芹沢あさひ憑依伝 (アタランテは一臨が至高)
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日記1
○月×日
目が覚めたら芹沢あさひだった。やむ。
○月△日
一日経って落ち着いたので、一度自身の状況を整理してみようと思う。
・目が覚めたら魔術といったオカルト系の本が積み上げられた「芹沢あさひ」の部屋。
・「芹沢あさひ」は「アイドルマスターシャイニーカラーズ」に登場する天才中学生アイドル。
・「なんだろうこれ。魔術? 面白そう!」とか言って儀式を行ったと思われる。
・儀式は成功、俺憑依?
・しかし完全に俺の人格が乗っ取ったわけじゃないらしく、言動は全てあさひ式に変換される。
・そのせいか両親には全く変化を気づかれなかった。
・これからどうしよう
○月□日
月曜日がやってきたので学校にも通った。
正直言って「芹沢あさひ」の記憶がない俺にとっては一番の鬼門だと思っていたが、意外にも何事も起こらず一日が終わった。
というのも、既に「変人」としてキャラが定着してしまっていたのか誰にも話しかけられることはなかったのだ。
確かに「芹沢あさひ」は作中で自身には友達がいないといったことを発言していた。
しかし実際にそれを体感してしまうと何だか物悲しくなる。
学年は中学2年生。283プロのプロデューサーは、俺をスカウトしてくれるのだろうか。
○月○日
家で動画などを見てダンスの練習をしてみたら、自分でも異常なくらいに集中できた。
これも「芹沢あさひ」の天才性なのだろう。
一度振り付けを見たら9割はトレースでき、自分が出来ていないことがはっきりと知覚できる。原作でのストイックさはそれ故だと思われる。はっきりと知覚できるからこそ、その残りの1割を直そうと、また10割を超えてそれ以上のものを生み出そうと、ハードな練習に身を投じているのだ。
1時間ほど体を動かしてみれば、既に動画のダンスは寸分の狂いなくトレースすることが出来るようになっていた。それどころか、我流のアレンジだって入れられる。
「芹沢あさひ」の才能を埋もれさせちゃいけない。例え中身が「俺」であろうと、プロデューサーがスカウトしてくれる位にダンスや歌の技術を磨かなくては。
○月■日
今日はステップの習得に励んだ。
一つも苦戦するものはなかった。
○月◆日
歌の練習も始めることにした。
とりあえずカラオケに行ってみたら、既に大抵の曲を90点台で歌えた。
100点でも目指せばいいのだろうか。
素人である俺にはわからないことが多い。
●月☆日
努力すればするだけ面白いほどに成長が実感できる。
原作のあさひがあれだけ練習に励むのもわかる気がしてきた。
しかし、彼女に「俺」という不純物が混じっている以上、彼女と同じ輝きを放つためにはあれよりももっと努力する必要があるのだろう。
「芹沢あさひ」になってしまったからには、「芹沢あさひ」ならば出来たはずのことは出来なければ、体を乗っ取られた彼女に面目が立たない。
もっと、努力しなければ。
●月◎日
カラオケではとうとう音程を外すことはほとんど無くなった。
あとはビブラートなどの加点要素が上手く乗れば100点だろうか。
ダンスと比べて歌の練習時間は短いが、カラオケ練習だけでは直に頭打ちになってしまいそうな気がする。ボイストレーニングのやり方とか、また調べよう。
●月×日
あさひは同年代の女子と比べればずっと運動は出来るほうだ。
体育の授業などでもそれを感じる。
しかし歌って踊るというのは下手なスポーツより体力を使う。
技術面だけでなく体作りも大事だろう。
そう思って走り込みなどを始めたが、珍しく「つまらない」と思った。
いや、ランニングがつまらないのはごく普通の感性ではあるが、「芹沢あさひ」になって以来努力することを苦痛とは感じなくなっていた俺には軽くショックであった。
とはいえ、どうせ後々体力をつけることは必須になるのだ。
めげずに頑張ろう。
●月И日
女子というのは化粧や美容に常に気をつかっているイメージがある。
あさひの場合、全くそういうグッズを所持していないにも関わらず肌はすべすべもちもちなのだが、一応気にした方がいいかと思ってネットで調べたら、「大崎甘奈」が宣伝を担当している化粧品を見つけた。
彼女は283プロダクションに所属するアイドルの一人で、双子の姉である大崎甜花と共に活動を行っている。
思わぬところでの原作アイドルとの出会いに心が弾み、つい何も考えずネットでそのまま購入してしまった。
だが、よくよく考えれば283プロダクションは既に動き出しているということである。
そう遠くない将来、ストレイライトの一員として「芹沢あさひ」は活動しているのかどうか。
今更ながらに、不安になってしまった。
これからどんなことが起きるんすかね!
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日記2
●月※日
今日は何度目かの体育の授業があったが、いつも通り女子の中では無双状態である。
見た限り、男子ですら半分以上は相手にならなそうなのだ。さもありなんと言ったところか。
ここ最近のトレーニングの成果も感じられる。ランニングは相変わらずつまらなく感じるが、ダンスのためには体力が必要だ。頑張って続けて行こう。
●月◇日
今日、あの「浅倉透」とすれ違った。
凄まじいオーラだった。相手は俺のことなど何も意識していなかっただろうが、完全に魅了されてつい立ち止まってしまった。
彼女もまた、後に283プロダクションに所属することになる未来のアイドルである。
あさひとはまた違った形の才能の塊であり、外見やオーラといった点では別格の扱いを受けている浅倉をこの目で見れたのは、アイドル「芹沢あさひ」にとって非常に良い経験であった。
●月∂日
浅倉透を見かけて以来、「自分の見せ方」についてよく考えるようになった。
ゲーム的に言うならば「ビジュアル」のステータスについてだろうか。
カメラの位置を意識した動き、ポーズの取り方、自然な笑顔の作り方エトセトラ……。
化粧技術などはさておき、こういったスキルは磨いておいて損になるものではない。
黛冬優子が良い例である。
彼女は幼少期の経験から自身の本性を隠すことを決め、どのような人物が他人に好かれるか徹底的に研究した。その結果が「ふゆ」というキャラクターであり、プロデューサーに暴かれるまで貫き通してきた鉄壁の仮面でもある。
そんな彼女は自分の見せ方というものが非常に上手い。誰にどう見られているかというのを把握する能力に長けているのだ。
ある意味、最も人の視線がどういうものかわかっている人物とも言えるんじゃないだろうか。
ただ、浅倉透のそれは違う。
彼女のそれは天性のものである。彼女の何気ない仕草、動きの一つ一つが人の目を惹くように完成されている。
黛冬優子の計算されたそれとは全く異なり、それでいて遥かに上回る力。おそらく彼女は何も意識せずとも体が
アイドル「芹沢あさひ」が手に入れるべき力はそれだ。
技術などで再現できるものではない、生まれ持った才能であることに違いはないが、あさひも同じく才能の怪物。
一度見ただけの動きをコピーするどころか、本家本元を上回ってしまうほどの「模倣」の才。
それがあれば、浅倉透のオーラだって奪える。
そのオーラがあれば「芹沢あさひ」はまた一つ次の段階に進める。
また俺は、「芹沢あさひ」に相応しい存在に近づける。
●月○日
やはりと言うべきか当然と言うべきか、浅倉透の「オーラ」習得には苦戦している。
目にした回数がすれ違った一回のみというのは模倣の天才であるあさひにとって何の問題にもならない。練習すれば必ず習得できるはずである。しかし、流石に習得難度はダンスの振り付けなんかとは大違いだ。
あれは彼女が元来有している魅力を極限まで引き出すように緻密に設計された動きである。
芹沢あさひという違った個人が習得しようとしている以上、全く同じでは意味がない。
あさひの身体にフィットするように、あさひの魅力をより引き出すように。
最終的な完成形が朧げにしか描けない以上、トライアンドエラーを繰り返し続けるしか道はない。
まだまだ先は長そうだ。
●月★日
全く進展が見られない。
心折れそう。
●月♪日
やっぱムリな気がしてきた。
▼月Д日
浅倉透と同じように輝けている姿が想像もつかない。
俺ごときではいくら練習したところでダメなのだろうか。
▼月◎日
やった!!!
今日はめちゃくちゃ気分がいい。
なにせずっと難航していた浅倉透の力の模倣にようやく進展が見られたのだ。
ダンスの練習中、一瞬だけではあるがあのオーラを再現できた気がする。
この感覚を忘れない内にもっと練習しなければ。
▼月×日
浅倉透のオーラ模倣については、一応の区切りがついた。
というか、これ以上の成長は年単位で考えていく必要があるだろう。
結局のところあの「オーラ」を纏うことが出来るのはほんの一瞬、一秒にも満たない間のみだ。
しかしその一瞬を決めポーズの前に持って来たり、他人へ向けられている視線を奪いたくなった時に使うなどすれば非常に強力な武器となる。
用いるにはかなりの集中力と体力を必要とするが、手に入れた力は費やした労力に見合うものだ。
一瞬だけとはいえ、浅倉透の輝きを纏える芹沢あさひ。
その全力を発揮したところを想像して、思わず身震いした。
一瞬だけキラッてなるの、すごい面白いっす!
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日記3
▼月●日
浅倉透の力を手に入れて以来、自分でも少し調子に乗っている自覚がある。
今日も特に何の意味もなく街中でオーラを纏って人々の注目を集めたり、店で店員を呼ぶためだけにオーラを発動したりなどしてしまった。
あれは1日に何度も使えるような技ではないが、不完全ながらも習得できた嬉しさでついつい大した意味もなく使ってしまう。
毎日のトレーニングでただでさえ疲れているというのに、我ながら馬鹿なことをやっていると思う。反省しよう。
▼月□日
ここ最近は歌のトレーニングに力を入れていたおかげか、とうとうカラオケの採点では満点が連発されるようになってきた。
高音・低音の歌い分けやビブラートなど、技術的な面は練習すれば必ず習得してしまうのがあさひの才能だ。
今まで満点を取れなかったのも、ダンスなどに比べあまり歌の練習をしてこなかっただけで、あさひならもっと早くこの段階まで到達していたのかもしれない。
カラオケでの練習で辿り着けるレベルとしてはとりあえず頭打ちだろう。これからは他の練習方法も考えなくては。
▼月▼日
原点回帰と言うべきかなんというか、浅倉透のオーラの習得や歌の練習が終わってしまえば、今までそれに費やしていた時間は全てダンスの練習が持っていくことになった。
「あさひ」がここまでダンスにのめり込むのはやはり、芸術という答えがない分野だからなのだろう。
人々を魅了するために、より良い動きを、もっと洗練された振付を、といった具合で追求していけば、カラオケの100点なんかとは違って「ダンス」にそうそう終わりがくることはない。
とりあえず今はネットにあるダンスの動きを片っ端から習得してはいるが、最近は自己流のアレンジを加えることも多い。
創作ダンスなんかにも手を出してみるべきなのだろうか。アイドルに求められる技能ではない気もするが。
×月◎日
「ボーカル」、「ダンス」、とくれば次に挙げられるのはやはり「ビジュアル」だ。
浅倉透のあれは「ビジュアル」を極めた先に辿り着く一つの境地ではあるのだろう。
しかし現在俺の力量ではそこに一瞬しか立てない以上、前も書いた黛冬優子に代表されるような、人に自分をより良く見せる技術としての「ビジュアル」のスキルも習得しておかなければいけない。
そう思い、鏡を購入して色々とポーズを決めたりしていたのだが、これが思っていたよりずっと楽しい。
そも鏡に映っているのは超絶美少女芹沢あさひであり、彼女は自分のして欲しいと思ったポーズをNGなしで全てとってくれるのだ。
自分の可愛さに自分で悶えるという、傍から見たらかなり恥ずかしい時間を満喫していれば、いつの間にやら2時間は過ぎていた。
明日はもっと真面目に取り組まなければ。
×月□日
歌唱技術の更なる向上を目指して色々な歌手を調べていたら、「八雲なみ」の曲を見つけた。
八雲なみ。
あの天井努がプロデュースした伝説のアイドル。
引退して20年余り経つにも関わらず、アイドルマニアたちの間では「最高のアイドル」と評されるほどの存在。
そんな彼女の曲である。見つけた時はおぉと声を出してしまった。
その後すぐに、一体どんな歌声が奏でられるのだろうとワクワクと共に動画を再生し始めた。
しかし、いざ聞き終わってみれば頭の中に浮かんだのは「心に響いた」「でも歌は上手くない」という相反する感想であった。
確かに作中でも業界人には「外見以外に取り柄はなかった」なんて評されていた。
ただそれなら、どうしてこんなにも心に響いてくるものがあるのだろう?
どうしてここまで人々の心を掴んで離さないのだろう?
恐らく彼女が売れた原因の多くは、天井努のプロデュース力の高さだ。
「
彼女の歌に込められた激情が、俺の心を震わせるのだろうか。
それとも靴に合わせられた足が、俺の心を魅了しているのだろうか。
どちらにせよ、
×月△日
283プロダクションについて調べてみれば、「
ゲームの実装順的に言うならば「芹沢あさひ」はこの4ユニットに遅れて実装される5つ目のユニット「
シャニマスの世界に明確な時系列はないとされているが、実装順番に差のあるアイドルたちのプロダクションへの所属時期には、はっきりとした時間のズレがあるように描写されている。
そのため、芹沢あさひが今現在アイドルとしての活動を始めていなくても整合性はとれる。
問題は、この先俺があのプロデューサーにスカウトされるかどうかである。
オーディション組とスカウト組の二種類に分かれる283プロのアイドルであるが、「芹沢あさひ」はスカウト組の方に分類される。
しかしスカウトというのは実際運に左右されるものであり、そもそも彼と俺が出会えるかどうか、という話もある。
また、俺の実力がプロデューサーのお眼鏡に適わなかったりしたら。
俺の努力が足りないせいで、あさひのアイドルとしての道が途絶えたりしたら。
一体どうやって、彼女の体を乗っ取った責任を取ればいいのだろうか?
考えるだけで、嫌になる。
◇◆◇◆◇
某日、283プロダクション事務所内にて。
ある二人の男が、社の将来に関わる決断を下そうとしていた。
「――新しい子をスカウト、ですか」
「ああ。この283プロもようやく軌道に乗ってきた。ここであと一押し、実力のあるアイドルを手に入れたい。お前の人を見る目を頼りにしているぞ」
彼女との出会いは、もうすぐそこにまで迫っていた。
カラオケ面白かったっすけど、100点取れたらもうつまんないっすね
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運命
それは、運命だった。
こんなところで踊ったら迷惑になるだとか、
人の目を集めるだとか、
そんなことは、頭に浮かびすらしなかった。
ただ、
名前も知らないあの子の踊る姿が
あんまりにも輝いているものだから
気付けば体は、動き出していた。
故にそれは、運命だった。
コン、コン、コン。
自分の手の甲が響かせるノックの数は三度。
中から声が返ってくれば、少しの緊張と共に扉を静かに開け放つ。
「失礼します、社長」
「ああ、とりあえずかけてくれ」
中に入った俺を迎えるのは天井社長――この283プロダクションのトップ、即ち俺の上司だ。
かつてはやり手のプロデューサーであって、俺の憧れの存在でもある。
「さて、まずはこの間のファン感謝祭についてだが……無事成功、と言って構わんだろう。よくやった」
「アイドルたちが頑張ってくれた結果です。ありがとうございます」
ファン感謝祭。
283プロダクションの経営が軌道に乗ってきたこともあり、一度事務所主催の大規模イベントを開こう、ということで行われたイベントだ。
それぞれのユニットが自分たちでライブの企画などを出し、ファンたちへの感謝を伝える、という趣旨のそれは大好評を博し、定期的な開催を予定する案も出ているほどであった。
俺も現在283プロダクションに所属している4つのユニットたちそれぞれのメンバーと協力してイベントを成功させるべく動いてきたが、流石に開催前の忙しさは並みのものじゃなかった。
ウチの事務所唯一の事務員であるはづきさんと共に莫大な仕事を事務所に寝泊まりして捌いていたことを思い出す。
ファン感謝祭が無事成功したとき彼女と共に流した涙の内には、やっとマトモに眠れるという安堵の念も籠っていたんじゃないだろうか。
「本当に嬉しかったです。あのイベントで、
「……うむ。今日呼んだのは、その話についてだ」
天井社長はひとつ咳払いをすると、真剣な顔をしてこちらに目を合わせてきた。
「実はだな、新しくアイドルをスカウトして来て欲しいと思っている」
「スカウト……ですか」
スカウト。
それは芸能事務所における人材登用の手法としては、そう珍しいものではない。
実際、今現在283プロに所属しているアイドルの内半分はスカウトしてきた子たちであるし、受け身の姿勢であるオーディションと違って才能ある子に自分からアプローチが出来るところがスカウトのメリットだ。
尤も、当然ながらオーディションと違って目当ての子はアイドル志望ではないため狙った子を獲得できないことも多いが、その分成功した時のリターンも大きい手法である。
「ようやく軌道に乗った、ここが大きな勝負所だ。新たな戦力を確保し、プロダクションとしての力をつけたい。
……とはいえ、プロデュースを担当するのはお前の役目だ。今でさえ多忙なのだから、無理にとは言わないが――」
「やります。やらせてください」
俺の即答に、社長はいささか面食らった様子を見せる。
しかし俺は社長のカリスマに惹かれこの事務所に入ったのであり、社長の命令ならば中国でもヨーロッパにでも営業に行くくらいの覚悟は持っている。
多少の労力がかかる程度で、仕事に妥協を許すと思われてしまっては困るのだ。
「アイドルのプロデュースは、俺にとって全く負担なんかじゃありません。
それに……彼女たちはもう、俺がいなくてもやっていけるでしょうから。俺がやってることなんて、ちょっとしたサポートだけです」
今いるアイドルたちは、既に俺の手から離れて巣立っていった。
アイドルの雛を見つけ、翼を共に育てる。そこまでが俺の仕事だ。
その後は、自分の意思で飛べば良い。俺の助けなんて必要ない。
「そ、そうか……。お前が良いと言ってくれるなら助かった。新たな実力あるアイドルを発見してきてくれ、頼んだぞ」
差し出された右手を、しっかりと握り返す。
憧れの社長に任された仕事だ、絶対に成功させてみる!
「はい、283プロダクションのプロデューサーとして……必ず、才能ある子をスカウトしてきます!」
◇◆◇◆◇
「とは言ったものの……そう簡単に見つかるわけないよなあ」
いざ才能ある子を見つけんと、事務所を飛び出してはや数時間。
いくら俺のやる気があるとは言ったって、即戦力を1日で見つけろというのは流石に無理のある注文であった。
今いるスカウト組だって見つけられたのは偶然によるものが大きい。
千雪や凛世たちとの出会いを思い返しつつ、少し懐かしい気持ちに浸る。
「いやあ、懐かしいなあ……。最初の頃は仕事を取りに行ってもマトモに話も聞いてくれないこともザラだったし。みんなと一緒に283プロを盛り上げていって、すごい大変だったけど、すごい楽しかった。
色々トラブルもあったりしたけど、ここまでやってこれて本当に良かったなあ」
俺がプロデューサーとして本格的に仕事を初めて以来の、数々の活動の集大成がこの前のファン感謝祭だ。そりゃあ思い入れも深くなるというものだろう。社長にも成功だと言ってもらえて本当に良かった。
「……っとと。思い出に浸ってる場合じゃないよな。ここが終わりじゃないんだ、新しい子と一緒に、更に盛り上げていかないと!」
かつてを思い返しても、粘り強く諦めないことこそが成功の鍵だとわかる。
今回のスカウトだって根気強く頑張るしかない。
「よし、今度は大通りに行ってみよう。やっぱりたくさんの人を見ないと」
気分を改め、止まっていた足を町の中心、大通りへと向ける。
やはり母数は大事だ。ピンと来る子は数多くの中の一握り、砂粒の中の砂金である。
諦めなければいつかは見つかる。
今度こそ、と気合いを入れ直して、俺は人の流れに逆らいつつ大通りを歩く人々を観察する。
とはいっても、気合いを入れただけで上手くいくはずもなく。
血眼になって大通りで探し続けるも、全く成果の得られないまま1時間が過ぎることとなった。
「いやあ、何の収穫もないってのは結構心にくるなあ……。やっぱり場所を変えてみようか」
少し休憩、という気分でスカウトを一旦中断する。
それでも道行く人々を目で追ってしまうのは職業柄だろうか。
「それにしても、アイドル業界はやっぱり敵が多いな」
周りをぐるっと見渡してみると、至る所にアイドルたちの活動の痕が見られる。
商品のPR、CDショップの店頭販売、雑誌の表紙……たまに見かける283プロのアイドルの姿に、思わず笑顔がこぼれた。
その中でも特に目を引くのが、ある人気アイドルのコマーシャルだ。
ダンス、歌、共に高い水準でまとまっており、かなりの人気を博しているベテランアイドル。
そんな彼女のダンスがメインに据えられた広告を、ここ最近よく見るようになっていた。
「あのアイドルの広告もよく見かけるようになったなあ。
こういうの、意識してないつもりでも意外と目に入ってたりするんだよ……って。なんだ、あの人だかり」
人通りの絶えない、よくある大通りの一角。
少し遠いが、モニターに映し出されたその広告をじっくりと眺めるには丁度いいであろう場所。
そこには、偶然では説明できないほどの人の数が集まっていた。
「なんだ? 大道芸人でもいるのかな」
気になった俺は休憩がてら群衆に参加してみることにした。
こういうのは意外と見る価値のあるものも多い。283プロダクションでスカウトすることはないだろうが、多少の金銭を投げ入れることに抵抗はない。
「……うーん、よく見えないな」
しかし、いざ見物せんと試みてみたものの、群衆はみんな何某かのパフォーマンスに夢中になっているのか、入る隙間もないほどに密集している。
しいて言うならば、誰か小柄な人物が激しく動いているのが僅かに体と体の間からわかるのみ。遠目からでは何も判別がつかない。
そんなにも面白いものなのか。
尚更その大道芸人(仮)が気になった俺は、少し近寄って背伸びをし、群衆の頭上から見てみることにした。
それが運命の出会いになるとは、全く予期しないままに。
「よっ……ほっ……」
右足、左足、前に出てターン。
ふわりとなびく銀髪に、目鼻立ちの整った顔。
小柄な体と、垂れ目がちであどけなさの残る顔立ちが醸し出す彼女の幼さとは対照的に、そのダンスパフォーマンスは異常なほどの完成度を誇っていた。
それこそ、先の広告のダンスを超えうるほどに。
見たところ中学生くらいか。よくその歳でここまでの技術を身につけられたものである。流石に振り付けまで自分で考案したとは考えづらいが――
と。そこまで考えたところで、ふと違和感を覚える。
「――違う」
後ろを振り向き、あのアイドルの広告のダンスの振り付けを観察する。
そして、俺は再度銀髪の彼女のダンスを見て確信した。
あれは、模倣だ。
超えすぎてしまった結果、最早誰も原型があの広告だと気付いていないのである。
進化の結果、最早新しいダンスとなってしまったのである。
俺が広告を見るために一瞬目を離したことが気に入らないのか、不満げな顔でますます彼女は動きを激しくする。
その動きは一瞬一瞬に変化し続け、またその一瞬一瞬の度に進化し、更なる高みへと彼女はどんどん登っていく。
模倣対象であったあのアイドルなど、彼女にとってはただの足掛かりに過ぎない。
翼を生やした彼女は、天へと続く階段を無視して空へと羽ばたき続ける。
私を見ろ、私だけを見ろ。そんな声が聞こえてくるようだ。
一瞬でも目を離した俺を許さないと言わんばかりに、彼女の動きはますます俺を魅了してくる。
気付けば、俺の周りにも人だかりが出来ていた。隣の人との隙間は更に小さくなっており、群衆は全て銀髪の彼女に目を奪われている。
やがてダンスにも終わりがやって来た。
俺の記憶が正しければ、あのアイドルはもうすぐ決めポーズを取って動きを止めるはずである。
そして銀髪の彼女のダンスもそこは変わらないようで、最後は片手を高く挙げ、天に指差すポーズで動きを終えた。
ただその一瞬、これまでの彼女すらをも塗りつぶす輝きを発して。
「――っ!!」
俺は確信した。
彼女が、彼女こそが、次の世代の頂点を取る器であると!
「あの、すみませ――」
そう思い、興奮のままにスカウトをしようとした瞬間、俺の声は湧き上がった群衆の歓声にかき消される。
踊り終えた彼女はそれに対し鬱陶しそうな顔をしながら、するすると群衆の間を抜けてどこかに去って行ってしまった。
「ま、待って――」
声を挙げて呼び止めるも、人の多い大通りではすぐに見失ってしまう。
最早、どの方向に行ったのかもわからない。
最悪だ。最高の天才を見つけたのに、それを失ってしまった。
「いや。絶対に諦めるもんか……!!」
社長の期待に応えなければいけない。
最高の原石を磨かなくてはいけない。
使命感にも似た感情に駆られながら、俺は町を駆け回ることを決めた。
◇◆◇◆◇
「――はぁっ、はぁっ、はぁ……どこにも、いない…………」
銀髪の彼女を見失ってから1時間ほど。
スーツ姿でずっと町を走り回り続けた俺は、服にシミができるほどの汗をかいていた。
息も絶え絶えであり、肺が悲鳴をあげている。この時以上に学生時代の体力が欲しいと思ったことはない。
「はっ、はぁっ……結局、この大通りにまで、戻ってきたけど……」
踊っていた場所の近くは全て回った。
あの子くらいの歳の子が行きそうな所は手当たり次第に顔を出した。
それも結局、無駄な努力となってしまったワケだが。
「もう、ここで毎日、待ってたほうが、見つけやすいのか……?」
息を落ち着けつつ、走った疲れを取るために道の端っこで地面に座り込む。
ちょうど先ほど、彼女が踊っていた場所であった。
腰を下ろし、視線を上に持っていけばあのアイドルの広告が目に入る。
あの広告の彼女は間違いなく実力のあるアイドルだ。ダンスも本格派と呼ばれるだけあって、数々の練習に支えられたものであるのだろう。
そう。だからこそ、銀髪の彼女の異常性がはっきりと際立つのだ。
少なくとも、スーツ姿とはいえちょっと走っただけで息切れするような、体力のない今の俺では真似なんて到底出来そうにない。
俺の担当しているアイドルたちにもアドバイスを求められれば答えるが、実際にステップを踏んで見せるといったことはまずしない。
俺の体力も落ちたものである。昔を思い返して少し物悲しい気分になりながら、目に入りそうな汗を拭う。
「いやあ、本当に体力落ちたな。夏葉にもよく誘われるし、ランニングでも始めるか」
「すごい汗っすけど、大丈夫っすか?」
ドキリと心臓が跳ねる。
独り言を呟いた瞬間に言葉をかけられるというのは、思ったよりも驚く経験であったようだ。思わず声をあげそうになった。
心臓を落ち着かせ、慌てて声の方向へ顔を向けると、そこにはずっと探し求め続けていた銀髪の彼女がいた。
「あ、ああ、ごめん。ここ、邪魔だったかな」
「……? 別に、ここはわたしの場所じゃないっすよ」
不思議そうに首を傾げる彼女。
一つ一つの彼女の挙動には幼さを感じさせられ、とても先のパフォーマンスを行った彼女とは同一人物に思えないほどであった。
「そっか、てっきり君の踊り場なのかと」
「外で踊ったのは今日が初めてっす。本当は、さっきもここで踊る気なんてなかったんすよ」
そう言う彼女はどこか後悔している様子で、踊る気がなかったというその言は真実なのであろうということが推測できた。
「ただ、あの広告を見たら、なんだかすっごく真似してみたくなって……。
今だって、これで見るのは2回目なのに、すっごくキラキラして見えるんす」
「へえ、そうなんだ……って、2回目?」
見るのは2回目、と彼女は言ったのだろうか。
それは即ち、先のパフォーマンスの時の模倣は1度の視聴であのクオリティまで持って行ったということになって…………。
「て、天才……」
思わずそう言葉を零すと、彼女は苦笑を返す。
「『芹沢あさひ』は、こんなものじゃないっすけどね」
苦笑いと共に発されたその言葉には、自嘲のような、悔恨のような、何か深い感情が込められているようで、そこに触れることを思わず躊躇わせた。
「それで、そんなに汗をかいてどうしたんすか?」
「――っ! あ、ああ、実は俺、こういうもので……」
彼女の言葉で本来の目的を思い出した俺は、慌ててハンカチで手汗を拭い、名刺を取り出して彼女に渡す。
アイドルのプロデューサーをやっている、と簡単な自己紹介をすれば彼女は目を見開いてこちらを見てきた。
「……やっぱり運命って、あるんすかね。ここで私が踊ったことなんて、ただの偶然に過ぎないのに」
「え、えーっと、君の言うことはわからないけれど……君にはアイドルの才能がある! もしよければ、ウチで活動してみる気はないかな?」
ここで断られてしまったら、それこそ俺が駆けずり回った意味は何もなくなる。
縋るような気持ちで返答を待っていると、彼女は神妙な顔をしてこちらに目を合わせてきた。
「……わたしのどこに、魅力を感じたんすか?」
「え?」
「顔っすか? 髪の毛っすか? それともスタイルっすか?」
不安げな表情をし、己の魅力を問うてくる彼女。
どこか危うげな様子を見せられた俺は、思わず佇まいを直す。
「この『わたし』が持ってる魅力なんて、『あの子』と同じくらい輝いてるところなんて、あなたがスカウトする理由なんて、そのくらいしか――」
「あのダンス、すごかった!」
すごく、危うく見えた。
だから、俺も真剣に応えた。
「――へ?」
「すっごい努力の積み重ねを感じさせられた。あんなに綺麗で慣れた様子のステップ、中々見れるものじゃない。それにあの時間踊りきる体力をつけるのも並の努力じゃあ無理だ」
俺が見つけた彼女の魅力を、全て応えていく。
彼女の根底にあるのは、圧倒的な才能と、それに並ぶ不断の努力だ。
「観客の視線を誘導する技術もすごかった。一番格好いい自分を見せ続けるっていうのは、プロでも出来る人は少ない。きっとすごく時間をかけて習得したんだと思う」
「あ、えと……」
「特に最後の決めポーズの瞬間! あれ、どんな魔法を使ったんだっていうくらいに目を奪われた! ほんっとうにすごいと思う!」
「――っ!」
思いついただけ褒めていると、だんだん彼女は恥ずかしそうにして身を捩らせていく。
「それに――」
「も、もういいっす! これ結構恥ずかしいっす!」
まだまだ褒め言葉を綴ろうとすれば、少し顔を赤くした彼女に無理やり遮られる。
出来る限り言葉は尽くしたが、俺の気持ちは伝わっただろうか。
「……自分の努力を認められるって、うれしいものなんすね」
照れくさそうにそう言った彼女は、片手を俺の方に差し出してくる。
「えーっと、これは……」
「握手っすよ。わたしは、『わたし』に相応しい輝きを身につけたかったんすけど……あなたとなら、なんだか出来そうな気がするっす」
その言葉の意味を、数瞬遅れて理解する。
これって、スカウトに成功したってことか……!
「ほ、本当か!?」
「そう言ってるじゃないすか」
思わぬ喜びに震えつつ、嘘じゃないだろうなと彼女の顔を見つめると、さっさと手を握れと彼女は顎をしゃくって命令してきた。
命令通り恐る恐る右手を差し出し、しっかりと手を握る。
すると彼女は、見惚れるような笑顔でぎゅっと手を握り返してきた。
そして彼女は白い歯をキラリと光らせ、元気の溢れる笑顔のまま口を開く。
それが俺と彼女の、長い旅路の始まりであった。
「わたしは『芹沢あさひ』っす! よろしくっす!」
身長、すごい大きいんすね! やっぱり牛乳が大事なんすか?
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日記4
×月○日
283プロダクションへの所属が決まった。
プロデューサーはすぐに両親にも挨拶を済ませ、俺をトップアイドルにしてやると息巻いている。
俺も今まで以上にやる気が湧いてきた。
彼に早くも絆されてしまったのだろうか。
×月÷日
今日は初めて283プロの事務所内に入った。
ようやくレッスンを受けられるのかと思ったが、トレーナーさんとの調整もあるとのことで、レッスン開始は来週かららしい。
そのため今日は歌とダンスの実力を測るテストと事務所の案内で一日が終わってしまった。
成長のチャンスだと非常に楽しみにしておりコンディションも完璧に整えてきていただけあって残念だ。
プロデューサーは相変わらず忙しそうにしていた。
どうやらまだ人材をスカウトしてこなければいけないらしい。
「芹沢あさひ」と同時期にスカウトされるような283プロのアイドルなんて、もう名前を言っているに等しいようなものだが。
×月☆日
今日は283プロ事務員の「七草はづき」さんと出会った。
アイドル顔負けの美貌とスタイルを有している彼女は人当たりもよく、事務所に慣れていない俺にとても優しくしてくれた。
甘いものは好きですかー、と美味しいカステラも貰ったし、非常に満足である。
その後の自主練もかなり気合いが入った。
×月Д日
とうとう今日が283プロでのレッスン開始日である。
本日は歌や発声の練習を行う「ボーカルレッスン」を受けた。
2時間ほどの練習時間ではあったが、やはりカラオケでの自主練習では得られないものがある。
指導を受ければ受けるほど、俺の歌唱力は目に見えて上がっていった。
トレーナーは「芹沢あさひ」の成長力に驚いていたが、彼女を画面の外から見てきた俺にとっては当然のことだ。
むしろ「俺」が足を引っ張っている分、もっと努力を重ねなければいけない。
×月Ю日
プロデューサーのスカウトにひと段落ついたらしい。
ぎりぎり先輩になるな、なんて笑いながら言っていた。
とはいえ新しく入ってくる彼女たちは「芹沢あさひ」と同じくアイドルになるべき才能の塊だ。
少しばかり早く練習を始めたから一体なんだというのだろう。
もっと努力しないと、ユニットにおいても迷惑をかけるようになってしまう。
黛冬優子と和泉愛依。
「芹沢あさひ」とユニットを組むことになる彼女たち。
俺は果たして、二人と並べる存在になれるだろうか。
×月ш日
今日は初めてのダンスレッスンを受けた。
なんでもかなり偉くて忙しい先生を雇ったとのことで、週に1度しかレッスンがないらしい。
初対面時はかなり気難しそうな印象を受けたが、いざレッスンが始まれば、とても厳しく熱心に指導してくださった。
先生は賞とかも色々とってるすごい方とのことだが、40代ほどの外見であるのに全くキレの落ちていない動きを見れば納得である。
ただ、俺が踊ってみせた後に先生がプロデューサーと話し込んでいたのが気がかりだ。
何か粗相をしてしまっただろうか。
×月+日
ダンスレッスンの先生が週に3度も来てもらえることになった。
そのことをプロデューサーから聞いたときは、成長の機会が増えたことに思わず跳ねて喜んでしまったものである。
プロデューサーに感謝を述べると俺は何もやっていないとの言が返ってきたが、恐らく彼が手をまわしてくれたのだろう。
先生は本当に忙しい方らしく、週に2度ですらレッスンをつけているお弟子さんはごく少数だと聞く。プロデューサーには感謝しなくてはならない。
また、それに従って先生の出す課題も増えたが、自主練習には何の忌避感もない。
むしろ喜んでやらせてもらおう。
×月-日
今日は「イルミネーションスターズ」の三人と顔合わせを行った。
櫻木真乃はなんというか想像通りほわほわした女の子で、むしろどう接すればいいかわかりにくかった部分がある。
風野灯織からはどうしてかいきなり血液型と星座を聞かれたが、正直即答できなかった。
「芹沢あさひ」のそれでなく、俺のそれを答えてしまいそうになったのである。
幸いどこかで見た記憶が蘇ったのかなんとか答えられたが、これからのことを考えるとプロフィールはもっと頭に入れておかなくてはならない。
八宮めぐるは距離感の詰め方が流石というべきか、ぎゅっと両手で握手されて笑顔で自己紹介をされると、それだけで好きになってしまいそうであった。
彼女たちはもう既に実績を積み重ねている立派なアイドルである。
出来れば実際に活動しているところを見て、技術を盗みたいものだ。
血液型はAB型、星座はやぎ座っすよ!
別に覚える意味はないっすけどね
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日記5
×月◎日
今日も今日とてレッスン漬けである。
本日は「ビジュアル」のレッスンで、写真撮影時の心得について学んだ。
表情の作り方だとか、ポーズの取り方だとか、実際に正解を見せられれば「あさひ」は瞬間的にそこへ辿り着ける。
最終的にはレッスンを見学していたプロデューサーを唸らせるほどの完成度まで持って行くことが出来た。
また、練習ではあるが実際に写真撮影も行ったりした。
プロのカメラマンが撮影するわけではなく、プロデューサーだったりトレーナーさんに写真を撮ってもらって自分の姿を客観視するためのものであったが、これが良い練習になったんじゃないかと思う。
そも、良いカメラマンが撮れば良い写真が出来上がるのは当然だろう。
「芹沢あさひ」が目指す場所はもっと上だ。
カメラ撮影に関しては全くの素人であるプロデューサーが撮ったとしても、完璧な写真が出来上がるように。
撮影者の技術に関わらず、「芹沢あさひ」の魅力をカメラの中に落とし込めるように。
カメラが自ら、「芹沢あさひ」の肢体を追ってしまうほどに。
目指すべき境地は見えた。
あとは俺の努力次第で辿り着けるかどうかが決まるだろう。
×月¶日
12時頃、事務所で風野灯織とたまたま出会って昼食を一緒にとることになった。
彼女が食べていたのは彩り豊かな自作のお弁当である。料理上手というのは本当なようだ。
俺も母親手作りのお弁当を持ってきていたのでおかずの交換を提案すると、灯織は差し出すおかずをどれにするべきか軽く3分は悩んでいた。
ぼそぼそ呟いていた独り言から推測するに、レッスン後でお腹が空いているであろう俺に肉を渡すべきか、それともカロリーのことを考えてヘルシーなものを渡すべきなのか考えていたと思われる。
何も考えずミートボールを差し出した俺の方がおかしいのだろうか。
こんなことになるなら初めにどれが欲しいか聞かれたとき、変に彼女を気遣って選択権を委ねるのでなく、自分で欲しいおかずを選択しておけば良かった。
最終的に俺の顔を伺いながら差し出されたのは卵焼きである。
美味しいと伝えれば、彼女はほっとしたような表情を浮かべていた。
食事中の会話は特に弾むこともなかった。
×月▲日
偶然と言うべきかなんというか、昨日に続き今日も風野灯織と行動を共にすることとなった。
俺がいつも通りにレッスン室へ向かったら、そこには既にレッスンの準備を終えた様子の灯織がいたのだからまあびっくりである。
彼女曰く、他のアイドルと合同でレッスンを行うのはよくあることらしい。
なんでもアイドル同士の仲を深めるために、あえてプロデューサーがそうしているのだとか。
まあ俺としては幸いなことに、模倣相手が増えたということに等しい。
今日はボーカルレッスンであったが、レッスン中も灯織の喉の使い方などをしっかりと観察させてもらった。
プロデューサーの思惑通りに仲も深められた気がする。
一緒に汗を流すとやはり、お互いに親しみを覚えるものだ。
また、ゲーム時代に見ていた灯織らしい面も見れた気がする。
何か生活で気を遣っていることはあるかと聞いたら、グルタミンだとかビタミンDだとか聞いてもいない栄養素の話を早口でし始めたり、最終的には睡眠時に放出されるホルモンやらの話までし始めたのだ。
とはいえ聞き逃していい話ではなかったため、ふんふんと頷きながらメモを取っているとすごく嬉しそうな顔をしていたのが印象に残っている。
これからもっと仲が良くなっていけたら嬉しいものだ。
×月■日
今日は待ちに待った初仕事の日であった。
プロデューサーの意向で新人アイドルには軽い仕事から経験を積ませて業界に慣れさせていくらしく、俺が行ったのも雑誌の一ページに載せる、ほんの小さな写真の撮影である。
とはいえ仕事は仕事。全力で取り組まなければいけない。
伝説のアイドル八雲なみの「靴に足を合わせる技術」を用い、今回の仕事に最も適した「芹沢あさひ」を作り上げて仕事に臨んだ。
また、未だ不完全ではあるものの一応は習得した「カメラに自分を追わせる技術」も用いて完成させた写真は、自分でも納得のいく出来であったと言える。
カメラマンの方からも「俺が撮ったとは思えないほどいい写真だ」なんて、謙遜とお世辞も入っているだろうがお褒めの言葉を頂いた。
ただ、八雲なみの技術を用いたときにプロデューサーが怪訝そうな表情を浮かべていたことが少し気がかりである。
×月♡日
週に3度のダンスレッスンであるが、やはり先生の熱量が初回のときと全く違う気がする。
一つ一つの指導がすべてハイレベルで、あさひの才覚をもってしても一度では習得できないような技術を要求してくるのだ。
もちろん厳しさも人一倍である。期待の裏返しだと思うようにはしているが、にしても横で見ているプロデューサーだってドン引きしている。
とはいえあさひの実力ならそれでもついていけてしまうので、これまでとは比較にならないくらいの速度でダンスの技術は成長していっている。
やはり指導者がいるのといないのとでは成長の度合いが全く違う。
良き師に出会えて幸運だと考えるべきだろう。
×月◇日
先日行った雑誌の写真撮影であるが、なにやら雑誌の関係者から意見が出たとのことで、俺のあの写真は一ページ丸々使って掲載するらしい。
更に嬉しいことに、あの写真を見た上の人が気に入ってくれたらしく、その雑誌の次号の表紙のオファーをもらった。
プロデューサー曰く、新人アイドルにしては破格の仕事だという。
経験を積ませてから大仕事に臨む、という彼の方針からは外れているからか少し複雑そうな表情をしていたものの、これはビッグチャンスだということで俺に仕事を持ってきてくれた。
当然俺も断るはずがない。いきなりの機会に大喜びである。
その仕事はそう期間を置かずにやってくる。
今のうちに、八雲なみの技術をもっと磨いておかなくてはならない。
靴にも合わせられないようでは、俺の足なんかを求める人はいないだろうから。
靴に合わせる必要なんかあるんすかね
一番綺麗な足をしてたら、みんな見てくれるっすよ
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日記6
×月×日
今日はアルストロメリアの面々と顔合わせをした。
桑山千雪は非常に穏やかそうな人で、それでいて偶に少女らしくはしゃぐところもある可愛らしい人である。
鞄についていた人形の話を振れば、「自作なの」と少し照れくさそうに制作過程について語ってくれた。
大崎姉妹の妹の方、大崎甘奈に彼女が宣伝していた化粧品を使ったと話せば、彼女は非常に嬉しそうに感謝の言葉を述べてきた。更にその勢いのまま色々とメイク技術について教えてくれたものだから驚きである。
甘奈は女の子らしい女の子、といった感じの女子高生だ。プライベートの過ごし方を参考にするならこの子だろうか。
大崎姉妹の姉の方、大崎甜花は甘奈の後ろに隠れていてあまり話すことが出来なかった。
できれば仲良くしたいものである。
×月ф日
先日オファーされた雑誌の表紙の写真撮影を行った。
表紙というだけあってカメラマンはかなり腕の良い人を呼んだらしく、こちらとしては楽な話だが「カメラに自ら追わせる技術」も彼の補助程度にしか発動しなかった。
とはいえ仕事には全力で臨んだし、そのおかげか妥協は許さないといったオーラを醸し出していたカメラマンの彼からもNGは出ず、非常にスムーズに撮影は終わったと言える。
後でプロデューサーに話を聞けばあのカメラマンの撮影がこんなに早く終わるなんて初めてだ、と言っていたのだから、わざわざ一晩かけてこの雑誌に最適な「芹沢あさひ」に自分を作り変えてきた甲斐があったというものだろう。
八雲なみの技術は着実に体に馴染んできた。
たとえどんな靴がやって来たところで、履きこなす自信が俺にはある。
シンデレラの姉だって、爪先と踵を切り落とせばガラスの靴を履けたのだから。
×月♠日
今日はラジオ番組へのゲスト出演という仕事をこなした。
メンタル育成、なんて言葉が浮かんでくるのは悪い癖だろうが、実際普段とは比較にならない数の人々に声が届く環境の中で話をすればメンタルが鍛えられるのも納得である。
とはいえ俺もオファーを聞いただけではどのような「靴」が持ってこられたのかわからず、スタジオにたどり着くまでは結構緊張していた。
なにせこの活動したての時期に振られた仕事でアイドル人生のスタートダッシュが成功するか失敗するか決まるのだから。
まあ、いざスタジオにつけば番組ADは俺に「面白いこと」を求めているとわかったので、「あさひ」らしく破天荒なキャラで番組に出演し、無事ADにも取り入ることができたわけなのだが。
ただ、一度あのキャラで仕事をしてしまったのなら仕事中はずっと「あさひ」で通した方が良いかもしれない。
まるで冬優子みたいだな、なんて帰り道の車の中で思ったものだ。
×月♣日
今日は放課後クライマックスガールズの5人と顔合わせをした。
これで283プロのアイドルの中で俺が顔合わせを済ませていないのは「アンティーカ」の5人だけとなる。
もっとも、アンティーカの彼女たちは283プロの稼ぎ頭というだけあって非常に忙しく、5人揃っての顔合わせは難しそうということなのだが。
それはさておき、放クラというユニットはメンバー間での年齢差が一番大きく非常に個性的なグループである。
5人それぞれ違った雰囲気を纏っており、合わないようで非常に仲の良い、そんなユニットなのだ。
有栖川夏葉には良い身体ね、と肉体を褒められてトレーニングに誘われた。
無論彼女の誘いを断る気はない。夏葉のストイックさを見習わせてもらおう。
園田智代子からはいきなりチョコレートを渡された。
恐らく彼女にとっての親睦の証なのだろうと有難く受け取っておいたが、正しい対応だっただろうか。
杜野凛世とは挨拶だけに終わってしまった。
静かな口調に反して結構明るい子であるので、いつか一緒に遊びにでもいきたいものだ。
西城樹里にも「おー、よろしく」と少し無愛想ぎみな対応をされてしまった。
やさしさ一等賞の姿を見せてくれるにはまだ親密さが足りないということなのだろう。
逆に果穂ちゃんこと小宮果穂とは今まで出会ったアイドルの中で一番打ち解けられたと思う。
やはり年齢が近いというのは仲が良くなる上では重要な条件なのだ。
一日の内に「あさひさん」「果穂ちゃん」と名前で呼び合う仲にまでなった。
12歳小学6年生と、283プロ最年少である彼女も年の近い同僚がいなくて寂しい思いをしていた部分があったのだろう。
こちらとしても是非仲良くしていきたいものだ。
「あさひ」なら、きっと仲良くしていただろうから。
×月☂日
今日はランニングの途中でたまたま「ジャスティス
果穂ちゃんが好んで見ている番組であるため、話のタネにならないかと一回だけ回してみたところ、「ジャスティスサーモンピンク」の人形が出てきた。
サーモンピンクとはなんぞやと思ったが、どうやら「ジャスティスピンク」はまた別に存在しているらしい。
そもそも「ジャスティスⅤ」は11人で結成されているそうだ。
よく理解できなかった。
ちなみに果穂ちゃんは11人既に揃えているらしい。
流石だ。
×月△日
とうとう俺の初ライブの日程が決まった。
地方の小さなライブ会場ではあるが、これまでの集大成を見せる良い機会である。
今まで以上にレッスンに身が入るというものだ。
初ライブに向けて、「足」の準備も着々と進めている。
駆け出しとはいえアイドルとして半月近く活動をしてきたことで、八雲なみの技術は相当に熟練してきた。
特に「芹沢あさひ」のトレースの精度はどうしてか元からかなり高かったし、今では最早自分でも違和感がないほどに「あさひ」になることができる。
「芹沢あさひのキャラクター」と「八雲なみの足」があればこなせない仕事は無かった。
もちろんまだ経験していない規模の大きさの仕事ものちのち受けるようになってくるだろうが、そこで足りないであろうものは「俺の技術」だ。
あさひの才能のおかげで先生たちには褒めてもらえているが、あさひならばきっとそんな言葉など気にもせず自分を高めることに執心していただろう。
レッスンのおかげで、俺の技術は自主練習だけだった頃と比べて圧倒的に伸びている。
確かに自分が成長している自覚はある。
でも。
それでもあさひに追いつけなかったのなら、俺は一体どうすればいいのだろうか。
なんでわたしのマネなんかしてるんすか?
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ビビデ・バビデ・ブー
灰被りだってお姫様になれる魔法の呪文。
普通の女の子だってトップアイドルになれる魔法の呪文。
じゃあ、偽物が本物になれる魔法の呪文もあったって、いいでしょう?
「おはようございます、わたしは芹沢あさひっす!」
「おはようございますー。あっちで撮影準備始めてるので、用意が出来たら声かけてくださーい」
あれは、誰だ。
「とゆーコトで『今ハマってること』についてのお便りだったケド……あさひチャンは最近ハマってることってある?」
「わたしが最近ハマってることっすか? うーん……蕎麦の配達、とかっすかね!」
「ブハハッ、どゆことー!?」
あれは、誰だ。
何が得意で、何が出来ないんだ。どんな仕事が適している。
「果穂ちゃん、『ジャスティス
「遂にあさひさんもそこにたどり着いてしまいましたか……!」
あれは、誰だ。
何が得意で、何が出来ないんだ。どんな仕事が適している。
見極めろ。「芹沢あさひ」というアイドルを。
「おはようっす、プロデューサーさん! 今日もよろしくっす!」
あれは、誰だ。
◇◆◇◆◇◆◇
「よっ……ほっ……ここで、ターン! 決まったっす~!」
「あさひ、自主練お疲れ様。ちょっと今時間あるか?」
とある平日の午後16時半。
ダンスの自主練習をしていたあさひに、丁度一区切りついただろうタイミングで声をかける。
彼女の透き通る銀髪はしっとりと重みを持って肌に張り付いており、全身から滴り落ちるほどの汗を見ればかなりハードな練習を行っていたことは明らかであった。
しかしそのキレのある動きは彼女の体力の多さを物語っており、声をかけた俺にも笑顔を向けて応じてくる。
「どうしたんすか? わたしは全然大丈夫っすよ!」
「ああ、そんなに時間は取らないから安心してくれ。
実を言うとだな……あさひのアイドルとしての初仕事が、決まったんだ」
「!」
「初仕事」というワードを俺が呟いた途端、あさひの垂れ目がちな顔から表情が抜け落ちる。
始めは仕事という言葉に対して気おくれしてしまっているのかと思ったが、瞳はギラギラと獲物を狙う餓狼のように輝いており、思わずこちらが圧倒されるほどの雰囲気を全身から醸し出していたことからそれは間違いであったとわかった。
やはりあさひのアイドルにかける情熱にはどこか人と違うところがある。
静寂が訪れたのも一瞬であり、すぐに熱を持って彼女の口は動き始めた。
「何の仕事っすか? いつっすか? わたし単独の仕事っすか? どれくらいの期間――」
「ま、待て待て! 落ち着くんだあさひ。そんな一気に言われても困るよ」
「あ……ごめんなさい。つい焦っちゃったっす……」
矢継ぎ早に飛ばされる質問に反応を返せずにいると、あさひがしょんぼりとした顔を浮かべる。
まあ、初仕事となると誰でも焦ってしまうものだ。彼女も例に違わず気が急いてしまったのだろう。
今度は落ち着いて仕事の概要を説明する。
「今回の仕事は3日後、ファッション誌の小さなコマに載せる写真の撮影だ。そんなに大きい仕事じゃないんだが、活動を始めてすぐはこういう仕事で経験を積んでもらう。あさひの実力からしたら物足りないかもしれないけど、全力で臨んで欲しい」
「はい、頑張るっす!」
杞憂ではあると思ったが、やはりあさひはどんな仕事でも全力で取り組んでくれるつもりだったようだ。アイドルに対する熱意を感じられて、こちらも嬉しくなる。
常日頃から思っていることであるが、ウチに所属しているアイドルたちは皆やる気に溢れた良いアイドルたちばかりである。
俺も負けないくらいの情熱を持ってプロデュースをしているつもりではいるが、特にあさひや恋鐘といった面々の熱意は人一倍といった言葉じゃ足りないほどだ。
皆やる気を持った仕事場というのは中々出会える環境じゃない。
ますます仕事に対してやる気が湧いてくるというものである。
「ところで、その雑誌の購買層ってどの辺なんすか?」
「え? あー、女子高生がメイン層だな。よくあるファッション誌だよ」
「ふむふむ……私が着る衣装はどんな感じっすか? かわいい系とか、ゴシック系とか」
「えーと、確か衣装の写真は貰ってるぞ。ほら、これ。『衣替えでイメージチェンジ!』がテーマだったかな?」
「…………なるほど……大体わかったっす。3日後っすよね、それまでに仕上げてくるっす」
「仕上げるって、まあそんなに気負わなくてもいいぞ。現場に行ったら挨拶のやり方とかも教えるし、撮影の時はカメラマンさんの指示に従っておけばいいから」
そうは言うものの、初仕事に向け気合いを入れているアイドルの姿は微笑ましいものだ。
これからもっと大きな仕事も受けられるように、俺も頑張って仕事を取ってこよう。
その程度の感想しか、この時は持っていなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
あさひの初仕事が決まってから数日後。
遂にその当日がやってきた。
余裕を持ったスケジュールを組み、少し早い時間に事務所で待ち合わせをする。
無いとは思っていたが初仕事で緊張して眠れず寝坊した、なんてことが起こったら問題だ。「もうすぐ到着します」という連絡を貰った時には少し安心したものである。
やがて集合時刻の5分前ほどに彼女はやって来て、その元気そうな顔を見てコンディションも整っていることを確認したところで――なんだか、違和感を感じた。
まるで彼女が彼女でないような、そんな違和感。
そう、かなり昔に、甜花と甘奈がイタズラで入れ替わっていた時のような――
「プロデューサーさん? わたしの顔になにかついてるっすか?」
「あ……ああ、いや、なんでもない。悪いな、ボーッとしてて。もう現場へ向かおうか」
「了解っす!」
思わず考え込んでしまっていた頭をリセットし、仕事の現場へ向かう。
目的地はそう遠くない。社用車を出してミラー越しに軽い雑談を交わしながら走らせれば、やはり道中でもまたあの違和感を感じた。
(一体なんなんだ……? 不調を隠している、とかいうわけでもなさそうだし……)
湧き出てくる疑問に悩みつつも、10分もしたらすぐに現場へ到着した。
ひとまずはあさひに挨拶の仕方などを教えなくてはいけない。違和感を押し殺しつつ、撮影スタジオにあさひを連れて入る。
「ほらあさひ、昨日も言った通り挨拶が肝心だからな。おはようございまーす!」
「はいっす! ……おはようございまーす!」
あさひは言った事はきちんと理解して守ってくれる、素直な良い子である。
挨拶も恥ずかしがったりすることなくしっかりと出来ていた。
アイドルとしての活動にはこういった小さなことの積み重ねが非常に重要である。
ひとまずは完璧なあさひの様子に、心の中でよしとガッツポーズをする。
「283プロさん、どうもおはようございます! そちらが芹沢あさひさんですね。撮影準備ももうすぐ終わりますので、その間にメイクと衣装お願いします」
「了解しました。それじゃあ、あさひはメイク室に行こうか」
スタッフの方とも挨拶を済ませたため、あさひをメイクさんに預けて俺はスタジオで待機する。
なにしろ今までに見たことがないくらいに才能に満ち溢れた存在であるあさひの初仕事だ。まるで授業参観の親のような心持ちで期待に胸を弾ませたまま、あさひの帰りを待つ。
しかしそうすぐにメイクというものが終わるわけではない。
少し手持無沙汰になったところで、面識のあったスタッフさんが近づいて声をかけてきた。
「どうも283プロさん、いつもお世話になってます」
「いえ、こちらこそいつもありがとうございます! 今回も新人に仕事を回して頂いて、本当に感謝しています」
「いやいやそんな、あの子がただの新人なわけないでしょう。283さんの秘蔵っ子だってもう一部じゃ噂になってますよ」
挨拶に来てくださったスタッフさんの耳の早さに、思わず驚きが顔に浮かぶ。
周りにわかるほどあさひを特別扱いしてしまっていただろうか。
「なんでも、あの○○先生のご指導を受けさせてるんですって? 将来のトップアイドルの初仕事なんて、こっちから頭を下げさせてもらうところですよ!」
「いやいや、そんな……」
自身の行動に思いを巡らせていたところ、あさひのダンス指導を行われている先生の名前が挙げられ、色々と納得がいく。
確かにあの人の知名度を考えれば、話が広がるのも当然と言ったところか。
「それにさっきちょっとメイクしてるところを見させてもらいましたけど……流石ですね。もう大ベテランって感じですよ。こんな小っちゃな仕事なのに、なんていうんですか? 『最適』って言うんですかね、ドラマの役に入り込んでるみたいな……上手く言葉に出来ないや、『自分』を作り上げてるっていう感じですよね」
「え?」
前から口数の多いスタッフさんであったが、人を見る目には中々鋭いところがある。
そんな彼の言葉に全く心当たりがなかったため、思わず変な声を出してしまった。
「おっと、丁度彼女がやってきましたよ。それじゃあ私は撮影に回るんで……」
「あ、どうも! これからもよろしくお願いします!」
相変わらず忙しない人である。あっという間にどこかへ行ってしまったスタッフさんを見送れば、後に残るのは俺とメイクが終わったらしいあさひだけだ。
走り去っていく彼に挨拶をして、あさひの状態を確認しようと振り向くと――
「あ、れ?」
そこには、『芹沢あさひ』がいた。
「プロデューサーさん、メイク終わったっすよ! 変な所ないっすか?」
いや、それは当たり前だ。
目の前の存在が「芹沢あさひ」でないはずがない。
だが、それならどうして、
「やっぱりプロの技術ってすごいっすね! あっという間に終わっちゃったっす!」
あれは、誰だ。
目の前の彼女は、一体誰だ?
「あ、もう撮影始まるみたいっす! それじゃあ行ってくるっすよー!」
この雑誌のメインの購買層である「女子高生」の好みに最も合うような、それでいて「衣替えでイメージチェンジ」をした女の子のような「芹沢あさひ」が、そこにはいた。
先日の会話を思い出す。
確かに俺は、「雑誌の購買層」と「撮影テーマ」を伝えた。
そしてあさひは、恐らくそれに最も適した「あさひ」を作り上げてきた。
あさひは、仕事に合わせて「自分」を作り変えてきたのだ。
シンデレラは魔法の力によって王子に相応しい装いを得た。
しかしそれは、果たして常人が用いることが出来る力なのか。
これでは、「アイドルに合った仕事を持ってくること」が必要ではなくなる。
「売れるための仕事」を持って来れば、「あさひ」がそれに合わせてくれる。
あさひの魅力を仕事の中でアピールするのではなく、仕事が求めている魅力をあさひが作り出してくれる。
それは、あさひをトップアイドルにするためには最も効率的な手法であるように思えた。
それは、ひどく歪なアイドルの形のように思えた。
「すごい……まるでカメラが彼女を追っているみたいだ」
撮影中のあさひを称賛する声が聞こえる。
彼女はダンスだけでなく、あらゆる面に秀でた才能を示している。
その才能と、先の「自分を作り変える技術」をもってすれば敵はない。頂点までの道のりに、障害はない。
――それなのに。
どうして彼女が、墜ちるために飛び立つイカロスのように危うく見えるのだろう?
◇◆◇◆◇◆◇
「おはようございます、はづきさん」
「おはようございまーす」
あれから数日後の某日午前8時、283プロダクション事務所にて。
出勤したら既に事務作業を行っていたはづきさんに挨拶をし、書類が山のように積まれた自分のデスクに座る。
今日の午前はこれといった移動は入っていない。
最近溜まりつつあった書類仕事を消化しようとPCを開けば、いつの間にかはづきさんがコーヒーを淹れてデスクに持ってきてくれていた。
「すみません、気を遣わせちゃって……! ありがとうございます!」
「いえいえ~。私もちょうど休憩しようと思っていたところですから、気にしないでください。
ところでこの前のオーディションの書類ですが、棚にあるファイルに纏めておきましたので後で確認しておいてくださいね~」
お盆を持って再度台所へ向かうはづきさんにお礼を言いつつ、早速言われたファイルを手に取って開いてみる。
そこには283プロダクションのオーディションに応募してくれた子たちの応募書類が綺麗に整理されて纏まっており、はづきさんの仕事の丁寧さがしっかりと細かな所にまで表れていた。
ここまで事務仕事を任せてしまって、はづきさんには本当に頭が上がらない。後でもう一度しっかりとお礼を言っておこう。
「どれどれ、今回の応募の中でピンと来る子は……」
折角開いたのだからと、中の書類にも目を通すことにした。
283プロは売れっ子アイドルを抱えているとはいえ、事務所の規模としてはまだまだ小さいが故に、書類選考の倍率は大手事務所と比べるとそう高くはない。
しかし天井社長の方針や俺の考えもあって、最終的に合格を与えるのは才能を感じた、ごく一部の限られた子だけにしている。
その厳しい基準を考えれば、軽く目を通しただけではあるものの、今回の応募者の中で合格を与えられそうな人材を見つけることは出来なかった。
「まあ、実際に会ってみなきゃわからない魅力もあるんだろうけど……。
夏葉や灯織みたいに、書類だけでピンと来るような子もいるからなあ」
アイドルとして成功するためには非常に狭き門を潜り抜けなければいけない。
そのためには他を圧倒するだけの才能・魅力が必要である。
そんな才能を求めて日々オーディションやスカウトに励んでいるわけだが、中々そう上手くもいかない。
欲を言うならば、ストイックで自分磨きに余念がなく、アイドルとしての才能に満ち溢れている、そんな人材が欲しい。それこそ――
「あさひさんのような、ですか?」
「えっ」
突然聞こえてきたはづきさんの声に、思わず声をあげて驚いてしまう。
「プロデューサーさんって、意外と考えていることがわかりやすいですよね。
そんなにあの子にばっかり夢中になっていると、他の子たちが嫉妬しちゃいますよ~?」
「は、はは……そうですかね。でもやっぱり、あさひにはすごい才能がありますよ。
あの才能は腐らせちゃいけないし、それにきっと、彼女の輝きは他の子たちにも良い刺激になります」
そう。彼女の才はただアイドルとして成功するだけなら十分すぎるほどにある。
たゆまず努力も重ねているし、一見何の問題もないように思えてしまう。
そこまで考えたところで、先日のあさひの初仕事のときの様子を思い出す。
あの時だってアイドルの力としては完璧だった。
ただ一つだけ、彼女に足りない点があるとするなら――
「ユニットを、組ませようと思っているんです」
「……あさひさんに、ですか? てっきり私はこのままソロで活動させる方針で行くのかと。
こんなことを言うのもなんですけど、彼女の実力に見合う子は中々いないと思いますよ?」
はづきさんの危惧する言葉に、首を横に振って返す。
ユニットというものはあさひにとって、きっと「足枷」ではなく共に支えあう「仲間」となってくれると俺は確信している。
「良い子たちがいるんです。あさひの実力を間近で感じても、折れるんじゃなくってむしろ奮起してくれる、そんな子たちが」
「……まあ、まだユニットを組んでいない283プロのアイドルって言われたら誰かわかっちゃいますけどね~」
「ははっ、そうですね。でもはづきさんも、何となくわかるんじゃないんですか? あの二人はきっと、いいアイドルになりますよ」
はづきさんは俺の言葉に対して、そこまで言うならといった感じで軽い首肯を返す。
アイドルのプロデュースに関しては、彼女は一歩引いた立場をとっているところがある。彼女曰く、「プロデューサーさんの見る目には敵いませんから」だそうだ。
あの子たちの眩いほどの輝きを見れば、アイドルとして成功しそうだなんて誰でもわかりそうなものだが。
「あさひに必要なのは技術でも、ましてや更なる努力でもありません。
彼女の危うい所を支えてくれる、足りない所を補ってくれる、そんな仲間です。
彼女たち3人は、きっと良いユニットになりますよ」
何度イカロスが墜ちようとも、何度だって一緒に飛んでくれる。
そんな仲間に。
撮影の時のカメラ、すごい大きかったっす!
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日記7
☆月○日
初ライブに向け、ダンスレッスンも最後の仕上げに入ってきた。
ステージの中心から位置がズレた時の違和感がない戻り方だとか、振りを間違えた時の対処法だとか、そういった小技のような技術も教えてもらっている。
先生は忙しくて本番を直接見には来れないそうなのだが、非常に気合いを入れて指導してくださった。期待を裏切ることは出来ない。俺も全力で取り組んでいる。
しかしあさひの初ライブと言えば思い出すのはW.I.N.G.のシーズン4コミュだ。
彼女はあそこでライブを通して「自分自身を誰かに伝えること」の喜びに目覚めていた。恐らくそれこそがW.I.N.G.後のあさひのアイドル活動に対する原動力であり、その感情があさひの言うライブの「キラキラ」に繋がっているのだろう。
俺にはその「キラキラ」というものは見えていない。
パフォーマーと観客の一体感、とでも言うべきものなのだろうと当たりをつけてはいるが、それは表面的な理解だ。
あさひはW.I.N.G.でのパフォーマンスを通して「キラキラ」を自ら作り出すようになった。
俺もこのライブを通し、一歩でもその領域に近づけたらいいのだが。
☆月×日
今日は俺の初ライブの日であった。
朝から地方の小さなライブ会場に行って準備をし、数十人ほどの観客の前でパフォーマンスをした訳であるが、一応は成功したと思われる。
浅倉透のオーラを要所要所で用いて目を惹き、芹沢あさひのパフォーマンス技術で魅了してやれば熱狂した観客の出来上がりだ。
それに加えて八雲なみの力も使えば、ライブの成功だってさもありなんといった感じである。
しかしあさひの言う「キラキラ」に繋がる感覚は掴めそうで掴めなかった。
不思議な感覚である。「自分でない自分」は理解したけど、自分は理解できていないというような。
言語化が難しい。プロデューサーにでも相談してみよう。
☆月◇日
今日は「アンティーカ」のメンバーである白瀬咲耶と幽谷霧子と顔合わせをした。
アンティーカというユニットは283プロの稼ぎ頭というだけあって、非常に忙しいようである。
今日も5人まとめての顔合わせは難しいということで二人だけと話をした。
白瀬咲耶は元モデルであり、スタイルが抜群に良い。
その長身と整った顔立ちを見れば、多くのファンがメロメロになるのも納得というものだろう。
スタイルは流石のあさひでも真似しようがないため、非常に悔しいところだ。女の子を落とす話術だけでも勉強させてもらおうと思う。
幽谷霧子はなんというか、掴みどころのない女の子である。
口数も少なく明るい性格ではないが、それでいて不思議な魅力があって多くのファンを魅了している。
彼女の言動をトレースしても魅力まで再現することは出来なかった。もうしばらく観察を続けさせてもらおう。
☆月▲日
今日は果穂ちゃんとヒーローショーを見に行った。
休日はレッスンに費やしたいというのが本音ではあったが、期待に満ち溢れた目でお願いをされては断れない。果穂ちゃんの天真爛漫さをトレースするための観察をする良い機会だ、と自分を納得させてついて行くことにした。
見に行ったのはもちろんの如く「ジャスティスⅤ」のヒーローショー。
俳優・役者志望のバイトさんが動きにくい恰好をしながらもキレのあるアクションを披露するために頑張っているのだろう。そう思えば、子供たちの純粋な目線からではないが、それなりに気持ちの篭った応援が出来た。
子供向けではあったがそれなりの見応えはあり、隣から聞こえてくる果穂ちゃんの解説も合わせればそこそこに楽しめるものであったと言えよう。
果穂ちゃんも大満足の様子だ。子供らしい振る舞い方も学べたし、休日を費やしただけの甲斐はあったというものである。
その後はゲームセンターなどで1時間ほど一緒に遊び、夕食の前には果穂ちゃんは家に帰っていった。門限などは特に無いのだろうが、小学生にとっては夕食を外で食べるというのは中々ハードルが高いことだったような記憶がある。これが高校生同士とかであったのならば、もう2時間は外で遊んでいただろう。
幸いレッスン室は夜遅くまで使えるため、俺はレッスン室へ行って自主練習に残りの時間を費やした。
☆月☆日
とうとうユニットを組むという話をプロデューサーから聞かされた。
俺の予想通りならば、ユニットメンバーは「黛冬優子」と「和泉愛依」の2人だろう。
「
またメンバー全員がスカウトによって事務所に所属した唯一のユニットでもあり、その特異なメンバー同士の関係性から非常に多くの人気を獲得していたグループでもある。
しかし、ゲーム本編における初期ストレイライトのメンバー間の仲は非常に悪いものであった。
非常にプロ意識が高く自分にも他人にも妥協を許さない黛冬優子と、実力が他の二人より突出していて尚且つ空気を読まず常識に背く行動をする芹沢あさひ。
どう考えてもぶつかり合うのは必至である。
唯一和泉愛依はその辺りの人間関係に機敏で、芹沢あさひを上手く調整することで関係に亀裂が入ることを防いでいた。
まあ尤も、雨降って地固まるというかなんというか、ある事件の際に黛冬優子が素の自分をさらけ出し、芹沢あさひと思い切りぶつかったことで彼女たちの仲はぐっと縮まった。
あの関係性はあさひにとっても非常に尊いものである。
他の二人に対する信頼と、それに対して返される愛情は確かなものであった。
黛冬優子も言葉の上でこそ素直でないが、ユニットメンバーを大切に思っているのは一目瞭然だろう。
だからこそ、プロデューサーからユニットを組むという話を聞いたとき。
不安の念に襲われたのだ。
◇◆◇◆◇
元々、何だか嫌な予感はしていた。
「ふゆ」は結局、ヘタクソな人付き合いの末に産まれたものである。
それなのに、都合よく気が合って、都合よく方向性が合って、都合よくふゆの方がちょっとだけ実力が上で――なんて。
烏滸がましいにも、程がある。
「はじめまして、芹沢あさひっす! 今は中学二年生っす! 黛冬優子ちゃん、っすよね? これからよろしくっす!」
――冬優子にぴったりなユニットメンバーを見つけたから、紹介するよ。
そう言われてやって来た事務所に佇んでいたのは、「芹沢あさひ」を名乗る女子中学生であった。
(……っ! 何考えてんのよ、アイツ!)
内心あの
どちらかと言えばこの少女には、もっと明るくて快活な――283プロでいうならばそう、小宮果穂辺りと組ませるのが最適だろう。
逆に「ふゆ」と組ませるべきなのはもっと可愛さを全面に押し出した、それでいて”そこそこ”程度に明るい女の子である。パフォーマンスの方向性が似ていたり、ほわほわとした仲良し営業が出来れば最高だ。活発さ・元気さは求めていない。
どちらにせよ目の前の少女が「ふゆ」の方向性と合っているとはとても思えず、心の中でプロデューサーを呪う。ふゆにピッタリとは本当になんだったのだ。
とはいえ決められたものは仕方がない。アイツのことだ、どうせ何か考えがあるのだろう。
芹沢あさひの後ろでニコニコと頷いているプロデューサーを横目に、一先ずは言いたいことを飲み込んで挨拶を返すことにした。
「芹沢あさひちゃん、だね。こちらこそよろしくお願いします♡ 仲良くしてもらえたらとっても嬉しいなあ」
「――もちろんっすよ、冬優子ちゃん!」
その言葉にピクリと体が反応する。
自身の呼び方は、「ふゆ」に統一するべきだ。
名前の浸透のしやすさ、あだ名で呼ぶことによる親近感、仲を良く見せるための演出――様々な理由から成り立つ「自身の呼称の統一」という目的を達成すべく、いつものように自分の呼び方を訂正する。
「あ、その……ごめんね。良かったら、ふゆのことは『冬優子』じゃなくって『ふゆ』って呼んでくれないかな。ふゆ、そっちの方がかわいいって思うの」
いつもの作業だ。
手っ取り早く仲良くなるために――今はアイドル活動上の目的も含んでいるが――あだ名で呼ばせる。十年近く続けてきたことである。
先ほどは文句を垂れ流したとはいえ、目の前の少女は同じユニットのメンバーだ。仲良くやっていかなきゃ気苦労も多くなるというものだろう。
少なくとも見た感じビジュアルに文句は全くない。サラサラとした銀髪に、人形のように美しい顔立ち。負けるつもりは毛頭ないが、思わず羨んでしまうほどの顔の良さだ。
にっこりと手慣れた作り笑顔を浮かべつつ、猫なで声で少女「芹沢あさひ」にお願いをする。
呼び名を訂正するというのは、ファーストコミュニケーションとしてはマイナスポイントだ。先手を打って「ふゆ」と呼ぶようにお願いしておくべきだった。
少しばかりの後悔を感じつつ芹沢あさひの顔を見れば、そこにはどうしてか困ったような表情が浮かんでいた。
「――
一瞬の間。
ごく一瞬の間、彼女からは躊躇いの念が感じられて――そしてすぐに、プロデューサーからの前評判通り聞き分けが良く利口な彼女らしく呼び名を変更してくれた。
「うん! ありがとう。ふゆはやっぱり、そっちの方が可愛いなって思うの」
「そう、っすね。わたしもそう思うっす。……あ。それじゃあ、わたしはレッスンの時間っすね。また今度っす!」
あの間はなんだったのだろう。
そう思う間もなく、彼女は忙しない動きでその場を去って行った。
「どうだった、冬優子。仲良くやれそうか」
そうして取り残されていたところにプロデューサーが話しかけてくる。
色々と言いたいことはあったが、一先ずは抑えておく。なんだかんだ、この男のプロデュースの手腕は認めているのだ。
「まあ、やっていけそうなんじゃない? もう一人っていうのがどんな子か知らないけど」
「そうか! あと一人はもうしばらく後に遅れて合流だ。ちょっとの間は2人で活動してもらうことになるけど、よろしく頼むよ」
その言葉に、思わずうへぇとため息を吐きたくなる。
仕事中にわざわざ女子中学生の面倒を見なければいけないのか。心労が増えるというものだ。
そんなふゆの内心を知ってか知らずか、プロデューサーの顔には笑顔が浮かんでいる。
やっぱり一発くらい蹴りでも入れておいた方が良いだろうか。
「冬優子になら安心して任せられるな。……逆に冬優子にとっては、ちょっと辛い時期が続くかもしれない。何かあったら、すぐに相談してくれよ」
「何よ、ふゆがユニットメンバーと仲良くすることも出来ないって言いたいワケ? 冗談じゃないわね。アンタはいつも通り後ろで腕でも組んで、ふゆがユニットでも立派に輝いてるところを見守ってりゃいいのよ!」
そうやって威勢の良い言葉をふゆが言うとアイツはニヤリと笑う。
いつものやり取りだった。
ただこの時のふゆは、プロデューサーの危惧する問題が何かをきちんと理解していなかっただけで。
えー! 絶対「ふゆちゃん」より「冬優子ちゃん」の方が可愛いっすよ!
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日記8
☆月▶日
ついに冬優子と出会った。
とは言っても、交わしたのはほんの僅かなやり取りだけだ。自己紹介と、二言三言の会話。
ただそのやり取りの中で、致命的な間違いを犯してしまった気がする。
俺は一体、どうするのが正解だったのだろうか。
☆月■日
今日は二人での初仕事を行った。
黛冬優子と合同での、化粧品の試供品配りである。
果たしてこれがアイドルの仕事なのかとも思ったが、恐らくプロデューサーの方針なのだろう。とりあえずは色々な種類の仕事をやらせて社会経験を積ませる、というわけだ。
気に入られたら広告にでも起用してくれるかもしれない、なんて打算もあるかもしれない。
まあどんな考えがあれど、俺は「芹沢あさひ」の模倣をしていれば成功していくことはわかっている。特にこの仕事については猶更だ。
しかしその模倣のせいか、黛冬優子には信じられないものを見るかのような目で見られた。
仕事中の「芹沢あさひ」をトレースしている俺と、冬優子と接しているときの俺との差異をどこかで感じ取ったのだろう。
仕事中は「あさひ」をトレースするのが当然のようになっていたため、正気に戻されたかのような感覚である。
あさひならこうするだろう、という想像の下に成り立っているトレースであるが、精度を高め過ぎたせいか最近は「あさひ」と俺の境界があやふやになってきた。
役に入り込み過ぎた役者の感覚、とでも言えばいいのだろうか。
近頃はトレースしている最中に「あさひ」の声のような幻聴までたまに聞こえてくるようになった。
しかし、「あさひ」のキャラクターが一番売れるのはわかっている。
今回の仕事だって、冬優子は現場責任者をぞんざいに扱うなどの俺の自由勝手な行動を咎めてきたが、責任者が気に入るのは「あさひ」の方だ。
これは本編からの情報だけでなく、実際に対峙してやり取りをしたことからもわかる。
彼ら――いわゆる「上の人」との接し方での正解は、「多少無礼であれ、名前を覚えてもらうこと」だ。
尤もそれが通じるのはあさひが幼いから、ということもある。
多少失礼な態度をとったところで子供に本気で怒る大人はいない。
むしろ気安く接してきてくれる子を可愛がりたくなってしまうのが人間の本能だ。
結局のところ、仕事中は「あさひ」を通すことに変わりはない。
内心かなりイライラしていた様子の冬優子には申し訳ないが、我慢してもらおう。
☆月×日
今日のレッスンは冬優子と合同で行われた。
ボーカルレッスンということでデュエットなんかの練習をしたりもしたが、やはり冬優子の実力はかなり高いレベルで纏まっている。
綺麗なお手本通りの発声や、安定した音程。血の滲むような努力が彼女の技術には見え隠れしていた。
とは言ってもまだまだデビューしたばかりの新人たち。トレーナーさんから指摘されることも多く、学びの多いレッスンであったと思う。
レッスン終了後には、またもや信じられないものを見たような顔をした冬優子に歌の経験や一日の練習スケジュールについて根掘り葉掘り聞かれた。
恐らく実際にあさひの才能を目の当たりにして奮起したのだとと思われる。
「ふゆもあさひちゃんに負けないよう、頑張らなくっちゃ!」なんてかわいく言っていたが、きっと人が見たらドン引きするようなハードスケジュールを組んで練習してくるのだろう。
俺も冬優子に負けないよう努力しなければいけない。
ひとまずは、冬優子のビジュアル技術のトレースからである。彼女と接する時間が多くなって、自分のビジュアル能力がみるみる高まっていくのを感じる。この機会に極められるところまで極めておこう。
☆月〇日
今日もひたすらレッスンと自主練習に費やした日であった。
ダンスレッスンの先生は俺の初ライブの映像を見てからますます指導に熱が入った様子で、俺もそれに応えられるように汗を流して練習に励んでいる。
特に先生は俺が浅倉透のオーラを使用していた所に感激した様子で、そのオーラを使用するタイミングなどすらをも考慮に入れたダンスの動き方まで考えてきてくださった。
確かにあの技術は俺が模倣した中で最も時間をかけて習得したものであり、そしてその時間に見合うだけの強力さも持ち合わせた武器である。
その最強の武器の使い方すらも完璧になったのなら、あさひはまた一つ上のステージに登れるだろう。
成長した将来の自分の姿を想像して、思わず武者震いした。
☆月●日
今日も冬優子と合同でレッスンを行った。
本日の内容はビジュアルレッスンである。
ゲーム本編でこそ冬優子は諸々のスキルにおいてあさひに惨敗を喫していたが、この「ビジュアル」という評価基準においては話が別だ。
長年に渡って鍛え上げられた、相手の警戒を緩めて懐にするりと入り込む技術。
自分の可愛い所を120%に割り増しして伝える力。
相手から見た自分の印象を把握し、自由自在に誘導する方法。
「ビジュアル」という面において黛冬優子はトップクラスに位置している存在といっても過言ではない。
模倣すべきところはいくらでもある。自分よりも上の存在と共にレッスンを受けられるというのは何という幸運か。
2時間余りほどのレッスンが終わった頃には、俺のビジュアル技術は比較にならないほどの成長を遂げていた。
他のアイドルと共にレッスンを受けさせるというのはトレーナーの方針だが、やはり間違っていなかった。トレーナーさんも少し引くようなレベルで俺は成長していったのだ。
ちなみに、「ふゆ」に似せたような雰囲気でいかにもアイドルらしい感じの言動をレッスン中にトレースしてみたところ、冬優子が物凄い勢いで俺の事を褒めてきた。
「あさひちゃん、その感じすっごくかわいいね♡」とひどく興奮した様子で俺に告げてきたのだが、言外に「ふゆと方向性を合わせろ♡」という意思があったのは想像に難くない。
恐らくそういったキャラクターを持ったアイドルこそが冬優子の理想のユニットメンバーなのだろう。
とは言ってもあさひのキャラクター性を曲げる気はない。「ありがとっす!」とだけ伝えておいた。
☆月◎日
今日は「アンティーカ」のメンバーである田中摩美々と顔合わせを行ったのだが、流石彼女と言うべきか、いきなりイタズラをしかけられた。
事務所に置いておいたはずの筆箱から、ペンが一本失くなっていたのである。
その場には「ふふー」とニヤニヤしながら笑う摩美々がいたのだから、もう犯人はわかったようなものだ。
その一方で、もしペンが必要だった時に困らないようデビ太郎が頭についた変なペンを代わりに入れているところに、摩美々の性格が表れている。
さてどう対応するのが正解かと悩んだが、ひとまず摩美々にペンの行方を聞いてみた。
すると「ふふー、どこだと思いますかー?」と返ってくるものだから宝探しの始まりである。
まあ、たまたま最初に開けた居間の三番目の棚に入っており、すぐに終わってしまったのだが。
ただの直感で思い浮かんだ場所を調べたにすぎないのに、摩美々は「え!?」とかわいい声をあげて驚いていた。
傍目から見れば、隠し場所を把握しているかの如くにペンを一発で見つけたのである。
隠した側からすれば恐怖以外の何物でもないだろう。
驚きの声をあげたことが恥ずかしかったのか、摩美々の頬は赤くなっていた。
その後はその件で少しからかいつつ、楽しいお喋りをして過ごした。
わたしのペンなら、三番目の棚に入ってるっすよ!
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日記9
☆月☀日
今日は久々に灯織と合同レッスンを行った。
今の所気楽に話せるアイドルが灯織と果穂と冬優子くらいなので、プロデューサーがあえて調整してくれたのかもしれない。
前回のレッスンから成長したところを灯織に見せようと張り切ってレッスンに臨んだら、「すごく、よかった」とお褒めの言葉を頂けた。
その後すぐに自主練メニューなどを根掘り葉掘り聞かれたが、なんだかデジャヴである。
283プロのアイドルというのはみんな上昇志向が強いのだろう。俺も見習わなくては。
☆月♡日
今日、プロデューサーから「ストレイライト」の最後のメンバーがもうすぐ合流すると告げられた。
冬優子と俺の二人だけではストレイライトとして活動することも出来なかったが、3人目も加われば本格的に活動開始である。
ユニットとしての一歩目を踏み出すのが楽しみでしょうがない。ついはしゃいでしまい、冬優子にそれとなく窘められた。反省である。
そして気になる3人目だが、俺の予想が外れていなければ最後の一人は「和泉愛依」だと思われる。
いわゆるギャルと呼ばれる女子高生であり、本来ならばあさひと冬優子の仲を取り持ってくれるはずの彼女。
天才である芹沢あさひや、プロ意識が尋常じゃなく高い黛冬優子と比べれば実力は一歩劣るが、それでもストレイライトには欠かすことの出来ない存在だ。
3人揃ってこそのストレイライトである。早く会いたいものだ。
一方、プロデューサーからはセンターの話もされた。
ユニットの中で一番輝く存在のみが担えるポジション、それがセンター。
イルミネーションスターズにおける櫻木真乃。
アンティーカにおける月岡恋鐘。
放課後クライマックスガールズにおける小宮果穂。
アルストロメリアにおける大崎甘奈。
――そして、ストレイライトにおける芹沢あさひ。
誰もがアイドル業界全体で見てもトップクラスと言える実力者たち。
ユニットの顔となりシンボルとなり、ひいては283プロダクションを背負う存在。
その名誉あるセンターの座を狙って、隠しきれないほどの情熱が冬優子の瞳には燃え滾っていた。
原作ではその実力にてセンターを奪い取った芹沢あさひ。
本人はその座を望んでいないにも関わらず、冬優子がその座を心から望んでいるにも関わらず、ライブでの輝きを以て彼女のポジションはセンターに決定された。
今の俺に、センターに見合う実力はあるだろうか。
冬優子を黙らせるだけの実力はあるだろうか。
そんなことはわからない。
ただ、誰だってやるべきことは同じだ。センターの座が欲しいのならば、他のメンバーの誰よりも努力するしか選択肢はない。
俺と冬優子がレッスン室に向かったのは、同時だった。
☆月○日
先日プロデューサーに言われた通り、ストレイライトの最後のメンバー「和泉愛依」と合流を果たした。
彼女は想像していた通りに明るく気さくな人物で、仲良くなれそうと人に思わせる魅力を持っている。尤も、アイドルとして活動する際は彼女のあがり症が原因で本来の性格とは真逆のクールキャラとして売り出しているのだが。
まあ、どちらにせよ冬優子の想定していたメンバーの性格とは違ったようで、彼女は微妙そうな顔をしていたものだ。
そしてようやく完成したユニットは「ストレイライト」と名付けられた。
「迷光」の意味を持つその名前は、プロデューサー考案だ。というか、ユニット名は全て彼が名付けているのだが。
更に早速というべきかなんというか、プロデューサーはストレイライトの初仕事としてミニライブの予定を組んでいてくれた。
ショップと連携してのイベントで、ストレイライトのCDの宣伝もしてくれるというそれは総じて良い仕事と言え、メンバーのみんなも受けることに異論は無いようだった。
しかし「
というのも、先方の手違いによってイベントの日時が間違って告知されてしまうのだ。
当然人は集まるわけもなく、観客を集めるためにユニットの中で一悶着起こることとなってしまう。
尤も、俺がプロデューサーにそのことを知らせれば済むだけの話だ。
実際のイベントの告知を見て日付が間違っていることを確認し、先方に連絡して修正してもらえばいい。
それだけで全て解決する。憂いの念を断てば、後はとにかく練習あるのみだ。
☆月Δ日
最近は専ら和泉愛依と黛冬優子との合同レッスン漬けの日々であるが、ようやくストレイライトが始動した感じがあって本当に充実した日々である。
そもそもこの体に憑依して以来、「誰かと共に何かをやる事」がひどく尊く思えるのだ。3人で一曲を完璧に通せたときなど思わずガッツポーズをとってしまう。
また和泉愛依こと愛依ちゃんは好きなだけ俺のことを褒めてくれるし、冬優子も表面上はすごいすごいと言ってくれる。
要するに外見上は練習の雰囲気が良く、非常に楽しいものとなっているのだ。
とは言え馴れ合いのような形になってしまうのも本意ではない。お互いに厳しいことも言えるような仲になりたいのだが、それはまだ先の話になりそうだ。
ちなみにイベントの告知の間違いについての連絡は既にプロデューサーに頼んでおいた。
ストレイライトの門出を完璧なものにしたいという思いからの行動であったが、特に冬優子からはめちゃくちゃ感謝されたものである。
283プロでも一、二を争うくらいの情熱をアイドルに注いでいる彼女からすれば、自身のスタートをなるべく最高の形で切りたいと思うのも当然だろう。
恩を着せるつもりは全くないが、これを切っ掛けに好感度が上がっていてくれたら嬉しいものだ。
☆月□日
はっきり言って意味が分からない。
「運命」というものの存在を改めて実感した。
待ちに待ったストレイライトの初ライブ。
万全の準備をして臨み、振り付けも衣装も完璧に整えて会場へ向かえばそこでは、
聞けば、プロデューサーから連絡を受けた先でまた連絡トラブルがあり、結局告知の日付修正は行われなかったという。
後から修正されたことを確認しなかったこちらもこちらだが、ハッキリ言って激憤ものである。
連絡を受けた子が体調を崩して伝えるのを忘れてただの色々と謝罪の際に理由は並べ立てられたとはいえ、あれだけの情熱を初ライブに注いできた冬優子たちからすれば到底納得できるものではないだろう。
プロデューサーから確認を怠ったことの謝罪と共に先方の事情を伝えられていたときの冬優子など額にうっすらと青筋が浮かんでいた。一方その頃の俺は運命というものの存在に打ちひしがれていたのだが。
結局のところ、全て原作通りの展開になってしまった。というか原作通りに
観客を短時間で集めなくてはいけないという問題に対し、冬優子と愛依が声掛けをして地道に宣伝をする一方、「芹沢あさひ」は路上パフォーマンスによって観客を大量に獲得するという方法で解決を図った。
この路上パフォーマンスが問題で、しっかりと邪魔にならないようスペースを事前に取ったならともかく今回のような突発的なそれは人の邪魔になったり、そもそも禁止されている可能性だってある。
結果的にこの客引きのお陰でライブは大成功だったとはいえ、「あさひ」の勝手な行動はユニットに不和を残してしまう。
全て記憶にあるシナリオ通りだった。全て昨日までの俺の想定外だった。
本来ならばもっと順調にライブを終えている予定だったのだ。俺もこんな問題があるとわかっている行動なんかしたくはなかった。
「原作では大丈夫だったのだから今回も大丈夫だろう」なんて打算や、多少の問題を許容してでもユニットとしての初ライブを成功させたい、という気持ちも俺の行動の要因の一つにある。
ただそれよりも、「勝手に体が動いていた」と言う方が正しい。
愛依と冬優子が声かけに向かった時、俺はそんなやり方じゃ観客は集まって十人が良いところだろうと、ひどく冷静に勘定していた。
無論二人はそんなこと承知で声掛けに向かったのだろうし、本来ならば俺もその声掛けに合流して協力するのが正しいやり方だったのだと思う。
しかし、俺の頭に響いてきた声はごく当然のことのように路上パフォーマンスを提案してきた。
ある見世物を宣伝したいとき、どうするのが一番良い方法だろうか。
ごく簡単な結論として、見世物の内容を小出しにすれば良いというものがある。
俺はそれをやったに過ぎない。今まで練習してきたパフォーマンスを軽く見せ、もっとすごいものをこの後ライブでやると言えば観客は簡単に集まった。
本当に原作通り、「あさひ」と全く同じ発想である。
まあ、結局のところは俺のやり方が悪かったということに尽きる。
そしてそれと同時に、ストレイライトのライブは大成功に終わったということも事実。
様々な後悔があるとはいえ、今日の所はそれが全てだ。
本当の問題は、もう少し先にある。
プロデューサーさんと冬優子ちゃん、何で怒ってるっすか……?
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