過ぎ去りし世界を求めるベロニカ (もちごめさん)
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一話

「セーニャ……あいつのこと、頼んだわよ」

 

 光の玉となって四方に散って行った仲間たちを見送ると、あたしの身体はとうとう力尽き、座り込んでしまった。

 

 もう辺りにはあたしの守るべきものは何もない。清らかだった大樹もすっかり枯れ果て、代わりにその魂の力を奪い、我が物としてしまった魔王ウルノーガの膨大で邪悪な魔力だけが、頭上で今にも爆発せんばかりに膨れ続けている。それだけだ。

 

 ふと、思い返す。この場所にたどり着くまでの道のりは長かった。妹のセーニャとラムダの一族の使命のために旅立ち、ホムラの里で勇者であるあいつと、ついでにカミュを見つけて、それからシルビアにロウにマルティナと出会ってオーブを求めて旅をして――

 やっとの思いでたどり着いた命の大樹で、まさか収められていた勇者の剣もあいつ自身の勇者の力も、デルカダール王に化けていた魔王ウルノーガに奪われることになるなんて思ってもみなかった。

 

 あたしたちは、奴に負けてしまったのだ。命の大樹は墜ち、世界ではきっとこれから暗黒の時代が始まるんだろう。

 

 けれどそんな未来にも目の前に迫る死にも、あたしは絶望なんてしていない。希望があるからだ。あいつもセーニャも仲間たちも、どこに飛んでいったかはわからないけど、あたしの魔力がみんなを無事に逃がしたはず。

 だから世界が破滅してあたしが死んでも、生き延びたみんながきっとなんとかしてくれる。世界を救ってくれる。勇者を守り導く一族の使命も、残りは双賢の片割れ、セーニャが上手くやってくれるだろう。

 

 グズな妹だけど、あの子はあたしに似て強い子だ。だから大丈夫。……やっぱり少しは心配だけど、仲間のみんなもいるんだから、きっとあたしがいなくても生きていける。

 

 自分を犠牲にみんなを救ったことに、後悔なんてあるはずもなかった。

 

 でも――

 

「もう会えなくなっちゃうのは……少しだけ、寂しいわね……」

 

 炸裂した魔王ウルノーガの魔力は、それを最後に、あたしの意識をあっさりと掻き消した。

 

 

 

 散り散りになり、思考が霧散する。魂すらも溶けていくようだった。命の大樹という還るべき場所を失った魂はただ揺らぎ、ひたすらに漂うのみ。一切の“虚無”が、あたしをじりじりと消し去っていく。

 

 それが、いったいどれくらい続いたのかはわからない。一瞬だったのか、それとも数年が経ったのかすらはっきりしなかった。けれどある時ふと、消えかかったあたしの魂は、何かを感じた。

 

 それが何かは、やっぱりわからなかった。感覚も思考もない魂には当たり前のことだけど、しかしやがてじわじわと、それらが蘇ってくる。感覚と思考が、それを捉えた。

 

 水……波……砂……。

 

 そして何かに触れられ揺すられる身体と、背中に感じる人の熱だ。

 

(――なに……?)

 

 ゆっくりと瞼が持ち上がった。歪み、ぼやけながらも光が視覚に映る。目の前にしゃがみこんで心配そうにあたしを見つめるその姿は――

 

(人魚……?)

 

 青い肌に魚っぽいヒレ。海底王国ムウレアにいた男の人魚たちに似ている気がする。

 

「………!」

 

 そんな彼の、男の人魚にしては人間らしい顔つきが、あたしが目を開けたことに気付いたみたいでぱぁっと輝いた。瞳の奥に温かな光が見える。その時になって眼だけじゃなくようやく耳にも機能が戻って、ザーザーという波の音と一緒にもう一人、目の前の人魚の奥から真っ白のタキシードを着た別の人魚が現れて、慌て始めるのが見えた。

 

「エクス! 彼女、まだ息があるじゃないか! 早く村に運ぼう! 貝殻は後回しだよ!」

 

 エクス……。それがこの、目の前の人魚の名前? タキシードの人魚にコクコク頷いてるから、たぶんそう。

 

 けれど意識と思考が続いたのはそこまでで、エクスとかいう人魚に抱き上げられる感覚を最後に、あたしの目と耳はまた塞がって真っ暗になった。

 

 

 

 次に気が付くと、あたしは砂の上でもエクスの腕の中でもなく、ベッドの上に寝かされていた。仰向けで見える天井は知らないもの。けれどどこか南国風というかなんというか、ナギムナー村みたいな海の村の雰囲気を感じる造りだ。それに空気を嗅いでみれば、布団の日向のにおいに混じって潮の香りも漂ってくる。

 

 ていうことは、ここはやっぱりナギムナー村? 人魚のロミアと猟師のキナイ・ユキの悲しいお話があったあの村に、あたしは流れ着いたんだろうか。

 それでエクスに拾われて、村に運ばれて……あれ? そもそもあたしはなんで“流れ着く”なんてことになって――

 

「ッ!! ウルノー……ぅ、()ったぁ……!」

 

 思い出して身体が跳ね起きようとしたけれど、上半身が起き上がったところで身体中に痛みが走って固まった。やり過ごしていつもの服の上から探ってみれば、腕や脚や身体のあちこちに包帯が巻かれているらしい。

 だけど、そのどれも大した怪我ではないみたいだ。てっきり大怪我をしたものだと思ったのだけど、どうやら想像に引っ張られて過剰に反応してしまっただけみたい。落ち着いてみれば、痛みは精々すりむいたくらいのものだ。

 

 けどむしろそれが不思議だ。あたしが浴びてしまった魔王ウルノーガの魔力は、絶対にすりむく程度で済むようなものじゃなかったはずだ。それに第一、あの時確かにあたしは死んでしまったはずなのに……。

 

 どうして生き延びれたんだろう。一度は“どうなってもいい”と思った命がまだ自分の手の中にあることが、なんとも言い表せない奇妙な違和感だ。布団の端をにぎりしめて唸っていると、不意に部屋の扉がガチャリと開いた。

 

「あっ! あなた目が覚めたのね! よかった……ねえねえ、怪我の具合はどう? 海の岩とかに打ち付けられたんだろうけど、全身傷だらけだったから」

 

 ミニスカート姿で現れた女の子。看病のためだろう道具を抱えてあたしのベッドに駆け寄るその子は、エクスたちとほとんど同じ姿だった。

 

 ……やっぱり変だ。あたしの記憶では、女の人魚は人間の上半身とお魚の下半身を持つ種族だったはずで、男の人魚のように人間とお魚が合わさったような見た目ではなかった。二足歩行できる脚だって、二度と海に戻らないというくらいの覚悟がなければ得られないものなはず。

 それに、ナギムナー村は人魚に対してあまり印象が良くなかった。なのにエクスとタキシードの人魚とさらにこの女の子の人魚までがいて、しかもあたしの容態を心配そうに尋ねてくる彼女の様子から、人間に思うところがあるような感じもしない。

 

「ああ、ごめんね。今まで気を失ってたんだから、わけがわからないよね。……慰霊の浜に倒れていたあなたを、私の友達のエクスとアーシクが見つけてここまで運んできたの。それで私があなたの看病をしてたんだけど……」

 

「……そうだったのね、助けてくれてありがとう。あたしベロニカっていうの。あなたは?」

 

 とりあえず、黙り込んで色々疑問を考えるのは中止。そのせいで気を回させてしまった彼女に応えた。すると彼女は気まずそうな顔から、すぐに最初みたいに明るく笑った。

 

「そっか、ベロニカちゃんっていうんだ。私はルベカ、村長の娘よ」

 

「村長の娘……? あなたのお父さんが村の長なの?」

 

「うん、そうだよ。とはいっても、ただのまとめ役って感じだけどね。お屋敷に住んでるわけでもないし」

 

 ナギムナー村の村長が人魚であるはずがない。ということはここはやっぱりナギムナー村じゃないんだろうか。

 人魚が三人もいるんだから、そう考えるのが自然なのかも。けど、なら――

 

「ねえ、ここってどこなの? あたし、前に海底王国ムウレアに行ったことがあるんだけど、そこでも地上に人魚が村長をしてる村があるなんて話は聞きもしなかったわ」

 

 ナギムナー村でないのなら、いったいあたしはどこまで流されてきたんだろう。例えばムウレアにも話が伝わらないくらい遠い孤島だったりしたなら、きっと帰るのも大変だ。

 

 せっかく生き延びたのだから、あたしも仲間と一緒に魔王ウルノーガを倒す旅を続けたい。だが、尋ねたルベカはなぜだかキョトンとして、しばらくあたしを見つめるばかり。どうかしたの? と、心配を言おうとしたその時になって、ようやく彼女は再起動した。

 

 ただしその眼は、何か微笑ましいものを見るような笑顔だった。

 

「それって、私が人魚みたいってこと……? ふふ……そんなこと言われたの、私初めてだわ……! 海底王国ムウレアに人魚の村って何かの絵本? ベロニカちゃん、そういうのが好きなんだ」

 

「……待って。ルベカは人魚じゃないの……?」

 

 どう考えてもあたしの幼い見た目から幼女の妄想として見ている。もはや慣れっことはいえモヤモヤするけど、それ以上に見過ごせないこと。

 

「え? ……えーっと……ど、どうしよう……。真面目に答えるべき……? でもそしたらベロニカちゃんの夢を壊しちゃうかも――」

 

「そういうのはいいから! ……あなたたちは、何なの……? ここはいったい……」

 

 どこなのか。ナギムナー村じゃないし、ルベカたちは人魚でもないらしい。知っていることが何一つ通じない現状が、あたしを心細くさせていた。

 

 それがルベカにも伝わってしまったのかもしれない。言葉を遮ったあたしに言い淀んでから、彼女はまた表情を暗くして、今度は憐れむみたいに眼を閉じる。それが開いて、一緒に口も開こうとした、その時だった。

 

「わしらはウェディだ。そしてここはウェナ諸島のレーンの村、その中にあるフィーヤ孤児院という小さな孤児院にお前さんは寝とる」

 

「あ、バルチャさん、お帰りなさい!」

 

 人魚、もとい青っぽい肌色と顔の横と背中にあるヒレ以外は人間そっくりな“ウェディ”の、お年寄りらしい腰の曲がった小さなおじいさんが、いつの間にか部屋に入ってきていてルベカの代わりにあたしの疑問に答えてくれた。

 

 答えてはくれたけど、やっぱりそのどれもが知らないものだ。おじいさん、バルチャさんは、曲がった背中をさすりながらあたしのベッドに手を掛けて、そんなあたしの顔を覗き込んだ。

 

「……わからんか。なら、ここいらの生まれではないな。人間の多いレンドアかラッカランか……あるいはレンダーシアから流されてきたのか。それにしても、ウェディを見たこともないというのも珍しい」

 

 レンドア、ラッカラン、レンダーシア。……やっぱり駄目。地名なんだろうけど、どれもこれも聞いたことがない。

 

「まっさかぁ! ラッカランはまだ近いけど、レンドアなんてすっごく遠いじゃない! レンダーシアも……今は変な霧で閉ざされちゃって、行き来ができないんでしょ?」

 

「そうらしい。だがそれに巻き込まれた、ということもあるだろう。あの霧のことはほとんど何もわかっておらんと聞く」

 

「うーん……ならベロニカちゃん、いったいどこの子なのかなぁ。ねえ、何か覚えていることとか、ある? ベロニカちゃんが住んでた町の名前とか、わかるといいんだけど……」

 

「覚えてるわよ。……覚えてるけど……」

 

 幼女扱いを咎める気にもなれなかった。だってもう、いくつも出てきた知らない地名は二人の言葉だけでも大きな世界を築いてしまっていて、それを、“今まで誰にも知られてこなかった秘境”として片付けることはとてもできなかったからだ。

 

 つまりあたしは、ある一つのとんでもない可能性に気付いてしまったのだ。

 

「……ねえ」

 

 なけなしの勇気を振り絞って、あたしはそれを二人に尋ねた。

 

「ここ、ロトゼタシアじゃないの……?」

 

 聞くと、ルベカは目を見張ってまたキョトンとした顔をした。対してバルチャさんは少し眉を動かしただけで平然と、あたしを見つめてまた答える。

 

「……このウェナ諸島と、オーグリード大陸、エルトナ大陸、ドワチャッカ大陸、プクランド大陸の五大陸も合わせて……ここは母なる大地アストルティアと、そう呼ばれておる」

 

 生き残って流れ着いたのが、あたしの元居た大陸とは全く別の大陸であることを、あたしは理解しなくちゃならなかった。

 

 

 

 それから動揺する心をどうにか落ち着けて、あたしは二人にいろんなことを訊いた。ロトゼタシアの名前のこととか、落とされた命の大樹のこととか、落とした魔王ウルノーガのこととか。けれど、ロトゼタシアに住む者なら知らないはずがないそのどれもを、二人は知らないらしい。空想の話ではないのかと、とうとうバルチャさんにまで疑われてしまったくらいだ。

 

 あたしがアストルティアを知らないように、二人もロトゼタシアを知らなかった。それは二つの大陸、いわば世界が、どれだけ広い海を隔てているのかもわからないくらい、遠く離れた場所に存在しているということを証明してしまっていた。

 

 その距離は、せっかく生き延びたのにセーニャに、仲間たちにもう会えないんじゃないかって、あたしに思わせてしまうほどのものなのだ。

 

 思ってしまって、心細さがますます増した。寂しさが溢れて次第に口が重くなって、ルベカとバルチャさんにも言葉の途中で心配をさせてしまう。いたたまれなくなって、お礼を言って会話を打ち切ろうとした。

 

 それを遮るようにして、三人目の来客が部屋のドアを開け放った。

 

「………!」

 

 ちょうどあたしも二人に断るために顔を上げていて、眼が合った。青い肌とヒレのウェディの男。けどその優しげな顔立ちと暖かな眼差しは、見覚えのあるものだった。

 

 エクスという名前らしい、あたしを最初に助けてくれた男は、あたしの姿を認めるとほっと息をついて微笑んだ。

 

 改めて見れば、なんだか迫力に欠けたお人よしっぽい顔。どこか既視感のようなものを感じる彼に、あたしはぺこりと頭を下げる。

 

「ええと……あなた、エクスっていうのよね。あなたがあたしを運んでくれたって聞いたわ。ありがとう」

 

 エクスは気にしないで、と首を振って、なぜだかあたしの頭を撫でてきた。

 優しい手つき。けどそんな子ども扱いが今更ムッときて、勝手に眉間に皺が寄る。ほとんど同時にエクスもハッとしたふうに手を離し、それを追っかけて文句を言ってやろうとすると、その奥にさらにもう一人、今度は金髪のありがちなイケメンっぽいウェディが壁に背を預け、あたしを見下ろしていた。

 

「エクス、このチビが、お前が拾ったっていう人間のガキか? 死んでなくてよかったな」

 

「――っもう! みんなして子ども扱いしてっ! ていうか、誰よあんた!」

 

 バシバシ布団を叩きながら睨みつけてやるけど、そいつは鼻を鳴らしてそっぽを向いたまま、あたしを全く相手にしない。チビとかガキとか、あっちから喧嘩を売ってきたくせに……いけ好かない。

 そんなあたしたちを交互に見やってあたふたするエクスも役立たずで、そっちも睨みつけるあたしの前に、ルベカがちょっぴりおどおど割り込んだ。

 

「ええっと……ごめんね? ヒューザって誰にでもあんな感じだから、悪気があるわけじゃないの……たぶん」

 

「どうだかね。……まあ、いいわ。ルベカに免じてその失礼な物言いは聞かなかったことにしてあげる。……二人とも、疲れてるみたいだしね。魔物とでも戦ってきたの?」

 

 無理矢理に気を落ち着けられて、一方的なにらみ合いが終わって逸れたあたしの眼は、エクスと、ヒューザというらしい彼らの恰好にそれを見つけて口にした。

 

 エクスは片手剣と盾、ヒューザは両手剣で二人とも武装しているし、服には汚れと、少しだが傷もついている。それになんだかちょっぴり湿っているし、水系か何かの魔物が相手だったんだろう。

 そこまでを言ったわけじゃなかったけど、視線から、あたしがそういうことを見抜いたことは二人にもわかったらしい。侮る眼が薄れて消えた。

 

「……へぇ、ガキのくせにわかるのか。変に戦いに慣れてやがるな」

 

「……!」

 

「だからガキじゃないってば!」

 

 微妙な笑顔を作るエクス。だけど彼もヒューザも、あたしが戦い慣れていることは見抜いても、扱いは幼女のまま。再び熱くなるあたしを、またまたルベカが止めて言った。

 

「ああっと! そうだヒューザ! エクスも、シェルナー選定の試験、二人とも帰ってきたってことはもう終わったんでしょ? どっちになったの?」

 

 瞬間、ヒューザの顔が険しくなった。同時にエクスが居心地悪そうに眼を泳がせる。それでルベカも察したらしく、言葉が止まった。

 けどあたしはその“シェルナー”なるものを知らないのだから、ヒューザを慮ってやる必要なんてないのだ。

 

「ねえ、シェルナーってなに? ヒューザ、あんたもしかして、その試験ってのに落ちゃったの?」

 

「……うるせぇよ、クソガキ……」

 

 あんたがそう言ったんだから、その責任を負わせただけのことだ。言葉には出さずにニヤッと笑ってやると、ヒューザはとうとう耐えかねたのか部屋を出て行った。キザな後姿がする挨拶のジェスチャーに心の中で舌を出してやる。

 エクスは追おうかどうか一瞬迷っていたけど、その間にあたしの近くで見守っていたバルチャさんが、はぁ、とため息を吐き出し、代わりにあたしに答えを言った。

 

「シェルナーというのは……最近は、簡単に言えば結婚する花婿と花嫁の仲人だ。今回はアーシクという男とキールという女のな。……エクス、アーシクからもう貝殻を受け取っただろう? なら、次に向かうは花嫁キールが身を清める祈りの宿。ベロニカの容態に安心したなら、早く迎えに行ってやれ」

 

「祈りの宿?」

 

「ここから北、レーナム緑野にある宿だ。シエラ巡礼地という聖地への通り道で、そう呼ばれておる」

 

 なるほど。思わず重ねて聞いてしまったが、よかった。

 

「ということは……遠くからも人が集まる場所なのよね」

 

「……そうだ。ウェナ諸島だけでなく、他の大陸の話も、もしかしたら聞けるかもしれん」

 

「それって……! も、もしかしてベロニカちゃん、エクスと一緒に祈りの宿に行きたいってこと!?」

 

 バルチャさんに続いてルベカと、そしてエクスも気付いたようだ。あたしを見ていた目が丸く見開かれる。

 

「危ないよ! 道中は魔物だっていっぱい出るし、それにベロニカちゃん、怪我はまだまだ治ってないのよ!?」

 

「大丈夫よ。ちょっと擦りむいただけだし、問題ないわ」

 

 布団を剥いで、全身に走るヒリヒリする痛みに耐えてベッドから降りる。脚を踏ん張ってふらつかずに済んだから、説得力はあるはずだ。

 

 それに、と、みんなの前で指を鳴らして、魔力で火をつけてみせる。

 

「見ての通り魔法だって使えるわ。それに、ルベカとバルチャさんには言ったけど、あたしは仲間とずっと……旅をしていたのから、戦いには慣れてるの。……大丈夫ってこと、わかってくれたでしょ?」

 

 魔王ウルノーガを倒すため、ということは伏せておいた。余計な不信感を持たれても困るし、それになんとなく、彼の前では出し辛かった。

 

 しかし代わりにずいっと詰め寄って訴えると、思った通り押しに弱かったエクスはしぶしぶといったふうに頷いた。ルベカはなおも止めようとしたけど、バルチャさんがそれを制する。

 

「……エクス、連れて行ってやれ。ベロニカはどうやらお前と同じように、探しているものがあるらしい。気持ちはわかるだろう」

 

「う……そう、だね。エクスも両親を探すために、シェルナーにまでなったんだもんね。私、応援してたんだから、ベロニカちゃんだけ止めるのは、違う……のかも……」

 

 また話がよくわからないけど、ルベカも納得、というよりは諦めてくれたらしい。あたしの前から身を引き、道を開けてくれる。

 

 ともあれ、探そう。ロトゼタシアに帰るための手がかりを。流されてこのアストルティアにたどり着いたんだから、きっとそれは叶うはず。

 

 立って、懐かしい感じの身長差を見上げて眼にするエクスのお人よし顔に、なんだか希望が湧いてきた。気分も上向いて、あたしは自然と笑顔になっていた。

 

「さ、そうと決まれば早く行きましょ!」

 

 苦笑する彼の背を叩いて、あたしはドアを押し開けた。




主人公エクスくんがウエディなのは私のキャラがウエディだから。


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二話

「ねえ、そういえば、杖は流れ着いてなかったの? 赤い宝玉が填まったあたしの杖」

 

 緑が広がり、スライムやモーモンたちが穏やかに過ごしている村の外の野原。その海岸線に近い崖の、その下だ。あたしが打ち上げられていたという“慰霊の浜”なる浜辺を見下ろしながら、あたしは隣を歩くエクスにそう聞いた。

 

 長く一緒に歩んできた愛用の杖。それが今、あたしの手元にないのだ。

 いつかの港町では盗られたこともあったけど、まさかバルチャさんとルベカはそんなことしないだろう。問答の時に訊いた限りでは村に運び込まれたのはあたしの身一つで、杖なんて見ていないらしい。

 だから知っているとすれば、あの場であたしを見つけたエクスだけだ。あたしの子供の見た目から、まさかそれがあたしのものだとは思わず拾ってしまったのかもしれない。そんな一縷の望みにかけてダメ元で聞いてみる。

 

 だけど、やっぱり彼は申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「……そんな顔しなくても、なかったのならまあ、仕方ないわよ。きっと海に沈んだか、壊れでもしちゃったのね」

 

 あたしは助かったからもしかしたら、って思っただけだ。ないならないで、別に困ることじゃない。

 

「……?」

 

「別に無理に探さなくてもいいわよ。丸腰がなんだか落ち着かないってだけ。愛着はあったけど……杖自体は高価なものじゃないしね」

 

 祈りの宿に向かう前にもう一度浜を調べてみようか、なんてエクスの提案は蹴り飛ばして、あたしは立ち止まりかけた彼の背中を叩いて押した。

 

 それにだ。流れ着いているかもとは思ったけれど、そもそもあたしがこのアストルティアにたどり着いてしまった経緯がそもそもよくわかっていない。奇跡的なものだから、杖はむしろロトゼタシアに残っている可能性の方が高いんじゃないか。

 ならせめて、杖だけでもロトゼタシアに残っていてほしいって、そう思った。あたしの代わりに仲間たちの力になってくれる。頼りない妹に喝を入れるくらいは、きっとできるはずだ。

 

 魔王の手も届かないくらい遠く離れた地に飛ばされてしまったあたしには、そんなことすらできないから。

 

 しぶしぶ歩き出すエクスの背中を追いながら、あたしはつい、そんなことを考えてしまう。それは巡って不安を生んで、あたしの気持ちを暗くした。

 

 そうしてしばらく歩いて、ふとあたしは空を見上げた。

 綺麗な世界だ。晴れ渡る青い天。嗅げばさわやかな潮と緑を感じられるこの空気。

 

 その美しさは、この世界があたしの知る世界と本当に繋がっているのか、どうしても疑わしく思えてしまう。ロトゼタシアのこと、仲間たちのことを心配して想う度、反比例するみたいにその不安はますます強くなっていくのだ。

 

 ――あたしは、みんなのところに帰れるのかな。

 

「……?」

 

「……え? あ、ううん。なんでもないわよ、独り言」

 

 胸の中で呟いただけのつもりが、どうやら声に出してしまっていたみたい。反応して首をかしげるエクスでそれに気付いて、誤魔化そうとする。

 けど何か気付かれてしまったのか、エクスは引き下がらなかった。立て続けに心配してきて流石に無下にし続けることもできなくて、あたしは仕方なく、深く息を吐き出した。

 

 重くなっていた口を、ゆっくりと開く。

 

「……ほら、あたし、仲間と旅をしてたって言ったでしょ? その時に、魔王ウルノーガってやつと戦って……負けて、崩壊してしまう運命だったはずなの。あたしの知る世界、ロトゼタシアは」

 

 それからあたしは、バルチャさんとルベカに話して聞かせたように、仲間たちとの冒険譚をエクスに語った。

 勇者を導く使命を負ったあたしと妹のセーニャが勇者であるあいつと出会い、さらに仲間と出会いながら旅をして、勇者の使命を知るためにたどり着いた命の大樹。そこで魔王ウルノーガに勇者の力と命の大樹の魂を奪われ、世界と一緒にあたしも吹き飛ばされてしまったはずだということ。

 そしてそれはこのアストルティアではなく、ロトゼタシアという大地での出来事だということを、あたしはなんとか口にした。

 

 語り終わって、けどエクスから言葉はない。あたしもその反応を見るのがなんだか怖くて、眼は逸らしたままだった。逸らしたまま、続けて独り言の意味を言う。

 

「……どうやらここは、あたしの知ってる世界とは別の世界みたいなの。魔王の滅びが及ばないくらい、遠い大陸……。だからそんな遠い場所に……セーニャたちのところに、あたし帰れるのかなって……ちょっと不安になったの。それだけよ」

 

 けれどその気持ちをわかってもらえるなんて、あたしは思っていなかった。だってそもそもロトゼタシアとか魔王ウルノーガとか、それ自体がアストルティアの人々にしてみれば作り話としか思えないような荒唐無稽な内容なのだ。

 とても信じられないだろう。バルチャさんやルベカも、言葉では信じてくれたけど、その心に深いところには疑いの色は拭いようがなく存在していた。別にそれを悪く思ってるわけじゃなくて、それが普通なのだ。幼女の作り話か、そうでなくても浜辺に倒れていたのだから、そのショックで記憶と妄想がごちゃごちゃになっているんだろうって、そう思うのが当然のこと。逆の立場ならあたしだってそう考える。

 

「そういえば……村を出る前にエクスが貰ってた青い石、ルーラストーン、だっけ? ルーラの呪文が失われてしまったから、その代わりに生み出された道具なのよね。そんなのもロトゼタシアにはなかったし、そもそも呪文は失われてなんてなかったわ。なんならあたしの仲間が使えたしね」

 

 妄想の証拠は、一つ一つ語っていってはきりがないくらい。だからあたしは、エクスにロトゼタシア(この)話をしたくなかったんだろう。バルチャさんとルベカに話した時のように信じてもらえず、それがまるで仲間たちが存在しないものだと、もう会うことはできないんだって言われてるみたいに思えてしまうから。

 

 だからエクスがそう言うところなんて見れるわけもなくて、締めの言葉は自嘲気味に、目を伏せたまま呟いた。

 

「……信じられない話でしょ?」

 

 そんなことはないよ、っていう返事は想像していた。あたしを傷つけないための、バルチャさんとルベカのような優しい言葉。あたしは顔を上げた。

 

 けどエクスの顔、あたしにまっすぐ向いたその眼を見た瞬間。

 ――あたしの胸の内に渦巻いていた不安も諦めも、まとめて吹き飛ばされてしまった。

 

「……エクス、あんた……まさか今の話、信じたの……?」

 

 力強く頷く彼のその眼は、あたしには全く“疑い”の色が無いように見えた。

 

 それどころか潤む瞳は強く共感してくれているようにも感じられてしまう。訳が分からなくて、その分だけ逆にあたしの眼が“疑い”になって、そしてやがて“呆れ”になった。

 

「こんな……普通じゃない話、信じるのなんてあんたくらいね……。そのお人よし具合、悪い奴に簡単に騙されちゃいそうで心配になるわ。人の話をあっさり信じちゃ駄目よ」

 

 でも、ベロニカは嘘なんてついていないでしょ?

 

 あたしが肩をすくめて言うや否や、間髪入れずにエクスはそう言い切った。息が詰まって声が出なくなってしまう。

 何の疑いもなく信じてもらえた。そのことが、あたしは胸が熱くなってしまうくらい嬉しく思えたのだ。

 

 深呼吸してその熱さを必死にやり過ごしていると、慰めるみたいにエクスが言った。あたしはつい、それを聞き返す。

 

「……妹……? エクス、妹がいるの……?」

 

 頷いて、しかし続いて悲しげな顔になるエクス。

 確かルベカが、エクスは両親を探すためにシェルナーになったって言っていた気がするけど、妹も含めて生き別れてしまっているんだろうか。

 

 ……どうやらそうみたい。何も言わなかったけど、空を見上げる眼が、あたしとすごくよく似ていた。

 

「……どんな妹さんだったの?」

 

 似ていたから、だから気になって、あたしはいつの間にか聞いていた。話題にすることはエクスを傷つけることになってしまうんじゃないかって少し不安になったけど、聞いてみたい思いが勝った。けど恐る恐るに覗き込んだエクスの顔は傷ついてはいなくて、あたしを見つけてちょっと笑顔になった。その理由が、ためらいがちに口にされる。

 

「……あたしにちょっと似てる? 妹さんが? ……ふぅん。もしかして、だからあたしが祈りの宿までついてくことを渋ったのかしら」

 

 気まずそうに、また眼が逸らされる。その通りだって言ってるようなものだ。

 

 けど詰ってやれるはずもない。ついでに子ども扱いの文句諸々も口を閉ざすことにして、あたしは元気が失せてしまった彼に、お返しで明るい声を出してやった。

 

「なら、きっちりシェルナーになって探してあげないとね」

 

 エクスが、なぜだか驚いたようにこっちを振り向いた。半開きの口は思いもよらなかったことを言われたふうに呆けていて、あたしはつい苦笑いしてしまう。

 

「何よその顔。大切な妹だから、エクスもあたしに共感してくれたんでしょ? ……あたしは、諦めない。絶対にセーニャたちのところに、ロトゼタシアに帰るわ。だからあんたも諦めずに探すのよ。たとえどれだけ遠くにいても……世界が繋がっているなら、きっとまた会えるもの」

 

 そう言うだけの勇気をくれたのはエクスなんだ。だから他でもないあんたがそんな呆けた顔をするなんて、ダメ。

 あたしは小走りにエクスを追い抜いて、背中を向けたまま先を進んだ。

 

「ほら、さっさと元気を出しなさい。こんなところでぼーっとしてる暇はないわよ。早く祈りの宿に行きましょ」

 

「……!」

 

 あたしがそうだったように、同じ痛みを抱えるあたしたちだからきっと共感できるんだろう。追いついてきたエクスの顔はもう明るく戻っていて、また私を先導して歩き始める。あたしも、それをまた追いかけた。

 

「全く……世話が焼けるわね。優しいお人よしのくせにちょっと頼りないところ、まるであいつみたい」

 

「……?」

 

「え? あいつって誰って? そりゃ勇者のことよ。ほら、話したでしょ、一緒に旅をしてたって。しっかりしてるようで意外と抜けてるのよ。例えばダーハルーネっていう港町で敵の中を隠れて通り抜けなきゃいけないことになったんだけど、あいつ何回も見つかっちゃって――」

 

 なんて思い出話をしながらあたしたちは歩き、やがてレーナム緑野に差し掛かった。

 

 そしてとうとう目的地の祈りの宿にたどり着く。見えるのは湖の中の小島にある建物だ。巡礼者のための宿というだけあって大きな建物のほとんどは教会だけど、きっとその中に宿屋があるんだろう。

 その目前でエクスがバブルスライムに毒をもらいそうになったりしながら、切り抜けて橋を渡り、あたしたちは教会の大扉を押し開けた。

 

 木造りで温かい、広い聖堂だ。その端で神官らしき人、ウエディの男性が、エクスに気付いて腰を上げて、そしてあたしを見つけてちょっぴり訝しげな顔になった。

 

「ああ、よくおいでになられた。あなたがレーンの村のシェルナーの方……ですな? しかしそちらの人間のお嬢さんは……」

 

「ベロニカと言います。初めまして、神官様」

 

 事情の説明をしようとするエクスを遮って、あたしは神官様に礼をした。それで警戒心はきれいになくなる。礼儀正しくしたのもあるだろうけど、見た目のことも大きいだろう。

 そういうところはこの身体の数少ないいいところだけど、喜ぶのもしゃくだから呑み込むことにして、続けて目的の話をした。

 

「実はあたし、ロトゼタシアっていう場所のことを調べているんです。それで巡礼者が集まるこの場所なら話が聞けるかもしれないって教わって……神官様、何か、些細なことでいいんです。ご存じありませんか?」

 

 けど、幾らか予想していたことだ。尋ねた神官様の顔は、やっぱり期待したものじゃなかった。

 

「ふむ……申し訳ないが、そんな地の話は聞いたことがないな……。それはどういう場所なんだい? せめてどういう雰囲気の土地なのかがわかれば、五大陸やレンダーシアのどの地方かくらいかはわかるかもしれない」

 

「……ごめんなさい。それもわからないんです」

 

 アストルティアではない、別の世界の話だ。その可能性が出てこなかった時点で、いくら聞いても彼からロトゼタシアへの帰り方は出てこないだろう。

 だから諦めて話を切って、あたしは深く頭を下げた。

 

「そうか……力になれなくてすまないね。今度から、来る巡礼者たちに知っているかを聞いておくよ。……ああ、そうだ」

 

 落胆に襲われるあたしを見て、きっと神官様は随分と気まずい思いなんだろう。それに耐えかねたのか、せめてもと、聖堂の奥へ眼をやって言った。

 

「ロトゼタシアなる地のことは記されていなかったが……書架のどこかに、古いが地図をまとめた本があったはずだ。何かの助けになるかもしれないから、よかったら持って行きなさい」

 

「……いいんですか?」

 

「構わないよ、なにせ古いものだからね。しかし古いからこそ、君の探し物には役立つかもしれない。……ああ、オーシェ神父、申し訳ないがこのお嬢さんと一緒に古地図を探すのを手伝ってくださいませんか」

 

 あたしがそっと目を上げると、頷く神官が奥の祭壇の神父様に声をかけてくれた。神父様もあたしたちの話を聞いていたのか快く頷いてくれて、そっちにもお礼を言いながら、あたしは一応と、エクスに断りを入れる。

 

「それじゃ、ちょっと行ってくるわ。あんたもシェルナーの役目、頑張りなさいよ」

 

「……!」

 

「え? 待っててくれるの? ……そう。じゃ、なるべく早く見つけて戻るわ」

 

 エクスもまた頷いた。確か彼の仕事は花嫁をすぐに村まで連れ帰ることだったはずだけど、彼はあたしの用事が済むまで待つつもりみたい。

 一人で帰れるって言うことは簡単だったけど、せっかくの仲間の心遣いだ。苦笑して、あたしは神父様のもとに向かった。

 

「そうでしたな、シェルナーの儀式も済ませてしまわなくては。ちょうど花嫁のキールさんも散歩から戻る頃合いで……おお、ウワサをすればなんとやら」

 

 神官様が思い出したように言うと、ちょうどその時、あたしたちの背後で扉が開く音がした。振り向くと、そこには花嫁のドレスを着た、たぶんキールさんとお付きの人。

 お付きの人は一礼して離れていったけど、キールさんはエクスを見つけてほのかに微笑んだ。神官様はそんな彼女に、エクスを紹介する。

 

「キールさん、ちょうどいいところに。こちらはレーンの村のエクス殿。お察しのようですが、シェルナーとして参られたお方です」

 

「エクスさま……。お話はアーシクさまからよく聞いていますわ。遠い所までありがとうございます。アーシクさまの花嫁となれるこの時を、私、心待ちにしておりました……!」

 

「ふむ……。ではキールさん、さっそくしきたり通りに、花婿からの結納品をエクス殿から受け取っていただきましょうか」

 

 そしてすぐさま話が進んでいく。しきたりの内容は知らないけれど、たぶんそうかからないだろう。すぐにレーンの村に帰るだけになるはずで、エクスは待ってくれるって言ったけど、幸せいっぱいのキールさんをあまり待たせてしまうのは申し訳ない。

 

 急がなくちゃと、あたしと、ついでに神父様は早足になる。

 けれどすぐに、あたしの脚が止まった。

 

 悪寒がしたのだ。ほんの少しだけ、背中に邪悪な魔力を感じて、あたしは反射的に振り返る。

 

「エクス……それ……!」

 

 結納品なんだろう。エクスの手の中にある虹色の綺麗な貝殻。エクスはあたしに名前を呼ばれてキョトンとした顔で振り向いたけど、キールさんは止まらず、それを受け取ってしまった。

 

 邪悪な魔力をうっすら放つ、その貝殻を。

 

 強烈ないやな予感は、すぐに現実のものとなった。

 

「まあ、なんて美しい……。アーシクさまが私のために――」

 

 という、キールさんの嬉しそうな声を遮るように、

 

『――見つけた。ぼくの……花……嫁……』

 

 禍々しさをも感じる声が、辺りに静かに響き渡った。

 

「い、今の声は!? まさか、魔物!?」

 

「……!?」

 

 その声で、遅れてみんなもただ事でない事態に気が付いた。けど警戒するにもその姿も魔力も見えていないから、きょろきょろ辺りを見回すばかりで困惑が拭えていない。

 

 その隙をついて、そいつはその時、現れた。

 

「キールさん! 後ろよ!」

 

 邪悪な魔力に気付いていたから、それを見つけたのはあたしが一番早かった。

 

 キールさんの背後に現れたのは、言葉にするなら人型の闇。真っ黒な黒い力の塊が、ずんぐりむっくりな人の形で立っている。赤く光っている両目はまっすぐにキールさんだけを見下ろしていて、あたしの声でそっちを振り向いたキールさんの目と合って、捉えてしまっていた。

 

『ぼくの……花嫁……」

 

「……私は、あなたの花嫁ではありません!」

 

 化け物にじっと見つめられて怖いだろうに、キールさんは気丈に叫んだ。けど化け物は意に介さず、その黒い力でキールさんを包み込む。

 

『さあ……ぼくと一緒に行こう……来光の浜へ……』

 

「エクス! キールさんを――っくぅ……!」

 

 離れていたあたしも、我に返ってようやく剣の柄を握ったエクスも間に合わなかった。吹き荒れた黒い力は目くらましのようになってあたしたちを襲い、それが去った時にはもう化け物も、キールさんもそこにいなくなっていた。

 

 見えるのは、押し開けられたキイキイ軋む外への扉だけだ。きっと化け物はキールさんを攫い、そこから出て行ったんだろう。それがわかるだけだった。

 

「……!?」

 

 動揺するエクス。あたしのおかげで剣は抜けても、未だ化け物がどこから現れたのかすらわかっていないみたい。衝撃を受けているらしい彼に、だからあたしは詰め寄って、大声でそれを説明してやった。

 

「あの化け物の正体なんて、あんたが持ってきたあの貝殻に決まってるじゃない! きっとあれに宿ってたか封じられてたかしてたのよ! ……あれは、普通だったらどこかで祭られなきゃいけないタイプのものだわ。エクス、あんたいったいどこであんなもの見つけて来たのよ……!?」

 

「……!」

 

「……慰霊の浜、ではないですか?」

 

 びくりと身を跳ねさせて緊張の面持ちになるエクスの代わりに、ショックから立ち直った神官様がそう聞いた。エクスは緊張のままぎこちなく頷いて、神官様は納得したように続けて語る。

 

「あの魔物が言っていた“来光の浜”とは、“慰霊の浜”の本当の呼び名なのです。……遠い昔、結婚式を間近に控えたある花嫁が身を清めるために海に入り、そのまま消えてしまう事件があったそうで……それを嘆いて自ら海に身を沈めた花婿と、そして花嫁のための慰霊碑が建てられたことで、来光の浜という呼び名が廃れてしまったのだと聞いています」

 

 慰霊の浜……あたしが倒れていたという浜だ。そんないわくつきの場所だったなんて思わなかったけど、おかげで化け物の正体も見えてきた。

 

「エクス殿が持ってきてきてくださった結納品の貝殻は、花婿が花嫁のために自ら探して送る大切なもの……。キールさんの花婿であるアーシク殿は、恐らくそんな貝殻に込められた無念の思いに引かれて、手にしてしまったのでしょう」

 

「つまりあの黒い魔物は、海に沈んだ花婿が悪霊になった姿ってことかしら。それで花嫁のキールさんを……」

 

 神官様はあたしの推理に頷いた。そして次いで、遅れてあらましを理解してハッとした顔になるエクスへ訴える。

 

「エクス殿、花嫁を守ることはシェルナーの大切な務めです。すぐに慰霊の浜へ! 花嫁をお救いください!」

 

 エクスは一も二もなく頷いた。今さっき、敵を目の前にして何もできなかったことを悔やんでいるんだろう。その顔は、ちょっと危うい程の決死に満ちていた。

 

 そのままエクスは駆け出した。危惧した通り、あたしの方を見向きもしない暴走っぷりだ。だからきっと声では止まらなかっただろうから、寸でのところで服の袖を引っ掴めたのは運がよかった。

 勢いにちょっと持っていかれそうになったけど彼は止まって、そして振り向いてあたしに向ける目。それはやっぱりあたしを置いて一人で行こうとしてたふうにしか見えなくて、あたしは遠慮なく怒った顔をしてやった。

 

「言っておくけど、止められたって一緒に行くからね! だってあたしたち……仲間でしょ?」

 

 出会ったばっかりだし、一緒にいたのも村からこの祈りの宿まで、旅とも言えないような期間だったけど、それでももう、あたしにとってエクスは紛れもなく仲間だ。きっとエクスにとってもそうだろう。

 だから、追えば戦いになることが眼に見えているあの悪霊に一人で立ち向かおう仲間をあたしは見過ごせないし、逆ならエクスも同じこと思うはずなのだ。証拠に、責め立てるとエクスはぎくりと固まって、そして眉が不安そうにきゅっと寄った。

 

「……!」

 

「地図? そんなの後よ、後回し! 神父様には申し訳ないけど……」

 

 やっぱりこっちが優先だ。でも申し訳ない気持ちでちらりと見ると、当の神父様はそうするべきだと言ってくれた。

 

 それでもエクスはかたくなに言い訳を続けた。そう、言い訳だ。短い付き合いだけど流石にわかる。あたしが祈りの宿に向かうことを渋ったのと同じ。あたしと彼の妹さんを重ねてしまっている彼はきっと、あたしを失ってしまうことを恐れているんだ。

 

 けど、そんな心配は無用なものだ。だからエクスに必要なのは、それを信じる勇気だけ。

 そう思って、あたしはいつも見ていた勇者の背中を思い出し、精一杯堂々と言った。

 

「大丈夫、あたしは勇者と共に旅した“双賢の姉妹”の片割れ、ベロニカ様よ! 悪霊なんかに後れを取ったりしないわ!」

 

 袖を離した手を腰に回して、不敵に鼻を鳴らす。そして、

 

「行きましょう。みんなを助けに!」

 

 エクスは唇をかみしめて、力強く頷いた。



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三話

呪文の字は蒼天のソウラ風味。


「――キールはボクの花嫁なんだぁぁっ!」

 

「っ!? 今の声……まさか慰霊の浜から……っ!?」

 

 来た道を駆け戻って崖を下りきった時、浜のほうから突如聞こえてきた叫び声に、あたしは思わず息を呑んだ。

 

 花婿の悪霊が向かったはずのそこに、まさか人がいるなんて想像していない。しかも同時、ハッとした表情のエクスが言うにはその声はアーシクさん、キールさんの花婿となる人のものらしい。エクスと共に、浜に打ち上げられていたあたしを助けてくれた人でもあるそうだ。

 言われてみれば、その声にも聞き覚えがある気がする。ともかくたぶん、彼は運良くか悪くか悪霊に攫われるキールさんを見つけてしまって、たまらず追ってきてしまったんだろう。

 

 一大事だ。彼がキールさんを取り戻そうとしても、あの悪霊は普通の人の手に負えるようなものじゃない。

 早くしないと取り返しがつかなくなっちゃう。走り疲れて痺れてきた脚に最後のスパートをかけさせて、あたしとエクスは砂浜にたむろする猫の魔物たちを蹴散らしながら、慰霊の浜の入り口に飛び込んだ。

 

「アーシクさん、無事っ!? 今助けに――きゃあっ!?」

 

 すぐさま見覚えのある真っ白のタキシード姿のウエディを見つけて庇おうとした、その瞬間、あたしめがけて何かが吹っ飛んできた。

 

 エクスが支えてくれたおかげで、ぎりぎりだけど一緒に吹き飛ばされることなく受け止める。頭を振って激突の衝撃を追い出して、その正体を確かめた。

 

 逆手にして支えのように突き立てる大剣と、長めの金髪。そして舌打ち混じりに吐かれる強めの口調。

 

「くっ……このオレが全く歯が立たねぇとはな……。すまねぇアーシク、お前だけでも――」

 

「ヒューザ!? あなたヒューザじゃない! なんでこんなところに……!?」

 

 ヒューザだった。孤児院を出て行って、それきり姿を見なかったけど……なんでよりにもよって慰霊の浜なんかにいるんだ。

 

 思わず文句まで出てしまいそうになる。けどその思いはヒューザも同じだったみたいで、あたしの声に驚いて弾かれるみたいに振り返ったヒューザは、目を丸くしてあたしと、そして後ろのエクスを交互に見やった。

 

「な……ガキ、お前こそなんで……。エクス、お前もあの魔物を追ってきたんだろうが、なんでガキまで連れてきた!」

 

「そ、そうだよ! 君、この浜辺に流れ着いていた子でしょ!? こんなとこにいちゃ危ないよ!」

 

 アーシクさんまで駆け寄って、あたしにそんなことを言う。あたしはガキじゃないし、一番危ないのは間違いなくアーシクさんだと思うけど、今がそんなことを言い争っている場合じゃないことは明らかだ。

 

 だからあたしは言い返したくはあったけど、憤りを胸の内に収めて前を見やった。浜の奥、慰霊碑の横に倒れ伏すキールさんと、あたしたちとの間に立ちふさがる花婿の悪霊。

 

 神官様の言った通り、そこに彼は立っていた。そしていきなり乱入してきたあたしたちを、いや、エクスをじっと見つめている。

 

 なんだか品定めでもしてるみたい。そう感じるような凝視は、ふとその時、元々不気味な弧を描いていた口をさらに口角を上げて震わせて、たぶん、歓喜のそれになった。

 

『ああ……キミはシェルナーだね? ちょうどいい、キミも一緒に連れて行こう。力づくでもね……。そしてボクとダーリアは、幸せな結婚式を挙げるんだ……!』

 

 ダーリア、それが彼の本来の花嫁の名前なのか。彼はキールさんをちらりと見やって、そしてさらに纏う魔力を強くする。

 

 戦闘態勢だ。エクスが抜いた剣と盾を構える。ヒューザも起き上がって、顔を悪霊に向けたまま、また舌打ちと一緒に後ろのあたしへ指図した。

 

「……ガキ、アーシクを連れてさっさとここから逃げろ……! ちょっと戦い慣れてるだけのガキが敵う相手じゃねぇ……!」

 

 既に随分やられてしまったんだろう、生傷だらけの背中が言った。けど、それに言葉で返すような時間はなかった。

 

 悪霊は、頭上に掲げた手に黒い魔力の砲弾を練り上げていた。無念の思い、花嫁への愛が転じた強い憎悪が、その矛先をエクスたちに向ける。

 放たれ、それからあたしたちを守るために、二人は盾と剣でその攻撃を受け止めようとした。

 

 けど、あたしは二人のお荷物になりに来たんじゃない。

 

火弾呪文(メラミ)!」

 

 二人の間から放ったあたしのメラミが、悪霊の砲弾を打ち落とした。赤い火の魔力と黒い魔力がぶつかって、相殺してお互いに散って消える。

 

 そういえば、ヒューザにもエクスにも魔法使いであることは明かしていたけど、実力を見せる機会は今までなかった。あたしは二人の驚き顔にちょっぴり得意な気持ちになりながら、アーシクさんを傍に引き寄せた。

 

「アーシクさんのことは任されたわ。でも……あたしが『ちょっと戦い慣れてるだけのガキ』じゃないってことは、そろそろわかってもらえたかしら」

 

「……足だけは引っぱるなよ、ベロニカ!」

 

「……!」

 

 ようやくあたしを名前で呼んだヒューザと、そしてエクスも、短く言って再びあたしに背中を向けた。けどそれはさっきまでとは意味が違う。あたしたちが向く方向は一緒だ。

 共に戦う仲間として認められて、任せられた後方支援に、あたしは自分の魔力が高ぶるのを感じていた。

 

「っ! 来るわよ!」

 

 悪霊は、今度は砲弾ではなく肉弾戦を挑んできた。悲痛な叫び声を上げながら突進してくる彼に、まずエクスが立ち向かう。振るわれたパンチを盾で受け止めた。

 けどパンチは一発で止まらず、もう一撃が逆側から襲い来る。エクス一人だったなら防ぎようはなかっただろうけど、今、あたしたちは三人だ。

 

氷針呪文(ヒャド)!」

 

 あたしの撃ち放った氷の針が、悪霊の拳に突き刺さってその動きを止めた。その隙にヒューザが彼に切りかかって、エクスもそれに合わせて剣を振るう。

 

「おらぁッ!」

 

「……!」

 

 黒い瘴気の身体を二本の刃が切り裂いた。けれど裂けた身体はすぐに元通りにくっついて、大きなダメージにはなっていない。やっぱり一筋縄じゃいかないみたいだ。

 

 だからあたしは歯噛みするエクスに鋭く一声を放つ。

 

「エクス! あたしとヒューザで抑えるから、先にキールさんを助けてあげて!」

 

 エクスはちらりとあたしを向いて、力強く頷いた。剣を鞘に収めて慰霊碑傍のキールさんの下に向かう。

 

 けれそれを悪霊がほうっておくはずもなかった。

 

『させない……! ぼくのダーリアは、もう誰にも奪わせない……っ!』

 

「こっちの台詞よ! あたしだって二度も同じ轍を踏む気はないわ! 鈍足呪文(ボミエ)!」

 

 エクスとヒューザに止められた脚が、エクスを追って駆け始める。あたしの魔法はちょうどその時に唱え終わって、かざした手の平の先に捉えた悪霊を遅くした。

 ゆっくりになった彼の脚じゃエクスには追い付けず、そしてヒューザの剣は簡単に、二度彼の身体を切り裂いた。

 

『ぐ……っ! ううぅぅぅっ……!』

 

「チッ! こいつ、まだ動けて……ッ!?」

 

 けれど尚倒れない。そのタフさにヒューザが舌打ちする。その次の瞬間、ゆっくりとヒューザに向いた悪霊の目が禍々しく輝き、怪光線を発射したことで、ヒューザは剣と一緒に吹き飛ばされた。

 

 またあたしの元に吹き飛んでくる。傍にいたアーシクさんがワタワタしながら助け起こすのを横目にしながら、鈍足呪文(ボミエ)の効果が切れかけている悪霊に、あたしはさらに呪文を放つ。

 

「行かせないってば! 扇炎呪文(ベギラマ)! からのもう一発……氷塊呪文(ヒャダルコ)!」

 

 悪霊の進路を、あたしが放った熱線が塞いだ。そして頭上から降り注ぐ、いくつもの氷塊。

 

 さすがに効いたみたいだ。彼はその時初めて耐えかねたふうに後退した。

 

 けれどその代償に、あたしが無視していい存在じゃないってことを彼に気付かせてしまったみたい。あたしを先に排除しないと一向に花嫁を取り戻せないことを悟った彼は、その怒りの矛先をエクスからあたしに変えた。

 

『ぐ、あああぁぁぁぁっ! ゆるさない……! ぼくたちの邪魔をするやつらはみんな、ユルサナイイィィィッ!」

 

「チッ! はしゃぎ過ぎだ!」

 

 ヒューザのその舌打ちは悪霊に向かってなのか。あたしに向いている気もしたけど一旦無視して、剣を構えて迎え撃とうとする彼の身体に触れると、唱える。

 

猛撃呪文(バイキルト)! ヒューザ、ここで片付けるわよ!」

 

「! ……ああ、わかったよ!」

 

 呪文で強化された力に驚いたみたいだったけど、ヒューザは次にあたしの作戦に気付いて剣を振るった。同時に悪霊も拳を振りぬいて、二人はぶつかり合う。

 

 両手剣と拳、二人の力はせめぎ合って拮抗していたけど、やがてヒューザの方が勝り始めた。悪霊はきっとダメージが響いてきたんだろう。徐々に徐々に押されていって、吐き出していた怨みの言葉も弱まっていく。

 

『なんで……どうして、邪魔をする……! どうしてぼくから、ぼくの花嫁を奪うんだ……!』

 

「違う! キールはお前の花嫁じゃない! ボクの花嫁だっ!」

 

 強く言い返したのはアーシクさんだった。そしてその彼に支えられて、助け出されて目を覚ましたキールさんが憐れみの眼で言った。

 

「かわいそうなお方……。あなたは悲しみに捕らえられているのです。あなたの花嫁は、もう遠い昔に……」

 

『うそだ……うそだ、ダーリアが、そんなこと……!』

 

 そう、悪霊の彼はその怨念からキールさんを攫ったけれど、決して悪意からそうしたわけじゃない。ただ捕らえられて、忘れられないだけなんだ。花嫁を失った悲しみを。

 

 だからなおのこと、早く終わらせてあげないといけない。

 

「……大事な人を失いたくないって気持ちは、あたしにもわかるわ。認めたくないわよね。でも、それでも……あなたの花嫁は、もういないの……。あなたの求める幸せは……もうこの世界にはないの……!」

 

 あたしの魔力と、キールさんを助けて戻ってから集中していたエクスの剣が、その時とうとう合わさって光輝いた。

 妖しくも優しい輝き。宿した剣を構えて、エクスは抑え込まれる悪霊へと駆け出した。あたしも続けて、祈りを捧げる。

 

「だからせめて、安らかに眠ってちょうだい……!」

 

 ――ゴスペルソードッ!

 

 大上段から、エクスの剣が悪霊の瘴気を断ち切った。

 

『あ……』

 

 悪霊、いや、花婿は、その眼から光を消した。両膝を突いてくずおれる。身体からは瘴気が零れだして、それは黒いシミのように砂浜に広がり、やがて空気に溶けて散り始める。

 

 倒せたんだろうか。あたしは息を吐き、背後のアーシクさんとキールさんの無事を確かめようとした。

 

 けど、その時。

 

『は……ハハハ……』

 

 花婿の声は止まなかった。みんなが息を呑んで、そしてあたしも驚いて振り返った。

 

『アハハハハハッ!!』

 

 花婿は身体を反って笑っていた。それだけじゃない。空気に溶けていたはずの瘴気が逆にそこら中を埋め尽くして、たちまち黒い嵐を巻き起こした。

 空も海も、瘴気に呑まれて黒く染まっていく。エクスとヒューザも弾き飛ばされて、彼を止めること叶わず下がるしかなかった。

 

「なんて瘴気……あいつ、暴走でもしてやがんのか!?」

 

「……!?」

 

「嘆いてても仕方ないわ……! 二人とも、もう一戦よ!」

 

 それぞれ再び構える。周囲で吹き荒れる瘴気のせいか、あたしもみんなモ身体が重いみたいだけど、無理をするしかない。

 

『ダーリアがいない……なら、そんな世界なんて滅びてしまえいい! 黒い力よ、ボクの願いを聞けっ! 嵐ですべてを吹き飛ばせぇっ!」

 

「はた迷惑な野郎だ……!」

 

「させないわ……そんなこと、絶対に!」

 

 放っておけば、彼はずっと不幸を振りまき続けてしまう。彼のためにもみんなのためにも、ここで止めなきゃ。その想いはますます強くなっていた。

 

 吐き捨てるヒューザに続いて、エクスも剣を握る手の力が強くなった。決して引けないという覚悟。それぞれの意思が、再びぶつかりあおうとしていた。

 

 勃発する、その直前だった。

 

「っ――!!」

 

 あたしの魂がそれを感じ取って、無理矢理背後の空を見上げさせた。一瞬遅れて花婿も気付く。

 

「なんだ……なにか、来る……?」

 

 そして、世界に光が広がった。

 

 身体から心にまで染み込んで勇気付けてくれるみたいな、暖かい光だった。

 それは空と海の瘴気を一瞬で吹き飛ばして澄み渡る青を取り戻させると、今度はあたしたちにも降り注ぐ。照らされて、声もなく苦しみだす黒い花婿と、そしてあっけにとられて光を浴びるエクスたち。でもそれがあたしたちの味方で善なるものであることは、みんな本能的にわかるみたい。

 

 ある種の神々しさ。たぶんこの場であたしだけが、その正体を知っていた。

 

「――勇者の……光……」

 

「……?」

 

 小さな呟きは、エクスだけに聞こえたみたいだった。けどあたしは、唖然としたまま言葉の意味を訪ねて顔を覗き込んできたエクスに答えを返すことができず、そのままへたり込んでしまう。

 

 光が花婿の黒い怨念を浄化して、彼が元のウエディの姿を取り戻す。その光景は確かにあたしの眼に映っていたけど、頭には入ってこなかった。安堵も喜びも、それどころか情動の一つもなくて、代わりに重たい絶望が、静かにあたしの心を満たしてしまっていた。

 

 だって勇者の光は、あたしにとって残酷な真実を告げるものだったから。

 

 あたしは勇者の導き手。だからその光が勇者のものであることははっきりとわかる。だから同時に、その光が、あたしと長く旅をした“あいつ”のものじゃないことも、はっきりわかってしまった。

 

 別の勇者がこのアストルティアにいるのだ。そして勇者は、世界に二人は存在しない。この世界(・・)に、あいつはいない。

 

 あたしは今まで、ロトゼタシアから遠く海に流されて、このアストルティアにたどり着いてしまったと思っていた。その常識の違いっぷりに別の世界に来たみたいって思いもしたけれど、けど、そうじゃなかった。

 

 文字通り、ここは別の異世界だった。海を越えても空を越えても、ロトゼタシアにたどり着くことは決してない。

 

 だからあたしはもう、セーニャたちのもとに帰れないのだ。

 そう確信してしまう光だった。

 

「――すまなかった。君を死んでしまったダーリアの代わりにしようとしていたなんて、ぼくは……」

 

 怨念から解放された花婿がキールさんとアーシクさんに、申し訳なさそうに、悲しそうに言っている。その時ふと、声がした。

 

『レグ……。私は、ここにいます……』

 

 淡く聞こえる、女の人の声。花婿、レグが振り向くと、海辺の上にウエディングドレスを着た半透明の女の人が浮かんでいた。レグに優しく手を差し伸べる。レグは顔を歪めて涙をこらえ、その人のもとに駆け寄った。

 ようやく再開を果した二人は幸せそうに抱き合って、ゆっくりと天に昇っていく。

 

『行きましょう。私たちの、行くべき場所に……』

 

『ああ、ダーリア……。もう離れないよ……』

 

 静かに、清らかな歌声が辺りに流れ、そして消えていった。

 

「……返し歌だ。ウエディの古い、な……」

 

 いつの間にか、あたしの隣にバルチャさんが立っていた。ゆるゆると見上げると、彼は静かな眼差しであたしを見下ろして、やがて何も言わずにレグのいた場所に落ちていたあの貝殻を拾い上げ、慰霊碑に供えた。そしてそのまま踵を返して、去り際にこっちを振り向いて言った。

 

「エクス、ヒューザ、ベロニカ。それにキールも、村に帰るぞ。結婚式の時まで、身体を休めておけ」

 

「そう……だね。ボクは新しい貝殻を探さなくちゃいけないし」

 

「……次はいわく付きのモン、拾ってくるんじゃねぇぞ」

 

 アーシクさんが頷いて、ヒューザはバルチャさんの後に続く。あたしも、エクスに引っ張り起こされるふうに立ち上がって、そのまま浜辺を後にした。

 

 

 

 それから一夜が明けて、結婚式は盛大に執り行われた。今はもう宴会の時間に突入していて、ごちそうの匂いや歌の声、村のそこら中から楽しげな様子が聞こえてくる。

 

 あたしはそんな輪に入らず一人、波打ち際に座り込んでいた。

 

 悪いとは思ったけど、とても参加する気になれなかった。だって頭の中には仲間たちや両親や里の人たち、それにセーニャとの思い出ばかりが蘇ってきて、繰り返し流れ続けてばかりいるのだ。彼女たちにもう会えないと思うと悲しくて寂しくて、どうにかなってしまいそうだった。

 

 大事な人を失う悲しみを認められないのは、あたしのほうだった。ずっと一緒だと誓い合った、大切な妹。なのにもう永久に会うことが叶わないなんて、とても信じることができない。けど真実だという確信もあたしの中に確立していて、そのぶつかり合いが頭の中を絶望でごちゃごちゃにしてしまっている。

 

 こんな思いをするのなら死んでしまったほうがよかったって、そんなことまで思ってしまうほどだった。ウルノーガに吹き飛ばされたあの時にそのまま死んでいたのなら、セーニャたちと会いたいって思うことも、それが叶わず苦しむこともなかったのに。

 けど生き延びてしまったから、希望が芽生えてしまっていたから、そのぶんだけ絶望が強くなる。あたしはもう、どうすればいいのか何もわからなくなっていた。

 

 セーニャたちとの再会を諦めればいいんだろうか。それとも諦めずにもがき続ければいいんだろうか。けど、海を泳いでも空を飛んでもたどり着けない世界に、どうやって帰ればいいんだろう。

 水平線を見つめながら瞬きをして、滲みそうになる涙を払い落としていた。

 

 その時ふと、隣に誰かが腰を下ろした。エクスだった。シェルナーとして、今回の功労者として忙しいはずなのに、と少し驚いて振り向いてから、あたしは自分の涙に気付いて慌てて顔を逸らす。

 

「……ごめんね。せっかくの結婚式、出られなくて」

 

「……」

 

「構わないって、アーシクさんとキールさんも言ってくれたの……? ……そう……」

 

 エクスは頷いて、それきり黙って海を眺めていた。

 

 おかげであたしも少しは落ち着けたと思う。頭が少しは働くようになって、つられてつい、その中身を零してしまった。

 

「あたし……きっと、やっぱり死んじゃったんだと思うの。あの時死んで、でも枯れ果てた大樹に還ることができなくて、魂だけがアストルティアに流れ着いてしまったの」

 

 エクスはまた、黙って頷いた。あたしは我慢ができなくて俯いて、喉の奥からせり上がってくる熱いものに抗って、押し出す。

 

「……ねえ……エクスは、どう思う……?」

 

 エクスは答えなかった。だって答えられるはずがないだろう、こんな言葉。

 後悔したけど、一度口にしてしまった言葉を引っ込めることはできない。引っ込められる余裕もない。だから出た絶望感なんだから。

 

 けど、遠く聞こえる宴会の音と揺り籠のように寄せて引いてを繰り返す波の音だけがしばらく続いた後、エクスは口を開いた。

 

 曰く、実は今までみんなに隠していたことがある、と。

 

「……隠し事……? ヒューザやバルチャさんにも……?」

 

 頷くエクス。言っても混乱させるだけだと思って黙っていたと言う。

 

 どこか後ろめたそうに、彼は夕日になり始めた赤い太陽を見上げた。

 

「それを、どうしてあたしには話してくれるの……?」

 

「……」

 

「……あたしにこそ知っていてほしい? いよいよよくわからなくなってきたわ」

 

 ヒューザやバルチャさんでなくても、ここで育った彼にとって、村のみんなは身内も同然。だからあたしが例外なのは、その枠から外れた外の人間だからなのか。

 そう思うのだけど、空を見上げるエクスの眼は、少し違っているような気もした。

 

 あたしはエクスの顔を覗き込んだ。同時にエクスも意を決したみたいに話し始めようとしたけど、それはバルチャさんの声に遮られた。

 

「やはりそうか。エクス、お前は……」

 

 それは少し悲しそうで、突然のこともあってあたしとエクスは驚いて背後を振り返る。またもいつの間にかそこにいたバルチャさんは、振り向いたエクスの顔をしばらく静かに見つめていた。それから眼を閉ざし、ゆっくり息を吐き出すと、呟くみたいにエクスに続けた。

 

「……お前は、幼いころにわしに拾われ、フィーヤ孤児院で育った。いつの日か両親を探すことを望みながら。だが……」

 

 と、バルチャさんは大きな円の板を取り出した。あたしはすぐ、頭の中の知識にその名前を見つける。

 

「ラーの鏡……? 真実のみを映し出すっていう……」

 

「そうだ。……エクスよ、何も言わずにこの鏡を覗いてみるのだ」

 

 そんなことをして何になるんだろうって、バルチャさんの行動に首をかしげたのは一瞬だけだった。エクスが覚悟を決めたみたいに鏡を覗き込む。あたしもその様子が見えて、当然映るのはエクスの、頼りなさげなウエディの顔。

 

 だと、それ以外に予想なんてできなかったのだけど、

 

「え……!? に、人間!?」

 

 映し出されたのはウエディではなく、人間の顔だった。

 

 ウエディのエクスはどこにも映っていない。その面影があるような気もする人間の男の顔が、隣のエクスと同じ険しい表情で映っているだけだ。

 だから、それはつまるところ――

 

「これって……エクスの正体が、ウエディじゃなくて人間だったってこと……!?」

 

 そういうことなんだろうか。自分で思って信じられないことだけど、驚愕の眼でエクスを見やると、彼は重々しく頷いしまった。

 

 一層わけがわからない。混乱するあたしに、バルチャさんは鏡をしまいながら応える。

 

「実はな、エクスは一度、死んでおるのだ」

 

「え……死……?」

 

「そうだ。剣の修行の事故で、と聞いておる。心臓は止まっておったし、葬儀まで行った。つい最近のことだ」

 

 もっともっとわけがわからなくなった。エクスは相変わらず厳しい顔で聞くばかりで否定しないし、ていうか生きているし、でも死んだって認めているし……。

 

「だが、蘇った。水葬されるはずの小舟から、突然起き上がったのだ。最初はわしも運よく息を吹き返したのだと思っていたが……違ったのだな」

 

「……」

 

 エクスとバルチャさんの目が合った。片方はまるで断罪を待っているみたいに。もう片方はただ静かに。

 

「お前は、ウエディのエクスの身体で蘇った、人間のエクスなのだな」

 

 重々しく、頷いた。

 

 それであたしも、ようやくその事柄を理解した。エクスがなぜそれをあたしだけに言おうとして、そしてバルチャさんに知られて険しい表情になったのかも。

 

 エクスもまた、あたしと同じく“外の人間”なんだ。それが村の人間になり替わってしまった。彼はきっと、ヒューザやバルチャさん、アーシクやルベカにとってのエクスを、自分が滅茶苦茶にしてしまっているように思えてしまったんだろう。

 ウエディのエクスが作った繋がりを奪い取ってしまったって、そういう後ろめたさがきっと、あたしを仲間にしてくれた理由でもあったんだ。彼にとって、あたしがウエディのエクスから奪わずに済んだ初めての相手だった。彼があたしに心を許してくれたのは、そういうことなのかもしれない。

 

 あたしは、エクスを見上げてそう思った。

 

「二人は、世界を照らした白き光を見たな? あれは勇者が覚醒を迎えた時、放たれる光だと言われておる。……時を同じくしてエクスという存在は生き返り、ベロニカは異なる世界からこの世界にたどり着いた。わしにはこれが、運命であるように思える」

 

「うん、めい……」

 

 無意識に、あたしはその言葉を繰り返した。エクスもスッと息を吸う。

 

「ならば光が放たれた地へ、レンダーシアへ行くことが、二人の進むべき道なのだろう。……旅立て、エクス。そしてベロニカよ。お主たちの運命を見定めるのだ」

 

 その言葉は驚くほどすんなり、あたしの心に響くものだった。

 

 あたしの運命は、セーニャや勇者のあいつと共にあった。それが途切れてどうしていいのかわからなくなって、その空いた穴に滑り込むように現れたその運命。

 続く先は、またセーニャやあいつの運命と繋がっているんじゃないか。エクスの隣で、あたしはそう、希望を持つことができた。

 

「……これを持っていくといい。五つの大陸を結ぶ鉄道に乗ることができる。役立つはずだ」

 

 バルチャさんが一枚のチケットを差し出した。大陸鉄道パス、そう書かれたそれは、きっと本来、ウエディのエクスのために用意されたものなんだろう。差し出されたエクスは躊躇していたけど、あたしが小突いてそれを受け取らせた。

 

 バルチャさんは渡すと、背を向け話す。

 

「……エクスよ。わしは今まで、エクスというウエディの若者の親代わりをしてきた。どうかやつの念願を、奴の両親を見つけ出してやってほしい。詳しくはベロニカに話しておる。……わしが思うのは、それだけだ」

 

 あたしもエクスも言葉が見つからない。バルチャさんは淡々と続ける。

 

「もちろん、お主たちの目的が果たされることも応援しとるぞ。エクス、ベロニカ、お主らも今は、わしの子なのだからな」

 

「バルチャさん……」

 

 なんとか捻り出すと、バルチャさんは横顔だけをあたしに向けて、穏やかに言った。

 

「世界は広い。母なる大地アストルティアも、お主のロトゼタシアもそうだろう。未知など山のようにある。もしその中に目的のものがなかったとしても、であれば自らの力で切り開けばいいのだ。エクスと共にな。……宴ももう終わる。達者でな、二人とも」

 

 言って、それからまた背を向けたバルチャさんは、もう振り返ることはなく去って行った。その背中はただあたしたちとの別れを寂しく思ってくれているように見えた。

 

 しばらくその姿を見送って、やがてあたしとエクスはどちらからともなく立ち上がった。服についた砂を払っていると、入れ替わりのようにルベカがやってきて、今にも泣き出しそうな顔でエクスとあたしに恐る恐る聞いた。

 

「ね、え……今さっきバルチャさんとのお話、ちょっと聞こえちゃったんだけど……二人とも村を出て行くの……? ベロニカちゃんなんか、そんな身体で戦ったばっかりなのに……」

 

 『そんな身体』が怪我か肉体年齢のどっちを指しているのかは定かじゃないけれど、けどもうどちらも問題ない。

 

 心もだ。あたしは口角をちょっと持ち上げて、大きく頷いてみせた。

 

「行くわ。あたしの冒険は、どうやらまだ終わっていないみたいだしね!」

 

「……!」

 

 一緒にエクスも頷いた。ルベカはそれでも引き止めたそうだったけど、ぎゅっと口をつぐんで手を押さえてくれた。

 

 そんな彼女に心の中で謝って、あたしはエクスへ向き直る。

 まあ今更言うことでもないかもしれないけれど、一応の宣言だ。いつかにあいつにもやったのと似たようなもの。隣にセーニャがいないことに少し寂しさを感じながら、それは心に留めて、あたしはエクスを見つめて告げた。

 

「この、先の見通せない運命。きっと長く、困難な旅になるでしょう。けれどその終わり、私とあなたの運命の終点まで、私をどうかよろしくお願いします。ね!」

 

 最後にちょっと口角を持ち上げて、あたしは腰に手を当て胸を張った。エクスはあたしのその突然に少し面食らったみたいだったけど、その内容を認めて、頷いた。

 

 その顔にはあたしも及ばないくらい、満面の笑みが浮かんでいた。




これにて終了。きっと二人の冒険は、ゴリラ倒したりでこっぱちと出会ったりしながらこれからも続いていくことでしょう。
天界までお話が進んだらどういう展開になるんだろう(抱腹絶倒ギャグ)などと妄想しつつ、私は私で天界と海賊業をエンジョイしてきます。つまるところ拙作はドラクエ10新バージョン発売記念の作品でもあったわけです。嘘ですたまたまタイミングが重なっただけです。
そういうわけでしばらくアストルティアに籠ってて返信が滞るかもしれませんが感想ください。


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