『鳴上悠は鬼殺の夢を見る』 (OKAMEPON)
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プロローグ【邯鄲の夢の中】

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 部屋を見渡すと、ふと溜め息が零れた。

 明日になれば、一年を過ごしたこの部屋とも暫しのお別れになる。

 荷物は既に纏めて送っているので今此処に残しているのは本当に最小限必要なものだけで、元から用意されていた家具以外は全て片付けられた部屋はどうにも寂しいものを感じてしまった。

 最初にこの部屋に入った時の状態に戻っただけとは言え、一年の時を過ごす内に大切な思い出たちと共に増えて行った様々な私物が視界に無いと、どうにもがらんどうの様に思えてしまうのだろう。

 長期の休みの時には皆に逢いに戻って来るつもりではあるが、「帰るべき家」として住む事と「一時的に逗留する場所」として滞在する事の差はどうしたって埋められない。

 住居を引っ越す事自体にはもう慣れていたが、ここまで後ろ髪を引かれる程に愛しく離れ難いと感じるのは初めてであった。出来ればもう一年、高校を卒業するまではと、そう思うけれど。

 元々の約束は一年だけと言う事であったのだし、それを急に自分の意見だけで覆して貰う事は難しく、そしてここを発った先にも大切な『家族』が居る。

 この街と、此処で得た大切な繋がりを愛しく離れ難いと心から想うけれど、一年越しに両親に逢いたい気持ちも当然に在った。 

 だから、行かねばならない。

 

 それに、やり残していた事はもう全て果たした。

 この街で起きた不可思議な事件の真実を見付け出して街を閉ざした霧を晴らし、そして最後には全ての駒を盤面の外から見ていた『神』に打ち克つ事で人の『心の海』に巣食っていた霧をも全て切り裂いた。

 もうこの街で、『神』の遊戯によって人生を狂わされてしまう者は出ないだろう。そして、「混迷の霧」によってこの世界全てが滅びてしまう様な事も。

 何十何百と言う年月が過ぎればどうなるのかは分からないが……そうならない様に自分達が居る。そして、自分達以外にも、「混迷の霧」の中を生きるよりも己の目を開いて生きる事を望む者達は多くは無くとも必ず居る。

 ならばきっと、大丈夫だろう。

「未来」と言うものを現実も見ずに夢想する事は出来ないが、無為に悲観する事もまた愚かな事であるのだから。

 

 明日の出立には仲間達が見送りに来てくれる。学校で得た大切な友人たちも、必ず行くと言ってくれていた。

 そうやって沢山の人に見送られる事は初めてなので、嬉しくて何処と無く浮ついた様に落ち着かない。

 だからこそ、寝惚けた様な顔なんかを見送りに来てくれた皆に晒したくは無いので、明日の出立に向けて今日はもう寝るべきだろう。

 イザナミとの激戦によって充足感と達成感の高揚に満たされつつも、今日は結構疲れていた。

 だからこそ、布団の中に入ると途端に、忍び寄っていた眠気によって意識はゆっくりと深い海の底へと沈んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 水面に浮かんだ泡が弾けた様に、不意に意識が外界を知覚した。

 そして、「奇妙な」現状にも同時に気付く。

 

 先ず、場所がおかしい。眠りに就いたのは間違いなく堂島家で与えられた自室であった筈なのに、何故か今居るのは見知らぬ夜の暗い森の中だ。夜行性の動物たちが様々に動いている微かな音が彼方此方から聞こえてくる。

 木々の間を緩く吹き抜けた風に揺れた葉が立てた擦れ合う様な音も、足裏から伝わる舗装された道路などと違った柔らかさを持った土の感触も、そのどれもが『現実感』を伴っている。

 ……一体此処は何処だろう。そして、どうしてこの様な場所に居るのだろう。

 そう戸惑っていると、更に奇妙な事に気付く。

 眠りに落ちる際に身に着けていたのは部屋着であったし、当然その手に武器など持ってはいなかった。

 だが、今の自分は一年ですっかり慣れ親しんだ八十神高校の制服を身に纏い、そして手の中でずっしりとした剣の重さがその存在を主張している状態だ。見ると、それは心の海の世界で手に入れた『十握剣』であった。

 手に入れた時からそれを握り締めて『心の海』の中を駆け抜けていた為、その重さは手にかなりよく馴染んでいる。

 だが何故この様な……『心の海』の中の世界を駆ける時の様な装備で居るのか、さっぱりと現状を理解出来ない。

 これが果たして現実であるのかどうかすら、あやふやだ。

 

 だがふと、そう言えば以前もこの様な事があった事を思い出す。

 稲羽の街にやって来た最初の日の夜に、イザナミに誘われて夢を通してその領域に招かれたその時の感覚と、今の感じが何処と無く似ていた。

 ならば恐らく、これは夢の中だ。夢の中でそれを知覚している明晰夢とほぼ同じである。

 だが恐らくはそれと同時に、此処は『現実』であるのだ。

 あのイザナミの領域の様に『心の海』の中であるのか、或いは現実の世界なのかはまだ分からないが。どちらにせよ夢の中だけの世界では無くて何処かに本当に存在する場所なのだろう。

 だが、だからこそ何故? と言う疑問が胸の内に湧き上がった。

 

 以前イザナミに誘われてその様な夢を見た。だが後にも先にもそのたった一度だけの経験であったし、そしてそのイザナミは既に人の心の海の中へと静かに還っていった。それを己の目で直接見届けたのだから間違いない。

 人の『個の意思』で『人々の総意』を凌駕し覆した事を何処か感心した様に認めながら消えて行った彼の存在が、亡霊の様に迷い出て再び何かを始めるとは思えない。もしそうなるとしてもそれは随分と先の事になるだろう。

 昨日の今日では幾ら何でも早過ぎる、それでは往生際が悪過ぎると言わざるを得ない。

 イザナミはその様な見苦しい真似はしないであろうと言う確信はあった。

『神』として人を試す事はしても、その試練を乗り越えた者に対して何時までも粘着して敗北を認めない様な見苦しい真似はその矜持に懸けてしないだろうから。

 ならば、これはイザナミ以外の何物かに誘われて見ている夢なのか。それともそもそも誰かに誘われた訳では無く、単に自分が何処かに迷い込んだだけなのか……。どちらも考えられるが故に、今の時点ではその答えは出そうにない。だからこそ、何かを探す様に特に宛ては無いが森の中を歩き始めた。

 

 夢である以上は何時かは醒めると思うが、何時醒めるのかについては全く分からない。

 一秒後かも知れないし、或いは夢の中で気の遠くなる様な時間を過ごさないといけないかもしれない。

「邯鄲の夢」やら「南柯の夢」やらに言われる様に、夢の中で一つの人生程の時間を過ごしたつもりでも現実では一夜にも満たぬ程の短い時間の中でしか無い事もある様に。

 此処が夢であると明確に理解しても、だからと言って醒めるまでをぼんやりと待つと言うのも良い事にはなりそうにない。

 せめて何処かに人なり何なりが居れば良いのだけれど……と、宛無く彷徨っていたその時だった。

 

 夜闇を切り裂く様に、夜の森中に響く様な鋭い悲鳴が聞こえて来た。

 どう聞いても切羽詰まっている様子のその声に、半ば無意識の内にそれが聞こえて来た方向へと向かって駆け出していた。

 此処が何処なのか、一体今自分がどんな状況に置かれているのかはまだ全く分からないけれど。

 誰かが何かしらの危機に直面しているのなら、それを無視する事など出来ない。

 自分に何が出来るのかと言う問題では無く、そうしたいから走るのだ。行動しなければ何も出来はしない。

 

 そうして夜の森の中を、足元に気を付けながら駆け抜ける事暫し。

 木々が開け、月明かりが照らし出した其処で。

 

「化け物」としか呼べない様な異形の存在が、人を襲っていた。

 一見そのシルエット自体は人間の様に見えなくはないが、その身体の様々な場所に眼球が蠢きあらぬ方向に視線をやっていて、そしてその額からはまるで角の様なものが肌を突き破る様にして生えている。

 女性の様な見目ではあるがその腕は異様に長く、昔絵本で見た「手長」と言う妖怪の姿を思い起こさせた。

 それは紛う事無く「化け物」であった。

 シャドウと言う人の心が生み出した怪物たちの姿をよく知っていても、それとは根本から異なる様な異質なその異形の姿に思わず息を詰める。

 だが、思いもよらぬ「化け物」の姿に戸惑っている様な余裕など無かった。

 

 その「化け物」の足元では既に男性が地に伏していて、女性が逃げる事すら出来ずに怯えた様に身を縮こまらせていて。そしてその場には噎せてしまいそうな程の濃い血の臭いが漂っているのだ。

 男性の胸の辺りは動いている所を見るにまだ生きてはいるようだが、しかし一刻も早く治療を必要としている状態なのは間違いが無い。

 更には「化け物」は女性に狙いを定めた様に、その長く異様な腕を伸ばそうとしていた。

 その手の指先に在る爪は、まるで肉食獣の鉤爪の様に鋭い。女性の柔肌など忽ち切り裂かれてしまうだろう。

「化け物」には明らかに女性に対する害意が在った。ただそれは殺意と言うよりは、獲物を屠殺しようとするかの様な……ある種当然の行為を行おうとしているかの様なもので。悪意らしい悪意が無くとも、この「化け物」は人間を容易く殺せるし、そして殺した事に何の痛痒も懐かない存在なのだと直感させる。故に、「化け物」が人とは相容れぬ存在である事を瞬時に理解した。

 

 だからこそ、迷う事無く地を踏み締めて己を撃ち出す様な勢いで「化け物」に向かって突撃し、手にしていた剣を強く握り締めて薙ぎ払う。

 眼の前で自らに迫って来ていた「化け物」の片腕が斬り落とされた瞬間を目にした女性は、恐怖と驚愕から思考が途絶したかの様に固まり。そして腕を喪った「化け物」は突然の攻撃に驚いた様にその意識をか弱い獲物である女性から自分に害を与えてきた第三者へと向けた。

 食餌をするにしても、先ずはこの外敵を排除せねばならない、と。まるで獣の様な目がそう言っていた。

 完全に「敵」として認識されてしまったが、それで「化け物」の意識が女性や足元に倒れている男性から離れてくれるなら十分以上だ。女性や男性がこの場から逃げてくれるのならそれが一番だが、どう見ても女性は腰が抜けているし男性は動ける状態では無い。ここで、自分がこの「化け物」をどうにかしなければ、彼等は助からないだろう。人二人分の命が自分の手に掛かっている事を意識すると、負ける訳にはいかないと言う重責を感じる。

 だがまあ、それは「何時もの事」だ。テレビの中に落とされた人を助けに行く時と、或いは強大なシャドウと対峙する時と。何も変わらない。だから落ち着け、と。そう自分に言い聞かせて集中する為にも大きく息を吸う。

 すると、その息を吸う音に反応したのか、「化け物」は僅かに警戒しつつも馬鹿にする様な雰囲気で口を開く。

 

「これから『仕込み』の段階だったのにもう鬼狩りに見付かるなんてついてないわ。

 でもあなた、ろくに呼吸も使えない剣士なんでしょう? 前に一度見た鬼狩りたちの呼吸とは全然違うもの。

 だから、最初から頸を狙わずに、腕なんて狙った」

 

 そう言いながら「化け物」は斬り落とされた己の片腕を拾い、それを傷口に押し付ける。すると不快な音と共に斬り落とした筈の腕は瞬く間に元通りの状態にくっ付いてしまった。

「化け物」が喋った事に驚くと同時に、警戒を強めた。かつて対峙してきたシャドウたちの中で会話するものは極めて稀であり、そしてそれらはどれも押並べて強力なシャドウだった。

 斬り裂いた時の手応えとしてはそこまで強力なシャドウと同程度の存在だとは感じなかったが。自分はそこまで分析に長けている訳でも無い為、素人判断は危険だろう。

『鬼狩り』だの『呼吸』だのと「化け物」が言っている意味は正直よく分からないが、どうやら自分は「化け物」たちを狩る何者かであると勘違いされているらしい。「化け物」の言葉から判断するに、彼等の弱点は頸なのだろうか? ……それがブラフである可能性はあるが、自分から己の弱点を晒す様な真似をしてくれるのは迂闊であるが此方としては有難い事だ。

 

 鋭い爪で敵の肉を斬り裂こうと、「化け物」の長い腕が此方に迫って来る。

 かなりの速さだが、来ると分かっていて避けるのは難しくない。半歩下がる様にしてそれを回避すると、「化け物」の腕はゴムかバネを伸ばす様に延び、此方を囲う様に迫って来た。それを一度身を屈めて避けつつ、勢いよく剣で斬り上げて今度は両腕ともを切断する。また回復されてしまうのかもしれないが、僅かにでも隙を作る事が出来るのであればそれで十分だった。

 一気に踏み込んで、その頸を狙って力一杯に振り払う。神話の中では神殺しにすら使われていた十握剣は、それその物ではなくとも凄まじい斬れ味を誇り、そしてそれを遺憾なく発揮して「化け物」の頸を斬り飛ばす。

 驚いた様な表情を浮かべたままの「化け物」の首が、地に落ちて転がった。

 これで、終わっただろうか、と。安堵の息を吐こうとしたその時だった。

 

 首を喪った筈の「化け物」の身体が、動いたのだ。

 そして喪った筈の腕が、生々しい音と共に身体から生えて来て、そしてその腕が斬り落とされた筈の首を拾う。

 そして、切断された筈の首すら、元の位置に戻すと元通りにくっ付いてしまう。

 頸が弱点では無かったのだろうか……? 

 

「ああ、吃驚したわ。呼吸もろくに使えない剣士だと思って舐めていたら、まさか呼吸も使わずに頸を落としてくるなんてね。私の頸はそこそこ以上に硬かったと思うのだけど……。でも、まあ良いわ。あなたのそれが日輪刀では無いのなら、何を斬った所で意味は無いもの。人間にしては強いみたいだけど、残念だったわね」

 

「化け物」相手に斬撃が全く効いていないと言う様子では無かった。

 無効化やら吸収やらしてくるシャドウたちに攻撃した時の感触とは全く違ったし、況してや反射している訳でも無い。強いて言うのならば、超回復とでも言うべき回復力によって斬撃で与えられるダメージの多くが無効化されている様だ。肉片になるまで細かく全身を切り刻めばどうなるのかはまだ分からないが、流石にそれをするにはペルソナの力でも使わないと無理である。しかし、ここが何処なのかはまだ分からないが、ペルソナを使えない可能性は高い為、ペルソナに頼る事を念頭にして戦う事は出来ない。

 だが、こうして剣での攻撃が決定打にはならないのであれば、一体どうすればこの場を切り抜ける事が出来るのだろうか。

 剣を構えて何時でも「化け物」の動きに反応出来る様に警戒しつつも、状況を打開する為の方法を必死に考えていると。「化け物」はその相貌を歪ませる程の、醜く悪意のある笑みを浮かべた。

 

「鬼狩りでないなら、あなたも私のお人形にしても良いかも知れないわね。

 呼吸も日輪刀も持たずにそれ程強いのなら、良いお人形になってくれそうだし」

 

 そして「化け物」は、既に倒れていた男性へと指を向ける。

 

「血鬼術──」

 

 すると、深手を負って倒れていた筈の男性がむくりとその身を起こした。

 虚ろなその目には何の感情も浮かんでいないが、しかし何かが明らかにおかしい。

 そして男性が動き出すと同時に、その身を深く切り裂いていた傷は、見る見る内に塞がって、終には傷痕すら消えてしまう。最早、彼が傷を負っていた事を示すのは、身に着けている衣服をどす黒く汚す血痕だけだ。

 まるで目の前の「化け物」の同類にでもなってしまったかの様な異常な回復力に、思わず息を呑む。

 もしや、この「化け物」は己が傷付けた相手を同類に変えてしまえる様なものなのだろうか。

 そうなると、宛らゲームや創作物のゾンビやら吸血鬼やらを相手にする様な感じに厄介極まりない。

 そして、「化け物」に弄ばれている男性は果たして無事なのだろうか……。

 

 そんな思考を遮るかの様に、「化け物」に操られている男性が襲い掛かって来た。

 手遅れなのかそうでないのかの判断は付かず、更に人間である彼を無暗に傷付ける事も出来ず。

 咄嗟に空いた手に持った鞘で男性からの一撃を防ぐが、本当に人間の力なのかと疑う程にその力は強い。

 だが、微かに聞こえる骨が軋む音や張り裂けそうな程の筋肉の状態を見るに、所謂「火事場の馬鹿力」を無理矢理引き出させられていると見た方が良いのだろう。そんな力を何時までも使い続けていたら、男性の身体の方が壊れてしまう。だから、何としてでも男性を無力化させるなりして動きを止めなければならない。

 腕での攻撃を防がれたからか、男性は思い切り蹴り上げてこようとする。

 そしてその動きに合わせる様に「化け物」も襲い掛かって来た。連携して仕留めに来るつもりなのだろう。

 男性の蹴りをどうにか身を捻って回避し、そして彼がまだ鞘を掴んでいるのを良い事に鞘ごと振り抜く様にしてその身体を離れた場所へと投げ飛ばす。伸びて来た「化け物」の腕は遠慮無く斬り捨てて、そして身を起こして反撃して来た男性の拳の一撃は身を屈めて避けた。背後の木々の幹を大きく削ったその拳は、その衝撃によって深く傷付いたが、その傷もやはり治ってしまう。尋常な状態では無い。……彼はまだ『人間』なのだろうか……。

 もし、「化け物」を倒しても彼が戻らなければ……、そして「化け物」の様に人を襲う様になっていたら、一体どうすれば良いのだろう。だが、迷っている様な暇など無い。

 それに、このまま対応にあぐねていれば、この男性はそう遠からず自滅する様に命を落としてしまうだろう。

 だが頸を絞めるなどして意識を刈り取ろうにも、それを邪魔する様に動いてくる「化け物」の存在が邪魔であった。

 

 様子のおかしい男性に対し、目の前で目まぐるしく変化する状況に頭が真っ白になってしまった様に固まっていた女性が、ふと我に返った様にその名を必死に呼びかけ始める。

「まさふみ」と言うのは、この男性の名だろうか。恋人なのか夫婦なのかは分からないが、かなり親密な関係なのか、名を呼ぶその声音は懇願する様なものになっている。

 ……だが、そんな必死の呼びかけにも男性は応えない。意識が無いのか、それとも一種の洗脳状態になっているのかまでは分からないが。親しい人の声ですら、届いていない状態なのは確かだ。

 女性の為にも、男性を傷付ける訳にはいかなかった。……最終的にそれ以外にはどうする事も出来ない状態になっているのだとしても、それを判断するのは今じゃなくても良い筈だ。……少なくとも、「化け物」の息の根を止めるまでは、後回しにしたい。

 

 傷付けない様にと意識すると、どうしたって防戦一方になってしまう。そしてそれを好機と見たのか、「化け物」の攻勢は益々強くなる一方であった。

 男性の身体と命を守る為に早くどうにかしなくてはと、そんな焦りも募る。

 だが、男性の存在をある種の人質にしているからこそ己が優勢であると理解している「化け物」は、男性を無力化させる為の隙を与えようとはしない。

 

 だから、それはもうある種の無意識レベルでの癖で。

 シャドウと戦う「何時も」の様に、咄嗟にペルソナの力を使おうとした。

 傷付けるつもりは無い、ただ暫く「眠っていてくれ」と。

 その為、相手を眠りに落とす力を持ったペルソナを無意識に呼んでいた。

 その結果、一瞬の内に男性の意識は綺麗に刈り取られた。

 突然手駒が倒れた事に焦った「化け物」が再び男性を操ろうとするも、その力よりも引き摺り込まれた眠りの方が強い。男性は深い深い眠りに落ちたまま、微動だにしなくなった。

 

 咄嗟の反応で呼んでしまったが、幸運な事にペルソナの力を使う事は出来るらしい。

 ここが、自分にとっては『夢の中』だからなのか、それともまた別の理由があるのかは分からないが。

 だが、ペルソナが使える事自体は大変喜ばしいが、何時もの調子で使えるとは到底言い難い様だ。

 先ず、本来ならば呼び出したペルソナは完全に実体化してその力を発揮するのだが、その力を発揮させるほんの一瞬僅かに現れる事が精一杯な様で、これでは共に連携して攻撃する事は出来ない。そして更には、ペルソナの力を使った際の消耗が平時の比では無かった。

 幾度も『心の海』を駆けてシャドウとの戦いにその身を投じている内に心身共に鍛えられてきたし、その結果強力なペルソナやその力を遺憾なく発揮出来る様になった。だからこそ、イザナミに打ち克つにまで至ったのだから。

 しかし、この状態だと恐らくペルソナの力を連続して使うのは数度が限界だろう。

 ならばこそ、ここで勝たねばならない。

 

「何よ、一体何をしたのよ……!!」

 

 一体何故、自分の支配下に在った筈の男性が突如操れなくなったのか、「化け物」には理解出来なかったのだろう。「未知の脅威」を目の前にしたかの様に、明らかに動揺していた。

 そして冷静で頭が回る事に、「化け物」は自分では理解出来ない脅威からは逃げる事を選んだ様だ。

 踵を返す様に「化け物」は脱兎の勢いでその場を後にしようとするが、しかし人を襲う存在をここで見逃すわけにはいかない。此処に居る人たちは助かっても、また別の場所で犠牲者が出るのなら意味が無い。

 その為、効くかどうかに関しては半ば賭けではあったが、祝福属性の攻撃である『ハマオン』を遠ざかろうとするその背に向かって放った。

 悪魔の系統のペルソナは祝福属性に弱いものが多いので、この「化け物」が吸血鬼みたいな存在であるのなら、祝福属性の攻撃は効くのではないだろうかと言う直感は正しかった様で。

 何処か神々しさを感じる光の中に、「化け物」の姿は溶ける様に消えて行く。

 消えるその間際、獣の様な眼差しに宿っていた狂気的な光は薄れ、人のそれであるかの様な感情が浮かぶ。

 罪悪感にも似た感情を浮かべた「化け物」は、「ごめんなさい」と言おうとしたかの様にその唇を幽かに動かして……そして跡形も無く消えた。

 

 光の中に消えた「化け物」が蘇って来る様な気配は無く、そして周囲に似た様な「化け物」の気配は無い。

 一先ず危難は去ったのだろうか、と。完全には警戒を解く事は出来ないが、息を整える様に小さく溜息を吐く。

 その時、眠りに就いている男性に寄り縋っていた女性の焦った声が、意識をそちらに向かわせた。

 慌てて駆け寄ると、先程「化け物」に操られていた時には塞がっていた筈の傷が全て元通りに開いてしまっていて……そしてそれだけではなく、無理矢理動かされていたダメージまでその身体には現れてしまっていた。

 呼吸は既にかなり荒いものになっており、このままでは命を落としてしまう。

 この場から最も近い病院まで一体どれ程の時間が掛かるのかは分からないが、夜の森を抜けねばならぬ事を考えると病院に辿り着けるかどうかも怪しいだろう。

 既に手遅れなのかもしれないが、しかし。ペルソナの力を使える自分になら、彼を癒す事は出来るかもしれない。

 試しに、複雑骨折や多少の臓器損傷程度なら一瞬で完治させられる『ディアラマ』を使ってみるが、しかしどうにも期待した通りの効果は無い。更には、やはり何時もならば考えられない程にこちらの体力と気力を消耗してしまう。ペルソナの力を使うのは、後一回が限界だろう。

 男性の傷は僅かに塞がったものの、未だ予断を許さない状態である。

 その為、今度はもっと効果の強いものを……ほぼ全ての傷を癒す事の出来る『ディアラハン』を使う。

 柔らかな光が一瞬男性の身体を包んだかと思うと、彼の呼吸音は一気に安定したものになる。

 右手首で計った脈も安定している事から、少なくとも命の危機は脱したのだろう。

 その事に安堵して溜息を吐くと、途端に恐ろしい程の疲労と、それ以上に抗い難い眠気が押し寄せてくる。

 だが、こんな場所で倒れる訳にはいかない。

 女性の身で気を喪っている男性の身体を動かすのは厳しいだろうし、どうにか彼等を連れてこの森を抜けるまでは倒れる訳にはいかなかった。

 それに、此処が一体何処であるのだとか、一体彼等の身に何が起きたのだとか、あの「化け物」に何か心当たりはあるのかだとか。聞きたい事は幾らでも在るのだ。

 道すがらでも構わないので、何か状況を整理する為の情報が欲しかった。

 

 だが、女性に声を掛ける前に何者かが近付いてくる様な音が微かに聞こえ、万が一の奇襲を警戒して身構える。

 先程の「化け物」の様な気配は感じないが、しかし何かしらの悪意がある存在でないとは限らない。

 気を喪った男性と恐らく戦う術は無い女性を庇いながら、既に疲労困憊の状態で戦うのは厳しいものがある。

 救助に来てくれた者なら助かるが、そうで無いのなら気付かずに通り過ぎて欲しい位だ。

 だが、相手はこちらを捕捉しているのか、真っ直ぐに向かってくる。

 そして。

 

 茂みを掻き分ける様にして木々の陰から姿を現したのは。

 一つか二つか年下の様に見える、まだ少年と言っても良い様な年頃の男だった。

 一見して先程の「化け物」の同類の様には見えず、その気配も人間のそれだ。

 それに安堵しかけたが、しかし少年はその手に刀を携えている上に、その背後からは本当に微かにではあるがあの「化け物」と少し似た気配が漂っている事に気付いた。

 少年自身には害意などは無い様に見えるのだが、「化け物」に操られていた男性の様に、何者かに操られていないとも限らない。

 その為、女性たちを背後に庇いながら、既に限界になっている身体に鞭を打つ様にして十握剣を構えた。

 

「あの、俺は……」

 

 その様子を見た少年は慌てた様に何かを説明しようとしてその口を開こうとする。

 だが、彼が何を言おうとしているのかを聞き終えるよりも前に、限界が来てしまった。

 

 もう何をしても抗えない疲労と睡魔によって、意識は次第に薄れていって。

 硬く握り締めていた筈の剣を取り落として、身体はぐらりと揺れる様にして傾き倒れそうになる。

 崩れ落ちる様に倒れかけた身体を、刀を納めた少年が慌てて支えてくれた。

 意識が完全に途切れる寸前に、彼の耳に旭日を模した花札の様な耳飾りが揺れているのを視界に捉える。

 そして、そのまま白い霧の中に沈んでいく様に、意識は途絶えるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




ふと夢で見た内容を元に書いてみました。
この番長は、原作ゲーム+アニメ+漫画+その他メディアミックス作品の番長をミックスレイドした感じの番長です。
鬼滅原作世界の時間軸的には、柱合会議が終わって炭治郎達が全集中・常中を身に付けた直後位。無限列車編が始まるまでの隙間的な時間から開始してます。(見た夢の中でそうだったので)
ちなみに番長は、『力を司るもの』であるマーガレットに単騎で挑める位のフルスペック番長です。とは言え著しい弱体化補正を受けているので、無双系とかにはならないと思います。
P4G自体に睡眠バステはありませんがPQなどで登場する際には睡眠バステスキルを持っているペルソナは居るので、この話の番長くんのペルソナには睡眠スキル持ちが居ると言う体で進みます。



【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
戦った鬼には名前はありません。十二鬼月になる可能性は無い鬼であり無惨の眼中に無い存在であった為名付けられる事すら無かった為です。
かつては幸せな家庭を築いていた極一般的な女性でしたが、無惨の気紛れによって鬼にされ夫を喰い殺し、正気に戻った後にその事を自覚して壊れてしまいました。
血鬼術は自分が傷を負わせた相手を操る力があり、また極めて限定的ですが鬼の様な回復力を擬似的に与える事が出来ます。ちょっとした超劣化無惨ですね。
最後には自分が殺してしまった夫の事を思い出して、彼やそれ以降自分の手によって殺されてしまった人々への謝罪の言葉と共に消えました。


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第一章【夢現の間にて】
『日輪の少年』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 ゆっくりと水面へ浮かび上がる様に、意識は静かに覚醒した。

 ゆるゆると開いた目に飛び込んで来るのは、見知らぬ和風の天井で。

 此処は一体何処だろう、と。身を起こして周囲に目を向けると、どうやら見知らぬ和室で寝ていた様だ。

 障子窓から柔らかく陽光が射し込み、畳に敷かれた布団は温もりに溢れている。

 頭上を見上げても照明の類は見当たらず、そして布団から身を起こした状態で軽く見渡してみてもコンセントなどの類は無い。随分と歴史を感じさせる和室であった。

 明らかに堂島家の自室では無い光景に、此処はまだ『夢』の中であるのだろうか、と冷静に考える。

 そして、こうして目覚める前、「眠り」に落ちる直前の事を状況の整理がてら思い出す。

 よく分からない内に謎の森の中に居て、そして「化け物」に襲われていた人たちを助けて……。その後の記憶は無い。ただ、意識を喪う直前に感じていた耐え難い疲労や睡魔は今は綺麗さっぱりと消えている。

 ……あの極度の疲労感は、やはりペルソナを使ったからなのだろうか。

 心の海の世界で激しい戦いをした後は、『現実』の世界に帰って来ると激しい疲労感に苛まれる。本来ならば物質的な存在である人間が心の海と言うある種精神的な世界に滞在する事自体の負担や、そこで己の心の力その物とも言えるペルソナを使って戦う事の負担が原因だ。とは言え、どれ程の激戦を制しても、何も出来ない儘に昏倒する程に極度に疲労すると言う経験は無かった為、それが今の状況の異質さを物語っているかの様でもあった。

 

 そもそも、どうして『夢』の中であるとは言え、この世界でペルソナが使えるのだろうか。

 此処は自分にとっては『夢の中』であるのは確かだが、同時に何処かにある『現実』の場所だ。

 それとも、一見『現実』である様に感じているだけで実際は、かつて夢を通して招かれた霧の中の世界の静寂の領域の様に、心の海の中の領域なのだろうか。

 ……しかしそれにしては、この世界は『現実』の世界に余りにも似ていた。心の海の世界を幾度も駆け抜けていたからか、「そう言った場所」や「そう言った力の影響を受けた場所」を感覚的に把握出来る。

『現実』の世界でも、かつて稲羽の街が混迷の霧に覆われてしまった時の様に此岸と彼岸の境が曖昧になる事はあるけれども。しかし、あの時に感じた様な異質な気配もまた、この場には無い。

 だからこそ、不思議であるのだ。

 ペルソナは心の力であるが故に、心の海の中の世界や、或いはそう言ったものの力の影響を受けた場所などでしかその力を十分には発揮出来ない。心の海の影響を一切受けていない『現実』の世界でペルソナの力を発現させる事は難しく、そして出来たとしてもそれは極めて限定的な力になる。

 だが、今回力を使った時の感覚は、確かにその力は大きく制限され減衰してはいたが、それは『現実』でペルソナの力を使おうとした時のそれとはまた違う様な……。容量が足りていないバッテリーで無理矢理機器を動かそうとしたかの様な、そんな感じがあるのだ。

 一体何故、と。把握出来ている情報がまだまだ少ない中、それでもどうにか推察出来ないかと、そう考え込もうとした丁度その時であった。

 

 誰かが部屋の前に立ち、そしてそっと引き戸を開けた気配がした。

 反射的にそちらを見上げると、其処に居たのは。意識を喪う直前に見た、不思議な耳飾りの少年であった。

 旭日の陽光を模した様な花札を思わせる耳飾りが両耳で静かに揺れている少年の、此方に向ける眼差しはとても優しい。少なくとも、目の前の存在を害しようだとかの悪意は一切無かった。

 その耳飾りの旭日の陽光の模様がとても似合う、何処か太陽の様な温かさを感じる少年だ。

 彼は水差しとコップを載せた盆を手に持ったまま、優しい笑顔を浮かべた。

 そして盆を脇に置くと、布団の傍に行儀よく座り、そして真っ直ぐに此方を見詰めてくる。

 

「良かった、気が付いたんですね。

 あなたは昨晩、俺の目の前で突然意識を喪ってしまったんですが、覚えていますか?」

 

 成る程、今はあの夜の翌朝らしい。勿論覚えている、と頷く。

 そしてふと気になったので、もしかして気を喪った自分を此処まで運んで来てくれたのは少年なのだろうか? と訊ねた。すると、少年は元気よく頷く。

 大変有り難い事ではあるのだが、少年よりも自分の方が体格が良いので、ここからあの森がどれ程離れてるのかは知らないが、意識を喪ってる状態の自分を此処まで連れて来るのは物凄く大変だったのでは……と少し申し訳なくなる。腕などの筋肉の付き方を見るに少年はかなり身体を鍛えている様だが……大変な事には変わりない。

 その為、その親切に心から礼を述べた。

 そして、気になっている事を、情報の整理がてら少年に尋ねる。

 少年は一体何者であるのか、あの時助けた人たちはその後どうなったのか、此処は少年の家であるのか、など。

 すると、少年は澱み無く答えてくれる。

 

「俺は竈門炭治郎。鬼殺隊隊士、階級は壬です。

 昨晩あなたが助けた人達はどちらも大きな傷は無く無事でした。

 お二人共、問題無く自分の家に帰れています。

『あなたのお陰で助かった、本当にありがとう』、と。そう伝えて欲しい、と言っていましたよ。

 それと、此処は俺の家ではなくて……俺たち『鬼殺隊』に力を貸してくれている藤の家紋の家です」

 

 どうやら、助けた二人は無事だった様だ。ペルソナの力で傷を癒した男性の方も、大事は無かったらしい。

 本当に安心して、思わず安堵の息が零れた。

 

「そう、か……。あの人達は無事だったんだな。……良かった。

 俺は、鳴上悠だ。

 ……ただすまないが、『きさつ、たい』……? と言う名に聞き覚えが無いから、君が何者なのか分からなくて。

 もう少し詳しく説明して貰えないだろうか」

 

 とにかく情報が欲しかった。此処が『夢』の中であるのは分かっているが、しかし此処は現実でもあり。

 そして、自分は全くと言って良い程にこの場所について何も分かっていない。

 今居るこの場所が何処なのか、そもそもこの世界は自分の知っている世界であるのかどうかも。

 言葉は通じる事や彼の服装の雰囲気から察するに此処が日本だとは思うのだが……。しかしどうにも違和感がある。微かに抱くその違和感の正体をハッキリと何が、とは言えなくて。だからこそもどかしさもある。

 心の海の世界と言う紛れも無い『異世界』の存在を知っているだけに、ここが自分にとって『夢』の中である事を踏まえても、ここが自分の知る『現実』とは全く違う異世界である可能性すら検討していた。

 ただ何にしろ情報が少な過ぎる。何時醒めるのか分からない『夢』の中でどう行動するべきかの指針が何も無いのは、稲羽の街が霧に覆われてしまった時の様な不安感にも似た焦りを僅かに抱いてしまう。

 そんな心中を知ってか知らずしてか。炭治郎と名乗った少年は、見る人を安心させる様な表情を浮かべる。

 疑問に対して誠実に答えようとする姿勢が、言葉にされずとも感じ取れる程だった。

 

「炭治郎で良いですよ、鳴上さん。

『鬼殺隊』は、『鬼』を殺す為の組織です。昔からある組織ではあるんですけれど、政府からは非公認で……。

 なのであなたが聞いた事が無くても無理はないかと」

 

「鬼を、殺す……」

 

 鬼。そう言われて、様々な物語に出てくるその架空の存在の姿を思い浮かべた。己が持つペルソナの中にもオニは居るが恐らくそれでは無いのだろう。……もしや、昨夜の「化け物」が炭治郎の言う『鬼』なのだろうか……? 

 そう尋ねてみると、炭治郎はそうだと頷く。

 そして、ああ……と一つ理解した。あの「化け物」の言っていた『鬼狩り』とやらは、炭治郎たち『鬼殺隊』の人々の事であるのだろう、と。

 

「鬼は……陽の光を嫌って夜の闇に潜み人を喰い殺す、人喰いの存在です。

 どれ程切っても直ぐに傷が塞がる為尋常の手段では殺す事が出来ず、殺すには陽の光の中に引き摺り出すか、特別な刀で首を斬る必要があります」

 

 陽の光に弱いと聞くと、何だか物語上の吸血鬼みたいだな……と感じる。

 その特色は、今まで自分が知っていた『鬼』と言う存在とは少し違っている気がする。

 まあ、この世界の『鬼』とはそう言うモノなのだろうか……。

 そして、炭治郎の言う「特別な刀」とやらには少しばかり心当たりがあった。

 

「特別な刀……。あの『化け物』、いや鬼が言っていた『日輪刀』、と言うやつの事か? 

 炭治郎が持っていたあの刀がそうなのか?」

 

「はい、陽光の力を秘めた特別な玉鋼から作られた刀なんです。

 俺たち『鬼殺隊』の剣士は皆、それを使って鬼を殺します。

 日輪刀で頸を刎ねる事で、陽光に晒さずとも鬼を殺せるんです」

 

「成る程……そう言った特別な刀が必要だったんだな。

 道理で、あの鬼は頸が弱点だと自分で言っていたのに、頸を斬っても死ななかった訳だ」

 

 十握剣は間違いなく凄い力を秘めた剣ではあるが、炭治郎の持つ日輪刀の様な特殊性は無い。

 その来歴となった神話やらにそう言った化け物を倒した逸話があれば、そんな力もあったのかもしれないが。

 斬っても斬っても死ななかった「化け物」の姿を思い返すと、日輪刀と言う武器が無いと鬼と言う存在は人間が相手取るには荷が重過ぎる存在だろう。

『鬼殺隊』と言う存在がどれ程の昔から存在しそしてどの程度の規模なのかは全く知らないが、しかし彼等が鬼と戦わなければ、昨夜のあの二人の様な人々は鬼に容易く命を刈り取られてしまう事など想像に難くない。

 命懸けの戦いなのだろう鬼との殺し合いに、どうして自分よりも確実に幾つかは年下であろう炭治郎が身を投じているのかは分からないが……。しかし並々ならぬ事情があるのだろうし、そしてそれを続けていると言う事は恐らくは凄まじい覚悟と信念の下に戦っているのだろう。

 心の海の世界での戦いに身を投じるまでは本当に極平凡で穏やかな暮らしをしてきたからなのか、そんな生活をしていた時の自分よりも年下の少年が、そんな風に命懸けの戦いをしている事に、尊敬の念にも近い様な……同時に何処か胸が痛くなる様な感情を覚えた。

 

「鬼の頸を斬れたんですか……?」

 

 驚いた様にそう言ってきた炭治郎に、何か自分は変な事を言っただろうかと首を傾げながら頷く。

 

「『呼吸』も無しに鬼の頸を斬るなんて、鳴上さんは凄い力をもっているんですね」

 

『呼吸』……。そう言えばあの鬼も『呼吸』がどうとか言っていた事を思い出す。

 ろくに『呼吸』も使えない剣士だとかなんだとか……。……『呼吸』とは一体何なのだろう? 

 炭治郎たちの必殺技みたいな何かなのだろうか……? 

 気になったので訊ねてみると、炭治郎は親切にも掻い摘んで『呼吸』について教えてくれる。

 

 曰く、『呼吸』とは尋常ならざる力を持つ鬼に対し、人が人の身で在りながら鬼に匹敵する力を得る為に鬼殺隊の剣士たちが身に着ける技術であり剣術であるそうだ。『呼吸』の名の通り呼吸こそがその要で、強靭な肺と血管によって全身の隅々にまで活力を満たすのだとか。そして、剣術の型によって様々な『呼吸』が存在し、「○○の呼吸」と呼ぶそうだ。

 ちなみに、炭治郎は「水の呼吸」の使い手であるのだと言う。『呼吸』の種類は実に様々で、基本となる五つの型の外に、自分なりにアレンジした『呼吸』が多数存在するのだとか。成る程、奥が深い。

 そして、そう言った技術を一切使っていなかった為、あの鬼に侮られたのだと理解した。

『呼吸』を使わなければ、鬼の頸を斬る事は極めて困難であるのだと言う。

 基本的に、鬼は喰った人の数だけ強くなる。そして強くなった鬼の頸はそれこそ岩の様に硬い。

 生半な力では斬ろうとしても刀の方が折れてしまう程に。

 ……だからこそ、『呼吸』を使うどころか知りもしない状態で鬼の頸を斬るのは、尋常な事では無いのだろう。

 例え、その武器が日輪刀では無く、斬った所で鬼を殺せないのだとしても。

『呼吸』など使えないのに自分が『呼吸』を習得した剣士の様に動けた理由には即座に思い至る。

 十中八九、ペルソナの力だろう。

「戦闘中」だと思考を切り替えた瞬間、ペルソナを呼び出していない状態でも、ペルソナ使いはペルソナの力の恩恵を身体能力の上昇などと言った形で受ける事は出来る。その為、誰かが襲われていると認識したあの瞬間から半ば無意識の内にもペルソナの力を使っていたのだろう。それに関しては経験から来る反射に近い。

 そう考えた時、ふと恐ろしい事実に気付いてしまった。

 

 陽光か日輪刀での斬首以外に倒す方法が無いと言う存在を、『呼吸』を使わずに切り刻み、更には日輪刀も無しに倒してしまったのだ。ペルソナと言うからくりはあるのだが……しかしペルソナを知らない人々からすれば、自分がやった事は正体不明の化け物の所業にも見えてしまうのではないだろうか。

 そしてそれは、炭治郎達『鬼殺隊』の者達にとって一体どう言う風に受け取られる事なのか。

 説明するべきなのだろうか? ……しかし一体どう説明しろと言うのだろう。

 心の海の世界に偶然落ちる前は、自分達が今まで持ってきた常識が欠片も通じない『異世界』がほんの薄皮一枚隔てた場所にあって、しかもある種の神殺しまで達成してしまう程の力を自分が持ち得る事など欠片も信じなかっただろう。空想癖を拗らせた妄想か、或いは夢の話かと。フィクションとしてしか受け止めないだろう。

 だからこそ、炭治郎がペルソナの力を説明された時にどんな反応をするのかは想像が付く。

 正直それに関しては仕方の無い事だ。自分の常識の外側を突然叩き付けられた際にそれを反発無く受け入れるのは極めて困難なのだから。

 

 果たしてどう説明するべきなのか、そもそも話すべきなのか、考えあぐねていると。

 炭治郎が何かに気付いた様に、ふと窓の外に目をやった。それに釣られて窓の外を見ると。

 窓の外から羽ばたく様な音と共に、鴉が部屋に入ってくる。

 そして、その嘴を大きく開けると、何と人の言葉を話し出した。

 

「伝令! 伝令ィッ!! 

 炭治郎ハ保護シタ者ト共ニ本部ヘト向カエ! 

 炭治郎ハ保護シタ者ト共ニ本部ヘト向カエ!」

 

 カァカァと言う鳴き声も共に雑じりつつも鴉はハッキリと聞き取れる言葉を流暢に話す。

 お喋りする動物として動画を投稿すれば、全世界的に一億回は軽く再生されそうな程の流暢さだ。

 流石に、オウムや九官鳥の類ではない鴉が此処まで流暢かつ意味のある内容を喋る事に驚きを隠せない。

 炭治郎はそんな驚きを察したのか、目の前の鴉について説明してくれる。

 

「彼は鎹鴉と言って、特別な訓練を受けた鴉なんです。

 こうして指令を伝えてきたり、手紙などを運んでくれるんですよ」

 

 そう言いながら、炭治郎は鴉の足に結ばれていた手紙を受け取った。その手付きは丁寧で、とても優しい。意識せずとも生き物を思いやるその動きに炭治郎の優しさを見て、思わず心が温かくなる。

 

「成程、まさか鴉がこんなにハッキリと喋るとは思わなくて驚いたが……。

 彼らも、鬼殺隊の大切な仲間なんだな」

 

「はい、隊員には一人一人自分を担当してくれる鎹鴉がついてくれているんですよ。

 鳴上さんを連れて本部に行く様に、と指示をされているんですが、鳴上さんの体調は大丈夫ですか?」

 

 鴉の方はどちらかと言うと偉そう……と言うか、炭治郎の事を弟分を心配する様な感じで見ている。

 まあ、お互いに相手を大事にしているのは確かだろう。

 

「ああ、体調には問題無い。気遣ってくれて有難う。

 それで、その本部とは何処にあるのだろう? ここからは遠いのか?」

 

『鬼殺隊』の本部、と言われて想像するのは、何と言うのか……特撮だとかスパイ映画だとかに出てきそうな何だかハイテクそうで機能性を重視してそうな感じの建物である。鬼殺隊が政府非公認の組織だとすれば、寧ろ映画などの極秘裏に作られた基地みたいな感じだろうか。何と無く、直斗の心が生み出した「秘密基地」を思い出す。

 

「何処にあるのかは俺にも分からないんです。

 ただ、『隠』の人達が迎えに来てくれるそうなので、彼らに任せておけば大丈夫ですよ」

 

『隠』と言うのは、『鬼殺隊』の裏方の様な役割で、鬼との戦闘の隠蔽工作やら鬼に関する情報収集やらと、本当に何でも屋みたいな感じの人達らしい。剣士を志すも道半ばにして諦めた者、怪我などで引退せざるを得なかった隊士、鬼と戦う様な力は無いが鬼を殺す事に少しでも力になりたいと志す者、と。まあ『隠』となるのには様々な理由があるそうだ。

 

 そして、隊士や『隠』以外にも『鬼殺隊』を語る上で外せないのが、「お館様」と「柱」、そして「藤の家紋の家」だと炭治郎は教えてくれる。

 

「藤の家紋の家」と言うのは、鬼に襲われていた所を『鬼殺隊』に救われるなどして『鬼殺隊』に恩がある者達が、その意を示し鬼を狩る隊士たちに協力する為に「藤の家紋」を掲げる事からそう呼ぶのだとか。

 今こうして休息を取らせて貰っているこの家も、そんな「藤の家紋の家」の一つだと言う。

 ちなみに何故「藤の家紋」なのかと言うと、鬼は藤の花を嫌うらしい。その為、鬼を避けるお守りとして藤の香が用いられるそうだ。

 

 そして「お館様」と言うのが、『鬼殺隊』をまとめ上げ率いている人なのだとか。

「お館様」はある一族の人々が代々継いできたもので、この一族の尽力もあって、『鬼殺隊』は強力な鬼の襲撃などで何度も壊滅しかけてもその度に立て直されて来たそうだ。

 ……そして何故か、自分は炭治郎と共にこの「お館様」にお呼び出しを食らっている、と言う事になる。

 まあ、恐らくは、『鬼殺隊』が関知していない鬼を殺す方法を調べる為だとかだとは思うのだが……。

 それにしても、そんな偉い人の所に呼び出される経験なんて一度も無いので少し緊張してしまう。

 

 そして「柱」と言うのは、『鬼殺隊』を支える極めて強力な剣士たちの事なのだとか。

「柱」の字画に合わせて最大九人までしか任命されない彼等は、文字通り『鬼殺隊』と言う組織の中心的存在であるそうだ。

 本来なら人間では到底抵抗出来ず、また強くなれば「血鬼術」と言う特殊な能力を開花させまさに多種多様な力を得る為、「頸が弱点」以外に共通する対策がほぼ存在しない鬼との戦いは、文字通り命懸けのもので。

 その為、まだ腕が未熟だったりした際に強力な鬼と遭遇したり、或いは実力付けて来てもそれを遥かに超えた鬼と運悪く遭遇するなど珍しくも無く、隊士たちの殉職率はかなり高い。そうでなくても、人間は腕や足を喪ったらそこで剣士としては引退せざるを得なくなったりする。その為、下の階級や経験の浅い者達の入れ替わりは恐ろしい程に早い。そんな中にあって、数多の鬼を殺し人々と仲間の隊士たちを守る存在が「柱」なのだと言う。

 その実力は一般の隊士とは次元が違うものであるらしく、炭治郎曰く、自分ではどんなに死力を尽くしても倒せなかった鬼を、「柱」の剣士は至極あっさりと首を斬ってしまった程だと言う。それは凄まじい話だ。

 だがまあ、何と無く「柱」と一般隊士の実力の隔絶と言うのも想像は付く。

 自分だって、心の海の世界に迷い込んでシャドウに襲われた際に半ば衝動的にイザナギを呼び出したあの時と、真実に辿り着きアメノサギリを退けてマリーを取り戻しに行きイザナミを心の海の中に還した今とでは、その強さは次元が違うレベルで全く以て違うと思う。当時は死力を尽くさなければならなかったシャドウでも、今再戦すれば一撃で倒せるものも多いだろう。それが経験を積み成長する事だと思う。

 まあ、要は誰よりも経験があり強い剣士たちが「柱」だそうだ。

 そして「柱」たちは「お館様」の命に従い動いていると言う。

 …………もしかして、「お館様」の所へ呼び出されたと言う事は、その「柱」達とも顔を合わせたりするのだろうか……? 

 いや、別に会いたくないとか言うつもりは無いが。……九人の精鋭の剣士たちに囲まれて尋問されるのは正直勘弁して欲しい……。例え彼等が自分に敵意を向ける事が無くても、だ。

「お館様」と言う組織にとっての超重要人物が、『鬼殺隊』が知る手段以外の何らかの方法で鬼を殺したと言う、得体の知れない謎の存在に対面するのに護衛が付かない訳は無いので、その場に「柱」なる人たちが数人居るのは覚悟するが……。せめて四五人程度で納めて頂きたいものだ……。

 

 そんな考えが顔に出ていたのだろうか。炭治郎は安心させようとしてくれたのか説明を付け加えてくれる。

 

「あ、多分九人全員が集まる事は無いと思いますよ。柱合会議が最近あったばかりなので……」

 

 柱合会議なる新たな言葉に首を傾げていると、炭治郎はそれも説明してくれる。本当に親切だ。

 曰く、約半年に一度行われる「柱」が全員本部に集まって情報共有なり重要案件に関して議論したりする場なのだとか。普段は遠方で任務に当たっている柱も多い為、そう頻繁には全員呼び出しと言う事は無いそうだ。正直安心した。

 ……しかし、どうして炭治郎はその柱合会議が最近あったのだと知っているのだろう。

 炭治郎が名乗った階級が彼の説明通りなら、炭治郎はまだまだ若手と言うか……『鬼殺隊』ではそこそこ下の階級と言うやつで、そう言う会議に参加したりする様な事は殆ど無いと思うのだが。

 何となくそんな事を考えていると、炭治郎は言おうかどうかを少し迷った様な顔をしてから、実はその最近あった柱合会議の場に自分も居たのだと教えてくれた。その理由に関しては言葉を濁したが……。

 

「……炭治郎、君の気分を害してしまうかもしれないから先に謝っておくが。

 炭治郎がその……柱合会議に呼ばれたのは、昨夜会った時に感じたあの気配……俺の勘違いではないなら鬼の、その気配と何か関係があるのか……?」

 

 そう訊ねた瞬間、炭治郎の目が驚いた様に開かれ……そして、何故か。悲しい様な、傷付いた様な、だがそれを堪えて耐え忍んで、そして前を向かなければならなかった様な……そんな顔をする。

 少し気分を害してしまうのではと、そう思っていただけなのに、想像以上の苦しみを与えてしまった事に動揺し、慌てて付け加える。

 

「いや、俺はもう、昨夜の炭治郎に感じたあの気配をどうこうしたいとは思っていないんだ。

 昨夜は……正直限界だった所に炭治郎が現れて……あの人達を守らないといけないと言う一心で、思わず剣を向けてしまった……。もしそれが炭治郎を傷付けてしまったのなら、本当にすまなかった」

 

「いえ、良いんです。鳴上さんが、あの人達を守ろうとしていたのは分かっていたので。

 …………実は俺は、鬼を連れているんです」

 

 優しいのに悲しい目をして炭治郎は言う。

 ……鬼を殺す為の組織に属しているのに、鬼を連れている。そこには恐らく壮絶な事情があるのだろう。

 少なくとも一時の気紛れや好奇心で出来る事では無い……それが許される事では無いのは、『鬼殺隊』と言う存在について知ったばかりの自分にも分かる。

 

「俺の妹……禰豆子は、鬼です。鬼に、されてしまったんです。

 でも、禰豆子は人を喰わない、人を傷付けない、そんな鬼で……俺の事を家族だと分かってて……。

 だから俺は、何としてでも禰豆子を人に戻そうとして、それで……」

 

 そう語る炭治郎は、本当に悲しい目をしていた。まだ癒えない……癒える事の無い傷口に触れながら、それでも誠意を以て答えようとしてくれていた。

 ……何かを言わなければと思うのに、一体何を言ってやれるのか分からなかった。

 禰豆子と言うその妹がどんな子なのかどんな状態なのか全く知らないのだし、そもそも完全な部外者がどうこう言ったり言葉を掛けられる様な事情では明らかに無いだろう。

 それに、その言葉の内容も衝撃的なモノだった。

「鬼にされた」。つまり、鬼は元々は人間だと言う事なのだろうか。

 それがどうしてあんな事に……。昨夜の鬼の姿を思い出し、人間と言う存在を逸脱したその姿に困惑する。

 シャドウと言う人智を越えた存在を相手にしてきたが、それとはまた違った方向性でその姿は「化け物」だった。……あれが、元は人間……? だが、そう考えると。

 昨夜のあの鬼が、祝福の光の中に消えて行ったその時に、謝罪を述べる様に口を動かしていたのは見間違えでは無かったのだろうと思う。

 

「……鬼は、本来は人間だった存在なのか……? 一体何故、鬼なんかに……」

 

 ……最後に見たあの表情があの鬼の本心ならば。あの鬼は、己が人を喰い殺してきた事を悔いていたのだろうか。鬼にされてしまう人が居ると言う事は、あの鬼も元々は自分の意思とは無関係に鬼にされ……そして人を殺してしまったのだろうか。……それは。……それは余りにも「救いの無い」話であった。

 

「……鬼舞辻無惨。鬼たちの頂点にして全ての元凶の存在が己の血を相手に与えると、その人は鬼になってしまいます。……その人の意思には関わらずに。そして、鬼にされてしまった直後の人々は、極度の飢えから理性を喪って人を襲います……。その場合の多くは、傍に居るその人にとっての大切な人で……。

 ……でも、禰豆子は違ったんです。酷い傷を負わされて、無理矢理鬼に変えられて……。

 それでも俺を襲わなかった、俺を守ろうとして……。本当の自分も奪われて、言葉も話せなくなっても……。

 だから、だから俺は……」

 

 炭治郎の声は、抑えきれない強い感情に震えていた。

 ……余りにも深い傷に、爪を立ててその血を流させる様な真似をしてしまったのかもしれない。

 何の事情も殆ど知らない相手なのだ、何を問われようとも幾らでも誤魔化せたし騙せただろう。それなのに、炭治郎は誠実に話してくれた。それは間違いなく彼の美徳であると感じると同時に、哀しくもある。だからこそ。

 ……鬼舞辻、無惨。その名前を決して忘れない様に、胸の奥にしっかりと刻んだ。

 今こうして目の前の炭治郎に苦しくて悲しくても涙を零せない程の傷を与え。そして昨夜のあの鬼の様に「化け物」として討たれる最期を……無数の誰かに与え、そんな哀しみと憎しみを生み出す存在。

 ……その目的が例え崇高なものだったとしても、もし目の前にその鬼舞辻無惨なる存在が現れたら、自分の限界を無視してでも持てる全ての力を叩きこんで消滅させるだろう。全然面識も無い相手だが、既に「赦すべきでは無い存在」として心の中のブラックリストの最上位にその名を刻んだ。

 面識が無い相手に対して此処までの怒りを覚える事は生まれて初めてであった。

 自分が直接的に何かを奪われた訳では無い、自分の大切な何かを傷付けられた訳でも無い。

 それでも……許し難いと心から感じてしまうのは、名も知らぬままに「化け物」として殺してしまったあの鬼に対して、今になって哀しみを覚えたからなのかもしれない。

 ……鬼を倒した事自体は後悔はしていない。そうしなければあの場に居た二人は殺されていただろうし、逃がしていれば何処かで誰かを殺しただろう……。そうやって、心を喪ったままに罪だけを積み重ね続けて……。それは想像するだけでも余りにも苦しい絶望だった。あの鬼の事情など知らないが、しかし最後の表情を見るに、かつて人間であった時の望みとは全く違う結末だったのだろう。……その身を消滅させた祝福の光の中で、何か僅かな安らぎでも得られて欲しいと心から想う程に、それは余りにも哀しい事だった。

 

 人々の望みを見極めると言う目的で行われた神の実験によって、人生を狂わされた人が居た。大切な人を喪った苦しみに慟哭する人が居た、悲しみと無力感から道を誤った人が居た、自分勝手で軽はずみな行動が取り返しの付かない結果に結び付き自分を誤魔化す様に坂を転がり落ちていく人が居た、……大切な家族は傷付きそしてまだ幼いのに死の恐怖を知る事になった。……それでも、その全ての発端となったイザナミに対しては、憎しみだとか怒りだとかの感情は抱かなかった。止めなくてはならないと言う決意だけがあった。

 それは、イザナミ本人は力の切っ掛けを与えた後は観察に徹し、人の世を搔き乱し霧の中に沈め滅ぼしかけたのは結局は人間の行いと心の問題だとは分かっていたからだ。まあ、それはイザナミを止めない理由にはならないが。

 ……しかし、鬼舞辻無惨の行いは、イザナミのそれとは全く違う。彼が元から化け物だったのか、彼ですら誰かから鬼にされた存在なのかは知らないが、少なくとも地獄絵図をこの世に作り出す事に何の躊躇いも持っていないのは確かなのだろう。そうで無ければ、あの名も知らぬ鬼の様な哀しい存在は現れない。

 

「……すまない、炭治郎。辛い事を、聞いてしまって。

 でも、信じるよ。俺は君を信じる。

 炭治郎にとって大切な家族が……禰豆子ちゃんが、鬼にされてしまっても炭治郎を襲わなかった事も、人を襲う事も喰う事も無いと言う事を。俺は、信じる。

『鬼殺隊』の人間じゃ無いし、鬼なんてこれまで全然知らなかった俺が信じた所で何か力になれる訳じゃないんだろうけど。でも、炭治郎の大事な家族の事を、俺も信じる。

 ……鬼にされてしまった人を元に戻す方法は俺には分からないけれど……。でも、もし俺に何か出来る事があるなら、俺は絶対に力を貸すよ」

 

 恐らく炭治郎とは物凄く歳が離れている訳でも無いのだが、自分よりも年下の相手がこんな風にボロボロになりながら目の前で苦しんでいるのに何もしないのは、自分には我慢ならない事だった。

 正直ほぼ初対面の相手なのに突然こんな事を言われても、きっと炭治郎は困惑するだけだろう。何か裏でもあるんじゃないかと思われてしまうかもしれない。

 ただ……こうしてほんの少し話しているだけでも、炭治郎と言う人間の、誠実さや強さと言ったその美徳と言っても良い部分に溢れた人間性は直ぐに感じ取れる。

 八十稲羽で過ごした一年間で絆を紡ぎ心の器を満たして真実を見付け出した経験は決して無駄では無いし、こうして言葉を交わす時に感じ取れるものは確実に増えていた。だから、分かるのだ。

 疑われても良い、不審な目で見られたって良い。

 それでも、炭治郎が自分に示してくれたその誠実さに、自分も応えたかった。この『夢』が何時醒めるのかは自分には分からないけれど、しかし醒めてしまうまでは……邯鄲の夢の中に居る間だけでも、せめて。

 

 流石に引かれてしまうだろうか、とそう思ったのだが。しかし炭治郎の反応は予想に反していた。

 

「……ッ! ……有難う、ございます。本当に……本当に…………」

 

 さっきまではあれ程泣きたくても泣けない表情だったのに、ホロリとその頬に零れた雫の後を追う様に、炭治郎は静かに涙を零す。

 ……炭治郎が今までどんな思いで鬼にされてしまった妹と共に鬼を倒してきたのか、そして恐らくはそれを咎められて呼び出されたのだろう柱合会議で何があったのかは知らないけれども。

 だが、きっと、炭治郎は沢山涙を堪えてきたのだろう。堪えられなかった涙だってあっただろうが、しかし本当は泣きたかったけれど泣けなかった事は沢山あったのだろう。

 今目の前で零れているのはそう言う涙なのだと言う事は分かる。

 

 目の前で静かに泣いている炭治郎の力になりたい、と。そう心から思ったからなのか。

 ふと心の奥に何かが少し満ちた気配がした。それは少しばかり懐かしい……「心の絆」が生まれた感覚だ。

 一つの旅路が終わってもまた新たな旅が始まる様に、こうして新たな絆が生まれる事はあるのだろう。

 例えそれが『夢』の中なのだとしても、ここは炭治郎たちの生きる現実なのだから。

 まだ満たされてはいない新たなそれは、間違いなく炭治郎との間に生まれたばかりのものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
 正直状況が完全には分かってないけど、炭治郎の力になってあげたくなった。
 そうしたら新たに『太陽』コミュが始まった。何だか嬉しい。
 炭治郎とは方向性が少し違うが、かなり極まってる善人。ワイルド的人誑しの才能は相変わらず絶好調。とは言え、何も考えずにクリスマスもスキーも男の友情ルートを驀進してしまうタイプなので彼女などが出来る事は無い。強いて言えば菜々子が一番大事だけど、それは家族愛としての大事。
 多分その内ここが大正時代と知って、物凄く頭を抱える事になる。


【竈門炭治郎】
 まだ無限列車には乗車していないので、柱合会議の際に感じた諸々の事を普通に引き摺っている。鬼を連れていく厳しさは分かってはいたけれど……。
 物凄く鼻が利くから、悠の言葉が何の下心も無い本心からのものだと分かってる。
 何でここまで言ってくれるのかは全く分からないけど、その純粋な優しさが嬉しい。


『太陽コミュ』
 竈門炭治郎との絆。『夢』の中で一番最初に生まれた絆であり、今後の悠の行動方針などに一番影響を与えていくもの。
 今はまだ生まれたばかりの絆だが、満たせば悠はより大きな力を揮う事が出来る様になる。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
 炭治郎は蝶屋敷で全集中・常中を習得し新たな日輪刀を受け取った状態で、蝶屋敷でまだ少し治療を続けながらも、慣らし目的で近場で比較的簡単な鬼殺の任務を受けいた状態です。比較的蝶屋敷に近い場所で目撃された鬼の討伐に向かった所、その鬼を日輪刀も持たずに倒した悠と出逢いました。
 悠と話している間は日中なので、禰豆子は少し離れた部屋で箱の中で寝ている最中です。


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『鬼を殺す者達』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『隠』の人達がやって来るまで、炭治郎とは色々と話をした。

 その多くは当たり障りの無い話だったが、それでも炭治郎がとても優しい人間だと言う事はよく分かった。

 そして炭治郎が言うには、どうやら彼はとても鼻が利くらしい。感情の匂いとやらまで分かるらしく、だから人の気持ちや真意を察するのも上手いそうだ。そんな事が出来る人が居るんだなぁ……と感心してしまう。

 しかし、そうやって人の感情の匂いとやらまでもを嗅ぎ分けられるのなら、人混みが多い場所などは中々大変なのでは無いだろうか……。

 ちょっと訊ねてみるとやはり人混みは得意では無く、元々が山育ちで小さな村との交流が主だった事もあって、一度浅草に出向いた時には人に酔ってしまいそうだったと零した。成る程、感覚が鋭敏であると言うのもそれはそれで大変なのだろう……。炭治郎のその嗅覚は鬼殺にも物凄く役に立っているらしいのだが、あまりに人を喰っている鬼だったりすると余りの悪臭にかなり辛いのだとか。……悪臭は本当に辛い、分かる。脳裏にあの恐怖のムドオンカレーを思い浮かべながら頷いた。あれよりもキツイ臭いに遭遇するとか、ちょっと考えたくない……。

 

 そうやって炭治郎と話している内に、薄々何となく感じていた違和感の正体が判明し、思わず天を仰いで呻きたくなった。どうやらここは、自分の知る「平成」ではなく、「大正」の時代だった。何と無く家の感じが古い様な気がしてたし、昨日は暗いしそれどころでは無くてあまり見えてなかったが、思えばあの二人の服装も随分と年代を感じるモノだった気がする。具体的には、大正ロマンだとかと言った感じの写真で見た事あったなぁ……と言う感じに。ある種のタイムスリップまでしている『夢』に、思わず呻きたくなったのは仕方が無い事だ。

 此処が自分の知るあの『現実』に繋がっている「大正時代」なのかは分からない。

 鬼とか聞いた事も無かったし、もしかしたら並行世界だとかそう言うやつの「大正時代」なのかもしれない。

 とは言え、もし自分が下手な事をすれば所謂「過去改変」とかもやらかしてしまうのではないかと思うと、中々に恐ろしい。自分の軽はずみな行動が原因で何処かの未来で最悪のバタフライエフェクトが起きるとか、ちょっと洒落にならない。まあどうするにせよ何にも情報が無いのだ、どの道迂闊には行動出来ない。

 

 そして更にもう一つ、こちらも本当に洒落にならない事ではあるのだが。

 こうして『夢』を見てこの世界に居る自分には、帰る家も無いしお金も無いし縁故ある者も居ないし職なども無い。割と無い無い尽くしで普通に路頭に迷いかねない状態なのだ。割と真面目な話、炭治郎が「藤の家紋の家」まで連れて来てくれなければそのまま野宿生活に突入しかねなかった。有難う炭治郎、この恩は一生忘れない……。

 炭治郎に拾って貰えた今も、無い無い尽くしの状況が変わった訳では無いが。しかし有難い事には変わらない。

 取り敢えずどうにかして『鬼殺隊』の力になれる感じの職と住居を確保出来たら良いな……と思う。働かざる者食うべからず。此処は自分にとっては『夢』の中ではあるのだが、裸一貫の人間がある日迷い込んでも問題無く生活していく様なご都合主義の世界では無い、現実は厳しいのだ……。取り敢えず、「お館様」との話が終わった後にそれとなく炭治郎に訊ねてみようか……。力になるよと言った手前、早速年下の少年に頼りそうなのはちょっと情けない気もするが、このまま路頭に迷う方が大問題だ。必ず借りは何百倍にして返すので許して欲しい。

 

 そんな事を考えていると、『隠』の人達が「藤の家紋の家」にやって来た。

 一晩の寝床を貸して貰えた事や食事などの礼をしっかりと述べてから「藤の家紋の家」を後にする。

 自分は正確には『鬼殺隊』の人間では無いのに、こうして親切にして貰えたのは本当に嬉しかった。

 どうにか職と住処を見付けて落ち着けたら、また改めて礼を言いに伺いたい位である。

 

 とまあ、そんな風に「藤の家紋の家」の人達に見送られながら、『隠』の人達に背負われる様にして、『鬼殺隊』の本部……「お館様」の居るその場所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『鬼隠隊』の本部へと向かう道中の体験は、中々新鮮だった。

 何処にあるのかを悟られぬよう情報の機密保持の為に、道中は目隠しをされて運ばれるのだ。

 なお、鼻が良い炭治郎は目隠しの外にも鼻栓もされていた。

 どうやら全ての元凶である鬼舞辻無惨は、己を滅殺する為に追い続けている『鬼殺隊』を鬱陶しく感じているらしく、昔から「お館様」の居場所を探しているらしい。またその他に幾つかの『鬼殺隊』にとって重要な拠点も狙われているのだとか……。今の所情報の秘匿はほぼ完璧らしいのだが、用心に用心を重ねるのは重要であるし、もし鬼に相手の記憶を読み取る様な鬼血術の持ち主が居ればそう言った情報が筒抜けになってしまうかもしれないので、「柱」などの極一部の者しかそう言った重要な場所の情報を正しくは知らないのだそうだ。

 鬼舞辻無惨は己が鬼にした者達の記憶や視界を覗いたり、心を自由に支配出来るらしい。鬼にプライバシーの概念は無い。鬼と言う存在は、その全てが鬼舞辻無惨にとっては使い捨ての駒でしかないそうだ。……自分の都合で他人を鬼にしておいてその仕打ちである。何と言うのか本当に下衆過ぎて、「赦すべきでは無い存在」から「存在する事を赦してはいけない者」に更に格上げして心のブラックリストに載せておくべきな気がした。

 まあそんな感じで面識は無い鬼舞辻無惨への怒りを更に強めた一方で、こうやって目隠しされたりして運ばれると言う状況に実はちょっとわくわくしていた。スパイ映画だとか、秘密組織が出て来る映画だとかでこうやって目隠しされたりしながら運ばれるシーンをよく見ていたので、ちょっと楽しかったのだ。遊びでは無いのは分かっているので許して頂きたい。

 

 自分の少し前方で同じ様に運ばれているのだろう炭治郎の背中からは、少しだけ鬼の気配を感じる。

 その背に背負った大きな箱の中には、禰豆子ちゃんが眠っているそうだ。陽の光に当たる事の出来ない禰豆子ちゃんは、日中はそうやって箱の中で休んでいるらしい。禰豆子ちゃんを直接見た事はまだ無いが、確かに炭治郎の言う通り、禰豆子ちゃんの気配は昨夜出逢った鬼の気配とは全然違った。似ている部分こそ僅かにあるが、それ以上に優しさを感じる。

 本来は「お館様」の所に鬼を連れて行くなど言語道断らしいのだが、禰豆子ちゃんは「お館様」直々に認めたので、本部に連れていく事自体は許可されているそうだ。炭治郎にとっては喜ばしい事だろう。

 

 何回か自分を運んでいる『隠』の人達が交代した。『隠』でも「お館様」の下へ辿り着けるのは本当に極僅かなのだろう……。凄い徹底っぷりだ。そんな所に本当に自分が行って良いのかちょっと戸惑う。

 自分はペルソナが使えるだけの一般人なのだし、大正時代と言う事は華族やらも普通に存在しているだろうけれども、そう言った良家の子女の振る舞い的なものを自分に期待されても困る。本当に困る。

 それか、『鬼殺隊』と言う血生臭い組織を率いている事を考えると極道の組長みたいな人であるのかもしれない。……その場合もどうしようかとちょっと心配になって来た。

 

 そんな心配を他所に、『隠』の人が不意に立ち止まると、その背中から下ろしてくれる。そしてそっと目隠しを外してくれた。重かっただろうにここまで運んでくれた礼を言うと、『隠』の人はちょっと驚きつつも嬉しそうに様に微笑んでくれた。炭治郎も横で自分を運んでくれた『隠』の人に礼を言っている。そちらの『隠』の人も、ほっこりした様に目元を緩ませていた。

 こうして目隠しを解いて貰った事からも察していたが、どうやらここが『鬼殺隊』の本部……「お館様」のお屋敷であるらしい。物凄く丁寧に整えられた日本庭園に通されて、少し緊張してしまう。

 あの松の手入れ、どれだけの費用が掛かるのだろう……なんて、ちょっと現実逃避したくなる位に。

 

 炭治郎と共に庭に待機して待っていると、少ししてからまた新たな人影が現れた。

 蝶の羽根を模した様な柄の羽織を纏った、小柄な女性だ。自分と同い年か、少し年上位だろうか……? 

 背丈自体は自分よりも小さいが、多分……と言うか間違いなく滅茶苦茶強い人だ。「柱」って言う人達の一人なのかもしれない。どうやら炭治郎は知っている相手だったらしく、「しのぶさん」と小さく呟いている。

 もっと他の「柱」の人達も来るのだろうか……? と思ってちょっと身構えていると、どうやらこの場にやって来たのは「しのぶさん」だけらしい。偶々手が空いている「柱」が彼女だけだったのだろうか……? 

 まあ、昨日の今日でいきなりだったと言うのも大きいのかもしれないな……と思う。

 もしくは、もし得体の知れない謎の人物が何かしらの狼藉を働いても、「しのぶさん」一人で事を収めてしまえると言う信頼があるのか……。……後者なのかもしれないな……とぼんやりとだが感じた。

 多分、「しのぶさん」は物凄く足を鍛えている。本気で蹴られたり踏み込まれたらただではすまないだろう。

 当然、「しのぶさん」が動かなければならない様な事など仕出かすつもりは一切無いのだが。

 

「しのぶさん」は少し興味があるのかこちらを観察している様だった。

 十握剣は預けているのだし、観察されて困る所は無い……筈だ。格好は多分普通。…………普通、だろうか。

 よく考えれば、八十神高校の制服と言うのは大正時代的には少々浮いているのかもしれない。

 ブレザーではないのでいける気がしたが、駄目だっただろうか。とは言え今手持ちの服はこれしか無いのだ。

 今後は服装もちゃんと考えなくてはいけないと、確りと覚えておこう。取り敢えず今は見逃して欲しい。

 

 その時ふと、庭に面した一室の奥の襖の前に、小さな女の子が二人、何時の間にか立っていた事に気付いた。

 菜々子位の年頃の子、なのだろうか……? 双子なのか二人とも本当によく似ていて、しかもお揃いの高級そうな綺麗な着物を着ている。

 そして彼女たちは、まだ幼い声を凛と腹から出して告げる。

 

「お館様のお成りです!」

 

 そう言って畳に膝を突いた彼女たちが襖を開けると、奥から一人の男性がそっと部屋へと入って来る。

 その姿に、思わず息を呑んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 姿を現した「お館様」は、全く予想外の姿であった。

 

 その顔のほぼ上半分は、まるでケロイドの様に病魔に食い荒らされた跡が目立ち、本来なら整っている筈の目鼻立ちに無惨な痕を残している。眼もやられてしまっているのか、その瞳孔は白内障か何かの様に白くなってしまっていて……視線が殆ど合っていないのを見るに、もう殆どか全く目が見えていない状態なのだろう。

「お館様」として『鬼殺隊』を率いるその人は、恐らくはまだ二十代……。自分とも然程歳が離れている訳でも無さそうなのに。

 それでも、自分がかつて目にしてきたどんな人よりも。

 その身には、「死」が色濃く纏わり付いていた。

 稲羽で病院清掃のバイトをしていた際に幾度か目にした、末期がんなどで余命幾許も無い人の方が遥かに健康的に見える程に。その身を蝕む「死」の匂いは凄まじい。離れていても高級そうな香の匂いが僅かに香って来るのに、それ以上に。何処か甘い匂い……臓器が中から駄目になっている人特有の「死」の匂いを嗅ぎ取ってしまう。

 正直、この人が「お館様」なのだと言う認識が無ければ、早く病院に連れていけと叫んだだろうし、何なら担いででも病院に駆け込んだだろう。……それでも、恐らくは助からないのだろうが。

 現代の……自分の知る平成の時代の医療でも、正直手遅れな気がする。況してや、大正の時代の技術で一体何が出来るのだろう。……モルヒネなどで痛みを緩和する事すらも儘ならないだろうに。

 恐らく……いや、間違いなくその身体は限界だ。体中を蝕む痛みに動ける筈など無い程だろう。

 夜中に末期がんの患者の痛み止めが切れた時の、悲痛な呻き声が耳の奥で鳴っている様な気もする。

 あの壮絶な痛みを、それに匹敵或いは凌駕する程の痛みを、恐らくはその身に受けていると言うのに。

「お館様」は、子供に手を引かれながら縁側にまでやって来て、そして、微笑んだ。……微笑んだのだ。

 

 その瞬間、傍らで「しのぶさん」や炭治郎が膝を突いて頭を下げるのとほぼ同時に、自分もまた頭を下げた。

 恐らくは人生でも初めての、心からの「畏敬の念」としか思えない感情を懐いたのだ。

 

「こうして急な呼び出しに応じてくれてありがとう。よく来てくれたね、私の可愛い剣士(こども)たち。

 今日もとても良い天気の様だ。空は青く晴れているのかな……?」

 

 そう言いながら、「お館様」は縁側に座った。

 ……本来はそうして座る事すらも苦しいのだろうと、分かってしまう。その身の「死」の匂いを感じてしまう。

 正直に言うと、自分が想像していたどんな「お館様」よりも、目の前の「お館様」は凄まじかった。

 最早その身を支えているのは、精神力としか言えない何かだ。その身を動かしているのは「心」だけだ。

 想像を絶する程の苦痛に全身を蝕まれているだろうに、その声が何処までも穏やかであるのが、泣いてしまいそうな程に苦しかった。……本当に苦しい人を前にして泣く事なんて、出来ないのだが。

 何がそこまでこの人を突き動かすのだろう。

 鬼舞辻無惨への憎悪か、それとも『鬼殺隊』を率いる「お館様」として、鬼との戦いの中で命を落としてきた無数の剣士たちの命の重さか。

 ……恐ろしい生き地獄の様な痛みの中を、それを見せない様に歩いている。

「執念」。そうとしか言えない、それ程の激しい想いのみが成せる事だろう。

 

 狼藉だとか礼儀作法だとかは無視して直ぐ様駆け寄って、ペルソナの力でも何でも良いから使って、その痛みをほんの僅かにでも良いから取り除きたかった。だが、それに意味は無い事も誰に言われずとも分かってしまう。

 あの心の海の中の世界での様な力を発揮出来るのならまだ見込みはあるが、今はまだ全く足りなかった。

 本当に弱くなっている現在の癒しの力では、例え自分の命と引き換えにする覚悟でペルソナの力を発揮させたとしても、その身を蝕む「死」の匂いをほんの僅か薄れさせる事ですら儘ならないだろう。

 だから、堪えた。苦しむ人を目の前にして自分が無力である事を痛感する事程、苦しい事は無い。

 

「お館様におかれましてもご壮健で何よりです。益々の御多幸を切にお祈り申し上げます」

 

 頭を下げたまま「しのぶさん」は静かに挨拶の口上を述べる。

 それに穏やかに微笑んだ「お館様」は、そっと自分の方へと意識を向けてきた。

 その視線はこちらを正確には捉えてはいないが、分かる。

 

「……さて、今日ここに来て貰ったのは、そこに居る彼について、少し聞きたい事があるからなんだ。

 君の名前を聞いても良いかな?」

 

「鳴上、悠です」

 

 何をどう聞かれるのだろうと、頭の中で様々な場合を想定する。話すべきか、それとも黙するべきか。

 しかしそんな事を、この人の目の前で考える事自体が失礼な話なのでは無いかとも思ってしまう。

 

「そうか、悠。君が何者で、何処から来たのかは問わない。

 ただ、君がどうやって日輪刀にも日光にも頼らずに鬼を倒す事が出来たのか、教えて欲しい。

 そして、酷い怪我を負っていた筈の人間を、傷痕も無くその場で完治させる事が出来たのかも」

 

 鬼を倒した方法や人を癒した力については必ず訊かれるだろうと思っていた事だったので、それに関して覚悟は出来ていた。

 だが、何処から来たのかや何者かは不問とすると言うのは、予想外であった。

 恐らくこの人は、突如現れた未知なる存在に対して、調べられる限りの事を時間の許す限り調べただろう。

 そしてきっと、「何も分からない」と言う事が分かった筈だ。そして、その異常さを即座に理解しただろう。

 平成だろうと大正の世だろうと、完全な自給自足の世捨て人でもなければ完全に人や社会との関りを断ち切って生きる事は出来ない。どんなに些細なものであっても、そこにその存在を証明する痕跡は残るのだ。

 だからこそ、もし情報収集に長けた組織が本気で調べても「何も分からない」と言う時は、その対象は極めて異常な存在になる。だからこそ、本来ならば「お館様」はこの目の前の存在が何者であるのかを知りたい筈だ。

 ……しかし恐らく、「お館様」にとってはそれは「一番重要な事」では無かった。だからこそ、それを答えさせる事に固執したりして、最も聞き出さねばならぬ事を見失ったりそれについて口を閉ざさせる事の無い様にしたのだろう。……それ程までに、「お館様」にとっては自分達の知らぬ『鬼を殺す術』と言うのは重要なのだ。

 

 ……答えない訳にはいかないし、その「執念」に対して答えられる限りは応えたいとも思う。

 ……しかし、何回考えても純粋に説明が難しいのだ。

 妖術の一種ですとでも言えば良いのか、それともそう言う特殊能力ですと言えば良いのか。生得的なものなので後天的に身に着ける事は出来ませんと言うべきなのか……。

 まあ、ペルソナ能力自体は心の海の中の世界に行って己に向き合えば手に入れられる可能性は十分に有る。

 問題は、その心の海の中の世界に行く手段が無い。一応イザナミに押し付けられた……と言うか知らぬ内に与えられていた「心の海を渡る力」自体はイザナミを討ったからと言って喪われた訳では無いのだけれど……。あの街ではテレビの画面を介して彼方に渡っていたのだ。当然テレビなど存在する筈の無い大正の時代に同じ方法は使えない。テレビの画面を他の何かで代替するにしても何を選ぶべきかは分からないし、適当なものを選んだ結果、下手をすると恐ろしく深い領域にまで一気に飛び込んでしまう可能性もある。

 そして万が一入ったとしても、クマの様に協力してくれる彼方側の存在が居ない為帰って来れない可能性があった。それにそもそも「この世界」にペルソナ能力自体が存在するのかも分からない。

 

 日輪刀で頸を斬る以外に鬼を殺す術があるのなら、そしてそれを後天的に手に入れられるのなら、恐らく『鬼殺隊』の者達はその力を手に入れる事を厭わないだろう。しかし、可能かどうかもよく分からないものの為に命を賭けて欲しくなど無かった。心の海の世界は、危険だ。その危険性を誰よりも知っているからこそ、力を付けさせる為だけにそんな場所に誰かを態と連れて行く事など出来ない。更に、心の海の奥底からどんな化け物を呼び起こすかも分からない愚行を侵す事は、出来ないのだ。此処では無い世界で心の海の霧を晴らした者の責任としても。

 

 だから、一度静かにだが大きく息を吸って、そしてゆっくりゆっくりと静かに吐いて、心を落ち着かせる。

 そして、確りと「お館様」へと目を向けた。

 

「俺には、不思議な力があるんです。それは……例えるなら、鬼たちが使う血鬼術にも似ている様な、時にこの世の理を捻じ曲げている様にも見える力が……。その力を使って、俺は人を襲っていた鬼を倒し、そして傷付いていた人を癒しました」

 

「成る程……。元々は人であった者達に血鬼術が存在するのなら、人である者の中にもそれに似た力を持つ者が居てもおかしくはないのかもしれないね。

 それで、その力は悠にしか扱えないものなのかい?」

 

 来た、と。思わず落ち着かせる為にゆっくりと息をする。

 そして、声が震えたりしない様に、静かに答える。

 

「恐らくは、そうでしょう。何か修行したりして得る事の出来る力では、無いです。

 ……俺のこれに関しては、生まれつきにも近いものなので」

 

 嘘は、言っていない。肉体をどれだけ鍛えたとしても、それはペルソナ能力を得るかどうかには関係無い。

 そして、「ワイルド」、と。そう呼ばれるらしい自分の特異性に関しては、ある種生得的なものに近い。

 

「悠だけの力、と言う事か。……他にその様な力を使う者に心当たりはあるかな?」

 

 それに関しては、心を揺らす事無くハッキリと否定した。

『夢』を見ているのは自分だけで、此処には特捜隊の仲間たちは居ない。

 

「いえ、居ないと思います。少なくとも俺は会った事が無い……。

 それにそもそも、鬼に遭遇した事自体が初めての事で、その時にこの力が鬼を倒せる事を初めて知りました」

 

 そもそもこの世界でペルソナの力を使える事すらも知らなかった。

 正直、この世界に関して何も知らないに等しい。

 

「……悠は、鬼を倒す事に協力してくれと頼まれたら、それに応えるつもりはあるのかな?」

 

「お館様」の声に、僅かに穏やかさ以外の感情が籠る。

 彼は、期待しているのだ。そして、計っている。目の前の存在が、鬼を滅する力の一つに成り得るのか、と、

 恐らく、いや確実に。その光を喪った目には、唯一つ、鬼舞辻無惨の存在が映っているのだろう。

 

 ……炭治郎は、「お館様」に禰豆子の存在を認めて貰えたのだ、と言っていた。

 それは確かに炭治郎が言っていた様に、「柱」の一人である兄弟子とかつては「柱」であった師匠が命を賭けて嘆願したからという理由はある、そして禰豆子ちゃんが実際に人を襲う鬼では無かったと言う理由も当然ある。

 だが最も、鬼を殺す為の組織である『鬼殺隊』と言う場所で禰豆子ちゃんの存在が認められたその根本たる理由とは、「お館様」にとって最も重要な事とは『鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす』事であり、その為ならばどんな手段だって何だって使うと言う覚悟があるからだろう。だから、『鬼舞辻無惨討滅』に関し何か力に成り得るものであれば、それが人を襲う訳では無いとは言え確かに鬼である存在だろうと、或いは来歴不明で何もかもが不詳の存在であろうとも、使うつもりなのだ。その「執念」の重さを、「お館様」がその身体で動いて話していると言う事実だけで察する事が出来る。

 だから──

 

「…………俺は、鬼について何も知らなかったんです。そんな存在がこの世界に居る事も。

 そして、『鬼殺隊』の人達が、鬼を狩って人々を守っていた事も……。

 だけど、炭治郎に出逢って、俺は鬼が元々は人だった事を、知りました。

 俺が人を守る為に倒した……殺した、あの名も知らぬ鬼が、元々は人だったのだと、初めて知ったのです」

 

 名も知らぬ誰か。きっとかつては、誰かにとっての大切な人だったのだろう誰か。

 鬼舞辻無惨によって鬼に変えられ人を喰う事でしか生きられず……そして鬼となった時に大切だった何かを壊してしまったのだろう憐れな存在。それなのに、鬼に変えた鬼舞辻無惨にとっては「どうでも良い駒」でしか……いやきっと駒ですら無かったのだろう、誰か。罪を重ね続け、そして最後の最後にその全てを思い出してしまった人。……例え己の意思では無かったのだとしても、その手を罪に染めた事は変わらず、そしてそれを呵責する心を最後に取り戻したが故に堕ちる先は地獄だろう、誰か。鬼になどされなければ、きっと犯さなくても良かった罪に塗れてしまった存在。

 自分は、その名を知らない。人であった時の名も、そして鬼となった後の名すらも。その存在を示す血鬼術の名すらも知らない。……それが、本当にただただその事が。どうしようもなく哀しいのだ。

 あの鬼を殺した事自体は後悔していない、もうその罪を重ねさせない方法はそれ以外に無かっただろう。

 人を殺す事を説得するなり或いは無理矢理にでも止めさせたとしても、己の罪を思い出し「人」となった瞬間に、それに耐える事など出来ないだろうから。……あの鬼の最後の表情は、それを訴えていた。

 だから、あれで良かったのだ。あれ以上の事は誰にも出来なかった。それこそ、時を巻き戻して名も知らぬ誰かが鬼にされる事を防いでやる事でしか、救う事など出来なかったのだ。そして、イザナミと言う「神」をも凌駕する力を以ても、自分には時を遡る事など出来ない。そして万が一技術的に可能であったとしても、きっと自分はしないだろう。「知らない」相手の為に己の全てを差し出せる程、自分の価値を安くは見積もっていない。何時だって、命を賭けるのであれば、それは自分にとって喪い難い大切な人達の為なのだと決めている。

 自分があの哀れな存在にしてやれる最善が、あれだった。それだけの事なのだ。

 

「……俺は、鬼に何かを奪われた訳ではありません。命を捨ててでも鬼を狩らなければならない理由は無い。

 炭治郎や……そして「お館様」、あなたの様な。何処までも強い執念や覚悟や動機がある訳でもありません。

 でも……俺は……」

 

 正直、自分でも本当に驚いている。

 此処は、炭治郎たちにとっては間違いなく現実の世界であるのだが、少なくとも自分にとっては『夢』。

 目覚めた時にはどんなものだったのかすらも思い出せないかもしれない様な、そんな夢現の中の微睡みの出来事だ。……だが、それが一体何だと言うのだろう。

 心の海を駆け、罪の無い人達が暴かれた己の心に喰い殺される事を防ぎ、そして心の海の中を搔き乱した一連の出来事のその全ての真実に辿り着き、そして最後には盤上を用意した神を下した。その経験の全てが叫ぶ。

 そこが『夢』であるかどうかなど関係無い、自分の心が在る場所こそが「世界」なのだ、と。

 過去改変の可能性やバタフライエフェクトの恐怖など、己の心の奥に灯ったこの衝動を殺す事は出来ない。

 もしそうなったなら、それすらも含めて全て変えてやる、と。この心は傲岸不遜にも叫んでいる。

 

「……俺は、鬼舞辻無惨と言う、逢った事も見た事も無い相手を、赦したくないのです。心の底から。

 何もかも奪われてしまった名も知らぬ無数の誰かの痛みを、全部まとめて叩き付けてやりたい、と。

 俺は、そう思っています。執念と言うには淡く、覚悟と呼ぶには底の浅い感情かもしれませんが」

 

 それはきっと、正義感なんて綺麗な感情では無い。道徳観や倫理観からの怒りでも無い。

 別に、鬼舞辻無惨と言う存在が居ようが居まいが、……鬼がこの世に存在するか否かに関わらず、人の世には人間同士が引き起こす想像も絶する程の絶望と地獄が生まれる事も知っている。恐ろしい悲劇がこの先幾つも起きる事も、人の命が紙切れ一枚よりも安くなる時代がこの先訪れてしまう事も知っている。それを知っていても、その「未来」を「良い方向」へ変えてやろうなどとは思わない。今行動すれば何万何億の命が救えるかも知れないと分かっていても、絶対に何もしない。だから、そんな風に救えるのかもしれない命を救わない事に決めた自分の胸に宿ったこの感情は、正義感だなんてものじゃないのだろう。

 でも、とにかく鬼舞辻無惨と言う存在が起こしているその全てが、心の底から赦せないのだ。

 

 そして何よりも。

 

「それに……俺は炭治郎の力になりたいんです。

 自分の大切な家族を、鬼舞辻無惨に奪われたものを、本当の意味で取り戻そうとしている、炭治郎の力に。

 その為に、俺が出来る事があるのなら、俺が鬼を倒す事に協力する事で何かを変えられるのなら。

 俺は、戦えます。戦わせて下さい」

 

 そう本心から答えると、「お館様」は穏やかな笑みを浮かべた。

 恐らく次に望まれるのは、どの程度目の前の存在が鬼舞辻無惨に対抗する為の力になるのかと言う確信だろう。弱い鬼を倒す事で精一杯なのか、それとも鬼舞辻無惨そのものの命にすら届き得る鬼札に成り得るのか、と。

 正直、そこに関しては自分でも知りたい部分はあった。

 今の状態では、まともに戦うのは難しいだろう。

 今のままだと継戦能力が著しく欠けているし、何なら強力な力を使っただけでも一発で昏倒しかねない。

 だが、あの八十稲羽で過ごした一年で、ペルソナの力……心の力を最も強くするものが何であるのかはもう知っている。心からの絆を満たす事。結局の所、それが全てなのだ。

 炭治郎との間に【太陽】の絆を感じた時、確かに、僅かにではあったが自分の力が増したのを感じた。

 まだ生まれたばかりであるけれど、この力を高めていけば他ならぬ炭治郎の力になる事も出来るだろう。

 心からの絆を築くには一朝一夕では到底不可能だが……しかし、もし今の自分が新たにこの世界で築き上げ得る全ての絆が満たされ切った時。その力は自分の大切な人達を傷付け大切なものを奪っていった存在に対してその命に届き得るのではないか、と。そう直感が囁いている。

 

「そうか……有難う、悠。

 さて、話は少し変わるのだけれど、君には何処か身を寄せる宛てはあるのかな?」

 

「いえ、俺には身を寄せる先はありません」

 

 身を寄せる宛どころか、お金も無いし職も無い。割と真面目にこの世界で自分はある意味天涯孤独の身に近い。

 まあ、職に関して言えば『鬼殺隊』の人達と一緒に鬼を倒していれば、慎ましく生きていける程度にはどうにか出来る気はするが。

 

 身を寄せる先は無いと答えると、「お館様」は何かを思案する様な顔をして、そして「しのぶ」と。

 挨拶の口上を述べた後は静かに見守っていた彼女の名を呼んだ。

 

「蝶屋敷の方で、悠の面倒を見てあげてくれないかな。悠には人を癒す力もあるらしいから、蝶屋敷で療養している剣士(こども)たちの力にもなってくれるかもしれない。

 悠、君の癒しの力も貸してくれるかい?」

 

「勿論です。俺に出来る事なら、何でも」

 

 と言うよりも、傷付いた人たちを癒すのは性格的には向いている。

 ……まあ恐らく一番向いているのは、大切な者を傷付けようとする相手をぶっ飛ばす事だろうが。

 幾らペルソナの力でも出来ない事は出来ないが、癒せるなら可能な限り癒せた方が良い。

 痛い時間が早く過ぎ去るに越した事は無いのだ。強過ぎる痛みは、それが肉体のものであれ心のものであれ、長く続けばその人を壊してしまうのだから……。

 

 その返答に満足した様に「お館様」が微笑んで、その場での話し合いは終わったのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
基本的に善人度が高いので、傷付き苦しんでいる人を見ると自分も辛くなる。
でも、自分が苦しくなっても相手に寄り添う事は止めない。
ちょっと思考が物騒なのは、産屋敷さんが覚悟ガンギマリ過ぎてて思わずそれに引き摺られた部分はある。
でもまあ、どの道無惨の事は赦さない。
今後鬼滅世界の人々とコミュすればする程、無惨赦さない度は上がり続ける。
コミュればコミュる程にどんどん本来の力を発揮出来る事には本能的に気付いているけど、その理由は心の力が強くなるからでは無いのでそれに関しては若干認識がズレている。
コミュ相手に対する感情がかなり重い。全く病んではいないが。
堂島さんが重傷を負った事や菜々子が一度死んだ事はかなりのトラウマになっている模様。それに関して自覚はある様で無い。
炭治郎に物凄く入れ込んでいるのは、最初に出逢った相手であり正直右も左も分からず路頭に迷い掛けたかもしれなかった所を(炭治郎は別にそんな意図は無かったけど)助けて貰った事と、妹を救いたいと願うその姿が、菜々子を助ける為に命すら賭ける覚悟でクニノサギリと戦った時の自分に重なったから。
炭治郎が、禰豆子以外の家族を既に喪っている事や、父親以外の家族は鬼舞辻無惨の手で惨殺された事はまだ知らない。
この度無職・家無しから脱出したので嬉しい。



【竈門炭治郎】
何時も頑張ってる長男。
匂いが分かるから悠が本気で言っているのは分かるんだけど、逢ったばかりの相手に対してどうして此処までしようとするのかとは流石に戸惑っている。とは言え、自分もほぼ初対面の人に対して似た様な事をやっているので戸惑う必要は無い。



【胡蝶しのぶ】
童磨絶対殺す勢の人。
お館様に呼ばれたから現れた。日輪刀・日光・藤の毒以外の何らかの手段を以て鬼を殺した者が居る事は、既にお館様から現職の柱全員に通達されている。その為、悠にそれなりの興味はあった。最愛の姉の仇を討つ為に利用出来るなら使いたい。



【産屋敷輝哉】
ほぼ死体が動いている状態に近い程身体の状態は悪いが、無惨を殺すまでは死ねないし死ぬにしても無惨を殺す為の一手になる事を選ぶ、無惨絶対殺す勢で最も覚悟ガンギマリの人。
悠が鬼を倒した付近を偵察していた鎹鴉によって緊急に伝えられた、日輪刀・日光・藤の毒以外の手段で鬼を殺した存在に喜びを隠せなかった。これで無惨に突き立てる刃が一つ増えた。
悠が癒しの力も使える事を知った時は、これで傷付いた剣士(こども)たちを守ってやれる手段が増えた事にもニッコリ。
未知数だがとんでも無い鬼札に化ける可能性がある存在を、もう一つの可能性の目の中心にいる炭治郎が保護した事を知って、自分の代で無惨を滅ぼす天運が巡って来た事を半ば直感。実際に会ってみて、その直感の正しさを確信する。
悠がカジャ・ンダ系の補助技や文字通りの必殺技を幾つも持っている事はまだ知らない。




【鬼舞辻無惨】
自分は直接的には一切関わっていないのに滅茶苦茶危険な相手をガチ切れさせている事はまだ全く知らない上に、日輪刀と日光と毒以外で鬼を殺した存在が居る事には全く気付いていない。流石無惨様。
この度めでたく下弦の鬼たちを壱を除いて解体した。流石、頭が無惨様。



『女教皇コミュ』
 胡蝶しのぶとのコミュ。まだ生まれる少し前。


『隠者コミュ』
 「隠」達とのコミュ。生まれたばかり。「隠」たちと関わる毎に少しずつ満たされていく。


『太陽コミュ』
 竈門炭治郎との絆。『夢』の中で一番最初に生まれた絆であり、今後の悠の行動方針などに一番影響を与えていくもの。少し満たされた。


『審判コミュ』
 産屋敷の人達とのコミュ。まだ生まれたばかり。



【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
大正時代にはモルヒネなどの痛みを抑える薬は既にありましたが、痛み止めによって意識が朦朧とする事が無い様にと(少なくともこのお話では)産屋敷さんは痛み止めを一切使っていません。地獄の様な苦痛の中で微笑んでいます。


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『底無しの優しさ』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 その夜は、鎹鴉からの指令を受けて蝶屋敷を離れて少し離れた場所の森の奥に向かっていた。

 近隣で人が消える事件が散発的に起き始めたのだと言うその森に、鬼が潜んでいる可能性がある、と。

 そんな、単独任務の指令であった。

 

 その任務を受けた時、俺の心には焦りの様なものが静かに奥底に降り積もっていた。

 那田蜘蛛山で負った傷はもうほぼ完治していて、全集中の呼吸・常中も習得して。

 昨日の自分よりは確実に強くなったとは思うが、それでもまだ足りない。全く足りなかった。

 自分は、強くならなければならないのだ。強くなって、鬼殺隊の役に立てる事を証明しなければならない。

 十二鬼月を一人でも倒せる位に、強く。

 そうしなければ、禰豆子の存在を……鬼にされてしまった大切な妹の存在と、そして鬼の妹と共に在る事を、認めて貰えないのだ。柱に、そして鬼殺隊の隊士たちに。

 

 柱合会議の場を思い出すと、俺は何時も忸怩たる思いを懐く。

 あの場に於いて、俺は無力その物で、その言葉には何の重みも持てなかった。

 守るのだと、人に戻すのだと。そう心に決めて吼えた所で、「俺の事など知らぬ他人」にとって、禰豆子はただの鬼でしか無く、人を喰っていないと言うのなら人を喰う罪を犯してしまう前に殺してやる事こそが慈悲であるとすら思われていた。……それは、「間違っている」事では無いのだと、心情的にはともかく事実としてはそうなのだとは俺も分かっている。俺が倒してきた鬼たちよりももっと多くの鬼を狩り、その中で鬼によって引き起こされた惨劇や無理矢理鬼にされてしまった存在の憐れな姿を見ているからこそ、柱たちの中での鬼に対する認識は俺の言葉一つで変わったりする程に軽いものでは無い。それは分かっている。だからこそ、己の無力を俺は恥じた。

 もしあの日に、出逢った鬼殺隊の隊士が水柱の冨岡さんでなければ、そして彼の育手が元水柱の鱗滝さんでなければ、禰豆子はとっくに殺されていた。俺はたった一人残った妹を、成す術も無く喪っていた。

 そして、二人がその命を懸けてくれなければ、他の柱たちを説得する事など不可能だっただろう。

 俺は、何処までも二人に守られていたのだ。その事に心から感謝すると共に、己の無力を痛感する。

 

 強くなりたかった。那田蜘蛛山で出逢った十二鬼月の鬼に、俺の刃は届かなかった。

 あの時、冨岡さんが来てくれなければ死んでいた。冨岡さんが一瞬で斬った頸を俺は斬る事が出来なかった。あの瞬間、柱と言う存在の強さを、俺は肌で感じていた。

 だからこそ、まだ少し蝶屋敷で療養する期間は残っているのだが、俺は鬼を狩る為に任務に出ていた。

 少しでも経験を積む為に、少しでも強くなる為に。

 

 

 禰豆子の入った箱を背負いながら、微かに漂っている鬼の臭いを頼りに夜の森を駆ける。

 恐らく、あまり人を喰ってはいない鬼なのだろう。鬼特有の臭い……人を食えば食う程腐っていく様なあの臭いはかなり薄い。それでも、何かしらの血鬼術を持っている可能性はある程度には人を喰っている。

 鬼の臭いに雑じって、人の血の臭いもした。誰かの幸せが壊れてしまった臭いを感じ取り、俺は自分が間に合わなかった可能性を悟る。それでも、鬼を狩るしかない。

 

 しかし、もう少しで鬼の下に辿り着くと言う時に、ふと春風に乗って運ばれて来たかの様な温かな光の匂いと共に、付近に漂っていた鬼の臭いが消える。

 他の隊士が現場に居合わせて鬼を斬ったのだろうか……? 

 ただでさえ万年人手不足気味なので、強力な鬼だったり厄介な鬼である事が予見される場合に組まれる合同任務でも無いのに、他の隊士と組んで鬼を狩る事は滅多にない。任務先の場所が偶々近くだったと言う事はあるのだけれど……。

 少し不思議に思いながらも鬼が居ただろう場所に駆け付けると。

 少し変わった見た目の学生服の様なものを纏った青年が、剣を手にしつつ突如その場に現れた俺を警戒する様に見ていた。その背後には、怯えている女性の他に意識を喪っている男性が倒れていて。青年が彼等を庇おうとしている事は一目で分かった。

 

 しかし、目の前の青年はその「匂い」が余りにも薄かった。本当にその場に存在しているのだろうかと、一瞬戸惑ってしまう程に。……だがかつて狭霧山で錆兎と真菰に稽古を付けて貰っていた時の様な、この世の者では無い存在の様な感じでも無い。微かにだが「匂い」は其処に在る。ただそれは、幽玄とでも言うべき程の微かなものであった。

 俺を警戒していた青年は目の前の存在が人である事を認識したのか一瞬その匂いは和らいだが、しかし俺の背後……禰豆子の気配を感じ取ったのか、一気に警戒した様な匂いになりその手に握っていた剣を何時でも振るえる様にと構える。

 

「あの、俺は……」

 

 青年の誤解を解こうとして、声を掛けた時だった。青年は、突如限界を迎えた様に、硬く握り締めていた剣を取り落として、ぐらりとその身体を揺らして倒れそうになる。

 慌てて納刀して崩れ落ちるその身体を支えると、既に意識は無かった。

 規則正しい呼吸の音は聞こえるので、命に何か別状がある訳では無いのだけれど、どうやら昏々と眠っているらしい。取り敢えず状況を把握しようとして、俺は眠っている青年をその場にそっと横たえさせて、怯えてはいるが確りとした意識のあった女性に何が起きたのかを訊ねた。

 

 女性の説明によると、その女性と、俺が辿り着いた時には既に倒れていた男性は恋仲であるのだが、夜道を歩いていた所鬼に襲撃され二人ともこの森に連れ去られたそうだ。鬼は先に男性に重傷を負わせ、そして次に女性を襲おうとしていた時に、そこに飛び込んで来たのが青年であったらしい。見知らぬ青年は女性を襲う鬼と斬り結び、そして意識を喪っていた筈の男性が操られた際には何かの方法でそれを無力化し、そして鬼を倒したのだと言う。具体的にどうやって鬼を倒したのかは、女性には分からなかったらしいが、少なくとも頸を斬って倒した訳では無いらしかった。そして、青年は男性の傷を不思議な力で癒したのだそうだ。そして、そこに俺が出くわした……と言う経緯であるらしい。

 

 女性の言葉を聞いて、俺は大いに戸惑った。

 頸を斬らずに鬼を倒したと言う事も、そして深手を負っていた筈の人を忽ち癒したと言う不思議な力の事も。

 正直に言うと、俺の理解を超えたものだった。ただ少なくとも、女性の言葉に嘘の匂いは無かった。真実であるかどうかはさておき、女性はそれを事実だとして話している。

 しかし、青年が使ったのだと言う不思議な力とは一体何であるのだろうか。

 鬼を殺した術も、その力に依るモノなのだろうか。

 血鬼術か何かの様にしか思えないのだが、意識を喪っている青年からは鬼の臭いは欠片も漂ってこない。

 存在の匂い自体が物凄く薄いが、その匂いは紛れも無く人のそれであった。

 彼は、俺にとって、否。鬼殺隊の長い歴史に於いてすら、全くの未知なる存在であった。……しかし、鬼から人を守った様に、不思議な力を持っていても恐らくは鬼たちの様な存在では無いのだろうけれど。

 

 女性と男性は大した傷も無いので彼等の家へと隠達の手によって連れて行かれたが、問題はこの青年だった。

 軽く揺すってみても全く意識が戻る気配はなく、彼が一体何処の誰であるのかは彼本人以外には誰にも分からず。その為、付近にあった藤の家紋の家に身を寄せる事にした。

 鎹鴉が此度の事態の報告の為に夜闇の中に飛び立つのを見送った後、俺は用意された一室に青年を寝かせる。彼が目を覚ませば何か色々と聞けるだろうか……と。そう思いながら、俺もまた眠りに就いたのであった。

 

 俺が目を覚ました時には青年はまだ眠っていたが、彼の為にも水を貰っておこうと部屋を出た後で目を覚ましていたらしい。布団から身を起こした状態で俺を真っ直ぐに見詰めるその目はとても静かで。

 彼から感じる匂いも、かなり薄くはあるが穏やかな春の日溜りの様な優しいものだった。状況に少し戸惑っている様だが、その受け答えはとてもハッキリとしている。

『鳴上悠』と名乗った彼は、鬼殺隊の存在はおろか、昨夜倒した存在が「鬼」だと言う事も知らなかった。

 当然、日輪刀の事も知らないし呼吸も知らない。

 だが彼は、呼吸も使わずに持っていた剣で鬼の首を斬ったらしい。

 話を聞くに、血鬼術に目覚めていた鬼だ。その頸は、少なく見積もっても呼吸も無しに斬れるものでは無い。

 こうして話している分には、彼は本当に普通の青年にしか見えなかった。存在の匂いが薄いだけの、ただの人だった。窓から射し込む陽光にもそれを厭う様な仕草は見せず、鬼では無い事も分かる。

 だからこそ、目の前の彼が鬼を斬り、更には未知なる手段で鬼を倒したとは到底信じ難いものがあった。

 だが、それは間違いなく事実だ。

 そもそも、廃刀令が出されて久しいこの時代に、鬼殺隊の剣士でも無いのに剣を持ち歩いていた時点で、彼には何かがある。普通の人間では無い事は確かなのだろう。それでも、目の前の彼は「普通」だった。

 

 鳴上さんと話している最中、鎹鴉が帰って来た。お館様からの命で、本部へと来るようにと伝令を受けて帰って来たその足には、手紙が括りつけられている。

 鴉が喋った事に驚いた様な顔をしていた鳴上さんだが、俺が鴉から手紙を受け取っていると物凄く優しい目で鴉と俺を見ていた。動物が好きなのかもしれない。

 

 手紙に目を通すと、それはお館様からのものだった。突然の手紙に驚きつつも読み進めると、鳴上さんについて何か分かった事があったら教えて欲しい、との事だった。そして、彼をよく見ておいて欲しい、とも。

 俺のその鼻の良さを活かしての頼みだった。それを断る事は出来ない。

 

 鬼殺隊やお館様について何も知らない鳴上さんに軽く説明すると、お館様が物凄く偉い人なのだと理解したらしく、そんな人の所へ突如呼び出された事に驚いている様だった。少し不安そうな顔をしたので、自分が柱合会議の場に呼ばれた時の事を話して安心して貰おうとすると。少し考え込む様に黙った後で僅かに言い淀む様に鳴上さんは、俺が柱合会議の場に呼ばれたのは、俺が連れている鬼──禰豆子の事が関係しているのか、と訊ねる。

 彼は、昨日の時点で禰豆子の存在に気付いていたのだろう。

 どう答えるべきか迷っていると、その問いが俺を傷付けてしまったと思ったのか、鳴上さんは慌てて禰豆子に害を加える意図など無いと付け加える。昨夜敵意を向けかけたのも、それは鬼に襲われて気が立っていたからだとも弁明する。その言葉に嘘の匂いは無い。……それは、昨夜の時点で分かっている事だったが。

 そんな鳴上さんに禰豆子の事を軽く説明すると、鬼は元々は人だった事を彼は知らなかった為、その内容に酷く衝撃を受けた様で。そして、その全ての元凶たる鬼舞辻無惨の名を俺が口にしたその時には、紛れも無い無惨への敵意が彼の内に燃え上がった事を匂いで感じた。

 そして、俺の言葉を聞き終えた鳴上さんは。

 

「……すまない、炭治郎。辛い事を、聞いてしまって。

 でも、信じるよ。俺は君を信じる。

 炭治郎にとって大切な家族が……禰豆子ちゃんが、鬼にされてしまっても炭治郎を襲わなかった事も、人を襲う事も喰う事も無いと言う事を。俺は、信じる。

『鬼殺隊』の人間じゃ無いし、鬼なんてこれまで全然知らなかった俺が信じた所で何か力になれる訳じゃないんだろうけど。でも、炭治郎の大事な家族の事を、俺も信じる。

 ……鬼にされてしまった人に戻す方法は俺には分からないけれど……。でも、もし俺に何か出来る事があるなら、俺は絶対に力を貸すよ」

 

 真っ直ぐに俺の目を見て、「信じる」と。「力になる」と。そう、言ってくれた。

 その言葉に一片の曇りが無い事を匂いが教えてくれる。

 ……全くの初対面にも等しいのに、どうして彼はそうも真っ直ぐに言えるのだろう。

 彼にとって禰豆子は、全く知らない相手、鬼の気配を感じ取った何者かでしかない筈なのに。

 それが、どうしても堪え切れない程に、嬉しくて。

 こんな所で急に泣くなんて長男としてみっともないと思うのに、涙が溢れて止まらなかった。

 そんな俺に鳴上さんは微笑んで、大丈夫だと優しく繰り返しながら、励ます様にそっと頭を撫でる。

 

「炭治郎は凄いな。ずっと禰豆子ちゃんを守って、戦って来たんだろう? 誰にでも出来る事じゃない。

 苦しい事も、辛い事も、沢山あっただろうけど、ここまで挫けずに頑張って来た。本当に……凄いよ。

 だから、泣いたって良いんだ。それは、炭治郎が頑張り続けてきた証なんだから」

 

 鳴上さんのその言葉は、本当に優しくて。そして、触れる手は何処か懐かしく……母や父の手を少し思い出させる。

 涙は益々零れてしまったが、何時までも泣きっぱなしと言うのは俺にとってはやっぱり恥ずかしかったので頑張って泣き止んだ。

 

 その後暫く他愛ない世間話の様な話をしていると、急に鳴上さんが小さく呻く様に息を零した。匂いも、困惑していると言うか……何かに気付いて焦った様な感じのものになる。だが、何があったのかと訊ねても、鳴上さんは「何でも無い」と答えるばかりで。しかし話していた内容に何か問題がある様にも思えず、一体何があったのだろうと俺は首を傾げるばかりである。

 そんなこんなで話をしていると、鬼殺隊本部まで連れて行ってくれる隠達が藤の家紋の家に到着した。

 鳴上さんと一緒に世話になった事に厚く礼を言って、俺たちは鬼殺隊本部へと向かったのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 鳴上さんの言う血鬼術にも似た「不思議な力」とやらが何なのかは俺には分からない。

 ただ、お館様が現れてからずっと、鳴上さんの匂いはとても悲しい様な……悔しそうな、そんな匂いになっている。

 お館様の身を案じているのだろうか……? ……恐らくはそうなのだろう。

 短い時間とは言え鳴上さんと話していて、そしてその匂いを感じて、彼の本質が確たる芯を持ちながらも底無しに近い程の善性に満ちた優しいものだと言う事は分かっている。優しい人達には大勢出逢って来たし、鬼殺隊に入ってからは哀しい匂いと共に深過ぎる鬼への怒りや憎しみの匂いを漂わせながらも優しい匂いを感じさせる人に大勢逢った。それでも、鳴上さんの優しい匂いは自分が出逢ってきた中でも一等優しいものであったのだ。

 自分が倒した名も知らぬ鬼に対して、心からの哀しみを向けられる程に。そして。

 鬼に何かを奪われた訳もでなく命を捨ててでも鬼を狩る理由が無く、鬼殺への執念や覚悟が無いと言い切りながらも。鬼舞辻無惨に奪われた無数の名も知らぬ相手の痛みから、目を逸らす事は出来ない、と。その為に鬼舞辻無惨を赦さない、と。そうお館様に宣言し。

 何よりも、俺の力になりたいから、と。そんな理由で鬼との戦いに身を投じる事を望む程に。鳴上さんは、何処までも優しい人だった。

 

 出逢ったばかりの相手である筈なのに、鳴上さんは俺の事を心から気に掛けていた、その力になりたいと本気で言っていた。鬼の事なんて、全く知らなかった筈なのに。偶然、鬼に襲われていた人を助けただけだったのに。

 それでも鳴上さんは、それが命懸けの戦いである事を知りながら、鬼殺へとその身を投じようとしている。

 鳴上さんが持っていると言う「不思議な力」が何れ程のものかは俺には分からないが、それでも危険な事には変わり無いだろうに。

 鬼殺隊に身を置く隊士たちのその理由の多くは、家族や大切な人を鬼によって奪われた事への復讐だ。

 金銭的な問題だったりする隊士も居なくは無いが、それは少数派だろう。

 しかし、強い執念があっても、鬼殺を続けられる者は本当に一握りだ。

 鬼との戦いで命を落とす者は多く、命こそ拾う事は出来ても戦う事は出来ない身体になる事も少なくない。

 そんな世界に、鳴上さんは躊躇う事無く飛び込んでしまった。無惨を赦せないから、炭治郎の力になりたいから、と。

 どうして其処まで……と。そう思ってしまう。

 鳴上さんが優しくて善い人なのは分かっているが、だからと言ってそれは尋常な事では無い。

 鳴上さんの過去に何があったのかは知らない。身を寄せる先も無いと言い切った彼が、一体今までどうやって生きて来たのかを俺は知らない。どうして「不思議な力」を持っているのか、それを何時自覚したのか、どうして剣を持っていたのか。それを知るのは、唯一人、鳴上さん自身だけだった。

 だが、彼が戦いなど好む性格では無い事は俺にも分かる。それなのに、彼は本来なら身を投じる必要など無い戦いから逃げようとはせず寧ろ飛び込んでしまった。それが、彼の優しさ故である事は分かるのだけれども。

 ……ただ、その優しさを、「嬉しい」と。そうも思ってしまうのだ。

 

 鳴上さんと共に蝶屋敷へと向かう隠の背の上で揺られながら。

 自分も、鳴上さんに対して何か力になれる事があるなら、力になりたいと。

 そう、俺は思うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
炭治郎的に、『存在の匂いが物凄く薄い』。本人はまだそれを知らない。
恩人補正もあって炭治郎への好感度は滅茶苦茶高い。
鬼殺隊に身を寄せる以外に、右も左も分からない大正時代に放り出されては生きていけない事は確りと分かっている。非公式組織で鬼殺に専念しているなら過去改変みたいなヤバイ事に首を突っ込む可能性も少ないだろうと言うちょっとした打算もある。
でもやっぱり一番は、炭治郎の力になりたいと言う気持ちと無惨(面識無し)への怒り。


【竈門炭治郎】
悠の行動は彼の底無しの優しさが故だとは分かっている。
長男として優しさを与える側である事が多かったので、悠から優しさを貰いまくってちょっと困惑。でも嬉しい。既に悠への好感度は高い。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
ペルソナの力が一切働いていない時の悠の身体能力は普通(ATLAS系主人公的な意味で)なので、全集中の呼吸・常中を体得している相手と腕相撲などで勝負すると普通に負けます。
最終選別を突破した直後の炭治郎になら、ギリギリ勝てるか勝てないか。
ペルソナの力は基本的に対人だと発動しません。無意識の内にロックを掛けています。
キャベツ刑事に関しては、同じペルソナ使いだし……という事でペルソナの力を使いつつも素手でもボッコボコにしました。


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『蝶の舞う屋敷』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 庭先に植えられた様々な花の香りの中に、病院の清掃バイトで嗅ぎ慣れた消毒液の匂いが混じる。

 そんな、『鬼殺隊』にとっての医療施設である「蝶屋敷」が、この度身を寄せる先となった。

「蝶屋敷」の主であり蟲柱であると言う胡蝶しのぶさんが「蝶屋敷」の一画の空き部屋を都合してくれた為、無事に宿無し状態からは解放されたと言っても良い。本当に有難い。

 ここは鬼との戦いの中で傷付いた隊士たちの療養施設であり、しのぶさんは蟲柱として鬼を殺す任に就きつつ此処で医師として治療にあたり、更には鬼殺隊の為に様々な薬や毒を研究しているのだとか。

 ちょっと話に聞くだけでも過労で倒れてしまわないか心配になる程の忙しさだ……。

 ちなみに炭治郎は実はまだ以前の大きな戦いで負った傷が完治には至っては無いらしく、リハビリがてら「蝶屋敷」の近隣で軽めの任務に就いていたのだとか。自分と出逢ったのもそんな任務の中での出来事であったらしい。炭治郎と仲の良い隊士も治療の為に滞在中らしいので、後で紹介してくれるそうだ。楽しみである。

「蝶屋敷」について簡単な説明を受けた後しのぶさんから、この「蝶屋敷」で働く人たちを紹介されて挨拶する事になった。「蝶屋敷」はその規模と重要性に比してその人手はかなり小規模である様で。

『隠』の人達が訪れて力を貸してくれてはいるが、常駐して働いているのは主であるしのぶさんを除くと四人だけなのだそうだ。しのぶさんの「継子」(直弟子の様なものらしい)の栗花落カナヲと言う女の子も「蝶屋敷」の住人だが、彼女は『鬼殺隊』の隊士としての任務が主であり、医療施設としての「蝶屋敷」の運営にはそれ程大きくは関わっていないらしい。

 そんな訳で、「蝶屋敷」を普段主に回しているのは、神崎アオイ・中原すみ・寺内きよ・高田なほ、の四人なのだそうだ。……四人とも、自分よりも年下である事は明らかで、すみ、きよ、なほの三人に至っては菜々子よりも幾つか年上と言った程度の年齢だろう。此処が平成の世なら間違いなくランドセルを背負っている。

 ……そして、彼女たちは全員、親類を鬼に殺されて「蝶屋敷」に引き取られた子達であるそうだ。

 力仕事が必要になる事も多いだろうに、彼女等はそれに音を上げる事も無くよく働いているのだと言う。

 本来なら、家族に囲まれて幸せに笑っているであろう年頃の子達である。

 また一つ、自分の中に鬼舞辻無惨に対する怒りが降り積もった。

 

「蝶屋敷」の人達との挨拶もそこそこに、しのぶさんに案内されて療養施設の方も見せて貰う。

 日夜鬼と戦う隊士たちに負傷は付き物で、中には厄介な血鬼術を喰らって運び込まれてくる者も居るそうだ。

「蝶屋敷」の病床が空になった事は一度も無い、と。そうしのぶさんは言った。

 しのぶさんの言葉通り、通して貰った病室には多くの傷病者がベッドの上で寝ていた。

 どうやら此処は、血鬼術を受けた事によって特別な治療を要する者達の病室らしい。

 陽の光には弱い鬼たちと同様に、血鬼術もまた多くの場合は日光に晒せば消滅していく。

 ただし、身体の奥深くに作用する様なものや極めて強力なものは陽光に当てるだけでは中々直せず時間を要してしまうのだそうだ。そう言った者達に対して、血鬼術に有効な薬を投与するなどして治療を進めているらしい。

 ちなみに、その薬を開発したのはしのぶさんだそうだ。凄過ぎる。

 多くの人達は治療の結果もう「峠」を越えているそうだが、一人今も苦しみに蝕まれている者が居た。

 ベッドの上で苦しんでいる彼の手を、そっと握る。彼は、肉体を腐らせる血鬼術を受けたそうだ。

 一命は取り留め少しずつ快方には向かっているものの、生きながらにして肉体が腐る苦痛は如何程のものか。

 どうにか彼の苦痛を和らげてやる方法は無いのだろうか、と考えて。

 そして、ふと思い付いたので、しのぶさんに一応の許可を取ってから試してみる。

 彼の手を握ったまま精神を集中させて、ペルソナの力を呼び出した。

 その効力こそ弱くなっていたが、『ディアラマ』にしろ『ディアラハン』にしろ、人を癒すと言う力自体は発揮出来ていたのだ。だから、これもきっと大丈夫だ、と。そう信じて。

『アムリタ』……インド神話に於いて世界の全てを一千年間攪拌した末に生まれ不老不死を与えたと言う神の甘露の名を冠したその力を使う。

 死んでさえいなければその身を蝕む如何なる毒や病魔もその一切を消し去る力は、どうやら血鬼術にも有効であった様で。肉体の腐敗が止まったのか苦痛に歪んでいたその表情は一気に安らかなものとなり、苦痛によってろくに眠れていなかったのだろう彼は昏々と深い眠りに落ちる。その呼吸は安らかに規則正しいもので、恐らくもう大丈夫だろう。療養中に落ちた体力などは訓練で取り戻して貰うしか無いが……。

 ペルソナの力を使った事による気怠さはあるが、この程度なら少し休めばすぐ回復する。

 どうやら、ここでちゃんと力になれる様で、安心した。流石に治療の度に昏倒していては戦力にならない。

 ほっとしてしのぶさんを振り返ると、しのぶさんはずっと浮かべていた微笑みを忘れた様に、驚きを隠せないと言った表情をしていた。

 

「驚きました……まさかあの状態から一瞬で回復させるとは。

 それが、お館様に言っていた「力」なんですか?」

 

「ええ、そうです。今のは、身体や心などの異常を治す為の力で。

 少し不安だったんですけど、血鬼術にもちゃんと効いて良かったです。

 全部の血鬼術に有効なのかはまだ分かりませんが、ここでお役に立てる事が分かったので。

 ……えっと、不味かったですかね……」

 

 こう言う力を見せると最悪鬼の一種扱いされるのでは? と一瞬思いはしたが、しのぶさんは「お館様」と話している場に居たのだし、それに苦しんでいる人を目の前にしてそんな臆病な心配をしている心の余裕は無かった。

 

「いえいえ、良いんですよ。確かに不思議な力ですが、それをこうした形で使って頂けるのは有難い事なので。

 感謝しこそすれ、それを否定するだなんてとんでもない。

 しかし炭治郎くんからは、鳴上くんは鬼を倒した後で気を喪ってしまったと報告されていたのですが、気が遠くなったりとかはしていませんか?」

 

「気怠さはあるんですけど、ちょっと休めば消える位ですね。気を喪う程のものじゃないので大丈夫です」

 

 成る程、と。頷いたしのぶさんは、興味深そうに見詰めてくる。

 

「どう言った仕組みなのか大変気になりますので、後で採血などをして検査しても大丈夫でしょうか? 

 それと、その力で何処まで癒せるのかを知りたいのですが、ご協力お願い出来ますか?」

 

 当然だと頷いて、しのぶさんに言われるままに様々な状態の人に癒しの力を使っていって。

 そして、最終的に。命に関わる程の重体だった隊士の傷を癒した直後に突然訪れた限界によって、再び意識を喪って昏倒したのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 意識が戻ったそこは、病室の様な部屋のベッドの上で。

 傍には、しのぶさんがホッとした様な表情でこちらを見ていた。

 どうやら、また気を喪ってしまったらしい。

 

「無理をさせてしまった様で、すみません」

 

「いえ、良いんです。俺自身、今の俺に出来る限界を知りたかったので。

 それに、隊士の皆さんの傷が少しでも早く癒えるのならそれに越した事はありませんから」

 

 身を起こすと、疲労感は既に消えていた。

 今は最後に意識があった時間から数刻程経った後の様で、辺りはすっかり日が落ちている様だ。

 そう言えば、と。炭治郎との約束をまだ果たしていない事に気付く。

 後で、炭治郎の居る病室に顔を出しに行こう。

 

 そんな風に考えていると、ふとしのぶさんが何かを考える様な表情をしている事に気が付いた。

 一体どうしたのかと問うと、しのぶさんは静かに訊ねてくる。

 

「……鳴上くんの力は凄いものですね。回復に本来なら何週間もかかる筈の傷も、一瞬で癒してしまえる。

 ……どうしてそれ程の力を持っているのかは気になる所ですが……。……いえ、それは今は良いでしょう。それに関しては、鳴上くん自身が話したくなったらで良いので。

 ……ただ、どうしても知りたい事が。鳴上くんは、どうして鬼殺隊に力を貸そうと思ったんですか?」

 

「どうして、と言われましても。

「お館様」に言った様に、炭治郎を助けたいのと、鬼舞辻無惨が許せないからです。

 それに、鬼殺隊の人達に力を貸せば、少しでも多くの罪も無い人々の幸せが壊れてしまう事を防げますし。

 無惨に望まず鬼にされてしまった名も知らぬ誰かが、人を殺す罪を重ねる前に止めてあげる事が出来ますから」

 

「お館様」にそう答えたその場にはしのぶさんも居た筈なのだが。

 それとも、それが本心なのかと確かめようとしているのだろうか? 

 

「……ですがそれは、鳴上くん自身の命を危険に晒したりしてまでの事ですか? 

 ここで傷付いた隊士たちを治療している分には、命の危険は無いでしょうけれど。ですがあなたは、隊士たちの様に鬼と戦う事も望んでいる。……それがどれ程危険な事なのか、分かっていない筈は無いのに。

 身を寄せる先が無い、と。そう言っていましたが。それが理由なのですか? 

 あなたには、大切な人はいないんですか? あなたを想う家族や友人は居ないのですか?」

 

 しのぶさんにそう訊ねられて、少し返答に困った。

 

 大切な人は当然居る。家族も、そして大切な仲間も、大切な絆を結んだ人たちも。

 ただ、彼等は此処には居ない。この『夢』の中には居ないのだ。

 この『夢』に居るのは、『夢』を見ている張本人である自分一人だけである。

 行く宛ては、無い。そしてしなければならない「何か」と言うものも無い。

 ある意味では何にも縛られる事無く、真実「自由」な状態であると言えるのだろう。

 だからこそ、この『夢』の中でほぼ最初に出逢ったと言う縁もあるが、自分を助けてくれた上に間違いなく善人である炭治郎の力になりたいし、この世界で夜の闇に紛れながら無数の人々の幸せや営みを踏み躙っても何の痛痒も懐かない鬼舞辻無惨と言う存在を赦したくないと言う心に正直に従っている。

 現実ではあるが、同時に何時かは醒めてしまう邯鄲の夢であるからこそ、迷う事無く戦いたいのだ。

 ……とは言え、もしここが自分にとっても本当の意味で「現実」であったとして……。大切な家族が居て友が居て守りたい日常がある世界ならば。まあその場合であっても、愛しいそれらを傷付け得る鬼舞辻無惨と言う存在を看過する事など出来ず戦っていたとは思うのだが。

 

「いえ、行く宛てが無いから戦う訳では無いですよ。……こうして、ここに居場所を頂けたのは有難い事ですが。

 ただただ何処までも単純な話で、俺自身がそうしたいから戦うんです。

 ……確かに、鬼と戦う事が命懸けなのは分かります。

 俺は自殺志願者じゃないので、死にたいから戦っている訳では無いですし、死ぬ気がある訳でも無いです。

 でも、俺は鬼舞辻無惨がやっている事を許せない。

 出来れば、その顔面に鬼舞辻無惨が踏み躙って来たものの数だけ拳を叩き込みたいんです。直接、この手で。

 そしてその為には、戦わなければならない。

 ……それに、ここに俺の家族や友人は居ません。だから、心配しなくても良いんですよ、しのぶさん。

 でも、そのお気持ちは嬉しいです。有難うございます」

 

 覚悟や執念と言った激しい衝動は自分には無い。そこまでの強い妄念を鬼舞辻無惨に懐いている訳でも無い。

 自分は、鬼に……鬼舞辻無惨が引き起こした災厄に何かを奪われた訳では無い。炭治郎とは違うし、「お館様」とも違うし、負傷しても尚今後も剣士として戦う事を諦めていなかった「蝶屋敷」の療養者たちとも違う。そして当然……恐らくは「鬼」と言う存在そのものに対して激しい怒りを懐いているのだろうしのぶさんとも違う。

 それが無いなら戦ってはいけないと言うのなら、自分には鬼舞辻無惨と戦う資格など無いのだろうけれど。

 しかし、その喉元に刃を届ける為の力になる事が自分に出来るのなら、その力が自分にあるのなら。

 それを、少しでも力になりたいと思った相手の為に使う事を、望んではいけないのだろうか? 

 

「……そうですか。無粋な事を訊いてしまいましたね。

 ……では、最後に一つだけ。

 鳴上くんは、鬼と仲良くする事は出来ると思いますか?」

 

 唐突なその問いに、少し驚いてしのぶさんの顔をまじまじと見てしまう。

 その優しい笑顔の裏にある感情を、まだ自分は読む事が出来ない。もっとしのぶさんと言う人を知る事が出来れば、そこにある想いが分かるのだろうか。……だが、何時か叶うとしても、それはまだ先の事になるだろう。

 ……しのぶさんの問い掛けに少し考えて、嘘偽りなく自分の思いを答える。

 

「望んで鬼になり嬉々として人々に害を与えている鬼とは、何があっても仲良くする事は出来ないと思います。

 ……望まずに、或いは騙されて鬼に変えられて……それで罪を犯してしまった鬼とは、……正直まだ分からないです。罪を重ね続ける事を自分を騙して目を塞いででも続けている鬼は、倒す事で止めてあげたいですが、もし。その行いを心から悔いて人を殺す事を己に禁じ、少しでも罪を贖おうとしている鬼が居るのなら、……俺はその鬼を殺す事は出来ません。……多分、人に戻してあげられる方法を一緒に探します。

 そして、炭治郎の妹の禰豆子ちゃんの様に、人を一人として殺す事無く耐えている鬼が居るのなら。俺はその鬼を助ける覚悟があります。

 ……それを、鬼と仲良く出来ると言って良いのかは分かりませんが。これが俺の答えです」

 

 そう答えると。しのぶさんはそっと目を閉じる。

 

「……鳴上くんは、鬼を哀れむ事が出来る優しい人なんですね」

 

 そっと誰かを想う様に呟かれたその言葉に、そっと首を横に振った。

 

「……どう、なんでしょうね。所詮は、鬼に大切な何かを奪われた訳では無い人間の戯言でしかないのかもしれません。それに、鬼を哀れむ事が出来ない人が優しくない訳では無いと思います。

 奪われたものに、喪われたものに、よりその心を寄り添わせているだけで。知らない誰かの為、踏み躙られた誰かの幸せの為に、心に怒りの火を灯す事が出来る人もまた、優しい人なんだと俺は思いますよ。

 そこには、正解も間違いも、きっとありません」

 

 その過程がどうであれ、優しさを向ける形がどうであれ。

 何にせよ結果として其処に在るのは、「人を守る為に、それを害する鬼を斬る」と言う意志だ。

 そもそも、『鬼殺隊』なんて組織に籍を置き鬼を狩り続けている人はほぼ全員優しい人だろう。

 奪われて、苦しんで、それの復讐の為に刃を手に取ったのだとしても。己の命を懸け続けてでも、人を襲う鬼を狩っている。自分の命自体を、他の誰かの命とを計る天秤にかけて、誰かの命を取る様な人ばかりだ。

 悲劇を前に蹲るのではなく、戦う事を選んだ人たちだ。

 例えその志を半ばにして倒れていくのだとしても、そこに在った意志の輝きには意味がある。

 そしてそれはきっと、自分では無い誰かの心に何かを遺している。そして、それは何時か何処かで沢山の誰かを救うのかもしれない。……そう信じたいと、心から思う。

 

 しのぶさんは、暫し何かを想う様に目を細める。

 そして、さっきまでの笑顔とは少し違う表情で微笑んだ。

 

「……有難う、鳴上くん。そして、ようこそ、蝶屋敷へ。

 これからもよろしくお願いしますね」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 任務があるからと、しのぶさんは夜の闇の中へと出かけて行った。その継子であるカナヲも一緒に。

 どうやら二人は同じ任務で動く事が多いそうだ。継子とはそう言うものなのだろうか? 

 眠っている間にどうやら夕飯の時刻になっていた様で、用意して貰っていたそれを食べる。

 まだ湯気の立ち上るそれはとても美味しい。心が温かくなる味だった。

 驚いた事に、それを全て作ったのはアオイだった。「蝶屋敷」では彼女が調理担当であるらしく、療養食から普通の食事まで、全て彼女が作っているらしい。凄い仕事量だ。料理に関してはそこそこの腕前はあると自負しているので、何か手伝える事があるなら今度から手伝いたい。

 

 腹も満たされた事だしと、炭治郎とその友達の隊士が居ると言う病室へと顔を出す。

 

「炭治郎、今大丈──」

 

 大丈夫か? と。そう続けようとした言葉は驚きから途絶える。

 目の前に突然、猪の頭が現れたからだ。猪そのものではなく、その首から下は人間の身体である。

 これは一体何だ!? これも鬼なのか!? 

 驚愕しつつも咄嗟に数歩身を引いて身構える。ここに十握剣は無いのでペルソナと素手で応戦するしか無いが、此処に居る筈の炭治郎を巻き込むわけにはいかない。そうだ、炭治郎。炭治郎は何処だ!? 

 焦って炭治郎の姿を探そうとしたその時だった。

 

「こら、伊之助! そうやって急に近寄ったら吃驚させるだろう!」

 

「ああ“!? こいつが気配消して急に来るから悪いんだろうが!!」

 

 炭治郎の声がして、そして目の前の猪人間(?)がそれに答える。

 もしかして、目の前のこの猪は、人間……なのか? よくよく見れば、猪の目の部分は作り物だし、猪の皮を被っているだけなのかもしれない。……でも、何で?? 

 ちょっと困惑してどうするべきか迷っていると、「伊之助」と呼ばれた猪をそっと脇に押し退ける様にして炭治郎がやって来た。正直物凄くホッとした。

 

「来て下さったんですね、鳴上さん!」

 

「しのぶさんと色々していたらまた倒れてしまって。来るのが遅くなってすまない」

 

「良いんですよそんな事。それより、また倒れたって……大丈夫なんですか?」

 

 心配そうに見上げて来る炭治郎に心配は要らないと微笑んだ。

 

「ちょっと加減が分からなくて、また昏倒してしまったらしい。でも、今は元気だから大丈夫だ。

 それで、えっと……。もしかして彼が」

 

「はい! 俺の仲間の伊之助です。で、あっちに居るのが善逸で、善逸と一緒に居るのが妹の禰豆子です!」

 

 炭治郎に言われ、病室内を見渡す。病室内のベッドの上に、この時代の日本にしては多分かなり珍しい金髪の少年が居て、彼の近くには小さな女の子が居た。

 女の子は炭治郎に名を呼ばれたからなのか、トコトコと此方に近寄って来る。そして、じっとこちらを見上げてきた。その口元には、恐らく人を襲う事の無い様にとの保険からか竹筒を咥えていて、見上げて来るその目は人の目と言うよりはあの鬼の目に似ている。だがそこに敵意は無くて、それどころか感情自体が何処かぼんやりとしている様に見える目であった。

 

「そうか、君が禰豆子ちゃんか。こうして逢うのは初めまして。俺は鳴上悠です」

 

 よろしく、と微笑み掛けると。禰豆子ちゃんは分かっているのか分かっていないのか、ぼんやりとした眼差しで首を傾げる。菜々子と同じ位の見目に見えるが、その反応は菜々子のもの以上にとても幼い。……これが、無理矢理に鬼にされてしまった影響なのだろうか……。

 そんな事を考えていると、賑やかな声が突然鼓膜を突き破る程の勢いで響き渡る。

 

「ちょっと!!!??? あんた何禰豆子ちゃんに親し気に話しかけてんの!???」

 

 その後も金髪の少年はギャンギャン騒いでいたのだが、何せ五月蠅過ぎてちょっと耳が痛くなってしまったのであまりよくは聞こえなかった。初対面なのに物凄く喚き立てられて困惑していたが、炭治郎がそれを収めてくれた。その際の、本当に恥ずかしいものを見る時の様な顔に、炭治郎もそんな顔をする事もあるんだなぁ……と思う。

 少し落ち着いた後で改めて自己紹介してくれた所、彼は我妻善逸と言うらしい。

 そして、猪の彼は嘴平伊之助と名乗った後に、己を「山の王」だと主張する。一体何処の山の王なのだろう? 

 大変賑やかな彼等が、炭治郎の仲間であるらしい。

 三人とも、「最終選別」と言う『鬼殺隊』の正式な隊士になる為の試験を同時に受けて合格した、謂わば「同期」であるそうだ。年齢も近く、偶然ある任務で一緒になった縁で仲良くなったらしい。成る程。

 

「そんな凄い戦いをしていたのか……。三人とも、本当に強いんだな」

 

 炭治郎が予め多少紹介しておいてくれたのか、二人は直ぐに得体の知れない相手であろうに受け入れてくれて。

 そして、彼等の出逢いやこれまで潜り抜けてきた戦いの話を聞かせてくれた。

 特に、彼等にとって直近の大きな戦いであった那田蜘蛛山での戦闘は、とても手に汗握るもので。

 ここに炭治郎たちが生きているのだからその結末は分かっているのだが、当時の炭治郎たちでは中々敵わない程の恐ろしく強い鬼との戦いには、言葉で聞いてるだけで緊張してしまう。

 自分よりも年下である彼等だが、既に幾つもの死闘を生きて潜り抜けてきた猛者であった。

 

「そうだろ! 俺は最強だからな! 何だったらお前も子分にしてやっても良いぞ!!」

 

「いやいや何言ってんのさ伊之助!」

 

 山育ちだと言う伊之助は元気よくそう言って胸を張る。ガキ大将気質なのかも知れない。

 そんな伊之助に突っ込んでいるのは善逸だ。

 とても賑やかで、彼等を見ていると特捜隊の皆を思い出してほっこりする。

 

「俺達だけじゃなくて禰豆子も一緒に戦ってくれたから、ここまで来れたんです。

 禰豆子が居なかったら、少なくとも俺はあの山で死んでました」

 

 そう言いながら炭治郎は禰豆子ちゃんの頭を優しく撫でる。兄としての優しさに溢れたその手に、感情表現の薄い禰豆子ちゃんも嬉しそうに撫でられていて。その光景は、鬼にされその自我を半ば奪われてもそれでも尚残るものは確かにあるのだと、そう大した事情を知らぬ自分にも教えてくれているかの様であった。

 

「そうか、禰豆子ちゃんは凄いんだな。お兄ちゃんを守るなんて、偉いぞ。よく頑張ったな」

 

 炭治郎ではない自分がそっとその頭に触れても、禰豆子ちゃんが嫌がる事は無くて。だから一度だけ優しく撫でて静かに手を離す。炭治郎が絶対に守りたい宝物の事を、これでちゃんと認識出来た。

 二人の為に自分に何が出来るかは分からない。

 恐らく、こうして既に鬼になった状態に対してペルソナの癒しの力を使っても、そこに意味は無さそうだと言う事は、頭に触れた時に何と無く分かった。

 鬼にされかけている状態ならまだどうにか出来るかもしれないが、こうして完全にその身体が変わってしまった後だと、少なくとも今の自分が使える力の中にはどうにか出来そうなものは無い。

 つくづく、ペルソナの力は決して万能では無い事を思い知らされる。

 

 

「……俺に何が出来るのかは分からないけど、それでも俺は君たちの力になるよ」

 

 だから、炭治郎の為にも、そして外ならぬ禰豆子ちゃん自身の為にも。

 どうか、人に戻る為の方法が何処かに必ずある様に、と。そう願わずにはいられない。

 そして、その方法を見付ける為に、実現する為に、自分に出来る事があるのなら何だってしよう、と。

 そう約束する様に、炭治郎にも聞こえない程の声で、禰豆子ちゃんにそっと呟く。

 

 その後は、アオイに怒られてしまうまで、炭治郎たちと楽しく話して夜の時間を過ごすのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
「アムリタ」に血鬼術を解除する力があって物凄く喜んでいる。
これ以降、蝶屋敷に運ばれて命を落とす人は激減し、隊士たちが前線に復帰するまでが物凄く短くなる。これにはお館様もニッコリ。
オカン級の優しさと、負傷者を惜しみなく力を使って癒そうとするその姿に、一般隊士の好感度は爆上がりしていく。回復系スキルは他のスキルよりもかなり疲れるのだけれども、誰かが傷付いていたり苦しい思いをしているのは嫌なのでつい限界を超えてしまいがち。力の使い過ぎで何度も倒れる事になる。
治療の為に使うのは主に「アムリタ」と「ディアラハン」、たまに「ディアラマ」。「メシアライザー」は使おうとすると即座に倒れてしまうのでまだ封印。
善逸や伊之助とかなり仲良くなれて嬉しい。
伊之助からは主に「カミナリ」と呼ばれるが、特には訂正しない。変わったあだ名だなぁ……位の感覚。


【竈門炭治郎】
珠代さんに不思議な力を使う悠の事を報告した方が良いのかな……と迷っている。


【竈門禰豆子】
悠に対して、何となく炭治郎と似た様なものを感じた。
ただし、長男力は圧倒的に炭治郎の方が上である。


【我妻善逸】
悠の顔が良いので、正直禰豆子に話しかけた時は気が気じゃ無かった。
悠にそんな下心は一切無いと気付いてからは普通の態度になる。
泣きたくなる程に優しい音がする炭治郎とはまた別の、ずっと傍で見守り寄り添い続ける様な深い優しさの音が聞こえるので、悠の事は良い人だとは思っている。
耳が良い筈の自分でも部屋の戸を開けるまではほぼ気付けなかった程に悠の存在の音が小さい事に戸惑った。
悠の禰豆子への呟きはばっちり聞こえていた。


【嘴平伊之助】
部屋の外に居たのに全然気配を感じられなかったので、とんでもない強敵か! と驚く。しかし、ペルソナの力を一切使っていない時の悠は全く「普通の人」(ATLAS主人公的な意味で)なので、何だか拍子抜け。
「お前、弱そうだな! この伊之助親分の子分になったら守ってやるぜ!」と宣言すると、悠が楽しそうに笑って頷いたので、子分がまた一人増えた。
炭治郎たちと同様にホワホワを感じる様になる。


【胡蝶しのぶ】
身体に残留する血鬼術を一瞬で解除したり、重傷を負った隊士を一瞬で軽傷程度にまで回復させる力を見て、悠の事を本当に人間なのだろうか? と疑っている。役に立つし人に害を与えている訳でも無いので良いのだけれども。
炭治郎に対するものと同様に、悠の優しさにも姉の姿を少し重ねている。
「アムリタ」や「メシアライザー」を受けると、復讐の為に時間を掛けて身体に蓄積した藤の毒が全て消えてしまう事はまだ知らない。


【蝶屋敷の子たち】
悠は力仕事とかも率先してやってくれるし、頭も要領も良いので何事も卒無く熟して蝶屋敷での仕事を手伝ってくれるので物凄く助かる。好感度は日々上がっていく。





≪今回のアルカナ≫

『愚者』
鬼殺隊の剣士たちとの絆。まだ生まれたばかり。
蝶屋敷の負傷者を癒したり、様々な任務を共に熟すと満たされていく。

『魔術師』
我妻善逸との絆。まだ生まれたばかり。

『女教皇』
胡蝶しのぶとの絆。まだ生まれたばかり。

『戦車』
嘴平伊之助との絆。まだ生まれたばかり。

『運命』
栗花落カナヲとの絆。まだ生まれるには少しかかる。

『剛毅』
竈門禰豆子との絆。まだ生まれたばかり。

『節制』
蝶屋敷に住む四人との絆。まだ生まれたばかり。

『太陽』
竈門炭治郎との絆。また少しだけ満たされた。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠の事を柱全員に通達はしたが、一般隊士への通達はまだです。
ちゃんと受け入れてもいい存在かどうかを見極めてからになります。
治療の力を使う相手は主に意識が朦朧としている相手なので、悠がペルソナの力を使っている所をちゃんと見ている人はほぼ居ないません。それでも助けられた人達の意識の端には残っているので、一般隊士たちの好感度は着々と上がっていきます。


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『初めての任務』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『鬼殺隊』に協力する事になり、「蝶屋敷」を拠点に活動する事になったのだが、身分としては隊士ではない協力者と言う扱いになっている。望めば最終選別とやらを受けさせて貰えたのかもしれないが、七日間のサバイバルを生き残る試練を受けるよりその期間を「蝶屋敷」で負傷した隊士たちの治療にあてた方が良いと言う個人的な判断もあったし、何より既に血鬼術を使える鬼を単身討伐する事は出来ているので敢えて選別に挑む必要は無いと「お館様」も判断したらしい。なので、『鬼殺隊』のちょっとした客分と言った方が正しいのかもしれない。

 正式な隊士では無いので、隊士一人一人に支給される日輪刀は無いし、鎹鴉も居ないし、隊服も無い。

 それらに関しては、日輪刀を使わない鬼殺方法を見極めたいと言う「お館様」の意向もあるのだと思う。それに自分としても、ずっと使ってきた十握剣の方が使い慣れているので急に武器を変えても上手く扱えない可能性が高く、今の所不便は無いので構わなかった。

 指令を伝えて来る鎹鴉に関しては、特定のお付きの鴉こそ居ないが、専属の隊士を持っていないフリーの鎹鴉たちがその時々に指令を伝えてくれるらしいので特には困る事は無いだろう。

 更に言うと、鬼殺の任務に向かう際には必ず誰か他の隊士と同行させる様にして欲しいと「お館様」にお願いしているので、その人に専属の鎹鴉が居るので指令以外の連絡事項に関しても特に大きな問題は無いと思う。

 ちなみにその「お願い」に関しては理由は単純なもので、大正時代の勝手が全く以て分からないので単独行動をするとなるとかなり問題になりそうだと言うものがあった。変にボロを出す様な事をしてしまっても困るだろう。

「お館様」としても、堂々とある種の監視を付けられるのは悪い話では無かった様で、特に難色を示す様な事も無くその「お願い」は聞き入れて貰えた。

 未知なる鬼殺方法を使う者と組ませると言う特殊性から、経験が浅い者や階級が低い者や口の堅さに信頼性が無い者とは行動させない様にするとの事だ。(当然ながら、炭治郎たちは例外だが)

 まあ「お館様」も、一体何処までこの未知なる存在がやれるのか、と言うものを計りたいのだろうから、それを正確に判断出来る者と極力組ませようとするのではないだろうか。

 そして最後に隊服に関して、隊服その物は支給出来ないそうだが、隊服の素材を活かした市井に溶け込める様な服を都合してくれるらしい。それは物凄く有難い。とは言え、用意するまでにまだ少し時間が掛かるそうなので、それまでは八十神高校の制服で活動する事になりそうだ。

 

 何時来るのか分からない指令が来るまでは、「蝶屋敷」での仕事に専念する事になった。

 仕事に関しては、運び込まれて来た隊士たちの内緊急性が高い状態や重傷の者に対しペルソナの力を使い、血鬼術の影響があればそれを解除して……と言ったものが主だ。

 ちなみに、打ち身や軽い切り傷などの比較的軽傷の者に関しては、ペルソナの力を使わない様に、としのぶさんから指示を受けている。どうやら、怪我を治そうと張り切ってペルソナの力を使い過ぎて何度も昏倒してしまったのを見て心配させてしまったらしい。本当に緊急の時に昏倒してしまっていて力が発揮出来ない方が損益なのでと言われてしまっては反論など出来よう筈が無かった。とは言え、そう言った比較的軽傷の者に対しても、薬を塗ったり湿布を貼ったりマッサージしたりなど、やれる事は沢山あるので安心したが。

 そしてそう言った傷を負った者達への治療以外にも、日々大量に出る洗濯物やら、大量に作らねばならない食事の準備やらを手伝い、更には機能回復訓練と言う名のリハビリにも協力する事になった。機能回復訓練での主な役回りは、マッサージで凝り固まった筋や関節を解す事である。マッサージが上手いとしのぶさんや皆に褒められたのでかなり嬉しい。

 そんなこんなで、この『夢』に迷い込んでから数日が経った。

 

 

 指令が来たのは、割と唐突だったと思う。だが、特に驚きは無くそれを受け取った。

 手早く準備をして、鞘に納めた十握剣を忘れずに身に着ける。気を利かせてくれたしのぶさんが黒い羽織をくれたので、ちょっと目立つ八十神高校の制服のステッチや千鳥格子模様が良い感じに隠れて違和感はかなり少なくなっただろう。鏡で確認した所、実に大正ロマンな感じの見た目になっていて、これで学生帽を被っていれば完全に大正時代の学生姿と言えそうだった。

 そんな風に支度を整えて今回の任務を一緒に任された相手が待っていると言う場所まで行くと、そこに待っていたのはとても髪がサラサラしている人だった。顔立ちは、市井に紛れるのには物凄く向いている感じだ。

 村田、と名乗ったその人は、階級こそ然程高くは無いが、殉職率や離職率が恐ろしく高い『鬼殺隊』にあって何年も隊士を務めているベテランだった。それ程の長い間鬼と戦っているのに、致命的な傷や復帰不可能な傷を負う事無くやって来れたのは本当に凄い事だ。少し話しているだけでも、朴訥とした優しい人柄なのもよく分かる。ちなみにそのサラサラの髪は、良い椿油に拘っているらしい。成る程。

 村田さんに先導される様にして、鬼が潜んでいると言う場所へ向かう。

 鬼は、市街地に潜んでいる事もあれば山などを根城にしている事もあるらしい。

 市街地での戦いになると、あまり周りに大きな影響を与える様な力は使うべきでは無いだろう。……まあ、今の自分がそう言った力を使う事に耐えられるのかと言う問題もあるのだが。

 

 村田さんと彼の鎹鴉の案内で辿り着いたこの町では、どうやら近頃人が消えているらしい。

 姿が消えた人に法則性は特には無いが、概ね夜に出歩いた者が消えている様だ。

 その為、普段ならもっと活気があるだろうに、昼日中であるにも関わらず道を行き交う人は少ない。

 見慣れない「余所者」に対する視線が無遠慮に突き刺さる中、鬼が潜んでいそうな場所に当たりを付ける。

 とは言え、陽の光を厭う鬼が活動するのは夜なので、陽が落ちるまでは準備する事しか出来ないのだが。

 村田さんは流石ベテランと言うべきか、鬼殺の準備が物凄く手際が良い。情報収集などに関しても、他人に威圧感を与えない顔が奏功して、「余所者」に対して口が堅くなっているだろう人々からするすると情報を引き出していく。鬼が居ると言う確信……これが人攫いなどの人間の仕業では無い事は確信したものの、鬼自体に関しての情報は殆ど得られなかった。異形の鬼なのか、血鬼術に目覚めた鬼なのかさえも、正直分からない。

 だが、それは『鬼殺隊』にとっては日常茶飯事だそうで。どんな力を持っているのかも分からない相手に、刀一つ手にして戦いを挑まねばならないのが普通なのだそうだ。

 

 りせのアナライズに物凄く助けて貰いながらシャドウたちと戦っていた身としては、情報の重要性を心から理解しているので、そう言った支援も無しに強敵に挑み続けている『鬼殺隊』の隊士たちは誰もが皆本当に勇敢だと思う。

 自分にも、りせの様なアナライズの力があれば、もっと役に立てたのかもしれないけれど……。幾らワイルドと言っても向き不向きと言うものは決定的にあるらしく、アナライズ能力は自分には全く備わっていない。

 多少奇襲されるのを事前に察知出来る力がある位で、りせの様な相手の技や弱点に加えて攻撃の未来予測まで完璧に熟せてしまう様な力とは全く縁が無かった……。りせには更にそこに仲間に対する支援の力も備えていたので、本当に頼もしい存在であった。りせが居なくては、シャドウや「神」の如き存在達に何度殺されていたか分かった物では無いだろう。……支援と言えば、自分にも仲間を支援したりする力はあるな、とふと考える。

 敵の能力を下げたり封印したり行動を抑制したりする事の外に、仲間の能力を上げる事も出来る。

 強化や弱化を使いこなさないととてもでは無いが相手出来ない化け物たちが敵であった事を考えると、まあ本当によくも毎度毎度五体満足に生きて帰ってこれたものだと我が事ながら思ってしまう。まあそれは頼もしい仲間達と力を合わせていたからと言うのが一番の理由なのだけれども。

 と、思考が特捜隊の仲間たちの事へと逸れかけたのを自覚して少し戻す。

 ……この支援能力は、この世界でも有効なのだろうか……? 

 例えば、攻撃力を上げる力を使えば、速さを上げる力を使えば、守備を上げる力を使えば、より強い鬼に対峙したとしても仲間を守り鬼を倒す事が出来るのではないだろうか? 

 そして、相手を弱体化させる力も有効であるのならば、それはきっと物凄く『鬼殺隊』の力になる事だろう。

 まあ、どの道試してみなければ分からないのだけれども。

 

 他に、自分が使える力の中で鬼殺に有効そうなものは何だろうか、と改めて考える。

 ハマオンなどの祝福属性の攻撃が有効だったのなら、それとは真逆の属性とも言えるムドオンなども有効なのだろうか? 

 物理攻撃に関して言えば、足止めだったり攪乱だったりには有効かもしれないが、日輪刀での攻撃では無い事もあってそれで殺す事までは至らない気がする。

 斬っても斬っても再生すると言うのなら、再生する元を一撃で完全に消し飛ばしてしまうのも有効なのでは無いだろうか? そう言う意味では、万能属性の攻撃や、或いは超火力で一気に焼き切れるアギダインなども有効かもしれない。シャドウとは言え、鋼鉄製の戦車だろうと何だろうと耐性が無ければ一撃で溶かせるのだから、鬼が幾ら再生力が強くても一瞬で骨まで溶けてしまえば再生出来ないのではないだろうか? 

 そうやって色々考えてはみるが、そもそも今の自分にどれだけ力を使う事に耐えられるのかが分からないし、その力だって自分の知っている威力をどの程度まで引き出せるのかと言うのも未知数である。

 更に厄介な事に、ここは現実の世界なのだ。

 万能属性攻撃は攻撃の範囲が広過ぎるので、全力で攻撃しても誰にも迷惑や被害が掛からなかった心の海の中の世界とは違って、この現実の世界で下手な場所で使うとこっちが鬼かと言いたくなる程の被害を周囲に出してしまいかねない。それに関してはアギダインなども延焼してしまった場合を考えると中々使い処が難しいかもしれない。今回の戦いが市街地での戦いになるのなら、間違いなくそれは止めた方が良いだろう。

 毒や精神に影響を与える様な状態異常攻撃はどうだろうか。

 毒に関しては、しのぶさんが使う藤から作った毒は鬼でも殺せるらしいので、毒自体は有効なのだろう。しのぶさんのそれとは違って殺せるかどうかまでは怪しいが、動きを鈍らせる事が出来るだけでも十分に役に立つ。

 毒とはまた違うが、衰弱させたり、或いは老化させたりするのは有効なのだろうか……? 

 鬼は人を食らい続ける限りはほぼ不老不死に近いらしいが……。まあ一度試してみるのも良いだろう。

 封じの力も、もしかしたら有効なのかもしれない。力封じや速さ封じが有効なら、間違いなく隊士の人達の命を守る事にも繋がる。ただ、もし有効なのだとして、魔封じが対応するものは何だろう? ペルソナやシャドウの力を封じる効果があったが、この世界でそれに該当するものは何だ? 血鬼術か? 血鬼術を一時的にでも封じられるならそれは物凄く役に立つだろう。これも是非何処かで試しておきたい。

 他に精神的な異常を引き起こすものとして、混乱や恐怖、あと睡眠がある。

 混乱に関しては同士討ちや動きを止める事が主な使い道であったが、基本的に群れる事が無い鬼に対して使っても足止め以上の効果は無いのかもしれない。しかし、元と言う言葉は付くものの相手は人間であった事もある存在だ。シャドウたち自体にはどう言った原理で作用しているのかは終ぞ分からなかったが、人があれを食らった際にはトラウマだの恐ろしい想像などを強制的に引き摺り出された挙句に周囲の状況が何も分からなくなるのである。そう言った諸々の作用が鬼にも起こるのなら、無理矢理鬼にされた場合などで何かしらその心に後悔や恐怖があるのなら一時的にしろ有効なのかもしれない。まあ、相手が鬼だとしてもそれを狙ってやるのは中々に鬼畜の所業なのかもしれないが……。

 恐怖に関しては、鬼にも心が在る以上は効くのではないだろうか? とは思う。勿論、精神が強靭である場合は効かない可能性も高いのだが。恐慌状態の相手を確実に殺す手段もあるので、それが有効なのかどうかも含めて確かめておきたい所だ。

 睡眠に関しては有効性に関しての見込みは五分五分と言った所だ。鬼である禰豆子ちゃんはよく寝ているが、それは極めて稀な事らしく、鬼は本来眠る必要が無く、日中も陽光に当たらぬ様に隠れているだけで寝ていたりする訳では無いらしい。睡眠と言う行為自体を必要としない相手に対して、眠らせる事が出来るのかは完全に未知数だ。

 相手を激昂させるものは……まあ正直、使わない方が良い気がする。動きが単調になったりする分には対処し易くなるのかもしれないが、怒りで相手の力も上げてしまいかねないし、元々凄まじい力を持っている鬼たちは単純な膂力勝負だけでも人を容易く殺してしまえるのだ。敵に塩を送る羽目になるだけだろう。

 

 ……まあこうして改めて考えてみると、全部一度試してみない事には分からないとは言え、中々に手札が多い。

 それこそがワイルドと言う存在の特性であるそうだが、何ともデタラメ人間の万国博覧会状態である。

 一歩間違えれば、鬼だと判断されて首を狙われてもおかしくないだろう。

 まあ、そうはならなかった事は運が良かったと言うべきである。最初に出逢ったのが炭治郎であり、更に早い段階で「お館様」と逢えたのも良い方向に繋がったのだろう。

 取り敢えず色々と試してみて、鬼に有効そうな力があれば、その都度「お館様」に報告しておく事にしよう。

 広範囲に散らばっている『鬼殺隊』について一番よく知っているのは間違いなく「お館様」なのだし、鬼舞辻無惨の撃破に全てを賭けているあの人ならば、きっと自分を最大限有効活用する方法を見付けるだろうから。

 

 自分に出来る事をしよう、と。そう改めて心に決めて。

 鬼が出る日の入りまでの時間を村田さんと二人で話をしたりして過ごすのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 もし『鬼殺隊』の気配を察知して鬼が縄張りを移動してしまっていたらどうしようかと思っていたが、どうやらこの町に出没していた鬼は今夜もまた獲物を狙って何処かに姿を現しているらしい。

 シャドウの気配を感じている時の様な、この夜闇の何処かに「敵」が居るのだと言う感覚を肌で感じる。

 まだ街灯が普及し切っていない小さな田舎町である為、その夜道は暗く。

 夜目が利かないと、戦うにも中々に厳しいものがある。だが、それが『鬼殺隊』の戦場の常だ。

 

 村田さんと手分けして、町の何処かに潜む鬼を探す。

 もし鬼を見付けたら、町の上空を旋回する様に飛んでいる村田さんの鎹鴉に合図すれば相手に伝えてくれるらしい。合図の方法も村田さんに確り教えて貰えた。隊士ならそれこそ育手のもとに居る時に仕込まれるのだろうけれど、そう言った背景は一切無い為どうしたってその部分に不安が残る。それを面倒くさがらずにちゃんと補ってくれた村田さんには感謝しか無い。

 

 この町で起きている鬼の襲撃では人が襲われたと言う痕跡自体は残っていないらしいのだが、しかし鬼と言う存在を信じていない人でもその不気味さや不穏さは分かっている様で、町中の家々は確りと戸締りをしているらしく、夜に出歩く人影も無い。しかし、そうやって夜に出歩かないからと言って鬼の襲撃を逃れられるとは限らない。鬼は普通に戸締りされた家にだって入り込んで来るし、そこで寝入っている住人を襲う事を躊躇ったりなどしない。

 耳を澄まし、気配を探る事に神経を尖らせて、鬼を見付け出そうとする。

 何処かに居るのは分かるのだが、何処に居るのかまでは分からない。

 りせの様な探知の力が、或いは炭治郎の様な嗅覚や、善逸の様な聴覚、伊之助の様な感知力が自分にもあれば、と無いもの強請りと分かりつつも思わずそう思ってしまう。

 自分が持っている力では、相手の敵意が自分に向いていない限りは分からないのだ。

 この町の暗闇の何処かに潜んでいる筈の鬼を見付けるには、不十分だった。

 

 最後に人が襲われたのは、約一週間は前の事だ。

 鬼は毎夜毎夜人を襲う訳では無いとは言え、長い間人を喰わずに居る事は不可能で。

 数日から一週間程度毎には人を襲うらしい。特に、まだ人を喰った数が少ない弱い鬼だと、その間隔はより短くなるらしい。逆に、強い鬼だとある程度狩りの間隔が空いても耐えられるらしい。……鬼が人を襲う事を耐えると言う事は先ず無いに等しいのだそうだが。

 前回の襲撃から一週間程空いていると言う事を踏まえ他の場所で誰かを襲っていないと言う前提で考えると、この町に潜む鬼は何らかの血鬼術に目覚めている可能性が高い。

 血鬼術を扱う鬼は厄介だと言う。全く予想など出来ない様な未知なる攻撃をしてくる事も多いからだ。

 その都度毎に対応していかなければ、早々に命を落とすとも村田さんは言っていた。

 新人や中堅に関わらず、最終選別を突破した後の『鬼殺隊』の隊士たちが命を落とす最大要因は血鬼術であるそうだ。その隊士の対応能力を超えた血鬼術を持つ鬼に出逢えば、基本的に生きては帰れない。

 血鬼術に目覚める程強くなった鬼の数と言うのはそうでは無い雑魚鬼と比べると一握りに等しいらしいが、それでもその総数としては決して少ない訳では無い。運悪く強い血鬼術を使う鬼に出逢う可能性は何時も傍にある。

 そう言う厳しい現実が、『鬼殺隊』の隊士達の世界であった。

 更に言うと、多くの隊士達は鬼に対して激しい憎しみを懐いている為、自分の手に負える範囲を超えた相手を前にしたとしてもその場を「退く」と言う選択肢がほぼほぼ存在しないらしい。少しでも情報を引き出して、誰かにそれを託して死ぬ事を選んでしまう。別に、退却して救援を呼ぶ事が隊律違反になる訳では無いのだけれど、隊士達の多くは例えそれが死と同義だと分かりながらも戦う事を選んでしまうのだそうだ。

 そう言う面もあって、『鬼殺隊』の隊士達の殉職率はとても高い。

 ……恐らくは村田さんも、目の前の鬼に一切勝ち目が無いのだとしても、救援を要請する事はあれども其処から逃げる事は絶対にしないのだろう。その覚悟を眩しく感じるも、それ以上に哀しいと思ってしまう。

 死なせたくなどない、誰も、誰一人として。綺麗事だとしても、夢物語だとしても。この手が決して万能では無く、そしてそれが届く範囲ですら限られているのは分かっていても。

 だから、自分が出来る事を一つでも多く知らなければならない。

 

 しかし、鬼は『鬼殺隊』を恐れているのか、中々現れない。

 もし今この瞬間に、何処かの民家に押し入っていたらどうしよう、この町を狩り場にする事を諦めて他の場所へと移っていたらどうしよう、と。焦燥感が生まれる。

 そして、少し考えて。

 手の甲の部分を、深くなり過ぎない様にだが十握剣の刃先で傷付ける。熱いものに触れてしまった時の様な痛みと共に、血が零れ落ちる。

 鬼は、血の臭いに敏感であるらしい。もしここに血を流した獲物が居れば、それに喰い付いてこようとするのではないだろうか。そんな目論見で敢えて傷を作る。そして、そのまま夜道の暗がりを注意深く歩いた。

 

 少し歩いていると、血の臭いを嗅ぎ付けてか、不意に背後の闇から気配が零れる。

 その次の瞬間、鋭い爪が首元を薙ごうと襲い掛かって来たが、それを事前に予測していた為僅かに身を逸らして避け、羽織の下で隠し持っていた十握剣で反撃した。

 変な感触ではあるが何かを確かに切った感覚と共に、腕の様なものがその場に落ちる。

 

「何だ、お前? 鬼狩りの格好をしていないのに刀を持ってやがる。

 いや、でもそれは日輪刀じゃあ無いみたいだなぁ……。それじゃあ残念ながら、鬼は殺せないぜ?」

 

 ニヤニヤと笑うそれは、鬼……だと思われるがそうとも言い切れない「何か」であった。

 その気配は、生きている人間のそれでは無い。だが、鬼かと言われると何かが違う気がする。

 これは一体何だ? 友好的な存在では無い事は確実だが、その正体が分からずに困惑する。

 

 その時、上空で鎹鴉が、村田さんが鬼と遭遇した事を教えてくれる。

 なら、目の前のこれは一体何だ? 

 

 正直よく分からないが、この奇妙な存在を相手取るよりも、今はとにかく村田さんと合流した方が良い。

 その為、謎の存在を振り切ろうと走り出そうとするが、暗がりの中から次々に得体の知れない「何か」の気配がまるで水底から泡が立ち上るかの様に出現した。

「何か」たちに鬼程の身体能力は無いらしいが、しかし数で囲まれると中々に危険だろう。建造物が入り組んだ街中である上に一体何処にどれ程の数が居るのかも分からないので、迂闊に力を使うのも憚られる。

 しかしどうにか追撃を振り切って村田さんと合流すると、彼も数十程の「何か」に囲まれていた。

 

「村田さん! ご無事ですか!?」

 

「一応まだ負傷はしてないけど、斬っても斬ってもキリが無い! 何度か首を落としているのに全く効果が無いみたいだ!」

 

 恐らくはそう言う血鬼術なのだろう。

 そうこうする内に自分を追い掛けていた「何か」も合流して、周囲を五十以上の「何か」に囲まれる。

「何か」達は、一体一体その姿が違い、人間によく似たその外見や年齢も全てバラバラであった。

 一体どう言う血鬼術なのだろうか。「何か」の一体一体はハッキリ言って弱い。斬っても一時的に動きを止める事しか出来ないとは言え、それだけだ。脅威度で言えば、あの名も知らぬ鬼の方が遥かに上である。だが、「何か」達は数が多過ぎる。今自分達を取り囲んでいる「何か」以外にもまだ何処かに潜んでいる可能性だってあった。

 

「鬼狩りでも無いヤツが何で鬼狩りと居るのかは分からんが、まあ良い。お前たちを喰えば、俺はもっと強くなれそうだ。お前たちも俺がちゃぁんと有効活用してやるから、安心して俺に喰われて良いぜ」

 

 攻めるにしてもどうするべきかと迷っていると、「何か」の中の一体が口を開いた。

 その言葉に不穏なものを感じ、思わず聞き返す。

 

「有効活用、だと?」

 

「そうとも、俺が喰った人間は全部俺の「身体」になる。此処に居るのは、全部が『俺』さ。まあ、「身体」自体は生きていた時の強さからはそう変わる訳じゃねぇから、そこらの人間を喰っても有象無象の強さの「身体」の数が増えるだけだが、弱いんだとしても鬼狩なら普通の人間よりも強いだろうからなぁ」

 

 愉しみだ、と。そう言って、ニタリと「何か」は笑った。

 一体一体は強くは無いのだとしても、数で圧されれば不覚を取る事もあるだろう。

 そして、喰った相手が強ければ強い程、この鬼は強くなる。

 この鬼はまだ『鬼殺隊』の者を喰った訳ではないらしいが、もし一人でも『鬼殺隊』の者を喰ったとしたら途端に手に負えなくなっていくだろう。

 階級の如何に関わらず呼吸を修めた隊士達とそうでは無い一般の人間とは天地の差があり、この鬼の「身体」の中に剣士が一人加わるだけでもこの鬼は恐ろしく強化される事になる。

 まだ強くは無い今の内に、倒しておかねばならない相手である事は間違いが無いだろう。

 だが、問題はこの鬼をどう倒すのか、だ。

 この鬼が言う通り、ここにある全ての「身体」が鬼自身であるのなら、最悪の場合全ての「身体」の頸を同時に一瞬で落とす必要はあるだろう。しかも、日輪刀で。或いは、マハンマオンなどの広範囲に攻撃出来る技を使えば良いのかもしれないが、あれはあくまでも視界の中に入っていなければ効果が無い。

 開けた場所ならともかく、こんなにも入り組んだ場所では一度に全てを消すのは難しい。

 無論、何処かに「本体」とでも言うべき「身体」があるのかも知れない。しかしそれにしても、どれが「本体」なのかは少なくとも自分には分からなかった。村田さんにも、分からないらしい。

 襲い掛かって来る「身体」を切り捨てながら応戦するも、次から次に斬られては復活して襲い掛かって来るので本当にキリが無い。ゾンビ映画でももう少しマシだろう。

「身体」を斬り捨てていく内に、ある奇妙な違和感に気付いた。

 そして、それは次第に確信に近い直感へと変わる。

 だが、それを実行するにしてもとにかくこのままでは埒が明かないし、正直場所が悪い。

 なので、一言断ってから村田さんの身体を抱える様に持ち上げて、家々の塀を蹴って上がる様にしてその場を離脱した。その後を「身体」たちが追い掛けて来ているのを確認しながら、町の外れにまで「身体」を誘導する。

 

「さっきあいつ等を斬っている時に気付いたんですが、あいつ等を斬った時の手応えって殆ど無いですよね」

 

「身体」を誘導しながら村田さんに自分の考えを説明しようと話しかけると、腕の中の村田さんは少し戸惑いつつも頷く。

 

「斬った感覚はあるけど、何だか霞でも切ってるみたいな感じではあるな。で、それがどうしたんだ?」

 

「殆どの場合村田さんが言う様な手応えなんですけど、稀にちゃんとした手応えが……「実体」を斬った時の感じとでも言う感触になった時があったんです。でも、その「身体」を次に斬った時にはまた霞を斬った様な感じになった。それで、その後に今度はさっきのとは全然違う「身体」で、「実体」の手応えがあったんです。そして、「実体」の感じがあった時の「身体」の動きは他の者よりも強い感じがあった……」

 

 だから、考えたのだ。この鬼の血鬼術は、「自分」を増やしている訳では無くて、無数の「身体」とたった一つの「本体」を創り出しているのではないか、と。どれが「本体」なのかは恐らく「血鬼術」で瞬時に切り替えられるのだろう。だから、自分達が真に屠るべきは、あの「身体」の群れの中のどれかに隠れた「本体」なのではないか、と。……まあ、もしかしたら全ての「身体」を同時に始末しなければならないのかもしれないが、とにかくやってみる価値はあるだろう。

 

「確かに有り得るかもしれないけど、じゃあその「本体」がどれかってのは鳴上には分かるのか? 

「本体」を瞬時に切り替えられるならそれを正確に探して頸を斬らない事にはどうにもならないぞ」

 

「いえ、俺にはそう言うものを感知する力は無いんです……。

 でも、要は「本体」がどれかが分かれば良いんです。なら、少しだけ試してみたい事があります」

 

 自分がどれ程の事が出来るのかを知る為にも、この実戦の中で確かめていかなければならない。

 これは、その為に実に良い機会だった。

 

「今から、「本体」以外の全ての「身体」を破壊します。再生するまでに多少の時間は掛かる筈です。

 その隙に、村田さんが「本体」の頸を斬って下さい」

 

 何を言っているんだ……と言わんばかりの顔をしながらも村田さんが頷いたのを確認し、迫りくる「身体」の群れが全て視界に収まる瞬間を待つ。

 そして、「本体」を斬った時の手応えを思い出して、「本体」の原型が残る程度の威力はどの程度が適切なのかを考え、ペルソナの力を発動させた。

 

 その瞬間、「身体」の群れは巨大な怪物の鉤爪で斬り裂かれたかの様に、瞬時に原型を喪う程にバラバラに引き裂かれた。

『木端微塵切り』……敵全体を文字通りバラバラに薙ぎ払う一撃は、狙い通り脆い「身体」は木端微塵に引き裂き、頑丈な「本体」だけは多少ズタボロにしながらも原型を留めた状態に残す。

 日輪刀による攻撃では無い為この攻撃だけでは殺す事は出来ない事は分かっていた。下手に「本体」もバラバラにしてしまうとどれがどれだか分からず事態を悪化させかねなかったので、比較的威力の低い攻撃を選択したのだがそれが目論見通り功を奏した様だ。

 

「あれが「本体」です。村田さん、お願いします!」

 

 そう叫ぶと、目の前で起きた現象に驚愕していた村田さんは、自分がすべき事を思い出して瞬時に駆け出す。

 そして、「本体」の頸に日輪刀を振るった。が、それは岩石に鋼鉄を叩き付けた時の様な音と共に阻まれる。

「本体」の頸は、村田さんの実力では斬り落としきれないものであったらしい。

 反撃しようとしてきた「本体」の攻撃を紙一重で避けた村田さんはどうすれば良いのか迷っている様な顔をしている。周囲では原型が無くなる程に切り刻まれた「身体」が徐々に再生し始めていて、猶予は余り無い。

 だが、問題は無い。相手は五十人近くを喰った鬼なのだ。村田さんが頸を斬り切れない可能性も既に想定していた為、混乱は無い。まだ打つ手はある。

 

「大丈夫です! もう一度お願いします! 今度は大丈夫な筈です!!」

 

 そう村田さんに叫ぶと共に、彼に『タルカジャ』の強化を施す。本来のそれと比較すると、少し威力は弱く、かつその持続時間は余り長くは持ちそうに無いが、この一瞬だけ村田さんに限界を超えた剛力を与える程度なら申し分無い。

 そして、村田さんが与えた二撃目によって、「本体」の頸が落ちる。

 鬼は、理解出来ないと言った様な表情で、塵の様に身体を崩壊させて消えて行くのであった。

 鬼の消滅と共に、斬り刻まれた「身体」も溶ける様に消えて行く。

 この「身体」の数だけ、鬼に食い散らかされた命があったのだ。願わくば、その魂に安らぎがある事を願いたい。

 

「鳴上、お前……! さっきのは一体何をしたんだ!? 

 鬼たちは一瞬でバラバラになるし、有り得ない位一気に俺の腕力とかが増したんだけど!?」

 

 鬼が完全に消えた事を確認し納刀した村田さんは、それはもう混乱した様に詰め寄って来る。

 事前に「お館様」から軽く説明されていたのかと思っていたのだが、どうやら全く知らされていなかったらしい。なら彼は、日輪刀を持ってもいない隊士(?)と同行していると言う認識だったのか……。

 普通に考えてお荷物でしかないだろう筈なのに、それでよく拒否反応を示さずに一緒に戦ってくれたな……と思うと、彼の人柄の良さを感じる。だから「お館様」は一番最初の「任務」の同行者として村田さんを選定したのだろうか? 柱などの実力が隔絶した相手といきなり同行しても実力を計りきる事が出来ないから、程々の実力を持った隊士を選んだ……と言う事なのだろうか。

 何にせよ、物理的な攻撃手段の有効性の一部と、味方の補助が出来る力の有用性は今回で確かめる事が出来た。

 これで、もっと色んな人の力になれる筈だ。特に、味方を強化する力の有用性は、使い処さえ間違えなければ物凄く高いと思う。

 

 混乱している村田さんに掻い摘んで事情を説明しながら、自分が出来る事がちゃんとあると確かめられた事に、少しばかりの安堵を懐くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
弱い鬼(当社比)をサンドバッグ代わりに殴りつつ、自分がこの世界で何処まで出来るのかを試し中。
この後も様々な任務に赴いては、自分の力を試している。
フルスペックの状態で迷い込んでいる事や、直前に戦っていたのがイザナミやマーガレットであった事もあって、実は力加減が下手くそになってる。その上で弱体化している部分もあって、イマイチ感覚が掴み切れてない。
普段はポヤッしてる部分もある一般人(ATLAS基準)だが、いざ戦闘時になるとオールステータス99(カンスト)の暴力を振るってる。
本来滅茶苦茶硬い筈の鬼の首を呼吸も無しに大体斬ってしまえるのは、武器性能の良さもあるけど力がカンストしているから。
大体何でもこなせてしまう悠の唯一の弱点は、フルパワーで戦い続けるには持久力がやや足りない事。そもそもペルソナでの戦いはダラダラと持久戦をする事では無いのでそこは仕方無い。
その為、例え弱体化が完全に解除されたとしても、無惨を単騎で夜明けまで足止めするのは難しい。


【村田さん】
普通に良い人。口の硬さと長年鬼殺隊で無事に隊士を続けられたその経験を見込んで最初の任務の相方として抜擢された。そこそこな腕前の者と組んだ時の働きを見たかったと言うお館様の思惑もある。
悠の事はあまり説明されないまま任務に向かった為、悠がやってる事に終始ビックリしてた。
「え、俺の腕じゃ斬れる筈が無い鬼の首が、豆腐みたいに切れちゃったんですけど!? 何で!?」と言う感じ。
ある意味鬼殺隊で一番最初にワイルドパワーのヤバさを直接体験している。
この後もちょくちょく悠と一緒に任務に行く事になる為、悠が滅茶苦茶な事をやっても段々動じなくなった。
こいつ人間じゃないんじゃ? とは常々思ってるけど、良い奴だしまぁ良いか……と言う感じに落ち着く。


【胡蝶しのぶ】
放っておくと悠は人を助ける為に無茶を無茶とも思わず限界まで行動してしまう事に早々に気付いたのでドクターストップ。
羽織をあげたら物凄く喜んでくれたので嬉しい。
隊服代わりの服が支給されてもあげた羽織はずっと大切に使い続けてくれているのも嬉しい。
ちょっと弟みたいに思っている。




≪今回のアルカナ≫

『愚者』
村田さんを含む鬼殺隊の剣士たちとの絆。
蝶屋敷の負傷者を癒したり、様々な任務を共に熟すと満たされていく。
村田さんと仲良くなったのでそこそこ満たされた。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
この任務の後も何度も共に任務に就いた事から、一般隊士の中でも村田さんとはかなり仲良くなり、村田さんが蝶屋敷にやって来た時は一緒に食事に出掛けたり、文通したりする様になります。


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第二章【夢幻に眠る】
『無限列車』


無限列車編は劇場版・アニメ版に準拠します。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「そうか、今日発つのか」

 

「はい! すっかり完治したので!

 蝶屋敷の皆さんのお陰です!」

 

 任務をこなして帰還し、蝶屋敷に運び込まれていた重傷の隊士達の治療をし終えて部屋を出ると、すっかり何時もの隊服を着こんだ炭治郎が世話になった者達に別れの挨拶をしている所だった。

 どうやら昨夜の内に指令が出たらしい、それにどうやらその現地に訪ねたい相手が居るそうだ。

 

「そうか……。……怪我をするなよ、炭治郎。

 いや、怪我をしても、その時はどうか五体満足で蝶屋敷まで帰って来てくれ。

 炭治郎たちの無事を、祈っている」

 

「はい、鳴上さんこそ、お元気で。一緒に指令を受ける時があれば、その時はお願いします」

 

 此方こそ、と握手を交わして別れを告げる。

 関東一帯を中心に活動している『鬼殺隊』だが、万年人手不足気味な事もあって、一度別れた後でもう逢う事が無かった……と言う事は少なくない。指令の場所が中々被らないと言う事もあるだろうし、それ以上に相手が次に会う機会が訪れる前に命を落としてしまう事もままあるからだ。

 どうかまた、と。そんな願いを込めて握手を交わし、蝶屋敷の皆と一緒に炭治郎たちを見送る。

 炭治郎たちの後姿が消えて少しした頃、鎹鴉が指令を伝えに舞い降りてきた。

『無限号にて炎柱・煉獄杏寿郎と合流し、調査せよ』との事だ。

 柱の人と任務に当たるのはこれが初めてだ。炎柱を務める煉獄さんとはどの様な人なのだろうか? 

 しのぶさん以外の柱の人に会った事は無いので、少し緊張する。失礼が無い様にしなければ。

 そうして、帰って来てそう時間は空いていなかったが、再び蝶屋敷を後にするのであった。

 

 

 鴉に案内されて、その無限号と言う名の蒸気機関車が出発する駅に辿り着く。

 そこには、実に立派な蒸気機関車が停車していた。

 鉄道関連はそこまで詳しくないのでこの蒸気機関車がどう言う型であるのかなどとは分からないが、動いている蒸気機関車を直接目にする機会は今まで無かったので中々新鮮だ。鉄道好きの人なら感涙しながらカメラや目にこの光景を焼き付けているのかもしれない。

 出発まではまだ少し時間がある様なので、余裕を持って切符を買いに行く。ちなみに切符代は鎹鴉経由で支給されている。駅の構内で付近を見回しても煉獄さんらしき人は居ない。もし居るのなら何となく気配で分かるだろう。もう既に無限号に乗り込んでいるのだろうか? 

 とにかく、一旦中に乗り込んで煉獄さんを探してみよう。

 

 煉獄さんを探しながら前方の車両から乗り込んで車内を彷徨っていると、丁度中間あたりの車両の扉を開いた時。

「うまい!!!」と言う、そりゃあもう元気が良過ぎる声が聞こえた。

 あまりの声の大きさに、車両の窓ガラスがビリビリと震えている。

 一体何事か、と声の主を探すと。

 何とも目を引く髪色と目力の青年が、大量の駅弁を空箱にしながら「うまい!」と連呼していた。

 その勢いの良さに気圧されているのか、その青年の周りの席はちょっと不自然な程に空いている。

 柱である事を示す金の釦の付いた隊服を着こんでいる事と、裾が炎の様になっているその羽織を見て、彼が炎柱の煉獄杏寿郎さんなのだろうか? と見当を付けた。

 

「あの、すみません。あなたが炎柱の煉獄杏寿郎さんですか?」

 

 一箱を空け終えたタイミングを見計らって声を掛けると、「如何にも!」と言う元気の良い返事が返って来る。

 何事も元気な人なのだろう。まるで燃え盛る炎の様な人だ。

 

「俺は鳴上悠です。今回、煉獄さんと共に任務に就く様に指令が下りました。よろしくお願いします」

 

「鳴上少年の事はお館様から聞いている。是非とも、君の力を見極めて欲しいとも。

 あとそれと、今回の任務には他に三人の隊士達が加わる事になる」

 

 未知数である自分を戦力としては加味しないにしても、柱に加えて三人の隊士が合同で任務に当たるとは。

 かなり厄介な案件であるとお館様は認識しているものなのだろう。

 十二鬼月などとか言う、鬼の中でも上位の強さを持つ鬼が関与している可能性も疑っているのかもしれない。

 

「中々の大所帯ですね。この任務はそれ程の危険性があるものなんですか?」

 

「ああ、短期間の内にこの列車内で40人以上が行方知れずになっている。

 更に調査の為に送り込んだ数名の隊士とも何の情報も無く連絡が途絶えた。生存は絶望的だとされている」

 

 調査の為に派遣された隊士がそこで命を落とす事は、哀しい事だがままある。

 だが、何の情報も残さないまま死ぬ、と言うのは実はかなり珍しい。

 彼等は、己の命を代償とするのだとしても必ず「後」に繋げる為に死力を尽くして情報を遺そうとするからだ。

 鎹鴉を放つに留まらず、何かしらの走り書きや時に己の遺体と言った形で。

 そんな彼等が何の情報も残せなかったとなると、かなり厄介だ。何かをする前に即座に殺されたか或いは無力化させられたか、と言う話になる。

 それに。

 

「この列車内で、ですか。運行中に人を襲っているのなら、こんな閉鎖空間で暴れれば流石にもっと大騒ぎになる筈……。何か、隠密性に優れた血鬼術を使う鬼が隠れているのかもしれませんね」

 

 行方不明者の件に関しては、世間では「神隠し」と言う事になっているらしい。人が消えているのは確かなのだが人が消える所を目撃した者は居ないそうだ。

 周囲の精神に働きかけて「見えていない」状態にする一種の幻術の様なものなのか、或いは陰に潜み一撃で痕跡を残す事無く人を攫える様なものなのか。何にせよ、厄介な血鬼術の持ち主である可能性は高いだろう。

 今もこの列車の何処かに鬼が潜んでいるのかもしれないが、残念ながら自分にはどうだかは分からない。

 とにかく油断しない事。それしか現状出来る事は無い。

 

「その可能性は高いな。心して掛からねばならん。

 それはそうと、君も腹ごしらえをしておくか?」

 

 そう言いながら、煉獄さんは大量に積まれた駅弁の一つを差し出してくれる。

 夕飯はまだだったので有難く頂く事にし、煉獄さんの向かいに座った所、無限号が動き出した。

 

 また駅弁を食べ始めた煉獄さんは、再び「うまい!」と連呼し始める。賑やかな人だが、こうやってちゃんと美味しいと言って貰えてこの駅弁を作った人も嬉しいだろう。

 自分も一つ頂くか、と開けてみるとどうやら牛鍋弁当の様だ。蓋を開けると、醬油と生姜の良い匂いが鼻腔を擽る。実に美味しそうだ。一口食べてみると、よく味の染み込んだ牛肉としっかり炊かれたご飯がよく合う。

 うん、確かにこれは美味しい。煉獄さんの様に「うまい! うまい!」と連呼する事は無かったが、美味しいものを食べると思わず笑顔になる。

 

 そうして二人で駅弁を食べていると、何やら賑やかな三人組が客車に入って来る。

 聞き覚えのある声がするな、と顔を上げると。

 そこに居たのは、今日別れたばかりの炭治郎たちであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「まさか炭治郎たちも無限列車の任務に当たっていたとはな、こんな偶然もあるのか」

 

「まさか鳴上さんが煉獄さんと一緒に居るなんて、俺も驚きました!」

 

 完全に予想外だった炭治郎たちとの再会だが、こうして一緒の任務に当たれると言うのは嬉しいものだ。

 何が出るのか分からない任務であるだけに、探知に長けた三人が居てくれるのは本当に心強い。

 そして炭治郎が無限列車に乗って来たのは、任務の為と言うのも当然にあるが、それとは別の目的もあった。

 古くから続く炎の呼吸を扱う剣士の家系として『鬼殺隊』に関わって来ている煉獄さんに、「ヒノカミ神楽」の事について尋ねる目的もあったらしい。

 列車を初めて見るらしい伊之助がはしゃぎ回るのを善逸が必死に止めるのを横目に見ながら、炭治郎は煉獄さんに「ヒノカミ神楽」について尋ねるが。残念ながら煉獄さんもその言葉自体初耳だったらしい。

 

「ヒノカミ神楽って……確かあれだよな、炭治郎の家にその耳飾りと共に代々伝わっていると言う……。

 前に合った大きな任務の時も、それで命を救われたんだっけ?」

 

「はいその通りです、鳴上さん。

 年始にヒノカミ様に捧げる為の神楽なんですけど、どうしてかまるで『呼吸』みたいな部分もあって……」

 

 ヒノカミ様と言う名の神を聞いた事は無いが、一種の土着信仰だろうか? 

 ヒノカミ……火の神、日の神。どちらなのだろう。それともどちらでも無いのか。

 何にせよ、炭治郎の父親が言っていたと言う「疲れない呼吸の仕方」や実際に攻撃に転用出来る神楽の動きと言い、「ヒノカミ神楽」には何かがありそうな気がする。

 とは言え、それが何なのかは『呼吸』に関してはド素人も良い所の自分には全く分からないが。

「ヒノカミ神楽」を極めていたらしい炭治郎の父親が存命であるならばもっといろいろと分かるのかも知れないが、身体の弱かった彼は数年前に病没しているそうだ。だからこそ、父から受け継いだ耳飾りを炭治郎は大切に身に着けている訳なのだが。

 

「「ヒノカミ神楽」もそうだけれど、その耳飾りも何か関係しているのかもしれないな。

 その耳飾りが何時位に作られたものかが分かれば何か手掛かりになるのかも知れないけれど……」

 

「約束だ、って。そう父は言っていました。ヒノカミ神楽も、耳飾りも。必ず伝えていく様に、と」

 

「ヒノカミ神楽」にも耳飾りにも何かがあるのは間違い無いが、残念ながらその約束の「理由」は時の流れの中で喪われたか或いは秘匿されたかで、今となっては分からないだろう。

 炭治郎の耳飾りを改めて観察するが、随分と大切に手入れされて来たのだろうと言う事位しか分からない。

 残念ながらその手の専門家ではないので、模様やら材質やらで作成された時代を推定する事も難しい。

 それこそ、過去の『呼吸』を修めた剣士が何らかの理由で「ヒノカミ神楽」と言う名に変えてその剣術を後世に残そうとしたのかもしれない。まあその場合も、何故そうしなければならなかったのか、と言う疑問はあるが。

 

『呼吸』について話していたからか、気を利かせてくれたのか、煉獄さんは『呼吸』や日輪刀について説明してくれる。『呼吸』について触り程度しか知らない自分にとっても、水の呼吸以外についてはあまり知らない炭治郎にとっても、中々に興味深い内容だった。

 炎・水・風・雷・岩の五つが基本として存在し、それを極める者も居れば、自分に合った形の新たな型へと派生させる者も居るらしい。例えば今の柱の人達で言うならば、しのぶさんは『水の呼吸』から派生した『花の呼吸』の更に派生である刺突に特化した『蟲の呼吸』の使い手であるし、最年少で柱になったと言う霞柱の時透無一郎と言う人は『風の呼吸』から派生した『霞の呼吸』の使い手なのだそうだ。他にも、『水の呼吸』から派生した『蛇の呼吸』を使う蛇柱さんや、『雷の呼吸』から派生した『音の呼吸』を使う音柱、『炎の呼吸』を基に派生させた『恋の呼吸』を使う恋柱さんなどが現在の柱の中でも派生の呼吸を修めた人達であるそうだ。

 ちなみに、現在の水柱の冨岡義勇さんは炭治郎にとっては育手を同じくする兄弟子に当たるらしい。そして、恋柱は元は煉獄さんの継子だった人なのだそうだ。やっぱりそう言う繋がりはあるものなのだろう。

 そして、その『呼吸』と密接な関係にあるのが日輪刀なのだそうだ。

 日輪刀は別名「色変わりの刀」と呼ぶらしく、使い手が初めて刀を握った際に、その資質に合わせて色が変わるのだと言う。その色を見て、より自分に合った『呼吸』を見付ける者も居るのだとか。

 そう言えば、今まで一緒に任務に当たってくれた隊士の人達の刀も、少し変わった色合いだった様な……。

 なお、炭治郎の刀は黒に変わるらしいのだが、黒は『鬼殺隊』の歴史の中でも数が少なく、そして彼等に合った呼吸は終ぞ分からないままで終わってしまったので、どの系統を極めるべきなのか分からないのだそうだ。

 そんな炭治郎に、煉獄さんは自分の所で鍛えてあげようと言い出した。面倒見が良い人なのだろう。

 恋柱にまでなった人を鍛えている実績があるので、指導力なども高いのかもしれない。

 

 そんな中、煉獄さんは改めて今回の任務を説明する。

 厄介な血鬼術を使う鬼の出現が予期されるので心する様に、と煉獄さんが言うと、善逸が途端に喚き出して列車を降りるとまで騒ぎ始めた。いや、もうかなりのスピードが出ている列車を飛び降りる方が、下手な鬼と戦うよりも危険だとは思うのだが……。

 どうやら善逸は自分に自信が全く無いらしく、任務の時にはこうして取り乱すのが常なのだそうだ。

 反対に伊之助はやる気満々で、鬼の出現をソワソワしながら待っている。

 

「カミナリ! お前は弱そうだから、この俺が守ってやるぜ! 何てったって親分だからな!」

 

 そう言いながら鬼の出現に備えようとする伊之助に、苦笑しつつも頷く。

「カミナリ」、と言うのはどうやら自分の事らしい。伊之助は基本的に人の名前を覚えないので、適当なあだ名の様なものをその場その場で呼ぶのだそうだ。

 どう変化して「カミナリ」になったのかは分からないが、まあ面白いし良いか。と訂正などはしない。

 

 そんな中、ふと、これ程騒がしいのにどうして周りの乗客たちは無反応なのだろう? と引っ掛かりを感じる。

 珍妙な集団に関わり合いになりたくない……と言うだけなのかもしれないが、此処まで煩いと苦情の一つや二つ言われてもおかしくないのではないか。

 周囲の様子を改めて確かめようとしたその時だった。

 

 

「切符……拝見……致します……」

 

 何時の間に其処に居たのかと思わず驚く程に、存在感と言うか……最早生気の無い顔をした車掌の格好をした人が自分たちの席にまでやって来ていた。

 一瞬、本当にそこに存在しているのかと身構えかけたが、煉獄さんもそして鼻が利く炭治郎も特には何の反応もせずに切符を差し出す。伊之助と善逸も切符を差し出すので、少し迷いつつも自分も切符を出した。

 車掌さんは淡々と切符を切れ込みを入れていく。その表情は今にも死にそうなものなのに、その手際に淀みは無い。

 

「あの……大丈夫ですか……?」

 

 どうにも放ってはおけなくて、自分の切符を切って貰う時に思わずそう訊ねてしまう。

 その時漸く、車掌さんの目が手元の切符以外に向けられた。

 深い悲しみと絶望に打ち拉がれた、傷付いた人の目だった。

 こんな場所で業務に携わる事など出来るのかどうかも怪しい程に。その目は絶望に染まっている。

 彼の身に何があったのかは分からない。だが、生に絶望した様なその目に、どうしても声を掛けずにはいられなくて。……だけれども、車掌さんは何も言わずに切符を切ってその場を立ち去った。

 ……一体何だったのか。切符を懐にしまい、座ろうとしたその時。

 漸く、異常事態に気が付いた。

 

 煉獄さんも、炭治郎も、善逸も、伊之助も。いや、それどころかこの車両内の全員が。

 皆、深い眠りに就いているかの様に、安らかな寝息を立てているのだった。

 確かに夜行列車であるのだから、目的地に着くまで寝ている人が居るのはおかしくは無いが。

 ここまで全員が皆同じ様に眠っているのは明らかに異常であるし、何よりも鬼殺の任務でこの列車に乗り込んでいる四人が熟睡しているのは明らかに異常事態であった。

 

「炭治郎! 煉獄さん! 善逸! 伊之助!

 起きろ! 起きてください!!」

 

 かなり大きめの声を出して耳元で呼び掛けても、彼等は身動ぎすらしない。

 これが尋常な眠りでは無いのは確かだ。

 まさか、乗客が消える所を誰も見た事が無かったカラクリがこれなのか? 

 しかし、どうやってこの場の全員を眠りに落としたんだ? 毒ガスか何かの様なものか? 

 だが、それにしても、どうして自分だけこうして意識を保っているのだろうか。

 いや、今考えるべきは、どうにかして皆を起こして、鬼の襲撃に備える事だ。

 

 毒ガスの類であった場合を考えて、窓を開ける。もしこの場に滞留する何かが原因ならば、これで少しは状況が改善するかもしれないが……しかし皆の反応に特に変わりは無い。

 血鬼術なのかもしれないが、鬼の気配はまだ近くには無い様だ。

 そんなに離れているのに、遠隔で血鬼術をピンポイントに発動出来るものなのだろうか……? 

 良くは分からないが、とにかく、皆を起こさなくては、と。

 炭治郎の肩を掴んで揺すろうとしたその時。

 

 炭治郎に指先が触れたその瞬間に、意識が何処かに引き摺り込まれる感覚と共に、視界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
『夢』の中で夢を見る事は出来ない。
「アムリタ」を使えば皆を直ぐに起こせたのだけれど、そこに思い至る前に炭治郎を起こそうとしてしまった。


【竈門炭治郎】
もう二度と手に入る事の無い、哀しい程に「幸せ」な夢を見ている。


【我妻善逸】
禰豆子との夢を見ている。一切ブレない男。


【嘴平伊之助】
洞窟探険隊に子分その4である狐が増えた。
全員まとめて親分が守ってやるぜ!


【煉獄杏寿郎】
悠の事はお館様から報告されているので知っていた。不思議な力を使う事は知っているが、それがどの程度鬼殺に使えるのかはまだよく知らない。



≪今回のアルカナ≫

『魔術師』
我妻善逸との絆。少し満たされた。


『戦車』
嘴平伊之助との絆。悠が子分になった(伊之助視点)ので少し満たされた。
子分の事は親分が守ってやるもの。


『正義』
煉獄杏寿郎との絆。まだ生まれたばかり。


『太陽』
竈門炭治郎との絆。また少し満たされた。そろそろ半分程満たされる。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
ワイルド能力者として様々なペルソナを切り替えてその力を使える悠ですが、ペルソナを切り替えていない場合のデフォルトの状態のペルソナは「伊邪那岐大神」です。(P5Rの究極大神にPQ・PQ2要素が入った状態なのでガッカリさんでは無い)
しかし伊邪那岐大神自体を召喚したり『幾万の真言』を使うにはまだ力が足りない様です。


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『夢結び』

演出上文章が乱れている箇所がありますが、ご容赦ください。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 頬を切り付ける様な鋭い寒気に身を震わせて、そして僅かな間途切れていた意識が再び蘇る。

 ……此処は、一体何処なのだろう……。

 周囲を見回しても、そこはあの無限列車の車内では無くて。

 全く見知らぬ、何処かの雪景色に染まった山の中である様だった。

 手には十握剣を持ち、そして身に纏うのは「お館様」から支給された服としのぶさんから貰った黒い羽織だ。

 その格好は記憶の中のそれと全く変わらないのに、周囲の光景だけが記憶から断絶している。

 ……これは、一体何なのだろう。

 確か自分は、突然眠ったまま目覚め無くなってしまった炭治郎たちを起こそうとして、呼び掛けても反応が無かったから炭治郎の身体を揺すって起こそうとして、それで……。

 炭治郎の肩に触れた後の記憶が、無い。

 

 まさか自分も炭治郎たちと同様に眠ってしまったのだろうか。

 そうであるならば、ここは自分の『夢』の中なのだろうか……? 

『夢』の中で『夢』を見るだなんて。そんな、現実を見失ってしまいそうな事は起こり得るのだろうか。

 それに、やはり自分は全くこの風景を知らない。

 一度ならず二度までも、全く見知らぬ場所を夢で見る事などあるのだろうか。

 ここが夢の中であるなら、ペルソナの力で眠りから醒める事は出来るだろうか? 

 しかし、試しにペルソナを呼ぼうとしても、全く手応えが無い。

『夢』の中ではペルソナの力を使えるのに、『夢の中の夢』では使えないらしい。そう言うものなのだろうか。

 状況を把握し切れぬが故に、疑問は尽きない。

 

 どうして此処に居るのかは分からないが、一刻も早く目覚めなければならない事だけは確かだ。

 もしこれが鬼の血鬼術によるものであるのだとすれば、今自分達を含めてあの車両に居た全員が命の危機に晒されている事になる。

 幾ら炎柱を任されている煉獄さんだって、眠りに落ちている状態で鬼の襲撃に遭えばどうなるかは分からない。

 そうでなくとも、眠る自分達のすぐ後ろの乗客たちが貪り喰われていたとしてもそれに気付く事は出来ないだろう。

 だから、起きなくてはならない。起きなくては……。起きて、守らなくてはならない。

 無辜の乗客たちを、炭治郎たちを、守らなくては。

 

 しかし、どうしたらこの夢の中から脱け出せるのかは分からなかった。

 頬を引っ張ったり手の甲を抓るなどして痛みの刺激を与えてみるが、ただただ痛いだけで眼が覚める様な気配は無い。此処が『夢』の中であると言う認識はあるのに、それ以上はどうする事も出来ない。

 ……この『夢の中』を脱け出す方法を求めて、宛ても無く雪山を彷徨い始めるしかなかった。

 

 雪山を暫し彷徨い歩いていると、見覚えのある柄の羽織が見えた。

 

「炭治郎!!」

 

 吹き付ける雪風の中に消えない様にと、思いきり声を上げてその名を呼ぶが、しかし炭治郎の反応は無い。

 声が聞こえていないのか、それともそれどころでは無いのか。

 炭治郎は彼の前方を見て、動揺した様に呼吸を荒げて目を見開いていた。

 その視線の先に居るのは。

 

「あ! 兄ちゃんだ! お帰り!」

「兄ちゃん、炭売れた?」

 

 何処か、炭治郎とその目元が似ているまだ幼い年頃の男女で。

 そして彼等は、炭治郎の事を、「兄ちゃん」と。そう呼んだ。

 

 その途端に、炭治郎は確りと握っていた日輪刀を取り落とし、彼等に駆け寄って。

 そして、抱き締める様にして雪の中に押し倒す。

 その炭治郎の姿は、見慣れた『鬼殺隊』の隊服姿では無くて。

 自分の知る炭治郎よりも更に幼さが残る姿に、変わっていた。

 そして、言葉すら喪った様に号泣しながら、その小さな子供達を抱き締める。

 ごめん、と。そう何度も繰り返す慟哭の涙は、魂を引き裂く様な苦しみと哀しみを伴っていて。

 一体何が起きているのか分からないまま、自分はその光景をただ眺めている事しか出来なかった。

 

 

 ……ここは「自分の夢の中」なのではなくて、「炭治郎の夢の中」なのではないか、と。直ぐに気が付いた。

 自分は、炭治郎に禰豆子ちゃん以外の弟妹が居た事も、当然その容姿など知る筈も無いのだから。

 そんな彼等が、自分の夢に出て来るとは流石に思えない。

 例え此処が……そして炭治郎も炭治郎の弟妹達も自分の中の想像だとするにしても、炭治郎の反応は余りにも「本物」だった。自分は、禰豆子ちゃん以外の弟妹に炭治郎がどの様な反応をするのかなんて知らないから、弟妹を前にした炭治郎のその反応が自分の想像の産物だとは到底思えない。

 どうして「炭治郎が見ている夢」を自分も見ているのかは分からない。夢の世界を炭治郎の視点で見ているのではなく、夢の中で自分自身として存在している理由も分からない。ついでに言うと、どうやら炭治郎に自分は見えていないらしいし、何なら干渉する事も出来ない様であった。

 まあそれに関しては、「炭治郎の夢」に本来自分は存在する筈が無いので、炭治郎が無意識の内にその存在や干渉を弾いているのかもしれないし、それとはまた別の理由なのかもしれない。

 ここが「炭治郎の夢」であるならその夢を見ている張本人である炭治郎に目覚めて貰わなければどうする事も出来ないのではないだろうかと考えて、どうにか炭治郎に目覚めて貰おうとあの手この手で起こそうとするのだが、どうやら自分の声は炭治郎には一切聞こえていないし、炭治郎に触れようとすると手がすり抜けるし、手で触れられないならばと雪玉を丸めてぶつけようとしても今度はその雪玉もすり抜けてしまう。

 その為、今の自分に出来るのは、炭治郎が少しでも早くここを夢だと自覚して目覚めてくれる様に祈りながら、その夢を見守る事だけであった。

 

 しかし、「炭治郎の夢」は余りにも哀しい「幸せ」に満ちていた。

 炭治郎程の家族思いの人間が、例え今は禰豆子ちゃん以外は一緒に居ないのだとしても己の家族の事を一切話さないなんて事は無いだろう。……その家族が、今も生きているのならば。

 禰豆子ちゃんを見ている時のその眼差しが、深い悲しみに揺れているのは、彼女が鬼にされてしまったと言う悲劇だけでは無く、恐らくは禰豆子ちゃん以外の家族を喪った事に起因しているのだろう。

 どうして、炭治郎が禰豆子ちゃん以外の家族を喪ってしまったのかは、この「夢」を見ているだけでは分からない。

 ただ、ただただ。炭治郎にとって、家族が心から大切な存在であると言う事だけが伝わる。

 鬼を殺すだなんて血腥い殺伐とした日々に身を置く訳では無く、大切な家族と一緒に山の中で炭を焼きながら慎ましくも穏やかに暮らすその日々を、心から「幸せ」だと。そう炭治郎が心から想っている事が、願っている事が、……こうして見ている以外にどうする事も出来ないのに自分にも伝わってきてしまう。

 そして、その「幸せ」はきっともう叶わない事となってしまったのだろう事も。

 炭治郎が喪ってしまったモノのその傷口に、自分の意思によるものではない不可抗力であったとは言え、無遠慮に触れてしまっていると言う、罪悪感にも似た後ろめたさを感じてしまう。

 だが、そんな後ろめたさを焼き尽くす程に、この胸に溢れているのは哀しみと怒りであった。

 

 これは余りにも「優しい夢」だ、「幸せな夢」だ。そしてそれ以上に、残酷な夢であり、悪趣味な夢である。

 

 炭治郎本人が望んでこの夢を見ているのなら、それはそれで良いのだけれど。

 だがこれは、血鬼術によって見せられている夢なのだ。

 恐らく、その血鬼術はただ単に眠りに落とすだけのものではない。その夢を見ている本人にとって、目覚めたくない程に「幸せな夢」を見せているのだ。

 思えば、車内を見渡した時に確認した限りでは、誰もが幸せそうな安らかな顔をして眠っていた。

 つまりは、そう言う事だ。本人自身がその夢から目覚めたくないと望むのであれば、眠りを維持する事は難しくない。そして、現実の己の状態がどうであるのか分からないまま、喰い殺されて行くのだろう。

 自分も、やろうと思えば相手を強制的に眠らせる力はある。だが、眠るその間に見ている夢に外から干渉は出来ない。出来るかもしれないが、しない。そんな、人の心を、……哀しい程に傷付いた人の心に甘い猛毒を塗り込む様な事は絶対にしない。似た様な力を持っているが故にこの血鬼術を使う鬼の悪辣さを誰よりも理解出来るからこそ、血鬼術を仕掛けてきた何処の何とも知れぬ鬼に対して、自分は本気で怒っていた。

 優しい炭治郎は、この夢から目覚める時、恐らくとても傷付くだろう。傷付く必要など無くても。それでも、この「優しい夢」を自ら終わらせる事に苦しむ。この温かな幸せを喪った事を思い出し、傷付くのだ。

 だからこそ、赦せない。

 友の心を徒に弄び傷付けられて、それを黙って見て居られる程に自分は弱くも大人しくも無い。

 

 だが、今の自分に出来る事は無い。心の海を渡る力はあるのに、炭治郎の夢の中からその心に干渉する方法は無い。この夢から醒める方法を見付けたとしても、それを伝える術は無い。炭治郎自身が、それを見付けてくれるまで、何も出来ない。見守っている事しか出来ない。それが悔しくて悲しい。

 

「すまない……炭治郎……俺は……」

 

 届かないと分かっていても、そう言葉にせずにはいられない。

 目の前の「幸せ」が、炭治郎にとってどれ程の価値があるのかを、僅かにであっても理解出来るからこそ。

 目覚めて欲しいと願うしかない事が、哀しくて仕方ない。

 それでも、目覚めなければ炭治郎は死ぬ。自分も死ぬかもしれないが、それ以上に炭治郎が死んでしまうかもしれない方がもっと辛い。だから起きて欲しい、目覚めて欲しい。それがどれ程炭治郎にとっては苦しい現実なのだとしても。そこには、炭治郎にとっては何よりも大切な禰豆子ちゃんが……ただ一人残された家族が居るのだから。

 

 そして、炭治郎自身も目覚めようとしているのか、微かに抵抗しているかの様に「夢」の中に現実の欠片が現れている。だが、それでも目覚めには至らない。

 此処が夢だと炭治郎が自覚しても、それで目覚めに至る訳では無いのかもしれない。

 なら、一体何が条件になるのか……。

 

 自分には何も出来ないと分かっていてもそう考え込んでいる内に、目の前で炭治郎が風呂の準備の為に川で水を汲もうとしていたその時だった。

 炭治郎が、目の前で川に落ちた。否、それは何者かに水中へと引き摺り込まれるかの様であった。

 

「炭治郎!!」

 

 触れる事は出来ないと分かっていても、身体は反射的に動き、水面に手を伸ばして炭治郎を救い出そうとする。

 そしてその指先が水面に映った炭治郎に……『鬼殺隊』の隊士としての姿をした炭治郎に触れた瞬間。

 目の前の景色は、一変し。意識は更に深い水底にまで引き摺り込まれていった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ── 幸せが壊れる時には何時も、血の匂いがする

 

 

 ぼんやりと、微睡んでいる様な感じであった。

 此処に居て、でも其処には居ない。起きていて、眠っている。

 自分と言うものも少しあやふやで、まるで目覚めながらにして夢を見ているかの様で。

 

 そんな中、足元の感触から、今自分は雪の中を歩いていると言う事が分かる。

 自分は一体何をしているのだろう、何処に向かっているのだろう。

 …………あぁ、そうだ。自分は、家に帰る途中なのだ。年越しの為に、少しでも金銭を得ようとして、町に降りて炭を売ったその帰り。本当は昨日の内に帰る筈だったのだけれど、遅くなって夜が近くなったから三郎じいさんが家に泊めてくれて。

 ……三郎じいさんって、誰だっけ……?

 あぁ、山際で独り暮らしをしていて……よく「鬼」と「鬼狩り」について話してくれる人だ。昨晩も、「鬼」が出るからって泊めてくれたんだった。

「鬼」なんて、居ないのに。……いや、違う、そうじゃなくて、鬼は居る。鬼は居たんだ。もっとその話を真面目に聞いていたら、もしかして。でも、もう……。

 

 意識は半ば混濁したままだが、雪道を行く足取りに迷いは無い。

 知らない場所だ。生まれ育ったよく知っている山だ、鼻も利くから迷ったりなんてしない。

 いや、自分はそこまで鼻が良い訳では無かった気がする。

 あれ、自分って何だ。

 ……まあ、良いか。早く帰らなきゃ。皆心配しているだろう。

 母さん、禰豆子、竹雄、花子、茂、六太……。長男だから、早く帰って安心させてあげなきゃ。

 長男……、だから……。

 大事な家族、愛しい弟妹。父さんが死んで、皆悲しいけど、家族皆で力を合わせて頑張って来た。

 これからも、ずっと、ずっと……。

 その為にも、行かなきゃ、帰らなきゃ。もっと早く帰らないと、間に合わない。

 あぁ……どうして。幸せが壊れる時には、何時も血の匂いがするのだろう……。

 

 その匂いを嗅ぎ付けた時、幸せが壊れてしまった事を半ば確信した。

 でも、信じたくなくて、だから、走って。それで。……それで。

 

 まず初めに目にしたのは、血溜まりの中に倒れる禰豆子と、その腕の中に抱えられた六太だ。

 その身体の下の雪はすっかり血を吸って、一部が茶色く変じつつも真っ赤に染まっていて。

 遠目に見るだけでも、惨い有様だった。だから駆け寄って、息を確かめようとして、それで。家の中の惨状に、その時漸く気付いた。

 昨日まで皆で暮らしていた筈のそこは、床にも壁にも天井にも血が撒き散らされた状態で。

 皆が……大切な家族が。惨い有様で、事切れていた。

 

 一体何故、どうして、何があった、誰がやった。どうして。

 冬眠出来なかった熊か? いや、しかし家族の亡骸に喰い荒らされた様な痕は無くて。ただただ「殺した」と言う結果だけが其処に在って。喰う為、生きる為に何かが作り出した光景では無くて。では何が。……鬼だ。

 心の中を絶望が支配し、そして何も出来ず家族の死の瞬間すら知らぬ自分の無力に慟哭し。

 それでも、ほんの僅かに息があった禰豆子の命を繋ぐ為に。血塗れの禰豆子を背負い、山を降りる。

 町にまで降りなければ満足な治療を受けさせてやれない。そして、町までは絶望的に遠かった。

 何時も重い炭を担いで降りている道だと言うのに、永遠に何処にも辿り着けないのではないかと思う程に、遠い。背中の禰豆子の重みを感じながら、息をする事すら苦しくても、一歩でも、一歩でも前へと。それでも辿り着けない。でも、助ける。兄ちゃんが、死なせない。兄ちゃんだから、助ける。助けなきゃ。禰豆子、嫌だ、死なないで、一人にしないで。嫌だ、禰豆子……。

 

 ── こわいよ……お兄ちゃん……

 

 小さな身体、苦しそうな息、震える手。どうか、と祈ったその手の中で力尽きた小さな手。

 大事な、とても大切な手。守ってあげると約束したのに、必ず助けると誓ったのに。

 自分の命と引き換えにしてでも、助けたかったのに。

 どうして、どうして何も出来なかった。どうして防げなかった、どうして。この子が一体何をした。

 ベッドの脇の電子音が、その命の火が消えた事を無情にも知らせる。

 何も言えない、目の前の現実を受け入れたくない、ただただ呆然と、その手を握り続けていた。

 傍で叔父さんが絶望の慟哭を上げる。駄目だ、叔父さん、あなたも酷い怪我をしている。そんなに暴れたら、死んでしまうかもしれない。傷が開いて運ばれていく叔父さんの顔色は悪い。当然だ、目の前で娘を喪ったのだ。

 たった一人残された家族を、目の前で。何も、分からないまま。

 何があったのか、原因を知っているだけ、叔父さんの苦しみに比べたらきっとマシで。でも、耐えられなかった。

 この上叔父さんまで亡くしたら、もう。

 帰って来て、駄目だよ、叔父さんを一人にしちゃ駄目だ。……俺を一人にしないで、菜々子……。

 

 何処かの景色が一瞬混ざり合う。何時かの絶望がこの胸に蘇る。

 背に負った禰豆子が不意に暴れて、足元の雪に滑って禰豆子諸共崖下に落ちる。

 崖下に降り積もっていた雪で助かったが、落下した際に禰豆子を落としてしまった。

 禰豆子、禰豆子大丈夫だ、歩かなくていい、兄ちゃんが運んでやる。

 ……でも、もう手遅れだ、鬼になっている。

 突然襲い掛かっていた禰豆子の攻撃を、辛うじて手にしていた斧の柄で受け止めて。一体何があったのかと混乱する。禰豆子は禰豆子ではなかった、別の何かになっていた。「鬼」と言う言葉が自然と頭に浮かぶ。

 でもどうして、禰豆子は生まれた時からずっと一緒だった、禰豆子は生まれた時からずっと人だった。

 それに、禰豆子が皆を殺したんじゃない、禰豆子の口にも手にも血は付いてないし、そもそも禰豆子は六太を庇って倒れていた。あの場には禰豆子ではない「何か」の臭いが残っていた。なら、そいつが。

 でもどうして禰豆子が鬼になった、一体何で。

 鬼舞辻無惨、そうだ、そいつの所為だ。そいつが禰豆子をこんな目に遭わせた。皆を殺した。何も罪なんて犯す事も無く静かに暮らしていた、小さな幸せを全部壊した。

 鬼舞辻無惨、赦さない、お前を絶対に赦さない。心の海の最果てまで追い詰めて、薄汚いお前の存在の全てを根こそぎ消してやる。絶対に、赦さない。

 でも今は禰豆子の方が大事だった。苦しいだろう、辛かっただろう。あの雪の中、凍える様な寒さの中で、自分の流した血がゆっくりと凍り付いていくのを感じながら、腕の中の六太の温もりが消えて行くのを感じながら、何を思っていたのだろう、何を感じていたのだろう。ああ、ごめん、ごめんよ。助けられなくて、何も出来なくて。

 皆、何も出来ない内に、あんな惨い目に遭って。

 その場に居たのなら、助けられたのかもしれないのに。小さくても掛け替えの無い幸せを道端の雑草の様に踏み潰そうとしてきた鬼舞辻無惨を、この命と引き換えにしてでも消し飛ばせたのに、その力が自分にはあるのに。でも時間は戻らない。過去を変える事は出来ない。出逢った時点でもう全てが過去だったから、変えられない、変えてあげられない。だから、こうして見ている事しか出来ない。

 でもせめて、禰豆子だけは。何とかしなきゃ、何とか出来る可能性がある限り。禰豆子はたった一人残された家族なんだから。たった一人の、大切な……。もう、喪いたくない。

 

 禰豆子は鬼になった、鬼にされてしまった。それでも、禰豆子は完全に向こう側に行くその手前でギリギリ踏み止まっていた。その心には、確かに人としての禰豆子の心が残っていた。泣いていた。押し倒した獲物を前に、泣いていた。

 その尋常ならざる精神力は、家族を想ったからだと……そう思う。だって、禰豆子にとってもたった一人残された家族なのだ。禰豆子は最後まで家族を守ろうとしていたからこそ。だから。

 禰豆子の頸を斬る為に襲い掛かって来た者から、禰豆子を庇う。

 左右で布地が違う変わった意匠の羽織を身に纏った『鬼殺隊』の隊士。金の釦に、刀に彫られた「悪鬼滅殺」の文字。柱だ。……でも誰だろう、知らない人だ。

 ああ、冨岡さんだ。まだ名前は知らなかったけれど、とても恩がある人だ。禰豆子の為に、その命まで懸けてくれた。でも、この時はその未来をまだ知らない。

 斬られそうになった禰豆子の助命を嘆願して額を地に擦り付ける。雪の寒さは気にならなかった。

 でも、そうやって嘆願した所で、戦う事も出来ないその力も無い何の権力も後ろ盾も無い子供の言葉に、何かの力がある筈も無くて。惨めに這いつくばった所で、それに憐憫の情を懐いて貰う事すら儘ならない。いや、憐れんだ所でそれで鬼を斬る事を止める事など無い。それを冨岡さんは厳しい言葉で諭した。

 その言葉の意味を本当に理解出来る様になったのはもう少し先の事だけど。その言葉の強さに背を押された。

 だから必死に知恵を絞って抵抗して。でも、その抵抗は鍛錬を積んだ隊士の前には無力だった。

 それでも、気を喪った後に禰豆子が斬られる事が無かったのは、禰豆子自身が己の可能性と意志の強さを冨岡さんに示したからだ。

 禰豆子を喪う事が無かったのは、奇跡としか言い様が無かった。最初に駆け付けた隊士が冨岡さんでなければ問答無用で斬られていただろうし、その後の道を示して貰える事も無かっただろう。

 家族の亡骸を埋葬して、住み慣れた大切な家を後にして。

 禰豆子を人に戻す。その為だけに、先が見えないままに歩き出した。

 絶対に禰豆子を守るのだ、と。それだけを心に決めて……。

 俺は……──

 

 

 その時、首筋に鋭い痛みを感じて。意識は急に断ち切られ。

 その瞬間に、自分を取り戻した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
既に夢の中なので自分自身の夢は見ない。だが、他人の夢に引き摺り込まれる事はある。
偶然にも炭治郎の無意識のより深い場所に引き摺り込まれてしまい、不可抗力であるとは言え炭治郎の絶望を知った。
炭治郎の家族を奪った無惨への怒りと、同時にこんな夢を炭治郎に見せている魘夢への怒りが天元突破。


【竈門炭治郎】
夢から醒める為に自分の首を斬った。
自分の無意識の深い場所に悠が迷い込んでしまった事は知らない。
目覚める直前に、一瞬蒼い空間を垣間見たかもしれないが、その記憶は喪われている。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
もし悠が魘夢による「幸せな夢」を見ていた場合、八十稲羽で皆で平和に過ごしている夢になっていました。
死んでしまったあの人も。罪を犯してしまったあの人も。そして……狭間の地で生きた意味が分からない絶望に泣いていた女の子と、彼女に答えを出して共に去った男の子も。
そんな皆が居る、幸せな場所です。
でも、夢を見始めて直ぐに夢だと気付いてしまうので、早々に起きていたでしょう。


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『悪夢を討つ』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 首元に痛みを感じた瞬間に、その衝撃と共に飛び起きて。

 そして同時に聞こえた絶叫に驚いてそちらを見ると、首元を抑えた炭治郎が荒い呼吸と共にその首元を押さえている。その傍で何時の間にか箱の外に出ていた禰豆子ちゃんが叫び声に驚きつつも心配そうに炭治郎を見ていた。

 

 あれから一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。

 炭治郎を起こそうとして、「炭治郎の夢の中」に迷い込んで、そして何故か……恐らくは炭治郎の記憶を見ていた。炭治郎が家族を奪われたその日の、絶望の記憶を。

 まるで自分の記憶の様にも感じられたその過去の光景が目に浮かぶと同時に、その直前に見てしまった「炭治郎の夢」の残酷さが更に際立って、思わず目を瞑って、脳裏に浮かんだその光景を追い出す。

 後で、炭治郎とは話をしなければならない。決して自分が望んだ訳ではないとは言え、「炭治郎の夢」を覗いた上にその記憶まで暴いてしまったのだから。他人が踏み入ってはいけない傷に、触れてしまった実感がある。

 謝ってどうなるものでもないのだろうけれど、せめてものケジメとして。

 だが、それよりも先にこの状況を何とかしなければならなかった。

 

 恐らくは炭治郎が夢を終わらせる条件を見付けて実行したから自分もこうして目覚める事が出来たのだろうけれど、状況が劇的に改善された訳では無い。

 今目覚めているのは自分と炭治郎と、……そして恐らくは最初から眠っていなかったのだろう禰豆子ちゃんだけで。

 善逸も伊之助も煉獄さんも、眠ったままだ。いや、煉獄さんに関しては何故か立ったままの状態で、見知らぬ女性の首を窒息させるギリギリの所で絞めていた。何故か煉獄さんとその女性は腕の部分を謎の縄で繋がれている。

 いや、煉獄さんだけでなく、善逸にも伊之助にも、謎の縄が括りつけられていて。そして自分の手首にも、まるで雷で焼かれた様に焼き切れてはいるが、煉獄さんたちの手首に繋がれたものと同じだろう縄が巻き付いている。

 よく見れば、炭治郎の手首にも炎で焼き切られた様な縄が繋がっていた。

 そして、煉獄さん達の手首の縄の先は其々に見知らぬ誰かの手首に繋がれて、その繋がれた先の人達も眠りに就いている様だ。だが、他の乗客たちと違って、その顔は何処か険しい。

 他に何か無いだろうか、と辺りを見回していると、切れた縄を手首に繋いだ男達が居た。片方は完全に気を喪っているらしく、息をしてはいるのだが白目をむいている。その手首の先の縄は雷に焼かれた様になっているので、もしかして自分の手首の縄に繋がれていたのがこの人なのだろうか。

 そして、もう一人、手首の先に焼き切れた縄を括られている人は、目覚めてはいる様だけれど、彼は静かにはらはらと涙を零していた。……何があったのだろうか。その顔は、何処かスッキリとしている。少なくとも此方への害意は感じなかった。

 とにかく、今は状況を早く把握して、鬼の襲撃に備えなくてはならない。

 

「炭治郎、大丈夫か?」

 

「鳴上さん……これは、一体……」

 

 首元を押さえ荒い息をしていた炭治郎が少し落ち着いたのを見計らって声を掛け、その傍で心配そうに炭治郎を見上げていた禰豆子ちゃんの様子も改めて観察する。

 二人とも、少なくとも外傷は無さそうだ。……炭治郎の心への傷は、見ただけでは分からないが。

 

「正直俺にもよく分からない。恐らくは血鬼術によって、皆が突然眠ってしまって。

 起こそうとはしてみたんだが、俺も眠ってしまったらしい。

 それで、気付いたらこんな状況になっていた」

 

 見知らぬ人たちが縄で繋がれているのを怪訝そうに見た炭治郎は、ふと何かに気付いた様に自分の手首に残った縄の匂いを嗅いで、そして懐から取り出した切符の匂いを嗅いだ。

 どうやら、切符と縄から微かにだが鬼の臭いがしたらしい。炭治郎の嗅覚でもよく気を付けていないと気付け無い程の微かなその鬼の臭いがするそれらを基に血鬼術を発動させて皆を眠らせたのではないか、と炭治郎は言う。自分も臭いを嗅いでみるが、残念ながら全く分からない。それ程微かな気配で強力な血鬼術を発動させるとは、この列車に潜む鬼は相当に手強い存在であるのかもしれない。

 そして、縄で繋がれたこの人たちは一体誰なのだろう。恐らくは鬼の仕業なのだろうけれど、これに一体何の意味があるのか……。分からないが、このままにしておくのは不味いだろう。特に、煉獄さんが締め上げている相手は下手をすると窒息しかねない。鬼に操られているにしろ鬼に自発的に協力しているにしろ、人を殺してしまうのは煉獄さんの本意では無い筈だ。

 縄を断ち切ろうとして、寸前で思い止まった。何と無く、胸騒ぎがする。ただ単純に縄を斬るのは危険なのかも知れない。炭治郎も同じ意見らしく、これが鬼の血鬼術の一部であるなら、単に縄を斬ると何かの罠が発動するのかもしれない。その為、鬼と血鬼術によるものだけを燃やせる禰豆子ちゃんの血鬼術に任せる事にした。

 血鬼術を使用すると消耗させてしまうらしいのだが、此処は安全を取る為なので禰豆子ちゃんには頑張って貰う。

 全ての縄を燃やし切って、後は『アムリタ』で一気に煉獄さん達の目を覚まさせるだけ、となったその時。

 突然、錐の様な物を手に、襲い掛かる存在があった。

 

 咄嗟に身を反らして避けて、その手を捻り上げる様にしてその動きを止めると。それは先程煉獄さんと縄で繋がれていた女性であった。

 凄まじい形相で睨みつけてくるが、その気配は間違いなく人であるし、ついでに言うなら全く見知らぬ相手である。鬼に操られているのだろうか、と困惑していると。善逸や伊之助と縄で繋がれていた男女も何時の間にやら目覚めていて武器を手ににじり寄ろうとしてくる。

 一般人だろう身のこなしの相手に下手に手を出す事は出来ず、自分だけでは無く炭治郎も困惑していた。

 

「何でこんな事を? どんな事情があるのかは知らないが、そんな物を人に向けてはいけない。

 鬼に脅されているのなら──」

 

 その鬼は今から退治するから安心してくれ、と。そう言おうとした言葉に、手を捻り上げている女性は噛み付く様に吼える。

 

「離しなさいよ! 何で邪魔をするのよ!! 

 あんた達の所為で、このままじゃ夢を見せて貰えないじゃない!!」

 

 ……どうやら、この人たちは自分の意思で鬼に協力していたらしい。さっきまで縄で繋がれていたあの行動にどんな意味があったのかは知らないが、ろくなものでは無いだろう。

 この人たちにどんな事情があったのかは正直知った事では無い。弱った心に甘い夢を注ぎ込まれ、正常な判断能力を喪った可哀想な人達であるのかもしれないが。ただ何にせよ、自分達の意思で炭治郎たちを害しようとしたのは確かだ。鬼に「幸せな夢」を見せて貰う為に、他人を捧げる事を選んだ人たちだ。

 別に、この人たちを許せないだとか裁きたいだとかは思わないけれども。

 ただ、無為な憐れみを向けて、刺されてやる訳にはいかない。

 

「何してんのよ! あんたも起きてるならこっちに加勢しなさいよ!」

 

 手を捻られて抵抗出来ない女性が、自分達が起きた時にはもう起きていて涙を静かに零していた青年へと叫ぶ。

 だが、彼には此方を害しようなどと言う意志は無いらしく、女性に唆されようとも席に座ったままだ。

 恐らくは炭治郎と繋がれていたのだろうその人は、そっとその首を横に振る。

 

「何よ!? 今更怖気付いたって訳!? 結核だか何だかは知らないけど、それならあの人に言って夢を見させて貰えない様にするけど、それで良いって事!?」

 

 女性の脅しに、男性は構わないとばかりに首を振る。その身体は随分と痩せていて、苦しそうだ。

 結核、と聞いた瞬間。炭治郎はとても悲しそうな顔をする。そして、彼等の傷付いた心に付け込んで弄ぼうとしている鬼に対しての怒りがその瞳には宿っていた。

 結核……。それは長らく不治の病として猛威を奮う病気だ。平成の時代になっても、根絶には至っていない。

 結核に対して初めて有効な抗菌薬であるストレプトマイシンが線虫から発見されるのが、1944年。それまでは不治の死病にも等しい病であり、当然ながら大正時代の医療では治す術は無い。静養と栄養療法以外の治療法は存在せず、そしてそれで治す事は出来ないのだ。

 死が近付き、呼吸すら儘ならぬ苦しさから逃れる為に鬼の見せる夢に縋ろうとしたのか……。

 ……だが彼は、どの様な心変わりをしたのかは知らないが、夢に縋ろうとする事を止めていた。

 

「あなた達にどんな事情があるのかは俺には分からない。別に、知りたくも無い。

 でも、他人を害してまで見る夢は、本当に「幸せな夢」なのか? 

 それに、あなた達が縋ろうとしている鬼が素直に「幸せな夢」を見せてくれると、本気で思っているのか?」

 

「「幸せな夢」が見たくて何が悪い!? 何も知らないくせに! 

 それに、あの人は一度試しに「幸せな夢」を見せてくれたわ! 

 あの夢をまた見る為なら、何だってする! それの何が悪いの!?」

 

 喚く女性の顔は必死だった。どんな事情があるにせよ、一度舐めてしまった猛毒の甘露を忘れる事が出来ないのだろう。

 その先に地獄しか存在しない事を、気付いていたとしても目を逸らし、鬼に従うしかない。

 ……自分の見たい物だけを見て、自分の都合に良い事だけを考えて。彼女たちは皆、虚ろの森の中に囚われているのかもしれない。……そこで一生蹲って生きるのか、或いは何処かに歩き出すのかは知らないが。

 ただ、多少なりとも同情心にも似た憐憫はあったので、忠告だけはする。

 

「……あなた達が自分の為に傷付けようとしている相手もまた、それぞれの事情を抱えて生きている者だ。

 誰もが完全無欠の幸せの中に生きている訳じゃない。あなたの苦しみはあなただけのものだが、あなた以外の誰もがあなた以上に恵まれて満ち足りているだなんて思わない事だ。

 苦しくても、哀しくても。それでも、皆生きている。生きているんだ。

 それを傷付けようとする事を、俺は看過出来ない。

 それに……一度見せてくれたからと言って、その鬼を信用するのは止めた方が良い。

 夢を見せてくれたとして用済みになったあなた達は生きながらにして喰われるだろうし、……あなた達にこの様な事をさせる鬼が素直に誰かを「幸せ」にするとは思えない。縋る相手を致命的に間違えている」

 

 そして、これ以上話し合っていた所で無駄だろうと判断し、ペルソナの力を使って此方を襲おうとする彼等を眠らせる。眠りに誘う歌を耳にした瞬間にその場に崩れ落ちる様に眠った彼等が、その眠りの中でどんな夢を見ているのかは知らない。彼等が望んだ「幸せな夢」なのか、それとも悪夢なのか。それは彼等の心が決める事だ。

 

 突然、自分達に襲い掛かって来ていた鬼に与する一般人たちが眠ってしまった事に炭治郎は驚いていたが、特には何も言ってこなかった。そう言えば、炭治郎の前でペルソナの力を使ったのはこれが初めてであったかもしれない。まあ、良いだろう。今はそれを気にするよりも先にしなければならない事がある。

 煉獄さん達を眠らせている血鬼術を『アムリタ』で解除しようとして、その時ある事が頭を過って手を止めた。

 そして、此方を襲おうとしなかった、結核に蝕まれていると言う名も知らぬ青年を手招きする。

 

「……手を、握らせて貰っても良いですか?」

 

 困惑しつつも手を差し出してきた彼のその手をそっと包む様に握って、『アムリタ』を使う。

 淡い輝きが彼を包み込み……そして、困惑しながら瞬きしていた彼は、少ししてから驚いた様に胸の辺りを押さえた。

 

「……完治させる事は出来なかったかもしれませんが、少しは楽になれたと思います。

 ……病は苦しく、心を酷く蝕むものだけれど。

 どうか願わくば、俺達を襲おうとしなかったその優しさを、この先も喪わないで下さい」

 

『アムリタ』や癒しの効果を持つ力の多くは、どうやら直接相手に触れて発動させると元々の効果に近いものを発揮出来るらしい。他の力も、直接相手に触れた方がより強い効果を顕す事が多い事も、何度かの実戦を経て掴めてきた。

 単純な外傷や血鬼術の様な特殊な「病」の様なものでは無い結核に対し、『アムリタ』の癒しの力がどの程度効くのかは未知数であったが。少なくともその呼吸を一時的であるにせよ楽にしてやる事は出来た様だ。

 

「……ありがとう。何と、お礼を言えば良いのか……」

 

 また静かに涙を零した青年に、気にするなと首を横に振る。自分に出来る事をしただけであるし、炭治郎が自分と同じ力を持っていれば必ずそうしただろうと思ったからだ。それに、炭治郎に繋がれて何かをさせられていたこの青年が、どんな経緯があったにせよ炭治郎を傷付けなかった事だけで十分だった。

 

「今から激しい戦いになるかもしれません。何処が安全とは言えませんが、どうか気を付けて。

 乗客の皆さんは、俺達が出来得る限り守りますから」

 

 頷いた彼にそれ以上の言葉は掛けず、空いていた席に眠り込んでいる女性たちを運び座らせる。

 襲ってきた相手ではあるが、彼女等も『鬼殺隊』が守るべき人達だ。

 

 眠りに落ちていた煉獄さん達は、『アムリタ』によって無事に目覚めた。……善逸だけはまだ眠っている様な感じだが、少なくとも血鬼術の影響からは抜け出せている様なので大丈夫だろう。

 

「血鬼術によって転寝していたとは、よもやよもやだ。柱として不甲斐無し! 穴があったら入りたい!! 

 ところで、血鬼術を解除してくれたのは鳴上少年か?」

 

 目覚めて早速元気な声を上げたのは煉獄さんだ。

 まあ、余りにも巧妙な血鬼術だったので、気付け無いのも正直無理は無い話だったと思うのだが、柱と言う立場としてはそれではいけないのかもしれない。厳しい世界だ。

 

「はい、そうです。

 他に禰豆子ちゃんの血鬼術によって、妖しい血鬼術の掛かっていた縄を焼き切ったりしました。

 どうやらこの列車の何処かに潜む鬼は、人を「幸せな夢」を見せると言う甘言で釣って操っている様です。

 先程、煉獄さん達に何かをしようとしていた人達は無力化させましたが、もしかしたらまだ鬼に与する一般人が何処かの車両に潜んでいる可能性はあると思います」

 

「成る程、胡蝶から聞いてはいたが、鳴上少年には血鬼術を解除し人を癒す力がある様だな。頼もしい限りだ。

 それに、竈門少年。君の妹もよくやってくれた。礼を言おう。

 さて、問題は鬼が何処に潜んでいるか、だな」

 

 搦め手を得手とする様な血鬼術を持つ鬼相手に無策で突撃するのは無謀の極みである。

 状況的にあまり猶予は無いかもしれないが、一先ず必要なのは作戦を決める事だ。

 現状分かっているのは、相手の鬼はこの列車の何処かに潜んでいると言う事、眠りに関する血鬼術を持つ事、そしてその総数は不明だがこの列車の何処かには鬼に与する一般人が居るだろう、と言う事だ。

 夢と眠りに関する血鬼術に関しては、切符を切らせて発動させるものだけではないだろう。

 嗅覚・聴覚・視覚・触覚などの感覚を媒体に相手を強制的に眠らせて来る事も考えられるし、或いは一定範囲内に入った場合や、何かしら仕掛けていた罠に掛かった場合に強制的に眠らせてくる事も考えられる。

 シャドウとの戦いではありとあらゆる手段で攻撃される事が常だったので、そう言った想定は必要だろう。

 シャドウとの戦いでは基本的に何でもありだったし、血鬼術も割と何でもありだ。想定外の事態は当たり前に起きる事ではあるが、想定しておく事は重要である。まあ少なくとも、鬼はシャドウとは違って物理無効だったり反射・吸収したりする事は無いので、日輪刀で頸を取れば勝てる、と言う攻略法が存在するのはとても有難い事ではあるが。

 相手の鬼の厄介な所は、「理性」がある為「人間を使う」と言う発想が普通にあるし、利用する人間をその場で食い散らかす事を我慢出来る、と言う事だろう。『鬼殺隊』はあくまでも鬼を狩る組織であって、一般人は全て守るべき対象だ。その守るべき一般人の中に便衣兵の如き存在が混じっている可能性があるのは、かなりの問題だ。

 もし鬼を狩るその瞬間に突然横入されたりすれば、それに気を取られ命を落とす事にもなりかねない。

 普通の人なら躊躇して出来ない様な内容でも「幸せな夢」と言う蜜で理性を麻痺させて操ってしまえるのも厄介だ。いっそ、乗客全員を自分の力で確実に眠らせて無力化させた方が安全なのでは無いだろうか。

 眠らせるだけなら、後遺症の類は一切発生しないのだし。

 とは言え、流石に敵意を向けられている訳でも無いのに、一般人に対して力を使う様な事は出来ない。

 やって良い事と駄目な事は当然存在するのだから。

 

 鬼の位置の索敵に関しては、感覚の鋭い伊之助と炭治郎が担う事になった。

 炭治郎が言うには、風で臭いが流れてしまっていて確かな事は言えないが、前方車両の方から鬼の臭いを感じるらしい。伊之助も、前方からビリビリ感じると言っているので、鬼が前方の方に居るのは間違い無いのだろう。

 ただ……どうやら前方だけでなく、後方の方も嫌な感じはするらしい。いや、ハッキリ言うと、この列車全体が嫌な感じを放っているそうだ。

 一体どう言う事なのかは分からないが、このまま前方に戦力を集中させて後方の隙を突かれるのは危険だろう。

 それに、他の車両の乗客の状態も気になる所だ。眠っているのか、それとも起きているのか。

 眠っていて無防備なのも良くは無いが、目覚めている場合、鬼との戦闘が始まった際に乗客がパニックになる可能性もある。パニックになった群衆程、恐ろしい上に制御出来ないものはない。

 その為、前方に向かう者と後方に向かう者、この車両に残って警戒する者の三手に別れる事とする。

 炭治郎と伊之助は屋根の上を伝って前方へ、自分は車両を通って乗客の状態や鬼に操られている人が居ないかを確認しつつ前方へ、善逸と禰豆子ちゃんはこの車両を中心に眠っている乗客たちの安全の確保、そして煉獄さんは後方五両の状態を確認し次第前方へと向かうとの事だった。

 室内戦……と言うか、この狭い車両内でしかも眠る乗客が半ば人質となった状態で戦わねばならない。中々に厳しい戦いになるだろう。周囲を巻き込んでしまいやすい自分にとっては特に厄介だ。

 

 血鬼術による眠りから自力で覚醒する方法は「夢の中で自殺する事」であると炭治郎は言った。

 炭治郎は、自ら頸を斬る事で覚醒したらしい。それで、起きた直後に首元を押さえて絶叫していたのか……。

 夢を夢であると瞬時に把握する事は決して簡単な事では無いが、炭治郎も伊之助も煉獄さんも、相手がそう言う血鬼術を使うと分かっているのであれば夢と現実を識別して覚醒する事は可能だ、と言った。

 ……それにしても、勝手に「幸せな夢」とやらを見せておいて、その覚醒手段が自殺とは、全く以て不愉快極まりない手段を使う鬼だ。悪質にも程がある。

 例えそこが夢だと理解していたとしても、自殺するのは勇気がいる事だ。しかも、そこはその夢を見ている者にとっては「幸せな夢」で。その夢を終わらせる為に態々自殺を選べる人がどれ程居るのだろう。

 炭治郎は夢の中で現実の禰豆子ちゃんが血を流している事に気付いたから、自殺してでも目覚める事を選べたと言う。

 ……本当に、炭治郎は強い人だ。そして、その強さを支えているのは禰豆子ちゃんと、……そして喪ってしまった大切な家族たちなのだろう。

 

 そして、鬼との戦いに関して懸念すべき事はまだある。鬼が夢の内容を操作出来るなら、「幸せな夢」ではなく、「最悪の夢」や「現実と殆ど変わらない夢」を見せて来る事も有り得るだろう。悪夢なら悪夢と切り捨てる余地はあるが、最も厄介な事になる可能性があるのは「現実と殆ど変わらない夢」である。単純に気付くのが遅れるだろうし、何度もその様な夢を見せられ続ければ、夢と現実の境が分からなくなってしまう可能性もあるだろう。

 何をしてくるかに関しては予想が付いても、その発動条件は未だ不明であり油断は出来ない。

 だが、戦う他に無いのだ。

 走行中の列車と言う檻の中に大量の人間を囲い込んだ鬼が何を仕出かすか知れたものでは無い。

 戦わなくては、人々を守る事は出来ないのだから。

 

 炭治郎と伊之助は窓から身軽に車体の上に飛び乗って前方へと駆け出す。

 自分も、注意しつつ前方の客車へと向かった。

 どの車両の乗客も、皆眠りに就いている。鬼の気配は感じるが、何処にも鬼の姿は無い。警戒しつつも車両の状態を確認していると。先頭車両の床で、自分達の切符を切った車掌さんが涙を零しながら眠っている所を発見する。

 ……恐らくは、この人も鬼に唆されて協力した人なのだろう。……今は、その報酬の「幸せな夢」を見ているのだろうか。……それは分からないが、こんな場所で眠っていては危ないだろう。眠っている為に無抵抗な彼も、空いていた席に座らせる。

 自分に炭治郎たち程の類稀なる知覚は無いが、確かに車両の前方に近付く程に嫌な感じは強くなっていく。

 しかし、その嫌な感じは前方から感じるもの程で無くとも床からも天井からも……車両全体から感じる。

 まるで、この列車の全てが既に鬼の掌の上にあるかの様であった。

 座席に座ったまま眠り続ける人々は誰も、自分が化け物の口の中に半ば咥えられている事など知らず、眠りこけている。このまま、恐ろしい事が自分の直ぐ傍で起きていた事など知らせる事無く鬼を討てればそれが最善だが……。

 

 客車の端まで来たので、この先に在るのは炭水車と運転室だ。こうして列車が動き続けていると言う事は、運転士の人は目覚めて仕事をしている状態なのだろうか。

 鬼は血鬼術で人々を眠らせているだけなので、騒ぎらしい騒ぎは起きておらず、客車から離れている運転室では車内カメラなど存在しないこの時代では背後で何が起きているのかを把握する事は難しく、淡々と仕事に励んでいる可能性はある。或いは、運転士も鬼に唆されてその協力をしている可能性も考えるべきであろう。

 それとも、そこに運転士は居らず、鬼が何らかの方法で動かし続けているのだろうか。

 何にせよ、状況を把握する必要があった。

 

 客車から炭水車に飛び移ろうとしたその時だった。

 

 

「言う筈が無いだろう、そんな事を、俺の家族が!! 

 俺の家族を侮辱するなアァァアァァッ!!!」

 

 

 嚇怒とでも表現するべき程の、その声と共にその怒りが直接心に響いてくる様な、そんな怒りに満ちた炭治郎の咆哮がやや後方の客車の上から響いてきた。

 鬼と遭遇し、戦っているらしい。

 咄嗟に車体の上に飛び乗った瞬間。

 炭治郎の刀が、まるで空を縦横無尽に駆ける竜がそれを食い千切ったかの様に鬼の首を落とす。

 鬼の首は客車の屋根を転がり、その身体は力無く倒れ。

 だが、鬼の気配は全く消えない。それどころか、より一層強く、列車全体を覆い尽くしていく。

 何かを感じたのか炭治郎は怪訝そうな顔になり、伊之助は四方八方から感じる嫌な感覚に気が立っている様に周囲を警戒している。

 そして、落とした筈の鬼の首が動いた。

 

()()()()「柱」に加えて「耳飾りの君」を殺せって言った気持ち、凄くよく分かったよ」

 

 気持ちの悪い音を立てながら、首が列車の車体と融合していく。いや、最初から「同じ」だったのか? 

 余りの気持ち悪さに、自分よりも更にその近くに居る伊之助は「気持ち悪い!!」と叫んでいる。気持ちは分かる。鬼に美的センスがどうこうと言う概念は無いのかもしれないけれど、それにしても限度はあると思う。

 とにかく気持ちの悪い肉の柱の様な姿になりながら、鬼は炭治郎を煽る様に語り続ける。

 自分達が眠っている間に、鬼は既にこの列車自体と融合していた。つまり、列車内で眠っている乗客たちは皆、既に鬼の腹の中に居るに等しい状態だ。安全な場所など何処にも無い。

 今自分達が立っているこの屋根だって、鬼の肉体の一部でしか無いのだ。何時でも襲い掛かって来れる。

 そして鬼の肉体を削ろうとして車体を損ない過ぎてしまうと、今度は乗客たちが走行する列車の車外に放り出されてしまいかねない。こんなスピードで走っている列車から放り出されたらどうなるのかなど、子供にだって想像が付く。とにかく不味い状況であった。数百人の人質を抱え、鬼が何時でもそれを喰い荒らせると言う状況だ。

 朝日に当てれば鬼を倒せるだろうが、夜明けはまだ遠い。最悪の事態に備えて、せめて列車を止める様にするべきか? いや、鬼が融合してしまったこの列車が、蒸気機関を止めた所で止まるのだろうか。

 メギドラオンなどで列車自体を消し飛ばせば鬼を倒す事は出来るだろうが、自分には鬼だけをピンポイントに狙う事は出来ない。乗客も、そして炭治郎たちも、皆を攻撃に巻き込んでしまう。だから出来ない。

 

 足元の客車では既に、鬼が乗客たちを喰おうと「つまみ食い」を始めつつある様だった。

 気持ちの悪い肉塊が壁から床から天井から座席から、と。車体のありとあらゆる場所から生え出して、そしてこの様な状況でも目覚める事無く眠ったままの人々を拘束し喰い荒らそうとしている様だった。

 炭治郎も伊之助も、一旦客車内に降りて、人々を襲う肉塊を斬り捨てて乗客たちを守ろうとしている様だが、如何せん鬼は無尽と言っても良い程に肉塊を幾らでも増やす。キリが無い。

 そして、自分も客室に入って肉塊を斬り捨てていくが、とにかくやり辛い。

 自分は十握剣を使ってはいるが剣術に特化している訳でも無いので、薙ぎ払ったり断ち切ったりは得意だが、ここまで肉塊と乗客たちとが入り混じった状況で、炭治郎や伊之助の様に精密なコントロールで肉塊だけを狙うと言うのはかなり難しい。どうやら、こういった乱戦にはとことん向いていない様だ。

 とは言え、得意では無いからと言ってやらない訳にはいかない。自分が一瞬でも躊躇えばこの車両の人達は殺されてしまう。他の車両は、炭治郎たちや煉獄さんが守ってくれていると信じる事しか出来ない。

 今全体の状況がどうなっているのかと言う事すらろくに把握出来ない。心から、りせの情報支援が欲しかった。

 だがそれが無い物強請りなのも分かっている。

 天井から無数に伸びて来る肉塊が鬱陶しくて、車体の屋根ごと斬り飛ばしたくなるがそんな事をすれば乗客が危険だ。それも出来ない。

 自分が使える力の中でこの状況でも使えそうなものを探すが、乗客たちを守りつつ、列車全体に広がった鬼に対して適切に効果を発揮出来そうなものは中々思い付かない。

 

 どうする、どうすれば良い? どうすれば、誰も死なせずに鬼を倒す事が出来る? 

 

 考えて、考えて。考え抜こうとしていたその時。

 列車全体が激しく振動したかと思うと、何時の間にか目の前に煉獄さんの姿があった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 最後尾の車両から先頭車両まで、一気に駆け抜けながら鬼の身体となった車体を崩壊させない程度に斬り刻んでやって来たと言う煉獄さんの指示は、大変明快なものであった。

 全八両の内、後方の五両は煉獄さんが、前方の三両は禰豆子ちゃんと善逸が、そして炭治郎と伊之助が鬼の急所を探りそこを攻撃する。自分は、怪我人が出ない様に気を付けつつ、炭治郎たちの援護をする様に、と。

 そう言うなり、煉獄さんは再び後方の車両へと戻っていく。床板を踏み出すその強さの余り、客車はまるで地震に遭ったかの様に派手に揺れた。そんな中でも、熟睡している乗客たちが目覚める気配は無い。

 

 急所……頸がこの列車の何処かにあるとするならば、それは前方の機関部だろう。

 機能的にも、蒸気機関の心臓部とも言える場所は其処だ。

 改めて運転室に向かって移動すると、後方から炭治郎と伊之助も運転室へと向かって駆け寄って来る所だった。

 伊之助が探知した所によると、やはり鬼の急所はそこであるらしい。

 伊之助が運転室の屋根を斬り刻み乗り込む。そこは既に鬼の支配下にあり、斬られた端から肉が盛り上がって再生していくので完全に塞がる前に炭治郎と共に乗り込む。

 そこには運転士が一人残っていて、突然乱入して来た伊之助に困惑している様だった。

 だが、伊之助に対して困惑はしていても、それ以外の……気持ちの悪い肉塊には取り乱していない。恐らく、この運転士も鬼に「幸せな夢」を餌に操られている者なのだろう。

 自分の急所に近付かれた事を察したのか、運転室の一体の床などが変形し、不気味な肉で出来た無数の手になって襲い掛かって来る。鬼の急所を狙って果敢に切り込んだ伊之助は大波の如く押し寄せてきた手を捌き切れず掴まり首を押し潰されそうになるが、そこは炭治郎の流れる様な一撃で救出する。

 

「炭治郎! 急所は分かるか!?」

 

 とにかく鬼の急所を探さねばならないが、この辺りの何処かにありそうなのは気配で分かるのに自分ではそれ以上の事は分からなかった。

 炭治郎は頷いて、この真下……運転室の床だと答えた。炭治郎は伊之助にも伝わる様に言ったのだが、伊之助は「親分に命令するな!」と怒鳴る。しかし炭治郎はそれに反論する様子も無く頷いた。

 この真下であると言う事が分かれば話は早い。

 十握剣では急所を切断したからと言って殺せはしないが、それを覆う鉄板を斬り裂くなど造作も無い。

 加減しつつ叩き付ける様に振り下ろすと鉄板は薄いアルミホイルの様に千切れ飛び、その下の機関部と融合した頸の骨の様な構造を半ば斬り裂く。

 その瞬間、凄まじい速さで四方八方から肉の手が伸びて、骨を守ろうとするかの様にそれを覆う。

 骨を断つ為に振り下ろした炭治郎と伊之助の刀は、固く急所を守ったその肉の塊に阻まれて、頸には届かない。

 そして、更に守りを固めようとしたのか、運転室全体を呑み込む形で肉塊がその形を一気に変える。

 

 急な変化に巻き込まれない様に、全員でその場を一旦離脱した。運転士も、炭治郎が抱えて無事に退避させている。鬼に協力している人間が何時妨害してくるとも知れないので、少し乱暴ではあるが彼には気を喪って貰う事にし、戦闘に巻き込まない様にと炭水車の陰に隠した。

 鬼は徹底的に急所を防御する事に決めた様で、運転室は最早その面影など微塵も無い、気持ちの悪い肉によって作られた肉の塔の様な有様になっている。

 この肉の塔を削ぎ落して、急所を守る肉を斬り裂いて、その上で頸の骨を断たねばならない。

 だが、問題は無い。肉の塔を削ぎ落す事なら造作も無いし、周囲に乗客などが居ない今は存分に力を揮う事が出来る。炭治郎たちの合図と共に走り出そうとしたその時だった。

 肉の塔から、急に目玉や口の様なものが生えたのだ。

 そして、その目と視線が合った瞬間。炭治郎の身体が脱力した様に揺れ、しかし直後には気を取り戻した様に踏み締めて、そしてまた目と視線が合って脱力する、と言う一連の謎の行動を繰り返す。

 目玉は自分の方もずっと見てきたが、それ以上の事は起こらない。

 だがもしかして、目玉の視線を通じて炭治郎は眠りの血鬼術にかけられているのではないだろうか。

 そして、その度に炭治郎は自害を繰り返して覚醒しようとしている。

 伊之助はと言うと目玉の視線は被り物のお陰か無効化出来ている様だが、異形の口から囁かれる「眠れ」と言う言葉に一瞬意識を喪っている様だ。

 中々意識を保てなくなっている二人を狙って迫って来る大量の肉の手を、それらを全て斬り伏せる事でどうにか切り抜けるが、この眠りの血鬼術をどうにかしない事には二人が危険である。

 その為、炭治郎と伊之助の肩に手を触れて、ペルソナの力……『自浄メメント』を使う。

 そう長く持つ訳では無いが、状態異常の類をこれで予防出来る筈だ。血鬼術による眠りにも有効だろう。

 

「二人とも、あいつの血鬼術を少しの間だが無力化した。これで強制的に眠らされる事は無い筈だ。

 今の内に、一気に攻めよう!」

 

「ありがとうございます、鳴上さん!」

 

「子分として良い働きをするじゃねぇか。褒めてやるぜ、カミナリ!」

 

 三人で頷き合って、一気に駆け出す。

 自分の血鬼術が炭治郎たちに一切効かなくなった事を悟った鬼は、列車中から一気に肉を搔き集め、運転室ごと肉の海の中に取り込もうとする。だが、周囲を分厚い肉の壁に囲まれた所で問題は無い。

 軽く飛び上がる様にして、視界に全ての目標を収めた。

 

「──空間殺法!」

 

 ペルソナの力を借りた一撃が、視界全てを縦横無尽に斬り裂く様に走る。

 分厚い肉の壁も、見苦しかった肉の塔も、その全てが鬼の絶叫と共にバラバラに引き裂かれ消えた。

 

「伊之助! 炭治郎! 今だ、決めろ!」

 

 少し強力な力を使った反動で意識していないと身体がふらつき始めそうだ。

 だが、直ぐに気を喪ったりする程では無い。まだ戦える。

 

──獣の呼吸 肆ノ牙 切細裂き!! 

 

 硬い肉に覆われたそれを、伊之助の獣の咢で咬み裂く様な斬撃が斬り刻み、その下にある頸の骨を露出させる。

 そして露出した骨に向かって、空かさず炭治郎が攻撃を加える。

 

──ヒノカミ神楽 碧羅の天! 

 

 炉の中で轟々と燃え盛る炎の様な音と共に、まるで炎で象られた真円を描くかの様な斬撃が、運転室の床ごと頸の骨を完全に断ち切った。

 完全に後方から離断された機関部が衝撃に揺れながら前方へと進もうとしたその時。

 

 鬼の断末魔と共に、激しい揺れが列車全体を襲った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
敵と味方が入り混じる乱戦や周囲に被害を出す訳にはいかない市街地戦は苦手で、無限列車の様な状況下の戦いだと特にその力を発揮し切れない。ペルソナの力が強過ぎる事の弊害。
炭治郎の過去を不可抗力で覗いてしまった事をとても気にしている。
炭治郎が腹を刺される事は、そうと知らぬ内に回避した。
自分の夢に入ろうとしていた人が、雷に撃たれた様な衝撃と共に気絶した事を悠は知らない。


【竈門炭治郎】
悠が早々に皆を起こしてくれたので、原作よりも余裕を持って魘夢と対峙出来た。それでも胸糞悪い悪夢を見せられたので激怒。
ペルソナの力を間近に見たのは初めてで、『アムリタ』を発動させた時にはとても優しい匂いがする……と驚いているし、『空間殺法』の攻撃範囲の広さと威力に驚いている。


【我妻善逸】
寝ている方が強い男。禰豆子ちゃんは俺が守る……!


【嘴平伊之助】
『強制昏倒の囁き』は有効なので何度か眠ってしまったが、その度に野生の本能を発揮して起きた。
子分どもは俺が守ってやらないとな!


【煉獄杏寿郎】
原作よりもマシな状況で起きれたけど、血鬼術にかかっていた事には変わらないので不甲斐なし!
状況判断が早く、経験から来る指示の出し方も適切な頼れる兄貴。魘夢からすれば、腹の中を細かく切り刻まれるなんて堪ったものではない。


【魘夢】
自分の血鬼術が全く通用しない相手が居る事に、コイツは本当に人間か?と悠を疑っている。鬼では無いのは分かる。
何て悪夢だぁ……。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
結核を患っていた人は、完治こそ出来ていませんがその病勢は物凄く抑えられています。長生き出来るかはその後の養生次第ですが、少なくとも身を苛む苦しみからは解放された様です。
炭治郎の無意識領域から貰った優しさの温かさを噛み締めて、これからの人生を生きていくでしょう。


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『暁闇を祓う者』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 炭治郎が頸を斬ったその瞬間、断末魔を上げのたうち回る様に激しい揺れが襲い掛かって来た。

 今はこの列車全体が鬼の身体になっているのだ。恐らくは最後部の車両に至るまで、この激しい揺れに襲われている事だろう。

 のたうち回る様に揺れながら、鬼の肉が盛り上がっては崩壊しそして其処から増殖する、と言った様な無秩序な動きを見せ、車両全体が線路から跳ね上がった。

 このままでは脱線する、横転する。

 しかも機関部は既に切り離されたとは言え、列車はまだ十分以上のスピードが出ている。

 

 不味い、不味過ぎる状況だ。

 炭治郎と伊之助と同様に、のたうち回る様に跳ねる車両から振り落とされない様に運転室の残された部分にしがみ付いて耐えようとしつつ、このままだと明らかに大惨事になる事を予見し、血の気が引いていた。

 脳裏には、過去に起きた様々な悲惨な結果になった鉄道事故の情報がまるで走馬灯の様に流れ、自分達がどうにかしなければ最悪の事態になりかねない事を自分が得てきた知識は必死に主張する。

 鬼がのたうち回ろうとする音とはまた別の、恐らくは煉獄さんが何かをしているのだろう激しい音が後方の車両から響き、音が響く度に跳ね上がった車両の勢いは少し落ちるがそれでは到底足りない。

 列車のスピード自体は止められないし、しかも横転する事自体はそれでは防げない。

 どうにか死者を出さずに済んだとしても、重傷者は確実に出てしまうし、それこそその後の人生が滅茶苦茶になりかねない程の傷を負う人もこのままでは出てしまうだろう。

 しかも、今乗客たちは一人残らず眠っているのだ。衝撃の瞬間に咄嗟に身を守る事も出来ない。無防備な状態のまま列車が横転すれば、大変な事になる。

 人や荷物などに潰されてしまう人も出てしまうだろう。

 どうにかスピードを落とさなくては、そして横転するのを防がなくてはならない。

 

 自分に出来るかどうかと言う問題では無く、やらなければならない事だった。

 だから。

 

「炭治郎! 伊之助!

 今から何とかして列車を止めるから! 

 だから、絶対にそこから動くな!

 何があってもそこにしがみ付いていてくれ!」

 

 運転室にしがみ付く二人に怒鳴る様にそんな声を上げて。

 そして、炭水車の陰に隠していた気絶した運転士を庇う様に、その上に覆いかぶさりながら。

 全力で『マハガルダイン』を使って、線路から浮き上がる車両を押さえ込む。

 

 それは、宛ら大気の巨人の手で跳ね回る列車全体を押さえ付けている様な感じであった。

 本来なら範囲内の全てを巻き上げ跡形も無く斬り刻む程の大規模気象現象の如き豪風で、車体を押し潰す訳でも、斬り刻む訳でも、上空高くへと巻き上げる訳でも無く、浮き上がろうとする力とほぼ等しい程度の力を以て押さえ付け続けた。

 ガリガリと精神力が削れていく、吐き気がしそうな程に頭がクラクラする、目の前が何度か真っ白になった気がしたが気合で何度も意識を引っ張り上げる。

 跳ね回ろうとする車両を、一両たりとも脱線させない様に線路の上に維持する事は、並大抵の労力では無かった。普段は出さない程の長時間の出力で、かつ対象を傷付けない様に細心の注意を払って、一秒毎に条件が変わる中で必死に対応して。それは色々と無茶を通してきた自分でも無茶だと思う力の使い方だ。

 そもそも、『マハガルダイン』はこの様な事に使う力では無い。それでも、極力被害を出さないで列車を止める方法が自分にはこれしか無かった。

 突然吹き荒ぶ豪風に、炭治郎と伊之助は悲鳴の様な声を上げる。屋根も無く、壁も無く、豪風の威力をそのままその身に受けているからだろう。だがそちらに注意を向けている余裕が今の自分には無い。ただ耐えて貰うしか無かった。

 どれ程の間、鬼の最後の抵抗とばかりに暴れ回る車両と格闘していたのだろう。

 気付けばもう『マハガルダイン』を維持する事は出来なくなっていて、だが、列車もその動きを止めていて、半ば脱線しつつはあったがちゃんと線路の上でその巨体を維持していた。

 一両たりとも、横転していない。

 

「や、った……」

 

 これなら、怪我人は最小限しか出ていないだろう。自分達は、乗客たちを鬼の手から真実守り切ったのだ。

 何とかやり切った事を確信して、思わず笑みが零れる。

 だが、もう限界だった。これ以上は何も出来ない。

 炭治郎たちは無事だろうかとは思うのだが、確認しに行ける様な状態では無かった。

 それに、もう夜明けは近付いてきている。これ以上、何かが起きる事は無いだろう。

 後始末などは、炭治郎たちや煉獄さんに任せるしかない。ああ、もう、限界だ……。

 抗い難い眠気と疲労を、やり切れた事を確信して、微笑みと共に受け入れて。

 

 そして、満足感にも似た喜びと共に、意識はゆっくりと水底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 まるで近くで雷が落ちた様な、或いは突然目の前で火山が噴火したかの様な。

 そんな激しい音が、耳に届いた。

 

 ……何が、起きているのだろう。

 少しだけそう意識の端に引っ掛かるものの、もう耐え難い程に疲れていて。

 瞼を持ち上げる事すら、叶いそうにない。

 このまま静かに泥の中に引き込まれる様に、また眠りの中に沈んでいきそうだった。

 だが、心に引っ掛かる何かが、意識が完全に落ちる事を僅かに引き留める。

 

 再び、激しい音が大気を揺らした。

 何十もの大太鼓を叩いている様なそれに、立ち上がらなくてはならないと心は命じる。

 でも、疲れた。もう、とても疲れているんだ……。

 指先一つ、動かす事すら難しい。この状態で何が出来ると言うんだ。

 鬼を倒した、皆の力で沢山の人を救えた。なら、それで十分じゃないか。

 十分やり切った、力を出し切った。もうこれ以上は何も出来ない。

 僅かに揺らぐ意識を抱き込もうとしている睡魔に、抗う事無く身を委ねて。そうやって眠る事の何が悪い。

 もう鬼は倒した。もう夜明けは直ぐそこなのだ。

 これ以上の何が起きると言うのだ。

 

 ── だが、まだ夜は明けていない。夜明けの間際と、夜明けとは全く違う。

 ── 起きろ、立ち上がれ。まだ間に合う。喪う前に、命を懸けろ。

 

 心の奥底から響く声に押し上げられて、意識は僅かに覚醒へと向かう。

 それでも、四肢は泥の中に沈んでいるかの様に重く、限界を迎えていた身体はどうにもならない。

 だけど。

 

 ━━ 煉獄さん……

 

 泣いている、声が聞こえた。

 ああ、これは、炭治郎の声だ。

 悔しくて、哀しくて、どうする事も出来ない自分が許せなくて、泣いている。そんな、声。

 ……どうしたんだ、炭治郎。何か、あったのか……。

 ……そんな風に、泣かないでくれ。

 自分の意思では無かったけれど、あの夢の中でその過去を見てしまったからなのか。

 炭治郎がそんな風に泣いていると、とても心配になる。

 

 よく分からない内に迷い込んだ『夢』の中だけど、大切なものも沢山出来たんだ。

 八十稲羽で出逢った大切な人達の様に、大事に思う人も、沢山。

 きっと、『鬼殺隊』の人達は皆、とても沢山のものを喪ってきた。

 それでも自ら戦う事を選んだ人たちだ。優しい人たちだ。

 だから、だから……。もう何も、喪って欲しくない、と。そう思うんだ。心から、思っている。

 それが綺麗事だとは分かっている。鬼と戦う為に、沢山のものが犠牲になっているのだから。

 誰かの為に、自分の命を賭ける事すら出来る人達ばかりだから。

 ……でも、だからこそ。

 この世界の苦しみや悲しみの外側からやって来た稀人……何時かは消える泡沫だからこそ。

 それを心から願って、その為に戦っても良いんじゃないかと、思うんだ。

 もう千年にも及ぶ長い戦いが、何時終わるのかは分からないけれど。

 この『夢』が醒めてしまうまでは、此処に居られる間だけでも。皆の力になりたい。

 

 ああ、そうか。だから、行かなくちゃいけないんだな……。

 

 激しい音は、まだ続いている。

 誰かが、戦っている。

 行かなくちゃ。炭治郎が、泣いている。

 

 ━━ 心を燃やせ! 

 

 煉獄さんの声が遠くから微かに響いてくる。

 ……心を、燃やす。

 そう、だな。ペルソナの力は、心の力。心さえ、その力さえあれば。きっと。

 

 

「俺は俺の責務を全うする!!

 ここに居る者は誰も死なせない!!!」

 

 苦しみを耐えながらそう宣言する煉獄さんの声が聞こえる。

 

 ……なら、そこに煉獄さん自身も含めないと、駄目ですよ。

 炭治郎が、泣いています。

 

 呼吸する事すら億劫な程の疲労と睡魔と戦いながら、ゆっくりと意識を浮上させゆく。

 食いしばる様に、限界を超える。

 ああ、イザナミと戦った時も、最後はこうやって食いしばり続けていたなぁ……。

 限界なんてとうに超えていたのだけれど、どうしてだか「負けられない」と言う一念で、ずっと耐えていた。

 守らなきゃならない仲間が居たし、信じてくれる人たちが居たから。負けられなかった。

 思えば、何かを「守りたい」と思ったから、自分の中の力は目覚めたのかもしれない。

【真実】を追い続けた旅路ではあったけど。最初の最初は、心の海の中に迷い込んでシャドウに襲われた陽介たちを、守りたかったからだった。

 だから、守らなきゃ。それが、自分の「始まり」なんだから。

 きっと、この『夢』を見続けている理由なんだから。

 

 

 ゆるゆると、視界が開けた。

 だけど、どうしても抜けきれない疲労感で身体はふらふらしてしまう。

 それでも、立ち上がって、ゆっくりと歩き出した。

 

 どうやら、列車を止めた直後に意識を喪った時から、そう時間は経っていなかった。

 夜闇は山裾から白む様に追い払われて、もう夜明けが訪れている。

 ゆっくりと列車から降りて、覚束無い足取りで炭治郎を探す。

 

 

「逃げるな卑怯者!! 逃げるなァ!!!」

 

 炭治郎の怒鳴る様な心からの叫び声が聞こえる。

 悲しくて、悔しくて、赦せなくて。その声は今にも泣きそうだ。

 言葉を投げる以外に何も出来ない無力に、泣いていた。

 

 そんな炭治郎のもとに、走る事は出来ないながらも、出来るだけ足早に急ぐ。

 他の何も目に入らない位、既に限界だった。

 でも、そこに行かなくてはならないと言う事は、分かる。

 そして。

 

 炭治郎は、泣いていた。

 伊之助も、泣いていた。

 膝を突いた煉獄さんを前に。その命が燃え尽きる間際に何も出来ない悔しさに。

 

「…………」

 

 よろける様に煉獄さんに近付いて、その手を取る。

 もう、その脈は辛うじて感じ取れる程度に弱々しくて。

 腹に空いた穴から零れ落ちる血の勢いも、弱いものになっている。

 呼吸は荒く顎が動いている。死を前にした人のそれだ。

 黄泉路を半ば下っているのが、分かる。

 意識も、もう無いだろう。それでも、その顔は安らかで。ただ眠っているだけの様だ。

 でも、まだその胸の鼓動は、消えていない。

 その魂は、その身体の中にある。

 なら──

 

 

「──サマ、リカーム……」

 

 自分に、出来る事を、しよう。

 全てを賭けて。自分の出来る、事を。

 

 黄泉路を下ろうとするその魂を捕まえて、ほんの少しだけその命の天秤を戻す。

 僅かに、その呼吸は柔らかなものになり、手の中に感じる脈も僅かに強くなる。

 それでも、腹に空いた傷口はそのままで。ほんの僅かな合間、死を遠ざけただけに過ぎない。

 でも、それだけの猶予があれば、十分だ。

 自分に出来る事を、するのだ。

 例え、その力に今の自分は耐えられないのだとしても。

 それは、目の前の命を諦める理由にはならない。

 

 

「──メシアライザー……!」

 

 

 自分が使える癒しの力の、最上級。

 如何なる傷も癒し、如何なる苦痛も癒す、まさに救世の光。

 この世の理を捻じ曲げる最たる力。

 鬼となり人の理を捨てねば不治の傷を癒せぬと言うのであれば、この力は一体何をどれ程捻じ曲げているのだろう。

 絶対なる死をも半ば覆す事が出来るなら、人はそれを何と呼ぶのか。

 神か、悪魔か、化け物か。

 少なくとも、それは人でしかないこの身には余る力であるのだろう。

 人として扱って貰えなくなるのかもしれない。

 それでも、良い。生きていて欲しい。どうか。

 

 握ったその手に祈りを託す。

 自分の限界を超えて、それでも尚と願う心の声に、従って。

 

 

 自分の全てを、その手の中の命に、賭けた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
無限列車の横転を『マハガルダイン』で防いだ時点で既に限界。
もし横転を防ごうとしなかったら猗窩座戦に参戦出来ていただろうけれど、悠に横転を防がないと言う選択肢は無い。
己の限界を超えて、煉獄さんを助ける。
ほぼ死んでいた煉獄さんを助ける為には、サマリカームで命を繋ぎ止めてメシアライザーを使うしか無かった。


【竈門炭治郎】
腹を刺される事は無かったが、列車が止まる直前に『マハガルダイン』の風に飛ばされてしまっていた。
ヒノカミ神楽の影響で動けなかった所に猗窩座が来襲した。


【我妻善逸】
列車が横転しなかったので怪我は無い。
禰豆子を全力で守っていた。


【嘴平伊之助】
風に飛ばされた炭治郎を庇って少し負傷。
猗窩座戦にはその力量の違いから参戦出来なかった。


【煉獄杏寿郎】
心を燃やして猗窩座と戦い、その場の人々を守った。
黄泉路を下る寸前に、その魂を引き戻されている。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
列車が横転しなかった事で、死者が出なかったのは勿論の事、負傷者も驚く程少なく済みました。
少なくとも、この事故によって人生が滅茶苦茶になってしまった人は居ません。


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『夜の先にて』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 黎明の陽光に照らされながら、己の命の灯が消えて行く様を感じていた。

 助からないのは、分かっていた。

 だが、自分以外の全てを守る事が出来た。

 乗客たちも、そして年若い隊士たちも。誰も、死なせずに済んだ。

 託すべきものは、もう託した。

 だから……。

 

 母上……俺はちゃんとやれただろうか。

 やるべき事、果たすべき事を、全う出来ましたか? 

 

 ── 立派に、出来ましたよ。

 

 最後に、と、そう問い掛けたその心の声に。

 確かに求めていた声が答えてくれた事に、満たされた様な幸せを感じて。

 満足して、目を閉じた。

 

 

 ── ……ですが杏寿郎、あなたにはまだやるべき事が残っていますよ。

 ── 千寿郎と、あの人を、……頼みます。

 

 

 凛とした声の中に確かな優しさを感じる母の言葉と共に、意識が温かな暗闇の中へと落ちて行くのを寸前で留めようとする手を感じた。

 

 

 

 

 

 ふと目を開けると、そこは蝶屋敷の病室だった。

 外から薫る花の香に混ざる薬品の独特の匂いは一度覚えたら中々忘れない。

 自分が死んだ事は分かっている。あの傷で助かる事は無い。しかし、黄泉の国なのに蝶屋敷があると言うのも何とも奇妙な事だ。

 身を起こそうとして、そしてその時に視界が何時もとは違う事に気付いて、目に手をやる。

 右眼は見えているが……どうやら左眼の視力は喪われているらしい。

 左眼が潰されたのは、覚えているのでそこに困惑は無いが。

 だが、左眼以外の負傷はどうなったのだろう。

 致命傷となった風穴を空けられた筈の腹は、触れても全く痛みは無く。折れた筈の肋の痛みも、全身に負っていた筈の打撲の痛みも、完全に消え去っている。

 それ自体は、もう既に死んでいるので傷が無いのはおかしな話では無いのだろう。しかし、死後の世界なのに、左眼だけ喪っていると言うのも奇妙なものだった。

 まだ少しぼんやりとしている頭で状況を把握しようと努めていると。

 病室の扉が開いて誰かが入って来る。

 

「煉獄さん……! 目が覚めたんですね……!! 

 待っててください、今、しのぶさんを呼んできます……!!」

 

 目覚めていた俺の顔を驚きと共に見詰めた後に、今にも泣きそうな程に嬉しそうな顔で微笑んだのは。

 最後の任務を共にした、鳴上少年であった。

 彼は、俺が何かを問う前にその身を翻す様にして病室を出て行ってしまう。

 

 どういう事だ? どうして彼が此処に……黄泉の国に居るのだろうか。

 彼は自分の記憶が正しければ、死んではいない筈である。

 あの場に居た全員を、命を懸けて守り抜いた筈であるのだから。

 

 俺は状況を呑み込み切れずに困惑する。

 だがその困惑が解消される前に、鳴上少年に呼ばれたのだろう胡蝶が病室にやって来た。

 

「煉獄さん、お目覚めになられたのですね。お身体の具合は如何ですか?」

 

「身体の具合は、左眼以外は問題無い様に思う。

 此処は、黄泉の国ではないのか? 俺は死んだ筈だが……」

 

 まだ混乱の中に在る為、何時もよりも言葉に歯切れが悪くなる。

 何故胡蝶が此処に居るのだ? 此処は黄泉の国では無く、死の間際に見ている夢の中か? 

 

「左眼が……。見た所眼球の形はちゃんと整っていますが、視力が無いのかもしれませんね。

 上弦との戦いで左眼は潰された、と炭治郎くん達が言っていましたし。

 それと、此処は黄泉の国ではありませんよ。ちゃんとこの世に在る蝶屋敷の病室です。

 煉獄さんは助かったんですよ」

 

 己はまだ生きているのだと、そう告げられて。

 俺は益々混乱する。そんな事は有り得ないと、自分が何よりも知っているのだから。

 

「いや、あれは何をしても助かるものでは無いだろう。

 それ位の事は医者じゃなくても分かる」

 

「腹に風穴を空けられた、と炭治郎くんが言っていたのは本当だったんですね。

 こうして診る分にはとてもそうとは思えませんが……。

 煉獄さんは、鳴上くんの『力』によって一命を取り留めたそうです」

 

「鳴上少年の……?」

 

 そう言われて思い浮かぶのは、血鬼術などを解除する他に傷を癒す事も出来ると、そう胡蝶から報告されていた彼の『力』の事だ。だが、もう既に黄泉路を下っているも同然であった状態からこの世に引き戻す様な『力』が本当に彼にあるのだろうか。

 最後に腹に食らった致命傷となった一撃は、それこそあの不愉快な上弦の参の鬼が言っていた様に、鬼になって人の理を捨てるでもしなければ癒える筈など無いものなのに……。

 だが、確かに受けた筈の傷は、それが幻であったかの様に傷痕を残す事すら無く消えている。あの死闘の証は、視力を喪った左眼だけだが……胡蝶の言によれば目の形自体はすっかり元通りになっているらしい。

 

 まさか、と最悪の想像が頭を過る。

 だが、その想像を見抜いた上で否定するかの様に、胡蝶は首を横に振った。

 

「煉獄さんは人のままですよ。少なくとも、鬼に成ったりはしていません。

 調べられる限り調べましたが、その左眼の視力以外の何処にも異常は無いようです」

 

「そんな事が起こり得るのか……?」

 

 そんな事は、それこそ神仏が齎す奇跡でも無いと起こり得ない事であろう。そしてこの世には神も仏も居ない。

 実際に居たとしても、下界の事柄に関与する事は無く天上の世界に在るだけだ。

 そうでなければ、鬼舞辻無惨や彼の生み出した鬼の様な存在を千年以上も『放逐』したりはしないだろう。

 

「私も報告を聞くだけでは到底信じられないのですが……。

 煉獄さんが上弦の参と戦い致命傷を受けてもその場の人々を守った事と、死に行く煉獄さんに対して鳴上くんが何らかの『力』を使ってその傷を癒した事は事実です。

 隠たちが現場に到着した時には、煉獄さんは血溜まりの中に傷一つ無く倒れていて、その手を握る様にして鳴上くんも倒れていたそうです。

 その後、鳴上くんは三日、煉獄さんは五日、意識が戻りませんでした」

 

 戦闘に関する出来事は、その場に居合わせて一部始終を目撃していた竈門少年と猪頭少年から聴取したらしい。

 しかし、彼等の目から見ても、俺と上弦の参との戦いは強さの次元が違い過ぎた為具体的な相手の力を把握する事は難しく。その後、夜明けを迎えて上弦の参がその場を逃走した後で起きた事。……鳴上少年が、その力を使って致命傷を負っていた筈の俺を「蘇らせた」事に関しては、二人の目からは何が起きたのか全く分からなかったらしい。

 意識が戻った後の鳴上少年に事情を聴取しても、上弦の参との戦いの際には気を喪っていたらしくそもそも何が起きていたのか分かっていなかったし、その後の自身が起こした筈の事ですら、あまり要領を得ない様な曖昧な答えしか返って来なかった。

 その為、胡蝶は俺が目覚めるのを待っていた、と言う訳であった。

 とは言え、上弦の参……猗窩座と名乗ったあの鬼との戦いの事ならば仔細に報告出来るのだが、鳴上少年に命を救われた部分に関してはその時点で意識が殆ど消えていた為、何があったのか寧ろ俺の方が誰かに教えて欲しい位であった。

 

 上弦の参との戦いの仔細を聞き取りながらお館様へと報告する為の書面を認める胡蝶は、その戦いの結末までを書き切った時、深い溜息を吐いた。

 

「こんな相手からよくあの場の全員を守り切れましたね。

 煉獄さんは、本当に凄い人です」

 

 だからこそ、と。胡蝶はその眼差しを陰らせる。

 上弦の参は、鬼殺隊の千年の歴史の中で隊士たちが相対した記録のある鬼の中でも、次元が違う力を持っている事が明らかであったからだ。現在柱の位を戴く者達の中でも、踏んだ場数で言えばそれなり以上ではあると自負している俺でも、一人で相対すれば命は無かった。あの場に鳴上少年が居なければ、命を落としていた事は確実である。

 そしてより最悪なのは、上弦の参には「まだ余裕があった」と言う事だ。あの鬼は、理解し難い事だが相対した相手を鬼に勧誘する為に、相手の力量を見極めた上で即死はさせまいと加減する余裕があったのだ。

 ……あの拳鬼よりも強い鬼が二体も配下に居るとなれば、鬼舞辻無惨の強さとはどれ程のものなのか。

 全く想像すらしたくない程に、残酷な力の差が其処には在った。

 それでも、実際に上弦の参と相対した俺が奇跡的に生還して、その情報を伝える事が出来た事には、途方も無い価値がある。竈門少年と猪頭少年の報告だけでは分からない部分も、大分詳細が明らかになったからだ。

 そして、その奇跡を成し遂げたのは……。

 

「……胡蝶、鳴上少年は、一体何者なんだ?」

 

 俺は、胡蝶にそう問わずにはいられなかった。

 そもそもの、彼の人を癒す力と言うものだって途方も無い程の価値があるものだし、実際にその『力』で命永らえたからこそ分かる。その『力』は異質に過ぎる。神の奇跡にも匹敵するものだろう。

 一体何処からやって来たのか、今まで何をして生きてきたのか。その一切が不明である。

 人ではなく巧妙に偽装している鬼なのではないかと言う意見も柱の中では上がったが、日中も元気に動き回っている姿や真摯に他者に接するその姿を見ていると、鬼とは程遠い存在にしか思えない。

 不可思議な力を持つ事以外は至って普通で。他者を心から思いやれる優しさに溢れた、心根の綺麗な者だと言う事も直ぐに分かる。だが、その『力』が余りにも異質に過ぎるのだ。

 死に行くしか無かった俺の命を繋ぎ止める事すら可能な癒しの力もそうだが、列車が横転しかけた時にそれを押さえ込む様に吹き荒れた豪風も恐らくは彼の力である。

 いっそ、神や仏がその姿を偽って地上に降りて来ていると言われた方がまだ納得がいく。妖怪変化の類でも納得出来るだろう。だが、彼は何処までも人間であった。

 だからこそその正体を知りたいと思い、他の柱の誰よりもその近くで彼を観察していた胡蝶に訊ねた。

 しかし、胡蝶もそっと首を横に振る。

 

「残念ながら、私にも何も分かりません。

 鳴上くんについて分かっている事は、お館様に報告しているものが全てです。

 ただ……」

 

 ふとそこで言葉を切った胡蝶は、普段浮かべている笑顔とは何処と無く違う表情で微笑む。

 

「彼が、人に仇成す事など決して無い、優しい心を持った人である事は、確かだと思います」

 

 確信している様にそう言い切った胡蝶に、俺も頷くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 胡蝶による診察及び聞き取りが終わるや否や、病室に竈門少年と猪頭少年と黄色い少年が押しかけて来た。彼等は皆、多少の打ち身程度の負傷で済んだ為、あの戦いの翌日には元気に走り回れる様になっていたらしい。その為、目覚めの遅かった鳴上少年や俺の事を心配していたらしい。

 そして、どうやら竈門少年は、俺が目覚めていない間に、煉獄家に行って来たのだと言う。何時昏睡状態から醒めるのか分からない、と胡蝶が言った為、あの日遺言として遺そうとした言葉を、遺言では無くなったとしても早く伝えたかったそうだ。そこで若干一悶着起こしてしまった……と竈門少年は謝罪してきたが、それに関してはどう聞いても父にかなりの責任がある事だったので気にしないで欲しかった。俺が一命を取り留めた事と遺言として遺そうとした言葉を知った千寿郎は涙を零しながら感謝したそうだ。

 ちなみに、俺が意識を取り戻した事は、鎹鴉が既に煉獄家に伝えに行ったらしい。

 

 竈門少年と猪頭少年は、あの戦いの時に何も出来なかった無力に打ち拉がれている様であった。

 だが彼等は大きな可能性を秘めたまだ若い芽なのだ。そこで蹲る必要は無い。

 その為、「心を燃やせ」と。そう発破を掛けると、どうやら彼等の心に火を着けたらしく、早速鍛錬をするからと近くの山に走り込みに行った。元気なのは良い事だ。

 

 

 それから少しして。鳴上少年が少し思い詰めた様な顔で静かにやって来た。

 

「煉獄さん……あの……しのぶさんから、聞きました。

 左眼が、見えていないって……」

 

「ああ、その様だ」

 

 そう答えると、鳴上少年は辛そうにその眼差しを揺らす。

 

「……すみません。俺の力が、至らなかったばかりに。

 片目を、元通りにする事が出来なくて……」

 

 どうやら、本気で心を痛めているらしく。鳴上少年は罪悪感から自分を責めているとしか思えない声音でそんな事を言う。

 これには俺も流石に驚いた。

 そもそも、致命傷を負って死んだも同然だった所を助けて貰っているのだ。確かに、片目を喪った影響は少なくは無いが、腕や足を喪った訳では無いので剣士としての生命が絶たれた訳でも無い。

 暫くは感覚を掴む為の鍛錬が必要になるだろうが、そう時を置かずして前線に復帰出来るだろう。

 紛れも無い命の恩人に感謝しこそすれ、それを責める事など有り得ない事だった。

 

「鳴上少年が助けてくれなければ、左眼どころか命すら喪っていた所だ。

 鳴上少年は俺の命を救ったと言うのに、どうして自分を責めるんだ?」

 

「それは……。剣士としては、急に片目を喪うのはかなりの痛手である筈です。遠近感が掴み難くなるし、鬼との戦いの中ではそれは命取りになりかねない。

 俺がもっと早く起きて煉獄さんの所に辿り着いていれば……そもそも列車が止まった後に倒れたりしなければ、煉獄さん一人が上弦の参と戦ってその様な傷を負う様な事も無かったかもしれないのに……」

 

 間に合わなかった、と。鳴上少年はそう己を責めているかの様だった。自分には戦う力があるのに、と。

 鳴上少年が上弦の参との戦いの場に居合わせたとしてどれ程の事が出来たのかは、今となっては分からない。

 彼の尋常ならざる力を考えれば、上弦の参を仕留める事こそ出来ずとももっと楽に撃退出来ていたのかも知れないし、もしかしたらあの場であの鬼に勝てる力が彼にはあったのかも知れない。だが、全ては今となっては「たられば」にしかならず、俺が傷を負いながらも上弦の参を撤退させた事と、死に行く俺を鳴上少年が助けた事だけが事実である。

 それに。

 

「だが、君はあの列車が横転する事を防いだ。それは俺の力では成し得なかった事だ。

 君がした事によって、多くの人が助かった。あの状況で、乗客に負傷者が殆ど出なかった事は奇跡に等しい。

 ……鳴上少年。君の選択は、正しかった。君があの刹那に選び取った事は、大勢を救ったんだ。

 そして、上弦の参との戦いにこそ間に合わなかったのだとしても、君は俺の命を救った。

 君は、何一つとして取り零さなかった。

 だから、胸を張れ。君が助けた者達に、そんな顔を向けるんじゃない」

 

 例え神にも等しき力を持っているのだとしても、それでも、彼は人間だった。

 悩み、傷付き、誰かの痛みを哀しみとして受け止め。未来を見通す事など出来ぬままにその刹那に選択していかなければならない、そんな……俺たちと同じ人間だ。

 その手は全てを抱えきる事など出来ず。それでも精一杯に自分の目の前の者を守る為に力を振り絞る。

 恐らく彼は何度もそうやって選び取って来たのだろう。だからこそ、その優しさが彼を形作っている。

 人は何時だって選ばなければならない。選べなかった道の先を知る事は出来ない。それでも「もしも」を考えてしまうのが人と言う存在なのだとしたら。俺が彼に言える事は、たった一つだけだった。

『守る事が出来た者達に対して、胸を張って生きろ』、と。

 

 鳴上少年は、俺の言葉に、ハッとした様に顔を上げて。

 そして暫しの沈黙の後に、その目に静かに涙を浮かべる。

 

「俺は……。……もう、誰にも喪って欲しくなかったんです。

 目の前の大切な人達が、もう何も喪わなくても良い様に、したかった。

 もうこれ以上、誰かを喪わなくても良い様に、何かを喪わなくても良い様に。

 鬼に、これ以上何も奪わせない様に。そう、したかった。

 それが綺麗事なのは、分かっているんです。

 だって、誰もが命すら懸けて戦い続ける事を選んだ人たちなんだから。

 それでも、俺は……その為に自分が出来る事を、したかった……」

 

 だから、俺に片目の視力を喪わせてしまった事を、ここまで責めているのだろう。

 しかし、そうでは無い。彼は喪わせてしまったのではなく、守り切ったのだ。

 その事を、誇って欲しかった。

 

「左眼の事は気にするな。鬼殺隊に身を置く者として、そうなる覚悟は常に出来ている。

 それよりも、俺の命を救ってくれた事に、礼を言わせてくれ。

 ありがとう。君のお陰で、俺はまだやるべき事を成し遂げられる。

 ……よく、頑張ったな。ありがとう」

 

 命を懸ける事に躊躇いは無い。

 だが、こうして生き延びる事が出来た時、真っ先に考えたのは大切な家族の姿であった。

 黄泉路を下りかけ朦朧とした意識の中で母が託した様に、俺にはまだやるべき事も守るべき者も沢山残されている。何よりも、千寿郎を置いて逝かずにすんだ事を心から感謝している。

 それを、鳴上少年に伝えたかった。

 

「俺は……」

 

 その目に浮かべていた涙の雫が、静かに彼の頬を伝い落ちる。

 こうして改めて見ると、彼は本当に普通の青年だった。

 自分よりも幾つか年下の、これからまだまだ成長してゆく若い芽だ。

 よくやった、と。弟にする様にその頭を軽く撫でてやると、鳴上少年は益々静かに涙を零す。

 その涙の温かさは、間違いなく人のそれであった。

 

 彼が何者であるのかは分からない。

 ただ、彼のその心が何処までも人の優しさと温かさに満ちている事は分かる。

 そして、それだけで十分だと。そう俺は心から思うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
シャドウと言う化け物と戦い続けていた猛者とは言え、感覚は平成の現代っ子なので、『左眼失明』の衝撃が大きかった。
鬼殺隊としては生きているだけで儲けものなのは分かっている。
助ける事が出来て本当に良かったと心から思っている。


【竈門炭治郎】
死に行く間際の言葉に、心に火を灯して貰った。
更に杏寿郎が生き延びた事で精神的なダメージも少ない。
杏寿郎が生きているので刀の鍔を形見に貰う事は当然無いが、杏寿郎の言葉は何時もその心を燃やしてくれる。
原作とは違い万全の体調で煉獄家を訪問したが、やはり耳飾りを見咎められて槙寿郎に絡まれる事になる。そして頭突きで撃退してしまった。
原作通り千寿郎とは文通相手になる。


【煉獄杏寿郎】
この後、蝶屋敷にまでお見舞いに来た千寿郎に泣かれる事になる。
千寿郎としては、上弦の参と戦ったと言うだけでも心が潰れそうな程に不安だったのに、致命傷を負ったなんて衝撃過ぎた。
家で不貞寝していた槙寿郎も、息子がまさか本来は死ぬ様な傷を負っていたなんて知らず衝撃。
煉獄家の面々は悠に足を向けて眠れなくなる。


【産屋敷耀哉】
今回の一件の報告書を聞いて、自分の手元にやって来た悠の価値が跳ね上がったのを確信する。
それが神すら討てる最強のワイルドカードだと知るのはもう少し先。
悠は正確には鬼殺隊の隊士では無いが、実質大切なこども達の一人である。


【猗窩座】
殺したと思っている杏寿郎が生きている事は知らない。あの傷で治るとは誰も思わない。もし生存が発覚した場合、無惨から折檻を受ける事になるがそれはまだ先の話……。
背後で見守っている恋雪さん達は、狛治がこれ以上の罪を重ねずに済んだ事にホッとした。
狛治としての記憶を取り戻した状態だと、『ハマオン』や『回転説法』で死なせてあげられる。


【鬼舞辻無惨】
相変わらず頭が無惨様。
神仏に唾を吐き掛け狼藉の限りを尽くしていたら、縁壱以上の化け物が自分を狙う様になった。でもそれをまだ知らない。




≪今回のアルカナ≫

『魔術師』
我妻善逸との絆。
共に大きな戦いを乗り越えた事でかなり満たされた。

『女教皇』
胡蝶しのぶとの絆。
かなり満たされている。
これ以上絆を深める為には、何らかの条件が必要な様だ……。

『戦車』
嘴平伊之助との絆。
大きな戦いを共に乗り越えた事でかなり満たされた。

『正義』
煉獄杏寿郎との絆。
満たされた事で、何があっても揺ぐ事の無い心の絆となった。

『節制』
蝶屋敷の皆との絆。
ほぼ満たされている。
完全に満たされるには、何かの条件が必要な様だ。

『太陽』
竈門炭治郎との絆。
ほぼ満たされている。

『審判』
産屋敷の人達との絆。
今回の戦いを経てかなり満たされた。
上弦を討てば、更に満たされる事になりそうだ。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
無限列車にて魘夢に唆されていた人達のその後ですが、何人かは自分の足で歩き出せる様になった様です。
悠によって眠らされた際の夢の中で自分を見詰め直した者や、或いは喪ったものに対する心の整理を付けられる様になった者など、その理由は実に様々です。


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『心の海を駆ける』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 あの時確かに一瞬見えたものは一体何だったのだろうか、と。

 あの日から、俺は何度も考えていた。

 

 そして考える度に、自分は彼について殆ど何も知らない事に気付く。

 本当に優しい人だと言う事は知っている。

 心から自分や禰豆子の事を気に掛けてくれている事も知っている。

 信頼して良い人である事も、知っている。

 でも、それだけだ。それだけだった、と言う事を、あの日心から思い知ったのだ。

 

 鳴上さんが不思議な「力」を使うと言う事は知っていた。その力を使って、蝶屋敷に運ばれた隊士たちを癒したり、他の隊士たちと共に任務に出掛け鬼を狩っていると言う事も。

 だがその「力」を俺が実際に目にした事は無かった。あの日までは。

 

 血鬼術によって眠りに落ちた煉獄さんたちを助けた時、そして鬼に唆されていた人達を眠らせた時、鬼が自分の頸を守る為に肉の柱の様な塊になって固めた防御をあっさりと斬り刻んだ時。

 鳴上さんが「力」を使う時、彼の匂いは変わる。それはまるで包み込む様な優しい匂いだったり、荒々しい嵐の様な激しさを伴う匂いだったり。それがとても不思議だったけれど、どんな匂いに変わってもその根底にあるそっと寄り添う様な優しい彼の匂いは変わらなかった。

 不思議な人だ。そしてきっと、底が全く見えない程に強い人だ。

 

 列車と融合した鬼を倒した時、最後の抵抗とばかりに暴れ回る鬼と一体化した列車に対して、俺は何も出来なかった。吹き飛ばされない様にその場にしがみ付く事が精一杯で、それ以上の事は出来る余裕が無かった。

 だが鳴上さんは、自分が列車を止めると言って、そしてその直後に恐ろしい程の暴風がその場に吹き荒れたのだ。

 ともすれば俺の身体など一瞬の内に上空高くまで舞い上げてしまう様な、嵐よりも恐ろしい風の暴威が一気に列車に叩き付けられた。だが、激しい風に車体が軋み悲鳴を上げていても、その風は決して列車を押し潰すでも上空に舞い上げるでも無く、暴れ回る列車を無理矢理押さえ付けているかの様に、線路へと押し付け続けていた。あの時の事は、線路を削る様に進む音と、轟々と吹き荒れる風の唸り声だけしか覚えていない。

 激しい風に目を開けていられなかった。此処で死ぬかもしれないと、何度思った事だろう。

 だが、豪風は俺を吹き飛ばす事は無く、最後まで列車を押さえ続け、そして列車が止まると同時に止んだ。

 最後の最後でヒノカミ神楽の影響による疲労で踏ん張れなくなってしまい風に飛ばされたが、それは伊之助が庇ってくれたのでどうにか怪我をせずに済んだ。

 疲労から地面へと倒れ込んだ状態で見上げたそこに映ったのは、鬼の肉体の残骸をその至る所に纏わり付かせながらも、大きな損傷も無く線路の上にしっかりと留まっていた列車の姿であった。

 それは、「奇跡」と呼ぶべき光景であった。

 あの豪風を起こし列車を止めたのは鳴上さんなのだろう。だが、そんな事は本当に人が成し得る事なのだろうか。

 鳴上さんは己の力を血鬼術の様なもの、と説明していたが、鬼の中に鳴上さんの様に天変地異にも等しい現象を起こしてしまえる様な血鬼術を使える者など果たして存在しているのだろうか。

 少なくとも、列車が止まったその直後にその場を襲撃して来た、猗窩座と名乗る上弦の参にはそう言った現象を起こす様な力は無い様に見えた。無論、そう言った力は無くとも上弦の参の実力は圧倒的であり、柱として俺では並び立つ事の出来ぬ程の強さであった煉獄さんでさえ、自分の命と引き換えに撤退させる事が限界だったのだが。

 ……ある意味で、あの場に居た者の中で最も強大な力を持っていたのは、上弦の参の鬼では無く、気を喪って倒れていた鳴上さんであったのではないか、と。俺はそうも考えてしまう。そしてそれは中らずと雖も遠からず事実を捉えているのだろう、と俺は確信していた。あの風が吹き荒れていた時、鳴上さんから感じた匂いは、今まで自分が感じた事が無い程に「強い」匂いだったのだ。

 そして何よりも。

 

 上弦の参を撤退させた煉獄さんが俺たちの心に火を点けて事切れようとしていた、まさにその時。

 ふらふらと何処か覚束無い足取りで俺たちの下へとやって来た鳴上さんが、今にも息絶えようとする煉獄さんの手を優しく取ったその時。

 俺は、生まれて初めて「人智を超えた大いなる何か」の存在を、鳴上さんを通して確かに感じた。

 あの瞬間の鳴上さんの匂いは、人のそれでは無かった。どんなに匂いが変わった時でも感じられた彼の匂いは、存在していたのかもしれないがそれを遥かに凌駕する強い匂いに搔き消されてしまっていて。

 そして、鳴上さんが祈る様に目を閉じてその手に力を込めた時。

 

 僅かに瞬く程の時間にも満たない一瞬、鳴上さんの姿に重なる様に、何か大きな影が見えた。

 それを一目見た瞬間、『神様』だ、と。そう俺は確信した。

 

 そして、『神様』の姿が消えたその次の瞬間には。煉獄さんの傷は、すっかり消えてしまっていた。

 腹に空いた穴も、潰された目も。全てが元通りで。

 服に空いた大穴と、流れ出た血の痕だけが、煉獄さんが致命傷を負った事を示していた。

 それは、有り得る筈の無い「奇跡」であった。

 人は鬼とは違う。手足を喪えば元に戻る事は出来ないし、負った傷が忽ち治るなんて事も無い。

 腹に風穴を空けられれば当然の様に死ぬ。それが人だ。

 治療をするにしても限界があり、その限界を超えた者に対して人は何処までも無力なのだ。

 だが、その理を引っくり返すかの様に、煉獄さんの傷は消え去った。

 荒かった呼吸は穏やかなものとなり、意識以外は全てが五体満足の状態に見えた。

 煉獄さんが鬼になったと言う訳では無い。そんな匂いは欠片も無かったし、それに陽光の中で静かに眠るその身体が焼け落ちるなんて事も無い。

 煉獄さんは、人のまま、人としての理を引っくり返していた。それを成したのは、間違いなく鳴上さんの力だ。

 

 煉獄さんの傷が消えた直後。鳴上さんは煉獄さんの手を握ったままその場に倒れた。

 力を使い過ぎて限界を迎えると倒れてしまうのだと、他ならぬ本人が言っていたので恐らく力尽きてしまったのだろうと言うのは分かる。

 だが、倒れた鳴上さんは、先程まで感じていた世界の全てを塗り替えてしまう程の強い匂いは欠片も残っておらず。それどころか、全くと言って良い程にその匂いを感じ取れなくなってしまった。

 最初に出逢った時から鳴上さんの存在の匂いはかなり薄かったが、暫くする内に段々とその匂いも濃くなっていって、今となっては他の人とほぼ変わらない位になっていたのに。その全てを喪失してしまったかの様に、彼に一切の匂いが無かった。……このまま鳴上さんが消えてしまうのではないか、と。そう俺が思ってしまう程に。

 

 隠の人達に回収されて蝶屋敷まで運ばれて行った後、鳴上さんも煉獄さんも中々目が覚めなかった。

 二人が眠っている間、しのぶさんから何が起きたのかを聞かれたりもしたが、それに上手く答えられた自信は無い。あの時、あの場には伊之助も居たのだが、伊之助は『神様』の影は見なかったらしい。ただ、あの瞬間の鳴上さんの気配が尋常ではないものになっていたのは感じていたそうだが。

 あの後、何度か伊之助や善逸とあの時何が起きていたのかを話し合ってみたが、結局何も分からないままだった。善逸に関してはそもそも眠っていた、と言うのもあるのだろうけれども。

 結局の所、鳴上さんが目覚めない事には何も分からないままであった。

 

 鳴上さんが目覚めたのはあの戦いから三日が経った日の昼間であった。

 しかし、しのぶさんからの聴取が終わった後で疲労が抜けきらなかったのかその日はそのまま眠ってしまったらしく、その翌日は翌日で負傷した隊士たちの治療に奔走していたらしく鳴上さんと話す機会が無く。

 そして今日は煉獄さんが目を覚ましたと言う事もあってそれどころでは無かったのだ。

 何か話がしたい、と思いつつ中々その機会が無い事に悩んでいると。

 すっかり日も沈み辺りが暗くなった頃。鳴上さんが俺を呼び止めた。そして、話がしたいから、と。蝶屋敷の中にある彼の部屋へと呼ばれたのであった。

 

 

 鳴上さんの部屋は備え付けの家具以外の物が殆ど無い部屋であったが、俺と禰豆子がお邪魔しても問題無く寛げる程度には広い部屋であった。禰豆子は鳴上さんに親切にして貰っている事も有ってかなり彼に懐いているらしく、今も構って欲し気に鳴上さんに纏わり付いている。そんな禰豆子を優しく撫でて、鳴上さんは少し真剣な面持ちで俺に話しかけた。

 

「炭治郎……実は、君に言わなくてはならない事があるんだ。

 もしかしたら、炭治郎にとっては不愉快な事なのかもしれないけれど……どうか、聞いて欲しい」

 

 そう前置きして鳴上さんが話したのは。あの夢を見せる鬼の血鬼術に関しての話であった。

 最初、血鬼術には掛からなかった鳴上さんだが、眠ってしまった俺を起こそうとして触れた瞬間、俺が見ていた夢に引き摺り込まれてしまったと言う事。そして、その夢の中を彷徨う内にもっと深い場所にまで落ちてしまい……俺が家族を喪ったあの日の記憶を知ってしまった事を、鳴上さんは心の底から申し訳なく思っているかの様に告白した。

 彼の責任では全く無い事ではあるのだが、俺の心の傷を無遠慮に覗く結果になってしまった事をとても気に病んでいた様だ。

「すまない」と繰り返すその目は哀しみに揺れていて、彼から感じるその匂いは俺の事を心から想っている匂いであった。

 

「そんな……だってそれは鳴上さんの所為ではないですし、それに俺は……」

 

 別に誰かに自分から話す様な事では無いと言うだけで、知られてはいけない秘密と言う訳では無かったのだと、そう言おうとしたその時。鳴上さんがそっと首を横に振ってその言葉の続きを言わせなかった。

 

「俺が炭治郎の心の傷に触れてしまった事には変わらない。まだ痛み続けているそれに本人の了承も無く触れる事は、どんな事情があったとしても簡単に許して良い事では無いんだ。

 ……俺は、炭治郎があの日に何を感じていたのか、『炭治郎』として、その記憶を見ていた。

 だから、……あの痛みを、そんな風に言ってはいけない」

 

 そして、と。鳴上さんは自分の膝の上をコロコロと転がっていた禰豆子の頭を優しく撫でてから言う。

 

「そして、前にも言ったけど。俺は炭治郎の力になりたい。

 禰豆子ちゃんを人に戻したいんだ、俺も。

 不可抗力であっても、炭治郎の記憶を知ってしまったからこそ、より一層そう思っている。

 だから、教えてくれ炭治郎。俺に二人の為に出来る事は無いか?」

 

 真っ直ぐに俺を見詰めるその眼差しは真剣そのもので、鳴上さんから感じる匂いも、彼のその言葉が紛れも無い本気のものだと言う事を示している。

 その言葉に、俺はどうしようも無く揺らいだ。

 

 禰豆子を人に戻す為の戦いは、どうしたって孤独だった。

 善逸や伊之助の様に、或いは煉獄さんの様に、鬼である禰豆子を認めてくれる人は居る。

 だけれども、禰豆子を人に戻す為には鬼舞辻無惨に近い鬼の血が必要で。

 そしてそんな危険な戦いに善逸たちを巻き込む事なんて出来なくて。

 そして鬼舞辻無惨からも鬼殺隊からも身を隠さなければならない珠世さんの事を誰にも明かす事が出来なくて。

 全てを喪ったあの日、未来の事なんて何も希望が持てないまま、それでも禰豆子の手を握って歩き出した時よりは、まだ希望の光は見えていると言っても良いのかもしれないが。

 しかし、煉獄さんと上弦の参との戦いを目の当たりにして、俺は自分の弱さに心底打ちのめされていた。

 自分よりも遥かに遠い場所に居る煉獄さんですら上弦の参には勝てなかった。そして上弦の参の動きに俺は全くと言って良い程に反応出来ていなかったのだ。

 鬼舞辻無惨に近い鬼の強さを知って、禰豆子を人に戻すと言う願いがどれ程困難な事なのかを思い知った。

 それでも、諦める事なんて絶対に出来ないから、強くなるしか無いのだけれど。

 だが、もし。鳴上さんが……その力を貸してくれるのなら。

 鬼舞辻に近い上弦の血を集めると言う目標も、夢物語では無くなるのではないか、と。

 そう、一瞬でも考えてしまった。

 それに、茶々丸を介して手紙のやり取りをした際に、珠世さんは血鬼術を容易く解除してしまえる鳴上さんの力に興味を示していたので、鳴上さんと珠世さんを引き合わせてみても良いかもしれないと前から思っていたのだ。

 鳴上さんは鬼殺隊の隊士たちとは違って鬼自体への殺意や拒絶反応は無いので、鬼である珠世さんを前にしても襲い掛かったりはしないだろう。愈史郎さんは良い顔をしないだろうけれども……。

 

 だけれども、と。そんな考えを咎める想いもあった。

 鳴上さんが凄い力を持っているのは確かだが、だからと言って血で血を洗う様な苛烈な戦いに引き摺り込んで良い訳では無いだろう。

 鳴上さんが優しい心を持っているのは、もう十分な程に分かっている。

 復讐の為でも何でも無く、守りたいから、力になりたいから、非道を働き人の世に哀しみを撒き散らし続ける鬼舞辻無惨を赦せないから。そんな理由で、戦う事を選んでしまう程に。その心はどうしたって優しく真っ直ぐだ。

 そんな彼を人を喋る肉袋程度にしか思っていないのだろう事は容易に想像が付いてしまう、より鬼舞辻無惨に近い鬼たちとの戦いの場に駆り出してしまう事は。仮に本人が望んでいたとしても、果たして本当に許して良い事なのだろうか。

 そんな俺の迷いを見抜いたのか、鳴上さんは更に言葉を重ねた。

 

「俺は何でも出来る訳じゃない……。

 俺の力では禰豆子ちゃんを人に戻す事は出来ないし、過去を変えて炭治郎の家族を助ける事も出来ない。

 それでも、俺の力を役立てられる事は、きっとあると思うんだ。

 だから、それがどんなに困難な事なのだとしても、出来る事が何かあるのなら、俺にも手伝わせて欲しい。

 俺の我儘に付き合わせてしまっているのかもしれないけれど、頼む。力になりたいんだ」

 

 そう言って、鳴上さんは静かに頭を下げる。

 流石にそれには俺も慌てた。どうしてそこで鳴上さんが頭を下げるのか。

 寧ろ頭を下げてお願いするべきなのは俺の方であるだろうに。

 

「止めてください鳴上さん。我儘だなんて、そんな……。

 ただ、どうしても、危険な事なんです。

 だから、そんな事に鳴上さんを巻き込んで良いのか分からなくて……」

 

「それが必要な事なら、俺はどんな敵とだって戦ってみせるから。

 幾らでも巻き込んでくれて構わない。

 だから教えて欲しい。何をすれば良い?

 俺は炭治郎たちの為に、何が出来る?」

 

 一瞬たりとも躊躇う事の無いその眼差しと匂いに、俺は遂に折れた。

 長男だからと耐え続けて来たが、力になりたいと此処まで本気で言ってくれる相手のその想いを、無碍にし続ける事は出来なかったと言う事もある。それとは別に、自分だけで足掻く事の限界を知ったと言う内情もある。

 何であれ、俺は鳴上さんの手を取る事を選んだ。

 

「……禰豆子を人に戻す為には、鬼舞辻無惨の血が濃い鬼の血が必要なんです」

 

「鬼舞辻無惨の……。それは、十二鬼月、と言う奴らの事か?」

 

 鳴上さんの言葉に頷くと、彼は少しの怯えすら見せずに「分かった」とだけ頷く。

 

「十二鬼月とやらに出逢えるのかどうかは運みたいなものらしいから確約は出来ないけど、もし遭遇する事があったら必ずその血を採って来る。血を採る際に何か特別な方法が必要だったりするなら教えて欲しい」

 

 十二鬼月と戦えと言ったにも等しいのに鳴上さんはその程度は何て事も無いと言った様に静かに言うので、思わず俺は戸惑ってしまう。

 

「良いんですか、鳴上さん。十二鬼月と戦うって事は、物凄く危険な事なんですよ? 

 煉獄さんだって、命を懸けても上弦の参を倒す事は出来なかった……」

 

 その意味を本当に分かっているのだろうか、と思わず困惑してしまう程に鳴上さんの態度は何も変わらない。

 しかし、鳴上さんは分かっていると頷く。

 

「鬼舞辻無惨を倒すには、どの道何時かは戦わなければならない相手だ、構わない。

 それに、頼り無く見えるのかもしれないけど、こう見えて戦う事自体には慣れているんだ。だから大丈夫だ。

 必ず、禰豆子ちゃんを人間に戻そう」

 

 そう言って優しく微笑んだ鳴上さんのその匂いに、嘘や誇張と言ったものは無い。

 十二鬼月と戦う事に本気で躊躇いが無いのだと、否応無しに俺に悟らせる。

 

 だからこそ、どうしても問わずにはいられなかった。

 

「……鳴上さんは、一体何者なんですか……?」

 

 尋ねてはいけない事なのかもしれないと、そう思いながら。

 それでも、知りたかった。

 どうしてそこまでして自分達を助けようとしてくれるのか。

 どうしてそんな力があるのか。

 何処から来たのか、今まで何をしていたのか。

 知りたい事は、幾らでも在った。

 彼自身が語るまでは待つべき事だったのかもしれないけれども。

 

 俺の言葉に暫し考える様に黙り込んだ鳴上さんは、暫くして少し困った様に微笑んだ。

 

「俺が何者なのか、か。……正直、俺自身にもあまり分かっていないし、上手く伝えられるかも分からない。

 炭治郎には俺がどう見えているんだ?」

 

 逆に訊ね返されて、俺はどう答えるべきか戸惑う。

 鳴上さんの匂いは、怒ったり悲しんだりしている様な感じは無く、至って普通で。

 だからこそ、答えに迷った。

 

「……普通の人に、見えます。いえ、見えていました。

 でも、煉獄さんを助けたあの時、鳴上さんの匂いは明らかにそれまでとは違っていました」

 

「鬼みたいな匂いだったのか?」

 

「いえ、鬼とは全然違いました。でも、何て言ったら良いのか分からないけど。

『神様』の匂いだって、その時は感じたんです」

 

 そう言うと、鳴上さんは「『神様』……」と呟いて暫し考え込む。

 そして、言葉を選ぶ様にゆっくりと答えた。

 

「……俺自身は、『神様』なんかじゃない。普通の『人間』だ。

 ただ、俺は此処とは違う場所で、鬼とはまた違う存在と戦っていた。

 その時に得たものの匂いを、炭治郎は『神様』だと感じたのかもしれない」

 

「此処とは違う場所で……? 

 鳴上さんは、一体何と戦っていたんですか?」

 

 鬼とは違う存在、此処とは違う場所。それは一体どう言う意味なのだろうか。

 よく分からなくて、俺は首を傾げて訊ねる。

 

「何、と言われて簡単に説明するのは難しいけど……。

 人の心が生み出した怪物、かな。最後には『神様』とも戦ったよ」

 

「神様と……?」

 

 何故『神様』と戦う必要があるのだろう。

 そして、それと戦ったと言う事は、鳴上さんは『神様』に勝ったのだろうか? 

 

 益々混乱する俺に、鳴上さんは簡素ながらも説明してくれる。

 この世に生きる全ての人々の無意識が集まり揺蕩う『心の海』。

 そこに巣食う人の心から生まれてしまった『化け物』を相手に、そこに迷い込んでしまった人々を助け出す為に志を同じくする仲間達と共に戦い続けていた事、そして最後には全ての元凶であり人々の無意識の願いに応えようして世界を滅ぼそうとしていた『神様』と戦ってそれを討ち果たしたのだと。

 まるで夢物語の様なその話を、噓偽りの無い匂いと共に鳴上さんは語った。

 

「炭治郎が信じてくれるのかは分からないけれど、俺が話せる事はこれ位かな……」

 

「鳴上さんが嘘を言っていないのは匂いで分かるんですけど……。

 正直、話が大き過ぎて受け止めきれないと言うか……」

 

 嘘では無いのは分かるのだが、正直戸惑いの方が先に立ってしまう。そして、だからこそ鳴上さんは自分の事について深くは語ろうとしないのだと気付いた。相手の感情の匂いまで嗅ぎ分ける事の出来る俺だからこそそれが事実なのだとは分かるのだけれど、そうでない人がこの話を聞けば、よくて誇大な妄想か、悪くて頭がおかしくなったと判断されるだけだろうから。

 

「別に墓場まで持っていかなくてはならない秘密って訳でも無いけれど、流石にちょっと信じて貰えそうにない内容だからな……。だから、このままずっと黙っているつもりだった」

 

 でも、と。鳴上さんは俺に優しい眼差しを向ける。

 

「……こうして炭治郎に話す事が出来て、何と言うのか……少し心が軽くなったんだ。

 ありがとう、炭治郎」

 

「いえ、こちらこそ。俺を信じて貰えて嬉しいです。

 ……でも、じゃあ鳴上さんには帰る場所も、大事な仲間も居るんじゃないんですか?」

 

 鳴上さんが簡単に説明する中でも、共に戦った仲間達は彼にとって何よりも大切な存在である事は十分以上に伝わって来た。そんな風に大切に想う相手が居るのであれば、益々鬼との戦いに巻き込んでしまってはいけないのではと俺は思うのだが、鳴上さんはそれにはそっと首を横に振る。

 

「いや、良いんだ。それは気にしなくても良い。

 今の俺にとって帰る場所はこの蝶屋敷だし、それに今は炭治郎たちの力になりたいんだ。

 俺が出来る事を、出来る限りの事をしたい」

 

 鳴上さんのその言葉からは、何処までも真っ直ぐで温かな優しい匂いがした。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
炭治郎の過去を不可抗力で知ってしまった事への償いとしても、炭治郎が知りたがった場合は答えられる限りの事を答えようと思っていたので、自分にとっては此処が夢であると言う事と、自分が約百年後の未来に当たる世界から来たと言う以外の殆どを炭治郎に打ち明けた。
炭治郎が信じてくれた事もあって、実はかなりスッキリしている。
しかもこの日以降、炭治郎が自分を「悠さん」と呼んでくれる様になったので更に親しくなれた気がして嬉しい。
上弦の鬼や鬼舞辻無惨と戦う事自体には全く臆しておらず、それで炭治郎の力になれる事が純粋に嬉しい。
煉獄さんを助けた事で、蝶屋敷にお見舞いにやって来た千寿郎から泣く程に深く感謝される事はまだ知らない。


【竈門炭治郎】
悠から打ち明けられた事を信じてはいるが、正直受け止めきれていない。
神様と戦って勝ったってどう言う事……?
悠は思っていた以上に凄い人なのでは……? とひしひしと感じている。
煉獄さんを助けた時に悠に感じた「神様」の正体は「伊邪那岐大神」である事はまだ知らない。
これ以降、ちょくちょく夢の中で蒼い空間を訪れる事になる。


【竈門禰豆子】
悠の手が空いている時などに折り紙を折って貰ったりするなどして物凄く優しく接して貰ったので、悠の事はかなり好き。
折って貰った中での一番のお気に入りは、八羽の連鶴(八橋)の折り紙。布晒(大きな鶴に六羽の小さな鶴が繋がっている)も大好き。
悠も悠で、実年齢はもっと上なのは分かっているけれどその反応が何処か菜々子を思い出させるので、禰豆子に喜んで貰えるのが嬉しい。菜々子を喜ばせる為に磨いた様々なスキルが火を吹く事になる。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
煉獄さんを助ける時に限界を超えてでも力を使った代償として、悠は【正義】に属するペルソナの力を使う事が出来なくなっています。
召喚出来なくなっただけで悠の中には居る状態です。
菜々子との絆で生まれた「スラオシャ」を呼び出せなくなった事は悠にとってはかなりショックでしたが、煉獄さんを救えたのなら後悔はしないと納得しています。


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第三章【偽りの天上楽土】
『嵐の先触れ』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 無限列車での任務が終わって一月が経った。

 左眼を失明してしまった煉獄さんは目覚めて早々に鍛錬を開始して、既に大分片目の状態に慣れて来たらしい。

 今は煉獄さんの実家で鍛錬中なのだが、恐らく心配させない様にとの心遣いからかそこそこの頻度で煉獄さんの鎹鴉が煉獄さんの様子を教えてくれる。もう少ししたら、柱としての任務にも復帰出来そうとの事であった。

 蝶屋敷にまでお見舞いに来た煉獄さんの弟さんの千寿郎くんには思わず戸惑う程に号泣されながら感謝され、実家に居るらしい煉獄さんのお父さんからも簡素ながらも感謝の意を示す手紙が送られてきて。

 煉獄さんの家族から煉獄さんを喪わせる事が無くて本当に良かったと、心からそう思う。

 煉獄さんの命を繋ぐ為に無理を押し通した代償の様に【正義】に属するペルソナの力を使えなくなってしまったが、一抹の寂しさはありながらも後悔はしていなかった。

 煉獄さんとの間に揺るぐ事の無い確かな絆が満たされたと言う実感もあったし、何より大切な人の命に代えられるものなどありはしない。それに、力を使えなくなっただけでその存在が消えてしまった訳では無いと言うのも分かるのだ。菜々子との絆が消えてしまったと言う訳では無い。だからそれで良い。

 煉獄さんからは改めて礼をしたいから是非とも煉獄家に来てくれと誘われているので、都合が合った時にまた逢いたいものだ。

 

 更には、炭治郎の紹介で珠世さんと愈史郎さんと言う名の鬼の二人とも会いに行った。

 鬼であるが故に鬼殺隊に追われ、鬼としては鬼舞辻無惨の支配を逃れた「逃れもの」と言う異端の存在であるが故に鬼からも追われ。その為二人は普段は別の場所で身を隠しながら医者として市井に混じる様に生きているらしいのだが、自分に逢う為だけに危険を冒してでも拠点を出て待ち合わせ場所にやって来てくれたらしい。

 鬼だと言う話であり、実際に彼等は鬼ではあったのだが、此方に敵意を向けて来る様な他の鬼たちとは違って嫌な感じは全くしなかった。だから普通に人と同じ様に接していたのだが、それがどうやらかなり意外な反応であったらしく珠世さんには随分と驚かれてしまった。

 珠世さんの事をとても大切にしている愈史郎さんからは随分と警戒されてしまったのだが、自分が決して珠世さんの事を害したりはしない事を誠意を以て示すと段々とその態度も柔らかくなって、別れ際にはちゃんと言葉を交わしてくれる様になった。珠世さんの事が本当に大切なだけで、愈史郎さんも良い人なのだ。

 ペルソナの力を、「ペルソナ」が何であるのかの部分を伏せて「血鬼術みたいな力」と言う体で説明していたからなのか、採血されたり色々と身体の事を調べて貰ったが、ペルソナの力はあくまでも『心の力』なので身体的な部分を調べてもあまり分かった事は無かったらしい。

 自分が持つ力に関して可能な限り説明してみた所、珠世さんたちの関心を一番惹いたのはやはり癒しの力であった。特に、完全に鬼になってしまった相手に対しては何も出来ないが、鬼に成りかけの者……要は鬼舞辻無惨の血肉と言う名の病原体に侵されつつある状態の者に対してはその影響を取り除く力がある事が判明した『アムリタ』には強く興味を惹かれたらしい。

 鬼にされかけている状態の人になんて早々出会う事は無いのでその力を目の前で実演する事は出来なかったが、鬼に成りかける事がある友人は居るので、彼の許可を取る事が出来れば鬼に成りかけの状態の血と鬼の影響を取り除いた後の血を採血させて貰ってそれを珠世さんへ届けても良いのかもしれない。

 別れ際に、愈史郎さんから炭治郎にも渡しているのだと言うお手製の採血用の小刀を何本か譲って貰う。

 十二鬼月に出逢えるのかは最早運であるが、もし出逢う事があれば忘れずにその血を採らなければならない。

 採取した血は、炭治郎の近くに居る茶々丸と言う猫に渡せば、珠世さんの下にまで届けてくれるのだとか。

 普段は愈史郎さんの血鬼術で姿を隠しているらしいが、名を呼ぶと姿を見せてくれるそうだ。

 そう説明されながら顔を見せて貰った茶々丸は、とても愛らしい三毛猫であった。

 珠世さんにとても懐いていて、しかもそう言ったお使いをこなせる程に賢い。非常に可愛い。

 八十稲羽で可愛がっていた猫たちの事を思い出し、暫しの時間茶々丸と戯れさせて貰った。

 今度会った時にもまた撫でて良いか尋ねると、「構わない」とでも言いた気に鳴いてくれたので、十二鬼月の血を渡す時にも存分に撫でさせて貰うつもりだ。

 

 十二鬼月を倒しその血を手に入れると言う目的は生まれたが、だからと言って急に物事がガラリと変わる訳では無く。任務を受けつつ蝶屋敷で隊士たちの治療に当たる日々は全く変わっていない。

 最近は前よりも力を使った時の消耗が抑えられてきていて、更にその力も自分が知る本来のものへと近付いてきているので、更に多くの人を癒す事が出来る様になった上に治せる範囲も広がって来た。前は浅い傷痕は残してしまっていた様な外傷でも、完全に跡形も無く癒せる様になったのである。

 そうなったのはやはり、様々な人々と交流し、そして絆を深めていったからだろうか。

 そうやって自分に出来る事が増えて行けば、もっと多くの人を助ける事が出来る。

 絆を深めた人たちの力になれるのは、本当に幸せな事だ。自分が何でもかんでも出来る訳では無いのは分かっているが、大切な人達の笑顔と言うものは何にも代え難い幸せなのである。

 それに、特別な程に大切な人達の笑顔は当然として、鬼殺隊の隊士である皆の力になれるのも嬉しい事だ。

 負った傷の痛みに苦しむ人の苦痛に満ちた顔が、それから解放された事への安らぎに変わる時は何時も胸が温かくなるし、手を握った彼等が「ありがとう」と、そう言ってくれるだけで何処までも頑張ろうと思える。

 蝶屋敷や任務の際の交流が切欠で、文通で近況を知らせてくれる人も居る。彼等の鎹鴉とも仲良くなったので、どの鎹鴉が誰の鎹鴉なのかを一目で見分けられる様になったのが最近の密かな自慢だ。

 誰かの為に何かが出来る事、守りたいと思った人たちの力になれる事、大切な人達を笑顔に出来る事。

 自分にとっては、それが何よりも幸せな事なのだ。だからこそ、出来る事が増えるのは幸せな事だった。

 それにもしこのまま力が戻っていけば、もしかすれば「お館様」のあの身体も少しは癒してあげられるかもしれない。それが出来ると言う保証は無いが、それでも一度見たあの姿を忘れる事は出来ず、ずっとあの人に自分が何を出来るのかを考えていたのだが、やはりその呪いの如き病魔に蝕まれた身体を少しでも癒す事が出来るのならそうするべきだと思うのだ。今はまだ少し、力が足りないのが歯痒くもある。

 

 今朝までに運ばれて来た隊士たちの治療が粗方終わった所で、薬品などの整理でも手伝おうかと廊下を歩いていると、向こうから少しバツが悪そうな顔をしたガタイの良い男が歩いてくるのに気付いた。

 その表情に覚えがあって、思わず仕方が無いなぁ……と苦笑してしまう。

 

「どうした、玄弥。また鬼を喰ってしまったのか?」

 

 彼の気配に僅かに混じる鬼の気配を感じ取ってそう声を掛けると。

 玄弥──不死川玄弥は、ビクリと肩を跳ねさせて、益々バツが悪そうな顔で頷く。

 大方、師匠である悲鳴嶼さんに言われて不承不承蝶屋敷に来たのだろう。

 

 玄弥は、極めて稀な体質であり、どうやら鬼の肉体を喰うと一時的に鬼の能力を得る事が出来るらしい。

 その力に気付いたのは偶然だったそうなのだが、『呼吸』の才が無く鬼の頸を斬れない事に悩んでいた彼は、その力を利用して鬼を狩る様になったのだとか。

 しかし、鬼の血肉をその身体に取り入れる事は危険を伴う。

 まるで人の身を超えた力を得た代償であるかの様に、その体質は徐々に鬼に近付いていく。

 陽光に当たっていれば多少はマシになるとは言え、それでもその影響を完全に取り除く事は出来なくて。

 何時鬼の側へと傾いてしまうとも知れない、かなり危うい状態であった。

 その為、少しでも状況を改善する為に、彼を引き取って弟子にした岩柱の悲鳴嶼さんから蝶屋敷で治療と検査を受ける様にと厳命されて渋々やって来た所に出逢ったのが、玄弥との交流の始まりであった。

 しのぶさんが色々と検査をしたり治療をしても今一つ彼の中に残ってしまっている鬼の影響を除ききる事は出来ず困っていた所に、もしかしてと自分の力を使ってみた所綺麗さっぱりとその影響を取り除く事が出来た。

 その縁があって玄弥は、鬼を喰ってしまった時には必ず蝶屋敷に赴いてその影響を取り除くように、と悲鳴嶼さんとしのぶさんの両名から厳命されたのであった。

『アムリタ』で鬼の影響を取り除けるとは言え、それでも何度も何度も鬼を喰ってしまうのは確実に身体に負担を掛けているし、なんなら健康寿命にもかなり影響してしまうかもしれないので、鬼を喰うのは出来る限り控える様にと毎度毎度説得はしているのだが。

 どうしても果たしたい目的の為に鬼を多く狩って昇進したい玄弥は、中々鬼喰いを止めてくれない。

 それでも、当初の内はストレスから気が立っていて粗野になっていたその言動も、会話を重ねその言葉に耳を傾けている内にすっかり収まって。今は、彼本来の柔らかな優しさを持つ心を見せてくれる様になった。

 玄弥を見ていると、何処と無く完二を思い出す。だからなのか、どうしても親身になってしまうのだ。

 

「今回の任務の鬼は強くて、銃だけじゃどうしようもなくて……それで……」

 

 空いていた診察室に通して事情を聴くと、玄弥は身を小さくする様に縮こまってそう言う。

 毎度毎度聞いているその文言に、僅かに溜息を零してしまった。

 

「俺は、玄弥がちゃんと五体満足で帰って来たのならそれが一番だとは思うけど。

 でも、そんな無茶を何時までも続けられるとは思わない方が良い。

 今は俺の力で戻してやれるけど、俺の力は完全に鬼になってしまった相手には無力なんだ。

 ……俺は、鬼になってしまった玄弥を倒さなければいけなくなるのは、絶対に嫌だ。

 それは、悲鳴嶼さんもしのぶさんも同じ思いだと思う」

 

 玄弥がここまで鬼を狩る事に拘っているのは、玄弥が柱になりたいと願っているからだ。

 柱になって、現風柱である不死川実弥に逢う。それが、『呼吸』が使えないままに鬼殺隊の隊士を続けている玄弥の行動原理の全てであった。

 何度か「治療」を続けている内に少しずつその心の棘が抜けて来た玄弥が、そっと打ち明けてくれたその切実な願いを、自分は否定する事が出来ない。

 危険だ、無茶だ、このままじゃ死ぬぞ。……玄弥のその行動を止める言葉は、きっと幾らでもあったのだけれど。大切な兄にただ一言謝りたいと言うその純粋なまでの想いを、どうにかして叶えてやりたいと思ってしまう。

 風柱に逢う事自体は、きっと柱にならなくても叶う事の筈なのだけれど。何故か、風柱は弟の存在を頑なに否定して決して逢おうとはしてくれないらしい。その為、柱合会議で必ず顔を合わせなくてはならない柱になれば、兄に逢えるのではないか、と。そう玄弥は思っているのだ。

 ……どうして風柱が玄弥の存在を否定しているのかは分からない。未だ逢った事が無い相手の一人であるし、その言葉や態度の真意が何であるのかを推し量る事は出来なかった。

 ただ、そこにある「真実」が何であれ。今のままの状態では、お互いに何処にも行けないままだろう。

 玄弥は自分の命を削る勢いで無茶を繰り返し続けてしまうだろうし、それは周りがどう言っても止められる様なものでは無い。

 だからこそ、どうにか風柱の真意を確かめつつ、玄弥が無茶を重ねた結果命を落としたりしない様にしなければならない。まあ、風柱の真意を確かめると言うその第一段階が中々難しいのではあるが……。

 

 早速玄弥に巣食った鬼の影響を消そうとして、そう言えばと、ふと珠世さんの事を思い出す。

 

「ああ、そうだ玄弥。もしよければで良いんだけれど、鬼の影響を受けた状態と受けていない状態の玄弥の血を少し調べさせて貰っても良いか?」

 

「え? まあ、悠には世話になってるし、良いけどよ。俺の血なんか一体何に使うんだ?」

 

「俺の力を使った事で玄弥の中でどう言う変化が起きているのか分れば、もしかしたら鬼にされてしまった人を戻す方法が見付かるかもしれないんだ。

 それ自体に直接繋がる事は無くても、その方法を見付ける切欠になれるかもしれない。

 だから、頼みたいんだ」

 

 鬼にされてしまった人を、と。そう言うと、玄弥は複雑な表情を浮かべる。

 ……玄弥が兄を追う切欠になったのも、母親が鬼にされてしまい下の弟妹を惨殺されてしまうと言う惨劇が在ったからだと、そう以前玄弥が零した事があった。

 もし、母親が鬼にされた時に、鬼を人に戻す術があれば、と。そうふと考えてしまったのだろうか。

 何処か切なそうにその眼差しを揺らしながら、玄弥は「分かった」と頷いてくれた。

 その事に厚く礼を言って、採血してから玄弥に『アムリタ』を使う。

 その途端、玄弥の中に在った鬼の気配は綺麗さっぱり消え去った。

 

「じゃあ、後は何時もの様にしのぶさんの診察を受けておいてくれ」

 

 多分その際にはお説教されるだろうけれど、と付け加えると、玄弥は軽く呻く。

 そんな玄弥の反応を微笑ましく見ていると、ふと玄弥が訊ねてきた。

 

「なあ、確か悠って呼吸が使えないんだよな」

 

「そうみたいだ。身体が『呼吸』に適していないらしい。

 使えるだろうかと思って、しのぶさんにちょっと教わって頑張ってみても全く駄目だな。

 正直、肺が潰れるかと思った……」

 

 正確には、『呼吸』に適していないのではなくて、『呼吸』に適した身体に成れない、と言うべきなのだろう。

 此処が『夢の中』であるからなのか、どうやら自分の身体は此処で目覚めた時から一切変化していない。

 髪も全く伸びないし、どれだけ鍛えてみても変わらない。『呼吸』をしてみた所で、それに適した身体になっていく事が出来ないのだから、自分には『呼吸』を使えないのは間違いが無い。

 まあ、戦う時にはペルソナの力の影響を受けるので、『呼吸』が使えなくても全く問題無いのだけれども。

 逆に言うと、戦っていない時の自分の身体能力は、全集中・常中を修めた人たちとは比べ物にならない。

 しのぶさんに腕相撲勝負を仕掛けたら確実に負ける。

 

「そうなのか。悠は何でもやれてしまいそうな感じなのにな」

 

「まさか、俺に出来ない事なんて沢山あるよ」

 

 流石に、何でも出来ると思われるのは心外である。

 無論、出来る様に努力する事はあるが、その努力が在ったからと言って何でも身に付く訳では無い。

 それでも、出来る事はあるのだし、自分に出来る事で大切な人の力になれればそれで良いのだ。

 

 そう言うと、玄弥は何かを考え込み、そして少し躊躇いながらも一つのお願いをしてきた。

 

「なあ、悠。今度俺と一緒に任務に行ってくれないか? 

 もしかしたら、悠の戦い方を見て何か掴めるかもしれねぇ」

 

「俺と任務を? 分かった、今度鴉にそう伝えておくよ。そうすれば、融通して貰えると思う」

 

 流石に今から、と言うのは難しいだろうが。希望を伝えておけばその内玄弥との任務を組んで貰えるだろう。

 それから、玄弥とは何時もの様に蝶屋敷の近くある甘味屋で一緒におはぎを食べる。

 鬼の影響が強い時には、玄弥は食事が出来なくなる。鬼が人の食べるものを食べられなくなるのと同じ様に、身体が受け付けないのだと言う。だからこそ、こうして鬼の影響を取り除いた後には、必ず一緒に食事をする事にしている。玄弥に、自分が人である事を大事にして欲しいからだ。

 食事をすると言う事は、生きる事に直結する。

 鬼にとってはその獲物が人間であるのだろうけれど、玄弥は人間だ。人としての食事をして欲しいのだ。

 それを忘れないで欲しいと、何時も思っている。

 別れ際の玄弥の表情は、何時もよりも何処か前向きなものになっていた。

 

 茶々丸に玄弥の血を持たせて見送って少しすると、鎹鴉が指令を伝えにやって来た。

 

『時折信者が消えると言う噂の宗教団体がある。鬼が潜伏している可能性がある為、調査に向かえ』、と。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 新たな任務が決まったのだが、それはどうやら何時もの任務とは少し毛色が違うものであった。

 曰く、その宗教団体は江戸時代に成立したものであるらしく、その名を『万世極楽教』と言う。

 その成立から現時点で百数十年程経っているらしいが、現代で言う所の『新興宗教』の一種である。

 極楽と付くからには仏教系の新興宗教なのかと思わなくも無いが、そう言う訳では無く、『神の子』である教祖を介して極楽浄土への到達を目指すと言う趣旨のものなのだそうだ。

 とは言え、この『万世極楽教』は積極的に対外的に布教活動をしている訳でも信者を獲得しようとしている訳でも無いらしいので、その仔細は不明な点が多いらしい。『神の子』である教祖と言うのも、そう言う事を漏れ聞いたと言う人伝の情報でしかない。

 現代カルト宗教にありがちな、高額のお布施や寄進の強要などの信者から搾り取る様な仕組みは特には無いらしく、家庭に行き場の無い女子供などが多く流れ着く、ある種の駆け込み寺の様な面もあるらしい。

 信者となった者達は、その総本山である広大な土地を持つ寺院とその中に在る村での共同生活を営んでいる、らしい。……これもあくまでも伝聞だ。

 基本的に寺院の中で慎ましく暮らす彼等が、俗世に出て来る事は滅多に無いと言う。

 ……つまりは、中で誰が消えていたとしても、外の人間は誰も気付く事が無いと言う事である。

 

 悲しい事だが、「消えても気付かれない人間」と言うのはどの時代でも一定数以上は存在する。

 裏社会に関係する者達であったり、夜の店に関連する人々であったり、或いは帰るべき場所や寄る辺も無く何かに縋るしか無かった人々など。「何時消えてもおかしくない、それ故に探される事も無い者」は少なくない。

 この大正の時代よりも様々な部分が発展した平成の世でも、「見えない人々」は沢山居たのだろう。

 そして、上弦程の強い鬼になるとその知性も高くなる為、人の世に紛れて生きている鬼が居るのではないかとは前から柱たちの間で議題に上がっていたらしい。

 そして、自分達に都合の良い「餌場」を作って何処かで人間を喰い荒らしているのではないかと言われている。

 その為、音柱である宇随天元さんは暫く前から目を付けていた遊郭に潜入調査員を送り込んで鬼が潜んでいないかを探っているそうだ。……遊郭と言えば、確かに「消えても探されない人間」がさぞ多い事だろう。

 そこに鬼が巣食っている可能性は高い。

 そして今回『万世極楽教』に白羽の矢が立ったのも同じ理由である。

 

 自分達に指令が下る前に『万世極楽教』に先行して潜入して調査していた隊士が数名居たのだが、彼等彼女等は最近消息を絶ってしまった。潜入に気付かれて始末されたか、或いは喰われたか……。調査の過程で彼等の生存が確認されれば最優先で保護せよと命じられているが、その生存に関しては難しいものがある。

 しかし、彼等が残した情報は決して無駄ではない。

 曰く、『万世極楽教』の信者の内、特に若い女が行方知れずになる事がある。

 曰く、行方知れずになった彼女等の多くは、嫁ぎ先で虐待された者達であったり或いは劣悪な家庭環境から逃げ出してきた孤児であったりしたそうだ。……だからこそ彼等の行方が知れなくなったからと言って探してくれる人など居らず、今の今まで事態の発覚が遅れてしまったのだろう。

 潜入捜査で行方不明になってしまった隊士が、町の聞き込みでその尻尾を偶然掴まなければこのまま見逃してしまっていたかもしれない程である。

 この大正の時代でも、その規模の大小こそ異なれど新興宗教は多く在り、有り体に言えば「胡散臭い」宗教など数多くある。その中から『万世極楽教』を嗅ぎ当てたその隊士の功績は大きい。……願わくば、どうか命だけでも無事であって欲しいのだが……。

 

 今回の調査で共に行動する事になるのは、しのぶさんと、その継子でありほぼ常にその行動をしのぶさんと共にしているカナヲの二人だ。よく知った相手である事もあり、その采配には安心感がある。

 しのぶさんは嫁ぎ先の義実家の暴力に耐えかねて家を出たうら若き婦女、カナヲは親の暴力から逃げて来た家なき子、自分は死んだ両親が残した借金で首が回らなくなって夜逃げして来た男、と言う「設定」で『万世極楽教』に入信したと言う体で潜入する事になった。

 あくまでも、『設定』である。

 

 しのぶさんには何時も蝶屋敷でお世話になっているが、こうして共に任務に向かう事は実は初めてであった。

 ……しのぶさんが、その笑顔の裏に何か激しい感情を秘めている事には出逢って少ししてから気付いていたが。

 しかし、しのぶさん自身すら焦がす程の激しい感情が一体何へ向けられているのかはまだ分からない。

 何時か、分かるのだろうか。

 そして何時か、しのぶさんが抱えているその何かを解決する力になれるだろうか。

 この『夢』の中で日々を過ごす内に、自分にとって蝶屋敷は、あの八十稲羽の堂島家の様に己の帰るべき場所になっていた。だからこそ、しのぶさんの力に、カナヲの力に、なりたいのだ。

 

 そんな自分の想いを絶対に見失わない様に再確認しながら。

 しのぶさん達と共に上弦の鬼が潜んでいるのかもしれない「極楽」を謳う檻の中へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
蝶屋敷の皆を、堂島家の人達と同様に大切にしている。
最近、自分が作ったおやつや料理をカナヲが美味しそうに食べてくれるのが嬉しくて仕方が無い。菜々子と堂島さんの為に磨いた料理の腕が輝く。
動物が大好きで、猫も好きだし鴉も好き。伊黒さんの鏑丸と出逢ったらきっと仲良くなろうとする。
初めて貰ったお給料で買ったのは、知り合った人たちと文通する為の万年筆。
文通相手が物凄く多い。
現時点で関わりが全く無い柱は、風柱・恋柱・蛇柱・霞柱・音柱・水柱(ただし炭治郎の記憶を介しての一方的な面識はあり)の六人である。


【不死川玄弥】
何気に運命が滅茶苦茶変わっている人の一人。
悠とのコミュによって、原作よりも刺々しい心が丸くなるのが早まった上に、癇癪を起す頻度は格段に減った。
鬼喰いをしてもその都度悠によって浄化されているので、ご飯を何時も美味しく食べられている。ただし鬼を喰った直後以外の肉体の再生力は普通なので、原作よりも無茶出来なくなっている面も。
悠の事を、師匠である悲鳴嶼の次か同じ位に信頼している。


【胡蝶しのぶ】
この任務の中で自分の姉の仇と遭遇する事になるとはまだ知らない。
既に毒は全身に蓄積されているので、復讐を実行する事は出来る。
悠の事は、お人好しな弟みたいな存在に感じている。


【栗花落カナヲ】
炭治郎が「心の声」を聴く切欠をくれた事を契機に、悠とも関わる様になる。
アオイが作ってくれた料理が大好きだが、悠が作ってくれる料理も好き。
プリンとか、また作って欲しいと思っている。


【悲鳴嶼行冥】
玄弥との関わりを介して悠と面識がある。
猫好きの悠と一緒に居ると猫トークが弾む。
心の目で見ても、悠の心根がとても優しくて奇麗なのでかなりの好感を持っている。


【珠世】
悠が初手でパーフェクトコミュニケーションを決めた為、好感度はとても高い。
しかし、『アムリタ』などの規格外の力には正直目が遠くなる。
もしや、あの日に見た縁壱よりも更に規格外の存在なのでは……と察する。


【愈史郎】
敬愛する珠世様に初手でパーフェクトコミュニケーションを決めた悠を物凄く警戒するが、悠に一切の下心が無い事を理解した上に、攻撃しても全部避けられてしまう事で、悠を敵視するのは止めた。
まあ、珠世様の役に立ちそうだし、認めてやらんでも無い。


【茶々丸】
悠のテクニシャンな撫で方にご満悦。
基本的には炭治郎の傍に居るが、炭治郎が蝶屋敷に居る時は悠の所にも顔を出す。


【鎹鴉たち】
蝶屋敷やって来ると悠が喜んでおやつを用意したりテクニシャンに撫でてくれるので、悠への好感度は物凄く高い。
悠は出逢った鎹鴉の名前やその好みなどを全て把握しているし、一目で鎹鴉たちを見分けられる。



≪今回のアルカナ≫

『愚者』
鬼殺隊の一般隊士たちとの絆。ほぼ満たされている。
悠に感謝している隊士はとても多い。


『女帝』
珠世との絆。そこそこ満たされている。


『法王』
悲鳴嶼行冥との絆。少し満たされている。


『運命』
栗花落カナヲとの絆。少し満たされている。
炭治郎によって「心の声」が少し大きくなった事を切欠として生まれた。
これ以上絆を深める為には何らかの条件を満たす必要がある。


『悪魔』
愈史郎との絆。そこそこ満たされている。


『塔』
不死川玄弥との絆。かなり満たされている。



【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
万世極楽教の情報を掴んだのは、蝶屋敷で悠の力によって一命を取り留めた名も無き一人の女性隊士でした。
彼女が生き残った事による小さな変化が、無限城で童磨と対峙する前に万世極楽教に潜入すると言う、本来在るべきものとは異なる結果を齎しました。
名も無き彼女は、死の瀬戸際に在った際に自分の手を優しく握っていてくれた温かな手の事を最後まで忘れずに、その手の優しさを支えとして万世極楽教の潜入任務へと向かい、行方不明になっています。


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『空虚な信仰』

万世極楽教に関しては公式で分かっている事がほぼ存在しないので全部捏造です。
実際のところ、どんな感じの生活だったんでしょうね。
ガチなカルト宗教(オウ●真理教とか)って感じでは無さそうですが……。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『万世極楽教』のその総本山となる寺院は、人里離れた場所に在った。

 周囲を森や川などに囲まれ、それは世間に身を置く事が難しくなって逃げて来た者達にとってはその身を守る結界の様でもあり、そして一度入ればそこから逃げる事を赦さない檻の様でもあった。

 もし、『万世極楽教』の異常に気付いて逃げようとした者が居たとして。

 これでは到底逃げる事は出来ないだろう。『万世極楽教』に上弦の鬼が潜んでいるのなら、尚更に。

 

 市井の中に僅かに存在する『万世極楽教』の信徒に逢い、「設定」として用意していた背景を語った所、彼等は「善意」を以て「可哀想な目に遭った」者達を救ってあげようと、『万世極楽教』のその総本山である寺院までの道案内を買ってくれた。

 自分としのぶさん達とは、困窮した人を救済してくれると言う噂のあった『万世極楽教』への入信方法を探している内に偶然道行きを同じくした赤の他人……と言う「設定」になっている。

 その為、『万世極楽教』内に侵入した後は、基本的には単独行動が主になってしまうだろう。

 本来であれば、上弦の鬼が潜む可能性すらある伏魔殿で単独行動を取るなど、正気の沙汰では無いのだが。

 しかし、若い女性ばかりが集中してその行方が分からなくなっていると言うその情報を鑑みるに、ここに鬼が潜んでいるのであれば、その鬼は獲物とする相手に対してかなりの「拘り」がある可能性がある。

 その為、獲物として「最適」なしのぶさんやカナヲの周囲を、若いとは言え男である自分が赤の他人である筈なのにウロウロしていては鬼を警戒させてその尻尾を掴めないかもしれない……と言う事情があった。

 そして、しのぶさんはより情報収集をしやすくする為に、義実家での酷い仕打ちの結果、自分と同年代以下の女性以外を恐れてしまう心の傷を抱えている……と言う「設定」を自身に加えている。

『万世極楽教』にまで逃げて来た女性には、しのぶさんの「設定」の様な事情を抱えている者も多く、鬼にとっての「獲物」である彼女らからの「同情」を得る事で、より情報を得ようとしているのだ。

 カナヲはと言うと、やや心を閉ざしがちと言う「設定」を加えている。

 これに関しては、こう言った「宗教」の信者と言うのは、基本的には「純粋」で「善意」に溢れている事も多く、更には信者の多くは俗世で様々な苦しみを味わったが故に『万世極楽教』に縋った者達だ。そんな彼等は「救われていない」新たなる同胞により親身に接してくれる可能性が高い。これも、情報を得るには有利に働く。

 

 今回の任務の主要な部分を担うのは、しのぶさんとカナヲだろう。

 自分は、あくまでも戦闘時の戦力と緊急時の治療役として選ばれているに過ぎない。

 しのぶさんとカナヲの身を危険に晒す様な任務だが、こればっかりは自分の性別を変えられる訳で無いので仕方無い。一応、しのぶさん達と長時間の接触は余り出来なくても、鬼殺隊独自の指文字などを介して簡単な情報のやり取りはする手筈になっているが……。しかしどうしたって不安は残る。

 鬼が何処で目を光らせているのかも分からないのだ。少しの油断が命取りになる事もある。

 それに……寺院の中には『万世極楽教』の信徒が……鬼では無い守るべき一般人が数多く居るのだ。

 そんな場所で不用意に鬼と戦闘に入る訳にはいかない。

 鬼に彼等を喰い荒らされる訳にはいかないし、或いは人質に取られても厄介だ。

 更には、鬼が此方側の動きを何処まで把握しているのか、と言うのも問題になる。

 先行して潜入していた隊士たちが、万が一殺されていたとしても情報を吐くとは思えないが。

 知能が高い鬼だと、隊士が紛れ込んでいると言う時点で鬼殺隊の標的になっている事は容易に察するだろうし、何だったら罠を張って待ち構えているだろう。

 しのぶさんもカナヲも人並外れて強い事は分かっているのだが、どうしたって心配になってしまう。

 万が一しのぶさんたちだけで鬼と戦闘する事になった時には上空から状況を見守ってくれている鎹鴉たちから情報を受けて可能な限り急行するつもりだが、それに気付くまでの時間の内に命を落とす可能性だってあるだろう。……自分が倒れている間に、煉獄さんが上弦の参の鬼との戦いで命を落としかけていた様に。

 それでも、鬼を探し出しそれを滅する必要があるのだ。

 此処に潜む存在が、上弦の鬼であるのなら尚更に。

 

 

 信者の人達の案内に従って、信徒が共同生活を営む寺院の中に建てられた長屋の様な場所へと向かう。

 しのぶさんたちは、女性用の長屋の方へと向かっていった。

 此処では、逃げて来る人達の事情が事情だけに、信者たちの居住空間は基本的に男女で分けられている。

 日々の祈りを捧げる為の寺院本体は男女共に利用可能だ。ちなみに、祈りの時間は特には決まっていないらしいし、そもそも祈りを捧げるかどうかも自由なのだそうだ。……まあ、信者となった者達の多くは、朝晩に祈りを捧げに参拝しているらしいのだが。

 他の信者たちに悟られぬ様にしのぶさんたちと連絡を取るのは、そのタイミングが一番だろう。

 長屋の空き部屋に通され、そこで少ないながらも持ち込んでいた荷物を下ろす。

 しのぶさん達の日輪刀もそうだが、それと悟られぬ様に隠していたとは言え十握剣を持ち込むのには中々苦労した。何時戦いになっても良い様に持ち歩きたくはあるが、帯刀なんてしていれば他の信者たちに不審に思われてしまう為、一先ずは部屋にこっそりと隠しておく。

 そうやって準備を整えてから改めて部屋を見渡すと、鬼の気配がする訳でも無いのに何とも言えない違和感の様なものを感じる。一体何故だろう、と首を傾げつつその違和感の正体を探る。

 そして、気付いたのが、部屋の至る所にある装飾だった。

『万世極楽教』は、その「極楽」の名を意識してなのか、至る所に「蓮華」の意匠の装飾がある。

 襖に描かれているのも蓮華の花だ。

 それ自体は特におかしなものでも無い筈なのだが……。しかしどうにも変な感じがする。

 一体何故? とそれらを観察してみても、その違和感の答えは分からずじまいで。

 それがただの絵や装飾である事だけは分かったので、とにかく今はもっと多くの情報を集めなければ、と部屋を出て信者たちと交流する事にした。

 

『万世極楽教』では、基本的には自給自足の生活を営んでいるらしい。

 衣服の類や細かな消耗品などは寺院に出入りしている商家を通して購入しているらしいが、食料の類はほぼ全て自分で賄う事になる。

 その為、寺院の広大な敷地の中には広い田畑があり、近くを流れる川の水を引き込んで作られた人工の小さな湖には食用の魚が飼われている。付近の森や山に狩りに出る事もあるらしい。

 そうやって、この『万世極楽教』は外界から閉ざされた箱庭の世界になっている。

 今日は入ってきたばかりで大変だろうから、と言う事で畑仕事などは免除されているが、このまま調査の為に滞在期間が延びるのであればそう言った共同生活の為の仕事を受け持つ必要が出て来るであろう。

 ……こうして見る分には、この場所での生活は本当に穏やかなものなのだろう。

 贅沢が出来ると言う訳では無いが、生きていく為の糧を自分達で得る事が出来て、そして心を煩わせる物事からは遠く離れ。「苦役から離れ穏やかに喜びと共に生きる事」をその至上の教えとしているその在り方通りの生き方をしている。……ここが鬼にとって、ただの餌の養殖場でしかないのだとしても。

 自らを苛んでいた苦しみを忘れようとするかの様に生きる信者たちの姿は何処か、混迷の霧に覆われ誰もが虚ろの森の中に蹲ろうとしていたあの八十稲羽の人々の姿を僅かに想起させる。

 ……自分達は此処に鬼を狩りに来たのであって、此処で生きる人々の生活に干渉する為に来た訳では無いので、何が出来ると言う訳では無いのだけれども。

 

『万世極楽教』の寺院の敷地は広い。

 だからこそ、何が何処に在るのかを早急に把握する必要があった。

 無論、信者たちが把握していない施設や空間を含めて。

 幾ら此処に鬼が潜んでいるのだとしても、其処らかしこで人を食い散らかしていては流石に信者たちも異常に気付くだろうし大騒ぎになるだろう。だからこそ、食事場が何処かにあるだろうし、更には被害者の衣服などの「食い残し」を処分する為の場所もある筈だ。

 此処に潜む鬼が何処に隠れているのか……『万世極楽教』にとってどう言う扱いであるのかは分からないが。

 上層部が鬼と結託して人を餌にしているのであれば、その者達にも何らかの措置が必要になるだろう。

 とにかく今は、情報を集める事に専念する必要があった。

 

『万世極楽教』のその本体とも言える寺院の中も見せて貰う。

 やはり此処にも様々な場所に蓮華の意匠が施され、そして極楽浄土を描いた絵が掛けられていたりする。

 ……しかしやはり、それらにどうにも違和感があった。

 長屋の自室でも感じていたその違和感の正体を見極める為に、それらの絵や意匠をよく観察する。

 そして、気付いた。

 それらの意匠に、「何の祈りも込められていない」のだ、と。

 それは誰かに具体的に示された訳でも、或いはそれらの絵や意匠にその意図が込められている訳でも無い。

 だから半ば直感の様なものであったが、一度それに気付くとその解釈はすとんと胸に落ちて来る。

 この手の宗教的なものに関しては、細かな部分にも「祈り」やら「教義への想い」やらが込められている事が殆どである。信者から金銭を巻き上げ私服を肥やす為の自称宗教がどうなのかは知らないが、少なくとも古くからある神社仏閣などで感じるそれに帰依する人々の「想い」とでも言うべき何かが、ゴッソリと欠けている。

 まるで、表層だけ真似てみたものを「本物」だと言われて見せられているかの様な、そんな感覚だ。

 何となく、ここを作った人はきっと宗教なんて欠片も信じていないのだろう、とそう感じてしまう。

 極楽浄土も、或いは地獄も。そのどちらもを信じていない。そんな空っぽの信仰がそこに在った。

 ……とは言え、『万世極楽教』の者が何をどう考えていようと、それは鬼殺には関係ない事ではある。

 空っぽの信仰に身を委ねている人たちの今後は気になる所ではあるけれども。

 

 寺院の中を歩いている内に偶然に擦れ違ったしのぶさん達と、指文字で情報を交換する。

 どうやら二人とも無事に潜入出来ているらしい。

 接触してくる人の中で、今の所「怪しい」人は居ないそうだ。

 潜入捜査は始まったばかりなので油断は出来ないが、今の所それなりに順調と言えるだろう。

 

 此処に潜む鬼に繋がる情報を、一刻も早く掴む事が出来れば良いのだが……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 潜入捜査を始めてから二日が経ち、顔を合わせる事のある信者の人達の大半からそれとなく事情を聴き出せる程度にまで打ち解ける事が出来た。

「設定」によって親身になってくれている人たちを騙してその善意に付け込んでいるかの様なものである事には少しばかり申し訳なくなるが、綺麗事ばかり言ってもいられないのだし、何より此処に潜む鬼の手から彼等を守る事にも繋がっている筈なので赦して貰いたい所である。

 

『万世極楽教』の信者たちは、基本的には「善良」な人が多い。或いは、深く傷付いた結果此処に流れ着いてきたが故に『万世極楽教』に依存する事しか出来なくなっている者たちと言う事も出来るのかもしれないが。

 しかし、信者たちと一口に言ってもそれは様々で。

 心から極楽浄土への到達を信じて信仰している者、折角得る事が出来た居場所に固執する者、自分を苛んだ俗世を拒絶する者など。此処に流れ着いた理由も様々だし、此処に残っている理由も様々だ。

 ただ一つ言える事として、此処に居る者たちの殆どが深く傷付いた事のある者であった。

 信者の総数は凡そ二百数十人。この数は百年以上の『万世極楽教』の歴史の中で多少の変動こそあれどそこから大きく動いた事は無いらしい。……まるで、誰かが意図的に数を調整しているかの様である。

 そう多くは無いものの此処に流れ着いてくる人は通年存在するのだが、まるでその数に合わせた様に、『万世極楽教』からは人が減る。消えるのは主に若い女性だが、男性も時折減る様だ。

 教えを捨てたのだとも、或いはやはり俗世に置いてきた者達を忘れられなかったから帰ったのだとも。

 信者たちは、姿を消した者たちの事をそう解釈しているし、『万世極楽教』は此処を立ち去る事を引き留める事は無いので実際にそう言う事情で姿を消した人も居たのかもしれないが。

 しかし、そもそも此処に居る者の大半が、居場所を喪って流れ着いた者たちなのである。

 そんな者たちが、やっと得た安息の地をそう簡単に手放す事は無い。……それは、信者たち自身が一番よく分かっている事だろうけれども。彼等も、漸く得られた安寧を喪いたくなくて。だから、何かがおかしい、何かが違う事は分かっていても、それから目を逸らし自分に都合の良い解釈を受け入れて、無意識が感じた違和感を殺そうとしている様であった。

 もし何かに気付いてしまえば、そして行動してしまえば。この極楽の世界の裏側に隠れている闇の中に引き摺り込まれて殺されてしまう事を、心の何処かで感じているのかもしれない。

 或いは、目を瞑り耳を塞ぎ心の声を封じていれば、自分が「標的」になる事は無いのだと信じていたいのか……。

 何にせよ、彼らが行動を起こす事は無いだろう。

 それを、家畜の如き安寧を貪る為の怯懦だと謗る事は容易いが。しかし、人は誰しもが強く在れる訳では無く、特に心が傷付いている時には「正しい行動」を取る事は難しい。此処が鬼の作り出した極楽の顔をした家畜小屋なのだとしても、此処に流れ着くまでに誰にも手を差し伸べて貰えなかった者達の安寧が此処で漸く得られた事もまた事実であるのだろう。

 心身共に傷付き果て行き場を無くした身の上を、鬼に付け込まれているだけなのだとしても。それで得られた彼らの心の平穏自体を否定する事は出来ない。

 ……それでも、此処に人を貪る鬼が居るのであれば。

 それによって信者たちの平穏を破壊する結果になるのだとしても、鬼を斬らねばならない。

 信者たちは心の安寧が欲しいのであって、死を望んでいる訳では無いのだし、況してや鬼に貪り喰われる最期など欠片も望んでいないだろうから。

 

 信者たちの話を聞く内に、もしや……と思う存在に辿り着いた。

 曰く、虹色の神秘的な瞳を持ち、神の声を聞く事が出来る者。

 曰く、その慈悲深き心で救われぬ人々を「救済」する事をその使命とする者。

 それが、この『万世極楽教』の教祖であるらしい。

 彼の導きによって「極楽浄土」へと至る事を、『万世極楽教』は目的としているそうだ。

 彼と面会する事はそう簡単では無いが、それでも彼と話をする事で「救われた」者も多いと言う。

 そんな「教祖様」とやらは、普段は寺院内で行動しているらしく、決して日中に外に出る事は無いと言う。

 ……もしやとは思うが、その「教祖様」本人が『万世極楽教』に潜む鬼なのだろうか。

 それはまだ確定出来ていないが、早急に調べる必要があった。

 

 そして、鬼の正体とはまた別に、幾つか「怪しい」場所の目星も大体付ける事が出来ていた。

 不自然とは言い切れない程度にだが確かに人の出入りが制限されている場所が、寺院の敷地内に幾つかある。

 それのどれかが、食事場であるのかもしれない。

 あまり派手に動く事は出来ないが、一応調べる価値はある。

 もしかすれば、姿を消した人の一部は、直ぐに殺される訳では無く、何処かに一旦閉じ込められているのかもしれない。そうであれば、消息を絶った隊士たちが生きている可能性も僅かながらにあるだろう。

 

 祈りの時間の際にしのぶさん達と擦れ違った際に、「教祖様」の情報を交換した上で、自分は今から目星を付けた場所を調査しに行く事を伝える。

 もし「教祖様」の事を探ってみて鬼だと言う確信が得られた場合、鎹鴉を使って連絡を取って直ぐ様合流してこれを斬ると言う作戦であった。

 もし此処に潜む鬼が……その「教祖様」が上弦の鬼であるのなら、しのぶさんやカナヲが単騎で戦いを挑むのは無謀過ぎるので、万が一にも急な戦闘が避けられない場合には全員合流するまでは無理に攻撃しようとせずに回避や防御に徹する事も作戦の内である。

 どうか大きな被害を出す事無く、此処に潜む鬼を倒す事が出来ると良いのだが……。

 

 激闘の予感を何処かで感じながらも、今はそれに備えるべき段階である。

 遮二無二に「教祖様」に突撃する訳にはいかない。

 とにかく、自分に出来る事をしなければならないのだ。 

 それだけはどんな時でも確実な事だった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
パーフェクト番長による圧倒的コミュニケーション能力によって、恐ろしい程の早さで信者達からの情報収集をこなした。
鬼の標的になる事を覚悟して潜入しているしのぶさん達よりも情報収集能力が高いとは如何に。
信者達からは、こんなに良い子なのに(設定上)親の借金を背負わされて可哀想に……と心から同情されてる。
別に神仏への信仰心が高い訳では無いが、既に「教祖様」とは相容れない気がしている。


【童磨】
欠片も信仰心が無いのに教祖様やってる系の人外。
鬼殺隊の隊士達が潜入している事には既に気付いている。
男には興味無いから後で適当に殺すけど、女の子の方はどっちも可愛いし強そうで美味しそうだからちゃんと「救って」あげたいな!




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
童磨には『テンタラフー』などの精神状態に異常を与えるスキルの一切が通用しません。それは強敵だからではなく、単純にその心が空っぽ過ぎて影響を与える様な余地も無いからです。
ちなみに猗窩座に『テンタラフー』などの混乱系バステを使うと、恋雪さんたちを喪った瞬間の事をバッチリ思い出して錯乱します。
黒死牟に使った場合は、縁壱との記憶がより鮮明に蘇り錯乱します。
妓夫太郎&梅に使うと、人間だった時の記憶をその死の瞬間辺りを中心に思い出します。


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『心知らぬ獣』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「若い女ばかりが姿を消す」。

 その情報を鎹鴉から受け取った時。

 真っ先に思い浮かんだのは、最愛の姉を殺したと言う、上弦の弐の鬼の事であった。

 

 頭から血を被った様な、屈託なく笑い穏やかに喋りかけて来るもその言動に感情の無い、鬼。

 花柱を務める程に強かった姉に致命傷を負わせた、悪鬼。

 余りにも遅過ぎた夜明けの光に照らされたこの手の中で、最愛の姉が息絶えた時。

 何を引き換えにしたとしても、必ず自分がこの手でその鬼を殺す事を決意した。

 何をしてでも、何があっても。自分の手で、殺したかった。

 しかし、身体的な問題で体格に恵まれず腕を振り抜く力が弱過ぎる自分では、鬼の頸を斬る事は出来ない。

 そこらの雑魚鬼の頸を斬る事すら出来ないのだ。当然、上弦の弐なんて位階にまで辿り着いている鬼の頸を斬るなんて、神様が奇跡を起こしてくれたとしても有り得ない事だった。

 だけれども、諦めきれなくて。その為に、自分の手で直接頸を斬る事が出来なくても、「自分の力があったからこそ頸を斬れた」と言う討伐の為の要になる事を決意した。何を引き換えにしても。自分の命と引き換えだったとしても、何も躊躇う事は無かった。……それが、姉の最後の願いを裏切るものであったとしても。

 復讐に身を捧げなければ、息をする事すら出来なかった。姉の様な優しく素晴らしい人に、あんな惨い最期を迎えさせるこの残酷な世界を、姉が居なくなった後でも生きていく事なんて出来なかった。

「復讐」だけが、自分の心を支えた。自分の身体を支えた。生きる為の、この一呼吸をする為の、理由になった。

 何があっても、何をしてでも、誰を利用してでも。絶対に、殺すと。あの日、そう心に決めたのだ。

 

 しかし、上弦の弐の情報を掴む事は中々出来なかった。上弦の鬼と遭遇すれば、その時点で柱であろうと単独行動中であるのならば半ば死が確定する。柱でも無い一般の隊士なら、何人で徒党を組んでいようとも一蹴されて終わりだろう。上弦の鬼によるものかもしれない被害は時々報告されたが、しかしその行方はまだ誰も掴めていなかった。下弦の鬼は柱や力のある隊士たちによって頻繁に入れ替わるが、上弦の鬼は百年以上もその顔触れが変わっていない。……数多くの柱達が彼等に挑み、そして何の情報を持ち帰る事も叶わずに命を落とした。

 恐ろしく強いと言う事以外は何も分からない。……それが上弦の鬼だ。

 死ぬ間際に姉が残した僅かな情報ですら、当時の鬼殺隊にとっては喉から手が出る程に欲していたものだった。

 柱達は下弦の鬼を狩り、そして上弦の鬼に狩られる。鬼殺隊の歴史の中で歪に保たれていたそのバランスが僅かにでも崩れたのは、一体何が始まりだったのだろう。

 人を襲う事の無い鬼の妹を連れた隊士が鬼殺隊に入った事なのか、或いは日光とも日輪刀とも藤の毒とも違う手段を以て鬼を殺せる存在が鬼殺隊の前に現れた事なのか。

 何であれ、停滞していた何かが、大きく動き出したような。そんな大いなる流れを感じた事は確かだ。

 

 何処から来たのか、何者であるのか。その正体すらろくに分からない謎の男の姿をお館様の御前で初めて見た時。正直な所、彼が鬼殺に利用出来るのかどうかにしか興味は無かった。

 鬼となった妹を連れた隊士……竈門炭治郎が青年を最初に見付け保護したのだと聞いた時は、彼はつくづく変わった出来事に遭遇する星の下に生まれたのだろうかなんて、運命など欠片も信じていないのにそんな事を考えはしたが、その程度だ。

 初めて彼を……鳴上悠を見た時には、一目見ただけでも彼が呼吸を使う訳でも無い、普通の人だと分かった。

 鬼殺隊の隊士たちの様に鬼に対する消えない憎しみを抱えていると言う訳でも無く、静かに落ち着いたその目には優しさ以外の感情は感じ取れなくて。鬼殺隊が守るべき対象である一般の人々と何も変わらなかった。

 これで一体どうやって鬼を倒したと言うのだろう。呼吸を知らない者でも激しい怒りなどによって鬼を一所に留め続け夜明けまで耐久したりする事は稀ながらもあると聞くが、彼は夜明けすら待たずに日輪刀も持たずに鬼を殺したと言うのだ。それは到底信じられない事であった。

 彼は、それを「血鬼術に似た様な力」のお陰だと、そうお館様に明かした。

「血鬼術に似た様な力」……。その様な力を持った人間の話など、一度たりとも聞いた事が無い。

 もしそんな力が本当にあるのなら、鬼殺隊はもっと鬼を狩れていただろう。

 お館様の先見の明などの様なある種の特異的な能力を持つ者は居るが、しかしそれは人世の理を捻じ曲げる様なものでは無いのだ。

 ……彼に本当にその様な力があるのなら。彼は果たして「人間」なのだろうか? 

 鬼が何らかの方法でその身を偽っているのではないか? と。そうも考えた。

 鬼であるかどうかに関して言えば、昼日中でも平気な顔で日光に当たっているので違うのだろうが。

 

 他者を癒す力を持つと言う彼を蝶屋敷で面倒を見る事になったのは、ある種当然の成り行きと言うものであった。何者であるのかすらよく分からない彼には柱による監視が必要であったし、彼の力を見極めると言う意味でも「実践の場」が必要なのだから。

 そしてそこで彼が見せた「力」は自分の予想を遥かに超えるものであった。

 本来なら後遺症を遺すだろう血鬼術をまるで何事も無かったかの様な状態にまで解除して、命すら危ぶまれる様な傷を負った者も癒して。彼が蝶屋敷でその力を揮う様になってから、蝶屋敷に運ばれて命を落とす者は格段に減少し、そして隊士たちが後遺症無く前線に復帰出来る割合も劇的に改善された。

 だが彼について何よりも特筆すべきはその力その物では無く、その善良な心根であると言う事には直ぐに気付いた。

 

 傷を負った隊士たちの手を優しく握ってその痛みに寄り添い、それを取り除こうと惜しみ無く「力」を使う。

「力」は無制限なのではなく、使えば使う程に彼を疲弊させ限界を超えてそれを行使すれば倒れてしまうのに。

 それを分かった上で、気を喪う事になろうが誰かを助ける為ならばそれを惜しまない。

 更には正確には隊士では無いにも拘わらず鬼殺隊の任務を受けて鬼を討つ為に駆け回る。

 特別な「力」を持っているが、その根本は優しく誠実な好青年であり、故にこそ鬼の被害を看過出来ずに戦う。

 蝶屋敷での仕事を何一つとして厭わず、「自分に出来る事をしたい」と何でも積極的にこなす。

 誰に対しても誠実に、そして相手を思い遣りながら接する。

 蝶屋敷に身を寄せている娘たちが程無くして彼に心を開くのは、ある意味では当然の事であった。

 自分も、最初はその力を使えるのかどうか程度にしか感じていなかった筈なのに、何時しか彼の事をまるで弟であるかの様に思い始めていた。

 

 そんな中で、長く続いた十二鬼月との戦いの停滞を打ち破る出来事が起きたのだ。

 

 上弦の鬼の中でも上位の者である上弦の参。それと直接交戦した隊士としては初めて、炎柱である煉獄杏寿郎が生還したのだ。それも、左眼の視力を喪うのみと言う……軽くは無いがしかし上弦の鬼と対峙した者としては破格な程に五体満足と言っても良い状態で。

 本来なら死んでいた筈の傷を負った彼の命を繋ぎ止めその傷を癒したのは、同じ任務に同行していた悠であった。死者の蘇生にも等しい程の奇跡を成しただけではなく、悠は更に鬼を討った際に横転しかけた列車を神風としか言えない暴風を吹かせてそれを止めたとすら報告で聞いた。

 悠の「力」が、自分達が想像していた以上のものである事を知った時。

 自分の中で、悠のその力を借りれば「復讐」を果たす事が出来るのではないか、と。そんな暗い考えが芽生えてしまった。

 数年掛けてこの身に毒を蓄積させて、この身と引き換えにして上弦の弐に致死の毒を喰らわせて。

 その上で、頸を斬って貰う。それが自分の描いた「復讐」の方法だった。

 鬼の頸を斬るのは、継子であり大切な妹であるカナヲに任せるつもりだった。……だが、上弦の鬼と言う規格外の存在に対して、幾ら毒で弱らせるからと言ってもカナヲ一人でその頸を取れるのかと言う部分に関しては大分怪しいものがあった。だが、その場に悠も居てくれれば。確実にカナヲに頸を斬らせてくれるのではないか、と。……そう考えた。考えてしまったのだ。

 姉をあの悪鬼に奪われた自分とは違う、カナヲとも違う。上弦の弐とは本来全く関係無い悠に、自分の敵討ちをさせようと、それをお膳立てしようと、本気で考えてしまった。……そんな事をすれば、彼がどれ程傷付くのかは薄々分かっているのに。

 それでも、「復讐」だけを考えて来た自分が止まれる筈も無くて。それを見て見ぬふりするかの様に。

『万世極楽教』への潜入捜査に、カナヲだけではなく悠も共に連れて行く事にしたのだ。

 

 此処に潜む鬼が、上弦の弐でないならそれはそれで良い。何時も通り殺すだけだ。

 だがもし。上弦の弐であったのなら。その時は──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 日が沈み辺りが夜闇に包まれた事を確認して、行動を開始した。

 日中は他の信者たちの目もある為中々自由に行動する事は難しい。

 鬼が闊歩する夜こそが、鬼殺隊の戦場である。

 鬼の所在を掴む為に、夜闇に紛れて移動する。

 向かう先は悠が目星を付けていた幾つかの場所の内の一つである。

 

 人目が無い事を確認しながら寺院の内部に潜入する。

 向かうは、寺院の内部の奥にあり、そこだけ妙に他の建物とは離れた位置に在るもの。

 一体何の目的のものなのかは、接触出来た信者たちの中に知る者は無く。

 ただ、そこに時折「教祖様」が出入りしているとだけ分かった。

 ……「教祖様」とやらが鬼である可能性は、それなりに高い。決して日の当たる所には出ないと言うその行動は、鬼である事を容易に想像させる。無論、「教祖様」はただの傀儡であり、その背後に『万世極楽教』を管理し信者たちを貪る鬼が居るのかもしれないが。何にせよ、「教祖様」に関して調べる必要があった。

 カナヲは少しだけ離れた場所を調査しているので、何かあれば比較的直ぐに駆け付けられる距離であった。

 ……上弦の鬼相手では、その少しの時間が命取りになる可能性もあるが。そう言った危険を冒さずして鬼殺隊の隊士は務まらない。

 

 慎重に廊下を駆け抜け、その場所に近付くと。僅かに血の匂いがする事に気付く。

 まさか、今この瞬間に誰かが襲われているのかと。警戒しつつも、その場所の扉を開くと。

 

「そろそろ来る頃かなと思ってたけど、早かったねぇ。

 若くて美味しそうな子が二人も紛れ込んでくれて嬉しいよ」

 

 ニコニコと、笑みを浮かべながら。しかしその瞳の奥には何の感情も宿していない、異質な鬼が。其処に居た。

 その手には、恐らくは若い女性のものだろう腕を持って。そしてそれを一呑みにしてから屈託の無い表層だけの笑みを向けた。

 床下に張られた水面に蓮が所狭しと並びその花を咲かせている、そんな何処か厳かさもある光景の中で。

 鮮烈な程に、鬼に喰い荒らされたのだろう人の血が床を赤黒く汚している。

 

「やあやあ初めまして。俺の名前は童磨。良い夜だねぇ」

 

 口元を血で汚しながら喋るその声音は穏やかで優しい。……その様に聞こえるが、それは表層だけのものだ。

 本当に優しく穏やかな人の声と言うものをよく聞いているからこそ、目の前の鬼のそれが空虚なものでしか無い事に一瞬で気付く。

「上弦の弐」である事を示すその瞳に刻まれた文字に、私は腹の底で常に煮え滾っている怒りが溢れ出そうになるのを何とか留める。憎しみと怒りの刃をより鋭く研ぎ澄ます為にも。

「復讐」を果たす時が来た事に、胸を燃やし尽くす程の嚇怒の炎と共に、歓喜の念すら抱いていた。

 上弦の鬼を討伐する事など容易な事では無いので早々に起こり得はしないだろうが、この鬼だけは自分が殺すと決めているのだ。他の誰にも抜け駆けさせる事無く、こうして「復讐」の刃を突き立てられる瞬間が訪れている事に、自らの身を捧げて研ぎ続けていた刃が無駄では無かった喜びを感じる。

 だが、無抵抗に殺される訳にはいかない。

 命を捧げて毒を与えたとしても、尋常ならざる存在である上弦の鬼は時間さえあれば解毒してしまうだろう。

 毒が効き始めた頃合いにカナヲが頸を斬れる位置にいなければ、命を賭す意味が無い。

 そして、こうして目の前で対峙しているからこそ、カナヲ単独では幾ら毒で弱らせていても頸を斬り切れない可能性にも気付いた。だが、その為の戦力は既に在る。

 それもあって、カナヲと悠がある程度近くに来るまでは、喰われる訳にはいかなかった。

 鬼の姿を認めた瞬間、既に自分の鎹鴉を放っている。どれ程の時間を凌がねばならないのかは分からないが、必ずあの鎹鴉はカナヲも悠もこの場に連れて来てくれる筈だ。

 死を恐れている訳では無い。だが、姉の仇も取れず無駄死にし、更にはカナヲたちを喪う結果になる事は最も避けたい結末である。その為にも、慎重に時間を稼ぐ必要があった。

 

「俺は『万世極楽教』の教祖なんだ。信者の皆と幸せになるのが俺の務め。

 君は鬼殺隊の人間だけど、こうして此処に来たからにはちゃんと『救って』あげるとも」

 

 腐肉よりも悍ましい言葉だが、時間を稼ぐ為には会話に応じる必要がある。

 今この瞬間にも刺して毒を注ぎ込みたい衝動をどうにか抑えながら、私は口を開く。

 

「信者と幸せになる? 冗談を言わないで下さい。

 囲った生け簀の中でただ命を食い散らかしているだけじゃないですか」

 

 先程喰われた誰かも、恐らくは信者なのだろう。外で狩って来た獲物である可能性もあるだろうが。

 鬼の発言の一つ一つが不愉快でならなかった。

 

「生け簀だなんて随分と酷い事を言うんだねぇ。

 それにね、これは『幸せ』なんだよ。俺は優しいから、ちゃんと『救って』あげるんだ」

 

 己の胸に手を当てながら、鬼は嗤う。

 

「誰もが皆、死ぬのを怖がっている。死んでその身が腐り果て消えてしまう事が怖いんだ。

 だから苦しくて辛くて怯えて、此処まで逃げて来る。ああ、本当に可哀想だ。

 だからね、俺が食べてあげるのさ。だって俺は鬼で、永遠の時を生きられるからね。

 俺の一部になるって事は、永遠に共に生きる事と同じだろう? 

 信者たちの想いを、血を、肉を。その全てをしっかりと受け止めて、救済し高みへと導いているのさ」

 

 ほら、俺って優しいだろう? と。鬼は余りにも悍ましく狂った言葉を垂れ流す。

 ああ……こんな悪鬼に、あの優しく強かった姉は殺されたのかと思うと、本当に我慢がならなかった。

 こんな、存在する価値が何処にも無い畜生にも劣る害獣に、疑い様も無く素晴らしい価値があった存在の未来が摘み取られたなど、到底許される事では無かった。

 

「正気とはとても思えませんね。貴方、頭は大丈夫ですか? 本当に吐き気がする」

 

「えーっ、初対面なのに随分刺々しいなぁ。

 あっ、そっか! 可哀想に、何か辛い事があったんだね……? 

 聞いてあげるから、話してごらん? 俺が『救って』あげるからさ」

 

 限界だった。

 一刻も早く、この不愉快な存在を黙らせねばならなかった。

 そうしなければ、息をする事すら儘ならない。

 

「辛いもなにもあるものか。私の姉を殺したのはお前だな? 

 この羽織に見覚えは無いか」

 

 姉の形見の羽織を、怒りと憎しみで壊れそうな心で握り締める。

 どうして、こんな害獣に殺されてしまったのか。息も出来ない苦しみの中で、死ななければならなかったのか。

 大事な、たった一人残された大事な肉親だったのに。この世の誰よりも大事な人だったのに。どうして。

 仇を目の前にしていると、あの日に感じた怒りと憎しみと絶望が鮮やかな程に蘇る。

 笑顔の仮面の下に隠してきた憎悪の炎が燃え上がる。

 鬼が姉の事を覚えていようが覚えていなかろうが、赦すつもりは一切無い。

 

「ん? ……ああ! 花の呼吸を使っていた子かな? 

 優しくて可愛い子だったなぁ。あの時は朝陽が昇っちゃって、食べ損ねてしまったからよく覚えているよ。

 ちゃんと『救って』あげたかっ──」

 

 最早我慢など出来なかった。

 渾身の力で床を蹴り、全速力の刺突──『蟲の呼吸 蜂牙の舞い 「真靡き」』をその左眼を貫通する勢いで喰らわせた。

 不意打ちの一撃は、鬼の尋常ならざる反応速度を上回っていた様で、咄嗟に防御した手すら貫通した一撃に、鬼は驚いた様に笑う。

 

「凄い突きだね。手で止められなかった」

 

 そう言いながら、鬼は一対の鉄扇を広げると、それで斬り裂く様に血鬼術を使う。

 一瞬の内に周囲に蓮の花を模した氷の塊が形成され、身を斬り裂き肺を侵す様な異様な冷気に襲われつつも何とか回避に成功した。

 それを回避した事を褒める様に、鬼はその手を叩く。

 

「う~ん、速いねぇ、速いねぇ。君は柱かな? 今まで戦ってきた柱の中でも一番速いかもしれないねぇ。

 だけど、可哀想に。どんなに速く鋭くても、突きじゃ鬼は殺せない。殺したいなら頸を斬らなきゃ」

 

「突きでは無理でも、毒ならどうです?」

 

 今まで、鬼を殺す為だけに毒の調合技術を磨いてきた。この鬼をこの世から消し去る為に。

 それが果たして通用するのか。それは賭けである。

 

 そして、その効果は程無くして顕れた。

 鬼の身体を蝕んだ毒に、鬼は血反吐を吐いて膝を突く。……だが、まだ喋る余裕がある様だった。

 

「これは……累くんの山で使っていたものよりも強力だね。

 鬼ごとに毒の調合を変えていると、あの方も言っていたなぁ……」

 

 やはり毒の情報は鬼舞辻無惨を介して全ての鬼に共有されている様であった。

 鬼舞辻無惨が、全ての鬼を己の管理下に置きその感覚や記憶すら自由に掌握出来るが故に、毒の共有は想定されていた事態であるとは言え、鬼を倒せば倒す程に己の手札を喪っていく諸刃の剣である事を突き付けられる。

 だからこそ、今日ここで、この鬼は何としてでも倒さねばならない。

 その為の準備は……己の身を捧げる覚悟は決めている。

 カナヲは、そして悠は何処だろう。今頃急いでこの場に駆け付けようとしているのだろうか。

 他ならぬ、この私を守る為に。

 そんな優しい子達の目の前で死ななければならないのは、僅かに申し訳無さを感じるが。

 しかし、それで躊躇う事など出来ない。

 

 ゴホゴホと何度か咳き込んでいる内に、鬼の身体の崩壊は止まる。

 

「あれぇ? 毒、分解出来ちゃったみたいだなあ。ごめんねぇ、折角使ってくれたのに。

 それに、その刀、鞘に仕舞う時の音が独特だね。そこで毒の調合を変えているのかな。

 うわーっ、楽しいねぇ!! 毒を喰らうのって面白いねぇ、癖になりそう。

 次の調合なら効くと思う? じゃあ、やってみようよ!」

 

 まるで無邪気な子供の様に……だがその奥に冷徹な程の冷め切ったものを滲ませながら。

 鬼は愉しそうに嗤う。お前のやっている事は無駄なのだと、そう見せ付ける為に。

 そして自分の知らぬ鬼殺の術を観察し解析する為に。その手札を明かしてみろと挑発する。

 それは、幼子が捕らえた虫の手足を捥いで、無邪気に観察しようとしている様なものだった。

 

「……そうですね。まあこの辺りまでは想定内ですから」

 

 新たな毒を調合し、構える。

 恐らく、この毒も早々に分解されるだろう。それもまた想定内だ。

 本命の毒は、これらとはもっと違う調合で、そして分解など到底間に合う筈の無い量である。

 しかしこの分解速度を考えると、ただ喰われるだけでは毒を鬼の身体のその端々にまで巡らせる事は難しいかもしれない。吸収される様に、髪の一筋残らずその身に取り込まれる必要があった。

 だがその目的を悟られる訳にはいかない。

 だからこそ、ろくに効かないのは分かっていても、戦うのだ。

 哀れで無力な虫ケラが、蟷螂の斧を振り翳しているだけなのだと。そう心からこの鬼を油断させる為に。

 本命の刃は、この身体その物なのだから。

 

 

 何度も調合を変えて打ち込んではいるが、次第に分解に要する時間は短くなっていく。

 そしてそれ以上に、肺が壊れてしまったかの様に息が苦しいのが問題だった。

 本来ならまだまだ戦い続けられるのに、呼吸が上手くいかなくて肩で息をしてしまう。

 

「ああ、可哀想に、息が苦しいんだね。肺胞が壊死しているからね、辛いよねぇ。

 さっき俺の血鬼術を吸っちゃったからね」

 

 周囲を凍らせながら、鬼は可哀想にと嗤う。

 ああ、こうやって姉も殺されたのか。呼吸を要とする剣士にとっては、致命的な程に相性が悪い。

 こうやって何も感じていないのに、薄っぺらい笑みを貼り付けて、殺していたのか。

 ああ、本当に腹が立つ。

 今から自分が死ぬのは分かっているが、こんな害獣に哀れまれて死ぬのは我慢がならない。

 カナヲは、悠は何処なのだろうか。恐らく喰われて数分の内に毒の効果が顕れる筈だ。

 その機会を逃す訳にはいかないのに。

 

 鬼は、まだまだ全力など出していないのだろう余裕たっぷりの顔で、無力な人間がどう抗うのか……その為にどんな手段を使おうとするのかを観察している。ああ、本当に、腹が立つ顔だ。

 

 最後の抵抗として連撃で少しでも多くの毒を打ち込むべく、『蟲の呼吸 蜻蛉の舞い 「複眼六角」』を使う。

 神速にも等しい程の強烈なその連撃は過たず鬼の身を穿ち、……そしてすれ違いざまに鬼の鉄扇が左胸を大きく切り裂く。血鬼術によって既に損傷していた肺は不可逆な程に潰されて、肋は折れて肺に突き刺さっている。

 息が出来ない。苦しくて一歩も動けない。喪った血が多過ぎて意識が朦朧とする。

 

「ああ、ごめんねぇ。中途半端に斬っちゃったから、苦しいよね。可哀想に。

 頑張ったのに、頸が斬れないから殺せなかったねぇ。ああ、可哀想に。

 無駄だって分かっているのに頑張るなんて、本当に大変だっただろう? もう休んで良いからね。

 苦しまない様に首を落としてから食べてあげるからさ。安心してね。

 何か言い残す事はあるかな?」

 

 鬼がニコニコと笑いながら近寄って来る。

 身体はもう動かない。苦しくて涙が出そうだ。だが、これで良い。目的は達した。

 カナヲの気配が急速に近付いているのを感じる。恐らくは悠も程無くして辿り着くだろう。

 そうすれば、二人が力を合わせて、この鬼の頸を斬ってくれる筈である。

 二人とも自分の事を心から大切に想っていてくれているからこそ。そんな自分を殺した憎き相手を何としてでも殺してくれる。心優しい悠も、その力を揮う事を躊躇ったりはしないだろう。

 ……優しい心を利用して踏み躙る様な行為だけれど、それでこの手で「復讐」を果たせるのなら、迷えない。

「復讐」が完遂される瞬間を確信して、だがその歓喜の念を鬼に悟られる訳にはいかなくて。

 だから、憎悪と共に吐き捨てる。

 

 

「地獄に堕ちろ」

 

 

 鬼がその鉄扇を振り上げようとしたその瞬間。

 扉が勢いよく開かれた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
まさかしのぶさんが死ぬ気でいるとは知らない。知ったら泣いて止める。
妹の悲壮な覚悟をどうにかする為に、カナエさんが必死に「しのぶを助けて!!」と腕を引いている。自分に直接関わっていない死者を見る事は出来無いが、虫の知らせは何と無く感じる模様。


【胡蝶しのぶ】
まだカナヲにも童磨の討伐方法を伝えていない。
悠の力が思っていた以上に凄かったので、自分が死んだらカナヲを助けて童磨の頸を二人で取ってくれると確信している。それもあって、原作以上に死に急ぎ。
その差があって原作では「百足蛇腹」も決められたが、今回は出来なかった。
カナエさんがやって来なかったのも大きい。その分無理をしなかったとも言える。


【栗花落カナヲ】
まさかしのぶ姉さんが死ぬ気でいるとは知らない。知ったら泣いて止める。
鎹鴉からの連絡を受けて必死に向かっている。


【胡蝶カナエ】
復讐鬼になってしまっているしのぶを死なせたくなくて、悠が間に合う様に必死に急かしている。


【童磨】
全く以て余裕過ぎて、欠片も本気を出していない。
ああ、可哀想になぁ。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠は死者の魂を見る事は一切出来ませんが、何と無く「虫の知らせ」の様な物を感じる事はあります。とは言え、それすらあまりハッキリとは感じない事の方が多いですが。
炭治郎や禰豆子がどうにもならない危機に陥った場合は竈門家の皆さんが、伊之助が危機に陥った際には琴葉が、しのぶとカナヲが命の危機に瀕した際にはカナエが、「どうかあの子を助けてください」と最強のワイルドカードに願うのかもしれません。何て言っても、悠は「大神」なので。


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『鬼の棲む極楽』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 日が沈むとそれに合わせた様に『万世極楽教』の信者たちの一日の生活も終わりを迎え、皆眠りに就く。

 外に人の気配が絶えた事を確認してから、鬼殺の任に就く時の装備をしっかりと身に纏い、夜の闇の中へと静かに飛び出した。

 今夜の目的は、予め目星を付けていた場所の一つ、寺院の敷地内でも少しばかり奥まった場所に在る名目上は「倉庫」とされている場所を調査する事だ。

 上空を旋回しながら此方の様子を確認してくれている鎹鴉たちに合図を送ってから、「倉庫」の扉を開ける。

 もし外で何かあれば、鎹鴉たちが教えてくれるだろう。

 

 月灯りだけが僅かに射し込む「倉庫」は暗く、手燭に灯りを点して僅かな光源を頼りに。深い闇の中に抱かれた奥へと進む。

 一見すると、使われなくなった農具やらが転がっているだけのただの「倉庫」だ。

 だが、注意深く歩き回っていると、巧妙に隠されていた隠し扉の先に地下に続く階段があった。

 階段の下からは、紛れも無い腐臭を感じる。

 一応気休め程度に鼻を袖で覆いながら階段を降りたそこは。

 まさに、地獄絵図とでも言うべき、凄惨な光景が広がっていた。

 

 死んでとうに数日以上は経った男の遺体が二つ、その奥には身が腐り落ち半ば白骨化しつつある遺体が一つ……これも腐汁を吸ってグズグズになった衣服の残骸を見るに恐らくは男のものだ。

 更には、完全に骨になった遺体が幾つも無造作に打ち捨てられている。その殆どが、残った骨盤の形を見るに男のものであろう。

 まだ半ば原型らしきものを留めている比較的新しい遺体へと近付き、それを確認する。

 その二つの遺体が日輪刀を抱えているのを見て、彼等が先行して潜入調査を行っていた隊士の成れの果てである事に気付いた。

 死因になったのだろう、胸を大きく袈裟懸けに斬られたかの様な傷痕には蛆が集ってその断面が蠢く白に覆われている。そうして集った蛆たちの半数程は既に蛹になって間もなく蠅として腐肉の山に集る事になるのだろう。

 既に命の無いそれは、蛆に喰われている以外の欠損は無い。……これを成したのは恐らくは鬼の仕業なのであろうが、その鬼は彼等を食べる事無くこの場に打ち捨てた様だ。

 

 ……鬼は、人を食べねば生きていけない。

 かつては人だった存在が人を喰い荒らす事を赦して良い訳では無いのだが、一つの命として見た時にはそれ以外は食べられず食べねば死ぬと言うのであれば人を喰い殺す事自体はある種仕方の無い面もある事である。

 だが、こうして食べる訳でも何でも無く、恐らくはただ「邪魔」だったと言うそれだけで奪われた命を見ると、心から遣る瀬無くなる。命を繋ぐ為でも無い、そんな無機質な殺生程罪深い事は無い。

 若い女性ばかりが消える……そう言った年頃の女性を執拗に狙う下衆である事は分かってはいたが。

 こうして徒に散らされた命を思うと、心の奥底で怒りの様な熱と、深い哀しみの様な冷たさが混ざり合う。

 こうして日輪刀を抱えて事切れているのを見るに、その最後まで鬼と戦おうとしていたのだろう。

 力及ばず、こうして命を落としたのだとしても。それでも彼等の矜持は鬼如きが折れるものでは無かった。

 だからこそ、こんな場所で腐らせていくのではなく、ちゃんと連れ帰って弔ってやりたかった。

 そこにもう魂は無いのだとしても……目の前に在るのはただ腐っていくしかない抜け殻なのだとしても。

 それは紛れも無く彼等の生きていた証の一つであるからこそ、こうして蛆に集られ喰い荒らされてゆくのを見るのは辛いものがある。しかし今は任務の途中だ。彼等を連れて帰ってやる事は出来ない。

 だが必ず、此処に潜む鬼を倒した後で、連れて帰るから、と。

 そう誓って、彼等の遺体に手を合わせる。

 死した者に対して生者がしてやれる事など、余りにも少ない。

 自分に出来る事も、こうして彼等の死後の安息を願う事と、そして彼等の命を奪った者を必ず討ち果たすと誓う事だけで。既に命を喪ったその身体に癒しの力を行使したとしても、腐った肉体を元の見た目に戻す事すら叶わない。

 そして、この場に転がっているのは男の遺体やその成れの果てだけではない。

 寧ろ、それ以上に目を惹くのが、夥しい程の衣服の残骸だ。そしてそれらの衣服の殆どが女性用である。

 恐らく、鬼が人を喰い殺した後の、「食い残し」をここに捨てているのであろう。

 一体どれ程の命を弄び食い散らかしてきたのか考えたくも無い程に、かつてはそれを纏っていた者が確かにこの世に存在したのだと言う唯一の証であるかの様に、無数に散らばっている。

 べっとりと付着した血が腐りまるで泥の様になっている古さを感じる衣服もあれば、比較的まだ新しい状態のものもある。しかし、確実に言える事として、その衣服を纏っていた者達は既にこの世には居ない。

 極楽浄土の皮を被った『万世極楽教』の本当の姿……、地獄そのものが此処にはあった。

 

 凄惨たる鬼の被害者たちの痕跡を目にして、絶句して立ち尽くす様にその衣服の残骸をみていると。

 ふと、折り重なった衣服の山の上に、鬼殺隊の隊服を見付けた。

 比較的最近此処に放り込まれたのだろう。虫食いなどの痕は無く、血に汚れている事以外は綺麗な状態だった。

 そして、その隊服の中に無造作に放り捨てられた様に。端が鮮やかな朱に染められた髪紐を見付ける。

 ……その髪紐に、自分は見覚えがあった。

 蝶屋敷に運び込まれて来ていた重傷者の一人、自分より少し上だろう程度の……まだ年若い女性だった。

 酷い傷であり、このままでは今夜が峠になるだろうと言う程の状態で。隠に回収されるまでの手当てが上手くいかなかったのか、傷が膿んでしまい酷い熱も出ていてその意識は朦朧としていた。

 自分はそんな彼女の手を励ます様に握って、そしてペルソナの力で癒した。

 その時に、彼女の髪を束ねていたのがその髪紐であったと言う事を、覚えている。

 何か特別に会話したと言う訳では無い。彼女は日々大勢やって来る傷病者の一人だったと言うだけだ。

 名前も知らない、どんな為人であるのかも知らない。その程度の関係性。

 だが、癒しの力によって苦痛から解放された時のその安らかな顔はよく覚えている。

 朦朧とした意識の中で見上げていたのだろう、何処かぼんやりとしながらも救われた様なその瞳を覚えている。

 どうか彼女がこの先大きな怪我をする事無く無事である様にと、心から願った事も覚えている。

 特別に大切な人と言う訳では無いが、自分にとっては紛れも無く等しく大切な人達の中の一人であった。

 生きていて欲しい人の一人であった。

 ……だが、此処にこうして彼女の髪紐が在ると言う事は、彼女はもう……。

 悼むと言う程に関わりがある訳では無くとも、それでも、こんな場所に置き去りにしたくは無くて。

 せめてこれだけでも、とその髪紐を拾って大切にしまう。

 骨も残っていないだろう彼女の痕跡は、この髪紐と隊服しかないのだから。

 必ず仇は討つ、と。名も知らぬ彼女にそう誓って。

 

 此処にはもう他には何も無さそうだから、と。死の充満した「倉庫」の地下から出ると。

 しのぶさんの鎹鴉の「艶」が息を切らす程の全速力で飛んで来た。

 

 

『胡蝶シノブ、上弦ノ弐ト戦闘中! 至急救援ニ向カエ!!』

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 しのぶさんが、上弦の弐の鬼と戦闘している。

 そう聞いた瞬間に、余りにも大きな胸騒ぎに居ても立っても居られなくなった。

 しのぶさんは冷静な人だ。単独で上弦の弐の鬼に立ち向かった所で勝機が薄い事など分かっている筈だ。

 だから、自分かカナヲが到着するまでは、時間稼ぎに徹するか或いは一時的に後退する事すら選べるだろう。

 それは分かっている。分かって、いるのだけれど。しかし、どうしてか胸騒ぎは収まらない。

 何をしてでも一秒でも早く辿り着かなければ「間に合わない」、と。そう何かが訴えて来る。

 少しでも躊躇っていたらしのぶさんを永遠に喪ってしまう事になる、と。そう直感する。

 そもそもしのぶさんが上弦の弐の鬼と会敵して、「艶」が自分に救援を要請するまでにどれ程の時間が経ってしまったのだろう。

 もし、もしも。辿り着いた時に、もう手遅れであったら。と。そう考えるだけで恐ろしいのに、どうしても思考はそれを無為に思い描いてしまう。

 スクカジャを掛けて全力で走っているが、果たしてそれで間に合うのだろうか。

 胸騒ぎが収まらない。それでも急ぐ事しか自分に出来る事は無い。

「艶」を置き去りにしてしまったが、しのぶさんが何処にいるのかは何と無く分かる。勘かもしれないが、「こっちだ」と何かに導かれる様に真っ直ぐにそこに向かった。

 分厚い壁に覆われているが関係無い。

 走りながら十握剣を抜き放ち、壁をぶち抜く様にして走る勢いをそのまま乗せて叩き切る。

 

 そして砕かれた瓦礫と木片が舞い散る中に。

 足を切られたのか立てなくなりながらも必死に庇う様にしのぶさんを抱えたカナヲに向かって、容赦無く鉄扇を振るおうとしていた鬼の姿を目にして。

 

 状況を把握し思考するよりも速く身体は動いて、鬼の両腕を斬り飛ばした。

 鬼は驚いた様に眼を瞬かせながら、追撃の為に首を目掛けて振るわれた刀身を避ける様に一旦距離を取る様に後ろに軽く跳ぶ。

 

「おっと、びっくりしたなぁ。まさか壁を壊してくるなんて」

 

 そんな事を言いながら全く動揺していない様に見える鬼は、斬り落とされた筈の腕を瞬時に新たに生やし、そしてその両手に鉄扇……の様に見える氷で作られた扇を手にした。

 その鬼の目に刻まれているのは、『上弦の弐』。

 十二鬼月の中でも最上位に近い存在だ。

 上弦の弐の鬼は突然の乱入者を観察しようとしているのか、少なくとも今この瞬間に攻撃しようとする様子は無い。

 

 

「カナヲ、しのぶさんは無事なのか……?」

 

 カナヲとしのぶさんの傍に駆け寄りながら、手早く状況を理解しようとする。

 

 しのぶさんは意識が無いのかその目を閉じていて。

 息はしているのだがその呼吸の音は明らかにおかしい。

 血が足りていないのか、その顔色は酷く悪い。

 その手を取ると、まるで霜焼けになっているかの様にその指先は冷たかった。

 そんなしのぶさんを抱えていたカナヲの方も、無傷とは到底言えない状態だ。

 あちこちに細かい傷が刻まれている他に太腿の辺りを大きく斬られている為、これでは動けないだろう。

 

 傷付いたしのぶさんの姿に、そしてカナヲの姿に。

 自分の中で何かが荒れ狂う程に熱く、そして冷たく研ぎ澄まされていくのを感じる。

 まるで、あの日……菜々子を喪った日の様に。

 心の内に、殺意に似た感情が沸き起こる。

 自分の大切な人達をこんな風に傷付けた相手を赦せそうにない。

 自分が間に合わなかったらしのぶさんもカナヲも死んでいたのだと思うと、どうにか間に合った事への安堵と同時に鬼への殺意が高まっていく。

 ここまでの激しい感情を抱いたのは、この『夢』を見始めてから初めての事だった。

 

「師範……しのぶ姉さんは、アイツと戦って氷の血鬼術で肺をやられてしまって。私は、何とか間に合ったけど、でも足を……」

 

 しのぶさんの状態はかなり悪い様だ。

 肺を潰されたのか、胸の動きが明らかにおかしい。

 それでも何とか生きようと、しのぶさんの小柄な身体は意識を失っても必死に足掻いている。

 そしてカナヲの傷も、目立ったものは足の傷だけとは言えそれはかなり深く、無理に動けば最悪二度と歩けなくなるかもしれない程のものであった。

 だが、大丈夫だ、この程度なら元に戻せる。

 

「大丈夫だ、後は任せてくれ。何とかしてみせるから」

 

 しのぶさんの手を握ったまま、『メシアライザー』を使う。

 煉獄さんを癒したその時よりも力が戻っているからなのか、或いはまだ消耗していなかったからのか。以前煉獄さんの命を繋ぎ止めた時と比べればその消耗の程度は軽い。

『メシアライザー』の柔らかな光は、しのぶさんだけではなくカナヲの傷も癒していった。

 しのぶさんの苦し気な呼吸は安定したものに変わり、その顔色も普段のそれに戻る。どうやらちゃんと治せたみたいだ。

 

 

「えーっ! 凄いね! 今のどうやったの? 

 死にかけだった筈なのに、安定した呼吸に戻ってるじゃないか! 

 それは君の力かい? そんな気配は無いけど、もしかして気配を誤魔化しているだけで君も鬼なのかい?」

 

 その様子を見ていた鬼は、驚いた様にそんな事を言ってくる。

 鬼の言葉は場違いな程に明るく、しかしその発言は何処までも神経を苛立たせるものだ。

 しのぶさんを瀕死に追い込みカナヲを傷付けた鬼の言葉に構う必要なんて無いけれど。

 

「違う。俺は鬼じゃない。人間だ」

 

 流石に、こんな奴と同類扱いされるのは不愉快極まりなかったので否定しておいた。

 実際、自分はただの人間だ。鬼ではない。

 

「……しのぶさんを、そしてカナヲを傷付けたのは、お前だな?」

 

「傷付けたって、それは誤解だよ。

 俺は皆を『救って』あげようとしただけさ」

 

 ──『救う』。

 その言葉で蘇るのは、美しくも悲しい天上楽土で耳にした、あの男の正気を失った絶叫だ。

 その動機が何であれ、菜々子をあの世界に連れ去ってそして一度死なせる原因になったあの人の行動を、自分はあの日以来一度も赦していない。

 彼を裁きたい訳でも何でもないが、しかし菜々子に対する行いを赦す事はこの先も無いだろう。

 そして、目の前の鬼の言動は、どうにもあの言葉を……見当違いにも程がある『救済』を齎そうとしたそれと、重なる部分がある。

 ……まあ、あの人に関しては本気で人を救いたかったが故の事であったので、目の前の人を喰う事しか考えていない鬼なんかと重ねるのは幾ら何でも侮辱が過ぎるが。

 

「『救う』? お前は何を言っているんだ。

 お前がやっている事はただの殺戮だ。

 信仰に縋るしか無かった人達を喰い荒らし、そして邪魔だと言う理由で喰う訳でも無いのに殺し……。

 何故そこまで命を塵の様に扱うんだ、何故そこまで心を踏み躙る事が出来るんだ」

 

 目の前のこの鬼も、かつては人であった筈なのに。泣いて笑って怒って、大切な何かがあったのだろう者だった筈なのに。

 何故ここまで壊れてしまったのだろう。それも全て鬼舞辻無惨の所為なのか。

 鬼舞辻無惨への更なる怒りが胸の中に蓄積する。

 だが、目の前の鬼はそんな感傷をせせら笑う様に明るく答える。

 

「心を踏み躙るだなんて、そんな酷い事はしないさ。

 だって俺は教祖様だからね。信者たちの気持ちを受け止めて、そしてその願いを叶える為に『救っている』。

 皆、苦しいのも辛いのも嫌だし死ぬのは嫌なんだ。

 だから、俺の一つになって永遠を生きるって事は、彼らにとっては『救い』なんだよ」

 

「……は?」

 

 目の前の鬼が何を言っているのか全く分からず。

 何かが完全に破綻している論理に、思わず絶句する。

 

「地獄も極楽も、そんなものは何処にも存在しない。

 神も仏も、人が作り出した『こうであったら良いな』って妄想だからね。死んだら腐って土に還るだけ、『無』になるだけ……。

 でも、そんな事も分からない頭が悪い可哀想な人が多いんだよ。

 だから、俺がそんな人達を『救って』あげるんだ。

 だってそれが役目だからね」

 

 ほら、俺って優しいでしょ? と。

 そう嗤う鬼の一切を、理解出来なかった。

 

 今まで、それなりの数の鬼を倒してきた。

 言葉を交わした鬼もいたし、言葉を交わす暇すら与えず倒した鬼も居た。だが、何にせよ。ここまで狂った事をさも当然の様に宣う鬼は居なかったのは確かだ。

 鬼舞辻無惨に近い鬼と言うのは、もしや皆この鬼の様に狂いきっているのだろうか。そうであるならば、その首魁である鬼舞辻無惨はどれ程狂っているのか。

 考えるだけでゾッとする話だ。

 

「……なら、信者でもない相手も喰い荒らすのは何故だ? 

 それに、信者の中でも女ばかり狙うのは? 

 お前の論理は最初から破綻している。

 そんなものは、『救い』じゃない。……もし本気でそれが『救い』だと思っているなら、お前には心が無いとしか言えない」

 

「女の子はやっぱ、柔らかく美味しいし、栄養があるからね〜。

 だって、赤ちゃんを自分の胎の中で育てられる様な力があるんだよ? 

 それにしても、心が無いだなんて酷い事を言うんだなぁ。

 俺より優しい人なんて居ないのに」

 

 鬼はニコニコと笑いながらも、その眼には一切の感情が浮かんでいない。

 目は口程に物を言う。逆に言えば目は嘘を吐けない。

 この鬼は、言葉を交わしている間も一度も感情の揺れが無かった。

 口振りでは笑っていようと、或いは心外だと憤っていようと。

 ……本当にこの鬼には『心』が無いのかもしれない。

 だが、この鬼に心があろうと無かろうとそれはどうでも良い話だ。

 最初から、この鬼を赦す気など無いのだから。

 

 これ以上言葉を交わすのは無駄だと、十握剣を構える。

 

「男を食べる趣味は無いんだけどなぁ。

 呼吸も使えないみたいだし、しかもそれは日輪刀でも無いじゃないか。それでどうやって俺を殺すつもりなのかな。

 ……まあ、君は何か面白い事が出来るみたいだから、ちょっと遊んであげても良いけど」

 

 そう言って、鬼は両手の扇を広げる。

 そして、ニッコリと煽る様に嘲笑った。

 

「そこの柱の子もそうだけど、人間って全部無駄なのに頑張り続けるのが好きだよね。

 お姉さんの仇を討ちたくてここまで頑張って、それなのに俺に手も足も出なくても最後まで抗って。

 俺はね、そんな人間の儚さと愚かさが大好きなんだ」

 

 しのぶさんの覚悟と行動を嘲笑うその鬼の言葉に、自分を抑えていた鎖が砕け散ったのを感じる。

 

 ──絶対に殺す。

 

 紛れもない殺意と共に、戦いの火蓋は切られた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
トラウマスイッチを色々と連打された。
童磨の事は絶対に許さない。


【胡蝶しのぶ】
傷が重くて意識を喪っている。
『メシアライザー』によって完治したが、同時に数年掛けて身体に蓄積してきた対童磨の切り札であった毒も全て解毒されている。


【栗花落カナヲ】
何とか間に合ったが、悠が辿り着くまでの僅かな間に負傷。
それでもしのぶを守り切っている。


【童磨】
悠のトラウマスイッチを連打。
悠の事は、呼吸も使えない剣士モドキだと思っているけれど、何か不思議な事が出来るみたいだから様子見して手札を切らせつつ始末するつもり。



【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
ハマ系・ムド系スキルは、十二鬼月以上の敵相手だと基本的には効きません。「回転説法」や「死んでくれる?」もほぼ効きません。
ただ、無限城に出てくる無理矢理力を与えられた雑魚鬼(強)程度なら「回転説法」などで無双出来ます。
なお、ハマ系で殺される際は「干天の慈雨」で首を斬られるよりも穏やかに死ねる様です。逆に、ムド系で死ぬのは物凄く辛い様です。


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『化け物』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 この世界には、神様も仏様も居ない。

 大事な人達が明日も明後日も元気に生きていてくれるなんて、ただの願望でしかない事をよく知っている。

 誰からも愛されてその生を望まれる様な人が死んで、鬼の様に蛆虫みたいな存在がのさばっている。

 そんな残酷な世界でも、それでも誰もが大切な人達には生きていて欲しいと思う。

 喜びに笑って、悲しみに泣いて、怒りにその身を震わせて、心を動かしながら。そうやって生きていて欲しい、幸せになって欲しい。そう思うのだ。

 だけれども、本当に辛い事や悲しい事は、まるで嵐の様に突然やって来て全てを呑み込んでしまう。

 大事な人の命の灯が消えてしまう事を、人の小さな手では完全に防ぐ事は出来ない。

 だからこそ、少しでも力になりたかった。

 大好きな家族の力になりたかった、大切な皆から大事なものを奪った鬼を少しでも多く倒したかった。

 しのぶ姉さんに、生きていて欲しかったのだ。これからも、ずっと。

 

 カナエ姉さんが鬼に殺されてしまった時から、しのぶ姉さんは変わってしまった。

 ずっと笑顔を浮かべて、でもそれはしのぶ姉さんらしくないもので。

 まるで一生懸命にカナエ姉さんの「代わり」をしようとしているかの様に、しのぶ姉さんは変わってしまった。

 カナエ姉さんの残したものを背負わなければならないと言う責任の重さが変えてしまったのか、それとももっと別の理由なのか。無理をして欲しく無いのに、でもどうしたら良いのか分からなくて。

 あの時の私はまだ何も自分で決められなくて、だからしのぶ姉さんがそうなってしまう事を止められなかった。

 もしもあの時、カナエ姉さんが死んでしまった時に涙を流せていたら、心の声に従って動けていたら。

 何かは、変わったのだろうか。

 ……どんなに後悔しても人は過去には戻れないから、それはもう分からない事だけど。

 

 しのぶ姉さんもカナエ姉さんも、鬼殺隊に入る事は反対していたから稽古を付けてくれた訳では無かったのだけれど、私は幸い目が良いから見様見真似でも花の呼吸を使える様になって。それで勝手に最終選別に行って入隊してしまった。蝶屋敷に帰った時にはしのぶ姉さんを酷く心配させてしまっていたのだけども。でも、これでしのぶ姉さんの力になれると思ったのだ。……思えば、この時は硬貨を投げずに自分の意思で決めていた気がする。

 しのぶ姉さんは継子を何人も亡くしてしまったから、もう継子を取るつもりは無かった筈だった。

 でも、そんな素振りを見せていなかったのに急に鬼殺隊に入った私を凄く心配して、継子にしてくれたのだ。

 それからは修行しながらしのぶ姉さんと一緒に任務に付いて回った。

 何度も一緒に鬼を斬ったし、そして何時だって一緒に家に帰った。

 鬼が蔓延り日々誰かが傷付いている残酷な世界だけど、それでも私にとっては幸せで温かな日々だったのだ。

 大好きだったカナエ姉さんを守る事は出来なかった。だからこそ、しのぶ姉さんには生きていて欲しかった。

「心の声」は小さくて、他の殆どの事を自分では決められなかったけれど。でもその想いはずっと自分を動かしていた。

 

 私が鬼殺隊に入って暫くして、蝶屋敷に新たな住人が増えた。

 鳴上悠と名乗ったその人は、私やしのぶ姉さんと大して歳の変わらないだろう男の人で。

 治療を受けている傷病者以外は昔から女の子ばかりだった蝶屋敷にとっては初めての男の住人だった。

 他に住む場所も行く場所も無くて、鬼殺隊に協力する事になったのだと言う彼の事を、しのぶ姉さんから紹介された当初はあまりちゃんと認識していなかった気がする。

 あの時はまだ何を決めるにも硬貨が必要だったから。しのぶ姉さんが彼を蝶屋敷に置くと言うのならまあそれで良いのだろう、と言う程度の認識だった。

 彼に人を癒す不思議な力があるらしいと知った時には、これでしのぶ姉さんや蝶屋敷の皆の負担も少しは減るのだろうかと思ったけど、それだけで。

 そこで積極的に彼に関わろうとはしていなかった。

 今思い返せば、あの時点で彼はかなり私に親切に接していてくれていたのだと分かるのだけれど。あの時の自分の「心の声」はとても小さかったのだ。

 

 彼との関わりが大きく変わったのは、炭治郎の言葉が切欠であった。

 自分の「心の声」を聞く切欠をくれた炭治郎と彼が共に赴いた先の任務から、昏睡状態になった彼が蝶屋敷に運び込まれて来た時。

 初めて、彼に対して「心配」をしたのだ。もしこのまま目覚めなかったらどうしよう、と。

 その時既に彼は蝶屋敷の皆に慕われていたから、もしそうなったら皆が悲しむ。

 しのぶ姉さんも、彼の事には気を配っている様だったから、きっと悲しんでしまう。

 だから、皆が悲しまない為にも、どうか目覚めて欲しい、と。そう思った。

 その祈りが通じたのか、蝶屋敷に運び込まれた彼は、それから三日もしない内に目覚めた。

 その時、「良かった」と心から安堵したのだ。

 そして恐らくその時には、私にとって彼は「どうでも良い誰か」ではなくなっていた。

 目覚めた後の彼は、私に対してもとても優しかった。いや、彼は元々とても優しかったし誠実だったのだろうけれど、私の方がそれに気付けていなかっただけだ。

 日常の細やかな事にも溢れていた彼の気遣いに、「ありがとう」と初めて言えた時。

 彼は、本当に嬉しそうに微笑んだ。

 それからだ。彼の優しさにちゃんと気付ける様になったのは。

 

 例えば、彼がおやつにと作ってくれたお菓子を食べている時、或いは忙しいアオイの代わりに任務帰りに夜食を作ってくれた時。彼は、私がそれらを食べる姿を、とても優しい目で見ている。そして、「美味しい」と言う度に柔らかな笑顔を浮かべて喜ぶのだ。

 炭治郎に感じているものとはまた別の、どちらかと言うとしのぶ姉さんやカナエ姉さんに感じていた温かなものを彼に感じていた。もし自分に兄が居たのなら、彼みたいな人だったのだろうか、と。そんな事も思う。

 

 

 優しい人だと思っていた。とても温かな人だと知っている。知っていた筈だ。

 だからこそ、戸惑う。

 

 

 今、自分の目の前に居る存在は、本当に自分が知っている『人間』なのか、と。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 しのぶ姉さんが、上弦の弐の鬼と戦っていると鎹鴉から聞いた時。

 胸の奥に冷たい氷の刃を突き立てられたかの様に、身体の芯まで冷えていく様な、そんな心地になった。

 上弦の弐の鬼と言えば、カナエ姉さんが最後に戦った鬼……カナエ姉さんの死の直接的な原因となった鬼だ。

 また、私は喪ってしまうのか、と。それが恐ろしくて、あの日の恐怖と絶望を繰り返したくなくて。

 だから、私は必死に走った。

 そして、力任せに抉じ開ける様に開け放った扉の先で。

 膝を突き苦しそうに血を吐くしのぶ姉さんに、扇を振り下ろそうとしている鬼の姿を捉えた。

 その瞬間、考えるよりも前に体は動く。

 

 ── 花の呼吸 肆ノ型 紅花衣! 

 

 全力で踏み込んでしのぶ姉さんと鬼の間に割り込む様に身体を滑り込ませ、そして薙ぎ払う様にして鬼の一撃を弾いた。

 弾いた瞬間に鬼の扇からキラキラと何かが零れ落ちたのを見て、悪い予感がしたのでそれを極力吸い込まない様に息を止めながらもしのぶ姉さんの身体を抱える様にして一気に後方へ下がる。

 鍔迫り合いにも満たない僅かな合間の接触で分かった。

 この鬼は、間違いなく自分より強い。コイツに比べれば今まで倒してきた鬼は雛鳥の様なものでしかない。

 何年も必死に鍛錬して経験と実力を付けたとしても……それでも敵わないだろう程の、圧倒的な存在。

 それが、上弦の弐と言う鬼だった。百年以上も人を喰い荒らしてきた化け物だ。

 鳥肌が止まらない、指先にまで神経を集中させて力を込めていないと、今にも震えて日輪刀を取り落としてしまいそうになる。

「死」と言うものを、明確なまでに意識した。

 

 それでも、諦める事は出来ない、戦わない訳にはいかない。

 腕の中に抱えたしのぶ姉さんは、今にも死んでしまいそうで。

 かつて、冷たくなって蝶屋敷に帰って来たカナエ姉さんの姿がどうしたって重なってしまう。

 せめて、彼が……悠さんが合流してくれるまでは耐えなくてはならない。

 致命傷を負ったと言う煉獄さんすら救って見せたと言う彼の力があれば、きっとしのぶ姉さんは助かる筈だ。

 そうしたら、三人で戦う。それが一番勝機があるだろう。

 しかし、呼吸を使えないし日輪刀を持っていない悠さんが何処まで戦えるのかと言うと、私にはよく分からなかった。

 強かったと炭治郎は言っていたけれど、正直誇張し過ぎているんじゃないかと思う。思っていた。

 それでも、悠さんが来てくれるのを待つしかない。

 しのぶ姉さんを腕に抱えた状態ではまともに戦えるとは思えないし、しかしもう意識があるのかどうかすら怪しいしのぶ姉さんを何処かに置いて鬼と戦う事も出来ない。そんな事をすれば、この鬼は間違いなくしのぶ姉さんを殺して食べようとするだろう。

 

 どうしよう、どうすれば僅かな間でも時間を稼げるのだろう。

 悠さんは一体後どれ位の時間で此処に辿り着いてくれるのだろう。

 数分どころか、数秒後の命があるかどうかすら怪しいこの状況で、果たして彼が辿り着くまでしのぶ姉さんを守り切れるのだろうか。

 だが、やるしかなかった。自分がやらなければ、しのぶ姉さんは死んでしまう。

 一緒に家に帰る事も出来なくなる。それは嫌だった。帰るのだ、一緒に。三人で。

 もうあの日みたいな後悔はしたくない。

 

「やあ、君も来てくれたのかい? 今日は良い夜だなぁ。次から次にご馳走がやって来てくれる」

 

 鬼の発言には耳を貸す必要は無い。会話をした所で意味が無いからだ。

 それよりも、何時斬りかかられても対応出来る様に日輪刀を構える。

 しのぶ姉さんを庇いながらだから、何時もよりも動きが制限される。

 それでも、やらなければ、ここで二人とも死ぬ事になる。

 

「君じゃ俺を殺す事は出来ないと思うけどなぁ、それでも戦う? 

 無駄な努力をしてまで苦しむ時間を増やしている子は可哀想だなぁ」

 

 そう言いながら、鬼の目には何の感情も浮かんでいない。

 屠殺する寸前の家畜にも、もう少しマシな目をするだろうと言う位に、その目は空っぽだ。

 

「その柱の子も、物凄く頑張ったんだろうね。

 姉さんよりも才能が無いのに必死に努力して、鬼の頸を斬る代わりの方法を探して。

 無駄な努力を重ねてきたのが物凄く分かったよ。有限である時間をそんな事に費やして! 

 でも、そんな人間の愚かさや儚さこそが、人間の素晴らしさだと思うだろう?」

 

 にこやかな表層だけの笑みを浮かべながら、鬼はしのぶ姉さんを愚弄する。

 ああ、本当に頭に来る。カナエ姉さんを喪ってからしのぶ姉さんがどれ程の執念と努力でそれらを成し遂げてきたのかを知りもしないくせに、此処までこの鬼に愚弄されるのか、と。

 一刻も早く頸を落として地獄の釜の中へと叩き落してやりたい。

 だが、自分一人ではそれは不可能な事は分かる。それが理解出来るだけの実力はある。

 

 そして、鬼が動いた。

 

 ── 血鬼術 枯園垂り

 

 一気に踏み込んできて、その両手の扇を素早く幾度も振り抜いてその斬撃と共にその軌跡を追うかの様に中空に鋭い氷柱が生み出され、それが一気に襲い掛かって来る。

 

 ── 花の呼吸 弐ノ型 御影梅

 

 何とかそれを連撃で凌ぐが、細かく砕かれた氷の結晶が辺りに漂う様に滞留して、周囲の温度を一気に下げた。肺が凍りそうなそれに咄嗟に口元を覆って、同時に咄嗟の勘で片手ながらに日輪刀で首元を守る。

 その瞬間、金属を叩き折る様な音と共に手の中に在った筈の日輪刀が折られ、そして殺しきれなかった衝撃に体勢が崩されて。それを立て直す暇すらなく、左足が急速に冷やされると同時に深い切り傷を負う。

 痛みを堪えて、しのぶ姉さんを抱えたまま更に後方に跳ねる様に退く。

 斬られた足からの出血が中々止まらない。全集中の呼吸で傷口の血管を塞ぐ事が出来る筈なのに、血管周囲の筋が凍り付いてしまったかの様に止血出来なかった。

 

「凄いね! 確実に首を落とせたと思ったのに、今のに反応出来るんだ。

 君は目が良いのかな? 氷も極力吸わない様にしているみたいだし。

 君の目は折角だから凍らせて残しておいてあげようか?」

 

 不快極まりない戯言を宣う鬼に攻撃したいのに。

 足は踏ん張りが効かず、そして手の中の日輪刀は僅かな刀身を残して切断されたかの様に折られている。

 もし咄嗟に日輪刀で庇っていなければ、自分の首が落ちていた事は明白だった。

 今この瞬間も息が続いている事が奇跡としか言えない程に、鬼の攻撃は速く鋭く強烈であった。

 

「じゃあ、苦しまない様に殺してあげるから、安心してくれよ」

 

 そう言いながら、鬼はその扇を振るって今度こそ私たちの命を奪おうとする。

 逃げなくてはならないのに、動けなくて。だからせめてしのぶ姉さんだけでも守ろうと、自分の身を盾に庇おうとした。

 だが、その瞬間。

 

 何か大量の爆薬でも炸裂させたかの様な轟音と共に、突然壁が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 更には、それとほぼ同時に目の前に居た筈の鬼の両腕が落ちていて。

 ほんの一瞬の内に鬼は一旦距離を取ろうと後方に下がっていた。

 そして……。

 

「カナヲ、しのぶさんは無事なのか……?」

 

 待ち望んでいた人が、そこに居た。

 日輪刀では無い剣を構え、隊服では無い衣装に身を包み、夜色の羽織の裾を揺らすその姿に。

 何故だか、どうしようも無い程の安心感を覚えてしまう。

 何時も優しいその眼差しが、大切な存在を傷付けられ脅かされた事による怒りに燃えていた。

 絶対にあの鬼を赦さない、と。その目は何よりも雄弁に語っている。

 

 私が手短に状況を説明すると、悠さんはしのぶ姉さんの手を優しく握ったまま少し集中するかの様に目を閉じた。そして、その次の瞬間。まるで今よりもずっと小さかった頃にカナエ姉さんが優しく抱き締めてくれた時の様な……そんな温かさが身体中に満ちて。そして、気付けば足の痛みはすっかり消えていて、驚いて確かめたそこからは傷が跡形もなく消え去っていた。

 そして、腕の中のしのぶ姉さんは、あれ程苦しそうに息をしていたのに、今はただ眠っているだけの様に安らかな呼吸になっていて。……ああ、もう大丈夫なんだ、と。そう理解して涙が零れそうだった。

 鬼はまだ目の前に居るのに。それでも、腕の中に居る大切な家族の命が無事救われた事に、安堵してしまう。

 

 だが、安堵しているばかりではいられない。

 未だ鬼は健在であるのだし、そして鬼は目の前で起こった不可思議な現象に興味をそそられた様であった。

 そして悠さんの方も、鬼が垂れ流す狂気の沙汰としか言えない様な『救い』の内容に、益々その眼差しを険しくする。

 そして、再び鬼がしのぶ姉さんを嘲笑った時。

 

 悠さんの気配が、一気に変わった。

 

 普段の優しくて温かなそれでも、或いは先程窮地に駆け付けてくれた時のものでもなく。

 鬼から庇う様に私たちにその背を向けているのにも関わらず。上弦の弐よりも更に恐ろしい「何か」を感じてしまう。

 

「……カナヲ。しのぶさんを守ってくれ。そして、そこから一歩も動くな」

 

 悠さんが静かにそう言った次の瞬間。悠さんが目の前から消えた……様に見えた。

 実際には消えたのでは無くて、凄まじい程の踏み込みで一気に飛び出して、その手の剣を振るって鬼の肩を叩き割ったのだけれど。しかし、私の目を以てしても、その動きの結果を追うだけで限界だった。

 鬼は防御こそ間に合わなかったが僅かに身を反らす事に成功し、本来は唐竹割の様に頭の天辺から両断する様に叩き割っていたであろうその一撃をどうにか肩で受けた様だ。

 しかしその負傷は決して軽いものでは無くて。頸を斬られでもしない限りはどんな傷でも治る上に上弦の鬼としてその回復力は有象無象とは比べ物にならぬ程に凄まじい筈の鬼でも、流石に斬られた瞬間に傷を修復する事は出来ずにいた。

 そして、その僅かな合間に、悠さんは更に剣を振るって両腕を肩から再び切断する。更に、懐から出した何かを、鬼の左眼に叩き付ける様な勢いで突き刺し、それを直ぐ様引き抜く。

 以上の一連の攻防は、ほんの二呼吸程度の間に行われた。

 

 悠さんは更に間髪入れずに追撃を仕掛けようとしたが、それはさせないとばかりに鬼が足払いを掛けてきたので、僅かに後ろに下がる様にしてその足払いを避ける。

 そうやって稼いだ猶予で、鬼は再び斬り落とされた腕を生やし、叩き斬られた肩も元通りに繋げた。

 

「速いねぇ、驚いたよ。呼吸を使ってないのにそこまで動けるなんて、君、本当に人間? 

 でも、首以外を斬った所で無駄なんだよ?」

 

 そんな事も知らないのかな可哀想に、と。そんな事を嘯きながら鬼はその扇を振るう。

 

 ── 血鬼術 蔓蓮華

 

 鬼の周囲に幾つもの氷で出来た蓮の花が現れ、猛烈な勢いで氷の蔓を縦横無尽に伸ばして悠さんの四方八方を囲み、一気に締め付ける様に襲い掛かる。

 氷の蔓は圧倒的な冷気を放ちながら、触れれば容易に肉を切り裂く程の鋭さを伴って迫るが。

 しかし、悠さんはそれを一太刀で全て斬り捨てた。

 周囲に砕かれた氷の欠片が撒き散らされるが、悠さんは構わず一気に鬼との距離を詰めようとする。

 

 ── 血鬼術 寒烈の白姫

 

 鬼を護る様に、女性の上半身を象った氷像が両側に現れて冷気を吹き付ける。

 かなりの広範囲を一瞬で凍結させる程の冷気が吹き荒れ、急激な温度変化によって視界は細かな氷によって一気に靄がかった様に曇り、床下の水面は忽ちの内に凍り付き、かなり距離がある筈の私の下にまで、僅かに身を震わせる程の冷気が訪れた。

 避ける事も防ぐ事もせずに冷気の直撃を受けた筈の悠さんが無事だとはとても思えない程の攻撃だった。

 しかし、激しい烈風の如き一閃が女性の氷像ごと鬼の胴体を叩き斬り、周囲に漂っていた靄の様な霧氷を全て吹き飛ばす。

 靄が晴れたそこに居た悠さんは、全くの無傷であった。

 その髪筋一つとして氷結は無い。

 一体どうやってあの冷気を凌いだのか、私には全く分からなかった。

 鬼にも理解出来なかった様で、何の感情も浮かんでいなかったその瞳に初めて「驚き」と言う感情が揺れる。

 そんな鬼に構う事無く鬼の左腕を叩き折る様に斬り捨てて、鬼が距離を取る為の跳躍をするその僅かな隙に、悠さんの左手が鬼の顔を鷲掴みにした。

 

「──ラグナロク」

 

 悠さんが何事かを、呟いた瞬間。

 鬼が、爆ぜた。

 身体の内側から爆裂するかの様な勢いで吹き上がった炎は瞬時に鬼の身体を燃やし尽くし炭にする事すら無くそれを全て燃やし尽くす。

 強烈な熱波が部屋中を吹き荒れて、鬼の血鬼術によって冷え切っていた空気を一気に塗り替える。

 その傍に居るだけでも、呼吸するだけで肺の奥まで燃え尽きてしまうだろうと思う程の激烈な猛炎が鬼の身体を舐め尽くす。

 炭の様になった骨だけを残して鬼の肉体は消滅した。

 だが、悠さんは何かに気付いた様に咄嗟にその手を離して数歩後退る様にしつつ軽く身を屈める。

 その頭上を、炭の様になった骨だけ残った足が、首があった場所を刈り取る様に通過した。

 

「これも避けちゃうのか、凄いねぇ。

 それより、今のをどうやったのかな? 血鬼術の一種かい? 

 君、人間じゃないよね」

 

 悍ましい音を立てながら、骨だけになっている筈なのに鬼の肉体は急速に再生されていく。

 その光景に、悠さんは僅かに眉を顰めた。

 

「俺は人間だ。それにこれは血鬼術じゃない」

 

 それ以上は話す気は無いとばかりに悠さんは更に攻撃を加えるべく大きく踏み込もうとする。

 そんな悠さんの足を止めようとするかの様に。

 

 ── 血鬼術 冬ざれ氷柱

 

 悠さんの頭上を中心に鋭く尖った巨大な氷柱が数十も現れる。

 そしてそれは巨大な質量を伴って落下し、砕け散っては周囲に氷片を撒き散らした。

 次第に部屋全体が異常な程に冷え始める。

 だが、悠さんには一切の影響が無い。

 直撃する氷柱だけを正確に叩き切った悠さんは、そのまま鬼の首を斬り飛ばした。

 日輪刀では無いから鬼は死なない。

 だが、首を斬られると言う事は、鬼にとっては避けるべき事だ。それが日輪刀ではないが故に致死の一撃ではないのだとしても。

 斬り飛ばされた頭を回収した鬼の顔には、先程まで浮かべていた余裕の表情は無い。

「遊び」を止めたのだと分かる。

 

 ── 血鬼術 凍て曇

 ── 血鬼術 散り蓮華

 

 鬼の連撃によって、最早鬼と悠さんの周辺は足を踏み入れるだけで全身が一瞬で凍り付き即死する程の極寒の地獄の世界となっていた。

 足元の床は凍り付き、悠さんが勢い良く踏み込む度に砕け散る様に壊れていく。

 例え範囲外からの強襲に適した速度に優れたしのぶ姉さんの刺突でも、鬼に一撃を加えるよりも前に凍死するしかない程の、一切の命を拒絶するだろう地獄の中で。

 悠さんは平然と鬼と斬り合い続けていた。

 その口から零れる吐息は直ぐ様凍り付いた様に白く靄に変わるが、悠さん本人は冷気の影響を一切受けていない様だった。

 肺腑を凍らせ腐らせる冷気の血鬼術も、触れるだけで全てを切り裂く扇の一閃も。その全てが一切その身に届いていない。

 それどころか、血鬼術の冷気に晒されれば晒される程、その力は増しているかの様に、一撃が重くなっていく。

 

「何で俺の攻撃が全然効かないんだろうね。

 そんなに俺の血鬼術を吸ってたら、とっくに肺胞全部が壊死して死んでいる筈なのに。

 これで自分は人間だって主張するのは無理が過ぎないかな」

 

 鬼との会話を拒否しているのか、悠さんは一切答えない。

 鬼が悠さんの攻撃を扇で防ごうとしてもその悉くが防御しようとした扇ごと叩き斬られ、血鬼術で氷柱を生み出しても瞬く間の内に砕かれる。

 とは言え、悠さんの方も、手足を斬り飛ばしても首を斬り飛ばしても、それは日輪刀では無いが故に決定打にはなりきれていない。

 しかし、全体で見れば悠さんの方が押している様に見えた。

 私自身の力では、そしてしのぶ姉さんの力でも、全く手も足も出なかった筈の相手を。

 悠さんは、全く焦る事も無く相手取っている。

 一撃ごとに、彼のその殺意にも似た怒りの刃が鋭く研がれていくのを肌で感じる。

 鬼以上に、悠さんから感じるものの方が、今は何処か恐ろしく感じてしまった。

 

 このままでは埒が明かないとでも思ったのか、鬼は悠さんが振るった剣を足で蹴り飛ばす様にして大きく後方へ跳ぶ。

 

「いやあ、世界は広いね。

 鬼以外に君みたいな『化け物』も居るなんて、初めて知ったよ」

 

『化け物』。

 悠さんの事をそう評した鬼のその言葉に、そんな事は無いと、そう思うべきなのに。

 しかし目の前で繰り広げられる人智を超えた戦いに、鬼の戯言と思いつつもどうしてもそれを否定し切れない自分が居た。

 

 鬼は一気に片を付けるつもりなのか、その扇を大きく翳して振るう。

 

 ── 血鬼術 霧氷・睡蓮菩薩

 

 その次の瞬間、まるで大仏像の様に巨大な氷で形作られた菩薩像が一瞬の内に形成されて。

 部屋全体の温度が危険な程に下がる。

 鬼の血鬼術を吸い込んでいる訳では無く呼吸が儘ならなくなる事は無いが、まるで厳冬の寒空に身一つで突然放り出されたかの様に、急激に体温が奪われていく。

 私は咄嗟にしのぶ姉さんの身体を抱え込む様に強く抱き締めて、少しでもしのぶ姉さんの身体から体温が奪われるのを防ごうとする。それでも、長くは持たない。体の端から凍りついて行く様に、熱が奪われていく。

 

 ── 血鬼術 結晶ノ御子

 

 寒さでろくに開けていられなくなってきた視界の端で、鬼が氷で出来た小さな人形の様なものを一気に七体作り出したのが見えた。

 そして、その人形達は菩薩像の一撃を防いだ悠さんを素通りする様に、私たちの方へと──

 

 だが人形達がその手に持った扇を振るうよりも前に、視界の全てが業火に包まれた。

 氷で出来た人形達は、何も出来ないまま成す術も無く瞬時に融け落ちる。

 部屋全体を支配していた冷気が一気に蹴散らされ、菩薩や人形を丸呑みにした炎はそのまま建物全体を飲み込もうとする。

 

「しのぶさんと、カナヲに、手を出すな……!!」

 

 それが自分に向けられている訳では無いと分かっているのに。

 悠さんのその赫怒の炎は、全てを消し去ってしまいそうな程に恐ろしいものだった。

 

 そして、次の瞬間。

 肉体の再生をしている最中であった鬼の身体を貫く様な勢いで、床一面から巨大な氷柱が生み出される。

 全身を巨大な氷柱に貫かれた鬼は、身動きが出来なくなった。

 氷柱が氷の血鬼術を扱う鬼の身体を大きく損なう事は無いが、昆虫の標本の様に氷柱で止め置かれた状態から脱出するのは鬼の膂力を以てしても即座に叶う事は無い様で。

 そして、そんな鬼から僅かに距離を取る様に軽く後方に下がった悠さんは、ほんの数瞬何かに集中する様にその目を閉じる。

 

 悠さんが目を開けた瞬間。

 その身に纏う気配が、一気に変わる。

 人智を超えた何かがその身に宿っているかの様に、この場の全ての空気を塗り替えていく。

 

 その瞬間、氷柱の拘束から脱しようともがいていた鬼が。

 まるで、何か素敵な宝物を見付けた子供の様な目をして、悠さんを見る。

 そして、氷で出来た蓮華の華を生み出し、その蔓を伸ばして。

 自分の首を捥ぎ取る様に切り飛ばさせ、そのまま横へと投げ捨てる様にしようとする。

 だが、その悪足掻きを完遂するよりも前に。

 

 

「──明けの明星!!」

 

 

 耳を潰さんばかりの轟音と共に、世界の全てが真っ白に塗り潰されたかの様に強烈な光が溢れる。

 耳を手で塞いで守り、激しい明暗差に咄嗟に目を瞑ってそれを耐えようとするが、目蓋の裏で目がチカチカと瞬いている様で気分が悪くなりそうだった。

 

 ━━ ベンッ! 

 

 何処かで琵琶を鳴らした様な音がした気もするが、耳を塞いでいる中での事なので本当にそんな音がこの場に響いたのかは自信が無い。

 音が止み、光が消え去ったのを僅かに目を開けて確認してから、恐る恐るとちゃんと目を開けると。

 辺りの光景は、一変していた。

 

 広いとは言え室内であった筈なのに、悠さんよりも前方には「何も無かった」のだ。

 壁も天井も床も、全てが消え去っていて。

 そして、かなり遠方の森まで地面が深く抉れた様になっていて、その上にあった物の一切合切が最初から存在しなかったかの様に綺麗さっぱりと消えていた。

 周囲に人が居なかったから良かったものの、もしこれが人の密集する場所で起きたらと思うと、ゾッとする。

 

 そして、そんな超常の天変地異の如き現象を引き起こした悠さんはと言うと。

 力尽きた様に膝を突き、そしてそのまま耐えきれなかったかの様に崩れ落ちる様に倒れた。

 

 

 上弦の弐の鬼は、跡形も無く消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
初手で『明けの明星』で消し飛ばす事は出来たけれど、そのレベルの強力なスキルはまだ連発出来ないので、何らかの切り札や「食いしばり」や「不屈の闘志」の様な力による万が一の逆転が無い様に、最初は手加減しつつ童磨の能力を見極めながら追い詰めた。
なお、ちゃんと忘れずに童磨の血を採っている。


【胡蝶しのぶ】
童磨を殺す事だけを目的に研ぎ続けていた復讐の刃の本体である身体に蓄積させた毒が悠の力によって全て消えてしまった事を、当然まだ知らない。


【栗花落カナヲ】
兄の様にも思っていた相手が、底知れない力で姉の仇の鬼を追い詰めているのを直視してしまい、ちょっとビビっている。


【童磨】
死んだ……??
アギ系スキルの最上位である「ラグナロク」に関しては、血鬼術による全力の防御を行えば辛うじて骨だけは残せる。他の鬼なら大体殺せていた。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
今回童磨と戦った場所は、無限城でしのぶさんたちが童磨と戦った領域に似た場所です。現実の世界にあるこの場所をモデルに、無限城の中のあの場所が作られました。
建物の周囲に人が居る場所はなかったので、人的被害は0です。



【今回使ったペルソナ】
『シキオウジ』(火・氷:無、風:弱)
・凍殺刃(PQ)、利剣乱舞(PQ)
・マハブフダイン(PQ)
・マハタルカジャ(PQ)、心眼覚醒(PQ)、アムリタ(PQ)
・物理無効、アドバイス

『シヴァ』(氷:吸、雷:反)
・プララヤ、震電砕(PQ、バロンから継承)
・チャージ
・アドバイス、不屈の闘志
・物理ブースタ(PQ)、物理ハイブースタ(PQ)
・勝利の雄叫び(P3P)、物理反射(ランダから継承)

『スルト』(炎:反、風:無、氷:弱)
・緋炎刀(PQ)
・ラグナロク、マハラギダイン
・火炎ブースタ、火炎ハイブースター
・豪傑の双腕(PQ)、ハイパーカウンタ
・氷結無効

『ルシフェル』(炎・光・闇:無、物:耐、風:弱)
・ゴッドハンド
・明けの明星
・メシアライザー
・コンセントレイト(PQ)、ヒートライザ(P5R)
・物理吸収(P5R)、疾風反射、瞬間回復


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『カミサマを見付けた子供』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 この世には可哀想な人達が大勢居る。

 神様だの仏だのを信じて、極楽や地獄なんてありもしないものを信じて縋る人達。

 そんなもの、ただの創作話、妄想なのに。本気で信じて、そこに行きたがる人が居るのだ。

 それはきっと、「死」が恐ろしいから、死んで「無」になる事が恐ろしいから。

 だから、馬鹿な人達は有りもしない極楽やら地獄を信じて、それに縋るしか「死」の恐怖を紛らわす事が出来なかったのだろう。ああ、なんて憐れなんだろう。

 哀れと言えば、一応は生みの親である彼等も絶望的な程に頭が悪かった。

 単に少しばかり変わった見目の子供が生まれて来たからって、「神の声」なんて存在しないものを聞こえるだなんて言って『万世極楽教』なる詰まらない宗教を作った。あんまりにも哀れだったから話を合わせてやっていたけど、「神の声」だなんて一度も聞いた事は無い。存在しないものの声が聞こえるとすればそれは幻聴だろう。

『万世極楽教』に縋って来る信者たちも本当に愚かな人達ばかりであった。子供相手に退屈な身の上話を延々と語って泣き縋って「極楽に連れて行ってくれ」だなんてそんな頭がおかしい事を宣う。本当に気の毒だ。愚かであると言う事は此処までも哀れな事なのだと、そう言った彼等の姿を通して知った。

 だから、『救って』あげないと、と。そう思った。だって俺は賢くて優しいのだから。

 退屈で仕方が無い教祖と言う立場だけど、それを投げ出さない程度には責任感があったのかもしれない。或いはやりたい事なんて特には無かったから、ダラダラと惰性でそれを続けていたのか。

 俺には、頭が悪い人たちの「心」なんて分からない。喜びだとか哀しみだとか、一体何を言っているのだろうと思うのだ。馬鹿な人達にしか分からない世界なのだろうか。何かに執着する様な事も無く、渇望だなんてものは遥か彼方のお伽噺。信者たちを見ている内に何と無く、こう言った時は「喜ぶ」べきだとか、或いは「悲しむ」べきだとか、そういった状況と「感情」の対応は上手くなったけれど、どれだけ経っても「感情」と言うものが分からなかった。この胸は何時も同じ調子で鼓動を刻むし、何があった所で怒りだとか言った感情を懐く事も無い。

 唯一、あの方に出逢って鬼にして貰った時に、こんなにも凄い存在がこの世には居るのかと驚いて忠誠を誓ったけれど。それでもやっぱり胸の奥の鼓動は何も変わらなかった。

 

 上弦の弐に上り詰めて、鬼として人を『救って』。

 時々遭遇する鬼殺隊の隊士たちや柱を始末しながら、相変わらず『万世極楽教』の教祖は続けていた。

『万世極楽教』の教祖として信者を『救う』のが務めであるし、『万世極楽教』と言う組織は様々な事に便利だったと言うのもある。

 そんな中、『万世極楽教』に鬼殺隊の隊士たちが潜入してきた。

 ボロを出さない様に色々と気を付けてやって来たつもりだったのだけれど、一体何処で嗅ぎ付けて来たのやら。

 男二人と女一人。頑張って信者を偽装していたみたいだけど、どれ程一般人を演じていても鬼殺隊の隊士たちはその身のこなしや足運びの時点で普通の人のそれとは違うから分かってしまう。愚かで哀れだ。

 男の方は食べる気は無かったので始末した後は何時もの場所に適当に放置して、女の方はちゃんと『救って』あげた。最後まで勝てもしないのは分かっていただろうに刀を手離そうとせず諦めないその姿勢は、無駄な努力に費やしてきたその人生の無意味さを示しているかの様でいっそ涙を零してしまえそうだ。まあ実際の所、胸の奥にその様な衝動がある訳では無く、「哀れな者」を見た時に人はどう言う反応をするのかを知っているのでそれをなぞっているだけなのだが。

 たった一撃で早々に死んだ男達と違って、女の隊士はそこそこ粘った。ほんの戯れ程度にしか相手をしていなかったとは言え、血鬼術の氷を吸って肺が壊死しても死ぬ瞬間まで刀を手離そうとはしなかったのだ。

 苦しむ時間だけが無駄に増えていくのに、一体どうしてそこまで足掻くのかは分からない。

 その女の隊士は、時折自分の手に目をやっていたからそこに何かあるのだろうかと、千切ったそれを眺めてみても何の変哲もないただの人間の手でしかなく。やっぱり人の感情やら執念と言うものは理解出来ない幻想だなぁ……と、淡々と何時もの様に『救って』終わった。

 

 そしてそれから程無くして、また新たに鬼殺隊の隊士が潜入してきた。全く飽きもせずによくやる。

 鬼殺隊の隊士なんて誰が何人来たとしても全員殺せるだろうが、流石にこう何度も引っ切り無しに来るのであれば『万世極楽教』を一度解体して名前を変えて何処かに拠点を移す事も考えた方が良いのかもしれない。

 まあそれに関しては今回潜り込んで来た隊士を始末してから決めればいい事だ。

 そして、数日と経たぬ内にその機会は巡って来た。

 数年前に喰い損ねた柱の妹だと言う毒使いの女の柱は、速さこそ秀でてはいたがそれだけで。膂力が決定的に足りない為全く脅威では無かった。扱う毒に関しても数分もしない内に分解出来てしまうものばかりで、今後同じような毒を使う剣士が出た際の対策を積めたと言う意味では有意義なものであった。

 一通り足掻かせてみて手の内を曝け出させた後は早く『救って』あげようとした所、突然の乱入によってそれは阻まれた。だが、乱入してきた女も童磨の首に刃を届けるどころか戯れの様な数度の打ち合いにも耐えられなさそうな剣士で。二人まとめて『救って』やれば良いかなどと思った。

 そうやって脅威にならない連中ばかり相手にしていたからなのか。

 彼が現れた時。自分はその強さを正しく認識出来てはいなかった。

 

 呼吸も使わずに、呼吸を使う剣士以上に動けているのは確かに目を見張るものはあるが、その剣術の腕前は未熟で。よくまあそれで剣を壊さずに戦っていられると思う程に、その太刀筋は剣術として成立しているのかも怪しい程に荒々しいものがあった。そもそも手にしているのは日輪刀でも何でもない剣で。それで一体どうするつもりなのかと問いたくなる様な状態であったのだ。

 だが、男は傷付いていた二人を如何なる手段によるものなのか、その場で完全に治してしまった。

 血鬼術か何かかと思ったが、男からは鬼の気配はしない。

 だが、人間なのかと言うと、それもまた少し違う様な気がする。そもそも人間にそんな力は無い。

 

 この世には神も仏も存在しないし、妖怪変化の類と言うのも童磨は一切信じていない。

 鬼は居るが、それは想像上の産物ではなくて、ある種超常的ではあるが生き物の延長に居る存在だ。

 だからこそ、目の前の未知なる存在に、童磨は初めて興味を懐いた。

 その不可思議な力を曝け出させれば、あの方に対して何か利益になるかもしれない。そうでなくとも、そんな不可思議な事を起こせる理由を童磨自身が知りたかった。

 百年以上前にあの方に初めて出逢った時の様な。そんな何とも言えない、自分を変える様な何かが起きる様な気がしていたのだ。

 

 そして、男の力は童磨が考えていた以上のものであった。

 呼吸を使っていないのに、呼吸を使い速さに秀でていた柱の女以上の速さで迫り、鋼よりも遥かに硬い筈の童磨の首を荒々しい太刀筋で容易く刎ね飛ばす。

 それどころか、血鬼術によって全力で防がねば童磨の身体ですら一瞬の内に蒸発させる程の劫火を操り、童磨以上の速さで広範囲を凍結させる程の冷気も操る。

 極め付けは、血鬼術の冷気も、そして鋼すら容易く断つ筈の扇による斬撃も、その一切が通用しないのだ。

 確実に血鬼術の冷気を吸っているのに、確実に扇がその身体を掠めたのに。男には一切意味が無かった。

 これまでどんな柱と戦った時ですら発揮した事の無い童磨の「本気」の攻撃ですら、毛程も通用しない。

 ならばと、足手纏いになっている二人を狙ってみるが、その瞬間にそれまで以上の冴えを見せた業火による一撃によってそれらは未然に防がれる。

 これで自分を「人間」だと本気で宣っているのだから、無茶苦茶だ。

 男を適切に表現する言葉があるのであれば、それはまさしく『化け物』であろう。

 

 だが、男の持つ気配が更に変化した時。

「そう」ではないのだと、童磨は気付いた。

 

 童磨の身体を巨大な氷柱で幾重にも貫き、身動き出来ない様に固定した直後。

 恐らくは、必殺の一撃とも言える「何か」の為に僅かに動きを止めた男の気配が一気に変わる。

 鬼よりもより『化け物』らしいそれから、そんな言葉では到底言い表す事など出来ぬ人智を超えた何かがその身に宿っているかの様な。世界そのものを塗り替える程の、圧倒的な、「何か」。

 男の姿に重なる様に、その背後に幾つもの大きな翼を備えた異形の如き大いなる存在の姿を僅かに幻視する。

 もしそれに名を付けるのであれば、まさしく「神」であるのだろう。

 

 この世に神は居ない、仏も居ない。そんなものはただの妄想、人の作り出したお伽噺だと、そう思っていた。

 だが、そうではなかった。「神」は居た。

 今目の前の男の身に宿るのは、紛れも無く「神」としか呼べない「何か」だ。

 しかも、男の中にはそれ以外の「何か」も無数に蠢いている事にも童磨は気付く。

 それに気付いた時。そして『神様』を見付けた時。

 生まれて初めて、童磨は心臓が脈打つ様に高鳴り、自分の思考に入り込む冷静な判断以外の「何か」……童磨が今まで愚かな人間の妄想の類にしか感じていなかった「衝動」とでも言うべきものが胸の内に溢れ出すのを感じた。

 途端に、世界が鮮やかに色付いた様にすら思えた。

 あの方に確かに感じている筈の「敬意」が薄っぺらいものに感じてしまえる程に、激しく打ち寄せるそれに童磨の心は激しく震える。

 もっと知りたい、もっと見たい、と。未だ嘗て感じた事の無いその衝動を抑えきれない。

 もう死ぬんだろうと冷静に考え、それも仕方が無いかと受け入れていたのに。

 もっと、この男の中に在る「神」を見なければ、『神様』の全てを見てみたい、と。

 生まれて初めて抱いた未練、強烈なまでの「執着」が童磨の心の中で急速に育つ。

 もしここで死んでしまえば、『神様』をもう見る事が出来ない、もっと知る事が出来ない。

 それは怖かった、生まれて初めて、「怖い」とすら思った。

 この「感動」を喪ってしまう事を、恐ろしいと思ったのだ。

 今なら、信者たちの馬鹿馬鹿しい訴えにも、「分かるよ」と心から言ってやれるかもしれない。

 これが人間らしい感情とやらであるのかどうかは知らないが、そんな事はどうでも良い。

 とにかく今は此処で死ぬ訳にはいかないのだ。

 

 身体は完全に固定されていて動かす事は難しい。

 だから全身を脱出させる事は諦めて、せめて首だけでも捥ぎ取って何処かへ逃がす。

 頭さえ多少残っていれば時間は掛かっても肉体は再生させられるのだから。

 蔓蓮華で首を無理矢理捥ぎ取って、それを少しでも遠くへと投げ捨てようとする。

 だが、その瞬間。

 まるで星の光が直接地上に墜ちて来たかの様な激しい閃光と爆音が全てを吹き飛ばした。

 氷柱に貫かれていた身体は塵すら残さず細胞の一片に至るまで完全に瞬間的に消滅し、そしてギリギリの所で投げ捨てた頭も、目の少し下より上を残して完全に消し飛ばされる。

 暴虐的なまでの破壊の光は徐々に膨張し、僅かに残った童磨の頭部も呑み込みかけたが、その寸前に。

 

 ━━ ベンッ! 

 

 聞き慣れた鳴女の琵琶の音共に現れた障子の向こうへと童磨の欠片は落ちて行く。

 

 完全に障子が閉じて空間の接続が切断される寸前に、猛烈な勢いで無限城を呑み込んでいく滅びの光の向こうに、全てを燃やし尽くす程の強烈な殺意をその瞳に灯した男の姿が見えた。

 童磨の向こうに、もしかしたらあの方の気配を感じたのかもしれない。

 何にせよ、彼とはまた戦う事になるのだろう。その時が、楽しみで仕方が無かった。

「次」に逢う時には、もっともっとその内に宿る「神」を……『神様』の力を見せて欲しい。

 その為には、今よりも更に強くならねばならない。

 

 生まれて初めて得る事が出来た「執着」を、まるで幼子が初めて宝物を見付けたかの様に大切に抱き締めて。

 童磨は無限城の中を落ちて行くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 鬼舞辻無惨と言う存在について分かっている事は多くは無い。

「鬼」と言う存在の全ての根源にあり、病を撒き散らすかの如く鬼を増やし、支配する者。

 鬼殺隊が千年以上もの間追い続けている諸悪の根源。

 しかし、十二鬼月の様な選ばれた配下の鬼以外でその姿を目にして今も尚生きている者は限り無く少なく。

 その姿形や能力に関して知り得ている者は殆どと言って良い程存在しない。

 そんな鬼舞辻無惨の事を、ある者は臆病者だと言い、またある者は永遠の不滅を夢見ていると言う。

 それはどれも当たっている。

 鬼舞辻無惨の根源は、「死」を極端に恐れ、「死」を遠ざける為に形振り構わない臆病者だ。

 それだけならば普通に生きる人間達の中にも、強烈に「死」を恐れる者も少なくない為、理解の余地があると言えるのかも知れないけれども。

 その存在を根本の部分で人間にとって不俱戴天の仇としているのは、恐ろしいまでの共感能力の欠如である。

 元々は人であった筈の鬼舞辻無惨であるが、その当時から著しく共感能力に欠如し、何事も自分を中心にしか考えられず、更にこの世に溢れる人間どもは全て自分の思う通りに踏み躙っても良いとすら何の痛痒も無く思っている。

 神も仏も極楽も地獄も、その全てを唾棄し、永遠を生きる為ならば幾千幾万の屍を喰い荒らし、そしてそれ以上の嘆きと惨劇を振り撒こうとも何も感じないのである。

 傍若無人、傲岸不遜、この世のありとあらゆる言葉を以て罵倒しても尚足りぬ程の感性を持っているが、人間にとっては残酷な事に、この鬼舞辻無惨と言う存在は圧倒的に強かったのだ。

 鬼を殺す為にその人生を犠牲にしてまで復讐の刃を研ぎ続ける鬼殺隊の隊士にとってすら、会敵した瞬間に死が確定する様な。まさに生ける災厄にも等しい『化け物』。それが鬼舞辻無惨である。

 弱肉強食の理を振り翳して驕り高ぶる事すら、ある意味では仕方の無い事と言えてしまう程に。

 鬼舞辻無惨と言う暴威は、余りにも圧倒的であった。

 

 更には、鬼舞辻無惨は臆病だ。

 僅かにでも己を傷付けその命に届き得る脅威があるのであれば、恥も外聞も無く如何なる手段を以てしても逃走し、生存を選択する。生き恥と言う概念は、鬼舞辻無惨には存在しない。これから先も、永劫に。

 とは言え、圧倒的に強者である鬼舞辻無惨を脅かすものなど、千年掛けても未だ克服には至らない陽光程度である。数百年前には、常軌を逸した『化け物』が現れた事も有ったが、結局その『化け物』ですら「寿命」と言う生き物を縛る下らない鎖によってもうこの世を去っている。

 後は陽光さえ克服出来れば、もう何も鬼舞辻無惨を脅かす事は無いのだ。

 

 しかし、陽光を克服し得る様な鬼は幾ら作っても生まれない。様々な体質の者を鬼にしてきたが、一向にその成果は出て来ない。ならば、と。鬼舞辻無惨を鬼にした「薬」の原材料であった『青い彼岸花』を探させてもそれもまた見付からない。

 鬼舞辻無惨は千年以上も苛立ち続けて来た。せめて鬼狩りの様な異常者どもからの盾になる様に強い鬼を探そうとしても中々満足のいく強さの鬼は生まれない。

 下弦の鬼など、例えそこまで上がって来たとしても鬼殺隊の隊士如きにあっさりと殺され続ける。

 余りにも役に立たないので、不要とばかりに纏めて処分してしまった程だ。

 だが、上弦の鬼たちの強さには概ね不満は無かった。もっと強くなって役に立つ駒に成るべきだとは思うが、柱程度に殺される様な事は無いので、最低限度の及第点は満たしているとも言える。

 

 だからこそ、信じられなかった。

 上弦の弐の位にまで辿り着いた童磨を、至極当然の様に無傷で屠ろうとしている『化け物』がこの世に存在すると言う事が。

 かつて相対したあの『化け物』……縁壱と言う名の剣士を遥かに超える悍ましい存在が、この世に現れた事を認めたくは無かった。

 だが、どれ程否定しても現実は変わらない。『化け物』は確かに存在する。

 童磨の視界を通して見た『化け物』の姿に、鬼舞辻無惨は数百年振りに「死」の恐怖に襲われた。

 

 童磨が塵一つ残さず一瞬で消滅させられる寸前で、鳴女に命じて欠片の様になった童磨を回収したが、その際に無限城にまで届いた攻撃の余波で、無限城全体の凡そ二割が消滅した。

 幸い無限城を維持する鳴女に直接の影響は無く、童磨を回収した直後に空間の接続を断った為に被害は最小限に抑えられたが、それでも尋常ではない事態であった。

 

 鬼舞辻無惨は、「死」を恐れている。そして、自分と同格以上の『化け物』がこの世に現れる事も恐れている。

 配下の鬼たちは鬼舞辻無惨の完全な支配下にある為脅威にはならない。極稀に「はぐれ鬼」は出るが、人食いを断った鬼など大した脅威にはならない。

 だからこそ鬼舞辻無惨が恐れるのは、鬼以外の発生方法でこの世に現れる『化け物』だ。

 かつて対峙したあの剣士の様に、そして童磨の目を通して見たあの『化け物』の様に。

 そんな『化け物』共とまともにやり合うつもりなど無い。

『化け物』どもが定命の存在であるのなら、奴らの寿命が尽きるまで待てばいいだけの話だ。

 だが、果たして。あの『化け物』に寿命などあるのだろうか。かつて対峙した剣士よりも更にこの世の在るべき理を逸脱しているその力を思うと、最悪不老不死に近い可能性すらある。

『化け物』共から逃れる為に数十年を雌伏の時として過ごすのならまだ我慢が出来るが、それが百年数百年と続く事には到底耐えられない。

 早急に何か対策を打つ必要があった。

 

 そして、『化け物』を恐れると同時に。

 その力を此方側に取り込む事が出来れば、と考えもする。

 

 かつての『化け物』の如き剣士の片割れであった剣士は、その見込み通り上弦の壱として無類の力を発揮する最も信用出来る駒なのだ。

 あの『化け物』を鬼にして支配出来れば、太陽を克服した鬼になるかもしれないし、そうでなくともあの圧倒的な力さえあれば鬼殺隊など瞬く間に滅ぼしてしまえるだろう。

 無論、一番は自分の身の安全の確保ではあるが、可能であれば捕獲出来るのであればそれが良い。

 無能で弱い駒など不要だが、強い駒は配下に一人でも多く欲しいのだ。

 しかし、童磨すら蹴散らした『化け物』相手に今の上弦の鬼たちでは少々心許無い。

 鬼に必要以上の力を与えるのは望ましく無いが、状況が状況だけに、上弦の鬼たちに更に血を与えて強くする事も考える必要があるだろう。

 

 あの『化け物』の事を上弦の鬼たちに通達させる為、鬼舞辻無惨は上弦の鬼たちを無限城へと呼び出すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
この度漸く無惨からその存在を認識されて、『化け物』の名誉ある称号を貰う。
周囲一帯を更地にして良いなら童磨に対して完勝出来たけど、流石にそんな事をすれば近くにいるカナヲたちも危なくなるので攻撃範囲と威力を抑えたら、九割七分殺しの状態で逃げられてしまった。
この度最悪のストーカーに目を付けられる事になったし、無惨(と言うか上弦の鬼)から狙われる事になった。


【童磨】
悠によって九割七分殺しの状態にされた。
眼窩より上の部分以外の肉体が全て消滅している事もあり、復活にはかなりの時間が掛かる模様。
感情や執着は無かった筈だが、悠の中に『カミサマ』を見た事で、もっとその中に居る『カミサマ』を知りたいと言う執着が生まれた。
空っぽだったその中に初めて生まれた執着(憧れ)であるだけに、その強さは並々ならぬものがある。
最悪のストーカーが爆誕した事を悠は当然まだ知らない。


【鬼舞辻無惨】
何と無く童磨の視界を見てみたら縁壱以上の『化け物』が居たのでビビって鳴女に童磨を回収させた。
悠にビビったあまり、暫くの間お散歩するのを止めたので無惨が太陽を克服した鬼を作る際の被害は出なくなった。
しかし、悠を鬼にしてその圧倒的な力を手に入れる事が出来れば太陽を克服する以上の事も出来るのではないかと、上弦の鬼や雑魚鬼達に悠を確保する様にと命じる。ただし自分は引き篭る。
ついでに、悠を捕獲出来る様に上弦達にはかなり奮発して自身の血を追加で与えた。


【鳴女】
童磨を回収した際に無限城の二割が損壊した。
城を破壊した悠に対してかなり怒っている。
無限城修復の際に無惨から血を貰った事で下弦の壱相当の力を既に持っている。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
無惨は(出来るなら)悠を捕獲して鬼にしようと画策していますが、そもそも夢を見ている状態の悠は肉体が変化しないので鬼にはなりません。ただただ不味い無惨汁を与えられて怒りのボルテージが上がっていくだけです。
更には、神様が逆奇跡を起こして悠を鬼に出来たとしても、無惨ではその心を縛る事は出来ないので、爆速で呪いを克服されるだけです。


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『無力な手』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 痛みは無い、苦しみも無い。

 死後の世界と言うものが本当にあるのかは分からないけれど。

 こうして痛みが無いのは、悪い事では無かった。

 何時になく身体は軽く、穏やかな気持ちにすらなる。

 

 必殺の毒をその身に巡らせ続けた結果、どうしても身体はそれに侵されていて。

 もしあの鬼に出逢う事無く殺す事も叶わなかったとしても、自分の命がそう長くは続かないだろうと言う予感はあった。まだ明確な副作用は出てはいなかったが、それが自分自身の身体にとっても毒である事など最初から分かっていたのだから。……それでも、良かった。

 鬼殺隊の隊士である以上死と言うのは何時も隣り合わせの事で、藤の花の毒をその身に溜め込んでいようがいなかろうが早死にする事は覚悟の上だった。五体満足で隊を辞められる者など殆ど居らず、また隊士を何らかの理由で辞めた後に育手などの様に後方で支援する事が出来る様な者など一握り程度しか居ない。

 五体満足で老齢まで剣士を続ける事など、まあ殆ど不可能である。極稀に居るのは確かだが、鬼殺隊の歴史を紐解いてみたとしても両の手で足りる程度と言っても良いだろう。特に、過酷な任務が集中する柱にもなると、怪我や病以外の理由で「引退」に辿り着ける者は本当に少ない。なら、寿命なんて考えていても仕方ないだろう。

 だからこそ、それが命を捨てる様な行為であると分かっていても、躊躇いは無かった。

 上弦の弐の鬼を殺す事が出来るなら……最愛の姉をこの手から奪っていったあの悪鬼を滅する刃に成れるなら、それで良かった。それだけで良かった。そうしないと、生きていけなかった。

 復讐だけが、今にも壊れそうな心を支え繋ぎ止めてくれた。復讐の炎が、より多くの悪鬼を滅する為の力になった。姉の遺志を継いで、鬼に憐れみを持とうと努力して心を擦り減らす裏側で、胸の奥には何時だって決して消える事の無い憎悪の炎が燃え盛っていた。

 誰よりも愛しい家族を奪っていった鬼が未だにのさばるこの世界を生きる為には、そうするしか出来なかった。

 自分と同じ空気を、あの鬼も何処かで吸っているのかと思うと、耐え難かった。息が出来なかった。

 それをどうにか御す力を、復讐の怨念が与えてくれた。

 

 でも、復讐に身を焦がす中で、時折姉の最後の言葉が蘇る。

「普通の女の子の幸せを手に入れて、お婆さんになるまで生きて欲しい」、と。

 そんな優しくて、何よりも残酷なその願いを。叶えてあげる事はどうしても出来なかった。

 普通の幸せを手に入れて欲しかった、ずっと長生きして欲しかった。そう言いたかったのは自分の方なのだから。

 どうして、あんなに素敵な人が死ななくてはならなかったのだろう。どうして、あんな風に命を奪われなくてはならなかったのだろう。

 確かに鬼殺隊に身を置く以上、「死」は何時だって隣り合わせだ。だけれども、理不尽に奪われて良い命などこの世には一つも無いのだ。それが最愛の肉親であるならば尚の事。

 もっとこれから沢山の人生があった筈だ。もっとこれから素敵な出会いだって待っていたのかもしれない。

 姉はこの世の誰よりも素敵な人なのだから、とても素敵な人と出逢って、そして幸せを手にする事だって出来ただろう。

 鬼殺隊に身を置き鬼への復讐と怒りで剣を握っているからと言って、誰も彼もが鬼殺以外を斬り捨てている訳では無く。新たに「幸せ」を手にした事を切欠に引退して後方支援に転向する者は少なからず居るし、或いは愛しい者を得たからこそより一層鬼殺に励む者も居る。

 奪われ喪い復讐の為に刃を握った者が大半であるとは言え、鬼によって奪われたもの自体を取り戻す事は誰にも出来なくとも、新たに大切なものを得る人は幾らでも居る。生きるとはそう言う事だ。

 だからこそ、誰よりも優しかったが故に鬼殺の道を選んでしまった姉にだって、そんな「幸せ」があったかも知れないのだ。……だがその全ては奪われた。

 姉が命を落としたのは十七の時。今の自分は、その姉の年齢を超えてしまった。記憶の中の姉の姿は変わらないのに、何時しか自分の姿は変わっていく。姉の事を忘れる事など有り得ないが、しかし十年後二十年後にその姿を鮮明に思い描けるのかどうかは分からない。そしてそれは余りにも耐え難い事であった。だからこそ、姉を喪った痛みを他の何かで埋める事など到底許せなくて。無謀とも言える復讐へと己を駆り立てていった。

 今も姉が生きていたら、あの日上弦の弐の鬼に出逢う事無く今も生きていてくれたなら、一体どんな人生を送っていたのだろう。そう考えない日は無い。

 だが、過去は変わらないのだ。

 何をしても、あの日の姉の運命を変える事は叶わない。

 姉を喪った現実を変える事も、出来ない。

 それが、どうしようも無い程に辛いのだ。

 

 ── 置いて逝ってしまってごめんなさい、しのぶ……。

 

 誰よりも大切だった人の声が聞こえる。

 もう気付けば何年もこの声を聞いていなかった。それでも、たった一言聞くだけでも分かるのだ。

 

 ── 私の言葉が呪いになってしまったのも、本当にごめんなさい……。

 

 それは決してカナエ姉さんの責任じゃない。自分が勝手に背負った事だ。

 カナエ姉さんを忘れない為に、カナエ姉さんがどんなに素晴らしい人だったか忘れさせない為に。

 カナエ姉さんの様な笑顔を浮かべて、カナエ姉さんが目指した「鬼とも仲良く出来る世界」を語って。

 ……それなのに、その裏では醜いばかりの鬼への憎悪と復讐への妄執が燃え広がっていた。

 自分で自分を苛み続けていた様なものだ。だがそこに当然ながらカナエ姉さんの責任は無い。

 

 ── しのぶには、生きて欲しかった。幸せになって欲しかった。

 

 分かっている。カナエ姉さんは本当に優しかったから……本当に私の事を心配してくれていたから。それが、何の他意も無い言葉だったのだと言う事も分かっている。鬼の頸が斬れないのに隊士を続ける事がどれ程危険で自殺行為にも等しい事なのか、言われなくても分かっているから。だから、きっとあの鬼には勝てないと言おうとしたそれは、紛れも無いカナエ姉さんの優しさだったのだ。

 それでも、受け入れられなかった。カナエ姉さんみたいに優しくはないから、鬼への憎悪を消す事なんて出来ないから。

 

『知らない誰かの為、踏み躙られた誰かの幸せの為に、心に怒りの火を灯す事が出来る人もまた、優しい人なんだと俺は思いますよ』

 

 ふと、出逢ったばかりの頃の彼の言葉が心に浮かんだ。

 きっとカナエ姉さんの様に心から優しいのだろう彼のその言葉は、憎悪を抑える事の出来ない事を嫌悪しつつあった己の心に、どうしてかそっと優しく触れた。僅かにであっても、心を軋ませるものが軽くなった。

 鬼を哀れむ事が出来なくても、優しいのだ、と。「優しさ」に正解も間違いも無いのだ、と。

 本心からそう言ったのだろうその言葉に、確かにほんの少し救われたのだ。

 

 ── しのぶ、貴女の周りには貴女を想ってくれている人が沢山居るわ。

 ── だから、頼りなさい。しのぶが求めれば、必ず力を貸してくれる。

 ── ……しのぶの望みだって、きっと。

 ── だから、生きなさい。死を選ぶ前に、生きる為に足掻きなさい。

 

 でももう身体はあの上弦の弐に喰われてしまったのだ。今更どうしろと言うのだろう。

「死」と言う結果を変える事は誰にも出来ないのに。

 それに、こんな復讐劇に手を貸してくれる様な人が本当に居るのだろうか。

 

 

 ── しのぶ。愛しているわ。

 ── だからどうか、生きて。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 誰よりも大切だった人の、もう二度とは聞く事の叶わない声に背を押される様にして。

 ゆるゆると目を開けたそこは、見慣れた蝶屋敷の自室だった。

 どうして此処に、と。未だぼんやりとした意識で周囲を把握しようとした丁度その時、グラスを落として割った様な音が響く。

 

「しのぶ姉さん……?」

 

 カナヲが、驚いた様に大きくその目を開けていて。そして、その目は瞬く間に潤み、ポロポロと涙の雫が透明な真珠の様に零れ落ちていく。

 そして、カナヲは耐え切れなくなったかの様な勢いで私に抱き着いて来た。

 

「よかった……よかった……。生きてる、しのぶ姉さんが、生きてる……」

 

 その目からは涙を溢れさせながら、嗚咽の様に言葉を途切れさせながら。

 カナヲは抱き着いたまま離れない。

 

 一体どうなっているのだろうか。

 私は、上弦の弐に殺された筈……そして喰われた筈なのだ。

 どうして、生きているのだろう。死んだ筈なのに。

 

 覚醒したてであるからなのか、状況がまだ分からなくて。

 困惑していると、カナヲが涙交じりに何があったのかを教えてくれた。

 

 カナヲは、間一髪の所で私が殺される寸前の瞬間に間に合った。「間に合ってしまった」。

 しかし、私を庇った状態で上弦の弐と戦う事は、まだカナヲの経験が浅かった事もあって困難で。ほんの少し斬り合っただけでカナヲも満足に動ける状態ではなくなった。

 そんな絶体絶命の危機に間に合ったのが、悠だ。

 悠はその場で、私の傷もカナヲの傷も完全に癒して。

 そして、信じ難い話だが。上弦の弐を「圧倒」して、これを完全に消滅させたと言う。

 私の身体に欠けた部分は全く無く、上弦の弐が取り込んだ毒は皆無と言って良いだろう。

 つまり、数年掛けて決死の思いでこの身体に溜め込んだ毒は、何の役にも立たなかった。

 

 ……毒による弱体化が無くても悠は単独で、上弦の弐ですら「圧倒」せしめた、と言う事だ。

 

 その事後をどう処理したのか、と言うカナヲの報告が全く耳に入らなかった程に、その事実は私を打ちのめした。ずっと上の空になっていた私をどう思ったのか分からないが、気付いた時にはカナヲは何処かに去っていた。

 

 カナエ姉さんを喪ったあの日からずっと復讐の為に研ぎ続けていた刃は、あの鬼に突き刺さる事すら無かった。自分が復讐の為に捧げて来たものは、何の役にも立たなかったのだ。

 自分が決死の思いで戦った事は、何の意味も無かった。勝てない敵にただ挑んで負傷しただけでしかない。

 カナエ姉さんの仇は、もうこの世に居ない。悠が、その力で消し去ってしまったからだ。

 この手で殺すと決めたのに、この手が出来た事は何も無かった。

 強いて言えば、悠をあの任務に連れて行く事を決めた事位か? ……それに何の意味があるのだろう。

 自分が人生を賭けると決めたそれに、一体何の意味があったのだろう。

 虚しさすら最早感じない。行き場を喪った復讐と憎悪の炎は、消える事すら出来ないまま哭いていた。

 そしてふと気付く。この身が、何時になく軽く感じる事に。

 毒を溜め込み始めてから感じていた微かな吐き気に似た感覚は、今や綺麗さっぱりと消えていた。

 ……悠の力は、血鬼術すら解除する事が出来るが、そもそもは身体や心などの異常を治す為に使う。

 つまりは、数年掛けて研いだ筈の復讐の怨毒は、その本来の目的を果たす事すら無いままに、負った傷と共に跡形も無く消え去ってしまったのだ。

 お前の費やした時間に意味など何も無かったのだと、そう暴力的なまでの力で突き付けられたかの様だった。

 無論、悠にそんな意図など欠片も無かった事は分かる。そもそも彼は私がこの身に復讐の為に毒を満たしていた事なんて知る由も無いのだし、そして彼は一生懸命に大事な人の命を救おうとしてその力を使っただけなのだ。感謝しこそすれ、それを恨むなど筋違いにも程があるし理不尽が過ぎる暴挙でしかない。

 悠が決して悪意など欠片も無く、それどころかその優しさを以て怒り、私やカナヲを傷付けた上弦の弐を殺したと言うのは分かる。分かっている。それなのに、行く先を喪った復讐の炎が、己の身と心を焼くのだ。

 

 

 

「しのぶさん、大丈夫ですか?」

 

 今一番会いたくない……会ってはいけない相手が、気付けば目の前に居た。

 何時もの様に優しい目で、何時もの様に誠実に私を慮ろうとする眼差しで。

 寄り添い見守るその温かな優しさを隠そうともせずに、其処に居た。

 心配そうに私を見詰めるその目に対し、込み上げてくるのは理不尽な怒りだ。

 駄目だ、そんな事をしてはいけない、止めろ。とそう心は叫ぶのに。

 荒れ狂う衝動の様な復讐の毒は、燃え滾る憎悪をあろう事か彼に向けようとしていた。

 

「……そうやって圧倒的な力を振り翳して、満足ですか?」

 

「え……?」

 

 言われた意味が分からない、と。そう言いた気に、悠は困惑する。その反応は当然だ。悠には何の罪も無い。

 それでも、止まらなかった。止まれなかった。

 数年掛けて燃やし続けた憎悪の炎は、目的を見失ってしまったが故に、それを「奪った」相手へとその理不尽の矛先を向けてしまう。

 感情の制御が出来ないのは未熟の証であり、柱として……何より人としてはあってはならぬ事だ。

 況してや、自分にとっても大切な相手の一人である彼に、まかり間違ってもぶつけて良い感情などでは無い。

 どれ程辛くても呑み込んで、そして御さねばならぬものであるのだ。

 だが、育て続けた復讐心は、もう自分が手綱を握れる状態では無くなっていた。

 自分自身の心の大半を喰ってしまったそれは、理不尽だろうと何だろうと構わずに荒れ狂おうとする。

「よくも私の復讐を奪ったな」、と。余りにも恥知らずな怒りが、罪など有りはしない悠へとその牙を剥く。

 

「私の命を救って、上弦の弐を一人きりで倒して、満足ですか? 

 頸も切れず上弦の弐に成す術も無く殺されかけた私を哀れんでいるつもりですか?」

 

 悠が決してそんな事を思ったり考えたりする事なんて無いと分かっているのに。

 どうしても、止められない。止めろ、止めて。このままでは、大事なものを壊してしまう。

 それなのに、どうしても。理不尽を極める言葉の刃を止められない。

 

「姉さんの仇を取る為に四年も掛けて準備して来たものを全て踏み躙って、一人だけで上弦の弐すら簡単に倒してしまって。悠くんにとって、私はさぞ哀れで弱い存在に見えているんじゃないですか?」

 

 一言一言発する度に、自己嫌悪で死にそうになる。

 なんて醜い感情、なんて理不尽な言動。最低だ。

 ドロドロと憎悪と復讐心を煮詰めて来た釜底に溜まっていた心の汚泥が溢れ出ているかの様だった。

 

 悠は、「そんな事は無い」と必死に首を横に振る。

 分かっている、彼は本当に優しくて心が綺麗なのだ。

 そんな傲慢な考えなど露とも抱かず、何時だって「自分が出来る事を」と言いながら精一杯頑張っている。

 人の痛みに寄り添い、苦しみにその手を差し伸べ、再び歩き出せるまでを優しく見守る。そんな人なのだ。

 悠はよく傷を負った相手の手を握る。そうした方が力を発揮させやすいからだとそう言うけれど、だけどそれ以上に、その苦しみに寄り添って少しでも励ましてやりたいからだと言う事を私は知っている。

 力を何度も使って疲れた様な顔をしながらも、傷が癒えて安らかに眠っている隊士たちの顔を本当に幸せそうに見守っている事を知っている。日々蝶屋敷に大勢運び込まれてくる隊士たちを、その一人一人の名こそ知らなくても、全員の顔を覚えている事を知っている。四肢を欠損するなりして不可逆の傷を負った隊士たちの嘆きや哀しみを寄り添うように受け止めて、時に心を御せなくなった者達の衝動的で理不尽な暴力ですら優しく受け止めているのも知っている。誰に対してだって優しく誠実に接している事を知っている。

 任務の時だって、救援要請があれば必ず駆け付けて誰かを助けようとしている事を知っている。

 大切な人達が笑っていてくれる事、幸せでいてくれる事。そしてそんな幸せを守る事が、自分にとっての一番の幸せなのだと。そんな事を何の衒いも無く本心から言ってしまえる事も知っている。

 知っている、知っているのだ。鳴上悠と言う人間がどう言う存在なのかを、私はよく知っている。

 

 それなのにどうしてこんなにも醜い衝動をぶつけてしまうのだろう。

 余りにも最低だった。

 私が鬼の頸を斬れないのも、誰にも言わずに準備していた毒が意味を為さなかった事も、上弦の弐に全く歯が立たなかった事も、私が弱いのも。全て、悠に何の責任も無い事だ。責任があるとすれば私自身にあるのに。

 黙れ、黙らないと、と。そう思うのに。一度言葉にしてしまったら取り消せないのに。

 どうしても言葉を止められない。

 私は、自分自身に絶望していた。

 

「上弦の弐に、『化け物』だって言われたそうですね。

 簡単に人を救えて、鬼だって呼吸すら使わずに簡単に倒して。

 さぞかし楽しかったのではないですか? 弱い人間たちを救うのは」

 

 違う、何時だって彼は必死だった、精一杯だった。

 必死に手を伸ばして、誰かを守っていた。

 どんな力を持っていたとしても『化け物』なんかとは程遠い所に居る存在だ。

 

 そして、決して言ってはならぬ事を、私は。

 

「じゃあどうして、もっと沢山の人を助けてくれなかったんですか? 

 どうして、炭治郎くんと出逢う前から、戦ってくれなかったんですか? 

 その時に悠くんが居てくれたのなら、カナエ姉さんは死ななかったのかもしれないのに」

 

 余りにも最低な発言だった。

 そもそも四年も前に悠に戦う力があったのかどうかなんて分からないのに。

 その場に居なかった事に彼に何の責任も無いのに。

 そもそもこうして鬼殺隊に力を貸してくれている事すら、彼の優しさと善意に基づいているものなのに。

 何も出来なかった無力を詰るのですらなく、どうしてそこに居てくれなかったのかと宣う。

 それは余りにも愚かで最低な神頼みにも等しい言葉だ。

 悠と言う余りにも「都合の良い『神様』」に頼り切った、最悪の神頼みである。

 

「…………俺、は……」

 

 何かを言おうとして。だが、言葉を見失ってしまった様な、そんな顔をする。

 こんな理不尽をぶつけられてすら、悠のその目には紛れも無い優しさがあった。

 私の中に燃え盛る復讐の炎に、そっと触れようとするかの様な。そんな優しさを湛えている。

 それがどうしようも無く、私を惨めにさせた。

 

 そうだ、本当は分かっている。

 私は、悠が羨ましいのだ。

 もし自分に悠の様な力があったのなら。上弦の弐を圧倒する様な力なんて無くても良い、傷を癒す力があったのなら。あの日カナエ姉さんを死なせずに済んだのではないか、と。

 そして呼吸すら使わずに上弦の弐の首を容易く落とせる力があったのなら、毒に頼り自分の命ごと捧げる覚悟を決めなくても済んだかもしれない、と。

 正真正銘自分の手で、上弦の弐の首を落とせたのじゃないか、と。

 ……無いもの強請りで、余りにも愚かな、嫉妬ですらない羨望。

 それが、上弦の弐への復讐心と憎悪に混ざってぐちゃぐちゃになってしまっている。

 それが自分でも分かっているのが、尚更に惨めだった。

 

 これからどうすれば良いのだろう。

 ずっと抱え続けていた目的が勝手に消えてしまった後に残ったのは、虚しさだけだった。

「鬼舞辻無惨を倒す」と言う鬼殺隊の悲願の成就は間違いなく果たすべき事なのだろうけれど。

 しかし、上弦の弐にすら手も足も出ず、毒を用いても何も成す術の無かった私に一体何が出来ると言うのだ。

 鬼の頸を斬る事も出来ない、こんな小さな身体で。

 ……しかしかと言って、カナエ姉さんが最後に願った様に「普通の幸せ」とやらを掴みに行く事も出来そうに無い。自分が置き去りにしてしまったものを想って、永遠に心を引き摺られるだろうから。

 生きる目的と言うものが、完全に消えてしまっていた。

 心を支え続けていた目的を喪った時、カナエ姉さんを喪った世界で息をしていく必要が本当にあるのだろうかとすら思った。もう、この世にカナエ姉さんの仇は居ないのだ。

 

「……しのぶさんにとって、上弦の弐の鬼は、お姉さんの仇、だったんですね。

 ……大好きなお姉さんの仇を討つ為に、ずっと、しのぶさんは、頑張っていたんですね……。

 しのぶさんが、笑顔の奥に隠していたものは、それだったんですね……」

 

 呆れて見捨てられてしまっても何の文句も言えない様な暴言の数々を受け止めて。

 それを少しずつ咀嚼して呑み込もうとしているかの様に、悠はゆっくりと静かに言葉にする。

 怒りを覚えて当然な理不尽な言葉の刃であったと言うのに。悠のその目には、深い哀しみに似た感情以上に、私に対する気遣いがあった。

 

「俺は、しのぶさんが何かを抱えていたのには気付いていたのに。

 しのぶさんの力になりたいと思いながら、何もしませんでした。

 気付いたその時に訊ねていれば。

 ……しのぶさんが自分をそんな風に傷付ける前に、何か出来たかも知れないのに。

 ……ごめんなさい、しのぶさん。何も、出来なくて。

 しのぶさんには、とても沢山のものを、貰っていたのに。俺は、何も返せませんでした」

 

 そう言って、悠は本当に申し訳なさそうにその目を伏せる。

 思わず、何を言っているんだろうとすら思った。

 少なくとも、理不尽極まりない暴虐とも言える言葉を投げかけられた時の反応ではない。

 しかし、悠は私を思い遣ろうとし続ける。

 

「俺は……『化け物』なのかもしれません。

 それでも、どんな力があっても、俺には過去を変える事は出来ない。

 しのぶさんのお姉さんを……カナエさんを、助ける事は、出来ません。

 人を『救う』事は、とても難しくて……。俺に出来るのは何時もほんの少しだけで。

 精一杯を尽くしても、出来ない事は沢山あって。届かなかった手も、沢山あります。

 でもしのぶさんは、違う。しのぶさんは、弱くない。憐れだなんて一度も思った事は無い」

 

 もしかしたら、鬼舞辻無惨すら超える力を持っているのかもしれないと言うのに。

 悠はそれを驕る事など露とも考えず、ただただ心から私を認めている様に話す。

 その声音に虚言の色は無い。

 

「鬼の頸を斬る事が全てじゃない。しのぶさんの成した事で、沢山の人が助かったんです。

 毒を研究する事、薬を研究する事。そう言ったしのぶさんの力は、本当に大勢の人を救っている。

 俺が簡単に人を救えるだなんて、そんな事は無いです。だって、俺の力で助けられる範囲はとても狭い。俺は一人しか居ない、それを超えたら……助かる人も助けられません。

 でもしのぶさんが開発した薬は、その使い方さえ知っているなら誰だって扱える。そうやって助かった命は数え切れない程あるんです」

 

 そして、そっと。悠は私の手を取って。柔らかく包み込む様に握った。

 とても温かな、優しい手だった。心から、相手を想っている事がどうしようもなく伝わってきてしまう程に。

 

「しのぶさん自身が、しのぶさんの歩いてきた道程を否定しないで欲しいです。

 悔しくても、無力に泣いても、傷付いても。それでも蹲らずに、自分に出来る事を探して実行し続けて来た。

 そんなしのぶさんの生き方を、俺は心から尊敬しています。

 だから──」

 

 柔らかく包んでいた手に、痛みを与えない程度の力が籠る。

 優しさを湛えるその眼差しは何処までも真っ直ぐで。誠実そのものであった。

 

 

「上弦の弐の鬼の頸を、斬りましょう。

 今度こそ、しのぶさん自身の手で。

 その為に、俺は何だって力を貸します」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
しのぶさんが自分の命を捧げてまで復讐しようとしていた事は流石にまだ知らないが、しのぶさんの理不尽な言葉の裏に在る本当の気持ちを察した。
八つ当たりに関しては、人間そんな時もあるよね……って気持ちで受け止めている。
しのぶさんが生きていてくれている事以上に嬉しい事は無い。


【胡蝶しのぶ】
突然自分の目的が消えてしまった上に自分が何も役に立たなかった事を痛感してしまい感情の制御が出来ず八つ当たりをしてしまった。理不尽な八つ当たりである事は自分自身が誰よりも分かっているので自己嫌悪が加速する。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
実際問題、悠がカナエさんと童磨との戦いの場に居合わせた場合どうなったのかと言うと、一番弱体化していた時の状態でもカナエさんを連れて「トラフーリ」を使うので、童磨に勝てるかどうかはさておき、カナエさんを救う事は可能です。


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『幸せを希う』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 蝶屋敷で目覚めたと同時に、自分があの上弦の弐の鬼を討ち漏らした事を思い出した。

 

 しのぶさん達を傷付けた鬼を、後一歩まで追い詰めたのに、絶対に殺すと決めたのに。

 それでもこの手は僅かに届かなかった。もっと力が戻っていれば、或いはもっとコントロールが効く状態であったのなら、最後の一撃で完全に仕留められていただろう。

『明けの明星』の様な強力な力を使う際は何時もより隙が出来てしまうから、予め『マハブフダイン』で拘束したのに。その拘束が甘かったからこそ、首だけでも逃がしかけてしまったのだ。もっと厳重に全身を氷の中に閉じ込める程に拘束していれば良かったのかもしれない。他にも、と。最後の最後で鬼を逃してしまった原因は幾つも考え付くし、あの時ああしていればという悔いも幾つか思い付く。

 

 だが、決して収穫が何も無かった訳では無い。

 多少は疲れるもののペルソナの耐性の恩恵を受ける事が出来る様になっていたし、そしてそれは鬼の攻撃にも有効であると示された。

 更には、完全に撃破する事は叶わなかったとは言え、九割半以上を完全に消し飛ばしたのだ。

 幾ら無限に再生する鬼とは言え、完全な復活までには多少の時間を要する事になるだろう。

 そして、鬼をその隠れ蓑にしていた『万世極楽教』から叩き出す事には成功している。上弦の弐の鬼の被害がこの先完全に消えると言う事にはならないが、無数の命が誰にもそうとは悟られずに貪り食われる様な事態は終わらせる事が出来たのだ。その成果を無視して、鬼を討ち損ねた事を後悔し続けるのは全く以て建設的ではない。

 他にも、炭治郎と珠世さんとの約束通り上弦の弐の鬼から血を採る事は出来ている。茶々丸に託せば、きっと有効活用してくれる筈だ。

 

 そして最後に何よりも、「鬼舞辻無惨の手の内」を知る事が出来た事が大きい。

 上弦の弐の鬼を討ち漏らしたとしてもお釣りが来るかもしれない情報だった。

 上弦の弐の鬼の僅かに残った頭部の肉片が星の墜ちた光の中で消え去る寸前に、琵琶の音が響くと共に出現した謎の障子の向こうの歪な空間が開いた時。その向こうに広がっていた歪な建物の群れの奥底から、己とは存在の根本レベルから合わないと瞬間的に悟る程の、悍ましく不愉快極まりない気配を感じた。

 上弦の弐の鬼に感じた以上の不快感に、恐らくそれが鬼舞辻無惨の気配なのだろうと理解する。

 汚物を汚水で煮込んで腐らせた様な不快感の極みの様なそれを、絶対に忘れない様にと自分の感覚に刻んだ。

 鬼舞辻無惨或いはその配下の鬼には、空間を超越して対象をその根城に連れ込む力がある様だ。

 後一歩の所で断片の様になった上弦の弐の鬼を取り逃がしてしまったのもその所為だ。

 同時にそれは、鬼舞辻無惨が好きなタイミングで任意の場所に鬼を送り込める事を示している。

 今回の上弦の弐の鬼との戦いの際中に他の上弦の鬼に乱入される事は無かったが、今後もそうとは限らない。

 少なくとも自分なら、己の配下で二番目に強い相手が蹴散らされる様に敗北したのであれば、以後上弦の鬼が苦戦しているならばその場所に他の上弦の鬼を送り込むだろう。上弦の鬼の討伐は鬼殺隊の目標の一つではあるが、一体を相手にするだけでも厳しいのに、そこに二体も三体も合流されては堪ったものでは無い。

 琵琶の音が聞こえた際には、より一層の注意が必要になる。これは早急に「お館様」へと報告しなくてはならない事柄だろう。

 

 情報を整理しつつ身を起こして部屋から出ると。

 慌てた様に走ってきたカナヲと出会した。

 目覚めていると思ってなかったのかカナヲは驚いた様な顔をしていたが、しかし直後には少し安堵した様な顔になる。何やらあった様だ。

 

「悠さん! しのぶ姉さんも目が覚めたんだけど、様子が何だかおかしくて……」

 

 カナヲにそう言われ、直ぐ様しのぶさんの部屋へと向かう。

 カナヲはそのまま、他の皆にしのぶさんの事を伝えに行った。

 

 控え目にノックしても返事が無くて。行儀が悪いとは思いつつも、そっと戸を開けてしのぶさんの部屋へと入る。

 部屋の中で布団から身を起こしていたしのぶさんは、確かに何だか様子がおかしかった。

 ぼうっとしていると言うよりも、茫然としていると言った方が良い様な……そんな感じだ。

 ぱっと見た所、何か怪我が残っている訳でも無いし、上弦の弐にやられた肺の方も治っている様だけれども。

 しかし目には見えない場所、例えば心などに何らかの影響が残っているのかもしれない。

 心ここに在らずと言った状態のしのぶさんは、近付いても何の反応も無い。

 布団のすぐ横に膝を突いても、そもそも自分以外の存在にすら気付いていないかの様だった。

 

「しのぶさん、大丈夫ですか?」

 

 気を遣いながらも、何時もの様に声を掛けると。

 此処では無い何処かを見ていたしのぶさんの視線が、漸く自分に結ばれる。

 だが、何故か。ぼんやりしていたその目に次第に浮かんできたのは、「怒り」の感情だった。

 

「……そうやって圧倒的な力を振り翳して、満足ですか?」

 

「え……?」

 

 向けられた感情の理由も、そしてその言葉が示す意味も。分からなくて。

 困惑のままに、しのぶさんを見詰める。

 その目には、怒りだけでなく、悲しみや無力感、そして諦念が色濃く浮かんでいた。

 

「私の命を救って、上弦の弐を一人きりで倒して、満足ですか? 

 頸も切れず上弦の弐に成す術も無く殺されかけた私を哀れんでいるつもりですか?」

 

 しのぶさんの言葉に、そんな事は無いと首を横に振る。

 ……そんな意図は、断じて無かった。

 ただただ、しのぶさんに死んで欲しくなかっただけだったのだ。生きていて欲しいと望んだだけだった。

 だが、自分の行いはしのぶさんにとって触れて欲しくは無かった何かに触れ、それを侵してしまったのだろう。

 それは、分かった。

 そして……しのぶさんは、言葉を連ねる度に、本当に辛そうな顔をする。絶望している様な顔をする。

 自分で自分の傷口に爪を立ててそこを引き裂いているかの様な、そんな風にも見える。

 それが辛くて。その言葉の強さよりも、そのしのぶさんの表情の方が、自分にとっては何よりも苦しい。

 

「姉さんの仇を取る為に四年も掛けて準備して来たものを全て踏み躙って、一人だけで上弦の弐すら簡単に倒してしまって。悠くんにとって、私はさぞ哀れで弱い存在に見えているんじゃないですか?」

 

 姉さんの、仇。

 血を吐く様なしのぶさんのその言葉に、自分が一体何をしてしまったのかを悟った。

 そして、その申し訳無さの余りに、どう言葉を掛けて良いのか分からなくなる。

 

 決して、そんな意図は無かった。ただ、しのぶさんたちを助けたかっただけだった。

 それでも、しのぶさんにとって上弦の弐の鬼が並々ならぬ因縁を持つ相手であって、そしてそれを討つ為の努力を重ねていたのであれば。

 自分のした事は、しのぶさんのその努力を嘲笑うかの様に復讐の対象を横取りした様なものなのだろう。

 勿論、そんなつもりは欠片も無くても。しかし、しのぶさんがどう感じるのかは別だ。

 ペルソナの力と言うこの世界の理の外側の力を持ちこんで、それで「神様ごっこ」している様に感じられてもおかしくはない。或いは、人間の味方を気取る『化け物』か。

 

 あのままでは殺されていたかどうかなど関係は無い。自分が成し遂げると決めた事を横から勝手に奪われる事は、結果として万々歳であったとしても、当人が納得出来るのかどうかは全く別なのである。

 例えば、菜々子が生田目に攫われた時に、突然見知らぬ誰かが勝手にそれを解決したとすれば。感謝は間違いなくするとは思う反面、複雑なものを感じてしまっただろう。つまりはそう言う事だ。そしてそれ以上の事だった。

 

「上弦の弐に、『化け物』だって言われたそうですね。

 簡単に人を救えて、鬼だって呼吸すら使わずに簡単に倒して。

 さぞかし楽しかったのではないですか? 弱い人間たちを救うのは」

 

 そう言った瞬間のしのぶさんの顔は、今にも死んでしまいそうな程に酷いものだった。

 言葉にした以上の感情が、しのぶさん自身を苛む様にその心を傷付けているのが明白であった。

 しのぶさんは弱くない。断じてその様な事は無い。積み重ねた鍛錬の成果も、そして重ねて来た様々な研究の成果も、間違いなく力になっているし、鬼殺隊の人達を数多く救っている。

 しのぶさんの作った薬で一命を取り留めて蝶屋敷に運ばれてくる人がどれ程居る事か。

 それなのに、しのぶさんは自分を卑下する様な事を言う。

 自分自身が成してきた様々な努力を、その結果を、まるで否定するかの様に。

 

 ……確かに、目の前に同じ様な傷を負った相手が居た場合には、ペルソナの力の方が助けられる範囲も広いだろう。

 上弦の参と戦い落命しかけた煉獄さんの様に、或いは上弦の弐に殺されかけ片肺を完全に駄目にされてしまったしのぶさんの様に。

 ……ある意味で「反則」としか言えない力を以てしか助けられなかったものは多いだろう。

 だが、そう言った「反則」は何度でも何度でも出来る事では無いし、実際しのぶさん達を助けた時の様な威力の『メシアライザー』なんて、今の自分には余力がある状態であっても一日一回が限界だ。

「それ以上」を望めば、また代償を捧げる必要がある。

 いざとなれば代償を捧げる事に躊躇いは無いが、一つのアルカナを丸ごと喪った結果、本来なら助けられた筈の誰かを将来的に助けられなくなる可能性もあるので、軽率に出来る事では無い。

 そして、消耗し切ってしまえば、自分に出来る事は無いのだ。

 上弦の弐との戦いに関しては、力尽きる前に追い払う事が出来ただけとも言える。

 下手なタイミングで『明けの明星』を狙っても、どうしても生まれる隙の所為でもっと五体満足の状態で逃がしてしまっていたかもしれないし、何なら一瞬の隙を突かれてしのぶさんたちを守り切れなかった可能性だってあった。

 

「簡単」に人が救えた事なんて、一度たりとも無い。今までも、そしてこれから先もきっと。

 そもそも人を本当の意味で「救う」事は、難しいのだ。

 窮地に手を差し伸べれば、それで「救えた」と言って良いのか。命の危機からその身を守ってやれれば「救えた」と言えるのか。……それは、違う。少なくとも自分にとってそれは「救い」では無い。

 その「心」を置き去りにしてしまったのなら、「救い」とは言ってはならないのだ。

 今こうして目の前でしのぶさんが、その心の傷口から見えない血を流し続け、その苦しみに喘いでいる様に。

 自分がやった事は、しのぶさんの「心」を置き去りにしてしまう事だった。それは「救い」とは程遠い。

 本気で「救いたい」のなら、その心の奥底に秘めたどの様な感情や願望とも向き合う覚悟を決めなければならない。……ただ幸いにもと言うべきか、その覚悟を決める事自体は自分にとってはそこまで難しい事では無かった。八十稲羽で過ごした一年の間に繰り返してきた事を、やれば良いのだ。

「心」を本当の意味で救えるのは、その人自身だけなのだけれど。それを傍で寄り添う様に見守り続ける事は自分にも出来る。本当に必要な時に、その背を少しだけ押してあげる事も、出来る。

 大事な人の心を助ける為に、自分に出来る事をするのだ。結局、それしか無い。

 

 その覚悟を決めてしのぶさんの言葉に向き合うと、そこにあったのは痛々しいまでのしのぶさん自身を責め苛む言葉の刃だ。しのぶさんの心は、既に傷付き果てて悲鳴を上げている様だった。

 鬼の頸を斬れぬ無力を責め、復讐を果たせなかった事を責め、そしてこうして自分に言葉の刃を突き立てている事自体を責め立てて。

 それでも抑える事の出来ない衝動と共に、言葉を連ねて自傷し続ける。

 その姿を見て、どうして手を離す事が出来ようか。

 

「じゃあどうして、もっと沢山の人を助けてくれなかったんですか? 

 どうして、炭治郎くんと出逢う前から、戦ってくれなかったんですか? 

 その時に悠くんが居てくれたのなら、カナエ姉さんは死ななかったのかもしれないのに」

 

 しのぶさんのその言葉に、そういった言葉をぶつけられると覚悟はしていたが、一瞬息を詰まらせてしまった。

 当然の言葉だ、当然の願いだ。どうして、そんな力があるならもっと早くに助けてくれなかったのか、どうして大切なものを喪う前に守ってくれなかったのか。……誰もが抱いて当たり前の、「怒り」だ。

 例え、その時にはこの世界自体にこの身が存在していなかったのだとしても、そしてただの人でしかない自分には全てを救いきる事など到底不可能なのだとしても。

 自分だって、何度も考えた事なのだから。

 

 自分が『夢』で迷い込んだのがもっと前だったなら、防げていたのかもしれない悲劇があった、助ける事が出来ていたのかもしれない命もあった。

 もし、自分が目覚めたのがあの雪の日の山の中であったなら、炭治郎の大切な家族を一人でも多く守れていたのかもしれない。もし自分が目覚めたのが、しのぶさんのお姉さんが命を落とす前であったのなら、その命を繋ぎ止める事は出来ていたのかもしれない。

 もし、もしも、と。そう考えてしまう事は一度や二度では無い。

 自分が決して万能でも「神様」でも無い事を分かっていても、そこに居合わせる事が出来たのなら……と。

 大切な人達の喪失の苦しみに触れる度に、そう考えてしまう。思っても考えても願っても、もうどうする事も出来ない事なのだとしても。そんな、絶対に叶わない「もしも」を考えてしまうのだ。

 

 そしてそう考える度に、自分の手の小ささを思い知る。自分の手が届く範囲の狭さを知るのだ。

 自分は「神様」にはなれない、何もかもを救う事なんて出来ない。

 何時だって目の前の命を助ける事で精一杯で。自分の手の届く限りの、大切な人たちを守る事で精一杯で。

 それですら、あの日の菜々子の様に取り零してしまう事がある。

 それが悔しくて、哀しくて。何時だって、自分の力の及ばなさを痛感している。

 ……それでも、惨めに蹲る事なんて出来ない。自分が「何も出来ない」訳では無い事も分かっているからだ。

「神様」じゃなくても、何もかもを救う事なんて出来なくても。それでも出来る事はある。

 大切な人たちの為に、自分が差し出せるものがある、この手を伸ばす事が出来るのなら。どうしてそれを最初から放棄出来ようか。みっともない位に足掻いた先で大切な人たちが笑って生きてくれるなら、自分は何だって出来るのだ。

 だからこそ、今自分が成すべき事を、ちゃんと果たす。

 

「……しのぶさんにとって、上弦の弐の鬼は、お姉さんの仇、だったんですね。

 ……大好きなお姉さんの仇を討つ為に、ずっと、しのぶさんは、頑張っていたんですね……。

 しのぶさんが、笑顔の奥に隠していたものは、それだったんですね……」

 

 しのぶさんの心の傷にそっと指先を触れさせるかの様に、ゆっくりとそう言葉にする。

 言葉は大切なものだ。どんな想いも、言葉にしなければ、行動で示さなければ、伝わらない。

 

「俺は、しのぶさんが何かを抱えていたのには気付いていたのに。

 しのぶさんの力になりたいと思いながら、何もしませんでした。

 気付いたその時に訊ねていれば。

 ……しのぶさんが自分をそんな風に傷付ける前に、何か出来たかも知れないのに。

 ……ごめんなさい、しのぶさん。何も、出来なくて。

 しのぶさんには、とても沢山のものを、貰っていたのに。俺は、何も返せませんでした」

 

 訊ねても何も変わらなかったかもしれない、でも、変わっていたのかもしれない。

 もうそれは分からないけれど、だからこそあの日に手を差し伸べられなかった自分の怠慢を、謝った。

 しのぶさんに貰っていた沢山のものを返す事も出来ないまま、こうしてその心を傷付けてしまったのは間違いなく自分の罪だ。

 だからこそ、もうこれ以上傷付いて欲しくは無かった。もうこれ以上自分自身の心を苛んで欲しくは無かった。

 生きる希望を喪ったかの様な顔をして欲しくは、無かった。

 

「俺は……『化け物』なのかもしれません。

 それでも、どんな力があっても、俺には過去を変える事は出来ない。

 しのぶさんのお姉さんを……カナエさんを、助ける事は、出来ません。

 人を『救う』事は、とても難しくて……。俺に出来るのは何時もほんの少しだけで。

 精一杯を尽くしても、出来ない事は沢山あって。届かなかった手も、沢山あります。

 でもしのぶさんは、違う。しのぶさんは、弱くない。憐れだなんて一度も思った事は無い」

 

 自分も「無力」の辛さを知っているからこそ、しのぶさんの苦しみも少しだけであっても理解出来る。

 自分で自分を傷付けるのは、苦しい。自分を認められない事も、辛い。努力が報われない事は、虚しい。

 それでも諦めないで歩き続けるその姿を、どうして「憐れ」だなんて思えるのだろう。

 寧ろ、何よりも眩しいと思う。だからこそ、その輝きを否定して欲しくは無かった。

 

「鬼の頸を斬る事が全てじゃない。しのぶさんの成した事で、沢山の人が助かったんです。

 毒を研究する事、薬を研究する事。そう言ったしのぶさんの力は、本当に大勢の人を救っている。

 俺が簡単に人を救えるだなんて、そんな事は無いです。だって、俺の力で助けられる範囲はとても狭い。俺は一人しか居ない、それを超えたら……助かる人も助けられません。

 でもしのぶさんが開発した薬は、その使い方さえ知っているなら誰だって扱える。そうやって助かった命は数え切れない程あるんです」

 

 その手を包む様に握って、しのぶさんが否定しようとしたそれを、その手に載せる。

 それを否定しないで欲しいと、そう訴える。

 しのぶさんが諦めなかったその証を、捨てないで欲しいと願う。

 自分と比べると、華奢と言っても良い様な手だ。だが、その手に刻まれた無数の努力の痕は、しのぶさんの不屈の心を何よりも雄弁に伝えてくれる。

 鬼の頸を斬れるかどうかなど関係は無い。この手は、誰よりも強い人の手なのだ。

 

「しのぶさん自身が、しのぶさんの歩いてきた道程を否定しないで欲しいです。

 悔しくても、無力に泣いても、傷付いても。それでも蹲らずに、自分に出来る事を探して実行し続けて来た。

 そんなしのぶさんの生き方を、俺は心から尊敬しています。

 だから──」

 

 ……今この瞬間。上弦の弐を取り逃した事を、ほんの僅かにではあったが、感謝した。

 この先、上弦の弐を取り逃してしまった事で出る犠牲は全て自分の責任になるけれど。

 それでも、今ここで、大切な人の心を救えるのならば。その罪を背負う覚悟は出来ている。

 

 

「上弦の弐の鬼の頸を、斬りましょう。

 今度こそ、しのぶさん自身の手で。

 その為に、俺は何だって力を貸します」

 

 

 復讐は何も生まないと、人はよくそう言う。

 確かにそうだ。復讐から生まれるものは無い。

 ただ、復讐する事によってしか救われないものがある、晴らせない憎悪もある。

 そして、しのぶさんの心を本当の意味で救うのに必要なのも、『復讐』であった。

 

 上弦の弐を、その手で殺す。しのぶさん自身の力で、その頸を落とす。

 それが必要なのだと、分かるのだ。

 しのぶさんは、物凄く愛情深い人なのだ、優しい人なのだ。

 だからこそ、己の愛する存在を奪った者に対して、自分自身すら顧みさせない程の激しい憎悪の炎を燃やす。

 苛烈なまでに激しいその心を痛みから救うには、『復讐』をしのぶさん本人が思っている形で遂げるしかない。

 ……しのぶさんが上弦の弐を倒す為に何を準備していたのかまでは知らないが、恐らく自分の命を引き換えにするかの様な策だったのではないかと思う。

 自身の命すら懸ける程の想いは、やはりそれを遂げさせなければどうする事も出来ないだろう。

 

「俺は、しのぶさんに生きていて欲しい。

 あんな鬼の為にしのぶさんが死ぬなんて、絶対に嫌だ。

 仇を討った後で、笑って幸せに生きていて欲しい。

 しのぶさんが死んでしまったら、皆悲しいんです。

 しのぶさんの事が大好きな人たちを、置いて逝ったらだめです。

 だから、俺が手伝います。しのぶさんの『復讐』に、最後まで力を貸します。

 死ぬ為の『復讐』には手を貸せないけど、生きる為の『復讐』になら、俺は出来る限りの事をしたい。

 ……俺は何でも出来る訳じゃ無いけれど、それでもきっと、しのぶさんが『復讐』を遂げる為の力にはなれます」

 

 死んでも良い、命を擲っても良い。そんな考えの『復讐』には断固反対するけれど。

 その先で笑って幸せになる為に必要な『復讐』であると言うのなら、どんな困難な事にも力を貸す覚悟はある。

 大切な人の笑顔と幸せの為なら、自分は何だって出来るのだ。

 

「……上弦の弐は、悠くんが倒したのでは?」

 

「いいえ、ほんの僅かな欠片程度ではありましたが、鬼舞辻無惨の介入によって取り逃してしまいました。

 恐らく、完全に消滅させられた訳では無いので、上弦の弐はまだ生きているでしょう。

 完全に復活するまでにどれ程の時間が掛かるのかまでは分かりませんが……」

 

『復讐』の相手がまだ存在すると言う事を知って、しのぶさんの目に僅かに光が戻る。

 しかし、それも次の瞬間には曇ってしまった。

 

「私には、鬼の頸を斬る事が出来ません。だから、私の手でなんて、そんな事は──」

 

「出来ます」

 

 その可能性をしのぶさんが否定する前に、自信を持って肯定する。

 出来るかどうかではなくやるしかないと言う話ではあるが。

 自分が持ち得る全ての力を使ってしのぶさんを補助すれば、それは不可能では無いと、そう確信していた。

 

「俺が、必ずしのぶさんにあの鬼の頸を斬らせてみせます。

 その為の方法は、ちゃんとあります。

 ……出来れば、俺以外にも誰か他に協力してくれる人が欲しい所ではありますけど。

 でも、必ずしのぶさんに鬼の頸を斬らせます」

 

 自分が切る事の出来る手札の中で、あの鬼との戦いで使えるだろうものを吟味して。

 不可能では無い、と結論付けた。

 無論、このままの状態で再戦してもあの鬼の頸は斬れない。

 しのぶさんにやって貰わなければならない事は多いし、何より手数を補う為にも仲間が必要だ。

 この方法は、味方が多ければ多い程効果が高いのだから。

 最低でも一人、出来れば二人以上。

 恐らく、カナヲは事情を説明すれば協力してくれるだろう。

 多少厳しいかもしれないが、それでも出来る筈である。

 問題は、あの鬼に何時出会うのか、と言う事だ。

 暫くは復活の為に時間を使うだろうけれど、その後どうなるのかは分からない。

 もしかしたら、自分達とは全く別の柱の誰かがあの鬼と戦って討ち取ってしまうかもしれないけれど、それは流石にどうしようもないのでその時はその時と言う事で諦めるしかない。

 ただ……何となくと言っても良い、勘の様なものだけれど。

 あの鬼とはまた何処かで戦う事になる様な……そんな変な因縁をちょっと感じたのだ。

 案外こういう時の勘は当たるのだと言う事を、経験的に知っている。

 

 

「だからしのぶさん。

 生きる為の、しのぶさんが幸せになる為の『復讐』を、俺と一緒にしましょう」

 

 

 大切な人の幸せを希うからこその『復讐』は、こうして始まった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
しのぶさんの『復讐』の共犯者になった。
後程、本来は捨て身で毒を喰らわせる予定だったと知って、阻止出来て本当に良かったと泣いてしまう。
『万世極楽教』で拾った名も知らぬ隊士の髪紐は、隠達に託して大切に弔って貰った。


【胡蝶しのぶ】
悠が『復讐』の共犯者になった。
本来自分が何をするつもりだったのかを話した所、カナヲと悠には泣き付かれ、アオイ達からも号泣される事になる。


【栗花落カナヲ】
悠の力には少しビビってたけど、悠が作ってくれたホットケーキを食べてどうでも良くなった。
しのぶ姉さんの『復讐』に手を貸す事を快諾。
しのぶ姉さんが死ぬ気だったと知って泣いてしまう。そうならなくて本当に良かった。


【蝶屋敷の皆】
しのぶさんが無事に帰って来てくれて本当に嬉しい。
カナエさんを喪った時とは違って、ちゃんと「お帰りなさい」が言える幸せを噛み締める。


【産屋敷輝哉】
悠が上弦の弐の鬼を撃破(正確には撃退)した快挙に、思わずはしゃいで吐血。
カナヲの報告書にも驚いたが、後程送られてきた悠からの報告書には更に驚く。
鳴女の存在を知って、その対策を始める事に。


【珠世】
十二鬼月の血を採ってくる様に依頼したら、突然上弦の弐なんて大物の血を採ってきた事に仰天。
更に、玄弥の血の研究も進めている。
これで一気に研究が進み、色々と鬼殺隊に有利に動く事になる。
今度また会って色々と話を聞きたいと思っている。




≪今回のアルカナ≫

『愚者』
鬼殺隊の一般隊士たちとの絆。完全に満たされた。
散って行った仲間達を心から悼む悠は、掛け替えの無い仲間。

『女教皇』
胡蝶しのぶとの絆。ほぼ完全に満たされている。
完全に満たす為には、童磨の頸を斬る必要がある。

『女帝』
珠世との絆。
上弦の弐の血を採ってきた事でかなり満たされた。

『法王』
悲鳴嶼行冥との絆。
しのぶを生還させた事で大きく満たされた。

『運命』
栗花落カナヲとの絆。
しのぶを生還させた事でほぼ満たされた。

『節制』
蝶屋敷の皆との絆。
しのぶを生還させた事で、完全に満たされ何があっても揺るぐ事の無い心の絆になった。
あの日言えなかった「お帰りなさい」を言える幸せを噛みしめる。

『悪魔』
愈史郎との絆。
珠世様の役に立ったのでまた少し絆が満たされた。

『審判』
産屋敷の人達との絆。童磨を退けた事で更に大きく満たされた。
上弦を討った上で何らかの条件を満たせば完全に満たされる。



【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
この世界には『ペルソナ能力』自体が存在しません。
心の海は存在しますが、力を得る事は出来ません。
一見物凄く不利に見えますが、ニャルラトホテプやフィレモンが試練と称して吹っ掛けてきたり、或いは人の心によって世界が滅びたりはしない……と考えると平和な世界なのかもしれません。


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『蒼の夢』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 揺蕩う様な心地から目を開けると、そこは何処までも蒼い空間だった。

 蝶屋敷で眠っていた筈なのに、何時の間にか柔らかな椅子に腰かけていて。

 ゆったり寛げるがそう広くは無い空間は、何処と無く洋風に感じる。

 集中するとこの空間自体が何処かに移動しているのが分かるので、これは何かの乗り物なのだろうか。

 移動の基本は徒歩であり、つい最近生まれて初めて列車に乗った自分には、この空間が一体何なのか分からない。

 

 そしてふと気が付くと、自分に向き合う様にして誰かが向かいの椅子に座っていた。

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 また会ったと言うべきなのか、それとも初めましてと言うべきなのかは分からないけれど。

 こうやって此処を訪れたのも何かの縁だ、歓迎しよう。

 ようこそ、ベルベットルームへ。

 さて……自分の名前は分かるか?」

 

 そう言われて、自分が誰だったかを意識する。

 普段なら意識なんてしなくても答えられる事なのだろうけれど。

 しかしどうしてかその答えはスッとは出て来ない。

 何処か酷く曖昧で掴み処の無いものであるかの様だった。

 自分、自分は……。

 

「竈門……炭治郎、です」

 

 そう答えた時、急に意識はハッキリと形を結ぶ。

 そして、目の前に居る人が、見覚えがある者である事にも気付いた。

 

「そうか、此処でそうやって名を答えられると言う事は、本当に強いんだな。炭治郎は。

 此処は本来の意味でのベルベットルームでは無くて俺の記憶を基に形作られた場所だし、そもそも俺はベルベットルームの主では無いけれど、まあ寛いでくれると嬉しい」

 

 何時もと殆ど変わらない様に見える彼は、しかし唯一その瞳の色だけが違う。

 何処か人間離れした金色の瞳は普段の彼と同じく至って穏やかなもので、しかし何処と無く「違う」気がする。

 

「あの。悠さん、ですよね?」

 

「……俺は『鳴上悠』ではあるけれど、炭治郎の知っている鳴上悠その物ではない。

『鳴上悠』の心の影、無意識と意識の狭間に在る側面。それが形を得たもの。心の力その物。

 それが今ここに居る俺だ。

『鳴上悠』ではあるからそう呼んで貰っても良いけれど、敢えて別の名にするなら『イザナギ』と呼んで貰うべきかもしれない」

 

 好きに呼んでくれ、と言われて。どうするか迷ったが、彼を『鳴上さん』と呼ぶ事で区別する事にした。

『鳴上さん』と呼ぶと、彼は嬉しそうに微笑んで頷く。

 そして、改めて『鳴上さん』に此処が何処であるのかを訊ねた。

 

「此処は、炭治郎にとっては夢の中だ。俺にとっては、『鳴上悠』の心に広がる『心の海』の一部だな。

 客人が来たからこそこうしてベルベットルームの形をとっているが、別にその形に定まっている訳じゃない。

 本来なら此処に誰かが来ると言う事は先ず無いけれど……今の『俺』の状態は夢現の境がかなり曖昧になっている状態だし、炭治郎とはあの夢を見せる鬼の影響でかなり深い場所で心の領域が接したから、恐らく此処に辿り着いたんだろう。

 鬼が見せた夢から炭治郎が目覚める直前に、一瞬だけここに迷い込んで来た時には少し驚いた」

 

 その時は本当に一瞬だったから覚えてはいないだろうけど、と。そう『鳴上さん』は静かに微笑む。

 よく思い返してみれば、ほんの一瞬鮮やかなまでの蒼を垣間見た気がするが……しかしそれ以上の事は思い出せなかった。

 

「こうして此処に来てくれたからには、炭治郎の未来を占うのがこのベルベットルームの『作法』と言うやつなのかもしれないが、生憎と俺は占卜の類には疎くて……。

 だからと言ってはなんだけれど、折角ここまで来てくれたんだ、話をしよう。

 此処は夢現の狭間。此処での出来事の大半は、目覚めた時には思い出す事は出来ない事だから、現実では中々言えなかった事や聞けなかった事も存分に言ってくれ」

 

 そう言われても、急には思い付かなくて。しかし、『鳴上さん』は急かす様な事も無く、話しだすまでをゆっくりと待っていてくれる。

 色々と考えて、『鳴上さん』が一体どんな戦いをしてきたのかを訊ねる事にした。

 

「どんな戦い……か。文字通り、心が生み出す怪物との戦い、と言うべきだな。

 人の心の苦しみが生み出した怪物とも戦ったし、神話の中に出て来る様な怪物とも戦ったし、それこそ神様みたいな存在とも戦った。

 人の無意識の願いに応える為に、世界そのものを滅ぼす結果になる様な事をしようとしていた神様を止めた。

 表の俺は忘れているけれど、時を操る死神と戦った事もあった」

 

 心の力に神々の力を降ろす様にして戦わなければ到底太刀打ち出来ない様な、そんな文字通りに理の外側に在る様な存在と戦い続けて来たのだと、そう『鳴上さん』は言う。

 正直、全く想像が付かない戦いだった。

 ただ、鬼との戦いともまた違う、命懸けの戦いである事は分かった。

 

 悠さんの力が「心の力」であると言うのならば、自分にもその力を得る事が出来るだろうか、と訊ねてみると。『鳴上さん』はゆっくりとその首を横に振った。

 

「いや、この世界には人々の無意識が集まり揺蕩う『心の海』自体はあるが、その力を具現化する理は無い。

 だから、炭治郎にその資質を示す程の強さがあるのだとしても……それを得る事は出来ないんだ」

 

『鳴上さん』の様な力があれば、鬼舞辻無惨と戦う為にももっと力になれるのに、と。

 少しばかり残念に思ったが、『鳴上さん』は寧ろそれは良い事なのだと言う。

 

「確かにこの力は強い、それで助かった事も誰かを守れた事も多い。

 だが……この力は決して良いだけのものじゃない。寧ろ、とても危険なものだ。

 この世界はそうでは無いけれど、俺が本来居るべき世界では心の世界が時に現実の世界に干渉してしまうんだ。

 だから人々の無意識の在り方次第では、世界そのものが滅びてしまいかねない様な事態が起こってしまうし、実際それで何度も世界は滅びの瀬戸際に立たされている。

 死に触れる人々の無意識が絶対なる原初の『死』を呼び起こしてしまった様に、或いは現実から目を背けようとする心が混迷の霧を生み出して現実と虚構の境を喪わせかけた様に、無秩序に拡大する噂が妄想と現実の境を壊し世界の滅びを決定付けようとしてしまった様に……。

 その度に心の力を具現化して戦う者達がその脅威と戦ってきたし、きっとこれから先もそうやって戦う誰かが現れるのだけれど。……ただ、この力は必要が無いなら持たない方が良い類の力だ。

 力があれば否応無しに、人々の無意識が与える『試練』に向き合う事になる。

 自分一人でその結果を背負えるならまだ良いが……。

 自分の選択一つで世界が滅びてしまうのは、決して幸せな事では無い。

 そして、素質があったが故に、人々の無意識の化身に翻弄されその人生を強制的に捧げさせられる事もある。

『試練』と称して、苛烈なまでの『現実』と『真実』を押し付けられ強制的に向き合わねばならない事もある。

 ……だが、この世界ではそうでは無い。

 悲劇は何処にでも在るし、幸せが壊れてしまう瞬間は何時だって隣り合わせに存在するし、鬼舞辻無惨の様な人々の悪意以上の醜悪な存在も居るが。

 それでも、人々の無意識によって人生を喰い荒らされる事は無い」

 

 ならそちらの方が良いのだ、と。そう『鳴上さん』は言う。

 人々の心次第で世界自体が滅びてしまう、と言うのは規模が大き過ぎる話であり、全く想像が付かない。

 千年以上もの間人々を踏み躙って来た鬼舞辻無惨が齎した被害ですら、世界を滅ぼすだのと言った様な事にはならないのだ。……そんな前代未聞の規模の事態が何度も発生する上に、しかも人々の心が原因であると言うのであれば、その根本の部分を解決する事は不可能に近いのではないだろうか。

 賽の河原で崩れかける石の塔を延々と補修する様なものだ。

 そんな終わりの無い戦いに、悠さんは巻き込まれていたのか。

 

「……そんな顔をしなくても大丈夫だ。

 確かに、良い事ばかりでは無かったし、辛い事も苦しい事も沢山あった旅路ではあったが。

 それでも、掛け替えの無い大切なものも手に入れる事が出来た戦いだった。

 あの戦いを誰もが経験するべきだとは全く思わないけど、でも俺に取っては大切な戦いだったんだ」

 

 そう言ってそっと目を閉じて微笑むその表情に、嘘は無い。

 だから、それ以上は何も言えなかった。

 その為、今度は別の事を訊ねる。

 

「あの、『鳴上さん』が本来居るべき世界、ってどう言う意味なんですか?」

 

 そう訊ねられた『鳴上さん』は、どう答えたものか……と言わんばかりの顔をして暫し考えた。

 

「……そう言えば、表の俺は言っていなかったんだったな。

 俺は、本来は炭治郎の生きる世界の住人では無い。

 もっと別の、そこに存在する理も違う世界から、夢を通して迷い込んで来た。

 今の俺は、ずっと邯鄲の夢を見ている様なものだ」

 

 異なる世界から来た、と言われて。信じられない事である筈なのに、どうしてか納得してしまう。

 ここが自分にとっても夢の中であるからなのだろうか。

 夢の中と言うものは、不思議な事が起こっても「ああそうなのか」で受け入れてしまう何かがある。

 

「悠さんが夢を見ていると言う事は、何時かは醒めてしまうって事ですか? 

 もし夢から醒めたら悠さんは……」

 

「炭治郎たちの世界からは消えるな。……死ぬ訳では無いが、炭治郎たちにとっては同じ様な事かもしれない。

 だけど、今日明日にも夢から醒める、なんて事は無いから安心してくれ。

 少なくとも炭治郎と交わした約束を果たすまでは……鬼舞辻無惨を倒すまでは夢を見続けるだろうから」

 

 そう言って、『鳴上さん』は優しく微笑む。だが、その微笑みに、違うのだと首を横に振った。

 悠さんが何時かは居なくなってしまうのだと言う事を知って。そうやって帰った先はきっと悠さんにとって大切な人たちが待つ場所なのだろうと言う事も分かった上で。それでもどうしてか「寂しい」と感じてしまった。

 行かないで欲しいと、そう引き留められる訳では無いのに。

 その時、意識はゆったりとまた別の何処かへと向かおうとし始めた。

『鳴上さん』とはまだ話さなくてはならない気がするのに、しかし眠りに落ちる寸前の様な億劫さには抗えない。

 

「此処は夢だ。だから起きた時にはここで話した事は忘れてしまっているだろう。

 だからまあ……出来ればあまり気にしないでくれ。

 また会う事があれば、もっと別の話をしよう」

 

「何時か、また」と、そんな『鳴上さん』の声を最後に。

 意識は完全に途絶えた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 揺蕩う様な心地を、以前何処かで感じていた気がすると思い出しながら目を開けると。

 そこは何処までも蒼い世界であった。

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間……。

 俺の心の海へようこそ、炭治郎。また会ったな、歓迎しよう」

 

 そうやって声を掛けて来たのは、『鳴上さん』だ。

 こうして彼を目の前にすると、思い出せなかった記憶が蘇って来る。

 この場所で『鳴上さん』と話す夢を見てから、もう一月以上が経っていた。

 目覚めている間はどうやらこの蒼い場所での記憶を思い出せない様で、こうして再びこの場所を訪れて初めて『鳴上さん』と話した事を思い出す。

 

「お久しぶりです、『鳴上さん』」

 

『鳴上さん』は前と同じく悠さんと同様の優しい目で歓迎してくれているが、どうしてかそこに僅かな「不安」にも似た感情が揺れている。どうしたのかと訊ねてみると。

 

「いや……俺なりに、此処で何か炭治郎たちの役に立てる事は無いのかと考えていてな。

 実は、ほんのついさっき俺は上弦の弐の鬼と戦ったのだけど……」

 

 予想外の『鳴上さん』の言葉に、思わず驚きの声でその言葉の続きを遮ってしまう。

 だって、上弦の弐だなんて。

 上弦の鬼と言われて思い出すのが、無限列車を止めた後に現れた上弦の参の鬼の事だ。

 煉獄さんがその身命を賭しても夜明けを前に撤退させる事が精一杯であった、恐るべき相手。

 それよりも更に強い鬼と、悠さんが戦ったのだと言う。

 驚かずには居られなかった。

 今は蝶屋敷から離れた場所で指令を受けているので、悠さんがどうなっているのかを直ぐ様確かめる事は出来ない。

 だからこそ、心配でならなかった。

 

「悠さんは無事なんですか!?」

 

「ああ、大丈夫だ。ちょっと限界まで頑張った所為で気を喪ったが五体満足でぴんぴんしているし、一緒に任務に当たった者達にも大きな負傷者は居ない。

 ただ……後一歩と言う所で、上弦の弐の鬼をほんの僅かな欠片であったが鬼舞辻無惨の介入の所為で取り逃がしてしまってな。それが、どうしても引っ掛かるんだ。

 今回は取り逃しただけで済んだと言えるが……。最悪の場合、上弦の鬼との戦いの際中に、鬼舞辻無惨は別の上弦の鬼を乱入させて来る可能性がある。

 上弦の弐の鬼と戦って分かったが、もし今の炭治郎が上弦の弐……ではなくても上弦程の鬼とまともに戦ったら。恐らく勝ち目は全く無い。それどころか、ほんの数秒命を繋ぐ事も難しいかもしれない。

 その場に柱が居た場合でも……上弦の鬼を二体三体と送り込まれれば、どうにも出来ないだろう。

 ……確か、炭治郎は鬼舞辻無惨に狙われているんだったよな?」

 

 厳しい事を淡々と言う『鳴上さん』の言葉が示唆する「可能性」の恐ろしさに呑まれつつも頷くと。

『鳴上さん』は、深い溜息を吐いて、「そうか……」と呟く。

 

「なら益々のこと、炭治郎はもっと強くなる必要があるな……。

 勝つ為だけでなく、生き残る為にも。

 ……。これをするのは、あまり気は進まなかったが。

 炭治郎、強くなりたいか? 強くなる為に、物凄く苦しい目に遭う覚悟はあるか?」

 

 一体何をするつもりなのかは分からないが。

 あまりにも真剣な眼差しでそう訊ねてくる『鳴上さん』に、気圧されそうになりながらもゆっくりと頷く。

 強くなりたい。強くならねばならないのだ。

 禰豆子を守る為にも、そして鬼舞辻無惨を倒す為にも。

 どんな事をしてでも、強くならねばならない。

 

「……何をするのかも聞かずに頷くのは、正直止めた方が良いと思うぞ。

 だが、その覚悟は確かに受け取った。

 じゃあ、この手を取ってくれ」

 

 そう言って『鳴上さん』が差し出したその手を、躊躇わずに掴む。

『鳴上さん』からは、騙そうだとか苦しめようだなんて匂いは欠片も感じなかった事もそれを後押しする。

 そして、『鳴上さん』の手を取った瞬間。

 辺りの光景が一変した。

 

 そこは何処か途轍も無く広い場所で、見上げた空は何処までも遠く深い蒼に染まっている。

 そして何時の間にか、自分の手には日輪刀が握られていた。

 一体此処は何処で、これから何をしようとしているのかと、そう思っていると。

 手を握っていた『鳴上さん』がその手を静かに離すと同時に、説明してくれる。

 

「此処もさっきの場所と同様に、『鳴上悠の心の海』の一部だ。

 鳴上悠の記憶から再現された場所で……此処なら幾らでも遠慮なく暴れ回れる。

 ……此処が炭治郎にとっては夢の中だと、そう言ったよな? 

 無限列車で戦った夢の鬼が見せていた夢と同じだ。此処は何処までも現実に近い『夢』だと思ってくれ。

 その身体能力も、そして感覚も。全て現実の炭治郎そのままの状態だ。

 現実の炭治郎が出来ない事は絶対に出来ないが、逆に言えば現実の炭治郎に出来得る事は全て実現させられる。

 そして、此処は『夢』の中だから、幾ら死んだとしても本当に死ぬ事は無い。更に、あの鬼の夢とは違って死んだからと言って目覚める訳では無い。現実の炭治郎が目を覚ますまでは、延々と戦い続けられる場所だ」

 

 まさに修羅の場所だな、と。『鳴上さん』はそう言って、少しばかり悲しそうな顔をする。

 自分に出来るのがこれしかないのが、悔しいと。そんな匂いを感じた。

 

「傷を負えば現実と同様に痛み、死ぬ時の苦しみも同様だ。だが、死ぬ事は出来ない。

 完全に死んだら一旦仕切り直しにはなるが、しかしその痛みと恐怖の記憶は無くならないだろう。

 ……今から俺は、炭治郎に一種の『稽古』を付けようと思う。……『試練』と言った方が良いかもしれないが。

 この『試練』を乗り越えたからと言って、現実の炭治郎の身体が鍛えられる訳では無いし、恐らく記憶に関しても殆ど覚えてはいられないだろう。

 だが、炭治郎の魂がそれを覚えている。魂に刻み込むまで、叩き込むからな。

 それを明確には思い出せないのだとしても、確かに在った事は『無かった事』にはならない。

 いざと言う瞬間に、己の身体の動かし方を識っていると言う事は、必ず炭治郎が生き延びる為の力になる」

 

 自分の身体の限界を無視して延々と修行が出来る環境。それはある意味では、理想的と言っても良い場所である。時間でさえ、『夢』の中であるが故に不確かで。たった一晩の夢でしか無いのだとしても、それが何日にも相当する様な時間に感じる事すら有り得る。

『鳴上さん』がやろうとしてくれている事の価値を理解して、思わず身が震えた。

 恐らく、『鳴上さん』が少し悲しそうにしている様に、何度も何度も『夢』で死ぬ事になるのだろうけれど。

 しかし、現実の世界で死んでしまう事に比べれば、ずっとマシだ。

 

「恐らく、この先炭治郎は何度も死ぬだろう。

 それも、単に斬り刻まれるとかよりも苦しい死に方をする事も多いと思う。

 それでも、何度も死んで、覚えるんだ。『化け物』との戦い方を、その身に刻んでくれ。

 本来なら俺が戦った上弦の弐の鬼を記憶から再現して戦うのが一番良いのだろうが、今の炭治郎では一瞬持つかどうかになるからな……。流石に、それは無駄死にの記憶を増やすだけになる。

 だからここに慣れる為にも、最初の内は簡単なものと戦ってくれ。

 取り敢えず、コイツを直ぐに倒せる位にはならないと、上弦の鬼と戦うなんて不可能だと思って欲しい」

 

 そう言って、『鳴上さん』が指を鳴らした直後に目の前に現れたのは。

 

 見上げる程に大きな、真っ赤な甲虫であった。

 小山を相手にしているかの様な大きさに、一瞬自分が蟻の様な大きさにまで縮んでしまったのかと錯覚する。

 そして、目の前の甲虫が、今まで戦ってきた鬼たちにも劣らない程の強敵である事も悟った。

 これが、簡単……? 

 

「鳴上悠の記憶から再現した『化け物』だ。

 本来なら、体力を消耗させ切らなければ倒せないが……今は首を落とせば死ぬ様にはしている。

 では頑張ってくれ。健闘を祈る」

 

『鳴上さん』がそう言った直後。

 角を振り被って叩き付けて来たその攻撃を避ける事が出来ずに、即死した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【『鳴上さん』こと「伊邪那岐大神」】
自分の領域にまで他人がやって来る事なんて基本的に無いので、炭治郎が訪ねてくれた事に喜んでいる。
本来なら楽しく話をする位が良かったのだけれど、この後上弦の鬼との戦いが激化するだろう事を見越して、炭治郎に「死に覚えゲー」並みの試練を課す事に。
あくまでも自分の心の海の中の世界での出来事なので、自分が今まで戦ってきた全てのシャドウやら鬼やらを再現出来る。
童磨も勿論再現出来るが、再現しても今の炭治郎では独力で勝つ事はおろか攻撃を回避して生き延びる事も難しいので、それと戦うのは暫く先の事になる。
「死に覚えゲー」の参加者は今後増えていくのかもしれない。


【竈門炭治郎】
もしこの世界にペルソナ能力が存在すれば、それを得ていただろう資質はあった。
この後何とか熱甲虫(PQ仕様)を倒せる様になったが、余りに死に過ぎた為現実世界でも(記憶は無くても)甲虫がちょっと苦手になった。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
もしこの世界にペルソナ能力がありニャルラトホテプやフィレモンが居れば……もっと色々と恐ろしい事になっていたでしょう。
悠の夢を伝って彼等の様な存在が炭治郎たちの世界に干渉する事も起きなかったのは、まさに幸いです。


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第四章【月蝕(つきはみ)の刃】
『千の言の葉より』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「玄弥はお兄さんに謝った後、どうしたいんだ?」

 

 

 悠にそう訊ねられたのは、何度目かの「治療」の後だった。

 今思い返せばその時の俺は、どうしても自分の欲する力を得られない事への苛立ちと焦燥感、そして兄ちゃんへの罪悪感で胸がいっぱいで、本当に荒んでいたし捩れている位に歪んでいた。色々と申し訳なく思う。

 自分の目に映るもの全てが、まるで敵であるかの様な。或いは自分を馬鹿にして哀れんでいるかの様な。

 そんな風にしか、世界を見れなくなっていたのだ。

 ちょっとでも思い通りにいかなければ苛立って、しかもそれを何の罪も無い他人に当たる。

 最終選別こそどうにか潜り抜ける事は出来たけれど。どんなに頑張っても呼吸が使えない事、兄ちゃんに『弟なんて居ない』と言われて拒絶された事。それらも自分を追い詰めていた。

 鬼を喰って力に変えられる事を発見してからは、多少はマシになった気もしたけれど、それは逆に自分を追い詰める結果になっていって。

 俺が鬼喰いをしている事を察して見かねて弟子にしてくれた悲鳴嶼さんや、小言やお説教こそ多いがそれでもちゃんと診てくれる胡蝶さんや、そして鬼喰いの影響を毎度毎度取り除いてくれる悠が居なければ、とっくの昔に一線を越えて鬼になってしまっているか、或いは何処かで無茶をし過ぎて野垂れ死にしていただろう。

 だけど、荒れていた時の俺は、そんな周りの人達の優しさを素直に受け取れなくて。

 今となっては恥ずかしくて堪らない程に、刺々しい態度しか取れなかった。

 鬼の気配を漂わせている俺を折角「治療」してくれた悠に対して、暴言をぶつけるどころか殴り掛かりかけた事すらあった。……まあ、殴り掛かったところで、悠にはあっさり避けられてしまって余計に苛々を募らせるだけの結果になったのだけれども。

 こう言っては何だけれども、正直呆れられて見捨てられたとしても何の不思議も無い程に、最悪な態度だったと思う。

 特に悠は、隊士でも無いし呼吸も使えないのに鬼を狩る事が出来るらしいし、しかもそれだけじゃなくて蝶屋敷では物凄く頼りにされている。柱である胡蝶さんや悲鳴嶼さんに強く当たるなんて出来ないけど、つい悠には他の人達よりも更に刺々しい態度を取ってしまっていた。

 よくもまあ、あんなに荒れていた俺に対して、ずっと辛抱強く優しく話しかけてくれたものだと。まるで他人事の様に思ってしまわないと今となっては直視出来ない程に、酷いものだった。

 何時だって癇癪を爆発させた様に苛立っていて、喧嘩腰でろくに話を聞いていない様な態度だったのに。それでも静かに語り掛け続けてくれた悠の言葉は、どうしてか俺の心の棘や苛立ちを少しずつ溶かしていって。

 気付けば、ポツポツとだが、自分が抱えているものを悠に打ち明ける様になっていた。

 悠はそれをただ静かに聞いてくれて。あれをしろだとか、これをしろだとか、柱になるのは諦めろ、隊士を続けるのは諦めろとは一言も言わなかった。そんな事を態度にすら出さなかった。

 それがどれだけ、俺にとっては有難い事であったか……。悠は知らないのかもしれないし、もし知っていてもそれを恩着せがましく振り翳したりはしないだろう。

 その頃になると、周りに当たり散らす事は随分と減っていて。以前よりは素直に他人の優しさを受け取れる様になっていた。

 悲鳴嶼さんの優しさも、胡蝶さんの優しさも、そして悠の優しさも。ちゃんと分かる様になった。

 まだどうしても素直にはなり切れずに、ちょっとぶっきらぼうになってしまう事はあったけれど。

 勝手に神経を逆撫でされた様な気になって癇癪を爆発させる様な事は無くなっていた。

 そんなある日尋ねられたのだ。

 俺は、兄ちゃんに謝った後で、どうしたいのか、と。

 

 正直、急にそんな事を言われても戸惑ってしまった。

 だって、兄ちゃんとまともに顔を合わせる為には俺はまだまだ階級は低いし弱いしで、「兄ちゃんにあの日の事を謝る」というそれすらも、果たして何時叶うのか……と思う程に遠い目標だ。

 それなのにその先の事を考える意味なんてあるのだろうか、とそう思ってしまう。

 俺は器用な方では無いから、あれやこれやと目標を立てていてはきっと何処にも行けないままだから。

 だから、とにかく柱を目指したかったのだ。そうすれば、絶対に兄ちゃんに会えるから。

 そう言うと、悠は「そうだな」と頷く。

 

「目標を一つに絞る事は、良い事だと俺も思う。

 玄弥の言う通り、『柱になる』と言うのは、玄弥の目的を果たす手段の一つではあるしな。

 ただ柱になってお兄さんに謝ったとして、その後でお兄さんがどんな反応をするのかは玄弥が決められる事では無い。

 もし、謝っても許して貰えなかったら? もし、頑なに拒絶されてしまったら? 

 そうなった時、玄弥はどうしたいんだ。

 謝る事だけが目的なら、許されるまで謝り続けるのか? 

 それとも、謝る以外にも何か願いがあるなら、その為にまた頑張るのか?」

 

「それは……」

 

 確かに悠の言う通り、謝って終わりと言う訳では無い。

 幾ら俺が謝ったからと言って、あの日の事を絶対に許さないと言われてしまえばそれは受け入れるしかないのだし、どんなに誠心誠意謝られたからって兄ちゃんに俺を許す様な義務なんて無い。

 なら、その時どうするのか。……俺はどうしたいのか。

 悠の言葉に改めて考えてみる。

 鬼殺隊を辞める? いや、恐らくそれは無いだろう。

 兄ちゃんに謝る為に入ったのがそもそもであるとは言え、鬼殺隊には本当に世話になった人達が大勢いる。

 優しい彼等は「恩返し」だなんてものを求めないだろうが、流石にして貰いっぱなしでは居心地が悪い。

 彼等に何かしらを返したいと言う思いは当然にあるし、何を返せるのかと考えればやはり鬼殺しかない。

 それに。それに俺は。俺が望んでいるのは、ただ謝る事だけじゃなくて……。

 

「……俺は、兄ちゃんには幸せになって欲しいんだ。兄ちゃんは、誰よりも優しい人だから。

 だから、幸せになって欲しいし、死なないで欲しい。

 俺は、兄ちゃんを守りたいんだ。……呼吸も使えないし才能も無い俺が、柱である兄ちゃんを守りたいなんて、変かもしれないけど。

 一緒に守るって、約束したんだ。……もう弟たちは居ないけど、だったら、弟たちに出来なかった分、俺は兄ちゃんを守りたい」

 

 自分で言っていて、そんな事本当に出来るのかと思ってしまう。

 風柱として誰よりも鬼を狩っている兄ちゃんと、呼吸も使えないし鬼を喰わなければろくに頸を斬る事も難しい俺と、その差は残酷な位に遠くて。「守る」だなんて口が裂けても言えない程に実力の差がある。

 同じ戦場に立った所で、俺はきっと足手纏いになるだけなんだろう。

 でも、もうこの世にたった二人残された兄弟なのだ。守りたい、その力になりたいと思ってしまう。

 自分に力が無い事は誰よりも分かっているのに。

 幸せにしたい、死なせたくない、だなんて。思っていたとしてもその為に俺が出来る事なんて殆ど無いのに。

 それでも思ってしまう、願ってしまう。

 あの日の自分の言葉を謝りたいのは当然だが、もっとしたい事はそれだった。

 だから、もし兄ちゃんがあの日の事を絶対に許してくれないのだとしても、きっと兄ちゃんと同じ場所に立つ事を諦められない。

 

「……そうか。玄弥は本当にお兄さん想いなんだな。俺は風柱さんの事は殆ど知らないけど、玄弥がここまで想う人なんだから、きっと物凄く良い人なのはよく分かるよ。

 大切な人の力になりたい、大切な人に幸せであって欲しいと思うのは、きっと誰もが同じだ。

 俺は、玄弥のその想いを応援する。だからその為にも、玄弥はもっと自分を大切にしてくれ。

 大事な人を守る為には、先ず自分の身もちゃんと顧みる事。それが大事なんだ。

 自分の命と引き換えにしてでも……って言うのは、とても純粋な思いであるけれど。

 でも、命は喪われたらそれっきりだ。もし生きていればもっと別の場所でもっと大切な時に大事な人の事を守れたかもしれない瞬間がやって来るかもしれない。その時に死んでいたら、それを後悔する事も出来ないからな。

 だから、命を懸けるのは本当に最後の最後まで取っておかなきゃ駄目だ。

 それに……たった二人だけの兄弟なんだったら尚の事、玄弥がお兄さんを置いて逝ってしまっては駄目だ」

 

 そうやって優しく頷いて、俺の無謀な戦い方をそっと諫めようとする悠の言葉に、強く反論は出来なかった。

 確かにその通りであると言う事もあるし、それ以上に悠が俺を本当に心配してくれているのが分かってしまうからだ。でも、素直に頷くのも少し難しくて。だから、思わず訊ねてしまう。

 

「兄ちゃんに、お前みたいな弟なんて居ないって言われても?」

 

「ああ、そうだ。だって、玄弥がかつてお兄さんに心無い言葉を衝動的に言ってしまった様に。

 その言葉を発した時と、その後で同じ気持ちでいるとは限らないだろう? 

 本当はお兄さんもそんな事を言ってしまった事を後悔していて、でも一度口にしてしまった言葉は取り消せなくて傷付いているのかもしれないし。或いはもっと別の事情があったのかもしれない。

 玄弥がお兄さんの言葉で傷付いたのは『事実』であっても、その言葉がお兄さんの『真実』であるとは限らないと俺は思う」

 

 人の心の「本当」を知る事はとても難しい事だから、と。そう悠は少し寂しそうに微笑む。

 言葉は大切だ。だけれども、言葉だけでは伝わらない想いも沢山あるのだ、と。

 受け取る相手の心理状態や、その言葉を発した時の状況や伝え方によって、受け取られ方は様々で。

 そこにある筈の『真実』は容易には伝わらない。

 悠は何処か達観した様にそう言った。

 

「じゃあ、どうしたら『真実』ってやつを見付けられるんだ?」

 

「諦めない事、知る事を恐れない事、自分の都合の良い様に解釈する事を止める事、かな。

 ……でもきっと、玄弥のお兄さんは……。……いや、これは玄弥自身が見付けるべき事だな」

 

 何かを言おうとして、だが結局それを言わずに口を噤んだ悠は、俺を励ます様に優しく微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 呼吸を使わずに戦う悠の戦い方から何か学べないかと、悠と一緒に任務に行く様になったが。

 学べる部分もあれば、正直真似出来ない部分もあった……と言う結論に達した。

 悠の不思議な力は当然真似する事は難しいし、剣士とは全く違う立ち回りに関しても下手に真似をしても命を落とすだけだろうと言う事が直ぐに分かった。

 とは言え、悠から学んだ事はかなりあったので、意義のある合同任務だと思う。

 

「そう言えば、どうして悠は日輪刀を使わねぇんだ?」

 

 数回共に任務をこなしてどうしても気になった事であったので、任務を達成した後の僅かな休憩の合間に軽い気持ちでふと聞いてみた。

 

 聞く所によると、悠は先日の潜入捜査でその潜入先に潜んでいた上弦の弐の鬼を、何と撃退したらしい。

 同じ任務を受けていたカナヲからの報告の第一報では『上弦の弐の撃破』となっていた為、鬼殺隊中がそれはもう大騒ぎになった。何せ、百年以上誰も勝てなかった上弦の鬼の、それも上弦の弐と言う途轍もなく強い鬼を撃破したともなれば、お祭り騒ぎに近いものになっても致し方無い事だ。

 しかも、その一月程前に上弦の参の鬼が出没した際には、炎柱が相手をしても夜明けまでの僅かな間を何とか粘る事が精一杯であったと言うのだから、その鬼よりも位階が上の上弦の弐を撃破すると言う事がどれ程の偉業であるのか分ろうと言うものである。

 しかも、その場に居た三人とも命に全く別状が無く隊士としての生命に関わる様な傷を負ってすらいないと言う、異常と言っても良い戦果であった。

 鎹鴉からのその一報に、その場に居た悲鳴嶼さんは何時も以上の涙を流しながらその健闘を讃え、後に聞いた所によると鬼殺隊を率いる「お館様」に至っては喜びの余り興奮して血を吐いたらしい。

 まあ、そんな大金星を挙げたのが、隊士では無いし蝶屋敷を利用しなければ知らない人も多い悠だったのだから、鬼殺隊の間では色々と噂が広がった。

 曰く、「鳴上悠なる人物は人では無くて、鬼なのでは」だとか、「上弦の弐を倒した鳴上悠は人間では無くて、無惨の横暴に耐えかねた神仏の御使いなのでは」だとか、まあ何とも眉唾物の噂も多かった。

 蝶屋敷で悠の事を知っていても鬼殺にも協力している事を知らなかった者も多かった為、彼等が言う悠の優しい為人が尾鰭を付けて出回った所為で、一部の隊士の間では悠は菩薩の化身の如き扱いになっていたりもする。

 カナヲの報告書が出されてから遅れて二日して悠と胡蝶さんが目覚めた事で、正確には撃破ではなくて撃退であり、僅かにではあったが上弦の弐の鬼の一部を逃してしまった為に恐らくまだ生きているだろう事が悠本人から報告されたのだが。しかしそうだとしても大金星である事には些かの変わりも無い。

 しかも、ただ撃退しただけでなく、悠は上弦の弐にその手の内を全て切らせ、更には鬼舞辻無惨の手の者が有する空間を超越する能力を実際に目にし、極め付けは鬼舞辻無惨が根城にしているのだろう異空間を認識した。

 鬼舞辻無惨に迫り得る情報の価値と言う意味でも、悠の戦果は凄まじいものである。

 もし悠が隊士であったなら、問答無用で柱相当の権限や地位が与えられていただろう。柱の席は全て埋まっているが、何なら特例中の特例で十人目になっていたかもしれない。まあ、結局悠は隊士では無いからその話は流れたが。

 正式な隊士ではないにしろ、何か報酬が要るのでは? と言った話も当然上がり、実際望めば屋敷の一つや二つ与えられても然るべきものであったが、そこは本人が固辞した様だ。

 蝶屋敷でやりたい事が沢山あるから、と。まあ悠らしいと言えばそうなのだろう。

 悠が蝶屋敷の人々を心から大切にしているのは、少しでも蝶屋敷に居る時の悠に接していれば直ぐに分かる程なのだから。

 

 そんなこんなで凄まじい事をやってのけた筈の悠なのだが、今も上弦の弐と戦う前と全く変わらずに任務に行くし蝶屋敷で隊士たちを治療している。

 強いて言えば、悠に与えられる任務の難易度が上がった事位だが、元々悠に与えられていた鬼殺の任務は大体が血鬼術に目覚めた鬼を討伐するものだったので、悠本人の感覚としてはあまり変わらないらしい。

 現に今回の任務の鬼も、あっさりと倒してしまった。

 ただ、悠は自分で止めを刺すのではなく、可能な限り俺に譲る様にして鬼の頸を斬らせようとしてくる。

 鬼を喰ってない時の俺の身体能力は、呼吸を使う剣士たちと比べると高いとは言えない。呼吸を抜きにすれば高い方ではあるけれど、幾ら力があっても「人間」の範囲内の力では鬼の頸は斬れない事の方が多い。特に、血鬼術に目覚めた鬼の頸の硬さは鋼にも等しいのだから。

 だが、どうやら悠には他人の力を底上げする力もあるらしく、それで俺の力を底上げして鬼の頸を斬れる。

 どうして態々そんな手間を掛けるのかと訊ねると、いざと言う時にこの力で誰をどの位強化出来るのか知りたいから、と悠は答える。何か事情があるのかもしれない。自分の手で鬼の頸を斬ればそれは俺の確実な戦果になるし、柱を目指している身としては正直有難い話ではあるのだけれども。

 

 しかし、悠は呼吸を使わなくても、鬼の頸を斬る事が出来る。

 使っている刀が日輪刀ではない為それで鬼を殺す事が出来ないだけで、そんじょそこらの呼吸を使う剣士でも斬る事が難しいだろう硬さの鬼の頸でもあっさり落とせるのだ。

 日輪刀を持って戦わない理由が、皆目分からない。

 確かに日輪刀は隊士である事の証であるものだけれど、正式な隊士でなくとも悠程の戦果を挙げているなら日輪刀を特別に持つ事を認められても何も不思議では無いのだ。

 剣術として見れば悠の戦い方はかなり荒々しいと言えるが、それで鬼の頸を斬れているのだから問題は無いだろうに。

 

 俺の質問に、悠は特に気を負う様な様子も無く静かに答える。

 

「前に一度、試しに日輪刀を使ってみた事はあるんだ。

 えっと、ほら、最終選別に持っていく、あの試し用の日輪刀を。

 蝶屋敷にも何本かあったから、それを一本貸して貰って」

 

 最終選別のと言われて、「あぁ、あれか……」と思い出す。

 正式な日輪刀を得るまでの、仮のものと言って良いそれ。猩々鉄を使い鬼を殺す力があるのは確かだが、その玉鋼の質はあまり高く無いが故に適性のある剣士が初めて握ったとしても色が変わる様な事は無く、斬れる鬼の頸の硬さにも限界がある刀。

 育手の下を発つ際に、誰もが一度は握るものだ。

 そんな試し用の日輪刀を、悠は一度使ってみた事があるらしい。

 

「もしかして、それで鬼の頸が斬れなかったのか? 

 でもあれはそんなに質が良いものじゃないから、あれで斬れない首があっても仕方無いんじゃねぇか?」

 

「いや、鬼の頸は斬れたんだ、問題無く。ただ……ちゃんとした日輪刀と違って色が変わる事は無いって言われていたのに、それを握っていると不思議な事に薄らとだけど赤色っぽくなったんだよな……。

 で、問題は鬼の頸を斬った後で。俺が使った日輪刀は、一瞬でボロボロになってしまったんだ。

 刃は刃毀れなんてものじゃない位ガタガタになったし、もう折れてない方がおかしい位になって、もう二度と使えない屑鉄みたいにしてしまった。

 俺はちゃんとした剣術を学んだ訳じゃ無いから、使い方が悪かったのかもしれないけど。

 まあそんな感じで、ほんの数回振るだけで駄目にしてしまうなら、寧ろ最初から持たない方が良いかなぁ……と思って、それ以降日輪刀は持ってないんだ。

 一応、お館様には日輪刀を打っても良いと打診されたんだけど、今の所は保留している」

 

 流石に、自分の為に打って貰った刀をそんなに直ぐに駄目にするのは気が引けるから、と。悠はそう言って肩を竦める。

 日輪刀がそんな風にボロボロになると言うのは初めて聞いたが……。では何故、悠が普段使っている刀は全く刃毀れも何もしないのだろう。特別頑丈な刀なのだろうか。

 何となく不思議に思ったが、悠が日輪刀を使わないと言う理由は分かった。

 

「ただ……この先の事を考えると、何処かで日輪刀を打って貰う必要はあるのかもしれないとは思っているんだ。

 俺はハッキリ言うと、弱点がかなり多いし、しかもそれが明白だからな……。

 それを補う為の力は、やっぱり必要なのかもしれない」

 

 少し難しそうな表情で、悠はそう呟く。

 弱点と言われても、正直全く予想が付かない。

 悠が戦いに於いて出来ない事の方が少ない気がするのだけれども

 

「悠の弱点? だって、上弦の弐の鬼だって倒せたんだろ? 

 何だかよく分からないけど、一瞬で消し飛ばしたらしいとは聞いたけど」

 

「確かに、上弦の弐の鬼だろうと何だろうと消し飛ばす事は可能だ。

 多分、鬼舞辻無惨であっても確実に消し飛ばす方法は存在する。

 ただ……どうしてもそれを使える状況と言うのは本当に限られていて。

 周りに誰かが居たり、市街地だったりすると、俺は絶対にそれを使えない。

 ほんの少し加減を間違えるだけで、街一つ、山一つ、鬼を含めて何もかも吹っ飛ばしてしまうかもしれないからな。

 更に、そう言った力を使う時はかなり隙が出来てしまうし、その隙があっても問題無い位に広範囲を吹っ飛ばすとなると被害が尋常じゃ無くなる。

 付け加えると、そう言う力は負担がとても大きくて、使った後はまともに追撃する事も暫くは難しい。

 万能、とは程遠い力なんだ。自分が狙った所だけを正確に消し飛ばせるなら良いんだけどな……。

 そう言った部分を鬼に分析されて、誰かを人質に取る様にして戦われると、途端に苦しくなる。

 負ける事は無くても勝つ事も出来ない、そんな泥沼になるのは明白だ。

 正直、上弦の弐をああ言った形で撃退出来たのは本当に運が良かったんだ。

 もしあれが街中での戦闘だったら、削り切る事も難しかったかもしれない」

 

 そう言って悠は溜息を吐く。

 何でも出来る様に見えて、その力が強過ぎるが故に出来ない事も多いのだろう。

 まあ、そんな被害の余波など無視して戦えばどうとでも出来る、と言ってしまっても良いのかもしれないけれど。悠は何があってもそんな被害を周囲に出す事を選ばないだろう。人質を取られる事に物凄く弱いと言うのもよく分かる。

 例えその「人質」が、鬼を殺す為なら命を捧げる覚悟が出来ている隊士であったとしても。その命を奪う事を分かっている力を悠は使わない。……正確には使えないのだろう。

 覚悟が足りない甘い考えと言ってしまう人も居るのかもしれないが。

 悠のそんな優しさを何よりも好ましく思うからこそ、そんな事を選択しないでも良い様にしてあげたかった。

 

「でも、そんな状況で戦わないといけなくなったとしても。その時に悠が日輪刀を持ってなかったとしても。

 そうしたらきっと他の誰かが頸を斬ってくれるんじゃないか? だって、悠は独りで戦う訳じゃねぇんだから」

 

 実際、悠が単独で任務に行くという事は無い事を考えると、その場には必ず、悠を助けて鬼の頸を斬って殺してくれる誰かが居るだろう。

 そんな、周り全てを巻き込まなくてはならない様な力を揮わずとも、鬼を殺す事はきっと出来る。

 悠は、俺にそうしてくれている様に、誰かを助けて力を合わせる事も得意なのだから。

 

 そう言うと、悠は驚いた様に少し目を丸くして。

 そして、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 

 

「そうだな。俺は、独りじゃない。皆がいるんだ」

 

 

 鎹鴉から近くの隊士からの救援要請が入っている事を告げられ、俺達は直ぐ様そこへ向かう。

 凄まじい速さで走って現場へ向かう悠のその表情は、何処か晴れやかなものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
色々と考えている内にちょっと抱え込みがちになってしまうのは能力の高さ故か。
現在、『鬼舞辻無惨を倒す』と言う最終目標の他に、『禰豆子を人に戻す』・『しのぶさんの「復讐」を完遂させる』・『不死川兄弟の仲をどうにかする』の三つの大きな目標が進行中。
一部の隊士の間で、「神様」扱いされつつある事は知らない。


【不死川玄弥】
悠にはかなりお世話になっている。
実弥の事も普段の人前では兄貴呼びだが、悠の前では「兄ちゃん」呼びに戻ってしまう。
悠の事は「人間」だと思っている。




≪今回のアルカナ≫

『塔』
不死川玄弥との絆。ほぼ満たされている。
実弥との仲が修復されれば完全に満たされそうだ。


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『戦いの兆し』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 上弦の弐の鬼と戦ってから、凡そ三週間が過ぎた。

 しのぶさんもすっかり元気になって、今まで通りに任務や蝶屋敷で治療に当たっている。

 しのぶさんの『復讐』に協力する事を決めた以上やるべき事や確かめなくてはならない事は多いが、しかしその『復讐の時』はまだ少し先の事になりそうだ。

 上弦の弐の仕業と思わしき被害が出た際には最優先で情報と依頼を回してくれる様にと、「お館様」にお願いはしたのだが、今の所それらしき報告は一切無いらしい。

 まだ回復し切れていないのか、それとも完全に影に隠れて人を襲っているのかは分からないが……。

 どうであるにせよ、情報が無いなら動きようが無かった。

 だが良い事もあった。しのぶさんの『復讐』に関しては、カナヲも協力してくれる事になったのだ。

 カナヲとしてもカナエさんの仇を討ちたいと言う気持ちはあるらしいし、しのぶさんを傷付けて殺しかけたあの鬼の事を赦せないし、何よりもそんなクソみたいな鬼の為にしのぶさんが命を捧げる覚悟だった事が心の底から赦せなかったらしい。

 その為、しのぶさんが死ななくていい『復讐』なら、寧ろ喜んで手を貸したいとの事だった。

 ……しのぶさんは、カナエさんを喪ってからずっと、少しずつ毒を飲み自分自身の身体全てを鬼にとっての猛毒状態にして、態と喰われる事によって鬼を毒で殺すつもりだったらしい。

 ……結果として、瀕死だったしのぶさんを助ける為に使った『メシアライザー』がその溜め込んだ毒諸共しのぶさんを健康な状態にまで戻してしまったから、今はその様な毒爆弾とでも言うべき捨て身の戦法は取れないらしいが……。

 正直、その復讐方法を打ち明けられた時、今目の前でしのぶさんが生きているのは分かっているのに、抱き縋る様にして泣いてしまった。カナヲもショックを隠せない顔でしのぶさんに抱き着いて泣いていたので同じ気持であったのだろう。

 しのぶさんの覚悟や努力を踏み躙ったに等しい行為であった事には本当に申し訳無さしか感じ無いが、それと同時にその様な復讐を阻止する事が出来て本当に良かったと、そう心から思ってしまった。

 心から生きていて欲しい人が、そんな風に目の前で死んでしまったら本当に耐えられなかっただろう。

 自分は、目の前で大切な誰かを喪う事には本当に弱いのだ。

 

 そうやって色々と準備を進めている中で、珠世さんから手紙が届いた。

 どうやら、珠世さんに送った上弦の弐の血はとても役に立っているらしい。更には、玄弥の血も、人を鬼にする過程の解析や鬼を人に戻す際の過程の解明に役立っているとの事だ。このまま上弦の血を集めて行けば、鬼を人に戻す為の薬の開発もかなり現実味を帯びて来るらしい。それは良い事だ。炭治郎たちの役に立てるし、もしかしたら今後無理矢理鬼にされて苦しむ誰かを救う事が出来る様になるのかもしれない。

 今度、また何処かで直接会って話がしたいと言うその言葉に快諾して、手紙を届けてくれた茶々丸に返信の手紙を託して見送る。

 愈史郎さんの血鬼術によるものだとは分かっているが、鳴いた瞬間に姿が消えて見えると言うのも中々に不思議な光景である。よく気配を探すと微かには感じるので、勘の良い人には見付かってしまうのかもしれないが。

 今の所、珠世さんの事情を知らぬそう言った人たちには近付かない様にしているらしい。賢い猫だ。

 

 そして、上弦の弐を撃退した事に関しての臨時の柱合会議が開かれる事になり、そこに自分も当事者として向かう必要が出て来た。

 カナヲもあの場に居たのだが、実際に上弦の弐と斬り結んだ者の話を詳しく聞きたいだとか。

 一応、ちゃんと仔細な報告書は提出済みなのだけれど、直接話を聞きたいらしい。

 前回の柱合会議からはまだ本来の開催間隔の半分程度の時間しか過ぎていないが、まあそれだけ上弦の弐を撃退したと言う事は鬼殺隊にとって重要な事であるのだろう。

 本来なら上弦の弐を撃退させて直ぐに緊急の招集を掛けるべきだったのかもしれないが、柱というのは基本的に多忙を極めており、広大な警備区域の巡回任務や強力な鬼の討伐任務が常に組まれている為においそれとは動かせなかったと言う事情もあって、そんな時期になった様だ。

 上弦の弐との戦いや鬼の手の内、また上弦の弐を取り逃した際に感じた空間を操る血鬼術についても分かるだけの事を報告して欲しいとの事だ。

 上弦の弐を討つのは自分たちの目的ではあるけれど、いつ何時他の人達が上弦の弐と会敵するとも分からない。

 正直、上弦の弐の血鬼術と『呼吸』を使う隊士たちとの相性は最悪の一言で、ほぼ初見殺しに近いものであるし、タネが割れた所でそれで勝ち切る事も難しい。

 出来得る限り、上弦の弐について詳しく報告する事は極めて重要な事だろう。

 煉獄さんが上弦の参と戦った時も今回と同様に、かなり詳細な報告をしてその情報を柱などの間で共有しているそうだ。自分も、何時か上弦の参と戦うかもしれないので、後で煉獄さんにその時の事を訊いてみるのも良いかも知れない。

 

 そうして、鬼殺隊の本部へと向かう為に、朝早くから隠の人達の背で揺られる事になったのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 鬼殺隊の本部である産屋敷家の屋敷の庭は、相変わらず物凄く綺麗に整えられていた。

 玉砂利の一つ一つにお金を掛けているのが分かってしまうが、そこに嫌味の様なものが全く無いのは流石と言うべきなのか。千年以上にも渡って鬼殺隊を指揮して鬼舞辻無惨の討伐の為に戦っているらしい産屋敷家は、所謂名家中の名家と言うやつなのだろう。あまり詳しくは知らないし、しのぶさん達に聞いた訳でも無いのだが。

 そんな庭で他の人達が来るのを手持ち無沙汰気味に辺りの景色を見ながら待っていると。

 

「久しいな、鳴上少年! 上弦の弐の鬼を君が撃退したと聞いた時は驚いたぞ。

 怪我なども無い様で何よりだ」

 

 一度聞けば忘れる事は無い様な、そんなハキハキとした元気な声が聞こえた。

 顔を上げたそこに居たのはやはり煉獄さんで。手紙のやり取りは何度かしているものの、こうして直接顔を合わせるのは一か月半以上振りであった。

 視力を喪った左眼を覆う様にシンプルな黒い眼帯を付けている事以外は、特に変わりは無い様であった。

 

「こうしてお会いするのはお久しぶりです、煉獄さん。

 千寿郎くんやお父さんはお元気ですか?」

 

「ああ、二人とも元気だとも。

 父は竈門少年のお陰か、最近は以前と比べて酒を断って再び鍛錬する様になってな。

 それもあって千寿郎も明るい顔をする事が増えたし、本当に君や竈門少年には感謝しているんだ。

 千寿郎が是非ともまた会ってお礼がしたいと言っているので、今度是非とも家に来てくれ」

 

 上弦の参との戦いの後で煉獄さんが目覚めて直ぐに蝶屋敷にお見舞いに駆け付けた千寿郎くんが、煉獄さんそっくりなその顔で、本当にもうビックリする位に号泣していたのを思い出す。

 たった一人の大事な兄上を助けてくれてありがとう、と。自分が出来る事なら何でもお礼をするから、と。

 そんな事を涙声で言いながら手を握って何度も何度も感謝するその姿は、忘れる事など出来そうに無い位に強く記憶に残っている。後に煉獄さんが手紙でポツポツと教えてくれたのだが、どうやら煉獄さんのお父さんは、奥さんを亡くした影響や酷く心を折る様な何かが在った結果、酒に溺れ次第に無気力になっていったらしい。

 千寿郎くんが物心付いた辺りからは既にそんな状態で。その為、煉獄さんと千寿郎くんは普通の兄弟以上にお互いを大切にして支え合って来たのだと言う。

 そんな中で、上弦の参との戦いで煉獄さんが死に掛けたと言う事があれば、それは取り乱す程に泣いても不思議では無い事なのだろう。煉獄さん自身上弦の参と戦っている時は自分の命を擲つ覚悟であったらしいが、一命を取り留めた後ではやはり遺してしまう事になり掛けた家族の事を想ったそうだ。

 兄弟でお互いに大切に想い合っている事がよく分かる。

 本当に、煉獄さんを助ける事が出来て良かった。

 

「ええ、是非。俺も千寿郎くんにまた会いたいです」

 

 そうやって暫く煉獄さんと話をしていると、他の人達も次々にやって来る。

 炭治郎の記憶の中で顔は見た事があった水柱の冨岡さん、一緒に任務に行った事はまだ無いけれど何度も会った事のある悲鳴嶼さんが大体同じタイミングでやって来て、それから少し後にしのぶさんが来る。

 その後にやって来た人たちは全く知らない人ばかりで、誰が誰なのかは分からない。

 恐らく桜色の可愛らしい髪色の女性が、恋柱を務める甘露寺さんなのだろうけれど。他は誰が誰なのかさっぱりだ。あ、よく見れば玄弥に顔立ちが似ている人が居る。彼が、玄弥のお兄さんである風柱の不死川実弥さんだろうか。

 

 しかし互いに挨拶する様な暇も無く、九人全員が揃った辺りで「お館様」がその場に現れた。

 その場に居る全員が揃って膝を突いて頭を下げる。

 悲鳴嶼さんが挨拶の口上を述べた。どうやら、この口上は誰が言うのかはこれと言って決まっていない様だ。

 

「よく来てくれたね、私の可愛い剣士(こども)たち。

 さて今日ここに集まって貰ったのは、知っての通り、上弦の弐の鬼を此処に居る悠が撃退する事に成功したからだ。

 悠、その時の事を、出来る限り詳細に教えて欲しい」

 

 良いかな? とそう訊ねて来た「お館様」に、勿論と頷く。

 そして、あの時の戦いで覚えている限りの事を、語った。

 

「俺がその場に辿り着いた時、胡蝶さんは左の肺を酷く傷付けられ気を喪い、栗花落さんがそれを庇っている状況でした。

 恐らく、後ほんの数瞬辿り着くのが遅ければ、二人とも上弦の弐の鬼に殺されていたでしょう。

 あの鬼は、それ程に危険な相手でした。

 鬼の武器は、己の血鬼術で氷から作り出した一対の扇です。扇の強度はかなり高く破壊を狙うのはあまり容易では無いと思われますし、破壊したとしても数秒もせずに再生されます。

 この扇を動かしながら、氷の血鬼術を使うのが上弦の弐の鬼の戦い方でした。

 また、この鬼の非常に厄介な点として、その周囲や攻撃には常に血鬼術による極めて細かい氷の粒が舞っています。これを吸い込むと、肺が凍り付き壊死してしまう様です。『呼吸』を前提に戦う剣士にとって、極めて危険な鬼だと、そう思います。

 その血鬼術は氷に関するものという関連はありますが、極めて多岐に渡りました。

 一瞬で蓮華状の氷の結晶を周囲に展開し斬り裂くと同時に凍り付かせる血鬼術。

 蓮華状の氷から鋭い氷の蔓を凄まじい速さで操る血鬼術。

 吸い込むだけで肺を殺す冷気と氷の粒を扇ぐ様に広範囲に撒き散らす血鬼術。

 二つの扇で斬り刻みながら同時にその軌道上に沿う様に鋭く婉曲した氷柱を作り出す血鬼術。

 女性の様な氷像を両側に展開し、広範囲を一気に冷気で凍結させる血鬼術。

 一瞬で上空に数十程の巨大な氷柱を作り出し、それを落とすと同時に細かく砕かれた氷で呼吸を阻害する血鬼術。

 蓮華状の氷を扇で一度に細かく砕き撒き散らして、広範囲を細かく斬り刻みながら凍り付かせる血鬼術。

 一瞬の内に氷で出来た巨大な菩薩像の様なものを作り出して、圧倒的な冷気と共にその質量を活かして叩き潰そうとしてくる血鬼術。

 そして……直前に阻止したので効果に関しては推測によるものになりますが。恐らく上弦の弐の鬼自身と同等の戦闘能力を持った分身様の氷像を作り出す血鬼術も持つ様です。俺が戦った時には七体程同時に展開させていたので、最低でも七体は一度に操作出来るのでしょう。

 そう言った様々な血鬼術に加えて、尋常では無い再生能力と、恐るべき膂力と速さを兼ね備えている鬼でした。

 具体的な戦闘の流れとしては、所持していたものは日輪刀ではありませんが十回以上は頸を落とし、手足に関しては数十回程は斬り落としました。ですがそれで隙を作れたのは精々数秒が限界でしたね。

 灰も残さない程の火力で一気に燃やそうとしたのですが、どうやらその血鬼術でギリギリの所で防がれてしまい骨だけは焼き残してしまいました。骨だけの状態からほんの数十秒で回復されています。が、その血鬼術に関しては炎が極めて有効であり、鬼が作り出した分身も菩薩像も全部溶かせる様です。火を放てる状況下で戦えるかは分かりませんが、上弦の弐と戦うのであれば可能なら火の気はあった方が良いかと。

 最終的に、鬼を氷で閉じ込めて足止めをしてから、一気に消し飛ばそうとしたのですが……。

 僅かな隙を突かれて、消し飛ばし損ねた頭部のほんの一部を鬼舞辻無惨に回収されてしまいました」

 

 ゆっくりとではあるが、その長い報告を最後まで話し終えるまで、誰も何も言わなかったし身動きもしなかった。

 報告書に記載した事とあまり変わらない事ではあるが、何か参考になったのなら良いのだけれども。

 上弦の弐との戦いに関して報告出来る事は以上だ、と。そう締めると。その瞬間、物凄く何かを言いたそうな複数の視線を感じた。

 だがそれは更に続きを促した「お館様」の言葉によって遮られる。

 

「悠は鬼舞辻無惨の手の内を見たんだったね。どう言うものであったか、報告してくれるかい?」

 

「上弦の弐の鬼を完全に消し去るその寸前に、琵琶か何かの弦楽器の音が響くと同時に、突然鬼の欠片が落ちて行く軌道上に、忽然と障子が現れました。そしてその障子が開いた先に在ったのは、全く違う景色でした。

 上下も左右滅茶苦茶になった歪んだ空間に無数に立ち並ぶ部屋の数々、とでも言うべき異質な空間です。

 そしてその奥に、不快の極みとしか言えない程の醜悪極まりない気配が蠢いていたのを感じました。恐らくあの気配は鬼舞辻無惨のものです。

 その琵琶の音と共に空間の繋がりを操る血鬼術が鬼舞辻無惨自身の力によるものなのか、それとも配下の鬼によるものなのかは分かりませんでしたが……。

 恐らく、鬼舞辻無惨にとっての『根城』とでも言うべき場所が、あの歪な空間です。

 そして、あの瞬間に上弦の弐の鬼を回収出来たと言う事は、鬼舞辻無惨は何時でも好きな時好きな場所に上弦の鬼を送り込めてしまうのだと思います。

 その為、今後上弦の鬼と戦っている際には、更なる上弦の鬼の乱入を警戒する必要があるかと」

 

 報告する内に、それが本当に由々しき状況である事を改めて認識してしまう。

 上弦の鬼の乱入も大問題だが、それと同じ位に、鬼舞辻無惨の巣食う異空間に乗り込む手段も或いはそこから鬼舞辻無惨を引き摺り出す方法が今の所分からないのが最大の問題だ。

 穴熊戦法を取られると、手も足も出せなくなってしまう。

 もしそうなった場合、何か鬼舞辻無惨にとっても無視出来ない様なもので釣って誘き出すしかないのだろうか。

 上弦の鬼を回収しようとしたその際に、全力で『明けの明星』などの広域破壊と大量破壊向けの力をその障子の向こうの空間に叩き込む……と言う方法も考え付くが。しかし恐ろしい程広大であるのだろうその異空間を、幾ら『明けの明星』でも一回で破壊し尽くせるのかは少し難しいのかもしれない。

『幾万の真言』であれば不可能では無いと思うが、「伊邪那岐大神」は確かに自分の中に居るし何だったら常に力を発揮していてくれているのは分かるのだが、何故か顕現させる事はおろか、その能力を十全に発揮する事は出来ないらしく『幾万の真言』を使う事は現状不可能である様だった。

 

 鬼舞辻無惨の根城の事を話し終えると、騒めきの様な声が柱の人達から零れる。

 ……確か、鬼舞辻無惨の痕跡は驚く程に少なく、直接鬼舞辻無惨を認識して今も生きているのは珠世さんの外には炭治郎だけなのであったか。その詳細が一切不明であった鬼舞辻無惨の根城を、一瞬垣間見ただけとは言え見る事が出来たのは本当に貴重な情報になったのだろう。

 

「ありがとう、そしてよくやってくれたね、悠。

 君が成した事は、ここ百年変わる事の無かった状況に大きな石を投じてくれた。

 この『波紋』はやがては鬼舞辻無惨そのものにも迫る事になるだろう。

 君は、『兆し』の一つであるのかもしれないね」

 

 そう言って、「お館様」は微笑んだ。

 ……以前に会った時よりも、更にその身体は弱っている様に感じる。

 それでもその苦しみを噯にも出さないその姿は、鬼舞辻無惨を倒すと言う強い執念に溢れていた。

 本来はこの世界に存在しない筈の自分が一体どんな『兆し』になるのかと思うが、しかし在り得べからざる者であってもここに確かに存在している以上、やれる限りの事をやるだけだ。

 大事に思うものが、何時の間にか沢山増えてしまっているのだから。

 そんな皆の為に、出来る事をしたい。ただそれだけである。

 

「俺が『兆し』であるのかは分かりませんが、鬼舞辻無惨を倒す為にも、出来る限りの事をするまでです」

 

 報告するべき事は全て報告したと思うので、柱では無い自分はそろそろ此処を去った方が良いのだろうか。

 しかし、付近に隠の人達の姿は見えない。

 どうしたら良いのだろう。

 

 

「……上弦の弐を撃退した事は確かな様だが、一体どうやってそんな派手な事をやってのけたんだ?」

 

 正直こう言った畏まった場での振舞い方と言うものが分からなくて、どうすれば失礼にならずにこの場を去れるのだろうかと考えていると。その考えを遮るかの様に上弦の弐の鬼の話をしている時に物凄く何か言いたそうだった、かなり大柄な男性がそう訊ねてくる。

 発言しても良いのだろうか? と「お館様」の方を見ると、彼は微笑みながらそっと頷く。

 

「えっと、俺には血鬼術みたいな……と言うよりは、『神降ろし』の真似事と言った方が良いのかもしれない力があって、それを使って、です」

 

 まだ心理学などの概念が定着していないこの時代ではペルソナ能力を正しく説明するのは物凄く難しくて。

 しかしこのまま「血鬼術みたいな力」で押し通す事もそろそろ限界かと思い、新たな表現として『神降ろし』と言うものを思い付いた。まあ、正しくはそれそのものでは無いが、実際人が想う『神』の力をペルソナが持っている事は事実であるし、「神」その物すら時に凌駕し得るものでもある。

 この世界に於いては確実に理の外側にあるのだろうその力を、より正しく表現出来る方法は思い付かなかった。

 ……この世界に『神様』が本当に居るのかどうかは正直分からない。

 

「『神』? 本当にそんなものがこの世に存在するのか? 

 それが本当に存在するとして、どうしてお前にその力が使えるんだ?」

 

「俺がやっているのはあくまでも『神降ろしモドキ』なので、本当にこの世に神様が居るのかどうかは正直分からないです……。何故出来るのかと言われても、出来るのでとしか言い様が無くて……」

 

 ペルソナの力をどうして使えるのかと言われれば、イザナミの後押しがあったと言うのも大きいが、単に素養の問題としか言えなかった。

 正直自分自身でも、普通に平凡に生きていた筈なのにワイルドの素質などが存在した事に未だに驚いている。

 

「実際に今ここでその力を使ってみせる事は出来るのか? お前の発言には信用するに足るものが無い。

『神』なんてそんな都合の良いものは存在しないし、それが力を貸す事など有り得ないだろう」

 

 首元に白蛇を巻き付かせているやや小柄な男性がそう言う。

 何処と無くネチネチとしたものを感じるが、まあ彼の発言も御尤もだ。

 突然「神」がどうこう言い出したら、自分だってその人の正気をちょっと疑うだろうから。

 とは言え、今ここで何か力を使えと言われても、かなり困る。

 こんな場所で何かを壊したりするのは物凄く気が引けるし、流石に駄目だろう。

 誰かをわざと攻撃するなんて、最初から考えたくも無い。

 

 柱の人達の視線が自分に集中するのを感じる。

 強いて言えばしのぶさんと煉獄さんは既にどんな力なのか知っているからか、あまり好奇心を剥き出しにした感じでは無いが。一体どうするのかに関しては興味がある様だ。

 誰か怪我をしている人がこの場に居れば、それを目の前で治す事でその証明にならないだろうか? 

 と、そう思って周りを見渡すと。微笑んでいる「お館様」と視線が合った気がした。

 

「あの、すみません。『お館様』が良ければ、になるのですが。

『お館様』に力を使ってみても、良いですか……? 

 勿論、何か害になる様なものじゃなくて、蝶屋敷で隊士の人達を治している時に使うものと同じ力を」

 

 最初に此処で「お館様」と会った時に比べれば随分と力は戻ってきているけれど、それでも本調子とは言い難くて。恐らく、「お館様」のその身体の全てを治しきるには至らないだろうけれど。

 今なら、多少はマシな状態に出来るのではと思うのだ。

 

「お館様」はその申し出に少し考える様な顔をして、「いいよ、悠の好きにやりなさい」と許可を出してくれる。

 得体の知れない力を「お館様」に向けると言う事で、以前からの面識の無い柱の人達の何人かは殺意に近い感情を向けてきたが、それは他ならぬ「お館様」が諫めてくれた。

 

「みんな、心配しなくても大丈夫だよ。

 悠は、その力で既に上弦の参と戦った杏寿郎の命を救い、そして上弦の弐と戦ったしのぶの命も救っている。

 彼がみんなの危惧する様な事はしないと、私が保証しよう」

 

 縁側に上がる失礼を一言詫びて、そして「お館様」の前に座る。

 その横に控える小さな女の子たちに、「大丈夫だよ」と安心して貰える様に微笑んでから、一言断ってから「お館様」の手を取った。

 その身を長く病魔に侵されているからかその手の力はかなり弱々しくて、だがその奥に秘めた強い執念がその身を動かしているのだと肌で感じさせる。

 

 一度大きく息をして、そして限界まで集中した。

 深く、深く。心の海の底からその力のありったけを注ぎ込む様に。

 どうかその身を蝕む痛みが少しでも癒される様に、と。

 

 

「──メシアライザー……!」

 

 

 自分のありったけを注ぎ込もうと気を張り過ぎていた為なのか、煉獄さんやしのぶさんを助けた時以上の大きな力が引き摺り出される。

 そしてそれと同時に、今日はまだ何の力も使っていなかった筈なのに、意識は朦朧となり真っ白に塗り潰されてゆく。

 そして、上弦の弐と戦った時以来の事だが、完全に意識が何処かへ途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「おい、もう柱合会議は終わったぞ」

 

 身体を軽く揺すられて、目が覚めた。

 身を起こして周囲を見渡すと、柱の人達が全員覗き込んでいて、一体何事かと驚いてしまう。

 どうやら上質な和室の一室に寝かされている様であるが……。

 しかし、何故? 

 確か、……力を証明する為に、「お館様」に『メシアライザー』を使って……。しかしその後の記憶は無い。

 成る程、一切の加減なく力を使った為、どうやら気を喪っていた様だ。

 暫く寝ていたからなのか、今はすっかり元気になっている。

 しかし、「お館様」は一体どうなったのだろう……。

 

「あの、『お館様』のお身体はどの様に……?」

 

 多分、全部を癒す事は出来ていない。手を握った時に、「無理」だとはっきりと分かってしまった。

 でも少しはマシになっていると思いたいのだけれども……。

 

「お館様は、随分と楽になったと仰っていらっしゃいましたよ。

 近頃は殆ど歩く事が出来なくなっていたそうですが、今はちゃんと自分の足で歩ける、と」

 

 そう言ってしのぶさんは「頑張りましたね」と、頭を撫でてくる。ちょっと気恥ずかしい。

 どの程度良くなったのかはあまり実感は湧かないが、少なくとも多少はマシに出来た様だ。

 それが分かれば十分だった。

 

「それは良かったです。少しでも『お館様』に恩をお返し出来たなら……」

 

 

 どんな医者にも匙を投げられてしまっていた「お館様」を、完治こそ出来ずとも確かに癒してみせた事によって、どうやら面識が無かった柱の人達も信じてくれる気になったらしい。

 とは言えそうなると逆に、その力で一体何が出来るのかと言う質問のオンパレードになってしまってそれはそれで大変な事になった。

 特に、「派手」が口癖であるらしい音柱の宇髄天元さんと、あまり周囲の事に関心がある様には見えなかったが鬼殺に関しては物凄く興味があるらしい霞柱の時任無一郎くん、そしてやっぱり玄弥ととても顔が似ている風柱の不死川実弥さんはかなり興味があるらしくて、色々と質問攻めに遭う事になった。

 白蛇を連れている蛇柱の伊黒尾芭内さんはと言うと観察に徹する事にしたらしくじっとこっちを見ているだけだし、恋柱の甘露寺蜜璃さんは何だか可愛らしい感じにくるくると表情を変えている。

 炭治郎の恩人であり兄弟子に当たるという水柱の冨岡義勇さんは、「無」の様な目で何処かを見ていた。

 悲鳴嶼さんは「お館様」の体調が僅かにでも良くなった事が嬉しいのか、「南無阿弥陀仏……」と唱えながらも嬉しそうな涙を流して。煉獄さんは何時もの様子で、しのぶさんは少し心配そうな顔をしていた。

 

 一度手合わせをしてみたいだなんて声も上がったので、それには断固として首を横に振った。

 力試しみたいなものなのだとは分かっているが、人にこんな力を向けてはいけない。

 ペルソナの力を使って全力で戦って良いのは、マーガレットさんみたいな人相手の時だけだと思う。

 この力は、人を傷付ける為のものでは無い。少なくとも自分にとってはそうだ。

 そもそも、よっぽどの事が無いと、「戦い」に意識が切り替わらなくてペルソナの力をまともに使えないと思う。

 

 今の自分に出来る事を大体説明し終わって、柱の人達の質問攻めを答えられる限りどうにか捌き切った頃には、そろそろ日が沈みそうになっていた。

 鬼殺の時間が迫っている事で、その場は一旦解散となる。

 また何処かで柱の人に呼び出されるのかもしれないけれど……まあその時はその時だ。

 

 自分も蝶屋敷に帰るなり、何処かに任務に向かうなりしようと、その場を離れようとしたその時。

 突然後ろから肩を掴まれた

 敵意は無いその行動に反応が一瞬遅れてしまい、それに驚いて見上げると。

 肩を掴んでいたのは音柱の宇髄さんだった。

 

 

「よお、ちょっと付き合って貰いたい任務があるんだが、大丈夫か?」

 

 

 何やら真剣な表情のそれを断る理由など特には無くて。勿論だ、と頷いた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
内容を聞かずに頷くのは良くない。
流石に体格が誤魔化せないので、スケ番長の出番は無い。
人に刃物を向けるとか絶対無理だし攻撃目的でペルソナを使うのも基本的に無理。そんな普通に善人の感覚の持ち主。


【宇髄天元】
既に嫁三人との連絡が取れなくなってかなり焦っている。
上弦の弐を撃退した悠なら、遊郭に潜んでいるのが上弦の鬼だとしても戦力になると見込む。
ただし、遊郭の様な場所は悠にとって一番苦手な戦場である事は知らない。


【胡蝶しのぶ】
改めて悠の口から上弦の弐の戦いを聞くと、本当に出鱈目な力だな……と遠い目になる。
復讐する日を待ちながら、ただ今猛特訓中、


【悲鳴嶼行冥】
玄弥から話は度々聞いているし、しのぶから話を聞く事も多いので悠の事は大体把握していた。
お館様が少しでも良くなったので嬉しい。


【煉獄杏寿郎】
絶対に揺るがない信頼を悠に向けている。
もし煉獄家にやって来たら、全力で歓迎する所存。


【伊黒尾芭内】
『神様』には物凄く懐疑的。でも力が本物なのは理解した。


【甘露寺蜜璃】
凄く真面目で優しい子なのね、と胸をキュンキュンさせる。
何時も良い人。


【冨岡義勇】
炭治郎と仲が良いのは知っている。
錆兎なら、もっと彼と仲良くなれたのかもしれない……。


【不死川実弥】
玄弥と悠の仲が良い事は知らない。
悠はパッと見は普通の人にしか見えないのに、戦果がバグってて困惑。


【時任無一郎】
鬼殺の役に立つなら興味がある、まだ何も思い出せていない状態。
何度か接している内に、悠の態度がよく知っている誰かに重なるかもしれない。
取り敢えず手合わせしたいのだけど、悠に断固として拒否された。


【栗花落カナヲ】
報告書の第一報を書いたのだが、ちゃんと書いたのに内容が荒唐無稽過ぎる物になった。
悠と一緒に、『しのぶさんの為にも上弦の弐絶対殺す』同盟を立ち上げる。


【産屋敷輝哉】
悠の力によって、自力で出歩けるまでに回復。もうはしゃいでも吐血しない。
悠が気を失っている間に、柱たちには『悠と仲良くして力を貸して貰う様に(意訳)』と伝えている。


【珠世】
今度悠に会った時に、かつての縁壱と無惨の戦いの話をしたいと思っている。


【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠が現れた影響で、様々な出来事の起きる時期がやや前倒し気味になっています。
本来ならば遊郭編が始まるのは無限列車編の大体四ヶ月後ですが、ここでは無限列車編から二ヶ月程度で遊郭編が始まってます。
既に天元さんのお嫁さんは連絡が取れなくなっている状態です。


≪今回のアルカナ≫
『皇帝』
冨岡義勇との絆。まだ生まれたばかり。

『恋愛』
甘露寺蜜璃との絆。まだ生まれたばかり。

『刑死者』
不死川実弥との絆。まだ生まれたばかり。

『死神』
伊黒小芭内との絆。まだ生まれたばかり。

『星』
宇髄天元との絆。まだ生まれたばかり。

『月』
時透無一郎との絆。まだ生まれたばかり。


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『花の街に潜むもの』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 音柱の宇髄さんから協力を要請された任務の内容は、鬼が潜む可能性がある吉原遊郭への潜入捜査だった。

 前から遊郭に目を付けて捜査していたそうなのだが、客として出入りしているだけでは元忍として優秀な情報収集能力のある宇髄さんですら全く手掛りが掴めず、その為潜入捜査員として怪しいと目星を付けていた場所に信頼出来る人を送り込んでいたのだが、三人いた潜入捜査員の全員と連絡が取れなくなった様だ。

 驚く事にどうやらこの潜入捜査員は三人とも宇髄さんのお嫁さんであり、元は優秀なくノ一であったそうなのでそんじょそこらの女性とは違い荒事にも慣れている筈なのに、突然連絡が取れなくなってしまったらしい。

 ……大正時代の日本って、重婚とか認められてたっけ? とか、まあ当人同士が了承しているなら良いのかな……? などと、宇髄さんの説明を受けている最中に何処で突っ込むべきなのかと思いはしたが。

 宇髄さんが三人のお嫁さんを全員等しく何よりも大事にしているのは、痛い程によく伝わって来た。

 自分にとっての菜々子以上に大切なのかもしれない。命の優先順位が明らかに宇髄さん自身より上だ。

 それ程までに大切にしている相手を、その技量を信じているからとは言えども鬼が潜んでいる事は分かっている場所に送り込むのは、尋常では無い何かの事情があるのだろうか? それに関しては自分には分からないが。

 遊郭で様々な人が消えているのは間違いが無いらしいが、肝心の鬼の痕跡は全くと言って良い程に掴めていなくて。その巧妙な隠蔽具合から察するに、かなりの知性がある強い鬼である事には間違いが無く、そして上弦の鬼である可能性が高いと言うのが宇髄さんの見立てである。

 上弦の鬼が潜む可能性のある場所で大事な人が消息を絶っただなんて、気が気では無いだろう。

 お嫁さんたちは危険を承知で潜入してくれたそうだが、だからと言って実際に命の危機に晒されている可能性が高いとなると気が気では無いと思う。

 情報収集のプロが手を尽くしても足取りを掴めていない現状で情報収集に関して自分が出来る事は果たしてあるのだろうかとも思うが、宇髄さんとしては「生きてさえいれば」どんな状態からでも回復させる事が出来る力を見込んでの頼みであるらしい。一応、何かしらの形で遊郭に潜入する事にはなるそうだが、主な役割としては見付けたそのお嫁さんたちの身の安全を確保する事であり、情報収集は無理の無い範囲でやってくれとの事だった。

 鬼との戦闘になる可能性もあるが、上弦の弐を相手にしても勝てるのならば、それよりも強い上弦の壱が相手でも無い限りは単独行動中に出くわしても直ぐ様に死にはしないだろう、と言う打算もある様だ。信頼して頂けている様で何よりである。

 お嫁さんたちを初めとする消息を絶った人たちが生きているのかどうかと言う点に関しては、恐らく直ぐ様に喰い殺している訳では無いだろうと言うのが宇髄さんの考えだった。多少願望が混じった希望的観測に近いものはあるのかもしれないが、鬼の襲撃によって姿を消しただろう人数とその時期を鑑みるに、何らかの手段を以て何処かに「保存」している可能性の方が高いそうだ。その辺りに関しては、長年鬼殺に励んで来た者の経験を前提とする「勘」の様なものなのだろう。

 何にせよ、鬼に襲われても生きている人が何処かで助けを待っているならば、それが宇髄さんのお嫁さんであろうとなかろうと助けに行かねばならないし、『万世極楽教』で信者を貪っていたあの上弦の弐の様に遊郭と言う陰の深い場所に身を潜め、そこで懸命に生きる人々を摘まむ様に喰う鬼はその存在を赦してはならない。

 自分のやる事と言うのは、何時もと何も変わらないのだ。

 

 遊郭までの道中にある「藤の花の家」に一旦身を寄せた後、必要な人員を調達してくるから此処で待っておけと、自分を一人「藤の花の家」に残して宇髄さんは何処かに向かってしまった。流石は元忍と言うべきか、速い。

 必要な人員とは一体何なのかと言うよりも、お嫁さんたちの危機に焦っているので何か強引な方法を取らなければ良いのだけれど……と心配になる。

 とは言え、宇髄さんが一体何処に行ったのかは分からないので追い掛ける事も難しく、仕方が無いので「藤の花の家」で大人しく宇髄さんを待つ事にした。お世話になりっぱなしと言うのは気が引けるので「藤の花の家」で、自分が出来る範囲でお手伝いしながら待っていると。

 翌日、宇髄さんは何故か炭治郎たち三人を連れて「藤の花の家」に帰って来た。

 

 

「炭治郎!? 一体どうしたんだ」

 

「悠さん! 実はそれが……」

 

 まさか、宇髄さんが言っていた必要な人員とは炭治郎たちなのだろうか? 

 まあ確かに、炭治郎たちは極めて優れた感覚の持ち主なので、正直な所調査すると言う点に関しては自分の何百倍も戦力にはなるのだけれども。

 驚いて何があったのかを訊ねると、炭治郎たちが恐ろしい事情を教えてくれる。

 

「…………蝶屋敷のみんなを、無理矢理攫って任務に連れて行こうとした……?」

 

 しかもそもそも隊員ではない筈のなほちゃんを攫い、更には隊士ではあるが最終選別でトラウマを負った事で任務には行けなくなっているアオイまで上官として無理矢理攫おうとしたと言う。

 偶々しのぶさんが不在中の出来事であり、その場に居合わせたカナヲでは柱である宇髄さんを止め切る事も出来なかった。

 そんな窮地に現れたのが炭治郎たちであり、そう言った経緯でアオイたちの身代わりとして三人は任務に加わる事になったそうだ。炭治郎たちには感謝してもし切れない。

 炭治郎から経緯を聞いて、流石に宇髄さんに向ける視線が自分でも意図していない程までに冷たいものになる。

 上弦の鬼が潜む可能性がある危険な場所に隊士でも無い女の子や隊士としては経験が皆無の者を連れて行こうだなんて何を考えているんだと言うのは当然として、何よりも蝶屋敷の皆をそんな恐ろしい目に遭わせかけたと言う点で、腹の底が強い怒りで冷え切った様にすら感じる。

 お嫁さんたちの安否が心配で仕方なく一刻も早く動きたいのは分かるのだが、だからこそ慎重に動くべきなのでは無いだろうか。

 女性の隊士が必要だと言うのであれば柱の権限で任務として召集すれば良いだけの事なのだし、どう見ても女の子には見えない炭治郎たち三人で妥協出来るのであればそもそも蝶屋敷の皆を攫う必要なんて無い。

 自分が見ている目の前でそれをやられていたら、例え相手が柱だろうとその事情が何だろうと、問答無用で殴り飛ばしていただろう。運が良いのか悪いのか。

 

「いや、まあ……。時間が無くて焦っていたとは言え、流石に悪い事をしたとは思っている。

 だが、遊郭の内側に潜り込む為には、『女』が必要だったからな。

 直ぐに連れて来られる『女』が確実に居る、ってので蝶屋敷が一番近かったんだ」

 

 宇髄さんは頬を搔きながらそう言った。

 ……。まあ、未遂に終わった事なのだし、そこに何時までも拘泥する様な時間が無いのは確かである。

 取り敢えず今は、任務の方を優先させなければならない。

 ……しかし、『女』が必要だという事情は分かったが。

 

「今ここには女性なんて一人も居ませんが?」

 

 そう、炭治郎が言う通り。今ここに集っているのは全員が全員『男』である。

 何処からどう見ても、ここに女性は居ない。

 それでどうやって遊郭の内部に潜入するのだろう。

 まあ、「若い衆」など、遊郭で働く男性は居るには居るが。此処に居る全員をそこに潜入させるのは些か難しいのでは無いだろうか。

 

「まあ、こっちも考えがある。ただし言っておくが、自分でやるって決めたんだ。お前らに拒否権は一切無い」

 

 何となく嫌な予感がする……。そしてその嫌な予感を裏付ける様に、「藤の花の家」の人達が持ってきたのは、女性ものの着物で。そして化粧道具も一式揃っている。

 そう、つまりはあれだ。「女装」しろ、と言う事の様だ。

 潜入中は自分で化粧するしか無いのだから各々思う様に化粧して女を装えと、宇髄さんは炭治郎たちを別室に放り込む。

 一応、自分は「女装」を免除されている様だ。

 

「……あの、俺は良いんですか?」

 

 いや、お前もやれと言われても正直困るのだが。しかし、炭治郎たちが覚悟を決めているのに自分だけそれを免れると言うのも少しばかり居心地が悪いのである。

 

「あー……。素材って面で言えば美女に化けても問題は無いが、流石にその体格は誤魔化しが効かないからな。

 下手に色物として放り込む位なら、最初から若い衆に放り込む方が話が早いだろ」

 

 成る程、確かにこの時代の男性の平均身長よりも遥かに高い180センチ近い身長だと、幾ら何でも女性と言い張るのは難しいだろう。色んな意味で思い出深いミスコン(?)の記憶に引っ張られたが、本気で潜入するなら無理がある体格であった。身長はどう頑張っても縮められない。

 炭治郎たちは炭治郎たちで女性と言い張るには身長があるし、何より鍛えているので物凄くガッチリした体格なのだが、そこは服とかで誤魔化すそうだ。

 

 しかし、当然の事ながら化粧をした様な経験など無いだろう炭治郎たちは大丈夫なのだろうか……? 

 ちょっと心配になったので隣の部屋で化粧している真っ最中であるのだろう三人の様子を見に行くと。

 ……まあ、酷い有様になっていた。

 何と言うのか、酷い。本当に酷い。ミスコン(?)で女装した完二の方がちょっとはマシだった気がする位酷い。

 三人とも、それなりな化粧をすれば、女の子をそれなりに装えるだけの容姿はあると思うのだが。

 何でそうなってしまったのかとちょっとその過程を観察したくなる位に、酷い有様になっていた。

 女の子とか以前の問題だと思う。一応、遊郭に潜入するのであれば、もう少しどうにかしないと不味いのでは無いだろうか……。

 もうちょっとどうにか出来ないだろうかと、用意されている化粧品や道具の類を確認した。

 確か、現代に通じる化粧品の類が国産のものとして生まれたのは大正時代の中頃から末期の事。それまではそう言った洋式のものは海外からの輸入品のみであり物凄く高価だったらしいとは聞いた事がある。

 その為用意された物の中には下地用のクリームやらリップスティックなどと言った物は無い。

 用意された白粉の中には昔ながらの恐らくは鉛白を使っている白色の他に、現代のものにも近い肌色のもの(この大正時代では「肉色」と呼ぶらしい)もある。

 遊郭に潜入する事を考えるならそこで主流であるのだろう白物の白粉の方が良いのかもしれないが、確か大正時代ではまだ白粉から鉛白が完全に排除されていない事を考えると白色を使うのはちょっと憚られる。

 長期の潜入は想定されていないし、そもそも客を取る事は一切想定されていないので、花魁などと言った人たちの化粧を熱心に真似る必要も無いだろう。

 改めて炭治郎たちを観察すると、とにかく白粉を濃く塗りたくり過ぎである、酷い。

 頬紅や口紅も付け過ぎている為ちょっともうそう言う妖怪か何かかと思う様な有様であるし、眉を大きく作り過ぎである。他にも色々と酷い。

 別に化粧に詳しい訳では無いが、ミスコンの時にりせや雪子に触りだけでも教えて貰ったし、直斗からは探偵的な変装の仕方の一環として教わった事はある。まあ……あまり手を加えずに素材の持ち味を活かすと言う方向性でなら、何とか出来なくは無いだろう。

 

「炭治郎、ちょっと良いか?」

 

 何の疑問も無く近付いてくる炭治郎の顔を直視するのが本当に辛い。

 その化粧では流石に色々無理があるから……と、一旦化粧を落とさせた。

 さっきと比べれば、やはり化粧しない方がマシだと思う。とは言え何もしないのは流石に無理があるので、本当に薄く、男らしい部分を的確に誤魔化せる様な化粧を乗せるやり方を教える。

 額にある大きな傷は無理に白粉で隠そうとするのでは無く前髪を降ろしてそれで誤魔化せる程度の薄い化粧に留め、どう考えてもやり過ぎだった頬紅もちょっと血色がよく見える程度のそれに抑える。

 口紅も、唇の輪郭自体がおかしく見える様な量では無く、ほんの少し点す程度で。

 目元の辺りを少し整えて、前髪を降ろしたついでに何時ものそれとは少し変えてみた髪型に、申し訳程度にリボンを付ける。

 やり方を炭治郎に教えながら化粧を終えると、着物で体格を誤魔化せばちゃんと女の子に見える程度にはどうにか収められる様になっていた。

 付け髪の類があればもっと色々出来たかもしれないが、まあ最初の化粧に比べれば随分とマシである。

 少なくとも、炭治郎本来の良さが壊滅する様な状態では無い。

 次いで、伊之助の方へと取り掛かった。とは言え、伊之助の場合下手に化粧で手を加える方が崩れてしまうし、そもそも伊之助自身が化粧の類をあまり分かっていないので、白粉を叩くだのと言った事を教えるよりは、ほぼ素の状態で口紅だけ僅かに付けておく方が無難であった。手が掛からないと言えば、間違いなくそうである。

 化粧を落とした方が確実に良くなっているのを見て、思わず苦笑いしてしまった。

 そして最後に善逸の化粧に取り掛かる。が、これが中々に難航する事になる。誤魔化す事は出来るのだが、どうにも中々しっくり来る様にはならないのだ。取り敢えず塗り過ぎの白粉と付け過ぎの頬紅と口紅を止めさせたら格段にマシにはなったが。色々と試行錯誤して、どうにか善逸に良い感じの顔立ちの化粧が出来た辺りで宇髄さんが部屋に入って来た。

 

「どんな風に仕上がるのかと思っていたら、まあ随分とマシな感じになっているじゃねぇか。

 まあ下働きとして送り込むつもりだったから見た目は正直どうでも良かったんだけどな。

 じゃあ準備も出来た事だし、行くか」

 

 あの酷い有様を見ても宇髄さんはそう言えるのだろうか……? と、少しそうは思ったけれど。

 時間が無い事は確かなので、何も言わずにそのまま五人で遊郭へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「ときと屋」には炭治郎が、「荻本屋」には伊之助が、「京極屋」には善逸が其々引き取られて行って、どうにか三人とも無事に目標となる店に潜入する事に成功した。

 善逸は最後まで自分が売れ残った事をどうやら気にしている様だったから、少し励ましておいた。結果としてタダ同然で「京極屋」に置いて行かれた際には、物凄い目で宇髄さんを見ていたが……まあ、うん。

 その後、宇髄さんから若い衆の一人として「京極屋」に紹介された事で自分も無事に潜入する事が出来た。

 三人のお嫁さんの中で一番最初に宇髄さんと連絡が付かなくなったのは「ときと屋」に居た須磨さんらしいのだが、宇髄さんは雛鶴さんとの連絡が取れなくなった「京極屋」の方により何かがあると睨んでいるのだろうか。

 そこは分からないが、自分に出来るのは先ずは雛鶴さんの行方を追う事である。

 とにかく出来るだけ情報を集めなくては。

 ただ、問題は中々宇髄さんや炭治郎たちと連絡を取るのが難しいという事である。

 同じ場所に居る善逸とは比較的話し易いが、それでも人目があるのであまり長々とは話せない。

 夜も人目が多い事もあって、鎹鴉たちは街の周囲を探ってくれてはいるものの、あまり大っぴらに姿を見せて伝達事項を伝える事は難しく。連絡は専ら昼の間にこっそりとやるか、或いは宇髄さんが使っている忍獣と言う特別な訓練を受けた鼠(その名も「ムキムキねずみ」)を使って行う。ちなみに鼠たちは刀も預かっていてくれている。お礼に今度何かおやつをあげよう。

 宇髄さんのお嫁さんたちとの連絡が付かなくなり始めて、もうそろそろ一週間。

 一週間も飲まず食わずだと命が危ないだろう。どういう状態なのかは分からないが、急いだ方が良いのは確実だ。

 

 遊郭に潜入した翌日の昼。「京極屋」に務める若い衆や禿たちと打ち解けて話を聞き出すに、どうやらこの店に今居る花魁で最も権勢があるのは『蕨姫』と言う花魁であるそうだ。性格はかなりキツイ……と言うか性悪に近く、禿などに手を出す事も多く怪我をさせられた者達は数多い。それでもそんな態度が赦されてしまう程、『蕨姫』のその容姿は美しく、そしてこの「京極屋」を盛り立てている花魁なのだそうだ。……しかしその周囲には、余りにも「死」が満ちている。

 気に入らない者を苛烈なまでの暴挙で虐め殺す事も多く、それ以外にも彼女に関係した者には不審な「死」が多発する。最近ではこの「京極屋」の女将さんも不審な転落死を遂げた。……噂では、『蕨姫』のその行いに頭を悩ませていた為そろそろ何かしらの注意を促そうとしていると言われていた矢先の事であったそうだ。

 更に『蕨姫』は美に強い拘りがあるらしく、「醜い」と断じた者の価値は一切認めないし、逆に「美しい」・「綺麗」と判断したものには強く執着する。

 ……宇髄さんの事前の調査によると、不審な経緯で姿を消した者の多くは、若く美しい女性であったそうだ。男も居るには居たが、それも美男と言うべき者ばかりが消えているらしい。

 そして彼女が普段過ごしているのは、日が当たる事の無い北側の部屋だ。

 話を聞くだけでも『蕨姫』はかなり怪しいと言えるが……しかし、彼女は基本的に「京極屋」から出ない。

 何処かに出掛けたとしても常にその傍には人の目がある。だが、鬼の仕業と思われる状況で人が消えるのは「京極屋」に限った話では無くこの吉原全域に及ぶ話だ。

 夜の街は鬼にとって大手を振って歩ける格好の環境ではあるが、その反面狩りの現場を見られやすいと言う側面もある。それでも、誰にもその明確な痕跡を掴ませずにいる事自体が危険な鬼である事を示す。

 恐らくは、何らかの方法で遠く離れた場所を襲う手段を持っているのだろう。

 上弦の弐を回収した時のあの不可思議な空間の様に何か空間を操る血鬼術であるのかもしれないし、或いは予めマーキングしておいた者を操る事が出来るのかもしれない。若しくは、何らかの通路の様なものがこの吉原中に張り巡らされていて、そこを介して人を襲っているのか……。

 ただ、『蕨姫』は姿を消した宇髄さんのお嫁さんの一人である「ときと屋」に潜入していた須磨さんとは全く直接的には関りが無かったらしいので、マーキングした相手を操るのはちょっと違うかもしれない。

 空間を操る場合にしても、全く知らぬ相手を遠隔で引き摺り込める事など、果たして何でもありな血鬼術だとしても可能なのだろうか? まあ、警戒しておくに越した事は無いが……。

 だが、もし異空間を持っているタイプの鬼である場合、消息を絶った人たちはその異空間に閉じ込められている可能性があるのでは無いだろうか。……そうなると被害者の救出の為には先ずその異空間に乗り込まなければならないが……。

 まあ、今はまだ情報が足りないので決断するには時期尚早である。少しでも多くの情報を集めなければ。

 そして、「京極屋」に潜入していた雛鶴さんに関して有力な情報を入手する事が出来た。

 どうやら彼女は病に倒れ、「切見世」と言う……言い方は悪いが見捨てられた者達が送られる場所へと放逐されたらしい。それを偶々見ていた禿の子が教えてくれた。その子は具体的にどの辺りに送られたのかまでは知らなかったが、そこに居るのであれば話は早い。居なかったとしても、何か手掛かりは残されているかもしれない。

 その為、天井裏に潜んでくれていた鼠たちに「切見世」の方に向かう事を宇髄さんに伝える為のメモを託し、夜の仕事に向けて休息を取る人たちの邪魔にはならぬ様に気を付けながら、その「切見世」があると言う一画に向かう事にする。

 更には偶々近くを通りかかったついでの雑談と言う体で、善逸へと自分が知り得た情報を手短にだが説明した。

 雛鶴さんの行方の手掛かりを得たので今から探しに行く事、『蕨姫』と言う花魁は鬼である可能性が高い為極力関わらない様にするか関わってしまった場合には身体捌きなどで鬼殺隊だと悟られぬ様に注意して欲しい事、鬼は何らかの方法で離れた場所を襲撃する手段を持っているので身の回りに異変が無いか警戒しておいて欲しい事を、万が一『蕨姫』が何処かで聞いていてもバレない様に指文字や暗喩などを駆使して伝える。

 自分が危険な鬼のその手の上に居る事を理解したのか、善逸のその表情はかなり怯えたものになったが、ここで下手に動く方が危険である事は分かっているのか了解したと頷く。

 具体的にどう動くのかは宇髄さんの指示に従った方が良いのでそれを待つ事にはなるが、鬼の活動が制限されるこの昼間の内に善逸は炭治郎や伊之助とも情報を共有してくれるだろう。

 

 とにかく、気を抜く訳にはいかないし、下手に相手を刺激する事も以ての外だ。

 何せ、ここはあの『万世極楽教』以上に様々な人が犇めき合っている場所なのだ。こんな所で下手に戦闘になれば、その被害の大きさは想像するだけで気分が悪くなる。

 鬼殺隊側は人を犠牲にする訳にはいかない立ち回りを要求されるのに鬼が人の事を慮る事など無く、寧ろその人の盾を嬉々として活用して甚振って来るだろう。

 自分も、どうにか郊外に叩き出すなりして人々から鬼を引き離す事が出来れば話は別だが、こんな街中では使っても良い力は酷く制限される。そして、上弦の鬼を確実に殺す為の力の悉くが、こんな場所で使う訳にはいかない力である。物凄く抑えて使ったとしても、文字通りこの吉原を更地にする前提になってしまうだろう。そんな事は当然やってはいけない。例え幸運な事に吉原中の人々を何処かに避難させる事に成功したとしても、街を更地にしてしまえば此処で生きている人々の明日からの生活が成り立たなくなってしまう。

 花街と言う存在に対しては色々と複雑なものを個人的に感じはするけれど、だからってそこを消し飛ばして良い訳では無いのだ。

 万象を破壊し消し飛ばす様な力だけでは無く、木造建築物が所狭しと犇めき合うこんな場所で火を発生させる力を使う事も難しいし、同じ理由で雷を落とすのも不味いだろう。大火災になってしまうと最悪鬼による被害を超える被害が出てしまう。

 自力での決定打に欠ける、と言うかなり不味い状況である。

 当然宇髄さんや炭治郎たちが共に戦ってくれるので、彼等をサポートすれば良いと言う話ではあるのだが、それも簡単な話でも無い。

 鬼の猛攻から如何に罪無き人々を守り通すかと言う問題も当然発生するからだ。

 予め避難誘導などをする事も、鬼を刺激する事に繋がるので難しいのも問題である。

 最悪の場合、多数の一般人の中でそんな事を意に介さず暴れ回る鬼と対峙する必要すら出て来るだろう。

 そんな事になれば、使える力は益々限られてしまう。

 また、『化け物』が暴れ回っているとなればパニックになった一般人が何をするか分かったものではないし、パニックになって滅茶苦茶な事をされるよりはマシであろうが、突然の非日常の襲撃に固まって動けなくなってしまう人も出てくるだろう事を考えると本当に不味い。

 

 考えれば考える程、本当に不味い状況である事を改めて確認する。

 だがそれでもやるしか無いのだ。鬼が改心してこの場を去る様な事など有り得ない以上、此処で戦わないと言う選択肢は存在しないのだから。

 

 とにかく今は雛鶴さんの安否の確認が重要である。

 どうか無事である様にと祈りながら、「切見世」へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
悠子ちゃんになるのは何とか免れたので安心半分、勇敢に女装した炭治郎たちへの申し訳無さ半分。
人と話して情報収集すると言う事に関して物凄い有能。パーフェクトコミュニケーションを決め続ける他に、他人を警戒させない雰囲気がある事が大きな理由。
大概の人間を相手に、ほぼ初対面の状態からでもかなり情報を引き出せる位にまで一気に親しくなれる。
とは言え感覚が際立って優れている訳では無いので、遊郭中を蠢く堕姫の帯の気配を察知するのは余程近くに居ないと難しい。
天元さんが蝶屋敷の子達を誘拐しかけた事はかなりトラウマスイッチを連打したので、実は悠側からのコミュブロークンの危機寸前であった。万が一炭治郎たちの制止が間に合わずにアオイたちを連れて来てしまっていたら本当に大変な事になっていた可能性があった。


【竈門炭治郎】
ちゃんとまともな化粧方法を指導された事で、炭子ちゃんの化け物度は大幅に下がった。よく見ればゴツイのは変わらないが、黙って遠目に見ていれば可愛い位。
蝶屋敷の子達を守った事で悠からの好感度が更に爆上がりしている事はまだ気付いていない。
悠が上弦の弐を撃退してその血を手に入れてくれた事は珠世さん伝で知って、約束を有言実行してくれている事に本当に感謝している。炭治郎からの好感度が爆上がりしている事を悠は知らない。
理由は不明だが、何時に間にか敵の攻撃を事前に察知出来る様になっている。(原作では縁壱零式との戦闘訓練の果てに習得するやつ)
最近、甲虫の他に、デフォルメされた熊も苦手になってきた。


【我妻善逸】
まともな化粧法を教わったので善子ちゃんもかなりマシになった。ただ、堕姫判定では「不細工」なのは変わらない。
同じ潜入先に上弦の弐を撃退出来る悠が居てくれたので、実はかなり安心している。
最近、甲虫がちょっと苦手。


【嘴平伊之助】
素材が良いので化粧は最小限で良かった。猪子が一番綺麗。
弱っちいので親分として守ってやらねばと思っていた悠が、上弦の弐を撃退したと聞き驚いている。今度勝負したい。
最近、甲虫を見ると何故だか「戦わねば」と言う気持ちになる。


【宇髄天元】
蝶屋敷の子達を連れて来ようとしたのが悠の地雷を踏みかけた事には気付く。
もしそのまま連れて来ていたら、悠からテンタラフーかデビルスマイルを喰らっていた可能性がある事は当然知らない。
潜入捜査に送り込んだ翌日には嫁の内一人の行方の手掛かりが判明して、半端無ねぇな……と思っている。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
もし悠子ちゃんになっていれば、顔立ちは物凄く美人なのに異様に背が高いし確りした体格と言う、ある意味でニッチな性癖を掴める「女性」として、伊之助と一緒に「荻本屋」に引き取られ、綺麗だからと言う理由で堕姫のターゲットになっています。



≪今回のアルカナ≫

『星』
宇髄天元との絆。
嫁の一人の行方の手掛かりを得た事で少し満たされた。


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『猛毒の花』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「切見世」の周囲は良い環境とは言い難い場所だった。表通りからは遠く離れ、衛生的にもかなり厳しい環境だ。

 こんな場所に送られれば、「さっさと野垂れ死ね」と言われているも同然と思える。……まさに、見捨てられた場所とでも言うのが正しいのだろう。

 絢爛豪華な遊郭が立ち並ぶ表通りとは違い、粗末な掘っ立て小屋の様な建物が身を寄せ合う様にして無数に立ち並ぶそこは、間違いなく遊郭と言う場所の影の部分である。

 此処の何処かに雛鶴さんが居るのだろうか。話を聞いて情報を集めたくても、此処に居る人たちの多くはその目に光が無く死を待つばかりの者か、或いは一晩だけでも自分を買ってくれと縋って来る者達ばかりである。

 彼女等がその日の暮らしにも困窮している事が明白であるが、彼女等を一人一人助ける様な時間的猶予も金銭的な余力も何も無くて。心苦しくはあるが、縋って来るその手を振り解く事しか自分には出来なかった。

 自分は「神様」では無い。苦しむ人全てを救う事など出来ない。

 自分にとって何を優先するべきなのか、判断を間違えている余裕も無いのだ。

「切見世」の周囲を歩き回っていると、ふと何か奇妙な気配がある事に気付いた。

 微かに背筋がぞわぞわする様なそれを集中して追い掛けると、一件の粗末な小屋へと辿り着く。

 念の為戸を軽く叩くと、苦しそうな女性の声がそれに応えた。

 この人が雛鶴さんであるのかどうかは分からないが、この小屋に何か奇妙なものが居る事は確かである。

 目立たぬ様に十握剣は鼠たちに預けたまま此処に来てしまっているので、万が一この場所に鬼が潜んでいるのなら、破魔の力が効かない場合は中に居る人を抱えて逃げるしか成す術は無いだろう。

 とにかく慎重に行動しなくては、と。何時でもペルソナの力を使える様に準備をしながら小屋の戸を開ける。

 そこには、日光がろくに届かぬ暗い部屋の中で具合が悪そうな女性が粗末な布団で寝ていて、その枕元には場違いな程に豪華な帯布が置かれている。そして、異様な気配はその帯から感じるのだ。

 これが鬼の本体であるとは流石に思わないが、分身なり血鬼術で作り出された何某かである可能性は高い。

 帯布を警戒しながら、寝込んでいる女性に近付く。

 

「あの、貴女が雛鶴さんですか……?」

 

 そう女性に問い掛けた瞬間。帯が凄まじい速さで襲い掛かって来た。

 それを避けながら、寝込んでいる女性を抱き抱えてうねる帯から距離を取る。避けたその背後で畳がまるで刃物に斬り裂かれたかの様に切断されたのが見えた。どうやら、この帯は斬れ味も鋭い様だ。

 帯はまるで生きているかの様にグネグネとうねり、そして眼と口の様なものが浮き出てくる。

 ハッキリ言って物凄く気持ち悪い。列車と融合した鬼と言い、鬼の美的感覚はどうなっているのだ……。

 帯の強さ的には、上弦の弐には当然の事ながら遠く及ばず、何なら列車と融合していた鬼よりも弱い位だろう。

 しかし、狭い小屋の中と言う状況や、腕の中に病人を抱えていると言う状況が予断を許さない。

 

『雛鶴を監視する為に分けていたけど、こんなに早く獲物が掛かるなんてね。

 柱には到底見えないけど、まあ良い。鬼狩りが入り込んでいる事が分かっただけで十分よ。

 何なら、お前も見目は美しいから生かして捕らえて喰ってやっても良い』

 

「お前みたいな気持ち悪い帯に喰われるのは嫌なんだが……」

 

 グネグネうねりながらそんな事を宣ってくる帯に、思わずそう零してしまう。

 いや、別に気持ち悪い帯相手でなくても喰われるのは絶対に嫌なのだが。

 

『ごちゃごちゃと煩いわねこの塵虫が! 

 私がわざわざ喰ってやると言っているんだから感謝しなさい』

 

 そんな滅茶苦茶な鬼の理論を振り翳して小屋の中を縦横無尽に切断しながら襲い掛かって来たその攻撃を軽く躱して、帯全体を視界に収めた状態で破魔の力を使う。

 

「──ハマオン!」

 

 そこまで強くは無さそうだから効く予感はあったが、やはりその勘は当たっていたらしく。

 悲鳴の様な絶叫と共に、帯は光の中に消えた。破魔の力が効いたのは恐らくは本体では無かったからだろう。

 しかし、あの帯が血鬼術によるものか、直接の分身なのかは分からないが、始末してしまった以上鬼の方にも何らかの情報が送られてしまった恐れがある。

 このまま此処に留まるのは再度の襲撃の恐れがある為、何処かに身を移した方が良い。

 腕の中の雛鶴さん(?)は本当に苦しそうだし、早くどうにかしてあげなくては。

 

「すみません、一旦場所を移します。苦しいのはまだちょっと続くと思いますが、耐えて下さい」

 

 そう声を掛けてから、「切見世」を出て街から少し離れた場所へと移動する。

 周囲に人気が無い事を確認してから、雛鶴さん(?)に『アムリタ』を使った。

 すると、苦しそうだった息が途端に楽なものになる。

 

「……あなたは……」

 

「俺は鳴上悠。宇髄さんの命令で、貴女を探していました。

『京極屋』に潜入していた雛鶴さんで合っていますか?」

 

「そう……天元様が……。ええ、私は雛鶴です」

 

 やはり、この人が雛鶴さんである様だ。となれば現時点で行方が分かっていないのは、須磨さんとまきをさんだ。二人は「ときと屋」と「荻本屋」に潜入していただけに、炭治郎と伊之助がその行方を掴んでくれている事を願うばかりである。

 雛鶴さんは確りと目を開けて答えるだけの力は戻って来たようだが、それでもまだ身体を動かすのは辛いだろう。

 どれ程長い間伏せっていたのかは分からないが、今は静かに身体を休めておいた方が良い。

 

「さっきここに来る途中で鎹鴉に合図を送ったので、多分そろそろ宇髄さんが此処に来てくれると思います。

 まだ少しお辛いかもしれませんが、一体何があったのか話して頂けますか?」

 

 そう言うと、雛鶴さんはそっと頷いて、連絡が付かなくなってから何があったのかを話してくれた。

 

 雛鶴さんは早々に『蕨姫』が怪しいと気付いたらしい。だが、気付いて警戒してしまったからなのか『蕨姫』の方からも警戒され目を付けられてしまった為表立っての身動きが取れなくなってしまい、そうこうする内に「ときと屋」に潜入していた須磨さんとの連絡が取れなくなった事から一旦「京極屋」を出ようとして毒を飲んで病に罹ったフリをしたらしい。だが、「京極屋」から放逐される寸前に『蕨姫』があの帯を渡してきたのだとか。

 あの帯が尋常なものでは無い事には気付いていたが、何か不審な動きをすれば直ぐ様に殺しにかかって来る事には気付いていた為、毒を飲んで弱っていた事も有って鬼と直接的に戦う力の無い雛鶴さんは、鬼の監視を受けながら解毒剤を飲む事すら出来ずに倒れているしか無かったそうだ。

 

「あの帯なら、跡形も無く消えたのでもう安心してください。

 宇髄さんが来てくれるまで此処で静かに待ちましょう」

 

「京極屋」を出た時には太陽は中天で輝いていたのだが、雛鶴さんを探すのに手間取った為既に日は傾き始めつつある。もうそろそろ、鬼が闊歩する時間だ。

 もしあの帯を通して鬼の方に何かの情報が伝わってしまったのなら、今晩が決戦の時になってしまう可能性がある。急いで「京極屋」に戻って善逸と合流する必要があった。

 だが、このまま此処に雛鶴さんを置いて行く訳にはいかないので、宇髄さんの到着は待たねばならない。

 

 暫く待っていると、宇髄さんが元忍の身体能力を活かして凄まじい速さでやって来た。

 

「雛鶴!」

 

 宇髄さんは必死な顔で雛鶴さんの肩を掴み、抱き寄せる。

 その仕草の一つ一つに、雛鶴さんへの溢れんばかりの愛情を感じた。

 

「天元様、お役に立てず申し訳ありません……」

 

 そう言った雛鶴さんに構わないとばかりに首を振って、体力が回復し次第遊郭から離れる様にと宇髄さんは言う。

 夫婦の時間を邪魔するのは少し気が引けるが、自分もやらなくてはならない事があるので手短に報告して「京極屋」に向かおうとした。

 

「雛鶴さんが飲んだ毒は既に解毒しています。ただ、長く伏せっていた為喪われた体力までは直ぐに回復させる事は出来なくて……。

 雛鶴さんを監視していた鬼の分身の様なものは滅ぼしましたが、鬼本体は無傷ですし、もしかしたら分身を通して鬼に何らかの情報が渡ってしまった可能性があります。その場合、最悪今夜にも激しい戦闘になる事が予想されます。

 此処に潜む鬼は、着物の帯の様な分身を操る事が出来る様です。吉原中にそれを潜ませて人を攫っているのではないでしょうか。何処かに帯の巣の様な場所が在るのかもしれませんが、今はまだその場所を掴めていないので確かな事は言えません。

 鬼は、『京極屋』の『蕨姫』である可能性が高いと思われますので、俺はこのまま『京極屋』に戻って善逸と合流する予定です」

 

「そうか……もしその分身の帯の行く先を追えそうなら追ってみてくれ。だが無理はするな。

 お前はあいつ等を守ってやる事に集中しろ。俺も雛鶴の様子をもう少し見てからそちらに合流する。

 それと……雛鶴を助けてくれて有難う。何時かこの恩は返す」

 

 そう言って頭を下げた宇髄さんに頷いて、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 完全に陽が落ちる前に「京極屋」に帰りつき、屋根裏に潜んでいた鼠たちから十握剣を受け取って、服装も何時ものそれに変える。

 既に夜の街には活気が溢れ、表通りを行く人の波は途切れる事無く、店の中も慌ただしくなってきていた。

 こんな状況で鬼が暴れては、凄まじい被害が出てしまう事は間違いない。

 最悪の状況を想像してしまい、どうにかしなければと気が急いてしまう。

 そんな中、善逸を探して彼に与えられている筈の部屋に向かうと。

 善逸が、あの気持ちの悪い帯に呑み込まれかけている最中であった。

 まるで帯の中に閉じ込められていっているかの様に、帯の中に善逸の姿が描かれてゆくのと同時に善逸の身体は消えて行く。三次元から無理矢理二次元に変換されてゆくその様は、恐ろしいと言うよりも悍ましさを感じた。

 成る程、こうやって帯の中に人を閉じ込める力もあるのか。

 そうやって人を攫っては何処かに集めているのだろう。

 この帯はどうやら天井裏を伝って善逸を襲撃した様だ。

『ハマオン』で消し飛ばしても良いのかもしれないが、こうやって誰かが閉じ込められている時にそんな事をして良いのかは分からず。その為先ずは善逸を閉じ込める事を阻止せねばと、その姿が描かれている辺りの帯を斬り離す。閉じ込められる過程で恐ろしさからか気を喪っていた善逸は、受け身を取る事も出来ずに畳に落ちた。

 ちょっと額の辺りが赤くなっているが、命に別条は無さそうだ。帯の大元から切り離したからか、善逸の身体が帯に取り込まれる現象は停止し、ゆっくりとではあるが帯から身体が解放されてゆく。

 そして帯の大元が逃げる前に、『ハマオン』で消し飛ばした。

 帯は仕留める事が出来たが、ここに鬼の本体である『蕨姫』が居る以上こちらの動きは向こうに把握されている前提で動かねばならぬだろう。

 今はとにかく善逸を起こさなければならない。

 

「善逸、善逸! しっかりしろ! 鬼に襲われる前に炭治郎たちと合流するぞ!」

 

 完全に帯に取り込まれる前に助ける事が出来たからか、帯を消し飛ばすと同時に善逸は完全に解放される。

 身体を揺すりながら呼び掛けていると、ハッと意識を取り戻した善逸がその目を丸くしてパチパチと瞬かせる。

 

「ちょッ! 何あの気持ち悪い帯! 俺死んだの!? 

 いぃぃいぃぃやぁぁぁあぁぁあぁっっ!!! まだ死にたくない! 死にたくないよぉっ!! 

 禰豆子ちゃんとまだ結婚もしてないのに!!! ごめんよ禰豆子ちゃぁぁぁんん!!!」

 

 耳が壊れそうな程の絶叫を上げてわあわあと騒ぎ始めた善逸の口を咄嗟に塞いで落ち着かせる。

 この状況で騒ぐのは色々と不味い。

 

「善逸、落ち着け。今は一刻も早く支度をして一旦ここを離れよう。

 このまま此処で戦うと、此処の人達を巻き込んでしまう。

 先ずは炭治郎たちと合流するぞ」

 

 落ち着いて貰える様に努めてゆっくりと静かに言うと、どうやら動転していたのも治まった様で善逸は素直に頷く。

 そして、支度を手早く整えながら、昼間別れた後で何があったのかを教えてくれた。

 

 あの後、善逸は炭治郎たちと合流して其々に情報を共有しあった様だ。

 その結果、「荻本屋」では伊之助がまきをさんの姿が消えた直後の現場に出くわして、付近を這いずっていた怪しい気配を追跡したもののそれを逃してしまった事が判明したらしい。今思えばあの気持ち悪い帯に攫われてしまったのだと分かるが、取り敢えず手掛りを得た為に今日の夕刻に三人で集まってその気配の元を探す事に決めていたそうだ。

 しかし「京極屋」に帰って来た後で、善逸は『蕨姫』に遭遇してしまったらしい。

『蕨姫』に折檻されていた禿の子を庇ったらしいのだが、その時にどうやら不審に思われたのか。

 こうして一人になったその隙に、あの帯に襲われたそうだ。

 日輪刀を持っていなかった為成す術も無く、帯に閉じ込められた……と言う事らしい。

 

 支度を整えた善逸と共に、騒ぎにならない様にと窓から屋根伝いに炭治郎も向かっている筈の「荻本屋」へと急ぐ。

 一刻も早く、炭治郎たちと合流しなければならなかった。

 日はすっかりと地平線の向こうへと沈み、夜の帳が辺りをすっかり覆ってしまっている。

 表通りを行く人々は自分達の姿を認識していない様だが、彼等が其々の店の中に入っていくにはまだ暫しの時間が要る。この状況で戦闘になると最悪の状況になるだろう。

 宇髄さんは何処に居るのだろう。此方に向かっているのか、それとも攫われた人たちが何処にいるのかを探しているのか。

 彼方此方に人の気配が多過ぎて、炭治郎たち程には感覚が優れている訳でも無い自分には状況を完全に把握し切れていないし、かと言って善逸たちも人が多過ぎて特定の誰かを探す事は難しい状況だった。

 善逸が遭遇した『蕨姫』は、気配を隠すのが非常に上手く、声を掛けられる位の距離でも気をそちらに払わなければ卓越した聴覚を持つ善逸ですら鬼だと気付け無かったと言う。

 恐ろしい話だ。今この瞬間に襲撃されたとしても、直前までそれを察知する事はかなり難しいと言えるのだから。

 念の為に、ペルソナを物理攻撃を無効化出来るものへと切り替える。

 ペルソナの耐性を発揮させるのはその力を使うよりは消耗が少ないが、しかし確実に体力を削る行為である。

 出来れば攻撃を受ける直前に切り替える位が望ましいのだが、奇襲される可能性がある為それは難しい。

 

 その時、僅かに空気が揺らぐのを感じた。

 咄嗟に横に居た善逸を抱き抱える様にしてその身を引き寄せ、身を低くしながら一気に屋根を蹴る事で迫り来る「何か」を回避する。

 その直後、回避する寸前に手足のあった位置を薙ぎ払う様に幅が広く薄い何かが通過した。

 一瞬見えたそれは、あの帯と同じものだった。

 善逸を抱えたまま振り返ると、そこに居たのは紛れも無く鬼だと言える存在だった。

 その目には、「上弦の陸」と刻まれている。

 見目は目を見張る程に美しいが自分達に向けるその眼差しは醜悪であり、外見的な「美しさ」と内面的なそれが全く釣り合っていない事を否応無しに悟らせる。

 鬼の腰から伸びているのは、あの気持ち悪い帯と同じ柄のそれであり、この鬼が間違いなく「本体」である事を示していた。

 この鬼には破魔の力は効かないだろうと、様々な強さのシャドウを相手に戦ってきた経験が囁く。

 それは分かっている。そして足元に無数の人が蠢くこの状況下で自分が切れる手札の内、この鬼を確実に殺す方法は無い。

 ならば、日輪刀でその首を斬って貰うのを援護するのが最適解ではあるけれど……。

 

 脇に抱えた善逸を改めて目をやる。

 善逸は、強い。恐らく、三人の中で一番速く強いのだろう。三人の持ち味は其々違うので単純な比較は出来ないが、雷の呼吸による圧倒的な速度による居合いは鬼との戦いで強いアドバンテージになる。

 炭治郎が以前零していた様に、善逸は強いのに何故か酷く自信が無い。だから、怯えるし直ぐに「死ぬ」と喚く。

 だが、いざ逃げてはいけない状況で鬼を目の前にすれば、善逸が其処から逃げる事は絶対に無い。それは間違いなく善逸の本当の心の強さ故だろう。

 二人で連携すれば、ここでこの鬼の頸を斬る事は確実に可能だ。この場で二人で協力して速攻で頸を落とすのが、最も周囲に被害を出さずに済む方法だろう。

 しかし……。

 

 今目の前の「上弦の陸」を見ていると、どうにも違和感がある。

 比較対象が上弦の弐の鬼であるからなのかは分からないが、妙に弱い様に思うのだ。

 列車で戦った鬼よりは強いが……しかし、柱達が何人も殺される様な強さである様には感じない。

 想定していた程には、強くは無いのだ。だが、同時に何とも奇妙な気配も感じる。

 何だろう、この違和感は……。自分では未だその正体が掴めない。

 感覚が鋭敏である訳でも、分析に特化した力がある訳でも無いからこそ、慎重にならざるを得ない。

 この鬼ですら分身の類であった場合などを考えると、ここで一気呵成に攻める事は得策では無い。

 何せ、この遊郭の何処かには、攫われた人たちが今も尚監禁されていると思われるのだ。

 万が一そう言った人たちを人質にされれば……。どうしても、それを考えてしまう。

 今も足元に居る人たちを人質に取られている様なものだが、人質に成り得る人が少ないに越した事は無い。

 

 決断するまでは一瞬程度だった。

 腕に抱えた善逸を降ろし、炭治郎たちと合流してくれと合図する。今は此処で本格的な戦闘をするよりも前に、行方不明になっている人たちを救出して貰う方を優先するべきだ。

 善逸は戸惑い不安そうに見て来るが、此処は大丈夫だから行けと促すと、それに背を押された様に駆け出した。

 その背は直ぐ様夜の闇に紛れる様に視界から消える。

 

 そして、改めて目の前の「上弦の陸」へと十握剣を手に対峙した。

 此処でこの鬼を抑える事は、不可能では無い。周囲に被害を出さない様に、と条件を付けると途端に難しくはなるが。それでもやってやれない事は無い、とそう自分自身を信じる。信じるしかない。

 

「馬鹿ねぇ、黄色い頭の醜いガキを逃がした所で何になるの? 

 醜いってだけで生きる価値も無いのに、あんたに庇われなきゃならない様な弱いやつを気に掛けて何になるの? 

 アタシの帯をさっきから消しているの、アンタでしょ? どうやったのかは知らないけど。

 でも一つや二つ消した所で無意味よ。この吉原中に『私』は居る。

 あんな弱っちくて醜いガキを始末するなんて何時だって出来るんだから」

 

「……善逸は弱くなんて無い。それに、人の命の価値をお前が勝手に決めるな」

 

「醜い者には生きる資格も無いのよ? そんなのも分からないなんて、可哀想。

 まあ、アンタは『美しい』側の人間だからそう言えるだけね。

 アンタは綺麗だから、アタシがちゃぁんと喰ってあげる」

 

 お前の言葉は所詮は「持てる者」の傲慢でしか無いのだと、その鬼は嘲笑う。

 ……「美」に拘り自分の御眼鏡に適わない者を不細工だの醜いだのと断じてその命の価値すら否定するその歪んだ感性は、鬼であるが故なのか、それとも生来のものであるのか……。それは分からないが。

 この鬼にとって人間の価値などその「美」にしか無く、そしてその命を奪う事に何の痛痒も懐いていない事はこの短いやり取りでもハッキリと伝わった。

 この鬼は、何としてでも倒さなければならない。

 善逸たちや宇髄さんが合流するまでは、周囲に被害が出ない様にして何とか粘らなければ。

 人を、守るのだ。この場には鬼に摘み取られて良い命なんて一つとして無いのだから。

 

 十握剣を強く握り、鬼の姿をしっかりと見据えると。

 鬼は何かを思い出そうとするかの様な顔をして、そして数瞬後に歪んだ笑みを浮かべる。

 

「夜色の羽織に、鬼殺隊の隊服では無い服装に、日輪刀では無い刀を持った剣士……。

 アンタ、もしかしてあの方が言っていた『化け物』ってやつ?」

 

「知るか、俺は人間だ」

 

 あの方とやらは鬼舞辻無惨か? 

 上弦の弐を倒しかけた事で、向こうからもその存在を認識されていたのだろうか。

 それにしても、鬼の首魁から『化け物』呼ばわりされるとは、笑い飛ばして喜ぶべきか、それとも訂正するべきか迷う所だ。

 

「まあ良いわ。アンタがその『化け物』ってやつなら、アンタを捕らえてあの方の前に差し出すだけだもの。

 良かった、あの方に喜んで頂けるわ。アンタを捕らえる為に、あの方から沢山血を分けて頂いたんだから。

 特別に美しいアタシには期待しているからって。

 アンタを捕まえたら、アタシはもっともっとあの方に認めて貰える。

 ねぇ、羨ましいでしょう?」

 

 何故、鬼舞辻無惨の寵愛などを欲するのか皆目理解も共感も出来ないが。

 鬼の言うそれは聞き捨てならぬものであった。

 どうやら、自分は鬼舞辻無惨に狙われているらしい。しかも、殺す目的では無く、捕らえろとの事の様だ。

 全く以て意味が分からない。始末したいと言うのなら分かるのだが、何故。

 鬼舞辻無惨に狙われていると言うのであれば、自分はこの先他の上弦の鬼と戦う機会が何度も訪れるだろう。

 それは構わない、全て返り討ちにすれば良いだけだ。

 しかし、自分を捕らえる為に鬼舞辻無惨が上弦の鬼たちにその血を分け与えたと言うその情報は、かなり事態が深刻な様相を呈してしまった事を指し示す。

 上弦の鬼たちが、より一層の強さを得てしまっているのだ。百年以上も柱たちを屠り続けて来た真の『化け物』共が強化されたと言うのは、鬼殺隊にとっては由々しき事態である。

 あの上弦の弐の鬼ですら、次に会う時には更なる力を得ている可能性は高い。

 しのぶさんの『復讐』を止める気は無いが、その計画に多少の修正が必要になるかも知れない。

 これは、本来ならばこの世界に存在する筈の無かった自分が、こうして此処に居る為に起きてしまった悪い変化なのだろうか……。

 少し悩みはするが、今更どうする事も出来ないのだし、自分が消えたからと言って上弦の鬼たちが弱くなる訳でも無い。結局、戦うしかないと言う事は何も変わっていないのだ。

 

「全く羨ましくも無いし、それにお前に捕まってやる様な気は一切無い」

 

「そう、まあアンタの答え何てどうでも良いわ。

 手足の一つや二つ引き千切ってからあの方の前に差し出しても良いんだから」

 

 そんな言葉を吐き捨てると同時にまるで蛇の様に蠢きながら迫って来た帯を細かく切り裂いて。

 何も知らず日々を過ごす人々を守りながらの鬼との戦いの、その火蓋は切られたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
無惨から狙われている事をしって宇宙猫顔。何で??
堕姫の判定で「美しい」を貰うが、当人としては全く嬉しくない。


【竈門炭治郎】
潜入した先で色んな人に可愛がられた。
鯉夏さんからは、男の子だよね?とは思われている。
伊之助と合流するべく「荻本屋」に向かうが、穴には入れないので立ち往生。


【我妻善逸】
悠から警告されたので注意はしてたけど、女の子が泣いているのは聞き過ごせなかった優しい男。
一刻も早く被害者を救出して悠の所に帰らなくては、と走る。


【嘴平伊之助】
まきをさんをあと一歩の所で救出出来なかった。
帯を追って穴に潜り込む。炭治郎が付いて来れていない事には気付いていない。


【宇髄天元】
雛鶴さんを逃がした後、悠たちに合流するべく急ぐ。
その途中で伊之助を追い掛けられなかった炭治郎たちと合流する。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
原作の時期よりも早いので、鯉夏さんはまだ身請けされておらず堕姫の襲撃には遭っていません。



≪今回のアルカナ≫

『星』
宇髄天元との絆。
雛鶴を救出した事で大きく満たされた。


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『深き地の底』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 俺は自分で自分の事が一番嫌いだった。

 弱くて、泣き喚いてばかり、怯えてばかり、逃げてばかり。

 名前すら与えられる事も無く捨てられてずっと独りぼっちだったから、誰かに「期待」される事なんて無くて。

 だから、自分で自分に「期待」する事なんて出来ない。自分に自信なんて無くて、自分自身への「期待」の仕方なんて分からなくて。だから何時まで経っても何も出来ないまま、弱いまま。自分自身を欠片も信じられない。

 しかもただ独りぼっちだったんじゃなくて普通よりもずっと耳が良いから、不気味がられてばかりで。

 耳の良さに命を救われた事もあったけど、でもずっと疎外感を感じていた。

 だって耳が良過ぎて、その人の本心まで分かってしまう、陰で言っているつもりの言葉だって全部聞こえてしまう。だから分かってしまった。自分が、誰からも望まれていない、求められていないんだって。

 それでも独りぼっちは嫌だったから、それが上辺だけの言葉だと分かっていても信じたい事を信じては、結局騙されて嫌われて捨てられて。そんな事を続けていたら、孤児なのに借金まみれになって本当にどうしようも無くなって。自分でも馬鹿だなぁ……って思うのに、でも変えられなかった。たった一瞬だけでも、それが利用されているだけなんだとしても、誰かに「必要」とされていられる気分になれたから。本当に、馬鹿だ。

 

 でも、借金まみれになっていた所をじいちゃんに拾われてからは、ちょっとだけ変わろうと思ったんだ。

 じいちゃんの稽古は厳しいし、本当に死ぬかと何度も思ったけど。それでもじいちゃんは、初めて俺に何かを「期待」してくれた。良い剣士を育てたかっただけで別にそれが俺である必要は無かったのかもしれないけど、それでも良かった。初めて本当に必要とされたんだから。

 初めて誰かと一緒に食べた食事は、絶対に忘れられない位に美味しかった。

 初めて誰かと一緒に寝た夜は、全然寒く無かった。

 兄弟子として俺よりも先にじいちゃんから教えを受けていた獪岳とは仲良くはなれなかったけど、でも俺とは違って直向きに努力しているその姿は本当に尊敬していたし、何時か肩を並べて戦った時には、兄弟弟子って関係ではあるけど「兄貴」って呼んでみたいと思っているんだ。

 じいちゃんは俺がどんなに情けなくても、逃げ出しても泣き喚いても、絶対に俺を見限ったりはしなかった。

 厳しかったけど、何度だって連れ戻して、そして修行させた。今まで、一度だってそんな風に「期待」された事なんて無かったのに。一度でも逃げ出した姿を見たら、その時点で「こいつは駄目だ」って判断されていたのに。

 それが本当に嬉しくて、だからじいちゃんの期待に応えたくて。一生懸命にやったんだけど、でも俺は全然ダメだった。どんなに修行しても使えるのは六つある型の一つだけだし、それですらちゃんと出来なくて。

 ちゃんと修行してるのに、頑張っているのに、それでも俺は本当に駄目だった。

 変わりたいと思っても、俺は弱いままで。全然変われなかった。

 もしかしたら、自分自身に「期待」した事なんて今まで一度も出来た試しが無いから、自分を信じるってやり方が俺には全然分からないのかもしれない。

 でも、どんなに頑張っても、「期待されない」って自分の根っこを変える事は出来なくて。

 だから俺は今でも弱いまま、情けないままだった。

 じいちゃんが修行を付けてくれたおかげで、強くて格好良くて皆を守ってあげられる様な……そんな昔にお伽噺で見た英傑みたいになる夢を見る事はあったけど、でもそれは夢でしか無くて。

 それが夢でしかないって分かっているのが、悔しかった。

 

 でもそんな俺にも、「友だち」ってのが初めて出来た。

 泣きたい位に優しい音をずっとその胸の中で立てている炭治郎と、びっくりする位ガサツだし常識は無いしやる事成す事滅茶苦茶だけどでも真っ直ぐな伊之助と。

 ちゃんとした出逢いは偶々の様なものだったし、最初の印象は良いものでは無かったかもしれないけど、でも一緒に任務をこなしたり修行したりする、大事な友だちが出来た。

 そして、生まれて初めて、本当に一目惚れだって直感出来る出会いもあった。

 炭治郎の妹の禰豆子ちゃんの事は、本当に大事にしてあげたいって思うし、守ってあげたいと思うんだ。

 何時か、人に戻れた禰豆子ちゃんと沢山お話してみたい。

 ……それなのに。

 皆の事が大事だから、守りたいのに。でも俺は弱くて。そんな自分が本当に嫌だった。

 

 炭治郎たちと出逢ってから暫くして、炭治郎の泣きたくなる程に優しい音とはまた違うけれど、寄り添う様に傍で見守り続けてくれる様な底が分からない程に深くて優しい音がする人にも出会った。

 鳴上悠って名乗ったその人は、俺よりも一つ年上なだけなのに、俺よりもずっと凄い人だった。

 もし、物語の英雄ってのが本当に居るなら、ああ言う人なんじゃないかって密かに思う。

 見た目も格好良いし、話せば凄く面白いし、本当に優しいし。誰からも好かれて、誰からも頼りにされて、そしてその「期待」に見事に応えて。それなのに、それを絶対に驕ったりしない、誰にでも優しい人。

 横転しかけていた列車は止めるし、死に掛けていた煉獄さんを助けちゃうし、しかも上弦の弐をコテンパンにやっつけてしまう。本当に実在の人間なのかなって思う位に、物語の英雄そのままだ。

 自分がそうなれたら良いのにな、って。そんな理想をそのまま持ってきたみたいな人だと、そう思っている。

 自分の信じ方をちゃんと知っている人で、人に優しくする方法を分かっている人で、誰かを助ける事を絶対に迷わない人。本当に、色々出来過ぎちゃってて盛り過ぎじゃない? って心から思うんだけど。

 でも、羨ましいだとか嫉ましいだなんて思うんじゃなくて、純粋にそんな風になりたいなって思わせるのは本当に凄いと思う。

 悠さんは炭治郎や禰豆子ちゃんに優しいだけじゃなくて、伊之助に変な絡まれ方をしてもそれを咎めたりなんかもせずに面倒くさがらずにちゃんと付き合ってあげているし、伊之助が物知らずな面を見せてもそれを叱ったり或いは馬鹿にしたりなんかせずに一回一回丁寧に教えてあげている。

 俺がどんな醜態を晒しても、絶対に見限る様な音は立てない。少し呆れていたり、ちょっと困惑している事はしょっちゅうだけど。でも、本当に優しいんだなってのは、音を聞くまでも無く分かってしまう程だった。

 

 そんな悠さんも、そして炭治郎も。「善逸なら出来るよ」って。本当に優しい音を立てながら何時も心から言ってくれる。

 その期待に応えたいのに、でも俺はまだ弱いままだ。何も変われないままだった。

 

 でも、今は退いちゃいけない時なんだってのは分かる。

 気を喪っちゃいそうな位に綺麗なのに怖くて泣きそうな位に禍々しい鬼の音を立てている「上弦の陸」と対峙した時、本当に怖くて気を喪いそうだった。

 悠さんが抱えて避けてくれなかったら、自分の腕の一本や二本は軽く斬り飛ばされていただろうと思う。

 幾ら悠さんが強いんだってのを知っていても、ここで二人で戦うのは本当に怖かった。自分が絶対に足手纏いになるって分かっていたから。

 そんな俺の恐怖を見たからなのか、悠さんは「上弦の陸」を此処で一人で食い止めるなんて言い出して。

 そして、俺には炭治郎たちと合流して行方不明になっている人たちを探してくれなんて言った。

 それが、足手纏いを減らしたかったと言う意図ならまだ分かるけど。でも悠さんから響いてくる音はそうじゃなくて。「善逸なら絶対に出来るから、見付け出してくれるから」って。そんな「信頼」の音だった。

 だから、後ろめたさは多少あったけど、その場を離れた。

 その背後に、俺の弱さを嘲笑った鬼に、「善逸は弱くなんてない」って、泣いてしまいそうな位の本音の声を聞きながら。

 自分が出来る事をする為に、託された「信頼」をちゃんと果たして、そしてちゃんと助太刀しに戻って来る為に。俺は全力で走った。

 

 

 伊之助たちと待ち合わせていた筈の「荻本屋」に辿り着くと、炭治郎が困った様に右往左往していた。

 何があったのかを訊ねると、どうやら伊之助が鬼の巣に繋がる穴を見付けたらしいのだけど、その穴が狭過ぎて関節を自由に外せて身体が物凄く柔らかい伊之助じゃないと先に進めないらしい。

 炭治郎は頑張ったけど、「長男でも駄目だった……」とちょっと落ち込んでいる。

 でもとにかくその穴が何処かに繋がっているのは確かなので、それを探そうと言う事になった。

 炭治郎の鼻は、遊郭の色んな場所から漂ってくる匂いの所為で中々上手く働かないらしい。

 俺の耳も、色んな雑音が多過ぎて音を拾い辛いけど、でもそんな事を言っている場合じゃない。

 悠さんを早く助けに行く為にも、一刻も早く行方不明になっている人たちを探さないと。

 それに幾ら伊之助でも守らなきゃいけない人が大勢居る中で一人で戦うのは無謀である。

 

 伊之助が穴の中を進んでいるのだろう地面から伝わる微かな音を追って、俺達は「荻本屋」を飛び出した。

 そして、その音はある場所で止まる。

 

「此処だ! この下に空洞があるんだ!!」

 

 恐らく中で戦闘になっているのだろう。伊之助が戦っている音が真下から響いてくる。

 でも、地面の下なんて、どれ程掘れば辿り着けるのだろう。

 今はほんの僅かな時間も惜しいのに。

 悠さんはどうなっているのだろう。

 耳を澄ませてみても、あんまり分からない。少なくとも鬼が此処に追って来てはいない以上、悠さんはまだ鬼の足止めに成功しているのだろうけれど。

 場所は突き止めたのにどうすれば良いのか分からなくて、炭治郎と二人でああでもないこうでもないと知恵を出し合っていると。

 

「成る程、此処か。お前らでかしたな、褒めてやる」

 

 何時の間にか近付いてくる音すら無く宇髄さんがやって来て、その背に背負っていた一対の日輪刀を抜き放って。

 

 ── 音の呼吸 壱ノ型 轟!! 

 

 勢い良く地面に叩き付けると、その地面が勢い良く爆発して大きく抉れる。

 あんまりにも急に近くで爆音が鳴り響いたので、耳が壊れた様に揺れて気分が悪くなりそうだった。

 炭治郎もびっくりして耳を両手で塞いでいる。

 あれでは箱の中の禰豆子ちゃんもビックリしているかもしれない。

 

「結構深いな。後二三回って所か」

 

 そう独り言ちて、宇髄さんは一気に腕を振るう。

 一回だけの様に聞こえるがその実三回連続で鳴ったその音が止んだその時には、地面にはすっかり大穴が空いていて、それは遥か下にまで続いていた。

 そこに躊躇なく飛び込んだ宇髄さんに続き、俺達も下に飛び降りた。

 

 そこに在ったのは、鬼が操っていたものと同じ帯が所狭しと掛かった奇妙な空間で。そして足元には無数の人骨が転がっている。

 帯を通してここに人を攫って来て、そして食べていたのだろう。

 伊之助はどうやら帯に囚われていた人々をちゃんと助ける事が出来ていた様で、そしてその中には宇髄さんの嫁さんたちなのだろう人達の姿もあった。ここに囚われていた宇髄さんの嫁さんたちは二人ともビックリする位に美人なので、これが平常なら嫉妬で喚きそうだけど、今はそれどころじゃないので頑張って抑える。

 そして空間を埋め尽くしていた無数の帯は瞬く間の内に宇髄さんによって細切れにされた。

 だが、流石は鬼の一部と言うべきか、細切れにされてもそれだけでは消えたりしないらしく、蠢く蚯蚓の様にのたうちながら一つに戻ろうとする。

 その内の一つが俺の目の前に落ちて来た。気持ち悪い位にギョロ付いた目玉が俺を見て。

 そして俺を喰おうとしてかその帯をグネらせながら伸ばしてくる。

 

 その気持ち悪さと恐怖の余りに、俺の意識は飛んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 善逸が気を喪った様に身体をぐらつかせた直後。

 再生しながら解放されていた無防備な人達を襲おうとしていた無数の帯が、一気に斬り刻まれる。

 まるで雷が鳴ったかの様な音が斬撃の後に響くそれは、善逸の技である霹靂一閃によるものだ。

 善逸と宇髄さんが帯の相手をしてくれているので、俺は気を喪っている人たちをどうにか安全な場所まで退避させる。

 そうする内に、斬って斬ってもしつこく再生していた帯たちが何かに気付いた様に一斉に何処かへと逃げ出す様にその場から消え去った。追い掛けようにもあまりにも細い穴を通って逃げて行ったので自分達では追い掛けきれない。伊之助ですら無理だった。

 その結果その場には、気を喪った行方不明にされていた人達と、意識は取り戻している宇髄さんのお嫁さんたちと、そして俺達だけが残される。

 一体あの帯が何処に行ったのかは分からないが、このまま見失うのは不味いと言う事は分かる。

 それに、上では悠さんが一人で「上弦の陸」の足止めをしてくれているらしいのだ。

 急いでそこに向かう必要があった。

 

 宇髄さんはお嫁さん達にこの場の人達の救護を任せて、凄い跳躍力で自分が空けた穴から上へと戻る。

 俺達もその後に続いて穴を登る。

 そして、街の人達に気付かれない様に屋根を伝いながら悠さんと「上弦の陸」の姿を探すと。

「京極屋」と「荻本屋」の中間辺りの屋根の上にその姿を見付ける。

 

 だが、その姿は予想に反して凄まじいものであった。

「上弦の陸」らしき女の鬼の身体は、幾重にも細かく斬り裂かれ、再生する端から斬り飛ばされている。

 鬼が何かする前にその身体を片端から斬り飛ばすと言う滅茶苦茶な荒業をやっているのは、他でも無い悠さんだ。

 屋根の上には鬼のものだろう夥しい血が流され、そしてそれは乾く様な間も無く新たな血によって汚されてゆく。

 鬼のものだとは分かるのだが、余りにも濃い血の臭気に酔いそうになってしまう程だ。

 恐ろしい猟奇殺人の現場でもお目に掛かれない様な、そんな状況になっていた。

 日輪刀では無い為首を斬っても殺せないからこそ、悠さんはこうして足止めをする事を選んだのだろうけれども。

 その足元の屋根の下では、その上で何が起こっているのかなんて知らない人々が何時もの日常を過ごしている事が、一層ちぐはぐさと言うか、その光景の非現実感を増していた。

 

 鬼に纏わり付く様にさっき逃がしてしまった無数の帯が雪崩れ込む様に押し寄せてきたけれど、悠さんは今度はそれも含めて全て斬り落とそうとする。

 が、それは突然の癇癪を起した様な鬼の泣き声によって阻まれた。

 

 

「お兄ちゃん! お兄ちゃああん!!

 怖いよ! この『化け物』がアタシを虐めるの!! 

 アタシ頑張ってるのに!! 『化け物』に嬲られてる!! 

 何度も何度もアタシをバラバラにして!!!! 顔も身体も何回も斬り刻んだの!! 

 殺して! この『化け物』を殺してぇぇっ!!!!」

 

 

 うわーん、とでも表現すべき様なその力一杯に泣く幼子の様な大きな泣き声に、寸前まで容赦無く鬼を斬り刻んでいた悠さんを含めて、その場の全員がギョッとした様に鬼を見る。

 妖艶に感じるその姿とはちぐはぐな程に随分と印象が幼く感じるその声に、もしかしてこの鬼は本当は小さな女の子だったんじゃないかと思ってしまう。だからってこの鬼が赦されて良い存在では無い事は、多くの人を喰らってきた鬼特有の臭いが染みついている事が示しているのだけど。

 その場の全員の動きが止まった事で、無数の帯がその身体の中に吸収されてゆく。

 黒髪が妖艶な白い髪に変わり、そしてその雰囲気と匂いの禍々しさは格段に上がる。

 それなのに、斬り落とされた首を抱えながら声を上げて「お兄ちゃん、お兄ちゃん、怖いよぅ……」と小さな女の子の様に泣き喚きしゃくりあげるその鬼の姿に、どうしてか剣先が鈍ってしまう。

 怖い怖いと泣くその姿は、まるで人間の様だった。

 特に、何かが心の柔らかな部分に触れてしまったのか、悠さんはおろおろとした様に視線を彷徨わせた。

 倒さねばならぬ鬼なのに、ここまで明らかに幼い子供の反応をされると、まるで自分達の方が悪い事をしてしまっている様な気にすらなってしまう。何故なのか。

 いや、それより、この鬼がさっきから言っている「お兄ちゃん」とは一体何なのか、と。

 そう考えようとしたその時。

 

 鬼の背中から、何か異様な気配の存在が浮き出る様に姿を現した。

 その瞬間、場の空気は一気に変わる。

 

 呆れた様に鬼を見ていた宇髄さんは真剣そのものの面持ちで日輪刀を構え、自分達も総毛立つ程の悍ましさと恐ろしさを感じて日輪刀を構える。

 最も鬼の近くに居た悠さんは、一気に警戒した様に姿を現したその存在に刀を向けた。

 

 まるで寝起きの様な声を上げた新たな鬼は、一瞬の内に悠さんの前から鬼を抱えて距離を取る。

 あまりの速さに、一瞬反応が遅れた。……もしあの新たに現れた鬼が俺達を狙っていたら、それに気付く事すら出来ぬまま一瞬で狩られていた可能性すらある。

 明らかに、新たに現れた鬼の方が強い。この鬼が、「お兄ちゃん」なのだろうか。

 

 

「泣いたってしょうがねぇからなああ。日輪刀で斬られた訳じゃぁねぇんだあ。これ位自分でくっつけろよなぁ。

 全く、おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ。

 大体あの『化け物』は、上弦の弐を殺し尽くす寸前までいったやつなんだよなぁ。

 分裂させたままじゃあ、勝ち目なんてこれっぽっちもねぇのはちょっと考えれば分かるだろうになぁあ。

 ほんと、頭が足りねぇなあ」

 

 口ではそう言いながらも、その口調には紛れも無く「愛情」としか呼べない何かが在った。

 禍々しい程の気配を放つ鬼なのに、恐らく何百と人の命を貪ってきた者達なのに。

 それでもどうしてか、この鬼たちは「兄妹」なのだと、そう誰もに納得させるものがあるのだ。

 その頭を撫でてやる手付き一つとっても、それは俺が禰豆子に向けるものとほぼ変わらない。

 まるで、歪んだ鏡の向こう側を見ているかの様であった。

 

「お兄ちゃん」と恐怖にまだ泣いている妹鬼の頬を優しく拭って、兄鬼はその頭を撫でてやる。

 双方が鬼でさえなければ、美しい兄妹愛に満ちた光景だとすら言えるだろう。

 だが、相手は人を喰らう事を何とも思っていない鬼であるのだ。

 それが分かるからこそ、何一つとして油断は出来ない。

 

「もう泣き止みなぁ。折角の可愛い顔が、泣いてちゃ台無しだからなぁあ。

 それに、お前を虐める怖いものは全部俺がやっつけてやるからなぁ。

 許せねぇなぁ、俺たちから取り立てるヤツは、誰であろうと許せねぇ。

 俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命にやってるのを虐める様なやつらは皆殺しだぁ」

 

 紛れも無い殺意と共に、兄鬼は嗤う様にその口を歪めるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
一般人を守るには善逸たちが合流するまでは何もさせない様に斬り刻み続ければ良いか、と考え実行してしまった。無惨の血で強化されていても堕姫の回復速度は強化前の童磨に負けるので、堕姫だけなら人型を斬り刻む事への抵抗さえ麻痺させれば剣だけでも夜明けまで完封出来る。
お兄ちゃんと泣き喚く堕姫に、菜々子を泣かせてしまった様な気すらしてしまい実は良心がチクチクした。鬼なので倒すけども。


【竈門炭治郎】
妓夫太郎の妹を想う気持ちが自分と重なって複雑な心境。
鬼に『化け物』呼ばわりされている悠の事を、悠が『化け物』だなんてそんな事は全く無いのになぁ……と思っている。


【竈門禰豆子】
原作にあった堕姫戦がほぼスキップした為まだ箱の中。
危険な鬼の気配を察知して箱の中でソワソワしている。


【我妻善逸】
悠に対しては、自分もこうであったらなと言う憧れの気持ちが大きい。
自分より一つ年上なだけと言うのがちょっと信じられない……。
獪岳との仲は果たしてどうなるのか……。


【嘴平伊之助】
気付いたら炭治郎が付いて来ていなくて吃驚。
伊之助が暴れてくれたから人質は解放されたし善逸たちは居場所に気付けたので何気に今回のMVP。


【宇髄天元】
行方不明になった人々の居場所を探しつつ、鎹鴉を通して隠に遊郭の人々の避難誘導指示を出していた。
嫁全員の無事が確認出来てかなりやる気満々。


【堕姫】
大見得を切ったのに悠に完封されてギャン泣き。
煽る言葉を言う暇すら無かった、辛い。
最早悠の事が、無惨様にとっての縁壱並のトラウマになりそう。
無惨様からの血をより多く妓夫太郎から分けて貰っているので、原作と比べると単体でもかなり強くなっている。


【妓夫太郎】
妹を虐め倒した悠の事は絶対に許さない。
無惨様からのボーナスの血の多くは可愛い堕姫に譲ったのだが、新たな血鬼術に目覚めるなどして全体的な強化は十分な様子。


【鬼舞辻無惨】
上弦の陸兄妹が『化け物』と戦っている事には全く気付いていない。
多分最後まで気付かない。全て終わった後で癇癪を爆発させる。
だって無惨様だから。


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『兄妹の鬼』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「上弦の陸」と名乗る女の鬼自体は、そう手強い相手では無かった。

 普段相手にする様な鬼と比べればその強さは隔絶していると言っても良いが。しかしやはりあの上弦の弐と比べるとその肉体の再生速度は遅く、更に相手を観察し対応する様な思考力は無いのか、鬼の身体能力だけに頼ったその戦い方は隙だらけであった。

 広範囲に被害を与えかねない帯の攻撃は細かく斬り刻んで対処して、反撃するその動きを先制して潰す様にその身体を寸断する。

 細切れにした肉体が其々に再生して分裂する、なんて事は無く。頸を落とした所で日輪刀の攻撃によるものでは無い為殺せないが、そうやって間髪入れずに斬り刻み続ける事で無力化する事には成功していた。

 人の形をした者をこうして斬り刻む事に倫理観の呵責が全く無い訳では無いけれど。だがこの鬼は他人の命をただの餌程度にも見ていない為、僅かにでも自由にした瞬間に何をするか分かったものではなく、やるしか無い。

 抵抗すらろくに出来ぬままに一方的に嬲るかの様に執拗に斬り刻まれている鬼は、最初の威勢は直ぐ様消え失せてその目には恐怖を浮かべる様になっていたが、しかし悲鳴や命乞いをしようにもその口を含めて細かく斬り刻まれている為喉が震えその舌が言葉を紡ぐ事は無い。

『化け物』とそう訴える様なその目を無視して、善逸たちが行方不明者を救出して戻って来るまでを待った。

 

 そして、善逸たちと宇髄さんが合流してくれたとほぼ同時に、多数の帯が押し寄せてきて。

 それを斬り刻もうと、僅かに鬼から意識が薄れたその瞬間に。

 鬼は斬り刻まれていた顔の辺りを再生させて、まるで癇癪を起してギャン泣きしている幼子の様な声を上げたのだ。

「お兄ちゃん、助けて。お兄ちゃん、怖いよ」、と。

 そうやってわんわんと幼子の様に泣き喚くその様を見ていると、全く別人だし比較対象にすらならないのにどうしてだか菜々子の姿を思い描いてしまう。年齢に不相応な程にしっかりせざるを得なかった菜々子はそうやって癇癪を起してギャン泣きして来た事など自分が知る限りでは一度も無かったが、……だが大人になるとどうしても出来なくなる程の恥も外聞も投げ捨ててて感情を爆発させてそれを喚き散らすその様は、菜々子位の年齢の子供の泣き方である。

 鬼の外見年齢はその精神年齢と相関するとは限らず、肉体年齢はある程度調整出来る事は禰豆子を見ているとよく分かる。

 例え妖艶な年頃の女性の姿をしていても、実際は年端も行かぬ子供の鬼である可能性だって当然ある。

 ……子供の鬼であるのだとしても、目の前の鬼が多くの人々を喰い殺してきている上に人とは決して相容れない歪んだ価値観を持っている事は変えようも無い事実であり、何としてでも此処で倒さなければならない事も変わらないのだ。

 だがそれは分かっていても、どうしても剣を振るう腕は僅かに躊躇ってしまって。

 そしてその隙を突く様に、鬼の身体に無数の帯が吸い込まれて行き、その姿と気配が一気に禍々しいものに変わる。これがこの鬼の本来の姿なのだろう。だが、これで「上弦の陸」と名乗るには些かまだ弱い気がするが。

 この街中に散らしていた帯を吸収して本来の力を取り戻したと言うのに、鬼は斬り落とされた首を抱えて怯えた様にボロボロと涙を零しながら心から怯えた声で「お兄ちゃん」を呼び続けている。

 その姿に、思わずどうしたものかと戸惑いを覚えてしまった。

 相手は鬼だ。しかも人を殺す事に何の痛痒も覚えていない鬼だ。

 でも、「お兄ちゃん」を求めて泣く幼子でもある。

 善逸たちが来てくれた以上、時間稼ぎをする必要も無く。頸を落とせば良いだけなのだけれども。

 だが、それに何かが「待った」を掛ける。

 憐憫か、それとも倫理観の呵責か。いや、恐らくそうでは無く……。

 

 感情を爆発させて泣き喚く鬼の、その斬り刻んだ筈の背中から、全く別の気配が浮かび上がる様に突如現れて形を成した。それは、奇妙な姿の鬼であった。

 雑に結った髪はボサボサで、その顔には大きな痣が走っている。本当に臓器が中に入っているのだろうかと心配になる程にその身体は痩せていて、肋や骨盤の形がくっきりと見えてしまう程だ。簡素なズボンを下に履いただけの上半身を曝け出したその男の鬼は、泣き喚く鬼の背から生えたかの様にその場に姿を現した。

 

 姿を現した瞬間に、この鬼が尋常では無い強さを持つ事には気付いた。

 現れた男鬼の気配と比べると、泣き喚いている女鬼のそれは子供の様なものでしかない。

 まさか、これが「お兄ちゃん」なのか……? 

 女鬼の血鬼術で現れた存在だろうかと一瞬考えたが、この気配の強さはその様なまやかしで生み出されたものでは無い。どうやらこの「お兄ちゃん」は、今までずっと妹の中に潜んでいたのだろう。

 この場に居る誰もが緊張した様に刀を構えて、その動きに注目する。

 

 兄鬼は長らく眠っていた人が寝起きに身体を伸ばす時の様な声を上げて。

 そしてそれとほぼ同時に妹鬼を抱えて、屋根を勢い良く蹴って一旦距離を取った。

 反応する事は出来ていたが、振るった十握剣がその首元を薙ぐよりも早く兄鬼は退いてしまった。

 どうやら、反応速度や判断力が妹鬼の比では無い。

 妹鬼の方は、どうせ鬼だから死なないと過信して攻撃を確実に避けようとする根気や判断力に欠けていたが、どうやら兄鬼はそうでは無いらしい。確実に、強敵だ。

 兄鬼は油断無く此方を観察する様に一瞥し、そして双方ともに相手の出方を伺っているこの状況では急に手出しをされる事は無いと判断したのか。

 斬られた妹の首を優しく撫でてやりながら、優しい手付きでそれを身体にくっ付けてやる。

 

「泣いたってしょうがねぇからなああ。日輪刀で斬られた訳じゃぁねぇんだあ。これ位自分でくっつけろよなぁ。

 全く、おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ。

 大体あの『化け物』は、上弦の弐を殺し尽くす寸前までいったやつなんだよなぁ。

 分裂させたままじゃあ、勝ち目なんてこれっぽっちもねぇのはちょっと考えれば分かるだろうになぁあ。

 ほんと、頭が足りねぇなあ」

 

 頭が足りないと、そんなかなり酷い事を言いながら。

 兄鬼が妹を見るその目は、可愛くて可愛くて仕方が無いのだと、言葉にするまでも無く雄弁に語っている。

 兄鬼にとって、鬼の妹が本当に大切な存在なのだと。そう悟らざるを得ない。

 泣きじゃくる妹の涙を少しぶっきらぼうながらも優しく拭って、安心させる様にその頭を優しく撫でる。

 その光景は、妹想いの良い兄の姿にしか見えなかった。だが、相手は鬼だ。鬼でしかない。

 

「もう泣き止みなぁ。折角の可愛い顔が、泣いてちゃ台無しだからなぁあ。

 それに、お前を虐める怖いものは全部俺がやっつけてやるからなぁ。

 許せねぇなぁ、俺たちから取り立てるヤツは、誰であろうと許せねぇ。

 俺の可愛い妹が足りねぇ頭で一生懸命にやってるのを虐める様なやつらは皆殺しだぁ」

 

 そう言って、自分達に紛れも無い殺意を向けるその顔は、悪鬼と呼ぶのに相応しい程の凶相だった。

 そして、鬼は瞬時にその手に何かを生成し、斬り掛かって来る。

 咄嗟に十握剣でその斬撃を弾いたが、弾いた瞬間その武器から何かが飛び散った。

 それが何かは分からないが、戦い続ける内に身体に染み付いた本能的な部分が「不味い!」と警告を発し、それに従う様に飛び散ったその何かを被らない様にする。

 

「へぇえ、やるなぁあ。殺す気で斬ったのに、攻撃を止めたなぁあ。

 いいなぁあ、お前、いいなぁあ」

 

 攻撃を止められたと言うのに、全く悔しそうな顔はせず。寧ろ面白いと言わんばかりにその顔を歪めた。

 その両手には、血が滴り続ける脈打つ鎌の様なものが握られている。

 兄鬼の血鬼術の一つなのだろうか。あの上弦の弐の扇の様なものかも知れないが、武器としては此方の方がより危険なものであると直感は囁いていた。

 

「いいなぁあ、お前。その顔、いいなぁあ。

 背も六尺近くあるし、肉付きもいい。いいなぁあ、俺は太れないからなぁあ。

 女にさぞかし持て囃されるだろうなぁあ。

 妬ましいなああ、妬ましいなああ。死んでくれねぇえかなぁあ。

 俺の可愛い妹を斬り刻んで虐めた落とし前を付けさせてやりてぇえなああ。

 お前、『化け物』なんだから寸刻みにした所で死なねぇだろう。

 なら、捕らえて差し出す前に斬り刻んでもいいよなぁあ? 

 それで死んじまったら、お前の責任だからなぁあ」

 

 肉を引き裂き血を滴らせる程強くその身を掻き毟りながら、そんな滅茶苦茶な事を言う。

 大事な妹を傷付けられた事が余程腹に据えかねているのだろう。

 その気持ちは分かるのだが、人間なんだから流石に寸刻みにされれば死ぬ。当たり前の事なのにどうしてそれが分からないのだろうか……。

 耐久力はある方だから早々簡単に細切れにはならないが、しかし本当にバラバラにされたら間違いなく死ぬ。

 夢の中で死んだとして本当に死ぬかどうかは分からないが。何にせよそんな事は願い下げだ。

 

「細切れにされるなんて願い下げだし、そもそもさっきもその妹にも言った事だが、俺はお前たちに捕まる気など毛頭無い」

 

「知るかよ。俺はなぁ、やられた分は必ず取り立てるぜ。

 死ぬ時グルグル巡らせろ、俺の名は妓夫太郎だからなああ」

 

 そう言うなり、ただの役職名でしかない筈のそれを己の名だと語った兄鬼──『妓夫太郎』は。

 目の前に居る自分に向かってその武器を振るうのではなく、屋根をぶち抜く勢いで一度に十数もの斬撃を足元に加える。その攻撃に耐えられる筈など無く、屋根は崩壊し足元が一気に崩れ落ちる。

 女鬼を屋根の上に残して、その場の全員が一気に二階の座敷へと落ちてしまった。

 そこには遊女と客が居て。突然の出来事に固まっていた彼等を宇髄さんが抱えて守り、そして自分は彼等をついでに虫ケラを潰す様な感じで襲った斬撃から守る。

 

「此処は危険です! 早く此処から離れて下さい! 

 炭治郎! 伊之助! 善逸! 

 この辺りの人達を少しでも遠くに逃がしてくれ! 早く!!」

 

 こうなってしまっては被害を出さずに事態を収める事は不可能だ。ならば少しでも人的被害を減らすよりほかに無い。それですら果たして何処まで可能なのかは未知数である。

 妓夫太郎の攻撃は今繰り出している鎌の攻撃だけでも凄まじい威力と広い攻撃範囲を誇り、そして周囲に被害を出す事に一切躊躇しない。何なら、この吉原中を破壊し尽くす様な攻撃だってやってしまうだろう。

 此処は彼等にとってはあくまでも餌場でしか無くて。その全てを放棄する事は多少は惜しいだろうが、それ以上の執着は無いだろうから。

 反対に此方はそんな被害を出させる訳にはいかないし、更に言えば可能な限り被害を留め、この夜に何があったのかを知る人の数は減らさなければならない。鬼殺はあくまでも世間の影で行われるべき事だからだ。

 それには様々な理由があるし、鬼の存在を大々的にしない方が良い理由も容易に想像が付く。

 この先の未来でこの国や世界に何が起きるのかを考えれば、ほぼ不老不死の『化け物』が存在しかつ増やす事が出来るなんて事を、世に知らしめる事を憚るべきである以上に国の中枢に関わる様な人たちの目から隠すべきだと分かってしまう。最悪、自分の知るこの先の戦争の悲惨な被害に更なる悲劇が上積みされかねない。

 そんな訳で、多少の被害が出るのは止む無しであるものの、可能な限り隠蔽に努める事も鬼殺隊の役目だ。

 まあ、その役目の大半は隠部隊の人達が担ってくれるのだが、剣士たちが必要以上に暴れ回ってはいけないのは確かである。

 そんな不利を抱えながら鬼と戦うのは本当に厳しい。それでもやるしか無い。

 

 炭治郎たちは素早く動き、善逸が宇髄さんが抱えていた一般人たちを受け取って勢い良く外へと飛び出す。

 炭治郎と伊之助は周囲の店の人々に避難を促し始めた様だ。炭治郎が「爆弾が!」と叫ぶ声が聞こえたので、そう言うカバーストーリーで避難させる事にしたのだろう。まあ実際、何も知らない人々を国家権力でも無いのに有無を言わせずに避難させるとなれば、使える「言い訳」は限られてくるのであるけれども。

 

 宇髄さんと二人で妓夫太郎と対峙するが、妓夫太郎の表情に焦りは無い。

 その目は油断なく此方を分析しているかの様であった。

 

「妬ましいなぁあ。お前ら本当に、いい男ってやつじゃねぇかよなぁあ。

 人間庇ってなぁあ。格好つけてなぁあ。いいなぁあ。

 あいつ等にとってお前らは命の恩人だよなぁあ。

 さぞや好かれて感謝されることだろうなぁあ」

 

「良いな良いな」と言うのならこんな事をするのは止めてそうすれば良いだけだろうとは思うが。

 妓夫太郎のそれは別に感謝されたいだとかの欲求ではなく、単に自分が持っていないものを欲しいかどうかは別として妬むもののそれである。

 そんな妓夫太郎に対し、宇髄さんはまるで煽る様な事を煽る為の声音で言い出した。

 

「まあな、俺は派手で華やかな色男だし当然だろ。女房も三人居るからな。しかも全員美人だ」

 

 良いだろう? とでも言いた気な宇髄さんのその言葉に妓夫太郎は苛立ちを募らせた様にその身を掻き毟る。

 此方を観察するその目が変わった訳では無いが、苛立ちは思考を単純化させる。こうやって苛立たせるのは有効な戦法であるのかもしれない。

 自分も何か煽った方が良いのだろうかと考えたのだが、正直他人を煽るのはあまり向いていないし、何を言えばこの状況で煽れるのかもあまり分からなかった。

 

 自慢出来る様なもの……。菜々子とかだろうか? 世界で一番可愛い事は間違いが無い従妹から全幅の信頼を置かれ「お兄ちゃん」と呼び慕って貰っている事は疑い様も無く自慢出来る事であるけれど。

 しかしこの世界に菜々子はいないのだ。存在しない従妹を自慢しだすのは、流石にちょっとどうかと思うのだ。傍から見れば完全に気が狂っている。

 他に何かあるだろうかと考えて、陽介という最高の『相棒』が居る事だとか、特捜隊の皆という何よりも大切な強い絆で結ばれた仲間達が居る事だとか、アメノサギリやイザナミを倒して混迷の霧を晴らした事だとか、マーガレットさんと一対一で戦って彼女に自分の答えや可能性を示せた事だとか、海の主を一日で三匹も釣った事だとか、狐と一緒に神社を立て直した事だとか、完二に教わって始めた手芸が結構そこそこ良い感じになってきた事とか、まあそんな事が思い浮かんだけれど。

 しかしそれを妓夫太郎に言ったとしてそれの素晴らしさが伝わるのかは微妙な所である。

 なので、妓夫太郎を煽るのは止めておいた。

 

「お前女房が三人もいるのかよ。

 ふざけるなよなぁ!! なぁぁぁ!! 許せねぇなぁぁ!!」

 

 宇髄さんの煽りに相当腹が立ったらしい妓夫太郎は、キレた様にそう叫ぶと。

 

 ──血鬼術 飛び血鎌

 

 手に持った鎌を振るって、剃刀の刃よりも薄い、血で出来た刃の様な斬撃を十数も飛ばして来る。

 高密度に飛ばされたそれを全て回避する事は難しく、直撃しそうなそれを見極めつつ斬り砕くも、壊す事無く回避した血の斬撃は座敷の壁を障子紙か何かの様に容易く斬り裂いて家屋を破壊した。

 極め付けは避けたと思ったそれが軌道を変えて再び凄まじい速さで迫って来る。どうやら厄介な事にホーミング機能も付随した血鬼術である様だ。一々叩き壊さなければ段々追い詰められていくと言う事になる。

 宇髄さんと二人で手分けして追って来た刃を叩き壊すが、次から次に血の刃は飛んで来るのでキリが無い。

 更には、砕いた際に飛び散った破片にも何だか嫌な感じがしたのが気に掛かる。

 もしや、この血には何か凶悪な効果が付随しているのだろうか。

 あの上弦の弐の鬼の操る血鬼術の氷の様に、飛び散ったそれを吸い込むだけでも危険な事になる可能性もある。

 

「宇髄さん、ヤツの血に気を付けて下さい。嫌な予感がします。

 上弦の弐の氷みたいに、吸い込んだりすると危険な血なのかもしれません」

 

「そりゃあまた面倒な事になりそうだな」

 

 直感を信じてくれたのか、宇髄さんは嫌そうな顔をする。

 砕かないとどうしようもないのに砕くだけでも危険な血で出来たホーミング機能付きの刃なんて、凶悪過ぎる。

 しかもその斬撃を生み出す数に上限は無いのか、妓夫太郎は凄まじい速さで鎌を振るっては数百もの刃で斬り刻もうとしてくる。剃刀よりも薄い刃なのに、集まり過ぎてて最早「面」と言った方が良い様な攻撃だ。

 血の壁と化した斬撃によって、妓夫太郎の姿を一時的に見失ってしまうのも厄介である。

 そんな飛び道具を乱打されては、中々接近する事も難しい。

 日輪刀で首を刎ねる為にはどうしたって接近しなくてはならないのに。

 

「宇髄さん、ちょっと息止めててください。一気に吹き飛ばしますから」

 

 家屋を破壊してしまう事は申し訳無いが、もう此処まで壊れてしまってはこれ以上ちょっとやそっと壊れても変わらないだろうと思う事にして、血の刃を一掃するべく『ガルダイン』による暴風の刃で一つ残らず吹き飛ばす。周りに被害が極力出ない様にと加減はしたのだけれども突如室内に吹き荒れた暴風によって家屋の破壊が進み、風の刃が斬り刻んでしまった屋根を大きく削った上に二階部分に在った襖や窓が全て吹き飛んでしまった。豪勢な襖が見るも無残な姿になっているのを見ると、申し訳無くなってしまう。仕方が無いとして割り切るしか無いのだけれど。

 

 暴風の刃が薙ぎ払ったそこに、妓夫太郎の姿は見えない。

 何処に行ったのかなどと考えるまでも無い。妹の居る屋根の上だ。

 宇髄さんも即座にそれに思い至った様で、二人で屋根に空いた大穴から上に飛び上がると。

 妓夫太郎と、その肩に抱き着く様にして此方を睨んで来る随分と様子の変わった妹鬼の姿があった。

 妹鬼は此方を見ると少し怯えた様にその身を震わせたが、しかし妓夫太郎が「大丈夫だ」とばかりに肩に置かれたその手を撫でてやると恐怖を乗り越えた様な顔付きになる。

 

「大丈夫だからなぁあ、兄ちゃんが一緒に戦って勝てなかった事なんて一度も無かっただろ。

 柱が何人来ようが、『化け物』が相手だろうが、俺達は二人なら最強だからなぁあ。

 俺達は二人で一つだからなぁあ。ほぅら、もう何も怖くないだろう」

 

 妓夫太郎の言葉に妹鬼は頷いて、此方を精一杯に睨みつけて来た。

 その額には、何故か三つ目の瞳が現れており、そして妓夫太郎の左眼は喪われたかの様に閉じられている。

 己の眼を妹に与えたのか? でも、一体何故。

 その理由は分からないが、妹鬼の気配が妓夫太郎のものに近くなったのを感じた。

 この状態が、この二人にとって最高のパフォーマンスを発揮出来る状態なのだろう。

 

「全く、お前らは今まで殺してきた柱の連中よりもずぅっと厄介だなぁあ。

 生まれた時から特別で、選ばれた才能を持っているんだろうなぁあ。

 妬ましいなぁあ、一刻も早く死んでもらいたいなぁあ」

 

 その言葉が心の何かの琴線に触れたのか、宇髄さんは妓夫太郎の言葉を鼻で笑い飛ばす。

 自分程度に才能がある様に見えるんだったら、よっぽど狭い世界で生きて来た幸せな人生だったのだろう、と。

 そう己を卑下する様に宇髄さんは言う。

 助ける事が出来なかった命を振り返っては己の無力を噛み締める事しか出来なかったのだと、そうその声は訴えていた。そんな程度の存在を、選ばれているだの才能があるだのと、片腹痛い、と。

 

 宇髄さんが何を抱えているのかまでは知らないが。しかしその手から零れ落ちてしまった沢山のものの事を忘れる事が出来ない優しい人なのだという事は分かる。

 でもきっと、宇髄さんの手が助けてきたものも沢山ある筈だ。

 ならば、胸を張らなければならない。助ける事が出来た人達の為にも。

 そう煉獄さんが自分に言ってくれた様に。

 人は喪ってしまったモノばかりを考えてしまいがちだけれども、自分の手が成し得た事をきちんと受け止めていく事もまた必要なのだから。

 しかし、それは今言うべき事でも無いだろう。

 

「俺は、自分が特別だとか何かに選ばれただとか思った事は一度も無い。

 自分が成すべき事を、出来る限りの事を、してきただけだ」

 

 人々の望みを量る為の盤上の駒としてイザナミに選ばれたが、別にそれは自分でなければならなかったと言う訳では無いだろう。偶然、そのタイミングで其処に居たのが自分だったと言うだけでしかない。

 そこにワイルドの力まであった事に関しては予想外だったそうだが、まあきっとワイルドの力だって探せば色んな所に居るものだろう。

 ほんの少し条件が違えば、自分が果たした役割に収まっていたのは足立さんだったのかもしれないし、或いは生田目であったのかもしれない。……足立さんに関して言えば、あの始まりの季節の時点で相当自暴自棄になっていたから難しいかもしれないが。しかし彼だって、何か自分の心の虚ろを満たす「目的」さえあれば、もっと別の道があったのではないかと思うのだ。

 だからこそ自分は、自分が特別なのではなくて、誰もが出来る役割に偶々居合わせたのが自分だったと言うだけなのだと思う事にしている。その先に真実を追い求める事を決めたのは間違いなく自分自身の意志であったが、イザナミが意図した演者の割り当てと言う意味では、きっと「誰でも良かった」のだ。そう思う方が、救いがある。

 

「ハッ、『化け物』のクセに随分とお綺麗事を言うのが好きなんだなぁあ。

 綺麗な世界しか知らねぇって言わんばかりのその顔、反吐が出るなぁあ。

 この世には神も仏も居やしねぇが、もし居るとしても、お前みたいな『化け物』には全部与えるくせに、何も与えなかった奴からは取り立てやがるクソみてぇな存在なんだろうなぁあ」

 

 ハッキリと、この上無い程の嫌悪に満ちた表情と共に妓夫太郎は吐き捨てる様に言って、苛立ちの余りにその身を再び搔き毟る。

 

「才能が無いだなんて事を言うが、じゃあお前らがまだ死んでない理由は何だ? 

 俺の『血鎌』には触れても吸っても死ぬ様な猛毒が含まれているのに、何時まで経ってもお前らは死なねぇじゃねぇかオイ、なあああ!!」

 

 苛立ち紛れに飛ばしてきた血の刃を、全て『マハブフダイン』で細かく砕きつつ氷漬けにして血の断片が飛散しない様にした。

 それを見た妓夫太郎が「『化け物』め」と零す。……鬼の間では自分は『化け物』と言う認識で固定されているのだろうか……。気にする程の事でも無いが、この先も鬼と戦う度に『化け物』と連呼されるのかと思うとあまり良い気はしない。

 

「嫌な予感がしたから最初から触れない様にしていた。

 それに悪いけど、今の俺に毒は通用しない」

 

 今は毒を完全に無効化出来るペルソナを使っているから、毒は効かない。ついでに物理攻撃は反射する。

 ペルソナを自在に切り替えて戦うのはワイルドの基本ではあるが、相手取るとなると「反則」と言っても良い力だ。マーガレットさんと戦った時に、この世の「理不尽」を味わい尽くしたので相手の気持ちもよく分かる。

 そう言う意味では、『化け物』呼ばわりもむべなるかなと言った所か。物理無効でも大概理不尽だと思うのに、反射だの吸収だのなどされた日には、『化け物』と罵りたくなっても仕方無い事なのかもしれない。

 

「俺は忍の家系だからな。元々毒には耐性があるし、コイツのお陰でまだ掠っても吸っても無いんだ」

 

 残念だったなぁ、と。煽る様に嗤いながら宇髄さんが言ったその言葉に、妓夫太郎は額に青筋を浮かべる様にして素早く腕を何度も振るって刃を飛ばしてくるが、その速度を既に見切っていた宇髄さんは躊躇う事無くそこに身を突っ込ませる。「援護は任せた」と、そんな宇髄さんからの無言の信頼を感じて、頷きながら血の刃を全て叩き落す様にして氷漬けにした。

 屋根の上は忽ち様々な場所が凍り付くが、宇髄さんは的確に足場を確保しつつ蹴りながら加速する様にして突っ込む。

 鎖で繋がれた双刀を的確に操って、小さな黒い球の様なものを撒くと同時に刀を幾度も素早く振り抜いた。

 妹鬼による幾重にも重なった帯の瀑布の如き攻撃と妓夫太郎の血の刃の猛攻が襲い掛かるが、宇髄さんの攻撃によって帯は成す術も無く斬り裂かれてゆき、妓夫太郎の攻撃は全て宇髄さんに届く前に凍り付いてゆく。

 氷によって足元を貫かれた妹鬼は咄嗟に伸ばした帯が黒い球に触れた瞬間に爆裂した様に引き千切られ、その隙を逃す事無く宇髄さんに首を斬られる。

 そして、そのまま宇髄さんは妓夫太郎の首を狙うが、妓夫太郎は凄まじい反応速度でそれに対応し、両腕に血の刃を纏わり付かせて宇髄さんを弾き飛ばした。

 宇髄さんは斬られる直前に防御した為、妓夫太郎の腕の力で吹き飛ばされる様に大きく後退しただけで済んだが、遠距離攻撃も得意な相手に距離を空けてしまえば一方的に嬲られるばかりである為、その状況に舌打ちをする。

 だが、宇髄さんを弾き飛ばした状態の妓夫太郎も僅かに体勢を崩している。

 その為、血の刃を気にせずに一気に相手の懐に飛び込んで、全力で斬り上げてその顎を叩き斬った。

 本当は頭部を矢状断にするつもりだった一撃は、直感か何かを感じ取った妓夫太郎の咄嗟の回避で避けられてしまったが、ゼロ距離まで接近出来たのは好都合だ。

 一気に距離を詰められた事に焦った妓夫太郎は腕に纏わり付かせた血の刃で振り払おうとするが。目の前の存在を無残に斬り刻む筈だったその刃が触れた瞬間に、逆に自分の腕が斬り刻まれて弾け飛んだ事に、妓夫太郎は反射的に動きを止める程に驚愕する。

『化け物』め、とそう呻いた妓夫太郎の頸を掴んで、力任せに押し倒す。

 そして、その四肢を凍り付かせてその場に固定した。

 妓夫太郎は凄まじい膂力で抵抗し、血の刃を何度も発生させてその拘束を逃れようとするが、それをこちらも馬乗りになる様にして全力で押さえ付ける。暴れ回る妓夫太郎のその力の所為で、屋根に罅が走り始め崩壊が間近に迫り始めた。

 付近の人達は無事に避難出来ただろうか。そんな事も頭を過るが、しかしそれを気にし続ける余裕は無い。

 とにかく、今は動きを止めなければ。

 

「宇髄さん! お願いします!!」

 

 宇髄さんは分かったと答える事も無く、余りにも素早く静かな足運びで接近していた。

 それにギリギリになって気付いたのか、妓夫太郎の目が驚愕によって見開かれる。

 宇髄さんに頸を斬って貰う為に、頸を押さえ付けていた手を離して、その空いた手で暴れる四肢を拘束する為に全力で抑え込む。

 宇髄さんの振り被った双刀によってその頸が斬られるその直前に。

 

 

「── 血鬼術 黒縄畏熟(こくじょういじゅく)!!」

 

 

 全てが、毒の血の沼に沈んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
心には何時も菜々子や仲間たちの笑顔。最近はそこに炭治郎たちの笑顔も加わっている。
妓夫太郎の妹を思う気持ちはとても分かるのだが、それ以外の部分は何一つとして相容れない。
寸刻みにされたら普通死にますが……?と何言ってんだコイツと言う視線を妓夫太郎に向けたが、物理反射やら吸収やら無効を平然と付けている時点で何の説得力も無い事には気付いていない。
耐性って理不尽だよね……と言うのは、マーガレット相手に単騎で戦った経験から身に染みているのに。
他人をわざと煽るのは苦手だが、自然と煽る事はある模様。


【宇髄天元】
悠の力を見て、得体の知れない異能持ちって本当に居るもんだな……と世界の広さを体感中。
もし悠が善良さの塊では無かったら、物凄く警戒していたかもしれない。


【かまぼこ隊の三人】
宇髄さんの嫁三人や宇髄さんが呼んだ隠部隊と一緒に避難誘導中。
流石に吉原全域を避難させるのは難しいが、戦場に成り得る場所からの民間人の避難は概ね完了。
この場は宇髄さんのお嫁さん達に任せて、自分たちはそろそろ悠達に合流しようかと考えている。


【堕姫】
お兄ちゃんと一緒なのでメンタルダメージがちょっと回復して来たがやはり悠は恐い。
何でこんな『化け物』がこの世に居るのかと本気で思っている。
鬼よりも余程『化け物』なのに、普通に人間に混じって楽しそうに日々を過ごしていると知ったらきっとSAN値チェック。
実は色々と強化はされているが、宇髄さんや悠に通用する程では無かったのでそのお披露目はもう少し先。


【妓夫太郎】
悠の事が生理的なレベルで気に食わない。
この世に存在して欲しくないレベル。
何でこんな『化け物』が天から何もかも与えられてこの世にのさばっているのかと真剣に思っている。
もし悠が菜々子自慢をしていたら、僅かに分かり合えていたかもしれないが……それは夢のまた夢。八十稲羽で青春している話をしたらブチ切れていた。
原作以上に身体能力の他に毒も強化されたので、攻撃が掠る他にも飛び散った血の欠片に触れるだけでも常人なら即死する。毒耐性がある宇髄さんなら多少は持つが、炭治郎たちだとほぼ即死。伊之助はギリギリ禰豆子に爆血して貰う余裕はある。


【この作品オリジナルな血鬼術】
『黒縄畏熟』
無惨様からのボーナスによって獲得した妓夫太郎の新たな血鬼術。毒の血で出来た沼の様なもので、効果範囲は妓夫太郎を中心に大体半径十メートル弱。
周辺に強い毒気を撒き散らし範囲内のものを全て呑み込む様にして破壊する。沼からはほぼ無尽蔵に『飛び血鎌』が展開され、かつその形状や速度も自由自在。鎌の刃状のもの以外にも、棘の様な形にも生成出来る。
血鬼術の展開にやや時間が掛かり消耗も激しいので乱発が出来ない事だけがネック。
効果範囲にある物を破壊したり相手の体力や命を奪えば、奪う(取り立てる)程にその威力が増していく。
その効果範囲はまさに「死の領域」と言っても過言では無い。


【今回使ったペルソナ】

『アリラト』(氷:無、雷:弱)
・フォトンエッジ(PQ)
・マハブフダイン
・マカラカーン
・マハラクカオート、大治癒促進
・不動心(PQ)、物理反射(P3P)、毒無効(PQ)


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『死線を越えて』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 宇髄さんと悠さんが戦っている場所の近くからは粗方の避難が完了した。

 宇髄さんのお嫁さんたちが協力してくれたと言うのも大きいし、何より宇髄さんが何時の間にか応援として呼んでいた隠の人達の手際が迅速だった事が大きかった。

 流石に吉原の全域をこの短時間で避難させる事は不可能だが、この範囲の人々を避難させておけば余程の事が無い限りは戦闘に巻き込まれて死ぬ人は出ないだろう。

 巻き込んではいけない人々が大勢密集している場所で戦う事は苦手なんだと零していた悠さんが少しでも楽に戦える様になれば良いのだけれど……。

 

 二人が戦っている筈の場所からは引っ切り無しに何かが破壊される音や爆発音などが響いている。

 苦戦しているのか、それとも善戦しているのかすらも此処からではよく分からなかった。

 柱と比べればまだまだ力不足である事が明白な俺たちが戦闘に参加して何が出来るのかは分からないけれど、だが弱いからこそ出来る事もあるかもしれない。

 それに、途中で現れた妓夫太郎を相手取るのは無理だとしても、妹鬼だけでも三人で引き受ける事が出来れば二人の負担は大分減る筈だ。

 眠っているらしい善逸はともかく、伊之助は闘志に満ちていて今度こそあの気持ち悪い蚯蚓帯を全部引き裂いてやると気炎を上げてすらいる。

 その為、これ以上の避難誘導はお嫁さんたちや隠の人たちに任せて、俺たちは二人が戦っている場所に駆け出した。

 

 しかし、後少しで辿り着けると言うその時に。

 目の前にある建物の周囲が全て、まるで底なし沼に沈んでいくかの様に瞬く間に消えた。

 そして足元には血の沼の様な、悍ましい程に強い鬼の臭気を漂わせた何かが広がり、俺たちを呑み込もうとする。

 

「炭治郎! それに触れるな!! 今直ぐ退け!!!」

 

 悠さんの絶叫の様なその指示に、瞬間的に地面を蹴る様にして、急速に広がるその血の沼から距離を取った。

 だがその瞬間に無数の杭の様に見える極太の棘がその沼から現れて俺たちを串刺しにしようと襲い掛かる。

 咄嗟に日輪刀を構えてその棘を破壊しようとするが、「触れるな」と全力で警告したその悠さんの言葉が脳裏を過ってしまい判断が僅かに遅れてしまった。

 その為、ほんの一拍程の隙に眼前まで禍々しい棘が迫って来ていて。

 何とか致命傷は避けなくては、と。少しでも身を捻ろうとしたその時。

 

 目の前に巨大な氷の壁が瞬時に現れて、その氷の壁に阻まれて、凶悪な棘は後僅かの所で俺の目の前で止まる。

 そして、無数の棘に削られても完全には破壊されなかったその氷の壁の上に、大小様々な無数の傷を負った宇髄さんを肩に担ぐ様にして支えている悠さんが降り立った。

 

「あの兄の方の鬼の血鬼術には、触れるだけでも即死する程の毒が含まれている。

 砕いた欠片を僅かに吸い込むだけでも大変危険だ。だから炭治郎たちは極力近付くな。

 あの鬼は俺と宇髄さんで何とかするから」

 

 焦った様にそう早口で言った悠さんは、担いでいた宇髄さんを降ろして、その傷を癒す。

 悠さんが言っていた様に毒にやられていたのか苦しそうに血を吐きながら咳き込んでいた宇髄さんは、悠さんの力で傷と同時に毒に侵された身体も癒されたのか、苦痛から解放された様に大きく息をした。

 

「すまん、助かった。まさかあんな切り札があるとはな……」

 

「間に合って良かったです。……しかしあれでは接近する事がかなり難しいですね。

 猛毒の血の沼に、そこから無数に発生する展開速度も形状も自由自在な血の刃。……質が悪い」

 

「それだけじゃないな。多分、あの鬼は単純に頸を斬るだけでは殺せない。

 妹の方の頸も同時に落としておく必要がありそうだ」

 

 その宇髄さんの言葉に、悠さんは驚いた様に息を零す。

 そして、僅かに唸る様にその考えを口にした。

 

「流石にあの二体を同時に相手しながら、同時に頸を斬る事は出来ないと思います。

 俺の刀では、幾ら頸を斬っても殺せないので……。

 妓夫太郎の方は、俺たちで相手をするしか無いですね。

 なら、あの妹鬼の方は……」

 

 だがその続きを言葉に出来ないのか、悠さんは迷う様にその視線を此方に向ける。

 悠さんは、心配しているのだ。

 幾らあの妓夫太郎よりはマシとは言え、あの妹鬼が今の俺たちにとっては三人で協力してもその首に刃が届くかどうか分からない程に強い相手ではあるから。あの鬼の臭いだけで、今まで俺たちが直接戦ってきたどの鬼よりも強い事は分かる。

 それでも、俺たちは鬼殺隊の隊士なのだ。

 鬼と戦う事から逃げる訳にはいかないし、強い誰かに守られ続ける訳にもいかない。

 

「俺たちが斬ります。だから、悠さんと宇髄さんはあの兄の方の頸を、お願いします」

 

「……ありがとう、炭治郎。伊之助も、善逸も、どうか、頼む。

 あの妹鬼の攻撃は、帯による斬撃だ。

 帯は伸縮自在で柔軟性に富み、切断には速度が重要だ。

 それと、恐らく兄の方の毒程では無いだろうが、妹の帯の方の攻撃にも注意してくれ。

 くれぐれも命を大事にして欲しい。

 絶対に死ぬなよ、三人とも」

 

 悠さんがそう言い終わるのとほぼ同時に、無数の帯の斬撃が頭上から降って来た。

 その瀑布の如き攻撃を悠さんと宇髄さんは難無く捌く様に斬り裂くが、それを操る妹鬼本体は何時の間にか俺たちの背後に回り込んでいた。

 

「誰が誰の頸を斬るって? 

 言っとくけど、そこの『化け物』でも柱でも無い、アンタたちみたいな弱っちい下っぱが何人集まった所で無駄だから」

 

 そう言って、無数の帯の斬撃が俺たちに襲い掛かる。

 悠さんはその帯の斬撃から俺たちを守ろうとするが、それは血の池地獄から無数に放たれた致死の血の刃によって阻止された。

 

「おっとぉお、お前らの相手は俺の方だろぉ? 

 余所見なんてしている暇は無いからなぁあ」

 

 帯の斬撃よりも更に脅威である怒涛の致死的な攻撃を往なす為、悠さんたちの意識は完全に妹鬼から外れる。

 自分たちの方を狙っているならまだしも、俺たちを狙うその帯の全てに対処し切る事は出来ないと思考を切り替えたのだろう。

 しかしそれは見捨てられたと言う訳では無くて、俺たちなら切り抜けられると思ってくれたからだと思う。

 なら、その信頼に応えなくてはならない。

 

 縦横無尽に周囲を斬り裂きうねりながら迫り来る帯のその斬撃は、目で追い切れる様な速さでは無くて。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな事が何時出来る様になったのか、何時分かる様になったのかは分からない。だが、身体が反応するよりも前に、もっと深い場所にある何かがそれを識っていた。

 避けられる攻撃、往なさねばならない攻撃、斬り裂いて捌かねばならない攻撃の其々を、異なる匂いが教えてくれる。

 考えるよりも早く、「何か」が身体を動かす。だがそれは操られていると言う訳では無くて、自分と言う存在の深い場所に叩き込まれた「何か」をなぞっている様な、そんな動きだった。

 視界を覆い尽くす程の無尽の帯の斬撃を、俺は最小限の動きで捌き続ける。

 僅かに避ける瞬間がズレるだけで忽ち寸斬りにされる筈のその攻撃を、恐れる事無く避けられた。

 もっと絶望的な戦いを識っている気がした。もっと理不尽な暴力を識っている気がした。

 生きているのだから当然それを知らない筈なのに、「死」がどんなものかを自分はもう識っている気がした。

 何度も何度も経験したそれは、自分が限界だと思っていたそれを押し広げる様に更に先へと進ませていた。

 どうしてそんな事が出来るのかは分からないが、だが今この場に於いて、その力は間違いなく勝利への鍵になる。

 僅かな余裕に周囲に目を向ければ、善逸も伊之助も傷一つ無く鬼の攻撃を捌き切っていた。

 自分と同様に、鬼の猛攻に息一つ切らしていない。二人も、自分と同じなのだろうか。

 自分が思っていた実力以上の力が出ている気がするが、しかしそうでは無いと言う事も分かる。

 元々可能だったが自分には出来ないと思い込んでいた事を、その認識を正されただけなのだ。恐らくは。

 誰が何時どうやってそんな力を自分たちに付けさせたのかは分からないけれど。

 だが、それによってこの鬼の頸に刃が届くのであれば、何だって良い。

 

「ちょこまかと鬱陶しいわね。避ける力はあるみたいだけど、避けてるばっかりじゃアタシの頸は斬れないのよ? 

 それに、そうやって避け続けるのも何時かは限界が来る。

 そうなったら、ゆっくりと手足を捥ぎ取って殺してあげるわ。

 そこの猪頭はともかく、醜いやつらを喰う気は無いけどね」

 

 鬼の攻撃を回避している内に、悠さんたちからは随分と引き離されてしまっていた。

 それがこの鬼の狙いなのかもしれないが、しかしこちらとしても好都合である。

 悠さんたちの戦いにこの鬼を割り込ませる訳にはいかないのだから。

 

 既に避難が完了した人気の無い遊郭では、どれ程鬼が暴れ回った所で無辜の人々が巻き添えで命を落とす事は無いし、そしてこの鬼も人を喰って消耗を回復する事も出来ない。

 ほぼ無尽蔵に回復し疲れを知らないと言っても良い鬼ではあるが、厳密にはそうでは無い。

 血鬼術を使ったり、或いは身体の欠損を回復させるなどすればそれ相応の力を消費して餓えていく。

 禰豆子はそれが眠りによって賄われるが、鬼は人を捕食する事でそれを補う。

 その鬼が強ければ強い程削り切る事は難しいが、捕食させないと言うのは鬼と戦う上では最重要な事だ。

 現状ではそれを気にしなくても良くなったのは純粋に有難い事である。

 

 とは言え、鬼が言う通り、避けているだけでは頸を斬る事は出来ない。

 そしてそれは鬼も分かっているのか、絶対に己に近付かせない様にと鬼はその帯を縦横無尽に動かしている。

 四方八方から襲い掛かるそれを搔い潜って攻撃する事は困難だ。

 だが、俺は一人じゃない。善逸と伊之助が共に戦ってくれる。

 なら、必ず勝機は何処かにある筈だ。それを焦らずに見極めなければならない。

 

「あの『化け物』は随分とアンタたちを気に掛けているみたいだからね。

 アンタたちの無残な屍を見たら、どうなるのか楽しみでしょ? 

 ああ、殺す前に引き裂かれて虫の息になったアンタたちを人質にとってみるのも良いかもしれないわね」

 

 見た目だけなら息を呑む程に美しい(かんばせ)を醜い嗜虐心に歪ませて。

『化け物』、と。そう鬼は悠さんの事を謗る。

 あの妓夫太郎といい、この妹鬼といい。彼等は悠さんの事を『化け物』だと宣う。

 そんな暴言を聞いていると、段々と無性に腹が立ってきた。

 確かに、悠さんには普通の人には無い力があるけれど。しかしその力を以て誰かを傷付けたりなど絶対にしないし、悲しみを撒き散らしたりもしない。大切な人たちを守る為なら人智を超えた力を持つ神様とだって戦ってしまう程に、優しく真っ直ぐな人なのだ。

 命の大切さを知りそれを慈しむ事の出来る、人としての善良な心を疑い様も無く持っている人だ。

 鬼にとっては取るに足らないのだろう誰かの小さな幸せを、一生懸命に守ろうとする人だ。

 どうしてそんな人を『化け物』だなんて罵れるのか。

 鬼が口にするその言葉には、この世の理を逸脱しているかの様な力を揮う存在に対する畏怖の念が籠っている事は勿論分かっているけれど。

 だがどうしたって腹が立つのだ。

 

「悠さんは『化け物』なんかじゃない。

 人を傷付ける事を、命を奪う事を、反省もせず悔みもしないお前たちと一緒にするな。

『化け物』はお前たちの方だ」

 

「馬鹿じゃないの? あんな『化け物』と平気な顔で一緒に過ごせる時点で、アンタの頭がおかしいわ。

 人間ごっこをしているだけの『化け物』じゃない、あんなの。それとも、見た目が人間なら何でも良いって訳?」

 

 心底信じ難いとでも言いた気にその顔を歪めて、鬼は吐き捨てる様に言う。

 その狂人を見るかの様な眼差しに、自分たちの行いを顧みる事も無いその言動に、怒りが更に募る。

 伊之助と善逸も鬼に対して怒っている様で、二人からは強い怒りの感情の匂いが漂ってきた。

 

「俺の子分に変なイチャモン付けてんじゃねーぞ、蚯蚓女! 

 カミナリは、お前らみたいな気色悪い感じは全然しねぇし、すっげーほわほわさせてくるヤツだ!」

 

 興奮した様に鼻息を荒くしながら伊之助は憤慨して。

 そして善逸は眠っていながらもしっかりとした口調で話す。

 

「俺は君に言いたい事がある。

 耳を引っ張って怪我をさせた子に謝れ。

 例え君が稼いだ金で衣食住を与えていたのだとしても、あの子たちは君の所有物じゃない。

 何をしても許される訳じゃない」

 

「詰まらない説教を垂れるんじゃないわよ。どんなお綺麗事を言った所で、この街じゃ女は物よ。

 売り買いされて時に壊されて塵の様に命を投げ捨てられて、持ち主の好きにされるしかない。

 美しくない者には飯を食う資格も、人間として扱われる事も無い。

 でもアタシは違う。

 鬼は老いない、美しさが褪せる事も無い。

 人間は何処にでも転がっているのだから喰っていく為のお金も要らない。

 病気にならない、死なない。何も喪わない、何も奪われない。

 美しく強い鬼は、何をしても良いのよ」

 

 鬼である事をそんな風に誇らし気に宣い、人を喰う事に微塵も後悔を懐かないその傲慢さを恥じる事無く高らかに謳う。だが……鬼の言ったそれらは、かつて鬼自身がその身に受けて来た仕打ちなのだろうか。

 この街でその絢爛豪華な夜の光の影で人の命を貪ってきたこの鬼は、かつてはこの街の歪な闇の中にその身を置いて生きていたのだろうか。それは分からない、そしてどうであるにせよ今この鬼が人を喰らい哀しみの連鎖を生み出している事には間違いが無い事だ。

 

「自分がされて嫌だった事は、人にしちゃいけない」

 

 そう言いながら柄に手を添える善逸は眠っている。だが、その匂いはしっかりとした感情を持ったものである。

 人に悪意を向ければ、その悪意は必ずより大きな悪意となって返って来る。

 情けは人の為ならず、誰かに向けた善意や善行が巡り巡って何時か自分の助けになるのならば。

 悪意や悪行もまた巡り巡って己に返って来るものであるのだろう。

 因果とは因縁とは、そう言うものなのだから。

 だが、その善逸の言葉は鬼には届かなかった。

 今更届いた所でもう引き返せないものではあったのかもしれないが。

 

「……違うなあ、それは。人にされて嫌だった事、苦しかった事を、人にやって返して取り立てる。

 自分が不幸だった分は幸せな奴から取り立てねぇと取り返せねえ。

 それが俺たちの生き方だからなあ。言いがかりを付けて来る奴らは皆、殺してきたんだよなあ。

 お前らも同じ様に喉笛掻き切って、あの『化け物』の前に晒してやるからなああ」

 

 歪んだ笑みを浮かべながら、その額に在る三つ目の目玉をギョロつかせながら鬼は言う。

 その口調は、どう聞いてもあの兄である妓夫太郎のものであった。あの目玉を通して、兄妹は繋がっているのだろう。

 

 ── 血鬼術 八重帯斬り・酔生

 

 二十以上の帯が縦横無尽に駆け巡り、交叉して逃げ場を潰しながら凄まじい速さで迫り来る。

 伸縮自在に撓んでは周囲を斬り裂く鋭い斬撃の全てを見切る事は難しいが、しかし身体は「死」の匂いを的確に予測してそれを回避していく。

 だが、その帯の斬撃の隙間を縫うかの様に、血で出来た刃が四方八方から迫った。

 掠るだけ、その断片に触れるだけで死に至る猛毒の血鬼術によるものだ。

 死角から迫って来たそれを匂いの予測でギリギリで回避するが、避けた筈のそれは軌道を変えて帯の斬撃と共に再び迫って来る。

 何とか帯を斬り裂いて、同時に血の刃もどうにか砕く様に斬る事が出来た。が、その硬度は尋常なものでは無く、たった一つを壊すだけで日輪刀が僅かに刃毀れしてしまった。これではこの猛攻を持ち堪えられるかどうかが問題になる。血の刃は際限無く生み出されるものであるのに。

 更には、砕いた破片を吸わない様に息を止めて僅かにでも距離を取らねばならない事も厄介だ。

 宇髄さんたちが往なしていた妓夫太郎の攻撃一つとっても、今の自分達の実力では完全に対処し切れるかが怪しい。

 それよりもどうして妓夫太郎の血鬼術がこんな場所にまで届くのか。まさか二人がやられてしまったのか? と焦るが、周囲の建物が破壊されてゆく音が響いてきているので、多分二人とも大丈夫だろう。

 あの血の池地獄の範囲を考えると、そこから無数に生み出され自分達以外を狙った斬撃にまで全て対処し切る事は難しいのかもしれない。

 何であれ、二人がまだ戦っているのなら、自分達に出来る事を精一杯に成し遂げる事だけを考えなくてはならない。

 鬼の頸は未だ遠く、そもそも同時に斬らねばならないと言うのなら、それをどうやって向こうと合わせれば良いのかと言う問題もある。

 

「ぐぉおおおお!! 帯と一緒に血の刃が飛んで来るぞ! 何じゃこれ!! 

 血の刃も帯もグネグネ曲がって避けずれぇ! これじゃあ蚯蚓女に近付けねぇ! 

 同時に頸を斬らなきゃ倒せねぇのによ!!」

 

「伊之助落ち着け! 全く同時に斬る必要は多分無い。

 二人の鬼の頸が繋がってない状態にすれば良いんだ。

 とにかく頸を斬る事だけを考えよう!」

 

 熾烈な猛攻を躱しながら唸る伊之助に、普段の臆病さを置き忘れたかの様なキッパリとした口調で眠ったままの善逸が答える。その普段とは大違いの冴えた考えに、伊之助は驚いた様に善逸を見た。

 確かに、今はそれを考えるしかない。

 宇髄さんと悠さんなら、必ず何処かのタイミングで妓夫太郎の首を落としてくれる筈だ。

 

「こっちにはお兄ちゃんが居るんだから、アンタらみたいな雑魚が何人居ても意味無いのよ!」

 

 そう妹鬼が吼えるのとほぼ同時に、悠さんたちが戦っている少し離れた場所で巨大な黒い塊が急に天を覆い尽くさんばかりに吹き上がったのが見えた。

 それは、妓夫太郎の毒の血の塊で。吹き上がった大量の血は天を埋め尽くす程の夥しい数の刃となって驟雨の様に降り注ぐ。その真下で戦っているのだろう悠さんたちが、その攻撃に耐えている事を祈るしかなかった。

 しかし俺たちには悠さんたちの事を考えている余裕は殆ど無い。天から降り注ぐ無数の血の刃の内十数程が此方に向かって飛んで来ているからだ。

 妓夫太郎と妹鬼との完璧な連携が、何処までも俺たちを苦しめる。

 妹鬼の帯の斬撃が悠さんたちの方に向いていないだけマシと考えるべきだろうか。

 そう、妹鬼は妓夫太郎と違って、此方の相手に手一杯になっている。

 一度に操れる帯の数には限りがあるし、更には幾ら妓夫太郎と連携しているからと言って全ての戦況を妹鬼自身が把握して適切な手を尽くす様な真似も出来ないのだろう。

 この二人の関係性は、妓夫太郎の方が主で、妹鬼の方が従なのだ。

 だからこそ、その連携を崩す隙があるのだとすれば、妹鬼の方の側からだろう。

 

「一人が攻撃に集中して、二人で防御に徹しよう! 

 そうやって路を拓くんだ!」

 

「なら攻撃は俺に任せろ! グネグネ曲がろうが、複数方向から切り刻めば斬れる筈だからな!」

 

 伊之助はそう言って、威勢よく「猪突猛進!」と己を鼓舞する様に叫びながら突進してゆく。

 それを阻む様に帯と血の刃が乱れ舞うが、伊之助が爆進する路を守る様に善逸と二人で連携しながら切り拓く。

 二人で攻撃しつつ撹乱する様に動き回る事で、帯の狙いは僅かに精度を落とし、そこを捩じ込む様に伊之助は駆けて行く。

 

 ── 獣の呼吸 陸ノ牙 乱杭咬み! 

 

 そして、帯の様に柔らかく撓る妹鬼の首を、双刃を鋸の様にして挽き裂いた。

 そして、落とした首を持って伊之助は素早く妹鬼の身体から離れる。

 

「頸、取ったぞ!!! 

 取り敢えず俺は頸持って逃げ回るからな!! 

 お前らは身体の方の相手を頼む!!」

 

 頸を切ったからと言って、まだ妓夫太郎の頸は繋がっているからかそれで妹鬼が倒せた訳ではなくて。

 妹鬼の身体は、奪われた頸を求めるかの様に苛烈な攻撃を仕掛けてくる。

 しかし、頸を抱えられて視野を正確に確保出来ていないからか、その攻撃は苛烈であれど隙は大きい。

 無数の帯が周囲の建物を細切れに切り裂きながら伊之助に襲い掛かろうとするが、嵐の様な攻撃を俺と善逸が正確に切り裂いて伊之助を守る。

 

 鋭く、素早く、尚且つ戦い続けられる様に。呼吸は自然とヒノカミ神楽と水の呼吸が混ざったものになっていた。

 そのやり方を、記憶には無くても俺は何処かで既に識っていたからだ。

 善逸の目にも止まらぬ神速の居合斬りの軌道も、伊之助の変幻自在な太刀筋も、全部識っている。

 合同任務で何度か一緒に戦っているとは言え、三人一緒に同じ敵と戦った経験など無い筈なのに。

 いや、何処かで何度も一緒に戦った事がある様な気がする。

 でも、何時、何処で。

 分からない事だらけだが、今ここで戦う為の力になっている事は確かだ。

 

「糞猪!! 離しなさいよ!!」

 

 脇に抱えた頸が吼え、その髪を操って自分を抱える伊之助の腕を絞め上げようとする。

 だが、その髪が腕に巻き付くや否や、伊之助は空いていた手で振るった刀であっさりとその髪を切り裂いた。

 

「グワハハハ!! 攻撃にキレがねぇぜ!! 

 死なねぇとは言え急所の頸を斬られてちゃあ弱体化する様だな、グワハハハ!!」

 

 しかし、髪の一筋程に微かに血が滲んだ己の腕を見て、伊之助が怪訝そうに首を傾げる。

 

「ん? 何だか切られた所がビリビリするな」

 

「私の攻撃には相手を麻痺させる力があるのよ! 

 僅かにでも傷を負った以上、あんたもその内動けなくなるわ!」

 

 勝ち誇った様にそう言った妹鬼は、更に攻撃を仕掛けようと伊之助の腕の中で足掻く。

 だが、そんな足掻きを一蹴するかの様に伊之助は叫んだ。

 

「険しい山で育ってるから、俺に毒は効かねぇよ!」

 

 それが本当なのかそれとも痩せ我慢なのかは分からないが、少なくも伊之助には頸を離すつもりなど毛頭無い。

 一刻も早く悠さんと宇髄さんが妓夫太郎の頸を斬ってくれる事を願いながら、その時までを粘り続けなくてはならないのだ。

 だが、その時。

 

「俺の妹を虐める奴は皆殺しだって言ったよなぁあ?」

 

 妹鬼の口を借りて、妓夫太郎がそう喋る。

 そして、足場となっていた建物が無数の帯の斬撃によって崩壊し、更には。

 家を数軒丸ごと斬り刻めるほどに恐ろしく巨大な血の大鎌が、周囲の全てを薙ぎ払う様に何度も俺たちごと周囲を斬り裂いた。

 何とか大鎌の攻撃を避ける事は出来たが、周囲一帯が丸ごと崩壊するその瓦礫の雪崩に逆らいきれずに呑み込まれてしまう。

 瓦礫によって閉ざされる視界の中、帯の強烈な一撃を胸に受けた伊之助の身体がぐったりとした状態のまま崩落する建物の中に呑み込まれかけていく姿が見える。

 そんな伊之助を助けようとした善逸も、崩落する瓦礫の中から襲い掛かってきた帯の攻撃を足場の不足によって避け切れずに受けてしまって。

 俺も為す術無く崩落に巻き込まれる。技を出して凌ごうにも足場が足りず、そして瓦礫の質量を捌き切る事は出来ない。

 だからせめて禰豆子だけでも、と。瞬間的に判断して、咄嗟に肩紐を千切る様に外して、禰豆子が入っている箱を少しでも遠くへと投げる。

 乱暴にしてごめんな、禰豆子、ごめん。

 そう心の中で何度も謝る。

 地面に叩き付けられ瓦礫に押し潰される事を覚悟した。

「死」を感じているからなのか、まるで時の流れ自体がゆっくりと引き伸ばされながら進んでいるかの様にすら感じる。

 そして。

 

 

「──イザナギ!!!」

 

 

 まるで轟く雷鳴の如き、悠さんの咆哮が辺りに響いた次の瞬間。

 瓦礫と共に落ちていった筈の俺の身体は、何かに強く抱き締められ、そしてその何かは崩れ落ちる瓦礫をものともせずにその中を雷光の様な速さで動き回って、善逸と伊之助を助け出す。

 

 一体何が、と。

「死」に直面しかけたその衝撃も冷めやらぬままに、己を抱えるそれを見上げる。

 

 それは、不思議な姿をした異形の存在であった。

 鉄の仮面の奥から覗くその瞳は異質な金色に輝き、その頭部にはまるで鉢巻の様なものが棚引き、赤い裏地の黒い外套を身に纏う。

 だが何よりも不思議な事に。

 その異形からは紛れも無く、悠さんと同じ様な匂いがする。

 これは、悠さんなのか? いや、悠さんとは同じ匂いだけれど少しだけ違う。

 これは一体……? 

 混乱の極みにありながらも、この異形に自分達を傷付けようという意図は一切無い事は分かる。

 この異形は、味方だ。

 

 異形は腕に抱えた俺たちを優しくそっと地面に下ろして、その背に背負っていた巨大な剣を抜きながら。

 麻痺の毒にやられたのか動けなくなっている伊之助たちをその背に庇う様に、何時の間にか再び頸を繋げていた妹鬼へと対峙した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
妓夫太郎を相手にすると攻撃が掠るだけで即死。毒沼は即死。
死に覚えゲー特訓によって回避能力が現在の自分の身体能力の限界まで高まっているので、回避にのみ専念すれば一応妓夫太郎の攻撃も数分程度なら凌げるが、飛び血鎌を破壊する事に重きを置いてしまうと刃毀れでその内対処出来なくなる。
呼吸を混ぜるやり方は、死に覚えゲー特訓の中で死ぬ気で会得したのでその精度もかなりの物。
無闇に命の限界に挑む事の方が危険だと特訓の中で魂に叩き込まれたので、まだ動けなくなる程の疲労も無く戦えていた。
原作は炭治郎にとってヒノカミ神楽の燃費が悪過ぎるとも言える。


【我妻善逸】
妓夫太郎を相手にすると攻撃が掠るだけで即死。毒沼は即死。
回避能力が現在の自分の身体能力の限界まで高まっているので、回避にのみ専念すれば一応妓夫太郎の攻撃も数分程度なら凌げる。
現実世界では、まだ眠っている方が強い。


【嘴平伊之助】
妓夫太郎を相手にすると攻撃が掠るだけで数秒で死ぬ。毒沼は即死。
回避能力が現在の自分の身体能力の限界まで高まっているので、回避にのみ専念すれば一応妓夫太郎の攻撃も数分程度なら凌げる。
今回の戦いで刃毀れがちょっと進んだのでその内研ぎに出す必要があるが、以前のとんでも無い暴挙によって刀鍛冶の人たちが物凄く怒っている模様。


【竈門禰豆子】
妓夫太郎を相手にした場合、鬼なので毒で即死する事は無いが物凄い勢いで消耗する。
体力満タンの状態からならば全力で爆血を使えば妓夫太郎の毒沼を焼き潰せるが、その場合即座に眠ってしまう程消耗してしまう。
お兄ちゃんたちのピンチに飛び出そうとしたら、その前に箱を投げられてしまった。遺憾の意。


【鳴上悠】
毒の沼に関しては、毒無効(毒耐性)か瞬間回復持ちで挑むか状態異常予防スキルを使わないと足を踏み入れる事自体が危険。一応即死はしないが、ほぼ行動不能に陥ってしまう為周囲に解毒出来る仲間が居ないと本当に危ない。
上弦の弐にしのぶさんとカナヲが殺されかけていたのが地味に新たなトラウマになっているので、全ての攻撃がほぼ即死である妓夫太郎は当然として(多少弱くても)共に上弦の陸である堕姫を炭治郎たちに任せる事は物凄い葛藤した。
妓夫太郎の攻撃を凌ぐ際に『マハブフダイン』を使いまくっている上に、宇髄さんを治す為に『メシアライザー』も使ったので実は結構限界が近付いてる。


【宇髄天元】
妓夫太郎の攻撃で即死しないだけの毒耐性がある唯一の人。とは言え毒で僅かにでも動きが鈍ると、威力と速度が大幅に強化された妓夫太郎の攻撃に斬り刻まれる事になる。
嫁三人は、一般人の避難が終わり次第無理せず撤収する予定。


【堕姫】
お兄ちゃんが『化け物』を相手してくれているので大分精神に余裕が出ていて炭治郎たちを煽るだけの元気は戻った。
堕姫にとって、悠はクトゥルフ神話的神格みたいな扱い。
それを『人間』扱いしている炭治郎たち鬼殺隊の人たちはもれなく全員精神異常者だと思っている。
鬼殺隊は狂人どもの巣窟と言う意見で、少しだけ無惨様と分かり合えるのかもしれない。


【妓夫太郎】
悠の明確な弱点が炭治郎たち(仲間たち)だと気付く。
とは言え、人質を取ろうにも悠が全力で阻止してくるので難しく、炭治郎たちの相手は堕姫に任せる。
柱が何人群れようとも確実に仕留められる規模と威力の血鬼術を使っているのに、『化け物』の悠はともかくとして一向に死ぬ気配の無い宇髄さんにも、コイツ人間じゃねぇな……と思ってる。


【『鳴上さん』】
炭治郎たちに死に覚えゲー特訓の成果が見事に出ているので、物凄く喜んでる。
もし原作通りの戦力なら、かまぼこ隊は堕姫相手に死んでいた。
かまぼこ隊は三人一緒なら、クマの影も倒せるまでに連携力や回避力が著しく成長している模様。
もっと強い相手と戦っても大丈夫な様に、皆をもっともっと鍛えないと……! と張り切ってしまうのかもしれない。



【この作品オリジナルな血鬼術】
『八重帯斬り・酔生』
八重帯斬りの斬撃に、弛緩性麻痺毒効果が付随したもの。
軽く掠るだけでは即効性は薄いが、深く刻めば刻む程その効果は即座に顕れる。即死効果は無い。

『夢死』
帯を切断した際に零れる血などに含まれる遅効性の弛緩性麻痺毒。
妓夫太郎のそれとは違い、経皮的・経気道的な接触で効果が出る事は無いが、小さな傷口などから体内に入り込むと、全身の弛緩性麻痺と同時に思考力の低下を齎す。
一般人だと最悪の場合呼吸筋が麻痺して死に至るが、鍛えた剣士の場合は窒息死に至る事は少ない。しかし麻痺した状態が危険な事には変わらないので、堕姫の血に触れるべきでは無いのは確か。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠に対しては人質作戦がシンプルに滅茶苦茶有効なので、炭治郎たちの生殺与奪の権を完全に掌握した上で人質としてその場に引き摺り出しておくと、その捕獲に成功する可能性は高いです。
人質として特に有効なのは、炭治郎たちやしのぶさんたちです。
しかし単純に拘束するだけではペルソナ能力を発動させる事自体は止められないので、ほぼ確実に全力の報復が実行される事になり、竜の逆鱗をタップダンスで踏み砕く結果にしかならないので止めておいた方が無難な作戦でもあります。無惨様だとやりかねないけど。


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『異能の真価』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 最初の印象は、「普通の奴」だった。

 当然それは見掛けの印象でしか無く。上弦の弐すら負傷者を守りながら五体満足で退け、その気になれば鬼舞辻無惨の齎す破壊と殺戮が児戯に見えてしまう程の破壊をこの世に振り撒く事すら可能であろうその存在は、まかり間違っても「普通」では無い。人間の形をした得体の知れない『化け物』の様なものだ。

 単純にその牙を今の所人々に向ける気配が無いと言うだけでしかない。

 お館様から謎の存在を鬼殺隊で保護したと言う話は聞いていたし、そしてその者が神の起こす奇跡にも匹敵する程の、この世の者ならざる程の癒しの力を持っているらしい事も報告に上がっていたから知っていた。

 それこそ血鬼術の様な人の世の理を捻じ曲げる力が無ければ叶わない筈の事を平然とやっているその者は、その尋常ならざる異能を隠そうとも惜しもうともせずに隊士たちに分け隔てなく揮うと言う。

 それだけならまあ、人に害の無い存在だとして拒否反応も無く容認出来たが。しかしその者は、任務で向かった先で会敵した上弦の弐を、文字通り完全に消滅させる寸前まで追い詰めたときた。

 明らかに常軌を逸した存在だ。だからどんな得体の知れない『化け物』が現れるのかと身構えていたのに。

 お館様の御前で初めてその姿を目にしたその者は、のほほんと地味に生きている一般人の様な、お人好しそうな気配を隠す事も無く漂わせている「普通の奴」にしか見えなかった。

 少なくとも、上弦の弐に何もさせないまま倒しかけたと言う派手な実力がある様には見えなかった。何と言うのか、覇気とでも言うべきものを特には感じないのだ。鬼殺の剣士たちの様に身体を極限まで鍛え上げている様な風でも無い。何なら最終選別を通ったばかりのひよっこ隊士の方が覇気と言うか威圧感があるだろう。

 最大限懐いていた筈の警戒心が、急速に凋んでしまうのを肌で感じた。

 鳴上悠と名乗るその得体の知れない男は、そうと分かっていても相手に「警戒させない」何かが在った。

 それがある意味で恐ろしくもあり、しかし同時に目の前の存在は全く恐ろしくは無い存在なのだと、その身が醸し出す雰囲気は伝えている。

 何とも奇妙な感覚だった。

 忍として鬼殺隊の柱として、様々な相手と対峙して来たが、此処まで「分からない」相手は初めてである。

 煉獄と親しそうに話し、やって来た胡蝶の姿を見付けて優しさの滲み出るその表情を更にふわりと明るくする。

 とにかく「普通」だ。派手さとはかなり縁遠い。少なくともその姿からは善良さ以外は感じ取れなかった。

 鳴上とあまり関りの無い連中も、各々が彼に懐いていた印象とは全く異なっていたからなのか、その姿を興味深げに見ていた。唯一変わらないのは、元々殆どの事に関心の無い時透くらいなものだった。

 

 しかし、そんな印象は鳴上が上弦の弐との戦いを具体的に報告し始めた時点で吹き飛んだ。

 鳴上が言っている事は、彼がお館様に当てて書いた報告書に記載されていたものの通りである。

 そして、その前に胡蝶の継子であり上弦の弐との戦いの一部始終を目撃していた栗花落隊士からの報告との矛盾点も無い。つまり、あの荒唐無稽としか思えない、人外と人外の戦いは紛れも無い事実であったと言う事だ。

 相手の手札を切らせ観察しながら可能な限り手を抜きつつも圧倒すると言う戦い方が常でありそんな戦い方をしていても尚どんな柱でも敵わなかった上弦の弐に対し、逆にその手札の全てを切らせた上でその攻撃の悉くを一蹴し切り札だろう大技すら掠り傷一つ与えさせない。

 僅かな欠片だけでも肺腑を凍て付かせ腐らせる程の冷気を自在に操る上弦の弐のその氷を平然と耐えるどころか、瞬時に鬼の肉体ですらほぼ灰すら残らない程に燃やし尽くす劫火を自在に操り、生半な膂力では薄い切り傷を付ける事も難しいだろうその頸を藁束か何かの様に何度も斬り落として。

 氷を操る鬼を逆に氷の中に閉じ込めて、更には広範囲に渡り全てを文字通りに消し飛ばす。

 そして、その人の世の理をどう考えても逸脱している神仏の戦いの顛末を、鳴上はただ淡々と語る。

 彼にとって、それは何て事も無い「普通に出来る事」なのだと、否応無しに悟らざるを得ない。

 何だったら、この場に鬼舞辻無惨の頸を引き千切って持って来たとしても鳴上は淡々とそれを語るのだろう。

 だが何より恐ろしいのは、そんな人外のものでしかない力を揮った事を淡々と語りながらも、彼の雰囲気や気配はポヤッとした善良な「普通の人」のものなのだ。

 思わずひれ伏したくなる様な神々しさとか、或いは羅刹の如き威圧感や、悪鬼の如き悪性など微塵も感じない。

 何も感じないというその事が、何よりも一番恐ろしい。

 目の前のこの男は一体何者なのか、誰もがそんな視線を向けている。

 全く変わらないのは煉獄くらいなもので、彼と一番多く接している筈の胡蝶でさえやや遠い目をしているのだ。

 そしてお館様だけは静かに微笑んでいた。先を見通すその目には、一体何が映っているのだろう。

 

 そして、お館様に促されて鳴上は鬼舞辻無惨の事をも話し出す。

 琵琶の音と共に現れた異空間へと通じる障子、その奥にあるこの世の理が歪んだ異質な世界、その奥に感じた醜悪極まりない鬼舞辻無惨の気配。

 未だ誰も突き止める事の叶わなかった鬼舞辻無惨の根城に関する情報すら、彼は既に得ていた。

 そして、何故鬼殺隊が数百年にも渡って総力を挙げて探し続けているのにも関わらず誰もその根城を突き止められなかったのかが明らかになる。異空間に根城があるなら、そこに通じる道を見付け出さなくては誰も其処に辿り着けないのだから。そして万が一潜入に成功したとして、そこは脱出不可能な鬼の蠢く常闇の城であり人間が足を踏み入れて生きて帰って来る事は不可能である。

 その異空間を構築しているのが鬼舞辻無惨自身の血鬼術なのか、それとも配下の鬼の血鬼術なのかは分からないが。どちらにせよ、その異空間の血鬼術をどうにかしなくては鬼舞辻無惨とまともに戦う事すら難しい。

 同時に、かの存在が余りにも神出鬼没過ぎて足取りをろくに追う事も儘ならない理由の説明も付く。

 その異空間を介して何処でも自在に移動出来るのなら、どれ程鬼舞辻無惨への憎悪と執念を懐いていようとただの人間がその足取りを掴む事など出来はしないのだし、鬼が生み出される事を事前に防ぐ事すら儘ならない。

 運良く邂逅した所で、鬼殺隊が対峙して来たどの鬼をも遥かに凌駕する強さを持つ鬼舞辻無惨には柱全員で戦ったとしても勝てるかどうかすら怪しく、そして少しでも不利を悟ったならば異空間に逃げ込まれてしまう。

 何ともまあ、ふざけた話だ。

 そして更に最悪な事に、鬼舞辻無惨は好きな時にその場に他の鬼を送り込む事が出来るのだ。

 よくよく考えれば、煉獄が上弦の参と会敵したその時も、鬼舞辻無惨によってその場に彼の鬼が送り込まれたのかもしれない。そうとでも考えないと、その邂逅は余りにも不自然なものだったからだ。

 夜明けも近い状況で、付近に何も無い普段なら誰も居ない場所に鬼が出没する事など本来有り得ないのだから。

 鬼舞辻無惨は己が生み出した全ての鬼をその支配下に置いている。その思考や五感の情報を鬼舞辻無惨は容易く掌握し、何かあれば鬼舞辻無惨を介して全ての鬼に情報を共有する事が出来る。

 事実、胡蝶が最近討伐された下弦の伍に使用した毒の情報は、上弦の弐にも共有されていたらしい。

 鬼舞辻無惨が生み出した鬼の数は膨大で、幾ら何でも木っ端の鬼どもの視界や情報まで一々精査しているとは思わないが。少なくとも十二鬼月相当の鬼に関してはある程度以上にその状態を小まめに把握されていると考えた方が良いだろう。つまり、十二鬼月を相手にしていると、その場に他の十二鬼月や鬼を寄越される可能性が何時も存在しているとも言える。下弦程度なら柱にとっては脅威では無いが、そこに上弦の鬼が送り込まれると一気に厳しい状況になるだろう。極めて由々しき状況とも言える。

 ただ、その可能性を事前に知る事が出来たという事は、とても大きな益があった。

 何も知らないままその状況に直面するのと、ある程度覚悟してその状況に遭遇するのとでは全く違う。

 その点でも、鳴上の功績は多大だと言っても良い。

 

 全てを報告し終えた鳴上は、所在無さ気に辺りを見回す。

 そろそろ此処から立ち去った方が良いだろうか? などとその顔と雰囲気は言っていたが、しかし此処で未知なる存在である鳴上と話す機会を逃がすつもりはこの場の誰にも無い。

 お館様が何も言わずに微笑んでいるのを見るに、「聞きたい事があるなら直接聞きなさい」と言う事なのだろう。

 だから、俺が先陣を切る様に鳴上に訊ねた。その人外の如き力の源は何なのか、と。

 そして返って来た答えは、『神降ろし』であった。……正確には、『神降ろしの様な物』であって『神降ろし』そのものでは無いらしいが。だが、俺たちにとってはどちらもそう大差の無い事であった。

『神降ろし』が可能であると言うのならば、この世には本当に神や仏が存在しているという事になる。

 ならば何故、鬼舞辻無惨などという悪鬼をこの世にのさばらせているのだろう。どうして、神仏に祈り縋る人々の嘆きの声に応えて彼の存在に天誅を下さないのか。全く以て意味が分からなかった。

 この世に神も仏も無いからこそ、幾百幾千幾万の命を積み重ねて想いを繋いででも人の手で鬼舞辻無惨を討ち取らねばならないのに。どうして、今更何故。

 そして何故、神仏はそれを信じ祈る人々やその助けを求める人々に応えずに、鳴上には力を貸すのか。

 鳴上を責め立てたい訳では無いのだが、この世の理不尽の一つを目の当たりにしているかの様であった。

 きっとその場に居た誰もが同じ気持ちになっただろう。

 鬼殺隊に身を置く者の殆どが、己の大切なものを鬼によって理不尽に奪われた者たちなのだ、神に祈ってもその手を一度だって差し伸べられた事の無い者たちなのだ。誰を責める訳にもいかない理不尽そのものだった。

 何故その様な事が出来るのかと鳴上を問い質しても、その答えは酷く曖昧で。出来るから出来るのだとしか答え様の無いと言った様子であった。

 

 そして当然の事ながら、その『神降ろし』の力とやらが本物なのかと言う疑問が湧き起こる。

 自分の目で確かめてもいないものを信じる事など出来ない。

 自分達の目の前でその力を示して見せろと言った伊黒の言葉に、鳴上は少し困った様に周囲を見回した。

 そして、お館様を見て。意を決した様に、癒しの力をお館様に使っても良いだろうか、などと言い出した。

 得体の知れない力をお館様に向けるとあって、煉獄と胡蝶……そして何故か悲鳴嶼さん以外は、疑心の様な戸惑いや或いは殺意にも等しい視線を鳴上に向ける。

 だがそれを他ならぬお館様自身が諫めた。既に彼の力は証明されているのだから、害は無いのだ、と。

 許可を与えられた事で、鳴上はお館様の下へと近付き、その手を優しく握る。お館様の傍に控えているご息女様方へと向けるその眼差しは本当に優しく温かなもので、成る程確かに害意など欠片も無いのだろう。

 しかし、その力が如何程のものかは知らないが、まるで神仏に呪われているかの様にその身を病魔に蝕まれ続け短命である事を宿命付けられているかの様なお館様のその身体を救う事など本当に可能なのだろうか。

 古今東西の名医と呼ばれた誰もが、匙を投げるしか無かったと言うのに。

 だが、そんな疑念は鳴上がその目を閉じて集中し始めた時点で霧散した。

 明らかに人智を超えた何かが起きようとしている気配を、生まれて初めて肌で感じた。

 それまで「普通の人」にしか感じなかった鳴上の気配が、明らかに別の物へと変わる。

 その気配に恐ろしさは微塵も無い。しかし、もしその身に宿る気配に何か名を付けるのだとすれば『神』であるのだろうと無意識の内にも感じた。成る程、『神降ろし』とはこう言う事なのか。

 そして、限界まで高まったその何かの気配は、一気にその場の空気を塗り替えるかの様に周囲を駆け巡り、そして霧散した。

 その途端に、お館様の手を握っていた鳴上の上体は力を喪ったかの様に揺らぎ、その場に倒れ込みそうになる。

 それを支えたのは、他ならぬお館様の手であった。

 もう自分の身体を支える事ですら辛い筈なのに。お館様は自身の手を驚いた様に見詰めた。

 

「これは……驚いた。こんなに身体を軽く感じるのは、一体何時ぶりだろう。

 ……有難う、悠。君は優しくてとても凄い子なんだね」

 

 気を喪ったらしい鳴上をそっとその場に寝かせて、お館様は慈しむ様な微笑みと共にその頭を撫でる。

 

「お館様、お身体の方は……」

 

「随分と楽になったよ。息も楽になったし、身体を動かしても痛みが少ない。

 これで、悠の力の証明になったね」

 

 その身を案じた悲鳴嶼さんの言葉にそう微笑むお館様に反論する者など、この場には誰も居なかった。

 目の前で起きたのは、紛れも無い『奇跡』の一つだ。

 その『奇跡』を起こした当人は、気を喪っているが……。そう言えば、今まで鳴上が関わってきた事柄の報告書の中ではかなりの頻度で彼は力尽きた様に昏倒していたな、と思い出す。

 やっている事が滅茶苦茶過ぎるのでつい見落としていたが、上弦の弐との戦いだってそうだったのだ。

 まさに神仏の如き力とは言え、何の負担も無くその力を揮える訳では無いのだろう。

 

「悠は間違い無く鬼舞辻無惨を討つ為の大きな力になる。

 恐らく、私の代で鬼舞辻無惨は完全にこの世から消えるだろう。そんな予感がするんだ。

 歴代を紐解いても始まりの剣士たちに匹敵する実力の柱が揃っている事、未だ嘗て記録にも無い一度も人を襲わない異端の鬼が現れた事、鬼舞辻無惨の姿を見て尚も生き残っている隊士が居る事。そして、悠が現れた事。

 千年もの間停滞していた全ての歯車が、今や鬼舞辻無惨の討滅に向かって動き出しているのを感じる。

 でも、悠の力はこうして見て貰っても分かる様に無尽では無いし、そして何より悠は()()()()()

 恐らく悠は誰よりも自分を自身で縛っているのだろう。皆が危惧する様な事を、何があっても起こさない様に。

 だから、皆には悠の事を認めてその力になってあげて欲しい。そうすればきっと、悠は皆の為にその力を使ってくれる筈だよ」

 

 ()()()()()

 お館様がそう評したその鳴上のそれは、すとんと胸に落ちる様に納得のいくものであった。

 神仏の如き力を持っていても、上弦の鬼とすら比較にならない力があっても、それでも「普通」であるその理由。

 それは、本人の「優しさ」が故である、と。

 人外の力があっても鬼舞辻無惨の様な驕り高ぶる『化け物』となるでもなく、鬼の様に力無き存在を理不尽に踏み躙っていくでもなく、威圧感など欠片も無く善良さしかない「普通」で居られる。

 ちぐはぐで矛盾すらしている様に感じていたそれなのに、ただただ「優しさ」がそれを両立させていたとは。

 何ともまあ、人にとって「都合が良過ぎる神様」だ、と。そう思ってしまう。

 優しく善良であるが故に、助けを求められれば人としての良心を以てそれを助けるし、戦いなど好む性格では無くても大切に想う人の為ならば一生懸命に戦うし、苦痛を感じる人が居ればそれを取り除こうと尽力する。

 その美徳を備えている人は少なくは無いが、しかし本当に神仏の如き力を持っていてもそこまで人としての善良さに溢れている存在なんて、人の歴史を紐解いても指折り数える程も居ないだろう。

 そして優し過ぎるからこそ、どうしても消せない弱点が幾つもある事にも容易に想像が付く。

 鳴上は大切にしている誰かを絶対に見捨てられないだろう。古今東西歴史の影に日向に何度も繰り返されて来た「人質」と言う単純な作戦が鳴上にとっては痛恨の一撃になる。

 そして、それが有効だと判明した時点で、人としての道徳観など最初から無い鬼がそれを躊躇う事は無い。

 人の心など持ち合わせていない鬼と戦うには、間違いなく優し過ぎるのだ。甘過ぎるとも言っても良い。

 どうしたって血腥い戦いを常とする鬼殺隊に身を置くには、その身を滅ぼすだろう程に優し過ぎる。

 しかし、その優しさを俺は嫌いにはなれなかった。

 何故ならば、その善良さに付け込む様ではあるけれど。

 俺にはその力を利用してでも助けたい者が居るからだ。

 

 緊急の柱合会議が終わった後、柱の間での話題の中心はやはり鳴上であった。

 何が出来るのか、鬼殺にどの程度その力を有効活用させられるのか。

 嫌な言い方をすれば、その利用価値を量ろうとしていた。

 ほぼ死んでいる状態だった煉獄をも蘇生し傷痕一つ残さず回復させる力、どんなに悪質な血鬼術でも瞬時に後遺症無く解除してしまう力。極論、僅かにでも息が在れば、鳴上はその相手を助ける事が出来るとも言える。

 その代償としてこうして昏倒してしまう事はあるのだろうが、それを加味してもその力は破格と言う表現では到底足りない程に、まさに神の奇跡だ。それを自分の意思一つで起こせてしまう時点でその価値は計り知れない、

 そしてそれだけでは無く、上弦の弐との戦いの中で見せたその理の外にあるとしか言えない力の数々。

 その価値を正確に推し量る事すら難しい程に、鳴上と言う存在は「何でもあり」だった。

 まあ、流石に本当に何でもありと言う訳では無いだろうが。その辺りは本人の口から聞いた方が良さそうだ。

 屋敷の一室に寝かされた彼は未だ静かに眠っていて、周りを柱たちが取り囲んでも全く目覚める気配が無い。

 しかし正直少し焦っていた俺はその目覚めを大人しく待つつもりは無く、その身体を揺する様にして起こす。

 すると軽く唸る様にして身を起こした鳴上は、柱が自分を取り囲んでいる上に覗き込んできているという状況に驚いた様にその目を瞬かせ、そして真っ先にお館様の身の事を案じた。

 そんな鳴上にお館様の状態を教えた胡蝶は、まるで姉が弟を可愛がるかの様にその頭を優しく撫でる。

 それに少しだけ照れた様に微笑んだ鳴上は、相変わらず「普通」にしか見えない。

 そんな鳴上に、俺たちは次々に質問を飛ばした。

 俺たちと言っても、質問していたのは主に俺と不死川と時透で、伊黒は観察に徹する事にしたらしく、甘露寺は質問攻めにする気は無いらしい。何考えているのか相変わらず分からない冨岡は何時もの様に沈黙を貫き、悲鳴嶼さんは静かに涙を流しながら念仏を唱え、煉獄は特には何も言わずに鳴上を見守って、胡蝶は質問攻めにされている様子を少し心配そうに見ていた。

 矢継ぎ早に繰り出される質問に、鳴上はかなり誠実に答えている様であった。分からない事や出来ない事は誤魔化さずにハッキリとそう答えるし、出来る事は分かっている範囲内の事を正確に答える。

 しかしまあ……何とも「デタラメ」と言いたくなる程に、その力は滅茶苦茶な事が出来る様だ。

 常にそうである訳では無いらしいが、物理的な攻撃の一切を無効化するだとか、炎や氷や雷や風などによる攻撃の影響を無視出来るだとか。一体何と戦う為の力なのかと思わず首を傾げてしまう程に、滅茶苦茶だ。

 上弦の弐が手も足も出なかった理由はよく分かった。その攻撃の一切が最初から通っていなかったのなら、そりゃあどうする事も出来なかっただろう。鬼に同情するつもりは一切無いが、上弦の弐まで昇りつめたその力を以てしてもどうにも出来ない想像を絶する理不尽な存在を前にして何を思ったのだろうかとは考えてしまった。

 しかしそんな凄まじい力があっても欠点は多く、特に一番問題になるのは消耗が激し過ぎるあまり持久力が無い事らしい。

 まあ、疲れを知らない鬼であっても強力な血鬼術を連発して消耗すれば強烈な飢餓感に襲われるのだからそれも当然と言えば当然なのだろうけれど。

 そして強力な力を使えば使う程消耗して、最終的に限界が訪れれば糸が切れた様に昏倒してしまうそうだ。

 まあ、一応「人間」ではあるんだなぁ……と思わず感心してしまった。

 

 そして、夜が近付きその場が解散となった後で、俺は鳴上を呼び止める。

 ほぼ初対面で互いの事をそう知っている訳では無いのに、鳴上は俺の頼みを詳しく聞く事すらせずに了承してしまう。……何時か悪い奴らに騙されやしないか少し心配になる程だ。

 鳴上の顔立ちは少し化粧するだけで十分以上に美女に仕立て上げられるが、流石に体格がしっかりし過ぎていてどれ程衣服で誤魔化しても「女」を装う事は無理だろう。

 その為、潜入し簡単な情報収集をする役として、それなりに近場に在った蝶屋敷に居る女隊員を何人か見繕って連れて来ようとしたのだが、それはその場に居合わせた三人の隊士によって阻まれた。

 が、結果としてそれは失敗して良かったのだろう。

 別に客を取らせるつもりなど最初から無かったので化粧をしても不細工に仕上がろうとも労働力として放り込めれば良いかと思って仕方無く連れて行ったその三人の隊士と偶然仲が良かったらしい鳴上が、一体何があったのかを彼等から聞いた瞬間。

 鳴上の視線が明らかに殺意と怒りに満ちた冷め切ったものに変わった。

 ポヤッとした優しい目が一瞬で変化するそれは、人格が急変したのかと疑いそうになる程に漂わせる気配すら変化していて。彼がただ「優しい」だけの存在では無いのだとそう思い知らされる。

 そんな目をする鳴上を初めて見たのか、その場に居た三人は驚いた様に鳴上を見ていた。

 どうやら、触れるべきでは無かった逆鱗の一つに触れかけてしまったらしい。

 そう言えば、鳴上は蝶屋敷で面倒を見て貰っていた筈なので、もしかしなくても其処に居る者たちとは大層仲が良かったのだろう。鬼殺の任務と言う大義名分があったとしても、正確には鬼殺隊の隊士では無い鳴上が何処までそれを遵守する気があるのかと言う点では未知数である。

 とは言え、もう過ぎた事であるからなのか、それとも未遂で済んだ事だからなのか。鳴上はそれ以上は何も言わずにその作戦内容を静かに聞いていた。

 

 隊士たちと鳴上を目星を付けていた店に放り込んだその翌日には、鳴上は女房の一人である雛鶴の行方を掴んでいて、流石に予想すらしていなかった速過ぎるその動きに仰天した。

 どうやら異様な程に人の口を割らせるのが上手いらしく、老若男女問わずコロッと手玉に取るかの様にその懐に潜り込んで一晩もしない内にその胸に抱えていたものや秘密などを自ら明かしてしまったらしい。

 まさかそれも鳴上の異能なのかと思ったが、どうやらそれは彼自身の素の話術の様だ。最早異能の一種と言っても良い程に、人誑しの才能も凄まじいらしい。天は二物も三物も与える相手には与えるものの様だ。

 鬼の目星も確りと付けてからそれらの旨をムキムキねずみたちを介してキッチリ報告する辺り、真面目でそつが無い。鬼の活動する時間では無い昼間とは言え独りで雛鶴を探しに行ってしまった事に関しては、俺が予め女房の保護を優先する様に頼んだからだろう。私情を挟み過ぎていると言われてしまえば耳が痛いが、そもそも息さえあればどんな状態からでも回復させられるその力と、上弦の弐を圧倒した力を見込んで此処に連れて来たのだ。

 鬼殺の任務を蔑ろにする気は毛頭無いが、女房を救う事はそれに匹敵する程の重大事であった。

 まあ、鳴上は女房たちを救い出す事に全面的に協力してくれるそうだが。

 

 そしてそれから程無くして、鳴上は鬼の手から雛鶴を救い出した。

 毒を飲み衰弱してしまってはいたが俺が辿り着いた時には解毒は既に済んでいて、衰弱した体力までは直ぐには戻せないと鳴上は言っていたが、俺にとっては五体満足で無事に生きて戻って来てくれただけで十分だった。

 鳴上には既に返しきれない恩が出来てしまったが、鳴上はそれを恩着せがましくしようなどとは欠片も思っていない様で、それよりも確実に鬼が居る遊郭に残してきてしまった隊士が心配だからとその場を去ってしまう。

 雛鶴がある程度回復するまで待った後は、激しい戦いが起こる事を予期して一般人の保護と避難を行う為の隠達を召集しつつも残る二人を探して街を駆けた。

 そして、鳴上が助けに行った筈の隊士たちによって、まきをと須磨を発見しその他にも行方知れずになっていた人々の保護にも成功した。

 まきをも須磨も多少疲れは見えているが、目立った傷も無く五体満足であった。

 大切な存在が誰一人欠ける事無く自分の下に戻って来てくれた事に、心から感謝した。

 

 そして、鳴上が足止めをしている「上弦の陸」との戦いに向かったのだが──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 妓夫太郎と名乗った蟷螂みたいな動きをする鬼の攻撃を、鳴上はその力で凍り付かせ或いは烈風で吹き飛ばす。

 妓夫太郎の攻撃は厄介極まりなく、しかもその欠片に触れるだけで常人なら即死と言う凶悪な効果まで付いているときたもんだ。幾ら毒に耐性があるとは言え、妓夫太郎の猛攻を俺一人で凌ぐのは難しく出来たとしても攻めあぐねて防戦一方になってしまっていただろう。

 そう言う意味では、この場に鳴上が居た事は紛れも無い僥倖であった。

 鳴上ならば即死さえしなければ毒を喰らおうがそれを直ぐ様解毒出来るし、その猛攻の相手を鳴上に任せれば俺が頸を斬る事だけに専念する事が出来る。

 鳴上と共闘する事は間違い無くこの戦いが初めてであるが、鳴上の操る氷は決して俺の動きを邪魔する事は無く、俺を狙う攻撃だけを的確に無効化していく。派手さは少し足りないが、そう言った働きは非常に重要だ。鳴上は誰かと共闘する事に慣れているのかもしれない。

 恐らく兄妹同時にその頸を落としていなければ討伐する事の出来ない特殊な鬼であろうと目星を付けて、先ずは妹の頸を落とし、その頸が再び繋がるよりも前に妓夫太郎の頸を狙う。しかしその刃が届く直前に接近戦用の血鬼術に阻まれ弾き飛ばされてしまう。が、間髪入れずにその懐に飛び込んだ鳴上が力尽くで妓夫太郎を押さえ込んで拘束し、頸を落とす好機を逃させまいと繋げてくれた。

 まさかそこまで力尽くでやるとは思っていなかったが、鳴上ならきっと何かやってくれると信じていた為、既に追撃の用意は出来ていた。

 だが、頸を落とそうとしたその瞬間。

 

 血で出来た底なし沼の様なものが突如真下に現れて、そして妓夫太郎を押さえていた鳴上の身体ごと周囲の全てを呑み込もうとする。

 そしてそれだけでは無く、ほんの一瞬の内に無数の猛毒の血の刃が血の沼から凄まじい速さで飛び出してきた。

 鬼の頸を斬る為に振り被っていた為、その一瞬の内の攻撃の防御には間に合わず。

 血の刃をその全身に受けてしまう。

 四肢は半ば引き千切られる程に斬り裂かれ、このままではもう二度と使い物にはならないだろう。

 それでも辛うじて胸や頭部などの致命的な部位への致命的な損傷を避ける事が出来たのは、鳴上が咄嗟に妓夫太郎を押さえ込んでいたその手を離し、俺の頭部をその腕で抱き抱える様にして守ったからだ。

 しかし体格の差は如何ともし難く、鳴上の身体と言うこの場に於ける最強の盾で守られなかった部分は酷い有様になってしまった。

 血に乗って致死の毒が一気に身体を巡る。今までに喰らってきたどんな毒よりも強烈な毒であった。

 咳き込んだ拍子に口から血が零れ落ちる。

 これでは、幾ら毒に耐性があっても持って数分と言った所か。

 鬼の切り札を受けてすら無傷のままであった鳴上は、俺の血によって赤く汚れた。しかしそれに構う事は無く、鳴上は俺の身体を強く抱き抱えて担ぎ直し、一気に致死の沼を越えてその場を離脱しようとする。

 足元から追撃の様に放たれた攻撃の全てを鳴上は巨大な氷壁を瞬時に作り出して一気に跳躍する事で防いだ。

 一瞬の内に致命傷を負った俺の姿を見た鳴上は、酷く苦しそうにその表情を歪める。

 そして、何かに気付いた様に真正面を向いて、叫んだ。

 

「炭治郎! それに触れるな!! 今直ぐ退け!!!」

 

 それと同時に、血の沼のその直ぐ傍までやって来ていた竈門たちへと襲い掛かった巨大な血の棘を、再び巨大な氷を竈門たちの目の前に作り出す事で防ぐ。

 その時、鳴上の息が僅かに荒くなった事に気付いてしまった。

 そうだ、幾ら鳴上に神の如き人智を超えた力があるのだとしても、それは無尽では無いのだ。

 力を使えば使う程に消耗し、何時か限界が訪れる。

 まだ限界までには猶予はありそうな感じだが、しかし楽観視していられる状態では無い。

 鳴上抜きで凶悪過ぎる切り札を切った妓夫太郎を倒す事は不可能だ。況してや、妹鬼と同時に頸を斬る事など。

 

「あの兄の方の鬼の血鬼術には、触れるだけでも即死する程の毒が含まれている。

 砕いた欠片を僅かに吸い込むだけでも大変危険だ。だから炭治郎たちは極力近付くな。

 あの鬼は俺と宇髄さんで何とかするから」

 

 鳴上は自身が作り出した氷壁の上に俺を担いだまま身軽に飛び乗って、焦りを隠そうともせずに竈門たちに警告する。死ぬな、死なないでくれ、死なせない、と。そんな心の叫びが聞こえてくる程の声だった。

 そして鳴上は、一瞬も躊躇う事無く担いでいた俺を降ろすや否や、その癒しの力を使った。……お館様に使ったものと同じだと気付く。そして、その力を使った直後に鳴上がどうなったのかも思い出した。

 お館様の身体すら癒したその力の効果は絶大で、毒に侵されきっていた筈の身体はその影響を綺麗さっぱり拭い去られ、二度と使い物にならないと覚悟した四肢の裂傷ですら何事も無かったかの様に一瞬で治ってしまった。

 だが、そんな力を使った代償は決して軽くは無い筈だ、と。俺は最悪の状況を覚悟したが。

 しかし、あんな状態でもお館様の身体を癒すよりは負担が軽かったのか、鳴上の限界はまだ訪れなかった様で、その意識はまだしっかりと保たれている様だ。しかし明らかに先程よりも消耗している。あまり余裕は無い。

 

「すまん、助かった。まさかあんな切り札があるとはな……」

 

「間に合って良かったです。……しかしあれでは接近する事がかなり難しいですね。

 猛毒の血の沼に、そこから無数に発生する展開速度も形状も自由自在な血の刃。……質が悪い」

 

「それだけじゃないな。多分、あの鬼は単純に頸を斬るだけでは殺せない。

 妹の方の頸も同時に落としておく必要がありそうだ」

 

 その言葉に、鳴上は一瞬息を呑んだ。そしてその事実が何を示すのかを瞬時に理解し、だからこそそこに恐怖に似た感情を僅かに滲ませつつ唸った。

 

「流石にあの二体を同時に相手しながら、同時に頸を斬る事は出来ないと思います。

 俺の刀では、幾ら頸を斬っても殺せないので……。

 妓夫太郎の方は、俺たちで相手をするしか無いですね。

 なら、あの妹鬼の方は……」

 

 まだ経験も浅い三人に任せるより他に無い。

 だが、どう考えてもあの妹鬼ですらあの三人では手が余る相手だ。

 単独任務が多い隊士たちは、連携して戦うという事を苦手とする者が多い。

 一緒に同じ敵と戦うと言っても、余程息が合うか或いは相手の型やその動きや癖などを熟知していないと互いに足を引っ張るだけの結果になってしまう。

 そしてそう言った連携の妙技を体得する事はそう簡単に出来る事では無く、当然ながら最終選別を通ってまだ半年も経っていない新人隊士たちに出来る事では無い。

 だからこそ、それは彼等にとっては「死んでくれ」と言うにも等しいものであった。

 それが分かっているからか、鳴上はその言葉の続きを言えない。

 それでも、言わなければならないのだ。

 何故なら、彼等は鬼殺の道を自ら選んだ剣士たちなのだから。

 鬼と戦う事から逃げる事は、出来ない。

 そして、その事を誰よりも分かっているのだろう。

 竈門は鳴上が呑み込んでしまったその言葉を自ら口にする。

 

「俺たちが斬ります。だから、悠さんと宇髄さんはあの兄の方の頸を、お願いします」

 

 その瞬間、鳴上の眼差しは揺らいだ。

 だが、その直後に一瞬強く目を瞑ったあとには、その目に不安は僅かにも浮かんでいない。

 

「……ありがとう、炭治郎。伊之助も、善逸も、どうか、頼む。

 あの妹鬼の攻撃は、帯による斬撃だ。

 帯は伸縮自在で柔軟性に富み、切断には速度が重要だ。

 それと、恐らく兄の方の毒程では無いだろうが、妹の帯の方の攻撃にも注意してくれ。

 くれぐれも命を大事にして欲しい。

 絶対に死ぬなよ、三人とも」

 

 死ぬな、と。その言葉をまるで祈りの様に口にして。

 鳴上は三人を死闘へと送り出す事を決意した。

 

 そしてその直後に頭上から降って来た無数の帯の攻撃を、鳴上は俺と共に斬り裂いて捌く。

 視界を一瞬埋め尽くしたその帯の奔流の中で妹鬼は竈門たちの背後へと回り込んでいて、そして今度は竈門たちを狙ってその帯の斬撃を浴びせ掛けた。

 鳴上はそれを捌こうとするが、しかしそれは妓夫太郎からの攻撃によって妨害される。

 血の沼から無限に精製される刃はどれも先程迄の比では無い程の速度と威力を以て襲い掛かって来る。

 そしてその刃は、自分達だけでは無く妹鬼と戦う竈門たちをも狙っていて。

 俺たちは竈門たちの方へ向かおうとするその刃を優先的に破壊するが、しかしその数が余りにも多くまた軌道が不規則である為に完全には防ぎきれない。

 妹鬼の猛攻によって、気付けば竈門たちとは随分と距離を離されてしまった。

 しかしその事に構い続けている余裕は無い。

 周囲の建物をまるで豆腐か何かの様に軽く切断し破壊しながら、妓夫太郎は血の沼の中心で無数の刃を自由自在に精製して嗾けて来る。その連撃の速さに防戦一方となってしまう。

 そもそも、致死の毒沼を踏破して妓夫太郎の下へ辿り着く術が無い。

 幾ら毒に耐性があるからと言っても、この沼に足を踏み入れてしまえばそう長くは持たないし毒で弱った状態で妓夫太郎の頸を斬れるとは思えない。

 このままでは、遠方から一方的に擂り潰されて終わりだろう。

 鳴上は力を温存する為か刀で攻撃を捌く事に専念しているが、しかしそれも何時まで続くかは分からない。

 まさにジリ貧とでも言うべき状況だった。

 

「鳴上! 何かこの毒を無効化出来る様な力は無いのか?」

 

「あるにはあります。そう長続きはしないんですけど、一定時間毒などの一切を無効に出来る力が。

 ですが、それを使うには。えーっと、降ろす神を変えなくてはいけないんです。

 でも、この状態だとその為に必要な一瞬を作り出せない……!」

 

 ダメもとで言ってみたが出来るらしい、本当に何でもありに近かった。

 しかし、その力を使う為の一瞬を作り出せないのだと、そう鳴上は言う。

 そして俺たちが何かをしようとしている事に勘付いたのか、妓夫太郎は更なる大技を繰り出してきた。

 血の沼が爆発したかの様な猛烈な勢いで吹き上がり、天を覆わんばかりに頭上を赤黒く染め上げた。

 そしてそれは最早目視で数える事など不可能な程の夥しい数の刃となって地上の俺たち目掛けて驟雨の如く降り注いだ。

 

 しかし鳴上は降り注ぐ無数の刃を臆する事無く見上げ、そしてその左手で照準を合わせるかの様にそれに指先を向けながら、襲い来る刃を真っ直ぐに見詰めて。

 

 

「──メギド!!」

 

 

 何か異国の言葉の様なそれを発すると、その次の瞬間その左手の先に恐ろしい程の何かが凝集する様に集まり、一点に収束した何かは降り注ぐ刃に向かって一気に解き放たれた。

 それはまるで、地上から天に向かって墜ちる巨大な光の矢の様だった。

 何処と無く美しくもあるのに、それ以上に恐ろしい光。

 血鬼術ですら恐らくそれを再現する事は叶わないだろう、全てを無に帰す滅びの光だ。

 光はその内に呑み込んだ刃を全て消し去り、その頭上に掛かっていた雲を全て消し飛ばし、その衝撃で周囲の雲すらをも吹き散らす。

 雲一つない夜空に輝く望月だけが、いっそ場違いな程に地上を明るく照らし出した。

 

「おいおいおいおい、あれをそうやって防ぐのかぁあ。

 本当に『化け物』なんだなぁあ、お前。

 でもまあ、随分と疲れて来ているんじゃないのかぁあ?」

 

 必殺の大技に等しかっただろう攻撃を想定外の方法で防がれた事に、幾ら鬼でも驚きを隠せなかったのか。

 妓夫太郎は心底驚き畏怖する様な顔をしながらそう言った。そして、鳴上の力が無尽では無い事にも、気付く。

 鳴上はと言うと、それに何かを返せる状態では無いのか、随分と荒く息をしている。

 恐らく先程の滅びの光は、その身体にかなりの負担を掛けたのだろう、明らかにその限界は近い。

 だが、その目はまだ戦う意志に輝いていた。

 

「そんな力があるなら、どうしてもっと早くに使わなかったんだろうなぁあ? 

 お前さては、仲間や誰かを巻き込む事が怖いんだなぁあ? 

 そうだよなぁあそうだよなぁあ。あんな力を使ったら、この辺り全部吹き飛んじまうもんなぁあ? 

『化け物』のクセに人間のフリなんかしてると、大変だなぁあ? 

 どうして虫ケラ程度でしかない人間たちをそうまでして守ろうとするんだぁあ? 

 人間のフリなんてするの止めちまえよなぁあ? 

 鬼になって、人間を食い散らかしてみたりさぁあ。そんだけ強いなら、好きに生きられるだろぉお?」

 

 鳴上の事を何処か嘲る様に、或いは憐れむ様に。

 再びその足元に血の沼を広げながらもそんな風に言葉を連ねる妓夫太郎への鳴上の返答は、至って単純なものだった。

 刀の切っ先をその喉元に真っ直ぐに向けて、絶対の拒否を示す。

 

「お前が……何を言っているのか、俺には、全然分からない。

 俺は、人間だ、『化け物』でも、況してや『神様』でも、無い。

 俺は、俺の大事な人たちを、守りたい。大事な人たちが守りたいものも、守りたい。

 それが、俺の望みだ、俺が今此処に立っている理由だ。

 だから、傷付けない。俺は、人の命を、身体を、心を、絶対に自分の意思で傷付けたりしない……! 

 それに、お前たちみたいに、人の心や命を踏み躙る者は、大嫌いだ。

 俺の大事な人たちを傷付けた者は、絶対に許さない。

 俺は、鬼なんかに、絶対にならない……!」

 

 消耗がかなり限界に近いのか、息も切れ切れになりながらも、鳴上はそう言い切る。

 その言葉には一片の嘘偽りも無い。

 それは何処までも真っ直ぐで、そして優しいが故の強さだった。

 

 恐らく、鳴上は本人がやろうとさえ思えば、こんな風に苦戦する必要も無く妓夫太郎を倒す方法があったのだろう。そもそも既に上弦の弐を圧倒しているのだ。幾ら相性というものがあるのだとしても、弐よりも遥かに数字の低い上弦の陸に勝てない道理など無い。

 しかし鳴上はその手札を切らなかった。正確には、切れなかったのだ。

 仲間達を、そして無辜の人々を、危険に晒す事や況してやその命を奪いかねない力を、どんな危機に追い込まれたとしても咄嗟にでも使ってしまわない様に無意識の領域ですら深くそれを戒めている。

『化け物』と罵るにはあまりにも誠実に他者の命やその尊厳を尊重し、『神様』と呼ぶには矮小な事柄の一つ一つを掬い上げようとしてしまう。

 成る程確かに、本当に()()()()()

 だが、だからこそ鳴上は心から信頼するに値する仲間であるのだと、そう理解出来るのだ。

 

「鳴上は『化け物』やら『神様』なんかになるにはお人好し過ぎるからな、鬼なんかもっと向いてないだろ。

 それに、俺たちの仲間を勝手に鬼に勧誘するなんざ、到底見過ごせる訳ないからな」

 

 そろそろ「譜面」が完成しそうなのだが、あと僅かに何かの手が足りない。

 それを埋めるべく、少しでも時間を稼ごうとする。

 

 その時、妓夫太郎の顔から余裕の色が消えた。それと同時に、怒りの様な感情がその顔を彩る。

 恐らく、竈門たちと妹鬼との戦いの方で何かが起きたのだろう。

 俺たちと戦いながらも妓夫太郎が妹鬼の援護をしていた事にも気付いていた。

 頸を斬ったのか、或いは斬る寸前なのか。

 どちらにせよ、今この瞬間、妓夫太郎は意識の多くを妹鬼の方に向けている様であった。

 

 

「俺の妹を虐める奴は皆殺しだって言ったよなぁあ?」

 

 

 己の命よりも大切なものへと手を出されたその憤怒をそのままに。

 妓夫太郎は呆れる程に巨大な血の大鎌を作り出して、それを妹鬼たちが戦っている方向へと飛ばす。

 その刃に触れた周囲の全てを切り裂きながら大鎌は恐ろしい程の速さで周囲を斬り刻む。

 そんな攻撃にただの建造物が耐えきれる訳など無く、少し離れた場所から大規模に全てが崩壊していく音が聞こえて来た。

 この場所からでは、竈門たちがどうなっているのか全く分からないし、そして俺たちをこの場に釘付けにするかの様に再び血の沼からの熾烈な攻撃が始まる。

 そこに駆け付ける事が出来ない、竈門たちは無事なのか、妹鬼の頸を斬れる状態なのか。

 何も、分からない。

 

 だが、何かを感じ取ったのか。鳴上はその目を大きく見開く。

 何かに突き動かされた様に、何かを掴み取ろうとする様に左手の掌を上に向けた。

 その瞬間、その手の上には、眩いばかりに蒼く輝く何かが現れる。

 そしてそれを、一瞬も躊躇う事無く、鳴上はその手で握り潰した。

 

 

「──イザナギ!!!」

 

 

 轟く雷鳴の如き鳴上の咆哮と共に、蒼い輝きに包まれた大きな何かがその背後に現れた。

 圧倒的なまでの威圧感とその存在感に、肌がひりつく。

 しかしそれが何であるのかを見極めるよりも前に、現れた何かはまさに雷光の如き速さでこの場を離れ、竈門たちの方へと向かった。

 恐らく、竈門たちを助ける為に。

 あれは一体何なのか、俺には全く分からない。そして妓夫太郎も全く理解出来なかったのか、驚いた様にその口を開けていた。

 

「宇髄さん、多分もうちょっとしたら俺は限界が来てしまうでしょう。

 でも、絶対にあの血の沼を何とかして見せますから……その時は、お願いします」

 

 妓夫太郎に聞こえぬ様にと俺にだけ聞こえる様な小声でそう言いながら鳴上が構えたその刀には、まるで紫電が纏わり付く様にその刀身の上を走っている。

 少なくとも先程まではそうでは無かった筈だ。先程現れた何かの影響なのだろうか。

 それは分からないが、鳴上が「何とかする」と言ったなら本当に何とかするのだろう。どうやるのかまでは分からないが。ならばその好機を絶対に逃さない様に構えるだけである。

 そして今この瞬間、「譜面」は完成した。

 あの致死の毒沼さえ消えれば、何時でもその頸を斬れる。

 

 

 俺が刀を構えてその時に備えたその瞬間。

 少し離れた場所から、幾百もの雷が一度に落ちたかの様な轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
炭治郎たちのピンチを感じ取ってイザナギを召喚。実は召喚出来る様になっていた事を知らずダメ元で召喚した。イザナギを召喚した事でマッハで限界が近付きつつあるが根性で立っている。
鬼からはともかく、人から『化け物』呼ばわりされたりそんな扱いをされると普通に傷付くし悲しい。『神様』扱いも嫌。なので宇髄さんの言葉は本当に嬉しかった。


【宇髄天元】
「譜面」の完成が最終局面までに何とか間に合う。
悠への印象は、「得体の知れない何か」→『化け物』→「都合の良過ぎる神様」→「ヤバい人誑し」→「俺たちの仲間」の順に変遷した。


【妓夫太郎】
他人を攻撃に巻き込めないので市街地での戦いが苦手な事や、悠自身より遥かに弱い炭治郎たちの事を物凄く大切にしている事、圧倒的な力を持つが持久力が無尽蔵という訳では無い事など、悠の攻略方法を徐々に見付けている。
が、無惨様はそれを全く見ていないので気付かない。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠は真に満たされた絆のアルカナのペルソナだけ、召喚する事が可能です。
ですが召喚するとかなり疲れます。でもその分悠単体でスキルを使って戦うよりも遥かに強いです。ハイリスク・ハイリターン。
現在は、【愚者】と【節制】のペルソナのみ召喚可能です。(本来は【正義】も召喚可能ですが、煉獄さんを助けた時に欠番になりました)


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『遠い日の約束』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悠さんの様でいてしかし少し違う匂いを漂わせる異形の存在は、その手に巨大な剣を携えて妹鬼に対峙した。

 その人ならざる者の背中は、不思議な事にどうしてだかこんな状況でも安心感を与えてくれる。

 だが、その姿をぼんやりと見ている余裕など俺には無い。自分も戦わなくてはならないし、何より鬼の攻撃を受けてしまった善逸と伊之助の状態が心配であった。

 二人とも、鬼の攻撃で麻痺してしまったのか、ぐったりと地面に倒れたまま動けなくなっている。

 呼吸は維持出来ているので直ぐに生死に直結する状態では無いのだろうけれど。

 しかし胸を大きく切り裂かれた伊之助の負傷は深刻で、呼吸で止血をしないとこのままでは命に関わってしまうだろう。

 だが麻痺してしまっている影響からなのか、意識は辛うじてある様だが止血の為の呼吸に回せる余力は無い様だった。

 左肩周りを広範囲に切られた善逸の傷も決して軽くは無い。利き腕の方は無傷である事は不幸中の幸いであり、伊之助のものと比べると傷そのものは深くはなさそうだが、その傷の範囲が広過ぎて、その分麻痺毒も多く身体に入り込んでしまっているのか呼吸が少し苦しそうである。

 少しでも早く二人の身体を侵す麻痺毒の血鬼術を何とかしなくてはならないが、此処には蝶屋敷で処方される様な血鬼術対策の薬など無いし、血鬼術を解除出来る悠さんは戦っている真っ最中でこちらに気を配りきる余裕など無いし、そして血鬼術への特効薬である夜明けの光は未だ遠い。俺に成す術は無かった。

 妹鬼と戦うにしろ、縦横無尽に伸縮するその攻撃から動けなくなっている二人を守るのは俺一人の手には余る。

 異形は間違いなく俺たちを守ってくれるつもりの様だが、果たして何処まで信頼出来るのかは未知数だった。

 

「な、何よ突然現れて! あの『化け物』がまた何かした訳!? 

 あ、アンタなんて怖くないんだから……! 

 アタシにはお兄ちゃんが付いているんだから!!」

 

 妹鬼は突如現れた異形の存在にその顔を引きつらせつつも、震える声を必死に抑えてそう吼える。

 そして、二十以上もの帯を一度に操って様々な方向から異形へと襲い掛かった。

 異形は何も言わず静かにその剣を構えて、軽くそれを振るって、迫って来た全ての帯を細かく斬り裂いた。

 糸くずを払うかの様な気軽な動きで瞬く間に全ての帯を切断された妹鬼は呆気にとられた様にそれを見る。

 そんな妹鬼の反応に構う事無く、異形は帯を斬り払ったその動きを止めずにその手の剣を大きく振り上げた。

 しかし妹鬼との距離は十間以上は離れている。異形の持つ剣は巨大ではあるが、流石に届かない距離だ。

 だが、異形がその剣を振り上げた瞬間。

 その刀身が眩く輝くかの様にして恐ろしい程に伸びた。いや、刀身が伸びたのではなく、まるで雷そのものが刀身になったかの様にその剣に宿ったのだ。

 文字通りに天を衝くかの様に雷光をその刀身に宿した巨大な稲妻の剣を、異形は妹鬼に向けて一気に叩き付ける様に振り下ろす。

 

 その瞬間、地上に幾百もの雷が落ちた。

 

 路に散乱していた瓦礫や木材やら壊れた調度やらの諸々の一切が地上を駆け巡った雷撃に呑み込まれて蒸発するかの様に破裂し或いは原型を留めない程に粉砕される。

 既に原型を留めない程に壊れていた街の一画が、ほんの一瞬で最早更地にも等しい程の状態になった。

 此処には立派なお座敷が立ち並んでいただなんて、誰が見ても信じられないだろう。

 雷撃に蹂躙された瓦礫の街並みは、すっかり見通しが良い状態になってしまっていた。

 距離が離れていた筈の悠さんと宇髄さんたちの姿が此処からでもハッキリ見える。

 

 そして、幾ら無尽に等しい再生能力を持つ鬼でもそんな雷を束ねたかの様な刃を喰らって無事で済む筈は無く。

 美しかった肢体は見る影も無くボロボロで、体中の殆ど全てがまるで炭の様に真っ黒に変わり果てていた。

 美醜に拘る鬼としては耐え難い事であろうが、その顔ですらほぼ全てが炭に変わっている。

 水分に富む眼球は一瞬で内側から破裂したのか、本来数字が刻まれた眼球が鎮座する筈の其処には黒焦げの虚ろな空洞だけが残り。口の中も真っ黒に変わり果てて黒くなった顎の骨が露出している状態であり、舌や喉に重大な損傷を負ったのか呻き声すらろくに上げる事は叶わない。

 咄嗟に帯を盾にしたのか辛うじて人の形を留めてはいるが、その身体から伸びていた全ての帯は灼き切れた様にその大半が消し飛んでいて、一瞬で再生する筈のそれも先端が炭化してしまっているからか上手く再生が進んでいない様であった。

 鬼であるからまだ死んではいないが、寧ろ死んでいない方が酷だと目を覆いたくなる様な惨憺たる有様に変わり果てている。

 どんな傷を負っても日輪刀で斬首されるか日光に当たりでもしない限りは再生する事が出来る鬼ではあるが、しかしその身を傷付けられる事に一切の苦痛を感じ無いという訳では無い。

 人の感じるそれと同じであるかは分からないが、身を斬られる事に痛みを感じてはいる。

 だからこそ、雷に全身を焼かれて遅々として進まない再生の中で、鬼は死ぬ事も出来ないままに苦痛に苛まれているのだろう。

 妹鬼から感じる匂いは、異形への強い恐怖と絶望、そして身を苛む苦痛への叫びだった。

 相手が鬼であるとは分かっていても、それでも胸の奥を不安が掻き毟っていくかの様なその強烈な感情の匂いを無視する事は出来なくて。どうしても憐れみに近いものを感じてしまう。

 

 上手く動けず地を這い回る虫の様に必死に真っ黒になった手足を使って這う様に逃げようとする妹鬼へと、容赦無く追撃するかの様に異形は再びその剣を振り上げようとした。

 漸く再生した妹鬼の目がその絶望的な光景を恐怖と共に見上げる。

 

 しかしそれを妨害するかの様に、無数の血の刃が飛んで来た。

 妹鬼の窮地を察知した妓夫太郎が、異形の動きを封じようとしたのだろう。

 異形はやはり何も発する事は無く、その血の刃を一つ残さず正確に叩き斬ってゆく。

 それでも、少しでも妹鬼を守る為に妓夫太郎はその攻撃を止めない。

 あの強力無比な血の池地獄は、文字通りの切り札的な血鬼術ではあるが、それを展開させている間はその場から動けなくしてしまうのか、この状況下でも妓夫太郎が妹鬼の下へ駆け付けて来る様子は無かった。

 もし自分なら、禰豆子がそんな危機に直面しているのであれば、例えそれが自分が敵う相手でなくても、絶対にその傍に駆け付けて禰豆子を守るだろう。

 そして、妓夫太郎が妹鬼を想うその想いだけは、自分と禰豆子の絆と遜色無いものだと分かる。

 だからこそ、今この瞬間妓夫太郎が感じているのだろう絶望や恐怖が少しでも分かる様な気がする。

 もし、禰豆子が人を喰らう事を我慢出来なければ、人食い鬼になってしまっていたら、そしてそんな禰豆子を守る為に鬼に堕ちる事を選んでしまっていたら。妓夫太郎の立場に居たのは俺だったのかもしれない、息も絶え絶えに絶対的な恐怖に怯えているのは禰豆子だったのかもしれない。一歩間違えば自分がなっていたのかもしれない境遇であった。妓夫太郎は歪んだ鏡の向こう側に映る鏡像だ。

 

「やめろやめろやめろぉお!! 俺たちから取り立てるな!! 

 俺から妹を奪うんじゃねぇええ!!! 

 俺から取り立てるっていうなら、神だろうが仏だろうが『化け物』だろうが、みんな殺してやる!!」

 

 そう異形に対して吼える妓夫太郎の姿は、幸せが壊れてしまったあの雪の日の自分の姿を思い起こさせる。

 冨岡さんに対して這いつくばって頭を雪に擦り付けてでも禰豆子の助命を乞う事しか出来なかったあの日の自分と、唯一の大切な存在を自分の手の届き切らない場所で喪い掛けている妓夫太郎と。

 全く違うが、しかし重なる部分は確かに在る。

 だが、妓夫太郎がどれ程に妹を守ろうとしても、その手は届かない。

 血鬼術を解除して駆け付けようにも、それは悠さんと宇髄さんによって阻止される。

 妓夫太郎は言葉にならない咆哮を上げながら様々な形に精製した血の刃で異形を斬り刻もうとするが、それは全く異形の身には届いていない。

 しかし、妓夫太郎が決死の思いで稼いだ時間は、僅かながらにも妹鬼の身を回復させるだけの余裕を生んでいた。

 顔の殆どはまだ黒焦げで、四肢や体幹も無事とは言い難く、その武器である帯も十本にも満たない程しか回復出来ていないが。

 しかし、それでも辛うじて戦える程度には動ける状態にまで妹鬼は回復した。

 

「──!」

 

 まだ喉や舌は回復出来ていないのか、言葉にもなっていない罅割れた唸り声を上げて妹鬼は異形の背後に庇われた俺たちを狙ったが、その攻撃は一太刀で全て切り裂かれる。

 しかし妹鬼の本命は真正面からの攻撃では無く、何時の間にか地中を掘り進めていた帯による背後からの奇襲であった。

 地中から奇襲して来た帯はほんの五本程であったが、如何せん場に漂う強過ぎる鬼の臭いの所為で鼻が利き辛くなっていた所に足元から奇襲されては一瞬対処に遅れてしまって。

 それでも何とか避ける事は出来たが、身動きの取れなくなっていた伊之助と善逸が帯に捕まってしまう。

 それを助け出そうと、俺も異形もその手の武器を振るおうとするが。

 

「少しでも動いたら、コイツ等を殺すわ。

 アンタたちがどれだけ早くても、それよりも一瞬でも早くコイツ等の頸を掻き切る事なんて、何時だって出来るんだから……!」

 

 喉と舌を再生させている最中なのか、不気味に割れた声でそう妹鬼は脅迫する。

 そして、それが本気である事を示す様に、帯は二人の身体に徐々に喰い込み、その首元からはゆっくりと血が零れ落ちてゆく。

 その言葉に、俺も、そして異形も、動きを一瞬止めざるを得なくなった。

 二人を見殺しに何て出来ない、しかしこのままではどの道二人とも殺される。

 瞬間的に判断しなければならない事だが、それでも一瞬では選べなくて。

 しかし、その瞬間。二人を捕らえていた帯が、一瞬で燃え上がった。

 そして帯を焼く炎は、地中を通って妹鬼自身も燃やす。

 瞬く間に燃え尽きた帯から解放された二人の身体も燃えているが、しかしその炎は二人の身体を傷付けている様には全く見えない。

 そしてその炎が何であるのかを俺はよく知っている。

 

「禰豆子!!」

 

 何時の間にか箱から出て来ていて、そして攻撃する為の機会を見計う様に辺りに身を潜め、最高の瞬間にその力を一気に使ったのだろう。禰豆子は俺の声に何処か誇らし気な顔で、「む!」と唸った。

 

「うおっしゃぁああ!! ビリビリしてたのが治ったぜ!!

 伊之助様の復活じゃあああ!!! 

 子分その三! よくやった!!

 後でツヤツヤのどんぐりをやるからな!!」

 

 そして、禰豆子の血鬼術の炎がその身を焼き清めた直後、倒れていた伊之助が勢いよく飛び起きて吼える。

 善逸もまだ眠っている様だがその身を起こして何時でも霹靂一閃を放てる様に構えていた。

 

「うおおぉおお! 何だお前! 強そうだな!! 

 あの鬼の頸を斬ったら勝負しろ!!」

 

 そして伊之助は、目の前に見知らぬ異形が現れていた事に驚いた様に声を上げたが、野生の勘なのか敵では無いと一瞬で見抜いたらしく、はしゃいだ様に勝負を持ちかける。

 異形は何も言わないが、ジッと伊之助を見詰めるその金色の目には敵意は無いし、安堵した様な匂いも感じた。

 そして、指先に鋭く尖った鉤爪の様なものが付いたその大きな手をそっと伸ばして、伊之助の頭をよしよしと優しく撫でる。そして、そのまま善逸の頭も撫でて、禰豆子を褒める様に撫でて、そして俺の頭も優しく撫でた。

 よく頑張った、もう一頑張りだ、偉いな、凄いぞ、大丈夫だ、と。その手からは実に様々な温かな想いを感じる。

 大きさも何もかも全然違うものなのに、その手は何故か遠い昔に俺の頭を撫でてくれた父さんの手を思い出させた。

 そして、異形がその手を俺たちにそっと翳す。

 

 ── マハタルカジャ

 ── マハスクカジャ

 

 その手からホワホワと温かくなる様なものを感じた次の瞬間には、身体の奥底から凄まじい力が湧き上がって来たのを感じた。

 日輪刀を握る力が何時になく強く、そして身体はまるで風になったかの様に軽い。

 今なら、どんな鬼の頸だって切れてしまいそうな気がする。

 何だか自分が自分でない位に強くなった気がした。

 そんな俺たちを満足そうに見た異形は、再度優しく俺たちの頭に触れて、此処は任せたとばかりにその身を翻して空高く跳ね上がった。

 そして次の瞬間には、夥しい程の雷が激しい雷鳴と共に無数に落ちる。

 その殆どは妓夫太郎とその周囲に広がる猛毒の血の池地獄に落ちて血で出来たその沼を瞬く間に蒸発させているが、幾つかの雷は妹鬼を穿ち再び伸ばしていた帯の幾つかを消し飛ばす。

 そして、妓夫太郎の頸を斬る為に宇髄さんが駆け出そうとしたそれを見て、雷鳴が轟き続ける中俺たちも妹鬼の頸を斬るべく一気に踏み込んだ。

 

 何時になく身体は軽く、まるで善逸の霹靂一閃であるかの様にこの身は凄まじい速さでほんの一拍程の呼吸も置かずに十間以上はあった距離を一気に駆け抜けていた。

 俺よりも更に速い善逸の動きはまさに雷光の閃きそのままの速さで、その頸の周囲を覆って保護しようとしていた帯を一瞬の内に全て斬り飛ばして。伊之助は妓夫太郎が最後の切り札の様に周囲に潜ませていた血の刃の斬撃を全て寸分の狂いも無く斬り刻み吹き飛ばして。

 そしてガラ空きになったその頸に向かって、俺は大きく踏み込む。

 今の自分にとってはまともに戦いでは扱えない程に負担が大きい事は分かっている為、「必殺」の瞬間だけにしようと決めていたヒノカミ神楽へと己の呼吸を完全に切り替えて。

 炉を燃やす炎の音と共に、今ならば「あれ」が出来ると確信して、強く強く刀を握り締める。

 その瞬間ほんの僅か、漆黒の日輪刀のその刃が、うっすらと赤味を帯びた様な気がした。

 そして──

 

 ── ヒノカミ神楽 輝輝恩光! 

 

 燃え盛る炎の渦を纏うかの如き一閃は、柔軟に撓る妹鬼の頸を一瞬で斬り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 雷が幾十幾百も同時に落ちたかの様な轟音と共に、瓦礫を呑み込む様に雷光が地上を駆け巡った。

 どうやら、先程現れた何かがやらかしたらしい。

 まあ色々とそりゃあもう派手にぶっ壊しているが、元々瓦礫の山になっていたのだし人的被害も物的被害も今更な状態なので思い切ってやってしまったのだろう。その思い切りの良さは嫌いじゃない。

 妹鬼の方に何かあったのか、妓夫太郎が明らかに余裕を無くした様子で血の刃をその方向へと無数に飛ばす。

 だが上手くはいかなかったのか、その顔には焦りが浮かび、そして終には絶望に染まる。

 

「やめろやめろやめろぉお!! 俺たちから取り立てるな!! 

 俺から妹を奪うんじゃねぇええ!!! 

 俺から取り立てるっていうなら、神だろうが仏だろうが『化け物』だろうが、みんな殺してやる!!」

 

 妓夫太郎は最早慟哭と言って良い様な絶叫を上げた。

 散々人々からはその命すら奪っておいてよくもまあそんな事が言えるものだと思うが。

 しかし、大切な存在を喪い掛けているその絶望だけは理解出来なくはない。だからと言って同情など微塵も懐かないが。そうやって吼えて何かに助けや情けを乞うには、この兄妹は余りにも人世の罪を重ね過ぎている。

 鳴上は少しだけ哀しそうな顔をしたが、しかしそれで攻撃の手を緩めるという選択は無いらしい。

 だが次の瞬間には、向こうでまた何かがあったのか、鳴上はその眼差しを険しくする。

 そして、向こうに対して追撃しようと新たに精製された無数の刃を。

 

「──雷神斬!」

 

 最早雷で出来ているのかと思う程に紫電を纏ったその刀の一閃で血の刃の群れを一太刀で全てを斬り伏せて、そして更に十字に斬る様にその刀を振り下ろすと、その剣先の軌跡を辿るかの様に雷が地上を走る。

 その雷の斬撃は血の沼を蹂躙する様に走り、妓夫太郎の身を斬り裂き灼いた。

 妓夫太郎は辛うじて真っ二つになる事を避けたが、しかしその身を半ば両断する程に刻まれたその一撃は重い。

 

「宇髄さん、今からちょっと凄い音がするので覚悟してください。

 でも、これで決めます。後は、頼みます」

 

 そう言いながら、鳴上はその手をそっと俺の背に押し当てた。

 その途端、今まで感じた事も無い程の力が身体の奥底から湧き上がり、身体がまるで羽根になったかの様に軽く感じる。

 間違いなく、鳴上の仕業だ。しかし、既に限界に近いのにそんな事をしても大丈夫なのだろうか。

 その身を案じて鳴上を見遣ると、鳴上は少し辛そうながらも微笑んだ。

 

「『おまじない』みたいなものです」

 

 鳴上がそう言ったその次の瞬間。

 天から無数の雷光が地上に降り注いだ。

 目を灼く程の眩さと、そして耳が壊れそうになる程の轟音が絶えず響く。

 至近距離に雷が落ちたのだと分かるが、それは何時まで経っても止む気配は無い。

 まるで天神の怒りが具現化したかの様に、無数の雷が落ち続けている。

 どうにか腕で光を抑えながら状況を把握しようとすると、どうやら毒の沼目掛けて強大な雷が絶え間なく落ち続けている様だ。雷の凄まじい力と熱量に血鬼術で作られた致死の毒沼であるとは言え元を辿れば鬼の血液であるそれが耐え切れる筈も無くて。

 ほぼ無尽に思える程の血を湛えていた筈の血の池地獄は瞬く間に蒸発していく。

 その中心に居た妓夫太郎は血の刃を身の回りに展開して凌ごうとしていたがそれで凌ぎきれるものでも無くて、その身体は雷に撃たれ焼かれていく。

 

「いま、です……!」

 

 もう限界だと言わんばかりに息も絶え絶えに、鳴上はそう言って俺の背を押す。

 そして鳴上は刀を支えの様にして地に突き立てると、それに縋り付く様に座り込んでしまう。

 戦いの最後までは、何があっても見届けなくては、と。そんな強い意志だけでどうにか意識を繋ぎ止めている様であった。

 だからこそ、今ここで決めなくてはならない。

 

 自分を撃ち出す様な勢いで一気に駆け出す。

 元々足の速さには自信があったが、何時もの比では無い。

 そして身体に漲る力も、今ならばあの悲鳴嶼さん相手でも力比べで勝ててしまうかもしれない。

「おまじない」なんて可愛いものじゃないだろうに。

 だが、その心意気には応えてやるのも仲間の務めというものだ。

 強く強く握り締めた日輪刀が、灼熱に炙られたかの様に仄かに朱に染まる。

 それを振り被って、真っ直ぐに妓夫太郎の頸を狙った。

 だが満身創痍になりながらも、目で追えているとは思えないのに妓夫太郎はそれに反応した。

 勘か何かを働かせて、その手の血鎌で首元を守ろうとする。

 しかし、それは既に「譜面」が完成し、更には「おまじない」によって底知れない力が引き出されている状況では完全に見切っている動きだ。

 だからこそ、空中で軽く身を捻って薙ぎ払う様に振るわれた血の鎌を回避して、そしてガラ空きになったその頸を一撃で斬り落とした。

 

 勢い良く斬り過ぎたのか、妓夫太郎の頸が蹴り上げられた毬の様に飛んでいき何処かに落ちる。

 妹鬼の方はどうなったのかと、随分と見通しが良くなった辺りを見回すと、竈門たちが見事その頸を落とした処だった。

 ほぼ同時に頸を落としたと言っても良いだろう。兄妹の身体は力尽きた様にその場に崩れ落ちる。

 身体が完全に崩壊するまでは油断は出来ないが、恐らくこれで上弦の陸の討伐は達成されただろう。

 

 ほっと一息吐こうとしたその時。

 足元の妓夫太郎の身体が不気味に蠢く。

 そして、その身体自体を破壊する勢いで、血の刃がその身体から吹き上がろうとした。

 

 コイツまさか最後の悪足搔きを!? 

 

 此処で妓夫太郎の身体を斬り刻もうがその攻撃の全てを止める事は出来ないだろう規模で、血の刃は展開されようとする。

 周辺の避難はとっくに完了しているので一般人に被害が出る事は無いが、竈門たちが巻き込まれれば一溜まりも無い。頼みの綱の鳴上は既に限界である。

 瞬時の判断で一旦退いてしまったが、非常に不味い状況であった。

 だが。

 

 周囲を無差別に破壊しようとするそれが解き放たれる寸前。

 血の刃は妓夫太郎の身体ごと巨大な氷の中に閉じ込められた。

 分厚く頑強な氷を破壊して飛び出す程の力は無かったらしく、血の刃はそのまま氷漬けになって無力化される。

 

「もう、むり、あとは、たのみ、ます……」

 

 最後の最後、最悪の事態に備えて欠片程度に僅かに残していたのだろう力も完全に振り絞ったのか。

 そう呟いた鳴上は、その場で倒れ込む様に昏倒してしまった。

 

 こうして、上弦の陸の討伐は、建造物の被害を除けば戦闘開始から一人の死傷者も出す事は無く、無事に成功した。これは、快挙と言う他に無い程の戦果である。

 百年以上も変わる事の無かった月を、漸く人の持つ刃が欠けさせた歴史的な瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 上弦の陸との戦いで周囲一帯が本当に酷い有様になってしまったけれど、それでも一人の死傷者も出す事無く戦いが終わった事は本当に良い事であった。

 宇髄さんが早い段階で隠の人達を動かして一般人の避難を始めさせていた事や、行方不明になっていた人達を早い段階で見付けられていた事など、この結果を掴み取る為の選択のどれかが違っていたら、恐ろしい程の被害が出ていた事だろう。それは、見るも無残な状態になった建造物の数々が物語っている。

 特に、妓夫太郎が暴れ回っていた場所や最後に雷が蹂躙した場所はもう殆ど更地と言っても良い様な状態で。

 この結果は多くの選択が上手く作用したが故であると共に、幸運によるものなのだと、そう心から思う。

 ……それに、人命に関わる様な被害は一切出なかったとは言え、上弦との戦いが与えた被害が小さい訳では無い。

 瓦礫と化し、そして更地になってしまった場所で生活して来た人たちは、明日からどうやって生きて行けば良いのかと途方に暮れる事だろう。

 壊れた家財は、一夜で元通りになったりはしない。そして避難する中で持ち出せなかった家財の多くを喪った人々は多いだろう。彼等にとって、明日どうやって生きるのかは死活問題になる。

 命在っての物種、生きてこそ、というのは真理ではあるけれど。人と人の社会の中で生きていく為にはお金が要るし住む場所も要る。生きているだけでは腹は膨れないのだ。

 勿論、諦めずに生活を再建しようとする人は居るだろうけれど。路頭に迷って身持ちを崩す人も少なからず現れてしまうのだろうと。そう思わせてしまう程には酷い有様であった。

 それでも、人命が喪われる事に比べれば遥かにマシではあるのだけれども。

 

 戦闘に巻き込まれない程度の距離を保ちながらも付近に待機していた隠の人達が、戦いが終わると否や現れて既にテキパキと事後処理を始めていた。

 気を喪って倒れてしまったらしい悠さんは、隠の人に背負われてこれから蝶屋敷に帰るらしい。

 俺たちに目立った負傷は無いけれど、上弦の陸との激しい戦いで目に見えていない場所に何か不具合が生じている可能性があるから、後で必ず蝶屋敷に向かう様に、との事だった。

 特に、一度鬼の毒を喰らっている宇髄さんや善逸と伊之助は厳重に観察する必要があるとの事で、善逸と伊之助は先に蝶屋敷に運ばれて行った。

 宇髄さんはと言うと、流石に疲れたのか瓦礫に腰掛ける様に座りながら隠の人達に色々と指示を飛ばして、お館様への報告書を認める準備もしていた。そしてその周りには三人のお嫁さん達が引っ付く様に傍に居る。

 お互いに無事を喜んでいる匂いを少し離れた場所からでも感じる程だ。

 あまり邪魔をしないように、その場をそっと後にする。

 

 そして俺にはまだやらなくてはならない事があった。

 慎重に匂いを辿って、鬼の血を探す。景気よく血を飛ばして攻撃してくる鬼だった為何処かに血溜りが残っているのではないかと予想していたけれど、それは見事当たった様だ。

 もう攻撃してこない事を用心して確かめてから、その血を回収する。

 するとそれを確認したかの様に猫の鳴き声が響いて、茶々丸が姿を現した。

 戦闘中は一体何処に待機していたのだろうか? まあ賢い猫なので上手い事身を隠していたのだろうけれど。

 茶々丸に採取した血を託して珠世さんの下へと向かわせる。

 今の時点で、悠さんが手に入れてくれた上弦の弐と、そして今回戦った上弦の陸の血が珠世さんの手元に渡った事になる。これで少しでも早く、鬼を人に戻す為の薬が完成すれば良いのだけれど。

 一日でも早くお前を元の人間に戻してやるからな、と。そう改めて決意して禰豆子の頭を撫でると、禰豆子は嬉しそうにニコニコと笑った。

 

 その時ふと、まだ鬼の匂いが完全には消えていない事に気付いた。

 上弦の陸ともなれば、他の鬼以上に頸を斬られた後も身体が残るのだろうか。

 血鬼術を使ったからか少し眠そうな禰豆子の手を引いて、そこに向かう。

 万が一の事を考えると迂闊には動けないが、しかし恐らくもう彼等には戦う力は無いのだろう。

 

 濃い鬼の匂いを辿って行ったそこには、兄妹の首が並んでいた。

 しかし、両者は首だけになりながらも互いに言い争いをしている様である。

 その首の端は徐々に崩れて行って、もう長くは無いのだと俺に悟らせた。

 

「何で助けてくれなかったの!?」「俺は柱と『化け物』を相手にしてたんだぞ」「だから何よ、こっちにはもっとヤバい『化け物』が現れたんだから!」「助けようとはした! 大体お前こそ最初に相手していたのは下っ端だっただろう! さっさとそいつらを半殺しにするなりして人質にすれば良かったんだ!」「でもアイツ等妙にちょこまか避けてきて全然捕まえられなかったの! やっと捕まえたと思ったら、あの逃れ鬼に邪魔されたの!」「仮にも上弦の陸を名乗るなら人を喰っても無い雑魚鬼に負けてどうするんだよ! この馬鹿!!」

 

 ギャアギャアと言い争っていた二人は、何か互いに超えるべきでは無い一線を越えたのか、衝動的な匂いが膨れ上がっていく。

 

「……アンタみたいに醜い奴がアタシの兄妹なわけないわ!! 

 アンタなんかとはきっと血も繋がってないわよ! だって全然似てないもの!! 

 この役立たず! 強いことしかいい所が無いのに、何も無いのに。

 負けたらもう何の価値も無いわ。出来損ないの醜い奴よ!!」

 

「ふざけんじゃねぇぞ!! お前一人だったらとっくに死んでる、どれだけ俺に助けられた! 

 出来損ないはお前だろうが、弱くて何の取り柄も無い。

 お前みたいな奴を今まで庇ってきたことが心底悔やまれるぜ。

 お前さえいなけりゃ俺の人生はもっと違ってた。お前さえいなけりゃなあ!!! 

 何で俺がお前の尻拭いばかりしなきゃならねぇんだ!! 

 お前なんか、生まれて来なけりゃ良かっ──」

 

「嘘だよ」

 

 それ以上は聞いていられなくて。

 思わず俺はその口を手で閉ざしてしまった。

 それだけは、言ってはいけない言葉だからだ。

 だって、罵り合っていても二人から感じる匂いはちっともお互いを疎んでなんていないもので。

 でも、誰にだって弾みと言うものはあるし、愛しいという想いの影に淀む澱は少なからずある。

 俺の大事な妹弟たちだって、何時も仲が良かったけれど時々口喧嘩をして、お互いに思っても無い程の鋭く痛い言葉の刃をぶつけてしまう事はあった。

 そう、口喧嘩くらい、どんなに仲が良くたって起こる事はある。

 それでも、一度口にしてしまった言葉を取り消す事は絶対に出来ないから。

 取り返しのつかない言葉を、言った本人も相手も一番傷付ける様な言葉を、口にしてはならないのだ。

 それが本心では無いのなら、尚更。

 

「本当はそんなこと思ってないよ。全部嘘だよ。

 仲よくしよう、この世でたった二人の兄妹なんだから。

 君たちのしたことは誰も許してはくれない。殺してきた沢山の人に恨まれて憎まれて罵倒される、味方してくれる人なんていない。

 だからせめて二人だけは、お互いを罵り合ったら駄目だ」

 

 その言葉に、二人は苛立った様に俺を睨みつける。

 

「うわあああああん!! アタシたちに説教すんじゃないわよ! 

『化け物』なんかと一緒に居るくせに!

 あんな『化け物』の『人間ごっこ』に付き合ってる気狂いのくせに!!」

 

「うるさいんだよォ!! 糞ガキがぁ! 向こう行けぇ、どっか行けぇ!! 

『化け物』に助けて貰ってやっとどうにか帳尻合わせただけの雑魚のクセに!! 

 ああっ! 糞、クソがあ!! 何でだよ!! 何で俺たちから取り立てる!! 

 あんな『化け物』がどうしてこの世に存在する事が許されているのに、俺たちは全部奪われるんだ! 

 何でお前みたいな雑魚に、『化け物』が力を貸してるんだよ!! 

 俺たちが助けて欲しかった時には、誰も何もしてくれなかったのに!! 

 ああっ糞が! 所詮『化け物』の気紛れを施されている分際で、俺たちを憐れむんじゃねぇ!!!!」

 

 だが、そんな罵声を上げられるのも最早限界である様で。

 妹鬼の首はもう欠片程しか残っていない。

 

「悔しいよう、悔しいよう!

 何とかしてよォ、お兄ちゃあん!! 

 死にたくないよォ、お兄っ……」

 

 最後に幼子の様に泣き叫んで兄に助けを求めた妹は、一足先に欠片も残さずに崩れて消え去った。

 

「梅!!」

 

 妹の名前であるのだろうか。それを叫んで、兄の首も崩れる様に消え去る。

 ほんの僅か、完全に消え去るその間際。

 少しだけ温かな想いの匂いを感じたのだけれど。

 それはちゃんと仲直り出来たという事なのだろうか。

 二人が行く先は地獄であるだろうけれど。それでも、せめて。二人が共に在って欲しいと願ってしまう。

 鬼になる前の彼等がどうであったのかなど、俺には分からない。けれど、願わくば。

 地獄の業火に焼かれその罪が雪がれた後の輪廻の中で、鬼になる必要が無い人生を、今度こそ二人で歩んで欲しいと願ってしまう。

 

「ああ、疲れたな……」

 

 見上げた夜空にはまるで吹き散らされたかの様に雲一つ無く、満天の星空の中に満月が煌々と輝いていて。

 禰豆子と二人互いを離さないように確りと手を繋いで、その優しい光を眺めるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
万が一上弦の鬼がお代わりで投入された場合に備えてほんの少しだけ余力を残していた。
スキル効果の範囲や強さ的には、召喚したペルソナが使ったスキル>「越えられない壁」>悠自身を媒体に使ったスキル。
もし完全に召喚した状態で全力(ヒートライザ+コンセントレイト)の『明けの明星』を地上で何の手加減も無しに使ってしまうと、第二のツングースカ大爆発規模の被害が出てしまう可能性がある。無惨は確実に消えるが、東京が死んでしまうかもしれないしそもそも自分も無事では済まないので駄目絶対。


【竈門炭治郎】
高い長男力があったって、父性にまだ包まれたい欲求も普通にある。
夢の中の特訓で後先考えずにヒノカミ神楽を使って死んだ回数が多過ぎて無意識が学習した為、燃費最悪なヒノカミ神楽は、文字通りの「必殺技」として確実に決められる瞬間まで使わない様にしている模様。
タルカジャで強化されたされた際にうっっっっすらと赫刀モドキに到達した。
もうちょっと身体を鍛えればちゃんとした赫刀にタルカジャ付きなら到達出来るかもしれない。
寿命と引き換えの強化チケットこと「痣」はまだ出てない。


【竈門禰豆子】
箱からこっそり脱け出して炭治郎たちの戦いを観察して助太刀に入るタイミングを伺っていた。実際、禰豆子が善逸たちを助けていないとかなり不味い状況になっていた可能性があるので今回のMVP。
当然暴走する事も無く、血鬼術を数回使ってちょっと疲れた程度。
イザナギの手は大きくてお父さんみたいだなぁ……と思った。


【我妻善逸】
寝ていたけど状況の把握はかなり確りしていた。
イザナギには少し驚いたけど音が物凄く優しいから怖くはなかった。
イザナギの手に、少しだけ爺ちゃんを思い出す。
麻痺毒は禰豆子のお陰で吹き飛ばせたけど、そこそこな傷を負っているので数日は蝶屋敷で治療される。


【嘴平伊之助】
意識はハッキリしているのに身体が動かないのは物凄く嫌だったので、禰豆子が治してくれた事には物凄く感謝している。
イザナギは悠みたいな感じがすると一瞬で感じ取ったので怖くは無かった。
撫でられた時は、物凄くホワホワした。それを伊之助自身は一度も与えられた事の無い父性的なものだとは分かっていない。


【宇髄天元】
タルカジャされた際に赫刀を僅かに発現させる。更に握力を意識させるとほぼ完全に赫刀に至る模様。
ただし、赫刀の発動条件はまだ誰も知らないし効果も分かっていない。
討伐後にやって来た伊黒さんにネチネチされたけど、負傷者も無く勝利出来ていたのでネチネチは何時もよりもマイルドだった模様。
五体満足なので当然音柱は続ける。折角なら、鬼舞辻無惨が倒された後の世界ってのを見てみたいから。
三人の嫁と一緒に、悠に音屋敷に遊びに来いと声を掛ける様になる。


【妓夫太郎】
悠が居なかったら絶対に勝てていたからこそ本当に納得がいかない。
そして、自分達に手を差し伸べる人は居なかったのに、炭治郎の様な弱い存在に悠みたいな『化け物』が手を差し伸べている事に本当にイラついている。
鬼の妹を何よりも大事にしているという共通項があるのに、自分とは違って明らかに恵まれている炭治郎の事も嫌いである。でも妹に言ってはいけない言葉を言い放つ前に止めてくれた事に関してだけは、本当に本当に少しだけ感謝している。


【堕姫】
『化け物』を遥かに超えた『化け物』にズタボロにされて涙目。
本当にもう無理。悠を見るだけで常時SAN値チェックが必要。
お兄ちゃんの足を引っ張ってしまった自覚はあった。


【伊黒尾芭内】
担当区域が近かったので急行したが現着した時にはもう全部終わっていた。
破壊の痕が凄まじい事になっていたので、無事では済まなかったのではと内心心配したが、全員五体満足でピンピンしている上に一般人の被害者も出ていなかった事に安堵した。
上弦の片割れの頸を斬ったのが炭治郎だと知り、炭治郎への好感度は……ちょっとだけ改善された模様。
悠に関しては煉獄さんを救命した時点でその好感度は他の人間よりもそこそこ高めであったので、今回の戦いでの活躍などを聞いて着々と好印象を上げている。ただし、本人同士では今の所ほぼ会話が無い。


【産屋敷輝哉】
上弦の鬼の討伐報告にはしゃぎ倒す。
吐血もしないし身体は何時になく軽い(当社比)ので、家族全員で喜びを分かち合う。


【イザナギ】
炭治郎たちのピンチを察知してイザナギにデチューンして参戦した「大神」さん。
「大神」として覚醒する直前までスタメンとしてマーガレットさんとの単騎決戦にも挑んでいるので、デチューンしたとしても強い。
『雷神斬』→『マハタルカジャ』・『マハスクカジャ』→『マハジオダイン』。P5Rのチャレンジで持って来た『エル・ジハード』も使えるけど、そんなの使ったら街が大炎上してしまうので自重。




≪今回のアルカナ≫
『星』
宇髄天元との絆。
嫁三人を全員五体満足で生還させかつ合同で上弦の鬼の討伐に成功した事で完全に満たされ、何があっても揺らぐ事の無い絆になった。
どんな力があろうと、『神様』だとか『化け物』じゃなくて、悠は仲間である。

『審判』
産屋敷の人達との絆。上弦の鬼を討った事でほぼ完全に満たされた。
何らかの条件を満たせば完全に満たされる様だ。


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『蠢動する闇』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 琵琶を掻き鳴らす音と共に、上弦の参の位階に座す鬼である猗窩座は、青い彼岸花を捜索しながら移動していた山道から一瞬で異空間に移動していた。

 上下左右の繋がりも何もかもが歪んだ光射さぬ常闇の領域、無惨様のその居城である無限城だ。

 何か下命する事があるにしても、多くは血を介した声で済まされる上に、呼び出しを受けたとしても招かれる場所は此処では無い。……普段ならば。

 前回の召集からまだ一月も経っていないと言うのに、一体何があったと言うのか。

 とは言え、その『何が』と言うものに心当たりが無い訳では無い。と言うよりも十中八九、あの『化け物』の事だろうと、猗窩座は考えた。

 

 上弦の弐である童磨が未知なる『化け物』に消滅寸前まで追い込まれた、と。

 上弦の鬼全員を無限城に呼び出した無惨様は、不機嫌も顕に消滅寸前の所を回収した童磨の頭部を掴みながらそう吐き捨てた。

 ほぼ目元より上しか身体が残っていない童磨は、無惨様の怒りに触れて折檻されたからそうなった訳では無いらしい。

 それに本来ならほんの数十秒で全身を再生させられる筈であると言うのに、その再生は遅々として進んでおらずよくよく集中して観察すれば端が再生しつつある事に気付ける程度にまでその再生能力は落ち込んでいた。

 この調子なら、完全に再生するのに何ヶ月も掛かるだろう。それ程までに、その『化け物』は童磨を消耗させたのだろうか、それとも鬼の再生能力を妨害する様な術を持っていたのだろうか。

 今の童磨なら入れ替わりの血戦を挑めば勝てる可能性はある気がするが……しかし、どうにも以前とは何かが明らかに変わった様な気がする。外見的な問題では無く、その内面がもっと得体の知れない何かに変貌したかの様な。

 それが不気味であるし、何よりもこんな状態になってもわざわざ回収した童磨との血戦など無惨様が許可しないだろうから、僅かに考えるだけに留めておいた。

 しかし……。その性根は全く以て猗窩座とは合わないものの、仮にも上弦の弐である童磨をここまで容赦無く叩き潰す力を持つ存在など、果たしてこの世に居るのだろうか? 

『化け物』と、そう無惨様はその存在を罵るが。鬼となってから百年以上、猗窩座はその様な存在の痕跡すら感じた事が無い。俄かには信じ難い事であった。

 妓夫太郎も玉壺も半天狗も、半信半疑とでも言いた気な顔をする。無惨様の言葉を疑うつもりは無いが、そんな存在が居る訳無いだろう、と。

 ただ、黒死牟だけはその言葉に何か心当たりがあったのか、考え込む様な気配を漂わせていた。

 

「無惨様……それは……日の呼吸の使い手が……現れた……という事でしょうか……」

 

「あの『化け物』は『あれ』とは無関係だ。

 だが、場合によれば『あれ』を遥かに凌駕する『化け物』である可能性も高い」

 

「俄かには……信じ難い……」

 

 上弦の中でも最も古くから無惨様に仕えているからこそ、何か共有出来る経験があるのだろうか。

 日の呼吸とやらが何であるのかは分からないが、その言葉を耳にした瞬間にこの身に流れる無惨様の細胞が騒めいたのを感じるに、恐らくそれはとても危険な何かであるのだろうと猗窩座は理解する。

 そして、童磨の記憶から得た『化け物』の情報だと言って、無惨様はその血を介して童磨と『化け物』との戦いの一部始終をその場に集った上弦の鬼全員に見せた。

 

 成る程それは、まさしく『化け物』だった。それ以上の表現など、この世に無い程に。

 童磨の攻撃の一切を受け付けず、劫火や絶対の冷気を手足の様に操り、呼吸を体得し武を極めている様子も無いのに暴虐とも言える力で捩じ伏せ圧倒する。そのどれもが尋常なものでは無い。

 そしてその極め付けは、童磨の肉体の大半を一瞬で消し飛ばした攻撃だ。

 一体どの様な原理を以て成された攻撃なのか一切不明だが、この攻撃に巻き込まれれば上弦だろうと何だろうと欠片も残らず消し飛ばされるだろう。

 日輪刀で頸を斬られる事や日光に晒される事以外に、鬼を確実に死に至らしめる方法であった。

 こんな馬鹿げた力を持った存在がこの世に現れるなど、一体誰が予想出来ただろう。

 明らかにこの世の理を嘲笑い踏み躙って破壊するかの様な所業だった。成る程、『化け物』に相応しい存在だ。

 姿形だけは普通の人間にしか見えないからこそ、その異質さがより際立つ。

『人間』のふりをした『化け物』がこの世に現れ、そしてその『化け物』が躊躇なく鬼を狩っている事は紛れも無く前代未聞の危機であった。

 だが何故そうなのか猗窩座自身にすら分からない事ではあったが。

 無惨様に見せられた童磨と『化け物』との戦いに於いて、何よりも猗窩座の意識に引っ掛かったのは。

 鬼すら一蹴する程の圧倒的な『化け物』の異能では無くて。それを発揮して童磨を追い詰めるよりも前。童磨に嬲られ瀕死の状態になっていた女の剣士たちに対して『化け物』が使った力であった。

 童磨の血鬼術によって肺を破壊され苦しそうな音を立てながら必死に呼吸する女の姿に、胸の奥が苛立つかの様に騒めく。そして、最早死ぬだけであった筈の女を、『化け物』が黄泉路を下ろうとするその手を掴んで引き戻しその身体を完全に癒したその瞬間には、未だ嘗て感じた事も無い程の激しい痛みが胸の奥を掻き毟った。

 

 ── ああ、そんな力が俺に在ったのなら! あの場にこの『化け物』が居たのなら!! 

 ── 俺は、守れたのに! ■■を助けられた、■■さんも■■も助けられた!! 

 ── 俺は、俺は……っ!! 

 

 童磨に敗れた女は弱者だった、そして『化け物』が揮ったその力は弱者を救う為のものであった。

 弱者に情けをかける必要も、弱者を救う事に価値を感じる事など無い筈なのに。

『化け物』の持つこの世の理の外にある力の中でも、猗窩座にとっては最も意味が無く価値も無く気を払う必要も無いものである筈なのに。

 どうしてその力を、傷付き死に掛けた者を、病に倒れ苦しむ者を、救う為の力を、意識してしまうのか。

 そしてそれがどうしようもなく胸の奥を搔き乱すのか。

 猗窩座には分からなかった。その理由が分からないという事実が虚しい程に胸の奥を痛ませる。

 しかしそんな猗窩座の懊悩は、無惨様の言葉によって断ち切られた。

 

「お前たちに命じる。この『化け物』を捕らえて私の前に差し出せ。

 何百年掛けても未だ産屋敷一族を滅ぼし鬼殺隊を殲滅する事も、青い彼岸花を見付け出す事もろくに果たせぬお前たちに期待する事自体が間違っているだろうが、その程度の役目は果たしてみせろ。

 不愉快極まりないが、その役目の為に我が血を与えてやる」

 

 そう言うなり、無惨様がその腕を伸ばして身体を貫く様にして、その場に居た上弦の鬼全員に血を注ぎ込む。

 それは、今まで下賜されてきた血を遥かに超える程の量であった。

 上弦の鬼と言う「器」でなければ器自体を見るも無残に破壊するだろう程の量の血に、身体の奥底から力が湧き上がるのを感じる。直前まで胸の奥を食い破る程に感じていた掻き毟る様な痛みはもう感じない。

 今ならば、柱だろうと何だろうと、何人群れていても全て殺す事が出来るだろう。

 

「……有難き……幸せ……」

 

 黒死牟の言葉を無視する様にして、無惨様は不愉快そうにその目を歪めて吐き捨てた。

 

「あの『化け物』を捕らえ私の前に差し出した者には更なる血を与えてやる。

 こうしてわざわざ与えてやったのだ。精々私の役に立つ事だな」

 

 

 そうして、前回の召集は解散となった。

 ……今回の召集の理由は一体何であると言うのか。

 まさか、上弦の鬼が欠けたのだろうか。

『化け物』を狩る為にふんだんに無惨様の血を与えられた上弦の鬼が今更柱などにやられるとは思えないので、『化け物』に返り討ちにされたのだろうか。

 欠けたとしてそれは誰だ? 

 鬱陶しく煽って来る玉壺も、ひたすら怯えた様に「怖ろしい」とだけ口にしている半天狗も此処には居る。

 不愉快極まりない童磨がまたしてもやられて死んだと言うのなら喜ばしい事だが……しかしまだ肩辺りまでしか身体の再生が出来ていない童磨もこの場には居た。流石に二度目の返り討ちに遭ったという様子では無さそうだ。

 

「おっと猗窩座殿も無事だったか! 良かった良かった! 

 あの『神様』は容赦なんか絶対にしてくれないだろうからなぁ! 

 俺は皆を凄く心配したんだぜ!」

 

 ニコニコと笑いながらそう話しかけて来る童磨の顔は以前のものと変わりない様でいて……しかしその笑顔の奥には気色悪い程の執着がドロドロと凝っていた。

 正直関わり合いになりたくも無いので、猗窩座は無視を決め込む事にする。

 

「ヒョっ! 『神様』とはまた、童磨殿は奇怪な事をおっしゃいますな。

 あれは『化け物』でありましょうに。

 あの『化け物』を芸術に仕立て上げてみたくはありますが、無惨様に差し出さねばなりませぬ故」

 

「いやいや、あれは『化け物』などでは無く『神様』だとも。

 俺も、この世には神も仏も存在しないと思っていたのだが、あの『神様』に出逢って考えを改めた! 

 疑うなら玉壺殿も一度逢ってみると良い。きっとその力を惜しみ無く見せてくれる筈さ。

 まあ、玉壺殿があの『神様』に勝てる見込みなど露程も無いし、況してや芸術にするのは不可能だとは思うが! 

 あの『神様』と戦うのは俺の役目であるからな!」

 

 玉壺の言葉にそう返した童磨はにこやかに微笑む。

 だが、そこにある執着の臭いが、「俺の獲物に手を出す事は赦さない」と、玉壺を脅していた。

 己よりも遥かに格上の存在から漏れ出ている殺気にも似たそれに、玉壺は何も言えなくなる。

 

「怖ろしい怖ろしい……。何故斯様な悪霊の如き『化け物』を『神』などと宣うのか……童磨は狂っておる。

『神』であったとしても禍津神の類であろうに、ああ怖ろしい怖ろしい。

 何故斯様な怖ろしき存在がこの世に現れたのか、怖ろしい怖ろしい……」

 

 基本的に誰とも会話の成立しない半天狗のその言葉を一々相手にする者は居ない。

 元々関わりたくない猗窩座は当然として、普段はあれ程までに馴れ馴れしく話しかけて来る童磨ですら代り映えのしない笑顔を浮かべながら半天狗を無視していた。

 この場に居ないのは、黒死牟と妓夫太郎だ。

 どちらかが討たれたのか、或いは両方が討たれたのか。

 順当に考えれば討たれたのは妓夫太郎だと考えるのが自然であるが、しかしあの底知れぬ『化け物』を相手にするのであれば黒死牟程の実力があったとしても「もしや」は有り得る。

 

 その時、琵琶を弾いて上弦の鬼を呼び寄せながら当人は黙していた鳴女が口を開いた。

 

「上弦の壱様は最初に御呼びしました。ずっとそこにいらっしゃいますよ」

 

 そこ、と。そう言われて初めて猗窩座は僅かに離れた場所に黒死牟が座している事に気付いた。

 気配が無いかの様に其処に居るのに、一度気が付くと何故それを見逃していたのかと思う程にその気配は他者を圧倒する。

 そして、黒死牟は猗窩座たちの方向を向くでも無く、厳かに主の到着を告げた。

 

「無惨様が……御見えだ……」

 

 その瞬間、意識するよりも先に、その場に居た全員が膝を突いて頭を垂れた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 無惨は、この千年間一度も感じた事が無い程に、激怒していた。

 何一つとして己の望みを叶えようとしない儘ならない世界に対し、そしてただ生きているだけなのに『化け物』どもを放ってまで己の命を奪おうとする世の理に対し。

 憤激といっても差し支えない程に怒り狂い、そして()()()()()()への怒りを募らせる。

 

 千年程の昔、この様な坂東の地では無く平安京と呼ばれた都がこの国の中心であった時代。

 かつてその都に住むとある貴族の血筋に生まれた無惨は、生まれたその瞬間から「死」が色濃く纏わり続けていた。病魔に蝕まれ続け身動きすら儘ならず、世に雑草の様に繁茂する人々が当たり前に享受しているものの殆どを一度も手に出来ず。有力貴族の者として当時におけるありとあらゆる医療を受けてはいたが、そのどれもが無惨の身体を癒す事は無かった。この時既に傲慢極まりない人格を形成し、そして他人と温かな関りなど一切持った事の無い無惨の他人への共感能力が芽生える様な事など無くその心には種すら撒かれる事無く心の土壌は己の身に苦行を強いるこの世への怨嗟によって既に取り返しなど付かない程に腐り果てていた。

 自己愛と生存欲求以外は虫以下の心しか持っていなくても、その当時の無惨はまだ人間であった。

 そんな無惨を決定的に「化け物」に変えたのは、ある一人の医者が施した治療であった。

 治療の過程で一向に良くならない事に業を煮やした無惨がその医者を惨殺してしまったお陰でその効果も途中で終わってしまったが、気付けば無惨は人を遥かに超えた力と無尽にも等しい回復力を持った存在となっていた。

 定期的に人を喰わねばならない事に関して言えばその程度を調達する事など容易い事なのでどうでも良いが、休息も眠る必要も無いのに陽光を浴びる事が出来ない所為で一日の半分以上も行動を拘束される事には我慢がならなかったし、陽光と言う致死の存在が常に己の傍らに存在する事を許容する事など出来なかった。

 その為、人に己の血を与えると己が劣化した様な「人外」を作り出しそれを支配出来ると気付いてからは、陽光を克服出来る様な体質を得た「人外」……鬼を生み出してその性質を取り込む事で己も陽光を克服しようと画策して、増やしたくもないが鬼を増やしながら時を過ごしていた。

 それと同時に、殺した医者が己に与えた薬の原材料に使ったらしい「青い彼岸花」とやらを探し、陽光の克服への手掛かりを求めた。

 

 そんなある時無惨は、どうやら鬼を目の敵にして己を追っている存在が居るらしい事に気付いた。

 後に鬼殺隊と名乗る事になるその異常者どもの集まりとの嫌な因縁は、もう数百年以上は続いている。

 無惨には、己を必死に追い回す彼等の言葉の意味が全く以て分からなかった。

 仇だの何だのと、馬鹿馬鹿しい話だ。何故己は生きているのに、その命を大事にしないのだろう。

 誰が死んだところで、自分自身が生きていればそれで良いだろうに。

 敵討ちと言う概念は、無惨の中には存在すらしていない。

 自分以外に大切なものなど存在する筈も無い無惨には、他者がそうでは無いらしいという、世に生きる人々にとっての「当たり前」を根本の部分では一切理解出来なかった。

 何時だって、「生きていたい」と言う一念で行動し続けている無惨にとって、己の命を擲ってまで何かをしようなどと考えたり、況してや敵う筈も無いのに鬼と戦って死ぬ虫ケラの行動原理を理解するなど、不可能だった。

 所詮は人でしかない時点で脅威でも何でも無いが、流石に追い回される事は癪に障る。

 その為、何度も壊滅させようとしてきたが、奴らは相当しぶといのか潰しても潰しても何処からともなく湧いてくる。蛆虫の様な連中だと無惨は心底感じていた。薄気味悪い。

 大体人が死んだからと言って何だと言うのだ。

 人なんて別に無惨が喰い殺したり或いは無惨が生み出した鬼に襲われるまでもなく、様々な理由で死んでいくものだ。それでも放っておけば雑草の様にまた増えていくものであると言うのに、それを高々一人だか数人死んだ程度でわあわあみっともなく叫んで折角拾った命を投げ出して。全く以て理解に苦しむ。

 そう、天災に遭って死ぬのも、病を得て死ぬのも、人間同士の戦いで殺し合うのも、人間に殺されるのも、餓え苦しんで死ぬ事も、野の動物たちに襲われて死ぬ事も。そして鬼に殺される事も。その何が違うと言うのか。

 絶対に敵わない相手だと言う意味では、無惨に遭遇して喰われるにしろ殺されるにしろ、それは天災に遭ったのと同義であると言っても良いだろうに。

 一体誰が、地震に対して「絶対に許さない」などと叫ぶのだろう、嵐に対して「家族を返せ」などと喚くのだろう、噴火に対して「家族の仇」だと憤るのだろう、津波に対して「害獣め」と罵るのだろう。

 要はそれと大差無い事であると言うのに。

 人に近い姿をしているからなのか、人間と言う生き物はどうやら勘違いするらしい。馬鹿馬鹿しい話だ。

 馬鹿の一つ覚えの様な台詞を延々と聞かされ続けて、無惨はもうすっかり辟易していた。

 

 だが、そんなある日、無惨はこの世には在ってはならぬ存在に遭遇した。

 それは、『呼吸』なる技術を鬼狩り共が使い始めて少し経った頃の事だった。

 未知の技術であった『呼吸』を扱う剣士を鬼にしてみたが、確かに強い鬼にはなったがそれだけで。太陽を克服するには到底至る事は無かった。『呼吸』とやらの才と、太陽を克服出来るかどうかの才には全く関係が無かった様で、その時点で無惨の中から『呼吸』とやらへの関心はほぼ無くなった。

 そして、『呼吸』使いの剣士を鬼にして程無くして。

 偶然、夜道を何時もの様に歩いていたその時に。

 無惨はこの世に生まれ落ちて初めて、『化け物』を見た。

 

 その男は、最初に一目見た時は、無惨の目には全く強そうには見えなかった。

 まるで静かに森の奥に佇む苔生した大樹の様に、気迫とでも言うべき何かが非常に薄かった。

 ただ、鬼を殺す為の忌々しい刀を構えていた為、鬼狩りの一味だろうとは見当が付いた。

『呼吸』を使う鬼はもう居る。そして余程興味深い体質でも無い限りは鬼にする価値も無いと関心が薄かった。

 だから何時もの様に蹴散らして殺そうと、無惨はただ腕を振るった。それだけで、どれ程身体を鍛えた鬼狩りであろうと殺せたからだ。だが、その『化け物』は違った。

 致死の一撃を何の事も無い様に涼しい顔で避けた鬼狩りによって、その直後たった一息で無惨の体内に在った七つの心臓と五つの脳の全てが瞬時に破壊され斬り刻まれそして頸まで落とされた。

 脆弱で向上心の無い劣化品に過ぎない鬼どもとは違い、無惨はこの時既に頸と言う鬼の弱点も克服していた。

 そこは既に急所でも何でもない場所であったと言うのに、本来なら落とされる筈など無く斬られた瞬間には再生する筈なのに、落とされた頸は一向にくっ付く気配が無く。痛みと言う感覚は既に切っている筈なのに斬り裂かれたそこは焼け付く様な痛みを訴えた。

 鬼となって初めて感じたその痛みに、そして目の前の鬼狩りは息一つ乱す事無くそれをあっさりとやってのけた事に、怒りと恐怖を感じた。

 骨の髄にまで恐怖が刻まれる、無惨の細胞の一つ一つの記憶に鬼狩りの姿が恐怖と共に刻まれる。

 花札の様な日輪の耳飾り、額に広がる炎の様な痣、赫く染まり上がった刀身。

 その全てが、恐怖と共に無惨の魂の奥底にまで刻まれる。

 目の前のこれはこの世の理の外に在る『化け物』だ、と。そう感じた無惨は、一瞬たりとも迷わずに、己の身を千八百程の肉片へと分割しそれを爆ぜさせた。

 だが恐ろしい事に『化け物』は瞬時に千八百の肉片の内大きな物を中心に千五百以上も斬り落としたのだ。

 三百弱の肉片はどうにか『化け物』の手から逃れる事が出来たが、合わせても人の頭よりも少し小さい程度の大きさにしかならなかった。だが、それだけでも時間さえかければ無惨は復活出来た。

「死にたくない」「生きたい」という、生物の原初の欲求をこの世の誰よりも抱えている無惨にとって、己の力を直接移した肉片が僅かなりとも残ってさえいれば、生き延びる事が出来たからだ。

 握り拳にも満たない程の大きさの肉片しか残らなかったとしても、そこに主要な細胞が最低限含まれていれば復活出来る。あの理外の存在であった『化け物』ですら、無惨を殺し切る事は敵わなかった。

 後に、鬼にした『呼吸』の剣士から、あれは「縁壱」と言う名の剣士であり、そして使っていた呼吸は「日の呼吸」だと教えられた。そして、あの赫く染まった刀は「赫刀」と言って鬼に対して覿面の効果があるらしく、「日の呼吸」を使う縁壱しか発現させた事は無いそうだ。

 日と言うその言葉にすら……無惨は忌々しさを募らせた。必ずや根絶やしにせねばならぬと決意した。

 しかしその為にも無惨は暫しの時を完全に地に潜る事に決めた。

 幾ら理の外に在る『化け物』であっても、鬼の様な永遠の命を持たぬ以上は「寿命」と言う下らない鎖がその身を何時か絡め取る。百年もしない内に、あの『化け物』も死んで骨になるだろう。そうした後で、ゆっくりとその痕跡を根絶やしにすれば良い。寿命などと言う軛から解放された鬼だからこそ出来る技であった。

 

 そして、待ち望んでいたその時は訪れた。

 鬼にした『呼吸』の剣士と戦っていたその時に、あの『化け物』はその鬼の目の前で息絶えたらしい。

 最早無惨を縛り付けるものは無かった。その鬼……黒死牟と共に徹底的にあの『化け物』の痕跡を消し去った。

「日の呼吸」を受け継いだ者や、それに近いものを受け継いだ者は、親戚縁者諸共含めて全て根絶やしにし、僅かにでもあの『化け物』を知る可能性のある者も全て殺した。

 そうして、全てを消し去った筈だった。もう二度と、あの『化け物』の様に己を脅かす様な存在は現れないだろうと思った。

 

 しかし、無惨は「生き延びる」と言う事に関しては何処までも貪欲で慎重だった。

 有り得ない様な理の外の存在が突然現れたのだ。直ぐ様第二第三の『化け物』が生まれ己の命を狙ってくるだろうとまでは流石に考えなかったが、しかし百年数百年千年と時を経るなら分からない。

 だからこそ、そう言った者達を己に先じて叩き潰し、或いは肉壁として逃走するまでの時間を稼ぐ為の駒が欲しいと思った。

 万が一にも離反される可能性を考えると強い鬼を作り出す事は業腹ではあったが、それで安全が買えるなら無惨も目を瞑る事が出来た。

 その為、陽光を克服する鬼を作る為の作業の傍らで、強い鬼を作る為の作業も始めた。

 時代が流れ徳川なる将軍家が幕府を開いてから暫く経った頃に、無惨は強い鬼を十二体程選定し更に強化してやる事を思い付いた。

 強くなる才も無い鬼や向上心も無い鬼を幾ら強くしようとしたとしても意味は無いし、ある程度の「器」が無ければ無惨がわざわざ血を与えて強化してやってもそれを受け止める事も出来ない。

 ならば所詮は劣化品であっても多少の見込みがある鬼を選んで、それを強くする方がマシだと思ったのだ。

 こうして、上弦と下弦に分けた十二鬼月と言う階級制度は始まった。

 最初の内は多少の入れ替わりや籍の抹消なども有ったが、それでもここ百十数年程は上弦の入れ替わりが起きる事は無く安定していた。

 無惨は安定が好きだ、不変が好きだ。

 人間共の社会が外つ国と交流する中で目まぐるしく変化し新しい物や考えや技術などが流れ込んで来る様を楽しむのは好きだが、鬼としての無惨の在り方の理想は永久不滅であり永遠の不変である。

 娯楽に変化は求めるが、己の在り方は不変。それが無惨の望みである。

 そう言う意味では、今の上弦の鬼には多少及第点をやっても良かった。

 しかし上弦の鬼とは違い、下弦の鬼どもはボロボロと『化け物』でもない鬼狩り如きにやられて行くので苛立ちを感じる事も多かった。それでも一気に処分しない程度には使い潰そうとしていたのだが、しかしその痕跡を完全に潰した筈のあの『化け物』と同じ耳飾りの鬼狩りが無惨の前に現れた時、何かが狂い始めた。

 取るに足らない程の力しか無かった筈のその幼い鬼狩りが、比較的目をかけていた下弦の伍を討伐寸前まで追い詰めたのだ。最終的に頸を斬ったのは柱の剣士だった様だが。その時に耳飾りの鬼狩りが、あの『化け物』の剣技であった「日の呼吸」の様な動きを見せた事を無惨は見逃してはいなかった。

 あの『化け物』のそれと比較すると全く精度も練度も拙いとしか言えないものであったが、この世から完全に消し去った筈のそれが多少劣化していても密かに受け継がれていたという事の方が恐ろしい事であった。

 そしてその苛立ちも顕に、役に立たない下弦どもを全て処分した。柱にすら敵わない雑魚では、『化け物』相手の肉壁にすらならない。鬼狩りを滅ぼせと下知しても積極的に行動すらしない下弦どもに存在する意味など無い。

 多少の余興程度に血を与えてやった下弦の壱は、まだ弱く未熟な剣士でしかない耳飾りの鬼狩りを殺す事も出来なかった。やはり、下弦は不要だったのだ。

 しかし、夜明け前ではあったとは言え手負いの未熟な剣士位なら縊り殺せるだろうと送り込んだ上弦の鬼である猗窩座はその役目を果たせなかった。それが目的では無かったと言うのに柱の剣士との戦いに熱中し、柱に致命傷を負わせて陽の光によって撤退する事になった。しかもそれを、「柱は殺した」と報告してくる始末である。

 その忠実さには多少目を掛けていたと言うのに、命じた事も果たせぬ役立たずなのかと叱責するより他に無い。

 そもそも上弦の鬼なのだから柱だろうと殺せて当然であると言うのに。

 そんな苛立ちを抱えながらも、己の身を脅かす程の脅威や『化け物』は存在していないと、そう無惨は安堵していた。

 それが間違っていたと無惨が知ったのは、それから一月程度経った頃の事であった。

 

 新たにこの世に現れた『化け物』は、あの「日の呼吸」を使う剣士を遥かに上回る、悍ましい程にこの世の理を冒涜する正真正銘の『化け物』だった。

 上弦の鬼である童磨をまるで無力な赤子を甚振るかの様に討ち滅ぼそうとしたその姿は、『化け物』以外の何だと言うのだろう。特に、童磨を完全に消し飛ばす寸前にまで至った攻撃は、無惨にとっては陽光以上の脅威であった。

 あれに呑み込まれた瞬間に、無惨は死ぬ。肉片に分かれて弾け散った所で、あの馬鹿馬鹿しい程に広範囲を消滅させた滅びの光の外にはどうやっても逃げられない。

 陽光なら、瞬時に質量を限界まで膨らませて肉の鎧を作り出した直後に地中に逃れるなどすれば甚大な影響は受けるだろうがどうにか命を繋ぐ事は出来るであろう。 

 だが、あの光に呑み込まれれば、どんな抵抗も無意味だ。それを童磨の目と記憶を通して理解したからこそ、無惨はかつて戦国の世で出逢った『化け物』に身を斬り刻まれたその時以上の恐怖を、「死」そのものが己の首を握り潰し喰らい尽くそうとしている恐怖に襲われた。

 しかも恐らく。あの『化け物』は無惨の存在に気付いたのだ! 

 童磨の視界に最後に映った『化け物』の目に宿った全てを燃やし尽くす程の強烈な殺意は、間違いなく無惨に向けられたものであった。

 あれは必ず己を殺しに来る。

 しかも最悪な事に、新たに現れた『化け物』はかつての『化け物』と同様に鬼狩りと行動を共にしていたのだ。

 その格好からして鬼狩りそのものでは無さそうだが、しかしあの異常者どもの集団の中に、無惨を殺す事を躊躇わない正真正銘の『化け物』が紛れ込んでいると言うのは余りにも恐ろしい状況だった。

 鬼狩りどもは頭の狂った連中だから、あの『化け物』が人間程度では何万と束になろうと絶対に勝てない程の制御不能のお伽噺の中の怪物の如き『化け物』であったとしても、鬼を殺す役に立つのであればその力を使う事に躊躇いなどないだろう。一切の躾がなされていない理性の無い手負いの猛獣の檻の中に裸で居るよりも危険であっても、そもそも命を捨てる事に何の躊躇いも無い連中がそれに頓着する筈も無い。

 あの異常者どもは、喜んであの『化け物』を無惨に嗾けてくるに違いない。

 それは恐ろしい悪夢の様ですらあった。

 

 かつての様に、一切の息を潜めて地に潜る様に無限城に閉じ籠る事も当然検討した。

 しかし、あそこまでこの世の理を外れきった『化け物』に対して、かつてと同じ手段を取る事が通用するのかと言う問題があった。そもそも、「日の呼吸」の『化け物』にしても、痣の者としての寿命を超越したばかりか死の直前の八十を過ぎた老爺になってすら全盛期と全く変わらない剣の冴えであったと言う。ギリギリ寿命と言う概念は残っていたらしいが、あの剣士ですらそんな状態だったのだ。

 あの『化け物』が人としての寿命やらを全て超越している可能性すら考える必要があり、安易な籠城を選ぶ事は出来なかった。

 

 考えた末に出した無惨が出した結論は明確だった。

 

 あの『化け物』が己の敵として存在しているから脅威なのだ。

 無惨には、それを与えた相手を鬼にして支配する事の出来る己の血と言う最強の武器がある。

 あの『化け物』を無力化して捕らえる事さえ出来れば、そしてあの『化け物』を鬼にして支配すれば、あの悍ましい力も全て無惨の手の中に落ちてくる。

 そして当然見た事も無い力を持つ以上、その体質もそこらの雑草とは全く違うものだろう。

 それこそ、陽光の克服を成し遂げる為の体質であるのかもしれないのだ。

 あの『化け物』を鬼にする事を狙うという無惨の行動指針はこの時に固まった。

 とは言え当然、自分があの『化け物』と対峙するなどと言う愚を犯すつもりは無かった。

 だが幸い己には便利な手駒が六体も居るのだ。それを活用しない手は無かった。

 己の血を必要以上に多く分け与える事は慎重な無惨にとっては避けるべき事であったが、それすら構うものかとばかりに上弦の鬼たちに己の血をこれでもかとふんだんに分けてやった。

 今までの強さとは比べ物にならない程に強化された上弦たちは、たった一体で鬼殺隊を一夜で壊滅させられる程にまで至っただろう。

 あの『化け物』を相手にしても、あの滅びの光にさえ気を付けていれば捕獲する事だって不可能では無いだろう、と。そう確信して。

 そして其々にあの『化け物』を捕獲する様に命じて、無惨は『化け物』に出会す事の無い様にと潜伏先に引き籠った。その、筈であったのに。

 

 一月も経たぬ内に、上弦が欠けた。

 

 討たれたのは、妓夫太郎だった。

 もし上弦が討たれる事があるのだとすれば、それは明らかに堕姫が足手纏いになる妓夫太郎だろうとは思ってはいたが。だが、許容出来る上限に近い程にふんだんに血を与えた事でその力は最早かつてとは別次元と言って良い程にまで高まっていたというのに。それでも、妓夫太郎は討たれた。

 無惨が気付いた時には、もう妓夫太郎の身は消滅していて。

 血の欠片程度のほんの僅か残されていた細胞から読み取れたのは。

 妓夫太郎たちが戦った相手が、あの『化け物』と柱らしき男と、あの耳飾りの鬼狩りを含めた未熟な剣士三人だった事と。そして恐らく妓夫太郎たちはその場に居た誰も殺せなかったという余りにも由々しき事態だけであった。

 あれ程までに強化しても、理を超越した『化け物』ならまだしも、柱や未熟な剣士程度も殺せないとは……! 

 無惨は怒りの余りに視界が真っ黒に染まったかと思った。

 そして、その怒りのままに残った上弦の鬼たちを召集した。

 

「妓夫太郎が死んだ。上弦の月が欠けた。

 あの『化け物』と対峙して、何も殺せないまま死んだ様だ」

 

「誠に御座いますか! それは申し訳ありませぬ! 

 妓夫太郎は俺が紹介したもの故、如何様にも御詫び致しましょう。

 それで、その者はどの様にして妓夫太郎を殺したのでしょう! 

 もしその記憶があるのなら是非とも見せて頂きたく思います」

 

 そう告げるなり、まるで詫びを入れるかの様に童磨は宣うが。その目には爛々とした狂気と執着が宿っていた。

 何に対しても執着も感情も無く表層を取り繕うしかしない童磨の事を欠片も理解出来なかったが故に無惨にとって童磨はあまり関心を向ける対象では無かったが。

 しかしあの『化け物』に叩きのめされてからというもの、童磨は完全に壊れた様だ。

 あの『化け物』を『神様』などと呼び、異常な程の執着を向ける。

 今の発言だって、童磨には妓夫太郎の事など微塵も関心が無いのだ。ただただあの『化け物』がどの様な力を見せたのかだけを知りたがっている、そしてそれを己の記憶にしたいと欲しているのだ。

 あの『化け物』が『神様』などと、正気では無い。この世には神も仏も存在しないと言うのに。それに万が一にもあの悍ましい『化け物』が『神』であるのだとしても、それは『邪神』だとか『禍津神』の類でしかないだろう。

 少なくとも、憧憬の様な眼差しを向けて執着する様な相手では無い。

 以前よりも一層理解し難く気持ちの悪い存在になった童磨に対し、無惨はすっかり辟易していた。

 

「妓夫太郎から読み取れた記憶は無い。

 あの『化け物』が其処に居た事しか分からん。

 だが、妓夫太郎が()()()()事だけは確かだ」

 

「……間違え……と、……言いますと……」

 

「あの『化け物』と遭遇したのであれば、直ぐ様私に報告するべきだった。

 それを怠った上に、その場の何も殺せず、ろくな情報も残せず。全く何の為に強くしてやったと思っている。

 堕姫が足手纏いだったのだとしても、それは言い訳にはならない。

 下らん。人間の部分など残しているから負けるのだ、判断を間違えるのだ。

 だがもうそれもいい。私はお前たちには期待しない。

 何故命じた事程度もこなせない。

 何故、産屋敷の一族を葬る事すら出来ず、青い彼岸花も見付けられず、耳飾りの鬼狩りを始末する事も出来ず、そして『化け物』の情報すら残せない。

 私は──貴様らの存在理由が分からなくなってきた」

 

 無惨の身から溢れ出た殺気に、全員がその身を竦ませる。

 半天狗は悲鳴を上げて許しを乞い、猗窩座はただ静かにその頭を垂れ、黒死牟はゆっくりと非を認め、童磨は口先だけの謝罪をする。そもそも今の童磨は、あの『化け物』の事にしか関心が無いのだが。

 そして玉壺は。

 

「無惨様! 私は違います!! 貴方様の望みに一歩近付く為の情報を私は掴みました!!」

 

「確定してもいない情報を嬉々として伝える事が許されるとでも?」

 

 瞬時に玉壺の頸を捥ぎ取り、その頭部を掴む。

 無惨は不快と怒りの絶頂に在った。この程度で済ませてやったのは僅かな温情である。

 

「私は変化が嫌いだ。この世の多くの変化は劣化を齎す事と同義だ。

 望むのは不変、完璧な状態で永久に変わらず朽ちる事も無いものだ。

 百十三年振りに上弦が殺されて、私は不快の絶頂だ。

 口を開くのであれば、よくよく考える事だな」

 

 そして、無惨は手の中の玉壺の頭部を捨てる。

 それは無限城の中へと落ちて行った。

 

「これからはもっと死に物狂いで事を成す事だ。

 私は上弦だからという理由でお前たちを甘やかし過ぎた様だ。

 玉壺、情報が確定したのなら、半天狗と共に其処に向かえ。

 ……もし『化け物』に関係する事であるのなら、報告を怠れば死を覚悟しろ」

 

 上弦の鬼どもにそう命じ、抑えきれない苛立ちと共に無惨は無限城から去った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鬼舞辻無惨】
ありとあらゆる存在の虎の尾をロードローラーで踏み潰し竜の逆鱗の上でタップダンスして踏み砕く事に定評がある頭無惨様。
悠を鬼にする事は不可能だなんて当然知らない。
新しいものが好きで外国の事にも興味がある点を考えると、平成現代っ子かつ(現代水準で)知識が限界突破している悠との会話は文明開化も進んできた大正時代をエンジョイしている無惨にとっては色んな刺激を受けられるので物凄く楽しいかもしれない。問題は、双方共に絶対に対話の席にはつけない事である。


【黒死牟】
新たな『化け物』級の存在の出現に、縁壱以上にこの世の理を超越した存在など居ないだろうと思い真っ先に思い浮かんだのは縁壱関連の「日の呼吸」の事。もし炭治郎がその『化け物』クラスの存在だったとしたら確実に懊悩はするがまだもう少し心安らかだったかも知れない。
しかし提示されたのがマジな『化け物』だったので物凄く心を乱されている。
縁壱の方が絶対凄い、『化け物』の剣技は縁壱と比べれば月と鼈、縁壱の方が、縁壱の方が! と、そもそもジャンルが全然違うのにやたら縁壱と悠を比べて勝手に悶えている。この世に縁壱以上の存在など在ってはならないと思ってる過激派。
愛憎を超越した複雑に骨折して捻れて摩耗して原型が無くなった感情を抱え過ぎてもう何処にも行けない。
お労しや……。


【童磨】
異常な執着を悠に向けている事は全員知っている。
そして全員から心底気持ち悪いと思われている。
無惨汁追加で再生速度は上がったが、完治まではまだ一ヶ月は掛かる模様。
ちなみに悠に執着はしているけど、別に殺したいとかではない。ただ、その内に居る神様をもっと見たいので全力で戦いたい(≒殺し合いたい)。


【猗窩座】
正直、猗窩座(と言うか狛治)が本当に欲しかった力は武力とかではなくて『メシアライザー』とかの力だと思うので、それを持っている悠に対して複雑な激情を覚えた。
その力が自分にあったなら、その場に悠が居てくれたなら、親父は死ななくて済んだかもしれないし恋雪さんと師範が毒で苦しんで命を落とす羽目にならずに済んだかもしれない……。でももう全ては終わってしまった事。
一瞬『狛治』が蘇りかけたけど、無惨汁追加注入の所為でその記憶はまた己の心の海の底に沈んでしまった。が、何かを切欠に蘇る可能性はある。
煉獄さんを始末出来ていない事はまだ発覚していない。


【半天狗】
まともな会話が成立しないし話していても勝手に半天狗の都合の良い様に改竄してくるので正直鬱陶しいと思われている模様。
混迷の霧で覆われた末期の八十稲羽でおかしくなった人を、更に千倍おかしくしたよりも酷い。
『化け物』なんかと絶対に関わり合いになりたくない。
悠が雷も風も無効化出来るとは当然知らない。


【玉壺】
悠の見た目が変わっているので良い芸術作品になりそうだと思っている。
悠からしたら、断トツで見た目が気持ち悪過ぎて、鬼の美的センスはどうなっているんだ……と驚愕する相手。
悠が無一郎くんと一緒に玉壺に遭遇すれば、凄まじい悪意ある毒舌と無自覚の毒舌(伝達力:言霊使い)のコンボを叩きこむかもしれない。


【妓夫太郎】
報告義務なんて最初から無かったので、無惨様の完全なその場の思い付き。そもそも無惨様側の監督不行き届きである。
もう死んでるから八つ当たりはされない。
さっさとブラック企業から退社出来て良かった。


【鳴上悠】
鬼たちからは散々な言われ様。
まあ、鬼に何を言われた所で気にはしない。
禍津神か何かとすら言われるが、その心にはマガツイザナギも居るので強ちそれは間違いでは無いのかもしれない……。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠と縁壱さん、どちらが強いのか……と言うのは全く答えが出ません。
そもそも二人とも戦うのは全く好きではないですし、二人が出会ったら縁側でお団子とお茶を楽しみながらのんびりと庭を眺めたり猫を撫でるなどして過ごして終わります。
縁壱の表情の変化が乏しくても悠はその感情の変化の機微をしっかり理解しますし、縁壱も悠が良い人なのを秒で判断するので誤解なども生じません。なので戦い自体が最初から生じません。
何なら、悠が縁壱さんをカウンセリングし始めます。
スペック的に言えば、剣技や持久力などは圧倒的に縁壱さんの方が上で、コミュ力や一撃の破壊力や破壊範囲や補助技の豊富さなどでは悠の方が上です。
縁壱さんに奇襲されれば悠は負けますし、縁壱さんの射程範囲外から悠にメギドラオンなどを使われれば縁壱さんは負けます。
しかしやっぱりどう頑張っても戦いには発展しませんので、勝ち負けを決める事は出来ません。


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『心の灯』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 気が付いたら、そこは蝶屋敷のベッドの上だった。

 遊郭で鬼と戦っていた筈なのに、どうして自分が此処に居るのか分からなくて。

 直前の記憶と今の現実が繋がらなくて困惑する。

 僅かに身を起こすと、左肩に鋭い痛みが走った。どうやら負傷しているらしい。

 また自分は気を喪ってしまっていたのだろうか、また……何も出来なかったのだろうか。

 皆は、炭治郎は、伊之助は、宇髄さんは、悠さんは、どうなったのだろう。

 慌てて横を見ると、両隣のベッドの上には伊之助と炭治郎が眠っていた。そして炭治郎のベッドの脇には禰豆子ちゃんが眠っている箱が大切に置かれていた。

 炭治郎の方は包帯などを巻いている様子も無く、そう大きな傷は負ってはいない様だけれど、疲れた様な顔で眠っていて。そして伊之助はと言うと胸の辺りに包帯が巻かれている。

 二人から聞こえる音は安定しているから命に別条がある訳では無さそうで、それには心から安堵した。

 でも、あの後に何が起きたのか全く分からなくて、ベッドから身を起こして困惑していると。

 

「善逸さん、目覚めたんですね、良かった……!」

 

 ベッド脇に置く為の水差しを持って来てくれたのだろうアオイちゃんが、部屋に入って来て身を起こしていた俺を見付けるなり、何時もの様にテキパキとした口調で言う。

 でもその顔には明らかな安堵が浮かんでいたし、「良かった」って音がはっきり聞こえて来た。

 

「上弦の鬼との戦いはどうなったか分かる?」

 

「皆さんで無事討伐されたと聞いています。

 かなり厳しい戦いではあったそうですが、奇跡的に人的な被害はほぼ無かったそうです。

 善逸さんと伊之助さんは、鬼の攻撃で負傷していた事と麻痺毒を受けた事で此処に運ばれてきました。

 麻痺毒に関しては、禰豆子さんの血鬼術によって蝶屋敷に着いた時点で解毒されていたみたいです。

 炭治郎さんは負傷してはいなかったのですが、強い疲労を訴えた為、念の為に蝶屋敷での休養を取る事になっています。

 音柱様は無傷でしたのでご自分のお屋敷に戻られました。

 悠さんは……上弦の鬼との戦いの直後に力尽きて深く眠っています」

 

 テキパキと要点を絞ってそう説明してくれたアオイちゃんに俺は礼を言う。

 そうか、あの上弦の鬼は倒せたのか……。良かった、と。そう安堵して。

 まだ眠り足りなかったのか、俺は再び眠りの中に沈んでいった。

 

 

 あの戦いで何が起きていたのかを俺が正確に知ったのは、その翌日。

 上弦の陸を討伐して二日後に、悠さんが目覚めてからであった。

 俺と悠さんが最初に見たあの鬼は、兄妹の鬼が二体で一つとなっていた上弦の陸の片割れの妹の方で、しかも弱体化した状態であったらしい。そして悠さんに追い詰められていた妹鬼が兄鬼に助けを求めると、その背中から恐らくは真の上弦の陸の鬼であった兄鬼が現れたのだとか。

 この兄鬼の攻撃の全てが僅かに触れるだけでも即死する程の猛毒であるなど非常に厄介なものであり、その為悠さんと宇髄さんが主に兄鬼と対峙した。

 悠さんが語ったその兄鬼の攻撃はもう滅茶苦茶で、上弦の鬼っていうのはその中で一番弱い筈の陸の鬼ですらそんな『化け物』なのかと戦慄する程であった。兄鬼との戦いの方は具体的には何が起きていたのかは知らなかった炭治郎と伊之助も、その戦いの熾烈さに絶句している様である。

 悠さんも宇髄さんも、よくもそんな正真正銘の『化け物』を相手にして無傷で居られたものだ。

 そして、炭治郎と伊之助と……そして俺が、妹鬼と対峙して。そして最終的に頸を斬った、らしい。

 悠さんからは嘘を言っている様な音が一切聞こえなかったし、炭治郎も伊之助も、俺が鬼と戦っていたと言う。

 だけど、俺にはそんな記憶が無い。そんなまさかって思ってしまう。

 俺は情けなく気を喪っていただけで、俺の代わりに四人が戦っていてくれたのだろう、と。

 だけど。

 

 嘘の無い音で炭治郎は言う。「善逸は凄かった、善逸のお陰で頸を斬れた」、と。

 中々人を褒めたりしない伊之助も言う。「紋逸のクセに冴えてたぞ!」、と。

 そして悠さんは言う。「善逸は強かった。その傷も、伊之助を助けようとして受けた傷だ」、と。

 三人は本心から言う。「善逸が居てくれたから、上弦の陸に勝てた」のだ、と。

 三人が語るそれは、まるで俺が夢に見た様な強くて皆を守れる様な『俺』で。

 でも、俺はそれを信じられなかった。

 だって俺は弱くて情けなくて、鬼と戦うのが怖くて仕方無くて直ぐに気を喪ってしまうのに。

 三人が語るそれを、俺は自分の事だとは到底思えなかった。

 

 

 

「善逸は、自分に自信が無いのか?」

 

 深い傷でも無かったので、数日もすればすっかり塞がって。

 毒を受けていてもその影響は全く無くて、機能回復訓練を順調にこなしている中で。

 俺の相手をしてくれていた悠さんが、訓練の合間の休憩時間に焼き立ての手作りのカステラを食べさせてくれながらそう訊ねて来た。

 ふんわりと柔らかくて優しい甘さのそれに、幸せな思いと共に舌鼓を打っていたが。その言葉に、カステラを食べる手は少し止まってしまう。

 自分に自信が無い。それは、そうだ。だって、こんな自分にどうやって自信なんて付けられるのだろう。

 

「だって俺は何時死んでもおかしくない位弱いですし、それに……じいちゃんが折角鍛えてくれたのに、頑張っても上手く出来なくて」

 

 一ノ型以外は使えない。じいちゃんはならば一ノ型だけを極め抜けと言ってくれたけど、どんなに頑張ってもいざ鬼を目の前にすると身体が上手く動かない。

 俺は臆病で、弱くて。格好良い英雄みたいな存在からは程遠い。

 

「恐いと思う事は間違いじゃない。恐くなんて無いと、自分の心から目を逸らしてしまうよりもずっと良い。

 それに善逸は、その恐怖から逃げてない、向き合い続けている。その上で、鬼と対峙している。

 それは、物凄く勇敢な事だ。誰にでも出来る事じゃない。

 それでも、善逸は自分を認めてあげられないのか?」

 

 俺は恐怖から逃げてばかりだと思うのに、悠さんはそんな事を言う。

 向き合えてなんか、いないと思うのに。

 でも、悠さんの音は、気休めの表層だけの言葉の音とは全然違う。

 それが本心なんだとは分かるのに、どうしてもその言葉を受け入れきれなかった。

 

「俺は何時も逃げてばっかりですよ、悠さん。俺は悠さんみたいな凄い人とは違う。それに……。

 自分を認める方法なんて、俺には分からないです。

 修行して、努力を重ねたら出来る様になるんですか? 

 物凄い偉業を成し遂げれば、出来る様になるんですか?」

 

 自分を認める方法なんて、今も全然分からない。

 自分なりに頑張っているつもりでも、自信なんてこれっぽっちも付かなくて。

 じいちゃんの「期待」に応えたいと思っても、炭治郎たちの「信頼」に応えたいと思っても。

 でも、俺の胸の中にぽっかりと空いた何かが邪魔をして、どうしてもそれが出来ない。

 自分を認める方法をちゃんと知っている悠さんとは、違うのだ。

 しかし、悠さんはそんな事は無いとばかりにそっと首を横に振った。

 

「俺は、善逸が思っている様な凄い人じゃ無い。

 恐いって思う事は何時だってあるし、正直嫌だなって思う時も沢山ある。

 でも、自分を認める方法は少しだけ分かるよ。

 凄い修行を重ねる事も、物凄い偉業を成す事も、確かに自分に自信を持つ根拠の一つにはなるだろうけれど。

 でも一番大事な事は。自分に向き合って、自分を受け止める事だと思う。

 恐怖も怒りも悲しみも苦しみも、正直こんな自分は嫌だなって思う部分があったとしても、それを見詰めて。

 その上でそんな自分を抱えながら一緒に変わっていけば良い」

 

 正直、悠さんが何かを恐がっているなんて全く想像が付かない。

 それに、悠さんが言う「自分に向き合って、自分を受け止める」と言うのも正直よく分からなかった。

 自分が臆病である事なんて、何時も認めているのに。

 

「悠さんが何かを恐れるなんて全然想像が付かないです。

 だって、上弦の鬼にだって悠さんは恐れずに立ち向かって……。

 それに俺は、自分が臆病だってのはずっと自覚してますし、認めてますよ?」

 

「恐い事は沢山ある。戦う事も……全く恐くないって訳じゃ無い。死ぬかもしれないって思った事もある。

 でも、俺にとって一番怖いのは、大事な人を喪う事、大事な人を守れない事、大事な人が傷付く事なんだ。

 だから、色んな恐怖に向き合って少し足が竦みそうになっても、それを焼き尽くして立ち向かえる。

 どんなに相手が強大な存在でも、大事なものを守る為なら俺は何度だって食いしばって限界を超えて立ち向かう。神様が相手だったとしても、俺は絶対に諦めない。

 それに俺は何時だって独りじゃない、共に戦う仲間が居るから。だから、何にだって立ち向かえる。

 ……そして、善逸に何か受け止めて認めなければならないものがあるとすれば、それは臆病さではないと俺は思う」

 

 悠さんのそれは、どう聞いても心が強い人の言葉だった。

 そもそも、自分が死ぬかもしれない事よりも大事な人を守れない事の方が恐いだなんて、そんな事を口先だけでなく本心から思える人の方が本当に少ないだろう。

 悠さんなら本当に、例え人間では絶対に勝てない神様相手でも、諦めずに戦ってしまいそうだ。

 だからこそ、そんな英雄みたいな人には絶対になれない自分が、尚更情けなく思った。

 

「臆病で逃げるし泣くしで、そんな部分以外に何か認めないといけない様な情けない部分ってありますかね? 

 ……俺は、どうやっても自信なんて持てないと思います。

 だって俺は……自分で自分の事が一番嫌いだから」

 

 そう言うと悠さんは、相変わらず穏やかに全てを受け止める様な優しい目で俺を真っ直ぐに見詰めて、「どうして?」と静かにその理由を問い掛けた。

 何があっても受け入れてくれそうなその目に、優しく寄り添い見守るその音に、感情が溢れて。

 こんなの一々人に言う事じゃないと思って、ずっと誰にも言うつもりなんて無かったのに。

 悠さんのその目に見詰められると、どうしてだか言葉が止まらなかった。

 

 自分が捨て子で、親の顔や名前を知らないどころか、恐らくは名を付けられる事すら無かった事。

 誰にも「期待」されず「必要」ともされず。大事だと思う人に出逢う事なんて今まで無くて、嘘だと分かっていても上辺だけの言葉を信じて何度も騙されて捨てられて。そんな中で自分の何かを期待する事なんて出来なくて。

 ただただ諦めながら、でも自分が手にする事の無かった「家族」やそういった「特別」にはずっと憧れていて。

 ……ずっとそんな風に生きて来たから、じいちゃんに拾われてからも上手く出来なくて。

 兄弟子にはあまりの情けなさに毛嫌いされて拒絶されて、手紙を出しても返事も貰えないまま。

 大事な人に出逢ってその人と思い合って愛されるなんて淡い夢を叶える事も無いままに死ぬのは嫌で、自分の存在だとか生きた意味だとかを何にも分からないまま実感出来ないまま死にたくなくて。

 だから、人間なんて簡単に殺せてしまう鬼なんかと対峙するのは本当に怖くて。

 でも、じいちゃんが鬼殺の剣士として育ててくれたのだからせめてその想いには応えたくて。

 泣き喚いていた所を頭を叩かれながらどうにか最終選別を通って、鬼殺の剣士として戦う様になって。

 任務は怖いけど、その途中で偶然炭治郎と再会して、禰豆子ちゃんと出逢って、伊之助と出逢って、大事な人が一気に増えて。皆を守れる位に強くなりたいのに、でも出来なくて。そんな自分が情けなくて、と。

 

 自分の内に抱えていた様々なものを、綺麗では無い感情や、情けない事、誰かに言ったって仕方の無い事などを、ぐちゃぐちゃのまま取り留め無く悠さんに話してしまった。

 多分一生自分の胸の内だけに仕舞っておく筈だったものも、気付けば全部吐き出していた。

 そうやって話している内に感情がぐちゃぐちゃになってきたのか、目にはじんわりと涙が浮かんでいた。

 熱々だった皿の上のカステラは何時の間にかすっかり冷めてしまって、でも優しい甘さは変わらなくて。

 口にしている内に、涙がぽろぽろ零れてしまう。

 

 悠さんはそんな俺の言葉を、ただただ静かに俺を真っ直ぐに見詰めながら、黙って聞いてくれていた。

 その音からは、同情だとか憐憫だとかそんなものは全く感じられなくて。

 寄り添い見守る様な優しさの音だけが響いている。

 そして。そっと、悠さんの手が優しく俺の頭を撫でた。

 何故だか、前にも何処かでそうやって撫でられた事がある様な気がする。

 

「……善逸は、本当に優しいんだな」

 

 お前は凄い奴だ、と。そう悠さんから聞こえる音は言っていた。

 優しいと言われても、正直よく分からない。

 だって、優しいって言うなら炭治郎とか悠さんの方が優しいだろうに。

 だけど、悠さんにそう言われると反論をする気にはなれなかった。

 情けない位に、自分の色々な物を曝け出してしまったからだろうか。

 

 そして、悠さんは少し考えてから、俺に言う。

 

 

「善逸、今度俺と一緒に任務に行こう」、と。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悠さんに自分の心の内に在ったものを色々と打ち明けてから数日後。

 伊之助よりも一足早く機能回復訓練を無事に終えた俺は、悠さんと一緒に任務に出ていた。

 行き先はとある山中の廃寺近くだそうだ。

 

 その任務には、悠さんだけでなく、同じ回の最終選別を通っていた玄弥って奴も居た。

 玄弥とは最終選別の時に会ったきりだったけど、あの時は物凄い悲しみとか憤りとか焦りとかそう言った感情でぐちゃぐちゃに荒れた音がしていたのが、今はそれが嘘みたいに穏やかな感じの音になっている。

 あと、数ヶ月振りに会ったら吃驚する位に身体が大きくなっていた。最終選別の時は俺よりも小さい位だったのに、物凄く成長している。背も凄く伸びたが、それ以上に体格がしっかりしていた。

 たった数ヶ月でここまで成長する? と思ってしまう程に。

 俺は殆ど関わった事が無かったから玄弥の事はあまり知らないのだけど、玄弥と悠さんはかなり仲が良いらしく、お互いに信頼しあっている音が聞こえてくる。

 どうやら上弦の陸を討伐する前辺りから、二人はよく一緒に任務に就いていたらしい。

 鎹鴉から指令を受けた後の動きは二人ともとても手慣れていた。

 荒れていた時の印象が強かったけど、どうやら玄弥の本来の性格はかなり自分の心に素直であるらしく、聞こえる音と言動に殆どズレが無い。炭治郎とはまた別の方向性で、嘘を吐くのは苦手そうだ。

 ちょっとぶっきらぼうな所はあるけど、悪い奴じゃないのは直ぐに分かった。

 そんな玄弥だが、どうやら剣士の才……正確には呼吸の才能が無かったらしく、純粋な素の身体能力だけで戦っているのだとか。呼吸を抜きにすると日輪刀であっても鬼の首を斬る事は難しくて、そんな力不足を補う為に日輪刀と同じ素材から作られている南蛮銃も武器にしているらしい。

 悠さん曰く、玄弥の射撃の腕はかなりのもので、素早く動き続けている鬼に対してでも狙った場所に当てられるのだとか。ある程度以上に手強い鬼相手だと難しいが、血鬼術に目覚めていない様な比較的弱い鬼相手なら、頸を狙えばそれを吹き飛ばして日輪刀で斬ったのと同じ威力が出るらしい。

 そして、玄弥の特異的な体質として、鬼の身体を喰うと、一時的にでも鬼の様な身体能力と再生能力を得られるらしい。強い鬼を喰えば食う程その力は強くなるのだとか。

 ある意味では呼吸の才能よりも凄い才能だとは思うのだけれど、その力は玄弥の身体に大きな負担を掛ける為、本当の緊急時以外は使わない様にと周囲からは止められているそうだ。

 悠さんが居れば最悪の事態は避けられる可能性が高いらしいが、それも絶対では無いのだから過信してやり過ぎるな、という事らしい。

 

 しかし、どうして悠さんは俺を一緒に任務に連れて行ったのだろうか。

 こう言っては何だけど、上弦の鬼にも勝てる悠さんが居るなら殆どの任務は悠さんだけで片が付くだろう。俺を連れて行くまでも無い筈だ。

 鬼の居所を探る為に聴覚をあてにされているのかと思ったがそうでもなさそうで。

 そもそも、「自信を持つ方法」を訊いた流れなのに、どうして一緒に任務に行こうとなるのやら。

 しかし、何時もの様な単独任務に赴くよりはずっと気が楽であるのは確かだ。

 何時も、自分は何も出来ないまま近くに居たのだろう誰かに助けられてばかりで。怖くて怖くて仕方無くても一生懸命任務に行ってるのにちゃんと果たせていないのは憂鬱に近かったから。

 

「今回の任務で対峙する事になるのは、それなりに厄介な血鬼術を持っている鬼だ。

 空間転移に近い血鬼術らしく、一瞬で間合いの内側に出現したり、或いは遠方に逃げるらしい。

 先だってこの鬼と戦った階級乙の隊士二名は、かなり善戦出来たそうだが結局逃げられたとの事だ。

 奇襲に注意して進もう」

 

 淡々とした口調でそう言った悠さんの言葉に、思わず俺は叫び出した。

 任務の内容を詳しく知っているのは悠さんだけだったので、まさか自分より階級が高い相手が勝ててない相手と戦わないといけないなんて欠片も思ってなかったのに。

 

「血鬼術の鬼!? しかも瞬間移動なんて強過ぎるよ! 

 乙の隊士が勝てない相手に俺たちでどうしろって言うのさ! 

 絶対ヤバイやつじゃん!! そんなの俺絶対死ぬ!」

 

「俺に割り当てられる任務は前から血鬼術の鬼の討伐依頼が多かったし、慣れてるからそんなに慌てなくても大丈夫だぞ。まあ、上弦の弐と戦ってからは、他の隊士たちが取り逃がしたり勝てなかった相手の討伐が優先的に回って来ているのもあって、ちょっと厄介な相手に当たり易くはなっているけど。

 第一そもそも。善逸はあの上弦の陸の片割れ相手にほぼ無傷で戦えていたんだから、そんなに取り乱す必要は無いと思う」

 

 ちょっと悠さんの中での鬼に対する基準がおかしくなっているんじゃないだろうか? と俺は訝しんだ。

 そもそも鬼殺隊が戦う鬼は、そこまで人を喰ってない異形にも変化し切れてない鬼が圧倒的多数なのだ。

 それでも十分以上に脅威であるし、弱い鬼でも巧妙に隠れていたりするなどして中々大変なのだが。

 異形が進んだ鬼は鬼の中でも少数派であるし、況してや血鬼術を使う鬼なんて全体で見ればほんの一握りだ。

 そのほんの一握りの筈の存在を相手してばかりいるからなのか、悠さんの中での鬼の印象が上弦の鬼だとかの正真正銘の『化け物』か、或いは一筋縄ではいかぬ血鬼術を持つ鬼で固められているのかもしれない。

 よく考えれば、悠さんは育手に師事した訳でも最終選別を受けた訳でも無いので、「一般的な鬼」を見る機会が余り無かったのではあるけれど……。

 

 だが、そんな悠さんのズレっぷりに何度も共に戦う内にもう麻痺しているのか、玄弥は特に違和感を感じていないらしい。

 寧ろ玄弥の関心は、上弦の陸との戦いの方へと向いていた。

 

「え、善逸の戦いはそんな風だったのか。

 上弦の鬼の片割れの頸を協力して斬ったとは聞いてたけどよ、まさか無傷だったなんて」

 

「そんなの絶対嘘じゃん! だって俺の記憶に無いし。

 そもそも、血鬼術を使ってくる鬼と戦いまくってる方がおかしいんだからね!? 

 大体、他の隊士が勝てなかった相手なんて、それこそどうかしたら柱に任せるべき相手でしょ!」

 

「柱の人達は多忙だし、そんな何でもかんでも投げるものじゃないだろう。

 物凄い広範囲を日々警備しているのだし、負担を増やさぬよう俺たちで対処出来るならそれに越した事は無い。

 それに、良い実戦経験ってやつになるしな。

 今回も俺は極力二人の補助に徹するよ」

 

 悠さんのそんな信じられない言葉に、思わず俺は固まった。

 てっきり悠さんが何時も片付けているのかと思っていたのに。

 玄弥は分かってるとばかりに頷いて、それが二人にとっては何時もの事なのだと示している。

 

「ちょっと!!?? どういう事なの!!??? 

 俺死んじゃうよ! 悠さんが守ってくれないとダメだって!!」

 

「落ち着け善逸。死なないし死なせないから。万が一どうしようも無かったら、その時点でちゃんと手を貸すよ」

 

「大丈夫だって、悠はちゃんと力貸してくれるからさ。

 それに、実戦の経験が足りなかったらいざって時に何も出来なくなるぞ」

 

「いいぃぃぃやあぁあぁぁぁああ!! マジで無理! 無理無理無理!!!」

 

 もう恐怖でどうにかなってしまいそうだった。何せ瞬間移動と言っても良い様な血鬼術を使う鬼なのだ。

 今この瞬間に自分の首が飛んでいてもおかしくは無い話である。

 自分はそんな鬼に勝てる程強くは無いのだ。

 いざと言う時に臆病な心によって身体が強張ってしまう。

 出来ると言われても無理なものは無理なのだ。

 

 だが、そんな俺に対して。

 悠さんはそっと撫でる様にその手を俺の頭に触れさせる。

 

「善逸、大丈夫だ。

 俺は、善逸が出来る事を知っている。

 善逸が凄い事を知っている。

 そして、善逸が積み重ねて来たものも知っている。

 もし自分の力を信じられないのだとしても、自分が積み重ねた努力は信じろ。それは絶対に自分を裏切らない。

 そして、俺は善逸を信じているが、善逸が失敗したとしてもそれを受け入れるし、また何度でも一緒にやる。

 善逸が本当に自分自身を認めて受け入れる様になるまで、善逸が望む限り、ずっと傍に居る。

 だから大丈夫だ、善逸。善逸は独りじゃない。

 誰にも必要とされていなかった過去があったのだとしても、もうそうじゃない事は善逸には分かるだろう?」

 

 絶対に何があってもお前を見捨てたりしない、と。そう悠さんは言ってくれた。

 どれ程情けなかろうが、何度失敗しようが。俺には必ずそれを出来る力があるのだから、と。

 その言葉は、温かかった。そして、悠さんが本心からそう言ってくれている事も音が教えてくれる。

 本当に、悠さんは何度でも何時まででも俺がそれを望む限りずっと傍に居てくれるのだろう。

 別にそんな事をした所で、悠さんが得るものなんて何も無い。悠さんの時間や労力を拘束するだけ。

 それでも、悠さんは一切構わないのだと、そうその心から響く音が言っている。

 それはある意味で、「無償の愛」とも言えるそれに限り無く似ていた。

 俺が憧れて欲しくて欲しくて仕方無かった家族の愛とはまた違うけれど。

 

 ……俺は。失敗するのが恐かった、期待されてそれを果たせない事が恐かったのだ。

 そしてどうせ出来ないのなら、最初から泣き喚く様にして期待されない方が良いなんて思う程に。

 期待して欲しいのに、必要として欲しいのに。他でも無く自分自身を一番好きじゃない俺こそが、それを阻んでいた。

 出来るのだとしても、たった一度の失敗で見向きもされなくなるのなら、最初から出来ないと思っていた方が良かった。

 必要とされたいのに、いざそれを向けられるとどうして良いのか分からなくなる。

 誰かに心から愛されたいと思った、そしてそれと同じ位に愛したいと思った。

 大事なもの、特別なもの。それがずっとずっと欲しかった。その象徴の一つが、「家族」だった。

 でも、俺が本当に欲しかったもの、たった一度でも良いから手にしたかったもの。

 何の見返りも求められず、そして憐憫などの情によるものでもなく、ただただ真心からの「無償の愛」。

 役立たずでも、不甲斐無くても、失敗しても出来なくても、「それでも良い」と包み込んでくれる絶対の肯定。

 ……それらを得る事は、大きくなればなる程難しくて。寧ろ何時かは与えなくてはならない側に回る。

 誰かを心から愛したいのは間違いなく本心だが、それと同時に愛されたかったし、たった一度でも良いから絶対的な受容と肯定を与えられて自分を満たしたいとも思っていた。

 俺の「幸せの箱」には穴は無いけれど、それでも何処か埋められない空っぽの部分があって。

 でも、どうしてだか。今この時、その部分が少しだけ埋まった様な気がした。

 

「善逸、ほら、行こう」

 

 そう言って、悠さんは俺の背中を優しく押した。

 その先には、討伐指令の対象であろう鬼が居て。

 何時もなら身体が竦んで上手く出来ないのに、どうしてか今日はすんなりと身体が動く。

 悠さんが押してくれたその背の部分に、温かなものが宿っている気がする。

 身体は自然と、構えを取っていた。限界まで身体に叩き込んだそれは、もう意識せずとも形になる。

 

 そして。

 

 俺は初めて、異能の鬼の頸を斬った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 初めて、鬼を前にして気を喪う事が無かった。

 初めて、鬼の首をちゃんとこの手で斬った。

 

 その二つの事実が、一周ほど遅れて漸く自分の中に実感を伴って認識される。

 乙の階級の隊士でも討ち取る事の出来なかった鬼の頸を、悠さんの助けも……誰の助けも無しに、たった一人で。

 じいちゃんに鍛え上げられた霹靂一閃は、鬼に瞬間移動させる暇すら与えずに一瞬でその頸を掻き取っていた。

 その事を認めた瞬間、手がブルブル震えた。恐い訳じゃ無いのに、自分でも吃驚する位震えている。

 だって、あの鬼は決して弱い鬼では無かった。そりゃあ上弦の鬼とかの十二鬼月に比べれば弱いだろうが。

 しかし少なくとも、ついさっきまでの自分自身が、「自分の限界」だと思っていたそれを遥かに超える強さだ。

 

「おめでとう、善逸。ちゃんと出来ただろう?」

 

 そう言って悠さんは微笑んで。

 ある意味では獲物を横取りされたとも言える玄弥も、凄いじゃん! と褒めてくれた。

 何だか頭がフワフワしている気がする。心も落ち着かない。でも、それは全然嫌な感じでは無かった。

 

「俺……出来たんだ……」

 

 臆病で駄目な自分には無理だと思っていた。でも、そうじゃなかった。

「自分には出来る」と言う事を、認めざるを得なくなった。

 勿論、何でもかんでも出来る訳じゃ無い。出来ない事はきっと沢山ある。

 俺よりも凄い人たちはもっと凄い事が沢山出来るんだから。

 でも、これは俺自身にとっては何処までも大きな一歩であった。

 よく頑張ったと言わんばかりに、悠さんが優しく頭を撫でてくる。

 その手が本当に優しくて、それがどうしようも無く幸せな気持ちにさせた。

 

「さて、今回の任務はこれで終わったけど。もしかしたら何処かの隊士たちから救援要請が来るかもしれないからな。

 何時もの様に、移動しつつ要請が来ないか備えておこう」

 

 三人で下山する準備を進め、取り留めの無い雑談にでも興じようとしていたその時であった。

 上空が何やら騒がしくなり、鎹鴉が大慌てで降りて来た。

 

 

「コノ先ノ山デ隊士タチガ上弦ノ鬼ニ遭遇!! 

 負傷者モ発生! 至急救援求ム!!」

 

 

 ガアガアと鳴くその言葉に、場の空気が一気に緊張する。

 上弦の鬼。つい最近対峙した様な……いやあれが上弦の陸であったのだからあれ以上の存在が、この近くに居ると言う。

 ハッキリ言って、死にに行く為の様な救援要請であった。

 だが、悠さんはそれを無視する気など毛頭無いらしい。

 

「場所は?」

 

「此処カラ北西ノ山中ニアル廃村ダ! 此処カラノ距離ハ近イガ、谷ヲ越エル必要ガアル!」

 

「了解した。

 善逸、玄弥。上弦の鬼の討伐よりも負傷者の回収を優先する事にはなるが、此処から先は本当に危険だから先に帰って貰っても大丈夫だ」

 

 悠さんは、危険な事には二人を巻き込めないから、と。そう言いた気な顔をする。

 確かに、上弦程の鬼を相手に玄弥も俺も何も出来ないだろう。

 足手纏いになってしまうだけかもしれない。でも。

 

「待てよ悠。俺も行くぜ。負傷者がどの程度散っているのか分からない以上、人手は必要だろ」

 

「お、俺も、俺も行くよ、悠さん。俺でも何か役に立てるかもしれないんだし」

 

 玄弥と俺がそう言うと、悠さんはほんの僅か思案する。が、結局は頷いた。

 

「……分かった。じゃあ二人は負傷者の回収を最優先にしてくれ。

 上弦の鬼が居たら、俺が何とか食い止めるから。

 じゃあ、急ぐからこれに掴まってくれ」

 

 そう言いながら悠さんがその掌を天に向けると、そこに蒼い輝きを纏う何かが現れる。

 

 

「── セイリュウ!」

 

 

 名を呼ぶ様にそう声を上げながら悠さんがその光る何かを握り砕いたその瞬間。

 その場に、『龍』としか呼べない、全身を蒼く煌めく鱗に覆われた巨大な存在が現れた。

 突然の出来事に俺も玄弥も絶句するが、悠さんは何も構う事無くその『龍』の背に乗る。

 そして、俺たちへと手を差し伸べた。

 

「ままよ」とばかりに、俺も玄弥もその『龍』の背に乗る。

 その瞬間、『龍』は凄まじい速さで宙を駆け出した。

 生まれて初めての経験に、思わず俺も玄弥も悲鳴の様な声を上げる。

 瞬く間に地表は遠ざかり、山を越えて、大きな谷を物ともせずに。そして、朽ち果てた民家の様なものが見えて。

 同時に其処から、未だ嘗て聞いた事も無い様な悍ましさしかない音がギシギシと響いてくる。

 

 この先に待つ存在は、恐らく想像を絶する『化け物』だ。

 本来ならこの時点で泣き喚いて既に気絶するだろう程に怖いけれど、だけど今は、悠さんが傍に居てくれるからなのか、怖さよりも「俺たちがやらなきゃ」と言う気持ちの方が大きいのだ。

 

「もうちょっと地上に近付いたら一気に飛び降りて、二人は負傷者の救護を最優先してくれ。

 もし手足が落ちてる場合でも、極力拾って回収するんだ。頼んだぞ!」

 

 まるで流星がそこに落ちるかの様な勢いで、悠さんは上弦の鬼が待つそこへ突撃する。

 地上が僅かに近付いたその視界の端に、人の身体が血溜まりの中に幾つも落ちているのを見付ける。

 果たして生きているのか、死んでいるのか。それは此処からでは判断しようが無い事だ。

 

 だが。そんな死屍累々と言っても良い様な有様の中で。

 恐らくは上弦の鬼なのであろう、一見人間の様に見える風体であるのにも関わらず圧倒的な程の威圧感を放つ存在の前に、無様に這いつくばる様に跪いているのは。

 

 

「獪岳!!?」

 

 

 俺の、兄弟子であった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
オカン級の寛容さと国産の大神的父性と言霊級の伝達力が今日も光る。


【我妻善逸】
色々と複雑なものを抱えるが、その根底にはやはり優しさがある。
寝なくても実力を発揮出来る様になりつつある。


【不死川玄弥】
悠に頼まれて善逸とも一緒に任務。
タルカジャが掛かっていれば、鬼を喰ってなくても血鬼術を使う鬼でも比較的弱めの鬼の頸も斬れる。
南蛮銃をライフリング加工してみたり、弾丸で毒を打ち込んでみたりするのはどう? と悠がアドバイスしている模様。


【獪岳】
びっくりする位のクズ。
黒死牟相手に必死の命乞いの真っ最中。
後少しでも悠たちが到着するのが遅れていたら鬼になっていた。


【黒死牟】
徘徊している最中に遭遇した隊員たちを一蹴していたら、中々見所のありそうな剣士を見付け、欠けた上弦の陸辺りにどうだろうかと鬼にしようとしていた。


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『羅睺星の刃』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 その鬼を一目見た瞬間。

 その鬼が、今まで対峙して来たどの鬼よりも遥かに強い事を確信した。

 上弦の弐の鬼よりも、上弦の陸の鬼よりも、遥かに強い。

 少々古めかしく感じる衣装に、禍々しい感じのする刀。

 単に鬼と言うよりは、侍やら剣士と言った方が近い出で立ちだ。

 確実に強い。刀を持っているからには、それが主な武器だろうか。

 その佇まいには、全く隙が無い。

 それだけでも、目の前の鬼が、未だ嘗て戦った経験の無い「武を極めた」存在なのだと悟る。

 圧倒的に理不尽な力で薙ぎ払ってくるのでも無く、「神」の権能を揮ってくる訳でも無く。

 しかし、武を極めその技を極めたその存在は、間違いなく強敵だ。

 

 そんな上弦の鬼を前にして、這いつくばる様にその頭を地に擦り付けている隊士が一人居る。

 何処からどう見ても必死に命乞いをしていた。……鬼に対して命乞いが有効なのかどうかは知らないが、死の瀬戸際に在って潔くそれを受け容れたり雄々しく散る事を選べる様な存在は決して多くは無い。どんな気高い志を持っていたとしても、逃れられぬ「死」に向き合った時にどの様な己が現れるのかを選べる訳では無い。

「死にたくない」と思う事もまた、人としては当たり前の反応である。鬼に対して有効かどうかはともかく。

 だが、その隊士を見て善逸が血相を変えた。知り合いだったのかもしれない。

 人としては仕方無くても、鬼殺隊の隊士としては忌むべき行為に出ているその姿にショックを隠し切れてない様子であった。

 

 目の前の脅威を正しく測り状況を判断するのと同時に、その周囲の状況も把握する。

 鬼からはやや離れた場所に、恐らく目の前の鬼にやられたのであろう数名の隊士たちが、血の海の中に倒れていた。

 手足が切断された様にあちこちに転がり、首が落ちている者はパッと見では居なさそうだが、その身が半ば両断されかかっている者は居た。

 即死したのか、それとも生きているのか……。それは分からない。生きていたとしても既に虫の息であろうし、こんな状態であればそう時間を置かず命を落とすしかないだろう。

 それでも、早くに対処すればまだどうにか出来る可能性は僅かながらにも残されている。ならば、彼等を見捨てる事など出来ないし、可能な限り全員を連れて一刻も早くこの場を離脱しなければならない。

 本来ならばこの場でこの上弦の鬼を倒すべきなのだろうが、しかし自分にとっては助かるかもしれない命をこの世に引き戻す方がより優先すべき事であった。

 この場にその他の一般人や、或いは付近に人の住む集落があるなら、被害の拡大を防ぐ為にもこの場で上弦の鬼を討ち取る事も選択肢に入れるが。しかし此処はとうの昔に廃墟となった廃村である為か生者の気配は血の海に倒れた隊士たちの他には無く、そして山中にある為他の集落までは随分と距離がある。

 ならば、負傷者を回収して撤退する事を最優先にするべきだろう。

 

「善逸! 玄弥! 頼んだ!」

 

 可能な限り現場に急行する為にセイリュウを顕現させたが、しかしセイリュウに物理攻撃に対する特別な耐性は無い。その為、鬼が此方に気付き何か攻撃を仕掛けて来る前に物理攻撃を無効化出来るペルソナへと切り替えなくてはならない。となると当然セイリュウは消え、自分達は空中に投げ出されたも同然となる。

 しかし善逸たちは声を掛けた時点で既にセイリュウの身体を蹴る様にして飛び降りていた。

 玄弥は迷わず負傷者たちの方へと走り、善逸は鬼の目の前で這いつくばる様に命乞いをしようとしている隊士へと霹靂一閃で一気に接近し、隊士へと伸ばされていた鬼の腕を斬り裂いて、そして隊士の身体を抱えて再び霹靂一閃で鬼の目の前から離脱しようとする。

 だが、凄まじい反応速度を見せた鬼は速度に優れた善逸の霹靂一閃すら見切り、己の腕を斬り裂こうとしたその刀をたった一撃で折って、更にその手に握っていた異質な刀を横一閃に振り抜いて善逸を斬り捨てようとした。

 

 ── 月の呼吸 壱ノ型……

 

「させるかぁああっっ!!!」

 

 恐らくは何らかの呼吸の剣技を繰り出そうとしていたそれを、一気に善逸たちとの間に割り込む様に飛び込んで、その勢いのまま一気に斬り上げる。

 イザナギの力を受けて刀身に紫電を纏ったその一撃は型を出される前に刀を持つ鬼の腕を斬り落とす筈だったが、しかしそれを見切られ、鬼は強引に型を中断し隙の無い足運びで僅かに後ろに下がる。

 凄まじいまでの反応速度と瞬発力だ。上弦の弐なら確実に首も落とせていた速さだったのだが。

 それに、振り抜きかけていた技を途中で強引に止めたその膂力も並大抵のものではないだろう。

 間違いなくこの鬼が、限り無く鬼の頂点に立つ存在である事を理解する。

 

 腕を落とす事は出来なかったが、善逸が隊士を抱えてその場を離れるだけの猶予は作る事が出来た。

 玄弥と一緒に他の隊士たちの救援に当たってくれる事を願うしかない。

 負傷した隊士たちや彼等の手足を一所に集め終えたら玄弥たちが合図をしてくれる手筈になっている。

 ならばそれまでは絶対に玄弥たちが狙われぬ様に此処でこの鬼を抑えなくてはならない。

 とにかく、この鬼は危険だ。

 三対の六眼が此方を見透かす様に見詰める。……その目に刻まれた文字は、「上弦」と「壱」。

 目の前の存在が上弦の鬼の中でもその頂点、鬼舞辻無惨その物を除けば最も強い鬼である事を示していた。

 全体的な姿形自体は、その顔の六眼を除けば異形の程度は少ないが。

 手にした刀は、柄の部分にも鍔の部分にも刀身の部分にもギョロギョロ動く目玉が付いたとにかく気持ちの悪い異形の刀である。鬼の美的センスはどうなっているのだと、もう何度目とも分からぬ疑問を懐いた。

 

「成る程……お前が……あの……『化け物』……。

 こうして……相見えるとは……僥倖と……。

 龍を……この目で……見たのは……初めてだ……。

 お前……名は……何という……」

 

 妙に間が長い鬼の発言に、名乗る義理など微塵も無いが、時間を僅かにでも稼ぐ為にも会話に応じる。

 

「鳴上……悠だ。

 上弦の陸や弐の様に、お前も俺を『化け物』だとか言ってくるが。鬼の間で流行っているのか? それは」

 

「なるかみ……鳴神……。その刀は……あの龍に……関係した……力か……? 

 龍が……出て来るとは……成る程……確かに……面白い……。

 あの方が……お前を……求めているのも……分かる……。

 此処で……大人しく……鬼になると……誓うのならば……。

 あの者たちを……見逃して……やっても良い……。

 鬼になれば……既に『化け物』であるお前も……更なる力を……得る事も……出来よう……」

 

 紫電が纏わり付いた刀を見て、何かを勘違いされている気がするが、それを訂正する気は無かった。

 そもそも此処で本格的に戦うつもりは無い。

 周囲に破壊してはならない建造物や巻き込めない民間人など居ない山奥であるのだし、善逸たちを巻き込まない様に注意する必要はあるものの必殺の攻撃を叩き込める状況下ではある。勝てるかどうかで言えば、勝てる。

 しかし、今は負傷者の救護が最優先事項であり、必殺の攻撃なんて使えば明らかに致命傷やほぼ致命傷を負った隊士たちを助ける様な力は残せない。鬼を殺す事に命を懸けている隊士たちにとっては、彼等の命よりここでこの鬼を討つ事を優先して欲しいと望むかもしれないが、しかし我儘かもしれなくても自分はそれを望まない。

 特捜隊のリーダーとして、何時だって最優先にするべきは人命だ。それだけは譲れない。

 助かる可能性が僅かにでもあるのなら、その手を取る事こそが自分の望みだ。

 そしてだからこそ、此処で自分の手札を無用に晒すつもりなんて無かった。どうせ鬼舞辻無惨を介して情報が共有されると言うのなら、「切り札」は文字通り鬼の目からは可能な限り伏せておくべきである。

 勘違いしたいならすれば良いのだ。鬼側に勘違いされた所で、それで困る事はあまり無いのだから。

 

 それよりも中々に聞き捨てならない事をこの鬼は宣った。

 鬼に成れ? 冗談じゃない。絶対に拒否する。

 しかし同時に納得した。上弦の陸と戦った時にやたらと捕獲しようとしていたのはこの為だったのか。

 鬼舞辻無惨が何故、自分を鬼にしようとなんてしているのかなどさっぱりその理由は分からないが。 

 上弦の鬼たち全員が、その主命を与えられているのであれば。あの上弦の陸の妹鬼が言っていた様に、自分を捕獲するその為に鬼舞辻無惨はその血を上弦の鬼たちに大量に分け与えている可能性はほぼ確定的になった。

 鬼舞辻無惨の血が濃ければ濃い程強い鬼である以上、今の上弦の鬼たちの強さがどうなっているのか、想像する事すら恐ろしい話である。

 自分の何が鬼舞辻無惨にそこまでさせるのかはさっぱり分からないが、しかしそうまでして捕らえたいのであれば、下手をするとこの場に第二第三の上弦の鬼が程無くして送り込まれかねない。

 目の前の上弦の壱だけなら、それに専念すれば善逸たちに害を与えない様に抑えきる事は可能だが。

 上弦の鬼が更に増えれば流石に抑えきれないかもしれない。そうなれば善逸たちの命が危険に晒される。

 一刻も早くこの場を離脱する必要が出て来たが、まだ隊士たちの救護は完了していないのか、玄弥たちからの合図は無い。

 

「鬼に成れと? それで俺が首を縦に振ると思っているのか? 

 それに、お前に見逃されなくても、俺が手出しをさせる訳無いだろう」

 

 互いに相手を牽制している為、互いに刀を構えてはいるがそれを振るには至っていない。

 鬼にとっては、恐らく『化け物』である此方の戦力が一切不明な状態で攻撃を仕掛けたくないのだろう。

 そして自分としては、無暗に攻撃を仕掛けたとして、その反撃が善逸たちにまで被害を与える可能性を考えると、その様な軽挙妄動には移れなかった。

 この鬼はまだ自身の血鬼術を見せてすらいない。ここまで武を極めた鬼が、全く方向性の違う搦め手の血鬼術を繰り出してくるとは思わないが。しかし警戒し過ぎても損は無い。

 

「随分と……あの者たちに……心を砕いている……。

 お前には……あの者たちを……見捨てる事は……出来ない……。

 しかし……奇妙な事だ……。

 何故……お前の様な……人世の理を……乱す者が……現れたのか……」

 

 此方の言葉に「ふむ……」と何かを考える様に唸った鬼は、そんな疑問を口にした。

 何故この世界に居るのか。それは自分にも分からない。

 そもそも夢で何か見る事自体に、その必然性や意味なんてそう大事な事では無いだろう。

 ただ……どうしてこの世界に夢の中で迷い込んだのかは分からなくても。

 今こうしてこの場所に立っている事の理由なら、ちゃんとある。

 

「その理由は俺にも分からない。だが、此処に立つ理由は、分かる。

 お前みたいに人の命や心を平然と踏み躙る鬼から、大事な人や、大事な人の大切なものを守る為だ。

 それに人世の理がどうだとか言うが、人の世に寄生してそれを乱し啜るしか能が無いのはそっちの方だろう。

 人の心に哀しみと怒りと絶望を撒き散らして、お前たちがこの先一生懸けたとしても生み出す事なんて出来やしない数多の命を踏み躙って貪って。不老と強靭な再生能力に驕って、醜悪な生き方を然も特権の様に囀る。

 そんなに長く生きたとして、一体何をする? 何がしたいんだ? 

 無限に生きたとして、生きる意味や生きる甲斐の無い一生なんて、目的も目標も無いまま惰性で過ごす永遠なんて、永劫の果てでも終わらない地獄の刑罰とどう違うんだ。少なくとも俺はそんなのは嫌だ。

 無限に生きたって、俺の大事な人たちが其処に居ないなら意味が無い、ただ虚しいだけだ。

 誰かに貰ったものを別の誰かに託して、そうやって繋げていく事こそが、生きる事の素晴らしさだ。

 お前は、鬼に成って、誰かに何かを繋げる事が出来たのか? 自分と、そして別の誰かの心を変えていく事は出来ているのか? お前は本当に、『生きている』と。そう心から自分のその在り方を肯定出来るのか? 

 俺は、己の心を自ら虚ろの森に閉じ込める事も、自らを禍津に堕とす事も、絶対にしない」

 

 そう啖呵を切る様に、断固拒否の姿勢を示すと。

 口にした言葉の何かが鬼の心の弱い部分に触れたのか、その気配が騒ついた。

 怒り、自己嫌悪……いやもっと深くドロドロとした感情の渦。それがこの鬼の中に渦巻いたのを感じる。

 

「お前に何が分かる……この世の理を乱す『化け物』に……一体何が分かると言うのだ……。

 お前は……この世に在ってはならぬ『化け物』だ……。

 此処でその首を落として……鬼にしてやろう……」

 

 そう言って、鬼はその刀を大きく振るった。

 

 ── 月の呼吸 拾ノ型 穿面斬・蘿月

 

 その斬撃は、まるで超巨大な鋸の刃の様だった。

 更に、その斬撃に更に小さな無数の斬撃が纏わり付いていて、一切の逃げ道を塞ぐかの様に迫り来る。

 余りにも広大な範囲を削り取るその攻撃は、下手に避けると最悪二十メートル以上は離れている場所に居る善逸たちにまで届いてしまうかもしれない。

 だから。

 

 十文字斬りを繰り出して、どうにかその巨大な斬撃を全て叩き斬る。

 細かい斬撃にはどうしても当たってしまったが、物理攻撃は効かないので問題は無い。

 しかし、この細かい斬撃も普通に喰らっていればザックリとやられてしまう事だろう。

 

「ほう……今のを防ぐか……。しかし……確かに斬り裂いた筈だが……。

 面妖な力によるものか? やはり『化け物』だな……」

 

 どうやら鬼は、細かい斬撃が当たった筈なのに無傷である事に驚いているらしい。

 この鬼の血鬼術は、斬撃に付随する様に無数に発生する小さな斬撃だろうか。

 今の自分には効かないから問題は無いが、しかし大小様々な軌道で迫って来るそれを初見で見切って回避するのは相当難しいだろう。

 そして。

 

 ── 月の呼吸 参ノ型 厭忌月

 ── 月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月

 ── 月の呼吸 陸ノ型 常夜孤月・無間

 

 有り得ない様な速さで矢継ぎ早に鬼は型を繰り出してきた。

 鬼の尋常では無い膂力による強引な動きと、そして疲れ知らずの無尽蔵の体力が成せる業だ。

 その一つ一つの攻撃範囲は、刀一本で生み出しているとは到底思えない程に広く、瞬く間に周囲一帯が斬り裂かれてゆく。

 どうにか、善逸たちの居る場所にまで影響が出そうな攻撃を相殺するが、しかしキリが無い。

 鬼はまさに羅刹の如き動きで次々に技を繰り出している。

 間合いの内側に居る状態だと、ほぼ防戦一方になってしまう。

 ヨシツネに切り替えて『八艘飛び』で強引に切り開く事も一瞬検討するが、連発出来るか怪しい状況では少し躊躇いが在るし、何より此処で無用に手札を晒すべきでは無い。

 間合いの外に出るのは、善逸たちの事を考えると避けるべきだ。

 それに、この鬼にも何か切り札があるかもしれない。

 今後の戦いの事を考えると、此処でその全ての手札を曝け出させるべきなのだろうが。

 しかし、その結果超広範囲に効果が及ぶ様な攻撃を繰り出されてしまえば、自分以外の命が危険に晒される。

 あの妓夫太郎の毒の血の沼の様なものが飛び出てくると、善逸たちを守り切る事は流石に厳しいだろう。

 だから、それを切らせるまででも無いと思わせる事も重要であった。

 

 斬り込んでも斬り込んでも一向に攻撃が通らない事に、鬼は業を煮やした様に更に連撃の速度を上げて斬り掛かって来る。それに対応する様に斬り結ぶが、そもそもの剣の技術と言う意味ではハッキリ言って自分では全く話にならない程に、この鬼との自分との間にはどうしようも無く差がある。

 言ってしまえば、自分のそれは喧嘩殺法と言うのか……かなりの力技であり、洗練されたそれとは雲泥の差なのだ。ペルソナの力で上がった身体能力でゴリ押ししていると言った方が良い。

 そして、そんなゴリ押し剣術は、剣術を極めた者にそう簡単には通用しない。恐らく、その動きを全て見切られているのだろう。

 物理耐性があるという程度なら鋼鉄製の巨人だろうと戦車だろうと何だろうと叩き斬ってしまえる威力があったとしても、それが当たらないのなら意味は無い。ペルソナの力を借りればまた話は違うかもしれないが。

 

「随分と拙い剣技だ……。ただ刀を握って振り回しているのと……大差無い……。

『化け物』ではあるが……。それだけだ……」

 

「俺は剣士でも何でも無いからな。剣術を教わった事なんて一度も無い。

 お前みたいに剣術を極めた相手からすれば、我流と言うのも烏滸がましい位だろう。

 だが、それがどうした。剣術を極めていようがいなかろうが、戦う事自体には関係無いだろう」

 

 滅茶苦茶な広範囲攻撃を捌きつつ、そう答えると。

 鬼は何故か僅かに動揺する。

 

 そしてその時。

 

「悠ぅぅーー!!!! これを使えぇーーっっ!!!」

 

 背後から玄弥の叫び声と共に、僅かにそこに目をやると何か細長い物が勢いよく飛んで来た。

 それを咄嗟に掴んで受け取ると、それは玄弥の日輪刀だった。

 脇差の様な大きさのそれを、その柄を強く握り締めて反射的に引き抜く。

 その途端、色の変わらない日輪刀が、まるで炉の中で熱されている最中であるかの様な見事な赫に染まった。

 そして、その赫に染まった日輪刀を見た瞬間。

 鬼は今までに無い程に動揺し、その目は自分を通して『誰か』を見るかの様に慄いた。

 

「何故だ……! 何故、何故お前がそれを……! 

 よりによって、剣技などろくに知らぬお前が、何故……!」

 

 良くは分からないが、この色に染まる事には何か意味がある様だ。

 玄弥の日輪刀を使わせて貰っているが、あの試し用の日輪刀の有様を思い出すに、恐らくまともに使えるのは一二回だけだろう。だが、それだけあれば十分だ。

 

 ただ一撃でこの鬼の頸を、ここで斬ってやれば良い。

 

 身体全体に紫電を纏わせ、その力で一気に自分自身を撃ち出す様にして、その首を目掛けて全力の突きを狙う。

 直撃すれば、電撃の威力も合わさって確実に首を吹き飛ばせただろうその紫電の一閃は。

 刹那とも言えるその瞬間に、反射的に鬼が身を僅かに引こうとした為、その左肩を吹き飛ばすに留まった。

 鬼の身を貫いた瞬間に、玄弥の日輪刀はそれに耐えられなかったかの様に刃が融ける様に折れてしまう。

 だが、日輪刀によるその一撃は極めて有効であった様で、突きによって吹き飛んだ左肩の大半は中々再生しない様だ。苦悶の表情を浮かべた鬼は、そこが中々再生しない事に驚愕した様な表情を浮かべる。

 そして、次の瞬間には。今までの比では無い程の強烈な斬撃を繰り出してきた。

 左肩が使い物にならない為右手一本で振っているにも関わらず、その攻撃の冴えは衰えない。

 そして恐ろしい事に、その攻撃範囲が倍近くにまで伸びた。

 どうして突然、と驚くと。その手の中の刀の形が異常な変化を遂げている事に気付く。

 大太刀か何かの様に異常に長く、そして七支刀の様に途中で三つの枝分かれをしていた。

 どうやら鬼は刀の形状も変化させられるらしい。

 磨き抜かれた剣技を活用する為に、刀の形状自体からは大きく逸脱させる事は無いだろうが。

 その刀身の伸縮が自在であるなら、その間合いを完璧に見切る事は極めて困難である。

 

「滅茶苦茶だな……!」

 

 思わずそう吐き捨てた瞬間。

 

「悠さん! 完了したよ!!」

 

 善逸の声が、待ちに待った瞬間が訪れた事を教えてくれた。

 もう此処に長居する理由は一つも無い。

 一刻も早くこの場を離脱して、負傷者の手当てを行わなければ。

 しかしその為には、どうにかしてこの鬼の行動を一時的にでも止めなくてはならない。

 このままでは善逸たちの下に行く前に、一気に薙ぎ払われてしまう。

 だから、()()()()()やる事にする。

 

 十握剣を強く握り、『タルカジャ』と『チャージ』で己の力を限界以上に引き出した。

 そして、鬼が放ってくる型をどうせダメージは一切通らないのだからと全て自分の身体で受け止めながら、十握剣を大きく横に振り被る。

 その刀身に強烈なまでの雷が宿り、本来の刀身以上に雷の刃は伸びた。

 

「──雷神斬!!」

 

 鬼が完全に型を使い回避出来ない瞬間を狙って、異形の刀の刀身ごと叩き斬る様に、振るわれた神雷の刃は鬼の頸に吸い込まれ、そしてそれを焼き潰す様に斬り飛ばした。

 頸周りは一瞬で炭化して、その断面は炸裂した雷撃によって黒焦げになっている。

 そして、胴体から弾け飛ぶ様に落ちたその首を。

 

「せやぁぁああっ!!」

 

 全身全霊の力で彼方へと蹴り飛ばす。

 日輪刀で斬った訳では無いので死にはしないが、しかし鬼にとっては落とされた首が重要なものである事には変わらないので、少しでもその再生を妨害する為の行動だ。

『タルカジャ』によって強化された力によって全力で蹴り飛ばされた首は、かなり遠方にまで飛んで行った。

 突然のそれに、残った身体の方の動きが明らかに鈍る。

 反撃の様に放たれた攻撃にはやや冴えが無く、頭が無いからか此方の攻撃を見切る力も無くて、軽く放った『ジオダイン』で吹き飛ばす事が出来た。

 血を採れなかった代わりに、切断した異形の刀の刀身を拾って手早く布に包んで回収する。

 そして、全力で善逸たちの下へと向かう。

 

「善逸! 玄弥! 全員の身体を確り掴んでくれ!! 

 この場を離脱する!!」

 

 鬼に命乞いをしていた隊士を含めて、元々この場に居た隊士は四名。

 善逸たちは斬り飛ばされた彼等の手足も回収してくれていた様で、少なくともこの場にあるその数に不足は無い。なら、大丈夫だ。

 善逸と玄弥が其々隊士たちの身体を確り掴んだのを見て、その二人の背に触れながら、『トラエスト』を使う。

 その瞬間、独特の感覚と共に、一気に周囲の景色が変わった。

 

 

『トラエスト』によって辿り着いたのは、蝶屋敷の中庭だ。

 あの山中と蝶屋敷まではかなりの距離があったからか、正直かなり辛い。

『トラエスト』を使うとどうやらこの中庭に帰って来る事が出来る様なのだが、移動した距離によって消耗の程度が変わる。あの上弦の壱との戦いで極力スキルを温存していなければ、既に倒れていたかもしれない。

 だが、まだ『メシアライザー』を使えるだけの余力はある。

 

 救出した隊士たちの様子を手早く確かめる。

 一人は……既に完全に事切れていて、その身体はすっかり冷たくなってしまっていた。もうサマリカームでも助けられない。

 半身が辛うじて薄皮数枚で繋がっているだけの状態であった事もあり、そもそも自分達があの場に辿り着いた時点で落命していた可能性が高いだろう。

 他の二人は、辛うじてまだ息があった。もう意識は完全に無くなっているが、それでもまだ助けられる。

 彼等の切断された四肢を、善逸と玄弥……そしてほぼ無傷で命乞いをしていた隊士に頼んで、彼等の身体に繋がる様に押さえておいて貰う。

 切断されてからそれなりに時間が経っているかもしれないので繋がるかどうかは正直賭けだし、更に正常な機能を戻してやれるのかの保証は出来ないが。

 それでも、彼等が喪う物がほんの僅かでも少なくなる様に。

 

 

「メシアライザー!!」

 

 

 二人の隊士の胸に其々手を置いて、一気に限界まで振り絞る様に、その力を使う。

 彼等の手足が無事に繋がった事を霞みゆく視界の端で確かめて。

 そして、完全に意識を手離した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
ちゃんとした日輪刀を握ると赫刀に至る事が判明したが、まだ赫刀の効果まではハッキリとは分かっていない。何かあるらしいとは理解した。
ちなみにイザナギには物理無効スキルが付いている(P5Rの賊神由来)。
効かないのは分かっていても、超常現象の如き斬撃の嵐の中に防御を捨てて飛び込むのは本来はかなりの勇気が必要だが、既に豪傑級の勇気があるので躊躇わずに実行出来る。
採血は出来なかったが、黒死牟の骨と肉で出来た刀身を回収出来たので大きな問題は無い。


【我妻善逸】
獪岳が取り返しのつかない道へと進む前にどうにか止める事が出来た。
しかし獪岳が鬼に命乞いをして鬼に堕ちてでも助かろうとした事には正直ショックを隠せない。
その事で獪岳と何度も言い争う事になる。
獪岳を救出する際に、日輪刀を喪った。


【不死川玄弥】
主に負傷者を一ヶ所に運んだり、斬り飛ばされた手足を集めたりしていた。
その最中、悠が押されているのを見て、居ても立っても居られず自身の日輪刀を託す。その結果、自身の日輪刀は見るも無残な姿になるが、後悔はしていない。


【獪岳】
決定的に道を踏み外す前にその手を掴まれた事でどうにか留まれたクズ。
その有難みはまだ分かっていないし、もしかしたら今後も分からないかもしれない。生きていれば、の信条はそう変わらない。
悠たちに助けられた所で、クズな内面は何一つ変わっていない。
カスだと罵り見下していた善逸が自分を助ける為に決死の行動を取った事には内心かなり動揺している。
黒死牟の手から救出される際に、自身の日輪刀を置き去りにしてしまい更に悠と黒死牟の戦いの余波を受けてその日輪刀は折れてしまった。
黒死牟との人外の戦いや、その後で発揮した他者を癒す力を見た結果。
悠の事を、人の真似事をしている悍ましい『化け物』だと思っている。
ある意味黒死牟以上に得体が知れず、更にはその黒死牟の首ですら超常の力で斬ってしまっている事もあり、悠に逆らったりその機嫌を損ねたりすると殺されかねないと怯える事になる。


【黒死牟】
悠の名字を「鳴神」だと誤解しているし、その力が使役していた龍によるものかと勘違いしている。
生き恥を晒してでも命永らえているのに、何も残せず何も繋げられていない。その為、悠の言葉は心の嫌な部分に刺さった。
日の呼吸に関係するどころか、呼吸のこの字も分かってなさそうな剣士と呼ぶ事すら難しい程に悠の剣術の腕は拙いのに、それでも自身すら到達出来なかった赫刀を発動させた事に凄まじく動揺した。その上で、それは貴様如きが辿り着いて良いものじゃないと悠に対して憤激する。
縁壱ですら斬り落とせなかった首を落とされた事によって、更にそれは加速した。
認めない、こんな剣士の端くれですらない『化け物』が、縁壱以上の存在であるなどと……認めてなるものか!! と更なる殺意を滾らせる。
しかしそもそも悠と縁壱は凄さのジャンルが違うので比較する意味が無いのであるが、黒死牟はそれに気付かないし気付いたとしても比較する。



【鬼舞辻無惨】
もうちょっと黒死牟が足止め出来ていれば、その場に猗窩座を派遣していた。
その前に逃げられたので激おこ。
しかし、『化け物』があの縁壱を彷彿させる赫刀を発動させたと知って絶句する。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
『トラエスト』を使うと、悠が「帰る場所」と認識している場所に瞬間移動します。
『トラエスト』の効果を確かめる為に試しに使うと蝶屋敷に帰ってきた為、蝶屋敷の事を「帰る場所」だと認識している事を実感した悠はかなり喜びました。
何故中庭なのかは本人にも謎です。
長距離になればなる程負担になる上に、大勢を一気に移動させるのもかなり負担になるので、中々使い処がありません。
今回の様な緊急時以外で使う事は無いです。


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『無意識の海へ』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 夢を見た。

 そこは知らない場所で、夢の中で俺は知らない誰かになっていた。

 そして俺は、縁側に座る見知らぬ誰かと話をしていて。

 俺が受け継いだ耳飾りとそっくりな……否、恐らくはそれその物を耳に付けたその人は、どうやら剣士であるらしい。夢の中で、俺はその人に大層恩義を感じていた。

 とても静かな気配のその人は、……何処か父さんに似ている気がする。

 その左の額には、まるで炎の様な痣があった。それが、どうにも強く印象に残った。

 その人は、自分の事を、大切なものを何一つ守れず人生において成すべき事を成せなかった何の価値も無い人間なのだと評する。

 それが……夢の中の俺にとっては、とても悲しかった。

 自分の事を責める様な……そんな事を言わないで欲しかった。だって、その人は凄い人なのだ。

 その人が居たから、自分は大切なものを喪わずに済んだ。きっと自分だけでは無く、もっともっと大勢の人をその人は救っている。それなのに、その人の心は救われないまま、自分に価値は無いのだと言う。

 そんな事は無い。そんな事は無いのに。

 でも、どうすればその心の痛みを癒す事が出来るのか分からなくて。

 だから、何も言えないまま、その背中を見送る事しか出来なかった。

 悲しい……悲しい……。

 

 

 目覚めた時、夢の中での感情に引き摺られた様に俺は泣いていた。

 あんまりにも静かに涙を零しているものだから、隣に居た善逸と伊之助がオロオロと狼狽える程だった。

 上弦の陸を倒したその後に極度の疲労からか深く眠ってしまっていて、それでやっと目覚めた状態でそれだったから、善逸たちからすると気が気では無かったのだろう。酷く心配させてしまった様だ。

 ……しかし、あの夢は一体何だったのだろう。

 夢の中で見たあの人を、俺は全く知らない。でもきっと、あの耳飾りは俺の耳飾りと同じものだ。

 ヒノカミ神楽と共に必ず後世に繋ぐ様にと代々竈門家に伝わって来た耳飾り。

 でもどうして受け継がれているのか、何時から受け継がれて来たのかは、俺は知らない。

 父さんも、教えてはくれなかった。ただ、「約束なんだ」、と。そう言っていた。

 一体どんな約束なのだろう。そしてその約束はあの人と何か関係があるのだろうか……? 

 それに、あの人の額に在った炎の様な痣。あれは、煉獄さんのお父さん……慎寿郎さんが手紙で教えてくれた、ヒノカミ神楽……否、日の呼吸の選ばれた使い手に顕れると言う証の痣ではないだろうか。

 ならばあの人は、全ての呼吸の基になったと言う日の呼吸に何か関係がある人なのだろうか。

 しかし考えても、俺には分からなかった。

 

 それから少しして、上弦の陸との激闘の末に力尽きて昏倒してしまっていた悠さんも目を覚ました。

 善逸や伊之助とは違って怪我は全く無い事もあってか、目が覚めた直後から物凄く元気に動き回って、早速蝶屋敷に運ばれて来た負傷した隊士たちの怪我を癒して回っている上に、善逸たちの機能回復訓練も手伝っている。

 悠さんが起きたと聞いた宇髄さんが途中でやって来て、あの戦いで具体的に何があったのかを二人で報告書を書き始めた。妹鬼との戦いに関しては俺たちも聴取され、報告の為にあの激闘を思い返すとその凄まじさが脳裏に蘇るかの様であった。

 あんなに激しい戦いで、善逸や伊之助が比較的軽い怪我を負っただけで済んだのは本当に奇跡の様な出来事だ。

 俺たちが上弦の陸を討伐した事は既に鬼殺隊全体に周知されているらしい。

 百年以上も誰も討伐に至らなかった上弦の陸を完全に滅ぼした事は、まさに快挙としか言い様が無い事の様で。

 お館様も大層喜んでいたのだと、宇髄さんは教えてくれた。

 その直近に悠さんが上弦の弐を完膚無きまでに叩きのめして撃退していた事もあって、今の鬼殺隊の隊士たちの士気は尋常では無い程に高まっているそうだ。

 このまま上弦の鬼を欠けさせていけば、鬼殺隊の悲願である鬼舞辻無惨の討滅も叶うのではないか、と。

 その為、それまでよりも一層任務に熱心に取り組む者たちや、俺たち新人の後輩に負けて堪るものかと鍛錬に励む隊士が物凄く増えたらしい。

 近頃は隊士の質が落ちて来て仕方が無いとボヤいていた柱の人達も、この傾向には喜びを感じているそうだ。

 また、その理由は不明ではあるし隊士たち全員がそうと言う訳では無いのだが、隊士たちの一部には階級の上下を問わず、以前よりもその動きが劇的に改善されていたり、合同任務の際の連携能力が見違える程に強化されていたりする者が増えているらしい。そしてそう言った者達程、この機運を逃すものかとばかりに熱心に鍛錬に励み任務に就いているそうなので、本当に良い傾向だと宇髄さんは言っていた。

 

 しかしそう言えば、俺たちも妹鬼と戦っていた際には、自分でも何故なのかよく分からないけれど、とにかく身体がよく動けたし、攻撃の殆どを危な気無く最適の動きで回避する事が出来ていた。その上で、三人での連携も物凄い熟練のそれの様に動けていた。

 その様な事が自分達だけでなく他の隊士たちの身にも起きていたのなら、それは鬼殺隊全体としては物凄い力になるだろう。

 人は急には強くなんてなれないし、今の自分に出来る事を正確に把握するという事も難しい。

 それなのにどうしてそんな風に、俺たちを含めて色んな人達が、『出来ないと思い込んでいたけど本当は出来た事』が出来る様になったのか、それが本当に不思議だ。

 悠さんも俺たちの話を聞いて不思議そうに首を傾げていたので、悠さんが何かしたと言う訳では無いのだろう。

 でも、何と無く。急に強くなったのでは無くて、物凄い数の繰り返しが何処かで起きていたのではないかと思うのだ。その根拠は無いけれど。

 

 報告書の作成も終わり宇髄さんが帰った後で。

 俺は悠さんの部屋を訊ねた。そして、悠さんに俺が見た不思議な夢の事を話してみた。

 日の呼吸とヒノカミ神楽、その選ばれた使い手に生まれつきあると言う痣の事も。

 全ての人の無意識が集まるという『心の海』など、何かと不思議な事に詳しい悠さんなら、あの夢に何の意味があるのか分かるかもしれないと思ったのだ。

 そうでなくても、悠さんなら不思議な夢の事であっても否定したりしないだろうと言う予感があった。

 

「成る程、確かに不思議な夢だな……。夢と言うよりは、どちらかと言うと……。

 俺にもよくは分からないが、多分その夢は炭治郎に何か大事な事を伝えようとしてくれているのかもしれない。

 夢と『心の海』は深い場所で繋がっているし、そして『心の海』の奥底にはきっともう居ない誰かの心や記憶も残っている。その古い古い記憶を、夢を通して見たのかもしれないな。確かな事は言えないけど」

 

「古い記憶……。それが、この耳飾りとヒノカミ神楽が受け継がれて来た理由に繋がるんでしょうか……」

 

「それは俺には分からない。ただ……途絶えたと言う日の呼吸がヒノカミ神楽として炭治郎の家に代々伝わっている以上は、それを最初に炭治郎の御先祖様に伝えたのが、始まりの剣士だっていうその日の呼吸の使い手その人なのか或いはその弟子の様な人なのかは分からないけれど、そう言った人と炭治郎の御先祖様は出逢っている筈だ。

 そして、炭治郎の御先祖様たちは日の呼吸をヒノカミ神楽として一子相伝に継承し続けた。その耳飾りも共に。

 なら、炭治郎が夢で見たと言うその人は、最初に御先祖様に日の呼吸を教えてくれた日の呼吸の剣士その人なんじゃないのか? 

 だったら、炭治郎がその御先祖様の記憶にもっと触れる事が出来れば、約束の意味や日の呼吸の剣士の人の事ももっと分かるのかもしれないな」

 

 そう言って悠さんは優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 目を開けた瞬間に視界に飛び込んで来た蒼に、また此処にやって来たのだと気付く。

 

「よく来たな、炭治郎。

 また今日も『試練』を受けるか?」

 

 穏やかな表情で微笑みかけてくるのは『鳴上さん』だ。

 この蒼い世界を訪れた時にだけ、俺は『鳴上さん』の事を思い出せる。

 そして、だからこそ此処を訪れて初めて気付ける事もある。

 

「その前に、お礼を言わせてください。

 あの時は助けて下さって、本当に有難うございます、『鳴上さん』。

 それにそれだけじゃなくて、こうして『試練』で俺たちを鍛え上げてくれて。

 そのお陰で、無事に生き残れました」

 

 上弦の陸と戦っていたその最中、絶体絶命の危機に陥った俺たちを助けてくれたあの異形は、『鳴上さん』だ。

 こうして向かい合うと、それがよく分かる。

 それに、『鳴上さん』が俺たちに課してくれた『試練』は、確実に俺たちの力になり、そして命を救ってくれた。

 重ね続けた『死』が、そうやって魂の奥底にまで刻まれた感覚が、俺たちを何処までも研ぎ澄ませてくれて。

 そしてここで共闘する事で、互いに連携する為の力を養う事が出来た。

 それがなければ、あの妹鬼の帯の斬撃に成す術も無く両断されていたか、良くても大怪我を負って暫く動けなくなっていただろう。

 怪我無く過ごせた事で、その分現実で鍛錬に費やす時間が増え、そうやって現実の世界で鍛えた力をこの蒼の世界で更に研ぎ澄ませていく。何の力も無く煉獄さんと上弦の参との戦いを見守る事しか出来なかったあの日の自分と比べると、随分と俺は強くなった。その実感がある。

 だからこそ、そうやって己を鍛え上げる機会をくれている『鳴上さん』には感謝の念が尽きない。

 

「あの時は間に合って本当に良かった。

 ……そして。よく、頑張ったな。

 確かに『試練』の場を用意したのは俺だが、あの鬼に対して五体満足で居られる程に自らを鍛え上げたのは炭治郎たちの努力の成果だ。

 俺も、少しでも炭治郎たちの力になれて嬉しいよ」

 

 そっと目を細めて柔らかく微笑む『鳴上さん』は、やはり何処と無く父さんに似ている気がする。

 あの植物の様に静かな気配とは全然違うけれど。でも、その笑顔を見ているととても安心するのだ。

 

 そして、俺にはとても気になっている事があった。

 悠さんは、『鳴上さん』……あの場に現れた異形の存在を、『イザナギ』だと言っていた。

 伊邪那岐の名は俺でも知っている。神話の中の、物凄い神様の名前だ。

 つまり。

 

「あの……悠さんは『鳴上さん』の事を、『伊邪那岐』だって言ってましたけど、『鳴上さん』は神様なんですか……?」

 

 もしかして俺は、とんでも無い存在を目の前にしているのではないかと緊張しつつそう訊ねると。

『鳴上さん』は少し考える様に「うーん」と唸る。

 

「神様……か。違うとは言い切れないけど、それその物かと言われると……。

 俺は、無意識の海の奥底から生じた、人々が『神』と称する存在の一つであり、その中で与えられた名は確かに『イザナギ』だ。

 だが、【愚者】に始まり【世界】に至った『鳴上悠』という一人の人間の心その物でもある。

 炭治郎にとって俺がどう見えているのかはともかく、俺は俺だとしか言えないな。

 ……炭治郎にとって、俺はどう言う存在で在って欲しいんだ?」

 

 そう問い返されて、俺は少し迷った。

 どんな存在で在って欲しいのか。

 俺にとって、『鳴上さん』はこの蒼い世界で出逢える人で、悠さんと同じだけど少しだけ違う人で、俺を鍛え上げようとしてくれる人で、命の危機には助けに来てくれた恩人で……。

『神様』だと言われても物凄く納得がいくけれど、でもそれよりももっと近しい人で。

 どれだけ考えても、俺には『鳴上さん』は『鳴上さん』だとしか言えなかった。

 

「なら、それで良いと俺は思う。

 俺は、炭治郎に『鳴上さん』と呼んで貰えるのが嬉しいよ」

 

 そう言って本当に嬉しそうに微笑む『鳴上さん』の言葉に、嘘の匂いは欠片も無くて。親しみやすさに似た温かさだけを感じる。想像の中の『神様』みたいな厳かな感じとかは全くしない。

 そして当然、上弦の鬼が言っていた様な『化け物』なんかでは全く無かった。

 なら、『鳴上さん』は『鳴上さん』で良いのだろう。

 

 そして、以前『鳴上さん』が此処は心の海の中だと言っていた事を思い出して、俺は古い誰かの記憶を垣間見たあの夢のもっと深い場所に触れる事は出来ないだろうかと訊ねてみる。

 

「表の俺に相談していた夢の事か。

 ……此処は確かに『心の海の中』である事には間違い無いが、全ての人の無意識が揺蕩う海ではなくて、『鳴上悠』の心の海だ。

 此処からは直接その夢に触れる事は出来ないし、炭治郎が記憶に触れたのであろうその人と俺との間には繋がりが無いからな……。俺自身にはその夢の先を炭治郎に見させる為に、何かを直接する事は出来ない。

 ただ……」

 

 少し難しそうな顔をしつつも、『鳴上さん』はそっと手を伸ばして、俺の耳飾りに静かに触れた。

 カランと涼やかな音を立てて揺れるそれは、『約束』の象徴でもある。

 

「血と共にこの耳飾りとヒノカミ神楽が代々受け継がれて来たからこそ、この耳飾りとヒノカミ神楽がきっとその縁となって『約束』の始まりにまで導いてくれる。……炭治郎が望めば、の話になるが。

 炭治郎は既にこうして『心の海』……人の無意識の海に潜る事が出来ている。

 元々、その素質はかなり強かったのだし、此処を訪れる度に炭治郎は『心の海』に潜っていく力が付いている。

 それこそ、縁さえあればもう既にこの世には無い人が無意識の海に残していった記憶を読み取れる程に。

 ……炭治郎は、その夢の中で『約束』の事も知りたいのだろうが、それ以上にヒノカミ神楽……日の呼吸の事をより深く知りたいんだろう?」

 

『鳴上さん』の問いに、そうだと頷いた。

 代々繋げて来た『約束』の理由を知りたいと言うのもそうだが、それ以上に一番最初に伝わったヒノカミ神楽……日の呼吸の事を知る事が出来れば、より一層ヒノカミ神楽を戦いに使えるのではないだろうかと思う。

 父亡き今、ヒノカミ神楽の使い手は俺一人しか居ない。鍛錬しようにも何の情報もその蓄積も無い為、具体的に何処をどう鍛錬すれば良いのかのお手本が無いのだ。これはどうしても、ヒノカミ神楽を極めるには枷になる。

 だからこそ、原初の記憶を知る事が出来れば、正しいヒノカミ神楽……日の呼吸を知る事が出来るのではないかと思うのだ。

 

「そうか。……なら、炭治郎がコツを掴めばその夢の先を知る事も出来るだろう。

 ただ気を付けて欲しいのは、そうやって『無意識の海』の深くに潜っていくのであれば。

 自分が何者であるのかを絶対に見失ってはいけない。

 記憶を追体験するつもりなら、尚更。

『無意識の海』の中で時が過ぎ去った今も尚残り続ける程に強い記憶を覗くと言う事は、己を見失う危険性も孕んでいる。

 炭治郎は、他者の心の海の中でも自力で己を保てる程に強く『自我』を持っているけれど……。どうか気を付けてくれ」

 

『鳴上さん』はそう言って、心配そうにその黄金色に輝く瞳を翳らせた。

 そして、そっと俺の手を取る。

 

「俺が直接何かしてやれる訳では無いが、炭治郎がその縁を『心の海』の中でも追い掛けやすくなる様に力を貸してやる事なら出来る。

 炭治郎、目を閉じて集中するんだ」

 

 言われた通りに、目を閉じて集中する。

 すると、自分の手を優しく握る『鳴上さん』のその手の硬さと、その優しい匂いをより強く感じた。

 

「集中して……俺と自分以外のものを感じ取るんだ」

 

『鳴上さん』の言葉に従って、より集中してそれを探す。

 余分な感覚が削ぎ落とされていって、より深くより深く残されたものを感じ取れる様になっていく。

 ともすれば自分自身すら何処かに見失いそうになる程だけど、それを俺の手を握る『鳴上さん』の手がまるで楔の様に留めてくれる。

 そして……研ぎ澄ませた感覚の果てに。

 自分の匂いと似ているが、それとは少し違うもの。

 幼い頃にずっと感じていた父の匂いにも似て、しかしそれ以外のものも感じる匂いを嗅ぎ取った。

 

「……感じ取れたみたいだな。

 恐らく、それが炭治郎を『心の海』の中でもその記憶へと導いてくれるだろう。

 まあ、此処からは直接其処へは辿り着けないだろうから、またの機会になるだろうけれど。

 しかし、その切欠はもう掴んでいるからな。

 きっと直ぐに、その『約束』の記憶まで辿り着ける筈だ」

 

「有難うございます!」

 

『鳴上さん』にも、そして悠さんにも、本当に何から何まで力を貸して貰ってばかりである。

 心からの感謝の言葉に、『鳴上さん』は悠さんそっくりの柔らかな嬉しさを滲ませた微笑みを浮かべた。

 

「こちらこそ、炭治郎の力になれて嬉しいよ。

 じゃあ、今日も『試練』を受けるか? 

 善逸や伊之助たちと一緒なら『クマの影』も倒せる様になったから、今度はもう少し手強い相手を用意するが……」

 

『鳴上さん』が口にした『クマの影』の名前に、俺は思わず背筋を震わせる。

 

『鳴上さん』が「熱甲虫」と呼んだ超巨大なカブトムシをどうにか倒した後も、『鳴上さん』は次から次へとどんどん恐ろしく強い化け物たちを相手として用意してきた。

 その中で用意された敵の一つが、『クマの影』だった。

 それまでは一人でどうにか倒してきたのだが、『クマの影』はどう頑張っても一人では勝てなかった。

 

 まず恐ろしく硬い。とにかく硬い。

 首を斬って殺す事が出来ないのでとにかく斬って消耗させきる他に倒す方法が無いのだが、ろくに攻撃が通じない程に硬いのだ。しかも物凄い耐久力もある。

 ヒノカミ神楽で攻撃しても、『クマの影』にちょっと傷が付くかどうかで俺が力尽きて、そして為す術なく殺されるしかなくて。

 下半身が大穴の中に埋まっているから攻撃が回避される事は無くても、そもそも回避するまでも無くその耐久力で平然と耐えられてしまうのだ。

 そして尋常ではない耐久力も脅威だが、それに匹敵する位にその攻撃は理不尽極まり無いものであった。

 軽く払ったその腕に掠るだけで俺の身体はバラバラになるし、『クマの影』は容赦無く周囲を氷漬けにしていく。

 氷漬けにされて何回死んだ事かもう分からない程だ。

 強制的に気絶させてきたりするし、極め付けは何もかもを問答無用で消し飛ばす腕の一振である。

 もう滅茶苦茶な相手であった。

 少なくとも一人ではどうしようも無い。

 

 すると、何回か『クマの影』相手に死んだ後で、善逸と伊之助と一緒に戦う事になったのだ。

 どうやら二人も、『鳴上さん』の『試練』に挑戦しているらしい。そして、同じく『クマの影』に苦戦していた。

 三人になったからと言って、いきなり全てが上手くいく訳では無かった。

 寧ろ、技と技を干渉させてしまったりして上手く動けなくなったり、善逸や伊之助たちの動きを見切る事が出来ずにその動きを邪魔してしまったり。

 互いに足を引っ張ってしまったりして、三人諸共為す術なく『クマの影』に叩き潰された数は、もう指折り数える事など到底不可能な程であった。

 しかしそうやって何度も共に戦っている内に、意識しなくても互いの動きを把握出来る様になったり、『匂い』によって脅威を予知する様に知覚する事が出来る様になった。

 そして、俺は一撃の威力を求めて無闇にヒノカミ神楽を使うのではなく、長く戦い続ける為にヒノカミ神楽と水の呼吸を混ぜる事を思い付いたりするなど、その戦い方自体がかなり改善された。

 死んでも死ぬ事は無いからこそ、思い付いた戦い方を試してみたり、或いはその問題点などをより洗い出したりする事が出来るし、三人で戦っているからこそ互いの弱点を把握して指摘する事も出来た。

「無駄」だった部分などが大分削ぎ落とされて、より最善の動きが出来る様になっていった。

 そしてそんな研鑽と繰り返しの果てに、漸く、三人共が生き残った状態で『クマの影』を倒す事が出来たのであった。

 

 まあ、『クマの影』はそれ程の強敵であったのだ。

 ある意味ではあの上弦の陸の妹鬼よりも恐ろしい相手であった。

 ……それでもきっと『クマの影』よりも、悠さんが戦った妓夫太郎や上弦の弐の方が強敵であるのだろうけれど。

 

 上弦の鬼たちと戦う為には、そして鬼舞辻無惨を倒す為には、もっともっと強くならなければならないのだし、強くなる為に戦う事に否は無い。

 より強い存在と戦える『試練』を課してくれるのは本当に有り難い事である。

 しかし、よくよく考えなくても悠さん……というか『鳴上さん』は、文字通りの「神様」ですら倒しているのだ。

 だからなのか、『鳴上さん』は『試練』の内容に対して一切の容赦が無い。

 一体どんな相手が用意されているのかと思うと、身体が震えてしまう。

 

 

「大丈夫、今の炭治郎たちなら、力を合わせればきっと倒せる相手だから。

 じゃあ、頑張ってくれ」

 

 

 その次の瞬間、俺の傍には善逸と伊之助が居て。

 そして、目の前には巨大な赤子の様な化け物が浮かんでいた。

 

 その赤子を瞬時にして鎧う様に覆った積み木の塊の様な異形の攻撃に、分かっていても回避出来ずに三人諸共思いっきり吹き飛ばされて。

 

 そして、俺たちはもう何十何百回目とも分からない死を経験する事になった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
『イザナギ』の事は悠としては別に隠す事でも無いので、ちゃんと報告している。
それを聞いたお館様とあまね様は暫し固まってしまった模様。
『心の海』とかそういうのに関しては、悠よりもその影である『鳴上さん』の方がずっと詳しい。
死に覚えゲー特訓の事に関しては、悠の意識は関与していないので全く知らない。
不思議な事もあったものだなぁ……位に考えている。
炭治郎から不思議な夢の話を聞いた数日後に、黒死牟と出会す事になる。
もし刀鍛冶の里で、縁壱零式を見かけたら、悠は上弦の壱と違うけど似ていると感じ、炭治郎は夢の中で見た縁壱さんに似ていると感じる。そこを切欠に、上弦の壱と縁壱が血縁関係があるのでは?と勘付くのかもしれない。


【『鳴上さん』】
間違い無く『鳴上悠』ではあるけれど、悠が分かってない事の多くも理解している。
『神様』かどうかで言えば、かなり『神様』。
ただ、炭治郎には『神様』と呼ばれるよりは『鳴上さん』と呼んで貰う方が嬉しい。
死に覚えゲー特訓の成果が色んな所で出ている様で満足。
炭治郎たちが『ミツオの影』にまで辿り着けて喜んでいる。


【竈門炭治郎】
悠さんに対してはかなり色々な事を話している。それには、悠が信頼出来る相手である事と、聞き上手である事が大きい。
『鳴上さん』の助力によってかなり早期の時点で炭吉さんの記憶にまで辿り着ける様になったので、ヒノカミ神楽の正しい形を知るまでが物凄く早くなった。夢を通して「赫刀」や「透き通る世界」などの情報の他にも、縁壱の無惨戦の情報も手に入れられる模様。
早くに情報を得られた上に負傷で動けない期間が物凄く短い為、実際の鍛錬に活かせる時間は多く、死に覚えゲー特訓でも鍛錬出来るので、原作最終盤と比較してもかなり強くなれる。






【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
ペルソナのトリニティソウルでの描写や、P3のニュクス戦での荒垣さんの応援みたいに、『心の海』には既に死んだ人の記憶や想いもその奥底には沈んでます。
シャドウやペルソナを定義する理がない鬼滅世界の『心の海』でもそれは同じです。
血の繋がりなどの深い繋がりを縁として、それを垣間見る事が出来ます。




≪現在の大体のコミュ状況≫
【愚者(鬼殺隊一般隊士)】:MAX!
【魔術師(我妻善逸)】:9/10
【女教皇(胡蝶しのぶ)】:9/10
【女帝(珠世)】:7/10
【皇帝(冨岡義勇)】:1/10
【法王(悲鳴嶼行冥)】:5/10
【恋愛(甘露寺蜜璃)】:1/10
【戦車(嘴平伊之助)】:7/10
【正義(煉獄杏寿郎)】:MAX!
【隠者(隠部隊)】:8/10
【運命(栗花落カナヲ)】:9/10
【剛毅(竈門禰豆子)】:8/10
【刑死者(不死川実弥)】:1/10
【死神(伊黒小芭内)】:2/10
【節制(蝶屋敷の皆)】:MAX!
【悪魔(愈史郎)】:3/10
【搭(不死川玄弥)】:9/10
【星(宇髄天元)】:MAX!
【月(時透無一郎)】:1/10
【太陽(竈門炭治郎)】:9/10
【審判(産屋敷の人達)】:9/10


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第五章【禍津神の如し】
『歯車は回る』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 上弦の壱に襲われていた隊士たちを救出したその翌日の昼。

 力尽きて昏倒してしまった状態から目覚めた直後に、上弦の壱と戦った旨と、そして上弦の壱について分かるだけの情報をお館様へと報告した。

 上弦の陸の鬼を討伐してそう時を経ずして、正真正銘の神出鬼没であり交戦記録がほぼ存在しない上弦の壱と戦う機会があった事は運が良いのか悪いのか。

 救援要請を受けて現場に赴いた事もあって負傷者の救援を最優先にした為に、折角の機会であったのに上弦の壱をその場で仕留める事が出来なかった事を、事態をある程度先に把握していたお館様の遣いとしてやって来ていた上品な鎹鴉に詫びたが、お咎めの言葉の類は無かった様だ。

 借り受けた玄弥の日輪刀を使わせて貰った所それが炉の炎で熱したかの様に真っ赤に染まった事や、それを見た上弦の壱が何故か酷く取り乱した事。そしてそれで削った箇所は明らかに回復する速度が格段に落ちていた事なども確りと報告して。

 そして、何故か自分が鬼舞辻無惨に狙われているらしいという事、それがどうやら鬼にする為であるらしい事、自分を捕獲する為に上弦の鬼たちが今まで以上に鬼舞辻無惨の血を分け与えられて強化されているらしいという事も併せて報告しておいた。

 

 正直、質の悪いストーカーに集団で狙われているみたいな現状は全く以て愉快では無いし、しかもそれで炭治郎たちに迷惑が掛かるかもしれないとなれば憂鬱な気持ちになる。

 上弦の鬼たちが強化されるなんて冗談じゃないと悪態を吐きたい位だ。

 上弦の壱のあの滅茶苦茶な広範囲攻撃とその攻撃速度と変幻自在の間合いに鍛え上げられた武の技術が成す隙の無さを考えると、上弦の壱に単独で遭遇した場合、例え柱であっても生きて撤退する事すら難しいだろう。

 上弦の陸だって、宇髄さんが毒に耐性があったから良かったものの、もしあの場に居たのが毒への耐性が無い他の人だったなら切り札を切られた時点で即死していただろう。

 他の上弦の鬼たちがどんな戦い方をしてくるのか全く未知数であるし、数字としては一番弱い筈の上弦の陸であんな事になっていた事を考えると、他の上弦たちとの戦いは文字通り死闘に等しくなるかもしれない。

 アメノサギリみたいに超広範囲レーザーで地上を一掃してきたりだとか地に在る全てを崩壊させる様な地震を連発してきたりだとか、流石にそこまでは滅茶苦茶でなくとも。しかしそれに匹敵する程の強敵である可能性も覚悟する必要はあるし、鬼舞辻無惨がそれ程の『化け物』である可能性も考慮しておきたい。

 そんな連中が自分を狙ってきているのだ。負けるとかどうとかはともかく、周囲への被害が洒落にならない。

 そもそもどうして自分なぞを鬼にしたがるのだろうか。鬼になるならないは別として、態々狙われる様な要素が自分にあるかと言われると首を傾げてしまう。

 いや、もっと根源的な部分で、どうして鬼舞辻無惨は鬼を増やすのだろうか。

 人を鬼にする事が出来るのは原則的に鬼舞辻無惨の血のみだ。

 しかし、鬼にしたものを育てたりする様な事は基本的には無く、無惨は作った鬼を殆どの場合放置している。

 何かの目的を以て鬼を生み出しているのか、それともただの暇潰しなのか。

 それすらも分からない。

 千年もの間無辜の人々に対し暴虐を尽くしてきているとは言え、一国を裏で支配するだとかそう言った様な野望の類を懐いている感じでは無い。

 フィクションの中に居る様な、世界征服だとかそう言うものを目論む悪の組織のボスと言う感じでは無い。

 鬼舞辻無惨が何をしたいのか、自分にはさっぱり分からなかった。

 足立さんみたいに虚無感に支配されて「世の中クソ」とか言い出して世界が滅びないかと期待している感じでも無いだろうし……。

 人に絶望を与える事が歓びだとか言う様な倒錯的な欲求なのだろうか? 

 まあ、鬼が生み出した被害とかその結果を見ると、その可能性も否定し切れないのだが。だがそれにしても何とも収まりが悪い気がする。

 ……ただ。どんな背景や思惑があるにせよ、或いはどんな切実な事情があるのだとしても。

 鬼舞辻無惨のやっている事は到底赦される事では無いし、鬼の被害に遭った人たちや鬼殺隊に入ってまでそれを討つ事を望む人たちは誰一人として鬼舞辻無惨を赦さないだろう。鬼に成った人を正しく哀れむ事が出来る炭治郎ですら、鬼舞辻無惨を絶対に赦しはしない。自分も当然、心の海の果てにだって追い詰めてこの世にその欠片を一つとして残させる事無く完全に抹消する所存だ。

 鬼舞辻無惨の目的を知る事は今後のその動きを予測する上では重要だが、その目的を懐くに至った根源を知る必要は余り無いと言えばそうなのだろう。

 

 

 上弦の壱にやられてしまった隊士たちに関しては、ほぼ致命傷に近い程の重傷であった二人は、『メシアライザー』によってちゃんと一命を取り留めた。

 切断された手足に関しては、斬り落とされてからの時間が長かったからか完全に元通りとはいかず、まだあまり動かせないらしい。

 ただ、腐り落ちたりする様な様子は無く、神経なども完全では無いにしろ繋がってはいるので、診察したしのぶさん曰く今後リハビリを続けて行けば元の様に動かす事も不可能では無いかもしれないとの事だ。

 隊士を続けられる程までに回復出来るのかに関しては分からないとしか言えないが、しかし、手足を完全に喪う様な事態になるよりは遥かにマシな状態に留めておけた事には間違いが無い。

 残念ながら救命する事が不可能だった隊士に関しては、その遺体は隠たちに引き取られた後、親戚縁者が居ない為に鬼殺隊内で細やかな葬儀を行った後で荼毘に付され、鬼殺隊の合同の墓地に葬られる事になるそうだ。

 その命を助ける事が叶わなかった事には、仕方の無かった事なのだとしても遣る瀬無さを感じてしまうが。

 しかし、遺体だけでも鬼に喰い荒らされる事無く還って来る事が出来たのは、隊士の最期としては十分以上に恵まれたものであり、既に命無き身体でも深手を負った自分達を連れて上弦の壱から撤退する際に見捨てて行かなかった事は本当に感謝しているのだ、と。恐らくはその隊士と一定以上に親しい間柄だったのだろう、助ける事が出来た二人に感謝の言葉と共に言われた為、それ以上は何も言えなかった。

 そして二人は、自分の手を取って、「『神様』、有難うございます」と涙を零した。

 自分は『神様』なんかじゃなくてただの人間なのだと諭したけれども、彼等は頑としてそれを譲らなかった。

 こうして命を救って貰ったのだから、貴方は紛れも無く自分達の『神様』なのだ、と。

 ……まあ、この場合の『神様』と言うのは、『命の恩人』の大袈裟な表現だろう。物凄く、むず痒いを通り越して落ち着かなくなる呼称ではあるけれど、涙ながらに言われてしまえばそれを否定する事は難しくて。

 最終的には、それを訂正する事を諦めた。

 

 そして、唯一ほぼ無傷の状態で上弦の壱に対して命乞いをしていた隊士に関しては、中々厳しいものがあった。

 その隊士の名は、『獪岳』。善逸とは桑島さんと言う元鳴柱の育手の下で共に学んだ兄弟弟子であり、そして善逸よりも一年早く最終選別を通って入隊した雷の呼吸の使い手だ。

 善逸曰く、兄弟弟子間の仲はかなり険悪なもので、獪岳は善逸の事を毛嫌いしているらしい。

 そこに関しては、そうなる心当たりが自分には沢山あるのだけど……と、善逸は落ち込んだ顔で零していた。

 そんな獪岳は、入隊してからかなり真面目に任務に取り組み、階級も新人にしてはかなり早いスピードで上がっていったらしい。

 善逸は、性格の面はお世辞にも良くは無くても、直向きに努力する事を惜しまない獪岳の事を尊敬していたのだと言う。

 そしてだからこそ、上弦の壱に対して命乞いをしていた事に酷いショックを受けていた。

 しかも、ただ助命を乞うだけでなく、鬼にすると言う上弦の壱の言葉を拒絶しなかったと言うのだ。

 ちなみに、この時点で少なくとも上弦の壱には人を鬼にする事も可能であるのだと確定した。

 と、どこまでの鬼なら人を鬼に出来るのかに関してはまた改めて考える事にして。

 当然ながら、鬼を滅する為の組織である以上、鬼殺隊の隊士が鬼に成るのは御法度だ。

 運悪く鬼舞辻無惨に遭遇して無理矢理鬼にされてしまう事は当然有り得るのだけれど、その場合でも人を襲って喰い殺してしまえば確実に最優先に指名手配される事になるし、そして場合によっては同門の兄弟弟子や育手がその責を負って腹を切って自害する事になる。それ程までに、『隊士が鬼に堕ちる』という事は禁忌なのだ。

 無論、それ以外に命が助かる術が無かったにしろ、命乞いの末に鬼に堕ちる事を了承するなど、鬼殺隊の隊士としては本当に在ってはならない事で。最悪その時点で斬首されかねない程の罪になる。良くても除隊処分相当だ。

 鬼に堕ちる事を自ら了承した時点で獪岳は、恩義がある筈の育手の桑島さんの命も、そして弟弟子である善逸の命も、己の延命の為に捧げると決めたも同然であるのだ。

 ……本当に鬼に堕ちる寸前に、どうにか救援が間に合ってそれを阻止出来たとは言え。

 獪岳の心が鬼殺隊の隊士としては越えてはならない一線を越えてしまった事には変わらないのだ。

 当然、本人もそれを分かっているのだろう。事情や経緯を聞く為に呼んだ獪岳の顔色は随分と悪かった。

 何と言うのか、怯えきっていて。此方の一挙手一投足でその命を絶たれるのでは無いかとばかりに恐怖している様だった。今度は自分に対して命乞いを始めそうな様子である。

 

 ……正直な所、自分には獪岳を責める気持ちなど欠片も無かった。

 無論、その罪は罪だろう。鬼というものがどんな存在なのかよく知っている筈なのに、そしてその行動がどの様な結果を周囲に齎すのかをよく知っている筈なのに。それでも選んでしまったのだから。

 己の下した選択は、それが如何なる結末を導くのであっても受け入れ責任を持たなければならない。

 自分の選択の結果が、そんなつもりでは欠片も無くても、世界を滅ぼす事に繋がってしまったとしても。

 だからこそ、それが最悪の形で結実する事は防がれたとは言え、獪岳も受け入れなければならないのだ。

 しかし、人は何時も強く在れる訳では無い。それもよく知っている。

 そして「死」に直面した際に、それから逃れる為なら何でも出来てしまう人は決して少なく無い事も。

「死」の恐怖を乗り越えて己を強く保ちそれに抗い続けられる人など、そう多くは無い。

 誰もが何時も英雄になれる訳では無いのだ。それを、よく知っているからこそ。過剰に責める事は出来ない。

 鬼を殺す為にその命すら捧げる覚悟の者の集まりである鬼殺隊としては、到底許されて良い事では無くても。

 獪岳の弱さは、多くの人が当たり前の様に持つ弱さの一つなのだ。

 そして、最悪の選択をしてしまったにしろ、善逸が己の命すら擲つ覚悟の決死の行動で、獪岳は本当に道を踏み外して奈落に堕ちる前にどうにかその腕を引かれて踏み止まれた。その差は、埋め難い程に大きいものだ。

 それは獪岳自らの選択では無いにしろ、獪岳を想う善逸の行動の結果だ。

 だからこそ、それを極力尊重してやりたかった。

 漸く自分の心や自分の強さに向き合い始める事が出来た大切な友のその心を。可能な限り尊重したかったのだ。

 そして、善逸は心底獪岳の選択と行いを軽蔑し憤り哀しみ詰っても、それでも決して獪岳を己から斬り捨てたりはしなかった。……家族を知らずそれに憧れている善逸にとっては、育手の桑島さんの所で得た繋がりが疑似的な「家族」の様なものに思えているのだろうし、だからこそ「特別」なのだろう。

 善逸は、どうか獪岳を助けて欲しいと泣いて自分に懇願した。

 獪岳が何をしてしまおうとしていたのかを知るのは、自分の他には獪岳自身と善逸と玄弥だけ。

 自分が口を噤みさえすれば、獪岳が鬼殺隊の禁忌を犯した事は秘匿される。

 獪岳の犯した罪は、鬼殺隊内の裁判にかけられる事があれば、斬首すら已む無しと判断され得るものだ。

 相手が上弦の壱であったかどうかなど関係無い。雄々しく戦った末に無理矢理鬼にされかけていたのならまだしも、命乞いの果ての選択なのだ。恐らく情状酌量の余地すら与えられないだろう。

 そして、善逸もそれは分かっていた。赦されない事なのだと分かっていて、その上で助命を嘆願した。

 どうか、公にしないで欲しい、と。

 ……その善逸の気持ちは、理解出来る。そしてそんな罪を犯してでも生き延びたかった獪岳の弱さも。

 だからこそ、難しいのだ。

 

 そして、獪岳から事情を聴く内に、恐らく獪岳は随分と「空っぽ」な人なのだろうと気付いた。

 自分以外に「大切」なものが殆ど存在しない。存在しても、自分と秤に掛けた瞬間に捨てられてしまう。

 獪岳は、そんな人間である様だった。

 恐らく、このままだとこの先似た様な事がある度に獪岳は同じ選択をするだろうと直ぐに理解した。

 ハッキリと言って、獪岳は鬼殺隊に身を置くべき人間では無いのだろう。

 獪岳が存在すら許されず斬首されなくてはならない様な悪人なのかと言われると、流石にそんな事は無い。

 何を天秤に掛けても自分の命を最優先にしてしまう、強くは無い、そんな何処にでも居る人間なのだから。

 ただ、その弱さと在り方は鬼殺隊で許されるものではない事も確かなのだ。

 斬首にはならない様に助命を嘆願しつつお館様に報告して、鬼殺隊から除隊する事が獪岳自身にとっても一番なのではないだろうかと思うのだけれど。

 しかし、それとなくそう伝えてみると、獪岳は恐怖に震えつつも、その言葉には首を横に振った。

 鬼殺隊の隊士を続けたい、何らかの事情があるのかもしれない。

 その意志は、かなり固い様であった。少なくとも、命の危機には晒されていない状況下では、その想いは相当強い様だ。そして自分にはそれを否定してまで除隊を迫る事は出来なかったし、そんな資格も義理も無い。もしその事に関して話し合うのなら、善逸と育手の桑島さんの方が適任であろう。

 本当にどうしたものかと頭を悩ませる。悩みに悩んで、とにかく獪岳の「空虚」をどうにかしてみる必要があるのではと思い至った。

 心の「空虚」が大き過ぎるからこそ、本来なら自制しなくてはならない時に最悪な選択肢を選んでしまうのだろうから。

 与えられた「虚無」の役割そのままに、心の空虚に喰われて暴走する様に世界の終わりを招きかけた足立さんにも、叔父さんや菜々子というどうしても捨てる事も出来ず大切にするしかなかった繋がりが存在した様に。

 獪岳もその「虚無」を少しでも埋める何かが在れば、きっと変われる筈だ。心を変える事は難しいが、心は何時だって切欠があれば変える事が出来るし、何処までも強くなれるものなのだから。

 そして、その場に善逸も呼んで、獪岳の今後をどうするのかを話し合った。

 お館様に嘘を吐く方がいざとなった時に危険なので、そこは正しく報告する事。

 但し、獪岳が道を間違えない様に、任務の際などには暫くの間は自分がちゃんと監視すると言う旨を添えてみる事。

 最後に、当事者である善逸と育手の桑島さんとしっかり話し合う事を獪岳に求めた。

 結果として、獪岳の犯した選択は、お館様からは自分が監視すると言う条件下でなら「黙認」と言う形になった。但し、その状態でも再び道を間違えるのであれば、流石に今度こそ庇えないので除隊されるか最悪斬首される事になるだろう事は明白であった。

 首の皮一枚で繋がった事を理解して、獪岳は滝の様な冷や汗を流しながら見事な土下座をし、善逸はと言うと涙で顔をぐしょぐしょにしながら感謝の言葉を述べながら抱き着いてくる。

 顔面が崩壊する程の勢いで泣きながら抱き着いてきた善逸をよしよしとあやしていると、獪岳は明らかに顔を引き攣らせてそれを見ていた。どうやら、まだ怯えられているらしい。

 まあ、今後も本当に色々と大変だが、一先ずはどうにか出来て良かった。

 少なくとも、善逸にとっての最悪を回避出来て何よりだ。

 自分にとっては、それが何よりもの報酬であった。

 

 

 獪岳の件がどうにか片付いても、やらなくてはならない事はまだまだ沢山あった。

 上弦の壱との戦いから撤退する際に回収しておいた上弦の壱が使っていた刀を叩き折った刃の部分を、それを更に二つに折って、片方は茶々丸を介して珠世さんに託し、そしてもう片方はしのぶさんに託す。

 鬼を殺す為の毒を研究しているのだし、強い鬼の断片はあって困る事は無いだろうと思っての事だったのだが、思っていた以上にしのぶさんはそれを喜んでくれた。

 ……上弦の弐と戦った時や上弦の陸と戦った時にはそこまで考えが至らなかったが、しのぶさんに渡す資料の分も採取しておくべきだったのかもしれない。

 特に、妓夫太郎が使う即死にも等しい血の毒など、そこから毒や薬を作り出すヒントの塊だったのかもしれないのに。

 そこまで考えが至っていなかった事を少し反省し、もし次に上弦の鬼に遭遇する事があれば、珠世さんに託す分だけでなく、しのぶさんの研究材料分も確保しておく事を密かに決めた。

 鬼舞辻無惨に狙われているのなら、何処かでまた上弦の鬼と遭遇する事もあるだろう。

 そして、しのぶさんが解析した所によると、上弦の壱の刀は、鬼の肉と骨から作られたものであるらしい。

 成る程、だから伸縮自在だったのか。その刀自体がある意味で鬼の身体その物であるのなら、折った所で直ぐに再生されてしまうだろうから、武器破壊で戦力を落とさせるのは無理なのだろう。厄介な事だ。

 鬼の美的センスを心から疑う刀ではあるが、割と合理的であるのかもしれない。心底気持ち悪いけど。

 そして、骨と肉から刀が作られていると言う事は、上弦の壱の身体自体が何時でも刀として精製され得ると言う事だろう。

 刀の間合いの内側に入り込んだと思ったら、身体から刀を無数に生やされて剣山の様になるなんて最悪な光景も容易に思い浮かんだ。超近距離からほぼ遠距離と言っても差支えが無い範囲まで全てカバーしてしまえるのは、流石は上弦の壱と言うべきなのか。鬼殺隊としては全く喜ばしく無いが。

 

 上弦の壱の刀の欠片と上弦の壱と少し斬り結んだ旨を書いた紙を茶々丸に託してから程無くして、茶々丸が珠世さんからの手紙を携えて帰って来た。

 どうやら、直接逢って話がしたいそうだ。何か重大な事があったのだろうか? 

 もしそれが鬼を人に戻す為の薬についての話であるのなら、出来れば炭治郎にも話を聞かせてやって欲しいのだけれども……。

 茶々丸を撫でながら炭治郎も呼んでも良いかと訊ねると、茶々丸は「構わんぞ」とばかりに鳴いた。

 多分お許しが出たのだろう。まあ、駄目だったらその時はその時である。

 炭治郎は、上弦の陸との戦いの際に刃毀れが進んでしまった刀を研ぎに出している状態なので暫くは鍛錬に専念するとの事で蝶屋敷に滞在中である。その為、鍛錬場を覗くと直ぐ様見付ける事が出来た。

 そして、二人っきりになった事を確認してから、珠世さんからの手紙の事を話す。するとやはり、炭治郎も気になったらしい。その為、珠世さんにその旨の手紙を返すと、一日も経たずに、了承と何時何処で会うのかを指定した手紙が返って来る。案外、今は蝶屋敷から近い場所に潜伏しているのかもしれない。

 そして、手紙が返って来たその翌々日に、炭治郎と二人で約束の場所へと向かった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、珠世さん、愈史郎さん」

 

 茶々丸を介した手紙のやり取りはそれなりの頻度で行っているが、こうして顔を合わせるのは凡そ二ヶ月程振りの事になる。その間、鬼舞辻無惨の手の者からの襲撃を受ける事も、或いは鬼殺隊から追われる事も無かったそうで、お元気そうで何よりだ。

 珠世さんに話し掛けると愈史郎さんに少し睨まれてしまうが、しかし愈史郎さんを見て少し微笑むとやや不本意そうな顔をしつつも珠世さんと話す事を黙認してくれる。

 

 挨拶もそこそこに、珠世さんは先ず上弦たちの血肉を確保した事への礼を述べた。

 自分が採って来た上弦の弐の血と上弦の壱の骨肉で出来た刀の断片、そして炭治郎が忘れずに採ってくれた上弦の陸の血。そして、炭治郎が度々検査と経過観察の為に送っている禰豆子の血と、以前提出した玄弥の血。

 それらは極めて貴重かつ重要な研究資料となっていて、それまで中々進捗が芳しくなかった珠世さんの研究を何段階もすっ飛ばす程にまで至ったらしい。

 鬼を人間に戻す為の薬の完成には今一歩及んでいないとの事だが、それに関しては最早時間の問題だろうとも珠世さんは言った。

 そもそも、鬼舞辻無惨の血で更に強化されていた上弦の陸の血を手に入れたのも、そして上弦の壱の骨肉を手に入れたのもつい先日の事だし、何なら上弦の弐の血を手に入れたのもつい最近と言っても過言では無いのだ。

 幾ら資料が揃ったからと言って一朝一夕に完成するものでも無いので、まだ完成していないのは当然と言えば当然の話である。

 ただ、その成果は既に現れているらしく、以前珠世さんと炭治郎が出逢う切欠になった事件で通りすがりの鬼舞辻無惨によって鬼にされてしまった人が、鬼舞辻無惨の呪いを解いた上で自我を取り戻す事に成功したらしい。今は、珠世さんたちと同様にほんの少量の人の血で生きていける状態にまで回復したそうだ。

 それを聞いて炭治郎はまるで我が事の様に喜んでいた。

 そして、鬼を人間に戻す薬の完成がもう時間の問題だと言う段階にまで進んだ事が、何よりも炭治郎の心に喜びを齎した。

 今の今まで、禰豆子を人に戻すというその一心で戦い続けていたのだ。それがもう少しで叶うかもしれないとなれば、その心を縛り付ける様に重しになっていた責任感や義務感を少しだけ降ろしてやる事が出来たのだろう。

 そして、炭治郎はこれ以上無いと言わんばかりに、自分に対して生涯の恩人であるかの様な感謝の念を向けた。

 珠世さん曰く、上弦の弐の血と上弦の壱の骨肉の資料的価値はそれ程までに高かったらしく、上弦の陸の血と合わさって薬の完成へと大きく後押ししているそうだ。

 しかし、そうやって感謝されるのは悪い気はしないが、そもそも炭治郎の力になりたくてやっている事なのだ。

 喜んで貰える事自体はとても嬉しいが、必要以上に過剰に感謝されるのは少々気後れしてしまう。

 自分の事を、竈門家の大恩人として子々孫々にまで代々語り継ぎたいなんて言われた時には、流石に止めて欲しいと頭を下げてしまった。

 まあそんなこんなで、まだ薬は完成出来た訳では無いし、そしてそれで禰豆子が人に戻れたという訳でも無いので油断や慢心は出来ないが。しかし確実に状況は改善の方向へと進んでいる。

 それは紛れも無く福音であろう。

 

 そして、人に戻す為の薬の進捗に関して語った珠世さんは、寧ろこれからが本題なのだとばかりにその居住いを正した。

 その余りにも真剣な面持ちに、自分も炭治郎も緊張した様に背筋を伸ばす。

 そうして、珠世さんが語り出したのは、今から数百年程昔。鬼殺隊の前身となった剣士たち……今で言う所の『始まりの剣士たち』と呼ばれる呼吸を使い始めた者が現れた時代の事だった。

 その当時、鬼舞辻無惨への復讐を誓いながらも呪いの束縛によってそれが叶わなかったが故に怨敵と行動を共にせざるを得なかった珠世さんは、ある月夜に鬼舞辻無惨と共にとある鬼殺の剣士と遭遇した。

 その剣士の名は、『継国縁壱』。

 炭治郎と同じ耳飾りを身に着けた、左の額にまるで炎の様な大きな痣がある男だった。

 

 その容姿の特徴を聞いた瞬間に、傍らに座る炭治郎が息を呑んだ気配を感じる。

 その特徴は、つい先日炭治郎が不思議な夢の中で目にした男の特徴そのままであったからだ。

 炭治郎の夢に出て来た男が『継国縁壱』その人であるのかは分からないが、少なくとも無関係ではあるまい。

 だが、そこで話の腰を折る訳にはいかないので、その剣士について問い質す事を炭治郎はグッと堪えた。

 

 珠世さんは、己がその目に焼き付けた『継国縁壱』と鬼舞辻無惨との戦いについて話す。……それは戦いと言うよりは、一方的な蹂躙にも等しいものであったが。

『継国縁壱』は恐ろしい程に強い剣士であった。それまでに手練れの剣士たちを塵の様に屠って来た正真正銘の『化け物』であった鬼舞辻無惨を、その攻撃を無傷で躱した上に、抜き放った直後は漆黒だった日輪刀を赤々と染め上げて、その刃を以てほんの一息でバラバラに斬り刻みその頸を落とした。

 その太刀筋は余りにも鮮やか過ぎて、まさに神の御業にも等しいものであったと珠世さんは語る。

 そう、鬼舞辻無惨は数百年前に、既にその首を日輪刀で落とされていた。

 だが、鬼舞辻無惨は死ななかった。その当時の時点で、頸の弱点を克服していたのだ。

 そして……『継国縁壱』を相手に勝ち目が無いと悟った鬼舞辻無惨は、その場から逃走した。

 それも、己の肉体を千八百程の肉片にまで粉砕して弾け飛ぶと言う、前代未聞の逃走方法で。

 恐るべき事に『継国縁壱』はその場でその肉片を全体の質量にして九割以上をその場で瞬時に斬り捨てたそうだが、ほんの僅か……質量に換算すると人の頭程度になる量の肉片を取り逃してしまったらしい。

 そしてそれ以降、『継国縁壱』が寿命でこの世を去るまで、鬼舞辻無惨は人前に姿を現す事は無かったそうだ。

 

「ちょっと待ってください、じゃあ鬼舞辻無惨を殺すには、陽光に晒すしか方法が無いって事ですか……!?」

 

 その恐ろしい事実に、身を震わせながら炭治郎は珠世さんに訊ねる。

 それに、苦々しい表情で珠世さんは頷いた。

 

「万が一にも夜明け前に追い詰めたとして、今度は肉片として弾け飛んだそれを一つ残らず処理する必要があると言う事か……。厄介だな……」

 

 思わずそう独り言ちてしまう。いや、厄介なんてものでは無い。

 それが何も無い荒野での出来事なら、容赦無く『メギドラオン』やら『明けの明星』やら『プララヤ』やらで塵一つ残さずに消し飛ばせるが。

 万が一にも人が住む市街地でその様な状況になれば、鬼舞辻無惨の逃走を赦してしまう可能性が高い。

 

「それに今は、あの異空間を支配する血鬼術があるからな……そこに逃げ込まれては手も足も出ないか……」

 

「……恐らくその血鬼術は無惨のものではなく、誰か別の鬼のものだと思います。

 少なくとも、私があの男の下に居た時には、その様な血鬼術を使う素振りは見せなかったので」

 

 数百年前の事とは言え、当時の鬼舞辻無惨側の事情を知る珠世さんの言葉の信憑性は極めて高い。

 成る程、ならばその異空間の血鬼術を使う鬼をどうにかする事こそ、鬼舞辻無惨討伐の課題の一つになる。

 そして、話を聞く内にどうしても気になる事があったので、もしかしたら気を悪くさせてしまうかもしれないと思いつつも珠世さんに訊ねてみる。

 

「元々は珠世さんは鬼舞辻無惨と共に居たと言う事ですが、珠世さんも鬼舞辻無惨と共にその『継国縁壱』と遭遇したのに、どうしてご無事なのでしょうか」

 

 珠世さんの口振りでは鬼舞辻無惨がやられている間に逃走したと言う感じでは無い。ただ、冨岡さんが禰豆子を見逃した様に珠世さんを見逃したと言う訳でも無いとは思う。

 珠世さんはその部分に触れはしなかったが……恐らくその時点でそれなりに人を食べてしまっていただろう。

 珠世さんの気配は、普通に遭遇する様な鬼とは全く違うが、かと言って一切人を喰っていない禰豆子や少量の血しか口にしていない愈史郎さんとも気配が違う。二人に比べると、もう随分と掠れている感じはあるが、何だか嫌な気配もその奥からは感じるのだ。

 ……ただ、人を少なからず喰ってしまっているのだとしても、自分は珠世さんをどうこうしたい訳でも無いし、そしてその行いを過剰に詰るなんて事も出来なかった。そもそも、その事に対して自分には罪を問う様な資格も罰を与える様な資格も無い。それは、珠世さんに殺された人たちやその人たちを大事にしていた人達にしか正しい罰を与える事など出来ないからだ。

 罪は罪であろうから、何時かはその罪に相応しい報いを受けなければならないのかもしれないが。

 しかし、それを心から悔いている事も分かるし、もう同じ罪を犯さない為に並々ならぬ努力を重ねている事も分かる。そして何よりも、珠世さんは禰豆子を……そして炭治郎を助けようとしてくれている。

 それだけで、珠世さんを心から信頼するのには十分過ぎた。

 少なくとも、今の珠世さんは心を喪った悪しき鬼では無い。

 

「……私は、無惨が弱りその支配が弱まった事で呪いを解く事が出来ました。

 本来は其処で縁壱さんに殺されるべきだったのかもしれませんが……。

 しかし縁壱さんは、私に無惨を倒す為に力を貸す様にと頼み、そして見逃してくれたのです。

 私が、心の底から無惨を憎んでいる事を認めてくれたのでしょう。

 それから私は、獣の血肉で飢えを誤魔化しながら、自分で身体を弄って人を喰わずに生きていける様にしました。今はほんの少量の血で事足りる様になっています」

 

「……なら、俺たちは縁壱さんに心から感謝しないといけませんね。

 そうやって縁壱さんが珠世さんを信じてくれたからこそ、禰豆子ちゃんと炭治郎を助ける事が出来る。

 それに、こうして鬼舞辻無惨の事を予め知る事が出来る。

 有難うございます、珠世さん」

 

 そう言って静かに感謝の意と共に頭を下げると、炭治郎も同意する様に頭を下げた。

 それに、珠世さんは心の奥から込み上げるものをグッと我慢する様な顔をして、しかし少しばかりその目に涙を浮かべた。

 

「いえ、……こうやって少しでも力になれるなら。あの日の約束に意味があったというものです。

 それに、……こうしてあの日の事を人に語る決心をしたのは、悠さんが居たからです」

 

「俺が……?」

 

 予想外のその言葉に、思わず首を傾げてしまった。

 鬼からも人からも追われている珠世さんが、人にそれを話すに至ったものが自分にあるのだろうか。

 ある意味では、生命線にも等しい交渉の切り札に成り得る情報なのだ。

 それを易々と開示させるだけのもの……。果たしてその様な物など、何かあっただろうかと思ってしまう。

 

「貴方が上弦の弐の血を手に入れた時から、大きな流れの様なものを感じました。

 千年掛けても誰もその命に手が届かなかった……あの縁壱さんですらあと一歩の所で殺しきれなかった無惨のその命を、今度こそ吹き散らす時が近付いてきているのだ、と。

 そしてそれは、上弦の陸との戦いを目にした事で、確信へと変わったのです」

 

「あの場に珠世さんたちも居たのですか……?」

 

「いえ、私たちは居ませんでしたが、しかし茶々丸の目を通して愈史郎の血鬼術で見ていました。

 悠さんと柱の人が上弦の陸の片割れの頸を落とした瞬間も、炭治郎さんたちがもう一方の片割れの頸を落とした瞬間も。

 悠さんが、この世の者とは思えない程の強大な力を操って、上弦の陸と戦っていた事も、全て。

 縁壱さんでも、最後の一歩が届かなかった。

 でも、悠さんの力があれば、今度こそあの男をこの世から消し去る事が出来ると、そう思ったんです」

 

 珠世さんが自分に向けるその目には、期待する様な、そんな希望の光が宿っている様に見えた。

 数百年、鬼舞辻無惨を殺す為にずっと足掻き続け、そしてその被害を少しでも減らそうと鬼を人に戻す為の手段を探し続け。鬼からも人からも追われる果ての無い戦いの中で。そんな中に射し込んで来た「光」を見るかの様な眼差しであった。

 少しだけ、「神頼み」に近いものも感じる。その眼差しに、何処か落ち着かないものを感じはするけれど。そこに在る想いもわかるからこそその希望の眼差しを厭う事は出来ない。

 ただ……本来はこの世界に存在しない泡沫の稀人に向けるべきでは無い事も分かる。

 第一自分はそう大それた存在では無いのだ。

 

「……確かに、俺が鬼舞辻無惨を殺しきれる可能性は十分にあるのでしょう。

 ですが、俺の力は決して万能でも全能でも無い。あの上弦の陸の鬼に対して決定打を与えきれなかった様に、どんなに凄い力があったって、それを使って良いのかどうかは別なんです。

 俺から逃げる手段なんて鬼舞辻無惨には幾らでもありますし、俺を無力化する方法も沢山あります。

 だから、『俺の力があれば……』と言うのは少し肯定し辛いです」

 

 無論、鬼舞辻無惨を倒す為に全力を尽くす。

 しかし自分の弱点も欠点も全て把握しているが故に、自分一人で全て決着を付けられるだなんて傲慢な自惚れは欠片も無くて。

 まるで『神様』を崇めるかの様な眼差しを向けられても困ってしまうのだ。

 そもそも自分は人間であって『神様』ではないのだから。

 

 自分の望みは、大切な人たちを守る事だけど。しかし彼等はただ守られるだけでしかない存在では無くて、共に戦う仲間であるのだ。

 大切な人たちが戦い傷付く姿を見たいだなんて訳では当然無いのだけれど。だからと言って自分なら出来るからと何でもかんでも自分一人で背負って終わらせてしまうのは、どう考えても間違っている。

 背負うべきものを無理矢理強奪して、果たすと決めたそれですら奪い去って。そんな事をしたい訳では無い。

 そんな事をすれば、あの日のしのぶさんに与えてしまった様な、心を斬り裂く様な遣る瀬無い怒りを大切な人たちに振り撒く結果になるだろう。結果良ければ全て善しだなんて誰も彼もが割り切れる訳では無い。

 誰もが皆、鬼舞辻無惨を赦さないと怒りを抱えている、憎しみを抱えている。何時の日にかその身体に刃を突き立てんと己の身も心も削る様にして戦っているのだ。

 それをこの世界の外側からやって来た存在が突然横槍を入れる様にして全て終わらせてしまうのは、どう考えても歪んでいる。

 誰にも死んで欲しくなど無いし傷付いて欲しくも無いけれど、その魂の矜持を傷付ける事もやはり言語道断なのだ。

 自分はただ、大切な人たちが皆、心から笑って、鬼舞辻無惨が存在しない夜明けと言うものを心からの納得と達成感と共に迎えて欲しいだけなのだ。ただ、皆で一緒に、長い夜の向こうを見たいのだ。

 その為に力を尽くしたい。その為に、戦いたい。その為に、皆を守りたいのだ。その命も心も魂の矜持も含めて。

 ほとほと、自分は底無しに強欲だし、かなり傲慢なのだろう。でも、それが自分だ。『鳴上悠』という人間だ。

 

「ただ、どうしても一つ言っておきたい事があって。

 俺は、炭治郎に出逢わなければ此処には居なかったでしょう。

 炭治郎がたった一人残された大切な家族を……禰豆子ちゃんを助ける為に全てを擲つ覚悟で戦っているのでなければ、此処には居なかった。

 もし、『大きな流れ』というものが本当にあるのなら、それは俺にとっては炭治郎です。

 そして炭治郎を導いた様々な人たちの想いの繋がりなんです。

 そしてその中には、珠世さんを逃がし、そして恐らくは炭治郎の御先祖様にヒノカミ神楽と耳飾りを託したのだろう縁壱さんの想いも。そしてずっと鬼舞辻無惨を倒す為に静かに戦い続けて来た珠世さんの想いも、全部繋がっているんです。

 俺は『神様』じゃないけれど、でも、その想いの繋がりには応えたいんです」

 

 そう言うと、珠世さんは少し驚いた様にその眼差しを揺らして、しかしゆっくりとそれを瞼の奥に隠す。

 何かを感じ取ってくれたのだろうか。

 

 ……まあ、どんな事情があれ、珠世さんが齎してくれた情報の価値はまさに値千金と言ったものであった。

 炭治郎としても、夢の中の剣士が『継国縁壱』と言う名であった事や、かつて鬼舞辻無惨を追い詰めた事を知って、あの不思議な夢をもっと深く知りたいと心から思った様だ。その名が縁になって、炭治郎は案外近い内にもっと深い場所の記憶を垣間見る事が出来るかもしれないな、と。そう思う。

 人の繋がり、人の想いの繋がりは、時に遥かな時を越えてでも思いがけない場所で思いがけない時に誰かを助けるものなのだろう。

 遠い遠い昔の縁壱さんが残したものが、今も沢山残っていて、それがかつて彼が果たす事の叶わなかった鬼舞辻無惨の討伐の為の力になろうとしている様に。

 そんな想いの繋がりの宿願を果たす為の一助になれるのなら、それはとても素敵な事だと思う。

 

 しかし、縁壱さんが日輪刀を真っ赤に染め上げていたという事であったが、それは先日の上弦の壱との戦いの際に借り受けた玄弥の日輪刀に起きた変化と同じものなのだろうか。

 そんな謎の現象があるとは全く知らなかったのだが、あの上弦の壱の反応を見るに何か重要な意味があるかもしれないので、改めてお館様に訊ねてみたり自分で調べてみても良いのかもしれない。

 

 そして、鬼舞辻無惨の戦い方を知る事が出来た事も大きな収穫であった。

 腕を伸縮自在に変形させた上で、その身体から無数の触手を生やしてそれらを振り回して周囲を斬り裂き攻撃する。その間合いの広さと攻撃の速度は恐ろしいものであると言う。具体的にどの程度凄いのかは武術の専門家では無い珠世さんには説明し切れなかった様だが、まあ最低でもあの上弦の壱以上だと思っておけば良いだろう。

 他にも、己の血を有刺鉄線の様な感じの鞭にして広範囲を薙ぎ払ってきたり、或いは雷の様な衝撃波を放って広範囲を薙ぎ払ってきたり、まあ色々と仕掛けてくるらしい。

 武術を極めている訳では無いしそんな性格では無いので今も何かしら武術を嗜んでいる可能性は無いと珠世さんは断言した上で、鬼舞辻無惨は恐ろしい程の身体能力のスペックでひたすらゴリ押ししてくるのだと言う。

 更に特筆すべきは、余りにも高過ぎる再生能力によって、身体に刃が通った瞬間からそこが再生して斬っても斬れないのだそうだ。だからこそ、縁壱さんの剣技は鬼舞辻無惨にとってとんでも無い脅威だったのだろうが。

 そして何よりも恐ろしい事に、鬼舞辻無惨はその攻撃の際に己の血を撒き散らしている。

 僅かにでも負傷すれば、そこから忽ちその血を身体の中に入れられてしまうのだ。

 端的に言えば、攻撃に当たった時点で鬼にされてしまう可能性がある。また一定以上の量の鬼舞辻無惨の血は人体にとって極めて猛毒であり、その致死量を超えて注がれた場合は全身の細胞を破壊されて死ぬ。

 恐ろしく驚異的である。その攻撃を、少なくとも鬼舞辻無惨の血によるダメージや影響をどうにかしなくてはまともに戦う事も難しいだろう。共に戦っていた仲間が気付けば鬼に成っていて……なんて最悪の悪夢だ。

 危険なんてものでは無い理不尽の権化の様なその戦い方に、炭治郎は絶句していた。

 本当に、正真正銘の『化け物』である。

 

「……無惨の血の毒に対して、何か血清とか……それこそワクチンみたいなものって作れないのでしょうか……」

 

 何か事前に対抗手段を講じる事は出来ないものかと、そう珠世さんに訊ねてみる。

 

「ワクチン?」

 

「あ、えっと……種痘みたいなものです。予め打っておいて免疫を付ける為の。

 完全に無効化は出来なくても、鬼にされたり毒が回って死ぬまでの時間を少しでも稼げないかと……」

 

 猶予が少しでもあれば、『アムリタ』でその影響を取り除く事は出来る筈である。

 まあ、弱毒化ワクチンにしろ不活化ワクチンにしろ、早々簡単には作れるものでは無いのだが。

 しかしそう言うと、珠世さんは少し考える様にその手を口元に当てる。

 

「成る程……確かにそう言った対抗手段は用意しておくべきでしょうね……。

 悠さんから提供して貰えた鬼喰いの力がある人の血を調べているのですが、もしかしたらそこから何か得られるかもしれません」

 

「え、玄弥の血からですか?」

 

「ええ、短期間に複数回に渡り限定的な鬼化と人化を繰り返していたからなのか、少し特殊な抗体がその中に出来ている様です。それを使えば、或いは……」

 

 何と、玄弥の血にはその様な変化が現れていたらしい。それが良い事なのかは置いておくとして、そこから血清やワクチンの開発に繋がるのであれば、それは鬼殺隊の人達にとっても物凄い力になるだろう。

 玄弥には珠世さんたちの事は伏せているから直接伝えてやる事は出来ないが、何か役に立ちたいと言い続けていた玄弥が、間違いなく鬼殺隊の力になれるだろう事を教えてやりたくて仕方無かった。

 

 それから暫く話し合った後、打倒鬼舞辻無惨を誓って、様々な情報を手に蝶屋敷へと帰還するのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
一部の隊士たちから『神様』扱いされている事を薄っすらと知ってしまったが、訂正しようにも訂正出来なくて頭を抱える事になる。どうして……。
しかもその「一部」がもう一部とは呼べない規模になってきていると知ったら、宇宙猫顔を晒す事になる。
獪岳の事を好意的に見ている訳では無いが、獪岳を見ているとどうしても足立さんを思い出すので見捨てると言う選択肢は無い。第一そんな事をすれば善逸が悲しむし……。


【竈門炭治郎】
悠の事は物凄く信頼している。現時点で、冨岡さんに匹敵ないし凌駕する大恩人と言う認識。ただ、あまりそう言った面を押し出して接してしまうと悠が困惑してしまう事にも気付いているのでちゃんと自重する。
鬼を人に戻す為の薬が物凄く早い段階で完成しそうで嬉しい。
珠世さんからの情報によって、更に『約束』の夢に辿り着くまでが早まった。


【我妻善逸】
獪岳の助命の為に物凄く頑張った。玄弥の口止めは済んでいる。
本当にどうしようもない最低のクズだとは心から思うけど、でも兄貴だから……。
今後も何度も衝突する事にはなるが、最後まで獪岳を見捨てる事は無い。
悠の本気の一端を垣間見る事になったが、それに関しては青龍の背に乗った時点で最初からビビってはいない。だってずっと優しい音がするので。
なので、獪岳がどうしてそこまでビビっているのかは分からない。



【獪岳】
更生への道を歩み出す事になる。が、果たしてその心の虚無は埋まるのか。
悠のお陰で首の皮一枚で繋がった事は理解している。そしてそれは善逸が嘆願したからであるという事も。
助けて貰った恩人ではあるが悠の事は滅茶苦茶恐れている。だってどう考えても『化け物』だし……。あんなに恐ろしかった上弦の壱の頸をあっさり飛ばすとか、もうヤバ過ぎて震える。でも逃げられないので詰み。
そして、そんな相手に対して泣き縋って抱き着く弟弟子を、コイツ正気か!?と見ている。
事の次第を知った桑島さんは泣きながら怒ると同時に、悠に向けて物凄く分厚い感謝の手紙を送る事になる。
また一人、悠に足を向けて眠れなくなる人が増えた。


【珠世】
神業の剣技を以てしても仕留められなかった生き汚なさの塊も、神業を越えて文字通りの「神」の力を以てすれば、今度こそ消し飛ばせるのではないかと思った模様。
悠の中に人智を超越した『神様』を見た。
縁壱を見た事があるからこそ、人智を超越した存在は居るのだと理解が早い。


【愈史郎】
茶々丸の目を通して、上弦の陸と悠たちとの戦いの一部始終を目撃していた。
炭治郎たちの何かがバグった様な回避能力も凄まじいと感じたが、悠の戦い方はちょっともう人外過ぎて何が何やら状態であった。
大迫力ハリウッド映画見ている気持ちだったのかもしれない。
トンデモ無い大きさの氷が広範囲に渡って瞬時にポンポン出て来るわ、どう考えてもヤバイ光の矢みたいな攻撃(『メギド』)を繰り出すわ、しまいには桁違いの存在(イザナギ)を繰り出して蹂躙するわ。
アイツ本当に人間か……?? と百回位考えていた模様。
話し合いの最中は物凄く頑張って大人しくしていた。
珠世様は今日もお美しい……。


【産屋敷輝哉】
珠世さんの存在は知っているが、珠世さんが悠と炭治郎に物凄く重要な情報を託した事はまだ知らない。
悠の事をどう扱うべきなのか、あまね様と一緒によく話し合っているがまだ結論は出ていない模様。
悠は『神様』扱いされるとかなり嫌がるのは察してはいるのだが、何せ「伊邪那岐」をも降ろす相手なので……。
上弦の陸との戦いの報告書を読んだ時には、あまね様は衝撃の余りに固まってしまった。
そして上弦の壱との戦いの際の報告書に、『急いでいたので、青龍を呼び出して現場に向かいました(意訳)』と記載されていた為、二人して遠い目になった。


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『天目一箇神の里へ』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 珠世さんから重要な情報を大量に受け取ってから、炭治郎と一緒に頭を悩ませる事になった。

 鬼舞辻無惨討伐に関して余りにも重要な情報だらけである為に、それをお館様及び鬼殺隊に共有しないと言う選択肢は当然存在しない。……しないのだが、それをどう伝えるのかという問題がある。

 

 大前提として、鬼殺隊は鬼を殺す為の組織だ。

 基本的に、鬼に対しては見敵必殺とばかりに殺意が高い集団である。

 本当に、色々な豪運と人の縁と利益の面からどうにか禰豆子はその存在を許されてはいるけれど。

 人を食っていようがいまいが、鬼は敵なのである。いっそ無慈悲な程に。……迷いや優柔不断に繋がる慈悲など持ち合わせていれば、何も守れないという辛い現実を皆が知っているからこそではあるが。

 珠世さんと愈史郎さんの存在を鬼殺隊がどう思うのかなど考えるまでもない。

 人を一切食っていない愈史郎はまだしも、かつては人を食った事があるのであろう珠世さんは間違い無く鬼殺隊の判定的にはアウトである。是非も無い。

 そこに、珠世さんから得た大量の情報をただ伝えてしまうと、先ず間違い無くその情報源は何処なのかと問われるだろう。

 正直それに関して、良い言い訳と言うものを全く思い付けない。

 炭治郎曰く、恐らくお館様は珠世さんの存在を把握しているらしいが……。だがそこでそう易々と話して良いものでも無い。

 珠世さんは自分たちを信頼して話してくれたのだ。その信頼を無闇に裏切るような真似をしてはならないのだし、お館様に報告するにしても、その前に珠世さんからの許可が必要になるだろう。

 何処まで話していいのかも含めて。

 それが珠世さんからの信頼に応える為の最低限の礼儀だ。

 その為、茶々丸を介して手紙を送り、お館様たちに珠世さんから得た情報を共有するのはその返事待ち……と言う状態である。

 その上で、お館様が珠世さんをどう捉えているのかをそれとなくでも正面切ってでも訊ねなければならないだろう。

 恐らくは、お館様は珠世さんをそう無碍に扱う事は無いだろうが……。

 しかし慎重に事を進める必要があるので希望的観測で動く訳にはいかなかった。

 

 それにしても、珠世さんから貰った情報を改めて整理すると、何と言うのか思わず軽く呻きたくなる。

 日輪刀による斬首ですら克服したと言う鬼舞辻無惨をどう倒すのかと言うものも、本当に頭が痛い案件であり早急に鬼殺隊で対策しなければならない事ではあるが。

 それ以上に頭が痛くなったのは、珠世さんから語られた鬼舞辻無惨の『目的』であった。

 千年以上に渡りこの世に在り続け、鬼を増やしては人の世に悲しみの連鎖を生み出し続けているその『目的』。

 ……それはただ「思うがままに生きる事」であり、己の自由を縛る太陽を克服する事、であるのだそうだ。

 そしてその為に、鬼にとっての最大にして絶対の敵である陽光を克服する鬼を生み出し、それを取り込む事で己も陽光を克服しようとしているのだと言う。だから、様々な体質のものを狙って、鬼舞辻無惨は次から次へと鬼を生み出して……しかし未だ陽光を克服する鬼は現れていない。

 鬼に変えた個体も、陽光を克服出来なかった時点で用済みにも等しいらしい。……何て惨い話だ。

 呪いに縛られて人を喰わずには生きていけぬ存在にされて。それなのに既にその時点で「用済み」であるのだ。

 珠世さんが離反した後に、今の十二鬼月の様に強い鬼たちを直属の配下にする様になったらしいが。

 しかしそれですら、別段手塩に掛けて育てていると言う訳では無くて、放置していたガラクタが多少使える状態になったなら使い潰そうという程度のものでしかない。

 益々、鬼と言う存在が哀れで仕方が無かった。

 そんな自分勝手なんて言葉では到底言い表せない程の暴虐によって、望んでいないのに鬼にされて。そして犯す必要など欠片も無かった罪に塗れるのだ。……多くの場合、鬼にされた者が飢餓状態で理性を失った中で真っ先に襲うのは家族や己の最も近くに居る大切な人だと言う。……惨いなんてものじゃない。

 これでは、多くの鬼たちが自我を取り戻してもその心を歪ませきってしまう理由も分かろうと言うものだ。

 一体どれ程の悪意があればそんな事を平然と繰り返せるのかと問い質したくなるが、しかし恐らく鬼舞辻無惨には悪意すら無いのだろう。

 恐らく、鬼舞辻無惨は他人の心に対して完全に「無関心」なのだ。

 鬼舞辻無惨にとって、人は地を這う蟻程度にしか見えていないのかもしれない。それ程までに、その「感性」とでも言うべき部分は人のそれからは掛け離れている。

 鬼舞辻無惨には、世界を滅ぼしたいだとか人間社会を支配したいだとか言う野望は無く、良い感じに思う儘に暮らしつつ自由に生きる事だけが目的であり、「生きる事」自体がその望みであるのだとしても。

 その為に幾万幾億の屍と人々の嘆きを積み上げる事を毛程も気に掛けないのだ。

 そして人を喰う事殺す事に何の躊躇も無い。

 この時点で、人の世が鬼舞辻無惨の存在を許容出来る可能性など無い。

 人の世にとって鬼舞辻無惨は、百害あって一利なしの醜悪な寄生虫でしか無いのだから。

 ……そして、鬼舞辻無惨は「陽光を克服した鬼」の他にもう一つ求めているものがあるのだと言う。

 それは、「青い彼岸花」。それが何かの比喩表現なのか、本当に存在する植物なのかは分からないけれど、とにかくそれを探す事も鬼舞辻無惨の目的の一つであるらしい。

「青い彼岸花」とやらが鬼舞辻無惨にとってどんな価値があるのかは分からないが、その手に渡ったとしてろくな結果にはならなさそうなのは確かである。或いは、鬼舞辻無惨よりも先にそれを確保出来れば、穴熊を決め込む鬼舞辻無惨を釣り出す事も出来るのかもしれない。

「生きる事」自体が目的であり絶対の目標である鬼舞辻無惨は、とにかく臆病であり極めて慎重である為、自分の不利を悟れば平気で肉体を自ら爆裂させてまで逃走する上に数十年単位で隠遁するらしい。かつて縁壱さんに対してそうした様に。

 

 しかし、そんな臆病者であっても、その鼻先に欲し続けていたものをぶら下げられてしまえば動かざるを得なくなる。その為の餌として、「青い彼岸花」は極めて有効だろう。

 とは言え、鬼舞辻無惨があの手この手で千年近く掛けて探しても見付ける事が出来ていないそれを、果たして自分達が見付けられるのかという問題はあるが。

 だが、珠世さんが口にした「青い彼岸花」と言う言葉に、炭治郎は僅かに眉根を寄せて何かを思い出そうとする様な顔をした。

 が、結局そこでは何も思い浮かばなかった様で、そのまま珠世さんとは別れる事になったのだけれども。

 帰り道でも、そして蝶屋敷に帰ってからも、炭治郎は何やら喉の奥に魚の小骨でも引っ掛かったかの様な顔をしていたので、何か心当たりらしきものでもあるのかと訊ねてみると。

 以前、下弦の伍と戦った際に垣間見た走馬灯の中に、ほんの一瞬それらしきものを見た様な気がすると言うのだ。

 何せほんの一瞬の事であったし、その時は寧ろヒノカミ神楽の事を思い出す事の方に必死だったのでそれ以上の事は思い出せないそうだが。

 だが、もしかすれば炭治郎は既にその青い彼岸花を何処かで見た事があるのかもしれない。

 そして、そこまであまりハッキリとしていない記憶であるならば、炭治郎がそれを見掛けたのはここ数年の話では無く、もっと幼い頃の事だろう。

 炭治郎は鬼舞辻無惨に家族を殺されるまでは、ずっと故郷の山で暮らしていてそこから動いた事は無いそうだから、もしかすればその「青い彼岸花」とやらは炭治郎の生家の付近に在るのかもしれない。

 そうだとすれば、鬼舞辻無惨は長年追い求めていたものが直ぐ傍に在ったにも拘わらずそれを素通りしていたと言う事になるのだろうか。それは随分と滑稽な姿である様な気がする。何かの童話として、何らかの教訓と共に語り継がれてもおかしくない程に。

 何にせよ、そうであるならば一度炭治郎の故郷の付近を調べてみるのも良いのかもしれない。

 炭治郎は、故郷に帰るのは鬼舞辻無惨を討ち禰豆子を人に戻してからだと決めている様だが。

 それはそれ、これはこれである。

 

 思えば、鬼舞辻無惨が自分を狙っているのも、「陽光を克服する鬼」を作る為であるのだろう。

 果たして自分に鬼になった際に陽光を克服し得る様な素質があるのかと言われると正直全く分からないとしか言えないしそもそも試したくも無いのだが。まあ、本来この世界には存在する筈の無いペルソナ使いである事は確かなのだし、それ故に異質な体質であるのではと目を付けられても、そうおかしな話では無いのかもしれない。

 まあ……ペルソナ使いやワイルドの能力に関して、それが身体的な素質なのかと言われると首を傾げざるを得ないのだが……。ペルソナ能力の根源が「心」その物である事を鬼舞辻無惨が知る由も無いのだし、そんな風に思い至ったとしても仕方の無い事なのかもしれない。その所為で上弦の鬼たちに熱烈歓迎されるのは正直全く嬉しくは無いが。

 ただ、そうやって鬼舞辻無惨が狙っているのであれば、自分自身も「青い彼岸花」と同様に鬼舞辻無惨を釣り出す為の餌に成り得るのかもしれない。……珠世さん曰く、とんでもない恥知らずの生き汚い臆病者であるらしいので、正面切って自分と戦おうとはしないかもしれないが。しかし、釣り出す為の餌が多いに越した事は無い。

 

 と、まあ鬼舞辻無惨をどうにかして釣り出す事に成功したとしても、それで決着する訳では無い。

 尋常でない程に強い彼の存在をどうやって討ち取るのかと言う問題がある。

 何せ、珠世さん曰く「まさに神業」と言うしかない程に恐ろしく強かった縁壱さんですら倒しきれなかった相手なのだ。そして鬼舞辻無惨が正真正銘の考え無しの馬鹿でなければ、縁壱さんの時と同じ轍は踏むまいと様々に対策を打っている事だろう。

 恐らく、その対策の一環が上弦の鬼を初めとする十二鬼月なのだろうし、そして絶対に陽光に当たるまいと引き籠っているあの異質な空間なのだ。他にどんな隠し玉を持っているのかは分からないが、現時点で判明しているその二つだけでも、物凄く厄介である。

 そして、日輪刀の斬首が効かない時点で、陽光で炙って倒すか、或いは『明けの明星』などの万能属性の攻撃で細胞一つ血液の一滴に至るまで全てを消滅させる他に倒す術が無いのだろう。

 万能属性の攻撃に関しては、それを狙える状況下に持ち込めたなら積極的に狙うべきであるが、正直そろそろその欠点を相手にも分析されていてもおかしくは無いので、確実に狙えるとは限らない。

 その為、陽光で炙って殺す方法を最優先に考えるべきだろう。

 陽光で炙る為にはとにもかくにも、鬼舞辻無惨をその根城から引き摺り出した上で二度とその空間に逃げ込めない様にあの異空間を徹底的に破壊するかそれを維持している鬼を完全に倒さねばならない。

 その上で、夜明けまで可能な限り遮蔽物が無い場所に足止めし続ける必要がある。

 珠世さんから聞いた限りの、鬼舞辻無惨の身体スペックはかなり滅茶苦茶なもので。

 ほぼ瞬時に無尽蔵に回復すると言う点では、ある意味ではアメノサギリなど以上に厄介である。

 回復する様な暇すら与えない一撃で消し飛ばすか、無尽蔵に再生する相手を夜明けまで足止めするしか倒す方法が無いのは、本当にもう勘弁して欲しいものである。

 そして、足止めに専念するとしても。僅かでも不利を悟れば、それすら己を爆散させてでも逃げ延びようとするその生き汚さが最悪に厄介なのだ。つまり、何らかの手段を以て爆散する事を防がねば、少しでも鬼舞辻無惨を「圧倒」した瞬間、爆散して逃げ出すのだろう。圧倒どころか、「互角」だと思わせた時点で駄目かもしれない。

 つまり、鬼舞辻無惨が此方を弱者と舐め腐っている状況を維持したまま、夜明けまで耐久する必要がある。

 自身を一撃で消し去り得る存在である自分が現れた瞬間に逃げ出す可能性すら、鬼舞辻無惨にはあった。

 そしてその様に爆散されてしまうと、それを完全に処理する事は極めて困難だ。

 一欠片でも逃がしたら終わりだったりすると、ほぼ詰みだ。そもそも、人外級の動体視力とカウンティング能力でもなければ果たしてどれ程の肉片が爆散していったのかを一瞬で判断する事など出来ない。

 万が一にもそんな事になったら多少の被害が出る事を覚悟してでも『メギドラオン』で焼くべきだろうか。……いや、それだけはしたくない。と言うか出来ない。無理だ。

 そして、爆散した肉片からすらも復活出来ると言うのであれば、最悪の場合予め己の分身でも言うべき肉片を鬼殺隊の手が届かない場所に保管してそこから復活する可能性すら考えねばならないのかもしれない。

 まあ……珠世さん曰く、鬼舞辻無惨は想像を絶する程に臆病なので、万が一にも分裂させたその肉片が独自の自我を得て己に牙を剥く可能性を考えるとそんな事は出来ないそうなのだが。

 ……分身が存在し得るのかどうかはまた改めて考えるとして。

 何よりも対策を立てなければならないのは、どうやって夜明けまで足止めするのかと言う部分である。

 自分一人で出来るのかと問われると、先ず無理だ。

 物理攻撃を無効に出来ていれば、鬼舞辻無惨の攻撃を全て無視して足止めする事自体は可能だが、まあ間違いなく一晩中は持たない。更に、物理攻撃が無効だと知った時点で鬼舞辻無惨は爆散して逃走するだろう。

 もし足止めする事になるとして、その場合の主力は……恐らくは柱の人達が主になるだろう。

 自分がその実力を知っているのは、しのぶさんと煉獄さんと宇随さんだけであるけれど。あの人達が九人揃っていれば、『ヒートライザ』などで強化した上で、鬼舞辻無惨を『ランダマイザ』などで弱体化させ続けていれば足止め自体は出来ると思う。……問題は、夜明けまで『ヒートライザ』や『ランダマイザ』を維持出来るのかと言うものだが。その状況下になってしまえば、そこは頑張るしかない。出来るかどうかではなく、やらねばならない事だ。

 欲を言えば、『ランダマイザ』以外の弱体化手段が欲しい所であるし、そして『ヒートライザ』以外にも此方の戦力を増す為のものが欲しい。とにかく役に立つ可能性があるものは一つでも多く必要である。

 鬼舞辻無惨との決戦が何時になるのかは分からないが、徹底的に準備をするに越した事は無い。

 そしてそれには、炭治郎が見る『約束』の夢の内容や、そしてかつて鬼舞辻無惨を追い詰めた縁壱さんが振るっていたと言う刀身が真っ赤に変わった日輪刀の事が何か力になると思うのだ。

 その為、何かあったら互いに直ぐに情報を共有しようと、炭治郎と約束をした。

 全ては、鬼舞辻無惨を倒したその先の夜明けを、皆で笑い合って迎える為に。

 

 

 鬼舞辻無惨への対策を考える事も重要だが、その前に日々の任務をこなす事も重要だ。

 だがしかし、自分はともかく炭治郎たちは現状任務に行ける状態では無かった。

 負傷したという訳では無く、日輪刀が手元に無いのである。

 炭治郎の日輪刀は上弦の陸との戦いの際に妓夫太郎の血の刃を捌く際にかなり刃毀れしてしまったらしく、現在は刀鍛冶の人の下へと研ぎに出している状況である。

 善逸の日輪刀は上弦の壱に折られてしまったし、現在自分の監視下にあると言える獪岳の日輪刀もあの戦いの最中に折れてしまったらしい。夜が明けた後に現場の隠蔽工作に向かった隠の人達が言うに、バラバラと言っても良い程に壊れてしまっていたそうだ。上弦の壱の攻撃に巻き込まれたのだろう。

 玄弥の日輪刀は自分が壊してしまったし、もう一つの武器である銃はそろそろ製作者からの本格的な整備を受ける必要があるらしい。

 ちなみに伊之助はと言うと、元々その日輪刀は物凄い刃毀れしているものなのだが、わざと刃毀れさせて切れ味を落とした部分と確り切れ味が残っている部分のバランスがあの独特の切れ味の技に繋がっているので、上弦の陸との戦いで刃毀れが進み切れ味が落ちた為、本格的に研いで貰うか新たに打ち直して貰う必要があるそうなのだが……。しかし以前、新品の刀を石で打ってわざと刃毀れさせるだなんてとんでもない暴挙をよりにもよってその日輪刀を打ってくれた刀鍛冶の人の目の前でやらかしてしまった為、本気でキレられてしまい、拒否されている様だ。

 

 そんな感じで、蝶屋敷に逗留中の者達やよく任務に行く相手は軒並み己の日輪刀を喪った状態なのである。

 新たな日輪刀が届くなり研ぎから帰って来るまではどうにも出来ない。

 その為、炭治郎たちはひたすらに鍛錬に励んでいた。

 獪岳も、少しでも気を紛らわせる為なのか、熱心に鍛錬している様だ。

 自分はと言うと、変わらずに指令を受けては任務に向かい、日中は蝶屋敷の仕事を手伝っているのだが、最近は伊之助から熱心に手合わせを強請られるので、ほんの少しだけだが付き合っている。

 勿論、万が一にも怪我をさせたくは無いので素手である。ぽんぽん投げられても喜んで飛び掛かって来る伊之助の相手をするのは、実の所中々楽しい。フェイントの掛け方などがどんどん巧くなっているのをみると、伊之助は戦闘のセンスと言うか閃きがかなり凄いのだろう。ちゃんと受け身が取れる様に投げている事も大いに影響しているのか、受け身の取り方も物凄く上手くなっている。良い事だ。人と戦うのは全く好きじゃないけれど、伊之助とのそれは手合わせと言うよりは、陽介とやった河原での殴り合いにも少し似ている。

 

 そんなある日、炭治郎の下へ手紙が届いた。

 それは、炭治郎の日輪刀を打ってくれた刀鍛冶の鋼鐵塚さんからのものであった。

 研ぎに出した筈の日輪刀はそこには無い。

 そして、その手紙の文面は……。

 

「何と言うのか……これはまた見事な『呪いの手紙』だな……」

 

 震える炭治郎の手の中の手紙を見て、思わずそう呟いてしまった。

 

 

お前にやる刀は無い

ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさない呪うのろうゆるせないゆるさないゆるさない

呪ってやる憎いにくい憎い

 

 

 おどろおどろしく滲んだ筆跡でそう書かれたそれは、誰がどう見てもヤバイ手紙であった。

 自分が突然こんな手紙を貰ったら、衝撃でちょっと固まってしまうかもしれない。

 足立さんが作った脅迫状の方が数万倍マシである。

 

「前の刀を喪ったばかりだったから……。

 鋼鐵塚さん、本当に怒っているんだろうな……」

 

 戦々恐々としながらも、申し訳無さそうに炭治郎はそう言って落ち込む。

 下弦の伍との戦いの際に一番最初に打って貰った日輪刀は折ってしまい、そして上弦の参に向かって投げつけた事で二代目の日輪刀は紛失し、そして三代目を上弦の陸との戦いで刃毀れさせてしまい。

 ほんの数か月の内に三本もダメにしてしまったから……と炭治郎は落ち込む。

 特に、上弦の参に投げて紛失してしまった時などは、怒り狂った鋼鐵塚さんに一晩中追い掛け回された程だそうだ。それなのに早々に刃毀れさせてしまったのが、真面目な炭治郎としては心底申し訳無いのだろう。

 

 まだ未熟であるが故にどうしても刀の扱いに粗があるのだろうか、と。そう落ち込む炭治郎に、長らく様々な隊士たちを見て来たすみちゃんたちは、隊士が刀を破損する事自体はそう珍しい事では無いのだと言う。そして、恐らく鋼鐵塚さんが一際厳しいだけだろう、とも言った。

 まあ、その鋼鐵塚さんが滅茶苦茶気難しいのだとしても、このまま刀が無い方が問題である。

 その為、日輪刀を打っている刀鍛冶の人達の隠れ里へ行ってみてはどうだろうか、と炭治郎はしのぶさんに提案された。

 完全に秘匿された場所なのかと思っていたので行けるのかと驚いたが、どうやら事前に申請して許可が下りれば大丈夫らしい。

 

 そうであるならば、あの真っ赤に染まった日輪刀の事を調べたいし、そして前々からお館様から打診されていた自分の日輪刀の件もあるしで、丁度いい機会だと思って自分も刀鍛冶の里へと行ってみようと決める。

 自分の監視下にいる獪岳も、そしてそんな獪岳から目を離せないらしい善逸も、どちらも自身の日輪刀を打ち直して貰う必要があるのだし、丁度良いだろう。

 そして、かなりの大所帯になってきた所で、自分も行きたいと言い出したのが伊之助だ。

 仲の良い炭治郎と善逸が行ってしまうのが寂しいのだろう。刀が出来上がるまでには半月近く掛かる事も有るので、それなりに長期の逗留になる事も大きかったのかもしれない。

 まあ、伊之助の日輪刀も研ぎと言うかちゃんとした手入れが必要な状況であるのだし、里に行くのもそう悪い事では無いのだろう。……ただし、研いで貰う前に、誠心誠意謝る必要はあるだろうが。

 しかし、一気に五人も申請して大丈夫なのだろうか? と少し心配だったのだが、許可は特に問題無く降りた。

 

 

 そして、迎えに来た隠の人の案内で、刀鍛冶の里へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
無惨の「生きたい!」と言う欲求自体は理解出来なくは無いけれど、それ以外の一切を理解と言うか共感出来なくて、自分とは絶対に相容れないだろうな……と感じている。
無惨が鬼を量産する理由を知った時は、余りの衝撃に絶句した。
ちなみに、炭治郎たちに頼まれれば、悠としては別に勿体ぶるものでも無いので、青龍などを召喚してその背にホイホイ乗せてしまう。


【竈門炭治郎】
「青い彼岸花」に微かに見覚えがある長男。
無惨の目的は理解不能だし、何にせよ絶対に許さない。
割と短い期間で刀を紛失したり破損しているのは本当に申し訳なく思っている。


【我妻善逸】
獪岳から目を離してはいけないと決意。


【獪岳】
悠に監視されるのは本当に怖いけど、仕方ないのも分かっている。
それはそうと、あんなヤバい『化け物』に手合わせを挑みに行ってるあの猪は何なんだと思っている。


【嘴平伊之助】
最近、悠に色んな遊びを教えて貰いつつ相手して貰えているので嬉しい。子分と呼びつつ物凄く懐いている。
実はちょっとずつ字を習い始めている。まだ平仮名とカタカナと簡単な漢字しか書けないが、その内自分の名前とか炭治郎たちの名前も書ける様になりたい模様。
現状、悠に手合わせを申し込んで極稀に受けて貰える、唯一の人間でもある。
悠としては他人を殴ったり痛めつけたりするのは本当に嫌なのだが、伊之助が楽しそうだからちょっとだけ……という感じである。


【産屋敷輝哉】
鬼殺隊の隊士たちの謎のパワーアップはちゃんと把握している。
その隊士たちが全員、悠とある程度以上の交流があるもの達だということも把握。
悠自身はあまり分かっていない様だが、きっと悠に関連して起きている事象なのだろうと当たりをつけている。
その為、接触させる相手は選びつつもなるべく多くの隊士たちが悠と関われるようにしたい。
刀鍛冶の里へ行く申請に関しては、先見の明で全員分許可するべきだと判断した。



【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
悠が現れた影響で、様々な出来事の起きる時期が現状かなり前倒し気味になっています。
本来ならば刀鍛冶の里編が始まるのは無限列車編の大体半年後ですが、ここでは無限列車編から二ヶ月半程度で刀鍛冶の里へと向かっています。


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『月を見上げて』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 刀鍛冶の里は、鬼殺隊にとって最重要施設の一つであるからか随分と厳重に隠されているらしく、その道程は運ばれている者には分からない様にといった工夫がされていた。鬼殺隊本部に行く時と同じだ。

 そうやって運ばれる事暫し、何人目かの隠の人が足を止め、目隠しや耳栓などを取ってくれる。

 どうやら到着した様だ。

 周りを軽く見渡してみると、何処かの山中にひっそりと隠される様に作られている様だ。

 しかし山中にあるとはとても思えない程に、それぞれの建物は立派である。

 微かに漂う硫黄の匂いに鼻がとても利く炭治郎が空かさず反応する。

 隠の人が言うには、この里には温泉があるらしい。此処を訪れる隊士たちの殆どは武器の研ぎや新たな打ち直しの為に訪れるが、稀に湯治の為に逗留する者も居るそうだ。

 

 温泉と聞いて、思わず心が弾んだ。

 温泉は良いものだ。温かくて気持ちが良い。

 仲間達とバイクで少し遠出をして、日帰りで温泉に行った回数はもう数え切れない程である。

 スキー旅行ついでにマリーを助けに行った時の帰りの温泉では、文字通り雷が降って来た事もあったが、今となってはそれも中々楽しかった思い出だ。……と言うかあの時、あの場に居た全員がペルソナ使いだったから良いものの、もしそうでなければ温泉で落雷に遭った時点で死んでいるな……。

 この夢の中に迷い込むよりも前、稲羽に居た時点で、ペルソナ使いとして現実世界でも相当の恩恵を受けていたのかもしれない。

 ……もしやあの謎の物体Xやスライムチョコにダメージを受けつつも生き残れたのもペルソナ使いとしての力なのだろうか。

 一瞬脳裏を過った悍ましい記憶を、そっと再び忘却の中へと放り込む。

 そっとしておこう、あれは触れる事すら憚られるものである……。

 

 里長の家の場所を教えて貰い、此処まで連れて来てくれた隠の人とは別れる事になった。

 ……しかし……五人(正確には禰豆子を入れて六人)の大所帯である。

 そんな人数で一気に挨拶に伺っても良いのだろうか? ……まあ、良いか。

 礼儀作法という意味ではちょっと心配な部分がある伊之助には簡素ながらも礼儀作法を教えて、全員で里長へと挨拶に伺った。

 

 

「どうもコンニチハ。

 ワシこの里の長の鉄地河原鉄珍。よろぴく」

 

 部屋の上座で両脇に人を従えた物凄く小柄な人が、かなり気さくな感じでそう名乗った。

 どうやらこの里の人達は鍛冶仕事をするからなのか、全員がひょっとこの面を付けている。

 面ごとの個性はかなりあるが、しかしその下にある表情と言うものは分からない。

 

「里で一番小さくって一番えらいの、ワシ。

 まあ畳におでこつく位に頭下げたってや」

 

 そう言われた瞬間、全員でしっかりと頭を下げた。

 炭治郎に至っては、勢いよく頭を下げ過ぎた為にゴンっと心配になる程の硬い音を立てている。

 まあ、炭治郎の頭は物理的に滅茶苦茶硬いらしいので、大丈夫なのだろうけれど。

 礼儀作法があまり分かっていない伊之助も、事前にしっかり言い含めておいたからかちゃんと頭を下げた。

 

 全員の態度をそれなりに気に入って貰えたのか、鉄地河原さんから茶菓子代わりにかりんとうを振舞って貰え、遠慮の概念を知らない伊之助と素直な炭治郎はボリボリとそれを食べ始める。

 が、一応今から話があるので自分は少しばかり遠慮しておいた。

 

「お館様から話には聞いとるよ。刀を打って欲しいんやってな」

 

「はい。あとそれと、少し調べたい事がありまして……。

 日輪刀を握ったら刃が真っ赤に染まったのですが、その事について何かご存じないでしょうか?」

 

 里長というからには、きっと誰よりも日輪刀について詳しいのだろう。

 鉄地河原さんがあの謎の変化について知っている可能性はあるだろうと思い、そう訊ねてみるが。

 鉄地河原さんは心当たりがないのか首を傾げた。

 

「刃が? それは、色変わりの事やろか」

 

「いえ、多分日輪刀の色変わりでは無いと思います。

 俺が使わせて貰ったのは友人の日輪刀なので、もう持ち主が既に抜いたものですから色変わりの条件は満たしていないかと……」

 

 確かに玄弥は呼吸の才能が無いので日輪刀を抜いても色が変わる事は無かったそうだが。しかし色が変わろうが変わるまいがそれはもう玄弥の日輪刀なのだ。偶然それを借り受けた者が握った所で、その者の色に染まる訳では無いだろう。

 日輪刀とは、それを初めて握った瞬間からその人の為だけの刀に成るのだから。

 

「赤……と言う事は炎の呼吸への適性がある、という事でしょうか?」

 

 脇に控えていた人も興味深げに訊ねてくる。

 炎の呼吸……。確かに色の区分としてはそれが近しいのかもしれないが。しかしあの色の変化は、煉獄さんの日輪刀の色ともまた違う色であった。

 

「多分それとも違うと思います。以前見た煉獄さんの刀とは違う色に染まっていたので。

 何と言うのか……炉の中で熱している最中の鋼の色に近い感じでした」

 

 此処に居る人たちは皆凄い腕の刀鍛冶の人達なのだろうけれども。しかし誰一人としてその現象に心当たりが無いらしい。作った人ですら知らない効果、なのだろうか……? 

 そんな事あるのか? と思いはするが……。何か特殊な条件を満たさなければならないとかなのだろうか。

 しかし、戦国時代の事とは言え縁壱さんは日輪刀を染め上げていたらしいし、その特殊な条件がペルソナ能力だとかと言う事は無いだろうと思う。同時に、自分が握っても変化する事から日の呼吸の使い手であるかどうかという事も関係無さそうだ。

 そうであるならば何とかしてその条件を見付け出したいものである。

 色が変わった日輪刀で上弦の壱を斬った際、その部分の再生速度は明らかに落ちていた。

 もし十握剣で斬っていたとしたら、あの傷ならば瞬時にとは言わずとも数秒もあれば回復されていただろう。

 実際、上弦の弐と戦った時はそんな感じだったのだ。

 それよりも更に強く、その上に鬼舞辻無惨の血で強化されている上弦の壱なら尚更その回復速度は、自分が戦った際の上弦の弐の比では無い筈なのである。

 しかし、あの色が変わった日輪刀で斬り飛ばした部分は、遅々として再生が進んでいなかった。

 日輪刀には斬首する事で鬼に対する特効があるが、しかし頸以外の部分を斬ったからと言ってその部分の再生を妨害する様な力は無かった筈だ。少なくともそんな話は聞いた事が無い。

 しかし、色が変わった日輪刀には頸以外の部分に対してもかなりの効果を発揮するのかもしれない。

 例え頸を斬れてなくても手足を落とす事が出来ればそれだけ有利になるし、何なら頸の弱点を克服してしまっている鬼舞辻無惨に対しても効果的であろう。

 もしあの色が変わった日輪刀の発動条件を探し当てる事が出来、そしてそれを鬼殺隊の皆に伝える事が出来れば、鬼舞辻無惨や上弦の鬼と対峙したその時に力になれる筈だ。

 だからこそ、何としてでもそれを掴もうと心に決めていた。

 

「中々興味深い話やな。君の刀の事も含めて、また後で改めて話を聞かせてな。

 で、そっちの炭治郎くんの事やけど」

 

 急に話を振られたので、驚いた様にかりんとうを食べる手を止めて、炭治郎は慌てて居住いを正す。

 

「蛍なんやけどな、今行方不明になっててな。ワシらも捜してるから堪忍してな」

 

「蛍?」

 

 聞き覚えの無い名前だったからなのか、炭治郎が首を傾げていると。鉄地河原さんは、炭治郎の日輪刀を打ってくれている鋼鐵塚さんの名前が『鋼鐵塚蛍』である事を教えてくれる。

 可愛い名前だと反応すると、どうやら鉄地河原さんがその名付け親であるらしいのだが、可愛過ぎる名前だと本人からは罵倒される程不評であったそうだ。

 

「あの子は小さいときからあんな風や。

 すーぐ癇癪起こしてどっか行きおる。すまんの」

 

「いえいえそんな!

 俺が刀を折ったりすぐ刃毀れさせるからで……」

 

 鉄地河原さんの言葉に、自分の責任も大きいのだと炭治郎がそう言おうとすると。

「いや、違う」と。先程迄の何処か軽い調子など欠片も無いいっそ厳かである様にすら感じる声で、鉄地河原さんは断言する。

 

「折れる様な鈍を作ったあの子が悪いのや」

 

 刀鍛冶として人生を捧げて来た者のプライドに裏打ちされたその発言に、炭治郎は威圧された様に黙るしかなかった。

 そしてそんな炭治郎に傍に控えていた人達が、鋼鐵塚さんを見つけ次第取り押さえてでも連れて来るから安心して欲しいと言う。あまり乱暴な事は……と炭治郎は控え目に口を出すが、しかし実際問題このまま鋼鐵塚さんが見付からず刀が無いままの方が問題なのである。その為、もしこのまま鋼鐵塚さんが刀を打たない場合は他の者が炭治郎の担当になるそうだ。

 そして、善逸と獪岳の刀に関しては、今其々の刀鍛冶の人が新しく打ち直している最中であるらしい。

 完成するまでにはまだ暫くかかるそうなのだが、里にある鍛錬場は空けておくので自由に鍛錬などで使って良いとの事であった。

 そして……伊之助の事なのだが。まあこれに関しては、伊之助の刀を打ってくれた鉄穴森さんに直接誠心誠意謝るしかないとの事。やはり物凄く怒っているらしい。流石に擁護の余地も無く、仕方無い事だ。

 一通り挨拶が済んだ所でその場を後にして、この里に逗留する間お世話になる宿に向かう事になった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 宿について、折角だから温泉に入るかと皆で向かっているとその方向から何やら賑やかな声が聞こえて来た。

 

「あーっ! 炭治郎くんと悠くんだ!! 炭治郎くーん! 悠くーん!!」

 

 声を掛けて勢い良く此方に駆けて来たのは、恋柱の甘露寺さんだ。

 宇随さんと一緒に遊郭に潜入する前にお館様の所で会って以来である。

 直接言葉を交わした事は殆どと言って良い程に無いが、中々親しみやすい人なのだろう。まるで旧来の友に声を掛けるかの様な感じであった。

 そしてその調子のまま甘露寺さんは、さっきそこですれ違った人に挨拶したのに無視されたのだと悲しそうではあるが賑やかな声で訴える。一頻りショックだった! と訴えた甘露寺さんだが、夕飯が炊き込みご飯である事を炭治郎から教えて貰うと途端に元気になってそのまま宿の方に弾む様な足取りで向かって行った。

 賑やかで元気な性格なのだろう。……性別からして違うし外見などが似てる訳では無いのだが、そのテンションの高さと不思議な親しみやすさは何処と無くクマを思い出す。

 

「柱って、変わってるんだな……」

 

 柱とあまり関わる機会が無かったのか、獪岳がそう呟く。……まあ確かに、柱の人たちはかなり個性が強いのでは無いだろうか……。

 自分に深く関わりがあるしのぶさんや煉獄さんや悲鳴嶼さんや宇随さんを見ても、かなり個性的だと言えるし。

 お館様の所で出逢った、実弥さんや伊黒さんや時透くんも結構個性的だと思う。

 冨岡さんとは結局一言も喋っていないのでちょっとよくは分からないが……。

 獪岳の言葉に、その場の誰も反論する事は無かった。

 

 

 そんな賑やかな再会もありつつも、気を取り直して温泉に行くと。

 そこには思いがけない先客が居た。

 

「玄弥も里に来ていたのか!」

 

「そっちこそ、どうして悠が里に?」

 

 此処に居るとは思っていなくて驚いたが、よく考えなくても玄弥は先日の上弦の壱との戦いの中で日輪刀を喪っているのであった。そろそろ南蛮銃の方もちゃんとしたメンテナンスを受けなければならないとボヤいていたし、それもあって里を訪れていたのだろう。

 

「まあ色々と用事があってな。玄弥は日輪刀の打ち直しと南蛮銃のメンテナンスか」

 

 そんな所だと玄弥は頷く。

 互いに面識が無い者やあまりよく知らない者も居たので、折角だからと温泉に浸かりながら改めて互いに挨拶をした。

 善逸は前回の任務の時に玄弥と一緒になったからある程度互いを知っているが、伊之助は最終選別以降一切会っていないどころかそもそも最終選別の時には他の合格者たちが揃うよりも先に山を降りてしまっていたらしいのでそもそも一切の面識が無い様だった。

 炭治郎の方はと言うと、最終選別の時の他に蝶屋敷の廊下で何度かすれ違った事はあったそうだが直接言葉を交わすのは随分と久し振りの事であるそうだ。

 獪岳に関しては……玄弥はあの時何があったのかを知っている者の一人なので少々複雑そうな顔をしていたが、秘密にしてくれとばかりに人差し指を口元に当ててジェスチャーすると、何かを察してくれたのか特には何も言う事は無くそのまま黙っていてくれた。

 

「成る程なあ……あの時の真っ赤に変わった日輪刀の事を調べているのか。

 悠も日輪刀を持てるってのは楽しみだな」

 

 温泉にはしゃぐ伊之助が炭治郎と善逸から軽く注意されているのを横目に、此方の事情を聞いた玄弥は納得した様に頷く。

 

「ああ。あの状態は上弦の壱にも物凄く有効だったから、もしあの状態の発動条件を探し当てる事が出来れば、鬼殺隊全体の力になれるだろうからな。

 ただ……日輪刀に関しては、また直ぐに壊してしまうのではないかと思うと結構心配だな……」

 

 何せ、鉄地河原さんと話したり他の人達の話を聞くだけでも、この里の人たちが己の打った刀に対して物凄く愛情と執念と矜持を懐いている事がよく伝わってきたのだ。

 それなのに、そうやって熱い想いが注ぎ込まれた刀を、一回か二回振るだけでぶっ壊してしまうのは幾ら何でも酷いと言うか、自分でももうちょっとどうにか出来ないのかと思ってしまう。

 とは言っても、力を抜いて振ってそれで鬼の頸を斬れなかったりする方が問題だろうけれど……。

 自分の日輪刀の無残な姿を思い出したのか、玄弥も「あー……」と呻く。

 いや、本当に。数回であんな状態になりますなんて言ったら、誰も刀を打ってくれないのではないだろうか。

 

「悠さんは日輪刀を壊してしまうんですか?」

 

 日輪刀を使って戦っている所を一度も見せた事が無いからか、炭治郎は不思議そうに首を傾げる。

 まあ確かに、そんな簡単に壊してしまうものでも無いから、ちょっと信じられないのだろう。

 

「壊すと言うか……うん、多分そうだな。

 と言っても、日輪刀を握ったのはまだ二回しか無くて、しかも一回目は最終選別に持っていく為の数打ちの刀だから、絶対に壊してしまうと言い切って良いのかは分からないけど……」

 

「でも何時も使っている刀は全然折れたりも刃毀れしたりもしてないですよね?」

 

 善逸も不思議そうにそう訊ねる。

 確かに、何度使っても、それを媒介に力を使うなんて物凄く負担を掛けてそうな使い方をしても、十握剣が刃毀れしたり曲がったりした事は無い。改めて考えると中々に不思議だ。

 

「十握剣は……まあそうだな……。

 ただあれに関しては、結構特殊な刀だからじゃないかと思う」

 

 そもそも、この夢の中に迷い込んだ時点で手にしていたものなのだ。

 この世界の物理法則にちゃんと従っていない可能性もある。

 そして、元の世界に於いても十握剣は物凄く特殊な武器だと言えるだろう。

 あの死神のシャドウを叩きのめして手に入れた武器であり、『心の海の世界』その物から生まれた武器だ。

 日輪刀の様な鬼への特効こそ無いが、一応神話に於いては迦具土神を斬首して殺した剣である。日本神話では他にも十握剣と称される刀はあるので、もしかしたら天之尾羽張剣ではなく天羽々斬剣とかなのかもしれないが、まあ何にせよ神話の剣だ。

 流石にそれそのものでは無いだろうが、その逸話を基に『心の海の世界』で生まれた剣であるのだから、それなり以上に特殊なものであるのだろう。

 ……よく考えれば、元の世界で御神体とかにされそうなレベルの代物だ。まあ、そっとしておこう……。

 

「カミナリの刀、確かに変わってるもんな。デカいし」

 

「確かにかなり大きいな。お陰で、任務先に向かう時に隠すのが結構大変だ」

 

 脇差から打刀程度の大きさである事が多い日輪刀と比較すると本当に大きい。

 頼りになる剣ではあるのだが、隠すのには本当に向いて無いと思う。

 隠すのが大変だという話から、皆の其々の任務の苦労話へと話題が飛び、一気に場が和やかになった。

 最初は緊張しているのかそれとも遠慮しているのか言葉少なになっていた獪岳も、ポツポツと会話に参加しだす。

 鬼殺の任務に就いている年数としては獪岳が一番先輩であるのでそう言った話題も豊富だった事も大いに関係しているのかもしれない。

 獪岳に今まで心を許せる誰かが居たのか居なかったのかは分からないが、そうやって少しでも自分の事を話せる相手が居るという事は大事だ。これで獪岳の心の在り方が変わる訳では無いだろうが、変わる為の小さな切欠の一つにはなるかもしれない。

 獪岳を見ていると何処と無く足立さんを思い出してしまう事もあって、親身にとまではいかなくてもどうしても気に掛かってしまうのだ。まあ、今は自分がその身柄を預かっているからというのも大いに関係しているけれど。

 

 獪岳がそうやって誰かに何かを話している姿を見るのは初めてなのか、善逸はちょっと驚いた様な……或いは少し羨ましそうな、そしてそれ以上に何処か安心した様な顔でそんな獪岳を見守っている。獪岳はその視線には気付いていない様だけれど。だが、善逸のその想いはこの先もきっと何処かで獪岳を助けるだろう。

 ……上弦の壱と戦った後、涙を流しながらも覚悟を決めた顔で床に頭を擦り付ける程の勢いで土下座してでも獪岳の助命を嘆願したその姿を、何度でも思い返してしまう。

 獪岳の心には、恐らく何か大きな虚無が蔓延っているのだろう。或いは、自分の事だけで手一杯で、周りの人の想いに気付かないのか、或いは自分が思っている形では無いものには気付け無いのか。

 何にせよ、その心に空いた大きな虚ろをどうにかしなくては獪岳は変われないし、このままだと何時か何処かで取り返しの付かない事になってしまうかもしれない。

 人は独りでは生きていけない。自分だけを見詰め続け自分だけで己の心を閉ざしてしまえば、何時まで経っても虚ろの森の中を彷徨うだけになってしまうし、どうかすれば足立さんの様になってしまうかもしれない。

 でも、大分危うい場所まで来てしまっているのだとしても。それでも最後の一線を踏み越えて堕ちてしまう前にどうにかその腕を掴む事が出来たのだ。なら、せめて。

 獪岳が善逸の事をどう思っているのかまではまだよく分からないけれど。それでも、本心から自分を想いその為にどんな事でもすると覚悟して行動してくれる「誰か」が居るという事は……独りではないという事は。

 それはとても大切なものであるのだ。大切な繋がりであるのだ。何時か、獪岳がそれに気付く事が出来れば良いと、そう思う。

 気付いたからと言って、同じものを善逸に返す必要がある訳でも無いが。それでも、「独り」では無い事を知る事が出来るのは、とても幸せで大切な事なのだから。

 

 話題が弾みに弾んで、随分と賑やかで楽しい時間を過ごして。

 禰豆子を温泉に入れてあげたいという炭治郎をその場に一人残して、玄弥も含めた五人で先に宿の方へと戻った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 宿に帰ると、また甘露寺さんと顔を合わせる事になった。

 すると、甘露寺さんは玄弥の方を見て、「ああ!」と大きな声を上げる。

 

「あなたさっきの! もう、どうしてさっきは何も返事してくれなかったの?」

 

 そう問い掛けられても、玄弥は返事をしない。どうしたのかと思って玄弥をよく見ると、何と言うのか……顔を赤くして、頭が真っ白になった様な表情で固まっていた。

 その顔に随分と見た覚えがあり、事情を察する。完二がよくしていたな……。

 

「あー……えっとですね。玄弥は、照れちゃってるみたいです……」

 

「え?」

 

「多分、甘露寺さん位の年頃の人と接する機会があまり無かったんじゃないでしょうか。

 だから、どう返事して良いのか分からなくて、固まってますね、これ」

 

「ええーそうだったの! さっきは無視されたと思って悲しかったけど、それなら仕方無かったのね! 

 初心でとっても可愛いのね!」

 

 そう言って、もうさっきのモヤモヤした気持ちは綺麗さっぱり忘れたとばかりに、甘露寺さんは元気よく夕食を食べに行ってしまう。本当に元気な人だ。

 

「おーい。大丈夫か?」

 

「おいおい、そんなんだったら山の中じゃすぐ死ぬぜ?」

 

 まだ固まっている玄弥に、善逸と伊之助が其々の調子で少し心配そうに声を掛け、獪岳は玄弥の反応が面白かったのか笑いを堪えようとしつつも僅かに肩が震えていた。

 少ししてから漸く解凍された玄弥だったが、今度は別の意味で恥ずかしくなってきたのか、顔を真っ赤にしてぶっきらぼうな言葉遣いになる。うん、実に初心だ。

 

 夕食前には温泉を堪能したらしい炭治郎と禰豆子も合流して、皆で集まって夕食を頂く。

 のだが、その横では甘露寺さんがフードファイターかと見まがう程の勢いで次から次に皿を空にしては積み上げていっている。

 

「凄いですね!」

 

 それを見た炭治郎は物凄く純粋な眼差しでそれを感嘆した様に見る。

 すると、少し気恥ずかしそうに甘露寺さんは「そうかな?」と照れた。どうやらこれでも少し控え目に食べているのだそうだ。エンゲル係数が少し心配になる食事量である。

 甘露寺さんなら、愛屋の雨の日のスペシャル肉丼もぺろりと平らげてしまいそうな気がする。

 自分もいっぱい食べて強くなれる様に頑張ります、と何処かズレている気がする意気込みと共に炭治郎も元気よく食べだした。

 他人のおかずを奪おうとする伊之助を善逸と炭治郎が注意し、奪われたり邪魔される前にさっさと食べきってしまおうと獪岳がそっと早食いをしていたりと。甘露寺さんと一緒に楽しい食事の時間を過ごした。

 甘露寺さんは物凄く沢山食べる人ではあるが、よく味わって食べているのでそのスピード自体は普通で、自分達が食べ始めるよりも大分前から食べていた様だが食べ終わりはほぼ同時である。

 

 夕食後にゆったりとした時間を過ごしながら、甘露寺さんを交えて色々な話をした。

 甘露寺さんは下に弟妹が沢山居る大家族の長女であるらしく、更に人に害を与えないとは言え鬼である事には変わりが無い禰豆子に対しても偏見が無い様で、ころころと幼子の様にじゃれつく禰豆子を可愛がりながら色々と話をしてくれる。

 

 どうやら里に逗留しているのは、甘露寺さんの特殊な刀を研ぎに出していたからだそうだ。

 かなり特殊な刀であるらしく、鉄地河原さんにしか打てないし手入れもほぼ彼にしか出来ないらしい。

 鉄地河原さんは里長であるだけあって、この里一の刀鍛冶であり、そういった特殊な刀を幾つも手掛けているのだとか。

 そう言えば、しのぶさんの刀もかなり変わった形をしているので、もしかしたらあの刀も鉄地河原さんが打ったものであるのかもしれない。

 日輪刀と一口に言っても、その形状はかなり幅広い。確か、悲鳴嶼さんの日輪刀も物凄く特殊な形をしていると前に言っていた気がする。直接見た事は無いが。

 そして、恋柱と言う名であるだけに、甘露寺さんが使う呼吸は『恋の呼吸』と言うらしい。

 誰も聞いた事が無かったのか、何それ? と言わんばかりの顔になってしまう。

 甘露寺さんが説明してくれた所によると、元々は煉獄さんの継子として炎の呼吸を学んでいたそうなのだが、炎の呼吸はあまり合わなかったので自分独自の呼吸を見出したらしい。

 しかし、『恋』の呼吸か……。一体どんな呼吸なのだろう。ちょっと気になる。

 

 甘露寺さんは、とても感情がハッキリと分かり易く、更に万華鏡を覗いているかの様にくるくると表情を変える、人好きのするとても良い人だった。

 こうして話しているだけで、こちらも楽しくなってくる。

 女の子が大好きな善逸など、若干挙動不審になりながら甘露寺さんに話し掛けているのにそれを嫌がったりする素振りは無い。ちなみに獪岳はそんな善逸を見てあからさまにドン引きしている。が、一応は柱の前でありその柱自身が気にしていないからかあまり強くは咎められない様だ。

 ちょっと常識の外側に居る伊之助の事も物凄く可愛がってくれる。面倒見の良い人なのだろう。そう言う部分は煉獄さんとも似ている気がする。

 

「そう言えば、甘露寺さんはどうして鬼殺隊に入ったんですか?」

 

 話を聞いている限りでは鬼殺隊に入る切欠などほぼ存在しない様子であったからなのか、気になったのだろう炭治郎がそう訊ねると。

 甘露寺さんはまるで恋する女の子の様に頬を赤く染めて、「聞きたい?」と訊ねてからその返答を待たずに話し始めた。

 

「あのね……添い遂げる殿方を見付ける為なの!! 

 やっぱり自分よりも強い人がいいでしょ、女の子なら。

 だって、守って欲しいもの! 

 わかる? この気持ち。男の子には難しいかな」

 

 思ってもみなかった理由だったからなのか反応に困って固まっている炭治郎たちと、そもそも甘露寺さんが言っている意味が全く分かっておらず首を傾げる伊之助に構う事無く、甘露寺さんは更に言葉を続ける。

 強い人と言えばやはり柱なのだが、柱の人達は基本的に皆忙しくて中々逢えないので、ならば自分も柱になれば良いのだと奮起して努力して柱になったのだ、と。

 

「素敵な理由ですね」

 

 少し気恥しげに自分の入隊理由を教えてくれた甘露寺さんのその言葉に、心からそう感じた。

 甘露寺さんにとって、それは命を懸けるに値する程のものであるのだろう。ならば、その想いが叶う事を……心から愛し、添い遂げたいと想う人が見付かる事を切に願うばかりである。

 

「そう? そう言ってくれて嬉しいわ!」

 

「誰か、素敵な方は見付かりましたか?」

 

 そう訊ねると、甘露寺さんはポっと更に頬を赤くする。

 誰なのかは分からないが、きっと意中の人が居るのだろう。

 その想いが、相手に届くと良いな……と。そう心から想う。

 

 それからは夜まで、甘露寺さんと一緒に、炭治郎に禰豆子の髪に合うヘアアレンジを教えてたりなどして楽しんだり、全員で双六などの簡単な遊びを楽しんだりして賑やかな時間を過ごして。

 そして、皆がそろそろ寝静まり始める頃合に、少し夜風に当たろうと、部屋を出て雪見廊下を歩いていると。

 甘露寺さんにまた会った。

 

「あら、こんばんは、悠くん」

 

「ええ、こんばんは。甘露寺さん」

 

 夜は鬼殺の任務に出る事の方が多いので、こうして中々寝付けなくなる事もあるのだろう。特に、柱の人達は多忙なのでその傾向が強いのかもしれない。

 互いに軽く挨拶をして、どちらが促したと言う訳では無いのだけれど、共に縁側に腰掛けて月を見上げる。

 雲の少ない夜空にかかる月はとても綺麗で、しかし今夜も何処かで鬼が人を襲っているのかと思うとその美しさを素直に楽しむ事は出来ない。

 鬼という存在がこの世に在る限りは、きっと鬼殺隊の人達が月夜を楽しむ事は出来ないのだろう。

 横で夜空を見上げていた甘露寺さんの顔にも、月夜を綺麗だと感じている反面憂う様な翳りがそこにはある。

 互いに静かに夜空を見上げていると、甘露寺さんはふと此方に視線を向けた。

 

「……私ね、悠くんにお礼が言いたかったの」

 

 お礼? 一体何の事だろう。

 甘露寺さんとちゃんと話したのはこの里に来てからが初めてと言っても良いくらいなので、正直礼を言われる様な事など何も心当たりが無い。

 少し困惑していると、それに構わず甘露寺さんは優しい顔で言った。

 

「煉獄さんを助けてくれた事、しのぶちゃんを助けてくれた事……。

 私、悠くんにはとっても感謝しているの」

 

「それは……。俺は自分に出来る事をしただけですよ。

 それに、煉獄さんもしのぶさんも、俺にとっては大切な人なので助けるのは当然です」

 

 だから、改めて礼を言われる様な事では無いのだと、そう言おうとしたのだが。

 それは、甘露寺さんがゆるゆると首を横に振った事で遮られる。

 

「誰にでも出来る事じゃ無いわ。

 悠くんがそこに居てくれたからこそ助ける事が出来た。

 私ね、嬉しいの。二人とまたお話出来る事が。

 鬼殺隊に入ってから、仲良くしてくれた人たちや昨日話したばかりの人たちにもう二度と会えないなんてよくある事で。

 その覚悟は何時もしていたんだけど、でもやっぱり苦しくて。

 だから、二人を助けてくれてありがとう。

 ううん、煉獄さんとしのぶちゃんだけじゃない。

 悠くんは、本当に沢山の人たちを助けてくれているわ。

 だからね、改めて言わせて欲しいの。

 私たちを助けてくれて、ありがとう……って」

 

 そう言われると、それを否定する事なんて出来ない。

 だけれども、それはどうにもむず痒く感じてしまう。

 いや、むず痒いと言うよりも、寧ろ……。

 

「俺は……。

 本当にそんな事をしていいのか、実は何時も迷っているんです。

 何と言うのか、『普通』を大きく逸脱した様な力を、この世界の在り方を全部引っくり返してしまう様な力を。例え人を助ける為であるのだとしても、使ってもいいのか、と。

 でも、そうやって迷う事はあっても、目の前で誰かが傷付いていたら、大切な人たちが戦っていたら、どうしても力になりたいと思ってしまう……」

 

 ……本来はこの世界に在るべきでは無い存在であるが故に。

 この世の理を引っくり返してしまう様なその力で、人を助ける事は本当に正しい事なのだろうか、と。そんな考えが過ぎってしまう事は何度もあった。

 自分に出来る事を、と。そう決めて戦ってきたけれど。

 しかしそれすら本当は欺瞞なのではないかとも思うのだ。

『自分に出来る事』は、間違い無くこの世界の在り方には反している。

 命の在るべき状態すら、ある意味では捻じ曲げてしまっている。

 ……それでも、それを自分なら叶えてしまえる、自分にはその力があると知りながら、誰かを見殺しにする事なんて出来なくて。

 大切な人の力になりたい、大事な人を守りたい、と。

 自分を支えるその想いは、例え違う世界であっても変わりはしないけれど。

 本当にそれで良いのかと、自分を縛る思いもある。

 

 鬼たちに『化け物』だと罵られるのは構わないが、しかしこの世界に於いて自分は正しく「そう」であるのではないかとも思ってしまうのだ。

 自分は人間だ、『神様』でも『化け物』でも無いのだ、と。そう自分に言い聞かせて。絶対に最後の一線だけは越えない様にと自制しているけれど。

 それでも時々、分からなくなってしまう瞬間はある。

 

 僅かに零してしまった、そんなどうしようも無い、悩みですらない独り言の様なそれを、甘露寺さんは静かに聞いていた。

 そして。

 

「悠くんと同じだとは言わないけど、私もね、昔は色々と悩んでた事があったの」

 

 そう言って甘露寺さんが語ってくれたのは、その過去の事。

 生まれつき人よりも物凄く力が強くて、その所為もあってか大食いで。大好きな桜餅を大量に食べ続けていたら気付けば髪色が桜餅色になっていて。

 お見合いをした事もあったのだが、その怪力や変色してしまった髪色を理由に断られて。

 その後はずっと、本当の自分を押し隠すように生きていたけれど、それはとても辛くて。

 そんなある時、鬼殺隊へと誘われたのだと言う。

 添い遂げる殿方を見付ける為という目的は変わってはいないが、鬼殺隊に入った後の甘露寺さんはかつての様に生き生きと思うがままに生きる事が出来た。

 恐れられた怪力も、此処でなら何よりも頼もしい力になる。

 大食いも咎められたりする様な事も無い。

 何より、自分の力で誰かを助ける事が出来る。

 それが、とても嬉しくて幸せなのだ、と。

 

「だからね、悠くんも自分の思うままに生きてもいいと思うの。

 不思議な力があっても、悠くんはそれを誰かを助ける為だけに使おうとしているし、それで助かっている人は沢山いるもの。

 助けたいなら助けたら良いのよ。

 もし神様が文句を言ってきたら、私たちの方こそ文句を言い返してあげるから!」

 

 そう言って、励ます様に可愛らしい笑顔を浮かべた甘露寺さんは。

 夜空の月にも負けない程に美しく見えた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
温泉が好きなので、里に温泉があって物凄く嬉しい。
マリーに雷を落とされた時は、イザナギの電撃耐性のお陰で軽傷で済んだがちょっと焦げた。
ムドオンカレーとスライムチョコはかなりのトラウマであり、もし無惨様はそれを完全再現して食べさせる事に成功すれば確実に悠を倒す事が出来る程。
禰豆子に色んな髪型をさせてあげたいと言う炭治郎の想いに応えて、菜々子の為に頑張って覚えた様々なヘアアレンジを伝授する。


【竈門炭治郎】
行方不明になっているらしい鋼鐵塚さんの事を心配している。
負傷している訳でもないのにこんなにも長く任務に出ないのは初めてなので少しソワソワしつつも、この機会にしっかり鍛錬しようと決意する努力の人。
悠と蜜璃から可愛いヘアアレンジの仕方を教わったので、これからは禰豆子に可愛い髪型をさせてあげようと決意する。


【竈門禰豆子】
温泉に入れて嬉しい。
蜜璃ちゃんが優しくて嬉しい。
悠と蜜璃ちゃんとお兄ちゃんが、可愛い髪型にしてくれて嬉しい。


【我妻善逸】
幸せの箱から零れ落ちていく音が少し小さくなったので、獪岳がほんの少しだけど変わりつつある事を敏感に察知する。
嬉しい反面、自分と爺ちゃんでは変えられなかったのかと思って少し複雑。でも嬉しい事には変わらない。
そろそろ、思い付いた漆ノ型を練習し始めようと思っている。


【嘴平伊之助】
常識や礼儀の概念はほぼ無いが、ちゃんと優しく理を以て諭されれば耳を傾けるだけの寛容さはある。
炭治郎としのぶさんの言う事はかなり素直に聞く他に、悠の言う事もそれなりに聞いてくれる。
温泉に入ったのは初めてで、物理的にとてもホワホワした。
悠が龍を呼び出して善逸と玄弥はそれに乗ったと知ると、自分も乗りたい! と駄々をこねる事になる。


【不死川玄弥】
初心な青少年。癖だらけの同期や同僚の中では物凄く普通の思春期の男の子。
同期組との関係性は現時点でもかなり良好な模様。
悠や周囲の人の尽力で丸くなった事もあるが。柱が誰も欠けていない事もあって、原作の様に何がなんでも早く柱にならなきゃと焦っていない事も大いに関係している。


【獪岳】
ちょっとずつ他人に対しての歩み寄りの余地が生まれている模様。
表面を取り繕うのは上手かった事もあって今まではあまり大きな問題を起こした事はなかったのだが、腹を割って話せる相手どころか世間話を出来る様な相手は皆無だった。
それもあって、弟弟子である善逸の友人たちとの距離感に戸惑っているが、現時点ではそれを拒絶しようとまではしていない。
それでも、認めて欲しい、「特別」になりたいと言う欲求は変わらずにその胸に燻っているし。そして埋め難い虚無がその心の中に留まっている。


【甘露寺蜜璃】
基本的に誰に対しても友好的な、鬼殺隊の清涼剤。
もしもスペシャル肉丼があれば、喜んで何杯も食べてしまうだろう……。
悠がペルソナを召喚したとしても、素直な性格なので変に勘繰ったり畏怖したりする事は無く、「凄い!」だけで終わる。
多分、悠が現時点で召喚可能なペルソナの中では、猫将軍が一番好き。


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『赫き刀』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 刀鍛冶の里に辿り着いたその翌日。

 日輪刀の色が変わった件に関して詳しく知りたいから、と。鉄地河原さんたちに呼び出された。

 呼び出された先は鍛錬場の様な場所で、自分が到着した時には鉄地河原さんの他にも何人かの刀鍛冶らしき人たちが見物か何かの為か集まっている様だった。

 ちなみに此方側も、呼び出されたのは自分だけだったのだが、折角だから日輪刀の色が変わる所を見てみたいとの事で甘露寺さんを含め全員で来ている。かなりの大所帯だ。

 

「ほな、一回実際に日輪刀を握ってみてや」

 

 鉄地河原さんがそう言うと、傍に控えていた人が日輪刀を差し出してきた。どうやら新品の物の様だ。

 予備の為にと打ってストックしている刀の一つであるらしい。まだ剣士が握っていない為、誰かが引き抜けばその人の呼吸に合わせた色に染まり上がるそうだ。成る程。

 礼を言ってそれを受け取って、鞘から引き抜く。

 白銀の刃は美しく陽光を反射する様に輝いているが。……しかしそれだけだ。

 その刃の色に変化が現れる様子は皆無である。

 まあ、呼吸の才能など無い事は分かっていたのだけれど。でも染まるのなら何色になるのだろうと考えていた事はあったので、少しばかり残念である。

 ただ、自分達が確かめたいのは儀式めいた色変わりの事では無く、かつて縁壱さんも発現させていたと言う赫に染まり上がった刀である。

 しかし、やり方が間違っているのか、幾ら待っていても色が変わり始める気配は無い。

 あの上弦の壱との戦いの時に起きた現象は、まぐれの様なものだったのだろうか。

 刀を一旦鞘に仕舞ってもう一度引き抜いてみるが、色に変化は無い。

 うーん……と考えていると。

 

「あの時と同じ感じにやってみたら良いんじゃねぇか? 

 ほら、だって今とあの時とじゃ状況が全然違うからさ、それで色が変わらないのかも。

 だから、あの時の事を思い出して刀を抜いてみたらどうだ?」

 

 それを見ていた玄弥は、そうアドバイスをしてくれた。

 まあ確かに、今はただ握って引き抜いているだけだ。

 しかしあの時は、ペルソナの力を存分に使っていた状態で、更にはこの上弦の壱を何とかしなくてはと言う意識が物凄く強かった。

 成る程。これでは、あの時の再現が出来ているとは中々言い難い。

 

 その為、息を整えてから、一生懸命にあの時の情景を思い浮かべる様に目を閉じる。

 

 目の前に居るのは、自分の大切な人たちを脅かそうとする『敵』。

 自分の背後に居るのは、何をしてでも守らなければならない人たち。

 戦わなければ、大事なものを守れない。大切な人を、助けられない。

 そして今、戦う力はこの手の中に在る。

 

 本来在るべき世界では、日常と非日常を明確に切り替えて生活していたからか、ペルソナの力と言う人世の理を外れた力を存分に発揮させるのは、シャドウを前にした時などだけに限られていた。

 それは自分の無意識にも強く刻み込まれ、この世界でも、「敵」や力を使わなければならない状況に相対する事で初めてペルソナの力を呼び起こしていた。

 だから、そうでは無い状況で、本気で戦っている時の様な力を意識的に出すのは中々難しくて。

 それをどうにかしようと瞑想を繰り返す様に、あの日の状況をあの時の自分の心理状態を自分の中で再現しようとする。

 最初は中々上手くいかなかったが、何度か繰り返す内にふと自分の周りの空気があの時のものに変わった様な気すら感じた。そして、イザナギの力とその存在もかなりハッキリと感じられる。

 今なら、いけるかもしれない。

 

 その柄を強く握り込んで、そして日輪刀を鞘から一気に引き抜く。

 すると、あの日と同じ様に、日輪刀の色は白銀から一気に炉の中で熱されているかの様な赤に染まる。

 

「おお……!」「これは……!」「何と……!」「初めてみましたな……」

 

 刀鍛冶の人達の驚嘆する様な声が聞こえ、そして炭治郎たちも驚いた様に変化した日輪刀を見ていた。

 そして、その状態での切れ味を見たいからと言われ、鍛錬場に在った大岩を試しに斬る様にと指示される。

 それに従って、赫に染まった日輪刀を、岩に向かって振り下ろした。

 その結果、見事に岩は両断され、その下の地面にも深い切れ込みが走る。

 しかし……。

 

「ああ! 私の刀が……!!」

 

 集まって来ていた刀鍛冶の人たちの中の一人が悲鳴の様な声を上げた。

 ……そう。やはりと言うのか何と言うのか、日輪刀はまたしてももう二度とは使えない状態になってしまった。

 数回はいけるかと思ったのだが、ほぼ使い捨てに近い状態である。ちょっとどころではなくコスパが悪過ぎる。

 

「あ……。その……。すみません……。

 実は、玄弥の日輪刀もこんな感じに壊してしまったんです……」

 

 研いだ所でどうにもならなさそうな程に刃の部分が潰れた様な状態になっているし、ギリギリ折れてはいないと言うだけで、もう鈍以外の何物にもなれない状態に変わり果ててしまっている。

 ……かつての縁壱さんも同じ様に日輪刀を赫に染めていた筈なのだが、彼の場合は一撃で刀を駄目にしてしまうなんて事は無かったのだろう。うーむ……一体何がそんなに違うと言うのだろうか。

 呼吸の有無だろうか、或いは剣才の問題なのだろうか。正直全く分からなかった。

 ただ分かるのは、少なくとも日輪刀を赫に染める事は可能だという事だけだ。

 ……しかし、どうして最初に抜いた時には色が変わらなかったのだろうか。

 戦う時を意識して、何かそんなに変わっているだろうか……? 

 確かに、戦う時を意識した為ペルソナの力が反映されているのだけれども。

 だが、恐らくはペルソナ使いではなかっただろう縁壱さんが刀を赫く染めていたのだ、恐らくペルソナの力そのものの問題では無いと思うのだが……。

 何が違うのだろう、と首を傾げる。刀を赫に染める条件が分からない。

 

 その時、「ああっ!」と炭治郎が声を上げた。

 炭治郎にその気があったのかは知らないが、その声はとても大きくその場に響いて。それに驚き、一体どうしたのかと訊ねてみると。

 どうやら、炭治郎も一度刀を赫に染めた事があった様だ。

 

「悠さんみたいな鮮やかな赫とは全然違って、本当に薄っすらとだったんですけど。

 でも、上弦の陸の妹鬼の頸を斬る直前に、俺の日輪刀も本当に少しだけ赫くなったんです。

 あの時は、気の所為かと思っていたんですけど……」

 

 もしかして、とそう言われ。

 じゃあ炭治郎もその時の様に刀の色を変えられるのかと試して貰ったのだが、しかし炭治郎が一生懸命に握ったり振ったりしても色は全然変わらなかった。

 

「うーん……。あの時とは何か状況が違うんだろうか……?」

 

 でも何かそんな違いがあるだろうか? と二人して首を傾げる。

 あの場で共に戦っていた善逸や伊之助も、一体何の事だろうと一緒に首を傾げた。

 そして、あの時の事を一生懸命に思い出そうとしているかの様に、うんうんと唸っていた炭治郎が、「あ!」と再び声を上げた。

 

「あの時、何だか物凄く身体が軽くなって、力も物凄く強くなって……。

 まるで自分じゃない位に、物凄く強くなってる感じがしたんです。何て言うのか、身体の奥底から力がグワワワワー!! ってなって、すっごいズキューンって感じで、フワッてなって、ゴゴゴゴゴゴゴって感じで!」

 

「う、うん? 何て?」

 

 炭治郎の説明は擬音だらけ過ぎて何を言いたいのかちょっと分からなかったのだが、何か違う事があった様だ。

 ならば、その違いにこそ、刀の色を変えるヒントが隠されているのかもしれない。

 

「あの時の俺は、まるで善逸の霹靂一閃みたいに足が速くなって、とにかく凄かったんです!」

 

 あの時。炭治郎たちが妹鬼の頸を斬る直前、何かあっただろうかと、自分も考えてみて。

 一つ、思い当たるものがあった。

 

「あ……。『タルカジャ』と『スクカジャ』……?」

 

 そう、確かあの時。駄目押しとばかりに、炭治郎たちと宇随さんに『マハタルカジャ』と『マハスクカジャ』を掛けていたのだ。

 もしかしなくても炭治郎が言っているのはそれだろう。

 力や速さを強化する事が、日輪刀の色を変える事に何か関係しているのだろうか……? 

 ならば、ここでまた炭治郎に『タルカジャ』と『スクカジャ』を掛ければ、炭治郎の日輪刀の色は変わるのだろうか……? 

 

 そしてその時、自分が打った刀が見るも無残な姿に変わり果てた事にさめざめと涙を流していた刀鍛冶の人が、刀の状態を確かめても良いかと訊ねて来たので、勿論だと頷いて変わり果てたそれを渡す。

 やはりショックな様でその手は震えていたが、しかし見惚れる様な手捌きで刀の状態を検分し、そして茎の状態なども確かめた。すると……。

 

「何と……此処にも大分負担が掛かっていますね……」

 

 柄の中の部分は強い力によってひしゃげた様になってしまっていた。ちょっと信じられない様な状態だ。

 強く握り過ぎたのだろうか。と言うか、今までそこまで意識した事は無かったのだが、ペルソナの力の影響を受けている間の身体能力が滅茶苦茶な事になってやしないだろうか……。

 そしてその時、ふと気付いた。もしや、「これ」なのではないだろうか、と。

 

「……まさか、握力なのか……?」

 

 いやでも、身体能力が強化された以外に特殊な事はしていない筈なのにこうも差が出るのだとしたら、刀を握るその手の力以外に考えられる要素は無い。

 どれ程の力で握る事が条件なのかは分からないが、強い握力で握る事がその条件なのではないだろうか。

 それが正しいのかを確かめる為に、茎も剥き出しになった状態の日輪刀を再び受け取って、握り難くなったそれを全力で握り込む。イザナギの力の影響を受けているので、今の握力はかなり凄まじい事になっている筈だ。

 そして。

 

「何と……」

 

 再び周囲から驚嘆の声が零れる。

 強い力によって刀が軋み少しずつへしゃげていく音が響く程に強く握り締めた途端。

 握っているその場所を起点とするかの様に一気に刀が赫に染まった。

 完全に刃が潰れてしまっているので、流石にこの状態ではものを斬る事は難しいだろうが。

 それでもその刀身が赫に染まっている事には変わらない。

 

 こうして、日輪刀の色を変える条件を見付け出す事が出来た。

 

 

 日輪刀の色を変える方法が判明した為、その次にしなければならないのは、具体的にどの程度の力で刀を握る必要があるのかを探る事であった。

 自分の日輪刀を喪っている状態の炭治郎たちも、予備として用意されていた日輪刀を借りて試してみる。

 それで色々とやってみたのだが、自分以外に刀の色を変えられる人は居なかった。

 炭治郎たちが出来なかっただけでなく、生まれつき人よりもずっと強い力を持ち、柱として他とは隔絶した力を持っている筈の甘露寺さんですら、一生懸命に刀を握り締めてもその色が変わる事は無くて。

 一体どれ程の握力を以てすれば色が変わるのかと、思わず呆れてしまう。

 いやそもそもの話をすれば、話に聞く限りでは縁壱さん以来、未だ誰も日輪刀を赫く染めた事が無かったのだ。

 数百年の歴史の中に数多く存在しただろう、柱の人達ですら誰もそれを成せなかったのだ。

 まあ、尋常の握力では成し得ない事なのだろう。

 自分とて、ペルソナの力によって人外の身体能力にまで引き上げられて初めて日輪刀の色が変わるのだ。

 理の外側の力があって初めて成し得る様な事を、己が身一つでやってのけていたらしい縁壱さんがちょっと規格外過ぎたのかもしれない。

 

 獪岳がそりゃあもうドン引きした顔で此方を見て来た。まあ、言いたい事は分かる。

 自分も地味にぶっ飛んだ身体能力になっている事にちょっと引いているし、縁壱さん凄いって思っているのだ。

 そして、もしここに完二や千枝が居たら、二人も日輪刀の色が変わっていたかもしれない、とふと考えた。

 ……いや、千枝の場合は足技主体なので握力はそこまで上がっていないのかもしれないが。その分足技は凄い。

 ドーン! ってされたら大型シャドウですら即消滅するのだ。

 上弦の鬼辺りは厳しいかも知れないが、千枝なら下弦の鬼位ならドーン! っと蹴り殺せるのかもしれない。

 まあ何にせよ、ちょっと人世の理を超越しなければ、日輪刀の色を変える事は難しいのだろう……。

 

 とは言え、人外級の握力が無いと無理です、で終わる訳にはいかない。

 これが対鬼舞辻無惨における切り札的なものになる可能性だってあるのだから。

 それに、炭治郎は妹鬼との戦いの中で薄っすらとではあったらしいが色を変える事に成功しているのだから、やってやれない事は無いのだろう。

 あの時の様に『タルカジャ』を掛ければ良いのだろうか? 

 

 普通に『タルカジャ』を使っても良いのかもしれないが、ペルソナを召喚して使う方がより強い効果が出る。

 どの力もそうだったので、タルカジャなどの味方を強化する力もその例に漏れないだろう。

 あの上弦の陸との戦いの時を再現するという意味でも、『イザナギ』を召喚した方が良いかもしれない。

 しかし……ここで『イザナギ』を召喚しても大丈夫なのだろうか。

 

『タルカジャ』や『マハタルカジャ』を使えるのは『イザナギ』に限った話では無いが。召喚するにしても、『イザナギ』が一番自分に近いからなのか、その強さに反して呼び出す時の負担は比較的軽い。

 逆に、強いペルソナを呼ぶと中々辛い。今召喚出来るペルソナの中だと、『ロキ』や『ヴィシュヌ』や『ルシフェル』はかなり負担が重い方である。その分、その力も物凄く強いのだが。

 まあ、何はともあれ、『イザナギ』を召喚する事はそこまで自分の体力と言う意味では問題にならない。

 しかし、上弦の陸との戦いの中で『イザナギ』を召喚した事を報告しようとした時、宇随さんや炭治郎たちが物凄くビックリしていたし。よく考えればこの大正時代の日本で「『イザナギ』を召喚しました!」と言うのは、中々に色んな意味で危ない橋を幾つも爆走してしまったのではないだろうかと思う。

 いや、確かに『イザナギ』だが、それそのものでは無い。……無いと思うのだが。しかし、色々と危ないのも確かだ。

 宇随さんからは、「あまりその力を他の人の前で見せるのは止めた方が良い」とかなり強めに忠告されている。

 炭治郎たち相手になら良いが一般隊士たちの前で見せるのは極力避けた方が良いと言ってくれたそれは宇随さんの心遣いであるのだろうし、それ以上に厄介事を引き起こさない為である事も分かる。

 まあ、緊急事態なら四の五の言っている暇はないのだが。

 

 此処に居るのは、別に隠す対象では無い炭治郎たちであるし、甘露寺さんも柱なのだから別に良いだろう。

 そして刀鍛冶の人達は。鬼殺隊の中でも最重要と言っても良い人たちだし、そもそもこの里で刀を打つ事に人生を捧げている人たちなので、何を見た所でそれで騒ぎを起こそうだとかはしないだろう。

 なので、別にペルソナを召喚する所を見せても良いのではと思うのだが……。

 しかしそれでも、『イザナギ』は刺激が強い可能性がある。いや、何度も言うが本物と言う訳では無いと思うが。

 少し考えて、あまり威圧感の無いペルソナなら良いか、と思い付いた。

 そう言う意味では、うってつけのペルソナが居るし召喚出来る状態にあったのだ。

 

「── 猫将軍!」

 

 蒼く輝くカードを握り潰して現れたのは、【星】のアルカナに属する『猫将軍』だ。

 完二厳選の『超可愛いペルソナ』の一つであり、実際にとても可愛い姿をしている。猫が嫌いな人は少ない。

『猫将軍』はそこまで大きくないペルソナだし、見た目も可愛いしで、多分他の人に与える衝撃は少ないだろう。

 二足歩行で中華風の甲冑を纏い軍配を握った猫とでも表現するべき『猫将軍』は、現れたと同時に「ニャッ!」と鳴いてその軍配を振るって『マハタルカジャ』を炭治郎たちと甘露寺さんにかける。

 

「多分これであの戦いの時と条件は同じになった筈だけど、日輪刀の色は変わりそうか?」

 

 そう訊ねてみたのだがしかし、炭治郎は目を丸くして『猫将軍』を見ている。伊之助もビックリしている様だ。

 そして、玄弥と善逸も驚いた様に『猫将軍』を見ていた。

 どうしたのだろう。『猫将軍』が可愛いからつい見惚れてしまっているのだろうか。分かる、猫は良いものだ。

 そうだ、今度悲鳴嶼さんに会った時に『猫将軍』を呼んでみても良いかもしれない。見えないだろうが視覚以外の感覚で気配を鋭敏に察知出来るのだから、猫好きの悲鳴嶼さんなら喜んでくれそうだ。

 そう一人でうんうんと心の中で頷いていると。

 

「えっ、ちょっ! あのでっかい龍だけじゃないの!?」

「『イザナギ』だけじゃないんですか!?」

「コイツ……! 何かすっげぇのを感じるぞ! どっかの山の王なのか!?」

「龍の次は猫って、なんかもうよく分からないぜ……」

「きゃ──っ!! 可愛いわ!! 猫ちゃんなのね!!」

「何なんだこいつ、一体何処から出て来たんだ!?」

 

 皆が一斉に騒いだので、ビックリしてしまう。

 日輪刀の色を変える事など、もう頭からすっぽりと抜けてしまっているかの様だ。

 刀鍛冶の人達はと言うと、何が起きたのか分からないと言わんばかりに固まっている。

 

「あ、ええっと。これは『猫将軍』と言って、道教の海運と予知の神様だ。

 今、その力で皆の力を引き上げてみたんだけれど、どうだ?」

 

『猫将軍』を抱えながらそう説明すると。

 甘露寺さん以外の全員の顔に、「何だって?」と言わんばかりのものが浮かんでいた。

 甘露寺さんはと言うと、猫好きなのか、腕の中の『猫将軍』を撫でても良いかとワクワクしている様な顔で訊ねてくる。

 勿論どうぞ、と差し出すと。甘露寺さんは本当に嬉しそうな顔で『猫将軍』を撫で始めた。ある意味自分自身ではあるのだが、『猫将軍』も満更ではないと言った表情で撫でられていた。

 

 そしてふと、そう言えば自分が色んなペルソナを召喚出来ると説明した事は無かった事に気付く。

 それで驚かれてしまったのかもしれない。

 

「あー……俺はその、『イザナギ』や『セイリュウ』以外にも色々と呼び出せるんだ。

 今はちょっと呼び出せる数は大分少ないけど」

 

 簡単に説明したのだが、益々もってよく分からないと言いた気な顔をされる。

 しかし、正直もっと詳しく説明しろと言われてもそれ以上は中々難しい。

 千枝の口癖ではないが、「考えるな、感じるんだ」とでも言った方が良いのかもしれない。

 一応『イザナギ』や『セイリュウ』を召喚した所を見た事があった炭治郎たちは、驚きつつもそれを受け入れてくれたのだが。獪岳は、本当に意味が分からないとでも言った様な顔をし続けている。

 一応、お館様たちに言った様に『神降ろしの真似事』だと伝えたのだが、どうやら刺激が強過ぎた様だ。

 刀鍛冶の人達も漸く解凍されたのだが、明らかに動揺している。しかし、お館様から何か予め聞いていたのか、鉄地河原さんがその動揺を鎮めた。

 

 まあ色々とあったが、今優先すべきは日輪刀の色を変える事である。

 そして、『タルカジャ』によって力が大きく底上げされた事によって、先ず甘露寺さんが日輪刀を赫に変える事に成功した。

 かなり握力を意識して集中して握らなければならなかったそうだが、その刀は確かに赫に染まっている。

 これで、『タルカジャ』があればかつての縁壱さんの様に日輪刀を赫に出来るのだと証明された。

 それを見て、自分達も負けてはいられないとばかりに炭治郎たちも物凄く頑張るが、僅かにでも色を変える事に成功したのは、ヒノカミ神楽の呼吸を全力で使った炭治郎だけであった。

 炭治郎が言うには、以前の妹鬼との戦いの時よりもよりハッキリと赫に染まっているそうだ。

 まあ、炭治郎たちの身体は未だ発展途上なのだし、この先鍛錬を重ねて握力などを含めて身体を鍛えていけばもっと赫に染める事も出来るのだろう。

 

 これで、鬼舞辻無惨に対抗する為の武器が、また一つ鬼殺隊の手に渡った事になる。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 色々とあったが日輪刀の色を変える条件を突き止め、そしてそれを柱程の力があれば多少の補助があれば発現させる事が可能である事を含めて、お館様へと報告書を書いて送ったその後。

 衝撃が冷めやらぬと言った様子の鉄地河原さんたちが鍛錬場を引き上げた後も、自分達はその場に残って鍛錬を始めた。

 まあ鍛錬と言っても、自分がやる事はあまり無い。

 日輪刀の色を変えられる様になる為にもとにかく身体を鍛えようと決意して走り込みや筋トレを意気揚々と始めた炭治郎と、それに引き摺られる様に巻きこまれた善逸と、そんな善逸に死なば諸共とばかりに道連れにされた獪岳を見送って。

 善逸と玄弥が『セイリュウ』の背に乗った事を知って、物凄く羨ましがって「俺も!」と目をキラキラさせて頼んで来た伊之助に、昼日中に飛んだら流石に目立つからまた今度の夜なら良いぞと返して。更に伊之助は何時もの様に手合わせを強請って来たのでそれの相手をしようとしたら、玄弥も手合わせして欲しいと言って来たので折角だしとそれを受ける。まあその程度だ。

 甘露寺さんはと言うと、研ぎに出していた自身の日輪刀の最終調整の為に呼ばれた為に鍛錬場からは既に離れていた。

 

 二人がかりで挑んで来る伊之助と玄弥は、最初の内はあまり連携が取れていなかったが、途中から次第に連携が取れる様になっていく。基本的に襲い掛かって来た所を迎撃する様に転がしたり投げ飛ばしたりといった風に対応しているのだが、そうやって反撃された後の伊之助たちの動きがどんどんと良くなっていく。

 そろそろ、怪我をさせない様に、と言う加減が難しくなってきそうだ。

 木刀を振り被って前方から襲いかかって来た伊之助の横薙ぎの一閃を身を反らして回避しつつ、その腕を蹴り上げて刀を取り落とさせる。が、後方から勢い良く木刀を振り下ろしてきたその一撃は体勢の悪さもあって避けきれず、その木刀を白刃取りの要領で抑えて、そうやって止められるとは思っていなかった玄弥に足払いを掛けて転ばせる。

 

「あーっ、クソっ! 

 今のは絶対いけたと思ったのに!」

 

「いや、実際あれは避けられなかった。

 凄く連携が上手くなったな、二人とも」

 

 基本的に「俺が!」と我が強くて猪突猛進な伊之助がある意味囮とも言える役割を引き受けて、そして玄弥がその背後を突く。

 その連携はかなり確りとしたものであった。

 実際の戦いならば玄弥には銃があるのだし、更に臨機応変の戦い方が出来るのだろう。

 二人とも、確実に強くなっている。

 それをこうして知る事が出来て、何だか嬉しくなった。

 

 そうこうしている内に山中の走り込みが終わった炭治郎たちが帰って来た。

 生き生きとしている炭治郎と、もう嫌だと言わんばかりの顔をしている善逸と、へばっている様子も手を抜いた様子もなくちゃんと鍛錬をこなした獪岳の三人の顔付きは、同じ内容の鍛錬をした筈なのに全然違う。そこはやはり個性と言うものがハッキリと現れているのだろう。

 今度は伊之助と玄弥も巻き込まれて、炭治郎たちは更なる鍛錬を始めるのであった。

 

 そして、身体を動かしまくって疲労から皆が倒れた日没の頃合に、甘露寺さんが鍛錬場を訪ねてくれた。

 どうやら、日輪刀の研ぎが完了したらしく、夜が来る前に此処を発つらしい。その為、別れの挨拶に来てくれたのだ。

 

「色々とお話出来て楽しかったわ、ありがとうね」

 

 そう言って、甘露寺さんは微笑む。

 此方こそ有難うございます、と返すと。甘露寺さんは益々可愛らしい笑みを浮かべた。

 

「悠くん、また必ず生きて会いましょうね。

 あなたならきっと、大丈夫だから」

 

 あの言葉を忘れないでね、と。そう囁く様に言われたそれに、確りと頷く。忘れない、絶対に。

 それに満足そうに微笑んだ甘露寺さんは、今度は炭治郎たちへと言葉を伝える。

 

「今度また生きて会えるのかは分からないけれど、頑張りましょうね。

 あなたたちは上弦の鬼と戦って生き残った。これは凄い経験よ。

 実際に体感して得たものにはこれ以上ない程の価値がある。

 それは、何年も十何年も修行したのにも匹敵する。

 今のあなたたちは、前よりももっとずっと強くなっている」

 

 だから死なないで、頑張ってね、と。そんな言葉をその微笑みの中に込めて。

 そして甘露寺さんは炭治郎の手を握った。

 

「甘露寺蜜璃は、竈門兄妹を応援しているからね!」

 

 ニッコリと笑いながらかけられたその言葉に、炭治郎は心から嬉しそうな顔をする。

 鬼である妹がこうして鬼殺隊で共に在る事と、そしてそんな妹を人に戻す為に戦う事を、こうやって言葉に表して応援して貰えるのは、炭治郎にとっては何よりも嬉しい事なのだろう。

 

「有難うございます! でも、まだまだです俺は。

 宇髄さんと悠さんに『勝たせて貰った』だけですから。

 だからもっともっと頑張ります。鬼舞辻無惨に勝つ為に!」

 

 そう意気込んだ炭治郎の姿に、何か感じ入るものがあったのか。

 甘露寺さんは少し頬を赤くして、長期滞在の許可が下りているのかと訊ねた。

 一応この場の全員に刀が完成するまでの滞在許可は下りているので、炭治郎が頷くと。

 

「この里には強くなる為の秘密の武器があるらしいの。探してみてね!」

 

 そう言って、甘露寺さんは「じゃあね」と元気よく去って行った。

 

 秘密の武器、と言われても一体何なのだろう。強くなる為と言うからには、刀などの単純な武器の形をしたものでもなさそうだが……。

 だが、そう言った「秘密」と言うものは、何処となく冒険心を擽るものである。

 幾つになっても、宝探しの様なものは心を擽らせるのだ。

 それは鬼殺隊に入り日夜鬼と戦い続けている者であっても変わらない。

 その為か、炭治郎と善逸と伊之助と玄弥は勿論。獪岳もそうとは悟られない様にはしているが、若干ソワソワしている。

 そして他ならぬ自分も何だか楽しくなってきてしまった。

 折角、長期休暇の様な時間を過ごせるのだ。

 今夜も何処かで、助けられたかもしれない誰かが鬼に襲われているのかもしれないと考え続けていては、早々に気が滅入ってしまう。

 ならそうやって気分転換する事も重要であろう。

 

「秘密の武器か……」

「何だろうな、食えるもんかな」

「いや、食べるものじゃ無いんじゃない?」

「気になるよな」

「武器と言うが、強くなる為に使うなら刀とかではないかも知れないぞ」

「強くなれる……か」

 

 別に誰に聞かれて困る様なものでも無いのだけれど、六人で肩を寄せ合う様にしてヒソヒソと話し合う。

 今日はもう日が暮れてしまったので、その「秘密の武器」とやらを探しに行くのは明日になってからと言う事になった。

 一体どんな「秘密の武器」とやらなのだろうか。

 明日が楽しみである。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
猫大好きなので猫将軍も好き。可愛いよねって心から思っている。完二程では無いが可愛いものは好き。そしてそれを特に隠す事無く口にする。
宝探しに物凄くワクワクしている。何せ、死神シャドウに襲われる事も厭わずに宝箱を開けまくっていたりしていたので。そう言うの物凄く好き。
時の狭間の迷宮に迷い込んだ時は、地図を完成させるのが趣味なのかと言う勢いで隅々まで探索していた模様。ただし本人にその記憶は無い。


【竈門炭治郎】
タルカジャで補助されれば赫刀に到達出来る様になった。が、まだ身体が未完成なので物凄く意識しないと維持出来ないしヒノカミ神楽の呼吸を続けるのはまだ辛い
悠が召喚するのは『イザナギ』だけかと思っていたので、なんか猫が出て来てビックリ。しかもそれを自然体に扱いながら「道教で海運と予知を司っている神様です」なんて言うものだからもっとビックリ。え、神様ってこんな感じなんですか……?
宝探しにワクワクしている。


【我妻善逸】
寝ていたので『イザナギ』の存在はあくまでも言葉としてしか知らない。
なので『セイリュウ』以外に何か出て来た事にはビックリ。
炭治郎に巻き込まれて鍛錬に付き合わされる事もしばしば。
宝探しにはワクワクしている。


【嘴平伊之助】
猫だけどめっちゃ強そう! 勝負しろ!! と挑みかかろうとしたものの、その前に戻されてしまった為消化不良。
でも悠と手合わせが出来たので嬉しい。
宝探しって何? それって食えるもの? って認識だったが、ツヤツヤのドングリ探しだよ、と言われて超速理解。


【不死川玄弥】
龍の次には猫かぁ……と、悠を珍獣使いか何かかとちょっと思う。
呼吸で身体能力を強化出来ないので、どう頑張っても赫刀には到達出来ない。
宝探しと言う言葉に遠い昔を思い出して懐かしむしワクワクしている。


【獪岳】
『セイリュウ』が現れた時は命乞いに必死だった為全然気付いてなかった。
突然猫みたいなものが出現して度肝を抜かれた。
そして、悠のトンデモ握力を理解して、ドン引きする。
宝探しには、まあ、少しだけ、付き合ってやらなくもないか、と言う立ち位置。


【甘露寺蜜璃】
猫大好きなので猫将軍の事も一目で気に入った。
この子神様なの? 凄いわ! 悠くんは神様を呼べるのね? 凄い! と言う感じ。
タルカジャで補助されれば赫刀を維持出来る模様。


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『遠い過去の面影』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 朝になり、昨晩甘露寺さんが別れ際に教えてくれた「秘密の武器」を探しに行こうという事になった。

 が、何せ六人(正確には七人)も居るのだ。一塊になって探すと言うのも効率的とは言えない。

 その為、二名で一組となって里の各地を探す事になった。

 組み分けとしては、善逸と獪岳、伊之助と玄弥、そして俺と悠さん及び禰豆子である。

 俺としては、「宝探し」のついでに鋼鐵塚さんを探したい。

 このまま行方不明になっていると、鉄地河原さんたちから乱暴な事をされてしまいそうだ。

 本当に大人気無い三十七歳だけど、何度も刀を駄目にしてしまった俺にもちゃんと刀を打ってくれる凄い人なのだ。

 ……包丁を持って追いかけ回すのは本当にやめて欲しいけど。

 

 そんな訳で、また夕方になったら此処の宿で落ち合う約束をして、其々に散った。

 里に伝わる「秘密の武器」という事であるのなら、里長である鉄地河原さんに話を聞くのが早いのかもしれないけれど。

 悠さんは折角だから今日は地道に探してみよう、と言っていた。

 鉄地河原さんはお忙しい様だし、それにいきなりそう言う事をするのはちょっとズルなのでは、との事らしい。

 確かにそれもそうだと思う。

 まるで『宝探し』の様だと言うと、悠さんは楽しそうに「そうだな」と頷いた。

 何時もは穏やかに俺たちを見守っている事が多い悠さんだが、中々付き合いが良いと言うか、鍛錬などの合間の遊びに誘うとかなり乗り気で乗って来る。

 双六や花札や西洋かるたなどを使って色々と遊んだ事があったが、そのどれもに物凄く楽しそうに参加するのだ。

 そういう時、悠さんも俺たちとそんなに歳が違わない人なんだな……と実感する。

 あと、伊之助程では無いが、ちょっと負けず嫌いだ。遊びでも勝負事ならかなり本気で勝ちに来る。

 そう言った面を知る度に、何だか悠さんともっと親しくなれている気がするのだ。

 

「秘密の武器」とやらを探しつつ、取り留めも無い話をしながらのんびりと里の中の林を歩く。

 温泉の匂いが辺りに強く漂っているからか、少し鼻が利き辛い。

 鼻が利き過ぎるからこそ、強い匂いがあると微かな匂いはそれに紛れてしまうし、或いは無数の匂いに囲まれてしまうと中々一つの匂いを探し出す事が難しくなる。だから都会の様に人が多い場所はあまり得意ではない。

 鬼舞辻無惨程の強烈な匂いなら、どれ程の人混みに紛れていようと、或いは何里と離れていようと、嗅ぎ付ける事が出来るのだけれども……。

 まあそんな訳で、「秘密の武器」とやらを探すのに俺の嗅覚が役に立つのかは少し微妙な所であった。

 そもそも、その「秘密の武器」とやらがどんなものなのか全然分からないので匂いの手掛りすら無いのだけれども。

 

「それにしても、強くなる為の『秘密の武器』って何なんでしょうね」

 

「何かの修行道具みたいなものじゃないか? 具体的に何かと言われても分からないが……」

 

 歩きながら、「秘密の武器」とやらがどんな姿をしているのだろうかと、色々と予想を立ててみる。

 簡単に扱えるものなのだとしたら鬼殺隊にもっと広く知れ渡っていても良い筈なので、取り扱いが難しい物なんじゃないだろうか、とか。或いは一定の技量が無いと使うのが危険だから秘匿されている物なんじゃないだろうか、とか。

 想像のままに、色々とその「秘密の武器」の予想を立てていく。そんな細やかな時間が実に楽しい。

 禰豆子も、俺たちの話を聞いている事を主張するかの様に、時折カリカリと箱を中から軽く引っ掻いて返事をしている。

 

「修行と言えば。今度俺も悠さんと手合わせして貰っても良いですか?」

 

 伊之助と玄弥が手合わせをして貰ったと聞いて、ちょっと羨ましかったのだ。

 悠さんはそもそも誰かと戦う事は好きでは無いらしく、手合わせなどの訓練を何度か頼まれている事はあったのだが何時もそれを色んな方法で避けていた。

 何度か食い下がった事はあったのだが、怪我をさせたくない、あんな力を人に向けてはいけない、と。そう頑なに言われてしまってはあまり無理強いは出来なくて。

 しかし伊之助が余りにも執拗に手合わせを挑もうとするからなのか、悠さんは渋々とであったが時折伊之助と手合わせする様になったのだ。まあ、手合わせと言っても、悠さんは素手だし、攻撃を受け流す事に専念してばかりなのだけれども。しかし、それでも伊之助は確実に実力を付けていると思う。元々伊之助は凄い天才肌なので、戦いの中で得るものがとても大きいのだろう。

 悠さんが人に武器を向けたりするのを本当に嫌がっているのは分かるのだけれど、上弦の鬼にも負けない悠さんと手合わせ出来るなら確実に実力が付くと思うので、本当は少し無理を言ってでも手合わせして貰いたかった。

 なので、伊之助に先を越され、その上玄弥にも先を越されて、少しばかり羨ましかったのだ。

 俺は長男だからちゃんと我慢して悠さんが「良いよ」って言ってくれるまで待つ事が出来るけど、次男だったらちょっと駄々を捏ねてでも手合わせして欲しいと強請っていたかもしれない。

 

「手合わせか……。

 しかし、何度も言うが、俺は手加減が下手くそなんだ……。

 戦いに意識が切り替わって無ければ、炭治郎たちには手も足も出ない位だろうし。

 逆に、完全に戦いに意識が切り替わってしまえば、本当に取り返しが付かない事になりかねない……。

 伊之助たちとやっている手合わせも、一応武器を持たずに頑張って可能な限り加減しているけど、ちょっとギリギリな事も多いし……。

 それに、仲間や友人に武器を向けるのは、もう嫌なんだ……」

 

 相変わらず悠さんは難色を示す。

 その匂いは、何処と無く昔の事を思い出してそれを厭う様なものになっていた。

 もしかして、昔何かあったのだろうか。

 

「あの、そこまで誰かに武器を向けるのを嫌がるのって、昔何かあったんですか?」

 

 そう問うと、悠さんは驚いた様にその眼差しを揺らし、戸惑う。

 言うべきか、どうするべきか。そう迷ったその瞳は、何処か観念した様に溜息と共に揺れた。

 

「ああ、以前……炭治郎たちに出逢う前に戦っていた頃に、な。

 ある敵と戦う事になって、その時に、仲間たちが全員敵に操られて襲い掛かって来た。

 その敵は、俺にとって一番大事な人を人質にしていたからその戦いから逃げる訳にはいかなくて……。

 だから俺は。操られて襲い掛かって来る仲間たちと、戦ったんだ。

 ……最低な戦いだったよ。本当に、あの時程、相手を殺したいと心の底から思った事は無い。

 どうにか勝てたけど、あんなの絶対にもう二度と経験したくない。

 皆……あいつに操られて、俺の事を『敵』だと誤認して襲い掛かって来たんだ。

 敵だけを攻撃しようとしても、皆は何時も俺にそうするみたいにあいつを庇って……。

 操られた俺の仲間達は皆強くて。小手先で誤魔化して足止めする事なんて出来なくて。

 勿論殺してなんかいないけど……でも、動けなくなる程度には、皆を痛め付けるしか方法は無かった。

 今でも、ハッキリと覚えているんだ。大事な仲間を、この手で傷付けた時の感触を……。

 皆と、菜々子を秤に掛けて……俺は菜々子を選んだ。……それなのに……。

 ……敵を倒して正気に戻った後、皆は俺の事を責めなかったけれど……でも、俺は自分の事を許せなかった。

 もうやり直す事は出来なくても、もっと良い方法は他にあったんじゃないかって、今でもずっと考えてる。

 だから俺は、絶対に仲間や友人をこの手で傷付けないって決めたんだ。

 炭治郎たちが強くなりたいから手合わせして欲しいって言っているのは分かるんだけど……。

 こればっかりは、俺の我儘だな……」

 

 ごめんな、と。そう悠さんは静かに呟いた。

 ……悠さんが仲間や友人を心から大切にしている事はよく知っている。

 だからこそ、きっと悠さんにとって何にも代え難い程に大切な人たちを、状況的に仕方が無かった事であろうとは言え傷付ける他に無かった事が、その心に深い傷となって残っているのだろう。

 例え手合わせ程度の戦いなのだとしても、殆ど拒否してしまう程に。

 

 それを知ってしまうと、果たして手合わせしたいと望んでも良いのだろうかと思ってしまう。

 だが、伊之助たちには物凄くハンデを付けながらも手合わせに応じているのだから、何が何でも駄目という訳では無いのだろうけど。

 

「じゃあ武器無しでも良いので! お願いします!」

 

「どうしてそこまで俺と手合わせしたがるんだ……。

 ……だが、伊之助と玄弥にしている分、炭治郎だけ断ると言う訳にもいかないしな……。

 まあ、俺が攻撃しなくても良いという条件でなら、構わない」

 

 取り敢えず、今は「秘密の武器」探しの方を優先するけど、と。そう悠さんは続けたけど。

 それ以上に、了承してくれた事が嬉しくて、「ありがとうございます!!」と里中に響く様な声で感謝の言葉を伝えた。

 突然の大声に、悠さんはビックリした様に目を丸くして。そして、「そうか」と少し嬉しそうに微笑んだ。

 

 そしてまた暫く、林の中を「秘密の武器」らしきものや鋼鐵塚さんを探しながら歩いていると。

 何やら子供と誰かが言い争っているのか揉めている所が遠目に見えた。

 より小さな十歳程度の子供の方は特徴的なひょっとこの面を被っているのでこの里の者であるのだろう。

 そしてもう一方は、鬼殺隊の隊服を着ている少年だ。何処かで見覚えがある。そう、あれは確か柱合会議の時の……。名前は確か……。

 

「あれは、時透くんか……? 何をしているんだ……」

 

 彼を知っていたのか、悠さんは怪訝そうに首を傾げる。

 そうだ、彼は霞柱の時透無一郎くんだ。

 

「どっか行けよ!! 何があっても鍵は渡さない、使い方も絶対教えねぇからな!!」

 

 ひょっとこの面を被った少年の方は語気を荒げる様に時透くんに抵抗している様だが、時透くん自身は興味が無さそうなぼうっとした目をしている。

 何か揉めているのだろうか。

 事情が分かっていないが、立ち聞きは悪いと思いつつも揉め事であるのなら見て見ぬふりも出来ず。

 どうしたものかと悠さんと二人で顔を見合わせた。

 が、次の瞬間に時透くんが少年に突然手刀を叩き込んだ事により困惑は一気に消し飛ぶ。

 

「やめろーっ! 何してるんだ!! 手を放せ!!」

 

 あろう事か手刀を叩き込んだだけでは無く、その胸座を掴む様に吊るしだしたので、俺は咄嗟に前に出て、子供を吊るし上げている時透くんの腕を掴んだ。

 

「何があったのかは分からないが、とにかくそう乱暴な手段を取るな……! 

 その子が苦しそうにしている。その手を放してやって欲しい」

 

 悠さんも慌ててその場をどうにか穏便に収めようと、前に出て声を上げる。

 俺はどうにか時透くんの手を子供から引き剥がそうとするが、時透くんの腕はびくともしない。

 一見俺よりも華奢に見える程なのに、信じられない程に鍛え上げられている。

 

「声がとてもうるさい……誰? 腕、掴まないでくれる? 

 それと、そっちのは確か……」

 

 柱合会議の時に出逢った筈なのだが俺を覚えてはいなかったらしく、時透くんは首を傾げ。そして悠さんの方を見て何かを思い出そうしている様な顔をする。

 

「霞柱の時透くん、だよな。

 何やら揉めていた様だが、俺たちには何があったのか分からないから一旦お互いの話を聞きたい。

 だから一先ずはこの手を放してやってくれないか。

 このままだとこの少年の頸が絞まってしまう」

 

「……ああ、思い出した。確か、上弦の弐を撃退した……。

 ああ、上弦の陸も倒して、上弦の壱と戦って負傷した隊士を連れて撤退したんだったっけ……」

 

 悠さんの言葉や俺の抵抗を全く意に介する事無く、時透くんは淡々と自分の調子を貫く。

 悠さん個人の事は全く覚えていないのかもしれないが、悠さんの戦果は知っていたらしい。

 興味がそちらに移ったのか、時透くんはあっさりと吊り上げていた少年をその場で手放した。

 その途端、受け身も取れずに落下しかけた少年の身体を俺は咄嗟に抱える。

 だが少年は混乱しているのか、俺を突き飛ばす様にして己から引き離した。

 今の彼には、周りの全てが敵に見えているのかもしれない。

 

「だ、誰にも鍵は渡さない。拷問されたって絶対に。『あれ』はもう次で壊れる!!」

 

 と震える声と身体で精一杯の虚勢を張る様にして吼えた。

 少年の言う『あれ』とやらの意味が分からなくて、悠さんと二人少し首を傾げる。

 何やら『あれ』とやらを巡って争っている様だが……。壊れそうなのに柱程の人が求める『あれ』とは何なのか。

 

「拷問の訓練受けてるの? 大人だって殆ど耐えられないのに君には無理だよ。

 度を超えて頭が悪い子みたいだね。

 壊れるから何? また作ったら? 

 第一、壊れるからって後生大事にしまって埃を被らせる事に何の意味があるの? 

 目的があって作られた道具を使わずに骨董品扱いにしているだけだよね。

 君がそうやって下らない事をぐだぐだぐだぐだ言ってる間に何人死ぬと思っているわけ?」

 

 時透くんはまるで言葉の刃で嬲る様に、子供へと言い放つ。

『あれ』が何なのかは分からないけれど、道具は最後まで道具として使うべきだという言葉は間違ってはいない。

 

「柱の邪魔をするっていうのはそういう事だよ。

 柱の時間と君たちの時間は全く価値が違う。

 少し考えれば分かるよね? 

 刀鍛冶は戦えない、人の命を救えない、武器を作るしか能がないから。

 だから鍵出して。自分の立場を弁えて行動しなよ。赤ん坊じゃないんだから」

 

 そう言って、時透くんはさっさと差し出せとばかりにその掌を向ける。

 いっそ傲慢に聞こえるその言葉に、悪意の匂いは無い。

 だが、まるで心と言うものを置き忘れたかの様なそんな言葉で誰かの心を恐怖や苦痛以外で動かせる訳は無くて、少年は益々身を固くしてギュッと胸の辺りを庇う。鍵とやらはそこに隠しているのかもしれない。

 

「あなたの言ってる事は概ね正しいんだろうけど、間違ってないんだろうけど。

 刀鍛冶は重要で大事な仕事です。

 剣士とは別の凄い技術を持った人達だ。

 だって実際、刀を打って貰えなかったらオレたち何も出来ないですよね? 

 剣士と刀鍛冶はお互いがお互いを必要としています。戦っているのはどちらも同じなんです。

 俺たちはそれぞれの場所で日々戦っているんです!」

 

 時透くんのあんまりな言葉に、俺は思わずそう言い返してしまった。

 だって彼の言い方では、鬼殺の剣士以外に意味は無いみたいになってしまうでは無いか。

 勿論、刀だけがあってもそれを振るう者が居なければ意味は無いのだが、しかし刀が無くては剣士もその役割を果たせない。だからこそ、他方を貶める様な言い方をしてはいけないのだ。

 刀鍛冶の人達は、己が作った刀を通して人を救っているのだから。

 

「下らない話に付き合っている暇は無いんだよね」

 

 しかし時透くんに俺の言葉は届いていなかったのか、容赦なく手刀が飛んで来る。

 殺気は無いそれに反応が少し遅れ掛けたが、どうにかギリギリの所で回避する事は出来た。

 すると予想外だったのか、時透くんは「へぇ……」と僅かに感心した様に呟く。

 

「時透くん、そんな言い方をしてはいけない。

 言葉を選ぶのが難しいのかもしれないが、そんな言い方では無意味に周りに敵意をばら撒くだけになる。

 時透くんにも何か事情や目的があるのだろうけれど、この子の言葉ももう少し聞いてやってくれないだろうか」

 

 そして、少年の心を追い詰める様に迫る時透くんを前に、悠さんが立ちはだかる様にして少年を庇った。

 そんな悠さんを見上げて、ぼうっとした眼差しを向けて時透くんは首を傾げる。

 

「何で? 間違ってなんかいないのに。

 それに、話を聞いてる時間の方が惜しいよ」

 

「そのやり方では、結局遠回りになって時間を浪費するだけだ。

 この子がこうまで言うんだ。時透くんが求めている『あれ』に何か大きな不具合があるのかもしれない。

 それを知らずに無理矢理『あれ』とやらを使った所で、その結果時透くんが求めているものは手に入るのか? 

 そして、人の心を顧みない言葉は、何時か自分自身に返って来てしまう。

 時透くんの言葉の全てが間違っている訳では無いけれど、その言葉の選び方は正しくないと俺は思うよ」

 

 とにかく配慮が欠けているその言葉を、悠さんは静かに窘める様に咎めた。

 退けと言わんばかりに時透くんは悠さんを見上げるが、悠さんは一歩も退かない。

 恐ろしい速さで繰り出された手刀も腹を狙った拳も、全て危なげなく受け止める。

 苛立った様に時透くんは悠さんを見上げるが、此処で事を荒立てるのは得策ではないと感じたのだろう。

 大きな溜息を吐いて、渋々と言った様子で、「分かった」と答えた。

 

 

「それで……二人が言っている『あれ』とは一体何なんだ? 

 そして、どうしてそれを時透くんに使わせてやれないんだ?」

 

 二人の間の敵意が収まった事を確認して、悠さんは改めて『あれ』とやらについて尋ねた。

 そもそも、争いの原因になっていた『あれ』とやらの事を俺も悠さんも分かっていないのだ。

 本来は無関係であったとはいえ、此処まで関わってしまうと知らないままではいられない。

 

「戦闘用の絡繰人形です。俺の先祖が作ったもので、百八の動きが可能なんです。

 剣士たちの訓練の為に作られたもので人間を凌駕する力があるんですけど……老朽化が進んでいてもう壊れてしまいそうなんです……。

 でも、制作当時の技術を再現出来なくて作り直す事はおろか、満足に修理も出来ず……」

 

 小鉄と名乗った少年がそう説明する。

 戦闘にも使える絡繰と言うものが一体どんなものなのかは分からないが、凄いものなのだろう。

 そしてもう作り直す事も出来ず修理も儘ならないとなれば、先祖伝来のその絡繰人形を壊したくないという気持ちも分かる。

 が、同時にそんな凄い人形があるなら是非とも戦って少しでも己を鍛えたいと言う時透くんの思惑も俺は当然理解出来る。

 だって、人と戦う事を厭う悠さんに手合わせを強請ってしまったのと本質的な部分では変わらない事なのだ。

 

「そうなのか……。老朽化がどの程度なのかは聞いただけでは分からないのだが、そんな状態で戦ってみても時透くんが望む程の戦闘経験にはならないんじゃないか? 

 戦闘訓練をするにせよ止めるにせよ、一旦その絡繰人形の状態を確かめてみた方が良いんじゃないだろうか」

 

 小鉄くんの言葉を聞いた悠さんは、そう提案した。

 絡繰人形の状態を確かめて時透くんが諦めてくれるのならそれはそれで良いのだし、もしまだ戦えるし戦いたいと時透くんが思うのであれば小鉄くんと時透くんの両方の言葉を聞きつつどうにか少しでも良い様に決着がつく様にしたいのだろう。

 時透くんは仕方無いとでも言いた気に頷き、小鉄くんも無理矢理に絡繰人形の鍵を奪われる位ならと了承する。

 そして小鉄くんに案内され、彼に先祖代々伝えられてきたその絡繰人形を見せて貰った。

 それは……──

 

「この顔……あの夢の中で見たあの剣士の人……縁壱さんに似ている……」

「この顔……あの上弦の壱に少し似ているな、痣の位置は違う様だが」

 

 絡繰人形の顔を見た瞬間に、俺と悠さんはほぼ同時にそう呟き、そして驚いた様に互いの顔を見た。

 耳に付けられた俺の持っているそれとほぼ同じ日輪の耳飾りと言い、左の額の炎の様な痣と言い。

 俺が以前夢で見て、そして数百年前に鬼舞辻無惨を後ほんの一息の所まで追い詰めたと珠世さんが言っていた、縁壱さんにとても似ているのに。

 しかしそれを見た悠さんは、あろう事かこの人形の顔が上弦の壱のそれに似ていると言う。

 一体どう言う事なのだろう。

 

「……恐らく、外見の特徴と照らし合わせるに、この人形の顔は縁壱さんを基にしているんだろうとは思う。

 ……だが、この顔は俺が遭遇して少し剣を交えた上弦の壱の鬼とも似ているんだ。

 あの鬼には、左の額以外にも右の首元から右下顎に広がる痣もあったんだけどな……」

 

 上弦の壱と斬り結びその顔も確り見た事のある悠さんが言うからには、縁壱さんと上弦の壱の鬼の顔が似ている事はきっと間違いが無いのだろう。

 その為、恐ろしい可能性にも俺の思考は辿り着いてしまう。

 

「まさか、縁壱さんが鬼に……?」

 

 珠世さんを以てして「神業」と讃えたその剣技。

 ヒノカミ神楽の真の姿であり全て呼吸の源流になった「日の呼吸」の使い手。

 それらが鬼となって鬼殺隊に牙を剥くだなんて、最悪の展開だった。

 しかし、悠さんはそっと首を横に振る。

 

「いや、多分そうでは無いだろう。

 上弦の壱の剣技は、確かに俺なんかとは比べ物にならない程に研ぎ澄まされた剣技の極致にあるものだったけれど……。

 しかし、あの鬼が使っていた呼吸の型は、間違いなく炭治郎が使っているヒノカミ神楽……日の呼吸のそれとは違っていたからな。

 恐らくは、あの上弦の壱は縁壱さんの血縁者なんじゃないだろうか。

 親兄弟なのか子供なのかは俺には分からないが……」

 

 縁壱さん本人が鬼に成った訳では無いという事に思わず安堵してしまったが、しかし恐らくは血縁者であろう者が鬼へと堕ち上弦の壱にまで昇りつめて今日まで人を襲っていると知れば、縁壱さんはどう思うのだろう。

 今の鬼殺隊でも、身内から鬼を出した際の罰は物凄く厳しい。俺だって、万が一禰豆子が人を襲えば禰豆子を殺して己の腹を切るし、しかもそれどころか鱗滝さんと冨岡さんの腹まで切られる事になる。

 上弦の壱が呼吸を使っていたと言う事は、きっと鬼となったその人はかつては鬼殺の剣士だった筈なのだ。

 それで鬼に堕ちたとなれば……。

 もしや縁壱さんの最期は、その責を取っての切腹だったのではないだろうかとも思ってしまう。

 もう数百年も昔に命を終えた人ではあるけれど、そんな事を考えると胸がギュッと苦しくなった。

 あの夢の中で、己を無価値だとか何も成せなかっただとか言っていたのはその所為だったのだろうか……。

 

「ねえ、縁壱さんって誰? それに、上弦の壱に似ているってどういう事?」

 

 ほぼ蚊帳の外に置かれていた時透くんだが、ぼんやりとしていながらも「上弦の壱に似ている」という点で気になったらしい。

 時透くんに説明してはいけない内容でも何でも無いので、俺たちは其々掻い摘んで説明する。

 

 数百年前にかつて「始まりの呼吸」と呼ばれた「日の呼吸」の使い手であった『継国縁壱』と言う男が居た事。

 そして彼には鬼舞辻無惨を一度あと一歩の所まで追い詰めた程に優れた剣技の才があった事。

「日の呼吸」は彼以降その使い手が途絶えてしまったのだが、何の縁か竈門家の先祖に「ヒノカミ神楽」として名を変えて『継国縁壱』の耳飾りと共に代々伝わっていた事、などを俺は教えて。

 そして悠さんは、遭遇した上弦の壱とこの絡繰人形の顔が、違う部分はあれど物凄く似ていたのだと教える。

 

 それらの説明をふぅんと聞いていた時透くんだが、ふと気になったのか首を傾げる。

 

「でも、どうしてその『継国縁壱』って人の顔を知っていた訳? 

 だって数百年前の人なんだし、顔を知っている訳が無いでしょ」

 

「それは……夢で見たんだ」

 

 そう言った瞬間、バサバサと喧しい羽音が響き、何かが俺の頭の上に爪を立てる様にして止まった。

 

「ハアア? 馬ッ鹿ジャナイノ、アンタ。非現実的スギテ笑エルワ。

 戦国時代ノ剣士ト知リ合イナワケ? アンタ何歳ヨ?」

 

「あれ、君は初めて見掛ける鎹鴉だな。

 誰の鎹鴉なんだ? 名前は?」

 

 やたら鎹鴉を見分けるのが上手い悠さんが、見慣れない鎹鴉だったからか首を傾げる。

 すると、俺の頭上で威張る様に胸を張った鎹鴉は、自分は時透くんの鎹鴉であり名前は「銀子」だと誇らし気に鼻息も荒く話す。

 そして銀子は時透くんが「日の呼吸」の使い手の子孫であると言う事も自慢気に語った。

 

「へぇ! じゃあ時透くんは縁壱さんの子孫なのかな?」

 

 そうだったなら良いのに。

 あんなに悲しそうな縁壱さんにも、誰か大切な人が居て繋げていけていたなら、それはきっととても小さなものであっても、確かな幸せだと思うのだ。

 しかし肝心の時透くんはと言うと、あまり興味無さ気な顔をしている。

 

「夢の中でなんて、有り得るの?」

 

「まあ確かに不思議な事だとは思うけど。

 だが、不思議云々で言うなら、恐らく一番謎だらけなんだろう俺みたいな存在も此処に居る事なんだし、有り得なくは無いんじゃないか?」

 

 そう悠さんが言うと、ぼんやりと悠さんを見上げた時透くんは、「確かに」と呟く。

 そして、時透くんは唐突に悠さんの手首を掴んだ。

 

「え?」

 

「この絡繰人形、確かに相当老朽化しているね。

 これなら、言っていた通り戦った所で無駄な時間になるだけ。

 直る見込みも無いなら、どうでも良いや。

 ガラクタ相手に使う時間なんて無いから。

 それよりも、もっと良い訓練相手が此処に居るし」

 

 大事な絡繰人形を「ガラクタ」呼ばわりされた瞬間、小鉄くんのその目に殺意の炎が宿ったのが見えた。

 しかし時透くんはそれに気付いていないのか、悠さんの腕を引っ張ろうとする。

 

「え? それってまさか……」

 

「上弦の弐を撃退して、上弦の陸を倒して、上弦の壱から無傷で足手纏いを守りながら撤退出来るんでしょ。

 俺の訓練の相手になってよ」

 

 それに悠さんは当然の様に慌てた。

 手合わせであっても、「人」を相手にする事を酷く嫌う悠さんにとって、訓練に付き合えと言うのは早々承服出来るものではない。

 幾ら大概の事は微笑んで受け入れてくれる程に寛容なのだとしても、駄目なものは駄目なのである。

 

「いやっ! ちょっと待ってくれ、どうしてそうなる……! 

 上弦の陸の頸を斬ったのは宇随さんだし炭治郎たちであって、俺は皆を支援していただけだ」

 

「でも、少なくとも上弦の弐と上弦の壱を相手に出来るんでしょ。

 じゃあ俺の相手してよ。

 そこのガラクタを相手にするよりも、絶対に意義のある訓練になるから」

 

 悠さんが必死に訓練相手になるのを回避しようとしても、時透くんは絶対にその手を放す気は無い様だ。

 そして一度そうやって掴まれた手を、殺意や害意がある訳でも無いのなら悠さんが無理矢理振り解く事は出来ない。

 

「だが、その……! あんな力は、人に向けて使って良いものじゃない……! 

 それに俺は、人に武器を向けるのは嫌なんだ」

 

「どうして? 怖いの?」

 

「ああ、怖いさ! この手で大切な誰かを傷付けてしまうんじゃないかと、殺してしまうんじゃないかと思うと! 

 俺は、あまり手加減が出来ないんだ。お願いだから止めてくれ」

 

 時透くんの言葉に、躊躇いなく頷いて。悠さんは本当に必死にどうにか訓練を回避しようとする。

 だが、時透くんはそれで止まる事は無かった。

 

「でも、他人の怪我を治せるんだよね。死んでなかったら元に戻せるんでしょ。

 なら、やってよ。それに俺は、そんなに必死に拒否される程弱くは無いから」

 

 余りにも滅茶苦茶な事を言われ、悠さんは驚愕した様にその目を大きく見開く。

 悠さんにとっては理解出来ない言葉だったのだろう。

 混乱した様に、その声は震える。

 

「は……? え……? 何を、言っているんだ……? 

 死んでなかったらって、それでも痛いものは痛いんだぞ? 何を考えているんだ」

 

「だって、強くなる為ならそれ位普通でしょ。

 本当は絶対助からない様な傷でも治せるって言うなら、じゃあその限界までなら戦えるよね」

 

 今度こそ完全に絶句した悠さんを、時透くんはズルズルと鍛錬場の方まで引き摺って行く。

 抵抗しようとすれば多分悠さんなら抵抗出来たのだろうが、時透くんのあまりの覚悟にそうする事を迷ってしまったのだろう。

 そのまま、悠さんと時透くんはその場から姿を消した。

 

 そして、その場には。

 大切な絡繰人形を「ガラクタ」呼ばわりされて殺意の波動に目覚め、修羅と化しつつある小鉄くんと。

 そんな修羅の生贄にしかならないだろう俺だけが残されたのであった……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
天然でノリが良い性格なので、本当はもうちょっとポヤッとしながら皆と下らない事をしたいのだが、鬼殺隊の状態が悲惨過ぎた為中々羽目を外したりする機会が無かった。
でも炭治郎たちと遊んだりする時は物凄くノリノリで遊ぶ。
11月と12月頭の事が本当にトラウマになっている。
クニノサギリとの戦いでは、戦闘開始直後に自分以外の仲間全員が操られると言う最悪の事態が発生。しかもP4Aの様に菜々子がクニノサギリの手の中に囚われた状態であった為、悠にとってはトラウマ級の泥沼の戦いになってしまった。
無一郎の覚悟のガンギマリっぷりに絶句する。


【竈門炭治郎】
長男なので悠に対する気遣いも出来る。でも手合わせに関しては自分が先約を入れた筈なのに無一郎に悠を持っていかれてちょっとショック。
縁壱さんの事は、幸せになってくれたのかな……と、もう死んでいる人だけど心配している。お労しい兄上を解放してあげられなかった事を知ると、泣いてしまうかもしれない。
小鉄くんの容赦ない扱きを受ける事になる。


【時透無一郎】
時間を無駄にする事無く、もっといい訓練相手を見付けたので実は上機嫌。
覚悟がガンギマリ過ぎて悠を絶句させる。
未だ記憶は霞の彼方。


【小鉄】
絡繰人形は破壊されなかったけど、ガラクタ呼ばわりされた事で殺意の波動に目覚めた。
打倒時透無一郎を目指し、炭治郎をしごく事になる。
ただし炭治郎の現在の身体能力内での最適化は既に済んでいるので、原作の様な一週間絶食みたいな事にはならない。


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『霞の彼方』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 時透くんの力はとても強かった。

 炭治郎の腕よりもずっと細いその腕には信じられない程の怪力が宿っている。

 とは言え恐らくそれは生まれ付きのものでは無く、柱になる程までに鍛え上げ続けた努力の果てのものだろう。

 やろうと思えば振り払えない訳では無いが、しかしペルソナの力を使う必要がある程度には物凄い力である。

 時透くんは、当然ながら敵ではない。そしてこの行動も、敵意や悪意がある訳では無い。それも分かる。

 それもあって、ペルソナの力を使ってまでこの手を振り解く事は出来なかった。

 

 彼はただただ必死なのだ。強くなる事に、ただそれだけの事に。

 それ以外の全てを半ば斬り捨てて、その結果他人の心に配慮する余裕なんて欠片も無い程に。

 時透くんが小鉄くんに掛けていた言葉は、ちょっとどころでは無い程に酷い物だったが。

 別に悪意があってああ言っていた訳では無いのだろう。

 ただ、自分の中からもっと良い言葉を探す余裕すら、時透くんには無いのだ。ぼんやりとしている様に見えるその目の奥で、時透くんは凄まじいまでの焦燥感と怒りに似た感情に支配されている。

 その過去に何があったのかは自分には分からないけれど、その何かが時透くんを柱にまで登り詰めさせた原動力であるのだろう。

 ほんの少しのやり取りでも、それは分かる。

 鬼殺隊に居る人の殆どが、大切な何かを喪った人だ。

 時透くんのその目の奥にあるものは、しのぶさんが抱えていたそれにも少し似ている。

 時透くんの鎹鴉の「銀子」が言っていた様な日の呼吸の剣士の子孫だとか天才だとかそう言った要素以上に、自分の身も心も追い詰める様なそれこそが、時透くんの強さになっているのだと思う。

 そして、いっそ痛ましいと言える程にまで己を追い詰め力を求め続けるその姿を、その目の奥に見てしまったからこそ。

「強くならないと」と言う焦燥感に突き動かされている時透くんの手を振り解けない。

 

 そして、引き摺られる様に鍛錬場へと連行されて。

 時透くんは鍛錬用の木刀を投げ渡してくる。

 

「俺は本気で行くから、そっちも手足の一本や二本持っていく位の気持ちで来なよ」

 

 そう言うなり、時透くんの姿が消えた。

 いや、余りに緩急の激しい動きに、戦う覚悟はまだ定まっていなかったが故に、一瞬動体視力が追い付かなくなって見失ったのだ。

 それでも、咄嗟の勘で木刀を動かして、心臓の辺りを突こうとした時透くんの木刀の一撃を何とか防ぐ。

 時透くんの一撃は凄まじく重く、もし防御していなければ無防備な状態で受けたそれは一撃で此方を叩きのめしていたかもしれない。それ程のものであった。

「本気」だと言うその言葉は、紛れも無く真実だろう。

 そして、柱にまで至った人の攻撃をペルソナの力も無しに捌き切れる様な隔絶した素の実力など、ペルソナの力を除けばただの高校生でしかない自分にある筈など無くて。

 時透くんの攻撃は、手加減など許さない、と。そう言外に伝えて来ていた。

 時透くんが何を求めているのかは分かっている。

 だが、その求めに応じる事は出来そうに無い。

 こうして武器を手にして、敵ではない相手と向き合っているとどうしてもあの時の事を思い出してしまう。

 

 

 人に武器を向けるのは嫌だ。敵でも無い相手に武器を向ける事なんて、自分には出来ない。

 それは、元々培ってきた一般的な倫理観だとか道徳観によるものも大いにあるが、自分が一度「やってしまった」からこそ、その苦しみを忘れる事が出来ない。

 何よりも大切な仲間の身体を、己の振るった剣が傷付けたあの最悪の感触を、忘れる事が出来ない。

 武器を手に襲い掛かって来る仲間達を止める為に、此方も武器を振るう事しか出来なかったあの絶望を忘れる事は出来ない。

 

 そして、人……それもペルソナの力を持っていない人に、ペルソナの力で攻撃するなんて絶対に出来ない。

 幾ら呼吸を極めた事で、まるで鬼の様な身体能力を得ているのだとしても。

 炎に焼かれれば、雷に撃たれれば、斬り刻まれれば、死んでしまうのだ。

 軽く手加減したアギ程度でも、本当なら人は簡単に死んでしまえる。

 それを受けて掠り傷以下で済むのは、ペルソナの力を使う以上やはりこの世の理から何処か外れるからだ。

 いや、例え相手がペルソナ能力者であっても、それで相手を攻撃して良い理由にはならない。

 もしまた目の前に仲間たちが居て、手合わせと称して戦う事になった時、自分は皆にペルソナの力で攻撃出来るのか? ……それは無理だ、絶対に。

 皆を止める為に、大事な仲間なのに、大切な友だちなのに、守りたい人たちなのに、それでも攻撃するしかなかったあの時を、きっと何度でも思い出してしまう。

 

 

 必死に呼びかけても、『アムリタ』などを使っても、仮にも『クニノサギリ』と言う神を名乗るまでに至っていた影が行使した力であったからなのか、操られた皆を助け出す事は出来なかった。

 皆の目に、自分の姿は映っていなかった。あの時の自分は、皆にとってはただの『敵』であった。

 皆とても強くて。掠り傷程度で動きを止めたくても、それでは全力で襲ってくる皆は到底止められなくて。

 真実を掴む為に一緒に鍛えてきた力を、『クニノサギリ』以外は誰もそんな事を望んでいないのに本気でぶつけ合うしか無かった。

 そして、あの時の『クニノサギリ』は菜々子を己の巨大な手の中に閉じ込めていて。

 少しでも早く、菜々子をそこから助け出したくて。本当に色々と無茶をやった。

『クニノサギリ』は菜々子に酷く執着していて、菜々子を取り戻そうとする度にその攻撃は激しくなり、操られた仲間たちからの攻撃も凄まじいものになった。

 ……今思えば、彼は此方の方を殺人犯だと思い込んでいたから、その魔の手から守らなくてはと言う一心だったのだろうけど。あの時の自分に彼のそんな事情や心情を慮る余裕なんて欠片も無くて。

 菜々子を誘拐されてこんな危険な場所に連れ込まれた事や、大切な仲間たちが操られていた事もあってとにかく殺意しか感じなかった。

 きっとあの時の自分を客観的に見る事が出来るのだとしたら、殺人犯だと勘違いされても仕方無い程に凶悪な顔をしていたのではないかと思う。

 ……菜々子を助け出す事を優先して、それを妨害してくる仲間たちを全員制圧する事に決めて。

 そこから先は、地獄の様な戦いだった。

 かつて久保美津雄の影との戦いの中で見せられた悪夢が他愛無いものであったかと錯覚する程に、それを遥かに凌駕する程の地獄だった。

 もし自分がワイルドでなければ、皆のペルソナの力を熟知していなければ、百回死んでも足りなかっただろう程の激戦となった。

 

 敵を常にアナライズしてその瞬間その瞬間に必要な情報を教えてくれるりせの分析力を、再び敵側として味わいたくなど無かった。

 回復役である雪子やクマがその場に居る事の頼もしさを、厄介さとしてなんて知りたく無かった。

 本気で撃ち込んでも全然倒れない完二の頑強さを、忌々しくなんて思いたくは無かった。

 素早く間合いに踏み込む千枝のその力強さを、倒し難さとして捉えたくは無かった。

 何かに特化している訳で無いがどんなペルソナに切り替えても正確に弱点を突いてくる直斗の賢さや臨機応変の力を、脅威としてなんて感じたくは無かった。

 そして……。誰よりも真っ先に切り込んで皆の先駆けとなる陽介の、大切な相棒の、皆を引っ張ってくれるその判断の速さを。自分を苦しめるものとして知りたくは無かったのだ。

 

 ……それでも戦うしか無かった。戦って皆を倒す他に、あの時の自分に打てる手は無かった。

 状態異常を狙っても、肝心の回復役である雪子とクマには万が一の為に持たせていたアイテムが邪魔をして通用しなくて、仲間たちに掛けたそれも二人によって解除されてしまう。『クニノサギリ』に操られる事は防げなかったのに、皮肉なものだ。

 ならばと『クニノサギリ』を狙っても、まるで普段の戦いの中で自分を庇ってくれる時の様に皆は奴を庇う為効果が無くて。

 ペルソナの力が全力で吹き荒れる様に、全てを薙ぎ払う豪風が絶対零度の冷気が骨まで焼き尽くす業火が万物を消し飛ばす滅びの光が激しい嵐の様に襲い掛かり。紫電を纏う巨大な拳や邪を祓う薙刀の一撃がその隙間を縫う様に襲い掛かる。

 そのどれもに、『敵』を倒し仲間を守らんとする強い意志が溢れていて。

 一切の容赦の無いそれらは、ほんの僅かでも対応を誤れば確実に命を奪っていただろう。

 その全てを必死にペルソナを切り替えながらどうにか凌いで、そして僅かな隙を突いて先ずは雪子とクマを切り崩して。

 回復役を落としてから、直斗や陽介、完二と千枝を順に倒して。

 そうやって全員を制圧した時には、もう此方も満身創痍の身であった。

 激しい戦いによって身体はもうボロボロで、立っているのがやっとな位であったし、何よりも。大切な仲間たちをよりにもよってこの手で傷付けた事に、心はもう崩れ落ちる寸前であった。

 それでも、菜々子を助けなければならないと言う一心で、どうにか立ち続けて。やっとの思いで『クニノサギリ』の手から菜々子を取り戻して、奴を完膚無きまでに叩きのめした。

『クニノサギリ』を倒すと、操られていた皆は程無くして正気に戻って。操られていた間の記憶は無くなっていた様で、どうして自分たちが満身創痍の状態で倒れているのか分からないとでも言いた気に困惑していた。

 ……何があったのかは、皆には言わなかった。

 覚えていないのなら、そちらの方が良いと思ったのだ。

 もう終わってしまった事で心を痛めて欲しくは無かったし、そしてそうやって皆を傷付けたのが他ならぬ自分であるのだと伝えたくなかったと言う思いもあった。

 何にせよ、あの時に何があったのかは、自分だけの胸に仕舞っておく事にした。

『クニノサギリ』の激しい攻撃によって皆意識を飛ばされたのだと、そう説明して。

 満身創痍の状態からどうにか動けるまで回復させるや否や、菜々子を抱き締めて病院へと駆け込んだのだ。

 だけど……。

 

 自分にとって何が一番恐ろしいのか、あの時に心底思い知らされたのだと思う。

 十七年間生きてきてそれまで全く縁がなかった、絶対に赦せないと言う怒りも、自分でもゾッとする程の冷たく激しい殺意も、心が壊れそうな程の憎悪にも似た黒い感情も、あの時に初めて知った。

 大切なものをこの手の中から奪われる怒りを、絶対に助けると誓ったものですら守れない絶望を、愛しいものを自分自身の手で傷付ける事の苦しみを、まだ幼い命の灯が消えゆく瞬間に手を握る事しか出来ない無力感を、生まれて初めて知った。

 それでも、最後の一線だけは間違えずに済んだのは。

 自分を信じてくれた菜々子の優しさを裏切りたくはなかったからだし、感情の出し方を忘れてしまった様に呆然としてしまっていた自分の代わりに怒り狂ってくれた陽介たちを、……殺人を止める為に戦い続けてきた仲間たちをよりにもよって殺人犯にしてはいけないのだと言う、本当にただそれだけの。

 矜恃と言うには少し後暗い、だけれどもあの時の自分を確かに支えていた感情のお陰だ。

 ……そして、恐らくは。「間違えなかった」からこそ、どうにか自分たちは先に進む事が出来た。

 あの時に「間違えていたら」一体どうなっていたのだろうかと、時折そう考える事がある。

 足立さんは虚無を抱え続け、そしてアメノサギリの思惑通りに世界は彼岸と此岸の境を見失って混迷の霧の中に沈み、人は己を喪ってシャドウへと変わり果て、世界はシャドウのみが蠢く滅びの果ての世へと変わり果てていたのかもしれない。

 それは、想像するだけでも背筋が凍りそうになる世界だ。

 あの日、あの瞬間の選択に、最悪の場合「世界の命運」なんてものすら賭けられていたかもしれないなんて。

 冗談じゃないと、そう叫びたくなる。そして心から、あの時に皆が居てくれて本当に良かったと、そう思うのだ。

 もし独りで生田目さんと相対していたら、怒りのあまり冷静さを喪った皆がそこに居てくれなかったら。憎悪と殺意のままに最後の一線を踏み越えてしまっていた可能性もあった。

 その結果世界が霧に沈んでしまったら、後悔なんて言葉では足りない程の悔悟を抱いて死んでいただろう。

 ああ……本当に。自分は「運が良かった」のだ。そして自分は人の縁に本当に恵まれていたのだと。それを何度も実感する。

 

 だからこそ、大事な人達に自分が出来る精一杯を返したいと、そんな大切な人たちを守りたいと、心から思うのだ。

 道を間違えそうになっても踏み止まる為の力になってくれる大切な人達に、自分がそうして貰った様に何かを返したいと、支える力になりたいと、そう思う。

 それは、あの八十稲羽で出会った人達にだけでなく、こうしてこの世界で出会った大切な人たち全員にそう思っている。

 

 ……だから。時透くんがそれを望むのであれば、自分もそれに応えるべきなのだろう。

 時透くんが言っている事は、何も間違ってはいない。

 鬼との戦いとは、畢竟「殺し合い」以外の何物でも無く、手加減などされる筈も無い。

 手足を喪うどころか、命すら喪う事もよくある事で。

 そんな「殺し合い」に対して本気で備えようと言うのであれば、怪我をさせない様になんて手加減した手合わせなんて意味が薄いのも分かる。

 特に時透くんは、柱にまで登り詰めてその剣技や身体能力は研ぎ澄まされている。勿論伸び代は沢山あるだろうけど、最大限手加減した戯れの様な手合わせで得られる物なんて無いのは確かだろう。

「本気」を出せと、そう望むのは当然だ。

 そして、本来なら「訓練」であっても踏み越える事は出来ない程の、生死に関わる程の傷を負っても何事も無かったかの様に元に戻せるなら、生命の限界に挑み死線の先にあるものを少しでも掴もうとする事もまた、当然の事であろう。

 本来なら命懸けの死闘の中でしか得られない経験を、命の危機もなく掴み取れるのなら、それは素晴らしい恩恵で。

 例えそこに死ぬのと変わらない様な痛みがあっても、「本当に死にさえしなければ」問題無い、と。そこまで覚悟を決めてしまう程の道程を時透くんが超えてきたのだと言う事も、分かる。

 何を求められているのか、何をするべきなのか。それは分かる。分かるのだけれども。

 

 それでも、自分が定めたその最後の一線を、どうしても越えられない。

 

 相手に苦痛を与えると分かっていて、瀕死の状態にまで追い込むなんて。

 それを治せるかどうかなんて関係無い。そんな風に痛め付ける事を前提になんて戦えない。

 ほんの少し手加減を間違えるだけで、本当に殺してしまうかもしれないのに。「本気」なんて、絶対に無理だ。

 上弦の弐に対してやった様に、或いは上弦の壱の頸を落とした時の様にだなんて、絶対に無理だ。

「人」を相手にそんな事をしようだなんて僅かにでも考えた瞬間に、傷付き倒れた大切な仲間たちの姿がフラッシュバックの様に頭の隅を過る。

 駄目だ、あんな事を繰り返してはいけない。

 この力は、人に向ける為のものでは無い。人を守る為のものであって、人を傷付ける為のものではない。

 その一線を越えてしまえば、本当に『化け物』になってしまう。

 自分自身を、『人間』だとは思えなくなる。

 それが心の底から恐ろしいのだ。

 

 明らかにこの世界にとって理に反した力を持って迷い込み、最初は本当に弱々しいものになっていたそれも、この世界で新たに絆を結ぶ内に、心の海を駆け抜けていた時程では無くてもかつてのそれを大分取り戻して。

 気付けば、鬼たちの『化け物』と言うその言葉を否定し切れなくなっていた。

 そして、時折向けられる『神様』と言う言葉も、自分以外から見た時にそれを否定し切れるものでは無いのだとも気付いてしまって。

 自分が『鳴上悠』である事を見失う事だけは無いけれど、『鳴上悠』と言う存在が「何」であるのかと言う部分は揺らぎかけているのかもしれない。

 そして、それは決して良い事では無いと直感していた。

 

 

 ギュッと強く木刀を握りはしても中々反撃には転じようとはしない此方の様子に、時透くんは少し苛立った様にその眉根を寄せる。

 実戦を想定しているのに相手が防戦一方では実のある訓練にはならないからだろう。

「本気」を出させようとしているのか、時透くんは霞の呼吸の型を次々と繰り出してくる。

 ペルソナの力は既に引き出しているので、それを全て捌き切った。

 時透くんの攻撃はまるで霞そのものの様に捉え辛いけれど、それを防ぐ事自体は出来る。

 

「何で攻撃してこないの? 

 そんなので実戦になる訳ないでしょ。

 それとも、俺程度じゃ相手にならないって馬鹿にしてる? 

 それか、戦えない位に臆病なの?」

 

「そうじゃない。単純に、俺自身の心の問題だ。

 それに、時透くんは強い。

 こうでもしないと攻撃を防ぐ事も難しい」

 

 実際、ペルソナの力の影響を受けていてもかなり集中しないと時透くんを見失いかける事はある。

 時透くんが強い事は分かっていたが、自分が思っていたそれよりも遥かに強い。

 

「時透くんが、例え死ぬ一歩手前の傷を負ったとしても強くなる事を望む程に覚悟を決めている様に。

 俺も、決めているんだ。

 俺は、仲間を絶対に傷付けないって」

 

 例えどうしても戦わないといけない時が訪れたとしても。

 それでも、傷付ける以外の方法を見付けられる様に。

 もう二度と、あんな後悔をしなくても良い様に。

 そう決めている、そして新たに決意したのだ。

 

 時透くんの攻撃を弾く様に防いで、そして僅かに押し出される様にたたらを踏んだその足を払うと同時に押し倒しながら木刀を握るその手を地に押さえ付けて、体格差を利用して拘束する。

 

「痛みを伴って得た経験は確かに何よりも自分を成長させてくれるだろうけれど。

 俺は、時透くんにはもっと自分を大切にして欲しい。

 傷付く事の無い生き方なんて誰にも出来ないけど、そんな風に自傷する様に傷付き続けていたら、何時か時透くん自身が削れて壊れてしまう」

 

 その過去に何があったのかなんて、自分には分からない。

 そして、「強くなる」事だけを考えて走り続けてきた時透くんのその在り方や考えを否定したい訳でもない。

 だけど。

 それ以外の余裕が何も無いままに我武者羅に走り続けていれば、どんなに強い思いがあってもどんなに強い衝動に突き動かされていても、何時かは息切れしてしまうし、どうかすれば壊れてしまう。

 人の心は何処までも強くなれるが、反対にそれを潤す水すら無ければ簡単に乾いて、何かを切欠にあっさりと砕けてしまう。

 そして一度壊れた心を元に戻す事はとても難しい。

 時透くんは強い。それは確かだ。

 文字通り死ぬ程の努力を重ねて、恐らくは恵まれていたのだろう剣の才も磨かれて。

 心が弱いだとか、そんな事は全くない。

 だけれども、同時にとても危うくも感じるのだ。

 

「……何も、知らないくせに」

 

「そうだな。俺は時透くんの事を何も知らない。

 俺が知っているのは、時透くんが霞柱である事と、全てを擲ってでも強くなろうと努力し続けている事くらいだ。

 でも、相手をよく知らなければ心配してはいけないのか? 

 心配して欲しくないのなら、そう言ってくれれば良い。

 そして、教えて欲しいんだ、時透くんの事を」

 

 そうすれば、もっと何か別の形でも力になれるのかも知れない。

 時透くんが望むものを望む形で返してあげられないのだとしても。相手を知る事は、決して無駄な事では無い。

 

「……教えられるものなんて、何も無い。

 俺は、過去を思い出せない。今の記憶も、殆どが消えてしまう。

 俺には、自分の名前と、鬼を殺す事への執着以外、何も無い」

 

 記憶を留める事が出来ないのだ、と。そう時透くんはその表情を僅かに歪ませる。

 過去の記憶を思い出せず、今の記憶ですら儚く消えてしまうのだとしたら。

 一体どれ程の想いが、その心に強く刻まれていると言うのだろう。

 そうやって自分ですら不確かになりそうな状況の中で、時透くんの心には鬼殺への執念だけは確固たるものとして存在している。

 その過去には、恐らくは壮絶なものがあるのだろう。

 本人がそれを思い出せないのだとしても、あまりにも強烈にその身と心に染み込んだその思いは時透くんの原動力になっている。

 そしてそれ程の執念がそこにあるのなら、今は思い出せなくなっているだけで、その心には変わらずその「過去」が眠っている。

 

「そうやって時透くんを突き動かす衝動がそこにあるのなら、時透くんの『記憶』は必ず心の奥深くに眠っている。

 思い出せなくなっている事と、存在しない事は全く違う。

 なら、何時か必ず時透くんはそれを取り戻せる」

 

「っ……! 知った風な口を……きくな!」

 

 自分の言葉が何か気に障ったのか、時透くんは頭突きして拘束から逃れようとする。

 炭治郎程の石頭ではないので、頭突きされれば頭は痛くなるし最悪脳震盪を起こす。

 それを防ごうと身を反らせれば、今度はその隙を狙って押さえ付けていたその手を無理矢理引き剥がして。

 そして、木刀の本気の一撃が、頭を揺らした。

 その一撃には耐えたのだが、やはり頭を直接揺らされた事が大きなダメージになり咄嗟に目を瞑ってしまう。

 

 その時、グラりと身体の奥から何かが揺れる様な感じと共に、意識が僅かに遠くなった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 使っていた刀が刃毀れしたので、新しく打って貰いに里へと向かった。

 そして、刀が打ち上がるまでの間を無駄にしない為に、里に伝わっていると言う戦闘訓練用の絡繰人形を使って鍛錬しようとしたのだけれど、その絡繰人形を管理している一族の子供は頑としてその絡繰人形を動かそうとはしなかった。

 それを説得している時間も惜しかったから、無理矢理にでも絡繰人形の鍵を奪おうとしていたら。

 そこに、何だか何処かで会った事があったのかもしれない二人がそれを止めに来た。

 片方は思い出せなかったが、もう片方の男は確か……。

 思い出そうとしても、記憶は霞みがかった様に不確かなもので。

 それでも、その男が上弦の鬼たちと戦いそれに勝ってきた存在だという事は覚えていた。

 一々会話している時間も惜しかったけど、自分も遭遇した事の無い上弦の鬼たちの、それも上位の鬼たちと戦って五体満足でいるその強さには興味があった。

 だから、絡繰人形の状態を確かめて、それがあまり使い物にはならなさそうだと判断した瞬間にそれへの関心は消え去り、今度はこの男の方へと興味が移った。

 確かこの男は、致命傷を負っていてもそれを完全に癒す事が出来るのだとか、手足が千切れてしまっていてもそれすら再び繋ぎ治せるのだとか。そんな事を聞いた覚えがあった。

 

 ──そんな力が在るのなら、あの時……

 

 その話を聞いた瞬間頭の中の霞が僅かに薄らいだ気がしたが、しかし結局は何も思い出せなかった。

 だが、そんな力を持った存在が居ると言う事は、直ぐに何もかも忘れてしまう自分としてはかなり珍しく、記憶の片隅に留めていた。

 そして思ったのだ。

 そんな風に傷を癒せる力があるのなら、本来なら絶対に踏み越える事は出来ない一線も越えて鍛錬出来るのでは無いか、と。

 ギリギリの中での命のやり取りを乗り越えると、それは自らの中で大きな糧になる。

 自分は、もっと強くならないといけない。

 もっともっと強くなって、鬼を全て滅ぼさなくては。

 だからこそ、そんな力を持った存在が居て、しかもその実力は上弦の鬼ですら敵わないとなれば、最高の訓練相手だと思った。

 それなのに。

 

 鍛錬場まで引き摺って行ったその男は、何があっても攻撃してこようとはしなかった。

 此方の攻撃を捌き切っている為、弱いと言う訳では無い。

 それでも防戦一方の男に打ち込むだけでは、打込み稽古と何も変わらない。

 自分に足りない実戦経験を積みたいのに、これでは意味が無い。

 だから「本気」を出せと挑発しても、男はそれには乗ってこない。

 それどころか、一瞬の隙を突かれて身体を拘束されてしまう。

 体格の差もあるけれど、呼吸を極めて得た力でも敵わない程の膂力で抑え込まれてしまって、ろくに抵抗出来なくなった。

 そしてその上で、男は「もっと自分を大切にして欲しい」だなんて言い出した。

 

 男のその言葉を聞いた瞬間、腹の奥が一瞬熱くなった様にすら感じた。

 

 何も知らないくせに、過去の記憶も深い霞に覆われている様に不確かで、今の記憶ですらその殆どが喪われていくのに、「大切」にしなければならない『自分』なんて無い。

 そんなあやふやなものを大切にしている暇があるなら、少しでも強くなって鬼を殺さなければならないのに。

 

 だが男は、「知らないからこそ教えて欲しい」なんて言い出したのだ。

 自分の方こそ、それを教えて欲しい位だと言うのに! 

 

 そして、男は言ったのだ。

「何時か必ず、それを取り戻せる」と。

 それは奇しくも、お館様が掛けてくれた言葉と殆ど同じもので。

 

 それにカッとなって、男の拘束を無理矢理振り解いて。

 そして、その頭を狙って本気で木刀を振り抜いた。

 加減せず打ち込まれたそれは、木刀のものであっても人の意識を刈り取るには十分過ぎる程のもので。

 これなら、男も甘い事を言うのを止めて「本気」を出すだろうと、そう思ったのだが。

 

 

 僅かに上体を揺らした男が、その目を開けた瞬間。

 息が出来ない程の威圧感というものを、初めて感じた。

 

 

 男は無言で立ち上がり、そして投げ出していた木刀を握る。

 その瞳は、何時の間にか金色に輝いていた。

 

「……『本気』を出せ、か。

 悪いが、『鳴上悠』は何をされた所で君に攻撃する事は無い。

 だが、君が何を望んでいるのかは分かっている。

 ……だから、ここからは『俺』が相手をしよう」

 

「……あんた、誰? さっきまでとは違うよね」

 

 明らかに、先程までと違う様子に、一気に警戒心が湧き起こる。

 まるで世界そのものを塗り替えた様なその気配に、今まで対峙してきたどんな鬼でもそもそも比較の土台に載せられない程に、目の前の存在が『強い』事が分かる。

 一瞬後に、自分の命が刈り取られていてもそれにすら気付けないかもしれない。

 それを理解して尚、心を無理矢理鎮めて相手の出方を探る。

 

「……そう警戒しなくて良い。

『俺』は、別に君を害そうだとかは思っていない。

『俺』は……『鳴上悠』でもあるが、少し違う。

『伊邪那岐』或いは『伊邪那岐大神』、……もしくは『鳴上さん』だ。好きに呼んでいいし、呼ばなくても良い。

『俺』がこうして出てきたのは、今回だけの特例と思ってくれ。

 夢の中で境が曖昧で深く重なっているからこそ出来る力技だが、その分負担も大きいんだ。

 君とはまた会う事はあるだろうが、それはこの世界では無い」

 

 男の内に潜んでいたその「何者か」は、そう言ってその金色に輝く瞳で此方を静かに見詰める。

 その目に見詰められていると、自分の全てを……霞の向こうにある思い出せない記憶までもが見透かされている様な気すらした。

 もしも『神様』というものが本当に居るのなら、こんな目をしているのかもしれないと、そう思う。

 

 

 

「君の望む通り、『本気』で相手をしよう。

 武器は木刀ではなく、日輪刀にした方が良い。

 そちらの方が、君も全力が出せるだろうから」

 

 

 

 そして、完膚無きまでに叩きのめされた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
八十稲羽での一年は何にも代え難い大切なものではあるが、その一年でトラウマは色々と増えた。ムドオンカレーもその一つ。
『クニノサギリ』以外にも、『ミツオの影』との戦いでもP4Aでのそれ以上の精神攻撃を喰らった為にかなりのトラウマを刻まれ、『伊邪那美大神』との戦いで「幾千の呪言」によって自分を庇って仲間たちが全員黄泉の底に堕とされた事もトラウマになっている。
P-1グランプリなる戦いがゴールデンウィークに待ち受けている事はまだ知らない。


【『鳴上さん』】
基本的には『心の海の中』から悠の目を通して炭治郎たちを見守っているが、一応表に出る事は出来る。
この世界に留まっている間、悠にとって夢と現実の境が曖昧になっている事と、『鳴上悠』と『伊邪那岐大神』は更に強く互いに影響しあっている事がその原因。
本来は出てくるつもりは無かったのだが、何があっても絶対に無一郎を傷付けたくないと言う決意と、それと同時に存在した、ちゃんと無一郎の希望にも応えてやりたいと言う相反する思いがぶつかりあってどうしようも無かったので、頭に一撃食らって僅かに意識が飛びかけたその一瞬を突いて表に出て来た。
『鳴上さん』が表に出ている間は、悠の意識は眠っている。
『鳴上悠』ではあるが表の意識とは異なり、何があっても相手を傷付けたくないと強い意志で拒絶する事は無い。
その為、殺さない程度になら特訓の相手をしてあげる余裕はあるし、悠よりも手加減は上手い。


【時透無一郎】
「本気」の悠との殺し合い寸前の訓練を望んでかなり本気で打ちかかったが、悠には断固として拒否された。
が、僅かに表に姿を見せた『鳴上さん』が、望み通り死ぬ一歩手前まで相手をしてくれた。手も足も出なかったが、得られたものは大きい。
まだ記憶が戻る気配は無い。
でももしもあの時、悠がそこに居てくれたら……と。心の中に過ぎったものはあった。


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『継がれる約束』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 何処か懐かしくも知らない匂いに導かれる様に。

 深く深く水底へと潜っていくかの様に。

 遠い遠い昔の記憶を辿る様に。

 何時かの誰かが遺した強い想いの名残を、夢に見る。

 

 その夢の中で、俺は「俺」では無い「誰か」になっていた。

 ああ、そうだ。「以前」も俺はこの「誰か」として夢を見ていた。

 普段は利き過ぎる程によく利く鼻によって、「俺」の知覚する世界は匂いに溢れているけれど。

 でも今の俺は「俺」では無いから、匂いが全然分からない。

 自分以外の人達は、世界をこんな風に感じているのだろうか。

 人は自分以外の誰にも成れないけれど、しかし今の俺は「誰か」としてこの世界を感じている。

 どうやら今の『俺』は、薪割りをしている最中である様だった。

 俺の生家に似ているが少し違う家で暮らし、どうやら『俺』には小さな子供が居るらしい。

 我が子に舌足らずに「とーたん」と呼ばれ、裾を引っ張られる。

 それに振り返り、我が子が指さす先に目をやると。そこにひっそりと佇んでいたのは。

 

 ──あれは……縁壱さんだ……。

 

 始まりの呼吸の剣士。数百年前に、鬼舞辻無惨をあと一歩の所まで追い詰めたその人。

 そして、恐らくは俺の先祖に、ヒノカミ神楽と日輪の耳飾りを伝えた最初の人。

『約束』の、その始まりに居る人。

 小鉄くんが動かしたあの絡繰人形……「縁壱零式」の顔そのままの人が、其処に居た。

 

 

「誰かに話を聞いて欲しかった」と、そう静かに語った縁壱さんは。かつての夢で見たその姿よりも随分と疲れていた。

 随分と考えて、一番に会いたいと感じた『俺』たちに会いに来たのだと。そう静かに縁壱さんは語る。

 その静かな眼差しの中には、本当に様々な感情が静かに降り積もっているかの様であった。

 

『俺』……いや、炭吉さんが縁壱と会うのは凡そ二年振りの事であった。

 その二年前の出来事が、以前夢で見たあの光景だったのだろう。

 あの時にはまだ生まれたばかりの我が子すみれは、まだ足元がやや覚束無いながらもトテトテと歩ける程にまで大きくなって。

 そんな幼子の姿を、縁壱さんは疲れ果ててはいても穏やかな眼差しで見ていた。

 

 縁壱さんに聞きたい事は沢山あった。

 ヒノカミ神楽の……日の呼吸の事、鬼舞辻無惨との戦いの事、他にも沢山。

 だけれども、俺は炭吉さんとしてこの夢を見ているけれど、しかしこれはただの夢ではなくて、かつての炭吉さんの記憶そのものだから。

 かつての出来事をなぞる様に、炭吉さんが話すのを体感する事しか出来ない。

 思っている事と実際の行動が全く重ならないというのは、実に奇妙な感覚であった。

 そして、炭吉さんの記憶を見ているからなのか。

 炭吉さんの心の動きが己の心の動きとしても伝わって来る。

 それもまた、不思議な感覚であった。

 

 炭吉さんがすみれを可愛がっている様子を、共に縁側に座りながら静かに見詰めていた縁壱さんは、ポツリと呟く。

 

「お前たちが幸せそうで嬉しい。

 幸せそうな人間を見ると幸せな気持ちになる。

 この世はありとあらゆるものが美しい。

 この世界に生まれ落ちる事が出来ただけで幸福だと思う」

 

 炭吉さんは、二年前に出会った時とあまり変わらないがより翳りと孤独を増したその縁壱さんの眼差しを心配していた。

 感情があまり表情としては現れない人ではあるけれど、とても優しい人だという事を知っていたから。寂しい人だという事も知っていたから。

 もし炭吉さんが俺の様に鼻が利く人であったなら、何か感情の匂いを嗅ぎ取ることは出来たのかもしれないけれど。

 そう言った感覚は持ち合わせていなかった炭吉さんは、その言葉やその表情や眼差しの微かな変化からしか縁壱さんの感情を読み取れない。

 それでも、何かとても辛い事があったのだろうと言う事は察していた。

 

 そんな炭吉さんの想いに気付いているのかいないのか、縁壱さんは静かに語り始めた。

 

 縁壱さんは、「継国」と言う武家に生まれた。

 しかし、当時の世では凶兆とされる双子としてだ。

 生まれつき左の額に大きな痣がくっきりと刻まれていた縁壱さんは忌み子として扱われ、家の中でも明らかに冷遇されていた。

 不幸を呼ぶ者とされ、自分がこの家にとっては居てはならない存在なのだと幼くして悟った縁壱さんは、息を潜め口を噤む様にして、己と言う存在を殺す様にして生きていた。

 それでも、別に縁壱さんは不幸ではなかった。

 信心深く争い事を好まない彼の母は、縁壱さんを深く愛してくれていたし、口を利かなかった為に耳が聞こえていないと周りから思われていた縁壱さんの為に、太陽の神の加護を願って手ずから日輪を模した耳飾りのお守りを作ってくれたし、その身体を悪くしてからもずっと気に掛けてくれていた。

 双子の兄は、嫡子として縁壱さんとは比べ物にならない程に立派に育て上げられていたのだが、忌み子として扱われていた縁壱さんの事を何時も気に掛けてくれて。忌み子などに構うなと父から酷く殴られて顔を赤黒く腫らしてもその翌日にはその様な傷付いた顔で手作りの笛を縁壱さんに贈って、この笛を吹けば何時でも助けに来るから心配するなと言ってくれた。

 父の目を盗んで、時折ではあったが双六遊びをしたり凧揚げなどで一緒に遊んでくれた。

 十になれば寺へ出される事は決まっていたが、そんな事は縁壱さんにとって別にどうでも良かった。

 粗末な衣服を与えられ、食事すら質素なもので、物置の様な三畳の部屋に閉じ込められている様な状態であっても。優しい母や兄のお陰で、縁壱さんにとっての世界は優しく美しいものであったのだ。

 兄は誰よりも強い日本一の侍になろうと日々鍛錬を積んでいた。

 それは一体どの様なものなのだろうと興味があった縁壱さんは七つを過ぎた頃に、兄の指南役だった剣士の戯れで一度だけ剣を握った。そして、初めて握ったそれで指南役の剣士を圧倒した。

 縁壱さんには、人の身体の中の動きまでまるで透けて見える様に見えていたからだ。そしてそれは生まれ付きそうであった。

 

 ──縁壱さんには、天賦の才としか言えぬ程の剣の才が生まれ付き備わっていたのかもしれない。

 

 だが、縁壱さんにとってそうやって刀を手に人を打ち据える感触は不快極まりないものであった。

 縁壱さんは、彼の母に似て争い事を好まない気質であったのだ。

 しかし、武家としてはその才を放っておく事など出来ず、このままでは自分が跡継ぎに据えられかねない事を知った縁壱さんは、彼の母が息を引き取ると同時に家を出た。

 出家すると数少ない家の者には伝えたが、しかし実際には寺には向かわずに、美しい星空の下をただ全力で走った。

 縁壱さんは体力も無尽蔵に近かったのか、まだ十にもなっていなかったと言うのに一昼夜走り続けても全く疲れなかったと言う。

 そうして、何処かの山の中の小さな田んぼで、縁壱さんは一人の幼い少女と出逢った。

 彼女の名は、「うた」。

 流行り病で自分以外の家族を全員喪ったばかりのまだ幼い少女であった。

 うたさんと出逢った縁壱さんは、彼女と一緒に暮らし始めた。

 感情が動いてもあまり表情が変わらない縁壱さんの心の機微を感じ取ってくれるうたさんは、縁壱さんにとっては糸の切れた凧の様だった自分をこの世界に繋ぎ止めてくれる人であった。

 うたさんを通して、「普通」の人は他人の身体の中まで透けて見える様な事は無いのだと初めて知った。

 その時、縁壱さんはどうやら自分は「普通」とは違うらしいと知ったらしい。

 そして、月日は流れ、出逢ってから凡そ十年が経つ頃には、縁壱さんはうたさんと夫婦になった。

 縁壱さんの夢と幸せは、家族と静かに暮らす事であった。

 手を伸ばせば大切な存在と触れ合える様な、そんな小さな家で。愛する人の顔を見ながら、その手を繋いで生きていたいだけだった。ただそれだけだったのに。

 臨月を迎え出産を控えたうたさんの為に、産婆を呼びに行こうとして色々とあって少し帰るのが遅くなったその日の夜に。

 縁壱さんが家に帰った時には。

 家を出た時には元気に見送ってくれた筈のうたさんは、腹の中の子共々惨殺されていた。

 それは、鬼の仕業によるものだった。

 平安の時代からずっとこの世の何処かで起きていた無数の悲劇の、その一つが縁壱さんの身に降り掛かった。

 

「自分が命より大切に思っているものでも、他人は容易く踏みつけに出来るのだ」

 

 そう、静かに語った縁壱さんの瞳の奥に過ったのは、忘れる事など出来ないその日の光景なのか、或いは鬼を狩る内に何度も目にする事になった悲劇なのか。

 ただ、その喪失は縁壱さんにとって余りにも大きな物であった。

 縁壱さんはその日から十日程、ぼんやりと妻と生まれてくる筈だった子供の亡骸を抱き締めていた。

 蛆が湧きその身が腐り始めても、ただただ。

 鬼の痕跡を追ってその惨状に辿り着いた鬼殺の剣士の人が、「弔ってやらねば可哀想だ」とそう諭してくれるまで。

 そして、弔いが終わった後に、この惨劇が鬼の仕業である事をその剣士から教えられ。

 そして、鬼たちは始祖の鬼によって平安の時代の頃から増やされて来たのだと知った。

 

 縁壱さんの夢は、本当に小さく温かなものだった。しかしそれは奪われた。そんな小さな幸せは、この美しい世に鬼と言う存在が居る限りは叶わないのだと知り、縁壱さんは鬼殺の剣士になった。

 鬼を追う剣士や鬼を殺す為の日輪刀はこの時既に存在していたのだが、『呼吸』を使う者は居なかった。

 その為、当時の剣士たちが使っていた『型』に合わせた『呼吸』を、縁壱さんは其々に教えた。

 剣士たちはとても優秀で、己の剣技に『呼吸』を乗せる事で次々に鬼を狩れる様になっていった。

 そして『呼吸』を極めた者たちの中には、縁壱さんに生まれつき備わっていた様な「痣」がその身体に浮かび、人の身でありながらまるで人を越えたかの様な力を得る者も居たらしい。

 そうする内に、縁壱さんは偶然にも成長した兄と再会した。

 戦場で鬼に襲われて部下を喪った兄は、鬼殺に協力すると言って鬼殺の剣士になった。

 彼の才も目を見張る程に素晴らしく、鬼殺の剣士になって程無くして「痣」を発現させて縁壱さんに次ぐ程の力を発揮して鬼を狩る様になった。

 この時、今までに無く鬼殺の機運が高まっていた。

 ……だが、それもそう長くは続かなかった。

「痣」を発現させた者達が、次々に謎の死を遂げ始めた。

「痣」は、寿命の前借りにも等しい対価を以て身体能力を底上げしている状態の証であったのだ。

 その代償は、余りにも若い死であった。

 そうやって鬼殺の剣士たちの未来の行く末に暗雲が見え始めた中。

 縁壱さんは、鬼の始祖を偶然見付けた。

 

 出逢った瞬間に、これが鬼の始祖であると言う事は直ぐに分かった。

 そして、この男を倒す為に自分はこの世に生まれて来たのだと、そう縁壱さんは理解した。

 

 鬼の始祖……鬼舞辻無惨は暴力的なまでの生命力に溢れた男であった。

 火山から噴き出す岩漿の様に煮え滾り全てを呑み込もうとしていた。

 そして、縁壱さんが鬼殺の剣士と見るや、鬼舞辻無惨はその腕を振るってきた。

 恐るべき間合いの広さと速さを備えた攻撃であった。

 それを避けると縁壱さんの遥かな後方まで竹が切り倒されたのだと言うのだから、尋常では無い間合いである。

 掠り傷でも死に至ると直感した。

 そして、肉体を見透かすその目で鬼舞辻無惨を見た縁壱さんは、生まれて初めて背筋にひやりとしたものを感じた。

 

 鬼舞辻無惨には、心臓が七つ、脳が五つ備わっていた。

 常軌を逸した化外の肉体を見た瞬間に、縁壱さんの剣技は真に完成した。

 

 完成した型を以て、縁壱さんは鬼舞辻無惨を斬り刻んだ。

 頸を落としたのだが、それでは死ななかった。頸の弱点は既に克服していたのだ。

 しかしそれでも、斬り刻んだ肉体の再生が遅々として進まず落とされた首が繋がらない事に鬼舞辻無惨は困惑していた。

 縁壱さんの手によって色を変えた日輪刀……赫刀は、鬼舞辻無惨に対しても覿面の効果を発揮していた。

 そして、縁壱さんはどうしても鬼の始祖に邂逅した際に問い質してみたかった事を訊ねた。

 

「命を何だと思っている?」と。それは、鬼であるのだとしてもどうしてそこまで命を踏み付けに出来るのか皆目理解出来なかったが故の問いであった。

 だが鬼舞辻無惨からの返答は無く、ただただ怒りからその顔をどす黒く染めるだけであった。

 どうやら自分の言葉が鬼舞辻無惨の心に届く事は無いのだろうと、そう縁壱さんは悟った。

 

 その時ふと、縁壱さんは鬼舞辻無惨が連れていた鬼の娘の存在に目をやった。

 彼女は、今まさに鬼舞辻無惨が命を絶たれようとしているその光景を希望の光にその目を輝かせながら凝視していた。

 どうしてその様な顔をするのかは分からなかったが、取り敢えず鬼舞辻無惨を殺す邪魔になる事は無いだろうと判断した縁壱さんは、その鬼の娘よりも先に鬼舞辻無惨に止めを刺す事にした。

 しかし、その為に一歩近付いた瞬間に。

 奥歯を噛み砕く様な音と共に、その肉体は千八百程の肉片となって勢い良く弾けた。

 余りにも唐突過ぎたそれは、肉体を透かし見る目を以てしても完全に予測する事は出来ず。

 どうにか飛び散った肉片の内、比較的大きな千五百と少しを斬り刻む事は出来たが、残りの肉片は小さ過ぎて完全に捕捉する事は出来ず、逃がしてしまった。

 止めを刺し損ねた事を理解して立ち尽くしていた縁壱さんの耳に、鬼の娘の怨嗟の悲鳴が届いた。

 珠世と名乗った鬼の娘は、鬼の始祖……鬼舞辻無惨の死を心から願っていた様だった。

 取り乱していた彼女を落ち着かせて話を聞くと、堰を切った様に鬼舞辻無惨について話してくれた。

 そして恐らく、何処までも臆病で生き汚い性根であるが故に、縁壱さんが生きている内はもう二度とその姿を見せないであろうと言う事も。

 鬼舞辻無惨をこの手で討ち果たす事はもう叶わない事を悟った縁壱さんは、鬼舞辻無惨が弱った事でその支配から一時的に解放された珠世さんに鬼舞辻無惨を倒す為に力を貸してくれる様に手助けを頼んだ。

 それを了承した珠世さんを、縁壱さんは逃がした。

 

 それから少しして、その場に駆け付けて来た仲間達から、兄が鬼に成ってしまった事と、そして鬼に成った兄がお館様を襲撃してその首を鬼舞辻無惨に捧げてしまった事を、そこで初めて知らされた。

 その夜その場で鬼舞辻無惨に相対したその時には、もう全てが終わっていたのだ。

 縁壱さんにとって大切だったものの殆どは、もう二度と手の届かない場所へと行ってしまった。

 

 兄がどうして鬼に成ってしまったのかは分からない。

 鬼舞辻無惨に偶然遭遇して、無理矢理鬼にされてしまったのか、或いは。

 それに、お館様の頸を捧げたとして、そこにどれだけ「兄」の心が残っていたのかも分からない。

 鬼に成った者は、飢餓を脱して自我らしきものを取り戻したとしても、多くの場合は歪み果てたものへと変貌していて、かつてのその人とは到底似ても似つかないものと化している事が大半だからだ。

 ただ、鬼と化した兄が最早人の世に赦される存在では無くなってしまった事だけは確かだった。

 ……もし、鬼舞辻無惨と遭遇したその時に、兄が鬼へと堕とされた事を知っていれば。

 無駄に問答などせずに、その身を弾けさせる暇など与えずにその身を斬り刻み続けられていたかもしれない。

 だが、全てはもう終わってしまった事で。

 そして、鬼舞辻無惨が縁壱さんの目の前に現れる事は、もう二度と無いのだ。

 

 その後、縁壱さんは。

 鬼舞辻無惨を倒せなかった事、珠世さんを逃がした事、兄が鬼に成った事と更にお館様を殺した事の責任を取る為に、鬼殺の剣士を追放される事になった。

 一部の者からは自刃する事を求められもしたが、それは亡き父に代わって六つの身で当主となったばかりのお館様が止めてくれた。

 そして、鬼狩を追放されて行く宛ても無く彷徨っていた縁壱さんは、かつての記憶に誘われる様にうたさんと過ごした山にやって来て、そしてそこで鬼に襲われていた炭吉さん夫婦を助けた。

 そうやって命を救われたからこそ、すやこのお腹の中に居たすみれは無事に生まれる事が出来たのだ。

 それが、凡そ二年前の話であった。

 

 

 訥々とそれまでに在った事を語った縁壱さんは、深い哀しみに沈む様にその眼差しをほんの僅かに揺らした。

 もし此処に居るのが「俺」であったなら、哀しい匂いを胸一杯に嗅ぎ取っていたのかもしれない。

 ただ、何にせよ、縁壱さんの身に起きたそれは、余りにも遣る瀬無い程にどうしようも無かった。

 

「縁壱さんは悪くない……」

 

 話を聞き終えた炭吉さんは、そう言うだけで精一杯であった。

 炭吉さんの言葉に、暫しの沈黙の後に縁壱さんはまるで独り言の様に呟く。

 

「私は恐らく、鬼舞辻無惨を倒す為に特別強く造られて生まれて来たのだと思う。

 しかし私はしくじった。結局しくじってしまったのだ。

 私がしくじった所為でこれからもまた多くの人の命が奪われる。

 ……心苦しい」

 

 ……どうしてこんなに優しい人に、そんな悲劇が降り掛かって来たのだろう。

 縁壱さんの身には余りにも多くの事が起こり過ぎていて、掛ける言葉なんて見付からなかった。

 俺も、そして炭吉さんも。何も言えなかった。

「そんな事は無い」だなんて、その言葉は気休めにもならないのが分かってしまう。

 

 もしもこの世に神様が居るのだとしたら、あんまりだ。

 どうしてこの人の肩に全ての責を負わせる様な事をしたのだろう。

 強く生まれ付いた事だって、天賦の剣の才を持っていた事だって、縁壱さん自身が望んだ事では何一つ無いのに。

 この世の人の生き死にや運命を決めている神様が本当に居るのだとしたら、余りにも身勝手だった。

 縁壱さんが願っていた小さな幸せを叶えようともせずに、こんな……。

 

 余りにも深く傷付いている縁壱さんに、掛ける言葉が見付からず暫し沈黙だけがそこに存在した。

 何かを言わなくてはならないのは分かるけれど、どう言って良いのかは分からなかった。

 

 その時、まだ覚束ない足取りのすみれが、縁側に座っている縁壱さんの服の裾を掴んで「抱っこ」を強請った。

 すみれを見るその優しい眼差しに、抱っこしてやって欲しいと、炭吉さんは絞り出す様に言う。

 そして、強請られるままに縁壱さんが抱っこして高い高いと持ち上げてやると。すみれは嬉しそうにキャッキャッと無邪気な幼子の在り方そのままに笑う。

 はしゃぐその小さな命を見上げた縁壱さんは、大きく目を見開いて静かに涙を零す。

 すみれを抱き締めて、静かに涙を零し続けるその姿を見て。

 

 ── 何百年も前にもうこの世を去ったこの人のその心が。

 ── ほんの少しだけでも救われた事を、願わずにはいられなかった。

 

 

 縁壱さんは、物静かで素朴な人であった。

 すやこさんが剣の型を見たいとせがんだら、否と言う事も無く見せてくれる様な優しい人だった。

 炭吉さんは、縁壱さんが見せてくれたそれらの型をつぶさに見ていた。

 一つも取り零さずにその瞳に焼き付けた。

 日の呼吸の型は、息を忘れる程に綺麗だった。余りにも美し過ぎた。

 後に「神楽」として受け継がれていった理由が分かる気がする。

 剣を振るう時、縁壱さんは人では無く精霊の様に見えた。

 まるで精霊の様にも見えるのに、すやこさんや子供たちが喜んで笑うと照れくさそうに俯く。

 そんな、優しい人だった。

 

 そして、「正解の形」を夢を通して見せて貰う事で、ヒノカミ神楽への理解度が格段に上がった。

 ほんの僅かな手首の角度の違い、足運びの違い、呼吸の間隔を知り、自分の無駄な動きに気付いた。

 縁壱さんが見せてくれた型は、十二個だった。

 円舞、碧羅の天、烈日紅鏡、幻日虹、火車、灼骨炎陽、陽華突、飛輪陽炎、斜陽転身、輝輝恩光、日暈の龍・頭舞い、炎舞。

 そのどれもが、驚く程正確に伝わっていた。何百年も経つのに。

 それはきっと、『約束』の事もあるだろうけれど。

 この美しい型を、この世に遺したいと今までの御先祖様たちが思ってきたからだろう。

 もしかしたら、ご先祖様の中には俺と同じ様にこの炭吉さんの記憶を夢で見た人も居るのかもしれない。

 思えば、父さんはそうだった可能性が高い気がする。

『約束』だと口にした時のその表情は、何処か遠くの誰かを想うかの様なものでもあったから。

 

 別れ際、また遊びに来てくださいと炭吉さんは言ったのだけれど。

 縁壱さんはそれには返事をせずに、自分が今まで大切に身に着けていた……母との思い出の品である日輪の耳飾りを炭吉さんに贈った。

 ああ、もう此処には来ないのだ、と。それを悟って。

 遠ざかって行く物悲しい後姿に、涙が止まらなかった。

 この涙を流しているのは、炭吉さんなのか、それとも俺自身なのか、もうそれすら分からない位に。

 胸の中には、様々な感情が溢れていた。

 思い出すのは、あの時……二年前のあの別れの時に、自分に価値は無いと言い切った縁壱さんに何も言ってあげられなかった悔しさと哀しさだった。

 だから。

 

「縁壱さん! 後に繋ぎます。貴方に守られた命で……俺たちが! 

 貴方は価値の無い人なんかじゃない!! 

 何も為せなかったなんて思わないで下さい! 

 そんな事絶対誰にも言わせない。

 俺が、この耳飾りも日の呼吸も後世に伝える。約束します!!」

 

 それは、炭吉さんの記憶であると同時に、紛れも無く俺自身の言葉でもあった。

 

 遠く、大正の時代にまで続くその『約束』に。

 振り返った縁壱さんは、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべて。

「ありがとう」と、そう言った。

 そしてそれが、縁壱さんと交わした最後の言葉になった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「……ろう、たんじろう、炭治郎……」

 

 そっと控え目に身体を揺すられながら呼び掛けられて、意識はぼんやりと浮かび上がった。

 少し心配そうに俺を覗き込んでいるのは、悠さんだった。

 一瞬、どうして悠さんが此処に居るのだろうと、まだ少し寝惚けながら考えたが。

 しかし次の瞬間には、此処が刀鍛冶の人達の隠れ里で、悠さんとは同室での滞在になっていた事を思い出した。

 

「炭治郎、大丈夫か……? 寝ながら物凄く泣いていたが……、悪い夢でも見たのか……?」

 

 障子窓の外は既に白んでいて、しかしまだ少し目覚めの時間には早いのか、動いている人の気配は少ない。

 身を起こして、悪い夢に泣いていた訳では無いのだと説明すると、悠さんはホッとした様に安堵する。

 

「そうか……なら良いんだ。じゃあ悪かったな、まだ起きる時間には少し早いのに起こしてしまって」

 

「いえ、良いんです。俺、朝は結構早い方なので。

 それに……見た夢について、悠さんに話しておきたかったですし」

 

「『夢』について? ……縁壱さんとの夢を見たのか」

 

 察しが良い悠さんはそれだけで何の『夢』を見たのか分かったらしい。

 話が長くなりそうなら、と。

 悠さんは一旦部屋を出てからコップとお茶の入ったやかんを手に帰って来る。

 

 その心遣いを有難く受け取って、自分がつい先程まで見ていた夢を思い出しながら悠さんに伝える。

 縁壱さんの口から語られた、縁壱さんの過去やかつての鬼殺隊の話なども併せて。

 そして、ご先祖様である炭吉さんが縁壱さんと交わした約束の事も。

 

「……そうか。縁壱さんに、そんな事が……」

 

 もう数百年前の人であるとは言え、その身に起きた余りにもどうする事も出来なかった悲劇の数々に、悠さんも哀しそうな顔をする。

 そして、深い深い溜息を吐いた。

 

「……あの上弦の壱は、恐らくは縁壱さんのお兄さんなんだろうな。

 双子だったなら、顔も似ている訳だ」

 

 悠さんはそう言って、憂う様にその眼差しを揺らす。

 縁壱さんは、どう思うのだろう。

 たった一人残されていた肉親が、鬼に堕ちて。

 上弦の壱として無数の命を奪い、数百年経った今も尚生き続けていると知れば。

 せめて自分の手で終わらせたかったと願うのだろうか、或いは……。

 

「……あの、悠さん」

 

 今から物凄く大それた事を言おうとしている自覚はあるので、緊張から少し声が震えてしまう。

 そんな俺を見た悠さんは、優しい目で「どうした?」と少しだけ首を傾げた。

 

「……俺、縁壱さんがやり残してしまったと後悔している事を、やり切りたいんです。

 鬼舞辻無惨を倒す事もそうなんですけど、出来れば上弦の壱になってしまった縁壱さんのお兄さんの事も……」

 

「……縁壱さんは別に、炭治郎たちに上弦の壱や鬼舞辻無惨を倒して欲しいから、日の呼吸や耳飾りをご先祖様に託した訳じゃ無いだろう。

 それに、今の炭治郎だけではあの上弦の壱と戦っても直ぐに膾斬りにされてしまうだけになると思う。

 俺が戦った時も、多分まだ本気は出し切っていなかったと思うし、どんな隠し玉を持っているかも分からない。

 更には、鬼舞辻無惨が数百年も前に頸の弱点を克服してしまっているんだ。

 数百年は生きているあの上弦の壱も、もしかしたら頸を落としても死なないかもしれない。

 ……それでも、やりたいんだな?」

 

 そう真剣な眼差しで訊ねて来た悠さんに、俺は真剣に頷いた。

 

「そうか……。あの上弦の壱に次に何時遭遇出来るのかは分からないけど。

 なら、出来る限りの事をして備えないといけないな。

 もっともっと鍛えないといけないし、きっと限界まで鍛えてもたった一人だけだとすれば勝ち目はない。

 だから、誰かと共に戦う連携をもっと取れる様になれたら良いかもな」

 

 そう言って、何処か困った様な溜息を吐きつつも。「仕方無いから、手合わせをするか」と呟く。

 あれだけ嫌がっていたのに、どうした事なのだろうかと驚いていると。

 

「いや、昨日時透くんに引き摺って連れ去られてから色々あってな。

 ちょっと驕りが過ぎたと言うのか、頭を木刀で思いっきり殴られてどうやら意識が飛んでいたらしくて。

 何と言うのか、もしかして俺は恐がり過ぎていただけだったんじゃないかな、と。

 皆の事をちゃんと信頼出来ていないんじゃないか、傷付ける事で傷付く事から逃げていただけなんじゃないかって、ちょっとだけ考え直してみたんだ。

 まあ、真剣や木刀を握って戦うのはまだ心の抵抗があり過ぎて難しいし、時透くんが言っていたみたいに死ぬ一歩手前まで追い詰めてくれなんて言うのは流石に幾ら何でも無理なんだけど。

 一応、極力怪我をさせる事も無いし、命に関わる様な状態にもならなさそうな武器には心当たりがあるからな。

 ちょっとそれで頑張ってみるよ」

 

 何をどうするのかは分からないが、悠さんが手合わせに対して少し前向きになってくれたのは有難い事だった。

 

「ああ……でも、炭治郎は今日も確か小鉄君と特訓するんだよな。

 あの絡繰人形を使ってるんだっけか」

 

 悠さんにそう言われ、それを思い出して思わず頭を抱えてしまった。

 そう、昨日時透くんに出逢って悠さんが連れて行かれてから、大事な絡繰人形をガラクタ呼ばわりされた事で怒髪天を衝いた小鉄くんは、その場に残っていた俺を徹底的に鍛え上げて時透くんをけちょんけちょんに打ち負かす! と意気込み出したのだ。

 その勢いからは逃げ切れなかったし、それに強くなれるなら……なんて内なる魔の囁きに負けてしまったのだが。まあ、その特訓内容は中々に過酷なものだった。

 回避能力だけはずば抜けていたので初日でもどうにか及第点を貰えて宿に帰って来る事は出来たのだが。

 もし回避すら覚束無かったら、不眠不休で食事も水も無しで出来る様になるまで文字通り「死に物狂い」でやらせるなどと言い出していたのだ。いや本当に、そうならなくて良かった。

 もしそんな事になっていたら、流石に強制的に連れ戻していたよと悠さんは苦笑するが、そう言う問題でも無いのだ。

 小鉄くんの分析能力は物凄く高くて、回避行動の際のクセなどを的確に見抜いてそこを潰す様な動きが出来る様にと絡繰人形の動きを調整していって。

 しかも装備しているのが真剣なので、とにかく緊張感が凄い。

 絡繰なので「不味い」と思っても咄嗟に止まってくれる訳でも無いので、何があってもその間合いに居る間は絶対に気が抜けない。

 まあ、確かに強くなっているとは思うのだけれど、本当に大変だったのだ。

 そしてそれは今日もまだ続く予定である。目標は人形の頸に強烈な一撃を入れる事ではあるのだが、それは中々難しいのだ。まあ、それでこそ特訓の甲斐があると言う事かもしれない。

 

「まあ、頑張れ。炭治郎なら出来るさ。

 時透くんをけちょんけちょんに出来るのかに関しては、ちょっと何も言えないけど……」

 

 苦笑いしつつそう言った悠さんに、「ですよねー……」と思わず言ってしまう。

 いや本当に、時透くんをけちょんけちょんにすると言うのがどう考えても最難関である。

 

 少し面白そうに苦笑していた悠さんだが、改めて俺が『夢』の中で得た情報を整理していくと、その眼差しは真剣な輝きを帯びていった。何かをそうやって真剣に考えている時の悠さんの目は、まるで深い霧の向こうに隠されたものですらも構わず見通してしまいそうな感じがある。

 

「身体がまるで透き通る様に見える目、寿命と引き換えに人の身でありながらまるで人を越えたかの様な力を得る『痣』、五つの脳と七つの心臓を持つ鬼舞辻無惨、鬼に対して覿面の効果を持つ『赫刀』、か……」

 

「それに『呼吸』自体が縁壱さんが当時の鬼殺の剣士たちに教えたものが始まりだって言う事も有りましたね」

 

「何と言うのか、本当に今の鬼殺隊の根底にあるものを縁壱さんが作ったと言うか伝えたって言うのが凄いよな」

 

 そして、「だからこそ自分に価値が無いなんて絶対に無いのにな」、と。そう哀しそうに悠さんは呟いた。

 戦う事が好きでは無かったのに愛しい者を奪われて血腥い鬼殺の道を歩み、失意と共にその道を断たれた縁壱さんの事を、直接の面識は無いものの悠さんはとても気に掛けている様だった。もう数百年も前に亡くなっている人であるが故に、ここで何を想っていても縁壱さん本人に届く訳では無くても、それでも。

 ……悠さんが言う通り、縁壱さんが遺したものは今も鬼殺隊を支えている。そして、縁壱さんが未来に託してくれた様々なものが、今再び集まって、鬼舞辻無惨を倒そうとしている。

 珠世さんの事も、そしてヒノカミ神楽として伝えられ続けて来た日の呼吸も、鬼舞辻無惨を斬り刻んだ『赫刀』も、全て。そして『夢』の中で新たに手に入れた情報は、確実に鬼舞辻無惨討伐の為の力になる。

 

「ヒノカミ神楽と言うか日の呼吸の正確な動きはもう覚えたのか?」

 

「はい! 元々ヒノカミ神楽自体が代々見取り稽古を通して伝わって来たものなんで、見て覚えるのは得意なんです。だから、『正解』の動きはもう確り目に焼き付いてます!」

 

 そう言うと、驚嘆した様に「うーん」と悠さんは唸る。

 

「代々見取り稽古でほぼ完璧に数百年も伝えて来れたっていうのは既に凄まじい才能と言うのか、そう言うのを感じるな……。

 しかし、なら後はその『正解』の動きを反復練習するだけだな。

 確か、大分ヒノカミ神楽を使っても疲れ難くなってきているんだっけ」

 

「多分身体が完成してきたんだと思います。任務以外では鍛錬を積んで身体を鍛える事を優先しているんで。

 俺は多分縁壱さんや父さん程の日の呼吸への才能は無いんですけど、でも、頑張ります!」

 

 あの縁壱さんの様に日の呼吸を極めたり、或いは父さんの様に極める手前にまで至れる様な才能はきっと自分には無いのだろうと思った。

 身体がまだ未熟であると言う以上に、或いは選ばれた使い手である事を示す「痣」を生まれつき持っている訳では無いと言う以上に。恐らく、努力などでは埋めきれない何かがきっとそこに在るのだろう。

 それでも諦める訳にはいかないし、少しでもヒノカミ神楽を極められる様に努力は重ねていくつもりである。

 そう意気込むと、悠さんは何故かそっと俺の頭に手をやって撫で始めた。

 何だかちょっと気恥ずかしい、でもそうされるのも嫌では無い。

 

「才能の有る無しだけが全てじゃ無いと思うし、俺からすれば炭治郎は既に凄い才能を持っている上に、どんどん努力して強くなってるよ。

 そもそも、鬼殺隊に入ってまだ半年程度も経っていない位なのに、既に上弦の鬼と戦っても五体満足で生きていられるのは本当に凄い事なんだと思う。

 俺はあまり呼吸だとか剣術の才能だとかには詳しく無いけど。

 でも、炭治郎たちは凄いよ、頑張っている。

 だから、縁壱さんたちと比べて自分をそう卑下するな」

 

 別に事実を言っているだけで卑下しているつもりなんか無いのだけれど、とそう思っても。

 そう言う問題でも無いんだ、と悠さんは言った。

 高い目標を掲げそれを追い続ける事は大成する為にも大切だけれども、何時までも彼方の星を追い掛け続ける事に固執していては、何時か何もかも見失い自分を肯定出来るものを喪ったまま途方に暮れてしまう事もあって。だからこそ、自分の努力や積み重ねて来たものにもしっかりと肯定感と共に向き合う事も大事なのだ、と。悠さんはそう言った。

 現状に満足して停滞するのではなくて、自分が走って来た道程に誇りをもってもっと前に進める様に、と。

 弱さや至らなさに涙を零しても、それまでの全てを否定してはいけないのだ、と。

 

「何だか悠さんって色々と達観している感じがしますね。だから優しいのかな」

 

 感情豊かでよく笑う優しく暖かい人だけれども。

 人の心を優しく肯定するその寛容さと言うのか、懐の深さは達観しているからなのだろうかと、そう思う。

 

「そうでも無いと思うぞ。至らない所は沢山あるし。

 ただ……人の心に向き合って戦い続けて来たから、人が何を苦しいと感じるのかとか、どうやってその苦しみを乗り越えていけば良いのかとか、そう言うのはちょっと分かるかな」

 

 そう少し目を細めて想ったのは、俺と出逢う前に過ごしていた日々の事なのだろうか。

 人の『心の海の中』を、人を助ける為に戦って駆け抜けた日々の。

 一体、どんな戦いだったんだろう? どんな日々だったのだろう。

 前に話して貰ったのは、本当に簡単な概要だけだったので、もっと悠さんの事を知りたいな、とそう思うのだ。

 何時か、訊けば話してくれるのだろうか? 

 悠さんにとっての大切な日々の事を。

 

「……しかし、鬼舞辻無惨に心臓が七つ脳が五つも在るってのは驚きだな……。

 頸を落とされても平気なのはそれの所為なのかもしれない。

 少しでも深手を負わせるにはそれを狙うのが重要になるんだろうが、そんなに多いと相当難しいだろう。

 本当に、何と言うのか……人間とは全く違う存在なんだな、鬼舞辻無惨って。

 そして、そんな身体の構造を見抜いた縁壱さんの身体を透かし見る力が凄過ぎる……」

 

 改めて縁壱さんの力に感嘆する様に溜息を吐いて。一体どんな風な感じなんだろう、と。悠さんはその感覚を全然想像出来ないのか首を捻っていた。

 ……しかし、透き通って見える、か。

 そう言えば確か父さんが……。

 

「……昔、父さんが自分には『透き通る世界』が見えるって言っていたんです」

 

「『透き通る世界』……? それって、縁壱さんが見ていた様な世界の事なのか?」

 

「そこまでは分からないんですけど……。何か、物凄く努力をして不要なものを削ぎ落していったら見えるらしいです」

 

 正直、父さんが言っているその世界とやらにはまだまだ遠くて。それが一体どんなものなのかは全く想像が付かない。

 ただ、父は病で亡くなるほんの数日前に、大きな人喰い熊を小さな手斧だけで一瞬で首を落としてしまった事があった。あの時に見た体捌きは尋常のものではなかったのだ。

 父には本当に、何か違うものが見えていたのだろうと思う。

 その事を説明すると、悠さんは本当に驚いた顔をした。

 

「それは凄いな……。確かに、炭治郎のお父さんには『何か』が見えていたんだろう。

 しかし、そう言った感覚の話は、他人に伝えるのが難しい。

 その『透き通る世界』ってのが、縁壱さんが見ていたものだとして。

 どうやったらそこに辿り着けるのかを検証するのは相当難しそうだ……」

 

 悠さんの言葉に、確かにと頷く。

『赫刀』に関しては、物凄い力で刀を握り締めれば良いと判明したので、同じ状況を再現出来れば使う事が出来るだろうけれど。

『透き通る世界』が完全に個人の知覚の問題になってしまうのであれば、その条件を他人に伝えるのはかなり難しそうだ。そもそもその条件を正確に実証する事も難しい。

 

「後は『痣』ですね」

 

 そう言った瞬間。

 悠さんの目が静かに暗くなった。

 

「駄目だ」

 

 間髪入れる事も叶わない程の余りにも強い拒絶の言葉に、俺は思わず驚いてしまった。

 

「でも、それがあったら絶対に──」

 

「でも駄目だ。その条件を探す事も、絶対にさせない」

 

 例え寿命と引き換えなのだとしても、それでも強くなれるなら……それで鬼舞辻無惨を討てるなら、と。

 そう思うし、実際鬼殺隊に居る人たちの中にはそれを躊躇う人は少ないと思う。

 しかし、悠さんはそれだけは絶対にさせて堪るかとばかりに、憤りにも似た感情をその目に宿した。

 

「確かに、強くなれるのならそれを躊躇う人は鬼殺隊には少ないのかもしれない。

 命懸けで、明日も知れぬ身であるのなら、今ここで生き延びる為に勝つ為に寿命を差し出す事を厭う人は居ないかもしれない。

 でも、俺は絶対に嫌だ。そんなの、させて堪るか。そんな選択を皆にさせて堪るか」

 

「でも」

 

「でももだっても無い。確かに、命は何時喪われるのかなんて誰にも分からない。

 健康だった人でも事故で突然に命を落とす事だってあるだろうし、長く生きれば良いってものでも無い事も分かっているさ。生きた時間の長さでなくて、そこで何を得られたのかを考えるべきだって事も。

 時は待たない、全てを等しく、終わりへと運んで行く。どんな生き物だって何時かは死ぬ。

 精一杯生きていたって、どうしようもない事だってある。死は何時だって其処に在る。

 でも、己の命の時間を自ら差し出すそれを、俺は絶対に善しとはしない。

 人は独りでは無い、そうやって差し出した時間の先で、必ずその人を大切に想う人は哀しむんだ。

 鬼舞辻無惨を倒して終わりじゃないんだ。

 その先の未来で、笑って幸せになれなきゃ、本当に鬼舞辻無惨に勝ったとは言えない」

 

 その目には、何処までも強い決意が燃えていた。

 そして、悠さんから感じる匂いが、「何をしてでもそんな事をさせはしない」と、そう伝えて来る。

 

「でも、そうする他に無かったら?」

 

「そんな状況に陥らない様に、全力を尽くすまでだ。

 そんな力に頼らないと一人では勝てない相手なら、絶対に独りでは戦わない様にすれば良い。

 自分の寿命を差し出す前に、自分に出来る全てでみっともない位に足掻けば良い、そして俺を呼べば良い。

 ほんの少しでも時間を稼げるなら、俺は絶対に其処に助けに行く、何をしてでも間に合って見せる。

 俺は、こう見えて『神様』相手でも絶対に譲らなかった人間だ。

 その程度の事、絶対に叶えて見せるから。だから、自分から命の時間を絶対に差し出すんじゃない」

 

 悠さんの目は何処までも真剣で、そして強い憤りを懐いていて、それ以上に哀しそうであった。

 何処までも強く俺たちの事を想う感情のその匂いに酩酊してしまいそうになる程の、強い感情であった。

 しかし。悠さんがどんなに心からそれを厭うのだとしても、そんな事をさせないと決意しても。

 それでも、「絶対」はこの世には無い。

 悠さんは自分でもそう言っていた様に、決して『神様』では無いから。どんなに強くても、何もかもをその手に抱えて何があっても完璧に守り切る事は出来やしないのだろう。

 そして、それ以外にはもうどうしようも無い状況で選択したそれを、きっと悠さんは責めはしない。それを選ぶ前に助けられなかった自分を責めて己を傷付けてしまう。

 強い言葉で否定しても、その根底にあるのは何処までも深い優しさだ。

 

 もし、それ以外に他に選べなかった場合、多分俺は寿命と引き換えでもその力を望む事を躊躇は出来ないけれど。

 此処まで俺たちの事を強く想っている悠さんを哀しませるのは、嫌だなぁ、と。そう思う。

 

 

「……そうですね、俺も頑張ります」

 

 

 だから、その選択をしなくても良い様に。

 もっと強くなりたい、と。そう心から思うのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
縁壱さんの境遇に関しては涙を零しかける。
もし縁壱さんに出逢えていたら仲良くなれたのかな……と、炭治郎の話を聞きながら思った。
「痣」の事を知って、絶対に誰にもこんなものを発現させないと決意。
もし炭治郎などが「痣」を出してしまった場合は、何とかして寿命を少しでも元に戻そうと奮闘する事になる。
柱程度の実力者の場合、「痣」による強化の振れ幅よりも、「ヒートライザ」で強化する振れ幅の方が絶対的に大きい。
そして「痣」持ちを「ヒートライザ」すれば、ニア縁壱にまで引き上げる事も可能。


【竈門炭治郎】
縁壱さんの事に関しては、本当に心を痛めている。
この世界に神様がいるなら本当に残酷すぎる……。
無惨討伐に必要な情報の大半はもう既に得ている状態。
「痣」はまだ出ていない。今後も出すのかどうかは不明。


【継国縁壱】
自分が遺したものが数百年の後の世にもちゃんと受け継がれて行っている事は知らない。
お労しい兄上を解放する事は出来なかったのは無念極まりない。
もし悠と出逢う世界線があったなら、互いに相手の幸せを想う大親友になっていた。出逢う時期によってはうたさんも当然助かっているし、ついでに兄上の拗らせに拗らせた心も悠のコミュによって解消されていた。


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『刀鍛冶』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 時透くんとの訓練の中で、どうやら頭を木刀で打たれた際にその衝撃で気を喪っていたのか。

 気付いたらもう夕刻になっていた。

 何と言うのか流石に色々と申し訳無くて、その場に居た時透くんには謝ったのだが。謝ると時透くんは逆に怪訝そうな顔をして、「別にいい」と言ってそのまま去って行った。

 

 人を傷付けたくない殺したくないと言う一心で、人に力を使ってまで攻撃する事を拒否し続けていたのだが。

 流石にそれは失礼なのではないかとも思うのだ。驕っているつもりは無かったが、ある意味傲慢な考えだとも言える。

 しかし、木刀と言えども剣を握って手合わせすると言うのは自分にはまだ心理的な壁が大きい。

 だが、木刀よりも殺傷力の無い武器はあると思うのだ。

 例えばハリセンとかなら丁度良いのではないだろうか。

 本気で叩けば幾らハリセンでも痛いかもしれないが、流石に手足が千切れ飛ぶなんて事は無いだろうし、万が一にもそんな威力が出そうになったらハリセンの方が耐えられなくて壊れるだろう。

 ハリセンで攻撃する位なら、多分大丈夫だ。

 考えれば考える程に、「名案だ!」と思う。どうしてもっと早くに思い付けなかったのだろう。

 手合わせを嫌だと思い過ぎて、それをどうにか回避する方向にばかり意識が向いていたのかもしれない。

 

 何にせよ善は急げと早速ハリセンを作った。

 叩いた際の音はかなり派手だが、基本的に痛くは無い。

 見た目からふざけているのかと怒られるかもしれないが、それでもこれで手合わせが出来るとなればきっと時透くんも許してくれるだろう。

 時透くんはどうやら記憶に何らかの障害があるらしく、明日になれば今日こうして訓練しようとしていた事を忘れてしまうかもしれないし、何ならまた小鉄くんの所に行ってしまうかもしれない。

 なら、今日不甲斐無い所を見せてしまったお詫びも兼ねて、明日は全力で時透くんの要望に応えようと思う。

 

 ……それに、過去の事を思い出せないし記憶を留める事が出来ないと言ったその時の時透くんの表情が、どうしてもマリーの事を思い出してしまい気に掛かってしまうのだ。

 思い出した過去の記憶が幸せなものなのかは別にして、それを思い出せない事に苦しんでいるのなら何か力になりたいものである。自分に何をしてあげられるのかは分からないが、出来る事はしてあげたい。

 記憶を取り戻す事が出来たら、記憶を留められる様になれば。

 きっと、上手く良い方向に時透くんの何かを変える切欠になるのではないだろうか、と。そう思うのだ。

 要らぬお節介なのかもしれないし、ともすれば迷惑だと拒絶されかねないけれど。

 それでも、出逢ってしまった以上は、ほんの少しでもその心に触れてしまった以上は放っておけないのだ。

 そして、時透くんとの間に芽生えた【月】の絆が、自分には彼に対してしてあげられる事がきっとあるのだと教えてくれる。

 

 絆。それは自分にとっては特別に大切な意味を持つ心の繋がりだ。

 この世界でも見出したそれは、八十稲羽で紡いだものの重さと全く変わらない。

 この世界に迷い込んで、少なくはない時間を過ごして。

 何時の間にか、殆ど空っぽに近かった様々な絆も、随分と新たに結ばれ満たされてきていた。

 絆が満たされていく度にそれが大きな力になっていくのを心の奥底から感じているし、真に満たされた絆が自分を限り無く助けてくれる。

 でも別に、強くなりたいから、力を取り戻したいから、絆を満たしたい訳では無い。

 向けられた信頼に応えたいだけだし、そうやって絆を満たしていく中で少しでも「何か」を良い方向に変える切欠になりたいと思っているだけだ。

 鬼舞辻無惨を倒すと言う目的を果たす為だけではなくて、その先の未来で大切な人たちが少しでも笑って幸せになる為の些細な切欠になりたいのだ。ただそれだけである。

 そして、その為に自分に出来る事を全力でするのだ。

 

 逗留先の宿に戻ると、丁度同じ様なタイミングで皆も帰って来た。

 

 破天荒で自由な伊之助と、素直で常識的な感覚の強い玄弥の二人だが、相性自体は悪くないのか、「宝探し」の中で更に打ち解けた様だ。

 捜していた「宝」自体は見付からなかったらしいが、伊之助は山育ち故に周囲の山の探索がそれはもう楽しかったらしく、途中で見付けた色んなオタカラを見せながら興奮した様に話してくれた。更には、子分へのお土産だと言ってツヤツヤとした形の良い綺麗なドングリをプレゼントしてくれたので、後でドングリ独楽かやじろべえなどに加工して伊之助にあげても良いかも知れない。きっと喜ぶだろう。

 玄弥は山自体は悲鳴嶼さんとの鍛錬で慣れているからか、伊之助のハイテンションにもちゃんと付き合ってやれたそうだ。「宝」は見付けられなかったが、まるで童心に返ったかの様な時間を過ごせたからなのか、何時にもまして楽しそうな顔をしている。良い息抜きになったのだろう。

 

 善逸と獪岳も、その蟠りが解消された訳では無くとも、少しは話し合って歩み寄る余地が生まれたのか。

 少しばかりその距離は縮められている様な気がする。

 獪岳の行いが行いだけに、それを簡単に許す事は出来ないしそれはしてはいけない事を善逸は分かっている。

 そして獪岳自身もそれを分かっているのだし、幾らあの場ではその命を捧げる事になってでも生き延びたいと思っていたのだとしても、命の危機を脱して冷静になれば、それを積極的に肯定してはいけないのだと思う程度にはちゃんと自制心はあるので、獪岳自身も自分の選択を正当化はせずにいる。

 今はまだ歩み寄る程までにはいかないし、お互いにどう落としどころをつけるべきなのか探っているのかもしれないが。

 きっと、悪くはない方向に進む事も出来るのでは無いだろうかとも思うのだ。

 まあ、自分に出来るのは見守る事だけなのだけれど。

 

 そして自分が時透くんに連行された後は小鉄くんと取り残された結果になった炭治郎は、それはもう……倒れる寸前と言うべき程にまで疲れ果てた状態で帰って来た。

 一体、あの後何があったと言うのだろう。

 話を聞くと、あの絡繰人形を時透くんに馬鹿にされた事にブチ切れた小鉄くんが、時透くんを見返してやると気炎を吐きながら炭治郎を巻き込む様にあの絡繰人形を使った特訓を開始したらしい。

 それが本当に過酷であったらしく、ほぼ休憩も無しにぶっ続けで延々と戦い続けていたのだとか……。

 分析能力は確かであるらしく、的確に炭治郎の弱点を潰そうとしてくれてはいたらしいのだが。

 出来るまで不眠不休で食事も水も抜きだなんて暴挙を平気で課そうとしていた辺り、指導係としての素質も経験も全然足りていない様だ。まあ、そんな悲惨な事になりかけていたら、流石に自分たちが止めに入るけれど。

 そんな過酷な特訓も、取り敢えずは今日の目標は達成出来たとの事で解放されたそうだ。

 しかも、特訓は明日もやると宣言されたらしい。

 真面目な炭治郎は、特訓から逃げると言う選択をする事無く、それに応じるそうだ。

 ……本当に大変そうだが、本人が良いと思っているのだから良いのだろう。

 

 炭治郎たちを存分に労って、その後は皆で明日に備えてゆっくりと休むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ふと何かを感じて目を覚まし、横を見ると。

 炭治郎が寝ながら物凄い勢いで涙を零していた。

 既に朝日は昇っているので禰豆子は何時もの箱の中に隠れているが、炭治郎が泣いている事を察しているのか、心配そうにカリカリと控え目に箱の中を掻いている。

 呼吸に乱れが生じていたり、或いは熱がある様子も無いのだが、しかし炭治郎の涙は一向に止まる気配が無い。

 何か悪い夢でも見ているのだろうか。それとも、もっと別の何かを見ているのか。

 思い出すのは、あの列車の中で鬼に見せられていた夢の事だ。

 だからこそ少し心配になって、まだ起きるには早い時間ではあったのだが、炭治郎の身を揺する様に起こした。

 目覚めた炭治郎の様子に何かおかしな所は無く、ホッとしていると。

 炭治郎は『夢』……自分のご先祖様の記憶の様な夢を見たのだと教えてくれた。

 以前、縁壱さんの姿を見掛けたのだと言う不思議なその『夢』の、更にその先を見たのだろう。

 

 一体どんな『夢』であったのかを、炭治郎はゆっくりと教えてくれる。

 縁壱さんが見せてくれた日の呼吸の説明などは擬音だらけの斬新な説明だったが、概ねは縁壱さんが語ったそれをそのまま伝えてくれた。

 数百年前の時間に生きた『継国縁壱』という一人の人間の半生を知って、どうする事も出来ない様な遣る瀬無さを感じて深く溜息を吐いてしまう。

 優しく善良な人が報われるとは限らず、どんなに強くてもその手の中から大切なものが指の間を零れ落ちる砂の様に喪われてしまう……。理不尽で残酷なその世界の在り方に翻弄されたその人が、その生の終わる時に少しでも幸いを見出せている事を願わずには居られなかった。

 凄まじいまでの剣の才に恵まれて、神業としか思えない程の力を持っているのだとしても。

 炭治郎の話から見える縁壱さんの姿は、何処までも善良で悩み苦しみを抱える『人』のそれであった。

 だからこそ、少しでもその心が救われていて欲しいと願ってしまう。

 ……どうすれば縁壱さんを襲った苦しみを回避出来たのかなんて同じ時を生きた訳では無い自分には分からないし、もし自分が夢の中で出逢ったのが炭治郎ではなく縁壱さんだったとしても、その時その時の選択の先の未来を見通し切る事など出来ない以上はどうにもならなかったのかもしれない。

 炭治郎のご先祖様が交わした『約束』が、少しでもその心を軽くしてくれる事を願うしか無かった。

 縁壱さんが遺した沢山のものが今こうして再び集まって、その最大の心残りであったのだろう鬼舞辻無惨討伐に向かおうとしている事を、数百年前のその人に教えてあげたくなる。……そんな方法は無いのだが。

 

 そして、一通り話終えた炭治郎はふと決意した様に「上弦の壱を自分の手で倒したい」と言い出した。

 縁壱さんの兄であろうその人を、止めたいのだ、と。

 その困難さを理解した上で「それでも」と決めた炭治郎のその意志を翻意させる事など出来ないし、そうしたい訳では無かった。炭治郎の気持ちはよく理解出来る。

 なら一度軽く斬り結んだだけとは言え実際に上弦の壱に遭遇した経験のある自分に出来る事は、上弦の壱に相対した時に少しでも炭治郎が生き延びてその望みを達成出来る様に鍛える事なのだろう。

 上弦の壱の戦い方を再現出来る訳では無いが、どの程度の反射速度や回避速度が無いと即死するのかは分かる。

 そして、それを直接教えてあげられるのも自分だけだ。まだ躊躇いはあるのだが、手合わせなどで直接剣を通して伝えるしか無いのだろう。

 

 改めて炭治郎が『夢』で得た情報を整理していく。

 鬼舞辻無惨が五つの脳と七つの心臓と言う事、そしてそれを見抜いた「身体が透き通って見える」感覚、更には鬼舞辻無惨にも有効だと言う赫く染まった日輪刀──『赫刀』。

 そのどれもが、恐ろしく有益な情報だ。

 きっと鬼殺隊が喉から手が出る程に欲しているものであるのだろう。

 炭治郎の『夢』や珠世さんを通して得たそれらは、全て縁壱さんが遺してくれたものだと言っても過言では無い。

 もうとうにこの世を去っている人ではあるが、本当に感謝してもし切れない程だ。

 そして炭治郎は『夢』の中で縁壱さんが見せてくれたそれによって、日の呼吸を完全に見取ったそうだ。

 元々見取り稽古で代々継承されて来たものであり、炭治郎も見取りにはかなり自信があるらしい。

 それって相当凄い才能なのでは? と物凄く想う。そもそも見取り稽古だけで数百年間ほぼ完璧に伝承させ続けている時点で尋常では無い。……鬼舞辻無惨に襲われてその温かな幸せが壊される事さえなければ、戦う為の術では無く神楽としてこれからもその異才を発揮する事も無く静かに受け継がれていったのだろうけど。

 そう思えば、鬼舞辻無惨は本当に踏まなくても良い虎の尾を踏み千切り、触れなくても良い竜の逆鱗を粉砕し続けているのだろう。それでも千年以上も誰も倒す事が出来ていないのだから、その存在の規格外さと言うのか……身を隠す力は尋常では無い。

 

 だがそんな凄い事をしているのに、縁壱さんや炭治郎のお父さんと比較すると、炭治郎は自分にはそこまでの才は無いのだと言い出す。

 炭治郎のお父さんがどれ程凄かったのかはよく分からないが、きっと炭治郎が言う様にヒノカミ神楽への凄い才能があったのだろう。

 しかし、今此処に立って戦っているのは炭治郎であるのだし、命を懸けて鬼舞辻無惨を討たんとしているのも炭治郎だ。

 それに、炭治郎はまだ十五歳なのである。現代ならまだ中学生なのだ。身体はまだ出来上がっているとは言い難いのだし、それと大人として身体もしっかり出来上がっている人たちと単純に比較する必要はないと思う。

 更には、鬼殺隊に入ってまだ半年も経っていないのに、ベテランの隊士でも経験し得ない様な激戦を何度も潜り抜けて今も戦い続けられているのだ。それは物凄い幸運と積み重ねた努力と、そして間違いなく才能のお陰であると思う。自分は剣や呼吸の才能の云々なんて殆ど分からないが、それは分かる。

 炭治郎は凄い奴なのだ。

 だが、きっと周りには炭治郎が持っていない形の才能の持ち主や、或いは炭治郎よりも長く努力して遥かな高みに居る人たちばかりだから、その凄さを自覚しきれていないのかもしれない。

 現状に満足せずもっと強くならなくてはと研鑽を怠らないその姿勢は本当に眩しく見えるし、それでいて周りの事を気遣う心も忘れないからこそ炭治郎の周りには人が集まるのだろう。

 自分が苦しい時ですら人に優しくし続ける事も、そして自分を律して努力し続ける事も。

 その何れもが簡単な事では無いし、そう出来ない人の方が圧倒的に多い程に難しい。

 炭治郎はそれを、自分は長男だから、自分はまだまだ弱いから、と、そうやって踏ん張って成し遂げているが。

 高潔な在り方や彼方の星の様な高い目標を掲げて努力し続ける事は大切な事であり素敵な事だけど。

 それも過ぎれば心を疲弊させる猛毒になりかねないものだ。

 努力したそれが自分が思った形で正しく報われるとは限らないし、極めれば極めるだけ「才」としか表現しようの無い壁に何度でも行き当たってしまう。だが、その壁に行き着けるだけの努力が既に其処に在るのだ。

 その時に更なる努力を重ねて壁を乗り越えようとする時に、自分が重ねて来たものを肯定出来るのかは重要だ。

 それが出来なくては、何時か路を見失って途方に暮れてしまう。

 だからこそ、「自分には才が無い」なんてその自覚が無くても卑下したりするのは良い事では無い。

 それは、才の有る無しの問題では無いからだ。

 

 八十稲羽で過ごした一年で、今までの自分では考えられない程に「人の心」と言うものに真剣に向き合った。

 苦しみや悲しみに寄り添って、共に悩んで。儘ならない現実に藻掻き苦しみながら一生懸命に何処かに辿り着こうとするその姿を見届けてきた。人の数だけ存在する様々な『真実』を、一緒に探してきた。

 様々な影を見詰め、影が生まれたその背景を見詰め。虚構の霧の中に隠されてしまった『真実』を探し、全ての人の心の願いが生み出した『神』の姿をしたそれを討ち果たし。

 そうやって色々経験してきたからこそ、『心』を大切にしたいと真摯に思う。

 炭治郎は凄い奴で、その心もとても強い人だ。

 あの『心の海の中』の世界で影と対峙したとしても、きっとそれを受け入れて己の力にしてしまえるのだろうと確信出来る程に。その心は強い。

 それでも、強い人なら傷付かないなんて事は無いし、どんなに凄い人でも心が摩耗してしまう事はある。

 だからこそ、その心が無為に傷付く事からは守りたいと思う。

 そう言うと、炭治郎はちょっと驚いた様な顔をしたが、しかし何処か気恥ずかしそうでありながらも嬉しそうに微笑んだ。

 

 そして、縁壱さんが知覚していたと言う「身体が透き通って見える」感覚に関して、炭治郎はお父さんがその様な事を言っていたのだと言い出した。

 努力し続けた上で不要なものを削ぎ落した先に見えるのだと言うその感覚がどんなものなのか、自分には全く見当が付かない。が、お父さんはその感覚を使って小さな手斧一つで巨大な人食い熊の頸を一瞬で落としたのだと言う。しかも病で亡くなるほんの数日前に。本当に実在の人間の話をしているのかと疑いそうになる程だ。

 それがどんなものなのかは全く分からないが、確かに『何か』が見える事はあるのだろう。

 

 そして。炭治郎は最後に残ったものの事を……『痣』の事を、話題にする。

 人の身で人以上の力を得たその証に現れるのだと言うそれ。……ただしそれは寿命を前借りしたに等しい力で、その代償は余りにも重いものである。

 明日の命があるかどうかも分からない様な戦いが常である鬼殺隊の隊士たちにとっては、寿命程度で強力な鬼を倒す力が得られるなら躊躇する必要など無いと思うのかもしれないし、実際に躊躇なくその『痣』の発現を目指してしまいそうな人たちに物凄く心当たりがある。炭治郎もその一人だ。

 その様に凄まじい力を得られるのなら、間違いなく鬼舞辻無惨を討つ為の力になるのだろう。それを本懐だと思う人は少なくないのは分かるし、寿命を捨ててでも鬼舞辻無惨に一矢報いたいと思う人は多いだろう。

 だが……。それは自分の我儘でしかなく、傲慢で人の心を顧みない考えであるのかもしれなくても。

 その様な力を得て欲しいとは、微塵も思わないのだ。

 皆にそんな選択をさせる位なら、上弦の鬼たちにわざと捕まって鬼舞辻無惨の前で全力の『明けの明星』などで諸共に自爆する方がまだマシである。

 鬼舞辻無惨を討ち果たした先の、鬼の居ない夜明けを皆と迎える事が望みではあるけれど。

 それが大切な人たちの寿命で贖われるなんて、冗談では無い。

 しのぶさんが上弦の弐を道連れに自分の命を擲とうとした時と同じかそれ以上に嫌だ。

 自分の命を積極的に捧げる事と同義であるそれを肯定して欲しくは無いのだ。

 そんなの、まるで鬼舞辻無惨を倒す為だけに生まれて生きて来たみたいなものじゃないか。

 奪われた幸せの為に、自分では無い誰かに繋げる為に、それを選ぼうとする気持ちを理解出来ない訳ではないけれど。その悲しみの連鎖の外側からやって来たからこそ、自分にそんな事を是と言える筈も無い。

 鬼舞辻無惨を倒した先の未来で笑って幸せになって初めて、鬼舞辻無惨に本当に打ち勝ったのだと言えるのではないだろうか。

 ……この先、鬼舞辻無惨を討ち果たしたとしても、二つの世界大戦や関東大震災などが起きる事は知っている。

 この先の未来でずっと幸せに笑って生きる、と言うのは難しい事も分かっている。

 それでも、大切な人たちには少しでも長く生きていて欲しいし、苦しい事や悲しい事があってもそれを乗り越えた先にはきっと、何か幸せに思う事はあるのだと思いたい。

 だから、自らの命の時間を差し出す事を選ばせる事を肯定出来ない。

 それ以外に本当にどうする事も出来ないと言うのなら、此処で自分が拒否した所でどうしようもない事なのかもしれないが。まだ本当に他に方法が無いのかなんて誰にも分からないのだ。なら、それ以外の道を全力で探したいし、その為なら自分の力を幾らでも使い潰して貰っても良いと思っている。

 自分は『人』以外の何者にも成れないし成りたくはないけれど、皆にそんな選択をさせない為なら……そしてそうさせずに済むのなら、『神様』にでも『化け物』にでも成ってしまっても構わないとすら思った。

 

 

『痣』の事については、お館様への報告も細心の注意を払って慎重に行おうと言う事になった。

 お館様が皆に『痣』を出す様に強制するとは思わないが、その代償を思うと幾ら慎重になっても足りない位の内容だからだ。

 他の内容、特に縁壱さんに関連する事に関しては、珠世さんから得た情報と併せてお館様の反応を伺いつつ伝えると言う方針である。

 人並外れた先見の明があるお館様なら、『夢』を介して先祖の記憶を垣間見たと言う事も頭ごなしには否定する事は無いだろうが、少しばかりそれを実証出来る様な証拠を得てからの方が良いのは確かだろう。

 産屋敷家に縁壱さんの事に関して何か伝わっている可能性は大いにあるので、その辺りを確かめてからでも良いかも知れない。

 

 

 

 そんなこんなで朝になり皆が起きて来た。

 大所帯で賑やかな朝食を終えた後は、其々に用事をこなしに行く。

 炭治郎は小鉄くんとの特訓に、玄弥は南蛮銃の調整に、善逸と獪岳は打ち直して貰う日輪刀に関して、より今の自分に合った具合にして貰う為に刀鍛冶の人からのヒアリングを受けるらしい。

 伊之助はと言うと、刀を研ぎに出すべきなのだろうが、まだ一言も謝っておらずその為まだ許して貰えていないらしい。今日も山を駆け回ろうとしていたので、流石にそれは良くないからと、引き留める。

 伊之助は山でずっと育ってきたが故に、誰かが自分の為に造ってくれた何かと言うものへの認識が薄く、更にそれを作るまでにどれ程の時間や労力が掛けられているのかが分からないのだろう。

 伊之助にとって、刀鍛冶の人達が精魂込めて打ってくれた刀も、山で採れるドングリも、そう大きな差は無い。

 が、流石にそんな認識ではこの先伊之助も困るだろう。

 なので、刀を打って貰うと言う事がどんな事であるのかを実際に見て貰ったら良いのではないかと思った。

 幸い、此処は刀鍛冶の里だ。日夜何処かで刀は打たれている。

 玉鋼から刀が出来上がっていく過程をちゃんと理解すれば、自分がした事でどれ程相手を傷付けたのか分かるのではないだろうか。伊之助にとっては必要で当たり前だった刃毀れも、その人たちにはそうでは無かったのだと理解して貰えるだけでも構わない。

 ……まあ、誰が伊之助に見学させてくれるのかと言う問題もあるのだが。

 それに関しては鉄地河原さんに相談してみよう。丁度、自分用の日輪刀の事に関して色々と聞きたいと呼ばれているのだ。良い機会である。

 

 

 鉄地河原さんと顔を合わせるのはこれで三回目であるが、熟練の職人と言ったその風格には何時も少し緊張してしまう。

 アートとして刀を打っていた『だいだら.』の親父さんとは違って、戦う為の武器として日輪刀を打つ刀鍛冶の人達は漂わせる雰囲気からして大分違うのだ。

 

「何時も使っている刀あるんやろ? ちょっと見せてくれんか?」

 

 そう言われ、この世界に迷い込んでからずっと傍に置いている十握剣を鉄地河原さんに鞘ごと差し出した。

 元々平均的な日輪刀と比較しても大きなそれは、小柄な鉄地河原さんが持つと余計に大きく見える。

 鞘から抜き放ち刀身を確かめた鉄地河原さんは、驚いた様に唸った。

 

「ふむ。確かに日輪刀とは違う様やな。匂いが違う。

 しかし、随分とこれもまたどえらい剣を持っとるんやな。

 使ってるのは何処の鉄やろうか、質が凄いな。

 何か名前があるんか?」

 

「えっと、十握剣です。材質に関しては、俺はあまり詳しくないので……」

 

 元々は死神シャドウが溜め込んでいたものだ。その材質が何かなんて全然分からない。

 原材料が玉鋼であるかどうかすら分からない。

 りせがアナライズした所によると、名前が『十握剣』である事などが判明した程度である。

 

「十握剣? それはまた凄い名前やな。神話の武器の名前を付けるとは。

 まあ、その気持ちも分かる位、凄まじい剣や」

 

 よく見ると、興奮からか鉄地河原さんの手が細かく震えていた。

 本当にそれその物なのかは分からないが、『心の海の世界』の性質上、人が考えるそれと遜色ない物であるのだろう。

 自分にはよく分からないが、刀を打つ者にとっては慄く程の代物であるのかもしれない。

 

「俺が名付けた訳では無いですよ。手に入れた時点でそう言う名前だったんです」

 

「成る程なぁ……。『神降ろし』に似た何かと言い、ただ者では無いんやな。

 何処でこれを手に入れたんかって訊いても、答える気は無いんやろ?」

 

 鉄地河原さんの言葉に、その通りだと答える代わりに微笑んだ。

 鉄地河原さんは成る程と頷き、そして難しそうな顔をする。

 

「普通に打たれた日輪刀が持たんのは、恐らく力が強過ぎるからやろな。

 他の剣士に比べたら剣の扱いが上手くないってのもあるけど、一番はそれや」

 

「力が強過ぎる、ですか……」

 

「多分無意識の内に凄まじい力が入ってるんやろ。滅茶苦茶な力で握らんと赫くはならない日輪刀が直ぐに赫くなる位にな。

 それを矯正出来るのかは分からん。

 それに耐えようとなると、どれ程の耐久性が必要になるのかも見当が付かん」

 

 厚みを増やしたり巨大化したり……そう言った形でそれを叶えようとすると、何時か見た漫画の中の馬鹿でかく武骨で大雑把な身の丈以上の大剣になりそうだ。

 それを使えるのかどうかに関しては、ペルソナの力を使えば可能だろうが、運搬や隠蔽に大問題が発生する。

 もうちょっと加減して振るう事が出来れば良いのかもしれないが、その加減を覚える事も簡単な事では無い。

 

「まあ、面白そうやしその刀、ワシが打ったるわ」

 

 てっきり断られるのかと思ったのだが、鉄地河原さんは寧ろやる気を出した様だ。

 もし壊してしまったらと思うと申し訳無さを感じるが、それでも有難い事には変わらない。

 

「有難うございます……!」

 

 深く頭を下げると、鉄地河原さんは呵々と笑って了承してくれた。

 ついでに、伊之助の勉強の為に実際に誰かの刀を打っている所を見学させてくれないかと頼んでみると、丁度鉄穴森さんが時透くんの日輪刀を打っている所らしいので、邪魔しなければ見学しても良いと許可を与えてくれる。

 鉄穴森さんと言えば、伊之助の日輪刀を打ってくれた人でもある。嫌がられるかもしれないが、一番意義のある見学になるだろう。

 鉄地河原さんに深く礼を言って、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 伊之助を連れて鉄穴森さんの所へ行こうとしたのだが、伊之助はそんな事をして何の意味があるのかと抵抗した。身体を動かせないのは嫌なのだろう。

 鉄穴森さんの作業工程はもう大分終盤に入っているらしく、今日中に刀を打つのは終わるらしい。

 とは言え、刀を打った後の研ぎなどはまだまだ残っているので完成にはまだ時間が掛かるのだけれども。

 見学が終わったら手合わせに付き合うし、何ならペルソナを召喚して伊之助に付き合うからと説得すると、伊之助はそのご褒美に釣られたのか、「子分の頼みなら仕方ねぇな!」と最終的には了承してくれた。

 その為、二人で鉄穴森さんの鍛冶場を訊ねた。

 伊之助の事はよく覚えていたのか、その猪頭を見てかなりムッとした気配を出されたが、伊之助の背景を簡単に説明して、何かを一生懸命に作ると言う事がどんな事なのかを教えてあげたいのだと頼むと、鉄地河原さんが許可をしていた事もあって作業風景を見せてくれた。

 

 時透くんの日輪刀は既に火造りの工程に入っている様だった。

 最初は物珍し気に当たりをキョロキョロと落ち着きなく見渡したり、或いは手持ち無沙汰からソワソワしていた伊之助だが。鉄穴森さんが小槌を振るって切っ先を作り出していくその過程に、そこにある熱意に、魅入られた様にその目を釘付けにする。

 ここから更に荒仕上・土置き・焼き入れの工程が待っているし、更に研ぐ事で最終的に完成する。

 少なくとも、伊之助は何かを作っている過程に「何か」を感じる事が出来た様だ。

 これなら鉄穴森さんにちゃんと心から「ごめんなさい」と謝れるかもしれない。

 

 暫く見学していた伊之助は、土置きの工程に移った時に一旦休憩した鉄穴森さんを前に、「うむむ」と唸った。

 一体何がしたいのかと鉄穴森さんには分からなかった様だが、伊之助が何をしたいのかを察してこういう時はどうすれば良いのかをそっと教えてあげる。

 すると、少し躊躇いながらも猪頭を脱いで、鉄穴森さんに少し頭を下げた。

 

「わ……悪かったな、あの時刃を壊して。

 ……ゴメンナサイ」

 

 あまり言い慣れていないその言葉は、まるで片言の日本語の様ではあったが。

 その意図は十分に伝わったのだろう。鉄穴森さんはそのひょっとこの面の奥で、仕方無いと言わんばかりにちょっと怒りながらも溜息を吐いてくれた。

 伊之助に悪意があってやった訳では無かったのには気付いていた事も大きかったのかもしれない。

 

 そして、やっと。鉄穴森さんは伊之助の日輪刀の研ぎ直しを了承してくれるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
伊之助と関わる機会はかなり多く、相当懐かれている。
虫取り合戦なら伊之助にも負けない自信がある。
ハリセンで戦えば良いのでは? と素で名案だと思っている。


【竈門炭治郎】
小鉄君との修行が終わったら悠との手合わせをする予定。
ヒノカミ神楽の正解をかなり早い段階で理解した為、里に居る間にヒノカミ神楽を「使いこなす」の初期段階にまで到達出来る様になる。(原作だと無惨戦の最中でそんな状態)
「痣」を出すと悠が悲しむのが分かっているので、極力それに頼らなくても戦える様にもっと鍛えたい。


【嘴平伊之助】
悠と一緒に居ると楽しいので好き。
ツヤツヤのドングリをあげるのは伊之助なりの親愛の証。
悠は炭治郎と同様に、伊之助が物知らずな面を見せても馬鹿にしたりしないので、気軽に「あれは何?」と言わんばかりの「何故何故期」を発揮している。
でも親分は俺なので。悠は子分なので。その部分は譲らない。


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『太陽隠す霧雨』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「こんにちは、時透くん」

 

 伊之助と一緒に里の鍛錬場に行くと、時透くんが打ち込み台に向かって技を繰り出している最中であった。

 声を掛けると、時透くんは昨日の事を覚えていなかったのか、少し首を傾げる。

 

「誰……? 何処かであった……様な気はするけど」

 

 でもそっちはどうだったかな、と。時透くんは伊之助を見る。伊之助とは恐らく初対面だろう。

 

「俺は鳴上悠。こっちは嘴平伊之助だ。伊之助とは多分初対面だと思う」

 

 すると、時透くんが何かを答える前に、伊之助がワイワイ騒ぎ始めた。

 

「カミナリ、こいつ誰だ?」

 

「霞柱の時透無一郎くんだよ。だから、こいつって言うのは良くない」

 

「柱? って事はあの半々羽織と同じですっげぇ強いって事だよな!」

 

 早速時透くんに手合わせを挑もうとする伊之助の肩を掴んでそれを止める。

 猪突猛進過ぎるだろう。手合わせはやるにしてもちゃんと相手の了承を得てからだ。

 しかし半々羽織とは一体誰の事だ? と思い、ふと緊急の柱合会議で出逢った人たちの姿を思い返して、片身替りの羽織を羽織った姿を思い返してもしかしてあの人だろうかと当たりを付ける。

 

「半々羽織……? もしかして冨岡さんの事か? それならちゃんと名前で呼んだ方が良いぞ。

 それに誰彼構わず手合わせを挑んではいけない。しっかり相手に許可を取ってからだ」

 

 伊之助は猪頭の下でむぅっと言わんばかりの顔をしている様だが、それ以上は抵抗しなかった。

 

「チっ。カミナリがそう言うなら聞いてやらぁ。俺は親分だからな!」

 

 そう言って見上げて来る伊之助の頭を、「そうか偉いな。親分は凄いな」と撫でると、暫く嬉しそうに撫でられた後で、「だから俺をホワホワさせるんじゃねー!」と照れ隠しの様にちょっと噛み付いてくる。

 鬼殺隊に入るまでは基本的にずっと山で独りで生きて来た事も有って人と触れ合う時間が相当少なかった為か、こう言った人の温かさを感じる様な触れ合いは嬉しい反面、面映ゆくて少し落ち着かないらしい。

 よく炭治郎にもこうして「ホワホワさせるな」と威嚇している姿を見掛ける。まあ、炭治郎も自分もそんな威嚇には構わずに伊之助の相手をしてしまうのだが。

 

 そんな風なやり取りをしていると、時透くんは何かを思い出したのか「ああ……」と小さく呟く。

 

「鳴上……確かお館様が言っていた……。

 上弦の鬼を倒した……んだっけ……?」

 

「上弦の弐を後少しの所で取り逃がしたってのと、上弦の陸を倒すのを手伝っただけで、俺自身は上弦の鬼の頸はまだ斬れてないな。

 上弦の壱の頸は落としたが、日輪刀では無いから殺せてはいない」

 

 改めてそう説明すると、時透くんは「ふぅん」と納得したのだかどうでも良いのかを判別し辛い相槌を打つ。

 

「そう……。あれ……そう言えば、昨日手合わせをした……?」

 

 どうやらそれも覚えていた様だ。ちょっと気恥ずかしい。

 

「ああ、まあ昨日ちょっとな。ちょっとお恥ずかしい所を見せてしまったと思うが。

 だが、今日はちゃんと相手をするつもりだ。ちゃんと武器も持って来た」

 

「……そうだったっけ……?」

 

 少し不思議そうに首を傾げた時透くんだったが、直ぐにどうでも良くなったのか、武器とやらが気に掛かった様だ。十握剣の方を見て来たので、これは違うと言っておく。

 そして、取り出されたお手製のハリセンを見て、時透くんは目を丸くした。

 

「これなら怪我させたりはしないだろうからな。安心して攻撃出来ると思う。

 中々良い出来だろう? お手製なんだ」

 

 そう言うと、益々意味が分からないと言いた気な顔をされる。立派な武器なのに。

 あの『心の海の中』の世界では実際に使った事は無いと思うのだが、何処かでハリセンを手に戦った事がある様な気すらしていた。多分気の所為だけど。

 攻撃力は十握剣と比較しても木刀と比較しても無きに等しいものだろうが、だから良いのだ。

 それに、これで叩かれたら何だか脱力する気がする。気の所為だが。

 

「何だかよく分かんねーけど、それなら俺と手合わせしてくれるって事だよな!?」

 

 興奮した様に言う伊之助にそうだよと頷くと、益々はしゃぎ出した。

 そして早速木刀を二本持ち出して相手しろと催促してくる。

 時透くんは、何をしているんだろうと言いた気な顔をしながらも此方を観察する事にしたらしく、鍛錬場の隅の方に移動した。

 

「じゃあ、何時でも良いぞ」

 

 ハリセンを片手に構えながらそう言った途端。伊之助は突っ込んで来た。相変わらず猪突猛進だ。

 柔軟な身体を活かして物凄く低い所から連撃を繰り出してくるそれを、木刀が身に届くよりも前に一気にその懐に潜り込む様にして木刀を握る手に軽く左手で手刀をかましてその動きを止めて。片足に僅かに重心が偏った瞬間を逃さず軽く足払いを掛けて体勢を崩した所を、猪頭を下から思いっきりハリセンで叩いた。

 スパーン!! と小気味良い程の音が響き、その衝撃で猪頭が外れて飛んでいくが、それ以上の被害は無く、伊之助に怪我は無い。

 

「はい、これで一本」

 

 あっと言う間に一本取られた事に驚いた伊之助だが、それで戦意を喪失する様な事は無く、寧ろ躍起になって挑みかかって来る。

 それをスパンスパンと音を立ててハリセンで叩きながら応戦し、時に振るってくる木刀ごと蹴り飛ばしたり殴り飛ばしたり、手足を掴んで投げ飛ばしたり、或いは関節技を極めてみたりと、相手する。

 満足したのかそれともちょっと限界になったのか、伊之助が倒れて休憩を言い出した頃には、時透くんがそれを興味が出て来た様な顔で見て来た。

 

「変な武器で馬鹿にしているのかと思ったけど、結構やれるんだ。

 じゃあ俺の相手もしてくれる? 上弦の鬼を相手に出来る実力ってのも見てみたかったし」

 

 昨日の反省を活かして、勿論良いぞと頷くと。時透くんは早速木刀を構える。

 

 ──霞の呼吸 壱ノ型 垂天遠霞

 

 緩急の差が凄まじい足捌きで猛烈な勢いで繰り出されたその突きを、木刀の刀身を横からハリセンで叩いて受け流し、それでもブレずに再び此方の頸を横から狙ってきたその一撃を左手の指先に集中して受け止める。

 防ごうとする指先の力とそのまま振り抜こうとする力が拮抗する事によって木刀から軋む様な音が響き、腹を蹴ろうとしてきたその右足を上から踏み付ける事で止める。

 そして、腹の辺りを狙ったハリセンの一撃は小気味良い音を立ててクリティカルヒットして時透くんを僅かに脱力させ、僅かに木刀を握る手の力が弱まったのを契機にその瞬間にそれを指先の力で捥ぎ取った。

 

「成る程、やるね」

 

「それはどうも。あんまり情けない所を見せるのもどうかと思っていたからな」

 

 奪った木刀を返すと、時透くんは少し楽しくなってきたのか僅かにその口の端に笑みを浮かべる。

 昨日のちょっと申し訳ない状態からは大分改善出来たと思うので、何よりだ。

 昨日みたいに苛立たせてしまう事もこの調子なら無いだろう。

 

 時透くんの攻撃は苛烈さを増して、全力の霞の呼吸を惜しみも無く使ってくる。

 霞の名の通り、何処か捉え処の無い様なその型はとても戦い難く、特に漆ノ型だと言う「朧」と言う技は視覚だけに頼っていると時透くんの位置を見失いそうになる程である。

 それを何とか対応して攻撃してハリセンを縦横無尽に振るって叩きまくって、防御したり投げたりしつつ、かなりの時間手合わせを繰り返した。

 そうこうする内に、見学しているだけなのが嫌になったらしい伊之助まで参戦して二対一になったりもしたのだが、最初は物凄く迷惑そうに珍獣を見る目で伊之助を見ていた時透くんも次第に伊之助のクセを掴んだのか、伊之助を囮にするなどしてその連携の力も上がって来たりして。

 時透くんに良い経験になったのかはともかく、伊之助にはとても良い経験になっただろう。

 

 そろそろ日が傾き始めると言う頃合いで、今日は此処までにするかと手合わせを終えた時には、時透くんは僅かに満足そうな顔をしていた。

 

「これで、少しでも時透くんの力になれたか?」

 

 そう訊ねると、時透くんは問い掛けられている事の意味が分からないとばかりに首を傾げた。

 

「力? 何で?」

 

「いや……昨日は色々言ってたのに、頭を殴られて気を喪うなんて情けない所を見せてしまったからな……。

 こうして手合わせをする事で、少しでも時透くんの力になれたらと思ったんだ。

 それに覚えていないかもしれないけど昨日も言った様に、俺は時透くんの事を知りたい、そして何か力になりたいんだ」

 

 そう言うと、益々意味が分からないと言った様な顔をされる。

 大した関わりも無いのにどうして、と。その目は言っていた。

 

「……変なの」

 

「ああ、変わっているとはよく言われる。でも俺はそういう奴なんだ」

 

 お節介、世話焼き、心底お人好し、面倒見が良過ぎるから逆に心配などなど、割と色々と八十稲羽の皆からは言われているし、その自覚もちょっとある。

 でも、そっとしておけないのだ、仕方が無い。

 そっとしておくべき事と、そっとしていては良い方向へは何も進まない事との違いは、あの一年で色々学んでいるのだから。

 そして時透くんの抱えているものは後者の方だろうと思う。

 君には何の得にもならないのに変なの、ともう一度呟く時透くんに、そんな事は無いと首を横に振った。

 

「そんな事は無い。人は誰だって他の誰かに助けられているよ、何時だって。

 人が本当の意味で自分一人で出来る事なんて、本当に少しだけだ。

 戦う事に限らず、生きる事全てが誰かとの関わり合いの中に在るものだから。

 時には物凄く苦しい事もあるし、理不尽な目に遭って心が折れそうになったり、人間じゃ太刀打ち出来ない様な困難に向き合わなければならない事もあるけど。

 でも、何時かの誰かが残したものや、大事な人たちが自分にくれた沢山のものや想いが、巡り巡って奮い立たせる為の力をくれる、歯を食いしばってでも戦う力をくれる。

 そしてそうやって頑張った先で、自分の大事な人たちに何かを返せたり、大事な人たちから貰った大切なものをまた別の誰かに託していく事が出来るんだ。

 人の想いやそれに紡がれた絆には、物凄い力が在る。

『神様』だってその力で倒す事だって出来る位に、無限の力と可能性を秘めているんだ」

 

 そう少し茶目っ気を交えて言うと。

 ふと、時透くんはその目を大きく見開いた。

 

「今。今何て言ったの? 今の言葉、何処かで聞いた事がある気がする」

 

 自分が何を言ったのかを思い返しながらそれを繰り返すと。

 時透くんは、また大きく目を見開き、少し頭が痛むのか片手でこめかみの辺りを押さえた。

 

「何処かで、誰かから聞いた様な気はする……。

 それは、君じゃない。君じゃない誰かが……。

 でも、まだハッキリとは思い出せない、どうして……」

 

 その記憶を閉ざす霧に僅かながら光が射し込んだのか。

 時透くんは、何かを思い出そうとする様に唸るが、どうやらまだ何かは足りないらしくその先には至らない様だ。

 思い出せる気はするのに思い出せない事に苦しんでいる時透くんの姿を見て、伊之助はどうしたのかと慌てる。

 そんな時透くんの肩を優しく抱き締める様にして、その頭に手をやった。

 二十センチ近い身長の差は、随分と時透くんを小柄に感じさせる。

 もし怒られたら後で謝ろう、と決意して。菜々子にやるかの様に優しく頭と背中を撫でた。

 

「大丈夫、きっとそれはただの切欠の一つなんだ。

 だからそれだけでは思い出せないからって、そう苦しまなくて良い。

 見付けた切欠を無くさない様に持っていれば、きっともっと大きな切欠が見付かる筈だ。

 大丈夫、時透くんは必ず記憶を取り戻せる。その記憶に掛かった霧は必ず晴れる」

 

 心に掛かった霧を祓う事には些か自信が在るのだ。だから必ずそれは叶うのだと確信を持ってそう言うと、次第に落ち着きを取り戻した時透くんは少し気不味そうに離れる。

 流石に気不味かったのだろうか。確か時透くんは十四歳。そう言うのをされるのは嫌がる年頃である。

 だから軽く謝ると、「……良い」とだけ返された。中々難しい。

 そうこうしていると、伊之助が「俺は?」と言わんばかりに寄って来たのでその頭を撫でると、どうやら違った様で「違う!」と返されてしまった。

 

「ほら約束しただろ! 何かすっげぇの見せてくれるって! 

 俺も紋逸や玄米みたいに龍に乗せてくれるんだろ!」

 

 フンフンと鼻を鳴らす様な勢いで訴えられて、「あ、そう言えば」と思い出す。

 しかし既に日は落ち始めて夕食の時間が近くなっているのだ。

 ペルソナを召喚してみせるにしても、夕食の後での方がよさそうだ。

 

「大丈夫分かっているよ。でも夕食の時間が近くなっているから、それを済ませてからまた改めて鍛錬場を借りような」

 

 そう答えると、「なら仕方ねぇな」と伊之助はあっさりと頷く。

 食い意地が張っている伊之助にとって食事はかなり優先度が高い事柄であるのだ。

 

 じゃあ、また。と時透くんに別れを告げて宿に帰ろうとすると。

 時透くんは何やら驚いた様な顔をしていた。

 

「龍に乗せる? どういう事?」

 

 召喚の事はお館様から聞かされていないのだろうか? 

 と言うか今まで大して気にした事は無かったのだけれど、お館様は自分の事をどんな風に他の柱の人達に通達しているのだろう。

 

「あー……。何と言うのか、俺は『神降ろし』の真似事も出来るけど、更にその中の一部には実際に形を取らせる事も出来るんだ。

 滅茶苦茶疲れるから乱発は出来ないし、本当は全部そう出来る筈なんだけど今は色々あって実体化させられるのはほんの一部だけなんだけどな。

 で、その中に龍……『セイリュウ』が居るんだ。

 以前上弦の壱と戦った時に、その時一緒に居た仲間をその背に乗せた事があって。

 それを知った伊之助が、俺も乗りたい! って言ってたんだ」

 

「……?」

 

 本気で言っている意味が分からないと言いた気なその顔に、気になるなら夕食後位の時間にまたこの鍛錬場に来たら見せてあげられるよ、と答えると。

「成る程……?」とよく分からない顔をしながら時透くんは頷く。

 

 まあ何にせよ、その場は解散と相成るのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 夕食も食べ終え、じゃあ伊之助との約束を果たすかと鍛錬場に移動しようとすると。

 俺も俺もと皆も見たがったので、相変わらずの大所帯になった。

 夜なので禰豆子も箱から出て炭治郎に手を引かれながら歩いている。

 月明かりに照らされた夜道を皆で歩いて鍛錬場に辿り着くと、そこには既に時透くんが待っていた。

 やはり気になったのだろうか。

 

「えっとじゃあ、最初は『セイリュウ』で良いのか?」

 

 念の為に皆には少し離れてもらってからそう声を掛けた。

 おう! と伊之助からは元気な返事を貰い、早速意識を集中させて『セイリュウ』を召喚する。

 

 蒼いカードを握り潰すのと同時に、『セイリュウ』がその場に顕現した。

 蒼い鱗の龍は分かり易く格好良いからなのか、セイリュウが現れた瞬間に伊之助ははしゃいだ様な声を上げるし、初めてセイリュウを見た炭治郎たちは驚いた様な声を上げ、善逸と伊之助も感嘆する様な溜め息を零す。

 月の光に青く輝く鱗を照らされたセイリュウに、伊之助は喜び勇んで駆け寄った。

 

「すっげぇ!! なあなあカミナリ、これ絶対強いだろ!? 

 勝負しようぜ勝負!!」

 

「いや、疲れるしそれはちょっと嫌だ。

 それに、背中に乗るのが目的なんだろう?」

 

 そうだったな! と素直に返した伊之助をセイリュウの背中に乗せる。

 

「炭治郎たちも折角だったら乗るか?」

 

 まあ減るものでもないのだし、とそう声を掛けると。

『セイリュウ』に驚いていた炭治郎は頷いて、禰豆子の手を引きながら近寄ってくる。

 時透くんも興味があるらしい。

 獪岳はかなりビビってはいる様だが気にはしている様で、一度乗った事のある善逸と玄弥も乗りたいらしい。

 とは言え、『コウリュウ』くらい大きいなら余裕で全員乗せられるけれど、セイリュウだと四人位が丁度良さそうだ。

 なので、二回に分けて背に乗せる事にする。

 初めは伊之助と炭治郎と禰豆子と時透くんで、二回目が善逸と獪岳と玄弥だ。

 

 ちょっと驚き戸惑いつつもしっかりと炭治郎たちがセイリュウに乗った事を改めて確認して。

 しっかりと掴まる様にと指示を出す。

 すると、自分の真後ろに乗っている炭治郎が、緊張したのかギュッと羽織を握り締めたのを感じた。

 

 そして、セイリュウが一気に宙に舞い上がると。

 炭治郎は驚いたのか息を呑み、禰豆子はムッ! と驚きつつも喜び、伊之助は初めての感覚に大喜びで声を上げ、時透くんは驚いた様に静かにその目を見開いている様だった。

 星が輝く夜空を月明かりに照らされながら里の上を軽く飛ぶ。

 あまり高い所まで行ってしまうと寒いので、そこまで高くは飛ばない。

 

「どうだ炭治郎、伊之助、時透くん。

 中々良い眺めだと思うが」

 

 生憎と夜なので眼下の景色はあまりよく分からないけれど。

 綺麗な月夜の中を空を舞うのは悪くない眺めだと思う。

 

「すっげぇ! すっげぇ!!」

 

「凄い……俺たち今空を飛んでいるんだ……。

 鳥ってこんな景色を見ているんだな……」

 

「ムッ! ムンッ!」

 

「凄い……」

 

 四人とも楽しんでくれている様で何よりだ。

 何時か、数十年程の後には飛行機が当たり前になって空を飛ぶ事自体は不可能ではなくなるけれど。

 こうやって飛ぶのは、きっとこの先の未来でも中々経験し得ない事なのでは無いだろうか。

 戦う事以外でもこうやって誰かを楽しませる事が出来るのは、とても嬉しい事だった。

 あまり目立たない様に里の上空を何度か旋回して、それから再び鍛錬場へと戻る。

 セイリュウの背から降りた四人は、各々に興奮したり感動している様だった。

 

 そして交代する様に今度は善逸と獪岳と玄弥を乗せる。

 善逸と玄弥は二回目なのでそこまで戸惑いは無い様だが、獪岳はかなりおっかなびっくりと言った様子だった。

 そしてしっかり掴まる様に声を掛けてから、セイリュウを再び上空へと向かわせる。

 

「──っ!!」

 

 空を飛ぶと言う初めての感覚に、獪岳は声にならない悲鳴を上げている様であった。

 善逸と玄弥は、二回目だからなのか周りを見る余裕がある様だ。

 あの時とは違って急ぎでもないので比較的ゆったりと飛んでいる事も、余裕に感じる一因なのかもしれない。

 

「大丈夫だ、獪岳。絶対に落としたりなんてしないから。

 ほら、折角だから目を開けてみないか? 

 月や星が綺麗だぞ」

 

 何の遮蔽物もない夜空を見てみると良い、と声を掛けると。

 獪岳はおっかなびっくりながらも顔を上げてその目を開く。

 すると、その景色が目に飛び込んできたのか、獪岳は感嘆するかの様な溜め息を零した。

 

「良い眺めだろう? 

 きっと今はこの世で俺たちしか見れない光景だと思うぞ。

 折角なんだから楽しむと良い」

 

「……あんたは」

 

 ちょっと言い淀む様にそう声を掛けてきた獪岳に、どうした? と首を傾げる。

 

「あんたは、こんな凄い事が色々出来る位に、特別なんだな……。

 なあ、特別って、どんな気分なんだ?」

 

 獪岳にそう問われて。ほんの少しばかり考える。

 どんな気分なのか、か……。

 

「特別……か。まあ、確かにそうなのかもしれないな。それは、もう否定出来ない。

 どんな気分かと言われても少し難しいが。

 ……そうだな、ほんの時々ではあるけれど。

 獪岳が言ったその『特別』の形に関しては、『寂しい』と、そう思う事はある」

 

「特別なのに?」

 

「『特別』だからだよ」

 

 特異的であると言う事を望む人がいてそれを誇りにする人も居るのは分かるけれど。

 しかし、そういう意味での『特別』は、自分にとってはそれは少しばかり寂しいものでもあった。

 お前は仲間外れなのだと、そう言われているかの様に感じる時もある。

 

「俺は、力があるだとかそういう意味での『特別』は好きじゃないんだ。

 でも、誰かから特別に想われているのは嬉しいよ。

 俺を、いっとう大切な相手だと、そう想って貰えるのは嬉しい」

 

 自分にとって、「特別」というそれは、別に家族だとか恋人だとか親友だとか、そう言った関係性だけでなくて。

 あの人に会えて良かったな、と。そう想って貰えるだけで、そう特別に想って貰える程の何かを相手に与える事が出来だのだと言うそれだけで、胸の奥が温かくなるのだ。

 

 そう答えると、獪岳は何やら変な顔をして。

「そうか」と小さく呟く。

 その呟きの奥にある感情はまだ推し量る事は出来ないけれど。

 善逸が少しだけ安心した様な顔をしているので、それはきっと悪い事では無いのだろう。

 

 

 そんな感じで全員がセイリュウに乗った訳なのだが、伊之助はもっともっとと強請ってくる。

 流石に今顕現出来るペルソナの全部を召喚すると、特にその力を発現させた訳でなくても力尽きてしまうかもしれない。

 それに、あんまりギョッとする様な見た目のペルソナを呼ぶのも憚られる。

『ヨモツシコメ』だとか『レギオン』だとかは多分駄目だろう。

 まあそんな訳で、見た目もそこまで怖くは無いし何よりこの時代の日本でも知られているものを呼んでみようと考える。

『ゲンブ』と『スザク』に『ビャッコ』を順番に呼ぶと、伊之助がそれはもう大喜びした。

 特にビャッコに関してはまた「乗りたい!」と大はしゃぎしたのでまたその背に乗せてあげる事になった程だ。

 炭治郎たちも最初はかなり驚いていたが、次第に慣れたのかビャッコをモフモフと撫でる程になった。

 

「まあ、こんな感じか。満足したか?」

 

 そろそろ宿に帰るかと声を掛けると。

 意外な事に炭治郎が「あの」と声を上げた。

 

「上弦の陸との戦いの時に助けてくれた……」

 

「ああ、『イザナギ』だな。何かあるのか?」

 

 再びカードを握り潰してイザナギを呼ぶと。

 何時も通りの姿のイザナギが姿を現す。

 それを見た時透くんが少し首を傾げる。

 

「あれ、確か昨日……」

 

 だがそれ以上は何も言わずに時透くんは黙ってしまう。

 昨日何かあったのだろうか? よく分からない。

 そして、炭治郎は意を決した様にイザナギへと向き直る。

 

「あの! あの時は助けて頂いて有難うございました! 

 俺、あの時は手一杯で、お礼を言えてなかったから……」

 

 気にする必要は無いのだけれど、真面目な炭治郎は気にしていたらしい。

 イザナギは「構わない」とばかりにその大きな手を伸ばして炭治郎の頭を優しく撫でた。

 すると、禰豆子が「私も!」とイザナギにしがみついてきたので空いていた左手でその小さな頭を優しく撫でる。

 すると何故か善逸や伊之助どころか玄弥まで、獪岳と時透くん以外は、俺も俺もとばかりにイザナギへ駆ける様に寄っていく。

 

 

 皆を静かに見守るイザナギの仮面の奥から覗くその金色の目は、何時もとは違って和らいでいる様に見えるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
時の狭間の迷宮に迷い込んだ時の記憶は無いが、たまに薄らとデジャヴを感じる。(ハリセンはPQでは実際に武器として悠は装備出来る)
基本的には天然でノリが良く、特に親しさが増すとその一面が強く出てくる。戦闘時は特捜隊のリーダーとしての真面目で冷静な面が強く出る。


【竈門炭治郎】
御伽噺とか伝承の中の存在である筈の龍を見るのは初めて。
それに乗って空を飛ぶと言う経験が、どれ程に貴重で有り得ない事なのか分かっているので物凄く驚きと戸惑いがある。
でも空を飛んだのは物凄く楽しかった。
兄ちゃん初めて龍を見たしそれに乗って空を飛んだよ、と。今は亡き家族たちに心の中で報告した程。
イザナギ(『鳴上さん』)の事は現実世界でも心の片隅で覚えている様子。


【竈門禰豆子】
星空がキラキラしてて綺麗で嬉しかった。


【我妻善逸】
二度目だから余裕を持ってこの貴重過ぎる経験を味わった。
獪岳が喜んでいるのを感じて、自分も嬉しい。
イザナギ(『鳴上さん』)の事は現実世界でも心の片隅で覚えている様子。


【嘴平伊之助】
時透くんとズンビッパにマブダチの関係性になるのかはまだ不明。悠が居ない場ではまだ互いの会話は無い。
青龍に乗った事も飛んだ事も、他にも白虎やら朱雀やら玄武やらに乗ったりした事も物凄く楽しかった。
流石は俺の子分。
イザナギ(『鳴上さん』)の事は現実世界でも心の片隅で覚えている様子。


【不死川玄弥】
二回目だから余裕があった。
月も星も綺麗だなぁ……と夜空を見上げる程度には。
兄ちゃんにもこの景色を見せてやりたいなぁ……と少し思う。
イザナギ(『鳴上さん』)の事は現実世界でも心の片隅で覚えている様子。


【獪岳】
色々と召喚出来る事を直接目にして、悠のヤバさを実感。
猫将軍でも衝撃は大きかったのに、龍って……。
でも、特別過ぎる位に特別な経験が出来たのは実はちょっと嬉しいと思っている。
悠の心の在り方を、獪岳自身にまだその自覚は無いが、「眩しい」と少し感じている様子。


【時透無一郎】
記憶にかかる霧を晴らす切欠の一つは手に入れたのだがまだ足りない。
悠の目が炭治郎と似た様な色だったらいけたかもしれない。
龍の背に乗るのは生まれて初めてだし空を飛ぶのなんて当然初めて。
ちょっと衝撃が大きかったが、悪くは無い経験だと思っている。
鬼殺に直接関係する事以外で、初めて記憶から消えなかった経験になった。


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『天を仰げば』

【夢の中】である以上は、悠本人の身体は変わらずに八十稲羽の自室で寝ている訳なのですけれども。
では、確かに『物質的な現実世界』であるこの世界に居る『鳴上悠』は一体【何】なのでしょうね。
やれる事は余りにも多く、望まれればそれを叶えてしまえる程の力もある。
人の認知と観測こそが『神』や『悪魔』を生み出すのであれば。
なら、「それ」は一体【何】なのでしょうかね。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 自分用の日輪刀は鉄地河原さんにお任せするしかないので、『赫刀』の事もある程度判明した以上は、自分のやる事と言ったら皆との鍛錬に付き合う事位であった。

 伊之助と時透くんだけでなく、翌日には善逸と獪岳に玄弥まで加わって、随分と賑やかな稽古になっている。

 時透くんが皆と打ち込み稽古をした時には、時透くんが皆に其々の隙や矯正するべき癖を的確に指摘したりしているので、随分と皆にとっては有意義な時間になったのではないだろうか。

 時透くんからしても、様々な呼吸の使い手を一度に相手すると言うのは中々無い機会であったらしく、悪くはない鍛錬になっているらしい。

 多対一になっても、時透くんは一度も負けなかった。

 呼吸が使えないので若干戦力外になりがちな玄弥はともかく、負けん気の強い伊之助は時透くんから絶対に一本取ってやると鼻息を荒くして挑みかかるし、雷の呼吸の速度を以てしても霞の中で相手を見失っているかの様に時透くんを殆ど捉え切れない事に獪岳と善逸もやる気を出して二人一緒に挑みかかる様になった。

 兄弟弟子間の仲は良く無いのだと善逸は言っていたのだが、同じ師に教えを受けていたからなのかどうして中々獪岳と息が合っている。

 霹靂一閃を極めているがそれしか使えない善逸が時に斬り込み時に囮になって、そして霹靂一閃以外の五つの型を修めている獪岳が僅かに動きを制限された時透くんを狙う。

 二人が本当に息が合った時には、時透くんでも回避では無く防御をしなくてはならなくなる程だ。

 これは相当凄い事だと思う。

 共に肩を並べて戦える事が嬉しいのか、そうやって鍛錬している最中の善逸は、中々厳しいその鍛錬を嫌だ嫌だと言いながらも何処か嬉しそうである。

 時透くんの全く言葉を選んでくれない辛辣なダメ出しにちょっと涙目になりながらも、絶対に途中で止めようとはしないのは獪岳が居るからなのだろう。

 

 そして、当然の事ながら時透くんだけが皆の相手をしている訳では無く、ある程度その打ち込み稽古が終われば今度は自分が皆の相手をする番になる。

 一対一でじっくり戦う事もあれば、一対多で戦う事もある。が、何にせよ手合わせなのに皆物凄いやる気である。『殺る気』と書いて「やるき」と読む方の。

 何でも、その位の覚悟でやってないと直ぐに一撃喰らって終わってしまうからだそうだ。

 まあ、皆がそれでより良い鍛錬になると言うのならそれで良いのだが……。

 

 

 そして、小鉄君との特訓を四日目で完全に達成した炭治郎もその翌日から手合わせに参加する事になった。

 聞く所によれば、探そうとしていた鋼鐵塚さんにも出逢えたらしい。

 何でも、『縁壱零式』の頸に強烈な一撃を入れる事が最終目標だったらしいのだが、その一撃を決めた瞬間、頭部が度重なる蓄積されたダメージによって損傷し、その体内の奥に隠されていた日輪刀が現れたそうなのだ。

 あれ程大事にしていたのに壊しちゃって大丈夫だったのかと少し心配になったが、壊れた顔面の部分は絡繰の機構としてはそこまで重要な部分では無かった事や、小鉄君自身の許可があったので大丈夫だったらしい。成る程。

 そして、絡繰の中から現れたその日輪刀を小鉄君は炭治郎に譲ってくれたらしい。

 恐らくは戦国時代から隠されて来たのだろうその刀は、恐らく今の鉄よりも良質な鉄を使って作られているだろうから、との事であった。

 それを有難く頂いた炭治郎であったのだが、まあ当然と言えば当然の話で、数百年間一切手入れなど受けていなかったその刀はすっかり錆びてしまっていたらしい。

 折角譲って貰ったものなのに、と炭治郎が落ち込んでいる所に現れたのが筋骨隆々の大男の様になった鋼鐵塚さんだったと言う。

 一体どういう事なのだ? と思わず驚いて話の腰を折り掛けたが、そこは何とか抑えた。

 突如現れた鋼鐵塚さんと多少の悶着があったのだが、結果としてその錆びた日輪刀は、鋼鐵塚さんが代々伝わる特殊な研磨術で研いでくれる事になったのだそうだ。

 その研磨術はとても過酷なものであるらしく、どうやら三日三晩不眠不休で研ぐ必要があるそうで、過去には死者も出ている程のものだそうだ。

 時透くんの刀の研磨と伊之助の刀の研磨が終わり次第、鉄穴森さんが鋼鐵塚さんの様子を見に行ってくれるそうだが……。心配である。

 それが研ぎ終わるまでは、炭治郎は先日の『赫刀』の実験の際に貰った予備の日輪刀を使う事になるのだそうだ。

 

「なので、明日から俺も悠さんたちとの稽古に参加します! 

 それにしても楽しみだなぁ! 霞柱の時透君にも稽古を付けて貰えるなんて!」

 

 自分を鍛える事に妥協しない炭治郎は本当に嬉しそうにそう言う。

 確かに、本当に稀少な機会であろう。本来柱は日々の鬼殺の任務で多忙を極めているのだから、柱から稽古を付けて貰える機会なんて、その柱の継子にでもならなければ基本は無理である。

 その貴重な機会をこうして得られたのだから、炭治郎としてはこれを機に是非とも強くならなくてはと意気込んでいた。

 継子と言えば……。

 

「そう言えば、確か煉獄さんと宇随さんから継子にならないかって誘われてなかったか?」

 

「あ、はい! 煉獄さんに関しては、煉獄さんが柱としての任に復帰してからお返事しようと思っていたんですけど、その前に遊郭で上弦の陸との戦いになって、更にそのすぐ後にこうして里に来てしまったのでまだお返事が出来てなくて……。宇随さんに関しても同じ感じで、まだお返事出来ていないんです。

 有難いお話なのですが、お二人から同時にってなるとどうしようかちょっと迷っちゃいますね」

 

 ある意味贅沢な悩みである事を自覚しながら、炭治郎は嬉しそうに微笑む。

 柱の継子の鍛錬は厳しいらしいのだが、きっと炭治郎はどちらの継子になっても上手くやっていけるだろう。

 善逸や伊之助はどうするのだろうか? 今度聞いてみても良いかも知れない。

 そしてふと、「あれ?」と一つ気に掛かる事があったので訊ねてみる。

 

「そう言えば……確か今の水柱の冨岡さんって、炭治郎からすると兄弟子にあたる人なんだっけ?」

 

「はい! 俺と同じく鱗滝さんの弟子です。修行していた時期がかなり離れているので同時期に修行してた訳じゃ無いんですけど、鱗滝さんに俺たちを紹介してくれたのも冨岡さんなんですよ。

 禰豆子の事と言い、冨岡さんにはお世話になりっぱなしです」

 

 自分は逢った事は無い人であるが、炭治郎からするとその鱗滝さんは随分と多大な恩がある人なのだろう。

 その声音と表情には、溢れんばかりの尊敬の念が宿っていた。

 きっと、とても良い師匠なのだろう。

 

「兄弟弟子の仲は良いのか?」

 

「どうなんでしょう……。柱合会議の時にお世話になって以来、俺は色々と手紙を送っているのですが一度も返事は無くて……。

 何時かちゃんとお礼を言いたいんですけど、冨岡さんは柱として何時もお忙しいみたいですし、中々お会いする機会が無いんですよね。

 でも、冨岡さんがどうかしたんですか?」

 

「そうなのか……。いや、冨岡さんは炭治郎を継子にしないのかな、と思って。

 折角同じ師匠のもとで学んだ兄弟弟子なんだし、禰豆子の為に命まで懸ける位なんだし、炭治郎の事を気にしているんじゃないかと思ったんだが」

 

 まあ、別に兄弟弟子だからって継子にする必要があるのかと言われればそうでは無いと思うけれども。

 緊急の柱合会議の際に会ったきりだしそもそもその時ですら一言も話した覚えが無いので、冨岡さんがどんな人なのかが全く分からない。

 鬼が見せた夢の中で炭治郎の記憶を見た時には結構喋っていた気がするが、流石にそれだけでは冨岡さんがどんな人なのか全く分からない。

 禰豆子の為に命まで懸けたり、炭治郎たちを自分の師匠に紹介して道を示したりと、悪い人では間違いなく無いのだろうけれども……。

 

 まあ、よく知らない人の事に関してあれやこれやと考えても実像を把握出来るとは思えないので、冨岡さんがどんな人なのか考えるのはまたの機会で良いだろう。

 多分、何時か会う機会もあるだろうし。

 

 

「あの、悠さんは色んな『神様』を呼び出せるんですよね?」

 

 それはそうと、と話題を大分変えて炭治郎が訊ねて来た。

 

「『神様』と言うか……うーん……説明が難しいけれど。

 まあ、そんな感じかな。

 でも、別に『神様』だけって訳じゃ無い、他にも色々居る」

 

 人が想う『神』や『悪魔』や『化け物』などの姿を取りその力を持ってはいるけれど。

 それが神や悪魔其れその物かと言われるとやはり違う訳で。

 まあ、心の力としか言い様が無い何かだ。

 

「そんな凄い力が必要な戦いをしてきたんですね……。

 あの、もし良かったらで良いんですけど。

 俺、悠さんがどんな風な戦いをしてきたのか、知りたいんです」

 

「俺の戦いを? 

 ……まあ、炭治郎が知りたいなら構わないけど」

 

 炭治郎に促されて、主にあの世界での戦いの事を中心に話す。

 

 偶然迷い込んだその世界で人の心の影が生み出した化け物たちと遭遇した事。

 その時、『イザナギ』が現れた事。最初に戦った、陽介の影の事。

 特捜隊を結成して、あの世界の所為で殺されかけている人たちを助ける為に行動し始めた事。

 千枝の影、雪子の影、完二の影、りせの影、クマの影……。

 そう言った様々な強敵と死闘を繰り広げ、ペルソナの力を成長させながら少しずつ事件の真相を追って行った日々の事……。

 個人のプライバシーの観点で問題になりそうな部分は全力でぼかしたし、時代の違いを感じさせてしまいそうな部分も色々とぼかして話したので、一部の内容は多分よく分からないものになっていただろうけれど。

 しかし、そんな話を炭治郎は興味深そうに聞いていた。

 其々の戦いがどんなものだったのか、仲間達とどんな風にそれに立ち向かっていったのかと話すと、まるで手に汗握る英雄譚を聞いているかの様な反応を見せる。

 特に、りせの影を前に全滅しかけた事や、その直後に現れたクマの影との死闘の話は、何故だかは分からないが炭治郎としては特に興味をそそられたらしい。

 

 そして、ミツオの影との話をしようとした頃には大分夜も更けてきたので、今夜は此処までと話を切り上げた。

 すると、部屋の照明を消して布団に入りながら、炭治郎は何処か嬉しそうに微笑みながら言う。

 

「悠さんがどんな風に戦ってきたのかを知る事が出来て、嬉しいです。

 それに、俺にとって悠さんは、最初から物凄い事を平然とやってのけちゃう凄い人なんですけど。

 悠さんの話を聞いていると、ずっと頑張って戦ってきたからこそそうやって強くなったんだなってのが良く分かって。

 それが何だか嬉しいんです。親近感、って言うのかな?」

 

「親近感、か。そう思って貰えると俺も嬉しいよ」

 

 お休み、と互いにそう声を掛けて。

 目を閉じると、直ぐに意識は眠りの中に落ちて行くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 炭治郎が小鉄くんとの修行を終えたその翌日。

 昨日言っていた通りに早速炭治郎も鍛錬に参加した。

 

 最初の出逢いは中々印象の良くないものではあったと思うが、炭治郎は時透くんに対して蟠りを感じさせない態度で接し、早速打ち込み稽古を付けて貰っている。

 小鉄くんとの特訓で大分その身体捌きは洗練されている様だが、それでも時透くんにはまだ届かず。

 急所を外して打ち込まれては、豪速球の様な辛辣なダメ出しを受けている。

 それでも、その言葉に即座に前向きに取り組むのは炭治郎の良い所だろう。

 

 しかし、暫く皆を観察していて気付いたのだが。

 炭治郎と善逸、伊之助と玄弥は基本的に物凄く回避する力は強いのだが、その分攻勢に回った際に生まれる隙を突かれ易い。

 呼吸を使えないからほぼ素の身体能力で対応している玄弥だって、回避の勘とでも言うべきものの精度は物凄く高い。

 全員回避だけに専念すれば時透くんの攻撃だって避けるのだが、攻撃を仕掛けようとすると時透くんに打ち負けてしまう様だ。

 連携力でそこを補おうとはしているのだが、流石は柱と言うべきか時透くんの一撃は重く、更に霞の呼吸が回避に特化しているからなのか攻撃を当てるのも難しいらしい。

 

 時透くんとの手合わせが終われば、今度は自分が皆との手合わせをする番になる。

 早速炭治郎とハリセンを片手に戦うのだが、攻撃を仕掛けようとするとそれに敏感に反応して回避される。

 小鉄くんとの戦いで更に回避力が増したのかもしれない。

 とは言え、まだカウンター的な攻撃への対処は不十分な様で、ハリセンが乱れ舞う結果になったが。

 

 

「やっぱり、時透君も悠さんも強いな……」

 

「まあ、時透くんは柱だしな。

 俺も、剣術の腕は比べ物にならない位に駄目でも、一応上弦の壱を相手にする位ならどうにかなるし」

 

 この場の全員と一度に戦うと言う、傍目にはリンチか何かの様な手合わせの後で。

 何度も手首をハリセンで叩かれた為に、少し痛むのかそこを水で冷やしながら炭治郎が言った言葉にそう返すと。

 

「上弦の壱……」

 

 自分が討伐する目標の一つに据えたその存在を意識してか、炭治郎は緊張した様に呟く。

 そして。

 

「あの、悠さんは上弦の壱の攻撃を実際に見たんですよね? 

 それを再現するって、出来ますか?」

 

 そんな事を訊ねてくる。

 再現……再現、か。

 

「俺は呼吸は使えないし、剣術の腕前はあれとは比較出来ない位に無いに等しいものだから、完全な再現ってのは無理だ。

 でも、あの攻撃速度や攻撃範囲を再現する事なら出来る」

 

 そう言うと、その場に居た全員が驚いた様な顔をした。

 そして、時透くんが少し興奮した様な声で訊ねてくる。

 

「もしかして、他の上弦の鬼の攻撃も再現出来るの?」

 

「他の? ……上弦の弐の攻撃の一部なら、可能だな。

 一番厄介な、吸い込むだけで肺を凍て付かせ腐らせる細かな氷ってのは再現出来ないけど。それを本気でやると、一瞬で凍死させるって方向になってしまうし。

 上弦の陸は……あの猛毒はどうやっても再現出来ないな」

 

 流石に全部を模倣するのは無理であるが、まあ何となく、効果範囲だとか血鬼術の展開速度だとかは真似出来なくはない、筈だ。やろうと思った事は無いが、出来なくはないと思う。

 そう言うと、皆……と言うか時透くんと炭治郎が色めき立つ様に、「やってくれ」と言い出す。

 上弦の攻撃を予め体感出来る機会なんて早々無いのだから、と。

 既に討伐された上弦の陸はともかく、上弦の壱と上弦の弐はまだ生きているのだし、どうかすれば何処かで戦う可能性だってある。

 特に、炭治郎は上弦の壱と戦うと決めたのだから尚更その対処を学ばねばならないのだろう。

 危険なのであまり気は進まないが、『ラクカジャ』で防御力を底上げした上で、此方の攻撃を『タルンダ』で可能な限り下げて、その上で念の為に『テトラカーン』で保険を掛けておけば、威力は可能な限り抑えておけば膾斬りにして殺してしまうと言う事もあるまい。

 上弦の弐の再現に関しては、『白の壁』で氷結攻撃に耐性を付けておけば多少はどうにか出来るだろう。

 

「あまり気は進まないけど……まあ、仕方無いか……」

 

 何も対策出来ずに遭遇すれば死ぬしかない相手であるなら、ちゃんと対策するより他に道は無い。仲間を攻撃するのは、本当に心の底から嫌だけど。

 可能な限りの安全策を施した上で、先ずは時透くんの相手をする事になる。

 目標としては、三分間上弦の壱の攻撃を模した此方の攻撃を避け続けるか、或いはその間に此方の頸に木刀を当てるかである。

 ハリセンだと攻撃に耐え切れないので、今回ばかりは十握剣を構えている。尤も、これで直接相手を狙う気は無いが。

 

「じゃあ、始めるぞ」

 

 ── スラッシュ

 

 速度だけを重視した軽い横薙ぎの一撃を、時透くんは後ろに下がる様にして避ける。

 実際の上弦の壱との戦いでは、この攻撃に更に細かく飛び散る斬撃が付随してくるのだが、流石にそれは再現し切れない。

 

「今の回避距離だと、実際に上弦の壱と戦っていた場合だと細かい斬撃を喰らっていた筈だ。

 上弦の壱はその血鬼術によって、実際の刀による斬撃の他に、その軌道に沿った細かい斬撃を無数に飛ばしている。

 俺の攻撃をギリギリで避けるのではなく、大きめに避けた方が良い。

 細かい斬撃でも、人の腕の一つや二つ容易く落とす程度には威力があった」

 

 そうアドバイスすると、時透くんは静かに頷く。

 そして、あの上弦の壱の攻撃を思い出しながら次々に攻撃を仕掛ける。

 

 ── 二連牙

 ── キルラッシュ

 ── ダブルシュート

 ── ミリオンシュート

 ── 五月雨斬り

 ── アサルトダイブ

 

 次々に迫り来る斬撃を回避している内に、時透くんはかなり距離を取っていた。

 流石にこの距離では届かないだろう、と。その油断を、許さずに攻撃を仕掛ける。

 

 ── 疾風斬

 

 明らかに剣の間合い以上の距離に届いた一撃に、回避が遅れた時透くんは左腕の辺りを斬り裂かれてしまう、がそれは『テトラカーン』によってそっくりそのまま此方に返って来た。

 疾風斬を使えるペルソナは物理耐性こそあれど完全な無効化は出来ない。その為左腕がザックリと切れてしまったが、まあこの程度はディアで瞬時に治せるので掠り傷だ。

 

「上弦の壱の刀は、上弦の壱自身の骨肉で作られているので伸縮自在な上凄まじい再生能力も備えている。

 最初は打刀程度の大きさだったが、此方が距離を空けると大太刀以上の長さを持った七支刀の様な刀に変形させたりもした程だ。

 もしかしたら、もっと長く出来るのかもしれない。

 呼吸を使った剣術を活かす以上は、刀その物の形からはそう大きく逸脱はさせないだろうが、間合いに関して完全に見切る事はほぼ不可能だと思った方が良い。

 そして、そうなった時の攻撃はより一層苛烈になって、再び接近する事はほぼ不可能になる。

 危険ではあるが、可能な限り首を斬れる間合いを保って戦い続ける他にないと思う」

 

 保険に掛けておいた『テトラカーン』が切れてしまったので一旦打ち合いは終了して、上弦の壱の攻撃パターンやそれをどう攻略するべきかを自分なりに考えたものを伝える。

 

「成る程ね、あの攻撃速度と範囲で、かつ血鬼術によって軌道を読み辛い斬撃まで無数に飛んで来るのか……。

 しかも、武器を壊してもほぼ無意味だし、その武器自体も伸縮自在……」

 

 厄介極まりないね、と。そう呟いた時透くんに、「それな」とばかりに頷いた。

 

「しかも鬼だから、本来なら呼吸と呼吸の合間にどうしても生じる隙を無理矢理その身体能力で潰して、有り得ない速度と威力で呼吸の型を連発してくるんだ。

 一体何の呼吸を使っているのかは分からなかったが、物凄い型の数があるみたいで、十五以上も様々な型を出してきた程だ。

 型の予備動作で相手の攻撃を見切る事も相当に難しいだろうな」

 

 もう滅茶苦茶と言って良い程に厄介極まりない相手である。

 更には、上弦の壱の戦い方の根本は、鬼のそれでは無くて、鬼殺の剣士の戦い方なのである。

 人外の回復力頼りに突撃してくるのではなく、確実に此方の攻撃は回避した上で必殺の一撃を放ってくる感じだ。

 鬼との戦い方には慣れていても、剣士同士……それも隔絶した腕前の剣士との戦いには慣れていない鬼殺隊の隊士にとっては、上弦の弐とはまた別の方向性で相当戦い難い相手であるのだろう。

 しかも更なる奥の手を隠し持っている可能性があるのだ。

 縁壱さんの時代から数百年にも渡り研鑽を積んで来たのだろう剣技に鬼の身体能力や血鬼術に、と。それは規格外の『化け物』と呼んでも差し支えないものである。

 

「でも、そんな上弦の壱相手に頸を落として負傷者を連れて撤退出来たんだったよね。

 どうやったの?」

 

「どうって……。まあ、強引に突破した感じだな」

 

 ペルソナの力を借りれば物理攻撃の一切を無効化したり反射したりする事も可能な為、自分一人で対峙すれば抑え込む事自体は可能なのだ。とは言え倒せるのかは状況に拠るが。

 上弦の壱の攻撃は苛烈極まりない為単独で対峙した場合は正直物理攻撃に無効以上の耐性が無ければ防戦一方で全く攻撃に入れないのだが、物理攻撃のみである以上は物理無効や反射などが出来れば強引にその攻撃を突破して首を斬る事は可能である。

 ……問題は、あまりそう言う手を晒すと、鬼舞辻無惨の討伐に支障を来す恐れもあると言う事なのだが。

 まあ、それは今は良いだろう。

 

 実際にどうやったのかを実践して見せて欲しいと時透くんに頼まれたが、流石にこれは実際の人間相手にやる訳にはいかないからと、上弦の壱に見立てた巻き藁相手に攻撃するのを見せる事で妥協して貰う。

 あの時と同様に、イザナギの力を借りて、『タルカジャ』と『チャージ』で威力を可能な限り高めた『雷神斬』を巻き藁に向かって繰り出す。

 大体この辺りが上弦の壱の首だろうと印を付けた辺りを綺麗に斬り飛ばしたのだが、爆発する様な雷の威力によって巻き藁は斬られていない部分まで瞬時に炭と化して爆散する。

 巻き藁を刺していた棒まで綺麗に吹き飛んでしまった。

 

「ええ……っと、まあ……こんな感じに……」

 

 思っていた以上に見た目がド派手な事になってしまい、ちょっとドン引きされてないだろうかと心配になる。

 いや、巻き藁が可燃物なのが良く無かったのだろう。これが石とかそう言うの相手だったなら、まだ。多分……。

 

「これ、頸を斬ると言うか、頸ごと消し飛んだんじゃないの?」

 

「いやいや、上弦の壱は流石にこれだけじゃ消し飛ばなかったよ。

 首周りは炭化してたけど、身体は綺麗に残ってたし」

 

 思えば上弦の弐も『ラグナロク』が直撃しても骨だけは残ってそこから再生したのだ。

 上弦の鬼と言うのも相当に出鱈目な存在である。

『コンセントレイト』や『タルカジャ』で威力を引き上げていれば、あの時も骨ごと消し飛ばせたのだろうか。

 それとも、ちゃんと『スルト』を召喚出来る状態だったなら灰も残さず燃やし尽くせたのだろうか。

 まあ、あの場には負傷したしのぶさんとカナヲも居たのだし、そもそもの話、そんな超火力をバンバン使う訳にはいかなかったのだけれども。

 

「あれ、今の攻撃って、もしかして伊邪那岐さんが上弦の陸の妹鬼相手にしたのと同じですか? 

 でも、あの時はもっと……」

 

『雷神斬』を見ていた炭治郎が少し不思議そうに訊ねてくる。

 どうしてかは知らないが、炭治郎はイザナギの事を『伊邪那岐さん』と呼んでいる。

「様」を付けるべきかと訊かれたのだが、『我は汝、汝は我』なので流石にそれは違和感が凄いので止めて欲しいと伝えたところ、しかし呼び捨てになど出来ないと押し切られて「さん」付けになった。

 まあ、炭治郎がそうしたいのならそれで良いのだけど……。

 

「同じ力なんだとしても、俺がこうして攻撃するよりも、『イザナギ』が攻撃した方がずっと威力とかは高いからな。

 まあ、強過ぎて手加減し切れないから、手合わせなんか出来ないのが問題なんだけど……」

 

 基本的に、幾らペルソナの力で強化されているとは言え、自分よりもペルソナ自身の方が力は強い。

 最終的にアメノサギリだとかイザナミだとかを相手にする時は、自分たちが武器で攻撃しても微々たるダメージにしかならなかったので、ペルソナでのぶつかり合いに等しい状態になったのだ。

 まあそんな訳で、ペルソナの力は物凄く強いのだが、今の自分でも手加減をし切れていないのだ。

 召喚したペルソナで直接手合わせ……なんて事になったらどんな事になるかちょっと恐ろし過ぎる。

 なので、手合わせしたいと言われる前に先手を打って拒否しておく。

 伊之助はあからさまな程にガッカリしていた。

 

 何はともあれ、今度は炭治郎が上弦の壱の攻撃を一部再現したそれを体験する事になった。

 先に時透くんとの戦いを見学していただけに、注意しなければならない事には確りと意識を向けて、あまり間合いを空けない様にして炭治郎は絶え間ない攻撃を確りと回避し続ける。

 その見事な回避力に、それを見ていた全員が驚いた様に声を上げる程だ。

 回避力だけなら、炭治郎は上弦の鬼に対しても通用するのではないだろうか。

 とは言え、かなりギリギリの所で回避している様で、余り余裕は無い。

 だからこそ。

 

 ── 利剣乱舞

 ── アイオンの雨

 

 広範囲に複数回の攻撃を発生させるそれらの連撃に対応する余り、その意識に僅かな隙が生まれ。

 そして当然其処を狙った一撃を加える。

 

 ── 霧雨昇天撃! 

 

 掠るだけでも左右に真っ二つになるだろうその一撃を、炭治郎は回避し切る事が出来なかった。

 とは言え、それは『テトラカーン』によって跳ね返されて此方に返って来て、物理無効の耐性によって掻き消されるのだが。

 

「炭治郎の回避力は凄いけど、全ての攻撃に集中し続けるのは難しいからな……。

 そこをこうして突かれる事はあると思う」

 

 実戦の中だったら今の一撃で死んでいただろう。まあ、実戦なら実戦で、炭治郎のここぞと言う時の爆発力は凄いので、もっと上手く立ち回っていたかもしれないのだが。

 

「はい! 有難うございます! 気を付けます!!」

 

 炭治郎は元気よく返事して、その注意事項に何度も頷く。

 その後、上弦の壱だけでなく上弦の弐の攻撃を一部再現したそれとも戦ったりして、そろそろ日が傾き始めると言う頃合いには力を使いまくった為かなりへとへとの状態になってしまった。

 

「ふぅん。凄い力があっても持久力はあんまり無いんだ」

 

「ああ……。これでも、大分改善された方なんだけどな……。

 ちょっとこればっかりは、どうしようもないんだ……」

 

 この世界に迷い込んだ当初から考えると物凄く持久力は上がったのだが、それでもまだ万全とは言い難い。

 まあ元々、持久戦を前提にした様な力では無いのだけど。

 気力や体力を自然回復する力を持つペルソナに切り替えれば多少回復は早くなるのだが、やっぱり一番の回復方法はしっかり寝る事である。

 まあ、本当に限界になったら自分の意思とは関係なく昏倒してしまうので、そうはなっていないだけまだ余裕はある方だ。

 

「ごめんなさい、こんなに疲れさせるまで付き合わせちゃって……」

 

 全集中・常中が出来る剣士は、ある意味体力お化けで。実際に死闘を繰り広げた訳でも無いのなら、ちょっと休憩するだけでもうピンピンしている。ちょっと羨ましい。

 

「い、いや……良いんだ。皆の力になれて嬉しいよ……」

 

 これで少しでも炭治郎たちが上弦の鬼を相手にしても大きな負傷無く戦い抜ける様になるなら、安いものである。

 まあ、今日はもう夕食を食べて温泉に入ったら寝てしまいそうなので、これ以上の手合わせは勘弁して欲しいのだが。

 

「それにしても、攻撃を跳ね返す力を他の人にも使えるの凄いね。他にも何か出来るの?」

 

「物理的な攻撃以外にも、何と言うのか……上弦の弐の氷みたいなものも跳ね返せる盾みたいな力を与える事も可能だな。とは言え、それが有効なのは一回切りだし、あんまり効率が良い訳じゃ無いけど。

 後、上弦の弐が使う様な氷の攻撃に対しては、ちょっとその威力を和らげる事も出来るぞ。

 即死が半死になる位の差だから完全に遮断出来る訳では無いが……。それと同じ様な事は、炎とか電撃に対しても出来るな。

 他には、攻撃力を上げたり、素早さを上げたり、防御力を上げたり……逆にそれらを下げる事も出来る。

 他にも色々あるけど……まあそんな感じかな」

 

『デカジャ』・『デクンダ』はあまり意味が無いだろうし。相手の狙いを自分に集める『ヘイトイーター』や、味方に与えられたダメージを肩代わりする『ボディーバリアー』は有効だろうがあまり離れて戦うと効果が無い。

 自傷と引き換えに圧倒的な力を得られる『修羅転生』は、ちょっと火力過多になりそうなので使う機会は無さそうだ。

 自分だけを強化する力は他にもあるが、時透くんが知りたいのはそう言うのでは無いだろうし……。

 他に何か皆の力になりそうなものと言えば……と。自分が使える力を見直してみる。

 

「あ……何と言うのか、会心の一撃って言うのかな。そう言うのを決めやすくする力もある。

 説明が難しいんだけど、『ここを攻撃すれば良いんだな』ってのが分かると言うか……」

 

「よく分からないけど、ここを攻撃すればって、鬼なら頸を斬れば良いんじゃないの?」

 

「まあそうなんだけど、そうじゃないと言うか……」

 

 本当に説明が難しい感覚なのだ。

 何と言うのか、こう……「心眼」が開いた? みたいな。

 いや、別に武道を極めた訳でも無いので、「心眼」とやらが何なのかは分からないのだけど。

 説明してもよく分からなかったからなのか、実際にやってみてよと言われ、まあそれもそうかと頷く。

 ちょっとしんどいけれど、やってやれない事も無いだろう。

 

「── シキオウジ!」

 

 その力を持っている『シキオウジ』を呼び出すと、初めて見るものだったからか、全員が驚いた様に声を上げる。

 まあ生物的なそれとは掛け離れた独特な風貌であるので、物珍しいだろう。

 見た目は変わっているが、中々に強力なペルソナであり、頼りになるものだ。

 

 ── 心眼覚醒! 

 

 割とその物ズバリな名を冠したその力を皆に使うと。

 皆は一斉に困惑した様に驚いた様な声を上げる。

 

「うおぉぉ!? 何だこりゃ、何かビリビリする、すっげぇ!」

「……!? 何だ、あれ、これ匂いなのか?」

「ええええ!? 音? でもこんなの初めてなんだけど!?」

「……何だろう、透けて見える……?」

「何だこりゃ……」

 

 玄弥はそこまでハッキリとは分からなかったみたいだが、玄弥以外の五人は其々に何か特異なものを感じ取っているらしい。

 混乱した様に耳を塞いだり或いは鼻を摘まんでみたり、或いは目を閉ざしてみたりと。様々な反応をする皆を見ていると、これが害になる様な力では無いと知っていても少し心配になってしまう。

 まあ、そこまで長続きするものでは無いのだけど。

 

「どうだ? 何か分かったか?」

 

 うんうんと唸っている炭治郎に訊ねてみると。

 少し唸った後に、何かに気付いた様な顔をして、炭治郎が声を上げた。

 

「もしかして……! これが父さんが言っていた『透き通る世界』ってやつなのかも……!」

 

 とか言い出したので、思わず此方も驚いて目を見開いてしまう。

『透き通る世界』。一体どんなものなのか、個人の感覚の世界なのでその到達条件もそれが一体どう言うものなのかも分からないそれが、『心眼覚醒』で到達出来てしまったと言うのだ。

 努力に努力を重ねて、無駄なものを削ぎ落した先に在るのだと言うそれにこうもあっさりと辿り着けるものなのか……? いやまあ確かに、心眼覚醒は相当強力な力である事は確かなのだけれども。

 しかし、自分が感じていたあれが『透き通る世界』だったのか? 別に相手が透き通って見えた事なんて無いのだけど。相手がシャドウだからなのか? 分からない……。

 正直、頭の中は疑問符だらけである。まあ、剣術を磨きに磨いている者が辿り着くそれと、ペルソナの力で戦う自分が辿り着く『心眼』の境地は同じでは無いと言うだけなのかもしれないけれども……。

 

 数分程経って『心眼覚醒』の効果が切れた時には、皆が何やら疲れた様な顔になっていた。

 それが果たして『透き通る世界』であったのかどうかはともかく、半ば強制的にそれに引き摺り上げられた為に感覚のズレが強かったのかもしれない。

 しかし、一度でも感覚を掴めたと言うのは、間違いなく炭治郎たちにとっては鬼たちと戦う際には有利に働く事になるのだろう。

 

 思い掛けず、最後の課題であった『透き通る世界』への道程を見付けてしまい、困惑が隠せなかった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
『心眼覚醒』を使ったら『透き通る世界』らしきものに炭治郎たちが辿り着いたので吃驚仰天。確かに強い力だけど、そうなるの!? と戸惑いを隠せない。
もし悠が武を極めていたのなら、心眼覚醒で感じるものが『透き通る世界』だったかもしれない。
ペルソナの力を使えば、上弦の鬼たちの攻撃の一部を模倣する事が出来る。
絶対に仲間を攻撃したくないと拒否していた筈なのだが……??


【竈門炭治郎】
悠の過去の戦いを聞いて、かなり凄い戦いだったんだ……と驚いている。
割と平然と、氷漬けにされて瀕死になったとか言い出すし……。(サマリカームあるけど)
悠本人は殆ど瀕死になった事は無いし、況してやイゴった事は一度も無い。その分、悠が仲間たちが酷く傷付いた場面を誰よりも多く見て来たと言う事を悟る。
『透き通る世界』は、匂いと視覚が共感覚で混ざったかの様な感じに知覚される。


【我妻善逸】
手合わせとは言え獪岳と肩を並べて戦う夢は叶った。
まだ「兄貴」とは呼べてないけど、そろそろ呼べそうな気がする。
獪岳と自分にチャンスをくれた悠には本当に感謝してもし足りない程。
『透き通る世界』は、聴覚と視覚が共感覚で混ざったかの様な感じに知覚される。


【嘴平伊之助】
悠や無一郎との手合わせが楽しい。
益々柔軟性に磨きがかかって来たし、その回避力は鰻登り。
『透き通る世界』は、触覚と視覚が共感覚で混ざったかの様な感じに知覚される。


【不死川玄弥】
呼吸や剣術の才能が無いので、『透き通る世界』には辿り着けない。
でも何となくぼんやりとは分かる。


【獪岳】
上弦の壱の頸を斬った際の攻撃を再現されて、本当にヤバイと改めて思う。
でも悠に対しての感情は、怖いと言うよりは、「凄い」と言う気持ちの方が大きくなってきた。
『透き通る世界』は、あまりハッキリとは分からない。


【時透無一郎】
皆との鍛錬は実は結構良い経験値になっている。
特に、死に覚えゲー特訓を受けている四人は回避力と連携力が滅茶苦茶高い事もあって、余裕で受けている様に見えで実はかなり本気で戦っている。
上弦の鬼の攻撃を再現した手合わせは、ほぼ回避に専念するしか無かった為、上弦の鬼の規格外さを心底味わう事になった。
取り敢えず、黒死牟に遭遇しても初手で手を切り落とされる事は無くなった模様。耐久出来るかはこれから次第。
『透き通る世界』は、ほぼ視覚的に見えている。


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『心の箱』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 心の中の幸せを入れる箱に穴が空いている人のそれを、どうやって塞げば良いのか、俺には分からなかった。

 ずっと不満の音がしているから、獪岳のそれに穴が空いているんだってのは分かったんだけど。

 でも、幾らそれに気付いても、俺が何を言っても何をしても、獪岳の胸から聞こえる音が変わる事は無くて。

 それどころか、益々大きくなっていっている様な気がした。

 じいちゃんの事は尊敬している筈なのに、どうしてかじいちゃんの言葉でも全然塞がらなくって。

 何時かこのままじゃ新しい幸せに満たされるどころか、何もかもその穴から零れ落ちて空っぽになっちゃうんじゃないかって思う程だった。

 獪岳が俺の事を嫌っているのは知っていたし分かっていたし、俺だって獪岳みたいに性格が悪いやつの事は好きって訳じゃ無いけれど。

 でも、俺にとって、そしてじいちゃんにとって、獪岳は特別だった。特別に大切な人だった。

「家族」なんて知らない俺にとっては、初めて出来た「家族」みたいな人だった。

 それでも、その幸せの箱に空いた穴を埋める事は出来なかった。

 何時からだろう、こんな風に獪岳の心に何も届かなくなってしまったのは。

 

 じいちゃんに連れられて出逢った最初の頃から、獪岳は俺の事好きじゃ無かったと思うけれど。それでも此処まででは無かった。泣き喚いてじいちゃんの手を煩わせるなって怒られた事はあったけど、まだその目に俺を映してくれていた。

 最初の切欠は、俺が霹靂一閃を学び始めて少しした頃だったと思う。

 獪岳は性格はどうしようもないけど、でも誰よりも直向きに努力し続ける奴で。そう言う点では、直ぐに泣き喚いて鍛錬から逃げ出そうとする俺とは雲泥の差だった。

 じいちゃんは俺の事も獪岳の事も大事にしていたけど。でも、じいちゃんが尻を叩かなくてもちゃんと頑張って鍛錬を積める獪岳と、直ぐに逃げ出そうとする俺では、必然的にじいちゃんも俺に構っている時間が多くなった。

 その大半の時間はお説教で、その度にじいちゃんは獪岳を見習えって怒っていたので、別に俺だけが一等特別に扱われていたという訳では無かったのだけれど。

 でも獪岳からすれば、自分の指導の為に使ってくれていたかもしれない時間を、俺なんかの説教の為に使っている様に見えて面白くは無かっただろう。

 そして、本当にどうしてなのかは分からないけれど。獪岳は誰よりも努力しているのに、壱ノ型である霹靂一閃がどうしても使えなかった。正確には、どうしても実戦レベルにまで習熟出来なかったのだ。

 でも、弐ノ型から陸ノ型までは、実際に鬼殺隊で隊士として戦っている雷の呼吸の使い手たちにも負け無い程に磨き上げられている。努力が足りない訳では決して無いのだ。

 逆に、雷の呼吸の基礎になっていると言われる壱ノ型を実戦レベルでは使えないのに、他の型は其処まで習熟出来ている時点で、獪岳の積み重ねた鍛錬の量と質を推し量る事が出来ようと言うものだ。

 ……そして、獪岳とは真逆に、俺は壱ノ型しか使えなかった。努力してない訳では無いし、じいちゃんが必死に教えてくれるそれをどうにか習得したいのに、どうしても霹靂一閃しか使えなかったのだ。

 ……でも、獪岳からしたらそれは全く面白くない事だっただろう。

 自分が何れだけ直向きに努力しても使えない壱ノ型を、俺みたいな弱くって情けなくって直ぐに泣いて逃げ出して真面目に努力したがらない奴が使える様になったのは。

 俺が逆に他の型は全然駄目だったとしても、そう言う問題では無い。

 

 そして、決定的に拗れてしまったのは、じいちゃんが己の雷の呼吸の継承者として、俺と獪岳の両方を認めたからなのだろう。

 じいちゃんからすれば、壱ノ型以外は恐ろしく高い完成度で習得している獪岳と、壱ノ型だけは頑張れる俺の二人が力を合わせれば、物凄い力を出せるんだろうと言う師匠心だったのだろうけれど。

 でも、完璧主義な努力家的な気質が強くて、我も強いし俺の事を全然認めてないし嫌っている獪岳からすれば、「一緒じゃなきゃ一人前ですら無いのか」、と。その自尊心を傷付けられる結果になってしまったのかもしれない。

 あの時、獪岳の胸から酷い音が鳴ったのを、俺は忘れられないのだ。

 それから程無くして獪岳は最終選別に行って鬼殺隊に入って、じいちゃんの所に寄り付かなくなったから、その後どうなったのか詳しくは分からなかったけど。

 でも、ずっと心配はしてた。

 

 獪岳が最終選別に行ったその翌年に、じいちゃんに引っ叩かれて引き摺り倒されて最終選別に行かされてどうにか生き延びて鬼殺隊に入った後で。

 風の噂に、獪岳が頑張っている事を知った。

 鬼殺隊に入っても、獪岳は変わらずに直向きに努力している様だった。

 誰それと仲が良いなどと言った噂は全く聞かなかったけれど。

 でも、一生懸命に任務に励んで、変わらずに鍛錬を積んで。

 まだ入隊して一年程度も経っていない位なのに、既にかなり早い調子で階級も上がっていた。

 入隊したばかりの俺と、既にそこそこの階級になっていた獪岳とでは、例え同門であるのだとしても一緒に任務に行く様な事は無かったのだけれど。

 それでも、何処かで元気にやっているなら、それでも十分だったのだ。

 出来ればその胸の幸せの箱の穴が塞がっていてくれれば良いのだけれど、でもそれは確かめようが無い事で。

 時々手紙は送っていたのだけれど、返事は無かった。そもそも読んですら貰えていなかったのかもしれない。

 そんな感じに、時々獪岳の噂を聞く位で、鬼殺隊に入ってからの接点は殆ど無かった。

 ああ、一度だけ。獪岳の事を何も知らないくせに馬鹿にしていた隊士が居たので、殴り合いの喧嘩になった時に、そうやって乱闘騒ぎを起こした事を馬鹿にしにやって来た獪岳と顔を合わせた事はあったのだけど、それだけで。

 そしてその時に聞いた幸せの箱に空いた穴の音は、ちっとも塞がっていない様だった。

 

 獪岳とはそんな風に近寄る事も、或いは遠ざかる事も無い様な距離感であったのだけれど。

 でも俺は、炭治郎と出逢って、禰豆子ちゃんと出逢って、伊之助と出逢って、そして悠さんと出逢って。

 鬼殺の任務は決して楽じゃないと言うか恐い事ばかりだったけど、それでも楽しい時間も沢山過ごした。

 上弦の陸……と戦った時の記憶は相変わらず無いけど、それを皆で力を合わせて討ち取って。

 悠さんたちの協力で、ちょっとは自分に向きあって。「自分を信じる」ってのを始めてみようと、そう思った。

 

 でも、そんな矢先。悠さんと一緒に救援要請を受けて向かったその先で。

 獪岳は、鬼に対して命乞いをしていた。

 

 相手は上弦の壱で。

 正直柱位強くってもどうしようもないってのが音を聞くだけで本能的に理解させられてしまう程の相手だった。

 俺だって、あんなのを前にしたら、「死にたくない」って泣き喚いていたかもしれない。

 怖くって怖くって、どうにかなってしまいそうな位に絶望的な力量差がある相手なんだってのは、直ぐに分かった。

 獪岳が命乞いしていた事自体は、鬼殺隊の隊士としては良い事では無いけれど、それを責める事は出来ない。

 でも、耳が良い俺には、ただ命乞いをしているだけじゃないってのも分かってしまった。

 獪岳は、あの上弦の壱の鬼の気紛れか何かによって、鬼にされようとしていたのだ。

 その言葉を聞いた瞬間、その胸の内には恐怖や後悔や本当に複雑な音が吹き荒れる様に鳴り響いていたけれど。

 しかし、獪岳はその上弦の壱の鬼の言葉に、否を突き付ける事は無かった。その結果がどうなるのかなんて、じいちゃんから重々聞かされていたのだから、獪岳は知っている筈なのに……! 

 俺の命を天秤に載せるならまだしも、じいちゃんの命まで載せた上で、それを選ぼうとしたのだ。

 そしてそれだけじゃない。これから先己れが奪うだろう大勢の命すら秤に載せて。そして、自分の命を選んだ。

「死にたくない」と思う事は間違っていないけれど。その選択だけは、少なくとも鬼殺隊の剣士としては、選んではいけないものであった。

 獪岳が選んだそれを理解した瞬間、目の前が真っ暗になった様な気すらした。

 

「善逸! 玄弥! 頼んだ!」

 

 余りの出来事に固まってしまった俺を動かしてくれたのは、そんな悠さんの力強い声だった。

 それに弾かれた様に、俺は自分のすべき事を……上弦の壱から獪岳を守る為の行動を迷わずに選べた。

 絶対に自分では敵わない事は分かっていたけれど。それでも今この瞬間、獪岳を助け出す事を諦める訳にはいかない、と。

 そうやって霹靂一閃の要領で駆け出して、獪岳へと差し出されかけていた上弦の壱の腕を斬ろうとしたのだけれど。

 しかし、振るった刀はあっさりと折られて。そして返す刀で胴体が泣き別れしかけたそれを助けてくれたのは、俺たちと上弦の壱との間にギリギリ割り込む事に成功した悠さんだった。

 悠さんのお陰で獪岳を上弦の壱から引き剥がす事は出来たけれど。

 死の恐怖その物に直面した衝撃からか、獪岳は随分と混乱して正常な状態とは言い難かった。

 しかし錯乱一歩手前であった獪岳の様子を見ているだけで良い訳は無く、悠さんに言われた通りに他に負傷した隊士たちを一ヶ所に集める必要があった。

 あの上弦の壱の刀で切断されたのだろう手足があちこちに斬り飛ばされた様に転がっていて。

 重たくて大きい胴体部分は一緒に救援に当たってくれた玄弥が回収してくれたが、それでも酷いものだと関節や骨を幾重にも断ち切るかの様に細かくバラバラにされていた手足を一つの欠けも無く探し出すのは大変だった。

 鼻が利く炭治郎だったらもっと楽に探し出せたかもしれないけど、斬り落とされた手足やその断片なんて幾ら耳が良くても捜し切れなくて。

 それでもどうにか玄弥と手分けして集めきって、悠さんに合図を送ると。

 

 悠さんはあれだけ恐ろしい相手である上弦の壱の頸を、眩いばかりに雷その物で形作られた刃で斬り飛ばして。

 そしてそれを、怖いもの知らずなのか、思いっきり蹴り飛ばしたのだ。

 まるで蹴鞠の様に遥か遠くへ飛んで行く上弦の壱の頸は、何処か場違いな程に非現実的な光景に見えた。

 更には、残った胴体も、爆発する様な雷の一撃で圧し飛ばされる様に吹き飛ばされて。

 そして、一刻の猶予も無いとばかりに悠さんが俺たちを掴んだ瞬間。

 ほんの一瞬の浮遊感にも似た奇妙な感覚に酔いかけた直後には、俺たちは蝶屋敷の中庭に居て。

 そして悠さんはそのまま、負傷しているもののまだ辛うじて息があった隊士たちを、どうする事も出来ない程に斬り刻まれていた手足を含めて、全部癒してしまった。

 原型が分からなくなる程に切断されていた筈の手足に残った痕は、僅かに赤い蚯蚓腫れの様なものだけで。

 それの代償の様に悠さんは気を喪ってしまったけれど。それは誰がどう見ても、『神様』が起こした奇跡であった。

 

 何と言うのか、それを目の当たりにした瞬間に。

 ああ、悠さんは『神様』なんだって。そうストンっと音を立てる様に納得と共に胸の中にそれが落ちて来た。

 龍を呼び出したりとか、その時点でどう考えても悠さんは普通の人じゃ無いけど。

 でも、何と言うのか。根本的な部分で、「違う」んだって。そう思った。

 

 ……そして、そんな悠さんの力を目の当たりにして、獪岳は明らかに怯えた様な音を立てていた。

 蝶屋敷にまで一瞬で帰還して、上弦の壱の脅威はこの場から完全に取り除かれて、命の危機が去ったからこそ。

 自分が何をしようとしていたのか、自分が選んだものが何だったのかをやっと心の底から理解して。

 そして、上弦の壱の頸すら一撃で落として、死ぬ筈だった隊士たちの命を救った悠さんの事を、畏れていた。

 悠さんは絶対にそんな事をしないのに。「殺される」、と。獪岳はそう思ってしまったのかもしれない。

 そして、悠さんは自分が屈した上弦の壱にすらも負けない程に圧倒的に強いのだ。悠さんが「その気」になった場合、誰にも万に一つも勝ち目なんて無い。

 悠さんからずっと聞こえる優しい音を聞く限りはそんな事は絶対に無いのに。獪岳が命乞いをしていたのなんて悠さんも見ていたのだし知っていても、一瞬たりともそれに嫌悪感の音は無かった。それでも。

 直前に上弦の壱に出逢ってまだ錯乱した状態だからなのか、獪岳は全力で悠さんに怯えていた。

 どうしてそこまで怯えるのかは、正直俺には分からないのだけれど。

 錯乱した様に獪岳は「死にたくない」と喚いて、力を使い果たして気を喪ってしまった悠さんに縋り付く様にしてその慈悲を乞う様に懺悔の様な言葉を並べ立て始めた。

 気を喪った悠さんを心配そうに介抱しようとしていた玄弥は、自分を助けてくれた筈の悠さんを気遣う事無く縋る様に命乞いをする獪岳のその言葉に……特に、「死にたくなかったから鬼になれと迫られた時にも拒絶出来なかったのだ」と宣うそれには、嫌悪感にも似たものをその表情に浮かべていた。

 

 そして俺は、これから獪岳がどうなってしまうのかを悟った。

 このまま、獪岳がしでかした事をそのまま報告されてしまえば、獪岳は最悪斬首されてしまう。

 例え相手が上弦の壱であったとしても、命乞いの果てに鬼になる事を了承したなどと、鬼殺隊の隊士としては最も忌むべき行動の一つであり、隊律違反なんて軽い言葉で済ませて良いものじゃないからだ。

 本当に鬼になってしまった訳では無いし当然それで死んだ人も居ないから、俺やじいちゃんにその責が及ぶ事までは無いのだとしても。それでも、獪岳が赦される可能性は万に一つも無い。それ程の事を仕出かしたのだ。

 本当なら、獪岳には自分の選んだものの責任を取らせるのが筋と言うものなのだろう。

 それは分かっている。そして、今から自分がやろうとしている事が道理に合わない罪深い行為なのだとしても。

 それでも、俺は獪岳を見捨てる事は出来なかった。最悪斬首される可能性があると知りながら、それを見逃す事は出来なかった。

 獪岳は責任を取らなければならない。それは間違いなくそうだ、それは俺もそう思っている。

 クズとしか言えない選択をしてしまった以上、何もお咎め無しだなんて出来はしないだろう。

 でも、「死にたくない」と願うそれが、その想いの結果が、斬首だなんて。そればっかりは認めたくなかった。

 獪岳の心の箱は空っぽで、自分の命以外の大事なものは全部箱に空いた穴から零れてしまったのだとしても。

 なら、その箱の穴に気付きながら何も出来なかった俺にも、獪岳があんな事を選んでしまった責任がある。

 だから。

 

 俺は先ず、気を喪っている悠さんを抱えながら獪岳に厳しい視線を向けている玄弥に、地に頭を擦り付ける勢いで土下座した。

 突然のそれに玄弥は驚いているが、それを止めようとする言葉は無視する。

 だって、今しか無いのだ。

 もう直ぐ、この騒ぎに気付いた蝶屋敷の皆が此処に来てしまうだろう。

 忌々しい位に良過ぎる耳は、蝶屋敷の中で誰かが異変に気付いて動こうとした音も拾っている。

 そして、このままだと、玄弥は何があったのかを正確に報告してしまうだろう。

 そう、獪岳の事も含めて。

 

「こんな事をお願い出来る立場じゃないのは、十分承知している。

 でも、どうか。獪岳の事は、皆に言わないで欲しい。

 獪岳の事は、同門の弟弟子である俺が、責任を持つから」

 

「責任って言ったって……。そんなの誰が取れるんだよ。

 お前がそう思っても、ただの平隊士が取れる責任の範疇じゃ無いだろ、こんなの。

 兄弟弟子なら、見捨てられないのは分かるけどさ」

 

 獪岳を庇った所でその責任を取り切れる訳無いだろうと、そう玄弥は言う。

 それはそうだ。……だけれども、この場にはその責任を負ってくれそうな人が、負えてしまえる人が、一人だけ居る。

 それは最低な事だとは思っているけれど。でも、どうしても獪岳の命を救う事を諦めきれない。

 俺は最低な人間だ。

 

「悠さんに、頼む。

 悠さんが起きたら全部説明して、それで獪岳の処遇を決めて貰う。

 だから、それまではどうか……」

 

 そう言った瞬間。玄弥の目に明らかな怒りの感情が宿った。

 ああ、玄弥は心から、悠さんの事を「友だち」だと思っているのだろう。

 だから、俺がやろうとしているそれの意図を理解して、怒っている。

 その怒りを、俺は真正面から受け止める事しか出来ない。

 

「お前……! 悠にこんな奴の命の責任を押し付ける気か!? 

 悠だったら絶対に見捨てられないって、分かっててそんな事を言うのか!?」

 

「分かってる。分かってるさ! そんなの。

 俺がやろうとしている事は、最低な事だ。

 鬼殺隊の隊士としても、そして、悠さんの『友だち』としても。

 それでも……! 俺にとって、じいちゃんにとって……! 

 獪岳は、特別な位に大事な人なんだ。『家族』みたいに大事な人なんだ……。

 獪岳がやった事は最低だけど、それでも……死んで欲しくは無いんだ……」

 

 溢れそうな感情が、涙となって地面に零れ落ちていく。

「家族」、と。その言葉に玄弥の怒気は僅かに収まった。

 

「そう、か。……善逸にとって、こいつは『兄ちゃん』なのか……。

 じゃあ、駄目だよな……。生きていて、欲しいよな……。

 ……もし悠が駄目だって言った時にもそれに従えるって言うなら。じゃあ、俺からは何も言わない」

 

『兄』と言う存在に何か思う所があったのか、玄弥は諦めた様にそう言った。

 そして、やって来たしのぶさんたちと隠たちに、気を喪った隊士たち同じく気を喪っている悠さん、そして悠さんの力を以てしても既に手遅れだった隊士の亡骸が回収された後に、簡単な事情聴取を受けていた時にも、玄弥は獪岳の事については何も語る事は無かった。

 

 

 力尽きて気を喪った悠さんだったが、その日の昼過ぎには目を覚まして、何があったのかを早速報告している様であった。

 悠さんは、獪岳が一体何を選ぼうとしていたのかまでは知らないだろう。

 だから多分、獪岳の事を詳しくは報告していない筈だ。

 それでも、鬼殺隊の上層部に直接報告しているらしいそれに、どうしても不安が過る。

 

 そして、悠さんは報告を終えるなり、直ぐに自分たちが助け出した隊士たちの下へと急いだ。

 悠さんが起こした『神様』の奇跡によって、ほぼ死んでいるに等しかった彼等の状態は、もう健常者とほぼ変わらなくて。あれ程ズタズタに斬り裂かれていた手足は、その指の一本の欠けも無く全て無事に繋がっていた。

 流石に直ぐに元の様に動かす事は出来ないそうだが、それでも神経すらも完全では無いにしろ繋がっているので、機能回復を堅実に続ければ元の様に動かす事だって不可能では無いのだと、彼等を診察したしのぶさんの言葉を聞いて、悠さんは本当にホッとした様に安堵の息を吐いていた。

 しかし、助ける事の出来なかった隊士の事を聞くと、その眼差しに悲しみに似た翳りを浮かべる。

 救えたものだけでなく、救えなかったものにも、その優しさは向けられているのだ。

 ああその姿は、まさに……。

 そんな悠さんに、助けられた隊士たちはありとあらゆる言葉でその感謝の意を伝えていた。

 その気持ちは俺にだって分かる。あんな状態で生きているのがもう奇跡でしかないし、奇跡的に生き延びても四肢が欠けた不自由なそれになるだろう筈の所を、まだ自由には動かせないとは言え四肢をキッチリと繋げて貰えているのだ。

 もう、悠さんを『神様』として信仰する他にどうしようも無い程に、彼等は悠さんに感謝していた。

 悠さん本人は、『神様』と言われて感謝される度に戸惑ってそれを訂正させようとしていたし。……『神様』と言われる度に、悠さんの胸の奥の音が、一瞬変な感じに歪んだ気がするけれども。

 しかし最終的には諦めて、その『神様』扱いを受け入れていた。

 

 そして、漸く悠さんが一人になった頃合いを見計らって、悠さんの部屋を押し掛ける様に訪ねる。

 突然のそれに悠さんは驚いていたけれど、直ぐに優しく微笑んで部屋に通してくれた。

 今から俺が何をしようとしているのかなんて欠片も考えていないその優しさを裏切る様な真似をする事に、僅かに罪悪感を感じる。でも、もう止まる事なんて出来なくて。

 そして、俺は獪岳があの時に何をしようとして何を選んでしまったのかを全て包み隠さず話した。

 その行いが鬼殺隊にとってはどれ程の禁忌に触れる事であり、妥当な処罰がどれ程重い物になるのかも、全て。

 全てを聞き終えた悠さんは、明らかに困惑していた。

 

「斬首って……。確かに、鬼殺隊の隊士としては選んではいけない事だけど……」

 

 ああ、やっぱり。

 鬼殺隊に協力しているけれど、悠さんは根本的な部分で鬼殺隊では無い。甘過ぎる位に、優し過ぎる。

 だからこそ、「死にたくない」と願って選んだそれが赦されるべき行いでは無い事は理解しても、その結果が斬首になる事自体には強い違和感と忌避感を覚えている。

 それが、そんな悠さんの優しさに付け込む様な事であるのだと理解しながらも。

 何をしてでも獪岳を見捨てないと決めてしまったから、もう引き返せない。

 優しい優しい『神様』の、その優しさに縋る様に。その慈悲を乞うしか、他に方法は無いのだ。

 だから、俺は涙と共に床に頭を擦り付け、誠心誠意の土下座をした。

 

「お願いです、悠さん。獪岳を……俺の兄弟子を、『家族』を。助けて下さい……! 

 俺なんかの命とか立場では背負えない事なのは分かってます。

 でも、……でも! 俺は、獪岳を助けたい……! 

 悠さんに獪岳を庇ったりする様な理由なんて無いのは分かってます。

 でも、お願いします。獪岳を助けて下さい。

 獪岳が死ななくても済む様に、力を貸して下さい!!」

 

「ぜ、善逸……。

 顔を上げてくれ、そんな事はしないでくれ。

 未遂で済んだ事なのだから、それで死なないといけない程の罪では無いと、俺は思う。

 俺も出来る限り、何とかはしてやりたいけど……。

 でも、お館様に報告しない訳にもいかない事だと、俺は思うよ。

『真実』を偽りで隠す事は、俺には出来ない……」

 

 困惑と共に、しかし確固たる意志で悠さんはそう言う。

 獪岳の事を殺そうだとか死んで当然だとかなんて悠さんは欠片も思っていないのは分かる。そうならない様にどうにかしようとはしてくれるのも分かる。

 でも、まだ足りない。それでは、足りないのだ。

 

「それじゃあ獪岳を助けられないかもしれない。

 悠さんがその責任を負う位に言ってくれないと、きっと獪岳を誰も助けようとなんてしてくれない……! 

 最低なお願いだとは分かってます。でも、悠さんしか頼れる人は居ないんです……! 

 お願いします、悠さん。

 お願いします、『神様』……!」

 

 半ばやけくそにも近いその懇願を口にした瞬間。

 悠さんの胸の奥で、何かがギシリと音を立てる。

 でもそれはほんの一瞬で。

 それ以外に何か悪い感じの音がした訳でも無いし、相変わらず悠さんの音は優しいままだった。

 

「……『神様』、か。

 善逸は、俺に『そう』で在る事を望むのか?」

 

 静かにそう訊ねて来た悠さんのその目は窓から射し込む光によってか、少しだけ金色が混じっている様にも見える。

 そっと肩に置かれたその右手は、何時もと変わらず優しく思い遣りに満ちたもので。

 グズグズと鼻を鳴らしながら俺の頬を零れ落ちる涙をそっと拭った左手は、慈愛に満ちた様なものであった。

 

「だって、悠さんは、優しくって、何でも出来て、凄い力が在って……。誰を助ける事も、絶対に躊躇わない人で。

『神様』みたいだから。だから、だから……獪岳の事も、助けて欲しくて……」

 

「……そうか。

『善逸が願うのなら』俺はそれに応えよう。

 混迷の霧を全て晴らした者の在り方として、『真実』を霧の中に葬る事は出来ないが。

 それ以外の全てで、その願いを叶えよう……」

 

 そう静かに言って、悠さんはそっとその眼差しを伏せる。

 そして、再び顔を上げた時には、外からの光が僅かに当たり方が変わったのか、もうその目に金色は無い。

 

「とにかく、獪岳の話を聞こう。そうしないと、どうしようも無いからな」

 

 そう言って、俺を安心させるかの様に。悠さんは何時もの様に優しい微笑みを浮かべた。

 

 

 

 その後悠さんと獪岳が実際にどんな話をしたのかは、悠さんからは部屋からは離れた場所に居る様にと頼まれた為分からない。

 が、再び呼ばれて悠さんの部屋に行った時の様子だと、そこまで険悪な事にはならなかったのだろう。

 少なくとも、悠さんは獪岳の命を積極的に救う方向で動こうとしていた。

 どうしても、鬼殺隊を率いているお館様に対しては、正確な事を報告しないと後で必ず困る事になるから、と。

 そう言い切られてはそれを拒否する様な事は出来なかった。

 それに、悠さんはそのお館様への報告書に、獪岳への寛大な処遇の嘆願と、任務の際などには暫くの間は自分がちゃんと獪岳を監視すると言う旨を添えてくれた。

 

 正直な所、それの効果は間違いなく絶大だろうと俺は睨んでいた。

 何せ、悠さんは何を対価に要求する事も無く、完全に善意で鬼殺隊に協力してくれている状態だ。

 その上で、鬼殺隊への貢献度は並々ならぬものであり、正直隊士だったなら問答無用で柱になっていてもおかしくない程のもので。積極的に隊士たちを助け、上弦の鬼と戦い、鬼殺隊の悲願である鬼舞辻無惨の討伐にも意欲的である。

『神様』としか言えない様なその力の事もあり、誰も罷り間違っても悠さんと敵対などしたくは無いだろう。

 今後千年掛けても巡り逢えないであろう、余りにも優し過ぎて人にとって都合の良過ぎる『神様』を、絶対に誰も手離したくなどない筈だ。寧ろ縋り付いてでも引き留めるだろう。

 鬼殺隊の人々を心から慈しみ大切に想っている悠さんが、その程度の事で怒って鬼殺隊から離れるなんて事は先ず無いだろうが。それでも少しでも不安要素は潰しておきたいに違いない。

 ハッキリと言って今の鬼殺隊にとっては、悠さんと一隊士でしかない獪岳のその存在の価値の差は端から比較対象にすらならない程である。

 獪岳のやらかした禁忌ですら、悠さんと言う最強の手札を前にすれば幾らでも黙認してもお釣りが来るのだ。

 そこに、悠さんはいざと言う時の責任は自分が取るとまで言っているのだ。

 それで首を縦に振らない筈は無い。特に鬼殺の為なら手段を選ばない鬼殺隊なんて組織を率いているなら尚の事。

 悠さん本人は自分の価値と言うものを今一つ分かっていない様な音を立てているが、本人がどう思っていようともそれが事実なのである。

 

 そしてやはり、獪岳のそれは、悠さんが監視すると言う条件下でなら「黙認」と言う形になった。

 その監視の条件が解けるのは、獪岳が上弦との戦いに参加してその討伐に貢献出来た時だ。

 果たしてそんな時が訪れるのかは分からないが、それで禊になると言う事なのだろう。

 とは言え、当然二度目など無い。それだけは在ってはならない。

 その瞬間悠さんは責任を取らなくてはならなくなるが、俺の所為で巻き込んで要らぬ命の責任を背負わせてしまったこの優しい人にそんな事をさせる訳にはいかないから。

 もしもの時は、俺がケジメを付けさせるとは肚に決めている。

 そして、悠さんはお館様からのその返答に心底安堵した様に微笑んで。獪岳に、ちゃんと俺とじいちゃんと三人で話し合うようにと言う。

 悠さんが命を救ってやった獪岳に求めたのは、本当にたったそれだけであった。

 

 自分の命が悠さんによって首の皮一枚の所で繋がった事を理解した獪岳は、滝の様な冷や汗と共に見事な土下座をした。その胸の奥に響いているのは、恐怖心や畏れなどではあるけれど。少なくとも悠さんに反発したりはしないだろう。

 そして俺は、申し訳無さと同時にとにかく感謝の気持ちが一杯で溢れてきそうで、ボロボロ泣きながら顔をぐしょぐしょにして悠さんに抱き着いて何度も感謝の言葉を述べる。

 悠さんは俺の言葉に嬉しそうに静かに頷いてはそっと抱き締め返して、よしよしとあやしてくれる。

 その手が本当に優しくて温かくて、益々涙は止まらない。

 しかも、悠さんの胸の奥から響いてくる音は、俺を優しく想ってくれている音なのだ。

 声が枯れそうな位にわんわんと泣いている俺を、獪岳は明らかに顔を引き攣らせていた。

 

 とにかく、そんな経緯で獪岳は悠さんに命を拾われたのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 当初は悠さんに怯えていた獪岳だが、しかし悠さんによって助けられた事も理解しているので、あからさまに怯えた様子は見せなくなった。

 とは言え、その胸の奥では畏れに似た感情の音が鳴っている事が殆どなのだけれど。

 

 共に日輪刀を失った事や、悠さんが何か用事があったらしいので、俺たちの他に炭治郎と伊之助まで加えた全員で、日輪刀を打ってくれる刀鍛冶の人達が集まる隠れ里へと向かう事になった。

 ……悠さんは、炭治郎たちに対して獪岳の事を特に詳しくは説明はしなかった。

 これから暫く一緒に任務に出る事になった仲間だから宜しく、と。そう軽く説明しただけで。

 それでも、炭治郎や伊之助は特に深く疑問に思う事は無かった様で、そのままそれを受け入れていた。

 

 全員で刀鍛冶の隠れ里へと移動し、里長への挨拶も済ませ、里自慢の温泉に入りに行くと。

 そこには先客として玄弥が居た。

 獪岳の事をよく知っている玄弥は、獪岳に対して良い顔をしなかったが。

 しかし、悠さんがそれを受け入れて守った事を理解したのか。

 悠さんが口を噤んで欲しいと合図すると、それ以上は何も言わなかった。

 まあ、そんな感じで少しギクシャクしかける時はあったものの、勘が鋭くて何かと気付いてしまう炭治郎たちは何も言わなかった。そっとしておいてくれたのだろうか。

 

 温泉で身体も心も温まったからなのか、ふとした拍子に鬼殺隊での苦労話が花開いた。

 最終選別を通ってまだ半年程度しか経っていなくてもそれなりに任務をこなしていればそこそこ溜まってくる話題であっただけに、同期である俺や炭治郎たちの他にも、悠さんも参加したし、何より獪岳までポツポツとその話題に参加した。

 獪岳がその様な下らない他愛も無い話に参加している姿を初めて見た俺は、物凄く驚いた。頑張って顔には出さなかったけど。

 ……俺が知る獪岳は何時も苛々した様に何処か余裕が無かった。

 自分を追い込む様に鍛錬し、食事時や休憩の時も相手が俺かじいちゃんしか居ない事もあってか無駄話なんか一切せず。

 鬼殺隊に入ってからも、あまり仲の良い相手が居るとは聞かなかったので、きっと殆どそう言った事を話す相手は居なかったのだろう。

 獪岳が自分で選んでそうで在ったのか、或いは結果としてそうなってしまったのかは分からないけれど。

 何にせよ、獪岳は「孤独」である時間が多かった。

 炭治郎たちは別に獪岳と仲が良い訳では無いし、実際心から打ち解けていると言う訳でも無い。

 炭治郎たちの側の問題ではなく、獪岳が打ち解けようとはしないからだ。

 悠さんは獪岳の事をちゃんと気に掛けているが、しかしかと言って積極的に干渉するのではなく見守る様にして獪岳を見ている。

 話すのならきっと悠さんは喜んで獪岳との会話に応じるだろうけれど。獪岳自身が悠さんからは距離を取る様にしているのでそれも中々打ち解けられない。

 それなのに今、獪岳は自らの意思で会話に参加していた。

 別に愛想良く喋っている訳では無いのだけれど、それでもその変化が如何に小さくてもどれ程大きなものなのかは俺には分かる。

 獪岳の心にぽっかりと空いていた穴から聞こえる寂しい音が、その時はほんの少し和らいでいた。

 

 思えばこの時初めて、獪岳のその心の箱は少しだけ穴が塞がったのかもしれない。

 

 刀鍛冶の里に来て、そして皆と一緒に行動する事が多くなって。

 獪岳は少しずつ少しずつ変わっていった。

 上っ面を取り繕うのは上手いけど自分の感情は中々表に出さないし、出したとしても物凄く傲慢で辛辣なものばかりだったのに。

 

 甘露寺さんに対する玄弥の反応には笑いを堪え切れず、甘露寺さんが語ったかなり不思議な入隊理由にはちょっと戸惑った様な顔をして。

 悠さんの本気を出した時のとんでもない握力に物凄くハッキリとドン引きした顔を晒して。

 悠さんが『猫将軍』とか言う不思議な神様らしきものを呼び出した時には物凄く混乱した様に慌てて。

 日輪刀を赤く出来るかって時には、実はその場の誰よりもムキになって日輪刀を握り締めて。

 炭治郎に巻き込まれた俺に道連れに山中の走り込みに巻き込まれても口でこそ文句は言っても拒否はしなかったし。

 果ては、甘露寺さんからこっそり教えて貰った「秘密の武器」を探す言わば「宝探し」にまで参加したのだ。口では仕方なく付き合ってやると言っていたが、その胸の奥で少しだけ楽しそうな音が聞こえたのは絶対に聞き間違えじゃない。

 

 獪岳は、本当に少しずつだけれど、それでも確かに変わっていったのだ。

 

「宝探し」の間、ポツポツとではあったが話をした。

 本当に他愛無い事も、そしてじいちゃんの事も。

 あの日の獪岳の行動に関しては、まだ何も言えなかった。

 それをちゃんと話し合えるには、まだ時間が必要だと感じたからだ。

 でも、多分。きっと獪岳だって変われる。その心の箱の穴を、ちゃんと塞ぐ事は出来る筈なのだ。

 だって、獪岳は生きている。そして、本当に取り返しがつかなくなる前に留まる事が出来たのだから。

 何もかもを急に変える事は出来ないし、そんな事をしたら何処かで無理が出てしまうから、ゆっくりとその時を待つしか無い。

 自分に出来るのは、絶対に獪岳の手を離さない事だけだけど。

 悠さんに色々と背負わせてしまった以上は、それだけでもちゃんと果たしたかった。

 だって、「家族」なのだから。

 

 そして。

 悠さんが伊之助の為にまたあの龍を呼び出してくれるって事になった時。

 獪岳は、初めて積極的にそれに興味を示した。

 何時からか獪岳から聞こえる悠さんに対しての畏れの音はとても小さくなっていたけれど、そうすると今度は色々と気不味くなってきたのか今までとは別の感じで悠さんとは少し距離を取っていたのだけれど。

 そんな悠さんが何かをしてくれる事に、獪岳がそうやって反応するのは、それが初めての事であった。

 

 悠さんはあの日と同じ様に蒼い龍を呼び出した。

 悠さんが色々と凄いものを呼び出せる事を知っていてもそれを直接目にしたのはまだ二回目の獪岳はそれに酷く驚いていたけれど。

 でも、快くその背に乗せて空を飛んでくれると言うその言葉には、隠しきれない期待と喜びがあった。

 思えば、獪岳はずっと「特別」を求めていた。

 俺とじいちゃんにとってはもっとずっと前から特別で大切だったのだけれど、それは獪岳が求めていた「特別」のカタチでは無かったのかもしれないし、或いは獪岳はそれに全然気付けなかったのかもしれない。

 心の箱に空いた穴が大き過ぎて、自分に向けられていたそれが箱の中に溜まる事無く穴を素通りしてしまったのかもしれない。

 何にせよ、獪岳の心はそれでは埋まらなかった。

 でも、獪岳の心の箱の穴は、ここで過ごす内に本当に少しずつだけれど塞がりつつあって。

 そして今回。

 自分たち以外にはこの世の誰も経験する事が出来ない様な余りにも「特別」過ぎるそれを味わわせて貰えるとなって、その心の箱の底に何かがコロンと転がった音がした。

 悠さんにとっては獪岳だけが一番の「特別」と言う訳では無いだろう。

 その命の責任を背負ってくれているとは言え、それは俺が『そう願った』からで、悠さん本人が積極的にそれを選択した訳では無い。

 それでも、悠さんがその凄い力の一端をこうして惜しみ無く見せてくれる相手の一人である事だけは紛れも無く確かで。

 その「特別」は、ほんの少しだけでも獪岳に何かを与えた。

 

 獪岳と玄弥と共に再び龍の背に乗ると。

 あの日のそれとは違って、龍はゆったりと夜空を泳ぐ様にしてその満天の星空を見せてくれる。

 生まれて初めて空を飛んでいる感覚に獪岳は驚いて目を瞑って下を向いていたが。

 しかし、悠さんに促されておっかなびっくりと空を見上げたその時。

 目に飛び込んできたその満天の星空に、獪岳は感動の溜め息を吐く。

 それに見蕩れているのがよく分かる程に、その胸から聞こえてくる音は初めて聞く程に穏やかなものであった。

 

 そして、悠さんに「特別」がどんな気分なのかと訊いたその声音は、何時も何処かにあったの張り詰めて焦った様な何かは無くなっていた。

 そして、獪岳の問い掛けに、「寂しいよ」と。

 そう静かに答えた悠さんのその胸の音は、初めて聞く程に、切なく哀しい程の「孤独」を秘めていた。

 

 …………悠さんのその言葉の意味が、俺には少しだけ分かる気がする。

 耳が良過ぎて、俺はずっと「孤独」だったから。

 他の皆とは一緒になれない、同じ様に出来ない。少し成長して道理を理解するまでの間に、この耳の所為で失ったものは大きかった。知りたくも無かった事を知り、暴きたくなかった事も暴き。

 それで助かった事は沢山あったし、鬼殺隊に入ってからは特にそれに助けられているけれど。

 でも、こんな聴覚は要らないって思った事は一度や二度の話ではない。

 皆と一緒が良かった、『化け物』だなんて罵られる様なものなんて欲しくなかった。

「孤独」は恐い事なのだと、俺はよく知っている。

 

 ……悠さんも、そうなのだろうか。

 だって悠さんは、何時も色んな人に囲まれて、何時も笑顔で優しくて、誰にだって真っ直ぐで、何でも出来て。

 ……ああでも、でも、もしかして。

 この世の誰も起こせない様な『神様』の奇跡だって起こしてしまえると言う事は。何でも出来てしまうと言う事は。

 それは、どうしようもなく「孤独」な事なのでは無いだろうか。

 誰とも俺の耳に聞こえているものを共有する事が出来ないのと同じ様に、或いはそれ以上に。

 悠さんは、根本的な部分で誰とも分かり合えない。

 悠さんが何時も優しいのは、何時も笑顔なのは。

 独りにしないで、仲間外れにしないで、と。そんな心の表れであるのかもしれない。

 いや、悠さんのそれらが取り繕ったものでは無い事は悠さんから聞こえる音が教えてくれるのだけれども。

 でも、俺も知らない様な何時かのその始まりは。

 そんな、どうしようも無く寂しい気持ちから始まったのでは無いだろうか。

 何時かそれが当たり前になって本心になってしまう程に、長い間ずっと……。

 それが正しいのかは分からないけれど。

 でも、一瞬だけ心の奥から響いたその「孤独」の音は、悠さんの心の真実の一つだ。

 

 しかし、悠さんは「何かが出来るからこその『特別』は寂しい」と言ったが、同時に誰かから大切に思われたからこその特別は嬉しいのだと続ける。

 別に家族や恋人などの愛情だけでなく、友愛や尊敬、単純な感謝でも。

 そう言った温かな気持ちを向けて貰えただけでも、そしてそれを向けられるに値するだけのものを相手に与える事が出来た事が、とても嬉しいのだ、と。

 そう悠さんは嘘の無い音と共に言った。

 それを聞いた獪岳は、「そうか」とだけ小さく呟いたのだけれど。

 心の箱に空いた穴は、幾分か塞がろうとしていた。

 

 

 そして、その翌日から。

 俺と獪岳は、悠さんと霞柱の時透さんと伊之助がやっている鍛錬に参加する事になった。自分の用事を済ませた玄弥も参加している。

 時透さんに打ち込む稽古が暫く続いた後に、悠さんを相手に戦うと言うかなり過酷な鍛錬だったが、これがとても貴重な機会であるのだと言う事は直ぐに理解出来た。

 時透さんは容赦無く辛辣な言葉で欠点をズバズバ指摘してくるが、それは全部正し過ぎる位に正しくて。

 そしてそれを修正すれば確実にそれまでの自分よりも動きが良くなるのである。

 一人で打ち込んだ時は言わずもがな、獪岳と二人で挑んでも、或いは伊之助と玄弥まで加わって全員で挑んでも。

 それでも時透さんを倒す事は出来なかったが。

 しかしそんな事よりも、鍛錬の間とは言え、獪岳と二人で肩を並べて同じ相手を倒す為に力を合わせる事が出来ている事が、俺にとっては泣きたい程に嬉しい事であった。

 

 そして時透さんと一頻り戦った後は悠さんと戦う事になるのだけれど。

 しかしこれが本当に難しい。

 悠さんがちゃんと手加減しているのは分かるのだが、悠さんが「ハリセン」と呼んだ奇妙な武器が容赦なく手足や胴などを打ち据えるのだ。叩かれても痛くはないがかなり派手な音が鳴るので俺はちょっと苦手である。

 最初の内は気の抜けた武器だと思っていたが、その気の抜けた武器ですら突破出来ない。

 その為、何度も容赦無く叩かれて苛立っていた獪岳は何とかしてあれを突破するぞ、と。全員で作戦会議をする程であった。

 

 気付けば、随分と獪岳は変わっていた。

 どうしようもなく「孤独」だった獪岳に、例え訓練中の間だけであっても背中を預けられる誰かが出来るなんて。

 じいちゃんに手紙で教えてあげたら泣いてしまうんじゃないだろうか。

 

 まだその心の箱の穴は塞がりきった訳では無いけれど。

 でも何時か、「兄貴」って、そう呼べる日が来る様な気がするのだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【我妻善逸】
自分の大事なものの為にどうすれば良いのか分かるだけの頭はあるし、ある程度までなら手段を選ばないだけの決断力はある。
悠のその在り方に、『神様』を見た。
大切な友だちであるけれど、そうやってその優しさに縋ってしまった事に多少の負い目はある。
悠の「孤独」には気付いた。


【獪岳】
善逸が自分の為に色々と擲って駆けずり回ってくれたのは分かっている。
それでも、近過ぎるが故にそれを素直に受け止められない。
自分以外に「特別」が居ない存在が、誰かの「特別」になる事は基本的に出来ない事を理解すれば、その心の穴は埋まるかもしれない。


【鳴上悠】
『神様』は人の祈りに応え、願いを叶えるもの。
『神様』は人に願われるからこそ成るもの。
人の総意すらをも覆し新たな【世界】の創世を成し遂げた、その偉業はまさに『神様』と成る資格を有するに等しい。
ただ、何があっても『鳴上悠』と言う在り方の芯を喪う事は無い。


【不死川玄弥】
悠に要らないものを背負わせた事には割と本気で怒った。
でも、家族を見捨てる事なんて出来ないのは分かるので、善逸のその覚悟を責める事も出来なかった。
何でも出来る様に見えるし実際出来てしまう事が多いけれど、その分色々抱え込んで悩んでそれでも無理してでも頑張ってしまう悠の事を心配している。
優しくて強くっても、それで傷付かない訳じゃないから。
ボロボロになってでも笑って大事な人たちの為に頑張ろうとするその姿は、何処か一番大切な人の姿に似ている。





【現時点での悠に対する認知状況】

竈門炭治郎:友だち
竈門禰豆子:良い人
我妻善逸:『神様』
嘴平伊之助:子分
不死川玄弥:友だち
栗花落カナヲ:お兄ちゃんみたいな人かつ同志
胡蝶しのぶ:弟みたいな大事な人
煉獄杏寿郎:恩人
悲鳴嶼行冥:(保留)
宇随天元:仲間
甘露寺蜜璃:(保留)
時透無一郎:(保留)
伊黒尾芭内:(保留)
冨岡義勇:(保留)
不死川実弥:(保留)
産屋敷家:『神様』
蝶屋敷三人娘:お兄ちゃんみたいな人
神崎アオイ:お兄ちゃんみたいな人
獪岳:『化け物』
珠世:『神様』
愈史郎:『得体の知れない何か』
鬼殺隊一般隊士:『神様』(七割五分)、友人(二割)、『化け物』(五分)
隠部隊:『神様』(六割)、『得体の知れない何か』(三割)、友人(一割)
刀鍛冶の人達:(保留)
上弦の鬼(童磨以外)&鬼舞辻無惨:『化け物』・『禍津神』
童磨:『神様』


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『災禍の足音』

【絆】
①馬・犬・鷹などを綱で繋ぎ止める事。それに用いる綱。
②人の自由を束縛する為に手足にかける鎖や枷。
③人の心や行動の自由を束縛する事。人情など。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 思いもよらぬ形ではあったが、『透き通る世界』らしき何かに到達する方法を発見した為、今度はそれをどう維持するのかと言う話になった。

 人外染みた握力が在って初めて到達する『赫刀』は、『タルカジャ』の補助無しで到達するのはまあほぼ不可能だと思うし、そこを人の身でどうこうしようとするとそれこそ寿命と引き換えの「痣」なんてものに手を出さざるを得なくなるのだろう。……「痣」が出た人は少なくとも縁壱さんの時代には確かに複数名居た筈なのに縁壱さん以外の誰も『赫刀』に至らなかった事を考えると、寿命を差し出してさえ『赫刀』を発現させる事は至難の業なのかも知れない。まあ何にせよ『タルカジャ』の補助を前提とした技能なのだと割り切った方が良いものである事だけは確実だ。

 しかし、『透き通る世界』は炭治郎のお父さんも到達していた境地である。そこには多分、人の理を超越した様な身体能力は要求されていないのでは無いかと思うのだ。

 そうであるならば、『心眼覚醒』で無理矢理そこに引き摺り上げずとも、その感覚を理解した上で鍛錬を積めば独力で『透き通る世界』に至れる様になるのではないかと思う。

 可能な限り皆の力になって戦いたくはあるが、何時も何時でもその傍に居られる訳では無いし、それ故に必要な時に必ずその力を貸せるとは限らない。

 でも、自分が其処に居なくても『透き通る世界』とやらに辿り着け得るのならば、それはきっと物凄い力になると思う。

 何せ、縁壱さんが鬼舞辻無惨の気色の悪い身体構造を看破して叩きのめした際に大いに役立った力なのだから。

 正直自分には身体が透けて見えるとか言われても何が何やらだしそれで分かるものも余り無いけれども、剣の達人にもなればきっと何か違うのだろう。「無我の境地」とかそう言う極意みたいなものなのかもしれない。

 その為、その翌日は『透き通る世界』にどうやったら入れるのかと言う練習が主になった。

 

 時透くんは物凄い集中力によって五回に一回位は自力で『透き通る世界』とやらに入れる様になった。

 しかしどうやら、ともすれば呼吸などの生命活動に必要な事すら忘れそうになる程の想像を絶する集中を要する『透き通る世界』はかなり精神的に疲れるらしく、自力で入った場合の持続時間はまだ数分にも満たないらしい。

 何はともあれ『透き通る世界』への入り方は分かった為、後はそれを集中した際に何時でも入れる様にする事と、一度に入れる時間を如何に長くするのかが課題となった様だ。

 また、時透くんは鬼殺に使えそうな事には物凄く意欲的なので、『赫刀』の事にも興味津々であった。

 試しに『タルカジャ』を使ってみると、普通に握っているとまだ難しいらしいが、握力に意識を集中させれば『赫刀』に至る様だった。

 甘露寺さんもそうだったし、柱程に鍛えている人なら大概そうなのだろうか。

 なら、煉獄さんや宇随さんやしのぶさんもそうなのだろうか? 

 まあ、しのぶさんの日輪刀は刺突に特化した特殊な形状過ぎて、『赫刀』に至ったとしてもちょっと分かり辛いかもしれないけれど。

 時透くんとはこの里で最初に出逢った頃と比べると、随分と打ち解ける事が出来た様な気がする。

 記憶はまだ戻っていない様だけれど、鬼殺の為に鍛錬した事は忘れないのでここ数日の記憶は比較的保たれている事も関係しているのかもしれない。

 それに、皆と居る事で、霧の向こうに隠れてしまった記憶に対して何か良い刺激になるかもしれないので、きっと良い傾向であるのだろう。

 

 時透くん以外はと言うと、元々人並外れた感覚の持ち主であり、普通の人のそれとは違う世界を常から感じ取っていた炭治郎と善逸と伊之助は、『透き通る世界』の感覚を掴むのも早かった。

 特に、お父さんから『透き通る世界』の事を聞いた事があり夢を介して縁壱さんの言葉を聞いた事もあった炭治郎の理解力は高かった。……まあ、その説明は斬新な程に前衛的過ぎて誰にも伝わらなかったけれども。

 そして伊之助に関しては、元々殺気などの感覚を察知する事に長けていたしその独自の呼吸の技の中には感覚を研ぎ澄ませて広範囲を探る様なものもあったりで、炭治郎と同程度にそれをより精密に把握していた。やはり此方も説明が下手なので、その感覚を言語化して伝える事は出来なかったが。

 それもあって炭治郎と伊之助は大体十数回に一回位の頻度で短時間なら自力で『透き通る世界』を掴める様になった。しかしやはり尋常では無い集中力が必要になるらしく、そこまで他の意識を削ぎ落すのはまだ加減が難しい様だ。

 実戦で使える状態なのかと言われると少し分からないが、逆に実戦の中だと取捨選択の幅がより狭まる事も有るので案外本番ではあっさりと『透き通る世界』に到達するものなのかもしれない。

 善逸はその感覚をより深い場所で掴む事に難儀している様であったが、それでも切欠は掴めた様なのでその内自力で辿り着ける様になると思う。

 特異な感覚は元々持ち合わせてはいない獪岳は三人程にはその感覚を掴めてはいないが、しかし感覚を研ぎ澄ませると言うその感触は掴めた事で、己の動きに更に磨きが掛かった様だ。

 最後に玄弥に関してだが、何かこう……違うのは分かるのだが、他の人達が言う様なそれに関しては今一つ分からなかった様だ。それはやはり剣の才の差なのだろうか……。

 玄弥は落ち込んでしまったが、自分にも皆が感じている様な『透き通る世界』なんて全然分からないのだと伝えて慰めると、少しは落ち着いた様だった。

 それにどちらかと言うと、一つの事に意識を研ぎ澄ませて集中するよりは、全体を見て状況を判断しながら仲間をサポートする方が玄弥には向いていると思うので、『透き通る世界』が感じられなくても実際の所はそこまで大きな問題にはならないのではないかと思う。

 そんなこんなで時間は過ぎていった。

 

 明日の昼頃には炭治郎の刀も研ぎ終わるらしく、炭治郎はかなり楽しみにしている様だった。

 他の皆の刀に関しても、時透くんと伊之助の刀は研ぎ終わったらしく刀装具の最終調整中であるらしい。

 まあ大仕事が終わった鉄穴森さんは、今は鋼鐵塚さんの様子を見に行っているそうなので、刀の受け渡しは明日の昼になるかもしれないが。

 善逸と獪岳の日輪刀も完成したらしく、恐らく明日が受け渡しになるだろうとの事だった。

 玄弥は南蛮銃の調整も終わり、日輪刀も打ち直して貰ったので明日頃にはこの里を離れる予定なのだと言っている。

 中々長期に渡って逗留する事になった刀鍛冶の里だが、所用も済ませた事だしそろそろ離れる事になりそうだ。

 鉄地河原さんに作って貰っている日輪刀は、既に焼き入れまで終わったそうで今から研ぎの段階に入るらしい。

 その事について後で家に来る様にと鉄地河原さんに呼ばれていた。

 

 夕食を終え、もう少ししたら鉄地河原さんの所へ行くかと何時もの格好に着替えて支度をしていると。

 ふと、獪岳が部屋にやって来た。

 炭治郎と善逸は、明日明後日にはお別れになってしまうかもしれないから、と。玄弥と色々と遊んでいる様でこの場には居ない。

 玄弥は次男だが下に小さな弟妹が沢山居た事もあって禰豆子への接し方が物凄く手慣れているので、禰豆子も混じって四人で双六やらかるた取りや折り紙をしていたと思う。

 ちなみに、禰豆子が玄弥に懐いたのを見て善逸はちょっと見苦しい感じに嫉妬していた。まあ、玄弥に善逸が心配している様な下心は一切無いのだけれども。

 伊之助はと言うと、鉄穴森さんの所で見学した事がその好奇心の切欠になったのか、刀の研ぎと言うものも見学してみたくなったらしく、夕食を終えて少しすると鋼鐵塚さんの所に向かった。炭治郎の話に聞く限り鋼鐵塚さんの個性は強烈なので伊之助との相性が心配ではあるけれど、研磨中なら変な諍いは起こさないだろうしいざと言う時にはその場に居るだろう鉄穴森さんがそれを止めてくれるだろう。

 まあ何はともあれ、獪岳がこうやって二人きりになろうとするのは初めての事である。上弦の壱との戦いに関して事情を聞いた時以来だろうか? 

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

 そう訊ねると、何かを言おうとして。しかし口籠る。

 何かを躊躇うそれを、急かす事は無くただじっと待っていると。

 

「……その。命を助けてくれた礼を、まだ言ってなかったから。

 …………ありが、とう……ございました」

 

 恐らく余り言い慣れていなかったのだろうその言葉を、少しつっかえながらもそう言って。獪岳は頭を下げた。

 そう言えば、土下座はされた覚えはあったが、礼の言葉を言われた覚えは無かったな、と。ふと思い出す。

 

「良いよ、頭を上げてくれ。

 ……その言葉は、獪岳自身が本心から言いたいと思った言葉なのか? そうやって頭を下げる事も? 

 処世術として言ってるだけなら、止めた方が良いぞ」

 

 そう訊ね返すと、獪岳は戸惑った様にその眼差しを揺らした。

 

 獪岳はそれなりに自尊心と言うのか、自分が築き上げたものに対してのプライドが相当に高い性格であるのは、皆や善逸との接し方を見ていて分かった。一応、自分が何をしたのかを分かってはいる為、傲慢さが表層に出て暴れる事は無かったけれど。素の性格と言うのか今まで積み上げて来た「自分」と言うものは一朝一夕に変えられるものでは無いしそう簡単に取り繕えるものでもない。

 ただ、別にプライドが高い事は悪い事では無い。変に卑屈になって世の中を捻くれた目で見て恨み倒すよりは余程健全だ。それに実際、そのプライドを維持する為の努力を獪岳は惜しまないので、それが上手い事回っているなら余り問題にはならない。

 だが、獪岳はそのプライドと同じ位に承認欲求とでも言うのか、自分を「凄い」「特別」だと認めて欲しいと言う欲求が強い様だ。

 例えば時透くんのダメ出しが少し褒め言葉で終わった時のその表情は、随分と素直に喜びに溢れている。

 ……高いプライドとその承認欲求は、裏を返せばそれを満たせなかったと言う事でもあるのだろう。

 それに餓えているから、それを貪欲に求めている。

 善逸が全力で獪岳を守ろうとしているその姿を見るに、「特別」だと思われなかった事は無いと思うのだが……。

 しかし、あの随分と空虚な様子であった心の在り方を思うと、そもそもの話求めている筈のそれが目の前にあった所でそれに気付けるのかと言う話にもなる。

 そしてその心が満たされていないなりに何かを得ようと一生懸命に築き上げたプライドの根幹を成すものすら打ち砕かれてしまえば、そこに残るのはより一層深い虚無だろう。

 獪岳と足立さんではその過程も前提も何もかも異なるだろうが。まあ、多少似通った部分はある。

 世の中クソと言い出して世界を滅ぼそうとしないだけマシと言えるかもしれないが、獪岳が選びかけたものはある意味足立さん以上に罪深いだろう。

 あの人は本当にどうしようもない人だったが、もし叔父さんと菜々子の命を差し出さねばならないとなったらなけなしの良心と情でそれに立ち向かっただろうから。

 

「俺は、別に獪岳が『生きたい』と望んだ事自体は責めない。

 死を望んでそこに突き進むよりは、『生きたい』と望む方が余程健全だと俺は思うし、それは尊重したい。

 ただ、鬼殺隊と言う組織に身を置くのであれば、職業倫理の観点から一番選んではならない事でもある。

 それに、その選択で真っ先に獪岳の代わりに命を以て贖う事になる善逸たちの事を斬り捨てた事は、俺は善逸の友だちとしては許さない。

 それでも、罪を問うにしても、それは命を以て贖わなければならないものでも無いと思った。未遂だったしな。

 ……善逸にそう『願われた』事もあったから助けた。それだけだ。

 獪岳の事を憐れんだとかそう言う事でも無いし、別に獪岳から何かの見返りを期待している訳でも無い。

 謝りたくも無いし悪いとも思っていないのに形だけ頭を下げられて喜ぶ様な趣味は持ち合わせていないんだ」

 

 それを庇った以上は獪岳の行いに責任は持つけれど、それ以上には積極的に獪岳に干渉する気は無かった。

 また悪い方向に進まない様にとは見守っていたけれど、まあそれだけだ。

 獪岳の事は殆ど善逸に任せていたので、今獪岳がどう思っているのかは詳しくは知らない。

 炭治郎たちと過ごす内に、少しずつ変わっていってる様には見えたけれど、一対一で話した事はほぼ無い為その心の虚無がどれ程満たされたのかは分からなかった。

 善逸の様に優れた耳がある訳では無いので、心の中の幸せを入れる箱にどの程度の穴が空いているのかなんて、こうして向き合って話してみなければ分からないのである。

 そして、今。

 こうして向き合っている限り、以前よりも更に空っぽになってしまったと言う事は無さそうだとは分かる。

 けれども、どの程度その虚ろが満たされたのかまでは分からない。

 自分の行いを振り返って、本当に「悪かった」と思ったのかも、正直分からなかった。

 信じる事から始めるべき関係性だが、自分と獪岳のそれは「信頼」から始まるものでは無かった事も大きかったのかもしれない。それでも、別に見捨てるだとかそう言う事は絶対にしないが。

 

「ちが、違う……。確かに俺は色んなものに頭を下げて来た、地面に頭を擦り付けた事だって何度もある。

 生きる為なら、何だってやって来た、命乞いだって……。

 でも、処世術の一つでは確かにあるけど。それでも、命を救われて何も感じられねぇ程堕ちちゃいない」

 

 獪岳はそれが本心なのだと、そう言った。

 命を救った事に対しての、感謝の気持ちなのだと。

 成る程、それは確かにそうなのだろうけれど。

 なら、自分などよりも真っ先にそれを言わなければならない相手が居るだろう。

 

「なら、最初に礼を言うべきは俺では無い。

 あの上弦の壱の手から助け出そうと真っ先に動いた善逸に対してだろう。

 もし善逸が間に合わず獪岳が鬼になっていたら……俺はお前を倒していたかもしれない。

 あの場に居た善逸たちを守る方が俺にとっては大事だからな。

 それに、善逸があそこまで俺に泣いて縋りついてまで願わなかったら、普通にお館様に報告していただろう。

 それで死んでいたかどうかまでは分からないが、その場合少なくとも此処には居ない。

 なら、獪岳が真っ先に感謝すべきは善逸に対してだろう。

 俺に感謝するのだとしても、その後だ」

 

 その感謝の気持ちを善逸に向けたのか? と。そう訊ねると。

 獪岳は途端に苦い顔をする。

 

「でもアイツを助けたのはアンタだろ。

 上弦の壱の相手だってアンタが助けなきゃアイツは死んでたし、アイツが泣き喚いた所でアンタがどうにかしなけりゃどうにもならなかっただろ……」

 

 それは苦しい言い訳だと自分でも思っているのか、獪岳のその言葉には些か力が無い。

 意地でも善逸に対して素直に感謝出来ないのだろう。本当に全く何も感じていないと言う訳では無いだろうけれど。

 

「……善逸との間に何があったのかは俺には分からない。

 獪岳が善逸にどんな感情を抱えているのかも、な。

 ただ、善逸が示してくれたそれが、軽い覚悟のものなんかじゃない事位は分かるだろう。

 せめてそれに対して、ちゃんと誠意は返すべきだ。

 別に、今直ぐにそうしろと言いたい訳じゃない。それぞれ込み入った事情はあるだろうからな。

 それでも、俺に対して感謝するなら、先に善逸にそうしてからにしてくれ」

 

 じゃないとそれを受け取れないから、と。そう言外に示すと。

 獪岳はグッと何かを堪える様な顔をする。

 

「……アンタにとって、善逸は『特別』なんだな」

 

「ああ、そうだ。善逸は大切な友だちだ。

 それを『特別』だと言うのなら、そうなんだろうな」

 

「情けなく泣き喚いて、何の矜持も根性も無いのに?」

 

 己が発したその言葉に縋り付こうとするかの様に、獪岳は目を背けながらもそう言った。

 ……確かに、善逸の事をよく知らない人には、そう見える事もあるかもしれないけれど。

 

「それは誰かを大切に想う時にそこまで重要な事なのか? 

 それに……善逸は情けなくなど無いよ。

 恐ろしいものに対してちゃんと正しく恐いと感じる事も、一つの強さだ。

 そして、それがどんなに恐ろしくても、逃げてはいけない相手を前に善逸が逃げる事は無い。

 それは、ある意味で誰よりも勇気があって誇り高い事だと俺は思う。

 その善逸の強さは、獪岳が一番よく知っているだろう?」

 

 そう、上弦の壱から助けて貰ったその時に。その勇気がどれ程のものなのか、獪岳は嫌でも理解せざるを得なかった筈だ。

 何せ、自分は這い蹲ってその言葉の全てに頷いてでも命乞いをしていた相手に対して、人を救う為にその刃を向ける事が出来ると言う、その行動にどれ程の勇気が必要なのかと言う事を。

 逃げ出して泣き喚く姿をよく知っているなら、尚の事その凄さを知る事になるだろう。

 ……だからこそその差に打ちのめされて、こうしてその胸の内にどうにもならない感情を抱えているのかもしれないけれど。

 そう言うと、獪岳は吐き出そうとしていた言葉を直前で喪った様に喉を詰まらせる。

 そして。

 

「何で……何でアイツは、『特別』なんだ……。

 アンタだけじゃない。先生だって、アイツの事を。

 どうして、俺は『特別』になれないんだ……。

 アイツと俺の、何が違う。

 俺の方が、アイツよりもずっと……!」

 

 その心の奥底にあった怨嗟が、噴き上がろうとしていた。

 グラグラと煮え滾る様なそれは、自分が持たないものを持っている様に見える善逸へと向けられている。

 空っぽに見えた心の奥底には、凝って泥の様になったその想いが在ったのかもしれない。

 善逸との間に何があったのかなんて知らないし、別に根掘り葉掘り聞きたい訳では無い。

 善逸に何か非があった事なのかもしれないし、獪岳の逆恨みなのかもしれないし、或いは誰が明確に悪いと言う訳では無いどうしようも無い巡り合わせの問題だったのかもしれない。

 しかし、何にせよ。

 

「獪岳の努力は、凄いよ」

 

 クマや菜々子のそれを褒める時の様に。

 静かにその頭に触れる程度に手を乗せた。

 よく頑張ったな、と。その努力を認め、自分はそれを見ていたと相手に伝える様に。

 

「どんな気持ちがあったのだとしても、直向きに努力し続ける事は誰にでも出来る事では無い。

 努力する事を厭う人は多いし、報われないと少しでも思うと努力を放棄して努力を馬鹿にする人だっている。

 獪岳がずっと頑張って来た事は、そしてだからこそその実力がある事は、俺にでも分かる。

 この手は、努力する事を諦めなかった人の手だ」

 

 獪岳のその手は、炭治郎たちのそれと同じ、絶え間なく刀を握り続け研鑽し続けた者のそれだ。

 鬼殺隊に居る人で努力していない人など居ない。例え幸運で最終選別に通ったのだとしても、それだけでは自ら鬼と戦って生き延び続ける事は出来ない。今生きて戦っている人たちは皆、努力した人たちだ。

 そりゃあ、もっと努力している人は大勢居るだろう。

 しのぶさんの手に触れた時に、煉獄さんの手を握ったその時に、時透くんを抱き締めた時に感じた様に。

 凄い人はもっともっと努力を重ね続けて走り続けている。

 自分から大切なものを奪った存在への復讐の為に、或いは何処かの誰かが自分と同じような目に遭わないで済む様に。

 勿論、生まれつきの才でどうにも出来ない壁だってある。同じ努力を重ねても得られる結果が同じであるとは限らない。向き不向きがある、どうしても越えられない現実がある。

 人の人生は綺麗に答えを出せる数式の世界では無いのだから。

 それでも、誰もが戦っている。自分に出来る事をしようとしている。

 しのぶさんがそうである様に、玄弥がそうである様に、誰もが必死にもがいている。

 そして、その努力の研鑽が遥かなる頂にはまだ届いていないのだとしても、そしてどんなに頑張ってもそこに辿り着く事は出来ないのだとしても。

 それでも、積み重ねた努力が無意味だなんて事は無い、諦めず走り続けたそこに何の価値も無いなんて事は無い。もっと努力している人が、もっと才能がある人が居るのだとしても。

 積み重ねられたそれに唾を吐きかける様な事は、この世の誰にも出来やしないのだ。

 絶対に敵わない様な強大な存在を前にしてその心は折れてしまったのだとしても、その刃は絶対に通用しなかったのだとしても。

 それまでに積み重ねたものを、誰も否定は出来ない。

 心のありとあらゆる部分が完全無欠に強い人なんていない。

 自分は大丈夫だと思っていても、思いもよらぬ場所に脆い場所や欠けている場所が在るものだ。

 心なんてそんなものである。

 獪岳の心は確かに物凄く強い訳では無いだろうが、しかし本当にどうしようもなく弱い訳でも無い。

 本当にどうしようもない人は、自分の都合の良いものだけを見て混迷の霧の中に消えてしまう。立ち上がる事も生きる事も死ぬ事も何もかもを放棄して、どんな物事に対しても思考を放棄してしまう。

 獪岳の様に直向きに努力する事なんて、本当に弱かったら出来やしないのだ。

 獪岳は折れてはいけない時に折れてしまったかもしれないが、それでも自らの心を汚泥の中に貶める様に放り込もうとする真似をみすみす見逃す事は出来なかった。

 

「……っ! どんなに努力したって、認められないなら意味なんて無いだろ……! 

 それに、それに俺は……」

 

 善逸への怨嗟の更に奥底、もっともっと深い場所に在った感情が、僅かに顔を覗かせていた。

 苦しみ、悲しみ、後悔、罪悪感、自責……もっと強く苦しい何か。

『生きたい』と言う欲求がとても強い獪岳が、時に命を擲つ事すら求められる鬼殺隊にどうして拘り続けるのか……その根本の理由が、ほんの少しだけその目の奥に垣間見えた。

 ……それを見付けてどうこうする事は出来ないけれど。でも。

 

「……重ねた努力が自分の願った通りの結果に結び付くとも、それが報われるとも限らない。

 どんなに頑張っても誰も気付いてくれない事はある、声を上げたってどうにもならない事もある。

 自分が頑張っていても、自分ではどうする事も出来ない事で重ねた努力が無駄になる事だってある。

 苦しくて遣る瀬無くて心が壊れそうになって、努力をする意味を見失って立ち止まる事もある。

 ……それでも俺は、『努力した』事自体に何の意味も無かったなんて思いたくは無い。

 報われなくても、認めて貰えなくても、評価されなくても。

 それでも、重ねたその努力だけは、絶対に自分を裏切らない。最後の最後、一人で何かに立ち向かう時に、自分を支えてくれる力になると、そう思いたい。

 獪岳の努力を周りが誰もが認めてくれなかったなんて俺には思えないけど……。

 でも、獪岳がそうは思えないなら。自分は誰にも認めて貰えなかったと本気で思っているなら。

 じゃあ、俺が認めるよ。

 獪岳が重ねて来た努力の全てを、俺が認める」

 

 誰よりも努力しているだとか、特別に努力しているだとか、そう言う事を言いたい訳では無いけれど。

 でも、諦めずに直向きに努力し続けて来た事を認める事なら。獪岳の事をあまり知らない自分にだって出来る。

 

「沢山頑張ってきた獪岳には、花丸一等賞をあげます! ……何てな」

 

 菜々子がそう言って褒めてくれた事があったな、と。

 どうしてかツンと胸が苦しくなる程の郷愁を覚えつつ、そう言って指先で花丸を描く様にすると。

 獪岳は驚いた様に目を見開いたかと思うと、直ぐに顔を伏せてその身を震わせた。

 

「……んで。何で、アンタは……」

 

 気に喰わなかったのだろうか、とそう思ったが。

 此方が何かを言う前に、獪岳は顔を背けたまま走り去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 獪岳と話していたのはそう長くは無かったけれど、あまり鉄地河原さんを待たせるのも悪いと思ってその家に急ぐ。

 廊下で時透くんとすれ違ったが、少し急いでいるからと軽い挨拶だけを済ませて先を急ぐ。

 誰かを探している様だったが……。まあ人探しなら多分、炭治郎たちがその力になってくれると思う。

 

 鉄地河原さんの所に向かうと、早速研ぐ前のその刀を見せてくれた。

 持ってみぃと促され、何の刀装具も付いていないそれを握る。

 別に本気で持っている訳では無いので色が変わる事は無いが、その刀は何とも手に馴染む重さであった。

 

「その大きさで追求出来る限りの頑丈さを追求してみたわ。

 ワシ以外の者が打ったら、その十倍近い大きさになってもうたやろな。

 研ぐのは今からやけど、切れ味もえぇ筈や。

 そんでも全力で振るわれた時に何十回と持つかは分からんけど、まあ一回振っておしゃかになるって事は無い」

 

 見た目は打刀よりはやや太刀寄りの長さで、しっかりと反りがある。

 十握剣と一緒に持ち運べる程度の大きさだ。まあ、伊之助の様な二刀流は無理だが。

 本来はこの十倍の大きさになっていたなんて言われれば、本当に有難い。と言うかこの十倍なんてなったら、それこそ何処かの漫画で見た鉄塊みたいな剣になっていただろう。隠蔽性が死ぬ。

 

「有難うございます……!

 大切に使わせて頂きます……!」

 

 こんなに凄いものを、依頼してからこんなに短期間で打って貰えるなんて、本当に有難い。

 大事な研ぎの工程が残っているし、今から色々と刀装具が付くので、まだ完成とは言えないのだろうけれど。

 心から感謝の気持ちが溢れて、深く頭を下げる。

 その時の事を考えたら絶対に壊さないと言う保証は出来ないけれど……と言うか頸を落としても死なない特殊性を考えると鬼舞辻無惨を足止めしている時に壊してしまいそうな気がするけれど。

 でも、可能な限り大切にしたい。

 そして、この日輪刀が在ったから鬼舞辻無惨を倒せたのだと胸を張って報告したい。

 

「必ず、この刀で鬼舞辻無惨を倒してみせます……!」

 

 その意気込みと共に、日輪刀を包んであった布に包み直してそれを鉄地河原さんのお付きの人に渡す。

 そして、再び礼を言ってその場を後にしようとしたその時。

 

 異様な、磯臭い様な生臭い様な魚が腐った様な匂いを感じて。

 咄嗟に十握剣の柄を握る。

 

 突然のその行動にその場の全員が驚いて、乱心したのかとばかりに里に常駐している隊士が刀を抜きかけたが。

 気を付けろと叫ぶと、その異様な空気を察してくれたのか周囲を警戒してくれる。

 そして。

 

 突然、部屋の壁が木っ端微塵に破壊された。

 飛んで来た瓦礫から鉄地河原さんたちを庇いつつ、襲撃して来たそれと対峙する。

 

 それは見上げる程に巨大な魚の化け物の様であった。

 全体的には魚っぽいしその酷い臭気は魚のものではあるのだが、気持ちの悪い事に三対の人間の足の様なそれとその胴体には一対の人間の腕が生えていて、その身体の上部には四つの壺が生えていた。

 いや、壺が生えているのではなく壺からこの気持ち悪いものが生えているのか? 

 何にせよ、壺は半ばその身体と融合している様だ。

 とにかく酷い臭いで、際立って鼻が良い訳では無い筈の自分でも正直吐き気がしそうな位の臭いだ。

 この場に炭治郎が居たら余りに悍ましい臭いに泣いていたかもしれないし何なら気を喪っていたかもしれない。

 とにかく、見るにも耐えない酷い気持ち悪さだし、同じ空間に存在して欲しくない程に臭かった。

 

 魚の化け物はその巨大な手を滅茶苦茶に振り回して襲い掛かって来る。

 とは言え、鬼の手によるものではあるだろうが、鬼の気配そのものとは違うので血鬼術か何かによって生み出されたものであるのだろうし、図体がデカいだけで大した脅威では無い。

 実際、『ハマオン』の一撃で跡形も無く一瞬で消えた。

 しかし、事態はそれで終わった訳では無い様だ。

 

 

「敵襲──!!! 鬼だ──!! 敵襲──!!!」

 

 

 ぶち抜かれた壁の向こうから、激しく鐘を突く音が響いている。

 どうやら鬼に里の位置を察知され襲撃された様だ。

 襲撃してきたのはどんな鬼なのか、一体どの程度の規模なのか、全く見当も付かない。

 それでも、こうして自分達が里に滞在している最中であったのがまだ不幸中の幸いと言えるのかもしれない。

 それぞれ自分たち専用の刀は手元に無いとは言え一応予備の刀はその手に在るし、何より皆の実力は折り紙つきだ。

 霞柱である時透くんはもとより、炭治郎たち全員がそんじょそこらの鬼に遅れを取る事は無い。

 とは言え、最近の自分の上弦の鬼に対する異常な遭遇率を考えると、里を襲撃しているのが上弦の鬼である可能性を考えなければならないだろう。

 その場合里を襲っているのは上弦の壱や弐では無いし、話に聞いた上弦の参でも無いだろう。格闘技を極める鬼がこんな気色の悪い魚を作り出す血鬼術に目覚めているとは思えない。

 なら、まだ未知数である上弦の肆か伍か? 

 まあ何れにせよ自分たちがやらなければならない事は何も変わらないのだけれど。

 

 外に向かって思いっきり合図の指笛を吹くと、里の周辺を何時も警戒して飛び回っている鎹鴉が降りて来てくれる。

 

「済まない、状況を教えてくれ」

 

「上弦ラシキ鬼ノ襲撃! 里全体ガ襲ワレテイル!

 血鬼術デ創ラレタバケモノニ襲ワレテイル!! 

 上弦ノ鬼ト隊士タチガ交戦中!!」

 

 ガアァ! と、焦った様にそう教えてくれた鎹鴉に礼を言って、今自分がどうするべきかを瞬時に判断する。

 里全体があの様な化け物に襲撃されているなら避難も儘ならないだろう。

 上弦の鬼と戦っている隊士たちと言うのは恐らく炭治郎たちの事だ。そちらにも急いで救援に向かわなければならない事は確かだが、今最も優先すべきは、あの化け物どもを始末して少しでも里の人達が避難出来る様にする事である。大丈夫、炭治郎たちは強い。

 例え上弦の鬼相手でも直ぐに死んだりはしない。

 第一炭治郎たちが突破されたなら、こんな悠長な事をしている余裕は無いだろう。

 それに、最悪な状況はまだまだこれから起こり得るのだ。

 

「了解した、直ぐに敵の掃討を行う。

 君たちは里の人達の避難誘導を行いつつ、付近に居る柱の人達に救援を要請して欲しい。

 最悪の場合、この里は複数の上弦の鬼に襲撃される事になる……!」

 

 避難が終わり次第知らせてくれと頼んで、鎹鴉を再び空に放つ。

 そして、鉄地河原さんたちに振り返った。

 

「今から少しでも多くの人たちを助けてみせますから……! 

 だから、鉄地河原さんたちは里の皆さんと一緒に少しでもこの里から離れて下さい! 

 最悪、この里は更地になります……!」

 

 そして里に常駐している隊士たちには、避難する里の人達の護衛を頼む。

 そこまで気を払っている余裕は恐らくないだろうから。

 それに隊士たちは「必ず」と頷いてくれた。なら、後の事はもう任せるしかない。

 

「── ユルング!」

 

 里全体の状況を此処からでは把握出来ないし、恐らく少なくない死傷者が既に出ている。

 だから、空を自在に飛べる虹蛇を選んで呼び出した。

 背後で驚く様な声が聞こえたが、それに構っている余裕は無くて。

 何も言わずにユルングに乗って一気に上空を目指す。

 

 出来る事は色々あっても、それを叶える為の余力は無限では無く時間も無限では無い。

 特に最悪の長い夜が訪れる可能性を考えると、無暗に力を使う事は出来ない。

 恐らく、きっと。

 助けられたかもしれない誰かを見捨てなくては……見殺しにしなくてはならないのだろう。

 ああ、胸が痛い、苦しい。どうして被害が出る前に防げなかったのだろう。

 もし、りせみたいに強いサーチの力があったなら、襲撃で被害が出るその前に対処出来たのだろうか。

 でも時を戻す事は出来ないから、今出来る最善を尽くす他に無くて。

 それなのにきっとその「最善」からは零れ落ちてしまうものが沢山ある。

 真実を追いながら人の命を助ける為の『特捜隊』のリーダーなのに、助けられない人が居る。

 この手はちっぽけで、全部を救う事なんて出来ないのだから。

 鬼は容易く色々なものを踏み躙っていくのに、踏み躙られたそれを助け出す事は本当に難しい。

 ああ、本当に……。

 

 苦い思いを呑み込みながら胸の内に沸々と湧き起こるのは怒りだった。

 

 里全体を見渡せる高度に到達して、眼下のそれを見下ろして敵の位置を全て把握する。

 デカい図体などによって気持ち悪い魚たちの位置は上空からでも随分と分かり易い。

 家や鍛冶場が立ち並ぶ場所だけでなく、山の方にまで魚たちは入り込んでいる様だった。

 山に逃げた人たちを追い立て殺す為なのだろう。この里を襲撃した鬼は、此処で一人残らず殺すつもりなのだと悟る。

 だが、当然そんな事を許す訳は無い。

 人々を襲う魚たちを見下ろしながら、沸々と湧き続ける怒りの全てを冷たい絶対零度の殺意に変えて集中する。

 そして。

 

「マハブフダイン!!」

 

 一気にそれを解き放って、眼下で蠢いていた全ての悍ましい魚たちを、一瞬で醜悪な氷像に変える。

 認識していた全ての魚だけを正確に氷漬けにした為、今の攻撃での里の人達への被害は最小限に留まっただろう。

 魚共に密着していた人は凍傷の一つや二つ負ってしまったかもしれないけれど、それは必要経費だと割り切って頂きたい。

 ペルソナを正しく召喚して使った力は絶大であり、そしてそのコントロールも遥かに効く。

 そしてだからこそ。

 

「── メディアラハン!!」

 

『メシアライザー』のそれには及ばないが、それでも大概の負傷なら全て完璧に癒せる癒しの光が、里全体を舐める様に駆け抜けた。

 恐らく今ので普通に助けられる範疇の人たちは全員助かった筈だ。ただし一人一人にサマリカームをかけている余裕は無いので自分が出来るのは此処までだが。

 広範囲に向かって一気に強力な力を二度も使った為、既にそこそこの消耗が始まっている。

 それでもまだ何も終わってなどいない、避難を始める為の露払いをしただけなのだから。

 

 里の中心部は襲撃されているその最前線では無い様だ。

 気色の悪い魚たちを一掃すると、それ以上の戦闘の音は聞こえてこなかった。

 最も激しい戦闘の音は、自分達が逗留していた宿の辺りから聞こえてくる。

 恐らく、そこで戦っているのは炭治郎たちだろう。

 どうか無事で居て欲しい、と。そう願い。

 少しでも速く辿り着く為にユルングを急がせようとするが。

 

 その時、その方角から何か黒いものが物凄い勢いで吹っ飛ばされて宙を舞ったのが見えた。

 あれは……──

 

「時透くん!?」

 

 一体何があったのかは分からないが、あのままだと不味い。

 その為、何処かへと飛ばされて行く時透くんを助けようと、ユルングにその後を追わせるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
自分の為に打って貰った日輪刀が、力カンストの暴威にある程度耐えきれる上にちゃんと刀の原型を保ってて本当に感動。ベルセルクのドラゴン殺しみたいな刀だったらどうしようと本気で焦ってた。
襲撃の現場に居合わせた事によって、里の刀鍛冶の人達への直接の被害は物凄く少ない。が、それでも助けられなかった人たちは少なからず存在する。
仕方無いと割り切れる程には、まだ人の死には慣れていないしこれからも慣れる事は出来そうに無い。
それはそうと鬼の美的センスがヤバ過ぎて割と真面目に無理。


『鳴上悠』
菜々子に会いたい、皆に会いたい。でも。
このままだと沢山の人が死んでしまうかもしれない、大切な人たちが自分の命を投げ捨ててしまうかもしれない。
でもその覚悟を踏み躙る事は出来ない。俺が良かれと思っても相手にとってはそうじゃないかも知れない。
どうしたら良い? どうすれば良い?
何が出来る? 何をしてあげられる?
もしかしたら自分になら何か出来るかもしれない。
この力はこの世界の在り方に反しているけれど、でも。
それで助けられるなら、迷っていられない。もう二度と後悔はしたくないから。
でもきっともう俺は『人』じゃない。だって、こんな力を現実世界で使えるのは『人』じゃない。
じゃあ、今の俺は何? 『神様』? 『化け物』?
俺は『人』で在りたいけれど、でも他の人にはどう見える?
ねぇ、教えてよ。教えてくれよ。誰か。
本当にこの夢は何時か覚める? 俺が迷い込んだのは本当に邯鄲の夢か? それとも胡蝶の夢なのか?
……ああ、でも。そんな事を考えちゃいけないんだ。だって、その答えを知る事なんて出来ないんだから。
それに、皆の事を守りたいんだから。
皆を助けたい、助けなきゃ。
だって大切な友だちだから、大切な人たちだから。
だって、そう『願われたから』。


【竈門炭治郎】
『透き通る世界』に時折到達出来る様になるが、まだ少し実戦的とは言えない。
原作的に換算すると、最終決戦時よりは痣が無い分単純な腕力は低いが、それ以外の、回避力・状況判断能力・場数の経験値・ヒノカミ神楽への理解度・『透き通る世界』などと言った単純な身体能力以外の部分は最終決戦時のそれよりも高くなっている。
炭治郎・禰豆子・善逸・獪岳・玄弥・無一郎と共に半天狗と対峙する事になった。
この世界で一番最初に結ばれた特別な縁である為、悠に対しての影響力が絶大に大きく、その為炭治郎がもし【間違える】と……。


【我妻善逸】
悠の事は大好きな友だちだと思ってる為、獪岳の事を押し付けてしまった負い目がある。でもそれ以上に感謝もしている。
獪岳が変われる事を確信出来たら、ちゃんと改めて謝りたい。
炭治郎・禰豆子・獪岳・玄弥・無一郎と共に半天狗と対峙する事になった。


【嘴平伊之助】
情緒教育が随分と進んでいるので、当初の野生児から比較するとかなり人の世界を知って色々と感じる様になった。
情緒の発達的には何かを知る事が楽しくなってきたお年頃。
鋼鐵塚さんの研ぎを見学中だったが、周囲の不穏な気配を察知して、襲って来た玉壺の魚どもを小屋に近付けさせなかった。


【不死川玄弥】
周りが凄いので落ち込みがちだったが、悠に物凄く励まされている。
悠の凄い力の部分以外は、玄弥と悠は一番話が合う模様。
何だかんだと感覚や感性が普通なのは貴重なので。
炭治郎・禰豆子・善逸・獪岳・無一郎と共に半天狗と対峙する事になった。


【時透無一郎】
直ぐに記憶が消えてしまう事はまだ変わらなくても、皆と鍛錬した事は覚えているので少しだけ打ち解けている。
『タルカジャ』があれば『赫刀』に、物凄く集中すれば毎回では無いが『透き通る世界』に到達する事もある。
記憶を取り戻す為の最後の鍵は既に手にしたが、それを吟味する前に半天狗の襲撃を受ける。
炭治郎・禰豆子・善逸・獪岳・玄弥と共に半天狗と対峙する事になったが、半天狗の攻撃によって吹っ飛ばされて戦線離脱してしまう。


【獪岳】
善逸に対してはまだまだ素直には出来ない。でも、全く感謝してない訳でも無い。
特別過ぎる位に凄い存在に自分の努力を認めて貰えたのだと理解して、感情が追い付かなかった。
花丸一等賞の意味は分からないけど、でも褒めて貰ったという事は伝わっている。
炭治郎・禰豆子・善逸・玄弥・無一郎と共に半天狗と戦う。


【里の人たち】
自分達を襲ってきた魚の化け物たちが目の前で一瞬で凍り付いて倒され、更には温かな光に包まれたかと思うと息のあった人達の怪我が全て治っていた模様。


【半天狗】
鬼狩りどもを先に始末してから里の人々を皆殺しにしようとして炭治郎たちを襲い、思いもよらぬ抵抗に合う。


【玉壺】
大量にばら撒いた筈の鮮魚たちが一瞬で全滅して大混乱。
無惨汁ボーナスによって滅茶苦茶強くなっているし、その影響を受けて血鬼術で生み出した鮮魚たちも相当強くなっている。小さなものでも堕姫の帯1.5本分位の強さ。でも特別製の魚でも『ハマオン』一発で消し飛んでしまう。





【もしもの話その1】
『もしもこの世界にペルソナの力があったら』

最終決戦で無惨様が散々追い詰められた後で生き汚さを発揮して、『何をしてでも生きていたい』と言う集合無意識の怪物と融合して、エレボスとはまた別の方向性のクソofクソになって神話の怪物との最終決戦みたいな事になります。
また、ある程度心がある鬼を追い詰めまくるとシャドウの様な化け物になって襲い掛かって来るので、単純な鬼殺隊の強化だけでは無いですね。
しかし、鬼殺隊の人達ってエグい『影』が出てきそうな人達が多そうです。まあ、P3方式のペルソナ獲得方法ならあまり問題無くペルソナに目覚めそうですが。でもそれはそれで何かを切欠に暴走しそうな人もチラホラ……。

実はこの話を書く時の案の中では炭治郎たちがペルソナに目覚めるルートも色々と考えてて、悠がこの世界に来てしまった事で、悠と絆を結んだ人たちに悠の世界の理が適応されていってその結果世界の在り方が捻じ曲がってしまって……って言う【真実】を知ったら悠の心が壊れそうな感じのルートも考えていたりもしました。
後味が悪そうなので止めましたが。


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『跳梁跋扈』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 明日には鋼鐵塚さんがあの錆びた日輪刀を研ぎ終えると言う事で、俺は結構そわそわと落ち着かない気持であった。何せ、あの絡繰人形の中に数百年も眠っていた物なのだ。

 どう言う意図で絡繰人形を作った人がその刀を人形の中に隠していたのかは分からないけれど、その時代……縁壱さんが実際に鬼狩りの剣士として戦っていた時代の刀である事は間違いが無いので、何だか「縁」とでも言うべきものを感じる。まあ、本来の持ち主は、絡繰人形を受け継いだ小鉄君なのだけれども。

 小鉄君くんのご厚意で譲って貰えたので、大切にしたいものだ。

 

 悠さんは日輪刀の事で鉄地河原さんに呼ばれているらしく少ししたら宿を出る予定で、伊之助はと言うと鋼鐵塚さんが日輪刀を研磨しているその様子を見に行った様だ。

 鋼鐵塚さんは気難しいし自分の作業を中断されたり集中するのを邪魔されたら物凄く怒ると思うので、伊之助が見に行っても良いのだろうかと思ったのだけれど。悠さんは、「伊之助はきっと鋼鐵塚さんを邪魔したりはしないよ」と微笑みながら言っていたし、何より鋼鐵塚さんの傍には様子を見守りに行っている鉄穴森さんや小鉄君も居るので多分暴れたり騒いだりする前に止めてくれるのだろうと思って、何も言わずに見送った。

 どうやら伊之助は、日輪刀が打たれているその現場を直接見た事で、そうやって何かを作ると言う事に強い興味を持ったらしい。知りたいと思った事を、勢いよく素直に学ぼうとするのは伊之助の良い所だ。

 勢い良過ぎてよくしのぶさんには怒られているけれど。

 

 そんな訳で、禰豆子を交えて善逸と玄弥と一緒に色々と遊んで時間を過ごしていた。

 鬼になってから禰豆子のそれは随分と幼い反応になってしまったけれど、しかし何も分かっていない訳では無くて。誰かに優しくして貰ったり、何かをして貰った事はちゃんと覚えているのだ。

 折り紙で遊べば、禰豆子は長い爪で器用に折鶴を折れるし、俺が見た事も無い複雑な形の鶴まで折って見せる。

 どうやら、悠さんに相手をして貰っている時に色々と折り方などを教えて貰った様だった。

 そう言えば、沢山の鶴が繋がった折鶴を大事そうに抱えて持って来た事もあったなと思い出す。

 任務であちこちを移動する事もあり拠点と呼べるそれが蝶屋敷くらいしか無かった為持ち歩けないからと、それを禰豆子に作ってくれた悠さん本人に預かって貰っているけれど。

 禰豆子は、八羽の鶴が仲良く繋がっているものと、大きな一羽と小さな六羽が繋がっているものが特に大好きみたいだよ、と。折鶴を預ける時に、悠さんはそう優しい目で教えてくれたのだった。

 ……禰豆子は、仲良く連れ添っている鶴に、自分達家族の事を重ねているのだろうか。

 ……禰豆子は何処まで分かっているのだろう。もう、母さんも竹雄も花子も茂も六太も居ない事を……あの雪の日に喪ってしまった事を。分かっているのだろうか。

 もし分かっていないのだとしたら、人に戻った時に……或いはその意識と記憶がハッキリと戻った時に。

 禰豆子はその事に向き合わなければならなくなるのだろう。自分が鬼になっていた事も含めて。

 今の禰豆子は鬼だから、その身体に傷痕などは残っていないけれど。でも、痛みの記憶が無い訳では無い。

 俺が不甲斐無いばかりに、下弦の伍との戦いでは随分と痛い思いをさせてしまったし、柱合会議でも辛い想いをさせてしまっている。……その記憶が、全部分かる様になった禰豆子の心を苛まなければ良いのだけれど。

 

 そんな事を考えていたからか、禰豆子は「む……」と心配そうに俺を見上げていた。

 それに気付いて、「ごめんな」とその頭を撫でる。

 そう、そんな事は今考えていても仕方無い事ではあるのだろう。

 それに、今は幼い子供の様でも禰豆子は本当に強い子だから、思い出したその時には苦しんだとしても、きっとそれを乗り越えられると思うし、乗り越えられる様に俺が傍に居る。

 ……もう少しで禰豆子を人に戻す事が出来る薬が完成するかもしれないとの事で、最近は禰豆子が人に戻った時にどうしようかと考える事が増えた。

 

 禰豆子にはしてやりたい事が本当に沢山ある。

 ずっとずっと我慢してきて、そして鬼にされた後も酷く我慢させ続ける事しか出来なくて。

 だから、精一杯の事をしてやりたいのだ。

 もう母さんや竹雄たちにはしてやれない分を、本当は皆にしてやりたかった分も含めて、沢山の事を。

 綺麗な着物を沢山買ってやりたいし、綺麗な簪や帯留めなども買ってやりたい。

 禰豆子が興味があるなら、洋装などのハイカラでモダンな服だって。

 それに、鬼になっている間は美味しい物とかを何にも食べさせてやれなかったから、沢山そう言うものをお腹いっぱいに食べさせてやりたい。

 あまり無駄遣いは出来ないけれど、鬼殺隊の隊士になってからの給金は、雲取山で炭焼きをしていたその時の収入よりもうんと良いのだ。上弦の陸の討伐に貢献した事で更なる支給金も貰えた程で。

 細かな消耗品以外に自分では使い道が無かった事もあって、禰豆子にちょっとした贅沢をさせてやれるだろう程には貯えがある。

 お嫁に行く時だって、ちゃんと着物や嫁入り道具を買ってやれるだろうし、そうしてやりたい。

 禰豆子に沢山してやりたい事があった。沢山、話してやりたい事があった。

 本当に沢山の人たちの優しさによって、俺と禰豆子が生かされている事を、支えて貰っている事を、そんな優しい人たちの事を、禰豆子に教えたかった。

 

 そんな事を、そんな細やかかもしれないけれど大事なその願いを、俺以外に禰豆子を人に戻す為の薬がもう直ぐ完成するかもしれない事を知っている悠さんに話してみると。それはとても素敵な事だ、と。悠さんは何時もそう嬉しそうに笑ってくれる。

 未来の事を考えられるのは良い事だ、誰かに何かをしてあげたいと言う前向きな欲をちゃんと抱えて頑張れるのは素敵な事だ、と。

 悠さんは何時も俺がやりたい事を肯定してくれる。

 悠さんが蝶屋敷で時折作って食べさせてくれる、お団子やカステラや聞き馴染みの無い横文字のお菓子などを食べる度に、禰豆子にも食べさせてやりたいと俺が思っている事はお見通しなのか。

 禰豆子がそれを食べられる様になったら、必ず作ってあげるよと何時も微笑んでくれる。

 そして、そう言ったお菓子や外つ国の料理の作り方を、俺が禰豆子に何時でも作ってやれる様にと、帳面に書き留めたものを作ってくれている様だった。悠さんの部屋を訪れた時に、悠さんがそれを書いている所を一度だけ見かけた事がある。その時は、ちょっと照れていたけれど。

 目に見えない形でも目に見える形でも、抱えきれない程に沢山向けてくれる悠さんのそんな優しさが、胸を温かくさせてくれる。

 善逸が禰豆子を大事にして、夜にしか出歩けない禰豆子の為に夜でも綺麗に見える場所に連れて行ってやってくれたり、意外と器用に花冠を作って贈ってくれていたり。ちょっと喧しい位に俺の事を心配して気遣ってくれたりする時や。伊之助が禰豆子に大事にしている綺麗なドングリを沢山くれたり、伊之助が山や野で見付けて来た綺麗なものを禰豆子にくれてやったりしているのを見た時などに感じるそれと同じ温かさだ。

 

 思えば俺は人の縁には心底恵まれているのだろう。

 理不尽な悲劇によって沢山のものを一度に喪ったけれど。

 何も出来ないまま蹲って動けなくなってしまう前に冨岡さんに道を示して貰えたし、そして鱗滝さんには厳しくも優しく鍛えて貰った。鱗滝さんの事をずっと見守っている真菰と錆兎には稽古まで付けて貰って。

 そして鬼殺隊に入った後も、珠世さんたちに出逢って禰豆子を人に戻す為の希望を貰って。

 任務の中で善逸に出逢って伊之助に出逢って。

 辛い事も沢山あったけれど、冨岡さんと鱗滝さんが自分の命を懸けてでも俺たちを信じてくれている事を知って。

 蝶屋敷の皆には全集中の呼吸の常中の習得を手伝って貰って、しのぶさんにもお世話になって。

 そして、偶然任務に出掛けた先で悠さんに出逢って。

 煉獄さんに出逢って、信じて貰って。

 宇随さんに出逢って、一緒に戦って。そして上弦の鬼を倒す事が出来た。

 その人の縁のどれか一つでも欠けていたら、俺が生きて此処には居るかどうかも怪しいし、そして禰豆子を人に戻す為の道程は遥か遠かっただろうと思うのだ。

 

 鬼舞辻無惨を倒すと言う目標はまだ遠い。

 とても強かった縁壱さんですらその刃を届け切れなかったものを、縁壱さんにはきっと遠く及ばないのだろう俺たちが倒す為にはきっとまだ色々と足りないのだ。

 それでも、鬼舞辻無惨に関しての情報は今までにない程に物凄い勢いで集まって来ている。

 そして少しでも鬼舞辻無惨に効果がありそうなものに関しても。

 それは全て、数百年前の縁壱さんが繋いだ縁によるもので、そしてその情報をより有意義なものにしてくれたのは間違いなく悠さんだった。

 悠さんが居なければ『赫刀』と言う現象がある事は分かっても一体どうすれば良いのか誰にも分からず仕舞いだっただろうし、『透き通る世界』だってそれに辿り着くまでもっともっと時間や経験が必要だったと思う。

 鬼舞辻無惨を具体的にどう倒せば良いのか、そしてその状況にどうやったら持っていけるのかはまだ分からないし、俺はそう言うのを考え付ける程頭が良い訳でも無いのだけれど。

 でも、何も分からないままに対策を立てるよりは、ずっと良い作戦を考えられるだろうと言う事は分かる。

 

 時々思うのだ。もし悠さんに出逢っていなかったら、と。

 あの日、何処にも行く宛ての無かった悠さんが俺や或いは他の人に出逢えないままだったら、一体どうなっていたのだろう、と。

 それは今となってはあまり想像するのは難しいし、それに想像する意味も乏しい「もしも」だけど。

 少なくとも、煉獄さんはあの日死んでいたし、しのぶさんとカナヲも死んでいたかもしれないし、俺たちは上弦の陸に殺されていたのではないだろうか。……殺されていなくても、半死半生の重体にはなっていたと思う。

 蝶屋敷に運ばれてきて助からなかった人はもっと多かっただろうし、少なくとも今とは全然違う状況だったんだろうと思う。

 勿論、誰が居なかったとしても今と同じになんてならないけど。

 でも、悠さんの存在は間違いなく大きいと思う。大き過ぎる程に。

 

 だからなのか、時々ではあるけれど心配になるのだ。

 悠さんは、もしかして頑張り過ぎているのではないか、と。

 悠さんから感じるそれは、何時も変わらずに優しく人を思い遣る匂いなのだけれど。

 それは本当に「何時も」変わらないのだ。

 誰かが傷付けられたりしたら怒ったり哀しむ匂いになるけれど、悠さんの匂いがそんな風に変わるのは自分以外の誰かが傷付いた時だけで。

 悠さんから、辛いとか苦しいとか恐いとか不安だとか、そう言った匂いを感じた事が無い。

 悠さんが凄い人だから、で片付けてしまう事も出来るのかもしれないけれど。

 でも、それで済ませて良い事でも無い様に思うのだ。

 現に、悠さんは本当に力尽きる時、まるで糸が突如断ち切られたかの様に倒れてしまう。

 でも力尽きる寸前まで悠さんの心から感じる匂いは全く変わらないのだ。

 もしかして悠さんは、自分自身に向ける辛いとか苦しいと言う感情に疎いのではないだろうか……? 

 疎いからって本当にその匂いを欠片も見せないなんてあるのだろうかとは思うけれど、悠さんは色々と不思議な人だし有り得ないって事も無い気がする。

 だから、何だかそれがとても心配だった。

 

『自分に出来る事を』や『大切な人の力になりたい、大切な人の大切なものを守りたい』とよく言っているけれど。

 でも、悠さんの場合、『自分に出来る事』と言うのは余りにも広過ぎるのではないだろうか。

 俺だったら、精一杯やってもどうにも出来なかった事には、本当に苦しいし後悔するし自分の未熟を恥じるけれど。でも、その時の自分に出来ない事はどう足掻いても出来ない事でもある。だから、次に同じ様な事があればもう二度と後悔しなくても良い様にと頑張る為の活力に変えて行くしかないのだけれど。

 しかし悠さんの場合、もしもっと上手く出来ていたらと言う後悔は、俺が感じる比では無いのかもしれない。実際ほんの少しでも何かが違えば、悠さんなら全部助ける事が出来ているのかもしれないのだから。

 ……悠さんは『神様』では無いのだし、自分の選択の全てを見通したりも出来ないのだから、全てに責任を負う必要なんて無いのだけれど。

 でもそれで善しと出来る人でも無いのだろうと、俺は思っている。そう言う割り切りが上手い人では多分無い。

 

 悠さんが辿って来た戦いの話を聞くだけでも。優しい部分は多分全く今と変わらないのだけれど、今の様に物凄く強い訳でも無かったのだろう悠さんは、沢山沢山傷付いて迷ってたまに不安になりながら頑張って戦っていたのだと分かるのだ。

 仲間が傷付く事を、そして仲間を傷付ける事を、心の底から嫌うそれも。きっとそうやって沢山心も身体も傷付けながら頑張って必死に足掻いて来た結果なのだろうと思う。

 物凄く当たり前の事ではあるのだけれど、悠さんだって最初から完璧だった訳じゃ無いし、完全無欠の無敵の人だった訳では無い。その証拠に、普段は俺たちに見せないだけでその心の傷は結構多い様だ。

 そんな人が、努力の果てに物凄く強くなったからと言って、もう二度と傷付いたり迷ったり不安になったり恐いと感じなくなったりするのだろうか……? 

 それは……そんな事は無いと思う。

 傷付き難くはなったとしても、傷付かない訳では無いのだ。

 だから、何もかもを背負ってしまおうとしてないかと、心配であった。

 悠さんは実際に凄いので普通は背負えない筈のものですら背負えてしまえるのかもしれないが、それは無理をしていないと言う訳では無い。

 

 ……そして最近少し気になっているのだが、上弦の陸を倒した後辺りから、隊士の中で悠さんの事を『神様』みたいだって言う人が増えている気がする。

 前からそう言う事を冗談交じりに言う人はポツポツ居たけれど、でも最近のそれは冗談と言うよりはもっと祈りの様な真摯なものが籠っている気がするのだ。

 まあ確かに、悠さんを『神様』だって言いたい気持ちはとても良く分かる。

 普通なら絶対に助からない人だって助けてみせるし、実際に「神様」だって呼べるし、それなのに傲慢さなんて欠片も無く真摯に優しい。

 凄い人だっていう意味での「神様」と言う尊称は分かるけれど、でも。

 悠さんが人々から信仰される『神様』の様なのかと言うとそんな事は無い。

 ヒノカミ様に毎年の様に神楽を捧げているから特にそう思うのかもしれないけれど。悠さんは血肉の通った心ある『人』なのだ。祈りを捧げて願う先とはやっぱり違う。

 そんな事をする位なら、「力を貸して」と素直に頼んだ方が間違いなく快く応じてくれるだろう優しい人なのだ。

『神様』と、そう悠さんが呼ばれた瞬間を見た事はあるが。悠さんは物凄く必死にそれを訂正しようとしていたし、そう呼ばれると何だか哀しくて寂しそうな匂いもさせていた。

 俺だって、冗談で何度かそう言われるならまだしも、本気で『神様』だなんて言われ出したら凄く嫌だ。

 大した事が出来る訳でも無い自分がそう言われるのは畏れ多いとかってのもあるけど、何と言うのか想像するだけでも背筋がムズムズゾワゾワして何かこう……とにかく嫌だ。

 悠さんも同じ感じなのかもしれない。

 でも多分、人の心を何時も思い遣っているからこそ、本気でそんな祈りを向けられてしまったら、悠さんは無理をしてでもそれを無碍には出来ない気がする。

 ……だけど、もし悠さんが何か無理をしているのだとしても。

 じゃあ、俺に何が出来るのだろうか、と。そう思ってしまうのだ。

 

「はあ……」

 

 儘ならないなあ、と。遊び疲れて寝てしまった禰豆子の頭を撫でてやりながら、思わず溜息を零してしまう。

 大切な友だちであり恩も物凄くある人の力になりたいってだけなのに。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

 その溜息を耳聡く聞きつけたのは善逸だった。

 どうしようかと一瞬思ったけれど、耳が良過ぎる善逸に誤魔化しは出来ないし、何より善逸にとっても悠さんは大切な友だちだ。

 俺一人では分からない事でも、相談してみたら何か良い考えが浮かぶのかもしれない。

 

「悠さんが最近もしかして色々無理しているんじゃないかな、って思って。

 何か俺に出来る事があれば良いんだけどって思ったんだけど、中々良い考えが思い浮かばなくってさ……」

 

「悠さんが無理している……?」

 

 そうだろうか、と善逸は少しだけ首を傾げる。

 まあ、確かに。悠さんの匂いは本当に何時も変わらないし、多分音も全然変わらないから、そう言われてもあまりピンとは来ないのかもしれない。

 だが、思いもよらぬ方向からそれは肯定された。

 

「ああ、確かにな……。悠のやつ、多分どっか無理しているよな」

 

 うんうんと頷いたのは玄弥だ。

 何か思い当たる節でもあるのだろうか? 

 

「いや、悠はさ、元々結構色々悩んでたんだよな。

 鬼を殺す時に民間人とか巻き込んだらどうしよう、とか。

 自分の弱点を分析されて人質を取られたらどうしよう、とか。

 上弦の鬼とか鬼舞辻無惨と戦ったら、街一つや山一つ全部根刮ぎ吹っ飛ばしてしまうかもって……。

 何て言うのか悠はとにかく、傷付けるべきじゃない誰かを絶対に傷付けたくないってずっと言ってたんだよな。

 まあその誰かってのは、俺たちだったり知らない隊士だったりその辺にいた民間人とかなんだけど」

 

 まあ、そんな事を悠さんは玄弥にポツポツ零していたのだと言う。

 確かに、悠さんはそれは絶対に嫌だと拒否するだろう事である。

 

「でもさ、何つーのか……。

 上弦の陸を倒してからなのかその辺りから、そう言う事を全然言わなくなったんだよな。

 その悩みが消えたって言うよりかは、どっちかと言うと……」

 

 玄弥も、やはり上弦の陸を倒した後辺りからちょっと悠さんの様子が心配だった様だ。

 

「まあ、悠は誰も見捨てられないんだろうな。

 普通は無理だって事でも、無茶してでも抱えて助けようとするし。

 自分には出来るからって、そう言う事なんかも知れないけどよ。

 でも、何でも出来るからって何でもかんでも抱え込んでたら全部が上手くいく訳じゃねーし、上手くいってる様に見えてるならそれは相当な無茶をしてるって事だと思う。

 悠は優しいし強いけど、だからって無茶苦茶な事をしてまで全部を抱えなくても良いと思うんだよな」

 

 とは言え、じゃあどうすればそれを止めさせられるのかと言う話になると、玄弥もうーんと唸ってしまう。

 無茶してるなら止めてくれと、そう言うだけで抱えているそれを放り出せる様な性格なのかと言われると……。

 そうしている内に、何かを思い出したのか、善逸は「あっ」と小さな声を上げた。

 どうしたのだろうかとそちらを見ると。

 

「あ、あのさ……前に、『特別なのは寂しい』って、悠さん言ってたんだ。

 それで、その時すっごい寂しそうと言うか……『孤独』って感じの音がしたんだ」

 

 本当にその瞬間だけだったけど、と善逸はそう言うけれど。

「特別」を寂しいと思い、そしてそれに「孤独」を感じていると言うのであれば。

 

「じゃあ、『神様』って言われるの、悠さんにとっては本当に嫌だったんだろうな……」

 

 ある意味、『神様』なんて「特別」の最上級みたいなものだから。

 そんな風に扱われては、強く「孤独」を感じてしまっても仕方無いのかもしれない。

 じゃあ、隊士の人達に悠さんの事を『神様』って呼ばない様にお願いしてみたら、少しは悠さんの気持ちを楽にしてあげられるのだろうか? 

 そう思っていると、善逸はやってしまったと言わんばかりの顔をした。

 

「俺……悠さんに『神様』って言っちゃった……」

 

「おい、何でそんな事言うんだよ。

 悠のやつ絶対嫌がっただろ、それ」

 

 玄弥はギロリと善逸を睨む。

 掴みかかって来たりはしないだろうが、玄弥のその眼光はとても鋭い。

 それに善逸は慌てて弁明した。

 

「あの時は本当に必死でさ。今思えば酷い事言ったとは思うけど。

 でも悠さん全然嫌がってなかったし、音だって全く変わらなかったし……」

 

「でも俺が前に一度見掛けた時は、『神様』って言われると物凄く哀しそうで寂しそうだったんだけどな……」

 

 善逸に言われたから嫌がったり訂正しなかったのだろうか? 

 でも悠さんの性格的には、あまり交流の無い人にそう言われるよりも、善逸の様に親しい相手にそう言われた方が嫌がりそうなものなのだけど……。

 

「とにかく、善逸はちゃんと悠さんに謝っておいた方が良い」

 

 悠さんはちゃんと謝ればそれを受け入れてくれるだろうから、変に逃げずにちゃんと謝るべきであろう、と。そんな事を話していると。

 部屋の襖が何の声掛けもなくスっと開いた。

 そこからひょっこりと顔を出したのは時透君だ。

 鍛錬場以外で時透君と顔を合わせる事は殆ど無かったのだけれど、どうしたのだろう。何か俺たちに用事でもあるのだろうか? 

 

「鉄穴森って刀鍛冶知らない?」

 

「鉄穴森さんは知ってるけど……どうしたの? 

 今は鋼鐵塚さんと一緒に居る筈だけど」

 

 ついでに伊之助と小鉄君もそこに居る筈だ。

 それにしても、どうして鉄穴森さんを? 

 

「鉄穴森は僕の新しい刀鍛冶。

 鋼鐵塚は何処にいるの?」

 

 日輪刀を受け取るとか、そう言った用事なのだろうか。

 なら、折角なのだから俺も一緒に鋼鐵塚さんの所に行って案内するよと声を掛けたら。

 時透君は不思議そうに首を傾げた。

 

「……君、何でそんなに人に構うの? 

 あの人もそうだけど、何の得があるの? 

 君には君のやるべき事があるんじゃないの?」

 

 あの人とは悠さんの事なのだろうか? 

 本当に不思議そうな顔をする時透君に、俺は返事をする。

 

「人の為にする事は結局、巡り巡って自分の為にもなっているものだし。

 俺も行こうと思っていたから丁度良いんだよ」

 

 伊之助が大人しくしているのかとか、俺の刀なのだからちゃんと見てみたいとか、鋼鐵塚さんの所に行く理由自体はあったのだ。

 そう答えると、一拍程の間を空けて。

 時透君は虚を突かれたかの様に驚いた顔をした。

 

「えっ? 

 何? 今何て言ったの? 今、今……」

 

 ちょっと様子がおかしいそれに、俺たちは揃って首を傾げた。

 何か変な匂いって訳では無いのだけど……。

 何だろう、焦り? いや違うな……。

 でもそう言えば、一緒に鍛錬していた時に、俺や悠さんと話している時にちょっと時透君の様子が変わった事は何度かあった。

 何だかもどかしい何かを一生懸命に探し当てようとしている様なその様子を見る度に、悠さんはそっと見守る様な顔をして、ポンポンと落ち着かせる様に優しくその頭や背中を撫でてあげていたっけ……。

 俺も悠さんの様にそうするべきなのだろうか? とちょっと思いつつも、歳下ではあるけれど霞柱って立場でもある時透君の頭とかを撫でるのは、俺にはちょっと難易度が高かった。

 

「へ? 丁度良いよって……」

 

「……いやそうじゃなくって……」

 

 うんうんと唸り出した時透君に、善逸が俺の言葉を思い返しながら復唱する。

 

「えーっと、巡り巡って自分の為にもなっているって所?」

 

「もうちょっと……」

 

「『人の為にする事は』ってやつか?」

 

 玄弥のその言葉に、フワッと再び大きく目を開ける。

 

「それ、だ。

 僕は。僕はその言葉を知っている。

 誰かが僕にそう言ったんだ、誰だ? 誰なんだ……?」

 

 頭を抑えた時透君の様子を、三人でアワアワと見守る。

 大丈夫なんだろうか? 

 いやでも確か、前にこんな感じになった時、悠さんは確か……。

『時透くんは、自分の記憶にかかっている霧を晴らしたいんだよ』、と。そう言っていた。

 そしてきっと、その為の鍵は、俺たちや他の人たちと関わっていく内に見付かるものだろう、とも。

 俺の言葉がその切欠となる鍵だったのか? 

 でも、そんな凄い事を言った覚えは全然無いのだけれど。

 

「僕は、君のその目を知っている気がする。

 僕たちは、逢った事がある? 

 何処か昔に、ずっと昔に……」

 

 真剣に見詰められて、思わず緊張しつつも首をそっと横に振った。

 

「あの、多分……無いと思う。

 俺は鬼殺隊に入るまでは雲取山から離れた事が無いから」

 

 狭霧山に居る間にも出会った記憶は無い。

 時透君が何処で暮らしていたのかは知らないけれど、少なくとも雲取山やその麓の街ではない事は確かだろう。

 記憶にも残らない程うんと小さい時はどうであったのかと言われると少し自信はないけど。

 でもそんなに幼い時だったら時透君の方にも、霧に隠されるまでも無く記憶が残っているとは思えない。

 

 もう少しで何かが掴めそうで、でも後一歩が届きそうに無いもどかしさに時透君は辛そうに唸る。

 思わず、その手を勢いで握ってしまった。

 しかし、握った後でどう言葉を掛ければ良いのか思い付かなくて。

 どうにか振り絞って、「大丈夫だ!」と声を掛ける。

 何が大丈夫なのか、自分でもあまりよく分からないままに。

 

 その時、寝ていた禰豆子が目を覚まして、キョロキョロと辺りを見回す。

 それと同時に、何かを伝えようとしてか俺の服の裾を引っ張った。

 

「ん? どうしたんだ、禰豆子」

 

「あれ、誰か来た? 獪岳、じゃないよね」

 

 俺が禰豆子に声を掛けるのと、善逸が襖の外を見るのはほぼ同時だった。

 そして──

 

 

「ヒィィィィィ……」

 

 

 いっそ情けない程の声を上げながら這い蹲る様にして部屋に入ってきた()()が。

 一瞬何であるのか、その場の全員に理解が追いつかなかった。

 それ程までに、ここまで接近されるまで俺も善逸も時透君も玄弥も、その存在に気付けなかったからだ。

 それは、余りにも気配のとぼけ方が上手かった。

 

 瞳は裏返っている為そこに何が刻まれているのかは分からないが、間違いなく上弦の鬼である。

 見聞きした情報に合致するものが無い為、恐らくは上弦の肆か伍。

 或いは無惨が新たに加えた上弦の陸か。

 とにかく、見た目と行動とにそぐわない程の強敵である事は間違い無い。

 

 瞬きにも見たぬ刹那にその場の全員がそれを判断し、武器を構える。

 玄弥以外のこの場に居る全員のそれは自分用の刀では無いけれど、それでも戦えない程のものでは無い。

 

 そして、この場の誰よりも速い時透君が真っ先に動き、一瞬の内に斬り込む。

 しかし、その一撃は僅かにその顔面を切り裂いただけで。老人の様な見た目に反して恐ろしく速い。

 しかしこの場には時透君に匹敵する程の速度を誇る者が居る。

 時透君が動くのとほぼ同時に、()()()()()()()()()()()()()()()()善逸は既に霹靂一閃を放っていた。

 天井付近に飛び上がり張り付こうとしていた鬼の頸を、その一撃は斬り落とす。

 切断された頸が、床にゴトリと落ちて跳ねた。

 

 だがおかしい。()()()()()()()()()()()()()()()()

 善逸は強いが、そもそも上弦の鬼の頸は尋常で無く硬い。

 上弦の陸の妹鬼のそれは硬いと言うよりは靭やかと言うべきであったが、何にせよそうそう簡単に斬れるものでは無いのだ。

 それを、ほぼ完璧な不意打ちにも等しい一撃であるとは言え、あの妹鬼よりも強い可能性が高い上弦の鬼であるのにこうもあっさりと落とせるのか? 

 そして、上弦の陸の様に単純に頸を斬って終わりと言う訳では無い可能性もあるのだ。

 

「待って! 何かおかしい、油断しないで!!」

 

 瞬時にそう判断して叫んだ瞬間、皆がそれを注視している中で、切断された頸から身体が生え、そして首を落とされた身体からは首が生えた。

 しかし、最初の老人の様なその姿とは服装も見た目も違う。

 分裂に見えるが、もっと根本的に違う様な……。

 何にせよ、また同時に頸を落とさねばならないのか? 

 あの上弦の陸の様に。

 でも、何かがおかしい気がする。

 そしてその違和感の理由に気付かないまま攻撃するべきではない気もするのだ。

 

 禰豆子は瞬時に大きくなって、二体に増えた鬼と対峙し攻撃しようとするが。

「待て!!」と鋭く叫ぶと一旦それを止める。

 狭い部屋ではないが、五人で鬼二体を相手するのは無茶な広さだ。

 存分に刀を振るうのは難しい。

 何れにせよどうにかして場所を移さねば。

 

 そう瞬時に考えて次にどうするべきかと考えながら動こうとした時。

 斬られた頸の方から増えた山伏の様な結袈裟だけを身に付けた上半身が半ば曝け出された鬼が、動いた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その腕が僅かに動きかけた瞬間には、俺たち全員が一斉に回避の為に動いていた。

 善逸は禰豆子を抱え、一気に身を屈める様にして畳を蹴って。

 そして。

 

 葉で出来た様な形の団扇を、鬼が横薙に大きく振るった瞬間。

 その団扇の動きの先にあったもの全てが、突如吹き荒れた烈風によって吹き飛んだ。

 屋根が、襖が、壁が、畳が、全てを巻き込みながら、一掃されていく。

 気付けばそこはもう部屋とは到底呼べない惨状になっていて、吹き飛んだ屋根からは月明かりが下界を照らしていた。

 

 あんな物を人の身で喰らったら一溜りもないだろう。

 以前、脱線しかけた無限列車を止めた時の悠さんが巻き起こしていたそれよりはマシな規模ではあるけれど。

 この鬼が起こすそれは、全てを薙ぎ払い叩き潰す凶悪な風である。

 それを、団扇を振るうと言う簡単過ぎる動作一つで引き起こすのだ。

 とんでも無い相手だと言うべきだった。

 

 先程は裏返っていて確認出来なかったその眼球に刻まれた文字は。

『上弦』・『肆』。

 単純に考えれば、俺たちがどうにか頸を落とした妹鬼よりも、そして悠さんと宇髄さんで激闘の末に頸を落とした妓夫太郎よりも、更にずっと強い鬼である。

 

 あの老人の様な見た目からは、まるで若返っているかの様に二体とも見た目からして最初の姿とは違う。

 そしてベロリと主張される様に上半身半裸の鬼が舌なめずりしたそこには、『楽』の文字が刻まれている。

 

「カカカッ! 積怒よ、見たか? 今のを避けおったぞ。

 楽しいのう、骨があるやつを嬲るのは久方振りじゃ」

 

「せきど」……『積怒』? と、上半身半裸の鬼は、己と共に増えた錫杖を携えた鬼をそう呼んで語り掛ける。

 しかし、そう呼ばれた方は苛立たし気に牙を剥く。

 

「何も楽しくはない。儂はただひたすら腹立たしい。

 ちょこまかと鬱陶しい小僧どもも。

 そして可楽、お前と混ざっていた事も」

 

「そうかい、離れられて良かったのう」

 

 呵々と笑う「からく」……『可楽』に構う事無く、『積怒』と呼ばれた鬼はその錫杖の先端を畳に叩き付けようとする。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 僅かに肌をピリピリとさせる様な大気の気配を()()()()()()()()()()()

 だから、再び回避した。

 

 その直後、畳に叩き付けられた錫杖の先端から周囲一帯に迸る様な電撃が辺りを蹂躙する。

 どうにか全員直撃は避けたが、空気自体を哭かせる様に震わせるそれは中々止まない。

 錫杖の先端から絶える事無く放出されている様だった。

 これでは到底近付けないし、何より動きが制限されている。不味い状況だ。

 だからこそ、次に起こる脅威を再び判断し、また一斉に動いた。

 今度は縦に振るわれた団扇による風の一撃はどうやら俺を狙っていた様で。

 回避したその直後に、俺が居た場所の背後が全て吹き飛んで行った。

 鬼たちは何の躊躇も無く周囲を破壊していく。

 本来、人の間に紛れて人を襲い喰らう為に、人を多く喰らい理性がある鬼程、街中など人が居る場所で派手に暴れる事は避けようとする。餌場を喪う結果になりかねないからだ。

 しかしこの鬼はおそらくこの里を襲撃しにやって来た鬼で、そして周囲から隠されたこの里で幾ら暴れようとも誰も困らない。

 あの上弦の陸の鬼が見せた以上の暴威が、何の躊躇も無く叩き付けられる可能性があった。

 

「カカカっ! 面白い! これも避けおるか! 

 まるで鼠の様じゃのう、ちょこまかちょこまかと動き回って。

 ええぞ、じっくりと嬲り殺しにしてやろう」

 

 周囲を蹂躙する電撃によって中々思う様に回避する事が出来ない。

 それなのに、『可楽』は電撃を物ともせずに動き回って皆を攻撃しようとする。

 電撃が確実にその身を貫いても気にも留めない。同じ鬼だからその身体には電撃が効かないのか? 

 何にせよこのままではジリ貧だ。

 そして、相変わらず妙な違和感の正体が掴めない。

 

「善逸! どうだ何か分かるか?」

 

「炭治郎の方こそどうなのさ! 

 ああでも、こいつらは最初に入って来た鬼の音とはちょっと違う!」

 

「そうか! ありがとう!!」

 

 最初の鬼とは、違う。

 そうだ、そうなのだ。双方の鬼はそれぞれ異なる匂いがするし、最初に頸を落とした鬼の匂いとも確実に違う。

 そして、最初の時点で頸が柔らか過ぎた。

 まるで、()()()()()()()()()()()()であるかの様に。

 本来、鬼にとって頸を斬られると言う事は最も忌避される事である。

 例えそれでは死なないのだとしても。あの上弦の陸たちだって頸を斬られる事には強い拒否反応を示していた。

 悠さんが言うには、上弦の弐や上弦の壱だって、日輪刀じゃない刀でも頸を斬られる事は嫌がっていたらしい。

 なら、おかしいのだ。

 頸を斬られる事を厭うのが鬼の本能であるならば、最初からこの鬼はおかしかった。

 本体と、それに操られた虚像。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「この鬼は上弦の肆本体では無いのかもしれない!! 

 最悪の場合、こいつ等を幾ら斬ってもキリがないぞ! 

 近くに別の鬼が居ないか探そう!!」

 

 そう皆に叫ぶ様に伝達した瞬間。

 二体の鬼の反応が明らかに変わった。

 一層苛烈な攻撃を仕掛けて来るのだ。

 まるで、そうはさせないと言わんばかりの反応だった。

 語るに落ちるとはこの事か。

 だからこそ、半ば当て推量の様であったそれが「正しい」のだと分かる。

 とは言え、こうも引っ切り無しに攻撃されては、『本体』を探す事すら儘ならない。

 そして、斬ってまた増殖されたらと思うと迂闊に斬り掛かる事も難しい。

 どうにかして一時的にでも無力化させないと不味いのに。

 

「こいつ等の足止めが出来れば良いんだな!?」

 

 回避に全力で専念していた玄弥がそう言って、見慣れない武器……銃の様なものを構える。

 一体何をしようとしているのかは分からないが、俺がその言葉に頷くと。

 よしと頷いて、玄弥はそれを鬼たちへと向ける。

 

 ドンっと言う激しい音が二度鳴って、その直後には鬼たちの胴体が抉れた。

 日輪刀と同じ匂いがする。銃だろうか? 

 鬼の身体を引き千切って吹っ飛ばす事は無かった為、増殖はしない様だ。

 頸を斬る事が増殖の条件なのか、或いは完全にその身体を分割する事が条件なのかは分からないけれど。

 斬り落とさなければどうにか出来るのかもしれない。

 なら、胴体などを狙って刺突などを主体にすれば分裂させない様にしつつ足止めが出来るのだろうか。

『本体』を探すなら、鼻が利く俺か耳の良い善逸か豊富な経験によって鬼を感知する力の強い時透君が適任なのだろうけれど。

 温泉の硫黄の匂いがキツい此処だと俺の鼻も万全な状態じゃない。

 なら、霹靂一閃での斬首と言う手を封じられた善逸が探知に専念するのが最善だろうか。

 玄弥の攻撃によって、鬼は痺れた様にその動きを止める。

 錫杖の先端から迸っていた電撃も止み、烈風が襲い掛かる事も無い。

 

「小僧! 一体何をした!」

 

「ハッ! 誰がこっちの手札を態々明かすかよ、馬鹿が」

 

 吐き捨てつつ煽る様に玄弥はその口の端を歪める。

 それに憤激した様に鬼は吼えるが、しかし身体は動かない様だ。

 とは言え、それが永続的なものではない事位は分かる。

 今の内に、動かなければならない。

 

「善逸! 任せた、お前が見付けてくれ!! 

 俺たちは此処で少しでもこいつ等を足止めする!!」

 

 それだけで何を任されたのか分かったのだろう。善逸は頷いてその場から駆け出す。

『本体』を見付ける事が出来たとしても、上弦の肆である以上確実に弱くはない筈だ。

 その頸は間違いなく硬い。善逸一人で斬れるかどうかは分からないけれど。

 でも、ここで全員がこいつ等に足止めされていては何時までも状況は変わらないどころか悪化する一方だろう。

 

「禰豆子、良いか。絶対にこいつ等の身体を千切っちゃ駄目だ! 

 穴を空ける位に留めてくれ!」

 

 そう言うと、了解とばかりに禰豆子は頷く。

 本当は妹をこんな危ない戦いに巻き込みたくは無いけれど。でも今は少しでも人手が必要な状況だった。

 この鬼たちがある意味血鬼術で作られた存在の様なものであるのなら、爆血なら有効打に成りえるのかもしれないけれど。しかし上弦の肆のそれを一度に燃やし尽くす事は不可能に近いだろう。

 燃やし切る前に禰豆子の限界が訪れてしまう気がする。

 しかし、この場をどう抑えるのかを考えようとしたその刹那。

 

「忌々しい、忌々しいぞ。小僧どもめ。

 儂は実に腹立たしい」

 

「カカカっ! 楽しいのう、無駄な足掻きを全て蹴散らされた絶望を見るのは、何時も楽しみじゃ」

 

 そう言いながら『積怒』はその錫杖を振るって『可楽』の頸を引き千切る様に落とした。

 そして、『可楽』の腕が『積怒』の頸を捥ぎ取る。

 

 そうして落とされた頸から、また新たな鬼が増えた。

 鳥と人を混ぜた様な翼と猛禽の手足を持つ鬼と、槍を携えた鬼に。

 此方が攻撃していなくても、勝手にあちらの側で強引に増やせてしまう様だ。

 どうにかしてこの場で抑えないと、と。そう動こうとするが。

 崩れ落ちた天井から上空へと舞い上がった翼を持つ鬼を捉え切る事は出来ず、また槍の鬼が鋭い攻撃を繰り返してくる為中々突破出来ない。

 そんな状態を、再び動けるようになった『積怒』と『可楽』が見逃す様な事は無く、再び電撃と烈風に蹂躙される。

 どうにかして回避しようとするも、槍の熾烈な攻撃がそこに加わった為それも中々上手くいかない。

 回避するその動きもかなり厳しいものになって来た。

 玄弥は再び銃を構えようとするが、それはかなり警戒されている様で、玄弥は集中的に狙われている様だった。

 気付けば翼を持つ鬼の姿が見えない。善逸の所へと行ってしまったのか。

 ああ、不味い、不味い状況だ。

 どうにかしないといけないのに。

 

 その時、足元の畳に空いていた穴に足を取られたのか、玄弥の動きが僅かに鈍る。

 そして、それを逃さずに『可楽』の団扇の一撃が玄弥に迫るが。

 その烈風が吹き荒れる寸前に、玄弥は時透君に体当たりで押される様にして庇われる。

 しかし、そうやって庇った直後に、時透君は踏ん張る事も出来ない状況で烈風の一撃が直撃し、壁に開いていた穴から勢いよく空へと放り出される様に吹き飛ばされてしまう。

 無事なのかどうなのかとそちらに一瞬目をやるけれど。

 隊服の黒は夜闇の中では全く目立たない為、直ぐに見失ってしまう。

 少し離れた場所に、まるで虹の様な煌めきが見えた気がしたが、それも直ぐに見失った。

 

 

「カカカっ。豆粒がよう飛んで行ったのう。楽しいぞ、楽しいのう。

 して、小僧どもよ。あの柱の小僧抜きに、儂らとどう戦うつもりなのかのう?」

 

 

『可楽』は、ニヤリと。そう不愉快な嗜虐心に溢れた、歪んだ笑みを浮かべて俺たちを嘲笑うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
悠がもしかして無理しているんじゃないかな、とは考えている。
困っているなら力になりたい。
悠を助けるのも、或いはその心や存在自体に止めを刺すのも。その命運を他ならぬ自分が握っているとは当然の事ながら露程も考えていない。
無一郎と悠との鍛錬や死に覚えゲー特訓の効果を遺憾無く発揮して回避しまくる。
風も電撃も(ついでに本体が別口にあるパターンも)予習済みです!
半天狗からするとフレーム回避されている気分であるかもしれない。


【竈門禰豆子】
色んな人から大事にされている。
優しくしてくれた人たち全員にお礼を言う事は果たして叶うのだろうか。


【我妻善逸】
悠にちゃんと謝らなきゃと思う。
しかし無意識の認知がどうなるのかはまだ不明。
鍛錬と死に覚えゲー特訓の成果は今回も発揮される。
耳を活かして半天狗の本体探しを請け負う事になった。


【不死川玄弥】
悠の事は結構見ているし気に掛けていて。兄ちゃんみたいで笑顔で無理しそうな人だなと無意識の内に勘付いている。
鬼化度は0なので、ぶっちゃけ一番今命が危険な状態にある。
回避出来なきゃ死ぬ可能性が断トツで高い。
とは言え即死しなければ鬼食いで回復する事は可能。
しのぶさん謹製の毒が含まれた特殊な弾丸によるサポート力が光る。
今回仕込んでいる毒の内容としては、原作の上弦の陸との戦いの時に宇随さん達が使った苦無に塗られていたそれとほぼ同じで動きを止める為のもの。
ダムダム弾の様に組織をぐちゃぐちゃにしつつ体内に留まって毒を撒き散らすのでかなり凶悪な一品。
無惨汁で強化済みの半天狗に対しても、永続的では無くとも一時的に動きを止められる程の効果がある。
勿論人間を誤射した場合の被害も凄い事になるので、玄弥クラスの狙撃の技術が無いと危なっかしくて使いこなせない。


【時透無一郎】
記憶の蓋はもう大分開いている。後は憎しみを思い出すだけ。
玄弥を庇った為に吹き飛ばされて戦線離脱する事になった。
どうしてあそこで身体が動いたのかはちょっとよく分からない。


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『歪んだ眼』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 目の前を吹き飛ばされて行った時透くんを追い掛けて、その身体を空中で何とか抱き留める様にキャッチした。

 一体何があったと言うのだろうか。

 

「大丈夫か、時透くん。一体何があったんだ?」

 

「上弦の肆に襲撃された。分裂した鬼の攻撃にやられて飛ばされたみたいだ。

 そっちこそ、どうしてこんな所に?」

 

 ユルングの背の上で、驚いた様にその目を瞬かせながら時透くんは訊ねてくる。

 確かに、時透くんからするとこれは相当によく分からない状況だろう。

 

「俺は鉄地河原さんの所に居た時に鬼の強襲を受けたんだ。

 鬼の本体では無くて血鬼術で作り出された化け物だったんだろうけど、とにかく気持ちの悪い魚と人の手足が融合したみたいな化け物が、里全体を襲ってきていた。

 そいつらはさっき一掃したからそれはもう大丈夫で、里の人たちは皆避難を始めている。

 鎹鴉たちに頼んで、付近の柱たちに救援の要請も済ませている。

 今はとにかく、鬼を倒す事に専念しよう。

 ……あの魚たちは、時透くんたちが戦っていた上弦の肆が生み出したものだったんだろうか」

 

 そう答えると、時透くんは少し考えてから、「違うと思う」と言った。

 

「俺たちを襲って来た上弦の肆は、分裂する血鬼術を使う鬼だった。

 炭治郎は、あれは鬼の本体じゃないとも言ってたんだ」

 

 ……一つの鬼が複数の血鬼術を会得している事自体はよくある事だ。

 しかし、ほぼまるっきり方向性の異なる血鬼術を使いこなすと言う事は、ほぼ無い。

 分裂する分身体(?)を作り出す血鬼術と、魚の化け物を量産する血鬼術では相当方向性が違う気がする。

 

「……あの魚の化け物は、恐らく上弦の鬼が生み出したものだろう。

 そして、今俺たちが知り得ている、上弦の壱から参の中にあんな化け物を作り出す血鬼術を持っていそうな奴は居ない。

 最悪の場合、上弦の伍もこの里の何処かに居る可能性があるな」

 

 或いは、上弦の陸に新たに繰り上がった鬼かもしれないが。

 何にせよ、この里が複数の上弦の鬼に襲撃されている可能性が非常に高くなってきた。

 そしてそれは、このままではあの魚の化け物たちから助けた筈の里の人たちが更なる脅威に晒される可能性も示唆している。

 

「……炭治郎たちの戦況はどうだった?」

 

 もし、相当厳しい様であるなら。今にも全滅する寸前であると言うのなら。

 それが正しくは無いのだとしても、炭治郎たちを優先してしまうだろう。

 しかし、時透くんの身体は見た所大きな負傷も無い様子だ。

 空を吹っ飛ばされてはいたけれど、ほぼ五体満足の状態であると言っても良いだろう。

 なら、炭治郎たちももしかして、大きな負傷無く上弦の鬼に相対出来ているのではないか、と。

 そんな淡い期待と共に時透くんに訊ねると。

 

「攻撃を避ける事自体は出来ているよ。でも、あの鬼は斬れば斬る程増えるしキリが無くて、対処に困っていた。

 今は四体に増えている。善逸が本体を探しているけれど、まだ分からないみたいだ」

 

 時透くんは、そう淡々と返してくれた。

 ……自分には善逸や炭治郎を上回る程の感知能力は無いのだし、その『本体』探しとやらに貢献出来る余地は余り無いだろう。

 分裂して増えたと言うそれ自体を相手にする事は可能だろうが、『本体』を叩かなければ意味が無いのであればキリが無い。そしてそれに時間を取られている間に上弦の伍が避難中の里の人たちを襲うかもしれないし、或いは乱入してくるかもしれない。

 ……とは言え、上弦の伍が何処に潜んでいるのか分からないのだから、先に居所が分かっている上弦の肆の相手をする事も間違ってはいないと思うけれども。

 グルリと眼下を見下ろして何か異変は無いものかと探してみるが、時透くんが飛ばされて来た方角から激しい戦いの痕跡を感じるだけで。上弦の伍らしき存在が暴れている気配は今の所は無さそうだ。

 しかし、確実に何処かには居る筈なのである。

 どうしたものかと考えていると。

 炭治郎たちが戦っている宿の方向とは真逆の山間の方で木々が倒された音がした。

 確かあの方角は、鋼鐵塚さんの作業場があると言うらしい方向だ。詳しい場所は知らないが、伊之助もそこに居る筈なので、伊之助が鬼と戦っているのだろうか。

 

「……行ってみよう」

 

 時透くんがその言葉に頷いた事を確認して、その方向へとユルングに宙を滑らせた。

 

 

 そこに辿り着いた時、そこでは伊之助が何か奇妙なものと戦っている真っ最中であった。

 壺から生えた、微妙に厚みのある一反木綿の様なひょろ長い芋虫の様なものの攻撃を、伊之助は必死に捌いている様であった。

 奇妙な化け物は、育ちまくって金魚鉢に入らないサイズになった金魚の様な魚を壺の中から大量に繰り出して空中に泳がせる。

 その壺の感じに見覚えがある。あの、それを作り出した鬼の美的センスを心底疑う程に気色の悪い、魚に人間の部位を貼り付けた様な化け物の身体に付いていたのとほぼ同じ感じのものだ。

 鬼の血鬼術は、この壺が主体となって様々なものを繰り出すのだろうか? 

 何にせよ、不気味な金魚たちが良い存在であるとは到底思えない。

 

「ハァン! そんな気色悪ぃ奴らにこの伊之助様がやられるかよ!!」

 

 威勢よく啖呵を切って伊之助は金魚たちをその両刃で斬り裂いていくが、如何せん数が多過ぎる上に一体一体の大きさはそこまででも無い為中々一掃出来ない。

 そして、金魚たちはその身体を膨らませたかと思うと、その身体の何処にそんな量を隠していたのかと驚愕する程に、質量保存の法則を無視したかの様な大量の針の様な物質を伊之助に向けて噴射した。

 

「伊之助! 伏せろ!!」

 

 そう叫ぶと同時に、伊之助を守る様に、飛んできた針を全て凍らせて止める。

 残っていた金魚の半数程はそれに巻き込む様にして凍らせる事が出来たが、数十匹程はふわふわと空中を泳ぐ様に逃げられてしまった。

 時透くんに軽く合図を出してユルングを消すと同時に共に飛び降り、伊之助の近くに着地して奇妙な化け物と対峙する。

 

 奇妙な化け物……上弦の伍である事の証をその身に刻んだその鬼は、実に奇天烈な姿をしていた。

 本来は眼窩である部分には口が付いており、本来は口が付いている部分には「伍」と刻まれた眼球が、そして額には「上弦」と刻まれた眼球が縦向きに付いている。

 それだけならまだしも、その身体は肩から先を斬り落とした様な上半身の下はひょろ長い芋虫の様になっており壺の中へと続いていて。その身体の側面には人の子供の手の様な妙に小さな手がまるで百足の肢の様に付いている。

 何と言うのか、生命に対する冒涜の様な気がする、尋常では無い程に気持ち悪い姿だった。

 生理的に無理と断言したくなる。

 あの気色悪い魚の化け物の主である事に何の疑い様も無い姿だった。

 

「うっわ……気持ち悪……」

 

「鬼って皆こんなヤバい奴らばかりなのか……? 

 あの魚の化け物たちと言い、心底美的センスを疑うんだが……」

 

 時透くんと一緒に、「無いわー……」と言う顔になってしまう。

 いや本当に、マジで無い。誰に聞いても、「無いわー……」と言うだろう。

 絵画センスが壊滅的な炭治郎と善逸も、「うわっ」と言う顔になるし、情操教育に悪いからと禰豆子の目に触れさせない様にするだろう。

 これを素晴らしいと思ってそんな姿になっているなら、ちょっと一回脳のCTかMRIでも撮った方が良いと思う。

 見た目の造形がヤバ過ぎる鬼に遭遇するのは無限列車に融合していた鬼以来なのだが、鬼の中には美的センスが壊れる者が一定数の確率で存在してしまうのだろうか。

 ならその首魁である鬼舞辻無惨はどうなっているのだろう。

 何かもう、冒涜的な「名状し難い何か」の様な見た目になっているのだろうか……? 

 まあ上弦の鬼を含めても今まで遭遇して来た鬼の中でここまでヤバいのは居なかったので、それは他の鬼に対して失礼な考えなのかもしれない。

 

「そこの猪と言い、本当に鬼狩り共はこの美しさと気品を理解出来ない様だな」

 

 上弦の伍は何処か苛ついた様にそう言うのだが、美しさも気品も欠片も無い悍ましい姿にしか見えない。

 お化け屋敷とかホラー映画とかに出たら大人気かも知れないが。少なくとも現実で遭遇したい存在では無い。

 

「美しい……? 何処が……?」

「何言ってんだコイツ、気色悪さしか無いだろ」

 

 ねえ? なあ? と。何だか息が合っている感じに時透くんと伊之助が顔を見合わせて首を傾げる。

 全く以て二人に同意したい。少なくとも自分の感性にこの鬼のそれは合わない。

 まあでも、少なくとも平成の時代では「芸術」だとか「美」だとかはとても広い概念になっているので、何処かそう言う界隈に行けば持て囃される見た目なのかもしれない。

 

「あー……うん、俺には理解出来ないジャンルと感性ではあるけど、確かにそう言う芸術の分野はあるなぁ……。

 何と言うのか、敢えてタブーに触れると言うのか、挑発的と言うのか反自然主義的と言うのか……。

 古代ローマの時代の建築装飾にもある位だからな……」

 

 まあ、それは現代で広く言われる「グロテスク」とはちょっと違うけど。

 自分からすればこの鬼のそれは「悪趣味」としか言えないが、まあ自己認知が歪んでいるのかもしれないし……。

 そう言うと、鬼は「ヒョヒョッ」と笑った。笑い方すら気持ち悪くてげんなりする。

 

「ほうほう、そこの鬼狩りの餓鬼二人に見る目は無い様だが、そこの『化け物』は分かっておるではないか。

 私の芸術を理解出来るとはな。その教養は称賛に値するぞ。

『化け物』のクセにやりおるでは無いか」

 

 そしてジロジロとその異形の目を動かして此方を見て来る。

 余りにも気持ち悪い。その目を潰したい衝動に駆られる。

 

「別に理解してる訳では……。そう言う概念もあるって知っているだけで。

 俺としては、お前のそれはハッキリ言って『無い』。

 後、ジロジロとこっちを見るな、本当に気持ち悪いから……」

 

 しかし此方の抗議など何処吹く風とばかりに鬼は丸っきり無視してくる。まあ、鬼なんて勝手なものだけども。

 そもそも『化け物』などと此方を罵りながらの発言である時点で、全く褒めている様には聞こえない。

 

「ふーむ、惜しい、実に惜しい。実に作品映えしそうであると言うのに。

 しかしあの方がお望みである以上、作品にする訳には……。

 だが、腕の一本や二本程度なら或いは……」

 

 ブツブツと、そんな怖気立つ程に気色悪い事を言われて、思わず鳥肌が立ったのではと錯覚する程にゾッとする。

 相変わらず謎の執着を鬼舞辻無惨から向けられていると言う事以上に、目の前の生理的に無理な存在からその様な不愉快な欲望を向けられていると言う事が、本当に耐え難い程に不愉快だった。

 今まで出逢って来た鬼の中で断トツに不愉快極まりない。上弦の弐に感じた嫌悪感も大概だったが、あれは理解出来ない思考回路故の不気味さだったので、目の前の鬼のそれに感じるものとは少し違う。

 

「作品、だと……?」

 

 正直最悪の想像しか出来ない。こんな気が狂った芸術家気取りの鬼が「芸術」だの「作品」だのと言っている時点で十中八九ろくな内容では無いだろう。

 エド・ゲインとかそう言う方向性のあれやそれやの気配しかしない。

 正直微塵も興味は無いし見たくはないのだが。

 しかし、嫌悪の感情であっても何かしら反応があった事に機嫌を良くしたのか。上弦の伍は嬉々として己が生えている壺の中からそれよりも大きな壺を取り出してくる。その壺は四次元ポケットか何かか? 

 

「ヒョヒョッ! 我が作品に興味があると見える! 

 よろしい、実によろしい! お前は美術への理解が多少なりともある様子。

 今宵此処で出逢ったのも何かの縁と言うもの。

 おお、そう言えばまだ名乗っていませんでしたな。私は『玉壺』と申す者……」

 

 別に名前など知りたくも無いし、そもそも「作品」とやらへの興味など微塵も無いので見せなくて良いからと首を全力で横に振っても、上弦の伍──玉壺は一向に意に介さない。

 時透くんも伊之助も、「何言ってんだこいつ」と言う感情を隠しもしない目で玉壺を見ているが、何せ相手は上弦の伍なので迂闊に此方から手を出す訳にもいかず、相手の手札が分からない段階では警戒しつつ様子を窺うしか出来ない。

 上弦の鬼たちは何れも規格外の力を持つ者たちばかりで、無為無策に問答無用に頸を狙っても状況が改善するとは限らないからだ。

 とは言え、不愉快なお喋りに付き合っていたい訳では無いのだけれども。

 だが、そんな何処か耐え難い不快さは在れども僅かにあった感情の余裕は、玉壺が見せて来たものによって完全に消え去った。

 

「では先ず此方をご覧頂こう。

『鍛人の断末魔』で御座います!!」

 

 そう嬉々として「作品」の名を呼びながら、玉壺が新たに取り出した壺から引き摺り出したのは。

 人の。それもこの里の者達である事を示すひょっとこの面を被った男たちの。

 その命の尊厳が凌辱されている、そんな凄惨な姿であった。

 

 彼等は確実にもう死んでいる。何をしても助からない。そこに在るのは命を喪った亡骸ではある。

 だが、だが……! 

 それでその亡骸を弄んで良い理由など一つも無い。

 合わせて五人にも上る男たちの死体は、胸から下の部分で無理矢理身体を繋ぎ合わせているかの様に互いの亡骸が混ぜられていて。そして、その身体には。彼等が大事に打ったのだろう刀がまるで戦利品を誇示するかの様に突き立てられている。

 恐らくわざと中途半端に壊されたひょっとこの面から覗くその顔は命を喪ったが故に虚ろで。

 しかし、この様な辱めを受けている事への絶望が其処に宿っている様な気すらする。

 出来の悪い悪趣味なホラー映画などでも早々見掛けない程に、それは余りにも醜悪で「悪趣味」の極みの様なものだった。

 それが作り物で作られているならまだしも、そうでは無いのだ。

 これを嬉々として「芸術」だと囀る鬼に対する、不快感を通り越した怒りと哀しみが胸の中を激しく満たした。

 

 時透くんも、伊之助も。絶句した様にその悪趣味なオブジェを見ている。

 それをどう勘違いしたのか、玉壺は嬉々としてその「作品」の解説を始めていた。

 刀鍛冶として積んで来た研鑽の証であるその手を醜いなどと罵り、そして自らが奪った命のそれを無情感と理不尽を押し出す為だと賛美し、極めつけは断末魔を再現出来る様に施した「細工」を披露して。

 己のそれに対して、自己陶酔しながら玉壺は語り続ける。

 

「おい、いい加減にしろよ、クソ野郎が」

「咬み殺してやる、塵が」

 

 時透くんも伊之助も、ほぼ同時に堪忍袋の緒が切れた。

 そして、時透くんが玉壺の頸を、伊之助が玉壺の身体が生えている壺を狙って攻撃を仕掛ける。

 しかし、その頸に僅かに時透くんの刃が掠ったのと、伊之助が壺を斬ったのとほぼ同時に。玉壺の姿は消えて少し離れた場所に現れていた壺から再びその姿を現す。

 どうやら、壺から壺へと瞬時に移動出来る様だ。

 一体何処から壺を出しているのか、元々設置していたのを隠していたのかは知らないけれど。

 成る程、厄介な事だ。しかし、それならそれでやり様はある。

 

「よくも斬りましたねぇ、私の壺を……芸術を!! 審美眼の無い猿めが!! 

 脳まで筋肉でできている様な貴様らには私の作品を理解する力は無いのだろう。それもまた良し!!」

 

 そう吼えた玉壺に、怒りと不快感以上に、軽蔑の感情が湧き起こる。

 

「審美眼の無い猿、ね。自分の感性が評価されないからって、当たり散らすのって、見苦しく無いか? 

 お前の感性で万人に受け入れられると本気で思っているなら、一回頭の中身を総取り換えした方が良いぞ? 

 俺たちに審美眼が無いんじゃなくて、お前の眼が腐っているだけだな。まあ、そんな変な位置に付いてる時点でお察しだが。

 口ばかり増やしてべらべらと舌の枚数を増やして。芸術家を気取るよりは弁論家を気取ってみた方がまだマシなんじゃないか?」

 

 挑発と言うよりは純粋に感じた事を言ったまでなのだが。

 しかしその言葉は玉壺の感情を逆撫でしたらしい。

 

「言わせておけばっ!! 『化け物』のクセに芸術を語るな!!」

 

 キレた様に、玉壺は己に纏わり付く無数の腕から壺を生み出して、再び大量の金魚を撒き散らす。

 視界を埋め尽くす程の金魚の数は、数千程度だろうか。まあ何とも大盤振る舞いな事だ。

 更にはあの気色の悪い魚の化け物も数体出してきた。

 

 金魚たちはまたあの針を大量に吹き出そうとする。この数で一気にあの針を打ち出されたら、逃げ場など無く忽ち針鼠も斯くやと言わんばかりの惨状になるだろう。

 だが、数を頼みにされても全く意味が無い。

 此処は森の中ではあるが、周囲に人影は無く、多少暴れても問題は無いのだから。

 

「──マハガルダイン!!」

 

 時透くんと伊之助を巻き込まない様に注意しつつ、轟々と吹き荒れた豪風が全てを薙ぎ倒し巻き上げ斬り刻み吹き飛ばす。この程度はペルソナを召喚するまでも無い。

 大量の金魚も、そして気持ち悪い魚の化け物も、すっかり跡形も無く消し飛んでいる。

 ついでに幾らかは森の木々を巻き込んでしまったが、そこに関しては致し方無い事だ。

 上空に巻き上げてしまった木々を、少し調整して投げつける様にして玉壺に向けて落とすがそれは全て回避されてしまった。まあ、上弦の鬼ともなればそれも仕方が無い事ではあるけれど。

 しかし、相手にすると壺から壺への瞬間移動がこの上無く厄介である。

 回数制限(と言うか移動する為の壺の数の限界)があるのか、それともその距離にどの程度の制約があるのか。

 全く分からないのであるし、どうにかしてその瞬間移動を封じなければ『メギドラオン』などで吹っ飛ばすと言う手段も取れないだろう。

 この山を丸ごと吹っ飛ばしたとしても、此処から遠く離れた場所に設置してあった壺に逃げられてしまえば手も足も出ない。

 負けはしないが完全に勝利するのが面倒な相手である。

 そして逃がしてしまった場合の被害を考えると逃がす訳にもいかない。

 完全に動きを止めるか拘束しなければならないのだが、何をどうしたら瞬間移動を封じられるのかはまだ未知数である。

『魔封じ』で止められるのなら良いのだが、そもそもその瞬間移動自体は血鬼術とはまた別の原理である可能性もあるだろう。

 壺の中からは完全には姿を見せない時点で、この不快極まりない気持ち悪い見た目のそれは、ある種の分身体であり本体はその壺を介してもっと別の場所にいる可能性も考えるべきだ。何と言うのか、チョウチンアンコウなどの疑似餌みたいな感じで。鬼って大概何でもアリなのだ。

 

「成る程成る程。これが童磨殿の言っていた……。

 確かに、直に見ると悍ましい程に凄まじいですな。

 半天狗殿の仰る通り、『化け物』より『禍津神』が相応しいと言うのも的を射ている……」

 

『童磨』も『半天狗』も、一体誰の事だろう。

 上弦の壱と弐か? 直接戦った相手の中でまだ生きてるのだろう上弦の鬼はその二体しか居ないが。

 

「『童磨』だか『半天狗』だかが誰なのかは知らないが。

 散々好き勝手言ってくれている様だな」

 

『化け物』でも大概酷い罵倒だと思うのだが、『禍津神』は流石に酷過ぎやしないだろうか。

 まあ確かに、ペルソナの中には紛う事無く「禍津神」と呼ぶべき存在も沢山居るのだけど。

 その筆頭である『マガツイザナギ』が、心の中で「世の中クソだな……」と悪態の様に呟いた様な気がした。

 だからってそんな風に呼ばれて楽しい気持ちにはならない。そうなる程には自分の性根は捻くれていないのだ。

 

「ヒョッ! 童磨殿は名乗っておられませんでしたか。

 上弦の弐、と呼べば分かりますかな?」

 

「あの価値観がおかしい教祖か……。

 じゃあ、あの六つ目の剣士だった上弦の壱が『半天狗』なのか?」

 

 上弦の壱と呼ぶべきか、或いは縁壱さんのお兄さんと呼ぶべきかは迷うが。何と無く、半天狗と言うのはあんまり合ってない気がする。

 まあ別に上弦の鬼たちの名前を知ろうが知らなかろうが、個人的にはそんな事どうでも良いのだけど。

 とは言え、それが何か重要な情報に繋がる可能性が無きにしも非ずなので、一応聞けるだけ情報は引き出す。

 すると、井戸端会議中の奥様方よりも口が軽いのか、ベラベラと玉壺は喋ってくれる。

 

「それは黒死牟殿ですな。半天狗殿は上弦の肆で御座います」

 

 上弦の肆……。今里を襲撃している上弦の片割れか。

 炭治郎たちが戦っている相手でもあり、時透くんも戦っていた分裂しまくる厄介な相手だ。

 ……と言うか、上弦の肆とは戦った事が無いのだが、直接の面識も無い相手からそんな風に罵倒されていたのか……。

 そもそも『化け物』呼ばわりしてくる鬼舞辻無惨とも面識は欠片も無いので今更な話なのかもしれないが。

 

「ふぅん、アイツそんな名前だったの。

 まあ、どっちにしろ斬るだけだしどうでも良いけど」

 

 名前なんかどうでも良いと時透くんは再び刀を構え、伊之助もそれに続く。が、時透くんの刀を見て、「おい」と声を掛ける。

 

「お前の刀、刃毀れが酷ぇんだから、さっさと自分のやつに変えてこい。

 そこを行った先の所にカナモチが居るからよ。お前の刀を守ってんだ、行ってやれよ」

 

 カナモチ……鉄穴森さんの事か。

 そう言えば伊之助は鋼鐵塚さんの所に行っているのだから、此処で伊之助が戦っていると言う事はこの近くに鋼鐵塚さんの作業場があるのだろう。

 自分の為の刀では無い事もあり更には鍛錬の際にそこそこ酷使してしまっていたので、時透くんが振るうその刀はかなり刃毀れが進んでいた。

 弱い鬼相手ならそれでも遅れを取る事は無いだろうが、上弦の鬼を相手取るとなれば万全の状態であるべきなのは確かである。

 伊之助が指さした方向を見て、時透くんは「そう……」と呟く。

 

「アイツの腕はすっげーぞ! 俺の刀もこうして大事な切れ味が戻って来た位だしな! 

 お前の刀、すっごい大切に作ってたんだ。使ってやれよ。

 この場は、この伊之助様と俺の子分であるカミナリが持っててやるからよ」

 

 フンフンっ! と己の刀を時透くんに見せびらかすが、そもそも伊之助の手によって凄まじい刃毀れがある刃なので、時透くんの表情は「?」と疑問符だらけであったが。まあその心意気は伝わったのだろう。

 分かったと小さく頷いて、時透くんはこの場から駆け出した。

 

 その作業場がこの場と何れ程離れた場所に在るのかは分からない事もあり、万が一の事を考えると鋼鐵塚さんたちにも避難して欲しくはあるが、しかし下手に避難するのもそれはそれで巻き込まれかねないので危険だろう。

 まあ何にせよ、玉壺をこの場に留める事に専念すべきではあるけれど。

 

「ヒョヒョヒョッ! 何やら無駄な足掻きを……。

 まあ所詮は羽虫の足掻き、意味の無い事。

 ですが! そこで油断しないのが芸術家!」

 

 そう言いながら、玉壺はまた大量に取り出した壺からあの魚の化け物たちを大量に撒き散らす。

 しかも、地面からも壺はボコボコボコボコと生えて来て、魚の化け物たちを形取っていく。

 それは宛ら、魚の化け物だけで構成された百鬼夜行の様でもある。

 ペルソナの力でまとめて吹っ飛ばす事は可能だが、炭治郎たちの救援にも向かわねばならない事や、そしてまだ玉壺は本気を出していない事も伝わるので迂闊に力を使ってガス欠になる訳にもいかない。

 その為、此処は可能な限りは刀で切り抜けていきたい所だ。

 時透くんを追おうとする魚の化け物の群れを捌きつつ、二人で玉壺の頸を狙おうと、十握剣を構えて傍らに立つ伊之助に声を掛ける。

 

「行けるか? 伊之助親分」

 

 そう訊ねると。「おうよ!」と威勢良く伊之助はその日輪刀を掲げた。

 

「今の伊之助様は最強だからな!!

 こんな糞雑魚ども、百匹湧こうが千匹湧こうが敵じゃねぇ!! 

 あのキッショイ百足野郎をぶちのめしてやる! 

 行くぞカミナリ! 俺に付いて来い!!」

 

 

「猪突猛進!!」と叫んで勢い良く突撃していく伊之助と共に、玉壺と魚の化け物たち相手の乱戦に突入した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
余りにも玉壺の存在が生理的に無理。本当に無理。見た目もその性根も感性も、その尽くが無理を極めている。
特捜隊の仲間に見せたとしても、間違いなく「無理」って言う。
教養云々の話をすれば、芸術方面にそこまで興味は無いものの、現代(平成末)の基準でも知識が限界突破しているので、美術を含めた教養的には玉壺よりも高い位である。
まあ何にせよ玉壺のそれは無理が過ぎるが……。


【嘴平伊之助】
研いで貰ったばかりの日輪刀を携えて、魚の化け物たち相手に暴れまくっていた。
そんな中で玉壺に遭遇するが、余りの気色の悪さに絶叫。
山育ちの野生児であるものの、伊之助の感性はかなりマトモである。


【時透無一郎】
吹っ飛ばされていた所を悠にキャッチして貰う。キャッチされてなくても柱の身体能力によって無事ではあった。
里を襲撃していた化け物たちが悠によって既に一掃されているので、焦燥感はそこまで高くない。
鎹鴉の銀子は、吹っ飛ばされた際に時透くんを見失った為にかなり焦った模様。


【玉壺】
上弦の鬼特有の舐めプをしまくっている模様。
ちょこまか回避する伊之助を甚振ってやろうとしていたら、悠と無一郎に合流された。
とは言え無惨汁ボーナスによって一つ一つの技の規模が物凄い事になっている。
単独で相対していた場合、痣あり無一郎でも相当に厳しい程。
三人全員からマジレスで「気色悪い」と言われたが堪える事は無い。しかし沸点は高くないので煽られれば直ぐに乗る。


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『矮小なる虚像』

【前回の話】
『跳梁跋扈』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 時透君が吹き飛ばされてしまった為、俺と玄弥と禰豆子で分裂した鬼三体を相手しなければならない。

 本当は善逸を追って行った翼の生えた鬼も追いたい所ではあるが、ただでさえ連携して襲ってくる鬼三体を相手にしていては善逸を助けに行く余裕は無い。これ以上善逸の方に行かせない様にするので手一杯であった。

 時透君が戻って来るのを待つか、或いは鉄地河原さんの所へ行った悠さんが事態を把握して救援しに来てくれるのを待つか、そうでもしなければどうにも出来そうに無い。

 そもそも、『本体』で無い以上はこの鬼たちを幾ら相手にした所で意味が無いのだ。

 頸は柔らかく容易く斬り落とせても、倒せないどころか益々分裂してしまうだけで。

 そんな事をすれば状況は悪化の一途を辿るだけである。

 完全に離断しなければ一応分裂させずに済む様ではあるが、俺たちが斬るまでも無く鬼たちが勝手に自分たちを攻撃して分裂してしまう。

 どうにか動きを止めたくても刀である以上はどうしても斬ってしまいそうで、刺突だけで対応しようにもやはり限界があるのだ。ならば玄弥と禰豆子が頼みの綱ではあるけれど。

 玄弥の銃の弾丸は無限では無いし、禰豆子だってこうして戦っている間にもゆっくりと限界は近付いている。

 血鬼術を使ってしまえば、その限界は更に近付く事になるだろう。

 そして寝落ちして完全に無防備になってしまった禰豆子をこの鬼たちから庇い切る事はほぼ不可能である。

 更に、『本体』を見付け出さない限り、この鬼たちに限界は無い。

 言うなれば、水面に映った月をひたすらに斬っている様なものと同じだからだ。

 この鬼たちが『本体』の血鬼術の産物である以上は、ひたすら消耗させ続ければ『本体』の方にも何らかの影響は出るかもしれないが、それを狙う前に間違いなく此方が力尽きる。

 上弦の鬼ともなれば、その体力も無尽蔵と言っても良いだろう。

 少なくとも俺たちだけで夜明けまでに削り切れる様なものでは無い。

 

 常に近くで見守っていて今の状況も把握しているだろう天王寺さんたち鎹鴉が既に救援を呼びに行ってくれているとは思うが、しかしそもそも今の状況を正しく把握し切れていない。

 上弦の鬼がこうして里を襲撃してきたのは里の位置が把握されてしまったからだろうけれど。なら、その目的は俺たちの様な隊士を始末する事では無く、もっと別にあるだろう。

 鬼殺に必要不可欠な日輪刀を生み出す此処は、ある意味で鬼殺隊の中心であるのだから。

 この襲撃は、俺たちでは無く里の刀鍛冶の人たちが目的だと考えるべきである。

 それなのに、一々こんな所で隊士を相手にするだろうか。

 柱である時透君ならまだしも、俺たちはあくまでも一般隊士である。鬼を連れているのは確かに特異的ではあろうけれど。

 なら、最悪の場合、此処だけでは無く里全体が襲撃されているのではないだろうか。

 或いは、既に襲撃が最終段階に入った為、俺たちの様な隊士も含めて皆殺しにしようとしているのか。

 上弦の陸の強さと力を考えると、この里の人々を皆殺しにする事など、上弦の鬼にとっては如何程の事でも無いだろう。

 此処は里の中心からは外れているが故に、里の中心の方で何かが起きていても把握出来ていない可能性がある。

 最悪、自分たち以外の里に居る人々は既に全滅している可能性も……。

 

 しかしそこまで考えて、それは有り得ないなと否定する。

 何故なら、悠さんが居るからだ。

 それこそ鬼舞辻無惨自身が襲撃しに来ていたとしても悠さんなら倒せるかどうかはともかく死なないと思うし、何よりそんな事態になっていたら悠さんが直ぐに此処に帰って来ていない訳が無い。

 それに、そんな大規模な襲撃が既に起きていたなら、流石に鎹鴉たちが知らせてくれる。

 なら、里が既に全滅していると言う最悪の状況はまだ訪れていないと思っても良いだろう。

 

 だが、悠さんたちが此方に救援に来れない状況にある可能性は大いにある。

 今夜、この里を襲撃してきた鬼が、俺たちが相手にしている上弦の肆以外にも居る場合。そしてその鬼が里の人たちを襲っている場合。

 悠さんなら、恐らくそちらに対処する方を優先するだろうから。

 しかし、今の詳しい状況を把握出来ていない事には変わらない。

 こうも戦闘が激しいと、鎹鴉たちが見守っていてくれたとしても情報を伝えに来てくれる事も難しいだろう。

 何にせよ、今の俺たちに出来るのは此処でこの鬼たちの足止めをする事である。

 

 今相手にしている三体の鬼には、その眼に刻まれている『上弦』・『肆』の他に、其々舌に文字が刻まれているのが確認出来た。

 錫杖を持ち電撃を操る鬼が『怒』、団扇を持ち風を操る鬼が『楽』、十文字槍を持って槍術で戦う鬼が『哀』。

 思えば其々の鬼の言動も、その舌に刻まれた文字に準じたものである。

「怒」・「哀」・「楽」とくれば、あの翼を持つ鬼に刻まれていたのは「喜」だったのだろうか? 

 確認は出来なかったが、そうである可能性は高いのだろう。

 喜怒哀楽に準えて分裂しているのであれば、その分裂の限界はこの四体で打ち止めだろうか。

 実際まだ分裂する先があるなら恐らくこの鬼たちは互いを引き千切ってでも分裂するだろうけれど、その気配は無い。

 とは言え、それを確かめる為に試しに胴や頸を斬ってみると言うのもこの状況だと少し憚られる。

 

 どうにかこの状況を突破出来ないものかと、鬼たちをよく観察する。

 その動きの癖、間合いの取り方、僅かな隙。

 それらを一つ残らず見付けてはつぶさに観察する。

 この三体(正確には四体だが)の最も厄介な所は、連携能力だ。

 元は同じ身体であるからなのか、最も厄介な電撃の攻撃は其々の身体には効かない様で。

「積怒」と呼ばれた鬼が操るそれをものともせずに襲い掛かって来る。

 しかし「可楽」と呼ばれたその鬼は、その風を操る際には他の鬼たちを巻き込まない位置でその団扇で風を起こしてくるので、恐らくあの風は多少なりとも他の鬼たちにも有効であるのだろう。

『哀』の鬼の十文字槍は特殊な効果などは無さそうではあるが純粋に鋭く速いので厄介である。

 鬼たちの電撃や風は、それぞれの道具を介してのみ発生している。

 電撃なら、その錫杖を打ち付ける事で。風なら、その団扇を振る事で。

 少なくとも悠さんの様にその身一つで電撃や風を操っている訳では無いらしい。

 なら、その道具を奪う事が出来れば。それを無力化させる事は出来るのだろうか。

 更に言えば、奪ったそれを此方も使う事が出来るのなら、形勢を逆転させる好機にもなる。

 電撃は他の鬼には効かないので、狙うなら可楽の団扇だ。

 

「玄弥! 禰豆子!」

 

 鬼たちの武器をその腕ごと狙おう、と軽く身振りで指示を出す。

 玄弥も同じ事を考えていたのか直ぐ様頷き、そして禰豆子も何と無くは理解したのか頷いてくれる。

 激しく迸る電撃を掻い潜って。鋭い刺突で攻撃して来た『哀』の鬼のその槍を、禰豆子が抑え込む様に握る。

『哀』の鬼の身体を、「積怒」の電撃と「可楽」の風との盾にするかの様な位置で抑え込んだ為に、ほんの僅かではあるが危険な攻撃を避ける事が出来ている。

 とは言え、普通に殴り合うだけでも脅威であるので、その隙は本当に僅かなものであるが。

 しかし、その隙を少しでも維持する為に、玄弥はその銃で圧をかける。

 少しでも動けば、その身体に弾をぶち込んでやると言うその気迫に、身動きを拘束されるのはあまり歓迎出来ないからか、鬼たちも多少はその追撃の手を緩める。

 

「腹立たしい、腹立たしいぞ! その様な小細工を弄する様、実に腹立たしい! 

 哀絶!! 人も喰っておらぬ鬼の娘程度、さっさと串刺しにして捨ててしまえ!」

 

「そう喚くな。哀しくなるだろう」

 

 積怒の叱責に『哀』の鬼……「哀絶」はそう答え、槍を握るその手に力を籠めた。

 力比べになったそれを、禰豆子は何とか抑え込もうとするが、元々の膂力に凄まじい差があるのか、ジリジリと禰豆子の身体は押されていく。

 禰豆子は鬼として全力を出している事を示しているかの様に、その額には角が生え、そしてその四肢にはまるで紋様の様に蔦の様な痣に似たものが浮かび上がっている。

 それでも、抑えきれない。禰豆子一人では。だけれども。

 

「禰豆子はやらせない!」

 

 哀絶が構える槍を、その構えた手の少し上の辺りで俺が断ち切る。

 急に抵抗が消えて僅かに踏鞴を踏んだそこに、短くなった槍を握り締めた禰豆子が、一気に畳を踏み込んで哀絶の身体に体当たりする様にその槍先を腹の辺りに貫通させる勢いで押し込んで。

 そのまま一番分厚い壁に縫い付ける様にして刺し通す。

 それに抵抗する様に断ち切られた槍を再生させながら禰豆子を床へと刺し止めようとしたその腕を、武器を握らせたまますかさず断ち切って。

 哀絶を援護しようとして禰豆子に向かって錫杖を叩き付けようとした積怒の身体が、玄弥が放った弾丸によって僅かに動きを止めた所を。断ち切った哀絶の腕ごとその槍を投げつける様に投擲して、その頭部に槍を貫通させる。相当深く貫通しているので、幾ら再生能力が高い鬼でも中々抜く事は出来ないだろうし、その分時間を稼げる筈だ。

 そして、二体の鬼の身体を盾にされたが故に風で薙ぎ払う事が出来ずにいた可楽へと玄弥と共に斬り掛かって。

 繰り出された蹴りを玄弥が回避した所で、ほんの僅かな隙にその団扇を握っている右手を前腕の中程から斬り落として、その腕をすかさず握り締めて、それごと団扇を可楽目掛けて振るった。

 途端に吹き荒れた烈風が、自身が暴れ回って破壊して開けた壁の穴から可楽を吹き飛ばしていく。

 どうやら、鬼自身が振るった訳では無くても風を巻き起こす事は可能な様だ。

 しかし、鬼から離れたからなのか或いはあの鬼が新たに団扇を作り出そうとしているからなのか、手に持った腕の中の団扇はボロボロと端から次第に崩れ落ちつつあり、後一、二回しか使えないだろう。

 ならどうするのかは決まっている。

 

「禰豆子! 玄弥!! 避けろ!!」

 

 今度は未だ己の頭部に刺さった槍を抜こうと四苦八苦している積怒に向けて、団扇を打ち上げる様な形で下から上に斜め上の動きで全力で振るう。

 団扇を振るう向きや勢いでその風を操れる様だ。

 縦に振れば、吹き飛ばす力の強いやや直線的な突風に、横に振れば全てを薙ぎ払っていく烈風に、恐らく上から打ち下ろせば空から叩き付けられる風の拳の様に。

 そして、下から打ち上げる様に振るったそれは、目論見通りに、積怒の身体を浮き上がらせて吹き飛ばす突風になった。

 踏ん張ろうにも足元から攫って行く突風には幾ら鬼でも耐えられなかった様で、積怒は可楽とは別の方向へと吹き飛んで行く。

 だが、それと引き換えに団扇は完全に崩れて消えた。

 鬼二体を一時的に排除し、そして哀絶を壁に縫い留めたとは言え、本当に一時凌ぎにしかならない。

 風で斬り刻まれて跡形も無く消し飛んだ訳でも何でもないので、鬼の身体能力を考えるとそう時を置かずしてここに戻ってきてしまう。

 だからこそ今のこの僅かな時間の中で、次にどうするのかを考えなくてはならない。

 斬った腕が新たな分裂体にはならないのを見るに、強力な能力と個性を持った分裂体は「喜怒哀楽」の四体が限界なのか、或いは分裂するにしても四肢の様な末端では無く頸と胴の様な体幹部を斬り落とされねばならないのか。

 何にせよ、腕を斬る程度なら問題無い事が分かったのは幸いである。

 

 それにしても、分裂体の鬼たちの身体が柔らかくて助かった。

 もしこれが上弦の鬼本来の硬さの肉体だったなら、幾ら呼吸を使って本気で斬り掛かっているとは言え、あっさりと腕を落としたりする事は出来なかっただろうから。

 頸を斬られる前提でそこが柔らかいからこそ、こうして今の俺たちでもその身体をあっさりと斬る事が出来るのだ。

 ある意味、上弦の肆にとっては思いもよらぬ弱点なのでは無いだろうか。

 頸を斬る事に固執していれば何時まで経っても終わりが見えないが、逆にその仕組みを看破して頸以外を狙われてしまえば途端に脆くなる。

 まあ、連携能力が非常に厄介なので、一対多で襲われればやはりどうしようも無いだろうけれども。

 

「とにかく、あいつ等が戻って来る前に、善逸の所へ行こう。

 善逸を追って行った四体目の鬼の事も気掛かりだ」

 

 空を自在に飛べる相手は厄介だ。

 人は空を飛べる様には出来ていないから、どうしたって対処法が限定される。

 霹靂一閃を何度も連続して使用して空中の敵をも斬る手段を持つ善逸ですら、やはり空中戦は得手である訳では無い。決して鬼の肉体が堅牢では無いのだとしても、そもそも一太刀入れる事も難しいし、何より斬っても無駄な相手に対して出来る事は少ないのだ。

 誰よりも素早く回避が上手い善逸ならあの鬼を相手にしていても死にはしないと思うが、逆にそれに手一杯になって『本体』を見失う事はあるだろう。

 なら今は善逸の援護を優先しなくては。

 

 三人で頷き合って、そして壁に空いた穴から身を躍らせて地面に降りる。

 鬼が豪快に風を巻き起こしていたからか付近に漂っていた強い硫黄の匂いも幾分か薄れ、善逸の匂いを追い掛ける程度なら出来そうだ。

 

「こっちだ」

 

 二人を先導する様に、俺は匂いの先を目指して走り出した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 突然上弦の肆なんかに奇襲されて、正直怖くて仕方無かった。

 上弦の陸と戦ってしかもその数日後に上弦の壱に遭遇してからそう時間が経ってないのに、何でこんなに次から次に上弦の鬼に遭遇するの? もしかして今年は厄年? どっかにお祓いに行った方が良い? って真剣に考えたくらい。

 でも、あの鬼は色々とおかしかった。

 老人の様な見た目ややたら怯えた様な悲鳴も変ではあるけれど、鬼なんて千差万別なんだからそう言う者も居るのは有り得なくは無いのだとしても。

 でも、上弦の鬼……しかも上弦の肆なんて存在の頸が、咄嗟に放った霹靂一閃で斬れてしまうなんて有り得ない事なのだ。

 そんなに直ぐに上弦の頸が斬れるなら誰も苦労なんてしない。

 上弦の肆より強い鬼であるとは言え、あの煉獄さんですら上弦の参の頸を刃こそ突き立てる事は出来ても結局落とす事は出来なかったのだ。

 それを考えると、これは余りにもおかしい事であった。

 霹靂一閃は単純な膂力の上に速度も乗せて斬るから、かなり硬い頸でも刃を通す事は出来るけど。

 じゃあ、あの煉獄さんですら落とし切れなかったものを今の自分が落とせるのかと言うと、それは無理だ。

 悠さんが力を貸してくれたら出来るかもしれないけど。自力では不可能だと言う事位は分かる。

 そしてその違和感は、相手の鬼が分裂して異なる姿の鬼になって増えた事で確信めいたものになる。

 しかも、頸を斬った後と前で音が変わったのだ。それは明らかにおかしい事だった。

 例え特殊な方法で頸を斬らなければ殺せない鬼なのだとしても、その鬼である以上は音は変わらない筈なのだ。

 でも、分裂した後の鬼の音は……何と言うのか、単純な感情の音になっていた。

 ずっとあらゆる物事への意味の無い怒りに満たされた音、何が楽しいのかも分からないのに楽しいって感情だけがずっとグルグルしている音。

 そんな変な音が、鬼の悍ましい音と一緒に聞こえるのだ。気持ち悪いなんてものじゃなかった。

 

 今戦っている鬼たちが『本体』ではない可能性を炭治郎が指摘すると、鬼たちがより一層激しく攻撃しだした。それまでは何処か余裕に溢れ此方を舐めている様な感じだったのに。

 これでは正に語るに落ちると言うやつなんじゃないかと思う。あまり頭が良い訳では無い鬼なのだろうか。

 炭治郎の鼻は里中に広がっている温泉の強い硫黄の匂いによってあまり本調子では無いからか、『本体』の捜索は俺に託された。

 上弦の肆の本体なんて、絶対ヤバイやつじゃん! ってちょっと泣きそうだったけど、でもそうしないとこのままじゃ埒が明かない事も分かるので、玄弥が作ってくれた隙にその場を離脱した。

 皆が、ここで鬼たちを食い止めてくれる事を信じて。そして少しでも早く皆の為に『本体』を探し出す為に。

 

 鬼の『本体』らしき音を探す為に全力で耳を澄ませて付近を走り回っていると、里の中心の方が何やら騒がしい事に気付いた。

 もしかして鬼の『本体』が里の中心部分を襲っているのだろうかと一瞬焦ったけれど、でも強い鬼の音は全然聞こえて来ないし、悲鳴とかはあんまり聞こえて来なくて。聞こえてくるのは寧ろ、困惑の声と……何だろう……思い思いに『神様』に感謝している声が聞こえて来た。

 正直状況はよく分からないけど、多分緊急性は無いのだろうと考えて、上弦の肆の『本体』を探す事に再度神経を尖らすと。それらしき音を一瞬耳が拾った。

 

 でも、何だか変だ。だって、上弦の肆なのに。明らかに人を沢山沢山喰ってきた鬼の音がしているのに。

 その鬼が立てている音は、「恐怖」だとか「怯え」だとか。とにかく、上弦の鬼から聞こえてくる様なものとは到底思えない音であったのだ。

 

 どうしても記憶に無い上弦の陸との戦いの事を後から炭治郎に話して貰った事があって。その話の中では、悠さんにこてんぱんに叩きのめされていた上弦の陸の妹鬼の方は、悠さんに対して物凄く怯えていたらしいのだけれども。

 じゃあその時みたいに悠さんが上弦の肆の『本体』を叩きのめしているのかと言うと、その鬼の音が聞こえて来た方向からは悠さんの音がしないから多分違うと思う。

 よく分からない、どう言う事? と困惑しつつも、その鬼の音を辿って行こうとしたその時。

 物凄く巨大な鳥が飛んでいるかの様な羽ばたく音が聞こえて、それが真っ直ぐに自分に向かって突っ込んで来るのが分かった。

 咄嗟に横に大きく飛んで避けると、自分が居た辺りの地面が一瞬で深く切り裂かれるのが見えてしまって内心泣きそうになる。

 

「カカカっ、久方振りに分かれたかと思えば、中々骨のある者を狩れるとはのう。

 今のを避けおるとは中々やるのう。これは実に喜ばしいぞ」

 

『喜』の文字が刻まれた舌を見せ付ける様に出しながら、あの鬼たちから更に分かれたのだろう新たな鬼が俺を狙っていた。

 背から翼が生え、その手足は鋭い爪を備えた猛禽のそれの様で。

 もう見るからに強そうな鬼で嫌になってしまう。

 こんな状況じゃ無ければ泣いて逃げ出したくなる位だ。

 

「いいいぃぃやぁぁぁっ!! もう何!? 何なのもう!! 

 バッサバッサ見せびらかす様に飛んじゃってさ! 相変わらず音は気持ち悪いし!! 

 炭治郎たちはこれ以上分裂させない様にしてる筈なのに、何で分かれて来ているのさ、もおおぉぉぉ!!」

 

 取り敢えず感情のままに叫ぶけど、でも此処で逃げる訳にはいかない。

 とは言え、この鬼も『本体』では無いだろう。なら相手をし続けてもキリが無い。

 

「カカカっ、随分と騒がしい小僧じゃ。

 さぞ悲鳴も盛大に上げるのだろうなあ。

 歓喜の血飛沫と共に、その悲鳴をよく聞かせてほしいのう」

 

 そう言って、鬼はガバリと音がしそうな程にその口を大きく開けた。

 とにかく嫌な予感がして、その真正面から距離を取る様にして横に逃げるけれど。

 

 ギュイイイイィィィィィッ!!!! と、まるで無理矢理大気を無茶苦茶に掻き鳴らしているかの様な音は、ただでさえ耳が良い上に『本体』を探す為に集中していた俺にとってはもう最悪の一言で。

 思わず耳を押さえてしまった。脳がグワングワン揺れている気すらする。

 キツイ一撃だが、多分正面から直撃しなかっただけマシなのだろう。

 こんなの真正面から喰らっていれば、一撃で昏倒していたかもしれない。

 

「ほう、音は苦手か。それは実に喜ばしい! 

 その耳、使い物にならなくしてやろう」

 

 再び口を開いたそれを、もう一度回避する。

 今度は霹靂一閃の踏み込みを使って、出来るだけ遠くへ。

 それでも、先程よりはマシとは言え、その攻撃の影響はかなりのものになった。

 こんなのを何度も喰らっていたら間違いなく耳がイカれてしまう。

 そんなのは駄目だ。せめて耳が駄目になるのだとしても、『本体』を見付けてからでないと。

 口から発しているのだから、あの口を斬り裂けば多少はマシなのだろうか。

 でもそれで更に分裂させてしまったら余計に手に負えなくなってしまう。

 

「鬼狩どもが這い蹲って逃げ惑う姿は何時見ても喜ばしいものじゃ。

 そうやって動けなくなった所を丁寧に、この金剛石をも砕く爪で引き裂き歓喜の血飛沫に塗れる時が最も喜ばしい!」

 

 悪趣味な事を言いながら、鬼は悠々と空を飛んで口を開ける。

 このままでは、『本体』を探すどころでは無い。

『本体』らしき音は聞こえているのに、こうも何度も妨害されていては段々捉え辛くなってしまう。

 かと言って黙らせようにも空を飛んでいるこの鬼に対抗する術は中々存在しない。

 強いて言えば、地上に接近して攻撃して来た所をすかさず迎え撃つ位だろうけれど。

 しかし、この爆音で俺を甚振る喜びに目覚めている鬼が、一々接近して来る事は無いだろう。

 段々後が無くなっていく状況に焦りが募る。

 

 再びあの不快極まりない爆音で攻撃されるのか、と。少しでも被害を抑える為に全力で距離を取ろうとしたその時。

 

 

「何やってんだこのカス!」

 

 

 ── 雷の呼吸 肆ノ型 遠雷!! 

 

 罵声の様な言葉と共に、口を開こうとしていた鬼の頸が落ちた。

 その一瞬で遠方から斬り込むその鮮やかな一撃は。

 

「獪岳!? っ! 駄目だ、その鬼は本体じゃない!! 

 頸を斬っても意味が無い、分裂する!!」

 

 一体どうして此処に、と言う疑問と。

 鬼の音に全神経を集中させていた為とは言えその接近に自分が気付いていなかった事への驚きと。

 そして、どうして自分を助ける様な真似を、と言う……。何かを期待してしまう様な、心のうねりと。

 様々な思考がぶつかり合って混乱しかけたが、直ぐ様にこの鬼の特殊性を、あの場に居た訳では無い獪岳が理解出来ていない事に気付き、警告する。

 

 だが既に遅く、斬り落とされたその頸と胴から新たな鬼が……現れなかった。

 落とされた首を拾い上げた鬼の胴体は、それを再びくっつけ直す。

 先程までは確実に分裂していた状況なのに。

 そうか、そうなのか……。

 

「確かに首を落としても倒せないみたいだが、分裂なんかする気配も無えよ。

 とうとう頭ん中までカスになったのか?」

 

 何言ってんだお前、と言う獪岳の視線には構わずに。

 その事実を理解して、突破口が現れていた事に気付く。

 

「分裂するのも限界があるんだな? 三体か? それとも四体か? 

 その先は、斬られても死なないとしても、それ以上意味がある分裂にはならないんだな?」

 

 確かに、頸を落としても殺せないのは間違いなく脅威ではあるけれど。

 攻撃自体が相手を強くするのと、攻撃しても殺し切れないのとでは全く違う、雲泥の差だ。

 

「この鬼は本体じゃない。首を斬っても死なない。

 でも、この近くの何処かにはこの鬼の『本体』が居るんだ。

 何処かに隠れてる。ガタガタ怯えながらな。

 だから、それは俺が必ず探し出すから。

 アンタはこの鬼の相手をしててくれ」

 

「ハア? それが人に物を頼む態度か? 

 さっきも俺に助けられたクセに、何を偉そうに一丁前に口聞いてんだ。

 大体、この辺りの何処かに上弦の鬼の本体が居るって言うなら、俺が探し出して斬っても問題無いだろ。

 上弦の鬼の頸を直接斬る機会なんざ、誰が譲ってやるか。

 お前に斬れる頸なら、俺にだって斬れんだよ」

 

 そう口元を歪めて獪岳は言うが。その胸から感じる音は、何時ものそれよりは少し柔らかい。

 家も何もかも吹き飛ばす大嵐が、木々を押し倒す嵐に変わった位の差ではあるけれど。

 ……態度自体が大きく変わった訳では無いけれど、獪岳も全く変わっていない訳では無いのだ。

 だからきっと。

 

「確かに、獪岳ならその鬼の頸を斬れるかもしれないよ。

 でも、隠れている鬼を探し出せるのか? 

 言っておくけど、俺がこの耳に全力で集中して見付けるのがやっとって位に巧妙に隠れてる相手だぞ」

 

 じいちゃんの所で一緒に暮らしていた時間もそれなり以上にあるから、獪岳は俺の耳の良さが何れ程のものなのかはよく知っている。

 そして、その耳を以てしても全力で集中しなければ探し出せないと言う事が、どう言う事なのかも。

 

「あーーーーっ! クッソ! 

 仕方ねえ、カスを助けるつもりは欠片もねぇけど、こう言う形でも、上弦の鬼の討伐の補助って条件には当てはまるんだろ! 

 鬱陶しい監視を解く為にも、やってやる!」

 

 お前の為でも何でも無いからな! と、そう吐き捨てて。

 獪岳はその刀を構えて、翼の生えた鬼に対峙する。

 

 口では鬱陶しいだとかそんな事を言うけれど、悠さんたちと過ごしていた時間を獪岳が嫌ってはいない事は知っている。

 相変わらず俺の事は好きじゃ無いけど、多分悠さんには恩と言うのか……多少なりとも感謝の気持ちを懐いている事も、俺は知っている。

 だから、今耳に届く、ほんの少しばかりの照れ隠しの様な音は、紛れも無く獪岳が変わって来た証なのだ。

 

「そこのカスとの格の違いってやつを見せてやるよ。

 頸を落としても死なないんだとしても、四肢を落としてその鬱陶しい翼を斬り続ければ多少は堪えるんだろ? 

 だから、さっさと『本体』ってやつを見付けてその頸を斬って来い、カス」

 

 上弦の陸の妹鬼を相手に延々とその身体を斬り刻んでいたと、悠さんが上弦の陸との戦いを振り返って淡々と語った時にはドン引きした顔をしていたクセに。

 それはもう、悪人面とでも言いたくなる凶悪な笑みを浮かべて獪岳は鬼を挑発する様にそう宣う。

 でも、その心の奥では上弦の鬼を相手にするが故の不安に少しばかり揺れている事も俺には分かる。

 その啖呵も、己を鼓舞する為のものなのだろう。

 

「獪岳、此処は任せた」

 

 その言葉に獪岳が頷いたのかどうかは確認せずに、俺は『本体』の微かな音を頼りにそれを探して森の中を駆ける。

 段々近付いて行ってるのは音が教えてくれるのに、中々その姿は見えてこない。

 余程巧妙に隠れているのか? 

 しかし、音をよくよく辿ると、その音はどうにも低い位置から聞こえている。

 この茂みの何処かにかがんで身を潜めているのだろうか? 

 上弦の肆ともあろう鬼が、自分以上に臆病なのは何だか物凄く変な気分だ。

 でも、怯えて隠れながら、分身たちに敵を始末させると言うそのやり方は、卑怯と言うか物凄く不愉快である。

 

「何処だ……何処にいる……」

 

 集中しながら、最も音が聞こえてくる様に感じる茂みを掻き分けて。

 そして、余りにも予想外のその姿に、思わず絶句した。

 

 

「……はっ?」

 

 

 ちっさ!!!! と、そんな声すら喉から出る事を忘れてしまう程に。

 本当に信じられない程に。

 自分の掌でも軽く捻り潰せてしまえそうな程に。

 

 上弦の肆の、その『本体』は。

 矮小と言う言葉ですら表現し切れない程に、余りにも小さく。

 茂みの葉で己の身を隠す様にして、そこに潜んでいたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
早い段階で「半天狗」のクソみたいな仕組みに気付けたのと、回避力によって大きな負傷は避けられている為、比較的まだ余裕はある。
戦闘時の閃き力は元々かなりのものであり、元々あった素質が無一郎や悠との鍛錬と死に覚えゲー特訓でかなり磨かれている。
尚余談ながら投擲に関しては凄まじい才能を発揮し、折れた日輪刀でも鬼の頭部などを投擲で貫通させる事が出来る。それで頸を落とす事は出来ないが、回復阻害や足止め目的では物凄く有効。


【竈門禰豆子】
鬼なので多少の負傷は強引に突破出来るものの、余りに消耗が激しくなると力尽きる恐れもある。
今この場に居るのは全員禰豆子にとっては大事な人たちなので、消耗が限界に達しても食人衝動よりも睡眠欲求の方が勝つ。


【不死川玄弥】
今は辛うじて掠り傷程度で留まっているがそろそろきつくなってきた。
反復動作によって身体能力を補っているがやはり限界はある。
仲間たちの動きと敵の動きの全体を把握して、今自分が何をすべきかを理解する事に長けている。単純な素の力ではどうしても他の隊士たちには敵わないが故に頑張って身に着けた。


【我妻善逸】
結果として獪岳が助けてくれた事に物凄く驚く。
神速の居合いと言う霹靂一閃の性質上、半天狗本体の様な異常に小さい鬼の頸を斬るのは向いていない。
打点が低過ぎる上に頸が指一本分の太さしか無く小さ過ぎる、そして尋常じゃ無く硬い。どうしろと。
練習中の漆ノ型でもやっぱり向いていない。
そもそも地面を逃げ回る半天狗本体の頸を斬る事に適した呼吸や型は殆ど無い。
異様に身体の柔らかい伊之助や、斬撃の範囲が非常に広い蜜璃なら比較的楽。


【獪岳】
悠に自分の努力を認められた後、どうにも気持ちが収まらなくて日輪刀を持ったまま宿を飛び出して頭を冷やそうと山中を走っていた。
その為半天狗の宿への襲撃には気付かず。
霹靂一閃による攻撃特化型の善逸と比べるとやや防御も得意。だが雷の呼吸自体が防御よりも先手必勝的な攻撃に偏重した型なので、完全に防御特化の岩の呼吸などのそれに比べると押し負けてしまう事も多い。足を重視するが故の回避力は凄い。


【半天狗】
割とまともに戦おうとすると本当にクソみたいな鬼。
ギミックに気付け無いとほぼ詰むと言うクソ仕様。
ただわざと斬らせる前提である以上、上弦の鬼としては破格な程に分身たちの頸や身体は柔らかい。ただ、憎珀天になると途端に硬くなるので油断するとやはり危険。
無惨汁ボーナスによって全体的に強化はされているが、本体こと「怯」の鬼自体は素早さと頸の硬さが多少向上した程度で無力なのは変わらない。
しかし分身体は更に強化された上に、新たな姿も獲得している。
分身体を幾ら斬られようが吹っ飛ばされようが本体が消えない限りは死なないが、分身体とは繋がっているので分身体の方のステータス変化は本体にも届く。
物凄く臆病なので、『デビルスマイル』や『デビルタッチ』などの「恐怖」バステがクリーンヒットする模様。(無惨様も臆病だが、ある程度以上弱らせてからでないと単発で「恐怖」にするのは難しい)



【『赫刀』に到達出来るかどうか】(現時点で)
鳴上悠:戦うつもりで握り締めれば必ず赫くなる
竈門炭治郎:補助があれば短時間なら何とか
我妻善逸:まだ無理
嘴平伊之助:まだ無理
不死川玄弥:どんなに頑張っても不可能
栗花落カナヲ:まだ無理
悲鳴嶼行冥:補助があればずっと維持出来る
胡蝶しのぶ:補助があれば不可能では無いが厳しい
煉獄杏寿郎:補助の上で意識すれば
宇随天元:同上
甘露寺蜜璃:同上
時透無一郎:同上
伊黒尾芭内:同上
冨岡義勇:同上
不死川実弥:同上
獪岳:まだ無理


【『透き通る世界』に到達出来るかどうか】(現時点で)
鳴上悠:その感覚がよく分からない
竈門炭治郎:物凄く集中すれば稀に短時間だけなら
我妻善逸:意識的に発動させる事はまだ難しい
嘴平伊之助:物凄く集中すれば稀に短時間だけなら
不死川玄弥:どんなに頑張っても不可能
栗花落カナヲ:『心眼覚醒』を体感した上で猛練習すれば可能
時透無一郎:物凄く集中すればそこそこの確率で短時間なら可能
悲鳴嶼行冥:『心眼覚醒』を一度体感すれば以後常時発動可能
胡蝶しのぶ:『心眼覚醒』を体感した上で練習すれば可能
煉獄杏寿郎:同上
宇随天元:同上
甘露寺蜜璃:同上
伊黒尾芭内:同上
冨岡義勇:同上
不死川実弥:同上
獪岳:まだまだ難しいが鍛錬し続ければ何時か可能性はある




【現時点での悠からの認識】

竈門炭治郎:特別に大切な友人。その力になりたい。だから此処に居る。
竈門禰豆子:誰よりも強い心を持っている人。少しだけ菜々子を重ねる。
我妻善逸:誰よりも勇敢な心を持つ友人。恐怖から逃げない強さを尊敬。
嘴平伊之助:傍に居ると楽しい友人。その真っ直ぐさが大好き。
不死川玄弥:大切な友人。力を貸したい。
栗花落カナヲ:家族の様に大切な人であり、童磨を倒そうと誓った同志。
胡蝶しのぶ:家族の様に大切な人。絶対に死なせない。
煉獄杏寿郎:真っ直ぐで力強い人。その言葉は、辛い時に心の支えになる。
悲鳴嶼行冥:とても哀しいのに優しさを忘れない強い人。
宇随天元:『仲間』だって心から認めてくれた人。幸せになって欲しい。
甘露寺蜜璃:夢の為に努力出来る素敵な人。その夢が叶う所を見たい。
時透無一郎:その記憶を取り戻す力になれればと思う。心配。
伊黒尾芭内:まだよく知らないけど多分良い人。
冨岡義勇:一言も話した事無いので何も分からない。
不死川実弥:玄弥のお兄さん
産屋敷家:ボロボロの身体でも無惨討伐の為に動こうとするのを助けたい。
蝶屋敷三人娘:家族の様に大切な人。「お帰り」って言ってくれる幸せをくれる。
神崎アオイ:家族の様に大切な人。「ただいま」って言える事はとても幸せ。
獪岳:頑張っている姿をちゃんと認めてあげたい。
珠世:物凄く色々と力を貸してくれる大恩人。無惨相手に死ぬ覚悟なのは察した。
愈史郎:珠世さんの事を誰よりも大事にしている一途さが眩しい。
村田さんなど:文通してくれる友人たち。元気だろうかと何時も気にしている。
鬼殺隊一般隊士:誰かを守る為に戦っている人たち。少しでも力になりたい。
隠部隊:何時も沢山助けてくれてありがとう。とても感謝している。

鬼舞辻無惨:動機は理解出来なくは無いが、相容れない存在。
黒死牟:縁壱さんの事を知ってしまい複雑な気持ち。
童磨:しのぶさんたちを傷付けたので絶対に相容れない。
猗窩座:煉獄さんに重傷を負わせたらしい鬼。よく知らない。
半天狗:会った事も無いのに罵倒されているらしい。何故。
玉壺:見た目も中身も生理的に無理過ぎる。
妓夫太郎&堕姫:妹を守りたい気持ちは分かるけど、他は駄目。
魘夢:炭治郎に夢を見せた事は絶対に許さない。生理的に無理。


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『霧を祓うもの』

【前回の話】
『歪んだ眼』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 今この里は、上弦の伍及び上弦の肆の襲撃を受けている。

 類を見ない程の緊急事態ではあるけれど、今の所最優先して行わなければならなかった里の刀鍛冶たちの救出は既に済んでいる。

 襲撃された時点で偶然にも彼……鳴上悠が里長の所に居たのがその初動の速さの決め手となったのだ。

 上弦の壱を相手にしてすら問題無く戦える悠は、里長を襲ってきた血鬼術で作られた化け物を一撃で下し、そして里全体に広がっていたその同類たちをも一掃したのだと言う。

 その後の避難の進みがどうなっているのかまでは悠も知らない様だが、少なくとも柱や隊士たちが力を合わせてどうにか彼等を守りにいかなければならないと言う状況では無いだろうと判断する。

 いざという時の為に日頃からこの里の人々は備えているのだし、そして何時でも里ごと捨てられる様に空里が幾つか存在している。

 最低でも、人命とその身体がある程度保護されていれば問題は無いのだ。

 悠の力によってある程度は傷も癒されていると言うのなら、これ以上自分に出来る事は無い。

 なら今、自分が霞柱として成すべき事は、上弦の鬼たちを討ち取る事だ。

 或いは里の人たちが安全に退避出来る様に、上弦の鬼が彼等に近付かない様に足止めし続ける事。

 今この里に居る者達で戦力として数えられるのは、自分と悠、そしてここ数日共に鍛錬していた炭治郎達だ。

 後は救援の要請を受けた他の柱たちが一人でも多く到着してくれる事を願うしかない。

 

 上弦の伍、『玉壺』と名乗った余りにも悪趣味で醜悪な鬼に、悠と猪頭の隊士……確か伊之助と共に対峙する。

『半天狗』と言う名であるらしい上弦の肆の事をまだ入隊してから日が浅い隊士である炭治郎たち四人に任せた状態になってしまっているのがとても気にはなるが、しかし玉壺を捨て置く事も出来ない。

 いや、血鬼術で無数に化け物を生み出して嗾けてくると言う能力を考えると、この場に足止めしなくてはならない鬼としては此方の方が優先度は高いのかもしれない。

 悠曰く、生み出された化け物は強くは無いらしいが、戦う術など無い里の刀鍛冶にとっては当然の事ながら絶望的な相手である。

 そして、壺を介して瞬時に移動する力が非常に厄介だ。

 移動距離にどの程度の制約があるのか、その壺を一体何処から出しているのかは分からないが。

 もし一度に移動出来る距離の制約が緩ければ、ここで自分達と戦う事を突如放棄して避難している最中の人々を襲う可能性もある。

 一々回避する以上は、『半天狗』とか言う分裂鬼とは違って頸を斬って殺す事は出来るのだろうけれど。

 流石は上弦の鬼とでも言うべきか、その素早さはかなりのもので、そう簡単には首に刃が届かない。

 しかし、相当頭が悪いのか或いは頭に血が上り易い性格なのか両方なのか。

 どうやら玉壺は此処で自分達を始末する事に執心し始めている様だ。

 鬼舞辻無惨が狙っていると言う悠が此処に居るからなのかもしれない。

 何であれ、好都合であった。

 その口が喚く様に垂れ流している、芸術がどうだとか作品がどうだとか言うそれに興味は無い。

 ただただ悪趣味極まりない下衆のそれだとしか思わないし、悠も伊之助もそう思っているらしく「気持ち悪い」「悪趣味」などと素直にそう評した後は全て聞き流している。

 それもあってか、玉壺は益々苛立った様に喚き散らしては攻撃してくる。

 どうやら、「芸術」とやらに強い自負と拘りがある様だ。

 そこを突けば、こうして冷静さを喪った様に乗って来る。

 一筋縄ではいかない相手ではあるが、ある意味では扱い易いとも言えるのだろう。

 

 しかし、いざ玉壺の頸を狙おうとしていたその時。

 伊之助が、俺が持っている刀の刃毀れに気付いた。

 元々、完成した筈の自分の日輪刀を受け取ろうとして、新しく担当になった刀鍛冶の所に行こうとしていたのだけれど。

 半天狗の襲撃やそして玉壺との遭遇などによって、それどころの状況では無くなっていたのだ。

 もし襲撃される事が無ければ、或いはもっとそれが遅かったらきっと、今頃正式な自分の刀を手にしていた筈だった。

 

 ── 「『人の為にする事は、巡り巡って自分の為に……』」

 

 ふと炭治郎の言葉が脳裏に蘇った。

 しかし同時に、炭治郎では無い誰かの声もそれに重なる様に聞こえた気がする。

 誰だ、一体誰なんだ。自分は確かにその声を知っているのに、しかしそれは霧の向こうに隠されてしまっている様にハッキリとはしない。

 それでも、何を想っても何も返って来なかった時とは違って、確かにその霧の向こうにそれがある事は分かる。

 

 ── 大丈夫、時透くんは必ず記憶を取り戻せる。

 ── その記憶に掛かった霧は必ず晴れる。

 

 ── 君は必ず自分を取り戻せる、無一郎。

 ── 喪った記憶は必ず戻る。心配要らない。

 ── 切っ掛けを見落とさない事だ。

 ── 些細な事柄が始まりとなり、君の頭の中の霞を鮮やかにはらしてくれるよ。

 

 悠の言葉と、そしてお館様の言葉が響く。

 あれは、その言葉をお館様が掛けてくれたのは何時だったか。

 指先一つ満足に動かせない程に酷く身体は痛んでいた。

 膿み、爛れ、生死の狭間に在ったのでは無いだろうか。

 お館様に掛けて貰った言葉は覚えているのに、その時のそれ以外の記憶は酷く曖昧で霞がかっている様である。

 そしてそんな大切な言葉と、悠が掛けてくれた言葉がまるで重なっているかの様に自分の中に響く。

 そんな記憶と現実の狭間を揺蕩いかけていた思考は、伊之助の声によって現実に引き戻される。

 そうだ、今は戦わなくては、上弦の鬼から、人々を守らなくてはならないのだ。

 

 酷い刃毀れを起こした刀を見た伊之助は、さっさと自分の刀を受け取って来いと促した。

 どうやらこの山道の先を行った所に、俺の刀鍛冶が居るらしい。

 確か、炭治郎の刀鍛冶と一緒に居るんだったか。

 伊之助はそれを見せびらかすかの様に、己の双刀を見せてきて刀鍛冶の腕を褒めるが。

 刃毀れなんてものでは無い程にその刃はガタガタなので、思わず「それで?」と言いそうになる。が確かに刃は所々砕かれたかの様にボロボロではあるが、残っている刃の部分はその切れ味の良さを誇るかの様に輝いている。

 だが何にせよ、この場を自分と悠で持たせてみせるから早く万全な状態になって帰って来いと言う、伊之助の言動の意図は感じ取れた。

 それを有難く受け取って、刀鍛冶たちが居るらしいと言う、伊之助が指さした方向へと向かった。

 

 山道を駆け上る様に少し走ると、小屋が見えて来た。

 鍛冶場にはとても見えないが、此処に本当にその刀鍛冶の人たちが居るのだろうか。

 そう思いつつも、その小屋の戸を勢いよく引き開けると。

 

「おっおおお!! これは、時透殿……! 

 これは有難い! 謎の魚の化け物どもが突然此処を襲ってきて……! 

 外で戦ってくれていた筈の伊之助君は無事でしたか!?」

 

「た、助けに来てくれたんですね、有難う~~!! 

 もう、生きた心地がしなかったんですよ! 

 此処、里の中心からは大分離れているから誰にも気付いて貰えないままかと……!」

 

 包丁を手にしながら焦った様にそう言ってくる男と、そして「恐かったあぁ!」と泣き付こうとしてくる子供と。

 そしてその奥でその様な騒ぎに一切気を払わずに黙々と手を動かし続けて刀を研いでいる男が居た。

 子供には何となく見覚えがある気はするけど思い出せない。

 取り敢えず今は刀を受け取る方が先だった。

 

「あなたが鉄穴森という人で、向こうが鋼鐵塚という人? 

 俺の刀用意している? なら早く出して。

 伊之助は無事。今は悠と一緒に上弦の鬼と戦っている」

 

「上弦の鬼……!? 何と、その様な事になっていたとは……。

 里長はご無事でしょうか。

 刀は此処に用意してあります。どうぞ、私たちには構わず里長の所へ向かって下さい」

 

 里が襲われたのは分かってはいても、まさかそれが上弦の鬼だとは思いもよらなかったのだろう。

 動転した様に鉄穴森はそう言って、鉄穴森は大事そうに隠していた刀を差し出した。

 随分と話が早い。

 

「里長は無事。悠がもう助けたから。

 里の方を襲っていた化け物も、悠が全部倒したらしい。

 まだ避難していないのは此処に居る君たちだけだと思う」

 

「悠君が? 成る程……彼がそう言うのならそうなのでしょうね。

 しかし、避難しようにも鋼鐵塚さんは今手を止める訳にはいかないので此処を動けないでしょう」

 

 そう言って、鉄穴森は背後で一心不乱に刀を研ぎ続けている男へと目をやる。

 ……彼が研いでいるのは炭治郎の日輪刀であるのだろうか。

 魚の化け物たちが襲ってきても、或いは上弦の鬼が暴れていようとも、恐らく全く気付いていなかったのだろうと思う程に、完全に己の世界に入って刀だけを見詰め続けている。

 戦う術の無い者達なのだから、上弦の鬼が近くで暴れている今は一刻も早く避難するべきだとは思うが。

 しかし、下手に避難して戦いの余波に巻き込まれでもしたらそれで命を落としかねないだろう。

 彼等を護衛しながら一緒に避難出来る様な人員の余裕は無い。

 危険ではあるが、此処に留まる事もまた一つの選択ではあるのだろう。

 

「……そう、分かった。

 じゃあ俺は行くよ」

 

 玉壺と戦っている二人を助けに行かなきゃならないし、そして半天狗と戦っている炭治郎たちも助けなきゃいけない。

 受け取った刀を鞘から引き抜くと、それがとても手に馴染んでしっくりくる事に気付いた。

 

「……これは……」

 

「炭治郎君と悠君から頼まれていたんです。時透殿の刀の事と、そしてどうかあなたを分かってやって欲しい、と。

 だから、あなたを最初に担当していた鉄井戸という刀鍛冶の事を調べて、その書き付け通りに仕上げてみました」

 

「炭治郎と悠が……? 

 それに、鉄井戸さん……」

 

 己の記憶は殆ど思い出せない事ばかりなのに、それでもその名前を聞いた時に、僅かに頭の隅を過ったものがある。

 俺を最初に担当した時には既に高齢で、そして心臓の病気で死んでしまった。

 顔を合わせた事はあった様な気がする。そしてその時に、俺の事をとても心配していた様な。

 

 炭治郎にしろ悠にしろ、そんな風に他人の事を気に掛けてやってと誰かに頼んだってそれで自分達に何かが返って来る訳では無いのに。

 そうは思うけれど、その行動は別に何かの見返りとかを期待してやっている事では無いのだろうと分かる。

 こうすればきっと未来でこうなるから、と。そう言う期待でやった事では無いのだろう。

 極自然に、当たり前の様に、そうしようと思ったからやった、本人たちにとってはそう大層な事では無い「親切」なのだろう。

 そして、その「親切」の形は、今自分の手の中にある。

 

 ……自分はお館様に認められた霞柱なのだから、自分が何とかしないと、と。そう思っていた。

 自分は判断を間違えちゃいけない。

 少なくとも増援で他の柱の人たちがやって来てくれるまでは、自分が最も立場が上なのだし、全部自分でどうにかして上手くやらないとって。そう思っていたのだけれども。

 でも、こうやって自分以外の誰かがしてくれた事に、助けられてもいる。

 

 ── 人が本当の意味で自分一人で出来る事なんて、本当に少しだけだ。

 

 何時かの悠の言葉が、ふと蘇る。

 他人任せになんて出来ないから、俺は柱なんだから、頑張らなきゃ、ちゃんとしなきゃいけないと、そう思っていたのに。

 悠にしろ炭治郎にしろ、勝手にこっちにやって来て、色々と言葉をかけたり何かとやってくるのだ。

 

 ── 必ず誰かが助けてくれる。

 ── 一人で出来る事なんて、ほんのこれっぽっちだ。

 ── だから人は力を合わせて頑張るんだ。

 

 ふと、悠の声を借りる様にして何時かの言葉が霧の向こうから響く。

 違うよ、それは悠の言葉じゃない。

 そう心の中でその声に答えると、悠の声を借りた「誰か」は優しく微笑んだ様な気がした。

 

 

「……ありがとう、()()()()()

 俺の為に、刀を打ってくれて」

 

 

 その言葉は、強く意識した訳では無いのに自然と己の口から零れ落ちていた。

 そして口にして初めて。「ありがとう」と誰かに礼を言うなんて、本当に随分と久し振りの事だと気付く。

 何も記憶に留めていられないから、誰かに何かをして貰ってもその記憶すらも全て霧の向こうに消えてしまうから。

 だから、ずっと自分で何とかしないとと考え続けていて。

 ずっと独りで戦ってきたかの様に、周りを顧みる余裕なんて殆どと言って良い程になかったけれど。

 でも、そうじゃない事は分かる。

 全部を思い出せた訳じゃないけど、そうじゃなかった事も分かる。

 

 どうしてだろう。

 今は物凄く危険な状況で、かつて無い程の脅威に襲われている真っ只中であると言うのに。

 判断を絶対に間違えちゃいけないって、何時も胸の中にある責任感から来る重圧は、少しばかり軽く感じる。

 

 ── この場は、この伊之助様と俺の子分であるカミナリが持っててやるからよ。

 

 ふと、伊之助の言葉が蘇る。

 ……伊之助よりも自分の方が確実に強いけれど、でも。

 そうやって、誰かに「任せる」というそれは、初めての事だった。

 もしかしたら思い出せない記憶の何処かでは以前にもそうした事はあったのかもしれないけれど。

 でも、自分以外にも誰かが居るのだと、共に戦ってくれている誰かが居るのだと、そう思うと。

 少しだけ肩が軽くなった様な気がするのだ。

 そして、そういう時にどう言葉にするべきなのか、それがふと水底から泡が弾ける様に浮かんできた。

 

「……! 私は鉄井戸さんの書き付け通りに仕上げただけで……。

 ……時透殿。この里の事を、お願いします。

 どうか、ご武運を」

 

 そう言って頭を下げた鉄穴森さんに頷いて。

 悠と伊之助が玉壺と戦ってくれている其処へと、全速力で駆け戻った。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 二人を残してきたその場は、自分が戻って来たその時には随分と様変わりしていた。

 激しい戦いの結果か、地面は彼方此方が抉れた様になっていて。

 そして何よりも、そう大きくは無いものの。そう言った場所が沼の様に水の様な何かを湛えて居る。

 そんな穴ぼこだらけの沼沢の様な地面を蹴って、二人は水の中や玉壺が撒き散らした壺から無制限に湧いているかの様に現れ続ける大量の魚の化け物と魚みたいな血鬼術の産物たちを斬り捨てていた。

 伊之助は玉壺の頸を果敢に狙おうとしているが、瀑布の如く生み出され殺到し続ける血鬼術の化け物たちがそれを阻む。

 どうにかして接近しようとしても、水中から空中から縦横無尽に襲い掛かる無数の魚たちやその中に混ざる様にして周囲を襲う蛸の足の攻撃に阻まれて一息には玉壺の頸にまで辿り着けない上に、玉壺の壺と壺の間を自在に瞬時に移動するその動きによって逃げられてしまう。

 そして、明らかに集中的に狙われ怒涛の勢いで圧倒的な物量の攻撃に晒され続けている伊之助を庇う様にして、悠は襲い掛かる化け物たちを凄まじい速さで斬り伏せている様だった。

 血鬼術の産物であるが故に切り倒された魚たちは跡形も無く消えて行くのではあるが、それでも僅かに残る生臭く感じるその魚の臭いが不快極まりない程のものだった。

 二人ともに負傷は無いが、しかし無尽蔵に湧き出し続けている化け物たちによって中々玉壺の頸に刃を届けられない。

 

「おおどうした? 『化け物』の力はその程度なのか? 

 その様な猪など庇う意味など無いだろうに」

 

 ── 血鬼術 百万滑空粘魚!! 

 

 そんな風に玉壺が二人を煽ると同時に、周囲の水の中や地面から生える様に現れた壺の中から、全てを押し流さんばかりの数の空を泳ぐ魚たちが現れ、二人に襲い掛かる。

 

 ── ヒートウェイブ

 ── 獣の呼吸 伍ノ牙 狂い裂き! 

 ── 霞の呼吸 陸ノ型 月の霞消

 

 そこに滑り込む様にして、二人と共にその魚たちの群れを一気に斬り裂いた。

 そして斬り刻まれた魚たちから異常な程に零れ出た不快な臭いのする液体は、悠が起こしたのだろう吹き抜けて行く疾風によって全て遠くへと飛ばされていき、此方には一滴たりともかかる事は無い。

 

「遅くなった」

 

 そう言うと、悠は気にするなとばかりに小さく頷き、伊之助は威勢よくフンっ! と鼻息を立てる。

 

「へっ! 構わねぇよ! 何てったって俺は親分だからな!」

 

「塵が一つ増えた所で同じ事。

 それに、既に貴様らは我が手の内の中だ!」

 

 そう言って、玉壺が吼えた瞬間。

 周囲を浸していた水が一気にその質量を増大させて取り囲む様に襲ってくる。

 自分達の背丈の数倍にまで持ち上がって襲い掛かるその水の壁を、伊之助と共にそれを斬り捨てる様に吹き飛ばそうとするが。

 

「何だこれ、斬ろうとした瞬間は水みてぇなのに、ブヨブヨドロドロしてんぞ!?」

 

 驚いた伊之助がそう叫んだ様に、その水……いや、血鬼術で生み出された「水の様に見えるそれ」は。

 斬り飛ばそうとした瞬間は水の様に振舞って何の手応えも残さぬ様に刀の軌道をすり抜けていくのに。しかし、刃先以外に触れた途端に一気に粘性を増して絡み付き、刀の動きを封じようとする。

 どうにかそれを振り払おうとしても、まるで粘土の中に深く突き立ってしまっているかの様に動かす事が難しい。下手に振り抜こうとすると、刃を駄目にしてしまうだろう程の粘度である。

 そして、その粘性の液体の壁は、些かゆっくりとでも言うべき速度でこちらを包囲するばかりに迫る。

 

 ── 血鬼術 水獄牢

 

「ふふふ、どうですか、私の素晴らしい芸術は! 

 幾ら柱でも、そもそも刃が通らなければ成す術も無い! 

 そして一度でも深く斬り込めば、もうその刃を振るう事は出来ない! 

 頼みの綱の刀を奪われ、何も出来ないまま水の中で呼吸も封じられて溺れ死ぬ……! 

 剣士として何と屈辱的! 苦痛に喘ぐその顔を想像するだけで心が躍る! 

 そして、何よりも! 『化け物』をこうして捕らえる事が出来ようとは! 

 そこの猪の様な詰まらない者を助けようとするばかりに千載一遇の機会を何度も逃し、そしてこの様な詰まらない幕引きで私に囚われる! 

 ヒョヒョヒョッ! 愉快とはまさにこの事!! 

『化け物』、『禍津神』と言えども、呆気ないものよ!」

 

 ── 居ても居なくても変わらない様な、つまらねぇ命なんだからよ

 

 玉壺の、悠を嘲笑う様に高らかに上がった哄笑に被さる様にして、何処か遠くから声が聞こえた様な気がする。

 誰だ、思い出せない。昔、同じ様な事を言われた気がする。

 でも、誰に言われた? 

 

 記憶にかかった霧が僅かに晴れ、その時の記憶がまるで欠片の様に蘇る。

 

 夏だ、暑かった、戸を開けていた。

 暑過ぎる所為か夜になっても蝉が鳴いていてうるさかった。

 

 記憶の霧にかかるそれの向こうから、確実に僕の過去だと言える何かが初めて姿を現して。

 思わず固唾を呑み込む様にして、その続きも蘇らせようとした。

 しかし、それは玉壺が高らかに上げた不愉快な嘲笑によって阻まれ、意識は現実に引き戻される。

 

 己の完全勝利を確信した様に、そうやって悦に入った様に元々醜いその顔を歪ませて嬉々と語った玉壺は、此方を煽る様に己の作り出した自慢の「芸術」であると宣うその液体の壁に触れた。

 その瞬間、悠はニヤリとした様な、始めて見る好戦的な笑みを浮かべる。

 そして。

 

「ブフダイン!」

 

 悠がそう吼えた瞬間。

 此方に迫って来ていた水の壁は瞬時に凍り付いた。それに触れていた玉壺ごと、だ。

 

「ヒョっ!?」

 

 驚いた様に玉壺は動こうとするが、既に半身は完全に凍り付いて、巨大な氷の塊になった水の壁に半ば呑み込まれている。

 暴れて脱け出そうにも、凄まじい鬼の膂力に氷はミシミシと軋むが、瞬間的に抜け出る事が叶う状況では無い。

 恐らく、悠は玉壺の動きを確実に止める為の最高の瞬間を狙っていたのだろう。

 してやったりと言いた気な顔をした悠は、氷に閉じ込められて慌てふためく玉壺の姿を見る事で、この状況になるまで待ち続けた間に溜まった苛立ちを発散しているかの様だった。

 幾ら壺と壺を自由に移動出来るのだとしても、こうしてその身体自体が何かに繋ぎ止められた状態じゃどうしようもないだろう。

 

「伊之助! 時透くん!」

 

 そう悠が叫んだ瞬間。氷の壁は玉壺を凍て付かせその場に留めている辺りだけを残して一気に崩壊した。

 崩れ落ちる氷の中を、僕と伊之助が同時に玉壺を狙う。僕がその首を、そして伊之助がその壺を。

 伊之助の刀が壺を砕くのと同時に、その首元に半ば刃が通った。

 確実に落とせると、そう確信した次の瞬間。

 完全に頸を落とし切る直前、玉壺の身体から質量が消える。

 ベロンと厚みの無くなった皮の首を落とすが、そこに中身は無い。

 まさかの脱皮だ。

 

 ──血鬼術 水獄牢・変り身

 

 そして、瞬きにも満たぬ程の合間に。

 首を斬り落としたその皮は、膨れ上がる様にして水の塊に変わって、避け様が無い程に近距離に居た僕と伊之助をその中に閉じ込めた。咄嗟に伊之助を突き飛ばそうとしても間に合わず、成す術も無く二人揃って閉じ込められてしまったのだ。

 

 突然のそれに反射的に息を止めて空気を少しでも逃がさない様にしようとするが、それも何時まで持つかは分からない。伊之助はその猪頭の下でどうなっているのかは分からないが、手をばたつかせているのを見るに気を喪ってなどは居ない事は確かだ。

 水中である為に酷くその動きは制限されているし、そして先程の水の壁と同様に勢い良く刀を振ろうとすると、元々高い粘性のそれはまるで岩の様な硬さになる。

 悠が焦った様な顔で此方に手を伸ばそうとしているのが、徐々に苦しくなっていく中で見えた。

 だが、中に僕たちが閉じ込められている状態では、先程の様に凍り付かせて対処する訳にはいかないだろう。

 

「ヒョヒョヒョヒョッッ!! 油断しおったな、馬鹿め!! 

 そこでゆっくりと溺れ死ぬが良い!!」

 

 煽る様な玉壺の声が頭上の方から聞こえる。

 どうやら、あの一瞬で木の上に移動した様だ。

 

「お前たちには私の真の姿を見せてやろう。

 見よ! この透き通る様な鱗は金剛石よりも尚硬く強い。

 私が壺の中で練り上げたこの完全なる美しき姿に平伏すが良い! 

 この姿を見たのは、お前たちを除けばまだ二人だけだ。

 私が本気を出した時に生きていられた者は居ない。

 それに……こうして仲間達を捕らえられている状況で、『化け物』であってもお前に何が出来る?」

 

 木の上に移動していた玉壺の、自称「真の姿」は、実に醜いものであった。

 下半身が蛇の様な半人半蛇の姿に、その手には水鳥の足の様に水掻きが付いている。

 顔の気持ち悪さも格段に上がっていた。

 そんな姿を曝け出しながらグネグネと動く玉壺に、悠は強い怒りの余りに感情が抜け落ちた様な表情を向ける。

 そして、次の瞬間に己に向かって素早く繰り出された玉壺の拳を全て回避した。

 拳自体は掠らせる事も無く全て回避はしたのだが、玉壺の拳が触れた地面がその瞬間には魚の塊になってビチビチと跳ねたそれには、驚いたのか僅かにその目を見開く。

 

「ほう、避けたか。

 どうだね私のこの『神の手』の威力。この手で触れたものは全て愛くるしい鮮魚となる。

 そしてこの速さ!! この体の柔らかくも強靭なバネ、更には鱗の波打ちにより縦横無尽自由自在よ。

 そして、私はまだ本気では無い!」

 

「……それで? お前を倒せば、伊之助と時透くんを閉じ込めているあの血鬼術も解けるんだろう? 

 それ以外は、どうでも良い」

 

 悠は、お前の御託などどうでも良いとばかりの顔をする。

 そして、集中する様に深い息を吸い込み、玉壺を睨みつけた瞬間。

 悠が何かをしようとするその直前に、玉壺はそれに待ったをかける。

 

「おおっと、童磨殿を吹き飛ばしたあの一撃の様な事を引き起こそうとするなら、その瞬間にあの者達を殺すまで。

 幾らお前が『化け物』だとしても、それよりも先に私の術中下にある者を殺す事など造作も無い。

 お前が操っていた蛇を出したとしても、同じ様にあの者達を殺そう」

 

 そしてそれがただの脅しでは無いのだと示すかの様に、僕たちを捕らえている液体がまるで棘の様に硬化して、身動きの儘ならない僕の左足の膝上と伊之助の右肩を貫いた。

 液体の中に俺たちの血が漂い混ざり始める。

 どうにかギリギリの所では耐えたが、しかし貫かれた瞬間に反射的に僅かに口が開いてしまい、そこからまた少し空気が漏れてしまった。

 どうにか体中から空気を集めているが、それでも限界はそう遠くは無い。

 そしてそんな俺たちを嬲る様に、玉壺は液体をまるで無色透明な縄か何かの様にしてそれを僕たちの首に纏わり付かせて絞め様としてくる。

 溺死するか窒息死するかと言う状態になりつつあった。

 

「……止めろっ!」

 

 そう叫ぶ悠のその表情は、玉壺への怒り以上に焦ったものになっている。

 しかし下手に動くとその瞬間に玉壺が何を仕出かすのか分からず、どうにも動けない状況の様だった。

 そんな悠に、当然構う事無く玉壺は攻撃を繰り出していく。

 勿論悠はそれを回避するのだが、攻撃しようとする度に玉壺はニヤニヤ笑って、僕たちを人質に取っている事を悠に露骨に意識させる。そしてその度に悠の動きは止まってしまう。

 回避する事自体は許しているのは、多少の抵抗を許した鼠を甚振って殺した方が満足感が高いからなのだろう。

 玉壺の攻撃は次第に速く鋭いものになり、付近には玉壺の手によって地面や草木から発生しては、踏み潰されたりして死んだ魚が彼方此方に落ちていた。

 

 不味い、僕が油断したからだ。

 こうして僕たちが捕らえられてしまったから、僕たちが人質になってしまったから。

 このままでは……。

 

 ── 霞の呼吸 壱ノ型 垂天遠霞……! 

 

 苦しくて次第に視界が暗くなりつつある中、どうにかこの状況を打開しようと渾身の一撃を繰り出そうとはするけれど。

 踏み込む為の足場も無く不安定な状態で放たれた一撃には、恐ろしいまでの粘性と強度を持ったこの液体の牢獄を破り切るには足りなくて。

 寧ろ無理に放ったそれによって、僅かに蓄えていた空気の殆どを喪ってしまう。

 思わず咳き込みかけた拍子に肺に水が入って痛い。

 

 ── 血鬼術 陣殺魚鱗!! 

 

 玉壺は滅茶苦茶な動きで蹂躙するかの様に悠に攻撃していく。

 悠はそれを全部回避してはいるが、しかし此方を助け出す為の余裕はなさそうだ。

 

「どうだ、この動き!! 予測不可能だろう! 私は自然の理に反する事が大好きなのだ!! 

 それにしても、『化け物』だ何だと言う割に、人質程度で此処まで手も足も出せなくなるとは! 

 全く愚かなものだ! 何の役にも立たない、無意味で無価値なものに拘って!」

 

「……ッ! 無意味なんかじゃない、無価値なんかじゃない! 

 何の役にも立たない、だと? ふざけるなっ!!! 

 そんな事、お前が決める事じゃない。

 人の価値を、人である事を放棄したお前が囀るな……! 

 俺の仲間を、友だちを……! 大切な人たちを侮辱するな……!!」

 

 普段は穏やかそのものと言っても良い様な悠の喉から出ているとは信じられない様な嚇怒の炎を纏った激しい咆哮にビリビリと空気が震え、そしてそれは玉壺の身をも僅か震わせていた。

 その、腹の底から噴き零れ出た様な激しい怒りの咆哮に、何かが鮮やかに思い浮かびそうになる。

 

 ── どうせお前らみたいなのは、何の役にも立たねぇ

 

 ああ、赦せない。僕の一番大事な、たった一人の兄弟を。

 何時もこの胸の奥から消える事の無い、燃え滾る様な怒りの根源がその霧の向こうから姿を現しつつあった。

 

 でも、駄目だ。怒りが身体を駆け巡っていても、それでもどうにも出来ない。

 空気が無い、今ここで動く為の力が足りない。

 

 ━━ 絶対どうにかなる、諦めるな。

 ━━ 必ず誰かが助けてくれる。

 

 ふと、炭治郎の声が響く。でも、それは炭治郎の言葉では無い。

 炭治郎の声を借りた「誰か」だ。それが炭治郎じゃないのは分かる。

 でも、この状況で誰が助けてくれるって言うんだろう。

 炭治郎たちは半天狗の相手で手一杯だし、悠は僕たちが人質になっている所為で満足に動けないし。

 

 咳き込む様に、最後の空気が肺から抜け出ていく。次第に視界が狭く暗くなる。

 ああ、死ぬのか。僕は、此処で……。

 

 ━━ 大丈夫。無一郎は一人じゃない。

 ━━ だから、自分の終わりを自分で決めるな。

 

 今度は悠の声で、「誰か」の言葉が響く。

 誰だ、一体誰なんだ? 

 

 ━━ だって、無一郎の無は……。

 ━━ 『無限』の『無』だ

 ━━ お前は自分では無い誰かの為に無限の力を引き出せるんだ。

 

 上手く聞き取れなくて、でもそれはとても大事な言葉で。

 息が出来なくて苦しい中で、必死にもがく様にそれを思い出そうとする。

 

 ── 無限の力と可能性を秘めているんだ。

 

 響く様に、かつて悠に言われた言葉が脳裏に過る。

 そしてその瞬間、ふと自分の腕を誰かが掴んでいる事に気付いた。

 伊之助が、何とか自分達を閉じ込めている液体の中を藻掻く様に泳いで近付いて来ていたのだ。

 そして、伊之助はその猪頭を外して。

 己の肺の中に残っていた僅かな空気を口移しで僕に託そうとするが、途中で力尽きてその空気は泡となって消え行きそうになる。

 だがその僅かな泡は、確かに届いた。

 

 ━━ 人の為にする事は、巡り巡って自分の為になる。

 ━━ そして人は、自分では無い誰かの為に

 ━━ 信じられない様な力を出せる生き物なんだよ。

 ━━ ……そうだろう? 無一郎。

 

 炭治郎の声が、炭治郎の姿が。まるで解ける様に別の姿と声になる。

 僕はその人を知っている、とても。誰よりも。

 炭治郎にそっくりな赤い眼が、穏やかに微笑む。

 

 ━━ お前は自分では無い誰かの為に。

 ━━ 無限の力を出せる、選ばれた人間なんだ。

 ━━ だから、生きろ。無一郎。

 

 そして、悠の声だったその姿も、本当の姿と声に変わる。

 自分と鏡合わせの様に同じだった、その姿。

 でも、自分の方がもう大きい。

 ああ、そうだ。そうだった……。

 その事に、消える事の無い悲しみと怒りを感じる。

 

 記憶の霧は、この瞬間に完全に祓われた。

 だから。

 

 

 ── 霞の呼吸 弐ノ型 八重霞!! 

 

 

 それまでの自分では考えられない程の。

「確固たる自分」を取り戻して信じられない程の強さで振り抜いたその一撃は。

 血鬼術の牢獄を、完全に打ち壊すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【時透無一郎】
自分の刀を受け取る為に離れていたのは精々数分の事。
自分が何者であるのかを思い出したので、その覚醒ボーナスで玉壺の血鬼術を破った。ので、痣はまだ出ていない。
あの世の父親と有一郎がそのピンチに駆け付けて頑張れ諦めるな死ぬなと応援していたのだが、無一郎が家族の記憶も喪っていたが為に、無一郎の記憶の中にある人の姿を借りて話しかけるしか無かった模様。


【鳴上悠】
玉壺の圧倒的物量作戦と、壺ワープの効果範囲などがまだ把握し切れていないが故に攻めあぐねてしまっていた。
この状況で一番不味いのは、玉壺がこの場を放棄して壺ワープで里の人を襲いに行ったり或いは半天狗戦の最中に割り込んだりされる事なので、それを誘発させない事も必要だった。
勝てるかどうかで言えば、正直な所『メギドラオン』で吹っ飛ばしていれば、無一郎が刀を持って帰ってくるまでの間に勝てていた可能性は非常に高い。
伊之助と無一郎を人質にされた事で、真の姿の玉壺相手に手出しが出来なくなっていたが、玉壺の速さ自体には何の問題も無く対応していた。
悠にとっては一番やってはいけない事をやられたので、玉壺はここで灰にする気満々。


【嘴平伊之助】
悠と共に玉壺の圧倒的物量作戦に対応していた。
水の中に閉じ込められた時は、猪の被り物のお陰で実はちょっとだけ空気には余裕があった。けれど、暴れている内に消費してしまい、苦しくなる。先にヤバそうな事になっていた無一郎を助けようとするが、その際に力尽きる。
が、その行動が結果として無一郎と自分を救う事になった。
意識が落ちる寸前の走馬灯で、自分を抱き上げてあやす誰かを見た様な気がする……。


【玉壺】
物凄い物量作戦が出来るようになった。質もちゃんと凄いので所謂「米帝プレイ(史実)」状態。
拠点制圧性能は恐らく上弦の中で一番高い。
悠と伊之助じゃないとほぼ無限湧きする化け物たちに押し切られるか、或いは里の方へと逃がしてしまっている可能性が高い。
また、一回だけ斬首ダメージをほぼ無効化出来る脱皮には、脱いだ皮を瞬時に『水獄牢(水獄鉢のパワーアップ版)』に変えて襲ってきた相手に対するカウンタートラップに出来る。
実はまだまだ面倒臭い奥の手を沢山備えている。





【オリジナル血鬼術紹介】
『水獄牢』
原作の「水獄鉢」のパワーアップ版。
原作の様に壺から直接ぶちまける事も可能だが、予め周囲に撒いておくと圧倒的な質量で相手を閉じ込められる。
それを構成する液体は元々粘度が高いのだが、ある種の「ダイタランシー現象」に似た現象を引き起こす為に、一度捕われると中々脱出が難しい。


『百万滑空粘魚』
原作の「一万滑空粘魚」のパワーアップ版。
圧倒的な物量戦。もちろん毒もパワーアップ。
またこれに限らず、疑似生命体を操るタイプの血鬼術は軒並み物凄く強化されている。
また、真の姿を晒した後だと疑似生命体たちに「触れたものを鮮魚にする」効果を付与出来る様にもなっているので滅茶苦茶厄介。


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『虚ろな憎悪』

この物語では、基本的に原作で成立したCPは確実に成立します。
具体的には、炭治郎はカナヲとくっ付くでしょうし、善逸は禰豆子と、伊之助はアオイとくっ付きます。蜜璃ちゃんは勿論小芭内さんです。
蜜璃ちゃんたちと、善逸と禰豆子以外に関してはそこまで詳しく触れるかどうかは分かりませんが。
また、原作で定まってない部分に関しては特には決めてないです。


【前回の話】
『矮小なる虚像』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 人では決して出せない様な、ビリビリと鼓膜を不愉快に震わせる高音が森の奥から轟いてくる。

 これは、善逸を追って行ったあの翼の生えた鬼の攻撃なのか? 

 それは分からないが、激しい戦いになっているのは間違いないのだろう。

 濃い硫黄の匂いの所為でどうしても鼻が利き辛い。鬼の匂いはまだ辛うじて分かるのだが、それよりは薄く感じてしまう人間の匂いとなると、普段よりもずっと近くに居ないと分からない。

 

「善逸! 無事か!?」

 

 もしまだ『本体』を探し出せていないのなら、俺たちがその鬼を惹き付けておくから、と。

 そう思って声を掛けて森の奥へと突き進むと。

 

「俺は善逸じゃねぇ! アイツと一緒にすんな! 

 アイツは鬼の『本体』ってヤツを探している!」

 

 そこで翼の鬼と戦っていたのは善逸ではなくて、その兄弟子にあたる獪岳だった。

 宿にその姿が見えないと思って少し心配していたのだけれど、どうやら彼が善逸を助けてくれた様だ。

 悠さんに紹介されて初めて出逢った時から、二人の間には何か複雑な事情を察してしまう匂いが漂っていたから、少し心配していたのだけれど。

 でも多分、良い方向に変わって来たのだろう。

「アイツ」と、獪岳は少し乱暴に善逸の事をそう言うけれど。でもそこに悪い感情の匂いは殆ど無くなっている。

 二人の間の事情がどうなったのかはともかく、獪岳は此処で善逸の代わりにこの翼の鬼を相手にしてくれている様だった。

 翼の鬼相手に、獪岳は危うげ無くその攻撃を回避してはその身を斬り刻んでいる。

 どうやら、これ以上は強い分裂は出来ないらしく。頸や胴を斬られれば別れようとはせずにそれをくっ付けるし、手足を斬られれば翼の鬼を小さした様な鬼にも満たない何かになるだけの様で、そしてそんな弱い分裂体はそう長くは持たない様であっさりと消えて行く。

 恐らく、斬って分裂するのは四体……「喜怒哀楽」の四つが限界なのだろう。

 きっとこの翼の鬼だけではなく、あの三体の鬼もあれ以上は斬っても分裂しなかったのかもしれない。

 何にせよ、ここは獪岳一人で充分抑えきれている様だ。なら、俺たちは善逸に加勢して一刻も早く『本体』の頸を斬らなくては。

 

「その鬼は任せた! 俺たちは善逸と一緒に『本体』の頸を斬りに行く!」

 

 少しでも急がなければならない。

 宿の方で撒いてきた三体の鬼だって恐らくはもう復活して此方を追い掛けているだろうし、あの三体が合流してしまえば今度はそれに掛かり切りになってしまう。

 分裂鬼の方はあくまでも分身だからなのか或いは斬らせる事が目的だからか、上弦の鬼とは思えない程にその身体は柔らかいが。

 しかし、上弦の肆そのものである『本体』の鬼の方はそうはいかないだろう。

『本体』の強さが如何程のものであるのかは分からないが、生半な力では斬れない可能性も高い。

 上弦の陸の妹鬼の頸を斬った時の様に、力を合わせて斬らねばならぬ可能性もある。

 悠さんに力を課して貰えるならそれが一番ではあるのだけれど。悠さんは何処に行ったのか分からないし、俺たちよりも確実に鬼の頸を落とせるだろう時透君も鬼に飛ばされたっきりである。

 なら、俺たちでやるしかない。

 玄弥の弾丸で動きを止めて、そこを善逸と二人がかりで頸を狙うのが多分一番だ。

 

 三人で善逸の姿を探しながら森の中を走っていると。

 

「ヒィィィィィィィ!!」

 

 物凄い大きさの悲鳴の様な何かが響いた。

 善逸の声では無い。では、一体何が? 

 

 そしてその直後に轟く雷鳴の様な音。善逸が霹靂一閃を出した時の音だ。

 だが、それでも悲鳴は止まない。

 茂みを掻き分けると、まるで屈んでいる様にその身を低くしている善逸の姿が見えた。

 一瞬怪我をしているのかと焦ったが、血の匂いなどはしていないので恐らくそうでは無い。

 そして、そこには強い鬼の匂い……恐らくは上弦の肆の『本体』のものであろうその匂いが漂っている事にも気付く。

 

「善逸! 大丈夫か!? 鬼の『本体』は……」

 

「炭治郎! 足元だ!! 足元に居る!! 

 そいつが『本体』だ!!」

 

 善逸のその言葉に、咄嗟の反応で地面の方へと目をやる。

 居た。

 余りにも小さく、どうかすれば野鼠か何かかと見過ごしてしまいそうな大きさの鬼が、其処に居た。

 その身は矮躯なんて言葉では到底足りない。

 あの強力な四体の鬼の『本体』が、こんなに小さな鬼だなんて。その身から紛れも無く、人を何百と喰い荒らしてきたのだろう悍ましい臭いが漂っていないと、恐らく信じられなかっただろう。

 

「ちっさ!!!!!」

 

 玄弥も驚いた様に目を見開いて鬼を見下ろし、禰豆子はと言うとこの鬼がどれ程の人間を喰ってきたのかを本能的に察したのか、まるで仇を目の前にしているかの様に荒く息をしている。

 

「物凄く小さいし攻撃してくる力は無いみたいだけど、恐ろしく頸が硬いんだ!! 

 指一つ分の太さしか無いのに、霹靂一閃でも斬れなかった……! 

 そして、物凄くすばしっこい! 

 茂みに紛れやすいから、絶対に見失うな!!」

 

 善逸がそう警告してくれている端から、小さ過ぎる鬼は脱兎と言う言葉でも足りない素早さでその場から逃げ出す。

 茂みの中に隠れられでもすれば再び見付けだすのは相当に困難だ。

 

 あの四体の鬼を相手にしながら、こんなにも見付け辛く逃げ足の速い『本体』を探し出してその頸を斬らなければならない……。そしてその頸は尋常では無い程に硬く斬り辛いときた。全く、冗談じゃないと言いたくなる様な鬼だ。

 恐らく、余りにも小さ過ぎて普通では絶対に狙わない様な低い位置を狙わなければならない事も有って、その頸の硬さと相俟って非常に頸を斬る事が難しくなっているのだろう。

 無理な体勢で余りにも硬過ぎる頸を狙ったからなのか、善逸の日輪刀は少しばかり刃が欠けてしまっていた。

 善逸の為だけに打たれた刀では無いと言う事も大きいのかもしれないが、まだ戦える事は戦えはするものの、このままでは不味いだろう。

 俺の鼻や善逸の耳があるから、まだ逃げ隠れする『本体』を追跡出来ているが、もしそうで無ければ柱程に気配を探る事に長けていなければ探す事すらも儘ならないだろうし、それを分裂鬼四体を相手にしながらともなれば柱であったとしても手に余るものだと思う。

 これまで誰もこの鬼を討てなかったカラクリが見えた。余りにも卑怯で小賢しいその戦い方は、卑怯な手など気にせず積極的に使ってくるのが常な鬼としても、中々に異端な様に思える。

 そもそも『本体』自身には戦う力が無いと言うのがかなり奇抜だ。

 しかし、まるで臆病な小動物であるかの如く逃げ出すのなら、そもそももっと離れた安全な場所に居れば良いものなのだ。……それが出来ないと言う事は、分裂鬼と『本体』はある程度は近い距離に居ないとダメなのだろうか。

 まあ本当に距離が無制限なら、この里から遥かに遠く離れた安全な場所から分裂鬼を操っていれば良いだけなので、『本体』がこの里に居る時点で恐らくそう遠くまでは離れられないと言うのは有り得る事ではあるのだろう。

 とは言え森の中と言う状況は、あの鬼にとっては逃げ隠れするには何処までも好都合な環境であるのだが。

 

「そんなに硬いなら、下手に日輪刀で頸を狙うより、禰豆子に燃やして貰った方が早いかもしれない。

 玄弥、その銃で一回アイツを足止めして……」

 

 禰豆子の血鬼術だけで、幾ら野鼠程度の大きさだとしても上弦の肆であるあの『本体』を完全に燃やし尽くせるのかは別として。少なくともかなりの深手を負わせられるだろう。

 あの大きさなら掌の中に閉じ込めて燃やしてしまえば良いので、禰豆子としてもそう負担にはならないだろうし。

 そして、逃げ回るその足の速さなら、一瞬でも足止め出来れば良いのだ。

 玄弥のあの弾丸なら、きっとあの分裂鬼を足止めした時の様に……と。

 そう思って二人に指示を出した、丁度その時。

 

「カカカッ! 鬼事か? 

 楽しそうだのう、儂も仲間に入れとくれ!!!」

 

 遠くに吹き飛ばしたと言うのに、もう追い付いてきたらしい「可楽」の一撃が、周囲の木々諸共に俺たちを吹き飛ばそうとする。

 咄嗟の判断で何とか折れて吹き飛ばされて行く木々に巻き込まれるのは避ける事が出来たが、しかしそれで周囲の匂いが全て吹き飛ばされてしまった為、あの『本体』の匂いを見失ってしまう。

 善逸の耳はまだ鬼の『本体』を捉える事が出来ている様ではあるけれど、ここに「可楽」が追い付いてきていると言う事は。

 

「腹立たしい、腹立たしい……! 

 あの様な小細工を弄して儂らを撒こうなどと」

 

「全く……哀しくなるな」

 

 強く地面に錫杖を叩き付ける様な音と共に周囲を電撃が蹂躙し、素早い槍の刺突が地面を抉る。

「積怒」と「哀絶」もこの場に追い付いて来てしまった。

 

 もうこれ以上強い分裂はしないので、その身体を斬ってしまっても問題は無いのだが、しかし倒す方法も無い相手をただ斬るだけでは足止めし続ける事も難しい。

 そして、既に一度その手を使ってしまっただけに、武器を奪ってそれを利用し返すと言う手は警戒されている為使う事は出来ないだろう。現に「可楽」は此方に接近し過ぎない様にしている。

 少しでも時間を稼ぐ為にも、どうにかして回復を遅らせる方法があれば良いのだけれど。

 恐らくこの場で俺たちに出来る事の中で一番有効なのは、禰豆子の血鬼術であるのだろうけれども。

 しかし、鬼三体をその動きを止められる程の火力で一気に燃やす様な事は難しいし、かと言って一体を集中的に燃やしても残り二体に邪魔をされるだけである。

 そして何より厄介なのが、今も何処かに逃げ隠れしている最中の『本体』をどうにかしない事には、幾ら禰豆子が頑張ってくれたとしてもキリが無いのである。

 更に最悪な事に、その『本体』の頸が硬過ぎる為に、どうにかすると言う事も全く以て難しい事であった。

 膂力に速さを乗せる事で恐ろしい程の切れ味を発揮する善逸の霹靂一閃ですら斬れていないものを、俺の力で斬る事は相当難しいと言わざるを得ない。

 ヒノカミ神楽は確かに凄い力が出るけれど、あんなに小さくて低い位置のものを狙う事には本当に向いていないのだ。振り下ろす勢いを乗せたとしても、やはり難しいだろう。

 それこそ、あの『本体』の頸を斬るには、悠さんの様な膂力が無いと難しいのかもしれない。

 なら禰豆子の血鬼術で、とそうは思うが。そうなると今度はこの三体の鬼に邪魔をされて儘ならない。

 三体の鬼たちを十分に足止めするには、最低でも三人は必要になる。

 鬼として感覚が鋭くはなっていても、禰豆子ではあの『本体』を探し出す事は困難を極めるだろう。

 あの鬼を探し当てられるのは、この場では俺と善逸……いや、善逸だけだ。

 しかし善逸だけではあの鬼の頸を斬れない。

 

 まるで堂々巡りの様であった。

 三体の襲撃をどうにか回避して凌ぎつつ、この鬼たちをどうにかして倒す方法は無いのかと考えているのに。

 何度考えても、どうしても手が足りないし力が足りない。

『本体』の頸を落とさない限りは終わりが無いのに、その『本体』の頸を斬れる者がこの場には居ないのだ。

 あの小ささを考えると、陽光で一瞬で燃え尽きそうな気はするが、夜明けはまだ遠い。そしてそこまでは俺たちの体力が持たないだろう。

 実際、まだ大きな負傷は避けられてはいるものの、細かい傷は大分増えてきてしまったし、避け続けると言うのも体力を削っていく。玄弥の方は、俺以上に怪我が多い。上弦の肆を相手にして、まだ問題無く動けているだけ十分以上と言えるのかもしれないけれど、しかし……。

 

 その時、僅かに考え事に気を取られていたからなのか。「哀絶」と「積怒」の連携攻撃を避けたその先で、そこを狙っていた「可楽」の疾風の一撃をまともに喰らってしまう。

 凄まじい風圧に、肺の中の空気が強制的に押し出され、まるで窒息したかの様に苦しくなる。

 巨木に身体が叩き付けられ、そしてその巨木が風圧に耐え兼ねた様にミシミシと軋んだかと思うとへし折れて俺の身体諸共に後方へと吹き飛ばされる。

 付近の木々を巻き込む様にして折られたそれらに押し潰されかけた所を、俺の危機を察知してか凄まじい反応速度で風に吹き飛ばされた俺をどうにか追って来ていた禰豆子に庇われる。

 禰豆子に突き飛ばされる様にして、どうにか辛くも木々に押し潰され串刺しにされる事は回避出来たものの。

 しかし、その代償の様に禰豆子の身体は、風に吹き上げられて積み重なる様に落ちて来た木々にその下半身を押し潰された様に下敷きになってしまった。

 

「禰豆子!」「禰豆子ちゃん!!」

 

 その場に居た俺と、そして禰豆子の悲惨な状態に真っ先に気付き悲鳴の様に焦った声を上げて瞬時に駆け寄って来た善逸とで、禰豆子をその場から救出しようとするけれど。

 しかし、中で複雑に絡み合っているのか、それとも足か何処かを枝か何かで貫かれてしまったのか、単純に引っ張るだけでは禰豆子を助け出す事が出来ない。

 そしてその背後からは、追撃しようと鬼が迫って来ている。

 身動きの出来ない禰豆子を守る為にも、禰豆子の事だけに集中し続ける訳にはいかない。

 だから、せめて積み重なった木々を斬って、禰豆子が自力でその場から脱出する為の力になろうとしたのに。

 

「駄目だ、禰豆子! そんな事をしたら指が斬れる!」

 

「禰豆子ちゃん!? どうしたの!?」

 

 その上に積み重なった木々を斬ろうとした俺の日輪刀を、どうしてか禰豆子は必死に掴んだ。

 余りにも強く掴んでいる為、その刃に斬り裂かれた手の平や指からはボタボタとその血が滴っている。

 鬼だから、その傷は直ぐに治るのだろう。でも、大事な妹がそうやって傷付く姿を見るのは耐え難い。

 どうしてそんな事をしているのか、意味のある言葉を発する事は出来なくなっている禰豆子のその意図を完全に察する事は難しい。

 だが、そこに感じる匂いは、見捨てられる事への不安とかそんなモノじゃ無い事は分かる。

 やらなきゃいけない、とか、助けなきゃ、とか。それはそんな感情の匂いだ。

 どうして、と。そう困惑していたその時だった。

 刀身全体に広がった禰豆子の血が、その血鬼術によって一気に燃え上がった。

 鬼やその血鬼術だけを燃やす血鬼術の炎を纏った日輪刀は、その熱に炙られたかの様に、漆黒から赤く色が変わっていく。その変化は。

 

「『赫刀』!? どうして……」

 

 悠さんの力を借りて、握力が上がっている訳では無いのに。何故、と。そう驚きを隠せない。

 しかし、その変化は間違いなく『赫刀』のそれであった。

 しかも、悠さんの力を借りて変化させたその時よりも、ずっと濃い赤に染まっている。

『赫刀』に至る為の条件は一つだけでは無いのか? 

 でも、どうして禰豆子がそれを知っていたのだろう。ある種の直感なのか? それは、分からない、けれども。

 あの鬼たちを倒す為の力を禰豆子が貸してくれようとしている事は、分かる。

 だから、俺はその想いに応えなくてはならない。

 

 追撃の為に背後に迫って来ていた三体の鬼たちを迎え撃つ様に、燃え上がる赫き刃を構えた。

 

 ── ヒノカミ神楽 日暈の龍 頭舞い

 

 限界まで集中して放たれたその技は、ほぼ同時に三体の鬼の頸や身体を斬り裂く。

 それは宛ら、炎の龍が舞い踊る様に、駆け抜けてその牙を以て斬り裂いていくかの様な動きであった。

 手足を落とし、頸を落とし。

 それでも、『本体』では無いが故に三体の鬼が倒れる事は無いが。

 

「何だこの斬撃は!!

 灼ける様に痛い!! 再生出来ぬ!!」

 

「落ち着け見苦しい。遅いが再生自体は出来ている!」

 

 鬼たちは喚く様に痛みに叫んでいる。

 どうやら、『赫刀』の状態で斬られると再生能力が上手く働かずそれを無効化までは出来なくても妨害する事は出来る様だ。

 悠さんが上弦の壱と戦った時も、『赫刀』で傷付けた部分は全然治らなかったと言っていたので、『赫刀』にはその様な効果もあるのだろう。

 これなら、時間を稼ぐ事が出来る筈だ。

 禰豆子の血鬼術の炎で『赫刀』になった以上、その力の基となっている日輪刀に塗られた禰豆子の血が完全に燃え尽きてしまえばその効力も切れてしまうだろうが。

 それでも、今この場に俺一人でもこの三体を留める事が出来るなら、充分だ。

 

「禰豆子ちゃん……」

 

 善逸の日輪刀も、燃え上がる様にしてその色が赫く変わっている。

 そして、どうにかして禰豆子を助け出そうとしていた善逸のその手を、禰豆子は押し返す様にそっと押し出す。

 そこにある感情の音を、きっと善逸は聞き取っているのだろう。

 それでも、善逸は心配そうに泣きそうな顔をしていた。……だから。

 

「善逸、禰豆子の気持ちを汲んでやってくれ。

 あの鬼の『本体』を……頼む。

 あの鬼たちは俺が此処で何としても抑える、禰豆子も俺が助けるから。

 だから、行ってくれ」

 

 そう背を押すと、善逸は泣きそうな顔をしながら一直線に駆け出す。

 そしてそれと入れ替わりの様に、玄弥がその場に駆け付けてくれた。

 かなりの距離を吹っ飛ばされてしまったので、鬼として尋常ならざる身体能力を持つ禰豆子や、霹靂一閃に特化する程に足が滅茶苦茶速い善逸とは違い、どうしても追い付くまでに時間が掛かってしまった様だ。

 頸や手足を斬られた鬼たちが中々再生出来なくなっているその状態を見て、玄弥は驚いた様に目を丸くしているが。禰豆子の状態を一目見るや否や、それを助け出そうと力を貸してくれる。

 しかし、やはり中々人の力では難しい様だ。

『赫刀』で斬られ中々再生出来ないでいる三体の鬼たちも、ゆっくりとではあるが確実に再生している為あまり時間の猶予は無い。

 念の為もう一度細かく刻んでおくかと、そうまだ燃え盛る日輪刀を構えようとしたその時だった。

 

「悪い禰豆子。ちょっとその力を借りるぞ」

 

 一言そう断った玄弥は禰豆子の手を取って、善逸の刀を燃やした際のまだ塞がり切っていない傷口から滴っていた禰豆子のその血を、口にした。

 

「えっ……ええぇっ!?」

 

 今が戦いの真っただ中であると言う事も忘れて、驚愕から思わず大きな叫び声を上げてしまった。

 何してる、正気か!? とか。玄弥は良い奴だけど禰豆子との仲を認めて欲しいなら先ずは俺を通してからにして欲しいとか。嫁入り前の女の子にそんな事をしてはいけない! だとか。

 まあ本当に色んな感情が一瞬で駆け抜けていって、大混乱に陥った。

 

 しかし。その驚愕は更に別の驚愕にとって代わる。

 確かに人間の匂いしかしていなかった筈の玄弥のその匂いに、僅かだが鬼の匂いが混じったのだ。

 鬼と言うか、正確には禰豆子の様なちょっと変わった鬼の匂いだけれども。

 そして、牙が伸びて、その眼も鬼の様なものになっている。

 これは一体どういう事なのだ? とそう困惑していると。

 玄弥は凄まじい膂力で、禰豆子の上に積み重なった木々をポイポイ投げるかの様に退け始める。

 日輪刀ではどうやっても助け出せそうになかったのに、あっと言う間に禰豆子の下半身を押し潰していた木々は全部退かされて。潰されていた足を再生させて立ち上がった禰豆子は、不思議そうにその玄弥を見上げた。

 一体何をしたのかと、そう玄弥に訊ねようとしたその時だった。

 

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」

 

 

 夜の闇の中を劈く様な、とんでもない声量の絶叫が、森中に響き渡る。

 その声は、間違いなく『本体』のものであった。

 善逸がやったのか、と。そう思ったその時だった。

 

 目の前で斬れた頸をくっ付けようとしていた鬼たちの姿が、「積怒」に混ざり合う様にして消え、一瞬の内に新たな鬼が現れていた。

 それはまるで子供の様な姿をした鬼で。その背にはまるで絵に描かれる雷神様の様な、五つの太鼓が繋がったそれを背負っていて、両手にはまるで角を繋ぎ合わせて作ったかの様な捩れた異質な撥の様なものを持っている。

 新たに分裂した訳では無い。寧ろ、分裂していたそれらが再び一つに戻ったとも言えるものだと思うのに。

 しかし、それは一番最初に遭遇したあの老人の様な鬼のそれとは全く異なっていた。

 接近に気付け無い程にその気配の誤魔化し方が上手かったあの老人の姿のそれとは違い。

 目の前の鬼からは、息をする事すら、その場に立ち続ける事すら難しい程の、心臓が痛くなる様な威圧感を感じるのだ。

 一体これは何なのか、と。何時でも咄嗟に動けるように警戒しつつもそんな風に戸惑っていた一瞬の内に、新たに現れた鬼の姿は掻き消える様な勢いで俺たちに踵を返して一直線に何処かへ向かう。

 それは、その方向は……! 

 

「不味い! あの鬼、善逸を狙っている!!」

 

 善逸は『本体』の頸を斬れなかったのか、それともまた別の不測の事態が起こったのかは分からないけれど。

 しかし、このままでは善逸が危ない。

 新たに現れた鬼は、四体の鬼のどれよりも確実に強い匂いだったのだ。

 善逸一人では、無茶な相手である。

 俺たち全員で力を合わせても、対峙出来るのかどうかも怪しい程だ。

 俺たち三人は、鬼の後を追う様にして、善逸の下へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 上弦の肆の本体は余りにも小さかった。小さ過ぎた。

 その頸は、俺の人差し指一本程度の太さもあるかどうかと言った所でしかない。

 そして、野鼠程度の大きさしかない為、地面スレスレの高さを狙わないとその頸に刃を届ける事も出来ない。

 普段なら絶対に狙う事の無い高さだ。

 この様な大きさの鬼の頸を狙う為の型など、どんな呼吸にも存在していないと断言して良い程に、余りにも小さい鬼であった。

 しかし、この鬼が紛れも無く上弦の肆の本体である事は、その身から響く悍ましい程の「鬼」の歪んだ音が教えてくれる。一体どれ程の人の命を喰い荒らせばこの様な音になるのだろう。

 ほんの僅かな合間対峙した上弦の壱の方が遥かに恐ろしい音ではあったけれど。

 この鬼の音は、それとはまた別に、どうしようも無く気持ち悪くて仕方が無い音も立てていた。

 それは、鬼として重ねて来た罪業による音では無く、この鬼の歪みに歪んだその性根が立てている音なのだろうか……。

 何はともあれ、見付けた以上はこの鬼の頸を斬らなければならない。

 

 だが、振り下ろす様にして振るった己の刃は、その小さな頸の薄皮一枚傷付ける事すら出来なかった。

 尋常では無い程に硬いのだ。こんな小ささであるのに。

 必死に振り抜こうとしても、まるで歯が立たない。

 だが、反撃の絶好の機会であると言うのに、鬼は全く此方に攻撃してくる事は無かった。

 ただただ怯えた様に喚き散らしながらその身を縮こまらせて逃げ惑うばかりで。

 もしかしなくても、己の分身の方に戦う力を傾け過ぎたのか何なのかは知らないが、この鬼の『本体』自体には攻撃する手段が全くと言って良い程に無いのかもしれない。

「儂は悪くない」と、そう譫言の様に呟き続け、そしてその身から聞こえる音は、まるで己を悪漢に襲われている無辜の人であるかの様に思っている……「思い込んでいる」事を伝えて来る。

 その音の意味を理解した瞬間、この胸に湧き起こったのは猛烈な怒りだった。

 

 この鬼は、自分は悪くないだのと思い続けて、そしてあの分身たちに全てを任せて無数の人々を襲って殺してきたのだ。卑怯なんてものでは無い。

 俺だって自分は臆病だとは思うけれど、こんな卑怯者には何があったって成り下がる事は無いと自信を持って言える程に。余りにもこの鬼は酷い音を立てている。

 鬼と言う存在の殆どはその性根が捻じ曲がった様な音を立てているのが常であるけれど、それでもそんな鬼たちの中でもこの鬼のそれは一等悍ましい音である様に俺はそう感じる。

 あの上弦の壱の方が、音としては圧倒的に恐ろしかったが、この鬼のそれの様な気色悪いそれとは全く違うものであった。

 自己中心を極めきったらこんな音になるのだろうか? 

 何れにせよ、この鬼は此処で倒さねばならない相手である事は間違いが無い。

 

 茂みの中に隠れる様にして逃げ惑うその姿を見失わない様に追い掛けて、今度は霹靂一閃でその頸を狙う。

 だが、全力で放った筈のそれも。ほんの僅かに刃先がその頸に喰い込んだだけで止まってしまう。

 振り抜く為の力が足りないのか、どんなに力を加えても其処から先には進まない。

 寧ろ、ほんの僅かではあるが刃先が欠けてしまった程である。

 

「善逸! 大丈夫か!? 鬼の『本体』は……」

 

 その時、あの分身の鬼たちをどうにかして撒いてきたのか、炭治郎たちが駆け付けて来た。

 だが、そこに霞柱の時透君の姿は無い。彼が足止めを買って出てくれたのだろうか? 

 それは分からないけれど、とにかく今はあの『本体』の頸を斬る事が重要だった。

 その為、手短に『本体』の特徴やその頸の硬さについて伝える。

 想定外な程に矮小な『本体』の姿に炭治郎も玄弥も驚きを隠せなかった様だが、何とかしてその頸を斬ろうとしていたその時だった。

 

 背後から分身の鬼たちが襲い掛かって来たのだ。

 激しい戦いの中で、どうにか『本体』の音を聞き逃さない様に捉え続けてはいたけれど。

 しかしあの小さな『本体』をこの乱戦の中を掻い潜る様にして探し出す事は難しい。

『本体』がこの場から逃げ出した事も把握しているのだが、それを追い掛けようとしても三体の鬼がそれを妨害する。

 そんな中で、一瞬の隙を突かれて炭治郎が風の攻撃を喰らってしまう。

 凄まじい勢いで吹き飛ばされて行く炭治郎を、禰豆子ちゃんが追い掛けていくけれど。

 それを慌てて追いかけると、炭治郎を庇ったのか、禰豆子ちゃんは風によってへし折られた木々の下敷きになっていた。

 守ってあげたい女の子が悲惨な状態になっている姿に、思わず悲鳴の様な声が喉から零れ落ちる。

 炭治郎と共に必死にその身体を木々の下から助け出そうとするのだけれど、何かが引っ掛かっているのか引っ張ったりちょっと木々を持ち上げる程度では抜け出せない様であった。

 そしてそんな中、禰豆子ちゃんは炭治郎の日輪刀の刃を握り締め始めたのだ。

 炭治郎はそれを慌てて止めようとするけれど、しかし禰豆子ちゃんがそれに構う事は無い。

 その音は、炭治郎の力になりたいのだと、そう言っているかの様であった。

 零れ落ちるその血が炭治郎の日輪刀を濡らしていくと、それが一気に燃え上がって炭治郎の漆黒の日輪刀を赫く染めていく。それは、悠さんが見せてくれたあの『赫刀』と言う現象と同じものである様に見えた。

 それを見た禰豆子ちゃんから、「良かった」とそう言う様な音が聞こえる。お兄ちゃんの力になれて、よかった、と。

 幾らどんな傷でも癒えてしまう鬼であっても、痛みが全く無い訳じゃない、何も感じていない訳じゃない。だから、そうやって下敷きになっている状態はとても痛い筈なのに。

 何処か安堵した様な音の中に、苦痛に苦しむ音は無い。

 

 そんな禰豆子ちゃんの覚悟を受け取って、炭治郎はその燃え盛る日輪刀で迫って来ていた鬼たちを全て一刀の下に斬り伏せた。

 まるで舞い踊る炎の龍の様な動きで一太刀で身体を斬り刻まれた鬼たちはその痛みから悲鳴を上げる。

 痛い痛いと、今までそんな痛みを何百と言う人々に平然と与えて来ていたくせに。いざ自分の番になると、ギャアギャアと喚き散らしていた。

 その様は、どうにも醜く感じてしまう。

 

 そして、禰豆子ちゃんは炭治郎にそうしたのと同様に俺の日輪刀も握り締めて、その刀身を赫く燃え上がらせた。

 守ってあげたいと心から思っている女の子がそうやって傷付いているのを見るのは嫌だった。今この状況で助けてあげられない無力がとても辛い。

 引っ張り出そうと掴んでいたその手はそっと解かれて、「行って」と言わんばかりにそっと押し出される。

 そう、分かっている。今自分が何をしなければならないのか。それは、十分に分かっている。

 どうして俺の日輪刀もこうして赫に染めたのかも、その意図も。耳に届くその音が、禰豆子ちゃんの心を教えてくれる。

 それでも、どうしても振り切れなくて。そんな俺の背を押す様に、炭治郎に諭されて。

 二人に背尾をされて漸く、俺はその場から駆け出す事が出来た。

 

 ごめん、禰豆子ちゃん。必ずあの『本体』の頸を斬るから。

 皆の為にも斬らなきゃ。少しでも早く、早く──

 

 そう心の中で謝りながら、俺はその音を頼りに全速力で駆けて、そしてヒィヒィと悲鳴を上げながら逃げ出そうとしていたその小さな身体を見付け出して、一気に霹靂一閃で踏み込んでその小さな頸を飛ばそうとする。

 先程はほんの刃先を喰い込ませる事もやっとだったその一撃は、燃え盛り赫に染まった日輪刀の力のお陰か、更に喰い込んだ。

 そのまま全身全霊の力で振り抜こうとした、その時。

 

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」

 

 

 その小さな体躯の何処から出ているのかと本気で驚く程の、凄まじい絶叫が、俺の耳を破壊する様な勢いで辺りに劈く様に響き渡る。

 長く何時までも続くそれに、ただでさえ集中していたのだから視界がグラグラと揺れる様にすら感じる。

 それでも、この頸を斬らなければと言う一心で強く振り抜こうとしても。

 しかし、その半ばまでも辿り着く前にそれ以上は刃が進まない。

 頸が硬過ぎるのだ。

 この頸は、俺一人ではどうやっても斬れない。

 

 そして、同時に自分が判断を誤った事も悟る。

 何時の間にか、背後から爆発する様に、恐ろしく悍ましい威圧感の塊の様な音が迫って来ていた。

 だが、刃がその頸に喰い込んだこの状況では、回避行動に移る事も儘ならない。

 

 更に背後から炭治郎たちの焦った様な音が追って来ているのも感じるが。

 だが、間に合わない。駄目だ。攻撃を避けられない。

 

 ドンッ! と太鼓を叩く様な音と同時に、周囲一帯に危険な音が満ちて、その直後に地面が消えた。

 まるで宙に投げ上げられるかの様に放り出された俺の身体に向かって、一瞬の内に地面から生えていた樹で出来た竜の首の様なそれらが、引き千切らんとばかりにその大きな咢を開けて迫り来る。

 回避しようにも無防備に宙に投げ出された状態では足場も無い上に、どうしようも出来ない。成す術も無く地面に落ちるだけだ。

 

 一瞬後に迫り来るのだろう痛みを覚悟して、思わずギュッと強く目を瞑ると。

 樹の龍の咢に向かって落下するだけだった筈の俺の身体は、横から凄い勢いで攫われる。

 柔らかい何かに触れている事に気付いて目を開けると。

 桜色の髪が、その視界一杯に広がっていた。

 

 

「大丈夫!? 急いだんだけど遅れちゃってごめんね! 

 これ、間に合ったかな!? もしかしてギリギリ!?」

 

 

 俺の身体をその背で抱える様にして危機一髪の所で助け出してくれたのは。

 そして、こんな危機的な状況でも明るく周囲を元気付ける様に響くその声は。

 

 

「かっ、甘露寺さん!?」

 

 

 今夜この里には居ない筈の。

 恋柱である甘露寺蜜璃であった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
禰豆子の花嫁姿を見るのが夢の一つだけれど、そう言うのはまだもうちょっと早いんじゃないかな! と思っている。
お兄ちゃんが認めた相手じゃないと、可愛い禰豆子は渡せない。でも、「可愛い禰豆子は誰にも渡さん!」とまでは思ってない。だって、本当に幸せになって欲しいから。
ただ、相手に対する要求ハードルはかなり高くなっている模様。
爆血刀に辿り着いたけれど、それでも強化されまくってる半天狗(本体)の首は落とせない。


【竈門禰豆子】
爆血刀の発想は、以前の那田蜘蛛山での戦いの際の経験が基。
爆血は鬼に対して物凄く効果があるけれど、強い鬼だと中々焼き切れないのでそれだけで鬼を殺すのは難しい。
半天狗(本体)の大きさなら、全力で握り締めて全力で燃やせば、殺し切る事は難しくてもかなり消耗させきる事は可能。
だが、余りにも小さく素早く逃げ足の早い半天狗(本体)を捕まえる事は至難の業。
善逸の事は、原作通りに鼓屋敷の時に伊之助から身を呈して庇って貰った時点でかなり気にはなっている。
自我がぼんやりしているので、それが恋の切欠になるとは本人もまだ分かっていない。
今の所、善逸に対してはお兄ちゃんの仲間の「珍妙なタンポポ」と言う認識。


【不死川玄弥】
禰豆子の血を鬼喰いしたので、今は身体能力の他にも再生力などがとても上がっている状態。
陽光を克服する寸前の鬼の血であるからか、何時もの鬼の血肉とはちょっと違うのは感じている。
どれだけ消耗しても、人を襲う様な衝動は現れないが、その分物凄い眠気に襲われる事になる。
まだ「爆血」は使えない。
もし禰豆子の血を飲んだと知られれば善逸に喚かれる事は確定的なので、黙っていようと思っている。


【我妻善逸】
守ってあげたい女の子に助けて貰った。やる時はやる男。
爆血刀状態での全力の霹靂一閃でも半天狗(本体)の首を切れなかった。首が硬過ぎる。
顔見せ程度でも上弦の壱に相対した事があったので、憎珀天の威圧感でもそこまでビビらなかった。もっとヤバい相手を知っていると言うのは何だかんだと強い。


【獪岳】
戦っていた筈の『空喜』が突然消えてビックリ。
取り敢えず、激しい戦闘音が響いてくる方向へと向かっている。


【甘露寺蜜璃】
柱としての警備担当地区が近かったから猛ダッシュで駆け付けた人。
里全体を襲っていた魚の化け物は既に撃退されていた為、最速で半天狗との戦いに滑り込んで、憎珀天の攻撃から善逸を助け出した。


【半天狗】
追い詰められる程強くなると言う厄介極まりないタイプの鬼。
一応、ある程度は分身の近くに居る必要はあると言う制約はある。
その本体の頸は、無惨汁ボーナスと本鬼の「死にたくない」・「恐い」と言う欲求から恐ろしく硬くなっており、小さな体躯には見合わない強度になっている。
具体的には、原作の黒死牟の首の硬さ並に超進化。
位置的な斬り難さ狙い難さも相俟って、もしかしたら上弦の鬼の中でも一番斬るのが難しい首であるとも言えるかもしれない。
そんな条件もあって、爆血刀を発動させていても、それ以外の補助無しでは炭治郎単体でその首を完全に斬る事は不可能(食い込ませる事は出来る)。善逸や獪岳でも無理である。
蜜璃や無一郎など柱級の実力者なら、赫刀状態であれば単独で首を落とせる。
悠なら日輪刀を一本犠牲にすれば一撃でその首落とせるが、狙いを付け辛い事には変わらないので、斬首を狙う位なら『メギド』で消し飛ばす方が早いし確実。
そしてその身体の小ささが災いして、陽の光には上弦の中でも一番弱い。『本体』が陽光に当たると逃げる間も無く一瞬で溶けてしまう。
『本体』が今までに無い程に追い詰められた事で出現した「憎珀天」が作り出す木の竜(石竜子)は、最大九本までその首を出す事が出来る、まさに八岐大蛇の様である。


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『化外の狂宴』

『番外編』を投稿した影響で、お気に入り登録での最新話へのリンクの表示や、「しおり」の位置がズレている様です。
お気を付けください。

【前回の話】
『霧を祓う者』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 伊之助と時透くんが水の牢獄の中に閉じ込められたその瞬間。

 あの時の……菜々子が拐われたと知ったその時のそれと同じ様な、焦燥感と怒りと絶望が胸の奥から湧き起こった。

 

 自分の所為だ。自分が油断したから、ちゃんと出来なかったから、間違えたから。

 あの日多分もっと上手くやる方法はあった、あった筈なんだ。

 叔父さんをもっと早く説得していれば何か変わっていたかもしれないし、或いはああやって警察署に連れていかれると分かった時点で陽介たちに連絡していれば。

 そうだ、もっと。もっと自分がちゃんとしていれば、上手く出来ていれば、こんな事にはならなかったのに。

 だから──

 

 何処かに囚われかけた思考は、二人がもがいた事によって生じた気泡が弾けた音で現実に引き戻される。

 水中に囚われた二人は、抜け出そうとしてどうにか足掻こうとしている様だけれど。

 二人を閉じ込めている液体の粘性が高過ぎるのか、足場らしいものも無い水中ではそれは叶わない様で。

 そして、そうやって動こうとする度に限界は近付く。

 

 一般的に、水中で息を止めていられるのは入念に準備をしてじっとしていても四分程度、動こうとするなら一分程度だとされている。

 二人は呼吸に秀でその肺は極めて強靭なものに鍛え上げられているので一般人が囚われているよりは呼吸が持つかも知れないが、しかし十分な準備などする様な暇もなく水中に囚われているのだ。

 どれ程長く見積もっても、五分も持たないものだと考えた方が良い。

 酸素が尽きれば低酸素状態になるし、そのまま意識も止まり心臓も止まって数分が経ってしまうと救命不可能な状態になりかねない。

 そもそも、肺に水が入ればそれだけでかなり危険なのだ。

 血鬼術で作られた液体である以上は、それを生み出した玉壺を倒せば肺に水が入ってしまってもその水は消えるのかもしれないけれど。水が肺に入ってしまった事自体による様々なダメージまでもが無かった事にはならないだろう。

 あの童磨とか言う上弦の弐の鬼の初見殺しの様な氷の血鬼術とはまた別の方向性で、この血鬼術は悪質だった。

 一刻も早くあの水の牢獄から二人を助け出さなくてはならない。

 ……でも、どうやって? 

 二人が中に閉じ込められているのにそれを凍結させる事なんて出来ないし、或いは一瞬で蒸発させる程の炎で破る事も出来ない。

 イザナギなどを召喚して強引に引っ張り出すのが一番手っ取り早いのか? 

 

 一瞬の内に脳裏を巡った思考とはまた別に、身体は反射的に二人へと手を伸ばす様に動いていた。

 しかし、それは届かない。二人を助け出すには、足りない。

 

 脱皮して半蛇の化け物の様な悍ましい姿を以て『真の姿』とやらを現したのだと玉壺は嘯き煽って来るが、そんな事はどうでも良い事だった。

 繰り出してくる拳も、別にそう脅威と呼べる程度のものでは無い。『真の姿』とやらになると肉弾戦を挑んで来るのかと感じた程度であり、十分に見切って余裕を以て回避出来る程度だ。

 激し過ぎる怒りが他の雑念を抑制するからか、思考は寧ろ何時もより冴えている位で。その動きの一つ一つをじっくりと観察するだけの余裕すらあった。

 こんなにも激しい怒りを懐いたのは、クニノサギリと対峙した時以来だろう。

 どうやれば一番良いやり方で相手を殺せるのかを冷徹に考え、実行させようとする思考が己の内で頭を擡げてくる。

 玉壺の拳が触れたものが、生物・非生物を問わず魚に変わった事には少しばかり驚いたが、要はギリシャ神話の『ミダス王の手』みたいなものなのだろう。彼方は黄金で、此方は魚と言う違いはあるが。

 魚に変化した地面の範囲を見るに、触れられた部分が魚に変化するだけで、掠った瞬間に全身が魚になると言う訳でも無いだろう。まあ、そもそも触れさせなければ何の問題も無い事だ。

 そしてそれは別に難しい事でも何でも無い。

 玉壺は己がまだ本気を出して無いなどと嘯いているが、だから何だと言うのだろう。それで慄くとでも思ったのか。

 玉壺のその動きは、クニノサギリに操られていた陽介に比べればずっと遅い。

 玉壺の戯言など、不快になるだけなのだし本気でどうでも良かった。

 今の自分にとって大切なのは、目の前の存在を殺せば確実に二人を助けられると言う事だけだ。

 なら、一瞬で消し飛ばせば良いのだ。

 

 里への被害も考えて少し威力を抑えつつ『メギドラ』で消し飛ばそうと、そう意識を僅かに集中させようとしたその時。

 何かの予兆を感じ取ったのか、()()()()使()()()()己の術の支配下にある二人を殺すと、玉壺は脅しをかけた来た。

 そして、それがただの口からの出まかせでは無い事を示す様に、水中に捕らえた二人を嬲る様に攻撃する。

 二人は、自分に対する人質だ。だから、本当にそれで嬲り殺す事は無いだろう。その筈だ。

 だが、相手は鬼だ。人の命を奪う事など何とも思ってなどいない……寧ろそれを快楽と共に弄ぶ事すらする紛れも無い悪鬼である。

 人質のつもりだったが弾みで……、なんて事も平気で起こり得るだろう。

 そして何より、水中に囚われている時点で猶予は殆ど無い。

 しかし、自分が何か動くよりも先に、玉壺は二人の命を奪えてしまう事も事実だ。

 念じるだけで二人を助けられる訳では無い以上、どうしても僅かに隙は出来てしまう。

 二人の生殺与奪の権を完全に握られている以上、下手な動きは出来なかった。

 ……このままでは不味いとは、分かっていても。

 そして、当然此方のそんな心情を分かり切っているからか、玉壺は嬲る様に攻撃を仕掛けて来る。

 それを回避する事は容易い。だが、僅かにでも反撃に出ようとした瞬間に、己の手の内に捕らえた二人に危害を加えようとする。その為、回避する事しか出来ない。

 囚われた時透くんは、そこから脱出しようとしてか呼吸の型を使った様だけれど。

 その水の牢獄は時透くんの力を以てしても破る事の叶わぬものであるのか、その抵抗は惜しくも後僅かの所で力尽きてしまう。

 

 ── 血鬼術 陣殺魚鱗!! 

 

 調子に乗ったかの様に、玉壺は激しく動き回っては周囲を破壊し、そしてその手で触れたものを魚へと変えていく。

 そして、此方を嘲笑うかの様に、伊之助と時透くんを。

『何の役にも立たない』、『無意味で無価値なもの』だと嘲弄する。

 その瞬間、心の奥底から轟々と音を立てるかの様に嚇怒の炎が湧き上がって来た様にすら感じた。

 

「……ッ! 無意味なんかじゃない、無価値なんかじゃない! 

 何の役にも立たない、だと? ふざけるなっ!!! 

 そんな事、お前が決める事じゃない。

 人の価値を、人である事を放棄したお前が囀るな……! 

 俺の仲間を、友だちを……! 大切な人たちを侮辱するな……!!」

 

 かつて人であった事も忘れて人ですら無いものに成り果てて、己の欲望のままに命を喰い荒らす事しかしない者に。

 一体何が分かる、何を量れると言うのだ、と。

 その想いは、己のものとは思えない程の激しい咆哮となって、周囲を震わせる。

 燃え滾る様な怒りが、身体を突き動かす。

 玉壺が二人に何かをするよりも一瞬でも早く、完全にこの世からその存在を抹消しようと、己の心が吼える。

 

 そして、その瞬間。

 二人を捕らえていた水の牢獄は、突如破られた。

 

「水獄牢を脱けただと!? 何故だ!」

 

 それを破られるとは思っていなかったのか、玉壺は驚いた様に声を上げる。

 自力で牢獄を破った時透くんは、既に意識が無いのかぐったりとしている伊之助を抱えて、苦しそうに咳き込みその口から水を吐き零している。

 

「大丈夫か!?」

 

 玉壺の意識の隙を突いて、一息で二人のものへと駆け寄る。

 伊之助の心臓はまだ止まっていない様だけれど、呼吸は止まる寸前に近い状態になっていた。

 少なくはない水を飲んでしまっている時透くんも、無事とは言い難い。

 地力で脱出出来た事は本当に素晴らしいが、このままでは身動きも儘ならない為危険である。

 その為急いで二人を回復させると、伊之助もゴホゴホと咳き込みつつ水を吐き出して息を吹き返した。

 

「ホホッ、どうやら手を抜き過ぎて拘束が緩くなっていた様だな。

 だが、ならば念入りに潰して殺すまで」

 

 己の自慢の血鬼術が破られた事に動揺していた玉壺は、それを「己の油断」と片付けて、ならばと何処からともなく壺をまた取り出してそこに己の手を入れる。

 すると、玉壺の攻撃によって魚に変わってビチビチと蠢いていた地面の至る所から、瞬時に蛸足が噴き出て来た。

『真の姿』とやらになってご自慢の手で殴り掛かって来るしか能が無くなったのかと思ったが、どうやらその姿でも壺を介した攻撃はしてくるらしい。

 

「無数の蛸の肉に押し潰されて愛らしい鮮魚になりながら擂り潰されるが良い!!」

 

 ご丁寧に、その攻撃の意図まで教えてくれる。馬鹿なのだろうか。

 とは言え、触れたものを魚に変えると言う玉壺の手の性質が付与されたこの蛸足を不用意に日輪刀で斬る事も不味いだろう。日輪刀が魚に変わってしまったら目も当てられない。

 成る程、確かに本来なら必殺にも等しい一撃なのだろう。

 しかし。

 

「煩い。お前のその『芸術』とやらはもう見飽きた」

 

 瞬時に呼び出した『イザナギ』が巻き起こした雷の嵐によって、此方を押し潰さんと所狭しとうねりながら迫って来ていた蛸足は、何に触れる事も無く全て消し飛んだ。水分が豊富だったのでさぞ良い弾け飛び方をした事だろう。

 そしてその雷の一撃は、玉壺の身体も打ち据える。

 流石は上弦の伍と言うべきか。一発や二発流れ弾の様な雷撃が当たった程度では消し飛びはしないが、しかしその気色の悪い半蛇男の様な半身は蛇の丸焼きの様に黒焦げになる。

 このまま完全に蒸発するまで雷を落とし続けるのもそれはそれでありかもしれないが、こんな奴に使う時間が惜しいし、炭治郎たちを助けに行かねばならないのに此処で無意味に消耗してしまう訳にもいかないだろう。

 

「何故だ! 何故だ、何故だァァ!! 私はあの方から力を与えて頂いているのに! 

 それで何故此処まで! 

 まだだ、まだ私は本気を出していない!」

 

 たった一瞬でほぼ全てが消し飛んだ衝撃からか、玉壺は喚き散らす様に叫ぶ。

 本当に煩いし見苦しい。

 玉壺の存在と発言にイラっと来たのか、回復してもまだ少し咳き込んでいた時透くんも、そして腕の中に抱えられながら水を吐いていた伊之助も。

 己の日輪刀を固く握りしめて玉壺に対峙する。

 

「本当に、鬼って連中はどいつもこいつも見苦しいんだね。

 仮にも上弦の伍のクセに。いや、だからこそ見苦しいのか」

 

「散々好き勝手やってくれやがって! その気色悪い身体を丸ごと、絶対細切れにしてやる!」

 

 呆れた様に、何処か馬鹿にした様な顔でそう煽る時透くんと。

 そして、腹に据えかねると言わんばかりに闘志を漲らせる伊之助と。

 そんな二人に、玉壺は焼け焦げた身体を再生させながら言い返す。

 

「舐めるなよ、糞餓鬼どもめ。

 高々十数年しか生きていない分際でその様な口を利いて許されるとでも?」

 

 その身体を蜷局を巻きながら持ち上げる様にして、そう脅す様に玉壺は言うが。そんなものが通じる相手は此処には居ない。

 

「何百年も無駄に歳だけ食ってきた事を自慢されてもなあ」

 

「百足みてぇに無駄に足が沢山だった姿から、ニョロニョロと更に気持ち悪ぃ見た目になってるじゃねぇか」

 

「その十数年しか生きてない糞餓鬼を相手に、人質を取って嬲ってたのに?」

 

 三者三様のその答えに、玉壺は苛立った様にそのこめかみに青筋を立てる。

 どうやら、玉壺は人を煽る割には直ぐに煽られる様だ。

 現代でSNSとかネット掲示板とかをやれば直ぐに自ら大炎上するタイプなのだろう。

 

「この美しく気高く優雅な完全なる『芸術』そのものの姿の素晴らしさを理解出来とは……哀れな者達だな」

 

 美しさも気高さも優雅さも、何一つとして微塵も感じられない姿を誇らし気にそう言いだす。

 それには、流石に三人揃って首を傾げてしまった。

 

「お前……変な位置に眼が付いてるから、鏡とかちゃんと見えてねぇんじゃねえの?」

 

「すまないが、『美しさ』や『気高さ』や『優雅さ』という言葉に、俺が知らない別の意味があるのか?」

 

「鼻がもげそうな位臭いし、ただただ気持ち悪いし……。

 あ、ごめん。美意識が根本から歪んでいるからそうなっているんだろうね」

 

 時透くんはかなり煽る為にそう言っているのが分かるが、伊之助は本気でそう言っている。

 そして、玉壺がそれに何かを反論する前に。

 時透くんは「うーん……」と首を傾げた。

 どうしたのかと訊ねてみると。

 

「いや……さっきから気になってたんだけど。

 アイツの壺、何か形が歪んでない? 

 左右対称に見えないんだよね、下っ手くそだなあ」

 

 その時透くんの一言は、どうやら玉壺の逆鱗に触れたらしい。

 まるで瞬間湯沸かし器の様に瞬時に沸き上がって、玉壺は怒りのままに吼える。

 

「それは貴様の目玉が腐っているからだろうがアアアアッ!!! 

 私の壺のオオオオ!! 何処が歪んでいるんだアアア!!!」

 

「壺と言うか、あいつの眼の位置がおかしいから、自分の作った物が正しく立体的に見えていないんじゃないか? 

 歪んでいるのはあいつの視界だろうな、多分」

 

 立体視は中々繊細なものなので、その可能性はあるだろう。

 自分では歪んでいない様に見えていても、傍から見れば……と言う事だって有り得るだろうし。

 確かにな、と伊之助も頷く。

 

「アアアアアアアアアアッッ!!??」

 

 ブチブチと、体中の血管が切れたかの様な音が玉壺から聞こえる。

 まさに怒髪天を衝いた様な勢いで、玉壺は壺を一気に取り出して、そこから再び怒涛の勢いで血鬼術の化け物たちを放出する。

 針を吐き出す金魚に、毒の魚に、蛸の足にと。

 空と地上とを埋め尽くす勢いのそれは、何とも悍ましい光景である。

 恐らくその全てに、触れるだけでそれを魚に変える様な力も付与されていると見た方が良いのだろう。

 

 数千匹近い金魚たちが吐き出してきた膨大な量の針を時透くんと伊之助が全て斬り伏せて叩き落す。

 空中から猛突進して来た毒の魚たちは全てイザナギの『雷神斬』で斬り飛ばして、そしてのたうつ蛸の足の間を、うねる様な動きで凄い速さで跳び回りながら此方に襲い掛かって来る玉壺の攻撃を三人で避ける。

 

「貴様らはその醜い頭を捥ぎ取って、愛らしい魚の頭に挿げ替えてやろう! 

 そこの『化け物』も、正しい『芸術』を解せぬその歪んだ眼は抉り出してくれる!!」

 

 玉壺は特に時透くんを集中的に狙っている様で、その動きを執拗に追い掛ける。

 だが、時透くんは一切焦る事は無く、その動きを避けた。

 

 ── 霞の呼吸 漆ノ型 朧

 

 ただでさえ時透くんのその足運びを見切る事は困難極まりない事であるが、『マハスクカジャ』によって引き上げられたその動きは、もう蜃気楼であるかの様な残像にしか捉え切れていないのであろう。

 時透くんの動きに完全に翻弄されている玉壺は、しかし自分が完全に弄ばれた状態だとは微塵も気付いておらず、未だに自分が圧倒的に優位だと思っている様で、寧ろ「遊んでやっている」と思っているらしい。

 不愉快な嘲笑の声を上げながら、無意味にその拳を振り回している。

 当たらなければどうと言う事も無いものではあるが、純粋に「邪魔」だ。

 伊之助と頷き合って、それを仕掛ける。

 

「俺を無視して余所見してんじゃねーぞ!」

 

 ── 獣の呼吸 陸ノ牙 乱杭咬み! 

 ── 雷神斬! 

 

 時透くんの事に完全に気を取られていた玉壺は、完全に意識の外にあった伊之助の一撃を避ける事は出来なかった。その右肩から噛み千切る様な切り口で腕が落ちて。

 そしてそれとほぼ同時に放った雷神斬の一撃が、左腕を上腕の半ばで切断し、ついでにその胸を深く抉る様に雷で焼く。

 イザナギの一撃に比べると威力はあまり出ないが、イザナギの雷神斬だと伊之助も時透くんも巻き込んでしまうのでこれで良いのだ。

 

 ガラ空きの胴体を『メギドラオン』などで消し飛ばす事など、恐らくは容易い事だ。

 完全に頭に血が上っている今の状態なら、壺で逃走するという発想すら湧かないだろうから逃がす事も無い。

 だが、そんな事は必要無い。既にその頸は断頭台に掛けられ、刃はもう落とされているも同然なのだから。

 

 玉壺の反応速度を上回る速さで落とされた両腕は、ほぼ同時に地面に落ちて転がって。状況を把握出来なかった玉壺が、呆けた様に「ヒョッ?」と声を上げたその瞬間。

 その背後に静かに迫っていた時透くんの、赫に染め上がったその日輪刀によって玉壺はその頸を一太刀で斬り落とされる。

 それを全く理解出来ていなかったのか、地面に落ちながらもその顔は何も理解出来ないと、混乱しているかの様に呆けたままだった。

 

「お終いだね、さようなら。お前はもう二度と生まれて来なくていいからね」

 

 一拍の後に、己の頸が斬られた事を理解したのか。

 玉壺は崩れ落ちつつあるその頸をどうにかしようと、醜く手を生やしたりしつつ抵抗して喚き散らす。

 

「くそオオオ!!! あってはならぬ事だ!!! 

 人間の分際で!! この玉壺様の頸をよくもォ!! 

『化け物』にやられるならともかく、悍ましい下等生物めにやられるなどと!! 

 貴様らの命などどれ程積み上げた所で私の方が何百倍も価値があるのに! 

 私は、選ばれし!! 優れた!! 生物なのだ!! 

 弱く!! 生まれたらただ老いるだけの!! ()()()()()()()()()を! 

 私自らが、この手!! 神の手により高尚な作品に()()()()()()()()()()()()()()!! 

 この、下等な蛆虫共──」

 

 その余りにも腐り切った妄言は、その顔スレスレの所に突き立てられた十握剣の刃によって断ち切られた。

 この胸に湧き起こった怒りがそのまま表出しているかの様に、意識していないのにも関わらずその刃は紫電を帯びていて、スレスレの所にある玉壺の頭を容赦無く焼く。

 ギャアギャアと頭は痛みに喚くが、そもそも頭だけでは動きようが無い。

 その汚らしい暴言にもう我慢ならないと言わんばかりの顔で日輪刀を構えて、玉壺の頭を斬り刻もうとしていた時透くんと伊之助が驚いた様な顔をしたのが横目に見えた。

 別に何かをしなくても、そう時を置かずしてこの頭は完全に消え去るだろう。

 既にそこからその血を回収し終えた玉壺の『真の姿』とやらの胴体部分は、もう既に殆ど灰となって消えてしまっているのだし。

 ただどうしても、こいつが消える前に聞かねばならない事はあった。

 

「お前の腐った価値観なんてどうでも良い。どの道、俺たちに負けて死ぬ事だけが事実だ。

 ただ……人を下等生物と馬鹿にするが、正直今のお前の姿はそれにしか見えない。自己紹介か何かか? 

 まあ、それもどうでも良いんだ。

 聞きたい事は一つ。

 お前が死んだら、お前の手によって『作品』にされてしまった人たちはどうなる? 

 何処かに跡形も無く消えるのか? それとも何処かに放り出されるのか?」

 

 玉壺と戦う際に見せられたあの悪趣味極まりない『作品』だけではない。

 恐らく、玉壺はあの様な悍ましいものを一つや二つなんて数ではきかない程に作り出している筈だ。

 空間容量を無視する様な血鬼術で壺の中に押し込められているのであろう、かつては誰かにとって大切な命だったその骸を、せめて弔ってやりたかった。

 それに、もし玉壺の死と共に乱雑に適当に其処らかしこに放り出されるのだとしても、それはそれで不味い事になる。そんな猟奇的なオブジェを目にしようものなら、普通に心の傷に成りえるだろうから。

 

「そんな事、どうして私が答える必要が──」

 

「このまま静かに消えるのを待ってやるか。それとも消えるまでの僅かな間に、この世に存在していた事自体を後悔して、どうか一瞬でも早く殺してくれと喚き散らす事になるか。

 どっちが良い?」

 

 イザナギを戻して別のペルソナに切り替えながら、淡々とそう訊ねると。

 玉壺は「ヒィッ」と喉の奥で悲鳴を零す。

 鬼にも状態異常を引き起こす力が有効な事は既に試してある。

 上弦の鬼相手に何処まで通じるのかは分からないが、しかし死に掛けの状態なら普通に効く可能性は高いだろう。そうでなくとも、良い実験になる。

 素直に口を割っても良いし、だんまりでも。正直どちらでも良かった。

 ただ、あまり時間の余裕は無いので、選択の為に与えてやる猶予はほぼ無いが。

 

「今から五を数える間に選んでくれ。

 五、四、三、二、一……」

 

 ちゃんと数え上げながら待つと。「分かった」と、玉壺は悲鳴の様な声を上げる。

 

「私の『作品』は全てとある場所に保管してある! 

 私が消えても、そこに残っている筈だ!」

 

「その場所は?」

 

 訊ねてもだんまりを貫こうとしたので、威圧を兼ねて少し強めのペルソナに切り替えて再度尋ねた。

 すると、途切れ途切れにだが、とある場所について口を割る。

 後で連絡して、隠の人たちなどに確認を取って貰う必要があるだろう。

 取り敢えず、その名前をキッチリと記憶しておく事にする。

 そして答え切った事に安堵する様な気配を漂わせている、もうその頭部も殆ど消えかけている玉壺に対して、ペルソナの力を使った。

 

「── オールド・ワン」

 

 相手を強制的に老化させると言う、ペルソナ使いにとっては厄介ではあっても放っておけばその内治るし対抗策もちゃんと存在するが故に脅威度は低いその力は。消えかけの玉壺の首に対しては劇的な効果を顕した。

 灰になって崩れ行きつつも老いの影など微塵も無かったその首は、瞬く間に枯れ行く様にして干乾び罅割れて。

 まだ少し残っているその喉から零れる呻き声の様なその声は、年月を感じさせる様な掠れたものになっている。

 

「老いていく下らない命……だったか? 

 良かったな、お前もその下等生物とやらと同じだ」

 

 その口は何かを言おうとして微かに動いたが、もう罅割れて崩れ落ちたそこからは何も発される事は無かった。

 ペルソナの力はまだまだ止まらず、まるで早回しの映像を見ている様に玉壺は枯れていく。

 端から灰になって消えて行くのと同様に、枯れ果てきったその首は風化するかの様にも崩れて。

 そして、終には完全に塵一つ残さず消え去った。

 

 

「……取り敢えずは、終わった、な。

 まあ少しでも早く炭治郎たちの所に行かないといけないけど」

 

 玉壺が完全に消え去るのを見届けて、一つ安堵の溜息を吐く。

 まだ炭治郎たちが半天狗と戦っている事は確かなのだが、しかし確実に上弦の鬼を倒せた事は喜ばしい事だと言っても良い事だ。

 

「うん、そうだね。早く炭治郎たちの所に行かないと」

 

「炭悟郎たちも戦ってんのか!?」

 

 頷いた時透くんに、伊之助が驚いた様な声を上げる。

 伊之助はここでずっと魚の化け物や玉壺と戦っていたので、里全体の状況はまだ分かっていなかったのだ。

 大事な仲間がピンチだと言う事で、伊之助は早く行こう行こうと鼻息を荒くする。

 

「ああ、勿論だ。

 ……それはそうと、時透くんも伊之助も、身体の方は大丈夫なのか?」

 

 一応ペルソナの力で癒してはいるのだけれど、しかし溺死寸前の状態を癒したのは初めてなのでかなり心配である。

 今の所不調を訴える感じでは無いけれど、しかし二人とも少なからず水を肺に吸い込んでしまっている様なので、気を払っておくべき事なのは確かだ。

 二次溺水と言って、水を吸い込んだ事が原因で少し経ってから呼吸が苦しくなってきたりする事もある。

 

「俺は平気だ!」

 

 厳しい山育ちだからな、と。一体それがどう繋がるのかは分からないけれど、伊之助はそうフスンっと鼻息と共に腕を組んで健康体である事をアピールしてくる。

 何度も技を使っていた時透くんの方はと言うと、苦しそうな感じでは無いけれど、しかし何時もと少し様子が違う気がする。

 何処と無くぼんやりとしている事が多いその眼差しが、しっかりとしていると言うか……。

 

「どうした、時透くん。何かあったのか?」

 

 そう訊ねると、時透くんは「あの」とそう意を決した様な顔をする。

 

「僕、思い出したんだ。自分の大切なものを、取り戻せた。

 悠と、炭治郎と、伊之助のお陰だ」

 

 ありがとう、と。極自然な調子でそう言葉にした。その目からは、ずっと浮かんでいた焦燥感に似たそれはすっかり薄れている。

 ああ、時透くんは自分の記憶にかかった霧を晴らす事が出来たのだ。

 一体何が最後の切欠であったのかは分からないし、それを一々聞き出したい訳では無いけれど。

 思い出したそれは、幸せなものばかりでは無いのだとしても、時透くんにとっては何にも代え難い大切なものだったのだろうとは分かる。

 それを取り戻す為の力に少しでもなれたのなら、それ以上の事は無い。

 

「そうか、それは良かった。

 時透くんの力になれて、俺も嬉しいよ」

 

 きっともう時透くんは大丈夫だろう。大切なものが己の心の中にしっかりとある人はとても強い。

 今まで以上に、時透くんは強くなれる。

 

「ふーん? よくは分かんねぇけど、つまりは俺のお陰という訳だな!」

 

 俺を崇め讃えても良いぞ、と。そんな事を言い出す伊之助に、時透くんは少しおかしそうに笑い出した。

 今までなら、真顔で正論を言って切って捨てていただろうに。

 時透くんは、やはり確実に変わったのだ。それもきっと、とても良い方向に。

 そうやって小さな事で笑えるなら、きっとこれから先も大丈夫だと、そう思う。

 

「あと、僕の事は無一郎で良いよ、悠」

 

 寧ろそう呼んで、と。そう言われて。

 時透くん……いや、無一郎に、分かったと頷いた。

 その時、無一郎との間に生まれていた【月】の絆が、完全に満たされ切った事を感じ取る。

 八十稲羽で『真の絆』を結んだ時と同じその感覚は、懐かしくも温かい。

 そして、それは自分に更なる力を与えてくれる。

 玉壺との戦いの中で消耗した分が、一気に全部吹き飛んだかの様だった。

 

「よし、じゃあ炭治郎たちの所に急ごう。

 ……あ、でも、鋼鐵塚さんたちの事はどうしようか……」

 

 早速皆を助けに行こう、と。そう意気込んだ瞬間、この近くに居る鋼鐵塚さんたちの事が脳裏を過る。

 此処に置いて行くと言うのも不味いだろう。

 里の方の避難がどれ程進んでいるのかはまだ分からないが、しかし里の中心からは大分離れたこの山の中まで手が回るとは思わない。

 出来るなら、里の方に降りて一緒に何処か安全な場所に避難して欲しいものなのだけれど。

 ただ、炭治郎の日輪刀を研磨する事に全身全霊で集中している最中の鋼鐵塚さんは恐らく梃子でも動かぬだろうとの事だ。

 最初に作業小屋が魚の化け物に襲われた時も、全く気付いていないかの様子で手を止める事無く粛々と研ぎを続けていたらしい。

 そしてそれは無一郎が自分の日輪刀を取りに行った時も変わらない様子で。

 無理に動かそうとしても、何なら誰かに運ばれながら研ぎを続けそうな勢いであると言うのだ。

 プロフェッショナル根性と言うのか、究極の職人気質と言うのか。本当に凄いし尊敬するのだけど、正直今は逃げて欲しいと言うのが本音である。

 

「置いて行く訳にはいかないしな……。

 どうにか鋼鐵塚さんを動かす事が出来れば良いのだけど……」

 

 もういっその事、大きめのペルソナを呼び出してその背中に載せるとか手に載せて移動するとか、そうでもしないと鋼鐵塚さんは動かせないんじゃないだろうか。

 しかし鋼鐵塚さんを強制的に移動させられる様な大きさのペルソナとなると、今呼び出せるものだと結構限られてしまう。

 その背丈は地上から天まで届くと記されているそれよりは流石に小さいがそれでも十分以上に巨人と呼べる大きさの『サンダルフォン』とか、流石にインド神話のスケールそのままでは呼び出せないが十分以上に大き過ぎる『ヴィシュヌ』とか、或いは巨大なドラゴンの姿をしている『セト』とか。まあそんな所になってしまうのだろうか。

 だが、こう……呼び出して良いのかをちょっと迷う面子である気がする。

 いや、戦闘中に必要なら勿論呼び出すのだが。しかし、いきなりそんな相手が出てきたら、集中し過ぎて周りが見えていない鋼鐵塚さんはともかく、鉄穴森さんや小鉄くんが仰天してしまいそうな気しかしない。

 出来るだけ早く炭治郎の所へと辿り着きたいし、しかし鋼鐵塚さんたちをどうしたものか、と。そう考えていると。

 

 

 ── ベンッ! ベベンッ!! 

 

 

 上空で琵琶の音が、二度鳴った。

 その途端に、本能的な部分がその危険を知らせる様にがなり立てる。

 想定していた中でも【最悪の事態】がまさか此処で起きるとは。

 そして、それに反応して構えようとした二人を押し倒す様にその場から飛び退く。そしてその直後に、その場には上から降って来た者()()が、土煙を巻き上げながら姿を現す。

 

 

「また……こうして相見えるとはな……。

 あの時の首の借りは……返させて貰おう……」

 

「お前が『化け物』とやらか。

 ……確かに、妙な男だ。闘気が練り上げられているという訳では無いが……異質な事は見るだけでも分かる。

 至高の領域からは遠い……だが、ある意味ではそこを越えてもいるのかもしれない。

 面白い。今まで長く研鑽を続けて来たが、お前の様な者を相手にするのは初めてだ!」

 

 

「思う存分に殺し合おう」と、そう嗤った上弦の参の鬼と。

 その異形の刀を抜き放ち構えた上弦の壱……かつては『継国縁壱』の兄であった「黒死牟」が。

 新たな敵として、立ち塞がっていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
二人が水の中に囚われた時は実はかなりSAN値ピンチ状態。
無一郎が自力で脱出してくれて良かった。
自分でも自覚している以上に玉壺に対しては滅茶苦茶怒っている。なので、最後の最後でああした。
メギドラオンで跡形もなく吹っ飛ばしたいと物凄く思っていたけれど、無一郎たちがちゃんと勝てるならそう言う事はしちゃいけないと自制したので最終的には援護に徹している。
一難去ってまた一難と言う状況に、正直もう勘弁してくれと本気で思った。


【嘴平伊之助】
悠から補助されれば、金剛石よりも硬いとご自慢の玉壺の身体を切り裂けるだけの力が出る。
無一郎の事はちゃんと仲間だと思ってる。ただ、子分と言うと怒られるので子分ではない。
ズンビッパの仲になるかはまだ不明、でも両者とも(ついでに炭治郎も)山育ちなので普通に仲良くなれる可能性は高い。


【時透無一郎】
記憶を取り戻してパワーアップしている。
その高い煽り力も、言葉を選べなかったからの毒舌が、言葉を選んで全力で抉ってくる毒舌に進化した。
自分の記憶を取り戻す切っ掛けになった、炭治郎と悠と伊之助とは特に仲良くなるし、一緒に里の防衛戦をした玄弥や善逸(と獪岳)ともかなり親しくなる模様。でもそれ以外の一般隊士には基本的に塩対応。
伊之助とズンビッパの仲になれるかはまだ不明だが、十分以上にその可能性はある。


【玉壺】
真の姿の状態の時に出した魚やら蛸足やらにも『神の手』効果を乗せられるという実はかなりヤバい奥の手を持っていた。しかし、玉壺が使役するそれらの数は膨大極まりないので、その全てに『神の手』効果を乗せると物凄く消耗が激しいので燃費はかなり悪い。
ただ、触れさえすれば日輪刀だろうと問答無用で魚に変えられるので、対抗手段が近接戦闘しかない剣士たちにとっては相性最悪の奥の手であり発動させさえすればほぼ勝ちが確定するも同然。
しかしまあ……相手が悪かった。
ちなみに、物理無効以上が発動している場合の悠には『神の手』は効かない。
その首は半天狗程滅茶苦茶な硬さではないけれど、それでも普通の日輪刀だったら柱でも(悲鳴嶼さん以外)まず斬れない硬さであった。が、無一郎の赫刀の前にはあっさり落ちる。
「タルカジャ」を掛けてなかったら危なかった。
『作品』にされてしまった人々の亡骸は後日鬼殺隊によって無事回収され、身元が判明した者はその縁者のもとへ、残念ながら身元不詳の場合は鬼殺隊の合同墓地に葬られる事になった。


【黒死牟】
以前の遭遇時に首を落とされた事で実は内心物凄い重くドロドロとした殺意やその他の感情を悠へと向けている。
なお、前回悠に言われた言葉の棘はまだ強く突き刺さっている模様。
最初から本気モード。


【猗窩座】
猗窩座本人の悠への関心は、実はそこまで高くない。
黒死牟の首を落としたり、童磨を消滅寸前まで追い詰めた事には興味があるけれど、それだけで。
戦ってみたいと言う欲求はあるが、黒死牟の様にドロドロした殺意や、童磨の様な狂った信仰を捧げている訳では無い。
しかしその心の奥底に眠っている狛治殿は少なからず関心を向けている模様。


【鬼舞辻無惨】
忌々しい日輪刀を作り出す刀鍛冶の里を滅ぼそうとして半天狗と玉壺を送り込んだら、その場に『化け物』が居て慌てる。
玉壺の目を通して事態を把握して、急遽黒死牟と猗窩座を招集して送り込むが、それよりも少し前に玉壺が倒されてしまった。(玉壺との戦いは、悠が玉壺と遭遇してから十五分も掛からずに終わってしまったので)


【童磨】
『神様』と戦いたかったのに、まだ身体が治りきってない。
あと一二週間あれば根性で治していた。
なので、今回は残念ながらお留守番。
玉壺の視界を通して『神様』の姿を見る事が出来てキャッキャとはしゃいでいる。
黒死牟殿と猗窩座殿は、是非とも頑張って色んな『神様』の力を引き出して欲しいと物凄く期待している。


【半天狗】
無惨通信で、同じ里に悠が居る事を知った。何があっても絶対遭遇したくない。
弱者を甚振る悪人どもめ……!





【もしもの話その2】
『特捜隊メンバーが上弦の鬼などと戦った場合』(悠抜き)

《妓夫太郎&堕姫》
陽介:メギドラまでは使えるので比較的楽。
千枝:毒に当たると厳しい。
雪子:妓夫太郎たちは死ぬが、吉原大炎上。
完二:毒に当たると不味いので割と厳しい。
クマ:楽勝。
直斗:かなり楽。周囲の被害は大きめになりやすい。
陽介&クマ:物凄く楽。
千枝&雪子:吉原大炎上。
完二&直斗:周囲の被害は大きめ。
男子組:安定感がある。
女子組:りせのナビが強い。


《玉壺》
陽介:安定して戦える。結構楽。
千枝:かなり楽。
雪子:焼き魚の完成
完二:『神の手』を出されるとちょっと辛いがその前に倒せる。
クマ:冷凍魚の完成
直斗:メギドラオンで消し飛ばせる。
陽介&クマ:楽勝。
千枝&雪子:楽勝。
完二&直斗:楽勝。
男子組:楽勝。
女子組:楽勝。


《半天狗》
陽介:周囲を纏めてメギドラで吹っ飛ばせる。
千枝:分身は楽勝だが本体を探すのが大変。
雪子:里が燃える。
完二:分身は余裕で倒せる。本体探しは……。
クマ:問答無用で広範囲を凍結させれば本体も何とか。
直斗:周囲の被害を顧みないのならメギドラオンで。
陽介&クマ:楽。ただし電撃弱点なので積怒には注意。
千枝&雪子:楽だけど被害が凄い事に。
完二&直斗:楽だけど被害は大きめ。
男子組:まあ楽。
女子組:まあ楽。


《猗窩座》
陽介:接近戦に持ち込まれるとちょっと困るけど倒せる。
千枝:戦闘にならない
雪子:戦闘にならない
完二:パワーで押し勝てる。
クマ:周囲ごと凍結させれば勝てる。
直斗:戦闘にならない
陽介&クマ:比較的楽。
千枝&雪子:戦闘にならない。
完二&直斗:比較的楽。直斗は襲われない。
男子組:楽。
女子組:戦闘にならない。


《童磨(強化前)》
陽介:普通に勝てる
千枝:攻撃をほぼ無視して物理でゴリ押し
雪子:お互いに相手の有利判定を取れる。華焔で燃やせる。
完二:高耐久でペルソナでゴリ押しして戦えば押し切れる。
クマ:童磨の攻撃は効かないが、自分の攻撃も今一つ。
直斗:短期決戦で如何にはやくメギドラオンするか。
陽介&クマ:普通に勝てる
千枝&雪子:楽
完二&直斗:楽
男子組:楽
女子組:楽


《童磨(強化後)》
陽介:頑張れば勝てる。
千枝:物理ゴリ押しで勝てる。
雪子:華焔を撃つか、相手から攻撃されるかの早押し勝負。
完二:凍結ダメージを無視して物理でゴリ押し。
クマ:ダメージは無いが決定打も無い。
直斗:メギドラオンは概ね万能。
陽介&クマ:まあ勝てる
千枝&雪子:楽
完二&直斗:楽
男子組:まあ楽
女子組:楽


《黒死牟》
陽介:黒死牟の攻撃を回避する余裕ならある。
千枝:範囲攻撃と範囲攻撃の潰し合い。
雪子:燃やせるなら勝てる……!
完二:高耐久で耐えながら一撃を決める。
クマ:倒すよりも足止めが向いている。
直斗:メギドラオン。
陽介&クマ:勝てる。
千枝&雪子:勝てる。
完二&直斗:楽。
男子組:比較的楽。
女子組:楽。
二年生組:比較的楽。
一年生組:楽。


《鬼舞辻無惨》
陽介:夜明けまで耐久が辛い。メギドラで何処までやれるのか。
千枝:持久戦が辛い。
雪子:コンセ+華焔で燃やしきれるかが勝負。
完二:持久戦は辛いが、悲鳴嶼さん以上の盾として大活躍。
クマ:持久戦は辛いが回復での支援ならおまかせ!
直斗:コンセ+メギドラオンなら倒せる。
陽介&クマ:勝てる可能性は十分ある。
千枝&雪子:勝てる可能性は十分ある。
完二&直斗:勝てる。
男子組:勝てる。
女子組:勝てる。
二年生組:勝てる。
一年生組:勝てる。


《余談》
りせはナビ専用であり単体戦闘能力が無いので誰と戦っても勝てませんが、しかし誰かと一緒に戦うと凄まじい力を発揮します。
具体的に言うと、原作無限城戦の状況になっても誰一人死なせずに全部の戦闘をサポートしきって無惨戦に到達出来ます。

また、雪子のペルソナが「スメオオミカミ(=アマテラス)」な事を考えると、雪子がペルソナを召喚した時点で無惨を含めた鬼全てに特効が入るのかもしれませんね。


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『蹂躙する暴威』

【前回の話】
『虚ろな憎悪』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 新たに現れた鬼がその背に背負った太鼓の一つを叩いた瞬間、地面から爆発する様な勢いで巨大な樹で形作られた竜の首が何本も姿を現した。

 噴き出す様に姿を現したそれは、周囲の岩盤を捲り上げながら猛烈な勢いで成長しながら枝分かれし、最終的には巨大な九の首を備えた竜の姿になる。

 そしてその竜の首は、それらが姿を現した際に宙高くに放り投げた善逸を狙って、その巨大な咢で咬み潰さんとばかりに迫った。足場も無い空中では霹靂一閃で避ける事も難しく、善逸に成す術は無い。

 だが、その巨大な顎が善逸の身を呑み込むその寸前に。

 樹の竜の首を斬り刻みながら凄まじい速さで駆け上った影が、善逸の身体を搔っ攫う様にしてその場から助け出す。

 白い羽織を揺らし、まるで布の様にすら見える不思議な日輪刀を手にしたその人は。

 

「甘露寺さん……!!」

 

 一週間近く前にこの里を発って行った、恋柱の甘露寺さんだった。

 何故此処に。救援要請を受けて駆け付けてくれたのだろうか。

 どうであるにせよ、何よりも心強い援軍だ。

 

「大丈夫!? 急いだんだけど遅れちゃってごめんね! 

 これ、間に合ったかな!? もしかしてギリギリ!?」

 

 周囲を破壊する様にその咢で咬み砕こうとする竜の首の攻撃を足場など無い空中でも柔軟に避けたり斬ったりしながら、甘露寺さんは善逸を背に乗せた状態で竜たちから離れた場所に軽く着地する。

 

「あなた、善逸君よね! 頑張ったね、偉いぞ!!」

 

 素早く善逸を降ろした甘露寺さんは善逸を偉い偉いと褒め倒してから、その変わった日輪刀を子供の姿の鬼に向かって構える。

 

「ちょっとキミ、おいたが過ぎるわよ! 

 私、怒っているんだからね!」

 

 プンスコと音が聞こえてきそうなその言葉に、鬼が構う様子は無い。

 

「弱き者を甚振る鬼畜。不快、不愉快、極まれり。

 極悪人共めが……消え失せるが良い」

 

 子供の姿の鬼……その背に背負った太鼓に刻まれた「憎」の文字を見るに恐らくはその名を持つのであろう鬼は、そう言ってその背の太鼓を一つ打ち鳴らす。

 すると、何時の間にかその鬼の近くにまで逃げていた『本体』が、地中から伸びて来た木の根に囲われる様にして頑強な檻の中に自ら閉じ籠った。

 

「クソッ! 逃げるなっ! この、卑怯者っ!!」

 

『本体』からは終始「怯懦」の匂いしか感じ取れない事が、神経を逆撫でするかの様に苛立たせる。

 そしてその憤激のままに、俺は声を張り上げた。

 善逸もその耳でこの鬼の卑劣さを嫌と言う程に感じ取っているのか、怒った様にその眼差しに険を宿らせている。

 

 この鬼は、恐らく今までもそうやって逃げ回って、何をしても死なない分身に己の障害を全て叩き潰させてきたのだ。

 だがそうやって矮小な体躯となって無力な弱者を装っていても、その性根の悍ましさは全く隠せていない。

 その怯え切った匂いの更に奥、今懐いている感情の匂いでは無く、その身に染み付いた「性根」としか言えないものの匂いは、余りにも醜悪であった。

 以前浅草で遭遇した鬼舞辻無惨の匂いも、この世のものとは思えない程に臭かったが。

 この鬼から感じる匂いは、それとはまた別の感じではあるが同程度に腐り果てた匂いである。

 しかも、この鬼から感じる「人食い鬼」としての匂いは、今までに対峙した事のあるどの鬼よりも強い。

 あの猗窩座と名乗っていた上弦の参の匂いよりも、更に酷い臭いである。

 恐らく百人や二百人なんて数では到底足りないだろう人の命を、この鬼は貪り食っている。

 己を弱者だと阿り憐れみを誘いながら、その実醜悪な本性のままに命を貪り喰らう。

 それを、悍ましいと言わずして何と言うのか。

 

「何ぞ? 貴様ら、儂のする事に何か不満でもあるのか? 

 のう、悪人共めらよ」

 

 俺の言葉に、「憎」の鬼はギロリと此方を睨みつけて来る。

 不快極まりない、と。間違いなくそう言っているその視線に、「ふざけるな!」と叫びたくなる。

 恐らく、この「憎」の鬼は強い。先程まで戦っていた四体の分裂鬼の何よりも、その四体全てよりも。

 その圧倒的な威圧感が、それを何よりも雄弁に語る。

 だが、それが何だ。

 心を奮い立たせ、その奥底に決して消えぬ火を灯す様に、日輪刀を強く握り締めて大きく息を吸う。

 禰豆子の力によって赫く染まっていた刃は、血鬼術の基となる禰豆子の血を燃やし尽くしたからか既に元の黒刃に戻っているけれど。しかし、この鬼を許してなるものかと言う、その強い意志は変わらず此処に在る。

 さっきまでと同様に、幾ら強かろうとも『本体』では無い以上は「憎」の鬼を幾ら攻撃した所で鬼を倒す事は出来ない。

『本体』がその近くに隠れてしまった以上は、「憎」の鬼を無視して戦う事は出来ないが。

 しかし、この場には柱である甘露寺さんが居る、善逸が居る、玄弥が居る、禰豆子が居る。

 なら必ず、繋げてみせる。鬼の頸を斬る為に、必ず。

 

「……どうして。どうして、俺たちが『悪人』なんだ?」

 

「斯様な事も分からないとは。無知故の悪行か。

 それは決まっておる。『弱き者』を甚振るからよ。

 のう、先程貴様らは手の平に乗る様な『小さく弱き者』を追い詰め斬ろうとした。

 何と言う極悪非道。これはもう鬼畜の所業だ」

 

 しゃあしゃあと、さも当然の様にそう語る鬼の言葉に。その場に居た甘露寺さん以外の全員から怒りの匂いが立ち上ったのを嗅ぎ取る。

 状況がよく分かっていない甘露寺さんも、戸惑いつつも鬼の滅茶苦茶な論理には反発を感じている様だった。

 

「『小さく弱き者』だと? 誰の事を言っている。

 お前の本性は分かっているぞ。

 弱者を装い他人を貪る、己の醜さを顧みない薄汚い卑怯者だ……!! 

 何百人喰った? 何百人殺してきた? 

 その内の何人に、お前が言う様な罪があった? 

 人の命を何百と貪り食っていながら被害者ぶるその捻じ曲がり腐り果てた性根で何を語る……! 

 お前はただの醜い卑怯な悪鬼だ! 絶対に許さない!! 

 その頸、必ず斬り落としてやる……!!」

 

「自分の行いを顧みる事も無く自分以外に全部押し付けてるお前の心の音は、今まで聞いた事も無い程に最低だ。

 お前が言う、『小さく弱い者』の姿ですら、何処までも卑怯で自分勝手なその心の現れなんだろう! 

 鬼畜は、極悪非道は、お前自身の事だ!」

 

 鬼の言葉に反駁するかの様にそう叫んだ俺に続いて、善逸も本当に許さないとばかりに叫ぶ。

 俺が匂いから感じているものとはまた別の醜悪さを、その耳は捉えているのかもしれない。

 何であれ、この場にこの鬼のその言葉を許している者など居ない。

 玄弥は黙ってはいるがその額に青筋を浮かせているし、意味のある言葉を話せない禰豆子も怒りを抑えている様に唸る。

 この場の誰の胸にも、信じ難い程に醜い鬼のその言葉に、その心の内に怒りの炎が燃え上がっている様だった。

 この鬼が、鬼となったから此処まで歪んだのか、それとも生来そうであったのかなどもうどうでも良い。

 ただとにかく、目の前の存在が強大なものである以上に醜悪極まりないものである事だけが間違え様の無い事実だ。

 

「よく分からないけど、君がとっても悪い奴だって事は分かるわ! 

 見た目が子供でも許さないんだから!」

 

 そう言って甘露寺さんはその変わった形の日輪刀を構える。

 しかし、甘露寺さんはまだその鬼が『本体』では無い事を知らない。

 

「甘露寺さん! そいつは鬼の『本体』じゃない! 

 上弦の肆の本体は、アイツの近くにあるあの木の檻の中に隠れています! 

 でも、鬼は野鼠程度の大きさしかないのに、その頸は尋常じゃ無い位に硬いんです!」

 

「そうなの!? 分かったわ! 

 じゃあ、何とかしてみせるから!!」

 

 甘露寺さんがそう答えるなり、鬼はその動きを見せた。

 

 ドドドドドドドドドと、絶え間なくその太鼓を叩くと。

 九本の樹で出来ている筈のその首がグネグネと動き回り、そしてあの「喜怒哀楽」の分裂鬼たちの力を以て周囲を蹂躙する様にばら撒き出した。

 その全ての威力が、あの分裂鬼たちが使っていたそれよりも更に強いものになっている。

 それだけではなく、複数の分裂鬼の能力を同時に重ねて使えるらしい。

 烈風が、雷撃が、強烈な斬撃が、五感を狂わせる程の爆音が。

 俺たちを蹂躙するかの様に四方八方から絶え間なく降り注ぐ。

 一応、木の竜を動かす際には鬼がその背の太鼓を叩く必要があるようだけれど、それを止める事も難しい。

 其々の首は凡そ六十六尺の長さがあり、其々の頭部は俺たちの中で一番体格が良い玄弥ですら一飲みにしてしまう程に大きい。木である為にその中心の場から動く事は無い様だが、しかし『本体』がその中心付近に籠城している以上は接近しない事にはどうする事も出来ない。

 しかも、血鬼術によって操られているだけの樹であるからか、斬り刻もうが何をしようが、竜の首が怯む様な事も無いし、斬った所で直ぐ様に回復してしまう。

 ただ、その竜の首の硬さ自体は物凄く硬くてもあくまでも樹木のそれの範疇であり、あの『本体』の頸とは違って俺たちでも斬れる範疇である事だけは唯一の幸いとも言える。

 

 ── 恋の呼吸 参ノ型 恋猫しぐれ! 

 ── 恋の呼吸 陸ノ型 猫足恋風! 

 

 俺たちを圧殺するかの様に絶え間無く降り注ぎ続ける攻撃を、甘露寺さんがその独自の呼吸で攻撃ごと切り裂くと言う離れ技をやってのけて少しの隙を作り、そして僅かに生まれたそれを逃す事無く鬼の攻撃を回避し往なし時に斬っていく。

 どうにかまだ致命的な状態は避けられているが、しかしこのままでは甘露寺さんの負担が大き過ぎる。

 大技の連発なんて、そう長くは持たないだろう。

 幾ら甘露寺さんが柱でも、人間である以上は何処かで体力の限界が来る。

 それは余りにも不味い状況だ。

 何よりも、赫刀の状態にしても善逸でも『本体』の頸を落とせないのなら、今この場で『本体』の頸を落とせる可能性があるのは甘露寺さんだけだ。

 ならば、こんな所で徒に消耗させる訳にはいかない。

 

 しかし俺たちに出来る事は、とにかく足手纏いにはならない様に攻撃を回避する事位で。

 どうにか隙を縫って『本体』が逃げ込んだ木の檻に近付けないかとは試みてはいるものの、怒涛の攻撃を前にすれば攻撃に当たらない様にするだけでも精一杯だ。

 一度でも掠っただけで満足に動けなくなるだろう程のその攻撃を前にすれば、身を捨てる様に特攻した所で何の意味も無い。

 玄弥の弾丸も、あくまでも血鬼術で操られた木でしかない相手に対しては大した有効打にはならない様で、その動きを止める効果は発揮されない様だ。

「憎」の鬼本体に撃ち込むならまだ効果があるのかもしれないが、縦横無尽に動き回る九本の竜の首がそれを許さない。

 禰豆子に再び赫刀の状態にして貰えれば、斬った竜の首が再生するまでの時間を稼げるのかもしれないが。

 しかし、禰豆子にそれを頼むにしても即座に出来る訳では無いのだし、どうしたって隙は出来てしまう。

 そして、この状況下ではそれは命取りに他ならない。

 鬼の攻撃のその大半は甘露寺さん一人に集中している。

 甘露寺さんこそがこの場を支えている最も強い相手だと理解しているからだろう。

 しかし、甘露寺さんに向けられたものと比較すると大した事は無い程度の力であっても、俺たちにとっては必死に避けなければならないものである。

 そして甘露寺さんも尽きる事の無い怒涛の攻撃に防戦一方になってしまっていて、『本体』を狙える状況では無い。

 せめて、あと一人。柱では無くても、この状況を少しでも好転させられる誰かが来てくれれば。

 ほんの僅かな隙でも生まれれば、と。

 そう思っていても、そんな都合の良い事は早々に起きない。

 

 上空から降り注ぐ雷撃と共に周囲一帯を叩き潰す様に吹き下ろされた烈風をギリギリの所で回避して。

 咬み潰そうと迫って来た竜の頭を、三人がかりでどうにか斬って。

 直後に背後から浴びせ掛けられた爆発する様な音圧の暴威を、玄弥に押し倒されながら飛び退く様にしてどうにか全員で回避して。

 横薙ぎにする様に無数に放たれた電撃を纏った斬撃の数々を、甘露寺さんを狙う為に俺たちの通り過ぎようとした竜の首に刀を突き立ててしがみつく様にしてどうにか回避して。

 周辺の森全体が、鬼の攻撃によって見る見る内に更地になりあちこちが陥没していくのを冷や汗と共に感じながら。

 とにかくどうにか生き延びる事だけでもかなり精一杯である。

 

 悠さんと時透君と一緒に特訓していなかったら、絶対にもう死んでいた。

 悠さんが、上弦の壱の攻撃の再現だと言ってやってくれていたそれを経験していなければ、もう既に死んでいたと思う。

「憎」の鬼のその攻撃はもう滅茶苦茶でまさに「化け物」と呼んでも良い様なものだけど。

 でも、悠さんが再現した上弦の壱を想定した攻撃の方がもっと速かったのだ。

 手数と物量で圧倒してくる鬼の攻撃は厄介だが。

 僅かに意識を逸らした瞬間にはそれを知覚する事すら出来ずに切り刻まれているだろうと確信してしまう様な、上弦の壱を模倣したそれに比べれば()()()()だ。

 それに……もっともっと()()()()()()()()()()と立ち向かった事がある様な気もする。

 そんなの何時の事なのか思い出せないけれど。

 ただ何であれ、今この瞬間に生きていられるのは、色んな人たちが助けてくれたお陰なのは確かだ。

 それでも、まだまだ足りない。俺は弱い。

 回避に専念するしか無い防戦一方の状況を打破するには至らない。

 あの鬼の意識は殆ど此方には向いていないのに、それでも隙を衝く事すら困難なのだ。

 夜明けまではまだ遠く、夜は長い。

 それまでをずっとこうして耐え続けると言うのは無理だ。

 人間は無限には動けない。

 俺たちも、そして甘露寺さんも。

 夜明けまでこうして戦い続けるのは無理だ。

 特に、甘露寺さんは怒涛の如き攻撃を防ぐ事に手一杯で、ほんの少しも回復に回せていないのだ。

 俺たちよりも先に限界が来てしまう可能性だってある。

 

 しかし鬼の方も、容赦無く攻撃を仕掛けているのに、柱である甘露寺さんはともかく、俺たちですら殺せていない事に苛立ったのか更に一段と激しく太鼓を叩く。

 

 ── 血鬼術 無間業樹

 

 その途端に、九本の竜の首の至る所から、枝が伸びる様に無数の様々な大きさの竜の首が生えた。

 幹であるその首の大きさを超えるものは無いが、ただでさえ九本の首を相手にするだけでも精一杯になっていたのに、この数では果たして回避出来るのかすら怪しい。

 枝分かれした首が発する術の威力は、幹から放たれるそれに比べると多少マシではあるけれど。

 しかし、もう空間の全てが滅茶苦茶になる程に術が全てを埋め尽くす様に飛び交っている。

 一旦攻撃が届かない場所に退避する事すらも困難だ。

 どうにか必死に避けるが、もう辺り一帯に血鬼術の濃過ぎる匂いが撒き散らされ、耐えず響く轟音に耳もまともに聞こえているか怪しい。周りが何がどうなっているのかも殆ど分からなくなる。

 

 そして、近くで爆音が鳴り響いた事で少なからぬ影響を受けたのか、善逸の回避が僅かに遅れた所に、竜の口から放たれた無数の斬撃が迫る。

 

「善逸! 避けろ!!」

 

 そう叫んで、そしてそれよりも早く反応した善逸が急いで地面を蹴ろうとしても。

 そもそもギリギリの所で回避し続けていたのだし、何より竜の攻撃のその範囲はかなり広く避けきれるものでは無い。

 ああ……駄目だ、このままじゃ。と。

 そう焦った俺たちが、しかしその数秒にも満たない時間の中では何も出来ずに居たそこに。

 

 鬼の雷撃の音とはまた別の、雷が落ちた様な音が響いて。

 善逸を襲う筈だった斬撃はギリギリの所でどうにか防がれた。

 

 

「あー、クッソ! 何油断してやがるんだ、このカス! 

 こんな所で詰まらねぇ死に方してんじゃねぇぞ! 

 大体、お前らどんだけ奥に行ってんだよ! 

 あれが上弦の肆の『本体』ってやつなのか?」

 

 

 そう吼える様に、不本意だとでも言いた気な表情で。しかし間違い無く、まるで雷の様にその場の誰よりも素早く危地に飛び込んで善逸の危機を救ったのは。

 善逸の兄弟子である、獪岳だった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 不意に近くで弾けた爆音に、思いっ切り鼓膜を揺らされて。

 一瞬とは言え、前後不覚の状態になりかけた。

 その瞬間には、「不味い!」と自覚して、己を叱咤する様に直ぐに何とか持ち直したけれど。

 しかし、鬼の術が空間全てを埋め尽くすかの様に乱れ舞っている状況では、その一瞬ですら命取りになる。

 僅かに回避が遅れた俺を目掛けて、無数の斬撃が降り注がんとしているのが、どうにも非現実的な光景の様に見えてしまう。

 どうにか霹靂一閃で回避しようとしても、斬撃の範囲が広過ぎて回避しきれる様なものでは無いし、更に回避した先でもまた別の術が暴威を奮っている。

 降り注ぐ斬撃を斬って迎撃しようにも、霹靂一閃は回避はともかくそう言った防御よりの行動にはとことん向かない型だ。

 完全に袋小路に追い詰められ、狩られるのを待つだけの状況に陥ってしまっていた。

 生き延びる方法を探る為に、思考は極限まで素早く回転し、斬撃が身を切り裂くまでのほんの数瞬を可能な限り引き伸ばすかの様に全神経が集中する。

 まるで、悠さんの力で垣間見せて貰った『透き通る世界』とやらをまた感じているかの様に。

 世界に「音」だけが満ちている様な気すらした。

「音」よりも遅いものは全て止まっているかの様なその世界の中で。

 己に向かってゆっくりと降り注ぐ斬撃の一つ一つがハッキリと捉えられ、そして周囲を駆け巡っている鬼の術の全てを鮮明に感じ、神話の中の八岐大蛇の様に周囲を蹂躙する九つの木の竜の首のその一つ一つの急所や、それらを操る鬼の事も、そしてその鬼の近くに隠れたあの卑劣な『本体』の事すらも。この場の全てを掌握しているかの様に知覚出来る。

 しかし、知覚しているからと言って、知覚したそれそのままの速さで動ける訳では無くて。

 どうしたってその斬撃を避け切る事は出来ないと言う残酷な現実だけが目の前にある。

 それでも、少しでも足掻こうと、地面を蹴ろうとした、その時。

 

「音」の世界に、鮮烈な程の『雷』の音が鳴り響いた。

 それは、鬼が操っている雷撃の音とは全く違う。

 かつて何度も何度も聞いていた、「雷の呼吸の音」で。

 

 そして、目の前に瞬時に滑り込む様にして飛び込んで来ながら、降り注ぐ斬撃を弍ノ型である稲魂で叩き落としたのは。

 

 

「あー、クッソ! 何油断してやがるんだ、このカス! 

 こんな所で詰まらねぇ死に方してんじゃねぇぞ! 

 大体、お前らどんだけ奥に行ってんだよ! 

 あれが上弦の肆の『本体』ってやつなのか?」

 

 

 そんな罵声の様な声と、不本意極まりないとでも言いた気な顔をしながら。

 それでも、俺の命を助けてくれたのは。

 

 

「獪……岳……?」

 

 

 見間違える筈など無い、俺の兄弟子であった。

 一度目は、偶然の成り行きの様なものだろうと思った。

 でも、これは二度目だ。

 もう、偶然なんかでは無い。

 

 それに、俺に対しての罵声のその奥で、目の前の鬼に対する恐怖の音が確かに俺の耳には聞こえるのだ。

 かつて獪岳が対峙し、その心を完膚無きまでに折られた相手である上弦の壱に比べれば、この鬼から聞こえる音は()()ではあるけれど。

 それでも、それを除けば今まで遭遇してきた様な鬼がただのヒヨコだとすら思える様なまでに圧倒的な強者であり、人にとっては暴威の化身でしか無い。

 

『死にたくない』と、そう叫ぶ獪岳が。

『生きたい』と、上弦の壱に跪いて鬼になる事すら受け入れようとしていた獪岳が。

 この鬼に、その暴威によって蹂躙されている領域に飛び込むのは。

 獪岳にとっては、並々ならぬ「勇気」が必要だった筈だ。

 実際、今の獪岳は必死に虚勢の様に何時もの調子を取り繕ってはいるけれど。

 恐怖の音は、命の危機に対しての本能的な逃避の欲求が奏でる音は、一瞬たりとも絶える事無くその心の中から響いている。

 それでも立ち向かうのは、その刀を握り締めているのは。

 

 獪岳が、確かに変わったのだと。少しでも変わろうと、必死に踏ん張ろうとしているのだと。

 そう、思っても良いのだろうか。

 そう信じても、良いのだろうか。

 

「間抜け面晒してんじゃねぇぞ、このカス! 

 死にたくなけりゃ、とっとと動け!」

 

 今度は横から飛んで来た斬撃を、参ノ型でどうにか防いで獪岳は怒鳴る。

 霹靂一閃に比べれば、弍ノ型以降はこうして防御寄りの戦い方も出来るけれど。

 しかし雷の呼吸自体が、素早く斬り込み見敵必殺とばかりに相手を倒す事を以てして最大の防御とする様な呼吸だ。

 他の防御に適した呼吸に比べると、どうしても無理が出てしまう事が多い。

 実際、獪岳は物凄く必死に攻撃を捌いている状態だ。

 

 追撃の様に放たれた全てを押し潰す烈風を、どうにかして二人で避けて。

 そして、炭治郎たちと一旦合流する様に、鬼の術がその暴威を奮って甘露寺さんを追い詰めようとしているその中心から僅かに距離を取る。

 それでも攻撃は容赦無く飛んで来るが、しかし鬼たちが居る中心のそれに比べれば微風みたいなものだ。

 

「助かったけど、どうして此処に?」

 

「何だ、文句でもあるのか? 

 戦ってた筈の鬼が急に姿を消したから、何処に行ったのか探してたんだよ。

 てか、今どうなってんだ? 

 あれは、何だ? 鬼の『本体』とやらなのか?」

 

 そう尋ねてくる獪岳に、あれは鬼の『本体』では無くて、鬼が生み出した分身たちがまた一つになって姿を変えたものだと説明し、『本体』はその分身の近くにある木の檻の中に自ら閉じ篭って隠れているのだと状況を説明する。

 また、鬼の『本体』は恐ろしく小さいのに、人の指一本分の横幅も無いその小さな頸は尋常では無い程に硬いと言う事も。

 

「って事は、あの中に飛び込んで、そこに隠れている『本体』とやらのクッソ硬い頸を斬らなきゃどうにもならねぇって事か……」

 

 厄介極まり無い、と。この場の誰もが思っているそれを口にして、獪岳はゲンナリした様な顔をする。

 とは言え、そうしなければこのまま擂り潰されて終わるだけなのだ。

 甘露寺さんは物凄く頑張って鬼の攻撃を見事に捌いているけれど、幾ら柱でもやはり体力の限界は何処かにあるのである。

 獪岳がこうして共に戦ってくれるのなら、少しは状況は良くなっている筈なのだけれど。

 しかしあの鬼が余りにも強過ぎて、それだけではまだ攻勢に回るには足りない。

 しかし、他に手段など無いのだ。

 ここで手を拱いていても何も変わらないし、此方側の「限界」はどんどんと近付いてくる。

 

「とにかく、甘露寺さんの為に少しでも路を作ろう。

 多分、この場であの『本体』の頸を斬れる可能性があるのは甘露寺さんだけだ」

 

 この場に於ける一番の希望の光は甘露寺さんなのだから、と。

 そう言う炭治郎の言葉に、全員が頷く。

 五人居ても少しの攻撃を捌いたり避けたりするだけでも精一杯な俺達とは違って、甘露寺さんは瀑布の様に絶えず降り注ぐ攻撃を全て捌いて避けて防いでいるのだ。

 防戦一方ではあるが、そもそもあれを防げている時点で凄まじい。

 柱と呼ばれる人たちが次元の違う強さである事は知っていたが、こうしてそれを直接目にするとそれを実感するより他に無い。

 そんな甘露寺さんの為に出来る事をする、と言うのはこの場での俺たちの使命でもある。

 とは言え、このまま遮二無二に突撃してもどうにもならない。

 

 その為、鬼の意識がほぼ甘露寺さん一人に向かっているその隙を突いて、俺たちは僅かに後退した。

 恐らく鬼も気付いてはいる様だけれど、俺たちなど然程脅威でもないと舐めている為に、一々無理に追撃しようとまではしていない。

 そうやって僅かに稼いだその隙に、俺たちは反撃の準備を整える。

 

「禰豆子、すまない。……頼めるか?」

 

「ムッ!」

 

 それが必要だとは分かっていても、どうしても禰豆子ちゃんが傷付く事を厭う炭治郎が心苦しそうにそう頼むと。

 禰豆子ちゃんは、寧ろ「任せろ!」とばかりに頷く。

 そして、炭治郎が差し出したその日輪刀に再び自分の血を零した。

 そして、炭治郎の刀だけではなく、俺と獪岳の刀にも。

「玄弥は良いの?」とばかりに、禰豆子ちゃんは玄弥に手を差し出して首を傾げていたが、玄弥は構わないと首を横に振る。

 

「俺は良い。俺じゃあ、あの竜たちの首を斬るのも難しい位だろうからな」

 

 獪岳は、禰豆子ちゃんがそうする意味は今一つ分かっていない様だったけれど、しかしこれが何らかの力になる事は察したのだろう。特には反発する事は無かった。

 

「じゃあ、良いか。最後にもう一度確認するぞ。

 禰豆子の力で『赫刀』になった日輪刀で、出来るだけあの木の竜の首を斬るんだ。

 あの竜たちはあくまでも血鬼術で操られた木ではあるけれど、多分、鬼の分身を斬った時と同じ様に、首が再生するまでの時間をかなり稼げる様になる筈だ。

 ただ、禰豆子の力で『赫刀』に出来るのは、禰豆子の血が血鬼術で完全に使い切られてしまうまでだ。

 その時間はそんなに長い訳じゃない。

 だから、それまでに何としてでも甘露寺さんの為の路を拓こう……!」

 

 恐らくそれは間違い無く命懸けの戦いになる。

 それでも、他に方法は無い。

 その炭治郎の言葉に全員で頷いて。

 そして、構えた各々の日輪刀は、禰豆子ちゃんの血鬼術によって燃え上がりながら赫く染まっていく。

 人を焼く事は無いその炎は、こんなにも近くに在っても全く熱さを感じない。

 その燃え上がる刀を手に、俺たちは嵐の様な暴虐の中へと飛び込んだ。

 

 

 ── 雷の呼吸 一ノ型 霹靂一閃・八連!! 

 ── 雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟!! 

 ── ヒノカミ神楽 灼骨炎陽!! 

 

 

 禰豆子ちゃんの力によって赫く染まった日輪刀の力は凄まじかった。

 以前、悠さんが上弦の壱との戦いでその身を大きく削った時の様に。

 鬼の術ごと斬り伏せて、そして斬った竜の首の断面は、まるで灼き切れた様になって、さっきまでは瞬時と言っても良かったその再生速度も物凄くゆっくりとしたものになる。

 

 無数に枝分かれしたそれを各々に駆け回って斬り落とし、余りにも太い幹の様なその首は三人がかりで斬り刻んで。

 途中で俺たちを食い潰さんと襲いかかってくる首は、禰豆子ちゃんと玄弥が二人がかりで食い止めてくれた所を、炭治郎がヒノカミ神楽で斬って落として。

 そうやって、一つ一つの首を減らしていく。

 しかし、それを支える禰豆子ちゃんの血鬼術は無限では無い。

 現に、今この瞬間も日輪刀を濡らしていたその血は徐々に消費されていっている。

 甘露寺さんが『本体』を狙える余裕を作れるだけの、首を斬り落とせるのが先か。

 或いは禰豆子ちゃんの血が尽きて日輪刀に限界が来るのが先か。

 そう言った勝負になっている。

 

 鬼の方も、此方が仕掛けているそれに気付いたのだろう。

 しかしかと言って俺たちの方に意識を大きく向けるには、甘露寺さんは余りにも脅威で。その為、どっちにも振り切る事は出来ないまま、俺たちの進撃を許してしまっている。

 だが、恐らく二度目は無い。

 こちらの手札を晒してしまった以上は、もう同じ事を許さないだろう。

 だからこのまま押し切るしかない。

 

 己を鼓舞するかの様な雄叫びを上げて、炭治郎が果敢に切り込む。

 轟々と周囲を荒れ狂う攻撃の海の中へと飛び込んで、死地の中に僅かにある活路を切り拓いていくその背に遅れぬ様に、俺達も飛び込んでそれを拡げて行く。

 九つの大きな首の内、三つを完全に斬り落とし、二つの首から枝分かれしていた首の多くを斬って。

 そして。

 

 

「「甘露寺さん!!!!」」

 

 僅かに、甘露寺さんに殺到する攻撃の嵐に、少しばかりの穴が生まれる。

 それを音と匂いで瞬間的に感知した俺と炭治郎は、ほぼ同時に叫んだ。

 そしてその瞬間。

 

 ── 恋の呼吸 伍ノ型 揺らめく恋情・乱れ爪! 

 

 一瞬生じた僅かな隙に捩じ込み、それを強引に切り拓く様に、甘露寺さんの日輪刀が自分を圧殺せんと迫ってきていた竜の首を瞬く間に切り刻む。

 そしてそれが再生するよりも速く、そこを抜け出て、竜の首を蹴る様にして一気にその中心へと近付く。

 

 

「みんな、ありがとお〜〜!! 

 任せて、私、頑張るから!!」

 

 

 己に一気に接近した甘露寺さんを迎え撃とうと背の太鼓を叩こうとしたその両手を、しなやかで長い鞭の様な日輪刀が斬り落とす。

 そしてそれが再生するよりも先に、鬼の背後にあった木の檻を、甘露寺さんは一気に斬り壊した。

 しかし。

 

「えっ!? 居ない!?」

 

 その檻の中に自ら閉じ篭っていた筈の『本体』の姿は、何処にも無かった。

 

 何処に逃げた? 何時?? 

 

 がらんどうになっていた檻の残骸を見ながら、思わずその場の全員の思考が一瞬止まる。

 そして、その一瞬を逃すかとばかりに。

 腕を斬り落とされたばかりの鬼が、その口を大きく開けて何かの力を放出しようとしてそれを甘露寺さんに向ける。

 避けて、とそう言葉にする事も。

 そして、己を狙う攻撃に気付いた甘露寺さんが避ける事も。

 もう、間に合わない。そんな一瞬の中で。

 

 

 爆音と共に、鬼の身体がその胸の半ば辺りまで一気に脳天から両断された。

 放たれようとしていた鬼の一撃は霧散し消える。

 

 

「おう、お前ら。随分と派手にやってるみたいだな!」

 

 

 何時の間にか音も無く鬼の背後を取っていた、大柄なその人は。

 吉原遊郭での任務を共にした、宇隨さんだった。

 

 宇隨さんは鬼の身体を力一杯蹴り倒しながら、襲い掛かって来た竜の首をその轟音を伴う呼吸で切り刻んでいく。

 

 

「救援要請を受けて駆け付けたら、まあ派手な事になってるじゃねぇか。

 大丈夫か、甘露寺? よく持ち堪えたな」

 

 そう言って甘露寺さんを労うと。

 甘露寺さんは、キュンっとその胸を高鳴らせて「良かった〜!!」と大声を出して喜ぶ。

 幾ら柱でも、一人であれを捌くのは本当に負担が大きかったのだろう。

 

 

「さぁて、じゃあ、ド派手に反撃するか!!」

 

 

 そう言って笑う宇髄さんの姿は、言葉にならない程に頼もしく見えるのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
物凄く頑張って回避に徹しているので、まだまだ五体満足に動けている状態。
それでも、流石にずっと回避し続けるのは厳しい。
どうにかして甘露寺さんに『本体』の頸を斬って貰おうとするも、憎珀天の攻撃が甘露寺さんに集中し過ぎているのでかなり難しい状態。


【我妻善逸】
耳が武器である反面、爆音を連発してくる憎珀天との相性はあまり良くない。
命の危機に瀕した際に、自力で「透き通る世界」に瞬間的に達した。


【不死川玄弥】
禰豆子の血を飲んだ事による鬼化はまだ継続中。
しかし、鬼の膂力などだけでは憎珀天の攻撃にどうする事も出来ないので、基本的には攻撃を避ける事で精一杯。


【獪岳】
実は憎珀天が大暴れしている途中から様子を窺っていた。
自分では憎珀天には敵わない事を理解して中々飛び出せなかった模様。
ただし、憎珀天と黒死牟なら、黒死牟の方が圧倒的に恐ろしい。


【甘露寺蜜璃】
炭治郎から「憎珀天」≠『本体』を予め知らされた結果、無理に憎珀天の首を狙わないので手痛い攻撃を受ける事は無くなった。
しかし憎珀天の怒涛の攻撃によって攻勢に回る隙が掴めなくて、防戦一方になってしまう。防げてるだけやはり凄まじいのだが。
炭治郎がまだ「痣」を出していないので、連鎖的に「痣」が出る事は無い。


【宇隨天元】
ド派手に参戦。
たまたま、比較的里に近い場所で任務を受けていた為に救援要請を受け取って急行した。
死に覚えゲー特訓によって、回避力の劇的な向上の他に「譜面」の完成までの時間が滅茶苦茶短縮された。とは言え、直ぐ様完成するものでも無いが。


【産屋敷耀哉】
「先見の明」で、この夜に里の付近に蜜璃以外にも数名の柱に任務を割り当てた。
しかし流石に上弦の伍の討伐直後に、上弦の壱と参が乱入参戦するとまでは読めていなかった。


【半天狗】
憎珀天の暴威によって、幾ら柱でも単独だと防戦に回る事も精一杯な状態に出来る。
柱でも無い炭治郎たちが生き延びているのは、半天狗としては異常事態に他ならない。
途中で玉壺が悠たちに討たれた事を無惨様通信で知ったので、悠が飛び入り参戦してくる前にカタをつけねばとかなり恐慌状態。
憎珀天が景気良く血鬼術をドカンドカン使っているので、実は半天狗本体はかなり飢餓状態に近付きつつある。
が、再生力が落ちようと飢餓状態になろうと、頸の強度が変わる訳では無いので、殺す事が難しい事自体には変わりが無い。


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『狂乱せし戦鬼』

【前回の話】
『化外の狂宴』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 目の前の存在から感じる、先程まで戦っていた玉壺とは次元が違うとしか言えぬ程の、息すら詰まる様な威圧感。

 伊之助はもとより無一郎ですら身動きが出来なくなっている様であった。

 その柄に添えた手は、本能的な恐怖からなのか震えている様に見える。

 上弦の壱と上弦の参。

 それらの鬼は、柱として己を何よりも鍛え上げてきた無一郎の胆力を持ってしても尚、対峙する事自体に怖気を感じる存在であるのだろう。

 伊之助はと言うと、彼我の実力差を瞬時に感じ取ったのか、震える様にして半ば固まっている。

「勝てない」と、まるで全身がそう叫んでいるかの様であった。

 

 鬼舞辻無惨の配下に、異空間にある常夜の根城と現実の空間とを自在に繋げる鬼が存在すると言う事を上弦の弍との戦いの中で知ったその時から想定していた【最悪の事態】。

 それは、他の上弦の鬼を、別の鬼との戦いの場に乱入させられる事であった。

 そう言う意味では、既に玉壺は倒し終えた直後ではある為まだマシであると言うべきなのかもしれないけれども。

 しかし、上弦の壱と上弦の参……「黒死牟」と、確か「猗窩座」とか言う名であるらしいその二体とこうして会敵する事になったのは正直状況としては限り無く最悪だ。

 そして何よりも、この場には()()()()()()()()

 上弦の陸は既に討った。上弦の伍もつい先程討った。上弦の肆である半天狗は炭治郎たちが戦っている最中である。

 鬼舞辻無惨が新たに投入し得るのは、上弦の壱から参と、そして居るのかどうかは知らないが居ると仮定して新たな上弦の陸だろう。

 ただ単純に、今夜この場に新たに送り込まれた鬼が、上弦の壱と参だけであるならまだ良い。

 だが、更に悪い状況も当然考えねばならない。

 

 例えば、今まさにこの瞬間に炭治郎たちが半天狗と戦っているその場に、あの鬼が送り込まれたとしたら。

 或いは、里を脱出して避難しようとしている人々のもとに現れたら。

 それらを考えるだけで、目眩がしそうである。

 炭治郎たちの実力を考えれば、下弦の鬼ならばそう問題にはならないし、万が一新たな上弦の陸が居たとしても下弦の鬼から成ったばかりであるなら余程の搦手に特化した血鬼術でも無い限りはきっと乗り越えられる筈だ。少なくとも、以前無限列車で対峙した下弦の壱程度なら今の炭治郎たちには敵では無い。

 しかし、あの鬼は……上弦の弍は、駄目だ。

 自分が対峙したその時よりも確実に強くなっていると言う事もそうではあるが、例え何かの奇跡が起きてあの時から大して強さが変わっていないのだとしても、あの初見殺しでありその対処法を知っていたとしても対処しきれる訳では無い血鬼術は余りにも凶悪過ぎる。

 鬼と血鬼術を燃やせる禰豆子がその場に居るのだとしても、それで勝てる訳でも無い。

 

 こんな不安になるなら、いっそこの場に三体纏めて送り込まれる方がまだマシだったのかもしれない。

 それはそれで、上弦の鬼上位三体から如何に伊之助と無一郎を守り抜くのかと言う問題にはなるのだけれども。

 

 しかし、りせの様に離れた場所の状況をサーチ出来る様な力なんて自分には無いし、況してやそこと連絡を取る手段も無い。

 鎹鴉たちが上空を盛んに飛び回っているのは見えるが、上弦の鬼たちの攻撃を警戒してか此方には近付けないようなので、今他の場所の状況がどうなっているのかを知る術が全く無い。

 その為、望む情報を引き出せるのかどうかはともかくとして、一応の会話を試みる。

 

「上弦の壱と参を送り込んでくるとは、鬼舞辻無惨も随分と俺の事を熱心に捕まえようとしている様だな。

 しかし、上弦の弍は寄越さなかったのか? 

 止めを刺し損ねたんだ。恐らくまだ生きているんだろう?」

 

「……あの者は……此処には居ない」

 

「アイツの話は止めろ。

 万が一湧いて出て来たら不愉快だ」

 

 何故か、かなり露骨に嫌そうな……と言うかもう触れたくも無いとでも言いた気な顔をして、黒死牟と猗窩座はそう言う。

 此処には居ないと言うのが、そもそもこの里に来てないと捉えても良いのかどうかは分からないけれども。

 その口振りからすると、上弦の弍……童磨は相当に嫌われている様だ。

 

「何だあいつ、鬼の中でも嫌われているのか……」

 

 まあ、鬼だからなのか生来だからなのかは分からないが価値観が狂ってる上に感情も極めて乏しい相手だ。

 鬼と一口に言ってもその価値観は各々違うし、別に感情が無いと言う訳でも無い。童磨は、そんな鬼たちからしても「無い」と判断される存在なのかもしれない。

 しかしそう言うと、絶妙に微妙な沈黙がその場に落ちた。

 何と無く、「哀れみ」を黒死牟と猗窩座から向けられている様な気がするのだが、何故? 

 何であれ、この二体の鬼をどうにかしなくてはならない事には変わりがないのだけれども。

 

 今この瞬間も、確実に鬼舞辻無惨は鬼たちの目を通してこの光景を見ている。

 どの程度まで手札を晒すべきなのかは、慎重に考えた方が良いだろう。

 対策され得るものであるのかどうかは別として、「未知」であると言う事はそれだけでも相手に対して有利だ。

 既に妓夫太郎や玉壺の目を通して知り得る分に関しては知っているとしても、まだその目の前で使っていない力は沢山ある。

 その内の幾つかは、童磨の頸をしのぶさんの手で斬らせる為に使える手札である為に、それは伏せておくのが無難であろう。

 

 更に……と言うか一番に考えなくてはならない事ではあるが。鬼舞辻無惨が比類無く臆病で、僅かにでも不利を悟れば直ぐに爆殺してでも逃走する事を考えると、()()()()()()()()()()()にやらなければならないのだろう。

 もし、何が何でも絶対に勝てない、絶対に負けると確信されてしまった場合。鬼舞辻無惨は、あの常夜の根城に半永久的に引き篭る可能性がある。

 そうなった場合、もうどうする事も出来ない。

 現実の世界の何処かにあの領域に繋がる道があれば良いのだけれど、現状自分たちが知り得るあの領域に出入りする方法は、あの根城を維持する鬼に直接招かれる事だけである。

 新たに出入りする方法を探すのは、それこそ砂漠の中に落とした砂金を手で掬って探し求める様なものだ。ほぼ無理と言っても良い。

 引き篭る先を根刮ぎ吹き飛ばしてしまえば話は早いのかもしれないが、かと言ってあの領域に乗り込むのも難しいし、そうやって乗り込んで全部破壊した場合は自分も心中する事になる。外から壊す場合はその崩壊に巻き込まれる事は無いが、あの領域を作り出しているのだろう鬼を倒せたのかどうかに確信を持てないと言う問題がある。

 何にせよ、鬼舞辻無惨の神出鬼没のカラクリの一つであるあの領域をどうにかするのは、目下の所最優先事項だ。

 正直、上弦の壱と参を此処で倒す事よりも、あれを壊せるなら壊してしまった方が確実に良い。

 例え鬼そのものを倒せないのだとしても、あの領域を破壊すれば確実に鬼舞辻無惨にダメージを与えられる。

 また、あれ程の空間を幾ら何でもありの血鬼術と言えども一朝一夕に再建するのは無理だろうから、破壊すればその分()()を稼げる。

 

 ()()……。そう、今鬼殺隊や自分たちに必要なのは間違い無くそれだ。

 自分の存在の所為なのか、或いはまた別の要因なのか。

 鬼舞辻無惨はかつて無い程にその攻勢を強めている。

 そもそも、上弦の鬼が次々に姿を見せている事も異例の事態である。

 その上弦の鬼も、既に伍と陸が欠けた。

 様々な物事が、一気に動いていると言っても過言では無いのだろう。

 お館様は自分を「停滞していた状況に投じられた大きな石」だと評し、珠世さんは「大きな流れの一つ」だと言った。

 停滞していた歯車を大きく動かす切っ掛けの一つは、恐らくは炭治郎と禰豆子の存在だとは思うけれど。

 しかし、動き出したそれを加速させたのは自分なのだろうとは思う。

 状況が動いた事には勿論良い面が沢山ある。

 しかし、それが余りにも急に起きた事による問題もまた発生している。

 単純に、準備が足りていないのだ。

『赫刀』や『透き通る世界』の事を周知する事はまだ出来ていないし、珠世さんや縁壱さんから伝えられた様々な鬼舞辻無惨に関する情報の共有も出来ていない。

 この状況で、いきなり最終決戦とばかりに総力戦になってしまえば、間違い無く膨大な被害が出てしまう。

 それでも鬼舞辻無惨を討てるなら良しとしてしまう人たちばかりなのだろうけれど、ちゃんと備えておけば死ななくても良かった人たちの屍を積み上げて得る勝利なんて、自分は絶対に嫌だ。

 だからこそ時間が欲しかった。

 少しでも対策し、少しでも鍛えて、少しでも皆が死ななくても良い様に。

 そして何よりも、禰豆子を人に戻す為の薬の完成を待ってから、鬼舞辻無惨と戦いたい。

 禰豆子はその『呪い』とやらの影響からは外れているらしいのだが、鬼は基本的に全て、己を生み出した鬼舞辻無惨の支配下に置かれている。

 もし鬼舞辻無惨を討った事で、それと繋がっている鬼たちに何か影響が出たとしたら? 

 いや、普通の鬼が死滅したりしてもそれは良い結果だと言えるけれど、万が一にも禰豆子や珠世さんに何か悪影響があれば悔やんでも悔やみきれない。

 まあ、そんな諸々の理由もあって、ちょっとでも()()()()()()()()()()()()()()()()()が欲しいのだ。

 かと言って鬼舞辻無惨を引き籠らせる訳にもいかない、と言うのがまた難点であるのだが。

 

 そしてまだ問題点は幾つもある。

 あの拠点とも言える領域を破壊して、更には、引き篭る事を阻止したとしても、そもそも今の状況でも中々鬼舞辻無惨を探し出せないのだ。

 鬼舞辻無惨の匂いを覚えたと言う炭治郎が居れば、近くに居るなら確実に見付けられるだろうけれど。

 それでも炭治郎一人で東京をローラー作戦とばかりに虱潰しに探すのは無理がある。そして東京に居る保証すらない。

 それに、炭治郎が目撃した時には人に紛れて生活していたとの事なので、そうやって見付け出した場合は市街地での戦闘になってしまうだろう。それは不味い。

 此方側から攻め込む、と言うのがほぼ難しい相手だ。

 どうにかして、鬼舞辻無惨側から仕掛けてくる()()も必要である。その上で、可能な限り時間を稼がなければならない。

 本当に、鬼舞辻無惨はその対策を考えれば考える程厄介極まりない存在だと言えた。特に逃走の為に爆散する事とか、もう厄介さの極みだとも言える。

 何だかもう、とにかく嫌われる要素を詰め込みました! とばかりの嫌らしさだ。当人としては何処までも「生きること」に貪欲なのであろうけれども。

 

 一応、鬼舞辻無惨が食い付きそうな餌には心当たりがある。

 日光を克服した鬼とやらは知らないし、自分はその体質があるだなんてブラフをぶちかます事も難しいが。

 しかし、鬼舞辻無惨が求めるもう一つ。

「青い彼岸花」とやらは、多少なりとも手掛かりを掴んでいる。

 まだその実在を確認した訳でも、所在を確認した訳でも、ましてや実物を確保している訳でも無いけれど。

 そもそも鬼舞辻無惨は、自身がそれを探し求めている事を鬼以外が知っているとは微塵も考えていないだろうから。

 自分がその手掛かりを知っているとでも言えば慌てふためくのでは無いだろうか。

 千年かけても見付からなかった物の手掛かりをぶら下げられれば、幾ら臆病な鬼舞辻無惨でも食いつく可能性は高い。

 

 ……とまあ色々と考えてしまうし考えなくてはならないが、今は目の前の敵をどうにかする事の方が最優先事項ではある。

 数瞬の熟慮を中断して、十握剣を構えた。

 

 一体でも中々厳しかったが、二体も同時に相手するとなると、二人を何処まで守り切れるのかと言う部分に不安がある。

 無一郎はまだ大丈夫かもしれないが、確実に伊之助にはこの二体との戦いは荷が重い。

 かと言って、逃走出来る性格では無いし、それをこの鬼たちが見逃すとも思えない。

 

 前回相対した時の黒死牟の攻撃を思い返し、それを二人が何処まで耐え切れるのかを考える。

 恐らく、避けるだけなら伊之助も数分は持つ。

 無一郎ならもっと持つだろう。

 だが、此処には猗窩座も居る。前回の様にはいかない。

 煉獄さんから聞いた猗窩座との戦いの話を反芻する様に思い返す。

 徒手格闘を極めたその戦い方、何故か動きを先読みされているかの様に正確に反応してくるその妙技、超至近距離からやや中距離までをカバーするその攻撃範囲。そして、息も吐かせぬ連技の数々。そして煉獄さんを相手にしてすら余裕綽々だったと言うその底知れなさ。

 煉獄さんが戦ったその時から鬼舞辻無惨の血によって更に数段強くなっているだろう事を考えると、今こうして目の前に相対していてもその底を窺い知る事は難しい。

 一人で相対するとしても厄介な事この上ない相手であると言うのに。そこに黒死牟まで加わるのだ。

 鬼舞辻無惨が如何に本気で此方を仕留めようとしているのかが伝わってくる。

 

 ── ボディーバリアー

 

 念の為の保険を掛けてから、イザナギを再び呼び出す。

 イザナギだけでも二回目、ユルングを含めれば三回目の召喚だ。

 無一郎との絆が満たされた影響で多少回復はしているが、召喚の負担は小さくはない。

 しかし、この鬼たちを相手取るならば出し惜しみは出来ない。

 

「おお! 何だこれは!! 

 全く底が見えん! 素晴らしい!!」

 

「また……面妖なものを……。

 あの龍だけでは……無かったのだな……」

 

 歓喜する様に背筋を震わせながらそう言った猗窩座と、そして前回にセイリュウを見た事があった為に動揺は少ない黒死牟と。

 その反応はかなり違うが、イザナギを前にしたその反応は、明らかな強敵を前にした者のそれであった。

 

「悪いが、お前たちに長く構っている暇は無いんだ。

 押し通させて貰うぞ!」

 

 とにかく一番に考えなくてはならないのは、二人を守る事。そして少しでもこの場から……鋼鐵塚さんたちの近くからこの二体の鬼を押し出して引き離す事だ。

 ここだと、『メギドラオン』などは破壊の範囲が広過ぎて鋼鐵塚さんたちまで巻き込んでしまう。

 

「ほう……その威勢、虚勢かどうか確かめてやろう」

 

「来い、『化け物』! 存分に殺し合おう!!」

 

 

 ── 術式展開 破壊殺・羅針! 

 ── 破壊殺・乱式!! 

 ── 月の呼吸 伍ノ型 月魄災渦! 

 

 猗窩座が地を踏み締めて何かを展開したかと思うと、凄まじい殴打の連撃を繰り出して。

 黒死牟はと言うと刀を振ってもいないのに、凄まじい広範囲に恐らくは完全に血鬼術によるものなのであろう斬撃を発生させる。

 

 ── 刹那五月雨撃! 

 

 それらを全て迎撃する様に、イザナギがその刃を振るい。同時に、自分も一気に飛び込むようにして猗窩座の首を狙う。

 しかし、その一撃はまるで先読みされているかの様に回避されて。

 

 ── 破壊殺・脚式 冠先割! 

 

 身を深く沈めた猗窩座の強烈な下段からの蹴り上げを食らいかける。

 どうにかそれは回避したが、僅かに掠るだけでも衝撃が凄い。

 もし物理無効の状態でなければ、脳震盪などを起こしていたかもしれない。

 無一郎も伊之助も、ただ見ているだけでは居られないとばかりに己の刀を握り締めるが。

 

 ── 月の呼吸 漆ノ型 厄鏡・月映え

 ── 月の呼吸 参ノ型 厭忌月

 ── 月の呼吸 弐ノ型 珠華ノ弄月

 ── 月の呼吸 陸ノ型 常夜孤月・無間

 ── 月の呼吸 拾ノ型 穿面斬・蘿月

 

 最初から既に本気だとでも示すかの様に、その刀の長さを大太刀以上に伸ばし更にその刀の枝分かれを三から七にまで増やしていた黒死牟の、常軌を逸した連撃を前にして、二人に出来る事は殆ど無い。

 黒死牟の正確無比な斬撃の嵐の中に、反撃に転じる為の隙など何処にも無くて。とにかく回避して、イザナギが弾き損ねた僅かな攻撃を喰らわない様にする事だけでも精一杯な様であった。

 黒死牟はその近くで戦う猗窩座を巻き込む事を一切躊躇せずに、此方に息も吐かせぬ勢いで恐ろしい範囲を根刮ぎ薙ぎ払い続ける。

 上から横から斜めから下から。

 有りとあらゆる方向から飛び交って来る斬撃や血鬼術による無数の刃が撒き散らされ、しかもその血鬼術の刃は一度砕いても更に細かい刃に変化して無数に周囲を切り裂いていく。

 黒死牟の攻撃によって瞬く間に、周囲は更地と化した。

 森の木々も地面も岩なども、何もかもを巻き込んで切り刻んで吹き飛ばす。

 そしてそんな斬撃の嵐の中を、猗窩座は構う事無く接近してはその拳を振るい続ける。

 猗窩座にその斬撃が全く効いていないと言う訳では無い。

 ただ、細かく散った刃による斬撃など猗窩座にとっては刻まれた瞬間には跡形も無く治る程度のものでしか無いし、当たるとちょっと不味い強烈な斬撃は、こちらの動きを先読みするのと同じ感じで回避する。まあ、当たった所でやはり直ぐに治るのだが。

 中距離以上は黒死牟に任せるとでも判断したのか、猗窩座は常に近距離を維持しながら流れる様に凄まじい連撃を矢継ぎ早に繰り出してくる。

 

 ── 破壊殺・脚式 流閃群光

 ── 破壊殺・鬼芯八重芯

 ── 破壊殺・脚式 飛遊星千輪

 ── 破壊殺・終式 青銀乱残光

 

 強烈な足技と殴打の嵐が乱れ舞う様に飛び交い、一撃掠るだけでも身体を抉り消し飛ばしかねないその攻撃が二人に届かない様に防ぐだけでかなり意識を持っていかれる。

 黒死牟の斬撃の嵐に対してはイザナギが対応し、時にその身体を以てして壁になっているけれども。

 だが、そうやってイザナギを戦わせ続ける事に何れ限界が来るのは分かっている。

 その前に、どうにかしてこの二体を消し飛ばすなり或いは撤退させるなりしなければならない。

 しかも、単に撤退させるだけだと不意打ちでまた再戦する事にもなりかねないし最悪炭治郎たちの方に行かれても大問題なので、可能ならばあの空間転移にも使える異空間もどうにかしなければならないだろう。

 まあ、上弦の弍が回収された事を思えば、あの時の様にこの二体を追い詰めれば、また回収する為にあの領域への扉を開いてくれそうな気はするのだけれども。

 そうするならば尚の事、この二体をどうにかして追い詰めなければならない。

 現状、かなり追い詰められているのは此方だけれども。

 

「素晴らしい! これを受け切るか! 

 お前のそれは、剣の道に生きる者でも武を極める者のそれとも違う()()! 

 お前のその強さの根源は何だ!? 俺にその全てを見せてくれ! 

『化け物』。いや、その名は何だ!? 

 俺はお前の名を知りたい、覚えておきたい!!」

 

 猗窩座は話す事が好きなのか、やたら積極的に話しかけて来る。

 名乗る名前など持ち合わせていないと切って捨てても良いのだろうけれど、『化け物』と連呼されるのも普通に嫌だった。

 

「俺は鳴上悠だ」

 

「悠! 覚えたぞ。

 なあ悠、お前も鬼にならないか? 

 鬼になれば何時までも戦い続けられる、何処までも強くなれる!!」

 

 謎の勧誘が流行っているのだろうか? 

 いや、確か煉獄さんも以前無限列車で戦った際には鬼になれと勧誘されたらしいので、鬼への勧誘は猗窩座の趣味なのかもしれないが。

 

「以前にもそこの黒死牟にも似た様な事を言われたが……俺は鬼になどならない。

 俺は別に誰よりも強くなりたい訳じゃないんだ。

 大切な人たちを守れたら、大切な人たちの力になれるなら、それだけで良い。

 それに、俺の求めている強さや力は鬼になったとしても絶対に手に入らない。

 不老も、強靭な再生能力も、俺には必要無い。

 鬼としての生が齎す永遠の命なんて、俺にとっては、永遠に生きる事も死ぬ事も無いままに虚ろの森を蠢き続ける事と変わらない。

 そんなの、俺は嫌だ。

 俺は、大事な人たちと一緒に、『人間』として同じ時を生きて歳を重ねていきたいんだ」

 

 何をどう言われようと脅されようと、やはり自分から鬼になる事を選ぶ事は無い。

 禰豆子を見て、珠世さんを見て、数多の鬼たちを見て。

 鬼に様々なものを奪われた鬼殺隊の人たちの嘆きと怒りと憎悪を見て。

 それで尚その道を選ぶ程に、腐った人間性と性根は持ち合わせていないのだ。

 

 しかし猗窩座の勧誘にそう返すと、その言葉の何かが猗窩座の心の「何か」に触れたのか。猗窩座は僅かにその顔に苛立ちの様なものを浮かばせる。

 以前戦った際の黒死牟もそうだったが、鬼となったからと言って完全に「心」を喪う訳では無いのだろう。

 かつて人であった時のそれと比べると、歪み捻れて原型を喪う程に穢れ壊れているのだとしても。

 しかし単純な快・不快以外にも、譲れない何かしらが残っている事はある様だし、それに触れられる事には怒りや苛立ちを感じる様だ。

 それがかつて人であった時の名残故であるのか、或いは鬼となった後に新たに獲得した感情なのかは知らないが。何にせよ、「心」が在るのであれば、有効であろう力は幾つかある。

 とは言え今召喚出来るペルソナの中ではそう言った力に特化した上に、この激闘を耐え切れるペルソナは居ないのだけれども。

 自身を介して使う力だと出力が足りずに効果がちゃんと出ない可能性もある。

「心」が欠損したか或いは限り無く希薄な様にしか見えなかった童磨に効くのかは分からないが、鬼舞辻無惨にも有効かもしれないそれらの力の事はしっかりと念頭に入れておこう。

 一つでも切れる手札は多い方が良い。

 

「理解出来ないな。何故『人間』のままで居たがる? 

 俺には解るぞ。お前、()()()()()()()()()()()な? 

 あの童磨を屠りかけた一撃を何故放たない? 

 いや、出せないのだろう。そこの弱者共を庇う為に。

 何故弱者を構う。弱者など見るだけでも虫唾が走る。弱者に存在する価値など無い。

 そんな価値も無い下らないものに拘泥して、その力を発揮出来ないなんて、苦しいだけだろう」

 

 容赦無い連撃を放ち、既に黒死牟の攻撃によって更地と化している地面を叩き割りその勢いで舞い上がった土砂の雨を降らせながら猗窩座は迫る。

 二体の鬼との戦いのその場は、まさに災害の真っ只中に放り込まれているも同然の様相を呈していた。

 味方である筈の己すら切り刻む黒死牟の斬撃の嵐の中でそれにすら構わず襲い掛かるその姿は、まさに修羅とでも言うべきそれだ。

 一撃放つ毎に益々苛烈さを増していくその攻撃は、ペルソナの力無しではもう一撃で削り殺されかねない程のものだ。

 …………そんな攻撃を平然と受け止め捌き、それどころか直撃した所で掠り傷一つ負う事の無いその力は、やはり異質を通り越して『異常』なのだろう。

 今この場を乗り越える為にはその力が必要なのではあるけれども。

 常軌を逸した力が、常軌を逸した状況を更に呼び込んで事態を悪化させているのではないかとも考えてしまう。

 上弦の鬼たちが、鬼舞辻無惨によって更なる力を得てしまった様に。

 果たしてそれは……。

 

「……お前の言う『弱者』とは何だ? 

『強者』とは、何だ? 

 何を以てそれを決める? お前に何の権利があってそれを判断するんだ。

 人は皆、弱くもあり強くもある。

 誰もが完全無欠の存在にはなれない。だが、何の価値も無い者も居ない。

 例え生まれ落ちて一呼吸の間に命を喪う様な儚い存在だったとしても、この世に生まれ落ちたその瞬間に、どんなに小さくても『生きた意味』はあるんだ。

 一度でも間違えたら『弱者』なのか? 

 一度でも逃げたら『弱者』なのか? 

 誰かに守られる存在は皆『弱者』なのか? 

 お前がどう思っているのか、何故そこまで『弱さ』を唾棄するのかは知らない。

 だが、俺は……例えどんなに心も身体も弱く脆い存在だとしても、それだけで価値が無いなんて断じる様な事はしたくない」

 

 弱さも強さも、所詮一側面を切り取って見ているだけだ。

 勿論、世の中には許すべきでは無い『弱さ』も存在する。

 変えていかなくてはならないものもある。

 だが、どんな形であれ「弱さ」の全てに価値が無い、それを抱える者の存在を許さないなどと言うのであれば。

 この世に在る全ての人に……命に、その存在の意味が無いと言う事になる。

 自分も、そしてそんな言葉を全てに吐き捨てる猗窩座自身も含めて。

 生まれたその時から完全無欠の存在なんて、それこそ神話の中の「神様」くらいだし、その「神様」だって弱さが一つも無いなんて事は無い。善も悪も内包する「人間」と言う存在が想像する存在である以上は、完全無謬の機械仕掛けの絶対存在にはならないからだ。

 

『弱者』と言う言葉に、己の大切な人たちを想う。

 陽介も、千枝も、雪子も、完二も、りせも、クマも、直斗も。何よりも大切な仲間たちは皆「弱さ」を抱えていた。己の心の『影』を一度は拒絶した。

 それでも、それだけでは決して終わらなかった。逃げ続ける事は決してしなかった。

 どうにもならない現実を前に苦しんだとしても、足掻いて立ち向かってそして己を変えて乗り越えて行った。

 その姿を見ても、目の前の鬼は『弱者』だと彼らを謗るのだろうか。

 仲間たちだけでは無い。八十稲羽で出逢った誰もが、「弱さ」を抱えていた。

 そして、彼らはペルソナの力など持たない普通の人々だ。

 もしこの鬼の様な存在に遭遇すれば命を落とすしか無い様な、鬼にとっては『弱者』であろう人たち。

 それでも、己の弱さや迷いに向き合ってそれを乗り越えて行った彼らは、何よりも強い人たちだと、自分はそう思っている。

 それから、足立さんの事を想う。

 あの人は、本当に色々道を間違えてしまったし、間違えた後で更に間違えて、そして自暴自棄のまま虚無感と共に世界の滅びを望むまでになってしまった。アメノサギリの影響を受けていた事を思うと何処から何処までが足立さん自身の「本心」であったのかは分からないけれども。

 しかし、最後に現実のルールに従って償う事を受け入れたあの人は、手紙と言う形で自分の心が少しだけ変わった事を教えてくれた。

 足立さんは、強い人ではなかった。ペルソナともシャドウともつかぬ存在を操るその力は間違い無く強いけれど、その心は「強い」訳ではなかっただろう。でも、それでも足立さんは最後には変わった。少しでも考え直してくれた。なら、その心が本当にどうしようも無い程に弱い訳でも無かったのだと自分は思う。

 

 そして、この世界で出逢った様々な人を想う。

 炭治郎の事を、禰豆子の事を、善逸の事を、伊之助の事を、玄弥の事を、しのぶさんの事を、カナヲの事を、煉獄さんの事を、宇髄さんの事を、甘露寺さんの事を、無一郎の事を、悲鳴嶼さんの事を、お館様の事を、珠世さんたちの事を、蝶屋敷の皆の事を、鬼殺隊の人たちの事を。

 弱い部分や心の欠落や傷を抱えても、それでも尚必死に前を向いて抗い戦おうとする人たちのその姿を想う。

 誰も完全無欠では無い。

 鬼殺隊の中で間違い無く一番強い悲鳴嶼さんだって、その心にはとても深い哀しみの傷がある。

 何にも負けない強さを持つ人も居ない。何があっても絶対に間違えない人も居ない。

 それはそうだ、人間は皆そうなのだ。

 人は『神様』では無いのだから。

 何時も何時でも強く在り続ける事は誰にも出来ない。

 弱い時も強い時も、逃げてしまう時も立ち向かう時も、目を逸らす時も向き合う時も。相反するそれらが常に背中合わせに存在して、その時その時に周りに流されたり或いは己の意思で選び取って進むのが人と言う存在だ。

 そして、無謬の存在では無いからこそ、どうしても自分独りでは完結出来ないからこそ、人は独りでは生きられない。

 誰だって、誰かに助けられている、誰かに守られている。それを知っているか知らないかの違いはあったとしても。生まれ落ちたその瞬間から、誰も独りでは生きられない。

 そう、自分だって、本当に沢山の人達に守られて支えられて此処に居る。

 ……それを『弱者』だとこの鬼は謗るのだろうか? 

 

 なら、鬼と言う存在は本当に哀れなのだろう。

 鬼だって本当は人間と大して変わらない筈なのだ。

 決して完全では無く、寧ろ欠け落ちたものの方が多い。

 ただそれを忘れているか見ないフリをしているだけかでしか無い。

 

 猗窩座は、その言葉には答えなかった。

 ただ、握った拳に更に力が入り、その殴打がより鋭くなったのを見るに、何か気に障ったのだろうとは思う。

 

 ……猗窩座の攻撃はどれも鋭く速く力強い。

 鬼となったからと言って、ただそれだけでは此処まで強くなる訳では無いだろう。

 長い年月の中で己の拳を鍛え上げていたのだろうと思う。

 ……しかし、どうしてかその拳は空っぽだ。虚しいとでも言った方が良いのかもしれない。

 どうしてそう感じるのかまでは分からないけれど。

 闘いを愉しむ様なその言動とは裏腹に、どうしようも無い「虚無」の様なものを感じる。

 

「猗窩座。どうしてお前は力を求める、どうしてお前は力を求めたんだ? 

 ……俺の力は、大切な人を守る為の、皆を助ける為の力だ。

 大切な人たちを蝕んだ混迷の霧を晴らし、世界を滅ぼす幾千の呪言を祓って、幾万の真言を信じて世界に示す為の力だ。

 お前は何の為に強さを求め続けているんだ? 

 どうしてお前はそんなに空っぽなんだ?」

 

 その言葉に、猗窩座は僅かに固まった。

 別に何かの答えを期待した訳でも無いその問い掛けが、猗窩座の何に触れたのかは分からない。

 別にこれと言った理由も無く強さを求める人だって居るだろう。

 ただ強く、と。それ自体が目的の人だって居るだろう。

 しかし、それにしても猗窩座は余りにも空っぽだった。

 童磨の様なそれとはまた別の方向性で、虚無だった。

 だから、気になって思わず問い掛けてしまっただけなのだが。

 だが何であれ、その隙を突かないと言う選択肢は無い。

 

「伊之助! 無一郎!!」

 

 黒死牟と猗窩座の激しい連携によってそれを捌く事で精一杯の状態だったが、ほんの僅かに生まれた隙に素早く『マハタルカジャ』と『マハスクカジャ』でその力を底上げして。

 黒死牟が防御の為に振るった技ごと無理矢理吹き飛ばす様に、イザナギがその剣を力一杯振るって。

 そして、猗窩座が黒死牟とイザナギの方に気を取られた一瞬で、全速力で猗窩座に肉薄して十握剣を振るう。

 反撃の為に握ろうとした拳ごと袈裟斬りの要領で叩き斬り、そのまま反撃を潰す様にして『スクカジャ』で強化された超速の十連撃を叩き込む。紫電を纏った斬撃は猗窩座の身を深く切り刻み、そしてトドメとばかりにイザナギが超高圧の電撃を纏った一撃を叩き込みながらその首を飛ばした。

 イザナギが叩き込んだ一撃の衝撃によって、地を強く踏み締めていた猗窩座の胴体ですらも耐え切れず、斬られた首と共に思いっ切り吹き飛ぶ。

 雷神演舞とでも名付けたいイザナギとの連携によって、先ずは猗窩座を一時的に落とした。

 

 ── 月の呼吸 拾肆ノ型 兇変・天満織月

 

 そして、イザナギによって吹き飛ばされていたものの瞬時に体勢を建て直した黒死牟が反撃の為に放った広大な空間を幾重にも切り刻む様なその斬撃を、弾いて往なすのでは無く思いっ切り身を低くしてイザナギと共に斬撃の隙間に滑り込む様な紫電を纏いながらのスライディングキックを放ってその足を吹き飛ばす。

 足を雷撃に吹き飛ばされれば流石に瞬時に回復するとまではいかないのか、黒死牟はその体勢を崩した。

 そしてそこに、『スクカジャ』で極限まで敏捷性を引き上げて黒死牟の斬撃の隙間を縫う様にして滑り込んで来ていた無一郎と伊之助が追撃を放つ。

 

 ── 霞の呼吸 肆ノ型 移流斬! 

 ── 獣の呼吸 伍ノ牙 狂い裂き!! 

 

『タルカジャ』の補助によって『赫刀』へと変化した無一郎のその刃が、黒死牟の頸を狙う。

 しかしそうはさせじと黒死牟は体勢を崩されながらもその異形の刀の柄を強く握り血鬼術とも呼吸の型ともつかぬ、無数の斬撃を発生させた。

 しかし、無一郎の身を切り裂こうとしたそれは伊之助がその双刀を振るって防ぎ、伊之助の身を刻もうとしたものは十握剣を以て弾く。

 イザナギが振るった剣によって黒死牟の両腕が肘の辺りで斬り落とされて、黒死牟は刀を喪う。

 そして、瞬きにも満たぬ間の攻防の末に、無一郎の刃はその頸を捉えた。

 

 金属の塊を互いに叩き付けた様な、そんな激しい音が響く。

 無一郎の『赫刀』は、確かに黒死牟の頸に僅かに食い込んだ。しかし、そこから先には殆ど進まない様だ。

 ジュウジュウと肉を灼く音がして、本当に少しずつ赫い刃はその首に喰い込んでいっているが、しかしそんな進みでは到底間に合わない。

 無一郎に手を伸ばし、それを助けようとしたその時。

 

 ゾワリとする程の、恐ろしい気配が黒死牟から一気に爆発しようとするのを感じる。

 シャドウが己の全力を込めた強力な一撃を放とうとしている時の様な、そんな危険な感覚に。

 自分とほぼ同時に反応した伊之助は、思いっ切り後ろに飛び退く様にして()()を回避しようとする。

 だが、黒死牟の頸を落とさんと全力で集中する余りにそれ以外への注意が欠けていた無一郎は回避する為の行動が間に合わない。

 イザナギがその身体を掴んで庇おうとする。

 そして──

 

 

 何の型とも言えない、ただの斬撃としか言えない、そんなただただ強烈で何もかもを寸断し破壊し切り刻むそれが、黒死牟の身体を中心にして爆発する様な勢いで全方位に向けて放たれる。

 無数の斬撃の爆発とも言えるそれに、その場の何もかもが切り刻まれる。

 奥の手なのかどうかは分からないが、どうしても頸を斬る為には接近せざるを得ない剣士を屠るのには間違い無く必殺と呼んでも良い攻撃だった。

 既に周囲は更地になっている為、無数の斬撃は地面を更に深く抉るだけに終わる。

 だが、その範囲内に居れば肉片が残るかどうかも怪しい程の攻撃だ。

 

 しかし、二人は無事だった。

 念の為に保険として掛けておいた『ボディーバリアー』によって、その身に与えられる筈だった攻撃のダメージの全てを肩代わりしておいたからだ。

 それが無かったら、二人の命は既に無い。

 黒死牟の斬撃は全て物理的な攻撃だったから、自分にもダメージ自体は無い。

 しかし、ダメージを肩代わりすると言うその行為自体への消耗は生半なものでは無かった。

 ギリギリでイザナギの召喚を維持出来てはいるが、それももうこのままだと時間の問題だ。

 そして『ボディーバリアー』の効果時間も運悪く切れてしまう。寧ろあの攻撃の最中も持っただけ良いと言うべきだが。

 

 黒死牟の姿は、すっかり様変わりしていた。

 その身体中から無数の刀身が生え更にはそれらは己が握っていた刀の様に枝分かれもしている。

 黒死牟にとっては、()()()()と言う動作自体本来は必要が無かったものなのか。

 その身体中から生えた刀の一本一本、その枝の一つ一つから無数の斬撃を放てるらしい。

 もう滅茶苦茶だ。

 

 斬り落とされた腕を再生させつつ、追撃とばかりに更なる斬撃を放とうとしたそれを、イザナギでどうにか抑え込む。

 イザナギの身体が盾になって斬撃が二人に届く事は無いが、イザナギに抑え込まれていると言う状況を打開しようとしてかその肉体は変形しようとしつつあった。

 何かもうよく分からない『化け物』へと変化しようとしつつあるそれを見て、このままだと不味いと言う直感が働く。

 

「伊之助、無一郎!! 一旦下がれ!!」

 

 しかし、一時的に吹き飛ばしただけの猗窩座が戻って来てしまった。

 

 ── 破壊殺・砕式 万葉閃柳!! 

 

 岩盤が捲れ上がり吹き飛ぶ程の尋常では無いその拳の一撃を、無一郎は咄嗟に伊之助を抱えて庇う様にして避ける。

 

「ほう……やるな。

 その闘気、既に至高の領域に半ば踏み入れている程に練り上げられている。

 まだ肉体の最盛期には程遠いと言うのにそこまで至っているとは。

 素晴らしい! 俺は感動している。

 悠だけでなく、お前の様な強者とも闘えるとは。

 なあ、お前も鬼に──」

 

「ならない。それと悠の名前を馴れ馴れしく呼ぶな」

 

 猗窩座の言葉を一蹴した無一郎に、しかしそれに構わず猗窩座はその技を放ちながら話し掛け続ける。

 猗窩座の攻撃を無一郎と伊之助と共に捌くが、このままだと不味い事になる予感がして仕方が無い。

 恐らく黒死牟をどうにかしなくては不味い状態なのだが、しかし猗窩座の相手は恐らく無一郎と伊之助では無理だ。

 黒死牟をイザナギに任せている状況ではあるのだが、何やら加速度的に不味い事になっている気がする。

 イザナギに押さえ付けられて至近距離で爆発する様な強烈なマハジオダインで焼かれ続けていても、焼け焦げる匂いを漂わせつつも黒死牟のその抵抗は止まない。

 何の予備動作も不要な斬撃が、己を打ち据え続ける雷に抵抗するかの様に周囲を蹂躙していた。

 炭の様になりつつも人間の形を放棄してでも目の前の存在を殺そうとするその肉体は、手の付けようの無い「何か」へと変わりつつある気もする。

 

 鋼鐵塚さんたちの小屋からはある程度以上に引き離せたのだから、ここはもう『メギドラオン』や『明けの明星』でトドメを狙うべきなのか? 

 しかし、『ボディーバリアー』の負担が抜けきらず、そしてイザナギを召喚し続けている事への負担がかなりキツくなっている今、果たしてこの二体を仕留める事の出来るだけの一撃を放てるのかどうか。

 何よりも、どうにかしてその動きを拘束しなければならないのだが、全身凶器と化した黒死牟を満足に拘束するには氷結させるだけでは無理だろう。

 なら、どうやって……。

 

 喉を雷に焼かれ言葉を失った様に獣の如く吼える黒死牟と、空っぽのまま修羅の如き拳の驟雨を降らせ続ける猗窩座とを相手にしながら。

 イザナギを維持する事も限界に近付きつつある中で、自分はどうするべきなのかを判断し切れなくなっていた。

 後少しでもここに誰か居てくれれば、と。そう考えてしまう。

 少しでも猗窩座を抑えられる人が後一人居るだけでも、と。

 

 

 その時、見覚えのある鎹鴉が夜闇を切り裂く様に飛来して、()()を導く様に上空で旋回し始めたのが見えた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
『ボディーバリアー』で二人へのダメージを全部肩代わりしながら戦っていた。イザナギに物理無効が付いているから持っているが、もし物理攻撃をどうにか出来るペルソナでなければ肩代わり分のダメージで既にかなりの傷を負っている状態。
なお、力尽きても『不屈の闘志』と『食いしばり』で二度までなら持ち堪える。


【嘴平伊之助】
黒死牟や猗窩座の攻撃を何発か掠ってるが、悠の『ボディーバリアー』によって守られているので無傷。
自分が一番足手纏いになっている自覚があるのでかなり焦っている。
そもそも最初から本気を出している黒死牟と猗窩座が共闘する戦いの場に居合わせて生きている事自体が凄いのだけれども。
現時点では無惨汁での強化済だと黒死牟とも猗窩座とも、単独で相対した場合は二分程度その攻撃を回避するだけで精一杯。
原作猗窩座となら、無限城炭治郎程度には戦えるが単独だとまだ勝てない。


【時透無一郎】
黒死牟や猗窩座の攻撃を何発か掠ってるが、悠の『ボディーバリアー』によって守られているので無傷。
直接目にする黒死牟と猗窩座の二人の連携攻撃が異次元過ぎて物凄く焦る。
それでもその動きを見切れているだけ凄い才能。
単独で相対した場合、現時点でも無惨汁で強化された猗窩座相手に少しだけ戦う事は可能。ただし勝てない。


【黒死牟】
自分の首を落とした事のある悠への感情が強過ぎて、無一郎が己の子孫だと見抜く事もなくそもそもほぼ意識の中に無かった模様。
黒死牟の認識としては、悠>『次元の壁』>その他。
縁壱への数百年の怨毒と摩耗し切っていて尚抱え続けた妄執と情念は、縁壱すら上回る悠と言う『化け物』と出逢った事で加速度的に更に深く狂っていく。
『心の海』を僅かに揺らし得る程のその情念の行き先は何処なのか。
無一郎に首を落とされかけた衝撃で怪物化が加速。
侍どころか、この世の生き物としての「何か」を逸脱していきそうになる。
原作ですら痣状態の悲鳴嶼さんと実弥が二人がかりで『赫刀』にしてやっと落とせたその頸は、無惨汁による強化でそれを更に上回る強度となっている。
『赫刀』を以てしても、無一郎だと膂力が足りず頸を落とせなかった。
尚、悠の助けが間に合っていたらその頸はあっさりと落ちている。


【猗窩座】
相変わらず勧誘する。
最初から本気で殺しに掛かっているのに全て受けるか避けるかされてビックリ。でも楽しい。
武を極める者ではないが、此処までの強者と渡り合える機会は無いので純粋に喜んでいる。
また、紛れも無く強者である無一郎にも喜ぶ。
悠の言葉に、心の奥底で何と無く感じるものがあった。


【鬼舞辻無惨】
玉壺が消える直前に一気に「老化」して、急激な加齢によっても崩れていった様を見て恐慌状態になっている。
自分は大丈夫な筈、しかし、と。
得体の知れない『化け物』の手札を少しでも暴こうと必死。
何処までも何処までも純粋に「生きたい」と足掻くその精神性は凄まじく、余りにも自己中心的なものである事を加味しても『心の海』の中で凄まじい力を発揮し得るものである。


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『生きていれば』

獪岳に関しては公式で明言されている事が非常に少ない為、ほぼ捏造です。
その為、今後の公式の展開次第では今回の内容と大きな矛盾が発生する可能性があります。予めご了承ください。
また、普段の文字数の2.2倍位あります。


【前回の話】
『蹂躙する暴威』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 一体どうしてこんな事になっているのだろう、と。

 一瞬でも判断を間違えた瞬間に、一呼吸でも息を止めた瞬間に、即座に命を落とすだろう……そんな文字通りの『化け物』に蹂躙されるその領域の中で、必死に足掻きながら。

 どうして、と。戦いに集中する部分とはまた別の領域で、俺の思考は何度目とも分からない自問自答を繰り返していた。

 

 

『生きてさえいれば』。

 それが、その信念が、俺を何時も支え続けていた。

 

 俺には何も無い。最初から何も持っていなかった。

 物心ついた時には既に棄てられていて親兄弟の顔なんて知りやしない。

 物乞い連中に混じって僅かな憐れみのお零れを貰ったり、或いはせせこましく掏摸をしてその日その日の糧を得たり。

 生き延びる為には何でもやった。

 泥水だって飲んだし、野良犬たちに混じって味がしない方がマシだって思う様な残飯を漁る事だってした。

 名前すら持っていなかった。

 誰が初めに呼んだのかも知らない「獪岳」と言うそれを自分の名前にしただけで。

 後になって自分の名前にしたその言葉を調べて見たら、「獪」とやらは「狡賢い」と言う意味らしい。人間に付ける名前じゃねぇなと思ったが、まあその時には既に「獪岳」と言う名前で過ごした時間はそれなりにあったし確かにそれは『自分』を示すものであったから今更それを変えようとは思わなかったけど。

 そんな風に、俺は何にも持っていなかった。

 誰からも気にされないし、ある日消えたとしても誰も構わない様な。居ても居なくても何も変わらない様な存在だった。

 俺みたいな連中は別に少なくは無かった。

 親に棄てられた子供、親の虐待に耐えかねて逃げ出してきた子供、何らかの理由で親を喪って路頭に迷った子供……。

 そんなの、探せば幾らでも居るのだ。

 慈善院の様に孤児を引き取って育てる奇特な人や場所が無い訳ではないけれども。

 そうやって救いの手を差し伸べるにしても抱えられるものには限りがあるし、そこから零れ落ちた者達が生きていく術などそう多くは無い。

 保護してくれる大人が居ない子供たちの多くは、そう長くは生きられずに野垂れ死にしてはその骸を野良犬などに喰われて終わる。

 そうやって息絶えていく者たちを、ある日突然何処かに消える子供たちを、横目に見ながら。

『生きてさえいれば』、『死んだら終わりだ』と言うその信条に縋り付く様にして必死に生きていた。

 何の為に生きていたのかなんて、そんなの知らない。

 ただ、死にたくなかった、生きたかった。

 このまま死んだら、何も残らない。何の意味も価値も持たないまま、何の為に生きてきたのかさえ分からないまま、そうやって無意味に死ぬ事には耐えられなかった。

 ずっと、何かが欲しかった。

 自分だけの何かが、それが何かは分からないけれど、とにかくそれが欲しかったのだ。

 だから、とにかく必死に生きた。

 明日なんて分からないまま、それでも、と。

 

 そうやって何年もの間、野良犬も同然に生きてきたが。

 しかしある時転機が訪れた。

 とある盲目の僧が、俺を拾ってくれたのだ。

 彼が管理するその小さな寺には、俺と似た様な経緯で拾われて一緒に暮らしている子供たちが何人も居た。

 俺はその中では新入りだが年齢はかなり高い方だった。

 彼……悲鳴嶼さんや子供たちと過ごす日々は、決して豊かなものでは無かった。

 篤志家から時折寄進はあったものの、基本的に贅沢なんて出来ない。

 まさに清貧とでも言った方が良い様な、そんな生活だった。

 それでも、屋根がある場所で雨風の心配をせずに眠れて、次の食事を探す為に残飯を漁る様な事をしなくてもちゃんと食べる事が出来る生活に不満など無かった。

 それまでに比べれば、そもそも比べ物になんてならない位に良い生活だった。

 貧しくて尋常小学校に通う様な事は出来なかったが、基本的な読み書きなどは寺にあった書物を通して学ぶ事が出来たし、悲鳴嶼さんから色々な事を教えて貰う事が出来た事もあって、「学」と言うものも多少は身に付いたとは思う。

 

 悪くは無い生活だった。

 チビどもの面倒を見るのは良い事ばかりでは無いけれど、毎日毎日寺の手伝いをするのは楽では無かったけれど。

 でも、悲鳴嶼さんの事は慕っていたし、そうやって面倒を見て貰っている恩義はしっかりと感じていた。

 生きる為なら何でもやってきたのは確かだけれど、でも。

 そうやって生きる事に必死だったからこそ、何かしら恩を受けた際にはそれにちゃんと感謝する程度の感性はしっかりとあった。

 それが決して「当然」では無い事を、何も持たざる者であったが故によく理解していたからだ。

 何もしなくても享受出来る様なものなんかじゃない事を俺はよく知っていた。

 ほんの一時の気紛れや憐情によるものなのだとしても、それを受け入る事が出来るかどうかで生き死にが分かれる事もよく知っていたからだ。

 まあ、恩を感じるとは言っても、その相手から盗みは働かないと言う程度の事ではあったけれども。

 それでも、そう言った分別は元々あった。

 だからこそ、命を脅かされる事無く生きていけるそこは、生きる事以外にも目を向けられる場所であった。

 そう、最初はそれだけで良かったのに。

 

 どうしてだか、時々満たされないものを感じてしまう時が現れた。

 それは大抵、悲鳴嶼さんが他の子供たちを褒めていたりする時だ。

 俺は年長者の部類だったから、寺の子供たちの誰よりも、寺の事を手伝っていたし仕事もやっていた。

 そうやって頑張る事は嫌いではなかった。

 一人で生きて来た時には自分が頑張らなきゃ明日の命すら分からないものであったのだし、そうやって何かを努力するのはある意味では当然だった。

 かつては努力すればそれは僅かな飯や一晩の屋根などといった形で返ってきたし、寺に来てからは悲鳴嶼さんに褒めて貰えるし認めて貰える。

 だから、努力は嫌いじゃない。寧ろ、努力には相応の「結果」が付いて回るものだとも思っていた。

 ……でも。寺には俺以外にも多くの子供たちがいた。

 中には頑張るやつも居れば、鈍臭くって直ぐにビービー泣く様なやつも居て。

 頑張っていて成果が出ている奴を悲鳴嶼さんが褒めるのは当然だけど、何にもして無い様な……寧ろ迷惑をかける様な奴にまで悲鳴嶼さんが優しく褒めているのを見るのは何だか嫌だった。

 胸の奥に隙間風が吹く様な、そんな満たされない物を感じた。

 そんな奴を褒めるなら、もっと俺を褒めてくれ、もっと俺を認めてくれと、そう思った。

 そして気付くのだ。

 悲鳴嶼さんにとって、俺は特別でも何でもなくて。

 大勢居る子供たちの一人なんだ、と。

 

「特別」になりたかった。「特別」が欲しかった。

 何にも持って居なかった俺でも、「特別」になれたのなら。

 そんな、自分だけの「何か」を手に入れる事が出来たら。

 何の為に生きているのか、何の為に必死になって生きてきたのか、分かる様な気がするから。

 

 そうしようとした切っ掛けが何だったのかは、もう今となっては思い出せない。

 多分、そんなに大した何かじゃなかったのだろう。

 流石に気紛れとかでは無かっただろうけど。でも、きっと思い出してもあんまりにも些細な事過ぎてどうしようも無い様な切っ掛けだろうとは思うのだ。

 ある日、俺は寺の金を盗んだ。

 盗んだと言っても、本当に端金で。それで何かを買うなんて程のものじゃない金額だったと思う。

 寺に来る前は掏摸だとか盗みだとかもして食い繋いできたけれど、衣食住が保証された寺でそんな事をする理由なんて無くて。

 でも多分。それに気付いた悲鳴嶼さんがどうするのかを知りたかったんだと思う。

 ただ叱るのか、悲しむのか、説教の後に赦してくれるのか、それとも「良い子」だった俺がそんな事をした理由を知ろうとするのか。

 それが「悪い事」だってのは分かっていた。端金でも、大事な金であると言う事も。

 でも、ただ知りたかったのだ。……今となっては、言い訳にすらならない事だけれど。

 

 しかし、俺が金を盗んだ事に最初に気付いたのは、悲鳴嶼さんじゃなくて寺の子供たちだった。

 当然、罵られた。だって「盗み」は悪い事だ。それは悪い事なのだと悲鳴嶼さんは何時も言っている。それに、大事な寺の金に手を付けたのだから、そりゃあ怒られるし罵られる、当然だ。

 反省しろと、夜に寺を追い出された。

 

 悲鳴嶼さんが気付いたらきっと追い掛けて探してくれるだろう。

 でももう寝る時間の事だったからなのか。

 目が見えていなかったからなのか、悲鳴嶼さんは気付いていなかった。そして、きっと俺を追い出した奴らもそれを言わなかったのだろう。

 ……それでも、明日が来ていれば。

 何時も通りの明日が、来てさえいれば。

 

 でも、そんな「明日」は、二度と訪れなかった。

 

 寺のあった地域では、鬼の伝承が根強く残っていて、夜には藤の香を焚くのが習わしになっていた。

 寺でも毎晩毎晩悲鳴嶼さんがそれを焚いていた。

 鬼なんて、そんな言い伝えの中にしか居ないものを恐れるなんて馬鹿なんじゃないかと思った事もあるけど。

 でも、だからってそれを止めさせようだとかは思った事は無かった。

 ああ、そうだ。「鬼」なんてお伽噺の存在だと思っていたんだ。

 あの夜までは。

 

 寺を追い出されて、かと言って遠くまで行く様な気にもなれなくて。

 適当な木々を枕にでもして寝るかと、そう思って森を彷徨いていたら。

 俺は、「鬼」に出逢ってしまった。

 

「鬼」の習性を思えば、出会した直後に俺が殺される訳では無かったのは「幸運」だったのだろう。

 獣同然の理性も無い成り立ての様な鬼とは違い、その「鬼」には理性があった。狡猾さがあった。

 俺の首を絞めながら「鬼」は言った。

「お前はあの寺の子供だろう。焚いている香を消してこい。そうすればお前だけは見逃してやろう」、と。

 恐怖からその時の記憶は大分曖昧ではあるけれど、確かそう言っていた筈だ。

 

 あの「鬼」は恐らく暫く前からあの寺に目を付けていたのだと思う。

 山の中の、普段は人の往来も殆ど無い場所にある寺だ。

 そこで人が襲われていても、発覚するのは随分と先の事で。

 殺した獲物を食べ尽くして鬼がその痕跡を消して悠々と逃げるには持ってこいの立地だった。

 あの日俺が外に居なかったとしても、何かの機会に押し入る隙が出来ていたら寺を襲撃していただろうとも思う。

 でも、それは今になって思い返して、必死に言い訳をしているだけに過ぎない。

 何であれ、俺は選んでしまった。

 自分の命と、自分以外の全員の命を天秤に掛けて。

 自分の命を、選んだ。

『生きてさえいれば』、『死んだら負けだ』、と。

 その恐怖に突き動かされて、俺は……。

 

 その選択の結果は、惨憺たるものになった。

 あっという間に、殺された。

 俺を寺から追い出した奴も、罵った奴も。ほんの少し前まで一緒に飯を食って寝ていた者達が、皆。

 生まれて初めて嗅ぐ濃い血の臭気に腹の奥底から嫌悪感と、どうしようも無い取り返しなど絶対に付かない事への決して消えない罪悪感が胸の奥に刻み込まれる。

 俺の所為じゃない、どうしようも無かったんだと、そう必死に抗弁しようとする心を。

 夜の暗闇の中で息絶えた皆の虚ろな眼がそれを赦さない。

『お前の所為だ』、と。誰もがそう言っていた。言っている気がした。

 争っている音は聞こえたけど、もうこれ以上は耐えられなかった。

 悲鳴嶼さんは助からないだろうと思った。だって眼が見えていないのだ、どうする事も出来ない。

 俺の所為で、殺してしまった。

 それでも、自分の罪に向き合う事なんて出来なくて、でも何もしない訳にもいかなくて、かと言って「鬼」に立ち向かうなんて今更出来る訳も無くて。

 だから俺は、必死に夜の山を駆け下りた。

 子供の足だ、これと言って何も鍛えてないただの子供。

 そんな子供の足で出来る事はタカが知れていた。

 それでも、必死に町まで降りて、警邏の者を呼んで寺が襲われている事を話して。

 そして……俺はそのまま己の罪から逃げ出す様に、そこから離れた。

 だって、帰った所で悲鳴嶼さんたちの無惨な亡骸に向き合う事になるだけだ。

 もう「明日」なんて絶対に訪れない事は分かっていた。

 だから俺は、全てから背を向ける様に、逃げた。

 何をしても晴らす事の出来ない罪悪感を抱えたまま……。

 

 それからはまた惨めな生活に逆戻りした。

 日々生きる事だけに窮々とする様な、そんな毎日。

 俺は必死に生きた。必死に生き抜こうとした。

 だって、俺は選んでしまったのだ。

 自分の命と、自分以外の命を秤にかけて。

 なら生きなければならない。悲鳴嶼さんや寺の皆を殺してでも生きる事を選んだんだから。

 ここで死んだら、本当に何も残らない。

 罪だけを重ね続けた詰まらない命が消えただけでしかない。

 それは、嫌だった。何の為に生きているのか分からなくなっても、それでも生きようと頑張った。

 

 そしてそんなある日、再び転機が訪れた。

 それは本当に偶然だったのだが、鬼殺隊の元柱であり育手である先生……桑島さんに出逢った。

「鬼」と言う存在を現実的に知っている俺は、「鬼」を殺す存在……鬼殺隊の存在を知って。

 先生に師事する事を、選んだ。

 あの化け物と戦うと言う事は、命の危険もあると言う事は分かっている。

 一度は膝を屈したからこそ、誰よりも分かっている。

 でも、鬼殺の剣士になれれば。

 あの日の様な事は二度と起きないだろう、と。そう思ったのだ。

 それは贖罪の為であるのだろうか、それとも己の罪悪感に負けて逃避しているだけなのか。

 或いは、もう絶対に叶わないけれど、あの日喪ってしまった「明日」を取り戻したかったのか。

 ……何にせよ、俺は鬼殺の剣士となる為に修行する道に進んだ。

 

 素質はあったからなのか、弟子になる事を先生は許してくれた。

 そして、本当に一切の容赦無く扱かれた。割と冗談抜きで「死」を覚悟した事は何度もある。

 柔い子供の身体を、「鬼」を殺せるまでに鍛え上げるのだ。

 それはもう生半な鍛錬では足りないのは当たり前で。

 指先一本動かす事も出来ない様な状態まで身体を酷使して倒れた事は一度や二度では無い。

 でも、俺は努力する事は嫌いじゃなかった。

 やればやっただけ自分の力になる実感があった。

 もっと強く、もっと強く、と。

 そうやって必死に鍛錬した。

 先生が見ていてくれたから、認めてくれたから、頑張らないと、と。

 あの日からずっと満たされる事の無かった、もう永遠に満たされないのかもしれないと思っていた胸の奥が、少しだけ温かなものに触れた。

 だけど……。

 

 どんなに鍛錬しても、俺は壱ノ型が出来なかった。

 雷の呼吸にとっては、基本でありその全てである型だけが。

 他の型は出来るのだ。鍛錬すればする程その精度は高まり、実際に鬼殺の剣士として戦っている他の雷の呼吸の使い手たちにも勝っていると先生に褒められた程に。

 それでも、壱ノ型だけが、何をしても出来ない。

 お前には「才能」など無いのだと突き付けられている様にすら感じた。

 上辺だけをなぞっているだけなのだと、自分自身にそう言われている様な気すらした。

 あの日の死んだ子供たちの眼が責める。

『お前は永遠に満たされない』、と。

 

 そして、決定的な日は、まるで青天の霹靂の如く訪れた。

 先生が、新たな弟子を連れてきたのだ。

 俺と言う弟子が既に居るのに! 

 それは、俺が壱ノ型が使えない出来損ないだからなのか? 

 先生は俺に見切りを付けたのか? 

 だが、胸の奥に轟々と渦巻いたそれを先生に訊ねる事は出来なかった。

 

 善逸と言う名のそいつは、俺と同じく孤児だったらしい。

 だが俺とは違って、善逸は情けなさの塊であった。

 ギャンギャン泣き喚き、努力を嫌って直ぐに逃げ出しては先生の手を煩わせて、そして先生の時間をひたすら食い潰す。

 こいつの何を見て弟子にしようとしたのかと本気で思った。

 こんな奴に劣ると思われているのかと思うと、腸が煮えくり返る様だった。

 ならこんな奴要らないのだと言ってやろうとして壱ノ型をそれまで以上に必死に習得しようとしたけれど、しかしどんなにやっても出来ないままで。

 なのに、信じられない程に情けなく惨めったらしいカスみたいな奴なのに。

 アイツは、俺がどんなに努力しても出来なかった壱ノ型を習得した。壱ノ型以外は全然ダメだけれど、しかしその事実が俺を慰める事は無かった。

 更に追い打ちを掛けたのが、先生が俺とアイツの二人で雷の呼吸の後継者だとか言い出した事だ。

 努力して努力して誰よりも努力して。あんなカスなんかとは比べ物にならない程に刀を握り続けているのに。

 それなのに、俺とカスが同列だと言ったのだ。

 到底、認められない事だった。

 

 そして、俺は先生の所から逃げ出すかの様に最終選別へ行って、そのまま鬼殺隊に入った。

 鬼殺隊は実力主義の場所だ。努力すればする程鬼を狩れば狩る程評価される、認められる。

 その空気は嫌いでは無かった。

 もっともっと鬼を狩って、何時か鳴柱になる。

 そうすればきっと俺は誰からも認められて「特別」になれる。

 あんなカスなんかどうでも良い位に、俺が「特別」だと認めさせられる。

 そう、思っていた。

 

 俺が鬼殺隊に入って一年程してからあのカスが最終選別で生き残ったらしいとは聞いた。

 鬼殺隊は何だかんだと狭い世界なので、別に知りたくなくてもそう言う情報は耳に入ってくるのだ。

 今回の選別は何時もよりも多くて五人も通ったらしいと、そう噂になっていた。

 

 それからはカスの名を聞く様な事は無かった。

 しかし、何か大きな事があれば別に知りたい事でなくても耳には届く。

 例えば、強力な鬼に遭遇したか何かで下級隊士が大きく減った事はあったが柱が出向いた事でその下弦の鬼だったらしいその鬼も無事に狩られたそうだとか。

 それと、どうやら鬼を連れているどうしようも無い馬鹿な隊士がいるらしいと風の噂に聞いた。

 上層部直々に認められているらしいので手出しは無用との事だったが、まあ階級は相当下らしいので任務などでかち合う事も無いだろうと聞き流した。

 そしてそれから少しして、蝶屋敷に送られた隊士が無事に戦線に復帰出来る割合が急に高くなったらしいとも噂に聞いた。

 とは言え、任務で大きな負傷などする事も無かった俺が治療施設である蝶屋敷を訪れる用事などほぼ無いので関係無い事だったが。

 

 あのカスの名前を再び聞いたのは、カスが鬼殺隊に入ってから数ヶ月経った頃の事だ。

 炎柱と共に下弦の壱の討伐に参加したらしい。まあ、その件に関しては、下弦の壱を倒した事よりも、その後に強襲してきた上弦の参を相手に炎柱が五体満足で生き延びた事の方が重大事として伝えられてきたのだが。

 上弦の鬼は下弦の鬼と比べ物にならぬ程に恐ろしく強いと言う事は知っていたが、上弦の参でも炎柱一人で対峙しても五体満足で撤退させられるのなら、鬼殺隊で囁かれている程には強い相手では無いのかもしれない、と。漠然とそう思った。

 

 しかし、その炎柱と上弦の参との戦いを更に上回る出来事がそれから一ヶ月程後に起きたのだ。

 何と、上弦の弐が撃破されたのだと言う。それから少しして、「撃破」ではなく「撃退」であったと修正されはしたが、しかしどちらにせよ快挙である事には変わらず、それらの情報は直接鎹鴉を通じて全隊員に周知された。

 しかし、その上弦の弐を撃退したのだと言う『鳴上悠』なる人物に関しては、殆どの者が首を傾げた。

 そもそも階級が記されてないその者は一体何なのか、と。

 隊士なのか何なのかも分からず、それから暫くは隊士たちの間では『鳴上悠』の話題が持ち切りであった。

「『鳴上悠』なる人物は人では無くて、鬼なのでは」だとか、「上弦の弐を倒した『鳴上悠』は人間では無くて、無惨の横暴に耐えかねた神仏の御使いなのでは」だとか、まあ随分と好き勝手言う者たちに混じって、中にはこの『鳴上悠』なる人物に心当たりがあると言う者もいた。

 どうやらその隊士曰く、最近蝶屋敷には新たに男の住人が加わっていて、その男は蝶屋敷の住人と共に負傷した隊士たちの治療に当たっているそうだ。

 彼が手を握れば、死の淵にあった者や血鬼術の後遺症に苦しむ者たちもたちどころに癒されすっかり元通りになるのだとか。

 そんな馬鹿なと思うし、尾鰭が付き過ぎだろうと本気で思うのだけれども。

 実際にそこで命を拾った者の証言も出て来たのだからそれは益々持って「事実」らしいと噂になった。

 命を救われた者曰く、意識も朦朧としたその中で握られた手はとても優しく温かく、まるで父母が幼い我が子を慈しむ様な慈愛に満ちていて、苦しみに寄り添わんとするその心はまさに「菩薩」であると言う。

 流石に誇大に語り過ぎているとしか思えないのだが、それは一部の隊士の間に熱狂的に広まり、蝶屋敷には「菩薩の化身」が居るらしいとの話題で持ち切りになっていた。

 何にせよ、突如彗星の如く現れた『鳴上悠』と言う「特別」に、誰もがその興味関心を向けているのは確かであった。

 だが、俺はその熱狂に乗る事はどうしても出来なかった。

 

 そして、鬼殺隊中が『鳴上悠』の話題で持ち切りになって一ヶ月も経たない内に、今度は上弦の陸が討伐されたとの話題で持ち切りになった。

 そして、上弦の陸を討伐した者たちの中には、カスの名前と、そして『鳴上悠』の名前もあった。

 上弦の鬼との戦いの中で一人の死者を出す事も無く完全に勝利したそれは、快挙を通り越して最早異常であった。

 住人の避難誘導や事後処理をしていた隠たちが噂していたのを伝え聞く所によると、建造物などの被害は想像を絶する程の規模でありそれで死傷者が一人も出なかったのは最早『奇跡』だったらしい。

 上弦の陸によって広大な吉原遊郭の一画は完全に更地と瓦礫の山も同然の状態と化していて、物的な被害としては鬼殺隊がそれまで処理してきた物の中では群を抜いて酷かった様だ。

 また、幾百もの雷鳴が轟き天から驟雨の様に雷霆が降り注いだとも、光の矢が天に向かって放たれただの。そんな事を目撃したのだと主張する隠も居た様だ。

 一体何が起きたのかさっぱり分からないが、とにかくその戦いが『異常』であった事は確かであるらしい。

 ……何にせよ、あのカスが上弦の陸の討伐に大きく貢献した事は間違いない様だった。

 本当の意味で、鬼殺隊が上弦の鬼を討ち滅ぼした初めての事例だ。

 その為、『鳴上悠』や音柱だけでなく、あのカスやそしてカスの同期だと言う新人隊士の事もよく話題に上がる様になっていた。

 誰かがあのカスを認める言葉を羨む様な言葉を口にするのを耳にする度に、胸の中に黒く澱んだ感情が満ちて行った。

 あのカスが「特別」なのだと、そう言うつもりなのかと。

 誰にとは言わずに叫びたくなる事もあった。

 誰よりも努力している、誰よりも強くなる為に。絶対にあのカスよりも努力している。それでも届かないのか、「才能」と言う「特別」は俺には存在しないのかと。

 満たされない想いは益々強くなった。喉が乾く様に何かに飢え続けていた。認めて欲しかった。

 

 そして、上弦の陸が討伐される少し前辺りから、それまでの実力を上回る様な戦果を上げる隊士が増え始めていた事も、俺を追い詰めた。

 俺よりも弱い、俺よりも下だと思っていた連中が、何時の間にか強くなっていたのだ。

 俺でも手こずるかもしれない様な厄介な血鬼術を使う鬼を、柱でも何でもない上に階級としては低い方である隊士たちが数人がかりとは言え倒したらしいのだと言う話を聞いた時には、思わず何故だと心の中で叫んだ。

 俺の方が弛まずに努力し続けているのに、何故、と。

 努力をすれば強くなれた、強くなれば認められた。

 だが、その努力で得た強さを上回る者達が周りに大勢現れたら、誰も俺を認める事は無い。普通の結果しか出せていないのに、努力を評価される事なんて無い。

 何が足りないのだろう。努力か? 才能か? それとも天運か? 

 下弦の鬼でも討伐すれば、きっと誰もが俺の事を認めてくれるのだろうけれど。

 しかし、ここ数ヶ月の所全く下弦の鬼の情報が無いのだ。

 カスたちが炎柱と共に倒したらしい下弦の壱の討伐報告を最後に、下弦の鬼自体が影も形も無くなった。

 なら少しでも任務を熟さなければならない。

 少しでも多く、一体でも多く、鬼を殺さなければ。

 あのカスを超える事が出来ない。

 

 そしてそんな焦りのままに、俺は色んな任務を手当たり次第に受けた。

 手当たり次第とは言え、雑魚鬼程度に殺られる程弱くはないし、血鬼術を使える鬼だって大体は俺一人でどうにか出来る。

 しかし、その夜の任務は偶々複数の隊士との合同任務であった。

 そう言う時は偶にある。

 俺以外の隊士は正直そこまでパッとしない奴らであった。

 俺以外の三人はそれなりに親しいのか目的地への道中に軽く雑談するなどしていたが、そんな暇があればさっさと鬼を狩れば良いのにとすら思う。

 目的地であった廃村を根城にしていた鬼は、あっさりと殺せた。

 壱ノ型が使えなくったって、俺は鬼を殺せる。殺せるのだ。

 それでも、胸の中に巣食った黒いものは晴れないし、虚しさも消えない。

 さっさと報告して帰るかと、そう踵を返そうとした時だった。

 

 余りにも重厚で逃れる事など出来ない『死』の気配がした。

 

 それに反応出来た事は、果たして運が良かったのか。

 何にせよ、その気配を感じた瞬間に動けたのはその場では俺だけで。

 そして、全力で回避したその瞬間。

 その場を一閃した斬撃が、ただその一太刀を以てその場に居た隊士三人の身体を一瞬で斬り刻んだ。

 手足が飛び、肉塊の様にグチャグチャにされ、胴も寸切りにされて吹き飛ばされて。

 その場は、瞬く間に血の海と化した。

 もう、それは本能の叫びの様なものだった。

 

 勝てない、勝てない、勝てない、死ぬ、逃げなくては、と。

 その感情に支配されて、全速力でその場から逃げ出そうとして。

 しかし、それは叶わなかった。

 

 

「ほう……今の……一太刀を……避ける……とは……。

 中々……良い……素質を……持つ……様だ……」

 

 

 ()()が目の前に現れた瞬間に、絶対に逃げられない事を本能が悟った。

 それは『死』そのものであった。

 何もせずその場に佇んでいるだけで、全身の細胞が絶叫して泣き出す程の、何処までも圧倒的な強者であった。

 目玉が幾つも付いた奇妙な刀を握っていたその鬼の、殆ど人間の様に見えるその容貌の中で唯一の異形らしき三対六眼の、本来の人間の眼の位置にある眼球に刻まれた文字は、「上弦」・「壱」。

 正真正銘の、『化け物』であった。

 

 対峙した瞬間に、こんな者に勝てる存在など人間の中に居る筈が無いと悟った。

 上弦の陸を討った? だが、目の前のこの『化け物』にそれで勝てるとでも? 

 それはどうする事も出来ない絶対の存在であり、『死』と『絶望』その物で。

 

 それを目の前にして、胸に吹き荒れたのは、『死にたくない』と言うその一念であった。

 

 俺は、まだ何も成せていない、何にもなれていない、何も認められてない、評価されてもいない。

 このまま、「何も無い」ままに死ぬのだけは絶対に嫌だった。

 だから、俺は己の日輪刀を鞘から抜く事も無くそれを地に置いて。

 額を深く地面に擦り付けながら、必死に命乞いをした。

 とにかく、何が何でも生きたかった、死にたくなかった。

 だから必死になって色んな事を言った気がする。殺さないでくれと、とにかく何でも言った気がする。

 それらの命乞いの中に何を思ったのかは知らないけれど。

 上弦の壱は、どうやらその場で即座に斬り殺す気は無くなったらしい。

 だが、その次にその口から出て来た言葉には、思わず息を飲んでしまった。

 

 

「成程……お前も……力を……望むのか……。

 呼吸を使う……剣士なら……あの方に……使って貰える……だろう……。

 強い剣士であれば……鬼になるのに……時間が掛かる……。

 呼吸を使う者を……鬼とするのには……より多くの……血が必要になる……。

 稀に……鬼にならず……死ぬ者も居るが……お前は……どちらだろうな……」

 

 

 お前を「鬼」にすると、そう言い放った上弦の壱の言葉に。

「否」を突き付ける事など出来なかった。

 隊士が鬼になったらどうなるのかなんてよく知っている。

 身内が……俺の場合は、先生とあのカスが、その責任を負って腹を切る事になる。

 自分の選択の所為で、また人が死ぬ。

 でも、それを拒否したら俺が死ぬ。

 カスの事は心底疎んでいたし憎んでもいたが、かと言って殺したいとまでは思っていなかった。

 先生に対しても、俺とカスを同列に並べた事には今でも納得がいかないけれど、だからと言って殺して良いなんて思っていない。

 でも、ここで選ばなければ俺は死ぬ。

 死ぬのだ、何にもなれないまま、何も持てないまま、何の「特別」にもなれないまま。

 生きた意味なんて無いままに、あの日殺してしまったアイツらや悲鳴嶼さんの命を捧げてしまった意味すら分からないままに。

 

 生きてさえいれば良い。

 死ななかったら負けじゃ無い。

 鬼になったとしても、何時かきっと勝てる筈だ。

『生きてさえいれば』。

 

 上弦の壱に言われるままにその手を盃の様にして、その血を受け取ろうとした、丁度その時だった。

 

 

 何度も聞いた覚えのある、独特の音が響いて。

 ほんの一瞬で目の前に、何処から現れたのかも分からないが、善逸が俺と上弦の壱との間に飛び込んで来て。

 俺を守ろうとしてか、上弦の壱の腕を斬り落とさんとその刀を振るっていた。

 

 だが、それを上弦の壱に見切られていた為に、その刀はたった一撃であっさりと折られて。

 そして、返す刀で善逸の胴体を薙ぎ払おうとしたその上弦の壱の一撃を。

 

 

「させるかぁああっっ!!!」

 

 

 まるで上から降って来たかの様にその場に飛び込んで来た見知らぬ男が、その手に持っていた剣を振るって止める。

 その一瞬の間に、善逸は俺を抱えたまま霹靂一閃の足運びでその場から遠ざかった。

 

「獪岳!? 無事!? 怪我は!?」

 

 焦った様に肩を揺すりながらそう訊ねてくる善逸に、状況が全く理解出来ずに混乱していた俺は殆どマトモな反応が出来て居なかったと思う。

 そもそもどうして此処に善逸が現れたのか、そしてあの男が何なのかすら全く分かっていなかったのだ。

 後から、上弦の壱の襲撃に気付いた鎹鴉が、偶然比較的近くに居た善逸たちに助けを求めたらしいのだと知ったが、その時はそんな事情を知る由も無くて。

 自分の所為で殺す事になる筈だった相手だけに、どう反応していいのかも分からなくて。

 善逸とまた別の見知らぬ男が、大慌てで上弦の壱に切り刻まれた隊士たちを回収している姿をただ見ていた。

 そしてふと、上弦の壱とあの男はどうなったのだろうと、そちらに目をやると。

 そこに広がっていたのは、まさに『化け物』たちの演舞としか言い様がない、常軌を逸した光景であった。

 

 刀一本でその光景を作り出しているとは到底思えない様な上弦の壱の技によって、周囲がまるで障子紙を引き裂くかの様に廃村の建物が引き裂かれバラバラに吹き飛んでいく。

 たった一薙ぎですら、並の剣士どころか経験を積んだ隊士ですら肉塊になるしかない様なその『化け物』の攻撃を、それに相対している男は全て弾いたり往なしたりしながら防いでいた。

 上弦の壱が『化け物』なら、その男も間違いようがなく『化け物』に他ならなかった。

 見た事が無い赤に染まった日輪刀を握り締めたその身体にはまるで男が雷の化身であるかの様に紫電が纏わりついていて、直後に雷鳴と共に繰り出した刺突は、雷の呼吸の使い手として動体視力には自信があった俺にすら全く見切る事も出来ない速度で上弦の壱の肩を抉りそこを爆発させるかの様に吹き飛ばした。

 あの『化け物』を相手に、だ。

 それはもう、『人間』が成し得る事では無い。

 左肩の大半を喪って尚も動き続ける上弦の壱も常軌を逸した存在ではあるが、それは鬼だからそうなのだ。

 だが、この男は一体何なのだ? 

 俺の目には、この男は上弦の壱以上の『化け物』の様にしか見えなかった。

 そして、男は更に信じられない力を見せる。

 上弦の壱の斬撃を物ともせずに振り被ったその剣は、雷その物が刀身になったかの様に目を灼く輝きを放って。

 そして、それを上弦の壱の頸に正確に叩き込み、その頸を焼き落とすかの様に斬り飛ばして。

 あまつさえ、地面に向かって落ちる首を、思いっきり蹴り飛ばしたのだ。

 何もかもが常軌を逸した行動だった。

 

 そして、上弦の壱を吹っ飛ばした男は、瞬く間に俺たちのもとへと駆け寄って来て。

 男の指示で善逸が俺の身体を掴んだその次の瞬間には。

 ほんの一瞬の浮遊感にも似た奇妙な感覚の後には、俺たちはあの廃村では無く、何処かの屋敷の庭に居た。

 上弦の壱の姿は、何処にも影も形も無い。

 どう言う事だ、一体何があったのだと、頭の中は現状を何も理解出来ないままで。

 そして、そんな俺の混乱になど構う事無く男は、息絶える直前の様な有様になるまでに上弦の壱に一瞬で切り刻まれた隊士たちの身体と斬り飛ばされグチャグチャになった手足とを繋がる様に押さえてくれと、そんな滅茶苦茶な事を言い出した。

 だが、得体も知れないが明らかに『異常』な男のその言葉に逆らう事など出来る筈も無くて、言われるがままにそれに従うと。

 まだ微かに息のあった二人の胸の上に男が手を置いたのとほぼ同時に、何かの柔らかな光の様なものが隊士たちの身体を包む様に走り。

 己が目を疑う様な光景ではあったが、隊士たちの傷は、すっかりと消え失せていた。

 原型を留めているとは言い難い程の有り様だった手足ですら、ちゃんと繋がっていて。

 蚯蚓脹れの様に赤い痕は残ってはいるが、しかしそれ以外に何の痕跡も無い。

 ほんの一瞬前まで死ぬ直前の荒い息が僅かに残っているだけの状態であったと言うのに。

 

 その直後には力尽きた様に男は気を失った様だが、しかしとてもでは無いがそれに触れようなどとは思えなかった。

 この男は、『化け物』だ。

 上弦の壱の様なそれとも全く違う。

 根本からして理解出来ない程に異質な、鬼なんか足元にも及ばない程の『化け物』にしか見えなかった。

 

 そして同時に、上弦の壱の手から自分が助かった事をやっと理解して。

 生き延びたと言う事実をゆっくりと受け入れて。

 その直後に、自分が何を選んだのかを思い出して、息が止まる程の恐怖に襲われた。

 そう、自分は「鬼」になる事を選ぼうとしていたのだ。

 鬼殺隊の隊士としては、最も犯してはならない禁忌を犯そうとしていた。

 それを理解した俺の心に湧き上がったのは、『死にたくない』と言うその一念であった。

 だから、男に縋る様にして全力でその慈悲を乞うた。

 正直その時の事は、畳み掛ける様に起こった『異常』な事の数々に半ば錯乱していた様なもので、何を口走ったのかとかはあまり思い出せないけれど。見苦しい程に色々と言っていた様な気はする。

 そして、そんな俺を庇う様に。善逸が地に頭を擦り付ける様にして誰かに口止めを頼んでいた事だけは、覚えている。

 

 その後、何時の間にか辿り着いていたその屋敷が「蝶屋敷」であると言う事を知り。そして、『化け物』の様なあの男が、鬼殺隊全体で話題になっていた『鳴上悠』だと言う事も知った。

 そして色々あったのだが、俺が犯しかけていた罪に関しては不問と言う事になった。

 何故だかは分からないが、『鳴上悠』が俺の助命を願ったからだ。……いや、本当は分かっている。

 カス……善逸が、俺の命を救ってくれ、と。

 そうやって『鳴上悠』に泣き縋って頭を擦り付けて頼んだからだ。

 ……『鳴上悠』にとっては、善逸は「友だち」だったから、「特別」だったから。

 だから、化け物よりも『化け物』らしい程に「特別」な『鳴上悠』はその善逸の願いに応えたのだろう。

 そして俺の行いは、『鳴上悠』の監視の下でなら「黙認」となった。

 当然「二度目」は赦されない。それは分かっている。

 ただ何であれ、首の皮一枚で俺の命は繋がった事は疑いようがなかった。

 

 鳴上の監視下に在りながらも、特に不自由は無かった。

 監視と言う名目は付いていたものの、鳴上は此方の行動をこれと言って縛ろうとはしなかったし、或いは命を救った事に何かしらの見返りを要求する事も無かったからだ。

 刀鍛冶の隠れ里に行った時も、共に行動する事になったカスの同期たちに俺の事を詳しく説明する事は無く、普通の隊士と同じ様に扱っていた。

 ……鳴上は、間違いなく「変な奴」だった。

 そもそも鳴上にとって俺は無関係な他人だったのに、何の得にもならない俺の監視なんかを引き受けるし。何かをする事に見返りを求めない。

 あの『化け物』その物の様な力を忘れる事なんて出来ないから、警戒心が完全に消えた訳では無いけれども。

「悪意」や「害意」と言うものからはかなり程遠い奴だと言うのは、共に行動する内に嫌と言う程分かってしまった。

 それでも、まだどうしても畏れは残っていて。鳴上とサシで話す気にはなれなかったが。

 

 鳴上と……そしてカスの同期たちと一緒に行動して、何の縁なのか恋柱や霞柱と言った、俺からすれば遥か上の人たちと過ごす事も増えて。

 刀鍛冶や歴代の柱ですら知らなかった日輪刀の新たな機能を探し当てたりだとか、現役の柱でありかつ現柱の中でも刀を握って数ヶ月で柱になったとか噂になっている天才である霞柱から指導を受けられたり。

 極め付けは、鳴上の常軌を逸したその力……「神」とやらを呼び出すそれを目の前で実演され、更には鳴上が呼び出した「龍」の背に乗って空を飛んだり。

 今まで考えた事も無い様なものを、次から次へと経験して。

 胸の奥の満たされない何かの乾きは、気付けば小さくなっていた。

 

『生きてさえいれば』、とそう思っていた。

 それは間違っていない、死んだらそれで終わりだ。

 でも、何もかもから逃げ続けて惨めに這い蹲って生きているのと、胸の奥に「何か」を満たして生きるのとを比べれば、後者の方が良い。

 まだ何者にもなれていないけれど、誰かの「特別」にはなれていないけれど。

 それでも、何時か「何か」を手に入れる事は出来るんじゃないかと、そう思った。

 

 だから、せめてケジメを付けようと思って。

 俺は、鳴上に二人っきりで向き合った。

 もう、最初に出逢ったその時の様に、鳴上を「恐い」とは思わなかった。

 その力は今でも物凄く脅威的だと思うし、上弦の壱以上の圧倒的な強者だとも思っている。それでも、鳴上は恐ろしくはなくなっていた。

 ……まあ、鳴上が本当に人なのかと問われると、『化け物』とかそう言う類の方が正しいとは思うけれども。

 

 ケジメの為にも頭を下げて、命を救ってくれた事や今までの事を含めて礼を言うと。

 鳴上は、自分よりも先に善逸の方に感謝の言葉を伝えろと言う。

 その言葉に、思わず言葉が詰まった。

 鳴上の言う通り、善逸が俺を助ける為に自分に出来る精一杯の事をしていたのは分かっている。

 俺の助命を乞う為に鳴上に泣き縋ってでも頼み込んだ事も、そして上弦の壱に対してその刃を向けた事も。

 逆の立場だったとしても俺なら絶対にやらなかった事を……出来なかった事を、善逸がやった事も。……分かっている。

 だが、それを素直に認めて感謝の言葉を伝えるには。

 抱えている感情が余りにも複雑になり過ぎていた。

 正直、今でもまだアイツを認めていない部分はある、負けを認めたくない気持ちもある、そして自分が生き長らえる為に一度はその命を捧げようとしてしまった後ろめたさもある。

 そんな複雑な心から零れ落ちたのは。

「……アンタにとって、善逸は『特別』なんだな」、と。そんな言葉であった。

 そして、鳴上はそれに頷く。

 善逸は大切な「友だち」だ、と。そう答えたその言葉や表情には何処にも偽りは無い。鳴上は、心から善逸の事を想っていた。

 それは……それはずっと俺が欲しかった「特別」で。

 どうして、アイツばかりそうやって「特別」を得られるのだろう、と。

 その怨嗟にも似た想いは言葉となって零れ落ちていた。

 

 どうして、俺は得られないのだろう。

 努力しているのに、アイツよりもずっと、足掻いて足掻いて、努力して、そうやって必死に生きてきたのに。

 それなのに、どうしてアイツが得られるものを、俺は得る事が出来ないのか、と。

 鳴上に言った所で仕方の無い事だけれど、その想いを抑える事が出来なかった。

 

 怨嗟その物の様な俺の言葉を、鳴上は静かに聞いていた。

 そして。

 

「獪岳の努力は、凄いよ」

 

 優しく、そっと触れる程度に温かな手の平が頭に触れた。

 誰よりも努力してきた事を、努力を諦めなかった事を。

 認められない努力に意味など無いと、そう言った俺に鳴上はそっと首を横に振った。

 ……どんなに努力を重ねても、望んだ通りの結果に結び付くとは限らずそれが評価されるとも限らない。

 それでも、「努力した事」自体には意味があるのだ、と。

 俺が重ねてきた努力の全てを認める、と。そう言って。

 

「沢山頑張ってきた獪岳には、花丸一等賞をあげます! ……何てな」

 

 そう鳴上は微笑んで、そしてその指先で何やら丸を描いた。

 花丸だとかその意味は分からないけれど、でも。

 どうしてだか、胸の奥が痛い程に掻き乱されて、感情が追い付かなくて。そして、その衝動のままに、鳴上の前から飛び出す様に逃げ出してしまった。

 

 その後も全然気持ちが落ち着かなくて、宿を飛び出した勢いのまま、少しでも頭を冷やそうとして近くの山を走り込んでいた。

 多少落ち着いてきたので夜も更けてきたのだからそろそろ宿に帰ろうとして引き返していると。

 耳を劈く様な酷く不快な音が響いてきて、同時に何かが激しく争っている様な音も聞こえて来た。

 まさか、この隠れ里に鬼が入り込んだのか? と。厄介な事になったかもしれないと内心焦りつつ、何が起こっているのかを探ろうとその場に向かうと。

 

 善逸が、翼の生えた鬼に襲われている最中であった。

 善逸は日輪刀を握っているのにも関わらず、何故か反撃しようとはしない。

 確かに空を飛ばれているのは厄介極まりないが、しかし接近してきた際にその隙を狙って頸を落とす事など、癪には障るが霹靂一閃だけは俺には真似出来ない程の鮮やかさで使える善逸には不可能では無い筈なのに。

 ビビっているのか何なのか。

 

 だから思わずその前に飛び出して、翼の生えた鬼の頸を斬った。

 別に、善逸を助けようとした訳では無い。カスならどうにかしていただろう。

 単純に、鬼を斬れば俺の功績になるからだ。

 

 とは言え、頸を斬っても翼の生えた鬼は死ななかった。

 どうやら、「上弦の肆」の分身の様な鬼であるらしく、『本体』では無い為に首を切ろうが何をしようが意味が無いらしい。

 そして、その『本体』は近くに隠れているらしいと言うのだ。

 だから、この翼の生えた鬼の相手を俺にして欲しいとも、善逸は言った。

 何言ってんだコイツ、と本気で思った。

 ここで譲れば、またこのカスが「特別」になる。

 そんなの許せるかと、胸の奥で鳴上に向かって吐き出した事で少し落ち着いていた怨嗟がまた頭を擡げる。

 カスに斬れる頸なら俺にも斬れる。だから、俺が『本体』とやらを探し出してその頸を斬ろうとした。

 だが、その『本体』は余りにも巧妙に隠れているらしい。

 善逸の、その常軌を逸した様な鋭い聴覚を以て全力で探ってどうにかやっと捉える事が出来ると言う程だと言う。

 癪に障るが、善逸の耳の良さはよく知っている。

 寝ている間ですら周囲の音を聞き続け、人の心の機微をも望まずとも暴き立てるそれは、鬼の存在を探知すると言う点に於いてはどうかすれば柱の様な歴戦の剣士たちの感覚にすら匹敵する程だろう。……少なくとも俺には出来ない。

 善逸に任せるしかないと言う事を嫌でも理解して、それでも癪に障るのでイラつきと共に吐き捨てつつ、翼の生えた鬼と対峙した。

 

 分身だからなのか何なのか、硬くは無いその頸や身体はあっさりと斬れる。

 何をしても死なない鬼を相手取るのは面倒ではあったが、それでも難しい事でもなくて。

 そうやって暫く相手をしていると、竈門兄妹や不死川もこっちにやって来て、そして善逸を追って『本体』を探しに行く。

 さっさと『本体』とやらの頸を斬ってこの不毛な戦いを終わらせくれ、と。そう思っていると。

 竈門たちが森の奥へと消えてからまた暫く経つと。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアァァァッッ!!」と。

 大分離れている筈なのにそれでも十分過ぎる程耳に響いてくる断末魔の叫びの様なものが聞こえたかと思うと、目の前に居た筈の翼の鬼が忽然と姿を消した。

 

「……やったのか?」

 

 まるで幻の様に一瞬で消えてしまったので、正直倒されたのかどうかとかの実感が湧かない。

 しかし、ホッと一息吐こうしとしたその時。

 森の奥から雷鳴の様な音や木々が薙ぎ倒される様な音など、激しく何かが争う音が聞こえてくる。

 まさか仕留め損ねたのか? それとも何か不測の事態が起こったのか? と。

 嫌な予感をヒシヒシと感じつつも、その音がする方向を目指す。

 暫く走ってやっと見えてきたそこは、まるで地獄の様な状況だった。

 

 まるでバケモノが手当たり次第に滅茶苦茶に暴れているかの様な、と言うか実際どう見てもバケモノにしか見えない蠢く九本の樹の竜の首が縦横無尽に暴れ回っている。

 その圧倒的な質量を活かしてそれが暴れる回る範囲の全てを押し潰し挽き潰し、電撃を放ち疾風を叩き付け無数の斬撃を降らせて爆音の様に不快な音で様々なものを粉砕していく。

 それは、上弦の壱の嵐の様な斬撃のそれとはまた別の、しかし最早単なる「鬼」と言う存在を逸脱しているとしか思えない暴虐の大渦の真っ只中であった。

 そしてその暴虐の嵐の中で、善逸たちは必死に抗っていた。

 何時の間にか救援に駆け付けて来ていたのだろう恋柱と共に、必死に戦っていた。

 止む事の無い豪雨の様に乱れ舞う攻撃に、恋柱も善逸たちも、回避したりそれを凌ぐ事で精一杯で攻撃に転じる事が出来ない状況であったが。しかしそもそもそうやって凌げている時点で尋常ではない。

 

 ……ずっと、善逸の事はカスだと思っていた。

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 努力を厭い、情けなく泣き喚き、直ぐに逃げ出しては恥ずかしげもなく周りに恥を晒す。

 俺には全部、()()()()()だった。

 努力すらしないなら自分に一体何の価値がある? 何を以て認めて貰う? 

 何にも代え難い程の、何処までも「特別」な才能なんて持ってない事は分かっている。

 なら努力するしか無い。他の奴らよりももっともっと努力して、そうやって他の奴らよりも前に出る事でしか俺は「特別」にはなれない。

 泣き喚く事なんて出来なかった、自分の中に溜まった鬱屈したものを曝け出す事なんて出来なかった、況してやあんな風に恥を晒す事なんて出来やしない。

 だってそんな事をした瞬間に見捨てられる、必要とされなくなる、居場所を喪う。

「特別」じゃない俺は、他に幾らでも代えが利くのだから。

 面倒臭い奴と手の掛からない「良い子」なら、絶対に後者の方が必要とされる。

 だからこそ、そんな姿を晒しても尚「特別」に扱って貰える善逸は、俺にとっては受け入れ難く認め難く、だが同時に……ほんの僅かながらも羨むものもあった。

「特別」が欲しかった、生きている意味が欲しかった。自分を認める為の、そんな「何か」が。ずっと欲しかった。

 ああ……そうか、俺は……。

 

 先程まで戦っていたあの翼の鬼がまるでただの戯れの様な存在だったのかと思う程に、その暴威を惜しみ無く揮う上弦の肆は、恐ろしい存在であった。

 上弦の壱程の、『死』その物が形になったかの様な絶望の権化では無いけれども。

 人が抗する事も叶わぬ災害の化身であるかの様に周囲を蹂躙するその姿と力が、恐ろしくない筈も無かった。

 自分がこの中に飛び込んだとしても、良くて善逸たちと一緒に攻撃を避けるだけでも精一杯で。

 反撃の為の嚆矢になれる訳も無い。それが理解出来る程度には自分の実力と言うものを正しく理解しているつもりだ。

 此処で俺に出来る事なんて何も無い。

 それこそ、鳴上や霞柱を探しに行った方が何倍も役に立つだろう。

 そうする方が良い。だってそれは見捨てる訳じゃない、助けを呼びに行くのだ。ならば、此処で背を向ける事も赦される。

 ……だけれども、その場を動かなかったのは、動けなかったのは。

 必死に抗い続ける善逸たちから目を逸らす事が出来なかったのは、何故なのか。

 

 恐怖に手が震える。

 もしあの鬼に認識されたら、間違い無く死ぬ。

 逃げるなら、まだ気付かれていない今が最後の機会だ。

 分かっていても、出来なかった。

 ここで逃げれば、きっと一生惨めに後悔し続ける様な、そんな確信があった。

 それでも、そこを飛び出すにはまだ「何か」が足りなかった。

 

 そして。

 強烈な爆音の影響で、善逸が僅かに隙を晒す。

 それはほんの一瞬の遅れではあったが、今この場ではそれは致命的なもので。

 

 それを見た瞬間。

 胸の奥でほんの僅かに何かに背を押された様な気がした。

 それから後の事は、よく覚えていない。

 

 その身を切り刻み圧殺せんとばかりに善逸の身に降り注いで来た斬撃の雨を、どうにかそこに滑り込んで何とか弾いていた。

 降り注ぐその一撃一撃が重過ぎて心の中は恐怖に震えていたが、それでも何とか耐え切って、顔には出さない様にして善逸に向かって吼える。

 

 

「あー、クッソ! 何油断してやがるんだ、このカス! 

 こんな所で詰まらねぇ死に方してんじゃねぇぞ! 

 大体、お前らどんだけ奥に行ってんだよ! 

 あれが上弦の肆の『本体』ってやつなのか?」

 

 

『死にたくない』と叫ぶ己の心を蹴り飛ばす様にどうにか刀を握り続けて。虚勢を張る様に己を叱咤する。

 

 こんな奴怖くない。あの上弦の壱に比べれば全然マシだ! 

 確かに、上弦の壱には膝を屈した。

 だからって、これからもずっと鬼どもを前に這い蹲って生きるのか? 

 そんな情けなく惨めったらしい生き方、()()()()()醜い、まさに()()()()()()事とどう違う! 

『生きてさえいれば』、何時かは求めている物を手に入れられると信じている。

 だが、此処で這い蹲ったら……逃げ出したら! 

 俺が求めている「特別」なんて、きっと死ぬまで手に入らない! 

 それは()()()()()()()()()()()()()事とどう違う!! 

 

 ……そうやって叱咤しても、『死にたくない』と心は叫ぶし、日輪刀を握る手はずっと震えている。

 俺は「特別」にはなれない。畏れを知らないかの様に戦う事なんて出来ない。自分が絶対に死ぬと分かってても誰かの為に戦い続ける程の執念も信念も俺には無い。

 それでも、これ以上惨めにならない為に……これ以上自分を見限らなくても良い様にする為に。そして、負けたくないとそう思い続けている善逸の前で情けない姿を晒さない為に。

 ほんの少しだけ、足の震えを我慢して立つ事なら出来る。

 

「間抜け面晒してんじゃねぇぞ、このカス! 

 死にたくなけりゃ、とっとと動け!」

 

 驚いた様に間抜けな顔をする善逸に、そう怒鳴る様に叱咤して。

 呼吸を使っても防げない突風の一撃を何とかして二人で避けた。

 それから竈門たちと合流して、僅かな隙を突いてたった一度切りの反撃の為の準備を整えて。

 そして、暴威の嵐の中へと踏み込む。

 鳴上やその力を借りた恋柱がやって見せた時の様に、竈門妹の血鬼術によって赫く染まった燃える日輪刀を構えながら、とにかく必死に樹の竜たちの首を斬った。

 僅かな活路に滑り込む様にしてどうにか命を繋ぎながら、この場で唯一鬼の『本体』の頸を斬れる可能性のある恋柱がそれを成す為の路を開く為に。

 一瞬後には死んでいるかもしれない中で、恐怖を燃やす様にして必死に立ち向かった。

 そして、きっと時間にすれば数分も経つかどうかの、しかし俺たちにすれば何時間にも感じる様な決死の奮闘の末に。

 恋柱の刃を鬼の『本体』の頸に届かせる為の路を作り出す事が出来た。

 一瞬の躊躇いも遅れも無く、その僅かに現れた路を抉じ開けて、恋柱は疾走し、そして『本体』の頸を斬るべくそれが引き籠っている筈の己を外界の脅威から守る為に鬼自らが作り上げた檻を叩き斬る。

 

 だが、確かにそこに居る筈であった鬼の姿はそこに無く。

 その事への驚愕から、一瞬その場の全員の思考が固まった。

 俺たちも、そして恋柱も。

 そんな好機を逃す筈も無く、鬼は何らかの攻撃を仕掛けようとその目標を最も近距離に居た恋柱に定めた。

 回避も防御も間に合わない。

 そんな数分にも感じる一瞬の絶望を終わらせたのは。

 

 爆音と共に鬼を脳天から胸の半ばまで両断した一撃だった。

 

 新たにその場に現れたその男は、まだ再生しきっていない鬼の身体を思いっ切り蹴り飛ばしたかと思うと、轟音を伴うその見た事も無い様な呼吸を駆使して自らに襲い掛かって来る樹の竜の首を切り刻んでいく。

 その実力を見るに、間違い無く柱だろう。

 今の柱が全部で九人居る事は知っているが、具体的にどんな人物がどの柱として就任しているのかを知っている隊士はそう多くない。

 柱に会う機会などそう多くはないからだ。

 だからこそ、新たに現れたこの男が何柱の誰なのかは俺には全く分からない。

 が、善逸と竈門は男の事をよく知っていた様で。

 救援に駆けつけてくれた男に、「宇髄さん!」と呼び掛けている。

 宇髄……確かそれは善逸たちと共に遊郭で上弦の陸を討ち取った柱の名だったと記憶している。音柱、だったか。

 何にせよ、こうして柱がこの場に二人も現れてくれた事はとても心強い事であった。

 

 だが、問題は『本体』が何処に逃げたのかと言う事だ。

 俺はその『本体』とやらを直接は目にしていないから今一つよく分からないが、『本体』は野鼠の様に小さいらしい。

 鬼の激しい攻撃の暴風の中でこっそりと籠城していた檻から抜け出していたのだとすれば、それをまた探し出さなければならないのだろう。

 ただ、それを探し出す為にはそれこそ善逸の耳の様に際立った力が無いと難しいようだが。

 

「宇髄さん! その鬼は上弦の肆の『本体』じゃ無いらしいんです! 

 えっと、『本体』は物凄く小さくて、あと物凄く頸が硬いって炭治郎くんたちが言ってました!!」

 

 鬼が操る竜の首を斬ったりその攻撃ごと切り裂きながら恋柱が音柱に説明する。

 柱が二人になったことで、防戦一方になっていた先程までとは違い余裕が出て来た様だ。それでも激しい攻撃の嵐に晒されている事には変わらないのだが、柱と言う存在はまさに桁違いの強さを誇っている様だ。

 押されまくっていた戦況を一気に押し返して、どうにか鬼を斬る状態にまで持っていけている。

 しかし夥しい程の血鬼術を放ち続けている鬼を幾ら斬った所でキリは無いのだけれども。

 

「成程、そのネズミ捕りをしなきゃ終わんねぇって事か! 

 上弦の陸と言い、上弦ってのは面倒臭い連中ばっかりだな!」

 

 そう言いながら音柱はまるで未来でも見えているかの様に鬼の攻撃を避けていき、そして此方に声を掛ける。

 

「おい、炭治郎! 善逸!! 

 お前らの鼻や耳でその『本体』って奴は追い掛けられそうか!?」

 

「やってみます! やらせて下さい!!」

 

 音柱の言葉に間髪入れずに竈門は頷く。

 詳しくは知らないが、確か竈門も善逸の耳と同じ様に感覚が鋭いらしいと聞いた事がある。確か、鼻が利くんだったか。

 何処に逃げたのか、何時逃げたのか、何処まで逃げたのか、全く分からない『本体』を探し出さなければならないのは至難の業であるし、ならばその『本体』を識別して追跡出来る二人にそれを任せるのはこの場では最も正しい判断であるのだろう。

 しかし、それは当然鬼の方も分かっている。

 

 鬼は途端に善逸と竈門を狙って集中的に攻撃を仕掛け始めた。

 それを恋柱と音柱が防ぐが、それでも強烈な攻撃の数々の全てを抑え切る事は出来ず。

 叩き潰す様な烈風と焼き潰す電撃とが混じり合った攻撃やら、強烈な音圧を伴う刺突だとか、果ては全ての攻撃が渾然となった攻撃などが俺たちを蹂躙せんと迫る。

 それを何とか回避していくが、そんな中では集中して『本体』の行方を追う事など困難極まりない。

 特に、爆音が常に近くで鳴り続けているこの状況だと善逸の耳も中々『本体』の音を拾えないだろう。

 

「ああ! もう少しで匂いを辿れそうなのに……!!」

 

 集中しようとする度に鬼の攻撃が飛んで来てそこに意識が持っていかれてしまう為に、掴みかけてはそれを捉え切れないと言う苛立ちが募る状況に竈門は唸る様に零す。

 

「多分アイツはそんなには離れていない筈だ。

 さっきから酷い爆音が続く所為で捉え切れないけど、でもそんなに遠くは無い場所に居る音がしてた……!」

 

 善逸の言葉に、竈門は再び集中して『本体』の匂いを探す。

 そんな竈門の意識を途切れさせない様にと、恋柱と音柱が益々連携して鬼の攻撃を防いでいた。

 そして、十数秒程集中していた竈門は、ハッとその目を見開く。

 

「見付けた──!!」

 

 そして、鬼の攻撃による破壊を免れていた茂みの辺りへとその指先を向けた。

 

「彼処です! あの茂みの奥に隠れています!!」

 

 その声に居場所がバレたと悟ったのだろう。

 悲鳴を上げながら、物凄く小さな何かがその茂みから更に奥へと逃走し始めた。

 それを見て、竈門は普段のその表情からはとても想像が出来ない程の憤怒の表情で叫ぶ。

 

「貴様アアアッ!! 逃げるなアアッッ!!! 

 責任から逃げるなアアッ!! 

 お前が今まで犯した罪、悪業、その全ての責任は必ず取らせる! 

 絶対に逃がさない!!」

 

 最早咆哮の様なそれと共に、竈門は逃げ出した『本体』を追う様に駆け出す。

 そしてそれに善逸や俺と不死川と竈門妹も続いた。

 恋柱と音柱もそれに続こうとするが、そうはさせじと更に強く鬼が抵抗した為、その攻撃を俺たちに届かせない為に二人はその場に足止めされてしまう。

 逆に言うと、鬼は俺たちにまで手は回せない。

 

 しかし、鬼の『本体』は余りにも素早かった。

 一瞬見えたその身体は本当に野鼠の様に小さくてうっかり踏み潰してしまってもおかしくない程なのに。

 そして異常な程に小回りもきくので追い込む事すら困難だった。

 これでその頸は恐ろしく硬いのだと言う。

 厄介を通り越してもういい加減にしろと悪態を吐きたくなる様な鬼だった。

 そうやって逃げ続けて此方の体力が尽きた所で襲って殺す……と言うのがこの鬼の常套手段なのだろう。

 大概の相手はそもそも最初の分裂する鬼で殺せるし、そうでなくてもあの子供の鬼で大体始末出来る。

『本体』に気付いた者が居ても、逃げ続けていれば何時かは追う側が力尽き果てる。

 そう言う戦略なのは分かるが、物凄く嫌らしい相手だ。

『死にたくない』と叫ぶそれを理解出来ない訳では無いが、俺の抱えるそれを何十何百倍も醜悪なものにしないとそこまでは辿り着けないだろう。……辿り着きたくもないが。

 

「いい加減にしろ。このっバカタレェェェェッ!! 

 往生際が悪いんだよ! 死ねェェェッッ!!」

 

 埒の明かない追走劇に苛立ちが限界に達したのか。

 不死川が突如手近な所にあった木々を抱え、深く根を張っている筈のそれを力任せに引き抜きだした。

 確か呼吸の才能が無いとか言ってなかったか? と。自分が見ているものを信じられない様な光景であったが。

 引き抜いたそれを、不死川は逃げる『本体』に向かってその逃げ道を塞ぐ様に思いっ切り投擲する。

 そして次々に木を引き抜いては投げ出した。

 

 ほぼ完全に退路を断ったそこに。

 

 ── 雷の呼吸 一ノ型 霹靂一閃・神速

 

 最早その技を善逸に伝えた先生をも遥かに上回る程の速度の霹靂一閃で、善逸が『本体』を強襲する。

 鬼の回避速度をも上回った一撃は、鬼の頸を正確に捉える。

 だが、それだけだった。

 僅かにその首の皮を斬っただけでその一撃は止まり、更には善逸の手にしていた日輪刀の刃先が折れる様にして欠けてしまう。

 まだ刀身が残ってはいる為全く何も出来なくなった訳では無いのだが、しかしもう最大限の力で斬る事は難しい。

 

「クソっ! やっぱり硬い……!」

 

 しかし、その一撃は無駄ではなかった。

 頸を捉えた事で、僅かながら逃げ回る『本体』の足を止める事が出来たからだ。

 俺と竈門兄妹と不死川が追い付き『本体』を取り囲む。

 そして、竈門妹がその小さな身体を掴もうとしたその時だった。

 

 悲鳴──と言うよりは、赤子が癇癪を起こして泣き喚く様な声を『本体』が発したかと思うと。

 突然、足元の地面が割れた。

 

 地面から猛烈な勢いで飛び出してきたのは、あの分身の鬼が操っていた樹の竜で。

 そして何時の間にか、『本体』とはまた別の鬼がそこに現れていた。

 先程まで戦っていた分身は子供の姿であったが、新たに現れた鬼はそれよりも更に幼い……最早乳飲み子と言っても良い様な姿だった。

 それでも、額から生えた角が、それが鬼である事を示しているのだが。

 

 竜の首の一つに守られたその赤子の鬼は、五鈷杵の様なものを抱えていて。

 そして、癇癪を起こした赤子の様に猛烈な勢いで泣き出し始めた。

 その音はとてつもなく激しく、善逸は堪らず耳を押さえている。

 しかし、鬼の攻撃は耳を壊す様な泣き声だけに留まらなかった。

 

 不意に、凄まじく身体が重くなる。

 身体ごと押し潰す様なそれに何とか耐えようとするが、上から凄まじい力で押さえ付けられているかの様に身動きが出来ない。

 そして、その押し潰す力は益々強くなり、耐え切れなくなって膝を付いてしまうが、そうすると今度はその膝ごと凄まじい力で押し潰されそうになる。

 

「何だ、これ……!」

 

 肺ごと押し潰されているかの様で、息が苦しい。

 全集中の呼吸を維持する事すらもう限界に近かった。

 訳も分からない攻撃に晒されながら、『本体』が更に何処かに逃げ出そうとしている姿が見えた。

 しかし、それを追い掛け様にも最早這い蹲って全身を使って少しずつ動く事すらもやっとに近い。

 逃げ出す『本体』を追う術が無い。

 

「クソっ、この、卑怯者……っ!! 

 待てっ!! 逃がさないっ!! 

 絶対に、お前の頸を、斬るっ!!」

 

 竈門はそう声を上げるが、しかしとてもでは無いが逃げる『本体』に追い付く事など出来ない。

 それどころかまともに身動きをする事も難しい。

 あの鬼の泣き声が何らかの血鬼術なのだろうとは気付く、がしかしこの状態ではそれを止める事すら儘ならない。

 そして、赤子の鬼の攻撃はそれだけでは無かった。

 先程までの子供の鬼の様に樹の竜を操れる。

 恐らくは、あの電撃やら烈風やらの血鬼術も扱えるのだろう。

 

 ……ダメだ、もうどうしようも無い。

『死にたくない』と心は叫ぶが、もうどうしようも無い。

 動く事すら儘ならないのだ。

 赤子の鬼に言葉など通じるかどうかも怪しいので命乞いなど最初から出来ない。

 

 ああ、クソっ。こんな所で死ぬのか。

 まだ俺は何にもなれていない、何も手に出来ていない。

「特別」になれていない。

 認められる事だって──

 

 

 ── じゃあ、俺が認めるよ。

 ── 努力の全てを、俺が認める。

 

 ── 俺にとって、じいちゃんにとって……! 

 ── 獪岳は、特別な位に大事な人なんだ。

 

 

 ふと耳の奥に響いたのは、鳴上の言葉と、そして。

 

 その時、樹の竜の首が善逸を食い潰そうとその大きな顎を開けて迫ろうとしている事に気が付いた。

 それと同時に竈門の方にも、竜の顎が迫っている。

 善逸や竈門に何度も『本体』を補足されていた為、目障りなそれから先に始末しようとしたのだろう。

 善逸や竈門はそれに気付いてどうにかして逃げようとするが、しかし身体を押さえ付ける凄まじい力の所為で四つん這いになる事すらも難しい。

 

 善逸のその眼に、迫り来る『死』が映される。

 恐怖と共にそれを見上げている善逸は、しかしそれから目を逸らさない。

 あんなにも臆病なのに、あんなにも情けなく泣き喚く奴なのに。

 

 

「クソがあっっ!!」

 

 

 何でそんな事をしたのか、自分でも信じられなかった。

 何でそんな事が出来たのかさえも。

 

 それでも、全身の骨ごと押し潰されそうな中で、今まで一度たりとも成功した事が無かった霹靂一閃の動きで。

 無理な体勢から放った事もあるからかとてもでは無いが型とは言えない形で不格好に体当たりをする様にして。

 どうにか善逸をそこから弾き飛ばした。

 

 

「兄貴っっ!!!」

 

 

 弾き飛ばされた善逸が必死に手を伸ばしたのが、物凄くゆっくりと見える。

 己に迫り来る竜の顎ですら、ゆっくりと。

 死の直前とやらは、時間が引き延ばされるものであるのか。

 だが、そんなゆっくりとした時間の中で逃げる事は出来ない。

 反応はしているが、身体は動かないのだ。

 

 ああっ、クソっ。

「兄貴」って呼ぶんじゃねぇよ。

 俺はお前の兄弟でも何でもねぇんだから。

 大体先生の事を「じいちゃん」と呼ぶのも止めろ。

 師匠とか先生とか、幾らでも呼び方があんだろうが。

 

 最後にカス……いや、『善逸』を庇って終わるなんて、とんだ死に方だ。死に方としては最低な部類だった。

 何でこんな馬鹿な事をしたんだろうか。自分でも分からない。

 死にたくないのになぁ……、何でなんだろうか。

 どんなに考えてもその答えは出ない。

 

 

 そして、俺の身体は押し潰される様な勢いで竜の顎に呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【獪岳】
獪岳なりに悲鳴嶼さんの事はちゃんと慕っていたし、自分がやった事が最悪の結果を招いた事には自責の念を感じている。
獪岳にとって「家族」は自分の選択で殺してしまった悲鳴嶼さんや寺の子供たちの事。善逸と桑島慈さんは、弟弟子と師匠と言う関係性であっても「家族」とはやはり違う。その辺の感覚の差が、善逸とのすれ違いに一役買っている。
強くも無く、かと言って己の罪から逃げ続ける事も出来ない、そんな「普通」の人。
復讐心などで入隊する者が殆どである鬼殺隊に居続けるのには正直向いてないが、かと言って根源部分に抱えた罪悪感と自責の念からそのまま逃げ続ける事も出来なかった。
己の心に巣食う罪悪感と恐怖に向き合って畏れを焼き尽くす為に立ち向かう事を決めた事で、やっと心の箱の穴が大きく塞がる。
悲鳴嶼さんが生きていて岩柱をやってる事はまだ知らない。


【我妻善逸】
獪岳の過去は全然知らない。
獪岳を「兄貴」って呼ぶ事が出来た。


【竈門炭治郎】
獪岳の事は何か色々と複雑な事情があったんだろうな……とは察している。
空気を読まずにズバズバと物を言いがちだが、それで獪岳の地雷を踏んだりしなかったのは双方ともに割と運が良かった。


【不死川玄弥】
獪岳の事は割とどうしようもない奴だとは思っていたが、何だかんだと一緒に時間を過ごす中で、悪い奴では無いんだろうなぁ……と思い直す。
才能があっても性格や考えが鬼殺隊に向いていない獪岳と、才能は無いが心意気だけで鬼殺隊に居る玄弥はある意味で真逆。
獪岳と悲鳴嶼さんの因縁は当然の事ながら知らない。


【甘露寺蜜璃】
宇髄さんの参戦によってかなり持ち直した。
憎珀天を食い止めるべく宇髄さんと共に戦っていたが、不意に憎珀天が消失。だが嫌な予感を覚えて炭治郎たちの後を追った結果、異様な赤子の鬼に遭遇する事になる。


【宇髄天元】
ド派手に参戦し、音の呼吸をフルに使って善戦していた。
即死の毒を使ってこないだけまだマシなのかもしれない。
耳が良いので探知も得意な方なのだが、純粋に自分はその『本体』を知らないので捜索を炭治郎と善逸に任せた。
憎珀天を食い止めるべく蜜璃と共に戦っていたが、不意に憎珀天が消失。だが嫌な予感を覚えて炭治郎たちの後を追った結果、異様な赤子の鬼に遭遇する事になる。


【鳴上悠】
黒死牟&猗窩座コンビと戦闘中。
獪岳と善逸との絆がほぼ同時に満たされた事を感じ取った。


【マガツイザナギ】
「相も変わらず世の中クソだな」


【半天狗】
『本体』は絶賛逃走中。卑怯者の極み。
追い詰められた為、憎珀天が更なる強大な分身へと変化した。
しかし憎珀天が大暴れしていた為もう殆ど力が残ってないので、これ以上強力な分身が現れる事は無い。
とは言え「六体目とかもういい加減にしろ!」と、炭治郎たちは心の中でマジギレしていた。


【オリジナルな血鬼術】
『拒嘆坊』
子供の姿であった憎珀天から更に若返って最早赤子同然の状態の姿になった分身。
原作無惨様が最終的に巨大な赤子の姿になった事を考えると、無惨様の影響もあるのかもしれない。
五鈷杵を抱えた無力な赤子の様な見た目をしているが、無力そうな見た目に反してその能力は「凶悪」の一言。
何もかもを拒絶して嘆く様にひたすらに泣き続けているが、その声の届く範囲には凄まじい重力(5G〜8G)が発生している為接近は困難。更には憎珀天の石竜子や喜怒哀楽の鬼たちの力も使える。
とは言え憎珀天が暴れ過ぎた事であまり余力が無い為、憎珀天程には喜怒哀楽の力を使えない。
ちなみに分身の基となった感情は、『善良な弱者である儂に同情せず殺そうとしてくるこの世を嘆き、故に全てを拒絶する』と言う感情。


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『心を満たすもの』

【前回の話】
『狂乱する戦鬼』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「素晴らしい! お前の事は覚えているぞ! 

 杏寿郎と戦った時にあの場に居たな! 

 あの時のお前は圧倒的弱者、ただの雑草だった。

 だが、今のお前はあの時の影も形も無い! 

 目を見張る成長だ! こうも短期間でよく鍛えたものだ! 

 純粋に嬉しい、心が踊る! 

 お前、名前は何だ!」

 

 己の攻撃を捌きつつ回避する伊之助へと、猗窩座は歓喜の表情と共に言葉を掛けた。

 無一郎は無視した猗窩座の戯れ言だが、伊之助は素直に己の名を答えてしまう。

 伊之助にとっては、煉獄さんと炭治郎と共に遭遇した際には何も出来なかった相手でもある事もあって、色々と因縁があるのだろう。

 戦いながら人と話す事が好きであるらしい猗窩座は、伊之助独自の呼吸であるが故に多くの隊士や柱と戦ってきた猗窩座にとっても初見であるらしい獣の呼吸に興味を示したらしい。

 流れる様な動きで連発してくる致命的な大技はどうにか抑え込めているが、そもそも軽く放ってきた単純な打撃だけでもこの鬼は容易く人の身を砕いてしまえるのだ。

 そう言った単純な攻撃をどうにか避ける事もかなり難しく、無一郎も伊之助も攻撃に転じる事が出来ないでいる。

 自分も、イザナギで黒死牟を抑えている負担がそろそろ限界に達しつつあり、攻撃の為に余力を裂ける状態では無い。

 このままイザナギを維持出来なくなり黒死牟と猗窩座を同時に相手取るとなると、無一郎と伊之助を守り切れない。

 

 無一郎も伊之助も、強い。

 しかし、猗窩座と黒死牟は更にその上を行く強さだ。

 そして先程まで戦っていた玉壺の様な、攻撃の隙と言うものも無い。

 どうにも虚ろな拳を握り続ける猗窩座も、そしてイザナギに取り押さえられながら狂乱した様にただただ周囲を斬撃で埋め尽くし続けている黒死牟も。

 二人と、そして消耗が限界に達して満足にペルソナの力を使えなくなった状態の自分で、どうにか勝てる相手では無い。

 イザナギが居なければ両方の攻撃を抑え続ける事など出来ない。

 

 どうすれば良い? 

 どうしなければならない? 

 どうすれば……二人を守れる? 

 

 この場を一旦離脱する事も一瞬考えたが、それは駄目だ。

 随分引き離したとは言え、それでもまだ安全とは言えない位置に鋼鐵塚さんたちが居るのだし。

 そして、此処からは離れているとは言え炭治郎たちは半天狗と戦っている。

 その場にこの二体が現れたらどうなるのかなんて、考えるまでも無い。

 此処で抑えるか、少なくとも今夜は手出し出来ない程に叩きのめして撤退させるか、或いはここでこの二体を倒し切るしかない。

 だが、どうやって? 

 

 赫刀の状態であっても、無一郎ですら黒死牟の頸を落とせなかった。

 無一郎や伊之助から日輪刀を借りて自分が頸を落とす……と言う手もあるが。

 しかし恐らくそうしてしまえばその日輪刀を確実に破壊してしまうし、何よりも。

 この猛攻の中ですら壊れない十握剣はともかく、日輪刀を猗窩座にしろ黒死牟にしろその頸に届く前に折られないと言う保証は出来ない。

 そしてこの状況下で日輪刀を喪うのは死刑宣告も同然だ。

 十握剣を代わりに渡したとして、十握剣は無一郎や伊之助の持つ日輪刀とはその重量も大きさも全く違う。

 そして黒死牟も猗窩座も、慣れない武器で戦える様な相手では無い。

 だから、この状況を日輪刀でどうにかする事はほぼ無理だと言っても良い。

 なら、どうすれば? 

 

 ……ふと、思い付いた手はある。

 しかし、今の自分にそれをやれる余力は無い。

 なら、それを考えるだけ無駄だ。現時点で自分が切れる手札で勝負しなくてはならないのだから。

 それに……そんな事をすれば、きっと。

 

 ━━ 君みたいな『化け物』も居るなんて……。

 ━━ この『化け物』がアタシを虐めるの!! 

 ━━ 人間のフリなんてするの止めちまえよなぁあ? 

 ━━ ……この世に在ってはならぬ『化け物』だ。

 ━━ 『化け物』より『禍津神』が相応しい。

 ━━ 何故『人間』のままで居たがる? 

 

 鬼たちの言葉が、ふと蘇る。

 違う、『化け物』なんかじゃない。

 自分は『人間』だ、フリなんてして無い。

『人間』以外の何かになった覚えは無い。

 

 ……でもそれは、果たして()()()()()()()()()どうなのだろうか。

 自分はこの世界の存在では無い。この世界に居るべき者ではない。

 自分の意志でこの世界に迷い込んできた訳では……この夢を見ている訳では無いのだけれど。

 だがそれは、()()()()()()()()()()()()()()である事とどう違うのか。

 自分の存在が、この世界の在り方すらもしかしたら捻じ曲げてしまっているのかもしれないのに。

 現に、自分の存在の所為で、上弦の鬼たちが鬼舞辻無惨の手によって強化されてしまった。

 それどころか、最悪何かの選択を間違えるだけで、鬼舞辻無惨が自分がこの世に存在する限りは永久に姿を隠してしまう。

 今までの鬼殺隊の人たちの努力と執念が、自分の所為で水泡に帰す可能性すらある。

 

 もしも自分が居なければ。

 猗窩座や黒死牟が、柱が二・三人揃って戦っても果たして勝てるかどうかも怪しい様な化け物にはなっていなかったかもしれない。

 少なくとも、玉壺と戦った直後に二体が送り込まれてくるなんて事にはなっていなかった筈だ。

 もっともっと、色んなものの被害が小さくなっていたかもしれない。

 そもそもこうして里が襲われる事も無かったかもしれない。

 ……勿論、自分が知りえないものをその筈だったと断言する事は出来ない。

 もっとどうしようも無い被害が出ていた可能性だってあるし、自分が居たからと言って何もかもが悪い方向に進んだ訳では無いだろう。

 ……だけれども少なくとも、ただでさえ恐ろしく強かった上弦の鬼たちが、もう果たして人の手に負えるものかも怪しい程にまで強化されてしまった事だけは、間違い無く自分の責任だった。

 自分の存在の所為で、鬼殺隊の皆を苦しめる結果になってしまった。

 ……そんなつもりは無かったのだ。

 ただ、少しでも大切な人たちの力になりたくて。

 ただ少しでも、苦しむ人たちを助けたくて。

 自分に出来る全てを以て、出来る限りの事をしたくて。

 

 ━━ 『神様』、有難うございます。

 ━━ あなたは俺たちの『神様』です。

 ━━ 『神様』

 ━━ 『神様』『神様』『神様』『神様』『神様』

 

 鬼殺隊の人たちの声も、耳の奥で反響するかの様に蘇る。

 それは、鬼たちの『化け物』と言うそれを押し流すかの様に響く。

 ……自分は『神様』ではない。『化け物』でも無いけれど。

 ただの『人間』だ。ただ、ペルソナの力が使えるだけで。ただそれだけの、たったそれだけの……。

 …………でも、人が蘇る事は無い、不可逆の傷が忽ち何事も無かったかの様に癒える事も有り得ない。

 本来なら、救える筈が無い人たちをも助けてしまえる。

 それは、紛れも無く「神の奇跡」である。

 そんな事、本来なら誰にも起こせない筈なのに。

 

 ━━ そうやって圧倒的な力を振り翳して満足ですか? 

 

 しのぶさんの言葉が何故か蘇る。

 違う、自分はそんな事をしたい訳じゃない。

 力任せに何もかもを壊してしまいたいなんて思っていない、自分の気に食わない事を力を振り翳して踏み潰そうとなんて思ってない。

 誰かが抱いた想いを、滅茶苦茶にしたい訳じゃない。

 ……でも、傍から見ていて自分がやっている事はそうなのかもしれない。

 そしてその結果が、巡り巡って大切な人たちを傷付け苦しめる事になるのなら。

 この世界に居てはならない自分の存在や……そしてこの世界の理すらも逸脱した様な力の所為で。その報いが、自分だけでなくて大切な人たちをも苛んでしまうのなら。

 では、一体どうすれば良いのだろう。……一体どうすれば良かったのだろう。

 何もかもから目を逸らして閉ざして、自分の心の叫びからも耳を塞いで。そうして、何もしなかった罪悪感に塗れながら何時かこの夢が覚める時を待てば良かったのだろうか。

 

 ━━ 悠さんの力があれば、今度こそあの男を……。

 

 珠世さんの言葉が脳裏を過ぎる。

 そうかもしれない、でも()()()()()()()()()()()()()()()

 自分は、この世界に居ていい存在じゃないのだから。

 そんな存在が全部終わらせてしまっては、絶対に何かが狂う。

 沢山の人たちの想いを踏み躙る。ダメだ、それはダメなんだ。

 だって、色んな人達が想いを繋いで此処まで頑張って来たのだから。

 人の心を解さない機械仕掛けの神様(デウス・エクス・マキナ)の様に振舞ってはいけない。そもそも自分は「神様」ではない。

 

 ……ああ、でも。

 自分が全部終わらせてしまうのなら。

 何もかもを踏み付けにしてでも、上弦の鬼たちも鬼舞辻無惨も何もかも消し飛ばしてしまうなら。

 この世界に在ってはならない様な力で、何もかもを正面から捩じ伏せて終わらせてしまうなら。

 もう、これ以上新たに傷付く人は出ないのだろうか。

 しのぶさんの様に、まるで自爆する様な覚悟で大切な誰かが命を擲つ事を止められるなら。

 鬼舞辻無惨を倒す為に、その力になる事は確実なのであろう『痣』を求めて大切な人たちが己の寿命を差し出そうとする事を、それを炭治郎以外には悟らせずに未然に防ぐ事が出来るのなら。

 それは「最善」ではなくても、それでも悪い道では無いのかもしれない。

 大切な人たちのその命を守れるなら。

 それだけでも、それは決して「最悪」ではない。少なくとも、自分にとっては。

 

 でも、それは確実に『人間』としての道を大きく踏み外す選択だ。

 まるで己を『神様』だと振る舞うかの様なそれが、正しい訳がある筈も無い。

 それが「実行不可能な事」ではないからこそ、選んではならない。

 それこそが一番沢山の人たちを最も確実に守る事が出来る方法なのだとしても。

 短慮が何を齎し得るのかをあの一年でよく理解しているからこそ、安易にそれを選んではいけない事も分かっている。

 

 だがそれでも、守れない事に比べれば。

 大事な人たちを喪う事に比べれば。

 

 皆を助けられるなら、「死」を選ばさずに済むのなら。

『人間』ではなくなったとしても、『人間』で居られなくなったとしても。

『神様』にでも『化け物』にでも、成ってしまっても構わない。

 皆が生きて幸せになってくれるなら、ただそれだけで。

 

 ━━ お願いします、『神様』……! 

 

 善逸の言葉が、どうしてか強く蘇る。

『神様』。……そうである事を望まれるのか。

 それが皆の望みなのか。

 それが皆の『願い』であると言うのなら……。

 

 ━━ 助けたいなら助けたら良いのよ。

 

 甘露寺さんの言葉が響く。

 

 ━━ 君は、何一つとして取り零さなかった。

 

 煉獄さんの言葉が響く。

 

 そうだ、助けたいのだ。助けなくてはならないのだ。

 そして何一つとして取り零してはならない。

 大切なものの為にも。守りたいものの為にも。

 その為に何もかもを差し出してでも──

 

 突き動かされる様に、意識を集中させる。

 目の前の敵を全て討ち滅ぼす為の力を、引き出す為に。

 既にもう半ば限界に達しているけれど、関係無い。

 自分の成すべき事をするのだ。

 差し出せる物は全て差し出してでも、守らなければ。

 そうだ。()()()()()

 

 ━━ 貴方が支払うべき対価は一つ。

 ━━ ご自身の選択に相応の責任を持って頂く事です。

 

 何時かの誰かの言葉が蘇る。

 分かっている。その通りだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 だからこそ、助けると決めたのならば、それを選んだのならば。最後まで戦わなければ。

 

 何か。そう、取り返しのつかない「()()」を。そうと理解しながらも選ぼうとしたその瞬間。

 

 

 致死の乱打の嵐をスルりと抜けるかの様な足取りで駆け抜けた人影によって、目の前で拳を握っていた猗窩座のその腕が斬り落とされた。

 意識の外からの己の胴を袈裟斬りに薙ぎ払うかの様な一撃を回避する為に、猗窩座は大きく後ろに下がる。

 そして、突然の乱入者の姿を見て、猗窩座は大きく目を見開いた。

 

 裾がまるで燃える炎の様に揺らめく羽織を身に纏ったその姿を。

 まるで炎の様なその特徴的な髪型を。その存在を。

 見間違える筈は無く、現にその存在は確かに此処に居る。

 だが、何故。どうして此処に? 

 

 

「煉獄……さん……?」

 

 自分が直前まで一体何をしようとしていたのかも忘れる程の驚きと共に呟くと。

 

「すまない、遅くなった。

 ……よく、頑張ったな。

 さて、此処からはこの炎柱──煉獄杏寿郎も相手だ」

 

 安心させるかの様にそう微かに微笑んだ煉獄さんは。

 直ぐ様にその眼差しに熱い闘志を漲らせながら、猗窩座とイザナギに取り押さえられたままの次第に『人』の形が崩れていく黒死牟を見据える。

 

 そんな煉獄さんに対して。

 黒死牟は眼中に無いとばかりに、どうにかイザナギを倒そうとしているが。

 猗窩座は、この場で戦い始めて、初めてと断言出来る程明確に動揺していた。

 

「何故だ……何故、生きている、杏寿郎……!! 

 お前は、俺が殺していた筈だ! 

 生きている筈が無い……! 

 ……っ、それとも鬼になったのか? 

 気配は上手く隠している様だが──」

 

 何故、何故。と。

 余りにも様々な感情が吹き荒れているかの様に忙しなくその表情を変えつつ、戦慄く様にその身を震わせながら猗窩座は問う。

 人間があれで生きている筈が無い。

 生きているなら、『人間』である筈が無い、と。

 それはまるで、そう自分に言い聞かせているかの様であった。

 

「俺は鬼になどなっていない。

 確かに、俺は命を落としたも同然だったが……此処に居る鳴上少年に命を救って貰った」

 

 だからこうして此処に居る、と。

 そうキッパリと言い返した煉獄さんは、その日輪刀を構えて油断無く猗窩座を見据える。

 そして煉獄さんのその言葉に、猗窩座が此方に目を向けた。

 だがその視線は、先程までの……己の武をぶつける相手を見るかの様なそれではなくて。

 余りにも複雑な感情……後悔、嫉妬、羨望、虚無、絶望、悲嘆、慟哭、憤怒などと言った多様な感情が渾然一体となったものである。

 闘う事を望み欲し強者を求めて彷徨う拳鬼が抱えるものとしては、どうにも似合わないそれは。

 しかし空っぽの様にしか見えなかった先程までのそれとは違い、猗窩座と言う存在のその本質……その虚無の更に奥にある猗窩座の根本である様にも見える。

 だが、どうしてその様な感情を向けられるのか皆目見当もつかないので戸惑うしかない。

 

 ── 破壊殺・終式 青銀乱残光!

 

 動揺したまま、猗窩座はその拳を握って煉獄さんに向かって恐ろしい速度と威力の高速の乱れ打ちを放つ。

 筋や腱や関節の損傷など完全に無視出来る鬼であるからこそ実現可能な、ほぼ同時に感じる程の広範囲を殲滅する数百発もの乱打は、敢えて狙い過ぎない攻撃も織り交ぜる事によって極めて回避が困難になっている。

 何度かそれを防いだからこそ、その脅威をよく理解している。

 明らかに動揺していても尚、その拳の冴えに衰えは無かった。

 最早思考とはまた別の領域で身体が動いている様なものなのかもしれない。

 一発でも掠れば、「死」も同義の攻撃である。

 ここまで消耗した状態だと、それを救うだけの余力があるとは言い難いし、何よりもそんな隙は無い。

 何としてでも煉獄さんを守らなければ、と。そう前に出てその攻撃を捌こうとすると。

 まるでそれには及ばないとでも言いた気に煉獄さんが軽く手でそれを制する。

 そして。

 

── 炎の呼吸 伍ノ型 炎虎!

 

 確実に当たるものを正確に見極めて炎の呼吸の力強い剣技でそれを潰しながら、それ以外の攻撃を一切の無駄が無い高速の身体捌きで避けた。

 傍目には煉獄さんの身体を猗窩座の拳がすり抜けていっている様に見えるのではないかと思う程に、最小限の動きの動きで躱されたそれを、猗窩座は驚愕する様な顔をする。

 そして、まだ動揺を残しつつも、その表情に歓喜を浮かべた。

 

「素晴らしい! あの時よりも、いやあの時ですら比較にならない程に、更に己を鍛え上げたのか、杏寿郎!!

 何故生きているのかなど、もうどうでも良い。

 黄泉の国から這い戻って来たのだろうと、今再び俺の目の前に立つお前とこうして戦える事以上に重要なものなど無い!

 こうして数多の強者と戦える僥倖を、俺は歓喜せずにはいられない!

 嬉しい、楽しい! なあ、そうだろう、杏寿郎!!」

 

 そう吼える猗窩座に、煉獄さんは答えない。

 そして無一郎も、伊之助も。猗窩座の言葉に何も答えず、ただその頸を落とす為に極限に近い程に集中している様だった。

 無一郎の呼吸の深さが変わったのが、音を聞くだけでも分かる。

 まだ『タルカジャ』と『スクカジャ』の効果は持っているからか、無一郎が握り締める日輪刀がより深い赫に染まった。

 確実に仕留めると、そう言わんばかりの気迫が其処に在る。

 ……大分限界は近いが、しかしもう一度全員を強化出来るだけの余力ならあった。

 

 イザナギを維持出来なくなる前に、黒死牟が自由になる前に、せめて猗窩座の頸だけでも落とさなければならない。

 煉獄さんがこうして駆け付けてくれた分、僅かにでも何かを仕掛ける余裕が生まれた。

 出来るかどうかでは無く、やらなければ。

 皆で、生きて夜明けを迎える為にも。

 

 意識を集中させて、再び全員に『マハタルカジャ』と『マハスクカジャ』を掛ける。

 恐らく、これで数分は確実に持つ。

 だが、黒死牟も相手にしなければならない事を考えると、余裕は殆ど無い。

 

「煉獄さん、日輪刀を握る手に意識して力を入れてみてください。

 恐らく、煉獄さんの刀も赫に変わる筈です」

 

 恐らく『赫刀』に関しては知らないのだろう煉獄さんに、最低限必要な事を伝える。そしてそれを疑う事無く意識してくれたのか、煉獄さんの日輪刀の色がその赤から灼熱そのものの様な赫に変わっていく。

 

 その赫に変わった日輪刀を見て、猗窩座は不愉快そうにその眉根を寄せる。

 そして、何故だかは分からないが黒死牟の抵抗がより一層激しくなった。

 やはり、この『赫刀』は鬼にとっては「何か」を感じるものである様だ。

 その鬼の血の根源にある鬼舞辻無惨の、その全てに叩き込まれた縁壱さんへの恐怖からなのか、或いはそれが己にとって極めて有害なものであると感じ取る本能故なのかは分からないが。

 何にせよ、一気に警戒心が高まったのを感じる。

 

「よくは分からないが、その日輪刀……不愉快極まりないな。

 まあ良い、もうそろそろ終わりにしよう」

 

 そう言って、猗窩座は己の全力の攻撃を繰り出そうとする。

 ビリビリと大気自体を震わせるかの様なその気迫に、しかし誰も臆する事なくただその頸を狙う。

 

 

── 破壊殺・滅式!!

 

 

 先程の乱打を遥かに上回る、大気ごと引き裂きそれに直接触れずとも範囲内の全てを打ち砕き吹き飛ばす程の、最早暴風の如き拳の嵐が吹き荒れた。

 その拳を十握剣で斬り飛ばす。だが赫刀どころか日輪刀でもないそれに幾ら斬り飛ばされようとも、まさに瞬きの間にその拳は再び再生する。

 だがその瞬き程の時間は、極限まで集中しそしてその身体能力も限界を超えて引き上げられている三人にとっては何十秒にも匹敵する時間であり、致命的なその嵐の中を駆け抜けるだけの余裕を生む。

 更に踏み込んで、今度は手首だけでなく腕や肩も狙った。

 猗窩座は此方の動きに対応してピッタリとそれに反応する様に攻撃を返すが、しかしそもそも自分一人に向けられた攻撃なら回避どころか防ぐ必要すら無いのでそれを正面から受け止めてそのまま十握剣を振り抜く。

 猗窩座が幾ら何らかの手段を以て相対する者の動きを完璧に先読みしているのだとしても、その身一つで対応出来る範囲は決して無限では無い。

 こうして自分が皆の盾となりながら真っ先に十握剣を振るえば、そちらへの対処が最優先になって他への対応はどうしても遅れる。

 それでも、無一郎や伊之助を同時に押さえ込めてしまえていた辺り、猗窩座は規格外の化け物であるのだろうけれども。

 十握剣による斬撃が決して己にとって致命的なものでは無いと分かっているからこそ、猗窩座はそれを避けるよりも正面から受け止めて鬼の尋常では無い回復力を以て無効化する事を選ぶが。

 だが、ほんの数瞬の差が己の命運を分ける事だってある。

 そう、今この時の様に。

 

 恐ろしい程の柔軟性を以て身を低くして斬り込んだ伊之助の刃が、猗窩座の左足を奪った。

 猗窩座がこの場に於いては最も()()()()()()と判断していた伊之助のその動きへの対処が、僅かに遅れていたからだ。

 僅かに体勢が崩れた所に、無一郎の刃が幾重にも斬り刻む様にその胴を断ち、ついでに右腕も半ば捥ぎ取る。

 反撃の様に無一郎に向かって繰り出された左腕を、それが届くよりも前に煉獄さんの日輪刀が斬り落として。

 回避しようとしたその右足を、弱めの雷神斬で斬り飛ばす。

 まさに数瞬の間に四肢を落とされた猗窩座の頸に、煉獄さんの日輪刀が勢い良く喰い込んだ。

 

 黒死牟のそれと同じく尋常では無い程に硬いその頸は、煉獄さんの渾身の一撃ですら数センチ程度喰い込ませる事で精一杯な様で。

 だが、この場に居るのは煉獄さんだけではない。

 無一郎が、猗窩座の頸に喰い込んだ煉獄さんの日輪刀に向かって己の日輪刀を叩き付ける様な勢いでそれを押し込もうとする。

 赫に染まった日輪刀と日輪刀が互いに叩かれた瞬間、更にその赫が増した様に見えた。

 無一郎の一撃によって、煉獄さんの日輪刀は更に奥へと喰い込み半ば程まで猗窩座の頸を落とそうとする。

 猗窩座は己の腕を再生させてそれを防ごうとするが、しかし二人の『赫刀』によって斬られたそれは再生が上手く進まない様で肘から先が少し修復された程度止まりで、ならばと再生された足で二人を吹き飛ばしその胴を泣き別れにさせようと足掻くが。当然それを許す筈も無く、伊之助と二人がかりでその足を再度奪った。

 

 地に押し倒された猗窩座のその頸を、煉獄さんと無一郎は己の全体重も掛けて更に斬ろうとする。

 更に日輪刀が奥へと喰い込んだ。

 猗窩座の表情が、明確な「死」を前にした驚愕に揺れる。

 身体をバネの様に跳ねさせて二人から逃れようとしたその身体を、その場に縫い留める様に十握剣を深く突き立てた。

 既に消耗が限界に達している為に物凄く辛いが。

 まだだ、まだ諦めるな、力尽きるなと、己を鼓舞し続けて。

 絶対にこの剣を離してなるものか、と。全力で集中して猗窩座の抵抗を意地と根性で抑え込む。

 

「オオオオオオオオオオ!!!」

 

 吼えてるのは、煉獄さんなのか無一郎なのか伊之助なのか自分なのか、それとも猗窩座なのか、もう分からないが。

 とにかくその場の全員が必死だった。

 また少し、煉獄さんの日輪刀が更に奥へと喰い込む。

 後少し、後もう少しで、猗窩座の頸が落ちる。

 それを理解した伊之助が、最後のダメ押しとばかりに、己の日輪刀も煉獄さんの日輪刀に叩き付けようとしたその時。

 

 

 ──終に、恐れていた「限界」が訪れた。

 

 

 根性と気合だけではどうする事も出来ず、限界に達したが故に、イザナギの姿が消える。

 完全にペルソナの力が使えなくなった訳では無いが、しかしもう何かを召喚する事は不可能だ。

 そしてそれは。

 

 

── 月の呼吸…………

 

 

 その斬撃が周囲を蹂躙する直前に、本当に咄嗟の判断でペルソナを切り替えて『ボディーバリアー』を使う事に間に合ったのは、最早奇跡に近かった。

 限界の所を振り絞る様に使ったからか、その効果範囲は本当に狭いものになってしまったが、しかし三人共触れ合える程の近距離に居た事もあって、全員を恐ろしい斬撃から守り切る事が出来た。

 だが、その隙に、押し倒されていた猗窩座がその両足を再生させて、跳ね起きる様にして全員を蹴り飛ばして。

 そして、己の頸に喰い込んだ煉獄さんの日輪刀を投げ捨てる様にして引き抜いて、憤怒の表情を浮かべる。

 もう四分の三は斬り落とせていた頸は、痛ましい音を立てつつも再度繋がろうとしていた。

『赫刀』で斬られたからかその再生速度はゆっくりではあるけれど、しかし確実に塞がっていく。

 頸を落とされかけた事で、まさに修羅と化した様な表情で此方を睨み付けた。

 

 そして、イザナギの拘束から自由になった黒死牟も、全身から刀を生やし、更には人間のものとは思えない触手の様な何かをその身体から生やして、此方を見ている。

 絶対にお前を殺すと、その目は狂気の様なその意志に染まっていた。

 最早刀を握る事すらせず、だが余りにも人間にとっては致命的な攻撃を何時でも無制限に放てるそれは、まさに「化け物」だ。

 鍛え抜かれた剣技を喪っても、恐ろしい程のその冴えが消え果てても。

 そもそもの話、己に近付けさせず何もかもを薙ぎ払えば良いだけなのだから、それで何の不具合があると言うのかと言わんばかりであった。

 

 完全に『人間』としての……かつて人であった時の名残すら捨て去ろうとしているその姿は、恐ろしいだとか見苦しいだとかと言う感情では無く、どうしようも無く「哀しい」と感じてしまう。

 どうして彼が鬼になってしまったのかは分からない、恐らくこの先も知る事は無いだろう。

 それでも、縁壱さんが語ったのだと言う、その兄の姿からは余りにも遠い場所に堕ちてしまったその有様は、「どうして」とそう問わずにはいられない。

 誰かに大切に想われていた存在が、縁壱さんの心を確かに支え照らしてくれていた人が、こんなにも堕ちてしまったその成れ果ての姿を見ると。

 どうしても、痛ましいと感じてしまうのだ。

 しかし、その目にはもう、かつて縁壱さんが語っていた様な「優しい兄上」は残っている様には見えなかった。かつては人であったその残骸でしかない様に見える。

 そして、それはこの場に居る全員を殺し尽くすまでは止まらないだろう。

 

 何とかしなくてはならない。

 だが、もう自分に出来る事は……。

 余りにも激しい消耗に、既に強烈な眠気に襲われている。

 ほんの僅かにでも気が緩めば、その時点で昏倒しかねない。

 だが、この状況下で自分がそうなったらどうなるのかなんて、分かり切っている。

 

 

 どうにかしなくては。

 何とかしなくては。

 皆を守らなくては。

 皆の為に出来る事をしなくては。

 

 差し出せるものは全部差し出してでも。

 記憶も、心も、絆も、存在も、何もかも。

 己が差し出せるものは、まだあるのだから。

【世界】に辿り着いた己に、不可能は無い。

同じ力を持っていた【彼】が成し遂げた様に。

 さあ、選べ、差し出せ。

 皆を守る為に、助ける為に。

 

 心の中で何かが己を引き留めようとするけれど。

 でも、この状況で皆を守る為には、それしか無いのだ。ならば。

 ()()()()()()()()()()事を感じ取りながら、それでも何かを選ぼうとした、その時だった。

 

 

 胸の奥で、温かな何かが満たされた様な気配がして。

 既に消耗が限界に達していた身体に、再び力が漲ったのを感じた。

 絆が完全に満たされた時のその感覚に、驚きと共に大きく目を見張る。

 何故なら、それは……今この絶体絶命の瞬間に己を満たしたその絆は。

【魔術師】と、そして……【欲望】。その二つだったからだ。

【魔術師】はまだ分かる。善逸との絆だ。どうして今このタイミングで満たされたのかは分からないけれど、まあそんな事もあるのかもしれない。

 だが、もう一つ。【欲望】のそれは、それが生まれていた事自体、自分は気付いていなかったものだった。

 だが、それが誰との絆であるのかは分かる。獪岳だ。

 獪岳に何かをしてあげられた覚えなど無いのだけれど、しかしどうしてだか今この瞬間に獪岳との絆は満たされていた。

 何でなのかなんて、理由は後で幾らでも考えられるだろう。

 

「負けるな」、と。そう二人に背中を押されたかの様な気がした。

「諦めるな」、と。そう鼓舞された気がした。

 

 人は独りでは生きられない、目の前に居ても居なくても必ず誰かと繋がっている、そして真の繋がりは限り無い力になる。

 ……それはよく分かっていたのだけれど。

 しかしこうして直接その力を感じると、やはりどうしようもなく支えられている事を実感するのだ。

 ああ……今だったら何だって出来てしまう様な気がしてくるのは、些か現金なのだろうか。

 でも、ならばこそ、応えなくてはならない。

 自分は独りでは無い、例えこの世界に居てはならない存在なのだとしても、こうして結ばれた絆が「偽物」でも「間違ったもの」でもない事を、知っている。

 善逸と獪岳だけでは無い。

 煉獄さんも、無一郎も、伊之助も、炭治郎も、玄弥も、しのぶさんも、カナヲも、宇随さんも、それだけではなくもっと沢山の人たちが、支えてくれている、信じてくれている。

 その全てに、応えたい。だから、今は。

 自分が出来る事を、全力で果たすだけだ。

 

 

 

「マガツイザナギッ!!」

 

 

 満たされたばかりの、【欲望】のアルカナの最上位のペルソナ。

 己に最も近い『イザナギ』とは対極の存在。

 足立さんとの絆によって己の中に生まれた、足立さんのペルソナと同じもの。

 誰かと全く同じペルソナに目覚める事なんて、ペルソナと言うそれの在り方を思えば有り得ない事だと思うのだけれども。しかし足立さんと自分は共に「駒」として選ばれた者だったからなのか。進んだ道こそ違えども、やはり何処か似ている部分があったのかもしれない。

 自分のペルソナなのだが、何と無く足立さんの存在を感じてしまう。

 マガツイザナギは、そんな風にある意味ではかなり特殊なペルソナだった。

 

 目の前に新たに現れた、『イザナギ』の様で『イザナギ』では無いその存在に、黒死牟と猗窩座は警戒心を向ける。

 だが、何か攻撃を仕掛けられる前に、マガツイザナギは動いた。

 

 

「──マガツマンダラ!!」

 

 

 まるで闇を煮詰めた様な禍々しい渦に、黒死牟と猗窩座が回避する暇すら無く呑み込まれる。

 闇に食い潰されながらその身体は大きく削られ吹き飛ばされるが、それでもやはり上弦の鬼と言うべきか、その一撃では身体を全て吹き飛ばす事は出来なかった。

 虫食いだらけの様にボロボロになりながらも、どちらも立っているし、その身は再生を始めている。

 そう、「身体」は無事だ。

 だが、『マガツマンダラ』の狙いはそこでは無い。

 

 禍津の闇が晴れたその直後。

 狂乱の絶叫と、それによる混沌がその場を支配した。 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
皆が「痣」で寿命を削ったり、自爆特攻上等で突撃するのは絶対に阻止したい。
マガツマンダラは、相手に「混乱」・「恐怖」・「絶望」の精神異常を付与出来るスキル。精神バステをぶちかまして少しでも隙が出来たら良いなぁ程度の気持ちであり、あわよくば同士討ちしてくれと思っている。


【嘴平伊之助】
物凄く頑張って猗窩座と戦う。物凄い大健闘しているのだが、それでもやはり正面切って猗窩座と戦える力は無い。
猗窩座との戦いの中で『透き通る世界』に一瞬だけ入っていた。
もっともっと強くなりたいと心から思っている。


【時透無一郎】
もうちょっとで猗窩座の頸を落とせたのが悔しい。
猗窩座との戦いの中で『透き通る世界』に短時間ながら入っていた。
尚、黒死牟との因縁には全く気付いていない。


【煉獄杏寿郎】
お館様の先見の明によって救援要請を受けて駆け付ける事が出来た。
因縁の相手でもある猗窩座とのリベンジマッチに挑む事に。
死に覚えゲー特訓は、他の者達とも協力しながらであったが、『ミツオの影』を下し『妓夫太郎』をも下した状態。


【黒死牟】
縁壱が見たら余りのお労しさにさめざめと泣いてしまいそうな程にお労しい。
縁壱の事は当然覚えているが、悠に向ける憎悪の様な憤怒の様な感情によって摩耗が加速。
お労しや……。


【猗窩座】
無限列車の時には猗窩座判定で雑魚だった伊之助が超成長してて大喜び。
無一郎と悠との戦いにウキウキしていたら、死んだ筈の煉獄さんが救援に現れて現実が理解出来なかった。
絶対死んだ筈なのに何故生きている!? お前は人間だろう!?
人の身の儘に「死」をも越えて蘇らせる事の出来る悠の力に愕然となった。
そして、その心の奥底に残っている狛治も発狂。


【鬼舞辻無惨】
煉獄さん生存を知りガチ切れ。猗窩座への折檻を決意するがそれが果たされるかは謎。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
『鳴上さん』による夢の中での死に覚えゲー特訓の相手は大体下記の感じで進行しています。
現時点では、炭治郎たちが『ミツオの影』を全員生き残って倒せる様になり、一番進んでいる悲鳴嶼さんは強化前の童磨と戦ってる状態です。
ちなみに玉壺は入れるとしたら妓夫太郎と童磨(強化前)の間になります。
村田さんたち一般隊士の多くは、複数人がかりで物凄く頑張ってても大体は『黄金甲虫』で止まってます。

・『熱甲虫』(PQ仕様)

・「熱気立つ浴場」雑魚&中ボス連戦

・「不思議の国のアナタ」雑魚連戦&『ハートの女王様』

・『矛盾の王』&『狭量の官』(強敵シャドウ)

・『トランプの兵隊さん』&『バラを塗る兵隊さん』(FOE)

・『黄金甲虫』(黄金シャドウ)

・「特出し劇場丸久座」雑魚&中ボス連戦

・「ごーこんきっさ」雑魚連戦&『慈悲深い聖職者』

・「ボイドクエスト」雑魚&中ボス連戦

・『恋の使者』&『愛の天使』&『情欲の獣』(FOE)

・『えんげーじキング』(黄金シャドウ)

・『刹那の児』&『逃避の兵』(強敵シャドウ)

・『クマの影』

・『ミツオの影』

・「秘密結社改造ラボ」雑魚&中ボス連戦

・「放課後悪霊倶楽部」雑魚連戦&『優しいドクター』他

・『妓夫太郎』

・『童磨』(強化前)


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『禍津神は嗤う』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 鬼殺隊を率いる産屋敷の一族を根絶やしにする為に、鬼殺隊にとって重要な場所である日輪刀を作り出す隠れ里を襲撃しに行った玉壺と半天狗の内、玉壺があの例の『化け物』と遭遇した。今直ぐにそこへ向かい、『化け物』を捕らえろ、と。

 己の任務である『青い彼岸花』の捜索を続けている最中に、そう無惨様から命じられて。

 無限城に呼ばれた猗窩座は、その場に黒死牟も居る事に僅かながら驚くと共に、無惨様の本気を理解する。

 

 未だかつて……鬼殺隊との大規模な戦いの際ですら、上弦を二体以上も動かした事など無かったのに。

 既に玉壺と半天狗が居るそこへ、己と黒死牟も向かわせるとは。

 まさに、今動かせる上弦の鬼全てをそこに投じるも同然の事であった。

 上弦の陸は欠けたまま、その席を埋める者は未だ居らず。

 童磨は、あの『化け物』に消し飛ばされた身体の修復が完全では無い為、何処人の目に付かぬ場所に身を潜めている状態であるらしい。

 童磨自身は、あの『化け物』と戦える絶好の機会を逃している事を心の底から悔しがるだろうが……。まあ、あれについて考えるのは止めよう。そう猗窩座は即決した。

 触れるべきでは無いものは確かにこの世にはあるのだ。

 

 黒死牟はと言うと、『化け物』相手の大捕物になる事を知ってか、その気迫は何時ものそれを更に凌駕している。

 妓夫太郎が討たれてから少しして、黒死牟も『化け物』と遭遇した。

 しかし、驚いた事に黒死牟ですら『化け物』を捕らえる事は出来ず、それどころか頸を落とされたらしい。

『化け物』が持つ刀が日輪刀では無かった為にそれで死ぬ事は無かったが。しかし、それは裏を返せばその時『化け物』が持っていたのが日輪刀であれば黒死牟は既にこの世に居ないと言う事だ。

 更には頸を落とされたどころか、その場に居た他の負傷した隊士たち諸共に『化け物』には逃げられたらしい。

 気付けば、『化け物』はほんの一瞬でその姿を消していたと言う。鳴女の様な力を『化け物』も持ち合わせているのかもしれない。

 見た目が『人間』なだけで、その中身に関しては鬼などよりも余程理解出来ない『化け物』である。

 まあそう言った因縁もあってか、黒死牟はあの『化け物』に対して並々ならぬ執着と怨念と憎悪を滾らせている様だった。

 それは、童磨が『化け物』に向ける怖気立つ程に底知れず気色悪いそれとはまた別の感情ではあるし、あそこまで狂気に染まっている訳では無い様だけれども。

 

 無惨様からも黒死牟からも童磨からも、異様な程に執着されている『化け物』に対しては、猗窩座も多少は興味があった。

 その尋常ならざる力を前にして、己の鍛え上げた武が何処まで通用するのかを見たいと思ってはいる。

 だがそれ以上の関心は無い。

 ただ、三者の執着の度合いを見ていると、『化け物』にはそうやって相手を狂わせる「何か」があるのだろうかとも思う。

 童磨が群を抜いて壊れているが、しかし己の剣技を高める事以外に執着など無い様に見えた黒死牟の殺意の高さもかなり尋常なものではないし、『化け物』に対する無惨様の執着もかなりのものである。

 まあ無惨様に関しては、あの『化け物』が長い年月の間追い求め続けてきた「太陽を克服する鬼」に成り得る存在だと半ば確信していると言う事もあるのだろうけれども。

 何にせよ、猗窩座たちの成すべき事に変わりは無かった。

 

 鳴女の力によって『化け物』の真上に移動したその時には、既に玉壺は倒されていた。

 上弦の鬼がまた欠けた事に無惨様が怒り狂っている気配を感じはするが、今は玉壺の事よりも『化け物』を捕らえる事の方が重要だ。

 

 この場に居るのは、『化け物』と、柱と思われる子供と、そして柱には届かない程度の剣士の三人。その内問題になるのはやはり『化け物』だけだろう。

 初めて直接相見えた『化け物』は、実に奇妙な存在であった。

 此方を警戒し変わった刀を構えてはいるが、闘気などと言ったものはかなり乏しく、至高の領域には程遠く見える。

 だが、直接目にする事で、この男が「異常」な事はよく理解出来た。

 己が極めんと研鑽し続けている方向とはまた別に、この『化け物』は()()()辿()()()()()()()()の気配を漂わせていた。

 己の研鑽の相手として求めている様な「強者」とはまた異なるが……。しかし紛れも無く「強い」事は確かである。

 理解出来る存在では無いが、しかしならばこそ戦い甲斐があると言うもの。

 猗窩座は『化け物』を前にして高揚する心を抑えきれなかった。

 

『化け物』はと言うと、この場に上弦の壱と参が揃っているのに弐の姿が見えない事を警戒するかの様にその事に触れる。

 それには思わず、猗窩座も黒死牟も揃って苦い顔をした。

 どうせあの狂信者は自分達の視界などを通してこの戦いを見ているのだろう。

 無惨様も童磨には極力関わりたくないと言わんばかりの対応をしているが、しかし『化け物』……童磨曰く『神様』の事に関しての執着はどう考えても常軌を逸したもので。無惨様に対してすら「要求」を譲らないのだ。

 鬼の思考を覗く事が出来る無惨様が、心底気持ちの悪いものを見る様な目で童磨を見ていたのを見るに、その思考は理解してはいけないものになっているのだろう事は疑い様が無い。

 それでいて「駒」としては優秀なので斬り捨てるには惜しいのだろう。

 どの道『化け物』と戦った際の情報は無惨様を介してから上弦の鬼に共有されるので、多少その順番が逆になった程度なら構わないかと、極力童磨に関わりたくない無惨様は恐らくそうするだろう。それで黙っているならそれに越したことはないのだから。

 だからこそ、今もこの様子を観察しているのだろう童磨の見ている前でその名を口にするなと言うと。

 

「何だあいつ、鬼の中でも嫌われているのか……」

 

 何を勘違いしたのか、『化け物』はそう沁々と言う。確かに嫌われているというのは間違いは無いが……。

 童磨から常軌を逸した執着を向けられている事を知らぬのだろうその反応に、敵対する相手ではあるものの余りにも「憐れ」だと感じてしまい、猗窩座も黒死牟も沈黙するしかなかった。

 

 何であれ、ここでこの『化け物』を捕らえなければならない。

 その為、黒死牟がその刀を構え、猗窩座がその拳を握ると。

『化け物』もそれに対抗するかの様に武器を構える。それと同時に、突如異形の存在がその場に現れた。

 龍を使役していると黒死牟から聞いていた猗窩座は、明らかに龍とは違うその異形に驚き。そして、その異形があの無惨様に匹敵するか或いは凌駕する程にその強さに全く底が見えない存在である事を悟り、歓喜の念に震える。

『化け物』を化外の存在たらしめているものがこの異形なのだろうか? 

 何であれ、ここまでの存在と対峙する事が出来たのは、数百年の研鑽の中でも初めての事であった。

 

 猗窩座は羅針を展開し、黒死牟と共に『化け物』たちを狙う。

 空間丸ごとを斬り刻んだ筈の黒死牟の斬撃は全て異形に防がれて。そして『化け物』は猗窩座の乱式を全て回避し討ち払いつつ凄まじい速度で踏み込んで猗窩座へと斬り掛かってきた。

『化け物』のその一撃に羅針が正確に反撃する。しかし反撃に反撃を重ねられた『化け物』の方も、猗窩座ですら驚く程の反射速度でそれに対応し、半ば必中を確信していた冠先割を回避する。

 型と呼べる様な攻撃では無い。そもそも何らかの呼吸の使い手でも無い。

 だが、『化け物』は今まで遭遇した事が無い程の強敵であった。

 その在り方としては、『人間』と言うよりも寧ろ「鬼」の方が近いと確信出来る程に。

 その身体能力は、上弦の鬼である猗窩座と黒死牟に匹敵乃至凌駕する程のものである。

 隔絶した身体能力だけで戦う無惨様のそれにすら届き得るやも知れぬと思う程に、それはまさに『化け物』の力であった。

 

『化け物』以外の剣士も、ただ見ているだけでは居られないとばかりに己の刀を握り締めてはいるが。しかし、乱れ舞う斬撃と拳撃の嵐の中では出来る事など回避に専念する事位で。それですら、攻撃の殆どを『化け物』と異形が防いで何とか、と言う状態であった。

 まあ、入れ替わりの血戦を挑んだ時ですら殆ど見せた事が無い程の、更には無惨様の血によって極限にまで高められた「本気」の力を最初から見せている黒死牟の攻撃を、僅かなものであっても避ける事が出来ているだけで「強者」たる資格は十分であるのだが。

 

 かつて無い程に高揚を覚え、そしてその熱を全て叩き込む様に猗窩座は己の拳と鍛え抜いた足技を揮う。

 今までに無い程に分け与えられた無惨様の血は、猗窩座の「鬼」としての位階を数段以上引き上げていた。

 かつての己なら、相対したとしても捻り潰せると断言出来る程に。

 肉体の再生速度も、足と拳の切れも、反射速度も、その何もかもがまさに桁違いになっている。最早「生き物」として別の存在に変わったと言っても過言では無い。

 上弦の鬼……それも古くより研鑽を続けて来た者であるからこそ受け入れる事が出来る限界量ギリギリの血は、それ程までの変革を上弦の鬼に齎していた。

 己の血を与える事には慎重な無惨様がそこまでの強化を許したのは、それ程までに無惨様が『化け物』を警戒し、同時にそれを欲している事の証左であるのだろう。

 しかし、それ程までに高みへと至れた事は喜ばしい事であったが、同時にその全力を向ける相手が居なかった。

 元々柱だろうと何だろうと「強者」であれど『人間』の中には猗窩座が全力を出さねばならぬ相手など居らず、黒死牟や童磨相手に入れ替わりの血戦を挑もうにも、『化け物』の捕獲が成功するまでは徒に上弦を消耗させる事は赦さぬとばかりにそれは無惨様直々に禁止されている。

 故に、些か「持て余して」も居たのだ。

 鍛錬は変わらず続けていたが、その研鑽をぶつける相手と言うものを猗窩座は欲していた。

 そして今、己の「全力」を叩き付ける事が出来る相手が現れた事に、猗窩座は紛れも無く歓喜していたのだ。

 

『化け物』は実に素晴らしかった。

 極限まで鍛え抜いたと思っていた己の武の全てを叩き付け続けても、それを全て受け切る。

 恐らく見切ってはいたのだろうが、共に戦う者達を「守る為」に回避では無く防ぐ事を選んでいる様だった。

 それでいて、猗窩座が全力を出しても尚、『化け物』の身体には掠り傷一つ付ける事が出来ない。

 最早この世の理の内に居る存在とは思えない程である。

 仲間へと向かう攻撃は最早神速の勢いで防ごうとする事から、『化け物』はとにかく「仲間を守る事」を最優先にしているのだろう。

 黒死牟の攻撃をひたすらに捌き続けている異形の方も同じだ。

 途中まで無惨様を介して見せられていた、玉壺と『化け物』たちとの戦いに於いても、『化け物』は終始仲間を守る事を最優先にしている様だった。

 だからこそ、それを人質として取ったその時には玉壺ですら『化け物』を一方的に攻撃出来たのだ。

『化け物』の弱点は、余りにも明白であった。

 とは言え猗窩座も黒死牟も、『化け物』を相手に人質を取ろうとは思ってはいない。

 無惨様から直々に命じられればまた話は別だが、少なくとも今この場に於いて、その様な無粋な事は望まない。

 この『化け物』を己の力で破る事こそが今の猗窩座にとっての優先事項であった。

 

 素晴らしい「強者」を前にして、猗窩座は何時もの様にその名を訊ねる。

「鳴上悠」……悠と名乗ったその『化け物』は、続く様に投げ掛けた「鬼になろう」と言う勧誘には、静かに首を横に振った。

 どうして己が認めた「強者」は皆同じ反応をするのだろう。

 鬼になれば、永遠に己を研鑽し続けられる、強くなり続ける事が出来る。

 病に苦しむ事も、毒などの卑劣な手段で命を落とす事も無いのに。

 

「俺は別に誰よりも強くなりたい訳じゃないんだ。

 大切な人たちを守れたら、大切な人たちの力になれるなら、それだけで良い。

 それに、俺の求めている強さや力は鬼になったとしても絶対に手に入らない。

 不老も、強靭な再生能力も、俺には必要無い。

 鬼としての生が齎す永遠の命なんて、俺にとっては、永遠に生きる事も死ぬ事も無いままに虚ろの森を蠢き続ける事と変わらない。

 そんなの、俺は嫌だ。

 俺は、大事な人たちと一緒に、『人間』として同じ時を生きて歳を重ねていきたいんだ」

 

 静かに、だが揺るぎ無くそう答えた悠の言葉に、猗窩座の胸の奥が騒ついた。

 

 

 ━━ お前はやっぱり俺と同じだな。

 ━━ 何か守るものが無いと駄目なんだよ。

 

 ━━ 来年再来年も……

 

 ━━ 俺は誰よりも強くなって一生あなたを守ります。

 

 

 何かの声の様なものが、猗窩座の耳の奥に響いた気がした。

 しかしそれはどうにも不明瞭で、幾重もの透明な帳の向こう側からぼんやりと聞こえて来るかの様だった。

 誰だ、そしてこれは何の声だ。

 覚えが無い筈のそれに、ザワザワと胸の奥が揺れる。

 かつて無い全力の戦いに高揚していた気分に水を差す様な、いや……その根底から引っ繰り返そうとするかの様なその感情の動きを、猗窩座は理解出来ない。

 だが、どうしようも無く苛立ちが込み上げた。

 だがこれは何に対する苛立ちだ? 

 分からない。分からないままに、猗窩座はその拳をより強く握る。

 

「理解出来ないな。何故『人間』のままで居たがる? 

 俺には解るぞ。お前、()()()()()()()()()()()な? 

 あの童磨を屠りかけた一撃を何故放たない? 

 いや、出せないのだろう。そこの弱者共を庇う為に。

 何故弱者を構う。弱者など見るだけでも虫唾が走る。弱者に存在する価値など無い。

 そんな価値も無い下らないものに拘泥して、その力を発揮出来ないなんて、苦しいだけだろう」

 

 恐らくこの苛立ちは、悠が未だその全力を……『化け物』としての本性を見せていないからこそのものであるのだろうと。猗窩座は意味の分からぬ苛立ちに対してそう結論付ける。

 そうだ、何故この『化け物』は「弱者」を庇う、「弱者」を守る、「弱者」に拘る。

 

 何故この『化け物』には、守りたいものを守り切れる力があるのだ。

 

 握った拳は益々その冴えを増し、更に苛烈に悠を追い詰めんと嵐の様な打撃を繰り出す。

 しかし、その全てをやはり受け止め捌き切り、悠は仲間たちを守り切る。

 

「……お前の言う『弱者』とは何だ? 

『強者』とは、何だ? 

 何を以てそれを決める? お前に何の権利があってそれを判断するんだ」

 

 悠の言葉に、胸の奥が更に騒めく。

 止めろ、煩い、黙れ。

 そんな意思と共に放った一撃は、難無く防がれる。

 弱者は弱者だ、そして強者は強者だ。

 それ以外のものなんて無い。

 

「人は皆、弱くもあり強くもある。

 誰もが完全無欠の存在にはなれない。

 だが、何の価値も無い者も居ない」

 

 違う、「弱者」に意味なんて無い、価値なんて無い。

 「弱者」は誰も守れない、何も守れない。

 きっと治す、助ける、守ると口先ばかり。

 「命に代えても」と誓った者すらも。

 何も出来ないまま喪うしか無かった。

 惨めで滑稽で、下らない存在だ。

 

「一度でも間違えたら『弱者』なのか? 

 一度でも逃げたら『弱者』なのか? 

 誰かに守られる存在は皆『弱者』なのか?」

 

 「弱者」は何度も間違える。

 「弱者」は卑劣な方法で命を奪う。

 「弱者」は辛抱が足りない。

 真っ当に生きると決心してすら間違える。

 何もかもを喪って、大事な物もこの手で壊して。

 意味も無いのに、殺戮を繰り返し。

 終わる事の無い虚無の地獄を歩き続ける。

「弱者」になど、意味も無く価値も無い。

 この世から消え果てるべき存在だ。

 その結論と共により強く拳を握り、目の前の存在が守ろうとしているものごと全てを破壊しようとする。

 

 しかし、深い霧を切り裂くかの様な鋭く力強い悠の眼差しは、何処までも真っ直ぐに猗窩座のその奥底を射抜いた。

 

「猗窩座。どうしてお前は力を求める、どうしてお前は力を求めたんだ?」

 

 その言葉に、思わず思考が固まる。

 何故。……何故? 

 分からない、理由など無い。

 だが「強くならねばならない」と言う意識だけが己を突き動かし続けていた。

 強くならなければ、親父に薬を持って帰れない。

 強くなければ、何も守れない。

 だが結局、何一つとして守れやしなかった。

 

「お前は何の為に強さを求め続けているんだ? 

 どうしてお前はそんなに空っぽなんだ?」

 

 もう「強さ」になんて意味は無い。

 守りたいものなんて、何も残っていない。

 何もかもを喪ったのに、生きていたい訳でも無い。

 何も理由が無い。だから空っぽだ。

 

 思考の空白と共に、猗窩座の身体が僅かに固まる。

 そしてそこを狙った悠の攻撃に、羅針は反応してもそれを止めきれずにその連撃の全てをまともに喰らってしまい、トドメとばかりに異形の紫電を纏った一撃に身を灼かれながら頸を刎ね飛ばされ身体も吹き飛ばされた。

 

 頸を落とされはしても、日輪刀による一撃ではなかった為それで消滅すると言う事は無く。

 吹き飛ばされたその首を回収して切断面に乗せると、瞬時とは言わないもののジワジワと修復される。

 無惨様の血によって強化されていなくてはともすれば上半身が丸ごと消し飛んでいたかもしれない程の雷撃によって切断された為なのか、ただの刃物で切られたのならば直ぐ様に繋がる筈の首も治りが遅かった。

 だが、それも致命的なものでは無く、無事に繋がった頸の状態を確かめてから、猗窩座は再び悠たちを襲う。

 

 今度は柱の少年も、そしてかつて杏寿郎と戦った際にその場に居合わせた「弱者」であった剣士も、より積極的に攻撃を仕掛けて来る。

 どうやら、『化け物』としか言えない程にこの世の理を超越している様にしか見えない悠も、その力は無尽蔵では無いらしく。

 その動きに翳りが見える訳でも無いが、明らかに「限界」が近付きつつある様な顔をしていた。

 黒死牟とやり合った時に激しく消耗したのだろうか。

 そんな状態でも、問題無く猗窩座の攻撃を防ぎ切るのを見るに、やはり常軌を逸した存在である事には間違いないのだろうが。

 

 柱の少年も、そして見た事の無い独特の呼吸を使う伊之助と名乗った剣士も、「弱者」と謗る程には弱くは無い。寧ろ、容赦無く攻撃し続ける猗窩座の連撃から生き延びているのを見るに間違い無く「強者」の側の存在ではある。

 だが、それはあくまでも『人間』の範疇内での事。

 もし悠が力尽きれば、成す術も無くその瞬間に捻り潰されてしまう程度の強さだ。

 そしてそれが分かっているからこそ、悠は焦った様な表情で必死に戦っている。

 最初から仲間の事など気にせずに「全力」を出していればこんな風に追い詰められる様な事も無かっただろうに。

 誰にも手に負えない様な『化け物』でありながら、「詰まらない理由」で敗北する。

 それは、『人間』を一生懸命に演じようとしてその止め時を喪った憐れな『化け物』のそれの様であった。

 勝利を確信し、更に追い込もうと一層苛烈に攻撃を仕掛けようとしたその時だった。

 

 ゾワリと背筋が凍り付き全身の産毛が逆立つ程の、「危険」など遥かに通り越した、生命の本能の根源的な『恐怖』を鬼となって初めて感じた。

 

 激しい消耗に荒く息をしていた筈の悠のその眼が、恐ろしい程に冷たく輝く金色に染まって見える。

 己の生殺与奪の権の全てを握る無惨様に相対している時のそれを遥かに凌駕する、「絶対に殺される」と言う。一瞬先には欠片も残さず吹き散らされている「当然の事実」を、本能が理解せざるを得ない。

 目の前の「それ」が、『化け物』だとか常軌を逸しているだとか、そんな……何か既存の言葉で表現出来る様な甘い存在では無い事を、瞬時に悟らされた。

「鬼」程度で触れて良いものでは無い、呼び起こして良いものでは無い。

 何か取り返しの付かない事が、何があっても触れるべきでは無い『何か』が、今目の前で生まれようと……その目を醒まそうとしているのでは無いか、と。

 そう無為に思考が巡る。そして、それが目覚める前に今直ぐ殺さなくてはならないと、猗窩座は判断した。

 それが目覚めた瞬間、猗窩座どころか黒死牟も無惨様も何もかもが、塵を吹き散らすかの様に消える。

 それを阻止出来るのは、今この瞬間しか無い。

 

 だが、悠に叩き込む筈だった拳は、その腕ごと斬り落とされ。

 そして、胴を狙ったその一撃を回避する為に大きく後退せざるを得なくなる。

 完全に意識の外にあったその乱入者の姿に、猗窩座は大きく目を見開いた。

 

 

「すまない、遅くなった。

 ……よく、頑張ったな。

 さて、此処からはこの炎柱──煉獄杏寿郎も相手だ」

 

 

 凛とした力強い声で、その眼差しに熱い闘志を漲らせたその者は。

 この場に現れる事など決して有り得ない筈の。

 己が手で確かに殺した、この世に存在する筈がない男であった。

 

「何故だ……何故、生きている、杏寿郎……!! 

 お前は、俺が確かに殺した筈だ! 

 生きている筈が無い……! 

 ……っ、それとも鬼になったのか? 

 気配は上手く隠している様だが──」

 

 有り得ない、何故、何が起きた。

 幽霊など信じた事など無いが、そうとでも考えないと有り得ない事だった。

 あの傷では、何があっても助からない。

 それこそ、「鬼」にでもならなければ。

 四半刻すら待たずして、息絶えた筈だ。

 あれで死んでいないのから、それはもう『人間』では無い。

 死者は生き返らない、何をしても、絶対に。

 喪った者が蘇る事も無い。

 どんなに望んでも、願っても、縋っても。

 永遠に、俺の守りたかった者が戻る事は無い。

 誰にもその理を覆す事など出来はしない。

 なら、どうして、何故。

 

 猗窩座の思考は、動揺からか支離滅裂と言っても良い程のもので。しかも、それは続く杏寿郎の言葉によって更に悪化した。

 

「俺は鬼になどなっていない。

 確かに、俺は命を落としたも同然だったが……此処に居る鳴上少年に命を救って貰った」

 

 その瞬間、猗窩座の心を押し流すかの様に荒れ狂ったのは。

 激情と言う言葉ですら生温い程の。後悔、絶望、悲嘆、慟哭、憤怒、虚無、嫉妬、羨望などと言った感情の濁流であった。

 

 何故だ!! 何故、何故、何故、何故!!! 

 何故そんな、どうしてそんな……!! 

 そんな力が、そんな『奇跡』を起こす力が! 

 死に行くしかない者すらも生き返らせる力が! 

 この世に存在すると言うのならば!! 

 俺は、何も喪わずに済んだのに!! 

 親父が病で痩せ細り、最後には首を吊る様な事も! 

 師範と恋雪さんが毒に苦しんで殺される様な事も! 

 全部、全部、全部! 無かったのに!! 

 どうして、俺たちの時には助けてくれなかった! 

 どうしてお前はそこに居なかった! 

 何故だ! どうして……!! 

 どうして、俺にはお前の様な力が無かったんだ!! 

 どうして…………

 

 感情は支離滅裂で意味が分からないもので。

 そんな動揺を他所に放った技は、何時もと変わらぬ威力と速さのもので。

 しかしその攻撃を、杏寿郎は悠の手を借りずに全て防ぎ回避してみせた。

 以前戦ったあの時ですら、「至高の領域」に限りなく近い場所までその闘気は練り上げられていたと言うのに。

 今こうして再び対峙した杏寿郎のそれは、あの時とは最早次元が異なる程のものに達していた。

 幾百幾千の死線を乗り越えて漸く到達出来るかどうかと言う領域に、死ねば終わりの『人間』の身でありながら、杏寿郎は辿り着いていた。

 短期間の内に、どれ程の修練を重ねたのだろうか。

 凄まじい研鑽の跡をそこに見て、その素晴らしさに猗窩座の心が震えた。

 支離滅裂だった感情も、その感動に押し流された様に鎮まる。

 

 だがその時、再び悠が何かを仕掛けたのか。杏寿郎の日輪刀が『赫』に染まった。

 その色を見ると、全身の細胞が怖気立つ様に震えた。

 自分では無い。()()()()()()()()()()()()()()()()()

 その日輪刀が危険なものだと、本能が察した。

 今ここで仕留めなければならないと、そう無惨様の細胞が命じる。

 だからこそ、全てを終わらせる為の、己の持てる最高の攻撃を繰り出す。

 

 ── 破壊殺・滅式!! 

 

 規格外の『化け物』である悠はともかく、他の三人は確実に消し飛ばせる攻撃だった。

 だが、そうはさせじと真っ先に飛び込んで来た悠によってそれは防がれる。

 いや、悠は防いですらいなかった。

 全てを抉り取り吹き飛ばす筈の拳が直撃しても、悠の身体には掠り傷一つ付かない。

 まるで微風すら吹いていないかの様に、ひたすらに腕や肩を斬り飛ばそうと強引にその剣を振るうのだ。

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 それを理解しても、猗窩座はその拳を止めない。

 悠の武器は日輪刀では無い、斬られた所で大きな問題は無い。そして、悠以外を殺せればそれで良いからだ。

 だが、その判断は正しくは無かった。

 

 先ず、左足が奪われた。

 目の前のそれに比べれば取るに足らないと判断していた伊之助によって切り裂かれたのだ。頸程では無いにせよ、しかし下弦などの頸などとは比べ物にならない程に硬いその足を、獣が咬み裂くかの様にもぎ取っていく。

 そして、左足を奪われて体勢が崩れかけたその瞬間には、柱の少年によって胴が幾重にも切り裂かれ同時に右腕も喪う。

『赫』に染ったその日輪刀に切り刻まれたそこは、未だかつて感じた事の無い程の燃える様な激痛に苛まれる。

 反撃の為に握った左腕は杏寿郎の日輪刀に落とされて。

 そして、どうにか地を蹴ってその場を離れようとした右足は紫電を纏った悠の斬撃によって落とされる。

 

 ほんの数瞬で四肢を落とされた猗窩座の頸を、杏寿郎の日輪刀が捉える。

 だが、かつてのそれとは比べ物にならぬ程に硬くなったその頸にはほんの僅かに喰い込ませる事が精一杯で。

 しかし、柱の少年がその杏寿郎の日輪刀に己の日輪刀を叩き付けた事によって、一気に首の奥へと食い込む。

 腕を再生させて払い除け様にも、焼け付いた様に痛む腕の再生は思う様に進まず。

 蹴り殺そうとするも、その足は再生するよりも前に再び伊之助と悠によって落とされる。

 そしてほんの僅かな攻防は全て封殺されて、猗窩座は地面に押し倒される。

 自分たちの全体重を掛けてその頸を落とさんと死力を尽くす二人の柱によって、猗窩座の頸はもう三分の二が斬られていた。

 斬られた端から再生させて繋ごうにも、『赫』に変化した日輪刀で斬られたからなのか焼け付く様に痛む頸の再生は進まない。

 四肢を奪われても鍛え上げた全身の筋を使って跳ね起きようとするも、その抵抗は地に深く縫い留める様に突き刺された悠の剣によって押さえ込まれる。

 

 その場の全員が死力を尽くしていた。

 死に物狂いで抵抗しようとする猗窩座も、そしてその頸を何としてでも落とそうとする四人も。

 

 そして遂に四分の三が斬り落とされ、最後の一押しの為に足を切り刻んでいたのを中断した伊之助が己の日輪刀を杏寿郎の日輪刀に叩きつけようとしたその時だった。

 

 今の今まで黒死牟を押さえ込み続けていた異形の姿が、掻き消えた。

 それと同時に、自由になった黒死牟の斬撃が周辺一帯を蹂躙する。

 

 猗窩座も漏れなく切り刻まれたが、しかし黒死牟の斬撃は猗窩座にとっては瞬時に修復出来るものであり、何よりもその隙に四人からの拘束を抜ける事が出来た事の方が重要だった。

 両足を素早く再生させて跳ね起きるようにして地に縫い留められていた所を無理矢理引き千切って抜け出した為胴体は半ば裂けているが、それも直ぐに直る。

 斬られた腕はどうにか再生し、それで己の頸深くに食い込んだ杏寿郎の日輪刀を引き抜いて投げ捨てる。

 

 悠は……この場に於いて最も脅威的な『化け物』は。

 黒死牟の斬撃と猗窩座の一撃から三人を守った事で既に限界に達したのか、更に息を荒くしてただ己の意思一つで立ち続けているかの様に猗窩座と黒死牟を油断無く睨んでいた。

 その身体に傷は無いが、間違い無く限界だ。

 しかし、荒く獣の様に息をするその眼は再び金色に侵食され、先程感じた恐ろしい何かの気配が漂い始める。

『化け物』から、『化け物』ですらない【何か】へと変わろうとするそれを、そうなる前に殺してでも止めなければと。

 そう覚悟したその時だった。

 

 悍ましい程に恐ろしく圧倒的な気配が、一気に霧散して。

 何があったのか分からないが、悠は驚いた様にその目を丸くする。

 そして、荒かった息を整えながら僅かに微笑み。

 そして、その微笑みが僅かに歪んだかと思うと。

 

 

「マガツイザナギッ!!」

 

 

 そう悠が吼えた瞬間に。先程使役していた異形に良く似た外見の、しかしその気配などは全く違う赤黒い異形が新たに現れて。

 そして。

 

「──マガツマンダラ!!」

 

 まるで闇を煮詰めた様な禍々しい渦に、黒死牟と共に、回避する暇すら無く猗窩座も呑み込まれた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 思い出すのは、何時だって痩せ細ったその身体だ。

 物心ついた時には、俺には親父しか居なかった。

 そして、その時から既に病魔に侵されていた。

 

 病気の所為で満足に働く事が出来なかったから、俺たちは物凄く貧乏であった。薬を賄う為の金なんて何処にも無い位に。

 貧乏自体は辛くは無かった。俺には親父が居たからだ。

 親父の看病をする事も辛くは無かった。俺はどうやらうんと辛抱の効く丈夫な身体で生まれてきたらしく、小さい頃から看病を苦とも感じなかった。

 だけれども、貧乏だから親父の為の薬を買う事が出来ない事、貧乏だから痩せ細っていく親父の為に何か精がつく物を食わせてやれない事。

 この二つは、どうしようも無い程に辛かった。

 

 俺には金が必要だった。

 しかし子供の俺が稼ぐ為の方法なんて無かった。

 腕っ節には自信があったが、かと言って用心棒などで稼げる訳でもなくて。

 俺は掏摸などをして金を得ては親父の薬を賄っていた。

 何度も奉行所に捕まって刑罰を受けた。

 掏摸の罪を示す刺青は両腕に三本も入れられた。

 それでもだから何だと思った。

 それ以外に金を得る方法が……親父の薬を得る方法が無かった。

 物乞いをしたところで、薬を得る為の金には到底足りない。

 

 この世には神様も仏様も居なくて、苦しんでいる誰かを救ってくれる人なんて居ない。

 自分たちで足掻くしかないからこそ。

 俺は自分に出来る精一杯をしたかった。

 

 親父を治してやりたかった、助けてやりたかった。

 一番苦しんでいるのに、「申し訳ない」だなんて言わせたくなかった。

 それだけだ、それだけだったのに。

 

 だが、親父は首を吊った。

 俺が掏摸で薬代を賄おうとする事に耐えられなかったらしい。

 その遺書には、「申し訳なかった」と、「真っ当に生きろ」と遺されていた。

 

 貧乏人は生きる事すら許されないのかと、貧乏なら病を得れば死ななければならないのかと。

 心は荒んだまま、所払いを受けて俺は流れ続けた。

 

 親父は何も悪くなかった。何も悪い事なんてしちゃいなかった。

 それなのに、病気だったら死ななけりゃならないのか、苦しいのに周りに「申し訳無い」だなんて思わなきゃならないのか、「迷惑をかけている」だなんて感じなきゃいけないのか。

 クソッタレた世界で、何の意味も目的も無いままに、俺は荒れ狂っていた。

 神様や仏様ってのが本当に居るのなら、それは性悪を極めた様な存在なんだろうと思った。

 生きていても救われない、でも死んだからって救われる訳じゃない。

 この世界そのものが地獄の様だと、そう思っていた。

 

 そんな日々を過ごしながら数年が経ったある日、俺は師範に出会った。

 

 何時もの様に荒れていた俺は、町の荒くれ者たちと殴り合いになっていて。

 襲ってきた相手を全員を叩きのめしたのだが、そこにひょっこりと現れた師範によって一撃で叩きのめされて。

 そして気付いたら弟子と言う事で師範の道場に引き取られる事になった。

 そしてそこで、師範の娘の看病を依頼された。

 それが恋雪さんとの出会いだった。

 

 恋雪さんは、本当に病弱だった。

 一日の大半を臥せっていて付きっきりで看病する事もしょっちゅうで、少し動いただけで喘息の発作を起こしてしまう。

 俺が道場に引き取られる少し前に、母親が看病疲れの末に入水してしまった程だった。

 とは言え、俺は親父の看病で慣れていたし特には苦とも思わなかった。

 恋雪さんも、親父と同じく、やたらと謝る人だった。

 病に苦しむ人は皆そうなのか。

 苦しんでいるのは自分なのだし、そもそも「迷惑だろう」と感じているそれだって出来る事なら自分の手でやりたい事の筈だ。

 息が苦しいのも自分が望んでそうなっている訳では無いのだし、どうして謝るのか。

 特に、恋雪さんは長く病床に居て気が滅入っているからなのか、会話の途中でやたら泣き出してしまうのだ。

 そればっかりは居心地が悪くなるので、少し面倒ではあった。

 

 恋雪さんの看病をしつつ、師範から素流の稽古を付けて貰って。

 そうやって日々を過ごす内に、生きる意味も目的も何もかもを見失って彷徨っていた俺の心は確かに少しずつ救われた。

 誰かを守れる事が、誰かを助けられる事が、どうしようも無く嬉しかったのだ。

 罪人の刺青が入った俺なんかが真っ当に生きられるとは思えなかったけれど。

 しかし、そうやって守るものがある日々は幸せであった。

 そしてそんな毎日が積み重なって、一年二年と過ぎ去り、師範と出会って三年が過ぎた頃には。

 出会った頃は一日の大半を臥せっていた恋雪さんも、臥せる事は殆ど無くなって、普通に過ごせる様になっていた。

 

 そして、そんなある日。

 師範から道場を継ぐ事への打診と、恋雪さんと夫婦にならないかと言う提案があった。

 最初それを聞いた時、到底信じられなかった。

 だって俺は罪人で、そんな俺がろくな人生を歩めるとは思えなかったしそんな未来を想像する事も出来なかった。

 況してや、そんな俺を誰かが好いてくれる未来なんて、尚更。

 親父が最後に願った様な、「真っ当な人生」をやり直す事が出来るのだろうかなんて淡い期待が膨らんで。

 そして、命に代えてでも師範と恋雪さんを守ろうと、そう心に決めた。

 

 ──約束をしたんだ。

 

 出会ったばかりの頃に、自分でも覚えていない様なそんな些細な約束を……来年でも再来年でも、何時か一緒に花火を見ようと交わしたその言葉を。

 恋雪さんはずっと大切に覚えていた。

 自分が生きている未来というものが想像出来なかった恋雪さんにとっては、俺の何気無いその言葉は信じられない程に嬉しいもので、それが支えになっていたのだと、そう教えてくれた。

 

 ……親父に何もしてやれないまま自殺なんて選ばせてしまって荒れていた直後の俺の、そんな何気無い言葉でも。

 そうやって、誰かを助ける事が出来ていたのかと思うと、守れたのかと思うと。

 それが堪らなく嬉しくて。そして、恋雪さんの事を一層愛おしく思った。

 だから、約束した。

 

『誰よりも強くなって、あなたを一生守る』、と。

 

 ……その約束を守る事など出来ない未来なんて、想像出来ないままに。

 

 

 正式に夫婦になる事が決まったから、親父の所に墓参りと祝言の報告に行ったんだ。

 朝に出掛けて、日が暮れる前には戻った。

 そして、その時にはもう、全てが終わってしまっていた。

 

 随分と前から素流道場に嫌がらせを続けていた隣の剣術道場の連中が、井戸に毒を入れた。

 前に色々と揉めた時に、決着を付ける為に試合をして相手として出て来た九人全員を俺が叩きのめした事でここ暫くは嫌がらせも鳴りを潜めていた。

 だから、油断していたのだ。

 いや、ここまで人の心など無いような卑劣な事をあっさりとやってしまえる様な、そんな「人間」じゃない様な存在が自分の身近に居ただなんて、そしてそれによって大切なものが奪われるだなんて。

 想像すらしていなかったと言うのが正しいのかもしれない。

 何であれ、俺は何も出来なかった。

 恋雪さんが苦しんでいる時に、師範が苦しんでいる時に。

 その傍に居る事すら出来なかった。

 命に代えてでも守ると誓ったのに。

 俺の手が届かない場所で、俺の目には見えない場所で。

 二人の命は、あっさりと奪われた。

 師範や俺と直接やり合っても敵わないからなんて、そんな理由で。

 人の命を何とも思っていないかの様に、俺の大切なものは踏み付けにされ奪われた。

 

 その後は、何とも詰まらない顛末だ。

 口先だけ立派で何も守れなかった俺は、下手人である隣の剣術道場の人間を全員殺した。

 師範に鍛えて貰った素流を血塗れにして、守る為の拳で人を殺した。

 生きていたいなんて思わなかった。

 何もかもがどうでも良かった。

 大切なものを全部喪った世界で生きていく気力なんて無くて、守りたいものももう何も無くて。

 そして、俺は鬼にされて。

 百年以上も無意味な殺戮を繰り返しながら、もう何の意味もないのに力を求めていた。

 

 余りに惨めで滑稽で詰まらない、無意味と無価値を詰め込んだ様な結末であった。

 

 

 ── どうして今更思い出してしまったのだろう。

 ── もう、今更どうにもならないのに。

 ── 死んだ所で三人と同じ場所には逝けないのに。

 

 

 赤黒い異形の操る闇に食い荒らされながら、俺は全てを思い出して怒りに震えていた。

 だが、その時。

 

 

 ━━ 狛治。

 

 

 目の前に、数百年前に喪ってしまった人の姿が。

 もう二度と呼ばれる筈の無い、今となっては誰も知らない俺の名を呼ぶその人が現れた。

 

 親父……? 

 どうして此処に? 

 出歩いて大丈夫なのか? 

 苦しくないのか? 

 

 此処にその姿がある事に驚きつつも、しかしその事に疑心は無い。

 

 おいで、と。古い思い出の扉を開く様に。

 まだ少し元気だった頃の親父が手招きをする。

 

 それを見ると、涙が溢れてきそうだった。

 親父がそこに居るだけで、もう何もかもどうでも良くなる程に。

 

 ごめん、ごめんなぁ、親父。

 俺がもっと真っ当な方法で金を稼げてれば、親父が首を吊ったりしなくても良かったのに。

 治してやるって言ってたのに、ごめん、何も出来なくて、ごめん……。

 

 まるでうんと小さい頃の様に、抱き縋る様に泣いてしまう。

 そしてそんな俺を、親父は「良いんだ」とばかりに抱き締めてくれた。

 

 ━━ 良いんだ、狛治。ありがとうなァ……。

 

 だが、俺を抱き締めてくれていた筈の親父の身体は見る見る内に痩せ細っていき、そしてその息も苦しそうなものになって遂には血を吐く。

 

 何でだ! ああっ、クソ! 

 親父、しっかりしろ、親父!! 

 俺が直ぐに何とかしてやるから……。

 

 だが、焦る俺の前で、親父は端からボロボロと崩れていく。

 いや、燃えて行く。

 まるで、地獄の業火に苛まれる罪人であるかの様に。

 

 ━━ 狛治

 

 そう言って親父は微笑みながら燃えてゆく。

 

 何でだ!!!! 

 俺が地獄に堕ちるのは分かる。

 それだけの罪を重ねてきた。

 鬼になる前も、鬼になってしまった後も!! 

 だが、親父は何も悪い事なんざして無い筈だ! 

 止めろ、止めてくれ!! 

 生きてる間散々苦しい思いをした親父をこれ以上苦しめないでくれ!! 

 

 だが、どんなに叫んでも何も出来ない。

 そして親父は燃え尽きた。

 親父の燃えカスの様な灰を掬って呆然としていると。

 

 ━━ 狛治

 ━━ 狛治さん

 

 そこには、師範と恋雪さんが居た。

 駄目だ、ここは地獄だ。

 こんな場所に二人は来ちゃいけない。

 

 だが、焦る俺の前で、二人は苦し気に血を吐いた。

 それは、その姿は。

 物言わぬ骸となっていた二人のその姿に余りにも似ていて。

 

 ━━ ……狛治さん、約束を……

 

 苦し気にその手を震わせる恋雪さんの手を取るが、しかし何も出来ない。

 鬼になった所で、他人の病苦を取り除ける訳でも無いし、毒を打ち消す事も出来ない。

 

 約束。守れなかった約束。命に代えても守ると決めたのに、誓ったのに。俺は、俺は……。

 

 腕の中で恋雪さんが息絶える。

 そして、それを苦しみと共に見ていた師範も程無くして息絶えた。

 

 

 ふと気が付けば、また親父が目の前に居る。

 そして親父はまた死ぬ。

 恋雪さんと師範が現れる。

 だが、俺は何も出来ないまま二人は死ぬ。

 

 親父が死ぬ、恋雪さんが死ぬ、師範が死ぬ、親父が死ぬ、恋雪さんが死ぬ、師範が死ぬ、親父が死ぬ、恋雪さんが死ぬ、師範が死ぬ、親父が死ぬ、恋雪さんが死ぬ、師範が死ぬ、親父が死ぬ、恋雪さんが死ぬ、師範が死ぬ、親父が死ぬ、恋雪さんが死ぬ、師範が死ぬ………………。

 

 大切な人たちの「死」が無限に繰り返される。

 これは地獄か? 俺は地獄に堕ちたのか? 

 そして、「死」が繰り返され続ける親父や恋雪さんや師範はどうしてこんな地獄に居るんだ? 

 まさか、俺の所為なのか? 

 俺が鬼になって罪を重ね続けたから、こんな事になっているのか? 

 だが、恨み言を言われるならまだしも、誰も俺を責めたりしない。それが尚の事俺を責め立てる。

 

 目の前には、かつて井戸に毒を入れた剣術道場の奴等が居る。

 殺さなきゃ。

 こいつ等を殺さなきゃ、師範と恋雪さんを守れない。

 守らなきゃ、守るんだ。

 今度こそ、命に代えてでも。

 

 拳を握り締め、それに殴り掛かる。

 すると、全身が瞬時に切り刻まれる。

 だが俺は鬼だ。この程度問題にもならない。

 瞬時に回復させながら斬撃の嵐を切り刻まれながらも突破して、その頭を渾身の力で殴って砕く。

 だが、相手も地獄に堕ちた者同士、その程度では止まらない。

 だが、それがどうした。

 今度こそ、守らなければならない。

 

 そうだ、守るんだ、守れ、守れ、今度こそ。

 

 鬼となり虚ろに無意味に鍛え続けていた拳を握りしめて。

 俺は目の前の敵全てを討ち滅ぼさんと拳を振るった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【猗窩座】
原作本来のそれと比べると、無惨汁ボーナスでとてつもなく強くなっている。鬼殺隊側が原作通りの戦力で無限城の戦いに挑んだ場合、猗窩座一人に鬼殺隊が全滅する可能性がある程に。
だが、無惨汁で強化出来るのはあくまでも「肉体」のみ。その「精神」──「心」に関しては強化される事は無い。
禍津の闇の中で、人であった時の己の記憶を全て取り戻した。
なお、「混乱」・「恐怖」・「絶望」の全部盛り欲張り特別セット状態になって錯乱中。


【黒死牟】
原作本来のそれと比べると、無惨汁ボーナスでとてつもなく強くなっている。原作で言う所の薬によって弱体化した無惨と同等かそれ以上の強さにすら至っている程。
だが、無惨汁で強化出来るのはあくまでも「肉体」のみ。その「精神」──「心」に関しては強化される事は無い。
禍津の闇の中でどの様な地獄を見たのか、それを知るのは黒死牟本人のみである。


【童磨】
鬼と知っても童磨に縋ろうとする万世極楽教の信者を食べつつ、無限城では無いとある隠れ場所で療養中。
ちなみに、「本物の神様に会わせてあげるよ!」と言う建前で信者を食っている。
無惨様におねだり(実質脅迫)しまくって、無惨様通信越しに玉壺戦の辺りからずっと悠の戦いを観戦していた。悠がペルソナの力を使う度に大歓声を上げている。
黒死牟が最初の遭遇時に頸を斬られた時も、怒り狂う黒死牟に構わず延々と悠の話を聞き出そうとして、最初はキレていた黒死牟も常軌を逸したしつこさに次第に、「コイツに関わるのはヤバイ……」と思われる様になった。
尚、精神バステは色んな意味で意味が無い。


【鬼舞辻無惨】
悠の事を、恐るべき脅威であると同時に、求め続けてきた「太陽を克服する鬼」になる逸材だと半ば確信している。
悠は縁壱以上にこの世の理の外側の『化け物』ではあるが、黒死牟とのファーストコンタクト時の出来事から、縁壱とは違って物凄く付け入る隙が多い事も知って、捕獲出来ると確信している。
なお、悠が何をしようが絶対に鬼にならない存在だとは知らないし多分最後まで気付かない。
上弦たちの視覚を監視しながら戦いを観ていたのだが、規格外の『化け物』である悠だけならまだしも、無一郎や煉獄さんまでもが赫刀に達し、更には半天狗戦の方でも赫刀モドキを使う者達が現れた事に戦々恐々となる。
そして悠の攻撃を食らった直後に、監視していた猗窩座の視界も黒死牟の視界も滅茶苦茶な事になり、思考を覗こうにも支離滅裂で滅茶苦茶な上に無惨様通信すらもマトモに機能しなくなったので何が起きたのか大混乱中、そしてその繋がりを逆走するかの様に「マガツマンダラ」の影響が波及して来た為、一時的に不定の狂気状態に突入した。


【鳴上悠】
当人が自覚している以上に、ありとあらゆる意味で危険。
世界を滅ぼさんとした『人々の総意』を己の力で覆し、新たなる「創世」すら成し遂げ得ると言う事は、裏を返せばその身一つで世界を滅ぼしてしまう事も可能であると言える。
【宇宙】に辿り着き「大いなる封印」によって己が宇宙に「死」を眠らせると言う、生命が誕生して以来の空前絶後の『奇跡』を成し遂げた【彼】のそれには少し及ばないが。
しかし、【世界】に辿り着いた悠が【彼】にすら比肩し得る存在である事には変わらない。
ただし、日常を生き日常を愛し日常を守る為に戦う悠が、その力を悪意を以て使う事は無い。
何時だってその力は、大切な誰かを守る為にある。


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『神産みが如き業』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 マガツイザナギの『マガツマンダラ』によって精神の均衡を掻き乱され狂わされた猗窩座と黒死牟は、狂乱の絶叫を上げながら滅茶苦茶に暴れ始めた。

 そしてそれは此方を狙うのでは無く、最も近くに居た互いを攻撃し始める。

 それは、酸鼻極まる光景であった。

 何の躊躇も無い全力の攻撃が、互いを削る。

 黒死牟の斬撃の嵐が猗窩座を切り刻み、しかし切り刻まれながらも恐ろしい速さで再生し続ける猗窩座は、己の胴体が泣き別れになろうが頭部を幾重にも切り裂かれようが構いもせずにその斬撃の嵐を強引に突破して、黒死牟の頭部をその拳で砕く。

 猗窩座の攻撃に負けじと黒死牟も反撃をして、そこは肉片と血飛沫が吹き荒れる血腥いにも程がある修羅の世界と化した。

 互いに上弦の鬼の中でも最上位の者である為か、削っても削っても底は見えず。終わる事の無い殺戮を互いに続けている。

 

 狂乱の殺戮に走る寸前に、猗窩座が叫んでいたものは、その心に残る大切な誰かの名前だったのだろうか。

「親父」、「師範」、「恋雪さん」……。

 猗窩座の過去に何があったのかは分からないが、禍津の闇はそれらを暴き立て猗窩座を狂わせたのだろう。

 

 ……シャドウとの戦いの中では精神異常を来す様な攻撃が飛び交う事はよくある事で。

 実際に何度も食らってきたが、あれは本当に最悪な気分になる。

 猗窩座や黒死牟がどの様な地獄を見ているのか自分には分からないし、そもそも何を見るのかを決めるのは恐らく自分自身なのであって此方が押し付けている訳では無いのだが。

 猗窩座の喉から迸ったその余りにも深い絶望の慟哭には、相手が鬼であり数多の人々を殺し続けてきた存在だとは分かっていても、どうしても胸が苦しくなった。

 自分でやっておいてと、我が事ながらに身勝手な感傷ではあるけれども。

 鬼だからと言って、徒にその心を壊す様な真似はやはり慎むべきである。鬼は、かつては人だった者なのだから。

 しかしだからこそ、狙い通りに「同士討ち」を始めたからこそ。

 次なる一手を打たねばならない。

 そうでなければ、徒にただ心を弄んだだけになってしまう。

 

 精神に異常を齎す力ではあるが、これは永続的なものでは無い。

 一時的なものであり、そうであるならば正常に戻った時にはより一層の殺意と共に此方を攻撃してくるだろう。

 ならば、その前に今度こそこの上弦の鬼たちをどうにかしなくてはならない。

 だが、錯乱しながら互いに殺し合い続けている猗窩座と黒死牟ではあるが、そこに近付けば今度は此方もその暴威の対象になるだけである。

 接近して頸を落とすと言うのは、この状況下ではかなり難しい。

 そして、善逸と獪岳との絆が満たされて回復したとは言え、万全の状態には程遠く、夜明けまでこの二体を相手にダラダラと戦い続ける事は難しかった。

 だからこそ、ここで決めなければならない。

 

 

「あれは一体どうなっているんだ……?」

 

 狂乱しながら修羅の世界で互いを食い合っている猗窩座と黒死牟から巻き込まれない様にと距離を取って。

 煉獄さんは目の前のその光景の意味が分からないとでも言いた気に困惑する。

 そしてそれは無一郎も伊之助も同じであった。

 まあ三人からすれば、猗窩座と黒死牟が突然発狂して互いに同士討ちを始めている様にしか見えないのだからその反応も無理は無いが。

 

「今あの二体は、錯乱して敵や味方のその区別も付いていない状態なんです。

 同士討ちをしてはいますが、仲間割れをしていると言う訳ではなく……。

 恐らく、互いを正常に認識出来ていないだけかと。

 なので、不用意に近付くと当然俺たちもあの攻撃に晒される事になります」

 

 そう簡単に説明すると、戸惑ってはいたが何となくは理解して貰えた様だ。

 

 獣の様に吼え、憎悪と共にその拳を叩き付ける様に揮う猗窩座と。

「縁壱!!!」と、縁壱さんの名前を呼びながら狂乱した様に攻撃を続ける黒死牟と。

 一切の躊躇無く己の全力を尽くしての「殺し合い」となったその両者の戦いは終わりが見えない。死ぬ事の無い鬼同士の戦いは、まさに「不毛」の一言だ。

 首が千切れ飛ぼうとも、手足が潰れようとも、身体が幾重にも刻まれようとも、腸をぶちまけながらも。

 手足を喪ったとしても首だけでも喰らい付こうとする程に鬼気迫る様子で、互いに修羅と化している。

 しかし、まさに「不毛」な戦いではあったが多少の変化はあった。

 

 様々な感情と共に縁壱さんの名を呼び続けている黒死牟の姿が、徐々に『人』の形のそれに回帰しつつあったのだ。

 身体中から触手や触腕の様な物を生やし、虫かなにかの様な節くれだった腕を増やし、全身から刀身を生やしていたそれが。

 増えていた腕は猗窩座に吹き飛ばされた後で再生せず、うねりながら四方八方に斬撃を発生させていた触手や触腕は猗窩座に引き千切られた後は数回再生しつつもそれ以降はもう生えて来ず。

 互いを壊し合う内に、黒死牟は随分と『人』の様な形に戻っている。

 狂乱した様に縁壱さんの名を呼んでいるのを見るに、今の黒死牟には全てが縁壱さんに見えているのだろうか? それとも縁壱さんを脅かそうとする敵に見えているのだろうか。

 それは分からないけれど、黒死牟にとって「縁壱さん」が鬼と化しても消える事無くその根底に存在する者である事は確かなのであろう。

 

 折角送り込んだ上弦の鬼たちがこの様な状態になっていると言うのに、鬼舞辻無惨からの動きは無い。

 二体を回収する為にあの常夜の根城に通じる襖や障子が現れる気配は無く、琵琶の音も聞こえない。

 この状況は鬼舞辻無惨にとっても想定外と言うか……歓迎出来ないものであるとは思うのだが。

 監視している筈なのに、気付いていないのだろうか? 

 それともまだ静観するつもりなのだろうか。

 ……まあ、それならそれで構わない。

 鬼舞辻無惨が()()()()()()()()()()()を作り出すまでである。

 万が一最後まで静観を決め込んだとしても、上弦二体を消し飛ばせるなら十分にお釣りが来るだろう。

 

 …………そうなった場合、黒死牟の頸を斬るのだと意気込んでいた炭治郎には少し申し訳無い事になるが。

 しかし、まあ炭治郎としても黒死牟の頸よりも鬼舞辻無惨の命の方が優先度は高いので、誠心誠意謝れば許してくれるのではないだろうか。

 何にせよ、今ここで黒死牟と猗窩座の同士討ちをのんびりと見守っている訳には行かないのだ。

 

 

 暴れ回る鬼たちを拘束する事は非常に困難であるが、かと言ってその動きを止めずに『メギドラオン』などで焼き払おうとした所で回避されるか討ち漏らす可能性は高い。更に言うと、回避される前提で広範囲を殲滅したり、或いはあの広大な異空間を消し飛ばす事が前提の力となると、この人里離れた山奥と言うこれ以上に無い条件が揃っていてさえどれ程の被害が出るか分からない。

 なら、多少乱暴な方法だとしてもどうにかしてあの二体の身動きを止めなければ。

 そして、その手段は既に思い付いている。

 ……ただ、それはどう考えても常軌を逸した、まさに『化け物』だとかの様な力ではあるけれど。

 しかし、少しでも被害を抑えつつ、確実に全員無事にこの場を乗り越える為には必要な一手だ。

 躊躇ってなど居られない。

 

 

「絶対にそこから動かないで下さい」

 

 三人にそう警告する。巻き込まない様に最大限気を付けるが、しかしそれも完全では無い。

 そしてもし万が一にも巻き込んでしまえば、鬼である猗窩座や黒死牟はともかく、『人間』である三人は即死するだろう。

 真剣なこちらの様相に、何かただ事では無い事が起きようとしている事を察したのか、煉獄さんだけでなく無一郎と伊之助も何処か緊張した様に頷く。

 それを確認してから、精神を集中させてペルソナを呼び出した。

 

 

「セト!!」

 

 エジプト神話の、嵐を司る邪神。しかし同時に太陽神であるラーを、堕ちた太陽であるアポピスから守る側面も持つ神。

 大きな翼を備えた巨大なドラゴンの様な姿をした【月】のアルカナのペルソナは、姿を現すと同時に吼える様にしてその力を最大限発揮する。

 

 ペルソナを召喚して全力で放った『マハガルダイン』は、その山肌ごと猗窩座と黒死牟を地表からもぎ取る様にして、一瞬で遥かな上空にまでかっ攫った。

 被害を抑える為に瞬間的に吹き荒れた豪風であっても、その余りにも強烈過ぎる風は地表にあった全てを、土塊も岩も大木もその一切の区別無く根刮ぎ剥ぎ取っていく。

 一瞬で、山自体が削れた。

 ……もしこれを市街地などで引き起こせば一瞬で街が消えてしまうだろう。この場所だから出来る事だった。

 余波の様に此方の方にも木々を薙ぎ倒しへし折る程の凄まじい暴風が吹き寄せるが、セトの身体自体を壁の様にする事で三人は無事だ。

 大量の土砂や岩や大木が恐ろしい程の風速と風圧の中でかき混ぜられ、それらに打ち据えられた黒死牟と猗窩座の肉体が恐ろしい勢いで削られては即座に再生していくのが、遥かな上空に見える。

 重たい岩や大木は吸い上げられて少しすると、重力に引かれて地表に落下して砕けていく。

 しかしそれらに比べれば質量的には軽い猗窩座と黒死牟は未だ空高くに居る。

 猗窩座と黒死牟が、その衝撃に正気に戻ったのかそれとも未だ狂乱の中にあるのかは此処からでは分からないが。

 しかし、ろくな足場など無い空中では殆ど何も出来ない。

 突然翼が生えて空を飛べる様になる訳でも無いので、後は重力に引かれて墜ちるだけだ。

 どれ程斬撃を放とうが、或いはその拳を振るおうが。どうする事も出来ない。

 そうやって乱暴ながらも猗窩座と黒死牟の身動きを制限し、その次の為に更にペルソナを切り替えて召喚する。

 

 

「ルシフェル!!」

 

「明けの明星」の異名を持つ、強大な天使。

 己の主である唯一神への反逆者。

【星】のアルカナの最上位のペルソナを呼び出して。そしてその力の照準を、上空から為す術なく落下する黒死牟と猗窩座に合わせた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 カミナリと無一郎と一緒に、魚だか蛇だか百足だかよく分かんねぇ位に気色悪い鬼を倒した直後に現れたのは。

 かつて一度戦った……いや戦う事すら出来なかった、全身に刺青をした上弦の参だか何だかっていう鬼だった。

 あの時ですら次元が違う強さを前にして俺は何も出来なかったってのに、再び現れたアイツは、ギョロギョロ目ん玉と戦ったその時よりもずっと強くなっていた。

 同じ空間に居るだけでビリビリする位に、ヤベェ強さが伝わってくる。

 そして現れたのは上弦の参だけじゃなくて、六つ目の鬼もその場に一緒に現れた。

 上弦の参もヤベェ鬼だが、六つ目はそれよりも更にヤベェ。

 上弦の壱だって証をそのギョロ目に刻んだソイツは、今まで戦ってきたどの鬼も相手にならねぇ位に、桁外れに強い。

 一瞬でもソイツから意識が外れた瞬間に死ぬって分かる位に、殺気がビンビンしてやがる。

 あの気色悪い壺とは、強さの次元が文字通り違っていた。

 息をする事すら忘れてその動きに集中しなきゃ、次の瞬間に首が落ちてても俺は気付けないかもしれない。

 

「絶対に勝てない」「絶対に死ぬ」

 

 鍛え上げた本能が、そう耳元でがなり立てる。

 万に一つも勝ち目は無い。

 横に居る無一郎も、身動き出来ないまま、その柄に添えた手は震えてる。

 柱って凄ェヤツらの一人である無一郎ですら、「勝てない」と悟らざるを得ない相手。

 それが、上弦の参と上弦の壱って鬼だった。

 

 だが、カミナリはそれにビビる事無く相対して、そして『イザナギ』ってヤツを呼び出した。

『イザナギ』は強ぇ。俺には分かる。

 今目の前に居る鬼たちより、強いかもしれねぇ。

 強さが凄過ぎるとそれがどんだけ強いのかは分からなくなってくるが、『イザナギ』の強さは多分それだ。

 

 そして、カミナリも強ぇ。

 カミナリは俺の子分だが、子分でも俺より強ぇ。

 普段は弱っちいのに、戦う時は物凄く「強い」気配を感じる。

 負けてらんねぇと鍛えてるが、まだカミナリの強さには追い付けてねぇのも分かる。ちょっと悔しい。

 

『イザナギ』とカミナリが、六つ目鬼と刺青鬼の攻撃を受け止めて防ぐ。

 滅茶苦茶な範囲を切り刻む斬撃や、目で追えない位の速さで叩き込まれる拳や蹴りを、カミナリたちは一生懸命に防ぐけど。

 でも、全部を防ぎ切れている訳じゃなくて一部は防ぎ零してしまう。

 そしてそんなちょっとの攻撃だけでも、滅茶苦茶にヤベェ。

 特に六つ目鬼の斬撃は、細かい斬撃が纏わり付いててそれが物凄く危ねぇ。

 何時もの調子で避けてると、ザックリやられちまう。

 俺と無一郎はそれを避けたり防いだりするだけでもかなり手一杯だった。

 カミナリと『イザナギ』が居なきゃ死ぬ事は、言われなくても分かっている。

 

 防戦一方になりつつあったが、どうにかカミナリが刺青鬼の僅かな隙を突いて吹き飛ばして、六つ目鬼の頸を狙える状況にまで持ち込んだ。

『イザナギ』の持つ不思議な力で何時も以上に力が増えて素早く動ける様になった俺たちは、六つ目鬼の滅茶苦茶ヤベェ攻撃のその隙間に滑り込む様にしてどうにか頸を斬れる位置にまで近付いて。

 それで、無一郎の赫い日輪刀が六つ目鬼の頸を斬ろうとしたその時だった。

 ()()()()()()()()()()、「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最早無意識の反応で思いっ切り後ろに飛び退いたが。

 それでも、到底間に合わなかった。

 

 無数の斬撃に、全身を切り刻まれる。

 滅多斬りよりも更に細かく切り刻まれて。

 絶対に死んだ、と。そう覚悟したのに。

 

 それでも俺は生きていた。

 誰よりもその近くでその斬撃の爆発を受けた無一郎も。

 生きているどころか、傷一つとして無い。

 確かに全身を切り刻まれたのに。

 そして──

 

 

「っ……!」

 

 辛そうに、カミナリがその息を荒くする。

 血の匂いはしない。負傷は無い。

 だが、今の攻撃はカミナリを確実に削った。

 ここまで辛そうに息をしているカミナリを見るのは、初めてであった。

 誰に言われずとも半ば確信する。

 俺たちは、カミナリに守られたのだ。

 そして、その所為でカミナリは限界に近くなっている。

 

 気でも狂ったかの様に、全身から刀を生やしたヤベェ姿になった六つ目鬼は、またあの凄まじい斬撃を生み出そうとした。

 が、それは『イザナギ』が飛び掛かる様にして抑え込む。

 何とかヤベェ斬撃は『イザナギ』がその身体を以て防いでいるが、それに抵抗するかの様に六つ目鬼はどんどん異形の姿に変わっていく。

 

 そして、そんな不味い状況なのに、カミナリによって吹っ飛ばされていた刺青鬼がまた舞い戻って来て、より一層苛烈に攻撃を仕掛けてきた。

 刺青鬼がヤベェ存在なのは、嫌って言う程分かる。

 正直俺が百回戦ったとして、百回殺されて終わるだけだろう。

 絶対的に、俺で勝てる相手じゃ無かった。

 

 でも、カミナリ一人に任せてはいけない。

 怪我は無いのに酷く辛そうなカミナリは、もう殆ど限界だった。

 俺はカミナリの親分なのだ。親分なら、子分を守ってやらなきゃなんねぇ。

 第一、相手がどんなに強かろうと、ここでビビってひよるのは俺じゃねぇ。そんな紋逸の弱味噌の考えが移った様なのは俺じゃねぇんだ。

 

 無一郎も同じ様な考えだったのか、カミナリに集中していた攻撃の幾らかを引き受けようと戦っていた。

 だが、刺青鬼は俺以上の感覚でも持ってるのか、恐ろしく殺気に敏感で、攻撃が全然当たらねぇどころかそれに合わせて強烈な反撃を仕掛けてくる。

 

 そんな中。既に限界で力尽きる寸前にも近くなっていたカミナリの気配が変わった。

 その瞬間。

「駄目だ」って、腹の底から全身が震える程の衝撃が走った。

 カミナリが消えちまう様な気がした。何処か遠くへ行ってしまう様な。このままだと()()()()()()()()()()()って、そう分かっちまう。

 でも、俺にはどうにも出来なかった。

「止めろ」って叫びたいのに。

 刺青鬼の拳はもう目の前に迫っていて。それに反撃するかの様に、何かをしようとするカミナリを止めきる事なんて、瞬きよりも短い時間の中じゃ出来る筈も無くて。

 

 だが、そんな胸がギュウギュウと痛くなる様な瞬間は、その場にギョロギョロ目ん玉が駆け付けてくれた事で永遠に訪れなかった。

 前に一緒に戦ったその時より更に一層強くなっていたギョロギョロ目ん玉は、刺青鬼の攻撃にも負けずにそれを全部防ぎ切って。

 そして、刺青鬼の頸を斬るべくその場の全員で奮闘した。

 俺も、刺青鬼の足を斬っただけだったが、それをどうにか手助け出来たのだけれど。

 しかし、後少し、本当に後少しの所で。

 

 カミナリが今度こそ本当にほぼ限界を迎えたのか、『イザナギ』の姿が消えて、六つ目鬼が自由になってしまった。

 

 再び俺たちはカミナリに守られたけれど、もうカミナリが限界なのは誰の目にも明らかで。

 そして、俺と無一郎とギョロギョロ目ん玉では、六つ目鬼と刺青鬼を同時に相手をする事は不可能だった。

 

 まさに絶体絶命の危機に、カミナリはまたさっきの様に何かをしようとする。

 でも、カミナリが何か『()()()()』になってしまおうとしたその瞬間。

 

 ふとカミナリが驚いた様に目を丸くしたかと思うと、荒かった息が鎮まる。

 そして、少し泣きそうな顔で微笑んだかと思うと。

 

 

「マガツイザナギッ!!」

 

 

 そう叫ぶ様に、色が変わった『イザナギ』を呼び出した。

 でも何だか色以外にも色々と『イザナギ』とは違う気がする。

 何と言うのか、『イザナギ』の気配がカミナリにそっくりだとすると、この赤黒い『イザナギ』は何だかちょっとスレた感じがした。

 

 そして、新たに現れた赤黒い『イザナギ』が何か真っ黒でヤバい感じがする渦を巻き起こしてそこに六つ目鬼と刺青鬼を閉じ込めたかと思うと。

 その渦が収まった途端に、六つ目鬼と刺青鬼が互いを攻撃し始めた。

 

 何かよく分かんねぇけど、滅茶苦茶に叫んだり吠えたりしてる。

 何の手加減もない、「本気」の殺し合いは山でよく見た縄張り争いだとかのそれを遥かに凌駕していて。

 自分がどうなろうとも相手の息の根を止めるまで絶対に止まらない感じのそれは、「生き物」が己の生存の為に行う戦いとしては随分歪なものに見えた。

 突然の意味の分かんねぇ光景に、俺だけじゃなくて無一郎もギョロギョロ目ん玉も驚いたけど。

 どうやらカミナリが何かした事によって、鬼たちは互いを正しく認識出来てないらしい。

 

 ただ、離れてる俺たちが狙われないのは良い事だが、別に俺たちを味方だとか思ってる訳じゃなくて近付いたら普通に攻撃されるし、あんなヤベェ殺し合いの中に飛び込むなんてただの自殺だ。

 とは言え、頸を斬るには近付かないといけねぇのだけれど。

 

 そんな中、誰かの名前を叫びながら戦っている鬼たちを何処か哀しそうに苦しそうに見ていたカミナリは、何かを決めたかの様な顔をする。

 そして、俺たちに絶対にその場から動くなと言って。

 

 物凄く大きな翼の生えた真っ黒な蜥蜴みたいなものを呼び出した。

 そして、その蜥蜴は俺たちを守るかの様にその大きな身体で鬼たちとの間で壁になって。

 その直後、蜥蜴が轟く様な咆哮を上げた瞬間に、耳が潰れそうな程の風の唸り声が周りを吹き荒れた。

 蜥蜴の身体が壁になって俺たちの方に風は吹き付けて来なかったけれど、ふと横を見ると、ぶっとい木が風に押し倒される様に折れたり曲がったりしている。

 以前に鬼を斬った後に暴れ回ったヌシを止める為に吹き荒れた風を遥かに超える暴風が、鬼たちごと文字通りに山を削り取った。

 

 そして、凄い音を立てながら吹き荒れた風によって吸い上げられていた木々や岩が、そのまま地上に雨の様に落ちてきては砕けていく音が響く中。

 カミナリはデカい蜥蜴を消して、そしてまた別の何かを呼び出す。

 それは、鬼みてぇな角が生えて、そして六枚の翼を持ったデケェ男みてぇな姿の何かだった。

『イザナギ』も底が分かんねぇ強ぇけど、その羽根男もヤベェ強さなのがビリビリ伝わってくる。

 そんな羽根男は、暴風に攫われて上空から落ちてきている鬼たちを狙うかの様にその手を向けた。

 

 カミナリは、「何か」を待っているかの様に物凄く集中していた。

 そして、周りが歪んで見える程に、途轍も無く強い力が羽根男を中心に集まっているのを感じる。

 そんなものが直撃すれば、上弦の鬼だろうと何だろうと六つ目鬼も刺青鬼も灰も遺さず消し飛ぶんじゃねぇかって思う位に、凄まじい力だった。

 

 

 その時、六つ目鬼と刺青鬼が現れた時にも聞こえた不思議な音が聞こえたかと思うと。

 鬼たちが落っこちていく先に、空中なのに突然襖が現れてそれが開く。

 

 そしてその瞬間。

「待ってました」とばかりの笑みを浮かべて。

 遥かな上空に居る鬼たちに届く様にと、カミナリは腹の底から力を入れた様な全力の大声で叫んだ。

 

 

 

「鬼舞辻無惨!

 お前は、『青い彼岸花』を捜しているんだろう!?

 なら、俺を捕まえてみるんだな!!

 ただし、俺にとっては『青い彼岸花』なぞ心底どうでもいい物だ!!

 俺の寿命が尽きるのを待とうとするなら、即刻全て根絶やしにして処分させて貰うとする!!」

 

 

 

 カミナリが言っている意味は分からないが、その言葉を聞いた瞬間、六つ目鬼と刺青鬼が驚いた様に身を固くしたのが見えた。

 そしてその直後。

 六つ目鬼と刺青鬼が落ちて行ったその襖が閉じるよりも前に。

 

 

「──明けの明星!!」

 

 

 そうカミナリが吼えた瞬間に。

 まるで夜空に輝く星が直接落ちて来たかの様な光がその襖の奥へ轟音と共に落ちて。襖も何もかもが光の中に一瞬で消える。

 それは、触れた瞬間に何もかもを消し飛ばす程の圧倒的な力であった。万が一地上に落ちれば、この山どころか里の方も全部消し飛びかねないと分かる。

 それ程までに途轍もない力の塊だ。

 だが、襖の先の何処かへと完全に呑み込まれた星の光は、地上に届く事は無かった。

 

 星の光と共に上弦の鬼たちは姿を消し、そして辺りには静寂だけが残る。羽根男は星の光を落とすとほぼ同時にその姿を消していた。

 もう鬼が襲って来る気配は無い事を確認したカミナリは、漸く肩の力を抜いたかの様な溜息を零して。

 そして、力尽きたかの様にその身体をグラつかせる。

 それを素早く支えたのはギョロギョロ目ん玉だった。

 

「大丈夫か?」

 

「はい……大丈夫、です。ありがとう、ございます。

 でもちょっと、疲れてしまって……。

 炭治郎たちを、助けにいかないと、いけないんですけど……」

 

 ウトウトと、眠たい中で頑張って起きようとしているかの様にカミナリがその目を瞬かせていると。

 ギョロギョロ目ん玉は、その肩を軽く叩く様にしてカミナリを労う。

 

「そうか、なら休むと良い。

 君はよく頑張った。後の事は俺たちに任せておけ」

 

 

 ギョロギョロ目ん玉にそう言われると、カミナリは安心した様に微笑みながらこくりと頷いて。

 そして、そのままその腕に身体を預ける様にして、静かに寝息を立て始めるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
気象観測などの技術が発達した時代にやらかしていると、局地的ながら世界でも類を見ない程の異常な暴風が瞬間的に吹き荒れたと大騒ぎになっていた。
現実世界で観測された史上最大の風速は秒速105メートル、今回悠が瞬間的に引き起こした暴風は秒速200メートル。ヤバい。
鳴女が健在だと、何処でも何時でも黒死牟&猗窩座(と童磨)召喚をやらかされるだけに、悠の中での脅威度は鬼舞辻無惨を除けば鳴女が一番高かった。
『明けの明星』で無限城ごと消えてたら良いなぁ……とは思うものの、多分生きているだろうなとは判断している。
「青い彼岸花」発言に関しては別に実物が手元にある訳でも何でもないので完全にブラフだが、まあ元々自分は狙われているのだし今更狙われる理由が増えた所で……と、無限城を吹っ飛ばされた事で無惨がこのまま隠遁の一手を選ぶ位ならと言うもの。
それで釣り出せるのかどうかは不明だが、やらないよりはマシだろうと考えた。
なお、無惨への効果は抜群だ。
ただしこの直後に禰豆子が太陽を克服する模様。


【嘴平伊之助】
無一郎の事は、心の中では「無一郎」と呼ぶが、喋る時は「有二郎」だとかになる。なお、七回に一回はちゃんと「無一郎」と呼ぶ。「カミナリ」は間違えない。
元々常に上半身が裸だからか、ファイナルヌード状態のルシフェルに関しては得には何も感じなかった。


【時透無一郎】
目の前で突然鬼同士の殺し合いが始まって物凄く驚いた。
そして突然デカいの(セト)が現れたかと思うと山が削れる様に吹っ飛んで更に驚いた。
でも驚くだけで終わる。何だかんだ物凄く図太い性格なので、悠にビビったりする事は無い。


【煉獄杏寿郎】
悠の力の凄まじさは知っているが、それを直接目にしてまさかこれ程とはと驚く。でもそれだけ。
猗窩座たちが撤退する間際に悠が叫んでいた「青い彼岸花」とかって何の事?とは思ってる。
力を限界まで使って倒れた悠を背負って、半天狗と戦っている炭治郎たちの方へと向かう。


【鋼鐵塚さんたち】
ヤバい音が遠くから聞こえて来ていても鋼鐵塚さんは気付きすらせずに刀を研いでいた。
鉄穴森さんと小鉄くんは、どう考えてもヤバい音がしてるので半泣きになりそうな位怖かった。
夜が明けてから状況を確認しに行くと、何も残ってないその光景に驚愕する事に……。


【黒死牟】
錯乱していたが、摩耗していた間に喪っていた様々な思い出が鮮やかに蘇った。
縁壱への憎悪も嫉妬も執着も、その鮮やか過ぎる剣技の冴えも、それに憧れ欲した時の心も。……そして。例え哀れみのようなものが「始まり」であったのだとしても、自分が確かに幼き縁壱を慈しんでいた事も。
鬼になった際に歪んで失われてしまった、嫉妬や憎悪などの怨毒以外の感情も確かに在ったのだと言う事実を鮮やかに思い出してしまったが故に、より狂い果てる。
しかし、憧れていた彼方の太陽の如き存在を鮮やかに思い出した事で、『人』の形を喪っていたその身は再び『人』を取り繕った。
しかし未だその心は混迷の霧の中、禍津の闇を彷徨うばかりである。お労しや、兄上。


【猗窩座】
恋雪さんや師範などの事を思い出した上に錯乱した事で、もう滅茶苦茶な事になっている。
その魂に安息が訪れるのは何時の日になる事か……。


【鬼舞辻無惨】
一時的な不定の狂気からは何とか回復した。
だが、拠点である無限城が跡形も無く吹き飛び、『化け物』が「青い彼岸花」の事を把握していたと言う異常事態に手が回らない。
一瞬隠遁を真剣に考慮したが、探し求めていた「青い彼岸花」が手に入るやもしれない事と、「太陽を克服する素質持ち」と目している悠の事は諦めきれない。
取り敢えず目下の急務は拠点である無限城を建て直す事である。


【鳴女】
『明けの明星』によって無限城が全部吹っ飛んだ。
回収した黒死牟や猗窩座共々ギリギリ脱出に間に合ったが、『明けの明星』の余波によって、脱出時に空間接続していた東京郊外にある無人の森(いざと言う場合の脱出場所)もついでに吹き飛んでいる。
無人の森なので人的被害は無いが、一夜にして消し飛んだ森は後の世にも怪奇現象として記録に残る事になった。
無限城は血鬼術で維持しているものなので、鳴女さえ生きていればまた復活出来るが、自身の半身にも等しい異空間を完全に消滅させられた損害は甚大極まるもので、無惨様から血を分けて貰わなければ消滅の危機すらあった程。
再び無限城を完全に展開出来る様になるまでには数ヶ月単位で時間が必要。
悠の事は絶対に許さない。


【童磨】
悠の本気の一端を見て大はしゃぎしている。
「やはり俺の『神様』は最高だな!!!」と喜ぶそれは、現代で言う所の推し活に狂うオタクの如し。
ガチャがあれば廃課金兵になる事間違い無し。
尚、万が一にも『マガツマンダラ』の影響によって無惨が「精神の死」を迎えていた場合、悠への異常な執着が限界を超えて『この世界の心の海』に穴を空けるまでに至った童磨がこの世界の「普遍的無意識」の欠片に接触し、【ニャルラトホテプ】の一部と融合する事で、精神死して影人間の如き存在と化した無惨ごと取り込んでラスボスになった。
しかし、何処までも「生きる事」への執着が強い無惨が「精神の死」を迎える可能性はほぼ存在しないと言っても過言では無い。




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
全力状態の無惨様をP4G的にレベル表記するなら、単純なレベル自体は大体40代前半頃です。
なお、P4Gの『秘密結社改造ラボ(直斗のダンジョン)』の推奨レベルが大体50です。
生き恥ポップコーンをする前なら、悠ならば不意打ちでコンセントレイト抜きのメギドラオン一発で仕留められてしまう程度です。
最大HP自体は『クマの影』に遠く及びませんが、SPがバカ高い上に攻撃を受けるとSP消費1とか2とかで自動でHPを最大回復してくるので、一撃で体力を削り切る力があると物凄くあっさりと殺せますが、逆に言うとその最大HPを上回る火力が出せないと、日が昇るまでは何時までも終わらない戦いになります。
更に一部の有効な攻撃手段以外で一撃でHPを0にする事がほぼ不可能なので、それを持っていない場合は体感としてレベル55程度に感じます。
また、無惨の攻撃の特性上ほぼノーダメージである事が要求される為、物理無効以上が無い場合の体感レベルは60位かと。
生き恥ポップコーンをされても確実に倒すとなると、単純なレベルの問題では無くなる事も非常に厄介です。
原作の最終決戦で戦った弱体化無惨様は、レベル的には半分近くにはなってます。ただし超回復などの厄介な特性自体は普通に残ってるので体感レベルはかなり高めであり、『人間』が相手をするには手に余る存在です。

悠の八十稲羽での戦いは、ゲーム難易度で言う所の『RISKY』以上の激しく厳しい戦いの連続で、特にボス戦は事故ナギクラスを駆使してトントンと言うレベルです。
万全の状態で挑んでも仲間が全滅一歩手前まで行く事はよくある事で、「食いしばり」や「不屈の闘志」で踏み留まれた事もしょっちゅうでした。

縁壱さんはレベルで評価出来る人では無いのですが、物理攻撃が届くなら(及び有効なら)大体の相手に勝てます。
ただし、絶対に刀が届かない位置からアメノサギリに「ネブラオクルス」を連打されたりすると死にはしなくても手も足も出せないですし、そもそも物理は反射してしまう「クスミノオオカミ」などとの相性も最悪です。
「イザナミ」に関しては霧を払えない限り絶対に倒せず、また「伊邪那美大神」の「幾千の呪言」を突破するには単純な武力では敵わない為、イザナミを相手にするのも分が悪いです。


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『永き一夜の終わり』

【前回の話】
『生きていれば』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 尋常ではない程の逃げ足で逃げ回る上弦の肆の『本体』を、やっと追い詰めたと思ったら。また新たな分身が現れて。

 本当にもういい加減にしろと、その場の全員の想いが一つになったかの様な次の瞬間には、俺たちは全員その血鬼術の影響を直接受ける事となった。

 そうやって現れた赤子の様な六体目の分身は、その無力そうな見た目とは裏腹に恐ろしく強力な血鬼術を使う存在であった。

 原理は全く分からないが、その赤子の鬼が泣き喚いていると、上から恐ろしい力で押し潰されていくかの如く、満足に動けなくなる程に身体が酷く重たく感じる様になったのだ。

 

 四つん這いになる事すら難しく、やっとの思いで這う様に動く事が精一杯で。

 それですら、骨ごと潰されていくかの様な異常な力によって徐々に難しくなっていく。

 肺が押し潰され、満足に息が出来ない。

 そして息が出来ないと言う事は、呼吸を維持出来ないと言う事だ。

 この状況で、全集中の呼吸が途絶えるのは「死」を意味する。

 どうにか気合いでそれを維持しようにも、自分たちを押さえ付ける力は益々強くなっていく。

 

『本体』が這々の体で逃げ出そうとしているのが見えた。

 怯えと恐怖の匂い以外に、更にその奥から腐り切った性根の匂いが漂って来る。

 心どころか魂すら腐り果てているのではないかと思う程に、その匂いは醜悪だ。

 六体目である赤子の鬼から感じる、「己を憐れみ嘆き、そして他の一切を拒絶する」かの様な匂いがその恐ろしい程の醜悪さを裏付けているかの様だ。

 自分を「完全なる被害者」だと信じ切って、それを哀れまないもの全てを拒絶し排除しようとする。余りにも傲慢で身勝手で恥を知らないその在り方は、「こんなものにまで堕ちる位なら、死んだ方がマシ」だとすら本気で感じてしまう。

『人』と言う生き物から生まれた存在が何処まで醜悪になれるのかを突き詰めているかの様な在り方には、その腐り果てた性根を「匂い」として感じ取ってしまうだけに、こうして相対しているだけでもキツいものがある。

 

 卑怯にも逃げ続けようとする『本体』を追い掛けたいのに、赤子の鬼の血鬼術によってそれすら儘ならない。

 泣き叫んでいるその声そのものが血鬼術であるならば、どうにかしてその声を止めればどうにか動けるようになるのかもしれないけれど。しかし、そもそもマトモに動く事が出来ない状態では喉や舌を斬るなどと言った対処法は取る事が出来ない。

 そして、赤子の鬼が扱う血鬼術は、その人の動きを抑制する泣き声だけではなくて。子供の鬼が使っていた、樹の竜を操る事も出来る様だった。喜怒哀楽の鬼の力も使えるのかもしれない。

 

 樹の竜の首が、俺と善逸に迫る。

 俺たちが、『本体』を探し出す力を持っているからこそ、先にそれを潰そうと言う魂胆なのだろう。

 それは分かっていても、そして逃げなければと分かっていても。

 しかし、立ち上がる事どころか這う事も儘ならぬ程に身体は重く、どうにもならない。

 

 眼前に竜の咢が迫る。

 樹で作られたそれに獣の様な生々しさは無いけれども、しかしだからこそ何の躊躇も無く、人間の身体を押し潰すのだろうと分かる。

 

 ああ、駄目だ……! こんな所で死んでいる場合じゃないのに……! 後少しの所まで追い詰めているのに……!! 

 

 心を燃やして動こうとはしても、身体が動かない。

 迫り来る「死」をただ見詰める事しか出来なくて。

 己の視界一杯に竜の咢が迫る。

 

 だが、それに呑み込まれる寸前に。

 鬼としての身体能力で無理矢理立ち上がって飛び込んで来た禰豆子が俺を庇う。

 骨が折れ関節が軋み筋肉が引き千切れる様な音を立てながら、それを鬼としての回復力で無理矢理に無視して。

 そして、俺を庇った禰豆子の身体は、勢い良く閉じられた竜の咢によってその半身を潰されるかの様に引き千切られた。

 

「禰豆子ーッ!!」

 

 禰豆子の血が俺の全身にまるで雨の様に降り掛かる。

 必死に手を伸ばして禰豆子を助け出そうとすると。

 禰豆子はその手を掴まずに、自分の身体を噛み潰している竜の頭へと己の手を押し付けて。

 そして、自分の血を被ったその竜を、血鬼術の炎で燃やす。

 その炎は、己を拘束する竜の頭だけではなく、それを辿る様にして一気にその根元にまで燃え広がり。

 竜の首に守られていた赤子にも燃え移る。

 

 

「ギャァァァァァッッ!!」

 

 

 先程までの泣き喚くそれとは違う、苦痛への絶叫を赤子の鬼が上げた瞬間に、身体を押し付けていた恐ろしい力は掻き消える。

 燃え盛る頭から自力で脱出した禰豆子は、少し辛そうにしながらも傷付いた身体を再生させる。

 それと同時に。

 

 

「さっさと離しやがれっ!! 

 このっ!! クソッタレがァァァッ!!」

 

 玄弥がそんな雄叫びを上げながら、ミシミシと音を立てながら竜の咢を内側から抉じ開けようとしていた。

 その竜の口の端から、見覚えのある腕がはみ出ている。獪岳の腕だ。

 善逸を狙っていたその竜の首から、獪岳が善逸を庇ったのだろうか。

 そして、どうやら咢が閉じられる寸前に玄弥が己の腕を差し込んでつっかえ棒の様にしてそれを阻止したお陰で、獪岳はどうにかまだ生きている様だ。

 

「兄貴!!」

 

 身体を押さえ付ける力から解放された善逸が慌てて立ち上がって、獪岳を捕らえたその竜の頭の下顎を切り離す様にして素早く獪岳を救出する。

 玄弥の血を被っているものの獪岳の外見に大きな負傷は見られないが、竜の顎に押し潰されかけた影響で肺を圧迫されて肋などの骨を痛めたのかもしれない。

 竜の顎から解放された獪岳は、苦しそうに咳き込みつつ、微かに胸の辺りを庇っていた。

 

「っ、うっせぇ。

 兄貴って呼ぶんじゃねぇよ、善逸」

 

 そう悪態を吐くかの様に獪岳はそう言うが。

 しかし、そこに何か悪い感情の匂いは無い。

 

 どうにか全員の無事だ、と。

 そう安堵しそうになったその時。

 直接禰豆子の血を被った訳ではなかったからか、何時の間にか血鬼術の炎から逃れていた赤子の鬼が、再びあの凶悪な泣き声を上げた。

 ミシミシと音を立てて再び身体が押さえ付けられ始める。

 

「クソっ! これじゃあキリが無い!!」

 

 善逸が耳を劈く泣き声と身体を押し潰さんとする力に顔を顰めながらそう零す。

 泣き声だけでここまで強力な血鬼術を発動されてしまうのは、厄介なんてものでは無かった。

 どうにかしてまたあの泣き声を止めなければならないが、禰豆子の血鬼術を警戒してか、今度は竜の首で襲い掛かるのではなく、この身体を押し潰す血鬼術と喜怒哀楽の鬼の力で俺たちを殺す事に決めたらしい。

 大きく開けられた竜の口から、電撃と斬撃が迸る。

 身体が満足に動かない中では、それを避ける術は無い。

 しかし。

 

「本当、いい加減にしろこのクソ野郎!!」

 

 玄弥が善逸と獪岳を両脇に抱えて。

 そして、俺は禰豆子に抱えられて。

 俺たちはその攻撃を回避する。

 

 二人は無理矢理身体を動かしているらしく、その骨や関節などが絶えず傷んでいる音はしているけれど。

 しかし、それを鬼の回復力でどうにか誤魔化している様だ。

 禰豆子と玄弥は俺たちを抱えたまま、赤子の鬼から距離を取ろうとする。

 そうはさせじと、竜の首が分裂して俺たちを狙った。

 無理に動いている上に俺たちの様なお荷物を抱えた状態で鬼の攻撃を避け切る事は難しいけれど。

 

 

「皆はやらせないわよ!!」

 

 

 そこに俺たちを守るかの様に飛び込んで来た甘露寺さんの日輪刀が、その血鬼術ごと竜の首を切り刻む。そして。

 

「ここは俺たちに任せろ! お前らは『本体』を殺れ!!」

 

 何時の間にか赤子の鬼の背後から近付いていた宇髄さんが、その手元から無数の苦無を赤子の鬼に投げ付ける。

 赤子の鬼はそれに素早く反応したが、しかし投げ付けられた苦無の数が多過ぎてその全てを防ぐ事は出来ずに幾つかがその身体に突き刺さった。

 すると、まるで痺れたかの様に軽く痙攣した後に赤子の鬼はその泣き声を途切れさせる。

 その隙を見逃す事無く、宇髄さんと甘露寺さんは畳み掛ける様に赤子の鬼と周りを取り囲む竜の首を切り刻む。

 

 二人なら、あの鬼を抑え込む事も不可能じゃ無い筈だ。

 なら、俺たちは俺たちの出来る事を成し遂げなくてはならない。

 再び身体が自由になった俺たちは、甘露寺さんと宇髄さんにその場を任せて、再び『本体』を追い掛けた。

 

 匂いと、そして音と。

 俺と善逸で協力しつつ全力で逃げ隠れしている『本体』を追い掛ける。

 何処に逃げようが隠れようが、もうあの不快極まりない匂いは絶対逃さない。

 善逸も、今まで見た事が無い程に真剣な顔で集中して『本体』を追い掛けていた。

 そして。

 

 

「「──居た!!」」

 

 

 声を上げたのは善逸とほぼ同時だった。

 草葉の影に潜んでいたその醜悪な匂いの元は、再び俺たちに見付かった事を悟って、あの不快な悲鳴を上げて全力で逃げる。

 だが、逃さない、絶対に。

 夜明けを迎えるまでも無くその頸を斬り捨てる。

 

 真っ先に動いたのはやはり善逸だ。

 今まで見た事も無い様な速さの霹靂一閃で飛び出す。

 だが、善逸の狙いは『本体』の頸では無い。

『本体』を追い越した善逸は、追い込む様にその行く手を遮る。

 それに何の疑問も持たず善逸を避ける様にして曲がろうとしたそこに、善逸と同じ雷の呼吸の凄まじい速度で駆け出した獪岳が回り込む。

 そして、『本体』はそれを反射的に避けようとして。

 

 

「こそこそ逃げ回るのはもう終わりか?」

 

 

 追い込まれ目の前に飛び出て来た『本体』目掛けて、全力の「円舞」を放つ。

 比較的低い場所も狙えるその一撃は、『本体』の頸を正確に捉えた。

 しかし、やはりその頸は固く。

 刃先が僅かに喰い込んだだけでそれ以上は進まない。

 だが、獪岳も反対方向からその頸を狙って、その刃を喰い込ませた。

 俺も獪岳も、全力で踏ん張って、小さなその頸を斜めに叩き下ろす様に斬り落とそうとする。

 両側から頸を落とされそうになった『本体』は、悲鳴を上げていたが、もう分身を作り出す力は無いのか、新たな分身が現れる気配は無い。

 だが、俺と獪岳の日輪刀が少しずつその頸の奥へと喰い込んでいきかけたその時。

『本体』はぐるりとその頸を後ろに回したかと思うと、突然巨大化した。

 

 

「お前はああ! 儂がああああ! 可哀想だとは思わんのかァァァァアッ!!」

 

 

 そんな滅茶苦茶な事を口走りながら一瞬の内に野鼠程の大きさから八尺以上の大男の姿になった『本体』は、虚を突かれた獪岳を跳ね飛ばし、そして俺の頭を巨大な両手で掴んで握り潰そうとする。

 

「弱い者苛めをォするなああああ!!!」

 

ミシミシと頭の骨が軋む音がするが。

 

「テメェの理屈は全部クソなんだよボケ野郎がァァ!!

 被害者面してんじゃねェェェッ!!!」

 

 完全に潰される前に、玄弥が全力でその手の力に対抗してそれを防いでくれる。

 そして、善逸の霹靂一閃が鬼の両腕を斬り捨てた。

 あっさりと腕は落ち、そしてそれが回復する気配は無い。

 

「ハハッ! あんだけ分身が暴れてりゃあ流石の上弦の鬼でもバテるって事か!」

 

 それを見た獪岳が、しめたとばかりの笑みを浮かべる。

 無尽蔵にも見えたその力にも底があり、そしてもう上弦の肆も限界に近い事を理解して、尚の事此処で仕留めなければならないと決意する。

 

 巨大化した際にその頸に喰い込んだままの日輪刀を握り締めて、再びその頸を落とそうと試みた。

 巨大化した事で力を十分に入れやすくなり、そして鬼が消耗しているからなのかその頸は先程よりも柔らかく感じる。

 

「これで、終わりだ!!」

 

 力一杯に握り締めた日輪刀を一気に振り抜いて、俺は上弦の肆の頸を落とした。

 頸は地に落ちて跳ねる様に転がり、そしてその身体はよろよろと蠢き。

 丁度近くにあった崖から、その下に落下する。

 

 上弦の陸がそうであった様に、上弦の鬼は頸を斬られてからも他の鬼よりも長く身体が残るので完全に油断する事はまだ出来ないけれど。

 しかし頸を斬った以上は、これで……。

 

「終わった、……のか?」

 

 獪岳が戸惑った様にそう呟く。

 激戦の終わりがあっさりとしている事に、少し感情が追い付かないのかもしれない。

 だけれど。

 

 

「駄目だ! アイツまだ生きてる!!

 音が消えてない!!!」

 

 

 何かに気付いた善逸が、そう叫ぶ。

 それに驚いて思わず匂いを探ると。

 確かに、あの『本体』の匂いはまだ薄れる事無く存在している。

 何故、どうして。その頸を斬った筈なのに。

 

「クソッ! 舌の字が違う! こいつも分身だ!!」

 

 斬り落とした鬼の頸を確かめた玄弥がそう叫んだ。

 その言葉に一瞬目をやって確かめたそこに刻まれていたのは、「恨」。

『本体』の小さな舌に刻まれていたのは「怯」だ。

 字が違う。この鬼も分身なのか?

 なら、『本体』は何処に?

 

 混乱していると、禰豆子が焦った様に俺の服の裾を掴んで崖下を指差した。

 慌ててそこを見ると、頸を喪った鬼の身体がふらふらと動いている。

 そして、鬼がふらふらと移動していく先には。

 

「不味い……! 里の人たちが……!!」

 

 偶然その崖下が里の人々の避難路に近かったのか。

 恐らくは何処かへ避難している最中の里の人々の列があった。

 鬼の接近に気付いた鎹鴉たちが慌てた様に叫んで警告しているけれど、全員が逃げる事は出来ないだろう。

 今直ぐにでも里の人たちを助けなくてはならない。

 でも、『本体』は一体何処へ?

 

「炭治郎! アイツだ! あの身体の中の何処かに『本体』が隠れているんだ!

 身体の何処に居るのかはまだ分からないけど、あの身体の音に混じって、『本体』の音も聞こえる!!」

 

 逸早くそれに気付いた善逸はそう言うなり、身軽に崖に所々生えた木々を足場にする様にして崖を飛び降りる様にして素早く下る。

 俺たちもそれに続いて崖を下った。

 

 そして、どうにかして右腕を完全に再生させて人々に襲い掛かろうとしていた鬼のその腕を、善逸は再び霹靂一閃で斬り落とす。

 しかし、何度も全力の霹靂一閃を放った影響からなのか、その足を痛めてしまった様で踏み込んだ瞬間に善逸は苦しそうな顔をして。

 更に間の悪い事に、刃先が欠けてしまってボロボロになっていたその日輪刀が激戦の負担に耐え切れなかったのか、根元から拳二つ分程度の長さを残して折れてしまう。

 

 そして、刀を半ば喪ったも同然の善逸の頸を、不完全に再生しつつある鬼の左腕が掴んだ。

 少しでも鬼がその手に力を入れれば、善逸のその頸の骨は忽ち砕けてしまうだろう。

 一生懸命に全力で駆けても、俺の足じゃ間に合わない。

 だけど。

 

 ── 雷の呼吸って、一番足に意識を集中させるんだよな。

 

 ふと以前、任務の合間に善逸に教えて貰った雷の呼吸の極意が頭に浮かぶ。

 

 足の、その筋肉の繊維の一本一本。小さな血管の一本。それら全てに意識を集中させる様に、空気を巡らせて。

 足だけに意識を集中させて。

 力を溜めて、溜めて、溜めて──

 

 ── 一息に爆発させるんだ。

 ── 空気を斬り裂く雷鳴みたいに。

 

 まるでそれは音が置き去りにされたかの様な感覚だった。

 信じられない様な速さで、凄まじい距離を一気に駆け抜けて。

 そして、その速さを全て刀に乗せて、善逸の頸を絞めていた鬼の腕を落とす。

 

 雷の呼吸の要素を取り入れたその一撃は確かに凄い速さと威力であったが、雷の呼吸に適性がある訳でも無く雷の呼吸に適した身体にはなっていない俺には些か負担が大きくて、一気に消耗してしまった。

 それでも、間に合った。善逸を助ける事が出来た。

 善逸に教えて貰った、雷の呼吸で。

 

「炭治郎……」

 

 頸を絞められていた影響で苦しそうに咳き込みながら、善逸が俺の名を呼んだ。

 だが返事をしている余裕は無いし、何よりも此処でこの鬼の身体の何処かに潜んでいる上弦の肆の『本体』を探し出してその頸を斬らなければならない。

 

 何処だ、何処に隠れた。

 

 ただでさえ分身とは言え「同じ」鬼だ。その匂いは咄嗟には識別する事が難しい程に似通っている。

 だが、確かにその身体からあの腐り果てた性根の匂いが漂っている。

 

 匂いで捉えろ。他の全ての感覚を閉じる様に、それに集中するんだ。

 思い出せ。あの『透明な世界』の感覚を。

 限界まで研ぎ澄ませたあの感覚。匂いが世界の全ての形を教えてくれている様なそれ。体の中に流れる血液の一滴、細かな筋の収縮、その全てを知覚していたあの感覚の領域を。

 

 集中して、集中して、集中して、集中して……──

 

 

「……()()か」

 

 

 腐り果てた性根の臆病者が選んだ隠れ場所を探し当てる。

 まるでその全てを見透かしている様に、そこに隠れて身を縮こまらせて震えている姿すら把握する。

 今度こそお終いだ、見下げ果てた卑怯者。

 

 

「命を以て、その罪を償え!!!」

 

 

 鬼の身体のその心臓の中に隠れ潜んでいた『本体』の頸目掛けて、俺は全身全霊のヒノカミ神楽の呼吸と共に、力一杯に日輪刀を握り締めてそれを振るう。

 その刃は、再び『本体』の頸を捉え、中程まで喰い込んで。そしてそこで止まった。

 相変わらず信じられない位に硬い。

 本当にもう、いい加減にしろ。往生際が悪過ぎる。

 だけれども。

 

 

「炭治郎!!」「竈門!!」

 

 傍に居た善逸と、霹靂一閃の動きで崖下から一気に駆けて来た獪岳が。

 其々の日輪刀を、本体の頸に喰い込んでいる俺の日輪刀の刃先を更に奥へと押し込む様に、同時に全力で叩き付ける。

 その力によって更に刃は『本体』の頸に喰い込むが、それでもまだ少し足りない。

 まだだ、まだ足りない。

 だが此処で諦める訳にはいかない。

 この悪鬼をここで逃す訳にはいかない。

 

 ()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()……!

 轟々と己の中で炎が燃え盛る。

 そしてそれに焼べる為に、自分が差し出せるものを捧げようとしたその時。

 

 

 ── 自分から命の時間を絶対に差し出すんじゃない。

 

 

 ふと、悠さんの声がして。

 それに引き留められる様に一瞬躊躇ったその次の瞬間。

 

 日輪刀と共に、俺の身体が燃え上がった。

 いや、燃えているのは禰豆子の血だ。

 俺を鬼から庇った時に禰豆子が流した血が、燃えている。

 そして、燃える禰豆子の血によって再び日輪刀が、赫に染まる。

 また少し、奥へと刃が喰い込んだ。だが、後僅かの所で再び刃は止まってしまう。

 この場の三人とも、全員で必死に踏ん張ってその頸を落とそうと死力を尽くしているけれど。

 それでも後僅か、ほんの僅かが届かない。

 上弦の肆と言う存在の規格外さを思い知らされるかの様だった。

 ろくに回復出来ない程に消耗していて尚も、俺たちでは手が届かない。

 

 甘露寺さんも宇髄さんも、あの赤子の鬼を足止めする事に手一杯だ。

 此処に駆け付けられる余力は無い。

 時透くんも、悠さんも、何処にいるのか分からない。今この瞬間に駆け付けてくれる訳では無い。

 今ここでこの頸を斬れるのは、俺たちだけなのに。

 後、ほんの少しの一押しなのに……!!

 

 

「ああああああああ!

 これで、どうだああああああああ!!!!」

 

 

 崖下から此方に駆け寄ろうとしていた玄弥が、何かを力一杯に吼える様に叫んだその瞬間。

 善逸と獪岳の日輪刀が、爆ぜる様に燃え上がった。

 その炎は、禰豆子の血鬼術のそれとよく似ていて。

 その爆発する炎の勢いで、猛烈な勢いで刀が押される。

 そして──

 

 五人全員の力が合わさったその一撃は、終に鬼の心臓ごと『本体』の頸を斬り落として、ついでにその鬼の身体を真っ二つに叩き斬った。

 斬り落とされた頸は、耳を劈く様な絶叫を放って……そして、その悲鳴が消えるよりも先にボロボロと崩れ落ちて消える。

 鬼の身体は、今度こそ完全に消え去った。

 

 

「…………」

 

 全力を出し切った事で、力が抜けてしまって、思わずその場に座り込み、そしてそのまま仰向けに倒れ込んでしまう。

 周囲に鬼の気配や匂いは無いが、もしこの場を襲撃されたら成す術は無いだろう。

 しかし、もう一歩も動けないのではないかと言う程にまで、極限の疲労状態だった。

 横を見ると、善逸と獪岳も似た様な感じに倒れ込んでいる。

 

 上弦の肆を倒せたと言う達成感とか余韻とか、もう正直それどころでは無い。

 とにかく往生際の悪過ぎたあの鬼から解放された事に関して、ただただ「疲れた」と言う感想しか出て来ない。

『本体』を倒したと言う事はあの分身の赤子の鬼も消えただろうし、そうしたら甘露寺さんと宇髄さんが俺たちを探しに来てくれるんじゃないだろうか。

 何と言うのか、今はもうこの場を一歩も動けそうになかった。

 

 

「なあ、兄貴。

 今度さ、一緒にじいちゃんの所に帰ろうよ。

 じいちゃんさ、兄貴の事心配してたよ。

 一緒に上弦の肆を倒したって教えてあげたら、きっとじいちゃん喜ぶからさ」

 

「だから俺を兄貴って呼ぶんじゃねえ。

 お前みたいな弟を持った覚えは無い。

 大体、先生の事を『じいちゃん』って馴れ馴れしく呼ぶのは止めろって何回言ったと思ってるんだ。

 先生だとか師匠だとか師範だとか、幾らでも相応しい呼び方があるだろ。

 ……まあでも、鳴上とも約束してるからな。

 一回だけなら、お前と一緒に先生に会いに行ってやる」

 

 

 地に倒れて天を仰いだまま、善逸と獪岳はそんな言葉を交わしている。

 善逸からも、そして獪岳からも。その言葉と共に感じる匂いは、温かなものだ。

 

 天を仰いでみると、星灯が端の方から徐々に薄れていくのが見えた。

 ああ、少しずつ夜明けが近付いている。

 

 長い……まるで永遠に明けないかの様に思える程に、本当に永い一夜に感じたけれど。

 それでも夜は明ける、必ず。この世から太陽が消えてしまわない限り、何時か必ず朝が来る。

 ぼんやりと空を仰いでいると、追い付いてきた禰豆子と玄弥が覗き込んで来た。

 

「おーい、三人共大丈夫か? 立てるか?」

 

「今はちょっとこのままにして……」

「身体が重い……」

「ああ、ちょっと起き上がる位なら」

 

 玄弥の言葉に三者三様の答えを返しつつ、心配そうに抱き着いてきた禰豆子の為にも、俺は身を起こす。

 よしよしとその頭を撫でると、禰豆子は満足そうに微笑んだ。

 

「皆、ありがとう。

 善逸と獪岳のお陰であの鬼の頸に刀を通せたし、禰豆子と玄弥のお陰であの鬼の頸を落とせた」

 

 本当に、誰が欠けていたとしてもあの鬼を倒す事は出来なかっただろう。

 甘露寺さんと宇髄さんが助けてくれなかったら全滅していただろうし、途中で何処かに飛ばされて行ったものの時透くんが居なければかなり危ない時も多かった。

 全員の想いと行動が繋がって、上弦の鬼を討てた事がやっと胸の中に満足感と共に広がる。

 

 よく頑張ったなぁ……と禰豆子の頭を撫でているその最中、山の端が白む様にして夜が明けていく。

 今居るこの場所は広く拓けていて、何か陰になる様な場所は無い。

 

 不味い、と。そう思った瞬間。

 僅かに射し込んだ陽光に晒された禰豆子の肌が焼けた。

 

「ギャッ!」と苦痛に叫ぶ禰豆子の身体を、必死になって抱き締めて庇う。

 

 

「禰豆子!! 早く縮め! 兄ちゃんが陰になってやるから……!」

 

 

 何時も移動に使うあの箱は、宿の方に置いてきている。もしかしたら上弦の鬼との戦いの中で壊れてしまっているかもしれない。

 この場所では陽射しを遮れるものは、俺たちの身体位なものだ。

 しかし、まだ日は昇り切っていないのに、僅かに射し込んだ陽光ですら容赦無く禰豆子を焼いていく。

 小さくなった禰豆子を陽光から守ろうとしても、どうしても全てを覆い切れる訳では無くて。

 遮れ切れなかった陽光によって、ジュウジュウと痛ましい音を立てて禰豆子が焼けてしまう。

 

 

「禰豆子ちゃん!!」「禰豆子!」「……っ!」

 

 善逸が慌ててその羽織を脱いで禰豆子に被せてから、俺と同様に自分の身体で必死に影を作ろうとする。

 玄弥も獪岳も必死にその身体で禰豆子を陽光から庇う。

 それでも、それは完全では無くて。

 どうしても遮れない微かな陽光が禰豆子を苛む。

 

 ああ、神様、もし本当にこの世の何処かに居るのなら。

 どうかお願いします、禰豆子は見逃してください。

 禰豆子は誰も傷付けていない、鬼になってすら本当の自分を奪われてすら。

 それでも、誰も傷付けていないんです。

 優しい子なんです、強い子なんです。

 俺の、俺の命よりも大切な宝物なんです。

 後少しで、人間に戻してやれるんです。

 だから、だからどうか見逃してください。

 俺の大事な妹を、奪わないで下さい。

 お願いです。

 

 必死に心の中で祈る。

 何処の神様に祈れば良いのかなんて分からないから、取り敢えずもう手当たり次第に。

 もうこの場に於いて自分に出来る事は、祈る事でしかない。

 

 

「炭治郎!!」「炭治郎くん!!」

 

 その時、宇髄さんと甘露寺さんが崖の上から此方に叫んでいるのが聞こえた。

 事態を把握してくれたのか、急いで何か陽射しを遮れるものを用意しようとしてくれているのだろう。

 ああ、でも、でも……。

 

 その時だった。

 

 

「お、おに、おにい、ちゃん」

 

 腕の中の禰豆子が、何時の間にか大きくなっていた。

 一瞬、余計に陽に焼けてしまう、と焦ったのだけれども。

 しかし、その肌に陽光が射しても、もうそこが焼け爛れる事は無い。

 

「お、お、おはよう」

 

 何時の間にか何時も周囲の安全の為に付けている竹枷が外れていて。

 そして、辿々しくもハッキリとした意味のある言葉を喋る。

 

「禰豆子……? 大丈夫、なのか……?

 お前、人間に戻れたの、か……?」

 

 まさか自力で人に戻る事が出来たのだろうか、と。

 そう驚きながらその身体を確かめると。

 キョトンとした目で禰豆子は俺を見詰め返してくる。

 その眼の瞳孔は変わらず縦に細く割れた鬼のものであるし、口からは鋭い牙も覗く。

 鬼の特徴は確りとその身に残っている。

 それに、言葉を発する事が出来、以前よりもその目には確りと意識が宿っているが。それでも禰豆子本来のそれとはやはり違っていて。

 禰豆子が人に戻れた訳では無いのだと悟る。

 だが、禰豆子は鬼にとって致死である筈の陽光をその身に浴びても、全く気にする素振りも無い。

 

「禰豆子、ちゃん……?」

 

 善逸が驚いた様に声を掛ける。

 鬼と言う存在の常識を覆すその光景に、玄弥も獪岳も驚いた様に言葉を喪ってそれを見ていた。

 

「だ、だい、だいじょうぶ……」

 

 こちらの言葉を返すだけの様にも見えるけれど、しかしそこには確かに意識があって。そして、俺たちを見て、禰豆子はニッコリと笑った。

 それに、その表情に。思わず感極まってしまい、俺は禰豆子を強く強く抱き締める。

 

 

「あ、ああ、あああ…………。

 良かった、……良かった。禰豆子、本当に、本当に……。

 お前が、消えてしまわなくて、良かった……」

 

 

 どうして禰豆子が陽光を克服出来たのかは分からない。

 太陽の神様に赦して貰えたのか、それともまた別の理由なのかは分からないけれど。

 俺にとっては、禰豆子が無事であると言う、ただそれだけで十分だった。

 それ以上の事など、何も要らなかった。

 

 

「よかったね、よかったねぇ……」

 

 

 よしよしと、そう禰豆子に抱き締めたその背中を撫でられて。

 俺は、溢れ出してしまった感情と共にボロボロと涙を零しながら頷く。

 そんな俺の背を、「良かったな」とばかりに玄弥と獪岳が軽く叩いて。

 善逸は涙と鼻水でびしょびしょになった顔で、俺たち二人ごと抱き締めてオイオイと泣き出す。

 

 こうして、とても永かった一夜は、やっと終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
善逸、獪岳、禰豆子、玄弥の四人と力を合わせた事で半天狗の頸を斬る事に成功。
誰か一人でも欠けていたら、ここで半天狗の頸を斬る事は不可能だった。
禰豆子が陽光を克服してビックリ。
「痣」は出ていない。


【竈門禰豆子】
お兄ちゃんを守る為に大活躍。
太陽を克服する事に成功した。
幸いな事に、無惨には今の所バレていない。
まだ自我はハッキリとはしていないが喋れる様にもなったので、色んな人達が話しかけてくれる様になる。
「悠」は物凄く呼び易いので、割と最初の方で「ゆう」と呼べる様になる模様。その為、中々名前を呼んで貰えない善逸が血涙を流す事に……。


【我妻善逸】
獪岳に名前を呼んで貰えた上に、一緒に肩を並べて戦えている。
獪岳が自分を庇ってくれた事には今もまだ少し信じ切れていない程だけれど。獪岳が確かに変わった事を……変わっていける事を納得と共に確信して、その結果悠との絆が満たされている。
きっとその内に悠を連れてじいちゃんに会いに行く事になる。


【不死川玄弥】
最終面に於けるMVPと言っても過言では無い活躍。
鬼化中なので、痛みはあるがかなり無理が効く。
善逸と獪岳の日輪刀に付いた己の血に爆血が発動したからこそ、最後の一押しの威力が出た。


【獪岳】
善逸と一緒に半天狗討伐の最後の一押しを行う。
速度に優れた霹靂一閃の足運びでないと、あの瞬間には間に合わなかった模様。
霹靂一閃は相変わらず鬼の首を落とす為の技としては全くダメではあるけれど、しかし重ねて来た努力が無駄だった訳では無い。
その努力は善逸を助け、そして半天狗の首を斬る為の力になったのだから。


【甘露寺蜜璃】
宇髄さんと一緒に分身の足止めに尽力した。
捌倍娘なので、実は重力もかなりのものを耐えられる。
禰豆子が陽光を克服したその場面には居合わせた。
太陽の下に出られる様になって良かったわ! と素直に喜ぶ。


【宇髄天元】
蜜璃と一緒に分身の足止めに尽力した。
原作で妓夫太郎相手に使った毒付きの苦無はほんの少しの足止め程度になら半天狗にも有効だった。
禰豆子が陽光を克服したその場面には居合わせた。
派手派手に凄い事になってんな! と驚く。


【嘴平伊之助】
半天狗との戦いにはギリギリ間に合わなかったが、禰豆子が陽光を克服したその場面には居合わせた。
子分その三と一緒に日中に山で遊べる様になったのかと素直に喜ぶ。


【時透無一郎】
半天狗との戦いにはギリギリ間に合わなかったが、禰豆子が陽光を克服したその場面には居合わせた。
炭治郎が喜んいるので「良かったね」と素直に思う。


【煉獄杏寿郎】
半天狗との戦いにはギリギリ間に合わなかったが、禰豆子が陽光を克服したその場面には居合わせた。
中々色々な事が一気に起こった事を悟るが、まあ良しと炭治郎たちの無事を喜ぶ。


【鳴上悠】
煉獄さんたちを心から信頼しているからこそ、安心して寝落ちした。
煉獄さんの背中でぐっすりと眠っている。


【半天狗】
禰豆子の太陽克服を見届ける間も無く消滅した。
走馬灯でお奉行様の姿が見えたが、特に己の罪業を反省する様な事は無い。
地獄に堕ちた所で、そもそも何が罪なのかすら分かっていないし自覚もしないし反省もしない。その魂が救われる日は来ないかもしれない。
上弦の鬼の中で唯一悠と直接遭遇する事無く終わった模様。


【鬼舞辻無惨】
禰豆子が太陽を克服した事は知らない。と言うかそれ処では無い。
とは言え、万が一に何処かから禰豆子が太陽を克服した事を知った場合、禰豆子がその標的になってしまう。
例え人間に戻れたとしても禰豆子は狙われ続ける事になるし、それどころかその子々孫々まで狙われる事になりかねない。
ついでに、その血縁者だと言う事で炭治郎も狙われる事になる。(その場合「鬼の王」爆誕ルートに盛大に分岐してしまうが)
禰豆子が太陽を克服した時点で、鬼舞辻無惨を殺さなければ永遠に竈門家に安寧は訪れなくなってしまう。





【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
原作とアニメも季節の経過が若干よく分からないのですが、原作では刀鍛冶の里訪問時に「松茸ご飯」が出て来た事から九月~十月頃と仮定して、その原作の時期よりも凡そ三か月半以上出来事が前倒しになっているので、この話は大体六月頃の出来事と想定しています。
大体、夏至近くだと思っておいてください。
日の入りが遅く、日の出がとても早い季節ですね。


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『醒めない世界の中で』




『もしも俺が【化け物】でも、友達でいてくれますか?』

『もしも俺が【神様】になってしまっても、俺を覚えていてくれますか?』





◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた時には見覚えが無い部屋の中だったので困惑したが。

 部屋を出て見知らぬ場所をうろうろと歩いていると、ひょっとこのお面を被った人に出会して、此処が刀鍛冶の里の人達にとっての避難先であり新たな里となる場所だと教えて貰う。

 どうやら、緊急時に備えて「空里」と呼ばれる移転先を常日頃から準備しているらしい。

 まあ、刀鍛冶の里が機能不全になると鬼殺隊全体も機能不全に陥ってしまうのでそう言った備えは必要なのだろう。

 ……しかし、秘匿された場所なのであろう新たな里に、里の者では無い自分が居ても良いのだろうかと少し心配になったが、特に問題は無いとの事だ。

 自分以外にも、炭治郎たちも一旦この新たな隠れ里に運び込まれたらしいと聞いて、炭治郎たちの安否を訊ねた所、全員五体満足で無事であるらしい。

 激しい戦闘による極度の疲労でまだ殆どの時間を眠って過ごしているが、一応起きてご飯を食べたりする元気はあるそうだ。

 眠りに落ちる前の記憶が、半天狗と戦う炭治郎たちを助けに行こうとした所で途切れているので、その安否がとても心配だったので、大事は無いらしい事に心から安堵した。

 

 自分が寝落ちしてしまった後で何があったのかを大体の所を掻い摘んで教えて貰う。

 話を聞いた里の人はそこまで詳しく全容を聞いた訳では無いそうなのだが、里を襲って来ていた上弦の鬼の片割れである半天狗は、炭治郎たちが無事にその頸を落としたのだそうだ。

 そして、炭治郎たちの方には救援として甘露寺さんと宇髄さんが駆け付けて来てくれていたらしい。

 自分たちの方を助けに来てくれた煉獄さんも含めて、救援として駆け付けてくれた柱の人達は大きな負傷は無かった事もあって、皆一日の休息を取った後でそれぞれ任務に復帰したそうだ。

 

 あの激しい一夜から既に二晩が経っていて、どうやら自分はほぼ丸二日半寝ていたと言う事になる。

 まあ、消耗しきってしまうとどうしても長く寝てしまう様だ。

 今までも激しい戦いの後は大体そうなっている。

 なお、救援に来てくれた三人はもう既に任務に復帰し里を離れて行ったそうだが、無一郎に関しては玉壺に引き続き黒死牟や猗窩座とも連続で対峙したと言う事もあって、大事を取って一日ではなく数日休む様に指示された為に今も里に滞在しているそうだ。 後で様子を見に行く事にしよう。

 

 ……そして、気になっていた里の人たちへの被害の状況だが。

 どうやら、犠牲となった人は上弦の鬼が襲撃して来たとは思えない程少なく抑えられたらしい。

 玉壺によって弄ばれていた五人を抜くと、片手で指折り数える程度の被害だったそうだ。

 ……それでも、助からなかった人は居たのだ。

 何か生活や仕事に支障が出そうな程の怪我人は殆ど出なかったそうだが、それでも僅かながらには居るとの事だった。

 ……決して、自分になら何もかもを助ける事が出来ると驕っている訳では無いのだけれども。

 それでも、もし。もっと違う選択が出来ていたら、もっと早く行動出来ていたら、と。

 そう思わずには居られない。

 失われて良い命なんて、一つも無いのだから。

 何もかもを救う事は出来ないのだとしても、せめてこの手が届く範囲だけでも、と。

 そう思うのに、それもすらも中々叶わない。

 指の隙間から零れ落ちてしまう砂の様に、誰かにとっての大切な人を喪わせてしまった。

 それが、どうしても哀しいと感じてしまう。

 もしかしたらそれは、とても傲慢で不遜な考えなのかもしれないけれども……。

 

 それから少しして軽い昼食を食べ終えた頃合で、自分が目覚めた事を誰か報告したからなのか、里長である鉄地河原さんに呼ばれた。

 先ず間違い無く、里への襲撃に関する話だろう。

 正直まだ目覚めてからあまり状況を整理出来ているとは言い難いので、里全体への被害状況や自分が寝落ちした後の事も含めて、今がどんな状況であるのかはしっかりと把握したい。

 

 

 

「色々と話はあるんやけど、まあ何よりも先に礼を言わせてな。

 鳴上悠殿、この度は里を救う事に尽力して頂き心よりお礼申し上げます」

 

 鉄地河原さんの新たな家に通されて早々。

 鉄地河原さんは、そう言いながら小さなその身体で深く頭を下げてきた。

 突然のそれに驚いて戸惑ってしまう。

 

「えっと、どういたしまして。

 ですが、里を守ったのは俺だけではなくて。

 無一郎や炭治郎たち、それに救援に駆け付けてくれた煉獄さんと甘露寺さんと宇髄さんもですから……。

 だから、その……そんな風に頭を下げなくても……」

 

 まあ確かに、里を守る為に戦ったのは事実ではあるけれど。

 しかし何もそれは自分一人に限った話では無いのだし、皆が戦ってくれたから何とかなった様なものである。

 救った……と、まあ確かにそれも間違いでは無いだろうけど。

 でも、そうやって深々と頭を下げられると困惑してしまう。

 何せ鉄地河原さんは里長で。

「偉さ」と言う意味では物凄く偉い人なのだ。

 その頭はそんな軽く下げて良いものでは無い。それは間違いなく。

 

「……謙虚なんかそれとも本当に分かってないのかはワシには分からんけど。……まあ、ええわ。

 君のお陰で、里の被害は驚く程少なくて済んだのは確かや。

 勿論、あの夜戦ってくれた剣士皆のお陰でもあるけどな。

 でも、あの時真っ先に動いてバケモンに襲われてる里の者全員を助けたのは間違い無く君やし、あと怪我しとった者を助けたのも君なんやろ? 

 それのお陰で、襲われたり傷を負った殆どの者が、無事に里から脱出する事が出来た。

 まあ、鍛冶場や家は多少壊れてもうたけど、それでも里の中心が大規模な戦闘の場になった訳でもなかったから、刀や道具なんかも後でちゃんと持ち出せとる。

 あのバケモンどもを放って来た上弦の伍だけじゃなく、その後に襲って来た上弦の参と壱とも戦って、里の者らを守ってくれた。

 君のお陰や」

 

「……しかし、助けられなかった人が、僅かにでも出てしまいました。

 治す事が出来なかった大きな怪我を負ってしまった人も……。

 それに、上弦の鬼……上弦の壱と参があの夜あの場に現れたのは恐らくは俺の所為です」

 

 黒死牟と猗窩座の事に関しては自分の所為で訪れた脅威に対して責任を負っただけなのだし、それも煉獄さんに助けて貰っている。

 果たしてそれを、「自分のお陰」なんて言っていいものなのだろうか。

 

「君を狙って来たんやとしても、でも君たちのお陰で上弦の壱と参なんかにも襲撃されたのにそれの被害は出なかったんやで。

 それとな、上弦の伍に酷い目に遭わされた里の者の事もな、礼を言わせて欲しいんや。

 上弦の伍から聞き出した場所から、あの子らの遺体を回収出来た……家族の手に返してやれた。

 君が上弦の伍から聞き出してくれたんやろ? 

 時透殿がそう教えてくれたんや。

 ありがとうな」

 

 ……ああ、あの。あんな風に尊厳を弄ばれてしまっていたあの人たちは、ちゃんと家族の下へと帰れたのか。

 ちゃんと弔って貰う事が出来たのか。

 

「……良かった、です。

 俺は、死んでしまった人には何も出来ないけど。

 そうやって、帰るべき場所に帰る手伝いが出来たのなら……」

 

 どうしようも無く突然に理不尽に命を奪われて、その尊厳すらも弄ばれて。それでも最後に、家族の下へと帰してやる事が出来たのなら、……彼らの家族が愛する人との別れをちゃんと出来る手伝いが出来たのなら。

 それは、最悪の中で本当に些細な救いになれたのかもしれない。

 喪われた命は戻る事は無い。

 愛しい者を理不尽に奪われた苦しみや哀しみの全てを祓う事も出来ない。

 それでも、空っぽの棺を前に泣くよりは。ほんの少し、本当に少しだけでも、その心を救えたとは思いたいのだ。

 

 喪われてしまった命に思いを馳せていると。

 鉄地河原さんは、ポツリと言った。

 

「……何もかも全部を助けるなんてのはな、誰にも出来ん事なんや。それこそ君が『神様』やったとしても。

 命を落としてしまった者たちの事を悼むのはええやろ。

 でも、そこに君が責任を負う必要は無いんやで」

 

 ……それは、確かにそうなのだろう。

 自分は『神様』ではない、何もかもを救う事なんて出来やしない。そんな事は一々考えるまでもなく分かっている。

 煉獄さんにも、「守る事が出来た者へと胸を張れ」と諭された事もある。

 ……だけれども、同時に。

 掬い上げようとしたその指から零れ落ちてしまったものを、そこにあった命を、見なかったフリは出来ない。

 助ける事が出来なかったものから逃げる事も、出来ない。

 そこに責任がある訳ではないにしても、決してその命を見捨てた訳では無いにしても。

 

 黙ってしまった此方を見て、鉄地河原さんは「不器用なんやなぁ……」と小さな溜息を吐く。

 自分は「不器用」なのだろうか。……どうなのだろう。それは分からない。

 ただ、鉄地河原さんがそのひょっとこのお面の下で、苦笑する様な……或いは心配している様な表情を浮かべている様な気がする。

 

「まあ、里の方の被害に関してはそんな感じや。

 上弦の肆との戦いに関しては、戦った者から直接話を聞いた方がええやろ。

 それじゃあ、本題に入ろうか」

 

 そう言って、鉄地河原さんは脇に控えていた人に合図を出す。

 傍に控えていた人が差し出してきたのは、刀だった。

 自分の為に鉄地河原さんが打ってくれたあの日輪刀だと、一目で分かった。

 まさか、あれから直ぐに研いでくれたのだろうか。

 里を襲撃されて、移転するなどしてそれ処では無い程に大忙しであった筈なのに。

 刀装具もしっかりと揃い、石目塗りの鞘に納められたそれは実に見事なものだ。

 鉄地河原さんに促されてそれを鞘から引き抜くと、まるで鏡面の様に磨き上げられた刃身に霧を斬り裂く様な見事な刃文が浮かぶ。

 そしてそれ以上にしっくりと手に馴染む事に驚く。

 呼吸の才能は無いのでこうして手にしていても刃の色が変わる訳では無いけれど。

 そんな事はどうでも良いと思える程に、凄い刀であった。

 

「うん、ええ感じやな。頑張って研いだ甲斐があったわ」

 

「有難うございます……!

 こんな、本当に凄いものを打って頂いて……。

 大切に、使わせて頂きます……!」

 

 何て事は無い様な調子で言うけれど、間違いなく鉄地河原さんが最大限この刀に注力して仕上げを行ってくれたのは直ぐに伝わる。

 刀装具を揃えてくれたのは、また別の里の人なのかもしれないけれど。

 何にせよ、この刀に詰まった「想い」の強さは凄まじいものだと分かる。

 それを思うと、感謝の気持ちで胸が一杯になった。

 これで、次に上弦の鬼に出逢った時は、周りの被害を気にせずに今度こそその頸を落として倒す事が出来るだろう。

 或いは、鬼舞辻無惨を斬り刻んで足止め出来る。

 本当にもう、感謝するしか無くて、自然と頭が下がった。

 

 そうすると、鉄地河原さんはカラカラと上機嫌な笑い声を立てて、皆の様子を見に行くと良いと促してくれる。

 それに頷いて、再び礼を言ってからその場を後にするのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 炭治郎たちが療養中だと言う部屋を訪れると、タイミングが良かったのか炭治郎たちは皆目を覚ましていた。

 

「皆、身体の方は大丈夫か?」

 

 伊之助と無一郎は共に戦っていたのだから大体どんな風に消耗しているのかは見当が付くけれど。

 しかし、半天狗との激闘がどんな物だったのかは分からないので炭治郎たちの状態はとても心配であった。

 

「ちょっと潰されかけたりはしたんですけど、大きな怪我は無くて。

 里の人たちに診て貰ったところ、内臓の方にも大きな影響は無かったみたいです。

 でも、中々疲労が抜けなくて……」

 

 炭治郎はちょっと疲れが抜けきらない顔でそう言う。

 善逸と獪岳と玄弥も大体そんな感じだ。

 と言うか、玄弥からは微かに鬼の気配を感じる。

 仕方が無かっただろうけれど、また鬼を喰ったのだろう。

 後で治さなくては。

 

「潰されかけた……?

 それは後で詳しく聞かせて欲しいけれど。

 でも、とにかく皆が無事で良かったよ。

 本当に……本当に心配したんだ。

 ……助けに行ってやれなくて、ごめんな」

 

「いえ、そんな。

 伊之助と時透君から聞きました。

 上弦の伍を倒した直ぐ後に、上弦の壱と参と同時に戦ったって。

 悠さんの方こそ、無事でよかった……」

 

 ホッとした様にそう息を吐く炭治郎に頷く。

 

「そうだな……救援に駆け付けてくれた煉獄さんのお陰で助かった。

 どちらの頸も落とす事は後一歩の所で叶わなかったけれど、全員で大きな怪我も無く生き延びられたのは本当に運が良かったよ」

 

「悠さんたちの方には煉獄さんが来てくれたんでしたね。

 俺たちの方には甘露寺さんと宇髄さんが来てくれて。

 お二人が、上弦の肆が生み出した分身の相手をしてくれたから、俺たちは『本体』の頸を斬る事に専念出来たんです」

 

 そうか、と頷く。

 本当に、お互いに運が良かったのだろう。

 本来、広大な範囲を警備している筈の柱が、運良く三人も、それも里が襲撃されてからそう時間を置かずに救援に駆け付ける事が出来たのは、幸運なんてものじゃない。

 恐らくは、お館様の「先見の明」が働いたのではないだろうか。

 何にせよ、三人には危ない所を助けて貰ったのは間違いない。

 出来れば直接お礼を言いたいけれど、しかし三人共既にこの場は離れているのだし、柱として多忙な日々を過ごしているのだろうから、ちゃんとお礼を言える機会は何時になる事やら。

 取り敢えず後で、先に書面で感謝の気持ちを伝えておこう。

 

 お互いに、何があったのか色々と話したい事がある。

 ただ、疲れが抜けきっていないのならまた後で改めて話そうかとも思ったのだけれども。

 炭治郎も、善逸も、玄弥も、獪岳も、そして伊之助も。

 何があったのかを話したがっていたし聞きたがっていた。

 なので、皆が良いなら此処で話そうか、と。

 座布団の上に腰掛けて、じっくりと話そうとしたその時だった。

 

 

「あれ、悠だ。起きてたの?」

 

「お、おにい、ちゃん。おはな!」

 

 襖を引いて部屋に入って来たのは、炭治郎よりもずっと元気そうな無一郎と、そして小さな花を幾つも手に持った禰豆子だった。

 

「無一郎が元気そうで何よりだ、安心したよ。

 それと、今は日中だけれど、禰豆子ちゃんは寝ていなくても大丈夫なのか?」

 

 炭治郎に手の中の花を渡しながら嬉しそうに笑っている禰豆子を見ながら首を傾げる。

 と言うか、言葉を喋る事が出来る様になったのか。

 辿々しく、幼子の様ではあるけれど。確かに言葉を話せる様になったのは、とても良い変化だと思う。

 恐らく、その自我はまだ禰豆子本来のそれでは無いのだろうけれども。自分の感情を言葉で表現出来る様になったのは良い事だ。

 良かったな、と禰豆子のその頭を優しく撫でていると。

 炭治郎がとんでも無い事を言い出した。

 

 

「あ、それが……。

 どうやら禰豆子は、太陽を克服したみたいなんです」

 

「えっ……!?」

 

 思わず、炭治郎のその言葉に、信じられないとばかりに禰豆子と炭治郎の顔を交互に見てしまった。

 嘘や冗談を言っている顔では無いし、それは既に周知の事実であったのか無一郎や善逸たちにも特には驚いた様子も無い。

 伊之助などは、「『いのすけ』って言える様になったんだぜ!」とそれはもう嬉しそうな顔で、禰豆子に「いのすけ」と呼ばせている。

 それは良い、大層微笑ましい光景だ。

 自分だって、幸せな気分になる光景である。

 だが同時に、それだけでは終わらない事にも当然気付いてしまう。

 

 鬼舞辻無惨が求めているものの一つ。

 いや、鬼舞辻無惨が人々から憎まれその命を絶たんと狙われ続けるその最大の原因。自らの血で鬼を増やし続けている、その最たる理由。

 それは、陽光を克服した鬼を生み出す事で、その鬼を自らに取り込んで自身も陽光を克服し、己の命を脅かすものから解放される事である。

「青い彼岸花」を求めているのも恐らくはそれに関係しているのだろうけれども。

 しかし、より強く希求しているのは、やはり陽光を克服した鬼であるのだろう。

 そもそも、炭治郎たちの家族が鬼舞辻無惨に襲われたのも、それが原因である可能性がある。

 畢竟、鬼舞辻無惨がやっている事は、何時か自分の望む目が出る事を願いながら、無数の目が刻まれた賽子をただ振り続けている様なものである。

 必ずしもその行為に「悪意」らしい悪意があるとは限らないのだろう。その結果は最悪だし、絶望の悲劇の連鎖を延々と生み出し続けているのだが。

 

 そんな、極端な話をすれば鬼舞辻無惨が千年掛けて求め続け、人の世にその病原を撒き散らし続けてまで欲していたその存在に。

 禰豆子が、辿り着いてしまった。

 その事実は、これから起こり得る様々な「最悪」を容易に想像させる。

 

 ……望まずに鬼にされてしまった禰豆子が、鬼から戻った訳では無くとも陽の光の下で笑える様になった事は、それ自体はとても喜ばしい事だ。間違いなく。

 炭治郎だって、嬉しそうにしている。心が救われた部分も大いにあるだろう。

 ……だけれども。

 禰豆子が、鬼舞辻無惨に直接的に狙われる存在になってしまった事は、間違いなくその未来に深い影を落とす。

 

「……この事を知っている人は、どれ位居るんだ……?」

 

 まだ鬼舞辻無惨がそれを知ったとは限らない。

 禰豆子が陽光を克服したタイミングは、恐らく里が襲撃されたその夜明けの事だろう。

 その時には、あの根城である異空間を欠片も残さず消し飛ばされ、黒死牟と猗窩座は錯乱状態になって。幾ら鬼舞辻無惨に直接的なダメージは無いのだとしても、それでも彼方側に甚大な被害を与える事が出来たのは間違いない。鬼舞辻無惨とて他の事に気を取られている余裕は無かったと思うのだ。

 それに半天狗の方も夜明け前には倒す事が出来たらしいので、鬼が禰豆子が陽光を克服した事を知る術は無い。

 それでも、絶対では無い。

 人の噂に戸口を立てる事は出来ないのだし、どんなに注意していても思いがけない所から秘密が漏れる事は十分に有り得る。

 秘匿されていた筈の隠れ里が上弦の鬼たちに襲撃された様に。

 この世に絶対は無い。

 そして万が一にも、禰豆子の事が鬼舞辻無惨の耳に届いたら。

 鬼舞辻無惨が存在する限り、禰豆子に平穏は訪れない。それどころか、その子々孫々に至るまで狙われるだろう。……いや禰豆子だけでは無い。恐らくは炭治郎も狙われる事になる。

 珠世さんが薬を完成させて禰豆子が人に戻れたとしても、「陽光を克服出来る体質」である事自体には変わりが無いので、ずっと狙われる。そして血縁者にもその体質があるだろうと、目するだろう。

 そうなれば最悪だ。

 実際に炭治郎や禰豆子の子孫などにその体質があるのかどうかはともかく、鬼舞辻無惨に最優先で狙われる様になるなんて、その人生にどれ程の暗い影を落とす事になるか……。

 

 ……何としてでも、早急に鬼舞辻無惨を倒さねばならない。

 そして、出来る事ならば、第二第三の鬼舞辻無惨の様な存在が現れる可能性を少しでも潰さなくては。

 炭治郎と禰豆子の幸せが、僅かでも翳る可能性を少しでも排除する為にも。

 

「えっと、此処に居る皆と、あと里の人たちと、それとお館様と柱の皆さんですかね……?」

 

 それと、と僅かに目配せをする。

 恐らく、珠世さんたちも知っているのだと言いたいのだろう。

 

「……そう、か。

 …………別に炭治郎を脅したい訳では無いのだけれど、どうかくれぐれも気を付けてくれ。

 禰豆子ちゃんの事も、そして炭治郎自身の事も」

 

 どうして? と首を傾げた炭治郎に、自分の考えを整理しつつ話すと。事の重大さを認識して、炭治郎のその表情が固まった。

 一緒に話を聞いていた、善逸たちも表情を固くするし、無一郎もその眼差しを翳らせる。

 

「そんな……」

 

 折角こうして太陽に怯えなくても済む様になったのに、その所為で鬼舞辻無惨が存在する限りは子々孫々に至るまで鬼舞辻無惨の影に怯え続けなくてはならなくなるのか、と。

 禰豆子の身に訪れるその過酷な運命に、炭治郎はその身を震わせる。

 自分も狙われ得る存在であると言う事も衝撃的であったけれども。

 それ以上に、禰豆子の幸せが損なわれる事に激しい衝撃と怒りを感じている様だった。

 

 その様子に、禰豆子は心配そうにその眉尻を下げながら。

「だ、だい、だいじょう、ぶ?」と、そうおずおずと声を掛けてくる。

 そんな禰豆子の頭を、炭治郎は「大丈夫」だと撫でるけれど。その表情は硬い。

 その様子を見て、脅かし過ぎてしまっただろうかと溜息を吐いて。

 そして、大丈夫だから、と炭治郎の頭を撫でた。

 

「……大丈夫だ、炭治郎。鬼舞辻無惨を、倒せば良いんだ。

 そうすれば、全部解決する。

 俺も、出来る限りの事はするから。

 だから、必ず鬼舞辻無惨を倒そう」

 

 こくりと頷いた炭治郎に、善逸と伊之助と玄弥が「俺も力を貸すぜ」とばかりに声を掛けて、そして無一郎も頷く。

 どの道、鬼舞辻無惨は倒さねばならないのだから、倒す理由が一つ増えただけだとも言えるのかもしれない。

 

「でも、鬼舞辻無惨は何処に居るのかも分からない神出鬼没の存在ですし、何時遭遇出来るか……」

 

 鬼殺隊が千年以上も辛酸を舐める事になったその原因である鬼舞辻無惨の性質を思い返してか、炭治郎は少し暗い顔をする。

 そう、鬼舞辻無惨は此方側から追い掛けるには、単純なその強さだけでは無く余りにも厄介な性質を備えているし、更には空間転移の血鬼術の所為で神出鬼没である。ろくに追跡する事も難しい。

 倒さねばと言う気持ち一つでどうにかなるなら、そもそも縁壱さんの時代には確実に消滅しているだろう。

 そうはならなかった事こそが、鬼舞辻無惨の厄介さを物語る。

 とは言え、ならば向こうから動かざるを得ない状況にすれば良いのだ。

 そして、その為の餌は既に撒いた。

 

「ああ、それなら。多分、どうにかなる……と思う。

 恐らく、鬼舞辻無惨はまだ禰豆子の事は知らないだろうから、俺の事を狙ってくるだろうし。

『青い彼岸花』で脅したからな。

『青い彼岸花』を根絶やしに処分されたくないなら、さっさとかかって来いって」

 

 禰豆子の事を知られてしまえば、「青い彼岸花」よりもそちらの方が優先度が高くなるだろう。

 その場合、即座に禰豆子を確保しようとするかもしれないし、或いは此方の寿命切れを狙ってから悠々と禰豆子か或いはその子孫を確保しようとするのかが読み切れないけれど。

 禰豆子の事がまだ知られていない現状なら、鬼舞辻無惨にとっては「青い彼岸花」は千年求め続けていたまさに喉から手が出る程に欲し続けていたものであろう。

 さっさと動かなければ最悪それを全て処分されるとなれば、幾ら何でも多少は何らかの動きを見せると思う。

 そして、そうやって動かざるを得ない状況にしつつ、その根城を消し飛ばした事で多少なりとも此方側も鬼舞辻無惨を迎え撃つ為の時間を作る事が出来ている筈だ。

 慎重で臆病でどうしようもない性格であると言うのなら。

 自分にとって絶対の領域であるあの常夜の城を抜きに自分と対峙しようとはしないだろう。少なくとも、あの城が復元されるまでは大人しくしている筈だ。

 ……そしてきっと、その際には。

『明けの明星』などであの常夜の城諸共再び消し飛ばされる事を阻止する為にも。

 あの常夜の城に、恐らくは何かしらの人質を呼び込むであろうけれど。

 その人質として選ぶ対象が何なのかと言うと。それは恐らく鬼殺隊の隊士たちだろう。

 臆病な割によく分からない所で謎の大胆さと傲慢さを見せる鬼舞辻無惨は、恐らく一石二鳥とばかりに、常々目障りな存在であり隙あらば壊滅させてきた鬼殺隊を今度こそ滅ぼそうとする事は容易に想像出来る。

 珠世さんから聞き及んだ「鬼舞辻無惨」はそんな存在であった。

 まあ何れにせよ、その内自分を襲いに掛かって来ると思う。

 

「『青い彼岸花』を……?

 でも、俺たち、それを見付けた訳では……」

 

「まあな。でも、本当にそうなのかを鬼が確かめる術は無いんだ。

 第一、鬼以外は知らない筈の『青い彼岸花』の名前を出されたんだ。

 それを無視なんて出来るとは思えない。

 それに……元々俺は『陽光を克服出来る鬼』になれると目されて鬼舞辻無惨から狙われているみたいだ」

 

「青い彼岸花」に関しては要はハッタリなのだけど、とそう言うと。炭治郎は成程と頷く。炭治郎は噓を吐く事が本当に苦手らしいので、そう言ったハッタリをかます事は考えた事も無かったのかもしれない。

 

 その時、炭治郎以外の全員が、その首を傾げた。

 

「後で聞こうと思っていたんだけど、『青い彼岸花』って何の事?

 上弦の壱と参にも、最後にそう言っていたよね」

 

 無一郎のその疑問の言葉に、伊之助もそうだそうだとばかりに頷く。

 まあ確かに、二人と煉獄さんからすれば、あの時のあれは突然意味不明な事を言い出した様にしか聞こえなかっただろう。

 

「ああ……とは言え、俺もそう詳しく知っている訳では無いのだけど。

 どうやら、鬼舞辻無惨にはずっと探しているものが二つあるらしいんだ。

 一つは、『太陽を克服した鬼』。

 それを探し出す為に、鬼舞辻無惨は千年もの間ずっと人を鬼に変えている。

 そしてもう一つが『青い彼岸花』。

 ……正直何でこれを探そうとしているのかは俺には分からないし、そもそもその『青い彼岸花』とやらがどんなものなのかは全く分からないんだけど、とにかくこの二つを探しているらしいんだ」

 

『太陽を克服した鬼』の事に関しては、鬼殺隊の中でも元々ある程度は推察されていたからまだしも。『青い彼岸花』の事は初耳だったのか、無一郎は「そうなの?」と驚いた様な顔をする。

 

「そうだとしても、どうして悠がそれを知っているの?」

 

 当然と言えば当然の疑問に、どう答えるべきかと少し迷う。

 珠世さんの事はまだ言えない。

 珠世さんからの返事がまだ届いていないのだし、言うにしても先ずはお館様に話を通してからの方が色々と良い筈だ。

 

「ああ、それは……。……まあ色々とあってな。

 俺たちも割と偶然にそれを知ったんだ。

 ちょっと半信半疑ではあったんだけれど……、ただあの最後の反応を見るに、鬼たちが『青い彼岸花』を探しているってのは間違いが無いんだと思う」

 

 そう答えるとそれ以上はどうでも良かったのか、「そうなんだ」と無一郎は頷いた。

 そこで「青い彼岸花」の話題は途切れる。まあこれ以上話せる事は本当に無いのだけど。

 そして、今度はお互いの戦いがどんなものであったのか、と言う話になった。

 

 玉壺の悪趣味極まりない「作品」の話には、炭治郎たちはその額に青筋を浮かべて。

 無一郎と伊之助の陥った絶体絶命のピンチにはハラハラした様な顔をして。

 最後の悪足掻きとばかりに繰り出してきた、魑魅魍魎の濁流の様な怒涛の攻撃と、それを掻い潜って見事に一刀の下にその頸を落とした無一郎の鮮やかな一撃には、感嘆した様な声を零して。

 その直後襲い掛かって来た黒死牟と猗窩座との戦いの話では、獪岳と善逸はかつて対峙した黒死牟を、炭治郎は手も足も出せなかった猗窩座の事を思い出したのか苦い顔をして。

 後僅かの所まで猗窩座の頸を落とし掛けた事には全員が手に汗を握り。

 そして、最終的に撃退した事に、安堵した様な溜息を零す。

 

 そうすると今度はこっちの番だとばかりに、炭治郎たちは自分達の戦いを代わる代わる話始めた。

「喜怒哀楽」に分裂した鬼たちの多彩な攻撃と、逃げ回り続ける野鼠程度の大きさの小さな『本体』。

 何度追い詰めてもその度に逃げ回り新たに強力な分身を生み出し、自分を「か弱い存在」であると言い募るその卑劣な性根そのままの戦い方。

 恐ろしい攻撃の嵐を駆け抜けてその場の全員を助けてくれた甘露寺さんと宇髄さんのその頼もしい姿。

 恐ろしく硬い頸に何度もその刃は阻まれたが、最終的に五人で力を合わせてその頸を落とす事に成功した事。

 炭治郎たちの語るそれは、まさに手に汗握る様な一進一退の攻防であった。

 本当に、無事で何よりだ。

 

 ……それに。

 そっと善逸と獪岳を見る。二人でワイワイと話しているそれは、黒死牟の手から助け出したばかりの時のそれとは全く違う。

 お互いに、良い方向に歩き出す事が出来たのだろう。

 そこにどんな心境の変化があったのかまでは分からないけれど、獪岳の表情は随分と良いものになった。

「芯」とでも言うべきものが、その心の中に通った感じだ。

 間違いなく、良い変化だと思う。

 きっともう、虚無のままに道を誤る事は無いだろう。

 いや、もし道を間違えそうになったとしても、きっとその心の中に在る大事なものがそれを止めてくれる筈だ。

 そんな獪岳を見る善逸も、とても嬉しそうだ。

 自分には心の匂いや音を知覚する事は出来ないけれど、でもきっと、今この瞬間の善逸の心からは、「幸せ」や「喜び」に似たそれを感じるのだろうな、と思う。

 自分は、善逸と獪岳の力になれただろうか?

 ほんの少しでも、そうであれたら良いと思う。

 自分が黒死牟と猗窩座との戦いの最中に二人に助けて貰った様に、自分も二人を助けられていたら、と。……そう思うのだ。

 

 自分は、善逸の「願い」に応えられたのだろうか。

 善逸がそう望んだ様に、『神様』として。

 

 考えなくてはならない事も、備えなくてはならない事も、まだまだ沢山あるけれども。それでも、こうして全員で無事に生き延びる事が出来たのだ。

 きっと、これからも何とか出来ると。そんな未来を信じたい。

 誰一人欠ける事無く、全員で鬼舞辻無惨を倒した先の夜明けを笑って迎える事は出来るのだ、と。

 

 

 その後も七人でワイワイと話し合っている姿を、禰豆子はニコニコと笑って見ているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
日輪刀を手に入れた。とは言え、上弦の鬼と遭遇する機会はまだ当分先の事。
禰豆子が太陽を克服した事を知って、心労が嵩む事に。
この後、里の様子を確認しに出歩いた折に、里の人たちの間に自分達を救ってくれた『神様』への感謝と祈りが高まっている事を知る。
なお、無限城を消し飛ばした事はちゃんと言ってないので、まだ悠以外は誰も知らない。
お館様への報告書で初めてちゃんとそう報告するので、お館様に報告書を読み上げるあまね様が報告書を五度見し、そしてお館様が三回聞き返す事に。なお、その後即座に東京郊外の無人の森が一夜にして吹き飛んだ怪奇事件と結びつける事になった。


【竈門炭治郎】
鋼鐵塚さんから研磨が終わった日輪刀を受け取っている。
自分が無惨に狙われ得る存在である事と、禰豆子がこの先一生無惨に狙われる可能性を知って驚愕。
そして悠が無惨を釣り出す為に自分の身を囮にしたと知って心配している。


【竈門禰豆子】
色々とよく分かっていない。
「ぜんいつ」は少し言い難いのかまだ言えない模様。


【我妻善逸】
禰豆子ちゃんの幸せの為にも無惨を倒さなくてはと決意。
霹靂一閃・神速を使いまくった影響で足への負担が大きく、何気に一番負傷が重い。でも軽傷の範疇なので一週間休んでリハビリすれば十分。


【嘴平伊之助】
物凄く頑張って、禰豆子に「いのすけ」「おやぶん」を教え込んだ模様。
無一郎の次に元気一杯。


【不死川玄弥】
鬼喰いをしたので負傷自体は残っていないが、禰豆子の血の影響で滅茶苦茶眠い。
トータルの負傷率は断トツで上。鬼化してなければ半死半生位になっている。


【獪岳】
潰されかけた影響で負傷の程度は若干重め。でも普通に元気。
今回の襲撃の際の報告書によって、鬼殺隊の隊士である「獪岳」の存在を悲鳴嶼さんが知った。そしてその「獪岳」が他の隊士と力を合わせて上弦の肆の頸を斬った事も知った模様。
尚、悲鳴嶼さんが生きている事も岩柱である事も、獪岳はまだ知らない。


【時透無一郎】
上弦の鬼たちとの連戦によって物凄く経験値が溜まった。
炭治郎ともより仲良くなれたので嬉しい。
今度、故郷の山に数年ぶりの墓参りに行こうと思っている。


【鉄地河原鉄珍】
年の功もあって悠のその力に関しては比較的冷静に見ている。が、やはり凄まじい事には変わりが無い。
里を襲撃されて移転してから、移転に伴う諸々の復興作業は側近に任せてほぼ不眠不休で悠の刀を仕上げていた。
里を救ってくれた全員に感謝しているが、やはり里の人たちを最も直接的に救ってくれた悠への感謝が一際大きい。


【里の人たち】
上弦の鬼に襲撃されたとは思えない程の被害者数。本来はもっと犠牲者や怪我人が増えていたのだが、悠が速攻で怪魚の排除と負傷者の治療を行った為、被害者は劇的に抑えられた。
里の人の中には、夜空に流れる様にかかった虹(ユルング)を遠目に見た者も。
悠が助けてくれたと知る人は少ないが、しかし自分達を助けてくれたのは『神様』だとも思っている。
『神様』への感謝と、命懸けで上弦の鬼たちと戦ってくれた隊士たちへの感謝に溢れた。
里を救った『神様』と悠とが結び付いた人は多くは無かったが、上弦の伍と壱と参と戦って里を守ってくれた事は周知の事実であるので、悠への感謝の念は物凄く強い。
その為、悠の日輪刀の刀装具などは、移転のゴタゴタで忙しい中を縫って里の人たちが総力を挙げて準備してくれた。
また、玉壺に「作品」にされてしまった人たちの親族や友人は、自分たちの下へその亡骸を返してくれた悠にとても強く感謝の念を懐いている。
それもあって、悠を『神様』扱いする人はとても多い。




≪現在の大体のコミュ状況≫
【愚者(鬼殺隊一般隊士)】:MAX!
【魔術師(我妻善逸)】:MAX!
【女教皇(胡蝶しのぶ)】:9/10
【女帝(珠世)】:8/10
【皇帝(冨岡義勇)】:1/10
【法王(悲鳴嶼行冥)】:6/10
【恋愛(甘露寺蜜璃)】:9/10
【戦車(嘴平伊之助)】:9/10
【正義(煉獄杏寿郎)】:MAX!
【隠者(隠部隊&刀鍛冶)】:MAX!
【運命(栗花落カナヲ)】:9/10
【剛毅(竈門禰豆子)】:9/10
【刑死者(不死川実弥)】:1/10
【死神(伊黒小芭内)】:4/10
【節制(蝶屋敷の皆)】:MAX!
【悪魔(愈史郎)】:5/10
【搭(不死川玄弥)】:9/10
【星(宇髄天元)】:MAX!
【月(時透無一郎)】:MAX!
【太陽(竈門炭治郎)】:9/10
【審判(産屋敷の人達)】:9/10
【欲望(獪岳)】:MAX!


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『夢を見るくじら』

次回から新章の柱稽古編兼コミュ回になります。
私事に付き、次回更新は遅れる可能性がありますがご容赦ください。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 揺蕩う様な心地から目覚めると、そこは蒼の世界であった。

 何と無く、此処に招かれる予感はあったので驚きはそこまで無くて。

 だから目の前に座るその人に目を合わせる。

『鳴上さん』は緩やかに微笑んで、その金色の目を細める。

 

「……やあ、炭治郎。また今夜もこうして会えて嬉しいよ。

 今夜は試練の前に少しだけ話をしたいのだけれど、良いか?」

 

 勿論だと頷くと、『鳴上さん』は、「ありがとう」と静かにその目を伏せる。

 

「先ずは、おめでとう、と言わせて欲しい。

 よく、頑張ったな。炭治郎たちが生きていてくれてとても嬉しい。

 上弦の肆と言う大敵を相手にして、大きな怪我も無く、それを打ち倒す事が出来た……。

 これは、とても凄い事だ」

 

 しみじみとそう言った『鳴上さん』に素直に頷いた後に、それを成し遂げられたのは自分の力だけではないと続けた。

 

「それは、一緒に戦ってくれた皆のお陰です。

 あの場に居た誰が欠けても、あの時にあの鬼の頸を斬る事は出来なかった。

 それに、悠さんや時透君が沢山稽古を付けてくれたお陰ですし。

 何より此処で『試練』を受ける事が出来ているから……」

 

「ああ、炭治郎だけじゃなくて、炭治郎たち皆で掴み取った勝利である事は分かっているさ。

 その結果を掴み取れたのは炭治郎たち全員が頑張ったからだ。

 それでも俺は、あの場に於いて炭治郎が最も大きな役割を果たしたと思っている。

 ……炭治郎が何気無く誰かの為にした事が、巡り巡って炭治郎の力になった」

 

 そう言って微笑んだ『鳴上さん』は、そっと俺の頭を撫でる。

 そうだろうか? と首を傾げた俺に、そうだよと頷いた。

 

「……例えば、獪岳があの時踏み出す事が出来たのは、間違いなく炭治郎のお陰でもあるんだ。

 いや、正確には『炭治郎たち』なんだけどな」

 

 獪岳が? と少し首を捻ってしまう。

 獪岳が何か良い方向に変わったのなら、それは善逸や悠さんに影響されたのだと思うのだけれども。

 一緒に上弦の肆と戦ったとは言え、自分は獪岳の事をあまり良くは知らないのだし……。

 

「いいや、だからこそだ。

 勿論、鳴上悠や善逸が果たした役割は決して小さくはない。

 だけれど、炭治郎たちが何も言わずにその傍に居て同じ時を過ごしたと言う事もとても大きいんだ。

 ……人は、『孤独』では居られない。誰しもがそうだ。

 例え心の奥底で目を逸らす事の出来ない罪業に苦しんでいても、『生きる事』を何よりも願ってその為に足掻いているのだとしても。

 それでも、やはり『孤独』は辛い。自分の居場所を求めてしまう、そこに居ても良い理由を求めてしまう。……『生きる意味』を『生きた証』を、求め続ける。

『心の海』で誰しもが繋がっているからこそ、現実が『孤独』である事を意識的無意識的を問わず恐れるんだ」

 

 誰しもが、と。『鳴上さん』はそう言う。

 ……『孤独』が恐ろしいと言うそれは、俺にもよく分かる。

 あの雪の日、俺の幸せが壊れてしまったあの日。

 胸の中を吹き荒れたのは、愛しい家族を喪った事への絶望と哀しみと慟哭と、大切な家族を奪った「何か」への怒りと、そして。

『孤独』への絶対的な恐怖だった。

 禰豆子が居てくれたから……例え鬼になってしまっても禰豆子が生きていてくれたから、どうにか心が持っただけで。

 もし禰豆子すら喪われてしまっていたら、どうなっていたのか想像すらしたくない。

『孤独』は、恐ろしいものだ。

 

「炭治郎は、獪岳と言う人間を詳しくは知らない。でも、その存在を受け入れて同じ時間を過ごした。

 獪岳を『孤独』にはしなかった。

 ……心に罪の意識があるものは、それを暴かれる事を厭うものだ。

 霧が晴れる事を厭うシャドウの様に……な。

 それを直視する事を、向き合わねばならぬ事を、厭う。

 ……本当に歩き出す為には、何れ向き合う必要があるのだとしても、それでもその決心が着くには時間が必要な事もある。

 だが、己の犯した罪を知る者に囲まれていてはその時間を、向き合う為の覚悟と余裕を、己の心に養う事が難しい事も有る。

 だから、その傍に居たのが鳴上悠だけでも或いは善逸だけでも。獪岳が己の心に向き合い切る事は出来なかっただろう。……出来たとしても、もっと時間が必要だった。

 ……そしてそんな獪岳に、向き合う為の時間と余裕を与えたのは、間違いなく炭治郎たちなんだ」

 

 俺たちが意識していた訳ではなくても、それは確かに一人の心を救う切っ掛けになっていたのだと。そう『鳴上さん』は微笑んだ。

 

「そして、獪岳が己の心に向き合って、そして自分自身を少しだけでも変える事が出来たからこそ、『鳴上悠』は間違えずに済んだ……。

 ありがとう、炭治郎。獪岳を独りにしないでやってくれて。

 そして、『鳴上悠』を助けてくれて」

 

 そっと頭を下げた『鳴上さん』に、俺は思わず慌てた様に戸惑ってしまう。

 それに、獪岳の心を助ける手伝いが出来た事と悠さんを助けた事がどう繋がるのだろうか? 

 

「……前にも言った様に、俺の力は『心の力』だ。

 そして、心の力とは繋がりによって……出逢いによってより強く深まるもの。

 そうやって生まれた『心の力』を紡ぎ合わせ真に深めて、そうやって全ての可能性を見出したからこそ、『鳴上悠』は【世界】に辿り着いた。

 ……ただ、此処は俺にとっては本来存在するべき世界では無いから、その力の全てを十全に使える訳では無い。

 俺は、この世界の存在では無いからこそ、この世界の人々の無意識が集まり揺蕩う『心の海』その物には直接的には触れる事も其処から力を得る事も出来ない。

 ……だけれど、心の繋がりが、その絆が真に揺ぎ無いものになった時。

 俺はそうやって結ばれた絆を通して、『心の海』の力を得る事が出来る。

 ……いや、それは少し正しくないな。

 絆を介して力を得るだけなら、『鳴上悠』はこの世界にとって『無害』なままで居られる。

『人間』としていられる、と言うべきか……」

 

『鳴上さん』の金色の目が、物憂げに揺れる。

『鳴上さん』の言葉の全てが理解出来ているとは思えないけれど。

 しかし、どうしても引っ掛かる言葉があった。

 

「『無害』で、いられる……?」

 

 それではまるで、悠さんがともすればこの世界にとって災禍を齎す存在になりかねないとでも言っているかの様では無いか。

 悠さんが? まさかそんな。

 仲間想いで、優しく親切で、本当に色々と何でもやれてしまう位に凄いのに、それでも絶対に驕る事も無く。本当に心から誰かの事を考えてくれている人なのだ。

 そんな人が、何か害を与えうる存在だとは到底思えないのに。

 

 しかし、『鳴上さん』はそうだとでも言いたげに静かに頷いた。

 

「ああ、そうだ。俺がそれを望んだ訳では無くても。この世界にとっては『鳴上悠』はそんな存在であるんだ。

 ……此処とは似ているけれど違う世界で。

『鳴上悠』は、かつて世界の存亡を懸けて戦った。

 真実から目を背け現実を拒絶し、己の都合の良いものだけを見て、そして現実も虚構も何もかもの境を喪わせ、この世全ての存在を混迷の霧の中で蠢き続けるだけの影に変えようとした……そんな『人々の総意』に抗って、それを覆して打ち祓った。

 ……『鳴上悠』は、一人で『人々の総意』にすら抗う事が出来てしまった。

 勿論、何でもかんでも変えられる訳じゃない。

【世界】に辿り着き『幾万の真言』を示したとしても、人々の心全てが変わった訳でもこの世全ての人々の意識を思うがままに動かせる訳でも無い。

 それでも、その力は余りにも『強過ぎる』。

 望む望まずに拘わらず、その影響は必ず出てしまう。

 俺が本来居るべき世界でなら、まだ良いんだ。

 それが滅びを齎す負の連鎖を生む力にもなるのだとしても、『心の力』が現実に干渉し、そしてそれに対抗する為の力を生むと言う理が元々存在する。

 ……ちょっとマッチポンプな気もするけどな。まあそれは卵が先か鶏が先かと言う話なんだろう」

 

 だけど、と。そう言葉を切った『鳴上さん』は、少しばかり後悔しているかの様な、そんな顔をした。

 

「『心の海』に在る力が現実の世界に干渉する理が現状では存在しないこの世界では、話が異なる。

『鳴上悠』の存在は、この世界の『心の海』を大きく揺らし過ぎるんだ。

 それどころか、『鳴上悠』は()()()()()()この世界の『心の海』に強く干渉出来るし、何ならそこから直接力を得る事だって出来てしまう。

 だがもしそうなれば、『心の海』に存在する普遍的無意識の力が、現実に干渉する理を持って現れてしまう可能性がある。

 普遍無意識は……『人々の総意』は、何時だって舌なめずりする様に人々を試す機会を窺っている。

 それは、現実世界に直接的には干渉出来ないこの世界でも恐らくは変わらない。ネガティブマインドの化身も、ポジティブマインドの化身も、どちらもろくなものじゃない。

 鬼舞辻無惨が可愛らしい小悪党に見える様な事を平然とやる。『試練』だとかと称してな。

 そしてそうじゃ無くても、『人々』は己の「滅び」に繋がる様な願いを何時だって懐いている。

 その「滅び」を叶える為の『神様』を、『人々』は無意識の海の中で望んでいる。

 そして、『心の海』の力が現実には干渉していないこの世界であっても、その願いを具現化する為の理を求めている。

 それが具現化するとなれば……。

 ……いや、それも正しくはないか。

 そんな存在が具現化するだけじゃない。『鳴上悠』自身が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そうなった時に、それに対抗する為の力も理も存在しないこの世界がどうなるのか……。まあ、正直想像もしたくはないな」

 

『鳴上さん』の言っている事がどれだけ不味い事態なのかは、正直俺にはよく分からないけど。

 でも、『鳴上さん』が決してそんな事は望んでいない事は分かる。

 

「どうしてそんな事に……。

 それに、じゃあ悠さんがそんな事をしなくても良い様にすれば……」

 

『心の海』とやらに過剰に干渉しなくても済む様にすれば済む話なのではないかと、そう思ったけれど。

 しかし、『鳴上さん』は静かにその首を横に振る。

 

「『鳴上悠』がこの世界の『心の海』に干渉するだけでなく、『心の海』の方から干渉される事はある。

 そしてそれに関しては俺がどうこう出来る事では無いんだ。

 ……皆、『神様』を望んでいる。

 どうにもならない現実をどうにかして欲しくて、自分を助けてくれる存在が欲しくて。それは、仕方の無い事だし、そう望む事が悪い訳じゃない。

 世界は理不尽で不条理で、どうにもならない事だらけだ。

 何も悪い事をしていなくても幸せが壊れてしまう事はある、犯した罪の報いを受ける事も無くのうのうと世に悪がのさばる事もある、何もかもが嫌になって死にたくなる事もある、自分の都合の良いものを見たい事だってある。

 そんな『願い』を叶えてくれる『神様』が欲しいんだ、皆。

 そしてそれは……」

 

『神様』。

 その言葉に、最近鬼殺隊の中で悠さんに対してそんな言葉を使う人が増えて来た事を思い出す。

 それが、悠さんを追い詰める事に繋がるのだろうか。

 何時か、『鳴上さん』が言う様に、悠さんを『人々の総意』を叶える為の存在に変えてしまうのだろうか。

 ……それは、とても哀しい事だと思う。

 悠さんを『神様』だって思った人たちも、別に決して悠さんをそんな哀しい存在に仕立て上げたい訳では無いと思うのだ。

 純粋な感謝の気持ちからそう言った言葉や想いを向ける人だって居るだろうから。

 畏怖する様に或いは「特別視」する様に、そうやって悠さんの事を『神様』と思った人だって、別にそれで悠さんを苦しめようだなんて思ってはいないと思う。

 それなのにそんな『願い』を沢山向けられた所為で、悠さんがそんな事になってしまうのは……。

 悠さん本人がそれを苦しむだろうし拒否しようとするだろうと言う事もそうだけど、そんなつもりでは無いのだろう「願い」が、その相手を追い詰めてしまう結果になるなんて、と。そう思ってしまう。

 

『神様』に居て欲しい、願いを叶えて欲しいと言う気持ちはとても分かる。

 もしあの時に『神様』が願いを叶えてくれていたら、とか。

『神様』が助けてくれたら、とか。そう考えてしまう事は何度もある。

 でも、『神様』に縋り続けていたって何も変わらない。

 何もかも自分の思い通りにいく事なんて無いのだし、何もかもを望むが儘に叶えてくれる「都合の良い『神様』」なんて決して居ない。

 

 悠さんは確かに物凄く積極的に力を貸してくれるし、何時も俺たちを助けてくれるけれど。

 それでも、一度だって「全部俺がやる」だなんて言った事は無いし、そんな事をした事も無い。

『鳴上さん』も悠さんも、俺たちが強くなろうとする事を手助けしてくれる事はあっても、俺たちが強くなる為の努力を取り上げたりはしない。

 何でもかんでも叶えてくれる『神様』でも、人の努力や意思を嘲笑って踏み付けにする『化け物』でも無い。

 だからこそ、悠さんがそんな存在にならなくても良い様に、何とかしたい、と。

 そう強く心に思った。

 自分に何をしてあげられるのかは分からないけれど。

 知ってしまった以上は何かをせずにはいられない。

 だって、悠さんも『鳴上さん』も、俺にとっては大事な『仲間』であるのだから。

 

 そう決意すると、『鳴上さん』は「そうか」と静かに頷く。

 そして、そっと目を伏せて微笑んだ。

 

 

「……炭治郎。

 願わくばどうか、『鳴上悠』の事を忘れないでくれ。

『神様』でも『化け物』でも何でもない、ただの『人間』である『鳴上悠』の事を……」

 

 

 そして、と。『鳴上さん』は小さく呟く。

 

 

「……今話した事を、目が覚めた後も、そしてまた此処を訪れた時も、炭治郎が覚えている事は出来ないと思う。

 ある意味で、『人々の総意』による『試練』は既に始まっているから。

 それに向き合う事になる炭治郎たちに、カンニングさせる事は出来ないんだ。

 ……でも、信じている。

 炭治郎なら、必ず……──」

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 やっと満足に動ける様になったなぁ、と。

 俺は清々しさと共に思いっきり伸びをした。

 思えば随分と身体の修復に時間が掛かってしまった。

 あと一週間でも元に戻るのが早ければ、『神様』とまた直接戦う事も出来たのに。本当に残念だ。

 

 無惨様にお願いして見せて貰った『神様』の姿を思い出して、思わずうっとりとしてしまう。

 玉壺殿との戦いの時もそうであったが、何よりも。

 黒死牟殿と猗窩座殿を相手にしていた時のその姿を思い返すだけで胸が高鳴るのだ。

 俺と戦ったあの時ですら圧倒的な存在であったのだが、隠れ里への襲撃を迎撃する為に戦ったその時のそれは、もうまさに「神話」を直接目にしているかの様ですらあった。

 一目見た瞬間に、その存在が「神」その物である事を知った。

 その身に「神」を宿すだけでは無い。

「神」その物をああいった形で顕現させる事が出来るのか、と。

 それを一目見た瞬間に、歓喜の叫びを上げてしまった程だった。

「神」のその力は圧倒的だった。そして「神」は美しかった。

 そんな「神」を従えて戦う『神様』は、もうこの世のものとは思えない程の存在だ。

 この世全てをその秤の片側に載せてすら、その天秤を傾かせる事は出来ないのではないかと思う程に。

『神様』を想うだけで、心が分からなかった筈の俺のこの胸に、溢れんばかりの感情が湧き上がる。

 世界が鮮やかに彩付いて、何もかもが輝いて見える様であった。

 

 ああ、世界とはこんなにも美しいものだったのか! 

 否、『神様』が存在するこの世が美しくない訳など無かったのだ! 

 ああ、これが「生きる喜び」か! これが「生きている意味」なのか! 

 

 心からの感動で、涙が零れそうである。

 胸が高鳴る様に早く強く鼓動を打ち、頬は自然と熱を帯びた様に紅潮し、訳も分からずにこの感動を誰かと分かち合いたくある。

 

 とは言え、今残っている上弦の鬼の中に『神様』の素晴らしさを語れる相手は居ない。

 黒死牟殿と猗窩座殿は、『神様』の力を受けてその心に何かしらの不具合を抱えてしまったのか、抜け殻の様に呆然としているか、或いは発作的に自傷しようとしたり或いはよく分からない事を喚き立てたりと、少し話が出来る状態では無いし、『神様』の名を出そうものならその途端に喚く様に狂奔するのだ。

 これ以上上弦の鬼を減らす訳にはいかないと、無惨様が色々と手を尽くしてはいるのだが、中々根本的な部分を解決出来ないらしい。

 頭の中身を無理矢理弄って、その狂乱の原因を取り除こうとしても、ちょっと収まったと思っても些細な切っ掛けでまた発狂するのだそうだ。

 何より、黒死牟殿も猗窩座殿も、人を喰う事が出来なくなったらしい。

 無理矢理喰わせようとしても、発狂した様に拒絶するのだとか。

 仕方無しに無惨様が血を分け与えてはいるが、それですら中々上手くいかないそうだ。

 無惨様ですら手に負えない様な事を至極あっさりとやってのけた『神様』はやはり素晴らしい。

 どうにも、あの『神様』の攻撃は黒死牟殿と猗窩座殿だけでは無く、無惨様にも一時的にしろ影響を与えたらしいのだ。

 目の前に居た訳でも無いのに『神様』の力を味わえるなんて、この時ばかりは無惨様の事が羨ましくて仕方が無かった。

 いやだって、よく考えてみて欲しい。

 清廉潔白の様に見えるあの『神様』の中に、まさに「禍津神」の如き「神」も居るのだ。和魂だけではなく荒魂も同時に内包するその姿は、もう『神』以外の何者でも無い。

 

 一刻も早く『神様』に会いたかったのだが、無惨様の直々の命でそれは禁止されてしまった。

『神様』を下しつつ鬼殺隊を殲滅する為の大規模な戦いを想定している為、その前に戦力を削る訳にはいかないとの事だった。

 こうして動ける様になったのに『神様』にお目通り叶わぬのは何とも不本意ではあるけれど。

 無惨様には鬼にして頂いた恩があるのだ。鬼にならなければ『神様』に出逢う事すら出来なかった事を思うとそれを無碍にする事は出来ないし、何より総力戦ともなればもっともっと『神様』の力を目にする事が出来る筈だ。

 だからまあ、その命令には素直に従う事にした。

 

『神様』の力を目にするだけで、心は踊り、それまで一度も縁が無かった「感情」がこの胸一杯に溢れる。

 今なら、かつて一度も理解出来なかった様々な物事の全てを理解出来るだろう。

「感情」なんて「心」なんて、合理的な行動を取る事の出来ない頭の悪い人たちが見ている幻想だなんて考えていたかつての自分を恥ずかしく思う。

 

 心も感情も素晴らしいものだ! 

 何と言ったって、『神様』の力その物なのだから! 

 

 ああ、何と素晴らしき事か。

 この世に生まれてきて初めて、俺は「生きている」事を実感している。

『神様』も同じ空の下に居るのかと思うと、一呼吸一呼吸すらもが愛おしくて堪らない。

『万世極楽教』には「極楽」に行きたいと縋る人は多かったが、「極楽」は既に『神様』が存在するこの世そのものだったのだと諭してあげれば良かったのだろうか。

 まあ、俺が鬼である事を知っても「教祖様」と慕ってきた信者たちは、ちゃんと『神様』に合わせてあげなきゃいけないから、一人残らず食べたのだけれども。

 

 身体は完全に治ったけれど、案外やる事は無いものだ。

『万世極楽教』その物は、あの後半ば解体されてしまった様で残ってはいないし。

 無惨様に関しては、無限城を一瞬で消し飛ばされた事で、俺にあれこれ言ってくる暇は無いらしい。

 俺の身体を消し飛ばした『神様』のあの力は、無限城すらも一瞬で消し飛ばせるものであった。

 あの美しい堕ちる明星の如き滅びの光の下で消える事が出来るなんて、何と素晴らしい事か。

 まあ、鳴女ちゃんも黒死牟殿と猗窩座殿も間一髪のところで脱出に間に合ったのであの光で消えた訳では無いのだけれど。

 無限城を丸ごと消し飛ばされた影響で死に掛かった鳴女ちゃんは、無惨様の血で何とか回復しようと頑張っているけれど。また元の様な無限城を構築するには数か月は掛かるだろう。

 流石は『神様』だなぁ! 

 そして、無限城を消し飛ばされた事もそうだが、何よりも『神様』は「青い彼岸花」すらもその手に収めている上に俺たちがそれを探している事まで把握していたらしい。それを知った時の無惨様と言ったら、顔を土気色にしたり蒼褪めさせたり怒りで真っ黒にしたりと、随分とコロコロと表情を変えている様だった。

 もし逃げ隠れを続ける様なら「青い彼岸花」を根絶やしにされるって宣言されたのは、無惨様にとっては相当な脅しになったらしくて。

 どうにかして『神様』を捕らえて「青い彼岸花」を手に入れようと、無惨様は必死になっている。そのお陰で、何れ『神様』と戦えるんだから、本当に嬉しいなぁ。

 

 でも、本当に暇だなぁ。

 黒死牟殿と猗窩座殿はお喋りが出来る状態じゃ無いし、鳴女ちゃんも『神様』の話題を出すと本気で怒るし、無惨様にはどれだけ話し掛けても返事をして貰えないんだよね。

 どうしようかなぁ、と考えて。

 ああ、そうだ! と名案を思い付いた。

 

 こんなにも素晴らしい『神様』の事を、人間たちは殆ど誰も知らないだなんてそれは可哀想だ。とんだ人生の損失だ。

 信者たちと幸せになるのが俺の務めであるのだし、取り敢えず『万世極楽教』をもう一度立て直してみよう。

 名前も変えて、今度は広くその信仰の扉を開こう。

 そうやって、信者たちにあの『神様』の素晴らしさを教えてあげなくちゃ。

 

 

 また『神様』に会える時を楽しみに心待ちにしながら。

 俺は、新たな信仰を広める為に、夜の闇の中を足取り軽く進むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
目覚めたら何も覚えていない。再び『鳴上さん』と夢の中で出逢っても、思い出す事は無い。
それでも、何かを託された事は心の奥底に微かに残っている。
「都合の良い『神様』」に仕立て上げる事が出来る存在が目の前に居て、そして自分が願いさえすればそれを叶えてくれるのだとしても。決してそれを選ばず、人として共に戦ってくれる事を願う事が出来る心の強さがある。まさに主人公。


【鳴上悠】
この世界に迷い込んで来た『神様』の素質がある存在。
現実世界には干渉出来ないがその機会は窺い続けているこの世界の『心の海』の「くじら」たちの餌食になる可能性がある。
『神様』になってしまうとこの世界の『心の海』に取り込まれてしまう模様。
表の人格である本人にその自覚も危機感も無い。
まあどんな事になろうとも『鳴上悠』である事には変わらないので、炭治郎たちを傷付ける事は絶対に無い。


【『鳴上さん』】
物凄く不味い事になっている事に気付いている。
しかし事態が自分の手を完全に離れてこの世界の人々の手に託されてしまった事も分かっている。
まあそうは言っても、『人々の総意』を引っくり返せる為、最悪の事態に発展したとしてもどうにかする事は出来る。


【くじら】
現在、第一次世界大戦中の為、「滅び」に繋がりかねない様々な危険な『願い』は着々と蓄積している。
この状況下で『心の海』の力が具現化すると、冗談抜きで世界が滅びかねない。
尚、第二次世界大戦時代になると更に危ない。
無惨が幾ら暴れ回った所で世界は滅びないが、『心の海』の力が漏れ出すと世界は滅びる可能性がある。
そうでなくても、「死」を望んだり、「虚ろの霧」の中で滅びる事を願ったり、「怠惰の牢獄」に自ら閉じ籠ったりと、世界滅亡案件が押し寄せる事に……。
とは言え、まだ「くじら」は夢を見ているだけ。
その夢の中の『神様』が本当に現れてしまうのかは、現実の人々の選択次第。
既に『人々の無意識』による『試練』は始まっている。


【童磨】
『鳴上さん』も把握していない激ヤバ危険人物(鬼)。
ずっと『心』を欲していたが故に、悠の力が『心の力』その物である事を本能的に見抜き、故に尋常では無い執着を向けている。そしてその源泉を求めて『心の海』へとその目を向ける可能性がある。
自分から道を踏み誤る事は基本的に無い上にどうなったとしてもほぼ無危害な悠に比べると、何一つとして自重しないし周りがどうなろうが知ったこっちゃないので本当にヤバイ。
『心の海』が現実世界に干渉しないこの世界では、現実世界の側から『心の海』に接触するのはほぼ不可能な程に極めて困難ではあるのだが、悠への執着の一念で現実世界の側から壁をぶち抜く様にして『心の海』に接触する可能性がある唯一の存在。
とは言え、それを達成するには無惨様に対しての下剋上を達成してその能力をそっくり引き継いで、尚且つ『大衆の意識』を味方に付ける必要があるので、無惨様が健在な状態ではそのルートには入らない。
なおそのルートに入ると、噂による歪みや認知による歪みによって、童磨の活動範囲の現実世界(東京)が滅茶苦茶な事になる模様。


【鬼舞辻無惨】
やる事が山積み過ぎて半ば発狂中。
頭無惨ではあるが、同時に単純な「馬鹿」とは違うので、無限城抜きに『化け物』と戦う事は出来ない(瞬時に消滅させられかねない)事は分かっているので、とにかく無限城を再建させようと必死。
鳴女に可能な限りの血を与えて強化して回復させようとしているが、中々難しい。
更には、黒死牟と猗窩座の精神状態があまりにも思わしくない為、どうにか精神を弄って安定させようとするも中々上手くいかない状況に業を煮やしている。
手っ取り早く回復させる為に人を喰う様に命じても、二体とも全く人を食えなくなるとはどういう事なのだ……。
そして自分も『化け物』の姿を思い返すと、「マガツマンダラ」の余波を喰らった時の悪夢がフラッシュバックしかけるので辛い。
『心の海』の怪物その物になる資質は無い(あっても困る)が、P4U2の「ヒノカグツチ」の様な人々の無意識の集合体的存在の依り代になる素質自体はある。


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第六章【何時かは醒める夢】
『過去からの言伝』


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 各々の日輪刀を受け取り全員の体調も回復した事で、目覚めてから三日後には、随分と長い事お世話になった刀鍛冶の人たちに別れを告げて蝶屋敷へと帰還する事になった。

 無一郎は自分の邸に、玄弥は師匠である悲鳴嶼さんの下へと帰ったのだが。拠点となる場所が無く半ば根無し草状態の炭治郎たちはと言うと、隠れ里を発つまでの間に任務が入る事が無かった為に一旦蝶屋敷に身を寄せる事になったそうだ。

 何時もなら回復したら直ぐに任務が入るものなのに、珍しい事もあったものだ。

 まあ、任務が無いと言う事は、それだけ鬼の被害が報告されていないと言う事なので、そう悪い事では無いのだけれど。

 

 思えば、蝶屋敷に帰るのも随分と久し振りの事になる。

 隠れ里から蝶屋敷までは隠の人たちがバケツリレーの様に運んでくれるので何処かで蝶屋敷の皆へのお土産を買ったりする様なタイミングは無いのだけど。

 隠れ里の人たちが、「大したものではありませんが」と言いつつも、日々の手慰みとして作った様々な細工物などをお土産代わりにくれたので、それを後で皆にあげようと思う。

 あんまり嵩張るものや重たい物は、運んでくれる隠の人たちの事を考えると受け取れなかったが、つまみ細工やらちりめん細工などの小物はきっと蝶屋敷の皆の好みにも合うのではないだろうか。

 皆、喜んでくれると良いな。

 

 そして、お土産と言うとまた少し違う気もするけれど。

 しのぶさんの役に立てる様に、倒した玉壺の血を回収してある。

 二セット回収したそれの一つは既に茶々丸に託し、もう片方はしのぶさんの為に取ってあるのだ。

 黒死牟の刀も役に立っているらしいし、この玉壺の血も毒の研究などにきっと役立つだろう。

 よくよく考えると猗窩座の血も回収出来ていたら尚良かったのかもしれないが、残念ながらあの乱戦の中だとその余裕が無かったのである。

 ……まあ、『鬼を人に戻す為の薬』の完成には既に目処が立っているらしいので、無理に猗窩座の血を集める必要は無いのかもしれないけれども。

 

 それにしても、茶々丸は本当に賢い猫だ。

 一体何時何処で移動する里の人たちに付いて来ていたのかは分からないけれど。

 目覚めてから少しして、周囲に人気が無い事を確認してから物は試しとばかりに茶々丸の名を呼ぶと。

 当然の様に鳴き声と共に部屋の陰から姿を現したのである。

 それも、珠世さんへ以前相談していた件に関しての返事の手紙も伴って。

 姿を隠している間は見えていないので分からないが、もしかして茶々丸は瞬間移動の血鬼術でも使っているのでは? とちょっと思ってしまう程である。

 珠世さんたちが今何処に潜伏しているのかは分からないが、小さな猫の足だと、任務であちこちに移動する炭治郎を追いつつ、拠点と炭治郎たちの居る場所とを移動するのも大変だろうに。

 茶々丸は凄いなぁ、と撫でると。もっと撫で給えとばかりにゴロンと横になってくれるので、とても癒される。

 猫は幸せの形をしていると思う。勿論、猫だけでなく動物全般が良いものであるが。

 

 茶々丸の魅力はさておき、重要なのは珠世さんからの返事の内容だ。

 珠世さんから提供して貰えた情報を、どの程度までお館様に……ひいては鬼殺隊全体に共有して良いのか、と言うその許可である。

 普段の手紙のやり取りならもっと早くに返事が返って来るのに、ここまでそれが遅くなったと言う事は、やはり珠世さんにとって、自分たちの存在はそう簡単に明かされて良い事では無いからだろう。

 数百年もの間、鬼舞辻無惨からも鬼殺隊からも、悲願を果たすその日まで倒れる訳にはいかないとばかりに、その身を隠し続けていたのだ。

 例え何としてでも珠世さんたちの身の安全だけは確保する事を約束しても……お館様は鬼舞辻無惨を討つ為に「使える」なら非道極まりない手段以外は文字通り何でも使おうとするのだとしても。そう易々とはそれを信じ切れるものでは無い。

 ……だけれども。

 返って来たその手紙には、ただ一言。

「悠さんと炭治郎さんを、信じます」と。

 それだけが記されていた。

 ……その覚悟と信頼の重さの意味を分からない程、愚かでは無い。託されたそれの「重さ」に、思わず心が武者震いしそうになる程である。

 必ず、その「信頼」に応えなくては。

 

 黒死牟と猗窩座の両名と戦った際に無惨の根城を完全に吹き飛ばした事である程度の期間は無惨の動きを止める事が出来るだろう事と、自分が囮となる事で鬼舞辻無惨を釣り上げようとしている事などを記した手紙を玉壺の血と共に茶々丸に託し送り出して。

 それから、お館様へと向けた報告書の他に、『継国縁壱』なる剣士を知っているかどうかを訊ねる手紙も記す。

 

 産屋敷家は千年程鬼舞辻無惨を追い掛け続けている一族なのだ。

 長い時の流れの中や或いは幾度もあったと言う鬼殺隊の危機の際などに喪われたものはあれども。

 しかし恐らくは、最も「鬼舞辻無惨」や「鬼」や「鬼殺隊」などに関する情報を有しているのも間違いなく産屋敷家であろう。

 炭治郎が夢で見た縁壱さんの言葉が正しければ、縁壱さんは当時のお館様にお目通り叶う立場……今で言う所の「柱」に相当する存在であったのだろうし、そもそも『呼吸』の祖とも言える存在である。

 その存在に関して何かしら文書や口伝などの形で産屋敷家にその情報が残っている可能性は十分に考えられるだろう。

 そうであるなら、多少は話を通しやすい。

 縁壱さんがもしかしたら鬼舞辻無惨との戦いに関して何かを伝え残してくれている可能性だってあるし、どうかしたら珠世さんの事も何かしら伝えてくれたのかもしれない。

 珠世さんの存在を把握しているらしいのも、それが原因なのかもしれないし。……まあ、希望的観測でおいそれと突っ込んではいけないが。

 お館様が縁壱さんを知っていれば、炭治郎が『夢』の中で新たに得た情報なども合わせて色々と話を進めやすくなる。

 まあそんな感じの手紙と報告書を鎹鴉に託して見送って、何らかの返事が帰って来る前に、里を離れて蝶屋敷へと帰る事になったのであった。

 

 蝶屋敷までの道中は、行きと大して変わらない感じであった。

 前の里よりも蝶屋敷から遠いのか或いは近いのかも分からない。

 真っ直ぐに向かっている訳では無いので、中々に移動は大変そうである。

 ……と言うか、真昼間に目隠しと耳栓をされた人間が顔を隠した黒子みたいな人たちに背負われて運ばれてるのって相当目立つ気がする。……まあ、人目に付かない道を選んで運ばれているのだろうけれど。

 禰豆子はと言うと、既に陽光を克服している為に皆と同じ様に運ばれても問題は無いのではあるけれども。しかし、禰豆子が陽光を克服している事を知る者は可能な限り少ない方が良いので、窮屈そうで少し申し訳なくはなるものの、以前と同じ様に箱の中に縮んで入って貰っている。

 何時も使っているあの箱は半天狗との激戦の中でも奇跡的にあまり壊れていなかった様で、ちょっと修繕するだけで元通りになったそうだ。

 炭治郎の師匠から贈られた大切なものであるそうなので、ちゃんと無事に元通りになった事を炭治郎はとても喜んでいた。

 禰豆子としても、陽光を恐れる必要は無くなったからと言って箱の中に入るのを嫌がるでもなく、それを促すとあっさりと箱に収まった。

 禰豆子にとっても何時もの定位置であるそこは、落ち着く場所であるのかもしれない。

 そんな感じで、禰豆子が陽光を克服している事は、可能な限り伏せられる事になったのだ。

 尚、よくお世話になる先である蝶屋敷の皆は既にそれを知っているので隠す必要は無いのだけれども。

 

 そんなこんなで、朝一で里を出立して蝶屋敷に辿り着いたのは昼過ぎであった。

 自分たちを運んでくれた隠の人たちに礼を言って別れ、屋敷の玄関に入ると。

 

 誰かが屋敷に入って来た事に反応してひょっこりと顔を出した三人が、パァっとその表情を明るくして勢い良く駆け寄って来た。

 

「悠さんお帰りなさい!」

「炭治郎さんたちも、お久しぶりです!」

「しのぶ様たちも中で待ってますよ!」

 

 三人が一斉に喋るのをうんうんと頷いて聞きながら、随分と久し振りな気がする言葉を口にする。

 

「ただいま、みんな」

 

 そうやって「ただいま」と言える事に、温かな幸せを感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 しのぶさんたちにも挨拶をして、しのぶさんに玉壺の血を渡した後で、皆にお土産代わりの細工物を渡して。

 それから何時もの様に負傷した隊士たちを癒したり、洗濯物などの日々の家事をこなしたり。

 そうしている内に何時の間にかアオイが夕食の準備を始める頃合になっていたのでそれを炭治郎と一緒に手伝う。

 そう言えば、今日は随分と療養中の隊士の数が少ない様だ。

 洗い物の数も何時ものそれよりも随分と少なかったし、用意された膳の数も自分たちの分を抜けばそう多くは無い。

 いや、療養が必要な隊士の数が少ないのは良い事なのだけれど。

 

 何時もはもっと療養中の人が居るので、何かあったのだろうかとしのぶさんに訊ねてみると。どうやら鬼と遭遇する事自体がここ数日で相当減ったらしく、毎晩の様に運び込まれて来ていた隊士たちがめっきりと減った様だ。

 そして鬼との遭遇が激減したのは、丁度里が襲撃された日のその次の夜からの事であったらしい。つまり一週間弱の間、新たな負傷者が殆ど出ていないそうだ。

 今居る療養者に関しては、自分たちが隠れ里に行っている間に運び込まれて来ていた者達なのだとか。

 これで鬼と遭遇出来ていないだけで、鬼による被害が拡大しているとかなら大問題ではあるのだけれども。

 しかし、鬼によるものだと断言出来る様な被害の報告もめっきりと減っているそうだ。尚、鬼によるものなのか或いは人によるものか或いは偶然の事故なのかがハッキリとはしないものは今も少なからず報告はされているらしいのだけれど。

 これは、鬼全体がその動きを不活発化させていると捉えるべき事態なのだろうか? 

 

「やっぱり、その根城を消し飛ばされたのが、鬼舞辻無惨にとっては相当堪えたのでしょうか……?」

 

 或いは黒死牟と猗窩座に仕掛けた精神異常を来す力の影響が長引いているのか、それとも「青い彼岸花」を人質ならぬ「モノ質」に取られている事への対応に追われているのか、もっと別の理由なのか。

 ……禰豆子が陽光を克服した事はまだ鬼舞辻無惨にはバレていないとは思いたいけれど。

 

 うーん、と唸りつつそう零すと。

 話を聞いていたしのぶさんとカナヲが物凄く吃驚した様な顔で此方を見てきた。

 

「根城を消し飛ばしたんですか?」

 

 鬼舞辻無惨の? と、そう驚いた様な声で訊ねて来たしのぶさんに頷く。

 上弦の弐……童磨を消し飛ばす寸前までに至ったものと同じ力で一切の加減無く消し飛ばしたので、間違い無く跡形も無く吹っ飛んだ筈だ。

 以前、全力で放ったメギドラオンで、直斗の心が作り出した迷宮が跡形も無く消し飛んだ事がある。……まあ、流石に心から生まれたものがそうやって消し飛ぶのは幾ら何でも不味いのでは? と後日恐る恐る確かめに行くと、戦隊ものの秘密基地の様なその迷宮はちゃんと(?)元通りになっていたのだが。

 何にせよ、メギドラオンであの範囲が無に帰すならば、あの根城がどれ程の規模だろうと『明けの明星』で跡形も無く消し飛んでいるだろう。

 ……尤も、黒死牟も猗窩座も童磨も鬼舞辻無惨も、ついでにあの根城を血鬼術で維持していた鬼も、根城を消し飛ばしたとしても多分まだ生きていると考えた方が良いだろうけれども。

 

「……まあ、悠くんのやる事に驚くのは今更ですね……。

 何はともあれ、全員で生きて帰って来れたのは何よりです。

 煉獄さんたちからも話は既に聞いていますよ。

 よく頑張りましたね」

 

 そう言って、しのぶさんは頭を撫でてくる。

 しのぶさんとは一つしか歳は違わないし、自分の方が背は高いのだけれども。もしかして弟扱いされているのだろうか? 

 まあ、少し気恥ずかしくはあっても悪い気はしないし、寧ろ嬉しいので良いのだけれど。

 

「それは、煉獄さんたちが助けに来てくれたからですよ。

 ……多分、お館様の采配のお陰ですね」

 

 鬼殺隊を支え導いてきた「先見の明」が凄いものである事は知ってはいたけれど、今回の一件で改めてその凄さを思い知った感じだ。

 その言葉に、しのぶさんは「そうですね」と頷く。

 そして、寧ろここから先が本題だとばかりに、しのぶさんは話の流れを変えた。

 

「……あの鬼は、やはり生きていたのですね」

 

「はい。上弦の壱と参……黒死牟と猗窩座のあの様子だと、上弦の弐は生きているみたいですね。

 あの襲撃の場に現れなかった事を考えると、以前に削った分がまだ完全には回復しきれていなかったのかもしれませんが……。

 …………恐らく、いえ確実に。

 次に会う時には、以前とは比べ物にならない程に、あの鬼は強くなっている筈です」

 

 猗窩座と二度戦った煉獄さん曰く、二度目に戦った際のその強さはまさに桁違いにも等しい程に強くなっていたらしい。

 鬼舞辻無惨によって更に強化される前の段階で、既に人がどう対抗すれば良いのかも分からない程に圧倒的な強さであったと言うのに。

 今の上弦の弐がどれ程の『化け物』になっているのかを考えるだけで恐ろしい話である。

 一体どの様な変化を遂げているのかも分からないし、強化されていると言うのなら以前の情報では太刀打ち出来ない可能性もある。

 

「猗窩座の頸は、煉獄さんと無一郎の二人がかりで全力を出しても落とし切れませんでした」

 

 確かにあと一歩、ほんの僅かな助力が間に合っていれば、その頸は落ちていたとは思うのだけれど。

 何にせよ、柱が二人がかりであっても「上弦の参」の頸を落とせなかったというその事実は重い。

 そして、単に柱が二人がかりでも駄目だったと言うだけでは無い。

 二人とも「タルカジャ」で強化された上で、しかもその日輪刀は『赫刀』の状態であったのだ。

 ……ならば、「上弦の弐」であるあの鬼の頸を落とすには、それを遥かに超える力が必要であると言えるのだろう。

 その事実が示すものを理解し、しのぶさんはグッと感情を堪える様な顔をする。

 

「……私に、『復讐』を諦めろ、と?」

 

『約束』をしたのに、それを諦めさせるのか、と。

 しのぶさんのその目はそう訴えて来る。

 だが、それには当然首を横に振った。

 

「いいえ、まさか。

 ……『約束』したそれを、破ったりはしませんよ。

 自ら選んだ事には、最後まで責任を負わなくては。

 俺は、しのぶさんの『復讐』に最後まで手を貸します。

 それがしのぶさんにとって必要だと言うのであれば、何としてでもあの頸をしのぶさん自身に落とさせてみせます」

 

 ただ、それが更に困難な道程になった事だけは伝えなくてはならなかった。それだけだ。

 想定する相手の戦力を過剰な程に見積もってやっと、と言う状況であろう。

 

「……鬼舞辻無惨にも知られていない切り札は、まだ沢山ありますから。

 ですが、尽くせる限りのありとあらゆる手を尽くす必要はあるのかもしれません」

 

 あの強烈な氷の血鬼術からしのぶさんたちを守る方法はある、血鬼術を封じる事が出来るかどうかはちょっと賭けになるがそれでもどうにか出来るかもしれない手立てもある、大いに弱体化させる方法もある。

 それらの手札の全てを掻き集めて、可能な限りの手を尽くしきって。

 それでも、しのぶさんの手で童磨の頸を落とせるのかは確証は持てない。それでも、やるしかない。

 しのぶさんの心がその身を焦がす程の怒りと憎悪の呪縛から解き放たれる為に、それが必要だと言うのであれば。それを成し遂げる為にありとあらゆる手を打たなくては。

 

「師範……! 

 私も、あの鬼を倒す為に協力します……! 

 だから絶対に、あの鬼を討ちましょう」

 

 カナヲが、グッとその手を両膝の上で強く握り締めながらそう力強く言う。

 出会ったばかりの、心の声がとても小さかった頃からはとても想像も出来ない程に。

 カナヲはとてもしっかりと自分の意志を持ってそれを表明出来る様になっていた。

 まだ決断する事に時間が掛かる物事も多いけれど。

 この蝶屋敷の皆……特にしのぶさんに関する事柄ではとても決断が早いし揺るがない。

 かつて何も出来ないままにカナエさんを喪ってしまったからこそ、今度こそはと、そんな気持ちが強いのだろう。

 カナヲが童磨討滅に向ける想いは、しのぶさんのそれにすら匹敵するものであった。

 しのぶさんにとって童磨が最愛の肉親の仇であるのと同様に、カナヲにとっても童磨は大切な家族の仇であるのだ。その怨敵への感情も、並々ならぬものであるのだろう。

 そんなカナヲを見て、しのぶさんは随分とその心を表に出す事が出来る様になった事に喜びを感じている様だった。

 選択を委ねていた硬貨はお守りとして大事に持っているが、それを弾いて物事を決める事はもう無くなっていて。そう言った成長を本人以外に一番実感しているのは、誰よりも長く姉としてその傍に居たしのぶさんであるのだろう。

 

「ええ、カナヲ。必ずあの鬼を討ちましょう」

 

 そう頷いたしのぶさんの目に、以前の様な酷く思い詰める様な感情は見えない。

 きっとそれは良い方向への変化なのだと、そう思う。

 だからこそ、その目を曇らせなくても良い様に、出来る事をしなくては。

 

「これは刀鍛冶の里で確かめて来た事なのですが……──」

 

 そう前置きをして、『赫刀』や『透き通る世界』についてしのぶさんに説明する。

 特に『赫刀』に関しては、無一郎の日輪刀が僅かにとは言え黒死牟の頸に食い込めた事や、猗窩座の頸を煉獄さんと無一郎があと一歩の所まで落とし掛けた事を考えると、上弦の弐である童磨にも有効である可能性が極めて高いだろう。

 そもそも、対峙したのが色んな意味で規格外の存在だったのであろう縁壱さんであった事を差し引いても、『赫刀』は鬼舞辻無惨にすら有効であったのだから、それから生み出された上弦の鬼たちにも有効であると言うのは当然の事であるのかもしれない。

 日輪刀にその様な力がある事は全く知らなかった二人は、『赫刀』の説明を何処か半信半疑で聞いていたが。しかしそれが童磨との戦いに於いても有効であろう事は伝わった様で、ならば自分達がその『赫刀』を発現させられるのかと言う事が気になる様だ。

 

「現時点で分かっている日輪刀を『赫刀』の状態にする為の方法の一つは、凄まじい握力で握り込む事です」

 

 煉獄さんや甘露寺さんや無一郎ですら『タルカジャ』で補助しなくてはならないと言う時点で、尋常では無い握力が必要になる。

『タルカジャ』の補助を加味したとして、しのぶさんとカナヲがそれを発現させられるのかとなると、かなり難しいかもしれない。

 とは言え、あくまでも「握力」は『赫刀』を発現させる為の方法の一つでしかない。

 

「ただ、恐らくは握力以外にも発現させる方法はあるのだと思います。

 例えば、炭治郎たちが上弦の肆と戦った際には、禰豆子ちゃんの血鬼術によって日輪刀が『赫刀』の様に変化したらしいですし。

 後、煉獄さんと無一郎が猗窩座の頸を落とし掛けた際に、その日輪刀を打ち合わせた時に少しだけ『赫刀』の色が更に深い赫に変わったのを確認しました。

 もしかしたら、熱や衝撃などの要素でも『赫刀』に出来るのかもしれません」

 

 其処に関してはまだちゃんと検証出来ていないので、何処かで確かめてみる必要はあるのだが。握力以外の要素でも『赫刀』に出来るなら、それは間違いなくより戦力を押し上げる事にも繋がるだろう。

 そして、まあ当然と言えば当然なのだが、一度『赫刀』の状態にした日輪刀は、握力を多少緩めてもある程度の時間は『赫刀』の状態を保てる。

 自分が握った場合だと、三分程度は日輪刀を手放しても『赫刀』状態を保てる様だ。

 あまり実戦的とは言えないかもしれないが、自分がギュッと握って『赫刀』にした日輪刀を誰かに渡す事だって出来るだろう。

 激しい戦闘の最中にそうやって日輪刀の受け渡しをやる暇は殆ど無いのが問題にはなるけれども。

 

「そして、『透き通る世界』の事ですが。まあ正直これに関しては俺はあんまりよく分からないんですよね……。

 無一郎はその状態に入ると上弦の鬼相手でもその動きの先を見切って予測する事も出来たと言ってましたし、炭治郎は分身の身体の中に潜んでいた上弦の肆をその状態に入ると見付け出す事が出来たと言っていたので、多分あの鬼との戦いでもとても役に立つとは思うのですが……」

 

 何せ自分には全く分からない「感覚」の話になるのだ。

 無一郎と炭治郎だって、結果として知覚するレベルとしては同質だとしても、それをどの様に捉えているのかと言う部分に関しては違うだろうし。

 炭治郎にとってはそれは匂いであるらしいし、無一郎にとっては視覚と言うべきか勘と言うべきかというものであるそうなのだ。

 まあ、そこに関しては個々人の資質や感覚によって変わるものであるのだろう。

 

「……花の呼吸の終ノ型『彼岸朱眼』の様なもの?」

 

 カナヲにそう言われても、正直その終ノ型とやらを知らないので、よく分からないと首を傾げた。

 

「『彼岸朱眼』? それはどういったものなんだ?」

 

 そう訊ねると、カナヲは少し言い辛そうな顔をする。

 何か危険な技なのだろうか……。

 

「『彼岸朱眼』は目に全神経を集中させる様にして、限界まで動体視力を引き上げる技です。

 ……ですが、限界を超えたその力の代償に、失明の恐れがあります」

 

 カナヲの代わりに説明してくれたのはしのぶさんであった。

 刺突に特化した蟲の呼吸を編み出す前は、確か花の呼吸の使い手であったと言っていたので、花の呼吸の事にも詳しいのだろう。

 が、そんな事よりも。

 

「失明ってそんな……」

 

 その代償に思わず絶句してしまう。

 ……「痣」にしろ、その『彼岸朱眼』にしろ。鬼を倒せるならそれで良いと言う事であるのかもしれないけれど。

 しかし、己の寿命にしろ視力にしろ、そうやって捧げて良いものでは無いと思うのだ。……それ以外にどうしようも無いと言う事は当然あるのだろう。しかし、と。感情の面ではそうやって自分の身や命を削る行為を厭わないその姿勢は、中々受け入れ難いものだ。

 

「歴代の記録に残る花の呼吸の使い手の中でも、終ノ型を習得出来る程の使い手は稀だった様ですし、更に言えばそれを使った後の記録と言うものも数少ないので、ハッキリとそうなるとは言い切れませんが……」

 

 しかし、そんなリスクがある事は確かな事実である。

 余程の負担を、目や視神経などにかける技であるのだろう。

 ……当然の事ながら、そんな技は使って欲しくはない。

 

「『透き通る世界』がそれと同じなのかは分かりませんが……。

 しかし、それに至った人たちにそう言った何かしらのリスクがある様には見えませんでした」

 

 規格外の縁壱さんは評価の対象外にするとしても、話を聞いている限りでは炭治郎のお父さんが失明だとかのリスクを背負った様な感じでは無いし、無一郎も炭治郎も全く以て元気なのだ。結果としては同じ様な力なのかもしれないが、『透き通る世界』とはまた別のものであるのだろう。

 ならば、カナヲが『透き通る世界』とやらに至れる様になれば、そんな失明するかもしれない様な技に頼る必要も無くなるのだろうか。

 ……なら、自分がやるべき事は決まっている。

 

「しのぶさん、カナヲ。

 俺も手伝える事は何でも手伝うので、炭治郎たちの言う『透き通る世界』とやらに到達しましょう。

 そうすればきっと……」

 

 先ずは、その『透き通る世界』とやらを理解している無一郎や炭治郎から話を聞くべきなのかもしれないけれど。

 揃えられる限りの手札は予め揃えておくべきだろう。

 そうすれば、少しでも皆が何かを喪わずに、童磨を討って復讐を遂げて、更には鬼舞辻無惨の居ない夜明けを迎える事が出来ると……そう信じたい。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 相変わらず美しく整えられた庭を眺めながら、此処を訪れるのももう三度目にはなるのだけれども、どうしても緊張してしまう。

 横に居る炭治郎も、ここを訪れるのがまだ二度目だからなのか或いは前回に良い思い出が無いからなのか、とても緊張している様だった。

 しかも、今回は庭先では無くて室内に通されているのだ。中々に緊張する。

 まあ……流石に何か悪い事が起きるなんて事は無いと思うのだけれども……。

 それにしても、本来ならば柱ですら半年に一度の柱合会議の時位にしか直接顔を合わせる機会がほぼ無いらしいのに、半年どころか四ヶ月経つかどうかと言う期間の中でもう三度もお館様と顔を合わせていると言うのは中々に異例の事態であるのではないだろうかと思う。

 ……まあ、それだけ色々な事がその短くも無いが長くも無い期間の中で起こったと言えばそうなのだけれども。

 

 蝶屋敷に帰ったその日の夜。

 本当に鬼の活動が鎮まっているのか、誰にも任務が入る事も無く。なら今夜はもうそろそろ寝ようかと言う頃合いに。

 お館様からの使いの鎹鴉がやって来て、明日にでも詳しく話を聞きたいので産屋敷邸に来て欲しいと頼まれた。何故か、炭治郎も一緒に、と。

 いや、確かに縁壱さんの事に関しても珠世さんの事に関しても、炭治郎は当事者であるのだしそこから話を聞くと言うのは何も間違ってはいないのだけれども。

 しかし、二体もの上弦の鬼の討伐に関わり、しかも上弦の肆に至っては最終的にその『本体』の頸を落とした者であるとは言え。一応炭治郎は扱いとしては平隊士だ。その階級は今回の刀鍛冶の里の防衛の功績によって、柱以外では最も高い階級である「甲」にまで上がっているらしいのだけれども。

 尚、伊之助や善逸などもその階級は「甲」にまで上がっているそうだ。まあ、柱と協力していたとは言え、上弦の鬼を相手に五体満足に戦えてしかもその討伐に大いに貢献したとあってはそれも当然なのかもしれない。

 そして、自分に関してはどう扱われているのかに関しては物凄く曖昧な気がするけれど、一応柱では無い。

 手紙や報告書などは何度か送ってはいるけれど、まあそれだけと言えばそれだけなのだ。

 柱では無い者が二人も、それも柱の同席も無いままにお館様に謁見するなんて、相当珍しい状況なのではないだろうか……。鬼殺隊の歴史は詳しくはないので、憶測にはなるのだが。

 何であれ、呼ばれたのなら行くしかないのだけれども。

 

 と、そんな経緯でお館様が現れるのを炭治郎と二人で待っている訳なのだが。

 一応一般的な礼儀作法は知っているが、片やただの一般的な高校生、片や片田舎の山奥で炭焼きとして暮らしていた子供……。物凄く高貴な相手に対しての特殊な礼儀作法などには疎い。それもあって二人して緊張してしまう。

 此処まで連れて来てくれた隠の人たちも直ぐに何処かへと行ってしまったし、本当に今この場には炭治郎と自分しか居ない。

 

「縁壱さんの事について何かご存じだったのでしょうか。

 それとも……」

 

「……分からない。ただ、話を聞きたいとしか言われてないからな……」

 

 息を潜める様にそう訊ねて来た炭治郎に、正直よく分からないのだと首を横に振る。

 縁壱さんの事を知りたいのか、それともご存じであるらしい珠世さんの事を知りたいのか、或いはもっと別の事なのか。

 ……まあ、そもそもの話、あの夜の襲撃に関して詳しく知りたいと言う意味である可能性だってあるだろう。

 例えば半天狗の方の戦いに関しては最初から最後まで戦ったのは炭治郎と善逸と玄弥なのだし、玉壺やその後の黒死牟と猗窩座との戦いをより詳しく知りたいと言う事なのかもしれない。

 単純な戦闘の流れに関しては無一郎と煉獄さんの報告で充分だとは思うのだが、ペルソナの力などに関しては自分から直接聞いた方が早いのかもしれないし……。

 悪い事にはならないだろうが、取り敢えず珠世さんたちに何か害が及ぶ事だけは極力避けなければならない。

 

 と、そんな事を炭治郎と話していると。

 静かに襖が開いて、女性に手を引かれたお館様と、そしてその身体を支える様に両脇に控えたまだ幼い子供たちが入って来る。

 もしかしなくても、奥方様とそのご子息たち……なのだろう。

 同い年に見える子供たちはとてもよく似ている。五つ子なのだろうか……? 

 いや、そんな事よりも。どうかしなくても産屋敷家総出で自分たちの話を聞こうと言うのかと、お館様に頭を下げるのとほぼ同時に、瞬間的に炭治郎と「これ不味くないですか?」「不味いかも」とアイコンタクトを交わしてしまう。

 

「そんなに固くならなくても大丈夫だよ。

 普段の通りに楽にしておいて欲しい。

 悠、炭治郎。先ずは、よくやってくれた。

 上弦の鬼たちを相手に、よく里を守ってくれたね」

 

 目は相変わらずに見えていないのだろうけれど、此方が緊張しているのは伝わってしまっているのか。少し微笑む様にしてお館様はそう言う。

 いやまあ……そう言われても、完全に自然体になるのは難しい。が、そのお言葉には少し甘える事にして、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 

「ありがとうございます。しかし、俺の力だけではありません。

 あの場に居た全員の力です。

 そして……あの場に煉獄さんたちの救援が間に合う様に采配して下さったお館様の『先見の明』のお力によるものも大きいかと思います」

 

「悠さんの言う通りです。

 あの場に居た俺たちだけでは上弦の肆を倒す事は出来ませんでした。

 甘露寺さんと宇髄さんが助けに来てくれて、あの分身たちの相手をしてくれたから何とか助かっただけで……」

 

 そう答えると、お館様は「そうかい」と微笑む。

 本当にそうとしか言えない事だ。あの夜にあの場に居た誰が欠けていても、あの様な形で里を守る事は出来なかっただろうから。

 と、里の防衛に関しての質問に関してはまた後で、と言う事で。

 お館様は早速今回此処に呼び出した本題へと入る。

 

「さて……『継国縁壱』と言う剣士について、と言う話であったけれど。

 産屋敷家に伝わる手記などの中に確かにその記載があるね」

 

 そう言ってお館様は、鬼殺隊……正確には産屋敷家が把握している限りの『継国縁壱』に関わる事柄を教えてくれた。

 煉獄さんのご先祖様に当たる人の紹介で、鬼殺隊の前身となる鬼殺の剣士として鬼を狩る様になったらしい事。

 凄まじく剣才に溢れ、自身が「日の呼吸」を使う他にも、当時の鬼殺の剣士たちに『呼吸』の技術を伝え、指南役などとしてもとても力になってくれた事。

 縁壱さんに『呼吸』を教わった剣士たちは『始まりの剣士』と呼ばれ、今に続く鬼殺隊の基礎を作り上げていった事。

 そして、ある事を切欠に縁壱さんが鬼殺の剣士を辞めて行方知れずになった事。

 それから半世紀近くしてから、「日の呼吸」の関係者や縁壱さんの事を知る者たちが次々に鬼に襲撃されたり何らかの要因で命を落としていった事や、大規模な襲撃を受けて当時の鬼殺隊が壊滅しかけた事なども相俟って、『継国縁壱』の存在を知る者は、当時の剣士たちの手記などを保管していた産屋敷家の者たちだけになってしまった事などを教えてくれた。

 縁壱さんと親交があった人などの手記の現物を見せてくれながら教えてくれた、鬼殺隊側から見た縁壱さんの情報を聞いて、思わず何と言って良いのか分からなくなる。

 

 縁壱さんが鬼殺の剣士を追われた経緯は既に知っている。

 縁壱さんと直接親交があっただろう人たちの多くは、恐らくは「痣」の代償で若くして命を落としたのだろうと言う事も想像が付く。

 縁壱さんが鬼殺の剣士を辞めてから約半世紀後に、急にその痕跡を消し去るかの様に鬼の動きが活発になったのは……恐らくはその頃に縁壱さんが死んだ事を鬼舞辻無惨が知ったのだろう。そして、自分にとって脅威であった存在の痕跡を抹消する事で今後二度と同じ様な存在に怯えない様にとしたのだろう。

 ……しかしその所為で、『継国縁壱』と言う一人の人間が生きた痕跡は殆ど消されてしまったのだ。それは何とも哀しい事だと思う。

 まあ、数百年経った今も尚鬼殺隊を支え続けている『呼吸』などの技術そのものが、縁壱さんが確かにこの世に存在した証だと言われれば、それもそうなのだけれども。

 

 そして、『継国縁壱』に関して話し終えたお館様は。

「どうしてそれを知りたがったのかい?」と、少し底の読めない表情で尋ねてくる。

 慎重に答えなくては、とそう思いつつ。こちらのアイコンタクトに僅かに頷いた炭治郎は、竈門家と『継国縁壱』との不思議な縁について話し始めた。

 

「あの、実は……」

 

 そう前置きをして、竈門家に代々伝わって来た『ヒノカミ神楽』と耳飾りは、『継国縁壱』に命を助けて貰った竈門家の遠い先祖が、その縁で『継国縁壱』から託されたものであった事。

 そして竈門家の人間はその始まりの先祖の記憶を垣間見る事があり、自分もその夢を見た事。

『継国縁壱』に関しての彼自身の述懐によって、鬼舞辻無惨の事などに関して幾つか判明したものがある事などを、炭治郎は伝えた。

 

 鬼舞辻無惨に関する事、と言うその言葉に、その場に居た産屋敷家の全員の関心が一気に高まったのを感じる。

 千年掛けて追い続けていた相手の、文字通りに喉から手が出る程に欲していた情報なのだ。それを知りたがるのも当然である。

 

「夢を介して、か。不思議な事もあるものだね。

 だが、それで鬼舞辻無惨の事を知る事が出来ると言うのなら、それに勝るものは無い」

 

 情報源が炭治郎の見た『夢』であると言う事に関しては、お館様はあまりそれを不審には思わなかった様だ。

「そう言う不思議な事」と言うのは、何処にでも転がっているとまでは言わなくても、時折起きるものであるらしい。

 ある意味では未来視にも近い程のその「先見の明」だって「不思議な事」と言われればそうなのだし。「そう言う事」があってもそれを端から否定するつもりは無いそうだ。

 まあ、話が早くてとても助かる。

 非科学的、非現実的と懐疑的な目を向けられる事も覚悟していたのだが。よく考えなくても「鬼」なんて割と何でもありな存在と日々戦い続けているのだから、多少「不思議」な事でも「有り得ないなんて事はありえない」と言うスタンスなのかもしれない。

 

 お館様に促されて、炭治郎は『夢』で縁壱さんが語っていた鬼舞辻無惨との戦いについて説明する。

 ……しかし炭治郎の口からこれを聞くのは二度目なのだけれど、珠世さんから聞いた時の感じではまさに神業の剣術で鬼舞辻無惨を追い詰めた所を慮外の逃走手段によって後僅かの所で取り逃してしまった感じだったのに、縁壱さんの説明では普通に戦って普通に追い詰めたら逃げられてしまったと言う感じにしか聞こえない。

 何と言うのか、感覚の違いが凄いのか……。

 まあ何にせよ、「腕を自在に伸縮させて攻撃してくる」、「頸を斬っても死なない」、「心臓が七つ脳が五つ存在し、しかも身体中を絶えず移動している」、「追い詰められたら二千近い肉片になって弾け飛んででも逃げ出す」などを伝えられただけでも物凄く意義がある。

 まあ、本来なら此処に、珠世さんが教えてくれた「その攻撃の際に自分の血を撒き散らしている」などと言った情報も伝えられるのなら伝えたいけれど……。

 縁壱さんが余りにも凄過ぎて鬼舞辻無惨の攻撃を服に掠らせる事すら無かった為に、縁壱さんはそれに気付かなかった様だ。

 

 そして、鬼舞辻無惨に対して極めて有効であった『赫刀』と『透き通る世界』についても炭治郎は説明する。

『赫刀』に関しては現象自体は前からお館様に報告していたものだけれど、それに鬼に対してのある種の特効染みた力がある事は初耳だった様だ。

 

「無一郎と杏寿郎から報告されていたけれど、その『赫刀』には凄い力がある様だね。

 その条件が厳しいからか『継国縁壱』以外は今まで誰も知らなかった様だけれど、悠の力があればそれを発現させる事が出来るのだったかな?」

 

「ええ、恐らくは柱の皆さんの殆どがそれで『赫刀』に到達出来ると思います。

 また、『赫刀』に至る条件は一つだけではないのかもしれません」

 

 昨日しのぶさんたちにした説明をなぞる様にその考えを話すと、お館様は「成程」と頷く。

 

「鬼舞辻無惨の手の内を知る事が出来た事はとても大きい。

 それに。『赫刀』も、『透き通る世界』も。

 剣士(こども)たちがそれらの力を得る事が出来れば、無惨を討つ為の大きな力になる。

 悠、出来ればこれからも君の力を貸して貰えるだろうか」

 

 そう訊ねて来たお館様に、「勿論です」と頷いた。

 そもそも、「嫌です」と首を横に振る理由など何処にも無い。

 

 縁壱さんの話を介して、鬼舞辻無惨について話せる事の殆どは話せたので少し一息吐くと。今度は上弦の鬼たちとの戦いに関しての報告になった。

 とは言え、半天狗との戦いに関しては炭治郎たちが詳細な報告書を既に書き上げて提出しているので何か付け足す様な事は殆ど無いので、その内容の殆どは玉壺や黒死牟たちとの戦いに関してのペルソナの力を使った部分の報告が主だが。

 

 黒死牟たちの精神を一時的にしろ破壊した事や、黒死牟たちを回収しようとしたその隙を狙って例の根城を完全に消し飛ばした事、しかし恐らくはまだ黒死牟にしろ根城を作り出していた鬼にしろ生きていると考えた方が良い事。

 そして、鬼舞辻無惨が積極的に狙ってくる様に自分を囮にしたので、彼方側の立て直しが済み次第自分を標的に襲ってくるだろう事。

 それらを説明すると、横で聞いていた炭治郎が物凄く驚いた様な顔をした。

 はて……炭治郎には既に一通り話していたと思うのだけれど。

 

「黒死牟と猗窩座の心を一時的に壊したって言うのも物凄く気になりますけど。

 鬼舞辻無惨の根城を消し飛ばしたって、本当なんですか……!?」

 

 初耳なんですけど? と言わんばかりの顔をされて、あれ言ってなかったかな……と思わず首を傾げた。

 そう言えば、お館様に出した報告書以外ではしのぶさんたちに説明したのが初だった様な……。

 まあ、そう大きな問題では無いだろう、多分……。

 

「実際に消し飛ぶ光景を見た訳では無いけど……間違いなく消えている筈だ」

 

 まあ、実際に地上で使う訳にはいかない様な力なのだ。

 どうかしたら大きな街が丸々一つ地図から完全に消えてしまいかねない。

 炭治郎に「何と言って良いのか分からない」と言いたげな顔をされたが、後で謝っておこう。

 

「悠のお陰で随分とこちらも準備をする為の時間を稼げる様だ。

 ここ最近、鬼の被害がとても少なくなっている事は二人とも知っているかな?」

 

 お館様にそう言われて、療養中の隊士が減った蝶屋敷の様子を思い返して炭治郎と共に頷く。

 嵐の前の静けさみたいなものなのかもしれないが……鬼全体に何らかの動きがあるのは確かだ。

 

「上弦の鬼も肆以下が欠け、そしてその神出鬼没を支えていた異空間は悠によって破壊され、無惨は今とても追い詰められている事だろう。

 悠がその身を囮にしてくれた事で、悠を狙ってそう遠くない内に大規模な総力戦になる事が予測される。

 今も、我々の目に触れる事の無い様になっているだけで、水面下では恐らく無惨は何かしら動き続けているだろう。

 悠を、確実にその手に捕らえる為に。

 恐らく、大きな戦いは後半年もしない内に起きるだろうね」

 

 その予測は「先見の明」によるものなのかは分からないが。

 半年以内と言うその期間は、長いのか短いのかで言われると中々判断が難しいものである。

 だが、それが文字通りの決戦になる事は疑い様の無い事で。

 ならばこそ、出来る限りの備えをしなければならない。

 そう改めて意気込んでいると。

 

「さて、『青い彼岸花』についてなのだけれど。

 それは一体何なのかな?」

 

 突然振られたそれに、思わず微かに肩が跳ねてしまった。

 聞かれる可能性は十分にある事ではあったのだが、少し意識の外にあったと言うか……。

 

「それは……どうやら鬼舞辻無惨が長い間求めている物の一つであるらしいです。

 鬼舞辻無惨にとっては、『陽光を克服した鬼』に並ぶ程の重要なものであるのだとか……。

 正直、その『青い彼岸花』とやらが具体的に何なのか、そもそも今も存在しているのか、何故鬼舞辻無惨がそうも熱心に求めているのかは分かりません。

 ただ、それについて言及した際に、上弦の鬼たちの反応が明らかに変わりました。

 それを俺が知っている事、ハッタリですけど俺がそれを既に手にしている事を伝えると、激しく動揺している様で。

 恐らくは、それもあって鬼舞辻無惨は俺の事を狙ってくると思います」

 

『陽光を克服した鬼』になってしまった禰豆子ではなく、自分の事を、と。

 お館様に念押しして訴える様にそう伝える。

 鬼舞辻無惨が明確に標的にしているのは自分であって、禰豆子や炭治郎では無いのだ、と。

 

「……『陽光を克服した鬼』。

 炭治郎の妹の禰豆子がそうだったね」

 

「は、はい。ですが、恐らくはまだ鬼舞辻無惨はその事を知らないと思います。

 禰豆子が陽光を克服したその時には、周囲に鬼は全く存在していませんでしたし。

 それに、悠さんに助言して貰って、極力その事を隠す様にはしているので……」

 

 お館様の言葉に、炭治郎が少し緊張しつつ答える。

 非道な事はしないと思うのだが、如何せん『陽光を克服した鬼』である禰豆子が狙われ、更にはそれを奪われた際の被害は尋常なものではなくなる。

 万が一にも鬼舞辻無惨が陽光を克服した場合、無惨を殺し得るのは本当に自分の力だけになってしまうだろう。そして、そうなれば無惨が姿を消してしまう事も容易に想像出来る。

 お館様がその様な事をする事は無いとは思いたいが、安全の事を考えれば禰豆子を絶対に鬼舞辻無惨に見付からない何処かに人知れず幽閉してしまう方が、大多数の人々の安全を考えれば有益である事は確かなのだ。

 ……少しでもそのリスクを軽減する為にも、一日でも早く「鬼を人に戻す薬」が完成して欲しいものだ。

 禰豆子の為にも、炭治郎の為にも、そしてそれ以外の多くの人の為にも。

 

 ……ふと、その時。

「鬼を人に戻す薬」は鬼舞辻無惨自身にも有効なのだろうか? と考え付く。

 極論、鬼舞辻無惨と言う病原体の親玉から移された病原を排除する為の薬なのだ。

 鬼舞辻無惨自身にとっては、殺菌されるも同然の効果を発揮するのだろうか。それとも鬼舞辻無惨にも人間に戻す様に働くのだろうか。

 まあ、万が一鬼舞辻無惨自身には効かなくても、禰豆子と同様に鬼舞辻無惨によって鬼にされている筈の上弦の鬼たちには有効なのではないだろうか。

 多くの人々を喰らって人から大きく逸脱して行った上弦の鬼たちが果たして「人」に戻れるのかどうかはさておき。あの暴力的な力を少しでも削げるならそれに越した事は無い。

 それに相手に投与する「薬」と言う形でなら、万が一自分がその場に居る事が出来なくても力になれるだろう。

 切れる手札は一つでも多い方が良い。

 ……後で、珠世さんに相談してみようか。

 しかし、鬼殺隊の皆が出処不明の謎の「薬」を果たして使ってくれるのかと言う問題もある。

 どうしたものか……。

 

「そうか、それは良い判断だね。

『秘密』を守る為には、それを知る存在を極力少なくする事が一番だ。

 鬼舞辻無惨からも、そして鬼殺隊からも、長い年月の間隠れ続けている珠世さんの様に」

 

 珠世さんの名前が明確にお館様の口から出て来た事で、炭治郎と共に思わず固まってしまう。

 いや、珠世さんの存在を知っていると言うのは既に分かっているし、炭治郎が珠世さんと協力関係にあるだろう事も恐らくは推測されているとは分かっている。

 が、それをこうして明確に言葉にしたと言う事は……。

 

「……お館様は、珠世さんの存在をどう考えていらっしゃるのですか?」

 

 念の為に、お館様にそう訊ねる。

 利害の一致でお互いを利用しようとするのであれば、それはそれで良いだろう。

 お館様がそうである様に、珠世さんとて鬼舞辻無惨を殺す為ならば手段を選ばないだろうから。

 だがもし、明確に珠世さんたちを害そうとするのであれば、利用するだけ利用して「鬼」として殺そうとするのならば。

 それだけは、何としてでも阻止しなければならない。

 そんな事はしないだろうと、お館様たちの善性を信じたいけれど。

 相手を心から信じる事と、盲目的になって悪い事態を考えようともしない事は全く別なのだ。

 

 しかしそんな此方の疑念に、お館様は柔らかく微笑んだ。

 

「そう心配しなくても珠世さんの事は産屋敷家に代々伝わっているんだ。

『継国縁壱』が鬼殺の剣士から離れる際に、当時の当主に『何時か必ず鬼舞辻無惨を討つ力になってくれる鬼が存在する』事を教えてくれた。

 そして、その鬼の名が『珠世』であると言う事も。

 ……ただ、珠世さんはとても慎重で用意周到にその身を隠している様でね。

『継国縁壱』が去ってから数百年もの間、今までの産屋敷家の者たちは誰もその足取りを掴めなかったんだ。

 だから、炭治郎が珠世さんらしき鬼と接触した事を知った時、今この時代に鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす為の千載一遇の好機が巡って来た事を確信した」

 

 縁壱さんが遠い昔に残したその言葉が、珠世さんと鬼殺隊との縁を結ぼうとしている事を悟り、思わず胸が苦しくなる程の様々な感情が溢れた。

 ……遠い昔にこの世を去った縁壱さん本人は、生きている間に本当に辛い事ばかりが押し寄せていて、その心が果たして救われたのかどうかすらも分からないけれど。

 しかし、縁壱さんが遺したもの、伝えたもの、繋いだもの、託したもの、信じたものが、物凄い勢いで結び付いて大きな流れになっている。

 ……それを本人に伝える術は無いのだけれど。

 遠い遠い昔にこの世を去った縁壱さんが、その今際にでも。

 遠い未来で自分がして来た事が……自分が生きて来た事の全てが『掛け替えの無い価値』を持った事を、そしてその先できっと果たされるだろう鬼舞辻無惨の存在しない夜明けを、夢でもいいから垣間見て欲しいと、そう想ってしまう。

 

 そして、お館様がそうまで言うのであれば、珠世さんを害する事は無いだろうとそう判断して。

 炭治郎と頷きあって、珠世さんの事を伝える。

 

「本当に偶然ではあったのですけど、浅草で鬼舞辻無惨と遭遇した際に珠世さんにも出逢ったんです。

 そして、禰豆子を人に戻す為に、『鬼を人に戻す薬』の為に珠世さんと協力する事になりました。

 その為に、鬼舞辻無惨の血の濃い鬼たち……十二鬼月の血を集める事になって……」

 

「炭治郎と禰豆子ちゃんの為に少しでも何かをしたいからと、そう願い出た所、炭治郎を介して珠世さんと出逢いました。

 それから、上弦の弐や上弦の陸、そして上弦の壱の血肉を集めた結果、『鬼を人に戻す薬』の完成がもう時間の問題であると言う状態にまでなったそうです」

 

『鬼を人に戻す』。

 未だ誰も成し遂げた事の無い……文字通りの前人未踏と言っても良いそれが、もう少しで叶うのかもしれないと言うのは、お館様たちにとっても驚くべき事であったのだろう。

 お館様はそれを自分の中で押さえ込んだが、ご子息様方は息を飲む様な音を僅かに零す。

 

「『鬼を人に』……。

 成程、珠世さんはそうやって無惨を……。

 ……悠、炭治郎。

 二人の目には、珠世さんはどう見えたかな?」

 

 珠世さんが、圧倒的に強者である『鬼』の鬼舞辻無惨を『人』に戻す……或いは戻そうとする事でその人外の力自体を剥ぎ取ってその息の根を止めようとしている事に瞬時に気付いたのだろうお館様は、溜息を零す様にそう呟いて。

 そして、珠世さんがどんな為人なのか……人に害を成す「悪鬼」であるのか、それとも手を取り合い協力する事の出来る「人」であるのかを、珠世さんに直接会った事のある自分たちに問い掛けた。

 

「珠世さんは、とても優しい人で……それに、とても哀しい匂いを何時も感じる人です。

 ずっと後悔している様な、『鬼』である事を苦しいと、そう感じている人でした。

 今は、ほんの少しの量の血を飲むだけで、それも人からちゃんとお金を出して貰っている、と。

 人を喰っている鬼の匂いは全くしません」

 

「……珠世さんは、縁壱さんと出逢った頃は『人喰い鬼』であったのでしょう。

 ……ですが、その事を何よりも深く悔やんでいるし、珠世さんが数百年間人を食べていない事は確かだと思います。

 ……犯した罪そのものは何百年経とうとも消える事は無いのかもしれませんが。その罪を正しく問える人は、もうこの世には存在しない事も揺るぎ無い事実です。そして、珠世さんは自分の罪を自分で背負い贖おうとする事が出来る人です。

 炭治郎の事も、禰豆子ちゃんの事も、心から心配して助けようとしてくれている。

 信頼するに値する『人』だと。俺はそう思います」

 

 炭治郎と共にそう答えると、お館様は静かに頷いた。

 

「そうか、二人のその言葉を信じよう。

 ……二人は、珠世さんと連絡を取る事は出来るかい?」

 

 茶々丸を介してなら連絡を取る事は出来るので、炭治郎と共に頷いた。

 愈史郎さんの血鬼術で姿を隠している都合上、産屋敷邸には身を隠して付いてくる事が出来なかっただろうから今も蝶屋敷の何処かに居ると思うので、この場には恐らく茶々丸は居ないが。

 その返事に満足した様にお館様は微笑んで頷き言葉を続けた。

 

 

「そうか、ならばこう伝えてくれないだろうか。

『鬼舞辻無惨を倒す為に協力しませんか?』

『産屋敷邸にいらして下さい』、と」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
「痣」と言い『彼岸朱眼』と言い、そうは言っていられなかった事情は心から分かるのだけれども、鬼殺隊の人たちはもっと自分の身体と命を大事にして欲しいとどうしても思ってしまうし、そういった犠牲を「仕方無い」で済ませたくはない。
「痣」の事は結局お館様にも伏せる事にした。
出来る事なら、このまま炭治郎以外の誰にも知られずにいたい。
お館様を完治させられるのはまだもう少し先の事。


【胡蝶しのぶ】
無惨の本拠地を吹き飛ばしたとサラッと言われてしまい反応に困ったけど、「まあ悠ならそう言う事も出来るのだろう」と最終的には流した。
自分が自爆特攻するのは別として、カナヲが『彼岸朱眼』で失明したりするのは出来る事なら避けたい。けどどうしようも無い時もあると言う事もよく分かっているので、悠程の拒否反応は示さない。
この後、蝶屋敷に滞在中の炭治郎から『透き通る世界』について説明して貰う事になるが、あまりの説明下手の所為で何も分からず思わず宇宙猫顔になった。


【栗花落カナヲ】
『彼岸朱眼』と『透き通る世界』は同じ様なものだろうか?と考えている。
必要に迫られれば躊躇なく『彼岸朱眼』を使う模様。
現状では無惨への殺意よりも、童磨への殺意の方が高い。
悠の事は、童磨の討伐を誓った同志だと思っている。しのぶ姉さんの事を大好きな者同士としての信頼が厚い。
この後、蝶屋敷に滞在中の炭治郎から『透き通る世界』について説明して貰う事になるが、あまりの説明下手の所為で何も分からず思わず宇宙猫顔になった。


【竈門炭治郎】
何かを教えるのが絶望的に下手くそ。説明に際して擬音以外の語彙が死んでいる。
普段の会話がマトモなだけに、そのギャップに全員が宇宙猫顔になる事に……。
もしやヒノカミ神楽が代々見取り稽古で伝わって来たのは、代々の継承者たちが教え下手だったからなのでは……?と悠にはぼんやりと思われている模様。
なお、その真実は今となっては確かめる術が無い。
そもそもその存在すら知らなかった無限城が、よく知らない内に消滅したらしいと聞いてどんな顔をするべきか分からなかった。


【竈門禰豆子】
陽光を克服したので日中もお兄ちゃんたちと過ごせる様になって嬉しい。
とは言え、あまりその事を周囲に知らせる訳にはいかないので、日中に出歩けるのは蝶屋敷の敷地内だけだが。
カナヲにシャボン玉を教えて貰った事から二人で縁側に座ってシャボン玉を作っている事も多く、炭治郎たちがそれをニコニコと見守っている事を当人たちだけが知らない。


【産屋敷耀哉】
悠と炭治郎から齎された情報の価値が凄過ぎて、穏やかな顔の裏では感情のジェットコースター状態だった。
珠世さんへの協力の要請に関してはちゃんと自分からも手紙を認めて炭治郎と悠に託すが、そもそも珠世さんからの信頼値が自分と炭治郎たちでは天と地なのは分かっているので、二人からも言って貰った方がスムーズに事が進むだろうとの目論見がある。
なお、悠の事は変な所から目を付けられない様に実は結構しっかりとガードしている。


【珠世】
悠からの「無惨の本拠地を消し飛ばしました」と言う手紙の内容に絶句する事になる。そして、その際の無残の痴態を想像して、とても良い笑顔になった。
それを見た愈史郎の珠世様観察日記が一気に二冊埋まる程の、それはもう素晴らしい笑顔だった。
もし目の前に無惨が居れば、「ざまぁwww」とばかりに、良い笑顔のまま煽り倒していたかもしれない。
まさかの産屋敷家への協力要請に物凄く驚くが、炭治郎と悠が大丈夫だと太鼓判を押すので最終的に了承する事に。


【蝶屋敷の皆】
悠の事は物凄く大好き。優しく賢くて気配りが上手で面倒見がとても良い、寧ろ大好きにならない方が難しい。
「お帰りなさい!」と声を掛けると何時もとても嬉しそうな顔をするので、誰が「お帰りなさい」と声を掛けるのかを何時も少し競争している。
それもあって、悠が刀鍛冶の里に滞在している間はちょっと寂しかった模様。
里のお土産は、しのぶとカナヲとも一緒になって皆で分け合った。


【童磨】
布教を開始。オタクによるオタクの為の布教活動なので、所謂新興宗教だとかカルト宗教だとかと違ってお布施やら帰依やらを求めない。民間の人たちも手が出しやすい。
そして本人のカリスマ的カウンセリング能力もフル活用。布教活動を始めたばかりなので今はまだ草の根活動レベルだが……。
余談ながら、丁度この頃は『心霊主義』などが人々の関心を強く集めた時代である。
なお、この当時「大本」が大正十年に世界が変わるなどと言ったある種の『終末論』を喧伝して(新聞の買収までした)、インテリ層など多数の社会階級から多くの信者を獲得しているなどと言った動きもあり、『終末論』的な思想は無視出来ない勢いで存在した様だ。ちなみに、「大本」は「神憑り」で多数の信者を獲得している。
また世界全体で見ると第一次世界大戦の真っ只中であり、非常に色々と人々の心は揺れ動いた時代だと言える。


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『悪鬼討つ刃たち』

前回の更新から時間が経ってしまって申し訳無いです。
私用も無事に終わったのでどうにか続きが出せました。
完結まで良いペースで駆け抜けて行ければと思います。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 前回の緊急の柱合会議からまだ一ヶ月半も経っていないが、事が事だけに再び緊急の柱合会議が開かれる事になった。

 議題は、上弦の鬼たちと鬼舞辻無惨の事、そして刀鍛冶の隠れ里への襲撃以降不気味な程に鬼の動向が静かなものになっている事などだ。

 

「しっかし、羨ましい事だぜぇ。

 俺の担当区域が隠れ里に近かったら、俺も上弦と戦えたんだろうになあ」

 

 基本的に鬼殺への想いが誰よりも強い柱たちの中に在っても、更により一層と言っても良い程に鬼に対する殺意と怒りを抱えている不死川はそう言葉にする。

 上弦の鬼たちが尋常な強さでは無い事は誰もが承知の事実ではあるが、それでも尚上弦の鬼と戦いそれを討つ機会を欲するのが柱の常である。

 例え柱であっても上弦の鬼と戦って生き残れる可能性は低いが、そもそもの話歴代の多くの柱たちは上弦の鬼に相対する事も叶わず志半ばに斃れるか或いは一線を退かざるを得なくなる事が殆どであった

 そう言う意味で言えば、かつて上弦の参と戦い、そして今回の里への襲撃に於いては上弦の壱と参を同時に相手取る事になったのは、柱としての責務と本懐を果たしていると言えるのかもしれない。

 

「元々の担当区域が近かった甘露寺だけでなく、俺と宇髄もあの場に間に合ったのは偏にお館様の『先見の明』によるものだな」

 

 どうしてお館様が俺と宇髄を選んでそこに配置していたのかは分からない。

 何か深い理由があるのかもしれないが、俺たちにとって重要なのはその理由では無く、戦いの場に間に合い里を守り切る事が出来たと言うその「結果」が全てである。

 そしてそもそもの話をすれば。あの夜の里に時透が居た事、鳴上少年が居た事、竈門少年たちが居た事、里の近くが甘露寺の警備の担当区域であった事。

 そう言った条件の積み重ねがなければ、「間に合う」事すら叶わなかっただろう。

 上弦の肆と上弦の伍の能力を後から話に聞いただけでも、隠れ里を跡形も無く滅ぼし切るのにはその二体だけでも十分どころか過剰とすらも言える程の戦力であったと分かってしまう。

 配下の化生を大量に放って広範囲を一気に殲滅する事に長けた上弦の伍も、その血鬼術のカラクリに気付けなければ勝つ方法の無い上弦の肆も、そのどちらも、経験を多く積んだ隊士たちですら相手取る事が難しい。

 甘露寺と宇髄に若手の中でも特に有望な竈門少年たちと言う、鬼殺隊全体で見ても動員出来る戦力としてはかなり高い総勢七名全員で死力を尽くして、それでどうにか討ち取れた上弦の肆も。

 鳴上少年と共に力を合わせた時透がその頸を落とした上弦の伍も。

 その場に居合わせた者が別の者であれば、もっと被害が拡大していたかもしれない。

 上弦の伍が奥の手として放って来たと言うその血鬼術も、鳴上少年のお陰で何の問題も無く切り抜ける事が出来たが、それに触れるだけでも日輪刀その物を無力化し得るかもしれなかったと言うものであるらしいのだから、普通に戦っていれば全滅していた可能性すらある相手であったのだろう。

 そんな鬼たちを相手にして、里に被害らしい被害を殆どと言って良い程に出さなかったのは、「快挙」と呼ぶ他に評価する言葉が無いだろう。

 上弦の伍を斃した後に現れた上弦の壱と参に対しても、戦場となった山には大きな被害が出たが里の人々自体には被害を出さなかった事も、特筆するべき結果である。

 

 ……そして。上弦の伍の討伐、上弦の壱と参の撃退。更には、里が襲撃された直後の初動の対応。

 それら全てに関わり、あの夜の里の防衛に於いて最も大きな役割を果たしたのは、疑いようも無く鳴上少年であるのだろう。

 ……彼の果たした役割は、余りにも大き過ぎる。

 直接その手で上弦の鬼を討ち滅ぼした訳では無いとは言え、今回の里での働きは尋常なものでは無いし、そもそも上弦の陸を討った戦いに於いても鳴上少年が居なければその場に居た者は全員命を落としている可能性も高い。

 ……ただ、それは。

 

「里を襲撃してきた上弦の肆と伍に加えて、壱と参をも相手取って、誰一人欠ける事なく上弦を二体も斃す事が出来たのは尊い事だ……」

 

「あの場に居合わせた皆が全員で頑張ったからね! 

 でも本当に厄介な鬼だったわ……」

 

 対峙した鬼との、あまりにも往生際の悪いその戦いを思い出してか。甘露寺は珍しく少し渋い顔をする。

 

「派手な血鬼術の割には、卑怯と臆病を煮詰めた様な地味で厄介な奴だったからなあ……。

 遊郭で戦った妓夫太郎の方が、攻撃の厄介さは抜きにするなら戦いやすかったな」

 

 宇髄も辟易した様な顔をしているので、上弦の肆は余程の相手だったのだろう。話に聞いただけでも嫌になる相手ではあったが。

 

「時透は確か上弦の伍の血鬼術を受けたのだったな。

 体の方はどうだ?」

 

「悠が癒してくれたから大丈夫」

 

 伊黒に身を案じられた時透がそう返すと。鳴上少年の名に、伊黒と不死川が微かに反応する。

 

「鳴上かぁ、俺はアイツの事はあまり知らねぇんだが、実際の所どうなんだ? 

 隊士たちの間でも、隠たちの間でも、色々と話題には上っている様だがなァ……」

 

 不死川が言う『話題』とは、……恐らくは鳴上少年について色々と噂されている件についての事だろう。

 上弦の弐の撃退に始まり、上弦の陸の討伐に大きく貢献した者としても知られ、更には今回の隠れ里の防衛戦での戦いの事もあり、鳴上少年の事は鬼殺隊全体で何かと話題に上る事も多くなっている。

 具体的に鳴上少年がどうやって戦い、何をしていたのかを詳しく知る者は、柱を除けば竈門少年など彼と特に親しい極僅かの者たちだけに留まってはいるのだが。

 しかし、その戦いの痕跡を見た隠たちや、或いは彼が蝶屋敷で傷を癒した隊士たちや、又は救援要請を受けて駆け付けて来た彼によって救われた者たちなど。

 鳴上少年個人との交流こそ無くとも、何かしら彼に関わった者たちの噂話などを通して、隊士や隠たちの間に、鳴上少年の事が尾鰭が付くどころか彼の実像からかなり離れた様な人物像で一人歩きしつつあった。

 ……まあ確かに、鳴上少年の力は余りにも「異質」だ。それは揺るぎようも無い事実である。

 死者を甦らせるにも等しい程の助かる見込みなどある筈も無い者をも救い、上弦の鬼を相手にしようとも傷一つ付かず、天変地異の如き力を揮い、「神」をもこの現世に呼び出せる。

 それは確かに、人が己の常識で量れるそれを遥かに超えている。

 鬼と言う超常の存在を知る鬼殺隊の者たちにとってすら、鳴上少年のそれは余りにも「異質」であるのだろう。

 ……だからこそ、鳴上少年にある種の「超常の存在」を見てしまう事自体は、誰が悪いなどと言う訳ではなく、ある意味当然の帰結であるのかもしれないが……。

 しかし、その力の「異質さ」とは相反すると言っても良い程に、鳴上少年自身は良心的で善性に満ちているだけの「普通」の『人間』だ。

 そんな鳴上少年に対し、彼を『人間』とは異なる「超常の存在」……神仏の化身か何かの様に扱ったり或いはそう言った視線を向ける事は、果たして正しい事であるのだろうかと、そう思ってしまう。

 とは言え、上弦の鬼たちの様に鳴上少年を『化け物』だとかと罵っている訳では無い……寧ろ逆の感情を向ける者たちを咎める事も出来ないのだが。

 

「悠くんは……そうですね……説明は難しいですが。

 しかし、隊士の間で噂になっている様な存在ではありませんよ」

 

 不死川の言葉に、鳴上少年と一番長く接している胡蝶はそう答えて。

 

「悠の奴は……悩むし迷う事もある、『普通』の奴ではあるな。

 ま、あいつが『仲間』だって事は何があろうと変わんねーよ」

 

 上弦の陸との戦いを共にした宇髄はそう言いながら微かに頷く様に首を動かす。

 

「悠くんは、すっごく良い子よ!」

「悠はお人好しな位に親切で面倒見が良いです」

「悠の心根が善きものである事は確かだろう……」

 

 鳴上少年と関わった事のある甘露寺に時透、そして悲鳴嶼さんがそう答える。

 そして。

 

「鳴上少年は、自分では無い誰かの為に戦う事の出来る者だ。

 それだけは間違いが無い」

 

 そう俺が答えると。不死川はガシガシとその頭を掻いて微かに唸る。

 

「いや、俺が聞きたいのはそう言う事じゃ無くてだなァ。

 まあ、性格とかの部分しかハッキリと言える事が無ぇのか……」

 

「里の者たちが血鬼術の化け物どもに襲われた際には里全体に無数に散らばった化け物たちを一瞬で殺し尽くし、更には負傷した里の者たちのほぼ全員の傷を一瞬で癒し。上弦の壱と参との戦いでは山の大半を吹き飛ばしたらしいが、それは本当なのか?」

 

 あの夜の戦いに関して出された報告書を読んだ伊黒は、信じ難いとでも言いた気な顔で、あの夜の戦いの場に居た俺たちに訊ねる。

 里が襲撃された直後の状況は、後から救援に駆け付けた俺たちには分からないが。最初から戦い抜いた時透は静かに頷く。

 時透も里が襲撃された直後に鳴上少年がどう動いていたのかに関しては詳しくは知らない様だが、里の者たちの証言と鳴上少年の報告は何一つとして矛盾しなかったので確かなのだろう。

 そして、上弦の鬼たちとの戦いの中で、鳴上少年が天変地異の如き暴風を巻き起こして上弦の鬼たちごと山を削ったのも間違い様の無い事実である。

 

「……凄まじい話だな」

 

 ポツリと、それ以上の言葉は見付からないとでも言わんばかりに、伊黒はそう呟く。

 言葉にすると「現実味」と言うものが全く存在しなくなる事ではあるが、紛れも無く現実に起きた事だ。

 

「俺としては上弦の壱と参が突然錯乱して同士討ちを始めたってぇのも気になるんだが、報告書を読んでもよく分からなくってな」

 

「正直、あれに関しては僕たちも何が何だか分からないんです。

 恐らくは、悠にしか分からない事だと」

 

 時透がそう答えた様に。あの謎の同士討ちが起きた理由と言うのは正直な所全くよく分からなかった。

 鳴上少年が何らかの手段で鬼たちを錯乱させたのは確かなのだろうけれども。

 具体的に何をどうやればあそこまで狂乱したかの様に殺し合う事になるのかはさっぱり分からない。

 

「上弦同士で殺し合ってくれれば手間が省けるんだが、まあそう上手くはいかねぇか。

 ……しかし、鳴上は一体何者なんだ?」

 

 不死川の言葉に、鳴上少年に関りがある者も無い者も、その誰もが沈黙した。

 鳴上少年が一体『何者』であるのか。その答えを正しく知る者はこの場には居ない。

 鳴上少年自身にしか分からない事であるのかもしれないし、或いは彼自身にすら分からない事なのかもしれない。

 この世の理を大きく逸脱しているとしか思えない程に「異質」なまでのその力の根源やその力自体の「底」も、全く分からない。

 鳴上少年が間違いなく心優しく性根から善き人である事以外は、何も分からない。

 しかし、鳴上少年に関して分からない事ばかりでも、彼が心から信頼するに足りる者である事には変わらない。

 

「……鳴上が何者であろうとも、鬼殺の力になっているのなら、俺たちにとっては大きな問題では無いだろう。

 万が一にも問題か何かがあるのなら、それも含めてお館様からお話がある筈だ」

 

 今の今まで何も言葉を発する事無く静かに話を聞いていた冨岡がその重たい口を開き言葉を発し終えたのとほぼ同時に。襖が静かに開かれた。

 

 

「大変お待たせ致しました」

 

 先に入って来た奥方様が、そう言って静かに頭を下げて。

 そして、その後にご息女様方に導かれる様にその手を静かに引かれながらお館様が姿を現した。

 前の柱合会議の際に鳴上少年がその力を以て癒したからか、以前よりもずっとその体調は良いのであろう。

 しかし、瀕死の者すらをも癒しきる事の出来る彼の力を以てしても、お館様のそのお身体の全てを治しきる事は叶わず。

 そして、その身を蝕み続ける呪いの如き病魔の全てを祓い切れた訳でも無い。

 それでも、もう動く事も儘ならぬ程に進行していた病は確実に快方へと向かった事は確かだ。

 

 不死川の挨拶の口上に静かに頷いたお館様は、変わらぬ穏やかな声を上げる。

 

「よく来てくれたね、私の可愛い剣士(こども)たち。

 前回の柱合会議からそう間は空いていないけれど、変わらぬ顔触れが揃う事が出来た事を嬉しく思う。

 さて……皆も知っての通り、上弦の陸に引き続き、上弦の伍と肆を討ち滅ぼす事が叶った。

 そして……鬼たちの活動が不自然な程に鎮まり返っている事も知っての通りだ」

 

 鬼の被害が皆無になった訳では無いが、刀鍛冶の里への襲撃が起きたあの日以来、鬼殺隊の下に寄せられる「鬼の手による可能性がある事件」の情報などが不自然な程に激減していた。

 日々の巡回の際にも、鬼に遭遇する事もその気配を感じる事も無い。

 嵐の前の静けさ、としか言えない程に不気味な程にその動向は大人しい。

 

「肆以下の上弦の鬼が完全に欠けた事。

 壱と参が一時的にせよ同士討ちを行う程に錯乱した事。

 その根城となる異空間が完全に消し飛ばされた事。

 千年もの間求め続けていた物を餌に脅された事。

 それらの全てが一度に積み重なった今の鬼舞辻は、かつて無い程に追い詰められ焦っている事だろう」

 

 そしてお館様は、後六ヶ月もしない内にかつて無い程に大規模の……文字通りの総力戦となる戦いが起こると予見した。

 その言葉に、場の緊張が一気に高まる。

 千年近くもの間誰にもその痕跡をろくに辿らせなかった鬼舞辻が、ここに来てそれ程までに追い詰められ、更には隠遁するのではなく攻勢に打って出てくると言う。

 鬼舞辻無惨討滅と言う、数百年以上にも渡る鬼殺隊の悲願の成就の可能性がここまで明確に見えて来たのは、やはり鳴上少年の存在が大きく関係しているのだろうか。

 

「お館様。失礼ながら、根城が完全に消し飛ばされた……とは?」

 

 俄には信じ難く、そして何故そうだと断言出来るのかと。

 そう問いたげな顔と声音で不死川がお館様に訊ねる。

 

「上弦の壱と参と同時に戦った際、鬼たちが撤退するその間際に、悠は鬼たちが身を潜めようとしたその異空間自体を完全に破壊したそうだ」

 

「同日未明、東京郊外のとある森が完全に消失する事例が発生しました。

 人里から遠く離れた場所であった為人々の生活への被害はありませんでしたが、恐らくは鳴上様の攻撃の影響によるものと思われます」

 

 お館様の言葉を補足するかの様な奥方様の言葉に、その場が騒めく。

 どの程度の規模の森が消失したのかは分からないが、それが街中で起きていたらどうなっていた事かと懸念を示す者。

 前回の柱合会議の時から最大の懸念事項として挙げられていた鬼舞辻の根城が、既に崩壊した事に驚きを隠せない者。

 或いは、微かに憂う様にその眼差しを静かに伏せる者。

 ……その反応は実に様々であるが、殆どの者に何かしら感じるものはあった様だ。

 

 そしてお館様は、鬼舞辻の根城が消し飛んだ事は確かではあるが、その異空間を維持していた鬼や上弦の壱から参はまだ生きていると仮定して今後も動く事などを伝えた。

 更に、此処からが本題だとばかりに、見えてはいないその眼を真っ直ぐに俺たちへと向ける。

 

「来る総力戦の際には、鬼舞辻無惨本人との交戦も予期される。

 鬼舞辻無惨についてその殆どが未だ謎に包まれていたが、此度極めて有用な情報が鬼殺隊に幾つも齎された」

 

 お館様のその言葉に、俺も含めた全員の目の色が変わった。

 その前身となった組織も含めれば千年近くもの間、どれ程に渇望し奔走しても何一つとして鬼殺隊が得る事の出来なかった……出来たとしても幾度もの大規模な襲撃の中で喪われてしまった、鬼たちの始祖であり全ての元凶たる鬼舞辻無惨の、それに関する情報なのだ。

 例えそれが「容姿」の様な、直接的に戦闘に関わる訳では無い物ですら値千金と言っても良いものであるのに。

 一体どんな情報が齎されたのかと、全員が固唾を飲んでお館様の言葉の続きを待つ。

 

 そしてお館様が語ったのは。

 この場の誰も想像などしていなかった程の、最早鬼舞辻無惨の手の内を丸裸にしたのではないかと思う程に、鬼舞辻無惨の討滅を何よりも補強する情報の数々だった。

 

 日輪刀で頸を落としても死なない為、殺すには陽光を直接当てるしか無い事。

 その身体には脳が五つ心臓が七つ形成されそれらを絶えず移動させている事。

 余りにも再生速度が速い為に斬っても切れない様な状態にすらなる事。

 腕を自在に伸縮させる他に『人』の形に何の執着もないが故にかその形状は瞬時に『人』を逸脱したものになる事。

 基本的な戦い方は伸縮自在の腕を振り回して周囲を切り刻む事であるが、その速さと威力が尋常では無い為に武術の技量など無くても必殺にも等しい攻撃である事。

 追い詰めたとしても今度は千数百もの肉塊になって弾け飛び、僅かにでも逃せばそこから復活出来る事。

 

 それらの内の一つでもそれを得る為に柱程度の実力がある者が何十人と命を賭してもそれでも得られるかどうか分からない程の情報の数々が、何の惜しみも無く一気に齎された。

 鬼舞辻無惨と言う存在の規格外さに、誰もが言葉を失ってしまうが。しかし、こうして事前にその情報が共有されたのであればそれを基に対策を練る事も出来る。

 そうすれば、確実に鬼舞辻を討滅する為に大きく前進出来るだろう。

 相手の情報など事前に知る事が叶わない事の方が大半である鬼殺隊にとって、その情報の価値は計り知れない程に大きい。

 そして、事前に対策を打てるのは鬼舞辻だけでは無い。

 上弦の壱から参までの全員に、一定以上の対策を予め講じる事が出来る。

 上弦の弐に関しては、鳴上少年が撃退したその時よりも確実に強くなっている為完全な事前の対策は不可能だが。

 しかし、上弦の壱と参に関しては、既にその奥の手や攻撃方法など、ほぼ全てが明らかになっているのだ。

 上弦の壱も参も、何も知らぬままに会敵すれば柱であってもどれ程の数を揃えていても全滅する可能性を否めない程に次元の違う強さを持っているが。

 何も対策出来ず、半ば出たところ任せの様に戦うしかないよりは確実に被害を出さず、かつより確実に討てるだろう。

 情報の価値は計り知れない程に大きい。

 そしてだからこそ、それが「正しいもの」であるかは何よりも重要だ。

 

「それらの情報は一体何処からのものであるのでしょうか」

 

 お館様がこうして俺たちに伝えたと言う事は、その情報を齎した相手は信頼出来る者であり、かつその情報は「正しい」のであるだろうが。

 ここまで重要な情報を鬼殺隊に齎したのは「誰」であるのかは、この場の誰もが気になっている所である。

 ……尤も、恐らくこの場の全員の脳裏に「もしかして」と過ぎっている者に心当たりはあるが。

 

「これらの情報を掴んだのは、悠と炭治郎だ。

 ただ二人とも、これらの情報を鬼殺隊に齎したのは自分たちではなく、何時かの未来に鬼舞辻が討たれる事を信じてそれを託した、遠い過去に生きた鬼殺の剣士だと言っていたよ。

 そして、その剣士が繋げたものを、偶然今を生きる自分たちが受け取る事になっただけなのだ、とも」

 

 悲鳴嶼さんの言葉にお館様が挙げたその名に、鳴上少年の名は恐らく全員が思い浮かべていたからかあまり驚きは無かった様だが。そこに竈門少年の名も在った事には、その場の全員が様々な反応を示した。

 

 凪いだ湖面の様にお館様の言葉を聞いていた冨岡も、驚いたのかその表情に微かに感情が宿り。

 不死川と伊黒はどう反応するべきかと言わんばかりの顔をして。

 甘露寺や宇隨などは純粋に驚いている。

 悲鳴嶼さんは「南無……」と静かに手を合わせ。

 時透は何かを考える様にその目を少し伏せて。

 胡蝶は静かに微笑む。

 

 俺としても竈門少年の名も挙がった事には驚いたが、しかし最終選別を終えてまだ一年も経っていないのに既に多くの十二鬼月と戦って五体満足に生き残るなど、ある種の「引き」やら「ツキ」とでも言うべきものを持っている様な気もする少年だ。

 鳴上少年とはまた別の意味で、竈門少年も濁流の様に動き始めた物事のその大渦の中心に近い場所に居るのだろう。

 ならば、二人の下にそう言った巡り合わせが訪れても、そう不思議では無いのかもしれない。

 何にしろ、そうやって鬼舞辻の手の内を予め暴く事が出来た事よりも重要な事は無い。

 

「……しかし、お館様。鬼舞辻がそれ程までに『慎重』……もとい『臆病』であるのなら、例えこの先の戦いが我々にとっては総力戦になるのだとしても、そこに鬼舞辻自身が現れる事は有り得るのでしょうか?」

 

 憂う様な胡蝶の言葉に、何人かが同意する様に頷く。

 

 不利を悟れば爆散して肉片となってでもその場から逃走し、最悪此方の寿命が尽きるまで隠遁する事を躊躇なく選ぶ様な奴だ。

 己の身の安全が脅かされるかもしれない様な状況にそう易々と己の身を投じるとは思えないし、鬼舞辻がそんな「馬鹿」ならもっと早くにその痕跡を掴めていただろう。

 ……例え『人間』相手では「無敵」と言っても良い程に隔絶した強さを持っているのだとしても。どれ程呼吸を極め鬼と戦う力を磨いても『人間』である事には変わらない鬼殺隊の剣士たちが例え束になっても僅かな時間足止めする事すら叶うかどうか分からない程の存在であり、鬼舞辻自身がそれをよく理解しているのだとしても。

 だが、鬼舞辻の討滅を狙っているのは鬼殺隊の剣士だけではない。

 鳴上少年も、鬼舞辻を滅ぼす為に戦っている。

 ……鬼舞辻にとっては、数百年以上も自分を追い続けていた鬼殺の剣士よりも、鳴上少年一人の方が驚異的であるのだろう。

 鳴上少年一人に鬼舞辻との戦いの負担を押し付けたい訳では無いのだが、しかしそれは覆し様の無い事実である。

 体力が尽きない鬼たちとは違って、鳴上少年は無限に戦い続けられる訳では無いのだけれど。鬼舞辻ですら足元に及ばないだろう程の力を揮う事が出来る存在なのだ。そんな相手が存在している状況で、『臆病』と言って良い程に自身の保全を最優先にする鬼舞辻が果たして現れるのかと言うそれは、当然の疑問である。

 

 だが、お館様は何かを思案する様にその視線を僅かに伏せながらも頷いた。

 

「無惨は……必ず我々の前に姿を現すだろうね。

 奴を逃さない為に、悠が己の身を囮にしている。

 無惨にとっては、千年求め続けたものを目先の餌としてぶら下げられた状態なんだ。

『臆病』で『慎重』であっても、だからこそ無惨は前に出て来る他に無い」

 

 鳴上少年が自分自身を囮に? と。大半の者たちにはその事情が分からず困惑した様な表情を浮かべているが。

 俺と、そして時透にはその事に心当たりがあった。

 

「お館様……。それは、『青い彼岸花』などと言う言葉と関係があるものなのでしょうか?」

 

 上弦の壱と参が姿を消すその直前、鳴上少年が彼等に……そして鬼舞辻に向けて放ったその言葉を思い出す。

 あの時は一体何の事なのか分からなかったし、訊ねてみようにも鳴上少年は激戦に力尽きて眠ってしまったので分からずじまいであったのだが。

 しかし、その『青い彼岸花』とやらと鬼舞辻に何らかの関係がある事は確かであり、そしてそれが鬼舞辻がわざわざ前に出て来る可能性がある事に繋がっているのではないだろうか。

 そして、お館様は俺の言葉に静かに頷く。

 

「ああ。『青い彼岸花』は、無惨が千年以上もの間探し求め続けている物の一つであるらしい。

 無惨が探し続けているもう一つのものが『陽光を克服した鬼』である事を考えると、その『青い彼岸花』とやらも無惨が陽光を克服する為に必要な何かであるのかもしれないね。

 そしてその事を偶然知った悠は、無惨を引き摺り出す為に、『青い彼岸花』の情報を基に無惨を脅した」

 

 臆病で慎重で。しかし同時に傲慢で短気であるとも予想されている鬼舞辻は、長きに渡り探し求めたそれを目の前に差し出されては、幾ら未知の脅威がそこに待ち構えているのだとしてもそれを無視する事など出来ず、また裏切りなどを臆病であるが故に過度に警戒している為、幾ら完全に支配下に置いた鬼たちであっても、それを奪われて自身にとっての脅威になる可能性が存在する以上はその大役を任せる事が出来無いだろう、と。そうお館様は言い切る。

『青い彼岸花』とやらが一体何なのかは、お館様にも分からず、そしてそれで鬼舞辻に脅しをかけた鳴上少年自身も分からないものであるらしい。要はハッタリで脅しただけなのだが、鬼舞辻の側に鳴上少年の言葉のその真偽を確かめる術など無い為そのハッタリは有効だろうとお館様は言う。

 

「しかしお館様。鬼舞辻がその『青い彼岸花』を求めているのは分かりましたが、鬼舞辻の狙いが『陽光を克服した鬼』である可能性は無いのですか?」

 

 不死川の言葉が「誰」を指しているのか分からぬ者はこの場には居ない。

 竈門少年が連れ歩いている鬼の妹が陽光を克服した鬼となった事は、この場に集った者たちにとっては周知の事実であるからだ。

 とは言え、事が事だけに、その事実を知る者は未だ鬼殺隊の者たちの中でも、柱とあの場に居合わせていた者たちなどの極一部に留まっているが。

 あの妹が『陽光を克服した鬼』になったからこそ、鬼舞辻の活動が鎮まったのではないかと考えていた柱も多かったかもしれない。

 

「禰豆子の事に関してはこれからも可能な限り秘匿しておくべきではあるけれど、しかし現時点では無惨が禰豆子が陽光を克服している事を知る術は無いからね。

 現時点では、無惨の狙いは悠と『青い彼岸花』であるのだろう」

 

 だから、鬼舞辻に奪われない為に何処か遠い場所に隔離したりする必要は無いだろう、と。そうお館様は言った。

 何かを必要以上に隠そうとする事自体が、そこに「知られてはいけない秘密」がある事を知らせる事にもなりかねないのだから、と。

 確かにそれは真理であるのだろう。無論、大っぴらにして良い事では無いが、今までと同じ様に行動していれば、誰もあの妹が陽光を克服しているとは思わないだろう。

 それ程までに、鬼が陽光を克服すると言う事は「有り得ない」事に等しいものだったのだ。

 丁度、竈門少年たちが滞在している蝶屋敷は、鬼の出現がほぼ止んだ事もあって療養中の負傷者の数は極めて少なく、「秘密」を守る為にはうってつけの環境である事も大きく、無理にそこから引き離す必要が無いのは確かである。

 

「さて、悠と炭治郎が手にした情報はそれだけでは無いよ。

 一部の者はもう既に知っているかもしれないけれど、鬼との……引いては鬼舞辻との戦いの中で極めて有用であろうものも見付けたんだ」

 

 そう言ってお館様が説明した『赫刀』と『透き通る世界』に関して、『透き通る世界』は分からなかったが、『赫刀』に関しては思い当たるものがあった。

 上弦の壱と参と戦う際に、日輪刀の色が変化したあの現象の事なのだろう。

 確か、握る力を意識して、との事だったが……。

 

『赫刀』に関しては、あの里に滞在している最中に鳴上少年と共に確かめた甘露寺と時透は、「あの事か」とばかりに頷いていたが。それを見た事の無い他の者も、その状態で斬れば上弦の鬼相手でも再生速度を格段に遅らせる事が出来ると言うそれに目の色を変える。

 そして、それを発現させる為に必要なものが、日輪刀を想像を絶する力で握り込む事であると判明している事に驚いていた。

 お館様の説明に、実際にそれの実験の場に立ち会っていた甘露寺が、その方法で日輪刀をその状態にするには基本的に単独では無理で、鳴上少年の力を借りてやっと成せるかどうかであると付け加える。

 鳴上少年が、周囲の者の力を引き上げる様に高める事が出来る事を初めて知った不死川や伊黒などは驚いた様な顔をしていた。

 

「私の日輪刀の場合、鎖の部分を握り締めれば良いのだろうか……」

 

 柱どころか現在鬼殺隊に籍を置く剣士の中でも群を抜いて特殊な形状の日輪刀を扱う悲鳴嶼さんが思案する様に呟く。

 そんな悲鳴嶼さんにお館様は、日輪刀を『赫刀』の状態にする方法は握力以外にもあるのかもしれないと、鳴上少年自身が言及していた事を話した。

 

 思い返せば確かに、上弦の参の頸を落とそうとしたその時に、俺の日輪刀に時透の日輪刀が押し込む様に叩き付けられた時には、日輪刀を染める色が更に濃くなっていた様な気がする。

 他に方法があるのかもしれないし、そうでなくても鬼の凶悪さの一つである尋常ならざる再生能力を封じる事が出来るのは間違いなく「有用」なんて言葉では片付けられない程の、「必殺」にも近い力だ。

 陽光で焼く以外では殺す事の出来ない鬼舞辻を日の当たる場所に足止めする際にも、これ以上に無い程に有用であろう。

 

 そして、鳴上少年と竈門少年が見付けたのだと言うもう一つの大きな「力」。

『透き通る世界』に関しては、この場でそれを理解しているのは時透だけであった。

 そして時透が語ったそれの内容は凄まじいものである。

 上弦の鬼を相手にしてすらその動きを完全に見切り予測する事すら可能になると言うその「力」は、鳴上少年の手を借りずとも発揮する事が可能であるのだ。

 最初にその「感覚」を掴む際に鳴上少年の力を借りる方が早いかもしれないが、鳴上少年がその場に居なくても、その『透き通る世界』とやらに達する事が出来れば上弦の鬼との戦いの中でも少しでも有利に戦えるだろう事は間違いが無い。

 その「感覚」を掴んでも、尋常では無い集中力を要する為に実戦の場で狙った通りにその『透き通る世界』に入れるかどうかはまだ分からないらしいが。

 しかし、その力があったからこそ、厄介極まりない特性で逃げ回り続けていた上弦の肆を竈門少年が討つ事が出来たとあっては、その有用性に疑いの余地は無い。

 

 

 今後の事に関しても少し話し合った後で、お館様はその場を後にする。

 そしてその場に残った柱全員で、今後の動きについて詳しく詰める事になった。

 以前なら、柱としての任務や日々の業務が圧迫していた事や、最大の目標である鬼舞辻の情報どころか上弦の鬼たちについても何の手掛かりも得られない事が大半であった為、活動方針を話し合ってもそれが進展する事は中々無かったのだが。

 しかし、最大の目標であった鬼舞辻や残っている上弦の鬼たちの事は鳴上少年たちの尽力もあってかなりの部分が明らかになっている。

 更には、鬼の活動が極めて少なくなった事もあって、柱としての任務もかつてとは比べ物にならぬ程に少なくなり、今までは時間を費やす事の出来なかった事にも余力を割ける様になっている。

 最終決戦とでも呼ぶべき総力戦が六か月以内に迫る中で、少しでもそれに備える必要があるのだ。

 その為、今日の柱合会議での今後の活動方針は極めて重要なものになる。

 

「……しっかし、『赫刀』にしろ『透き通る世界』とやらにしろ、先ずは鳴上に会って確かめてみない事にはどうにもならねぇな。

 で、今その鳴上は何処に居るんだ?」

 

「悠くんでしたら、療養中の隊士ももう殆ど居ませんし任務が暫く入りそうにないからと、友人の隊士に誘われて、彼の育手の所へと出掛けていますね。

 数日もしない内に蝶屋敷に帰って来るとは思いますが」

 

「ふむ……なら鳴上が蝶屋敷に帰って来る頃合いを見て、そちらに赴くべきか?

 一度鳴上から話を聞いてみたい事もあるからな。

 鳴上が戦った上弦の壱と参の事も、奴らがまだ生き残っていてまた戦う事もあるのであれば、もっと詳しく聞くべきだと俺は思うのだが」

 

「そうね! 私も悠くんに色々とお話を聞いてみたいわ!」

 

「悠自身はあまり気が進まない様だったけれど、頼めば上弦の壱や弐とかの攻撃を少し再現して手合わせしてくれると思うから、壊したり暴れたりしても問題が無い広い場所の方が良いと思う。

 実際、里の方でそうやって手合わせして感覚を掴んでいたから、上弦の鬼とも戦えた部分は大きかったし」

 

「何と、その様な事も可能なのか……。

 それは是非とも悠に協力して貰いたい所だ。

 上弦たちがどの様な攻撃をしてくるのかを予め実際に体感する事が出来るのなら、今後の戦いに間違いなく力になるだろう」

 

「悠は上弦の壱から参まで全員と戦っている訳だからな。

 だが、悠本人はあまり気が進まないって言うなら、無理強いにならない程度にしなきゃな」

 

「まあ、先ずは鳴上少年に直接頼むのが筋だな」

 

 今後の行動方針などについて膝を詰めて話し合っていると、一人静かに話を聞いていた冨岡が徐に立ち上がる。

 

「俺はここで失礼する」

 

 そう言って本当にその場を退席しそうになったのを、不死川が咎めた。

 

「おい待てェ、失礼するんじゃねぇ。

 それぞれの今後の立ち回りも決めねぇとならねぇだろうが」

 

「俺には関係がない。鳴上の事も八人で話し合えばいい」

 

「関係ないとはどういう事だ。貴様には柱としての自覚が足りぬ。

 今は鬼舞辻との戦いに向けて備えるべきだと何故分からない。

 それとも、一人だけ鍛錬を始めるつもりか? 会議にも参加せず」

 

 不死川と伊黒に咎められても、冨岡はそのまま立ち去ろうとする。

 流石にこのままでは、と。俺と胡蝶と甘露寺も止めようとするが、冨岡は止まる気配はない。

 何故その様な事を? と言う胡蝶の問い掛けには、「俺はお前たちとは違う」としか冨岡は答えない。

 最早場の雰囲気は最悪と言っても良い程になった。

 それに憤激した様に立ち上がった不死川が冨岡に殴り掛かりかけたその時。

 

 混沌としかけたその場を、己の手を打ち鳴らした悲鳴嶼さんが一瞬で鎮めた。

 部屋どころか邸自体を震わせる程のその音に、冨岡も不死川もその動きを止める。

 

 

「座れ……話を進める……。一つ、提案がある……──」

 

 

 悲鳴嶼さんのその言葉に逆らって争う者は、この場には居なかった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【煉獄杏寿郎】
悠の事はかなり気に掛けているし、鬼殺隊の隊士達の悠への認知の歪みを認識している。
凄い力があるのは事実だけど、それ以前に『普通』の感性を持つ心優しい青年である事を分かっているので、実像と乖離し過ぎた羨望や期待が悠に押し付けられる事には強く引っ掛かりを感じている。


【胡蝶しのぶ】
悠の事は弟の様にも思っているし、何処か最愛の姉にも似ていると思っている為、物凄く気に掛けている。
お館様の意向もあるけれど、悠が必要以上に面倒な事に巻き込まれない様にしっかり守っている。
尚、悠が自分の身を囮にして無惨を釣り出そうとしている事には、そうするのが最善である事は分かっている反面、もっと自分を大事にしろとちょっと怒っている。


【宇髄天元】
悠の事は派手に気に掛けている。
『神様』や『化け物』は悠には向いてない事を直感的にも理解しているので、一般隊士たちの悠に対する『神様』扱いは、これ以上変な方向に行く前に何処かで止めてやった方が良いかもしれないとは考えている。


【時透無一郎】
記憶を取り戻す切っ掛けにもなった事から、悠の事は特別に大事に思っているし気に掛けている。
基本的に動じない性格もあって、悠の事をありのままに受け止めている。
刀鍛冶の里で炭治郎たちと行っていた「柱稽古(仮)」の成果もあって、今回の柱稽古に繋がる事になった模様。


【甘露寺蜜璃】
悠の事は「物凄く良い子!」と言う認識だし、それが覆ったり変わる事は今後とも無い。
『神様』扱いに関しては、「え、そうかな?」と首を傾げるだけで終わる。


【悲鳴嶼行冥】
悠の人間性は信頼している。
そして悠の事以上に、上弦の肆との戦いに貢献した者の中に居た『獪岳』の事が気になって仕方が無い。まさか、あの『獪岳』なのか……?と、考えている。
玄弥から話を聞いても、今一つ確信出来ないまま。


【伊黒小芭内】
悠の人間性に関しては間違いなく「善人」であろうとは思っている。
一般隊士たちが悠の事を『神様』の様に扱い始めているのは、鬼を奉り阿って悍ましい繁栄を貪った果てに最終的に滅んだ伊黒家の顛末を思い出して何となく嫌。


【不死川実弥】
刀鍛冶の里での戦いの報告書によって、そこで初めて悠と玄弥の交流を知る。
悠の事はその為人の部分はほぼ何も知らず、報告書として回ってくるその戦果や、常軌を逸した規格外の力の事しか分からない。
悪いヤツでは無いのだろう……とは思うけれども、そんな悠と親しくしているらしい玄弥の事で気が気では無い。が、そこで簡単に素直にはなれないのも実弥クオリティ。
隊士たちの言う『神様』と言う評価に関してはちょっとよく分からない。
祈れば自分達を助けてくれる「都合の良い『神様』」なんてこの世の何処にも存在しないだろうと思っている。


【冨岡義勇】
自分に話し掛けてくれるだけで「嫌われてない」と思っている、言葉が絶望的に足りない人。ある意味ここまで来てしまうと逆にポジティブなのかもしれない……。
悠の事は炭治郎がマメに送ってくる手紙を通して知っている。
炭治郎が悠に関する事で手紙に書いているのは大体日常的な事なので、悠の力の事に関しては報告書に書いてあるもの以外は分かっていないが、悠が折り紙で鶴を作るのが上手いだとか和食も洋食も作れるだとかはとてもよく知っている。柱の中ではしのぶさんの次位に、日常の中での悠のことを知っているのかもしれない。
一般隊士と積極的に関わる機会がほぼ無いので、鬼殺隊の中での悠の扱いをあまり分かってない。
『神様』がもし本当に存在したとしても、自分を助けてくれる訳では無いと思っている。


【産屋敷耀哉】
悠がその存在を知られると厄介な事になる相手(軍や政府機関など)に知られない様にと、隠たちを総動員する他に産屋敷家の権力なども使って確りと守っている。
悠がある意味で物凄く「都合の良い『神様』」である事は事実だが、そう言う扱いをしてはいけない事も直感で分かっている事も大きい。
この時代(WWⅠ真っ只中)の軍などが若干きな臭くなっている事もあって、その隠し方はかなり念入り。
しかし、童磨が民間に広めようとしているそれは、現時点では草の根活動的な布教活動に少し毛が生えた程度であるので、その存在自体に気付けていない。
悠が単騎で無惨(弱体化無し)を殺せる存在なのだろうとは、薄々察している。


【鳴上悠】
万が一にもその存在(とその力)が鬼殺隊以外の者に知られると非常に危険な事になり、本人の意思などとは全く関係無く最悪世界滅亡の秒読みが始まる、歩くニュクスアバターの如き存在。自覚は無いし、そしてこの世の誰もそれを知らないが。
お館様が物凄く自分の事を守ってくれている事には、その具体的な全容までは分からなくても割と気が付いている。
善逸と獪岳と一緒に桑島さんの所へ訪問中。


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『帰るべき場所』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 刀鍛冶の里から蝶屋敷に帰って来て数日経ったが、本当に鬼による被害が激減しているらしく、任務は一度も入って来なかったし、そして新たに蝶屋敷に運び込まれて来る人も居なかった。

 前から療養中だった隊士たちもその数日間で無事に機能回復を終えて蝶屋敷を離れて行ったので。蝶屋敷に滞在中の隊士は、禰豆子の事もある為あまり各地をウロウロとする訳にはいかない炭治郎たち位である。

 何時も引っ切り無しに訪れる負傷者たちの看護に大忙しだったアオイたちにとっては、久方振りにゆっくりと出来る時間が訪れたのかもしれない。

 まあ、炭治郎たちが居るので、蝶屋敷が賑やかである事には変わりないのだけれども。

 任務が無い今が好機だとばかりに鍛錬に精を出す炭治郎と伊之助に混じって、カナヲもそこに加わっている他に、善逸と獪岳も炭治郎に引っ張られる様にその鍛錬に参加している。

 上弦の鬼と直接戦ってそれを討ち取った事が大きな経験になったのか、炭治郎たちの鍛錬は前にも増してより一層激しくなっている。

 特に、直接的には上弦の頸を落とせなかった事が相当に悔しかったのか、伊之助の意気込みは並々ならぬものである。

「今度会ったら絶対に俺が頸を落とす!」と猪頭の下で鼻息をフンスフンスと荒くしながらそう宣言する程であった。

 お館様の予想通りにいけば、後半年もしない内に鬼舞辻無惨との決戦が訪れる。

 なら、それまでに出来る限り鍛えておくのは、今出来る唯一の備えであるのだろう。

 

 炭治郎たちに頼まれて手合わせの相手をしつつ、今の自分に出来る事は何だろうかと考える。

 

 上弦の肆を炭治郎たちが討つ事が出来たと言うそれは、相性の問題があったにせよ間違いなく快挙であり、自分がその場に居なくても上弦の鬼を討つ事は出来るのだと示していた。

 今回の戦いでは同時に二ヶ所を襲撃された為、炭治郎たちを助けに行く事は叶わなかったのだが、しかし炭治郎たちは自分たちの力でその強大な敵を乗り切って見せたのだ。

 甘露寺さんと宇随さんの救援があったからこそであるのは確かだが、そもそも二人が間に合うまで誰一人命を落とす事無く戦えていた時点で、炭治郎たちがどれ程強くなったのかを示している。

 かつて無限列車の鬼を討伐した後で上弦の参と遭遇したその時には、その場を動く事すらままならなかったと言う炭治郎が、ほんの三ヶ月程度で無惨の血によって更に強化された上弦の肆の頸を落とすまでに成長出来た。それは本当に凄い事であるし、並々ならぬ炭治郎の努力の結果であるのだろう。

 炭治郎が言うに、刀鍛冶の里に滞在している間に無一郎と共に鍛錬したり手合わせしたりしていた事が、自分の力を高める事に繋がったのだそうだ。

 柱の中でも天賦の剣才を持つと言われる無一郎の指導は、容赦が無かったけれど非常に的確で。細かな動きの無駄な部分などを徹底的に潰された上に、矯正された動きが意識せずとも出来る様に反復し続けた事も大きかったのだとか。

 柱の様に凄い人に稽古を付けて貰えるのは、成長するのにこれ以上に無い環境であったと言う事なのかもしれない。

 本来、柱は多忙を極めているから、直弟子である継子の様な者たちを除けば、隊士たち一人一人に稽古を付けたり成長の為に特訓を課したりする余力は無いのだけれども。

 鬼の出没が激減した今なら、もしかしてその余力が生まれているのではないだろうか?

 ……刀鍛冶の里での無一郎と炭治郎たちの様に、柱の人たちが隊士たちを鍛え上げる事が出来れば、鬼殺隊全体の強さが底上げされるだろうし、来る最終決戦の際に犠牲になる人が少しでも減るのではないだろうか……と思う。

 とは言え、それを決めるのは柱の人たちであり、お館様なのだけれども。

 結局の所、今の自分に出来るのは炭治郎たちが強くなるのを少しでも手助けする事くらいであるのだろう。

 ならば、少しでも炭治郎たちの力にならなくては。

 

 恐らく、いや確実に。鬼舞辻無惨との決戦の際には、今も残っているのだろう上弦の壱たちと戦う必要がある。

 上弦の壱から参の三体が一度に襲ってくるのも厄介ではあるけれど。

 一番不味いのは、各々に分断されて戦わざるを得なくなる事だ。

 未知の強さになっているだろう童磨は当然の事ながら、黒死牟も猗窩座も、単独で倒せる様な相手では無い。

 特に、黒死牟があの予備動作すら不要な斬撃を乱発して来た場合、柱程の実力があったとしても戦い続けるのは相当難しいだろう。間合いも何もあったものじゃ無くなるのだから。頸を落とす為にはどうしたって接近しなければならない剣士にとっては、あの斬撃の嵐は致命的なんて言葉では片付けられない程に対処困難であろう。

 一度でも掠っただけでその部分が泣き別れになるのだ。

 手足が飛ぶだけで済めばまだ良い方で、胴などを掠りでもしたらその時点で即死しかねない。

 あの斬撃は普通の防御で凌げるものでは無く、基本的に全部避けるか弾くしか出来ない攻撃であった。

 誰が戦う事になるにしろ、あの斬撃を全て見切るなり察知するなりして、一撃たりとも掠らせる事無く回避出来る力が無ければ話にもならないだろう。

 そうでなければただ屍を積み上げるだけの結果になってしまう。流石にその場に居合わせなければ、『ボディーバリアー』でダメージを肩代わりする事は出来ないのだから。

『マガツマンダラ』による精神攻撃が有効であった事を考えると、精神的な揺さぶりは有効なのかもしれないが。それは虎の尾を踏み竜の逆鱗を砕く結果にもなりかねないので、諸刃の剣でもあるのだろう。

 縁壱さんに強い執着を懐いている様だったので、そこから何か揺さぶりをかける事が出来れば良いのかもしれないけれど……。しかし流石に、二度戦っただけの相手でしかない事もあって、その内面に何を抱えているのかは分からない。

 縁壱さんに対し抱えている感情が、憎悪の様なものであるのか或いは愛情の様なものであるのかも。

『マガツマンダラ』の闇の中で黒死牟と猗窩座が一体何を見たのかを知る術は無い。

 

 ……精神的な揺さぶりが有効なのは、恐らくは黒死牟よりも猗窩座の方であるのだろう。

 狂乱の中で猗窩座が叫んでいた人の名前は、かつて人であった頃の猗窩座にとっての大切な人の名である可能性は高いだろう。

 一般的に、鬼になった者は人であった頃の記憶は完全に抜け落ちるか、或いは残っていても歪に欠けた物になる事が殆どであると、以前に珠世さんが言っていた。

 鬼に成り立ての直後の飢餓によって理性が飛んでる状態とはまた別に、人であった頃の事を記憶に留めて置き続ける事は難しいと言う。

 特に、珠世さんや禰豆子の様に鬼舞辻無惨の「呪い」を解かない限りは、鬼はその身も心も鬼舞辻無惨に支配されているも同然で。故に、その記憶も鬼舞辻無惨にとって「都合が良い」様に弄られている可能性もあるのだろう。

 ……まあそうでなくても、人であった頃と鬼となった後の乖離が激し過ぎて、人の心では現実を受け止められずに壊れるしかない為、一種の防衛機構として人であった頃の記憶を無意識の内に封じているのかもしれないけれど。

 もし、猗窩座が人であった頃の記憶をほぼ完全に喪っている鬼であり、そしてあの『マガツマンダラ』の闇の中でその記憶を取り戻していたのだとすれば。

 聞くだけで心を掻き毟る程の様々な激情を込めた声で叫んでいた人たちの名前は、猗窩座を酷く揺さぶるものであるのかもしれない。

 こちらもやはり逆鱗に触れる可能性があるものだが、しかし念の為に炭治郎たちや柱の人たちにも予め教えておいた方が良いのだろう。

 尋常の手段では太刀打ち出来るかどうかも怪しい程に強大な相手なのだ。切れる手札は一つでも増やすべきである。

 そして猗窩座に対しては、正確に此方の動きを感知するあの力をどう掻い潜るのかも考えなくてはならない。

 あの『羅針』だとか言う血鬼術でこちらの「何か」を読み取ってそれに対応して動いているのだろうけども、それが「何」であるのかは自分には分からない。

 猗窩座はよく闘気だの至高の領域だのと口にしていたのでそれが関係しているのかもしれないけれど……。剣術もそうだが武術自体にそう明るい訳では無いので、一体何の事やらと言いたい所だ。

 その事に関してはまた後で改めて、共に猗窩座と戦った伊之助や無一郎や煉獄さんと話して考えた方が良さそうである。

 

 そして何よりも。

 黒死牟たちを倒してそれで終わりと言う訳ではなく、寧ろ最も大切な事は鬼舞辻無惨を討ち取る事である。

 しかし当然の事ながらそれは生半な事では無い。

 頸を落としても殺せない以上は陽光で焼き殺すしかない訳だが、そんな事は相手は百も承知であり、夜明けが近くなればどれ程鬼舞辻無惨側に優勢であろうとも形振り構わず全力で逃走しようとするだろう。

 鬼舞辻無惨の攻撃を回避し続けるだけではなく、それを陽光の当たる場所に押し留め続けるだけの力が必要であるのだが。しかし何をどうすれば止められるのかと言う問題もある。

 極論、「人」の形状である事に拘っていない鬼舞辻無惨は、手足を落とされようがそこから残った肉体を自在に変形させて移動する為の新たな機構を瞬時に作り上げる事すら出来るだろう。

『赫刀』による再生阻害ですら、鬼舞辻無惨が「再生」を放棄した場合何処まで有効なのかと言う話になってしまう。

 広範囲を可能な限り根こそぎ抉り続ければその逃走を阻止出来るかもしれないが……。しかしそれを維持し続けられる程に強力な攻撃を絶え間無く続けられるかどうかに関して言えばかなり難しいものがあるだろう。

 基本的に、呼吸の型はどれも「頸を落とす」事に特化している。まあ、防御などに適した型などもあるから一概にそうとは言い切れないが、「とにかく大ダメージを与える」事に重きを置いた型は少ない。

 広範囲を薙ぎ払ったりする型は多くの呼吸に存在するが、鬼舞辻無惨本体はあくまでも成人男性と同程度の大きさだと思われるので、そう言う攻撃が極めて有効なのかと言われるとちょっと難しいのかもしれない。

 まあ、鬼との戦いとは基本的には頸を落とせば終わるので、硬い頸を落とす為の切断力などに重きを置く事は合理的であるので、そう言う方向性に特化する事は当然なのだけど。

 それが却って、鬼舞辻無惨に対して最適な攻撃手段が乏しくなってしまっているのはかなり厄介な事態である。

 珠世さんの、「鬼を人間に戻す薬」が完成して、それで少しでも鬼舞辻無惨を弱らせる事が出来れば良いのだけれど……。とは言え、それがどれ程の効力を持つのか分からない現状で、その薬頼みに対策を立てる訳にはいかない。

 本当に、厄介極まりない相手である。

 

 とは言え、あれやこれやと考え過ぎた所で何もかもを一度に解決出来る訳では無いのだし、中途半端になってしまう方が問題である。

 今は、目の前にある出来る事ややらなければならない事をこなしていくべき段階なのであろう。

 

 そんな風に決意も新たに皆の鍛錬に付き合っていると。

 任務が無く鍛錬だけをこなす日々が何日か続いた後で。

 善逸が「悠さんに一緒に付いて来て欲しい所があるんだけど」と。そう切り出してきたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 鬼殺隊に入る為には藤襲山で行われる最終選別で生き延びる必要があり、そしてその最終選別に行く為には一部の特殊な例を除けば育手と呼ばれる指導者役の者から呼吸や剣術の基礎を学ぶ必要がある。

 育手の多くは、歳や負傷などで現役を退いた元隊士たちであるのだそうだ。

 個人差は多少あるものの、入隊を希望する者は概ね育手の下で一年程度掛けて鬼殺の術を学ぶらしい。

 育手は東京周辺を中心に何人も居るらしく、どんな育手の下で育ったのかによって、呼吸への習熟度なども結構まちまちであるそうだ。

 ある意味、本人の資質や気質に左右される部分が多く、また育手自身の思想や実力もかなりバラバラなので、統一した規格だとかマニュアルだとかを用意出来る様なものではないからこそ、自分に相性が良い育手に出逢えるかどうかもかなり重要であるのだそうだ。

 炭治郎は自分の育手であった鱗滝さんをそれはもう尊敬していて、物凄くマメに文通もしている様だし、彼の下で修業していた時代の話もかなり聞かせてくれる。

 厳しいけれどとても優しくて、炭治郎にとっては第二の家族の様な相手であるらしい。

 鱗滝さんの事を話す時の炭治郎は本当に嬉しそうで。その人を心から慕っているのだと言う事がよく分かる。

 命懸けの戦いに向けて、文字通り命懸けにも近い修行を課されるからこそ、育手との師弟関係は非常に強いものになる事も多く。

 弟子が何か不祥事を起こしたり明らかな隊律違反などを起こせば、その師匠である育手もその責を問われる程だ。

 ある意味では、育手の人たちは隊士の身元保証人の様な役割も果たしているのかもしれない。

 鬼殺隊に入隊する者の多くは、その経緯の関係上親類縁者などを喪っている事も多く帰る場所が無い者も少なくは無い。

 そんな隊士たちにとっては、育手は単なる「師匠」という言葉で収まる様な存在では無いのだろう。

 そう言った経緯もあって、自分の育手を慕う隊士は物凄く多いそうだ。

 そしてその例に漏れず、善逸は自分の育手である桑島さんの事を物凄く慕っている様であった。ちなみに、その兄弟子として同じく桑島さんに師事していた獪岳も、ちょっと素直では無いが師匠の事は尊敬している様だ。

「じいちゃん」と善逸が呼び慕っているのを見ていると、ずっと独りで生きてきた善逸にとって桑島さんは初めて得た「家族」の様な存在であるのかもしれない。

 ある意味では、育手とその弟子である隊士たちとの間には、ただ単に血が繋がっているだけの親類以上に強い繋がりがあると言っても良いのだろう。

 

 獪岳が黒死牟に対して命乞いをした事や、鬼になる事も一度は了承してしまった事を知る者は少ない。

 だが、その育手である桑島さんには既に知らされている。流石にそこに隠す事が出来る事では無いし、獪岳がその事をどう思うにせよ桑島さんには知る権利が当然にある。

 そして、獪岳には一度ちゃんと善逸を交えて桑島さんと話し合うように、と。そう求めた事があったのだけれど。その後、あまり時間を置かずに刀鍛冶の里へ向かった事もあって、未だそれは果たせていなかった。

 ……まあ、今の獪岳は確実に良い方向に変わってきているのだけど、それはそれ、これはこれ、と言う話である。

 そして、鬼殺の任務が入る事は暫くは無さそうだと言う事もあって、これを機に休暇を貰って二人で桑島さんの所に帰ろうと言う事になったらしい。

 

 そんな二人と桑島さんにとって大事な話し合いの場に、自分も居合わせても良いのだろうか……? と少し思ってしまったのだが。

 善逸が「じいちゃんも悠さんに会いたがっているから!」と言い切るので、ならばとその厚意に甘える様に二人と一緒に桑島さんの家を訪ねる事になったのであった。

 

 一般的に、修行する環境を確保する為にも育手の人たちは山奥だとか人里からは少し離れた場所にその住居を構えている事が多いらしい。

 例えば、炭治郎の育手である鱗滝さんは、狭霧山と言うかなり標高が高い山に住んで炭治郎を鍛え上げてくれたそうだ。

 桑島さんもその例に漏れず、街や人里からは離れた場所に桃の果樹園を作りながらそこに住んでいた。

 

「あ、見えて来た! 悠さん! あそこだよ!!」

 

 善逸は桑島さんの家が見えて来た事に嬉しそうな声を上げ、その歩調を早める。

 少しでも早く桑島さんに会いたいのだろう。

 どれ程桑島さんの事を慕っているのか、言葉にせずとも伝わって来る。

 そんな善逸の反応に少し呆れつつも、獪岳もそれに続く。

 少しばかり善逸の足取りよりも遅いのは、後ろめたさがやはりあるからなのだろうか?

 

 善逸の賑やかな声に此方に気付いたのか、家の中から小柄な人影が出て来る。

 義足の右足と、それを庇う様に右手で杖を突いたその人が、二人の育手である桑島さんであるのだろう。

 

「じいちゃーん!」

 

 かなり大きな声でそう呼びながら、飛び付くかの様な勢いで善逸は真っ直ぐに桑島さんの下へと駆け寄る。

 そんな善逸と、少しだけ離れた場所に居る獪岳に目を向けて。

 桑島さんはその目を大きく見開いて二人の名を呼ぶ。

 

「善逸! 獪岳!!

 よく……よく無事に帰って来たな……」

 

 桑島さんの下へも、二人が上弦の肆を撃破した事は伝わっているとは思うのだけれども。しかし、二人がどの様な状態であるのかは文面からだけでは分からず、心配していたのかもしれない。

 こうして、その無事な姿を見る事が出来て、きっと安心したのだろう。

 二人の帰還を労うその声は、込み上げる感情によってか震えていた。

 

 そして、此方に目を向けてきた桑島さんに、軽く会釈をする。

 事前に善逸がうこぎに手紙を託しているので、自分もこうして此処を訪れる事は知っているのだろうけれど。

 何せ互いに話には聞いていても、初対面の相手であるのだ。

 失礼の無い様にしたいものである。

 

「初めまして、鳴上悠です」

 

「そうか、お主が善逸の言っていた……」

 

 そう言って、桑島さんは少し驚いた様な顔をする。

 善逸が手紙の中で話していたイメージと、実際に会った時の印象か何かが違っていたのだろうか?

 まあ何はともあれ、積もる話もあるが取り敢えずは長旅の疲れを癒してくれとばかりに、桑島さんに居間へと通された。

 善逸たちが手慣れた様子でお茶を淹れたり或いはお茶請けを用意したりしているのを手伝おうとして、二人から「座って」と言われてしまい少し手持ち無沙汰気味に二人の様子を見守っていると。

 

「鳴上殿、善逸と獪岳を助けて頂き、本当に何とお礼を言って良いものか分かりませんが。

 我が一門は決してこの恩を忘れませぬ」

 

 桑島さんから、物凄く畏まってお礼を言われ、しかも深々と頭を下げられて。

 思わず驚いてしまう。

 

「いえ、その。

 助けたと言っても、俺が出来た事なんて、本当に少しだけですし……。

 それに、そんな風に畏まられると戸惑ってしまうので、出来れば善逸たちに接する感じで接して頂けると助かります……」

 

 確かに二人の為に出来る事はしたけれど、そうも畏まられてしまうと物凄く戸惑ってしまうし落ち着かない。

 出来れば、普通に接して欲しい。

 そう思ってそれをハッキリと言葉にすると、桑島さんは逆に困った様に小さく唸ってしまった。

 

「ううむ……。まあ、そこまで言われては……。

 では改めて。我が弟子たちを救ってくれた事に、お礼を申し上げる。

 鳴上殿が居なければ、獪岳は道を踏み外してしまっていたじゃろう。

 そして……善逸には辛い役目を負わせる事になっていたじゃろうな」

 

 桑島さんのその言葉に、訪れる事は無かったその「最悪の結果」を思い浮かべる。

 弟子が鬼になった責を負って、恐らく桑島さんはその命を自ら絶って。

 そして、善逸は同門の弟子の責任として、鬼となった獪岳を討つ役目を負ったのだろう。……今、歩み寄りをみせている二人を見ていると、その「結果」がどれ程残酷で救いが無いものかと思ってしまう。

 そうならなくて良かった。本当に、心からそう思う。

 

「そうならなくて良かったです、本当に。

 あの日、間に合う事が出来て、本当に良かった……」

 

 間に合う事が叶わなかった未来もあったかもしれない、そもそもあの救援要請を受ける事も出来なかった未来もあったかもしれない。

 選ばなかった未来がどうなっていたのかなんて、想像する事しか出来無いけれど。

 そのどれもが、善逸の心に深い傷跡を残す結果になっていただろうと思うのだ。

 

「……鳴上殿が獪岳を庇ってくれたから、獪岳は『やり直す』機会を得る事が出来た。

 鳴上殿。獪岳を守ってくれて……その可能性を信じてくれて、本当にありがとう」

 

 桑島さんのその言葉には、やんわりと首を横に振った。

 ……確かに、重い処罰を与えない様にとお館様に嘆願したのは自分だけれども。

 それは、獪岳を信じたからでは無い。

 

「いいえ、俺が守ったんじゃ無いです。

 獪岳を守ったのは、最初から最後まで善逸ですよ。

 俺は善逸の願いに応えただけです。

 俺が信じたのは獪岳ではなくて、獪岳の事を守りたいと願い変われる筈だと信じた善逸を信じたんです。……少なくとも、一番初めは」

 

 今なら獪岳自身を信じて、この手を伸ばす事が出来るけれど。

 あの日、黒死牟の手から助け出した直後の時点では。

 自分にとって、獪岳は『善逸の大事な人』だと言う認識でしかなかった。

 だからこそ、獪岳を救ったのは、他でも無く善逸だ。

 善逸だけが、あの日何をしてでも獪岳を助けようと必死になって動いていた。

 黒死牟の刃の下に恐怖を抱きつつもそれを踏み越える様に躊躇う事無く飛び出したあの瞬間から、善逸が獪岳を助けていたのだ。

 自分は、そうやって必死になって獪岳を守ろうとした善逸の行動に引き摺られただけで。

 獪岳が変わって行けたのは、間違いなく善逸の存在があったからだ。

 無論、刀鍛冶の里で同じ時を過ごした炭治郎たちの存在も大きいけれど。

 しかしやはり、善逸の存在が何よりも大きい。

 最終的に変わる事を選んだのは獪岳自身の心だけど、そうやって変わっていけるだけの環境を用意したのは善逸なのである。

 自分はただ、それを見守っていただけなのだ。

 そういう意味では、獪岳は本当に「運が良かった」のだろう。

 獪岳の事を心から想う善逸があの場に居合わせたからこその「結果」が今なのだから。

 

「しかし、やはり鳴上殿が居てくれたお陰じゃ。

 善逸の想いに応えてくれたのは、間違いなく鳴上殿であるからの」

 

 ……そう言われては、それを否定は出来なかった。

 善逸だけでは、確かに獪岳を助けきれなかったかもしれない。

 まあ、それはもう「たられば」の話にしかならないのだけれど。

 

 獪岳が確かに変わっていった事は、此処に帰って来た獪岳とほんの少し言葉を交わしただけでも桑島さんにはハッキリと分かったらしく。それも含めて、刀鍛冶の里での出来事に改めて礼を言われる。

 それに関して自分は本当に見守っていただけなのだし。上弦の肆を討伐したそれも自分はほぼ何もしていない。純粋に善逸と獪岳と炭治郎たちの、更に言えば甘露寺さんと宇随さんの、七人の力だろう。

 

「……鳴上殿。その言葉通り『見守っていただけ』なのだとしても、『傍に居る』と言う事はとても難しい事じゃ。

 儂も、獪岳に対してそれをしてやれたとは言えんのだろう」

 

 だからこそ、獪岳が道を踏み誤りかけたそれを止める事が出来なかったのだろう、と。そう桑島さんは言うけれど。

 しかし、それは桑島さんだけの責任だと言う訳では無いだろう。

 人の心の全てを見る事は不可能だ。

 獪岳が桑島さんを確かに尊敬しているからこそ、桑島さんには……桑島さんにだけには見せられない一面だってあっただろう。

 それは、決して桑島さんの所為ではない。

 

「……桑島さんに隠していた心の部分があったのだとしても、獪岳が桑島さんの事を尊敬していたのは確かだと思いますよ」

 

 そして、恐らく。「認められたかった」相手の中に、桑島さんも入っているのだろう。

 桑島さんは既に獪岳の事を認めているとは思うけれど。

 しかしどうしても見せたくない面を隠していると言う引け目からなのか、或いは自身に向けられた桑島さんのその想いをちゃんと受け止めるだけの余裕が無かったのか、それは獪岳には届かなかったのかもしれない。

 ……何にせよ過去を変える事は出来ないし、今の獪岳は変わってきている。ならばそれで良いのだろう。それ以上に大事なものは無い。

 自分を想ってくれる誰かが確かに居る事を、今の獪岳ならばそれを受け止めて認める事も出来るだろう。この先にどう変わってくのかは獪岳次第ではあるけれど。

 最初の一歩を踏み出せたのならば、そして善逸や桑島さんの様にそれを見届けてくれる人が居るのならば。きっと悪い様にはならないだろう、と。そう信じる事が出来るのだ。

 

 善逸と獪岳が用意してくれたお茶とお茶請けを楽しみながら。

 二人に優しい目を向ける桑島さんを見て、きっと良い方向に変わり続けるのだろうと、そっと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悠さんを連れてじいちゃんの所に帰ったのだけれど、俺たちがお茶の用意を終えた時には二人とも話は済んでいた様で、和やかにお茶を飲みながら話をしていた。

 そして、少ししてから悠さんは気を利かせた様に、少し外の景色を見て来るから、三人で話をしておいて、とその場を離れる。

 獪岳の事について、雷の一門としては部外者である自分が居たら話辛い事もあるのかもしれないと思ったのかもしれない。

 その心遣いを有難く受け取って、俺と獪岳はじいちゃんに今までの事を話した。

 

 俺は、最終選別を終えて最初の任務に向かった後の事を……。

 悠さんと共に無限列車の任務に就いた事、遊郭で上弦の陸と戦った事。

 どうしても自分に自信が無かった俺を悠さんが一緒に任務に連れて行ってくれて、そこで初めて自分を少しだけ信じる事が出来る様になった事。

 そしてその矢先に、救援要請を受けて駆け付けた先で上弦の壱に命乞いをした獪岳を見付けた事。

 悠さんと共に上弦の壱の前から撤退して、そしてこのままでは隊律違反として斬首されるかもしれなかった獪岳を助ける為に悠さんを頼った事。

 結果として悠さんのお陰で獪岳が重い処罰を免れて、悠さんによる監視と言う処分になった事。

 そして共に刀鍛冶の里に行き、悠さんや炭治郎たちと一緒に過ごした事。

 里を襲撃してきた上弦の鬼たちの内上弦の肆をその場に居合わせた全員で力を合わせて討ち取った事。

 前から手紙でも話していたそれらを、文面でのそれよりもう少しだけ詳しくしつつ掻い摘んで説明した。

 

 そして、俺の言葉の後を続ける様に、今度は獪岳が自分の事を話し始めた。

 任務先で偶然に上弦の壱に遭遇した事。絶対に敵わない相手を前に心が折れ、「死にたくない」と言う感情から命乞いをしてしまった事。……その結果、上弦の壱から「鬼にする」と言われ……そしてそれを自分の命惜しさに拒絶出来なかった事。

 悠の取り成しのお陰で首の皮一枚の所で助かって、刀鍛冶の里に居る間に自分自身と向き合う事になった事。

 ……それらを口にした獪岳は、少しだけその先を言い辛そうにその先を濁す。

 だが、軽く目を瞑って首を振って、そして気持ちを切り替えたのか。

 意を決した様に、獪岳はその心の底に在ったものを口にする。

 

「俺は……ずっと『特別』になりたかった、『認められたかった』。

『生きた意味』が欲しかった、『存在の価値』が欲しかった、……それを肯定して欲しかった。

 でも、どうしたらそれを満たす事が出来るのかが分からなくて、努力して認められる以外の方法が分からなくて。

 ……だから、俺は……。

 ずっと、善逸の事を、羨んでいた」

 

 自分がどんなに努力しても習得出来なかった壱ノ型を習得して。

 自分より努力していなくても、情けない姿を見せても、それでも誰かにとっての『特別』な存在になれた……誰からも『認められている』様に獪岳の目には見えていた俺が、羨ましくて妬ましくて、そしてそれを認めたくないから否定するしかなかったのだ、と。

 そう獪岳は語った。

 自分の心の奥に抱え続けていた想いを吐き出したその表情は、何処かスッキリとしている様にも見える。

 

「死んだら終わりだとは、今でも思ってる。

 生き残らなきゃ、意味は無い。

 でも、『惨め』に生き続けるのは、もう嫌だ」

 

 生き恥を晒し続け自分を何も肯定出来ないまま惨めに生き続けるのは、死ぬよりも嫌なのだ、と。

 自分が『生きていても良い』と肯定出来るものを手にしたい、と。

「居場所」が欲しいのだ、と。

 そうハッキリと言葉にした獪岳は、俺とは違うけれど……でも少し似ている部分もあった。

 

 俺だって、自分を信じる為の「何か」が欲しかったし、心の中に空いている隙間を埋める様に「家族」が欲しかった。……自分を手放しに肯定出来ないが故に、その為の「証」や「何か」を求めてしまう。

 その心の箱に空いた穴の大きさに差はあれど、しかし心に空いた穴を埋める為に自分以外からの「何か」を求めていたと言う意味では同じであったのかもしれない。

 

 そして、今。それを言葉にして認める事が出来たと言う事は、獪岳はその心の穴を埋める事が出来た……変わっていく事が出来た、と言う事なのだろう。

 だから、内心恐怖に震えながらでも、上弦の肆に立ち向かう事が出来た。

 ……『死にたくない』と思い続けているのに、身を挺してまで俺を助けようとしてくれた。

 その変化は、決して大きなものではないのかもしれない。

 獪岳の心には、きっとまだ埋めきれないものが沢山残っているし、この先また別の何処かで恐怖や何かに心が折られてしまう事だってあるかもしれない。

 人は、急には己の心の全てを変える事は出来ない、急に何もかもを変えて強くなる事なんて誰にも出来ない。

 それでも、獪岳の心に訪れた変化は、これ以上に無い程に大切で大きな一歩だと思うのだ。

 

 俺たちの話を聞き終えたじいちゃんは、大きな溜息を吐いて。

 

 そして、ポカリと俺の頭を叩いた。

 

 修行中に散々叩かれた時のそれに比べれば、全然痛くない優しい強さだったけど。

 でも何で? 何で俺の方を叩くの?

 

 思わず、ビックリしてじいちゃんの方を見てしまう。

 横の獪岳も、予想外だったのか唖然とした様な顔をした。

 そして、今度はそんな獪岳の頭を、じいちゃんはゴチンと音がする強さで叩く。

 獪岳はずっと「良い子ちゃん」で、じいちゃんの手を煩わせる様な事なんて無かったし、ずっと直向きに努力し続けていたのはじいちゃんも知っていたから獪岳が壱ノ型を習得出来なかった時もそれを怒る様な事は無かった。

 なのでもしかしたら初めて、獪岳はじいちゃんに殴られたのかもしれない。

 じいちゃんに叩かれた所をちょっと痛そうに抑えながら、更なる叱責を予想してか獪岳は身を震わせる。

 だけれども、じいちゃんはそんな獪岳を、横に座っている俺の事もまとめて抱き締めた。

 

「すまんかった……。すまんかったのぅ。

 儂が気付いてやれれば良かったのかもしれん。

 だが、お前たちが生きていて、本当に良かった……」

 

 そう言って、それ以上は言葉を無くした様に身体を震わせるじいちゃんの姿を、俺たちが見るのは初めてで。

 獪岳は戸惑い狼狽える様に、「先生の所為では……」と言葉にするが、その先を言う前に、より強い力で抱き締められてそれ以上は何も言えなくなる。

 

 俺たちが生きていて良かった、と。

 上弦の肆や壱を相手に、俺たちが生きて帰って来る事が出来て本当に良かった、と。

 そう何度も言葉にするじいちゃんが、俺たちの事をどう想っていてくれているのかなんて、例え獪岳がどんなに捻くれていたとしても、理解するしかない程であった。

 

 

 じいちゃんとの話を終えて、里の方へ向かうにも距離があるので、今日はじいちゃんの所に泊まる事になって。

 昔の様に、じいちゃんと獪岳と一緒に夕食を食べるのだが、今日はそこに悠さんも加わるので、昔よりももっと楽しい時間になった。

 夕食を食べ終えて、鬼殺の任務が来ていないかを念の為に確かめて。

 そして、鬼殺の任務が無くなってから何日目かの夜を過ごす。

 ほんの数ヶ月前まで此処で暮らしていたから、じいちゃんの家はやっぱり落ち着く場所で。

 独りぼっちではない夜は、やっぱりどうしても安心する。

 まあ此処を出てからも、炭治郎たちに出逢ってからは、独りぼっちで寝なければならなかった夜の方が少ないのだけれど。

 そして……。

 

「あの、悠さん。

 俺、悠さんに謝らなきゃいけない事があって……」

 

 夜も少し暑くなってきているからか、夜風に涼む様に縁側に出て、そして夜空にかかる月を見上げていた悠さんにそう声を掛けると。

 一体どうかしたのか? とばかりに俺を見詰めた悠さんは、少し首を傾げた。

 

「俺、前に悠さんに、獪岳の事を助けて欲しいって頼んだ時に、『神様』って言っちゃって。

 あの時は本当に必死だったけど、でも、悠さんはそんな風に呼ばれる事を嫌がっているのを俺は知っていたのに。

 謝んなきゃってずっと思ってたのに、今まで全然謝れてなくて。

 それに獪岳の事も、悠さんに押し付ける様にしてしまって。

 本当にごめんなさい」

 

 そう言うと、少し驚いた様に目を丸くした悠さんは何度か瞬いて、そして、柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「良いよ、善逸。

 あの時の善逸が必死だったのは分かっているから。

 だから、そう気にするな。

 それに、俺は善逸の『願い』を叶える事が出来て、嬉しいんだ」

 

 そう言って微笑む悠さんの言葉に、そしてその胸から聞こえる音は穏やかで偽りの無いもので。それが本心からの言葉だと分かる。

 本当に優しい人なんだな、と。そう心から思う。

 

「……此処は、善逸にとって『帰るべき場所』なんだな」

 

 その言葉に頷いた俺に、悠さんはより一層優しい眼差しを向けるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
この世界での「家」の様な場所は蝶屋敷だけれど、悠の『帰るべき場所』はこの世界には無い。
ちなみに、最終選別の仕組みに関しては、もうちょっと上手いやり方はなかったのかなぁ……と思っている。沢山の子供たちが命を落としてしまうのはとても哀しい。


【我妻善逸】
じいちゃんにポコっと叩かれたのは、自分が背負いきれない分を悠に投げたから。
自分にとっての「帰る場所」を再確認する。


【獪岳】
自分の胸に溜まっていた想いを打ち明けた。
そしたら初めて桑島さんに叩かれた。結構痛かったけど、でも嫌では無かった。
翌朝、柱稽古開催のお知らせを受け取る事になる。


【桑島慈悟郎】
獪岳の事に関しては、もっとちゃんと言葉にして伝えてあげるべきだっただろうか、と少し後悔している。


【猗窩座】
無惨が頑張って修理している最中だが、まだ時間がかかりそう。
悠によって『恋雪さん』・『師範』・『親父』などの、記憶の鍵を爆破する為の単語が炭治郎たちと柱全員に伝えられる模様。


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『雷神演舞』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 桑島さんの家に一晩泊めて貰ったその翌朝。

 朝食を終えて、善逸たちはまだ少し桑島さんのもとで過ごすそうだが自分はそろそろ蝶屋敷に帰ろうと支度していた丁度その時に。

 鎹鴉たち(鎹雀であるうこぎも含まれる)が、何やら報せを運んで来た。

 どうやら、昨日緊急の柱合会議が開かれていたらしい。

 恐らく、お館様が鬼舞辻無惨の事やそれに対抗する為の力などについて話したのであろうが、その会議の中で何か鬼殺隊全体に通達する様なものが決まったのだろう。

 どうやら、自分宛の手紙と、善逸や獪岳に宛て送られた報せは内容が異なっている様だ。

 うこぎから報せを受け取った善逸は、文面を一読するなり「嘘でしょ!?」と汚い高音で叫ぶ。

 一体何があったのか、と。衝撃のあまり善逸が取り落としたそれを拾って読むと。

 どうやら、全隊士を対象に合同強化訓練……通称「柱稽古」が執り行われる事になったらしい。

 来る鬼舞辻無惨との決戦に向けて、柱が直々に指導し訓練を施す事で、鬼殺隊全体の戦力増強を図るのが目的であるそうだ。

 柱の下を順に巡り、各々の柱が課す訓練をこなしていく、と言う様式であるらしい。

 最初は宇髄さんで、その後に煉獄さん、無一郎、甘露寺さん、伊黒さん、実弥さん、悲鳴嶼さんと続く様だ。

 ……柱全員がその特訓に参加するのかと思ったのだが、書面には冨岡さんとしのぶさんの名前が無い。何かあったのだろうか?

 まあ、しのぶさんは万が一の負傷者に対応する為に控えているのかもしれないけれど。

 全ての隊士が対象であり、参加は強制ではないものの、まあ基本的には参加する事を推奨している様である。

 色々と準備があるのだろうから、開催は数日後である様だが、まあそれまでに準備をしておく様に、との事であった。

 

 さて、では自分宛の手紙の内容は何なのかと言うと、どうやら『赫刀』や『透き通る世界』などについてやら、上弦の鬼たちとの戦いなどに関して、色々と話を直接聞きたい上に、可能ならば手合わせなども行いたい為、悲鳴嶼さんの修行場に来て欲しい、との事だった。

 柱稽古が始まるよりも前に済ませたいとの事で、可能な限り早く来て欲しいとも書いてあったので、元々桑島さんの家を発つ準備をしていた事もあって、少し早いけれどここで善逸たちと一度別れる事になった。

 間違いなく過酷な修行になるのだろう柱稽古に対して、「嘘でしょ!?」だとか「この地獄を考えた奴誰だよ!」とか騒いでいた善逸は、「馬鹿もん!!」と桑島さんに勢いよく頭を叩かれていた。……まあ、仲が良いと言う事なのだろう。

 桑島さんに一晩の宿の礼を述べて、それから鎹鴉に直ぐに向かう旨の手紙を託して、悲鳴嶼さんの所へと向けて少し急ぎ足で向かうのであった。

 

 

 

 途中で隠の人が運転する車に拾って貰ったりして、どうにか昼過ぎ頃には悲鳴嶼さんの修行場に辿り着いた。

 山奥の修行場であるのだが、そこには何と柱が全員揃っていたので少し驚いてしまう。柱稽古の準備で忙しいだろうに……。

 

「外出中の所を呼び立ててしまってすまないな、悠」

 

「いえ、そろそろ蝶屋敷に帰ろうとしていた所だったので、丁度良かったです」

 

 声を掛けて来た悲鳴嶼さんにそう答えて、改めて周囲を見渡す。

 山奥を切り拓いて作られた修行場は物凄く広いし、少し離れた所には滝行が出来る滝と川までもがあるらしい。

 手合わせもしたい、との事だったのでこの様に広い修行場に呼ばれたのだろうか?

 そして、そんな広い修行場に柱が全員揃っている光景と言うのも、中々に壮観である。

 無一郎が嬉しそうに手を振っているので軽く振り返して。

 早速、此処に呼び出された本題に入った。

 

 手紙にもあった様に、『赫刀』や『透き通る世界』の事も知りたいそうだが、先ずは上弦の鬼との戦い……より正確には黒死牟と猗窩座の事に関してより詳しく聞きたいとの事であったので、実際に共にその二体と戦った無一郎や煉獄さんと一緒に、その具体的な攻撃手段やらその動きの特徴を説明していく。

 

「黒死牟……上弦の壱の攻撃は大体此処から無一郎が立っている位置程度まで斬撃が届きます」

 

 戦っている中で目測で掴んでいた黒死牟の攻撃の射程範囲を、共に戦ってそれを目撃していた無一郎と煉獄さんが捉えていたそれと擦り合わせながら大体でこの位だろうと言うそれを、視覚的に分かり易くする為に自分と無一郎の距離で説明する。

 目が見えていない悲鳴嶼さんにも、声の位置などで大体のそれが分かって貰えるだろうと言う目論見もある。

 

「この範囲に攻撃が派手に届くなら、接近するのは至難の業だな」

 

 示したその距離に、唸る様に宇髄さんはそう零す。

 実際、この範囲攻撃を連発されてそれで接近するのは困難を極めるだろう。

 

「黒死牟は刀を自在に伸ばせるので、最悪の場合これよりも更に遠方にまで攻撃が届く可能性もあるでしょう。

 まああれ以上刀を伸ばすと鬼の膂力を以てしても取り回しが難しくなるので、そうそう無理に刀をあれ以上に伸ばす事は無いと思いますが……」

 

 ただ、出会い頭の奇襲目的だとか、瞬間的に広範囲を薙ぎ払う目的だとかで、一時的に常用に適さない程にまでその刀身を伸ばしてくる可能性は無きにしも非ずである。

 ……そして何よりも、黒死牟との戦いに於いて厄介なのは、その刀による馬鹿げた攻撃範囲と鬼の身体能力を駆使した常識外の連撃では無い。

 

「しかし、何よりも厄介な攻撃は、その手に持った刀による何らかの呼吸による攻撃ではありません。

 その血鬼術によって発生する斬撃その物です。

 極端な話をすれば、黒死牟は刀を振る必要性も無く、その刀から無数に斬撃を放てます。

 ……そして、その刀自体は、黒死牟自身の骨肉から作られているが故に、その身体から幾らでも無数に生やす事が出来ます」

 

 流石に何も無い状態から斬撃を生み出す様な事はしていなかったと思うのだが、しかしその全身から生やした刀身や或いは触腕の様なものからその斬撃は文字通り無尽に発生する。

 刀を振ると言う予備動作すら不要なそれを、完全に見切る事は難しく、そしてその斬撃の軌道は黒死牟の思うがままである。

 そしてその状態になってしまえば、接近して頸を落とすどころでは無くなるだろう。距離を取る事も、或いは詰める事も、どちらも困難極まりない。

 何せ、掠るだけでも人間の身体が障子紙よりも容易く裂かれてしまう様な斬撃だ。

 幾ら肉体を限界まで鍛え上げていたとしても、柱であってもまともに喰らえばその時点で即死するか戦闘不能になりかねない。

 刀を破壊してどうにか抑え込もうにも、鬼の肉体その物とも言える刀を単純に破壊したとしても直ぐに再生されてしまうだろう。

 ……『赫刀』で斬れば多少はその脅威を押さえ込む事も可能かもしれないが、しかし新たに別の場所から生やされてしまえばそれも難しい。

 

「ふむ……ならば刀を生やす母地になる肉体ごと、その『赫刀』とやらの状態で大きく抉れば少しは対処出来るのだろうか」

 

「それは試していないので分かりませんが……単純に斬るよりは効果があるかもしれませんね。

 ただ、黒死牟は此方の攻撃を見切って回避する力も尋常なものではないので、中々それ程までに身体自体を削る事も難しいと思います」

 

 鬼の身体能力を活かして、人間では無理な動きでも回避してくるのだ。

 そこも念頭に置いた上で対峙しなければ、相手を完全に捉えたと思った攻撃で思わぬカウンターを喰らって死にかねない。

 そもそも、黒死牟は数百年前に縁壱さんの剣技を誰よりも近くで見続けて来た可能性がある剣士だ。

 その時の記憶がどれ程今の黒死牟に残っているのかは自分には分からないが、しかし「神業」と誰もが讃える他に無い程の剣技を「知っている」黒死牟に対し、剣技でその見切りを上回る事は困難を極めるだろう。

 そして、その尋常ならざる攻撃や、その能力だけが問題になるのではない。

 

「……何よりも厄介な事は、その頸が非常に硬い事です。

『赫刀』の状態でも、単独でその頸を斬る事はほぼ不可能であるのかもしれません」

 

 ほぼ完璧な状態で頸に向けて放たれた無一郎の一撃でも、その頸に僅かに食い込むだけに留まってしまった。

 そして、上弦の参である猗窩座に対しても、『赫刀』の状態に至った煉獄さんと無一郎が二人がかりで挑んでも、後少しの所で斬り損ねた事を考えると。

 激しい戦いの中の僅かな隙を突いて頸を確実に落とすには、『赫刀』の状態の柱が三人は必要だと考えた方が良いのかもしれない。

 そして、『赫刀』を抜きにした場合……自分がその場に居合わせる事が叶わなかった場合は、確実に殺す為にはもっと大勢の力が必要になる可能性もある。

 そこに関してはどうなるのかは分からないが……。

 

 猗窩座の頸に関する報告書は既に読んでいるのか、あの戦いの場に居なかった柱も全員難しい顔をした。

 最終決戦の場で、どの様な状況下で上弦の鬼や鬼舞辻無惨と戦う事になるのかは未知数であるが故に、様々な状況を想定する必要はあるのだが。

 何であれ、上弦の頸を斬らなければならない事だけは確かなのだ。

 それがどれ程難しい事であるのかを改めて具体的に示されて、その打開策をどうにか見付け出そうとしている様であった。

 

「だが、上弦の肆に関しては、最終的にその『本体』とやらの頸を落としたのは、柱でもねぇ隊士だった筈だ。

 これに関してはどう説明する?」

 

 実弥さんからの質問に、その場に居合わせた訳では無い為炭治郎たちから聞いた話から類推した考えを話す。

 

「後から炭治郎たちに話を聞いた所によると、あの時の炭治郎の日輪刀はその妹である禰豆子の血鬼術によって『赫刀』に近い状態に変化していたそうです。

 そして、その場に居合わせた仲間の隊士二名が全力で炭治郎の日輪刀を更に奥へと押し込む形で力を合わせて……そして最後の一押しとして、その二名の隊士の日輪刀に対して鬼喰いの力のある隊士が禰豆子の血鬼術と同系統の血鬼術を発動させる事で、爆発的な推進力を加算した為押し切る事が出来たそうです。

 最終的に上弦の肆の頸を斬り落とした際に炭治郎の日輪刀にかかっていた力は、恐らく柱二人分以上の膂力に相当するのではないかと思います」

 

 逆に言うと、それ程までの力が無ければ上弦の肆の頸を落とす事は出来なかったと言う話でもある。

 基本的に、下位の鬼よりも上位の鬼の頸の方が硬い。

 恐らくは、妓夫太郎の頸よりも玉壺の頸の方が、玉壺の頸よりも半天狗の頸の方が、そして半天狗の頸よりも猗窩座の頸の方が硬い。

 それ程までに、上弦の鬼の……それも上位の鬼の頸を斬る事は困難なのである。

 鬼の頂点に在る鬼舞辻無惨がどうなのかは想像する事も難しいが……そもそも「切断する」事自体が難しいのかもしれない。まあ、頸を落とした所で鬼舞辻無惨のそれに関してはあまり意味がないのだが。

 

 そして、その答えに実弥さんと悲鳴嶼さんが何か言いたそうな顔をする。

 だが、結局は何も言わずに、話の続きとして猗窩座に関する話題になった。

 

 黒死牟とはまた別に、猗窩座も極めて厄介な相手だ。上弦の鬼に厄介ではない相手など存在しないと言えばそれはそうなのかもしれないが。

 素手格闘であるが故に、そのリーチ自体は黒死牟のそれよりも狭いが。

 しかし、その範囲の内に於ける隙の無さに関しては、黒死牟よりも上であろう。

 何せ、狂乱状態に陥った黒死牟の斬撃の嵐を強引に突破して接近した後の猗窩座は、互いに削り削られながらであるとは言え、絶え間なく無限に斬撃を放つ黒死牟を相手にしてすらその攻撃を通し続ける事が出来ていたのだ。

 此方の動きを先読みしてくる様なその血鬼術の力も相俟って、非常に厄介極まりない相手である。

 

「猗窩座との戦いに於いてやはり一番問題になるのは、何らかの手段で此方の動きを先読みするかの様に動く事が出来る血鬼術です。

 恐らく、猗窩座自身が意識していない攻撃にすらそれは反応出来るのでしょう」

 

 一体「何」を感知して動きを先読みしているのかは自分にはあまり良く分からなかったが、同じく共に猗窩座と相対した伊之助は、「殺気」の様なものを感知しているのではないか? と言っていた。

 伊之助の言う「殺気」と、猗窩座がやたら口にしていた「闘気」とやらが同じものであるのかは分からないが。

 明確に何らかの「意図」を以て行動する際の、その「意識」と共に発生する何某かを感知しているのだろう。

 これに関しては、それを潜り抜ける方法は自分には分からない。

 ただ……。

 

「幾ら無意識的にでも反応出来るとは言え、一度に対処出来る数自体には限りがあります。

 それを越える量の攻撃が向けられた場合は、その脅威度などから優先順位を付けて対処する様です。

 まあ、猗窩座の隙を突くとすればそこになるのでしょうか……」

 

 伊之助の攻撃を捌き切れなかった様に、「人」の形を保っている猗窩座には腕は二本足も二本しかない。それらで一度に対応出来るものを越えた状況を処理する為にはどうしても隙が出来てしまう。まあ、相手は上弦の鬼であるので、その隙もほんの数瞬程度のものでしかないのだが。

 しかし、その隙を突くとすればその点しかないのだろう。

 上弦の鬼とは、本当に厄介な相手である。

 

 黒死牟と猗窩座の事を大体話し終えた所で、今度は『赫刀』と『透き通る世界』についての説明と実演になった。

 まあ説明と言っても、判明している事の殆どは既にお館様に話しているので、新たに付け加える事の出来るものは殆ど無いのだけれども。

 

「じゃあ、今から皆さんの力を引き上げるので、その状態になったら握力を意識して日輪刀を握ってみてください」

 

 刀鍛冶の里で実験した時と同様に、『猫将軍』を呼び出して『マハタルカジャ』をかける。

 なお、見た目がどう見ても「猫」な存在が急に現れたのを見て、しのぶさんがちょっと動揺して、猫の気配を察した悲鳴嶼が少し浮足立つ様な反応を見せて、実弥さんが「猫かァ」と呟く。

 ……確か、しのぶさんは毛の生えた生き物はあまり好きでは無いのだったか……。呼び出す前にちょっと声を掛けていた方が良かったのかもしれない。

 

 まあ、『猫将軍』に対する反応はさておき、『タルカジャ』の効果が発動した状態で全員が日輪刀を握る力を意識してみた所。

 先ず真っ先に悲鳴嶼さんの特徴的な日輪刀が、その鎖ごと鮮やかな赫に染まった。

 そして、既に『赫刀』に到達した事のある三人がそれに続いて。

 宇髄さん、実弥さん、冨岡さんが更に続いて。

 そして、それに少し遅れて伊黒さんも『赫刀』に達した。

 ただ……しのぶさんの日輪刀は変わっていない様に見える。

 元々、刺突に特化して刃先以外の部分の刃が限界まで削ぎ落された特殊な日輪刀なので、赫に染まっていても判別は難しいのだけれども……。

「握力」で『赫刀』に到達するのは、しのぶさんにとっては難しいのかもしれない。

 実戦の場では流石に「握力」だけに意識を向ける訳にはいかないのだし、他の方法で『赫刀』を扱えないか試す方が良いだろう。

 まあ、その特殊な形状から、煉獄さんと無一郎がやってみせた様な、己の日輪刀を打ち合わせる方法も難しいかも知れないが。

 

 半信半疑とまではいかなくても、『赫刀』と言う現象を今一つ想像しきれていなかった人たちは、驚いた様な声を上げる。

 

「成る程、確かに匂いや熱も灼ける様なものに変わっているな」

 

 目は見えていないので色の変化自体は知覚出来ていないのかもしれないけれど、しかし視覚以外の感覚が極めて鋭敏な悲鳴嶼さんには、色以外の変化も感じ取れたらしい。

「握力」から意識を外した後にどの程度『赫刀』の状態が維持されるのかは其々異なっていたが、少なくとも全員一分は持つ様だ。

 戦いの中で「握力」だけに意識を向け続ける訳にはいかないので、ある程度は『赫刀』の状態を維持出来るのは間違いなく朗報である。

 悲鳴嶼さんに試して貰った所、武器を打ち合わせて『赫刀』の状態にする事も出来る様だ。

 ただ、その方法では「握力」で到達した場合よりもやや『赫刀』の持続時間が短くなる様だが。しかし、『赫刀』の状態の日輪刀を更に打ち合わせた場合に、より一層強く『赫刀』が発現するらしいので、駄目押しの一撃だとか、そう言う際に更に攻撃力を上げるのには有効であるのかもしれない。

 

 他に『赫刀』らしき現象を引き起こしたのは、禰豆子がその血鬼術でやった様な、熱を加えてみる……と言うものだが。

 とは言え、下手に試しても最悪日輪刀を焼いてしまったり溶かしてしまう結果になるだろう。まあ少なくともこの場で試さなくてはならない事では無い。

 

『赫刀』に関しては大体理解して貰えたので、今度は『透き通る世界』の方を試す事になった。

 予め、急に感覚が研ぎ澄まされ過ぎて混乱するかもしれない事は伝えた上で、『猫将軍』から『シキオウジ』に切り替えて、『心眼覚醒』を使う。

 周りを見ていると、どうやら全員何かしら見えているのか感じている様だ。

 事前に警告していたからなのか、炭治郎たちに使った時よりは混乱は少ない。

 それでも、既に『透き通る世界』を何度か見ている無一郎以外は、未知の感覚に困惑している様だった。

 

「ええっと……大丈夫ですか……?」

 

「まるではっきりと像を結んでいるかの様に、脈動まで知覚出来る……。

 これが、その『透き通る世界』とやらなのか……」

 

 驚いた様にそう零す悲鳴嶼さんの目には一体何が見えているのだろうか?

 相変わらず自分にはよく分からない感覚ではあるのだが、恐らく『透き通る世界』を見ているのだろうとは思う。

 無一郎曰く、一度体感出来たのなら自力でそれに辿り着くのは不可能では無いそうなので、恐らくこれで自分が『透き通る世界』に関して出来る事は全てしてあげられたのだろうけれど。

 取り敢えず、全員の様子が落ち着くまでを待って、あの感覚を感じてみてどうだったのかを訊ねてみる。

 

 宇髄さんは音の様に感じたらしく、悲鳴嶼さんは様々な感覚が一体となってまるで視覚の様に像を結んで感じたらしい。それ以外の人は基本的に視覚優位の感覚だった様だ。

 とは言え、その視覚で感じた部分も人其々だったのかもしれないが。

 あの感覚をまた掴める事は出来そうなのかと訊ねてみると、暫く集中していた悲鳴嶼さんはまた再び『透き通る世界』に入った様で。それを数度繰り返している内に完全に感覚を掴んだらしく、どうやら自由に入れる様になったそうだ。

 とは言え、やはり凄い集中力が必要なので、四六時中とはいかない様だが。

 それでも、必要な時に自在にその領域に踏み入る事が出来る様になったのは物凄い事である。

 流石は、悲鳴嶼さんだ。

 

『透き通る世界』に関しては、可能な限り必要なタイミングで素早く入れる様にしたうえで可能な限りそれを持続させられる様に其々鍛錬する事、と悲鳴嶼さんが決議して。

 今度は手合わせを、と言う話になった。

 もしかしたらこれが本題だったのかもしれない。

 どうやら、上弦の鬼たちの攻撃をある程度再現出来ると言う話を無一郎から聞かされたらしく、まあ当然の事ながら模擬戦闘を要望された。

 

「無理強いをする事は出来無いが、出来れば頼みたい」

 

 そう言って悲鳴嶼さんに軽く頭を下げられては、嫌とは言えない。

 気が進まないのは確かだが、しかしそうやって備える事がどれ程重要なのかはもう嫌と言う程分かっているのだ。

 準備の為に費やせる時間は限られているのなら、少しでもその為により効率のいい鍛錬を行わなければならないのだろう。

 

「いえ……良いんですよ。俺としても、皆さんの為に出来る限りの事は応えたいので」

 

 流石に致命傷一歩手前前提で戦ってくれと言うのは難しいけれども。と、そう答えると。それで構わない、と頷かれる。

 なら、四の五の言う前に実際にやるべきだろう。

 

「じゃあ、先ずは黒死牟からで良いですか?

 斬撃に纏わり付く小さな斬撃までは再現出来ないので、少し大きめに避ける事を意識して貰えると良いかと思います」

 

 最初に相手をする事になったのは悲鳴嶼さんである。

 凶悪な棘だらけの鉄球と斧が鎖で繋がれた独特の日輪刀(刀とは……?)を手にしているその姿は、物凄く頼もしくもあり相対する者としては威圧感を感じるものである。

 ゴウンゴウンと音を立てながら振り回されているので、尚更威圧的だ。

 ルールは前回と同様、勝利条件は五分間回避するか或いは此方の頸または頭部にその日輪刀をぶつけるかである。

 武器が木刀ならそこまで気を遣わなくても良いのだが、悲鳴嶼さんのその武器は木刀とは違い過ぎるので、木刀での演習よりは本来の日輪刀で戦った方が良いだろうと言う判断だ。

 流石に、今回は物理無効か吸収のペルソナで戦い続ける必要があるだろう。

 尚、此方の攻撃が直撃した場合は、その時点で手合わせは終了だ。

 最初の一分が経過した時点で攻撃範囲をあの大太刀サイズの刀の範囲に変更し、そして三分が経過したら刀を振る予備動作無しの全方位攻撃に移行する様になっている。

 今回のタイムキーパー担当は無一郎だ。

 

 

 無一郎の開始の合図で先に動いたのは、悲鳴嶼さんであった。

 まあ、時間が経てば経つ程攻撃を当て辛くなるので速攻をかけるのは最適解である。

 飛んで来た鉄球を回避して、回避した先を先読みするかの様に飛んで来た斧も軽く回避する。が、回避したと思ったその鉄球は、悲鳴嶼さんが鎖部分を巧みに操る事で再度襲い掛かって来る。

 それを再び回避すると、今度は鎖が頸の辺りを狙って迫って来た。が、これは身を深く沈めて回避する。

 

 ── ツインラッシュ

 

 こちらが軽く放った一撃を、悲鳴嶼さんもやはり軽く回避して。

 

 ── 岩の呼吸 壱ノ型 蛇紋岩・双極!

 

 鉄球と斧で挟み潰すかの様な一撃を放ってくる。

 それを回避しても、それを先読みしていたのか今度は鎖が迫る。

 恐らく、今の悲鳴嶼さんは『透き通る世界』とやらに入っているのだろう。

 その反応速度と、先を読む力が尋常では無い。

 

 迫って来た鎖を跳ねる様にして避けた。

 そして追撃の様に追って来る鉄球を、空中に居るので少し避け辛かった為にちょっと加減して押し返す感じで十握剣の剣の腹で押して避ける。

 そして、更に背後から頸を狙って落ちて来た斧はその腹の部分を横から蹴り飛ばす様にして防ぐ。

 

 そして、無一郎から一分が経過した合図が出された。

 

 ── 利剣乱舞

 ── アローシャワー

 ── アサルトショット

 

 基本的に回避に専念していた先程までとは打って変わって積極的に攻撃を仕掛けて来る様になったそれを、今度は悲鳴嶼さんが回避と防御に専念する。

 様々な方向や威力で絶え間なく迫り来る攻撃を、正確に見極めて防いだり回避したりと、その瞬間的な判断能力の高さは流石は鬼殺隊最強と言うべきなのだろうか。

 悲鳴嶼さんが攻撃を回避する合間にも、鉄球と斧は飛んで来るしその攻防一体となった攻撃は非常に強力だ。

 

 ── ヘビーレイン

 ── ヒートウェイブ

 ── ヘビーショット

 

 技の影響で砕けた岩の破片などでの細かい掠り傷程度はあっても、今の時点で悲鳴嶼さんは一度も攻撃を直接的に受けていない。

 驚く程に身軽だからと言う事もあるのだろう。

 しかし、回避の事を優先せざるを得なくなっている為に、あまり強力な攻撃を仕掛ける余裕は無い様だ。

 そして……。

 

 三分経過の合図が出された為、更に攻撃を切り替える。

 

 ── 空間殺法

 

 一気に空間全てを斬り裂く攻撃への対応が間に合わず、そこで初めて悲鳴嶼さんに攻撃が直撃した。が、それは保険としてかけていた『テトラカーン』によって跳ね返って来たので悲鳴嶼さんに傷は無い。

 保険としてかけた『テトラカーン』以外にも、『タルンダ』と『ラクカジャ』だけでなく念の為に此方に『スクンダ』も掛けているが、やはり普通に直撃したらただではすまない。

『テトラカーン』が切れたので、そこで手合わせ終了と言う事になった。

 

 

「どうでしたか? 何か掴めそうですか?」

 

 手合わせが一旦終わったので、一息吐きながらそう訊ねてみると。

 悲鳴嶼さんは「ああ」と頷いた。

 

「やはり、急に攻撃が変わった時の回避が難しいな。

 それを意識していても、やはり虚を突かれてしまう。

 恐らく、実際の戦いの中ではあの攻撃の際に負傷していただろう……」

 

「あの範囲と規模の攻撃を無数にかつ絶え間なく放ってくる様になりますからね……。

 出来るなら、その状態になる前に早く頸を落とすべきなのでしょうけれど……」

 

 しかし、それが簡単に出来る様な相手では無いのだから、本当に厄介なのだ。

『透き通る世界』に達した悲鳴嶼さんでも、何処まで有効な攻撃を当てる事が出来るのかと言う問題にもなってしまう。

 

「やはり、一対一で戦う事は困難を極める相手である様だ。

 柱同士で連携する必要がある」

 

「そうですね。もし、悲鳴嶼さん以外とも同時に先程の手合わせで戦っていたら、何度か頸を狙える機会はあったと思います。

 とは言え、それをするにはやはり息の合った連携が重要になるので、一朝一夕に出来る事では無いのでしょうけれど……」

 

 共に戦う相手が多ければ多い程良いと言う問題では無いのも、また難しい問題になる。

 相手が物凄く大きな図体であるなら大勢で袋叩きにするのが一番なのかもしれないが、相手はあくまでも成人男性一人分程度の大きさなので、仲間の邪魔にならない程度に同時に戦える数と言うのもそれなりに限られて来てしまうだろう。

 更には、仲間の攻撃や行動パターンなどを熟知していなくては、却って足を引っ張る結果にもなりかねない。

 

「それを補う為の柱稽古でもあるからな」

 

 そう頷いた悲鳴嶼さんが説明してくれたところ、柱は柱同士で手合わせを行う事で柱稽古をするのだそうだ。

 幾ら柱稽古とは言え、四六時中柱が隊士の面倒を見ている訳では無く、また特に序盤の方を担当する宇髄さんや煉獄さんは柱稽古が順調に進めば比較的早い段階でしごかねばならない隊士がいなくなるので、自分の受け持ちが全て先に進んだ柱や比較的手の空いている柱は、柱同士での積極的な手合わせを行う事で互いに高め合ったり連携能力を高めるのだそうだ。

 今までもそれが出来ていたら良かったのだが……。まあ、そんな事も難しい程に、柱の業務が多忙を極めていたと言う事なのだろう。

 しかし、柱同士の手合わせか……。

 炭治郎などは、それを見学したがるだろうなぁ……。いい経験になるとか言って。まあ実際、見取り稽古には自信がある炭治郎にとって、柱程の実力者同士の全力の手合わせは、見て学べるものが物凄く多いだろうけれど。

 全員がそれを見学するのは難しいだろうけれど、柱稽古を全て達成した者たちには特別に見学させてあげたりするのも良いのでは無いだろうか。

 そう試しに言ってみると、考えておこうと悲鳴嶼さんは頷いてくれた。

 

 そんな風な休憩が終わったら、今度は自分がとばかりに実弥さんが次の手合わせ相手として立候補して来た。

 流石に、今日だけで柱全員と手合わせするのは、ペルソナの力を酷使する関係上少し難しいかもしれない事を伝えると、煉獄さんと宇髄さん、無一郎としのぶさんはまた後日で構わないと返してくれたのでそこは厚意に甘える事にする。

 甘露寺さんも、「無理はしなくて良いからね!」と言ってくれる。

 まあ、折角こうして多忙な中で集まって来てくれているのだから、可能な限り頑張りたいのだが、こればかりは少しどうにもならない事なので、すみませんと謝っておいた。

 

 

「実弥さんも黒死牟との模擬戦闘で大丈夫ですか?」

 

 そう確認すると。実弥さんは「その前に聞きたい事が」と少し待ったを掛けた。

 

「お前は俺を名前で呼ぶが、何でだァ?」

 

 そう言われてみれば、確かに。

 直接言葉を交わす機会は殆ど無かったから多分気にされていなかったが、実弥さんの事をずっと名前で呼んでいたし、考える時も名字では無く名前の方で考えていた事に気付いた。

 

「あ、すみません。玄弥と話している時のクセで、つい……。

 もし気になるのでしたら『不死川さん』に直しますが……」

 

 玄弥と実弥さんについて話す時に、「実弥さん」と呼んでいるから、それがついつい定着してしまったのだろう。

 思えば、まだそれ程親しい訳でも無いのだし、更に言えば柱の階級に在る人をいきなり名前で呼ぶのはあまり良い態度とは言えないだろう。

 とは言え、もうそれで慣れてしまったので、咄嗟に「実弥」さんと呼んでしまいそうだが……。

 しかしよく考えれば、実弥さんと玄弥の兄弟仲は拗れている……と言うか現状かなり複雑な事になっている。

 実弥さんの真意は自分には分からないのだが……。

 

「いや、良い。

 ……鳴上は、アイツの事を知っているのか?」

 

「はい、玄弥は俺の友人ですから。

 玄弥には何時も助けて貰っていますよ」

 

 真っ直ぐに自分を「友だち」だと見てくれる玄弥の、その偽りの無い言葉と視線には何時も支えて貰っている。

 玄弥は、大切な……何をしてでも力になりたい「友だち」の一人である。

 だからこそ、その兄弟仲を取り持つ事が出来るのなら取り持ってやりたいし、玄弥の納得がいく様な状態にしてやりたいのだが……。

 

「そうかぃ。

 だが、アイツは何の才覚もねェ。

 鬼殺隊の剣士としては、何も出来ねぇだろうが」

 

 玄弥が弟である事を言葉の上で直接的に肯定したり、或いは認めるに近い言葉を口にする事は無かったが。

 しかし、どうやら玄弥が鬼殺隊の隊士である事に対して思う事がある様で。

 実弥さんは、玄弥の才能に関して言及した。

 呼吸の才能が無い事を悩む玄弥の姿を何度も見ているからこそ、その言葉が事実ではあってもその全てに頷く事は出来なかった。

 

「……確かに、玄弥には他の隊士の人たちの様に呼吸を使って戦う事は出来ませんが。

 しかし、自分に出来る事を必死に探して戦っている凄い人ですよ、玄弥は」

 

「鬼殺隊は才覚がねぇ奴がやっていける様な場所じゃねェ。

 才覚がねぇ奴の『自分に出来る事』なんざ、たかが知れてんだよォ」

 

 実弥さんの中では、何か確固たる考えと想いが在るのだろう。

 こっちの言葉に、何一つ揺らぐ事なく淡々とそう言う。

 その言葉の真意は、恐らくその表層上のものだけではないだろう。

 そもそも、本気でどうでも良いなら一々そんな事を言及する事も無い。

 それがどの程度の好意的なものであるのかはともかく、実弥さんの心の中に玄弥の居場所が存在している事は確かなのだろう。

 しかしその真意が何であれ、頑なに玄弥の行いを否定する様なその言葉にはやはり頷けない。

 

 「……そうでは無いと、俺は思いますよ。

 それに、呼吸の才能があれば鬼殺隊で生き残れる訳でも無い。それが重要な事は確かですが。

 でも、呼吸の才能には恵まれなくても。少なくとも玄弥は、自分の努力で周りの人たちを助けて、そしてその人たちを動かす事が出来る力があります。

 それは、呼吸の才能にも匹敵する程の、大切な力なのではないでしょうか?」

 

 確かに、玄弥は「持たざる者」の側に在る者なのだろう。

 才能があったとしても明日の命の保証の無い鬼殺隊に於いて、「持たざる者」に待ち受ける苦難の道はどれ程険しいのかなど、考えるまでもない。

 玄弥は恐らく誰よりも誠実に、『自分に出来る事』に向き合って、その壁を乗り越える為にもがき苦しんでいる。

 そもそも鬼殺隊に居る事を諦めれば、そんなに苦しまなくても済むのは確かだ。

 鬼殺の……呼吸の才能が欠けているだけで、玄弥自身に何も無い訳では無いのだから。もっと向いている環境や場所なんて、探せばきっとある筈だ。

 それでも、玄弥は此処に居る事を選んだ、此処で戦う事を選んだ。

 誰に強制された訳では無く、寧ろ諦めろと誰からも言葉にするしないに関わらず示された上で、自分自身の意志で選んだのだ。そして、その選択の責任を自分自身で背負っている。

 玄弥自身が、己が「納得」出来る未来はこの先にしか無いと決めてしまったのなら。それを阻む権利がある者など、この世に存在しない。

 不器用な生き方なのかもしれない、もっと賢い生き方が幾らでも在ったのかもしれない。それを理解した上で、「それでも」と選んでしまったのだ。

 なら、そんな玄弥に対して自分がしてやれるのは、玄弥が少しでも「納得」出来る様に……そしてその志半ばにして命を落とす事が無い様に、少しでも手助けする事でしかない。

 

「周りを動かす才能ってのがあった所で、独りでは何も出来ねぇって事ならそれに何の意味がある。

 結局周りを頼るしかねぇなら、鬼殺隊なんざさっさと辞めるべきだろォ?」

 

 どうやら、実弥さんは本当に玄弥に鬼殺隊を辞めさせたいらしい。

 その真意が、果たして『鬼殺隊をやる才能が無い』からなのかは分からないが。

 しかしそもそもの話、鬼殺隊でやっていく為の才能……言及されている呼吸への才覚の有無なんて言い出してしまえば、普通に呼吸を習得している隊士たちだってかなりその才覚の高さにバラツキがあるだろう。

 玄弥程才覚に恵まれていないのに鬼殺隊の剣士として居続けているのは珍しくても。

 極端な話をしてしまえば、最終選別に通ってまだ半年も経っていない様な炭治郎が頸を斬れる鬼に勝てない隊士がどれ程居るのかと思ってしまう。そう言った隊士が強い鬼の頸を斬れない事を責めたい訳では無く、才覚の有る無しを問題にすれば、それこそ『鬼殺隊に居るべきでは無い』隊士なんて探せばかなり居るだろう。

 そんな人たちを見掛けた際に、実弥さんはその一人一人に「鬼殺隊を辞めろ」と言うのだろうか?

 ……恐らくは、違うだろうと。そう思う。

 恐らくは、それが玄弥だから、実弥さんはそんな風に言っているのだ。

 それを直接確かめた訳では無いので確証は持てないが。

 恐らく、実弥さんの言葉の真意は……。

 

「人が独りで出来る事なんて、本当に限られていますよ。

 何時だって自分では無い誰かに助けられている。……そして同じ位に自分では無い誰かを助けている」

 

「それをお前が言うのかァ?」

 

「俺だからこそ言うんですよ。

 俺は、何時だって自分では無い誰かに支えられている、助けて貰っていますから。

 ……玄弥に鬼殺隊を辞めて欲しいと本気で思っているなら、どうしてそう思うのかをちゃんと実弥さんの考えと共に心からの言葉で言うべきですよ。

 きっと、どう言った所で玄弥は止められませんが。

 しかし、今の実弥さんの言葉で鬼殺隊を辞める可能性だけは無いと思います。

 覚悟を決めてしまった人の心を変えられるのは、それに対して『本気』で向き合った人の言葉と行動だけです」

 

 この先、待っているのは鬼舞辻無惨との決戦だ。

 上弦の鬼たちや鬼舞辻無惨と否応無しに戦わねばならなくなる。

 言うまでも無く、これまでに無い程に命の危険が存在する戦いになるだろう。

 ……どれ程備えても、どんなに力を尽くしても。

 恐らく、何の犠牲も無しに乗り越えられる可能性は限り無く低い戦いになる。

 そんな戦いの場に()()()()()()()()と、()()()()()()()()()()と、そう本気で思うのならば。

 なら、その心に在る想いを全て素直に伝えなくてはならない、本当の意味で向き合わなければならない。

 玄弥は、実弥さんの事を真っ直ぐに見詰めているのだからこそ。

 どんな想いが在るにしろ、表層だけ冷たく取り繕った言葉や行動だけで相手を動かせるとは思ってはいけないのだ。

 

 それに、一度口にしてしまった言葉を取り消す事は出来ない。

 過去を変える事は出来無いし、その言葉に何時でも取り返しが付く訳では無い。

 世界は理不尽で残酷で、鬼の存在に関わらず、どうしようもない事も沢山起こる。

 その時に後悔してもどうしようもない。

 自分が憎まれ役を買って出たらその期待通りに相手も反応してくれるだなんて、思うべきでは無いのだ。

 玄弥は、何があっても大好きな「兄ちゃん」を嫌いになったりは出来ないのだから。その程度の反応で諦める位なら、そもそも鬼殺隊に残り続けたりしない。

 

 結局その言葉に実弥さんは何も返さなかった。

 自分も譲れない様に、実弥さんにだって譲れないものがあるのだから、それは仕方無いのかもしれない。

 そして、その鬱憤を晴らすかの様に、手合わせの際の実弥さんの攻撃は苛烈極まりないものになった。

 悲鳴嶼さんと手合わせした際のそれとはまた違う、何処か鬼気迫るものがあるのは、どうにもならない憤りや悲しみなどをそこにぶつけているからなのだろうか。

 

 とは言え、実弥さんとの手合わせもやはり『テトラカーン』が発動した事によって途中で強制終了となって。

 その後で相手をする事になった伊黒さんや冨岡さん、そして甘露寺さんに関してもやはり中々最後まで回避し切れずに途中で『テトラカーン』が発動する。

 それだけ、単独で相対した場合に上弦の鬼の攻撃を回避し続けるのは難しく、更にはその攻撃を避けながら頸を狙うのは難しいのだろう。

 余力があったので後日でも構わないと言ってくれていた四人とも手合わせをするが、結果は概ね同じであった。

 ……尚、しのぶさんは黒死牟ではなく童磨との模擬戦闘を望んだのだが、何と言うのか……その刺突攻撃が物凄く鬼気迫るもので、正直悲鳴嶼さん以上の威圧感を感じた程で。手合わせの最中にしのぶさんは実際に童磨と戦った時の事を思い出したのか、その笑顔がちょっと怖かった程だ……。

 しのぶさんとの童磨を模倣した手合わせは物凄く良い所までいったのだが、頸を狙った全速力の刺突へのカウンター気味に繰り出した『ブフーラ』が直撃して『マカラカーン』が発動した事で強制終了となってしまった。

 実際の戦いだと、あの勢いの刺突なら氷の血鬼術が当たっても威力や速度自体は減衰しなかったと思うので恐らくは童磨の頸を貫通する事は出来ていたのだろう。

 ……その際の命の保証は出来ないので、やっぱりそれを有効打とはカウント出来ないのだが。

 

 そんなこんなで一通りの手合わせが終わった後で、やはりこの手合わせがとても有用だと言う話になって。

 柱稽古の期間中、柱稽古に参加する必要自体は無いものの、順番に柱の所を回ってまた手合わせをしてくれないだろうか、と悲鳴嶼さんたちに頼まれる事になった。

 まあ鬼が殆ど出没しなくなった今、蝶屋敷で負傷した隊士たちを治療する事も殆ど無いし、少しでもそれで力になれるなら自分としても有難いので、その頼みを快諾する。

 それから程無くしてその場は解散となり、受け持つ事になる柱稽古の準備の為に其々が帰っていく。

 そして、しのぶさんと一緒に蝶屋敷に帰って来た丁度そのタイミングで、自分と炭治郎の下に鎹鴉が手紙を運んで来た。

 

 任務ではない様だけれど、一体何なのだろう? と、その手紙を確かめると。

 差出人は、予想外な事にお館様であった。

 何かあったのだろうか、と少し慌ててその内容を確かめると。

 

 

「「冨岡さんと話をしてやって欲しい……?」」

 

 

 思わず、炭治郎と共に首を傾げてしまう程に。

 その「お願い」は、実に不思議なものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
実弥の真意に何となく気付くが、まだ確信にまでは至れていない。
未だ言葉を交わした事が無い冨岡さんを説得する役目を託された事に驚く事に。
兄弟弟子である炭治郎はともかく、自分も?と戸惑いを隠せない模様。
柱稽古には(隊士では無い事もあって)参加はしないが、柱稽古の期間中は各柱の下を順に訪れる事になった。
なお、真面目に柱稽古に参加した際には、音柱の基礎体力向上訓練は問題無く通過出来るが、炎柱の全集中・常中習得訓練で脱落する事になる。(呼吸に適した身体にならないので……)


【宇髄天元】
柱稽古では、原作同様に第一の試練として『基礎体力向上訓練』として隊士たちを最初にしごく事になる。
悠とのシミュレーション代わりの手合わせは、『イザナギ』などを召喚して攻撃してこないだけ、悠の全力から考えると物凄く有情な難易度である事に気付いている。


【煉獄杏寿郎】
柱稽古では、第二の試練として『全集中・常中の習得、及び全集中の呼吸の精度などの向上』を受け持つ事に。
尚、炭治郎たちの様に既に全集中・常中を習得しその精度も高い状態を保てている隊士に対しては、手合わせを行い一定以上の水準に達していると判断した場合に合格の判定を出す模様。
手合わせはかなり良い所までいったのだが、やはり無差別「空間殺法」の攻略が難しかった。


【時透無一郎】
柱稽古では、第三の試練として『高速移動及びその速度を維持して戦い続ける為の訓練』を受け持つ事に。炭治郎たち以外には塩対応。
黒死牟と猗窩座の脅威を直接的に知っているので、シミュレーション代わりの手合わせへの熱意は物凄く高かった。


【甘露寺蜜璃】
柱稽古では、第四の試練として『柔軟性向上訓練』を受け持つ。なお、柔軟の為の解しは文字通りの力技である。
刀鍛冶の里に救援に向かった際は(気を喪って煉獄さんに運ばれていた)悠と話す機会が無かったが、物凄く丁寧なお礼の手紙を貰ったので、「律儀な良い子なのね」とキュンとされている。


【伊黒小芭内】
柱稽古では、第五の試練として『太刀筋の矯正』を受け持つ。なお、物覚えが悪い隊士は障害物として設置される運命にある。障害物にされた者は必死に動きを観察しようとする為、見取り稽古的な側面もある様だが……スパルタである。
悠が鏑丸に対しても敬意を以て接してくれるので悠自身への好感度は上がったが、蜜璃と親しくしているので下がったのでプラスマイナスの収支は微細にプラスになった程度。


【不死川実弥】
柱稽古では、第六の試練として『無限打ち込み稽古』を担当。
悠に対して、全力で打ちかかって行ったが勝てなかった。


【悲鳴嶼行冥】
柱稽古では、第七の試練として『筋力強化訓練』を担当。なお、火で炙る修行は不慣れな者には危険な為、熟慮の末見送る事に。
猫将軍を「南無ネコ可愛い……」と可愛がりたかったのだが、先に手合わせなどの用件を優先した。
手合わせの際、最初から最後まで『透き通る世界』に入っていたのだが、それでも攻撃を掠らせる事の出来なかった悠(黒死牟をシミュレーション中)の強さに、単独での上弦の鬼討伐が極めて困難である事を再確認する。
獪岳の事に関して悠から何か話を聞こうとするも、その機会を逃してしまっている。


【冨岡義勇】
手合わせの際の最低限のやり取り以外、全く悠と言葉を交わしていない。
柱稽古に参加しない意思を示すが、お館様からの依頼によって、炭治郎と悠の二人がかりでの説得が行われる事になる。


【胡蝶しのぶ】
当初は柱稽古に参加して、反応速度向上及び回避行動訓練を行う予定であったが、お館様から託された重要案件の為に柱稽古を行う事は出来なくなった。
童磨をシミュレーションした手合わせでは、ついつい童磨への殺気が……。


【竈門炭治郎】
柱稽古開催のお知らせに素直に滅茶苦茶喜んだ。
原作とは違って絶対安静の怪我をしていないので、最初から参加出来る。
しかし、柱稽古が開催されるまでの短い期間での冨岡さんの説得を、悠と共に任される事に……。


【我妻善逸】
柱稽古に関しては、どう考えても地獄の特訓になるので既に嫌過ぎる。
岩柱の名前を見て固まってしまった獪岳が心配。
なお、悠がチュン太郎の本名(うこぎ)を知っているとは知らない。


【獪岳】
柱稽古のお知らせを受け取った際に、初めて今代の岩柱が悲鳴嶼さんである事を知り大混乱。
まさかあの悲鳴嶼さん?そんなだってあの時、と。悲鳴嶼さんが生きていてくれた事が嬉しい反面、罪悪感などでどうして良いのか分からない。


【嘴平伊之助】
柱稽古のお知らせを聞いて炭治郎と一緒に大はしゃぎしてアオイに怒られた。
強い相手との手合わせなどが大好きなので、多くの隊士にとって地獄を味わう事になる風柱の柱稽古も大喜びで挑む事に。


【不死川玄弥】
悲鳴嶼さんから柱稽古の事を知らされて、「これをこなしていけば兄ちゃんにも会える!?」とドキドキする。


【竈門禰豆子】
炭治郎が柱稽古を受けている期間は蝶屋敷でお留守番する事になる。
蝶屋敷の皆が相手をしてくれるから寂しくは無いけど、お兄ちゃんが早く帰って来てくれると嬉しい。


【珠世】
鬼舞辻無惨を滅ぼす為に手段を選ばない事を決めた。
炭治郎と悠の説得もあって鬼殺隊と協力する事を了承したのだが、共同研究相手が一体誰なのかはまだ知らない。


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『心閉ざす霧の中』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 予想外のタイミングで届いたお館様の手紙であったが、その内容は更に想像すらしていないものであった。

 曰く、「独りで後ろを向いてしまう冨岡さんが前を向ける様に、話をしてやって欲しい」との事なのだが……。

 ほぼ全く同じ内容の手紙を炭治郎も受け取っているのは、まあ良いだろう。

 炭治郎と冨岡さんは修行していた時期こそ異なれど同じ育手の下で修行を積んだ兄弟弟子であるのだし、そもそも育手の鱗滝さんを炭治郎に紹介したのも冨岡さんだ。

 鬼舞辻無惨に家を襲われて禰豆子以外を皆殺しにされ、そして禰豆子は鬼にされて、どうする事も出来ない絶望と無力感の中で途方に暮れていた炭治郎に出逢い、そして最初に道を示したのも冨岡さんである。……其処に関しては、あの無限列車での任務の中で不本意な事態ではあったものの炭治郎の記憶を覗いてしまった為、ある意味では自分の身に起きた出来事であったかの様に今でも鮮明に覚えているのだが……。

 まあ、話を戻して。炭治郎に冨岡さんの事を頼むのは分かるのだ。

 実際に一緒に任務に行ったりなどと言った形で関わる事自体はほぼ無いものの、それでも禰豆子の為に師匠である鱗滝さんと共にその命を懸けてくれていたり、那多蜘蛛山での任務の際には救援に駆け付けたしのぶさんたちに鬼として殺されかけていた禰豆子を庇ってくれたりなど。

 炭治郎にとっては大いに恩義の有る相手であり、縁深い相手である事も間違いなく事実である。

 実際、「大恩人である冨岡さんの為になるのなら!」とばかりに炭治郎はお館様からのお願いにやる気満々になっている。

 それは良いだろう。人と話すのが好きな炭治郎にとっては、「話をする」と言うそのお願いは何の負担でも無い。

 ただ……。

 

「俺……まだ冨岡さんとちゃんと話をした事が殆ど無いんだけど……」

 

 何せ、顔を合わせた事すらまだ二回しか無くて。

 しかも、最初に顔を合わせた緊急の柱合会議の時には挨拶らしい言葉すら交わした覚えが無い。

 物凄く静かに隅っこの方で黙っていたな……と思い返してもそんな事位しか思い出せない程だ。

 今日二度目に顔を合わせた時も、手合わせの際に「頼む」と一言言われた程度で。正直、柱の人たちの中でもぶっちぎりで会話をした覚えが無い相手である。

 まあ、冨岡さんと顔を合わせる時は、何時も他にやる事があったりして中々話せる機会が無かったからだと言えばそうなのだけど。

 まあそんな訳で、どうして自分に白羽の矢が立ったのかは非常に謎であった。

 

 勿論、冨岡さんと話をするのが嫌だと言う訳では無い。

 何か力になれる事があるのなら、自分に出来る限りの事をしてあげたいと思う。

 ……そうは思うのだが……。

 

 もう一度お館様からの手紙を読んで、少し溜め息を吐いてしまう。

 恐らくこのお館様からの「お願い」は、冨岡さんが柱稽古に参加していない事と何かしらの関係があるのだろう。

 参加していないと言えば、しのぶさんも参加していないのだけれど……それに関しては何やら柱稽古よりも優先して為さねばならぬ事があるからの様だ。

 冨岡さんにもそう言った事情があるのかもしれないけれど……しかし多分この文面的には冨岡さんの事情はしのぶさんのそれとは違うものなのだろう。

 

 それにしても、「独りで後ろを向いてしまう」……か。

 ……鬼殺隊に身を置く者の殆どが、家族や恋人などといった大切な者を鬼に奪われたか或いは鬼にされるなどと言った過去を背負っている。

 誰もが苦しみを背負っているし、……命懸けの戦いだと分かっていても鬼を殺す以外にその苦しみや悲しみ……憎悪を晴らす事が出来なかった人が多い。

 まあ中には、甘露寺さんの様に全く別の理由で鬼殺に身を投じている人も居るし、煉獄さんの場合は先祖代々鬼殺の剣士の家系であったからと言う理由が大きいそうなので、一概に誰も彼もが悲惨な過去を背負って鬼殺の道を選んだ訳では無いけれど……。

 ただ、やはりその切っ掛けが悲劇から始まっている事の方が多いのは事実であろう。

 そして、鬼殺の道を選んでからも、悲劇は基本的に降り積もる様にやって来る。

 鬼殺隊の活動の多くは、鬼の被害が報告されてからになってしまう関係上、基本的には何らかの悲劇は既に起きた後だ。

 間に合わなかった光景には数多く遭遇せざるを得ないし、そして鬼を殺したからと言って必ずしも感謝される訳では無い。

 寧ろ、「どうして間に合わなかった」などと言った心無い言葉を向けられる事だってあるだろうし、間に合ったとしても、犠牲者の心の傷は深い。

 更には、鬼にされた者の身内から憎悪を向けられる事だってあるだろう。

 ……そう言った物事の諸々が積み重なって心が折れて鬼殺の道を諦める人も、多くは無いが少なくも無いらしい。

 冨岡さんが、お館様から見ても「独り」でかつ「後ろを向いてしまっている」と判断せざるを得ない程に色々と事情を抱えてしまっているのは、そう言った物事が沢山積み重なってしまったからなのだろうか?

 

 自分は、冨岡さんの事を殆ど何も知らない。

 鬼殺隊の水柱で、炭治郎の大恩人で、炭治郎の兄弟子で……。

 まあ、冨岡さんに関して知っているのはそれ位なものだ。

 そんな自分に何が出来るのかは分からないけれど。

「前を向ける様に、話をしてやって欲しい」と言うその「お願い」を叶える為には、もっと冨岡さんについて知らなければならないだろう。

 

 炭治郎は早速明日から冨岡さんの所に行ってとにかく根気よく話し掛けまくるつもりである様だが……。それだと、途中で根負けして冨岡さんの方が折れる可能性もあるが、寧ろより一層頑なになってしまう可能性もあるだろう。

 冨岡さんがどう言う性格なのかもあまり良く分からないのだが、単純に言葉にしたり話すのが苦手なタイプだった場合、ひたすら押されるのはかなりのストレスになってしまうかもしれないし、どうかしたら兄弟弟子関係が拗れてしまいかねない。

 なので、先ずは情報収集から始めてみてはどうだろうかと炭治郎に提案してみた。

 

 なら、先ずは自分の育手であり冨岡さんの育手である鱗滝さんに冨岡さんの事を訊ねてみようと言う事になって、炭治郎は早速鱗滝さんに向けて手紙を送った。

 自分はと言うと、冨岡さんと親しい人というものに心当たりは無いのだが、柱として多少の交流はあるのだろう宇髄さんと煉獄さん、甘露寺さんと悲鳴嶼さん、そして記憶にはあまり残っていないのかもしれないが無一郎にも、冨岡さんの事を訊ねる手紙を出す。手紙を沢山運ばねばならない鎹鴉たちは大変そうで、ちょっと申し訳無かったが……。

 そして、しのぶさんには直接訊ねてみる事にした。

 

 

「冨岡さんの事を、ですか……」

 

 早速しのぶさんに訊ねてみると、しのぶさんは「うーん」と小さく呟く様に、どう説明しようか迷っている様であった。

 

「そうですねぇ……冨岡さんは口下手と言うべきか、言葉足らずと言うべきか……。

 他人との意思疎通に難ありな人ですね」

 

 割とバッサリと斬られてしまって、どう反応して良いのか分からず思わず炭治郎と共に黙ってしまう。

 いやまあ……多分人と話すのが大好きな質では無いのだろうとは想像していたけれど。もうちょっとオブラートに包む様な……或いは最大限オブラートに包んだ言い方をしてもそうとしか表現出来ないのかもしれないが。

 

 しのぶさんが言うには、冨岡さんは柱としてはそこそこ長期間在籍しているらしく、現在在籍している柱の中で最も古くから居る悲鳴嶼さん、次いで長く柱を務めている宇髄さんに続いて長く柱を務めているそうだ。

 恐らくは花柱であったカナエさんを通して、柱ではなかった頃からしのぶさんは冨岡さんの事を知っている様だが、……まあその当時から非常に言葉数が少なく、口を開いたとしても口下手な様で相当不味い言い方ばかりしてしまう人であったそうだ。

 しかも不器用なのか、誤解される事もしょっちゅうで。任務の際に任務先の人々に不審者扱いされてお縄につきかける事もしょっちゅうであるらしく……。

 何と言うのか、色々と難ありな人ではあるのだろう。

 

「基本的に協調性もありませんね。そこに絶望的な口下手も加わるので、他の方と衝突する事もよくあります。

 特に、不死川さんや伊黒さん、時々宇髄さんや悲鳴嶼さんとも尽く衝突しますし……孤立しがちな人である事は確かですね。

 以前、お館様が気を回してどうにかしようと冨岡さん以外の柱全員に『お願い』した事があったのですが……まあ結果は大失敗としか言えないものでして。

 恐らく、お館様が悠くんと炭治郎君に任せようと思ったのもそれが大きいのかと思います」

 

 成る程……と思わずしのぶさんの言葉に炭治郎と共に頷いてしまった。

 まあ……冨岡さんがそこまで口下手と言うか……絶望的に言葉が足りないのであれば、その心に近付くのは相当難しいだろう。

 そう言う相手なのだと理解した上で、根気強くその言葉を待ってみたり、或いは言葉に出来ていない部分の意図を読み解いたりと。

 そういう事に慣れていないと相当難しい事である。

 今の柱の人たちの事を思い返してみて……まあ、しのぶさんの言う「前回」のそれが失敗してしまった理由は何と無く想像が付いた。

 何はともあれ、冨岡さんが様々な意味で相当難しい人である事だけは確かなのだろう。 

 

「うーん……でも冨岡さんはとても優しい人だと思うんですけど……」

 

 炭治郎は少し困った様にそう言う。

 実際、冨岡さんのお陰で炭治郎は禰豆子と共に居る事が出来ている訳なのだし……。あの場に居合わせていた冨岡さんがどんな事情や心境であったのかは分からないが、鬼である禰豆子を結果的に「庇う」にも等しいその行動は、柱としては気紛れや気の迷いで出来る様な事では無い事は確かだ。

 禰豆子の為に命を懸けてくれていた事と言い、決して悪い人では無いのだろう。

 ……まあ、悪い人では無い事と、絶望的なまでに口下手である事は両立してしまうのが難点であるのだが。

 

「まあ……悪い人では無いのは確かなのだろうけれど、冨岡さんにも色々とあるのかもしれないからな……」

 

 本人の元々の気質の問題だと言い切られてしまえば、それを無理に変えたりするのは難しいし……。

 とは言え、柱同士隊士同士で連携しなければ上弦の鬼や鬼舞辻無惨との決戦を乗り越える事は難しい為、口下手で協調性が無いからと言ってそれで終わっては駄目な訳で……。

 一体どうしたものか、と二人で考えていると。

 どうしてだか、しのぶさんが面白いものを見ているかの様に小さく笑った。

 

「お館様が二人に任せてみようとした理由がよく分かりますね」

 

 そうなのか? と、炭治郎と二人して首を傾げてしまう。

 

「……鬼殺隊には、自分以外の誰かの心を慮れる程に心に余裕がある人はそう多くはありませんからね。まあ単純に忙しいと言う問題もあるのですが。

 二人の様に冨岡さんの事を真剣に考えて、しかもそれをどうにかしようとしてくれる人は、鬼殺隊ではとても貴重なんですよ。

 ……二人なら、冨岡さんの心を少しだけでも前向きに変える事が出来るかもしれませんね」

 

 そう言って、しのぶさんは柔らかく微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 お館様からの手紙を受け取った翌朝。

 鎹鴉たちが本当に頑張ってくれた上に、手紙を送った先の誰もが、きっと柱稽古の準備で忙しいだろうにそれでもちゃんと返事を書いて送り返してくれていた。

 とは言え、冨岡さんは本当に他の柱の人たちとの交流が殆ど無い様で、その為人の部分に関してはあまり詳しい事は殆ど分からなかった。

 特に、無一郎の返答は「置き物みたいな人」と言う簡潔過ぎる上に、言わんとしている事は物凄く分かるのだけどどう反応するべきか迷ってしまうもので。

 ただ、長く柱を務めている悲鳴嶼さんと宇髄さんからの手紙で分かった事はある。

 

「柱になった時点で、今の状態だったのか……」

 

 冨岡さんが鬼殺隊に入った具体的な時期は分からないが、少なくとも五年以上は昔の事の様だ。

 そして少なくとも悲鳴嶼さんたちが冨岡さんの存在を認識した時点で、冨岡さんを知る人たちが口をそろえて「口下手」「無口」「寡黙」「言葉足らず」と言い切るそれは今と全く変わらない様だ。

 ならば、冨岡さんが生来物凄い口下手な気質であった訳ではないのならば、「何か」があったのは柱になるよりも前……隊士になった頃か、或いは入隊前の事なのだろう。

 ……まあ、大体の隊士たちが何らかの喪失を抱えて鬼殺の道を選んでしまう事を考えると、そう言った事情が冨岡さんにもある可能性が極めて高いのだけれども。

 冨岡さんが物凄く口下手な事を再確認する事になった訳だが、それ以外の事も知る事が出来た。

 例えば、十の型がある水の呼吸で、十一番目の型を編み出すなど、その剣の才は冴え渡っているのだそうだ。更には、煉獄さんの目から見ても、冨岡さんは寡黙な努力家であるらしい。

 ただ、それらの情報で冨岡さんの心をどうにか前向きに動かす事が出来るのか? と言われると……。

 結構な難題に、思わず頭を抱えてしまう。

 

「鱗滝さんからの手紙が返って来たら何か分かるのかもしれませんが……」

 

 狭霧山までは距離があるからなのか、或いは文面に認める事も少し難しい内容になってしまうからなのか。炭治郎が己の育手である鱗滝さんに送った手紙の返事はまだ届いていない。

 

「いや、昨日の今日なんだ、流石に直ぐに返事を書くのも無理があるだろう。

 だから気にしなくても良いさ。

 寧ろ、煉獄さんたちが直ぐに返事を送ってくれた事に驚いている位だ。

 ……取り敢えず、此処で考えあぐねていても埒が明かないし、一度冨岡さんの所に行ってみるか」

 

 幸い、蝶屋敷から、冨岡さんの住居である水屋敷はそれなりに近い距離にある。

 何だったら今日中に行って帰って来る事も出来る位だ。

 一度ちゃんと会ってみない事にはどうにもならないのだし、と。

 炭治郎と一緒に、水屋敷に向かうのであった。

 

 

 冨岡さんの住む水屋敷は、「千年竹林」と呼ばれる広大な竹林のその奥にあった。

 近くに他に民家は無い為か、その周囲は静謐と言うべきか……竹林を緩く吹き抜けていく風が笹を揺らす音位しかしない。

 鎹鴉に道案内されて辿り着いた屋敷は、門扉が閉められた状態であった。

 訪問する旨は一応予め鎹鴉を通して伝えていたのだけれども。

 

 

「ごめんくださーい、冨岡さーん。

 こんにちはー、すみませーん」

 

 

 炭治郎が、冨岡さんが屋敷の奥に居たとしても聞こえるだろう程によく通る大きな声で元気よく挨拶する。

 周囲に他に民家が無いから良いものの、近くに他に住んでいる人が居たら「うるせぇ!」と怒鳴りこまれる可能性もある程の大きな声である。

 

「煩くしてすみません、鳴上ですー!

 ごめんくださいー!」

 

 炭治郎程では無いが、自分もかなり大きめの声で呼びかける。

 が、返事は無い。偶々不在なのだろうか?

 なら、また後で出直した方が良いのだろうか……とそう思っていると。

 

 

「義勇さーん。

 俺ですー、竈門炭治郎ですー。

 こんにちはー、じゃあ入りますー」

 

 

 何の躊躇も無く炭治郎は門扉を開けて屋敷の敷地に入ってしまう。

 流石にそれには驚いて、「大丈夫か!?」と声を掛けてしまう。

 余りにも堂々とした不法侵入だ。

 しかし、炭治郎は大丈夫だと力強く頷く。

 

「義勇さんの匂いがするので、義勇さんは屋敷にいらっしゃいますよ!

 もしかしたら俺たちの声が聞こえていなかったのかもしれません。

 それに、門扉に鍵は掛かっていませんでしたし、入っても大丈夫かと!」

 

 本当に? 本当にそれは大丈夫なのか?

 と言うか、今の声が聞こえていないって事はあるのだろうか……。

 自分の声はともかく、炭治郎の声は物凄く大きいしよく通る声だったのだが。

 

 何と無く、所謂「居留守」を使われたんじゃないのかな……と思いつつも。炭治郎が恐れずズンズンと奥に進んでしまうので、「ままよ」とそれに続く。

 まあ、良く考えれば鬼殺の任務の中で私有地に無断で入る事は珍しくないので、炭治郎はそう言う感覚がちょっと独特なものになっているのかもしれない……。

 それとも大正時代だとこれが普通なのだろうか……? そんな事は無いと思うのだが……。

 

 冨岡さんの匂いを辿る様に何処かを目指した炭治郎は、屋敷の一画にあった道場の様な場所に辿り着いた。

 そして、開いていた戸からひょっこりと顔を覗かせると、瞑想か何かをしていたのか道場で静かに正座していた冨岡さんが、それはもう驚いた様な顔をして此方を見ているのであった。

 どう考えても、まさか入ってくるとは思っていなかったと言わんばかりの顔である。

 流石にちょっと申し訳ない……。

 

「勝手に入ってしまってすみません……。

 一応、此方に訪問する旨は前もって連絡していたかと思うのですが……」

 

 そう言うと、冨岡さんは溜息を吐いて「入れ」と短く口にする。

 無断で入り込んでしまった訳なのだが、一応迎え入れてくれるつもりはある様だ。

 

 

「──と言う訳で、お館様から義勇さんの事を頼まれたんです!」

 

 炭治郎は、ここに来た理由を全部一から冨岡さんに説明した。

 話してはいけない訳では無いが、逆に冨岡さんが頑なになってしまいかねない事ではあるが……。

 まあ、炭治郎は嘘が吐けないし隠し事も苦手なので、こうして素直に全部言ってしまう方がスッキリするのかもしれない。

 

「冨岡さんは柱稽古に参加するつもりが無いとの事でしたが、何故なのでしょうか?

 他の柱の方々との手合わせにも不参加を表明しているとの事ですが……」

 

 まあ人には向き不向きがあって他人に指導するのは苦手な人も少なくはないだろう。例えば炭治郎が指導係になったとしても、恐らく何も分からないまま終わる。

 冨岡さんは、隊士たちに何かしらの稽古を付ける事に自分は不向きだと思っているのかもしれないし、そうであるなら強制的にやらねばならないと言う事でもないのは確かだが。

 柱同士で連携したり或いは切磋琢磨する事自体にも消極的であると言うのは、些か腑に落ちない事ではあった。

 自分の様にそもそも人を相手に戦って傷付ける事は嫌だと言うものはあるのかもしれないけれど……。

 だが、冨岡さんがそうなのか? と言われるとちょっと違う気がする。

 

「稽古は付けない。参加もしない」

 

 淡々と冨岡さんはそう言う。

 その声音には感情の揺らぎを殆ど感じない。

 その言葉は余りにも端的に断固拒否している様に聞こえるが……。

 しかし、しのぶさんたちからの「絶望的な言葉足らず」と言うその評価を考えれば、この言葉にも何かしら足りてない部分や、全く語れていない何かがあるのかもしれない。

 

「どうしてですか?

 それに何だかじんわり怒っている匂いもするんですけど、何に怒っているんですか?」

 

 それは強制的に押し掛けてきたからなのでは? と一瞬思ったが、恐らく炭治郎の言い方的にはそうではないのだろう。

 炭治郎の鼻は、最早一種の異能にも近しい程にその感情の動きを把握する。もしそれで怒っているなら最初の時点でそう言及しただろう。

 

 炭治郎に訊ねられた冨岡さんは、やはり淡々と答えた。

 

「お前が水の呼吸を極めなかった事を怒ってる。

 お前は水柱にならなければならなかった」

 

 その言葉に、炭治郎は何か思う所があったのか「うっ……」と少し呻いた。

 

 正直、呼吸がどうだとか流派がどうだとか一門がどうだとかと言うそれに、自分は全く以て疎い。

 そもそもそんなものもあるのだろうか……? 程度の認識である。

 まあ、学閥だとかそう言うものもある様に、人はある種の共通項で集まろうとしがちであるので、鬼殺隊に於いてもそう言った何某かが存在していても不思議では無いのだが。

 周りの人たちに話を聞いている限りでは、冨岡さんがそう言ったものに拘る様な感じには思えない。

 まあ、炭治郎が弟弟子だからこそそんな風な事を言うのかもしれないが。

 ならば。

 

「お言葉ですが、そう思うのならば炭治郎を冨岡さんの継子にすれば良かったのでは……?

 それに、本人の素質に合った呼吸を極める事が重要なのではないでしょうか」

 

 炭治郎に水柱になって欲しいと思うのなら、継子にして鍛え上げるのが最も近道だと思うのだ。

 継子にする事自体には階級は関係無いらしいし、何なら入隊して早々に炭治郎を拾っても良かっただろう。

 炭治郎自身には水の呼吸よりもヒノカミ神楽の方が合っているのだとしても、入隊直後にはそんな事は分からないのだし……。

 何とも、その辺りの行動がその言葉にはそぐわない気がするのだ。

 しかし、その言葉に対する返答は余りにも簡潔なものだった。

 

「俺は継子を取らない」

 

 それはもう、あまりにもキッパリと言い切られて。

 その言葉に何が欠けているのかを探ろうにも、そもそも殆ど冨岡さんの事を知らないと言う事もあって、手詰まりである。

 

「あの、その事については申し訳無かったです。

 でも、鱗滝さんとも話し合ってみたんですが、使っている呼吸を変えたり派生させたりする事は珍しい事では無いそうなので。

 特に、水の呼吸は技が基礎に沿ったものが多いので、そこから新たな呼吸が派生する事も多いそうで……」

 

 まあ、最初に出会った育手の使う呼吸を学んで最終選別に挑む事が殆どなので、後から最初に学んだ呼吸よりも別の呼吸の方が身体には合っていただとかが判明する事も往々にしてあるのだろう。

 最初から才能に合った呼吸を学べるのならそれが一番なのだが……。中々、修行中に他の呼吸への適正がある事を見抜ける育手はそう多くなく。更には、では一体何の呼吸に適正があるのかを正確に指導出来る者はもっと少ない。

 最終選別を突破して自分の日輪刀を握った時に、その適正を初めて把握する事も珍しい事では無いそうなのだ。

 そう思えば、雷の呼吸への高い適正と才能を見抜いて獪岳と善逸を弟子にした桑島さんの見る目は物凄いのだろう。雷の呼吸の使い手はそう多くない事を考えると更に凄い。

 

 だが、そんな炭治郎の言葉にも冨岡さんは頑なだった。

 

「そんな事を言ってるんじゃない。

 ()()()()()()()、一刻も早く誰かが水柱にならなければならない」

 

 その言葉に、炭治郎と共に首を傾げた。

 どう言う事だ? 何を言っているんだ……?

 炭治郎から「何言ってるか分かります?」と目で訴えられたが、「分からない……」とそっと首を横に振るしかなかった。

 何だろう、何と言うのか。冨岡さんとの間に、物凄い「認識の不一致」が起きている気がする。

 前提からして間違ってしまった様な、と言うべきか。

 

「あの、水柱が不在? どう言う事です?

 義勇さんが居るじゃないですか」

 

 流石に混乱した様に炭治郎が言う。

 それは当然だろう。

 じゃあ目の前に居るこの人は何なのだ、と言う話になる。

 実は幻で……なんて訳では当然ないだろうし。

 不在も何も、目の前にいるとしか言えない事だった。

 だが。

 

 

「俺は水柱じゃない」

 

 

 冨岡さんの答えは余りにも静かで、そしてそれ以上の質問は受け付けないとばかりに、「帰れ」と静かに告げつつその場を立ち去ってしまう。

 何か触れて欲しくない事にでも触れてしまったのだろうか……。

 冨岡さんの事について、分からない事ばかりであった。

 

 

 とは言え、「帰れ」と拒絶する様に言われてそれでも付き纏い続けるのは流石にどうなのかと言う話で。

 冨岡さんが何か話してくれるまで話し掛け続けます! と意気込んで泊まり掛けようとした炭治郎のその行動は流石に止めた。

 いや、それで好転する可能性もゼロでは無いが……。逆に追い詰める結果にもなってしまいかねない。

 特に、冨岡さんは「独りで後ろ向きになってしまう」とすらお館様に言われているのだ。

 いきなり高負荷にストレスを掛け続けると、却って悪化しかねない。

 飢餓状態の人にいきなり高カロリーな物を与えてはいけないように、根気よく話し掛けるにしてもやはりやり方があるだろう。

 まあ、その良いやり方が思い浮かばないのが問題なのだが。

 

 

「でも、どうして義勇さんはあんな事を言ったんでしょう……。『俺は水柱じゃない』って……」

 

 蝶屋敷に帰って炭治郎と話し合うと、やはりそこが問題になった。

 まあ、それはそうだ。

 流石にあれには自分も物凄く驚いた。

 

「俺にも正直分からないけど。

 柱になる時に何かあったのかもしれないな……」

 

 悲鳴嶼さんや宇髄さんからの手紙の中で、何かそう言った事は特には触れていなかったけれど……。

 それこそ、お館様に訊ねてみるべきなのだろうか?

 

 独りで後ろ向きになる程にその考え方がネガティブな方向に偏っていると言うのなら、「水柱じゃない」だの「水柱が不在」だのと言ったそれは、『自分は水柱には相応しくない』だとかの考えからの言葉であるのかもしれないが。

 なら、それにしたって、何でそんな考えになってしまったのかという原因の部分をどうにかしなければならないだろう。

 冨岡さんが善逸の様に自分に自信を持てないタイプなのだとしても、その原因が何であるかによってどうすれば良いのかはまた変わってくるのだから。

 まあ、その原因が分からないのが問題なのだ。

 

 ……何と言うのか、霧に閉ざされつつあった八十稲羽で『真実』を探そうと足掻いたあの時の様な感覚になる。

 ある意味、冨岡さんの心を閉ざしているものを取り除く為の「鍵」を探している様なものなのだけど。

 

「誰か、冨岡さんの事をよく知っている人が居ればいいのだけど……。難しいなぁ……」

 

 現状は、鱗滝さんからの返事待ち……と言った状況であるのだろうか。

 誰か他にも、昔から鬼殺隊に在籍していて、柱になるまでの冨岡さんの事を知っている人が居れば良いのだけど……。

 しかし、冨岡さんはそこそこ昔から柱を務めている人なのだ。

 鬼殺隊の人員の入れ替わりの早さを思うと、ピンポイントに一般隊士時代の冨岡さんの事を知っている人は、今も鬼殺隊に居るのだろうかと思ってしまう。

 まだ隠の人たちを当たってみる方がマシだろうか。

 

 かなりの難題に、炭治郎と二人して頭を抱えるのであった……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
メンタルケア実績(玄弥、無一郎、獪岳、善逸、他にも一般隊士など多数)を見込まれて炭治郎と共に義勇さんの説得及びメンタルケア係に抜擢。
義勇さんの事が本当に全然分からないので、一先ず周囲の人から情報収集して適切な対応を取ろうとしてみるのだが、しのぶさんを始めとした柱の人たちに訊ねてみても「絶望的な口下手」と言う事しか分からなかった。
悠自身のコミュニケーションの取り方が、基本的には喋り倒すのではなく相手の話に耳を傾ける事であるので、義勇さん程極端に絶望的な口下手で無口な人を相手にするのは割と初めて。
とは言え、根気が極まっている事もあって義勇さんが何かを言葉にしようとするまでを物凄く辛抱強く待つ事が出来るので、相性自体はそう悪くない。
ただ、まだ冨岡語翻訳技能は習得出来ていない模様。
尚、文通相手である村田さんに訊ねれば割と色々と分かるのだが、その事はまだ知らない。


【竈門炭治郎】
他人の感情を匂いで察知出来る嗅覚がある事もあって、一気に相手の懐に突撃する事を躊躇わない性格。それで上手くいく事もあるが、拗れる事も当然にある。(原作で義勇さんへの説得は成功しているが)
義勇さんはとても良い人なのに柱の人たちに誤解されているらしくて、少し悲しい。


【冨岡義勇】
心の扉を開く鍵を見付けない限り、基本的に歩み寄れない人。
なお、一度心の扉が開くとそれまでとは逆に距離感がバグったかの様に接近してくる。


【鱗滝左近次】
義勇さんに何があったのかを大体把握している唯一の人。
義勇さんについて尋ねてきた炭治郎の手紙にどう返すべきかと迷っている。


【胡蝶しのぶ】
聡いので色んな事には気付いていたが、そもそも柱に就任して以降は復讐心に駆り立てられ過ぎて心に何も余裕が無かったので義勇さんのメンタルケアなんかやってる余裕は無かった模様。余裕があってもやったかは不明だが。
鬼殺隊の在り方として基本的に心に余裕が無い人が多い上に他でも無い自分自身が憎悪で鬼殺を続けている為、悠や炭治郎の様に他人の心を真剣に思い遣ってどうにかしようとしている人がどれ程貴重なのかは、当人たちよりも分かっている。


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『真実を探して』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 冨岡さんが何やら色々なものを抱えているのであろう事は確かなのだろうが、それが一体何なのかが分からず。

 それ故にかなりの手詰まり感に行き当たってしまっていた。

 炭治郎と二人して蝶屋敷の自室で作戦会議をしているが未だ名案は浮かばない。

 

「冨岡さんには、炭治郎の他に兄弟弟子は居ないのか? 

 居るなら、鱗滝さん以外にもその人に話を聞いてみれば、冨岡さんについて何か分かるかもしれないけれど……」

 

 何せ、炭治郎と冨岡さんが鱗滝さんの下で修行していた時期はかなり離れているので、その間に他に弟子の一人や二人居てもおかしくは無いとは思うのだが……。

 しかし、その言葉に炭治郎は少し暗い顔をした。

 何か、触れるべきでは無い事に触れてしまったのだろうか……。

 無遠慮な言葉を謝ろうとすると、炭治郎は静かに首を横に振る。

 そして……。

 

「……鱗滝さんの下で学んだ子供たちの中で、生きて最終選別を越える事が出来たのは、俺と義勇さんだけなんです、恐らくは……」

 

 その炭治郎の言葉に、どう返せば良いのか言葉が思い浮かばず。

 微かに呻く様な息が零れてしまった。

 

 ……育手の下で修行を積んだ者たちに最後に待ち受ける壁が、最終選別だ。

 実際に鬼殺隊の隊士として戦う様になれば、それ以上に過酷な戦いの日々になるとは言え。鬼と初めて直接的に対峙する事になるその場を、生きて乗り越えられる者はとても少ない。

 育手の下で呼吸を学び剣術を磨いても、それでも鬼と対峙すれば命の保証は無い。

 人を殆ど襲っていない、鬼殺隊の基準としては理性にも乏しい「雑魚」の鬼であったとしても。それ程までに、人と鬼の力の差は歴然としているものだ。

 そして、七日に渡って行われる最終選別は一度の実施で五人も生き残れば「とても多い」とすら言われてしまう程に過酷だ。

 単純に鬼を狩る力が問われるだけではなく、飲み水やら食料の調達或いは安全な寝床の確保などが必要になり、安全地帯など存在しないが故に七日間気を張り詰めて過ごさなければならないそれは、総合的に「生き残る力」が必要になる。

 まあ、最終選別は「生き残る事」が重要なのであって、「鬼を殺す事」は最優先事項では無いので、逃げ回っていても生き延びさえすれば合格にはなるのだが……。

 

 正直な所、最終選別のやり方や、その後の新人隊員の任務などに関して、もうちょっと良いやり方はあるのではないだろうか……と思わずにはいられない。

 命を投げ捨てる様な事を前提とした様なそれは、自分としてはやはり感情面で納得し切れない部分はとても多かった。

 とは言え、関係者では無いのにそれをいきなり「間違っている」だなんて頭ごなしに決めつける事は出来無いし、いきなり変えると言う事も難しいものではあるのだろう。

 そもそも、上弦の鬼たち諸共に鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす事さえ出来れば、そんな最終選別を行う必要も無いのだ。

 本気でどうにかしたいなら、少しでも早く鬼舞辻無惨を討つ事を目指すべきなのだろう。

 

 まあ、そんな最終選別に関する個人的な所感はともかく。

 炭治郎の兄姉弟子に当たる人たちの殆どが最終選別を越える事が出来なかった、と言うそれには、正直な所かなり驚いた。

 炭治郎の話を聞く限りでは、鱗滝さんは相当厳しく炭治郎に修行を積ませている。

 平均的に一年程度で最終選別に向かう所を、炭治郎は鱗滝さんから最終選別に向かう許可が下りるまでに二年程掛かっている程だ。

 まあ……弟子の多くが生きて帰ってくる事が叶わなかったのだから、その修行の内容がどんどん厳しくなっていった可能性はあるとは思うが……。

 それにしたって、別に炭治郎よりも前に修行していた兄姉弟子たちへの修行が甘かったと言う訳でもあるまい。少なくとも炭治郎の話を聞いて想像出来る鱗滝さんの性格はそうでは無いだろう。

 優しいからこそ、物凄く厳しく修行させるタイプだ。多分。

 勿論、最終選別の内容が内容だけに、単純な実力だけでは乗り越えきれない事だってあるだろうけれども……。

 それにしても、冨岡さん以外の弟子が全員死んでしまう様な事なんて、早々に起こり得るのだろうか? 

 

 何と無く納得がいかず、考え込んでいると。

 言おうか言うまいかを少し迷う様な顔をしていた炭治郎が、意を決した様に顔を上げる。

 

「あの、実は……」と。そんな言葉の後に続けられた、鱗滝門下の子供たちの尽くが最終選別で生きて帰る事の出来なかった理由に、思わず瞠目してしまった。

 ……本当に、運が悪いと言うべきか、或いは神の悪意を疑う様な出来事だ。

 本来弱い鬼しか存在しない筈のそこに、多くの子供たちを喰って力を付け、異形の力までもを手にした鬼が潜んでいただなんて……。

 せめて、その鬼を目撃した誰かが生きてそれを証言出来たり、或いはもっと鬼たちの監視を徹底していれば防げた事ではあるのだろうけれど……。

 それも、今となってはどうする事も出来ない「たられば」の話にしかならない。

 強いて言えば、藤の花の牢獄の中で何年も生き延びる鬼が出て来る可能性を想定しきれていなかった鬼殺隊側の落ち度と言えるのだろうけれど……。

 過去をやり直す事は出来ない以上、犠牲になってしまった数多くの子供たちを救う術は無い。

 せめて、末の弟弟子である炭治郎がその鬼の頸を落とした事で、少しでも無念が晴れた事を願う事しか出来ない。

 

「……よりにもよって、お守り代わりのお面が、か……」

 

 思わず、深い深い溜息が零れ落ちてしまう。

 何と言うのか、余りにも救われない話だ。

 弟子たちの無事を願ってそれを贈った鱗滝さんも、そしてそんな鱗滝さんの下へ生きて帰りたかっただろう子供たちも。

 どうかしたら、鱗滝さんの弟子たちを喰い殺す事に執念を燃やしていた異形の鬼ですら。

 もう少し何かの歯車が掛け違っていれば……そこまで悲劇が連鎖し続ける事も無かっただろうに。

 余りの遣る瀬無さに、ただただ溜息しか零れない。

 

 しかしふと、疑問を懐く。

 鱗滝さんの弟子たちが最終選別には適さない程の強さの鬼に執拗に狙われていたのだとすれば、どうして冨岡さんは生きて帰ってくる事が出来たのだろうか……? 

 その異形の鬼に遭遇する前に、鬼が目印としていた鱗滝さんお手製の厄除の面が何らかの要因で破損するなりして、鬼が冨岡さんを鱗滝さんの弟子だと認識せず襲わなかった可能性はあるが……。

 果たしてそう言う問題だったのだろうか、と少し疑問を感じてしまう。

 

「……冨岡さんの最終選別で、何かがあったのかもしれないな……」

 

 それが「何」かは分からないけれども。

 最終選別での出来事に、冨岡さんがああも頑なに後ろ向きで自信の無い考えになってしまった理由があるのだとすれば……。

 それを知るには、やはりその育手である鱗滝さんや、或いは最終選別を執り行っているお館様に訊ねるべきなのだろう。

 それか、他に何か話を知っていそうな人は……。

 

 何せ、鬼殺隊はただでさえ構成員の新陳代謝が容赦ない組織で、そんな中で六・七年以上は少なくとも昔の事であるなら、それは相当昔だと言っても良い話で。

 当時から鬼殺隊に在籍していたとしても、今もその当時の事を……それも自分には直接的には関係無い最終選別の事をハッキリと覚えている人など、果たして存在するのかと言う話にもなる。

 八十稲羽の事件を追っていた時だって、春先に起きた出来事を半年程度経ってから調べ直すのは本当に大変だったのだ。

 人の記憶はかなり曖昧で、当事者になるなどして余程鮮烈に刻まれたものでもなくては時が経つに連れて曖昧になっていくものであるし、外部からの情報によって簡単に記憶は歪んでしまう。

 それこそ、冨岡さんと一緒に最終選別を生き残った者……所謂「同期」とかでもないと、中々何があったのかを覚えている事は難しいかもしれない。

 ……しかし、冨岡さんの「同期」が今も鬼殺隊に居るのかと言うと……。

 

「誰か、昔の事を知っていそうな人が居れば良いんだけど……」

 

 暫く頭を悩ませて、そしてふと、机の上の文箱が意識の端に引っ掛かる。

 手紙……。そうだ、もしかしたら……。

 

「村田さんなら、何か知っているかも……」

 

 確か村田さんはかなり昔から鬼殺隊に在籍していた筈だ。

 しかも、朴訥とした優しい人柄から隊士同士の交流関係も良好で、冨岡さんが入隊した時期とどの程度被っているのかは分からないが当時の事も何か知っているかもしれない。

 まあ、物は試しだ。空振りに終わる可能性もあるが、訊ねなければ何かが分かる可能性は皆無である。

 早速、村田さんに水柱の冨岡さんについて何か知っている事はないか……特に冨岡さんが入隊したその前後の事……最終選別の辺りで何か無かったかと訊ねてみる。

 そして、知り得た事は冨岡さんが己の心を追い詰めようとする原因を解決する為にのみ使用し、それ以外には決して悪用せずまた他言無用にする事も忘れずに明記して。その手紙を鎹鴉に託した。

 村田さんも柱稽古に参加する為の準備でお忙しいかもしれないが……。誠実な人柄であるし、知らないなら知らない場合でも早めに連絡してくれるだろう。

 村田さん以外に交流のある隊士の人たちの中に、村田さん程長く鬼殺隊を務め続けている人はいない為、出来そうな事はこれ位だけれど。

 

 ……冨岡さんの過去に一体何があったのかは分からない。

 その全てを暴かねばならない訳では無いし、当然そんな事はしてはいけない。他人の過去に土足で踏み入る事は、どんな大義名分があったとしてもやはり憚るべき事で。仕方無しにそうするのならば、どれ程慎重に慎重を重ねても足りない程である。

 ……だけれども。

「自分は水柱ではない」などと、何年も水柱として戦い続けて尚も、そんな己を欠片も認める事が出来ない程に、その心に深い傷が刻まれてしまったのなら……。そしてそれを抱え込んでいる内に、自分ではどうする事も出来ない程にその傷が膿み爛れてしまったのであれば。

 それが荒治療にも等しいものであるのだとしても、やはりその過去を知りその上で向き合うなり何かしなければならないのだろう。

 心の傷は誰の目にも見えない。時に、自分自身にすら。

 そして、苦しくてどうしようもない程に追い詰められてしまった人が、何時も声を上げて助けを求める事が出来る訳では無い。

 自罰的になって、どうにもならない理不尽に自分を責めて、絶望と後悔の海の中に静かに溺れていってしまう。

 冨岡さんは、別に自分たちに助けを求めた訳では無い。

 その心の苦しみをどうにかしたいと言ったとして、意味が分からないとでも思われるか、或いは鬱陶しく感じるだろう。

 余りにも苦しみが長く続くと、人はそれに麻痺してしまう。

 それが()()()()になってしまう。

 身体の痛みも、心の痛みも、同じだ。

 何をしても変わらないのなら、痛みを感じる事自体難しくなってしまう。

 でも、辛さが無くなった訳では無い、本当に痛みが無くなった訳では無い、苦しみが消え去った訳では無い。

 単純に、分からなくなるだけなのだ。

 そしてそれは、ある時ふとした拍子に限界を迎える。

 まるで、一本の麦藁が駱駝の背を押し潰してしまうかの様に。

 ……壊れてしまった心を治す事は、何よりも難しいのに。

 そうなる前に、どうにか出来るならやはりどうにかしなくてはならないだろう。

 

 他人が本当の意味で『心』を変える事は出来ない。

 何時だってその『心』を変えられるのは、本人の意志であり選択だ。

 でも、変わる切っ掛け自体は、外の世界にしか存在しない。

 そして、少しでも良い方向に変わる為の手伝いは……変わっていくそれを見守ろうとする事位は、自分たちにだって出来るのだ。

 

 余程の倒錯的な趣味の持ち主でもない限り、好んで苦しみ続けたいと思う人は居ない。

 良くも悪くも、苦しみを厭いそれから可能な限り逃げたいと思ってしまうのが人の常だ。

 鬼殺隊に属している人たちは皆、自分以外の誰かの為に自分自身の身を削る事を厭わない様な強い人たちばかりだけど。

 それだって、別に死にたいから……苦しみたいから鬼と戦っている訳では無いのだ。

 寧ろ、「守りたい」やら「仇を討ちたい」やら「鬼を許せない」などの気持ちがその原動力である。

 結果として、『死』すらも厭わぬその姿勢は……人と言う生き物の在り方の常としては『異常』ではあるのだろうけれど。

 本来なら普通に生きて普通に幸せを感じたりしながら死んでいくだけであった筈の人生を壊されてしまったが故に、「そうならざるを得なくなった」人たちである。

 決して、死や苦しみが『喜び』になってしまった訳では無い。

 そしてそれは、冨岡さんだってそうだろうと……自分は思う。

 

 自分を認められない事は苦しい、自分を責め続ける事は心を削り続ける程に辛い。

 それは、知っている……その辛さは分かっている。

 なら……。

 

「炭治郎、冨岡さんが少しでも前を向ける様に……頑張ろうな」

 

 そう決意も新たに言葉にすると。

 炭治郎は、凛とした声で「はい!!」と応えるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 翌朝、村田さんからの返事が届いた。そして、炭治郎の下へは鱗滝さんからの返事も。

 それらの手紙によって、最終選別の際に冨岡さんの身に何が起きたのかを知る事になって。

 炭治郎と共に、決意も新たに再び水屋敷へと向かった。

 

 今日も事前に訪問の旨は伝えているのだが、やはりと言うか反応は無くて。

 それでも、屋敷には居ると炭治郎が言うので昨日と同様にお邪魔させてもらう。

 当然不法侵入だが、もう構わない事にした。

 本気で怒られたら、その時に謝れば良い。

 ……鍵はかけていないその門扉は、冨岡さんなりの気持ちだと思いたい。

 

 

「何故また来た。

 柱稽古の準備もせず。

 鳴上も、他の者との手合わせを優先しろ」

 

 昨日とは違って、広い庭に設けられた鍛錬場に居た冨岡さんは、此方を振り返る事すらせずにそう言い切った。

 だが、それで頷く様な者はこの場には居ない。

 

「いいえ。俺にとってはこうする方が大切ですから。

 何度追い払われようが、俺は冨岡さんと話をする事を諦めません」

 

「お前と話す様な事は無い」

 

 にべも無くそう言い切って、此方を完全に無視するかの様に鍛錬を続けようとするが。

 しかし。

 

「義勇さん。

 ……それは、義勇さんが()()()()()()からですか?」

 

「……そうだ。俺は柱じゃない。

 ここに来るのは時間の無駄だ」

 

 そう言って、淡々と素振りを開始してしまう。

 その動きは、何千何万何億と繰り返し続けた先にあるかの様な、寸分の狂いも無く正確無比な、何処までも「無駄」を削り切ったかの様なものであった。

 そこに辿り着くまでにどれ程の研鑽を絶え間なく続けてきたのだろうかと思ってしまう。

 間違いなく、冨岡さんは「剣術」を極めんとする者だ。

 手合わせの際も、その強さを遺憾無く感じる事が出来た程だ。

 ……それでも尚、その心は霧の向こうに閉ざされ続けている。

 出口の見えない中で、己を罰するかの様に苦しみ続けている。

 

 今の言葉だって、恐らく意図した所を正確に言うのであれば。

『柱に相応しくない自分なんかに拘って、お前たちの大事な時間を費やしてはいけない』などといった所か。

 本当に、絶望的に言葉が足りない。

 これでは、中々他の人たちと上手く交流出来ないのも無理はなかった。

 だが、当然そんな事を何時までも続けていて良い訳は無い。

 今の様にその自尊心を無理矢理殺し続けても、ハッキリと言ってそれを喜ぶ人など一人もいないしそれで助かる人も居ない。寧ろ軋轢を生む切っ掛けにすらなるだろう。

 今の冨岡さんのそれは物凄く悪意ある解釈で言うのならば、ある種のただの自己満足と自己陶酔にも等しい程度にまで、その自罰的感情は行き過ぎてしまっている。

 ……これをそのままにしていても良いとは思わない。少なくとも、自分と炭治郎と……そして冨岡さんをずっと気に掛け続けていた鱗滝さんと村田さんは。

 だから。

 

 

「……冨岡さんが自分を水柱だと認める事が出来ないのには。

 最終選別の事が……錆兎さんの事が、何か関係しているのですか?」

 

 

『錆兎』、と。

 その名を口にした瞬間に。

 冨岡さんの感情に乏しい顔から、全ての感情が抜け落ちた。

 

「……何故、その名を……」

 

「……過去を不躾に暴く様な悪趣味な真似をしてしまって本当に心苦しくはあるのですが……。

 村田さんと、そして炭治郎が鱗滝さんから聞きました。

 冨岡さんと……そして錆兎さんが受けた最終選別で何が起きたのか、を」

 

「すみません義勇さん。

 でも俺たち、義勇さんが苦しい思いをしているのをどうにかしたくて……」

 

 そんな此方の言葉など何も聞こえていないかの様に、冨岡さんはただ呆然とした表情で此方を見ていた。

 いや、もしかしたらその目が見ているのは、遠い何時かの藤の牢獄の中かもしれないが……。

 

 最終選別で冨岡さんに何が起きたのかは、二人の協力によって概要だけなら把握出来た。

 ……冨岡さんが最終選別を受けたその回で、鱗滝さんが送り出した弟子は冨岡さんだけでは無かった。

 錆兎と言う名の、冨岡さんと歳が同じ頃合の少年も共にその最終選別を受けた。

 ……錆兎さんと冨岡さんは、兄弟弟子であると同時に『親友』であった。

 そして、その最終選別で、錆兎さんだけが生きて帰る事が叶わなかった。

 鱗滝さんの下へ帰ってきたのは、冨岡さんだけであった。

 そして、此処からは村田さんから聞いた話になるが。……同じ最終選別の場に居た村田さんは、錆兎さんに危ない所を救われた。錆兎さんはとても強くて……その回の山に放たれていた鬼を殆ど一人で討って、そして数多くの最終選別を受けた子供たちを助けて回った。

 冨岡さんは、最終選別が始まって程なくして鬼に襲われた際に重傷を負ってしまい、錆兎さんはその時近くにいた村田さんたちに冨岡さんを託して、鬼を狩る為に冨岡さんと別れたのだそうだ。

 ……そして、最終選別が終わったその場に、錆兎さんの姿は無かった。

 錆兎さんは自分以外の全員を助けたが……自分は生きて帰る事は出来なかった。

 炭治郎が言うに、錆兎さんは鱗滝さんの弟子を執拗に狙う鬼に殺されてしまったのだと言う。とても強かったが、刀が持たず折れてしまい……そこを頭を潰されて殺されたのだ、と。

 ……もし、ほんの少しだけでも何かがかけ違っていれば。

 山中の鬼を狩れるだけ狩って消耗してしまった後でその鬼に遭遇したのでなければ。……或いはその場に誰か他にも居合わせていたのであれば。何かは、変わったのかもしれなくても。

 それでも、「そうはならなかった」。残酷だがそれが全てだ。

 錆兎さんは死に、そして錆兎さんに助けられたものたちだけが皆生き延びた事だけが事実だ。

 ……そして、そうまでして錆兎さんが守った子供たちの中で、今も鬼殺隊に身を置き続ける事が出来ているのは、冨岡さんと村田さんだけだった。……どうしようもなく、遣る瀬無い話である。

 ……そして、錆兎さんが命を落とした事は様々なものに影響を与えた。

 中でも、最もその事実に打ちのめされたのは冨岡さんだった。

 冨岡さんからすれば、鬼に襲われて錆兎さんに助けられて……そして気付いたら最終選別も何もかもが終わっていたのだ。

 錆兎さんの『死』が、何の心の準備も出来ないまま残酷に突き付けられた。

 錆兎さんが何処でどんな風に死んだのかすらも分からないままに、錆兎さんを永遠に失った事だけを知らされて。

 冨岡さんは、本当に死んでしまうのではないかと周りの誰もが心配してしまう程に悲しみに沈んでしまったらしい。

 最終選別の間、錆兎さんから託された冨岡さんを傍でずっと見てきた村田さんは、その時の冨岡さんの様子を今でも忘れられないそうだ。……村田さん自身も、命の恩人がその様な形で最期を迎えてしまった事が心の傷の一つになっている様だった。

 そして、その最終選別を終えてから、冨岡さんは変わってしまった。

 それより前は、笑ったり悲しんだりと感情を表すことは普通に出来ていたのに。余りに深い哀しみと絶望がその全てを押し潰してしまったかの様に表情が変わらなくなり。そして、自分を罰するかの様な勢いでただ只管に鬼を狩り鍛錬を積み続けた。

 自分を追い込み続けるその姿を見て、村田さんや鱗滝さんが胸を痛めていても、誰にもそれを止める事は出来ないまま。

 そうして、冨岡さんは水柱にまで上り詰めたのだ。

 

「冨岡さん、どうか話して下さい……言葉にして下さい。

 冨岡さんは何を思っているんですか? 

 どうしてそう思うんですか? 

 ……そして、冨岡さんはどうしたいんですか? 

 今は言葉に出来ないのなら、何時までも待ちます。

 上手く言葉に出来なくても、俺たちはそれにちゃんと耳を傾けます。

 言葉にしなければ、分からない。

 このままじゃ、ずっと冨岡さんが苦しいままです。

 だから、どうか……」

 

 作り話の中の超能力者の様に、人の心の声を直接聞くような事は自分には出来ない。

 感情すら嗅ぎ取る炭治郎だって、心の奥底に沈んだものを探り当てる事が出来る訳では無い。

 言葉にしなければ、行動にしなければ、それを伝える事は出来ないし他の者が他者の心に触れる事は出来ない。

 だが、誰もが思う様に自分の心の声に耳を傾け、そしてそれを言葉にして表現出来る訳では無い。特に、冨岡さんは随分と口下手だから、尚の事それは不得手であるのかもしれない。

 しかし、それでもやはり「伝えよう」としなければ何も始められないのだ。

 どうせ伝わらないと諦めてしまうのは簡単だけれども、それが苦しいのなら……やはり諦めてはならないのだ。

 そして、自分も炭治郎も、どんな言葉であっても、どんな心の叫びであっても、それを受け止めるし、その言葉の奥にある「真実」を見付け出してみせる。

 だから、と。そう言葉にすると。

 

 硬直した様に何処かを見ていた冨岡さんの視線が、漸く此方に焦点を結ぶ。

 そして、長い長い沈黙の後に。何処までも深い溜息を零す。

 

「……俺は、錆兎に助けられただけで、最終選別を突破出来ていない。

 ただ生き延びただけで鬼を一体も狩れていないのに、それを通ったとは言えない。

 俺は、水柱になっていい人間ではない。……柱たちと肩を並べる様な事など、あってはならない。

 俺は……本来なら鬼殺隊に居る事すら出来ない。

 ……錆兎なら、俺とは違って水柱を立派に務める事が出来ただろう。

 鳴上……お前が快く力を貸せる様な、そんな柱だった筈だ。

 俺は錆兎とは違う。

 もう俺に構うな。時間の無駄だ」

 

 そう言って冨岡さんは、その凪いだ湖面の様な瞳の奥に、どうしようも無い程の深い哀しみを微かに揺らす。

 ……冨岡さんは、最終選別で錆兎さんを喪ってから、ずっと錆兎さんを見ていたのだろう。

 いや、正確には。

『錆兎だったらこうしていた、こう出来ていた』と言う自分の想像の……ある意味では極端に美化されたり誇張されたその幻影を、只管に追い続けていたのだろう。

『錆兎だったなら』と想い、そしてそれが成せない自分を責め、そんなにも素晴らしい錆兎さんが命を落としたのに自分がおめおめと生き延びている事を責め、絶対にその幻影の『錆兎』に追い付けないと理解していてもならばせめて『錆兎』なら出来ていた筈の事を僅かにでも果たさねばならないと己の心を追い詰めて。

 ……冨岡さんは、自分で作り上げた心の牢獄の中に自分を閉じ込め、そして自分自身が看守となり己を罰し続けていた。

 ……それは、余りにも不毛で、余りにも哀しい心の在り方だ。

 悲鳴の上げ方すら忘れてしまったのではないかと思う程に、悲惨としか言い様がない。

 

 そんな冨岡さんの言葉に当然黙っている事が出来ない者が居た。炭治郎だ。

 冨岡さんの余りにも深い哀しみを感じ取った炭治郎は、我が事の様にその胸を痛め、僅かにその目に涙を浮かべている。

 そして、自分の中から今この瞬間に冨岡さんに伝えるべき言葉を探す様に少し押し黙ってから。

 

「でも、俺を……俺と禰豆子を助けてくれたのは義勇さんです。

 あの雪の日、俺たちを信じてくれたのも、鱗滝さんを紹介してくれたのも、そして俺たちの為にその命まで懸けてくれてたのも。

 全部、義勇さんです……!」

 

「錆兎でも同じ事を──」

 

「いいえ!」

 

 自分の事を頑なに認めようとはしない冨岡さんのその言葉を遮る様に、炭治郎は力強く否定する。

 

「義勇さんです、義勇さんだけだったんです。

 確かに、可能性なら他にも沢山あったのかもしれない。

 でも、あの日の俺たちが出会ったのは、他でもない、今目の前に居る義勇さんで。

 そして俺たちを助けてくれたのも、義勇さんです。

 ……錆兎は、本当に凄い人で、俺に稽古を付けてくれた、助けてくれた。

 ……最終選別で、俺は自分の身を守る事に精一杯で、錆兎の様に他の人たちを助ける事なんて出来なかった……」

 

 鱗滝さんと村田さんの手紙で錆兎さんの事を知らされた時、炭治郎はとても驚いた様な顔をしていた。

 何故ならば、炭治郎は会った事があったのだ、他でも無い錆兎さんに。

 もう既にこの世の存在では無い筈の彼らに、炭治郎は鱗滝さんの下での修行の最中に出会い助けられて……そして最終選別に向かう事が出来た。

 炭治郎が出会ったのだと言うその錆兎さんが一体何なのかは分からない。

 幽霊とでも言うべきものなのか、或いは鱗滝さんを悲しませてしまう事が強く心残りであったが故にある種その最後の未練がそこに焼き付いた感じの存在なのか。

 何にせよ、炭治郎は錆兎さんの事を知っていた。

 その強さもその最期も、それを知った上で。だからこそ、その思いを言葉にする。

 

「でも、じゃあ。それが出来なきゃダメなんですか? 

 そうじゃない、そうじゃない筈です。

 だって、俺は錆兎じゃない。

 そして、義勇さんも錆兎じゃない。

 俺も義勇さんも、錆兎じゃない、錆兎にはなれない。

 誰も、自分以外の誰かになる事は出来ないんです。

 そして、錆兎も。俺になる事は出来ないし、義勇さんになる事も出来ない。

 義勇さんが出来た事を、錆兎が全部出来ていたとは限らない。

 そして、錆兎が水柱になっていたのだとしても、あの日の俺たちを助けてくれたのかは分からない。

 俺たちが生きているのは、()()()()()()()()()

 だから……」

 

 人は、どうしようも無い苦しみや哀しみ……理不尽の様なそれらに出会った時に、『もしも』を考えてしまう。

 無数に選択肢があり、その一つ一つの先が異なる未来であるのなら、「あの時ああしていれば」だとか「もしもこうなら」と考えてしまうのは、仕方の無い事だ。

 それに、それ自体は悪い事では無い。

 想像すると言うそれは、大切な事だ。

 ……それでも人は、己が生きる今この瞬間以外の何処にも行く事は出来ない。

 どんなに夢想しても、その「もしも」に焦がれても。それが現実になる事は無い。異なる可能性の先にあるものを本当の意味で知る事は、万象を平らかに見通す神でもない限りは誰にも出来ない。

 

 炭治郎の、精一杯の言葉に冨岡さんの視線が揺れ動く。

 それでも冨岡さんの心は、あと一歩の所で動かない。

 

「……俺は、ここに居てもいい人間じゃない」

 

 自分は生きていて良い人間では無いのだ、と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 そう頑なに冨岡さんは言う。いや、もう何年も己を閉じ込めていた牢獄を、自分で抜け出す事が出来なくなっていたのか。

 何であれ、冨岡さんはどうしても自分を認められないのだろう。

 自分の命よりも大切な、何よりも生きていて欲しかった大切な人を、余りにも辛い形で喪ってしまったその喪失から、今も尚抜け出す事が出来ず。そして余りにも生々しいそれは、色褪せる事無くその心を苛んでいるから。

 そのどうしようもなく後ろ向きなその心に、思わず目を伏せて、そして小さく溜息を吐く。

 

 

「『自分が代わりに死ねば良かった』、と。

 冨岡さんはそう言いたいのですか?」

 

 

 その目を逸らす事は許さないとばかりに、冨岡さんを真っ直ぐに見据えながら。

 その心にあるその想いを、明確な言葉にして引き摺り出した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
幽霊を見た事は無いが、居るかもしれないとは思っている。
霊感の有る無しで言えば、ある。が、現時点でこの世界の死者と何の縁も無いのでやはり見たり感じたりする事は出来ない。
死者の方は悠の事を物凄く認識出来る。


【竈門炭治郎】
義勇さんの事を心から案じているしその力になりたい。
割と死者と交信している事が多い。原作でそこに詳しく触れた事は無いものの、実はかなりの霊感があるのかもしれない。
作中最強の鬼への才能といい、ちょっと特殊な才能が多いのか。


【冨岡義勇】
どうして二人が錆兎の事を知っているのかと大混乱。
悠と炭治郎によって、その心の扉が爆破解体されかける程の衝撃を受けている。


【村田さん】
今でも生きて鬼殺隊に残っている唯一の義勇さんの「同期」。
錆兎に救われた上に負傷した義勇さんの面倒を見ていた事もあって、その縁は結構強め。
相手はどんどん強くなって「柱」にまで上り詰めていったが、実は義勇さんの事をかなり気に掛け続けていた。
村田さんにとっても、錆兎やあの最終選別の出来事は鮮烈に印象に残っている。
悠とはそこそこの頻度で文通している為、炭治郎たち以外の隊士中ではとても仲が良い。
悠からの頼みも、義勇の過去を暴いてしまう事には少しだけ気掛かりではあったものの、義勇が今も苦しみ続けている事を知って少しでもその傷が癒える切っ掛けになればと思って、悠を信じて託す事になった。


【鱗滝左近次】
子供たちに見守られている事は知らないし分からない。悲しい。
義勇さんの過去を炭治郎に伝えるかどうかは真剣に迷ったが、自分の言葉でも晴らしきれない義勇さんの心の霧を晴らすきっかけになればと、義勇さん以来初めて生きて帰ってきた炭治郎の可能性を信じる。
ちなみに、悠の事は炭治郎が手紙で近況報告と共に物凄く話してくれるので、伊之助や善逸などの事と同様に知っている。
弟子である炭治郎にとても良くしてくれているので、悠への好感度はかなり高め。


【錆兎】
他の子供たちと共に狭霧山に居る。
義勇さんの事は心配しているが、しかし義勇さんに霊界通信能力が無いからなのか、一度も夢枕ですら会えていない模様。
まあ大体の人が死の淵を覗いた時に辛うじて死者と交信する事がある程度なので、割と普通に死者を見たり交信出来る炭治郎に霊感が有り過ぎるだけなのかもしれない……。


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『想いを繋ぐ』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「『自分が代わりに死ねば良かった』、と。

 冨岡さんはそう言いたいのですか?」

 

 

 義勇さんの目を真っ直ぐに見詰めながらそう訊ねる悠さんは、とても哀しそうで……そしてそれ以上に何処か怒ってもいた。

 

 俺は、義勇さんの気持ちもとても分かる。

 自分よりも大切に想う人が自分より先に死んでしまう事は身を斬り裂かれる様に辛い。

 俺だって、何度も考えた。あの日死んだのが自分だったなら、と。

 死にたい訳じゃない、その死が自分の責任だったと思って償いたい訳じゃない。

 でも、自分の命と引き換えでも良いから……あの日無惨に殺されてしまっていた皆が生きていたら、と、そう思ってしまう事はある。

 もうどうにもならない事でも、本当に大切なものを前にしたら、自分が何を捧げてでも生きていて欲しかったと思うものなのだ。

 ……そして、そんなにも大切な人が、自分を守って死んでしまったのなら。それはどれ程心が抉られる様に辛い事だろう。

 俺だったら、息をする事も難しくなる位に苦しくて堪らなくなると思う。

 立ち止まって蹲って、ただただ哀しみの中に沈んでしまいたくなるかもしれない。

 でも、時間は決して、蹲り哀しみに沈む人たちの為に立ち止まって寄り添ってはくれなくて。死んでしまいそうな心のまま、きっと生きていかなくてはならないのだろう。

 

 錆兎。狭霧山で俺に稽古を付けてくれた少年。

 死んでしまった筈の錆兎たちに稽古を付けて貰ったなんて、本当に不思議な体験で。他の人に話しても中々信じて貰えない様な事だったけれど、悠さんはそれを信じてくれた。

 ……人が死んだら何処に行くのか、それは生きている人には本当の意味では分からない事なのかもしれないけれど。

 狭霧山で鱗滝さんを見守っている錆兎や子供たちの様に、自分にとっての大切な人を見守っていたり自分にとって縁深い場所に帰ったりするのではないだろうかと、少しだけ思う。

 死んでしまった人たちと今を生きている人たちの道が交わる事は、基本的に無い。

 逢いたくても逢いたくても、死んでしまった人には会う事は出来ない。

 死者の言葉を聞く事は、誰にも出来ない。……本当なら。

 でも俺は、狭霧山で錆兎に出逢って、そして言葉も交わした、何度も剣を交えた。

 だからこそ、分かる事もある。

 

 錆兎は本当に強かった。もし、あの鬼に殺される事が無ければ、きっと凄い剣士になっていただろう。義勇さんが言う様に、錆兎が水柱になっていた未来だって、可能性の何処かにはあったのかもしれない。

 でも、もうその未来は「有り得ない」のだ。

 どんなに「もしも」と考えても。

 死者に対して生者が出来る事も、そして死者が生者に対して出来る事も、どちらも殆ど無いと言っても過言では無い。

 どんなに願っても祈っても、死者は生き返らない。

 最終選別のその日に喪われてしまった錆兎の命が戻って来る事は、錆兎の死が「過去の事実」になってしまったこの世界では有り得ない事なのだ。

 

 辛くても苦しくても虚しくても、何も出来なかった自分の無力が何よりも赦せなくても、惨めでも、それでも。

 生きて行くしかない、生きて行く事しか出来ない。

 それは、義勇さんも分かっているのだろう。

 だから、心が壊れる寸前になる程に哀しみに沈んでいても、生きて鬼を殺し続ける道を選んだ。

 錆兎が出来なかった分まで……錆兎が生きていたらきっと果たしていたのだろうそれを少しでも叶える為に。

 だけど、俺はどうしても考えてしまう。

 

 果たして、錆兎は今の義勇さんを見て喜べるのだろうか、と。

 錆兎の事を思う余りに「冨岡義勇」と言う一人の人間の心を殺す寸前まで蔑ろにするかの様に追い詰めて、ただただ鬼殺の為だけに生きているかの様なその姿を見て。錆兎がそれを良しとするとは俺には思えなかった。

「男なら」と口癖の様に俺にも自分自身にも厳しく在った錆兎が今の義勇さんを見たら……寧ろ怒るのではないかと思う。そして、怒った後に物凄く哀しむ気がする。

 俺は錆兎じゃないし錆兎にはなれないから、もし錆兎が生きていたら……錆兎が目の前に居たらどうしていたのかなんて、本当の所は分からなくても。

 狭霧山で過ごした時間の中で知った錆兎なら、きっとそうするだろうと思うのだ。

 

 義勇さんの事を、俺も悠さんも詳しく知っている訳では無い。

 今に至るまでにどんなに苦しい思いをしながら、折れそうになる心を更に追い詰める程に自分を叱咤してその身を鍛え上げて来たのか……。そしてそこまでしても尚、自分を認める事が出来ず苦しみ続けているのか。それを詳しく知っている訳では無い、「分かります」だなんて軽々しく言えない。

 人の心にある地獄や絶望を、その人以外が正しく理解し共感する事はとても難しい。

 これ以上自分自身を苦しめ続けないで欲しいとは願っても、それですら俺たちがとやかく言える事では無い事も分かっている。

 でも……それでも。

「このままで良い」だなんて、やっぱり思えないのだ。

 

 

「……俺は……。

 ……お前には、関係の無い事だ」

 

 悠さんの言葉に長い沈黙と共に固まっていた義勇さんは、自分を見詰めてくる悠さんのその視線から逃げるかの様にその目を反らして答える。

 だが、それは悠さんの言葉への答えにはなっていない。

 

「いいえ、関係無くなんて無い。もう、関係無いなんて事は無いです。

 少なくとも、俺にとっては。冨岡さんの事は、もう『他人事』じゃ無い。

 俺は、別に『神様』でも何でも無いし、何処かに居る知らない誰かの為だけに何かをする様な人間でも無い。

 でも、目の前に傷付き悲しむ人が居るのなら、それを見過ごす事は出来ない。

 それが自分にとって、関係無い『誰か』ではないのなら、尚更に」

 

 それは、ある意味では「親切の押し売り」だと言う人も居るかもしれない。

「偽善」だと、「自己満足」だと、そんな風に言う人も居るのかもしれない。

 だけど、人が人を助けたいと思う気持ちに、その始まりに。「こうじゃなきゃいけない」なんて決まりは無い。

 誰も、絶対平等の無謬の『神様』にはなれないから。人は、その手を伸ばしたい誰かを選んでその手を差し伸べる。

 それは人によって基準がバラバラで時に気紛れで、とても恣意的なものなのかもしれない。だけど例えそれが偽善でも、手を伸ばしたそれ自体は間違いでも何でもないと、そう思うのだ。

 

 義勇さんの心は、もうずっと何年も自分を苛み続けていて。

 誰かから手を差し伸べられても、それを掴む事自体を考えられなくなってしまったのだとしても。

 でも、じゃあ義勇さんが差し伸べた手を掴んでくれないからと言ってそこで諦めてしまっては、義勇さんはずっと辛いままだ。

 人は皆、誰も彼もが他人に優しく出来る心の余裕がある訳じゃ無くて、そして優しい人でも何時までも根気よく優しくし続ける事が出来ない事も多いけど。

 でも、俺も、そして悠さんも。義勇さんを諦める気は欠片も無かった。

 お節介だと拒否されても、人の事情に立ち入るなと罵られても。

 

 悠さんの言葉に、義勇さんの眼差しが更に揺れる。

 それでも、自分を許す事の出来ない義勇さんは、その手を掴まない。

 ……しかし、確実にその言葉は義勇さんの心の奥を揺らしている。

 

「俺は……──」

 

 その後に続けようとした言葉を見失った様に、義勇さんはそれ以上は何も言わなかった。

 でも、今だ。悠さんの言葉で、そして錆兎の名前に心が揺れた今だからこそ、言わなければ。

 何を言えば良いのか、正解なんて分からない。そもそも正解だとか間違いだとかの問題じゃないのかもしれないけど、でも。

 俺も、錆兎と過ごした時間があるからこそ。

 言わなくては。伝えなくては、訊ねなくては。

 

「ぎ、義勇さん!」

 

 意を決して呼び掛けた俺の声に、義勇さんは僅かにその視線を俺に向けて反応する。

 

 

「義勇さんは……錆兎から何かを託されたんじゃないんですか? 

 それを、繋いでいかなくて良いんですか?」

 

 

 俺のその言葉に、義勇さんは大きく息を呑み、その目を見開いた。

 

 錆兎は、自分がそこで死ぬつもりで最終選別で義勇さんや他の人たちを助けた訳では無いだろう。だから、託されたと言うと少し違うのかもしれないけれど。

 でも、義勇さんが錆兎と過ごした時間の中に、きっと錆兎は沢山の想いをその心の中に残している。

 人は死んだらそこで終わりだ。それでも、その人が関わってきた人々の中にその想いはきっと残る、受け継がれる、繋がっていく。

 そして、そうやって受け取ったものをまた別の誰かに残していって、そうやって人の想いは繋がっていく。

 でも、ここで義勇さんが独り自分の心の牢屋の中に閉じ籠っていたら、錆兎が義勇さんに残していったものを他の誰かに繋いでいく事が難しくなる。

 それで、義勇さんは本当に良いのか、と。

 

 俺の言葉に驚いた様に目を見開いた義勇さんは、それからそっとその目を閉じて俯いてしまった。

 微動だにしないそれに、少しばかり焦りが募る。

 義勇さんから感じる匂いは、怒りとかではなくて、哀しみだとかそう言った感情の様だけど……。

 まさか、義勇さんに追い打ちをかけてしまったのだろうか、と少し慌てていると。

 悠さんは微動だにしない義勇さんの事を、焦る事無くジッと見守っていた。

 そして……。

 

 もしかしてずっとこのまま立ち尽くし続けてしまうのではないだろうかと心配になってきた頃に、やっと義勇さんはその顔を上げた。

 

 

「……『繋ぐ』、か。

 遅れてしまったが、俺も稽古に参加しよう。

 ……炭治郎、鳴上。世話をかけたな」

 

 

 その言葉の何がそんなに義勇さんの心を動かす事が出来たのかは分からないが、どうやら俺の言葉が最後の一押しになって、義勇さんの中の何かを変える事が出来たらしい。

 匂いで感情が分かっても、その心の動きの全てを知る事は出来ないけれど。

 自分を責め続けていた時に感じたその匂いとは別のものを感じる。

 きっと、前を向ける様にお手伝いが出来た、と思っても良いのだろう。

 

 悠さんは少しだけ何かが変わった義勇さんを、とても優しい目で見ていて。

 義勇さんの言葉にそっと頷く。

 

「いえ、良いんですよ。

 俺たちも、したい様にしただけですから」

 

「はい! 義勇さんが元気になれたなら、それが一番です!」

 

 

 それから、悠さんと二人で「良かった」と笑い合うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 前向きになる事が出来た義勇さんは、それから自分も柱稽古に参加する旨を他の柱の人たちやお館様に連絡したらしい。

 義勇さんの鎹鴉は「寛三郎」と言う結構な歳のおじいちゃん鴉なので、沢山の人に一度に連絡するのは少し大変かもしれない。

 義勇さんの柱稽古は、順番的に一番最後……岩柱の悲鳴嶼さんの下での修行を終えた後のものになるそうだ。

 一体何をするのだろう? 今から少し楽しみである。

 

「それにしても、本当に良かったです。

 義勇さんが元気になれて」

 

 悠さんの部屋で禰豆子の相手をしながらそう言うと、悠さんはそれに静かに頷く。

 

「ああ、本当に良かった。……炭治郎のお陰だな。

 俺じゃ、きっと炭治郎がかけた最後の一押しの言葉はきっと言えなかったと思うし。もしその言葉を言っていたとしても、俺は錆兎さんの事を知らないから、きっと炭治郎の言葉程には冨岡さんの心には響かなかっただろう」

 

 炭治郎のお陰だ、と。そうもう一度呟いた悠さんに、そんな事はと首を横に振る。

 

「いえいえそんな……! 悠さんが義勇さんの事を知ろうとした上で、義勇さんの事を真剣に想ったから俺の言葉が偶然届いただけですよ」

 

 義勇さんは本当に頑なになってしまっていたから、きっと俺の言葉だけでも、そして悠さんの言葉だけでも足りなかったと思う。

 そう思うと、義勇さんの事を俺と悠さんの二人に任せたお館様の「先見の明」が凄まじい限りだ。

 

「ぎ、ぎゆ、さん。げんき?」

 

 この数日の間、義勇さんの事で頭を悩ませていたのを心配していた禰豆子は、辿々しい言葉でそれを訊ねてくる。

 

「ああ、義勇さん、元気になってくれたよ。

 禰豆子も、また今度会いに行こうな」

 

 禰豆子はあまり良く覚えていないし分かっていないかもしれないが、何しろ禰豆子にとっては最大の恩人と言っても過言では無い人だ。

 ……改めて、少しでもその心の苦しみを軽くする手伝いが出来て本当に良かったと、そう心から想う。

 そして……。

 

「錆兎と真菰にも、また会えたら良いんだけどな……」

 

 俺が最後の試練として課されたあの大岩を斬って以降、錆兎と真菰に会う事は無かった。

 きっと、狭霧山の何処かで今も他の子供たちと一緒に鱗滝さんを見守っているのだけれど……。

 半年間二人に稽古を付けて貰えたあの時間は、そうそう起こらない奇跡の様な時間だったのだろう。

 最終選別から帰ってから、沢山二人にはお礼を言いたかったのだけれど、終ぞその姿を見る事は叶わなかった。

 ……二人がもうこの世には居ない者である事を知ってしまったからなのだろうか。

 それに……。

 

「俺が会えたんだから、義勇さんや鱗滝さんも錆兎たちに会えれば良いのに……」

 

 例え夢枕に立つだけでも、それだけでも一目会う事が叶うなら、二人がどんなに喜ぶか……。

 

「……二人とも、錆兎さんと余りにも縁が深いからこそ、会う事が叶わないのかもしれないな」

 

 俺の言葉に、悠さんがふとそんな言葉を零す。

 そして、少し悲しそうな目で続けた。

 

「喪ってしまった大切な人にまた会いたいと想ってしまうのは当然の事だけど……。

 だが、その人が大切であれば大切である程、それに囚われてしまう。

 死んだ人は生き返らない、もう二度と逢えない。そうやってどうにか前を向こうとしているその時に、生きている時と寸分違わない姿の大切な人が現れたら……。

 ……それでも自分の時間を生きようと出来る人は、居ない訳じゃないだろうけど、誰も彼もがそうで在れる訳では無い。

 そして……確かに其処に居ても、まるで生きている時と同じ様であっても。

 死んでしまった人は、生きている者と同じ時間を生きる事は出来ない」

 

 それはどちらにとっても残酷な事だ、と。そう悠さんは呟く。

 ……確かに、そうなのかもしれないけれど。

 でも、せめて一言二言言葉を交わすだけでも、と俺は思ってしまう。

 

「そうだな……夢の中だとしても、もう一度逢えるなら……。

 冨岡さんも、そして錆兎さんも、少しは救われる部分があるのかもしれないな……」

 

 そうであったら良いのに、と悠さんは少し目を伏せる様に呟く。

 ……義勇さんと錆兎の事は、悠さんとしても色々と思う所が沢山あったのだろう。

 もう今となってはどうする事も出来ない事であるからこそ、ただただ遣る瀬無さが募っている様だった。

 

「もしかしたら、狭霧山に行けば義勇さんも錆兎に夢の中でも会えるかもしれませんけどね」

 

「全てが終わって、『鬼の居ない明日』が来て、本当の意味で錆兎さんたちが解放されたら、……叶うかもしれないな。

 ……それにしても、『狭霧』か……」

 

「狭霧山がどうかしましたか?」

 

 狭霧山の何かが引っ掛かったのか、少し考える様に小さく呟いた悠さんに訊ねてみると。

 大した事では無いのだけど、と悠さんは前置きして話してくれた。

 

「いや、以前……炭治郎たちと出逢う前に、『国之狭霧』と『天之狭霧』と戦ったな……と」

 

 正確にはその名を名乗る存在だし、狭霧山とは関係がある訳じゃ無いけれど、と。

 そう言いながら、悠さんはほんの少しだけ昔の事を思い出す様な顔をする。

 悠さんにとっては、それはとても大切な思い出なのだろう。 

 

「それって、前にも話してくれた『影』っていうものとはまた違う物なんですか?」

 

 人の心の抑圧された部分だと言うその『影』とやらと戦っていたのだと言う悠さんのかつての戦いは、その『影』とやらを直接的には見た事の無い俺にとっては随分と不思議なものであった。

 それでも、悠さんが自分が辿って来た道程を話してくれる事や、そしてそうやって悠さんの事をもっと知る事が出来る事が嬉しくて。

 俺は悠さんのその戦いの思い出を、まるで何処か遠い英雄譚の様に聞いていた。

 

「そうだな……多分、『影』とは違う存在だったんだろう。

 どちらの『サギリ』もとても強かった。

 前に話したのは……確か『直斗の影』との戦いまでだったか……。

 興味があるなら、『サギリ』たちとの戦いの話もしようか?」

 

 話してくれるなら聞きたいのだと頷くと、悠さんは小さく頷き返して話し始めた。

 

 悠さんが仲間たちと共に事件を追っていく内に、悠さんの一番大切な「家族」が狙われて……そして危険な世界に連れ込まれてしまった事。

 その「家族」を救い出そうとしていた悠さんたちの前に立ちはだかったのが、『クニノサギリ』と言う「神」の名を名乗る存在であった事。

 そして……。

 

 ふとそこで記憶をなぞる様に話していた悠さんの言葉が止まった。

 それと同時に、とても哀しい……傷付いた人のそれの様な匂いを悠さんから感じる。

 そして、悠さんにとって「一番大切な人」と言うその言葉を何処かで聞いた覚えがある様な気がして。

 もしかして、と。その記憶を掘り起こす様に思い出した。

 

「あの、悠さん。もしかしてその『クニノサギリ』って相手は、悠さんの仲間を操ったっていう敵なんですか?」

 

 以前、刀鍛冶の隠れ里で悠さんと二人で『秘密の武器』を探しているその時に。

 悠さんが少しだけ話してくれた事があった。

 悠さんは俺の言葉に、小さく頷く。

 

「ああ、そうだ。

 俺は、菜々子を……『家族』を助ける為に、操られていた皆と戦った。

 皆を……大切な仲間を、この手で傷付けて、叩きのめして」

 

 今でもその心に深く刻まれているのだろうその後悔と哀しみと絶望に、その瞳に翳りを静かに浮かべながら。悠さんはそう言った。

 それは……それは悠さんの所為では無いのだと、そう思うけれど。

 悠さん自身それは分かっているし、その上でそれを「善し」とは出来なかったのだろう。

 悠さんは俺の顔を見て、困った様に微笑みながら小さく「ごめんな」と呟いた。

 

「別に、炭治郎にそんな顔をさせたかった訳じゃ無いんだ。

 ……もう過ぎた事だし、それに……皆を死なせてしまった訳でもないからな。

 もしまた同じ様な状況になったら、今度こそ大切な人たちを傷付けない様に何か出来たらとは思うけど……幸いそんな機会は無かったし。

 そう気にしないでくれ」

 

 悠さんが謝る様な事じゃないと思うのに……。

 そして、と悠さんは更にその先を続けた。

「家族」を助け出したが、しかし悠さんにとって一番大切なその子は危険な場所に長い間居た影響で悠さんたちが何も出来ないまま衰弱していって……そして悠さんの目の前で死んだ。

 悠さんたちは怒りを抱えたまま、その子を危険な世界に連れ込んだ人を、今までの事件の犯人だと弾劾しようとして……。

 

「でも、あの人は『犯人』では無かった。

 ……確かに、皆を危険な目に遭わせて、そして菜々子の命を奪う切っ掛けになったのだとしても……。

 あの人は、本当はただ、助けたかっただけだった。

 殺されてしまうと思った人たちを、救いたかっただけで。

 ただ……あの人はとても孤独で、そして絶望していて。

 ……だからこそ、その手段が間違っている事には気付けなかった」

 

 その事に気付いた悠さんは、それ以上はその人の事を責める事は出来なくて。

 一連の事件の発端となった本当の『犯人』を捜そうという事になった。

 すると、まるで「正しい『答え』」を選べた褒美であるかの様に、息を引き取った筈の悠さんの「家族」が再び息を吹き返したのだと言う。

 

「でも、俺は何も出来なかった。……菜々子を助けられなかった。

 あの時【真実】を求める事を諦めなかったからこそ、菜々子が息を吹き返したのだとしても。……それでも、やっぱり俺は菜々子を守れなかったんだ。

 俺は菜々子のお兄ちゃんなんだから、菜々子を守らないといけなかったのに。

 ……叔父さんにも菜々子の事を頼まれていたのに……」

 

 結果として助かっただけで、自分は守る事すら出来ずに喪ったのだと、そう悠さんは静かに言った。

 悠さんの哀しみに触れて、何か言わなきゃと思ったのに。俺が何かを言う前に、悠さんがその先を続けたので、言おうとした言葉を見失ってしまう。

 

 全ての発端となった『犯人』は、程無くして見付かった。

 その人の事について悠さんはあまり詳しく語る事は無かったが……その『犯人』をどうにかして叩きのめしたかと思うと現れたのが、『アメノサギリ』であったらしい。

 己を「人を望みの前途へと導くもの」と称した『アメノサギリ』は、一連の出来事を通して「人々の望み」を見定めようとしていて。そして、人は今の世界を望んでいないと判断し、世界を霧で覆い尽くして全てを『影』に変えてしまおうとしたのだ。

 

「え、どういう事ですか? だってそんな事をしたら……。

 それが『人の望み』だなんて、そんな事ある筈無いでしょう?」

 

「……いや、そうでも無いさ。

 例えば炭治郎だって、物凄く辛い目に遭った時、『これは夢だ』だとか、『こんなの現実じゃない』って思った事は、本当に一瞬たりとも無いって言えるか?」

 

 そう言われて、『物凄く辛い事』を……俺が全てを喪ったあの日の事を思い出す。

 確かに、これが夢だったらと何度思った事だろう。

 それでも、俺には禰豆子が居たから、現実から逃げる訳にはいかなくて。

 だから……。

 

「……そうだな、炭治郎は強い。自分でそこから立ち上がって歩き出す事が出来た……現実に向き合おうと覚悟して生きていく事が出来た。

 禰豆子ちゃんを守らなければと言う思いがあったからこそかもしれないけど。

 ……でも、誰もが皆そう強い訳では無いし、そしてそんなにも強い炭治郎ですら一瞬はそう思ってしまう事なんだ。 

 ……そんな人々の無数の『願い』が……『人々の総意』が、『アメノサギリ』にそんな世界を創らせようとしていた」

 

 自分に都合の悪い事から逃げたいと願った心、現実が辛くてそれを忘れたいと願った心、自分の弱さや醜さを自覚したくないと思った心……。

 無数の人々の、無数の『辛い事に向き合いたくない』と思った様々な『願い』の結果だったのだ、と。悠さんはそう言う。

 ……それは別に、世界に滅んで欲しいだとか死にたいだとかを誰もが本気で心の底から願った結果では無い。

 ただ、その『人々の総意』が叶えられてしまった場合、「結果的に」世界が滅びてしまうだけで。

 それはまるで、「滅びに至る願い」とでも言うべきものだった。

 

「……もしかしたら、人はそうやって結果として世界が滅びてしまいかねない様な願いを沢山抱えているのかもしれないな。

 一つ一つは本当に些細な我儘の様なものでも、それが何千何万何億と積み重なれば……本当に世界を滅ぼしてしまいかねない様なものになってしまうのかもしれない」

 

 俺もそんな「願い」を懐いてしまった事はあるのだろうか? 

 それを自覚した事は無いけれど……でも、そうじゃないとも言い切れないものだった。意識すらしていない部分で、そう言うものを願ってしまった事はあったかもしれない。

 

「絶対にそんな事を考えた事は無いってのは無理だとは思うけど……。でもきっと炭治郎は大丈夫さ。

 だって炭治郎は自分の意思で歩いていく事の大切さを知っている、自分以外の誰かがこの世に居る事の大切さを知っている。

 なら、きっと大丈夫」

 

 少し難しい顔をしてしまった俺に、悠さんは気にするなとばかりに微笑んだ。

 そんな悠さんを見ていると、ふと気付いた事がある。

 

「悠さんはその『アメノサギリ』を倒したんですよね? 

 じゃあ、悠さんは世界を救ったって事なんですか?」

 

 結果的に人々を滅ぼそうとしていた存在を倒したのだ。

 なら、それは世界を救ったと言う事になるのだろうか。

 何だか、本当にお伽噺だとか英雄譚の様である。

 ただ、俺の言葉に悠さんは「うーん……」と少し考える様な顔をした。

 

「どうなんだろうな……。世界を救った……のか? 

 いや多分、そんな大層な事じゃ無いとは思うのだけど……。

 まあとにかく、そんな感じで俺たちは『クニノサギリ』と『アメノサギリ』と戦ったんだ」

 

 鬼とはまた違うけれど、悠さんが途轍もないものと戦っていたのだと言う事は分かった。

 ……そして、やっぱり悠さんは『神様』なんかじゃないと言う事も実感する。

 傷付いて、苦しんで、悲しんで、もがいて、時に自分の身体を擲って、時に泥臭く足掻いて。

 悠さんは仲間たちを誰も死なせずに戦い抜けただけで、その戦いは間違いなく命懸けのものだったのだろう事が、恐らくそこまで詳しくは説明していないのだろうその戦いの話だけでも分かる。

 そう言う悠さんの苦しみや努力の部分を知ると、悠さんの事を『神様』だとか言って「自分たちとは違う」と線引いて理解する事を投げてしまうそれは、全く以て良い事ではないと思うのだ。

 もし今度悠さんの事を『神様』だとか言ってる人が居たら、絶対に訂正して貰おうと、俺は心に決めた。

 そして、悠さんの話を聞いていて気になった事がある。

 

「『人々の願い』が『アメノサギリ』に世界を滅ぼさせようとしてしまったと言うのなら。

 じゃあまた『人々の願い』が『アメノサギリ』の様なものを生み出したりして世界が滅びてしまう可能性ってあるんですか?」

 

 割と深刻な話で、もしそんなものが出てきたら無惨を倒すどころではなくなってしまうかもしれない。

 まあそんなほいほいと気軽に現れる様な存在では無いと思いたいし、人々の心の中にそんなに「死に至る願い」が蔓延しているとも思いたくはないのだけど……。

 

「……どうだろうな……。そうならないで欲しいけど……。

 でも、有り得てしまうかもしれないな。

『人々の願い』ってのは複雑で、どんな『願い』がそう言った厄介なモノを呼び起こしてしまうか分かったものじゃ無いから。

 でも、もしそんな存在を相手にしないといけなくなったとしても、炭治郎ならきっと大丈夫だ」

 

 俺の言葉に少し難しそうに考え込んだ悠さんだが、そっと優しい目で俺を見詰めた。

 信じている、と。その目は何よりも雄弁に俺にその信頼を示している。

 

「もしそんな『心の海』から現れた存在を前にした時に一番大切な事は、何か特別な力だとか卓越した身体能力とかじゃなくて、自分自身の心だから。

 そして、炭治郎はそう言った存在に立ち向かう為に必要なものを全部持っているよ。

 でも、もしも。たった一つどうしても大切な何かがあるとしたら、それは……」

 

 悠さんがどうしてそこまで俺の事を強く信じているのかは分からないけど。

 でも、その先に悠さんが続けた言葉は、不思議な位に俺の心に焼き付いた。

 

 

「──自分の選択の結果には、必ず責任を持つ事だ」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
義勇さんの心を開かせる事に成功したので一安心。
何とか錆兎と義勇さんが会える方法は無いのかなぁ……と思う。
『アメノサギリ』までの戦いはふんわりと聞いた。
なお、この後に二人(マーガレットも入れれば三人)もの強大な敵と戦っていた事はまだ知らない。


【冨岡義勇】
『錆兎ではなく自分が死ねば良かった』と無意識は思っていても、かつての錆兎からそんな考えを咎められた事があったからこそ、「それは思ってはいけない」と戒めてもいた。だからこそより強く自罰意識に雁字搦めになってしまっていたのだが……。
もしこの世界に迷い込んだのが悠ではなくP5のジョーカーだった場合、「トミオカ・パレス」攻略になっていたかもしれない位に自分を追い詰め続けていた。このまま放置していると、最終決戦前後でその最後の糸が切れていたかもしれない。
炭治郎の言葉によって錆兎との大切な約束をハッキリと思い出した事により、超ネガティブはかなり解消された。が、天然コミュ障な部分は何一つとして改善されていない。ネガティブ拗らせるのを止めただけで十分ではあるかもしれないが。
今回の一件によって、炭治郎と悠に対する義勇からの心の距離は滅茶苦茶に縮まった。
二人とも物凄く話し掛けてくれるし優しくしてくれるし気遣ってくれるので、大好き。


【鳴上悠】
(最終的に皆を助ける事は出来たけど)自分よりも大切な仲間たち全員が自分を庇って「幾千の呪言」に引き摺り込まれて死んでいく光景を目の前で見続けたり、(最終的に息を吹き返したけど)絶対に何をしてでも助けると決めた菜々子を何も出来ないまま死なせてしまったり、(最終的には解決出来たけど)大切な友だちが自分達が守った平和を守る為に文字通りこの世からその存在の痕跡その物ごと消え去ろうとした事もあったりと。
辛い事自慢をしても何も良い事は無いから訊かれない限りは誰にも言わないけれど、別に最初から最後まで恵まれ切った、苦しみや絶望を知らない人間な訳ではない。
そして、「友だち」を助ける事が出来ず、それどころかその「友だち」の犠牲の上に成り立っている世界を守る為に戦っていた事を、悠自身の記憶には無いが無意識は知っている。

ちなみに、死体も残ってない様なガチな死者蘇生は無理だが、死にたてフレッシュかつ頭が潰されたりしてなければワンチャンいける可能性がある。
四肢をもがれた直後の真菰なら問題なく助けられるが、頭を潰された錆兎は無理。



【童磨】
絶賛推し活中。布教って楽しい!
最近、信者がかなり増えてきたので布教活動規模がちょっと大きくなった。




≪今回のコミュの変化≫
【皇帝(冨岡義勇)】:1/10→9/10


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『復讐者たち』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 柱稽古の初日がいよいよ明日に迫り、炭治郎たちは第一の試練を課してくれる宇髄さんの下へと旅立っていった。

 柱稽古に冨岡さんも加わった事で全部で八つの試練になった訳なのだが、全部の修行を終えるまでにどんなに速くても一ヶ月近くはかかるそうで、想像するだけでも物凄く大変そうだ……。まあ、己を鍛える事に物凄く前向きな炭治郎と、そして力比べが大好きな伊之助は物凄くウキウキとした様子で蝶屋敷を後にしたのだけれども。

 善逸と獪岳は桑島さんの所から直接宇髄さんの所へ向かうそうだ。善逸が手紙でそう教えてくれた。

 ただ少し気掛かりなのが、柱稽古の知らせを受け取ってから獪岳の様子がちょっと変だったそうなのだが……。

 自分も柱稽古の期間中は柱の人たちの下を順に訪れる事になっているので、何処かで獪岳に会ったら少し話を聞いてみるべきだろうか……。

 まあそんな風にちょっと気掛かりな事はあるが、柱稽古の開催にあたっては概ね問題無く進んだ様だ。

 それはそうと、鬼殺隊の全隊士と言っても良い数の人間が一気に宇髄さんの所に一旦集まる事になるので、今日から少しの間は宇髄さんの所は中々大変な事になっていそうだ。

 まあそれもあってか、宇髄さんは「自分の所に来るのはちょっと後回しにしても良いぞ」と言っていたのだろうけれど。

 

 そして……明日の朝にも柱稽古自体は問題なく始まりそうなのだけど。

 

 チラリと、横を見ると。

 相変わらずしのぶさんは、ぱっと見は微笑みを浮かべているけれど、それはもう苛立ちと言うのか怒りと言うのか……そう言った感情が全く隠れていない様子である。

 空気がずっと張り詰めている様にすら感じる程だ。

 まあ……それも無理からぬ事ではあるのだろうけれど。

 

 お館様から珠世さんに対して鬼舞辻無惨討滅の為の協力の誘いが送られて少し時間が経って、産屋敷邸に珠世さんたちの為の研究場所の準備が完全に整った事で、珠世さんたちがその研究拠点を産屋敷邸に移す事になったのだが……。

 その研究に関して、鬼殺隊側の鬼に対する薬物などの研究の専門家であるしのぶさんの協力も要請されたのだ。要は共同研究というやつである。

 鬼を人に戻す為の薬を探求する珠世さんの研究内容と、鬼にとっての致死的な毒物を探求するしのぶさんの研究内容は方向性が同じでは無いが故に、二人で研究すればお互いに更なる飛躍も見込めるのではないか……というお館様の「先見の明」による提案で、まあそれは確かにそうなのだけれど……。

 しかしそこで「はいそうですね」とは中々頷けないのもまた事実なのだ。

 珠世さん自身は、こうして鬼殺隊と本格的に手を組む事を選んだ時点で、鬼殺隊側と共同研究する事に否は無いだろうけど、しのぶさんはそうはいかない。

 そもそも、姉の仇である童磨だけではなく、鬼と言う存在その物を心から憎悪しているしのぶさんにとって、鬼との共同研究などまさに青天の霹靂にも等しいもので。

 珠世さんの様な鬼の存在を全く知らなかったし想定した事も無かった為か、物凄く不信感を懐いている様であった。

 更には、しのぶさんの与り知らぬ所で自分や炭治郎が珠世さんと交流を持っていた事に、そして珠世さんへの不信感を露にするしのぶさんに珠世さんが信頼出来る相手である事を頑張って説明した所、完全に逆効果になってしまってますます不機嫌にさせてしまった。

 まあ、感情面で納得がいかなくても、そうした方がより鬼殺に役立つし鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす為の力になる事は分かっていたからなのか、しのぶさんはその提案を最終的に飲んだのだけど……。

 

「悠くんはもっと危機感を持つべきですよ? 分かってますか? 

 どんなに優しい風貌をしていようと、或いは態度が誠実に見えようと、そんなものは幾らでも装う事が出来るものなんですよ? 鬼であろうとも。

 悠くんはちょっとお人好しが過ぎますし、直ぐに信じ過ぎです。

 悠くんを利用しようとしている者が、皆悪意ある顔で近付いてくる訳じゃないんですよ?」

 

「確かにそれはそうですが……。珠世さんはそんな人じゃないですよ。

 炭治郎の事も、禰豆子ちゃんの事も、心から心配して助けようとしてくれる人ですし。

 それに、珠世さんにとってはきっと、害になるのか益があるのかも分からない得体の知れない存在だったのに、俺に会おうとしてくれた誠実な人です」

 

 そんな事を言うしのぶさんに、珠世さんはそんな人ではない事を説明する。

 もうこんなやり取りを五回以上はしている気がするな……。

 

 しのぶさんは、珠世さんに不信感を隠せない様で、自分が珠世さんに操られると言うか騙されて良い様に扱われているのではないかと疑っている様だ。

 禰豆子を人に戻す薬を研究開発する為に十二鬼月の血を集めていた事も説明すると、お人好し過ぎるだとか危機感をもっと持てだとかと怒られた。

 十二鬼月の血を集めるだなんて事は本来無謀の極みにも近いものだった事も、しのぶさんとしては珠世さんに対して不信感を募らせる結果になってしまったのかもしれない。

 正直それに関しては、炭治郎の力になりたいからと自分が勝手に押し通させて貰った様なものなのだけど……。

 だが事実はそうであるのだとしても、自分が珠世さんの事を説明すればする程どんどんしのぶさんの中で拗れていってる気がする……。

 いや、それはしのぶさんが心から此方を案じてくれているからなのは分かるのだけど……。話が並行線を辿ってしまっている気がするのだ。ちょっとどうしたら良いのか分からない。

 そして、こんな調子で珠世さんへの嫌悪感やら不信感やらが蓄積した状態で珠世さんと顔を合わせたら……正確には確実に一緒に居るだろう愈史郎さんがそれを見たら……。確実に起こるだろう一悶着を思って、思わず溜息が零れてしまいそうだった。

 

 しのぶさんと珠世さんの共同研究の目標は、上弦の鬼及び鬼舞辻無惨を弱体化させる事が出来る薬品の開発だ。

 それは、珠世さんが作り出そうとして実現がもう時間の問題にまで至った「鬼を人に戻す薬」であったり、しのぶさんが藤の花の毒を中心に作り出している「鬼を殺す薬」であったり、或いはそれ以外にも。

 とにかく一つでも多く鬼舞辻無惨たちに対して切る事が出来る切り札を作り出す事が目的だ。

 

 鬼舞辻無惨をどんな手段を用いてでもこの世から抹消したい珠世さんも、この世から鬼と言う存在を消し去りたいしのぶさんも。

 鬼舞辻無惨を討ち滅ぼすと言う目標は同じなのに、珠世さんが鬼であるからこそ何の蟠りも無く……というのは難しい。

 

 しのぶさんが鬼である禰豆子を許容しているのは、禰豆子が本当に一度たりとも人を喰った事が無く血を飲んだ事も無いからである。陽光を克服してからも人にそう言った欲求を向ける気配が無い事も大いに関係しているのだろう。

 ……しかし、ほんの少量の血を飲むだけで事足りる愈史郎さんはともかく、もう数百年は人を襲っていないのだとしてもかつては人食いの鬼であった珠世さんを、しのぶさんは理屈の上ではともかく感情では受け入れ難いのだ。

 冨岡さんの問題が解決を見せて、これで柱稽古も問題無く始まるだろうと安心していたその最中に、仏壇を前に今は亡きカナエさんに物凄く語り掛けているしのぶさんの姿を見掛けた時は、どう見ても物凄くストレスを抱えているのが明白なその様子に本当に焦ったものだ……。

 まあ、何があったのか訊ねて事の次第を知った後で、しのぶさんに珠世さんとの関係を吐かされて怒られたのだけど。

 

 まあしのぶさんがそんな感じで物凄く感情的に難しい状態になってしまったので、この先一緒に研究するのだから最初の顔合わせの時点から大きな問題を起こさない様に、と。万が一の際の仲裁なども含めて、取り敢えず二人が初めて顔を合わせる事になる今日くらいはしのぶさんと一緒に居る事になったのだ。

 

 日が沈み、暫くして。

 珠世さんと愈史郎さんが産屋敷邸へとやって来た。

 鬼殺隊の本部とも言えるこの場所で珠世さんにお会いすると言うのも何だか不思議な感じがするものである。

 部屋に入ってくるなり、珠世さんは完璧な所作でそっと頭を下げた。

 

「初めまして、珠世と申します。此方は愈史郎です」

 

「……ふんっ」

 

 愈史郎さんは早速しのぶさんの敵意に気付いたのか、不信も露にお世辞にも良いとは言えない態度を取る。

 それを見たしのぶさんに、また苛立ちが蓄積したのを感じる。

 まだ何も始まっていないのに、既に雰囲気が険悪過ぎる……。

 正確には、しのぶさんと愈史郎さんの間で主に火花が散っているのだが……。

 

「ええ、初めまして。鬼殺隊の蟲柱を務めている胡蝶しのぶです。

 悠くんが随分とお世話になっていた様で……」

 

「世話だと? ……全くだ。

 そこの鳴上は珠世様のお手を煩わせたばかりか、こんな風に身を危険に晒す様な真似をさせたんだからな」

 

「こら、愈史郎! 何て事を言うんですか!」

 

 しのぶさんの刺々しさを感じる言葉に、珠世さんへの敵意を感じた愈史郎さんは、それに反応する様に刺々しい対応をする。

 その途端にしのぶさんから感じる圧が増し、そして珠世さんが愈史郎さんを叱る。

 愈史郎さんは何時もの様に謝るのだが、欠片も悪いとは思ってないのが物凄く分かる。強いて言えば珠世さんに注意させてしまった事は気にしてるかもしれないが。

 挨拶の段階から既に前途多難な状態である。

 いや……珠世さん自身はそんな態度では無いのだけど……。

 

「珠世さん、愈史郎さん。

 こうしてお会いするのはお久しぶりです。

 俺と炭治郎の急なお願いを聞いて下さって……俺たちの事を信じて下さって本当にありがとうございます。

 鬼たちが姿を隠している今、鬼舞辻無惨との決戦の時まで俺がお二人の為に出来る事はそう多くはないかもしれませんが。

 出来る限りの事はしたいので、何かあったら何時でも言って下さいね」

 

 産屋敷邸に居ない時でも鎹鴉に手紙などを託せば必ず受け取って駆け付けるから、と。そう珠世さんと愈史郎さんに言うと。

 横のしのぶさんから感じる圧が更に増した。……何故。

 

「悠くん? 私の言ってた事をちゃんと聞いていましたか?」

 

「勿論ですよ、しのぶさん。

 でも、珠世さんたちはしのぶさんが心配する様な人たちじゃないんですって、本当に。

 ……愈史郎さんも、珠世さんの事が本当に大切なだけで、俺をどうこうしたいと言う訳では無いですし」

 

 お人好しを振り撒くのは止めろと言ったでしょう? 、とでも言いた気な顔を向けられて。それを忘れた訳では無いのだけど、そもそも珠世さんはそんな風に警戒しなければならない人たちでは無いのだと説明する。

 第一、無理を言ってこうして此処まで来て貰っている様なものなのだ。一方的な要求や搾取ではないけど、それはそれとして鬼殺隊の本部とも言える場所にある意味二人っきりで孤立無援にも等しい状況なのだ。

 仕方ない事ではあるけれど、ならばせめて、二人をこうしてここに連れて来てしまったにも等しい自分は、少しでも安らかな気分で過ごせる様に何か手伝うべきだと思うのだ。

 気遣いだとかお人好しのお節介だとかではなくて、当たり前の事だと思うのだけど……。

 

 しのぶさんとのやり取りを見ていた珠世さんは、どう言葉を掛けるべきかとオロオロして、そしてそんな珠世さんを愈史郎さんは「珠世様は今日もお美しい……」とばかりに見ている。

 

 

 二人の顔合わせはそんな感じでギクシャクと言うか混沌としていたと言うか……な状態で始まったけれど、決定的な破綻にまでは至る事は無く。

 そして、二人してそれまでの研究内容やその成果の事について話し合っている内に、しのぶさんの中の鬼への憎しみや蟠りがちょっとだけ薄れ、それによって愈史郎さんの態度もちょっとマシになる。

 二人の研究内容はとても興味深くて、「成る程……」と驚く部分も多い。平成の時代で培った知識から大体何をしているのかを理解出来る部分もあったが、それでも今一つ分からない部分もあったし。

 何より、『鬼』と言うある種の超常的な存在を、科学的に分析しそれらが起こす現象を解剖しようとしているそれは、未知の知見であった。

 前例が無い所にゼロから鬼を殺す毒を作り出し、それ以外にも様々な薬を作り出しているしのぶさんも本当に凄いし。

『鬼』と言う現象……その存在を「病」として捉え、それを取り除く為の研究を完成させつつある珠世さんも本当に凄い。

 二人は、自分たちが高度に専門的な知識でやり取りしているのに、一応はその話を此方が理解出来ている事に驚いていた。

 

 ……確かこの時代だと、高度な科学知識を有している人たちは本当に一握りで、それこそ帝国大学とかに行かないと……と言う感じだっただろうか。

 日本で考えると、鈴木梅太郎が後にビタミンB1と名付けられる物質を発見してからほんの数年、野口英世が梅毒の研究で名を馳せたのもほんの数年前。世界的に考えると、ハーバーボッシュ法を生み出し「化学兵器の父」と呼ばれたフリッツ=ハーバーが毒ガスを戦場で使用し、アインシュタインが一般相対性理論を提唱した様な時期だ。

 それを考えると、何処の誰だか未だに一切不明な存在が、科学知識に明るいと言うのは奇妙に見えるのかもしれない。

 とはいえ、しのぶさんは驚きはしたもののそれ以上は何も言わず、珠世さんも不思議そうな顔はしていたがやはり何も言わない。なら、まあ良いのだろう。

 

 蟠りはそう簡単に消えそうにはないが、二人とも共同研究を始める事には問題はなさそうだった。

 しのぶさんとしても、『鬼』への嫌悪感などよりも研究者としてのその成果への尊敬の念の方が勝ったのかもしれない。

 この先二人が歩み寄れるのかはしのぶさんの心次第だとは思うが、恐らく……悪い方向にはいかないだろうと、そう自分は信じている。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 お館様から、鬼舞辻無惨を倒す為の毒の研究に専念してくれないか、と。そんな打診が来たのは、緊急の柱合会議が行われて少ししてからの事だった。

 それに否は無かった。姉さんの仇にこの身を諸共に喰らわせて毒を叩き込む作戦は、悠に阻止された事もあり放棄したけれど。それとはまた別に、鬼の頸を斬る力が無い私が役立てるのはやはり毒などで鬼殺を支援する事であるからだ。

 上弦の肆を相手に、僅かな間動きを止める程度の効果でしか無かったとは言え、藤の花から作り出した毒は有効であったと、それを使用した宇髄さんが報告した様に。

 それで直接的に死に至らしめる訳では無くても、動きを止める事が出来れば……鈍らせる事が出来れば。

 普段の任務とは異なり、他の柱や隊士たちも総出で事に当たる事になる総力戦になるのであれば、この手で頸を斬る事が出来なくても、自分以外の誰かが頸を落とす助けになれる。

 何より、鬼舞辻無惨は頸を落としても殺せない以上は、とにかく陽光が当たる場に押し留めるしか無いのだ。その際に、毒で動きを鈍らせる事が出来るなら、それがほんの僅かな間であっても、夜明けまでの一秒を稼ぐ手段になれる。

 鬼の事に精通した者との共同研究になるかもしれないとお館様に言われた時には、鬼に詳しい者が自分以外に居るのだろうかと首を傾げてしまったが、まあそれで毒の開発が進むのなら構わないと思っていた。

 ……その研究相手とやらが、鬼であるとは思いもよらなかったのだ。

 

 その後少ししてからお館様からその仔細を知らされた時には、一瞬反射的にそれを拒否してしまいそうにもなりかけた。

 鬼と共同研究? 冗談では無い。そもそもその鬼は本当に信用出来る相手なのか? 

 鬼は、狡猾で卑怯で、命を命とも思わない様な存在だ。

 人を喰い、人の弱さを嘲笑い、弱き者を力で捩じ伏せ蹂躙する事を喜ぶ様な汚らわしく腐り果てた性根のものばかりなのである。

 成り立ての鬼の理性に欠けた飢餓の本能に支配されたその姿も醜悪だが、人を喰い荒らして理性や自我を得た鬼のその醜さはそれを遥かに上回る。

 鬼は人を平気で謀るのだ。無害を装いながら人を貪る鬼を見た事もある。

 更には、鬼は全て鬼舞辻無惨に従属している存在だ。

 確かに、禰豆子の様に例外も存在しているが……その事に関しては鬼にとっては致死である筈の陽光を克服出来る様な特異体質であった事が関係しているだけなのではないかと思っている。

 禰豆子は特殊過ぎる例であり、それを他の鬼に当てはめる事は出来ない。

 禰豆子の存在だけを理由に、鬼と言う存在を信じる事は出来ないのだ。

 その鬼が鬼舞辻無惨を本気で滅ぼそうとしているのだと言われても、それですら疑わしかった。

 鬼舞辻無惨を害そうと考える事が出来るのなら、その支配からは逃れているのかもしれないが。鬼舞辻無惨を滅しようとするのは、言うなれば下剋上を成そうとしているのではないかと疑ったのだ。鬼と言う存在の醜さや悪辣さを思えば、寧ろそう言った動機である方が自然だとすら思った。

 

 しかしお館様は、その鬼の存在は以前から産屋敷家の者は代々把握していた上に、炭治郎君と悠が以前から交流を持っていた相手であり、二人はその鬼を「信頼出来る相手」だと認めているのだと言った。

 それを聞いた時、益々以て信用出来ないと思った。

 悠も炭治郎君も、お人好しと言うか、いっそ無防備にも見える程に優しい人間だ。

 利用しようと思えば、この二人ほど便利な相手は居ない。

 炭治郎君には特異的なまでの嗅覚があり悪意を嗅ぎ分ける力はあるが、しかしそう言った感覚をすり抜ける方法を会得している鬼である可能性も考えるとそれですら完全に信用は出来ない。その嗅覚をすり抜ける事さえ出来れば、素朴な人柄である炭治郎君を騙してその掌の上で転がすのは造作もない事だろう。

 そして、悠も炭治郎君に負けず劣らずのお人好しである。傷付いたり困っている者を見ると躊躇わずに助けようとしてしまう。

 考え無しの愚か者では無いし寧ろ思慮深い方であるけれど、それ以上に根が善良過ぎてやはり良い様に利用されてしまいそうだ。

 悠のその力を知れば、それを利用したいと思う者は幾らでも現れるし、悪用しようと企む者も居るだろう。それなのに、悠には危機感が足りていない様に見える。

 二人に人を見る目が無いと言いたい訳では無いが、余りにもお人好し過ぎるので騙されている可能性の方が高いと思ってしまうのだ。

 

 悠にその鬼との事を白状させると、聞けば聞く程、悠がその鬼に利用されている様にしか思えなかった。

 薬を研究する為に十二鬼月の血を採って来る様にと頼まれたのだと、悠は何の事も無い様に言うけれど。

 下弦の鬼ならばまだしも、上弦の鬼の血もと言うそれは無茶も良い所の話だ。

 炭治郎君の様な、入隊したばかりの隊士には下弦の鬼ですら致命的な相手であるのに。上弦の鬼を倒す事すら求めているそれは、明らかに一隊士に託して良いものではない。

 ……まあ、炭治郎君に関しては何よりも大事な妹を人に戻したいと言う願いがあるからまだ良いだろう。その願いに付け入ってる様にしか思えなくても。

 だが、悠は別にそうでは無い筈だ。

 お人好し過ぎる悠は、炭治郎君たちの力になりたいだとか言って十二鬼月と戦う事を全く恐れる事も厭う事も無く受け入れてしまったのだろうけど。

 その鬼が二人が言う様な本当に「良い人」であるなら、少なくともほぼ無関係の悠をそんな危険な事に巻き込んだりはしないだろう。

 悠に常識外れの力があったからどうにかなってるだけで、本来ならその依頼は「死ね」と言っているのにも等しいものであるのだから。

 その辺りの事を全く気にもしていない悠は、やはりお人好し過ぎるし危機感が全く足りていない。

 それなのに悠は、その鬼……「珠世」だとか言う鬼の事を庇おうとするのである。

 誠実な人なのだとか、優しい人なのだとか。

 そんなもの、鬼であろうとなかろうと幾らでも装う事が出来るのに。

 人を騙したり利用しようとしている者が、そんな思惑を顔に出して近付いてくる訳じゃ無い。寧ろ、そう言った輩に限って、誰よりも親切で誠実そうな顔をしているものだ。

 しかしそれを指摘しても、悠は益々その鬼の事を庇うばかりで。

 話は平行線を辿り一向に終わりが見えないまま、その鬼と顔を合わせる日がやって来てしまった。

 

 鬼たちの為に産屋敷邸に設けられた研究室は、蝶屋敷にあるそれと似た様な雰囲気ではあるが数人が作業していても狭苦しくない様にと広めの空間になっている。

 蝶屋敷の研究室からは、既に試料となる鬼の組織や実験に使う道具や薬品、研究に使う様々な情報が記された帳面などが運び込まれていて。

 そして、今日からこの場を拠点として研究を行う事になる鬼の側からも様々な物が既に運び込まれていた。

 今日から此処で鬼と共に研究するのかと思うと、何処までこの胸の中で燃え続けている鬼への憎悪や嫌悪感を抑えきれるのかと気が重くなる。

 信頼など出来無いし、信用も出来ない相手ではあるが。

 共同研究を行う以上は、憎悪の感情をぶつけるなどあってはならない訳で。

 感情の制御が出来ないのは未熟者だからと、そう言い聞かせていても、中々難しい。

 

 そんな中で初めて対面する事になったその鬼は、鬼としての気配はとても薄い……そんな奇妙な鬼だった。

 鬼だと予め知っているなら気付くが、往来で一瞬すれ違うだけなら見逃してしまうかもしれない程度だ。

 珠世と名乗った鬼の気配も薄いが、その横に控えていた愈史郎と言う鬼の気配は更に薄い。目などの鬼の特徴が現れている部分を人のそれに擬態すれば、余程鬼の気配を探る事に長けた者でないと見分ける事は出来無いだろう。

 そして、愈史郎と言う鬼は、此方に対してかなり刺々しい態度を取る。

 私が珠世と言う鬼に対して良くは無い感情を懐いているのが気に喰わないのだろう。

 そんな私たちの様子を見て、悠と珠世はオロオロと顔を見合わせている様であった。

 

 初対面の挨拶が良好に終わったとは言い難いが、まあ関係性がどうであろうと鬼舞辻無惨を確実に殺す為の研究が完成すればそれで良いのだ。

 早速本題にとばかりに、私と珠世は其々の研究の概要やその成果の触りの部分を説明した。

 成る程、確かにお館様が言っていた様に、着眼点が其々異なり目的も違う研究ではあるが、だからこそ一方の研究だけでは見えていなかったものを他方は見ている。

 それを持ち寄れば元々の研究を完成させるばかりか、新たな研究にも結び付くのではないかと言うお館様の判断は正しかった。

 

 そして、そんな互いの研究成果の説明を、私や珠世が理解出来ているのは当然と言えば当然なのだが、悠も成る程と頷いているのには驚いた。

 何せ、一般的な高等学校で学べる内容どころか、帝国大学などで行われる様な研究にも近い程に高度に専門的な内容が多分に含まれている研究なのだ。

 どちらの研究も、高度な科学知識が無いと理解する事も難しい。

 それなのに、それを問題無く理解出来てしまっている悠は、相変わらず何も分からないその出自や足跡と言い謎だらけである。もう慣れたが。

 

 悠に関してまた増えた謎の事は置いておくとして。

 珠世の研究は既にかなりの部分が完成していた。

 悠と炭治郎君が尽力して多くの上弦の鬼たちの血や肉を集めた事がその研究を大いに飛躍させたそうだ。

「鬼を人に戻す」と言うその研究成果が何らかの形になるのはもう時間の問題だとも言える程になっていた。

 

「とは言え、恐らく無惨に対してはこれですら決定打にはならないでしょう。

 あの男の生き汚さ……生にしがみつく為の能力は、私たちの想像を絶するものだと考えて下さい。

 どんな毒や薬を打ち込もうとも、時間さえかければあの男は確実にそれを分解します。

 そして、一度分析されたそれはもう二度と通用しないでしょう」

 

「つまり、その時間を与えない様にする事が最も重要だと……そう言う事ですね」

 

 確認の為の様な私の言葉に、珠世は静かに頷く。

 珠世の口から改めて聞かされる事になった鬼舞辻無惨と言う存在は、余りにも破格であった。

 とにかく「生きる」と言うその生物的な欲求と本能の権化とすら言いたくなる程に、「死なない事」に特化し過ぎていた。上弦の鬼が赤子の様に思える程の規格外の強さを誇っている上に、恐ろしく生き汚いが故に僅かにでも不利を悟ると何が何でも逃走する事を選ぶ。そして、自分を脅かす者が死に絶えるまで、その永遠にも等しい寿命で待ち続けるのだ。ふざけている。

 毒や薬で可能な限り弱らせて、そして陽光が当たる場所に全員で足止めする。

 それが最も、人の手で鬼舞辻無惨を討てる可能性の高い方法だ。

 まあその為には、鬼舞辻無惨に対して有効な毒を開発する必要があるのだけれども。

 そして、私たちの話を聞いていた悠が、「あの……」と声を上げて質問する。

 

「鬼舞辻無惨に対して毒や薬を使うのは当然として、他の上弦の鬼たちに対しても使えるものを開発する事は出来るでしょうか……? 

 恐らく同じ成分だと、上弦の鬼に先に使った場合も鬼舞辻無惨に先に使った場合も、結果として鬼舞辻無惨がその毒の成分を分析して解毒する為の助けになってしまうので諸刃の剣になるかもしれませんが……。

 しかし、成分の違う毒を開発出来て、それを上弦の鬼たちとの戦いに用いる事が出来れば。少しでも被害を押さえて上弦の鬼を討つ事が出来ますし、そうすれば結果的に鬼舞辻無惨をより確実に足止め出来ると思うのですが」

 

 勿論、そう簡単に毒や薬を開発出来る訳では無いのは分かっているけれど……と、そう言って悠は「無理を言ってしまっただろうか」とちょっと心配そうな顔をする。

 まあ、そう簡単な話では無い事は確かだが、悠が言っている事は間違っていない。

 その研究をする余力があるなら、勿論やるべき事である。

 

 お館様が予見した総力戦まで、長くても半年程度。

 それまでにどれ程のものが出来るのかは、時間との勝負になるのだろう。

 だが恐らくはこれが、文字通りに鬼舞辻無惨を滅する最後の機会なのだ。

 鬼をこの世から消し去る為には、今成し遂げるしか無い。

 その為に、鬼と手を組んででも、この研究を完成させなくては。

 

 決意も新たに、私は珠世と握手を交わすのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
珠世さんの事は物凄く信頼しているし全力で協力するし何か出来る事があるなら可能な限りは叶えたい。
しかし、悠の中での優先順位と言うか「大事な人」と言う判定ではしのぶさんの方が珠世さんよりも優先度が高い。
珠世さんは協力者(強いて八十稲羽でのコミュに当てはめるなら「狐」コミュ)と言う関係だが、しのぶさんは「家族」が一番近い程。
ほぼ全員から「お人好し」「世話焼き」などと思われているが、否定はしないけどそこまでかな……、とはちょっと思ってる。
尚、お人好し集団(或いはバカ軍団)の特捜隊の中でも群を抜いてお人好しなのでその評価は残当。
現代基準でも生き字引級の知識の持ち主であるが故に、大正時代基準だと異常な程に科学知識がある事になる。


【胡蝶しのぶ】
『鬼』との協力関係と言うそれ自体にも物凄く嫌悪感や拒否反応を示したが、何よりも嫌だったのが、悠が物凄く珠世さんの事を信頼していた事。
鬼の薬に関して自分以上に珠世さんの事を手助けしていた事が物凄く嫌だったし、それ以上に悠が『鬼』(珠世さん)に騙されて良い様に使われているのでは? と思った。
しのぶさんの目から見て、悠は危うく感じる程にお人好しだし世話焼きに見えている為、悠の力を利用したり悪用しようとする人は幾らでもいるだろう事を考えると物凄く心配になっている。
実際、足立さんとコミュってしまえる辺り、その心配は杞憂とは言い難いのかもしれない……。
悠が謎だらけなのにはもう慣れている。


【珠世】
悠や炭治郎は徹底して自分を『鬼』ではなく『人』と同じ様な存在として扱ってくれているので、非常に二人への好感度が高い。
なお、悠がお人好し過ぎる事には少し心配している。
研究材料としての無惨の血が濃い鬼たちの血が、原作と比較しても多く(無惨が上弦を強化したので)質も良いものなので、研究ペースが随分と向上する事になる。


【愈史郎】
悠や炭治郎の事は、ある意味で珠世様と二人の静かで穏やかな日々を終わらせた元凶でもある為ちょっと複雑なものを感じている。
しかし、悠も炭治郎もどちらも良い奴だし、自分たちの事をしっかり見てくれるから嫌いではない。
悠に関しては、人間……?とずっと思っているが、同時に悠が余りにもお人好し過ぎるので、本当に大丈夫か?とも思ってる。


【産屋敷輝哉】
鬼舞辻無惨を確実に殺す為ならありとあらゆる手段を用意しようとする覚悟の人。
「先見の明」を駆使して、可能な限りの準備を進めている。
ちなみに、紅茶好きの珠世さんの為に、紅茶も取り揃えている。



≪今回のコミュの変化≫
【悪魔(愈史郎)】:5/10→7/10




【邯鄲の夢コソコソ噂噺】
鬼滅の刃の二次創作で恐らく一番問題になる、「強過ぎる相手が居たら無惨は逃亡してしまい寿命勝ちに持ち込んでしまう」問題ですが、この物語ではこの先で無惨が逃亡する可能性はありません。もうちょっと後で無惨視点の述懐として回収しようかとも思いましたが、無惨視点は書くのも読むのもうんざりするものなので、この場を借りて簡単にご説明をば。

先ず第一に、無惨が「逃亡」を選ぶのは、人間が相手である場合必ず寿命があり、不老の無惨は寿命勝ちが出来るからです。
そう、『人間』が相手である場合は。
最初に悠の存在を認識した時に、化け物じみた力を認識しながらもその時点で逃亡しなかったのは、無惨にとっては悠が縁壱以上の『化け物』に見えて、寿命勝ちに失敗する可能性に思い至ったからです。そして、無惨から見て事態は更に悪化しました。
何故なら、『化け物』の悠が「青い彼岸花」を手にしてしまったからです。(実際はブラフなんですけど、無惨にそれを知る由はない)
無惨視点では、『化け物』である悠が自分と同じ「永遠の命」を得てしまう可能性が一気に高くなりました。
しかも、不完全な薬で『鬼』になった自分とは違い、「青い彼岸花」の現物を持っている悠は陽光すら致死では無い本当の「究極の生物」になってしまう可能性があります。元々が『化け物』なのにそうなったらもう万に一つも勝ち目はありません。更には、悠が鬼狩りの異常者たちと同じく、自分を躊躇なく殺そうとしている事を知ってます。
相手も永遠の命を得たのなら、無惨は永遠に追われ続ける事になるんですよね、正面から戦えば絶対に勝てない『化け物』に。
それは、無惨にとっては最も避けたい事態です。
悠は、無惨に対しての釣り餌としての価値は「青い彼岸花」よりも「太陽を克服した鬼(禰豆子)」の方が上だろうと思っていますが、他でも無い悠があのハッタリをかましたからこそ、無惨は何がなんでも逃げずに悠をどうにかしなくてはならなくなったんです。
無惨が一番求めているものは「太陽を克服した鬼(禰豆子)」ですが、敵(縁壱や悠の様な『化け物』)の手に一番渡って欲しくないものは「青い彼岸花」です。

第二に、無惨の目から見ても悠が弱点だらけだからです。
鬼殺隊の隊士達の異常者たる所以は、自分の命を捧げる事に何の躊躇いも無く、更には上弦の鬼を倒す為なら仲間すら時に切り捨てる様な覚悟も持てる事です。
でも、悠は鬼殺隊じゃありません。その感性は何処までも普通です。
仲間を切り捨てるなんて絶対に出来ませんし、傷付ける事も出来ません。
黒死牟と初めて邂逅した時の様に、例え上弦の鬼を倒せる千載一遇である筈の状況下ですら、虫の息の仲間たちを助ける事を優先して動きます。
人質戦法がこの上なく有効です。(玉壺が証明した様に)
それは、無惨からすると余りにも大き過ぎる弱点に見えています。
更には、刀鍛冶の里での戦いで悠の体力が鬼とは違って無尽蔵ではない事にも気付いてます。
つまり、(無惨的な認識で)悠にとって足手纏いになる様な隊士たちと共に行動させて、上弦の鬼をぶつければ、足手纏いの隊士たちを守る事を最優先にするだろう悠を消耗させきれると判断しています。
その上で、無惨自身の周りには悠に対する肉盾となる隊士たち(柱も含む)を纏わり付かせておけば、万能属性などの危険な攻撃は完封出来る上に、肉盾を瀕死程度にすれば悠を回復スキルで更に消耗させられますし、或いは急造で鬼にするなどして襲わせれば労さずして悠を捕える事が出来ると考えています。
弱点どころではなかった縁壱と違って、『化け物』を極めているのに弱点だらけな悠はそれを攻める事に何の躊躇もない無惨にとっては、ある意味では縁壱とは比較にならない程に与し易い相手に見えています。

第三に、無惨は悠がどれ程の手札を隠し持っているのかを全く知りませんし、上弦の鬼の目を通してみたもので全部だと思っています。それでも、一見勝ち目がない程に『化け物』ですが……。
刀鍛冶の里で黒死牟たちと戦った時よりも、更に多くの絆を満たした悠が自分の想像を遥かに超えた力を取り戻しているとは知りません。
悠が召喚したものが本当に極一部だけだと言う事も知りません。(ホルスなどの太陽神を召喚してたら逃走一択だったかもしれませんが……)
そして、悠が余りにも慮外の『化け物』である為、無惨はまさかそれ以上の『化け物』だとは全く思ってないのです。
だって自分がこの世の中心であり全てだと本気で思っているので、「対処不可能」と言う発想がありません。無惨様は何も間違えない、そうでしょう?

第四に、無惨は鬼殺隊の事は舐め腐ってます。
悠以外の相手は、何時でも殺せるけど『化け物』から身を守る為に必要な肉壁だと思ってます。
珠世さんと鬼殺隊が手を組んだ事も知りませんし、「人間化薬」が完成間近である事も知りません。知っていたとしても、『化け物』よりも脅威度は低いですしね。

他にも、サンクコストの呪縛に囚われてたり、元々の視野狭窄だったりもあったりと色々と複雑なのですが。
簡単に説明すると大体は上記の理由から、この物語ではあの無惨様なのに逃げ出さなくなってます。
(まあ万が一逃走を選択した場合、『神様』と戦えない事に不満を懐いた童磨が下克上するか、或いは人々の願いによって『神様』に成ってしまった悠に即死させられる事になります)


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『此処に居る意味』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 今日から柱稽古が始まり、今頃は宇髄さんに扱かれた隊士の人たちが血反吐を吐いているかもしれない。

 宇髄さんは、これを機に質の悪い隊士を根刮ぎ叩き直してやると、それはもうやる気に満ちた顔をしていたので、半死半生位にはなっている人も居そうだ。

 最低でも、下弦の鬼相当の強さの鬼と出会しても即死しないだけの力は付けさせるのが目標であるそうなので、徹底的に扱かれる事になるのだろう。……まあ、最低でもその強さは無いとこの先の決戦では話にならないと言う事であるのかもしれないけれど。

 宇髄さんの試練を乗り越えても、冨岡さんの試練を合格するまでは徹底的に扱かれる日々になるのだろう。

 善逸が泣き喚いている様子が目に浮かぶようだ。

 冨岡さんが柱稽古に加わった事も、「地獄が増えた!」などと言っていそうな気がする。……考え過ぎだろうか。

 

 炭治郎たちはどんな風に宇髄さんに扱かれているのだろうかと考えつつも、自分ものんびりのほほんと蝶屋敷で禰豆子たちと過ごしている訳には当然いかず、悲鳴嶼さんたちから頼まれていた通りに柱の人たちの所を順に巡っては手合わせする役目があるのだ。

 その一環で一番最初に向かうのは無一郎の屋敷である。

 

 今最も隊士たちが集中している宇髄さんの所は当然として、宇髄さんの試練を合格した者が居れば早い内に隊士たちがやって来る事になる煉獄さんの所も、受け持つ隊士たちが全員先の試練に進んでゆっくり出来る様になってからの方が良いからと、本人の申し入れで順番としてはかなり後になっている。

 なので、無一郎から順に回る事になっているのだが、回る順番はそこまで厳密に決まっている訳では無くて、要請に応じて柔軟に対応する感じだ。

 無一郎の屋敷には当然まだ誰も居ないし、明日明後日までに誰かが来ると言うのも考え難いので、二人でじっくり鍛錬するには持ってこいの環境だと言える。

 

 なお、今は隊士たちの面倒を見る必要が無い甘露寺さん以降の稽古担当の柱の人たちは、各々に手合わせをしている。

 ……冨岡さんは早速実弥さんと手合わせをするのだと言っていたが……。確か、冨岡さんと実弥さんは、冨岡さんの口下手が災いしてあまり仲が良くないのだとしのぶさんから聞いた覚えがある。

 あくまでも手合わせなので大怪我を負わせる様な喧嘩に発展する事は無いだろうけど、ちょっと心配だ。

 冨岡さんは物凄くネガティブな思考はかなり改善されたけれど、言葉が足りない所は変わらないので誤解され易い部分は変わっていない。

 実弥さんも、悪い人ではないと言うか多分優しい人なのだけど、ちょっと短気と言うか言葉が荒っぽい部分もあるし……。

 言い合いになったりしなければ良いのだが……。

 

 冨岡さんの事をちょっと心配しながらも鎹鴉に先導されて歩いていると、無一郎の屋敷が見えて来た。

 訪問の挨拶をすると、無一郎が小走りで駆けて来る。

 

「いらっしゃい、悠。早かったね」

 

「鴉の道案内が上手かったからな」

 

 此処まで案内してくれた鎹鴉を労って見送ると、無一郎は「早速手合わせしよう」とばかりに鍛錬場に案内してくれた。

 手合わせをしていて思うのだが、無一郎はやはり物凄く強い。

 単純な腕力勝負だと悲鳴嶼さんの方に軍配が上がるが、相手を翻弄する程の緩急の妙技は悲鳴嶼さんの圧倒的な膂力とはまた違う強さだ。

 それに、前回悲鳴嶼さんたちと一緒に手合わせした時にも思ったが、無一郎は刀鍛冶の里で手合わせしていた時のそれよりも遥かに強くなっている。

 やはり、記憶を取り戻せた事が良い方向に作用したのだろうか? 

 

 何度か手合わせをした後で、丁度良い時間になっていたので休憩を挟む。

 お茶を飲みながら、二人で先程までの手合わせについて話した。

 

「中々、悠から一本取れないなあ」

 

「でもヒヤッとした時はかなりあったし、それにこっちの方こそ攻撃を当て辛かったし、無一郎は凄いよ」

 

 何せ、カウンターにカウンターを重ねる位は平気でやってくるのだ。

 刀鍛冶の里で手合わせをした時点で既に物凄く強かったけれど、今は此方の攻撃が全部予知されているのではないかと思う程に凄まじい動きと反応速度で回避してくる。

 玉壺との戦いや、黒死牟と猗窩座との戦いが無一郎にとっては物凄い経験になって、更にその力を引き出しているのかもしれない。

 炭治郎たちも、ある時を境にまるで大きな壁を乗り越えたかの様に一気に強くなっていたし。成長期と言うやつなのだろうか。良い事だ。

 

「最近凄く調子が良いんだよね。

 記憶を思い出せたからかも」

 

「……そうか、それは良い事だな。

 無一郎が記憶を取り戻せて良かったよ」

 

 その過去に何があったのかは訊かないけれど。

 自分の大事なものを確りと心の中に抱え直す事が出来たからこそ、より確りと自分自身や或いは様々な物事に上手く向き合って、そしてだからこそ強くなれると言うのは間違いなく良い事だ。

 

「うん。もう絶対無くさない。

 これは、僕にとって本当に大切なものだから」

 

 その記憶を想うかの様にその目をそっと閉じた無一郎は、暫しの沈黙の後にそっと訊ねて来る。

 

「……もし本当に一番大切なものを何が何でも守りたいと思った時、悠ならどうする?」

 

「本当に、大切なものを……」

 

 そう言われて想うのは、やはり菜々子の事だった。

 何をしてでも守らなければならなかった……守りたかった人。

 大切な「家族」……。

 ……結局の所、自分は菜々子を守り切る事は出来なかったけれど……。

 

「難しい問題だな……。

 危険なもの全てから遠ざけたとしてもそれでも相手を守り切れる訳じゃ無いし、そうする事が却ってその相手を傷付けてしまうかもしれない。

 俺の手は小さくて、どんなに頑張っても『絶対』は無くて。

 俺の手の届かない場所でどうしようもない理不尽に踏み潰されてしまうかもしれないし、手の中にあると思っていてもそこからすり抜けてしまうかもしれない……。

『守る』ってのは、とても難しい事だ」

 

 自分自身の事ですらどうにもならない時もあるのだ。

 況してや、大切だろうと何だろうと、自分ではない「誰か」の事を完璧にどうこうしようとするのは無理だ。

 何かを壊したり踏み躙るのは一瞬でも、それを守り抜く事や治す事は何処までも難しい。

 自分にとって「一番良い」と思った方法が、守ろうとした相手にとってもそうであるとは限らない。寧ろ一番嫌な方法かもしれない。

 大切だろうと何だろうと、自分と相手は異なる存在で、異なる価値観で生きていて。だからこそ完璧に相手を理解し合う事はとても難しく、しかし互いに理解しようとする事を放棄したり、或いは勝手に理解した気になって妄信していては、きっと大事なものを沢山取り零してしまうし見失ってしまう。

 それでも、相手を理解しようと、己と相手に問い続ける事に……考え続ける事に、意味はある。分からないとしても、分かろうとする事で何かはきっと変わる。

 それを、自分は知っている。

 

「悠にとっても、難しい?」

 

「ああ、難しいさ。

 ……俺は結局、一番大切な人を守り切る事は出来なかった。

 こうすれば良いんじゃないかって思っても、それが正しいとは限らなくて。

 間違えて、上手くいかなくて、そんな事もあった。

 もっと色々と上手くいく方法があったかもしれないし、もし俺がそれに気付いていれば苦しい思いが少しでもマシになっていた人も居た。

 ……ただ、何でもかんでも未来を見通して選択出来る人は居ないんだ。

 その時その時に、それが最善だと思って、自分に出来る精一杯の事をするしかない」

 

 もう今となっては分からない事だけど。

 もっと早くに生田目さんの事に辿り着いていれば、菜々子があの様な目に遭う事も……そして生田目さん自身があんなにも苦しむ事も無かっただろう。

 孤独のままに足掻こうとして、そして決定的に間違えてしまっていたあの人は、自分が陥っていたとしてもおかしくは無い状態で。

 皆が居て、そして全員で考えて少しずつ【真実】を追う事が出来た自分とは違って。周りに誰も助けてくれる人が居ない上に追い詰められていたあの人は、少しでも道を踏み外してしまえばそれを修正出来る機会が全くと言って良い程に無かった。

 ……足立さんに唆されて始めてしまった事とは言え、自分で選んでやって来た事の責任は、あの人自身が負わなければならないけれど。

「菜々子の仇」と言うその歪んだ認識を外して改めて見詰めたあの人の姿は、余りにも孤独に疲れ切って、自分のした事の結果に押し潰されそうな「普通の人」だった。

 あの人の「した事」は、今も全く赦していない。この先も赦さないだろう。

 でも、あの人自身を責め立ててどうこうしたいとは、あの日の時点でもう思えなかった。

 誰もあの人を止めてあげる事が出来なかったし、その孤独や苦しみに寄り添う人も居なかったのだ。

「救う為だから」と大義名分を得たつもりでも、そもそもの誘拐の時点でやっていい事では無いのだけれど。……あの人に限った話では無く、『人間』と言う存在自体が「正義」に盲目になり易いものだ。誰でもあの人に成り得たのだろう。

 そして、生田目さんだけでは無くて。

 きっと足立さんも、あんな風に壊れた八十稲羽を作り出してアメノサギリの依代の様に操られてしまうよりも前に、もっとマシな方法でどうにか出来たかもしれない瞬間はあったとは思う。

 ただ、自分はそれに気付け無かったし、そして足立さんの周りに居た人も気付け無かった。

 足立さんの周りには少なくとも叔父さんが居たのだけど。足立さん自身がそれを素直には受け入れられずに何処か拒んでいて。だからこそ、誰にも止められなかったのだろうと思う。

 もう今となってはどうにも出来ない、ただの都合の良い想像なのかもしれないけれど。

 

 ……結局の所。自分は、本当に幸運だったのだ。

 周りに仲間が居て、家族が居て。友だちが居て、信じてくれる人が居て。

 皆で共に考えて、支え合う事が出来た。

 そしてどうにもならない時も、諦めずに足掻き続ける事も出来た。

 ……菜々子の事も、結果として喪わずに済んだ。

 イザナミの「幾千の呪言」で死んだ皆も、「幾万の真言」でそれを討ち祓ったからか取り戻す事が出来て。

 結果として、自分は何も喪わずに済んだ。

 でも、世の中はそうじゃない。どうにも出来ない理不尽の方が多い。

 だから、自分は、ただただ運が良かった……恵まれ続けていたのだと思う。

 討ち倒す事になったイザナミだって、別段悪意があってそれをしていた訳では無くて。だからこそ、「人の総意」を覆す程の「人の可能性」を示された事で、その矛先を収めて潔く『心の海』へと還っていったのだろう。

 ある意味では「話が通じる」相手であったからこその勝利だと言える。

 そう、自分は本当に恵まれて幸運だったのだ。

 しかし、そんな風に恵まれていても『守り抜く』と言うそれは困難を極めたし、ある意味では失敗した。

 

「『こうすれば良い』って絶対の答えがある訳でも無いし、それを教えてくれる都合の良い存在も居ない。

 自分が最善だと感じて選んだもの、咄嗟に選んだもの……。

 何であれ、自分自身で選ぶしか無いんだ。

 そして、選んだその結果には、必ず責任を負わねばならない」

 

 でも、人の思考は有限で。そして情報は膨大だ。

 自分の都合のいいものだけを探せばそんな風に偏ったものしか目に入ってこなくなるし、その結果偏った選択が助長される。

 別にそうではなくても、乏しい情報の中から判断しなければならない事だってある。取れる手段が限られている事もある。

 何がなんでもこれだけは、と思っていてすら間違う時もある。

 

「……そっか、難しいね」

 

「ああ、……難しいな。

 ……でも、一つだけ確かな事はある。

 独りで出来る事にはどうしたって限りがあるんだ。

 だから、本当にどうしようもない時は周りを頼るしか無いんだと思う。

 勿論、それだって何時でも上手くいく訳じゃない。

 周りに誰も居ない事だってあるし、或いは周りの人達に助けてくれる様な余裕や気持ちがあるかも分からない」

 

 でもやはり、声も上げず何もしないままで一人きりでどうこうするのは無理だ。

 急場凌ぎでどうにかしても遠からず破綻する。

 そして、もしもの時に周りが助けてくれるかどうかに大きく関わってくるのが「日頃」と言うやつなのだろう。

「情けは人の為ならず」というのもそういう事だ。

 

「……もしも、悠みたいな人があの時も近くに居てくれたら。

 もっと違う未来があったのかな……」

 

 僕にも、兄さんにも、と。

 無一郎はそっと目を伏せながら小さく呟いた。

 ……無一郎の兄さんがどうなったのかは、薄々察する事は出来る。

 その場に居たとして、自分に何が出来たのか。それはもう……今となっては分からないけれど。

 

「……確実にそうだったとは言えないけれど。

 でも俺は……目の前で傷付いている人を助けようとしたとは思う」

 

 それで助けられたかどうかは分からないけれど。

 でも、もし目の前で無一郎やその家族が鬼に襲われていたとしたら、迷わず助けようとしただろう。無一郎の事を何も知らなくても。

 この世で起きる全ての悲劇を防ぐ事なんて無理だ。

 しかし、目の前で起きている事から逃げる事は自分には出来ない。

 それが本当に「正しい事」なのか、その時には分からなくても。でも、自分に出来る精一杯をしようとするだろう。

 

「そっか……。

 ねえ、悠。僕にはね、双子の兄さんが居たんだよ」

 

 無一郎にとっては何よりも大切で……そして深い傷跡になっているだろうその人の事を、無一郎は静かに語り始める。

 どうして自分にそれを話そうと思ってくれたのかは分からない。

 無一郎自身以外にも、その人が確かに存在していたのだと言う事を覚えていて欲しいと思ったのかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない。

 何にしろ、静かに「家族」の事を語る無一郎の言葉に、耳を傾けない理由など無かった。

 

 無一郎は杣人の子供としてこの世に生を受けた。

 双子の兄弟で、無一郎は弟。そして、兄は有一郎と言う名であった。

 父と母、そして有一郎と無一郎。四人家族で、慎ましく穏やかに暮らしていた。

『人の為にする事は巡り巡って自分の為になる』、『人は自分ではない誰かの為に信じられない様な力が出せる』、と。そんな事をよく口にする様な優しい父で。

 炭治郎に似た、優しい赤い目をしていたらしい。

 そして、無一郎も有一郎もそんな父が大好きで、小さい頃から父を手伝って木を切っていたのだそうだ。

 決して豊かでは無いけれど、それでも幸せだった。

 しかしその幸せは、ずっとは続かなかった。

 無一郎が十歳の頃、母が風邪を引いて具合が悪い中で無理をした結果拗らせて肺炎になりそれで命を落とした。そして父は母の為に嵐の中にも関わらず薬草を採りに出て……そして崖から落ちて命を落とした。

 そして、子供たちだけが遺されてしまった。

 

 有一郎は言葉がキツイ性格だった。

 有一郎は容赦無く無一郎に冷たく刺々しい言葉をぶつけたし、態度もきつかった。

 無一郎は有一郎に嫌われていると思ったし、そして有一郎の事を冷たい人なのだと思っていた。……そんな有一郎と二人きりの暮らしを、息が詰まりそうだと感じていた程だ。

 

「……今思えば、兄さんは気を張り詰め過ぎていたんだ。

 だって、父さんと母さんが生きていた頃はあんなに一緒に笑い合っていたのに……。二人が死んでから、兄さんは全然笑わなくなった。

 笑う余裕も無くなる位に、気持ちが追い詰められてたんだ。

 ……でも、僕はそれに気付け無かった。分からなかったんだ」

 

 子供だけの二人暮らしで、元々裕福では無くて。

 先立つものも余り無く、その日その日を生きる事が精一杯で。

 そんな中で、残された家族を守ろうと必死だったのだ、と。

 そう無一郎は有一郎の事を述懐する。

 

 両親を亡くして無一郎は哀しんでいたが、有一郎も同様に哀しんでいた。

 でもそれを素直に表現するには難しく、そして有一郎は無一郎を守らねばと追い詰められていって……。

 そう言った事が重なって、次第に二人の間は冷え切っていった。

 杣人として山の中で暮らしていた為に、周囲に他の人は居なかった事もあって、誰の助けも期待出来なかった事もより事態を悪化させてしまったのかもしれない。

 

 両親を喪って初めての春が訪れた頃、二人の下を訪れる人が居た。

 お館様の奥方様だ。

 この時、恐らく既にお館様自身が遠方の山中を訪れる事は出来ない程に、その病状は悪化していたのだろう。

 奥方様は、無一郎たちが「始まりの呼吸の剣士」の子孫である事を伝え、鬼殺隊に協力してくれないかと打診しに来たそうだ。

 

 ……まだ子供で、しかも何も鍛えていない無一郎たちであるが。しかし何としてでも鬼舞辻無惨を自分の代で討ち滅ぼそうと、手段をかなり選ばないお館様の事だから、鬼舞辻無惨を討つ力になる可能性があるものを一つでも多く得たかったのかもしれない。

「始まりの呼吸の剣士」……縁壱さんの事は、恐らく産屋敷家に伝わっている情報だけでも凄まじい存在であったと分かるものなのだろう。

 子孫だからと言って剣才が必ずしもあるとは限らないし、そもそも縁壱さんの時代から遠く離れたこの時代の無一郎たちにどれ程のものが受け継がれているのかと言う事は甚だ疑問ではあるけれど。

 まあ、そうだとしても可能性に賭けてみたい程に「始まりの呼吸の剣士」の子孫の存在は魅力的であったのかもしれないし。

 何より、遠からず破綻してもおかしくない様な子供たちだけの生活を保護しようとする意図もあったのかもしれない。そればっかりはただの推測だけど。

 保護すると言っても、お館様たちだって慈善事業をやっている訳では無いので何でもかんでも助ける訳にはいかなかったのだろうし、それもあって剣士として勧誘したのでは無いだろうか。

 ……まあ、鬼殺の剣士になると言う事は本当に命懸けの戦いの日々になるので、それを善しとして良いのかは分からないが。……しかし、命懸けの戦いになる事と同時に、鬼殺以外の部分でその生活は保証される。

 血腥く何時死んでもおかしくない戦いの日々にはなるが、衣食住などの面は完璧に保証されるのだ。

 何の問題も無く普通に生活出来ているなら、鬼殺の道を選ぶ様な人は早々に居ないだろうが。しかしそれが破綻寸前で、何かしらの保護が必要な人にとっては鬼殺の道が魅力的に見える事はあるのかもしれない。

 この時代よりもずっと社会福祉の面が充実している現代だって、誰にも手を差し伸べて貰えずに餓死したり破綻した生活の末に命を落とす人は多くは無くても確実に存在する。

 況してや、そう言った福祉があまり充実していないこの時代で、無一郎たちの様な状況に陥った子供が果たして生きていけるのかと言うと……。

 お館様たちのやろうとした事は、どんな事情があれ、鬼殺の道を選ばねばならぬ様な心理的な事情を抱えた訳でも無い子供を鬼殺の道に誘おうとした事で。それ自体は賛否両論とでも言うべきものだと思うけれど。

 しかし、生活を保証してやるからなどと言った文言で迫ろうとはしなかったり、或いは強制的に保護した後で取引の様に鬼殺の道を迫る事はしなかったのは、お館様の良心であり誠意だとは思う。

 

 しかし、有一郎は決してその奥方様の言葉に首を縦には振らなかった。

 無一郎は困っている人の為に剣士になって人助けをしたいと思ったのだそうだが、有一郎はその言葉を無視して奥方様に暴言を吐いて追い返したそうだ。

 その後も奥方様はずっと通って来たそうだが、しかし有一郎が毎度追い返していた。

 

「……兄さんは、僕を危険な目に遭わせたくなかったんだろうね。

 だから、危険な事を運んで来る様に見えたあまね様を拒絶した。

 自分たちに出来る事は無い、無駄だって、兄さんはそう言っていたけど。

 兄さんは自分自身にそれを言い聞かせていたのかもしれない」

 

 春が過ぎ行き夏になった。

 その日は、夜になってもとても暑くて。

 戸を開けて寝ていたら、鬼が入って来た。

 そして、有一郎は命を落とし、無一郎も生死の狭間を長らく彷徨い続ける事になった。

 

 二人の住んでいた場所の近くに民家など無くて。

 山中にあるその家の惨状を発見したのは、通いに来てくれた奥方様だったらしい。

 発見され次第直ぐ様無一郎は保護され、どうにか命を取り留めたのだけれど。

 無一郎は、命を喪った有一郎の身体に蛆が湧き腐っていくのを見ていた。

 そして、動けない自分の身体にも蛆が湧いたのも……。

 その余りにも強烈な体験と、そして死の淵を彷徨い続けた影響で、無一郎は過去を思い出せなくなってしまったのだった。

 

「……もし何かの選択が違っていたら、もし僕が兄さんの気持ちにもっと早くに気付けていれば……。

 何かは変わったのかな。兄さんは死なないでも済んだのかな……」

 

 今となってはどうやっても変える事の出来ないそれを、そうと分かっていても無一郎は考えていた。

 後悔と言うのとはまた少し違う。ただ、本当にそれ以外に道は無かったのだろうか、と。そう己に問い掛ける様なものだった。

 

「……俺には、その答えは分からない。

 でも、俺は……。……こうして無一郎に逢えた事を、とても嬉しく思うよ。

 無一郎が生きていてくれて、俺はとても嬉しいんだ」

 

 此処に有一郎も居てくれたのなら、もっと良かったのだろう。

 でも、それは叶わない。もう、決して。

 ……無一郎の身に起きた出来事は余りにも凄惨で。無一郎が助かった事も本当に奇跡的な出来事に近い事なのだろう。

 もし何かが掛け違っていれば、無一郎もその時に命を落としていただろう、或いは無一郎が死んで有一郎だけが生き残っていたのかもしれない。

 何であれ、無一郎が今生きて此処に居る事だけが、様々な選択や可能性の果ての結果だ。

 そして、無一郎と出逢えたこの可能性の結果を、自分は喪い難い程に大切なものだと思っている。

 

「そっか。僕もね、悠に会えて良かった。

 ……実はね、玉壺にやられそうになった時、父さんと兄さんの声が聞こえたんだ」

 

 まるで自分を励ます様に、諦めるなと伝える様に。そんな風に二人の声が聞こえた様な気がしたのだそうだ。

 そして、それは当初、自分と炭治郎の声の様に聞こえていたらしいのだが。

 記憶を取り戻すと同時に、本当の声になったらしい。

 そして。

 

「それでね、あの後で眠った時に夢を見たんだ。

 家族四人の夢だけど、僕は今のままの姿でね。

 そして、そんな僕に『よく頑張ったな』って、兄さんが褒めてくれる夢だった」

 

「……もしかしたら、夢の中で本当に会いに来てくれたのかもな」

 

 所謂「夢枕に立つ」みたいな感じで。

 何せ、炭治郎は故人である筈の錆兎さんたちと逢った事があるのだし、この世界では幽霊と言うか……そう言った存在は確かに何処かに居るのだろう。

 なら、無一郎が聞いたのだと言うその有一郎や父の声も、本人たちが無一郎に呼び掛けていたのかもしれない。

 

「そうかな。……そうだと良いな。

 兄さんは、自分が死ぬ直前に『弟だけは助けて』って、そう神様に願ってた。

 そして、僕を励ましてくれた時も、『生きろ』って」

 

 でも、自分だって有一郎に生きていて欲しかったのだ、と。

 そう無一郎のその目は語っていた。

 

「そうか……。なら、鬼舞辻無惨を倒して、生きて『鬼のいない明日』を迎えて。

 それから沢山生きて、沢山幸せになって。

 それで、次に有一郎に会った時には、自分はこんなにも幸せに生きたって、そう胸を張って言い切れる位、生きなきゃならないな。

 皺くちゃのお爺ちゃんになってから、満面の笑みで自慢してやれ」

 

 死んでいった有一郎の願いがそれであると言うのなら、無一郎が少しでも長く生きてそして幸せになる事こそが、その想いに報いる道であるのだろう。

 幸せは生きた年数では無いけれど、それでも大切な人には少しでも長生きして、そして沢山幸せになって欲しいと願うものだ。

 

「鬼舞辻無惨を倒して、鬼をこの世から根絶やしにして。

 ……それから、か」

 

 今は鬼舞辻無惨を倒す事が最優先で、それ以外の事に気を配る様な余裕はあまり無いかもしれないけれど。

 鬼舞辻無惨を倒し、鬼の居ない明日がやって来たら。と、その後の事をふと考えたのだろう。

 鬼殺以外の事をしている自分に想像が付かなかったのか、無一郎は「うーん」と小さく唸る。

 

「……それを考えるのは、今は難しいか?」

 

「鬼殺が終わった後って言われても急には思い付かないかも。

 やりたい事って言われてもあんまり……」

 

 家族を喪ってから、記憶を思い出せなくなっていたとは言え、無一郎は只管に鬼殺の道を歩んできた。

 無一郎だけでなく、鬼殺隊に身を置く者の多くがそうであるのだろう。

 そもそも、帰る場所が鬼殺隊以外に無いと言う人も多そうだ。

 まあ、そういった人たちもきっとお館様が何とかするのだろうけど……。

 

 鬼舞辻無惨を倒して、それで「はい終わり」とは綺麗には終わらないものである。

 鬼が残っているならそれを駆逐するまでは役割があるだろうけれど、鬼舞辻無惨諸共に鬼が消滅したりするのならその時点で鬼殺隊は解散する事になるのだろう。

 隊士たちのその後と言うのは、最終決戦が確実に迫って来ている今だからこそ、ちゃんとある程度は考えていかないといけない事なのかもしれない。

 やりたい事がしっかりと分かっている人なら良いが、まだ幼い頃から鬼殺の道で生きてきた者も多い訳で……。そう言った人に、「今日からどうしたいのか決めろ」と迫るのも酷な話である。

 

 そんな事を考えていると。

 無一郎は、「ああ……」と小さく息を零した。

 

「やりたい事……って言って良いのかは分からないけど。

 故郷の山に帰って墓参りをしたいな。

 父さんと母さんと……そして兄さんのお墓があるから。

 随分と遅くなっちゃったけど、ちゃんと行きたいんだ」

 

「そうか」

 

 そう言った「やりたい事」を一つ一つ見付けていく事も大事な事だ。

 その積み重ねの中で、何か新たに見付けられるものもあるかもしれないのだから。

 

 こうして話をしたからなのか、無一郎の表情が少し晴れやかなものになった事に。「良かった……」と、そう心から思うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
有一郎の事にとても胸を痛めた。とても哀しい。
自分の事に関しては、基本的に運が良かった部分が大きいと自覚している。(が、その運や周りの人望を掴めたのは間違いなく悠自身の努力の結果である)


【時透無一郎】
悠がもしあの時あの場に居合わせていたら、自分たちのことを知らなくても全力で助けようとしてくれたんだろうなぁ……と思っている。
有一郎にも悠に会って欲しかった。きっと仲良くなれると思う。
実は、不死川兄弟の事に関して、自分と有一郎の事を思い出してちょっとモヤモヤしている。実弥の意図は何となく分かると言うか、多分有一郎と同じだよね……と察している模様。
素直にならないと色んなものを喪うし取り返しがつかなくなってから後悔してしまう事を実体験として知っているのでもどかしい。


【時透有一郎】
何時も無一郎を見守っている。無一郎が鬼殺隊なんて言う命を投げ捨てる様な場所に居るのでとてもハラハラしている。
死なないで欲しいし、長生きして幸せになって欲しい。





【エンディング分岐についてのお知らせ】

もうちょっとしたら幾つかアンケートを取って、結末を分岐させる予定です。
分岐先は

・トゥルーエンド
・ノーマルエンド
・バッドエンド(正確にはビターエンド位です)

の三つです。
どの結末でもちゃんと物語としては完結します。
皆様の【選択】を楽しみにしています。
(選ばれなかった結末に関しては、完結後に改めて書くとは思います)


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『未だ黄昏の中』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 柱稽古が始まって三日。

 早いもので、恐らく今日明日には宇髄さんの試練を突破する人が出そうとの事だった。まあ、炭治郎たちの事なのだが。

 宇髄さんの試練は、山中の走り込みに始まり、それはもう過酷な扱きであった様で、皆体力の限界を見たそうだ。

 そんな中でも、元々日々の鍛錬に妥協しない炭治郎や獪岳、山育ちで身体能力には自信がある伊之助は勿論の事。

 泣き言の多い善逸だって獪岳や炭治郎たちが頑張っている手前ちゃんと試練をこなしているらしいし、呼吸が使えないハンデを背負う玄弥もそれでも必死に食らい付いているそうだ。

 やる気や覚悟と言う意味では、そんじょそこらの隊士では相手にならない程に玄弥は凄い。

 なお、カナヲも問題無く通過出来そうとの事だった。

 童磨と戦ってからと言うもの、あの時に手も足も出なかった事が相当に悔しかったのか、それとも今度こそあの頸を落とすと決意したのか、カナヲの日々の鍛錬はかなりのものになっていて。

 それもあってか、例え柱稽古だろうと問題ないのだろう。

 ちなみに、滝行なども予定しているらしい悲鳴嶼さんの試練は、女性隊士は別の内容にするらしい。成る程。

 

 そして自分はと言うと。

 無一郎がとうとう一本取る事に成功した事と、そろそろ無一郎も隊士たちがやって来た時の準備をしなければならないので、三日間お世話になった霞屋敷を後にする事になった。

 順番的に言えばこの後は甘露寺さんの屋敷に行く事になるのだが……。

 しかし、悲鳴嶼さんが何やら用事があるとの事で、先に岩屋敷に来て欲しいとの連絡があったのでそちらに向かう事にする。

 まあ、甘露寺さんの所も試練を突破した隊士の人たちがやって来るまでにはまだ時間があるだろうし、それまでには多分悲鳴嶼さんの用事も片付くだろう。

 

 

「呼び出しに応えてくれて感謝する」

 

「いえいえ、大丈夫ですよ。

 それで、どうかしたんですか?」

 

 修行場に辿り着いた時には、悲鳴嶼さんは日々の鍛錬の真っ最中であった。

 ただでさえ大きな悲鳴嶼さんよりも更に大きい巨岩を押して動かすと言うその鍛錬は見ているだけで凄まじい。

 自分に出来るかどうかと言われれば、まあ無理である。

 ペルソナの力を使っても良いのならまた話は別だが。

 一通りの鍛錬を終えて川で汗を流した悲鳴嶼さんは、早速屋敷に通してくれる。

 何時もなら玄弥も居るのだけれど、今は柱稽古に行ってるので此処には居ない。

 ただ、沢山の猫たちが出迎えてくれるので寂しさは無いが。

 じゃれ付いてきた猫を少し構ってやってから、悲鳴嶼さんに用件を訊ねる。

 手合わせか何かだろうか……?

 

 しかし、悲鳴嶼さんの頼みは想像すらしていなかった、意外なものだった。

 

「里での事を、詳しく聞かせて欲しい」

 

「里での事を……? それは、上弦の鬼たちの戦いの事とはまた別に、と言う事でしょうか?」

 

 里での戦いに関しては、猗窩座と黒死牟の事はもとより、玉壺の事も報告出来る限りの分は既に詳しく報告済みだ。

 半天狗の事に関してはそれは自分よりも炭治郎たちや甘露寺さんと宇髄さんに訊ねる方が詳しく分かると思うのだが……。

 なら、訊ねたいのは里での滞在中の出来事だろうか?

 しかし、悲鳴嶼さんの興味を引く様なものはあっただろうか。

 日輪刀を打って貰っている傍ら、皆で鍛錬していただけなのだけど。

 

「そうだ、君と共に居た者たちの事に関して、詳しく教えて欲しい」

 

 共に居た者……炭治郎たちの事か。そう言われて、成る程と思う。

 弟子である玄弥の事はよく知っているから別として、直接的な関りがほぼ無い為あまりよくは知らない炭治郎たちの事が気になるのだろう。

 何せ、炭治郎も善逸も伊之助も、無限列車の任務の際に猗窩座と遭遇した事から始まって、宇髄さんと共に妓夫太郎たちを討ち倒したり、更には炭治郎と善逸は玄弥と共に半天狗の頸を斬ったし、伊之助も上弦の鬼との連戦を生き残っている。

 三人……禰豆子も入れれば四人共、事態が大きく動いた現場に常に居合わせている様なものだし、ジャイアントキリングも達成している。

 少しでも戦力になるものを求めている鬼殺隊としては、実際の所の炭治郎たちの力がどれ程のものなのかは知りたいと思うものであろうし、為人の部分だって気になる所だろう。

 

「炭治郎たちの事ですか?

 そうですね……俺の目から見た印象の話にはなりますが。

 炭治郎も善逸も伊之助も獪岳も、実力はかなり高いと思います。

 柱の皆さんに比べればまだまだ鍛え足りない部分はありますし、そもそもまだ身体が成長途上ですからどうしても後一歩が足りない部分はあるとは思いますが。

 しかし、それを補う為に自分を鍛える事には妥協していないですし、鬼殺に対する意欲も十分かと。

 そして、炭治郎も善逸も伊之助も、単純に評価する事が難しい程に卓越した感覚の持ち主なので、それが上手く噛み合った時の爆発力と言うか応用力は凄まじいですね。

 特に、上弦の肆の様な特殊な戦法を使う鬼に対しては、炭治郎と善逸の鼻や耳の様に優れた感覚が無ければ、取り逃していた可能性もあったかもしれません。

 上弦の鬼たちを相手に戦い抜けたのは偶然でも何でもありませんし、そしてその経験が何よりも成長の糧になっていると思います」

 

 そもそも、炭治郎たちはまだ入隊して半年程度なのだ。

 それを考えると、才能も努力も天運も全てが足りていると言って良いのでは無いだろうか。

 炭治郎たちが一対一で黒死牟などに遭遇すれば命は無いだろうけれど、しかし他者と協力すれば勝機が無い訳では無いだろう。それ程までには実力があると言い切って良いと思う。

 まあ、入隊して程無くして柱になった無一郎の様な、規格外と言っても良い人も居ない訳では無いけれど。

 そう言った人たちと単純に比較するべきではないだろう。

 

「獪岳……」

 

 悲鳴嶼さんの意識に引っ掛かったのは、獪岳の事の様だ。

 まあ、獪岳に関してはあまり知られていなかったのかもしれない。

 

「獪岳は善逸の兄弟子に当たる人で、ちょっとした事から一緒に行動する様になったんです。

 ちょっと素直じゃない部分はありますが、とても真面目な努力家です」

 

 あの出来事を「ちょっと」と表現して良いのかは分からないが。まあ、過ぎた話であるし、それを詳しく言う訳にもいかない。

 それに、恐らくはもう獪岳が道を誤る事は無いだろうし。

 善逸と獪岳の姿を思い返していると、悲鳴嶼さんは一つ溜息を吐いた。

 

「……そう、か。

 悠。君の目から見て、獪岳は認めるに値する人間か?」

 

 突然そんな事を訊かれて、少し驚いてしまった。

 認める……。それは決して、悲鳴嶼さんにとって軽い言葉ではないのだろう。

 獪岳をどう思っているのかと改めて訊かれて、少し考える。

 だが、もう答えは迷うまでも無く決まっている事だった。それはきっと、あの時絆が満たされた瞬間から。

 

「俺にとっては、獪岳は大切な人の一人ですよ。

 獪岳は俺の事を心から信じてくれて、そして助けてくれた。

 俺も、獪岳が何か困っているなら迷わず助けます。

 俺も、獪岳も。人間だから何時も正しく在れるとは限らないし、この先も間違ってしまいそうになる事もあるだろうけれど。

 俺が沢山の人に支えて貰ってどうにかやって来れた様に、獪岳にもそうやって支えてくれる人が居る。

 それを『認める』と言って良いのかは分かりませんが、俺は獪岳の事を信じています」

 

 そう答えると。悲鳴嶼さんは暫し沈黙する。

 淹れたお茶がすっかり冷めた頃、悲鳴嶼さんはポツリと言う。

 

「……君は、本当に善良で真っ直ぐな者だ。

 上弦の鬼たちとの戦いの中で、君は何時も自分以外の者の事を何よりも優先し続けた。

 どんなに追い詰められても、決して誰も見捨てる事は無かった。

 恐らく、君は……その場に居る者たちに構わなくても良いのなら、上弦の鬼だろうと確実に殺せたのではないか?

 上弦の壱だろうと、君にとっては恐らく敵では無いのだろう。

 手合わせをして、よく分かった。

 私でも、君の本当の実力を知る事は出来ないのだ、と」

 

「そんな事は……」

 

 ある意味では事実だが、しかしそんな簡単な話では無い。

 だが、倒そうと思えば倒せる筈の敵を倒せていないのは事実である。

 それは人によっては、「舐めている」だとか「遊び半分なのか」だとか「馬鹿にしているのか」だとか。幾らでも不信や不満を感じる部分であるのかもしれない。

 ただ、少し焦った此方の気持ちなど、悲鳴嶼さんにはお見通しであったのか。

 悲鳴嶼さんは安心させるかの様にゆるりとその首を横に振った。

 

「君を責めたりしたい訳では無い、寧ろ逆だ。

 ……『守る事』は難しい。敵を殺す事よりも遥かに。

 君は何時だって、敵を討ち滅ぼす事よりも、『守る事』を優先し続けた。

 それは誰もが出来る事では無い。そして、それを成し遂げる事も。

 ……君が何者であるのかは私には分からない。

 そして、どうして君にその様な力があるのかも。

 だが、君がその力を決して他者を害する為には使わず、守る為助ける為だけに我が身を顧みず使い続けている事を知っている」

 

 そして悲鳴嶼さんは、何か辛い事を思い出そうとしているかの様に、深く溜息を吐く。

 

「……私は昔、寺で身寄りのない子供たちを育てていた──」

 

 そう言って悲鳴嶼さんが語ったそれは、余りにも理不尽で凄惨な過去の話であった。

 

 血の繋がりこそ無くとも仲睦まじく寄り添い「家族」の様に支え合って、豊かでは無いながらも満ち足りた日々を送っていた。

 ずっとそうやって生きていくのだと、悲鳴嶼さんはそう思っていた。

 ……しかし、そんな日々も永遠には続かず。

 ある日の事、門限を破って夜に外に出ていた子供が鬼に遭遇し、そして自分の命惜しさに、その鬼に寺に居た悲鳴嶼さんと自分以外の八人の子供たちの命を捧げた。

 悲鳴嶼さんの住んでいた地域では「鬼」の伝承が色濃く残っていた為、悲鳴嶼さんは毎晩鬼避けとして藤の香を焚いていたのだが……その子供は香炉を消して鬼を寺に招き入れたのだと言う。

 そこから先の話は、正に酸鼻極まるとでも表現すべきものであった。

 先ず、何も事態を把握出来ないまま、子供たちの内四人が瞬間的に殺された。

 一体何が現れたのか分からずとも自分達が襲われている事に気付いた悲鳴嶼さんは、何とか最初の一撃からは逃れた四人の子供たちを守ろうとしたのだが……。

 しかし、四人の内三人は悲鳴嶼さんの制止を聞かずに逃げ出す様に闇の中に飛び出して……そしてそこで殺された。

 残ったのは、悲鳴嶼さんに言われた通りに悲鳴嶼さんの後ろにしゃがみ込んだまだ四歳の女の子……紗代だけであった。

 ほんの僅かな内に「家族」の様に共に過ごしてきた子供たちを喪い、更には自分を頼っては貰えなかったのだと言う事実を突きつけられ……極め付けには、寺の子供が自分達の命を鬼に売り渡したのだと、獲物を甚振ろうとした鬼から聞かされて。

 余りにも多くのものを一瞬で喪い、更には絶望や憎悪や嚇怒やら様々な感情が一気に押し寄せる中で、……悲鳴嶼さんは何としてでも自分を信じて残ってくれた紗代だけでも助けなければと必死に戦った。

 それまで喧嘩をした様な事も無かった悲鳴嶼さんだが、その肉体は生まれつき余りにも強かった。

 怒りなどの激しい感情から箍が外れていた事もあっただろうが、悲鳴嶼さんは夜が明けて鬼が燃え尽きるまで、一晩中鬼の頭を殴り潰し続けたのだ。

 その余りにも気色の悪い感触を、恐らく一生忘れる事は無いだろうと、そう悲鳴嶼さんは呟いた。

 そして、事態はそれだけでは終わらなかった。

 夜が明けて程無くして、麓の村から人が駆け付けて来た。

 そして、余りにも凄惨な場面を見て言葉を喪ったその人々に対して、まだ幼い紗代はこう言った。

『あの人は化け物』『みんなあの人が』『みんな殺した』、と。

 ……大人であった悲鳴嶼さんにとっても余りにも凄惨で衝撃的な出来事であったのだ。

 まだ四歳の紗代がそれを目撃して混乱するなと言う方が無理があり、そしてそう言った衝撃的な出来事の記憶は滅茶苦茶なものになり易い。

 だから、紗代を責める事は出来ないのだろう。

 それでも、紗代の為に死力を尽くして戦い既にボロボロであった悲鳴嶼さんの心を砕くのには、十分過ぎた。

 しかし、それでも落ち着く為の時間さえあれば、何かはもっと変わっていたかもしれない。

 ……ただ、余りにも間が悪かった。

 何せ、全ての惨劇を作り出した鬼は陽の光によって燃え尽きてしまって跡形も無く。

 そして周囲には無惨な姿になった子供たちの亡骸が七人分も転がっていて。

 ……悲鳴嶼さんは、家族同然に暮らしていた筈の子供たちを惨殺した殺人鬼として、拘束され……そして処刑されそうになった。

 それが鬼の仕業であると看破して事態を把握したお館様が寸での所で救出してくれなければ、悲鳴嶼さんはとっくの昔に命を落としていたのだろう。

 

「それから私は本当に疑り深くなった。

 君の事も勿論疑っていた。

 ……君は、余りにも常軌を逸した力を持っている。

 それを悪用しようと思えば、鬼が人を襲うそれよりももっと恐ろしい事を幾らでも引き起こせるだろうし、人を意のままに操る事だって出来るだろう。

 何処の誰であるのかも分からない、どうして鬼殺隊の前に現れたのかも分からない、その目的も意図も分からない。……そもそも『人間』であるのかどうかすらも分からない。

 こうして話をしたりその行動を知って君自身の心根の善良さを知っても、それでも私は君を疑っていた」

 

 疑っていたのだと言うその言葉に、少しだけ胸は痛んだが。しかし、それは余りにも至極当然の事で、それに対して文句など言える部分は無い。

 疑われるのは余りにも当然だ。

 寧ろ、鬼だとか或いは鬼以上の脅威だとか言われて殺されそうになる事は無かった事に感謝すべきかもしれない。

 此方に悪意など何も無くても、それを信じる事が出来るかどうかはまた別の話である。

 そして、悪意が無いからと言ってその存在が人にとって善良であるとは限らない。

 この世界の在り方すらもおかしくさせてしまいそうな程に理を逸脱した力を、自分の意思一つで使える存在の事を、どう信じれば良いのかと言う話でもある。

 せめて何か信じる為の根拠を得ようとして過去を調べようとしても、「何も分からない」という事しか分からない。

 それを、「信じてくれ」なんて言葉だけで押し通すのは無理がある話である。

 

「……それは、当然の事ですよ。

 俺は、自分で言うのもどうなのかと思いますが、理解出来ない怪しい部分しかない様な存在なんです、疑うべきです。

 特に、悲鳴嶼さんは柱の中でも誰よりも長く鬼殺隊を支えて来た……文字通りの鬼殺隊にとっての大黒柱の様な人なんですから。

 それに……俺自身、本当に此処に居ても良いのかも分からないんです。

 でも、此処で出逢った人たちは皆とても良い人たちで、こんな怪しさしかないどこの誰かも分からない様な俺の事を信じてくれて……。

 だから、少しでも何かを返したいですし、皆の助けになりたいんです」

 

 自分で選んで此処に居るのは確かで、そして自分が選んだ事もあるからこそ今の状況がある。

 選んだ事には最後まで責任を負わねばならないのだから、もし此処に居る事自体が間違いであってはならない事なのだと「何か」に言われたとしても、せめてやり切るまでは自分の選択の責任を果たしたいのだけれど。

 それですら、本当にそれを選ぶ事が「正しい」のかどうかも分からない。

 取り返しの付かない事をしているのかもしれないし、或いは自分が把握出来ていない何処かでもうどうにもならなくなっているのかもしれない。

 不安が無いと言えば嘘になる。でも、選び続けなくては。

 例えこれは自分にとっては何時醒めるのかが分からない『夢』であるのだとしても、自分は今此処に居る。此処で生きている。

 そして、『生きる事』とは選択する事なのだから。

 

「……そうやって自分自身を正しく見詰めているからこそ、君は信頼に値する……認めるに足る存在だと私は思う。

 君は何時も誰に対しても誠実で、目を反らす事も偽りを述べる事も無かった。

 どんな状況でもそうであるからこそ、君は多くの者から信頼されているのだ。

 大勢の人々を心の目で見てきた私が言うのだから、これは絶対だ」

 

 そう言って悲鳴嶼さんは、そっと微笑んだ。

 ……物凄く傷付いて、そして今もきっとその哀しみの中に居るのだろうに。

 それでも、こうして信じてくれる様な優しい人なのだ。

 信じる事はきっと、悲鳴嶼さんにとっては痛みを伴うものであるのだろう。

 それでもこうして信じてくれたその優しさに、応えたかった。

 

「ありがとう、ございます。

 ……あの、俺が悲鳴嶼さんに何を出来るのかは分かりませんが。

 でも、もし何か力になれるかもしれない事があるなら。

 何時でも言って下さい。出来る限り頑張りますから」

 

 そう言うと、悲鳴嶼さんは「そう気を遣わなくても良い」と微笑んで、その大きな手でワシワシと頭を撫でてくれる。

 その手はとても優しくて、それが一層胸を締め付けるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悲鳴嶼さんの用事は、どうやら話を聞く事で全部であった様だった。

 とは言え、折角此処まで来たのだからと軽く手合わせをしてから甘露寺さんの所へと向かう。

 見送ってくれた悲鳴嶼さんに手を振って下山しながら、悲鳴嶼さんが語ってくれた過去の事について考えた。

 

 ……悲鳴嶼さんの過去は、理不尽で凄惨で。

 今でもその心を深く傷付けているのだろう。

 その一件以来疑り深くなったと悲鳴嶼さんは言っていたが、完全に人間不信になってないだけ悲鳴嶼さんはやはりとても優しい人だと思う。

 ただ、悲鳴嶼さんのその話はあくまでも悲鳴嶼さんの視点での話で。

 鬼の襲撃の後の出来事……子供たちが悲鳴嶼さんを信じなかった事や、或いは助けた紗代に半ば裏切られたかの様な証言をされた事などは、どんな意図があってその様な事を子供たちがしたのかは分からないままだ。

 ……まあ、命を落とした子供たちに話を聞く事は叶わないだろうが……。

 ただ、悲鳴嶼さんが守る事の出来た子供……紗代ならば、今も存命であるならば何か話を聞く事は出来るのでは無いだろうかと思う。

 ……それが悲鳴嶼さんにとって何か救いになる様な事なのかは分からないけれど。

 でも、どうしても気になってしまう。

 そこにあった『真実』は、本当に悲鳴嶼さんが思った様な事であったのだろうか、と。

 別に、悲鳴嶼さんはそれを知りたいと望んだ訳では無い。もう、悲鳴嶼さんの中では今も痛む傷痕ではあれど「終わった事」なのだから。

 しかし、悲鳴嶼さんにとっての「家族」が、幾らあまりの惨劇に混乱していたとは言え本当に悲鳴嶼さんの事を裏切る様な意図でそんな事を言ったのだろうかと……そう思ってしまう。

 大した事情を知らないただの部外者の、都合の良い想像なのかもしれない。

『真実』はもっと残酷なものであるのかもしれない。

 それでも、確かめなければ何も分からないし変わらない。

 ……もしそれが悲鳴嶼さんの心をより傷付ける様なものであった場合は、黙っていれば良い事だ。

 でも、もしそこにあった『真実』が、悲鳴嶼さんが感じたそれとは全く別のものであったのなら。悲鳴嶼さんはそれを知る権利があるとは思う。

 

 それが本当にただのお節介……それもかなり度を越えたものである事は分かっていても、知ってしまった以上は何もしない訳にはいかず。

 とは言え、この時代に詳しくも無くそして鬼殺隊以外に縁の無い自分に頼れる伝手は限られていて。

 鬼舞辻無惨への対策を立てるのに忙しい中で手を煩わせるのは少し申し訳無くもあったが、お館様へとお願いの手紙を書いた。

 お館様がその伝手を駆使すれば、きっと紗代が今何処で何をしているのかは分かるだろうから。

 

 紗代の事に関して取り敢えず自分に今出来る事はそれだけなので、ならば何か進展があるまでは、今は目の前の事に集中しよう、と。甘露寺さんの屋敷を目指す。

 まあ、その道中で何か手土産の様なものを買っておくべきだろう。

 女性の所にお邪魔させて頂くのだし、そう言った気遣いや礼儀は特に大事である。

 

「甘露寺さんは確か桜餅が好きだって言ってたな……」

 

 甘露寺さんの屋敷に行くまでに大きな街を幾つか通るので、そこで良い感じの和菓子屋を見付けたらそれを買おうと決める。

 個数はどれ位用意した方が良いのだろう。

 甘露寺さんはよく食べる人だし、二十個位が丁度良いだろうか。

 

 そんな事を考えながら歩いていると、道行く人たちの中に何やら奇妙な事を話しながら歩いている人がチラホラ居る事に気付いた。

 そんなに真剣に聞き耳を立てていた訳では無いので上手くは聞き取れなかったが、「■■カミサマ」と言う信仰が流行っているらしい。

 とは言えその会話の内容は。曰く、悩みが解消しただの、不治の病が治っただの。

 霊感商法か何かに引っ掛かった人だろうかと思ってしまうものだ。

 確かこの時代あたりからスピリチュアルな部分を押し出した新興宗教も台頭していた筈だ。

 まあ、何時の時代も、何かに縋ろうとする人は居るのだし、或いは超自然的なものを信じている人は居る。そして、そんな人たちに付け入る様に食い物にする者たちも。

 そこまで本気で信じている訳では無くても、「テーブル・ターニング」やそれから派生した「こっくりさん」の様な降霊術紛いのものを面白半分でやる人は居るものだし……。

 宗教と聞くとついあの童磨と万世極楽教の事を思い出してしまうが、別にこの時代に存在した新興宗教は万世極楽教だけでは無いのだし、そもそも童磨の存在で持っていた万世極楽教は、童磨が逃走した後は半ば自然消滅する様に解体されたと聞いている。

 今あの鬼が何処で何をしているのかは分からないが……。既に暴かれたのだし、同じ様な手口で人を囲おうとはしないだろう。第一、僅かでも怪しい素振りが見られた宗教団体には鬼殺隊がかなり厳しく調査しているらしいし。

 まあ、何を信じようが何に縋っていようが、それはその人の自由であろう。

 全く関係無い赤の他人がとやかく言うものでも無いし、関わるべきものでも無い。

 色んな人が居るものなのだなぁ……と。そんな事を頭の片隅で考えながら、その場を後にした。

 

 

 なお、手土産にと買って行った桜餅は、甘露寺さんに大層喜んで貰えて。

 そして、折角だからお茶請けにと出され、それらは瞬く間に消費された。

 早食いと言う訳では無いのだが、一定のペースで澱む事無く甘露寺さんの口の中に消えて行く桜餅は、何と言うのか……生命の神秘を感じる光景であった。

 しかし、甘露寺さんは本当に幸せそうに食べてくれるので、見ているだけで温かな気持ちになる。

 ものを美味しそうに食べる人はそれだけで魅力的に見えるのだと、以前誰かが主張していた気がするが、それも成る程と頷ける光景であった。

 

 なお、後程この事を伊黒さんから物凄くネチネチと言われる事になるのだが。

 それはまだもう少し先の事であり、この時の自分は甘露寺さんと楽しいお茶の時間をのんびりと過ごしていたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
鬼殺隊の人たちが余りにも自分の事を信じてくれるので、皆本当に優しいな……と思っている。なお、悠を信じている側からは、悠の方がお人好し過ぎる位に優し過ぎると思われている。
道すがら流し聞きした謎の宗教に関しては、まあこの時代の辺りから霊感商法紛いのものってあったらしいからなぁ……程度の認識。


【悲鳴嶼行冥】
悠が獪岳の事を本当に心から信じている事を察して何も言わなかった。
悠の事はしのぶさんを助けた辺りから好感度は高かったのだが、その後もそこそこの期間信じ切る事は出来なかった。だが、本当に誰かを助ける事にしか力を使わないし、どんなに窮地に陥っても仲間を絶対に見捨てない事もあって信頼に値すると判断。
まあ、悠が本当にその真意を疑わなければならない様な性根であった場合、そもそも鬼殺隊なんかに協力しないだろうと言う事も大いに関係する。


【甘露寺蜜璃】
大好物の桜餅をお土産に持ってきてくれて物凄く嬉しい。キュンとした。
自分の大食いを見ても、嫌がったりギョッとしたりせずに、寧ろそれをニコニコと嬉しそうに見守ってくれるので、悠への好感度は非常に高い。


【伊黒小芭内】
蜜璃との文通の中で、蜜璃が悠と仲が良い事を知ってちょっと悠への好感度が下がる。そしてネチネチする。
でも悠の事は嫌いでは無いし、寧ろ自分では絶対出来ない事もやってのける上に誰かを守る為に必死に戦っているその姿にはとても好感を持っている。鏑丸にも敬意を以て接してくれる事もポイントが高い。
でもネチネチする。


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『幸せの資格』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 甘露寺さんの所に滞在して五日程が過ぎた。

 炭治郎たちは煉獄さんの試練も突破して、今度は無一郎の試練に向かうらしい。

 きっと無一郎も炭治郎たちが来て喜ぶだろう。

 呼吸が使えないハンデを背負いながらも、玄弥も何とか煉獄さんに合格を認めて貰えた様だ。

 全集中・常中の習得とその精度の向上が目的であると言う煉獄さんの試練だが。既に一定水準以上の常中が可能な者や、或いは玄弥の様に呼吸の才以外の部分でその力を評価すべき隊士に対しては、煉獄さんが直接手合わせをする事でその力量を確かめ、その上で一定基準を満たせば合格になるそうだ。

 炭治郎たちでも即日合格とはならずに数日は鍛錬を積まねばならなかった事を考えると、その合格基準も決して甘いものではなくてかなり厳しいものなのだろう。

 何にせよ、玄弥が無事に柱稽古を続けられる様で何よりだ。

 ……玄弥は、今回の柱稽古には並々ならぬ気迫で参加している。

 何しろ、しのぶさん以外の全ての柱の下を順に廻る事になる。

 当然、風柱である実弥さんの所にも行く事になるのだ。

 徹底的に玄弥を避けている実弥さんも、否応なしに顔を合わせる事になる。

 そこで二人の関係が何かしら良い方向に進むのかどうかは分からないけれど……。

 

 手合わせの際に会った時の事を思い出して、かなり面倒な状況になっている様であるそれを思い出すと、溜め息が零れてしまう。

 恐らくは、『玄弥に危険な事をして欲しくない』『玄弥を危険から遠ざけたい』と言う想いがそこにあるのだとは思うけれど。

 幾ら何でも、あれでは態度と言動が不味過ぎる。

 あれでは二人とも無益に傷付くだけだし、互いにより一層意固地になるだけだろう。

 もどかしいを通り越して、どうにかしないと不味いのでは……? と心から思わせる程に。二人の間のそれは、本来ならもっと単純に解決出来るか双方折り合いを付ける事が出来る筈なのに、複雑怪奇に絡み合い捻れてどうにもならなくなっている。

 とは言え、それをどうこうするにも先ずは互いに話し合いが出来る状態にしなくてはならないのに、実弥さんは絶対に自分のそれを曲げないだろうし玄弥を突き放し続けるので、話し合いが平行線を辿るどころかそもそも発生すら出来てない。

 冨岡さんの時のそれとはまた別に、かなりの難題である。

 でもやはり、このままにする訳にもいかなくて……。

 

 炭治郎たちから送られた手紙を読みながら、「うーん……」と考え込んでいると。

「どうかしたの?」と、一緒にお茶の時間の休憩を取っていた甘露寺さんが少し心配そうに訊ねて来た。

 

「ああ、いえ……。……一度拗れたものを元に戻すのは難しいな、と。

 ちょっとそう考えていたんです」

 

 そう答えると、甘露寺さんは「もしかして……」と不死川兄弟の事かと訊ねる。

 まあ、甘露寺さんは柱として実弥さんと交流があるし、そして里では玄弥との交流もある。そうでなくても、複雑に拗れてしまった兄弟仲の事を何処かで聞いたのかもしれないし、柱の人たちと手合わせした時に実弥さんと話していた事を聞いていたのかもしれない。

 甘露寺さんは不死川兄弟の複雑な関係に少し戸惑っている様だった。

 

「うちは皆仲が良いから、ああ言った感じの兄弟関係は初めてなのよね」

 

 五人姉弟の一番上として生まれた甘露寺さんは、弟妹たちととても仲が良い事もあって、不死川兄弟の込み入った関係性は中々共感出来ない様だ。

 まあ、甘露寺さんにとって他に身近に兄弟が居る人と言えば煉獄さんたちなのだろうし、煉獄さんと千寿郎くんは見るからにとても兄弟仲が良いので、あそこまで複雑怪奇になってしまったものに遭遇するのは初めてであろう。

 実弥さんが頑なに弟の存在を否定している事も有って、「訳アリ」なのだとは察しつつもそれ以上は詳しく聞けなかったそうだ。

 

「……まあ、実弥さんは玄弥の事を決して疎んでいる訳では無いとは思いますよ。恐らくは、になりますが……」

 

 寧ろ、相手の事を大事に想い過ぎているからこそああなっているのだろう。

 だからこそ相手も自分も傷付けてでも遠ざけようとしてしまっているのだろうけど、それでは誰も救われない様に思う。

 

「あら、そうなの? それなのに仲が悪いのは切ないわね……」

 

 鬼殺隊の剣士としては例外的とも言える程に明るく朗らかな甘露寺さんではあるが、鬼殺隊に身を投じる事になった様々な人々の哀しみや辛い事情を見聞きしてきたからか、不死川兄弟の間にもあるのだろうそう言ったものを感じ取って、哀しい顔をする。

 

「そうですね……。互いを想い合っている筈なのに、ああ言った形にしかなれないのは……傍から見ていてもとても切ないです」

 

 当事者である二人の悲しみや苦しみはそれ以上のものなのだろう。

 ……二人が話し合うだけで何か決着を付ける事が出来るのなら良いけれど、今の状況では第三者の何かしらの介入が無ければどうにもならない状況にまでなっている気がする。

 何れ時間が解決する事なのかもしれなくても、時間は無限ではなくて。

 そして、鬼殺隊の総力を挙げた決戦が迫る中で、最悪の場合その機会は永遠に喪われる可能性だってあるだろう。……そうはならない様に可能な限り手は尽くすけれど。

 

「……相手を想っているからこその言動でも、それで互いに深く傷付く様な事を続けていたら……『もしも』の時の後悔は本当に手の施しようのないものになってしまう。

 俺の我儘かもしれなくても、そんな後悔を抱えるかもしれない様な状態で居て欲しくは無いんです」

 

 分かり合える「明日」が必ず来るとは限らない。鬼の存在の有る無しに関わらず、理不尽で不条理な死が何時訪れるのかは誰にも分からない。

 後悔の無い人生と言うものは存在しないのだとしても、背負う必要のない後悔を自ら作り出そうとするかの様なそれは、傍から見ているとまるで意味の無い自傷行為の様である。……本人はそれが一番だと思っているからそうしているのだろうけれど。

 でも、その「最善」の中には、肝心の玄弥の気持ちは含まれていない。

 

「……誰かを守る事は、とても難しい事ですね」

 

 守ろうとしたその行動が何よりも互いを傷付けてしまったり。

 最善だと思った行動が、決してそうではなかったり。

 ……ただ、心にも無い言葉で守れるものは決して多くは無いだろう。それどころか取り零してしまうものの方が多い。

 それだけは、きっと確かだと思う。

 

「そうね……」

 

 甘露寺さんも、少し切なそうな顔で頷いた。

 ……甘露寺さんも、鬼殺隊の剣士として戦う内に様々なものを見て来たのだし、守る事の難しさを知っている人だ。

 明るく朗らかで、悲惨な過去があったから鬼殺隊に身を置いている訳では無いのだとしても。しかし、共に戦ってきた仲間や先輩や後輩……鬼殺隊で得た繋がりを喪う事は多かっただろう。

 人より優れた力を持っていても、それでも全てを助ける事は出来ない。

 自分の手の届く場所だったとしても、どうにも出来ない事だってあっただろう。……そして、自分の手が決して届かぬ場所で知らぬ内に誰かを亡くしていた事も。

 それでも優しさや明るさを喪う事も忘れる事も無い甘露寺さんは、本当に素敵な人だと思う。

 

 そして、少し切ない気持ちになって落ち込んでしまった甘露寺さんは、元気を出さなきゃと大量にパンケーキを焼き始めた。

 甘露寺さんは沢山食べる人だが、料理やお菓子作りもとても上手だ。

 まあ、作った端から消費してしまうので、自分で作る時も有れば屋敷の管理などの為にやって来てくれる隠の人たちが作ってくれる時もあるが。

 洋風のものもとても好きであるらしく、カツレツやオムライスなども好きなのだとか。この時代ではまさにハイカラな料理として扱われているもので、食べ馴染みが無い人も多い料理なのだが、力が出るから好きなのだそうだ。

 材料があるなら自分も色々作れるのだと申し出ると、それならばと一緒に料理したりもする。

 なお、初日はオムライスを作り、二日目は大量にコロッケを作り、三日目は寸動鍋でビーフシチューを作り、昨日はカレーライスを作った。

 美味しい美味しいと喜んでくれるのでとても作り甲斐がある。

 初日にひたすらオムライスを焼き続けるのはちょっと疲れたが、二日目からは一気に量を作れるものにしたのでそこは問題無い。

 ちなみに今日は肉じゃがの予定だ。

 中々食費が物凄い事になっていそうなのだが、そこは柱なので問題無いのだとか。

 

 大量のパンケーキを食べた甘露寺さんは物凄く元気になって、午後からの手合わせを再開した。お腹が満たされるととても調子が良いらしい。

 ちょっとこなれて来ただろうかと言う頃合いからの猛攻は凄まじいものである。

 甘露寺さんは、多分炭治郎と同様に感覚派とでも言うべきものなのか、説明はあまり得意では無いらしく。

 その不思議な形の日輪刀から繰り出される独特の呼吸と型に興味が湧いて訊ねてみても、「ぐああああ~ってしてね」「そこでグイッ、ヒュンって」「この時にメキメキバキィって」と、正直何が何だかよく分からない説明だった。

 炭治郎なら解読出来るかもしれない。

 

 傍に居るだけで元気になれる様な明るい人だけど、そんな甘露寺さんが一番嬉しそうな顔をするのはどうやら伊黒さんからの手紙が届いた時の様だ。

 どうやら甘露寺さんは伊黒さんと頻繁に文通をしているらしく、更には柱として忙しい日々を送る中で非番の時には一緒に食事に行ったりなどしているそうだ。

 そして、甘露寺さんは伊黒さんと一緒に食事に行くのがとても楽しいらしく、更には手紙を貰える事が嬉しいのだとか。

 美味しいものを食べている時以上に幸せそうな顔をしている甘露寺さんを見て、「もしかして……」と言う思いが過る。いや、人の恋路にとやかく関わる事は良い趣味とは言えないのだけど。

 聞けば、甘露寺さんが大切にしている靴下は伊黒さんから贈られたものであるらしい。少々……と言うか大分あられもない格好の隊服を支給されて困っていた所を気を利かせてくれたのだとか。

 伊黒さんはとても親切で自分に良くしてくれる人なのだと甘露寺さんは言う。

 

「……あの、ちょっと不躾な質問になってしまいますが。

 甘露寺さんは伊黒さんの事をお慕いしているのでしょうか? 

 その……恋愛的な意味合いで」

 

 夕暮れ時を前に届いた伊黒さんからの手紙を、本当に幸せそうに読んでいる甘露寺さんに、ちょっと迷いつつも聞いてしまう。

 いや、決して他意は無いのだ。

 ただ、以前甘露寺さんから聞いたその入隊の理由や、その時に既に意中の相手は居るのだと言いたげな態度を思い出して、つい。

 まあデリケートな部分であるのだし、特に異性に対しては答え辛い事かもしれないけれど。

 

 その質問に、甘露寺さんはポッと頬を赤く染めて、そしてもじもじと気恥ずかしそうにしつつ、コクリと静かに頷いた。

 ちょっと気恥ずかしそうに語った所によると、伊黒さんが自分に向けてくれる気遣いやその優しさが本当に嬉しくて、そして自分が何かを食べている姿を今までに見た誰よりも優しい目で見守っていてくれるのが幸せで。そして、それらが沢山降り積もって、気付けば伊黒さんの事が特別に好きになっていたのだそうだ。

 ただ……。

 

「でも、伊黒さんはきっと皆に同じ位に親切なの。

 それに……優しく親切にしてくれる事と、女の子として好きになってくれている事とは同じでは無いから。

 お友だちとしては仲良くしてくれても、お嫁さんにしたい人だとは思って貰えないかもしれなくて」

 

 それが恐くて。今の心地良い関係性を壊してしまうのではないかと尻込みをして。

 それで、伊黒さんの事を特別に想い慕っていても、その想いを告げる事が出来ないのだと言う。

 

 甘露寺さんはとても可愛らしい人で、周りの人たちを皆明るくしてしまえる様な素敵な人で、そして自分の命を懸けてでも誰かを助けようとする事が出来るとても勇敢な人なのだけれど。

 ……それでも、かつて見合いの場でその特異的な部分を指摘されて破談になった事が、その心に深い傷になって今も甘露寺さんを苦しめているのだろう。

 本当の自分を隠さずとも良くなっても、かつて心の無い言葉で斬り捨てられたその怪力で誰かを助けられる様になっても。

 しかし、自分らしく生きていたいと思い、それを実現出来る場所で生き生きと生きられても。

「誰かと添い遂げたい」と言うその願いは、かつて傷付いた時の状態から今も踏み出せていないままなのだろう。

 深く傷付いたからこそ慎重になって、そして臆病な程に尻込みしてしまう。

 程度の差こそあれど、誰しもがそうなのだろう。傷付くのは嫌なのだ。

 だから無責任にその背中を押す事は出来無いけれど。

 

「俺は伊黒さんでは無いから、その気持ちの全てが分かる訳ではありませんが……。

 しかし、恐らく伊黒さんが甘露寺さんに親切にしているのは、誰にでも優しいからではなくて、それが甘露寺さんだからだと思いますよ」

 

 自分が伊黒さんと話した時の事を思い出して、甘露寺さんにそう伝える。

 まあ、伊黒さんと顔を合わせた回数は少ないし、冨岡さん程では無いがそう多くを話し合った訳でも無い。

 ただ……優しい人だとは思うけれど、しかし甘露寺さんが言う様な「とても親切な人」なのかと言うと違う気がする。

 他の人に対しての態度を見ても、恐らくは甘露寺さんだけに特に親切なだけなのではないだろうか。

 

「そうなのかしら?」

 

「伊黒さんが優しい方なのは確かだとは思いますが……。

 何だったら、伊黒さんが甘露寺さん以外の他の人にどう接しているのかをこっそり見てみては如何ですか?」

 

 丁度柱稽古の期間中なのだから、柱同士でどうしているのかを観察する機会は沢山あるだろう。

 異性に対しての反応を知りたいと言うのであれば、同じ柱であるしのぶさんに対して伊黒さんがどう接するのかを見てみれば良いと思う。

 それか直接観察するまでもなく、伊黒さん以外の柱の人たちに訊いてみたら良いのだ。

 恐らく、甘露寺さんに対する様な親切を向けられている人は他に居ないのではないだろうか。

 そもそも、多忙な中で非番の日を合わせて食事に誘っている時点で、かなり特別な好意を懐いている気がするのだが。

 

「でも私、しのぶちゃんに色々と相談しているのだけどよく分からなくて……」

 

 話を聞いてみると、どうやらしのぶさんとは恋愛相談の様な事をしているそうなのだが。

 しかし、そのしのぶさんからの返事の内容は何と言うのか……その……。

 論文か何かかな……? と思う程に学術的なものだった。

 いや、多分しのぶさんはとても真面目にアドバイスしているつもりなのだとは思うけど。何と言うのか、しのぶさんはとても真面目なのだけど、たまにちょっと不思議な事をするというか。

 ……それは、陽介たちに「天然ボケ」と言われる自分が言えた事では無いのかもしれないけど。

 ただ、恋愛沙汰にそう詳しくはない自分でも、多分甘露寺さんが求めているアドバイスは心拍数や血圧がどうだとかと言う話では無いとは分かる。

 もしかしなくても、しのぶさんは恋愛音痴と言うかちょっとずれているのかもしれない。

 アオイから聞いたカナヲの命名の際の話や、飼っている金魚に自信満々に「ふぐ」と名付けたりしているのを聞くに、ネーミングセンスが独特なのは間違いないけど。多分その他にも何かと独創的なのだろう。

 

「俺も良い助言が出来る訳では無いのですが……。

 伊黒さんが甘露寺さんをどう想っているのかを知るには。

 やはり、同じ様な状況下で、甘露寺さんに対する反応と他の人に対する反応がどう違うのかを観察してみるのが一番ではないでしょうかね?」

 

 まあ、それとなく周囲を探ってみたりだとか、そういう手もあるだろうけど。

 そんな風に始まった甘露寺さんの恋愛相談は大盛り上がりを見せて、夜更けまで二人で話し込む事になったのであった。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 甘露寺さんの恋愛事情を知ったその翌日。

 そろそろ甘露寺さんも柱稽古の準備をしなければならないので、恋屋敷を発つ事になった。

 次に向かうのは伊黒さんが待つ蛇屋敷だ。

 

 

「鳴上悠、俺はお前を待っていた」

 

「はい、少しの間になりますがよろしくお願いします」

 

 恐らく玄関先で待っていてくれたのだろう伊黒さんが早速出迎えてくれる。

 伊黒さんと何時も一緒に居る鏑丸も、当然ながら一緒だ。

 ジッとこちらを見てくる鏑丸に軽く頭を下げると、何処か伊黒さんの気配が優しいものになった気がする。

 ……ただ、それは勘違いだったのか。

 

「甘露寺から話は聞いている。

 随分と親しく過ごしていたそうではないか」

 

 等と言う文言から始まり、うら若き婦女子の下を訪れる際の礼節に関してやら、甘露寺さんに対して馴れ馴れしくし過ぎるなやら、そもそも何処の誰だかも分からないし語る気もない者が甘露寺さんに近寄るのは云々……等と言った事をあれやそれやとネチネチとした言い方で色々と言い募られる。

 何と言うのか、物凄く……それはもう果てしなく物凄く、何か盛大に誤解されている気がする。

 

「あの……。

 多分伊黒さんが心配されている様な事は何も無いですよ、俺と甘露寺さんとの間には」

 

 まあ確かに、大切な人だとは思っているけれど。

 別にそれは恋愛感情的なものでは全く無いと思うのだ。

 仲間と言うか友だちと言うか、まあ幸せになって欲しいと心から願う相手だが、それは別に恋人になりたいだとか更にその先の関係性になりたいだとかと言う感情とは一切無縁のものである。

 と言うより、そんな心配をしなくても、甘露寺さんの心は伊黒さんに向いているのだが……。

 何と言うのか、変に考えたりせずにお互いに直球で想いを伝えたら、甘露寺さんと伊黒さんに関して言えばそれで万事解決なのでは……? と思ってしまう。

 いや、今ここで甘露寺さんの想いを勝手に暴露してしまうのは流石に良くないのだが。

 

 しかし、自分と甘露寺さんの間にその様な感情は全く存在していない事を申告すると、何故だか伊黒さんは慌てた様な素振りを見せる。

 ……物凄く色々と分かり易過ぎる反応なのだけど、こんな風に反応していたのなら甘露寺さんはどうして気付かなかったのだろうか? 

 ……まあ、それだけ甘露寺さんにとっては過去のトラウマが重かったのかもしれないが。

 

 

 そんなこんなで何となく締まらない感じの挨拶にはなってしまったが、しかしその手合わせの内容はかなり濃密なものになった。

 単純な膂力だけで言えば、伊黒さんの力はあまり強くはない方なのだろう。だがそれを補って余りある程の精密な太刀筋と、それ以上に素早く此方の攻撃を見切ってその隙間に刀を滑り込ませる様に反撃してくるそれは何とも独特のものだ。

 激しい打ち合いになれば確実に此方が勝てるが、しかしそれは分かっているからこそするりするりと蛇が細い抜け穴を通っていくかの様に回避しつつ最低限の動きで此方を止めようとしてくる。

 何度も手合わせをしている内に気付けばすっかり日が落ちてしまった程に、互いに手合わせに集中していた。

 

 流石に今日はもう終わりにしようと言う事になって、休憩をしていたのだけれど。

 その時、伊黒さんがポツリと呟いた。

 

「お前は……何も訊かないんだな」

 

 口元を隠す様に顔に巻いていた包帯をキッチリと巻き直しながら伊黒さんはそう言う。

 ……その包帯の下には、口元から両頬を大きく切り裂かれた様な酷い傷痕がある。

 最後の手合せの際に、此方の攻撃が僅かにその包帯に掠ってしまい……その結果包帯を解いてしまったのだ。

 流石に、その包帯の下を見て全くの無反応でいる事は出来なくて少しは驚いた様に息を詰まらせてしまったが。

 しかし何も言える事など無く、そして実戦を想定している手合せである以上はそこで手を止める事は出来なくてその後も戦い続けていたのだけれど。

 

「……人の事情にズケズケと足を踏み入れるべきでは無いですから。……話して頂くのなら、幾らでも聞きますが」

 

 成り立ての鬼ですら人を容易く切り裂く事が出来るのだ。

 ……鬼によって人生を狂わされた人が多い鬼殺隊の中には、鬼によって付けられた惨い傷痕を持つ者も少なくは無い。

 その場合、その傷は心の傷にも強く関係している。

 それを他人が軽々しくどうこうして良いものでは無い。

 それに、隠しているのならそれに触れて欲しくはないと言う事なのだろう。そんな事まで一々好奇心のままに暴き立てる様な悪趣味は持ち合わせていないのだ。

 とは言え、本人が誰かに話したいと思っている事であるのならそれを聞いて受け止める覚悟はあるのだけれど。

 

「聞いた所で何も気分が良くなる部分など無い。

 そもそも、俺や他の者の話よりも、お前自身の話はどうなのだ」

 

「俺の話……ですか?」

 

 話と言われても、何か語る様な事など果たして自分にあるだろうか? 

 そう思って思わず首を傾げてしまう。

 

「……お前はどうやら妙に他人の事情に首を突っ込んではどうにかしようとするようなお人好しの様だが。

 しかし、お前自身はどうなのだ? 

 何処の誰だかも分からない、今まで何をしていたのかも、何の為に此処に居るのかも。自分自身の事は多くは語らず、何を抱えているのかも言おうとしない。

 それで他人の事情をあれやこれやと抱え込んでどうする気だ」

 

 伊黒さんにそう指摘されて、思わず言葉に詰まってしまう。

 それは紛れもなく事実だからだ。

 

 鬼殺隊の人たちは、皆辛い事情を抱えている事が大半だから、基本的に他人の事情を詮索しようとはしない。鬼殺隊で共に戦っている事以上に重要な事は無いのだとばかりにそれ以上は求めない。

 ……自分は、その気風に甘えているのだろう。

 自分の事を何一つ明かさないまま他人の事情に関わっていくその姿勢は、人によっては眉を顰める様なものだと思う。

 

 ……しかし、自分に語れる様な過去は無い。

 説明出来る様な辻褄の合う経歴も無い。

 この世界で何を辿った所で過去に繋がるものは出てくる筈も無いのだし、そうなれば益々不信感を与えるだろう。

 自分の過去を知る人は居ない、自分の過去に繋がる人や物も無い。……それで何を語れると言うのだろうか。

 この世界に於ける自分の過去は、炭治郎に初めて出会ったあの日の夜からのものだけが全てである。

 ペルソナの力だって、説明した所でそれを他の誰かが証明出来る訳でも無くて。

 ちゃんと説明した所で、やはり自分は『何処から来たのかも分からない 』『何者なのかも分からない』『おかしな力を持った「何か」』にしかなれない。

 だから、何も話せない、何も語れない。

 訊ねられれば答えられる部分は答えるけれど、その部分もそう多くはない。

 

「……俺自身について語れる事は殆ど無いですね。

 ただ……どうして此処に居るのかは。

 炭治郎の力になりたいと言う気持ちと、鬼の様な人の心や魂の尊厳を踏み躙る様な存在を生み出し続けている鬼舞辻無惨の事を許せないと言う感情が始まりでした。

 でも、もうそれだけではなくて。沢山の人たちに関わる内に、もっと多くの想いが生まれて……。

 大切な人たちと人として共に戦って、皆で鬼の居ない明日で笑い合える未来を勝ち取りたいと……今はそう思っています」

 

 どうして『夢』の中で此処に辿り着いたのかは分からない。

 どうして醒める事の無い『邯鄲の夢』を見続けているのかも。

 あの日出逢ったのが炭治郎でなければ、鬼殺隊に入ってはいなかったのかもしれない。……その場合どうしていたのかは、もう今となっては分からない。

 ただ、今自分が鬼殺隊に居て、そして皆に出逢って共に戦っているのは、あの日炭治郎と出会ったからだと言う事は分かる。

 

「お前は……。……まあ良いだろう。

 ……鬼の居ない明日が来れば誰もが笑い合えると本気で思っているのか?」

 

 何かを言おうとして、しかしそれを諦めたかの様に僅かに首を横に振った伊黒さんは、「目的」だと語ったそれを本気なのかとでも言いた気に訊ねてきた。

 

「誰もが直ぐに『鬼』と言う存在がその心に残した傷痕から解放されるとは言えませんが、それでもきっと何時かは、と。そう思います。

 だって、生きている限りは『幸せ』を感じる瞬間が必ず来る。どんなに小さなものでも、ささやかなものでも。

『鬼』から解放されたそこで『幸せ』に笑う瞬間は必ず来ると、俺はそう信じたいんです」

 

 例え、恨みや憎しみを晴らす為に刃を手にしたのだとしても、自分と同じ様な想いをする者を少しでも減らす為の義務感の様な気持ちで戦いに身を投じたのだとしても、或いは義憤の様な想いから鬼を討つ事を覚悟したのだとしても。

 でも、それで幸せになってはいけないなんて理由は無い。

 数多の想いを繋いで掴み取ったその先の未来で、無数の無念が報われる程の幸せを掴み取って生きて欲しいと願うのだ。

 鬼を討つ為に生きてきたのではなく、幸せになる為に生きてきたのだと、今こうして笑い合う為に生きてきたのだと。

 鬼の存在が消え去ったその先で、大切な人たちにはそう思って幸せになって欲しいのだと願ってしまった。

 それはきっと途方も無い程に向こう見ずで、そして押し付けがましい程に傲慢な願いであるのかもしれないけど。

 その心からの願いに背く事は出来ない。

 

「『幸せ』、か。だが、『幸せ』になる資格など無い者も居る。

 そんな者に対してまで、お前は一々心を配るつもりか?」

 

「『幸せ』になる資格なんて、そんなの必要ないでしょう。

 いいえ、もしそんな物があるのだとしてもそれはきっと誰しもが持っている筈です。

 そもそも『幸せ』は資格云々の話じゃなくて、心がどう感じるかの問題で、それは生きていた事を嬉しいと思う瞬間です」

 

 それはきっと、誰にでもある筈だと思いたい。

 中にはそれに気付けない人もいるかもしれないけれど、人はほんの些細な事でもそこに『幸せ』を感じられる。

 生きたいと誰もが望むからこそ、「生きていて良かった」と思う瞬間はきっと誰にだってある。

 

 しかし、伊黒さんはゆるりとそれを否定する様に首を横に振る。

 

 

「なら、俺にはその資格が例外的に無いのだろう。

 ……俺は、生贄として死ぬ為に生かされ、そして生きる為に何十もの命を犠牲にしてでも逃げ出した屑だ。

 今生で『幸せ』になる資格など、俺には無い。

 無惨を殺して死んで、この薄汚い血を浄化しなければ『幸せ』になどなれない」

 

 

 返す言葉を喪い呆然とした様に立ち尽くしてしまった此方を見て、伊黒さんは「お前が気にする事では無い」と零してその場から立ち去ってしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
蜜璃の事はとても大切に想っているが、別に恋愛感情では無いし今後とも恋愛感情には発展しない。
蜜璃の夢を全力で応援しているので、その恋路は全力で応援する所存。
自分の過去などに関しては、炭治郎に少しだけ八十稲羽での出来事を話している位で、それ以外は誰にも何も話していない。


【甘露寺蜜璃】
とても優しく親切な悠に対しての好感度はとても高いけれど、悠は男女の区別無く皆に親切だし優しい事も知っている事もあって恋愛的な意味での好感度では無い。
どちらかと言うと、「異端」扱いされがちな力を持っている事や、人の役に立ちたいと言う気持ちから鬼殺隊に居る事に対するある種の同族意識の方が近い。
とは言え、物凄く好きではあるし、その優しさにキュンとくる。
伊黒さんとの恋路が成就するのかどうなのか……。


【伊黒小芭内】
コミュ障ぼっちの義勇さんとは違ってちゃんと隊士との交流があって色んな話も耳に入ってくるので、悠が鬼殺隊の様々な人たちの悩みを解決したりメンタルケアをやっていたりしているのは知っている。義勇さんが柱稽古に参加する事を決めたのも悠(と炭治郎)のメンタルケアの結果なのだろうと勘付いている。
悠の事は謎だらけ過ぎて正直よく分からないけど、人格の部分は間違いなく善良な「綺麗」な側の存在だと思っているしその部分への好感はある。
蜜璃の事が本当に好きだけど、自分の出自や(本人の責任は無いけど)結果として親族をほぼ皆殺しにしてしまった事など、様々な事で思い詰めている為自分の気持ちを明かせない。
悠は、蜜璃に対してとても優しいし親切だし、自分の様な穢れた血を引いている訳では無いだろうし蜜璃を守れる位とても強いしと、自分が持つ事の出来ない様々なものを全部持っている様に見えている。
なので、もし蜜璃が悠の事を好きになったり、悠が蜜璃の事を好きになったりすると自分には一切勝ち目は無いと思って、ちょっと落ち込んだ。
まあ、悠も蜜璃も互いに恋愛感情は皆無なのだが。


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『無辜の「神様」』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 待ちに待った柱稽古が始まって、俺たち鬼殺隊隊士は宇髄さんの下に集合した。

 鬼殺隊には二百数十名程が在籍しているのだが、普段は各地を任務で飛び回っている為、そんなに大勢が一所に集まる事の方が少なく、鬼殺隊に入ってまだ日が浅い事もあって顔馴染みよりも全く見知らぬ人の方が多い。

 中には蝶屋敷での療養中に見掛けた顔や、合同の任務の際に知り合った人たちも居るけれど。

 それにしても、一度にこの人数の隊士たちが集まっているのを見るのは中々に壮観である。

 一緒に蝶屋敷から出立した伊之助だけでなく玄弥も居るし、育手の下を一時的に訪れていた善逸と獪岳も当然の様に参加者の中に混じっている。

 数は少ないもののちゃんと存在する女性隊士は、同じ様な内容の訓練が課されるけれど実施する場所は男のそれとは分けられているので、カナヲは此処には居ない。

 それもあってか、周りが全員男だけで固まっている光景に善逸はむさ苦しくて嫌だとボヤいており、そしてそんな善逸を獪岳が締め上げていた。

 

 そんな感じで始まった柱稽古だが、内容はかなり過酷なものであった。

 基礎体力の向上と言う名目で稽古場となる山の走り込みをするのだが、とにかく速く走り抜く事を求められるし更には広大な山を十何周どころか何十周と走らされる。

 稽古場の山は広く険しい上にかなり起伏に富んでいて場所によっては足元にかなり注意が必要になる。

 どんな状況下でも正しく足場を見極めて駆け抜ける事を求められる鬼殺隊の剣士の足腰を鍛えるにはもってこいなのだろう。

 なお、ただ走り込むだけで終わる訳では無くて、ある程度見込みが出て来たものは重しを背負った上で走らされる。

 そこまで出来た上で、宇髄さんの目から見て「合格」が出なければならない。

 中々に厳しい訓練である。

 蝶屋敷で鍛錬していた時から山での走り込みはほぼ毎日の様にやっていたのだけれど、この稽古場の山の地形は山を走るのに慣れている俺でも流石に直ぐには慣れないもので。

 元々山育ちで荒れた足場も何のそのと言わんばかりの伊之助は寧ろ水を得た魚の様に駆け回っているが、多くの隊士たちは息も絶え絶えになりながら地面に転がる羽目になっている。中にはあまりの負荷に反吐を吐いている者も居る程だ。

 俺もやはりどうしても息は上がってしまっていた。

 

 

「無理……もう無理……。

 禰豆子ちゃんの……禰豆子ちゃんの顔を見たい……。

 蝶屋敷に帰りたい……」

 

 漸く与えられた休憩時間に、地面を舐める様に転がっている善逸が息も絶え絶えに呟く。三十周以上も山を走らされた善逸は体力の限界のその先を見たのか、その目は何処か虚ろだ。

 そんな善逸の周りに転がっていた先輩隊士たちが、その言葉に反応してわらわらと集まって来る。

 

「何だ? 妄想の彼女か?」

「分かるぜ……淋しいもんな」

「だよな、俺にも居るぜ。脳内にだけどな」

「マジ? お前の脳内彼女誰だよ?」

「顔はな~、胡蝶様で……」

「あ~分かる分かる。蝶屋敷で治療されてた時、天女の様に見えたわ」

「あの薬、信じられない位糞不味いけどな」

「それな~、良薬は口に苦しって言うけどさ、限度ってもんが……」

 

 善逸を余所に盛り上がる先輩隊士たちの話に、善逸は思わずガバリとその身を引き起こしてわあわあと反論する。

 

「いや、禰豆子ちゃんは妄想じゃ無いよ!? 実在してるよ!?

 蝶屋敷で俺の帰りを待っててくれてるんだから……!

 妄想とか言わないで! 悲しくなるから!」

 

「無理すんなよ」

「良いんだって、吾妻」

「現実は残酷だよな……」

「ほら元気出せよ、水でも飲むか?」

「金平糖持ってるぜ、ちょっと分けてやるよ」

 

 しかし、そんな善逸の言葉に、先輩隊士たちは生温かな視線を送る。

 同情心と言うか、同族を見る様なその視線に善逸はゴロゴロとその場を転がった。

「居るもん! 禰豆子ちゃん本当に居るもん!」と喚く善逸を見る目は皆とても優しい。

 しかし、そんな視線に益々わあわあ喚き出した善逸は、禰豆子には綺麗な着物を沢山買ってやって鰻やら寿司やらの旨いものをたらふく食べさせてやってと願望を垂れ流し、果ては禰豆子を娶るだの俺の妻だのと言い出し始めた。流石にそれは妄言だ。

 

「こら、善逸! 何でそう恥を晒すんだ。

 大体、禰豆子と善逸はまだそんな関係じゃないだろう。

 娶るだの妻だのと言うのは、禰豆子本人の気持ちを確かめてからにしてくれ」

 

 まあ、善逸はとても優しい奴だし、やる時はやるし、何より何時も禰豆子を気遣って守ろうとしてくれるけれど。それとこれとは話が別である。

 禰豆子本人の意思を確認出来ないのに、そう言った言動は良くない。

 勿論、禰豆子がちゃんと自分の意思で選んだのならそれに反対する様な事は無いけれど。

 俺がそう言うと、途端に周りの先輩隊士たちが騒めいた。

 

「えっ……実在するの?」

「ウッソだろ……」

「いやでもそんな関係じゃ無いって言ってるし、脳内彼女ではあるんじゃね?」

「あー、そっか、だよなぁ……」

「うんうん、綺麗な着物買ってやったりしたいよな」

「鰻旨いよね、分かる」

「ガンバ!」

「俺たち、何時でもお前の味方だぜ」

 

 そんな風に先輩隊士にもみくちゃにされながら励まされてる善逸の傍らで、また別の隊士の人たちが俺たちに話し掛けて来る。

 

「そう言えばお前らってあれだよな?

 上弦の陸を音柱と一緒に倒して、刀鍛冶の里では上弦の肆を倒したって言う『期待の新人たち』だよな」

「なあなあ、階級何処まで上がった? やっぱ上弦の鬼倒したんだから凄ェ事になってる?」

「てか、上弦の鬼と戦った時の話を聞かせてくれよ、すっげー気になる」

「上弦の鬼と戦ったって事はあれだよな。

 あの噂の『神様』の事も知ってるんだよな?」

「あー、そっか。あの例の……。

 やっぱ何か俺たちとは全然違う凄い感じの人? 一緒に戦ったんだし直接会った事あるんだろ?」

 

 一斉に話し掛けられてちょっと戸惑う。

『神様』……それは悠さんの事だろうか?

 

「えっと、今の階級は『甲』で、上弦の鬼との戦いの事は多分休憩時間の間には終わらないからまた後で。

 それと……その『神様』って?」

 

 取り敢えず訊かれた事には答えつつ、その『神様』とやらの事を訊ねる。悠さんの事だろうかとは予想しつつも、一応は確かめなくては。

 

「ほら、あの『鳴上悠』って名前の……」

「何かさ、最近蝶屋敷に新しくやって来た人が居るらしいじゃん。その人が『鳴上悠』って奴なんじゃないのかって結構前から噂になっててさ」

「そうそう。で、その『鳴上悠』ってのは『神様』なんじゃないかって話で」

 

 やっぱり悠さんの事だったんだと、驚きは無いものの少し息を飲んでしまう。

 悠さんは決して『神様』では無いのだと説明しようとしたその矢先に。

 

「……そうだ。あの人は、間違いなく『神様』だ」

 

 少し離れた所に居た先輩隊士が、ゆっくりと此方にやって来た。

 

「あの人が居なかったら……俺はとっくにもう死んでいた。

 腹に穴が空いてさ、血もいっぱい出て。

 鬼は倒せたけど、『ああもう死ぬんだな』ってのが分かって、……凄く怖くなった。

 寒くて怖くて、死にたくないなぁ……って思った時、救援に駆け付けてくれたあの人が俺の手を握ってくれてさ。

 その温かさと優しさに安心して気を失ったら、気付いたら俺は蝶屋敷に運び込まれてて、腹の傷はすっかり無くなっていたんだ。

 あの人が『鳴上悠』なのかは分からないけど、でも間違いなくあの人は『神様』だ。少なくとも、俺にとっては」

 

 その人の言葉を皮切りに、俺も僕もと色々な人が声を上げる。

 その人たちは皆、悠さんが蝶屋敷でその傷を癒したり、或いは救援に駆け付けて助け出した人たちだった。

 悠さんは、本当に沢山の人を助けている。

 この中の多くは、悠さんが居なければ命を落としていたか、或いは隊士として戦い続ける事は出来なくなっていた人たちなのだろう。

 そのとてつもない力を使って直接的に助けた訳ではなくても、蝶屋敷などで出逢った隊士の人たちに悠さんはとても親身になってその話に耳を傾けて寄り添ってくれたりしていて、それによって心を救われた人たちは決して少なくはなかった様で。

 悠さんを『鳴上悠』として認識していた訳ではなくても、蝶屋敷にいる『神様』の事は、俺たちが知らなかっただけで鬼殺隊全体にかなり噂になっていたらしい。

 悠さんに助けられた人たちは皆悠さんに対して深く感謝していて、だからこそ『神様』だって悠さんの事をその様に称する。

 そして、上弦の鬼との戦いの場には必ずその名を連ね、更にはその戦いで犠牲を出す事もなく勝利を収めている事は誰もが知る所ではあるからこそ、その尋常ではない戦果から畏怖する様に……或いはまるで祈りを捧げ信じるかの様に、悠さんの事を『神様』だと言う。

 そう言った声に、「やっぱり」だとか「『神様』って居るんだな」だとか、そんな声がどんどんと広がっていく。

 それは……そう思う事は致し方無い事なのかもしれない。

 俺だって、悠さんの事を全く知らなくて人伝に聞いただけなら、「凄い人も居るんだな」と他人事であったのだろうけど。

 でも、そうじゃない。

 そして、そう言った言葉や想いや視線が悠さんにとってはどう感じるものなのかも、俺は知っているから。

 だから──

 

 意を決して言おうとしたその時。

 

「うーん、鳴上は確かに凄い奴だけどさ。

 でも『神様』ってのは何か違うと思う」

 

 そう声を上げた人が居た。

 那田蜘蛛山での任務の時に出逢って、それからも何度か蝶屋敷で顔を合わせた事もある村田さんだ。

 最近だと、義勇さんの過去の事を悠さんに教えてくれた事もある人だ。

 文通する位に悠さんと仲が良いので、今のこの雰囲気には思う所があったのかもしれない。

 

「鳴上は『神様』だとかって言うよりは……何と言うのか、お人好しの世話焼きだな。

 手紙とかも、基本的にこっちの事を気遣う感じの内容だし、敢えて言うなら『オカン』?」

 

 村田さんの言葉に、別の所から「あー、確かに」と同意の声が上がった。どうやらその人も悠さんと文通する位親しい人の様だ。

 

「確かに凄い強い奴なんだけど、一番凄いのはあの包容力って言うか寛容さだよな。

 死んだ母ちゃんの事を思い出す位、鳴上は優しいんだよなぁ……。何があっても俺の事を見捨てないって感じでさ。

 その上、何時か悪い奴に騙されるんじゃないかって心配になる位、お人好しなんだよなー」

 

 ちょっとポヤっとしてる所もあるし、と。そう言ったその人に「だよね」とまた別の所から声が上がる。

 そして、悠さんの事を『神様』だと言う人たちと、凄い人だけど『神様』では無いと言う人たちに分かれて様々な意見が飛び交う。

 概ね、悠さんとある程度以上親しい人は「『神様』ってのはちょっと違うんじゃないか?」と言う意見であるらしい。

 そして、話は結局実際の所の悠さんがどうなのかと言う事になった。

 

「えっと、悠さんは本当に優しい人で凄い人で……」

 

 悠さんの事に興味津々な人たちに、悠さんがどんな人であるのかを話す。

 悠さんの力の事に関しては、あまり大っぴらに話して良い事では無いのだとしのぶさんや宇髄さんなどから言い含められている事もあって、そこは詳しくは話さなかったけれど。

 それでも、その力の事を話さなくても、悠さんの事に関して話せる事は沢山あって。

 どんな事が好きで、どんな風に笑い掛けてくれて、どんな風に人の心を思い遣ってくれる人で……と。

 そうやって俺の目から見た悠さんの事を話していく。

『神様』なんて何処か遠い存在じゃなくて。直ぐ傍に居てくれて、悩んだりしながらも一生懸命に頑張って共に戦おうとしてくれる人なのだ、と。

 そうやって話をしていると、先輩たちもちょっとだけ「そうなのかな」って顔をする。

 悠さんが『神様』ではなくて、ちゃんと血の通った自分たちと同じ『人』なんだって、そう分かってくれたのだろうか。

 だけど、それを確かめるよりも前に休憩時間が終わって。

 俺たちはまた過酷な走り込みを再開する事になるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 初日の走り込みを終えて、俺たちや一部の先輩たちには、明日からの走り込みには重しを背負って行う様にとの許可が出た。……まあ、善逸はこの世の終わりだとでも言いた気な絶叫を上げて獪岳に締められていたが。

 限界まで身体を酷使して死屍累々の状態になりながらも、どうにか汗を流して夕飯を腹に収める程度の体力は残っていた。まあ、その部分だけは宇髄さんも加減してくれたのかもしれない。

 そして、何せ人数が多いものだから、俺たちは大広間などで雑魚寝する事になって。中には直ぐ様落ちる様に眠りに就いた者も居るが、体力にちょっとだけ余裕がある者たちは折角の機会だからと色々な話をする事になった。

 そこで話題の中心となったのは、やはり上弦の鬼たちとの戦いの事である。

 まあ、百年以上誰も敵う事は無く、戦闘になれば柱ですら生きて帰る事の出来なかった存在と直接交戦して生きている上に勝利を掴めた者の話はとても貴重なものなのだと言う事は分かるので、それを話す事に否は無いのだけれど。

 なお、悠さんの事に関しては、その力の部分に関してはあまり他の人に話して広めてはいけないと柱の人たちから色々言われているので、伊之助もそこは話さない。しのぶさんの言葉には、伊之助はとても素直に従うのだ。

 

「何てのか、お前ら本当によく生き延びれたな……」

「俺なら無理そう」

「帯が伸びるって何? しかもそれが刃物みたいに切断してくるって何?」

「てか掠っただけで即死するとか怖過ぎでしょ」

「それで即死してない音柱もマジでバケモンかって位ヤバいな」

「そりゃ吉原の一画が更地になる訳だよ……」

「つか、そんなのを相手にしても無事って時点で鳴上って奴がヤバ過ぎ」

「でも俺としちゃあ上弦の肆の方が嫌過ぎる、生きて帰れるかどうか以前に絶対に逢いたくねー……」

「分かるー……。話聞いてるだけでげんなりするもん」

「分裂って何? しかもその分裂したやつが更に血鬼術使いまくってくるって何? ってめっちゃ思うわ」

「しかも滅茶苦茶ちっさくて馬鹿みたいに頸が硬いのが本体だって……。鬼ってクソみたいなやつしか居ないけど、どんなクソな事考えてたらそんな血鬼術になるんだって思うわ」

「恋柱様強過ぎでしょ。血鬼術ごと斬るってどうやってんだろう」

「一回任務中に助けて貰った事があるんだけど、恋柱様本当に良い人なんだよね……。笑顔が本当に可愛いし、強いし」

「分かる……。俺実は脳内彼女の顔が恋柱様なんだ……」

「元気出るよね、明るい人って周りも明るくしてくれるんだな……って恋柱様見てると超思うもん」

「猪頭が戦った上弦の伍って奴も本当にヤベェわ、何考えてたらそんな姿になりたいって思うんだよ」

「てか、あの日から数日の間隠の方が忙しそうにしてたんだけど、それって上弦の伍の被害者の後処理もやってたのかもな」

「百年以上溜め込んでたのなら凄い数になってそうだよな……」

「てか、百鬼夜行みたいな血鬼術だよな。ほんと、良く生き延びれたな」

「いやほんと、お前らマジでよくやってるわ……」

「今年入ったばっかなのに、マジですげぇよ」

「俺ら頼り無いかもしれないけどさ、一応先輩なんだし何かあったら頼ってくれよな」

「そうそう、何か力になれる事とかあるかもしれねぇし」

 

 俺たちが上弦の陸と肆と戦った時の話や、伊之助が上弦の伍と戦った時の話をすると、その内容に非常に盛り上がって。先輩たちはワイワイと賑やかに口々に話す。

 皆親切であるしとても気が良い。

 遊郭への潜入捜査で女装した事を話した時には、潜入捜査で苦労した事がある先輩たちが「分かる~」やら「あれほんと大変だよな」などと反応したり。

 刀鍛冶の里で時透くんと一緒に鍛錬していた事を話すと、「それほぼ柱稽古じゃん!」などと盛り上がったり。

 疲れているのだけど、眠気がちょっと吹き飛びそうな位の勢いである。

 そして、上弦の鬼の話が出た事で、再び悠さんの事に関しての話題が持ち上がる。

 

「噂で聞いたんだけど、鳴上って上弦の壱を相手に負傷した奴らを連れて無傷で撤退したらしいんだけど、それ本当?」

 

「えっと、まあ……」

 

 その事についてはそこまで大々的に鬼殺隊内に知らされた訳では無いのだけど、実際にその隊士たちが蝶屋敷に運び込まれた所を見た人は居るし、何より人の噂に戸口を立てる事は出来ない。

 具体的にどう上弦の壱を相手に撤退したのか俺は知らないし、それを知っている善逸と獪岳はそれを言うつもりは無い様だ。

 まあ、事実は事実なのでそれを否定は出来ないのだけど……。

 俺が頷くと、先輩たちは騒めく様に互いに囁き合う。

 

「やっぱあの噂も本当なのかな」

「どうだろ、そんな事有り得るか?」

「でも、実際に蝶屋敷に行って大怪我が有り得ない速さで治ってる奴が居るし」

「聞いた話じゃ、手足が千切れ飛んでた筈なのに……って」

 

 そんな事を囁き合っていた先輩たちは、少し緊張した様に俺に訊ねて来る。

 

「鳴上って、本当に『人間』なのか?

 いや、別に鬼だとかって疑ってる訳じゃないんだけどさ。

 噂では、鳴上は無惨を殺す為に現れた本物の『神様』なんじゃないかって言われてて……」

 

 俺が言い出した訳じゃ無いんだけど、と先輩はそう言いつつも、その答えを聞きたがっている様だった。

 

「悠さんは……そんなのじゃ無い。

『神様』でも無いし、『化け物』でも無い。

 悠さんは、本当に心が強いだけの優しい人なんだと思う。

 確かに物凄く強いけど、でも別にそれは『神様』だからじゃなくて……」

 

 しかしそれを上手く説明する事が俺には出来ない。

『神様』じゃなくて、でもそう思っても仕方が無い位に凄い力があって。

 悠さんのその力の根源は悠さん自身の心の強さなんだけど、でもそれを説明出来ないのだ。

 そして結局、悠さんが優しくて良い人だという事しか言えなくなる。

 

『神様』では無いけれど、『神様』だと思ってしまっても仕方が無い様な事が出来て。悠さんはそれを大っぴらにしている訳では無いけど、目の前の人たちを助ける為なら惜しみなくそれを使う。……悠さんは優しいから。

 まるで『神様』が起こす「奇跡」の様なその力で助けられた人たちは、「奇跡」で助けられた人たちが居る事を知っている人たちは、悠さんの事を『神様』だと……そう感じてしまうのだと思う。それを責める事は出来無いし、きっと咎める事も出来ないのだろう。

 決して『神様』なんかでは無いのだけれど、悠さんの力は余りにも人の目を眩ませてしまう。

『鳴上悠』という一人の『人間』の事をあまりよくは知らない人たちには、その力しか目に入らなくなってしまう。

 その結果『神様』が独り歩きするかの様に、皆の認識の中の悠さんを塗り潰してしまうのだろう。

 

 ……『神様』に縋りたくなる気持ちは、俺にも分かる。

 誰だって、本当に救ってくれるのなら『神様』に救って欲しかっただろう。

 鬼に大切なものを奪われて鬼殺の道を選んで、厳しい最終選別を乗り越えて、それでも鬼の前に人間は無力でしかない事も多い。

 鬼が容易く踏み躙り奪っていこうとするものを、どうにか守る事すら難しく。

 昨日笑い合っていた筈の仲間たちが物言わぬ骸となって転がる事だって当たり前の様に起こる。

 そんな、あまりにも無慈悲に理不尽な戦いの中で、明日の命も知れぬ日々の中で。

 まるで慈悲深い『神様』の様に、自分たちを人智を超えた力で助けてくれる存在が現れたのなら。

 喪われる筈だった命を救いあげ、強大な鬼に立ち向かってそれを討ってくれる。皆を助けてくれる、救ってくれる、その『願い』を叶えてくれる。

 ……そんな、余りにも「都合の良い『神様』」の様な存在が現れたのなら。それは……。

 

 ……でも、そうじゃない事を俺は知っている。

 

 本当は戦う事もそんなには好きではなくて。

 手合わせなどで痛い思いをさせる事すら厭う程に仲間を傷付けるのが嫌で。

 鬼の事だって、鬼舞辻無惨に弄ばれて壊れてしまった上で、重ねる必要の無い罪を重ねるしかない、かつては人であった哀しい存在だと感じていて。

 どんなに沢山の命を救っていても、助けられなかった命の事を決して忘れずに心から悼んで。

 無惨を倒す為であろうと、俺たちが寿命を差し出そうとする様な事だけは絶対に阻止しようとして。

 物凄く色んな事が出来てしまうから色んなものを抱えてしまって、それでもそれを取り零さない様に必死で。

 ちょっと不器用な位に割り切りは下手で。

 無理をし過ぎている位に頑張っていて。

 義勇さんの心の苦しみを和らげようとした時の様に、何時だって「心」に真っ直ぐ向き合ってそれを大切にしようとして。

 まるで霧を切り裂く様な眼差しで、真摯な言葉を伝えて。

 様々な形で抱え切れない程の優しさを向けてくれて。

 何時も優しい目で俺たちの事を見てくれていて。

 料理が上手くて、手先が器用で色々作れて、物凄く色んな事を知っていて、俺や禰豆子たちに色んな「物語」を語り聞かせてくれて、遊びにはちょっと負けず嫌いで。

『特別』は『寂しい』と、自分は『神様』や『化け物』なんかじゃなくてただの『人間』なのだ、と……そう感じているし傷付いている。

『鳴上悠』は、そんな……ちゃんと確かに此処で生きている『人間』なのだ。

 

 何処かの誰かが適当に考えた作り話の様な、或いは誰かが願って作り出された偶像の様な。

 そんな血肉の通ってない人間味の無い存在なんかじゃない。

 

 でも、その全てを説明する事も、悠さんをあまり知らない人たちに納得して貰うのも難しくて。それがとてももどかしくて遣る瀬無い。

 

 昼間は助け舟を出してくれていた村田さんたちは別の部屋で寝ている。

 この大部屋に居るのは、俺たちを除けば多分悠さんの事にはそこまで詳しくない人たちばかりなのだろう。

 それもあってか、中々上手い事悠さんの事に関して説明出来なかった。

 すると、悠さんの事で何やら悩んでいる事を察したのか、伊之助が首を傾げる。

 

「あ? カミナリがどうかしたのか?

『カミサマ』だか何だかは知らねーが、アイツはカミナリだぜ。

 カミサマじゃねーよ。名前も覚えらんねぇのか?」

 

 そもそもカミナリも悠さんの名前ではないのだけど、伊之助は自信満々にそう言って鼻を鳴らす。

 流石にそれには先輩たちからの訂正が入ったのだが、すると伊之助は「ムキーッ!」とでも言いたげな顔になった。

 

「うっせー! カミナリはこの伊之助様の子分だぜ。

 親分である俺が子分の事を間違える訳がねぇ!」

 

 フスンフスンと鼻息を荒くする伊之助に、先輩たちは何じゃそりゃと言わんばかりの顔をする。

 まあ、確かにちょっと良く分からない話だ。

 悠さんは、伊之助から子分扱いされてもそれを否定も訂正もせずニコニコと笑っているだけなので、伊之助としては「子分である事を認めている!」と言う認識であるらしい。

 一度、悠さんに訂正しなくても良いのかと聞いた事はあるが、別に構わないのだとか。心が広いのか、或いは純粋に楽しんでいるのか、そのどちらなのかは分からないのだが。

 

 伊之助の言葉を皮切りに、善逸と獪岳と玄弥も悠さんの事について言及する。

 その話題が盛り上がりそうになったその時。

 

 

「お前ら何時まで騒いでんだ!

 そんなに元気なら今から山の走り込みやるか!?

 それが嫌ならとっとと寝ろ!

 明日の朝も早くから叩き起してやるからな!」

 

 

 大部屋の襖がスパンッ! と勢い良く開いて、木刀を片手に担いだ宇髄さんが怒鳴り込んでくる。

 勿論、日中の走り込み地獄を思い出した部屋の全員が速やかに布団に潜り込み、寝息を立てる事になったのであった……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
悠の事を『神様』扱いするのは本当に止めてあげて欲しいと思っている。でも、それが難しいのも分かっている。


【嘴平伊之助】
悠を『神様』云々に関しては何も分かっていない。
「カミナリはカミナリだし、俺の子分だぞ」と言うスタンス。
何があってもそれはブレない。親分だから。


【我妻善逸】
悠は『神様』扱いを望んでいない事を知っているからこそ、それは止めてあげて欲しいな……と思っている。
モテない隊士たちから同類扱いされて同情されて、「禰豆子ちゃん本当に居るもん!」と物凄く抵抗したのだが、禰豆子は実在していても善逸の彼女では無い。


【不死川玄弥】
悠が悲しむし嫌がるから『神様』扱いは止めてやれよな、と言う気持ち。
想像を絶する程に無茶苦茶な事も出来てしまう悠の力に関しては、自分も「鬼食い」とかが出来るし……と言う意識からあまり深くは感じていない。


【獪岳】
実際に悠のその本気の力を知っているが、『神様』とはあまり思わない。『化け物』でも無くなった。
『神様』と思うには悠は余りにもお人好し過ぎるし、どう考えても要らない苦労を背負おうとし過ぎてるから。
しかし、今は悲鳴嶼さんの事で頭が一杯。
流石にこの事を桑島さんや善逸に話す覚悟は無い。


【村田さん】
『人間』なのかどうなのかと言われるとちょっと怪しいかも……とは思っているが、それはそれとして『神様』じゃあ無いよなとは思っている。それは、悠と文通などで交流がある隊士は概ねその意見。『神様』と言うか『オカン』だよね。
また、村田さんに関しては、義勇さんが立ち直れた経緯も察しているので、筋金入りのお人好しなんだなぁ……と思っている。


【一般隊士の人たち】
かなりガチ目に悠の事を『神様』だと思っている人たちと、純粋な感謝の気持ちが高じた結果『神様』だと呼んでいる人たちと、何か良く分からないけど凄い存在が居て物凄く鬼殺隊を助けてくれてるらしいので『神様』って呼んでおこうと思っている人たちと、神様かどうかは知らないけど無惨を倒して鬼を滅して欲しいから『神様』って呼んでいる人たちなどが居る。
悠の力で直接助けられた人たちはガチ目勢になりやすい。
悠のコミュ力で心を救われた人たちは感謝の気持ちからの『神様』呼びになりやすい。
しかし、大半の隊士は悠に会った事は無いし、力の事も殆ど知らない。知らないけど、『神様』扱いをしている。


【鳴上悠】
ちゃんと交流がある人たちと、そうではない人たちとの間で物凄くその認識に差が生まれている模様。
客観的に見ると、余りにも「都合の良い『神様』」と言える。
何の見返りも求めず、決して無思慮や無軌道に振る舞う事はせず、ただ人々に尽くすかの様にその常軌を逸した力を人々を守る為だけに使い、鬼殺隊の悲願である「鬼舞辻無惨討伐」の為に尽力し、人の心を慮りその傷を癒す為に奔走する。それはまさに『人々の願い』を叶える為の最高の装置。
……その尋常では無い献身の根本にあるものが、「大切な人たちを助けたい」と言う余りにも人間的な善良さと心優しさである事を知る者は一握りである。

もし八十稲羽の人たちが今の悠の状態を見た場合、陽介を始めとする特捜隊の仲間たちは血相を変えて大慌てで悠を引き摺り戻そうとし、堂島さんの眉間に深い皺が刻まれ、足立さんですら斜に構えた表情や偽悪的な表情が消えて真顔になる。


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『罪科の行方』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 伊黒さんとは、初日の衝撃的な発言の後、これと言って何か問題があった訳では無いのだけど。……しかし、どう考えても深くその心を縛り付けて今も苛み続けている過去の事にどう触れて良いものか分からなくて。

 腫れ物扱いと言う訳では無いのだけどそこに触れる事は難しく、あの言葉の真意を聞く事は出来ないままであった。

 下手に触れれば大きくその傷口を抉ってしまいかねないものに軽々しく触れる事は出来ない。

 伊黒さんが語りたいと思っているのならそれに耳を傾ければ良いのだけれど……。そうではないのなら、まだ伊黒さんの事をあまり知らない自分がおいそれと触れて良いものでは無いのだろう。

 ……今生では『幸せ』になる資格など自分には無いと断言してしまう程に己の心を苛むそれを癒す術が何処かにあるのなら良いのだけれど……。

 だが、考えても中々良い考えは思い浮かばなかった。

 

 伊黒さんが幸せを忌み嫌っている訳では無いのだろうとは分かる。

 そうなる「資格」が無いと思っているだけで、幸せを感じたくないと頑なになっている訳では無く、そして幸せ自体を拒絶している訳でも無い。

 甘露寺さんに対しての反応を見ていてもそう思う。

 ただ、その心の中に在る「何か」がそれを感じる事を咎めているのだろう。

 ある意味では、『錆兎さん』に心を雁字搦めに囚われていた冨岡さんの時と似ているのかもしれないけれど……。しかしそれ以上に難しい部分もあるのだろう。

 

 過去を変える事は誰にも出来ず、そして鬼殺隊に身を置く者の殆どが辛く重い過去を抱えてはいるのだけれど。

 中でも生い立ちなどの部分は非常にデリケートな部分である上に、どれ程不条理で不合理な考えだと自覚していたとしても文字通りに一生を付いて回る事になるものだ。

 伊黒さんが生まれたのは明治も半ばを過ぎた時分であるにも関わらず、「生贄」となるべく育てられたと言うその過去は、その事情をほぼ知らない自分からしても壮絶だとしか言えないものなのだろう事は容易に想像が付く。

 どの様に「生贄」として育てられてきたのか、そしてどうやってそれを逃れこうして鬼殺隊に入って柱となったのか……。何も分からないけれど。

 しかし、どんな生まれだろうと、どんな風に育ったのだろうと、そして其処から逃れる為にどんな事をしたのだろうと。

「生きたい」と願ったのだろうに、こうしてその過去に囚われ続けているその心の苦しみを思うと、どうにも遣る瀬無い気持ちになるのだ。

 ……自分は、どうしようも無く無力であった。

 

 自身の無力感に打ちのめされつつも、だからと言ってそれだけに思考を囚われ足を止める様な事は出来なくて。

 ならばせめて自分に出来る事をと思い、伊黒さんとの手合わせに専念した。

 それと同時に、伊黒さんの事をもっとよく見ようと決意する。何か少しでも力になれる事があるのなら、そうしたかった。

 そして直ぐに気付いたのだが、伊黒さんはかなり食が細い。

 全く食べない訳では無いのだけれど……何と言うのか「食事」という行為自体を何処か億劫に感じているかの様だった。

 その前にお世話になっていた甘露寺さんがかなりの健啖家であった事もあってか、そのギャップに物凄く心配になってしまった程だった。

 まあ、甘露寺さんと比較すれば大半の人の食は細いと言う評価になるのだが……それにしても本当に食べない。

 鬼殺隊の人たちは、個人差はあるがよく食べる人が多い。まあ身体を作るのに食事は大切であるし、過酷な戦いを日々続けているのだからそれも当然とは言えるのだけれど……。

 しのぶさんはそこまで食べる方では無いが、伊黒さんはそのしのぶさんよりも更に食べないのだ。ちょっと、何処かで倒れてしまいやしないかと心配になる程である。

 今は柱としての激務もちょっとはマシになっているけれど、忙殺されていた頃からこんなにも食べていなかったのなら、もしや何処かで何度か倒れていたのではと思ってしまう。……まあ、その限界は本人が上手く見極めていたのかもしれないけれど。

 そして食の細さ以外に気付いたのが、伊黒さんの少し不器用な優しさだ。

 何と言うのか……物言いが迂遠でネチネチとしているのでちょっと戸惑うが、しかし伊黒さんはかなり此方の事を気遣ってくれている。

 気を遣ったり心配のあまりに、ネチネチとした言い方になっているのかもしれない。

 言葉が絶望的に足りないとすら言われる冨岡さんとはまた別だが、その言葉の真意を理解するのが少し難しい点は少し伊黒さんと冨岡さんとは似ているのかもしれない。

 また、気付いた事とは少し違うかもしれないが。伊黒さんは何時も連れている白蛇の鏑丸の事をとても大切にしている様だ。

 鏑丸はとても賢く、伊黒さんの言葉や意図を察する事に長けている様だ。

 鏑丸はペットと言うよりは、伊黒さんの親友であるのだろう。

 伊黒さんが鏑丸を大切にしているのと同じ位に、鏑丸も伊黒さんの事を大切に思っているのが、傍から見ているだけでも伝わって来る。

 

 滞在中に伊黒さんの心を苦しめているものをどうにかする事は結局出来ず仕舞いであったが。手合わせも十分に行い、伊黒さんもそろそろ柱稽古の準備をしなくてはならないと言う事で、蛇屋敷を発つ事になった。

 伊黒さんと共に、滞在中に仲良くなれた鏑丸が少し名残惜しそうに見送ってくれたのが少し嬉しい。

 が、そのまま真っ直ぐに実弥さんの下へと向かうのではなくて、一旦柱の人たちの下を訊ねて回るのを中断し、先に所用を済ませる事にする。

 伊黒さんの所に滞在して三日が経った頃、お館様から紗代の事についての情報の回答の手紙が来たのだ。

 紗代は今でも存命で、悲鳴嶼さんたちを襲った悲劇の後はそこから少し離れた場所に在る孤児院の様な場所に引き取られ、今では商家の下働きとして生活しているそうだ。

 少し遠方なので日帰りで訪ねるのは無理だろうが、丁度区切りも良いので折角だからと紗代の下を訪ねる事にする。

 少し私用でそちらに向かうのが遅れるだろう事を実弥さんに連絡してから、お館様に教えて貰ったその場所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 急に自身を訊ねて来た見知らぬ相手だと警戒されたものの、悲鳴嶼さんの名前を出すと紗代は心底驚いた顔をして、……そしてあの時の事を話してくれた。

 紗代にとっては十年も前の、しかも四つの時に遭遇した思い出したくもない出来事であっただろうに……。

 紗代の口から語られた紗代から見たあの日の出来事は、余りにも「間が悪い」としか言えない様な……悪意的なまでに偶然とタイミングの悪さが積み重なったが故の出来事であった。

 子供たちの中で唯一生き残ったのが、まだたった四歳であった紗代であった事も本当に悪い方向に働いてしまったのだろう。

 そもそも適切に物事を順序だって伝える事も覚束ない幼子であったのだから、紗代の意図が伝わっていなかったのも無理はないのだけれど……。

 それにしたって、本当に神か何かの悪意を感じる程に、遣る瀬無さだけが降り積もる様な顛末であったのだ。

 ……決して傷付ける意図など無かったのに、それによって心に決定的な傷を負い今も苦しみ続けている悲鳴嶼さんも、そして己の言葉によって大好きだった悲鳴嶼さんを殺してしまったのだと十年もの間己を苛み続けていた紗代も。

 誰一人として救われないし報われない話である。

 そして、だからこそ。「真実」を確かめようと思って本当に良かったと心から想う。

 

 悲鳴嶼さんが今も生きている事を知って涙を零す程に喜び、そして直接会ってあの時の事を謝りたいと紗代は言った。

 ……その願いを叶えてやりたいのはやまやまなのだが、しかし鬼舞辻無惨との決戦を控えた今、鬼殺隊の……それも柱に関しての情報は平素よりも厳重に取り扱われ、市井の人々が柱に会おうと思って会えるものでは無いし、そこは自分の一存で決められる事では無い。

 それに……折角鬼とは無縁の生活が出来ている紗代に血腥い世界を垣間見せる事を悲鳴嶼さんは望まないだろう。……会うのだとしても、それは全てが終わった後。「鬼の居ない明日」を勝ち取った後の方が良いのかもしれない。

 今は直接会わせる事は出来ない事を伝えて、その代わりに手紙を届ける事を約束した。

 

 紗代から預かった手紙を確りと仕舞い、紗代と別れて今度は悲鳴嶼さんの所へと向おうとした、丁度その矢先。

 今は柱稽古でそれぞれの柱たちの下を回っている筈の獪岳からの手紙を鎹鴉が運んで来た。

 丁度、甘露寺さんの柱稽古を終えたばかりであるらしい獪岳は、「話がしたいから会いたい」と伝えて来た。

 ……話とは一体何なのだろう。柱稽古が始まる直前から何やら悩んでいるらしいとの事だったが、それに関してなのだろうか……と思いながらも。

 その話の内容が何であれ、話がしたいと言うそれを拒否する理由など無く、当然それを了承する旨を直ぐに返信した。

 そして、獪岳に言われた通りの場所に急ぐ。

 

 獪岳と待ち合わせしたその場所で待っていたのは獪岳一人だけで、善逸などの姿は無かった。

 ……善逸には聞かせられない話なのだろうか?

 そうだとしても、何故自分に? と、疑問には思いつつも、一体何があったのかと獪岳に訊ねる。

 獪岳の表情が、何処か思い詰めている様な……或いは何かに怯えている様な、そんなものであったから、何事か深刻な物事が起きたのだろうとは思うのだけれど……。

 

 そうやって訊ねられた獪岳は、言い辛そうに何度か喉元まで出かかったそれを呑み込み、言葉にしようとしてはそれを見失い。

 幾度か逡巡した後に、ゆっくりと話し始める。

 

「鳴上は……岩柱様に会った事はあるのか?」

 

「悲鳴嶼さんの事か? なら、何度も会った事があるけれど。

 悲鳴嶼さんに何か用があるのか?」

 

 柱稽古を続けていけばその内に会えるが、緊急の用件があるのなら……と。そう言おうとしたその言葉を遮る様に、此方の言葉に明らかに余裕を喪った様に獪岳が更に訊ねて来る。

 

「悲鳴嶼さんは、俺の事を鳴上に何か尋ねて来た事はあるのか?」

 

 そう言われて思い出すのは、少し不思議なタイミングで呼び出されたあの時の事だ。……とは言え、あの時の会話に何か獪岳が焦る様なものは無かったと思うのだけれど……。

 

「柱稽古が始まって少し経った時に、一度。

 でも、変な事は何も言われていないと思うけど……。

『俺の目から見て、獪岳は認めるに値する人間か』と訊かれただけだったし」

 

 今思えば、悲鳴嶼さんは獪岳の事を随分と意識していたのかもしれない。

 まあ、そこに関しては悲鳴嶼さんにとっては獪岳の事は今までその名を耳にした事が無い隊士でありその為人などがよく分からなかったからなのだろうと思っていたのだけれど。

 しかし、獪岳のこの反応を見るに、獪岳と悲鳴嶼さんとの間には何かがあったのだろう。……それも、ただならぬ「何か」が。

 

 物凄く嫌な予感がして、紗代から預かった手紙の入った辺りを軽く押さえてしまう。

 ……悲鳴嶼さんの凄惨な過去の話の中で、寺が襲撃されたその時に生き残る事が出来たのは悲鳴嶼さんと紗代だけであるが。

 しかし、もう一人生きている可能性がある者が居る。

 それは、藤の香を消して鬼を寺に招き入れたとされる子供だ。

 そんな最早悪意に満ちているかの様な「偶然」が、何の作為も無く起こり得るのかと本気で思ってしまう程に、もしそうであるのなら余りにも「出来過ぎている」と言いたくなる程の「偶然」だった。

 

「……鳴上。こんな事をお前に言うのは間違っているのかもしれねぇ。

 だけど、……先生や善逸には言えない事なんだ。

 ……鳴上には、軽蔑されるかもしれない。

 俺は、自分のやった事に向き合わなきゃなんねぇ。

 ……でも、恐いんだ。一人で向き合うのが……。

 だから、聞いて欲しい」

 

 震える声でそう前置きをした獪岳に頷くと、獪岳は死刑宣告を待つ囚人が告解しているかの様な表情で、自分の過去を語り始めた。

 

 ……半ば予想してしまっていた通り、獪岳はかつて悲鳴嶼さんと共に暮らしていた子供たちの内の一人で……、そして藤の香を消して鬼が寺を襲撃する最後の引鉄を引いた子供であった。

 それは、動かし様の無い……もう何をしても変える事の出来ない「事実」だ。

 しかし、悲鳴嶼さんから語られたそれと、獪岳が語ったそれはほぼ同じではあったが重ならない部分はあった。

 ……悲鳴嶼さんが鬼から聞いたと言う話では、自分が助かる為に獪岳が積極的に悲鳴嶼さんたちの命を鬼に売り渡したかの様に語っていたのだが。

 結果としては同じであっても、寺にいた悲鳴嶼さんたちの命を交換条件として最初に持ち出したのは獪岳ではなくて鬼の方であった。

 ……その状況でそれに頷いたら何が起きるのかは獪岳だって分かっていただろう。

 それでも、獪岳は死にたくなかった。……死にたくなかったのだ。

『生きてさえいれば』と言う……悲鳴嶼さんに出逢うまで独りで生きていくしか無かった獪岳を支えてきたその信念に逆らう事は出来なかった。

 そして、獪岳の選択のその結果は惨憺たるものになった。

 

 ……恐らく、鬼はその夜よりもずっと前から悲鳴嶼さんたちを狙っていたのだろう。

 そんな中、偶然その夜に寺の外に居たのが獪岳であったと言うだけで。……獪岳以外の子供が同じ状況に置かれる事だってあったのだろう。

 それでも、その夜「選択」を突き付けられたのは獪岳だった。

 そうなってしまったのも、子供の試し行動の様な……そんなささやかなものだけれどしかし「やってはいけない事」を明確に犯してしまった獪岳の自業自得ではあったのだろう。

 ……獪岳がやった事は、どんな事情があってもそう簡単に許していい事では無い。

 選択の責任は、行動の責任は……本人が背負わなければならない事だからだ。

 それでも、自分は獪岳を責める事は出来なかった。

 

「……前にも言ったけれど、俺は『生きたい』と願って足掻いた事自体を責めたり咎めたりはしない。軽蔑もしない。

 ……そもそもこの件に関して、俺が獪岳や悲鳴嶼さんにどうこう言える様な資格は無いし、こうして話を聞く事以外に出来る事は無い」

 

 寺の金を盗んだ事だって……決して良い事では無いし咎められるべき事ではある。

 それでも、子供なんてそんなものなのだ。

 そうはしない子供もいるが、その行動に倫理観や道徳観が備わっていたり一貫性がある訳でも無い。

 衝動的に行動してしまう事なんて、大人になったってあるのだ。況してや子供の行いなど、それ以上に衝動的で先見性が無い事は多い。

 孤児として生きてきた獪岳にとっては、『愛情』と言うそれはどうしても実感する事が難しくて……だからこそ「試して」みたかったのだろう。

「試した」上で実感しないと、決して不遇だった訳では無いのだとしても、そこを本当の「居場所」だとは思えなかったのかもしれない。

 今となっては「そうだったのかもしれない」と類推するしかない事なのだけれど……。

 心を満たす為に必要な『愛情』やらそれを受け取る為の「居場所」やらは、受け取るのも感じるのも与えるのも……そのどれもがとても難しいものだ。

 受け取り方も千差万別で、与え方も千差万別で……。

 絶対の正解も無く、明確な形は無いが故に、一度疑ってしまえばキリが無い。

 だからこそ、「試して」しまうのだ。

 ちょっと我儘を言ってみたり、ささやかな問題行動を起こして反応を確かめてみたり。

 獪岳がやったのは、要はそう言う事だったのだろう。

 しかし、「試したかった」悲鳴嶼さんよりも先に子供たちに見付かってしまい、その結果一晩寺を追い出された事もまた当然の帰結ではある。

 悪い事をしたら叱られるものなのだ。

 そう、本来ならそれだけで終わっていた話なのだろう。

 翌日悲鳴嶼さんが獪岳の不在に気付いて獪岳の姿を探して見付けたら、ささやかな「悪い」行いを叱ったりして終わっていた事だったのだろう。或いは、夜に獪岳の不在に気付いて探しに出ていたら、鬼には遭遇してしまった可能性はあるが悲鳴嶼さんは獪岳を守ろうと戦っていたのかもしれない。

 無数の選択肢があって、沢山の可能性があって、多くの「もしも」があった。

 でも、そうはならなかった。

 ただただ、悪意に満ちていると言っても良い程に、運が無かった、タイミングが悪かった、全てが「最悪」へと噛み合ってしまった。

 それで、全てが取り返しの付かない事になってしまったのだ。

 

 その夜の獪岳は、何の力も無い……物語の主人公の様に窮地を華麗に打開出来る程に特別賢い訳でも無く、或いは特別運が良い訳では無く、或いは何か秘められた力に目覚めるなどと言ったご都合主義の何かが起こる訳でも無い。本当にただの子供だった。

 菜々子より少し歳を重ねただけの、大人たちに庇護されるべき……そうしてやる事が当然である様な、そんな子供だった。

 寺での生活が決して豊かではなかったのならその肉付きは決して良い訳では無かっただろうし、そもそも多少身体能力に恵まれている程度では鬼相手にどうする事も出来ない。

 ただ殺されるか、或いは鬼の言う事に従う事しか出来なかった。

 

『生きたい』と願った子供のその想いを、否定したり糾弾するなんて、出来る者の方が少ない。

 獪岳の選択の結果命を落とした子供たちや、悲鳴嶼さんと紗代くらいなものである。

 もし獪岳の話を聞いて当事者でもないクセに一方的に詰る者が居るなら、その人は余りにも想像力が乏しいか、或いは余りにも恵まれ過ぎてそれ以外を考えた事が無い様な人なのだろう。少なくとも自分はそんな厚顔無恥な存在にはなれない。

 獪岳は、己の選択とその結果を知られる事を恐れ、それによって様々なものを喪う事を恐れているけれど。

 恐らくは、その過去を知ったとしても桑島さんや善逸が獪岳を見捨てる様な事は無いと思う。……少なくとも、少し話をして感じた桑島さんの人柄からはそうだろうと推測出来る。

 善逸に関しては、その程度の事で見捨てるならそもそも黒死牟から決死の覚悟で獪岳を救い出そうなんてしなかっただろうし。

 それでも、二人には打ち明ける事は出来ないと言う獪岳の気持ちも理解出来るので何も言えなかった。

 

 ……更に救いようのない話にはなるが、もしも獪岳が鬼の言う事に従わずに殺されたからと言ってそれで悲鳴嶼さんたちが助かっていたのかと言うと、鬼に目を付けられた時点で恐らくは無理だった可能性の方が高い。

 柱の巡回などで偶然その鬼が発見されて事を起こす前に斬られる位しか、悲鳴嶼さんたちが助かる可能性は無かっただろう。

 ……そしてそんな奇跡の様な出来事が起こる可能性は余りにも低い。

 悲鳴嶼さんや獪岳を襲ったそれは、鬼が存在する以上は起こってしまう歴史の中の何処かに無数に転がっている悲劇の一つでしかないと言えばそうなのかもしれないが。

 しかし、それで割り切って良い事でも無いのだ。

 鬼さえ居なければきっと何事も無く訪れていたのだろう「明日」が鬼の所為で永遠に訪れる事は無くなったが故に、余りにも多くの人の人生が捻じ曲がってしまったのだから。

 そして、自分にとって悲鳴嶼さんの事も獪岳の事も、もう「他人事」では無い。

 

 悲鳴嶼さんたちは純然たる鬼の被害者であるが、獪岳もまた鬼の被害者であるのだろう。

 悲鳴嶼さんが自分から全てを奪った鬼に対して、きっと本来なら優しく穏やかなだけだった筈のその心に憎悪と怒りの炎を燃やし続けて鬼を根絶やしにしようとしているのと同じ様に。

 獪岳の心にもまた、深い悔悟と罪悪感と自責の念と共に、鬼に対する憎しみや怒りがあるのだろう。

 だからこそ、『生きたい』と何よりも望む獪岳が、鬼殺隊なんて極めて死亡率の高い組織に所属する事を選んだのだと思う。

 鬼殺隊に所属する事に拘っていたのも、その気持ちがとても大きいからなのだろう。

 今漸く、どうして黒死牟から助け出した後の獪岳が、除隊処分になる事に激しく抵抗していたのか理解出来た。

 

 獪岳は、悲鳴嶼さんが子供たちを殺戮した罪に問われて投獄され処刑されかけていた事を知らなかった。

 そもそも柱稽古の報せを受け取ってそこで漸く当代の岩柱の名を知った獪岳にとって、悲鳴嶼さんはあの日の自分の選択で殺してしまった人たちの内の一人であったのだ。

 只管に罪悪感を感じる事はあっても、まさかある意味で鬼に殺されるよりも惨い目に遭っていただなんて、僅かに考える事すら無かっただろう。

 ……更に余りにも救いようが無い事に、悲鳴嶼さんがその様な目に遭う原因になった、翌朝に山中の寺に駆け付けてきた麓の町の人たちは、獪岳が呼んだのだ。

 勿論、獪岳にはそんな意図は欠片も無く、間に合わないのは分かっていてもせめて助けを呼びたかった一心ではあったのだけれど。

 獪岳がせめてもの償いとばかりに子供の足で必死に呼んだその「助け」が、よりにもよって悲鳴嶼さんをより深い絶望に突き落としただなんて。

 余りにもタチの悪い冗談か何かの様に、何から何まで「間が悪い」話である。

 

 鬼に襲われた後の悲鳴嶼さんがどうなったのかを獪岳に伝えると、獪岳はもう完全に血の気が引いたと言っても良い様な顔をした。

 今にも死にそうな顔をして、過去の自分の選択の全てが尽く悲鳴嶼さんを苦しめ心を引き潰す結果になったと言う、残酷過ぎる事実に押し潰されそうになっていた。

 実際、獪岳はそうとは語らなかったけれど。「家族」を知らなかった獪岳にとって寺の子供たちや悲鳴嶼さんは「家族」の様なもので、そして悲鳴嶼さんは「親」の様な存在だったのだろう。

 だからこそ、悲鳴嶼さんからの『愛情』を求めたし、その『愛情』を確かめたかったのだ。……その全てが悲劇に結び付いてしまったのだけれど。

 

 悲鳴嶼さんがそうである様に、紗代がそうであった様に。

 獪岳もまた、その夜の惨劇に心を囚われ続けている。

 善逸への様々な感情や、満たされる事の無い心の箱の穴や、生きる事に頑なにしがみつこうとしたその全てが、きっとその夜の惨劇に繋がっているのだろう。

 自分を責め苛み続けていては、「幸せ」を感じる余裕など失われていくのも当然の話である。

 罪悪感から目を反らす為に、更に手の施しようの無い程に堕ちていく事は無かっただけ、マシと言えるのかもしれない。

 その点に関しては、獪岳の心はやはり弱過ぎる訳ではなかったのだろう。

 余りにも強い罪悪感と後悔に苛まれている獪岳だが。

 ……それでも、悲鳴嶼さん以外にも紗代だけは生き残り今も元気にしている事を伝えると、ほんの僅かに救われた様な顔をする。

 預かった紗代からの手紙が、益々重みを増した様にすら感じた。

 

 過去を変える事は誰にも出来ない。

 この世界は物語の中の世界じゃない。

 タイムマシンなんて無いし、過去の自分の選択を変える方法も無い。

 時を戻る事は出来ず、選択を無かった事にも出来ない。

 それでも、「過去」は変えられなくても、「今から」を変える事は出来るのだし、それは生きている者だけの特権だ。

 喪われたものを取り戻す事は叶わないのだとしても、これから新たに喪われる事を防ぐ事なら出来るかもしれない。

 だからこそ。

 

 

「獪岳はどうしたいんだ?」

 

 

 こうして己の過去を懺悔して、そうやって改めて己の罪に向き合うのだとして。

 なら、その先をどうするのかと言う話になる。

 鬼を狩り続ける事を以て贖罪とするのも、それはそれで一つの選択ではあるのだろうが。

 しかしそれはそれで、鬼舞辻無惨との決戦を越えた先……『鬼の居ない明日』が訪れた時に、獪岳はどうしていくつもりなのかと言う話にもなる。

 そしてどちらにせよ、柱稽古を続けるなら何れ悲鳴嶼さんと対面する事になるのだ。

 

 獪岳はその言葉に暫し沈黙して。

 そして、様々な感情に震える声で答えた。

 

「俺は。悲鳴嶼さん──先生に、謝りたい。

 赦されねぇってのは分かってる、そんな虫のいい話は無い。

 どうかしたら殺されるかもしれない。それ位の事を仕出かしたってのは分かってる。

 この事が知れ渡ったら、俺の居場所は無くなるのかもしれない。

 昨日まで笑いあってた奴等から軽蔑するような視線を向けられるのかもしれねぇ。

 ……正直、それは怖い。

 でも、……このまま逃げ続けていたら、俺はもっと惨めになる。

 喪いたくないと思ったものからすら逃げ出す羽目になる気がする」

 

 今の獪岳にとって、喪いたくないもの。

 それはきっと、桑島さんや善逸との繋がり……絆なのだろう。

 やっとその心の中に受け入れる事が出来た大切なそれを思うからこそ、獪岳は必死に向き合おうとしていた。

 そして、逡巡しながらも獪岳は言う。

 

「だけど、先生に会おうって、会わなきゃと思うのに、身体が震えて動けなくなるんだ。

 赦されねぇのが分かってるから、恐いんだ。

 ……こんなの、鳴上に頼むべき事じゃねぇのは分かってるんだが」

 

 チラリと此方を見た獪岳に、言ってくれと頷く。

 今更そこで放り出す位なら、そもそも話を聞こうなんて思わなかっただろう。

 余程の無茶苦茶な事を言い出したりしない限りは、それを叶えるつもりである。

 

 

「鳴上、……俺と一緒に、先生に会って欲しい」

 

 

 そうハッキリと言葉にした獪岳のその目は、不安に揺れてはいたが、それでも真っ直ぐなものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
獪岳と悲鳴嶼さんの過去の経緯を知り、思わず頭を抱えた。
あまりにも「間が悪く」、そして鬼以外に決定的な「悪」は居ないのにどうする事も出来ない程の悲惨な結果に終わってしまった事であるが故に、遣る瀬無さだけが募る。
この世界に神様が居るなら悪質過ぎるのでは……と思う程に悪意的な偶然の重なりを感じている。
まあ、偶然と言うよりはある種必然的な選択の積み重ねではあるのだが……。
「そんなつもりでは無かった」行動や選択の結果が取り返しの付かない事になってしまって獪岳の過去を聞いて、足立さんや生田目さんの事がふと頭を過った。


【獪岳】
悲鳴嶼さんの事を知ってからずっと罪悪感と自責の念と、それ以上にその過去を知られたら何もかも失ってしまうのではないかという恐怖に苛まれていた。
向き合わないといけないのは分かっていたけれど、先延ばしにしてしまっていた模様。


【悲鳴嶼行冥】
悠が心から獪岳の事を信頼している事もあり、鬼殺隊隊士の「獪岳」が本当に自分を含めた子供たちを鬼に売ったあの獪岳なのだろうか……と疑問を抱いている。


【伊黒小芭内】
傷痕を見てもその過去を無理に暴こうとはしない事や、鏑丸の事を畜生としてではなく伊黒の友として尊重する態度を取り続ける事などに関して、悠自身への好感度は高い。


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『「明日」は来なくても』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悲鳴嶼さんと話をしたがっている者を連れて訪問する旨を予め手紙で伝え、獪岳と共に岩屋敷がある山奥へと向かう。

 比較的短期間の内に岩屋敷に何度も訪れている事もあって、鎹鴉たちの道案内は流石に今回は不要であった。……まあ、それでも鎹鴉たちがちょっと心配そうに遠目から付いて来ているのだけれども。

 横を歩く獪岳の足取りは重い。その表情は、緊張と不安と拭いきれない恐怖からあまり良い顔色とは言えないものである。

 ……今から話し合う相手とその内容を考えればそれも致し方無い事ではあるけれど。

 それでも、決して足を止める事も無く、そして逃げ出す事も無く。獪岳は悲鳴嶼さんに会う為に……己の過去に正しく向き合う為に、前に進んでいる。

 

 正直な所、獪岳の事に関して悲鳴嶼さんがどう反応するのかは想像するのも難しい。

 悲鳴嶼さんは間違いなくとても優しい人ではあるけれど……しかしだからと言って獪岳の行いを赦せるのかと言うとそれは違うだろう。

 その過去に直接は関係の無い、この件に関しては完全に外野の立場であるからこそ、その出来事を「ただ間が悪かっただけ」なのだと言うしかない事なのだとは感じても。しかし当事者たちにとってはそんな言葉で割り切れるものでは無いだろう。

 余りにも多くのものを一度に喪い、その心に癒えぬ傷を負って今も苦しんでいる悲鳴嶼さんも。

 そして、最後の引鉄を引いてしまったのと同時に、鬼の被害者でもある獪岳も。

 だからこそ、二人の話し合いの結末がどうなるのかは自分には分からない。

 最悪の結果になりそうになったら流石に止めに入るが……、しかしそれ以外に関しては二人が決めなくてはならない事ではあるだろう。

 

「そんなつもりでは無かった」のだとしても、選択や行動の責任は負わねばならない。

 その時の獪岳が罪を問う事の出来ない様な年齢の子供であったのだとしても、それが取り返しの付かない結果に結び付いてしまった事自体は誰にも取り消せないのだ。……それは獪岳自身が誰よりも分かっている事なのだろうけれど。

 己の「罪」に向き合う事はとても難しい。苦しいし、終わりが見えない。

 悔いても悔いても、その過去を無かった事には出来ず。贖う事ですら本当に可能なのかも分からない。

 特に、結果的に人の命を奪ってしまったのなら、その命の重さも背負う事になる。……直接的に子供たちの命を奪ったのは鬼ではあるが、その「言い訳」を獪岳は自分自身に赦さないだろう。

 

 この世に人の罪を正しく裁く事の出来る無謬の『神様』など存在しない。その罪科に正しい罰を定める事など、当事者である無しに拘わらず、きっとこの世に生きる誰にも出来ない事なのだと思う。

 それでも、人の世で起きた罪は人の世の理と法に従って裁かねばならない。だからこそ、とても難しい話だった。

 

 加害者と断じてしまうには、その時の獪岳が置かれた状況は余りにも酷なもので。そして、ただの子供でしか無かった者が圧倒的な暴威を前にして「生きたい」と願ったそれを、誰が「間違い」であるなどと糾弾出来るのだろう。

 ……それでも、悲鳴嶼さんが受けた心の傷と絶望もまた、「仕方が無かった」と割り切れと迫れるものでも無い。

 どんな事情があったとしても、獪岳の選択と行動が悲鳴嶼さんから文字通り全てを奪った事も、覆しようの無い事実であるのだから。

 

 自分にとって、悲鳴嶼さんも獪岳も、どちらも大切な相手だ。

 幸せになって欲しいし、その心に抱えたどうにもならない苦しみが少しでも和らぐのなら、自分に出来る範囲で何だってしてやりたい。

 この話し合いの結末がどうなるのかは分からないが、せめて何か良い方向に変わる事が出来れば……と願うしかない。

 ……このまま何も無かったかの様に現状を維持する方法だってあっただろうけれど、それでも己の過去から逃げずに向き合う事を決めた獪岳の勇気が、今度こそ正しく報われて欲しいと思う。

 だからこそ、自分は決して感情的にならずに二人を見極めようと心に決めていた。

 

 

 山中を歩く事暫し、漸く岩屋敷に到着する。

 猫たちが出迎えてくれるのと同時に、此方の到着に気付いた悲鳴嶼さんが玄関にやって来る気配も感じた。

 獪岳もそれを感じ取ったのか、怯えた様に肩を震わせてその目をギュッと瞑る。

 上弦の鬼と対峙する時のそれとはまた別の恐怖に、その心は震えている様であった。

 そんな獪岳をほんの少しだけ勇気付ける様に、その背中に軽く触れる。

「大丈夫だ、自分は絶対に獪岳の傍に居る」と、そんな想いを込めたそれを感じ取ってくれたのか。獪岳の震えは少し収まった。

 

「私と話をしたい者が居ると言う事だが……」

 

 予め送った手紙には詳しくは書いていなかったからなのか。

「何かあったのか」と、恐らくはそう続けようとしたのだろうけれど。

 しかし、玄関先にやって来た悲鳴嶼さんは、その言葉の先を続ける事は無く。

 その代わりに、その横に居た獪岳を見詰めているかの様にそこに意識を向けていた。

 

 ゴクリと、横に立つ獪岳が緊張から唾を飲み込んだ気配を感じる。

 そして、様々な感情に震える声で。

 

「……お久し振りです、先生」

 

 そう、挨拶をする。

 そこにある感情は、恐怖や後悔や自責の念だけではなくて。

 悲鳴嶼さんが確かに生きていた事を実感したが故の、隠し切れない喜びや安堵にも似た感情も滲んでいた。

 とは言え、何せ悲鳴嶼さんが知っている獪岳は十年前のまだ十にも満たない幼い子供で。名乗りもしていない現時点で目の前に居るその者が獪岳であると気付ける可能性はあまり高くは無いと思っていたのだけれど。

 

「お前は……まさか……獪岳、なのか……?」

 

 どんな感情を表していいのか分からないとでも言いたげに、感情自体が何処かで迷子になってしまったかの様な声音で、悲鳴嶼さんは尋ねる。

 その言葉に、獪岳の視線が揺れた。

 僅かな逡巡はあったが、軽く目を瞑った獪岳は、「はい」と小さく頷きながら返事をする。

 僅かに震える様なその吐息には、まさに万感の思いが込められていた。

 自分だと気付いて貰えた事への喜び、だからこそより深く強く己の心を苛む悲鳴嶼さんへの罪悪感と後ろめたさ……。そんな感情によって複雑に心を揺らしている獪岳は、悲鳴嶼さんからの罵声や断罪を待つかの様に身構えても居た。

 しかし、悲鳴嶼さんは怒りや憎しみなどの感情よりも、「戸惑い」の感情の方がより強い様で。二人して玄関先で無言で立ち尽くす状態になっていた。

 衝撃が強過ぎて、思わず途方に暮れてしまっているのだろう。

 

「えっと、先にお伝えしていなかった事は謝ります。

 ただ、どうしても悲鳴嶼さんには獪岳の話を聞いてやって欲しくて……。

 そして、悲鳴嶼さん宛てに手紙も預かっています。

 その事に関してもお話したいので、屋敷に上がらせて頂いても大丈夫でしょうか?」

 

 このままでは日が暮れるまで二人して玄関先で固まってしまいかねない気配を感じて、差し出がましくもそう声を掛ける。

 その言葉で漸く意識が現実に戻って来たのか、或いは此方の存在を思い出したのか、悲鳴嶼さんはギクシャクとした動きで「ああ……そう、だな……」と頷く。

 そして、無言で「付いて来い」とばかりに踵を返して歩き出した。

 その背中の後を追う事に、獪岳は何処か躊躇っている様であったが。

「大丈夫だ」と、囁きながらその背に再び軽く触れると。羽根で押した程度のその力に押し出されたかの様に、少しよろける様にして一歩踏み出してそのままその後を追う。

 廊下を歩いている間、酷く重たい沈黙がその場を支配していた。

 ただならぬ気配を察知した猫たちが遠目から此方を窺っている様子が見えた程だ。

 

 そして、屋敷の一室に通されて。屋敷の世話をしている隠の人たちが気を利かせてお茶とささやかなお茶請けを用意してくれて。悲鳴嶼さんはそのお茶を僅かに飲む。

 それによって思考が少しは落ち着いたのか、一つ大きな溜息を吐いて。そして、固い声音で尋ねた。

 

「それで……今更お前と私で一体何を話す事がある?」

 

 それは、拒絶の意を多分に含んだ言葉と声音であった。

 酷く冷たく聞こえるその声に、獪岳はその身を震わせたが。しかし、膝上で固くその手を握り込んで、逃げ出したいと言う感情を押さえ込んで、そして躊躇いながらも悲鳴嶼さんへと真っ直ぐに視線を向ける。

 

「……俺が先生に……皆にしてしまった事は、絶対に赦されないとは分かっています。

 何年何十年経とうと、例えこの世の鬼全てを滅ぼしたとしても、俺がやった事が『無かった事』になる日は絶対に訪れない。

 だから、赦されたいから此処に来た訳じゃない。

 ただ、もう……『逃げたくない』から。だから、向き合う為に、此処に来ました」

 

「それで、私がお前の話を聞かねばならない理由が何処にある?

 十年前、自分が何をしたのか本当に分かっているのか?

 お前は、自分の命惜しさに自分以外の多くの命を捧げた。

 それ以上の何がある」

 

 怒気すら滲ませながら動かしようの無い「事実」を言葉にされて、獪岳は微かに呻く。悲鳴嶼さんの言葉には、かなり強い拒絶の感情が含まれていた。

 今もそこに囚われ続けているとは言え、それでも悲鳴嶼さんにとって「あの日」の事はもう「終わってしまった事」なのだ。……「終わってしまった事」だからこそ、もうどうする事も出来ない苦しみに心を苛まれ続けている訳なのだが。

 今も生々しく痛むその傷口を態々抉られて喜ぶ者など居ないし、それを歓迎する者も居ない。

 況してや、悲鳴嶼さんから見れば獪岳は純然たる加害者……それも「家族」同然であった者達を平然と鬼に売り飛ばした畜生同然の行いを犯した者だ。

 それで話を聞けと言う方が無理である。叩き出されていないだけ温情とすら言えるのかもしれない。

 

 ……だけれど、恐らくはきっと。この件に関しては悲鳴嶼さんは獪岳の口から直接「あの日」の話を聞くべきである。

 そうする方が、少しでも良い方向に変わっていける可能性があると思いたいだけなのかもしれないが。

 どちらにせよ今のままでは何も変えられないし、ずっと苦しいままだ。

 これ以上悪くなる事は無いのだとしても、裏を返せばこれ以上良くなる事も無い。死ぬまで、ずっとこの苦しみを抱え続ける事になる。

 本当は誰よりも優しくて穏やかで繊細なその心を、永遠に苦しめる事になる。

 ……自分は、それを「嫌だ」と思った。

 それは、とても我儘で独善的で身勝手な押し付けなのだろうけれど。

 それでも、もうここまで関わってしまった、知ってしまったのだ。

 当事者では無いのだとしても、目を反らして知らなかったフリは出来ない。

 

「悲鳴嶼さん、お願いです。どうか獪岳の話を聞いてやって下さい。

 俺の頼みを聞く義理は無いのは分かっていますが……どうか、お願いします」

 

 誠心誠意頭を下げて、それを願う。

 すると、悲鳴嶼さんは暫しの沈黙の後に、今までのものよりも更に深く大きな溜息を一つ吐いて。

 

「……君がそこまで言うのならば、仕方が無い」

 

 と、そう何処か観念した様に、悲鳴嶼さんは獪岳の方へと真っ直ぐに意識を向けるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 己の前に座った青年が深く頭を下げた気配に、思わず言葉を喪ってしまった。

 彼の横に座る獪岳が驚いた様に息を呑んだ気配も伝わって来る。

 己の眼は光を映さないが……いやだからこそ、それ以外の感覚で世界の輪郭を感じているからこそ。

 彼……悠が、何処までも誠実に……そして獪岳だけでなく私の事も心から想って己の頭を下げている事が、その僅かな息遣いや些細な声音の変化で分かってしまう。

 だからこそ、「何故」と。そう思うのだ。

 

 悠にとって獪岳は仲間であるのだろう。だからこそ、悠が獪岳を慮るのは分かる。

 だが、獪岳の話を聞いて貰おうとする言葉の中に、どうして私に対しての深い優しさを感じるのか。……全く訳が分からない。

 

 ……獪岳がどの様な行いをしたのかを身を以て知っている私としては信じ難い事ではあるが、悠が心から獪岳の事を信頼し思い遣っている事は、前回悠を呼んで獪岳の事について探りを入れた際にその言葉以上に伝わっていた。

 しのぶなどは悠が余りに底無しのお人好しである為に、悪い人に騙されやしないかと心配しているが。しかし、悠は間違いなくお人好しではあっても、誰彼構わずに信頼する訳では無い。

 寧ろ、「信頼する事」は悠にとっては普通よりも重い意味を持ってすらいる。

「良くないもの」や「悪意」を見極める目は確かであるだろう。……まあ、騙そうとする相手が皆悪意に満ちている訳では無いので、絶対に騙されない訳では無いだろうが。

 だからこそ、悠がそこまで信頼を寄せる獪岳とは、果たして自分の知るあの『獪岳』と同じ人間なのだろうかと思っていた。獪岳と言う名は珍しいが、偶然同じ名であっただけの可能性もあったのだろうと、そう考えた事もあった。

 鬼に子供たちの命を売り渡してまで生き延びようとしたあの獪岳が果たして鬼殺隊になど入る可能性があるのかを考えたら、寧ろそちらの可能性の方が高かった。

 

 ……上弦の肆を討伐した隊士たちの名前の中に、もう二度と聞く事は無いだろうと思っていたその名を聞いた時。冗談では無く時が凍り付いたかの様にすら感じた。

 まさかあの獪岳なのかと、岩柱の権限でその経歴を調べてみても、育手の下で修行を始めるまでの過去の一切が不明であった。

 孤児であったとされているが……。

 獪岳の過去の行いを考えると、最悪の場合今度は鬼に対して鬼殺隊の者たちの命を売りかねない。

 鬼舞辻無惨との決戦が控えている今、それが鬼殺隊にとって致命的な結果になる可能性だってある。

 故にこそ、鬼殺隊の隊士であり上弦の肆を他の隊士たちと協力して討ち取ったこの獪岳が、かつてあの寺で共に過ごしていたあの獪岳なのかどうなのか確かめなくてはならないと思い、同じ時期に里に滞在していた悠に尋ねてみたのだ。

 そして、益々分からなくなった。

 

 しかし悠と共に件の『獪岳』が言葉を発した瞬間。

 その無意識の息遣いの間に、微かな声の震えに、「先生」と呼んだ時の声に、強烈な既視感を覚えて。

 意識がまるで、時を大きく遡り「あの日」よりも前に戻った様にすら感じてしまった。

 十の年月を重ね、その背も体付きも声の高さも……幼い子供であった頃の名残はもう何処にも無くなってはいたけれど。

 それでも、目の前に居るのはあの獪岳であるのだと確信した。

 そして……。

 まるで悔悟の念に苛まれ、何処か怯えてもいる声音であったが。獪岳のその声には、抑え切れない安堵や微かな喜びの様な感情も感じる。

 だからこそ、どう反応して良いのかが分からなくなった。

 

 十年前の「あの日」から、私にとって獪岳は生き残る為にそれ以外の者全ての命を捧げた、子供の邪悪なまでの残酷さと身勝手さの象徴の様な存在であった。

 ……『死にたくない』と想い、命長らえる為に何とかしようと足掻いた事自体は決して責め切れるものでは無い事は理屈の上では分かっている。だが、感情はそう割り切れるものでは無い。

 ただの幼子が鬼に対峙したのなら、生き残る事など先ず不可能で、何かもっと餌を与えねばならなかったのだろう。窮地に陥って咄嗟に選んだ事であり、その結果を深くは考えていなかった可能性だってあるのだろう。子供は後先考えないその場凌ぎの行動をよく取るものだ。

 だが、窮地に追い込まれ自ら選んだものがそれであると言うのならば、それがその者の本性なのだ。

 それは大人でも子供でも変わりはない。

 だからこそ、獪岳は信用するにも値しない人物だと言わざるを得ないし、同時にその言葉を何処まで信用出来るのかも甚だ疑問である。

 ……故に、悠が心から『獪岳』を信頼しているのには本当に驚いたのだが。

 

 十年前の「あの日」から心の中に刻み込まれた、残酷と身勝手さの象徴の様な獪岳と。悠から聞いた『獪岳』の姿や、そしてこうして十年の時を経て再会した獪岳の態度がどうにもズレていて。

 確認する様に尋ねた私の言葉に小さく頷いて返した獪岳のその気配には、十年前の幼子であったその時の……慎ましくも温かな日々を過ごしていたその時のそれの名残が僅かに残されていた。

 お互いに言葉も無く戸惑いと共に立ち尽くしてしまっていると、それを見かねたのか悠に促され。

 戸惑いはまだ消えてはいなかったが、二人を屋敷に通した。

 背後で、躊躇う様に立ち竦んでいた獪岳のその背を、悠が優しく勇気付ける様にそっと押した気配がした。

 

 部屋に通して腰を落ち着けた事で、戸惑い混乱していた思考も多少は整理されて。だからこそ、獪岳が何故ここにやって来たのかと言う事がより思考を支配する。

 

 獪岳が話すとしても、それはやはり「あの日」の事だろう。

 だが、今更それを話したところで一体何になると言うのか。

 獪岳の視点からどんな事情を聞かされようとも、獪岳の行いは変わらずその結果も変わらない。

 喪われた命が戻る事は無く、守ろうとした者にすら怯えられ拒絶された事も、無実を誰にも信じて貰えず投獄され処刑されかかった事も、何一つとして覆る事も無かった事にもならない。

 全ては、とうの昔に終わってしまった事なのだ。

 それを今更蒸し返して一体何になると言うのか。

 

 不愉快な言い訳など、聞いていて気分が悪くなるだけで。

 だからこそ、獪岳の話など聞く気は無いのだと、そう言葉と態度で示したその時。

 何故か、悠が頭を下げたのだ。

 悠にとって本来この件は関わりの無い話であり、多少は事情を知ってはいてもそれだけで。

 そう長い付き合いでは無くても、直接言葉を交わし、悠が周囲にどう接するのかを注意深く観察していれば、悠は決して他人の事情に無遠慮に踏み込んだりはしない人間だと分かる。

 したり顔で押し付けてくる事はなく、他人の感情や事情などにかなり気を配って行動する者だろう。

 善良ではあっても、愚かな弱者ではなく。一方的な「正しさ」で相手を殴ろうとはしない。そんな、正しく「善き人」である。

 だからこそ、全く以て悠の意図を理解出来ない。

 ……だが、悠にとってはそうやって頭を下げる価値が獪岳にはあるのだろう。

 だからこそ、悠のその想いに免じて、この場は獪岳の言葉に耳を傾ける事に決めた。

 

 話を聞こうという態度を取った私に対して、獪岳は膝上の手を更に強く握り込む。そして、心を落ち着けようとしてか何度か浅く深く息を繰り返して。

 真っ直ぐに私へと視線を向けて、重い口を開いた。

 

 

「……先生、俺はあの日──」

 

 

 そうして語られた獪岳にとっての出来事は、その顛末を身を以てよく知る私にとっても、知らなかった事ばかりであった。

 ……そもそもの事の発端となった「盗み」を何故獪岳が犯したのかは、今となってはもう詳しくは本人にも分からない事の様だった。そして、そこに関して「何故」と問い詰めたとしても、もう意味は無い事だ。

 何にせよ、獪岳は言い付けを破って夜に寺の外に出ていたのでは無く、夜に寺を追い出されていた事は確かであった。

 

 ……獪岳を咎めて反省させる為に夜に外に追い出した子供たちの行動も、思慮深いとは言えないがその意図は理解出来る。

 鬼の伝承が強く残る地域であったとは言え、子供たちは本気で「鬼」の存在を信じている訳では無かったのだろう。

 精々、言うことを聞かない子供たちを脅す為の作り話だとしか思われていなかったのかもしれない。

 世の人々の大半は、「鬼」の存在など知る事も関わる事も無くその一生を終える。

 鬼による被害は常に何処かしらで発生していても、世に溢れる人々の数で考えると一握にも満たぬ程度の人だけが「鬼」の存在に関わる事になる。そして、「鬼」に出会して無事に生き延びる事が出来る者はそう多くはない。だからこそ、本当に細々とした伝承が残っているだけでも珍しい事で、その伝承があってすらその実在を信じる者など鬼殺隊関係者以外ではほぼ皆無と言って良い。

 だからこそ、子供たちもそれが取り返しの付かない事になる切っ掛けになるとは露とも思わずに、獪岳を鬼が闊歩する夜の闇の中へと追い立てた。

 ……せめて獪岳をそうやって外に出した事を私に伝えていれば、「何か」はもっと変わっていたのかも知れないけれども。

 子供たちがそれを私に伝えなかったのは、獪岳が「悪い事」を犯したとは言え、それを子供たちだけで追い立てて夜の中に放り出した事への後ろめたさだったのか。或いはもう夜も遅くなっていた為に私に気を使ったのか……。もうその理由は今となっては分からないけれど、何であれ私が獪岳がその場に居ない事に気付けなかったのは確かだ。

 

 そして、夜の闇の中で鬼と遭遇した獪岳であったが、鬼が私たちに嘲る様に言い放ってきたその経緯とは少し違っていた。

 鬼に襲われ、寺で焚いている藤の香を消せと脅迫されたのだ。

 獪岳は、決して自分から私や子供たちの命を売り渡した訳ではなかった。……無論、そこで鬼の言う事に従えばどうなるのかなど、想像力に乏しくても「悪い事」になるのは察する事は出来るだろうけれど。

 しかし、生きるか死ぬかの状況に置かれた時に、それで僅かにでも生き延びられるかもしれないのなら……と。それを選んでしまった事を浅慮と謗る事は難しい。

 大人でも、同じ状況に置かれて同じ様な選択をする者は少なくは無い。況してや子供の身の上であるならば……。

 鬼殺隊に所属してから、鬼と言う存在の卑劣さ悪辣さを嫌と言う程に知ったし、窮地に陥り命の危機に晒された人の弱さや愚かさと言うものもよく知る事になった。

 鬼に脅されて嫌々その手先になる者も居れば、鬼に積極的に手を貸す者だって居る。命の危機に瀕して自分の身近な者を見捨てる者も居るし、我が子を鬼の餌のように放り投げて逃げ出そうとした親だって居た。

 死を前にした人々の足掻きは、時にどうしようも無く醜く、手の施しようも無い程に愚かな事すらある。

 それを考えると、獪岳のその行いは決して並外れて邪悪なものでは無かったのだろう。

 そもそも「悪意」すら獪岳には無かった。

 獪岳はただただ死にたくなかっただけだった。そう、本当にただそれだけだったのだ。

 

 ……その選択の結果がどうなったのかを身を以て知っているからこそ、獪岳のその選択を赦す事は出来ないが。

 しかし、「ならお前があの時に死ねば良かった」等と糾弾する事も、私には出来なかった。

 怒りはある、あの日から絶えずこの胸を焦がす憎しみもある。

 ……ただそれは、獪岳に対してと言うよりも、やはり「鬼」と言う存在そのものに対してのものだ。

 あの日の獪岳は、無力な幼子で。その選択は「正しくはなかった」のだとしてもその瞬間の獪岳にとってそれ以外には選びようの無いものでもあった。……そんな子供に対して憎悪を滾らせる程に、壊れている訳では無い。

 

 結局の所、全ては「鬼」の存在が諸悪の根源であるのだ。

 鬼さえ居なければ、もっと別の未来があった筈だ。

 鬼さえ居なければあの子たちが命を落とす事も無く、そして獪岳が多くの命を犠牲にする選択をする事も無く。

 寺の外に出されていた獪岳を探して、そしてどうして「悪い事」をしたのかを尋ねて、その上で叱るなりして分かり合える様な。……そんな「明日」が来ていた筈だったのだ。

 一つ一つの選択や行動は本当に些細なもので、そして決定的な選択ですら当人にとってはそれ以外には選びようの無いもので。

 ならば、もうそれを咎める事自体に意味は無いのだろう。

 鬼を殺せば良い。一体でも多く、この世から全ての鬼を滅ぼせば良い。……そして、それはもう実現不可能では無い所まで辿り着けた。

 全ての根源たる鬼舞辻無惨さえ滅ぼせば、この長い悲劇と苦しみの連鎖は絶たれる筈なのだから。

 

 ……そして、獪岳自身はそれを語った訳では無いが。

 子供たちの命を犠牲にしてまで生き延びた獪岳が、鬼の脅威を身を以て知っていても尚鬼殺隊に入る事を選んだのは。

 決して酔狂などでは無く、獪岳自身にも決して消す事の出来ない鬼に対する強い感情があるからなのだろう。

 それが鬼への憎悪や怒りによるものなのか、或いは鬼によってあの夜奪われた命に対する贖罪の念であるのかは分からないが。

 獪岳が鬼を滅する為の刃となる事を選んだ事だけは確かであり、鬼殺隊の柱としてはそれが最も重要な事であった。

 

 そして、鬼に屈して多くの命を奪う選択をした獪岳ではあるが。……鬼殺隊となるべく修行で扱かれたからなのか、或いは悠などとの出会いがあったからなのか。少なくとも私が懸念していた様な内面の問題は改善されたのだろう。

 ならば、それで十分だった。

 

 ……もう、獪岳とはかつての様な関係性に戻る事は出来ない。

 そうなるには、お互いに傷付き過ぎたし、余りにも多くのものを喪った。

 あの、温かく穏やかな日々にはもう二度と戻れないのだ。

 ただ……。もう二度と「明日」が訪れる事は無いのだとしても。「あの日」からこの胸の奥を苛み続けていた苦しみが、少しばかり和らいだ様な気がする。……なら、それで良いのだろう。

 

「……獪岳。私は、お前のした事を赦す事は無い。

 だが、それを咎める事もしない。ただ……。

 お前があの日の行いを悔やんでいるのならば、一体でも多くの鬼を狩れ。鬼舞辻無惨を討つ為の刃の一つになれ。

 私から言える事は、それだけだ」

 

 赦さない、と。そう告げた時に、獪岳がその身をギュッと縮こまらせたのを感じた。

 その言葉を当然だと受け止めつつも、心の苦しみは消える訳でないからだ。それでも、獪岳は毅然と私の言葉の続きも受け止めた。

 赦しはしない、それでももうそれを憎む事も恨む事もしない。

 その想いを受け取った獪岳は、僅かな沈黙の後に「はい、先生」と厳かに頷いた。

 

 そして、獪岳の話に一区切りが着いた事を見計らって、獪岳と私とのやり取りを静かに聞いていた悠が「悲鳴嶼さん」と声を掛けてくる。

 

「悲鳴嶼さん宛に預かっている手紙があるんです」

 

 そう言えばそんな事を言っていたなと思い出し、悠が差し出してきたその手紙を受け取る。

 とは言え、目は見えない私には、一体それが誰からのものでどんな内容が書かれているのかは分からないのだが。

 後で隠の者に読み上げて貰う事にしようと、その手紙を懐に仕舞おうとすると。

 悠は待ったを掛ける様にそれを止めた。

 

「あの、出来るならこの場で読んで頂きたいんです」

 

 何故? と思わず首を傾げる。

 急を要する手紙であるなら悠なら鎹鴉に託して送っていただろうから、この手紙はそんな急ぎの内容では無いと思うのだが。

 それに、目が見えない以上は読みあげて貰えない事には私には分からないのだ。

 

「俺が読み上げても良いですけど……。

 でも多分、俺よりも獪岳が読み上げた方が良いと思います。

 これは悲鳴嶼さん宛の手紙ではあるけど、獪岳にも知って欲しい事だから」

 

 一体どんな内容だと言うのか。

 内容が非常に気にはなるが、悠はそれに関しては手紙を読んでくれとしか言わないので、私はその手紙を獪岳に渡す。

 すると、獪岳がその手紙を見て息を飲んだ。

 自分が読んで良いのかと逡巡している気配がする獪岳に、悠は「読んで」と頷いている様だった。

 それに背を押されたのか意を決した様に、獪岳は居住まいを正してその手紙を読み上げ始める。

 

「先生へ──」

 

 そんな言葉で始まったその手紙は。

 思いもよらなかった者からの、十年前に別れたっきりその消息すら知らなかった……知ろうとはしてこなかった紗代からの手紙であった。

 そして、そこに書かれていたものは。

 十年前のあの紗代の言葉の……今も片時も忘れる事の出来ず私の心を苛むあの言葉の、その本当の意味であった。

 

 紗代の言った「あの人」は、私の事ではなかった。

 紗代にとっては、見知らぬ恐ろしい人であった「鬼」だったのだ。

 ……ああ、よく考えれば。紗代は「あの人」だなんて呼び方を一度も私にした事は無かった。何時だって、幼い声で「せんせい」と呼んでいたのだ。

 しかし、あの時の私は、紗代は恐怖で混乱していた上に、鬼を殴り潰し続けていた私の事を『化け物』だと恐怖したからなのだと思っていたが。だが、そうでは無かったのだ。

 しかし、ただでさえ言葉がまだ覚束無い程に幼かった紗代にとっては、恐怖もあって上手くそれを言葉に出来なくて……。更には陽光の中で燃え尽きた鬼の存在を示すものは何も残っていなくて……。

 あの場に居た誰も、その言葉の本当の意味を理解してやれなかったのだ。

 ……そして紗代は、己の言葉が私の命を奪ったのだと、十年もの間己を責めていた。……あの日の言葉を謝りたいと、ずっと悔やんでいた。

 紗代は、私が処刑を免れた事を知らなかった。

 だからこそ、私が今も生きている事を知って、堪らなく嬉しかったのだと言う。

 何時か、必ずまた逢いたい。会って直接その言葉を伝えたいのだ、と。そう紗代は手紙を締め括っていた。

 

 

「……どうして、これを……」

 

 今まで自分を苦しめていたものが一気に突き崩された衝撃に、思わず呆然とした声で悠に尋ねた。

 ……紗代の下を訪れ、私の生存を知らせ、そして紗代から十年前の記憶を引き出して手紙に認めさせたのは、疑う余地すらなく悠だろう。

 しかも、その手紙が紗代本人からのものである事を示すかの様に、悠が知る由も無いかつての思い出の事にも触れられている。

 だからこそ、「何故」と言う疑問ばかりが浮かぶ。

 悠がこんな事をする理由が皆目見当もつかなかった。

 

「……俺の我儘で余計なお節介はあるんですけど。

 以前悲鳴嶼さんから過去のお話を聞いた時に、どうしても、『真実』を確かめたくなったんです」

 

「『真実』……?」

 

「悲鳴嶼さんが話してくれたそれは『事実』ではあっても、『真実』だったのかどうかは分からないな……と思ったので。

 どうして紗代がそんな事を言ったか、どうして子供たちがそうしたのか……。

 死んでしまった人に話を聞く事は出来なくても、まだ生きているかもしれない紗代からなら何か話を聞けるかもしれないと思って。

 それで、お館様に頼んで紗代さんの行方を調べて貰ったんです」

 

 もし、そこにあった『真実』が、私が感じていたものと違ったものであったのなら。……そして、それが私にとって何か救いになるかもしれないものだったなら。私にはそれを知る権利があるのだ、と。そう悠は当たり前の様に言う。

 

「『真実』が何時も良いものであるとは限らないし、それを知る事が幸せとは限りませんが……。それでも、確かめようとしない事には、『真実』を知る事は出来ませんから。

 ……もし、もっと残酷な事が『真実』だったなら、悲鳴嶼さんには黙っているつもりでした。

 でも、俺は……信じてみたかったんです」

 

「何を信じたかったのだ?」

 

「悲鳴嶼さんの大切な『家族』の事を。

 悲鳴嶼さんが子供たちを大切に想っていた様に、子供たちも悲鳴嶼さんの事を大切に想っていたのではないか、と」

 

 信じて良かった、と。そう微笑んだ悠に、何と言って良いのか分からなかった。

 ……悠はそれを当たり前の様に言うが、『真実』を確かめる為に態々本来自分に関係ない相手を探し出そうとする事は尋常な事ではないし、しかもその動機が私の為だという事もただ事では無い。

 更には、その『真実』とやらを確かめようとした根拠が、会った事も無い相手を信じたかったからだと言うのだ。

 ……悠にとって「信じる」と言うそれが、口先だけの軽いものでは無い事はよく分かる。

 悠にとっては、「信じる事」も「信じられる事」も、どちらも特別で重い意味を持っている。

 だからこそ、異様なのだと心から感じた。

 

 しのぶは悠の事を「度を超えたお人好し」だと言っていたが、果たしてそれだけに留まっているのだろうか……。

 間違い無く善良であり誠実な人間ではあるが、「大切」だと判断した相手に対しては過剰な程に献身的になる。

 ……人は本来自分の事だけで手一杯だ。

 余裕があるのならば他者に手を差し伸べる事は出来るが、それも決して無限では無い。心の余裕だって、常にある訳では無い。

 しかし悠は……自分以外の誰かに尽くす事を一切躊躇しない。

 それだけその心に余裕があると言う事なのかもしれないが、果たしてそうなのだろうか?

 

 悠は、確実に鬼殺隊に良い変化を齎している。

 鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちに対抗する為の手段を齎したと言うだけに留まらず、蝶屋敷にまで辿り着けた者たちの命を確実に救う事で鬼殺隊全体の生存率を引き上げ、上弦の鬼たちとの戦いで勝利を収め続ける事で全体の士気を高めている。

 そしてそれ以上に、心に傷を抱えた者たちばかりの鬼殺隊ではどうしても手が回らない事も多いその心の問題にも向き合って、多くの隊士たちの心を救っている。

 身近な所で言うのなら、玄弥は確実に悠に出会った事でその心に穏やかさが戻ったし、しのぶは上弦の弐との戦いの後で何処か吹っ切れた様になっていて……かつてカナエを喪った時にしのぶが殺してしまった「胡蝶しのぶ」の一面が顔を出す様になっている。

 柱稽古に参加を表明した冨岡の事も、恐らくは悠たちが何かをしたのだろう。

 時透の事も、その記憶を戻す手伝いをしていた様だ。

 私が知らない所でも、きっともっと多くの者たちの心を救っている。

 

 ……そう、余りにも悠の存在は大き過ぎるし、そしてそれは悠の尋常では無い献身に支えられている。

 鬼舞辻無惨との決戦が迫っている事を抜きにしても、悠は鬼殺隊にとってなくてはならぬ存在になっている。

 隊士たちの間では悠の事を『神様』などと呼び、中には本気で崇めるかの様な扱いをしている者も居る程だ。

 

 だが悠一人の背に絶え間無く様々なものが載せられていく現状は異常であるし、悠自身がそれを躊躇わずに背負ってしまう事も異様だ。

 その「無理」が何時何処で破綻してもおかしくは無いのでは、と。そう思わずにはいられない。

 しかし。

 

 

 そんな私の懸念を他所に、安堵した様に微笑んでいる悠の気配は余りにも「普通」であった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
獪岳と悲鳴嶼さんの心が少しでも救われた様なので本当に良かった……と安堵している。
場合によっては「信じている」相手の為に追い求めていた『真実』すら闇に葬り去ってしまう可能性が存在する程、悠にとって「信じる事」は物凄く重い感情である。


【獪岳】
悲鳴嶼さんとの話し合いで、自分の過去に一定の折り合いを付ける事は出来た。
完全に自分を赦せる日が来るのかは分からないが、しかし自ら「幸せ」を手放す様な真似をする事はもう無い。
全てが終わったら、かつての古寺を訪れて、あの日死んでしまった子供たちに手を合わせるのかもしれない。


【悲鳴嶼行冥】
元々根が優しくて善良である為、獪岳の事も本気で憎んでいた訳では無かった。(トラウマにはなってるけど)
紗代からの手紙と、獪岳との話し合いによって大分心が救われた。
少しだけ、夢見などが良くなるかもしれない。
これには悲鳴嶼さんを見守っている子供たちもニッコリ。
全てが終わったら、紗代に会いに行こうと決める。
悠の事がとても心配になってきた。『化け物』呼ばわりは当然ダメだが、『神様』扱いも間違い無く不味いと思っている。



≪今回のコミュの変化≫
【法王(悲鳴嶼行冥)】:8/10→MAX!


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『彷徨う言葉』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悲鳴嶼さんと獪岳との話し合いはどうにか無事に終わった。

 もうかつての様な関係性には戻る事は叶わなくても、それでも向き合う事を選んだからこそ獪岳はまた少し前に進む事が出来たし、悲鳴嶼さんもその苦しみが無かった事になる訳では無くてもその痛みを和らげる事が出来た。……紗代も、届けられなかった言葉を正しく伝える事が出来て、十年もの間抱え続けていた苦しみから少しは解放されただろう。

 悲鳴嶼さんが酷く驚いていた様に度を越したお節介な事だったとは思うが、それでも行動しようと決めて本当に良かったと思う。

 

 獪岳はこの後伊黒さんの所で柱稽古を再開するそうで、このまま順調に行けばもう少ししたら悲鳴嶼さんの所をまた訪れる事になる。

 そんな獪岳に、悲鳴嶼さんは「待っている」と、そう静かに伝えていた。

 ……かつての関係には戻れなくても、それでもまた新たに違う関係性になる事は出来るのだろう。

 鬼を殺す為に同じ道を選んだ者同士であるからこそ、そこには目に見えない繋がりと信用にも似た何かがあった。

 自分も、少し遅くなってしまったが実弥さんの下へ行かなくては。紗代の事などで少し時間を取っていたので、あまり待たせてしまうのも悪い。

 それに、そろそろかなり早いペースで柱稽古を着実に突破しているらしい炭治郎たちに追い付かれそうだ。

 まあ、炭治郎たちなどとかち合ったとしても、そう数が居る訳では無いので、実弥さんの迷惑になる訳では無いだろうけれど……。

 ああでも……実弥さんの訓練内容は確か無限打ち込み稽古だったから、流石に体力的に厳しくなってしまうのだろうか? まあ、それならその時はその時で、一旦手合わせは中断した後に、また何処かで改めて手合わせをする為に訪れても良いのだろうが。

 

 獪岳と共に岩屋敷を発つ際に、悲鳴嶼さんに少しだけ呼び止められて、今回の一件に関しての感謝を伝えられて。それと同時に、「あまり無理はするな」と心配されてしまった。

 何か無理をしている様に見えたのだろうか? ……だとしたら心配させてしまって少し申し訳無かった。

 その気遣いに礼を言って、自分は大丈夫だと返す。

 そして見送ってくれた悲鳴嶼さんに手を振って、実弥さんの下へと急いだ。

 

 

 鎹鴉たちに案内されて、実弥さんが待つ風屋敷に辿り着く。

 山奥にある岩屋敷と違い、風屋敷があるのは町中だ。

 まあ、町中に在っても立派な鍛錬場を備えている風屋敷はとても広いが。

 玄関先で訪問を告げる挨拶をすると、待っていてくれたのか実弥さんは直ぐにやって来てくれる。

 ちょっと強面だけど、他人を気遣ってくれる優しい人なのだろう。まあ、語調が少し荒れている事や至る所に走る傷を隠そうともしない事もあって、そちらの印象に引き摺られてその気遣いに気付くのはちょっと難しくもあるが。

 玄弥が言っていた通り、とても優しい「兄ちゃん」なのだろう。……肝心の玄弥に向ける優しさが、物凄く分かり難い上に玄弥をこの上無く傷付けているからこそ、ちょっとどうにもならなくなっているのだけど。

 

 早速手合わせを、と言う事になり勿論その為に此処に来たのでそれに否は無い。

 そして、それはもう激しい手合わせが始まった。

 呼吸によってその技の激しさや得意不得意は結構違うのだと毎度実感するが、実弥さんの風の呼吸は物凄く荒々しい暴風の様に激しいものだ。

 まるで烈風が周囲を削ぎとっていくかの様な苛烈なその攻撃は、力強さと速さが両立して凄まじい。

 棘付きの巨大な鉄球と斧を自在に操る悲鳴嶼さんとの手合わせも物凄い迫力と言うか威圧感を感じるものだけれど。それとはまた違う方向性で実弥さんとの手合わせも物凄い威圧感を向けられている気がする。

 手合わせと言っても実戦を想定したものなのだから、本気の殺意に限りなくよく似たものを向けるのも間違いではないのだろうけど……。

 

 もしかしなくても、自分は実弥さんにはあまり好かれていないのだろうか? 嫌われている訳では無いとは思うが……。

 それはちょっと寂しいとは思いつつも、まあ致し方無い事ではある。

 実弥さんにとって、自分は玄弥を危ない道へと引き摺りこんで命を危険に晒させている元凶の様に見えているのかもしれない。

 玄弥とはよく任務を共にしていたし、その時の戦果で玄弥は昇級もしている。

 階級が上がればより危険な任務を振り分けられやすくなるし、そしてそれが実力以上のものになってしまうと途端に命の危機に陥るだろう。

 玄弥がその実力に不相応な程の鬼でも狩れる様にと無理矢理に手助けをした事は無いが、まあ普通に協力する分には何の躊躇いもなくやっていたので、本来の玄弥だとちょっと単独だと厳しいだろう相手も倒している。それもあって、実弥さんとしては自分の存在はあまり歓迎出来ないのかもしれない。

 まあ現に、最も直近の話だと上弦の肆との戦いなんて本来は命が幾つあっても足りない様なもので、そこに呼吸が使えないと言う非常に重いハンデを背負う玄弥が居合わせて生き残れたのはかなり幸運だったと言えるのだろう。

 玄弥には確かに「鬼食い」と言う奥の手はあるが、玄弥が鬼を喰う度に『アムリタ』でその影響を取り除いているので普段の玄弥は鬼の様な再生能力など持たないし、何なら奇襲されたりすれば運が悪ければそこで死んでしまう。

 あの場に鬼である禰豆子も居合わせてなかったら危なかったかもしれない。まあ、玄弥の「鬼食い」の力が無ければ、炭治郎たちは半天狗を討つ事は出来なかったのだけど。

 何にせよ、強敵との戦いはそれだけ命の危機があるものなのだ。

 大事な弟にはそんな危険を冒して欲しくないと言うのは、まあ理解出来るのだ。

 ……そこで素直に玄弥にそう話せば良いのに。自分から嫌われにいく様な刺々しく冷たい言動をするから物凄く拗れているのだと思う。

 

 ……そう言えば、実弥さんは玄弥の「鬼食い」の力の事を知っているのだろうか……?

 ある意味では呼吸への才能以上に稀有な才能だと言えると思うのだが、何せ鬼を喰ってその力を一時的に手にする異才なのだ。

「鬼」と言う存在そのものへの強い嫌悪感と憎悪と怒りがある鬼殺隊の隊士たちにとっては受け入れ難いものである可能性が高く、玄弥がその力を有している事を知る者は少ない。

 玄弥と共に戦った炭治郎たちの他には、しのぶさんと悲鳴嶼さんと無一郎は確実に知っているけれど……。

 他の人がどうなのかはあまりよくは知らない。

 もし知らないのなら、それを知った時に余計に拗れそうだな……とふとそんな考えが頭を過ぎる。

 拗れに拗れて捻れに捻れて、もういっその事一周して何か良い感じに収まったりしないかなぁ……などと思わず思ってしまうが、まあそんな事は流石に無理であろう。

 

 一通りの手合わせを終えて休息を取りつつ、余りにも悩ましい不死川兄弟の事を考えていると。

 手合わせの際に僅かに負った軽い切り傷に薬を塗りつつずっと此方を静かに観察していた実弥さんが、ふと口を開いた。

 

 

「鳴上。お前は一体何者なんだァ?」

 

 

 下手な嘘や誤魔化しは許さない、と。そう威嚇する様なその目に射抜かれて。

 思わず、返す言葉を見失って息を飲んだ。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ある日突然鬼殺隊の前に現れた『鳴上悠』と言う名の男は、ありとあらゆる常識を覆す様な、滅茶苦茶な存在だった。

 

 息さえあれば、腹に大穴が空いてようが、手足がバラバラに千切れ飛んでようが、どんな傷だって癒す力。

 上弦の鬼すら狂乱させて同士討ちさせる力。

 天変地異の如き暴風を操る力、天の怒りの如き雷霆を操る力、上弦の鬼の肉体を一瞬で骨以外を燃やし尽くす業火を操る力、里全体に蔓延っていた化け物を一度に全て氷漬けにする力、上弦の鬼だろうと文字通りに消し飛ばす力……。

 そのどれかだけでもこの世の理を逸脱した力だと言うのに、『鳴上悠』はその全てを手にして自在に操る事が出来る。

 無尽蔵にその力を揮える訳ではなく、過度に使えば消耗して力尽きる様ではあるが……それにしても自分の意思一つで「奇跡」の様な事を起こせるのだ。

 鬼殺隊に交戦記録が残っているどんな鬼よりも、どうかしたら鬼の始祖であり超常の存在と言っても良い程の力を持つ鬼舞辻無惨ですら勝負にもならない程の、……『化け物』や『神様』とでも呼んだ方が良い様な存在だろう。

 本人はそれを『神降ろしの真似事』だと言ってるが……それが正しいのかは誰にも確かめられない。

 報告書などを通して見聞きする分には、話を盛り過ぎているのか尾鰭を付け過ぎているのかのどっちかだと思わざるを得ない程に、その存在は常軌を逸している。

 創作話の英雄の方がもっと現実的だろと言いたくなる程に、その存在は滅茶苦茶だった。

 神も仏も居やしない残酷なこの世を嘆いた人々が想像して願った『神様』そのままの様な存在だと言っても良いかもしれない。

『鳴上悠』は、俺たち鬼殺隊にとっての「都合のいい『神様』」であるかの様だった。

 

『鳴上悠』に関して、ある程度関わりがある連中は、皆その階級に関係なく、誰もが「優しい」「お人好し」「世話焼き」「善良」などと口を揃えて言う。

 実際何度か顔を合わせた時の印象だと、争い事なんて縁遠いポヤっとした「普通の人」の様にも見えた位だ。

 だが、その「正体」に関しては誰もが「分からない」と口を噤むしか無く、その力は明らかに「普通」じゃ無い。

 

 そして、あまり鳴上と関わった事の無い隊士や隠たちの間でも、「鬼殺隊の『神様』」「蝶屋敷の菩薩様」などといった噂を通して認識されているらしかった。

 柱や極一部の隊士を除けば、鳴上が具体的にどんな力を持っていてどんな事をやっているのかは知らされてないが、それでもその断片は噂などの形で伝わっているらしい。

 それもあって、『鳴上悠』と言う存在は『神様』として鬼殺隊内で一人歩きを始めている様だった。

 神様なんて、祈ろうが崇めようが呪おうが、何も返さない。

 祈ってどうにかなるなら鬼舞辻無惨がこの世に存在し続けるなんて有り得ないだろうし、そして鬼殺隊なんかに流れ着く者は一人も居なかった。

 此処に居る者たちは皆、神様とやらの無力をよく知っている筈なのに。

 ……それでも、最後の最後に縋る先は、願う先は、祈る先は、『神様』なんだろう。だから皆、『神様』を求めてしまうのかもしれない。

 そんな中現れた『鳴上悠』は、余りにも「都合のいい『神様』」だった。

 

 鬼殺隊にやって来るまで一体何をしてたのかも分からない、何処の誰だかも分からない。

 ただ、帰る場所も無く、何処かへ行く宛も無い。

 鬼に大切な何かを奪われた訳でも無いのだが、鬼を生み出し世に悲しみを撒き散らし続ける鬼舞辻無惨への義憤と、そして偶然出会った竈門炭治郎の力になりたいと言う……まあ何ともお人好しな動機で鬼殺隊に力を貸している。

 どうかしなくても世界を思うがままに動かせてしまえる様な力があるのだし、『鳴上悠』の力を知ればそれを我がものにせんと様々な者たちがその手を伸ばして奪い合う事になるだろう程の存在で、なのに鬼殺隊に対して全くと言って良い程に何の見返りも求めない。

 流石に、その貢献具合を考えたら本人があまり望んでいないとは言っても何も報酬を与えない訳にはいかないので、一般的な隊士の給金程度は何とか受け取らせているが。

 それでも、鳴上が成し遂げている事を考えれば雀の涙にも満たない対価だろう。

 誰もが口を揃えて言う「お人好し」と言うそれも、ちょっとやそっとの話ではなくて「尋常では無い」と言わざるを得ない程のものらしく。

 あの冨岡を二日で何やら説き伏せたのか妙に積極性を持たせて柱稽古に参加させる事までやってのけている。

 他にも、蝶屋敷で療養中の隊士たちなどのその心の傷を話す事で和らげさせたりと、まあとにかく、どう生きてきたらそこまでお人好しになれるのかと疑問に思う程にお人好しである様だ。

 謎だらけどころか本当に分かってる部分があるのかどうかすら怪しい程に、『鳴上悠』は正体不明である。

 

 どんな時でも仲間の命やその身の安全を最優先にして、自分が力尽きる限界までその常軌を逸する力を仲間の為に揮って。

 何とも「献身的」と言える程に、鳴上はその身を削る程の勢いで鬼殺隊に貢献している。

 今更その献身や本心を疑ったりはしない。

 本当に「善良」であるのだろう。

 ……それでも、『鳴上悠』は己が何者であるのかを語らない。

 与える事を何も躊躇わず、他人の為に尽くす事も厭わず。しかし、己の過去を語る事は無く、己の心の内を明かす事は無い。

 

 それの何が悪いのかと言われると、「悪い」訳では無いのだろう。別に、他人に自分の過去の何もかもを明かさねばならない訳では無いのだし、心の内だってそこに他人が無理に踏み入ろうとするべきではない。

 ただ、鳴上の性根が「善良」であるからと割り切って捨てる事が出来ない程に、鳴上のその力は余りにも異常なのだ。

 もし鳴上が何かの心変わりをすれば、或いは血鬼術か何かでその心を操られるなどすれば。……最悪、鬼にされた場合。

 その時点で、鬼殺隊にそれに対抗する術は無い。

 鬼たちの様に超常の回復力を持って攻撃を無効化している訳ですらなく、一切の攻撃が効かないのだ。

 鬼殺隊最強である悲鳴嶼さんの渾身の一撃でも、掠り傷一つ負わせる事は出来ない。『透き通る世界』とやらの状態になっていても、だ。

 以前手合わせした時も、その底を知る事すら出来なかった。

 そもそも、上弦の壱と参を同時に相手取って無傷で切り抜けている。

 そして、その攻撃を此方が凌ぎ切る事はまず不可能だ。

 例え鬼殺隊が総力を挙げて挑んだとしても、傷一つ付けられないまま全滅するだけだろう。

 味方であるならば頼もしい存在であっても、敵となった瞬間に理不尽を煮詰めた災厄の化身の様な存在になる。

 それが、『鳴上悠』と言う存在であった。

 

 ……そんな鳴上は、玄弥ととても親しいらしい。

 直接その姿を見掛けた事は無いが、共に任務に行く事も多いらしく、そこで挙げた成果で玄弥は呼吸が使えない身でありながら階級を少し上げていた程だ。

 玄弥にとって、鳴上は良き友であるのだろう。

 話に伝え聞いたり、或いは僅かな交流の中でも感じるその人柄を考えると、鳴上は玄弥の事を心から想ってくれるのであろうし、玄弥を裏切ったり私利私欲の為に利用したりする様な事はするまい。

 ……しかし、本当に玄弥が鳴上の傍に居ても良いのだろうか? と、そう考えてしまうのだ。

『鳴上悠』は、まるでその存在自体が大きな嵐を引き起こしているかの様に、大きな戦いのその場にほぼ確実と言っても良い程に居合わせる。

 そもそも、鳴上自身が無惨に狙われていたらしいし、それは更にあいつがその身を囮にして無惨を釣り出そうとしているのだから益々その傾向は加速するだろう。

 遠からず訪れる無惨との最終決戦の折には、恐らく『鳴上悠』が居るその場所が、最も過酷な戦いの場になる。

鳴上の傍に居ると言う事は、危険に最も近付く事にも等しい。

 ……俺が気にしている筈もない言葉を何時まで経っても気に病んでこんな場所まで追い掛けて来てしまう程にバカで、躊躇わずに仲間を庇おうとする程に優しい。

 そんな玄弥を、命が幾つあっても足りない様な危険な場所に、最悪の場合文字通り全てを消し飛ばす可能性すらある危険な存在に、近付けさせる訳にはいかない。

 だからこそ早く鬼殺隊から叩き出さなければならないのだし、その為なら幾らでも玄弥に恨まれたって構わない。

 だが、そう考える度に。

『覚悟を決めてしまった人の心を変えられるのは、それに対して「本気」で向き合った人の言葉と行動だけです』、と。

 そんな鳴上の言葉が脳裏を過ぎる。

 お前に何が分かるんだ、と。脳裏を過ぎるその言葉に言い返したくはなるが。しかし、同時に鳴上の静かに此方を見詰める目を……本心を見通しているかの様な真っ直ぐな目を思い出してしまい、その言葉は何処にも行けないままだった。

 

 手合わせの為にやって来た鳴上は、相変わらずお人好しそうな「普通」の奴で。しかし、鬼と対峙している時の様に半ば本気で殺す気で挑んでも、ほぼ全てを見切られて避けられるか防がれる。

 その異常な力を抜きにしても鳴上は、鬼たちが『化け物』と罵っているのだと言うそれに納得してしまう程の存在であった。

 鳴上が鬼ではないのは分かりきってはいるが、念の為確かめたくて。わざと切り傷を作りそこから血を流してみても、鳴上は少し悲しそうな顔をするだけで、鬼たちの様に稀血に酔ったかの様な反応を見せる事は無かった。

 

 ……鬼ではなく、かと言って『人』と言い切るには余りにもその力は異常で。しかし『化け物』と言ってしまうには間違いなく「善良」で、『神様』と呼ぶには少し違う気がする。

『鳴上悠』という存在が一体「何」であるのか、それは未だに誰にも分かっていない。

 鳴上と親しくなった者の多くは、それを探り突き止めようとする事を放棄して、「鳴上悠は善良な存在だから」とそれだけで満足した様に鳴上を受け入れている。

 だが、本当にそれで良いのだろうか?

 ……善良だからと言って、それは敵に回らない保証にはならない。

 小さい身体で理不尽な暴力に耐え続けて俺たち兄弟を育ててくれていたお袋は、間違いなく「善良」な存在であった。

 それでも、無惨に鬼にされて……家族に手を掛けて、そして俺に殺されてしまった。

 鳴上は良い奴だ、間違いなく善良で、誠実で、お人好しが過ぎる位に献身的で……。でも、ある日突然鳴上が今までとは全く違う『何か』に変わってしまう可能性はあるのではないだろうか?

 その可能性を否定しようにも、俺たちは余りにも『鳴上悠』を知らな過ぎる。

 だから……。

 

 

「鳴上。お前は一体何者なんだァ?」

 

 手合わせの合間の休息時間に、何事かを考えていた鳴上にそう直接的に尋ねた。

 そう問われた鳴上は、息を飲み……そして視線を逸らす。

 何かを言おうとして、それを寸前で飲み込んで。そんな事を何度か繰り返して、漸く鳴上は言葉を返した。

 

「……俺にも、分からないんです。

 俺は……一体『何』なのでしょう……」

 

「あァ? 巫山戯てんのか、てめェ」

 

 その表情に此方をからかっている様なものは無かったが、しかしその返答は余りにも曖昧で、答えになっていないものだった。

 思わず、何かはぐらかされているのかと、そう詰問しかけたが。

 鳴上はゆっくりとその首を横に振った。

 

「本当に分からないんです。

 俺は……。……『人間』だと、自分をそう思っているのですが。たまに、分からなくなるんです。

 自分が此処に居ても本当に良いのか。誰かを助ける為だとしても、この世界の在り方を全部引っくり返してしまう様な力を使ってしまっても本当に良いのか……。

 ……俺が良かれと思ってしてきた事は本当は全部間違っていて、その所為で何もかもが悪い方向に進んでしまっているのかもしれない。その報いが俺だけじゃなくて周りの人たちも巻き込んで、破滅への道を突き進む事になるのかもしれない」

 

 そう語る鳴上の表情は、何時もの穏やかなお人好しの顔ではなくて。帰り道も行き場も分からなくなってしまった迷子の様にすら見える程に、隠し切れない不安に揺れていた。

 

「破滅ってのは穏やかじゃねェ話だなア」

 

 まさかそんな言葉が出てくるとは思っていなかった為、驚き半分警戒半分といった気持ちでそう言った。

 そしてどうしてそんな可能性を考えているのかも気になってしまう。普通、自分の存在や行いの所為で「破滅する」だなんて考えないだろうに。

 

「俺は……この世界に居てはならない……居るべきではない存在なんです。そもそも、最初から。

 ……それでも。俺はただ、大切な人たちを助けたくて、生きていて欲しくて、皆の力になりたくて。……ただ、それだけだったんです。

 ……俺は『化け物』じゃない、『神様』でもない。

 でも、本当に……? 本当にそうなのか?

 ……『神様』である事を望まれて、鬼たちから自分たちよりも『化け物』だと思われて。

 それでも、俺は本当に『人間』なのでしょうか」

 

 鳴上の言葉は、何処か支離滅裂と言うか……普段の言動とは明らかに違っていた。

 これが鳴上の本心なのだろうか?

 誰も確かめる事が出来なかった、鳴上の心の奥にあったものなのだろうか。

 自分の事を「この世界に居てはならない、居るべきではない存在」だと、ずっと心の中では思い詰めて過ごしてきたのだろうか。

 穏やかに微笑みながら周りの連中と過ごしている時も、上弦の鬼たちと戦っている時も。

 何でまた、そんな事をずっと思い詰める事になったのだろうか?

 それに、鳴上の「正体」が関わってくるのだろうか?

 

「此処に居るべきじゃねェって思うなら、元居た所に帰れば良いだけだろオ」

 

 まあ、無惨との決戦を控えた今、最重要戦力と言っても良い鳴上に消えられると困るなんてものではないのだが。

 しかし、ここまで思い詰める位ならば、鬼殺隊を去れば良いだけの話だったのだろう。そもそも、鬼殺隊に対しては善意で協力しているだけだったのだから、鳴上にそれを止めたいと言われればそれを俺たちが止める事は出来ないのだし。

 まあ、それも鳴上のお人好し具合を考えると出来ない事ではあったのだろうが。

 しかし、ここまでお人好し全開で生きてこれたのだから、別に鳴上には他にも帰る場所など幾らでもあるだろうし、生きていける場所など何処にでもある。そうせずに只管悩み思い詰めながら鬼殺隊に居続けるのは、最早自傷行為にも等しいものなのではないだろうか。

 自殺行為にも等しいのに鬼殺隊に居続ける玄弥とはまた別に、不器用と言うかバカと言うか……。

 しかし、鳴上は静かに首を横に振った。

 

「この世界に帰るべき場所なんて、俺にはありません。

 ……帰る方法も、分からない」

 

 家族や親戚縁者は居ないのかと尋ねても、鳴上は無言で再び首を横に振るだけであった。

 天涯孤独の身……と言う事なのだろうか?

 何となく違う気もするが、……まあ天涯孤独の身の上なんて鬼殺隊に居ればよく遭遇するもので、そこに不審な点は無い。

 

「……実弥さんには、『俺』はどう見えているんですか?」

 

 ポツリと、そう鳴上は俺には訊ねてくる。

 それは、『人間』か『化け物』か『神様』か、と言う意味なのか。それとももっと違う意味なのか。

 その質問の意図は正直分からないけれど。

 

「んな事知るかよ。

 第一、俺にお前がどう見えていようが、お前がお前である事には変わらねェだろうがよオ。

 それとも何か?

 俺が『化け物』だって言ったら『化け物』になって、『神様』だって言ったら『神様』になるのか?

 そんな訳無ェだろ、馬鹿馬鹿しい」

 

 まあ、鳴上も悩んでいるってのは分かったが。

 それはそれとして、よく分からない悩み方だった。

 自分が何者かなんて、自分で決める事だ。

 

 

「馬鹿馬鹿しい……。確かに、そうですね。

 馬鹿馬鹿しい悩みなんだと思います」

 

 

 そう言って、鳴上は静かに目を伏せるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
柱稽古中の炭治郎たちとは頻繁に手紙でやり取りしていて、新たな柱の下を訪れた時や柱の課した訓練に合格して次の柱の下へ向かう時などには必ずと言って良い程手紙が届く。(主に滅茶苦茶筆まめな炭治郎から)
なお、伊之助はまだちゃんとした手紙を書ける程の文字は書けないのだが、時々炭治郎の手紙の末尾に一言二言書き加えている。(字が汚いので一発で分かる)
皆が近況を教えてくれるのが嬉しいしその内容も楽しい。
とてもお人好しではあるが、無制限無差別に優しさを向けている訳ではなくて、基本的には「大切な人」を物凄く大切にするタイプ。それに基本的な他人への思い遣りと優しさが合わさって、底無しにお人好しに見える事もある。
とはいえ、ミツオの様な相手などにはその優しさはあまり向けられない。鬼に思い遣りを向けるかはケースバイケース。


【不死川実弥】
悠の事を嫌っている訳では無いのだが、余りにも正体不明過ぎてて歩み寄りきれない。悠が玄弥の友だちである事も、その警戒心を強めている要因。
悠が物凄く「良い奴」なのは分かってるのだが、万が一にも悠がヤバい奴だった場合、何としてでも玄弥を守らねばと思っている。


【不死川玄弥】
身体能力的な部分でのハンデはかなりあるが、そこは根性と執念で補って食らい付いている。ほぼ最速で柱稽古を突破していく炭治郎たちからは僅かに遅れるが、概ね一日二日遅れで後を追っている模様。




≪今回のコミュの変化≫
【刑死者(不死川実弥)】:2/10→3/10


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『心想曲』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 実弥さんと手合わせを始めて三日が経った。

 ぶっきらぼうと言うかちょっと言葉遣いに粗野な部分が見られる時はあっても、実弥さんはやはりとても優しい人なのだろう。

「家族や縁者は居ない」と言う、自分としては余りにも当然のそれをどう解釈したのか、少し此方への当たりが優しくなった気がする。

 天涯孤独の身の上だとでも思われたのだろうか……?

 まあ、それはある意味では今の状況そのままであるのだろう。

 この世界に、自分の家族は居ない、八十稲羽で出会った何よりも大切な仲間たちも居ない……。

 そもそもこの世界では、知り合いレベルの相手ですら、鬼殺隊の人たち以外には存在しないのだ。

 客観的に見て、孤独を極めている生い立ちに見えているのかもしれない。

 ……炭治郎たちが居るし、しのぶさんたちや蝶屋敷の皆も居るので、孤独である……と言う訳では無いのだろうし。この状況を「孤独」だなんて言ってしまうのは、色々な人に対してや色々な意味で申し訳無い事である。

 まあそんな訳でちょっと分かり辛くも気を遣われているのだけれど、もしかしたら実弥さん自身は意識してやっている事では無いのかもしれない。

 玄弥がよく言っていた様に、実弥さんは当たり前の様に相手を気遣える優しい人なのだろう。

 

 これで肝心の玄弥に対しての言動やら態度やらがもっとマシ……と言うかその本心に素直になれば良いのだろうけれど、やはりそれは外野がとやかく言っても中々変えられるものでは無い様で。

 休憩時間などにそれとなくその話題を振っても、実弥さんには常ににべ無く拒否される様な態度を取られてしまう。

 口出しするなと威嚇される事は無いが、しかし一切自分の態度を曲げる気が無い事はとてもよく伝わってくる。

 何と言うのか……とても頑固な人なのだろう。

 一度こうと決めたらそれを曲げないと言うべきなのか。

 

 長男で、下の弟妹たちを心から大事にしていて、優しくて、そしてとても頑固で……。

 そうした要素だけを並べてみると、実弥さんと炭治郎は似ている部分が多い様な気がする。

 まあ、両親に心から愛されて両親の子である事を誇りに思って育って来た炭治郎と、暴力的な父親を毛嫌いしつつ母親と共に耐えてきた実弥さんとでは、異なる人間である事もあって、やっぱり色んな部分での価値観や判断基準などが違ってくるのだろうけれど……。

 それに、玄弥と実弥さんはちょっと歳が離れている兄弟である事も影響しているのだろうか。

 禰豆子とは年子である炭治郎にとって禰豆子は物心ついた時からずっと一緒に居る妹であるのだが、実弥さんにとっては玄弥は物心ついてから初めて生まれた弟だ。その違いは大きいのかもしれない、自分は一人っ子なのでちょっとその辺の感覚は想像するのも難しいけれど。

 しかし、自分が十歳程歳が離れた菜々子の事を、何をしてでも絶対に守ってあげたいし笑顔で幸せで在って欲しいと心から想っているのと似た様なものなのではないだろうか……とちょっと考える様になった。

 菜々子への想いは、十年経とうが二十年経とうが変わらないだろうと本気で思う。菜々子が何歳になろうと、自分にとって菜々子は大事な家族だし、自分は菜々子の「お兄ちゃん」なのだから。

 それと同じで、何年経とうと何があろうと、実弥さんにとって玄弥は何がなんでも守らねばならないし幸せにしなければならない『弟』なのではないだろうか。

 そう考えると、実弥さんの気持ちもちょっとは理解出来る。

 自分だって、菜々子が命の危険もある様な事に飛び込んで来ようとしたら必死になって止めるし、それがよりにもよって自分を追い掛ける為だったりなんかした時はもう目も当てられない。

 ……が、やっぱりそのお互いに傷付くしか無いような言動は、ちょっとどうかと思うのだ。

 少なくとも自分だったら、菜々子の気持ちは尊重しつつもどうにかして翻意する様に説得しようと試みるだろう。

 初っ端から説得と言うか対話を拒否して突っぱねる事はしない。

 そもそも、それで諦めて引き下がる様な性格だったなら、玄弥は態々こんな所まで追い掛けて来たりなんかしないと思うのだ。実際そうでは無いからこそ、拗れに拗れてしまっているのに。

 玄弥を守りたいと言う気持ちがとても強いのは分かるのだが、それ以外の部分が随分と疎かになっていると言うか……感情ばかりが先行してしまってちょっと合理的では無い気がする。

 ここまで拗れる程に頑なになってしまったものを、急に考えを改めて玄弥の気持ちに寄り添って話し合う事を選べるのかと言われると……、まあ難しいと言わざるを得ないのだろう。

 ここまで来てしまうと外野がどうにかして取り持って話し合いに持っていくしか方法は無い気がするが、それにしたって実弥さんの余りにも頑なな意識をどうにか変えない限りは余計に拗れるだけだ。

 玄弥が何を選ぶのかは玄弥自身の自由であるのだが、少なくとも「玄弥を説得出来るかもしれない」言動や向き合い方と言うものは間違いなくあるだろう。

 今のままだと余計に意固地になるだけなのだと言う事を実弥さんが理解して納得した上でアプローチ方法を変える必要がある。

 ……のだが、実弥さんの意志は余りにも固く。言葉の説得だけでは難しい。

 かと言って、荒治療どころか暴虐的に力技でそれをどうこうしようとするのもやはり禍根が残ってしまうのだろう。

 

 実弥さん自身も、今の方法で全然上手くいってない事は分かっているとは思うのだ。しかし、上手く行かないからといって直ぐに他の方法を思い付けるのかどうかはまた別だし、そして思い付いたからと言って実行に移せるのかどうかももっと別の話だ。そういう事を相談して、良い助言を貰う事が出来る相手が居るのなら良いのだけど……少なくともここ数日観察している限りではそんな相手が居る気配は無さそうだ。

 先輩も後輩も同期も友人も恩人も、鬼殺隊に長く居れば居る程多く喪っていく。

 親しい者たちとの無情な別れを何度も経験する事になるし、その結果「仲の良い」相手を喪う事はよくある事であるらしく。実弥さんもそうであるのかもしれない。まあ、何にせよ現時点で玄弥の事を相談出来る相手は居なさそうだった。

 実弥さんを何か良い方向に説得出来そうなのは、やはりお館様なのだろうか……。

 鬼殺隊の柱を長く務めている悲鳴嶼さんや宇髄さんなどの意見には耳を貸してくれるかもしれないが……。二人とも優しいし良い人ではあるけれど、そう言う説得が上手いかどうかで言われるとちょっと微妙な気がするし、何より宇髄さんは今柱稽古に忙しくてそれどころでは無い。

 そして、玄弥の事に関する頑なさを考えると、例えお館様であっても上手く説得出来るのかはかなり難しいかもしれない。

 玄弥の事に関して、実弥さんは炭治郎以上に石頭な部分がある。それだけ大事な相手だと言うのはもうよく分かったから。後はもうちょっと態度を柔らかく出来るなら完璧なのだが……。

 

 ずっと頭を悩ませているのだが、一向に名案は浮かばない。

 しかしこのままで良い訳は無いし、それにもうあまり時間も無いのだ。

 もう少ししたら柱稽古を順調に熟している玄弥が此処に……実弥さんの下へとやって来る。

 その時に今の調子だと幾ら何でも不味い。このままだと実弥さんは玄弥を跳ね付けるばかりでまともに向き合わないだろうし、もっと事態が拗れてしまう可能性もある。最悪、修正不可能な状況にだって陥りかねない。

 何より、玄弥が今のペースで柱稽古を突破していくなら、ほぼ確実に炭治郎たちもその場に居合わせる事になる。

 炭治郎は確実に、玄弥にその様な態度を取る実弥さんに対して一言二言以上は言うだろうし、何と言うのか……炭治郎の言葉は正しいのだがたまに言葉を選ばない。炭治郎の真っ直ぐさは間違いなく美徳ではあるが……この件に関しては一方的な正論で殴った所で上手くいく訳では無いのだし、余計に意固地にさせて拗れさせる結果にもなりかねないだろう。

 炭治郎も実弥さんも、二人とも似た者同士なのだし一度分かり合えたら物凄く仲良くなれるとは思うのだけど、しかし噛み合ってない現状だと似た者同士だからこそ相性が悪くなってしまうタイプだと思う。

 だからこそ、炭治郎の言動如何によっては、火に油どころか火に爆薬を投げ込む結果にもなりかねないだろう。

 実弥さん自身は強面気味の見た目からは想像出来ない程に、冷静で頭が回る人なのだが、唯一玄弥の事になるとその冷静さが何処かにすっ飛んでいくのだし……。

 今から既に前途多難である……。

 

 

 名案は思い浮かばないのだとしても、何もしない訳にはいかず。

 取り敢えず実弥さんが此方との対話を拒否する感じではない事もあって、少しずつ互いに距離を詰めていこうと決める。

 今のままでは此方が幾ら言っても、玄弥の事に関して実弥さんが譲る事は無いだろうし言葉が届くかどうかも怪しい。

 しかしもうちょっと心の距離が縮まれば、それだって芽が無い訳じゃないとは思いたい。

 そんな訳で先ずは言葉を交わす事が第一だとばかりに、積極的に実弥さんと話をしてみる事にした。

 言葉が極端に少なくそして絶望的に足りないとすら言われる冨岡さんとは異なって、実弥さんは別に話す事が嫌いだとか言葉にするのが億劫だとかという性格ではなさそうで、ちゃんと此方の会話には応じてくれる。

 鬼殺の事に関する話題だと特に興味があるのか食い付きが良いが、それだけだとその心の距離を詰めるには至らない。

 だから、相手を知る為には先ずは自分からとばかりに、自分の事についても話していく。……とは言え、炭治郎たちに出逢うよりも前の事……八十稲羽での事については話せない事も多いのだが。

 

 

「……お前は神様ってのに縋った事はあるのか?」

 

 実弥さんと他愛もない話をしていると、ふと話題が途切れたそのタイミングで、実弥さんがそう尋ねて来た。

 神様に……か。

 

「無い……と言う訳ではないですね。

 一度だけ、自分では本当にどうする事も出来ない時があって。

 ……その時は、『もし神様が何処かにいるなら……』と、一瞬は考えていたかもしれません」

 

 菜々子の生命の灯が消え行くその時。

 絶望や後悔に塗れたその心で、もし菜々子の命を救ってくれるなら……と「神様」を望んだ気はする。……まあ、正直神に祈っている心の余裕も無かったので、ほんの一瞬だけだろうけど。

 

「それで、お前はどうにか出来たのか?」

 

 実弥さんのその言葉に、そっと首を横に振ると。

「そうかァ……」と静かに呟いた。

 

「お前は、『神降ろし』ってのが出来るのに、それでも儘ならねェもんなんだなァ」

 

「『神降ろしの様なもの』であって神降ろしそのものではありませんが……。……そうですね、儘ならないものです。

 この力があったって、守れなかった者やどうにも出来なかった事の方がずっと多いですから」

 

 勿論、ペルソナの力が無くては、皆を助ける事も【真実】を追い求めそれを掴む事も出来なかったし、この世界に迷い込んで炭治郎たちの力になる事も出来なかった。この力には大いに助けられていると言っても良いのだろうけれど。

 それでもやっぱり、万能とは程遠い。

 本当に守りたかった者を守り抜く事は出来なかったし、足立さんの心がサギリに呑み込まれるまでに虚ろになってしまう事を防ぐ事も出来なかった。

 過去に戻ってその罪が犯される前に防ぐ事だって出来やしない。

 しかし、望んだ何もかもを一つ残らず叶える事は出来ないからと言って全てを投げ出す事は余りにも愚かだ。

 

「お前でも守れなかったのかァ……」

 

「……ええ。俺は、一番守りたかった人を守り抜く事は、出来ませんでした。

 どんなに大切な存在でも、どんなにその幸せを守りたいと願っても……例えこの身と引き換えにしたって何も惜しくは無い程に守りたい相手でも。

 理不尽はある日突然嵐の様に全てを攫ってしまう。

 この世の全てに因果があり何もかもが繋がっているのだとしても……その全てを人が見通す事は出来ませんから」

 

 突然降って湧いた理不尽の様に見えても、それは自分や誰かの何かしらの選択が積み重なった結果であるのかもしれないし、或いは巡り合わせがとことん悪かっただけなのかもしれない。

 そんなの、その時に分かる事では無いし、そしてその理不尽に相対して「正しい選択」をするどころか何かしらを選ぶ暇すら無くその命を断ち切られてしまう事もある。

 ……この世に絶対は無い。

 自分にとってはどんなに大切でも愛しくても、世界はあっさりとその命の火を吹き消してしまう。今此処に居る自分の命だって、何かの理不尽にあっさりと吹き消されてしまうものでしかない事だってあるだろう。

 何時かは皆死ぬ。満足して終えるのか、或いは突然に終わらされてしまうのかどうかは違うだろうが、命の旅路は何時かは終着点に辿り着く。永遠なんて、何処にも無い。

 だからこそ、大切な人たちが大切な存在が、少しでも長くこの世に在って欲しいと願うのだし、その為に守ろうと必死に足掻くのだ。……そうやって抗っても、理不尽は大切なものを奪っていくのだけれど。

 

 此方の言葉に実弥さんも思う所があったのか、目を瞑って溜息の様な吐息を零す。

 実弥さんの身にも、余りにも多くの理不尽が降り掛かってきたのだし、そしてその理不尽は実弥さんから多くの物を奪い去ってしまっている。

 生まれてからずっと己や「家族」を脅かしていた家庭内暴力からやっと解放されたその矢先に、大切な母親が鬼にされて。あろう事か鬼にされた母親に襲撃されて玄弥以外の弟妹を全員喪って……やっとの思いで倒した鬼はこれから兄弟で支えていこうと決めた母親で……。

 その苦しみは想像するだけでも筆舌に尽くし難い。

 まだ子供であった実弥さんが背負うには、余りにも理不尽で残酷な「現実」だ。

 たった一晩で玄弥以外の何もかもを喪ってしまったそれは、炭治郎の身に降り掛かったあの絶望にも似ているけれど……決定的に違う部分もある。

 鬼にされた禰豆子は炭治郎を含めて誰も殺さなかったし家族の亡骸を喰ったりもしなかった。竈門家に訪れた悲劇は徹頭徹尾「鬼舞辻無惨」だけの手によるものだ。

 だけれども、勿論「鬼舞辻無惨」に鬼にされた事こそが全ての元凶ではあるけれど。鬼にされてしまった実弥さんと玄弥の母親は、実弥さんたちにとって大切な「家族」だった弟妹たちを殺してしまった。……実弥さんが抵抗しなければ玄弥だって命は無かっただろう。

 愛する母親であると同時に、「家族」を殺戮した仇であり……そしてそれを自分が殺した。何の気持ちの整理も付いてなかっただろうに、母親を殺したと言う現実を突き付けられて、でもそれは「家族」を殺した鬼で……。

 その過去に何か整理を付ける事は果たして出来るのだろうかと思ってしまう程に、辛過ぎる現実だ。

 発作的に死を選んだり、或いは完全に精神の均衡を崩して壊れてしまったりしていないだけ、実弥さんはとても強いし優しい人なのだと思う。

 ……そして、実弥さんの心を支えているのは、やはり玄弥なのだろう。

 たった一晩で何も知らなかった内に何もかもを喪った絶望に蹲りかけた炭治郎を支えてくれたのが、禰豆子の存在であった様に。

 それ程までに大切な存在を、実弥さんはどうにかして守ろうとしているのだろうけれど……。しかし、余りにも頑なだ。

 いや、頑なにしかなれないのだろう。それ程までに、「余裕」が無いのだ。

 実弥さんの心から「余裕」を奪っているものが何であるのかは分からない。

 その重過ぎる過去その物なのかもしれないし、尽きる事は無いだろう鬼への憎悪なのかもしれないし、柱としての重責なのかもしれないし、……或いは冨岡さんの様に大切な誰かを喪ったからなのかもしれないし。……心当たりが多過ぎてその原因を絞り切れないし、もしかしたら全部が合わさってどうにもならなくなっているのかもしれない。

 絡まりあったそれらを少しずつ解いてやれれば、実弥さんが玄弥とちゃんと向き合うだけの「余裕」を得る事が出来るのかもしれないが……。

 

「守るってェのは、難しい事だなァ……。

 鳴上。何があっても守りたい相手を守る時、お前ならどうする?」

 

「……そう、ですね。

 俺なら先ずは、その相手と話し合います」

 

 意外な答えだったのか、「話し合う?」と少し首を傾げた実弥さんにそっと頷く。

 

「絶対の正解なんて何処にもない。だから、話し合うんです。

 相手が何を望んでいるのか、どうして欲しいのか、何はして欲しくないのか。そして、俺がどう守りたいのか、どうしたいのか、を。

 ……俺は我儘なので、守りたい人の笑顔とか幸せとかも全部引っ括めて守りたいんです。

 だから、何をどうすればそれを守れるのかをちゃんと理解する為にも、先ずは話し合います」

 

 どうであるにせよ、先ずは言葉を尽くす事から始めるべきだろう。

 逆に、そこを放棄してしまえば、どんなに純粋な想いだろうと切実な願いだろうと、独り善がりの押し付けになってしまう。

 ……それが必ずしも悪い訳では無いけれど、お互いに後悔したり何らかの禍根を抱える原因にはなってしまうと思う。

 だからこそ、自分が勝手に思っている「相手が望む事」ではなくて、今目の前に居る相手が何を望んでいるのかを知らなくてはならない。

 

「だが、それで上手くいく保証もねェだろオ?」

 

「ええ、上手くいく保証は無いです。

 それだって、『正解』とは限らない事だってある。一人では上手くいかない事もある。

 なら、その時は少しでも周りを頼ります。

 俺一人の手で抱えきれるものはとても少ないですが、周りの人たちの手を少しだけ借りる事が出来ればもっと沢山のものを抱える事が出来ますから」

 

 最初から何から何まで他人任せにしてはいけないけれど、それは他人を頼ってはいけないという事では無い。

 何もかもを自分一人で……なんて無茶だしそれは傲慢過ぎる。

 とは言え、他人を頼るというそれは中々難しい事もある。  

 頼る先の相手を信用する事は勇気が居るし、力を貸してくれる誰かが周りにいるのかどうかも確実ではない。

 ……それでもやはり、どうしても守りたい人が居るのなら、そうやって少しでも守れる可能性を上げたいのだ。

 

「……お前は、……いや良い。忘れてくれ」

 

 そうやって話を切り上げようとした実弥さんに、そっと首を横に振った。

 今だからこそ、言わなくてはならない、伝えなくてはならない。

 

「この世に絶対の『正解』は無いからこそ、人は自分が出来る事をするしかないし、その中で『最善』だと感じたものを選ぶしかない。そして、選んだ事への責任は最後まで負わなければなりませんが……。

 だからこそ、本当にそれが自分に出来る全てなのかをちゃんと考えなくてはならないんです。そしてそれは、自分一人で考え続けているだけだと直ぐに行き詰ってしまう。

 ……人の視野は、決して広くない。自分を律していても、直ぐに狭まっていくし、『自分に都合の良いもの』ばかりを見てしまう。

 ……良かれと思って誰かを救おうとした行動が、その実全く逆の行いだったりもする。

 それを少しでも回避する為には、やはり自分以外の誰かが必要なんだと思います。

 実弥さん。俺は、貴方の力になりたい。

 実弥さんが何か困っているなら、行き詰まっているのなら。

 俺は、自分に出来る事でそれを助けたい」

 

 だから、何かあったら頼って欲しい。力になりたいのだ、と。そう伝えると。

 実弥さんは何処か辛そうな顔をして、そして込み上げた何かを我慢するかの様に息を呑み。数拍の後にゆっくりと大きな溜息を吐いた。

 

「お前は……随分とまあ、お節介な奴だなァ」

 

「よく言われます」

 

 そう微笑んで返すと、実弥さんは益々大きな溜息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 鳴上と過ごす様になって数日。

 善良でポヤポヤとしたお人好しだと言うその印象は変わらないが、それ以上にとんでもないお節介で世話焼きな性格なのだと嫌でも理解した。

「実弥さん実弥さん」と、休憩の合間などにやたら話し掛けて来るその姿勢は、何処か懐かしく……今はもう亡き匡近の事を少し思い出してしまう程のものだった。

 まあ、鳴上は匡近よりも更に人の機微を察しようとしているのか、鬱陶しいと感じ始めるよりも前にスッと退くのだが。

 

 明るく穏やかでお人好しで世話焼きで、やたら此方に手を伸ばそうとしてくるお節介で。

 それでいて、その笑顔の奥では『自分は此処に居てはいけない』と思い悩む程に色々と抱え込んでいる。

 ……人がその笑顔の裏に何を抱えているのかなんて、事情を知らぬ他人が察する事は難しい。

 鳴上のその悩みも、もしかしたらそう言った過去があるからなのかもしれないが、結局の所は分からない。

 鬼への憎悪で戦っている訳では無いとキッパリと言い切っていたから、本人が言っていた様に鬼に何か大切なものを奪われた訳では無いのだろうけれど……。

 しかし、自分の命を懸けてでも鬼と戦う理由は鳴上にも確かに在るのだろう。

「大切な人を助けたい」「大切な人を守りたい」と言い続けるそのお人好しその物の様な動機にだって、何かもっと深い苦しみや癒える事の無い心の傷が隠れているのかもしれないし、その事情は鳴上本人が語るでもしない限りは恐らく誰にも分からないままだ。

 ……鳴上が抱えているものが全く気にならないとまでは言えないが、しかし本人が語る気の無いそれを無理矢理に暴き立てる程趣味が悪い訳では無いし、そんな事をしなくても鳴上が本気で自分自身を懸けて戦っている事は分かる。

 ならまあ……それで良いのだろう。

 鳴上が敵に回った場合の危険性に関しては何の対策も打てていないが、……そもそも対策のしようが無い事でもある。鳴上自身の人間性に賭けるしかない。

 

 そして、時折だが。鳴上が何かを話している時に何処か遠くを想っている様な顔をしている事がある事に気付いた。

 多くは語らない鳴上の断片的な言葉から想像するに、鬼殺隊に出逢う前のかつての鳴上には妹か弟が居たのだろう。……その「家族」がどうなったのかは、鳴上が零した「帰るべき場所なんて無い」と言うそれが答えなのだろう。

 匡近が俺に弟を重ねて放っておけなかった様に、鳴上も自分が喪った誰かを誰かに重ねているのだろうか。……それは、分からないが。

 まあ、玄弥との事に関してやたらお節介を焼こうとするのには、そう言った鳴上自身の事情も関係しているのかもしれない。

 そう考えると、謎だらけの鳴上の事を少しは理解出来た様な気がした。

 

 そして、鳴上が話し掛けて来るからなのか、気付けば俺の方もポツポツと色々な事を断片的に話す様になっていた。

 鳴上は他人に話をさせるのが上手いのだろう、話し上手でもあるがそれ以上に聞き上手な質の様だ。

 まあ色々と断片的にでも話してしまったのは、鳴上は既に玄弥から俺たちの過去の話を幾らかは聞いている様だったという事もあったのだろうが……。

 鳴上が俺と玄弥との事を色々と直接的に言って来たのは、何だかんだとまだ最初に手合わせした時の一回だけだ。今も色々と思ってはいるのだろうが、しかし無理に自分の意見を押し付けようとはしないだけの配慮は出来る性格なのだろう。

 それもあって、鳴上には色々と話してしまうのかもしれない。

 だからこそ……。

 

「……お前は神様ってのに縋った事はあるのか?」

 

 ふと尋ねたそれは、何かの思惑があった訳では無く。ただ純粋な疑問……好奇心と呼ぶにはやや面白味の無い感情からのものであった。

『神様』だ何だと言われる位の力を持ち、どんな名医だって匙を投げ捨てる程に手の施しようの無い者の命だって救える……。しかしそれに反して、鳴上自身はあまり『神様』だとかに祈ったり縋ったりはせず、自分自身の力で物事を解決する事を善しとする様な人間だ。

 ……そんな鳴上でも、『神様』に縋りでもしなければやっていられない様な……そんな瞬間はあったのだろうか?

 すると、鳴上は静かな哀しみと痛みを滲ませた目で「ある」と答えた。

 そして、そうやって『神様』に願ってもどうする事も出来なかったのだとも。

 ……それは、鳴上の心の中で今も癒える事の無い傷になっている「家族」の事なのだろうか。

『神降ろし』……正確には『神降ろしの様なもの』すら鳴上には出来るのに、儘ならない事だ。

 鳴上程の力があってすら、一番守りたかった大切なものを守る事は出来なかったのだから。

 だからこそ、何をしてでも玄弥を鬼殺隊から追い出す事を固く決意する。

 あいつは、鬼殺隊でやって行くには優し過ぎる。

 匡近がその優しさから命を落とした様に……鬼という理不尽で残酷な存在を前にした時に、玄弥のその優しさは命取りだ。

 だからこそ、一生恨まれようと、半殺しにするのだとしても、玄弥をこの血腥く危険な鬼狩りの道を諦めさせなくてはならない。

 ……傍に居て守ってやると言うのも、それはそれで一つの手段だ。或いは、共に支え合って戦い抜こうとする事もまた、「守る」方法の一つだ。

 だが、俺にはそれは選べない。

 ……共に戦う事を選んだ胡蝶は志半ばに斃れ、そして残された妹は自分自身を殺す様に『姉』の面影で自分を塗り潰してしまった。そんな事、胡蝶は望んでいなかっただろうに。……まあ最近は、鳴上がやって来た影響からなのか、『姉』の仮面ではない元々のあいつ自身の素が時々見える様になってはいるが。それでも、恐らく胡蝶が守ってやりたかった……愛していた時のそれにはもう二度と戻れないのだろう。

 それを知っているからこそ、選ぶ事は出来ない。

 

 そう、俺は知っている。

 この残酷な世界で、醜い鬼どもとの殺し合いの道の中で、優しさは報われる事の方が少ないのだと。……それが命を奪うどころか、その周りも巻き込んで深い傷を与える事になるのだと。

 匡近がそうだった様に、胡蝶がそうだった様に。……そして、無数に散って行った多くの隊士たちがそうであった様に。

 善良な人間が報われるとも限らない。

 お袋がそうであった様に、ある日その存在の何もかもを蹂躙されて弄ばれて壊されてしまう事もある。

 ならば、そんな世界から何よりも大切な存在を少しでも遠ざけたいと願う事は「間違って」はいない筈だ。

 そして、俺は拒絶する以外に守る術を知らない。

 恨まれてもいい、憎まれてもいい、例えその心が傷付き癒える事の無い苦しみを負う事になるのだとしても。

 それでも、生きてさえくれれば……それだけで。

 鬼になり家族を襲って殺してしまったのだとしても、それでも確かにお袋だった存在をこの手で殺してしまったその時から、自分の幸せなんて考えた事は無い。この身を動かしてきたのは、たった一つ……玄弥が生きて幸せになってくれる事を願う気持ちだけだった。

 ……匡近に出逢って、そのお節介に絆されて、どうにか人としてギリギリの所で踏み留まって生きてこれたけれど。しかし、もう匡近は居ない。

 玄弥を脅かすかもしれない鬼どもをこの世から一体でも多く消す為に戦う、全ての鬼を滅ぼし尽くす為に戦う。それが、俺の全てだったのに。生きていく為の理由だったのに。……どうして、よりにもよって玄弥はこんなにも血腥い世界に飛び込んでしまったのか。

 鬼狩りなんて優しい玄弥には性格的にも向いてない筈なのに。

 あの日の言葉が俺を傷付けただなんて、そんな有り得ないバカみたいな事を気にして。何度跳ね除けられても食らい付こうとする。……全く、儘ならない話であった。

 

 そしてふと。玄弥と友人である鳴上なら、玄弥を説得して鬼殺隊を辞める様に穏便に説得出来るのではないかと考える。

 鳴上は、玄弥と向き合って話し合えと言っただけで、玄弥が鬼殺隊を辞めるのを何がなんでも阻止しようとする素振りはなかった。

 鳴上は、玄弥を大切にしているのはこの数日間でよく分かった。

 そして、鳴上にとっては「大切な相手」とは、何としてでも守りたい相手であるし幸せに生きていて欲しい相手である様だった。

 勿論、玄弥に対してもその気持ちを強く向けている。

 ならば、鬼殺隊を辞める事の方が玄弥を守る事に繋がるし、そして幸せにする事にも繋がるのだと鳴上を納得させる事が出来れば、鳴上の方からも玄弥を説得してくれるのではないだろうか。

 拒絶する事しかやり方が分からない俺とは違い、鳴上なら言葉で相手を説得出来る気がする。

 

 そんな思惑を抱えつつも、鳴上に大事な相手を守りたいならどうするのか尋ねてみると。

「話し合う」と言う……鳴上らしくはあるものの意外な答えを返してくる。

 互いに言葉を尽くして、それでも駄目なら周りを巻き込んで。

 相手の幸せも何もかもを引っ括めて守りたいと願うそんな自分を「我儘」だと鳴上は評するが、……どう聞いても底抜けのお人好しさしか感じられない。匡近と同じかそれ以上のお人好しなのだろう。

 ……そう思うと、鳴上に玄弥の説得を頼むのは何だか筋違いな事である気がして。結局それを言う事は出来なかった。

 だから、話を切り上げようとしたそこに、鳴上は何時になく真剣な目で切り込んでくる。

 

 俺の力になりたい、俺を助けたい、自分を頼って欲しい、と。

 そう余りにも真っ直ぐに伝えて来る鳴上のその言葉と目が、どうにも在りし日の匡近に重なった。

 命の灯火が消える間際ですら、俺や……そして自分の死の原因となった子供の事ばかり気遣っていた、大切な友に。

 胸の奥から沸き立つ様に、余りにも鮮明に匡近との思い出が蘇る。愛しく、しかしそれと同じ位の痛みや苦みを伴うそれに、思わず息を飲んでしまう。

 どうにか落ち着かせるとそれは大きな溜息へと変わった。

 

「お前は……随分とまあ、お節介な奴だなァ」

 

 鳴上は匡近とは違う。それはとてもよく分かっている。

 死んだ友の有りもしない面影を、匡近と関係の無い鳴上に重ねたい訳でも無い。……ただ、鳴上のその世話焼きでお節介な所は、どうしようもなく匡近を思い出させる。

 そしてそんな俺に、鳴上は「よく言われる」と微笑む。

 その顔を見ていると、益々大きな溜め息が零れてしまうのであった。

 

 

 

 隊士全体の戦力強化が狙いである柱稽古だが、早いもので見込みがある者たちは明日明後日の内に俺の所まで辿り着くそうだ。

 まあ、その「見込みがある者」の中に、あの竈門炭治郎も居るのは気に食わない部分もあるが。

 鳴上は玄弥だけではなく竈門たちとも大層仲が良いらしく、手紙を頻繁にやり取りしている様で、彼等からの手紙が届くととても嬉しそうにしている。

 

「皆とても早いですよね。

 明日にはカナヲが一番乗りで此処に来るそうですよ」

 

「凄いなぁ」と呟きながら蕾が綻ぶ様な微笑みを浮かべて手紙を読んでいた鳴上が挙げた名前には聞き覚えがあった。

 

「カナヲってェと、確か胡蝶の……」

 

「はい、しのぶさんの継子です」

 

 蟲柱の継子として常日頃から鍛えられているのなら、この速さにも納得だ。……それにほぼ同じ速さで食らい付いている竈門たちが「見込みがある」のは、認めるのは少々癪ではあるが事実なのだろう。

 

「……皆が此処に来るのなら、俺はもう悲鳴嶼さんの所に移動した方が良いですか?」

 

 隊士たちを迎える為の準備も必要だろうから、と。そう鳴上は言うが。

 伊黒から送られてきたそろそろ訓練を突破出来そうな「見込みのある」隊士として挙げられていた名前を見ていると、まあ揃いも揃って鳴上と親しい連中だ。鳴上の力の事も勿論知っている。

 来る人数としてもそう多い訳では無いのだし、鳴上が居た所で問題にならないだろう。

 

「いや……良いんじゃねェのか? このままでも。

 俺としちゃァ、お前から最低でも二本は取っておきたいからな」

 

 つい先程鳴上との手合わせでその首筋を狙った一撃を叩き込む事に成功したのだが、正直まだまだ手合わせをし足りない。

 そもそも上弦の壱を相手に一度首に叩き込む事に成功した程度で勝てる見込みはないのだし、更には鬼舞辻無惨と戦う事を想定するとより本気を出した鳴上を相手に戦えなければならないだろう。今の鳴上は、あくまでも鳴上自身が戦った上弦の壱の強さを再現しているだけなのだから。

 そんな訳で、鳴上から連続で三回首への有効打を取る事が今の目標だ。

 更に、可能ならば鳴上が呼び出すという「神」とやらとも戦っておきたい。

 

「そうですか? なら、もう暫くお世話になります」

 

 よろしくお願いしますと軽く頭を下げた鳴上に、「気にすんなァ」と返して。そしてふと以前気になったが尋ねる機会がなかった事を尋ねてみる。

 

「そういやァ、お前が上弦の壱と参と戦った時に、錯乱させて同士討ちさせてらしいが、一体何をどうやったんだア?」

 

 問われた鳴上は、どう説明するべきかちょっと考える様に微かに唸って、そして口を開く。

 

「あの時のは……簡単に言えば、相手の心を掻き乱す力と言うか。強制的に、錯乱させて、恐怖を与えて、絶望させる力を使ったんです。

 同士討ちするかどうかに関しては賭けでしたが……」

 

 鳴上らしくはない穏やかでは無い言葉が並ぶそれに、少し驚く。……人を人とも思わず、様々な感情が破綻している鬼たちにも、そう言った力は効くのかと言う驚きもあった。

 

「随分とまあ、凶悪だなァ」

 

「そうですね……。俺も昔食らった事が何度もありましたが、本当に最悪な気持ちになります。

 何と言うのか……自分が想像する『最悪』をより克明に見せ付けてくると言うか、最悪の記憶だけが延々と繰り返されてもう何も考えられなくなっていくと言うか、何もかもに絶望して生きる気力もなくなったりとか……。その上で周り全てが敵に見えたりしますね。

 それで肉体そのものが傷付いたりする訳では無いのですが、心の方はどうかしたら再起不能になって廃人になるかもしれない程のものです」

 

 鬼共が使う血鬼術の中には、そう言った精神的な攻撃を主とするものもある。

 直近で報告されたものの中だと、煉獄が無限列車で斃した下弦の壱もその類だ。

 幻術の類にまでその範囲を広げると、より多くの血鬼術が該当する。俺と匡近が斃した姑獲鳥もそうだと言えるだろう。

 ……そう言った血鬼術への対策として、鳴上にその力を使って貰って耐性を付けてみる事も考えたが、鳴上はとんでもない事だとばかりに必死になって首を横に振って拒否した。

 確かにその状態にした相手でも直ぐに回復してやれるが、直ぐに回復しても、その幻を見ていた時の記憶自体はそこに残る為に心の傷が完全に癒えるものではないのだと説明する。

 最悪廃人になると警告されては、それを無理に強要するのもどうかと言う話である。

 

 そんな事を話している内に時間は過ぎて。

 そして、柱稽古を突破してきた隊士が風屋敷にやって来て、本格的な柱稽古がやっと始まるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
マヨナカアリーナで『鋼のシスコン番長』のリングネームが付いてしまう未来をまだ知らないが、菜々子は自分の命よりも大事。
悠に対する人質として最も有効なのは間違いなく菜々子。ただし菜々子を人質にした場合、本気の殺意の波動に目覚めた悠と、本気の特捜隊全員にマリーちゃんと、堂島さんと、マガツイザナギで容赦無く切り刻んでくる足立さんの全員を敵に回す事になる。(まあ、この世界に菜々子は居ないので無惨様が菜々子を人質に取れる可能性は無いが……)


【不死川実弥】
お人好しで世話焼きな悠を見ていると、兄弟子であり親友であった匡近をちょっと思い出す様になった。かなり絆されてきている。
なお、恐怖バステを喰らった場合、母親を殺した時の記憶と匡近を喪った時の記憶と自分が想像する最悪の結末(玄弥の死)がエンドレスにリピートする事になる。


【不死川玄弥】
とても一途に実弥を想っている。万が一半殺しに遭ったとしても絶対に実弥を諦めない。兄も石頭だが、弟は弟で物凄く頑固である。


【竈門炭治郎】
実弥との相性は一度噛み合えばかなり良いのだが、ちょっとでも噛み合わないと似たもの同士な事もあって絶望的に上手くいかなくなる。
不死川兄弟の喧嘩(言い合い)に遭遇した場合、基本的に玄弥側の肩を持った言動をする為、火にニトログリセリンをぶち込む事になる。
大怪我をして療養しなければならない期間がほぼ存在せず、任務以外の時間の多くを鍛錬に費やしていた事もあって、「痣」は出ていないが基礎的な部分の身体能力はかなり鍛え上げられている。それもあって、柱稽古をトップクラスの速さで順調に突破中。
炊き出しなどに参加すると、その余りの火加減の巧さに誰もが病みつきになる程。
特に炭治郎の炊いた米の旨さは凄まじく、蜜璃は普段の1.5倍は平らげてしまった。


【嘴平伊之助】
情緒は育っているが兄弟の感覚などは今一つ分からないので、実弥が玄弥の存在を拒絶する理由が全く分からない。「玄米の事が嫌いなのか??」としかならない。
元々の高い身体能力によって一部の柱稽古は爆速で終了した。特に、柔軟性を鍛える恋柱の試練に関しては即日合格が出た程。ただしその次の蛇柱の試練では合格までやや時間が掛かったので、風柱の試練に進んだのは炭治郎と同時。
強い相手と手合わせ出来るのがとても楽しいので、柱稽古は概ねどれも物凄く楽しい。無限打ち込み稽古を最も楽しむ男になる。


【我妻善逸】
玄弥の事を嫌っている訳では無い事は音では分かるのだけど、それはそれとして半殺しにしてでも追い出そうとするその行動力が怖過ぎて泣きそう。「何これぇ、うちの兄貴は優しかったね……」となる。
柱稽古がキツ過ぎて泣きそうだけど、恥を晒すと獪岳から締め上げられるし、獪岳が頑張っているから情けない言葉は口にしても諦めたり逃げ出したりはしない。
今の所、地獄の柔軟が一番キツかった模様。(でも蜜璃と合法的に触れ合えるのは嬉しかった)


【獪岳】
不死川兄弟の事に関してはほぼノーコメント。
柱稽古は楽では無いが、しかし真面目な努力家なので順調に熟している。
善逸が情けない事を言う度に締め上げているが、それは桑島さんからの許可を取っている事なので問題無し。
悲鳴嶼さんとの話し合いで若干遅れが出たが、あまり問題にはならない。


【栗花落カナヲ】
不死川兄弟の複雑な状態は正直よく分からない。自分がしのぶ姉さんやカナエ姉さんにあんな態度を取られたら物凄く哀しい。
でも、自分が勝手に最終選別に行った時にしのぶ姉さんを酷く心配させてしまった事は分かっているので、そう言う事なのだろうか……?とは考えた。
柱稽古は炭治郎を僅かに上回る爆速で突破中。
眼が良いので、手合わせの様な稽古は得意なのも大きい。
しのぶ姉さんの柱稽古が無いのが少し残念。
柱稽古自体に不満は無いが、アオイや悠が作ったご飯を食べられない事は若干不満。
なので風屋敷では悠の作ったご飯が食べられるのでやる気がとても出ている。




≪今回のコミュの変化≫
【刑死者(不死川実弥)】:3/10→6/10


≪現時点でのコミュ状況≫
【愚者(鬼殺隊一般隊士)】:MAX!
【魔術師(我妻善逸)】:MAX!
【女教皇(胡蝶しのぶ)】:9/10
【女帝(珠世)】:8/10
【皇帝(冨岡義勇)】:9/10
【法王(悲鳴嶼行冥)】:MAX!
【恋愛(甘露寺蜜璃)】:9/10
【戦車(嘴平伊之助)】:9/10
【正義(煉獄杏寿郎)】:MAX!
【隠者(隠部隊&刀鍛冶)】:MAX!
【運命(栗花落カナヲ)】:9/10
【剛毅(竈門禰豆子)】:9/10
【刑死者(不死川実弥)】:6/10
【死神(伊黒小芭内)】:6/10
【節制(蝶屋敷の皆)】:MAX!
【悪魔(愈史郎)】:7/10
【搭(不死川玄弥)】:9/10
【星(宇髄天元)】:MAX!
【月(時透無一郎)】:MAX!
【太陽(竈門炭治郎)】:9/10
【審判/永劫(産屋敷の人達)】:9/10
【欲望(獪岳)】:MAX!
【??(???)】:???





【邯鄲の夢コソコソ噂話】
ご要望があったので、活動報告の方にも上げていた各々のアルカナとその解説をば。また、現時点でMAXになったアルカナに関してはその旨を加筆しています。


【愚者】:鬼殺隊一般隊士
迷う事無く決まったアルカナの一つです。
鬼殺隊一般隊士と言う括りですが、より厳密には鬼殺隊と言う組織そのものですね。
まだ己の旅路の先も知らずに踏み出す者達。それが『愚者』です。
各アルカナは基本的に、悠との関わりの中で逆位置が正位置(正位置が悪い意味なら逆位置に)なる様に変化していく、と言う事を意識して当てています。
コミュ達成条件は、一定数以上の隊士と絆を結んだ上で、多くの一般隊士たちに存在を認知される事です。


【魔術師】:我妻善逸
正位置では「可能性」・「天賦の才能」・「変化」・「優れた感覚」などを示し、逆位置では「空回り」・「裏切り」など。
優れた感覚と共に霹靂一閃への天賦の才能を持ち可能性にも溢れより良い方向へと変わっていく部分と、正反対に獪岳などの事に関しては空回りがちで最後には裏切られる様な結果になってしまった善逸に相応しいかと思ってこのアルカナを選びました。
コミュ達成条件は、獪岳との関係性を正しく一歩踏み出す事です。


【女教皇】:胡蝶しのぶ
正位置では「叡智(高度な知識や学問)」・「聡明」・「純潔」、逆位置では「悲観」・「孤立」など。
原作に於いて珠世さんと共に鬼舞辻無惨討伐の最重要部分を担っていたその叡智に関しては言わずもがな、逆位置的な意味でも己の力不足を嘆きつつも独り童磨との相討ちを狙って準備するしかなかった事にも当てはまります。聡明であるが故に己の力不足を何よりも痛感し、自分の目的の為に何を擲つ必要があるのかを悟りそれを準備してしまう。それって実にしのぶさんですね。


【女帝】:珠世
母性や慈愛など、大地母神的なものを象徴する事で知られるアルカナですね。
まあ、コミュれる相手の中で『母親』なのは珠世さんだけ……と言う事で半ばそれに決まった感じではあります。珠世さんも、『ハリティー(鬼子母神)』がアルカナに属している【女教皇】にするか物凄く真剣に迷ったのですが、しのぶさんは【女帝】では無いなぁ……という事で此方に。
(まあ、そんな事言い出したらP4のマーガレットさんも『母親』では無いですけどね)
逆位置的に「挫折」などの意味もある事があるそうなので、鬼になって家族を殺してしまったという特大級の挫折を味わった意味でも若干相応しいのではないでしょうか。


【皇帝】:冨岡義勇
かなり迷わずに決めたアルカナの一つです。
正位置では「行動力」・「決断力」を象徴し、かつウェイト版では「防御」も意味してます。鱗滝門下直伝の判断と行動の速さとその力強さ、そして「凪」などでも見て取れる防御の固さ。そう言った事などから皇帝を選んでいます。
また、逆位置では「未熟」の意味もあり、(周りから見てどうなのかはともかく)本人はずっと己を「未熟」であると責めているのでその点でもかなり親和性が高いアルカナですね。


【法王】:悲鳴嶼行冥
正位置では「慈悲」・「信頼」・「優しさ」・「人徳」、逆位置では「躊躇」・「不信感」の意味があるとされています。
その寓意画は人の二面性を示しているとされ、優しさや人徳に満ちた部分と幼い子供への躊躇や不信感が反発する事無く同居していると言う点でも悲鳴嶼さんらしいのではないでしょうか。
また、P4本編では悠にとって一番頼れる「大人」であり「保護者」でもあった堂島さんが法王だったと言うのも大きいですね。
コミュ達成条件は、紗代との誤解を解きかつての悲劇に決着を付ける事です。


【恋愛】:甘露寺蜜璃
迷う事無く決まったアルカナの一つ。逆にここ以上のものってあります?
とまあ流石に名前と呼吸のイメージだけで決めた訳じゃないです。
正位置では「自分への信頼」・「価値観の成立」・「情熱」・「共感」・「選択」・「恋愛」・「結婚」などを示し、逆位置では「失恋」・「空回り」・「空虚」・「(結婚生活の)破綻」などを示します。
自分らしくある事を受け入れて貰えず縁談が破綻し、それで本来の自分を押さえ付けて空虚に空回りしていた所を、鬼殺隊に入って自分への信頼を取り戻し己の在り方を肯定し他者に対して情熱と共感を持って接している蜜璃ちゃんはとても【恋愛】のアルカナに相応しい人だと思います。
とは言え、過去のトラウマはまだ払拭しきれていない為、そこをどう変えて「結婚」まで辿り着かせるのかがコミュの本番になるかと思います。


【戦車】:嘴平伊之助
迷う事無く決まったアルカナの一つ。アルカナの意味的にも猪突猛進!
正位置では、「勝利」・「行動力」・「積極性」・「突進力」・「開拓精神」・「体力満タン」・「負けず嫌い」などの意味があります。まさに伊之助ですね。
そして逆位置では、「暴走」・「無知」・「不注意」・「失敗」・「挫折」・「自分勝手」・「傍若無人」・「焦り」・「視野縮小」・「好戦的」などの意味があり、これもまたまさに伊之助です。
逆位置にならない様にしつつ、正位置での伊之助の良さを存分に発揮させていく事になるコミュですね。


【正義】:煉獄杏寿郎
かなり迷わず決めたアルカナです。この話はP4本編に準じて概ねマルセイユ版の順番になってます。
正位置では「公正・公平」・「善行」・「誠意」・「善意」などを示し、公正さを象徴するからこそ、煉獄さんに最も相応しかったので。
割と最初から人格的にほぼ完成されているので逆位置に当てはまるものがないのですが、逆に言うと正しく正位置に存在する精神性も以てしても乗り越えきれなかった運命を乗り越えさせる事もまた、コミュの在り方の一つではあるのではないかと思って、煉獄さんのコミュ達成条件は『煉獄さんの命を救う事』に定めました。
もし【正義】アルカナを召喚可能だった場合、スラオシャ無双が始まっていたと思います。


【隠者】:隠部隊
かなり最後の方まで迷ってたアルカナです。『隠』だから【隠者】で良いのでは?何てちょっと暴論で決めつつも……。(そもそもP4ではコミュ相手は狐ですし……)
と、まあ流石にそれだけではなくて、自分を見つめた結果、己に出来る事に真摯に向き合ってそれを選択した人達なので、己を見詰める【隠者】は相応しいのではないでしょうか。
そして『隠部隊』とはしてますが、正確には鬼殺隊を支えてくれている人達全体ですね。だから、刀鍛冶の里の人たちの要素も入ってます。
コミュ達成条件は、刀鍛冶の里の防衛に成功する事でした。


【運命】:栗花落カナヲ
逆らう事が出来ずそれに身を委ねる事しか出来なかった状況から、出会いによって変化したからこそ、このアルカナにしています。
アルカナの大きな意味としては、『運命とそれに対する自由意志』です。
正位置では「転換点」・「幸運の到来」・「チャンス」・「変化」・「出会い」・「解決」・「定められた運命」・「結束」などを表し、逆位置では「別れ」・「すれ違い」などを表しています。
悠が居なかったらしのぶさんは確実に自爆してしまうので必ず別れが訪れる運命だったところを、その運命が悠との出逢いよって大きく変化したという意味でも、とても合っているのではないでしょうか。


【剛毅】:竈門禰豆子
迷う事無く決まったアルカナの一つです。
正位置で「強靭な意思」・「理性」・「不撓不屈」などを示している上に、その寓意画的には無意識としては手懐けられない程に強くなった「獅子(本能)」を「女性(理性)」が手懐けて御すると言う意味がある事もあって、鬼になってもその本能を強靭な理性で御している禰豆子に相応しいと思ってこのアルカナにしています。
また、マルセイユ版の解釈では、【剛毅(力)】からはアルカナの旅路が精神世界のものから現実世界のものへと転換したとされ、その転換点としても重要なアルカナですね。
太陽の克服を成し遂げる禰豆子の存在は、物語的に(と言うか逃走上等な無惨を釣り出す為に)最重要と言っても過言では無いので、そう言う点でも相応しいかと。
禰豆子自身との会話が一切無いのでどう言う基準でコミュ(と言うか絆)が深まっているのかは分かり辛いかと思いますが、禰豆子にとって一番大切なもの、つまりは炭治郎を助けてその力になる度に上がっていってます。


【刑死者】:不死川実弥
かなり迷わずに決めたアルカナの一つです。
ワニ先生直々に『泣いた赤鬼の青鬼を地でやってしまう』と言い切られてしまったお兄ちゃん……。
正位置では「忍耐」・「奉仕」・「努力」・「試練」・「妥協」、逆位置では「徒労」・「痩せ我慢」・「自暴自棄」と言う意味を示しています。
更にその寓意画としては、【世界】とは正反対に『物質が精神の上にある状態』を示しています。
玄弥の肉体的な安寧を願うあまり、その精神的な安寧を二の次にして、玄弥の安全の為にひたすらに「青鬼」に徹して我慢して奉仕し続けているその在り方は、実に【刑死者】ではないでしょうか?
【刑死者】に待ち受ける試練とは決して避けられぬものである反面、それを乗り越えられれば更なる高みへ辿り着けるものであるとされています。
原作の世界ではその涙ぐましい献身性とは裏腹に最も守りたかった存在を目の前で喪ってしまった実弥には、その奉仕と忍耐を徒労に終わらせない為の変化が必要ですね。


【死神】:伊黒小芭内
正位置では「死」とか「停滞」の意味となり、逆位置では「再出発」や「起死回生」や「再生」などの意味になる、逆位置の方が良い意味になる珍しいアルカナの一つですね。
また寓意画的には、一つ前の【刑死者】の段階にあった者が「現状の変容」を求められた際のその内面的な自己変革の段階を示したものだとされ、前進の為の破壊だとも捉える事が出来るとされます。
生贄として死に近く在り続け忍耐し続けてきた上に、それでいて今の己を殺し来世を想うからこそ、このアルカナに。
穢れた血族の産まれだから赦されないと己を縛るそんな自分を一度完全に殺して、また新たに歩き出す事こそがこのコミュを満たした証になります。


【節制】:蝶屋敷の皆
「調和」・「自制」・「節度」・「献身」を示すアルカナですね。
死と再生の狭間を経た者たちへの祝福を与える者と言う寓意画の解釈もあります。
鬼との死闘から生き延びたもの達を癒す役割の蝶屋敷の者たちを象徴するアルカナとして相応しいのではないでしょうか?
コミュ達成条件は、しのぶを童磨との戦いから生還させる事でした。


【悪魔】:愈史郎
これもまた逆位置の方が良い意味になる珍しいアルカナの一つ。
「悪循環」や「嫉妬」などと言った正位置の意味に、「覚醒」・「新たな出会い」・「生真面目」と言う逆位置の意味。
また、寓意画的には一つの物に対して盲目的に崇拝し付き従っている状態であるとも言われる事もあります。
更に「悪魔」と言う存在の解釈として『意図の有る無しに関わらず、当人の望む望まぬに関わらず、結果的に起こる奇跡』であるとも。
ある意味、最終決戦時では珠世様に並んでMVPであった愈史郎にとっては、その結果は望んだものである反面本当に望んでいたものでは無かった、そんな少し皮肉な「奇跡」的な勝利でしたね。
何かに囚われている事を意味していますが、囚われているものとの繋がりは非常に強固であるとも言えます。
愈史郎の願いは、珠世様を助ける事。ただそれだけに集約されています。


【搭】:不死川玄弥
迷う事無く決まったアルカナの一つ。
説明するまでも無く、正位置の意味も逆位置の意味もほぼ玄弥です。
どっちの向きでも悪い意味になる唯一のカードですね。
とは言え、このアルカナに全体的に含まれた『破壊』は決して悪い意味だけではなく、寧ろ「浄化」の側面もとても強いです。
成功に縛られてどうにもならなくなった状態を打ち崩す、それは一つの祝福である、と。そう捉える事も出来ます。
何度も何度も挫折して、崩されて。そんな中で、ある意味「鬼食い」と言う後戻りは出来ないけれど確実に力を得られる方法(成功)に縛られてしまったからこそ、そしてその成功に縋り付くを得ない執着があったからこそ、原作でああなってしまったとも言えますので。
勿論それが自分の選択の結果であったが故に玄弥本人にそこまでの後悔は無かったのですけどね。
ちなみに、寓意絵で塔を破壊している雷は、【太陽】を表す黄色で描かれています。


【星】:宇髄天元
価値観やら様々なものの崩壊を示す【塔】の次に来るアルカナであると言う事で選びました。決して派手派手だからでは無いです。
正位置的には、「希望」・「願いが叶う」・「絶望からの再生」・「期待」などを示し、寓意画的には女性(仲介者の象徴)によって【塔】の段階で求められた自己変容が自分の内面で起きている事を示しています。(P4のアルカナカードの絵柄では女性は出てこないんですけどね)
忍として形成された価値観を【塔】で破壊して、嫁さん三人と一緒に自己変容と禊の為に戦う宇髄さんにかなり相応しいのではないでしょうか?
コミュ達成条件は、嫁を全員生還させた上で上弦の首を斬る事でした。


【月】:時透無一郎
逆位置の方が良い意味になる珍しいアルカナの一つ。
正位置では「不安定」・「現実逃避」・「欺瞞」・「猶予ない選択」・「トラウマ」・「フラッシュバック」・「隠れた敵」などを示し、逆位置では「過去からの脱却」・「徐々に好転」・「未来への希望」などを示します。
また、カード全体の主旨としては『自らが導く、未だ見えざる真実への道程。それを辿ることの困難さ』であり、そのカードに描かれた月は『真実への導きを与える、無名無形の見えざるもの』の象徴です。
己の過去(真実)を思い出せないが故に不安定で余裕が無い無一郎には相応しいのではないでしょうか?
まあ、曾(中略)祖父さんである巌勝の影響もちょっと無くはないですが。
コミュ達成条件は、喪われた記憶を取り戻す事です。


【太陽】:竈門炭治郎
この話を書くと決めた時に一番最初に決まったアルカナ。
寧ろ炭治郎以外が【太陽】になる事あります?って位に迷いませんでした。
(P3以降だと人間キャラは死神以降のアルカナに覚醒しないので)もし鬼滅側のキャラがペルソナに覚醒するって話にする場合どうしようとは思ったんですけど、何回考えても炭治郎が【太陽】なのは変わりませんでした。
ウェイト版のタロットカードには、【世界】を含めた全ての絵柄に『太陽』を象徴する黄色が使われてます。(例えば、【月】に描かれている『月』とか)
正位置の意味では「成功」・「祝福」・「勝利」・「約束された将来」・「満足」など人の輝く内面そのものを象徴し、その寓意画的には生への本能が完全に合一している事も象徴され、極めて重要な本質的変革の第一歩を踏み出した事も示されてます。それはまさに原作主人公。
全てのカードに【太陽】の影響が描かれている様に、その影響は凄まじく強大です。実際、悠に出逢わなかったとしても炭治郎は沢山の人に様々な影響を与え、己の目的を完全に果たしますし。
当然、【世界】にも【太陽】の影響はとても大きいです。
しかし同時に、アルカナの旅路を最後まで終えている訳では無い事も重要です。
炭治郎だけでは取り零してしまったものを、悠が一緒に拾い上げにいく。
ある意味、この物語はそんな話でもありますね。


【審判/永劫】:産屋敷の人達
マルセイユ版表記だと【審判】、ウェイト版表記だと【永劫】ですね。
P4Gの【永劫】に描かれている鳥は太陽の化身『ホルス』であり、鬼を滅する為の組織の長としては滅茶苦茶相応しいと思います。ホルス自体は【太陽】アルカナのペルソナですけども。
正位置では「復活」・「啓示」・「改善」・「覚醒」・「発展」・「活力」・「満足」などを示し、逆位置では「悔恨」・「行き詰まり」・「悪い報せ」・「再起不能」を示します。
鬼舞辻無惨の責任を連座で取らされ続け余りにも短い寿命に苛まれ続ける事や、とにかく死亡者が積み重なり続ける事、鬼舞辻無惨の尻尾が千年かけても殆ど掴めずじまいな事、重責に心を病んでしまう者も多い事など、産屋敷家全体が元々かなり逆位置寄りだと思います。
ギリギリ、「啓示(先見の明)」が正位置な位で。
そこを根性と無惨への怒りだけで持たせていた耀哉さんのメンタルは既に人外級な気がします……。
まあそんな状況が、炭治郎と悠との出逢いを切欠に一気に正位置にの方向へと傾いて行ったイメージですね。
本当に余談になりますが、鬼滅の世界には間違いなく《神様》的な存在は居ると思うのですが、中々にクソだなぁ……と思います。過干渉してくる上に平気で世界を滅ぼしてくるメガテン世界より断然マシですけど。


【欲望】:獪岳
迷う事無く真犯人モードの足立との繋がりを象徴する【欲望】を採用しています。
ウェイト版での【剛毅(力)】と同じ意味でありますが、P4Gで描かれた【欲望】のカードの絵柄の意味としては、本来「理性(女性)」が御するべき所を「本能(本能)」に翻弄されていると言うものがあります。(ちなみにこの絵柄の獣はマザーハーロットにインスパイアされてるらしいですね)
全体的に、【剛毅】の逆位置的意味や或いは正位置の要素が欠けている状態である意味だと判断していいかと思い、その様に解釈しています。とは言え、そこから踏み出す事が出来ればまた新しく旅を始められる事もまた事実。
肥大した自尊心と承認欲求に隠されたものを見付け出し変えて行く為のコミュでした。
そして、悠が足立さんにしてあげられなかった事……本当の意味で自分の罪に向き合う力を与える事。
それもまた、このコミュの意義になります。
獪岳と悲鳴嶼さんとの対話は、感覚的にはP4Gで追加された仲間たちの二回目のペルソナ転生イベントみたいなものです。


【??】:???
まだこの時点では生まれていない絆。
この先生まれるのかどうかは選択次第です。


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『重ならない想い』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 宇髄さんの所から始まった柱稽古ももう折り返しを過ぎて、次は不死川さんの所での訓練になる。

 

 最初は二百人以上で同時に始めた柱稽古だが、柱の下を回る内に段々と先に進める人数は明らかに減っていって。

 俺はどうにか一番順調に柱稽古を突破している中に何とか食らい付いていられているけれど、それでも本当にキツい訓練だ。

 無惨との決戦に向けて、少しでも隊士たちに鬼を相手に殺されずに鬼を殺せるだけの力を付けさせようとする訓練であるからこそ、どの柱も皆本当に容赦が無い。

 少しでも手心を加えれば、それが巡り巡って俺たちの命取りになりかねない事をよく分かっているからこそ、容赦なんてしていられないのだろうとはよく分かる。

 それに、そうやって柱稽古をこなしていく内に、昨日よりも確実に強くなっている事を実感出来るのは悪い事では無かった。

 柱の人たちの強さにはまだ全然追い付けていないけれど、俺たち一人一人がその小さな一歩をどれだけ重ねられるかで無惨を倒せるかどうかが決まるのなら、どんなに苦しい訓練でもやらないなんて選択肢は無い。

 

 ……なお、今までのどの訓練も本当に厳しいものであったけれど、やはり一番苦しかったのは甘露寺さんの訓練であった。

 伊之助程の柔軟性があるならともかく、俺たちの身体はそんな柔軟性には遠く及ばなくて。

 力技で身体を解された時には、本気で手足が千切れるんじゃないかと思った程だ。

 善逸なんて、甘露寺さんに触れて貰った時にはデレデレとした顔をしていたのに、身体を解された瞬間に地獄の責め苦にあっているかの様な顔をして、喜んでいるのか苦しんでいるのかよく分からない顔をしている程であった。

 数日経てば力技の解しによる柔軟性の向上の効果も出ていたけれど……。蝶屋敷での機能回復訓練の際に施される解しはとても優しいものだったんだなぁ……と皆で遠い目になってしまった。

 その後に向かった伊黒さんの下でも、無事に合格の判定が出たので今は不死川さんの所へと向かっている最中である。

 

 

「不死川さんの所には悠さんも居るんだよな」

 

 一緒に横を歩いている善逸の言葉に、「ああ」と頷く。

 俺たちが柱稽古で其々の柱の下を順番に回っている間に、悠さんも柱の人たちの間を回って手合わせをしているらしい。

 俺たちと入れ違いになる様に次の柱の所へ行っている様だったが、まだ暫くは不死川さんの所に滞在する予定なのだと手紙が返って来ていたので、ちょっと久し振りに悠さんに会える筈だ。

 

「カミナリも居るのか! カミナリとも手合わせ出来んのか!?」

 

「ええー……次の不死川さんの所の訓練って確か無限打ち込み稽古だぜ。

 悠さんを相手に手合わせ出来る様な余力なんて残らないんじゃないの?」

 

 ワクワクして来たとばかりに伊之助は声を上げ、そんな伊之助に善逸がちょっと信じられないとばかりに引いた様に言う。

 元々強い相手との力比べや手合わせが大好きな伊之助は、柱稽古を柱たちと手合わせ出来る機会だと考えていてそれはもう大喜びで参加している。

 多くの隊士の人たちは、風柱の試練が「無限打ち込み稽古」だと知った時にこの世の終わりの様な顔をしていたけれど、伊之助だけは寧ろ大喜びだった程だ。

 今までの柱稽古の内容を考えるとこの「無限打ち込み稽古」も非常に厳しい訓練になるのだろう。気を引き締めてかからなければ。

 

 そんな事を考えながら鎹鴉たちの案内に従って歩いていると、大きな屋敷が見えて来た。

 此処が風屋敷だと鎹鴉たちに教えられたそこで待っていたのは、不死川さんと悠さんと、そして俺たちよりも少し早く伊黒さんから合格を認めて貰っていたカナヲだった。

 カナヲと不死川さんは打ち込み稽古の最中で、激しい嵐の様な打ち合いが繰り広げられている。使っているのは木刀なのだが、油断すると蝶屋敷送りになりかねない激しさだ。

 それを見た善逸は「嘘でしょ!」と顔を青褪めさせ、伊之助は興奮して「俺も」とばかりに飛び入り参戦しそうになる。

 そしてそんな俺たちを見て、二人の稽古を縁側に腰掛けて観察していた悠さんが軽く手を振ってくれた。

 どうやら悠さんは不死川さんとの手合わせもしつつ、万が一打ち込み稽古の中で大きな怪我をした場合はその場で治療出来る様に待機しているそうだ。

 

 今の打ち込み稽古に一区切り付けて休息を取った後から、俺たちも打ち込み稽古に参加する様にとカナヲの攻撃を捌いている最中だった不死川さんから指示が飛び。それを聞いた善逸はこの世の終わりだと言わんばかりの顔をする。だが喚こうが嘆こうが訓練からは逃げられないので、死にそうな顔になりながらも善逸はその場に踏み止まるのだが。

 訓練の開始までには少し時間があるとは言え、それまでの間を何もせずにのんびりと過ごすなんて訳にもいかなくて、俺たちは見取り稽古の様に二人の打ち合いをじっくりと観察する事になった。

 

 禰豆子を刺した事に関して、俺は正直今も不死川さんの事を認めていない。幾ら禰豆子が人を襲わない事を証明する為にはああする必要があったとは言え、あんな風に何回も刺す必要は無かった。それに、一言位は禰豆子に謝って欲しかった。

 とは言え、不死川さんが柱として恐ろしく強い人なのだという事は、カナヲとの打ち込み稽古を見ているだけで伝わってくる。

 物凄く目が良い上にしのぶさんの継子として鍛えられているから素早い動きなどを見切る事が得意なカナヲであっても、隙の無い動きで反撃してくる不死川さんの攻撃をかなりギリギリで避けている。

 今までに柱稽古の中で手合わせをして貰った煉獄さんや時透くんや伊黒さんのそれも本当に強かったし凄かったし、呼吸の型は使っていなかったのを見るに手加減されていたのだろうに、合格基準に到達するのが精一杯で一本取る事も出来なかったのだが。

 こうして観察しているだけでも、今まで手合わせをしてきた柱たちに勝るとも劣らない不死川さんの強さが分かる。

 俺たちとカナヲの四人で挑み掛かっても、果たして一撃入れる事が出来るのかどうかも難しいかもしれない……。

 柱の強さを実感する度に、上弦の鬼たちと戦って生きて勝ち抜く事が出来た事がどれ程に実力以上に幸運に恵まれた結果である事なのかが分かる。

 そして、だからこそ。

 上弦の鬼以上に遥かに強い鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす可能性を上げる為に、少しでも鍛え上げなければと意気込みを新たにするのだ。

 

 そして実際に無限打ち込み稽古が始まったのだが、想像していた以上にこれがとても厳しい。

 攻撃を回避する事は出来るのだが、いざ此方が打ち込もうとすると手痛い反撃が襲いかかって来る為、中々有効な一撃を入れる事が出来ないのだ。

 四人で連携しても、不死川さんの反応と攻撃はそれを上回る。

 そして不死川さんは人数が増えたからなのか呼吸の型を使って攻撃してくる様になったのだが、それがまた暴風の様に激しいものなのだ。

 防御しようとしても或いはどうにか受け流そうとしても。その上から吹き飛ばされる程の威力と速さだ。

 しかも回復の呼吸に充てる為の僅かな隙を完全に潰そうとして襲われるので中々疲労が抜けない。

 しかも、「一区切り」が非常に遠い。

 体力が尽きて反吐を吐くと共に倒れて漸くそこで暫しの「休憩」になる。本当に辛い。

 

 何度も倒れては暫し「休憩」して、と繰り返していると。

 不死川さんがふと「テメェらはそこで休んどけェ」と、稽古場になっている庭の端に転がっていた俺たちに声を掛けて打ち込み稽古を一旦休止させて、今度は縁側に座っていた悠さんを呼ぶ。

 どうやら、今度は悠さんとの手合わせをするらしい。

 

「嘘でしょ……あのおっさん正気かよ……散々俺たち相手に暴れて、まだ余裕があんの……」

 

 一時的な失神からは回復した善逸が、信じられないとばかりに震える声で呟いて。

 体力の限界まで動いた事でもう動けない伊之助が、仰向けに倒れたまま「俺だって……!」と闘志を燃やして。

 俺たちよりは少し余裕があるカナヲは、身体を休めながら二人をジッと観察する様に見ている。

 強い人同士の戦いは見ているだけでも物凄く学ぶべき部分を見付けられるし、吸収出来ればそれは間違いなく自分の力になる。

 里では時透くんと悠さんとの戦いを観察したり、或いは全員で悠さんに挑み掛かった事もあったけれどどれも本当に凄い経験になった。

 だからこそ、悠さんと不死川さんがどんな風に戦うのかはとても気になるのだ。

 

 俺たちが見守る中、悠さんの合図で二人の手合わせが始まった。そしてその瞬間、凄まじい速さで斬撃が幾重にも周囲を切り刻む。

 それを見た伊之助が、「六つ目鬼の技みてぇだ」と驚いた様に呟く。どうやら、悠さんは上弦の壱の戦い方を再現して手合わせしている様だ。

 無数の斬撃に襲われた不死川さんは、それを正確に見切って斬撃と斬撃の僅かな隙間に躊躇いなくその身を滑り込ませて悠さんを狙う。が、低い位置から狙おうとしたその刀身を悠さんは素早く踏み付ける事で阻止する。

 その瞬間、互いの視線に火花の様なものが飛んだ気がした。

 刀を踏まれて攻撃を阻止された不死川さんは、今度はそれを捻じる様に振り払いつつ風の呼吸の型で悠さんの足を狙う。

 それを軽く跳んで避けた悠さんの首を目掛けてさらに鋭い突きが放たれたが。

 悠さんは目にも止まらぬ速さで突き出されたその切っ先を掴んで、思いっきり地面に向かって押し下げて。瞬間的に無防備になった不死川さんに向かって再び無数の斬撃を放つ。

 自身を襲うそれを回避する為に、不死川さんは咄嗟に固く握り締めていた木刀を手放して地を蹴って一気に後退する。

 結果として斬撃を全て回避する事は出来たが、悠さんの手に奪われた木刀はスッパリと切断されてしまう。

 そして、武器を喪った為手合わせは一旦そこで中断する事になった。

 

「あーっ、クソ。

 あの突きは決まったと思ったんだがなァ」

 

「いえいえ、警戒してなかったら防げなかったですよ、あれは。

 それよりも、やはり武器を狙われた際の対応が問題になるかもしれませんね」

 

「だなァ。相手が元は鬼殺の剣士だってェなら、こっちの日輪刀をどうにかしようとしてくる可能性はたけェ」

 

 そう言って先程の手合わせについての感想を述べ合う二人に、俺たちは次元の違う強さを見せ付けられて絶句していた。

 正直俺には不死川さんの様に最初の斬撃の嵐を避けられる自信は全く無いし、悠さんの様に木刀とは言え目にも止まらぬ程の速さで突き出された軽く岩を砕く威力が込められたその切っ先を掴んで止めるなんて絶対に無理だ。

 上弦の鬼を討つ為に、そして鬼舞辻無惨を討つ為に、その対策を見付ける為の、まさに次元の違う戦いだった。

 余りにも速過ぎる攻防をちゃんと目で追えているだけ自分の成長を感じられるけど。しかし自分がこの攻防を実際に出来る様になるまでどれ程の鍛錬と時間が必要になるのかと思わず慄いてしまう程だ。

 不死川さんの凄い所は瞬時の状況判断能力が恐ろしく高い。柱として長く様々な鬼たちと戦ってきた経験で培われた感覚によるものなのか、それは思考するよりも早く身体が動いている様にすら見える。それでも、悠さん……正確には上弦の壱に一太刀入れる事は本当に難しいのだろう。

 

 お互いに感想を言い合って反省点を見付けて一息吐くと、二人は再び手合わせを行う。

 今度は武器の破壊を狙った悠さんの一撃を、その隙を狙った攻撃で不死川さんが返した事により激しい打ち合いになって。

 悠さんは激しい暴風の様な不死川さんの攻撃を臆する事無く正確に捌き続けるが、不死川さんの怒涛の連撃を前に防御と回避に専念しているかの様であった。それを好機と見た不死川さんがより一層激しさを増して攻撃を叩き込んでいると、悠さんの身体が瞬時に消えた様に沈み込み、僅かに隙が生まれていた足元を払う様に不死川さんの足を刈り取る様な足払いを決める。

 体勢が完全に崩される事はその強靭な体幹で何とか耐えたが、しかしより大きな隙が生まれた事には変わらない。そして当然そこを悠さんは狙う。

 しかし、その悠さんの一撃を、不死川さんは驚く程身軽に身を反らせて避ける。

 更にはそこに反撃の一撃を喰らわせようと周囲を根こそぎ薙ぎ払う様な型を信じられない様な体勢から繰り出した。

 だがそれを見切った悠さんは危うげもなく回避する。

 そして、無理な体勢から反撃した為どうしようもない隙が一瞬出来てしまった不死川さんの胴を狙って一撃入れる。

 その一撃は跳ね返された様に不死川さんを傷付ける事は無かったが、もしこれが実戦ならその一撃で胴を割られていたのだろう。

 その為、手合わせは再び中断された。

 

 どうやらそんな感じで、俺たちが来るまで二人はずっと手合わせをしていたらしい。多分、時透くんや甘露寺さんや伊黒さんの所でもそうだったのだろうけれど。

 目の前で次元の違う攻防を繰り広げられて、すっかり回復した伊之助は興奮した様に「俺も俺も」と木刀を掴んで飛び込む気満々になっている。

 善逸はあまりの激しさに驚いている様だったが、それでもその手合わせから何かを感じ取った匂いがした。

 カナヲはと言うと、どんな動きも見逃さないとばかりにジッとそれを二人の手合わせを観察している。

 そして、此方のやる気を見たからなのか、或いはこれも良い訓練になると判断したからなのか。

 不死川さんは俺たちにも手合わせに参加する様にと声を掛ける。

 無惨との決戦では、無惨以外にも上弦の鬼たちとの戦いが待ち受けている事は確実であるが、その時にどんな状況下で戦う事になるのかは未知数で。

 当然、柱の人たちと俺たちの様な隊士が一緒に戦う可能性だって大いにあるだろう。だからこそ、柱と共に戦う際の立ち回りなどを予め理解しておく事は大いに意義がある……と言う事なのかもしれない。

「足を引っ張ったらブチ壊す」と不死川さんに脅され、善逸は小さく悲鳴を上げて、伊之助は「寧ろ俺が真っ先にカミナリに一太刀入れるからな!」と奮起し、カナヲは静かに頷いて、俺は勿論だと頷く。そしてそんな俺たちを、相手する側である悠さんはちょっと苦笑いしつつ見ていた。

 

「武器を喪ったら離脱、一撃喰らっても離脱。

 その条件は絶対ですからね」

 

 本気で危ないから武器を喪ったからといって捨て身の攻撃はしないでくれ、と悠さんは言う。実際の戦いの場では、武器を喪ったからと言って諦められる訳では無いけれど、手合わせの場なのでと強調されては頷くしかない。

 そして、悠さんと俺たち五人との手合わせが始まる。

 

 手合わせを目で追っていた時も本当に凄かったが、実際にこうして相対するとなるとその緊張感は先程までの比では無い。

 悠さんの武器は木刀では持たないからと言う事で何時も使っているあの大きな剣なのだけれど、ちょっとでも殺傷力を抑える為に鞘に納めた状態で抜けたりしない様に頑丈な縄で厳重に縛っている。

 相手は悠さんだし此方を殺す気で掛かって来る事は絶対に無いから、実際に上弦の壱に相対する時よりはずっとマシなのだろうけど。それでも、悠さんから感じるその威圧感はビリビリと身を震わせる程のものであった。

 

 そして、不死川さんの合図で手合わせが始まったと同時に、一切の容赦が無いかの様な速さで周囲一帯が一瞬で斬り刻まれる。

 目で追っていては絶対に反応出来ないそれを避ける事が出来たのは、先程までの手合わせを観察していた事でそれを予測出来ていた事と、里で散々悠さんと手合わせをしていた時に身に付いた経験が培った「勘」のお陰だ。

 それでも、二撃三撃と信じられない様な速さで続けざまに放たれる斬撃の嵐を避ける事は本当に大変で。

 それに集中しなくては一瞬で一撃を喰らって離脱しなくてはならなくなる事を肌で痛い程に感じる。一瞬でも気を反らせば終わりだし、そして斬撃は縦横無尽に蹂躙してくるので全方位に常に気を張り詰め続けなければならない。

 一度でも判断が遅れれば、或いはそれを誤れば、即座に終わる。

 悠さんが相手だから良いものの、実際に上弦の壱を相手にしていたならその時点で即死するだろうというのがよく分かる。

 上弦の肆の分身を相手にしていた時に感じた以上の理不尽過ぎる攻撃の嵐だった。

 五人全員で掛かっても、悠さんに接近する事すら儘ならない。

 近付けたかと思っても、即座に怒涛の斬撃で距離を離される。

 そして、どうにか全員で囲んだと思えば、今度はその至近距離を殲滅せんとばかりの斬撃の嵐だ。

 

 悠さんは実際に戦った上弦の壱のそれを再現しているそうなのだが、こんなにも滅茶苦茶な相手にどう勝てたのかと本気で思ってしまう程だ。

 しかも悠さん曰く、自分の剣術自体は上弦の壱のそれと比べたら全く以てなってないのを、その身体能力や反射神経などでどうにかそれらしく取り繕ってやっているだけだと言うし……。

 本当に、上弦の壱は規格外の存在だ。それは、上弦の壱だけに留まらず、今残っている残りの二体に対しても言える事であるし、無惨はこれですら比べ物にならない力を持っているという事も言える。

 そう、上弦の壱は乗り越えなければならない相手ではあるが、あくまでも通過点で。逆に上弦の壱程度を倒せなければ無惨を倒すなど夢のまた夢である。

 だからこそ、この手合わせは何としてでも乗り越えなくてはならない。

 それに、上弦の壱は間違いなく強大無比な敵ではあるけれど、その手の内は既にほぼ完全に明かされている相手である。

 周囲一帯を斬り刻む斬撃の嵐だって、恐ろしく広い範囲を薙ぎ払う連撃だって、周囲を擂り潰すかの様な一撃だって、既にそれは実際に戦った悠さんや時透くんや煉獄さんや伊之助たちが見ているし、それを俺たちに教えてくれている。

 悠さんが放つ攻撃の全ては、それらを可能な限り忠実に模している。だからこそ「知っている」のだし、それに対応する事が出来ている。

 予め相手の手の内は分かっているのだ、後はそれに対応出来るかどうかだけの話だ。

 

 不死川さんが凄まじい勢いで型を出して悠さんの動きの選択肢を狭める。

 そこに伊之助が加わって広範囲を斬り刻み、悠さんにそれに対応する為の僅かな隙を作り出そうとする。が、それでもまだ足りない。

 善逸が双方の斬撃の応酬の僅かな隙間を抜けるかの様に思いっきり身を低くした状態からの霹靂一閃を放って悠さんを狙うが、その一閃は頸に届くよりも前に悠さんに片手で止められる。が、善逸が掴まれた木刀ごと投げ飛ばされかけた直前に、カナヲがその首を狙ってきた事でその反撃の為に善逸の木刀を掴んでいた手を放して鋭い斬撃を飛ばした。

 自分を襲った斬撃をギリギリで回避したカナヲは、更に一歩勢い良く踏み込む。

 俺はカナヲの僅かな視線で狙いを悟って、それに合わせて意識の死角になっているだろう反対側からヒノカミ神楽で悠さんの体勢を崩そうと狙った。

 が、俺たちの木刀の切っ先が届く直前に。一気に爆発する勢いで、根こそぎ纏めて薙ぎ払われて。その攻撃に全員が吹き飛ばされて、手合わせが終了した。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「実弥さんと一緒に戦うのは初めての筈なのに、凄い息が合っていて驚いた。

 こっちもヒヤッとした瞬間は沢山あったし……皆本当に強くなっているな」

 

 今回の手合わせに関しての感想や反省点などを其々に話し合って。

 激しい攻防に流石の不死川さんも疲れたのか、長めの休息を取りに屋敷の奥へと入っていった。

 それを見送った悠さんは、鍛錬場に転がっている俺たちに水やお茶と共に疲労回復の為のちょっとした甘味として団子を振舞ってくれて。

 その団子を皆で食べながら、色々と話し合う。

 悠さんが沁々とそう言ってくれて、伊之助などは「親分だからな!」と鼻高々に喜んでいた。

 実際、柱稽古が始まってから随分と更に強くなれている気が物凄くする。

 それでも全然追い付けない柱の人たちの凄さには圧倒されるけれど、こうして強くなれている事を実感出来るからこそ、心が折れたりめげたりするよりも、「もっと頑張ろう」と心から思えているのだろう。

 

 そして先程の戦いに関して、上弦の壱についての話になる。

 最後の爆発する様に周囲を薙ぎ払う斬撃は、どうやら頸を斬られかけた事に反撃するかの様に放って来たものであるらしい。そして、そうなってしまったら正直手に負える状態では無いとも。

 

「刀を振る事すら辞めて、無制限に斬撃だけを発生させられたら正直もうどうしようもないと思う。しかも、斬撃を放ってくる刃自体は、黒死牟自身の肉体から幾らでも生えてくるからな……。

 剣山みたいな状態になられたら、近付くのはほぼ無理だと思う」

 

 どうにか斬撃を掻い潜って接近しようとしても、幾重にも幾重にも周囲を斬撃で蹂躙されたら、どんなに回避能力や反応速度が高くても勝ち目が無い。

 そうなってしまったらその場に少しでも長く足止め出来るようにするしか無いのだけれども……。

 

「ただ……黒死牟自身は、刀を振るう事にはそれなり以上に拘りがあるらしい。

 ……まあその拘りは、頸を落とされかけたら投げ捨ててしまえるものの様だが。

 だからこそ、あの頸を落とすならその機会は一度きりだと思った方が良い。

 そして、もし首を落とす事に失敗したらあの斬撃の爆発で即死するしかないだろうな」

 

 本当に難しい相手だ、と。そう悠さんは呟いて、それを憂う様に目を伏せる。

 斬撃自体は血鬼術が主体で発生させているのだろうから、何らかの方法で血鬼術を封じる事が出来るのなら良いのだろうけれど……残念ながら未だ血鬼術自体を封じる方法は無い。

 とは言え、その圧倒的な力にただ一方的に蹂躙されるだけではなくて、どうにか出来る可能性は決して多くはないが存在している。

 やはり複数人で相手をする事は有効であるそうだ。

 全員を徹底的に意識し続ける事は出来ないのだし、複数人で掛かればその中の誰かが突破口を開けるかもしれない。……まあ、ちゃんと連携を取る為の特訓をしなければ、却って足を引っ張る結果になりかねないと言う問題もあるが。

 蟻の一穴という言葉もある様に、些細な事が思わぬ結果を齎す事もある。

 俺たちは柱に比べれば出来る事はまだまだ少ないし、戦力としてもまだ頼り無いだろうけれど。だからこそ、その蟻の一穴を作り出す事が出来る手札にも成りえる可能性はあると思う。

 上弦の肆と戦った時だって、俺たちがもし柱だったらきっと早々に強力な分身を生み出して俺たちを潰そうとしていただろう。

 良くも悪くも俺たちは決して圧倒的な強者ではないからこそ相手の驕りや油断を誘えるのだし、実際に甘露寺さんと宇髄さんが救援に駆け付けて来てくれてからは上弦の肆の意識の大きな部分は二人に割けられていた。その隙を狙って、『本体』の頸を落とせたのだと言っても過言ではない。

 そして、そんな俺たちが少しでも強くなれれば、出来る事はもっと広がる筈だ。

 そんな事を言うと悠さんは「そうだな」と頷いて、善逸たちも確かにと頷いた。

 

「そう言えば、ちょっと気になってたんだけど。

 不死川って事は、風柱と玄弥って兄弟か何かなの?

 目つきとかかなり似てるし」

 

 ちょっと重くなった空気を変えるかの様に、気楽な雑談として善逸がそう言うと。

 悠さんは「ああー……」とそれはもうかなり悩んでいる様な溜息を零す。

 そんな風にどう見ても悩んでいる様子の悠さんを見るのはかなり珍しくて、どうかしたのかと全員で驚いていると。

 

「いや、確かに玄弥と実弥さんは実の兄弟だ。

 ……ただ、今あの二人は物凄く拗れていて……かなり難しい状態なんだ」

 

「難しい状態って?」

 

 正直上手く想像出来なくて、そう訊ねてしまう。

 以前里などで玄弥と話していた時に玄弥は自分には兄が居るのだと語っていたし、そしてその表情はとても穏やかなものだったので、てっきり仲が良いのかと思っていたのだけれど。

 

「何と言うのか……お互いに相手の事を大事に想っているのに、お互いに物凄く頑固だからすれ違っていると言うか……拗れてしまっていると言うか……」

 

 俺たちよりも深く事情を知っている悠さんは、どう説明したものかと難しい顔をする。

 そして。

 

「……例えばの話ではあるけれど、あの日禰豆子ちゃんが鬼になる事は無くて一命を取り留めて。それでも炭治郎には鬼舞辻無惨を追い掛けなくてはならない理由があって、危ない事には巻き込めないから禰豆子ちゃんを置いて鬼殺隊に入ったとする。

 それで何年かしたら、炭治郎を追い掛けて禰豆子ちゃんが鬼殺隊に入ってきてしまった。

 炭治郎は禰豆子ちゃんに危険な目に遭って欲しくないし明日の命の保証も無い鬼殺隊に居て欲しくはないからどうにかして鬼殺隊を辞めさせたい。

 禰豆子ちゃんは、自分が知らない所でずっと戦い続けていた炭治郎の力になりたいし幸せになって欲しい、だから鬼殺隊を辞める気は無い。

 その状況で、炭治郎ならどうする?」

 

 そんな仮定を問われて、俺は少し考えてしまった。

 ……正直、もしあの日禰豆子が鬼にされる事無く一命を取り留めていたら……多分俺は鬼殺の道を選ぶ事は無かっただろう。

 だって、あの日の俺は戦う為の力なんて何も無いただの炭焼きだったし、家族が惨殺されて一杯一杯で……禰豆子をどうにかして守って食っていこうとして、それまでの日々をどうにかして続けようとするのではないだろうか。

 鬼の存在を知って、夜の闇に鬼の気配を感じてそれに怯え、決して消える事の無い血塗られた記憶に一生苛まれるのだとしても。

 それでも、俺は長男としてたった一人残された妹を守ろうとしただろうし、そして俺以外に頼る者が居ない禰豆子を置いて何処かに行く事なんて出来なかっただろう。

 それに、今まで生きて来たその生き方を変える事はとても難しいし、知らなかった生き方を急に選べと迫られてそれを選ぶ事も難しい。

 それ以外に選択の余地が無くて、学も無く伝手も無い俺には、鬼になってしまった禰豆子を助けられるかもしれない道はそれしかなかっただけで……。そうでなければきっと選ばなかった道だろうとは思う。

 正直、俺よりも気丈で思い切りが良い禰豆子の方が、自分で鬼殺の道を選ぶ可能性の方がある気がする程だ。

 それなのに、禰豆子を置いてでも鬼殺を選ぶ事情というのは……想像するのが難しいけれど。まああくまでも仮定の話だし主題はそこじゃないので、「そういう何かが在った」のだとして考えて、そしてその難しさに頭を悩ませる事になった。

 鬼殺の剣士として戦う事は、死と隣り合わせの日々になる。それはどんな甘い言葉でも誤魔化しようの無い事実だ。

 俺は偶々運良く此処まで生きてこれたけれど、正直危ないと感じた事は何度でもある。本来なら守らなければならない禰豆子に逆に守られた事も一度や二度では無い。……今の禰豆子は鬼だから、負った傷は直ぐに治る、正直俺よりもずっと強い存在でもある。でも、傷付いたその痛みを禰豆子は覚えているのだし、そしてもし禰豆子が鬼でなかったら……人間であったらと思うとゾッとする程の傷を負っているのだ。そんな場所に何よりも大事な禰豆子を飛び込ませる訳にはいかない。

 たった一人残された大切な家族なのだ、絶対に喪いたくなど無い。

 それが禰豆子自身の意志なのだとしても、それでも俺はきっとどうにかして鬼殺隊以外の道を探して欲しいと願うだろう。

 その結果、言い合いになるのだとしても……。

 

「俺は……多分、禰豆子に鬼殺隊を辞める様に説得しようとすると思います。

 他の道があるなら、禰豆子にそれを選ばせたくは無いから。

 だって、禰豆子は器量良しだし手先は器用だし、鬼殺の道を選ばなくても生きていける。俺を助けたいって……そう禰豆子が思ってそう決めてしまったのだとしても、俺は禰豆子が笑って幸せに生きてくれるならそれだけで幸せなんです。

 だから……頑張って話し合うと思います。俺も禰豆子もとても頑固だから、お互いに中々折れないかもしれませんけど、でも何度でも話し合ってでも、俺は禰豆子が危ない目に遭わないで済む様にしたいです」

 

 それが正しいのかは分からなくても。でも、やっぱり禰豆子には幸せになって欲しいのだ。鬼殺の道を選んだからと言って不幸になるという訳では無いけれど。

 でも、もっと違う幸せの形はきっとある。それしか選べないのではなくて、もっと選択肢があるのなら。禰豆子自身の幸せを一番に考えて欲しいと思ってしまうのだ。

 そんな俺に、悠さんは優しい目で静かに頷いた。

 

「……炭治郎はとても優しいし、禰豆子ちゃんの事を心から考えている。

 だからこそ、認められないものもある。それは、決して間違ってなんかいない。

 ただ、炭治郎の様に『話し合う事』を一番最初に選べない事だってある。

 話し合う事は……ちゃんと相手に向き合ってその言葉を受け止める事は、そんなに簡単な事じゃない。

 そんな心の余裕が無い時だってあるだろうし、そうやって向き合う事自体から逃げてしまう事もある。

 そして、相手を大事に想っているからと言って、本当にその相手自身を見詰める事が出来るかどうかもまた別の話になってしまうんだ。

 どうしたって人間は主観でしか相手の事を見れないし、そしてそれは『相手の事をよく知っている』と思い込んでいると、容易に『自分がそうだと思い込んでいる相手』を見てしまう事に繋がってしまう」

 

 誰もが、ずっと同じでは居られない。時の流れの中で、或いは誰かとの出逢いや何かの出来事を切っ掛けにして誰もが大なり小なり変わっていく。

 だからこそ、こうだと思い込んでいると、今目の前に居る相手の事が見えなくなってしまう事もある。

 今目の前の相手が何を考えているのかなんて、本当の所はちゃんと向き合って話し合わないと分からないのに。話し合う事を放棄して、「自分に都合の良い相手」を見てしまう事は少なくは無い。

 そう言って、悠さんは少し困った様な顔をした。

 

「……玄弥と不死川さんがそうだって言うんですか?」

 

「実弥さんと玄弥の間の事はもっと複雑だから、そう簡単には言えないけどな……。

 ……実弥さんは優しい人ではあるんだけど、それ以上に余裕が無くて不器用な人なんだと思う。

 誰もが自分の過去に囚われる様に、実弥さんもまた過去に囚われているんだろうな……。

 実弥さんは、拒絶するしかやり方が分からなくなっているし、そしてそのやり方に囚われてしまっているみたいなんだ。

 傷付いて欲しくないから傷付けて、本末転倒みたいな事になっているけれど。……そうやって傷付けて拒絶して、自分が嫌われたりしても良いから守りたいって、そう頑なになっている。

 でも、それじゃあ少なくとも玄弥との事に関しては上手くはいかない」

 

 玄弥だって生半な気持ちで鬼殺隊飛び込んで来た訳では無いのだし、寧ろ自分の気持ちは絶対に譲らない覚悟でそれだけを胸に戦っている。

 幾ら拒絶されようが傷付けられようが玄弥が自分の思いを変える事は無いし、その程度で変わるものならとっくの昔に諦めて鬼殺隊を去っているだろう。

 そして何をされようと何を言われようと、玄弥は不死川さんの事が大好きだし、だからこそ鬼殺隊に留まり続ける。

 玄弥のそんな想いを蔑ろにする様に自分としての「最善」を一方的に押し付けていても、それで上手くいく筈もなくて。

 だからどうしようもなく拗れているのだ、と。

 そう悠さんは難しそうな顔をして言った。

 

「何だそれ、意味わかんねーな。

 普通に玄米の事が嫌いなんじゃねぇのか?」

 

 正直そう言った難しい心情の機微にはとても疎い伊之助は、理解出来ないとばかりに首を捻る。

 そんな伊之助に悠さんは少し苦笑した。

 

「好きで好きで堪らないと、相手の事が逆に分からなくなってしまう事もあるんだ。

 本当に好きじゃないならそもそも無関心になってしまうし、態々鬼殺隊を辞める様になんて言わないからな。

 例えば伊之助だって、炭治郎たちが山でとても危ない所に行こうとしてたら止めるだろう?

 でも、炭治郎たちにはどうしてもそこに行かないといけない理由があったら、伊之助が普通に言っても止まってくれないかもしれないし、それで言い合いになってしまう事はあるかもしれない」

 

 まあ、今のあの二人は言い合いすら出来てないけど、と本当に困った様に悠さんは言う。

 そして伊之助は悠さんから言われたその状況を考えてみたのか、ウンウンと考えた後に、ちょっとしょんぼりする。

 

「炭八郎も忠逸も親分である俺の言う事はちゃんと聞く筈だろ……」

 

 しゅんとなってしまった伊之助を、全員でよしよしと撫でた。

 暫く大人しく撫でられていた伊之助は、ふとした時に「俺をホワホワさせんな!」とちょっと噛み付く様に言ってきたけど、でも手を振り払ったりはしない。

 

「そんな複雑な事になってるなら、それこそ話し合った方が良いんじゃ……」

 

 善逸はそう言うが、悠さんはそっと首を横に振る。

 

「俺もそう思うし、どうにかして実弥さんと玄弥がちゃんと話し合える様にはしたいんだけど……。

 ただ、実弥さんは本当に頑なになってしまっていてな、そう簡単には上手くは行きそうにないんだ。

 下手にそれを押し付けると恐らく逆効果になるだけだろうし……。

 それに多分、話し合うにしても彼処まで拗れてしまっていると誰かが立ち会った方が良いんだけど……それも多分難しい」

 

 不死川さんがどうしてそこまで頑なになってしまっているのかは、流石の悠さんにも分からない事で。ただ、長く鬼殺隊で柱を務めている事や、玄弥と別れてからもう何年も経っている事もあってかなり複雑な事情や出来事が背景にある可能性もあるので、その事情を知らない者たちが無理矢理正論を叩き付けても恐らくは逆効果なのだと言う。

 そして、拗れに拗れてもうどうにもならなくなっている状態では、一対一でまともに話し合いが出来る可能性は非常に低く、誰かが立ち会って仲裁した方が良いのだけれども。

 しかし、二人の事をある程度知っていて、更には二人からの信頼も厚く、極めて私的な事情に立ち入る事を許せる程の相手である必要がある。そして、何よりも大事な事は、出来る限り二人に対して公平に接する事が出来るかどうかだ。

 しかし、その条件を満たせる相手は非常に少ない。

 更には、不死川さんは今の柱の中でもそこそこ古株の部類である事も、立会人になれる相手を狭めている要因になっている。

 岩柱の悲鳴嶼さんは決して玄弥を過剰に贔屓する事は無いだろうけれど、それでも玄弥は弟子なのでそちらの肩を持ってしまいがちになる。

 義勇さんは……まあそもそも不死川さんとの相性はあまり良くないらしいし、第一に玄弥の事はあまり知らない。

 他の柱の人たちは基本的に皆柱稽古で忙しい事もあって、二人の立ち会いが出来るかどうかは怪しい。

 不死川さんが心から信頼している相手としてお館様の事も勿論考えるが……それだと玄弥が萎縮してしまう可能性が高いし何よりお館様を前にして腹を割って話し合えるかと言われると難しいものがある。

 

「俺は実弥さんの想いも玄弥の想いもどっちも出来るだけ尊重して、少しでも良い結果を得られる様には尽力したいけれど。

 でも、実弥さんにとって俺は『玄弥の友だち』だから……公平な立会人としてはあまり相応しい訳じゃないんだろうな」

 

 本当にもどかしい、と。そう悠さんは溜息を吐く。

 そもそも、立ち会う以前に二人を話し合いの席に着かせる事自体がとても難しくはあるのだけれど……。

 その時、ふとカナヲが「あ……」と小さく声を上げた。

 

「悠さん、あの……師範に相談してみてはどうですか?」

 

「しのぶさんに?」

 

 少し意外だったのか、ちょっと驚いた様に目を瞬かせて悠さんは首を傾げる。

 そんな悠さんに、カナヲは一生懸命に考えを言葉にした。

 

「風柱様は昔……カナエ姉さんが生きていた頃から蝶屋敷には何度も来ていて、師範の事もよく知っているし、師範も風柱様の事を知ってる筈で。

 それに師範は玄弥の事も知っているから……」

 

 そう言われて、悠さんは「成程……」と少し考えている様に頷く。

 

「そうか、しのぶさんか……。

 確かに、実弥さんとも関わりがあってもおかしくは……。

 それに、何か知っているかもしれないし……。

 うん、有難う、カナヲ。

 ちょっとしのぶさんに相談してみるよ」

 

 助かった、と。そう悠さんは微笑んだ。

 何かいい考えが思い付いたのかもしれない。

 

 

 それから翌日には獪岳が不死川さんの訓練に参加して、そしてその翌日には。

 伊黒さんの訓練に合格した玄弥が風屋敷に向かっていると、無限打ち込み稽古中にそう鎹鴉から報告されたのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
回避力が高まっているので無限打ち込み稽古でボッコボコにされるという事は無い。が、体力を使い果たして反吐を吐いて倒れるまで打ち込み続ける事になるのでキツい事には変わらない。
風屋敷でも炊き出し係に立候補。炭治郎の事を認めきれていない実弥も、炭治郎の炊いた米の旨さを認めずにはいられなかった。ちなみにおはぎを作るのも上手。


【不死川玄弥】
物凄く頑張って伊黒さんの柱稽古を突破した。
物凄く努力家でしっかりと鍛錬する意欲が非常に高かった為、稽古場に括り付けられる事は何とか回避出来た模様。
なお、実弥は玄弥の「鬼食い」の事を知らない。


【不死川実弥】
無限打ち込み稽古は、一応あまり酷い怪我は負わせない様には気遣っている。ほぼ最低限ではあるが、女性隊士にはちょっと優しめの対応。ただ、カナヲの回避力は凄まじいのでそれに合わせてハードルがどんどん引き上げられている。
総じて回避力や攻撃タイミングの判断が的確な死に覚えトレーニング参加者(炭治郎たち)に合わせて上がったハードルは物凄く高い。炭治郎たちの後から風柱の稽古にまで辿り着いた隊士たちは、余りの辛さに血涙を流す結果になるかもしれない。


【我妻善逸】
複雑怪奇に拗れた兄弟関係に驚く。
血が繋がってて互いに大事に想いあっている「家族」でも上手くいかない事はあるんだなぁ……と、何だかちょっと悲しい。


【嘴平伊之助】
情緒を順調に育てている。
ただ、人の心の複雑さを理解するのはまだ少し難しい。
書き取りはまだちょっと今ひとつ拙いが、最近は自分の名前や炭治郎たちの名前の字をしっかりと読めるようになった。でも炭治郎たちの名前はまだ15回に14回は言い間違える。


【栗花落カナヲ】
悠の料理だけでなく炭治郎の炊いたご飯も食べれてとても嬉しい。出来るなら毎日炭治郎の炊いたご飯を食べたい。


【鳴上悠】
風屋敷滞在中に、実弥の極上の稀血の事や、鬼になった母親を殺した後で鬼殺隊に入るまで何をしていたのかを実弥の口から語られたので知っている。そして頭を抱える事になった。
何でこんなに複雑怪奇に事情が絡まっているんだ……と余りにも悪意的な条件の積み重ねに呻くしかない。
なお、匡近の事までは悠は知らない。もし知ったら、更に頭を抱える事になる。



≪今回のコミュの変化≫
【刑死者(不死川実弥)】:6/10→8/10


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『たった一つの願い』

実弥さんに対しての何かしらのアンチ・ヘイトの意図はありません、悪しからず……。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 全く、何処までお人好しなんだか……と。そう思わず溜息を吐いてしまう程に、悠から送られてきた手紙の内容は「お人好し」なんて言葉で済ませて良いものか迷うものであった。

 カナエ姉さんも本当に優しいし大分お人好しな人ではあったけれど……お人好し加減で言えば悠の方が上かもしれない。良い意味でも、悪い意味でも。

 

 他人の心に真剣に向き合って、綺麗なだけでは無い感情ですら真摯に受け止めてそこにある『真実』を探し出そうとする。

 そうした悠のその姿勢に、傷付き果てた心を救われた人は決して少なくはないのだろう。

 蝶屋敷に運ばれて来た隊士たちの身体の傷だけではなく、その心に深く刻まれた醜くドロドロとした感情にまで向き合っている事も多かった事は知っているし。それだけではなく、時透くんや冨岡さんなどの柱たちの心にも真剣に向き合って、その心が苦しみから前を向く為の手助けをしている。まあ、私自身も彼の「お人好し」に救われた部分がとても大きい。

 ただ、そうやって他人の心に向き合う事は決して楽な事では無い。

 時には深く傷付く事もあるし、そもそもどうにか出来る様な状態じゃない事だってある。悠のその優しさが正しく報われ続けてきた訳では無いだろう。

 それでも他人の事情や心にも向き合おうとし続けるその在り方は、優しく眩しいと同時に何処か不器用にも見える。

 まあ、結果として悠のその「お人好し」は色々と上手い具合に色んな人たちを助けているので、無理に止める様な事でも無いけれど。

 

 そんな極まった「お人好し」である悠は、今は不死川兄弟の事で頭を悩ませている様で。

 拗れに拗れて話し合う事すら出来なくなっている二人がちゃんと話し合える様にどうか力を貸して欲しいのだ、と。そう悠は私を頼ってきた。

 

 不死川兄弟……不死川さんと玄弥君の複雑な関係は、私も断片的には把握している。

 

 自傷する様にして稀血を鬼殺に利用する不死川さんは、傷を負う頻度の割にはあまり蝶屋敷には近寄りたがらないが。昔は怪我が酷くなる前に引き摺られる様にして蝶屋敷にやって来ていたものだ。

 不死川さんを連れて来ていたあの人……。不死川さんの兄弟子であるのだと言っていた粂野さんは、不死川さんが柱になった切っ掛けであった下弦の壱との戦いで亡くなったと聞いた事がある。

 そして、それが原因で柱になったばかりの不死川さんはとても荒れていて、今では考えられないがお館様にすら食って掛かった程だったのだと、柱合会議でその場に居合わせていたカナエ姉さんから聞いた事もある。

 弟など居ないと頑なに玄弥君の事を拒絶しながらも、玄弥君が負傷して蝶屋敷に運び込まれた時にはほぼ必ずと言って良い程蝶屋敷に立ち寄っている事も知っている。

 ……どうして不死川さんが玄弥君の事を拒絶しているのか、その理由を察せない訳では無いし、思う所が無い訳でもないけれど。だからと言ってそこに一々口を出す事は出来ないので私は静観していた。

 

 玄弥君に関しては「鬼食い」の事に関して蝶屋敷で経過観察を行っている事もあって、不死川さんの事よりもちょっとは詳しく知っているつもりだ。

 最初の頃は荒れまくっていたその態度も、悲鳴嶼さんや悠の尽力で随分と丸くなって。今となっては鬼殺隊に入ったばかりの頃のそれとは比べ物にならない程に穏やかで普通の青年になっている。

 同期として交流がある事もあって、カナヲも含めて炭治郎君たちとの仲も良い。

 そんな玄弥君が鬼殺隊に入った理由とは、かつて自分が兄に言ってしまった心無い言葉を謝罪する事と、そして少しでもたった一人残された「家族」である兄の力になって兄に幸せになって欲しいからであると言う。

 

 ……恐らくは、不死川さんとしては玄弥君が幸せになってくれる事を心から願っているのだろうし、その玄弥君の「幸せ」の中に自分は居なくて良いと思っているのだろうけれども。しかし、玄弥君自身にとっての「幸せ」の重要な部分を不死川さんの存在が占めている事には気付いていない……或いは分かっていても見ないフリをしているのだろう。

 自分が「悪者」になってでも大切な人の「幸せ」を守ろうとするそれは、ある意味では「自己犠牲」と言ってしまって良いのかもしれないけれど。傍から見ていて盛大にすれ違っているそれは、まるで独り相撲の様に不毛な行動に見える。

 私としては、不死川さんの気持ちも理解出来るし、玄弥君の心情も理解出来る。……どちらかと言うと玄弥君の方に心情としては傾きがちかもしれないが。

 

 私だって、本当ならカナヲには鬼殺の道なんて選んで欲しくは無かったし、だからこそカナヲに呼吸を教えてなどいないし育手を紹介してすらいない。それなのにカナヲは私やカナエ姉さんが鍛錬している姿を見て花の呼吸を習得してしまっていて……そして最終選別に向かってしまった。

 あの時は蝶屋敷にカナヲの姿が見えなくて本当に驚いたし心配したし、まさか最終選別に行っているとは思わなくて最終選別を合格した者の名前にカナヲの名があって本当に心臓が止まるんじゃないかと思う程に驚いたものだ。

 自分の意思で中々物事を決める事が出来なかった頃の事だったから、一体誰に何を言われたのだろうかと本気で心配したしカナヲを唆した奴がいるなら絶対に許さないと本気で怒ったし、カナヲが心配だったあまりにもう継子は取らないと決めていたそれを曲げて継子にした。

 後々になって、あの時のあの行動はまだハッキリとは自覚出来ていなかったもののカナヲ自身の意志によるものだったらしいと理解したが……。まあ、本当にあの時は血の気が引いた思いであった。

 だから、最終選別合格者の名前の中に玄弥君の名前を見付けた時の不死川さんの気持ちも多少は想像出来る。

 ……最悪の場合、自分が知らない内に藤襲山の何処かで大事な「家族」が死んでいたかもしれないのだ。不死川さんの混乱や恐怖などは察するに余りある。

 正直、その衝撃が大き過ぎて、ああやって頑なに拒絶する程に「余裕」が無くなっているのかもしれないとすら思ってもいる。

 だが、それはそれとして、ああやって拒絶していても何も変わらないし実際に変えられていないのに、それでもその方法に固執しているのは如何なものかとは思うのだが。

 ……まあそれも、不死川さんが喪失の痛みに雁字搦めになっているからなのだとも言えるだろう。

 共に戦っていた粂野さんを喪ったからこそ、その痛みを忘れる事なんて出来無いからこそ、玄弥君に対して何処までも頑なになり続ける。

 不毛だと自覚していたとしても、それを今更止める事は出来なくなっているのかもしれない。

 

 そして、不死川さんの気持ちもとてもよく分かるのと同時に、玄弥君の心情もとても理解出来る。

 ……幸い、と言ってしまって良いのかは今でもよく分からないけれど。カナエ姉さんは私を置いて行ったりはしなかった。

 一緒に鬼を殺して、一人でも多くの人に自分たちの様な想いはさせない、と。その約束を、決して違えなかったし、私を置いて行く事は無かった。

 ……その心の中にどんな想いを隠していたのだとしても、私には鬼の頸を斬る事は出来ないと分かっていて、そこで私の「幸せ」を願って私だけを置いて一人鬼殺の道を歩む事は無かった。

 私の心の中に在る決して消えない鬼への憎しみや怒りを否定せずに、一緒に歩く事を選んでくれた。

 カナエ姉さんが本当の所はどう思っていたのかなんて、今となっては確かめようが無い。

 本当の所は最初から私には鬼殺の道を選んで欲しくは無かったのかもしれないし、或いは鬼殺隊に入って様々な人たちを見る中で私に鬼殺以外の道を選んで欲しくなったのかもしれないし、或いは死の間際になって初めて自分と同じ様な目には遭って欲しくないと思ったのかもしれない。

 例え姉妹でも……血の繋がりがあって、そして大事に想い合っている「家族」でも。それでも相手の全てを理解している訳ではないし、その心の中を覗ける訳では無い。

 ただ少なくとも、私はカナエ姉さんと一緒に鬼殺隊に入った事を、決して不幸せだなんて思わない。

 辛い事も沢山あったし、思い通りにならない現実やどうする事も出来ない理不尽に何度も遭ったし、どんなに頑張っても自分では鬼の頸を斬る事は出来ないと言うそれには今だって打ちのめされ続けている様なものだ。

 それでも、カナエ姉さんと一緒に過ごす事が出来た。どんな理不尽や不条理に遭ったのだとしても、それだけで何があっても「不幸」では無かったのだ。

 ……もし、カナエ姉さんに置いて行かれていたらと考えて、その可能性に心が冷たくなってしまう程の恐ろしさを感じる。

 夜になる度に、何処に居るのかも分からないカナエ姉さんがもしかしたら鬼に殺されているかもしれないと怯え続ける日々。自分に力が無い所為で姉さんを一人にしてしまったのだという自責。置いて行かれた事への無力感……。

 そういった、どうにもならない感情を恐らく一生抱え続ける事になっていただろう。

 不死川兄弟の詳しい事情は私には分からないけれど、しかし不死川さんが玄弥君を鬼殺隊から追い出したとしても、それで玄弥君が「幸せ」になれるのかと言うと難しいと言わざるを得ないと思うのだ。

 呼吸が使えない為に鬼の頸を斬る事は出来ない玄弥君は、確かに鬼殺隊で戦い抜く事はかなり難しい。それは私自身が身を以て知っている。

 だが、それで諦められる様なものでは無いのだ。そして諦められなかったからこそ鬼殺隊に居るのだ。

 その玄弥君の「意志」を不死川さんがちゃんと認めない限りは、二人の想いがちゃんと相手に届く事は無い。

 そして、対話すら拒否している現状ではその可能性は全く存在しないのだろう。

 

 拗れに拗れて二人だけではどうにもならなくなっているその関係性は、もう誰かが関与しない事には悪化するだけだろう。或いは、そんな意地を張って拒絶している様な暇なんて無い状況に放り込まれれば、少しは不死川さんも自分の気持ちを素直に吐露するかもしれないが……そんな状況に遭遇して無事で居られる保証も無い。

 どうかしたら、もうどうする事も出来ない後悔を永遠に抱え続ける結果にもなりかねないのだろう。

 ……そしてお人好しな悠は、傍から見ているだけでも「後悔」になるだろう事は丸分かりの蟠りを抱えたまま、二人が修正不可能な関係性になってしまう事はどうにか避けたいのだと。そう手紙で伝えて来た。

 そしてその為に、少しでも二人に対して公平に仲裁出来る私の力を借りたいのだ、とも。

 

 

「……どうかしたのですか?」

 

 思わず吐いてしまった溜息に、横で作業を進めていた珠世が少し気遣わしげにそう訊ねて来る。

「鬼」に対して、一々隊士間の個人的な関係性の問題の話などする気は無いが。

 かと言って完全に無視をするというのも少しは居心地が悪い。

 心を許す様な関係性ではないし、恐らくは今後とも心を許せる事は無いと思うが。それはそれとして、共同で研究する相手に対しての最低限度の礼儀や接し方はある。

 

「……悠くんがまた色々とお節介を焼いている様で。

 それで、私の力を借りたいと言って来たんです」

 

「悠さんが……。悠さんはとても、……その……世話焼きな性分みたいですからね」

 

 物凄く言葉を濁してはいるが、珠世も悠の「お人好し」加減についてはそれなりに心配している様だった。その点では気が合う。

 その「お人好し」に助けられているのは事実なのだが……。

 とは言え、悠本人には全く関係無い事までもどうにかしようと奔走して、そして色々と要らぬ苦労を背負っているのを見ると、もうちょっとどうにかした方が良いのでは? と思ってしまうのだ。

 そんな事は思いはするが、しかし別に悠の頼みを無碍にする気は無い。

 

「少し研究が滞るかもしれませんが、仕方無いですね」

 

 他でも無い悠の頼みなのだから、とそう思わず苦笑してしまうと。

 珠世も悠の度を越した「お人好し」にちょっと困った様な微笑みで、「ええ、大丈夫ですよ」と返すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悠に頼まれて風屋敷に向かったのだが、しかし私が着いた時には何とも混沌とした状況になっていた。

 

 やってしまったと言わんばかりの顔をして今まで見た事も無い程に落ち込んでいる悠と、そんな悠の周りをどうしたら良いのか分からずオロオロしている炭治郎君たちと、そして何故か穏やかな顔で寝息を立てている不死川さんと、悠と不死川さんとの間を何度も視線を往復させている玄弥君と。

 一体何があったのかと言う状況であった。

 

「状況が全く分からないのですが、これは一体何があったんですか?」

 

 そう声を掛けると、寝ている不死川さん以外の全員の視線が此方に向く。

 どうして私が此処に居るのだろうと戸惑う炭治郎君たちとは反対に、悠はますます申し訳ないと言わんばかりの顔をする。

 そして、一体何があったのかを話し始めた。

 

 

 玄弥君が不死川さんの柱稽古に今日から参加する事になったのだが、しかしそこで不死川さんは容赦無い言葉を玄弥君に浴びせ掛けてそれを拒絶したらしい。

 対話どころか顔を合わせる事すら完全に拒否するかの様なその姿勢に、あんまりだと炭治郎君たちは感じたのだが。しかし事前に悠が二人の間の余りにも複雑怪奇に拗れた事情を軽く説明して、そして無暗に刺激すると却ってどうしようも無い程に拗れさせてしまうかもしれないから、不死川さんが玄弥君にどんな対応をしていても感情的にならずにどうか抑えて欲しいと頼んでいた事もあって、その場はどうにか玄弥君を庇って言い返そうとするのは抑えたそうなのだが。

 しかし、悠がどうにかそんな態度を改めて貰おうとして必死に取りなそうとしても不死川さんは梨の礫とばかりに刺々しい態度を貫き続けて。

 それでも、せめて玄弥に柱稽古を受けに来た隊士として対応してやって欲しいという悠からの懇願を受けて、渋々訓練を受けさせようとしたその矢先に。

 自分だけではなくて、自分との仲を必死に取り持とうとしてくれている悠にまであんまりな態度を取り続けている不死川さんの姿に傷付いた玄弥君が、「鬼食い」の事に関して口を滑らせてしまったらしい。

 玄弥君の「鬼食い」の事を、不死川さんはその時まで全く知らなかったらしくて。

 それを聞いた瞬間、それはもう怒髪天を衝くとでも言わんばかりの勢いで玄弥君の目を潰そうとしたらしい。

 寸前で玄弥君自身がその攻撃を回避出来たし、即座に悠が玄弥君を庇って追撃を防いだ事でどうにか事なきを得たが、どう考えても失明させる気満々の攻撃を仕掛けるなんて冗談では済まされない事で。

 これには悠だけではなく、傍で成り行きを見守っていた炭治郎君たちも驚いてそれを止めようとしたのだが、完全に頭に血が上っていた不死川さんを止めるには力不足であり、まさにちぎっては投げの勢いで振り払われたのだとか。

 再起不能にして鬼殺隊を追い出す、それが嫌なら今すぐ鬼殺隊を辞めろと気炎を上げる不死川さんに、悠は流石に我慢がならぬとばかりに玄弥君を庇った。

 どんな怪我を負わせる事になったとしても死んでしまうよりは絶対に良いとでも凝り固まってしまった不死川さんのその頭には残念ながら届かなかったが。こんな事をしても何も良い解決にはならない、どうか落ち着いて話し合ってくれと、悠はとにかく最後まで手を出さずに説得を試みていた様だ。

 ……しかし、玄弥君の「鬼食い」を知って、もう我慢がならないとばかりに荒れる不死川さんの耳にはその言葉は届かなくて。

 半殺しにしてでも叩き出すとばかりに玄弥君を狙おうとする不死川さんから玄弥君を守る為に、止むを得ずに悠は不死川さんを眠らせてしまったらしい。

 

「……それでそんなに落ち込んでいるんですか?」

 

 明らかに落ち込んでいる悠にそう訊ねると、悠は静かに頷く。

 ……話を聞いている限り、不死川さんを止めるにはちょっとやそっとの事では無理だっただろうし、そこまで頭に血が上っていたのなら、もう実力行使で止めるしか無かっただろう。

 ……不死川さんの気持ちを全く理解出来ない訳では無いが、それはそれとして完全に状況を悪化させるしかない様な事をしでかしてる時点でまあ擁護は出来ない。

 

「……それはそうなのですが……。しかし、実弥さんが取り返しの付かない事をしてしまう前に止めなければと、そう思う余りに俺は……。

 咄嗟の事とは言え、実弥さんに対して力を使ってしまった……」

 

 例えそれが何の殺傷力も無いもので、ただ単に眠らせるだけで放っておいてもその内目覚めるものだったとしても。

 しかし、不死川さんに咄嗟の事ではあっても()()()()()を使った事を酷く後悔している様だった。

 更には、不死川さんが心にも無い様な苛烈な言葉で玄弥君を攻撃する事を止められなかった事も、どうやら悠を落ち込ませている様だ。

 正直、私からすれば気にする程のものでは無いとは思うのだが。その辺、悠は他人に気を遣い過ぎていると言うか……不器用に繊細なのだろう。

 

 落ち込んでいる悠に、炭治郎君たちは「悠さんは悪くない」などと言って励まそうとしているが、あまり効果は無い様だった。悠にとっては悪いかどうかの話では無いのだろう。そこに関しては悠自身の捉え方の問題だ。

 悠があまりにも深刻に落ち込んでいるから悠を庇おうとしているのか、不死川さんの様子が如何に荒々しくて直ぐに対処しなければ玄弥君に本当に一生消えない傷を与えかねなかったのかと、カナヲは言葉を必死に探しながら私にそう説明する。

 そんなカナヲに「分かっていますよ」と微笑んだ。

 まあ実際、これに関しては悠に何かしらのお咎めがある可能性は皆無だろう。

 先に乱闘騒ぎを起こしたのは不死川さんなのだし、そしてどんな事情があろうと非が無い隊士に対して再起不能の大怪我を負わせようとするだなんて言語道断の行いである。隊律違反がどうとか以前の話になる。

 普段は何だかんだと冷静なのに、玄弥君の事になると周りが一切見えなくなってしまうのか……。

 まあ、本当に取り返しの付かない怪我を負わせたりする前に止める事が出来て、不幸中の幸いとでも言うべきだろう。

 本当にそうしてしまっていたら、今度こそ拗れるどころか色々なものが一気に壊れてしまいかねない。

 

「まあ、事情は分かりました。

 そこまで状況が悪化しているなら、もうこれは不死川さんと玄弥君の間だけの問題ではなくなってしまってますね。

 早急に、話し合うなりして解決策を見付けなければ」

 

 柱と言う階級には相応の態度が求められる。

 私情で一隊士を相手に再起不能の半殺しにしようなどと、当然あってはならない。鬼殺隊はそんな無法の集団では無い。

 鬼舞辻無惨の討伐と言う、鬼殺隊の悲願に向けて一丸となって動いているそんな中で、組織としてはここまでの明らかな不和を見過ごす訳にはいかないのだ。

 もうここまで来てしまうと、お館様に直談判してでも不死川さんと玄弥君の話し合いの場を設けて、どうにかお互いに折り合いを付けさせる必要がある訳なのだが。

 

 その時、不死川さんの鎹鴉が手紙を運んで来た。

 不死川さんはまだ寝ているので代わりに私が受け取っておくと、その差出人はお館様であった。

 それを見て、悠は「早い……」と驚いた様に呟く。悠が何か予め動いていたのかもしれない。

 

 普段の荒々しい雰囲気は何処へやらと言った様子で安らかに寝息を立てている不死川さんはまだ目覚める気配は無いが……。

 しかし、もういい加減観念して腹を割って話すべき時が、確実に近付いているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ── 全くお前は本当に強情と言うか、バカ野郎だな。

 ── 大事な弟を傷付けて一番後悔するのはお前だろ。

 ── 先ずは一回話し合ってみろよ。

 ── ……なあ、実弥。

 ── お前を置いて逝ってしまって、ごめんな。でも。

 ── 俺はお前に自分の人生を諦めて欲しくないんだ。

 

 

 ……何処か懐かしい夢を見た様な気がした。

 遥か遠くに消えてしまった、もう二度とは戻れない優しい過去を垣間見たかの様な。或いは誰かに何かを願われた様な。

 ……今も強く心に焼き付いた、友の声を聞いた様な気すらした。

 お袋をこの手で殺したあの日から、眠る時に夢なんて殆ど見ないし、見たとしても良い夢見になる事なんて一度も無かったのに。随分と久しい安らかな眠りだった。

 その夢の余韻に、まだ何処かぼんやりとしたまま目を開けると。

 

「兄ちゃん……!」

 

 目の端にじんわりと涙を浮かべた玄弥が俺を覗き込んできた。

 その途端に、意識が途切れる直前の出来事を思い出して、胸の奥に沸き立つ程の焦燥感と怒りが蘇る。

 こんな所まで来てしまう位、馬鹿で真っ直ぐで努力を惜しまない優しい弟は。自分に絶対的に足りない力を補う為に、鬼を食っていたのだ。

 あろう事か鬼を!

 そんな事をする位ならば、諦めて鬼殺隊を去れば良いだけの話だったのに!

 何をしてでも必ず守ると決めた筈の玄弥を全く守れていなかった事への怒りと、そして鬼を食ってでも此処まで辿り着こうとした玄弥の想いが何時か必ず玄弥自身の身を滅ぼす事への焦りとで、頭が一杯になって、それで──

 

 跳ね起きる様にして、何としてでも玄弥を一刻も早く鬼殺隊から引き離さなくては、と。

 文字通りに半殺しにしてでも、隊士として再起不能の傷を負わせてでも叩き出さないと、と。

 その衝動のままに、玄弥を狙う。

 鳴上の存在を考えると、生半可な傷を与えただけでは意味が無い。

 狙うなら、目だ。鳴上の力でも煉獄の左目の視力は戻せなかった事を考えると、そこを狙うしかない。

 そこだけは妙に冷静に考えて、そして。

 

「はいはい、止めてくださいねそう言うの」

 

 玄弥に向かって突き出そうとしたその手を、小さく柔らかな手が止めた。

 思いっきり力を入れれば振り払える手だ。

 だが、その手の力よりも。

 その手がここに在る筈が無い存在のものである事に驚いて、思わずその手の主へと目をやる。

 

「胡蝶。何でお前が此処に居やがるんだア?」

 

 思わず突き刺す様な鋭い視線を向けてしまうが、しかし胡蝶は何処吹く風とばかりにそれを意に介さず本心の見えない微笑みを浮かべ続ける。

 

「何で此処にと言われますと、まあちょっと色々と経緯はあるのですが。

 端的に言えば、そんな馬鹿な事を止めさせる為……と言った所でしょうか」

 

 ニコニコとした微笑みと共に発せられた歯に衣着せぬかの如きその言葉に、思わず額に青筋が浮かぶ。

 それを見た玄弥は焦った様に「兄ちゃん!」と声を上げ、そして「実弥さん……」とどうやらこの場に居たらしい鳴上が制止するかの様な声を上げる。

 何故此処に胡蝶が居るのかも分からないが、それ以前に目覚める前の記憶が朧気だ。そもそもどうして俺は眠っていたんだ?

 確か、玄弥を絶対に鬼殺隊から追い出そうと容赦なく叩きのめそうとして、そして……。

 最後に覚えているのは、何かを言っている鳴上の声だけだ。

 ……まさか、鳴上に気絶させられたのか?

 

「それに関しては本当に申し訳なく思っていますけど、今はとにかく一旦落ち着いて下さい」

 

 静かな鳴上の声に、僅かに気勢が削がれる。

 目覚める直前に、少しだけ夢見が良かった気がするのも影響しているのかもしれないが。

 焦燥感や怒りは今も胸の奥を掻き乱してはいるけれど。

 胡蝶と鳴上を振り切って玄弥に手を出す事は不可能だという事くらいは判断出来るようにはなっていた。

 そんな俺を見て胡蝶はやれやれとばかりに溜息を吐いて、そして手紙を差し出してくる。

 何の気もなしにそれを受け取ったが、その差出人を見て驚愕のあまりに目を剥いてしまう。

 それは、お館様からの手紙であった。

 あまね様が代筆なさったのだろうけれど、そこにあったのは玄弥と話し合うようにとのお館様直々のお達しである。

 胡蝶は相変わらず底の読めない微笑みで、「当然お館様の言葉には従いますよね」とばかりの圧を掛けてきていた。

 手紙を見て、玄弥を見て。手紙にまた目を落としてから、胡蝶と鳴上を見る。

 ……この状況では、従う他に無い事は分かった。

 

 

 互いに向かい合う様にして座り、そして両脇には胡蝶と鳴上が仲裁の為に控えて。立会人なら一人に絞れと文句を言ったのだが、また衝動的に暴れ出す事を考えると二人は必要だと胡蝶は笑顔で全く譲らなかったので結局二人の立ち会いを許す。

 話し合え、との事であったがそもそも話す事など何も無い。

 何か「芽があると」玄弥が思ってしまえば、益々鬼殺隊に留まろうとしてしまうだろう。

 

「話し合うも何もねェ。俺には弟なんていねェんだよ。

 馬鹿の一つ覚えみてぇに、しつけェんだよ。

 ブチ殺されてないだけ感謝しろォ」

 

 不機嫌を装ってそう睨み付けると、玄弥はその身を震わせながらもギュッと拳を膝の上で握り込んで、一生懸命に俺を真っ直ぐに見る。

 ここまで言っても、ここまで突き放しても。それでも玄弥は諦めない。その心を折るにはこれでは足りない。

 本当に半殺しにして、文字通りに鬼殺隊に留まれない身体にしてやらなければ、玄弥がこの地獄の様な血腥い場所から離れる事は出来ないのだ。

 

 そんな俺の言葉と、玄弥の反応を見て。

 胡蝶と鳴上は、重く溜め息を吐いた。

 

「あのですね、本当にもういい加減にしてくれませんか?

 馬鹿げた乱闘騒ぎを起こしかけても反省の色すら無いなんて、割りと本気でどうかと思います。

 第一、それを『話し合ってる』態度だとでも本気で思っているんですか?」

 

「実弥さん……それが実弥さんの、『本心からの言葉』なんですか……?

 実弥さんは、それで良いと本気で思っているんですか?」

 

 仲裁する為の立会人である筈なのに、二人とも遠慮無くそんな事を言ってくる。

 思わず、好き勝手言ってくるその言葉に、苛立ちが募った。

 

「そうやって睨めば済むとでも思っているんですか?

 弟なんて居ないとか言っておきながら、玄弥君が蝶屋敷で療養している時には必ず蝶屋敷を訪れている事はもうバレているんですよ? 普段あんなに言っても寄り付きもしないのに。

 それでよくもまあ、『弟なんて居ない』だなんて言えますね」

 

 笑顔の裏に、苛立ちの様なものを滲ませつつ胡蝶はそう返した。

 その事実を知らなかった玄弥は驚いた様に目を丸くして、俺と胡蝶の間で視線を彷徨わせる。

『本当に?』『でも、そんなの……』と、信じたいけれど信じ切れないとでも言わんばかりの玄弥のその目が胸の奥をざわつかせた。

 そして、何の躊躇いも無く言葉の刃を突き立てた胡蝶の方を少し驚いた様に一度見た鳴上は、直ぐ様俺の目を真っ直ぐに見詰めて問い掛ける。

 

「実弥さん……。俺にはどうしてそこまで実弥さんが頑なになってしまうのか、その理由は分かりません。

 でも実弥さん自身、もう気付いているんじゃないですか?

 こんなやり方をしていたって、意味は無いって。

 実弥さんの真意は絶対に伝わらないし、そればかりか全くの逆効果にしかなっていません。

 そんな事を何時まで続ける気なんですか?

 玄弥を説得するにしても。せめて、もっと本心からの言葉で説得しようとして下さい」

 

 俺への気遣いを滲ませたその目と言葉に、素直に頷ける訳も無い。

 そんな甘さで玄弥を諦めさせる事など出来やしない。

 本心からの言葉なんて、それを明かせば玄弥をますます鬼殺隊に縛り付ける結果になりかねないのだから。

 

「アァ? そんな事をして何の意味がある。

 そもそも、鳴上に何の関係があるって言うんだ」

 

 此方の事情を知りもしないクセに、と。そう睨むと。

 鳴上は、何かを抑える様に強く目を瞑り、深く息を吸って吐いた。

 

「……そう、ですね。ええ、確かに俺はそう多くを知っている訳ではない。

 ですが、俺にとっては無関係なんかでは無いんです。

 玄弥の事も、そして実弥さんの事も。

 ……実弥さん。どうして玄弥は鬼殺隊を去らなければならないと思うんですか?」

 

「そんな事は何度も言ってんだろオ。

 コイツには何の才覚も無ェ、呼吸すら使えねェ、剣士ですらねェ」

 

 だからこそ、鬼殺隊に籍を置く意味など無いのだし、鬼殺隊としても戦力にならない相手なのだと、そう伝える様に言うと。

 鳴上はその目の奥の色を更に研ぎ澄ませて訊ねてくる。

 

「どうして才覚が無ければ鬼殺隊を去らなければならないんですか?

 実弥さんにとっての『才覚』って、一体何を基準にしているんですか?」

 

「ア? ンなもん決まってんだろオ。

 鬼を狩れない剣士を食わせておく様な場所じゃねェんだよ」

 

「成程。……ですが、呼吸を使えるからと言って鬼を狩れる訳では無いですよね。

 お忘れになっているのかは分かりませんが、玄弥は上弦の肆の討伐に大きく貢献した隊士の一人です。

 それですら『鬼を狩れない剣士』だと玄弥を切り捨てるのは、一体どう言うつもりなんですか?

 それに、玄弥は呼吸を使い鬼を狩る剣士たちに混じって同じ内容の柱稽古を受けて此処まで辿り着いているんですよ?

 なら、今の時点で此処まで辿り着いていない隊士たちは全員、『才覚が無い』玄弥を下回っているという事になるんですか?

 ……分かっているとは思いますが、宇髄さんも煉獄さんも無一郎も甘露寺さんも伊黒さんも、玄弥が呼吸を使えない剣士だからって甘い対応をしたりなんて絶対にしませんよ。寧ろより厳しく合否を見極めている筈です。

『才覚が無い』なら鬼殺隊を去らねばならないと言うのなら、現時点で此処に辿り着けていない隊士は全員鬼殺隊を去らねばならなくなるのではないですか?

 その一人一人に、『お前には才覚が無いから辞めろ』と言って回るんですか?」

 

 さあどうなんですか? と。そう此方を真っ直ぐに見詰めてくる鳴上を前にすれば、どんな嘘や虚言も忽ち暴かれてしまいそうだった。だが、僅かに躊躇ったそれを悟られない様に踏み潰す。

 

「こんな奴に負ける位、隊士の質が落ちてるって事だろ。

 此処に辿り着いた奴らは精々使える様に叩き直してやらァ。

 それとこれと、ソイツに才覚が無いのとはまた別の話だなァ」

 

「……実弥さん。貴方のその言葉は随分と矛盾していると……俺はそう思いますよ。

 客観的に見ても、実弥さんは玄弥を特別視している。

 例え、鬼殺隊中の誰もが玄弥の事を認めて、その力や想いを認めたとしても、実弥さんだけはそれを否定し続けるのでしょう。

 では、何故? どうして実弥さんは玄弥をそこまで否定し続けるのか。

『鬼食い』の事を知った後に、どうして玄弥の目を潰したり半殺しにしてまで再起不能にしようとしたのか。どうしてですか?」

 

 沈黙は許さないと、その眼は語っていた。

 そしてその反対側に座り此方を見ている胡蝶からも、同じ圧を感じる。

 だが、沈黙するまでもない。答えは決まっている。

 

「そんなの分かり切ってる事だろオ。

 鬼なんか食っている奴を鬼殺隊に置いてはおけねェ」

 

「鬼その物である禰豆子ちゃんの存在が許されているのに?

 先に言っておきますが、お館様も玄弥の『鬼食い』の力の事は知っていますし、その力が上弦の鬼すら討つ事に役立っている事を知っていますしその存在を認めています。

 柱の人たちだって、しのぶさんと悲鳴嶼さんは当然として、あの時里に居た無一郎や甘露寺さんや煉獄さんや宇髄さんも知っていますし認めています。

 鬼を殺す為の力になるものを『才覚』だと指すのならば、玄弥にはちゃんと『才覚』がある事になりませんか?

 玄弥は鬼を殺せる、鬼殺隊の力になれる。

 なら、どうしてそれを拒絶するんですか?」

 

 鳴上は決して目を反らさない。

 鳴上は……色々と言ってくる時点で、俺の言葉の真意を理解しているのだろう。

 そして、愚かでは無い鳴上は鬼殺隊に居続ける事の危険性を理解しているだろうし、そもそも仲間の事を大事にする鳴上にとっては玄弥が「鬼食い」でその身と心を擦り減らす様にしてまで戦い続ける事に何も感じていない筈など無い。

 そして玄弥を止める為には、鬼殺隊を追い出すしかないだろう事も。

 だが、それを分かっている筈の鳴上は、それを否定するかの様にひたすら俺に訊ねる。……「何故?」と。

 

「鬼なんざ食って、どんな影響が出るのか分からねェ。

 今は良くても、ある日突然鬼その物になるかもしれねェんだぞ」

 

「ならそれこそ、絶対に玄弥を鬼殺隊から追い出してはいけないでしょう。

 鬼に成るかもしれない相手を野放しにするなんて、鬼殺隊としては有り得ない事でしょう? 鬼殺隊は鬼を殺す為の組織なんだから。

 冷静になれない気持ちを理解出来ない訳ではありませんが、今の実弥さんの言葉は言い訳にすらなっていませんよ。

 ……実弥さん。もうそろそろ、ちゃんと向き合いませんか?」

 

 大きな溜息を吐くと共に、「向き合え」と、鳴上は俺に言う。

 向き合うも何も、玄弥の為に出来る事を考えてそうしているのに。

 

「実弥さん……。実弥さんは、一体何と向き合っているんですか?

 実弥さんが見ているのは、向き合っているのは、本当に目の前に居る玄弥ですか?

 貴方の目に、玄弥はちゃんと映っているんですか?」 

 

 意味の分からない事を言われ、一瞬返答に詰まる。

 玄弥を見ていない、だと? そんな筈は無い。そんな事は有り得ない。

 玄弥を思うからこそ、俺はこうしているのに。

 それ以外の方法を知らないからと言うのはある、不器用なやり方なんだろうとは思う。だが、それでも。俺は確かに玄弥の事を思って──。

 

「いいえ、失礼ながら。実弥さんは玄弥の事が見えていませんよ。

 ……見ているのだとしても、それは今目の前に居る玄弥ではなくて、実弥さんがこうだと信じている、『実弥さんにとって都合の良い玄弥』です。

 ねえ、実弥さん。実弥さんは……玄弥が鬼殺隊に入って来るまで、あの日から一度も玄弥に会った事は無かったんですよね。何年も。

 鬼を殺す為に傷付きながら流離って、鬼殺の道を教えられてからは鬼殺隊で戦い続けて。

 ……実弥さんの中の玄弥は、本当に歳を重ねていますか?

 自分があの日置いて行った、小さい子供のままなんじゃないですか?」

 

 鳴上にそう言われ、脳裏に過るのはあの日の玄弥だ。

 訳も分からぬままに弟たちが殺され自身も深い傷を負った混乱の中、血溜まりの中に倒れ朝日の中で燃え尽きていくお袋とその傍の血塗れの俺の姿を見て、「人殺し」と泣きながら叫んでいたあの日の……まだ子供だった玄弥の姿は今も深く心の中に刻まれている。

 玄弥の言葉が俺を傷付ける事は有り得ない。どんな言葉だって、玄弥が生きて発した言葉は全て、玄弥が生きている証の様なものだからだ。

 玄弥が生まれた時からずっと見守って来た、守ってやらなければならない、今となってはたった一人残された大事な弟。……俺が今も息をしているその最大の理由。

 玄弥が生きていてくれる事、幸せになってくれる事。

 それだけが、俺の願いだ。その想いと、鬼への憎悪しか、もう俺を動かす物は無い。

 俺は玄弥を守らなければならない。だからこそ鬼狩りなんて続けさせる訳にはいかない。だから。だから──

 

「人は変わっていくものですよ。特に、子供にとって時間の流れはとても大きい。

 実弥さんにとって、『あの日』の出来事が忘れる事など出来る筈も無い深い傷痕として今も心を苦しめているのだとしても。その出来事に苦しんだのは、実弥さんだけではない。

 実弥さんが、『あの日』を境に今までとはまるっきり違う生き方しか選べなくなってしまったのなら……。それは、玄弥にとってもそうだったんじゃないでしょうか?」

 

「あの日」の後の玄弥が、消えない苦しみを抱えてそれでどうやって生きて来たのか、何を支えに生きて来たのか、何を想って生きて来たのか……。それを知っているのか、見ているのか、理解しているのか、と。

 鳴上はそう静かに問い掛ける。

 俺を糾弾している様な声音では無いそれは、しかしどうしてか跳ね除ける事は出来ずに、心の中の「何か」を暴こうとする。

 だが、それから逃げる事は出来ない。

 

 ……今こうして向かい合って初めて。俺は、鳴上を『恐ろしい』と感じた。

 その常軌を逸した力の事を知った時も、鳴上の事をあまり知らずにただの得体の知れない相手だと思っていた時も、一度たりとも感じた事の無かったこの感覚は、一体何なのだろうか。

 鳴上は、その力を揮うまでも無く、何かとてつもなく恐ろしいものを暴いてしまえるのだと、そう大した根拠も無いのに確信した。

「向き合え」と、そう何度も鳴上が繰り返し言葉にしているそれが、俄かに恐ろしい気配を帯びている様ですらある。

 しかし、もう目を反らす事は許されない……。真っ直ぐに此方を見ている鳴上はそれを許しはしないだろう事をヒシヒシと感じた。

 胡蝶は俺と鳴上をただ静観しているだけで、玄弥は戸惑った様にオロオロとしつつも口を挟めずにいる。

 俺が何かを答えるまで、鳴上は待ち続けるのだろう。文字通りに、何時までも。

 

 ……鬼となったお袋をこの手で殺したあの日を境に、俺は玄弥の下を去った。

 それから、玄弥の名を最終選別の合格者の中に見付けるまで……馬鹿で直向きな玄弥が俺に一目逢う為だけに鬼殺隊なんかに入って来るまで、俺は。玄弥が何処かで幸せに生きている事を願っていた。……だが、何もしていなかった。

 血腥い世界に玄弥を関わらせたくは無くて、俺は……玄弥が何をしているのかを確かめようとはしなかった。柱になる前も、なってからも。

 玄弥の幸せを壊したくは無かった。

 ……だが、もし。玄弥が何をしているのかを確かめていれば、せめてその所在を把握していれば。玄弥が鬼殺隊に入る為に最終選別を受けるだなんて半ば自殺行為に挑む事も無かっただろう。

 どの育手の下で修行しようとするのだとしても、玄弥を弟子として受け入れない様に触れ回って先回りして潰す事だって出来た筈だ。

 だが、俺はそうはしなかった。知ろうとすらしなかった。

 そもそも、「あの日」の後で玄弥がどうやって生きて来たのかも知らない。どうやって生計を立てていたのかも。

 元々、貯えなんて殆ど無くて。お袋の他に俺と玄弥が一生懸命に働いてどうにか支えていたのだ。あの時、俺は血腥い道に連れ出す訳にはいかないのだと玄弥を置いて行ったが。だが……それは……。

 鬼殺隊が駆け付けたのなら、藤の家紋の家で一時的に療養させるなどして、多少の支援は行っただろう。しかし、あの時あの場所には鬼殺隊は居なかった。

 匡近に出逢うまで、俺は鬼殺隊の存在すら知らずに、今思えば無謀ですら無い程の滅茶苦茶なやり方で鬼を狩っていた。鬼への憎悪、お袋をそんな『化け物』の同類にされて喪った絶望、そして何時それがまた玄弥を襲うかもしれないという恐怖から……。

 ……そう、玄弥を守りたいと、そう思ったからだ。

 俺は、玄弥を守らなければ。玄弥を遠ざけなければ。

 だから俺は……──

 

 ── 本当に?

 

 静かに俺を真っ直ぐに見詰める鳴上のその眼が、まるでそう問い掛けているかの様だった。

「向き合え」「目を反らすな」「逃げるな」と、恐ろしい『化け物』が内側からそう吼える様に叫んでいた。

 

 俺は……玄弥の事を何れ程知っているのだろう。

 そもそも、どうやって玄弥が鬼殺隊に居る俺の事を知ったのかすら、俺は何も知らない。

 鬼殺隊に入ってからの事は報告書などを通して知っているが……。

「あの日」に別れてからの玄弥の事を、俺は何一つとして知らなかった。……それを、鳴上に指摘されて漸く思い至る。

 ……だが。

 知らなかったからと言って何だと言うのだろう。

 こんな場所に留まり続ける事の方が問題だ。

 ずっと傍に居てやれるなら守ってやれるかもしれないが。それですら絶対では無いのだし、玄弥が誰かを守ろうとして傷付く事を止める事は出来ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 玄弥の幸せが俺の生きる意味で、そして長生きしてくれる事が俺の喜びなのだ。

 それを喪う訳にはいかない。

 

「……それがどうしたって言うんだア?

 俺がソイツを知っていようがいまいが、何の関係がある?

 俺が言いてェのは、さっさとソイツを辞め──」

 

「実弥さん」

 

 俺が知る限り初めて、鳴上は他人の言葉を遮った。

 どんな時も静かに耳を傾けようとする普段とは全く違うその眼差しに宿る感情が一体何なのかは、俺には分からない。

 鳴上のそれに驚いているのは俺だけではなく、玄弥や胡蝶もそうである様だ。

 だが、そんな俺たちの反応に構う事無く鳴上はゆっくりとその首を横に振る。

 

「実弥さん。……そこにどんな想いがあるからって、何もかもが赦される訳じゃないんです。

 どんな言葉も、一度口にしてしまえばそれを『無かった事』にする事は叶わない。

 自分が選んだ事を『無かった事』にする事も出来ない。

 玄弥の事をどう思っているのだとしても、その『想い』を自分の行いの免罪符にしてはいけないんです。

 そして、相手に向き合う事すらしない今の実弥さんのそれは……」

 

 そこで少し躊躇う様に鳴上は少し黙る。しかしその目は俺から逸らされる事は無くて。そして……。

 

 

「──独り善がりの不毛な自殺です」

 

 

 その言葉に、もう思考するよりも早く鳴上のその胸倉を掴んでいた。

 玄弥が慌てているのが視界の隅に映るが、今はそれどころでは無い。

 胸倉を掴まれているにも関わらず、鳴上は眉一つ動かさずに俺を静かに見詰め続けている。

 恐らく、鳴上は気付いていたのだろうし、避けようと思えば避ける事が出来ただろうし止める事も出来た。

 だが、そうはしなかった。

 その意図が何なのかなど、どうでも良かった。

 

「何だとテメェ……。もういっぺん言ってみろオ」

 

 元々良くは無い目付きが凶悪な事になっているのだろうと分かる顔で睨み付けるが、しかし鳴上は全く怯む気配すら無く、真っ直ぐに俺の目を見る。

 

「自己満足の逃避です」

 

「アアッ!? 鳴上、テメェ調子に乗ってんじゃねェぞ。

 俺が何時、逃げた! 逃げてなんていねェ!

 第一、テメェに俺の何が分かるって言うんだア!?」

 

 勝てるかどうかなどの問題では無く、今すぐにこの口を塞ごうと更に胸倉を締め上げる力を強めた。

 だが、鳴上は目を逸らす事すらしない。

 

「ええ、分かりませんよ。実弥さんが言葉で表す事も行動で示す事すらもしない本心の全部なんて、俺に分かる訳が無いんです。

 実弥さん自身が、理解される事を拒んでいるのだから。

 でも、実弥さん。それでも分かってしまうものもあるんですよ。

 実弥さんが思っている以上に、部外者として外から見ている事で気付ける事はある。

 それに、理解し合おうとする事を放棄すれば、上手くいく事なんて無い。だから、何時までも不毛な自傷行為にしかならないんです。

 願いや想いの是非の問題ではなくて、実弥さんが何かを思って選んで行動するのと同じで、玄弥にだって自分で考えて選んで行動する権利がある……自分の選択に自分で責任を負う義務がある。

 玄弥はもう、何もかも実弥さんが守ってやらなきゃならない様な子供じゃないんですよ?

 実弥さんのそれは、玄弥の心を踏み躙って、自分自身の心すら踏み躙って、何もかも取り返しが付かない方へと悪化させてるにも等しいです。

 話し合う事は、実弥さんにとってはそんなに難しい事なんですか?

 実弥さん、教えて下さい。

 何を一体、そんなに恐れているんですか?」

 

 何もかもを見通そうとする眼が、真っ直ぐに俺の奥底にある何かを捉えていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 随分とまあ、容赦が無い。

 悠と不死川さんの会話を横目で静観しながら思わずそんな事を思ってしまう。

 それ程までに、悠の言葉は余りにも鋭く不死川さんの心を抉らんばかりに強引に開こうとしていた。

 直視したくなど無い、自分自身ですら自覚しているのかも怪しい本心。己の行動の根幹を分析され解体され、それに「向き合え」と静かに促し続ける悠のそれは、一歩間違えれば言葉で人を殺せる者のそれだ。尤も、悠自身はそれを自覚しているからこそ、そんな言葉で不死川さんの心を切り付けて傷付けずに済むように辛抱強く耐えていた様だが。

 余りにも頑なになってしまった不死川さんの心は、最早ちょっとやそっとの言葉でどうにかする事も、或いは不死川さん自身でどうにかしようとする事も出来なくなっていたのだろう。

 結果として、余りにも辛い荒治療になってしまっているが……まあ基本的には不死川さんの自業自得にも近い。

 威勢良く悠に掴みかかっても、悠の言葉により深く刻まれるだけで。此処まできてしまうと、もう素直に認めて早く楽になった方が良いだろうにと思ってしまう程だった。

 

 玄弥君を何としてでも守りたいと言うその気持ち自体は、私も理解出来るし間違ってなどいない。悠も、それは決して否定などしていない。

 ただ、その想いの結果表れる行動は、傍目に見ていても酷く歪であった。

 ……尤も、そうなってしまう理由も、理解出来ない訳では無い。

 

 そもそも単純な話、『余裕』が無いのだ。

 柱ともなれば、基本的に日々鬼殺の任務に追われ続け、休まる暇はそう多くは無い。

 そして、鬼殺隊に所属する以上、喪失は切っても切り離せないものである。

 そもそも入隊した時点で、鬼によって付けられた傷が全く癒えていない者の方が大半だ。癒えていないからこそ憎悪や憤怒が前に進む力になっているのだから。

 更には親しい者を得ても、その相手を何処かで喪う事すら全く珍しくは無い。

 喪失の痛みと憎しみと怒りだけが降り積もっていく蠱毒の壺の中の様な場所ですらある。それでも、何時かこの手の刃が鬼舞辻無惨に届くのならそれで良い、何時か鬼舞辻無惨を滅ぼす可能性に到れるなら命すら惜しくないという者たちにとっては、そこで臆する事はないのだが。

 だが、そんな状況の中で『余裕』なんてある訳が無い。

 だからこそ、こうだと決めたそれに固執してしまうのだ。

 不死川さんはあらゆる感情に雁字搦めになっていて、その結果余りにも歪な行動へと結び付いている。

 ……そして、何年もかけて凝り固まったそれを、時間が解決するのを待つのは余りにも危険である。

 愛する者ですら傷付ける事を一切厭わなくなったそれは、もう一刻の猶予も無い事を示している。

 そもそも両眼を潰して鬼殺隊を追い出したとして、その後を一体どうするつもりなのだろう? 盲目にされて叩き出されたのなら、玄弥君は最悪野垂れ死にしかねない。

 玄弥君をただ放り出しただけで、それで本気で良いと思っているのならば、あまりにも視野が狭過ぎる。

 それ程までに玄弥君を危険に近付けまいと必死だという事であるのかもしれないが、しかしそれを言い訳にしてやっても良い範疇を明らかに逸脱している。

 血が繋がった兄弟だろうと、確かな愛情からの行動だろうと、越えてはいけない一線は当然存在する。

 それを踏み越える事をやっておきながら、『自分はこんな事をしたくないのに玄弥が……』みたいなさも悲しい汚れ役であるかの様な内心が多少なりとも存在するのには、腹立たしいを通り越して呆れてしまう。

 

 悠が何度も何度もそう直接言葉にして伝えている様に、ちゃんと話し合えば良いのだ。

 互いに自分自身の想いや願いを晒して、その上で折り合いを付ければ良い。二人だけでは中々折り合いが付けられないのなら、そこは私や悠の様な部外者の出番になるのだろう。

 だが、不死川さんはそもそも「話し合う」事すら最初から拒絶して、凝り固まった考えのまま踏み越えてはならない一線を踏み越えようとする。

 目論見通りに玄弥君を追い出せたとして、そこまでしてしまった不死川さんは果たして今まで通りで居られるのかと、一度でも立ち止まってでも考えたことはあるのだろうか? 恐らくは無いのだろう。目先の感情に踊らされて、それをどうにかしようと必死なだけなのだから。

 だからこそ、悠は本気で不死川さんを止める。

 悠自身は、恐らくこう言った形で不死川さんを止める事は不本意であるのだろうけれど。しかし、まだ取り返しが付く内にどうにかしなくてはと腹を決めたのだろう。

 

 悠の言葉の刃で一つ一つ自分の心を隠しているそれを……本心を歪に捻じ曲げた行動へと変えてしまっているものを引き剥がされていく不死川さんは、まるで恐ろしい『化け物』に喰われていくかの様ですらあった。

 玄弥君は、目の前で最愛の兄の心が切り裂かれていくその様を見て……明らかに余裕を無くし威勢すら削がれていく不死川さんの姿を見て狼狽えているけれど。

 もう見ていられないとばかりに悠を止めようとした玄弥君のその手を、私は止めた。

 もう、此処までしないと不死川さんを変える事は出来ないのだ。これは、最後の機会であると言っても良いものであった。

 

 しかし、不死川さんは「幸運」な人間である。

 何せ、理不尽が何処にでも転がっているこの世では、もう絶対に取り返しがつかなくなってから……完全に喪ってから漸く己の行動を振り返って絶望する事だって普通に起こり得るのだから。

 これから先、鬼舞辻無惨との決戦が確実に起こるその中で、「何時でも絶対に取り返しが付く」様な事なんて無い。

 不死川さんが自分の何もかもを振り捨ててでも守りたいと願った玄弥君を目の前で永遠に失う事だって当然起こり得る。

 なら玄弥君が鬼殺隊を離れれば良いのかと言うと、鬼の存在を知りながら鬼に対抗する為の手段を失い、肉親を頼れなくなった者がどうなるのかなど、あまり良い未来は想像出来ない。

 互いに折り合いを付けて納得してそうするならともかく、一方的な最後通牒を突き付けられるだけだったそれに、果たして「納得」など出来るのかという話にもなる。

 そうなる前に、それだけは止めようと。その事情に関して部外者であっても此処まで必死になってくれる存在が居てくれた事は、奇跡的な程に運が良いと言えるだろう。

 傍から見ていて拗れた関係性に気付いていても、それが肉親などの極めて深い関係であったのなら、そこに何かしら介入しようと思える人はそう多くは無い。

 当人たちが直接的に助けを求めてるのならともかく、不死川さんにしろ玄弥君にしろ「助けてくれ」と言葉にした訳ではない。

 それでも、臆する事無くそこに踏み込もうとするのは、まあ悠がやはりどうしようも無く「お人好し」であるからなのだろう。

 

 自身が目を背けていたものに光を当てて直視させる悠の言葉に、とうとう返す言葉を喪った不死川さんは沈黙してしまった。

 恐らく、その内面では非常に様々な葛藤が繰り広げられている事なのだろう。

 そうまでしないと、自分の本心を玄弥君に伝える事が出来ない程に、追い詰められ続けていたという事なのかもしれないが……。

 悠は、ただただ静かに不死川さんを待ち続けている。

 真っ直ぐに不死川さんを見詰めるその眼差しには、慈愛にも似た確かな優しさと……そして静かな悲しみが宿っていた。

 直視したくなどなかったものに向き合う事になっている不死川さんの顔色は悪い。

 

 このまま不死川さんがどうにかして自分自身に折り合いを付けるのを待っていても良いのかもしれないが、……何よりもそんな姿を見せたくは無かっただろう玄弥君の前でこうなってしまっているので、中々難しいかもしれない。

 なので、ちょっとばかり手助けをする事にした。

 

「……私としては、不死川さんの気持ちが理解出来ない訳では無いのですよ」

 

 まあ、それは間違いなく悠もそうなのだろうけれど。

 しかし悠は何も言わずに、不死川さんを見詰めている。

 不死川さんは、私の言葉にノロノロと此方を見た。

 未だかつてない程に打ちのめされている様にも見える。

 

「私にも、大切な家族が居ますから……。

 私だって、カナヲには鬼殺の道を選んで欲しくは無かったし、選ばせまいと……私たちはカナヲに呼吸を教えた事はありません。育手だって紹介していない。

 あの当時のカナヲは、自分では中々決める事が出来なかったから……そうすれば鬼殺を選ぶ事なんて無いと思ったんです。

 でも、カナヲは私たちの鍛錬している姿から呼吸を見て覚えて……そして自分で決めて最終選別に行ってしまった。

 本当に驚きましたよ、何処かに姿を消したと思って人攫いか何かにあったのかと必死に探していたのに、最終選別の合格者の中にカナヲの名前があったんですから。

 あの時はどうしてカナヲがそうしたのか分からなくて、カナヲ自身の意志だとは全く思い至らなかった訳なのですが……」

 

 私の言葉に、打ちのめされていた不死川さんの目に再び強い感情が蘇る。

 だが、それがまた変な方向に凝り固まる前に、私はその続きを言葉にする。

 

「心の声がとても小さかったカナヲでも、自分の意思で決めてそれを成し遂げてしまった。

 姉として……『家族』として。どんなに相手の事を思っているのだとしても、だからと言ってカナヲにはカナヲの意志があるのだから、カナヲ自身が何かを決めて行動する事を止められる訳では無いんですよ。

 それでも譲りたくないものがあるのなら、結局のところは話し合うしか無いんです。

 そして、話し合って何かの折り合いを付ける事が出来るのは……間違いなく幸せな事なんですよ」

 

 私自身、カナエ姉さんが願った通りには生きる事は出来なかった。

 復讐に身を捧げ、命も何もかもを捧げようとした。

 カナエ姉さんが生きていたのなら、きっと身体を張ってでも止めただろう行動だ。そもそもカナエ姉さんが生きていたならそんな事はしなかったが。

 カナエ姉さんが望んでいない事は分かっていても、でも止める事は出来なかった。

 私を言葉で止める事が出来るのは、きっとカナエ姉さんだけだったが……。死者と話をする事は、どんなに願っても出来ない事なのだ。

 

 私がそうである様に、カナヲがそうである様に、そして玄弥君がそうである様に。

 大切な家族の願いであっても、それ通りに生きられるかは全く別の問題だ。

 一体どんな生き方を「願い」という形で押し付けられたとしても、それを跳ね除けて自分の意思で何かを決める権利は当然にあるのだから。

 それに……。

 

「兄や姉が弟や妹の幸せを想うのと同じ位、妹も弟も……兄や姉の幸せを願っているんですよ」

 

 心から幸せを願われる程に大切にされて、ならそうやって自分の幸せを願ってくれる人自身の幸せをどうして此方が願っていないなどと思うのだろう。

 幸せになって欲しい、……幸せになって欲しかったのだ。

 私が願っていたそれは、もう二度と叶わないけれど。

 でも、二人は違う。

 

「兄ちゃん……!」

 

 悠の言葉に斬り刻まれる不死川さんを狼狽える様に見ている事しか出来なかった玄弥君が、震える声で不死川さんを呼ぶ。

 そして、膝の上の固く握り込んだ手を震わせながら、自分の想いをちゃんと伝える為に、ゆっくりとそれを言葉にする。

 

「俺は、兄ちゃんにずっと謝りたかった。

 あの日、本当に酷い事を言って、ごめん。

 でも、……それだけじゃ無いんだ。

 ただ謝りたくて、此処まで来たんじゃない。

 俺は……──」

 

 感情に詰まった様に言葉を途切れさせた玄弥君は、心を落ち着かせようとしてか大きく息を吸う。

 そして、懸命に不死川さんを真っ直ぐに見詰めた。

 

「俺は、兄ちゃんを守りたかったんだ。

 辛い想いを沢山してきた兄ちゃんには、誰よりも幸せになって欲しくて。

 だから、俺も何かしたかった……力になりたかった。

 呼吸の才能なんて無い俺に、何が出来るのかなんて分からなくても。

 それでも、力になりたかったんだ。

 だって、兄ちゃんは世界で一番優しい、俺の大切な兄ちゃんなんだから。

 俺は……」

 

 一生懸命に想いを音に紡ごうとするそんな玄弥君の言葉を、不死川さんの大きく深い溜息が遮る。

 だが、その溜息には怒りの感情は無い。

 

「……テメェは本当に、どうしようもない()だなア。

 馬鹿でどうしようもない……俺の()だ」

 

 そう言いながら真っ直ぐに玄弥君を見る不死川さんの目には、確かに目の前の玄弥君が映っていた。

 

 

「……随分と遠回りしちまったが、まあ……話をしようじゃねェか」

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【不死川実弥】
精神的にかなりキツいものを直視する事になった。
ただし、もし自身の『影』が現れた場合はこんな優しいものでは済まない。それは実弥にとっては当然知る由も無い事だが。
そして、別の世界線の未来で起きた悲劇を無事に回避出来ている事を、実弥と玄弥が知る事は決して無い。


【不死川玄弥】
足下をちゃんと固めつつ自分の願いを追っていた為、話し合う事によって受けた痛みは軽微。
やっと、向き合って話し合う事が出来た。


【胡蝶しのぶ】
不死川兄弟に対しては色々と思う事はあったが、だからと言って干渉する気はあまり無かった。が、お人好しの悠に頼まれて関わる事に。悠に頼って貰えたのがちょっと嬉しい。
実弥が玄弥の目を潰そうとしたその意図に気付いた為、かなりイラッときていた。
不器用を通り越して自分も相手もひたすら傷付け続けるその行いを、「不毛」と本気で切って捨てている。


【鳴上悠】
余りにも頑なな実弥を動かす為にはやはりお館様の力が必要かもしれないと判断して、しのぶに協力をお願いすると同時に、お館様へも手紙を出して実弥が玄弥と話し合える様にして欲しいと嘆願した。
「しのぶさんが一番公平に仲裁してくれるかな?」と思ったのに、言葉のナイフがキレッキレ過ぎて驚いてる。
なお、どうしてそこまでしのぶさんが怒っているのかは今ひとつ分かってない。
相手への思い遣りと自重が吹き飛ぶと、凄惨なレベルの精神解体が出来てしまう。でも正論パンチで相手を殺すのではなく、相手自身が己と向き合える様にする事の方がずっと大切だともちゃんと知っている。


【珠世】
研究はとても順調に進んでいる。良質な試料が豊富に揃っているのがやはり一番大きい。しのぶとはまだ打ち解けていないし、今後も打ち解ける事は出来るかは不明だが、その研究者としての知識などに関してはお互いにリスペクトしている。そして悠の「お人好し」を心配する部分で意見が一致している。





≪今回のコミュの変化≫
【刑死者(不死川実弥)】:8/10→MAX!
【塔(不死川玄弥)】:9/10→MAX!


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『星灯を探して』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 実弥さんと玄弥との話し合いは何とか無事に終わった。

 お互いに話し合ったからと言って直ぐ様すんなりと落とし所を見付けられた訳ではないけれど、そこは立会人として同席した自分やしのぶさんの出番であった。

 

 結論としては、玄弥は鬼殺隊を続ける事になった。

 とは言え一つ条件があって、それは実弥さんが定めた期限内に柱稽古を最後まで終える事である。

 自分自身の心と正しく向き合ったとは言え、それでも玄弥には鬼殺隊として戦う中で命を落として欲しくない実弥さんとしては、玄弥が鬼殺隊を去る事はどうしても譲りたくは無かったのだけれど。

 しかし、半年もしない内に仕掛けて来る事はほぼ確実である鬼舞辻無惨が一体何をしてくるのかは現段階では想定し切れないのだ。

 鬼殺隊から離れていたとしても、その所為で却って危険な目に遭う可能性だって十分以上に考えられる話で。

 鬼への対抗手段の一切を喪って市井に戻る事も、このまま鬼殺隊として戦う事を選ぶのとそう大差無い程には危険な事なのではないだろうか、と言うしのぶさんの意見も相俟って、即座に鬼殺隊を去る事を求め続ける実弥さんのその姿勢は少しばかり正された。

 しかし、「ならば」と提示されたのが先の条件である。

 もしこれを達成出来なかった場合は隊士として戦いの場に立つ事は諦めて欲しいと言うそれは、実弥さんとしては精一杯の譲歩であろう。

 まあ、隊士として戦う事は許さないだけで、隠部隊などに転向する事は認めようとしただけ、本当に随分と優しい態度になったものだ。

 

 玄弥としては実弥さんの本心を確りと聞けて、兄弟の繋がりを確かめる事が出来て、その心を縛っていたものの多くからは解放されたけれど。

 しかし、ならそこで実弥さんの想いを汲んであっさりと鬼殺隊を去ってしまうには、此処には玄弥にとっても喪い難いものが多く存在する様になっていた。

 それに、実弥さんの力になりたいというその願いはまだ叶えられてはいない。

 だからこそ玄弥は、実弥さんの本心を確りと受け止めた上で、「それでも」と望んだのだ。ならばきっと、与えられたチャンスを玄弥は逃さないだろう。

 

 お互いがお互いを心から想い合っているからと言って、それで分かり合える保証がある訳では無いのだけれど。

 それでも、元々実弥さんの想いも玄弥の想いも、同じベクトルの上に存在するもので。だからこそ、相手に向き合って己の心を言葉にする事を躊躇わなければ、ちゃんと通じ合う事が出来た。

 それを、「良かった」と。そう心から思うのだ。

 

 ……余りにも頑なになってしまっていた実弥さんの心を動かす為とはいえ、それで自分が実弥さんの心を斬り裂いた言葉の数々は、決して褒められたものでは無い。

 相手の心を解体するかの様に向き合わせるそれは、一歩間違えれば人の心を容易に壊してしまうものだ。

 ……八十稲羽での戦いの様に、直接的に『影』と対峙して突き付けられるよりはまだマシと言えるのかもしれないけれど。

 しかし、それで自分のその行いを正当化して良い訳では無い。

 もっと時間があれば、もっと何か良い方法が思い付いていたのかもしれないけれど。

 だが、時は決して待ってはくれなくて。

 そして、実弥さんの心はもう限界に近かった。

 矛盾に満ちている様な、あまりにも視野狭窄の状態に陥ってしまった実弥さんはあのままでは本当に取り返しが付かない所まで行ってしまっていただろうし、そして実弥さん自身がそれで壊れてしまっていたかもしれない。

 

 憎まれ役になっても構わないとすら想うそれは紛れも無く深い愛情が故であるけれど、だからこそそこまで大切に想う相手を壊してしまう事は耐え難い痛みだ。

 それに、『幸せ』というものは結局の所自分自身で見付けて感じるしかないもので、どれ程実弥さんが玄弥を想ってそれを与えようとしてもそれが玄弥自身が感じる『幸せ』であるのかどうかはまた別であるし、実際実弥さんがやろうとしていたそれは玄弥にとっては全く以て『幸せ』とは言い難いものであろう。

 ……何が正しいのか、どうすれば「最善」になるのかなんて自分にも分からないけれど。ただ、あのままでは二人ともどうにもならなくなっていただろう事は分かるのだ。

 

 どうにか玄弥との話がついてからの実弥さんは、少し変わった。

 玄弥の事で常に感じていた「焦り」が随分と減ったからなのか、或いは玄弥とちゃんと兄弟として接する事が出来る事による安らぎによるものなのか。

 刺々しい言動に隠されがちだった優しさを感じやすくなっていた。

 これには炭治郎たちも驚いていて、音で元々その優しさは分かっていただろう善逸は「本当に同一人物?」などと言って獪岳から拳骨を落とされていた程だ。

 兄弟として接する事が出来る様になったからと言って、柱稽古を付けている最中の実弥さんが玄弥に甘くなった訳では無く……寧ろかなり厳しく稽古を付けているのだが。休憩時間の際に玄弥の好物であるスイカを出したりと、離れていた間のそれを少しずつ埋めるかの様に時間を過ごしていた。

 そして、益々以てやる気に満ち溢れた実弥さんは手合わせの中で更に実力を仕上げて来て、更には日に日に炭治郎たちとの連携も強化されて。

 終には三回連続で、炭治郎たちと連携した実弥さんに一本取られる様にまでなった。

 実弥さんが目標を達成したという事で、次に待っている悲鳴嶼さんの所へと向かう事になったのだが。

 ほぼ同時に実弥さんの訓練で合格が出た炭治郎たちも一緒に向かう事になった。

 なお、玄弥は実弥さんがもっと徹底的にしごきたいからと、まだ合格は出なかったが……。まあ、そう遠くは無い内に合格が出るだろう。

 実弥さんだって、玄弥の類稀なる根性と呼吸が使えないからこそ「自分に出来る最善」を無駄なく瞬間的に判断して実行するその力を評価していない訳ではないのだから。

 

 見送ってくれた実弥さんと玄弥に手を振って別れて、ちょっとした大所帯で悲鳴嶼さんの所に向かったのだが……。

 まあ、其処での訓練は実に過酷なものだった。

 一時間の滝行と丸太担ぎ、そして大岩を押して動かすと言うそれは……鍛え上げられた足腰が無いと相当キツイと言うか無理だろう。

 それが悲鳴嶼さんの日々の鍛錬を軽いものにしたものなのだとは分かるのだけれど、それを達成出来るかどうかは中々難しいものがある。

 滝行の水のあまりの冷たさに、泣き言を喚く善逸のその声は随分と力の無いものになっていたし、それを拳骨を落として諫める獪岳もちょっと力尽きている様だった。普段は有り余る程に元気な伊之助も余りの水の冷たさに耐え切れなかったのか夏の日差しによって熱された岩にしがみついていて、炭治郎も水に奪われた熱を岩から取り戻さんとばかりに抱き着いている。

 これまでの柱稽古とは方向性が違うと言うか……今までそこまで意識していなかったものを鍛え上げる訓練であるだけにキツイのだろう。まあ、初めての滝行だという事もあるのだろうけれど。

 カナヲは男子たちの修行場とは別の場所で修行している様だが、そちらは大丈夫だろうか……?

 柱稽古は此処で途中離脱する事も可能であると悲鳴嶼さんは言っていた。

 炭治郎たちが此処でリタイアする事は無くても、此処で力尽きる隊士は少なくは無いのだろうなぁ……と思わず遠い目になってしまう。

 

 炭治郎たちがそんな過酷な修行をしているその傍らで、悲鳴嶼さんとひたすらに手合わせをする事になったのだが、まだ隊士が一人も来ていない冨岡さんもやって来て手合わせに参加したりして中々激しい手合わせになった。

 柱同士での柱稽古も順調に進んでいるらしく、柱同士での連携もかなりの練度になってきているそうだ。

 やはり上弦の鬼相手だと柱と言えども単独で相手を務めるのは難しく、手数を増やしたり攪乱したりする為にも柱同士及び隊士との連携は必須である事もあって、全員が真剣に自分の全力をぶつけているそうだ。

 考えを言葉にするのが大の苦手というか、考えている事と言葉にして発する事との間に随分と乖離がある冨岡さんも、他の柱との手合わせを一生懸命にやっているらしい。ポツポツと言葉少なにだがそう教えてくれたのでそうなのだろう。

 あまり仲が良くないらしい伊黒さんや実弥さんと上手くやれているのかは分からないが……。まあ、冨岡さんの方には「仲良くなりたい」という意識はある様なので、案外どうにかなるのかもしれない。

 以前と比べて随分と前向きになった冨岡さんは、他人との会話もちゃんとしようと頑張っている様だ。言葉が足りていないのは相変わらずだが、突然会話を断ち切る様な事は止めた様である。大きな進歩だ。

 柱としての冨岡さんの姿を昔から知っている悲鳴嶼さんは、冨岡さんのその変化を良いものだと捉えている様で、「南無南無」と静かに涙を零している程である。

 悲鳴嶼さんは、寺に居る猫が可愛いと言うだけで涙を零す程に滅茶苦茶涙脆いのだ。

 

 炭治郎たちの修行は他の柱の下での修行に比べれば少しその進行速度は鈍ったものの、二日後には滝行も達成し、更にその二日後には丸太担ぎも成功し、残すは岩を押して動かすだけになったのだが……。まあこれが随分と難儀している様だった。悲鳴嶼さんが普段押している岩に比べれば小さい岩ではあるが、だからと言って押して動かすには重過ぎる。瞬間的に動かすだけならまだしも、それを己の身一つで百メートル以上も動かすのは相当に難しい。道具なり何なりを使うならまだ良いが、それは修行の趣旨ではないし……。

 呼吸によって身体能力が非常に高くなっているとは言え、呼吸による身体能力の強化はどちらかと言うと瞬間的な力を爆発的に上げているものである為、それとはまた少し違った身体能力の強化が必要なのだろう。

 言うなれば、「火事場の馬鹿力」の様なものを出す為の特訓なのだろうか。

 とは言え、そう言った物事に関して自分は何か良いアドバイスが出せる訳ではないし、悲鳴嶼さんは人に何かの技術を教えるのはそんなに上手くは無いらしい。

 どうしたものかと考えていると、実弥さんの訓練を無事に合格した玄弥が合流して来た。

 実弥さんは合格を出すのを相当渋っていたと言うか、かなりキツく絞ったそうなのだが、それにも音を上げずに食らい付いて実弥さんの一瞬の隙を突いてどうにか一撃入れる事に成功したその努力と根性と観察力を認めない訳にはいかなかったらしく、本当に……それはもう本当に、見るからに渋々といった様子で合格を出したそうだ。なお、玄弥に対しての厳しさの巻き添えを食った隊士たちはまさに死屍累々と言った有様で風屋敷の庭に転がる羽目になったのだとか。

 どうやら、炭治郎たちや玄弥に合わせてなのか相当ハードルが上がっている様だ。それは何と言うか……うん、ご愁傷様とでも言うべきなのだろうか。

 そんな感じで無事に悲鳴嶼さんの柱稽古に参加する事になった玄弥だが、そもそも悲鳴嶼さんの弟子である玄弥にとっては割と日常的にやっている修行であるらしく、滝行も丸太担ぎもサックリとこなせるし、そして岩も一気に百メートル動かすのはまだちょっと難しくとも確かに動かせるのだそうで。

 それを聞いた炭治郎は驚きと共に玄弥にアドバイスを求めた。

 皆で同じ釜の飯を食いながらのそんな様子に、ちょっと離れた所からそれを見守っていた悲鳴嶼さんはまた「南無……」と静かに涙を零しているのであった。

 悲鳴嶼さんは弟子である玄弥の事を相当気に掛けていて。実弥さんとの関係の問題が無事に良い方向に解決出来た事は玄弥が手紙で既に知らせていたから悲鳴嶼さんも知っていたのだけれど、玄弥が鬼殺隊の皆と上手くやれているのか心配していたのだろう。

 積極的にそれを指摘したりあるいは気を回したりする訳では無いのだけれど、確かに玄弥の事を想っているのはよく分かる。

 そうやって玄弥を心配するその姿は何処か「お父さん」の様ですらある。

 また、玄弥だけではなく、獪岳の事も少し分かり辛くはあるが気に掛けている様で。獪岳が善逸たちと上手くやっている様子を見て、小さく「南無」と呟いていた。

 

 玄弥から「反復動作」と言う、謂わば「火事場の馬鹿力」を必要な時に引き出す為のコツを教えて貰った炭治郎たちは、早速それを試してみた様で。

 まだ「反復動作」を完全に習得するには時間が掛かる様だったが、それにかなりの手応えを感じたらしく先ずは「反復動作」を習得する事を目標にするらしい。

 そして、玄弥がやって来たのと入れ替わりの様な形で、自分は一足先に冨岡さんの下へと向かう事になったのだった。

 

 

 水屋敷に向かう途中、そう言えば冨岡さんは柱稽古で一体何を教えるつもりなのだろう、とふと気に掛かった。

 当初は柱稽古への参加を(水柱としては不適な自分は稽古を付けるのには相応しくないからと)拒否していたので、最初に通達された柱稽古の知らせには、具体的に何をやるのかは一切書かれていなかった。その後で冨岡さんが柱稽古に参加する事を決めた時も、岩柱の稽古の後に水柱の稽古が最後に追加されたという旨しか知らされていない。

 ……今更になってと言うべきかもしれないが、物凄く口下手で言葉の足りない冨岡さんが柱稽古をちゃんと付けられるのかと心配になって来た。

 冨岡さんは間違いなく強いし実力者だしそこから学べる事はきっと沢山ある。だが、強い事と教え方が上手い事は全く別の問題だ。名選手が名監督や名コーチになれる訳ではない。

 下手をすると双方が大きくすれ違ったまま明後日の方向に向かって全力疾走してしまう可能性がある。

 匂いで相手の感情や意図を読み取れる炭治郎や、或いは音で把握する事が出来る善逸ならまだ良いだろう。二人がそこに居てくれるなら、冨岡さんの足りない言葉を何かしら補足してくれるかもしれない。……いや、説明するのが破滅的に苦手な炭治郎ではそう言った力になるのは難しいかも知れない。となると頼みの綱は善逸だけになってしまうのだが……。それにしたって、何時までも善逸に冨岡さんの所に居て貰う訳にはいかないのだし、善逸たちが合格して去った後が問題になってしまう。

 何かもう、予めカンペを作っておくなり、或いは説明書の様なものを書いてそれを見て訓練内容を理解して貰うしか無いのではないだろうか……。

 

 そしてその不安は見事に的中し、継子が居た事は無く他の柱との交流も少なくあまり他の隊士と合同で任務をこなす事も無かった冨岡さんは、「加減」という概念が何処かにすっ飛んでいる様で、更には「見て覚えろ」とばかりの滅茶苦茶な訓練内容になりかけていた。

 柱稽古の内容に口出しする気は全く無かったのだが、流石にこれは不味いと言うか……炭治郎たちなら時間は掛かってもどうにか達成出来るかもしれないが、正直それで他の隊士が潰されてしまいかねないものでもあって、もうちょっと「適度」という概念が必要なのでは……? と、悲鳴嶼さんたちにそれとなく手紙で尋ねてみた所、是非とも下方修正させる様にとの返事が返って来たので、冨岡さんと二人でちょっと訓練内容の見直しを行う事になった。

 最終的に、柱稽古の締めに相応しい高難易度ではあるが、此処まで柱稽古を乗り越えて来た隊士たちならばある程度以上の時間を掛ければ合格不可能では無い程度のものには落ち着いた。

 そしてその擦り合わせの中で、訓練内容の説明書の様なものも作ったので、冨岡さんが上手く説明出来なくても問題は無い……筈である。

 そんなこんなで、冨岡さんとの時間は過ぎて行った……。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 悲鳴嶼さんの試練を無事に合格した炭治郎たちがやって来て、水屋敷が随分と賑やかになって少し過ぎた頃。

 受け持っていた最後の隊士が何とか無事に柱稽古を突破したのだと宇髄さんから連絡があった。

 柱稽古が始まってからずっと忙しかった宇髄さんもこれで少しは肩の荷が下りたのだろうか? まあ、宇髄さんの手が空いたのなら、今度は自分が宇髄さんの所でお世話になるのだけれども。

 冨岡さんや炭治郎たちと別れて、今度は宇髄さんの下へと向かった。

 

 

「よォよォ! 元気そうで何よりだ!

 手合わせとかはあるが、まあ堅苦しくならずに寛いでくれや」

 

 音屋敷に着くなり何だか活力が漲っている宇髄さんが出迎えてくれて、宇髄さんの声で此方の到着を知ったのか、奥さんたちもわらわらと玄関先にやって来る。

 

「お久し振りです、あの節は本当にお世話になりました」

 

「いえいえ、そんな……此方こそ。皆さんがご無事で何よりでした」

 

 宇髄さんの奥さんたちの中で直接の面識があるのは雛鶴さんだけだが、まきをさんも須磨さんも此方の事は知っているらしくとても友好的に迎え入れてくれた。

 面識がある雛鶴さんにしたって上弦の陸との戦いの直前であまり長く話す時間は無かったし、何より毒に長く身体を蝕まれていた影響で衰弱していた事もあってあまり無理をさせない為にも喋ったのは本当に最小限の用件だったので、こうして顔を合わせて穏やかに言葉を交わせるのは初めてと言っても良いかもしれない。

 

 雛鶴さんは随分と衰弱していたあの時とは見違える程に元気になっていて、毒に蝕まれていた影響は見た目で判断する限りは無さそうだった。

 妹鬼の分身の帯に囚われていた所を炭治郎たちが宇髄さんと共に助け出したらしい須磨さんとまきをさんも、大事無く五体満足の状態である様だった。

 妹鬼は自分のお眼鏡に適った相手しか食べないある種の偏食家であり、それ故にお眼鏡に適った相手は帯の中に捕らえて保存しておいたそうで。実際に捕食する時までは生かしておかねぱならないので、きっとあの帯の中は時間の経過の影響などがある程度は抑えられていたのだろう。

 そうでなければ、数日程度ならまだしも何週間も飲まず食わずで帯に囚われていた人たちが無事で済む筈も無い。

 こうして三人共が無事であったのは、本当に幸運な事であるのだろう。……幾らくノ一として荒事自体には慣れているのだとしても、鬼の中でも最上位に近い存在と相対して生き延びる事が出来る保証は無いのだから。

 

 落ち着いて一番しっかり者の雰囲気がある雛鶴さん、一番勢いがあって姉御肌的な印象を受けるまきをさん、ちょっとそそっかしくともそれが不思議と程好い愛嬌の様に見える須磨さん。

 宇髄さんの奥さんたちは皆とても個性的で、とても優しい良い人たちであった。

 三人が全員宇髄さんの事を心から愛していて、そして宇髄さんが三人を何よりも大切にしているのを、ちょっとした仕草や言葉の端々から感じる事が出来る。

 宇髄さんたちにとっての『幸せ』は、間違いなく「此処」に在るのだろうと、そう直接言葉にせずとも分かる。

 ……本当に、宇髄さんから奥さんたちを喪わせる事も、そして奥さんたちから宇髄さんを喪わせる事も無く済んで、本当に幸運であったし、皆で懸命に戦った甲斐があったと言うものだ。

 

 手合わせをして、温泉で汗を流して、奥さんたちが作ってくれた料理を食べて。

 何とも充実した一日を過ごさせて貰った。

 ちなみに、温泉は柱稽古の時に善逸たちが掘ったらしい。

 獪岳が監督していても直ぐに泣き言を言ってちょっと手を抜く善逸を焚き付けて、追加訓練としてやらせたのだそうだ。

 伊之助と炭治郎を巻き込んだばかりか、ちょっと呆れ気味の玄弥と物凄く嫌そうな顔をした獪岳も巻き込んでの温泉掘りになったのだとか。賑やかしい光景が目に浮かぶ様だ……。

 

 奥さんたちが賑やかに明日の準備をしているそこから少し離れた縁側で夜風に当たっていると。

 

「よォ、ちょっと横良いか?」

 

 そう声を掛けながら宇髄さんが横に腰掛けてきた。

 当然否は無くて、そして二人してそのまま少しの間静かに夜風に当たっていると。

 

「……なあ、悠。改めて礼を言わせてくれ。

 女房を……雛鶴を助けてくれて、本当に有難う。心から感謝している」

 

「当然の事をしたまでですが……俺も雛鶴さんを無事に助け出せて本当に良かったと心から思っています」

 

 まきをさんと須磨さんを助け出したのは宇髄さん自身なのだけれども。宇髄さんとしては、全員を何よりも大切にしているからこそ、その大事を救った事への感謝の念は一際強いのかもしれない。

 宇髄さんは夜空にかかる月を静かに見上げ、また少しの沈黙の後、ポツリと呟いた。

 

「……俺は、上弦の鬼を討ったら柱は引退するつもりだったんだ」

 

 その言葉には少し驚いたが、何も言わずにその先の言葉を待つ。すると、宇髄さんはその反応に少し微笑みを浮かべて、ポツポツと続ける。

 

 宇髄さんは、忍の長の家系に生まれ()()()()()()()()()()()()に囲まれて育ってきた。

 忍という存在自体が時代の波の中に消えつつあったからなのか、忍を残そうと……長である宇髄さんの父親は我が子たちに余りにも過酷な訓練を宇髄さんたちに課していたらしい。

 宇髄さんは本来沢山の姉弟に囲まれた長男であったらしいのだが……過酷な訓練の中でまた一人また一人と欠けていき、そして遂には長を決める為の戦いとして相手を伏せさせたまま兄弟で互いに殺し合いをさせられた。

 宇髄さんが父親の思惑に気付いたのは、弟たちを二人その手に掛けてからの事で……。

『強い子どもだけを残す』という常軌を逸した父親の考えを受け入れられなかった宇髄さんは、父親とその思想に染まっていた弟と訣別して奥さんたちを連れて里を抜けた。

 それから暫し四人で流離っていた所を、お館様に拾われる事になったのだという。

 ……幸いと言っていいものなのかは分からないが、忍として人を殺す為に身に付けた技術は鬼殺にも応用が利いて。

 だからこそ、宇髄さんは人を殺す為の戦いではなく、今度は人を助ける為の戦いを始めた。

 ただそれは、幼少期から「忍」として刷り込まれてきた価値観などと真っ向から相反する様な戦いで。

 かつての自分自身を否定し、そして自分の行いを否定し、自分が奪ってきた命たちへの贖罪の様なものであった。

 ……宇髄さんたちは、やろうと思えば一切の戦いから逃げ出す事だって出来たのだろう。忍のそれとは方向性は違うとは言え、鬼殺隊は血腥く表立っては活動出来ない組織だ。……鬼への深い憎悪や怒りも無しに好き好んで所属するのは相当に珍しい場所であると言える。

 ……まあ自分がそうである様に、表立っては活動出来ない組織だからこそ好都合だったというものはあるのかもしれないけれど。

 何であれ、宇髄さんは戦い続ける事を選んだ。それが決して安楽な道ではない事は分かっていても……。それでも、そうでもしなければ宇髄さん自身が「納得」出来なかったのだろう。

 何に対する「納得」であるのかは、自分には分からない。

 姉弟を助けられずそうとは知らなかったとは言え己の手に掛けてしまった事に対してのものなのか、或いは一般的な善悪の価値基準とは掛け離れた環境下で自らが行って来た事に関してのものなのか、はたまた……もっと根本的な何かに対するものなのか。

 ……その「納得」を得る為に、自分自身にケジメを付ける為に、宇髄さんが目標としたものが上弦の鬼の討伐であった。

 鬼殺隊の誰も成し得なかったそれを、自分たちの手で。そうすればきっと、自分の中の「何か」に区切りを付けられると思ったのだろう。

 それは、宇髄さんだけでなく、三人の奥さんも同様に。

 宇髄さんが背負うそれを、奥さんたちも一緒に背負っているから……だからこそ三人共命の危機を押してでも遊郭への潜入を行ったのだろう。

 そうやって上弦の鬼を討ってケジメを付けたのなら、柱を引退して「普通の人」として生きていこうと……そう宇髄さんは奥さんたちと約束したらしい。

 例え、その時に誰が欠けていたのだとしても、恨まずに生きていこう、と。

 

 そして、宇髄さんは見事上弦の陸を討伐した、奥さんたちも誰も欠けたりせず無事に戦いを終わらせる事が出来た。

 それは、当初のその目標から考えると「大団円」と言っても良いもので。そして鬼殺隊への貢献と言う面でも十分過ぎる程のものであった。

 鬼殺隊の第一線を退いたとしても、誰もそれを咎めたりは出来無いだろう程のものだ。

 ……宇髄さんは無事に生き延びる事が出来た奥さんたちを幸せにして守っていかなければならないのだし、それを優先しようとする事は自分としてはとても良い事だと思う。

 様々な形で大切なものを奪われてきたか喪った者が多く集まって来てしまう鬼殺隊から離れてでも、別の道を胸を張って生きていこうとする事もまた尊い事だ。

 

 だけれども、宇髄さんは引退する事を選ばなかった。

 奥さんたちとの約束を違える形になってまで今も柱を務めているし、そして鬼舞辻無惨との決戦にも当然の如く臨むつもりであるのだろう。

 ……だが、もう宇髄さんは己が定めたそれを達成している。それに、何かしらの「納得」を得る事は出来たのだろう。

 だからこそ、不思議であった。

 

「まあ、雛鶴たちにはちょっとばかしまだ気を揉ませる事になるかもしれねぇが。

 まだもうちょっとやれる事はあるんじゃねぇかって、思ってな。

 上弦の陸を倒して満足するのも悪くは無いんだろうが……無惨が消えた夜明けってのも見てみたくなった。

 まあ、そんな所だな」

 

 他にも気になる事は幾つか残っているからなぁ……と、そう宇髄さんは言う。

 悲鳴嶼さんの次に長く柱を務め上げているからこそ、色々と気に掛かるものが多いのかもしれない。

 それを切り捨てて行こうとはしないのは、宇髄さんの優しさ故であるのだろうか。

 

「俺は……何時かきっと地獄に落ちる。どれ程鬼を殺したって……例え上弦の鬼を殺したとしても、それで自分の罪に釣り合うには足りない。ずっとそう思っていた。

 ……おっと、今ここで言った事はあいつらには言うなよ。あいつらに聞かれたら泣かれたり怒られたり噛み付かれたりするからな」

 

 そう軽く付け加えたが、しかしその内容はとても重い。

 ……恐らくそれは自分が何か言ったりしてどうにかなったりするものでは無いし、宇髄さん自身がそれを抱えていく事を選んで来たものだ。

 そして、宇髄さんはそれに正しく向き合って「答え」を出している。

「納得」したからこそ、今もこうして此処に居るのだろうから。

 ただ、胸に抱えた重い物を、誰かに対して少し打ち明けてちょっとでも軽く出来るのならそれに越したことはない。

 

「里を抜けて、鬼殺隊に入って、柱になって。

 色々とあったが、あいつらが居たから俺はやって来れた。

 俺は……俺の手で宇髄一族を終わらせるべきだと考えた事もあった。

 里を抜ける時も、そしてこうして里の外に出て鬼殺隊に入ってからも。

 狂った考えに取り憑かれた父と弟を……血を分けた家族だからこそ止めるべきなんじゃねぇか……って。

 だがまあ……出来なかった」

 

 溜め息を吐く様に宇髄さんはそう言って暫し黙り込む。

 ……家族としての情が少なからず存在しているからなのか、お互いに知らなかったとは言え弟たちをその手に掛けた事へのトラウマなのか、或いは……忍との殺し合いの中で奥さんたちを喪う事を恐れたのか。その理由は自分には分からないし、そもそも分かる必要性もない事だ。

 

「当事者ではない俺が言うのも何ですが、俺は……それで良いと思いますよ。

 宇髄さんに一族へ引導を渡す様な責務がある訳では無いですし、それを背負う必要も無い。

 生まれや育ちを変える事は出来ないし、そこで受けた影響や感じた事を完全に消し去る事は出来ないのかもしれませんけれど。

 でも俺は……宇髄さんの様に自らの意思でそこから飛び出した人を、心から尊敬します」

 

 自分の居る場所から……己を形作る価値観から飛び出すのはとても勇気がいる事だ。

 飛び出した先が更なる地獄かもしれないと考えると、足が竦んでしまう人はとても多い。踏み出す勇気が無く、何時しか踏み出す事を忘れ、何か都合のいい事が起きて都合のいい様に変わる事を待つだけの怠惰な逃避に耽ってしまいがちだ。

 踏み出す事は……自分を変える事は、とても難しい。

 例えそれがまた別の何かから逃げる為なのだとしても、そもそも逃げる事もまた一つの勇気だ。

 

 宇髄さんは、何処か少し伊黒さんと似ているのかもしれない。

「生まれ」という自分ではどうする事も出来ないものに縛られて、そしてそこから飛び出した。

 生贄としての死を定められていた伊黒さんは「生きる為」に、弟との殺し合いを拒否した宇髄さんは「逃げる為」に。

 ……伊黒さんの心は、今も「納得」を得られずに彷徨い続けているのかもしれないけれど。

 何にせよ、自分ではどうにも出来なかった事から目を背けるでは無く、自罰意識に雁字搦めになってしまうでも無く。

 それに向き合って、折り合いを付ける事が出来た宇髄さんは本当に強い人だ。

 異常な環境にあってすら一般の人たちに共感出来るだけの感性と思考力を育て、弟たちの死を「仕方が無かった」とは割り切れない繊細な部分はあるだろうが、それ以上に靱やかな強さがその根底にはある。

 そして、そんな宇髄さんを様々な面で支えているのが三人の奥さんなのだ。

 過去を共有出来る大切な誰かが居るという事は、とても大事な事だ。辛い時にお互いがお互いを支え合えるのは本当に素敵な事だ。

 叩き込まれて来た価値観も何もかもを否定して壊して里で得ていたものの多くを失っても、それでも宇髄さんには奥さんたちが居てくれた。

 そして、宇髄さんは奥さんたちを守る為にとてつもない力を発揮出来る人なのだろう。宇髄さんは奥さんたちを守っているが、同時に守られても居る。

 その関係性は、とても眩しく自分の目には映った。

 

「そうか……」

 

 そう呟いた宇髄さんの表情は、何処か寂しくも柔らかなもので。

 普段のド派手が口癖の不敵な表情とは違うそれもまた、「宇髄天元」と言う名の人間が持ち合わせている側面なのだろう。

 

 ……何時か、宇髄さんが己の行先として「地獄」を思い浮かべる事はなくなるのだろうか? それは分からないけれど。

「地獄」を想うよりも、奥さんたちと過ごす「明日」をより鮮明に考えられるのなら、きっと大丈夫だと思う。

 

 奥さんたちに呼ばれるまで、その後も二人で縁側に座りながら色々と話をするのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
宇髄さんと奥さんたちには幸せになって欲しいと心から願っている。
なお、宇髄さんから悲鳴嶼さんはああ見えて他人の色恋沙汰をこっそり見守るのが好きらしいと聞いて驚く事に。
色恋沙汰の機微に関して、他人に向けられているそれには中々の観察力があるが、自分に向けられるそれは気付く事も多いが全く気付かない事もある。


【宇髄天元】
妓夫太郎を倒した後に柱を引退しなかったのは、五体満足で切り抜けられたという事も大いにあるし、無惨を倒して完全勝利した光景を見たいと言うのもあるが。柱など鬼殺隊の面々の事も気に掛かっていたからという理由も大きい。
特に、何処か弟の様に気にかけていた実弥と、過去に若干のシンパシーを感じつつも真面目過ぎて何時か潰れやしないかと思っていた伊黒と、真面目過ぎて抱え込んで消えてしまいそうなしのぶの事が心配だった。
悠の事もとても気に掛けている。
色恋沙汰の機微にはかなり敏感。


【雛鶴・まきを・須磨】
宇髄さんの考えは理解しているので、無惨を倒して完全にケリを付けるまでを一緒に見届けたい。
悠には物凄く感謝している。
雛鶴を助け出して貰っただけでなく、宇髄さんを五体満足に生還させた事が非常に大きい。
なので、今回の悠の訪問は大歓迎された。


【不死川実弥】
玄弥のこれまでの話をちゃんと聞いて、それをちゃんと理解した。それはそれとして、鬼殺隊は辞めて欲しいけども。
玄弥を扱き倒したが、どんなにキツい内容でも絶対に諦めない玄弥の熱意に最終的には妥協した。
色恋沙汰の機微には超鈍感。


【不死川玄弥】
絶対に諦めないド根性持ち。
悲鳴嶼さんが「南無南無」しながら自分たちを見守っていた事は知らない。
色恋沙汰の機微以前に思春期真っ盛り。


【竈門炭治郎】
乱闘騒ぎで実弥との接近禁止命令は出ていないので、ちゃんと訓練を正規の手順で突破した。
玄弥からのアドバイスで無事に悲鳴嶼さんの訓練も突破してウッキウキで義勇さんの所に行くと、義勇さんの訓練内容を悠が頑張って修正している真っ最中だった。
匂いで相手の感情は分かるが思考が読める訳では無いので、時にアンジャッシュ状態になる事もある。
色恋沙汰の機微には鋭い部分もありつつ基本的には鈍感。


【悲鳴嶼行冥】
玄弥が仲間と上手く打ち解けている様で安心して「南無南無」している。獪岳の様子も、特には問題無さそうでちょっと安心。
色恋沙汰の機微に対しては物凄く敏感。
カナヲが炭治郎の事を気にしている気配を察知して「南無南無」した。


【冨岡義勇】
「加減」の概念を辞書を引いて確かめるべきだと悠に思われた。心外!
悠と炭治郎たちが来てくれて、とても嬉しかった。
炭治郎から実弥の好物を聞いて、今度おはぎを差し入れに行こうと決める。
色恋沙汰の機微には超鈍感。


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『心燃やす焔』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 宇髄さんと共に二週間近くを過ごした。

 他の柱の人たちの所で過ごした倍近くの時間を過ごす事になったのだが、最後の目的地である煉獄家の屋敷にはまだ柱稽古中の隊士が居るので少し足止めを食らった感じである。

 まあそう急ぎではないのだから構わないのだが。

 

 炭治郎たちは無事に最後の試練である冨岡さんの特訓に合格したらしく。今は柱同士の柱稽古を見学したり、時に手合わせをして貰ったりしつつ、自主的な鍛錬を続けている様だ。

 実弥さんから期限を定められていた玄弥はと言うと、ギリギリの所ではあったが何とか期間内に柱稽古を完全に突破してやったと、文面からも玄弥の喜びの感情が伝わってくる手紙が届いた。

 柱稽古も開始から一月以上が経った事もあって、ほぼ最速で全ての柱稽古を突破していった炭治郎たち程ではなくても、それでも柱たちの当初の期待を遥かに上回る勢いで柱稽古を突破して悲鳴嶼さんの柱稽古まで辿り着いた隊士は結構居るらしい。

 まあ、そこを乗り越えるのが本当に難しいのだが……。

 なお、今一番隊士達が多く留まっているのは実弥さんの所であるのだそうだ。合格のハードルが相当高い事がその原因になっているのだとか。

 そんなこんなで時間が過ぎて、煉獄さんが柱稽古を付けていた隊士たちが全員何とか次に進めたそうなので、随分と長くお世話になってしまった宇髄さんたちに別れを告げて煉獄さんの所へと向かう事になったのだった。

 

 

 柱の屋敷はどれも立派なものだけど、代々炎の呼吸を受け継ぎ炎柱も務めてきたのだと言う煉獄家のそれはまた一段と立派なものであった。

 そう言えば、奥さんと産まれてくる筈だった子供を一度に喪って茫然自失の状態だった縁壱さんが出逢ったのも煉獄さんの御先祖様だったのだとお館様も言っていたし。

 煉獄家は所謂『名家』と言うやつなのだろう。

 少なくともその時代の頃からずっと鬼殺を続けているのは尋常な事ではない。

 鬼を相手にする事の難しさを考えると、断絶する事無く鬼殺の一族としてやってきたのは凄まじいとしか言い様の無いものだ。

 

 そう言った『歴史』を感じつつも門扉を叩くと、煉獄さんと煉獄さんそっくりの顔立ちだがより柔和な表情を浮かべた千寿郎くんの二人が快く出迎えてくれた。

 千寿郎くんに出逢ったのは丁度無限列車の任務の後位の時期だったので、こうして顔を合わせるのは随分と久し振りの事だ。

 炭治郎は以前煉獄家に訪問した時の縁で千寿郎くんと文通を始めたらしくマメに手紙のやり取りをしている様で、その為折に触れては炭治郎から千寿郎くんの近況を教えて貰う事はあったので、自分としてはそこまで久しい感じでは無いのだけど。

 

「お久し振りです、鳴上さん」

 

 深々と頭を下げた千寿郎くんに、此方こそと頭を下げる。

 柱稽古の隊士たちが滞在していた時には、隠の人たちと一緒に千寿郎くんが大人数相手の家事を切り盛りしていたらしく、柱稽古が始まって少し経った頃から随分と長い間大忙しだったそうだ。

 やっとゆっくり出来る所にお邪魔してしまってちょっと申し訳ない気持ちもあるのだけれど、千寿郎くん自身は何だか嬉しそうだった。

 煉獄家は煉獄さんと千寿郎くんと、そして二人の父親である槇寿郎さんの三人暮らしで。任務で各地を飛び回る煉獄さんは家に居ない時間も多く、その時には千寿郎くんは槇寿郎さんと二人きりであり。無限列車の任務の少し後の頃から改善されてきたとは言え、槇寿郎さんは長らく塞ぎ込んだり自暴自棄になったかのように気力を喪って酒浸りになったりと、……まあこう言ってしまうのは何なのだが「良い父親」では無かった事もあって。

 千寿郎くんとしては誰かが居る賑やかな状態の方が好きであるらしいのだ。

 だから柱稽古の間も、大変ではあったけれど楽しかったらしい。

 

 手合わせの合間の休憩時間には、煉獄さんと千寿郎くんはかつて甘露寺さんが煉獄さんの継子として煉獄家で修行していた時の話などもしてくれた。

 甘露寺さん程ではなくても煉獄さんもよく食べる方だし、甘露寺さんが継子だった時は炊いても炊いてもお米が直ぐに無くなってしまう程に物凄い量を作っていたのだそうだ。

 何となくその光景の想像は付くのだが、何とも凄まじい。

 まあ、甘露寺さんはとても美味しそうにご飯を食べてくれるので、大変ではあっても千寿郎くんたちはとても作り甲斐があったそうなのだが。

 そして話を聞いた所によると。

 煉獄さんの継子として柱にまでなったのは甘露寺さんだけであるが、継子自体は甘露寺さん以外にも何人も居たらしい。

 現在在籍している柱の中では、煉獄さんは積極的に継子をとったり指導したりする事にかなり意欲的な方であるのだし、使う呼吸が炎の呼吸ではない炭治郎たちも継子として鍛えようと誘っていた事もある様に、使う呼吸が異なっていても気にせず指導出来る実力も有る。……しかし、その日々の鍛錬はとても厳しく。

 柱稽古で課していた訓練よりも更に厳しいものになる事もあってか、まあ……皆その辛さに耐えかねて逃げ出してしまったのだそうだ。

 その厳しさは、鬼殺の剣士として可能な限りの実力と生存能力を引き上げる為のものではあるのだけれど、ついていけない者も多いのは確かなのだろう。

 結局、最後まで投げ出さずに継子を務める事が出来たのは甘露寺さんだけなのだそうだ。

 まあ……その鍛錬に付いて行けるかどうかにも、ある種の才能と言うのか資質は必要になってしまうのだろう。

 鬼への憎しみは皆とても強くてもかと言って厳しく辛い修行に耐え切れるのかどうかはまた別の話になってしまう、と言う事か。

 

 とは言え、今回の柱稽古で宇髄さんや煉獄さんの所で離脱する者は居なかったし、人によって掛かる時間は異なるとは言え全員が無一郎の所に辿り着いているし、半数以上は伊黒さんの試練以降に辿り着いている。……まあ、実弥さんの所で叩きのめされている者が圧倒的多数らしいが……。

 最近の隊士の質が悪いとボヤいていたらしい宇髄さんたちもこれには満足している様だ。

 物凄く順調に試練を突破していった炭治郎たちに限らず、村田さんや文通などで交流がある隊士の人たちも本当に頑張って柱稽古に励んでいるそうで。

 今は悲鳴嶼さんの所で滝行に励んだり岩を押したりしているらしい。

 怨敵である鬼舞辻無惨との決戦も近いと言う事も有って、皆並々ならぬ気迫であるのだとか。まあ、それでもキツイものはキツイ事には変わらないので、ヒィヒィと喘ぎながら必死に食らい付いている……との事であるそうだ。

 柱稽古の期間中も、村田さんたちは時々ではあるが手紙で近況を教えてくれる。

 その内容の殆どが、「柱稽古キツイ」と言うものだが……。

 まあとにかく、鬼殺隊の者たちが皆一丸となって決戦に備えている事は確かなのだろう。

 

 煉獄家での時間は、手合わせこそ激しくても中々和気藹々とした時間であった。

 煉獄さんや千寿郎くんと過ごす時間が大半だが、槇寿郎さんも時折だがポツポツと話し掛けてくれたりと。良い時間を過ごす事が出来た。

 隊士たちの面倒を見る事からは解放された宇髄さんなども顔を出して共に手合わせをしたりと、有意義な時間を過ごす事が出来ていた。

 

 そして、そんなある日。ふとした拍子に、千寿郎くんが何かの修繕作業をしている事に気が付いた。

 何だろう……手記の様なものだろうか。

 尋ねてみると、それは二十一代目の煉獄家の当主が遺した書物であるらしい。

 丁度、縁壱さんが生きていた頃の時代の人物であるのだとか。

 

「父はよくこの手記を読んでいました。

 ……そして、ある頃からかすっかり意欲を喪い、自暴自棄になり……」

 

 その結果槇寿郎さんは酒浸りになってしまったのだと、そう千寿郎くんは言う。

 物心付いて少ししてからそんな風になってしまったのだとか。

 それでも、意欲を喪ってからも暫くの間は槇寿郎さんは炎柱を務めていたそうなのだが……。次第に任務自体にも意欲を喪って酒気が抜けきらないままに任務に向かったりする事が常態化してしまい、……終には柱を辞めた。

 千寿郎くんがまだ本当に幼かった頃は、後進を育てる情熱に溢れ、煉獄さんや千寿郎くんにも熱心に稽古を付けてくれていたそうなのだが……。しかしある頃からそれすらもすっかり放棄してしまい、煉獄さんは家に残された指南書を頼りに鍛錬して最終選別に向かったのだとか。それから煉獄さんが炎柱になっても、槇寿郎さんは煉獄さんを認める様な態度を見せる事は無かったそうだ。

 

 情熱があった槇寿郎さんがまるで糸が切れた凧の様な有様になってしまったのは、恐らくは若くして病に倒れ帰らぬ人となった母……瑠火さんの事が何か影響しているのだろうと、千寿郎くんはそう言っていた。

 槇寿郎さんは大層な愛妻家であったらしく、だからこそその喪失に耐えられなかったのかもしれない。

 そしてそれに追い打ちをかけるかの様に、過去の当主の手記に書かれていた何かが槇寿郎さんを打ちのめし絶望させのかもしれない、と。そう千寿郎くんは呟いていた。

 

「……何時からか、父は一言目には『無駄だ』とか『無意味』だとかと言う様になり……、そして『才能』がと言う様になりました。

 ……それでも、剣士になれば父に認めて貰えるのかもしれないと、淡く期待して鍛錬を続けていたのですが……。それでも私の日輪刀は色が変わる事はありませんでした。私には、兄の様な才能は無かった」

 

 剣士になる為に……正確にはすっかり変わってしまった槇寿郎さんに認めて貰う為に、鍛錬を続けていたのに。それでも、現実は残酷で。

 望んだからと言って才能があるかどうかはまた別の話になってしまう。

 ……同じく呼吸の才が無かった玄弥は、それでもと鬼殺隊で剣士となる事を選んだが。しかし。

 

「私は、剣士になる事は諦めました。

 それ以外の方法で、人の役に立てる事をしよう、と」

 

 代々鬼殺の剣士として生きて来た煉獄家の者として、その選択は決して軽いものでは無い。才能が無いからと言って諦めきれるものでも無かっただろう。

 それでも、千寿郎くんはそれを選んだ。

 

「……俺が何かを言う様な事では無いと思いますが。

 どんな選択でも、考え抜いて決めた事ならば……そしてその選択の責任を背負う事が出来るのなら。それは決して間違ってなんかいないと。そう俺は思います」

 

 玄弥の様に諦めない事も、そして千寿郎くんの様に別の道を探す事も。

 どちらも決して間違ってはいない。

 道は一つではないのだし、生き方もまた其々だ。

 

 そして、そうして探した剣士以外の道の中の一つとして、手記の修繕を請け負ったらしい。

 本来なら、ヒノカミ神楽の謎の解明と煉獄さんからの言伝を伝えに来た炭治郎に見せる筈だったものなのだが……。

 しかし、自棄になっていた槇寿郎さんが書物を破いてしまっていたらしく、そこに書かれていたものを読む事は出来なくなっていたのだそうだ。

 ……恐らくは、縁壱さんの事に関する何かが書かれていたのだろうけれども。

 

 縁壱さんの事に関してはもう大分判明しているし、ヒノカミ神楽の事も炭治郎自身がそれを夢で探し当てたし、鬼舞辻無惨の事もかなり判明している。

 とは言えそれを知っていても、千寿郎くんは書物の修繕を完遂させたいらしい。

 

「修繕したこれから何か新たに分かる事は無いのかもしれませんが。

 しかし、これは代々大切に伝えられてきたものですし、何より知りたいんです、私自身が」

 

 一体何が父を絶望させ自棄にさせてしまったのかと。

 そう呟いて、千寿郎くんは「そして」と続けた。

 

「……炭治郎さんと鳴上さんには、本当に感謝しているんです。

 炭治郎さんが兄の言葉を伝えにやって来てくれてから、父は変わりました。

 それに、鳴上さんが兄の命を救ってくれたから、きっとまだ色々と取り返しが付くんだと思うんです」

 

『日の呼吸』に異常な執着を見せそれ以外を全て「無駄」と切って捨てていた槇寿郎さんは、煉獄家に訪ねて来た炭治郎のその耳飾りを見て激しく食って掛かったそうなのだが。しかし、その時の炭治郎は猗窩座と煉獄さんとの戦いで何も出来なかった無力感に打ちのめされている真っ最中で。だからそれに激しく反論して、殴り合いになった果てに槇寿郎さんを頭突きで沈めてしまったらしい。

 ただ、その後で煉獄さんが本来なら落命していた筈の重傷を負っていた事を知ったからなのか、或いは最強だと思っていた『日の呼吸』の使い手でもどうにも出来なかったのだと知ったからなのか、他にも何か色々とあったのかは分からないが。

 それから少しして槇寿郎さんは日中の酒を断って、少しずつではあるが鍛錬を再開したらしい。

 柱稽古の間も、大人数の隊士を相手にしていた時には煉獄さんの事を手伝っていたのだとか。

 そして、千寿郎くんと煉獄さんはそれを「良い変化」だと、そう感じているのだそうだ。

 

「私も兄も……心の何処かでは父はもう変わらないのだろうと、そう思っていたのかもしれません。

 実際、かつての情熱に溢れていたのだと言う頃の父にはもう戻れないのでしょう。

 それでも、どんな状態からでも『変わる』事は出来るのだと。そう思う事が出来るのは、とても嬉しい事ですね」

 

 

 そう言って、千寿郎くんは柔らかく微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 夏の夜は蒸し暑い。

 ヒートアイランド現象だ地球温暖化だのと色々と叫ばれている平成の時代に比べれば涼しいのかもしれないが、それでも湿度が高く暑い事には変わりが無い。

 ちょっと寝苦しくて、少し夜風にでもあたって涼もうかと縁側に出ると。

 槇寿郎さんが夜空を見上げながら月見酒をしていた。

 酒は止めたのでは無かったのだろうか? とちょっと訝しく見ていると。

 槇寿郎さんは少しバツが悪い苦笑いをして、「癖でな」と零す。

 まあ、昼日中から飲むのを止めたのなら、自分がとやかく言う事では無いのだが。

 少し離れた所に座り夜風に涼んでいると、「君は」とまるで独り言の様にそう槇寿郎さんは静かに零した。

 

「君は……鬼の存在しない夜は本当に訪れると思うか?」

 

 その言葉に、思わず槇寿郎さんをまじまじと見てしまう。

 

「訪れさせてみせます。

 その為に、俺たちは戦っていますから」

 

「……そうか。眩しいな、君たちは」

 

 此方の返した言葉に、槇寿郎さんは僅かな自嘲の混ざった言葉を返す。

 何処か疲れている様に見えるその表情に、何も言えなかった。

 

 情熱を喪い、何かから逃げる様に酒に溺れて。そして無気力になってしまった事もあった槇寿郎さんだが。しかし本来は煉獄さんが心から尊敬し目標にしていた程に情熱に溢れた人だったのだ。

 ただ……代々鬼殺の家系である煉獄家のその直系をして生まれた槇寿郎さんにとって、「鬼」とは物心付いた時点で存在するのが「当たり前」であったのも同然であり、鬼に直接身近な誰かを奪われたりした訳では無くても、当たり前の様に鬼殺の道を選んで戦ってきたのだろう。

 それは、義憤からなのか、或いはただ単に「ずっとそうだったから」なのかは分からないけれど。父が祖父が先祖がそうであった様に、槇寿郎さんは鬼殺の道を選んだ。

 鬼殺の道は、確実に鬼に襲われていたのだろう「誰か」を救う為の戦いである。

 だが、その成果は直接目に見えるとは限らない。

 凄惨な現場を何度も目撃する事になるし、「間に合わなかった」経験を何度でもする事になる。被害者から詰られる事だってあるだろう。

 終わりの見えない鬼との戦いの日々は、心を疲弊させていく一方である。

 強い感情の支えが、或いは何かの寄る辺が無ければ長く鬼殺を続ける事は難しい。

 心に焔を燃やし続ける事は、決して簡単な事では無い。

 そして、生まれた時からずっとそこにあった「当たり前」が何時か終わる時が来る事を実感する事は難しい。

 終わりの見えない戦いに、凄惨な命懸けの戦いに、鬼によって齎された様々な災禍を目の当たりにし続けて、削られていった心は何かの拍子に折れてしまってもおかしくはないのかもしれない。

 鬼とは無関係の所で……いやだからこそ自分の手が何をする事も出来ない所で、最愛の妻を喪った事がその「切っ掛け」になってしまう事だってあったのかもしれないし。

 或いは、ご先祖さまの目で見た時の縁壱さんの尋常ならざる強さの記述を前にして、無力感に打ちのめされてしまったのかもしれない。

 常軌を逸したと言ってしまっても言い過ぎではないかもしれない程に強過ぎた縁壱さんですら、鬼舞辻無惨を殺し切る事は出来なかった。……まあそれは鬼舞辻無惨の驚異的なまでの生への執着によるものであり、単純な戦闘の勝ち負けという意味では縁壱さんは確実に勝っているのだが。

 ……縁壱さん程の強さを持たない者がどうやって鬼舞辻無惨を倒せるのかと、そう意欲を失ってしまってもおかしくはないのだろう。

 

 その原因が何であれ、槇寿郎さんは心折れて蹲る様に逃げてしまった。

 そして、逃げるだけではなく周りの努力も否定してしまった。

 まあ……『才能』に拘ったり剣術の修行を無駄だと言い出したのは、煉獄さんたちに自らを命の危機に晒し続ける事になる鬼殺の道を歩んで欲しくはないと言う気持ちの表れだったのかもしれないけれど。

 それにしたって、もっと他に何か言い方や態度があっただろう。

 千寿郎くんに至っては物心付いて程なくしてから槇寿郎さんがそんな調子だったのだ、それで真意を察しろと言うのは無理だし、ただただ父親に否定されている気にしかならなかっただろう。

 

 しかし、『眩しい』と。そう表した様に。

 心折れてその情熱を喪っても、その心の何処かには埋火の様な残滓が微かに灯り続けていたのだろう。

 ……どんな時だって「変わる」事は出来るが、しかし何もかもに取り返しが付く訳では無い。蹲り続けていた時間は決して戻っては来ないし、そうやって逃げていた時間の中で槇寿郎さんは決して少なくはないものを喪ったのだろう。

 ただそれでも、僅かに残っていたそれを今度こそ喪わない様に出来るのなら。

 きっと、喪ったそれを後悔するよりももっと良い結果になるのだろうとは思うのだ。

 そんな此方の思いとはまた別に、槇寿郎さんは深い溜め息を吐く。

 

「……君は、杏寿郎の命を救ってくれた。

 君が居なければ、私はもう取り返しの付かない後悔に苛まれるだけだっただろう。

 杏寿郎とマトモに言葉を交わす事すら出来ないまま……。

 君があの時その場に居てくれた事は紛れも無い幸運であった。

 杏寿郎にとっても、千寿郎にとっても、私にとっても。

 その様な形で杏寿郎を喪っては、あの世の瑠火に一生赦されなかっただろうな……」

 

 ……槇寿郎さんは、心が折れ鬱屈とした時間の中で己が放棄してしまった事やその結果を思ってその表情を曇らせる。

 失意に沈んでいた時の槇寿郎さんは、決して良い父親ではなかったのだろう。そもそも「親」としての責任すらも放り出している。

 煉獄さんはまだ幼さが残る年頃だっただろうに、更に幼い千寿郎くんを支えて、二人で頑張っていたのだろう。ある意味、千寿郎くんにとって煉獄さんは単なる兄と言うよりは父親代わりの側面もあるのかもしれない。

 正直、そこに関しては結構取り返しが付かないと言うか……自棄になっている時間が長過ぎたのだと思う。

 まあ、心折れて蹲って酒に逃げる日々でも問題なく生きていけるのなら、立ち上がるよりもそのままで居た方が楽だから……そうやってそのままどうしようもなくなってしまう事もあるのだろう。

 蹲る時間が長ければ長い程、逃げれば逃げる程、立ち上がり向き合う事は難しくなる。

 今まで逃げてきた分全てに向き合わなくてはならなくなるからだ。

 ……だからこそ、ズルズルと蹲り続ける内に立ち向かう力は喪われていく。

 本当に向き合うべきものから逃げてしまっていたそれは、何処か叔父さんの姿を思い浮かべてしまう。

 ……尤も、叔父さんは酒ではなく仕事に逃げていたのだし、ちゃんと向き合ってやれず菜々子に甘えてはいても、決して蔑ろにはしていなかったのだが。

 

「……槇寿郎さんは、俺の大切な人に少しだけ似ています。

 その人……叔父さんは、大切な人を自分の手の届かない所で喪ってしまった事を切っ掛けに、遺された『家族』と向き合う事から逃げてしまう様になっていました。

 ……叔父さんには、大切な娘が遺されていたのに。

 大切で愛しくて守りたくて、だけどちゃんと向き合った結果また喪う事を恐れて……。

 それでも、決定的に破綻するよりも前に叔父さんは『家族』に向き合う事を選ぶ事が出来た」

 

『家族』と向き合えなくなってしまった……喪失の痛みに臆病になり逃げてしまっていた叔父さんではあったけれど。

 でも、決定的に誤る前に向き合える様になった。

 その切っ掛けの一つとして、自分の存在はあったのではないかと思う。

 ……十二月のあの日、一度菜々子の心臓が止まってしまったあの時。

 確実に一度死んでしまった……守る事が出来なかった菜々子が、それでもまたもう一度生きようとしてくれたそれには。

 自分が選択を間違えずに済んだと言う事もあるのかもしれないし、或いは最後まで菜々子の傍に寄り添い続けてくれたクマの存在があるのかもしれないけれど、やはり一番は。

 菜々子には叔父さんが……『家族』が居る事が分かっていたから。だから、あの深い混迷の霧に覆われてしまった中でも、帰って来る事が出来たのではないかと思う。

 

 逃げてしまう楽さを知ってしまえば、向き合う事を選ぶのは難しい。それでも、何時までも逃げ続ける事は出来ない。

 向き合えていなくてもそれを大切に思う気持ちが確かにあるのならば、逃げ続けた先にあるのは後悔だけだ。

 取り返しのつかない後悔に苛まれる前に、そこから歩き出せる事が出来たのは間違いなく良い事であるのだろう。

 不甲斐なさに打ちのめされていても、槇寿郎さんはそこから変わる事が出来た。決して強くはなくても、それでもどうしようも無く弱い訳では無い。

 

「君は……。君には鬼殺の道を選ぶ様な動機は無いのだと、そう聞いた事がある。

 なら、君が戦う理由は一体何だ? 

 君は……かつての始まりの呼吸の剣士にすら匹敵する程の強さがあるのだろう。

 だが、その強さは戦う理由では無いのだろう? 

 君の中の一体何が、君に戦いを選ばせているんだ?」

 

 憎悪でも憤怒でも無く、では何故と。そう槇寿郎さんは問い掛けて来る。

 ……もう既に何度も交わした事のある問答だ。

 ただ、どうして槇寿郎さんがそんな事を訊ねて来たのかは分からない。

 

「俺が戦う理由は……炭治郎の力になりたかったからです。

 大事な妹を助ける為に、苦難にその身を晒してでも先を見通す事すら出来ない状況の中でも必死にもがく様に戦い続けていた炭治郎の力になりたかった。

 ……何か他に目的や寄る辺があれば、また違う道を選んでいたのかもしれませんが。

 炭治郎と出逢ったその時の俺には、何も無かった。ある意味では、空っぽだったんです。

 そして、俺は何も分からないまま……一人の鬼を倒しました。

 かつて人であった時にどんな人であったのかも知らない、その名前も知らない、鬼としての名前すら知らない。……何も知らないまま、襲われている人を助ける為に倒しました……殺しました。

 あの鬼は、消える間際に酷く悔いる様な……そんな顔をしていました。

 それを後悔している訳では無いんです。あの時にはそれ以外に方法は無かった。

 でも……」

 

 あの名も知らぬ鬼をどうにか助けてやる事は、何度あの時をやり直したとしても出来なかっただろう。そもそも人を十では足りない数を少なくとも喰い殺しているあの鬼が、人の世に戻る術など恐らくは無かっただろうと思う。

 人の心はそう強い訳ではない。例え人に戻れたとしても、生きる為には必要であったとは言え同じ人を襲い食っていた事実を受け止めてそれに折り合いを付ける事は極めて難しい。本来の人格が善良なものであったのなら尚更に。

 鬼にされ人としての心や理性を消された後の罪を背負う必要はあるのかどうかは分からないけれど……「納得」出来るかどうかはまた別で。

 そして、残酷な話になってしまうのかも知れなくても。自分が手を伸ばせる範囲はそう広くは無い。何もかもを抱える事は出来ないのだし、優先順位を付けた際にあの鬼はきっと零れ落ちてしまう側の存在にしかならなかっただろう。

 ……禰豆子ちゃんの力になりたいのは、禰豆子ちゃんが炭治郎の大切な『家族』だからと言うものもあるけれどそれと同じ位に、禰豆子ちゃんは本当に誰も襲ってなどいないし強烈な鬼の獣性をその本来の人格を歪められて尚も強靭な理性で御しているからだ。だからこそ守りたいし、その驚異的なまでの理性の努力がどうにか報われて欲しいと思うのだ。

 ……でも、残念ながらこの世の多くの鬼はそうでは無い。そうはなれなかった者の方が多い。……それは、望まずして鬼にされてしまった人たちの咎では無いと思うけれど。

 そして、だからこそ。

 

「それは憎悪では無いし、憤怒と言う感情とも遠いのでしょうけれど。

 俺は……誰かにとっての大切な存在だった筈の人たちを、人として殺した上で本来なら負う必要など無かった咎を背負わせる事を平然と行う鬼舞辻無惨のその行いを、決して認められなかった。

 そして、その悲劇と憎悪の連鎖を止める為の助けに少しでもなれるのなら……俺は戦えると、そう思ったんです」

 

 そして一度それを選んだからこそ。

 最後まで、選択の責任を果たさなければならない。

 ただそれだけなのだ。

 まあそうやって戦う事を選んだ先で、力になりたいと思う相手はどんどんと増えていったのだけれど。

 

「そうか……。

 君は……いや、君だけでなく今も戦い続ける誰もが、強いな。少なくとも、私よりは。

 私は、戦う理由と言うものが一度分からなくなってしまった。

 始まりの呼吸である日の呼吸の使い手……始まりの剣士のその御業に我々では決して届かないのなら。その始まりの剣士ですら滅ぼす事の叶わなかった無惨に勝つ方法など果たしてあるのかと。そう思ってしまった。そうなると、終わりの無い戦いを続ける意味が分からなくなってしまった。

 確かに、鬼を殺せばそれだけ将来的に多くの人を救った事になるのだろう。だが、原因を断てない以上は……と」

 

 何時か鬼舞辻無惨を倒す可能性に繋がるのだと、そう心から思えるのならば迷わなくても良かったのかもしれないが。

 しかし、鬼舞辻無惨は余りにも強大で、そして『呼吸』の祖である縁壱さんは余りにも強かった。

 だからこそ、未来の可能性を信じられなくなってしまったのかもしれない。

 それでも、鬼への消えぬ憎悪があるなら……それが良い事なのかは別として、しのぶさんの様に鬼殺に身も心も捧げられたのかもしれないけれど。

 恐らくは幸運な事に、そこまでの感情面での動機は槇寿郎さんには無かったのだろう。

 だからこそ。

 

「柱として鬼殺の任務を続ける内に様々なものを見た。

 ある意味では、鬼よりも恐ろしい事をする者も居た。

 鬼に与し力なき者を貪る事を選んだ者すら。

 その者たちは鬼に関わらなければそうはならなかったのだろうか、或いは誰もがそんな風になる可能性を秘めているのか。

 色々と迷い考える事が増えてきた中で、かつての始まりの剣士と無惨との戦いの顛末を知り無力に打ち拉がれていた時に、畳み掛ける様に妻が病死した。

 柱として多くの鬼を斬り人々を救っても、私は妻を救う事すら出来なかった……。

 そこからは、もう立ち上がる気力を喪ってしまったのだろう……。気付けば、随分と長い時間を無為に過ごしてしまった。

 杏寿郎にも千寿郎にも……悪い事をしてしまった。

 こんな不甲斐ない父には勿体無い程の、よく出来た息子たちだ。

 妻の……瑠火の血が濃かったのかもしれないな」

 

 自嘲する様に目を伏せながらそう言った。

 ……幸い、自分はその様に悍ましい『人の業』とでも呼ぶべき光景には出会した事は無い。

 それを成し得るだけの「理性」を保った鬼は極めて稀な存在であり、故にその様な事例は決して多くは無いと言う事もあるだろうけれど。恐らくはお館様などが気を使って()()()()()()にはあまり関わらないで良い様に取り計らって任務を振り分けてくれていたのかもしれない。

 ただ……鬼が如何に人にとっては脅威であるのかを考えると、そう言った事は起こり得るのだろうとは容易に想像がつく。

 一概に人が被害者であるとは断じ切れない様な、人の弱さと悪性を感じざるを得ない様な……そんな何かは、長い歴史の影の中で幾度となく起きていたのだろうとは思う。

 そしてそれを見続ける内に、情熱で鬼殺を続けていた槇寿郎さんのその心の焔に翳りが生じてしまったのかもしれない。

 そこに複合的な事情が重なって折れてしまった事自体を責めたいとは思わないが……。

 

「君は、鬼殺隊の者たちに……炭治郎くんたちだけでなく今の柱の者たちにも随分と心を砕いているのだと杏寿郎から聞いた事がある。

 ……私はかつて、良かれと思ってした事で、酷く傷付いていた子供の心を決定的に壊してしまった事があった」

 

 槇寿郎さんが炎柱として討伐したその鬼は、とある島に住むとある一族を利用して長くその島に君臨していたらしい。

 赤子の血肉を大層好んだその鬼は、自分が襲って食い殺した旅人や客船などの金品をその一族に全て寄越す代わりに、その一族に生まれて来た赤子を生贄として差し出させていたそうだ。

 我が子たちの犠牲と引き換えに栄華を極めたその一族は……槇寿郎さんが任務でその島に訪れた時にはもう手の施しようの無い程に畜生の様な有様の人間性にまで堕ち切ってしまっていたと言う。

 ただ……何の偶然の悪戯なのか。

 槇寿郎さんが任務で赴いたそのタイミングで、生贄としての運命から逃げ出そうとしていた子供が居た。

 鬼に襲われ食い殺されかけたその子供を槇寿郎さんは迷う事無く助けて……。そして、生贄が逃げ出した事への報復なのか或いは鬼殺の剣士が島を訪れた事を察知した鬼による「後始末」なのかは分からないが、ほぼ全てが鏖殺されたその一族の生き残りに、槇寿郎さんは「良かれ」と思ってその生贄の子供を引き合わせた。

 その時点では、槇寿郎さんは生贄の事など知らなかったし、その一族が一体何をしていたのかなど知らなかった。

 槇寿郎さんにとっては、島に巣食っていた鬼を討っただけで。惨劇を生き延びる事が出来た「家族」を引き合わせてやりたかったと言う思いだったのだ。……だが、それは……。

 たった一人生き延びていたのだと言うその「一族」の者が、生贄の子供に発したそれは……余りにも救いようの無い言葉であった。

 そして、外野からすれば戯言と切って捨てる事が出来る様なものであっても、それを言い放たれた生贄の子供にとってそれはまさに人生を縛り続ける事になる鎖そのものの様なもので。

 だからこそ、その子供は……。

 

「……その生贄だった子供とは、蛇柱の伊黒さんの事ですか?」

 

 半ばと言うよりもほぼ確実と言っても良い程の確信を持って、槇寿郎さんに訊ねると。槇寿郎さんは静かに肯定した。

 ……そんな一幕があって少ししてから、縁壱さんの事を知って自信を喪失し、更には最愛の妻を喪って……槇寿郎さんは折れてしまったのだ。

 ……「良かれ」と思った事がその実全く真逆の結果に結び付く事はそう珍しい事では無い。特に、大して事情を知らぬ時に「常識」で判断するとそうなりやすい。

 しかし、複雑怪奇に絡まりあった事情の全てを即座に見通す事など簡単に出来る事では無くて。だからこそ、人は容易に「間違って」しまう。

 ……儘ならないものだ。

 

「私は……君の様にはなれなかった。

 君の様に、命だけでなくその心も救う様な事は……私には。

 情けないばかりだな」

 

 色々な事に疲れてしまった……だけれどもそんな自分にちゃんと向き合おうとしている、そんな大人の顔をして。槇寿郎さんは溜め息の様に呟いた。

 蹲ってしまったその時間に関して、大して関わりの無い自分には何か擁護する事は出来ないけれど。でも。

 

「……しかし、伊黒さんの命を救ったのは、間違いなく槇寿郎さんです。

 槇寿郎さんがその日その場に居合わせなければ、伊黒さんは既にこの世には居ない。それだけは何があっても変わらない。

 槇寿郎さんは、伊黒さんだけでなく、きっと大勢の命を救っていた筈です。それは、誰にも出来る様な事では無いし、槇寿郎さんが救った命は俺には救う事は出来なかった命です。

 伊黒さんもきっと、槇寿郎さんに感謝していると思います」

 

 槇寿郎さんが気を利かせようとした結果、消えない傷をその心に負う事になったのだとしても。

「生きたい」と抗う為に逃げる事を選んだ伊黒さんは、その命を救ってくれた槇寿郎さんを恨んだりなどしないだろう。寧ろ強く恩義を感じている方だと思う。

 最後には心折れてその刀を振るえなくなったのだとしても、それでも槇寿郎さんが戦い続けた日々に必ず意味はあった。大勢の人が救われていた。それは途方も無い価値のある事だ。

 情けない部分は確かにあっただろうが、それだけではない。

 

「……そうか」

 

 手の中の杯に映った月を視線を落とすかの様に、そっと目を伏せてそう呟いた槇寿郎さんのその表情は。

 何処か救われた様な印象を受けるものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
奥さんを喪ってから色々な事から逃げてしまっていた槇寿郎さんを見て、ほんの少しだけ叔父さん(堂島さん)に似ているなと思っている。


【煉獄杏寿郎】
酒浸りだった父がちょっと更生し始めたのを嬉しく思っている。


【煉獄千寿郎】
大切な兄上の命を救ってくれた時点で悠への好感度は既に高い。


【煉獄槇寿郎】
情熱はあっても「執念」は無かった為、折れる時はポッキリ折れてしまった。
色々な事から逃げて向き合う事を止めてしまっていたが、まだやり直せる機会を得て少しずつ変わろうとしている。
無為に過ごしてきた事で喪ったものは決して少なくは無いが、それでも。
伊黒さんの過去に何があったのかを正確に知っている人。
伊黒さんの事情をその時は詳しくは知らなかったとはいえ、その心に不可逆の傷を負わせた従姉妹との対面をさせてしまった事を今でも後悔している。
炎柱の書を通して縁壱を知ってしまった事で『才能』にかなりコンプレックスを感じてしまっているが、悠に対しては『才能』云々とはまた別次元の話だと思っているのであまりコンプレックスは感じていない。


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『天網を編む者』

【天網恢恢疎にして漏らさず】
天の網は広く、その目は粗い様だが、悪人を漏らす事なく捕らえる。天道は厳正で、悪事を成した者は早晩必ず天罰を受ける。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 鬼舞辻との決戦が近付く中、それに備える為に始まった柱稽古ももう二ヶ月近くに及び、隊士の殆どが柱稽古の後半へと辿り着いた。

 不死川の所で完膚無きまでに叩きのめされて、そこを何とか這いずって進んでも悲鳴嶼や冨岡の試練が待っている訳なのだが。

 それでも、柱稽古を最後まで完遂出来る者はほんの僅かで多くは途中で脱落するやもしれないと予想していたそれに反して、冨岡の試練を突破出来た者はまだそう多くはないものの想定していたそれよりはずっと多い。

 悲鳴嶼の試練にしろ不死川の試練にしろ、途中で諦めて逃げ出したり脱落する者が大半かと思っていたが、今の所脱落者はほぼ居ないと言うのは良い意味での誤算であった。

 俺が鬼殺隊に身を置く様になってから今までに類を見ない程に、鬼殺隊全体の士気が高まっている事がその要因であるのだろう。

 上弦の鬼を下半分であるとは言え半数を隊士の犠牲無く討ち取れた事、討ち取る事こそ出来ていないものの上弦の壱から参とも相対してそれを叩きのめして撤退させている事、長年その足取りすらろくに掴む事の出来なかった鬼舞辻が鬼殺隊の前に姿を現そうとしている事。……そして何よりも、鳴上と言う規格外の存在が全面的に鬼殺隊に協力し、あらゆる支援を惜しみ無く行っている事。

 それらが絡み合って、今の士気の高さに繋がっているのだろうとは分かる。

 

 ……士気が高まる事は悪い事ではない。

 個々人がより一層の努力と研鑽を積めるのならば、それはより強い鬼と対峙しても生き残れる事に直結する。

 質が良いとは言えない隊士だって、鬼殺隊に身を投じる事を選んでいる以上は、そこにある動機は決して軽いものでは無く。

 だからこそ、復讐を果たせるかもしれない「機会」がもしや自分にもあるのでは無いかと思えば、それは己を追い込む為の支えにはなる。

 ただ……柱稽古を完遂したからと言って、それで上弦の鬼や鬼舞辻と相対して生き残れる様になる訳では無い。

 会敵して即座に殺される可能性は低くなったとしても、……そもそも単独で相対すれば柱だろうと命を引き換えにしてすら撤退させる事ですら難しい相手である。

 木っ端の鬼どもを相手にする力は確実に付くだろうが……上弦の鬼と相対出来る力は、数ヶ月程度の鍛錬で身に付くものでは無い。

 最終的に上弦の肆の頸を落としたのが柱ではない隊士たちであった事は、間違いなくそれ以外の隊士たちに「もしかして自分も」と思わせたのかもしれないが。ただ、現実はそう甘くはない。

 認めるのは些か癪ではあるが、新人隊士ではあっても竈門たちの詰んできた経験は柱以外のどの隊士たちのそれよりも貴重なものであり、それ故にそこから得られた成長は上弦の鬼に相対した事の無い隊士たちのそれとは比較にならない程のものであるのだろう。

 そして、その経験を積んで五体満足に生き残る事が出来たのには、当人たちの才覚も勿論関係しているが、何よりも彼らと極めて親しい鳴上の存在が一番大きい。

 ……だが、誰も彼もがその『幸運』に与れる訳では無い。

 幾ら人智を超えた力を持っていても鳴上の身は一つであり、当然の事ながら何もかもに関わる事は出来ずその手が届く範囲は無限ではないからだ。

 そこを履き違えると、その代償は己や周りの命で贖われる事になるのだろう。

 

 鳴上悠。

 鬼殺隊の前に何の前触れも無く現れた、規格外と言う言葉ですらその力を定義する事が出来ない程の……鬼という常識外の脅威をよく知る鬼殺隊の者たちにとってすら常軌を逸した存在である。

 鬼たちとの戦いに於いて鳴上が具体的にその力をどの様に揮ったのかは、柱及びお館様のみが閲覧する事の可能な報告書に纏められているが……。そのどれもが、現実味を何処かに置き忘れているかの様に俄には信じ難いものばかりだ。

 大地震や大津波などの様な……人の身には抗い難い大災害にも匹敵する程にも鳴上の力は凄まじい。

 しかも、それ程までに滅茶苦茶な事をやってのけていると言うのに、未だ「底が見えない」。

 鳴上自身は何時も必死に戦っているが、鳴上が自らを戒める様々な枷を全て捨て去った時に何処まで出来るのか……やれてしまうのか。それが良いのか悪いのかは分からないが、それを知る日は恐らくはこの先も訪れないだろうと思う。

 鳴上のその力は余りにも常軌を逸しているし、ある意味では鬼舞辻ですら比較にもならぬ程に人の世にとっては脅威なのだろう。……或いは何処までも人の欲望を煽り立てる結果にしかならない。

 鳴上が何故その様な力を持つのかは、鳴上自身がそれに関して何も語らない以上は分かりようがない。

 だが……少なくとも、様々な意味でただの人間が持ち得て良い力では無いだろうとは思う。

 ここまで常軌を逸して様々な事が出来てしまうと、負う必要も無い責任も勝手に背負ってしまうし、或いは背負わされる事にもなる。

 ……現に鳴上は既にそうなっているのだろう。

 他人の事情や心情に過剰な程に気を遣い、それをどうにかしようと懸命に働きかける。

 一方的に押し付けて終わらせる事はせず、愚直とすら言ってもいい程に真っ直ぐに相手に向き合おうとし続ける。

 それがちょっとやそっとの親切なら、単にお人好しなだけと言えるかもしれないが。鳴上は常に全力だ、何時だって自分以上に相手を思い遣り続けている。そういう性格なのだと言われてしまえばそれ以上は何も言えないものの……。

 譲らないものこそあれど我儘らしい我儘すら言わず、相手の言い分や主張は全て受け止めて、その上でどうしたら良いのかを考え続ける。

 凄惨な過去を背負う者ばかりであるが、その傷を癒す事すら儘ならないままに鬼殺の道を選んでしまった者たちの……互いに触れない事を暗黙の了解とするかの様な、本人にすらどうにもならない汚濁の様な感情にも、自分のものですらないのに向き合う。

 行き場の無い感情にすらその目を向けて、時に受け止めて。

 ……それがどうしようもなく大切な一人や二人に対してそうならばまだ分かるが。

 だが鳴上のそれは、そんな生易しいものでは無い。

 親しい友人であるのだと言う竈門たちなら分かる。日頃世話になって共に過ごす時間も一番長い胡蝶たちも分かる。

 だが……そもそも接点などほぼ無いと言っても良かった冨岡はどうだ? 不死川だって、不死川自身とは別段親しかった訳では無いだろう。刀鍛冶の里で出逢ったばかりだった頃の時透だって、その時点では親しさの欠片も無かった筈だ。

「大切だ」と感じられる様な接点など何も無かっただろう相手にすら、何処までも真摯に向き合い……自分に出来る精一杯の事をしようとし続ける。

 鳴上が善人である事は……俺とは比べ物にならない程に「綺麗な」存在である事は確かであるだろうが。

 しかし、単に「善人」というだけで片付けられる範囲を超えているのではないだろうか。

 俺の様に背負う「業」が深過ぎて、己の身や命を誰かの為に使う様にしか生きる事が出来ない……という様には見えない。少なくとも表層的には。

 宇髄や俺の様に後暗く思う生い立ちを抱えた者特有の……隠し切れない翳りにも似た「匂い」は鳴上からは感じられないのだ。

 どちらかと言うと、真っ当に生きて来た者の側の方だろうとは思う。

 鬼に何かを奪われて()()()()()()()()()()()()から鬼殺隊に力を貸している訳では無いそれは、何処か甘露寺が持つ雰囲気にも似ている。

 ただ、本当に何一つ鳴上に「翳り」が無いという訳では無いのだろう。

 鳴上は自分自身の事については()()()()()()

 語りたくないのではなく、「語れない」と言う。

 ……その理由も、分からない。

 だが、分からないからこそ。傍目から見て「無茶」としか言えない鳴上のそれが、本人が言うそれとは逆で本当は全く「大丈夫ではない」のではないかと考えてしまうのだ。

 

 そして、鳴上に関して問題はそれだけでは無い。

 

 鬼殺隊の中に鳴上に対して、まるで『神』であるかの様な……そう言った視線を向ける者が居る。それも、少数とはとても言えない程の規模で。

 そこにある感情自体は様々であるけれど、結局の所は鳴上を()()()()()()として見ている事には変わりが無い。

 ……人智を越えたものを前にして、()()()()()()()()事自体は責めたり咎めたり出来るものでは無い。

 ただそれでも……鳴上自身はそんな感情や視線を向けられる事を欠片も望んではいないのだし、何よりも。

 そう言った風に自分に都合の良い「何か」を『神』として奉り崇めた先に待つものが、性根から腐り果て生きながらにして畜生以下にまで堕ち切ったあの一族の様な未来では無いと言い切る事は出来ない。

 鳴上はあの蛇の様な鬼とは全く違う。罷り間違っても人を襲ったり或いは生贄を要求したりなどしないし、己を信奉する者たちに強奪した金品を恵む様な事などしない。……だが。

 鳴上自身はそうでは無くても、『神』をそこに見てそれを信じて崇める者たちはどうなのか。

 鬼と伊黒一族との関係の始まりがどんなものであったのかなど、もう今となっては知る術など無い。ただ、離島と言う地理的条件も活かしてあの鬼は巧妙に姿を隠し続けた狡猾さがあった。

 一代や二代などでは足りない程の時間が恐らく流れていたのだろう。

 初代は、それを選ばざるを得ない様な……そんな状況に追い込まれたからこその恭順であったのかもしれないが。

 代を経てそれが「当たり前」になってしまえば、人を殺して奪った金品でする必要も無い贅に溺れ享楽と怠惰に耽り命を奪う事にも腹を痛めて生んだ筈の我が子を生贄を捧げる事にも何の疑問を持たない……そんな畜生にも劣る穢れた者たちへと堕ちてしまう。

 鬼殺隊の者たちがそうなると断言したい訳では無いが、そうならない保証など無い。

 人の欲望に限りなど無い。様々な要因で「現実的には叶わない」からこそ、足る事を知るだけだ。

 だが……鳴上の力は、何もかもでは無くても「現実的には叶わない事」を引っくり返して実現してしまう事だって出来てしまう。

 本来なら看取る事しか出来ない様な瀕死の者ですら救ってしまえるその力は……天変地異の如き現象をその身一つで起こしてしまえる力は、何処までも欲望を煽る結果になるだろう。

 その結果がロクな事になる未来など、少なくとも俺には全く見えない。

 

 鳴上自身は己の力を無暗にひけらかそうとはしないだけの思慮分別があり、寧ろどちらかと言うとそれを厭う気配すらある事もある。更には鳴上の力に関しては俺たち柱やお館様も可能な限り隠蔽しようとしている為、鬼殺隊の中でもその力の全貌を知る者は極僅かではあり殆どの者たちは断片的なものしか知らないが……それですら鳴上を『神』に押し上げてしまうには十分に過ぎた。

 隊士たちが知る事が出来る範囲の中ですら、上弦の鬼と次々に戦っても五体満足で生き延びるどころか夜明けすら待たずにそれを撃退するのだ。しかも共に戦った者を深手すら負わせずに全員生還させた上で。

 柱では無い隊士が下弦の鬼を相手にしても五体満足で生き延びる事は難しい事を考えると、それがどれ程に常軌を逸した戦果であるのかなど容易に想像が付く。

 ……だからこそ、その為人など知りもしないのに憶測と想像が作り出した『鳴上悠』という「都合の良い『神様』」が、人々の中で独り歩きしているかの様に輪郭を持ってしまっている。

 ……決して、悪い感情を向けてる訳では無いし、何もかもを『鳴上悠』頼みにしたいと言う風潮がある訳でもない。

 ただそれでも、『鳴上悠』は余りにも「特別」であった……「特別」に過ぎた。

 そして、それがこの先の戦いでどの様な影響を与えるのか……想定し切る事は難しい。

 

 悪意など欠片も無くても、思慮深い善良さを持っていても。

 それでも、鳴上自身が思っている以上に……望んでいる以上に、鬼殺隊に……それ以外の全てにとってすら、その存在は大き過ぎる。

 鳴上の力に頼り切りになってはならないが、しかしその力をどうしたって当てにしてしまう。その匙加減は極めて難しく、目隠しをしたまま細い綱の上を歩いているかの様なものだ。

 何かの選択を間違えると取り返しが付かない事になる様な気がするのに、しかし一体何を選んではいけないのかの境を見極める事は大変困難である。まあ、それは鳴上に対しての事だけでなく、この世の大半の物事がそうなのだろうが。

 

 ……本来は、鳴上の事よりも今は鬼舞辻の事を考えるべきであるのだろう。

 鳴上自身はどう転んでもどんな力があろうとも、誰かを積極的に傷付けたり踏み躙ったりなどはしないのだし、寧ろ人を助ける事にばかり尽力する様なやつだ。

 人を害しその尊厳を何の呵責もなく踏み躙る鬼舞辻とは、そもそもの根本が決して相容れないだろう程に違う。

 この期を逃せば次に何時討つ機会が訪れるのかすら不明な……恐らくは俺たちが生きている間は無理であるのだろう鬼舞辻を、確実にこの世から消し去る手段を講じる事。そしてその為の力を限られた時間の中で少しでも付ける事。目下の最優先事項はそれである。

 千年もの間紡がれ継がれ続けてきた鬼舞辻を滅する為の刃をその命に届かせなければならない。

 鬼舞辻を滅ぼす為に、使えるものは全て使うべきだ。

 それこそが、自らの命をそこに賭す覚悟の者ばかりが集う鬼殺隊の総意であるのだろう。

 そう、手段を選んではいられないのだ。

 しかし……。

 

 本当に、手段を選ばずにより確実に鬼舞辻を滅ぼそうとするのであれば。恐らくは、その方法は既に俺たちの手に届く場所にあるのだろう。

 ……鳴上は、鳴上自身がそれを望みその様に行動する事は無いだろうが、しかし俺たちが……鬼殺隊の者たちが心から()()を望むのであれば、それを拒絶したりはしないだろう。

 本心では嫌だと感じていても、その願いを無下には出来ないお人好しだからだ。

 そして、その力が在れば……鬼舞辻に相対する事さえ叶えば、奴をこの世から完全に消し去る事すら可能であろうとは確信を持って推測出来る。

 鬼舞辻にとっては、俺たちの抵抗が蟷螂の斧の様なものであるのだとすれば、鳴上のそれは天変地異の如き脅威その物であるのだろう。……客観的な事実として、俺たちと鳴上にはそれ程の差が存在しているのだ。

 ただ、鳴上に任せてしまった方が、被害の規模も或いはその確実性も、何もかもが「最善」となるのだとしても。

 それでも、様々な呑み込む事など出来ぬ強過ぎる感情から……或いは何をしても振り払えない重く暗い過去から、鬼殺の道を選んだのは紛れも無く自分たち自身であるからこそ。

 そうやって鳴上任せにする事は出来ないし、してはならない。

 自分の戦いを、誰かに投げ出す訳にはいかないのだ。

 例え、命懸けの戦いになるのだとしても、鬼舞辻の滅んだ先の未来に自分は生きる事が出来なくても。それを承知の上で、今も此処にいるのならば。そうするしかなかった者たちなのだから。

 

 俺自身の命を懸ける覚悟などとうに決めている。

 かつて……「生きたい」と願って、その結果が凄惨なものになる可能性を脳裏に過ぎらせながらも逃げ出して。

 屑の一族に生まれ、自分の命の為に大勢を殺してしまった俺には、間違いなく人殺しの屑の血が流れている。

 望んでそうであった訳では無いが、「生贄」として生かされる中で俺に与えられてきた物も全て、あの鬼が誰かを殺して奪ってきたもので賄われていた。血と怨嗟に塗れた財に生かされていた俺もまた、地獄に堕ちるべき罪人であるのだろう。

 一族が俺と従姉妹を除き滅び、一族を飼っていた鬼も討たれた後では、やり場のない憎しみの矛先は「鬼」と言う存在そのものになった。それしか、出来なかった。

 自分では無い誰かの為に命を懸けて戦って、漸く少しだけ、深過ぎる業を背負ったこの身も、この世で息をする事を許される……「いいもの」になれている様な気がした。

 そう、自分の命は惜しくは無い。

 ただ……。

 

「……甘露寺は」

 

 ポツリと零れ落ちたその言葉の続きは、音にはならなかった。

 甘露寺から届いた手紙を、大切に読んで。

 返事を認めると、貰った手紙を大切に文箱にしまう。

 甘露寺と文通を始めてそこそこの時間が過ぎて、文箱の中もかなり埋まっている。

 その一つ一つから、温かさを感じるかの様だった。

 

 ……甘露寺と手紙をやり取りする時間は、甘露寺と共に食事処に出掛けたりする時間は、俺にとってはとても楽しかったし安らぎを覚える一時だった。

 ……甘露寺は、俺なんかとは全く違う……真っ当な家族に愛されて周囲に愛されて……そうやって健やかに育ってきたのだと、少し話すだけでも直ぐに分かる女の子であった。

 虚栄心に満ち底無しの欲の中で人間性を喪った畜生の様だった一族の女たちとも、余りにも痛々しい過去に心を引き裂かれながら怨讐の道を歩むしか無かった様な鬼殺隊に籍を置く多くの女性隊士たちとも違う。

 小さな幸せを見逃さず鈴を転がした様に笑い、柱になるまでには苦労や哀しみも在っただろうにそれを微塵も感じさせず。

 明るく素直で優しくて……そんな、普通の女の子だったから。

 その眩しさに、俺は救われていた。出会ったあの日から、俺は甘露寺の事が特別に好きだった。

 

 甘露寺は柱だ。暗い過去がある訳ではなくても、自らの意思で鬼殺の道を選びそれに命を賭す覚悟を持つ者だ。

 それは何よりもよく分かっている。そしてそれを否定などはしない。しかしそれでも、甘露寺には生きていて欲しいのだ。

 鬼舞辻を討った後の世界を、甘露寺に生きて欲しかった。

 そして、そこで幸せになって欲しかった。

 柱だろうと何だろうと鬼に殺されて良い命なんて無いが、俺にとって甘露寺は特別にそうだった。

 

 だが、甘露寺の事を特別に好いていても、俺にはその想いを打ち明けようとは思えない。

 この身に流れる穢らわしい血を、全て捨て去らなければその隣に立つ事すら憚られる。

 生まれ変わらなければ、俺は甘露寺に釣り合えない。

 五十人を殺した俺には、人殺しの一族に生まれた俺には、幸せになる資格など無い。

 

 その時ふと、鳴上の言葉が脳裏を過る。

『幸せになる資格』は誰にだってあるのだと、そう危うい程に純粋に信じるその眼差しと言葉は、俺の心の奥を確かに揺らした。

 ……鬼に大切なものを奪われた怨嗟から鬼殺の道を選ぶしかなかった者が、鬼を完全に滅ぼし切ったとしてもその怨嗟から解放されるのかと言うと……決してそうではないと俺は思っている。

 鬼が消えようが、大切なものを喪った事実は消えないし無かった事にもならない。鬼が滅んで尚も残る心の痛みを別の何かに昇華出来る者も居るだろうが……そうは出来ない者も当然に居るだろう。

 だが、鳴上は「何時かは誰もが」と、そう信じている様だった。

 誰もが、どんなに小さな事にも細やかな「幸せ」を感じる事は出来るのだから、と。

 俺は、鳴上とは違う。そんな風に考える事は出来なかった。

 背負う業に潰されない様に……何に対するのかも分からない贖罪を続けるかの様にしか生きる事が出来ないのだ。

 

 ……俺に「幸せ」になる資格など無いが、しかし幸せを感じないなんて事は無い。

 甘露寺と話をしている時に感じるそれは、間違いなく幸せなのだろう。

 それでも、やはり俺は「幸せ」にはなれない。

 瞬間的にそれを感じる事はあっても、自分が『幸せな未来』とやらに生きる想像は全く出来ない。

 ……鬼の居ない世界で、甘露寺の隣に立つ自分を想像した事なら幾度もある。だが、そんな想像は何時も何処かで血塗られて腐臭の漂うものによって穢されて終わってしまう。

 甘露寺の事を特別に想っていても、俺では甘露寺を幸せにする事は出来ない。甘露寺と幸せな未来というものを生きる事は出来ない。

 この命が尽きる時まで、死んで腐っていった五十もの命がそれを赦さないだろうから。

 俺は何時か必ず報いを受ける事になる。

 だからこそ、その時に誰も巻き込まない様にしなければ。

 

 ただまあ……何処までもお節介な程にお人好しな鳴上は、自分には関係が無いと言うのに俺の事にまで何かと心を砕こうとしている様だが……。最早そこまでいくと、不器用な生き方をしていると言った方が良いのではないかと思う程だ。

 鏑丸の事をまるで人に接するかの様に扱う事といい、何かと変わっている奴である。

 お節介過ぎる程に此方の事情に関わってこようとするのに、そこに不快感を感じたりはしないのは鳴上自身の人柄もそうだが、踏み越えてはいけない一線に触れない様にとそれを見極めているからだろう。

 

 今は煉獄の所に滞在しているのだったか? と、そう鳴上の所在を考えていたその時だった。

 見慣れない鎹鴉が手紙を運んで来る。

 受け取ってその差出人を確かめると。

 奇遇とでも言うべきなのか、それは鳴上からのものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【伊黒小芭内】
過去に縛られ過ぎているが、心の何処かではそれに縛られる必要など本来は無い事にも気付いている。
悠の事はかなり憂慮している。


【鏑丸】
友だちである小芭内には幸せになって欲しい。
蜜璃の事は大好き。
悠への好感度は高い。


【甘露寺蜜璃】
小芭内がプロポーズすれば秒で快諾するが、お見合いが破談したトラウマからか自分からプロポーズするのはまだ難しい。


【鳴上悠】
柱全員から、度を超えたお人好しだと思われている。


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『誰もが幸せを願うなら』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 今から自分がしようとしているそれは、果たして本当に選んでしまって良いものなのだろうか、と。槇寿郎さんから話を聞いて以来何度も繰り返した問答を再び自身に問う。

 それでもやはり、自分の答えは変わらなかった。

 相手の事情に斬り込み抉る事になるそれを躊躇いはしても選んでしまう事は、「傲慢」という言葉でも足りないものであるのかもしれない。

 ……それでも。

 

「話がしたいとの事だが……一体何の用件だ?」

 

 話がしたい、と。そんな唐突だっただろう此方の手紙に否を突き付けたりはせずに応じてくれた伊黒さんは、一体何の話があるのだろうかと首を傾げつつも呼び出した先の茶屋にやって来てくれた。

 ……今から自分がやろうとしている事は、そんな伊黒さんの優しさを裏切る事になるのではないだろうか……とも思ってしまう。

 

 伊黒さんは、そうなってしまうだけの壮絶な過去があったからとは言え、自分自身の心を雁字搦めに縛ってしまっている。

 そうやって自分を責め苛んでしまうのは、伊黒さんの繊細な優しさ故であるのだろうけれど……。

 ただ、伊黒さんは自分を責めていても、それで他人を拒絶したりはしないし、寧ろちょっと不器用と言うか回りくどいと言うか分かり辛い形ではあっても周りの事を気に掛ける優しさを決して忘れない人だ。……自分を責め続けて恐らくは心の余裕が無いのに、そうやって周りを気遣える程に優しい人なのだ。

 それは、誰もがそう出来る事ではない。

 優しく繊細な人だ……そしてとても強い人だ。

 

 伊黒さんの置かれていた境遇を思うと、幾らでも自分を正当化出来ただろうし、そしてそれは何も間違ってなどいない事だと思う。

 何の愛着もなく産んだばかりの我が子を生け贄として捧げ続けるそれが、何の罪も咎も無い事などやはり有り得ないだろう。

 そして、自身の意志を介在させる余地など無く生け贄にされた伊黒さんが、物心付き自分の置かれた状況を理解出来る様になるまで奇跡的に成長出来たのなら。

「生きたい」と。

 そう思う事に、その可能性を掴もうとする事に、一体何の罪があると言うのか。

 一族がほぼ皆殺しにされた事は確かに悲劇的な側面はあるのだろう。

 数代に渡り鬼に支配され続け、価値観も倫理観も何もかもが歪み、「それ以外」を知る由もない者たちが。自らの意思を以てそこから抜け出す事は極めて難しかっただろうし、そもそもその「必要性」すら感じる余地すら無かったのだろう。……まあ、逃げ出した者が居たとしても、鬼に襲われ命を落とすしかないのかもしれないが。

 ……価値観も倫理観も、それらは生まれながらに備わるものではなくて、周囲との関わりとの中で育まれるものだ。

 歪んだ価値観しか持たぬ者たちに囲まれて外界から閉ざされれば、それが歪んでいる事にすら気付かぬままにその価値観に染まり上がる。

 伊黒さんの一族は罪深い在り方ではあったのかもしれないが、それと同時に酷く哀れではあったのだろう。

 伊黒さんがそんな風にはならなかったのは、ある意味では皮肉な事ではあるが、「生け贄」として一族からは離されて生きていたからなのだろうと思う。

 狂った環境の中では、何が罪か何が正しいのかなどそう簡単に判断出来るものでは無いのだし、その地獄を知らぬ者が外から押付けて良いものでも無い。

 一族の常軌を逸している様な悍ましい所業も、元を辿れば「生きたい」「鬼に殺されたくない」と言う思いによるものであったのかもしれない。

 何か決定的な【悪】が存在したのだとすれば、それはやはり一族を縛り続けていた蛇鬼であるのだろうけれど……。

 しかしそれですら、「鬼」という存在の在り方を考えると完全なる【悪】では無いのだろう。

 ……結果として、一族に訪れた終焉は惨たらしいものであった。

 しかし、確かに罪はあってもそれを自業自得として切り捨てきるには些か躊躇いがある。……少なくともそれを決めていいのは自分ではなくて、当事者である伊黒さんだけなのだろうけれど。

 伊黒さんが滅びた一族に……その死の呼び水となってしまったことに心を囚われてしまっているのは、彼等が紛れも無く加害者であると同時に哀れな生き物であったのだと……そうも考えているからなのだろうか……。

 

 どれ程考えた所で、自分は伊黒さんでは無いから……伊黒さんが何を感じて何を抱えているのか、その全てを知る事は出来ない。

 それでも、『幸せ』になる資格など無いのだと。そう言い切ってしまうのは余りにも悲しいと……そう感じてしまう。

 結局の所、伊黒さんに感じるこの感情は自分のどうしようも無いエゴなのかもしれない。

 伊黒さんは「助けてくれ」なんて一言も言ってないし、それを「辛い」だとかと零してもいない。自分の胸に静かに抱えている。

 それを無理矢理にどうこうしようだなんて、相手の事を思っているのだとしても、それはやっぱり何処までも「傲慢」な考えであるのだし行動であるのだろう。

 

 ……自分だって、苦しくても誰にも言えないし語るつもりの無い感情はある。

 久保美津雄の影と戦った時に閉じ込められた悪夢の事も。

 菜々子が拐われ叔父さんも重傷を負った時に、この胸の内に吹き荒れた黒く濁り切った感情も。

 天上楽土の最奥でクニノサギリに操られた仲間たちと戦った時の事も。

 現実の世界が深い霧に覆われて菜々子も叔父さんも一向に快方に向かわない……毎日底無しの海の中を溺れて行くかの様に不安に苛まれた日々の事も。

 菜々子と叔父さんの居ない空っぽで冷たい家に、一人で居る息苦しさも。

 菜々子を喪った時の無力感と絶望も。

 生田目と対峙した時の、あらゆる感情が吹き荒れて心が掻き乱されたその苦しみも。

 考え抜いて理性で御してこれが「正しい」のだと納得した筈なのに、それでも置き去りにしてしまった感情に雪の中で静かに一人泣いた時の事も。

【真犯人】として足立さんと対峙した時の事も。

 マリーが独り理由すら言わず別れの言葉だけ告げて何処かへ消え、その痕跡すら喪われ記憶すら不確かなものになっていった時の……大切なものを侵されている恐怖も。

『幾千の呪言』によって自分を庇った皆が全員死んで、独り残された時の事も。それに──

 

 そう言った物事を誰かに言うつもりなんて無いし、きっと墓場まで持っていくのだろう。助けて欲しいとも、思わない。

 過去は変えられない、過去で起きた事に対して何を感じたのかも……それもまた「過去」なのだから変えようが無い。

 それは誰しもがそうなのだろう。誰しもが自分で抱えるしかないものは少なからず持っているものなのだ。

 ……伊黒さんの過去と、そしてそれによって受けた心の傷もまたそうなのかもしれない。

 ただ、それでもやはり……。

 

 

「伊黒さん……以前お話した時の事を覚えていますか?」 

 

 そう切り出すと、伊黒さんは呆れた様な大きな溜め息を吐きながら答える。

 

「……またその話か。

 本当に、お前はお節介だし頭に花でも咲いているのかと思う程だな。

 あの時も言った様に、俺に『幸せになる資格』とやらは存在しない」

 

「それは……伊黒家の滅亡に関わる出来事の所為ですか? 

 厚顔無恥な振る舞いであると自覚はしていますが……、槇寿郎さんからあの人がかつて見たものをお聞きしました」

 

 そう言うと、伊黒さんは僅かに驚いた様にその目を大きく開けたが。しかし直ぐ様深い泥の中へ沈み込む様に暗い目をする。

 

「……そうか、知ったのか。

 なら、尚更分かるだろう。

 この件に関して、お前に出来る事は無いし、俺はそれを望んでいる訳では無い」

 

「自分の選択と行動に咎は無かったのだ」、と。

 そんな下らない「正論」を振り翳すのは止めろと、その目は間違いなく言っていた。

 深く傷付いたその心を癒す為の「理由」など、聡明な伊黒さんなら幾らでも自分で見付けられる。……だが、どれ程苦しいのだとしてもそれを背負わない自分というものも許せなかったのだろう。

 ある種のジレンマに陥っているとも言えるし、ならどうすれば良いのかを他人に示された所で、伊黒さん本人がそれを納得出来る訳でも無い。

 そんな事は、もう百も承知の上での……単なる我儘なのだとは分かっている。だからこそ。

 

「……ええ、それは確かにそうです。

 俺が何をした所で、過去は変わらない……変えられない。

 そして、それを背負うと決めた人のその背から何かを奪う事も……。

 それでも俺は、伊黒さんに『幸せになる資格』が無いなんて……そんな事は絶対に無いと、そう思います。

 いいえ、そう思いたいんです。

 伊黒さんの過去がどうだとかそんな事は関係なく、伊黒さんが幸せそうにしている姿を俺が見たいから……」

 

 それは自分の我儘であり願望の押し付けであるのだけれど。

 苦しそうに……或いは寂しそうにしている姿や、今生の事を何処か疎んでいる様にすら感じるそれを、どうしても「善し」とはしたくは無かった。

 正しいか正しくないかでは無くて、自分がそれを「嫌だ」と思うからだ。

 それに。

 

「人は、独りでは生きられない。

『幸せ』も『不幸せ』も、何もかもを自分一人の中で完結出来る訳では無いんです。

 どうしたって誰かと関わる以上は、自分ではない誰かにとっての『幸せ』の中に自分の存在もあるものなんですよ」

 

 何となく笑顔で居てくれると嬉しい、だなんて小さな『幸せ』から。この人とずっと一緒に生きていたいと思う様な、自分の心の深い場所に相手の存在を置く様な、そうやって相手の存在があってこそ成り立つ『幸せ』だってある。

 誰だって『幸せ』を願うのだ。

 自分の『幸せ』を、自分にとって大切な誰かの『幸せ』を。

 誰もが『幸せ』を願う資格があると、そう信じている。

 

 伊黒さんはとても優しい人だ。

 深く傷付いていても、他人を守る為に戦い相手を思える人だ。

 だからこそ、伊黒さんの『幸せ』を願う人は居る。自分にとっての『幸せ』の中に伊黒さんの存在が在る人は絶対に居る。

 そして伊黒さんは、そんな人たちの想いを……その『幸せ』を、自分には『幸せになる資格』が無いのだと、そんな言葉で斬って捨てる事が出来る人なのだろうか? 

 伊黒さんが優し過ぎるからこそ、きっとそうでは無いと思うのだ。

 抱える必要も無い罪や喪われた命の重さを背負ってしまう人なのだから。

 

 その言葉に、伊黒さんの眼差しが揺れる。

 明らかに、心の何処かを揺らしたのだろう。

 それでも、伊黒さんはゆっくりと首を横に振った。

 

「……俺は、誰かに『幸せ』を願われる様な──」

 

 そんな筈は無いと、或いはそんな「資格」は無いのだと。

 そう言わんばかりの反応を示す伊黒さんを前に、「本当に?」とそう訊ねてしまう。

 

「本当に、そう思っているんですか? 

 誰も自分の事を想っていないと……誰からも『幸せ』を願われていないと、そう本気で思っているんですか? 

 伊黒さんにとっては、甘露寺さんもそうなのですか?」

 

 突然出て来た様に感じたのだろう甘露寺さんの名前に、伊黒さんは明らかな動揺を顕にする。

 

「何故甘露寺が……」

 

「分からないんですか? 本当に? 

 伊黒さんが甘露寺さんの事を大切に想っている様に、共に過ごす時間や交流を大切にしている様に。

 甘露寺さんだって、伊黒さんの事を大切に想っています。

 ……誰も彼もがそうだとは言いませんが、親切にされたら嬉しいんです、自分に親切にしてくれる人の事を大切に思うものなんです、そして……そんな人が幸せだと嬉しいものなんです。

 少なくとも俺はそうですし、甘露寺さんだってそうです。

 甘露寺さんにとっての『幸せ』の中には、確かに伊黒さんの存在があるんです。

 分かっていないなんて事は無いでしょう?」

 

 だって、伊黒さんは誰よりも甘露寺さんの事をつぶさに見ている。

 甘露寺さんが伊黒さんの事をどう思っているのか……それに全く気付けてないなんて事は無いだろう。

 伊黒さん自身も、甘露寺さんに対して並々ならぬ好意を抱いている。

 甘露寺さんにとっての『幸せ』の中には、間違いなく伊黒さんの存在が必要なのだ。

 それを、本当に分かっていないとは思えない。

 それでも、自分の想いを告げる事が出来ないのは。伊黒さんの中にだってあるのだろう『幸せ』を形にしようとは出来ないのは。

 やはり、どうしても伊黒さんの心が、かつての惨劇に囚われているからなのだろうか。

 

「伊黒さん。伊黒さんのその言葉は、甘露寺さんにとっての『幸せ』も傷付けるものでもあるんです。

 それで本当に良いんですか?」

 

 どんなに辛く苦しい過去があっても、心が囚われ続けていても。

 それでも、『幸せ』になってはいけない理由などは無い。それを拒めば拒む程、かえって周りの人を傷付ける事にもなる。

 

「俺は……俺には、人を殺して私腹を肥やし栄えてきた穢れた一族の血が流れている。

 こんな俺では、甘露寺の傍に居る事すら本来は憚るべき事だ。

 屑の一族に生まれ、生きる為に俺もまた多くの命を見捨てて逃げ出した。俺もまた紛れもない屑だ。

 こんな業の深い存在では、甘露寺を幸せにする事など……」

 

「甘露寺さんの『幸せ』が何なのかを決めるのは、甘露寺さん自身ですよ。

 ……伊黒さんが、一族の行いと自分の行いを切り離せない気持ちは分かりますが。

 でも、それを『理由』にして甘露寺さんの気持ちから逃げるのは、俺は……少しばかり卑怯な事だと、そう思います」

 

「卑怯」だと言ったそれに、伊黒さんの眼差しに怒りが過ぎった。

 それでも声を荒らげて反論したりはせず、静かに目を閉じてその苛立ちを抑えようとする。……やはりとても冷静で、そして優しい人だ。

 

 一族の罪と、伊黒さん自身に罪があるのかは、正直あまり関係の無い話だ。

 同じ血が流れているなんて言われても、そもそも親族や先祖の罪を何処まで背負う義務があるのかと言う話もあるし、第一伊黒さんは「生贄」として一族との関わり自体はそう多くは無かっただろうから、一族の犯した罪そのものとは余り関わり合いが無い。

 ……とは言え、そう簡単な話では無い事も分かっている。

 血の繋がりは時に理不尽な程にその人生を縛るし、しかもそう言った部分への意識の変化が叫ばれ議論される様になった平成の時代よりも昔である大正時代ともなれば……罪人の子は皆罪人とばかりの扱いを受ける事は何も珍しい事では無かったのだろうし、本人もそれを背負ってしまう事が「当然」であるのかもしれない。

 だけど、「仕方が無いから」と諦めるのは嫌だ。

 

「お前が信じている程、この世界は優しくはない」

 

「俺だって、そんな事は思っていませんよ。

 理不尽で突然の死は何時だって訪れる、どうにもならない事ばかりでそれでも足掻くしかない。そんな世界だって事は、よく分かっています。

 それでも、諦めて立ち止まってしまったままでは何処にも行けないままだ。

 抱えたものに何かの決着を着けて終わらせる事も出来ないまま、取り返しがつかなくなって後悔する日まで蹲るのは、絶対に嫌だ。……ただそれだけなんですよ、俺にとっては」

 

「仕方無い」の繰り返しが、それに疲れてしまった人たちの心が、あの混迷の霧を生み出していたものの一つだったのだろう。

 諦めて折り合いを付けて現実と向き合わなければならない事は沢山ある。

 何でも願いを叶えてくれる魔法のランプを持ってる人など居ないのだし、蹲ったまま喚き散らした自分勝手な願いを叶えてくれる様な「都合のいい『神様』」も居ない。

 努力しようが何をしようが変えられない事は沢山あるのだし、それを受け入れて折り合いを付けもせずに、有りもしない「もしも」を妄信しても現実は何も良い方向には変わらない。

 でも、最初から何もかもを諦めてしまえば、待っているのは何処までも虚しい虚無の世界だ。

 だからこそ、何もかもが不確かな中でも、手にしようと少しでも求めたそれは本当に諦めてしまって良いものなのかを、常に問い続けなければならない。

 

 伊黒さんは、「自分では甘露寺さんを幸せにする事は出来ない」と言った。裏を返せば、叶うのならば甘露寺さんを伊黒さん自身の手で幸せにしたいのだ。

 伊黒さんはそれを不可能だと思っているけれど、でも本当にそうなのか一度でも考えなかったのだろうか? 

 恐らくは、そうでは無いと思う。

 

「……俺はお前とは違う。お前の様にはなれない。

 どうしてもやはり、この身に流れる血は業が深過ぎる。

 今生で死んで、何時か人に生まれ変わって……完全に血の業から解き放たれなくては……俺は甘露寺の傍に立つ事も──」

 

「ッ! ふざけるなッ!!」

 

 生まれ変わって、と。今此処に生きている自分を完全に否定する言葉に、思わず怒りとも哀しみとも付かぬ感情が沸き立って、その衝動のままに声を荒らげてしまった。

 伊黒さんと鏑丸が驚いた様に此方を見ているが、やってしまったと反省するよりも先に言葉は喉元を飛び出して行く。

 

「何時かの来世で人間に生まれ変わって!? 

 そうしたら、甘露寺さんの隣に立てる? 

 ……ふざけないで下さい。

 人は死んだら終わりだ、『次』なんて無い。

 だから、皆今この時を精一杯生きるしかないんです。

 例えどんなに短い命でも、外を知らずに儚く消える命でも、それでも精一杯に生きるんです……生きた証を世界に残すんです。

 もし生まれ変わりなんてものが本当にあって、生まれ変わった伊黒さんが何時か何処かの未来で暗い過去を背負う事無く人として真っ当に生きる事が出来るのだとしても。

 そこに甘露寺さんが居る保証なんて無いし、生まれ変わった甘露寺さんが居るのだとしても、それは今この時代に生きて伊黒さんと共に戦っている恋柱の甘露寺蜜璃では無いんですよ? 

 似た様な姿なのだとしても、似た様な性格なのだとしても。

 それでもやっぱり、似ているだけで決して同じにはならないんです。

 伊黒さんは此処にしか居ない、甘露寺さんも此処にしか居ない。

 今の伊黒さんのその言葉は、今此処に生きている甘露寺さんを蔑ろにするも同然のものですよ?」

 

 メロドラマに酔っているのかと、そんな言葉すら喉元を出かかった程だった。

 過去には戻れず遥かな未来へ一足飛びに向かう事も出来ないからこそ、今この瞬間を必死に生きて積み上げていくしかないのだ。

 喪ってしまった誰かの、その死後の冥福を想って死後の世界や来世を想うなら良いだろう。死者にしてやれるのは想う事だけなのだから。

 だが、伊黒さんも甘露寺さんも生きている。

 それなのに、今此処に生きている相手ではなく、「何時か」の来世の相手を想うなどと、侮辱しているのかとすら一瞬思ってしまう程だ。

 

「伊黒さんのそれは、甘露寺さんの気持ちを余りにも蔑ろにしています。

 甘露寺さんが見ているのは今此処に生きている……罪の意識に苛まれながらも必死に戦って誰かを守って、そして自分が苦しくても誰かを思い遣る事の出来る伊黒さんです。

 それは、今俺の目の前に居る貴方しか居ない。

 何代も何代も来世を辿っても、今此処にしか存在しない伊黒さんの事を甘露寺さんは真っ直ぐに見ている。

 伊黒さん自身、好きになったのは想像の中の何時かの『来世』の甘露寺さんではなくて、今此処に生きている甘露寺さんでしょう?」

 

 人は誰しもが何時かは死ぬ。

 どんなに生きていて欲しくても、どんなに大切な相手でも。

 死は唐突な程理不尽に命を連れ去ってしまう。

 鬼が居ようと居なかろうと、世界は残酷に感じてしまう程に不平等で理不尽だ。

 でもだからと言って、今生を投げ捨てて来世に期待するのはやはり間違っている。

 

 

「俺は──」

 

 ポツリと、自分の中から言葉を探そうとしているかの様に何処か迷いながら伊黒さんがそう零したその時。

 

 

「ダメーっっ!!」

 

 茶屋の隅から飛び出して来た影が、桜色の髪を揺らしながら伊黒さんを力強く抱き締めたのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 煉獄さんの所に居た筈の悠くんが、何やら深刻そうな顔をして私の所を訪ねて来たのはつい先日の事だった。

 悠くんがそんな顔をしている事に先ずは驚いたのだけど、悠くんが私に切り出した内容にはもっと驚いた。

 悠くんと伊黒さんとの話を、こっそりとで良いから聞いて欲しいと言うのだ。

 どうして? と訊ねると、きっと伊黒さん自身は私に対しては言えないけれど、でもきっと私が知っていた方がいい事があるから、と。そう悠くんは言った。

 そして、伊黒さんの心を冷たく暗い檻の中から助け出す事が出来るのは、きっと私だけなのだと悠くんは言う。

 悠くんは自分が伊黒さんについて一体何を知っているのか、それを直接話してくれる事はなかったけど。でも、伊黒さんの為に私が何か出来ると言うのなら、それを拒む理由なんて無かった。

 だから、悠くんが私と伊黒さんとよく行く茶屋に伊黒さんを呼び出して、そして私は隣の部屋でこっそりと二人の話を聞く事になったのだけど……。

 

 自分には『幸せになる資格』など無いと、そんな事を伊黒さんが口にした時には、思わず胸がギュッと苦しくなって、そんな事は無いと声に出しそうになったのを喉元から出かかった所を無理矢理抑えた程だ。

 そして何よりも驚いたのが。

『伊黒さんが私の事を大切に想っている』のだと……好きなのだと。そう明確に言葉にした悠くんのそれを、伊黒さんは少しも否定する事無く全て肯定した事だった。

 

 伊黒さんが、私の事を? 好き? 

 その好きって、お友達としてのそれ? それとも──

 

 思考がグルグルと同じ場所を巡り始めて、頬が火照ったように熱くなる。

 

 私は伊黒さんの事が好き。

 だって、誰よりも優しい目で私の事を見守ってくれている。

 さり気無い気遣いで何時も助けてくれる。

 誰かと一緒に食べるご飯は全部美味しいけど、伊黒さんと一緒に食べている時が一番美味しい。

 いつも優しくて親切で、柱として新米だった私を沢山助けてくれて。

 そんな親切と優しさを沢山私に向けてくれる伊黒さんの事が何時しか特別な位に好きになっていた。

 親切で優しいと言えば悠くんだってそうだし、明朗快活で真っ直ぐな煉獄さんだって優しく面倒見が良いけれど。

 二人の事はとっても大好きだけど、伊黒さんに感じるそれとは似ている様でいて全然違うものだ。

 二人への好意は、尊敬とか友愛とかってものなんだと思う。

 でも伊黒さんへのそれは、恋の熱なのだ。

 ……ただ、それを自覚していても、中々踏み出す事は出来なかった。

 

 だって、私は物凄く沢山食べる。

 鬼殺隊の中でも多分誰よりも沢山食べているし、物凄く力があるし、髪の色だって大好きな桜餅色だ。

 鬼殺隊の皆は、それを馬鹿にしたり拒絶したりはしないけど……でも女の子として魅力的に映るのかどうかはやっぱり自信はなかった。

 私らしさを殺したくはないけど、それはそれとして誰か素敵な殿方と恋をして添い遂げたいと言う想いは決して消えなかったし益々強くなっていって。

 何時しか、想像の中の『素敵な殿方』と言うふんわりとしたその「誰か」は伊黒さんの姿になっていて。

 だけど、伊黒さんに恋をしている自覚が芽生えても、どうしてもその想いを告げる事は出来なかった。

 伊黒さんは優しいし親切だ。……でも、それが私だけじゃなくて皆にもそうだったら? 伊黒さんにとって、私は大勢の中の一人でしかなくて、それを舞い上がって私に気があるんじゃないかと思い込んでいるだけだとしたら? 

 それか、仲間としては大事にされていても、恋をしたり一生を添い遂げる相手としては全く意識されていなかったら……寧ろ「無理」だと思われていたら? 

 伊黒さんはそんな人ではないと思うけど、『また拒絶されるのは嫌だ』と、そんな臆病な自分がどうしても最後の一歩を踏み出す事を拒んでいた。

 伊黒さんの気持ちをどうにかして確める方法は無いのかと、しのぶちゃんに相談した事はあったけど……その成果は未だ出ないまま。

 だけど今、伊黒さんは私の事を好きだと言った。

 それが思い上がりでないのなら、自惚れで無いのなら。

 それは、それは──

 

 舞い上がってしまったかの様にフワフワと熱を帯びてどうにも纏まらない考えは。

 

 

「ッ! ふざけるなッ!!」

 

 

 誰が聞いても物凄く怒っている事が分かる程に、穏やかな何時ものそれからは考えられない程に声を荒らげた悠くんのその言葉に、冷や水を浴びせられたかの様に一気に鎮まった。

 頭が浮かれていて、一体どうして悠くんがそんなにも怒っているのか……その会話をちゃんとは聞けていなかったのだけど。

「生まれ変わって」「来世で」、と。

 伊黒さんが発したのだろう言葉を咎めるかの様な悠くんのその言葉に、何となくを察した。

 

『来世』と言うものが本当にあるのかは分からない。

 あったら良いなとは思うし、「前世からの縁」で結ばれると言うのもとても胸がキュンキュンしてしまう程に素敵なものだと思う。

 だけど、それは今ここに生きている自分にそんな縁があれば良いと思うものであり、もしくは哀しい目に遭って命を落とした人たちが何処かの未来では幸せに笑っていられる事を願うものだ。

 少なくとも、今此処に生きているのに、それを投げ出すかの様に『来世』に自分の願いを託したくなんてない。

 もし『来世』があるとして、そして『来世』の「私」が『来世』の「伊黒さん」に出逢って思い結ばれる様な事があるのだとしても。

『来世』であっても、それは私自身では無い。

 確かに私の生まれ変わりであったとしても、それでもやっぱり私ではないし、そして伊黒さんでも無いのだ。

 伊黒さんは今此処に生きているのに。

 私が恋をしているのは、今の伊黒さんなのに。

 

 グルグルと空回りするゼンマイ仕掛けの様にそう何度も考えて。

 気付いたら、何が何だか分からない内に身体は勝手に動いていて。

 まるで今この瞬間にも何処かに消えてしまいそうだった伊黒さんの事を、抱き締める様に引き留める。

 

「伊黒さんの馬鹿! 何でそんな事を言うの!? 

 来世とかそんなの分かんないわ! 

 だって、私が生きているのは今だもの! 

 伊黒さんに出会ったのも、伊黒さんを好きになったのも、今の私だもの! 

 生まれ変わってもまた会えるってのは正直胸がキュンキュンするけど、でもそうじゃなくって。

 私は、来世の伊黒さんよりも今の伊黒さんの事が好き!」

 

 思っている事の半分も伝えられてない気はするけれど、もうとにかく一杯一杯で。

 来世だとか生まれ変わりだとかに希望を見出すんじゃなくて、今此処で一緒に生きて欲しいのだと。

 とにかくその一心で必死に伊黒さんを引き留めようとする。

 

「私、伊黒さんの過去の事は分からないわ。

 何かとっても大変な事があったのかもしれないけど、でもどんな過去があったって、私が伊黒さんの事を好きなのは変わらないの。

 鬼殺隊の人たちは皆親切でキュンキュンするけど、でも伊黒さんと過ごす時間が一番好き。伊黒さんと一緒に食べるご飯が一番美味しい。

 だって、伊黒さんは誰よりも優しい目で私の事を見守っていてくれるから……だから……」

 

 伊黒さんからの返事が無くて、焦った様にとにかく伝える。

 勢いで告白してしまっている気はするけれど、それに対する気恥しさとかを覚えている余裕は全く無かった。

 そんな私の腕に、そっと控え目に触れながら。

 悠くんがちょっと戸惑いつつ言葉にする。

 

「えっと、あの……甘露寺さん、それだと締まってます。

 ちょっと力を緩めてあげないと、伊黒さんが話せないかと……」

 

「え!? あ、ごめんなさい……!!」

 

 思わず力加減も忘れて、まるで締め上げる様にしてしまっていたらしい。

 慌てて腕の力を緩めると、少し咳き込む様にしつつ伊黒さんは息を整える。

 

「甘露寺が何故此処に……と言いたい所だが。

 鳴上、どうせお前の仕業なのだろう」

 

 伊黒さんにそう言われて、悠くんは静かに頷く。

 

「ええ。お二人に必要な事だと思ったので。

 甘露寺さんには、隣の部屋に居てもらったんです。

 まさかこんなタイミングで飛び込んでくるとは思いませんでしたが……」

 

 何故この様な真似を? と言わんばかりの伊黒さんの目に、悠くんはそう答える。

 そこに迷いや戸惑いは無い。

 

「必要、だと?」

 

「先程も言いましたが、お互いがお互いの事を特別に想っているのに、それで相手を蚊帳の外に置いてはいけないと思ったんです。

 想い合っているのなら尚の事、相手にとっての『幸せ』を勝手に自分の中で決めてはいけないと……俺はそう思います」

 

 それに、お互いにお互いの想いにはハッキリと気付いたみたいですし、と。そう悠くんは微笑んだ。

 お互いの想いに、と。その言葉に、一杯一杯だった自分が何を言葉にしたのかを思い出して、思わず顔が赤くなって恥ずかしくて顔を覆ってしまう。

 

 こ……告白とかそういうのって、男の人の方からやりたいって思う人が多かったんじゃなかったかしら。

 私ったら、勢いとは言え全部先に言っちゃったみたいなものよね? 

 はしたないって思われたりしないかしら。

 

 どうしたらいいのか分からず慌てていると。

 その様子をジッと見ていた伊黒さんも、少し耳の辺りを赤くしつつ小さく溜息を吐いた。

 

「……甘露寺。俺は、君の事が好きだ。

 明るくて、小さな幸せを見付けては幸せそうに笑う君の事が……特別に好きだ。

 お館様のお屋敷で初めて出会ったあの日。……君が、あんまりにも普通の女の子だったから。俺はそれに救われた。

 あの時から、俺は甘露寺の事が特別に好きだった」

 

 改めてそう告げられて、益々頬が熱くなる。

 何だか今なら、メキメキグシャァッとどんな鬼でも倒せてしまうじゃないかと思ってしまう程だ。

 グワグワギューンっと、握った日輪刀も真っ赤に染まりそうな気すらする。

 そんな私の様子をジッと見ながら、伊黒さんは言葉を続ける。

 

「ただ……俺はそんな君の傍に居るのには相応しくないと。

 ……そう思ってもいた。

 俺の家は……色々とあって、大手を振って太陽の下を普通に生きていける様な事は出来ない程の業を重ねていた。

 ……だから、こんな穢らわしい一族の血が流れる今生では、君を幸せに出来ないと……そう思っていた」

 

 そんな事は無い、と。そう言い掛けたけど。

 それは伊黒さんも分かっているのか、静かに溜息を吐いた。

 

「……だがそれは、『逃げ』だったんだろうな。

 俺が幸せにしたいのは……守りたいのは、今目の前にいる甘露寺なのだから。

 俺は……俺のことばかりで、甘露寺の事を考えてやれていなかったのかもしれん。

 ……そんな俺でも許してくれると言うのなら。

 どうか、この先もずっと、この命ある限り甘露寺の事を守らせて欲しい」

 

 来世でも生まれ変わった先でもなく、今ここに居る私の事を、と。

 そう静かに言葉にした伊黒さんへの返事は、もうずっと前から決まっていたものだった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
来世とか言い出された時はかなり怒ったし、それ以上に伊黒さんの苦しみはそれ程までに深いのかと感じ取って哀しかった。
幾千の呪言をも振り払い幾万の真言を世界に示した者としても、時の狭間で『生きた意味』の答えを見届けた者としても、……『死』と対峙し精一杯に生きて奇跡を成し遂げた『彼』の友人としても、今生を投げ捨てるそれは絶対に相容れない考えである。


【伊黒小芭内】
この後蜜璃ちゃんと正式にお付き合いを始める。やってる事は以前と大して変わらないが、甘酸っぱい雰囲気は倍以上になった。


【甘露寺蜜璃】
この後伊黒さんと正式にお付き合いをする。
伊黒さんが本当に優しくて、お見合いのトラウマも前向きなものに変わっていった。



≪今回のコミュの変化≫
【恋愛(甘露寺蜜璃)】:9/10→MAX!
【死神(伊黒小芭内)】:7/10→MAX!


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『心に寄り添う者』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 ふと目を開けると、そこはもう幾度と無く見慣れた蒼い世界であった。

 そして目の前にはやはり、『鳴上さん』が居る。

 しかし、何時もとは違ってその穏やかな金色の瞳には、何処か物憂げな感情が揺れていた。

 

「あの……どうかしましたか?」

 

 こうして『鳴上さん』と会う度に、何かとても大切な事を忘れている様な気がするのだけど。

 だけどそれが何なのかは分からない。

 しかしその思い出せない「何か」によるものなのか。物憂げな『鳴上さん』を見ていると胸の奥がザワザワするのだ。

 

「……少し、色々と考え事をしていただけだから、気にしなくていい」

 

 そう『鳴上さん』は言うけれど、気にしないなんて俺には出来なかった。

 だって、『鳴上さん』からは何かを悩んでいる様な……そんな匂いを感じるのだ。

 そう言うと、『鳴上さん』は「そうか……」と小さく呟いて、そして苦笑する様な気配と共に一つ溜息を吐く。

 

「炭治郎相手に隠し事は難しいな。

 そう、だな……何と言えば良いのか、色々と気掛かりな事があってな。

 まあその内の幾つかは炭治郎たちに話せる様な事では無いのだけれど……。

 ただ、やはりどうしても鬼舞辻無惨の動きが気になってしまうんだ。

 そして……恐らくは現実の世界の方で、何か妙な動きが生まれている」

 

 無惨の動きに関してはともかく。

「妙な動き」と『鳴上さん』が言うそれには全く見当も付かず、思わず首を傾げてしまう。

 ……はて、その様な何かがあっただろうか……。

 思い返してみても、ここ数ヶ月の記憶は殆どが柱稽古の記憶であるし、正直俺は世間全体の動きと言うものにはあんまり詳しくはない。

 現実の世界で何か大きな事故や事件が起きたかどうかは、俺にはよく分からない事であった。

 

 俺のそんな様子に、『鳴上さん』は「分からなくても気にしなくて良い」とそっと首を横に振る。

 

「恐らく、炭治郎の周りで何か決定的な事が起きている訳じゃない。

 ……鬼殺隊の中の『何か』が無関係であるとは限らないかもしれないけれど、恐らくそれは鬼殺隊とはあまり関係の無い所……言うなれば『大衆の無意識』の部分に『何か』が起きているのだと思う」

 

 現時点では自分にもそこまで詳しい事は分からないけれど、と。そう『鳴上さん』は言うが……その表情はやはり何処か物憂げだ。

『大衆の無意識』云々については俺にもさっぱり分からないけれど、しかし鬼殺隊の中で起きている『何か』に関しては少しだけ「もしかして」と思い当たるものはある。

 

「あの……それって、鬼殺隊の中で悠さんが『神様』って扱いになってきてしまっている事と何か関係が……?」

 

『鳴上さん』はゆっくりとその目を伏せる様にして呟く。

 

「……恐らく、今の状況自体とは直接的な関係は無いだろうが……。

 それでも、無関係とは言えないんだろうな。

 鬼殺隊の人たちのそれも、『この世界の心の海』を構築するものの一部なのだから、その影響は確実にある。

 そして『鳴上悠』は本来はこの世界の存在ではないが故に、この世界にその存在を留める縁となる『繋がり』……絆に強く影響されてしまう。

 特に、特別な『絆』を結んだ相手からの認識の影響はとても強い。

 そしてそれは、意識に上らせているものだけでなく、無意識にどう認識されているのか……と言うのにも影響されてしまう。

 とは言っても、今の所はそれで何か悪い方向に転がる……と言う所まではいってないから安心してくれ」

 

 まあそうは言っても、『神様』として誰かから扱われるのは寂しい事だけれど、と。諦観の様な感情を交えつつも、「寂しい」と『鳴上さん』は口にする。

 それにどう答えれば良いのか……。悠さんに対して鬼殺隊の中でそう言った認識が生まれているのに、それをどうにかする事はまだ出来ていない自分に何が言えるのか分からなくて。

 何か言おうとして言葉に出来ずそれを飲み込むと、そんな俺の様子を見た『鳴上さん』は、「気にするな」とばかりにゆるりと首を横に振る。

 

「それは、炭治郎が気にする事ではないさ。

 それに関しては誰が悪いと言う訳では無いし、強いて言えば『鳴上悠』の選択の結果だ。

 それに……炭治郎たちが『鳴上悠』にちゃんと向き合ってくれるから。理解する必要も無いただの都合の良い『神様』ではなくて、目の前に居る一人の『人間』として見てくれているから。

『鳴上悠』は『人間』のままで居られる。『人間』として、この世界に繋ぎ止められている。

 ……『鳴上悠』は、本当に恵まれているな」

 

 嬉しそうに柔らかな微笑みを浮かべて、『鳴上さん』はそう言葉にする。

 ……恵まれている、と。『鳴上さん』はそう言うけれど。

 ただそれは、悠さん自身が誰よりも真っ直ぐに相手に向き合って居るからなのだろうと思う。

 そう言葉にすると、『鳴上さん』は「いいや」とそれを柔らかく否定する。

 

「確かに、そうやって相手に向き合っているからこそ、と言う部分は間違いなくあるだろうけど。

 それでも、炭治郎たちの様に考える事が出来る人は決して多くは無い。

 自分たちの願いを叶えてくれる都合の良い相手が居て、自分たちの代わりに戦ってくれる都合の良い相手が居て。

 その時に、その相手に確りと向き合って『理解しよう』と考えられる人は多くはないんだ」

 

 相手の事なんて理解しなくても、相手が自分にとって都合が良い様に動いてくれるのなら。理解する事を放棄する事の方がずっと『楽』だから。

 そこにある動機が善意であれ何らかの打算であれ、自分に都合が悪い訳では無いなら、と。

 相手を「理解しようとする事」は決して楽な事では無いし、相手の真意やその内面が自分が思っていた様なものでは無かった場合「失望」する事もある。「知りたくなかった」と思う事もある。知ってしまったからこそ、相手に対して純粋な気持ちで向き合えなくなる事もある。

 そこに至る感情が「崇敬」であれ或いは「怠惰」であれ、人は「都合の良い相手」に対して、勝手に自分の中で作り出した「偶像」を見てしまう。

 特に、悠さんは「都合の良い『神様』」を押し付けるのにこの上無く「都合が良い」のだから尚更に、と。

 ……そう、『鳴上さん』は淡々と言葉にする。

 

 それは……それは確かにそうなのかもしれない。けれど、……それはとても寂しい事だと俺は思う。

 悠さんはそう言った「理想」を押し付けられる事を望んでいないと言う意味でも、そして人が想う「都合の良い『神様』」なんかではない……今目の前で俺たちの力になりたいと精一杯に自分が出来る事をしようと足掻いている悠さんの姿を正しく見る事が出来ないのだと言う意味でも。

 

 何も言えないままの俺を見て、『鳴上さん』は静かに柔らかな表情を浮かべる。

 それが何れ程「難しい」事なのか分かっているからこそ、俺たちには心から感謝しているのだ、と。

 感謝するべきは寧ろ俺たちの方だと思うのに、『鳴上さん』は真摯にそう思っている声音と匂いで、優しくそう言葉にした。

 

「『鳴上悠』は、この世界に在るべき者ではない。……それは、何をしても揺るぎようの無い事実なのだろう。

 悪意や害意とは無関係に、その存在の影響は良くも悪くも大き過ぎて……望まぬ形で大切なものを傷付けかねない。

 それでも、炭治郎たちと出逢えた事、そして大切な『絆』を結べた事。それは……何にも替え難く大切な事だ。

 絆があるから……それを愛しいと思うから、守りたいと願うから。『鳴上悠』はどんな時でもどんな相手でも、戦う事が出来る。

 有難う、炭治郎。

 この世界で初めて『絆』を結んだのが炭治郎だった事は、疑いようも無く『鳴上悠』にとって最高の幸運だった」

 

 溢れんばかりの感謝の気持ちが伝わってきて、だけどそれに照れたりする事以上に「この世界に在るべきではない」だとかの言葉が気になってしまう。

 それに、『鳴上さん』にとって……そして悠さんにとって「特別」なのだろう『絆』を初めて結んだのが自分とであった事にも驚く。

 そんな俺の反応を優しい目で見詰めていた『鳴上さん』は、しかし再び何かを憂う様にその眼差しを曇らせる。

 

「そして大切だからこそ、喪いたくは無いんだ。

 炭治郎の事も、誰の事も。

 鬼舞辻無惨との決戦の中で、誰も彼もをこの手で守りきる事は決して出来ないだろうし、誰の命も奪わせる事無く勝ち抜く事も難しいのかもしれない」

 

 それが「怖い」のだと、そう静かに『鳴上さん』は吐露した。

 そして、少しでも失わなくても済む様にと、悠さんは手合わせなどで少しでも柱の人たちや俺たちを鍛えようとしてくれているのだろうし、『鳴上さん』は試練を課してくれる。

 しかし、どうやら『鳴上さん』の憂いは鬼舞辻無惨との決戦だけではない様だ。

 

「鬼舞辻以外にも気掛かりな事はある。

 どうやら『この世界の心の海』で何かが起きている様なんだ。

 そして、それに関してあまり良い予感はしない。

 ……どうして『この世界の心の海』が揺らいでいる気配がするのか、俺にも分からない。

 それでも、気を付けて欲しい」

 

『心の海』と言うその言葉に、悠さんがかつて戦ったのだと言う恐ろしく強大な存在の話を思い出して、思わず緊張してしまう。

 悠さんが戦った「アメノサギリ」とやらの様なモノがそうそう簡単に現れるとは思いたくは無いけれど……だが『鳴上さん』が憂いているのはそう言う事態なのだろうとは分かる。

 気を付けろと言われても、もしそんな強大な存在が目の前に現れたとして俺に一体何が出来るのかとは思ってしまうけれど。

 

 ── 炭治郎ならきっと大丈夫だ。

 ── 一番大切な事は、自分自身の心だから。

 ── 自分の選択の結果には、必ず責任を持つ事だ。

 

 ふと、以前悠さんから言われたその言葉を思い出す。

 自分自身の、心。そして、自分の選択に責任を負う事。

 それが、そう言った存在に相対する時に大切なもの。

 それだけでどうにか出来るのだろうかとは思うけれど……しかしそれが出来なくてはどうする事も出来ないものなのかもしれない。

 

 ふと『鳴上さん』を見ると、悠さんのそれとは少し違うけれど……でも大切に見守ってくれている様な優しい目をして俺を見ていた。

 視線が重なった事に気付いた『鳴上さん』は、少しだけ微笑む様にその表情を緩ませる。

 

「……もし、どんな願いも必ず叶えてくれる『神様』が炭治郎の目の前に現れたとして。

 どうする事も出来ない様な苦境に陥った時、その『神様』に全てを委ねたら、全て上手くいくと思うか?」

 

『鳴上さん』がどうしてそんな事を訊ねて来たのか、その理由は分からないけれど、でも。

 その答えは、考えるよりも前にとっくに決まっていた。

 

「それは……思わないです。

 その……自分が苦しいからって、誰かにそうやって自分自身の事を丸投げするのは違うって思うんです。

 どうしてそう思うのか、言葉にするのは難しいんですけど……」

 

 何もかもを救ってくれる様な「都合の良い『神様』」が居てくれるのなら、と。そう考えてしまう瞬間が無い訳では無いけど。

 でも、自分自身の何もかもを相手に委ねてしまうのは、「違う」と思う。

 そもそも、そんな事をしようとする自分と言うものも想像出来ないし、そんな風に自分自身の事にすら「無責任」になってしまうそれを考えると、ゾワゾワする様な……何とも言い難い「嫌な感じ」になるのだ。

 その理由をちゃんと言葉で詳しく説明するのは難しくて、曖昧な答えにしかならなかったけれど。

 しかし、俺の答えに『鳴上さん』は何処か嬉しそうに頷いた。

 

「その気持ちがあれば、きっと大丈夫だ。

 選択する事の大切さを忘れなければ、己の選択の責任を負う意味を見失わなければ……きっと。

 人は移ろい流され易く、そしてどうしても『安楽』を望んでしまう。

 欲望に振り回されて己を喪い、何かに向き合う事を放棄して怠惰に耽り、弱い自分を守る言い訳に溺れて、それどころかそれらに疲れ果ててどうにもならない『終わり』ですら求めてしまう事もある。……それは、仕方の無い事なのかもしれない。

 でも、炭治郎の様に、『自分自身』を持ち続けて……選択していけるのなら。

 どんな『人々の総意』が目の前に現れても、それに屈する事は無い筈だ」

 

『鳴上さん』は、眩しいものを見詰めているかの様に少しその目を細めて微笑んだ。

 そして、そっとその手を差し出してくる。

 思わず反射的にその手を取ると、その瞬間何か温かなものの存在を強く感じ、驚いた様に『鳴上さん』を見てしまう。

 

 

「それは、俺から……いや『鳴上悠』から、炭治郎への『絆』だ。

 心と心の繋がり、魂の絆。

 どんなに離れていても、例えもう其処に居なくても。

 それでも確かに心の中に在るもの。

 ……炭治郎がこの先の何処かで何かに向き合う時に、きっと支えになるもの。

 俺が出来る事はこの位しかないし、今こうして話した事も『その時』にならなければハッキリとは思い出せないのかもしれない。

 だが、それでも俺は信じている。

 炭治郎の事を……皆の事を。俺は、信じるよ」

 

 

 真剣な目でそう言葉にした『鳴上さん』に、何かを訊ねようとして。

 俺は──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 無惨は苛立ちと共にその腕を振り払おうとして、しかしその寸前で僅かな理性がそれを押し留める。……理性と言うよりは、『死』への恐怖の感情と言う方が正しいかもしれないが。

 

 鬼となり陽の光を避けねばならぬとは言え己の足で狭く暗い部屋の外へと歩き出せる様になってから「初めて」と言っても良い程に、何もかもが全く思い通りになっていない。

 その切っ掛けが何であったのかなど考えるまでも無い。

 この世のありとあらゆる理を冒涜し凌辱するかの様なあの『化け物』がこの世に現れたからだ。

 

 あの『化け物』が鬼殺隊と接触する事を阻止出来なかった事こそが、最も取り返しの付かない「過ち」であったのだろう。

 あの『化け物』は、無惨を殺す事に何の躊躇いも痛痒も感じないのだろう。

 鬼殺の剣士の様な連中は、彼我の力の差も弁えず無意味で非生産的な事に己の命を賭す事に執念を燃やし執拗に無惨を追っているだけの羽虫の様な存在であり、無惨に対して憎悪を向けようが或いはその息の根を絶たんと気炎を上げていようが障害と呼べる程のものにもなりはしないが。

 しかし、あの『化け物』は違う。あれは、この世に在って良い存在ではない。

 そもそも生き物であるかどうかすらも怪しいと無惨は感じていた。

 何時何処から発生したのかも不明な、正真正銘の『化け物』。

 悍ましいまでの暴虐その物の力を意のままに揮い、天変地異を巻き起こし、精神を貪り凌辱する『化け物』。

 与えられる限界まで血を与えて強化した上弦の鬼たちですら全く相手にもならない、例え上弦全員を一度にぶつけたとしても何の意味も無いのだろう。

 

 本来ならば、あんな『化け物』の様な存在に関わる必要性など無い。

 その目から逃れるかの様にこそこそと逃げ隠れするのは耐え難い屈辱であり、鬼でなければ憤死しかねない程に腹立たしい事ではあるが……。しかし、かつて「日の呼吸」の『化け物』の手から逃げ延びた後にそうした様にすれば良いだけの事でもある。……そうやって隠遁して、あの『化け物』が何時か寿命で死ぬのであれば。

 だが、あの『化け物』は余りにもこの世の理を逸脱している。寿命と言う時の軛が存在するかどうかすら怪しい。

 百年後二百年後も当然の様な顔をして変わらぬままの姿で無惨を殺さんと追い続けている可能性すらある。

 そして、その可能性は益々以て高くなった。

 あの『化け物』は、「青い彼岸花」を手にしていると言うのだ。

 不完全な状態の薬ですら無惨を『鬼』にしたのだ。

「青い彼岸花」の実物を手にしたあの『化け物』が、不完全な『鬼』を遥かに凌駕する、死も寿命も弱点も何も無い『究極の生物』と成る可能性だってある。

 そうなれば、最早打つ手はない。

『化け物』に本来は寿命が存在したとしても、そうなってしまえばもう関係無くなってしまう。

 自分がそれを手に入れて陽光をも克服した真の『究極の生物』となる目的以上に、「青い彼岸花」はあの『化け物』の手にだけは渡してはならぬものであったのだ。

 あの『化け物』の手に渡る前にそれを手に出来なかった事が心底悔やまれるが、数百年以上掛けても手掛り一つ得る事の出来なかった鬼共が無能であったと言うだけであるのかもしれない。

 何であれ、永遠の命を得た『化け物』に未来永劫追われ続ける事になるだなんて事態は、無惨には到底受け入れる事など出来ないものであった。

 ただ思う様に生きていたいだけであると言うのに、何故世界はこうも理不尽を突き付けるのだろうか。そうまでして自分が憎いのか、とそう悪態を吐きたくなる程である。

 

 何であれ、あの『化け物』が「青い彼岸花」によってより一層手の付けられない『化け物』になるのだけは阻止しなければならない。

 無限城を一撃で根こそぎ消し飛ばす様な存在を相手に、真正面から正直に戦ったとしても一切の勝ち目は無いが。

 しかし、どうやら天運は完全には無惨を見放してはいなかった様で。

 力の多寡を競うのなら何をしようとも勝ち目は皆無だろうが、しかしどうにもあの『化け物』は愚かしい程に「弱み」が多い様であった。

 あの『化け物』は、どうやら人間を見捨てる事は出来ないらしい。

 目の前の鬼を倒す事以上に、その場に居る人間を助ける事を優先する。人間たちなどあの『化け物』にとっては塵にも満たない程度の存在であろうに。足手まといでしかない相手の事を庇って、その力を揮う事が出来ない。

 信じられない程に愚かだが、しかしその特性は無惨にとっての僅かな勝機である。

 鬼を軽く凌駕する程の力を持ちながらも、しかしその力は無尽ではなく消耗するもので、更には人間どもを気にするあまりにその力を引き出せない事も多い。

 あの『化け物』に対しては、上弦の鬼たちを肉壁にするよりも、人間共……特に鬼狩り共を盾にする事の方が効果的であろう。

 上弦たちは『化け物』を相手にするには役には立たないが、鬼狩り共を足止めし減らす分には役に立つ。

 上弦を鬼狩り共にぶつければ、鬼狩り共を見捨てる事の出来ない『化け物』は勝手に消耗するだろう。

 そして、あの尋常ならざる力も、周りに巻き込みかねない鬼狩りが居るのであればあの『化け物』はそれを使う事は出来ない。

 何なら、適当な鬼狩り共を鬼にして嗾けてやってみても良いかも知れない。

 消耗し切った状態の『化け物』を相手にするのなら、まだ何かしらの勝ち目はあるだろう。そうすれば、あれを捕らえて「青い彼岸花」を奪い取り、鬼に変えてしまえば良い。

 最大の敵は、最高の手駒にも成り得る存在であるのだ。あの『化け物』を鬼にして支配出来るのなら、この先の長い時間の中で新たな『化け物』が現れたとしてもそれを退ける事が出来る筈だ。

 

 そしてそれを選ぶと言うのであれば、その戦いの舞台は入念に準備せねばならない。とは言え、戦場を決定する優位性が自分たちの側にある事は無惨はよく理解していた。ただ問題を挙げるとすれば、その決戦の場に相応しい無限城が、あの『化け物』の手によって跡形も無く消し飛んだ事であるが。

 まあ……無限城は鳴女の血鬼術によって形作られ維持された空間だ。

 その根源たる鳴女さえ無事であるのならまた何度でも作り直す事は出来る。

 ……その肝心の鳴女は、あの『化け物』の攻撃で無限城を跡形も無く吹き飛ばされた影響で、『化け物』の攻撃こそ直撃はしなかったものの酷く消耗した状態になり、それを回復させる為に随分と多くの無惨の血と時間を要した。

 漸く最近になってどうにか無限城の再構築に取り掛かれる様になったが……しかしその安定性はまだ十分では無く、あの『化け物』を相手取る為には心許無い。

 あの圧倒的な力自体は無限城に鬼狩り共を引き摺り込めば抑止出来るだろうが、そもそもあそこまで絶対的な力でなくとも『化け物』の揮う力はどれもこれも桁違いのものであり、不安定な状態の無限城ではその力を受け止められないだろう。

 その為、決戦までにはまだ暫しの時間が必要であった。

「青い彼岸花」がその手にある事を考えると仕掛けるならば早ければ早い程良いが、そうやって急いて遮二無二に襲い掛かった所であの圧倒的な力の前に潰されるだけである事は分かっている。

『死』の気配に関して、無惨はこの世の何よりも敏感であった。

 それを可能な限り避ける為ならば、驕り高ぶるが故の癇癪を抑えられる程度には。

 だからこそ、憤死しかねない程の苛立ちを覚えても、無惨は我慢していた。

 そう、生まれてからこの方「我慢」などした事など無いと言っても過言では無い無惨がだ。……それ程までに、『化け物』の存在は余りにも強大であった。

 そして問題は無限城だけではない。

 

 使える手駒として手元に残された上弦の内、黒死牟と猗窩座が全くの使い物にならない状態にまで陥った事も、無惨としては非常に苛立ちを募らせていた。

 童磨はまあ……そう言った状態にはなっていないものの、あれはあれで触れる事も悍ましい程に何かが大きく狂っていた。その思考を覗くと此方まで汚染されそうなので、最近は最低限の伝達や位置の把握だけに留めている。まあ、あの『化け物』と相対する事に関しては寧ろ積極的に喜んで引き受けるのであろうから、『化け物』にぶつける手駒の役目は果たせるのでそれで良しとする事にしている。

 奴に何かしらの接触をすると、『神様』と呼ぶあの『化け物』の事を壊れたレコードの様に延々と垂れ流されるのも耐え難いのだが、そもそもあの『化け物』に対して激怒している無惨にとってはその場で童磨を衝動的に処分しない様に自分を抑えるのが苦痛の極みであるからだ。狂ってはいるが、手駒として優秀なのは事実であるので、衝動的に処分してしまうのは巡り廻って己の頸を絞める結果になりかねない。

 狂信者の事は放置するとして、問題は黒死牟と猗窩座である。

 どちらも童磨に比べれば非常に忠実であり使える手駒であるのだが……しかし『化け物』の攻撃によって完全に精神の均衡を崩され、狂乱しているか或いは廃人の様に変わり果てているのかのどちらかになってしまっている。

 

『化け物』のあの攻撃は血を介してその戦いを監視していた無惨にも甚大な影響を与え、この世で起こり得る最も悍ましく恐ろしく絶望的な光景を複数の脳だけでなく全身の細胞に刻み付ける程のものであった。

 その悍ましい光景を振り払う為に、無惨は自身で何度も己の脳を破壊した程である。その甲斐あってか、十数回程脳を破壊した辺りからどうにかその幻覚を追い払う事に成功したが……。しかしあの『化け物』の事を考える度に、あの恐怖を思い出したかの様に己を形作る細胞が震え上がる程である。

 そして、あれを直接喰らった黒死牟と猗窩座は今もまだ狂乱の中に居る。

 一体どんな幻影を見ているのかその思考を覗こうとしても、意味を成さない乱れ切ったものであるし、或いはその精神の奥深くに絡み付いた呪詛の様な闇が再び無惨を侵食しかねないので、その思考を覗く事すらかなりの危険を伴うものであった。

 どうにか使える状態に戻そうと、それらの記憶を消しても、呪詛の様なそれは尽きる事無くその記憶を掘り起こしより深くその精神を乱す。

 いたちごっこよりも質の悪いものであった。

 身体が崩壊する可能性のあるギリギリの量の血を無理矢理与え、その精神への支配を強めても、一応の形にはなっても些細な切っ掛けで再び狂乱する。

 更には、人間を喰えなくなった事も深刻な問題であった。

 飢餓が無い訳でも、人を喰う事への衝動が消えた訳では無いのだが。

 中途半端に「人間」的な感性や理性が戻っているのか、或いは呪詛によってそれを無理矢理に穿り出されているのかは分からないが。

 とにかく、「人を喰う事」それ自体に強烈な忌避反応を示すのだ。特に猗窩座はその傾向が強い。

 回復させる為に無理矢理喰わせるのだが、その度に猗窩座は自壊しようとしてまで己の行いを拒絶する。その度に、非常に手間ではあるがその精神への支配を強めてどうにかしてそれを抑制しなければならない。

『化け物』との決戦の時までには、どうにか黒死牟と猗窩座を「使える」状態にまで取り繕わなければならない。

 苛立ちの余り黒死牟と猗窩座に折檻しそうになるが、しかしその結果どうにか不安定ながらも積み上げた精神のそれを一気に崩壊させかねないので、何時もそれをギリギリの所で押し留めている。今だってそうだ。

 

 この様な状況を引き起こした『化け物』への尽きぬ怒りと憎悪と、そしてそれ以上の恐怖を胸に。

 あの『化け物』を倒すその時の為の準備を進めているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「教祖様、有難うございます」

 

「いやいや気にしないでくれ。

『ナルカミ様』は必ず君を救ってくれるとも」

 

 ハラハラと涙を流しながらそう言って礼を言う女に、にこやかな笑顔を作って返す。

 最近随分と増えた信者たちの内の一人だ。

 ……確か、身内が不治の病に倒れ、藁をも縋る想いで『ナルカミ様』へと辿り着いたのだったか。

 可哀想な身の上話をつらつらと語られた所で俺にとってはどうでも良い話ではあったが、『ナルカミ様』を信じそれに縋りたいと言うその想いに貴賤は無く、そしてあの『神様』ならば迷わずその手を差し伸べるのであろう。

 信者と幸福になる事が俺の務めである事は、万世極楽教の教祖であった頃から何一つ変わらないのだ。この女の願いも、『神様』へと届けてやるべきものなのだろう。

 

『神様』の事を知らない哀れな人間たちにあの『神様』の事を伝える為に始めた『ナルカミ教』だが、初めはほんの小さな集会程度のものであったそれは、思った以上の速さで急速に拡大している。

 東京を中心に広まっているが、そろそろ遠方の方へも広がりそうな勢いだ。

 教祖……と言うより、あの『神様』の事を伝える事が出来るのは今の所俺だけなのだからそんな大規模になるとは思ってもみなかったのだけれど。

 まあそれ程までに、あの『神様』は誰もが望んで止まない様な存在だったと言う事なのだろう。

 俺の説法を聞いて満足する者も居れば、或いは本当に『ナルカミ様』の奇跡で願いが叶ったと言う人も居る。まあ、願いが叶った人の大半は話を聞く限りは、あの『神様』に遭遇して助けて貰った訳では無く、ただの偶然によるものだろうけれど。何であれ、『神様』に……『ナルカミ様』に対する「信仰」は凄まじい勢いで広まっている様だ。

 万世極楽教の時とは違ってその規模を抑える様にとは無惨様から言われていないから、拡大していく勢いに任せている状態だ。

 

 死を恐れる様に、無になる事を恐れる様に。

 人の世は何時の時代も不安と恐怖に満ちている。

 ほんの僅か先の未来すら見通せない事を恐れ。様々な方向へ揺れ動き今までにない速さで変化し、その勢いが留まる事を知らぬ世の中の有り様に不安を懐き。そんな不確かな世界の中で己の選択に迷い。理不尽や不条理に慟哭し。叶わない筈の願いを抱えて彷徨い。人と人との関わりの残酷さに打ちのめされ。己を見失う程に絶望する。

 

 そんな世界の中に在って、祈っても救ってくれない神しか居ないこの世界のたった一つの例外。

 人を助け、人を癒し、人を守り、人の為に戦う。そんな『神様』を、人はずっと望んでいたのだ。

 何処かにある極楽では無く、今生きているこの世界で「幸せ」になる事を人は望んでいる。故に、それを叶えてくれる『神様』は、何処までも人の心を満たすものであるのだろう。

 海の向こうの大陸の神である「天主」の様に人に理不尽を強いる事は無く、その願いに寄り添う様に在るそれは、まさに理想の『神様』だ。

 

 あの素晴らしい『神様』の事を知ってくれる人がこんなにも増えて、俺はとても嬉しかった。空虚な日々がこうも歓びに溢れるなど、かつての自分では想像も出来ないに違いない。

 ああ……再び相見えるその時が心から待ち遠しい。

 その時には、もっとその力の全てをこの目に焼き付けたいものだ。

 

 遠からず訪れるのであろう「その時」を想像し、意識して作ったものではない笑みが自然と零れるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
『鳴上さん』と話した内容は、以後夢の中に訪れた際にも所々が抜け落ちた様に思い出せなくなっている。
現在の『試練』は柱+同期組(と獪岳)の総力戦で黒死牟と猗窩座を同時に相手にしている状態。


【童磨】
絶賛推し活中。
新しく始めた『ナルカミ教』は、東京周辺を中心に急速にその勢力を拡大させている。
童磨自身の布教能力の高さがその急拡大に関係しているのは間違い無いが、果たしてそれだけなのか……。


【鬼舞辻無惨】
老々介護に疲れ果てキレ散らかしている。
人質作戦はピンポイントに悠の地雷である事は知らないし、知ってても理解出来ない。


【鳴上悠】
無惨様が想定しているよりも数倍以上は『化け物』。


【『鳴上さん』】
流石に童磨の暗躍には気付いていない。が、明らかに『この世界の心の海』が騒がしくなっている事には気付いている。
炭治郎の事を何があっても絶対に助ける為に心から信じる事を決断し、『人の総意』による『試練』に向き合う事になる可能性の高い炭治郎の力となるべく、この世界に於ける己の存在の根幹に関わる最も大切なものを委ねた。


【ナルカミ様】
童磨が作った『ナルカミ教』の「神様」。モデルは当然の事ながら悠。
人の心に寄り添い、万病を癒し、人を脅かすモノを討ち滅ぼし、人の世に安寧を齎す、『人の願い』を叶える「神様」。
そのご利益は非常に多岐に渡る。また信仰する際に特別な入信方法やお布施などは不要である事も、その信仰の裾野を広げている要因になっている模様。
教祖である童磨による布教活動(兼カウンセリング)によって悩みが解決した人が急増している他に、信者の中には不治の病の病状改善などの「奇跡」の様な現象を経験している者が少しずつ増えている様だ……。





≪今回のコミュの変化≫
【太陽(竈門炭治郎)】:9/10→MAX!


【世界(『鳴上悠』)】:0→?


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『南斗の主』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 鬼舞辻無惨との決戦に向けて、着々とその準備は進んでいる様だ。

 相手の出方に関しては、鬼舞辻無惨と言う存在が余りに傲岸不遜であると同時に臆病であり気紛れな部分がある為、お館様の先見の明を以てしてもその予測を完全に立てる事はほぼ不可能である様だが。

 それでも、珠世さんから詳しく聞いた内容や、鬼殺隊に蓄積されて来た様々な情報を統合して、大まかながらも「可能性が高い」ものを幾つか対策する事は出来ているらしい。

 

 中でも作戦の要となるのは、珠世さんとしのぶさんの共同研究の成果である各種の薬と、そして愈史郎さんの血鬼術による『目』である。

 愈史郎さんとしてはそう言った形で協力する事は不本意ではある様だが、それでも珠世さんの悲願である鬼舞辻無惨の討滅自体には協力する事に否は無いらしい。

 その為、しのぶさんたちの研究を手伝う(或いは珠世さんの為にしのぶさんを監視する)傍らで、愈史郎さんは血鬼術の『目』を量産していた。

 量産とは言っても、一枚一枚手描きであるのだししかも己の血を混ぜなければならないので一度にそう数を作れる訳ではないのだが。

 視覚を共有する為の札も、一時的に姿を隠す為の札も、どちらもかなりの数が揃っていた。

 それらの札はもう少し量産出来たら柱を中心に予め渡しておくつもりであるそうだ。

 

 ……珠世さんと愈史郎さんの存在を知っている人たちはほんの一握りである事を考えると、どんなに有用なものであるのだとしても『鬼』が作った物を……と言う反発はありそうだし、使えるものは使う主義の人でもそう簡単には受け入れて貰えないのかもしれない。

 とは言え、いざ決戦が起こってから対処するよりも、事前に備えておけるのならそれが一番であるのだが……。

 合理性などと言った理屈と、感情が齎すそれが同じ方向を向けるとは限らないのは世の常ではあるけれど……。

 また少し一悶着は起こりそうだと思いつつ、とは言え柱の人たちは誰もが『鬼舞辻無惨の討滅』が最終目標である事には変わらず、その為の力になると言うのであれば最終的にはどうにかなるだろう。多分。

 最初に顔を合わせた時にはあれ程までに珠世さんに対しての敵愾心が隠しきれていなかったしのぶさんだって、今は少し変わってきている。

 心から「納得」すると言うのは難しいし、況してや様々な悲劇を経験し目にしてきた柱の人たちが「鬼」と言う存在に心を許せないのも分かる。

 ……それでも、「鬼」だとか「鬼殺隊」だとかと言う括りでお互いを見るのではなくて。

 目の前に居る存在が自分たちと変わりない「心」を持った『珠世さん』と言う存在であると……そう思える可能性はきっとあるのだと思いたい。

 そうすれば、心から信頼する事は難しくても、同じ目的の為に一時手を取る事ならきっと出来る筈だ。

 

 しのぶさんと珠世さんの研究も、その進捗はかなりのものであるそうで。

 決戦の時までにどの程度まで実用に漕ぎ着けられるのかはまだ不明だが、しかし複数の薬(或いは「毒」)は既に実験上では有効性を示せているとの事らしい。

 しのぶさんとしては、まだ珠世さんに色々と思う所はある様だけれど。それでも、最初に顔を合わせた時の様なピリピリとした棘のある態度では無くなっていた。

 それもあって、しのぶさんに対する愈史郎さんの態度も少し柔らかなものになっている様だ。

 折を見て二人が共同研究中の産屋敷邸を訪れているのだが、先日訪れた時には一緒にお茶を飲める程度には打ち解けていたので安心している。

 

 ……珠世さんが鬼である事も、そしてかつては人を喰っていた事も、それは誰が何をしても変える事の出来ない事実だ。

 その事をどれ程珠世さん自身が悔やんでいるのだとしても。

 今の時代を生きる誰にもそれを責め立てる様な権利は無いのと同じ様に、その事実を赦しその心の苦しみを癒す事の出来る者も居ない。

 鬼を人に戻す薬が完成したとして……。……珠世さんは果たしてそれを己に使うのだろうかと。そう考えてしまう。

 珠世さんが数百年もの間その薬を研究し続けてきたのは、自分が人に戻りたいからではなくて、……鬼舞辻無惨を殺す為であるのだろう。

 珠世さんはこの戦いで死のうとしている。……そんな予感が常にある。

 自分としては、どんな事情があっても「死」を選ぶ事が最善だとは思いたくはない。

 それでも……数百年間己の行いを後悔し続けその罪を背負いながら「何時か」を信じて抗い続けた珠世さんにとって、そうする事が望みであると言うのなら……。

 それを止める為の言葉を、自分は未だ持ってはいない。止める事が出来る程、珠世さんの事を知っている訳ではない。

 ……それを、どうにももどかしく感じてしまう。

 何か話をしたいと感じていても、今は研究も正念場と言うべき段階であり、そこで二人の邪魔になる様な事は憚られる。

 残された時間は有限であり、決戦の時もそう遠くはない未来ではあるけれど。

 それでも、それを『今』しなくてはならないのかと言われると、頷くのは難しい。……儘ならないものだ。

 

 少し悩ましい事はあるが、それはそれとして自分も決戦に向けて出来る限りの事をしなければならない。

 刀鍛冶の里での戦いの後からこの柱稽古の期間に、随分と絆は満たされていて。

 その分、自分に出来る事の幅も更に広がった実感はある。

 この感じだと、上弦の鬼や鬼舞辻無惨との連戦の最中に力尽きて倒れる様な可能性はかなり減ったのではないだろうか。

 少しでも、皆を支える為に。全員で生きて鬼舞辻無惨との戦いに勝つ為に。

 自分に出来る事が増える事は、とても嬉しい事である。そしてそれが、皆に支えて貰っている証であるのだと信じられるのが、自分にとってはとても幸せな事だ。

 そしてふと、今ならばもしかして……とそう頭を過るものがあった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 同じ産屋敷邸の中とは言え、しのぶさんたちが日夜研究を行っている区画と、お館様たちが生活している区画は同じ建物の中では無くて。その為、しのぶさんたちの様子を見る為に何度か産屋敷邸を訪れていても、お館様と毎度顔を合わせていると言う訳では無い。

 まあ元々柱であってもそう顔を合わせる機会など無い人ではあるからそれで何か不都合がある訳では無いのだし、それに今は決戦に向けて各方面との折衝や鬼舞辻無惨への対策の検討にお忙しいだろうからそれも当然ではあるだろうけど。

 

 ……以前、遊郭での任務に赴く前にその身を蝕む呪いの様な病を多少癒す事が出来たからか、お館様の容態は最初に出逢った時よりも随分と良い状態を保ててはいるけれど。……しかしそれは根本的な解決にはなっておらず、以前よりはマシとは言えど少しずつその病状は悪化の方へと向かっている様だ。

 それでも、少し動いたりした程度で血を吐く事は無く、そして自分の足で動けるだけでとても助かっていると、そうお館様は言っていたけれど。それでも、その身を蝕む病魔を全て祓う事が出来なかった事には色々と思う所はあった。

 無論、自分の力なら何でも癒せると驕っている訳では無いのだけれど……。お館様の身を蝕むそれを癒す事が出来なかった事に関しては、あの時点では「まだ力が足りない」状態だったからではないかと思うのだ。

 お館様の手を握ったあの時に感じたのは、「不可能」だと言うそれではなくて、「今は出来ない」と言うかの様な……少し言葉にはし辛い直感の様な確信だった。

 そして今、あの時に比べると更に随分と力は戻ってきている。

 その為、今ならもしかして、と。そう考えてしまうのだ。

 まあそれに、完全に癒し切るにはまだ力が足りなかったとしても、また少しは病状を和らげる事なら出来るだろう。

 何か悪い方向に転がったりはしない筈だ。

 

 そんな訳で善は急げと言う訳では無いが、お館様にお目通り願えないかどうかと、しのぶさんたちの様子を確認しに来た時に取次ぎの隠の人に頼んでみると。

 そう時を置かずしてその許可が出て、客間であるのだろう部屋へと通された。

 それから程なくして、お館様とそれを支える奥方様、そしてとても見た目がよく似ている二人の女の子が奥の部屋から現れる。

 ご子息様方は五つ子で、黒髪の輝利哉様はその髪色で見分けが付くのだが、にちか様、ひなき様、くいな様、かなた様の四人は一瞬見ただけだと見分けるのが少し難しい程によく似ている。少し観察すれば性格の違いから出る細かな差異で見分けが付くのだけれど。

 柱合会議の時などにお館様の側仕えを務めているのは主に長女と次女のにちか様とひなき様であるらしい。今日もどうやら二人がお館様の側仕えを務めている様であった。

 二人に導かれながらもお館様は自分で歩けている様だが……しかしやはり柱稽古が始まる前にお会いした時よりもその病状は悪化している様に見える。

 

「何か話があるとの事だけれど、何かあったのかい?」

 

 挨拶の言葉を此方が述べると、お館様は静かな湖面の様な穏やかさを浮かべた表情でそう尋ねてくる。

 まあ何せ今までだと、上弦の鬼を討ち取っただとか鬼舞辻無惨の手の内を明かしただとか、そう言った鬼殺隊全体にとっての重大事ばかり話していたのだ。

 今回もそう言った「何か」なのだろうかと思われても当然の事である。

 いや今からする事も、大事な事ではあると思うのだが……。

 

「何か新たに判明した事がある……と言う訳では無いのですが。

 以前は力が及ばずお館様の身体を蝕む病魔を祓い切る事は出来なかったのですが、しかし……今ならばもしかすると出来るかもしれません。

 いえ、もしそれにはまた少し力及ばずとも、お館様の身からまた少しでも病魔を祓う事ならば出来ると思います」

 

 だから、力を使ってその身を蝕むものを祓う事を再び試みても良いだろうか、と。そう訊ねてみると。

 傍に控えていた奥方様とご息女様方の表情が明らかに変わる。

 しかし当の本人であるお館様の表情は、静かな湖面の様なものであった。……いや、僅かに揺れ動きはしたが、それは余りにも細やかなもの過ぎて、そこにある感情の動きが何であるのかは分からなかった。

 

「……悠、君にはこの身を蝕むものを祓う事が出来ると……そうする意思があると。そう言う事であるのかな?」

 

 お館様に訊ねられたそれに、そうだと頷く。

 まるで呪詛の様に余りに根深く絡み付いたそれは……単なる病とは言い切れない程のもので。奇妙な表現にはなると思うが、『悪意』の様なものすらも感じるものだった。

 恐らく、現代の医療でも正確な病名を付ける事も難しいものであるのではないだろうか……。

 この世に神や仏が存在しているのかは分からないし、呪いなどと言った力が存在しているのかも分からないけれど。

 もし何か、お館様の身を蝕む病魔に名を付けるとするなら……やはり『呪い』となどの言葉が相応しいものであると、そうも思ってしまう。

 そもそも、『鬼』と言うある種の超常の存在が実在しているのだ。『呪い』などと言った超常的な現象も存在していてもおかしくはない。

 鬼殺隊が交戦してきた鬼たちの血鬼術の中には、「呪い」の様な効果を持つものもあったそうであるし。お館様を苦しめるそれも、単なる病では無いのだろう。

 

「確かに……お館様の身を蝕むそれは、恐らくは単なる病魔ではないのでしょう。

 もっと何か……根深く、異質なものであると以前感じました。

 俺の力は決して万能ではなく全てを癒す事が出来る訳ではありませんが。しかし、だからこそ『不可能では無い』とあの時感じたんです。

 あの時はまだ力が足りず、少し状態を良くする程度に留まりましたが……」

 

 今ならば、と。そう再びその決意を込めてそう言葉にすると、お館様は何かを想う様にその目を静かに伏せ、長い沈黙がその場に落ちた。

 

「……産屋敷家が何故鬼殺隊を率いているのか、悠はその理由を考えてみた事はあるかな?」

 

 湖面を静かに揺らす漣の様なその声音に、どうだっただろうかと一瞬考え首を横に振る。

 鬼殺隊がまだその名を冠していない様な……その前身となる鬼殺の剣士たちの集団だった頃から、産屋敷家の当主が代々「お館様」として鬼殺を指揮していたのは話に聞いたので知っているが……しかしそもそもの「始まり」が何故であるのかはしらない。そして、その動機も深くは考えた事は無かった。……いや、考えた所でその理由に全く見当が付かなかったと言うのが正しい。

 煉獄家の様に義憤やある種のノブレスオブリージュの精神で鬼殺を支えているのかと思うにしては、満身創痍と言う言葉ですら足りぬ程の生ける屍にも等しい存在になってまで鬼殺の為に動き続けるお館様は異常と言っても良い。

 そこまでの執念を懐く動機が一体何であるのかなど、正直自分には分からなかった。

 隊士たちの多くがそうである様な……大切な何かを奪われたからこその復讐や憤怒だけでそこまでの執念を燃やせるのだろうか。……自分には何も分からない。

 勝手な憶測で好き勝手に考えていい事でも無いだろうと思う。

 だからこそ、考えてはこなかったのだ。

 

 

「産屋敷家の者たちが鬼舞辻無惨を滅ぼす為に心血を注ぐのは、それ以外に生きる道が無いからだ」

 

 

 そう言ってお館様が静かに語ったのは……何とも『理不尽』としか言えない様な、産屋敷家の『呪い』とお館様が称する、産屋敷家の者たちへの残酷な運命だった。

 

 遠い昔……それこそ平安の時代に産屋敷家の先祖の者と鬼舞辻無惨は同じ血族であった。……ただそれだけで、産屋敷家の者たちは鬼舞辻無惨と戦い続ける宿命を負わされたのだと言う。

『鬼』と言う化け物を生み出した咎であり、其れゆえの神罰仏罰であると……その『呪い』であると、かつての御先祖様はそう神職の者から告げられたらしいが。

 果たして、それが本当に神罰なのかどうかなど自分には分からない事だ。

 ただ何であれ、短命を運命付けられ、鬼舞辻無惨に立ち向かわねば滅びる他に無い宿命を背負わされた一族の苦悩と死に満ちた道のりは、壮絶と言う他に無かった。

 神職の家系から妻を得て少しずつ寿命は延びても三十を越えて生きる事は決して叶わず。男児は必ず一人だけを残して死に、女児は嫁に出て名字を変えねばどんなに細心の注意を払っても十三歳を越えて生きる事が出来ないと言うそれは、単なる偶然なんてものでは到底片付けられない……何か超常的な存在の『意志』を感じてしまう程のものである。

 ……そしてより悲惨な事に、鬼舞辻無惨に抗う事を宿命付けられていても、産屋敷家の者たちには剣を手に直接的に鬼舞辻無惨に立ち向かう力は持たされない。

 鬼を狩る力は無いが故に、その長として組織を率いる他に無い。

 ……無責任な者なら、直接戦う事の無いそれをどうと感じる事も無いのだろう。

 だが、多くの産屋敷の長たちは、己の手では直接鬼を狩る事は叶わず、そしてそんな己の代わりの様に鬼殺の剣士たちがその命を賭して……そして散らしていくそれに何時しか耐えられなくなる事の方が多いのだと言う。

 鬼舞辻無惨の存在を生んだ切っ掛けとなった咎から始まったそれは、何時しか志半ばに斃れていった無数の隊士たちの死に塗れ、鬼殺の剣士になる事も叶わなかった無数の子供たちの死に塗れ……。際限なく膨らみ続ける無念と執念と憎悪と怒りを背負い続け抱え続ける他に無くなって……。

 そして己の身体は蝕まれ続け生きる事自体が苦痛の極みの様な有様となって、早逝する。

 ……それは、想像する事すら困難な、他者を愛し慈しむ事の出来る者にとっては惨いと言う他に無い宿命だ。

 身体を蝕むそれその物以外も含めた全てが、『呪い』であるのかもしれない。

 

 産屋敷の人たちを蝕むそれが、尋常ならざる現象によるものだとしか言えないのは確かだ。

 本当に神の仕業なのかもしれないし、もっと別の理由があるのかもしれない。

 ……様々な神話で語られる神は気紛れで残酷でその行動は人が思う道理には当てはまらない事が多いが、しかしそれでも千年以上も産屋敷の者たちに『呪い』を下すよりも鬼舞辻無惨に直接神罰を与えれば良いのにと思ってしまう。

 ……そんな事、お館様が考えなかった筈は無く、そして抗う事は出来なかったからこそ今も尚それは続いているのだけれど。

 

 お館様は、静かに言外に問い掛けて来た。

 果たして、その『呪い』を解く事が可能なのかと、そしてその結果起こり得るかもしれない「何か」に対しての覚悟はあるのか、と。

 

 ……自分は決して「神」ではなく、もしそれが神仏の与えた罰であると言うのならば、それを解いたりどうこうしたりする様な権限は無いのだろう。

 だが人は理不尽に抗う事は出来るのだし、それに自分はお館様の身を蝕むそれを、人にはどうする事の出来ぬ『神罰』や『呪い』であると諦めたくはなかった。

 それに……。

 

「もし、何か……それこそ神や仏がそれを咎めるのだとしても、俺はそれを理由に理不尽に苦しむ人を諦めたくなんて無いんです」

 

 人知の及ばぬ存在の成す事に罪と罰の釣り合い云々等の概念は存在しないのかもしれないし、そもそも理由すら大して存在する必要も無いものなのかもしれない。

 産屋敷一族に負わされたそれは「過甚」と言って良いと思うが、超常の存在からすれば誤差にもならないものなのかもしれない。人が足元を意識していない時に蟻を踏み潰してもそれに気付けない様に。

 だがもしそうであるのだとしても、その『罰』を唯唯諾諾と受け入れなくてはならない訳では無いと、そう思いたい。

 そしてその為に自分に何か出来る事があるのなら、少しでも力になりたいのだ。

 もし此処でその『呪い』を解こうとする事で、本物の荒ぶる神と対峙する事になるのだとしても……それでも一歩も退くつもりは無い。

 

 そんな此方の覚悟を認めたお館様は、静かに「そうか」と呟く。

 その声音に宿る感情は何処までも静かなものであった。

 ……理不尽な『呪い』は、一体どれ程のものをこの人から奪って行ったのだろう。……そしてどれ程のものを背負わせてきたのだろう。

 軽々しくそれを「分かる」だなんて、とてもでは言えない程の様々な苦しみを背負ってきたのだろうと思う。

 ただ産屋敷の一族に生まれただけで。それで、己の人生を此処まで縛り付けられるそれは、繊細な人にとっては耐え難い程の地獄の様なものであるのかもしれない。

 それでも、鬼舞辻無惨を討ち滅ぼすその時まで、最早末期の身を引き摺ってでも決して歩みを止める事は無い……その凄絶な覚悟と執念を支えるのは、どれ程の感情であるのだろう。そしてそれを一切表に出さず、その心の内だけに留め続けるにはどれ程までに強靭な精神力が必要であるのだろうか。

 

 お館様から少し視線をずらし、傍に控えている奥方様たちの様子を確認する。

 其処に在るのは、産屋敷一族の『呪い』が解かれるかもしれない事への期待ではなくて。ただただ……夫の、そして父の身を案じている、そんな『家族』への温かで同時にとても切なくもある『想い』であった。

 ……生まれたその時から理不尽にその身を縛られ、その恐ろしさを身を以て理解しているが故に、『呪い』を解くと言うそれは言葉で表現出来る様な簡単なものでは無い事をよく理解していて。

 だからこそ、大切な『家族』が『呪い』から解放されて欲しいと願うのと同時に、その『呪い』を与えた存在の意志に抗う事で更なる理不尽が降り掛かって来るのではないだろうかと、そう考えてしまう。

 変化が必ずしも良い方向の未来を切り開くとは限らない。誰も未来を完璧に予期する事など出来ないのだから、想定すらしていなかったものを選択肢として提示されれば戸惑うのも当然だ。

 そして、そんな奥方様たちの反応を見て、一つ決意した。

 

「お館様。一体何が『罪』であり、お館様たちが受けているそれがそれにどう釣り合った『罰』であるのかなんて、俺には分かりません。

 神様だとかの判断基準は俺には分からないものです。

 それに、そんな事は俺にとってはどうでも良いんです。

 俺は、皆で一緒に鬼舞辻無惨の居ない夜明けが見たい。

 其処には当然、お館様にも居て欲しい。

 だから、お館様の身を蝕むものを祓いたい。

 それだけなんです。……俺は、とても我儘な人間なんですよ」 

 

 結局の所、自分の望みはそれなのだ。

 お館様にも、そして珠世さんにも、生きていて欲しい。

 何時かはその命の旅路を終える時が来るのだとしても、それは鬼舞辻無惨の存在しない世界を見てからでも罰なんて当たらないだろうと思う。

 自分たちが戦い抜いたからこそ得る事の出来た夜明けの先を精一杯に生きて欲しいのだ。

 

 ……珠世さんは、鬼舞辻無惨との戦いの中で死ぬつもりであるのだろう。

 そしてお館様も、鬼舞辻無惨を討つ為ならば自分の命を捨て駒にする事も厭わないのだろう。

 だが、そうしなくても全員で生きて鬼舞辻無惨に勝つ事が出来るのなら。

 鬼舞辻無惨の存在が齎す禍から……理不尽な運命から解放されるのなら。

 きっと、違う選択をすると思う。……そうして欲しいのだ。

 お館様が心から『家族』を慈しんでいるのは分かる。そして鬼殺隊の隊士たちを大切に想っている事も。

 だからこそ喪わせてはいけないと、そう心から思う。

 

「お館様、お願いです。

 俺に、その為の機会を下さい。

 我儘な願いを諦めなくても良いのだと、そう信じさせて下さい」

 

 そう願うと、お館様は穏やかなその表情に何処か苦笑しているかの様な気配を滲ませる。

 

「元よりそれを拒否する様な理由など無かったけれど、そうまで言われてしまっては頷く他に無いね。

 ……悠、君はとても優しい子だ。

 その優しさが必ずしも報われるとは限らず、そしてそれが君自身を追い詰める事だってあるのだろう。

 だがそれでも、君が変わらずそうであろうとするからこそ、君を想う人々の『想い』は必ず君に応えるのだろう。

 悠、永遠であるもの……不滅であるものが何なのか、君には分かるかい?」

 

 永遠も不滅も、この世の何処にも存在しない。

 人という存在自体も、それが遠い永劫の彼方の未来である事を願うが……しかし何時かは滅びゆくものだ。

 どんな存在でも、何時かは己の命の旅路を終えて死と言う結末を迎える。

 一つの命に、永遠は無い。ただ……。

 

「人と人との出逢い……関わり合いによって生まれる変化、『繋がり』そのものではないでしょうか。

 目に見えない形でも、心の片隅に残るほんの断片程度のものだとしても。

 遠い昔の誰かが残した想いが、遥か彼方の未来の誰かの何かを変えるかもしれない。

 一つの命は死を越える事は出来なくても、その命が遺した何かはずっと未来まで影響を与えていくのだと、俺は思います。

 繋がりによって変化したものは、また別の出逢いで違う何かを変えていく。

 小さな小さな『変化』の繋がりは、どんな時にだって必ず其処に存在すると言う意味では『永遠』なのではないでしょうか」

 

 不滅であるのかどうかは分からないけれど。

 そう答えると、お館様は「成る程」と穏やかに微笑んだ。

 

「それは素敵な考え方だね。そして私の知る『永遠』に少し近い。

 私はね、人の『想い』こそが永遠であり不滅であると思っている。

 どれ程の命が散っても、それでも鬼殺隊が決して消え去る事は無かった様に。

 人の『想い』と『繋がり』こそが、不滅であり永遠だ」

 

 大切な人を奪われた事を許さないという苦しみは、どんな時代のどんな人にだって共通の想いで。

 鬼によって愛するものを喪った人の哀しみや、だからこそ鬼を滅しようとする気持ちもまた時代を超えていくものなのだろう。

 そして、かつての縁壱さんが残したものが、今の時代にまで届いて今度こそ鬼舞辻無惨の命に届こうとしている様に。

 或いは縁壱さんの時代よりも更に前……日輪刀すら存在しなかった頃からそれでも鬼を狩る為に戦い続けてきた名も知れぬ無数の誰かが切り開いてきたものが、確かに今に繋がっている様に。

 

「なら、俺が今こうして此処に居る事もまた、そう言った『想い』の『繋がり』の結果であるのでしょうね」

 

 本来ならばこの世界に存在するべきではない自分が此処に居る事が果たして良い事であるのかは分からないけれど。

 それでも、そんな思いの繋がりの『力』があるからこそ、此処に居たいと思うし、その力になりたいと思うのだ。

 

 ……己以外を自分の内側に必要とはせずそれどころか他者を踏み躙る事だけを選んできた鬼舞辻無惨には、きっと理解出来ない『力』であるのだろう。

 己に降りかかる死ばかりを忌避し、無造作に他者を貪るその在り方では、一方的な畏怖や崇拝は得られたとしても双方向の繋がりにはなりはしない。

 お館様は、鬼舞辻無惨は己一人で完結し永遠に不滅の存在になる事を望んでいるのだと言う。……珠世さんの話を聞くなどして想像した鬼舞辻無惨の在り方を考えるに、それは当たっているのだろう。

 ……自分には、理解は出来ても共感は出来ない望みだ。

 

「俺が今こうして此処に居るのは、勿論俺がそう望んだからであるのですが。

 しかしきっと、お館様に生きていて欲しいと願った人たちの無数の想いがそれを後押ししたのだろうと、……俺はそう思います。

 お館様、鬼舞辻無惨を倒しましょう。そして、鬼舞辻無惨が滅んだその夜明けの光を、その目で一緒に見ましょう。

 きっとそれが俺たちの願いで、……今はもう居ない無数の人々の願いなんです」

 

 だから、と。

 繋がれてきたその想いを伝える為に……叶える為に、最も相応しいペルソナを呼び出す。

 お館様は多くの隊士たちを見守ってきたから、お館様の事を知る人たちの多くは少しでも長くお館様が息災である様にと願っている。

 しかし、その傍にあった歳月の積み重ねという意味でも、或いはもっと別の理由でも、きっと悲鳴嶼さんが最も強くそれを願っている。

 病に侵され弱り死に向かっていくその姿を、悲鳴嶼さんはずっと見て来たからこそ。

 

 

 ── 悲鳴嶼さん、叔父さん……力を貸して下さい。

 

 

 そう想いを込めて呼び出した『コウリュウ』は、その願いに応えるかの様にその力を揮うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
コウリュウ(とスラオシャ)は悠にとっては本当に特別な思い入れのあるペルソナ。
お館様にはとてもお世話になっているのだし、恩返しをしたいと思っている。
自分に関りがある人が自ら死を選ぼうとするのは物凄く嫌。
万が一お館様が自爆した場合、一時的にしろかなり精神的なデバフがかかる。


【産屋敷耀哉】
全ての発端となった罪も、そして鬼殺隊を率いている間に降り積もった業も、その全てを己の代で全て終わらせる覚悟であった執念の人。
子供たちを心から慈しみ愛しているからこそ、子供たちに背負わせたくは無かった。
呪いの様な病魔は無事祓われたが、長い間その身を蝕まれ続けていた影響自体は全くない訳では無い。
悠のその力をその身を以て実感したからこそ、悠の行く末を心から案じている。
産屋敷家の力が及ぶ限りは、恩返しの意味も込めて全力で悠を世間から守ろうと決意。
『ナルカミ教』の事は耳に届いているので現在調査中。


【産屋敷家の人たち】
耀哉の事をとても大切に愛しているけれど、だからこそ病魔に蝕まれるその身をどうする事も出来なかった事が苦しかった。
残酷な運命を決定付けられているからこそ、産屋敷家の人間は総じて早熟であり歳不相応な程に厳しく育てられているが、それは早逝するが故にどうしても置いて行ってしまうが故の親からの精一杯の愛であるとは理解している。
突然金色の巨大な龍が出現して、危うく腰を抜かす所であったが三人ともとても肝が座っているのでギリギリ耐えた。
この後、子供たち総出で耀哉に抱き着く事になる。


【鬼舞辻無惨】
未来永劫誰からも赦される事は無い。


【珠世】
共同研究者であるしのぶとの関係性は少しずつ改善されている。しかし、毛のある生き物が嫌いな点に関してはちょっと相容れない。
無惨と一緒に死ぬ覚悟。


【愈史郎】
珠世様が死ぬ気である事は薄々分かっている。止めたいが止められるものではない事も分かっている。
鬼舞辻無惨を滅ぼす事が珠世様の望みであるからこそ、その為に力を尽くすが。しかし、鬼舞辻無惨との決戦が珠世様との別れとなる可能性も当然理解している。
それでも、愛している人の望みは叶えたい。




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【審判/永劫(産屋敷の人達)】:9/10→MAX!


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『青い彼岸花』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 夏が過ぎ行き、そろそろ彼岸の時期になると言う頃合いになった。

 決戦に向けて始まった柱稽古は、二ヶ月半程経った今もまだ続いているが、ほぼ全ての隊士たちは実弥さんの試練以降にまで進んでいる。……まあ、実弥さんの所で長い事立ち往生している人も多いそうだが。

 村田さんたちはどうにか悲鳴嶼さんの試練に合格し、今は冨岡さんの所でそのスパルタ加減に死屍累々となって転がっているらしい。

 柱同士の手合わせも日々行われていて、自分も其処に呼ばれる事も多い。

 その時には炭治郎たちも其処に居合わせている事も多く、炭治郎たちとも手合わせをする事も多かった。

 今の炭治郎たちは、煉獄さんの所と宇随さんの所、そして無一郎の所を行ったり来たりしつつ鍛えて貰っているのだそうだ。

 冨岡さんも自分の所にも来ると良いと言っていたそうなのだが、今冨岡さんは柱稽古で多数の隊士を相手にするのにお忙しいし……との事で炭治郎は遠慮したらしい。

 玄弥は実弥さんと悲鳴嶼さんの所を行き来している様で、その二人の所に顔を出すと出逢う事が多い。

 カナヲは本来ならしのぶさんに稽古を付けて欲しかったらしいのだが、しかししのぶさんは研究で忙しいのでその時間は無い為、炭治郎たちと一緒に煉獄さんたちに鍛えて貰ったり、或いは甘露寺さんの所で修行しているそうだ。

 そうやって、皆それぞれに今自分に出来る事を積み重ねている。

 そんな中で、炭治郎たちを含めた自分たちに、ある一つの任務が下されたのであった。

 

 

 

「『青い彼岸花』の捜索……か」

 

 鬼舞辻無惨が探し求めているのだと言う「それ」は、何処かに実在しているのならば鬼たちの手に渡るよりも先に確保しなくてはならないものであるのは確かだ。

 まあ、それが一体何なのかはかつて鬼舞辻無惨と行動を共にして実際に「青い彼岸花」を探す様に言われていたらしい珠世さんにすら分からないものであるらしいし……何故鬼舞辻無惨がそれを求めるのかに関しても推測出来る事はあっても確証にまでは至らないもので。

 単に捜索と言っても鬼たちが千年掛けても見付け出せなかったものを人の手で僅かな間に見付けようとするのは、ある意味では雲を掴む様な話ではある。

 とは言え今回のこれは、必ずそれを見付けて来いと言う要件の任務では無い。

 以前、炭治郎が走馬灯を見る程に追い詰められた際のその生と死の狭間の中で、ほんの一瞬とは言え確かに過った幼き日の記憶の中に青い色をした彼岸花の様な花が在ったと言うので、それが鬼が探し求めている『青い彼岸花』である可能性があるのであれば鬼に奪われたりする前にどうにか対処する必要はあるとの事で、あくまでも「念の為」と言うものである。

 炭治郎が垣間見たそれが果たして目的の『青い彼岸花』であるのかは分からないけれど、まあとにかく一旦探してみる必要はあるのだろう。

 ……勿論その思惑もあるだろうがそれ以上に、上弦を討つなどと言った目覚ましい功績を上げている炭治郎にちょっとした里帰りをさせてやろうと言う思惑もあるのかもしれない。炭治郎は放っておくと身体を壊しかねない程に熱心に鍛錬してしまうので、少なくともちょっと休ませる意図はあったと思う。

 そんなこんなで、炭治郎は当然として善逸と伊之助、……色々と迷いはしたものの禰豆子を連れて、五人で炭治郎の生家がある雲取山に向かう事になったのであった。

 

 雲取山は東京都心からはかなり離れた場所に在る……現代で言うなら奥多摩と呼ばれる地域にある標高の高い山で、冬になれば山全体が雪に覆われる場所だ。

 かなり遠方の地であり、幾ら呼吸の剣士として鍛えた健脚があっても流石に日帰りなどは出来ない。その為、何日か掛ける必要はある任務である。

 なお、雲取山に向かうその手前には伊之助が育った山があった様で、移動している最中に伊之助が懐かしそうな顔をしていた。

 ……肝心の炭治郎はと言うと、懐かしく嬉しそうな反面何処か複雑そうな様子ではある。

 ……炭治郎にとって、雲取山は生まれ故郷であり帰るべき場所であるのと同時に、余りにも辛く血生臭い記憶が強く結び付き過ぎている。

 勿論、凄惨な記憶だけでは無く、家族と過ごした愛しい思い出も多く存在するのだけれど……だからこそ尚の事その最後の記憶の痛みはより一層苛烈なものになる。

 今はあの惨劇の記憶の中とは違って、雲取山に雪は積っていないけれど。しかし、あの幸せが壊れてしまった事を象徴する血の匂いを「思い出」にしてしまうにはまだ早過ぎたのかもしれない。

 ……思えば、炭治郎はずっとあの日から我武者羅に前に進み続けるしか無かった。禰豆子を人に戻す為には立ち止まっている余裕なんて無かっただろう。時間的にもその心にも。

 あの日の惨劇に対して折り合いを付けていない訳では無いだろうが、「思い出」として整理してしまうには炭治郎に許された時間が余りにも少ない。

 ……無限列車の任務でその夢と過去を垣間見てしまったからこそ、炭治郎の中であの出来事が今も尚色褪せる事の無い深い苦しみと哀しみに満ちている事は知っている。……それでも、たった一人残された家族の為に足を止めずに自分に出来る事の為に足掻き続けられる強さが炭治郎にはあるのだけれど……。

 それに、禰豆子を人に戻し鬼舞辻無惨を倒してから帰ろうと決めていたその場所に、そのどちらもがまだ達成されていない状況で一時的に帰郷する事に複雑な思いでも感じているのかもしれない。

 禰豆子を背負いながら慣れてはいるものの険しい山道を歩くそれは、きっと否応なしに「あの日」の記憶を呼び覚ましてしまっているのだろうと思う。

 町に向かっていた「あの日」とは逆で家に向かっているのだし、道に足が埋もれそうな雪は積っていないし、そして「あの日」とは違って傍には善逸と伊之助と自分も居る。それでも、記憶に焼き付いているそれはそう簡単に振り払えるものでは無いだろうと思う。……炭治郎の心の中が分かる訳では無いので、あくまでも推測ではあるが。

 

 雲取山で「青い彼岸花」の捜索をするにしても今日明日では流石に終わらないだろうとの事で活動の拠点は必要であり、それはある種当然の流れとして炭治郎の生家を使おうと言う事になった。

 ただ、炭治郎が家を離れたのはもう二年も前の事で、更には鬼舞辻無惨に襲撃されたその惨憺たる有様を片付ける間も殆ど無く家族の亡骸を弔う事しか出来ぬままの状態で離れているのだ。

 人の住んでいない家は驚く程直ぐに荒れてしまう事や、山中にある事を考えると山の獣たちに荒らされていてもおかしくはないし、そうでなくてもあちらこちらに血が撒き散らされこびり付いた変わり果てた有様に直面する可能性は大いにあった。

 畳を替えたり傷んだ板を張り替えたりなどと言った家中の大掃除が必要になる可能性は高いだろう。

 畳などは家の状況が分からないので予め持ち込むのは難しかった為、必要ならば麓の町に降りるなどして買い付けるつもりではあるが。

 取り敢えず初日は大掃除に追われる事になるのだろう、とそう覚悟していたのだけれど……。

 

 山道を行く事暫し、漸く辿り着いた炭治郎の家は、パッと見の外見は荒れ果てた様子は無かった。

 家の裏には、その部分だけ花が咲いている区画があって。

 ……かつての炭治郎の記憶を知っているからこそ、そこには炭治郎の亡き家族が眠っているのだと分かる。

 あの日、寒さにかじかむ手で……だがそんな事も気にならない程に絶望と不安とに苛まれつつ、禰豆子を守らねばと言うその想いに縋りながら、炭治郎は一人で家族全員の墓穴を掘っていた。

 そして変わり果てた姿となった彼等を、限られた時間の中で出来る限りかつての様な姿に装って眠らせた事も。

 家族の無惨な亡骸を見ても何の反応も示せなくなっていた禰豆子の有り様に打ちのめされていた事も。

 その記憶を見てしまったからこそ、知っている。

 

 それを目にした瞬間、炭治郎の目に涙が浮かんだ。

 その胸に去来しているのだろう感情はとても複雑なものなのだろうと、涙の向こうに揺れる眼差しを見ても感じる。

 家族の眠るその場に膝を突いた炭治郎は、昼日中ではあるが念の為近くに鬼の気配や第三者の気配は無い事を確認してから、背負って来た箱から禰豆子を出してやった。

 禰豆子は普段の様に身体を瞬時に大きくしながらも、蝶屋敷では無いのに日中に箱の外に出た事を少し不思議そうに首を傾げ、そして膝を突いている炭治郎を見て、家族の眠る墓を見る。……それが墓である事や其処に家族が眠っている事を何処まで理解出来たのかは分からない。だけれど何かは感じた様で、禰豆子は炭治郎の真似をするかの様にその場に膝を突いた。

 その様子を見ていた炭治郎は、僅かばかり安堵の様な……そんな気配を微かにその眼差しに溶かした。

 何も言われなくても察した善逸と、良くは分かっていないが何かただならぬ雰囲気を察し少しオロオロと周りを見てそれに倣う事にした伊之助と。

 二人とも何も言わずに炭治郎の横に並んでそこに膝を突いた。

 炭治郎は暫しの間無言のまま手を合わせていたのだが、その目に浮かんだ涙が頬に一筋の軌跡を描いて零れ落ちた事を切っ掛けにしてか、「ただいま」とそう言葉にする。

 そして、その言葉を口にしたからなのか、その目から止め処無く涙が溢れ始めて。それを見て少し焦った様な素振りを見せた禰豆子の目からも、炭治郎の涙が伝わったかの様にポロポロと涙が真珠の様に光る雫となって零れていった。

 ボロボロと涙を零す二人を見て善逸と伊之助は焦った様に二人を宥め様としてぎゅうぎゅうと抱き締めるのだが、善逸は貰い泣きしたのか二人よりも大きな声でわんわん泣き出し、それに驚いた伊之助はあわあわと狼狽えつつもちょっとその被り物の下でちょっと涙ぐんでいる様だった。

 

 ……炭治郎の戦いはまだ終わった訳では無く、寧ろ今からが正念場と言っても良い所ではあるけれど。

 それでも、今まで押し殺していくしかなかった様々な思いを、そうやって涙にして表に出す事が出来た事は、きっと炭治郎にとってその心の負担を減らす切っ掛けにはなるのだろう。

 そして、守らねばならぬ家族である禰豆子だけでなく、その気持ちに寄り添おうとしてくれる善逸や伊之助の様な友が傍に居る事もまた、炭治郎を支えてくれるのだろう。

 

 炭治郎たちの様子を見守りながら、墓標の無い墓にそっと手を合わせる。

 ……此処に眠る人たちにとって、自分は全く縁も所縁も無い者ではあるけれど。……炭治郎の記憶を見てしまったからこそ、自分にとっては他人事ではない。

 この先の戦いで何が起きるかは予想し切れなくても、それでも自分に出来る精一杯で炭治郎たちの事を守る事を誓って。だからこそ、此処でどうか炭治郎たちの事を静かに見守っていて下さい、と。その死後の安寧が脅かされる事の無いようにと願う。

 死した者の魂が何処に行くのかは自分には分からない。

 もしかしたらもうこの墓の下には彼等の魂は無く、死者が行くべき所へ既に去っているのかもしれない。或いは、死した場所に縛られる事無く、その魂は目には見えなくても今も炭治郎たちに寄り添っているのかもしれない。

 今此処に彼等の魂が居ても居なくても、炭治郎たちの家族の前で誓うからこそ意味がある。

 此処が炭治郎たちにとっては『帰るべき場所』であるからこそ、必ずまた此処に無事に帰ってくる事が出来る様にするのが、自分のやるべき事だと思うのだ。

 

 

 一頻り泣いて気持ちが落ち着いたらしい炭治郎たちと共に家の中に入ると。

 荒れ果てているかもしれないと言う予想に反して、家の中はとても綺麗な状態だった。

 血に汚れてしまっていた畳や棚や箪笥などの家財も、すっかり新しい物に変わっている。更には、誰かが定期的に空気の入れ替えや掃除をしに来てくれているのか、長い事締め切っていた家特有の匂いも埃っぽさも無い。

 その事に驚いていると、炭治郎が自分宛ての手紙が置かれている事に気付いた。

 それを読む内に、再び炭治郎の目に涙が浮かぶ。

 

「三郎爺さんや町の人たちが綺麗にしてくれたんだ……」

 

 畳も、家財も。決して安いものでは無い。それを工面すると言う事は、そう簡単な事では無かっただろう。

 そもそも、何も書き残したりする事は無く家を出た炭治郎たちが何時此処に帰って来るのかなど分からないのだし。

 無惨な状態になった家の中や墓標も無く土のみが盛られた墓を見て竈門家に何か只ならぬ事が起きた事は察する事は出来ただろうが、しかしそれで炭治郎たちの安否を知る事など出来なかっただろう。

 ……もう二度と此処に主が帰って来ないのだとしても。寧ろその可能性の方が高かったのだとしても。

 それでも、無惨な有り様の家をそのままになどしておけず、何時か家主が帰って来た時に少しでもかつての姿を留めた家が出迎える事が出来る様にと、そう心を砕こうと思われる程に。炭治郎たちは町の人たちから愛されていたのだろう。

 

 そんな温かな思い遣りを受け取って幸せな思いに満ちた温かな涙を零す炭治郎を、静かに見守るのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「青い彼岸花」を探しに雲取山に向かうようにと任務が下った時、先ず真っ先に頭を過ったのは、あの雪の日の光景であった。

 あれから、もう二年半以上もの時が経っている。

 温かな記憶と、そして血に塗れた凄惨な記憶と。

 相反する様なその二つの記憶が色濃く残るあの家は、今どうなっているのだろうか。

 

 ……あの日、皆を埋葬する事が精一杯で。粗末と言っていい様な墓穴を掘って埋める事しか出来なかった。

 山の獣たちに掘り返されたりしない様に深く掘った穴の中につい昨日までは生きていた筈の大切な家族の亡骸を埋めた時に何を感じていたのか……それを振り返ろうにも今となっては酷く曖昧なもので。

 ただ、旅立つ前に家の中を片付けていこうなんて余裕は欠片も無かった事だけは覚えている。

 あの時は、起きてしまった出来事が余りにも衝撃的で、そして殆どがもう自分が何をした所で取り返しが付かない事で。

 そんな中、たった一つ残されたそれに縋るかの様に、ただひたすらに禰豆子の事を考えていた。

 あの時の自分には、『禰豆子を人に戻す』というそれが全てだった。それしか無かった。

 ……俺と禰豆子が居る限り、あの家の温かな記憶が喪われる訳では無い。

 あの家こそが俺たちの帰るべき場所で、帰りたい場所だ。

 それは、何年経とうと変わる事は無い。

 ただ……。二年以上もの間人の手が入らなかった山中の家屋がどうなるのかを考えてしまうと、果たして今もそこにあの家はあるのだろうかと思ってしまうのだ。

 禰豆子を人に戻すまで、無惨をこの手で倒すまでは、と。

 それを優先する事で、今まで無意識の内にあの家の事を考えようとはしてこなかったのかもしれない。

 目的を果たすまで帰らないと、そう心に決める事で。少しでそれで迷う事が無いようにとしていたのかもしれない。

 何にせよ、思いもよらなかった形での帰郷に、俺は何処と無く落ち着かない気持ちになっていたのだった。

 

「青い彼岸花」探しに向かう事になったのは俺だけではなく、善逸と伊之助、そして悠さんもであった。

 正確には、善逸に関しては「禰豆子ちゃんが行くなら俺も!」という理由での同行になったのだが。

 禰豆子を入れて五人で故郷の雲取山に向かうのは、何だか不思議な気分であった。

 山育ちの伊之助は楽しみで仕方が無い様で、何時も以上にソワソワとした様子で「早く行こう」と言外に急かしているかの様である。

 そんな伊之助を、ひたすら山を越えて歩いて行く事に少し辟易してきたのかやや疲れた様子の善逸はちょっと呆れた様に見ていて。周囲の様子を興味深げに眺めながら歩いている悠さんは微笑ましいものを見ている様な優しい目を向けていた。

 

 雲取山に続く山道を皆で色々と話しながら歩いて行くのも何だか不思議な気分だ。

 あの日家を後にするまで、俺は基本的に雲取山から離れた事は無いし、麓の町に炭を売りに行く事はあってもそれ以上遠方に行った事は殆どと言って良い程に無い。

 それを嫌だと思った事は全く無かったけれど、それまでの俺にとっての『世界』は、今思えばとても小さなものだったのだ。

 洋風のハイカラでモダンな人々の話など、雲取山とその麓の町の外の世界の事は、それこそまさに少し遠い御伽噺の様な世界の事で。自分の世界と地続きの何処かにある話だと実感する事は無かった。

 鬼殺隊の隊士として各地を駆け回る様になって、間違いなく俺の『世界』は広がった。

 それは、知らなかったものを知る度だけではなく、新たな人に出会う度にも。

 町の人たちは皆とても良くしてくれたけれど、思えば『友だち』と呼べる様な関係の相手は居なかった気がする。同じ目的の為に肩を並べて戦う仲間も居なかった。

 決して豊かな生活ではなくても守り支えていくべき愛しく大切な家族が居て、見守ってくれる優しい町の人たちが居て。それで十分以上に俺は満たされていたし幸せだったけれど。

 それでも、その始まりに絶望と惨劇が在ったのだとしても、『世界』が広がった事もまた、決して不幸や苦しみに満ちていた訳では無い。

 きっとあの頃の俺が思っていた以上に、『幸せ』の形というものは色々とあるんだろうと思う。

『幸せ』に貴賎は無く、あの日よりも前の日々の『幸せ』も、こうして皆と過ごす時間の中で感じる『幸せ』も、どちらも俺にとってはとても大切なもので。

 ……だからこそ、決して叶う事の無い淡く儚い夢も見てしまう。

 母さんや竹雄たちも元気に生きていて、禰豆子も普通に人間として陽の光の下を歩く事が出来て、でもそこには善逸や伊之助や悠さんや……鬼殺隊として戦う中でお世話になった大切な人たちも居て。

 そんな、「もしも」ですらない絶対に現実にはならない願望を、思い描いてしまうのだった。

 

 山道を歩きながら、ふと「青い彼岸花」とは一体何なのだろうと言う話になる。

 無惨が鬼たちを使って千年以上の時間を費やしても尚見付ける事が叶っていない「何か」。

 確かに、朧気な記憶の中に目が覚める程の青い色をした彼岸花を目にした記憶はあるものの……断片的なその記憶以外にそんな花を目にした記憶は無いし、無惨がそれ程までに長い時を掛けて探し求めているものが、俺にとって余りにも身近な山の中にあるのだろうかとも思ってしまうのだ。

 無惨が探しているそれはもっと別の物で、「青い彼岸花」と言うそれも何らかの隠語や符号の様な物であるのかもしれないし。

 それにそもそもどうしてそこまでしてその「青い彼岸花」を求めているのかも謎だった。

 すると、悠さんが確証がある訳では無いけれど、と前置きをして自分の推測を話す。

 

「『青い彼岸花』の正体が何なのかまでは分からないけど、それは鬼舞辻無惨が鬼になった事自体に何か関係しているのかもしれないな。恐らくは、になるけれど」

 

 無惨が鬼に、と言うその言葉に驚いてしまう。

 何となく、無惨は生まれながらにして鬼であったかの様に思っていたからだ。

 人間を鬼に変えてしまえる力を持つのは、基本的には無惨だけであるのだし。それに、元が人間だったとはとてもではないが思えない程に無惨の在り方は人としてのそれでは無い。

 だが、そもそも人は鬼になるとその心は歪み果ててしまう。

 かつての無惨も、人から鬼になった事であそこまで歪んでしまったのだろうか?

 それは分からないけれど、無惨を鬼に変えた原因に「青い彼岸花」が関わっているのであれば、「青い彼岸花」を探し出す事には俺が思っている以上に重大なものであるのかもしれない。

 

「……そうだな。もし『青い彼岸花』が心無い者の手に渡れば……そしてその者がその悪用方法に辿り着けば。第二第三の鬼舞辻無惨が生まれてしまうのかもしれない」

 

 憂う様な眼差しで悠さんは頷く。

 この世の誰も彼もがそうであると言う訳では無いけれど。

 鬼の様に強靭な再生能力と寿命がほぼ存在しないそれを、人を食らう化け物になる必要があると言うそれを差し引いても問題無いと考えてしまう様な……そんな心無い人が存在しない訳では無いし。或いはそんな悪意や私利私欲とは無縁に単純な善意として誰かを助けたくてそれを求めてしまう人もいるだろう。

 だが、その結果生まれるのは間違いなく酸鼻極まる怨嗟の連鎖だ。新たに生まれた「鬼」が無惨の様に無闇矢鱈と鬼を増やす様な事はしないのだとしても、人の命は貪り食われる事になる。

 何時か遠い未来で、人を食う衝動や必要性を克服する方法を見付け出す事が出来るのだとしても。しかしそこに至るまでに積み上げられる事になる屍の数を思うと、『青い彼岸花』は世に知られては決してならないものになる。

 

 気負う様に決意を新たにしていると、悠さんはそれを和らげようとするかの様にゆるりと首を横に振る。

 

「『青い彼岸花』が本当に植物なのだとしても。

 千年前に在ったそれが今も存在しているのかどうかに関しては分からないからな……」

 

 案外何処かで絶えているのかもしれない、と。そう悠さんは言う。

 まあ確かに、無惨が千年掛けても見付けられていないのだ。

 探している間に絶えてしまっている可能性だってあるだろう。

 

「植物に関しては、本当に複雑怪奇と言うか……繊細な部分はあるんだけれど、想像するのも難しい程に変わった生態である時も多い。

『青い彼岸花』は恐らくは相当に稀少な種であるのだろうから、本当に極限られた場所でしか生育出来ないものなのかもしれないし、或いは物凄く変わった生態なのかもしれない」

 

 そう言いながら、悠さんは色々と話してくれる。

 千年前と今とでは大分気候の変動があって、気温などの変化も色々とあったらしい。特に徳川の時代辺りは寒冷な状態が続いていたりしたらしく、植物の中にはそう言った気候の変化に酷く敏感なものもあって、それで千年の間の何処かで枯れてしまっている可能性だってあるだろうと言う。

 しかし植物はただ繊細なのではなくて、物凄く長生きだったり或いは驚く程不思議な生態だったりするのだとか。

 例えば、日本にだって二千年以上も生きている屋久杉などがあるし、同じ根が繋がっているという意味で八万年もの間ずっと生きている樹も海の彼方にはあるらしい。

 何十年に一度しか花を付けずそしてその後には枯れてしまう様な植物もあれば、身近な竹だって花が咲くのには百年だとかの長い時間が必要でその後は根が繋がっている竹林自体が枯れてしまう。そうやって驚く程の長い時間を掛けて花を付けて実を結び枯れてしまう植物は多くはなくても確かに存在するのだとか。

 植物自体が地中に埋もれ花すらも土の中で咲いて地上には出て来ない様な生態のものもあるし、ほんの限られた時間の中でしか花を咲かせないものもあるし、燃えやすい油を大量に含みある程度暑くなってくると発火して周囲の花々を燃やす様な花だってあるし、一生に二枚しか葉が生えずそれがずっと成長し続けるものもあるし、人が見付けた時点でたった三本しか残っていなかった植物もある。

 悠さんが教えてくれたそれらは、確かに物凄く不思議で。

「青い彼岸花」がそれらの様にとても変わった植物であるなら、今尚現存していたとしても、無惨が千年かけても見付ける事が出来ていなくてもそう有り得ない事でもないのかもしれない。

 とは言え、今までは発見されて来なかったからと言ってこれからもそうであるとは限らず、その為にも出来るなら「青い彼岸花」を確保しておかなければならないのだけれど。

 

「まあ、『青い彼岸花』が本当に彼岸花の突然変異か何かなら、ずっと同じ場所に咲いている可能性は高いだろうな」

 

 日本に咲いている彼岸花は種を作らず球根でしか増える事は出来ないから、と。そう悠さんは言う。

 そうなんだ、と驚いていると悠さんは彼岸花についても色々と教えてくれた。

 日本に咲いている彼岸花は元々は中国からやって来たのだそうだが、突然変異(?)とやらでその彼岸花は種を作る事は出来ないのだそうだ。その為球根から増やすしかないのだが、球根にある毒で害獣避けなどの用途と、球根の毒は水に晒せば抜く事が出来る事から飢饉の際の食料にもなる為に、各地の田畑や畦道に植えられて今では日本各地で見る事が出来るのだとか。

 また、外つ国には様々な色や形の「リコリス」と呼ばれる彼岸花が存在し栽培されているらしい。

 俺たちが知る彼岸花ではないけれどそれに近いものの中には確かに青っぽいものもあるのだとか。正確には桃色の花に段々と青みがかっていく様なもので、俺の記憶の断片にある鮮やかな蒼とは程遠いらしいが。

 

「元々、彼岸花に限らず花の色として『青』はかなり希少なんだ。そう言う色素が最初から無いものも多いし。

 正直、彼岸花っぽい青い花が欲しいなら、真っ白のネリネを青色の染料で染めてしまうのが手っ取り早いんだろうな」

 

 流石にそれは「青い彼岸花」そのものではないけれどそれで無惨を騙せないだろうか、なんて悠さんは冗談交じりに言う。

 それで無惨が騙される光景を想像すると、面白いような馬鹿らしいような、何とも言えない気持ちになる。

 その光景を想像したのだろう善逸と共に思わず噴き出すと、悠さんはしてやったりとでも言いたげな顔で笑う。

 

「そんなに簡単に騙されるかなあ……」

 

 まだ笑いが残った表情のまま善逸が首を傾げるが、悠さんは真面目そうな顔で頷く。

 

「それを探している鬼舞辻無惨本人が、『青い彼岸花』がどんなものなのか詳しくは分かっていないみたいだからな……。

 彼岸花を探すにしても、彼岸花がやって来た元である中国に目を向ければ良いのに、何故か東京近郊を中心に動いているし。

 それっぽいものを見せたら案外コロッと騙されるんじゃないか?

 本物かどうかは殺して奪ってから確かめれば良いだろう、程度には考えていそうだからな。

 手に渡した後で偽物だとバレたらそれはもう盛大にキレ散らかしそうだが、流石に鬼だと憤死するって事は無いんだろうな」

 

 残念だ、なんて。顔だけは真面目に少しふざけているのが分かる口調で悠さんは頷く様に言う。

 それにしても、悠さんはやはりとても物知りだ。

 歴史にも詳しいし、外つ国の事にも詳しいし、何か分からないものがあっても大体の場合は悠さんに訊けば教えて貰える事が多い。

 すらすらと書物を読み上げているかの様に様々な知識を澱みなく諳んじるその姿は、まさに生き字引と言うものなのだろう。

 本当に凄いなぁ、とそう感心するばかりである。

 

 

 そんな風に話をしている内に、山道はよく見知った景色になって。

 二年以上前に出て行ったきりにしている家が近付いている事を皆も察したのか、次第に口数は少なくなっていく。

 そして。

 

 その光景を目にした瞬間、胸に様々な感情が溢れた。

 何かを守るかの様に……その下にあるものの眠りに寄り添うかの様に、丁度その部分を覆う様に花が咲いている。

 その下には、皆が眠っている。

 穴を掘り皆を埋めたそこは、二年前のあの日は土は盛り上がり周囲とは色が違っていたから一目見てそこに何かが埋葬されている事は分かるものであったけれど。しかし二年の間に雨風によって盛られた部分の土は削られ、掘り返されたそこも周囲と色での見分けは難しくなっていた。

 しかし、そこに皆が眠っている事を、他ならぬ自分が忘れる筈も無く。

 そして、改めてもう皆は居ない事を突き付けられているかの様であった。

 

 周りに自分たち以外は居ない事を確認して、此処まで背負ってきた何時もの箱から禰豆子を出してやる。

 ……二年前のあの日には、禰豆子はちゃんと皆とお別れが出来ていなかったのだろうと思う。

 あの時の禰豆子は俺を襲わないようにする事で精一杯だったし、その自我は本当にあるのかどうかも疑わしく思ってしまう程にぼんやりとあやふやなもので。

 目の前で穴の中に横たえられそっと土を被せられていく()が一体何であるのかを理解出来ている様子は全く無かった。

 禰豆子が守ろうとするかの様にその腕の中に抱えていた筈の六太が埋められる時ですら、何も分かっていない様にただぼんやりと作業を眺めているだけで。

 それが堪らなく悲しかった事は、今でも覚えている。

 そして今、目の前にあるものが家族の墓であると理解出来ているのかは分からないけれど、禰豆子は俺の真似をするかの様に俺の傍で膝を突いた。

 それに酷く安堵していると、善逸と伊之助に悠さんまでもが静かに俺に倣うかの様にその場に膝をついて手を合わせる。

 

「ただいま」

 

 それに返事をしてくれる人はもう居ないけれど。

 そう言葉にすると、その途端に色々なものが込み上げてきて。

 それは涙の雫となって頬を伝い落ちていく。

 そしてその涙が伝わったかの様に禰豆子もポロポロと涙を零して、慌てた様に俺たちを抱き締めてきた善逸の目からも光るものが零れ落ちていくし、伊之助も戸惑いながらもその身を少し震わせる様にしてその被り物の下で涙ぐんでいる様で。

 ふと視線を向けると、悠さんは少しの悲しみを湛えつつも慈しむ様な目で俺たちを見守っていた。

 

 一頻り泣いて、気持ちに少し整理がついた所で、いよいよ家の中に入る。

 だけれど、意を決して戸を開けたそこには、思ってもみなかった光景が広がっていたのだ。

 

「全然荒れてない……」

 

 あの日、急いで此処を離れなければならなかった俺に、家の事を片付けたり整理していく様な時間も余裕も無くて。

 畳や壁を汚した血を拭う事すらもままならず、壊れた家財を片付ける余裕も無く、荒れたままの状態で置き去りにするしかなかったのに。

 しかし今、目の前に広がる室内の様子の何処にも、血痕なんて無くて。

 それどころか随分と年季が入っていた筈の畳や家財が綺麗なものになっている。

 それには、俺だけではなく悠さんも驚いている様であった。

 そして、目に付きやすい場所に、俺たちに宛てた手紙が置かれていた。

 ……それは、三郎爺さんや町の人たちからの手紙で。

 俺たちの安否を心配する言葉と、……滅茶苦茶になっていた家の事は三郎爺さんや町の人たちが手分けして片付けて綺麗にした事、畳などはもう駄目になってしまっていたので新しいものに替えてある事などが記されていた。

 それを読む内に、再び涙が溢れてきて手紙の字が滲んでしまう。

 

 ああ、駄目だなぁ。今日は泣いてばかりだ。

 

 常に何処か張り詰めていたものが僅かに緩んで。

 だからなのか、涙は中々止まらない。

 

「……優しい人たちなんだな」

 

 そっと寄り添う様な響きの悠さんの言葉に、ボロボロと涙を零しながら頷く。

 そう、とても優しい人たちだ。

 沢山、「ありがとう」と言いたかった。一人一人に溢れんばかりの感謝の気持ちを伝えたかった。

 生きているかどうかも分からない俺たちの為に何かをしようとしてくれる、そんな優しい人たちに。俺も何かを返したかった。

 

 

「……おかえり、炭治郎」

 

 

 まるで微笑むかの様に優しい目と声でそう言った悠さんは、泣きじゃくる俺の背を優しく撫でるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
炭治郎が今度は何の憂いも無く帰ってこられる様にしたいと思っている。
なお、白いネリネを青く染めたものでも無惨様は騙される模様。


【竈門炭治郎】
思わぬタイミングでの帰郷であったが、心の重荷を少し下ろす事が出来た。


【竈門禰豆子】
分かっていないようでぼんやりとは分かっている。


【我妻善逸】
禰豆子ちゃんと炭治郎が育った家を訪れる事が出来て嬉しい。
炭治郎は優しい人たちに愛されてきたんだなぁ……としみじみ思う。


【嘴平伊之助】
山育ちで山の植物にも詳しい(学術的な知識ではなく)為、『青い彼岸花』捜索の人員に抜擢された。
雲取山の環境も気に入った模様。


【「青い彼岸花」】
ある意味で全ての元凶。
雲取山の一画にしか生息しない超希少種。
開花の条件や生育条件が物凄く繊細なので、日中にしか咲かないと言う特殊性を抜きにしても人に認識される事はほぼ無かった。
またその存在を認識した人も多くはそれが極めて希少かつ扱いようによっては危険なものだとは思わず、「珍しい綺麗な花」程度のものであった。
雲取山の個体群が滅びると絶滅する。


≪今回のコミュの変化≫
【剛毅(竈門禰豆子)】:9/10→MAX!


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『遠い何時かの子守唄』

P4Gがswitchに移植される喜びの余りに夜しか眠れなくなりました。P4Gは良いぞ!(P4U2も良いぞ!)
ヒノカミ血風譚もswitchで遊べる事を考えると、switch一台で鬼滅の刃もペルソナ4も楽しめますね。
後はswitchにP4DとPQの移植が来ればもう思い残す事は無い……。



◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 無惨の襲撃によって凄惨な状態になり滅茶苦茶に壊されていた家が町の人たちの厚意によって綺麗な状態にされていたとは言え、生活を始める前に流石に多少の掃除は必要であった。

 三郎爺さんか誰かが定期的に換気をしに来てくれていたのか、家の中が湿気などで傷んでいる様子は無かったが。それでもやっぱり多少の埃は積もっていたし、換気も必要であったし、掃き掃除に拭き掃除と皆で手分けする事になった。

 とは言え、もっと大変な事になっている事を覚悟していた為、それに比べればずっと楽で。

 とてもマメな悠さんは当然として、何だかんだと掃除はちゃんとする善逸もしっかりと手伝ってくれて。あまり掃除は得意ではない伊之助は、張り切って沢まで何度も往復して水を汲んできてくれた。

 そして、そんな俺たちの様子をニコニコと見ていた禰豆子は、ちょっとした力仕事を張り切って手伝おうとしてくるのであった。

 そんな風に皆で協力した結果、家中の大掃除は思っていた以上に早く終わった。とは言え、家に辿り着くまでにそこそこ時間が経っていた事からもう少しで日が暮れる時間になっていて。

 その為、「青い彼岸花」探しは明日にする事にして、俺たちは夕食の準備や風呂の準備などを手分けして行った。

 皆で賑やかにそうやって日々の事をこなしていると、何だか昔に戻った様な気がする。

 ここに居るのは母さんや竹雄たちではないけれど、でも人の温かさが齎す賑やかさは何処か似ているのだ。

 そうやって俺がしんみりとしているのを察したのか、善逸は何時も以上に傍に居ようとしてくれたしちょっと大袈裟なくらいに賑やかだった。それに伊之助も張り合う様に賑やかし。そしてそんな俺たちを悠さんは楽しそうにニコニコと微笑みながら見守っている。

 それから皆で夕飯を食べて、寝る前に明日以降に向けての「作戦会議」をする事になった。

 

「雲取山を探すにしても、山中を虱潰しに探してたら何日あっても足りないだろうからな。

 ちょっと、捜索範囲を絞ろうと思うんだ」

 

 実にご尤もな事を言って悠さんはこの辺りの山の地形が描かれた地図を取り出す。

 そして、家がある辺りに印を付けた。

 

「炭治郎がその真っ青な彼岸花らしきものを見たのは大体幾つ位の時の事なのかは分かるか?」

 

 悠さんに言われ、うーんと腕組みをしつつその記憶を思い出そうとする。が、物珍しい真っ青な彼岸花の様なものが記憶に鮮やかに残っているだけで、それ以上の事は思い出せない。

 だからこそ分かるものもあるが。

 

「多分ですけど……俺が相当に小さい時の事じゃないかなと思います」

 

 そうでもなければ、青い彼岸花を見たと言うだけしか思い出せないのは少し変である。

 もしそれがある程度成長した時の事なら、その記憶には必ずと言って良い程に禰豆子や竹雄たちの姿もあると思うのだ。

 物心付いてからはそう言った珍しい物や綺麗なものの大半は、家族の皆で共有していたのだから。

 そう言うと、悠さんは成る程と頷いた。

 そして、幼い頃の俺の行動範囲はどの辺りまでだったのか? と訊ねて来る。

 炭焼きを手伝える位の年頃になるまでは、俺の行動範囲はそう広くは無くて。

 恐らくはこの範囲だろうと言う部分を地図上に指でなぞると、悠さんはそれよりも少し広い範囲を囲う様に印を付ける。

 

「取り敢えずはこの範囲内に『青い彼岸花』がないかどうか探してみよう。

 ただ、もしも『青い彼岸花』の開花条件が難しいものだとすると、其処に在ったとしても今はまだ花を開いていないのかもしれない。

 だから、青い花だけに注目するのではなく、何か見慣れないものがないかどうかも念頭に探すべきだと思う」

 

 そう言って、悠さんは伊之助を見て「頼りにしてるぞ、伊之助親分」と微笑む。

 山育ちの伊之助は、山の生き物や植物に詳しい。

 それは悠さんの様なその植物の名前がどうだとかその生態がどうだとかとか言う形の知識ではないけれど、しかし実際の生活の中での経験に裏打ちされた知識の豊富さは、同じく山で育ってきた俺よりも遥かに上である。

 それもあって、今回の『青い彼岸花』探しに抜擢されてもいるのだ。

 そんな伊之助はと言うと、悠さんの言葉にそれはもう大層気を良くした様子で威勢よく鼻を鳴らす勢いで「親分に任せろ!」と腕を組んで威張る。頼られて嬉しいのだろう。

 鬼殺隊に入るまであまり人と関わる事が無かった伊之助であるが、少し乱暴で融通が効かず猪突猛進ではあるが何だかんだと面倒見が良い一面もある。

 俺たちはまだ鬼殺隊に入って日が浅い方なのでまだ後輩になる様な隊士は居ないのだけれど、伊之助は案外良い先輩隊士になるんじゃないだろうかとも思う。

 まあ、無惨を倒す事さえ出来れば、そもそも鬼殺隊もお役御免となるので新たな隊士が入隊する事も無いだろうけれど。

 

「俺は『山の王』だからな!

 山の事で俺に分からねぇ事は無ぇ!

 俺に掛かればその『青いなんたら』だって直ぐに見付けてやるぜ!

 さあ、俺を崇め讃えろ!!」

 

 まだ何も見付けていないのだが既に見付けた様な気になってそう主張する伊之助に、悠さんはニコニコと微笑みながら「凄いぞ、流石は伊之助親分だな!」と声を掛けている。

 それに更に気を良くした伊之助は、さっそく今から探しに行くか!とばかりに夜の山へと飛び出そうとして、「もう夜遅いでしょ!」と善逸に止められる。

 鬼殺の任務で夜間に行動するのは慣れているから探そうと思えば探せなくはないが、鬼たちが千年もの間見付けられていない事を考えると夜には花を開かないものなのかもしれないから一旦日中に探そうと言う話になっていたのだ。

 やる気満々になっている伊之助に、明日の朝から探そうと言い含めて。

 そうして俺たちは皆で一緒に眠ったのであった。

 

 

 そして翌朝。

 朝ご飯を食べるなり、もう待ちきれないとばかりにソワソワしていた伊之助が勢い良く飛び出して行く。

 

「誰が一番最初に『青いなんたら』を見付けるか、勝負だからな!!」

 

 止める間もなくあっと言う間に山の奥へと消えて行った伊之助を、善逸はちょっと呆気に取られた様に見送り、悠さんは本当に嬉しそうな目で見詰めていた。

 そして、俺はと言うと「勝負」と言う言葉にふと以前の事を思い出して。

 

「『勝負』って。まるで、刀鍛冶の里での宝探しみたいだなあ」

 

 あの時も、伊之助は「勝負だからな!」と張り切っていたのであった。

 あの時探していた「里に代々伝わる秘密の武器」と言うのは、きっとあの縁壱零式と言う名の戦闘訓練用絡繰人形の事であったのだろうから、あの時の「宝探し」の勝者は俺と悠さんと言う事になるのだろうか? まあそれはどちらでも良いのだけれど。

 そう言うと、悠さんは何処か楽しそうに頷いた。

 

「そうだな。まあ、変に気負わずに『宝探し』だって思って探す方が良いかもしれないな」

 

 有るのだか無いのだか、それすらよく分からないものなのだ。

 血眼になって探すよりは真剣に探しつつもそうやって心の余裕を持って探した方が良いだろう、と。そう悠さんは言う。

 そうして、そんなこんなで皆で手分けして「青い彼岸花」を探す事になったのであった。

 

 

 勝手知ったる雲取山であるとは言え、その中から特定の草花を探すと言うのは中々に難しい。

 大体の地形とか、炭を作る為に適した樹がどの辺に生えているのだとか、或いは山菜などの食料になるものは何処に生えているのかだとかはよく知っているけれど。

 たった一度、それも断片的な記憶に残る程度にしか目にした事の無いものを探し切れるかと言うと難しいものがある。

 鼻は何時もの様に利いているけれど、どの匂いが「青い彼岸花」のものなのか全く分からないし、では嗅ぎ慣れない匂いを辿ればいいのかと言うとそうとは限らない。

 その為、とにかく地道に地面を注視して何か見慣れないものがないかどうかと探していくしかなかった。

 少しずつ秋色に色付こうとする山の木々を縫う様にして地に生えている草花を探しているのだが、今の所探した範囲内に真っ青な彼岸花も、それどころか何か見慣れないものというものも無い。

 まあ、じっくり観察しながら進んでいるので、捜索出来た範囲はそう広いものでは無いのだけれど。

 

 そんなこんなで気付けば既に昼は過ぎていて。

「青い彼岸花」の捜索は一旦中断となって、皆で一度家に戻った。

 昼食の準備がてらに話を聞いた所、伊之助も善逸も悠さんもまだそれらしき物は見付けていないらしい。

 捜索範囲は山全体から見ればかなり絞っているのだけれど、それでもやはり隅々まで探すとなると一朝一夕にこなす事は難しい。

 そんな訳で、昼食を食べて少し休憩をしてから日没までまた捜索を再開する事になった。

 

 休憩後、各自でまた別れるよりも前に、皆で一緒に山道を歩く。

 その時ふと、よく見知ったこの場所での思い出がふと脳裏に蘇って、少しずつ足を止めてしまった。

 それはほんの僅かな時間だったのだけれど、少し前を歩いていた善逸は何処か心配そうな顔をして振り返り、それとほぼ同時に振り返った悠さんが「どうした?」と訊ねてくる。

 

「いえ、大した事じゃないんですけど。

 この道は、よく母さんと一緒に歩いた道だなと……そう思い出して……」

 

 一番古い記憶は、寝入っている禰豆子を背負った母さんと手を繋いで家に帰った遠い日の事だ。

 その時に母さんが歌っていた子守唄は、今でも忘れずに覚えている。

 禰豆子が少し大きくなった頃には竹雄が、その次は花子が、その次は茂が、そして……今度は六太が、そうやって母さんの背でその子守唄を聞きながら家に帰った道だった。

 俺も、もう記憶には残らない程の昔には、きっと同じ様にあやされながら背負われていたのだと思う。

 もうあの温かく穏やかな日々は遠く、母さんが歌う子守唄を聴く事は二度と叶わないけれども。

 しかしふと蘇ったその優しい思い出は、胸の奥をじんわりと温めてくれた。

 

「子守唄、か。そっか、炭治郎は母ちゃんにそうやって歌って貰えていたんだな……」

 

 何処か、少し羨ましい様な……でもそれ以上に諦めている様な、そんな寂しい表情で善逸はそう零す。

 物心付くよりもずっと前の時点で捨てられていたのだと言う善逸は、そうやって誰かから子守唄を歌って貰う様な事は無かったのだろう。

 それを言うなら、猪に育てられたのだと言う伊之助もそうなのだけれど。

 ……二人の前で無思慮な話をしてしまったのだろうか、とそう少し思ったのだけど。

 

「炭治郎たちが何時もそれを聴いて育ってきた子守唄か……。

 どんな歌なんだ? もし良かったら聴かせて欲しい」

 

 悠さんは優しく微笑んでそう言った。

 悠さんの言葉に、善逸と伊之助も興味があると言わんばかりの視線を向けてきた。

 そう言えばあまり人前で歌う機会は無かったな、僅かに気恥しさはあるが、それはそれとして別に減るものでもないのだからと。ちょっと喉の調子を整えてから、記憶の中にあるその歌を歌った。

 

 

『こんこん小山の 子うさぎは

 なぜにお目目が 赤うござる

 小さい時に母様が

 赤い木の実を 食べたゆえ

 それでお目目が 赤うござる』

 

 

 どうだっただろうか? と、自分としては満足のいく感じで歌い終えて、悠さんたちを見ると。

 悠さんは何とも言えない顔をして、善逸はと言うと耳を押さえている。伊之助は、猪頭の下でキョトンとした顔をしている様だ。

 

「えっと……こんな歌だったんですけど、どうでした?」

 

「……炭治郎の歌声は、随分と個性的なんだな……。

 しかし、『こんこん小山の』、か。

 何処かで聞いた事のある子守唄だな……。確か、……」

 

 歌自体への感想は少し控え目に曖昧に濁したが。

 ふと、何かを思い出そうとする。

 そして、少しして「ああ……」と小さく零した。

 

「炭治郎が歌ったその子守唄は、佐賀の子守唄だな。

 ウサギが出て来る子守唄でも、『こんこん小山』で始まるのは確かそれだけだったし」

 

 佐賀と言えば随分と遠い場所だ。

 そこで歌われていると言う子守唄を此処で聞いて育ったと言うのも少し不思議な話である。

 

「まあ、もしかしたら炭治郎のお母さんがその子守唄を聞いて育ってきたのかもしれないし、遠方の子守唄を知ってても別にそう不思議なものではないんだろうな」

 

 そう言って、悠さんは子守唄と一口に言っても地域によってそもそもの歌詞が大きく違ったり、或いは同じ様な歌詞でも少し違ったりしてその種類は本当に多種多様であるのだと教えてくれた。

 例えば、と。悠さんが少しだけ歌ってくれた子守唄に善逸は聞き覚えがあったらしく、それに反応したりして。

 悠さんはどんな子守唄を聞いて育ってきたのかと訊ねてみたら、「『ゆりかごの歌』とかかな」と、そう教えてくれる。

 試しに歌って欲しいと頼んで歌って貰ったそれは、聞いた事が無いものであったけれど、とても優しい歌だなとそう素直に感じるものだった。

 何時か自分に子供が生まれた時には、子うさぎの子守唄と一緒に歌ってやりたいなと思う。

 その時、何時になく静かに悠さんが歌う子守唄を聞いていた伊之助が、ポツリと訊ねる。

 

「なあ、カミナリ。その『コモリウタ』ってやつに、『ゆびきりげんまん』っていうやつはあるのか?」

 

「ゆびきりげんまん……?

 …………。

 ……いや、少なくとも俺が知っている『子守唄』の中には無いな」

 

 とは言え、『子守唄』として世に知られているものでなくても子供をあやして寝かし付ける為に子守唄として歌われる歌は沢山あるだろうけれど、と。そう悠さんは伊之助に言う。

 そして、どうしてそれが気になったのかと訊ねると、伊之助は自分自身でも戸惑っている様に言った。

 

「分かんねぇけど……。何処かで聞いた事がある気がするんだよな」

 

 それは、伊之助にとって母親との記憶の欠片なのだろうか?

 柱稽古の時に、一度互いの身の上話の様なものが話題になって。

 その時に、伊之助は自分には『母親』なんて居ないとそう言い切っていた。

 物心という物が付くよりも前に猪に育てられていたのだ。

 確かに自分を産んだ誰かが居るのだとしても、きっと自分が不要になって捨てたのだろうと。そう伊之助は言っていたのだけれど。

 伊之助が褌にして大切に肌身離さず持っているその布はかつては伊之助のおくるみであったのだと言うし、そしてそこにはちゃんと伊之助の名前と生まれた日が消えない様に縫い取られている事を知っている善逸は、きっと何か事情があったのだろうと言った。

 本当に「要らない」から棄てたのならそもそも名前なんて付けないのだから、と。名前すら分からない状態で棄てられていた事をとても気にしている善逸だからこその視点なのだろう。

 正直それに関して言えば、俺たちは裕福でこそ無かったものの家族仲はとても良かったし父さんも母さんも俺たちの事を心から愛してくれていたし、二人の様に親からの愛情を知らないと言う事は全く無くて。名前すら付けないで我が子を何処かに棄てると言うそれは、頭では理解していても感情的には納得するのは難しいし、ましてやそれに関して何か共感するというのも難しい事であった。

 ただ、本当の所はどうであったにせよ。

 要らないと捨てられる程に「愛されなかった」のだと思うよりは、きっと確かに愛されていたのだと、そう思っていても悪い事にはならないだろうと思うのだ。

 真実を知る機会がこの先訪れないのだとしても、それが「真実」では無かったのだとしても。

 もう変わる事の無い「過去」であり、そこにある真実は分からないのなら、自分自身を傷付ける様な想像を選ぶ必要は無いと思って、そうその時は伊之助に言ったのだった。

 そして……。

 

「……伊之助のお母さんやお父さんは、まだ赤ちゃんだった伊之助が朧気にも覚えている位に、『ゆびきり』の歌を伊之助に歌っていたのかもしれないな」

 

 どうして約束をする時の「ゆびきり」の歌だったのかは分からないけれど、でもきっとそこにあるものはとても温かくて優しいものだったと思う、と。そう悠さんは優しく言った。

 どうしてそんなに大切にされていたのだろう伊之助が山で猪に育てられる事になったのかは分からず。

 世の人の数だけそれぞれに事情があり、何か複雑な経緯があったのかもしれないけれど、とそう呟いて。

 

「『ゆびきりげんまん』って歌っているその声は、優しい声なのか?」

 

 そう訊ねられて頷いた伊之助を見て、悠さんは益々優しい顔をする。

 

「そうか……。うん、きっとその歌を歌ってくれていた人は、伊之助の事を本当に大切に思っていたんだと思う」

 

 もう記憶には断片程度にしか残っていないのだとしても、そうやって誰かに大切にされていた思い出は、今となってはどんなに遠い何時かの日々であったのだとしても、とても大切なものであるのだから、と。

 そう悠さんは柔らかく微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「青い彼岸花」を探し始めてもう二日が経った。

 しかし、未だそれらしきものは見付からない。

 最初に区切った捜索範囲の大半は既に念入りに捜索し終わっているのだけれども。

 あの記憶の断片にあった真っ青な彼岸花は何かを見間違えたものなのか、それとも何かの切っ掛けであれを最後に既に枯れ果ててしまっているのかもしれない。

 何はともあれ、捜索範囲内を探し終えたら見付かる見付からないに拘わらず一旦捜索を切り上げる予定ではあるので、「青い彼岸花」探しも今日が最後なのだろう。

 また改めて探す事になるかもしれなくても、無惨への対策に時間を割く方が今は優先すべき事なのだから。

 そんな訳で、これが最後なのだからとより念入りに探していく。

 そして……。

 

「なあこれ、何か変じゃねーか?」

 

 伊之助が何かを見付けたのか、俺たちをそこに呼ぶ。

 数日かけて大体の範囲を捜索した結果、今日は皆それぞれにかなり近い場所で「青い彼岸花」を探していたので、誰かが声を上げれば直ぐにそれに気付けるのだ。

 伊之助の声に、俺と善逸と悠さんは直ぐにその場所に向かう。

 そこにあったのは……。

 

「何だろう、これ。土筆か?」

 

 それはまるで季節外れの土筆の様な物だった。

 よく見る土筆に比べれば全体的に大きい気はするし、そもそも土筆の季節は春の中頃だ。

 

「土筆が秋に生える事はあるにはあるけど……。だが、これは本当に土筆か……?」

 

 近くにスギナが生えていない……と。そう悠さんは考え込む様に言う。

 どうやら、悠さんにもこの謎の植物の正体が分からないらしい。

 とにかく、この植物の根の辺りを掘ってみよう、と言う事になって。

 根を傷付けない様に慎重にその周りを掘っていく。

 土を掻き分ける事暫し、見えてきたのは丸々とした根であった。

 それを見た悠さんは、やっぱりこれは土筆では無いと断言して。

 これが「青い彼岸花」であるのかどうかはともかく相当な希少種である可能性が高い為、念の為に採取しておこう。とそう提案する。

 それに否を唱える必要など無くて、俺たちはその植物を球根ごと持ち帰る事にした。

 

 結局その後も隅々まで探したのだけれど、真っ青な彼岸花どころか、謎の植物以外にはこれと言って何か珍しいものも見付からなかった。

 成果としては、球根だけと言う結果に終わった。

 まあ、駄目で元々と言う任務ではあったので、寧ろ一つでも持ち帰る事が出来る何かがあるだけマシなのかもしれないけれど。

 何であれ、この球根を持ち帰ってしのぶさんたちに調べて貰うしかないのだろう。

 

 明日の朝にはまた再び此処を発つという事で、最後の夜を皆でゆっくりと過ごす。

 そして、そう広い訳では無い家の中で皆でくっ付く様にして眠る中、布団の中でうとうととしながらも、()()()()の事を考える。

 

 禰豆子を人に戻して、無惨を倒して。

 そうやって成すべき事を全部やり遂げたら、今度こそきっと心置き無くこの場所に帰って来れるのだし、そうすれば三郎爺さんや町の皆にもちゃんとお礼が言えるだろう。

 そして、その時も。

 こうしてまた、皆と此処に帰って来る事が出来たら良いな、と。そう思う。

 

 そんな事を考えながらふと、今までは目の前の成すべき事に手一杯で「これからの事」を考える余裕なんて殆ど無かった事にも気が付く。

 上弦の鬼や無惨の様な強大な存在と戦う中では、未来を惜しんだり或いは目の前の事以外に思考を割いている余裕なんて無かったのだし、未来を想って躊躇えばそれが命取りになる様な戦いばかりだったのだ。

 禰豆子を守らねばならないからこそ、目の前の事に集中する必要があった。

 それが、こうやって全ての戦いに決着が着いた先の事を考える余裕が生まれ、そしてそれを考える事を自然と自分に許している。

 その変化は、やはりこうして一緒に戦ってくれる皆が居るからなのだろうか。

 それとも……。

 

 ぼんやりと考えながらも、徐々に意識は眠りの淵に引き摺り込まれて。

 周りに自分以外の人間の温かさを感じながら、何時しか眠りの中に落ちているのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
その歌はある意味ではジャイアンリサイタルよりも酷い。
音程とリズムが激しく狂ってるので、耳がいい人程ダメージが大きい。


【嘴平伊之助】
実は記憶力は滅茶苦茶良い方。物心つく前の事も覚えている。


【我妻善逸】
耳が良いので炭治郎の歌のダメージがかなりきた。


【鳴上悠】
『ゆりかごの歌』は1921年に発表されたものなので、まだこの時点では世に存在していない。


【青い彼岸花】
球根を採取された影響で極めて繊細であった雲取山の個体群は全滅し、また採取された球根も余りにも水と土壌と温度の調整が難しいし為芽を出す事無く腐ってしまう。
結果として、この世から『青い彼岸花』は完全に喪われた。
伝承などにも残る事はなく、産屋敷家に残された断片的な記録と炭治郎たちの記憶の中にしかその存在を留める事は無い。
結果として、『青い彼岸花』に関連した様々な悲劇の可能性は摘み取られたと言っても良い。
何処かの未来では『青い彼岸花』を素に画期的な医薬品や治療法が開発されていたかもしれない為、悲劇以外にもそういった福音の可能性もが消え失せた事が果たして歓迎すべき事なのかは、この先の未来でも誰にも分からないのだろう。


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『終わりを見詰めて』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「青い彼岸花」は結局見付からなかったが、まあそれに関しては駄目で元々というものであったのだし仕方無い部分はあった。

 彼岸花が咲く時期に合わせて捜索していたのだけれども……普通の真っ赤な彼岸花は幾らでも見付かったのだが、炭治郎がかつて見たと言う真っ青な彼岸花らしき花は何処にも見当たらず。

 ならば何か変わった植物でもと探してみても、土筆か何かの様な奇妙な蕾ともつかぬ何かを付けている植物が見付かった程度で。

 自分たちが植物の専門家では無い事や、雲取山での綿密なフィールドワークが出来ているとは言い難い状況では、あるのかどうかも分からないものを短期間で探すのは無理であるのだろう。

 それにそもそも、「青い彼岸花」はどうしても必要なものと言う訳ではなくて。鬼舞辻無惨の手に渡さない為に確保しておきたいものであるのだし、鬼舞辻無惨が『鬼』になった事に「青い彼岸花」が何かしら関わっているのだとすれば、第二第三の鬼舞辻無惨を生まない為にもこの世から消し去ってしまった方が良い存在でもある。……まあ、「青い彼岸花」自身には何か罪がある訳でもなく、ただそこに存在しているだけなのにとんだ災難だと言いたくなる事なのかもしれないけれど。

 何であれ、見付からなかったものに何時までも拘泥し続ける事はあまり良い事では無い。他にやらなければならない事は山積みなのだから。

 そんな訳で、見付けた謎の植物をその球根ごと一株だけ採取して、雲取山を後にする事になったのだった。

 

 炭治郎にとっては思わぬタイミングでの久方振りの帰郷となった今回の任務だが、良い意味で肩の力を抜く切っ掛けになった様で。行きは何処か張り詰めていた部分があったその表情も、帰る時には名残惜しさを含めた柔らかなものになっていた。

 大切な家族との思い出の詰まった家が、町の人たちの厚意によって温かな思い出の中の姿を留めていた事がやはり大きいのだろう。

 大勢で押し掛ける結果になってしまった事も、本来は大家族に囲まれた賑やかな時間を過ごしていた事を考えると良い方向に働いたのかもしれない。

 喪った大切なものを取り戻す事は叶わず、そしてそれを喪った事による心の傷が本当の意味で完全に埋まり切る事は無いのかもしれないけれど。しかし、その痛みが何時までも鮮烈に胸を抉り引き裂き続ける訳でもないと、そう思う。

 時の流れの中で、或いは新たな出会いの中で。少しずつでもその痛みが穏やかなものに変わっていけるのだと、そう信じていたい。

 

 

 そうして、任務を終えて帰って来た訳なのだけれど。

 炭治郎と一緒にその足でそのまましのぶさんたちの所へと向かう事になった。

 珠世さんとしのぶさんに禰豆子ちゃんの状態を専門的に確認して貰うタイミングであったと言う事もあるし、雲取山で採取した謎の植物を念の為に提出する意図もあった。

 これが「青い彼岸花」であるかどうかはともかく、未知の植物であるならばそこから新たな薬や毒の手掛かりがあるかもしれないからだ。

 ……まあ、細心の注意を払って球根ごと採取し、ちょっとした鉢植えにして水やりなどにも気を払って持ち帰って来たと思っていたのだけれども。

 この謎の植物は本当に繊細な生態であったからなのか、雲取山から帰って来るまでの数日の間に枯れてしまったのだ。

 まあ、球根はまだ無事である様だけれども……少し残念ではある。

 枯れてしまった植物の部分を慎重に解体して土筆の様な部分も分解して確かめてみると、どうやら土筆に見えていのは蕾の様なものであったらしく、その中は青っぽい様な色をした花であった様だ。

 まあ中はすっかり駄目になってしまっていて、花弁の形が何であったのかすら分からなかったが。

 万が一これが「青い彼岸花」であった場合、鬼舞辻無惨を『鬼』にした元凶である可能性のものを弄ってしまった事になるのだけれど。

 かなり念を入れて無闇に中身に触れぬ様に慎重に解体したからなのか、或いはそもそも「青い彼岸花」でも何でもない植物だったからなのか、今の所何か体調などに変わりはなさそうだった。

 日光に焼けるだとか人を食べたくなるだとかも無い。

 それでも、解体した後の花も不必要に外気に晒さないように厳重に包んで持ち帰って来たのであった。

 

 球根と解体した花をしのぶさんと珠世さんに託し、珠世さんから禰豆子ちゃんが定期検診を受けているのを、炭治郎と二人してじっくりと待つ。

 謎の植物を珠世さんにもよく見て貰ったのだが、鬼の事を長年研究しかつては鬼舞辻無惨の命で「青い彼岸花」を探していた珠世さんにも、それが果たして「青い彼岸花」なのかどうなのかは分からないそうだ。

 しのぶさんは早速謎の植物を調べてみようとしている様だけれど、何かしらの結果が出るまでには相当の時間が掛かりそうだ、との事だった。

 残った球根を芽吹かせようともしているそうなのだけど……花の部分が余りにも繊細だった事を考えると、この時代に人の手で管理して芽吹かせるのは難しいのかもしれない。

 温度や水質や土の成分などをもっと厳密に管理出来るのなら出来るのかもしれないが……。

 何であれ、一応任務はこれで完了したと言ってもいいだろう。

 後は鬼舞辻無惨を迎え撃つ為の準備を可能な限り進めるだけだ。

 

 しのぶさんと炭治郎の故郷である雲取山の話や道中の事などを話したりしていると、珠世さんと一通りの検査を終えた禰豆子ちゃんが戻ってきた。

 珠世さんは炭治郎を見ると優しく微笑み、陽光を克服した後の禰豆子ちゃんに何か大きな問題は起きていないと説明してくれる。

 そして、陽の光を克服した唯一の鬼であるが故に『鬼を人に戻す薬』にも少しばかりの調整は必要であるが、そちらの方も問題は無さそうだとの事であった。

 

「『鬼を人に戻せる薬』……!

 とうとう、完成するんですね……!」

 

 求め続けていたそれがもう目の前にある事を噛み締める様に、炭治郎は溢れんばかりの達成感と喜びに溢れた様な顔をする。

 鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちに使う為のそれは更に幾つもの調整と特殊な調合を行うそうだが、しかし既に試作品自体は完成していて、培養された細胞に対しての効果は実証済みなのだとか。

 そして、その薬の効果を実際に確かめる為には実験台が必要なのだけれど。それに関しては、珠世さんたちが保護していた鬼にされてしまった人が自ら実験台になる事を申し出てくれている為、その人に使ってから禰豆子ちゃんにも……との事だそうだ。

 ちなみに炭治郎にはその人に心当たりがあったそうで、その人の身も案じていたからか、「良かった」と安堵の息を吐く。

 人に戻す為の薬が完成したとしても、何せ鬼を人に戻すと言うそれ自体が前代未聞の事である為、何かあった時に直ぐ様対応出来る様に念入りに観察する必要はあり、いざと言う時の備えも必要であるので、完成した直後に投与出来るのかはまた別であるとの事らしいが。まあその点は珠世さんたちに任せるしかないのだし、多少時間が必要になるのだとしても結果として禰豆子が人に戻れるのなら構わないと炭治郎は気にする素振りもない。

 

 良かった良かった、と。炭治郎と二人してその朗報に喜び、それを見てニコニコと嬉しそうに笑う禰豆子ちゃんと一緒に喜びを分かち合う。

 そんな様子を見て、珠世さんは嬉しそうだけれど……しかし何処となく寂しそうな僅かに憂う様な顔をしていた。

 何か気がかりな事でもあるのだろうかと訊ねてみると、珠世さんはゆるりと首を横に振る。

 

「いいえ、何も。悠さんたちが心配する様な事はありませんよ。

 ただ……そうして喜びを分かち合える『家族』が居る事に、少し……羨む様な気持ちも感じてしまったので……」

 

 そういった直後、本当はそれを言葉にするつもりはなかったからなのか、「気にしないで忘れて欲しい」と珠世さんは言うけれども。

 もう手に入らないものを見ているかの様なその眼差しを忘れる事は出来そうにない。

 ……よく考えなくても、珠世さんは少なくとも数百年の時を鬼として生きている。

 かつて人であった時、珠世さんがどの様な人生を送っていたのかは知らないけれど。

 もうこの世には、かつて人であった時の珠世さんの事を知る人は居ない。肉親も、友人も、もう……。

 更には鬼舞辻無惨と鬼殺隊から隠れる為に、市井に紛れてはいても人との関わりは極力最小限に留めていたであろうから、鬼となった後の珠世さんの事を知る人も、共に居る愈史郎さんを除けばほぼ居ないと言っても良くて。

 ……それは、とても寂しい事である様に思えた。

 そもそも、鬼になった後に確実に人を襲っていた期間が存在する珠世さんの場合、親しい相手や肉親などの命をその手で奪ってしまっている可能性も高い。

 もし自分がその様な立場に置かれたらと想像して、きっと正気を保つ事も難しい程に苦しむだろうと思ってしまう。

 鬼になり、人の寿命と言う概念から解放されたとして。

 それを福音と捉えるか或いは地獄の刑罰と捉えるかは、鬼によって違うだろうけれど。

 ……珠世さんにとって、時の流れによって終わりが齎される事は無い事は、果たして幸せな事であるのだろうかとも思ってしまうのだ。

「生きていたい理由」と言うものは、珠世さんにとってはもう鬼舞辻無惨への復讐以外には無いのかもしれない。

 改めてそれを考えてしまい、そして思わず訊ねてしまう。

 

「珠世さんは……鬼舞辻無惨を倒した後、どうするつもりなのですか?」

 

 その言葉に、珠世さんは少し困った様な顔をするだけで何も答えない。

 答えが無い訳ではなくて、恐らくはもうきっと決めてしまっているのだ。自分の「終わり方」と言うものを。

 そこに至るまでにどんな苦しみや絶望があったのかなど自分には想像も出来ないのだし、だからこそそれを止める事など出来ない。でも。

 

「……鬼舞辻無惨との戦いの中で、死ぬつもりなんですか?」

 

「その必要はあるでしょう。

 薬を使うには無惨に接近する必要があります。

 鬼殺隊の皆さんに接近するだけの隙を作って頂くにしろ、薬をその身体に深く射ち込む必要がある以上は鬼の様に簡単には死なない存在でなくては……。

 そして、そこまで接近する以上は間違いなく無惨の身に取り込まれるでしょう」

 

 その役目を果たすのは他ならぬ自分だと。

 そして、そうやって自分は死ぬのだと。

 そう珠世さんは静かに言葉にする。

 そこに、己の死への怯懦は微塵も存在しない。

 だけれども、そんな珠世さんを愈史郎さんは辛そうに見ていた。しのぶさんの様子は変わらないが、炭治郎は悲しそうな顔をする。

 だから……。

 

「無惨に接近する必要があると言うのなら、そして薬を射ち込むまで絶対に死なない存在である必要があると言うのなら。

 それは……俺でも果たせる事なのではないでしょうか。

 珠世さんがそうやって命を差し出さなくても済む方法があるのなら、それは……」

 

 だけれどもその言葉の続きは、それをそっと否定するかの様な珠世さんの眼差しに遮られる。

 

「確かに、悠さんなら可能なのかもしれませんね。

 しかし、無惨は間違いなく悠さんを最大の脅威に思っているでしょうから隙を突いて近付くのは私がそうするよりも難しくなるでしょうし、何よりその様な事で悠さんを消耗させる訳にはいきません」

 

 薬を使っただけでは、それがどんなに強力なものであるのだとしても無惨を倒しきる事は出来ないのだから、と。そう珠世さんは言う。

 生存本能の権化の様な鬼舞辻無惨は、時間さえ掛ければ如何なる毒物でも薬物でもそれを解析・分解し無害化してしまうのだし、そして一度でも解析されてしまえば二度と同じ手は通じない。

 薬は確かに鬼舞辻無惨討伐の要にはなるだろうが、しかしあくまでも夜明けまでその場に押し留める為の補助でしかない。

 鬼舞辻無惨を確実に殺せるのは、夜明けの光のみなのだ。……或いは、強力なペルソナの力か。

 人の身で鬼舞辻無惨に抗う事はそれ程までに難しい事なのだと、そう珠世さんは言葉にする。

 数百年前には誰よりも近くでその脅威を目の当たりにし続けてきたからこそ、その言葉の重みは他の誰が言葉にするよりも重い。

 

「でも、そうだとしても。無惨に吸収されてしまうよりも前にどうにかする方法はあるんじゃないですか?

 珠世さんが絶対に死ななくてはならないなんて事は……」

 

 無いのでは、と。炭治郎はそう言葉にしようとするが。

 しかし、人の感情もその匂いで理解出来てしまう炭治郎には、きっと珠世さんのその感情も理解させられてしまっているのだろう。

 その死を思い留まらせようとする言葉を口には出来なかった。

 ……本来ならばきっと誰よりも大騒ぎしてでもそれを止めようとするだろう愈史郎さんは、何も言わない。……言えないのだろう。

 だけれども、今にも泣いてしまいそうな、しかし流す涙が枯れてしまった様な、深い悲しみと葛藤が言葉にせずとも伝わる表情がその本心を物語っている。

 

「……珠世さんが今までどんな思いで生きてきて、鬼舞辻無惨を倒す為に足掻き続けてきたのか。

 ……鬼となった事でどれ程の苦しみを味わい、鬼舞辻無惨への恨みを募らせてきたのか。

 それを何も知らない俺が何かを言う事も、珠世さんの決意を変える事も、出来やしないのは分かってはいます。

 ですが……例えこれが珠世さんにとっては心無い言葉であるのだとしても。

 俺は、珠世さんにその様な形で自分自身を終わらせて欲しくは無いです」

 

 かつて犯してきた罪は幾らでもあるのかもしれない。死にたい理由や死ななくてはならない理由は沢山あるのかもしれない。……生きたい理由や生きなくてはならない理由は、それらに比べれば本当にちっぽけなものなのかもしれない。

 鬼として生きる事自体に苦しみを感じて、しかしかと言って人に戻って人として生きて死ぬ事すら己に赦す事は出来ないのかもしれない。

 自分は、珠世さんの事をその過去を、殆どと言っていい程に何も知らない。ただの協力者でしかない。その生き死にをどうこうする権利なんて欠片も無い。それでも。

 これが何処までも自分勝手な我儘なのは……酷く醜いエゴなのは分かっていても。

 一度でもその手を取った相手が、自分を助けてくれた相手が、笑い合った相手が、その様な形で自ら命を終わらせようとする事が耐え難い程に嫌なのだ。

 ……しかし、その言葉に珠世さんは小さな溜息と共に答えた。

 

「悠さんも炭治郎さんも、……とても優しいのですね。

 ですが、良いのです。その様に気遣って頂かなくても。

 ……私は、かつて自らの意思で鬼になる事を選びました」

 

 そうして語られたのは、珠世さんの過去の断片であった。

 かつて人であった頃の珠世さんには夫と生まれたばかりの我が子が居た。

 しかし、珠世さんは不治の病に侵され余命幾許も無く……我が子の成長を見守れない身である事は明らかであった。

 幼い我が子を置いて逝く事と我が子の成長を見守れぬ事に絶望していた珠世さんの前に現れたのが、鬼舞辻無惨だった。

 ……鬼舞辻無惨は、「鬼」になると言う事がどう言う事であるのかを詳しくは語らずに、「生き長らえる方法がある」とだけ語り鬼にならないかと珠世さんに囁いた。

 迫り来る死に追い詰められていた珠世さんは……そのデメリットを問い質す事もせずそれに飛び付き……。そして、我に返った時には。

 珠世さんはよりにもよって、夫と我が子をその手に掛けて貪り食っていたのだった。

 更には余りにも深い絶望と後悔によって自棄になって数多の人を殺し貪り食った。……己を鬼に変え愛する我が子と夫を手に掛けさせる元凶となった鬼舞辻無惨への憎悪を募らせながら。

 そうやって何時か鬼舞辻無惨へ復讐する事を望みながらも鬼舞辻無惨に支配されていた珠世さんに訪れた転機が、縁壱さんとの邂逅だったのだ。

 

「……私は身勝手な理由で鬼になる事を選び、そうやって鬼になった事自体を恨みながら数多の命を奪い……。その上でこうしておめおめと無惨への復讐の為だけに生き延びてきた、そんな醜く身勝手な存在なのです」

 

 だからこそ、そんな自分にとって相応しい最期は無惨を倒す為の捨て駒になる事なのだと。そう珠世さんは言う。

 ……珠世さんの過去に、何も言葉を発する事は出来なかった。自分も、そして炭治郎も。

 しのぶさんは既にその過去と執念を知っていたのか……動揺する事も無く静かに珠世さんを見ているが。やはり何も言うつもりは無いらしい。

 暫しの沈黙がその場に落ちる。

 だが、その沈黙を破る様に。炭治郎はゆっくりと想いを言葉にする。

 

「でも……じゃあ、愈史郎さんはどうするんですか……?」

 

 誰の目から見ても明らかな程に、愈史郎さんは珠世さんを特別に慕っている。最早、崇拝していると言っても過言では無い程までに。

 ……確かに、珠世さんにとってはそうやって死ぬ事が望みであるのかもしれない。

 しかし、ならば。遺される事になる愈史郎さんはどうなると言う話にもなってしまう。

 愈史郎さんは珠世さんが鬼にした存在だ。

 珠世さん程の時間を生きている訳では無いだろうけれど、しかし人であった時の時間の流れからは既に断絶されてしまっている。かつての知り合いもほとんど居ないだろうし、今も存命であるのだとしても何十年も昔の姿のままの愈史郎さんがその人たちに会う事は出来ない。

 それに、きっと。珠世さんが居なくなった後の世界を生きる事は、愈史郎さんにとっては全く望みでは無いだろう。

 誰よりも傍に居てその苦しみや絶望を理解して、そして何よりも珠世さんの事を誰よりも特別に想っているからこそ、愈史郎さんは珠世さんの決断を止める事は出来ないのだろうけれど。

 ……愈史郎さんの気持ちを代弁したい訳では無くても、どうしても遺される側になってしまう愈史郎さんの事を思うと、珠世さんのその決断は思い直して欲しいと思ってしまう。

 ならどう終われば良いのかなんて、自分には分からないのに。

 

 愈史郎さんの名前に、珠世さんはそっとその目を伏せる。

 珠世さんも、愈史郎さんの事を大切に想っているのだし、当然愈史郎さんの気持ちにも気付いているのだろう。

 数百年前に喪ってしまった「家族」にその心は何時までも向いているのだとしても。それはそれとして一途に自分を慕い続けてくれている相手に対して何も感じない程心が無い訳ではないのだから。

 愈史郎さんが向けている想いと同質のものでは無いのだとしても、珠世さんにとってやはり愈史郎さんは特別な存在なのだ。

 死を望んでいたとしても、やはり愈史郎さんの事は気掛かりであるに違いない。

 

「……愈史郎には、寂しい想いをさせてしまうのでしょう。

 望むのであれば、愈史郎の分も『鬼を人に戻す薬』を作る事は可能です。そうやって、人として生き人として死ぬ事もまた一つの道であると、そう思いますが……」

 

 そうは望まなかったのだ、と。そう暗に示す。

 ……もし愈史郎さんが人として生きる事を選んだとすれば、鬼舞辻無惨の討滅に協力したその対価としても鬼殺隊は……お館様たちは愈史郎さんが人として生きていく為の援助を惜しまないだろう。

 だけれども、愈史郎さんにとって珠世さんの居ない世界で人として生きて死ぬ事もまた望みではなかったのだ。

 ……どうすれば、お互いにもっと納得の行く結果になるのだろうか。それは、二人の関係性については全くの部外者でしかない自分や炭治郎には分からない事なのかもしれないが。でも。

 

「……俺は。そうやって珠世さんが鬼舞辻無惨を倒す為の礎になる事が、一番良い道だとは思いません。

 鬼舞辻無惨を倒した後に、珠世さん自身に生きていたい理由は無いのだとしても。

 なら、鬼舞辻無惨が確実に滅びたその光景を見届けてからでも良いのではないでしょうか。

 鬼として生きる苦しさも、愛する人をその手に掛けた絶望も、何百年も抗い続ける辛さも、何も知らないからこその勝手な我儘であるのかもしれません。

 それでも、俺は……」

 

 抗い続け、足掻き続け。きっと何時か訪れるその日の為に隠れ潜みながら鬼舞辻無惨を殺す為の刃を研ぎ続けてきたその執念と努力の結末を見届けずして、捨て駒の様に犠牲にならなくてはならない理由など果たしてあるのだろうか。

 どうしても死を望む他に何も無いのだとしても、ならばせめて。鬼舞辻無惨が夜明けの光の中で燃え尽きるのを見届けてからで一体何の不都合があると言うのだろう。

 そんな思いはあるけど、しかしそれが何処までも個人的な感情論に終始してしまう事も分かっているから……何も言えない。

 だからこそ、苦しい。

 

 そんな此方の様子を見て、珠世さんは少し困った様にその眉尻を下げる。

 そしてゆるゆると穏やかに首を横に振った。

 

「……お二人の気持ちは、とても嬉しいです。

 もしも、もっとずっと昔にお二人に出会えていたのなら、その優しさに甘えていたのかもしれない。

 ですが、私は長く生き過ぎた。

 無惨に支配され人を食う鬼として生きてきた時間も、……支配から逃れ何時か無惨を討つ日の為に薬を作り続けてきた時間も……。

 どちらも、人として生きる時間を遥かに超えている。

 そしてそれは、決して幸せな事ではないのですよ」

 

 そう呟く珠世さんのその横顔は、鬼であるが故に若く美しいものであるのと同時に、余りにも長い時を見詰め続け疲れてしまった人の雰囲気もそこにある。

 

「あの子の成長を見届けたくて、だから私は一度は己の身に迫った死を否定した。

 その結果……私の手はあの子とあの人の血と死に塗れてしまった。

 あんなにも愛しくて、見守ってやりたいと……そう願っていた筈なのに。

 どうしてか、思い出せるのはあの子の血肉の味と物言わぬ骸となった姿ばかりで。

 微かに残っていた筈のかつての姿すら、鬼として狂っていた中で……そして長い時の中で朧気になって。

 今となっては、あの子をとても愛していた事実と、産まれたばかりのあの子を抱き締めた時の温かさしか思い出せない。

 ……それが、とても苦しいのです」

 

 人の寿命を遥かに超えた珠世さんの戦いの道程が無ければ、今こうして鬼舞辻無惨を討つ為の準備すら儘ならなかっただろう事は確かで。

 鬼として人の時間に縛られないからこそ、成し遂げられる事は必ずあって。

 そして鬼として過ごす時間の中でだって、ほんの僅かにでもその心を慰める様な、そんな小さな幸せの時間はあっただろう。

 しかしそれらの事実を積み上げても何一つとして釣り合わぬ程に。珠世さんにとっては、鬼となって愛した者をその手にかけた事と、鬼になってでも愛していた相手の事を記憶の中に鮮明に留める事が出来なかった事は耐え難い事であったのだ。

 

「……ですから、禰豆子さんには少しばかり眩しく思う気持ちがあるのと同時に、それ以上に幸せになって欲しいのです。

 自分には出来なかった事を、成し遂げた禰豆子さんだからこそ……」

 

 家族を……愛する者を手に掛ける前にそれを強靭な理性で止め。己の身を顧みない程一心にその身を案じ、何としてでも人に戻そうと足掻いてくれる家族が居て。そして、そんな家族に時の流れの中で置き去りにされる事無く人に戻る事が出来る。

 ……そんな禰豆子ちゃんの姿は、そうは在れなかった珠世さんにとって、とても眩しく映っているのかもしれない。

 

「でも……! 禰豆子が人に戻れるのは、珠世さんのお陰なんです……!

 珠世さんが居てくれたから……。珠世さんは俺たちの恩人なんです。だから……!」

 

 珠世さんにも笑顔で生きて幸せになって欲しいのだ、と。

 そう炭治郎は言葉にして伝える。その言葉が珠世さんの心を救える訳では無い事も分かった上で、それでもと。

 そんな炭治郎の目は、珠世さんの苦しみに共感したからなのか涙ぐみそうな程に潤んでいる。

 そんな炭治郎に、珠世さんは穏やかに微笑むのであった。

 

 

 結局珠世さんを翻意させる事は出来ず、それを仕方の無い事だと割り切らねばならぬと理解しつつも何とも言い難いもやもやとした感情が溢れる。

 それでも何時までも珠世さんとしのぶさんの邪魔をする事を出来ないので、炭治郎と二人してその場を後にしたのだが。

 

 

「……おい、少し話がある」

 

 

 何時の間にか追い掛けて来ていたらしい愈史郎さんに、面を貸せとばかりに呼び止められるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
珠世さんに死んで欲しくは無いのだけれどそれはそれとして余りにも難しい……。そしてやはり鬼は悲しい存在だと思う。


【竈門炭治郎】
匂いによって珠世さんの気持ちが物凄く理解出来たからこそ辛い。死んで欲しくない……。


【胡蝶しのぶ】
珠世さんが復讐の為に死ぬ事に関して自分がとやかく言える立場では無い事は分かっているし、必死になって止めないといけない程の執着もない。
それはそれとして、珠世さんが生き延びたとしても悪感情は無い。


【珠世】
今この時が苦しく辛いだけでは無いし、小さな幸せは沢山あるのだがそれはそれとして今までの自分の行いを重く受け止めている為に贖罪を求めている。


【愈史郎】
珠世様には生きていて欲しいに決まっているだろう!!


【浅草の人】
ひっそりと人に戻れる模様。
それはそうと無惨への恨みは当然あるので、血鬼術の媒体となる肉種子はしっかりと珠世さんたちに託している。
珠世さんたちは特殊な処理を行う事によって、その血鬼術を保存している模様。



≪今回のコミュの変化≫
【女帝(珠世)】:8/10→9/10
【悪魔(愈史郎)】:7/10→9/10


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『果たせぬ約束』

次話から新章です。
とうとう無限城(再建済)での決戦となります。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 秋も過ぎ行き、吹き抜けて行く寒風に身を震わせる様な季節となった。

 夏の盛りに始まった柱稽古もつい先日目出度く最後の隊士が冨岡さんから合格を貰い、途中でリタイアした者を除けば全員が合格したと言う事になる。

 途中で諦めてしまった者が出なかった訳では無いのだけれど、しかし柱稽古が始まる前に予想されていた離脱者の数に比べればずっと少なくて。

 鬼殺隊全体の戦力底上げという目的は間違いなく果たせたのだろう。

 柱稽古を完走した者たちは、自主的な鍛錬を継続する者や炭治郎たちの様に自主的に柱の下を訪れて鍛え上げたりと、柱稽古が終わっても鬼舞辻無惨との決戦に向けて全員が己に出来る最善を尽くしている様で。

 士気に関しても十分以上に高い状態を保てている様であった。

 

 肝心の鬼舞辻無惨の動きに関してだが、無惨が市井で生きる際に隠れ蓑にしていたと思わしき人間の幾つかは調べが付いたのだけれど、その全てが既にもぬけの殻に等しい状態で。

 鬼舞辻無惨が「家族」を装っていた人間たちはその尽くが殺し尽くされていたらしい。

 世間的には猟奇殺人の犠牲者……と処理されてはいるのだが。

 恐らくは、鬼舞辻無惨が「処分」したのだろうとお館様たちは分析していた。

 折角の隠れ蓑をどうしてそんな風に壊してしまったのかは、その残虐な手口に怒りを覚えたりするよりも前に甚だ疑問に思うしかないのだけれど。

 恐らくは、己の痕跡を残した事で鬼舞辻無惨側の戦力が整う前に鬼殺隊側から襲撃される可能性を、それがほんの僅かなものであるのだとして完全に消し去りたかったからなのでは、と。そうお館様は言っていた。

 ……何にせよ、何も知らぬままに利用されそして惨殺された罪無き人々のその冥福を祈るしか無い。

 

 鬼舞辻無惨に限らず鬼と言う存在その物の活動が不気味な程にピタリと止んでいる状態が続いているが。木っ端の鬼たちが何らかの理由で消滅させられたりした訳などでは無く、恐らくは決戦の際の雑兵としてストックされているのだろう。

 下弦の鬼にすら届かないどころか血鬼術すら持たない鬼であっても、人海戦術とばかりに押し寄せて来たら柱の人たちはともかく一般隊士では無傷で切り抜ける事は難しい。

 更には雑兵モドキの鬼たちであっても、鬼舞辻無惨の血によってその力を無理矢理高められている可能性はある。

 大した力の無い鬼にとって鬼舞辻無惨の血とは己の力を高めるドーピング薬の様な物であるのと同時に、僅かにでも己の分を超える量を与えられれば即座に己の命を奪う致死の猛毒にも成り得るものであるらしいので、雑兵モドキの鬼たちが皆が皆上弦級の力を得られる訳では無いだろうけれど……。しかし、下弦の鬼かそれに準ずる力を持つ鬼たちが量産されていると考えて備えておく方が良いだろう。備え過ぎていて困る事は無い。

 更には、鬼舞辻無惨が本気で勝ちに来るつもりであるなら一体何をしようとするのであろうかと考え議論になった際に、真っ先に候補に上がったのが「人質」であった。

 民間人を攫うなりして決戦の場……恐らくはあの異常な空間に適当に放っておくだけで、鬼殺隊の動きを制限する事は出来るし、鬼たちにとっては食料がうようよしている環境になるし、無惨がその場に居ればいざとなれば鬼にして即席の戦力に出来るのだし、民間人が何人増えようが鬼の邪魔になる事は無いと、実に鬼舞辻無惨側にとっては良い事づくめであるのだから、寧ろやらない理由は無いだろうと言う結論になった。

 そもそも「人質」になる様な民間人が攫われる事自体を阻止したい所だが、あの異空間を操る鬼が健在であるなら、どれ程鬼殺隊が血眼になって鬼たちの影を探していたとしても、それを阻止するのはほぼ不可能である。

 その気になれば、何百何千何万と言う人を一度にあの異空間の中に落として鬼の餌にしてしまう事だって不可能ではないだろう。……まあ、鬼舞辻無惨としては幾ら何の脅威でも無い民間人とは言えその様な人数を一度に消して大騒ぎになるのは避けたいだろうが……。しかし形振り構わなくなっている場合、「人質」の被害人数の見通しは全く立たないだろう。

 そして当然、「人質」が多ければ多い程鬼殺隊の動きは阻害される。

 鬼殺隊の理念としても、鬼に襲われている罪なき人を放置する事など絶対に出来ないのだから。

 どれ程「足手まとい」であるのだとしても、人々を守る事を躊躇う隊士など居ない。

 そして大量の民間人が「人質」になっていた場合最も憂慮しなければならないのは、そんな人数を如何にしてあの異空間から脱出させるかである。

 異空間を操る鬼の力が無ければ脱出不可能であるのならば、そこに引き摺り込まれたが最期最悪の場合あの異空間諸共に鬼舞辻無惨の手によって始末されかねない。鬼舞辻無惨は全ての鬼の命を握り、好きな時にその鬼を「処分」出来るのだ。

 血鬼術によって異空間が維持されていた場合、その鬼が死ねばほぼ確実にその異空間は崩壊する。その際に無事に何処かへ排出されると言う楽観的な見方は出来ない。

 ペルソナの力を使えば脱出自体は可能だろうが、しかし鬼殺隊の隊士全員に加えて大量の民間人をもとなればそれだけで力尽きてしまう可能性はある。流石にそれは不味い。

 鬼舞辻無惨としても、異空間を操ると言う「便利な」鬼を早々簡単に始末しようとはしないだろうが。

 本気で何が何でも此方の息の根を止めようとしてくるのであれば、それを実行する可能性は常に考えて戦わなければならない。

 それに対しては本気で対策する必要があった。

 

 他にも幾つか想定される鬼舞辻無惨側の行動をそれに対する対策などを可能な限り行いつつ、着々と決戦への備えは進んでいく。

 お館様の身体が「健康」と言っても良い状態に快復した事もあって、決戦に向けての柱合会議が可能な限り開かれる事になり。

 つい先日には、遂に柱全員に珠世さんと愈史郎さんの存在とその尽力の内容も明かされる事になった。

 ……まあ、流石に全員が全員諸手を挙げて大歓迎、とはならなかったが。

 多少の悶着はあったものの、最終的には『鬼舞辻無惨の討滅』と言う共通目標にして最大の理由によって、「協力」は可能と言う結論に落ち着いた。

 まあ、「鬼だから」と突っぱねてしまう事が取り返しの付かない程に鬼殺隊に不利益を齎してしまいかねない程に、珠世さんがしのぶさんと協力して作り上げた薬(或いは毒)の数々や愈史郎さんの血鬼術による「目」は余りにも有用な存在であったのだ。

 鬼舞辻無惨や上弦の鬼たちを弱体化させて少しでも人間たちの刃が届く存在にまで引き摺り落とす為の様々な薬は、最早決戦における要以外の何物でも無いのだし。

 瞬時に連絡を取り合ったり状況を互いに把握する術など存在しないこの大正時代に於いて、リアルタイムに遠方の状況を視覚的に把握出来る愈史郎さんの「目」は時代を百年以上も先取りした技術だ、有用なんて言葉では到底収まりきらない。

 乱用は難しくとも、姿を隠せる血鬼術も間違いなく役に立つだろう。

 それらを詰まらない個人的な拘りで切り捨ててしまえる程、柱の人たちの鬼舞辻無惨への恨み辛みや義憤や憎悪は軽い物では無い。

 そんなこんなで無事に、珠世さんたちと情報共有や技術の共有、及び作戦の共有が可能となったのであった。

 

 可能な限りの対策を立てて、何時決戦が始まっても迅速に動ける様に作戦を事前に共有し。柱たちは時間の許す限り己を鍛え共闘の為の鍛錬を積み、その合間合間に隊士たちを鍛え上げ。

 そうやって時間は一日一日と過ぎて行く。

 そして……遂に。

 禰豆子ちゃんの為に調整された『鬼を人に戻す薬』が完成したのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 その紛れも無い吉報が炭治郎の下に届いたのは、冬も半ばを過ぎてそろそろ年の暮れを意識し始める様な頃合だった。

 もう何時鬼舞辻無惨との決戦の火蓋が切られてもおかしくは無い、と。そう誰もが闘志を漲らせつつも何処か落ち着かない様子で過ごしていた中での事である。

 その報せを己の鎹鴉から受け取った炭治郎は、驚きの余り硬直し、その一瞬の後には飛び上がらんばかりに喜びを爆発させた。

 ……炭治郎が家族を喪い、そして禰豆子ちゃんを人に戻す為の戦いを始めたのが凡そ三年前。実際に鬼との戦いに身を投じたのはここ一年弱の事ではあるけれど、それ程の間求め続けていたものが漸く手に入るのだ。その反応は至極当然の事であった。

 禰豆子ちゃんとしても、三年もの時間を喪った事は決して軽くは無いが、しかし遺された唯一の家族である炭治郎に置いて逝かれる様な事も時の流れの中に置き去りにされる様な事も無く再び人としての時間を生きる事が叶うのは紛れも無く幸いな事であるのだろう。

 そんな訳で早速、とばかりに炭治郎は禰豆子ちゃんを連れて珠世さんたちの下へと向かった。

 

 待ってましたとばかりに既に準備を整えてくれていた珠世さんたちの説明によると、人から鬼に変化する際に理性を喪う程に強烈な飢餓感に支配される程、異なるものへと変化する時の負担と言う物は非常に大きいもので。

 それは、鬼から人へと変化する際も同様の事が言えるのだそうだ。そして、それは変化が急激なものであればある程負担は重くなる。

 その為、数日の時間を掛けてゆっくりと人に戻る様にと薬を調整しているらしい。

 更には、その際の苦痛などを極力軽減する為にも深く眠らせた状態で行うのだ、とも。

 ……出来る事ならばその間をずっと禰豆子ちゃんの傍に付いていてやりたいものではあるのだけれど。

 しかし既にいつ何時鬼舞辻無惨から襲撃されるとも分からない状況下では、鬼舞辻無惨に狙われている自分は禰豆子ちゃんの傍には居られないし、隊士としての責務のある炭治郎もまた傍に付きっきりになる事は出来ない。

 更には、鬼舞辻無惨にこちら側の居場所が割れている可能性も考慮しなければならない事を考えると、現鬼殺隊本部である産屋敷邸は当然として、蝶屋敷を含めた各柱の屋敷に匿う事も難しい。

 決戦に備えて、予てから用意されていた秘匿性の高い屋敷へと鬼殺隊本部及び作戦司令室の役目は移されているそうなのだが……。まあそちらに関しては何処に在るのかを知るのは、お館様たちと護衛として選抜された者のみであるのだとか。

 人に戻りつつある状態でも万が一にも陽光を克服した鬼である禰豆子ちゃんを鬼舞辻無惨の手に渡してしまえば、人質的な意味以上に危険な事になるので、完全に人に戻るまでの間は禰豆子ちゃんの身柄は新本部の屋敷に匿われ、護衛の者がその身命を賭してでも守る事になるそうである。

 そうやって出入りさせる事で新本部の場所が鬼に割れないかに関しては、鬼は絶対に行動出来ない日中でも構わず連れ出せる禰豆子ちゃんならば、鬼相手には絶対の秘匿性を以て新たな拠点に連れ込めるので大丈夫である、との事だそうだ。

 一時的なものであるにしろ禰豆子ちゃんと別れる事になる炭治郎は不安を隠せない顔をしていたが……しかしその選抜された護衛の一人が、己の師である鱗滝さんである事を知ると途端に安堵した様な表情になった。

 炭治郎にとっては第二の父親の様な存在であるのだし、禰豆子ちゃんを任せる事に何の不安も無い程に信頼している。

 それもあって、薬によって昏昏と眠る禰豆子ちゃんの様子が心配そうに見てはいたものの、不安そうにする事は無く炭治郎は珠世さんたちに禰豆子ちゃんを託すのであった。

 

 そして、決戦の際に使用する予定の諸々の薬を完成させて、やっと一息吐ける様になったしのぶさんと共に蝶屋敷へと帰った。

 自分はともかく、しのぶさんにとってはかなり久し振りの帰宅になる。

 ゆっくりとしたい所ではあるが、何せ確実に決戦が迫り来る中では完全に気を抜く事は出来ない。

 日中に仕掛けてくる事は先ず無いが、逆に言うと日中しか休まる時間は無い。

 それに、蝶屋敷の場所が鬼舞辻無惨側に漏れていて此処が鬼の襲撃を受ける可能性が決して高くは無くても有り得る以上、此処に非戦闘員である皆を置いていく訳にはいかず。

 鬼の活動が止んだ事で療養中の隊士たちが居ない事もあって、そもそも非戦闘員であるすみ・きよ・なほの三人と隊士ではあるものの戦闘は出来ないアオイは安全な場所へと避難する事になっていた。

 鬼舞辻無惨との決戦が終わるまでは、四人が此処に帰って来る事は出来ない。

 四人は明日の昼に避難先へと向かうので、今夜が皆で一緒に過ごせる最後の時間になる可能性もあった。

 まあ、当然。全員で生きて此処に帰る事が叶う様に全力を尽くすのだけれども。しかし、何が起きるのか誰にも分からない以上は、変な後悔だけは残したく無いものである。

 しのぶさんとカナヲと、アオイとすみときよとなほと、そして自分と。更には炭治郎と伊之助と善逸と。

 全員で、穏やかでありながらも賑やかな時間を過ごす。

 久し振りにしのぶさんに会えてテンションが上がり過ぎてやんちゃをした伊之助がしのぶさんのお説教を食らっている姿を皆で微笑ましく見守ったり、炭治郎に話し掛けようとして中々上手く話題が出せなくて困っているカナヲをアオイと一緒に影から応援したり、と。

 とても愛しい時間を過ごした。

 そして……──

 

 

「しのぶ様、カナヲ……。

 必ず……、必ずまた、此処に帰ってきて下さいね。

 また、『お帰りなさい』と。私たちにそう言わせて下さい」

 

 別れにそう涙ぐみそうになりながら、アオイはしのぶさんとカナヲの身を案じる。

 すみときよとなほも、皆何処か不安そうに二人の名を呼んで少しその目を赤くしていた。

 四人は炭治郎たちの身も案じ、その無事を祈る様に言葉にする。

 戦いの場に赴く事は出来ないからこそ、出来るのはこうしてその無事を祈る事ばかりであるとよく知っているからこそ。その祈りの言葉は何処までも真摯なものであった。

 

「俺も精一杯、皆でまた此処に帰って来れる様に頑張るよ」

 

 その言葉で少しでも安心して欲しいと思いながら微笑むと、四人はそれに頷くと同時に言う。

 

「悠さんも、どうかご無事で……!

 皆で一緒に帰って来ないと駄目なんですからね……!」

 

 四人にそう口々に言われ、胸に暖かなものが広がる様な想いと共にそれに頷く。

 ギュウギュウと抱き着いて来る三人の頭をヨシヨシと優しく撫でて、抱き着きはしないものの不安に揺れる眼差しで此方を見て来るアオイに安心させる様に微笑んだ。

 

 そうして、名残惜しそうに何度も振り返る四人を見送ると。

 途端に、何だか蝶屋敷が少し寂しくなってしまった気がした。

 自分でも自覚して感じていた以上に、自分にとっての四人の存在は『日常』の象徴であったのかもしれない。

 まあ、しのぶさんにカナヲだけでなく炭治郎たちも居るので、十一月のあの日々に感じていた様な重く苦しく暗く深い海の底に沈んで行くかの様な寂しさとは全く違うのだけれど。

 

 それに、今から待ち受けている戦いを思うと、寂しさに気を取られている訳にはいかない。

 鬼舞辻無惨との決戦に勝利しなくてはならないのは当然として、今度こそしのぶさんに上弦の弐の鬼──童磨の頸を落として貰う必要があるのだし、黒死牟や猗窩座との戦いも確実に待ち受けている。

 そのどれもが一筋縄ではいかないものである。

 黒死牟と猗窩座に関しては再現を経て出来る限りの対策を講じてはいるが、それだけで乗り切れる程甘い相手では当然無いのだし。更には童磨は未知数の超進化を遂げている可能性もある。

 以前と同様だと想定して挑むと、最悪の結果を招きかねない。

 ……それでも、やるしか無い。

 それが自分の選んだ事であり、しのぶさんとの約束であるのならば。

 

「……悠くんは」

 

 ふと、横に居たしのぶさんがそう口にする。

 炭治郎たちは鍛錬場の方に行ったので、今此処に居るのは自分の他にはしのぶさんとカナヲだけで。

 僅かに不安そうな声音の混ざったそれに、静かに耳を傾けた。

 

「私があの鬼の頸を斬れる、と。そう本気で思いますか?」

 

 刀を振り切る力に乏しいしのぶさんが童磨の頸を斬る為に、考えられる限りの全ての準備を行って。

 実際にその方法を幾つも検討しては、自分を実験台にして試して。

 カナヲの手も借りて、何度も何度も童磨との戦いを想定した手合わせを行ってきた。

 珠世さんとの合同研究の合間を縫って、自由な時間のほぼ全てをそれに費やしたと言っても良い程に、考えられる限りの対策を打った。

 しかしそれでも、童磨の強さが自分が対峙した際のそれを遥かに超えた未知の領域のものになっているだろう事を考えると、どうしても不安なのだろう。

 自身に通常の手段では鬼の頸を斬る力は無い事を誰よりも痛感しているからこそ、どれ程準備していたとしてもその不安は付き纏う。

 

「……それが単なる私の我儘である事は分かっています。

 私怨、私情……それと全く変わらない。

 無惨を討つ目標を掲げその為の研究に時間を捧げておきながら、常に私の頭に在ったのはあの悪鬼の頸を斬る事だけ。

 ……私ではなく、カナヲがその役目を果たそうとする方がもっとずっと可能性があると、……悠くんならば必ず勝てるのだろうと、そう誰よりも理解していても、それを譲る事は出来ない」

 

 己の身を顧みず寧ろ勝利の為の捨て駒にする覚悟で、己が捧げられる何もかもを懸けようとしていた時の様な、儘ならぬ現実に追い詰められて袋小路の中で命を投げ捨てるかの様に復讐の為だけに生きていた時とは少し変わったけれど。

 それでも、しのぶさんの心の大半を占めるのはやはり愛しい家族を奪った存在への復讐の念で。

 己が無力であると、そう思うからこそ。より一層その手で討ち滅ぼす事を願ってしまう。

 それを、悪いだとか間違っているだとかは、思わない。

 大局的に見た時の『最適解』と個人にとっての『望み』が重なるとは限らず、そもそも自分もカナヲもそんなしのぶさんの『望み』を……復讐を叶える為に力を尽くす事を自ら選んだのだ。

 しのぶさんが、正しく復讐を遂げる為に。……その先の未来でしのぶさんが幸せに笑える様になる為に。その為ならば。

 

「大丈夫」

 

 しのぶ姉さん、と。カナヲは己の『家族』へとそう呼び掛けて、揺るぎない声音でしのぶさんを包み込む様に肯定する。

 

「必ず、しのぶ姉さんの刃はあいつに届く。

 しのぶ姉さんの手が、あいつを殺す。

 その為に、私が居る、悠さんが居る」

 

「カナヲの言う通りです。

 俺たちで、必ずしのぶさんの刃をあの頸に届けてみせます。

 しのぶさんの想いは、何も間違ってない。

 しのぶさんが選んだ復讐を、俺たちは肯定したのだし、そしてその為に力を尽くすと約束しました。

 もしその復讐が、最善の選択では無いのだとしても……。

 なら、それを選ぶ俺も同罪です」

 

 二人分の肯定に、しのぶさんは暫しの沈黙の後に僅かに表情を柔らかくする。

 

「これが最後の戦いになると思うと、どうにも気弱になり過ぎてしまった様です」

 

 二人共ありがとう、と。そう微笑むしのぶさんのその表情は、普段浮かべているものよりもずっと、しのぶさんの感情が伝わってくるものであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 無惨との決戦の日は、刻一刻と迫って来ている。

 いっそ不気味な程に鬼たちに動きは無いけれど、しかしそれは無惨が動いていないと言う証拠にはならないし、千年以上もの間人の世の中で闇に紛れながらも思うがままに生きてその尻尾をほぼ掴ませなかった存在が今になって何か表立って動くなんて事は無いのだし、隠たちなどを総動員して血眼になって探り続けている鬼殺隊の目すら掻い潜って己の欲望を叶える為に暗躍していると考えた方が良い。

 それは分かっているのだけれど、階級こそかなり高くなってはいてもあくまでも一介の隊士でしかない俺たちに、無惨との戦いに対して何か特別に対策出来る事は無くて。

『その時』が何時来ても良い様に鍛え上げ備える事しか出来ない。

 まあ、その鍛え上げると言う部分に関しては、俺たちはかなり恵まれている方だと思う。

 煉獄さんに宇髄さん、無一郎くんに甘露寺さん、それに義勇さんたちなど、無惨への対策に忙しい合間を縫って稽古の相手になってくれたり鍛錬を指導してくれる柱の人たちが居るし。何よりも、悠さんが物凄く色々と力を貸してくれる。

 鍛えても鍛えても、俺たちよりも遥かに先を行く上に鍛え続けている柱の人たちには遠く及ばないけれど。

 しかし、昨日より今日、今日より明日と強くなっていけば、無惨を倒す為の夜明けまでの一秒を少しでも多く稼ぐ為の一助になれる。

 俺たちで稼げる一秒なんて本当に少しだけだとしても、しかしその一秒自体の価値に変わりはなく、その一秒が無惨を滅ぼす為の最後の一押しになる可能性だってある。結局の所強くなるしかない。

 

 鬼殺隊に入ったばかりの頃より、全集中の呼吸の常中が可能になった頃より、上弦の陸と戦った時より、柱稽古が始まった頃より。今の俺はずっと鍛えられていると思うし、今ではヒノカミ神楽をずっと使っていても大丈夫な程に力もついてきた。

 善逸も伊之助も、ずっとずっと強くなっている。

 より確りと身体が出来上がってきているからか、入隊直後と比べると体格とかも随分変わっている事だと思う。

 背丈もかなり伸びたのではないだろうか。

 まあ、背丈や体格と言う意味で一番成長してるのは間違いなく玄弥だと思うけれど。

 最終選別を終えたばかりの頃と比べると一瞬別人かと思ってしまう程に玄弥は急成長している。再会した時には驚いてしまった程だ。

 そんな事を少し前に悠さんが居る時に皆で話していると、悠さんはそうだなとばかりに頷いていた。

 俺たち以上に玄弥をよく見てきたのだから、その成長具合もしっかりと見てきたのだろう。

「炭治郎たちも、凄くしっかりした身体になってる。炭治郎たちの努力の証だ」、と。

 出会ったばかりの頃とを比べてそう言って微笑んだ悠さんの言葉にちょっと照れてしまった程だ。

 その時ふと、悠さんは全然変わらないな……と気付く。

 顔を合わせる機会が多過ぎて緩やかな変化に全く気付けていないだけなのかと一瞬思ったけれど。

 物凄く記憶力に自信がある訳では無いとは言え、それでも思い返した時のその姿は何時も全く変わらない気がするのだ。

 髪の長さなど、そう言った細かい部分も。

 だから……。

「そう言えば、悠さんは出会った頃から変わりませんね」、と。何か他意があった訳ではなくそう言葉にした。

「そうか?」とか「そんな事は無いと思うけど」なんて言葉を期待していたけれど、悠さんは何も返さなくて。

 少し驚いてその表情を見ると、何かに気付いた様な……そして何かの感情を静かに深い場所に沈めるかの様にそっと目を伏せた。

 その時悠さんの匂いから一瞬感じたその感情は……寂しさの様な静かな悲しみの様な……そんな何かで。

 その理由が分からずに、少し戸惑ってしまって。

「確かに、そうかもな」と。呟く様な悠さんのその言葉に何も言えなかった。

 

 悠さんの様子が少し変だった気がしたその日から少しして、俺たちはどうにも奇妙な話を耳にした。

 どうやら、巷では『ナルカミ教』なるものが流行っているらしい。

 どうしたって夜間に活動する事が多い上に鬼を狩る為に各地を転々としなければならない鬼殺隊の隊士たちは総じて世間の変化に機敏な方では無くて。

 更には、元々都会とかを知ってる善逸はともかく、山育ちの俺も伊之助も大分「世間知らず」ってやつなのだそうだ。

 そんな訳で、巷で何が流行っているのだとか、世間の動きがどうだとかと言うものは俺には正直あんまり分からない事が多い。

 そんな俺たちの耳にまでその『ナルカミ教』なるものが届いたと言う事は、それは相当に人々の間でそれが話題に上っているものなのだろう。

 鍛錬中に出会った先輩隊士の人たちが教えてくれたところ、その『ナルカミ教』はここ半年程の間で急速に信仰される様になったものであるらしい。

 その先輩たちは別に『ナルカミ教』を信じている訳では無いのだけれど。しかし「ナルカミ」と言う名前などから、悠さんの事を『ナルカミ教』の神様である「ナルカミ様」と絡めて噂している人は鬼殺隊の中にも居るのだそうだ。

 人の願いを叶えてくれるその「ナルカミ様」みたいな『神様』が本当に居たら良いんだけどな、なんて。そんな事を言って先輩たちとは別れたのだけれど。

 何だかちょっと気に掛ってしまい、その後で『ナルカミ教』について悠さんに訊ねてみた。

 悠さんは全くの初耳であったらしくて、「ナルカミ」と言う言葉上の自分との符合には首を傾げてはいたけれど、正直全く心当たりは無かったらしい。

 物凄く物知りな悠さんでも全く知らないとなると、それは本当にここ最近に生まれ突然急速に拡がった信仰だったのだろうか?

 それにしたって、どうしてそんなに急に?

 そんな風に疑問に思っていると、『ナルカミ教』がどんな物なのかを又聞きとはいえ知った悠さんは少し嘆息する様に息を吐きながら言う。

 

「……話に聞いてる限りでは、ただ単にその『ナルカミ様』とやらを信じて祈ればいいってだけの……物凄くお手軽でしかも信じたとしても何か負担になる事も無いものだからだろうな。

 それでいて、どんな願いだって叶えてくれるし、願った人を救ってくれると言うのなら……。まあ、信じたくなるのも無理は無い。

 それで金銭を騙し取られているとかそんな風な事があるならまだしも、そういうのは一切無いらしいし。

 偶然でもそれを信じた事で何か良い事があった人が居た時に、その人に勧められた周りの人が試しに信じてみるまでの障害が物凄く少ないからってのはあるんだろう」

 

「神様」に縋れるものなら縋ってみたい人は多いのだから、と。そう悠さんは言う。

 しかしそうは言いながらも悠さんはあまり良い顔はしていなかった。

 

「悠さんにとって、その『ナルカミ教』ってどうなんですか?」

 

「俺にとって、か……そうだな。

 正直胡散臭いし、信じろって言われてもちょっと困ると言うか。

 あと、『ナルカミ様』って名前なのもちょっとなぁ……」

 

 うーん……と唸る様にそう言葉を濁す悠さんに、その気持ちは何となく分かるので思わず頷いた。

 そりゃあ俺だって、「竈門様」だとかなんて名前の神様が居たとしたら、どんなに由緒正しい神様だとしてもちょっと変な感じがするだろう。そもそも全く知らなかったそれに対して、悠さんが微妙な気持ちになるのは仕方が無い。

 それに、胡散臭いと言ってしまうその気持ちも分かる。

 願うだけでそれを叶えてくれるなんて、そんな都合が良い事は果たしてあるのだろうか?

 どうしても叶えたい……叶って欲しい望みと言うのはきっと誰にでもあって、そしてその望みがどの様に叶うのかというのはきっとそれを強く願った時にはあまり大きな問題にはならないのだろうけれど。

 しかし……、と。そう考えてしまう。

 そんなものが一気に広まってしまう程に、人々は『都合のいい「神様」』を求めてしまっているのだろうか。

 俺が少し難しい顔をしていたからか、悠さんは安心させるかの様に「気にするな」と微笑むのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 三日以内に鬼舞辻無惨との決戦になる、と。

 お館様がその神憑り的なまでの先見の明を以てそう宣言したのは、蝶屋敷から避難するアオイたちを見送った丁度その翌日の事であった。

 それに伴って、何時襲撃されても問題なく迎え撃つ事が出来る様にと準備する必要があり、自分たちも蝶屋敷を離れる必要がある。

 いよいよか、と。緊張する部分はあるが、鬼舞辻無惨が逃亡する可能性も常に考えていたが故にそうはならなさそうな事への安堵もあった。それは、皆もそうなのだろう。

 炭治郎たちのやる気は既に十分で、決戦の場で最高の力を発揮出来る様にと、日々の鍛錬も己を追い込む様な過酷なものではなく、エンジンを温めておくかの様なものに留めている。まあ、それでも十分激しいものだとは思うが。

 

 作戦の都合上、自分は炭治郎たちとは別行動になる。

 とは言え、異空間に引き摺り込まれるのであればその後はどうなるのかは現時点では分からないのだが。

 何であれ、鬼舞辻無惨を相手に夜明けまで足止めする時までは合流出来ない可能性があり、それは最悪の場合これが今生の別れになってしまう可能性をも示している。

 だからこそ出立までのその時間を惜しむ様に、炭治郎たちとゆっくりと話をした。

 他愛も無い話から、ちょっと真面目な話も、戦う時にどうすれば良いのかなども。

「もしかしたら……」と言う思いがどうしてもあるからこそ、この時間が何時までも続けばいいのにと思ってしまう程に名残惜しい。

 自分の手が何もかもを抱え込む事は出来ず、目の前に居ない者を直接的に助ける術はなく。そして最終目標である鬼舞辻無惨だけでなく上弦の鬼たちも、現時点での限界まで己を鍛え上げた炭治郎たちですら単独では勝ち目が無い相手であるが故に、焦燥感にも似た拭い切れない恐怖は己の内から完全には消せない。

 炭治郎たちがどれ程強いのか、信頼に値するか分かっていても。それを遥かに上回る理不尽に立ち向かっていかなければならないからこそ。

 鬼舞辻無惨との決戦に挑むと、そう自らが選び取ったその結果を、代わってやる事は自分にも他の誰にも出来ない事は分かっているからこそ。

 大切な人を喪いたくないと、そう胸の中で荒れ狂う嵐の様に訴えてくるその想いを呑み込んで。

 互いの武運を願う事しか、無事に生きて夜明けを迎えられる様に祈る事しか、出来ない。

 

 そんな不安を抱えている事を見抜かれたのか、ふと炭治郎は明るい話をしようとしてか、「戦いが終わったらどうしたいのか」と皆に訊ねた。

 ……鬼舞辻無惨との因縁に全ての決着がついたのであれば、どんな形であれ鬼殺隊の戦いは終わる。

 まあ、事後処理などは沢山残されるだろうから、直ぐ様に完全に解体されたり解散したりはしないだろうけれど。

 しかし、鬼が消え去った夜明けの先に、鬼を狩る者たちはもう必要が無い存在だ。

 だからこそ、『その後』を考える事は必要な事である。

 まあ、殆どの隊士の人たちはそんな事を考えるよりも目の前に差し迫った決戦の事を考えるだけで精一杯であるのだし、ほんの少し先の「未来」を考え様にもその心の中は鬼への怒りや憎しみで一杯なのかもしれないけれど。

 これが物語の中であるのならば所謂『死亡フラグ』と言うやつであるのかもしれないが、「未来」を考えられる事は良い事だと思う。

 

 炭治郎の言葉に、善逸は早速「俺は禰豆子ちゃんと〜」などとよく口にする妄想(?)を話し出した。それに関しては炭治郎は苦笑いで応じる。

 善逸が禰豆子ちゃんに対してかなり真摯に好意を抱いているのは分かるのだが、現時点で禰豆子ちゃん本人の意志を確認出来ている訳では無いのだし、善逸の好意に応えるのか否かも禰豆子ちゃん自身の意思に委ねるべき事なので、結婚して子供は何人で〜などと言ったそれは現状ではただの空想止まりである。

 それはそうと、その人生設計(?)に妙に具体的な部分が多いのは何と言うべきなのか……陽介以上の「ガッカリ」感がある。

 幾ら善逸が良い男である事をよく知っていても、これでは炭治郎も苦笑いするしかない。

 伊之助はと言うと善逸が何を言ってるのかサッパリ分からないとでも言いた気に耳をほじってる始末だ。

 そんな伊之助は戦いが終わった後の事を問われると、「お前ら子分共の面倒を見てやらねーとな!」と何処か威張る様に言う。

 要は皆と一緒に居たいと言う事の様だ。

 元々伊之助は山で野生児状態で一人で生きて来たのだし、鬼殺隊に入ったのも鬼と言う強敵を相手にしてより強くなる事が目的であった。

 かつての伊之助であれば、戦う相手が居なくなればより強敵を探しに行くか、或いは山に帰るかのどちらかだっただろうけれど。

 共に過ごし共に戦う中で伊之助にとって炭治郎や善逸は、そもそも「離れる」だとかを考える事が端から有り得ない程に、当たり前な程に大事な存在になったのだろう。

 それが伝わったのか、炭治郎は嬉しそうにニコニコと笑う。

「なら俺たちと一緒に雲取山に帰らないか?」なんて炭治郎に誘われて、伊之助は満更では無いという態度を装いながらも酷く喜んでいた。

 そして。

 

「悠さんは、戦いが終わった後、どうすんですか?」

 

 そう、炭治郎に訊ねられる。

 ……だが、それに答えられる様なものは、自分には無かった。

 

 戦いが終わる……鬼舞辻無惨を討ち滅ぼし鬼の居ない明日を勝ち取ったその先に、果たして自分はそこに居るのだろうか、と。そう……考えてしまったからだ。

 いやそもそもの話、自分は一度たりとも、鬼舞辻無惨が討ち滅ぼされたその先の未来に自分の姿を思い描いた事は無かったのだと、気付いてしまう。

 炭治郎たちの……皆の幸いを願いはしても、無意識の内にかそこに自分も居るのだと言う前提を考えた事は無い、いや考えられなかった。

 ……自分にとって、この世界は、この世界で起きる全て、自分の存在は、『夢』を見ているだけに過ぎないのだから。

 この世界が確かに現実である事は分かっているが、そこに迷い込んだ自分は……この世に有り得べからざる泡沫の稀人でしかない。

 何時醒めるのかも分からぬ邯鄲の夢の中ではあるけれど、しかし何時かは醒めてしまうもの。

 そして、夢とは一度醒めてしまえば同じ夢を再び見る事は叶わないと言っても良い。

 この夢が終わってしまえば、生きている時間も生きている世界も異なる皆とはもう二度と逢えない。

 何時か、炭治郎たちとは永遠に別れる事になるのだ。

 そして、その別れが……この夢の終わりが何時訪れるのかは自分には分からないけれど。

 鬼舞辻無惨の討滅は、確実に一つの大きな区切りになる。

 そして、その区切りが夢の終わりと同義である可能性は当然あるだろう。

 だからこそ、鬼舞辻無惨を滅ぼした先の未来を……この世界で皆と生きている自分を思い描けなかったのだ。

 

 何時か醒める夢、何時か終わる夢である事は分かっている。

 自分の在るべき世界は此処ではなくて、大切な仲間たちが居る世界ではあるけれど。

 しかし、ならこの夢が終わる事が惜しくないのかと問われれば、そうでは無いと答えるしかない。

 自分にとっては、炭治郎たちの事も、そして陽介たちの事も、どちらも手放せない……別れたくないと心から思う程に大切な存在になっているからだ。

 そして、目醒めた後で自分はどれ程この世界の事を……邯鄲の夢の事を覚えていられるのかと、不安になってしまう。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 そんな恐れが胸を締付ける。

 大切な人に忘れられてしまう事も辛いが、しかし何よりも恐ろしいのは、こんなにも大切な人たちが自分には居たのだと言う事すらも忘れ去ってしまう事だ。

 しかし、どれ程それを恐れていても、目醒めた後で自分がどうなるのかは分からない。忘れている事にすら気付かないままになってしまうのかもしれない。

 考えるだけでも恐ろしい事であった。

 

 しかし、なら何時までもこの夢の中に居れば良いのかと言うと、勿論そんな事は無い。

 自分がこの世界に存在してはならない者である、と言う理由だけではなくて。

 自分は、恐らくは炭治郎たちと同じ時間を生きる事は出来ないからだ。

 この世界に迷い込んだその時から、自分は何一つとして変わらない。

 髪も伸びない、爪も伸びない。試しに少し髪を切ってみた事があるが、気付いた時には「切った事実など存在しなかった」かの様に元通りになっている。

 恐らくは、歳を取る事も出来ないのだろう。

 ……この夢の中での自分は、皆と同じ時間を生きる事は出来ないのだ。

 今はまだ良い、数年は誤魔化せるかもしれない。

 だが、十年二十年と時を重ねれば……外見上何一つとして変わる事の出来ないそれは、どう考えても異常だ。

 鬼では無いが……しかし鬼以上に異常な存在でしかないのかもしれない。

 何故そうなのかは分からない……此処が夢の中であるからなのか、或いはペルソナの力が何か関係しているのか……幾つか可能性自体は挙げられても、しかし原因を究明するには足りず、何より根本的に解決しようのない問題でもある。

 そして、そうやって同じ時間を生きる事が出来ない以上は、何時までも皆と過ごす事は叶わない。

 ……この夢が何時醒めるのか、それは分からない。

 鬼舞辻無惨が滅びた事を見届けた夜明けの光の中で醒めるのかもしれないし、或いは……何十年何百年とこのままである可能性もある。

 そしてそれは……。

 人が人として生きる時間を遥かに超えて生きる事は決して幸せな事では無いのだ、と。そう珠世さんが言っていた様に。

 少なくとも自分にとっても、それは幸せな事では無い。

 

 夢から醒めなくてはならない……自分の在るべき場所に帰らなければならない、帰りたいと言う思いと。

 炭治郎たちの事を忘れたくない、もっと一緒に居たいと言う思いと。

 何時かこの夢の中で、炭治郎たちに置いて逝かれる可能性がある事を恐れる気持ちと。

 様々な思いが綯い交ぜになり、どうして良いのか分からなくなる。

 そして、そんな迷いのままに炭治郎に返した。

 

「……俺は、出来れば皆と一緒に居られれば、と。そう思うよ」

 

 どんな形であれ、何時かは別れが訪れるのだとしても。

 まだ少し、もう少し、と。そうも思ってしまう。

 ……それが叶う事が、本当に「良い事」であるのかどうかは分からないけれど。

 そう答えると、炭治郎は嬉しそうにニッコリと笑う。

 

「俺も、悠さんや皆と一緒に居たいです。

 お世話になった人たちにお礼を言って、禰豆子と一緒に雲取山に帰って……それからも」

 

 炭治郎の言葉に、善逸は「俺も?」と訊ね、それを肯定されるととても嬉しそうな顔をして「約束だからな!」と互いに指切りをする。伊之助も加わってワイワイと賑やかに三人で約束をする事になって。

 そんな三人を微笑ましく見守りながらも、……自分はそれを『約束』として交わす事は出来なかった。

 

 

 そして、お館様の予見した『その日』が訪れた。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
この世界での全ては、悠にとっては何時かは醒めてしまう夢。そして、醒めてしまえばもう二度と見る事は出来ない夢。
夢から醒めた後に、どの程度この世界での事を覚えていられるのかは分からない。此処で出逢った大切な仲間たちの事を忘れてしまうのかもしれない。
……覚えていられなかった大切な友をそうとは知らない過去で喪ってしまっていたからこそ、悠にとってその忘却は耐え難い。
忘れられてしまう事も辛いけれど、忘れてしまう事の方が辛いから。
そして、何時かは醒める夢だけれど、何時覚めるのかは分からない。
夢から醒めない限り、夢の中であるからこそ成長する事も歳を取る事も無い自分は、何時かは皆と同じ時間で生きる事は出来なくなる事をハッキリと自覚してしまった。


【竈門炭治郎】
皆と一緒に居たいなぁ……と思っている。
禰豆子と離れるのは心配だが、鱗滝さんが見ていてくれるなら安心出来る。


【竈門禰豆子】
身体への負担を抑える為に、深く眠った状態でゆっくりと人に戻れる様にと調整された薬を投与された。
今は静かな眠りの中。温かで何処か幸せな夢を見ているのかもしれない。


【胡蝶しのぶ】
悠がこの世界から消えてしまうなんて事は考えた事は無い。
悠の事を大切な家族だと思っている。


【栗花落カナヲ】
悠がこの世界から消えてしまうなんて事は考えた事は無い。


【蝶屋敷四人娘】
悠がこの世界から消えてしまうなんて事は考えた事は無い。
家族だし、これから先も一緒に居られると思っている。


【鱗滝左近次】
新本部にて警護を担当。禰豆子の様子も見守っている。
まさか自分が生きている間にこの様な最終局面を迎えるとは、と。緊張している様子。


【鬼舞辻無惨】
やっとのこさ無限城が完全に再建された為にちょっと強気になっている。
人質作戦が見抜かれているとは考えていない。


【ナルカミ様】
凄まじい勢いで東京を中心に全国へとその信仰が広まる。
広まる速度が尋常では無い上に様々な組織内にもその信仰が広まっている為、警察など国家的な組織が密かに調査しているが特に何か疚しい部分は何も無く、寧ろ「宗教」としては恐ろしくクリーンでありカルト的な要素は何も無い為、調査した者たちの尽くは首を捻るだけに留まる。
鬼殺隊も調査したが、人が行方不明になったなどの後暗い話は一切無く、鬼との関係性は恐らくシロ……と言う判断にはなっている。しかし、お館様は先見の明から監視を続ける様に指示している模様。



≪六章でのコミュ状況≫
【愚者(鬼殺隊一般隊士)】:MAX!
【魔術師(我妻善逸)】:MAX!
【女教皇(胡蝶しのぶ)】:9/10
【女帝(珠世)】:8/10→9/10
【皇帝(冨岡義勇)】:1/10→9/10
【法王(悲鳴嶼行冥)】:6/10→MAX!
【恋愛(甘露寺蜜璃)】:9/10→MAX
【戦車(嘴平伊之助)】:9/10
【正義(煉獄杏寿郎)】:MAX!
【隠者(隠部隊&刀鍛冶)】:MAX!
【運命(栗花落カナヲ)】:9/10
【剛毅(竈門禰豆子)】:9/10→MAX!
【刑死者(不死川実弥)】:1/10→MAX!
【死神(伊黒小芭内)】:4/10→MAX!
【節制(蝶屋敷の皆)】:MAX!
【悪魔(愈史郎)】:5/10→9/10
【搭(不死川玄弥)】:9/10→MAX!
【星(宇髄天元)】:MAX!
【月(時透無一郎)】:MAX!
【太陽(竈門炭治郎)】:9/10→MAX
【審判/永劫(産屋敷の人達)】:9/10→MAX!
【欲望(獪岳)】:MAX!
【世界(『鳴上悠』)】:0/10→???


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第七章【無間の底】
『無限の奈落へと』


今回から無惨との最終決戦(無限城編)です。
此処がアニメになるには後何年掛かるのでしょうね。楽しみです。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 年の終わりが目前に迫った、冬の長い夜。

 陽は完全に没し、望月からは些か欠けた形で中天へと昇り行く月が下界を照らすその中。

 彼の存在は、千もの歳月越しに己を討たんとする者たちの頭領の下へと直接その姿を現した。

 

 鬼舞辻無惨。

 この世に蔓延る鬼のその頂点にして、全ての鬼を生み出せし元凶。

 千年以上もの時の中を思うがままに人を食い荒らし、人の世に嘆きと悲劇の連鎖を幾つも生み出した悪鬼。

 紛う事無き化外の首領は、そうでありながらも一見すると非常に人間らしい装いでその場に現れた。

 この時代では恐ろしく高価であろう上質な洋装で全身を固め、その着こなしはその趣味の良さを表すかの様に洒落ている。

 しかし、人間の如き装いでありながらも、その気配は禍々しく、腹が捻じ切れかける程に吐き気を催すまでに不快の極みである。

 

 産屋敷家の庭に弦を掻き鳴らす音と共に何処からともなく現れた鬼舞辻無惨は、産屋敷家の邸宅へと興味深そうにその視線を向ける。

 鬼殺隊……否、鬼殺の剣士を率いる産屋敷家の存在は遥か昔から認識していたが。しかし幾ら鬼殺の剣士たちをしつこく煩わしい羽虫程度に目障りに思おうとも、彼等を指揮する産屋敷家の者たちは非常に隠れるのが上手い為か産屋敷家の者たちを根絶やしにする事は叶わず。そして、幾度と無く壊滅的な被害を与えても鬼殺隊やその前身となる鬼殺の剣士たちは決して絶える事は無かった。

 しかしその事に関して苛立ちを感じてはいても、鬼舞辻無惨がその原因を真剣に考えた事は無い。

 何せ、鬼舞辻無惨にとっては、幾ら目障りではあろうとも、所詮は人間でしかない鬼殺隊の剣士たちの刃など、到底己の命には届きようの無いものでしかないからだ。

 故にこそ、産屋敷家を根絶やしにすればこの煩わしさから開放されると信じ、鬼たちに産屋敷家の者達の居場所を探らせてはいたのだが。

 何故己が身を捧げる覚悟の上で鬼殺に身を投じる者たちが決して絶えないのか、それを鬼舞辻無惨が考える事は無いし、考えた所で理解する事も出来ないのだろう。

『生きたい』という本能的な欲求にのみひたすらに忠実である鬼舞辻無惨にとって、己の命よりも重いものなどこの世に存在する筈もないのだから。

 

「千年もの間身の程も弁えず私の邪魔ばかりして己は怯えた子鼠の様に逃げ隠れしていた一族の長が、まさかこんなにもあっさりと己の居場所を突き止めさせるとは。

 私は心底興醒めしたよ、産屋敷。

 あの『化け物』を手に入れた事で、思い上がって慢心したのか?」

 

 嘲る様にそう煽る鬼舞辻無惨の言葉に、鬼舞辻無惨を迎えるかの様に庭に面した部屋にあまね様と静かに座していたお館様は凪いだ湖面の様な穏やかな表情を浮かべたまま対峙する。

 武器も何も持たぬ、無力なただの人間二人。

 その程度、鬼の頂点である鬼舞辻無惨にとっては道端の小石程度の煩わしさすらも存在しない程、軽く撫でるだけで鏖殺出来る程度のものでしかない。

 鬼殺隊を率いる身でありながら、この場には柱どころか鬼殺の剣士は一人も居らず。それどころか、屋敷の中には二人の気配のみ。鬼の首魁を前にする状態としては余りにも無力で。

 その状態を見た鬼舞辻無惨が、「慢心」とせせら笑っても不思議ではない状態である。

 例え、お館様たちが明らかに自分の来訪を予期しているかの様に己に対峙しているのだとしても。余りにも圧倒的な力の差がそこにあるが故に、その事に対して警戒したり或いはその行動の意味を考える事はしない。

 目の前の人間たちの命は既に自分の気紛れで何時でも消せるのだと、相手の命を握っていると確信した鬼舞辻無惨は、その臆病極まりない本質は何処へやらといった様子で、畳に座したお館様たちを睥睨した。

 

「……やあ、そろそろ来ると思っていたよ。

 初めまして、だね。鬼舞辻無惨。

 君は、私に……産屋敷一族に酷く腹を立てていただろうから。

 私だけは君自身が殺しに来るだろうと思っていた」

 

「思う」と言うよりそれは、「確信」とも言うべきものであったが。

 何にせよ、お館様の思惑通りに鬼舞辻無惨は現れた。

 現れる日も、そしてその刻も、お館様が予見し予測した通りに。

 自身の襲来は予測されていたのだとそう言葉にされたと言うのに、鬼舞辻無惨はそれに対して僅か程の動揺も見せない。

 この場には自分を害し得るものは無いと確信しているが故に、その在り方は何処までも傲慢であり迂闊であるとすら言えた。

 

 詰らぬものを見下す目で睥睨する鬼舞辻無惨と、それに感情の揺らぎを全く見せぬままに静かに対峙するお館様と。

 二人の顔立ちはまるで鏡写しにしたかの様にとてもよく似ている。

 千年程昔の産屋敷家の祖先と鬼舞辻無惨は同じ血族であったと言うが……。

 千年もの時を経てその当時の血など随分と薄れているだろうに、ある種の偶然なのか必然なのか、千年の時を経て邂逅した二人は、確かに互いに同じ血の流れの中に在るのだとそう納得してしまいそうになる。

 或いは、世界に三人は居るらしいと言われる自分によく似た他人なのか。

 何であれ、自分と似た顔立ちの男が目の前に居ると言うのに、鬼舞辻無惨にとっては心底どうでも良いものであるらしく、それに関して何の興味も示していない。

 見た目を自由に変える事の出来る鬼舞辻無惨にとって、姿など自己の都合で好き勝手に変える事が出来る程度のものでしかなく、産屋敷家の人間と似てる顔立ちだとしてもそこに何の感慨も繋がりも感じないのだろう。

 

「だから何だ?

 私が此処に現れると予測していたなどと、口では何とでも言える。

 だが、『化け物』どころか、柱どもの気配すら無い。

 予想していてそれなのだとしたら、愚かで無能としか言えないな」

 

 恐らくは気配を探った上で、この場にはお館様とあまね様以外には「何も居ない」と判断し、鬼舞辻無惨はその血色の悪い顔を歪める様に嗤う。

 

「子供たちには私を守る必要は無いと、重々言い含めているからね……。

 あの子たちは貴重な戦力だ。私一人を守る為に割く事は出来ない。

 ()()()()()()()()()からね。

 ……それに──」

 

 お館様は僅かに目を細めて鬼舞辻無惨のその心の奥底を見透かすかの様にその目の奥を見る。

 

「『化け物』、か。

 君はあの子の事をそう見るんだね」

 

「あれを『化け物』と呼ばずして何と呼ぶ?

 あれはこの世に在ってはならん『化け物』だろう。

 それとも何か。まさかあれを『人間』だなどと、世迷い事を宣うつもりか?」

 

「理解出来ん」とばかりに吐き捨てた鬼舞辻無惨に、お館様は静かな表情のまま答えた。

 

「成る程、君はそう考えるのか。

 私の答えとしては、悠は『人間』だよ。あの子がそう望む通りに。

 ただ、私は……君はあの子に『神』や『仏』などの姿でも見るのではないかと思っていたのだけれど」

 

 まあ、千年前と言えば今の時代よりも更に神仏に対しての信仰は深かっただろうし、当たり前の様にそれらの存在は己の身近に在った筈だ。

 菅原道真公を神として祀ったり、「祟り」だとか「呪い」だとか「神罰・仏罰」などの考えが当たり前であった時代に生きていた人間であったのだ。

 長く生きている内に多少考え方に変化は在ったとしても、鬼舞辻無惨と言う人格の大きな部分は既に平安の時代に培われている筈である。

 そう言った背景を考えると、ペルソナの力を見た時に『化け物』よりも『神仏』の方を考える方が本来は自然であるのかもしれない。

 

「鬼狩り共を率いておきながらその様なモノを信じているのか?

 いや、その様に愚かだからこそ、千年もの間私の邪魔をする事に執着し続けてきたのかもしれないが。

 神も仏も、この世に存在などする訳が無い。

 何も救わず、何も叶えず、ただ縋られるだけの偶像に何の力があると言うのだ。

 現に、千年もの間何百何千と人間を殺してきた私に何の天罰も下る事も無く、私は許されているぞ。

 この千年、それらしきものの姿すら見た事が無い」

 

 そんなものを信じているのか、と。

 心の底から馬鹿にしているかの様に呆れた様に鼻で笑う鬼舞辻無惨に、お館様は「そうか」とだけ静かに答える。

 此処で問答した所で鬼舞辻無惨が考えを変える訳でも無いのだし、そして心を変えた所で何の意味も無い。

 何かの奇跡が起こって鬼舞辻無惨が己の行いを心底悔い改めたとしても、最早それにも何の価値も無いと言わざるを得ない程に、その行いは今を生きる人々にとっても赦せるものでは無いし、過去から無数に積み重なった無念と執念の鎖はその魂を捕らえ地獄の奥底まで引き摺り落とす瞬間を待っているのだろう。

 問答の内容自体には何の意味も無いが、しかしその一秒が夜明けまでの一秒に繋がってもいるのだ。こうして対話する事自体には意味があった。

 

「無惨……君の夢は何だい?

 君は、この千年……一体どんな夢を見続けて来たのかな……」

 

 静かに問うお館様に、鬼舞辻無惨は何も答えない。

 しかしそれは無視している様子では無く、何かを考えている様であった。

 そんな鬼舞辻無惨に、お館様は微笑んでいるかの様に見える程にその目を細める。

 

「当てようか、無惨。

 君は永遠を夢見ている……不滅を夢見ている。

 ……どうしてそれを夢見るのか、君の心が私には分かるよ。

 君は、『死』が恐い……『自分が消える事』が恐いんだね。

 だから、『終わらない事』を夢見ている」

 

「死にたくない」と言う、ある意味では誰もが持つ当たり前の願いであるそれを、お館様は口にする。

 ……鬼舞辻無惨の願い自体は、余りにも普遍的なものだ。

 しかしその願いを叶える為に、何千何万の屍の山を作り上げ、他者の心も尊厳も踏み躙ってもそれを意にも介さないその在り方は……やはり人の世と相容れるものでは無い。

 己の望みを言い当てられた所で、鬼舞辻無惨に動揺は無い。そもそも、そんな「当たり前」の事を言い当てて何になるのだろうとすら思っている様子ですらあった。

 

「……だから何だ。

 その夢はもう間もなく叶う。

 お前たちを殺し、あの『化け物』を捕らえ、『青い彼岸花』を手に入れさえすれば……」

 

「君の夢は叶わないよ、無惨」

 

 お館様のその言葉に、鬼舞辻無惨はこの場に現れて初めて……無力な存在を見下す以外の感情を、「苛立ち」を見せる。

 一気に膨れ上がった殺気と凶暴な気配に、お館様は涼しい顔のまま答えた。

 

「君は……随分と思い違いをしている。

 一つの命に永遠は無い。例え君が太陽の光を克服したとしても、永遠は其処には無い。

 私は、『永遠』に最も近いものとは何なのか、知っている。

『永遠』とは人の『想い』だ。『想い』こそが永遠であり不滅……」

 

 その言葉に鬼舞辻無惨は「下らぬ」と吐き捨てるが、お館様はそれに構う事無く続ける。

 

「この千年間、幾度も鬼殺隊は存亡の危機に直面し、そして可哀想な子供たちは大勢亡くなったが……それでも決して鬼殺隊が消える事は無かった。

 それはね、無惨。

 君が下らないと言ったもの……大切な人の命や尊厳を理不尽に奪い踏み躙った存在を決して赦さないという、そんな人々の想いはどんな時を経たとしても不変であり永遠である事を証明している」

 

 人間に対して無関心に近い程に、取るに足らないどうとでもなる存在だとしか思っていない鬼舞辻無惨には、きっとお館様の言葉の意味を真実理解出来る日は来ないのだろう。

 だからこそ、それを踏み躙る事に何の痛痒も持てない訳なのだから。

 その心の在り方は、文字通りに『自分』以外に何も無い空っぽなものに近いとすら思う。自分すら果たして其処に在るのだろうか。

 そして、何も言わない鬼舞辻無惨にお館様は淡々と感情の揺らぎの無い声音で続ける。

 

「無惨、君は誰にも赦されていないんだ。この千年間、一度も。

 何度も何度も虎の尾を踏み龍の逆鱗に触れ続け、本来なら一生目覚める事は無かった虎や龍を君自身が起こした。

 そして……君が『化け物』だと言う悠も、そうやって君が起こした龍によって此処までやって来た。

 彼等はずっと君を睨んでいるよ。絶対に逃がすまいと。

 過去から今に至る全ての想いが、決して君を赦さない。

 君が永遠を夢見て行った全ての結果が、君自身を滅ぼす事になるんだ」

 

 そこには、今鬼殺隊の剣士として戦っている皆だけではなくて、珠世さんの想いも、そして縁壱さんの想いも。更には今に至るまでに散って行った名も知らぬ無数の鬼狩りの剣士や彼等の為に働いた無数の人々の想いも含まれているのだろう。

 

「鬼殺隊を支えているのはそんな永遠に続く『想い』とその繋がりだから、私を殺したとしても痛くも痒くもない。私自身はそれ程重要な訳ではない。

 ただ……君には人の想いとその繋がりを、その強さを、理解出来ないのだろうね。

 何故なら君は……君たちは。

 君が死ねば全ての鬼が滅ぶんだろう?」

 

 他の鬼たちと共に在る事を否定され、心すら歪めて支配され。

 余りにも哀れで何処までも鬼舞辻無惨にとって都合の良い「手駒」でしかない。

 そんな鬼たちは、極端な言い方をすれば鬼舞辻無惨と言う大樹に生えた葉っぱ程度の存在だと言える。

 大元である鬼舞辻無惨が滅びれば、纏めて滅び去ってしまう。

 一つの「種」と言うよりは余りにも歪なそれを鬼舞辻無惨は否定せず、図星を突かれたかの様にその身に纏う空気が揺らぐ。

 尤も、極論を言ってしまえば自分さえ存在していればその他の鬼がどうなろうと知った事ではない鬼舞辻無惨にとっては、そう動揺する程の事ではないのだけれど。

 しかし、それを見抜かれていた事自体には驚きを隠しきれなかったのだろう。

 

 そしてその時。屋敷の上空を鴉が数羽大きく二度三度と旋回する様に飛ぶ。

 それを見たお館様は、微笑む様にその口元を微かに緩ませた。

 

「ありがとう、無惨。

 まさか君が此処まで私の話を聞いてくれるとは思ってもみなかった。

 ずっと君に言いたかった事は言えた。

 ……最後に一つだけ良いかい?」

 

 そう言って、お館様は己の服の袂へとそっとその手を差し入れて何かを掴む。

 それを見た鬼舞辻無惨は僅かに警戒するが、しかしそもそも無力な人間などこの場で幾らでも縊り殺せるのだと思い直し、お館様の命を狩ろうとその手を醜く変形させようとする。

 

「私自身がそれ程重要な訳では無いとは言ったけれど、この命に意味が無い訳では無い。

 私は幸運な事に、鬼殺隊……特に柱の子たちから慕って貰えていてね。

 だからこそ、あの子の願いに報いる為にも、まだ成さねばならぬ事はある」

 

 そう言いながらお館様が袂から取り出したのは。

 月灯りの下で真っ青に染まった、彼岸花の様な花だった。

 

 それを目にした瞬間鬼舞辻無惨は固まり、そしてそんな鬼舞辻無惨の動揺を意に介さずお館様は手にした花を放り投げる様に己の手元から離す。

 咄嗟にそれを追い掛ける様に、鬼舞辻無惨の視線と注意が完全に逸れて。

 

 

「──マハラギダイン!!」

 

 

 青い色の花ごと鬼舞辻無惨を呑み込み吹き飛ばす形で、劫火が吹き荒れた。

 一瞬で綺麗に整えられていた庭が焦土と化し、何もかもが燃え尽き炭化しては灰となって吹き散らされる。

 そんな地獄の様な光景の中で、劫火の直撃を受けた鬼舞辻無惨の肉体は一瞬の内に柔らかな部分は瞬時に蒸発する様に消し飛び、上半身を中心に骨すら溶け落ちた状態になる。

 僅かに残った脊椎と骨盤部分と下肢の骨に炭化し変性した肉片がこびりついているだけの、最早「生き物」とは言えないそれは。下手な鬼なら死にはしなくても再生すら儘ならず朝日に焼かれるまで転がっているしかない様な状態ではあるけれど……。

 しかし、やはり尋常な存在ではない事を示すかの様に、肉体の殆どを喪っている筈のそれに、徐々に肉が付き始め、炭になった組織を呑み込む様に新たな筋肉や組織が生まれていく。

 それを見た瞬間上空を旋回していた鴉たちが大きく鳴き、そしてそれは方々へと伝播していった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」である事を確認し、最悪の事態では無かった事に僅かに安堵した。

 肉人形と言うある種の分身を生み出して同時に何体も操る事が出来ると言う鬼舞辻無惨は、最悪の場合襲撃の際にその肉人形を寄越す可能性もあったからだ。

 そうなった場合、肉人形を倒した所で意味は無いのだし、その時点で無惨が何処かへ逃走する可能性もある。

 愈史郎さんの札で気配を殺しながら姿を隠して奇襲するにしても、最初の一撃が無意味になればその後の作戦にも支障が出てしまうのだ。そうはならなかった事は素直に喜ばしい事である。

 肉人形にはある程度までなら再生能力は備えてあっても、上弦の鬼程のものでは無い。

 そして、目の前の存在の再生能力は上弦のレベルなど遥かに超えている。

 先ず間違いなく鬼舞辻無惨本体である。

 

 再生を始めているそれを見て、「今ならば」と。そんな思いは微かに過ってしまう。

 今この瞬間ならば、大きな被害も無く、取り逃がす心配も無く、確実に鬼舞辻無惨を消滅させられる。

 まあ、屋敷の庭は文字通り消し飛ぶだろうが……もう焦土と化しているので今更だ。

 肉体を炸裂させて逃走しようにも炸裂させる為の肉体部分が全く足りていない今ならば、かつての縁壱さんの時の様に取り逃がしてしまう可能性は無い。

 ただ……。

 

 僅かに過った考えを振り払う様に、十握剣を抜き払う。

 そして再生しつつあった鬼舞辻無惨に肉薄し、それを斬り刻む。

 やはりと言うか、尋常では無い再生速度であるが故に日輪刀では無い十握剣では大きく削れる訳では無い様だが……。しかし、打って貰った日輪刀の出番は此処では無いのだし、そして今はこれで良い。

 

 まだ胸椎から上部分の再生が進んでいない中で、紫電を纏った刀で斬り刻まれ再生しつつあった肉体を灼かれていく鬼舞辻無惨が何を考えているのかは声が無い為に分からないが。

 その身体から感じるそれは、()を前にして怯え逃げ惑うそれの様に感じる。

 鬼舞辻無惨の尋常では無い再生速度を止めるには少し足りないが、元々武人と言う訳では無く「戦う事」自体には不慣れであり、人間相手には「戦い」になった事など皆無であるが故に「戦闘」の経験の無い鬼舞辻無惨を足止めするには十分であった。

 

 視界の端に小さな種の様な何かが漂い、そしてそれは一瞬の内に質量保存の法則をまるで嘲笑うかの様な無数の棘に変化する。

 再生しつつあった肉体を完全に固定された鬼舞辻無惨の動きが完全に止まる。

 

 そしてそこに飛び込んで来たのは──

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

『化け物』め!!

 

 そう心の底から罵倒し吐き捨てたくなる程に。

 直接対峙する事になったその存在は、余りにも常軌を逸していた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、そう無惨は心の中で叫び倒すが。

 しかし誰に向ける事の出来ない癇癪を爆発させようが、目の前から『化け物』が消える気配は無い。

 上半身を完全に消し飛ばされ、眼球も何もかもが消え去った為に視覚的な情報が得られない。

 見るも無残に焼き尽くされた骨に残った細胞からどうにか再生させた僅かな肉体に視覚器を生やそうにも、目の様な複雑な構造をした神経の塊の様なそれを増やすのは流石にこの状況下では一息に出来る事では無くて。

 しかも、目の前に居る『化け物』は再生させようとしたそれを狙っているかの様に斬り刻んで来るのだ。

 かつての『化け物』の様に赤く変じた日輪刀では無いが故に、斬り刻まれても身を焼き尽くし続ける様な痛みに襲われる訳でも無く再生が出来ない訳では無いが。

 しかし、紫電を纏ったその刀身は容赦なくその断面を焼き切っている為、既に身体の大半を吹き飛ばされた状態では再生が鈍ってしまっていた。

 

 かつてのあの『化け物』と対峙した時の様な。圧倒的なまでの『死』の匂いが纏わり付いている様にすら感じた。

『化け物』の形をした『()』が無惨の頸を掴み締め上げている様だった。

 

 再生させた肉体を更に変化し触腕を形成し薙ぎ払おうとしても、その尽くが微塵に斬り刻まれ雷に焼かれる。

 何をしても勝てる可能性が見えない。

『人間』などでは何千何万と集られても意味を成さないまでの、圧倒的なまでの彼我の能力差を以て、ただ適当に腕を振り払うだけで何もかもを鏖殺してきた無惨にとっては、『戦い』など一度も経験した事など無いのだ。

 かつての日の呼吸の『化け物』との邂逅も、そもそも『戦い』にすらならなかったが、逃走し生存する事は出来た。

 しかし、この『化け物』からは逃れる手段すら思い付かない。

 肉体を弾けさせる手段とて、まるでそれを見越していたかの様に肉体の質量を此処まで減らされてしまえば有効とは言えない。

 何とか弾けた所で、纏めて燃やし尽くされるか滅びの光に消し飛ばされる。

 全く以て理解の出来ない『化け物』だった。

 こんなモノがこの世に存在して良い筈が無い。

『人間』の形をして、『人間』の様な顔をして、『人間』の中に混じりながら。その実その中身は全く以て『人間』などでは有り得ない『化け物』である。

 

 そして、『化け物』の姿を目にしたからなのか。

 以前、黒死牟と猗窩座と共有していた感覚から逆流して来たあの悍ましい光景が蘇り、身体中の細胞が『恐怖』に戦慄き叫び出さんばかりに震え出す。

 どうにかそれを制御し、肉体を再生させるだけで精一杯であった。

 少しでも状況を好転させる為に「人質」を取ろうとしても、産屋敷の方へと攻撃を飛ばす前にそれらは全て斬り刻まれて終わる。

 最早八方塞がりであった。

 

 そしてそんな中、突然肉体が無数の棘によって貫かれ固定される。

 まだ胸の辺りまでしか再生が進んでおらず、目の再生は出来ていない為に一体何が起きたのか一瞬把握出来なかったが。

 どうやらその棘は『化け物』の攻撃では無く、感じる気配から察するに何らかの血鬼術である様だった。

 だが、一体誰の血鬼術であると言うのか。

 無惨は今まで鬼にしてきた者達の中で、血鬼術に目覚めた鬼のそれは過去のものから今に至るまで全て把握している。

 陽光を克服した鬼でなくても役に立つ血鬼術であるのならば利用する為だ。

 とは言え、役に立つ血鬼術に目覚める鬼は非常に少ないのだが。

 しかし、今己の身を貫く棘の血鬼術は、無惨の記憶には無いものであった。

 ならば、これは──

 

 その未知の血鬼術に、そして目の前に居る『化け物』に完全に意識を取られていたが故に。

 無惨は()()()()の接近に全く気付け無かった。

 そしてその者は、『化け物』の攻撃によって斬り刻まれ再生させつつあった腹の辺りに拳を捩じり込んで来る。

 その者の気配に、無惨は覚えがあった。

 

「この気配、珠世か!!」

 

 全く予想だにしていなかった存在の乱入に驚愕して、どうにか再生が進んだ喉を震わせてそう言葉にすると。

 

「ええ、そうですとも!

 この血鬼術は浅草で貴方が鬼にした人のものですよ!!

 そして、今貴方は私の拳を吸収しましたね?」

 

 少しでも再生を早める為に、其処に在ったそれも巻き込んでいた事を指摘した珠世の声音は。

 まだ目が再生出来ていないが故にどの様な表情なのか実際に目にする事は叶わなかったが、しかし女の情念を感じさせる様な凄絶な笑みを浮かべているのだろうと思わせるものである。

 

「拳の中に何が入っていたと思いますか?

 鬼を人間に戻す薬ですよ!

 どうですか、効いてきましたか?」

 

 そんなものが存在する筈は無い。

 そう結論付けた無惨は、寧ろその愚かさを笑う。

 

「その様な妄想に縋って何の意味がある?

 それより、此処に現れたと言う事はお前はあの『化け物』の仲間か?

 愚かな奴だ。自らあの『化け物』を縛める為の盾になりにくるとは!」

 

『化け物』の手を鈍らせる為の盾を求めていた無惨にとって、下らない復讐心の為にこうしてのこのこと飛び込んで来た珠世のその愚かしさは、寧ろ千載一遇の好機であった。

 この場にこうして現れた以上は、『化け物』と珠世は仲間であるか或いは協力関係にあるのだろう。

 そんな相手に対し、例えそれが鬼であったとしてもあの『化け物』は攻撃を仕掛けられないのだろう。今までの記録からもそうだろうと分析出来る。

 実際珠世がこうして現れてからは、『化け物』の攻撃は腕や上半身を斬り飛ばしてはくるものの、珠世が居るのだろう辺りには殆ど攻撃していない。

 自分たちの勝機を自ら投げ捨てるなど、余りにも愚かであった。

 

「逆恨みに執念を燃やし続けた結果がこれとはな!

 お前の夫や子供を喰い殺したのはお前自身だろう?

 美味そうに貪り食っていたのは、私では無い!

 その後も大勢楽しそうに貪り食っていただろう!

 あれは幻だとでも宣う気か?」

 

「そうなると分かっていれば鬼になどならなかった!

 それでも、それを選んだのは私。自暴自棄になって大勢殺したのも私。

 だからこそ。その罪を償う為にも、私は此処でお前と死ぬ!!」

 

 漸く再生の済んだ眼に映った珠世は、憎悪と悔悟に染まった表情で。

 そんな珠世を見る『化け物』は、『化け物』のクセにまるで『人間』の様な心があるかの様な表情をしていた。

 そして──。

 

 何時の間にか無惨の周囲には幾人もの鬼殺の剣士たちが集っていた。

 数と気配からして、柱だけではなくそれ以外にも何人か混じっている様だ。

 こうもわらわらと自ら足手纏いになる為に集ってくるとは。

 復讐心だか何だかは知らないが、何処までも愚かで、そしてそれは無惨にとってはこれ以上に無い程に「都合が良い」。

 

 

「無惨!!」

 

 そう吼えて、他の柱たちと共に呼吸の型を繰り出そうとしているのは、忌々しい耳飾りを付けた鬼狩りだ。

 剣士どもは周囲を取り囲み、一斉に攻撃を仕掛けようとしているが。

 無惨の目にはこうして集まって来た者たちは誰も脅威とすら感じなかった。

 この場に於いて最も悍ましい存在であった『化け物』は、人間たちが無惨にとっての肉盾となる事でその脅威は随分と削がれている。

 少なくとも、周りをこの様な形で取り囲んでいる状態では、先程の様に劫火で燃やし尽くしたり、或いは無限城を消し飛ばした様な一撃を放つ事は出来まい。

『化け物』を何らかの方法で手懐けて飼い慣らしているのかと思いきや、その使い方すら理解していない愚か者ども。

 己の復讐心などと言う詰まらないものに拘るその在り方が、此処までその復讐の対象である筈の自分に味方する事になろうとは。

 

『化け物』の脅威が少し削がれた事で漸く恐慌状態から少し持ち直した無惨はせせら笑いながら、鳴女に仕掛ける様にと命じる。

 

途端に、周囲の鬼狩り共の足元を呑み込む様に無数の襖が出現し、そして無惨自身の足元にも無限城の中でも特に安全な最奥の領域へと繋がる障子が現れて全てを呑み込む。

『化け物』を呑み込む事はやや躊躇いがあったが、鬼狩り共や無数の「人質」を用意した無限城の中こそが最も『化け物』を狩れる可能性のある場である。

 

 

「これで私を追い詰めたつもりか?

 貴様らがこれから行くのは地獄だ!!

 目障りな鬼狩り共! 精々そこの『化け物』を縛る鎖となって死に絶えるが良い!!

 今宵皆殺しにしてやろう!」

 

 

 無惨のその言葉に耳飾りの鬼狩りが何か啖呵を切っていたが、その様な雑音はどうでも良いと聞き流しながら無限城へと退避するその寸前。

 足元に出現した襖を跳躍して回避していた『化け物』が一気に無惨に肉薄して来た。

 再び己の身に迫り来た『死』に、無惨の身は恐怖に硬直しかけるが。

 しかし、『化け物』が振るった一撃は無惨の身を斬り裂く事は無く。

 無惨の身体に同化しつつあった珠世の腕を斬り落とし、珠世の身を抱え込んだ後で足場にするかの様に無惨の身体を蹴り飛ばす。

 ほんの一瞬で行われたその狼藉に反応しきれないまま。

 珠世を抱えた『化け物』が鬼狩り共の後を追って、誰かが落ちていった障子の中へと飛び込むのを、無惨は驚愕と共に見送るしか無かった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
愈史郎の札で姿を隠しながらお館様の隣でずっとスタンバイ状態だった。
初手メギドラオンをしなかったのは、再生するかどうかで本物か偽物(肉人形)かを見分ける為。
追撃でメギドラオンしなかったのは、この世界に存在すべきでない自分だけの手で決着をつけてはいけないと思った事と、既に無限城に「人質」が囚われていた際に最悪の結果になる事も予期したから。
珠世さんを無惨に吸収される前に斬り離したのは、珠世さんに死んで欲しくないという理由の他に、珠世さんの力がこの先で必要になるからと言うものもある。


【産屋敷輝哉】
前もって決戦の際の総指揮権は輝利哉に委任している。
無惨を釣る為の囮として、無惨と対峙する事に。
(悠が傍に居るけれど)危険な為本来は自分一人で無惨と対峙するつもりであったが、あまね様は自分の意思で傍に居る事を選んだ。
無惨の動揺を誘う為に、青っぽい色に染めた彼岸花みたいな花(悠のアドバイスで染料を吸わせて染めたもの)を用意していたが、思った以上に無惨の動揺を誘えたので満足。
庭先は完全に吹き飛んだが、無問題。


【珠世】
お館様や悠からはまた少し離れた場所で愈史郎の札を使用した状態でスタンバイ。
その後は原作同様に特攻。
原作では使用した薬は四種類だが……。
無惨に吸収されて死ぬ覚悟での特攻だったのに、寸前で悠に救われてしまった。


【柱の皆さん】
事前に原作よりも邸に近い場所で愈史郎の札を使用した状態でスタンバイしていた。


【炭治郎たち】
事前に原作よりも邸に近い場所で愈史郎の札を使用した状態でスタンバイしていた。
カナヲはしのぶと行動を共にしている。
尚、増産するにも限界があった為、事前に愈史郎の札が配られていたのは、柱と悠の他には甲以上の隊士と、射撃の腕を見込まれて特殊任務が割り振られている玄弥のみ。それ以外の隊士たちは決戦に備えて待機状態を命じられていた。


【鬼舞辻無惨】
鳴女の探知に産屋敷家の屋敷が引っ掛かった為のこのことやって来た。
一応周囲に悠や柱が居ないかは事前に調べさせていたが、事前に愈史郎の札で姿を隠していた悠たちの姿は見付けられなかった様子。
悠を見た瞬間恐慌状態でパニックに。
なおこの後、鬼を人間に戻す薬が効き始めた辺りで慌てて解毒作業に取り掛かる事になる。


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『神威を望む者』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 既に鬼舞辻無惨に吸収されていた左手と、そして吸収されたその手に握られていた数々の薬が作用しつつある可能性のあった左腕を斬り離した結果、左腕の肘から先を喪った珠世さんを肩に抱える様にして片手で支え。

 鬼舞辻無惨が決戦の地として選んだ奈落の底へと続く襖や障子が閉まり切る前に、しのぶさんたちが落とされたものへと身を滑り込ませる様にして飛び込んだ。

 

 上下も左右も滅茶苦茶で、重力が働く向きすら視覚的には全く分からず何もかもが歪み捩じ切れているかの様な空間を珠世さんを抱えたまま落ちる。

 構造物の何処かを掴むなりしなければ、底に叩き付けられるか或いは「無限」に終わりが無い場所を落ち続ける羽目になりそうだが。

 しかし、下手な場所に着地しても、建物内の繋がりすらも滅茶苦茶であろうこの場所では却ってしのぶさんたちから離れてしまいかねない。

 だがそれを見越して先導しようとしてくれているかの様に、しのぶさんの鎹鴉である「艶」がグルグルと飛びながら目印になってくれている。

 その目印に従って、反対側の壁を蹴って勢いを付けて向きを変えながら障子を蹴破る様にその中に飛び込んだ。

 飛び込んだその部屋は天地が逆さまになっているかの様な状態で。

 最悪の場合一歩踏み出した其処で重力の向きが代わって天井から畳に叩き付けられかねないと警戒してしまうが、慎重に踏み出した感じだとそう言う訳では無い様だ。

 とは言え、この異質な異空間を維持している鬼の気持ち次第で幾らでも天地を掻き混ぜてしまえるのかもしれないし、或いはこの異空間内に居る時点で好きな様に場所を転移させる事が出来てしまうのかもしれないので油断は出来ない。

 炭治郎が以前戦ったと言うかつては下弦の鬼であったらしい鬼は、鼓の音に合わせて己の領域である屋敷の中を文字通りに自由自在に天地を引っくり返したり転移したりとしていたらしいし。

 同じと言う訳では無くとも似ている部分がある、この異空間を維持している琵琶の鬼も同様の事が出来る可能性はある。

 何にせよ、何時でも対応出来る様に警戒を続ける必要はあるだろう。

 

「艶、把握している限りの状況を教えてくれ」

 

「柱及ビホボ全テノ隊士タチガ落トサレタァ!

 隊士デハナイ民間人モ多数囚ワレテイル!

 ソノ数、数百ハ優ニ越エルガ、総数ハ未ダ把握出来ズ!

 鬼ノ気配多数!

 既ニ隊士ノ一部ハ民間人ヲ守ル為ニ戦闘中!

 隊士ト上弦トノ接触ハ未ダ無シ!」

 

「お館様と奥方様はご無事なのか?」

 

「既ニ屋敷カラ退避済ミ!」

 

 どうやら鬼殺隊全体を狙ったこの攻撃にお館様たちが巻き込まれる事は無かった様だ。

 飛び込む寸前に一瞬目をやったお二人の周囲に何か異常は無さそうではあったが、時間差で引き摺り込まれている可能性はあったので憂慮はしていた。

 しかし状況は良いとは言い切れない。

 予測自体はしていたが、「人質」とする為であろうが民間人を多数予めこの空間の中に捕らえていた様だ。

 数百を優に超える人々が此処に囚われ、更には無数の鬼たちが人々を襲おうと徘徊している。

 柱以外の隊士たちは優先的に民間人の保護の為に動いている筈だが、空間の繋がりすら歪んだこの異空間で分断されている状態だと孤立無援にも等しい状況で人々を守らねばならなくなっている者も多いだろう。

 柱稽古を乗り越えたとしても、戦う力の無い人々を守りながらの戦いはどれ程の実力があったとしても厳しいものがある。

 更には、守られている人々が「正常な判断」をしてくれるとも限らない。

 見た事も無い「化け物」たちを目にしてパニックに陥っている可能性も高い。

 やはり、一刻も早くこの異空間を支配している鬼を落とす必要がある。

 

 それにしてもやはり、愈史郎さんお手製の札の効力は絶大だ。

 尤も何十何百もの鴉たちから送られてくる視覚情報を精査し作戦を立てては適切な動きが出来る様にサポートしているご子息方の能力が凄まじいからこそそれを有効活用出来ている訳なのだが。

 五人がかりとは言え、まだ八歳の子供たちがその様な大役を任されそれを必死にこなしているのだと思うと、何としてでも勝たねばならないと言う気持ちがより一層強くなる。

 

 艶にしのぶさんとカナヲが居る場所までの案内を頼みつつ、肩に抱えていた珠世さんのその身体をそっと下ろす。

 珠世さんは、まだ状況が把握しきれていないかの様に呆然としているが。

 鬼舞辻無惨に吸収されて死ぬ筈だった自分が未だ無事である事に漸く理解が及んだのか、「どうして……」と小さく零す。

 斬り落としたその左腕の肘から先は、未だ再生が進んでいない。

 ……元々、かつてはともかく久しく人を喰っていない珠世さんの再生能力は鬼としてみれば血鬼術を使いこなしている割にはかなり低いものだと言えるものだけれど。

 しかし、よくよく見ればその肘の断端は再生していくよりも寧ろゆっくりと静かに崩れていっている様にも見える。

 その理由が何であるのかは分かっているけれど。

 でも、未だだ。未だ、もう少しだけ、時間が必要だった。

 

「珠世さんの覚悟を否定するつもりはありません。

 俺も、愈史郎さんも、炭治郎も……珠世さんに生きていて欲しいと願っていますが、それで珠世さんの覚悟を捻じ曲げる事は出来ない。

 でも、珠世さん。もう少しだけ俺たちに力を貸して頂けないでしょうか。

 鬼舞辻無惨を討ち滅ぼす為に……そして少しでも多くの人を助ける為に。

 珠世さんの力が、必要なんです。

 鬼舞辻無惨に薬を撃ち込む為にこんなにも無茶をした珠世さんに、『戦え』と言うのは心苦しいですが……」

 

 どうか、もう少しだけ自分たちに貴女の力と時間を下さい、と。

 自分が斬り落とした左腕の断面に触れ、そっとそこに気休め程度のディアをかけながら乞う。

 ……鬼の始祖であり頂点である鬼舞辻無惨を討つ為に特別に調合と調整を重ね続けた薬は、ただの鬼にとっては最早必殺の毒にも等しいもので。

 ほんの僅かにその身に取り込むだけでも、その影響は免れ得ない。

 拳に隠し持ったその薬ごと左手を吸収されたその際に、吸収されたその部分を通じてほんの僅かにでもその薬は珠世さん自身にも影響を与えている。

 繋がっていた腕を斬り落とした所で、その影響を完全に無かった事には出来ない。

 鬼舞辻無惨の様に薬を分解する程迄の力は無いだろう珠世さんにどの程度の影響が現れるのかは自分には分からないが……。

 しかし、再生が止まっている様に見えるこの腕がその答えなのだろうとは思う。

 ……もう、あまり時間が無い。

 そして、残されたその時間を自分たちの為に使って欲しいと願うのは、とても傲慢なものであるけれど。しかし、珠世さんの心を動かせるのだとしたら、きっと。

 

「……私が、まだ役立てる事があるのですね」

 

 鬼としての力は、全くと言っても良い程に強くはない自分に、と。

 何処か子供の我儘を聞き届けて「仕方無い」と苦笑しているかの様な、そんな「親」の慈愛にも似ている微笑みを僅かに忍ばせて、珠世さんはそっとその目を閉じる。

 

「……それが無惨を滅ぼす為に必要であると言うならば、それに否はありません」

 

「ありがとう……ございます、珠世さん」

 

 哀しみに似た痛みを訴える胸をそっと押さえて、静かに頭を下げる。

 そして、指笛を鳴らして近くに居るかもしれない鎹鴉を呼んだ。

 隊士に宛がわれている訳では無い鎹鴉たちも今回の決戦には総動員されている。

 この異空間にも少なくはない数の鴉が飛び込んでいる筈だった。

 そして、その合図に反応した一羽の鎹鴉が奥から飛んで来る。

 愈史郎さんの「目」を確りと付けているその鴉を腕に止まらせて、珠世さんを愈史郎さんの所へと案内して欲しいと頼む。

 そして、珠世さんには愈史郎さんの目くらましの札を渡した。

 

「この戦いの要は、愈史郎さんと珠世さんです。

 ……どうか、よろしくお願いします」

 

 あらゆる場所に無数の鬼が蔓延っているこの異空間で、そして何処に上弦の鬼が居るのかも分からないこの状況で。

 直接的に戦う力には乏しい珠世さんが無事に愈史郎さんの下まで辿り着く事は決して簡単な事ではない。鎹鴉の道案内があるのだとしても、想定外の事態は何時でも起こり得る。それでも、信じて託すしかない。

 自分たちは自分たちの出来る事をするしかないのだから。

 

「……ご武運を」

 

 珠世さんの道案内はその鎹鴉に任せて、自分は艶の案内に従ってしのぶさん達の後を追うのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 空間ごとの繋がりが滅茶苦茶な事になっている異空間ではあるが、艶の先導に従う事で恐らくは最短でしのぶさんたちの下へと向かえているのだろう。

 途中にはしのぶさんが毒で倒したのだろう鬼の死体が多数転がっているので、こっちで合っているのだろうと分かる。

 

 それにしても、一体どれ程の鬼をこの異空間に放っているのだろうか。

 ……鬼殺隊が狩り切れて居なかった鬼だけでは流石に此処までの数にはならないと思うのだが……。

 被害が表立って出て来なかっただけで、()()()()()()()()をこの決戦の際の雑兵とする為に捕らえて鬼にしていたのかもしれない。

 残念ながら、浮浪者やら孤児など、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()は存在する。鬼殺隊はかなり念入りに情報収集してはいるが、それでも感知し切れない部分は大いにある。

 ……何にせよ、今は一刻も早く合流しなければ。

 襲い掛かって来た鬼たちを一掃しつつ駆け抜けてしのぶさんたちを探す。

 作戦の事を考えると、しのぶさんたちはそこまで動いている訳では無いだろうけれど。この異空間は完全に鬼の支配下にあるのだ。

 時折弦を掻き鳴らす音がして、その度にどうやら空間の接続が変わっている様である。その結果、中々辿り着けない。

 空間の接続が変わっても、カナヲの所に居る「五十鈴」と艶のお陰で完全に見失うまでには至っていないが、このままでは埒が明かない。

 

「コノ下ァ!!」

 

 焦りを覚え始めた時、艶がそう合図する。

 それに迷う事無く、床になっている天井全体を叩き割って下の階層にあった空間へと飛び込む。

 そこには、押し寄せて来る鬼たちを手分けして掃討しているしのぶさんとカナヲの姿があった。

 

「しのぶさん! カナヲ!」

 

 二人が無傷の状態であり、特には消耗していない事に安堵して。

 周囲を囲んでいた鬼たちをマハンマオンで一掃する。

 下弦程度の力を無理矢理与えられているらしいとは言え、雑兵の鬼たちはハマで一掃出来る程度の強さでしかない。

 まあ、それでもこの人海戦術紛いの物量戦を難なく捌き切る為には、柱や柱に準じる実力が無ければ困難極まりないだろうけれど。

 何にせよ、上弦の鬼に遭遇する前に二人と合流出来て何よりだ。

 この異空間に落とされてからまだそう時間が経っていないからなのか、未だ誰かが上弦の鬼と遭遇したとの情報は無いが……しかしそれも時間の問題であろう。

 

 この異空間での戦いで最も重要なのは、一刻も早くこの異空間を支配している鬼を見付け出し、それを何としてでも殺さずに生かしたまま落とす事だ。

 そうでなければ、最悪のタイミングで上弦の鬼たちを一ヶ所に搔き集められてしまう可能性がある。

 この空間での戦いに於いて、最も脅威となるのは鬼舞辻無惨でもその他の上弦の鬼でも無く、此処を支配している鬼である。しかもただ脅威になるだけでなく、殺しても殺されても此方としては「詰み」になるのだ。厄介なんてものではない。

 しかし、琵琶の鬼を獲るその役目は自分やただの柱では熟せそうにはない。

 万が一その琵琶の鬼に自分が接近したら、それを感知した瞬間に鬼舞辻無惨はその鬼を殺しかねない。

 そうなればこの異空間は崩壊し、それに巻き込まれる事になるだろう。

 そして柱の人たちであったとしても、鬼を殺す訳にはいかず更にはその鬼をその支配下に置いて操る必要があるとなれば、それは流石に誰の手にも余ってしまう。

 結果、その最重要の役目を任される事になったのは愈史郎さんである。

 勿論、戦闘能力的にはそこまで強くはない愈史郎さんだけでは鬼を支配するまで接近する事は困難なので、他にもその作戦に協力する者は居るけれど。

 琵琶の鬼を落とすまでの自分たちの役割は、上弦の鬼たちと派手に戦う事で琵琶の鬼や鬼舞辻無惨の注意を集め、愈史郎さんたちが琵琶の鬼を落とし易くする為の陽動の様なものだ。

 まあ、単に陽動と言うだけでなく、上弦の鬼は鬼舞辻無惨との決戦の前に討ち滅ぼす必要はあるのだけれど。

 

「上弦の弐……童磨は何処に……」

 

 他の上弦と遭遇したならば、その鬼を倒す事を優先しなければならないが。

 今の所自分たちの目標は上弦の弐こと「童磨」である。

 しかし、この広大かつ空間の繋がりすら不規則な異空間で、何処に居るのかも分からない鬼を探し出す事は難しい。それこそ、りせの様に優れたサーチの力が必要になるだろうが……そんなものはこの場に居る誰も持ってはいない。

 闇雲に動き回ったとしても却って消耗するだけだ。

 最大の目標である鬼舞辻無惨と対峙する前に過度に消耗する事は可能な限り避けなければならない。

 更には、この異空間に囚われていた多数の民間人も保護しなくてはならない。

 まあ、それに関して言えば柱以外の隊士を積極的に動かして、可能な限り保護出来る様に誘導してくれているとは思うが……。

 予想はしていたが頭が痛くなる様な事態ばかりである。

 戦う力など無い民間人はもとより、柱以外の隊士が上弦の鬼と遭遇しても勝ち目は殆どと言っても良い程に無い。

 どうにか、被害が拡大する前に柱たちが其々上弦の鬼を抑える事が出来ればいいのだけれど……。

 

 その時、弦を掻き鳴らす音が響き、咄嗟にしのぶさんとカナヲの手を取った瞬間に周囲の景色が弦の音と共に目まぐるしく入れ替わる。

 場所が入れ替わっているのではなく、自分たちの方が次々に異なる場所に飛ばされているのだと瞬時に理解し、何が起こっても良い様に警戒しつつしのぶさんとカナヲと離れ離れにならぬ様に注意する。艶と五十鈴はしっかりとしのぶさんとカナヲの肩に止まる事ではぐれない様にしている様だ。

 六度程転移させられた後に、奇妙な大扉の前に辿り着きそこで音は止んだ。

 

「……この気配は」

 

 大扉の向こうから感じる忘れ難い気配に、しのぶさんの目に昏い光が灯る。

 空間を操る鬼が何故わざわざこの前に連れて来たのかは分からないが……恐らくは罠であるのだろう。だが、自分たちにとっては逆に都合が良い。

 準備は良いだろうか、としのぶさんとカナヲに目配せすると、二人は静かに頷いた。

 それを確認してから大扉を開け放った其処に居たモノは。

 

 

「今日と言う日をどれ程待ち望んだ事か、またこうしてお目通りする事が叶うとは!」

 

 嗚呼……『神様』、と。そう感極まったかの様に感嘆の声を上げたその鬼は。

 かつて戦った時そのままの姿形で、しかしあの時とはその雰囲気やもっと根本的な部分が全く違うものであった。

 目の前に広がる空間が、かつてこの鬼と対峙したその場所と酷く似ているから、尚の事その違いが浮き彫りになっているかの様だ。

 

 かつて遭遇した時には、この鬼には「感情」と言うものの揺れが全く無かった。

 オーバーな程にそれを表層的に演じていても、その目には何も浮かんでいなかった。

 いっそ『心が無い』と言ってしまっても良い程に、人間的な感情は無かったのだ。

 だが、今目の前に居る「()()」は一体何だ。

 その目にはまるで始めて見るものに目を輝かせている幼子の如く好奇心の輝きが灯り、更には溢れんばかりの感動に潤んでいるかの様ですらあった。

 更には感動に溢れたその輝きの中に底知れぬ執着と狂気をそこに感じ、それが紛れもなく自分ただ一人に向けられている事を理解して思わずゾッとしてしまう。

 

「『神様』……? 一体何の事を……」

 

 全く以て意味が分からない。

『神様』扱い……と言う部分に関しては、確かに鬼殺隊の人たちからはその様にみられている事もあるらしいとは知っている。それを望んでいる訳では無くても、事実なのだから仕方が無い。

 しかしそれに関しては、この世に在ってはならない様な反則染みた力で皆を助けているからで。

 己を完膚なきまでに叩きのめした「敵」に対して感じるものとしては、酷く歪なのではないだろうか。まだ『化け物』呼ばわりしてくる方が納得出来る。

 更には、最早「変貌」と言っても良い程の外面的にも漏れ出ている程の内面的な変化は一体何だと言うのだろう。

 

 だが、此方の言葉に「童磨」はニッコリと微笑む。

 

「『神様』は『神様』だとも。

 かつての俺は、神も仏も存在しない、極楽なんて何処にも無い。そんなものは頭が悪くて何かに縋らなければ生きていけない可哀想な人たちが必死に生み出したただの妄想だと思っていた。

 でも、『神様』に出逢った事で、そんな考えは全くの見当違いなのだと気付いた。

 そうとも、『神』は確かに其処に居る。

 人の心に、その感情に!

 これまでの俺が理解出来なかったそれその物が、そうだったのだ、と!」

 

 狂気すら滲ませた恍惚の表情を浮かべうっとりと微笑む「童磨」に、しのぶさんとカナヲも理解出来ないものを見ている様な視線を向けている。

 その視線にある感情を言葉で表現するならば、「気持ち悪い」というそれだ。

 生理的に嫌悪感を搔き立てられるものへと向ける冷たい視線に構う事すら無く、「童磨」は滔々と続けた。

 

「それまでの俺にとって、人間の感情と言うものはどうにも夢幻の様なもので、嬉しいも哀しいも理解出来ないし、信者たちが言うそれらはただの妄想だと思っていた。

 だが、『神様』を知ったその時、生まれて初めてこの鼓動は脈打つ様に高鳴り、今まで見ていたものは全て薄い幕越しに見ていた幻であったかの様に鮮やかに世界が色付いて見えた!

 自分の思考を凌駕する程の、絶えず湧き起こる衝動というものを初めて理解した。

 己の望みが叶わない事を恐れる感情を、やっと見付けた感動を永遠に喪う事の恐ろしさを初めて知った!

『死にたくない』と、そう生まれて初めて思った……!」

 

 目を輝かせてそう述べる「童磨」の弾む様なその声は、そこに噓偽りがある様には思えず。しかし、それに理解し共感出来るのかと言われれば「否」と言わざるを得ない。

 心を理解出来なかった存在が、『心』を理解した。

 古今東西の様々な物語で美談の様に語られるそれが、こうしてその口から語られるとどうにも悍ましく感じてしまうのは何故であるのだろう。

 

「ああ、今ならばかつての俺は間違っていたのだと、そう心から思う事が出来る。

 心も、感情も、素晴らしく美しいものだ。

『神様』の力のその根源にあるものなのだから!」

 

 ペルソナの力が『心の力』であると、それを正しく理解していると言うのに。

 何故此処まで理解出来ない異質なものを見ている様に感じてしまうのか。

「童磨」の言うそれは確かに「心」であり「執着」であるのだろうけれど、しかし人が理解し共感出来るものであるのかどうかは全く別である。

 更に言えば、『心』を理解しているのだとしても「童磨」は恐らくは……──

 

「心を理解したから、だから何だと言うんですか?

 それでお前の所業が赦されるとでも?」

 

 溢れんばかりの怒りと憎しみと苛立ちを抑えつつ、しのぶさんはそう言い切る。

 心を理解しようがどうであろうが、しのぶさんにとって童磨がカナエさんの仇である事には何一つ変わりが無い。

 そしてしのぶさんのその言葉に、()()()()()()()()()()()()()()()()()しのぶさんの方へと僅かに目をやって、童磨は心底不思議そうな顔をする。

 

「ああ、居たんだ。えっと確か君は……『神様』と一緒にやって来た子だったね。

 赦す赦さないの話なんて今はしてないよ?

 第一、そんな事はどうだって良い事だろう?

 君たちの傍には『神様』が居るじゃないか」

 

 ならば一体それの何に問題があるのかと、そう心から思っているかの様にニッコリと笑いながらそう言い切って。

「ああ、だけど」と。少し「悪い事をした」と言わんばかりの顔をして、童磨は宣う。

 

「君の姉さんには少し悪い事をしてしまったね。

 あの子も『神様』に出逢えていたかもしれないのに、その前に殺してしまった上に食べ損ねてしまったから──」

 

 その言葉を遮ったのは、我慢の限界を超えたとばかりに一気呵成に踏み込んで超速の刺突を繰り出したしのぶさんの一撃だった。

 だが、童磨はその一撃を指先で挟んで止める。

 その事に、しのぶさんは驚いた様に微かに目を見開く。

 

「前に戦った時よりも速くなっていないかい?

 凄いねぇ、頑張ったんだね!

 でも、今俺は『神様』と話しているんだから、邪魔しないで欲しいな」

 

 特殊な形状であるが故に横からの衝撃には構造的に脆いしのぶさんの日輪刀を折ろうと、童磨はその指先に力を籠めようとするが。

 しかしそれよりも前に、思いっきり童磨の腕を蹴り上げて僅かに指先の力が緩んだその隙に、しのぶさんは日輪刀を奪い返して後退する。

 それを見た童磨は、「判断が早いねぇ」と呟く。

 

 鬼舞辻無惨の血を与えられた童磨の強さは、以前戦った時の比では無い。

 それは予想していた事であったが、こうして改めて対峙するとその事実がより一層重く圧し掛かる。

 しかし、警戒する此方に構う事無く童磨は至ってマイペースに話続ける。

 

「極楽浄土なんて目指す必要は無かったんだ。

 心持ち一つで、この世は地獄にも極楽にも変わるものなのだから。

 地獄も極楽も、それは共に心に在るもの。

『神様』がこうして存在しているこの世こそが、人々が辿り着くべき楽土だったのに」

 

 かつての信者たちには悪い事をしてしまった、と。そう童磨は言葉にする。

 その言葉がどれ程本心からのものなのかは分からないが、随分と馬鹿にしたものだ。

 

「だからこそ、その反省を生かして今度はちゃんと人々を導こうと思ったんだ。

『神様』の事をもっと大勢の人たちに知って欲しかったのもあるけども」

 

 一瞬、童磨が言っている意味が分からず。思わず「は?」と瞠目してしまう。

 だが、直ぐ様に「まさか」と思い当たるものがある。

 

「『ナルカミ教』の事を、言っているのか……?」

 

「ナルカミ」と言うそれはただの偶然の一致だと、そう思っていたのに。

 まさか、目の前のトチ狂った鬼が広め出したモノだったなんて。

 

「ああ、まさか『神様』の耳にも届いていたなんて。

 最初は本当に小さな規模のものだったのに、驚く程瞬く間に日本中に広がっていってね。

 俺としても驚いているんだ。

 やっぱり『神様』の存在は偉大だな!」

 

 そんな事を宣う童磨に返す言葉も無く絶句してしまう。

 いやまさか、と。全く考えてもいなかった事態に思わず狼狽えてしまう。

 直接的にその『ナルカミ教』とやらに関与した訳では無いとは言え、童磨のその言葉によるならばそこで信じられている「ナルカミ様」とは自分の事なのだろう。

 だから何だと言ってしまえばそうなのだろうけれど……。しかし、どうにも居心地の悪さと共に、「非常に不味い事になった」と言う何故なのかは自分でもよく分からない焦りの様なものも感じてしまう。

 基本的にこの大正の時代では鬼殺隊の人たち以外に深く関わる事は無いのだが、しかし任務の際に襲われていた人を助けた事は一度や二度では無いのだし、そもそも全く関りが無いなんて事も無い。

 もし、何かを切っ掛けにして自分の存在が広まってしまえば……。自分が思っていた以上の迷惑が周りに掛かってしまうだろうし、最悪の場合その程度では収まらない事態に発展してしまうかもしれない。

 

 鬼との戦いの中に在ってすら、この世に存在するべきでは無い力なのだ。

 況してやそれが鬼など何も知らない一般の人に広まった時にどうなるのか……。

 ……この世には理不尽が溢れている。

 平成の時代よりも遥かに「不治の病」は多く、福祉などの法整備も未発達で。

 一度天災で生活を破壊されてしまえばそれを立て直す事は非常に困難で。

 そんな中で、決して万能では無いのだとしても、しかしその理不尽を引っくり返し得る力が……それを揮う存在が居るのであれば。

 それに縋りたいと、そう願う人がどれ程現れるのだろうか。

 それを咎める事は出来ないし、そもそもそれは決して「悪い事」では無い。

 だが人の願いに際限は無く、自分が対応出来る範囲など容易く超えてしまう。

 そしてそれがどんな理不尽であったとしても、それを善しとしない今を生きる人たちが試行錯誤して少しでも変えようとしていくからこそ未来に繋がっていく。

 天災に対しても防災の技術やその知識が少しずつ蓄積されていく様に。

 病に対しても、原因を解明し、治療法を見付け、薬を作り出していく様に。

 沢山の理不尽と屍の山の上に築かれた時代に生まれ生きていたからこそ、理不尽の何もかもを強引に取り除く事が「最善」であると言う訳では無い事も分かっている。

 だけどそれは……今を生きてそして理不尽に苦しんでいる人たちにとって、何の救いになると言うのだろうか。その人たちが望むのは、今の自分たちが救われる事であるのだから。

 遠い未来で自分たちの犠牲によって新たな犠牲者が生まれる事を防げるだなんて、それで納得して己の身に降り掛かったそれを受け入れる事が出来る人がどれ程居ると言うのだろう。

 ……そして何よりも。目の前で苦しむ誰かにそんな心無い言葉を吐き捨てる事が出来る程、自分は割り切りが良い訳では無い。

 

 思わず、目の前に討たねばならぬ敵が居る事すら一瞬忘れかける程に動揺してしまった。

 しかし、そんな動揺に構う事も仕掛けて来る事も無く、童磨は「だから」と明るい調子の声で続ける。

 

「折角の機会だから、『神様』を求める人々を此処に招待してあげたんだ。

 俺が話を聞くだけでは救い切れない人も大勢居てね。

 そう言った人たちの中には、何があったとしても『神様』に助けて欲しいと、自らこの無限城に来る事を望んだ者も居るんだ」

 

 この異空間……『無限城』に「人質」として囚われている人たちの全員がそうと言う訳では無いらしいが、しかし少なくない数の「信者」が自ら望んで此処に訪れた『ナルカミ教』の信者であると言うのだ。

『ナルカミ様』に……自分に、直接逢えるかもしれないなんて、ただそれだけの事で。

 無数の鬼たちが蠢き、迷い込んだ人々を喰い荒らそうと狙っているこの地獄の檻の中に、自ら。

 そして、それを「とても良い事をしてあげたなぁ」などとニコニコと笑いながら童磨は宣い、手を大きく叩いて「ほら、入っておいで」と声を掛ける。

 すると、自分たちが入って来た大扉とは別の扉が開いて、わらわらと人が入って来る。

 その格好は、至って普通の人たちで。こんな場所に居る事を除けば、本当にそこらの町中で普通に生きているだろう人たちにしか見えなかった。

 突如広い空間に出た彼等は驚いた様に辺りを見回していたが、突然の事に驚いて彼等を見ていた此方に気が付くと、童磨に構う事など無く此方を目掛けて駆け寄って来る。

 そして、必死の形相の女性が、縋り付く様に服の裾を掴んで懇願して来た。

 

「『ナルカミ様』……!

 どうか、どうか、私の息子を救って下さい!

 まだ幼いのに不治の病に罹り、余命幾許も無く……。

 お医者様に縋っても苦しむ時間を増やすだけで──」

 

 しかしそんな女性を押しのける様にして、今度は壮年の男性が掴み掛る様に縋って来る。

 

「いいえ、私の息子を助けて下さい。

 事故で半身を潰されて、将来の夢も何もかもを喪い、動かぬ身体で死んだように生きている事しか出来ないのです。 

 私はどうなっても良いから、どうか」

 

 後から後から、押し寄せて来た人々は口々に「助けて欲しい」と言葉にする。

 自分自身に降り掛かった不幸に、愛する家族の身を蝕む理不尽に、愛しい人を苦しめる病苦に、どうかその御力を以て我々を救ってくれ、と。

 口々に、余りにも真摯な祈りの言葉と共にそう懇願してくる。

 

「ま、待ってくれ、待ってください!

 今は、とても危険な状況なんです! こんな場所に居ちゃいけない。

 早く少しでも安全な場所へ──」

 

「『神様』! 私の身などどうでも良いのです!

 そんな事よりも、どうかあの子を助けて下さい」

 

 安全な場所に避難して欲しいと言葉にしても、それはもう『神様』に縋るしかない程に追い詰められている人々の心には届かない。

 今はそれどころでは無いのだが、しかしなら何と言えば彼等を安全な場所へと誘導出来るのか、そもそも童磨を前にして守り切れるのかと、そう考えてしまう。

 しのぶさんとカナヲも余りの事態に言葉を喪っている様で。更には、自分たちが入ってきた筈の大扉は何時の間にやら消されていた。

 適当に壁をぶち抜けば外に出る事自体は可能だが、しかしそうやってこの場から逃がしたとしても、この人たちが無限城を徘徊する鬼に襲われないと言う保証も無い。

 どうにか動ける隊士たちを動かして貰うにしても、この複雑怪奇に捻じ曲がった異空間では思う通りに動くだけでも困難だし、その場に到着するまでに手遅れになっている可能性すらあるだろう。

 そもそも、何を言っても言葉では梃子でも動かせそうにない程に、彼等の「覚悟」は決まってしまっている。

 そして。

 

 硬い金属を激しく打ち鳴らした様な音が響いた。

 咄嗟に防ぐ事が出来たが、自分たちの頭上に迫って来ていた無数の氷の刃の存在と、それを防ぐ様に自分たちを覆う様に現れた氷壁の存在に漸く気付いた信者の人たちが途端に悲鳴を上げる。

 一体どういうつもりだと、そう童磨を睨むと。

 

「おいおい駄目じゃないか、『神様』を困らせちゃ。

『神様』に会わせてあげるとは言ったけれど、『神様』に迷惑をかけて良いとは言っていないだろう?」

 

 邪魔だから片付けようと思って、と。余りにもあっさりと、床に落ちたゴミをゴミ箱に入れようとしているかの様な気軽さでそう童磨は言う。

 人質だとか、そんな事を考えている様子では無かった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それが当然であるかの様に、そう考えている様だった。

 

 ……何であれ、信者の人たちを見捨てる事は出来ないし、そして童磨は此処で討ち取らねばならぬ相手だ。

 他ならぬしのぶさんの手で、決着を付けねばならない。

 

「……どうか落ち着いて。

 貴方たちの言葉を無視するつもりはありませんが、今はどうか俺たちの言葉に従って下さい」

 

 現実離れした危機を前に漸く現状の危険性を理解したのか、途端にパニックになり掛けていた人々を、そっと諫める様に抑えて。

 そして少しでも離れた場所で固まっている様にと指示する。

 この場に居合わせてしまった以上絶対の安全を保証する事は出来無いが、それでも少しでも守り易くするにはそうするしかない。

 そちらに流れ弾などが向かわない様に注意するしか無いだろう。

 怯えた様な表情をした信者たちがその言葉に従って童磨から最も距離を取れる部屋の隅に逃げ惑う様にして固まる。

 ……今はそうするしか出来ない。

 

 

「彼等の事も守ろうとするんだね!

 流石は『神様』だ。何時だって誰かを守ろうとしている!

 ああ本当にもう、ワクワクして仕方が無いや。

 この胸の高鳴りをどうやったら伝えられるんだろう。

 ねえ『神様』、一体どれ程の力を俺に見せてくれるのかな」

 

 

「もっともっと、『神様』の事を知りたいんだ」、と。

 余りにも無邪気な子供の様な表情を浮かべて、童磨はその両手に持った扇を大きく広げるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
【世界】に辿り着いた程に類い稀なるペルソナの力を持っていようと根本的にただの善良な高校生なので、童磨からの『神様』扱い(ガチ)には心底ドン引きしている。
「えぇ……こわ……近寄らないで……」位の感覚。
ボコボコに叩きのめした相手が次に会った時には『神様♡』とか言い出してたらそれは最早SAN値チェック並のホラー。
『ナルカミ教』の事を知って一気に心労が嵩んだ。


【胡蝶しのぶ】
復讐を誓った相手が明らかに自分を眼中にすら入れていない状況に青筋を立てている。
更に悠に異常な執着を向けているのでかなり逆鱗を逆撫でされている状況。


【栗花落カナヲ】
ただでさえ気持ち悪い鬼が気持ち悪さを増した上で悠に気持ち悪い執着を向けているのを見て、「この世に存在しちゃいけない奴」と言う認識を更に強めている。


【童磨】
「『神様』と戦いたい! 鳴女ちゃんよろしく!!」と勢い良く手を上げて、無惨や鳴女からは(理解出来ないなコイツ……)と思われつつ「どうぞどうぞ」とされた。
『神様』しか眼中に入ってないので、しのぶやカナヲの事は「そう言えば居たねそんな子」程度の扱い。忘れている訳では無い。どうでも良いだけ。
とは言え、琴葉そっくりの伊之助が現れたら琴葉の事は思い出す。
ちなみに、『ナルカミ様』については髪色などの外見の情報は信者たちに教え広めている。


【珠世】
無惨にぶち込んだ薬の影響を少なからず受けている。
夜明けを迎えられるかどうかの時間しかもう持たない。
無限城での戦いで最重要である鳴女の攻略を愈史郎と共に任される事に。


【愈史郎】
もし()()()が来たら珠世様を無惨の手から救う様に悠に頼み込んでいた。
そしてその頼みと引き換えに、何としてでも鳴女を攻略する事を悠に約束している。
自身のモチベーション維持と言う意味以外でも、鳴女を攻略する為に珠世様の力は有効である。
尤も、そんな理由が無くても悠はその頼みを聞き入れていただろうが。


【信者の人たち】
どうにも出来ない事情を抱えて一縷の望みをかけて『神様』にお目通り叶う可能性があると言われた無限城に自らの意思で飛び込んで来た。
恐ろしく愚かではあるが、大切な何かの為にそれだけ必死なのだとも言える。




≪今回のコミュの変化≫
【女帝(珠世)】:9/10→MAX!
【悪魔(愈史郎)】:9/10→MAX!


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『欠け堕ちた月輪』

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 琵琶か何かの弦を掻き鳴らす音と共に足元に突如出現した障子の先に在った空間に呑み込まれる様に落とされて、上下左右が滅茶苦茶な場所に放り出される。

 朧げな灯りに微かに照らされた遥か下の闇の中に底の様な板張りが見え、足場も無い中で底に向かって落ちていった。

 建物の中の何処かに掴まるか、或いは勢いを付けて障子や襖を蹴破ってその中に飛び込むかしなければ、このままだと底に叩き付けられてしまうだろう。

 どちらにせよ技を出して落下の軌道を変えなければならない。

 どの辺りに飛び込もうかと、落下しながら瞬時の判断を迫られていると。

 

「炭治郎!!」

 

 やや斜め下に見えた襖が大きく開け放たれ、そこから義勇さんが身を乗り出す様にして俺を呼ぶ姿が見えた。

 そこを目掛けて軌道を調節し、どうにかその部屋へと飛び込むと。

 その部屋の周囲から酷い臭いが立ち込めている事に気付き、部屋に飛び込んだのとほぼ同時に障子や襖を破る様にして今まで見た事が無い程の数の鬼が雪崩れ込む様に押し寄せて来た。

 

 ──水の呼吸 陸ノ型 ねじれ渦

 ──水の呼吸 参ノ型 流流舞い

 

 技を出したのはほぼ全く同時で、義勇さんの技と俺の技は全く干渉する事無く周囲の鬼を一息に斬り捨てた。

 何度も手合わせや稽古を共にしてきたからこそ義勇さんの凄さは誰よりも分かっているつもりであるけれど、こうして実際の戦いの場でそれを改めて実感してしまう。

 技の予備動作の前のほんの僅かな動きから俺が何の型を出すのか予測して、それに合わせて最適な型を繰り出すその動きは、水の呼吸を極めているからこそと言えるのかもしれないけれど。

 しかし義勇さんが凄いのはそうやって対応出来るのは水の呼吸だけではなくて、柱同士での手合わせや同時に悠さん相手に手合わせした事もあって、柱が使う様々な呼吸も、更には伊之助の獣の呼吸や善逸の雷の呼吸などとも合わせられる様になっていて。

 余りの凄さに圧倒されて、「やばい……」しか言えなくなってしまう位に凄いのだ。

 確かに俺も周りの皆と息を合わせて攻撃する事は出来るけれど、相手の動きを見て対応していると言うよりは、この状況だったら相手はこの型を出す……って言うのが何となく分かると言うか知っていると言うかで直感的に動いているだけなのだ。義勇さんの様に瞬間的に理解して判断している訳では無い。

 こうして共に戦う度に、「柱」の凄さを思い知らされる思いである。

 

「……」

 

 義勇さんは刀を納め、そして周囲を見回して少し険しい顔をする。

 予てからその存在は周知されていたものの、こうして直接踏み込む事になった無惨の根城は、極めて異質な空間だ。

 上下左右は滅茶苦茶で本来なら壁や天井であろう場所が床になっていたりと、ともすれば平衡感覚を喪いそうになる。

 加えて、相当広大な空間であろう筈なのに息が詰まる程の鬼の臭いと、そして多くの人々の臭いがする。

 鬼殺隊の隊士特有の匂いでは無いから、きっと一般の人たちだと思うけれど。

 それがこんなにもあちらこちらから強く漂ってくるなんて、一体どれ程の人がこの鬼の根城に囚われているのか。

 無惨の手によって無辜の人々が「人質」として多数囚われている可能性があると、悠さんもお館様も言っていたけれど……。

 これは、想像を遥かに超えた人数がこの根城の中を彷徨っているのだろう。

 更に不味い事に、その総数を掴み切れない程の鬼が此処には蠢いている様だ。

 上弦の鬼や或いは無惨の様な、圧倒的なまでの強さと悍ましさを感じさせる臭いでは無いけれど……。しかし鬼に抵抗する術を持たない人たちが大勢居る状況ではそれは何の慰めにもならない。

 事前に知らされていた作戦としては、一般人が囚われていた場合には柱以外の隊士がその保護を優先的に行い、柱は上弦の鬼及び無惨の討伐を最優先とする手筈になっていた。

 上弦の鬼も無惨も、柱以外の者が対峙したとしても基本的に勝ち目という物が存在しない……と言う判断があるからこそ、被害の規模を抑える為にもそうする必要はある。

 だが、保護するにしてもこうも隊士同士が分断された状態である上に何処にどれだけの人が囚われているのかも分からないのだ。そう簡単にはいかないだろう。

 愈史郎さんの札を使って鎹鴉たちが協力して先導し状況を伝えてはくれる筈だが……それにしたって落とされて間も無いこの段階だとこの根城の規模すらも分からないのだ。

 割と行き当たりばったりに、人々を保護していく事になるのかもしれない。

 何にせよ、義勇さんから離れない様にして、少しでも多くの柱や隊士と合流しなければならない。

 

 この根城に落とされる直前、お館様の屋敷に現れた無惨を悠さんと珠世さんが追い詰めていた。

 珠世さんとしのぶさんが作った薬は、無事に無惨に効いているのだろうか。

 それを確かめようにもこの異空間の何処に無惨が隠れているのかは分からないし、無惨の性格を考えると通常の手段では絶対に辿り着けない場所に逃げ込んでいる可能性もあるだろうと、そうお館様たちは言っていた。

 何せ、悠さんもこの根城の何処かに居るのだ。

 何が何でも悠さんだけは己に近付けないようにしている可能性はある。

 そうなった場合、この異空間を維持している鬼をどうにかしない事には誰も無惨に辿り着けない可能性だってあるのだろう。

 ならば、少しでも多くの者が無惨の下へ辿り着く為にも、自分たちに出来る事をしなくては。

 

 薄ぼんやりとした暗がりの中に灯りが点されていて完全な暗闇にはなっていないけれど、しかし足元が所々見えにくい事には変わらず、そして此処を支配する鬼によってか絶えず建物の位置や繋がりが変化している上に、足元などに無数に広がる障子や襖が俺たちを呑み込もうとしてくる。

 まるで建物自体が生きているかの様に脈打ち蠢いているかの様だった。

 そうやって俺たちを分断するつもりなのだろう。

 何処に上弦の鬼が居るのか、或いは無惨が居るのか分からないまま、俺と義勇さんは只管に駆ける。

 誰もまだ上弦の鬼とも無惨とも遭遇していないのか、愈史郎さんの札によって連携している鎹鴉たちからの連絡は無い。

 この空間を支配する鬼も見付からないままで、もしかしてこのまま果てがあるのかも分からないこの空間を只管に彷徨い続ける事になるのではないかと思わずゾッとしてしまう。

 それはそれで、俺たちを封じ込める手の一つではあるのだろう。

 そんな不安が僅かに過ぎったその時。

 

「カアアアァーーっ!!

 遭遇ッ! 上弦ノ鬼ト遭遇!!

 胡蝶シノブ、栗花落カナヲ、鳴上悠。

 上弦ノ弐ト遭遇ーッ!!」

 

 俺たちを先導するかの様に飛んでいた天王寺さんたち鎹鴉がそう告げる。

 どうやら、真っ先に上弦の鬼と対峙する事になったのは悠さんたちの様だ。

 奇しくも、その組み合わせは以前も上弦の弐と戦った三人である。

 前回は悠さんの活躍により撃退する事が出来たが……。

 しかしその時よりも確実に強くなった上弦の弐を相手にし、更にはあちらこちらに戦う術の無い人々が彷徨っているこの状況では前回と同じ様にいくとは限らない。

 だからこそ悠さんたちがこれ以上不利にならない様に、残った上弦の参と上弦の壱を俺たちで抑えなくては。

 

 しかし、そうやって気持ちは焦るものの一向に上弦の鬼の気配すら感じられないままであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 鬼舞辻無惨の根城であるその空間は、常に蠢き続けては中に捕らえた者たちを弄ぼうとしているかの様であった。

 薄暗がりの中、建物全体が生き物の様にうねりのたうち飛び出したり引っ込んだり、或いは別の空間同士を繋げたりと。現実的な有り様を大きく逸脱している。

 血鬼術で作られた空間であるが故に、この空間の中に存在する時点で既に半ば鬼の腹の中に居るも同然であるのだろう。

 今この瞬間もこの空間をその血鬼術で維持しながら己の手の内に落した者たちの様子を監視しているのであろうその鬼がこの空間の何処にいるのか、柱として鬼の気配を探知する感覚に長けている自分にも分からない。

 血鬼術の中に取り込まれていると言う事もありこの空間全体に鬼の気配が濃く拡がっている事と、それ以外の木っ端の鬼達が無数にこの中を蠢いている為だ。

 

「不味いな……分断されてる」

 

 鎹鴉を通してある程度はお互いの状況を把握は出来るけれど、あまり良い状況であるとは言えない。

 特に、柱同士は完全に分断されている様だ。

 少しでも此方の戦力を削ごうという狙いなのか。

 鬼がどの様な手を打ってくるのかは未知数だが、こうして分断した以上は各個撃破を狙っているのだろうか。

 

 お館様たちは、幾ら己の領域の中であるのだとしても、何十何百もの人や鬼たちの事を一度に監視する事は不可能でありどうしたってその意識を向ける先は幾つかに絞られるであろうと言う事や、そしてそれは柱などの重要戦力により重点を置かれて居るであろう事……。要は、柱は鬼から徹底的に狙われる可能性が高い事を指摘されていた。

 鬼殺隊に協力している鬼の手による血鬼術の札も、鬼に捕捉されている状態で使っても姿を隠す効果としてはあまり意味が無いだろう。

 あくまでも視覚的に姿が消えるだけで完全にその存在の痕跡を消せる訳では無い以上は、無用に此方の手札を晒すだけの結果になる。

 今は、他の柱と合流するか或いは、上弦の鬼との戦いの中でも少しでも戦力として数える事の出来る隊士と合流する事を優先するべきだろう。

 幾ら柱と言えど、単騎では今残っているどの上弦の鬼と戦っても勝機が薄いか確実性が無い。悲鳴嶼さんなら或いはとは思うが、それでも単独で対峙すれば深手を負いかねない。

 少しでも戦力を保ったまま無惨と相見える必要があるのだ、上弦の鬼たちは倒さねばならない相手ではあると同時にそこに全戦力を消耗させる訳にはいかない。

 尤も、それは鬼の側も分かっている事だけに柱が合流する事はそう簡単な事では無いだろう。

 もし合流出来る隙があるとすればそれは……。

 

「遭遇ッ! 上弦ノ鬼ト遭遇!!

 胡蝶シノブ、栗花落カナヲ、鳴上悠。

 上弦ノ弐ト遭遇ーッ!!」

 

 少しでも無惨に近付ける様に捻れた空間を駆け抜けていたその最中、銀子が悠たちが戦いを始めた事を知らせる。

 どの辺で戦っているのか、そこからは遠いからなのか今自分が居る場所からはその位置を探る事は出来ないが。

 しかし、上弦の鬼と悠たちとの激突は間違いなくこの空間を支配している鬼の意識を集める事だろう。

 無数の人々が囚われている今の状況では悠は絶対にそんな事はしないとは言え、悠によって一度この空間は完全に消し飛ばされているのだから。

 無惨としてもその他の上弦の鬼としても、悠には否応なしに意識を向けざるを得ない可能性が高い。

 そうなれば、鬼の意識の隙を突いて誰かと合流出来る可能性は少しは高くなるだろう。

 

 そんな事を考えていたその矢先、足元だった部分の建物が凄まじい勢いでせり上がり、咄嗟にそれを飛んで回避した先の建物も次々に打ち上げるかの様に飛び出していく。

 それどころか壁や天井の全てが此方を押し潰さんばかりに蠢き、まるで瀑布の様に怒涛の勢いで砕けた木片などを撒き散らしながら迫ってくる。

 飛び出る床を回避して、塔の様に飛び出ながら迫って来るその上に飛び乗って、更にそれを足場にしながら奥から迫り来る壁を回避して、押し潰さんとする天井の隙間を潜り抜けて。

 瞬時の判断で足場を見抜きながら鬼の猛攻を回避する。

 大した脅威では無いが、何せ目につく範囲に鬼の本体は居ないのでこれを止めさせる方法も無い。

 悠たちや他の柱との合流を妨げようとしているのか、或いは与しやすいと見られて潰しに掛かられているのか、それとも何処かへ誘導しようとしているのか……。

 その意図を読めないが、とにかくその猛攻を回避し続けるしかない。

 そして、四方八方から押し潰さんと迫って来たその攻撃を避ける為に背後にあった壁を斬り破って転がり込んだ先には──

 

 

「来たか……鬼狩り……」

 

 

 六つ目をギョロリと動かして此方を見遣る、上弦の壱──黒死牟が居た。

 異形の刀の柄に手を添えながらも、それを直ぐ様に抜き放ち限斬り掛かろうとはせずに、黒死牟は此方を観察する様に見詰めている。

 侮りでも何でも無く、()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う、そんな事実を誰よりも理解しているが故の傲慢ですらある態度であった。

 事実そうであるのだろう。

 以前に対峙した際のその能力を考えれば、黒死牟一人で鬼殺隊を壊滅させる事すら可能であると言える。

 間違い無く柱の中でも最強の悲鳴嶼さんでさえ、恐らくは単独で対峙すれば時間稼ぎに徹していたとしても何処まで持ち堪えられるのかと言う話になるだろうと。その事実を否応なしに認めざるを得ない程に、上弦の壱という存在は圧倒的であった。

 単騎で相対してどうにか出来る相手ではない。

 それでも……。

 

「……」

 

 無言で、何時でも刀を抜き放てる様に構えながら相手の出方を探る。

 相手との圧倒的な実力差を……残酷なまでの力量差を理解しながらも、身体に震えは無い。

 前に黒死牟と遭遇したその時の、あの絶望的なまでの威圧感と恐怖感を、どうしてだか今は感じないのだ。

 寧ろ心は静まり返った水面の様に凪いでいる。

 逆に黒死牟の様子を観察する余裕すらあった。

 それが何故であるのか、何となくは分かる。

 自分にとっては、黒死牟は「未知」の相手ではなくなっているからだ。

 

 以前の戦いを通して、そして何度も何度も繰り返した悠との手合わせを通して。自分は既に黒死牟を知っている。

 相手の力を正しく理解しているからこそ、その彼我の実力差を理解したとしても、未知の恐怖感で過大に評価する事は無い。

 それは、今この場においては何よりもの力になる。

 

 恐らく、今こうして自分が黒死牟と会敵した事は直ぐ様通達されているだろう。

 動かせる戦力がある程度近くに居るならば救援が来るであろうし、そうでないとしてもここで自分が少しでも黒死牟の足止めが出来ればそれだけ他の者たちへの脅威は少なくなる。

 

 そして、今目の前に居る黒死牟は完全に此方を侮っている。

 正確には侮っていると言うよりは、問答無用で奥の手を見せたり暴虐的な力で叩き潰そうとはしてこないと言う方が正しいかもしれないが。

 言い方は悪いが、()()()()()()()と思われている。

 腹立たしさが無い訳では無いが、その慢心にこそ僅かながらも自分の勝機があるのだから寧ろ喜ぶべきか。

 以前に対峙したその時に感じた黒死牟の頸の硬さを思うと、あれを一人で落とすのは不可能だと判断するしかない。

 悠の助力があってすら、単独でその頸を落とせる可能性があるのは悲鳴嶼さん位なものだろう。それですら、最も理想的な状態で最大限の力を頸への一撃に込める事が出来るのならと言う条件が付く。更には、上弦の弐と対峙している真っ只中である悠の助力は当然ながら期待出来ない。

 だからこそ、今自分が成すべきは……。

 共に頸を狙える戦力がこの場に集うまで、最大限時間稼ぎをする事だ。

 

 瞬時に目標を定め、如何なる攻撃が放たれたとしても必ず回避してみせようと、意識を研ぎ澄ませる様に『透き通る世界』へと足を踏み入れる。

 それを何やら感知したのか、黒死牟は六つあるその目を僅かに細めた。

 

「歳の頃は十四あたりか……。

 その歳で私を前に怯まぬ胆力……、歴代の柱たちですら辿り着けて居なかった程の呼吸の深さ……。

 実に申し分無い……。

 お前……名は……何という……」

 

 出逢ったのは二度目であると言うのに、まるで初めて出会ったかの様に黒死牟はそう宣う。

 ……尤も、最初に遭遇したその時には、黒死牟も……そして上弦の参である猗窩座も、悠の事しかろくに眼中になかったのかもしれないが。

 鬼に名乗る名は持ち合わせてはいないが、僅かな問答で稼いだ一秒が勝敗を決する事もある。

 だから、端的に名を答えた。

 

「時透……無一郎」

 

 その名に黒死牟は何かを考える様に押し黙り、ポツポツと呟く様に独り言ちる。

 

「『時透』……。聞いた事は……無いが……。

 しかし、その身体付き……何処かで……見た覚えが……──」

 

 しかしその思考が何かに辿り着きかけた時、()()……それこそ照明が落ちたかの様に、ふとその独り言が止まり、僅かに黒死牟の動きが止まる。

 好機……と言える瞬間であったのかもしれないが、しかし数々の経験を積んで研ぎ澄ませてきた己の勘が、飛び出そうとした身体を抑え込んだ。

 

「………………。

 その齢で……柱に上り詰めるだけの……才があると言う事か……。

 肉体も……その歳で良くぞ……そこまで練り上げたものだ……」

 

 何かが明らかにおかしかった。

 まるで、直前に己が何を考えていたのかを全て忘れてしまったかの様な。

 鬼の言動が支離滅裂である事は珍しくは無いが、しかし上弦の壱ほどの鬼でそんな事は有り得るのだろうか。

 

「鬼の癖に、歳を取り過ぎて呆けたのかな。

 数百年も無駄に生きてきたんだから仕方ないか」

 

 煽る様にそう言葉にするが、どうにも黒死牟の反応は薄い。

 いや、薄いと言うよりも寧ろ……。

 

 意識や感情がそこにあるとは思えない何処か無理矢理にも見える動きで、抜く手すら見せぬ程の素早さで異形の刀を抜いた黒死牟はそのままの勢いで周囲を斬り裂く。

 だが、散々悠との手合わせを繰り返し続け、更にはもっと全力でその力を奮っていたその姿を間近で見た事があったからこそ、その一閃は今の自分には何の脅威でもなく。

 全てを見透かす程に研ぎ澄まされた感覚は、数瞬先の未来をそこに描くかの様にその攻撃の何もかもを見切らせる。

 そしてその感覚に寸分の狂いも無く身体は動き、薙ぎ払う様に振るわれた一撃とその周囲を切り刻む細かな斬撃は毛先を掠る事すらもない。

 

「ほう……これを避けるか……。

 それでこそ……我が剣技を振るうに不足無し……」

 

 己の一撃を難なく回避したと言うのに、寧ろ僅かに喜ぶかの様に黒死牟はその目を細める。

 そこには、先程の様な何処か虚ろな様子は無く、戦い甲斐のある相手を前にし高揚しつつある剣士の姿があった。

 黒死牟はまだ本気では無い事も、そして奥の手を出していない事も、それを嫌という程に分かっているからこそ、一瞬の油断も出来ない。

 少しでも早く此処に誰かが合流してくれる事を願いながら、その為の一秒を稼ぐ為にも。

 更に深く集中する様に、己の呼吸を深めるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

「カアアアァーーっ!!

 遭遇ッ! 上弦ノ鬼ト遭遇!!

 時透無一郎、上弦ノ壱ト遭遇ーッ!!」

 

 終わりの無い迷路の様に入り組んだ異空間を上弦の鬼と無惨の居場所を探しながら必死に駆けていると、悠さんたちに引き続き無一郎くんが上弦の鬼……それも上弦の壱である黒死牟に遭遇したのだと天王寺さんから伝達される。

 悠さんたちとは違って無一郎くんは一人きりの様で、一刻も早く柱や少しでも柱に近い戦力になる誰かが援護に向かう必要がある。

 

「無一郎くんの所は此処から遠いか!?」

 

 天王寺さんにそう訊ねると、少し黙った後で「案内可能ゥッ!」と答えてくれた。

 どうにか、今お館様たちが総出で作ってくれているのだろう見取り図で案内出来る範囲に居るらしい。

 ならば俺たちが援護に向かうべきだろう。

 義勇さんは何も言わずに頷き、鎹鴉の案内に従って進む。

 目に見えている道だけでは無く、時には壁を斬ったり床をぶち抜いたり天井を駆け上ったり、先に行かせまいと妨害するかの様に建物全体を生き物の身体の様に操って暴れ狂うその嵐の様な攻撃をすり抜ける様に進みながら、道なき道を進む様に駆け抜けていく。

 途中、何度も近くで鬼の気配と共に誰かが戦っている気配があった。

 きっと、この空間に囚われた人々を救う為に戦っている隊士たちだったのだろう。

 鬼の猛攻に必死に抗っている気配に、何度も衝動的に駆け付けて手助けしたくなるが、今この場で優先順位を間違えてはいけない。

 上弦の鬼を食い止め、そして討ち取らなければ。もっと大勢の犠牲者が出る。

 無惨を討ち取らなければ、今宵の戦いの全てが無駄になる。

 上弦の鬼や無惨との戦いで『戦力になる見込みがある』と判断されているからこそ。今ここで木っ端の鬼の猛攻を防ごうと足止めされてはならないのだ。

 例え、その結果柱稽古で共に汗水垂らして同じ釜の飯を食った同志が命を落とす事になったのだとしても。

 義勇さんも顔色は何時もと変わらず冷静そのもののままだったが、その匂いは何かを辛いものをグッと堪えている様な感情を伝えて来る。

 誰もが必死に戦っている、其々の戦場で、少しでも多くを守る為に、そして全ての元凶を絶つ為に。

 だから、決して足を止めてはならない。

 

「コノ壁ノ向コウ!」

 

 鎹鴉に示されたその壁を義勇さんと二人でぶち抜くと、その先には。

 無一郎くんと、それに相対しながら刀を振るわんとしている鬼の姿があった。

 たった一薙で驚く程の範囲を切り刻むその攻撃を、無一郎くんは素早く掻い潜る様に回避している様で。

 無一郎くんが戦い始めてどれ程の時間が経ったのかは分からないけれど、今の所は掠り傷程度も負わずに済んでいる様だ。

 それでも、反撃に転じる余裕は無いのだろう。

 こうしてその姿を目にしただけでも、彼の存在が今までに戦ってきたどの鬼よりも恐ろしく強い事が分かる。

 上弦の陸よりも、上弦の肆よりも、そして煉獄さんに致命傷を負わせた上弦の参よりも。

 それらの鬼たちを束ねたとしても全く意味をなさないだろう程に、その強さは次元が違う。

 いっそ威厳すら感じる程にその気配は禍々しく重厚で、この鼻が捉えたその臭いは数多の命を喰らい啜ってきた存在である事を訴えている。

 僅かに邂逅した無惨のそれに次ぐ、酷い臭気であった。

 だがそれ以上に、その感情の臭いは酷く歪である事の方により意識が向く。

 腐臭の様に感じる何かに蓋をされている様だが、そこから漏れ出る様に漂うそれは、まるで生きながらに何かに燃やされ続け灰になりながらも何かに執着し続けている……吐き気がしそうな程に強烈な執着の様な臭いだ。

 そんな酷い臭いをさせながら、上弦の壱はその手の中の刀の形をした何かを振るっていた。

 

 これが、上弦の壱……縁壱さんの兄だったものなのか、と。

 悠さんたちから話には何度か聞いてはいたが、直接それを目にするのはこれが初めてで。

 次元の違う強者を目の前にしているのだと震える心とはまた別に、哀しみとも無念とも……何とも判別の出来ない感情も覚えてしまう。

 鬼と化して異形の相貌になってはいても、その全体的な顔立ちの輪郭などは夢で見た縁壱さんのそれと似ている。

 しかしそこに浮かんでいる表情は、穏やかで素朴な人柄であり静かな眼差しであった縁壱さんのそれとは違い、何かに飢え続けている。

 恐ろしい存在だと言う事は、ビリビリと肌を震わせる程のその気配から嫌という程伝わってくるが。

 それ以上にどうしても哀しいと思ってしまう。

 縁壱さんの無念を思ってなのか、或いはかつては兄だった存在に対する複雑な思いなのかは分からないけれど。

 無惨討伐の為にも、元より今宵この場で討たなければならない存在ではあるけれど。それ以上に、負けられない、終わらせなくてはならないと、そうも思う。

 

 縁壱さんから託され継がれ続けて来た耳飾りが、不意に揺れた様な気がした。

 その為に継がれ繋いできた訳では無い事は百も承知で、だけど以前悠さんに言った様に、これは俺がやらなくてはならない事……否、俺がそうしたいと願う事だ。

 どうして鬼になってしまったのかなんて、目の前の鬼に問うた所で多分意味は無い。

 無理矢理鬼にされたにしろ望んで鬼になったにしろ、無惨に支配された鬼たちの記憶は何処までも無惨に都合のいい様に歪んでしまうのだから。

 だからせめて、数百年前に縁壱さんが果たせなかったそれを、その頸を落とし終わらせる役目を、果たしたい。

 目の前の鬼が、かつては縁壱さんと言う一人の人間にとってとても大切な人であった事を、俺は知っているからこそ。

 出来るかどうかではなくて、やらなくては。

 

 乱入者の存在に気付いた黒死牟は、無一郎くんを相手にしつつその三対の目の内二つをギョロりと動かして此方に視線を向ける。

 その途端にひりつく程の殺気と威圧感を感じるが、肚に力を込めてその威圧感に立ち向かう。

 黒死牟の振るう刀の一撃一撃を、その斬撃が蹂躙する範囲を、確かにこの目は追いこの鼻は捉える事が出来ている事を再確認する。

 それを見て、改めて悠さんに感謝した。

 今のこの程度は黒死牟にとっては小手調べ程度のものである事は分かっているが、その程度の本気具合ですらただただ脅威でしかない。

 それに問題なく反応し対応出来ているのは、間違いなく悠さんのお陰だ。

 ならばこそ、それに報いる為にもここで勝たねばならない。

 

「ほぅ……新手か……」

 

 増援に対して焦りすら見せず、黒死牟はその刀を振るった。

 広範囲を斬り刻むその一撃をどうにか回避すると、黒死牟は何処か楽しそうにその目を細める。

 

「そこの男は……柱の様だが……。

 そちらの子供は……そうでは無い……。

 しかし……それでも……この一撃を……避けるとは……」

 

 面白い、と。そう呟いた黒死牟のその手の中で、その刀が形を変えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【竈門炭治郎】
縁壱の耳飾り、縁壱と同じ「日の呼吸」。と、黒死牟にとってはとても縁壱を彷彿させる存在。血縁関係は一切無いので顔立ち自体は異なるが、赤みがかった髪や眼もちょっと縁壱を彷彿させるかもしれない。
とはいえ、無惨に強力に精神を支配されている今の黒死牟にはそれを正しく認識は出来無いが……。
柱稽古を乗り越えた後も鍛錬を怠らず実力者たちの力を間近で見続けた事と、更には夢と現実の狭間で幾千万の死線を越えて来た結果、既に幾つも「扉を開けた」状態。同じ様に死線を潜った柱の人たちの強さには及ばないものの、十分に無惨の足止めの戦力になると判断される程の実力がある。
ただしそれ程の強さに到達していても、単騎で遭遇すれば上弦の鬼相手だと勝ち目は無い。


【冨岡義勇】
前向きになった事で今度こそ柱として人を守ろうと決めている。
炭治郎と共に黒死牟と対峙する事に。


【時透無一郎】
刀鍛冶の里での戦いの際に、黒死牟に対して殆ど何も出来ていなかった事が本当に悔しくて柱稽古期間中は凄まじい勢いで己を鍛えていた。
原作軸では柱の中でも屈指の剣才を持っていたが経験の浅さ故の隙はあった。が、文字通りの『死線』を幾千幾万と潜り抜けている事もあって、記憶には残らなくても戦闘経験の浅さに関しては全て解消されている。
如何なる状況でもその才気が遺憾なく発揮される様になったが。それでも今残っている上弦の鬼を単騎で相手する事は非常に厳しい。
なお、黒死牟の子孫だと知ったとしても、「それで?」となるだけ。


【黒死牟】
単騎で遭遇すれば(悠以外は)誰にも勝ち目は無い理不尽の権化。
……ではあるのだが、無惨からの精神支配が強く及び過ぎている事もあってその記憶や思考に色々とガタがきている。
悠に関する記憶や縁壱に関する記憶を強く思い出そうとすると思考のブレーカーが落ちるが、そこで思考のリセットが行われないと一気に発狂し使い物にならない程に不安定化してしまうので無惨としては安全装置として付けざるを得ない精神支配である。
そんな無惨の涙ぐましい努力にも拘わらず、記憶を閉じ込める箱は既にボロボロでそれを封じる鍵ですらガタガタ。無一郎を「子孫」と考えようとするだけでブレーカーが落とされる程にかなり深刻な状況である。
とは言え理不尽な強さはそのままであり、思考のブレーカーが落ちていようと何だろうとその剣技に曇りは無い。
無意識の反撃を受けるだけで柱ですら壊滅的な被害を受けかねない、正真正銘の怪物である。


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『彷徨える亡霊』

仕事とかが多忙を極めたり、コロナに轟沈されたりして中々書けませんでしたが何とか年内に更新出来て良かったです。
更新ペースは出来るだけ元に戻せる様にしたいです。
早く完結させて私が読みたいので。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 分断され、各地で人々を守りながらの消耗戦を強いられて。

 鬼殺隊の千年近くにも及ぶ執念の果て、鬼舞辻無惨との決戦は、鬼殺隊としては圧倒的に不利な状況から始まった。

 気配から察するに恐らく多くの人々がこの根城に囚われていて、無数に蠢く鬼共から彼らを守る為にも隊士たちが命懸けで戦っている。

 人々を守る鬼殺隊の在り方としては柱である俺も人々を守る刃となるべきであるが、しかし今はより多くの人々を守る為にも柱やそれに準じる実力のある隊士は上弦の鬼や無惨との戦いに挑まねばならない。

 とは言え肝心の無惨が頸を落としても死なない以上は夜明けまで陽の当たる場所に足止めするしかないのだが、この常闇の根城に引き篭もらせていてはそれも叶わず。

 しかし、無惨にとって最高の環境であるこの根城を無惨自らが放棄する筈も無く、無理矢理に叩き出すしかない状況である。

 それを成すにはこの異空間の主である鬼をどうにかしなくてはならない。

 事前にお館様たちと話し合い取り決めていた作戦では、それは俺の役目では無く。無惨に並々ならぬ恨みがあるとの動機から鬼殺隊に協力している鬼と、宇髄の役目である。

 彼等が首尾よく鬼に遭遇し戦っているのかどうかは、まだ分からない。

 既に上弦の弐には胡蝶と鳴上少年たちが、上弦の壱には時透と冨岡と竈門少年が相対しているとの事だが、上弦の参の居場所や他の柱たちの動向は今の所は不明であった。

 少しでも早く少しでも多くの柱を無惨の下へと辿り着かせなければならないが、その為にも上弦の鬼はここで討ち取らねばならぬ相手であり、そしてその上弦の鬼を討つ為にはそれぞれの鬼に複数の柱は必要である。

 その辺りの差配は適宜お館様たちがその場その場で最適な振り分けをするのだろうが、誰かが遭遇しなければその居場所すら不明なままだ。

 現実的な空間の繋がりがあまり意味を成していないこの異空間では、それらを図面に書き起こす事すら一苦労で。

 書き起こした端から地形が変わるそれを追い続ける事もまた難しい事である。

 輝利哉様やご息女様方が全力で事に当たっているのだが、その負担を少しでも軽くする為にも、早急に上弦の鬼たちを討ち取らねばならない。

 

 この根城に落とされてから、その気配は未だ感じてはいないが俺にはある種の予感があった。

 恐らく、上弦の参……猗窩座と戦う事になるのは俺であるのだろう、と。

 無限列車の任務の際に乱入してきた時で一度、そして刀鍛冶の里での防衛戦の際に二度。

『二度あることは三度ある』とよく言う様に、猗窩座との間にはある種の縁がある様にも感じていた。

 最初に対峙したその時がほんの戯れ程度であったかの様に、二度目に対峙した際のその力はまさに次元の違うもので。ならば三度目となるこの決戦でのその力はどれ程のものになっているのだろうか。

 いずれにせよ猗窩座を相手に一人で戦い勝つ事は不可能である事は重々理解している。

 その場に上弦の壱も居たとは言え、時透と猪頭少年と鳴上少年と力を合わせてもその頸を落とす事は叶わなかった。

 時透と二人で、『赫刀』となった状態の日輪刀であっても、頸以外の全ての障害を鳴上少年と猪頭少年が排除した状態でも。

 しかし、後僅かの所でそれは猗窩座の頸を落とすには至らなかった。

 何か後一つあれば猗窩座の頸を断ち切れていたのだろうが、あの時あの瞬間にそれは叶わなかった事は事実であり、更には戦力的にあの時のそれと同等以上のものが分断されたこの状況下で集まるかどうかは正直な所賭けとしか言えない。

 それでも、戦う以外の選択肢は無く、勝利する事以外に道は無い。

 

 床と壁が入れ替わっている様な奇怪な部屋を抜けようとしていたその時。強大な気配が猛烈な勢いで近付きつつあるのを察知すると同時に、激しい揺れが周囲の景色を撹拌した。

 誰かが激しく戦っていると言うよりは、己を標的に定めた何かが近付いていると言った方が良いのかもしれない。

 その覚えのある気配に、何時何処から現れても対処出来る様に構えていると。

 一際激しい振動が広い部屋自体を揺らしたかと思うと、襖と障子だらけの天井をぶち破りその破片と共に落下してきた影が凄まじい勢いでその拳を振るってきた。

 床を踏み砕く勢いで飛び込んで来たその動きを見切り回避すると、背後にあった壁がその拳圧だけで何重にも砕き抜かれる。

 以前よりも更にその拳は破壊力を増し、最早触れるだけでなくその攻撃の延長線上にあるだけでも人の身など容易く砕け散ってしまうだろう。

 

「知っている気配がすると思ったらお前だったか、杏寿郎。

 出会って殺し損ねた柱はお前が初めてだ。

 これも何かの縁だろう。

 それに、俺には分かるぞ。今のお前は更に強くなっている。

 嗚呼、素晴らしい、心が踊る。強者との戦いこそが、最も己を高める事に繋がる。

 さあ、愉しい宴を始めよう、杏寿郎」

 

 出来るだけ長く、俺を楽しませろ。と。

 そんな勝手な事を宣いながら、強襲してきた猗窩座はその拳を振るいその脚で周囲を破壊していった。

 足場そのものを破壊しながら迫るそれを、新たに足場を確保しながら回避し受け流していく。

 周囲のもの全てを破壊し尽くさんとするその動きは、圧倒的な暴威であり「破壊」と言う現象その物が形を持って暴れているかの様だ。

 しかし……。

 

 猗窩座の動きを見て、初めて戦ったその時と、更には刀鍛冶の里で鳴上少年たちとともに戦ったその時のそれとを比較して。

 やはり何かがおかしいと、引っ掛かりを覚える。

 その一撃一撃の威力は刀鍛冶の里で戦った時と同等か或いはそれ以上であろう。

 しかし、その技の精度とでも言うべきものはどこか精彩を欠いているかの様であった。

 その連撃と超絶技巧とでも言うべき反撃の隙を縫って頸を狙う事は難しくはあるが……。しかし、その攻撃を見切る事自体は『透き通る世界』を見ずとも可能な程であった。

 何処かちぐはぐと言うか、或いは「何か」が欠けていると言うべきなのか。

 どちらにせよ相手取るに際し不利になる事では無いが、僅かに気には掛かる。

 尤も、そんな事に思考を割く余裕など、この鬼を前にすれば存在しないも同然であるのだが。

 現に回避する事は出来ていても攻めあぐねているのだし、そして無尽蔵の持久力の鬼を相手に長期戦に縺れ込むのは極めて不味い状況だ。

 援護があれば良いが、無いのだとしてもここで討ち取らなければならない。

 

 呼吸を更に深めて集中し、僅かな好機も見逃すまいと猗窩座と対峙するのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

「塵共がうじゃうじゃと……!」

 

 一体どれ程の数の鬼を蓄えていたのか、それとも新たに作っていたのかと。そう思わず悪態を吐きそうになる程に、際限無く湧き出でるかの如く押し寄せる鬼を斬り捨てていく。

 無理矢理に力を持たされたのだろう肉体すら徐々に溶け崩れている様に見える鬼共に、「理性」と呼べる様なものは無く。目の前の「獲物」との力量差すら理解出来ないままにそれに襲い掛かる事しか能は無く、血鬼術らしきものも殆ど使えず。

 柱として日々強力な血鬼術を使う鬼と対峙して来た身からすれば、「雑魚」と断じてしまえる程度の存在ではある。

 だが、質など圧倒的な量の前には些事だとばかりに押し寄せる鬼たちの大津波は、本来鬼は群れない……鬼舞辻無惨から群れる事自体を禁じられている存在であるが故に、柱であっても未だ経験した事の無い状況である。

 更には「雑魚」と言えど成り立ての鬼などとは比べ物にならない身体能力であり、階級の低い隊士にとってはこの中の一匹だけでも遭遇すれば死闘を繰り広げる結果になる。

 数多くの戦う力など無い民間人も囚われている事を考えると、押し寄せる鬼を無視して上弦の鬼たちを探しに行く事も出来ない。

 そうやって柱や実力の有る隊士を消耗させ、あわよくばそのまま物量差で押し潰す事が鬼舞辻の目的であるのだろうが……。

 

── 風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ!!

 

 押し寄せる大津波を穿つ烈風の様にその全てを斬り伏せて走る。

 ここで「雑魚」どもに構い続ける訳にも、そして無駄に消耗する訳にもいかない。

 既に柱たちと上弦の鬼が各地で戦いに入っている。

 最も強大な敵である上弦の壱には時透と冨岡に竈門が、未知数の実力があると目されている上弦の弐には胡蝶と鳴上に胡蝶の継子である栗花落が、そして上弦の参には煉獄が。

 無惨が上弦を新たに増やしたのでなければ、これで全ての上弦の鬼たちを食い止めている筈だ。

 それぞれ実力十分な柱たちである。しかし、それで上弦の鬼を相手に勝利を収められるかは難しい。

 

 認めるのは癪であるが、冨岡は経験も実力も十分以上に高い柱だ。特に守勢に関しては鬼殺隊最強である悲鳴嶼さんに次ぐ実力がある。

 刀鍛冶の里での戦いの後から元々高かったその実力に更に磨きをかけている時透も、唯一足りていなかった経験でしか補えない部分に関してすら、柱稽古での手合わせや鳴上との手合わせを通して歴戦の柱と何の遜色も無い程の動きと判断力を身に着けていて、隙と言える部分が完全に消え去っている。一番年若いとは到底思えない程にその実力は高く、膂力で自分を圧倒する悲鳴嶼さんを相手にしてすら後れを取らない。

 鬼の頸を斬る力は無い胡蝶だが、その場その場で毒を調合するその技術によって仲間を助ける能力は他の柱では決して真似出来ないものであり。何より胡蝶の傍には鳴上が居る。

 鳴上は言わずもがな、心優し過ぎると言う欠点こそあるが最早鬼では相手にならない程の実力がある。

 煉獄は二度も上弦の鬼との戦いを生き抜いた実力がある。正確には鳴上の力があったとは言え、多数の無力な民間人に一人の犠牲者も出さずに単独で上弦の鬼相手に粘り切ったし、上弦の壱と参が揃うと言う空前絶後の激戦で上弦の鬼を獲る直前まで迫っている。

 

 しかしそんな彼等が揃っていても、上弦の鬼を討ち取れるかどうかは保証出来ない。

 胡蝶と鳴上に関してすら、人を絶対に見捨てられない鳴上にとって多数の民間人が囚われているこの状況ではその実力を完全に発揮させる事は出来ないだろう事は容易に想像出来るのだし、卑劣極まりない行動を平気でとる鬼が無力な人々を人質に取っている可能性は高い。

 冨岡と時透が揃っていても、上弦の壱の頸を取るには力が足りない。

 そして、煉獄が単独で上弦の参を食い止め続けその頸を取る事は極めて難しい。

 最も加勢しなければならないのは、煉獄であろう。

 しかし、その戦いの場が何処であるのかを常に蠢き続けるこの無明の城の中で把握する事は不可能に近い。ある程度は近くに居なければ、上弦の鬼程の凶悪な気配ですら余りにも多過ぎる雑魚鬼の気配で紛れてしまう。

 何より、この空間に突入してからずっと、何者かに監視されている気配があった。

 それは恐らくこの空間を支配している鬼のもので。

 柱やそれに類する存在を見張っていたのだろうその鬼の仕業によるのか、柱はかなり念入りに分断されている様だった。

 合流しようと動いていても、それを阻む様に建物は動き、空間の繋がりは歪み続ける。

 せめてその鬼の意識が何かに逸れれば、何処かの戦いに乱入出来る可能性は高まるのだが……。

 

 空間を支配している鬼に苛立ちを募らせているその最中、突如自分を監視する気配が()()()()感じがする。

 完全に無くなった訳では無いが、もっと何か別の物にその意識を割いている様な……。

 恐らく、宇髄が何か仕掛けたのだろう。

 幾らこの領域の支配者であるのだとしても、目の前に柱が居て自分を狙っているとなればそちらに意識の大半を割かざるを得ない。

 

 絶好の好機を逃すものかとばかりに、鬼の監視すら振り切る勢いで歪んだ城の中を爽籟の導きだけを頼りに駆け抜けて。

 行く手を阻まんとする塵の様な鬼共はすれ違い様に切り刻みつつ決して足を止めずに一番近い戦場へと向かう。

 縦横無尽に荒れ狂い行く手を阻む建物の大海嘯も、先程までのそれと比較すれば手温いと言っても良く、突破力に優れた風の呼吸の前にはありありと「道」が見える程である。

 歪な城を吹き抜けて行く豪風の如く突き進んで行くと、強大な気配が近付きつつある事を感知した。

 戦場が移動しているのか、此方が近付くだけでなく彼方側からも近付いて来ているのだろう。

 そうこうする内に、派手な破壊音と振動が響く様に伝わって来る。

 そして──

 

 天井に皹が入ったかと思うと一拍の後には決壊したかの様に崩壊して。

 そしてそこから降り注ぐ大量の瓦礫と共に落ちて来たのは、落ちてゆく瓦礫を足場にしつつ鬼の猛攻を回避し続けている煉獄と、そしてまるで爆発の様な拳の乱打と暴風の様な蹴撃を止まる事無く放ち続けている鬼の姿があった。

 

 その鬼──猗窩座は、煉獄と戦いながらも此方に目をやると、新たな獲物が飛び込んで来た事に歓喜の笑みを浮かべる。

 

「素晴らしい! お前も柱だな!

 一目見るだけで分かる、その闘気、呼吸の深さ……杏寿郎にも勝るとも劣らぬ強さだな!」

 

 その言葉と共に、その拳を奮って煉獄を相手しながらも凄まじい蹴撃が周囲を蹂躙した。

 その威力は凄まじく、瞬く程の合間すらも無く周囲の建物全体が破壊され瓦礫が飛散する。

 一つでもそれが直撃すれば、幾ら呼吸で鍛え上げていようとも跡形も無く挽肉になるだろう。

 それを本能的な直感の導きにより全て回避し、反撃の為に風の呼吸で切り込むが。しかしそれは後ろに目が付いていたとしても不可能だとしか言えない様な、異常な程の反応性によって回避され更には鋭い拳の反撃を貰いかける。

 鳴上たちから忠告されていた異常な程の反応性とはこの事か、と。

 それを直接目の当たりにすると、その厄介さに思わず舌打ちしてしまう。

 まだ猗窩座の攻撃を避ける事は出来ているだけマシではあるが、しかしこれでは首を狙うどころかろくに攻撃を加える事も出来ない。

 煉獄と息を合わせたとしても、恐らく柱二人程度ならその拳撃や蹴撃で抑え込まれてしまうだろう。それ程までに、この鬼は今まで戦ってきたどの鬼とも次元が違う強さであった。

 以前煉獄たちが戦った時はと言うと、鳴上が強引にその攻撃を全て引き付けた隙を時透と煉獄で狙ってやっと首を狙う事が出来たのだと言う。

 今上弦の弐を相手にしている鳴上がこの場に救援に訪れる可能性は極めて低い。

 それを考えると、柱が後二人駆け付けてやっとどうにか反撃が出来ると言ったところか。

 鳴上の力を受けて強化された力を以てしても柱二人ではその首を落とせなかった事を考えると、柱が四人集まったとしても首を狙うのは厳しい可能性がある。

 鳴上以外で今他の上弦と対峙していない柱の中で一人で戦況を引っくり返し得る者が居るとすればそれは悲鳴嶼さんだが、しかし鬼たちの妨害が激しいその中で狙って合流するのは難しいだろう。

 更には、猗窩座は豪快に足場となる建物全体を破壊しながら戦っているが、民間人たちも無数に囚われているこの中でこうも躊躇の無い破壊を振り撒かれると、いつ何時彼らが巻き込まれないこも限らない。

 そして、この混沌とした状況下でこの鬼の相手をしながら人々を守る事は不可能に近い。

 かつて煉獄が初めて猗窩座と対峙した時は、この鬼はあくまでも様子見程度に手加減していた。だからこそ、その生命を賭してであっても、煉獄はその場に居た者たちを守り抜く事が出来たのだ。

 しかし、最初から一切の手加減無く暴れ回るそれは、最早暴風の如き災害そのもので。

 力無き者を弱者と誹りその命を奪う事に一切躊躇する事の無い性格である事も加味すると、乱戦の中に迷い込んで来た民間人は率先して消される可能性すらもある。

 それは、何としてでも阻止せねばならない。

 

 ほんの一瞬で思考を巡らせ、崩壊していく瓦礫を足場にしながら猗窩座を狙う。

 迎え撃ってきた拳を漆ノ型━━勁風・天狗風で相殺し、間髪入れず玖ノ型━━韋駄天台風で切り刻む。

 それを回避し反撃しようとした右足は、此方の斬撃の僅かな合間に滑り込む様にして猗窩座に接近していた煉獄の一撃によって落とされた。

『透き通る世界』に入っている事を示すかの様に、煉獄の呼吸はかつて無い程に深く、そしてその気配は普段よりも捉え辛い。

 それもあってか、まるで未来視の如き猗窩座の反応は煉獄への対応が遅れたのだろう。

 ……だが、極限の集中を要する『透き通る世界』は乱用出来るものでは無く、そして一度に入る事が出来る時間も限られている。

 半年近くにも及んだ柱稽古の期間で、あらゆる手を尽くして『透き通る世界』を長く維持する為に各々励んだが、一度に入れるのは持って数分と言うのが限度であった。

 更には、限界まで潜り続けているとそれが切れた時の反動が凄まじい。

 結局、瞬間的に入り直ぐに脱するのが今の所は最善と言う形になっている。

 猗窩座を狙った一瞬だけ『透き通る世界』に入った煉獄は、直ぐにそれを脱し、深い呼吸は維持しつつも更に猗窩座を狙う。

 しかし、それに凄まじい速度で反応した猗窩座は、残された左足で恐ろしい力で踏み込む様にして足場を砕きつつ勢い良く跳ねて煉獄の一撃を回避する。

 だが、それを待っていた俺は空かさず猗窩座の腕を狙ったが、しかしそれはほんの一瞬の内に再生されてしまっていた右足による攻撃で打ち消されてしまう。

 

「素晴らしい! 今まで多くの柱たちと戦ってきたが、お前たち程の力のある柱を相手にするのは初めてだ!

 柱を同時に相手する戦いがこれ程までに心躍るとのだとは!

 そして、そこのお前は風の柱だな?

 俺が今まで戦ってきたどの風の柱よりも、練り上げられている。

 お前のその技は、風の呼吸を数段上にまで高めただろう。

 教えてくれ、お前の名を。

 素晴らしい風の柱として、覚えておきたい!」

 

「ハッ! 誰が鬼なんかに名乗るかよォ!

 俺はテメェの頸をォ、捻じ切る風だァ!」

 

 高揚した様に名前を尋ねてくる猗窩座にそう啖呵を切る。

 しかし猗窩座はそれを意に介しもせず、ペラペラと良く回る舌で喋り続けている。

 

 瞬きすらも出来ない程の極限の戦いは、まだ始まったばかりであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 猗窩座が周囲を破壊して行った結果合流出来た不死川と互いに呼吸を合わせ、時に相手に回復の呼吸の隙を与える為に猗窩座の攻撃を引き受けて、そうやってどうにか切り結び続けてはいるが、しかしやはり決定打を狙うには至らない。

 不死川と連携すればその手足を落とす事は出来るが、だがそれもかつてのそれ以上に高まった鬼の回復能力を前にすればほんの数瞬の時間稼ぎ程度の効果にしかならない。

 それでも、回避一方にしかならなかった時に比べればまだ余裕はある。

 激闘の近くは危険なので鎹鴉達はこの場からは少し離れた所で追って来ているので、全体的な戦況は分からない。

 他の柱が応援に来る余力があるのかどうかさえ。

 長期戦に縺れ込むと、体力には限りがあるこちらが確実に不利になる。

 だからこそ戦力が揃った瞬間に短期決戦を狙うのが唯一の勝機なのだが、それも難しい状態だ。

 ……それでも、まだ不死川と二人で猗窩座を相手に持ち堪える事が出来ているのは、俺たちの練度が故と言うよりは恐らく……。

 

 かつて刀鍛冶の里で対峙したその時。

 鳴上少年の力によって、上弦の壱共々狂乱していたその時に。

 猗窩座が絶望の慟哭と共に口にしていた言葉。……人の名前。

 それらが、今の猗窩座の状態に何か関係しているのだろうか。

 思えば、強者に拘る性格である筈なのに、猗窩座から見ても紛れも無く強者である筈の鳴上少年の事を何も口にしないのも妙と言えば妙である。

 それに、会敵した時のあの反応……。まるで、刀鍛冶の里で対峙した時の記憶の何かが欠けているかの様な……。

 ……鳴上少年は、もしどうしようもなくなったその時には、あの狂乱の中で猗窩座が叫んでいたその名前を……『恋雪』『師範』『親父』といったそれらを使って、猗窩座の心を揺さぶるのも一つの手だとは言っていた。

 ……それらは恐らく、鬼と化し記憶や心を無惨に操られてすらも、その心から消す事など出来ない、その根源に在った『何か』であろうから、と。

 戦いに於いて、心は最も重要なものの一つと言ってもいい。

 そこを揺さぶり隙を作る事が出来れば、確実に有利にはなる。

 ……だが同時に、それは最悪の場合猗窩座を更に狂わせ凶暴化させるだけの結果になるかもしれない危険性も孕んでいる。

 鳴上少年は、その手札を切るのは最後の手段にした方が良いとは忠告もしている。

 ……今はまだ、それらを使って揺さぶる時では無いだろう。

 何より、不死川と俺しかこの場に居ない状況では、幾ら隙を作ろうともその頸を落とす事は出来ない。

 

 激しい拳撃の嵐が周囲を蹂躙し破壊する。

 足場が崩れて行く中、床が抜けたそこに、慌てて退避しようとしている最中の民間人と思わしき人々と彼らを守ろうとしている数名の隊士たちの姿があった。

 猗窩座によって目まぐるしく地形が破壊される中で、お館様たちの避難指示が間に合わずかち合ってしまったのだろう。

 だが、これは非常に不味い。

 

「不死川!!」

 

 そう名を呼べば瞬間的に意図を察したのか、不死川は猗窩座を食い止めんとばかりに果敢に斬り込む。

 俺も猗窩座から彼らを守るべく型を出して食い止めようとするが。

 

「……何も出来ない弱者共が。虫唾が走る。

 よくも、この素晴らしい宴の興を削いでくれたな」

 

 不快感を露にし殺気立った猗窩座は、俺たちを無視してでもその場に行き合ってしまっただけの者たちへとその脅威の矛先を向けようとする。

 更に間の悪い事に、この異空間を徘徊している鬼たちとは比べ物にならない程の圧倒的な「化け物」の威圧感に、元々争い事など遠い人々は浮き足立ち錯乱したかの様にてんでバラバラな方向へ逃げ出そうとしたり腰が抜けた様にへたりこんでしまっている。

 彼らを守るべく戦っていた隊士たちは、彼らをどうにか少しでも安全な場所へ逃がそうとしている様だが、鎹鴉たちの案内ではその混沌とした状況をどうにか出来る状態では無かった。

 このままでは目の前で多くの犠牲者が出てしまう──!

 

 不死川と俺は迷わず彼らの盾となるべく猗窩座を止めようとするが、しかしほんの僅かな隙を突いて突破されてしまう。

 そして、無力な人々を守る為に全身をガタガタと恐怖に震わせながらも必死に猗窩座へと日輪刀を向けた隊士に向かって、猗窩座がその必殺の拳を叩き込もうとしたその直前。

 

 突然、猗窩座の腕が幾重にも切り刻まれその場に落ちる。

 反射的に猗窩座は反対の手で拳を握り虚空を殴り掛かるが、その手もやはり斬り落とされた。

 未知なる脅威の存在を察知し、猗窩座は警戒したかの様にその場から跳ねる様に後退する。

 そして再び襲い掛かって来た二重の斬撃に今度はあの脅威的な反応で対応したのか、一見虚空の様にしか見えないそこへと乱打の雨を降らせる、と。

 

「ああっ! お札が!」

 

「それは気にするな甘露寺!

 それよりも、お前たちはさっさとこの場から逃げろ!」

 

 突然、その場に甘露寺と伊黒の姿が現れた。

 どうやら、事前に柱などに渡されていた姿を隠せるのだと言う血鬼術の札を使っていた様だ。そして、先程の乱打の雨で回避自体には成功していたが札は破かれてしまったのだろう。

 伊黒は、突然の事態に呆然としてしまっていた隊士たちをそう叱咤する。

 柱稽古で叩き込まれた事もあってか、柱のその命令に即座に反応した隊士たちは腰を抜かして動けなくなっていた人々を両脇に抱える様にして素早くその場を離脱した。

 これで、一先ずは人々を巻き込む恐れは無いだろう。

 

 突然の乱入者に流石の猗窩座も驚いたのか目を丸くするが、しかしこの場に柱が増えた事を喜ぶかの様にその口を歪ませる。

 

「素晴らしい……柱が四人もこの場に集うとは。

 これ程の強者たちを同時に相手取るなど、もう二度と無いかもしれない!

 さあ! 存分に殺し合おう……!!」

 

 興奮からか更に闘気を増した猗窩座は、その言葉と共に瀑布の様な拳の乱撃を繰り出すのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【煉獄杏寿郎】
因縁の相手との再戦。リベンジマッチに今度こそ勝利出来るのか。
刀鍛冶の里の防衛戦の際に、猗窩座の慟哭を聞いている。


【不死川実弥】
初めて上弦に対峙し、その化け物っぷりをより強く実感している。何だかんだ義勇の強さは信じている様子。


【伊黒小芭内】
愈史郎謹製の札で姿を眩ませつつ、乱入のタイミングを狙っていた。
蜜璃とは交際して数ヶ月が経つも初々しい熱愛真っ只中である。


【甘露寺蜜璃】
伊黒と共に様子を伺っていた。
実弥が猗窩座と遭遇した辺りで、鳴女の妨害をものともせずに伊黒さんと合流出来た何気に強運の持ち主。或いは愛の力。
なお、姿を隠す札を使ったのは伊黒のアイディア。
「流石は伊黒さん!」とキュンとした。
女性なので猗窩座に殺される事は絶対に無い。


【猗窩座】
悠の事を思い出すと連鎖的に過去を思い出して発狂するので、悠に関する記憶は軒並み無惨の手で消されている。
その為、煉獄さんの事は『悠によって助けられた』のではなく『自分が仕留め損なった』と記憶と認識が操作されている様子。
柱四人との戦いに大喜びするが、やはり女性である蜜璃だけは絶対に殺せない様子。殺す寸前までならやれるので、全く戦えない訳では無い。


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『紅蓮の楽土』

【前回の話】
『神威を望む者』

アニメの無限城、最早地下都市位ありそうでしたね。
お金かかった超作画と超スケールだ……。
まあ、無限城での決戦編がアニメ(または劇場版)になるのは何年後の事なのか……。


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

── 血鬼術 紅蓮楽土

 

 

 童磨が大きく広げた扇を重ね合わせる様に振るった瞬間。

 その場に十体もの小さな人形の様な氷像が現れた。

 以前見たものと同じ血鬼術だ。ならばそれを炎で溶かそうと、ペルソナを切り替えようとしたその瞬間。

 部屋全体の気温が急激に低下した。

 この終わりと始まりが捻じ曲がったかの様な異空間の中でも、一際に広大と言っていい程に広い空間である筈なのに。

 瞬く間すらも無く壁や床や天井に霜が降り、足場の下にあった水面は瞬時に凍り付き、空気中の水分も忽ち凍り付く。

 極寒の雪山に身一つで放り込まれた様なそれに、しのぶさんとカナヲはその身を震わせた。……そして当然、鍛えている訳でも無く寒さへの備えなど何もしていない人々が耐えられるものでは無い。

 

「──ッ、ビャッコ!!」

 

 即座にビャッコを呼び出し、部屋の隅に避難している人々を守る様に彼らの前で壁とする。

 氷結属性を吸収出来るビャッコの傍に居れば凍死する事は無いだろう。

 しのぶさんとカナヲには『白の壁』で氷結属性への耐性を付与する。寒さを完全に無効化出来る訳では無いが、少なくとも凍死は防げるだろう。

 突然目の前に現れた巨大な白い虎の姿に人々は混乱した様な声を上げたが、しかしビャッコの傍に居れば寒さに襲われない事には気付いた様でパニックのまま逃げ出そうとする気配は無い。

 取り敢えず今はそれ位しか出来ない。

 壁を破壊して逃がすのも手かもしれないが、十体も居る氷像が彼らを追撃しないとも限らない。

 試しに十握剣を振るって氷像を破壊してみるが、凄まじい冷気の中でそれらは粉々に砕かれてすら再生してしまう。

 室温は下がり続け、もう普通の人であれば瞬く間すらも無く眼球は凍り付き一呼吸で肺は凍り付き体温は一瞬で奪われ気付く間すらも無く死に至る程にまで低下している。

 最早南極の中でも内陸に行かなければ経験出来ない程の極寒の中に防寒具など身に付けていない人々を放り出せばどうなるのかなど想像に容易い。

『白の壁』により寒さへの耐性を付与された状態であるしのぶさん達も、凄まじい寒さに身を震わせていた。

 今は何とか持ち堪えているが、このままでは『白の壁』で守っていてもしのぶさんたちに限界が訪れてしまうだろう。

 

 一刻も早くこの寒さを何とかしなければならないが、ペルソナを切り替える余裕が無い。

 ペルソナを切り替えるほんの僅かな間ですら、ペルソナによる守りを喪った人々が凍死するのには十分過ぎるのだ。

 前に戦った時には使って来なかった手であった為、判断と対応が僅かに遅れた事が原因か。

 ビャッコで守るのではなく、一気に炎で薙ぎ払うべきであった。

 だが判断ミスを悔やんでいる暇は無い。

 

「わあ! 凄い!!

 寒さが効いてないだけじゃなくて、そうやって守る事も出来るんだ!

 凄いなぁ、凄いなぁ!!

 俺も前の時なんかとは比べ物にならない位に強くなったつもりだけど、それでも全然追い付けない!!

 あはは、悔しいなぁ。もっともっと強くなりたいなんて思ったの、生まれて初めてだ!」

 

 キラキラと目を輝かせ、全身で喜びを表現しているかの様に心を震わせているその興奮を余す事無く力に変えて。

 強力な血鬼術を展開させ続けているにも関わらず、童磨はかつてのそれとは比べ物にならない程の威力と展開速度で怒濤の大技を繰り出し続けている。

 常に巨大な氷柱が頭上から降り注ぎ、その間を縫う様に氷の蔦が乱れ舞い、足元からは氷の棘が押し寄せ続ける。

 童磨自身が繰り出しているものなのか、それとも氷像が仕掛けているのかはもう判別出来ない。それ程までに完璧なコンビネーションで息すら吐かせぬ程の連続攻撃に、周囲は冷却され続ける。

 しのぶさんとカナヲは別段狙われている訳では無い……と言うよりもそもそも眼中に無いかの様に無視されてすらいるが。

 しかし、怒涛の攻撃の余波は容赦無く二人を襲っている。

 それでも何とか負傷する事無く回避し続けていられているのは、二人の並々ならぬ敏捷性と動体視力故だろう。

 しかしあまり猶予は無い。

 ビャッコに守られている人々の方は、流れ弾の様なそれは全てビャッコが対処しているので今の所は大丈夫であるが……。だがそれ故にビャッコの身動きが取れなくなっていた。

 

 余りに激しい攻撃の嵐の中、どうにか対処は出来ているがこのままでは埒が明かない。

 童磨の頸を落とすよりは、氷像を砕く方が圧倒的に楽ではあるが……氷像の修復能力が高過ぎて一撃で燃やし尽くすでもしなければジリ貧になるしかないだろう。ビャッコの攻撃は単純な物理攻撃か或いは氷結属性のものしか無い事も状況のどん詰まりに拍車をかけてしまっている。

 そして、童磨自身よりは耐久などの面ではマシであるとしても、童磨とほぼ同等の威力と範囲でその血気術を展開出来る氷像の力は厄介などと言う言葉では表せない程だ。

 幾ら自分でも十体の氷像を完全に同時に止め切る事は、ビャッコが動けない現状では難しい。もしこのどれか一体にでもしのぶさんやカナヲを本格的に狙われたら対処出来ないかもしれない。

 こうも数の暴力で攻められると、守らねばならぬものを抱えたこの状況では打てる手が極めて少なくなってしまう。童磨が意図してやっているのかは分からないが、余りにも的確にこちらの選択肢を潰しにかかっていた。

 しのぶさんとカナヲは共に童磨に斬り掛かろうとするが、しかし童磨に届く前に氷像たちに阻まれてしまい、その刃は童磨の意識を逸らせる事も出来ていない状態だ。

 それでも、今の所は一番危険な氷を吸い込まずに戦えてはいるが……。

 

 ……此処が使い所だろう。

 十握剣を鞘に収め、代わりにこの決戦の日の為に託された日輪刀を抜き放つ。

 鉄地河原さんによって、限界まで耐久力を上げて鍛えられたこの日輪刀でも、果たして何度持つのかは分からない。

 鬼舞辻無惨との決戦に備えておくべきであったかもしれないが、ここで出し惜しみして何もかも喪う訳にもいかない。

 抜き放った途端に日輪刀は赫灼と輝くかの様に一気に炉の火の赫へと染まり上がった。

 熱を帯びているのか、冷気を食い荒らすかの様に刀身から煙るかの様に白く靄がかったものが立ち上る。

 

「凄い! 凄い!!

 玉壺殿や猗窩座殿や黒死牟殿の目を通してそうやって色が変わった日輪刀は見た事があったけど、『神様』のそれは他のそれと比べ物にならない程に深い赫だ……!!

 物凄い熱を帯びているのかな。それで斬られたら流石に痛いかも!」

 

 そんな事を嘯きながら、童磨は巨大な菩薩像を模した氷像を出現させた。

 以前戦った時に作り出していたそれよりも遥かに大きいそれは、かなり高い筈の天井を突き破りかねない程の巨体であり、当然その質量はかつてのそれとは比較にならないだろう。

 そんな巨大な菩薩像が一気に三体も出現した為、広い筈の室内を酷く狭苦しく感じる程の圧迫感を感じる。

 神々しさすら感じる程の威容で迫る氷像たちは。一体はその右手を手刀として振り下ろし、一体は凄まじい勢いで拳を放ち、一体はその質量の全てを破壊のエネルギーに変えようとしているかの様に全てを押し潰す様に倒れ込もうとする。

 菩薩像たちは、その身体が氷で形作られているとはとても思えない程俊敏に動く。速度も乗った超質量の攻撃を前にすれば、殆どの反撃などものともせずに押し潰せるだろう。

 ビャッコに物理攻撃への耐性は無い為、冷気などでダメージを負う事は無くてもあんな質量の直撃を防御せず受ければ相当なダメージは覚悟しなければならない。

 それでも、ここで後退る事など出来る訳は無く。

 更に強く日輪刀を握り締めて。

 範囲内にしのぶさんとカナヲが居ない事を瞬時に確かめつつ、迫り来る暴威を真っ直ぐに見詰める。

 

「デスバウンド!!」

 

 日輪刀を一気に振り抜きつつ一切の加減無く放ったその一撃は、三体の菩薩像を一撃で溶かしつつ粉砕し、菩薩像を維持していた氷の人形たちを砕き、童磨の胴体を削り取りながら両断する様に薙ぎ払った。

 そして氷像たちの背後の壁をも大きく切り裂き、その裂け目から冷気は急速に外へと吹き出ていく。

 室内は相変わらず人が生きていられる様な温度ではないが、しかしそれ以上下がる事は無く、冷気の一部が外部に逃げている事もあってゆっくりとではあるが上がってきてはいる。……とは言え、その尋常ではない力を考えると、童磨は最悪この異空間全体を極寒の地獄に変えかねない。そんな事になれば全滅は必至である。

 一時的にこの部屋の温度がマシになったとして油断は出来ず、寧ろ可能な限り早急に仕留める必要があった。

 

『赫刀』の状態の日輪刀の力によってか、先程までは粉砕されようがそれを物ともせずに直ちに元通りに戻ってしまっていた氷の人形たちは、氷片となって転がったまま修復される気配は無い。

 しかし、胴体を真っ二つに割られたにも関わらず、童磨はそれに構う様子すら見せず。断面が再生しない事に何故か喜びの様な声を上げたかと思うと、その断面をその氷で無理矢理繋ぎ合わせ、何事も無かったかの様に立ち上がり向かってくる。

 よく考えなくても、氷像を手足の様に操る事が出来るのだ。

 多少『赫刀』によって削られ再生出来なくなった所で、氷で代用してしまえるのかもしれない。

 

 氷の人形たちが破壊された事によってか、室温の低下は収まっている。

 まだ大分寒いが、それでも即座に凍死する事を心配しなければならない程では無い。

 今の内に次の手を打たなくては。

 ペルソナをビャッコから切り替えるべく意識を集中させると、童磨の目はますます輝きを増しながら此方を見詰めるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

 悠を『神様』だと宣う悪鬼にとっては、文字通りに悠以外の一切の存在がその意識の外にあるかの様であった。

 悍ましい程の熱を帯びた狂信に溺れたその視線は、ただ一人悠だけに注がれている。

「心」と呼べる程の情動も執着も何も持たなかった鬼は、一体何があったのかと思わずにはいられない程に劇的な変化を遂げていた。……その変化は、かつてのそれとはまた別の方向により悍ましさを増したものであるが。

 いっそ純粋無垢ですらあるかの様に狂気的な執着に溺れるその姿は、まるで道理を知らぬ幼子が初めて得た宝物に固執しているかの様で。

 当然、そんな執着を向けられる先となった悠にとって、それはゾッとする程に悍ましいものであった様で。童磨のその執着に、理解出来ないとでも言いた気な今まで見た事も無い様な表情を浮かべている。

 熱を帯びたかの様なはしゃいだ声音で悠に対して『神様』だと言い募っていくその言葉に、悠は半ば呆然とした様子でその言葉を聞いていた。

 

『神様』。それは、鬼殺隊の中で蔓延している悠に対しての認識だ。

 悠にとっては討ち滅ぼすべき存在でしかない童磨がよりにもよって何故そんな風に悠を見ているのかは理解の範疇を超えたものであるけれど。

 何であれ、悠自身はその様に他者から見られる事を望んでいない事を知っているからこそ。

「ナルカミ教」なるものを広めてまで悠に()()()()()()を求める童磨のそれは、私にとっては赦し難い行いであった。

 姉さんの仇であると言う事もそうだが、童磨の行いの尽くに殺意と怒りが更に募っていく。

 一体悠の何を知っているのかと、分かっていて悠にそれを一方的に押し付けていくのかと、そんな怒りだった。

 視線だけでこの鬼を殺せるのであれば、既に何百回と殺せているだろう程に、眼差しに憎しみが宿る。

 しかし、そんな私の怒りなどちっぽけな虫ケラのそれにしか過ぎぬとばかりに、童磨の意識に私は最初から存在していない。

 

 そして、戦いの火蓋が切られた瞬間。

 空間の全てが、一切の命を拒絶するかの様な極寒の世界へとほんの瞬きの間に塗り替わる。

 視界の全てが瞬時に凍り付き、一呼吸で肺の芯まで凍り付きそうな冷気の中。

 

「──ッ、ビャッコ!!」

 

 悠がそう声を上げて蒼く輝く何かを握り潰した瞬間。

 巨大な純白の虎が現れて、この危険な鬼の棲家に囚われていた人々の壁になるかの様に、鬼から彼らを隠す様に立ち塞がる。それと同時に、一気に寒さが和らいだ。しかし、周囲の景色は容赦なく凍り付き続けているので、この空間の寒さ自体が和らいだという訳ではないのだろう。横に立つカナヲも少し身を震わせているがどうやらその程度の寒さしか感じていない様で。恐らくは悠が何かをして守ってくれているのだ。

 それでも容赦なく周囲の温度は下がり続けていて。徐々に感じる寒さが強くなっていく。このままでは悠が守っていてもそう時間を置かずに限界が訪れるだろうと、ひしひしと感じさせる程であった。

 極寒の地獄の中、童磨は私たちの事など眼中に無いとばかりに悠を狙い怒涛の攻撃を繰り出し続けている。

 幾ら上弦の鬼でも、ここまでの大規模な血鬼術を出し続けていれば何れ限界が訪れるのでは? と。そう思ってしまう程に後先考えているとは思えない程の大盤振る舞いであった。

 まあ童磨にとっては悠と戦えさえすればいいのでそれ以外は些事でしかないのかもしれないが。

 

 足元の床を砕く様に鋭く突き上がり押し寄せる氷柱の荒波を悠は跳ねる様に避け時に足場にしながら回避して、頭上から瀑布の如く叩き付けられる氷の杭を斬り払いながら受け流して。乱れ舞う氷の蔦を隙間に滑り込む様に避け続ける。

 悠がその刀を振るう度に氷塊たちは忽ちに砕かれていくが、無尽の如く湧き続けるそれを削り切るには至らない。

 童磨を模した十体もの氷像たちも、砕いた端から直ぐ様に再生してしまう様で。

 私たちや、そして人質として囚われていた人々という、悠にとっては足枷や足手纏いにしかならない者たちを背にしながら戦う悠にとっては、随分と不利な状況である様だった。

 どうにか極力人々を巻き込まなくても良い様にと、悠は広大な空間の中でも少しでも童磨を彼らから引き離そうとしている様で。童磨もそれは分かっているのだろうが、まあ人質紛いにこの空間に拉致していても微塵も興味を懐いていなかったのか、そこに固執する事無く悠に誘導されるままに動いている様だった。

 

 童磨の攻撃は基本的に悠だけを狙っているが、しかしその余波とでも言うべきものは私やカナヲの身にも襲い掛かる。そして、大海嘯の如き攻撃の全体からすれば一滴程度の規模のものであっても、私たちの身を斬り裂き砕き叩き潰すには十分過ぎる程で。悠の様に大質量の氷塊ですら叩き斬り砕く事が出来る様な膂力は無い私たちは、攻撃のほんの僅かな隙間を縫う様に回避するしかない。だがそれも、次第により厳しさを増していく周囲の冷気によって、身がかじかむ様に動かし難くなっていっている為何時まで持つものか……。

 更に腹立たしい事に、戦いが始まって以降、一度も童磨は私たちの方へ意識を向ける事は無いのだ。一瞥すら向けず、その眼はただただ悠に向けられ、氷を扱う鬼とは思えぬ程のギラギラと輝き熱を帯びるその異常な執着のままに、より一層その攻撃を激しくさせている。

 以前一度戦った時のそれが、戯れ程度ですら無い程のものでしかなかったのだと、そう知らしめられているかの様で。悔しさに思わず唇を噛み締めるが、だが事実として私たちの姿は 童磨の眼には映っていないのだし、そして映った所で一度でも本格的に標的にされれば先ず生き残る事は不可能であるのだろう。

 最初から分かっていた事ではあるが、私たちは余りにも無力であった。

 

 そして、このままでは埒が明かないと判断したのか、それとも自分以外が凍死するまでもう時間が無いと判断したのか。

 悠は、ずっと愛用し続けていた刀を一度納め、刀鍛冶の里まで出向いて打って貰った自分の日輪刀を抜き放つ。

 そして鞘から抜き放った瞬間、その刀身は炉の炎の様な赫へと染まり上がり、刀身自体が熱を帯びたのか周囲の冷気を喰い荒らす様に煙るかの様な白い靄が立ち上る。

『赫刀』自体は柱稽古の時などに何度か見た事はあるのだが、これ程までに見事に深い赫に染まっているものを見るのは初めてで。

 もしかすれば、かつて『赫刀』を振るい鬼舞辻無惨を追い詰めたらしい「始まりの剣士」が振るっていたのだろうそれにすら匹敵する程のものなのではないだろうか。

 そして、悠の『赫刀』を目にした瞬間。

 童磨は興奮の余り喜びの喝采を上げて、そしてその興奮のままに更なる暴威を見せ付けるかの様に、悠を取り囲む形で巨大な氷像を作り出す。

 広大な空間を圧迫する様な、余りにも巨大過ぎて見上げた所でその全貌を見る事など不可能な程の巨体を誇る菩薩像の様な氷像が、出し惜しみされる事無く三体も出現した。

 私は気を喪っていた為それを見てはいないが、以前悠が童磨と戦った時にも童磨は氷の菩薩像を作り出していたとカナヲから報告されている。そして、それは童磨にとっては奥の手にも等しいものであるのだろう、とも。

 だが、カナヲの話から聞いていたそれとは最早比較する対象にすらならない程に……かつてみたそれが幼子の様な大きさであったのではと思ってしまう程に、目の前に現れたそれは巨大に過ぎた。

 自重で崩壊していない事が信じられない程の大きさで。それと比較すれば、悠が一寸法師になってしまったかの様な錯覚すら覚える。

 そして、その巨体からは信じられない程の俊敏さで、氷像は悠を狙って動き出す。

 家屋位の大きさの右手を手刀の様に振り下ろすもの、その手を拳の形に握り締めて突き出すもの、そしてその馬鹿馬鹿しいまでの質量の全てを攻撃に使わんと全身で倒れ込んで来るもの。

 人が抗えるとは思えぬ巨大な存在が迫って来ていると言う、否応無しに本能的な恐怖を煽るその光景を前にして。

 悠は後退る事無く、寧ろ静かに踏み込んで。

 

「デスバウンド!!」

 

 裂帛の気合と共に、日輪刀を全力で振り抜いた瞬間。

 迫り来る菩薩像たちが完全に両断され更には高熱で溶かされたかの様に溶け罅割れて細かく砕かれて、その周囲で菩薩像を維持していたのだろう童磨の氷像たちも軒並み焼き切られた様に融け落ちて。氷像たちの背後に居た童磨の胴体をも、その大半を削り取る様に溶かしながら両断する。

 挙句の果てには、更にその背後にあった壁すらをも切り裂いて。そこから冷気が外部へ逃げ出しているのか、次第に周囲の温度は徐々に上がり出す。

 たった一撃で状況を一変させたかの様なその攻撃ではあったが。

 

「凄い……! 凄い、凄い、凄い!!

 灼ける様に斬られた断面が痛い! 全然再生しない!!

 ねえ『神様』、見てくれよ! 徐々に断面の端から崩れている程だよ!!

 その状態だと、日輪刀に宿っている陽光の力が最大限引き出されているのかな?

 ああ……もし太陽に焼かれて死ぬとしたら、こんな痛みになるのかな!

 ほんと、こんなの初めてで、もう胸がドキドキして弾け飛ぶんじゃないかって!

 世界って生きてるってこんなに楽しいんだね、こんなにもキラキラして見えるんだね!

 ああ、鬼に成って良かった、楽しくも何も無い世界を惰性でも生きていて良かった……!」

 

 興奮し、声を荒げ、その瞳は感動に潤む様に輝いて。

 全身で喜びを感じているかの様に、童磨は悠に執着の眼差しを向け続ける。

 両断された半身を氷で繋ぎ合わせ、欠けた部分は氷で補って。

 何事も無かったかの様に立ち上がり、その両手の扇を再び広げる。

 

「『無』になる事の恐ろしさも、何も残らない事への絶望も、そんなのただのまやかしでしか無いとかつては思っていたけれど。

 ああ……今この胸を震わせる全てが消えてしまう事を思うと! それは何もかもが凍り付いてしまう程のものだったんだね。

 今なら信者の皆の気持ちが痛い程に理解出来るよ。

 だから『神様』、どうかもっともっと俺の心を震わせてくれ! その全てを見せてくれ!!

『無』になる恐怖なんて全部吹き飛ばしてしまえる程の、感動を! もっと!!」

 

 最早恍惚の表情とでも表現すべき喜悦を満面に浮かべたその表情で、童磨は再び氷像を生み出そうとするが。

 しかしそれよりも一手早く、悠は既に動いていた。

 

「一言主!」

 

 部屋の隅で人々を守っていた巨大な白い虎の姿が消えたかと思うと、悠はその手の中に現れた蒼く輝く札の様なものを勢い良く握り潰して。

 その瞬間、無数の木の葉によって形作られたかの様な人型の何かが姿を現す。

 

「──愚者の、ささやき!」

 

 反射的に撃ち出された巨大な棘の様な氷塊を回避し、避け切れない物は斬り飛ばしつつ、その人型と共に一気に童磨との距離を詰めた悠は。

 そう何かを人型に命じると共に、童磨の胴を袈裟切りに斬り捨てる。

 先程とは違い一刀両断するまでには至らなかったその一撃だが、しかし童磨の足を止めるには十分で。

 そして、人型は己の身を構成する無数の木の葉で童磨を呑み込む。

 その途端、空間に漂っていた冷気が一気に消え失せたのを肌で感じた。

 

「おっと、驚いたけど、これは──」

 

 見た目こそ派手ではあったが、何らかの傷を負わせるものではなかった様で。

 木の葉の渦の中から無傷で姿を現した童磨であったが、しかしその直後怪訝な表情を浮かべる。

 それと同時に、悠は叫ぶ様に声を上げた。

 

「しのぶさん! カナヲ!

 血鬼術を無効化しました! 仕掛けるなら今です!!」

 

 それは、待ちに待った反撃の為の合図で。

 その瞬間全力で一気に踏み込んで、童磨へと刺突を喰らわせる。

 しかし、最も脅威である血鬼術を無効化したとしても、鬼の尋常ならざる身体能力は健在で。童磨はあっさりとそれを避けようとするが。

 しかし目の前に居る悠はそれを許さない。

 輝く様に赫く変じた刀身に更に紫電を激しく纏わり付かせた日輪刀で、童磨の足を脛の半ばから斬り捨てる。

 氷による補修は間に合わず、回避する間も無く童磨は私の日輪刀にその喉元を貫かれた。

 反撃の様に振るわれた扇を回避して、深追いはしない様に素早く日輪刀を抜いて距離を取る。

『赫刀』で斬られ再生の進まない足を、童磨は膝から下を斬り落とす事で斬り捨てて、そしてその端から瞬時に再生させた。流石に胴の半ばなどから斬られればそうやって無理に再生させる事は容易では無いだろうが、四肢などの末端部分なら上弦の弐ともなればその様にして強引に再生させてしまえるのだろう。

 

「おっと、喰らっちゃったか。

 でも、前にも言ったけど君の毒は──」

 

 羽虫の囀り以下の言葉を垂れ流そうとしたそれは、更に背後から迫っていたカナヲの襲撃で中断される。

 片手でそれを受け止めようとした童磨だが、しかしそれは腕ごと斬り捨てられて。

 それに驚いた様に童磨は目を丸く見張り、そしてカナヲの追撃を回避する様に後ろに大きく飛ぶ。斬り落とされた腕は瞬時に元に戻ってしまった。

 やはり、『赫刀』でないとまともに傷を与えられないのは変わらないのか。

 

「あれ、おかしいな。君程度の威力なら俺の腕が斬れる筈は無いんだけど。

 あ、そっかぁ、『神様』が何かしたんだね? 凄いなぁ!」

 

 そうニコニコと童磨は笑う。それに一々種明かしをしてやる義理は無い。

 この日の為に珠世と共に研究し続けていた毒の数々は、確かにこの悪鬼にも効果があるのだと、それを確かに実感して。だからこそ何としてでも童磨をここで仕留めねばならないと改めて心に誓う。

 先程の一撃で撃ち込めた毒の量は多くは無い、更に二撃三撃と重ねて注ぎ込まねば。

 しかし、そう易々といく相手ではない事も理解している。

 悠によって血鬼術を封じられたとしても、恐らくそれは永続的なものではないのだし、何より血鬼術無しでも私やカナヲでは一方的に嬲り殺しにされる程の超常的な存在なのだから。

 それでも、悠たちがこうして私の為に、私自身で全ての決着を付けられる様にお膳立てしようとしてくれているからこそ、それに応えなくては。

 

 

 その時、天井の一部が軋んだかと思うと、一気にそこが崩壊して何かが頭上から落ちて来る。

 

 

「どぉありゃアアアア!!!

 天空より出でし伊之助様のお通りじゃあアアア!!」

 

 

 天井を破って大量の木材と瓦礫と共に落ちて来たのは、威勢良く吼える伊之助くんであった。

 

「感じる……感じるぜェ!!

 強えェ鬼の気配をビンビンになぁッ!!」

 

 勝負しろ、勝負!! と、元気よく吼えて。

 伊之助くんは、突然の珍妙な登場に驚いた様な表情を浮かべている童磨へとその日輪刀を向けるのであった。

 

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆




【鳴上悠】
その場に居合わせてしまった人々を守り抜く事と、しのぶとカナヲを守る事、そして「しのぶに童磨の頸を落とさせる」と言う最高難易度の超難題を抱えながら童磨と戦っている。
パワータイプの白虎と比べると一言主は力が弱いので、一言主を召喚している時は童磨の攻撃を全て斬り捨てて進む様な力技は使えない様子。
「愚者のささやき」はこの世界では一時的に血鬼術を無効化出来るが、童磨の氷の様に既に物質的に存在しているものが消える訳では無い。


【胡蝶しのぶ】
童磨に全く相手にされず何も出来ない無力さからくる悔しさに唇を噛み締めているが、そもそも童磨のマップ兵器は使われた瞬間悠以外には対処不可能ではある。
最初に撃ち込んだ毒は、童磨に合わせて特別に調合された鬼の体組織に作用してその強度を下げる作用があるが、童磨相手ではその頸の強度をほんの僅か下げる程度に留まる。カナヲ以上の膂力があれば、全力で呼吸を使えば腕や足は落とせる強度になっている。
この毒以外にも、決戦に向けて珠世さんと共同で様々な毒を開発している。


【栗花落カナヲ】
童磨の気色悪さに鳥肌が立った。
この世に存在してはいけない生き物だと思った。


【嘴平伊之助】
強い鬼の気配を探して無限城を走り回っていたら、凄く強そうな鬼の下に辿り着いた為非常にやる気に満ちている。勝負勝負ゥ!!
まだ猪頭を被った状態である為、童磨にその因縁を把握されてはいない。


【その場に居合わせている人々】
『神様』だ……!


【童磨】
初手から即死級マップ攻撃を展開するなど、一切の遊びが無い本気モード。
人間相手の殲滅能力としては無惨を遥かに上回る能力を獲得しているが、それでも全く倒せる気配が微塵も無い『神様』の素晴らしさに興奮が収まらない。
もっともっとと、悠の更なる力を拝まんと欲するその欲望は際限無く膨れ上がり、鬼としての能力は今この瞬間も高まり続けている。
なお、悠以外の存在は基本的に意識の外にある。


【鬼舞辻無惨】
虫けら同然に侮っていた珠世に撃ち込まれていた薬を解毒するのに全神経を集中させている。
その為、猗窩座や黒死牟に嫌がらせの様な命令を出している暇はない。
実の所、無限城に悠諸共鬼殺隊を落としたその時点で悠から離れた場所で童磨にその血鬼術を全力で無限城全体に展開させていれば悠に勝てる可能性があった。と言うよりも悠に勝つ手段はそれしかない。
が、気色悪さが増した童磨に関わり合いになりたくなかったが故に進化したその血鬼術や能力を何も把握しておらず、当然その様な作戦も考え付かなかった。
更には、悠と直接対決し悠の力の全てを見る事だけを欲求に超進化を果てしている童磨に、悠と対峙させずに消耗させきって倒すと言うそれを飲ませる手段は無惨には無いので、どの道実行出来ないのだが……。



『血鬼術 紅蓮楽土』
童磨の新たな血鬼術。
悠が居ない場合、柱だろうと何だろうとそう時間を置かず凍死する事になる程に凶悪かつ必殺の血鬼術となる。時間経過でどんどん温度は低下し続け、最終的には-100℃を下回り、室内などの限定された空間で発動されるとその威力は比類ないものになる。
多少の火では焼け石に水にもならず、効果範囲内に居る場合は基本的に防御不可能・回避不可能である。
更にこの血鬼術を展開した状態だと、効果範囲の空間に於いて他の血鬼術の発動速度と威力が向上し、離れた場所に「霧氷・睡蓮菩薩」などの大質量の血鬼術を瞬時に展開出来る効果もある。……とは言え、この血鬼術を展開された時点で生き残れる『人間』は皆無と言っても良いのだが。
「結晶ノ御子」を分散して配置する事が出来れば、ある程度の時間さえかければ無限城全体にこの血鬼術を展開する事も可能である。
弱点としては、複数の「結晶ノ御子」を展開する事で血鬼術を維持している為、「結晶ノ御子」を破壊されると威力が下がってしまいまた冷却速度が衰えてしまう点がある。
しかし、血鬼術の範囲内にあり強化された「結晶ノ御子」を破壊する事は容易では無く生半な攻撃では即座に再生されてしまう為、破壊するのであれば最低でも「赫刀」で砕く必要があるので、その攻略難易度は極めて高い。
名前は八大寒地獄の一つである「紅蓮地獄」から名付けられた。


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番外編①【蒼い夢の欠片】
『その手を掴む』


以前から要望があった、『心の海』の中で『鳴上さん』に招かれた人たちの反応など。
完全な一話とするにはやや足りないものの、結構本編に関わる部分もあるので、【番外編】として投稿させて頂きます。
本編が進めば新しい人達の分を都度加筆していく予定です。

以下、目次代わりのページ内ジャンプリンクです。
ご活用下さい。


【目次】
【我妻善逸の場合】
【嘴平伊之助の場合】
【栗花落カナヲの場合】
【不死川玄弥の場合】
【煉獄杏寿郎の場合】
【胡蝶しのぶの場合】
【悲鳴嶼行冥の場合】
【宇髄天元の場合】

【後書き】


◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 

【我妻善逸の場合】(『蒼の夢』の少し後)

 

 

 

 

 ふと目覚めたそこは何処までも深い蒼の世界であった。

 そして、そんな見渡す限りの蒼以上に、静かに揺らぐ旋律が遠く聞こえてくるかの様である。

 そんな世界の中に、何時の間にか俺は佇んでいた。

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ。歓迎するよ、善逸」

 

 そう言って、気付けば目の前で微笑んでいたのは、悠さん……に似ているけど、その音は何処か違う気がする誰かだった。

 

「えっと……悠さん……?」

 

「俺は『鳴上悠』ではあるけれど、善逸が知る鳴上悠とは少し同じとは言い切れない。

『鳴上悠』の意識と無意識の狭間に在る、心の力その物とも言える。

 まあ、好きに呼んで貰っても構わない」

 

 例えば炭治郎は俺を『鳴上さん』と呼んでいるぞ、と。

 そう目の前の『鳴上悠』を名乗る存在は、微笑む様に柔らかな表情を浮かべながら言う。

 どう呼ぶべきなのか迷って、じゃあ炭治郎に倣ってそう呼ぶか、と。

 俺は目の前のこの人を『鳴上さん』と呼ぶ事にする。

 そう呼ぶと、『鳴上さん』は嬉しそうに微笑んだ。

 

「ああ、善逸もそう呼んでくれるのか。嬉しいよ。

 さて、と。今夜此処に善逸を招いたのは、善逸に訊ねたい事があってな」

 

 訊ねたい事? と、首を傾げると。

『鳴上さん』は少し神妙に頷く。

 

「ああ。善逸が『試練』を受ける気があるかどうかを聞きたかったんだ。

 ……この先、上弦の鬼や鬼舞辻無惨と戦う上ではより一層激しい戦いになる事が予期されるからな。

 この場所からでは大した手助けが出来る訳では無いのだが、せめて少しでも力になりたくて。

 だから、皆の力を磨く事が出来る様な『試練』を用意した。

 ここは『鳴上悠の心の海』の中、そして善逸にとっては一夜の夢の中の世界。

 此処で何が起きても現実の善逸が傷付いたり況してや死ぬ事なんて無い。

 ただし、恐らく何度も何度も死にそうな目に遭ったり、或いは夢の中で死ぬ事になるだろう。

 そして此処は夢の中ではあるけれど、現実との狭間でもあるから、現実の世界で善逸に出来ない事が出来る様になる訳では無い。但し、この世界で出来る事ならば……出来る様になった事ならば、現実の善逸にも必ず出来る。

 此処は狭間であるが故に、此処で起きた事の記憶その物を現実で思い出す事は出来ないだろうけれど……」

 

 そこで言葉を切った『鳴上さん』は、その金色の目を少しだけ細めて俺を見る。

 

「しかし、魂に刻まれたそれは『無かった事』にはならない。

 此処で得たものは、必ず善逸を生かす為の力になるだろう。だから。

 此処で何度でも傷付くと良い、死ぬと良い。痛みも苦しみも、感じるそれらは間違いなく『本物』ではあるけれど、しかしそれでその魂や身体に傷が付くと言う事も無い。

 千の死を経験せねば乗り越えられぬ『試練』があるのなら、千と一の果てにそれを乗り越えれば良い。

『鳴上悠』が戦ってきた全ての相手を、此処では再現する事が出来る。

 この『試練』を乗り越え続けた先に、如何なる怪物を相手にしても……例え『神』すらも相手にしてでも、それでもそれを生きて乗り越えられるだけの力を、きっと手に入れられる筈だ。

 ……とは言え、『試練』の痛みや苦しみを厭うと言うのであれば、別にそれでも構わない。

 受けるか受けないかは、善逸の意志に委ねよう」

 

 受けないとしても、特に不利益は無い。と。

『鳴上さん』はそう言って、ジッと俺を見詰めた。

 さあ、どうする? と。その目は俺に訊ねてくる。

 

 一体、この人は何者なのだろう。『試練』って、一体何をさせられるんだ、と。思わず悲鳴を上げそうになる。

 だって、何度も傷付くとか死ぬとか、どう考えても穏やかでは無い。

 でも……。『鳴上さん』から聞こえる音に、俺を傷付けたいなんて感情は無くて。寧ろ少し迷う様な音をしている。

 

 強くならなければ、何時か鬼に殺される。

 それは分かっている。

 なら。

 

 おずおずと、『鳴上さん』に頷いて。

 そして彼が差し出してきた手を、そっと握った。

 

「じゃあ、先ずはこいつを倒してみてくれ」

 

 

 そう『鳴上さん』が言った直後に間の前に現れたのは、見上げる程に巨大で真っ赤な甲虫であった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

【嘴平伊之助の場合】(『蒼の夢』の少し後)

 

 

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ、伊之助」

 

 そう言ってニッコリと微笑んで来たのは、カミナリだった。

 と言うか、此処は何処だ? 何か色んな所が真っ青だが。

 俺がキョロキョロと見回していると、カミナリが説明する様に教えてくれる。

 

「ああ、此処は『鳴上悠の心の中』であると同時に、伊之助にとっては夢の中の世界だ。

 ……俺は『鳴上悠』ではあるけれど、伊之助の知る鳴上悠では無くて……」

 

「? カミナリはカミナリだろ? 

 俺は親分だからな、そう言うのちゃんと分かってんだぜ」

 

 何言ってんだコイツ、と思いつつもそう言うと。

 カミナリは少し驚いた様に目を丸くして、そして堪え切れなかった様に少し噴き出した。

 

「ハハハッ、成る程、そう来たか。伊之助親分には敵わないなぁ……。

 ……そうだな、俺は伊之助の子分の『鳴上悠』……カミナリだ」

 

 全く変な子分だぜ、とそう思いつつ。それはそうと俺はどうしてこんな所に居るのだろうと首を捻った。

 任務が終わった後で飯を食って布団に転がった所までは記憶があるけれど、その先は何も覚えていない。

 

「ああ、済まない。どうして此処に招いたのか、まだ説明してなかったな。

 端的に言うと、伊之助に『試練』を受ける気があるか訊ねたかったんだ」

 

「『試練』? 何じゃそら。勝負か?」

 

 それなら何時でも受けて立つぜ。何たって親分だからな。子分との力勝負をしてやるのも親分の務めって奴だ。

 

「勝負……まあ一応それも出来なくは無いけど。

 取り敢えずは、『鳴上悠』が以前に戦った事のある強い相手と次々に戦って、それを乗り越えられる様になって貰うってのが目的だな。

 そして此処は夢の中ではあるけれど、現実との狭間でもあるから、現実の世界で伊之助に出来ない事が出来る様になる訳では無い。但し、この世界で出来る事ならば……出来る様になった事ならば、現実の伊之助にも必ず出来る様になる」

 

「つまり?」

 

 話が長くてちょっと良く分からないから手短に説明しろと要求すると。

 カミナリはちょっと頬を掻いて、うーんと唸ってから、話をまとめた。

 

「まあ、此処で『試練』の相手を倒せる様になれば、現実でも同じ様に動けて強い敵を倒せるようになる、筈」

 

「要は、すっごい強い奴らと次々に戦えるって事だよな!!」

 

 何だよそれ最高じゃねぇか! 

 それを全部倒せたら、俺はその「ココロノウミ」(?)ってやつの王って事だな! とそう意気込むと。

 カミナリは愉快そうに笑った。

 

「ああ、うん。確かに。『全部』を倒せるならそうかもしれないなぁ……。

 うんまあ、伊之助がとてもやる気があって良かったよ。

 ただ、注意して欲しい事があって。

 此処では幾ら傷付こうとも或いは死のうとも、現実の世界で死ぬ事は無い。

 でも、感じる痛みや恐怖は現実で感じるものと同じだと思って欲しい。

 だから、無暗に死のうとしては駄目だからな。

 じゃあ、この手を取ったら、『試練』を開始するぞ」

 

 そう言ってカミナリが差し出してきたその手を、俺は迷わずに力強く掴んだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

【栗花落カナヲの場合】(『幸せを希う』翌日夜)

 

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ。眠っていた所を呼びたててしまってすまないな、カナヲ」

 

 不思議な蒼い空間で、そう言って私を気遣う様に声を掛けて来たのは。

 悠さん……とは目の色とかがちょっとだけ違うけど、でも悠さんと同じ人だった。

 悠さん、で良いのかな。どうなんだろう、と考えていると。

 

「ああ……俺は『鳴上悠』ではあるけれど、カナヲの知る鳴上悠その物と言う訳でも無い。

『鳴上悠』の意識と無意識の狭間に在る、心の力その物とでも言うべき者だ。

 まあ、好きに呼んで貰っても構わない」

 

 俺の事を、どう呼びたい? とそう言われて、少し困ってしまう。

 悠さん以外にどう呼べば良いのだろう。『兄さん』、と言うのは違うだろうし。

 じゃあ最初に会った時みたいに『鳴上さん』? でもそれはちょっと他人行儀過ぎる気がするし……。

 結局、悠さんと変わらず呼ぶ事にした。

 そう呼ぶと、悠さんはその金色の目を優しく緩ませて頷く。

 

「そうか、分かった。カナヲにそう呼んで貰えて嬉しいよ。

 ……『兄さん』、でも俺は構わないけどな」

 

 少し冗談交じりにそう言いながら、悠さんはどうして此処に私を招いたのかを説明する。

 そして、その『試練』の内容も。

 

「『試練』を受けるか受けないかは自由に選んで欲しいけど。

 ただ、一緒に上弦の弐を倒すのだったら、間違いなく受けた方が良いと思う」

 

 悠さんがそこまで言う理由を私は直ぐに察した。

 何せ悠さんとは、しのぶ姉さんの為にも、あのクソみたいな鬼を絶対に殺すと誓い合った仲なのだ。

 悠さんが戦ってきた全ての敵を再現して戦う事が出来るなら、先ず間違い無くあの鬼とも戦える。

 

「……あの鬼とも戦える?」

 

「ああ。と言っても、本気を出してきたあの鬼に対抗する為にはまだカナヲだと難しいから、先ずはあれよりも弱い敵で経験や勘を養ってからにはなるけど」

 

「じゃあやらせて」

 

 その手を掴む事に、迷いなど何処にも無かった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

【不死川玄弥の場合】(『幸せを希う』数日後)

 

 

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ、玄弥」

 

 そう言いながら、優しく微笑んだのは間違いなく悠だった。

 少しその目の色は金色に輝いているけれど。でも、間違いない。

 眠っていた筈なのに突然蒼い空間に放り出されていたから戸惑っていたのだけれど、知った顔を見付ける事が出来てホッとしていた。

 

「悠、どうして此処に? それに、『心の海』って何なんだ?」

 

「『心の海』ってのは、文字通り人の心が集まっている場所の事だ。

 人は、自分でも意識していない深い深い無意識の場所で、色んな人達と繋がっているんだ。

 現実の世界に物質的に存在している訳では無いんだけれど、でも確かに存在する。

 そして其処をまるで海の様だと捉えた人が居て、『心の海』って表現している。

 他には……『集合無意識』だとか『阿頼耶識』だとか、まあそんな風に呼ぶ人も居るけど。

 でも、『心の海』って表現の方が素敵だろ?」

 

 悠の説明は分かった様な、或いはあまり分からない様な。でも何となく、ここが普通の場所じゃないってのは分かる。

 

「死後の世界ってやつもそうなのか?」

 

 死んだ人が行くとされる場所、地獄や天国。

 母ちゃんや弟や妹たちがきっといる場所。

 そこも、その『心の海』とやらの何処かなのだろうか。

 なら、探せば会えるのだろうか、皆に。

 

「……それは俺には分からない。

 全ての人の魂が揺蕩う場所と言う事も出来るだろうし、きっと『心の海』の深い場所には既にこの世を去った人の記憶や感情なども断片としては遺っていると思うけれど……。

 ただ、この世界の『心の海』がどうなっているのか、俺でも全部分かっている訳では無いんだ。

 俺は僅かに触れる事は出来ても、そもそも根本としている部分が違うから、『みんなの心の海』には行けない。

 触れる事は出来るから表層的には何となくは分かるんだけど、その奥底に何があるのかまでは分からないんだ。

 だから、もしかしたらその何処かに人々が思う様な『あの世』ってのが在るのかもしれないし、『あの世』ってのは『心の海』とはまた別に在る場所なのかもしれないな」

 

 ごめんな、玄弥。とそう静かに謝られて、気にしないでくれと首を横に振った。

 別に、悠が悪いとかそう言う訳じゃない。

 

「そっか……。で、その『心の海』って所で悠は一体何をしているんだ?」

 

 と言うか、悠がよく分からないけど『みんなの心の海』とやらに行けないのなら、じゃあ悠が『心の海』と呼んだ此処は何だと言うのだろう。

 

「此処は『鳴上悠の心の海』の中。そして、此処が俺の居場所なんだ、元々な。

 と、俺が此処に居るのは当然の事だから気にして貰わなくて良いんだけど。

 俺がこうして玄弥を此処に呼んだ事には理由はあるぞ」

 

 そうして、悠が提示してくれた『試練』の内容を、要は悲鳴嶼さんの所でやっている修行と同じ様なものかと理解した。

 修行ならやるしかない。呼吸が使えないなら使えないなりに、出来るだけの事をして強くならないと。

 寝ている間にも強くなれるって言うなら、有難い話である。

 

「そうか、玄弥ならそう言うと思ったよ。

 ああ、ただ一つ注意して欲しい事があって。

 戦う相手は基本的には鬼じゃ無いから、何時もの様に鬼喰いして力を得ようとしても何もならないぞ」

 

「え、マジかよ! じゃあ、『試練』ってのを突破するの相当難しいんじゃ……」

 

「ああ、その点は安心してくれ。流石に無理そうだなと思ったら、他の人たちと合流して一緒に戦って貰うから。

 自分の力も磨けるし、仲間と連携する力も磨けるし、一石二鳥だろう? 

 それに俺が思うに、玄弥は一人で倒し切ると言う戦い方よりも、誰かと一緒に力を合わせて戦う方が向いているんじゃないかな。

 最終的に頸を斬るのが玄弥では無いのだとしても、その頸を斬るまでを多分玄弥は誰よりも手助け出来る。

 俺はそう思うよ」

 

 そう言って、悠は「じゃあ始めようか」と。そう言ってその手を差し出してきた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

【煉獄杏寿郎の場合】(『蒼の夢』の少し後)

 

 

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ。こうしてお会いするのは初めてですね、煉獄さん」

 

 そう言って微笑んだのは、久方振りに顔を合わせる鳴上少年だった。

 いや、多分少し違う。その穏やかに此方を見詰める目の色は金色に輝いているし、雰囲気も違っている。

 が、根本的に違うと言う訳でも無く。どう呼ぼうかと迷っていると。

 目の前の鳴上少年は、少し苦笑する様な顔をする。

 

「ああ、すみません。俺は『鳴上悠』ではあるんですけど、煉獄さんの言う『鳴上少年』と全く同じと言う訳では無いんです。

『鳴上悠』にとっては、その表の意識とはまた別に存在する意識の狭間と無意識領域に在る存在……。心の力そのもの。

 それが、今煉獄さんの目の前に居る俺です。

 とは言え、全くの初めてと言う訳では無いんですよ。

 実は前に一度だけ、煉獄さんは多分覚えては居ませんが、こうして顔を合わせた訳では無くても、俺は煉獄さんに逢った事があるんです」

 

 そう言われて、はてそれは何時の事だろうかと記憶を探る。

 そもそも鳴上少年と顔を合わせたのは、あの無限列車での任務が初めてであるし、その後の蝶屋敷での療養中に目の前の少し違う鳴上少年と出逢った記憶は……。

 しかし、ふと。その僅かに違う気配に、確かに微かにでも覚えがあった事に気付く。

 

「よもや! まさかあの時、死に行く俺の手を掴んで引き戻したのは……」

 

「ええ、俺ですね。

 あの時の煉獄さんの意識は、死に掛けていた事もあってかなり『心の海の中』に溶けかけていましたし。

 ちょっとギリギリの所でした。間に合って何よりです」

 

 そう言って微笑んだ彼の表情は、俺の知る鳴上少年と全く同じであった。

 

「成る程、君も俺の命の恩人であったと言う訳か。有難う、助かった!」

 

「命の恩人って言われるとちょっと照れ臭いんですけど、そう言う事になるんですかね……? 

 まあ、俺にそう言う逸話があるから、黄泉路を下りつつあった煉獄さんを追い掛けてその手を掴む事が出来たんだろうなって思います。

 逸話の中では連れ戻す事には失敗しちゃってるんで、そこは間に合って良かったです」

 

 正確にはまだちゃんと生きていたから間に合ったんでしょうね、と。そう彼は微笑む。

 逸話? とそう首を傾げると。彼は、少し考える様な顔をして。

 

「……煉獄さんなら多分大丈夫だと思うので、一応名乗らせて貰いますが。

 俺は『鳴上悠』であり、そして鳴上悠が『イザナギ』……或いは『伊邪那岐大神』と呼ぶ存在です。

 まあだから、かつてイザナミを追い掛けて黄泉の世界まで行ったその逸話に準える様に、多少はそれを追い掛ける事が出来たんだと思います」

 

 彼の言葉に、思わず驚いて「よもや」と呟いてしまった。

「伊邪那岐」の名は、神々の名や系譜にそう詳しくは無い俺でも知っている。

 国生みの神であり、そして八百万の神々の祖の一柱であり、そしてこの国の主神たる天照大御神の父神である。

 そして確かにその逸話には、死した妻を追って黄泉の国へと行ったというものもある。

 

「君は、神なのか?」

 

 そう問い掛けて、もしかして不敬と言うものに値するのではと一瞬焦る。

 が、彼はゆっくりとその首を横に振った。

 

「違う、とは言い切れません。

 人によっては俺を……いえ『鳴上悠』をそう見るのでしょう。……いや、その兆候は既に出始めている。

 ですが、俺は『神』そのものと言う訳でも無いです。

 心の海のその最奥から生まれ、確かにその『名』を冠してはいますが。

 しかし、『鳴上悠』と言う名の……紛れも無く『人間』である存在のその心その物ですよ。

【愚者】から始まり心の海を駆け抜けて全ての可能性を見付けながら旅路を辿って……そして【世界】に辿り着いた、ただそれだけの『人間』です」

 

 そう言いながら、彼は少しだけ寂しそうな顔をする。

 ……彼が言っている意味の殆どが、俺には意味の分からない事ではあったが。

 しかし、一つ分かる事はある。

 

「成る程。鳴上少年は鳴上少年だ、と言う事だな。

 そして、君も含めて俺の命の恩人だ。なら、それで良し!」

 

 確かに、鳴上少年に関して分からない事はかなり多いが。それが気にならない位に、俺は鳴上少年の事を信頼しているし感謝しているのだ。

 それはどうであっても変わらないので構わないだろう。

 

 そう言うと、彼は嬉しそうに微笑んで。「煉獄さんは本当に凄いなぁ」と、そう呟く。

 そして、彼が此処に俺を招いた要件を話し出した。

 

「成る程! それは有り難い話だな! 

 そんな形で鍛錬を積む事が出来るとは! 

 ところで、その『試練』とやらは誰でも受ける事は出来るのか?」

 

 彼が言う『試練』と言う名の鍛錬は、物凄く有難いものであった。

 本来幾ら命があっても足りない様な死闘を、夢の中であるが故に無限に戦い抜く事が出来て。

 そしてこの夢の中と現実は、「出来る事が全く同じ」であるが故に、此処で出来る様になった事は現実でも必ず出来る様になっていると言うのだ。

 まあ、此処で戦った記憶その物を現実で直接思い出す事は難しいとの事だが。

 身体が覚えているというやつと同じ様に、「魂」が覚えていると言うのだ。なら問題は無い。

 それは確実に己の力を高める方法である。

 強敵との戦い程、己を成長させる物は無い。

 それに、鳴上少年がかつて乗り越えて来たらしいと言うその強敵の数々を聞くだけで、その『試練』で戦える相手の上は果てしない程に高い事も分かる。

 何処までその『試練』を突破出来るのかは分からないが、確実に上弦の鬼たちだけでなく鬼舞辻無惨を倒す力にも繋がるだろう。

 そしてだからこそ、その『試練』とやらを他の者達も受ける事が出来るのかどうかが気になった。

 可能ならば一人でも多くがそれに挑む事で少しでも強くなる事が出来れば、それは鬼殺隊全体の地力の向上にもなるだろう。

 

 そう訊ねると、彼は少し難しそうに首を横に振った。

 

「残念ながら、誰でもと言う訳では無いですね。

 ある程度以上強い心の繋がりが無くては、此処に招く事が出来ないので。

 此処は誰もの無意識に繋がっている『みんなの心の海』ではなくて、あくまでも『鳴上悠の心の海』なんです。

 ですが……そうですね、鳴上悠がかなり親しくしている相手や、『鳴上悠』に心を開いている相手なら、招く事は出来ます」

 

 成る程……。それなら、竈門少年たちなどは『試練』を受ける事が出来ているのだろう。

 それに、今後鳴上少年が様々な人々に関わっていけば、その対象はもっと広がっていくのかもしれない。

 何にせよ、彼が用意してくれた『試練』を受けないと言う手は無い。

 

「では、よろしく頼む!」

 

「はい、ご武運を……!」

 

 ある種の「契約」の証だから、と。そう彼が差し出した手を握って。

 俺は、終わりの見えない戦いの中へと飛び込んだ。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

【胡蝶しのぶの場合】(『幸せを希う』の当日夜)

 

 

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ。……こんばんは、しのぶさん。急にお招きしてしまいすみません」

 

「……此処は何処ですか?」

 

 蝶屋敷で眠っていた筈なのに、気付けば不可思議な蒼い場所に居たのだ。

 目の前に居るのは自分がよく知る相手ではあるけれど、しかし何処か少し違う様にも見える。

 もしや血鬼術か何かかと警戒してしまったのは、鬼殺隊の柱としての性か。

 

「驚かせてしまってすみません。どうしても、この場所の特殊性の所為で、予めこうしてお招きする前に何か招待状の様なものを送るとかが出来なくて……。

 でもこれは血鬼術によるものでは無いですし、俺は『鳴上悠』ではあるんですよ。

 その……しのぶさんと約束した鳴上悠そのものとは、完全に同じって訳では無いのですけれど」

 

 そう言って、目の前の悠に似た存在は、自分は『鳴上悠』のその意識と無意識の狭間にある彼の力その物であると名乗った。そして、自分の事は好きに呼んで欲しい、とも。

 ……彼の、尋常では無い力その物。

 どの様な傷を負った人をも癒し、そして上弦の弐すら一蹴した、その力の根源が、目の前の彼であると言う。

 正直、どう呼ぶべきなのか物凄く迷ってしまう。

 何時も悠を呼ぶ時の様に「悠くん」なのか、それとももっと別の呼び方に変えるべきなのか。

 別人では無いけれど、全く同じと言う訳でも無いと言う。何とも扱いの難しい相手を前に、悩んでしまう。

 

「……感じた呼び方そのままで良いんですよ。鳴上悠を呼ぶ時と全く同じでも良いですし、或いは少し変えてみても良いですし。……或いは……」

 

 彼はそう言うが、呼び名は大切なものだ。そんな簡単には決められない。

 そして。

 

「呼び方とは少し違う話になってしまうのですけど。

 どうして悠くんにはあなたが言う『力』があるんですか?」

 

 ずっと気にはなっていたそれを、その『力』その物であるのだと言う目の前の存在に訊ねてみる。

 もうこの際、どんなデタラメにしか聞こえない事を言われても良い。そもそも、こんな場所に招かれている時点で、今までの私の常識の外にある事態である。今更な話だ。

 

「…………。そうですね、しのぶさんには話しておくべきなのでしょう。

 此処で説明しても、現実の世界のしのぶさんの記憶には残らないのですが」

 

 だって、一緒に『復讐』をするって約束しましたしね、と。そう言って、彼は悠と同じ様な顔をして微笑んだ。

 

「何処から説明するべきなのかは少し難しいのですが……。

 俺の力の根本は、自分自身の心の力なんです。

 ある種の特異的な能力ではあるのですけどね。

 ある意味では神降ろしであるし、ある意味では神の皮を被っているとも言えるし。『心の海』に眠るその力を自分のものにしているとも言える……。

 人の心は途轍もない力を秘めているものなんです。

 目覚めた当初のその力は頼り無いものでも、幾多の困難に立ち向かい、死や絶望を掻い潜り、そうやってその力を磨き上げていく。

 そうすれば、『心の海』の最も深き場所に居る『神様』にだって、打ち克つ事が出来る程に」

 

 彼の説明の全てを理解出来たとは思わないけれど。

 しかし、ならばと。どうしても心の中に燻る様に生まれてしまった疑問がある。

 

「……精神論だけでそんな力を得られるなら、鬼殺隊に居る誰もがあなたの言う凄い力とやらを手に入れる事が出来るのでは?」

 

 強い心がその力の根源であると言うのなら、どうして自分達にはそれが無いのかと。そう思ってしまう。

 しかしその疑問に対して、彼はゆっくりと首を横に振った。

 

「……必ずしもそうとは限りません。

 心に向き合うと言う事は、鬼殺に命を懸ける事とはまた違う方向性の難しさがある事なので。

 常に死を想いそれを乗り越える為の力を欲するか、己の心の最も醜く拒絶したいとすら思うものですら見詰め続けそれを受け入れて変えていくか。……或いは、『心の海』の根源にある存在と契約するか。

 しかし何れにせよ、一度それを見てしまったのなら、絶対に目を反らす事は赦されません。

 目を反らせば、得た力は容易く己に牙を剥く……。ある意味、死ぬまで永遠に終わらない戦いです。

 ……いえ、時に己の命の旅路を終えてすら、終わる事が赦されない……。

 そして、向き合うにしろその心の器がそれを受け入れられる程度に成長していなければ、時に己の命すら奪う。

 命を捨てる覚悟で戦う事だけが、心と向き合う事では無いんです。

 いえ寧ろ、それ以外の選択肢を捨てきって心が憎しみや復讐に燃え上がっていると言うのなら、きっとその『影』に向き合う事は……」

 

 そう言って、彼は深い溜息を吐いた。

 そして、深い翳りにその眼差しを揺らす。

 

「それに、俺が言ってしまうと説得力が無いかもしれませんが。

 この力は、持たずに済むなら、持たない方が確実に良い力ではあると思います。

 ……この力を得ると言う事は、そしてそれを磨き上げる状況に巻き込まれると言う事は。

 この世に生きる全ての人の心……無意識が生み出した厄災に立ち向かう事を求められる事になりますから。

 俺は幸運にもそうでは無かったけれど、人の心が生み出したその災厄によって人生も命も奪われる人も居る。

 この力に目を付けた心無い人々の手によって無数の命と心が弄ばれた事もある。

 ただ其処に居合わせただけなのに、ありとあらゆる命を『死』から守る為に、そして『死』を人々の心から守る為に、終わりの見えない戦いを選んでしまった本当に優しかった人も居る」

 

 彼が言うそれらが一体何の事なのか、私には分からないけれど。

 しかし、「心の力」と簡単に言ってしまって良いものでは無いものなのかもしれないと、そう感じる。

 

「友だちなのに、俺は彼を助けに行けなかった。助けられなかった……。

 知らなかったんだ。俺が何気無く過ごしてきた日々が、彼によって守られていたものだったなんて。

『また会おう』って、そう約束したのに。鳴上悠はそれを覚えていないけど、俺は……『鳴上悠』はそれを忘れてなんかいなかったのに。でも、全部既に遅かったなんて……。

【世界】に至って『心の海』の奥底から再び目覚めた時に、そこで初めて全部知るなんて……」

 

 再び深い溜息を吐いて、そして彼はその目を強く瞑る。

 

「……俺は、俺は本当に幸運なんですよ。

 確かに俺の手にも世界の命運ってものが託されたり、人の総意による試練に向き合う事になりましたが。

 それでも結局の所、俺は自分の大切なものを取り零さずに最後まで【真実】を求める旅路を辿る事が出来た。

 幾千の死を導く呪言を祓って、幾万の真言を示す事が出来た。

『心の海』の人の総意すら超えて、大事なものを全て取り戻して。

 ……それでも、人の心の全てを変えきる事は出来ないから。

 彼のその戦いを終わらせる事が出来ないし、そして……多分この先も何度でも人の心は世界を滅ぼそうとしてしまう。

 その全てに俺が関わり続ける訳では無いにしろ、世界は何時だって滅びの瀬戸際にあるんです。

 ……彼が、その命と魂を懸けて守ってくれている世界なのに、ね。

 炭治郎は、それをまるで賽の河原で崩れ落ちる石の塔をすんでの所で補修し続けている様なものだと言ってましたが、本当にその通りだと思います。

 ……この力を得るって言う事は、そんな戦いに否応無しに巻き込まれるって事でもあるんです。

 そして、自分の選択一つで世界が滅びる可能性の重責も背負う事になる」

 

 それでも欲しいと思いますか? と。そうその金色の目は静かに問い掛けているかの様だった。

 ……世界の命運がどうだなどと言われても、正直全く実感など出来ない。話の規模が大き過ぎる。

 正直、鬼殺隊の隊士たち二百数十人程度の命を全部背負えと言われても無理だと思うのに。

 世界ともなると……一体どう言う事になるのだろう。

 ……ただ、此処までの彼の話を聞いても、それでもやはりその力を羨ましいとも思ってしまう。

 成る程、世界の命運とやらを懸けた戦いの為であったと言うのなら、悠のその尋常では無い力も理解出来なくはない。

 そんな力が無くてはとてもでは無いが戦う事すら出来なかった相手と戦ってきたのだろう。

 でも、そこまでの力では無くても、そんな世界だって引っくり返せるかもしれない力じゃなくても。

 誰かの傷を癒す力だけでも、それだけでもあればどんなに鬼との戦いで助かる人が居たのだろうか、と。

 そう考えてしまう。……そう思ってしまうのだ。

 

 そんな事を考えているのはお見通しであったのか。

 彼は小さく溜息を吐く。

 

「……まあ、そもそもの話。この世界でこの力を得る事は不可能だと思います。

 そう言う『理』は無いみたいなので。

 なので、人の心によって世界が滅びの瀬戸際に立たされ続けるなんて無いと思いますよ。

(…………その筈です)」

 

 最後の方のその呟きは、余りにも小さかった為に聞き取る事は出来なかったが。

 しかし、一体どう言う事なのだろう。「この世界」とは……。

 

「さっきまで話していたのは、あくまでも『俺の在るべき世界』での話です。

 ……しのぶさん。俺は、『鳴上悠』は。本当はこの世界に存在する筈がない者なんですよ。

 夢の中に偶然紛れ込んでしまった異物。在りうべからざる異邦の存在。泡沫の稀人。

 文字通り、この世界に居ちゃいけない存在なんです。

 だから、俺はこの世界の『心の海』には触れる事程度なら出来てもそれ以上は出来ません。

 ……ある意味、理解出来ない存在だとかそう言う意味としては、しのぶさんにも言われた様に、上弦の弐が言っていた『化け物』ってのは、残念ながら正しいと言えてしまうのかもしれませんね」

 

 悠がこの世界に存在する筈が無い……? 一体どう言う事だ? 

 しかし、ああ、そうなのかと。何処か納得もしてしまう。

 どれだけ調べても何も分からなかったその過去やその足跡も、そもそも悠が「世界」と言う絶対な枠組みすら超えて迷い込んで来た存在だったならある意味当然だ。

 何時迷い込んで来たのか正確な所は分からないが。しかし、恐らくは炭治郎君が悠に出逢った辺りの時期だろう。

 頭の中は大変混乱していたが、しかし。

『化け物』と、彼自身がそう口にした瞬間。瞬く程の間だけ、その表情はとても寂しそうなものになったのは見逃さなかった。

 悠も、己に対して『化け物』と言う言葉を使った瞬間に、その様な顔をしていた。

 その言葉は、『鳴上悠』と言う存在を酷く傷付ける言葉であるのかもしれない。

 それだけは分かった。そして、自分がどうしたいのかも。

 

 大きく溜息を吐いて。自分よりも背の高い彼の胸元辺りを掴む。

 その反応は予想していなかったのか、彼は少しばかり驚いた様に金色に輝く目を丸くした。

 

「正直、情報量が多過ぎてあなたの言ってる事を一度に全部理解出来たとは思えないですが、まあ一つ分かる事はありますよ。

 そんな風に傷付いた顔をする位なら、自分の事を『化け物』だとか言うのは止めてくれません? 

 それに私としては、自分にとって大事な人がそうやって意味の無い自傷行為をしているのを見るのは非常に不愉快です。

 自分は悠くんとは違うだとか好きに呼べだとか言ってる割に、他人の痛みには敏感なのに妙に自分自身には疎いと言うか雑な所、本当に悠くんそのままじゃないですか。

 はあ……色々考えてた私が馬鹿らしくなってきましたよ。

 あなたは悠くんです、それ以外には有り得ないですね」

 

 そう言って、頭を撫でてやろうとするが、体格差的には難しくて。

 ちょっと屈めと合図をすると、悠は物凄く素直にそれに従う。

 そしてその頭を、普段とは違って、わざとちょっとだけ乱暴にわしゃわしゃと掻き混ぜる様に撫でた。

 

「この世界に居ちゃいけない存在だとか異物だとか、まあ散々自分自身の事を好き勝手言ってますけど。

 それが事実の一つではあったとしても、もう私にとっては悠くんはそう言う存在じゃない訳ですよ」

 

 ふざけた言葉を聞いているのはこっちとしては物凄く腹立つんですよ、分かってますかそこの所。と、そう言うと。

 悠は金色の目を瞬かせつつコクコクと頷く。

 

「第一、その発言通りなら、そんな悠くんの事を大事に思ってる全員が間違ってるって事になるじゃ無いですか。

 今の発言、炭治郎君あたりにしたら泣きながら怒りますよ、彼。頭突き位はされるかもしれませんね。

 居ちゃいけないなんて事絶対に無いです。

 そもそも、そうだとしたら、そんな存在に助けられた私たちって何なんです? 死んでなきゃいけないって事ですか?」

 

 そう言うと、「そんな事は……!」と悠はその首を必死に横に振ろうとするけれど。

 しかしその抵抗はさせぬとばかりに更に強くわしゃわしゃと撫でる。

 久し振りに思った事をそのままに言って、ちょっとスッキリした。

 そして、まあ何だか『力』がどうだとかは、それが全部自分の中から消えた訳では無いけど、ちょっと今は良いかと思える様になった。

 第一、今日は感情が爆発したばかりだった所なのだ。

 色々溜め込んで来たものが盛大に爆発したし、結果として悠にも当たり散らしてしまったし。

 それなのにその夜にこうしてそんな話をしてこられたら、感情を抑えられなくなっても仕方無い。

 

「はあ、それで? どうして私をこうして招いたんですか?」

 

 まさかさっきのふざけた事を一々言う為に呼んだのか? と、そう腕で素振りしながら尋ねると。

 そんな事は無いから、と必死で否定しつつ。本来の目的を話してくれた。

 悠が言う『試練』とやらは、先程まで悠が語っていた話からすると、尋常では無い存在を相手にする事になるのだろう。悠の中で上弦の弐やらがどの程度に位置付けられているのかは知らないが。

 何せ、世界の命運とやらを懸ける必要がある様な非常に壮大な規模の相手が最終的には敵として出現するのだろう。

 まあ、流石にそんな存在をいきなり相手にする事は無いだろうが。

 何にせよ、あの上弦の弐の頸を落とす為の力になる事は間違い無い『試練』だ。

 当然、それを受ける事を了承するのであった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

【悲鳴嶼行冥の場合】『幸せを希う』の後の何処か)

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ、悲鳴嶼さん」

 

 気付けば周囲の気配が全く馴染みの無いものであった為に警戒していると。

 聞き覚えのある声が、そう言って私の名を呼んだ。

 

「……その声と気配、悠か。……少し、何時もとは様子が違うようだが……」

 

 明確に物凄く違うと言う訳では無いが。

 しかし、ほんの僅か、気の所為とでも片付けられてしまいそうな程に些細なものが、確かに普段のそれとは異なっている。

 そう指摘すると、悠が少し微笑んだ気配がした。

 

「流石ですね、悲鳴嶼さん。ええ、俺は『鳴上悠』ではありますが、悲鳴嶼さんの知っている鳴上悠そのものでは無いんです。

 俺の事は好きに呼んで頂いても大丈夫ですよ。

 そして、此処は現実の世界ではありません。

 夢と現実の狭間の場所、『鳴上悠の心の海』の中であり、悲鳴嶼さんにとっては一炊の夢の中、そんな場所です。

 少し、悲鳴嶼さんにお話ししたい事があって、此処に招かせて頂きました」

 

 口調などにおかしな所は無いし、僅かな気配の差以外は自分のよく知る悠の通りにしか思えない。

 が、彼の説明はどうにも不可思議なものである。

 此処が夢の中……? ……確かに、鬼殺の任務を終えて僅かな休息を取ろうと眠りに就いたのは覚えてはいるが……。俄かには信じ難い事である。

 しかも、この悠とは少し違う何某かと己を説明した彼が言うに、彼が此処に私を招いたのだとか。

 一体何の目的で? 話したい事とは? 

 

 悠の事をあまり知らなかったら、何か良からぬ目的で此処に引き摺り込んだのかと疑ったかもしれないが。

 しかし、弟子である玄弥との関りやしのぶとの関りを通して交流を持った『鳴上悠』と言う存在は、実に心根の優しい真っ直ぐな青年であった。

 不可思議な力を持つと言う点では、確かに特異的ではあるけれども。

 

「……『心の海』とやらが何なのかは分からないが、話とは……?」

 

 そう訊ねると、彼はその用件について説明してくれる。

『試練』。彼が語るそれは、間違いなく鬼殺隊の者たちにとっては口から手が出る程に欲しているものだ。

 限り無く現実と同じでありながら、夢の中であるが故にその死や負傷が現実になる事は無く、しかし現実のそれと同じ質で味わう事が出来る。

 そして、此処で実現出来た事は必ず現実でも実現出来る。

 それはまさに、夢物語その物の様な、余りにも都合の良い『試練』だった。

 

「その『試練』とやらを受ける事に否は無い。

 しかし、その『試練』とやらを何故私に課す?」

 

 それによって彼に何か得るものがあるのだろうか、と。そう訊ねると。

 

「少しでも力になりたいからですよ、俺が。

 俺は此処から動く事は基本的には出来ないので、現実の世界で何かをすると言う事は出来ないんです。

 でも、俺も『鳴上悠』だから。

 鳴上悠が大切だと思った人たちは、俺にとっても大事な人たちなんです。

 あと、この『試練』を受けている人たちは他にも居ますよ。

 俺とある程度以上に強い心の繋がりがある人たちはここに招く事が出来るので」

 

 そう言って、彼が微笑んだ様な気配がした。

 ……彼は悠では無いと言ったが、しかしその心根や行動の動機は間違いなく彼のものそのままである。

 成程、彼も確かに……『鳴上悠』と言う存在なのだろう。

 好きに呼べと言われても悠と呼ぶ以外にその呼び名は思い付かなかった。

 

「しかし、本当に色々と不思議な事が出来るのだな。

 それには何時も我々も助けられているが、まさかこの様な事まで出来るとは」

 

「流石に、こんな事が出来るのは此処でだけですよ。

 此処は『鳴上悠の心の海』ですから。

 悲鳴嶼さんだって、過去に戦った相手を想像してそれを倒す為の動きを頭の中で考えたりする事はありませんか? 

 まあ、要はそれの、規模とか再現精度が物凄く高いものだと思って頂けると想像しやすいかと思います」

 

 そうであるのだとしてもやはり尋常な事では無いと思うが……。

 まあ、その厚意を無駄にする理由など無く。

 悠の言う『試練』を、迷わず受ける事にした。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

【宇髄天元の場合】(『遠い日の約束』後)

 

 

 

 

「此処は夢と現実、精神と物質、意識と無意識の狭間。

 我が『心の海』へようこそ。

 お疲れの所をお呼び立てしてしまってすみません、宇髄さん」

 

 俺が柱を続ける上での目標の一つであった、上弦の鬼の討伐を成し遂げて。事後処理も粗方終えて満足感と共に眠りに就いた……筈だったのに。

 どうしてか目の前には鳴上が居た。

 力尽きて倒れた鳴上は蝶屋敷に運ばれて行った筈だし、俺は自分の屋敷で寝ていた筈だ。

 

「大丈夫です、現実の宇髄さんは今も音屋敷で眠っている筈ですし、鳴上悠だって蝶屋敷で寝てます。

 ここは宇髄さんにとっては夢の中の世界。そして俺にとっては『鳴上悠の心の海』の中の世界。

 夢を介して宇髄さんをここにお招きさせて頂いたんです」

 

 そして目の前の鳴上は、自分の事を俺が知る鳴上そのものでは無く、その意識と無意識の狭間に存在する、『鳴上悠』の力その物であると言う。

 鳴上の力。それは、上弦の陸ですら抑え切ったあの力か。

 そして、その力その物であると言う事は……。

 

「お前、もしかしてあの時に現れたヤツか?」

 

 自分が直接見たのはほんの一瞬だったが。

 鳴上が何かを叫ぶと同時に姿を現したその存在の事を思い浮かべると。

 

「ええ、そうです。

 鳴上悠が『イザナギ』と呼ぶ存在、それが俺です」

 

 イザナギ……。

 鳴上の力が『神降ろし(の真似事)』であると言うのなら、それは国産みの神である「伊邪那岐」の事なのではないだろうか。

 そう訊ねると、目の前の鳴上はそれを否定はしなかった。

 

「そうですね、その『伊邪那岐』で合ってます。

 ……とは言え、俺は『鳴上悠』であるので、完全に別物でも無いのですが、『神様』そのものと言う訳では無いんですよ」

 

 少し説明が難しいのですけれど、と。

 そう呟いた彼に、「成程な」と頷いた。

 彼の言う通り神話に語られるその神その物では無いのだとしても、しかし完全に別物という訳でも無く。

『神降ろし(の真似事)』が出来てその力を己の物として使う事が出来ると言う時点で破格の存在だと思うのだが、まさか『伊邪那岐』なんて誰もが知る存在まで呼び出す事が出来るとは……。

 ただ、一つ確かに分かっている事はある。

 

「なら、俺たちはお前に助けて貰ったって事か。

 ありがとうな。鳴上って呼んで良いのかは分からんが、お前のお陰で上弦の陸を倒せた」

 

 そう言うと、嬉しそうに彼は微笑んだ。

 

「俺の事は好きに呼んで頂いても大丈夫ですよ。

 それに、宇髄さんたちの力になる事が出来て、俺としてもとても嬉しいんです」

 

 良かった、と。そう笑うその表情は、その瞳が金色に輝いている事以外は鳴上のその表情その物だった。

 

「区別した方が良いってなら、何か別の呼び方にするべきかね。

『悠』って呼ぶのとかは?」

 

「区別はしてもしなくても大丈夫ですよ。

 鳴上悠はここで起きている事は知りませんし、宇髄さんもこの夢から醒めたら此処であった事は記憶には無いでしょうし。

 とは言え、『悠』って呼ぶなら俺相手じゃなくて、現実の世界の鳴上悠にそう呼んでやって欲しいです」

 

「なら、お前の事は鳴上で、あっちのお前は悠って事で。

 しかしまあ、随分と凄い力だったな。

 街の一画が殆ど更地になる程だったしな」

 

 まあ、鳴上が何かするまでも無く既に瓦礫の山になっていたのだけれど。

 そう言うと、鳴上は少し難しい顔をして頷いた。

 

「そうなんですよね……。

 少し……いえ、過剰な程の力だったと思います。

 あれが本来の戦い方ではあるのですが……」

 

「本来の戦い方?」

 

 一体どう言う事だと首を傾げると。

 

「はい。あの……実は上弦の陸との戦いの中で俺──『イザナギ』が呼び出されるまでの戦い方は、『鳴上悠』の本来の戦い方からするとかなり外れていたと言うか……。

 そもそも、暫くの間俺の事を呼び出せなくなっていたんですよね。

 そして、使える力やその限界も物凄く制限された状態で。

 だから、特に鬼殺隊にお世話になった当初は直ぐに力尽きて倒れていたんです。

 煉獄さんたちと一緒に無限列車の任務に就いた時も、今とは比べ物にならない位に持久力が無かったですし」

 

 そう言われ思い返すと、確かに胡蝶から上がってきていた報告書では、当初は蝶屋敷で隊士を治療している最中にしょっちゅう倒れていたなと思い出す。

 

「何でまたそんな事に? 

 それで、どうして今はその制限とやらが無くなったんだ?」

 

「……制限されていた事にも、そしてそれが緩んだ事にも、そのどちらにも原因は本当に色々あって……そしてそれが余りにも複雑に絡み合っているので説明が難しいのですけど……。

 物凄く乱暴に言ってしまえば、力が制限されていたのは人との心の繋がりが弱かったから、制限が緩んだのは人との心の繋がりが強くなってきたから、ですね」

 

 弱かったのなら制限され、それが強くなればその制限も緩む。

 まあ確かにその理屈は分かるが、鳴上の表情を見るとそれだけでは無いのだろう。

 とは言え、本人が言う様にそこには物凄く複雑に絡み合った事情があるのあろうけれど。

 

「心の繋がり、ね。

 もしかして俺が此処に招かれたってのも、それに何か関係があるのか?」

 

「宇髄さんが想像している意味と同じなのかはともかく、確かな繋がりがあるからこそ此処に招く事が出来たのは確かです。

 此処にお呼びしたのは、宇髄さんに『試練』を受けるかどうかをお訊ねしようと思ったからなのですが……」

 

 そう言って鳴上はその『試練』とやらについて説明してくれる。

 それは何ともまあ、凄い内容であった。

 ある意味容赦が無い。

 

「『試練』……。もしかして炭治郎たちもその『試練』を受けているのか?」

 

 思い返すと、幾ら才能があったとしても入隊してまだ半年も経ってない隊士の動きとは思えない動きで、炭治郎たちは上弦の鬼の攻撃を避け続けていた。

 しかしそれがこの『試練』とやらによって磨かれていたものだとしたら……。

 

「はい、そうですよ。

 炭治郎たちは俺が上弦の弐と戦った辺りからこの『試練』を続けています」

 

「成程なぁ……」

 

 炭治郎たちの元々の強さと言うものは分からないが、まあ恐らく相当な効果がある事は間違いなさそうだ。

 上弦の陸と戦い、上弦の鬼の規格外さを思い知ったからこそ、より一層強くならねばと思う気持ちは高まっている。

 

「ま、よろしく頼むわ、鳴上」

 

 鳴上が差し出してきたその手を、俺は迷わずに掴んだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇





【我妻善逸】
怖がりではあるけれど、でも強くなる為に頑張る事からは逃げない。
それでも、新たなシャドウに遭遇する度に汚い高音を発している。


【嘴平伊之助】
猪突猛進のあまり説明をしっかり聞いていない。
よく分からんが強い奴らと戦えるならいいか。
最終的には悠と戦いたい。


【栗花落カナヲ】
悠は『上弦の弐を絶対殺すぞ同盟』の盟友なので、全く迷わなかった。
しのぶさんと一緒に戦う事が多い。


【不死川玄弥】
呼吸が使えないし鬼食いも出来ないので何気に一番厳しい。
しかし、色んな仲間と共闘して一歩ずつ堅実に強くなる。
熱甲虫を見て、兄ちゃんが喜びそうと感じた何気に剛の者。


【煉獄杏寿郎】
余りに真っ直ぐ過ぎるので何の問題も無く過ぎる。
シャドウ相手でも全く怯まない。


【胡蝶しのぶ】
感情が色々と爆発したその日の内にお呼ばれした。
この時点でもう既にほぼコミュが満たされ切っているので、悠の事は本人が思っている以上に大事にしている。
夢の中での出来事は現実世界でも起こる事なので、もし現実の悠が似たような事を言い出せば、ほぼ同じ反応をしのぶさんは返す事になる。
『試練』に関しては、毒が有効な相手も居るが大体の場合はカナヲと一緒に戦っている。


【悲鳴嶼行冥】
この時点では互いの優しさに気付いて信頼出来る程度にはコミュは深まったが、まだ本質的な部分には触れていないので割と当たり障りが無い感じの出逢いになる。
悲鳴嶼さんはまだ悠の力を直接見ていないと言う事も大きい。
鬼殺隊最強の名は伊達ではなく、凄まじい勢いで攻略中。


【宇髄天元】
上弦の陸を倒したその日にお呼ばれした。
夢の中での事は記憶に残らないが、これ以降現実の悠の事を「悠」と呼ぶ様になる。


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