は、間違いなく桐生医師の趣味だろう。

 

――キュイィーーン

 

 聞きなれないチップの動作音が脳内に木霊(こだま)する。

 

「…逸刀流忍術 “無元結装”」

 

 続けて達郎は風遁を発動した。達郎の持つ忍刀と両腕が、物質・圧力共にゼロの絶対真空の薄膜で覆われていく。

 

 胡蝶獄門の刃を阻む可能性を持つ唯一の風遁。この薄膜に接触すれば、次元跳躍の泡沫といえども、形状を保てず蒸散するに違いないと達郎は踏んでいた。

 

(それでも、空気抵抗すら消し去って襲い来る刃速に、僕の防御が果たして間に合うかどうか…)

 

 今だにチップから機能の実行を伝える音声は聞こえてこない。達郎は(はや)る気持ちを抑えつつ、忍刀の切先を青眼に据え、凜子の出方を(うかが)う。

 

(まだか…頼む、早くしてくれ……)

 

 他方、依然として凜子の心境に(よこしま)な影は見られない。その心はいつにも増して軽いようにすら感じられる。

 

 凜子は刀を構える達郎を見て満足気な表情を浮かべると、この戦いに決着をつけるべく、その左脚を宙に浮かした。

 

「……往くぞ、達郎」

 

 凜子の姿が声と共に虚空へと掻き消える。刹那、達郎の眼前に胡蝶獄門の斬撃を袈裟懸けに振り下ろさんとする凜子が(あらわ)れた。

 

 空間跳躍による(てら)いのない正面攻撃。間合いを詰めるための一歩と思えた左脚は、今や達郎の虚を()く完璧な踏込みへと変わっていた。

 

――申請受諾。神経制御機能 “痛覚無識(ロストペイン)”ヲ実行シマス

 

 それは、桐生医師から内々に説明を受けていた試験段階の機能の一つだった。これより時間にして約二十秒。痛覚神経から脳へと伝達される情報の全てが、チップにより一時的に遮断される。

 

 痛みの(くびき)から解放された体躯は、限界を越えた駆動を可能とするも、過度に利用すれば生死に関わる諸刃の剣。

 

 閃く刃光。凜子の斬撃が動体視力の極限を超え、輝線を伴い達郎に襲いかかる。

 

 達郎は風の(ささや)きを頼りに、凜子の刀身の行先を瞬時に予測すると、構えが崩れるのも構わず忍刀を(はし)らせた。

 

 臨界を越え駆使される心臓と肺、限界を越え駆動する四肢の悲鳴も、今の達郎には届かない。

 

パキィーン!

 

 凜子の斬撃に耐えきれず、達郎の刀がぽきりと折れる。音速を征する刃速を以て打ち込まれたその一撃は、無元結装によって次元跳躍の泡を相殺したにも関わらず、忍刀“夜霧”の刀身を真っ二つにしてみせた。

 

 凜子の刃が尚も達郎の身に迫る。しかし、その刃速は忍刀を切断した際の摩擦抵抗の影響か、初動ほどの勢いはない。

 

 達郎はなりふり構わず限界まで後ろへと反り返ると、そのまま後方に跳び膝立ちに着地した。

 

「……嘘だ…そんな馬鹿な」

 

 再び距離の離れた達郎を、驚愕の面持ちで見やる凜子。残された力を振り絞り、これで最後と刀を奔らせた必殺の一撃。

 

 間合いも踏込みも完璧だったその一刀を、達郎は見事(かわ)してのけたのだ。

 

 もはや、凜子には腕を上げることはおろか、自重を支える脚力すら残っていない……だがしかし、凜子の逡巡はほんの一瞬に過ぎなかった。

 

「この険路(跳躍)、是が非でも押し通るっ!!」

 

 凜子もまた、その並外れた剣気を(もっ)て己の肉体の限界を超越する。乾坤一擲の氣を体内に巡らせ、再び空間跳躍に及んだのだ。

 

 今だ膝立ちの達郎の眼前に再び凜子が顕れる。刃に再び次元跳躍の泡を(まと)わせた長脇差の峰を肩に当て、狙うは達郎の素っ首唯一つ。

 

 夜気を裂く斬撃の気配を察知し、得物を失った達郎は、咄嗟に左腕を上げ側頭部を防御する。腕もろとも切断せんと、凜子の刃が達郎の小手に食い込んだその瞬間―――

 

ガキィーーン!!

 

 凜子の太刀はその刀勢を失い、小手に()ね返されたばかりか……何と鍔元近くからへし折られていた。

 

 斬撃を阻んだ小手の刀傷の隙間から滲み出る金色の輝き。それは一辺六センチ、厚さ一センチ程度のヒヒイロカネ由来の合金板(プレート)だった。

 

 凜子の“石切兼光”と同じ希少金属のそれは、屋敷の蔵から達郎が持ち出し、万が一の備えとして左小手に忍ばせていた物だ。

 

「な……」

 

 片膝をつく達郎の頭上から、呆気に取られる凛子の声が聞こえてきた。反撃の好機と見た達郎は背負い投げを狙うべく、勢いよく立ち上がり凜子の懐深くに入り込もうと動き出す。

 

ゴンッ!

 

 直後、鈍い音とともに達郎は左側頭部に強い衝撃を受け、体もろとも右に流されてしまう。

 

「ぇ……?」

 

 凜子が刀の柄を逆手に持ち変え、間髪入れずその柄頭(つかがしら)で達郎の頭を殴打したのだ……それはまさに、剣鬼の執念の成せる業だった。

 

 揺らぐ視界の中、達郎は遂に敗北を覚悟する。体が横倒しになる瞬間、達郎は凜子の遥か後方から、一条の細い光が奔るのを見た。

 

 それは、ゆきかぜの放った“雷閃槍(ライトニングランス)”が描いた輝線。その雷撃は凜子の右太腿部を貫通すると、高電圧の余波により凜子の全身をも硬直させた。

 

「ぁああああ!!」

 

 衝撃は(わず)かに遅れてやってきた。凜子の体が右太腿を支点に縦回転しながら、達郎の横を掠め飛んで行く。

 

 その勢いは凄まじく、宙を舞う凛子の体は、地面を数回跳ね返りながら研究施設の壁に激突すると、そのままうつ伏せに倒れ込んでしまった。

 

「ゆきかぜ…お前……」

 

 達郎は己の体を起こすと、耳奥の無線機を介し非難の言葉を口にした。

 

「……大丈夫、右腕はちょっと動いてるみたいだから…死んではいないと思う」

 

 ゆきかぜのか細い返事が無線越しに聞こえてくる。

 

「なぁ…ちゃんと出力は絞ったんだよな?」

 

「と、当然でしょ!じゃなきゃ、命中した途端に爆散してるもの」

 

「はぁ…それってもう、条約か何かで対人使用を禁止するレベルな気が……」

 

 ゆきかぜの返事に呆れ返った達郎は、思い出したかのように更なる不満を口にする。

 

「そういえば、狙撃許可の合図を送ってから、全然発砲しなかったの何で?おかげで本当に死にそうだったんだけど?」

 

 達郎はゆきかぜにその合図を確かに伝えていた。頬の切傷の血を(てのひら)で拭う振りをしつつ、耳奥に仕込んである無線機を操作し、“ゆきかぜにも手伝ってもらうべきだった”…と。

 

「いや、だって凜子先輩、空間跳躍使ってバンバン消えるんだもの。あの状況での狙撃は流石に無理だったわよ」

 

「……まぁ、仕方ない…か」

 

 釈然としない達郎だったが、これ以上の追及は諦めた。何はともあれ、ゆきかぜの狙撃で九死に一生を得たのは事実なのだから。

 

「……ぐ…ごふっ」

 

 突如、吐血する達郎。痛覚無識(ロストペイン)の効果は既に切れていた。臓腑に何らかの内傷を負ったのは間違いない。まだ体が動くだけでも僥倖と思うべきだろう。

 

「え、達郎どうしたの?大丈夫?」

 

(この後も戦闘が控えているのに。こんな状態では後衛もままならない…)

 

 達郎は口周りの血を(そで)で拭い、乱れた呼吸を整える。

 

「ふぅ……問題ない。ゆきかぜ、予定通り此方(こちら)に合流してくれ。それと救護班…あぁ、刀も折れたんで一緒に頼む」

 

了解(ラジャー)

 

 交信を終えた達郎は凜子の下へと向かうべく、体に負担を掛けぬようゆっくりと立ち上がった。

 気を失っていた凜子が最初に目にしたのは、横で膝を下ろし自分の上半身を抱きかかえる達郎の姿だった。

 

 右太腿の銃創には応急処置に使ったであろう、紫色の達郎のスカーフが巻かれていた。

 

(手足の痺れが抜けない…これは雷遁か。ゆきかぜの仕業と見て間違いないのだろうな……)

 

 夜空を見上げ、先刻の背後からの不意打ちを思い返していると、凜子が目を覚まし安堵したのか、俯き(むせ)び泣く達郎の声が聞こえてきた。

 

「……何を泣く達郎。お前達は立派に戦い、この私を倒したではないか」

 

 凛子の言葉に達郎は首を大きく横に振る。

 

「うぁ…ご、ごめん…ごめん凜子姉…ごめんなさい……」

 

 助けに来るのが遅くなって…散々、口汚く(ののし)って…嗚咽(おえつ)が邪魔をして、達郎はその一言がどうしても言い出せない。

 

(あぁ、そうか…何となく分かってしまったな。やはり私の愛する弟は唯一人。達郎、お前をおいて他にない……)

 

 凜子は達郎の方を向き、痺れの残る左の掌でその頬をそっと包むと、額から目に流れ込む血と涙を指で優しく拭い取った。凜子の目にもまた、うっすらと涙が浮かんでいる。

 

 既に他の対魔忍部隊は研究施設地下への侵入を果たしたのか、達郎と凜子以外に辺りに人影はない。

 

 冷たく白い月明かりと束の間の静寂が二人を包む。その様子は仲睦まじい姉弟のようでもあり…また、再会の喜びに涙する恋人同士のようでもあった……

 




 余談とも取れる物語に最後までお付き合いいただいた方々へ、この場を借りて厚くお礼申し上げます。

 予想通り戦闘シーンの執筆には至極骨が折れました。私なりに達郎の格好良さや緊張感をテンポ良く伝えようと頑張ってみましたが……如何でしたでしょうか?

 読み返すと達郎も凜子も、疲弊しては限界超えてを繰り返してばかりだったように思います σ(^_^;)
 
 話題を変えまして、今作の執筆に際しては、私の大好きなNitro+さんの過去2作品「鬼哭街 The Cyber Slayer」と「Phantom PHANTOM OF INFERNO」の作中での言い回し等を参考にさせていただきました。

 久々に物置きから上記ゲームソフトを引っ張り出してプレイしましたが、やはり面白い。そして何より格好良い!ご存知ない方は、是非一度お手に取っていただきたい作品ですヽ(´ー`)


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