【完結】MUDDY GLORY 〜泥だらけの栄光 byウマ娘プリティーダービー (ちありや)
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1R メイクデビュー

 …ゲートは嫌いだ。狭い空間に押し込められて息が詰まる。網目の格子が動物扱いされている様で更にイライラを募らせる。

 

 私達は動物じゃない、ウマ娘だ。気高く走る地上の宝石だ。

 

 そう、私達は走る為に生まれてきた。勝つ為に生まれてきた。そしてその力をぶつける最高の場所に私は今立っている。

 

 福島レース場、今日の第5レース、右回りの芝1600m。8人立ての新戦。天気は快晴、場状態も走りに適したとても良い物だ。

 

 それが私のデビュー戦、こんな所で負けているようじゃ応援して送り出してくれた故郷の皆に顔向けできない。

 

 今日の日の為に必死にトレーニングしてきた。ここは絶対に負けられないレースだ。

 

 実は私はあまり他人に見られるのが好きでは無い。だからパドックでは必要最小限の顔見せだけして帰ってきた。

 そのせいかどうかは分からないけど、観客の評判はあまり良くなかったらしい。

 

 それでもレース前の私は3番人気だそうだ。まぁ人気なんてどうでもいい。結果を出せばそんなものは後から()いてくるものなのだから。

 

 ちなみに1番人気は私の隣りのコースにいる青鹿毛のブラックなんとかって言う名前のスカした女。腰まで伸びた長い黒髪の娘で、お高く止まっているのか私の方にはまるで見向きもしない。

 何となく気に入らない。それだけでこの女にだけは絶対に負けたくないと思えた。

 

 管楽器を用いた簡単なファンファーレが鳴り響き、レースの開始を皆に告げる。やがて8人全員のゲートインが完了し、係員が場所を離れていった。

 

 数秒の静寂。更に1秒程の小さく短いブザー音が鳴る。ブザーが鳴り止むと同時に目の前の格子がガッコンという音と共に左右に開く。

 

 スタートだ!

 

 一斉に飛び出す体操服姿の8人の少女(うまむすめ)達。

 トレーナーからは「始めは抑えて先頭集団で様子を見ながら最後の直線で勝負に出ろ」との『先行』指示を受けていた。

 

 でも私は正直他人の尻尾を追い掛けるのは好きでは無い。私は子供の頃からいつも『一等賞』だった。それは常に前へ前へと貪欲なまでに進んできたからだ。

 

 最初から全力疾走、前に誰も居ない先頭の快感、これを味わえるのは『逃げ』の作戦で走ったウマ娘だけだ。

 

 私は踏み出す脚に力を込めて一歩ずつ大きく蹴り出した。一歩を踏み出す度に前へと進む私の体は、徐々に他のウマ娘の一団と離れて行った。

 

 距離はたったの1600mだ。このまま一気にゴールまで駆け抜けてやる。

 

 指示を聞かなかった事に対してトレーナーは文句を言うだろう。しかしそれも勝ってしまえばどうとでもなる。

 それにどの道、私は初めからあんな負け犬… いや負けウマ娘の指示になど従うつもりは無かったのだから。

 

 私が先頭のままレースは中盤を迎えた。いちいち後ろを振り返って見たりはしないが、他の娘の息遣いと足音で大体の位置関係は把握している。

 私以外の7人は大体ダンゴ状態で固まっているようだ。

 

 意図せず自然とペースが上がる。ここでペースを乱してスタミナを浪費するのは良くないと分かっているのだが、少しでもリードを広げておきたい気持ちもとても強い。

 

 『逃げ』作戦と言えども、レース最後の直線での押し切りの為の余力を残しておく必要がある。それは頭では理解している。

 

 序盤で集団から抜け出すのに加えて、中盤の焦りから少し力を浪費してしまったが、それでもまだラストスパートのエネルギーくらいは残っている。このまま誰にも抜かせずに私が優勝して、優雅にメイクデビューを飾るのだ!

 

 第4コーナーを抜けてレースは最後の直線勝負になる。この直線に賭けて『差し』や『追込み』の娘は後方で力を溜めている。

 ここで抜かれてしまっては元も子もない。私も最後の力を振り絞ってラストスパートをかけた。

 

 その刹那、黒い流星が私の横を猛スピードで通り過ぎる。

 

 全力疾走している私を後ろから追い抜いて走り去って行った。何と言うスピード、彼女の長い髪が、長い尻尾がそれこそほうき星の様に風にたなびいて、神々しささえも感じられた。

 

 もちろんこれはレースだ。しかも1着にならないと意味の無い新戦だ。2着以下は最下位と同義なのだ。

 

 私は走った。力の限り。

 

 これまでの人生でここまで懸命に走った事など無かった。地元ではいつも7割方の力でどんなレースにも勝ててきた。

 でも届かない… 100%の力で走ってもあの黒い流星には届かない。それどころか徐々に差は開いていく。

 

 走る、離される、走る、離される、頭の中は『勝ちたい! 勝ちたい!』という言葉が念仏の様に繰り返されるが、それ以外の事はとにかく頭が真っ白で何も考えられない。そしてその中で唯一感じた感情は『絶望』だった……。

 

「む、無理ぃ…」

 

 無意識に声が出た。気持ちはもっと前に出たいのに、これ以上脚が動かない。今の速度を維持するだけで精一杯だった。

 

 大きな歓声に迎えられて彼女がゴール板の前を駆け抜ける。大きく(5身ほどだろうか?)遅れて私がゴールする… 直前に私の左右を2人のウマ娘がすり抜けて行った。

 

 私があれだけ逃げてリードを作ったのに、最後の直線であれだけ必死に走ったのに… ふと気が付けば私自身が4着になっていた。

 

 これが『中央』の層の厚さ……。

 

 正直デビュー戦なんてこれから始まるトゥインクルレースの前哨戦、勝って当たり前の楽勝ムードで考えていた。

 電光掲示板に着順が表示され、無慈悲な結果が確定された。これは夢でも冗談でも無い。4着、私は負けたのだ……。

 

 空っぽの頭に観客席正面のターフビジョンから、このレースの実況者の声が響いているのが聞こえてきた。

 それは自分の事なのに、どこか遠い世界の様にも思える物だった……。

 

「後続を大きく離して1着はブラックリリィ! 下評通り桁違いの差し脚を見せつけた!! 2着から4着までは半身差の大混戦! 最後まで好走を見せたスズシロナズナは残念ながら4着に沈みました!」




ウマ娘世界には通常の馬が存在しない為に、代わりに2本足の『』という字が使われております。

本作ではスコープさんの作成された『』の字のフォントを使用させて頂いております。
スコープさん、ありがとうございます。


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2R ウイニングライブ

「ナズナ!」

 

 レース終了後、私の専属トレーナーが駆け寄ってきた。

 

 彼女の名は『プラチナアイリス』。その名の通り灰色を通り越して銀色にも見える美しい瞳を持つ、モデルとしても通用しそうな美人ウマ娘。

 

 数年前まで重賞勝利経験のある現役の競走ウマ娘だったが、練習中に脚を痛めて引退、以後は猛勉強してトレーナー試験に合格した新人のトレーナーだ。

 せっかく美人なんだから裏方のトレーナーじゃなくて芸能界に行けば良いのに、と思わなくも無い。

 

 恐らくトレーナーの指示を無視して勝手に作戦を変更した挙句にボロ負けした私に説教をしに来たのだろう。

 

「なに? これからステージなんで説教は後にしてもらえる…?」

 

「説教って… まぁいいわ。それより貴女、ちゃんと踊れるの?」

 

 そう、レースの後には『ウイニングライブ』と呼ばれるステージが待っている。そこでは出走したウマ娘全員がステージに立ち、歌と踊りを披露する。

 

 正確には歌を歌えるのはレースの上位3名だけだ。3着まで入ったウマ娘はお揃いの専用衣装を着て、ステージの中央で歌って踊って観客の歓声を受ける。

 

 もちろんセンターは1着の子で、受け持つ歌の尺も長いし、一番多くスポットライトも当てられる。今日ならあの髪の長いスカした女と言う事だ。

 

 そして4着以下の子たちは、ちょっと気の利いたチアリーダーみたいな衣装を纏い、事もあろうに『今しがた自分を負かしたウマ娘の為の』バックダンサーを務めなければならない。

 

「当たり前でしょ。『Make debut!(あの曲)』をどんだけ練習してきたと思ってんのよ?」

 

「そう、ならいいけど… くれぐれも1位の娘に足を引っ掛けて転ばそうとかしないでよね?」

 

「ンな事しないっつの…」

 

 口ではそう答えたが、本音を言うと私よりも上の順位の奴ら全員をステージから蹴り飛ばしてやりたい。私に恥をかかせた奴らに仕返ししてやりたい気持ちは多分に強くある。

 もちろんそんな事はご法度だし、やれば私はレース界からは永久追放、所属チームごと重いペナルティを受ける事になる。

 

 私の周りにも今のレースで負けた娘達が、各々のトレーナーに涙の報告をしている所だ。

 全員が悔しさで泣いている。全員が「勝てる」と思ってレースに出て、そして負けた。

 大小の違いはあるだろうが、私たちはこの悔しさをバネにステージに臨むんだ。

 

『あいつ、いつか私のバックダンサーにしてやるから覚えてなさいよ…』

 

 そう思いながら私達は(こぼ)れる涙を拭う。そして笑顔で踊るんだ。どんなに(ハラワタ)が煮えくり返っていても、顔だけは笑って順位ごとに決められた場所で決められた動きをする。

 

 まるで軍隊みたいだ。一糸乱れぬ統制が高い完成度を誇る、という点では間違いなくウイニングライブは軍隊活動と変わらないだろう。

 

 普通のアイドルグループと決定的に違うのは「レース終了後まで誰がセンターになるのか分からない」事だ。

 だから私達は誰が何着になっても対応できる様に、1着の、2着の、3着の、それ以降の振り付けと歌うパートを叩き込まれる。

 

 GⅡレースまでは披露する曲は「Make debut!」だけだが、GⅠになると途端に曲目数が増える。

 ジュニア級GⅠで「ENDLESS DREAM!!」、クラッシック路線で「winning the soul」、ティアラ路線で「彩《いろどり》 phantasia」。

 更に短距離〜マイル戦で「本能スピード」、それ以降の中、長距離で「Special Record!」、ダートコースで「UNLIMITED IMPACT」、そして春秋の天皇賞と有記念でだけ歌われる「NEXT FRONTIER」と多岐にわたり、そのそれぞれに歌と踊りが付いてくる。

 

 一度でも「NEXT FRONTIER」でセンターを務める事が出来れば、堂々と『日本一』を名乗ることが出来る。ウマ娘としてのゴールの1つだ。

 

 とりあえず今の私には関係無い。「Make debut!」だけ完璧に覚えとけば当面は困らないだろう。

 

 ☆

 

 ライブを待つ観客のざわめきを背に、まだライトの当たらない薄暗いステージに8人のウマ娘が集う。所定の位置につき、目を閉じて精神集中しながら開演を待つ。

 

 ステージに備えられたたくさんのライトが私達をあまねく照らしだす。大勢の観客の歓声が湧き上がる。まだ実績の無いデビュー戦でこれだけの観客が居るのは、多分に1着になったブラックリリィの前人気によるものだろう。

 この観客の中にはスズシロナズナ(わたし)を見に来た人など1人も居ない。

 

 でもそれで良い。今はまだそれで良い。

 

 でもいつか… いつか私を見に来たファンで会場をいっぱいにしてやる。その為にはどこかでブラックリリィ(あいつ)に勝たなければいけない。

 

 今日感じた圧倒的な力の差。それを跳ね返す力が私にあると信じて。

 

 私の為の願いを込めて私は歌う。マイクを装着されていないから私の声は私にだけしか聞こえない。まずはその第一号の()()の為に精一杯歌おう。

 

曲のイントロである管楽器の演奏が会場に鳴り響く。

 

 響けファンファーレ、届けゴールまで……。



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3R レースの後に

「お疲れ様… 着替えながらで良いから聞いて」

 

「…なに?」

 

 ステージから控室へと帰ってきた私をアイリスが迎える。私が今、人と話をしたくない心境なのを十分に理解しているので、ああいう物言いになる。

 

 着替え中の逃げられない状況では私も「イヤ」とは言えない。そういう周到な所も含めて知恵の働く女なのだろうが、その分ちょっと鼻につく部分もある。

 

「貴女は先頭に立つと『(かか)る』クセがあるから、『逃げ』ずに一歩引いて冷静にレースを見渡して欲しかったの。だからこその『先行』指示だったのよ」

 

「……」

 

 彼女の言わんとする事は理解している。実際私はレースの序盤、先頭に踊り出て昂揚感からペースを上げてしまい、予定以上にスタミナを浪費してしまった。

 

「冷静なレース運びが出来ていれば、1着の子はともかくその後の2番3番の子らに抜かれる事は無かったはずよ」

 

「……」

 

 万全の状態でもブラックリリィ(あいつ)には勝てなかった、そう言いたいらしい。

 腹は立つがそれも認めざるを得ない。確かにあいつは強かった。それはもう『次元が違う』とまで思える程に。

 そして私の通うトレセン学園は全国から集められた()()()()()(ひし)めいてシノギを削っている戦場なのだ。

 

 ブラックリリィは物凄く強かった。共にレースを走った娘の中には、心を折られてしまった者もいる程の圧巻ぶりだ。

 しかし私の闘志は衰えていない。むしろ『あいつを倒す』という明確な目標が出来て喜びの感情すら湧いて来ている実感があった。

 

「それに私の見立てでは貴女はまだ『ほん…」

 

「もう良い、分かった。次からはちゃんと言うこと聞くから…」

 

「ナズナ…」

 

 アイリスの言葉を私は手を上げて遮った。彼女の言おうとしている事は大体分かる。これ以上聞く必要は無いだろう。

 

「それより次のレースはいつ? 早く次の事を考えようよ」

 

 頭を切り替えていかないと、いつまでも負けた記憶が心を(さいな)む羽目になる。早い所レースに勝って『未勝利ウマ娘』の看板を降ろしたいのだ。

 

「そうね… すぐにでも次のレースを決めたい所だけど、無理なスケジュールは体を傷めるだけだわ。予定は考えておくからまた明日ミーティングしましょう。今日は帰ってゆっくり休みなさい」

 

「…わかった」

 

 話は終わりだ。私は学園の制服である藤色のセーラー服に着替えて、荷物を抱えて控室を後にする。

 出がけにアイリスから「ナズナ!」と呼び止められ足を止める。

 

「いい? これだけは忘れないで。『貴女は強い、冗談抜きでGⅠを狙えるほどに』ね。貴方を勝たせたいのは私も一緒、だから2人で頑張っていきましょう!」

 

 背中にかかるアイリスの声が暖かい。でも私は照れもあって背中を向けたまま手を上げてヒラヒラと振って見せただけだった。

 

 ☆

 

「ナッちゃん、レース見てたよ。惜しかったね」

 

「カメ…」

 

 部屋に戻ると1人のウマ娘から声をかけられた。この子は『オカメハチモク』という私のルームメイトだ。

 彼女は『オカメ』と呼ばれるのを嫌う。狂言で使われる『阿亀(おかめ)面』のお多福顔を連想させるからだそうだ。

 

 彼女の名前の『岡目八目』のオカメはその意味では無いのだが、いちいち周りに説明するのも面倒くさいので、私達は『カメ』あるいは『カメちゃん』と呼んでいる。走る仕事なのに『亀』は別に問題ないらしい。

 

 カメは私と同じくチーム〈ポラリス〉の同期メンバーで、私と違っておっとりとした優しいお姉さんタイプの子だ。

 何かと私を気にかけてくれて世話を焼きたがる。傍から見ると姉妹(ひょっとしたら姉弟)の様に思えるかも知れない。

 

「全然惜しくないよ。私の持ち味がまるで出せなくてアイリスも激おこだったしね」

 

 制服のままベッドに飛び込みながらぞんざいに答える。別にアイリスは怒ってなかった(よね?)が、とりあえず話を盛っておいた。

 

「あはは、ナッちゃんのトレーナーさんもわんぱく坊主が担当で大変だねえ」

 

「そこ、うっさいよ」

 

 2人で顔を見合わせてケラケラと笑い合う。その後数秒の沈黙が流れる。

 なんとなく沈黙が耐えられなくて、ベッドに横になったまま私は口を開いた。

 

「…今日一緒に走った奴さ、トンデモなく強かった。私が懸命に走っても走っても、まるで差が縮まらなかった… 子供の頃からあんな負け方したのは初めてでさ」

 

「うん、見てた…」

 

「それどころか最後の最後で更に2人に抜かされて、ウイニングライブでは晴れてバックダンサーデビューだよ…」

 

「……」

 

「確かに私の作戦もミスってたよ? 勝手に『逃げ』たし、それで原因で掛かっちゃったし…」

 

 不意に涙が溢れてくる。今になって色々な悔しさや後悔が沸き上がってくる、気持ちが抑えられない。

 

「悔しい… 悔しいよカメぇ…」

 

 止めようとしても後から後からどんどんと涙が湧き出して来る。両手で涙を拭うが、とてもじゃないが間に合わない。今更ながらこんな事なら部屋に帰る前に『大樹のウロ』で悔しさを吐き出してくれば良かった、と思う。

 

「ナッちゃん…」

 

 カメが私の横に静かに腰掛けて、泣きじゃくって無防備な私のお腹の上に手を当てる。そして優しく(さす)りながら

 

「今日は頑張ったよね。たくさん泣いて良いよ。どうせトレーナーさんの前じゃ突っ張って強ぶってたんでしょ?」

 

 そう言ってくれた。カメにはお見通しか……。

 

 その後私はレースに負けた悔しさと、カメの優しさに触れた喜びとの二重の感情で10分程泣き続けた。



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4R トレセン学園

『日本ウマ娘トレーニングセンター学園』

 

 東京の府中市に通称『トレセン学園』と呼ばれるウマ娘の為の巨大な学校がある。私達競走ウマ娘はそこで日本一のウマ娘になるべく日夜研鑽している訳だ。

 

 地方にも同様のトレセン学園は多数存在するが、その規模と水準の高さから、単に『トレセン学園』と言った時は一般的にはこの中央の学園の事を指す。

 

 全国からやって来た町一番のウマ娘達と、幾度もの選抜試験を乗り越えてきたトレーナーらの集まる、ここ府中のトレセン学園はもはや異次元レベルで地方との格差を見せつける存在だ。

 

 かく言う私も地元の運動会や草レースでは常に1位を取ってきた。

「ナッちゃんなら日本ダービー優勝できるよ!」

「いやいや凱旋門賞も夢じゃない!」

 などと近所のオジサン達は無邪気に囃し立て、私自身もそんな気になっていた。

 

 全国トップレベルの指導を受ける事ができ、トレーニング機器も最新型がずらりと並ぶ。全寮制で寮には生徒以外の人間は女性トレーナーですらも進入不可というセキュリティ、食堂は充実したビュッフェで朝と晩は食べ放題。これは総じてエンゲル係数の高いウマ娘にはとても助かる。

 

 そして何より、好きなだけ走れる広さのコースがある。もちろん芝もダートもウッドチップも完備している。

 

 この様な理想的な環境、金が掛からないはずが無い。

 実は私の学費は両親の収入だけでは足りなかった。それを見かねた町会長さんは町がかりで私の後援会を発足させ、資金集めに走り回ってくれたのだ。

 そして兄は大学進学を諦めて就職し「(ナズナ)の学費の足しにしてくれ」と毎月少なくない額を後援会に振り込んでくれている。

 

 もちろん中央のトレセン学園に入学するのは難しい。筆記試験と面接はそれほどでは無いけれど、実技試験は何段階もの予備試験を経て本選で結果を出せた者しか入学が許されない。

 私の時は、地域クラブで走っていた私と近いレベルの女の子3人と一緒に試験を受けに行って、最終的に受かったのは私だけだった。

 

 そしてそんなハードな試験を勝ち抜いて来たエリートウマ娘達が、この学園にはなんと約2000人も在学している。

 

 私の目標は言うまでもなく、その2000の中で頂点に立つ事だ。私に夢を託してくれている大恩ある人達に報いるべく、勝って勝って勝ち続けなければならない。

 

 新戦なんかで躓いている場合では無いのだけれど……。

 

 トレセン学園は学業的には中高一貫の女子校だ。大抵の子は中学入試と同じ感覚で試験を受け、春から新入生として生徒となるが、ごくまれに途中入学や地方のトレセン学園から『転校』してくるウマ娘もいるらしい。

 

 そこで数カ月に一度、外部の記者等も招いた選抜レースが開かれ、生徒達はトレーナーにスカウトされる形で晴れて『競走ウマ娘』となる。

 

 トレーナーの居ないウマ娘は『トゥインクル・シリーズ』に代表される各種正規のレースには出走が認められないので、何はなくともトレーナーに見初められない事には始まる事すら出来ないシステムなのだ。

 

 中にはウマ娘の方からトレーナーに売り込む事もあるそうだが、私には無縁な話だ。だってこちらから誘って断られたら、死ぬほど恥ずかしいじゃないか……。

 

 名前が出たついでに説明すると『トゥインクル・シリーズ』とは、デビュー年を含む3年間のレースシリーズの事を指す。

 初年度から順にジュニア級、クラッシック級、シニア級と年明けと共に級を上げていき、それぞれに応じたレースを走る。

 

 ウマ娘にとってはこの3年間が最も大事な時期で、正にその後の人生を左右する期間となる。

 『トゥインクル・シリーズ』で優秀な成績を収められれば、更に上級の『ドリームトロフィー・リーグ』で走る事が許される。

『トゥインクル・シリーズ』を高校野球とするならば、『ドリームトロフィー・リーグ』はプロ野球の様な物だと考えてもらえば分かりやすいと思う。

 

 エリートの中の更に1握りのエリートだけが立てる夢の舞台、それがドリーム・トロフィーだ。

 

 さて、トレーナーの指導を受け、やがて『本格化』と呼ばれるレースに適した体に開化したウマ娘は、初夏から始まる『新バ戦』と言うデビュー戦に臨む事になる。

 この新バ戦に優勝、或いは負けても後日都度開催される『未勝利戦』に優勝出来れば、ランクを『プレオープン』に上げられる。

 

 その後『未勝利戦』は1年近く開催され続けるが、その間一度も優勝できなかったウマ娘は残念ながら落第となり、以降は『走り』に関する授業やトレーニングは受けられなくなる。

 ただ学園として中学〜高校のカリキュラムは、当人の学業単位が保持できていれば、そのまま卒業まで通い続ける事は可能だ。

 

 とは言うものの、言葉は悪いが『落伍者』の看板を背負ったまま生活するのは尋常ならぬストレスが発生する(エリートとして入学しているのだから尚更だ)ためか、落伍したほぼ全てのウマ娘は自主退学という形で学園を去る。

 

 貰った学園の資料によると、この時点で新入学したウマ娘の実に半数以上が脱落してしまうそうだ。

 そして新バ戦や未勝利戦を勝ち抜いたとしても、その後の成績不振や練習中やレース中の怪我、病気を理由に競走ウマ娘としてのキャリアをリタイアする娘も少なからず居て、総計で見ると全体の約7割が脱落すると言う……。

 

『全国から厳選されてきたウマ娘達の更に約3割しか学園に残れない』

 

 華やかなトレセン学園の裏側は、それだけ厳しい世界なのだ。

 

 学園を去った(都落ちした)ウマ娘、そして元々トレセン学園に進学しなかったウマ娘の人生は様々だ。

 走りを諦められないウマ娘は地方のレース場で行われるローカルレースに出たりするし、その脚力を活かして郵便配達やメール便等の配送業務に就いたりする。

 

 江戸時代の飛脚や駕籠担ぎなどはウマ娘の独壇場だったらしいから、小口の輸送とウマ娘は切っても切れない関係にあるのだろう。

 

 もちろん走りを辞めた(あるいは故障して走れなくなった)ウマ娘が、普通に企業に就職してOLをやっていたり、結婚して主婦業をしているパターンも多く見られる。この辺は普通の体育会系女子と変わる物では無いだろう。

 

 ウマ娘だって人間だ。職業選択の自由は保証されているし、本人の気持ち次第で何にでもなれる。外国の話だが、宇宙飛行士になったウマ娘もいるらしい。

 

 ただ、ウマ娘として生を受けた者は大なり小なり『走り』や『勝負』への渇望が生まれる。「あの娘より速くなりたい」「あの娘にレースで勝ちたい」という思いは全てのウマ娘が抱く思いだ。

 

 だからこそウマ娘の精神を具現化した『競走ウマ娘』への社会的な憧憬と賞賛は凄まじい物になる。GⅠレースを勝ったウマ娘は、その日から国民の英雄となれるのだ。

 

 さて、デビュー戦を終えたらここからは人気勝負になってくる。ウマ娘は走るだけでは務まらない。歌や踊りも十全に出来なければ人気が上がらず、やはり影に消える人生が待っている。

 

 デビュー戦以降、ウマ娘本人のファン数が計測されるようになり、その数に応じて出られるレースに制限が掛かるのだ。

 従って、プレオープン級の間はプレオープン級のレースにしか出走出来ない。ここで順位を上げればファン数は増えるし、不甲斐ないレースやステージを続ければファン数は下がっていく仕組みだ。

 

 そしてプレオープンでファン数を一定値(3000人)以上まで増やして初めてオープン級となり、ここに来てようやく全てのレースへの出走が解禁される。しかし依然としてグレードの高いレースには、必要なファン数の高い数値が設定されており、更なる研鑽が必要となるのだ。

 

「ナッちゃんなら日本ダービー優勝できるよ!」と言ってくれた床屋のオジサン。私はまだダービーに出走する権利の入り口にすら立てていないよ……。

 

 でもね、でも必ず私は勝ち上がってGⅠのトロフィーを地元に持ち帰ってみせるよ。だから、だから皆、待っててね…!



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5R チーム〈ポラリス〉

 翌日、授業を早々に切り上げて私の所属するチームの事務所へと向かう。

 ここで少し私のチームについて説明しておきたい。

 

 チーム名は〈北極星(ポラリス)〉。「一等星の様に強く輝かずとも芯のブレないアスリートとなれ」の想いを込めて名付けられた、それなりに歴史のあるチームだ。

 

 チーフトレーナーは矛田(ほこた) 源逸(げんいつ)さんというアラフィフの熊みたいな体格をした強面のおじさんだ。優しくて豪快な性格で、普段は細かい事に拘らない人なのだが、一旦怒ると手がつけられなくなる。

 私とカメは選考会で源逸さんの目に止まって、共にスカウトされた。

 

 副チーフは目黒(めぐろ) 宗太郎(そうたろう)と言う若い男性。源逸さんとは対称的な細身のクールガイで、切れ長の目と銀縁メガネが特徴。

 言いたい事をズケズケ言うタイプで、源逸さんとは育成方針の違いでよくケンカしている。

 

 他には新人のトレーナーが2人。1人は私の専属トレーナーであるシルバーアイリス。前述の通り元競走ウマ娘で、引退後にトレーナーへの道を進んだ変わり種の人だ。

 真面目を絵に描いた様な人で、分刻みでトレーニング予定を組み上げてくる、ちょっと息が詰まるタイプの人。

 

 もう1人のトレーナーが矛田 きり。源逸さんの娘さんで、こちらはカメ(オカメハチモク)の専属トレーナーだ。ウマ娘にはのびのびとやらせる方針の様で、カメとも姉妹の様に仲良くやっているらしい。

 ちなみにアイリスとは幼馴染だそうで、今でもとても仲が良い。事務所の内外を問わず、よく2人で楽しそうに談笑しているのを見かける事がある。

 

 所属するウマ娘は私を含めて5人、これはチームとしては最小限レベルに少ない数だが、「多過ぎても面倒見切れねぇだろ」と言う源逸さんの方針で『少数精鋭(?)』と言うポリシーで運営されている。

 

 まずは自己紹介から。

 私の名前は『スズシロナズナ』。皆からは『ナズナ』と呼ばれている。最強を自負して臨んだ初レースで4着に沈んだボンクラです、はい、今更ですね。

 

 正月の七草粥に言われる通り『スズシロ』は大根、『ナズナ』はぺんぺん草だ。雑草の名前を付けられた泥臭い娘だけど、雑草の様にしぶとく生きてやろうと思っている。私に関してはこんな所。

 

 次に『オカメハチモク』。愛称は『カメ』 私のルームメイトでいつも穏やかで優しい子。まだデビューはしていない。

 よく一緒に練習したりするが、本番の為に力を溜めて、練習では本気を出さないタイプ。でもその瞬発力は恐らく私より上だろう。

 以前模擬レースをした時には、おっとりした性格からは信じられないような猛ダッシュで私を置き去りにした事があった。

 

 次は『スターコロボックル』。愛称は『コロ』 この娘も私やカメと同期の未デビューの新人ウマ娘。

 「小人の妖精(コロボックル)」の名前の通り身長が142cmと小柄で小回りが利く。そのくせ筋トレが趣味らしく、高いパワーで抜群のスタミナを誇る。

 イタズラ好きで落ち着きが無いのが難点で、よく担当トレーナーである源逸さんにイタズラしては、見つかって説教、お仕置きされている。

 

 そして『メルヘンランド』先輩。愛称は『メル(先輩)』 担当は目黒トレーナー、カメを更に柔らかくした様なチームのお袋さん的な存在。オープンクラスに上がったは良いが、そこからなかなか勝ちに結びつかずにファン数が伸び悩んでいる。

 一応重賞レースにも出走経験はあるものの、未だ重賞の勝ち数はゼロ。

 

 最後が『アーモリーフォース』先輩。愛称は『アモ(先輩)』 メル先輩だけは『アモちゃん』という呼び方をする。『武器庫(アーモリー)』の名に相応しく、沢山の武器(テクニック)を持っている技巧派のウマ娘。やはりオープンクラスで重賞GⅢレースを2勝しているチームのエースでリーダーだ。

 

 担当は源逸さんだが、自分のコンディションを常に把握しており、自分の練習メニューも自作して『トレーナー要らず』な状態らしい。

 本気かどうか分からないが「私もアイリス先輩みたいに将来トレーナーを目指そうかな?」などと普段から言っている。

 

 アモ先輩とメル先輩は同学年だが、レースのクラスは1年違う。本格化の早かったアモ先輩はシニア級、メル先輩はクラッシック級だ。

 ウマ娘は本格化の時期(個人差が大きい)でデビューが決まるので、この様なパターンは少なくない。

 

 ☆

 

「オハヨーごさいまーす…」

 

 すでに時刻は午後なのだが、なんとなく事務所(ここ)に来る時は「おはよう」と言ってしまうクセがついている。

 

「おーっす! 昨日は残念だったな。よく眠れたか?」

 

 チーフの源逸さんの明るい声で迎えられる。小さな悩みや失敗事なんかは、大体この人の明るい声で邪気払い的に吹き飛ばして貰える、小さい事でクヨクヨしがちな私にとっては、とても有難くて父親よりも頼りになる人だ。

 

「まぁ、ボチボチです。早いトコ頭を切り替えて行かないとね…」

 苦笑しながら言葉を返す。

 

 …ボチボチなんて嘘だ。カメに甘えて泣かせてもらった後で、私は自らの炎で焼かれそうなくらいに怒りの感情に支配され、ほとんど寝付けていなかった。

 

 狙い通りのレース運びが出来なかった自分への怒り、余裕綽々の涼しい顔で私を置き去りにしていったブラックリリィの走り、ゴール直前で私を抜いていった2着と3着の娘たち……。

 まぁ後半は八つ当たりなんだけど、人は一旦心の上辺に浮き上がった感情はそう簡単には下がってくれない。女なんて特にそうだ。

 

「親父さん、人が悪いですよ。ナズナの顔を見れば眠れたかどうかなんて一目瞭然じゃないですか」

 

 目黒さんが眼鏡の位置を直しながら源逸さんにツッコミを入れる。う… 私そんなにすぐ分かるほど腫れぼったい目をしていたのかしら…?

 

「『勝った』『負けた』はウマ娘の常ですからね。デビューから引退するまで10戦以上ずっと1位だったウマ娘なんて、日本の歴史上でも十指に余る数しか居ないんだから、昨日の事はもう忘れましょうナズナ…」

 

 そこで声を上げたのは、私のトレーナーのアイリスだった。




 ここで各メンバーのビジュアルイメージとして、『外見のイメージが近い』原作キャラを列挙しておきます。今後の読書の助けになれば幸いです。
 なお、「顔のイメージが近い」というだけで、性格等はまるで関係ありませんので悪しからず。

スズシロナズナ ≫ シリウスシンボリ
プラチナアイリス ≫ ファインモーション
オカメハチモク ≫ エイシンフラッシュ
スターコロボックル ≫ シンコウウインディ
メルヘンランド ≫ メイショウドトウ
アーモリーフォース ≫ メジロパーマー
ブラックリリィ ≫ マンハッタンカフェ


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6R 新バ戦の真実

「…次走は2ヶ月後ですって? そんなに待てるわけ無いでしょ! どういうつもり?」

 

 アイリスから告げられた出走スケジュールがにわかに理解できずに私は声を荒げてしまった。

 せっかく気持ちを入れ替えて新たにレースに挑もうと思っていたのに、2ヶ月も先のレースでは緊張感も途切れてしまうではないか。

 

「聞いてナズナ… 貴女はもう少し体を作ってから走る方が望ましいの。貴女の体はまだ『本格化』を迎えていない。もう1ヶ月か2ヶ月後の方がタイムもぐんと伸びるはずなの」

 

「じゃあ何で昨日の日程でレースに出したのさ? 最初から言ってくれれば私だって…」

 

 始めから勝てないと分かっているレースに出すなんて、随分酷い事するんだね。私の中でアイリスへの信頼度が音を立てて急降下していった。

 

「アイリスを責めるなナズナ。これは俺の指示だ」

 

 申し訳無さそうに顔を伏せるアイリスの後ろから源逸(おやっ)さんの声がした。もう何が何だかさっぱりだ。

 

「昨日走ったブラックリリィな、ありゃナズナ(おまえ)の同期の中じゃあピカイチだ。お前も肌で感じたろ?」

 

「…それが何だって言うんですか?」

 

 私の脳裏に昨日のブラックリリィの走りが蘇る。黒い長髪、黒い尻尾、それらを風になびかせて私の横を颯爽と走り去って行った、やもすれば魅了すらされてしまいそうになる、しなやかで美しい肢体……。

 

「お前もお前で早目に走りたがっていたから、せっかくだからとリリィのデビューに合わせてみたんだよ。いい勉強になっただろ?」

 

「ゴーサインを出したのは源逸さんだけど、発案者は私よ。恨むなら私を恨んでね…?」

 

 再びアイリスが会話に入ってくる。

 

「ナズナが今後トゥインクル・シリーズで結果を出していくには、同期のブラックリリィは避けて通れない壁だわ。その壁の高さを今のうちに実感しておいて欲しかったの…」

 

「……」

 

「普通の娘ならブラックリリィ(あのこ)の走りに戦意喪失して引退まで考えちゃうパターンもあるかも知れないけど、ナズナなら逆に闘志を燃やしてくれるだろうと信じてたから…」

 

「……」

 

「でもナズナはまだ本格化を迎えていないにも関わらず地力は高い物があるの。だからリリィには勝てなくても2着には入れるだろう、そこからなら『パワーアップして次は頑張ろうね!』って持っていけると思ったんだけど…」

 

「私が余計な事をしたからそれも失敗した、と…?」

 

 確かにアイリスの作戦通りに走って私が(予定通りに?)2着になっていたのなら、すんなりと『まぁたまたま運が悪かっただけだな』と前向きに考えられていたかも知れない。

 

「そういう事だ。ナズナのムカつく気持ちも分かるが、アイリスの気持ちも汲んでやってはくれないか?」

 

「……」

 

 正直まだ納得できない部分は多くある。これがもしアイリスの独断による作戦であったのならば、私は担当替えすらも主張していたかも知れない。

 

「まぁ、オヤッサンがそこまで言うなら今回だけは身を引きますよ。でももう身内を騙すような事はしないで下さいね…?」

 

「おう、本当に悪かった! 悪かったついでにお前はもう少し体を作り上げてからの再挑戦だ。この方針は変わらねぇ。良いな?」

 

「……りょーかーい」

 

 拗ねた振りして答える私。半分冗談だが、その方針が気に入らないという気持ちの半分は本気だ。

 

『この件はこれで終わり』とばかりに事務所に複数の笑い声が響く。私も本当に気持ちを切り替える必要があるだろう。

 

「お疲れ様で~す。笑い声が聞こえましたけど何か面白い話でもあったんですか?」

 

 測ったようなタイミングでカメがやってきた。横にコロとメル先輩が居る。3人で連れ立ってやって来たらしい。

 

「アモちゃんはちょっと走ってから来るって言ってたので少し遅れます」

 

 とメル先輩の業務連絡。

 

「分かった。んじゃお前らもさっさと着替えてそれぞれのトレーナーの所へ行け!」

 

 オヤッサンの声を合図にウマ娘とトレーナー達が動き出す。さぁ本日のトレーニングの始まりだ。



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7R トレーニング開始

「なぁなぁナズナ、ぶっちゃけブラックリリィってどうなんだ? そんなに強かったのか?」

 

 着替えながらコロが楽しそうに聞いてくる。まぁ、コロは私と同期だから(すなわ)ちリリィと同期でもあるし、気になる存在ではあるのだろう。

 

「それ私も気になるなぁ。ナッちゃんを泣かす程の実力の持ち主って…」

 

「ちょっとカメ! 余計な事言わないでよ」

 

 カメが参戦してきて慌てた私にまた皆の笑い声が被さる。私の恥ずかしい過去もバラしてくれなくても良いっての。

 まぁ一晩中1人で泣いたり怒ったりしていたルームメイトが居ては、彼女も昨夜はゆっくり眠れなかっただろう。その点は大変申し訳無いとは思っている。

 

「…うーん、あの時はもう私も必死で体中の筋肉を総動員して走っていたわ。それをリリィ(あいつ)はいとも簡単に抜き去って行った… 何ていうか夢でも見てるみたいだった。『え? 何でこんなに本気で走ってるのにあっさり抜かれるの?』的な…」

 

「うぇー、マジかぁ… 今はナズナとあたしでいい勝負だから、今のあたしが挑戦しても玉砕するだけかなぁ… もしレースでリリィとかち合ったらナズナの仇を取ってやろうと思ってたけど…」

 

 コロが残念そうな口で随分と愁傷な事を言ってくれる。この子の事だからどこまで本気かは分からないけど、完全な嘘という訳でも無いだろう。

 

「ありがとコロ。でもリベンジは絶対自分の手で、もとい脚でやりたいんだ。気持ちだけ貰っておくよ」

 

 私の言葉を受けてコロが笑顔で「うん!」と大きく頷いた。邪気の無い時のコロは本当に可愛い。抱きしめてお持ち帰りしたくなる。まぁ大体八割方は邪気があるんだけどね。

 

「でもこれからデビューを待ってる娘たちの中にもとんでもない力を持った娘がいるかも知れないんだよねぇ。私なんだか怖くなって来ちゃったよ…」

 

「どの年代にも抜きん出た、バケモノみたいなウマ娘はいるわ。私の時はツキバミさんねぇ。彼女は本当に『別格』だったもの…」

 

 カメの言葉をメル先輩が受ける。メル先輩は私達より1年上のクラッシック級だ。

 件のツキバミというウマ娘はデビュー以後負け無しで今日まで6戦6勝、しかもいずれも5バ身以上差を付けての大勝。勝ち数のうち3つがGⅠ(ホープステークス、皐月賞、日本ダービー)で、秋の菊花賞も確実視され、今年のクラッシック三冠ウマ娘の下バ評は揺るがない。

 

「実力はドリームトロフィー級(シニア級で更に成績優秀者のみが上がれる上位クラス)」とクラッシック級ながら既に『現役最強』と噂される誉れ高いウマ娘だ。

 きっと来年のシニア級でも大暴れするのだろう。

 

 私も映像でツキバミの走りを見せてもらった事があるが、『倒れ込むのでは無かろうか?』と思う程の前傾姿勢で、『ライバルに親でも殺されたのか?』と思えるほど鬼気迫る表情をして走るウマ娘だった。

 

 映像から感じ取れたオーラだけでも身震いする程だったから、同じレースを走って近くでその覇気を浴びていたら、私の様な可憐で大人しくて気の小さいウマ娘はすぐに卒倒してしまうだろう。

 

 私と走ったブラックリリィは確かに速かった。速かったがツキバミの様な絶対的な存在感は持っていない。むしろリリィ(あのこ)は霞のように捉えどころの無い透明感というか儚さみたいな物がある。

 ツキバミを『剛』とすればリリィは『柔』というイメージだ。

 

 このまま順当に行けば来年の冬にはツキバミとリリィの対決も見られるかも知れない。もちろん私もその()えあるレースに介入出来る位には実力を付けていく予定だ。

 

 着替えを済ませ、各々のトレーナーと合流する。アイリスから告知された本日分の練習内容は、昨日がレースだった事を鑑み軽めの走り込み、坂路、締めにカメとの併走だった。

 

 私の適正距離はおよそ1600〜2200m。距離がそれ以下だと調子が上がる前にレースが終わってしまったり、それ以上だとスタミナ切れでバテてしまう。

 こればかりは持って生まれた才能なのでおいそれとは変えられない。

 

 今後日本ダービー(2400m)や菊花賞(3000m)を目指して動くなら適正距離を伸ばすべくスタミナの補強は必然となる。アイリスもそれを見据えたカリキュラムを組んでくれている辺り、私達の意思疎通はお互いが思っている以上に上手く行っているのかも知れない。

 

 坂路を10セットほど走った所でアイリスの携帯電話が呼び出し音を鳴らす。横目でアイリスの様子を窺うと、通話の終わったアイリスがこちらに話しかけてきた。

 

「源逸さんからだけど、コロがどうしても『皆で模擬レースやりたい』って言って聞かないらしいの。メルとカメは来るらしいけど、ナズナ(あなた)はどうする…?」

 

 ふん、そんな事……。

 

 もちろんやるに決まってるじゃん!



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8R 模擬レース(前編)

 コースには既にカメとコロ、メル先輩、それに後から練習に合流してきたアモ先輩、各員のトレーナーが来ていた。チーム〈ポラリス〉全員集合じゃないか。先輩達も一緒に模擬レースするのかな?

 

「始めは今年デビュー組の3人だけでやるつもりだったけど、メルとアモも参加を表明してきたので全員まとめてレースをやるぞ。距離は1800m、すでにオープンクラスのメルとアモはハンデとして20kgのウェイト付きで走る。ビリッけつは今日のおやつ抜き、優勝者はビリの奴のおやつを賞品として与える。何か質問のある奴は?」

 

 源逸さんが一気にルールをまくし立てる。1800mは私にはピッタリの距離だが、短距離が得意なカメと長距離が得意なコロには微妙にキツイ長さだろう。

 尤も2人とも1800なら十分に実力を発揮できる距離だ。距離適正による有利不利はあまり関係ないかも知れない。

 

 加えてメル先輩もアモ先輩も共に距離適正は私と同じ中距離型。こちらに差は無いが、2人は両手両足にそれぞれ5kgずつの(ウェイト)を装着している。

 

『適正距離』『荷重無し』と、もはや私の為とも言えるような条件で開かれるレースなのだからここは負ける訳にはいかない。

 

「ハイ! 今日のおやつは何ですか?!」

 

「うむ、甘口堂の『高級ふわとろにんじんプリン』だ。他に質問は? …無いな? では各自作戦会議してからスタートラインにつけ!」

 

 コロの質問に答えた源逸さんの言葉でウマ娘一同に激震が走る。甘口堂の『高級ふわとろプリン』と言えば知る人ぞ知る名店の、しかも毎日売り切れ必至の人気商品じゃないか。

 

 特に『にんじんプリン』はウマ娘用に開発された私達の為のスイーツで、にんじんの甘みが嫌味にならない程度にほんのりと活かされていて、それはもう一口ごとに幸せの味がする。それでいて低カロリーと言う、夢の様な幻の逸品だ。

 

 それが今日のレースの賞品だと言う。しかも優勝者には2個のプリンが授与されるのだ。

 これは何としても負けられない。今プリン2個に最も近い位置にいるのは私だ。絶対に他の娘に譲る訳には行かない。栄冠(プリン)は私が貰う!

 

 源逸さんの言葉で気合が入ったのは私だけでは無い。先輩達を含む5人のウマ娘全員が闘志を漲らせている。この雰囲気は実戦さながらにピリピリした物だ。

 今この場の私達は「同じチームの仲良しグループ」では無い。互いが互いをライバルとして『打ち勝つ存在』として認め合う競技者に他ならない。

 

「凄い… 一気に空気が変わりましたね…」

「ああ、正直俺もここまでとは思わなかった。甘口堂さまさまだな…」

「やれやれ、食べ物に釣られるなんてホント子供だな」

「あ、じゃあ目黒さんの分のプリンは私が貰って良いですか?」

「駄目に決まっているだろう!」

 

 トレーナー達も半ば呆れて見ている様だが関係ない。ちなみに発言の順番はアイリス、源逸さん、目黒さん、きりさん、目黒さんだ。

 

 私は指示を仰ぎにアイリスの元へ行く。

 

「昨日の負けを取り返すわ。作戦があるなら教えて」

 

 私の本気にアイリスはやや引き気味だったが、やがて観念したように口を開く。

 

「まだ昨日の疲れが残っているはずだから無理だけはしないでね? プリンはまた買えるんだから。あとはそうね… 昨日と同じ様に『先行』で様子を見ましょう。恐らくメルが先頭に立つでしょうから、彼女をマークして離されない様にしつつ最後の直線に賭ければ、ナズナ(あなた)なら勝てるはずよ」

 

「オッケー、分かった…」

 

 私はそれだけ答えてスタートラインへと歩みを進めた。

 

『良かった』

 

 アイリスの指示はほぼほぼ私の想定していた物と同じだった。ウマ娘とトレーナーの方向性が同じなら、安心してレースに臨めると言う物だ。

 プリンは譲らないけどね。

 

 各々のウマ娘が各々の作戦を携えてスタートラインに集結する。

 

1枠 アーモリー

2枠 メルヘンランド

3枠 スズシロナズナ(私)

4枠 オカメハチモク

5枠 コロボックル

 

 ジャンケンで決まった枠順で全員がスタートラインに並ぶ。当然ながら練習場には私の嫌いなスターティングゲートは無いので、気分的にとても晴れやかだ。

 

「ナッちゃんには悪いけどプリンは譲らないよ」

 隣のカメが挑戦的な視線で宣言してくる。

 

「カメには前の模擬レースで負けてるからね。今日はそっちのリベンジもついでにさせてもらうよ」

 私も負けじと軽口を返す。今の時点で戦いは始まっているのだ。

 

「プリン… プリン… プリン…」

 

 コロの呟きがここまで聞こえてくる。今のあの子は『執念の鬼』と化している。こんなに真面目モードなコロは過去見た事が無かった。

 

「アモちゃん、お手柔らかにね」

「いいや、プリンがかかっているなら私も本気で走るよ。メルだってそうだろ?」

 

 コロを挟んで先輩2人の会話も、言葉は柔らかいが雰囲気はバチバチとやり合っている感じが身近に感じられる。

 

「では行くぞ。よーい、スタート!!」

 

 源逸さんの合図とともに5人のウマ娘が一斉に駆け出した。



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9R 模擬レース(後編)

 先頭に飛び出したのはコロとメル先輩。続いて私、アモ先輩、カメの順だ。

 

 コロは本来、先行から差しで中盤からロングスパートをかけていくタイプで、瞬間的な加速力はあまり強くない。

 しかし今に限って言えば長距離が得意なコロには1800mは少し短い。だからレースの流れなど気にせずに、序盤から全力で飛ばして押し切ろうという作戦なのだろう。目先のプリンに釣られて正気を無くしているだけの可能性もあるけど……。

 

 メル先輩は普段から『逃げ』戦術が得意なので驚く事は無い。こちらもそれを想定して彼女をマークする作戦なのだ。

 

 レースとは非情だ。位置取りのために他のウマ娘やコースの柵(ラチ)と接触する事は日常茶飯事だし、それによって負傷する事も珍しくない。

 メル先輩の様に大人しい人はラチや他のウマ娘に囚われずに、のびのびと先頭を走るスタイルの方が合っている。

 逆に他のウマ娘に寄られると気が引けて勝負を降りてしまう所がある。このメンタル的な弱さが彼女がなかなか勝ち切れない最大の理由だ。

 

 続く私は昨日の失敗から学んで、しっかりとメル先輩を視界に収め、この様に冷静にレース運びを確認しながら走る事が出来ている。『他人の尻を追いかけるのはイヤだ』等と言ってはいられない、プリンの為に。

 昨日キチンとこれが出来ていたら、あんな無様は晒さなかったはずだ。

 

 メル先輩の先にコロが走っているのは想定外だけど、コロにしては飛ばしすぎだ。あのペースだと多分ラストまでスタミナが保たないだろう。

 

「メルは速いなぁ。このまま一気に持っていかれるとヤバイよね?」

 

 私の耳元に囁く声が聞こえる。隣で走っているアモ先輩だ。

 そしてこれがアモ先輩の狡猾な作戦である事は明白だ。

 ここで私がメル先輩と張り合う為に先行させて、互いに競争させてスタミナを奪おうという魂胆なのだ。

 

 もしこれが余裕の無い本番レースで、私がアモ先輩の人となりを知らなかったとしたら、この言葉に触発されて無駄にメル先輩に仕掛けて共倒れになっていたかも知れない。

 

 アモ先輩は実力面でもステップを踏む様な動きでスムーズに左右の位置取りをしたり、他人を風除けにしてスタミナを温存したりと言った技巧的には素晴らしい資質を持っている。

 加えて先程の様に独り言の体で他の競走相手に心理的な揺さぶりを掛ける戦術も得意としている。

 

 常に先頭ウマ娘との距離を把握して、正確に仕掛けるタイミングを掴める感性と、たとえ群に沈んでも的確な位置取りでそこからの脱出を成功させ、結果がどうあれ自分のレースを完成させる。

 紛れもなくうちのチームのエースに相応しい人だ。これだけの技量があってもGⅢ止まりなのだから、改めて中央の層の厚さに戦慄する。

 

 最後のカメは1人静かに後方に控えている。体力を温存しつつ最後の直線に仕掛ける『追込』作戦だろう。

 正直、彼女の得意な短距離と追込作戦はあまり相性が良くない。距離が短いと先行したウマ娘を追い抜く暇無くレースが終わってしまう可能性が高いのだ。

 

 でもカメの加速力はチーム随一、それどころか学園の中でも上位に入るだろう。競の醍醐味とも言える最後方から一気に捲りあげる豪快な走法で、見る者を魅了する脅威の末脚を持っている。

『どんなに後ろに沈んでいても最後まで油断できない』のがオカメハチモクと言うウマ娘だ。

 

 始めに決まった隊列のままレースは進み、第4コーナーに差し掛かった辺り、案の定コロのスピードが落ちてきた。それを察知したメル先輩がコロを躱して先頭に出る。

 私もメル先輩に連動して速度を上げる。アモ先輩もピッタリと私の横に付くように走る。カメの気配はまだ無い。

 

 直線に出て最初に仕掛けたのはアモ先輩。私を抜いてメル先輩に並ぶ。私もスピードを上げてコロを抜き、メル先輩のすぐ後方に出る。

 アモ先輩はメル先輩にも何やら囁いているみたいだ。内容までは分からないけど、きっと何かメル先輩の戦意を奪う言葉を言っているのだろう。

 

 それと同時に接触を嫌うメル先輩に対して外側から強く幅寄せしてきている。他人事ながらにアモ先輩はえげつない事をすると思う。

 

メル先輩への妨害工作(?)で少し速度を落としたアモ先輩を躱して、一瞬のチャンスを見逃さなかった私がトップに躍り出る。

 メル先輩にかまけて私を見落としたアモ先輩のミスだ。現に抜いた瞬間『しまった!』って顔してたからね。

 

 アモ先輩は慌てて私を追うけどもう遅い。ここで頭一つ抜け出した私が1着を、そして追加のプリンを頂く!

 

?!

 

 後方から「うおおおおおおっ!!」という声と共に物凄い気迫を感じる。

 コロだ! スタミナ切れて脱落したかと思われたコロが再び巻き返して猛スピードで上がってきたのだ。

 

 逃げる私、直後にアモ先輩、そして猛追を見せて徐々に差を縮めるコロ。 

 残りはおよそ100m。コロの勢いは凄いけど、この残り距離なら逃げきって見せる。私だって末脚には自信あるんだから!

 

すぐ後ろにアモ先輩とコロが居るのが分かる。一瞬でも気を抜いたらすぐに抜き返されて、そこからのリカバリはもはや不可能だろう。

 『ゴール』と書かれた看板を持ってアイリスが立っているのが見える。あそこまで辿り着けば私の勝ちだ。絶対に負けない!

 

 ゴールまであと40m、30、20… よし、勝った!!

 

 そう思った瞬間、涼やかな風が私の横を舞った。

 レースに参加していないのでは? と思えるほど今まで全く姿を見せなかったカメが、いつの間にか私の横に居て、そしてほんの数cmだけ前に出た……。



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10R ささやかな宴

 模擬レースの最終的な着順は、

 

1位(プリン2個) オカメハチモク

2位 スズシロナズナ

3位 アーモリー

4位 コロボックル

最下位(おやつ無し) メルヘンランド

 

 という結果に落ち着いた。私とカメとはハナ差、私がほんの少し頭を前に出すなり手を伸ばしていさえすれば覆せる勝負だった。

 とは言え勝負は勝負、負けた悔しさは残るが、結果はともかく昨日と違って計算通りの、そして精一杯のレースが出来た。

 公式戦と模擬レースを比べるのも変だけど、悔しさと後悔しか残らなかった昨日と比べれば、今日のレースは持てる全て出し切ってとても清々しく終われた。改めてカメの怖さをこの身に刻んだのもあるが……。

 

「かぁーっ! また負けたぁっ! くっそぉカメめぇ、今度こそリベンジしてやるからな!」

 

 わざと悪役風な物言いでカメを祝福する。あの子も私がそういうキャラなのを理解しているから笑顔を崩さない。

 彼女にしては長めの距離を走ったせいか、まだ少し息が荒い。呼吸が落ち着くのを待ってからカメはゆっくり口を開いた。

 

「でもナッちゃんは昨日のレースの疲れがあって2着(これ)だから、もし体調万全だったら私絶対追い付けなかったと思う…」

 

 分かっている。そういう逃げ道があるから、まだ私はこの敗北を受容出来ている面も否めない。体力万全で今と同様の着順だったら、地団駄を踏んで悔しがっていたかも知れない。

 

 今現在地団駄を踏んで悔しがっているのはコロだった。

 

「ちくしょーっ! この作戦なら逃げ切れると思ったのにーっ!」

 

 この模擬レース、終始コロの執念は鬼気迫る物があった。通常ならスタミナ切れで後方に沈むケースで、最後に恐ろしいまでの末脚を見せてきた。一皮剥けたコロの新たな武器が開拓された感がある。

 源逸さんはここまで計算してプリンを景品に持ってきたのだろうか? それともただの偶然… だよねぇ……。

 

「お疲れ様。2人ともナイスレースだったよ」

 

 アモ先輩とメル先輩が2人でやって来た。2人とも20kgのハンデを付けてあそこまで走れるのだから、やっぱりオープンクラスの実力は凄いんだなぁ、と感心する。

 ハンデが無ければ私達なんかぶっちぎりで負かしていただろうし、その凄い先輩達ですらトゥインクル・シリーズを走るウマ娘の中では中ランクかそれ以下だ。

 

 やっぱりもっともっと強くならないとね……。

 

「お疲れ様です。メル先輩大丈夫ですか? 私のプリン分けましょうか…?」

 

 優しいカメが最下位のメル先輩を気遣う。対してメル先輩はゆっくりと首を振った。

 

「気にしないで良いのよ。『勝負の世界』なんだから下手な情けは見せちゃ駄目。本心からカメちゃんの勝利を祝福するわ」

 

 そう言ってパチパチと手を叩く。私とアモ先輩、コロも同様におめでとう、と手を叩く。「ありがとうございます」と皆に軽く会釈をして回るカメ。

 

「それにアモちゃんの言う通り、私も次のレースが近いからカロリー制限しなくちゃいけないしねぇ…」

 

 残念そうに言うメル先輩。レース中にアモ先輩がメル先輩に何かを言っていたのはそういう事か… アモ先輩は本当に恐ろしい人だ。

 当の本人はヘラヘラと笑って何でも無い風を装っている。

 

「いやぁ、なかなか感動的なレースだったな。これは是非レース場で見たかったぞ!」

 

源逸さんを先頭にトレーナー陣がやって来る。

 

「良いですねぇ。チーム〈ポラリス〉主催で『ニンジンプリンステークス』をやりますか。GⅠウマ娘集めて中山あたりで」

 

 アモ先輩がニヤついた顔で源逸さんに返し、その場の全員で大笑いになる。

 中山レース場と言えば日本の4大レース場の1つで、年末の有記念が行われる由緒正しい場所だ。そんな所でプリンを賭けてレースをするのか… それはそれで楽しそうだな……。

 

「時間も時間だから今日はもうみんな上がりましょう。ちょうどいい感じでプリンも冷えてると思うし」

 

 アイリスが締めて本日の練習は終了、競争する様に着替えてチームの事務所でトレーナーも交えてプリンパーティを行った。

 

 アモ先輩とメル先輩とで1つのプリンを分け合って食べていたけど、まぁメル先輩の敗因はアモ先輩の妨害工作にあったのだから、2人の友情の為にもこの結果は必然と言えるだろう。

 

 そして優勝者のカメは2つのプリンを前にして、その1つめをろくに味わわずに飲み物の様にスルンと飲み込んだ。

 目を見張る私達を前にカメは「一度こういう贅沢な食べ方をしてみたかったの」と言い放つ。その上で2つめのプリンを開封し、ゆっくりと味わいながらチマチマ食べ始めた。

 

 その言葉が本気なのか『2個のプリンを当てつけがましく食べたくない』という彼女の優しさなのかは計り知れないが、そういった普段は見られない各々の内面等も見られた今回の模擬レースでチームは大いに盛り上がったし、私も敗戦の暗さを払拭出来た気がする。

 

 さすがに中山とは言わないけど、またやりたいな、プリンレース!



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幕間 1 新バ戦

 空は綺麗に晴れ渡り、絶好のレース日和となっている。

 こんな素敵な日にデビュー出来るなんてとても幸せな事だ。

 

「お前のデビュー戦だ。思いっきり楽しんで走ってこい!」

 

 トレーナーの言葉が胸に心地良い。そう、デビュー戦だからと言って固くなるのは御法度だ。ダレているくらいに体の力を抜いた方が私は実力を発揮できる。

 

 大きく2度深呼吸をして控室を出る。地下道からパドックに出て、来てくれたお客さんに手を振る。

 その瞬間大きな拍手が沸き起こり、観客席からの「頑張れよーっ!」という声が複数上がる。

とても期待されている。どうやら私はこのレース1番人気らしい。

 

 期待されて応援されている。物凄いプレッシャーを感じるけど、そのプレッシャーを力に還元する事が出来れば、私はどこまでも強くなれるはずだ。

「帆船の帆になれ」 これはトレーナーさんから教えてもらった考え方だが、応援も悪意も他人からの『想い』を全て受け止め、それを風として帆に受けて進め。という事らしい。

 

 悪意は逆風とも捉えられるが、逆風なら逆風で帆船は前に進むテクニックがあるそうだ。

 逆に悪意すらも貰えない『凪』では全く前に進めない。ウマ娘とはそういう物らしい。

 聞いた時は、分かる様な分からない様な不思議な例えだと感じたが、今はそれが分かる。理屈ではなく感覚で理解できている気がする。

 

 私を応援してくれるお客さんの気持ちを背中に受け、文字通り『後押し』されて走る。

 その数が多ければ多いほど私は走れる、いや飛べるだろう。

 

 パドックを去る際に1人のウマ娘とすれ違う。基本人見知りな私だけど、せめて挨拶だけでもしようと思った… のだけれども、彼女はまっすぐ前を見据えて私なんかに見向きもしない。

 男の子みたいなベリーショートカットの栃栗毛、何日も食事をしていないかの様なギラギラした目で、『この世の全てが敵である』みたいなオーラを纏っている。

 

 歩いていてちょっと肩がぶつかっただけでも因縁つけられて、そのまま殺されそうな雰囲気だ。怖いなんてモンじゃ無い。これ以上は触らぬ神に祟りなし、だ。

 レースを前にギラつくのは理解できるけど、私はもっと楽しくやりたいんですけどねぇ……。

 

 私のデビュー戦、ライバルは7人、距離は1600m。私としてはもう少し長めの距離の方が力を発揮しやすいのだが、トレーナーは私が1600でも勝てると信じて送り出してくれた。その期待には応えたいと思う。

 

 レース前のファンファーレが鳴り響き、皆にレースの始まりを告げる。

 スターティングゲートに入って開始の合図を待つ。目を閉じて精神を集中させる。

 時間ギリギリになって隣のゲートにウマ娘が入ってくる。ゲートインを嫌がる娘ってたまにいるから仕方ない。

 

 どんな人だろう? と薄目を開けて隣を窺うと、隣りに居たのはさっきすれ違った目つきの悪い怖いウマ娘だった。

 私の事を親の仇か何かの様に睨みつけてきているのが薄目にもハッキリ分かる。怖い。マジ怖い! これはもう知らないふりをして関わらない方が安全だ。

 

 なによりもうすぐレースなのだ。レース以外の事で怪我でもしたら洒落にならないどころか一生笑い者にされてしまうだろう。

 そしてゲートが開きレースが始まった。

 

 私の得意戦術は中盤まで体力を抑えて後半に速度を上げる『差し』だ。全部で8人だから、始めは5番目くらいに付けておく事を意識しておけば良い。

 

 先程の怖い彼女は初めから飛ばしていく『逃げ』戦術の様だ。その勢いは強く、後続をどんどん離していく。このペースで行けば「大逃げ」で完勝も出来るだろう。

 

 そう、『このペースで行けば』である。

 

 どんな頑強なウマ娘でも1600m(マイル)を全速力で走り切れるスタミナなんて持っていない。きっとどこかで速度を落とすはずだ。

 逃げの彼女に釣られたのか、まだ序盤だと言うのに後続の娘たちも速度を上げる。

 

 先頭の娘、2〜4番手、私を含む5〜8番手、という3つのグループが出来たが、大きな差は無い。先頭の娘以外はほぼダンゴ状態と言っていいだろう。

 

 その順位のままで第3コーナーまでやって来た。そろそろ仕掛けよう。

 

 コーナーを走る際の遠心力に任せて外枠に体を寄せ、今まで溜めていた力を徐々に放出する。

 そして第4コーナーに差し掛かる頃には、案の定スタミナが切れ始めた先頭の娘に追いついていた。

 

 残るは直線勝負、私はここで意識を観客席に向けた。

 私を呼ぶ声が聞こえる。「頑張れ!」「行け!」という声が聞こえる。

 

 そう、この声だ。この歓声を背中に受けて私という『帆船』は進む事が出来る。

 実際、声援を意識してからは嘘の様に体が軽く感じた。本当に『ふわふわ』と飛んでいる様な気持ちで走れた。

 

 そこからの事はあまり覚えていない。確かなのはとても気持ち良く走り抜けた事だ。

 

 恍惚とした気持ちのまま観客席からの大歓声で我に帰る。

 

 そして聞こえてきたのは『私の優勝』というレースの結果と終了を告げる実況アナウンサーの声だった。

 

「後続を大きく離して1着はブラックリリィ! 下評通り桁違いの差し脚を見せつけた!! 2着から4着までは半身差の大混戦! 最後まで好走を見せたスズシロナズナは残念ながら4着に沈みました!」

 

 へぇ、あの娘、スズシロナズナさんって言うんだ……。



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11R カメのデビュー

「う〜、緊張するなぁ。もう一回トイレ行ってきます」

 

 私のデビュー戦からおよそ1ヶ月、今日は私のルームメイトであるカメことオカメハチモクのデビュー戦、芝の1400mである。

 当の本人はいつもの落ち着きはどこへやら、控室の中をあっちをウロウロこっちをウロウロしては、時々思い出した様にトイレへと走っていく。

 

「いや、落ち着きなよカメ。緊張しすぎて動きが固くなってたら意味無いよ?」

 

「そ、そそそ、そうですよカメ。なな、ナズナちゃんの言う通り、ききき、緊張してててもね…」

 

「貴女もね、きり…」

 

 私の言葉にカメのトレーナーであるきりさんの挙動不審な言葉が続き、それに私のトレーナーのアイリスがツッコむ。

 

「だ、だって私も担当ウマ娘のデビューなんて初めてだもん、緊張するよ。アイリスはよく平気だったね…?」

 

「平気じゃ無かったよ。でも私が浮わついてたらナズナのレースに悪影響が出るって思ったから、ポーカーフェイスを崩さない様にずっと自分の脚を(つね)って、キョドらないようにしてたんだから」

 

 へぇ、アイリスったらそんな事してたのか。カワイイ所あるじゃん。

 

「そ、そうだよね。走るのはカメなんだから、大人でトレーナーの私がしっかりしなくちゃね… か、カメちゃん!」

 

「は、はい、きりさん!?」

 

「今日までのトレーニングの全てをぶつけてきなさい。貴女なら勝てる! ど、どんな結果が出ても絶対に骨は拾ってあげるから!!」

 

 一息で言い切ったきりさんだったが、その言い方はどうなんだろうと首をかしげざるを得ない。私の隣のアイリスもげんなりした顔をしていた。

 

 ちなみに今日は別のレース場でメル先輩のレースも行われるので、チーム〈ポラリス〉は二手に分かれて応援遠征をしている。

 源逸さんと目黒さん、アモ先輩とコロはメル先輩の応援に行っていて、残りの私とアイリスがカメの応援に回された訳だ。

 

「じゃあ私とナズナは観客席から応援してるから、あとは頑張ってね」

 

 カメときりさんにそう告げて私の手を引いて控室から退出するアイリス。それは良いんだけど……。

 

「ねぇアイリス、関係者席じゃ無くて観客席から見るの?」

 

「ええ、ナズナ(あなた)には全体を俯瞰して見てもらおうと思って。かぶりつきだと逆に見えない事もあるからね」

 

 振り返ったアイリスはいつもの大人ぶった顔では無く、イタズラっ子の様な楽しげな表情を見せた。

 

 

 

「見てアイリス。なにあいつ…?」

 

 パドックで出走ウマ娘の紹介が行われている最中、私の指差した先に異様な光景が現れていた。

 

「彼女は『ドキュウセンカン』、手元の資料によると身長180cmで体重85kg、文字通り弩級の子ね。このレースの2番人気よ」

 

 男性ボディビルダーの様な筋骨隆々としたウマ娘がそこに居た。観客席からの遠景では表情までは読み取れないが、その肩で風切る歩き方は、とてもでは無いが『慎ましさ』とは縁遠い様に思えた。

 

 ウマ娘はその名の通り女子しか生まれないから、あのドキュウセンカンってのが男だとは思えない。

 ウマ娘社会ではドーピングは永久追放物の反則だが、投薬による肉体改造は許容されている。

 恐らくだが、ドキュウセンカンなるウマ娘はその手の改造人間の類なのだろう。

『パワー型』と言えば聞こえは良いが、これから始まるのは格闘技ではなくレースだ。あんな体型で走れる物なのかな…?

 

 他のお客さんの視線も全員ドキュウセンカンに釘付けで、カメを始めとするウマ娘達は全員霞んでしまっていた。

 まぁ逆に考えればカメみたいなマイペースなタイプは、あまり注目されない方が力を発揮しやすいのかも知れない。

 

 やがてスターティングゲートが設置され、その中にウマ娘達が続々と入っていく。

 カメは外枠だったが、あの娘の戦術なら有利不利はあまり関係しないだろう。

 ちなみに注目のドキュウセンカンは、凄く窮屈そうにゲートに入っていた。でもまぁ仕方ないよね。

 

 ファンファーレが鳴り響きレースの開始を告げる。ゲートが開くと同時に各ウマ娘が一斉にターフに飛び出す。

 件のドキュウセンカンは前、カメは後ろに付いてレースを進めていった。

 

 逃げるドキュウセンカン、その体格の通り脚は決して速くない。それでも他のウマ娘らはドキュウセンカンを抜けずにいた。

 

「抜かされそうになると体格でブロックしているわ。進路妨害になるかならないかのギリギリのラインで」

 

 アイリスの解説に耳を疑った。そんな走り方が存在するなんて思った事すら無かった。あのドキュウセンカンに前を塞がれたら誰でも二の足を踏むに決まっている。

 

 2人同時に仕掛ければどちらかは前に進めるだろうけど、基本的にレースに出ている子は全員が敵だ。他人を活かす為に自分が犠牲になる戦法に意味は無い。

 従って『誰かが仕掛けた時に便乗して追い抜こう』と全員が思っているうちに誰も動けないままドキュウセンカンが勝ってしまう、と言う筋書きなのだろう。

 

 あんなの相手にカメはどうするだろう? そして私なら…?

 

 最後の直線に差し掛かるまで順位は大きく変わらずに来たが、そのまま終わる事を良しとするウマ娘なんて居ない。

 1人、また1人とドキュウセンカンの脇を擦り抜けようと仕掛ける娘はいるのだが、ドキュウセンカンの体格に見合わぬ巧みなステップワークに全員が返り討ちに遭っていた。

 

 あと100mでゴール、という所で上がってきたのは我らがカメだった。

 勝利を確信して一瞬気が緩んだドキュウセンカンの横を、一気に追い上げたカメが疾風の如く追い抜いて行った。

 

 この間の模擬レースで私がやられたカメの得意技だ。自分がやられるとメチャクチャ腹が立つけど、第三者視点で見るとこれほど痛快な事は無い。

 

 結果カメが1着、ドキュウセンカンは2着となった。私とアイリスは抱き合って共に喜びを表現する。おめでとうカメ! 私より先に勝利を飾った事に軽い嫉妬はあるけど、今はその何倍もカメの勝ちが嬉しいよ!

 

 その後カメは無事にステージをこなし(ドキュウセンカンのステージ衣装姿は別の意味で破壊力満点だった)、最高のメイクデビューを飾ってくれた。

 私も次のレースに向けて良い発奮材料になったと思う。

 

「今日はカメちゃんの応援ももちろんだけど、あのドキュウセンカンをこの目で見たかったし貴女に見せたかったのよ。もしあの子が勝ち上がって来るようなら恐ろしいライバルになるからね…」

 

 アイリスの言葉がフラグにしか聞こえなくて、その後も嫌な予感はなかなか消えてくれなかった……。



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12R ナズナとカメ

 カメの初勝利に加えて、メル先輩も3着と無事に入賞を果たしたと連絡が来た。

 メル先輩が優勝出来なかったのは口惜しいが、オープンレベルのウマ娘がうだる様な真夏の太陽の下、十数人走ってその順位なのだ。十分に凄い事だと思う。

 

 その日の夕方に行われた壮行会も大いに盛り上がった。

 そしてその場で源逸さんより来月に中山レース場でコロのデビュー戦(2000m)とアモ先輩のオールカマー(GⅡ)挑戦、そして同日に中京レース場で私の未勝利戦(1600m)が一度に行われる事が発表された。

 

 確かに以前アイリスに言われた様に、最近の私は記録の伸びが顕著になってきている。これが世に言う『本格化』なのかは自分では分からない。

 もっとこう、グワーん!と世界が変わる様な劇的な変化が起きるのかと期待していたが、どうやらドラマやゲームの様な『いきなり覚醒!』みたいな物では無いらしい。

 

 とにかく今の私はデビューの時の私よりも明らかに確実に速く、力強くなっている。今の私ならばあのブラックリリィにも引けを取らないだろう。

 尤もこの2ヶ月でリリィも更なる進化を遂げているだろうが……。

 

 開催時間的に私のレース、コロのレース、アモ先輩のレースの順で行われるので、私の頑張り次第で他の2人のメンタルにも影響する、責任重大な立場になってしまった。

 

 メル先輩チームはアモ先輩の応援に、カメチームは私の応援に来てくれる事に決まった。

 今日の勝利者であるカメに見られるとなると、そのプレッシャーは半端ないのだけれど、プレッシャーを力に換えてこそのウマ娘だもんね、頑張るしかない。

 

 その日の晩、就寝直前にカメから話しかけられた。

 

「ナッちゃん、今日は見に来てくれてありがとうね。『せっかく来てくれたナッちゃんに恥ずかしい所を見せられない』って気持ちで思いっきり走れたよ。もし今日1人だったら、怖くてあの大きな人(ドキュウセンカン)を躱す事は出来なかったと思う…」

 

 あぁ、やっぱりカメも怖かったんだなぁ。まぁ遠目で見てても威圧感凄かったから、あの人の真横を走り抜けるなんて根性あると思う。

 そういう勝負どころのセンスをカメはしっかりと持っている。正直私はドキュウセンカンよりもカメの方が、ライバルとしては恐ろしいと思っている。

 

「私は何もしてないよ。勝ったのはカメの実力。でももし私の応援がカメの力になったのなら、それはとても光栄に思うよ」

 

 答えると同時に正面からカメが抱き着いてきた。カメの大きなバストと私の大きくないバストが衝突し、その圧迫感で一瞬息が詰まる。

 

「ナッちゃんならそう言うと思ってた。でも本気でナッちゃんが居てくれたから私は今日勝てたと思ってるよ。次のナッちゃんのレースは私も超本気で応援するからね。絶対勝ってね!」

 

 カメの圧が凄い。そりゃもちろん勝つ気はあるけど、何事も『絶対』はありえない。

 本番直前で体調を崩したり、何かしらメンタルを損なってモチベーションを落とす事はよくある事だ。

 

「う、うん。とにかく全力で走るよ。カメに『先行』されてるから、ここから『差し』返さないとね」

 

 そう、カメは『1勝』で私は『未勝利』だ。

 既に大きな差がついている。でもここからならまだ巻き返すのは難しくない。

 

「あははは、『先行』得意のナッちゃんに追われるなんて滅多にある事じゃないから、私も必死で『逃げ』ないとね」

 

 そんな感じのウマ娘大喜利をしばらく続けて私達は床についた。

 

 

 

 あっという間に時は流れレースの3日前、URAから当日の中京レース場の出走表が確定したとメールが送られてきた。

 事務所で源逸さんやアイリスと一緒に内容を確認する。

 

 それに添付されていた出走表によると、私のレースは10時55分開始、ちなみにコロのレースは12時30分、アモ先輩のレースは15時45分開始だ。

 先陣を切るプレッシャーは強いが、それ以上に早く走りたい。ズバッと勝ちを決めて『未勝利』という看板を外したいものだ。

 

「中京の11レース、やっぱり出てきたな…」

「ええ、ナズナの良い勉強になると思います」

 

 源逸さんと目黒さんで何やら話をしている。この2人の会話で私の名前が出てくるのは珍しいけど……。

 

「第11レースの神戸新聞杯(GⅡ)にツキバミが出るみたいよ」

 

 まさかここで最強の誉れ高いツキバミの名前を聞くとは思わなかった。

 神戸新聞杯はよく菊花賞のトライアルとして利用されるレースだ。恐らく夏合宿明けの腕試しとしてエントリーしてきたのだろう。

 

 私とツキバミは直接は関係無いが、その走りを生で見られるのは大きな経験となるだろう。出走開始時間は15時35分、アモ先輩の10分前だ。こりゃ目が離せない数十分間になりそうだ。

 

「ちょっとナズナ、これ見て…」

 

 アイリスの慌てた声に我に返る。アイリスの指差す先、私のレースの出走表にある1人のウマ娘の名前。

 

「ドキュウセンカン…」

 

 カメのデビュー戦で猛威を振るったあのヘビー級の名前がそこにあった……。



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13R 未勝利戦

 レース当日、中京レース場。昨夜からずっと降り続いている小雨が芝に浸り、場は(おも)と発表されている。

 

「ナズナ、今日はターフも濡れて滑りやすくなっているから、転ばない様に気をつけてね…」

 

 控室では私のトレーナーのアイリスが、いつに無く変にそわそわしながら声をかけてくる。

 全く… 走るのは私なのに、トレーナーが私よりも緊張してどうするのか?

 

 控室内に応援に来てくれたカメときりさんも、ビクビクと私の機嫌を窺うかの様に寄り添って恐縮している。

 恐らくこの2人のどちらかの緊張がアイリスに伝染したのだと思う。

 

 え? なんなの? 皆して私がヒスって周りに当たり散らすほど冷静さを欠いているとでも思っているのだろうか?

 

 まぁ、確かに緊張はしている。カメも居るし『勝たねば!』というプレッシャーは大きい。

 でもそこでヒスるほどナーバスになってはいない。むしろ周りが緊張しすぎている分、逆に私は冷静で居られている方だと思う。

 

「いやなんか… そこまで気を遣われると却って気が散るって言うか何ていうか…」

 

 私のツッコミに3人は「ハハハ…」と顔を見合わせるしかなかった。まぁ彼女らの思惑とは真逆な展開なんだろうけど、結果的に落ち着いたからヨシ!

 

 ☆ 

 

「ねぇねぇアンタ、前回一緒に走ったスズシロナズナだよね? あたし前回2着だったイーグルダイブ、よろしくね」

 

「はぁ… ども…」

 

 パドックで髪の毛をハーフアップにした、意地の悪そうな顔をしたウマ娘に声を掛けられた。

 

「何よ『ども』って。前回あんなにギラギラしてたのに今日は腑抜けてるの? まぁアンタなんか前回同様負かしてあげるからせいぜい頑張りなさいよね」

 

 と言いたい事だけ言って去っていった。えっと、誰だっけ…? 前回リリィに負けたのは覚えているけど、私とリリィの間の2人に関しては全くと言っていいほど覚えていない。

 

 まぁ、いっか。それよりも……。

 

「ドキュウセンカン…」

 

 無言のままノシノシとパドックを一周し、禄に挨拶もせずに去っていった超大型のウマ娘。あの娘もあれで歳は15かそこらだと思うが、近くで見るとメチャクチャデカイ。

 身長180cmという成人男性と比較しても大柄なサイズは、160cm前後(耳を含まず)のウマ娘の集うターフの上ではまさに『巨人』だ。

 

 今日の私に利点が有るとすれば、ドキュウセンカン(以下ドキュウ)の走りを以前に生で目撃している、と言う事だ。

 記録映像からだけでは掴めない気圧(オーラ)とでも言うべき『彼女(ドキュウ)の怖さ』を私は肌で知っている。

 それだけでも他の出走者に比べて大きなアドバンテージがあると言える。

 まぁ、この辺の話は全部アイリスからの受け売りなんだけどね。

 

 この前のレースではカメが一瞬の油断を突いてドキュウを差し切ったけど、私は彼女を攻略出来るだろうか…?

 

 ☆

 

 マークすべきはドキュウだが、出走者は私を含め9人いる。さっき絡んできたイーグルなんとかさんも、前回の掛かってスタミナを切らした状態とは言え私より上位に入着している。無視するのは危険だろう。

 

 各員ゲートインを済ませスタートを待つ。目を閉じ精神を集中させる。

 スタートの合図と共にゲートが開き9人のウマ娘が一斉に飛び出す。ほぼ全員がドキュウを警戒し、彼女より一歩でも先んじようとスタートダッシュを掛けていた。

 

 ドキュウはあの巨体が邪魔をしてトップスピードには難がある。なら最初に抜き去ってしまえば後は置物と変わり果て、レースの障害にはならないのではないか?

 

 実は私もそう考えて、アイリスに『逃げ』の戦法を相談してみたのだが、

 

「うん、多分それは正しいと思う… でもね、きっと『みんな』それを狙ってくるわ。だからレース序盤から先頭争いで混戦になると思うのよ…」

 

 と、一言一言を噛み締めるように言葉を繋げるアイリス。彼女の中でもまだイメージが固まっていないって事なのかな?

 

「それにナズナは『逃げ』ると掛かるクセがあるでしょ? 序盤でドキュウセンカンを含む他の娘達が削り合ってくれれば、終盤疲れたドキュウセンカンを一気に抜けるんじゃないかと思うのよね…」

  

 ドキュウは決して鈍重なだけのウマ娘では無い。極めて高いスタート巧者であるし、前回のカメとのレースで見せた軽やかなステップ技術は一朝一夕に身に付く物では無い。

 

 きっとその2点だけに絞ってトレーニングをしてきたのだろう。『自分の武器』を見極めて、それに特化させて技術を磨く。ドキュウ本人よりもそんな極端なトレーニングに踏み切ったトレーナーが凄い人なのだろう。

 

 その辺を軽く見た他のウマ娘達は、面白いほどアイリスの予言通り序盤から先頭争いを始め、そしてその(ことごと)くがドキュウのパワーに弾かれ順位を落としていた。

 

 現在先頭はドキュウ、あれだけ他人の邪魔をしておいて反則にならないのだから、そっち方面の駆け引き技術もハイレベルなのだろう。

 

 そして大きな順位変動も無く最後の第4コーナーに差し掛かる。

 

 最初に仕掛けたのはちゃっかり生き残っていたイーグルなんとかさん、大外からドキュウを抜こうと速度を上げる。

 この動きに便乗させてもらう。イーグルさんを妨害しようとドキュウが外に振れる。彼女と内ラチ(コース内側の柵)、その僅かに空いた隙間目指して体を捩じ込む。

 

 直線(ここ)で追い抜ければ、後から抜き返される事はあり得ない。イーグルさんは外に出た分スタミナを消費しているだろうし、今からドキュウと競り合ってもらうのだ。

 余程のレースセンスの無い限り、そこから態勢を立て直して私を抜く事は困難だ。

 

 私とドキュウが並ぶ。先程外に振れた彼女が今から私の方へ振り返すのは不可能……。

 

「うそっ?!」

 

 私の差し込みを予期してフェイントを掛けたのか、ドキュウの巨体が一気に内側にスライドしてきた。

 

 その勢いのままドキュウの肘と接触、更に彼女に弾かれた事で反対側の内ラチにも接触、右腕の鋭い痛みと共に私の視界は反転した……。



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14R 泥とゴール

 転倒した時のスピードは時速にして50km程だろうか? そりゃあもう盛大にもんどり打って転がったわよ。

 体中が痛い。そりゃ時速50kmで走っている自動車から飛び降りた様な物だから、その衝撃は推して知るべしだ。

 

 だが不幸中の幸いとでも言おうか、泥濘んだ芝がクッションの役目を果たしてくれたのか、絵面の割には私の受けたダメージは軽かった様に思えた。

 まぁそれでもすぐに立ち上がれるほど軽くはない。ボンヤリと仰向けになり、ゴール手前250m程の内ラチ横で私は雨降る空を見上げたまま動けずにいた。

 

 倒れて動けない私を後続のウマ娘達が避けて進んでいく。彼女たちが横を通る度に弾けた泥飛沫が私の体操着を染めていく。

 

 痛みで薄れそうになる意識を引き戻してくれたのが、この泥の洗礼だ。

 

『おう、コラ! ブスども! よくもこのスズシロナズナさんの顔に(文字通り)泥を塗ってくれたね?!』

 

 と、怒りで気持ちを取り戻す。レースはまだ終わっていないんだ……。

 

 自分の体を(あらた)める。全身打撲を負ってはいるが、脚を含めてどこも骨は折れていないようだ。

 内ラチにぶつけた右腕が痺れていて感覚が無いが、脚さえ無事なら問題は無い!

 

 体中が痛い… でもまだ立てる!

 体中が痛い… でもまだ一歩前に踏み出せる!

 体中が痛い… でもまだ歩ける!

 体中が痛い… でもまだ走れる!

 

 頭が痛い、肩が痛い、腕が痛い、腰が痛い、肘が痛い、膝が痛い、足首が痛い…

 それでも私はレースから降りたくない!

 

 気持ちだけが前に出て脚がうまく運べない。他の娘達はすでに全員ゴールしているのだろう。観客席の声が何やら盛り上がっている。

 レースはどうなったのだろう? あのままドキュウセンカンが勝ったのだろうか? この歓声はドキュウを祝福している声なのだろうか?

 

 ふらつく脚で不格好に走る。足元が泥濘んでいる為に余計にスピードは出ない。今の私は普通の人がジョギングしている程度の速さしか出せない最遅のウマ娘だ……。

 

「スズシロナズナーっ! 頑張れーっ!」

 

 …え?

 

 私の名前が聞こえた様な気が……。

 

「スズシロナズナーっ! もうちょっとだぞー!」

「ゴールはすぐそこだーっ!」

「ナズナちゃん、頑張ってーっ!」

「そのガッツはGⅠクラスだぞーっ!」

 

 その他にもたくさんの「頑張れ」の声が聞こえた。お客さん達が私を応援してくれる… コケてビリッけつになった私を……。

 

 不思議な事に、この応援の声を聞いていると体の痛みが段々と引いてくる。力がどんどん湧いてくる。踏み出す足に少しずつ力が宿っていく。

 

 ああ、これが応援の力なんだ… 今までも家族や町内会の皆の力を感じた事はあったけど、数千の声援は全く次元の違う感覚だ。

 

 坂を超えゴールが見える。レースを終えた娘達がまだゴール地点近くで集まって不安そうな顔でこちらを見ている。

 ハイハイお待たせして申し訳ありませんね。スズシロナズナ只今ゴールに到着しましたよ、っと。

 

 私がゴールラインを超える瞬間に観客席も一気に沸き上がる。ハハハ、これGⅠじゃなくて未勝利戦だよ…? こんな盛り上がった未勝利戦なんて初めてじゃないの…?

 

 ラインを超えた時に、他のウマ娘達が揃って私に駆け寄ってきた。

 

「大丈夫…?」

「頑張ったね、凄いよ!」

「早く医務室に行こう!」

 エトセトラエトセトラ。

 

 何よ、そんな事を言うために皆で雨の中残ってたの…? バカみたい。私なんか放っておいてさっさと控室に帰れば良かったのに……。

 

 全く甘っちょろい娘ばかりで、これからが心配だわ。

 

 頭ではそう思ってたのよ? でもね、何故だか私の口から出た言葉は、

 

「ありがとう… ありがとう…」

 だけだった。でも泣いてなんかいないよ。これは雨の雫だからね……。

 

 ゴールした事で体の力が一気に抜けて、立っていられなくなった。体の痛みがぶり返し、同時に意識も薄れていき目の前のウマ娘に倒れ掛かりそうになる。

 そこで何かに体を支えられて体が浮き上がった所で私の意識は途切れてしまった。

 

 ☆

 

 右腕がお腹の上に乗っている様な重たい感覚に、気が付くと私は何処かに寝かされていた。

 

「気が付いた? ナズナ…」

 

 すぐ横にアイリスが居た。その後ろにカメときりさんも控えている様だ。

 

「ここは…? えっと、何がどうなったんだっけ…?」

 

 体を起こそうとしたが、全身に痛みが走って「あ痛っ!」と声を出してまた倒れ込んでしまった。

 

「もぉっ! ナッちゃん無理しすぎ!」

 

 涙目のカメが迫ってくる。その後ろできりさんがカメに同意するようにウンウンと頷いていた。

 

「とりあえずお医者様の話では、どこも骨折はしていないそうよ。でも右肘脱臼の他、全身打撲で全治3週間ですって。あと貴女を医務室(ここ)まで運んでくれたのはドキュウセンカンよ。今度会ったらお礼言っておきなさいね」

 

 そうか、ドキュウが私を運んでくれて… って、私をこんな目に遭わせた犯人がドキュウセンカンなんだからお礼はお礼でも『お礼参り』の方が正しい気がするんだけど…?

 

「…レースはどうなったの…?」

 

 ドキュウに対する複雑な気持ちは置いておいて、私の質問にアイリスは優しく答えてくれた。

 

「あのままドキュウセンカンの優勝よ。そりゃもう。あの娘のステージは迫力あったんだから」

 

 …そっか。あいつが勝ったのならまたリベンジする機会はあるだろう。ブラックリリィに続いてまた1人倒すべき奴リストに新たな名が記された。

 

 ぶっちゃけステージが既に終わっていて良かったと思う。「Make debut!」の中の『勝利の女神も夢中にさせるよ』のくだり、バックダンサーはセンターに跪く動きがあるのだけれども、ドキュウ(あいつ)にだけはそんな真似したくないからね!



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15R 医務室にて

「ねぇ、そう言えば今何時? コロのレースってどうなったの?」

 

 私のレースの終了時間が11時過ぎだから、そこからどれだけ気を失っていたかによるんだけど……。

 

「今は午後3時過ぎ。コロは残念ながら7着だったわ。貴女の事故をリアルタイムで見てから気持ちがレースどころじゃ無かったそうよ…」

 

 そうか… コロには悪い事をしてしまったなぁ。私のレース如何でコロやアモ先輩の走りに影響が出る事は分かっていたのに……。

 

「ナッちゃんのせいじゃないよ。今きりさんが源逸トレーナーに『ナッちゃんが目を覚ましました!』ってメールしたから、今頃はコロちゃんやアモ先輩も安心していると思うよ」

 

 カメのフォローがありがたい。とりあえずこれ以上心配をかけない事が、今の私に出来る最大の仕事だろう。

 

「ありがとうカメ。でもこれで同期3人のうち2人が未勝利だからねぇ、源逸さんきっとがっかりしてるよねぇ…?」

 

「そんな事無いよ。源逸(おとう)さんならきっと『無事是名』って言うに決まってるよ。ナッちゃんが骨折とかしてなくて本当に良かったよ!」

 

「そうね、きりの言う通り無事が何よりだわ。あんな派手な転び方をしてたら2、3箇所骨折してても不思議じゃ無かったわよ? ホント見てるこっちの心臓が止まりそうだったんだからね?」

 

 アイリスやきりさんにも心配をかけた。大怪我をしていないのは自分でも不思議だ。それこそ一歩間違えばアイリスの言う様に、何箇所も骨折して競走ウマ娘としての人生を棒に振る可能性もあったのだ。

 

「うん、私も何度もこんな幸運は続かないと思う。だからこそ神様に貰ったこの体と命で、今度こそ1着取りに行くからね!」

 

「ナズナはその前に怪我を治しなさいね。ナズナは私が担いで行くから、今日はもう帰りましょうかね…」

 

 アイリスが傍らの荷物をまとめ始める。その荷物の最たる物が私自身なのだろう。引退したとは言えアイリスもウマ娘だ。細い身体して(ウマ娘)1人担いで行くくらい造作も無いだろう。

 

「あ、待って! もうすぐツキバミのレースが始まるんだよね? それ見てからでも良いかな…?」

 

 今日、中京レース場に来た理由は2つある。1つは私のレース、そしてもう1つはツキバミのレース観戦なのだ。

 正直そこまで私にはツキバミに拘る理由は無いのだけれども、未だクラッシック級にして『現役最強』と呼ばれる存在を見てみたくもある。

 

「じゃあ私がナッちゃんをおんぶして上げる! それなら良いでしょ、アイリスさん?」

 

 カメが提案してくれたが、アイリスはまだ難しい顔で何やら思案している。

 

「…その事なんだけど、今ナズナをお客さんの前に出すと騒ぎになると思うの。精密検査を受ける前に様態の事を他人に話したくないし、それに医務室の外に何人か雑誌や新聞の記者さんが待機してるのよ。ナズナを取材したいみたいなんだけど…」

 

 アイリスの口ぶりの重さが、彼女の迷いの深さを物語っているようだ。

 騒ぎになると言う事なら、私とて本意では無いからツキバミ観戦は諦めるか……。

 

「さっきのナズナの走りと観客席の盛り上がりを記事にしようとしているみたい。後々の事を考えるとマスコミに顔を出しておくのは得策ではあるんだけど、当のナズナ自身が弱っている姿を見られたくないんじゃないかな? って思って…」

 

 なるほど、それで私の意見を聞きたいって事なのね。

 

「うーん、そうねぇ… 確かに今は取材を受ける気分じゃないかなぁ? 盛り上がったって言っても意図してやった訳でもないし、結局は最下位なんだしね… どうせなら勝ってインタビュー受けたいよ」

 

「分かった、じゃあ外に居る記者さん達には、私から取材のお断りをしておくわ」

 

 そう言うとアイリスはそそくさと部屋を出て行った。

 

 その瞬間、観客席から大きなどよめきの声が上がる。きっとパドックにツキバミが姿を現したのだろう。

 今日、中京レース場に来ている人は大半がツキバミ目当てのはずだ。お目当てのウマ娘の登場に、観客席の熱気と興奮が医務室(ここ)まで伝わってくる。

 

 やっぱり彼女のレース見たかったなぁ……。

 

「ね、ナッちゃん、やっぱりレース見に行こうよ。ナッちゃんには大きなタオルか何か被せて顔を伏せておけば隠せるよ。ね、きりさん、良いでしょ?」

 

 カメが珍しくはっきりと自己主張している。私の希望を汲んで… ていうかカメもツキバミのレースを見たいんだな、これ。

 

「え?! カメちゃんは良いけどナッちゃんはアイリスの許可を取らないと駄目だよ。今アイリスは外に出てるし、勝手に許可したら私が怒られるもん。アイリスが怒ったら怖いんだよ?」

 

 うん、知ってる。アイリスは怒るとキレるのではなく理詰めでネチネチ文句を言ってくるタイプだ。しかも口に出す事で発散されずに余計に体内に毒を蓄積させるタイプの面倒くさい女なんだよね……。

 

「見たらすぐ戻るから! お願い、レースの数分だけで良いから」

 

 いつに無く押しの強いカメにたじろぐ、私ときりさんの2人。

 

「…確かにツキバミを見に来たのも目的の1つだからね。うん、分かった。私がアイリスに怒られておくよ、気をつけてね」

 

「ありがとうきりさん。後で骨は拾ってあげますから!」

 

 あ、カメも前回のアレ(・・)は気にしてたのね……。

 

 タオルを頭から被った私は、カメに背負われてこっそり医務室を後にした。



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16R 伝説

 Eclipse first, the rest nowhere. 

(「唯一抜きん出て並ぶ者なし」)

 

───日本ウマ娘トレーニングセンター学園スクール・モットー (校訓)───

 

 ☆ 

 

 18世紀に活躍したエクリプスと言うウマ娘が居る。

 彼女は公式のレースだけで18戦18勝、更に対戦相手が逃亡棄権して不戦勝となったレースが8戦。

 都合26戦を負け無し、それも全戦を圧倒的大差で勝ったと言う偉業を成し遂げた『伝説』だ。

 

 エクリプスとは日蝕や月蝕を意味する言葉だが、今私の眼前には「月を()む」=月食 (月蝕)と言う意味の名を持つウマ娘が凛々しく立ち、小雨の降る中、ゲートインを待っている。

 

 赤錆の様な暗い茶髪を無造作に背中まで伸ばしている、中肉中背のウマ娘。その眼光は鋭く、滾る闘志が体の外に溢れている様にすら見える。

 あの目はこれから走り(レース)を楽しむウマ娘では無く、獲物を追い詰めて食い殺そうとしている猛獣の目だ……。

 

「ナッちゃん、こんな後ろで良いの? 一般席じゃなくて関係者席ならもっと前で見られるよ…?」

 

 私をおんぶしたカメが恐る恐る聞いてくる。カメにはツキバミの闘気みたいな物が感じられないのかな? 私は一般席からでもビンビン感じてビビリまくってるんだけど…?

 

「いや、良いよ… これ以上前に出たらツキバミ(あのひと)の『圧』にやられて気絶しそう…」

 

「そうなの…? ナッちゃん凄いね。格闘マンガのキャラみたいなこと言ってるよ」

 

 楽しそうに茶化してくるカメ。何だかバカにされた気がしないでも無いけど、多分この子は本気で感心してるんだろうなぁ……。

 

 観客席の視線はツキバミに釘付けで、本来なら目立つ外観の『ウマ娘を背負ったウマ娘』も、さほど気にされる事もなく観衆に紛れ込めていた。

 

 全員のゲートインが完了し、程なくレースが開始された。

 もの凄い歓声が辺りを包む。殆どがツキバミに対しての声援なのだろう。「ツキバミーっ!!」「行けーっ!」という声が大勢の口から飛び出していた。

 

 さて、注目のツキバミだが、なんとゲートから出ると同時に前のめりに転倒してしまったようだった。

 

 …いや違う。あれこそがツキバミの走り方。前にビデオで見た通り、ツキバミは極端なまでの前傾姿勢で走る人なんだ。

 最初からスパートを掛けている様な力強い走り。戦術としての『逃げ』と言うよりも、獲物を追い掛けている野生の肉食獣と表現する方が正しいだろう。

 

 第3レースだった私の試合の時でも場状態は最悪だったのに、現在行われている神戸新聞杯は第11レースだ。

 その間に行われた7レース分のウマ娘らの蹄鉄が、芝を抉り土を掘り下げ、およそ走るには相応しくない道を作り出している筈だ。

 

 それでもツキバミの脚は正確に大地を捉え、一歩を踏み出す毎に後続のウマ娘からぐんぐんと離れていく。

 

 最終コーナーを抜けた時点でトップはツキバミ、2位のウマ娘との差はおよそ6〜7身。

 そして最後の直線でツキバミは更に加速して見せ、後から追い上げてきたウマ娘らをも尻目に9馬身差で余裕の1着をもぎ取っていった。

 

 彼女(ツキバミ)の力は、その並外れたスタミナにある。目の前で2200mを全力疾走されたら誰だって勝てない。ツキバミはそれをいとも簡単にやって見せた。

 彼女の次のレースは間違いなく『菊花賞』だろう。菊花賞の3000mをあの調子で走り切るつもりなのだろうか…?

 

 『伝説』のエクリプスの名を継ぐ (?)怪物、ツキバミのレースに圧倒されて、私とカメはしばらく無言で立ち尽くしていた……。

 

 ☆

 

 中京の最終レースが終了したが、帰ろうとするお客さんは非常に少ない。

 

 観客席正面の電光スクリーンが中山競レース場の様子を映し出した。そう、神戸新聞杯の直後に中山で「オールカマー」が行われるのだ。

 せっかくなので大きい画面でアモ先輩を応援しよう。

 

「見て見てナッちゃん、アモ先輩が居たよー!」

 

 ツキバミショックから解放されたカメが、画面に映るアモ先輩を見て無邪気に喜ぶ。

 

 大画面では丁度スターティングゲートが設置され、これから各員のゲートイン、という場面が映し出されていた。

 アモ先輩は3番人気、十分に優勝候補の一角だ。うまく彼女の戦法がハマれば、めでたくGⅡ勝利ウマ娘となってくれるはずだ。

 

「ナッちゃん、私何だかドキドキしてきたよ〜」

「うん、分かる。アモ先輩念願のGⅡだもんね。勝って欲しいよね」

 

 今の私達に出来る事は無い。アモ先輩の勝利を信じて祈るだけだ。

 

 目を閉じて手を組み、アモ先輩の為の祈りを三女神様に捧げる。

 そしてゲートは開かれ、アモ先輩を含む15人のウマ娘が飛び出して行った。

 



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17R オールカマー

「今年のシニア級は華が無い」

 

 まことしやかに囁かれる言葉である。

 いわゆる『GⅠを連勝する様なスターウマ娘が居ない』と言う話である。

 

 現に今年のシニア級のGⅠ、GⅡレースはどれも別のウマ娘が勝っており、抜きん出た成績の者が居ない。

 思えば去年のクラッシック級でも、クラッシック、ティアラ両路線において2冠以上を制覇したウマ娘は居なかったはずだ。

 

『突出した者が居ない』と言う事は各ウマ娘の実力が拮抗しており、平均的に高い水準である証拠でもあるのだが、観客やマスコミが求めるのは『他のライバルをバッタバッタと薙ぎ倒すヒーロー』だ。

 

 今年のシニア級にスター性の強いウマ娘がいない為に、ツキバミの様な人が異様に持ち上げられている感は否めない。

 まぁツキバミ(あのひと)の場合は誇張抜きで凄いウマ娘なんだけどね……。

 

 と言う訳で今年のオールカマーは各種タイトルホルダーが軒を並べて参加している。

 

 1番人気は今年の大阪記念覇者のレーザーディスク。

 2番人気は日経賞優勝者のスターバトラー。

 そして3番人気、GⅢ2タイトル(小倉大賞典、新潟大賞典)ホルダーのアーモリーフォース先輩。

 

 他にも七夕賞優勝者のピコグラムや、クラッシック級からも青葉賞優勝者のブラッドハーレー等、多くの実力者が参加している。

 

 アモ先輩にとっては格上挑戦のレースではあるんだけど、頑張り次第で何とかなるかも? と思わせる微妙なメンツになっているのは運命のイタズラか? はたまた源逸トレーナーの読み勝ちなのか…?

 

 さて、レースも終盤であるが、現在アモ先輩は3番手に付けている。ここからでは確認出来ないが、あの人の事だから近くを走るウマ娘に色々と吹き込んでペースを乱させる作戦をしているのだろう。

 

 最後のコーナーでウマ娘達が一斉に動き出す。アモ先輩の前を走っていたウマ娘が、疲れからか速度を落としてきたのと同時に、後ろ外から上がってきたウマ娘とに挟まれてアモ先輩が抜け出せなくなっていた。

 

 このままでは群に呑まれて後位に沈んでしまう、そう思った時だ。

 前を行くウマ娘と内ラチの間の狭いスペースにアモ先輩は自分の体を滑り込ませた。それも普通に押し込んだだけでは無く、クロール泳ぎの様に体を捻って腕を差し込む。そして僅かに空いた隙間に無理矢理に体を捩じ込んで前に踊り出たのだ。

 

 今アモ先輩の前には誰も居ない。しかしすぐ横には差し上がってきた1番人気のレーザーディスクが居る。その差2身。

 

 最後の力を振り絞り必死で逃げるアモ先輩、雄叫びを上げている様な表情で走るレーザーディスク。

 僅かにレーザーディスクの方がスピードがあるらしく、両者の差はじりじりと狭まっていく。

 

 残り100m程でレーザーディスクがアモ先輩に追い付くも、そこからアモ先輩は驚異の再加速を見せ、アタマ差で見事に逃げ切った。

 

 終盤で二転三転する忘れられそうに無い名勝負に、私達の周りの観客も一気に盛り上がる。

 

「ナッちゃん! ✾✖♡✟、✲❃◢❥★〜!」

 

 私を背負っているカメが振り向いて興奮気味に何かを喋ったが、周りの歓声に掻き消されて最初の『ナッちゃん!』しか聞き取れなかった。

 

 でも聞こえなくても何を言ったかなんて分かりきっている。だから私はカメの耳元で大きな声で「うん、そうだね!」と答えたんだ。

 

 ☆

 

「まったく… 探すこっちの身にもなって欲しいわ。大体あなた達は…」

 

 アモ先輩の勝利を喜んでから数分、私達3人(・・)は医務室でアイリスによる説教地獄の刑にあっていた。

 

 マスコミ対応から戻ったアイリスが医務室で見たのは愛想笑いをするきりさんだけだった。

 慌てて飛び出して私(とカメ)を探すアイリス。しかしいると思った関係者席に私達はおらず、アイリスは広い中京レース場の観客席をやたらと走り回り、ようやくアモ先輩の勝利に歓喜する私達を発見したのだ。

 

「「「ハイ、ゴメンナサイ…」」」

 

 3人並んでソファーに座らされて(床に正座じゃないだけまだ温情があるのだろうか?)反省する私達。尤もここからがアイリス劇場の本当の始まりだ。

 私達は反論する事も許されず、延々とアイリスの呪詛の様なお小言を1時間ほど聞かされる事になるのだろう……。

 

 その時きりさんの携帯から呼び出し音が鳴り響いた。『取っていいか?』と目で合図を送るきりさんに無表情で頷くアイリス。

 

 

「はい、きりです。うん、ナズナは今から病院に行くつもり。うん…? 見た感じは大丈夫そうだけど… あとアモのレース見てたよ。おめでとうって伝えておいて! …え? うん、ナズナに? 分かった、代わるね…」

 

 話の内容から源逸さんからきりさんに現状確認の電話だと推察できるけど、何で私?

 

「もしもしナズナ? あたしアーモリーフォース。具合はどう?」

 

 スピーカーに切り替えたきりさんのスマホからアモ先輩の声が流れてくる。

 その後ろから「あたしも居るぞーっ! ナズナは生きてるのかーっ?」と言うコロの声も聞こえてきた。

 

「まだ体の節々が痛むけど、とりあえず生きてますよ。それより先輩、見てましたよ。オールカマー優勝おめでとうございます。あとコロうるさいよ」

 

「うん、ありがとう! でもね、勝てたのはナズナのおかげだから一言お礼を言っておきたくてさ」

 

 アモ先輩の返事の後ろでまたしても「なにーっ! こんなに心配したのに何だその言い草はーっ?!」と言うコロの声が被さる。 

 

 …しかしはて? レースの応援はしてたけど、それ以外で私がアモ先輩に何かお礼を言われる様な事があったかな…?

 

「まず1つはナズナの無事を聞いて、『こりゃ絶対に勝たなくちゃ!』って気合が入ったんだ。2つ目はナズナの事故の様子を見て『自分ならこんな時どうするか?』ってシミュレーションもしててさ…」

 

 そこでアモ先輩は少し口淀む。

 

「…ちょっと不謹慎だけど、ナズナの転倒がきっかけで最後のすり抜けのアイデアが出たんだよ… だから勝てたのはナズナのおかげなんだ。それでどうしても『ありがとう』が言いたくてさ…」

 

 そう話すアモ先輩の声は本当に嬉しそうで誇らしげだった。



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18R 新たなる目標

 アモ先輩が電話して来てくれたおかげで、アイリスの説教タイムも極めて短時間で済んだ。先輩に感謝だね!

 

 医務室を出た私達は二手に分かれる。私とアイリスは近くの病院で私の検査に向かい、きりさんとカメはホテルに戻って帰りの準備とチェックアウトだ。

 

 ホテルも病院も名古屋駅の近くにあるのだが、私達はタクシーで、時間的に余裕のあるカメ達は電車で向かう事になった。

 検査の時間次第だが、恐らくカメチームを待たせる事になるだろう。先に東京に帰ってもらっても良かったのだが、カメが頑として残ると言い張った。

 

「もし時間が余ったらきりさんときしめんでも食べてるよ」

 

 と言うことらしい。私を心配して残る照れ隠しなのか、本気で本場のきしめんが食べたかったのかは計り知れないけど、カメチームとは私の検査終了を待って名古屋駅で合流する事になった。

 

 ☆

 

「ふむ… 骨には異常無さそうですね。CTでも脳や内臓の内出血は無さそうです。あれだけの転倒をして軽傷で済んだのは奇跡ですよ… ただ神経的な後遺症が出る可能性は否めませんから、1ヶ月は激しい運動は控えて下さい」

 

 お医者さんのデスクに据えられているパソコンのモニターから、私の体の内部を撮影した様々な写真を見せられて、細々とした説明を受けた。

 

 奇跡か… どうせならその奇跡パワーはレースに勝つ為に使いたかったが、その辺りは文句を言っても始まらない。

 

 ☆

 

「1ヶ月もトレーニング出来なかったら体が(なま)っちゃうじゃん。アイリス、どうする?」

 

 診察が終わり、会計を待つ間ヒマな私はアイリスと今後の事について雑談していた。

 今が9月の末だから、そこから1ヶ月様子を見て10月末。更にそこからトレーニング再開で元の調子が戻るまで恐らく1ヶ月。

 またしても『未勝利ウマ娘』の看板を背負ったまま2ヶ月ほど待たねばならないという訳だ。

 

「そうね… とりあえずしばらく体よりも頭のトレーニングをしましょう。幸か不幸か来週から中間試験でしょ? アスリートとは言え学生の本分は勉強。補習で練習時間が潰れるなんてあってはならない事ですからね?」

 

 あう… 正直勉強はあまり好きじゃない。それでも赤点だけは取らないようにしてはいる。アイリスじゃないが、補習で練習出来なくなるのは本末転倒だ。

 

 アイリスは頭が良いから私の勉強も見てくれようとするんだけど、こればかりは断っている。

 だってトレーニングと勉強の両方を教わっていたら、私の人生完全にアイリスに占領されてしまうじゃないか。自由が死んでしまう!

 

「へいへい。んで、次のレースはいつぐらいで考えてる?」

 

 アイリスは「そうねぇ…」と言いながらスマホでURAのレーススケジュールを確認する。

 

「復帰戦を12月の初め辺りに想定して… 中山の2000と中京の1600、どっちが良い?」

 

「中京」

 

 間髪入れず即答した私にアイリスも苦笑いしながら「了解」と答える。

 初戦で負けた距離『1600m』、2戦目で負けた場所『中京競レース場』、ケチの付いた2つの案件でリベンジ勝ちして厄を落としたい。何も言わずともアイリスも私の気持ちを汲んでくれている様だ。

 

 次の目標(レース)が決まった。ドクターストップが掛かっている手前、初戦の後ほどの焦りは無いが、それでも一刻も早く次のレースを走りたい。

 私に今一番必要な物は『1勝』という実績だ。郷里の両親や兄、後援会の皆さんを安心させる為にも早く体調を戻して元気に走る姿を見せなくちゃね。

 

 その後、本当にきしめんを食べてたカメ達と合流して、私達は新幹線で東京への帰路に着いた。

 

 ☆

 

 事務所に戻った私達を待っていたのは『アーモリーフォースGⅡ制覇おめでとう&ナズナとコロは残念また頑張ろう&ナズナ快癒祈念』と書かれた大きな手作り横断幕と、コロ達東京組のウマ娘らの抱擁だった。

 

 特にコロは私の顔を見るなり子供の様に泣き出してしまって宥めるのに苦労した。

 いやぁ、本当にご心配をお掛けしました。スズシロナズナさんは元気ですよ!

 

 ちなみに私の実家の方には源逸さんから要経過観察ではあるものの全身軽傷である事は伝えられており、後日母親から来たメールにも「気をつけて頑張りなさいよ」とだけ書かれていた。

 

「んじゃあ場が暖まって来たところで、全員の次のレースを発表するぞ!」

 

 源逸さんがおもむろに立ち上がり演説風にスケジュール発表を始める。少しお酒が入ってて呂律が怪しいんだけど大丈夫なのかな…?

 

「まずコロとメル、お前らは再来週の東京レース場な。コロは2000の未勝利戦、メルはその後の六社ステークスだ」

 

 それを聞いたコロとメル先輩が向き合って「頑張ろうね!」と手を取る。コロは次レースが近くて羨ましい。

 

「次はカメ、お前は更に翌週の阪神でのもみじステークス、距離は1400だから一気に決めちまえ!」

 

 源逸さんの大きな声に呼応したのか、カメも負けじと大きな声で「ハイ!」と答えた。

 

「ナズナはしばらく休養、復帰レースの予定は12月… で良いのかアイリス?」

「はい、それでお願いします。」

 

 私のレースなのに私が口を挟む間もなく終わってしまった。まぁ良いんだけどね……。

 

「そしてメインイベントのアモ! お前の次走は、1ヶ月後の天皇賞だ!!」

 

「…は? えーっ!? そんなん聞いてないよ!!」

 

 いつも飄々として余裕たっぷりなアモ先輩なんだけど、この時ばかりはギョッとたまげた顔をしていた。

 

 天皇賞(秋)、言わずと知れた秋のシニア三冠の一角を担うGⅠレースだ……。



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19R 鉄人

 レース翌日、普通に登校してきた私はクラスメートからの驚きの目で迎えられた。

 私は性格上あまり友人が多くは無い。そのせいで他人に囲まれるのも慣れてはいないのだ。

 

「昨日見てたよ。びっくりして大きい声出ちゃったよ」

「体に痛みは残ってないの?」

「レースには復帰できそう?」

「今後どうやってあのドキュウセンカンを攻略するの?」

 

 等々同級生らの質問攻めにあった。学年の違う娘からも話しかけられて、「ナズナ先輩に勇気をもらいました!」とか目をキラキラさせて言ってくる娘もいたりして、慣れていない分、嬉しいよりもちょっと怖かった。

 

 極めつけは放課後、トレーニングしなくても顔だけは出しておこうと事務所に寄った時だ。

 

「おぉ、ナズナ来たか。これ見ろこれ!」

 

 室内に入るなり源逸さんから手渡されたのは今日のスポーツ新聞「優駿タイムズ」。

 その1面には『ツキバミ快勝! 菊花賞への確かな手応え』との煽り文句で昨日のツキバミのレースの写真と記事がでっかく取り扱われていた。

 

 そして2面には『オールカマーに伏兵、魅せたアーモリーフォースのテクニック!』との煽り文で昨日のアモ先輩の記事が載っていた。

 

「あー、アモ先輩カッコ良かったですよねぇ。でもツキバミなら昨日生で見てましたから知ってますよ。これがどうかしたんですか?」

 

「そっちじゃねぇよ、裏見ろ、裏」

 

 言われて新聞の裏面、普通の新聞ならテレビ欄が載っているページを見てみる。

 そこにあったのは、『《鉄人》スズシロナズナ!』と大きく書かれた記事。GⅡを獲ったアモ先輩よりも私の方が紙面の扱いが大きい……。

 

 私が転倒してから立ち上がり、歩きながら坂を登るシーンの写真が連続して載り、最後にゴールと同時に他のウマ娘達に抱き抱えられるシーンを大判の写真で飾っていた。

 

『ツキバミの神戸新聞杯に遡ること数時間、シトシトと降り続く雨に嫌気を差して、観客がレースよりも食堂のおでんを気にし始めた頃に事件は起きた』

 

 こんな書き出しで始まって、レースの状況を事細かに記していた。やがて私の転倒シーンになる。

 

『スズシロナズナの転倒の瞬間、観客席には驚きと悲しみのどよめきが上がった。あの様な転び方をしてタダで済む訳が無い。複数の骨折、最悪は命の危険すらも十分に考えられた』

『しかしスズシロナズナは立ち上がる。立ち上がって自分の足でゴールを目指した。私の近くで「もういい、走るな、そこで寝てろ…」という声も聞こえた。私も同感だ。下手に動いて怪我を悪化させる可能性の方がよっぽど高い。どうせ今からゴールしても最下位は確定なのだ…』

『それでも我々はスズシロナズナから目を離せなかった。彼女の一歩一歩の歩みが躍動する生命の讃歌であった』

『この未勝利戦という、ツキバミを見に来た観客にとってさして意味も興味も無いレース、だがそこで我々は感動の奇跡を見たのだ』

『最後まで走り抜きゴールしたスズシロナズナ。そして彼女を抱き抱える、数分前まで1つしか無い椅子を取り合っていたライバル達。この一連の動きは何者かの演出によって生まれた物では無い。ウマ娘という業に塗れた娘達による美しき即興の協奏曲なのである』

 

「なんか随分持ち上げられてるねぇ。この記者さんもなんだか自分の文章に酔ってない?」

 

 こんな目立つ場所に記事に取り上げてもらい、光栄ではあるんだけど嬉しさよりも面映ゆさの方が強い。どうにも照れくさくてこんな斜に構えたコメントを口に出してしまう。

 

「もう少し後を読んでみな」

 

 源逸さんにそう言われて再び紙面に目を戻す。

 

『本紙はこの後スズシロナズナへの取材を試みたのだが、彼女のトレーナーであるプラチナアイリス女史からにべも無く断られてしまった。しかしながらスズシロナズナは現在意識を取り戻し、極めて幸運な事に骨折等の重傷は免れたらしい』

『現在は復帰予定等はまるで白紙の様だが、現役時代に知性派で鳴らしたプラチナアイリスの愛弟子が、今後どの様な走りを見せてくれるのか注目して追っていきたいと思う』

 

 そして記事はこう締め括られていた。

 

『かつて未勝利のウマ娘がここまで我々の心を揺さぶった例を私は知らない。そこでスズシロナズナには今回見せたガッツと将来への期待を込めて《鉄人》の称号を送りたいと思う』

 

「な? 二つ名なんて普通はGⅠに勝ってようやく貰えるかどうかも怪しい物だぞ?」

 

 楽しそうな源逸さん。確かに言いたい事は伝わってくるんだけど……。

 

「でもこれ、優駿タイムズさんが勝手に言ってるだけでURAが公認したものじゃ無いんじゃないスカ?」

 

「いやぁ、そうでも無いぞ。大体この手の二つ名はどっかのマスコミが言い出したネタをURAが追認するパターンが多いんだ。後々よっぽど目立たないと、お前の二つ名は《鉄人》で決まりだ」 

 

 新聞で取り上げられた事は確かに嬉しい。でも医務室で言ったように、どうせなら勝って取材を受けたいと思う。

 

「いやでも《鉄人》って女の子に付ける渾名としてはどうなんだろう…? とか思ったり…」

 

 そのまま微妙な気持ちで1日を過ごしてしまった……。



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20R GⅠレース

 私の記事が新聞に取り上げられた翌日、前代未聞の事件が起きた。

 以前「デビュー戦以降はファン数が計測され、その数で出られるレースのグレードが変わる」みたいな話をしたと思う。

 

 この数字に現れる『ファン』というのは、「私はこのウマ娘を一押しで応援します」という意志の証であり、URAの専用サイトで申し込んで登録して貰う形になっている。

 

 基本的に1人につき1人のウマ娘しかファンとして登録出来ない仕組みになっていて (これは有料で枠を増やせるシステムもある)、推しの変更も原則1ヶ月に1度のみとなっている。

 

 昨日までの私のファン数は累計252人だった。これは新戦4位の結果だけから見たら若干多い値と思われる。

 恐らく郷里の家族や親戚、商店街及び後援会の投票によって下駄を履かされた数字なのだろう。

 まずは1勝、と同時にこの数字をオープンレベルである3000まで引き上げるのが当面の目標だった。

 

 今朝になってURAから発表された『ウマ娘獲得ファン数ランキング』のサイトによると、今日になって私のファン数が3844人と、昨日までの15倍以上にも跳ね上がっていた。

 その理由は考えるまでも無い。昨日の『優駿タイムズ』の記事だろう。あの記事で「美談」とされた私のレースに同情票が集まった物と思われる。

 

 この情報を見つけたのはカメだ。朝、部屋で登校の準備をしている最中にふと気になって調べてみたらしい。

 もちろんトレセン学園2000人のウマ娘全てを調べた訳ではなく、大幅にファン数を上げたウマ娘がトップ画面にピックアップされるので、それで見つけたそうだ。

 

「ナッちゃん凄いね! ファン数は既にブラックリリィを抜いて同期で1番だよ。はぁ〜、良いなぁ、私もドカッとファン数が上がらないかなぁ…?」

 

 などと言っていた。ちなみに私と同じやり方は死ぬほど痛いのでオススメしかねるよ。

 

 名前の出たブラックリリィが今どれだけファンが居るかと言うと1823人で暫定2位。少ないと思われるかも知れないが、彼女の実績はまだ新戦の1勝だけ。むしろその1戦だけでこれだけのファン数を稼いでいるのは、彼女の将来に対して並々ならぬ期待を寄せている層が一定数いる証だ。

 

「私自身はあまり嬉しいニュースじゃないなぁ。やっぱりファンは実力でもぎ取らないと!」

 

 そう言いつつシャドーボクシングの真似事をしてみる。もちろん競走ウマ娘にボクシングは関係無い。

 

「まぁナッちゃんならそう言うと思ってた。でもナッちゃん、もし次のレースで勝てたらその瞬間オープンクラスになれるから、年末のジュニアGⅠに出られるんじゃない?」

 

 カメのこの言葉は衝撃だった。なんせGⅠなんて考えた事も無かったからね。

 そりゃ『日本ダービー』に代表される来年のクラッシックGⅠ戦線は参加する気バリバリだった。出来るかどうかは置いておいて、ウマ娘に生まれた者ならば一度は夢見る展開だろう。

 

 そしてそのクラッシックレースの行方を占うジュニア級のレースが12月に行われる。『朝日杯フューチュリティステークス』『阪神ジュベナイルフィリーズ』『ホープフルステークス』の3レースだ。

 

 この3レースはジュニア級のみで行われる為に、デビュー間もない選手達も多く出場するべく出走条件が緩い。具体的にはとりあえず1勝していれば出走資格は与えられる。そこからファン数上位者から枠が埋まっていくのだ。

 

 デビュー間もない頃のグレードの低いレースでは、1レースでのファン数増加は優勝した場合で平均して1000人前後だ。当然順位が下がるとそれに比例して獲得ファン数は減る。

 

 ホープフルステークスらジュニア級GⅠに出走出来るとしたら、やはり2000人の位はファンが居ないと足切りされる可能性があるのだろう。

 

 今の私のファン数は4000弱。その数だけで出走の是非を問うならば、問題無く参加する事が出来るはずだ。

 

「GⅠ…」

 

「そう、GⅠ! 私も次のレースで勝てたら挑戦してみたいな」

 

 まだ現実味はまるで感じていないけど、私もカメももし次のレースで勝てたら、GⅠという最高の舞台で走る事が出来るかも知れない、という事だ……。

 

 ☆

 

 午後になりトレーナー事務所に顔を出す。

 

「アイリス、ちょっといいかな…?」

 

 机で何やら調べ物をしていたアイリスを手招きして事務所の外に呼び出した。

 

「なぁにナズナ? 話があるなら中でも…」

 

 そう言いながらも私の手招きに応えて出てきてくれるアイリス。

 

「ええと… ちょっと相談があって… あまり他の人に聞かれたくないって言うか何て言うか…」

 

「ううん? ナズナらしくないわね。どうしたの? 何か悩み事?」

 

 今から言おうとしている事は少し、いやかなり恥ずかしい。それでも言わないと伝わらないし、頭の固いアイリスなら尚の事だ。

 

「あ、あのさ… 私、次のレース絶対に勝つから! だから… だからもし勝てたら… じゃなくて勝つから、そうしたらその次は年末のGⅠに出たいんだ。だからアイリスもそのつもりでトレーニングして欲しい!」

 

 私の言葉にアイリスは一瞬目を見開いて驚きの表情を見せる。その後ニヤリと笑って「わかった」とだけ呟いた。



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21R アーモリーフォースの告白

「オッス、ナズナ。奇遇だねこんな所で」

 

 アモ先輩が図書室で話しかけてきた。私は運動禁止だから勉強の為に来ているのだけれど、アモ先輩も調べ物かな?

 

「あたしは今日は練習の隙間でお休み。まぁメル達は普通に練習してるからちょっと暇でさ…」

 

 何も聞いてないのに一方的に事情を話してくるアモ先輩。これはきっとアレだ。

 

「それで同じく暇そうな私に構って欲しくて声を掛けたんですか?」

 

 冗談めかして聞いてみると、アモ先輩はバツの悪そうな顔をして笑ってきた。

 

「まぁ半分正解。暇つぶしに次のレースの参考になりそうな本があるかなー? と思って来てみたら偶然ナズナがいたからさ。邪魔なら消えるけど?」

 

「あぁ、いえ、全然。私もアイリスから『運動禁止令』が出てるから暇なんですよ。まだ初日なのにもう飽き飽きで… ウマ娘に『走るな』なんて『死ね』って言ってるのと同じですよ。そう思いません?」

 

 私の言葉にアモ先輩は大笑い、そして周囲の顰蹙を買う。

 (かしこ)まって周りに頭を下げて回るアモ先輩、ペコペコしながら一周回って私にイタズラっぽい笑顔を向ける。

 

「ねぇ、ちょっと話さない? ここじゃナンだから外で」

 

 もちろんアモ先輩なら断る理由も無い。

 

 ☆

 

「でも良いんですか? 私なんかと話してて… 先輩の次レースGⅠなのに…」

 

 練習用のコース、その横に据えられているベンチに腰掛けて雑談を始める。

 

「う〜ん、私もとにかく心の整理がついてなくてさ、まさか3年目の秋になってGⅠのチャンスが巡ってくるなんて夢にも思ってなかったから…」

 

 初めてのGⅠ、それだけでも緊張するのに、ましてや天皇賞(秋)という日本で最も伝統のあるレースへの参加だ。気持ちは分かる。

 

「だからこのドキドキを誰かと共有して半分こにすれば少しは落ち着けるかな? って思って。ホラ喋ってるだけでも結構気晴らしになるし、女ってそういう所あるでしょ?」

 

「…確かに分かりますけど、それって私は完全に巻き込まれですよね?」

 

 現に私も何だか心拍数が上がってきている気がする。天皇賞には関係無いけど、ついさっきまでGⅠレースを意識していたのだから気持ちは痛い程に理解出来る。

 

「ナズナには悪いと思ってるよぉ。ね? ハチミツ奢るからお喋りに付き合って〜」

 

 …やれやれ、物で釣ろうなんて駄目な先輩ですねぇ。そんなもの無くてもちゃんとお付き合いしますよ? もちろんハチミツ飲みながらなら、より真剣に聞きますけども……。

 

 ☆

 

「ほらぁ、やっぱり源逸(おやっ)さんじゃ複雑なウマ娘(おとめ)心はなかなか分からない訳よ。きりさんもちょっと抜けてる所あるし、アイリス先輩はいつも忙しそうにしてるし…」

 

 そんな話から始まってアモ先輩の話は多岐に渡った。半分は愚痴だったが、彼女の考え方や物の見方、レースの進め方等はアイリスとはまた少し違っていて、とても新鮮に感じられた。

 

「あたしも『初めの3年間』のラストイヤーだから、今後の事を考える時期になってるんだよ。今のあたしじゃGⅠは取れない。それはオヤッサンも分かっててあたしを天皇賞に出そうとしてる。『その結果で未来を考えろ』って意味だと思う…」

 

 アモ先輩は明るくてトークも面白い人という印象だ。でもあまり率先して自分の事を話す人では無い。そんな先輩がポツリポツリと自身の事を話し始めた。

 

「天皇賞は多分メチャクチャ頑張って5位まで入着できるかどうか、ってレベルだと思ってる。GⅠがそんなに甘いモンじゃ無いってのは良く分かってる…」

 

 アモ先輩は言葉を切って一息入れる。

 

「天皇賞の後は年内に走れてあと1戦か2戦。その成績次第ではあたしでもドリームトロフィーに上がれる可能性があるんだよ…」

 

「アモ先輩…」

 

 先輩の目にはいつの間にか大粒の涙が光っていた。

 

「つい昨日までドリームトロフィーのドの字も意識した事は無かったのに… 『あたしには縁の無い事だ』って考える前から諦めてたのに… 今は、勝ちたい! メチャクチャGⅠに勝ちたい! 勝ってドリームトロフィーに進みたいって思ってる。このいつもヘラヘラしてるアーモリーフォースさんがだよ…? このあたしが今更『誰よりも速いウマ娘になりたい』って心の底から思ってる。勝ちたくて走りたくて身震いが止まらない! …ふふっ、可笑しいよね?」

 

 涙で頬を濡らしながらアモ先輩は力説する。

 …全然おかしくなんか無い。その証拠に私にも涙が溢れてくる。先輩の気持ち、分かりすぎるくらいに分かるから。

 ウマ娘(わたしたち)の根底には例外なく『誰よりも速く走りたい』という気持ちが秘められている。それを隠す事は出来ない。

 

「可笑しくなんか無いですよ。私だって気持ちは同じです。このままジャパンカップや有馬記念でも勝ってドリームトロフィーに進んで下さいよ!」

 

そこでアモ先輩はいつものイタズラ者が何かを企んでいる様な顔に戻る。

 

「簡単に言ってくれるなぁ、ナズナは。でもそうだよね、走る前から諦めてたよ。そんなのウマ娘失格だよね。ありがとうナズナ、気合入ったよ」

 

 実は私は先輩の話を聞いていただけで何もしていない。アモ先輩が1人で喋って1人で自己解決しただけだ。

 

「あたし実はね、今年いっぱいで走るのを引退して、アイリス先輩みたいにトレーナーを目指そうかな? とか思ってたの。でも何かちょっと欲が出てきちゃったから、もう少し走りたい。自分の本当の限界を見てみたい!」

 

 アモ先輩、凄く良い笑顔になっている。これは秋のGⅠ戦線、ひょっとしたらひょっとするかも知れないね。

 

「アモ先輩のトレーニングメニューって興味ありますね。特に対戦相手を陥れる戦法とか教えて欲しいですよ」

 

「お? 興味あるかねナズナくん。よろしい、このアモ先生が特別に奥義を授けようぞ」

 

 それからアモ先輩は定期的に色々なテクニックを教えてくれた。是非ともこれからのレースに役立てていきたい所だ。



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22R 勝負服

 いよいよ秋のGⅠ戦線前半のクライマックス、天皇賞 (秋)が近付いてきた。出走のチャンスを掴んだアモ先輩には心の限りに激励を送りたく思う。

 

 もちろんその間に我らがチーム〈ポラリス〉メンバーのレースが幾つかあったので、簡単で申し訳無いが、ざっと一通りの結果報告をさせてもらう。

 

 まずコロの未勝利戦だが、終盤の直線までは良い感じで進められていたのだが、そこから急に失速して、またしても7着という結果に終わってしまった。

 

 「急に脚に痛みが出たから失速した」との事で検査したところ、足首の捻挫と判明。ウマ娘に脚の怪我は付き物だが、2戦続けて実力を出し切れずの敗北はあまりにも不憫だ。

 泣き腫らした目を真っ赤にしながら脚にギプスを巻いて松葉杖で帰ってきたコロに、無念な気持ちが痛い程に理解出来る分、余計に私は何も言ってあげられなかった……。

 

 幸いな事にコロの捻挫の度合いも軽度な物で済んでおり、ようやく通常練習を再開した私と、運動を軽めに抑える必要のあるコロとでリハビリも兼ねて、私達は最近よく一緒に練習をしている。

 

 アモ先輩がGⅠを控えているので、さすがに源逸さんもアモ先輩のトレーニングを『おまかせ』には出来ずに自ら出張ってアモ先輩の世話をしている。

 その分コロの指導が手隙になるので、アイリスに私とコロ2人分のお世話が任された形だ。

 

 私とコロはお互いに自分の苦手な距離が相手の得意な距離なので、併走してあぁだこうだとアイリスを巻き込んで議論やアドバイスをし合いながら、結構楽しくトレーニングさせてもらっていたと思う。

 

 コロの未勝利戦と同日に行われたメル先輩のレースは、逃げたメル先輩を追って後続が潰し合ってくれたおかげで、ほぼ理想的な形でメル先輩は無事に逃げ切り勝ちをおさめる事が出来た。

 

「コロちゃんに恥ずかしくないレースをしようと思ったしね…」

 

 とは後日のメル先輩の言葉だ。

 

 更には翌週のカメのレース。こちらはカメお得意の終盤の追い込みがギリギリ届かずに惜しくも2位に。

 だが化け物揃いの中央トレセン学園で、新戦や未勝利戦を1位で駆け抜けた娘ばかりを集めたレースで2位なのだ。十分に胸を張って良いと思う。

 

 とりあえず優勝こそ逃したが、今回好成績を修める事が出来たので、カメは12月の阪神ジュベナイルフィリーズには恐らく出走できそう、との見通しだ。私もとても嬉しい、自分の事の様に誇らしく思う。

 

 ☆

 

「いやぁ、何か久しぶり過ぎて人前で着るのは恥ずかしいね、こりゃ…」

 

 天皇賞直前にアモ先輩の勝負服についての話題が上がり、せっかくだからと事務所で着て見せて貰っている所だ。

 

 『勝負服』 GⅠレースを走る時にのみ着用が許される、ウマ娘にとってとても特別な意味を持つ服だ。

 これを着る事でウマ娘は自身の力を100%、いやそれ以上に引き出す事が出来るらしい。

 

 そのデザインはウマ娘ごとに千差万別であり、中にはとてもでは無いが「これから走るには邪魔にしかならないのでは?」と言ったデザインも散見される。

 しかし、当のウマ娘にとってはそれ(・・)こそが最も走りやすいデザインであり、魂の形なのだ。

 

 一般にウマ娘の勝負服は女の子らしい可愛いデザインや、「どういう順番で着るの?」と思う様な奇抜なデザインの物が多い。

 その中でアモ先輩の勝負服は、体の両サイドに白いラインの入った、全く装飾の無い真っ黒でとても渋い、革のライダースーツだった。

 

 前面の中心に沿って走るファスナーは胸元いっぱいまで下げられ、本来セクシーキャラでは無いはずのアモ先輩を、とても艷やかに魅せていた。

 そして首に巻かれた長く黄色いスカーフがアクセントとなって、全体の地味さが薄れているのもポイント高いと思う。

 

 『武器庫』と称されるアモ先輩の事だから、私はてっきり身体中にガンベルトを巻いて機関銃を持った女ソルジャーか、シルクハットを被った女マジシャンみたいなイメージだったのだが、見事に裏をかかれてしまった。まさかその辺もアモ先輩の策なのかな…?

 

「去年の春くらいに作ってもらったものの、着る機会が無いまま結局1年半近くタンスの肥やしになってたなぁ、反省反省」

 

 アモ先輩は笑いながら言ってたけど、それが本当なのか照れ隠しなのかは分からない。

 

 ☆

 

 学園生徒の勝負服は、トレセン学園入学時に各々が希望するデザイン草案を学園に提出し、デビュー後のオープンクラス昇格の際に、オーダーメイドされた勝負服が学園より授与される形となる。

 

 GⅠレースを走る為の衣装だから当然と言えば当然なのだが、オープンクラスと言う事はデビューしてから更に2〜3戦は勝たないと上がる事は出来ない。

 

 以前、トレセン学園2000人の生徒のうち最終的に学園に残れるのは3割程と書いた。その残った3割ですらGⅠレースに出られるのはほんの一握りであり、大半の者は勝負服を着て走る事を夢見ながら叶わずにいるのだ。

 勝負服その物が一流ウマ娘の証であり、勲章であると言えるだろう。

 

 当然ながら私の勝負服はまだ無い。私が次のレースに勝つ事が出来れば早急にお披露目できると思われる。

 デザインは本物が仕上がる時まで今少し秘密にさせてもらいたい。



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23R 菊花賞となでしこ賞

 アモ先輩の天皇賞を来週に控えた10月の第4週、本日は京都レース場でクラッシックレースの最終戦、菊花賞が行われる。

 

 もちろん世間の注目はツキバミが『無敗の三冠馬』となれるかどうかであるが、今までのレースが圧倒的過ぎて、『菊花賞に勝てるかどうか?』では無く『勝った後の次のレース予想』が主流になっているようだ。

 

 「次はジャパンカップだ」「いやいや有記念だ」「デビューから走り詰めだから少し休養を取るべき。次走は来年春の大阪杯か阪神大賞典で」

 

 等々、ツキバミ本人サイドを全く無視して外野で侃侃諤諤(かんかんがくがく)の騒ぎになっていた。

 

 私達チーム〈ポラリス〉も現状とりあえずツキバミをマークする必要は無いので、その日は結果だけ分かれば良いかな? 的な緩い雰囲気が流れていた。

 

「ちょっと、何これ…?」

 

 空気を変えたのはアイリスの一言。URAから送られてきた今回の出走表に変な所でもあったのかな?

 

「菊花賞の前に行われる『なでしこ賞』なんだけど、ブラックリリィが登録してるわ。あとドキュウセンカンも…」

 

 ほぉ、こんな所でリリィvsドキュウの戦いが行われるのか。まぁ確かに興味深いカードではあるけど、『何これ?』と言うほどの物ではないと思うけど…?

 

 私の疑問を解消してくれたのはメル先輩のトレーナー、目黒さんだった。

 

「おいおい、『なでしこ賞』って1400mのダート (砂)だろ? 地方出身のドキュウセンカンはダートに慣れてるだろうけど、リリィはダートの、しかも1400なんて短距離を走れるのか?」

 

 あぁなるほど、そういう事か。つまりリリィは場適性も距離適性も無視した「普通なら出走するはずの無い」レースに登録している、って事だ。

 ただまぁリリィの適性云々は私達が勝手に「芝の中距離が得意」と予想しているだけで、本当は短距離ダートが得意な可能性も大いにあるけどね。

 

 ☆

 

 という訳でさすがに観戦目的で京都には行けないので、今回は事務所の皆でテレビ観戦。

 

 テレビの実況アナウンサーも今日のリリィの出走には首を傾げていた。やはり一般認知でリリィは「芝の中長距離が得意タイプ」と言う事らしい。

 

 ジュニア級注目の2選手の決闘にプレオープンクラスのレースでありながら注目度は高く、現時点で観客の入りはすでに満員との事だ。

 

 全12人のウマ娘がゲートに入りスタートを待つ。ここでいつも険しい顔を更に険しくして源逸トレーナーがボソリと洩らした。

 

「リリィの狙いはツキバミだな…」

 

 は? どういう事か分からずに聞こうとした所でレースが始まった。

 

 いつもの様に逃げを打つドキュウ。リリィは中段後方で様子見の模様。

 ドキュウのブロックを回避しようと、何人ものウマ娘が彼女の先に出るべく一斉に動き出す。

 

 対するドキュウもまるで背中に目が付いているかの様な的確な動きで後続をブロックしている。いつもながらこの技術は感嘆に値する。

 

 しかしながら今回はさすがに対策されてしまったのか、結果的にそうなっただけなのかは計り知れないが、ダートと言う足を取られる場も相まって、ドキュウのいつもの軽快さが発揮できずに2人のウマ娘がドキュウを抜いて先行する事に成功する。

 

 やはりドキュウの戦術は少人数でのレースでのみ発揮される物であって、人数が増えるとそれだけカバーする範囲も増える。それがドキュウの処理能力を超えると今の様に先行を許す事になる。

 

 2人がドキュウに先行したものの、やはり抜く際に過剰にスタミナを浪費したのか、せっかく奪ったポジションをあっさりと抜き返されてしまう。

 

 リリィが動いたのはこの時だ。ドキュウの疲労を見抜いて順位が大きく入れ替わる瞬間に仕掛ける。

 ドキュウも抜かれまいと肘を振ってリリィを阻止しようとする。反則スレスレ、いや完全に反則行為だ。ドキュウの太い腕で殴られたら、針金の様に細いリリィなど一溜まりもなく吹き飛ばされてしまうだろう。

 

 しかしリリィは迫りくるドキュウの肘を皮一枚で回避する。肘の軌道を完璧に見切っていないと出来ない芸当だ。

 

 レースはドキュウを差したリリィがそのままゴール板を駆け抜けて優勝、ドキュウは2着となったが、リリィへの肘打ちが妨害行為と判断され、後に最下位へと降着処分とされた。

 

 レースも終わって、私は先ほど聞き損ねた話を再び源逸(おやっ)さんに振る。

 

「さっき言ってた『リリィの狙いはツキバミ』ってどういう事です?」

 

 おやっさんは憮然とした表情で私を見つめ口を開く。

 

「この後すぐにツキバミの菊花賞があるだろ? リリィはわざわざ京都まで出向いて『場や距離に囚われないスーパーウマ娘がお前のすぐ横に居るんだぞ、来年を待っていろ』って言いに行ったんだろうさ。ご苦労なこった」

 

 …なるほど。それならリリィが短距離のダートを走った事にも合点がいく。本日の京都でリリィが出られるレースがなでしこ賞だけだった、というのも多分にあるとは思うが……。

 

 ☆

 

 さて更に2レースを観覧していよいよ菊花賞が始まった。注目はもちろんツキバミ、それも彼女が何位に入るか? ではなくコースタイム何秒で優勝するか? が話題の中心だ。

 ちなみに菊花賞の日本記録は3分01秒。ツキバミがもし神戸新聞杯で見せた豪脚でその3000m全てを走ったなら、3分はおろか2分40秒くらいの大記録が生まれる可能性がある。

 

 パドックに姿を見せたツキバミ。彼女の勝負服はトレンチコートにハンチング帽と言う、シャーロックホームズを彷彿とさせる様なシックな出で立ちだった。それでいて下半身はタイトスカートと言う、女子として可愛さを捨てていない所が好感が持てる反面チグハグさは否めなかった。

 

 さて、レース本番だが、ツキバミは終始淡々と走りつつもリードを広げ、最後の直線もスパートを掛けることなく余裕の… いや言葉は悪いが舐めプとすら思えるゴールを見せつける。

 ラストスパートの無かった分、直線で後続に詰め寄られるも2身差をキープしつつの横綱相撲だった。

 

「リリィの挑発に対してツキバミも『3000のGⅠなんて汗もかかずに走って見せますわ』てなもんなんだろうな。こりゃ来年の秋は凄え事になるな…」

 

 いやホント、マジで何なん? コイツら…?



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24R 天皇賞(秋)

 東京レース場。トレセン学園にほど近いレース場で、学園の授業や休日のレジャー代わりとして普段から学園生徒も数多く来場している場所だ。

 

 ギネス記録にもなっている世界最大のターフビジョンを始め、施設としての規模はURAの主要4大競レース場 (中山、東京、阪神、京都)の中でも最大で、東京優駿(日本ダービー)や天皇賞(秋)等、年間8試合のGⅠレースが行われる。

 

  今日は今年の天皇賞(秋)の開催日、そして我らがチーム〈ポラリス〉のエースであるアーモリーフォース先輩のGⅠデビューの日でもある。

 

 レースの開始は15時40分で現在時刻は15時05分。第10レースの秋嶺ステークスが少し遅れて始まった所だ。私達はそれを観客席から見て色々と勉強している最中である。

 

 今日はアモ先輩の応援でチームメイト全員が集合したわけだが、アモ先輩の「集中したいから」との理由で、源逸トレーナーを含む全員が控室から追い出されてしまっていた。

 

「付き合い長いけど、アモちゃんがここまでナーバスになるのは初めて見たわね。緊張して固くなってないと良いんだけど…」

 

「GⅠだもん、緊張しないわけ無いよ。あたしが走る訳でも無いのに心臓バクバク言ってるんだよ?」

 

 メル先輩の呟きにコロが絡む。確かに身内がこんな大舞台で走るなんて私も初めての経験だから、正直どんな顔をすれば良いのか全く分からない。

 

 控室でのアモ先輩だが、まるで別人の様にピリピリしていた。それだけ集中していると言う事なのだろうが、まるでツキバミを彷彿とさせる(オーラ)を放っていた。うん、こりゃ下手に話し掛けない方が良いわ。

 

 この状態のアモ先輩をして、トレーナーの源逸さんは「怪物を作っちまったかも知れねえ」と(うそぶ)いていた。

 

 やがて本日の出走メンバーが続々とパドックに現れる。その錚々(そうそう)たるメンツを以下に人気順で紹介しよう。

 

 宝塚記念の覇者 ケイヨウブロンコ。

 阪神大賞典、毎日王冠の覇者 トウザイブレイカー。

 オールカマーでもアモ先輩と争った大阪杯覇者 レーザーディスク。

 NHKマイルカップ覇者 ムサシノコジロー

 アモ先輩はここ、5番人気だ。以前アモ先輩が「頑張っても5位」と言っていたが、この予想を見る限りお客さんの目もほぼ同意見らしい。

 

 他にもソウブサンカンオーやヤマノテレディといった強豪が軒を並べている。

 各ゲートに入って厳かな雰囲気でレースが始まった。

 

 ☆

 

「うっそ! アモ先輩逃げてるよ? 何で?」

 

 最初に声を上げたのはコロだった。3人程の先頭集団のうち3番手に付き、そこから少し離れて中段組が続く。普段のアモ先輩は『先行』か『差し』なので、本来ならこちらの中段組に位置しているはずだ。

 

アモ(あいつ)の事だ、GⅠの舞台で群れに沈んだらもう這い上がって来れねぇ事を肌で感じているんだろう。『策略家』とも言われるアモがその辺の武器を全部取っ払って、己の脚だけで戦っているんだ…」

 

 ただ勝つ事だけを考えて、その結果自分の得意な武器を切り捨ててまで必死に走っているアモ先輩。眩しすぎて涙が出てくるよ……。

 

「アモ先輩ーっ! ファイトーっ!!」

 

 先輩には聞こえてないのは承知の上で大きな声を上げる。私に続いてカメやコロの他、〈ポラリス〉の全員が声を張り上げて応援する。

 

 例え声が届いて無くても、応援の気持ちは必ず伝わるはずだ。私の未勝利戦の時も多くのお客さんから沢山の力と勇気を与えてもらったから。

 

 ☆

 

 レースは東京レース場の名物である『第3コーナーの大欅(おおけやき)』に差し掛かる。

 

 余談だがこの大欅、ぶっちゃけレース観戦の邪魔にしかなっておらず、しかも実は欅の木じゃなくて榎の木だそうだ。

 昔から「邪魔なので切ってしまえ」という意見もあるのだが、何でも木の根元にはこの地を開拓した武家のお墓があって、木を切ると祟りがあるとかで誰も手を出す人がいないまま現代に至るらしい。

 

 さて、レースだが、状況は芳しく無い。慣れない『逃げ』でペース配分を誤ったのか、アモ先輩のスタミナは外から見ても分かるほど消耗している。それでもまだ順位を落とさず3位に付けている。

 

 後ろからケイヨウブロンコとトウザイブレイカーが上がってくる。更にアモ先輩の前を走っていた2人も疲労から徐々にスピードを落としてきて、先頭集団と中段の差が無くなる。

 アモ先輩は下がってきた垂れウマを見事にすり抜けて、一瞬ではあるがトップに躍り出た。

 

 最後の直線だが現在トップはアモ先輩、やや後方にケイヨウブロンコとトウザイブレイカーが並んで追走している。最後方で控えていたヤマノテレディも加速して猛追してくる。

 

 アモ先輩は疲労から体がヨレてきている。もはや真っ直ぐ走るだけで精一杯だ。歯を食いしばり賢明に脚を動かしてはいるものの、一歩毎に後続との差は縮まっていく。

 声を限りにアモ先輩へと声援を飛ばす。私達の声がアモ先輩を一歩でも前に踏み出す力になってくれるなら、声が枯れても構わない。

 

 ケイヨウブロンコがアモ先輩に並んだ時に、力を出し尽くしているはずのアモ先輩が一瞬だけ再加速を見せた。もはや体力では無く『意地』や『根性』の世界で走っているのだろう。

 

 しかし善戦虚しくその加速は本当に一瞬で終わってしまった。やがて後続のケイヨウブロンコとトウザイブレイカーに差し切られ、順位を落とすアモ先輩。

 更に追いすがるヤマノテレディだったが、そこでアモ先輩は最後の根性を見せてヤマノテレディに抜かせる事なくクビ差で先着した。

 

 アモ先輩は初のGⅠチャレンジ、天皇賞で見事に3着という結果を残した。



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25R NEXT FRONTIER

 レースを終えたアモ先輩が控室に戻って来た。チーム総員で出迎えたが、力を使い果たした様なやつれた顔で「…みんな、ありがとうね」とだけ話して、備え付けのパイプ椅子に座り込んで俯いてしまった。

 

「アモちゃんお疲れ様。あれだけのメンバーで3位だなんて本当に凄いよ!」

 

 メル先輩が先陣を切って祝辞を述べる。すると俯いたままのアモ先輩の足元に幾つかの雫が零れ落ちる。これはアモ先輩の涙…?

 

「あたしさ…」

 

アモ先輩が俯いたまま口を開いた。私達は皆黙ってアモ先輩の次の言葉を待つ。

 

「あたし、天皇賞で走れるなんて夢にも思ってなかった。夢の夢のそのまた夢の天皇賞を走れて、しかもまさかまさかの3着に入れるなんて、死ぬほど嬉しい。絶対に届かないと思ってた星空に指先が触れたと思った…」

 

 私はGⅠはおろか、中央での勝利の味すらまだ知らない。それでもアモ先輩の嬉しさは共感して余りある。私も釣られて目頭が熱くなってきたし、メル先輩、カメ、コロも全員がもれなく貰い泣きしている。

 

「でもさ… でもだからこそ余計にあとちょっと逃げ切れなかった事がメチャクチャ悔しくてさ! あたしにもう少し力があれば『勝てた』のに、天皇賞を『獲れた』のに! オッチャンを天皇賞トレーナーにしてやれたのに! って思ったら、もう体が灼けるくらい悔しくてさ…」

 

 …この気持ちもよく分かる。これはもうウマ娘として生を受けた者の宿業と言っていい。何よりも勝利に渇望している生物がウマ娘なのだから。

 

「だからさ、だからもう喜んで良いのか悔しがれば良いのか、頭がグチャグチャで全然分かんないから、もう、とにかく泣くわ!」

 

 顔を上げて宣言したアモ先輩は、しばらくその場で子供の様にワンワンと大泣きしていた。

 

 ☆

 

 『NEXT FRONTIER』

 

 春秋の天皇賞と年末の有記念のウイニングライブでのみ使用される楽曲で、前にも言ったが、この曲をセンターで歌えたらそれはすなわち『日本一のウマ娘』になれたという事でもある。

 

 そして今私達の目の前に日本最高峰のレースの舞台装置が組まれ、会場スタッフが慣れた手付きであれよあれよと言う間に、つい先程までレースをしていた場所に巨大なステージを作り上げてしまった。

 

 夕闇に幾つかのスポットライトがステージを照らす。その僅かな光と観客の持つ無数のサイリウムがこの場を幻想的に照らし出す。

 

 やがてステージの中央で向かい合って立つ3人のウマ娘にスポットが集中する。

 ウイニングライブでスポットライトを浴びて歌を歌えるのはレースの上位3名だけだ。そして今この場にいるのは天皇賞の覇者トウザイブレイカーと2位のケイヨウブロンコ、そして3位に入ったアモ先輩だ。

 

 ピアノ独奏のイントロが入り、互いに頷きあう3人。そして揃って観客へ向き直り勇ましく導入サビを歌い上げる。

 

 間奏の間にも舞台から吹き出す炎のギミックがウマ娘の激情を現すかの様に大きく揺らめく。

 身近に巻き起こる炎を物ともせず凛々しい顔で踊り続ける16人のウマ娘。センターもバックダンサーも関係無い。全員がこのステージの一部として懸命なアクションを見せている。

 

 バックダンサーが音楽に合わせてステージ上をただ歩いているだけなのに、その風に揺らぐ髪の毛やステージ衣装に宿る生命力や色気に圧倒されてしまう。

 バックダンサーと言えども全員がGⅠを走ったウマ娘。中にはそれこそGⅠホルダーも数名居るのだ。彼女達の纏うオーラは会場全体を包んで観客席を熱狂の坩堝(るつぼ)へと変えていく。

 

 これこそがGⅠ、これこそがウマ娘なのだ。命を燃やしてレースをし、命を燃やして歌い踊る。その美しさに魅了されない者はいない。そして『私もいつかは…』と言う気持ちにさせられる。

 

 歌が終わり今まで炎の色で赤黒く染められていたステージが、後方からの光で強烈な白一色になって16人のウマ娘がシルエットとして浮かび上がる。

 その影しか見えない姿にも雄々しいまでの生命力が宿っているのが分かる。正に圧巻だ。

 

 同時に東京レース場に集った数万人の観客の歓声が会場を埋め尽くす。

 

『頂点に立つ! 立って見せる!』とは歌のサビの歌詞だが、今日ほど心を震わされた事は無かった。身内のアモ先輩が歌っている事と合わせて、私の次の目標はGⅠなのだと再認識させられた。

 

 ☆

 

「うん、控室でいっぱい泣いたからステージじゃ泣かなかったよ。やっぱりステージ上では勝っても負けても嬉しくても悔しくても常に笑顔でいないとね」

 

 ウイニングライブを終えたアモ先輩が、ようやく『いつも通り』の緊張感の無い笑顔を見せる。

 このアモ先輩の笑顔に私達は癒やしと安らぎを与えてもらっている。例え本人にその気が無かろうと、結果的にチームの柱として機能してくれているのはとてもありがたい事だ。

 

「よーし、アモの気分が盛り上がっているうちに次のレース予定を決めちまうか。やっぱり『ジャパンカップ』行っとくか?」

 

「あ、却下で」

 

 今回の好成績で味を占めたのか、源逸トレーナーが次のレースもまたGⅠを指定する。そしてアモ先輩はそれを一瞬で蹴り飛ばした。

 

「なんでだよ? それじゃ『エリザベス女王杯』か? それだとスケジュールがキツかねぇか?」

 

「どっちも却下。あたしその2レースで使う『Special Record!』の練習を全然してないんだわ。知らん楽曲を一から勉強するなら、その分走りたいんだよね」

 

「そんなこと言ったってお前、『NEXT FRONTIER』はもう… って、そういう事なのか…?」

 

 源逸さんの質問に無言のままニヤリと返すアモ先輩。次に『NEXT FRONTIER』が使用されるレース、それは年末の有記念に他ならない。




借り物で恐縮ですが、NEXT FRONTIERの動画を置いておきます。本文のイメージ補強にお使い下さいませ。
https://youtu.be/S-RPY5NFPPc


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26R リベンジ

 パドックへ至る地下道で、私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しながら呼吸を整える。

 中京レース場、芝1600m、長い未勝利生活に別れを告げるべくはるばるやって来た、私の今日の戦場だ。

 

 アイリスからは「落ち着いて、レースを楽しんで来なさい」とだけ言われて送り出された。

 今までのレースではこの『レースを楽しむ』部分にまるでリソースが割けなくて、勝ち気ばかりが先行し余裕という物が全く持てていなかった。

 

 私も今日でレース3戦目、しかも勝手知ったる中京レース場だ。リラックスは出来ている… と思う。

 

 実は30分ほど前に中山レース場でコロも未勝利戦を走っている。あの娘が勝っても負けても私の精神安定に何らかの影響が出そうだったので、私は敢えて控室に籠もったまま外の情報を遮断していた。

 アイリスはコロのレース結果を知っているはずなので、そちらは私のレースが終わってからゆっくりと聞かせてもらうつもりだ。

 

「あら奇遇ね、スズシロナズナ。3度もかち合うなんて余程縁があるのね」

 

 パドックで私に話しかけて来た栗毛の髪をハーフアップにしたウマ娘、前のレースでも一緒に走った……。

 

「ええと、何だっけ…? イーグルなんとかさんだよね…?」

 

「『イーグルダイブ』よ! 『なんとか』の方が文字数多いじゃない、ちゃんと覚えなさいよ!」

 

 そうそう、確かそんな名前の人。そっか、結構速い人だと思ってたけど、まだ勝ててないのか……。

 

「今まではブラックリリィとかドキュウセンカンとか規格外の奴らと走らされたから、3試合全て『2着』なんて不名誉な事もあったけど、今日はそんな変な人いないし、ナズナ(あんた)には過去2回勝ってるから、今日こそは私が優勝させてもらうわ!」

 

 なるほど、話し掛けてきたのは宣戦布告が目的なのね。それにしても3試合 (私とは2戦のみ。つまりどこかでもう1戦して負けている訳だ)全てが2着とは運が無いにも程がある。

 イーグルダイブが地力のある人なのは確かだろう、しかし今日勝つのは私だ。これは確定事項だ。彼女には悪いが優勝は渡せない。

 

「うん、私も負けない。今日は『掛か』らないし転ばない。万全のレースをして見せるから」

 

 本当はその後に「アンタは今日も2着に終わるよ」と言ってやりたかったけど、アモ先輩、いや先生から『相手を必要以上に挑発すると目を付けられて後が面倒』と言うアドバイスをもらっていたので、余計な事は言わずに人畜無害そうな微笑みを返しておいた。

 

 ☆

 

「あーん、やだなぁ。降ってきちゃったよ…」

 

 スターティングゲートに入って隣のコースの子からのボヤキが聞こえてきた。

 

 朝からどんよりとした曇り空だったけれど、レース開始時間を待たずにポツリポツリと雨が振ってき始めていた。

 雨だと前回の様なスリップがあるかも知れないので厄介だ。今日履いている靴の蹄鉄も雨天用の物では無い。

 

 ふと前回の転倒が脳裏をよぎる。未だ恐怖は消えない。消えないが、今はレースを走る事が何よりも優先されるし、走れる事そのものが嬉しい。

 

 …あと数秒でレースが始まる。雑念は脇に寄せておけ。

 

 ゲートが開き10人のウマ娘が一斉に飛び出す。

 

 私の作戦はいつも通り『先行』で、先頭から3〜4番手辺りに位置取る。イーグルは『差し』なのだろう、私よりも一段後方に陣取っている。先頭と同時に私も視野に入れてマークしている様に見受けられる。

 

 ちょっと先頭を走っている娘がハイペースの様に感じられる。ここで私もスピードを上げるかどうかが思案の分かれ道だ。

 ここでスピードを上げてしまうと、ラストスパートの為の体力を減らしてしまう事になるし、かと言って体力を温存して後々追いつけない程に離されてしまっては意味が無い。

 

 先頭の娘の疲れ具合は真後ろからだと分かりづらい。そこで再び思い出されるアモ先輩語録。

 

「そういう時は相手の『手』を見るの。走る時に腕を意識して振ってる娘は多いけど、指先まで集中出来てる娘はそういないのよ。疲労の出てきた子は必ず手の握りが緩くなるわ、そんな娘の一瞬の隙を逃さずに抜き去れればナズナはもっと強くなれるよ」

 

 まぁ実際には近くを走る娘の指先なんて観察している暇は無い。アモ先輩も恐らくは「出来るものならやってみろ」程度のアドバイスだったと思う。

 

 でも私はそのテクニックを聞いて知っている。そして今第3コーナー、偶然だが先頭の娘の指先を確認出来てしまった。

 

『彼女はもうバテている、程なくスピードを落としてくる』事が分かってしまった。

 ほんの半身体を外側に寄せて速度を上げ、2番手の娘と並ぶ。そうする事で先頭の娘が下がってきた時に、2番手の娘が内ラチと私に挟まれて抜け出す事が出来ないまま、先頭の垂れウマを引き受ける形に持っていける。

 

「そんなっ?!」

 

 作戦通りに速度を落としてきた先頭に2番手が巻き込まれて順位を落とし、私が先頭に躍り出る。ゴメンね2番手の娘、これも勝負だから悪く思わないでね。

 

 これで私の前には誰もいない。後は残った体力の全てを注ぎ込んでゴール板を目指すのみだ。

 12月の小雨が目に入る、体を冷やす。でもそんな物で私を止められる訳がない。

 

「うぉぉーっ! もう2着はイヤだぁーっ!!」

 

 もちろん順風満帆で優勝出来るとは微塵も思っていない。私のすぐ後ろには『シルバーコレクター』のイーグルダイブが上がってきている。雨の音に混じって猛烈に追い上げて来る荒々しい呼吸と足音。

 

 私だってこれ以上負けるのはゴメンだ。『負けたくない』と今一番強く思っているのは私なんだ。

 

「…負けたく、ないっ!!」

 

 共に思いを口にして、逃げる私と追うイーグル、その速度にも想いにもほぼ差は無い。2人の距離は広がる事も縮まる事も無いまま200m以上を走り続け、2身差を付けたまま、私は観客席からの声援を背にゴール板を駆け抜けた。



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27R 初勝利と初取材

 夢中でゴール板を駆け抜け、観客席の歓声とどよめきが一斉に音の大波となって私を包みこんだ。

 最後の直線の余波を残したまま体だけが機械的に前に進む。

 やがて電池の切れた玩具の様に、ゆっくりと歩みを止めた私は、今になってジワジワと勝利の実感を得始めていた。

 

 観客席に正対し、上空に撃ち出さんばかりに右手を高く衝き上げる。再び大きく湧き上がる歓声、「よくやった!」「初勝利おめでとう!」「リベンジ果たしたな!」「お前を見に来たんだぞ!」等々、この声の1つ1つが私を祝福してくれているのが肌で感じられる。

 

 続いて上げた腕を降ろして観客席に深く礼をする。今度は場内から一斉に拍手が巻き起こる。

 数千人からの祝福を一身に浴びる栄誉と幸福感、未勝利戦ですら『これ』なのだ。もし更なる大舞台で勝つ事が出来たなら、果たしてどの様な景色が見えるのだろうか…?

 

 今は私を応援してくれた人もそうでない人も全て含めてとにかくもう感謝の一言しかない。

 今日来てくれているお客さんの中には、前回のみっともない姿を見せてしまった人も居るだろう。今日の走りで少しは私のカッコ悪いイメージが拭えたら良いんだけどね……。

 

 ゴールと同時に少し雨脚が強くなってきたようだ。だが今はその冷たい雨ですらも心地良い。火照った身体と心を良い感じに冷やしてくれる。

 

 少し冷静さが戻って来た所でようやく周りに目を向ける余裕も戻って来た。

 

 …私以外のウマ娘は全員が泣いていた。ある娘は顔を両手で覆って体を小刻みに震わせ、ある娘は早々に控室へと戻って行く。

 

「なんで?! なんでいつもこうなるの?!」

 

 地面に手をついて号泣しているのはイーグルダイブだ。4戦4敗、全て2着。可哀想とは思うが、こればかりは巡り合わせの悪さの結果だろう。

 勝ちは無くても現段階で連対率が100%と言うのは、それはそれで途轍もない事なのだが、いま本人にそれを言っても何の慰めにもならないだろう。

 

 敗者の苦しみは私も嫌と言うほど理解できる。だからこそ、敢えて触らずにこの場を去るのも優しさであるとも言えるだろう。

 どの道未勝利戦には勝利者インタビューなどは無い。レースが終わったらとっとと引っ込むのも若手の心得の一つだ。

 

 今一度観客席に向けて最敬礼、そして大きく手を振りながら私は地下道へと退場する。鳴り止まないお客さんの拍手の音が、最後まで私を祝福してくれている様で、本当に天にも昇る心地だった。

 

 地下道ではアイリスが優しい目をして私を待っていた。近づく私にアイリスは顔の横に右手を広げて立つ。

 私はすれ違いざまにそのアイリスの手をバシッと叩く。地下道全体に手と手の当たる乾いた音が響き渡った。

 

「おめでとう、良い流れでレースが出来たわね…」

 

 アイリスからの祝辞の声は、冷静を装いつつも僅かな震えを隠せずにいた。

 見ればアイリスの目は真っ赤になっていた。既に泣き腫らした後なのか、いつもの澄ました美人顔が台無しになっていた。

 

「やぁねもう。自分の初勝利の時でも泣かなかったのに…」

 

 そう言って鼻を啜りながら涙を拭うアイリス。

 

「ちょっと止めてよ。アイリスに泣かれると涙が感染(うつ)るじゃんか!」

 

 初勝利くらいで泣くつもりなんて無かった。あっけらかんと「こんなの当然よ!」みたいな感じで、余裕綽々にふてぶてしく笑顔で1日過ごそうと思ってたのに……。

 

「涙はGⅠ獲るまで我慢するつもりだったのに… こんな、初勝利なんかで… もぉ、アイリスのせいだからね!」

 

 私の顔もすでに涙でデロデロだ。全部アイリスのせいだ。アイリスが泣くから泣くつもりの無かった私にまで涙が伝染したんだ。私は悪くない。

 

「うん、うん! 私のせいで良いからナズナも喜んで良いんだよ。本当におめでとう!」

 

 涙声のアイリスに力一杯抱きしめられる。ここまで我慢したけどもう無理、沸き上がる感情が抑え切れずに涙と嗚咽になって一気に溢れ出した。

 

 女二人で抱き合いながら人目も憚らず号泣する。私もアイリスも普段なら人前で涙を流す様な事はしない。

 でも今は… 今だけは泣く事を許して欲しい。今までと全く違う『喜びの涙』だけは……。

 

 不意にフラッシュの光とカメラのシャッター音が鳴り、私とアイリス2人だけの勝利パーティが中断される。

 カメラの主を確認すると、記者腕章を付けた30代から40になるかどうか位の、眼鏡で無精ひげを生やした男の人が居た。

 

「いやぁ、余りにも感動的なシーンだったので思わず撮影してもうたわ。…おっと失礼、俺は『優駿タイムズ』の新城(しんじょう) 勇吾(ゆうご)。スズシロナズナちゃんとは初めまして、やな」

 

「貴方はこの前の…」

 

 記者と思しき目の前の関西弁オジサンとアイリスは面識があるらしい。そんな事より勝手に泣き顔を撮影されて私はちょっとムカッとしている。

 

「どうも〜、プラチナアイリスさんもお元気そうで何より。この度はナズナ選手もアイリストレーナーも初勝利、おめでとうございます!」

 

 結構調子の良いタイプの人の様だ。話術の勢いで要求を通そうとしてくるタイプでもあると思う。

 

「前回のレースからお二人には注目してましてねぇ。前回の転倒からの徒歩でのゴール、そして今回の優雅とさえ言える危なげの無いレース運び。更には人目を避けてこんな薄暗い場所で抱き合って号泣する師弟、もうこんなん撮影するしか無いですやん!」

 

 この新城とか言う記者さんも感極まって涙声になってきている。まぁ悪い人では無いのだろう……。

 

「と言う訳で改めて取材させて下さい。またきっと盛り上がるでぇ! ほらあの『鉄人』って二つ名、俺が考えたんですよ。気に入ってもらえました?」

 

 あれはお前の仕業か。もう少し何て言うか『女子に対する気遣い』みたいなのを考慮して欲しかった、とは思いました。



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28R 勝利のステージ

「そんで、お二人の出会いはどんな感じやったんです? 初めから仲良しやったんですか? それともバチバチ火花出てる感じ?」

 

 私の控室で新城記者の取材と言う名のプライベート暴きが始まった。ウイニングライブの準備時間も含めて10分だけ、という条件付きだ。

 まぁこの人が記事に私を取り上げてくれたから大幅にファン数も上がった訳だし、ネガティブな取材では無く初めから好感度の高いインタビューであるのはとてもありがたい。

 

 何より勝って取材を受けると決めたのは私で、今がその時な訳だし、答えにくいことは無理に答えなくて良いとも言われている。

 

「え〜? どうだったかなぁ…? 1年近く前の事だから忘れちゃったよ…」

 

「あら、私ははっきり覚えてるわよ。ナズナ、めちゃくちゃ私の事を不審な目で見てたし。『こんな若くてしかもウマ娘のトレーナーなんて信用出来るの?』みたいな顔してた」

 

 アイリスが話に乱入してくる。ちょっと、そういう事言うと私のイメージ下がるから止めて欲しいんだけど? まぁ確かにアイリスの言ってたように思ったよ。

 

 だってさ、チーム〈ポラリス〉の大ベテランである矛田源逸トレーナーにスカウトされたはずなのに、実際担当になったのは走りを引退した年若いウマ娘の新米トレーナーでは、『不安になるな』と言う方が無理があると分かって頂けると思う。

 

 私達の答えを楽しそうに聞いてメモを取る新城記者だったが、「編集長に掛け合うけど、どこまで紙面を取れるか分からない」そうで、取材を受けたものの最悪全ボツになる可能性もあるという。

 せっかく受けた取材が丸々無駄になるのは悲しいし、記者さんも名古屋まで来て無駄骨じゃ気の毒だ。

 

「今後はマスコミ対応として『絵になる』勝ち方や負け方も考えないとダメなのかしら…?」

 

 などとアイリスが迷走した考えを口にしていたが、ここは聞かなかった事にしておこう……。

 

 ☆

 

 レースが終わるとその勝者は観客の前で『ウイニングライブ』を行う事と、新戦からGⅡまでの全てのライブ楽曲は「Make debut(メイク デビュー)!」である事は以前にも書いた。

 

 そして週末のレース場では毎回10〜12のレースが開催される。

 GⅠレースを除くその全てにおいて「Make debut!」が歌われる訳で、観客も1日に10回も同じ曲を聞かされるのでは、いくらなんでもウンザリしてしまうだろう。

 

 という訳で、レース場そのものがステージに大掛かりな改造をされるGⅠと違い、どのレース場にも「Make debut!」専用の小ステージが観客席に隣接する形で常設されている。

 

 開催されるレースとレースの間には、それぞれ約30分ほどの時間がある。その間、会場では前レースでウマ娘達が激闘を繰り広げて荒れたコースの整備や、パドックで次レースを走るウマ娘のお目見えが行われる。

 

 人気ウマ娘が出るのでも無い限りあまり動きの無いシーンが続くので、そのお客さんの空いた時間のフォローを兼ねてレース毎に「Make debut!」が披露される、というカラクリだ。

 

 また、ごく(まれ)にGⅠクラスのウマ娘がソロシングルデビューを果たした時に、歌の宣伝としてステージが使われる時もある。

 

 私の走った未勝利戦は第4レース、次の第5レースはプレオープンのダート1200mだが、お昼を挟んで40分以上の空き時間がある。

 手隙の時間分、会場のお客さん達もブラブラするわけで、「つまみを食いながらライブでも見るか」みたいな人が集まって、普段の「Make debut!」のライブよりも若干多めの客入りらしい。

 

「まさかアンタに先を越されるとはね… 舐めたステージしたら蹴り飛ばしてやるからしっかりやんなさいよ?」

 

 楽屋からステージに向かおうとした矢先にイーグルダイブから声を掛けられた。

 白いショートジャケット、へそ出し、チョーカー、ガーターベルトにニーソックスの「STARTING FUTURE」という名の、レースの上位3名 (センターと両サイド)しか着る事を許されないステージ専用の衣装を纏っている。

 

 もちろん今回は私がセンターなので、私も彼女と全く同じ格好をしている。勝負服とはまた違った緊張感が全身を駆け巡る。

 

 他人から改めて言われるまでも無い。中央トレセン学園のウマ娘は、走りももちろんだがまずこの「Make debut!」を体の芯まで叩き込まれる。私はもう目を瞑ってでもセンター、サイド、バック全てのパートを歌えるし踊れる。そしてそれは他のウマ娘も同様だろう。

 

 …と言う様な事を言い返そうかとも思ったが、今からハレの舞台なのにケチを付ける必要はないし、何よりイーグルダイブのあの言葉は、口調こそ悪いが意地悪ではなく激励の言葉であるのは間違い無い。

 

 私はイーグルダイブへの返事の代わりに口元をニヤリと歪ませ親指を立ててみせた。彼女も同じ顔、同じ仕草で返してくる。ライブを成功させたい気持ちは皆一緒だ。

 

 1日に10回以上も繰り返される曲とダンス、でも演じてる娘は毎回違う。聞き飽きた曲、見飽きたダンス。でもこのスズシロナズナさんの初勝利のステージは今ここでしか見られないレアステージなんだからな! 私に興味のないお客さんも私の名前を覚えて帰ってもらうからね!!

 

 そんな気持ちでステージに飛び出して最初に目に付いた物が『スズシロナズナ初勝利おめでとう!』と書かれた小さな手製の横断幕だった。

 

 一瞬で目に涙が溜まり思わず口元を抑える。応援してくれている人が居る。その人の期待に応える事が出来た。そしてその人が私の勝利を祝福してくれている……。

 

 「Make debut!」の歌い出しは真っ暗なステージから始まるのだけれど… ステージが暗くて本当に良かった。もし明るいスタートだったら瞬間的に泣き顔を晒してしまっただろうから。

 

 アモ先輩の言葉では無いが、ステージで涙を見せたらダメだ。

 曲が始まるまでの数秒間の間にぎゅっと目を閉じ涙を散らす。

 

 気持ちが落ち着き顔を上げる。そして今度こそ私の歌を、この中京レース場に居る皆に届けよう。

 歓喜と感謝の心を込めて私は歌う。マイクを通して私の声は会場中に木霊する。チームの皆、会場に集まってくれたお客さん達の為に精一杯歌おう。

 

 曲のイントロである管楽器の演奏が会場に鳴り響く。

 

 響けファンファーレ、届けゴールまで……。



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29R 2人のファッションショー

 初勝利の翌日、放課後のトレーニングに顔を出した私とカメに嬉しいサプライズがあった。

 事務所に一抱え程の大きな荷物が2つ届いており、そのうちの1つには「チーム〈ポラリス〉内、スズシロナズナ様」と書かれている。ちなみにもう1つはカメ宛てだ。

 

「おう、お前らの『勝負服』が届いているぞ。早速デザインやサイズに間違いが無いか確認しておけよ」

 

「わぁ、やったぁ!」

 

「これ今着てきて良いですか?!」

 

 源逸トレーナーの言葉にカメと私も大興奮だ。遂に待ちに待った自分専用のオーダーメイド勝負服が届いたのだから、本当は飛び回って喜びたいくらいだ。

 

「着るのは当たり前だけど、各種チェックが終わったらすぐにジャージに着替えるんだぞ。毎年『届いた勝負服で練習したい』って言い出すバカが居るけどな、万一すっ転んで破損でもしたら泣くのは自分だからな?」

 

 おっと、言い出す前に釘を差されてしまった。でもさぁ、せっかくの勝負服なんだから「着て走ってみたい」し「皆に見せびらかしたい」よね。その辺の乙女心も汲んで欲しい所はあるんだけどな……。

 

 ☆

 

「あーっ! ナズナもカメも勝負服貰ったんだ? 良いなぁ〜。あたしもGⅠ出たいのに〜っ!」

 

 更衣室でコロやアモ先輩らも合流してきた。

 コロのレースについて遅ればせながら報告すると、遂にコロも初勝利を飾れたそうだ。同期組で同日に初勝利を飾れた事はとても喜ばしいし、同期3名が全員勝利を飾れた事に心の底から安堵している。

 

 冗談抜きで新人3名、その全員が未勝利のまま失意に包まれて学園を去る可能性も十分にあり得たのだから……。 

 

 さて、これでコロも一緒にGⅠに… と思ったら、そう簡単な話でも無いらしい。

 

「GⅠのホープフルステークスで走るにはまだまだファンの数が足りないの! そんでもってファンを増やそうにも年内にあたしの走れるプレオープンがもうダートか短距離のレース2つしか残ってないんだよぉっ!」

 

 …あー、確かにそれはキツいね。私だって新聞記事のブーストが無かったら同じ悩みに襲われていただろうし、ダートと短距離なら私も撃沈する展開しか見えなかっただろう。長距離が得意なコロなら尚更だ。

 

「もうこうなったら短距離でも走って少しでも…」

 

「コラコラ、今からそんな事しても焼け石に水だよ。それに脚に無理させて万が一怪我でもしたら意味無いからね?」

 

 アモ先輩がコロを諌める。この2人は共に源逸トレーナーに学ぶ言わば兄弟弟子… いや姉妹弟子の関係であり、普段トラブルメーカーのコロもアモ先輩の言う事は比較的素直に聞き入れる。

 

 事実コロも「ぶー」と一言不満を表明して、それ以降何も言わなくなった。コロの操縦はアモ先輩の方がトレーナーの源逸さんよりよほど上手い。

 

 余談だが、アモ先輩も先日行われた有記念のファン投票の結果、見事ランキング9位となり無事出走を決めていた。

 

「それはそうとカメちゃんもナズナちゃんも勝負服可愛いわね。とっても良く似合ってるわよ」

 

 コロの話が片付いたタイミングでメル先輩が私達の勝負服を褒めてくれた。

 さてコロの件で脱線してしまったが、ようやく私達の勝負服の紹介である。

 

 まずカメは真っ白いワンピース、両手首と両足首さらに腰にピンクのリボンを巻いた清楚なイメージ。前面は布地多めでカメの巨乳をしっかりガードしているのに、逆に背中は腰の辺りまで大きく空いていて同性の私でもちょっとドキッとさせるデザインになっている。

 桜の花をモチーフにした耳飾りが左耳に光り、足には真っ赤なパンプスでコーディネート完成だ。

 

 私はブルーグレーの袖を捲ったデニムのジャケットに、同色デニムの膝上20cmのミニスカート、インナーはオレンジ色のチューブトップでへそ周りは大公開。

 前髪を黄色いカチューシャで抑えて、耳飾りは私のモチーフであるペンペン草を(かたど)ったアクセサリーが右耳に揺れている。最後に黒いライダーグローブと黒のニーハイブーツを合わせてこちらも完成。

 

 ウマ娘の勝負服は『魂の具現化』だ。確かに走る為のパワーが満ち満ちてくる感じがあるし、外見的に走りの邪魔になりそうな部分もまるでシルクの肌着の様に体の動きに馴染んでくれる。

 カメの勝負服も私の勝負服もとても『らしい』形にまとまっていると思う。お互いに「これ以上の形は無い」とはっきり分かる。

 

 事務所で勝負服のお披露目となり、先輩たちやトレーナー陣も私達の勝負服を祝福してくれた。

 ただ源逸トレーナーには「2人とも昭和のアイドルみたいだな」と言われたのだが、世代の違う私達にはよく分からなかった。昔のアイドルってこんな感じだったのかしら…?

 

 ☆

 

 今日のトレーニングは軽く坂路を流しただけだけど、私とカメには別件で新曲のレッスンが待っていた。

 ジュニア級のGⅠで使われる楽曲「ENDLESS DREAM!!」は本当に贅沢な曲で、例えレースに勝っても歌う事が出来るのは一生のうち1度、ごくごく稀に2度だけだ。

 朝日杯や阪神杯を勝った後にホープフルステークスに出れば2度の歌唱は可能だが、普通はそんなローテーションは組まない。よって一生に1度と言う表現は大袈裟ではない。

 

 曲そのものは何年も変わっていないので聞き覚えはあり歌を覚えるのは困難ではない。ただやはり振り付けを4パターン (センター、右サイド、左サイド、バック)、それも短期間で覚えるのはなかなか骨が折れる。

 

 私の走るホープフルステークスは有記念より後の本当の年末開催なのでまだ余裕があるが、カメのレースは来週だ。にこやかな顔をしているが、カメの焦りは小さいものでは無いと思う。

 

 そしてレッスンを終えて寮に戻り食事や入浴、明日の授業の準備を整える。そして…

 

「ねぇ、ナッちゃん、今夜一緒に寝ても良い?」

 

 消灯時間になり、さて寝ようかとなった時にカメがいきなり変な事を言い出した。



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30R あぶない夜

 パジャマに着替えて『あとは寝るだけ』だった所にカメから投げられた「一緒に寝たい」と言う爆弾発言。

 

「…嫌だよ、ベッド狭いんだから1人で寝なよ」

 

 どういうつもりでカメがそんな事を言い出したのか真意が掴めないので、とりあえず牽制として一度距離を取っておく。

 

「え〜? だって今日は勝負服とか初めての『ENDLESS DREAM(エンドレス ドリーム)!!』とか刺激が有りすぎて、もう興奮しちゃって寝られそうに無いんだよ! ねぇお願い、このままじゃ寝不足で明日の勉強や練習に差し支えちゃうから一晩だけ抱き枕やってよ〜」

 

 などとこちらに手を合わせつつ勝手なことを言ってきた。勝負服とか新曲で浮かれているのは私も同様だから気持ちはとても良くわかる。

 それにカメは普段優しい分、一度今の様な『わがままモード』に入ると決して諦めずに我欲を通そうと詰めてくる。

 

 まぁ、以前私もカメに甘えて泣かせてもらったりしているから、この辺は『持ちつ持たれつ』と言う事なのかも知れない。

 

「…勝手にしなよ」

 

 カメに背を向けて壁際に寄る。寮のベッドに人が2人仰向けに並んで寝られるスペースは無い。横向きに並んでギリギリのラインだろう。

 

「やったぁ! ありがとう、ナッちゃん大好き!」

 

 いそいそとカメが私のベッドに潜り込んでくる。2人並んでⅡの字で横向きに寝そべっている形だ。

 壁の方を向いている私の背中にカメの大きな胸が当たってくる。

 パジャマ姿なので2人共下着(ブラ)は着けていない。従って私達の寝間着と言う薄布2枚を隔てて、カメの生乳(なまちち)と私の背中が密着している訳だ。

 

「ちょっとカメ、胸当たってるんだけど…?」

 

 女同士なので別にイヤラシイ気持ちにはならないけど、だからと言って平然としていられるほどの状況では無い。

 

「だって狭いんだもん。ナッちゃんがもっと詰めてよ。それに『当たっている』んじゃなくて『当ててる』んだからね。ナッちゃんもこっち向いてよ。背中向けられると寂しいな…」

 

 わざとかよ! しかも今以上に詰めるのはもう無理だ。それに私が方向転換したらお互いの胸同士が接触して、余計に息苦しくなるじゃないか。

 

 それに胸同士が当たるとか、その結果新しい道に目覚めでもしたらどう責任とってくれるのだろうか?

 

「狭いから無理! もう、大人しく寝なさいよ」

 

 カメの誘いには乗らない。私もクタクタなのだ。私にだって明日はある、その為の休息は保持されて然るべきだ。

 

「ぶー、イジワルぅ… わぁ、ナッちゃん髪伸びたねぇ…」

 

 私がカメに背中を向けている分、カメの視界には私の後頭部が見えているのは容易に想像できる。

 確かデビュー直前に思いっきりショートカットにして、それきり半年近く散髪していない気がする。

 

「ちょうど今くらい、うなじが隠れるくらいの長さがナッちゃんには一番似合ってると思うなぁ。栃栗毛の髪色もとってもキレイ…」

 

 私の後ろで髪の毛を(もてあそ)びながらカメが楽しそうに呟いてる。ホントこの子は何がしたいのだろう? まるで分からない。

 

 「私、ナッちゃんと一緒のチームで良かった… ナッちゃんありがとうね…」

 

 私の髪の毛を(いじ)っているうちにカメの言葉が段々と不鮮明になってきた。

 背中で段々細くなっていくカメの声を聞きながら、私にも徐々に睡魔が訪れてくる。

 

 私も目を閉じ微睡(まどろ)みに身を委ねようとした時に、おもむろに背後から回ってきたカメの手に左胸を掴まれた。

 びっくりして一気に眠気が吹っ飛ぶ。いくらカメでもこれはさすがに越えちゃイケない行為なんじゃ無いのかな…?

 

「ちょ、ちょっとカメ… だ、駄目だよ女の子同士でそんな…」

 

 背中を向けている分、カメの表情は分からない。もしカメが本気で私の事を…? そうしたら私は一体どうすれば…?

 

「うう〜ん、もう食べられないよ…」

 

 …うっわぁ、カメ(こいつ)マジ寝してるよ。寝惚けて紛らわしい真似しやがって、無駄にドキドキしちゃったじゃないか! とりあえず腹立つからカメの寝顔に一発デコピン入れておきましたよ。

 

 結局それ以降ドキドキが収まらず、私の方が安眠出来ずに悶々とした夜を過ごしたのだった。

 もう二度とカメをベッドに入れない。

 

 ☆

 

 翌日、寝不足のまま授業を終わらせてトレーニングに向かう。

 事務所の机に無造作に置かれている新聞の中に『優駿タイムズ』があったので、私の記事があるかな? と軽く眺める。

 

 私の記事はあるにはあった。しかし真ん中辺の探さなければ見つからない程の小さなスペースに「スズシロナズナ初勝利。麗しき師弟愛」とのキャプションで、アイリスと抱き合っている写真と短い記事が載っていた。

 

「まぁ未勝利戦の記事なら元々そんな物でしょうね。載せてもらっただけでもありがたい事だわ」

 

 いつの間にかアイリスが横で私の見ている新聞を盗み見ていた。確かにあの記者のおじさんも「最悪全ボツになる」と言っていたから、これでも頑張ってくれたのだと思う。

 

 そしてこの記事の効果なのか、私のファン数は今朝の段階で5000を超えた。単純に数字だけなら日本ダービーを始めとするクラッシック級のGⅠへの参加ノルマをクリアした事になる。

 

 今まではただの夢でしか無かった日本ダービーが、手が届く『現実』の物として形になってきた事に、心身共に震えが止まらなかった……。



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31R ウマ娘の恋愛事情

「あ〜、たこ焼き美味しいねぇナッちゃん…」

 

 カメの緊張感の無い、それでいて幸せそうな声が師走の道頓堀に小さく響いた。

 

 私達チーム〈ポラリス〉は、今その全員が大阪に来ている。その理由はもちろんメンバーの応援の為だ。

 

 この週末、阪神レース場に於いてメンバー2人のレースが行われる。

 まずは明日の土曜日にメル先輩のリゲルステークスが行われ、その翌日にはカメのGⅠデビューである阪神ジュベナイルフィリーズが行われる。

 

「全員で阪神行く予算はキツイんだが、GⅠだもんな。行かないわけにはいかないよな!」

 

 との源逸さんの英断で、全員で大阪食い倒れツアーと相成った次第だ。中京 (名古屋)ならともかく、府中と京都や阪神のレース場の日帰りだと体への負担も大きい。実績が薄くて経済的に振るわないチームだと関西のレースも日帰り、と言うパターンも少なくないそうだ。

 

 食いだおれた後は電車で宝塚に移動、そこの駅近くにホテルを取ってある。

 宝塚駅から阪神レース場最寄りの仁川(にがわ)駅はわずか数駅なので、時間に余裕を持って行動できるのはありがたい。

 尤も今回の私は完全に応援要員だから、完全にだらけたオフモードで参加させてもらっている。

 

 今週末の天気はずっと晴れ予報だが、私が来ているので安心は出来ない。だって私は『雨女』だからね。普段の生活でも外に出ると雨がぱらつき出すし、過去走ったレース3戦のうち2戦は雨だった。

 でも別に私が好き好んで雨を降らせている訳では無いのだから、仮に天候が崩れても天気の責任までは負いかねる。

 

 阪神レース場は東京レース場と同様、URAの管理する中央4大レース場の1つだ。

 特筆点は観客席の前全面にガラス窓が設置されており、雨にも濡れず、また冷暖房も完備しているという卓越した居住性だ。

 

 あとは悪名高い「仁川の坂」。ゴール前の直線には高低差1.8m のキツイ急坂があり、逃げや先行のウマ娘がこの坂で失速するシーンもしばしば見受けられるという『地獄の上り坂』だ。

 『逃げ』のメル先輩や『スタミナに不安のある』カメには大きな試練になるだろうが、ぜひとも頑張って欲しい所だ。

 

 ☆

 

「じゃあ行ってきます!」

 

 控室からメル先輩が颯爽と出陣する。トレーナーの目黒さんはメル先輩のレースの時、いつも仲良くパドック直前まで付き合うらしい。

 

 この2人の関係はぶっちゃけどうなんだろう? 目黒さんはあまり感情を表に出すタイプではなく、私的に近寄り難い雰囲気の人という印象だが、アイリスらトレーナー同士では普通に雑談して笑っているのはよく見かける。

 教官意識が強くて、ウマ娘にはわざとちょっと高圧気味に接している人なのかも知れない。

 

 一方のメル先輩はいつもニコニコしているが故に本心の掴みづらい人でもある。私の見立てではメル先輩の目黒さんを見る目はかなり熱いものがあると思っているのだが、それが恋心なのかどうかは経験の薄い私にはよく分からない。

 でもウマ娘と担当トレーナーが結ばれるのは珍しい話じゃ無いらしいし、仏頂面の夫に世話焼きの妻とかかなりお似合いなのでは無いだろうか?

 

 ただ基本的に在学中のウマ娘とトレーナー間は「恋愛禁止」だ。学校の教師と生徒の関係と思ってもらえば間違いない。一般的にトレーナー (教師)から見た生徒はまだ子供であり、恋愛対象に成りえない場合がほとんどだ。

 仮に両者でお付き合いする事になっても、それはトレセン学園卒業後の話だになる。まぁ何事にも例外はあるけれども……。

 

 年齢は確か目黒さんがアラサーのはずだから、メル先輩とは倍近く離れている。

 目黒さんはメル先輩をどう思っているのか興味はあるけど、聞きに行く度胸はないからニヤニヤしながら今後も傍観させてもらうつもりだ。

 

 ウマ娘も中身は普通の女の子なので、恋バナで盛り上がる事はよくあるが、実際に恋愛をする娘はとても少ない。

 というのもトレセン学園は全寮制の女子校であり、まず若い男性との出会いが無い。なので若くてイケメンぽい男性トレーナーや男性教師、そして凛としたクールなウマ娘が『疑似アイドル』として騒がれる事は多々ある。

 

 あと大きな問題は、ウマ娘自身が生理的にパートナーを求める時期じゃないって事もある。

 実はウマ娘には発情期があって、それ以外の時には本能としてあまり男性を求めない。

 それに若いウマ娘の脳内のほとんどは『走り>男性』であり、色々な意味で不祥事から守られている仕組みだ。

 

 ちなみに発情期は夏の暑い時期、人間も性の開放される危険な時期に訪れる。確かに私も二次性徴を迎えてから、この時期に情緒不安定になる事は増えた。

 そして学園としてはそんな危険な時期に危険な生徒を野放しにしない為に、トゥインクルシリーズに登録している生徒全員参加の『夏期強化合宿』をガッツリ2ヶ月行うのだ。

 単なる強化合宿では無く、監獄としての機能も果たしている事は、決して外部の人間には漏らすなと厳命されている。

 

 ちなみにトレセン学園生徒以外のウマ娘や、合宿中でもムラムラの治まらない娘は、医師から低用量ピルを処方してもらって性欲を制御する事になるのだが、このピルはウマ娘なら誰でも国から無料で貰える制度になっている。

 

 余談だが、カメの両親もウマ娘と元担当トレーナーで、(カメ)の前でも未だにイチャイチャする爆発推奨夫婦だそうだ。

 

 ☆

 

 さて、メル先輩の走るリゲルステークスは1600m、芝のオープンレースだ。特にこれといった強敵が出る訳でも無いらしく、メル先輩は現在一番人気になっている。

 実は前走も優勝して調子付いているメル先輩は、最近オープンレースでも安定して入着している事から、来年のシニア級からは積極的に重賞を狙っていこうという方針で行くらしい。

 

 今回のリゲルステークスでは来年に向けての調整の意味が強いのだが「勝って当然、って空気を出されると困るんだよねぇ…」とはメル先輩の談だ。その後で目黒さんに軽くゲンコツされてたけどね。

 

 そしてメル先輩のレースだが、序盤から気持ちよく逃げるメル先輩を追う後続集団、という前回と近い構図で始まった。

 最終コーナーまでは良い感じで進んでいたのだが、最初から『逃げ』てスタミナを消費してしまったメル先輩は仁川の(まもの)に捕らえられてしまう。

 

 はっきりと分かるくらい失速してしまったメル先輩は、最後で捲ってきた後続に飲み込まれ、4人ほどが一丸となってゴール板を駆け抜けた。

 

 結果は写真判定となり、その為の十数秒の待ち時間がとても長く感じられた。

 

 やがて電光掲示板に現れた数字群が全ての運命を開示する。

 今回のメル先輩はトップとはアタマ差となる3着に入賞となった。

 

 うーん惜しい! でもまぁ3着なら悪くない。メル先輩お疲れ様でした!



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32R 再会、そして新たな強敵

 メル先輩のレースの翌日、今度はカメの試合が待っていた。

 晴天であった昨日と比べ、朝からどんよりとした雲が空を覆っている。朝の天気予報によれば、15時前後でにわか雨があるかも知れないとの事だ。

 

 カメの出走する『阪神ジュベナイルフィリーズ』の開始予定時間は15時40分。運が悪ければレース中に雨に見舞われる事になる。

 

「まさかの雨かぁ… まぁナッちゃんが居るから半分覚悟してたけどね」

 

 でも阪神レース場に向かう電車の中でカメがポツリと呟いた言葉に、私を除くチームの全員がうんうんと頷いていたのには断固として抗議したい。

 

 ☆

 

「オカメハチモクさん、合同インタビュー始めますから準備をお願いします」

 

 レース場の職員さんがカメを呼びに控室にやってきた。そう、GⅠレース当日の昼過ぎには出走者のうち人気上位3〜5名を集めて、各自の意気込みを語る記者会見が行われる。

 

 ウマ娘とはアスリートとして走れば良いだけの存在ではなく、歌って踊れるエンターテイナーとしての側面も要求される。

 こういった機会にメディアを前にしてしっかりと受け答えが出来ないと、後の人気に影響を及ぼす可能性があるのだ。

 

「ナッちゃん…」

 

 カメが私を上目遣いで見て何かを言いたそうにしている。

 うん、これは分かる。絶対『心細いから会見場まで付き合って』だ。私じゃなくてトレーナーのきりさんを頼れば良いのに。と思ったが、きりさんはきりさんでアイリスに泣き付いていた。この師弟コンビは大丈夫なのか…?

 

 カメと控室を出た所で、凡《おおよ》そレース場に似つかわしくない物体と衝突しそうになった。

 それは形容するなら『鎧を着た巨体の戦士』であろうか? ファンタジー系の作品によく見られる様な、革鎧の上に体の要所に金属板を取り付けた重装備の 《ウマ娘》がそこに居たのだ。

 

 その顔は鎧の面包に囲われてハッキリとは分からないが、こんな特殊なウマ娘が何人も居るはずはない。

 

「ドキュウさん…」

 

 カメの呟きが聞こえたのか、鎧の戦士は足を止め面包を上に持ち上げる。

 現れたその顔には私も見覚えがある。骨張った骨格ながらも端正な顔立ちをしたウマ娘、そして何より女性ながらに筋骨隆々としたそのボディ。カメも私も対戦経験のある強敵(ライバル)、ドキュウセンカンだ。彼女も今日のGⅠレースに出場し、そしてこの鎧姿が彼女の勝負服なのだろう。

 

「オカメハチモクか、今日はよろしく頼む。うん…? そちらはスズシロナズナか…?」

 

 向こうもインタビューを受けるべく移動している途中だったのか、意外な出会いにやや緊張した声を上げる。

 

 なにげにドキュウセンカンの声を初めて聞いた気がする。硬い口調はイメージ通りだが、声のトーンは予想より高く、声だけ聞いたらアイドル声優としてやっていけそうなくらい可愛い物だった。

 

「…そうだけど、何か?」

 

 ドキュウに対して物申したい部分は少なからずある。未勝利戦に於いて、彼女と接触した事が原因で私は転倒し負傷した。

 しかしながらあのレースで転倒せずに無難に勝っていたなら私のファン数は伸び悩み、恐らく未だプレオープンクラスで燻っていただろう。

 

「以前のレースでは事故に合わせてしまって申し訳ないと常々思っていた。改めて謝罪させて欲しい…」

 

 と言って頭を下げてきた。リリィに対して肘打ちしてきたくらいだから、てっきり衝突の言い訳が来ると思っていたが、逆に予想外過ぎて私の方が固まってしまう。

 ひょっとしてリリィへの妨害行為もトレーナーに強要されたとかで彼女の本意では無かったのかも知れない。あくまで可能性として。

 

「…え? あ、別に大した事じゃ無いし、気にしてないから…」

 

 思わずこちらも心にも無い返答をしてしまう。嫌味の1つでも言ってやろうと思っていた自分が段々惨めになってくるじゃないか……。

 

「ふふっ、ドキュウさんはちゃんと謝れて偉いですね。ナッちゃんもちゃんと許せて偉い!」

 

 カメが笑顔でまとめてくれた。カメの事だ、私の態度に違和感を感じていたのは間違いないが、また私が余計な憎まれ口を叩いて喧嘩の元になるのを防いでくれたんだと思う。

 

 その後「ありがとナッちゃん、ここまでで良いよ」と、カメは私を見捨ててドキュウと2人で会見場へと消えていった。2人で私の悪口を言い合ってる、なんて事は無かったと信じたい……。

 

 ☆

 

 カメは2番人気、ドキュウは3番人気で、肝心の1番人気はと言うと、『クリスタルセイバー』という美人だが性格の悪そうな顔をした芦毛のウマ娘だった。腰まである長い髪を襟足の辺りで一本に縛って無造作に垂らしている。

 

 勝負服は氷 、或いは名前の通り『水晶(クリスタル)』をイメージした格子柄の白いドレスで、とても美しく幻想的な姿をしていた。

 白い勝負服はカメとも被る上に、一見『悪の女幹部』みたいな印象もあるので、記者会見でもカメとライバル関係、みたいな扱いを受けていた。

 

 クリスタルセイバーはデビュー戦こそ惜敗したもののそこから既に3連勝を上げており、今年のデイリー杯 (GⅡ)をも制した紛れもない実力者だ。

 脚質は『逃げ』で、距離適性は私と同じマイル〜中距離らしい。私の今後のライバル候補としても無視できない存在だ。

 

 ちなみにクリスタルセイバーの未勝利戦で2着になったのがあの(・・)イーグルダイブだった。競走相手が(ことごと)くGⅠクラスだなんて、あの人も運が無いよねぇ……。

 

 ☆

 

 記者会見も無事終わり、あっという間にレース開始時間が近付いてきた。

 パドックでカメが観客に顔見せしている最中にポツリポツリと小雨が降り出してきたのだが、その時カメが観客席の私をジトっと睨んできたのは、これまた納得がいかなかった。天気は私のせいじゃないやい!



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33R 阪神ジュベナイルフィリーズ

 カメにとって、いやチームの同期にとっての初めてのGⅠレース、阪神ジュベナイルフィリーズがいよいよ開催される。

 

 天気予報は晴れだったけれど、レース直前に小雨がパラついてきた。まぁ私が居る時点で十二分に予想できた事だよね……。

 

 強いて言うなら、()ねた泥でせっかくおニューの可愛い勝負服を汚してしまうのは可哀想だなぁ、って思うくらい。レース半ばまで後方に控えるカメの戦法なら尚の事だ。

 

 スタート地点にゲート車が固定されたが、その直後会場スタッフより「天候変化による蹄鉄交換の時間を設けるので、開始時間を繰り下げます」との通達があったようで何人かのウマ娘が控室へと戻っていき、ほどなく観客席にも同様のアナウンスが行われた。

 

 『蹄鉄』。競走ウマ娘のレースシューズの爪先に必ず装着されるU字型の金具の事で、なぜ通常の陸上用のスパイクでは無く、他では見ない特殊な金具を装着して走るのかは諸説あり、その起源は不明なままだ。

 そしてウマ娘はレースや練習の際には「蹄鉄を装着した靴」を履く事が義務化されている。

 

 そこに『滑り止め』以上の意味が有るのか無いのかは私は知らない。単にルールなので従っているだけだ。

 

 蹄()という名前だが、実は鉄よりも耐久性は劣るが軽量なアルミニウム合金がほとんどの割合を占めている。

 その他、マグネシウムやチタンあるいは銅が使われる事もあるそうだが、効能の違いは私にはよく分からない。

 

 またその種類も多岐にわたり、馬場、脚質、天候等に合わせて逐一カスタマイズする事も可能だ。

 ものぐさな私などは汎用性の高い (でも特化性能の無い)蹄鉄で打ち替えの手間を省いたりするが、それこそカメなんかは状況に応じてちょこちょこ変えるのが好きみたいだ。

 

 一般的に蹄鉄の装着はウマ娘個人の責任に於いて行われ、よほど親しくない限り他人の手には靴と蹄鉄は触らせないのが通例となっている。恐らく各自の控室で今頃はトンテンカンとやっているのだろう。

 

 ☆

 

 1人、また1人と蹄鉄の打ち替えを終えたウマ娘が続々とコースに現れる。結局開始時間は12分遅れ、この後に開催されるプレオープンレース『夙川(しゅくがわ)特別』も時間を繰り下げで行われる事となった。

 

 やがて出走者全員が揃い、1人ずつスターティングゲートに収まっていく。

 

 さぁ、レースの始まりだ!

 

 独特の作動音と共にゲートが開き、15人のウマ娘が一斉に飛び出した。

 

 先頭争いは予想通りドキュウセンカンとクリスタルセイバーの一騎討ち。ドキュウに先行されると例の『進路塞ぎ』作戦を食らうので、クリスタルセイバーも必死で先頭に出ようとする。

 

 その結果、ドキュウとクリスタルセイバーどちらも譲らず2人だけで競走を始めてしまった感じで、カメを含む後続を大きく離していった。

 しかしいくら『逃げ』でもこれはペースが早すぎる。ツキバミならまだしも、他のウマ娘ならば早晩スタミナを切らす事は必至だ。

 

 逆に考えればこの状況は他のウマ娘にとって好機となり得る。1番人気と3番人気が潰し合ってくれれば一番得をするのは2番人気であるカメだ。

 

 ただカメは終盤追い上げる『追い込み』なので、今の様に早いレース展開だと、先頭との差を詰めきれずにレースが終わってしまう可能性も出てくる。

 

 私の気持ちがカメに伝わったのか、いつもよりかなり早い段階でカメが加速し始めた。小雨模様に加えて時間が押した分、日が落ちて来ており、各員の視界は傍目ほど広くないはずだ。カメの位置からドキュウらを捉えられているかも怪しい。

 

 カメ自身も仕掛け所を掴めないまま加速した可能性も高い。最後にスパートを掛ける体力だけは残しておくんだよ、カメ……。

 

 カメが加速し始めた辺りで先頭の2人も速度を落としてきた。遠目に見ても意地だけで走っている顔がよく分かる。そしてカメだけでなく他の娘達も速度を上げ、集団全体としての長さがどんどん短くなる。

 

 ただ大きく順位を替える事はなく、レースは第4コーナーを越え悪魔の待つ坂へと雪崩れ込んだ。

 現在の先頭はクリスタルセイバー、ドキュウはスタミナ切れからか既に中段まで後退している。

 しかしクリスタルセイバーも仁川の坂に捕らえられてスピードを落とし、後続集団が徐々に追い詰める。

 

 このタイミングで上がってきたのが我らがオカメハチモクだ! もはやドキュウの妨害は無いだろう、今までの溜めていた末脚で最後方からのゴボウ抜きを見せて欲しい。

 

 カメの速度が上がってきた所でカメの前方を走っていた娘が少しよろめいた。脚をもつれさせた様な感じで外枠へと外れていき、坂の途中で大きく速度を落とす。

 

 その瞬間、カメが何も無い所で(つまず)いた様な仕草を見せた。

 一瞬態勢を崩したカメ。転倒こそしなかったものの、無理な姿勢制御に速度を殺され、再度の加速は叶わずに群に埋もれたまま10着になってしまった。

 

 ちなみにクリスタルセイバーはなんとかクビ差で逃げ切り1着に。スタミナを切らせたドキュウは7着と、大きく荒れたレース結果となった。

 

 カメに一体何が起きたのか? その原因を発見したのは視力の高いコロだった。

 

「カメの前を走っててヨレた奴がいたじゃん? あいつが落鉄したんだよ。それで落ちた蹄鉄をカメが気付かず踏んづけて…」

 

 落鉄… 装着した蹄鉄が外れる事で、レースでも練習でもごくたまに見かける。先程「蹄鉄の装着はウマ娘個人の責任」と書いたが、落鉄そのものは事故として扱われ、特にペナルティに問われる事は無い。

 

 しかしながら「個人の責任」であるが故に、一度落鉄させると今後『あいつはろくに蹄鉄も打てない情けないウマ娘』として見られる事もある厳しい世界でもあるのだ。

 

 私自身、カメに代わって落鉄した娘に文句を言いたい気持ちは多くある。

 でもその娘だって事故を起こした事、他人を巻き込んだ事、そして転倒して選手生命を失う可能性があったこと… 今はとても不安で怖い気持ちで一杯だろうな、と思ったら胸のムカムカも次第に晴れていった。

 

 何にせよとにかく大きな事故にならなくて良かった… 後で悔し泣きしているであろうカメをたくさんハグして上げようと思ったよ……。



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幕間2 ありまきねん

「遂に来ちゃったねぇ、有記念…」

 

 ここは中山レース場のパドック、あと20分もしないうちにレースが始まるだろう。

 自分で呟いてその言葉の意味に改めて恐怖する。URA年末最後のお祭りであり、1年を締め括るこの大レースにアーモリーフォース(あたし)が走れるなんて、数ヶ月前には夢にも思っていなかった。

 

 そりゃまぁ前前走のオールカマーは天皇賞 (秋)のステップレースで、優勝者には天皇賞 (秋)への出走優先権が与えられる。

 『勝てればラッキー』な軽い思いで臨み、オールカマーに勝ち、天皇賞 (秋)で善戦できた。そして今あたしは有記念のターフに立っている。

 

 ちなみにGⅠレースとしては、まだホープフルステークスや東京大賞典が後日に控えてはいるのだが、両レースとも歴史が浅く規模も小さい為に、世間一般的には『年末最後の』と言われると有記念になるようだ。

 

 現在のあたしの人気は8番手らしい。まぁこのくらいの方が気負わずにリラックスして走れるので、実力通りの結果は出せそうだ。

 上位人気者は天皇賞 (秋)でも走ったケイヨウブロンコやトウザイブレイカー、そして何よりダントツの1番人気が本年度のクラッシック3冠ウマ娘のツキバミだ。

 

 観客のほとんどは彼女を見に来ている。今日も12万ものファンが中山に押し寄せ、スタンド席だけでは収容しきれずに場内の大障害コースを開放してお客さんを収容している程だ。

 その12万のうち、あたしのファンはどれだけいるのか…? 一応あたし個人としては3万前後のファン数がいるはずなんだけど、パドックで客席に手を振った時にはチーム以外からの応援はほとんど無かったんだよね……。

 

 しかしまさか『初めの3年間』のラストレースで『怪物』と名高いツキバミ嬢と走れるなんて、光栄すぎて涙が出てくるよ……。

 でも調子は悪くないし、天皇賞 (秋)の時の様に焦ってもいない。今日は良くも悪くもあたしらしいレースが出来るはずだ。

 

 ☆

 

『初めの3年間』

 

 競走ウマ娘はデビューしてからの3年間が人生で最も重要な期間と言われている。

 この3年の間に残した成績が、後の競走ウマ娘としての人生に大きく関わってくるからだ。

 

 もちろんこの3年で全てが決まってしまう訳ではないし、ある程度の成績を残している娘はほとんどが4年目のレースに臨む (レーススケジュールは3年目のシニア級と同様)し、5年目やごくまれに6年目を走るウマ娘もいる。

 

 この期間に目覚ましい成績 (GⅠレース1勝以上を含む複数の重賞制覇)を上げれば、あたし達の走るトゥインクルシリーズの上位シリーズであるドリームトロフィーリーグへと進めるのだが、これは本当に一握りの選ばれしウマ娘にしか掴めない栄光でもある。

 あたしの目標も一応ドリームトロフィーではあるんだけど、上がるには今日の有記念を優勝してワンチャンあるかな? ってレベルだと思う。うん、ムリゲーだね。

 

 ただチャンスがあるとしたら、他の出走者がみなツキバミをマークしている、という事だろう。

 誰かがツキバミの豪脚を抑えてくれれば、このアモさんが漁夫の利を狙えたりなんかしないかな〜? とか甘いことを考えたりしている訳なんですけどね。

 

 昔から『有記念は荒れる』のが定説だ。何が起こるか分からない混沌(カオス)に身を任せてタナボタであたしが勝つ、なんて展開も悪くないだろう……。

 

 ☆

 

 スターティングゲートに入り空を見上げる。雲ひとつ無い快晴だ。日差しもあって年の瀬の割には温かい気候になっている。

 観客席にはナズナも来ているはずだけど、今の所雨の兆候は無い。

 

 ウマ娘は雪の降る真冬でも半袖短パンで走るくらい寒さには強い娘が多いんだけど、これも個人差があって、あたしは割と寒がりだ。

 だから冬場のレースで雨とか雪とか降られると、それだけでやる気がグンと下がってしまう事があるので、今日の様な冬晴れはとても助かるんだよね。

 

なんて事を考えているうちに本日の出走者16人全員のゲートインが完了したようだ。

 

 ゲートが開きレースが始まる。

 

 キタミタカッタとツキバミの2人が早速先頭争いを始めている。あたしは今回『先行』で5番手位のいい位置に付けた。

 

 ツキバミ達のペースは予想していたよりも遅く、この分なら最後の直線で勝負をかける余力を残して置けるかも知れない。

 

「うぅん? ツキバミちゃんペース遅いね…」

 

 両隣を走っている娘にわざと聞こえる様に大きめな声で呟く。

 レースの最中には走りながら色々な事を考える必要がある。位置取りや速度ペースなど、秒単位で情報が更新される度に逐一判断をしながら行うレースは、傍から見ているよりも遥かにハードな疲労を頭と体にもたらす。

 

 意味のある事を呟く必要はない。他の娘達の脳みそに少しでも余計な情報《ノイズ》をねじ込んで、掛かる負荷を増加させられればそれでいい。

 姑息な手段なのは理解している。それでもこの姑息さがあたしの武器だし、それらを封じて勝てるメンツじゃないのは天皇賞 (秋)で証明済だ。

 

 大きな順位変動の無いまま、第3コーナーを回った辺りで周りの娘達が動き出す。

 ツキバミを抑えて先頭を進んでいたキタミタカッタだが、やはり無理が祟った様で徐々に速度が落ちてきた。

 キタミタカッタの失速タイミングを読んでいたあたしは上手く体を滑らせて2番手に進めることに成功した。

 

 正直この時点でツキバミと競り合うのは想定も覚悟もしていなかった。

 『誰か別の人に削ってもらって』なんて考えていたけど、今の位置関係になっちゃったら、もうあたしが対処するしかないじゃん。

 

 と言うわけで、さぁて一騎討ちと行こうかツキバミちゃん。アンタがスタミナオバケなのは知ってるけど、キタミタカッタが良い感じに減らしてくれていた様に見えたんだよね。

 

 あたしとツキバミが並ぶ。あたしが速度を上げるとツキバミも上げる。

 もうじき最後の直線だ。まだスタミナは温存出来ている。ラストスパートで勝負出来る。

 後ろから上がってくる飲まれそうなほどに凄まじいオーラはトウザイブレイカーだろうか? まぁ誰が来ようが関係ない、このまま坂を走り抜けるだけだ。

 

 懸命に走る。でもツキバミを抜けない。走っても走っても差が縮まらない。彼女は多分、余裕のくせに遊びであたしと競り合っている。息が苦しい、脚が動かない、手の振りすらも重くて億劫だ。

 

『も、もう無理ぃ…』

 

 体よりも先に心が折れそうになる。ついに息が吸えなくなって一瞬目の前が真っ暗になる。

 

『駄目なの? やっぱりあたしなんかじゃ大舞台には立てないの…?』

 

 …イヤだ、負けたくない。ここまで頑張って負けるのはイヤだっ!! 頭の中で200回くらい『負けたくない』を繰り返す。

 

 その時、体の全ての動きが止まった、動かせなくなった。『もう終わりなの?』と悲しくなった……。

 

 でも違った。止まったのはあたしだけでは無くて、周りの全てが止まっていた。顔にかかる風さえも感じない。ほんの少しだけど手足は動かせるようになった。あたしの少し前でツキバミは止まっていた。

 

 どういう事かは分からない。でもツキバミを抜くのは今しか無かった。

 ツキバミを追い抜く。体半分ほど先行した所で再び時間が動き出した。

 

 喧騒が再度あたしを包む。顔にかかる12月の風、周りの娘達の息遣い、16人のウマ娘の走る足音、観客席の12万人の声援や絶叫、そしてツキバミの「なにっ?!」という驚きの声……。

 

 あと100メートル、あとたった100メートル走り切ればあたしは日本一のウマ娘になれる。ドリームトロフィーで走れる…!

 

 そのはずだったのに、神様は残酷だった……。

 

 ゴール手前で体に全然力が入らなくなった。目と鼻に水気を感じる。あたしは泣いてないし鼻水も垂らしていない。手の甲で顔を拭う、これは『血』?! 目と鼻から同時に出血している、ナニコレ…?

 

 思うように体が動かせず惰性で走る真似事をしながら体を前に進ませる。

 ツキバミを始め、1人また1人とあたしを追い抜いてゴールしていく。

 

 あたしがゴールしたのは多分12着とか13着。ゴールと同時に最後の意識も吹っ飛んでその場にうつ伏せに倒れ込んでしまった……。



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34R 領域(ゾーン)

 有記念のラストでアモ先輩が急に失速して、ゴールと同時に倒れて救急搬送されて行った。

 

 見ていた限りでは他者との接触や妨害の形跡は無かったし、ゴール前まではあのツキバミを追い抜くほどの猛スパートを見せていたのに……。

 アモ先輩に一体何があったと言うのだろう…?

 

 レース場ではウイニングライブの会場設営が始まり、レースとはまた別の興奮に満ちていた。アモ先輩を心配する声もあったけど、ツキバミの優勝に沸く人達の方が遥かに多い。

 

 救急車に同乗して行った源逸トレーナーからの連絡では、アモ先輩は特に外傷も無く、今は無事に意識を取り戻して会話も可能な状態らしい。

 「現在精密検査中で病院に来ても何も出来ないから、そちらはライブを楽しんでこい」との事だが、この状況で楽しめる訳ないだろ、何言ってんだこのオッサンは?!

 

 と思いながら渋々ステージを見ていたが、やはり『NEXT FRONTIER』の歌パワーは凄い。10万以上の観客の熱狂が更に舞台を盛り上げる。この光景は何度見ても胸が熱くなる。

 本当ならあの舞台に、いやセンターにアモ先輩が居たのかも知れないと思うと、他人事ながらとても心苦しく感じた。

 

 ☆

 

「いやー、心配かけてゴメンね。この通りアモ姉さんは元気だよ!」

 

 翌日、朝イチで全員で病院にお見舞いに行くと、アモ先輩が以前と変わらぬ明るい笑顔で迎えてくれた。

 とはいえまだ安静が必要な状態らしく、トイレ以外はベッドから出ないように言われているらしい。

 

 元気そうなのはとても安心するけれど、ならば余計に『あの時に何があったのか?』が気になって仕方がない。

 どうしよう? 聞いて良いものなのかな? などとウジウジ考えていたら

 

「なぁアモ(ねぇ)、一体何があったのさ? 急に倒れてすっごい心配したんだよ?」

 

 私の代わりにアモ先輩の妹弟子であるコロが先陣を切って質問してくれた。とても助かる。

 

「う〜ん… みんなはさ、《領域(ゾーン)》って聞いたことある?」

 

 アモ先輩がコロの質問に対して質問で返してきた。

 

 私たちウマ娘勢は全員頭上に『?』マークを出している。聞いたこと無いけど何の事だろう?

 

 トレーナー達の何人かには心当たりがあるみたいで、源逸さんと目黒さんは何故か物凄く渋い顔をしている。アイリスは「聞いたことあるかも?」って少し不安な顔で、きりさんは私達同様頭上『?』組だった。

 

「それって確か『時代を作るウマ娘の資格』とか何とか言われる、学園の噂や都市伝説の類の話よね? それがどうかしたの?」

 

 代表してアイリスが言葉を繋ぎ、アモ先輩がそれに答える。

 

「そう、『限界の先の先にある領域。時間や空間を超越したウマ娘が到達できる頂点の景色』と呼ばれる所。あたしが見たのは『それ』かも知れないんだよね」

 

 アモ先輩の目は喜びに満ちていた。それは穿った見方をすれば「宗教にハマった」人たちと同様の輝きを放っていたとも言えるだろう。

 

「バカ言ってんじゃねぇよ。レースでの過度のストレスで血圧が上がって、逆上(のぼ)せて倒れたってのが医者の見解だ。下手すりゃ脳出血で半身不随だったんだぞ? そんな訳の分からない噂で片付けるな」

 

 源逸さんの言葉は厳しい。でもそれは担当ウマ娘の身を案じての言葉でもある。

 確かに医学的に見ればアモ先輩は『逆上(のぼ)せて倒れた』のが正解なのかも知れない……。

 

 でもあの瞬間、アモ先輩は確かにツキバミを追い抜いた。

 アモ先輩はうちのチームのエースだから脚は当然速い。だが正直あの段階でツキバミと競り合える地力は残っていなかったはずだ。

 それでもアモ先輩は抜いて見せた。そこに何らかのメカニズムがあるのなら、私としてもヒントの1つくらい持って帰りたいものなのだが……。

 

「うーん、これは多分普通の人間には分かってもらえない感覚だと思うんだよね… ね、アイリス先輩はありませんでしたか? こう、時間が止まったような、世界中に1人だけになるような… あーもう! あたしバカだから上手く言葉で説明出来ないんだよ…」

 

 話を振られたアイリスも心当たりは無いらしく、困り顔で「ごめんなさい」としか言えなかった。

 

「…でもさ、逆にもの凄く怖くも感じたんだよね。これから毎回鼻血吹いてぶっ倒れる位の事をしないと勝てない場所に居るんだって実感してさ… あたしいつか死んじゃいそうじゃん?」

 

 アモ先輩の口調は明るいが、その声は微かに震えている。心の不安を必死に覆い隠そうとしているが、まるで隠しきれていない。

 

「正直、レベルの違いを痛感した。体じゃなくて心のね。あたしには修羅の道に踏み込むメンタルは無かったよ… そりゃツキバミとかトウザイみたいな強い奴らに『勝ちたい』と思うけど、反面『もう無理ぃ』とも思うんだ… だから源逸(おっちゃん)! あたし来年の予定決めたよ」

 

「お? おぅ、どうした急に?」

 

 今度は源逸さんが面食らう。今日のアモ先輩はいつもより落ち着きが無くて、追いかけるだけで精一杯だ。

 

「あたしは来年も走る。でも重賞は出ない。来年はデータ集めの為のレースに徹して、本気でトレーナーを目指して勉強するよ! そしてナズナ!」

 

「は、はいっ?!」

 

 トドメは私に矛先が向いた。この場面で私に何の話があるのだろう? ドキドキ……。

 

「次のGⅠはアンタだからね? 《領域(ゾーン)》を探るミッションはナズナに託すよ。多分だけどアンタならあたしよりも上手く『あの世界』を使いこなせると思うから…」

 

 アモ先輩はイタズラっぽい、それでいて固い決意を秘めた瞳で私の目を見詰めていた。



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35R 大勝負の前に

 アモ先輩の有記念から3日後、同じ中山レース場で本当の『年末の大一番』であるホープフルステークスが開催される。

 

 いよいよここが私のGⅠデビューとなる。メイクデビューからこの半年、嬉しい事も辛い事もたくさんあった。だからこそ大一番のレースに勝って『嬉しい事』で今年を締め括りたいものだ。

 

 『願掛け』の意味を込めて、私は尻尾の先の色を抜いて銀色っぽく染めてみた。

 ちなみにトレセン学園では髪型や染色についての規定はかなり緩やかで、「他者の走行の邪魔にならない」ものならばほぼほぼフリーな状態になっている。

 

 これは学園内に海外の血を引く娘も多い事や、日本生まれでも流星 (前頭部分に集中的に生える白髪)を持つ娘や生まれつき芦毛や白毛の娘も居て、元々からして規制の意味が無いほどにカオスな状況だったかららしい。

 尤も髪型や髪色も勝負服の延長の様な物で、ウマ娘本人が1番力を出せるものであるならば、外野はとやかく言わないのが暗黙の了解になっている面も大きい。

 

 もちろんウマ娘とて普通の女子なので、「○○ちゃんショートの方が似合いそう」とか「憧れの□□先輩の髪型、真似しちゃおうかな?」とか「次は絶対背中まで伸ばすんだ」とか、他愛の無い会話や拘りから決定される髪型や髪色はとても多い、とは断っておく。

 

 ☆

 

「出走者は15名、1番人気は阪神杯を走ったばかりの『GⅠホルダー』クリスタルセイバー、僅差で2番人気はまだ無敗のまま東スポジュニア杯 (GⅡ)とサウジアラビアロイヤルカップ (GⅢ)を勝っているスメラギレインボー、まだ重賞勝利実績のないブラックリリィは3番人気。我らがスズシロナズナ選手は… 現在11番人気だな」

 

 源逸トレーナーがパソコン画面とにらめっこしながら、わざと私に聞こえる様に独り言を呟いている。

 私の人気順位は『3戦1勝』という実績を考えればまぁ妥当なものだと思う。この数字は残念だとは思うが心外には思っていない。リリィの順位もこれまた然りだ。

 

 それよりも先々週にカメと戦ったクリスタルセイバーが、まさかホープフルステークスに出てくるとは予想外だった。

 阪神ジュベナイルフィリーズに勝った時点で「ジュニア王者」の称号は得ている訳で、脚の負担を考えても殊更ホープフルステークスにまで出張ってくる必要性は薄いのだが、まぁその辺はセイバー陣営の考えなので私には何とも言えない。

 

 もう1人のスメラギレインボーというのは、実はデビュー前は「今期実力ナンバーワン」と謳われた秀才ウマ娘。

 何でも良い家柄のお嬢様らしくて、ガチガチに真面目な娘でもある。座右の銘は『ノブリス・オブリージュ』で、「高貴な者こそ最前線で模範を示せ」と学業もトレーニングも他人の倍はやらないと気が済まない性格だ。

 

 ちなみになぜ私がそんなにスメラギレインボーに詳しいかと言うと、私と彼女は入学以来同じクラスで、しかも彼女はクラスの学級委員長でもあるからだったりする。

 マジメ女との関わりはアイリスだけでお腹いっぱいなので、私は意図してスメラギとの必要以上の接触を避けてきた。嫌いではないけど、面倒くさそうという理由でだ。

 

 私はスメラギがどんな走り方をするのか、詳しいとまではいかないが大体理解している。そしてそれは恐らく向こうも同様だ。

 しかし人気に現れる様に私と彼女では注目度が違う。リリィやセイバーが走る中、私がスメラギに対応出来るほど彼女は私に意識を向ける余裕は無い筈だ。レース中に私がスメラギと対峙する時があるならば、それは私に有利に働く事だろう……。

 

 ☆

 

 レース当日、満員御礼の中山レース場は霧雨の降る肌寒い陽気になっていた。しかも予報では午後から雨足が強まり、千葉県では本降りの可能性もあるらしい。

 また雨か… なんだか本当に『雨女』として定着しつつある。(はなは)だ不本意だが天候ばかりは人の力の及ぶ所ではない。今はレースに集中して雑念を払わねばならないシーンだ。

 

「肩に力が入ってるわよ。顔も強張ってる。ウマ娘はスマイルも大切よ?」

 

「…うるさいなぁ、分かってるよ」

 

 人が瞑想していたらアイリスがツッコんできた。

 

「最後までGⅠを勝てなかった私には今の貴女はとても眩しいわ。今日集まってくれたお客さんも、福岡のご両親やお兄様もとても期待して貴女を待っていると思う」

 

「そういうのメチャクチャプレッシャーなんだけど? わざわざそんな事を言いに来たの?」

 

「違うわよ。私達が望んでいるのは、ナズナが怪我せず全身全霊で悔いの無いように走ってくれる事、それだけで良いの。結果は求めてないわ」

 

「アイリス…」

 

 アイリスの発言は多分、周りが格上ばかりだから記念出走と言わんばかりに「結果は求めてない」発言なのだろう。

 言葉は分かるし意味も通じている。でもこれはかなりバカにされているとも受け取れる。アイリスは私がこのレースに勝てないと判断しているんだ。

 

 確かにホープフルステークスへの出走をアイリスに嘆願したのは私だし、私が何も言わなかったらアイリスは私をGⅠに出そうとはしなかっただろう。

 

 私だって厳しいレースなのは充分に理解している。その上で自分の希望で今ここに、中山レース場に立っているのだ。全身全霊? 当たり前だ。結果は求めてない? ふざけるな!

 『勝ちたい』の渇望があるからウマ娘は走るんだぞ?! アイリスはそんな事も分からないほどにボケちゃったのか…?

 

 アイリスに文句を言おうとしたが、気がつけばもうパドックで観客に挨拶する時間になっていた。

 …私が今戦う相手はアイリスではない。私はそのまま無言で控室を出て、多くの強敵が待つパドックへと歩を進めて行った。



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36R いざ、ホープフルステークス!

「ねぇ見て、あの娘でしょ? ズッコケてお涙頂戴してお情けでGⅠに出られたって恥知らず」

 

「あぁ、あの娘がねぇ。堂々とGⅠのターフに来れるんだから、なかなか神経太いんじゃないの…?」

 

「まぁ1勝2敗の雑魚が居るなら、それだけで私達の順位も1つ上がるわけだから別に良いんじゃね? むしろリリィとかの前を塞いで邪魔してくれると助かるし」

 

 パドックで一通りの顔見せの後、本場入場早々耳に入ってきた会話だ。

 見なくても分かる。彼女らの視線の先には私が居るはずだ。

 本人に聞こえるようにわざわざ嫌味を言いに来るとか、とても優しくてます性格の人達の様だ。

 

 一般的に競走ウマ娘の思考は『走る』事に大きくウェイトが割かれており、他人に悪意を向ける暇はほとんど無い。

 だが一方、走る事に関してはただならぬプライドもあり、レースでの不正等には普通の人間以上に大声を上げてしまう事もよくある話だったりする。

 

 恐らく私の現在のファン数は、今私を腐してきた娘達よりも多いと思う。そしてそれは残念ながらレースの勝利によって掴み取った数字ではない。

 「3戦1勝」という実績から言えば、本来の私は今ここに立つ資格を持っては居なかったはずだ。彼女らにとってはそれが『不正』だと思えるのだろうし、そう思う理由には充分だろう。

 

 散々に言われて確かに腹は立つ。今すぐ何か言い返してやりたい。しかし私が彼女らの立場なら、あんな明け透けな嫌味こそ言わないだろうが、内心面白く思わないのは確かだ。言う側の気持ちも理解できるだけに辛い部分もある。

 

 これは言葉ではなく走りで結果を出すしかない。そう思って敢えて背を向けて無視していたのだけど……。

 

「あのぅ、ちょっと良いですか…?」

 

 私に嫌味を言っていた娘達に別の誰かが話しかけた様だった。優しそうではあるが間延びした、どこか緊張感の無さそうな声。

 

「私、あの人と走った事ありますけど、結構速かったですよぉ? それにレースの前なのに陰口とか悲しくなるので止めませんか…?」

 

 …誰だか知らないけど私を庇ってくれたのかな? そう思って振り向くと、そこに居たのは黒い薄絹を何重にも体に巻いてドレスの様に見せている青鹿毛のウマ娘、ブラックリリィだった。

 裸の上に長い黒布を巻いて、頭には黒くて大きな鍔広帽子、腰に金鎖の様なベルトで留めている。ミラコレモデルやセレブの映画スターみたいな印象だ。なるほど、これが彼女の勝負服なんだね。

 

「え? ブラックリリィ…? な、何よ、アンタこそ3番人気だかなんだか知らないけどいい気にならないでよね!」

 

 最初に私の悪口を言い出したウマ娘が、リリィの言葉に捨て台詞を吐いて退散し、他の2人もそれに追従する。

 

 そこに残されたのは私とリリィの2人。これはこれでちょっと気まずいんだけど…? まぁどういうつもりか分からないけど、助けて貰ったからにはお礼くらいは言わないとだよね……。

 

「あ、あの… 庇ってくれてアリガト… でも何で私を…?」

 

 正直何故リリィが私を庇ったのかまるで分からない。今も私を見てフンスと『やりきった』満足顔をしている。

 

「だって貴女が速いのは知ってたから。同じ日にデビューした仲間だもんね。スズシロナズナさんだよね? ちゃんと覚えてるよ? 他の娘はあんまり覚えてないけど…」

 

 そう言いながらトホホと頭を掻くリリィ。

 正直これは意外だった。私なんてリリィからすれば『デビュー戦の引き立て役』でしか無かったはずなのに… それと同時にリリィに対して理由らしい理由もなく、一方的に悪意を向けていた自分が少し恥ずかしくなった。

 

「…と、とにかく有難う。良いレースにしようね」

 

 なんだか居たたまれなくなって足早にリリィから離れた。リリィはまだ少し話をしたそうだったけど、これ以上に毒気と言うか闘志を抜かれると走りに影響しそうだったからね。

 

「なんか揉めてたみたいだけど大丈夫…?」

 

 リリィから距離を取ったは良いが、計らずもその先には学級委員長のスメラギが待っていた。

 スメラギは鉢巻を巻いた栗毛のロングヘアに一直線に走る流星がとても凛々しい美人ウマ娘だ。

 

 勝負服は赤とピンクの交差する柄の和服に(たすき)をかけて、胸甲を装着している。これは何だろう? 『女武者』的なイメージで良いのかな? 薙刀(なぎなた)とか持ったら凄く似合いそうなイメージで普通にカッコ良いと思う。

 

「あ、うん、大丈夫。気にしないで。アンタとは本気で勝負した事は無かったよね。今日はよろしく」

 

「そう? なら良いけど…」

 

 世話焼きなスメラギは突発イベントに介入出来なくて物足りなさそうだったが、レース前にこれ以上精神的に消耗したくなかった私は、スメラギを尻目に早めにスターティングゲートへと逃げ込んだのだった。

 

 ☆

 

 ファンファーレに後押しされる様にスターティングゲートに入った頃、やはり雨足が強くなってきた。大降りではないが、大半の人が傘を差して歩く程の雨量だ。芝の状態はギリギリ稍重といった所だろう。

 

 このレース、私が格下なのは否めない。先程のアイリスの言葉が本心なのか、或いは私を焚き付ける為にわざと煽った言葉なのかは分からないが、今までのやり方で勝てるレースではない事は確かだ。

 

 正攻法での様々なやり方はアイリスから教わった。それでも足りない部分はアモ先輩直伝の邪道技で補うしかない。

 中でも極めつけは《領域(ゾーン)》の発動方法だ。

 

「とにかく体中の全ての力を出し切って、指の1本すらも動かせなくなってからが始まりなんだよね。こう世界がシーンとなって、そこをズバーン! と突っ切るみたいな!」

 

 …うん、全然参考になりませんでした。

 

 てな事をつらつらと考えていたら開始時間になったようだ。

 

 雨が徐々に強まる中、ゲートが開き15人のウマ娘が一斉に飛び出した。



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37R 希望の星

 出遅れた… 時間にしてほんの0コンマ数秒ではあるが、距離にすると4〜5mの差がついてしまっている。

 初めの作戦では、逃げるクリスタルセイバーをマークして3番手辺りに位置取る予定だったのだが、あっという間に隙間に詰められて私の初期位置は9番手となってしまった。

 

 『差し』戦術のリリィがすぐ後ろにいる状態は、『先行』戦術の私としてはただならぬ危機感を覚える。

 私が着きたかったポジションには、やはり私と同じ先行型のスメラギがキレイに収まっていた。ああいうところ、あの娘は本当に上手い。

 

 ただ、焦って順位を取り戻そうと無理に加速するのも悪手だ。ここはもう中段後方からじっくり状況を探りつつ起死回生を狙うしかない……。

 

 しかし後方にいるからこそ見えてくる事もある。現在はクリスタルセイバーがトップ、2身離れてリンカイパワフルとフックトッシンが2番手争いをしている。更に1身離れてスメラギ、並んでローゼスストリーム。ここまでが先頭集団。

 

 後ろからだからこそ、各員の好位置への鍔迫り合いがよく見える。ちなみにフックトッシンてのがスタート前に私に陰口叩いていたメンバーのリーダー (?)ね。少なくともあいつには負けたくないね。

 

 逃げるセイバーが全体を牽引する形になっているが、ペースが全体的に早い気がする。

 ハイペースのせいか縦長の展開になってきた。リンカイパワフルとフックトッシンはお互いで競り合いすぎたのか2人して速度を落とし、結果セイバーが1人突出する。

 更に第3コーナー手前でスタミナ配分を誤ったのかローゼスストリームがジリジリと下がってくる。

 

 それを蹶起に見たのか後続集団が徐々に速度を上げていく。私も加速してスメラギに並ぶ。リリィはまだ仕掛けて来ない。

 

「セイバー、ペース速いよ。こりゃ『大逃げ』されちゃうかも…」

 

 中山レース場の直線コースは310mとURA管轄の4大レース場の中では最も短い。しかも高低差2.2mという急勾配を駆け上がる必要がある。

 中山の坂は緻密な計算よりも『勢いと根性』が重視される。直線に出た時点で好位置に着けていなかった場合、先頭に追いつく前にレースが終わってしまう事が中山では多々あるのだ。

 

 私と並走するスメラギに今の声が聞こえなかったわけがない。彼女もセイバー突出に危機感を覚えていたのだろう、セイバーに仕掛けるべく速度を上げて行った。

 

 当然私もスメラギの真後ろに付いて風よけになってもらおうと思ったのだが、場状態の悪さからスメラギはコースを耕しまくっている。後ろに居たら彼女の蹄鉄でほじくり返された泥のシャワーを大量に浴びる羽目になる。

 

 内はフックトッシンが懸命に置いていかれるものかと走っていて間に入る事が出来ない。仕方なく外に振れて進路を確保するも、かなり余計なスタミナロスを招いてしまった。

 

 第4コーナーを回って直線勝負になる。現在の順位はざっくりセイバー、スメラギ、リンカイ、フックトッシン、私、といった……。

 

 …ゾワッ!

 

 背筋にとても冷たい物を感じた。この感覚には覚えがある。後ろから闇に追いかけられて飲み込まれてしまう様な感覚。一瞬でも気を抜いたら食い殺されてしまいそうな感覚……。

 

「リリィ…」

 

 リリィが内から仕掛けてきた。新戦の時よりも遥かに大きな圧力(プレッシャー)、それでいて淀みなく洗練されている。そのオーラを例えるなら大河の瀑布、だがしかしその実態は風に吹かれて軽快に飛び回るビニール袋の様にも思えた。

 

 …リリィを警戒していなかった訳ではない。だが今回は自分が出遅れた事と合わせてGⅠ勝者のセイバーや優等生のスメラギに意識が傾いていた事は否定できない。

 でもやはり一番怖いのはリリィだったと再確認する。そして私のデビュー以来の悲願はリリィにリベンジする事なのだと思い出す。

 

「…アンタには抜かせ、無いっ!」

 

 リリィに負けじと私も加速する。もう私の頭にはリリィしか居ない。リリィに勝てればセイバーもスメラギも結果的に後ろにいるはずだ。リリィに勝つ。そのために私は今ここに居る。

 

 私とリリィが並ぶ。

 リリィは笑っていた。

 雨と泥に塗れながら、

 とても幸せそうな顔で……。

 

 『怖い』私の素直な感想だ。人が歯を食いしばって足元の悪いところ走ってるのに、なんでこいつレース中に笑ってんの? 薬でもキメてんの? と。

 

 『リリィに勝ちたい』気持ちと同時に『リリィから逃げたい』衝動にも駆られる。

 更に加速しなければ… そうしなければリリィに勝てない。いや、『リリィに飲み込まれる』!

 

 実際にこの身がリリィに食われる訳は無い。そうではなく、リリィの周囲に展開される謎のオーラのようなものに取り込まれて身動き取れなくなる感覚……。

 

 私もリリィに囚われまいと必死に逃げる。しかし様々な失策を重ねた私には、もうこれ以上スパートを掛ける余力は残っていなかった。

 

 踏み出す一歩一歩がとてつもなく重い、靴にこびり付く泥の粒子1つ1つが1トンくらいありそうだ。呼吸する事を体が拒否する、息を吐く事は出来るが吸う事が難しい。息の吸い方ってどうやるんだっけ…?

 

 私は何故走っているんだっけ? なんで雨の中こんなに死にそうなほど大変な思いをしなくちゃならないんだっけ…?

 

 そっか、別に止めちゃっても良いんだよね。こんなレースで負けてもそれで殺されるわけでなし、これで無理して故障でもしたら目も当てられない。負けたって別に悔しくなんか… なんか……。

 

「そんなの… 悔しいに決まってんだろぉぉぉっ!!」

 

 自然と声が出た。ずっとボヤけていた視界が一斉に開く。セイバーが、スメラギが、そしてリリィがどこに居るのかレーダーでも見るかの様に把握できた。観客席からの声援も聞こえる。セイバーもスメラギもリリィも沢山の人に応援されている。

 

 そして数こそ少ないけど『私』を応援する声も確かにあった。間違いなくハッキリ聞こえた。

 私は… 私は『勝ちたい』! 勝って私を応援してくれた人達に「ありがとう」とお礼を言いたい。何よりリリィやスメラギに『負けたくない』んだ!!

 

 …異変は唐突に訪れた。

 

 時間が止まったような感覚。狭いレース場の芝ではなく大草原を自由に走る様な感覚。急に体が軽くなる、まるで走りではなく飛んでいる様な気分だ。

 

 私の走りは前を行くスメラギを、セイバーを、そしてリリィを、さも当然であるかの如く追い抜いて先頭に躍り出た。

 

 とても良い気分のままゴールを目指す。ああ、さっきのリリィはこんな感じだったのかなぁ…? さぁあともう少しだ。もう少しで私の優勝が……。

 

 ズキッ……。

 

 後頭部に一瞬だけ電気が走った様な引きつる痛みを感じた。

 それが合図になったのか私のボーナスタイムはそこで終了となった。

 途端に後ろのリリィ達の濃厚な闘気が私を捕らえようと追い縋ってくる。

 

 ウソだ、こんな所で放り出されても困る。まだトップなのにもう走る力は残ってないよ。イヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ! 神様お願い、私にもう少しだけ走る力を下さい……。

 

 私はもう負けたくないんだぁーっ!!

 

 走った。無我夢中で。僅かに残る力を全て脚に回して。

 

 そして絶望に囚われた……。

 

 僅かゴール10m手前でリリィに抜き去られる。セイバーを抜いたスメラギにも肉薄されたが、ギリギリなんとかゴール板前に滑り込む事に成功した。

 

 私の初めてのGⅠレース、ホープフルステークス。泥だらけの疲労困憊、満身創痍になって得たものは『1身差の2着』という結果だった。



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38R 終わらぬ夢

 走り終わってその場にへたり込む。濡れた芝からの水分が勝負服や下着に染み込んでお尻がズブ濡れになるが、もう指の1本も動かすのも億劫だ。

 

 掲示板に『確』マークが灯り順位が確定した。1着はブラックリリィ、その後に私、スメラギ、セイバー、リンカイパワフルで掲示版が埋まる。注目のフックトッシンは8着だった。

 

 レース中はあんなに鬱陶しかった雨が火照った体を良い具合に冷やしてくれる。優勝こそ逃してしまったが、限界の先まで全力を出し切っての結果だ。大いに誇って良いものだろう。

 

 負けた悔しさは確かにある。しかし今は不安や妬みや嫉み、あらゆる体中の毒が抜けて、負けて泥だらけなのにとても清々しい気分だ。

 

 それにレースの最後にあったアレは何だったのだろう? 『負けたくない』の気持ちが爆発したみたいなスーパーパワー、あれが多分《領域(ゾーン)》てやつなのかなぁ?

 

 もしあれが《領域(ゾーン)》ならば、アモ先輩の言う通り本当に『シーンと来てズバーン』な感じだった。他に言い様が無かったよ。アモ先輩、最初バカにしててごめんなさい。

 

 でもだとしたらぶっつけ本番で成功させちゃう私って凄くない? やっぱり天才なんじゃない?

 

 …って、んなワケ無いかぁ。天才なら途中でガス欠せずに最後まで走り抜けられるよねぇ。

 アモ先輩は鼻血吹いて脳へのダメージが心配されてたけど、私も何かヤバいダメージとか受けたのかなぁ? 痛みはもう引いたけど検査とかした方が良いのかな…?

 

 なんて事を1人で考えていたら、横にスメラギがやって来た。

 

「お疲れ様。貴女には勝てるつもりでいたんだけど、とんだダークホース(ウマガール)が居たものね…」

 

 お? 負け惜しみを言いに来たのか? 良いぞ良いぞ。今のナズナさんは余裕あるから優しく相手してあげるぞ?

 

「スメラギ… ふっ、今度は1着になってアンタを負かしてやるから」

 

「言ってくれるじゃない。その言葉、そっくりそのまま返して上げるわ。私も今度はリリィに勝つ、絶対に…」

 

「呼ばれた気がした!」

 

 スメラギの決意の言葉に反応して、今度はヒョコヒョコとリリィがやって来た。

 優勝者が敗者の前で何を言う気なのか? 私とスメラギに軽い緊迫感が走る。

 

「やっぱりスズシロナズナさんは速かったですねぇ。本気で負けそうになって超焦りましたよぉ」

 

 リリィからの予想外な健闘への賛辞にどう答えたものかと窮する私達。リリィはマイペースで話を続ける。

 

「是非また貴女達と走りたいです。そうだ、お友達になりましょう! 『ナズナちゃん』って呼んで良いですか? そちらのスメラギ(あなた)もよろしければ是非!」

 

「「お、おぅ…」」

 

 呆気に取られて2人並んで間抜けなリアクションをしてしまう私とスメラギ。

 

「とにかく今日はとっても楽しかったです。また後ほどライブで」

 

 と、優勝者インタビューの為に係員に呼ばれたリリィは名残惜しそうにウイニングサークルへと去っていった。

 

「…えっと、知り合いだったの?」

 

 スメラギからの質問、これも何とも答えづらい。

 

「デビューが同じレースだっただけ。もっと陰気臭い娘かと思ってたから私も面食らってる…」

 

 私の言葉にスメラギは一瞬驚いた顔を見せ、その後コロコロと笑いだした。

 

「…あぁ可笑しい。変わった娘だけどあれも勝者の余裕なのかしら?」

 

「いやぁどうなんだろう? リリィ(あのこ)は天然でああいう『掴み所のない』キャラなのかもねぇ…」

 

 私が立ち上がりどちらともなく手を差し出し握手する。心地よい疲労感のまま「またライブ(あと)で」とスメラギと別れた。

 

 ☆

 

 控室に戻るべく地下道へと進むと途中でアイリスが待っていた。

 

「惜しかったわね。でも2着は凄いわ、おめでとう!」

 

 うん、今になってレース前のアイリスの気持ちが理解できた。ガチガチに固まってガルガルに四方に殺気を振り撒いていた私は、今の自分から見てもレースに臨む心理状態じゃなかった。アイリスはきっとその辺を心配して声を掛けてくれていたんだよね。

 それなのに私は心の中でアイリスを罵倒して、その怒りを走りの原動力にしようとすらしていた。ちょっと反省案件だねこれは。

 

「…うん、ありがとうアイリス。2着は悔しいけど更に闘志に火が点いた。またすぐにでも走りたい。負けたのにこんなに晴れ晴れとしているのが自分でも不思議。それに… それにとっても楽しいレースだったよ!」

 

 アイリスはそんな私の取り留めも無くたどたどしい報告を、笑顔のまま何度も頷きながら聞いてくれた。

 『ごめんね』は言えなかったけど、お互いに笑顔になれたからそれで良しとしておこうと思う。

 

 ☆

 

 今日のウイニングライブの曲目はジュニア級唯一のGⅠ曲「ENDLESS(エンドレス) DREAM(ドリーム)!!」だ。

 小学校の合唱コンクールで歌われる様な、柔らかくてほんわかとした伸びのある曲で、いかにも『ジュニア級でございます』という趣きの歌になっている。

 

 それこそ「NEXT FRONTIER」の様に『頂点獲ったる!』という戦闘的な曲ではなく、『走りの楽しみやドキドキ』を主題にしている可愛らしい歌だ。

 

 正直、私の様なやさぐれた可愛げの無いウマ娘には似つかわしく無い歌ではあるが、こればかりは選べないので仕方ない。

 

「はぁ〜、初めての歌だからドキドキするねぇ」

 

 緊張している (?)リリィが話しかけてきた。リリィも性格はともかく外見は幽霊みたいな不健康な印象があるので、カワイイ曲はイメージが合わない。

 ついでに言うならスメラギもお固い委員長キャラなので、曲に対して違和感がある。

 

 …この3人で大丈夫か?

 

「ねぇ、気晴らしがてら前から気になってた事があるんだけど一つ聞いてもいい?」

 

 私の質問に緊張を紛らわせたいリリィは即座に頷いた。

 

「菊花賞の時にさ、同じ京都であんたダート短距離のなでしこ賞に出てたじゃん? アレってやっぱりツキバミへの挑戦状だったの…?」

 

 リリィは一瞬目をパチクリさせて大きく(かぶり)を振った。

 

「ううん、違うよ。トレーナーさんに『ツキバミさんのレース見に行きたい』って言ったら、なぜかその日の京都のレースに登録されてたんだよ」

 

 あっけらかんと答えるリリィだったが、逆に魂消(たまげ)てしまった。そのトレーナーもヤバいけど、黙って走るリリィも大概だよね…?

 私の中のリリィは前以上に『訳のワカラン娘』というラベルで固定されてしまっていた……。

 

 あ、ライブは盛況のまま無事に終わりました。私のソロパートもバッチリ決めてきたよ!



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39R 帰郷

「それでは我らが鈴代(すずしろ) 奈津菜(なづな)君のGⅠレース健闘と本年度クラッシックレースの前途を祝して…」

 

「「「「乾杯ーっ!」」」」

 

 町会長さんの乾杯の音頭で、公民館に集まった後援会の皆さんが一斉にビールの入ったコップを高々と掲げる。

 

 正直あまり嬉しくない。こうやってオジサン達の酒の肴になるのが分かりきっていたから里帰りなんかしたくなかったのに… 全く、どうしてこうなった…?

 

 ☆

 

 ホープフルステークスを終えた翌日、チーム〈ポラリス〉では忘年会と翌年の指針を決めるためのミーティングが行われた。

 

 年が明けると私達ジュニア級のウマ娘はクラッシック級へと昇級する。

 日本ダービーを始めとするクラッシック級でのみ挑めるレースや、シニア級の先輩達と正面から戦える宝塚記念やジャパンカップといった有名なレースに挑戦する事が許された年でもあるのだ。

 

「まずは選手もトレーナーも皆お疲れ様! 今年は久々にチームからGⅠレース参加が多くて俺は大満足だった! 後は優勝トロフィーだけだが、そちらは是非とも今年のクラッシック級メンバーに託したい。以上!」

 

 源逸さんの挨拶で宴会が始まった。私が蜂蜜ニンジンジュースを1杯飲み干したタイミングでコロとカメが揃ってやって来た。

 

 私の来年はクラッシック路線で進む事は確定&周知済みで、次レースは恐らく3月頭の弥生賞だろう。

 

「ナズナ! あたしは帰省せずに新年早々中山の2000を走るぞ! クラッシック本戦までには追いつくからな!」

 

「私はティアラと短距離・マイル路線の混合で行くわ。新年は金沢の実家に報告がてら2、3日帰るつもりなんだけどナッちゃんはどうするの?」

 

 え〜? どうしようかなぁ… 確かに去年の正月に帰省したきりで今年は帰らなかった。それ以来家族にはずっと会っていない。

 寂しくないと言えば嘘になるが、大見栄切って故郷(くに)を出て、デビューしたもののその結果が1勝3敗ではあまり胸を張って出られる物ではないと思う。

 

 それにどうせ帰っても新年から後援会の皆様への挨拶回りや宴会のマスコットをやらされるだけだろうしなぁ……。

 

「私はトレセン学園(ここ)に残ろうかな… 帰っても面倒くさいだけだし…」

 

「あら、帰ってご両親を安心させて来なさいよ。もう2年近く会ってないんでしょ? GⅠで入着なんて十分凱旋していい戦果だわ」

 

 横からアイリスが乱入してきた。う〜ん、でもなぁ… イマイチスッキリしないんだよなぁ……。

 

「そうだぞナズナ。お前が恙無(つつがな)く走れているのもご両親や後援会のお陰なんだろ? 恩返しだと思って顔を見せてこい。元気にやってるって知れば親も安心するもんだ」

 

 源逸さんまで乱入してきた。しかももう酔いが回っているらしく、いつに無くご機嫌だ。

 

「あ、じゃあナッちゃん残るなら部屋の大掃除お願いしておいて良いかな?」

 

 …源逸さんよりもカメのこの言葉が決め手になって、私は久々の帰郷を決心したのであった。

 

 ☆

 

 ウマ娘が生まれる時、その母親がウマ娘とは限らない。血縁に関係なく普通の人間の女性からウマ娘が生まれる事もあれば、逆にウマ娘が人間の女の子を出産する事もある。

 

 人間とウマ娘の間に遺伝子的な相違はほとんど無い。ウマ娘が子を成すには人間の男性が必要な事からもそれは明らかだ。

 人間とウマ娘の違いは(ひとえ)に『魂の違い』に他ならない。

 

 ウマ娘に宿る魂は『ウマソウル』と呼ばれ、一説には「別の世界の勇者の魂」とも言われているが、その正体は謎に包まれている。

 女性が妊娠して胎児が形成された時に宿る魂が通常の物なら人間が、ウマソウルであればウマ娘が生まれる、という仕組みらしい。

 

 統計としては人間が女の子を産んでその子がウマ娘である確率は15%前後、同様でウマ娘がウマ娘を産む確率は女子のうち65%前後らしい。そして母体に関係なく男子は100%人間が産まれる。

 現在の国内でのウマ娘総人口は800〜900万人、女性全体から見て15%前後の数字だ。これは上記の15%がそのまま現れていると考えれば自然な数と言えるだろう。ウマ娘の出産は母数の少なさから誤差に含まれていると思われる。

 

 前述の通り血縁や血統に関わり無くウマ娘は生まれてくるので、大体どの家庭にも親戚のうち1人くらいはウマ娘が居る計算だったりする。

 

 一般人家庭にウマ娘が生まれる事に関しては地域性が大きく一概には言えない。

 昔は『人ならざる忌み子』として避けられたり、家畜の様に差別されたりの歴史もあったらしいが、現代では常人の数倍の筋力を持ち、全般的に眉目秀麗な女性であるウマ娘の誕生は『一族に繁栄を(もたら)す吉事』と見なして祝福されるパターンがほとんどだ。

 

 ウマ娘は太古の昔から市民の生活に溶け込んでおり、「ウマ娘である」という理由で殊更神聖視されたり差別される様な事は現代社会ではまず無いと言える。

 

 ウマ娘には『ソウルネーム』と『和名』があり、ほぼ全てのウマ娘は2つの名前を持って生まれる。

 前者は体に宿ったウマソウル自身の名前で、妊娠して安定期に入った辺りで母親の脳内に突如として天啓の如く浮かぶらしい。

 

 生まれたウマ娘本人も物心つく辺りで「自分の名前は○○(ソウルネーム)」と自覚して、多くは以後その名前で通して生活する。

 この名前は何故か必ず『カタカナで9文字以内』という決まりがあるらしく、とても人の名前とは思えない様な奇抜な、或いは西洋かぶれかつ男性的な名前がとても多いが、その理由は一切不明だ。

 

 後者はウマ娘がまだ意思表示出来ない頃に、主に家族間で使われる名前であり、普通に日本人女性としての名前が付けられる。

 確かカメの和名が「栗原(くりはら) 優紀(ゆうき)」だったかな? そんな感じで命名される。

 ウマ娘のソウルネームへの覚醒と同時に徐々に使われなくなっていく名前ではあるが、家族や古い友人は馴染みの深い和名の方でウマ娘を呼び続けるパターンも非常に多い。

 

 なぜいきなりこんな話をしたのかと言うと、私の出生に(まつ)わるアレコレに非常に深く関わってくるからだ。

 

 実は私の和名は「鈴代 奈津菜」、ソウルネームの「スズシロナズナ」と同じ読みだ。

 これには奇跡と呼べる偶然があって、私の生家は「鈴代さん」で、人間である母に伝えられた(?)私のソウルネームはスズシロナズナだった。

 

 両親はこの奇跡の巡り合わせに、これ幸いと鈴代家の長女として『スズシロナズナ』というソウルネームを持つウマ娘に『鈴代 奈津菜』という和名を与えたのだった。

 

 だから私はどちらの名前も「すずしろ なず(づ)な」で、他の子みたいに2つの名前を使い分ける生活をした事が無い。

 ウマ娘同士で和名に関する話題が挙がる事はあまり無いが、私の家庭事情の話はかなりのウマ娘が興味深く聞いてくれる。

 

 だから家族や古馴染みばかりの集まるこんな場所では、私は鈴代奈津菜に戻れるし、スズシロナズナでも居られる、という訳だ。

 

 ☆

 

「ナズナ〜、きさんが主役ばってん、そげん不景気な顔しとったらいかんめぇが!」

 

 既に顔を赤くした髭ヅラの(オッサン)が絡んできた。私の顔に文句があるなら半分は貴方のせいですよお父さん? もぉ、今乾杯したばかりなのにもう酔っ払ってるの?

 

「オヤジ! ナズナは長旅で疲れとぉけんしょんなかろうよ? …すまんな、ナズナ」

 

 ありがとうお兄ちゃん。この場で数少ない『酔ってない大人』としてとても頼りになります。

 

お父さん(酔っぱらい)は気にせんでいいよナズナ。外でミヨちゃんやらヨッちゃんやらお友達も来とったけん、ここはもう良かから顔ば見せちゃり」

 

 おお、懐かしの旧友の名前だ。禄に手紙も送ってないから不義理を責められるだろうなぁ… なんて事を考えながら公民館の外で待つ旧友の元へ急ぐ。

 

 …なんだかんだで帰省を満喫してリフレッシュ出来たお正月だった。

 

 そしてここからまた私のクラッシック級への闘いの幕開けでもあるのだ……。



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40R 意外なお年玉

 新年明けて東京に戻ってきた。とりあえず挨拶だけでもしておこうかとカメと一緒に事務所に顔を出すと、中はアイリスだけで彼女は1人で書類の整理をしている様だった。

 

 私の来訪に気づいたアイリスは「ちょうど良かったわ」と、可愛らしいシールがいくつか貼られたピンク色の小さな封筒を手渡してきた。

 

「年賀状の束に紛れてナズナ宛の手紙が混ざってたのよ。多分ファンレターじゃないかしら?」

 

 ファンレター? 私に? いやいやそれは無いでしょう… と疑心暗鬼で受け取った封筒の宛名には『とうきょうトレセン学えん スズシロナズナさま』とだけ書かれていた。これだけで届くんだ? 日本郵政スゲェな……。

 

 裏には東京23区内千葉県寄りの某住所、それと『ナズナグレート』という差出人の名前が記してあった。

 名前からしてウマ娘からの手紙なのだろう。それにしても私の他にも偉大な(グレート)ナズナさんが居るんだねぇ。

 

 文字の拙さと漢字率から、多分小学校低学年くらいの子が送ってくれたのだろう。わー、嬉しいなぁ。

 早速封筒を開け、中の手紙を確認する。デフォルメされた歴代の名ウマ娘達が随所に描かれた可愛い便箋3枚に、ぎっしりと書かれた子供っぽい文字が目に入ってきた。

 

『はじめまして。わたしは小学2年生のウマむすめのナズナグレートといいます。今かいスズシロナズナさんのレースを見て、ファンになったので手がみをおくることにしました』

 

 うわ、本当にファンレターっぽい。何か凄くドキドキしてきた。これ後でドッキリでしたとか言わないよね? もし言われたら私かなりマジで凹み泣きするからね?

 

『たまたまテレビでホープフルステークスを見ていたら、わたしと同じ名まえのウマむすめを見つけたので、ひそかにおうえんしていました。お父さんは「でもこの子は11ばん人気だからかてないよ」と言ったのでかなしくなりました』

 

 うんうん、それは悪いお父さんだね。でも私も多分同じ事を言うと思うかな。

 

『でもスズシロナズナさんは2ちゃくになりました。そのがんばるすがたに家ぞくみんながかんどうして、これからは家ぞくみんなでスズシロナズナさんをおうえんしようときまりました』

 

 うはぁ、マジですか。これは嬉しいなぁ。

 

『じつはわたしは小さなころから足がわるくてウマむすめのくせに走ることができません。むかしからずっと車イス生かつで、楽しそうに走るほかのウマむすめたちを見ながらずっとくらい気もちでいました』

 

 あらら… そうだよね、そういう子も居るんだよね… ウマ娘なのに走れないのは辛いだろうなぁ……。

 

『でもスズシロナズナさんのがんばりを見て、わたしもがんばりたくなりました。トレセン学えんに行くことはできないけど、しらべてみたらウマむすめのやる車イスのレースやバスケットボールとかのだん体がいくつかあるそうです』

 

 …………。

 

『ウマチューブやウマトックでいくつかどう画を見てみたのですが、みんな車イスなのに楽しそうにプレイしていて、わたしもやってみたい、がんばりたいとおもいました。これもスズシロナズナさんがわたしにゆう気をくれたおかげです』

 

 勇気だなんて、私は、そんな… そんなつもりじゃ……。

 

『わたしはスズシロナズナさんといっしょに走ることはできないけど、ナズナどうし同じ気もちで生きて行けそうな気がしました。これからもレースがんばって下さい、ずっとおうえんしています』

 

 そして最後の行には『大好きなスズシロナズナさんへ。ナズナグレートより』と締められていた。

 

 …駄目だ、皆の前なのに涙が抑えられない。私の走りで… 私の走りなんかで希望を抱いてくれる人が居るなんて欠片も思いもしなかった。

 

 今までの私はまるで通帳に記される預金残高が増えるのを楽しむような気持ちでファン数の推移を見ていた。

 確かに私には応援してくれるファンがいる。それはURAが集計してくれているサイトにも表れているが、その数字はゲームの経験値の様な数値だけの物ではない。その数字の1つ1つが1人の人間の意思であり、期待であり希望でもあるのだ。

 

 現在の私のファン数は6000人強。これは単なる数字ではなく、私の肩には6000人分の期待が背負わされている事でもある。それはナズナグレートちゃんが6000人居るのと変わらない。

 途轍もない重さではあるが、その期待こそが同時に私の動力源でもあるのだ。

 

 応援を力にして勝つ、そして新たなファンを獲得し更に大きな応援を背負って走る。競走ウマ娘としての人生の醍醐味はここにこそあるのだと思っている。

 

 今はもう、何ていうか『走りたい!』ひたすら走って少しでも多くのスピード、スタミナ、パワー、根性を自分のものにしたい。

 

「どうしたのナズナ? 何か嫌な事でも書いてあった?」

 

 急に泣き出した私を気遣ってアイリスが声を掛けてきた。

 

「違うよ、逆だよ逆! めっちゃ感動した! なんかもう今すぐ走りたい! 強くなって応援に応えたい! ね、カメ、並走付き合って!」

 

「あ、うん、1600m(マイル)で良いなら…」

 

 そんな感じでアイリスに相談もせずに、カメを引っ張ったままグラウンドに飛び出した。



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41R ニューフェイス

 とりあえずカメとのマイル並走を1勝1敗した所で小休止を入れる。

 

「ねぇナッちゃん、さっきのファンレターの子へのお返事はどうするの?」

 

 カメが興味津々といった顔で聞いてきた。返事も何もさっき受け取ったばかりだからどうするかなんて考えてすら……。

 

「ね、そしたらビデオレターとか喜ぶんじゃないかな? ナッちゃんの練習してる所とか撮って、最後にナズナグレートちゃんへのメッセージ、とか喜ばれるよきっと。私がカメラマンしてあげるからさ!」

 

 お、おぅ、カメの食い付きが凄いな。どういうこっちゃ…?

 

「私ね、ずっと『見る人に夢を与えるウマ娘』に憧れていたの。だからナッちゃんにファンレターが来たのが、なんだか自分の事みたいに嬉しいんだよ。それにもしかして私の走りも世界の誰かの励みになってるかも知れないなぁ、って思ったらつい…」

 

 いつになく興奮していたのを自覚して恥ずかしくなったのか、顔を赤くして俯くカメ。

 確かにカメの言葉は正しい。ファンは大切にしなきゃダメだもんね。

 

「そしたらカメも一緒に撮ろうよ。トレセン学園に来てからの私の半分はカメの物でもあるんだし、カメをナズナグレートちゃんに紹介したい」

 

「えー? 私は良いよ裏方で。それにナッちゃんのファンを奪う事にでもなったら悪いし…」

 

 …サラッとトンデモ無いこと言ってくれるじゃんか。それでも笑い話に出来なくなる可能性があるのがカメの怖い所でもある。

 

「おーい、ナズナーっ!」

 

 私とカメで静かな火花をバチバチ鳴らしていた所にコロとアモ先輩とアイリスときりトレーナーが連れ立ってやって来た。

 

「ナズナ〜、あけおめ〜! あたしは新年早々勝ってきたぞ〜っ!」

 

 コロが誇らしげに報告してくる。そっか、今日はコロのレースのある日だったっけ。

 アイリス以外のメンツはコロの応援に行ってたのかな? それなら源逸さんとかは何処へ行ったのだろう? 事務所かな…?

 

「わぁ、おめでとうコロちゃん。これでコロちゃんも晴れてオープンクラスかしら?」

 

 カメが再び嬉しそうにコロを祝福する。考え事でリアクションがワンテンポ遅れた私もカメの隣で拍手してコロを迎える。

 

「うーん、あたしの見立てだとオープン昇格の3000人まで微妙に足りなさそうなんだよねぇ… 多分今回のレースで2800人前後に落ち着くと思うんだ…」

 

 コロの横に立っていたアモ先輩の無慈悲なジャッジ。コロも憮然としつつも抗議しない辺り、アモ先輩の診断に納得している様だ。

 

「あと1回走れば200人くらい増やせるからいいもんね! そんな事よりアイリスから聞いたぞ! ナズナ、ファンレターが来たそうだな? あたしにも見せろ!」

 

 そう言ってコロが襲いかかってきた。ジャージのポケットに忍ばせていたファンレターを奪い取る。

 

「ちょっとコロ! 何すんのよ?! 返して…」

 

 こちらに背を向けて私宛の手紙を読んでいたコロの体が徐々に震えだす。終いには手紙を握り締めて号泣し始める。

 

「うぉ〜ん! 良い話だよぉ〜。それにこんな手紙を貰えるナズナが羨ましいよぉ〜っ! あたしもファンレター欲しい〜!」

 

 あの、私の手紙をクシャクシャにしないで欲しいんですけど……。

 

「よぉし、ナズナ、勝負だ! あたしが勝ったらこの手紙は貰う!」

 

 何かムチャクチャ言い出した。手紙はどうあっても私の物だし、あんたレースしてきたばかりじゃないの? 訳わかんないんだけど……。

 

 興奮するコロの後頭部がゲンコツで殴られる。もちろんコロの姉貴分のアモ先輩だ。

 

「こぉらコロ助、ナズナが困ってるでしょ? 手紙はちゃんと返しなさい。あとレースしてきたばかりなんだから、脚の負担を考えて勝負はまた後日な」

 

 とまぁアモ先輩のおかげで事なきを得た訳だが、コロは本気でまだ走り足り無さそうだった。

 

「お願いアモ姉、1回だけナズナと走らせて! 2勝してるあたしの方が1勝のナズナより強くて魅せる走りが出来るって証明したいの!」

 

 …カッチーン。コロのくせに言ってくれるじゃないか。

 何なの? 今日はカメもコロも挑発的じゃん。良いよ良いよ、やってやろうじゃん。同期最強はこのナズナさんだって分からせてやるよ。

 

「じゃあ3人で軽く1800くらいで並走してみようか。ガチ勝負禁止だよ?」

 

 私とコロのバトルの間に、カメから何かを吹き込まれていたきりさんがスマホを片手に同期3人の並走を提案してきた。

 

 あー、分かった。これを記録してナズナグレートちゃんへのビデオレターの素材にしようとしてるんだな。

 まんまと乗せられた気がしないでも無いけど、コロのおかげで(さすがに偶然だよね?)、私も前以上に火が点いたのも確かだ。

 

 ☆

 

「お? 何か楽しそうな事をやってるな?」

 

 3人がスタートラインに並んだタイミングで源逸さんと目黒トレーナー、メル先輩、それと見覚えの無い小柄なウマ娘の計4人がグラウンドにやって来た。

 

「お帰りお父さん、その子が新人さん?」

 

 きりさんの迎えに満面の笑顔で頷く源逸さん。新人さん、って事は……。

 

「今日は年明け一発目の選考会があってな。有望な新人をスカウトしてきたんだ。並走するなら仲間に入れてもらおうかと思ってな!」

 

 改めて『新人さん』とやらを見てみる。ボブカットにおっとりとした雰囲気の大人しそうなウマ娘。

 全身キレイな芦毛、いや白毛かな? その毛色のおかげで尚更どこかのお嬢様みたいだ。顔つきというか雰囲気に、どこかで会ったような気がしなくも無い。

 

「ちょうど全員居るから、ホレ、自己紹介しろ」

 

 源逸さんに背中を押されたその娘は少しオドオドしつつもこちらに凛々しく顔を向ける。

 その時に気づいたのだが、この子は芦毛や白毛ですら無かった。その真っ赤な瞳が雄弁に物語る、この娘は……。

 

白子(アルビノ)ですか…?」

 

 アイリスが驚いた声を出す。毛色だけの話ならまだしも、アルビノでは健康面等でかなり不安があるのではなかろうか? だがまぁしかし、トレセン学園に在籍しているのなら実力は折り紙付きであろうし、はて…?

 

「毛色や目の色なんて関係ない。『走って勝てる』と思ったからスカウトしたんだ!」

 

 源逸さんの力強い声をバックに例の新人が一歩を踏み出した。

 

「え〜っと、私は『エバシブ』と言います。これから宜しくお願いします」

 

 と真っ白いお嬢さんは自己紹介して頭を下げ、やがて頭を上げてこちらへニッコリと微笑んだ。

 

 …ううん? なんだろうこの感じ? なんだかこの娘の事を知っている様な気がするんだけど…?




キャラクターイメージビジュアルその2

エバシブ ≫ ハッピーミーク
ツキバミ ≫ エアシャカール
クリスタルセイバー ≫ ミホノブルボン
スメラギレインボー ≫ メジロマックイーン
イーグルダイブ ≫ トーセンジョーダン
フックトッシン ≫ リトルココン
ドキュウセンカン ≫ 該当者無し


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42R 並走と模擬レースは別物

「いぇ〜い! ナズナグレートちゃん見てるぅ〜? 今から君の大好きなスズシロナズナさんをボッコボコに負かしま〜す!」

 

 カメラ(スマホ)の前で悪ノリするコロとカメ。何と言うか、そういう「ヘイヘイオタクくん見てる〜?」みたいな頭の悪いノリは止めて欲しいんだけどな……。

 

「あの、先輩達は一体何をされているんですか…?」

 

 新人のエバシブが手隙に見える私に聞きに来る。おっとりとした雰囲気の娘で、その笑顔は今の状況を分かっているのかいないのかよく分からない。

 特徴的な彼女の紅い瞳は冗談抜きで光り輝く宝石のルビーの様で、吸い込まれそうになるほど美しい。

 その日焼けひとつ無い真っ白な皮膚や髪と相まって、氷像の様な美しさと儚さを感じさせる。

 

 それに初対面のはずなのに彼女の近さは何なのだろう? まるでお互いに旧知の仲であるかのような全く警戒感を匂わせない感覚、本当に謎だ。後で時間が取れたらちょっと聞いてみようかな…?

 

 とにかく新人さんが来てるんだからバカな真似はしないで欲しいんだよね。

 

「あ、えっと、私がファンレターを頂いたので、そのお返事にビデオレターを送ろうか、という話になって…」

 

「あー、なるほど。それで面白おかしく演出しようとあんなバカっぽい真似をしているんですね」

 

 う、うん。まぁその通りなんだけど、あれ? この子結構毒舌系? 容赦ないな……。

 

「貴女がスズシロナズナさんですよね? 改めてよろしくお願いします。お噂はかねがね…」

 

 う〜む、この娘やっぱり私の事を知ってるのかな? 噂ってどんなのか気になるなぁ… まぁ露出だけはそれなりにあったから、名前ぐらいは知られていても不思議ではないけど……。 

 

「ほらナズナ! お前もグレートちゃんに何か言え!」

 

 コロが私の腕を引っ張って、カメラマンであるきりさんの前に連れてくる。

 『何か言え』と言われてすぐに気の利いたトークが出来るほど、私は機転も利かないし場馴れもしていない。

 

「あ、う…」と数秒言葉を詰まらせてた後でようやく頭が回り始めてくる。

 

「えっと、ナズナグレートちゃんへ。お手紙どうもありがとう! ファンレターなんて初めてで、もぉ嬉しくて泣いちゃうほど感激しました!」

 

 そこで私は言葉を切ってカメとコロに視線を送り、きりさんの撮影するスマホに向き直る。

 

「お礼になるかどうか分からないけど、今日は私の所属するチーム〈ポラリス〉の同期メンバーで練習している風景を撮って送りたいと思います。えっと… 面白くなかったらゴメンネ…」

 

 照れ笑いで締めて一旦撮影を止める。なんかGⅠレース並に無駄に緊張したよ。返事のビデオレターを作るって心の準備が出来てないうちに撮影開始するんだもんなぁ……。

 

 あとアモ先輩、きりさんの後ろでさり気なく『もっとボケて!』とかいうカンペ出すの止めてください。

 

 ☆

 

「あのぉ〜、これって『模擬レース』なんですか? 『並走』って聞いてたんですけど…?」

 

 『模擬レース』と『並走』は似て非なる物だ。模擬レースに説明の必要は無いだろうから、並走について軽く説明する。

 『並走』とは文字通り2人 (かそれ以上)で並んでコースを走る事だ。

 並んで走る事で、レース中の様な他者との駆け引きの練習や、1人では見つけられない様々な問題点を洗い出す事が出来る。

 

 並走は『並んで走る』事に意味があるのであって、決してその勝敗に意味は無い。意味は無いのであるが、そこはやはりウマ娘たる者、大なり小なり他人の後背を拝むに忸怩(じくじ)たる思いを抱いてしまう物で、並走の最後はどちらともなく速度を上げて『競走』になってしまう事がよくある。まぁウマ娘あるあるである。

 

 私も並走のつもりだったけど、カメとコロはレースのスイッチが入っているぽいなコレ……。

 まぁビデオレターにするならただの練習風景よりも、模擬とは言えレース風景を収めた方が面白いのは明らかだ。

 

 ただカメもコロも本気の様で、2人からは『私のファン宛の返信だから私に花を持たせる』なんて気遣いは微塵も感じられない。あわよくば私を負かして恥をかかせてやろうという下心すら透けて見える。

 …こんなん、負けられる訳ないじゃん!

 

「うん、何か模擬レースになっちゃったね… 新人さん(あなた)も選考会終わったばかりで疲れているでしょうし、こんなバカな企画に無理して付き合う必要は…」

 

「やったラッキー、こんなに早くスズシロナズナさんと走れるなんて、帰って自慢できるぅ」

 

 あ、ヤル気なのね? いやまぁ良いケド……。

 

 ☆

 

「じゃあ距離は1800m、きりがゴール板係をやってるからそこまでね。全員本調子じゃないんだから、くれぐれも無理しちゃダメだからね?」

 

 そう言ってアイリスが右手を上げ、「じゃあスタート!」の声と同時に振り下ろされた。

 

 一斉に走り出す4人のウマ娘。私達の作戦は、いつも通りに私が『先行』、カメは『追込』、コロは『差し』だ。

 新人(エバシブ)はスタートはカメとコロの中間に位置取った。彼女も後半にスパートを掛けてくるタイプの様だ。

 

 すなわちこのメンツだと、私が先頭に立って集団を引っ張る役目になる。

 他のメンツに後半にスパートを掛けられる事を考えたら、早いレース展開にしてペースアップに巻き込んで疲れさせるか、同様に序盤から距離を離して最後まで逃げ切るのが定石だ。

 

 ならば有無を言わせずに終始ブッチぎってしまうのが美しい勝ち方であるし、ナズナグレートちゃんへのファンサービスとしても上質であろう。

 

 そう判断した私はこのまま『大逃げ』させてもらうべく速度をジリジリと上げていった。



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幕間3 憧れのライバル

『まさかチーム〈ポラリス〉に拾われて、初日からあのスズシロナズナさんとレース出来るなんて夢みたい。お姉ちゃん悔しがるだろうなぁ…』

 

 並走するだけでも嬉しいのに、模擬戦とは言えナズナさんとレースを一緒にできるとは、やっぱり私って幸運の星の元に生まれているのだろう。

 

 ☆

 

 私は生まれつき色素量のとても少ない「白子(アルビノ)」だ。

 紫外線に極めて弱く、今時の様な冬場ですら晴れた日には日焼け止めが欠かせない。

 同様に少ない色素は瞳に入る光の量を上手く調節できない。普段はサングラス着用でないと外の光景すら眩しくて見ていられない。

 

 スズシロナズナさんを始めとするチームの皆さんは、私の肌や髪、瞳を見て『本当に大丈夫なのこの娘?』と思った事だろう。

 

 でも心配は要らない。だって私は『天才』なのだから。

 私が本気で走ったらお姉ちゃんでも勝てない。去年の3冠ウマ娘であるツキバミさんにすら負けない自信がある。

 

 今、私の前にはナズナさんとコロさんとか言うちんちくりんのウマ娘が走っている。

 私のすぐ後方にカメなんとか先輩って言うウマ娘が居る。

 

 現在向う正面に入った辺りでナズナさんと私がおよそ6身差だ。ナズナさんはこのまま逃げを打つ思惑のようで、まだ中盤に差し掛かったところなのに更に速度を上げていく。

 

 それに遅れじと2番手のコロ先輩が引き摺られる様に速度を上げる。

 私とカメ先輩はお互いを牽制しつつも、スズシロナズナさんから一定以上離されない様に、様子を見ながら速度を調節している状態だ。

 

 第3コーナー手前でスズシロナズナさんの速度が落ちてきた。前半で飛ばしていたのは作戦でもあったのだろうが、傍から見ていても掛かり気味だったから必要以上にスタミナを浪費してしまったのだろう。

 

 ここが仕掛け所だ。2番手のコロ先輩もナズナさんに釣られて早く仕掛け過ぎて息が上がっている。

 速度を上げるべく体勢を落とした瞬間に、私の横を疾風が駆け抜ける。

 

 カメ先輩の凄まじい末脚が私の眼前で展開される。こんな追い脚の持ち主見たこと無い。きっとお姉ちゃんより追い込み速いよこの人……。

 

 もちろん私もスパートを掛ける。カメ先輩、確かに貴女は速いです。でも日本じゃあ2番目だよ。

 なぜなら日本一の末脚の持ち主は『エバシブ(わたし)』だからね!

 

 私とカメ先輩が並ぶ。ちらりとこちらを一瞥したカメ先輩が驚きと歓喜の満ちた顔になり、更なる加速を見せる。

 

 私もここからは『本気』だ。日本一の末脚が単なる自信過剰じゃないってのを証明してやる!

 

 私とカメ先輩が競り合ったまま、体力が切れたコロ先輩を抜く。目の前には同じく体力が切れたナズナさんが必死で走っている。

 その走る姿がまるで肉食獣に追われる可憐な草食獣の様で、とても愛らしくまた嗜虐心をそそられる。

 

 あぁ、スズシロナズナさん、このまま捕まえて食べてしまいたい……。

 

 ナズナさんの背中を捉える。このまま一気に抜き去ってゴールしたら、ナズナさんは私にどんな顔を見せてくれるだろう? 悲哀? 絶望? それとも私という新たな強敵(ライバル)の登場に喜んでくれるかな…?

 

 カメ先輩とのバトルは私が一歩勝り、半身の差が付いた。ここからはナズナさんとの一騎討ちだ。

 直線でスピードの乗った今の私は過去最高速度を出している。残りは約80m、この相対速度ならゴール手前15〜20mでナズナさんを抜いて私が1着になれる、計算だった……。

 

 でも抜けない。あとちょっとが抜けなかった。体力を使い果たしているはずのナズナさんは「根性〜っ!!」と叫んで更なる加速をして見せたのだ。

 

 ナズナさんがゴール係の前を走り抜ける。私は半身差で2着、更にクビ差でカメ先輩。もっと離していたはずなのにこちらも最後で差を詰めてきた。そして4身離れてコロ先輩がゴールする。

 

 私は本気を出して負けたことは無い。なので今の模擬レースも本気では無かった、という事にさせてもらう。入ったばかりの新人にブッ千切られたら先輩達も立つ瀬が無いだろうしね。

 

 ゴール直後の先輩達は三者三様だ。

 ナズナさんは膝に両手をついて、長い時間呼吸を禁止されていたかの様に肩で大きく息をしている。

 カメ先輩はトレーナーさんから手渡されたタオルで汗を拭いている。穏やかそうな表情がタオルで顔を拭く瞬間に、私に対して刺すような視線に変わったのを私は見逃さなかった。

 コロ先輩は地面に大の字に寝そべり「ちくしょーっ!!」と悔しがっていた。

 

 ☆

 

「凄いね貴女。まさかカメやコロに勝つなんて」

 

 息を立て直したナズナさんが私の走りを褒めてくれた。うーん、これまた自慢ポイントゲットだね。

 

「はい! 憧れのスズシロナズナさんと走れて調子が上がったみたいです!」

 

 私の返答にやや照れ気味で頬を掻くナズナさん。可愛い。

 

「いやそんな、私って憧れられる程の事してないよ? 憧れるならブラックリリィとかの方が華があるって言うか…」

 

 ブラックリリィに憧れる? そんなのありえないよ。だって……。

 

「ブラックリリィなんて弱いじゃないですか。だって私が本気出したレースであの人、私に勝った事ありませんから」

 

 この場にいる一同が目を見張り、私に注目する。

 

「え? 貴女リリィの知り合いだったの…?」

 

 代表としてナズナさんが私に質問する。ここで私は今日1番のドヤ顔を披露して見せた。

 

「知り合いどころかブラックリリィは私のお姉ちゃんですよ。寮でも同室でいつもスズシロナズナさんの事を話していたので、私もナズナさんの事が気になってたんですよ」



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43R 各々の展望

 疑問が解けた。新人のエバシブはブラックリリィの妹だったんだ。だから雰囲気というかノリが近くて何となく既視感を感じていたんだね。

 

 リリィは私と友達 (?)になれて、その事を妹であるエバシブに話しまくったのだろう。

 その結果、私に興味を持ったエバシブが本日たまたま選抜レースで源逸トレーナーの目に止まり、晴れてチーム〈ポラリス〉の仲間になった、という訳だ。何という運命の巡り合せ……。

 

「私は断然ブラックリリィよりもスズシロナズナ派なので、ブラックリリィ情報ならいつでもリークしますから!」

 

 エバシブはエバシブでとんでもないことをシレっと言ってのけている。まさか源逸さん、エバシブをスパイとして使うつもりでスカウトしてきたとか無いよねぇ…?

 

「んじゃ今年の方針を含めてちょっと全員で会議するから、みんな一旦事務所に入れ」

 

 私の不安気な視線を受けて、源逸さんは意味深な笑顔をちらりと見せて全員を事務所へと追い立てた。

 

 ☆

 

「まずエバシブの担当トレーナーはこの俺、矛田源逸がやる。だが実質的にトレーニングメニューを組み立てるのはアモ、お前がやってみろ」

 

 源逸さんのこの言葉にエバシブを除く全員が度肝を抜かれた。

 

「ちょ、ちょっと源逸(おやっ)さん。いくら何でもまだ勉強始めたばかりで免許も無いあたしにそんなの無理だよ! ましてやリリィの妹なんてダイヤの原石、あたしのせいで故障でもさせたらもうお陽様の下を歩けなくなっちゃうよ…」

 

 一番狼狽(うろた)えていたのは他でもないアモ先輩だった。

 まぁ確かにアモ先輩は本格的にトレーナー目指して勉強を始めた所であるが、そのイロハも修めぬうちからいきなり有望新人の世話を任されても困惑しかないだろう。

 

 一方のエバシブ本人はまるで興味無さそうに前髪の枝毛探しをしている。いやいや貴女自身の事なんだよ? もっとしっかり当事者意識を持とうよ…?

 

「アモの出してきたメニューを吟味、監修して俺が責任を持つってシステムにするんだよ。無理な事や理不尽な事を言い出したら、ちゃんと止めてやるから心配すんな」

 

「えぇ、それに誰がトレーナーでも関係ないですよ。私『天才』なので」

 

 源逸さんとエバシブの両名が、謎のドヤ顔で2人並んでポーズを取る。何だこの状況……。

 

「おっちゃんの担当って事は、あたしの妹弟子になるんだな? よぉし新人! 今日からあたしの事は『コロボックル姉さん』と呼ぶんだぞ!」

 

 後輩が出来て嬉しそうなコロが第3のドヤ顔で戦列に参加する。

 

「はぁ〜い、よろしくお願いしまぁす、『コロボックル姉さん』。イジメないで下さいねぇ」

 

 口ではしおらしい感じの事を言っているエバシブだが、その目は明らかに『自分の方が格上だ』と物語っている。

 

 駄目だ、状況に当てられたのか頭痛がしてきた。比喩ではなく本当に頭が痛い。ふらつく頭を手で押さえる。

 

「ナズナ、大丈夫? 具合でも悪いの?」

 

 アイリスがこちらに気を遣ってきた。

 

「ちょっと先々の事を考えたら頭が、ね…」

 

 アイリスに続いてカメも心配そうに私の横にやって来る。そんな顔しなくても大した頭痛じゃないから大丈夫だってば。

 

 ☆

 

「ではとりあえずメンバーの今後のレーススケジュール発表するぞ。まだ本決まりじゃないから何か不都合があったら担当トレーナーと話し合ってくれ。まずはメル!」

 

「は、はいっ!」

 

 源逸さんが再び会議を仕切る。トップバッターは今年からシニア級を走るメルヘンランド先輩だ。

 去年オープンレースでそこそこの成績を残しているメル先輩は、今年こそ重賞制覇を目標に以前よりも強いウマ娘の集うレースに挑むらしい。

 

「お前は月末の白富士ステークスからスタートだ。ここで勢いを付けて重賞に殴り込むぞ!」

 

「は、はいっ! 頑張ります!!」

 

 メル先輩は源逸さんと担当の目黒トレーナーを交互に見ながら気合いの入った返事をする。メル先輩も3年目の最後の年だ。きっと大きな目標を抱いているのだろう。

 

「次に… アモはどうすんだ? レーススケジュールも自分で決めるのか?」

 

 アモ先輩は4年目の走りになる。出走可能レースは昨年のシニア級と同じだが、昨年よりファン数が増えた分だけグレードの高いレースに出られる様になった、んだけど……。

 

「あぁ、うん。あたしは先々週が有馬記念だったから、少し様子見て2月の終わりか3月頭にレース入れるよ。またその時に相談する」

 

 アモ先輩は今年はトレーナー勉強を重視して重賞には出ないと宣言していたから、何か適当なオープンレースに出るつもりなのだろう。

 

「そうか、分かった。次はコロ!」

 

「おう! あたしは来週でも走れるぞ!」

 

 コロの元気なレスポンス。この娘がいるとチームに活力が出てくる。時々ウザいけど。

 

「焦る気持ちは分かるが来週走ったら残りの一生走れなくなるぞー? 今のところ2月頭のゆりかもめ賞を考えている。体調次第ではそこからGⅠ戦線に突っ込むからな!」

 

「おーっ!! 待ってろよナズナ! すぐに追いついてやるからな!」

 

 コロがこちらに向けてメラメラと闘志の炎を燃やしている。コロも侮れない強力なライバルの1人には違いない。

 

「次はカメ! 当面の目標はティアラ3冠の一角である桜花賞な。そのため次走は3月頭の桜花賞トライアルのチューリップ賞か、その翌週のフィリーズレビューだ。どっちも阪神だから年末の雪辱を果たせよ!」

 

「はいっ!」

 

 カメは阪神ジュベナイルフィリーズでレース中に事故に巻き込まれ、不本意な成績に終わっている。

 私の初勝利もそうだけど、走って負けたレース場では何となく負け癖というか苦手意識を抱いてしまいがちになる。それを払拭するためにも勝って見せないとね。

 

「最後にナズナ! お前もクラッシック3冠の皐月賞を目標に、まずはそのトライアルレースの弥生賞だ。せっかく出来た可愛いファンを悲しませるなよ!」

 

「オスっ!!」

 

 私の次走は予想通りの弥生賞だった。

 皐月賞トライアルの弥生賞、ここで3着以内に入れれば皐月賞への優先出走権が与えられる。

 弥生賞だってGⅡであり、決して容易な戦いではない。それでもナズナグレートちゃんを始めとする私のファンの人達のためにも次こそ勝利を掴まないとね!



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44R ビデオレター

 ミーティング終了後、私達の栗東(りっとう)寮に戻って夕飯食べて入浴して、とやっていたら結構な時間になっていた。

 

 ちなみにトレセン学園には栗東寮の他に美浦(みほ)寮というそれぞれ大きな建物があり、各々に約1000人のウマ娘生徒が入居している。

 

 トレセン学園は基本全寮制なので、入学時にどちらかの寮に振り分けられるのだが、ざっくり出身が東日本か西日本かで分けられる傾向がある。

 私は福岡県出身だし、カメは金沢だから… どこだ? あ、石川県か。

 

 ちなみにアモ先輩は茨城県出身、メル先輩とコロは北海道出身だそうだ。なのでこの3人は私達とは別の美浦寮の寮生だ。

 

 一応、昔から寮同士は意味もなくライバル関係にあるらしく、定期的に寮対抗の模擬レースやらクイズ大会やら大食い大会やらが開催されている。

 まぁ私は東西対抗戦には興味ないのでこれらに参加したこと無いんだけどね。

 

 ☆

 

 カメは自分の机でノートPCと向き合いながら何やら作業をしているらしかった。

 

「何してんの?」

 

 私の声が聞こえているのかいないのか、えらく集中して指を動かしている。

 カメの作業を覗き見る。何やら動画の編集作業をしているようだけど……。

 

「ほら、例のナズナグレートちゃんへのビデオレターだよ。今日の模擬レースの動画とかを見やすく編集しているの…」

 

 うわぁ、仕事が早いなぁ。ナズナグレートちゃんからファンレターを貰った私本人よりも張り切って動画の編集をして下さっているとは、全くもって頭が下がります。

 

「どうせナッちゃん、この手の作業は面倒くさがってやりたがらないか、やっても凄く雑な仕事しかしないでしょ? それじゃナズナグレートちゃんが可哀想だもの。代わりに私がちゃんと編集してあげるから」

 

 はい、確かにその通りです。多分私に任されたらダラダラとメリハリの無い未編集動画のメモリーカードをそのまま先方に送りつけていたと思います……。

 

「…んー、大体こんな感じかな…? ちょっと通して見てみようか…」

 

 大方の編集を終えたカメが動画をプレビューモードにして、私の方へ少し画面を傾ける。

 

『いぇ〜い! ナズナグレートちゃん見てるぅ〜? 今から君の大好きなスズシロナズナさんをボッコボコに負かしま〜す!』

 

 コロとカメの悪ふざけから動画は始まった。それから私の挨拶、模擬レースへと場面は動いていく。

 レースはゴール地点のきりさん視点で進んでいく。学園内のコースは一周凡そ2000mなので、1800mを走った私達はきりさんを200m後ろにおいてスタートした事になる。

 

 スタートから向こう正面辺りまでは画面も遠く、私達の顔も細かくは映っていないので、動画は微妙にカットしたり早回ししたりして退屈なシーンは短く感じるように工夫が加えられていた。

 

 さて、第3〜4コーナーにかけてカメラ(きりさん)に向けて私達が走り寄せてくる迫力のある絵になってくる。

 逃げる私と追う3人。あはは、必死で走ってる私の顔ブスだなぁ。ここもうちょっと美人に修正出来ないかなぁ…?

 

 やがて私を先頭に4人がゴールして動画は終わった。(カメラ)のすぐ前を全力疾走しているウマ娘が走り過ぎる。いつも走る側だからあまり意識してこなかったけど、この視点でレースを見るとメチャクチャ迫力がある。

 

 『私が勝った』という事も含めてなかなか面白い動画に仕上がったと思う。

 

 ただ、冷静にレース内容を(かえり)みてみるとあまりスマートなレース展開には出来ていなかったと感じる。

 まず不可抗力とはいえ先頭に立った事で、私の悪い癖である『掛かり』が出てしまった。

 

 意識して速いペースに持ち込んだ部分もあるが、私自身がその作戦に引っ掛かって想定以上に速度を上げすぎて無駄に体力を消耗してしまったのだ。

 

 半年前より体力は付いているので、デビュー戦の時の様な無様は晒さなかったものの、もしあと200m長いレースだったらきっと大きく失速して、誰かしらに抜かれていたのは想像に難くない。

 

 今だから言うが、実は私には第2の策が用意されていた。

 仮に掛かってしまって体力を浪費しても、そこから《領域(ゾーン)》が発動できたりはしないだろうか? という目論見である。

 

 しかし結果は大失敗。体力を減らしても《領域(ゾーン)》は発動せず、最終的に「根性」で無理やり勝利をもぎ取った。

 

 《領域(ゾーン)》の発動にはまだ何か別の条件(トリガー)が必要なのかも知れない。まだまだ謎の多い技術なのだが、誰か《領域(ゾーン)》の手軽な出し方を教えてはくれないかな…?

 

 それこそブラックリリィ辺りは知っているかも知れない。あの娘のラストスパートでの幸せそうな走りは《領域(ゾーン)》によるものだったとも十分に考えられる。質問したら教えてくれないかな?

 

 リリィか… そう言えば……。

 

「あの新人の娘、速かったね… 私達〈ポラリス〉で1年トレーニングしてきたのに、今日スカウトされたばかりの子に負けたんだよね…」

 

 私の心を読んだかのようにカメがエバシブ… リリィの妹の話題を出してきた。心なしかカメの言葉が少し尖っている様にも感じる。

 

「あ、えっと… グレートちゃんに送る動画だからカメとコロは私に花を持たせてくれたんじゃないの…? 新人の子は空気が読めなかった、とか何とか…」

 

 カメ達が本気ビシバシの気迫で臨んでいたのは、現場に居た私にも十分に分かっている。それでも半ば牽制目的で思っても無い事を言ってみる。

 

「ナッちゃん、ホントは分かってるでしょ? 私もコロちゃんも本気だったって。素敵なファンレターを貰ったナッちゃんが羨ましくて妬ましくて、本当に負かして凹ませてやろうと思ってた。ゴメンね、嫌な子だよね、私…」

 

「カメ…」

 

 普段優しいカメがこんなにネガティブな事を言うなんて初めて見た。おっとりしている様に見えてもやはりカメもウマ娘、胸の内に度し難い激情を抱えて生きているんだよね。

 

「だから今こうして動画編集してたのも、ナッちゃんに意地悪しようとしてた自分を恥じて、少しでも罪滅ぼしがしたかったからかも知れない… ナッちゃん、ホントゴメンね。私のこと嫌いになった…?」

 

 カメが俯き声が小さくなる。

 

「何言ってんのよカメ。気持ち分かるから。立場が逆で私だったらもっと露骨に嫌がらせしてるよ! 動画編集してあげるどころか、早めに電気消して作業の邪魔するね!」

 

 私の言葉に一瞬キョトンとしたカメが、その後プッと吹き出してすぐに大笑いを始めた。

 

「うん、分かる。ナッちゃんってそんな感じ!」

 

 オイコラ、こちらは洒落で言ってるんだからマジ返しすんのやめろ。今日イチ傷ついたからな。

 

「…でもあのエバシブちゃんは要注意だね。私もラストスパートには結構自信あったんだけど、置いていかれちゃったよ… ナッちゃんに懐いているみたいだし、色んな意味で強力なライバルが出現しちゃった感じ」

 

 evasive(エバシブ)… 言い抜けの、とかごまかしの、等の意味を持つ英単語。

 『名は体を表す』なのかどうかまだ分からないが、(リリィ)同様に何を考えているのかよく分からない奇妙な新人である事は間違い無い。

 

 でもカメとコロを抑えて差してくるとは、新人とは思えない実力があるのは確かだ。いずれは私の強力なライバルにもなってくるかも知れない。

 

 とても怖い… 怖いけどそれ以上に未来の熱い勝負にワクワクしている自分を感じる。本当にウマ娘って救いが無くてどうしようもない生き物だな、って思ったよ……。



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45R アモ先輩の選択

 ビデオレター(の入ったメモリーカード)をナズナグレートちゃんに送ってから半月ほどして、グレートちゃんから再度の手紙が届いた。

 そこにはグレートちゃん本人&ご両親からのそれぞれ1通ずつの手紙と、左右にご両親と手を繋いで満面の笑みで車イスに乗った栗毛の可愛らしいウマ娘、ナズナグレートちゃんの写真が入っていた。

 

 グレートちゃんからの手紙には私からの返事を貰えた事が信じられない位に嬉しかった事、会話のやり取りや模擬レースの様子から、楽しそうなチーム〈ポラリス〉全体のファンになった事、動画の迫力に感動して、しばらく「わー、わー、わー!」と語彙が消滅してしまった事などが書かれていた。

 

 ご両親からの手紙は夫婦連名で私への感謝の言葉に溢れていた。前回のグレートちゃんの手紙にあったように、体が弱くて塞ぎ込みがちな娘だったグレートちゃんが、見違えたように明るくなって私の話しかしなくなったそうだ。

 手紙の最後には家族で末永く私を応援するつもりでいる事と、グレートちゃんの体調次第だが近々私の出走するレースを家族で観覧しに行きたい旨が綴られていた。

 

 次走の弥生賞は千葉県の中山レース場で行われる。グレートちゃんの住居から最も近いレース場なんだけど、もし見に来てくれたら嬉しいな、と思う。

 

 そんな感じで、私は来る弥生賞に向けて日々のトレーニングに明け暮れていた。

 

 ☆

 

 時は流れ3月になった。まだ肌寒さはなかなか消えず、毎朝布団から出るのに多大な決意を必要とする季節が続いている。

 

 今日までのチームメンバーの勝敗だが、メル先輩が見事に白富士ステークスの1着を飾り、コロはプレオープンのゆりかもめ賞で2着になった。これでコロもファン数が3000人を超え、晴れてオープンクラスへと昇格できた。めでたい。

 

 コロの次走予定は再来週に行われる若葉ステークスらしい。この若葉ステークスも私の走る弥生賞と同様に皐月賞のトライアルレースの1つだ。

 お互いの戦績次第では皐月賞… 春のGⅠの舞台で私とコロの直接対決が行われる可能性もある、という事だ。

 

 ちなみに今回のゆりかもめ賞でコロを(おさ)えて優勝したのが、かつて私と何度か対戦した事のあるイーグルダイブだった。彼女もいつの間にか未勝利戦をクリアして、次回からオープンクラスだそうだ。あまり懐かしさとかは感じなかったけど、またどこかで出会うかも知れないねぇ……。

 

 ☆

 

「じゃあナズナ、お先に」

 

 弥生賞当日、レース用の体操服を着て私の控室でアイリスと談笑していたアモ先輩が部屋から退出していった。

 

 私の走る弥生賞は本日の第11レース。それに先立つ第10レースの総武ステークスにアモ先輩が出走するからだ… って、総武ステークスって(ダート)の1800mですよ? 距離はともかくアモ先輩はダート走れましたっけ?

 

「今年のアモはダートとか短距離とか、今まで走ってこなかった場や距離を自分の脚でチャレンジして勉強し直すんですって。私にはその行動力は真似できないわね…」

 

 苦笑しながらも眩しそうにアモ先輩を見送るアイリスの言葉に、理解できるようなできないような複雑な気持ちになる。

 なるほど… 後々トレーナーとして活動する事を考えるなら、色々な条件を体験しておく方が実践的な答えを得られるかも知れない、という事なのだろう。

 

 アモ先輩のすぐ次のレースが私の試合だ。なのでフラフラ客席に潜り込む訳にもいかず、私達は控室のテレビでアモ先輩のレースの実況を見ていた。

 

 芝の適性距離で走るならば、アモ先輩は間違い無く今でもチーム内最速のエースだろう。

 そのアモ先輩のレースは結果だけ言うならギリギリ入着の5着だった。レース運びとしてはいつものアモ先輩らしい危なげ無いものだったのだが、やはり慣れないダートに足を取られて、スピードが乗り切らない残念な形で終幕となった。

 

 今年のアモ先輩はレース結果は気にしないと初めから明言していたので、この結果もアモ先輩の想定内なのだろうが、見ているこちらは何とももどかしい気持ちでいっぱいだった。

 

 それこそ有記念を走ったアモ先輩なら、次は春の天皇賞を目指してその前哨戦たるGⅡの日経賞や阪神大賞典、あるいはGⅠの大阪杯に出るのが筋だし、何と言うかとても『勿体無い』と思う。アモ先輩のファンの人達も納得しているのだろうか…?

 

「アモは昔から変わった子だから、ナズナが首を捻るのもわかるわ。でもアモはアモの考えがあるから、ナズナにもあの子の選択を分かって上げて欲しいの… ま、今はとにかくナズナのレースよ。あまりアモに引っ張られないでね?」

 

 さすがに今からアモ先輩のステージは見に行けそうに無い。アイリスの言葉に押される様に控室を出てパドックに向かう。

 

 アモ先輩の選択が、私の考える『ウマ娘としての在り方』と若干のズレがあって、それが私の頭の片隅に引っ掛かっているのをアイリスに見透かされた感じだ。

 

 とにかく今は集中だ。レースに集中しないと勝てる戦いも勝てなくなる。

 今回の弥生賞にも多くの強敵が参加していた。顔馴染みのスメラギレインボーやクリスタルセイバー、意地悪っ子のフックトッシンら錚々(そうそう)たるメンツの顔が見える。

 

 今回はブラックリリィは参加していないようだ。リリィは前回のホープフルステークスでファン数を16000まで伸ばしており、弥生賞の様なトライアルレースを経なくても皐月賞への出走は余裕で可能なのだろう。羨ましい限りである。

 

 パドックで小舞台から観客席に手を振る。私は4番人気という事らしく、それに応じた感じの拍手が起こる。私を拍手で迎えてくれたお客さんの中にナズナグレートちゃん一家が居るのかな? それともテレビで見てくれているのかな…?

 

 どちらにしてもGⅡの大舞台でファンに恥ずかしいレースは見せられない。私は自分の頬を叩いて今一度気合を入れ直した。



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46R 弥生賞開幕!

『報知杯弥生賞ディープインパクト記念』

 

 これが今日走る弥生賞の正式名称だ。GⅡの重賞レースとしての格式はもちろん、前述したように春のクラッシックGⅠの先駆けたる皐月賞のトライアルレースとして広く認識されており、弥生賞で3着以内に入賞すれば、それまでの獲得ファン数に関係なく皐月賞への出走優先権を与えられる。

 

 レースの出走権の優先順位はその時のファン数で判断される事が常であるが、トライアルレースを通過する事でそれらの足枷から開放されるという仕組みだ。

 

 皐月賞、日本ダービー、菊花賞のクラッシック3冠や、桜花賞、オークス、秋華賞のティアラ3冠は『一生に一度、クラッシック級の年にしか出走出来ない』レースだ。前年のジュニア級や翌年のシニア級では挑戦する事すら許されない。

 

 一生に一度しか出来ない戦いを勝利で飾り、『最強最速』の称号を受けるのが私達競走ウマ娘の夢であり野望でもあるわけだ。

 

 その夢への足掛かりの第一歩となるのがこの弥生賞で、今日の弥生賞(レース)には既にGⅠを含み4勝しているクリスタルセイバーや、私の様にまだ勝ち星が1つしかないウマ娘がフル出走18人という雑多な構成で行われる。

 

 もちろん目指すのは「3着以内」なんてしみったれた目標では無く「堂々1着」なのは言うまでもない。

 

 ☆

 

 天気は晴朗、場も良好、風はまだ少し冷たいけど、ウマ娘的には心地良く良い走りが出来そうなコンディションである。天気予報によれば今日は雨の心配は無いらしい。

 チームの皆は観客席で応援してくれているはずだけど、今日は雨女がどうとか嫌味を言われる事も無いだろう。

 

「今日はよろしくねスズシロナズナ」

 

 ゲート車が設置され、本バ場入場となった時にスメラギレインボーが話しかけてきた。彼女は去年のホープフルステークスで戦って以来、教室でもちょこちょこ私に絡むようになってきていた。

 

 絡むと言っても因縁を付けてくる訳では無い。むしろ逆で「プリントは早く提出しろ」とか「甘い物ばかり食べているが体調管理は出来ているのか」とか、ライバルとしてより学級委員長、或いはお母さんの立場から色々言っているようなのだが、それが今年に入ってから頻度が明らかに増えた。

 

「対戦相手には常にベストコンディションでいてもらわないと困るわ。だって負かした時にアレコレ言い訳されるのって煩わしいもの…」

 

 これが一度辛抱たまらず「なんでそんなに私に構うのか?」と質問した時に返ってきた答えだ。

 言われて少し腹立たしくもあるが、その気持ちは分からなくも無い。ライバルに勝ちたい気持ちも強いが、それと同時に血湧き肉躍る熱いレースがしたい気持ちもある。『相手の全力を更に上回る全力で打ち伏せる』この衝動を抑えられる競走ウマ娘は居ないだろうから。

 

「スメラギ… 今まで私の体調管理とかに気を砕いていた事を後悔させてやるからね」

 

「あら、ベストの貴女をブッ千切って負かす為に今日までお世話してきたんだもの、負けて地団駄踏む程度の体力は残しておくといいわよ」

 

 睨み合ってお互いニヤリと笑う。やはり今日一番気を付けなければならない相手はスメ……。

 

「邪魔や、人の道塞ぐなボケ」

 

 私達の後ろから低く凄みのある声がかかる。どうやらその人の入るゲートの前で立ち話していた事が原因らしい。

 今はスメラギとの『ライバルほんわかモード』だったから良かったけど、もし1人でピリピリしている時にあんな言い方されたら「あぁっ? なんちか(なんですか)きさん(あなた)?! くらすぞ(殴打いたしますよ)!!」と返していたよ? 言葉には気を付けようね。

 

 ウマ娘の関西弁キャラに知り合いは居ない。また新たなクセの強い新キャラかと思ったが、

 

「クリスタルセイバー…」

 

 そう、本日1番人気のクリスタルセイバーだった。今まで口を利いた事が無かったから、見た目のイメージだけでてっきりクール系のイヤミなお嬢様かと想像していたが、実際は関西風ヤンキー姉ちゃんだったぽい。

 いやでも、阪神ジュベナイルフィリーズの記者会見の時は標準語で喋ってたよね? それが緊張してたのかポーズだったのか知らんけど。

 

「「……」」

 

 スメラギもセイバーに対して同様のイメージだったようで、私とスメラギは似たような表情をしながらセイバーに道を開けた。

 

 ☆

 

 さて、全員のゲートインが完了し本日のメインレースの弥生賞がスタートする。

 

 先頭に立って全体を引っ張るのはクリスタルセイバー。続いて私やフックトッシンを含む先頭集団が4人、中段にスメラギ以下十数名が団子状態で繋がっている。

 

 前回悪役令嬢ムーブで煽ってきながらも私に負けたフックトッシンは露骨に私をマークしている様に見受けられた。

 自分に対してマイナス感情を持っている人がすぐ横に居るのってかなりストレスになるんだよねぇ。あの時のリリィじゃないけどレースは楽しくやりたいものだ。

 

 レースが動き出したのはやはり第3コーナー、スメラギら『差し』の子達が上がってきた。

 

 先頭は依然変わらずセイバーが単独首位、彼女は前回ホープフルステークスで中山の急坂に撃沈したが、今回は同じ舞台でその対策を立てていないはずがない。

 

 私もまだスパートをかけるには早い段階なのだけれども、後ろからスメラギが迫ってきているし、上がってきた後方の娘達に飲まれて身動き出来なくなるのは回避したい。なにげにフックトッシンのマークもウザいので振り切る為に速度を上げた。

 

 スタミナが心配ではあるが、スタミナが切れたら切れたで上手いこと《領域(ゾーン)》が発動してくれないかな? という打算も無くはない。

 

 幸運なことに先行集団には他にレベルの高い娘は居なかったようで、私も良い位置取りが出来て最後の直線に出る頃には群を抜けて2番手に上がって来れた。すぐ後ろにフックトッシン、やや遅れてスメラギも来ている。

 

 私の前のセイバーとはおよそ2身差、十分に射程内だ。

 直線勝負、セイバー、私、フックトッシン、やや遅れてスメラギの順で走る。スメラギのすぐ後ろは大集団で、ここからカメみたいな凄い追い脚を持つ誰かが抜け出して来ないとも限らない。

 

 私はセイバーを追う。しかし私もスメラギを含む後続全員に追われているのだ。しかもフックトッシンは私のすぐ後ろに位置取り、私は風除けにされている。

 

 ウマ娘がトップスピードで走るとその空気抵抗も結構バカに出来ない。空気抵抗を前走者に押し付けて自分のスピードを上げる、自動車レースでよく聞くスリップストリームってテクニックはウマ娘レースでも割とよくある現象だったりする。

 

 まぁフックトッシンみたいな意地の悪い雑魚に良いようにされる私じゃない。坂に差し掛かる前にトップスピードまで持っていって、勢いで坂を登りきってやる!

 

 前回ホープフルステークスで《領域(ゾーン)》っぽい物が発動したのは坂の終わる直前だった。

 今回も同じ舞台、同じシチュエーションに持っていければ同じタイミングで《領域(ゾーン)》は発動するはずだ。

 

 《領域(ゾーン)》さえ出せれば私は勝てる! そう確信して私はギアをトップに上げた。



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47R 弥生賞の果てに

 最後の直線勝負、私はフックトッシンを振り切りクリスタルセイバーとの差を縮める。

 

 一度下ってからまた上がる中山レース場の勾配はURA直轄の10レース場の中でも最大だ。トップスピードで駆け上がる作戦だったが、速度が速い分、急角度の坂がまるで壁のように私の前に立ち塞がる。

 

 外側からセイバーの顔や手の動きも見える位に追い付いてきた。セイバーは普段はモデルさんのような涼やかな表情をしているのだが、レース中はとても鬼気迫る表情だ。

 

 まぁ私も人の事をどうこう言えるほど余裕のある走りをしていない。ビデオレターの顔も修正しようとしたけどカメに「改竄よくない」って怒られたもんなぁ……。

 

 セイバーの手はまだ強く握り締められていた。これはまだ彼女に余力が残っている事を表す。

 

 彼女を追う私の体力だってそろそろ限界だ。だがまだやれる、死力を尽くした先に《領域(ゾーン)》の奇跡は待っているのだから。

 

 セイバーもギリギリなのはすぐ間近で伝わってくる。多分この娘はカメ同様に短距離向きなのだろう。だからホープフルステークスや弥生賞の様な2000m級のレースではゴールまでスタミナが保たないのかも知れない。

 だがセイバーにはここまで逃げて稼いだ距離のアドバンテージがある。今の速度でこの差を縮めるのは容易な事ではないだろう。

 

 そして前のセイバーだけを気にしている訳にもいかない。私のすぐ後ろにはスメラギの息遣いがハッキリと感じられる。

 

 しつこいようだが弥生賞はGⅠである皐月賞のトライアルレースだ。つまり出走者の大半は『皐月賞に出たい』と考えるウマ娘であり、それに見合う実力を持っていると担当トレーナーに評価されてこの場所に来ている娘達なのだ。楽をして勝てる相手なんかいる訳が無い。

 

 セイバーの背中が手で触れそうなほどに近い。でもどう力を振り絞ってもそれ以上に距離を縮める事が出来ない。

 そして後ろのスメラギの息遣いが段々強くなって来ている。

 

 私ももう限界だ。脚が動かないし腕も振れない、呼吸も乱れる。なのに何で《領域(ゾーン)》は発動してくれないの? 前と同じにやっているのに何が違うと言うの?

 ここで《領域(ゾーン)》が出せなかったら勝てないじゃん。セイバーを抜けないしスメラギに抜かれちゃうじゃん!

 

 不安は瞬く間に実現した。ゴール直前でスメラギは颯爽と私とセイバーを抜き去り、差し切って1着をもぎ取った。

 結局私は最後までセイバーを抜く事も敵わずに3着でゴールした。4着のフックトッシンは私とはわずか半バ身しか差が無かった……。

 

 ☆

 

「お疲れ様。まずは無事に皐月賞への参加キップを手にしたわね、おめでとう」

 

 ウイニングサークルで誇らしげに優勝インタビューを受けるスメラギを尻目に、逃げるように控室へと戻った私をアイリスが拍手をしながら迎えてくれた。

 

「はは… 本当は1着で締めたかったんだけどねぇ。あーあ、《領域(ゾーン)》さえ上手く出てくれれば勝てたんだけどなぁ…」

 

 愚痴る私の横でアイリスとアモ先輩が何か目配せをしている。そしてアモ先輩が私の肩に手を置いて、

 

「ナズナ、ライブが終わったら話があるから…」

 

 とこっそり耳打ちして部屋から退出していった。

 …何だろう? 話なら今ここですれば良いのに。それともライブの時間に影響するほど長い話なのかな? アイリスを見ても何やら困り顔で首を振るだけで要領を得ない。

 

 まぁとりあえず今はライブの準備だ。

 

 ☆

 

 ライブ衣装に着替えてステージに向かう。ステージ上では既に来ていたスメラギとセイバーが何やら話をしているようだった。

 

「遅いわよナズナ。負けたのがショックでイジケて泣いてるのかと思ったわ」

 

 着いて早々にスメラギの憎まれ口で迎えられる。セイバーもこちらを見てフッと鼻で笑って見せた。何か2人とも高い場所から見下ろしてくる感じで甚だ印象がよろしくない。

 

「んなワケ無いっての。ちょっとトレーナーと話してただけ。《領域(ゾーン)》さえ出てればアンタらなんか…」

 

 そこまで出かかって慌てて口を止めた。負けた言い訳をするのは格好悪い。私の事を気に掛けてくれていたスメラギ相手なら尚更だ。

 

「まぁ今日は素直にスメラギの勝ちを認めるよ、おめでとう。そしてクリスタルセイバー、これで1勝1敗だよね。改めてアンタにも挑戦状を叩きつけてやるわ!」

 

 油断すると悪態を付きそうな顔を無理に笑顔にして、2人にメッセージを送る。

 

「私とも1勝1敗でしょ。次の皐月賞はブラックリリィも出てくるでしょうから、みんなまとめて私のバックダンサーにしてあげるわ!」

 

()かせ。今年のクラッシック3冠はウチのもんや。おどれらこそウチのバックダンサーにしたるわ、覚悟しとき」

 

 スメラギもセイバーも自信と熱意に溢れていた。これがGⅠを狙うウマ娘のオーラというものなのだろう。私も負けていられないと気合を入れ直す。

 

 弥生賞はGⅡである為、ウイニングライブの楽曲はお馴染みの「Make debut!」だ。学校の授業でよくスメラギの歌は聞いていたのだが、やはりライブステージの上だと迫力が違う。スメラギってお嬢様育ちのくせに妙にワイルドでパンチのある歌を歌うんだよなぁ……。

 

 セイバーの歌声はスメラギとは対照的に、よく通る綺麗な高音を奏で上げる。まさに外見通りの「水晶の歌姫」だった。

 

 そして残る私は残念ながら歌にも踊りにも華が無い。悲しい事に昔から歌も踊りも『中の上』レベルで落ち着いて抜きん出た物を持たないのだ。

 

 例えばチームの同期3人で得点を付けるなら、上位から歌はカメ>私>コロになるし、ダンスはコロ>私>カメになる。

 ちなみにチームで歌唱力がダントツに高い人はアイリスだったりする。

 

 ライブは盛況だったものの、新たな課題が増えた様に感じて少し憔悴気味で控室に戻った私を、アモ先輩は約束通り待っていてくれた。

 どこか別の場所にいるのか控室にアイリスは居ない。アモ先輩は私に少し寂し気な微笑みを見せて、その直後に眉を怒らせその口を開く。

 

「ねぇナズナ、あんたずいぶんナメたレースするようになったじゃない…?」

 

 アモ先輩の第一声は大きな棘を含んでいた……。



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48R 叱咤

「ねぇナズナ、あんたずいぶんナメたレースするようになったじゃない…?」

 

 アモ先輩の意外すぎる一言に反応できずに固まってしまう。

 私はたった今レースとライブを終わらせてきた。そのどちらもふざけたり手を抜いたりした覚えは一切無い。

 

 最後の力の一滴まで振り絞って走ってきたし、ライブだって来てくれたお客さんの為に精一杯歌って躍ってみせた。

 

 まだレースの結果が3着だったことを咎められる方が分かりやすい。だが今日の弥生賞で私の先を行ったスメラギもセイバーも共に重賞ホルダーで、当然レースの人気も私より高い。

 

 『勝って当然』の格下ではなく、むしろ私が挑戦者(チャレンジャー)であったのは火を見るより明らかだ。

 

 何より余程の事情が無い限り、着順について後から身内がガイガイと文句を言う文化はトレセン学園には無い。規模や格式に関わらず、レースには常に全身全霊で臨むのは競走ウマ娘の規範であり前提なのだから。

 

 ならば何だと言うのだろうか? そもそもチームトップの実力があるのに自らGⅠロードを外れたアモ先輩に『ナメた真似』などと言われる筋合いは無いのではないか?

 

 どうにかそこまで思考を続けて反論を口にしようとした時にアモ先輩が先制してきた。

 

「ナズナ、あんた《領域(ゾーン)》に頼って走ろうとしてたでしょ? 『《領域(ゾーン)》さえ出せれば勝てる』『勝てなかったのは《領域(ゾーン)》が発動しなかったせい』って… 違う?」

 

 反論の言葉が喉から出掛かって止まった。アモ先輩の言葉、私はそっくりそのまま考えていた。そして次の課題も『如何に確実に《領域(ゾーン)》を発動させるか?』しか考えていなかった。

 

「心当たりがあるみたいね… ね、ナズナ聞いて」

 

 私の感情的な反感も想定していたのだろう。アモ先輩はゆっくりと子供をたしなめる様な口調で、静かだが有無を言わせぬ圧力で私の反論を抑えた。

 

「あたしも《領域(ゾーン)》の一端に触れた身分として言わせてもらうけど、アレを多用できるウマ娘って本当にほんの一握り… 2000人いる学園の中でせいぜい数十人だと思う。ひょっとしたらナズナはその一握りに入るのかも知れないし、初めにあんたを焚き付けたあたしも大きな責任を感じてるよ…」

 

「アモ先輩…」

 

「だからこそ《領域(ゾーン)》のヤバさを理解して欲しいんだよ。あたしは血圧上がりすぎて脳溢血寸前だったし、ナズナも激しい頭痛があったって言ってたよね? 限界を超えた先にある『アレ』は絶対に良くない副作用がある。ウマ娘としての選手生命はもちろん、リアルな命の危険すらあり得るって…」

 

「はい、分かります…」

 

 一気にまくし立てて疲れ気味に息をつくアモ先輩に対して、私が言えた事はそれだけだった。

 

 アモ先輩のいう言う通り、私はどこかで《領域(ゾーン)》をヒーローの必殺技的な何かと勘違いしていた。

 『ろくに出し方すらも分からない、不確実で下手をすると健康を害する可能性の高い裏技に頼るのは愚策以外の何物でもない』今ならはっきりそう分かる。

 

 レースに負けて悔しい気持ちは強くある。しかしその気持ちも『走りで負けて悔しい』よりも『《領域(ゾーン)》が発動しなくて悔しい』が大きいのだろう。スメラギやセイバーに対して宣言した程の悔しさを感じていないのだ。アモ先輩のお陰でようやく今それを自覚できた。

 

「すみませんでした… 私、ホープフルステークスで《領域(ゾーン)》に触れて、少し舞い上がっていたみたいです。こんなの、全然私らしくありませんでした!」

 

 急に(もや)が開けた様に目の前が明るくなる。アモ先輩が居なかったら、私はきっと《領域(ゾーン)》の幻に囚われて夢想の中にありもしない勝機を探し続けていただろう。

 

「うん、分かってくれて嬉しいよ。最初に失礼な事を言ってゴメンね。この話はアイリス先輩からじゃなくてあたしがしないと、って思ったから…」

 

 アモ先輩がニカッと破顔して、いつものアモ先輩に戻る。先輩後輩とは言え、トレーナーのアイリスを抜きに重要な話をするのはアモ先輩も躊躇われただろうし、私が反抗的態度で返してくる可能性も高かったのだから、アモ先輩も怖かったと思う。

 

「あたしは《領域(ゾーン)》に触れて『自分には身に余る力』だとはっきり分かった。そして恐らくGⅠを走るようなウマ娘はほぼ全員が《領域(ゾーン)》をマスターして使いこなしている… そんな中で命を削る遣り取りが怖くなってさ、ナズナとかにはあたしがヘタれた様にも見えるかも知れないけど、『世界が違う』って事を実感しちゃうとどうもね…」

 

「アモ先輩…」

 

 明るく話すアモ先輩だが、その決断に至るまでには多くの苦悩を飲み込んでメチャクチャ悩んだのだろうと思う。

 無理だと思ったら退()くことも勇気だ。引き上げる決断を遅らせて、余計に悪い結果を引き起こすなんて枚挙に暇がないだろう。

 

 以前、私の前で涙ながらに「G1に勝ちたい」と語ったアモ先輩の、恐らくは多くの涙に溢れた決断は勇気ある撤退として心に留めておく必要がある。私にもいつ同種の決断を下さねばならない日が来るか分からないのだから……。

 

「でもそれはそれとしてナズナが《領域(ゾーン)》を制御出来たらとても強い武器になるのは確かなんだから、そっち方面の研究も同時に進めてみよう。源逸さん(おっちゃん)とか他のトレーナー達も巻き込んでさ。おっちゃんには豊富な経験があるし、目黒さんやアイリス先輩の知能と知識は絶対にヒントを掴んでくれるはず。きりちゃんは… えっと、ほら、居ると場が明るくなるよね!」

 

 最後の1人に大きな忖度の形跡が見られました。

 「中央のトレーナー試験は東大入試より難しい」とされる中で、大学在学中にトレーナー試験をクリアしたきりさんはかなり優秀な人、のはずだ……。

 

「ナズナの周りでも故意か無意識か分からないけど《領域(ゾーン)》を使っている娘もいるかも知れないし」

 

「リリィ、ですかね…?」

 

「あ、そうなの? ならリリィの妹を使って何か聞き出せるかも知れないし、出来る事は何でもやってみようよ。あたしも《領域(ゾーン)》をものにしたナズナがGⅠ穫るところを見たいもん! 冗談抜きでナズナには期待してるんだからさ」

 

 アモ先輩の言葉が本当に嬉しい。同じ《領域(ゾーン)》に触れた者同士の連帯感からなのか、素直にアモ先輩の言葉が体に沁み込んでくる気がする。

 

 もしこれがアモ先輩ではなくてアイリスからの話だったら、きっと私は意味もなく反抗して更に《領域(ゾーン)》に頼った、アモ先輩流に言う『ナメたレース』を続けていただろう。

 

 恐らくはアイリスもそれを予見して、この場への同席を遠慮したのではなかろうか? だとしたらそれもそれでアイリスの(てのひら)の上で踊らされているような気がして面白くないのだが……。

 

 ☆

 

 後日、アモ先輩の働き掛けでチーム全員で《領域(ゾーン)》に対する意見交換及び勉強会を開く事になった。

 

 ウマ娘に関する研究は現代においてかなり進んではいるものの、ウマソウルや《領域(ゾーン)》はウマ娘当人でもよく分からないのに、人間の研究者に解明出来る訳が無い。

 

 一応 《領域(ゾーン)》は、人間で言う『フロー』や『ピーク・エクスペリエンス』と呼ばれる『超集中状態』に近い物であると解釈されている。

 

 私やアモ先輩の話を当て嵌めるなら、とても同意できる話なのだが、そこから先の『それを発動させるにはどうすれば良いか?』に関しては、『精神論』や『栄養学』等々諸説あってまとまりが無かった。

 

 もし《領域(ゾーン)》のメカニズムを解明出来たのならば、私のみならずカメやコロ、メル先輩の今後のレースに於いて大きな武器となりうるだろう。

 

 《領域(ゾーン)》に頼らず、かつその上で《領域(ゾーン)》を有効に使いこなしレースに勝利する。理想としてはその形だが、さて… 皐月賞までに私は何かしらの手掛かりを掴めるのだろうか…?



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49R サプライズゲスト

「チーム〈ポラリス〉の皆さん初めまして。エバシブの姉のブラックリリィと申します。妹がいつもお世話になっております」

 

 目の前に唐突に現れたリリィにチームの全員が固まっていた。

 

 ☆

 

 今日は先日のアモ先輩の呼びかけで集められた、チーム〈ポラリス〉での《領域(ゾーン)》に関する勉強会だ。今週末にはカメのレース、来週にはコロのレースが控えているので、今日もし何かを掴めるのであれば、あの子達のパワーアップに繋がるだけでなく、GⅠを控えた私の強化にも繋がってくる。

 

 そんな源逸トレーナー以下、チームの全トレーナーと全ウマ娘が集まっている会議室に、エバシブがリリィを伴って入ってきたのだ。

 

 源逸さんですら目を丸くしている所を見ると、本当にエバシブがサプライズで連れてきたのだろう。

 いや1人だけ『してやったり』とニヤついている人がいる。アモ先輩だ。きっとアモ先輩の差し金でエバシブがリリィを連れてきたんだ……。

 

 始めの挨拶で頭を下げたリリィが頭を上げ、ニコリとした表情で私の方に小さく手を振ってきた。

 こういうのってチーム間のすり合わせとかどうなってんの? あとで学園から、いや下手したらURAから何らかのお咎めとかあったりしないのかな…?

 

「今日はお休みの日だったのですが、エバ(シブ)に無理やり連れ出されまして、でも話を聞いたら『《領域(ゾーン)》についてナズナちゃんが私に聞きたい事がある』って言うから、来ちゃいました」

 

 嬉しそうにニヘラと笑って首を傾げるポーズをするリリィ。普段の外見からは冷たい印象を受けるリリィだけど、意外に可愛らしい仕草も堂に入っている。

 

「あ… えと、来てくれたのは嬉しいんだけど、そっちのトレーナーさんとか話は付いてるの? 私ら一応別チームで敵同士なんだけど…」

 

 まだ混乱の治まらない源逸さん達に代わり、私が代表でリリィに質問する。リリィは少し考える仕草をした後、

 

「んー、別に休み中にお話ししに来ただけだから良いんじゃないかな? ナズナちゃんのいるチームに興味あったしエバもお世話になってる所だし」

 

 そう答えてきた。本当に良いのかなぁ? 源逸さん達トレーナー陣もみな難しい顔をしているんだけど……。

 

「あのね、で、さっきから言ってる《領域(ゾーン)》って一体何の事…?」

 

 いや知らんのかい!!

 

 ☆

 

「なるほどねぇ、今聞いた話の感じだと私はそれ『ふわふわ』って呼んでるやつかも…」

 

 私やアモ先輩から《領域(ゾーン)》について一通りの説明を受けたリリィは、独自の解釈で編み出した《領域(ゾーン)》っぽいものを語りだした。

 

 曰く、彼女のトレーナーには「観客の声を風に見立てて、その風を受けて走る帆船の帆になれ」と教わったそうだ。応援も悪意も他人からの『想い』を全て受け止め、それを風として帆に受けて進め。という事らしい。

 

 私には抽象的すぎてよく分からなかったけど、カメはリリィの話に熱心そうにコクコクと頷いていた。

 

「私も初めて『ふわふわ〜』ってなったのはナズナちゃんと走った新戦の時ね。あれからよくレースの終盤に意識がフワ〜って飛んでいってしまうみたいになって、気が付いたらレースに勝ってた? みたいになるよ」

 

 …間違い無い、リリィのあの恍惚とした走り方は紛れもなく《領域(ゾーン)》だったんだ。本人に自覚が無くて発動しているパターンもあるんだね。

 リリィにとって《領域(ゾーン)》は『起こす』物ではなく『起きる』物らしい。これが才能の差なのか、必死に条件だの何だのを無駄に探し続けている自分がとても小さく感じる。

 

 ただハッキリと掴んだのはリリィの《領域(ゾーン)》の発動に疲労は関係なさそう、という事だ。

 『超集中』とも呼ばれる《領域(ゾーン)》であるが、その名の通り集中力の高まりこそが《領域(ゾーン)》発動のカギなのではないかとも考えられる。

 

 一般に疲労は集中力を落とす物だが、レースの終盤、ウマ娘の考える事は『誰よりも早くゴールしたい』それしか無い。位置取りだのスタミナ配分だのゴチャゴチャ考えていた事は最後の直線で全てが吹き飛ぶ。

 『勝ちたい』気持ちの強弱こそがレースの結果を決める。レースに勝つのは一番強く『勝ちたい!』と願ったウマ娘なのだ。

 リリィだって飄々としている様で、胸の内は勝利への渇望が渦巻いているに違いない。

 

 私はそんな基本のキの字すら忘れていた。《領域(ゾーン)》の発動方法を追いかける余り、その分「レースに勝ちたい」という気持ちが薄れていたのだろう。

 前回の弥生賞などまさにそれで、私はスメラギやセイバーに『勝ちたい』と思うよりも『《領域(ゾーン)》を発動させたい』しか考えていなかった。

 これでは勝てる戦いも勝てるはずがない。アモ先輩に「ナメたレース」と言われたのも当然だったろう。

 

 ひとしきり話をして茶を飲んだ頃にリリィのスマートフォンが音を鳴らす。ウマ娘のスマホは基本スピーカーモードなので、周囲の人間に通話内容を伏せるのは困難だ。

 相手はリリィのトレーナーさんらしく、今後のスケジュールについて詰めたいとの事だった。

 まだ喋り足りないのかリリィは後ろ髪を引かれるような素振りで会議室を去っていった。

 

 その後はチーム内の皆でリリィの話に関しての感想を言い合った。リリィの《領域(ゾーン)》に関しては、私やアモ先輩とは少々趣きを異にしている点も多いので、結局「個人差が強いよね」という事に落ち着いた。

 

 今回はほとんどリリィへの聞き取りで終わってしまったが、得られた物は… いや思い出せた物は大きい。

 まずは気持ちの問題、そこから更に細かい条件を割り出していく事になるだろう。

 山積みの課題に頭を痛める私に、今日は大人しかったエバシブがドヤ顔で親指を立てながら話しかけてきた。

 

「あは、ナズナ先輩さえ良ければまたお姉ちゃん連れてきましょうか? 本人も喜んでたみたいだし」

 

 いやぁ、もういいかなぁ……。



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50R 祭りの準備

「ほいナズナ、これ頼んだ」

 

 会議の翌日、さぁこれからトレーニングしようかな、とトレーナー事務所の更衣室に入った所でアモ先輩からホチキスで留めただけの簡素なパンフレットを渡された。

 『なんじゃこれ?』と思いつつ冊子の表紙を見てみると、そこには大きく《20XX年度 春のファン大感謝祭企画目録》と書いてあった……。

 

 ☆

 

 トレセン学園は毎年春と秋にファン感謝祭と称して一般参加のお祭り行事を執り行う。

 春のファン大感謝祭(以下春ファン)は新入生を迎えた4月の上旬に行われ、秋のファン感謝祭(通称『聖蹄祭』)は10月の中旬に行われる

 

  春ファンはイメージとしては『体育祭』であり、アトラクションとして模擬レースやマラソン、トライアスロンやリレーといった『走り』に関連した演物(だしもの)が開催される。

 一方の「聖蹄祭」はイメージとしては『文化祭』で定番のお化け屋敷やメイド喫茶、トークショーの他、生徒会や学園の催しとして日本舞踊や古典演劇が行われたりする。ちなみに去年の生徒会の演物は歌舞伎をやっていた。

 

 ファン感謝祭の名の通り学園の外、それこそ全国から多くのお客さんが来校し、普段はテレビやレース場でしか見られないウマ娘達と直接交流出来る事が売りで、数少ないウマ娘とファン達を繋ぐ機会を提供する場となっている。

 

 まぁお客さんの立場からすれば、生の競走ウマ娘と触れ合える機会なんてそうそう無い訳だし、推しのウマ娘と話せたり記念撮影でも出来れば御の字なのだろう。

 

 でもね、ウマ娘側から言わせてもらうとファン感謝祭ってあまり有り難くないんだよね……。

 お客さんとの交流が嫌だったり煩わしいとかではない。純粋にそういう娘もいるが、私はむしろ後援会との付き合いで一般人との交流は慣れているし、面倒だと思う事もあるが別に嫌いではない。

 

 では何が問題なのかと言うと『GⅠレースシーズンに被る』のだ。

 例えば春ファン直後の日曜日には桜花賞が開催され、同様に聖蹄祭を合図に秋のGⅠが次々開催される。

 

 私達はこれら大勝負の直前に、体育祭だの文化祭だのに(うつつ)を抜かしている暇は無いのだ。

 

「今年は『チーム対抗歌合戦』をやるってさ。3人ひと組で歌う曲は自由。優勝チームには賞品として新しい勝負服を作ってもらえるんだって」

 

「へぇ、で、私にどうしろって言うんです? まさかGⅠ直前の私に()ろって言うんじゃないですよね?」

 

「そのまさかだよ。カメとコロも一緒にね。これはおっちゃんからの指令でもあるんだ」

 

 源逸さんからの指令?! 私は自分の耳を疑った。

 

「ちょっと、正気なんですか? 私達これからGⅠに向けて更にトレーニング重ねないといけないのに… お祭りで遊んでる暇なんてありませんよ?」

 

 そうなのだ。ファン感謝祭はファン感謝祭で、いつも私達を応援してくれるファンの皆様に恩返しできる大事な行事だ。それは分かっている。

 だからと言って走るレースを疎かにしても良いという訳でもない。

 

 増してややり直しの利かないクラッシックのGⅠだ。万全の体制で臨まねば… いや万全の体制であっても私よりも上位のウマ娘に勝てるかどうかは甚だ怪しいのだ。

 直近にGⅠを控えているの私やカメよりも、レーススケジュールに余裕のあるアモ先輩やメル先輩、エバシブの3人で演れば良かろうに……。

 

「大体何を考えてるか分かるけど、そういう所だと思うよ? もっと余裕を持って『レースを楽しむ』気持ちで行かないと、レースの前に心をやられちゃうよ…」

 

 …むぅ、確かにアモ先輩の言葉は正しい。だが実際問題、私達が春ファンの準備にかまけている間にリリィは、スメラギは、セイバーは今よりもっと速くなっているだろう。それが分かっていて素直に「歌合戦頑張るぞい!」とはならない。

 

「それにあたしとメルは今年のドロワの実行委員になっちゃったから春ファンまで手が回らないんだよ。歌合戦の参加は義務だし人助けと気晴らしを兼ねると思って協力して。お願い!」

 

 アモ先輩が(しな)を作って手を合わせてくる。うーん、でもなぁ……。

 

 ちなみにアモ先輩の言っていた『ドロワ』とは正しくは『リーニュ・ドロワット』といって、学園の卒業生並びに(こころざし)半ばで夢破れて中途退学するウマ娘を送り出すダンスパーティーの事だ。

 アメリカ式の卒業ダンスパーティー『プロム』とよく似たシステムで、意中のウマ娘(ひと)とペアを組んで食事をしたり踊ったりする。この時、ペアの片側は『男役』としてタキシードやそれに準じる衣装を身に着けるのが定石だ。

 

 まぁ今回はドロワに関係する先輩も居ないので私達には関係ない話だ。単に「そういうのがある」とだけ知っていてくれれば良い。

 

 ☆

 

「へぇ、そんな事があったんだねぇ」

「歌うならあたしがセンターやってやるぞ!」

 

 後から合流してきたカメとコロに、アモ先輩から押し付けられた無理難題の相談をしたのだが、2人とも意外に良い食いつきをしていた。

 聞けば2人とも(あらかじ)めアモ先輩から話を聞いていて、あとは私を説得するだけだったらしい。前もって外堀を埋めておくアモ先輩らしいイヤラシイ作戦だ。

 

 どのみち逃げ場が無いのなら、諦めてイベント参加しようかねぇ… とりあえずどんなルールで執り行われるのか、貰ったパンフレットを確認し読み上げる。

 

「採点は歌唱力とダンスの他、3人の連携が最も重視される。審査員は学園理事長、生徒会長、近隣の町会長、市議会議員等々15名が各自10ポイントを演者毎に任意のポイントを投票、合計点の高いチームが勝利する。なお衣装はいつもの『STARTING FUTURE』か自分の勝負服のどちらを選んでも可、ですってさ」

 

 まぁシステムだけ見れば何の変哲もない歌合戦だよね。こんなんで盛り上がるのかな…?

 

「まず衣装はどうしようか? 勝負服の方が気持ちは上がるけど、『連携』を重視するなら汎用衣装の方が綺麗に見えるよね…?」

「あたしは断然勝負服がいいな! まだお披露目もしてないんだから」

 

 そう言えばコロの勝負服も出来上がって届いていたはずだ。試着はしたみたいだけど、どんな服なのか私は見ていない。

 カメとコロ、2人の視線が私に集中する。私の意見も聞きたいって事なのかな?

 

「私も勝負服が良いな… せっかくなら1番アガる服着て歌いたいよ」

 

「じゃあ衣装は勝負服で決まりね。次は楽曲はどうしようか? 「Make(メイク) debut(デビュー)!」なら練習無しでもみんな歌と踊りは出来るから、トレーニングに差し支えないと思うんだけど…」

「せっかくの特別ステージなら普段歌えない曲も良いぞ!」

 

 これは悩む。カメの言う通りトレーニングの事を考えるなら「Make(メイク) debut(デビュー)!」は最適だし、慣れている分連携も取りやすい。だがしかしぶっちゃけると正直あの曲には少々飽きてきているのだ。

 以前にも書いたGⅠの楽曲の他、トレセン学園には非常にたくさんの唱歌があるので候補を絞るのは容易ではない。

 

 最終的にセンターはジャンケンで。楽曲は各々のイチオシを紙に書いて箱に入れ、くじ引きの要領で決定する事になった。

 

 結果、センターは執念でジャンケンに勝った私になり、楽曲はカメの希望である「ユメヲカケル!」になった。

 

 ちなみに私の希望した歌は「UNLIMITED(アンリミテッド) IMPACT(インパクト)(ダートGⅠの楽曲)」で、コロの希望は「Enjoy(エンジョイ) and(エン) join(ジョイン)」だった。

 これは個人的にどの曲もツボなので、どれが来ても嬉しかったと思う。

 

 そしてパンフレットの最後のページに申し訳無さそうに書いてあった「その他、催しの提案があれば適宜受け付けますので生徒会室まで」という文言から何故か目が離せなかった……。



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51R フィリーズレビュー

 通常のトレーニングに加えて春ファン用の「ユメヲカケル!」、そして皐月賞から始まるクラッシックGⅠで歌われる「Winning(ウイニング) The() Seoul(ソウル)」のレッスンも加わって、目の回る様な忙しさの中、今日は阪神レース場でカメの出走する「報知杯フィリーズレビュー(GⅡ)」が行われる。

 

 実はそれに先立つ昨日にメル先輩が「中山ウマ娘ステークス(GⅢ)」を走っているのだが、こちらは5着と少々残念な結果となってしまっていた。

 

「次のレースが私にとっての本命なの。だからどうしても今日は勝って弾みを付けたかったのだけども… 目黒トレーナーごめんなさい…」

 

 普段はレースの勝ち負けで大きく感情を見せないメル先輩だけど、この日だけは珍しく控室で悔し涙を見せていた。

 メル先輩の言う「本命」の次レースが何なのかは、まだ教えて貰えていないが、悔しさをバネに是非とも次に向けて頑張って欲しい。

 

 そんなメル先輩の無念を晴らすと息巻いてカメは新幹線に乗っていったのだ。

 本当は私も阪神まで応援に行きたかったのだが、上記の通り鬼の様なスケジュール進行のために到底叶えられる訳も無かった。

 

 なので仕方なく今日はテレビの前で応援する事になった。多分来週のコロのレースも同様だろう。

 ちなみにそのコロは私の隣で固唾を飲んでカメの登場を待ちわびている。

 

「今きりから連絡があったわ。相変わらずトレーナーの方がワタワタしてるわね。きり(あの子)は天才的なトレーニングスケジュールを組めるくせに、いざレース本番になるとあたふたしだすんだからもう…」

 

 アイリスがまるで母親の様に心配しながらきりさんを気遣う。

 確かに同じトレーニングをしていても、カメと私ではその後の疲労度や習得した技術のレベルが若干違うな、みたいな事を感じた事がある。

 

 それは私とカメの才能の差かとも思っていたのだが、アイリスがそこまで高い評価を付けるという事は、アイリスよりもきりさんの方がトレーナーのレベルが高いという事なのかも知れない。

 こういうのはゲームとかと違って数値で見られる物ではないので、感覚を元に話をせざるを得ない心苦しさはあるが……。

 

 まぁそれはともかく、今日のカメの走りを見ればきりさんの手腕も分かろうというものだ。

 テレビ画面の向こう、カメは堂々と客席に向けて両手を降っている。調子は良さそうだが1400mという距離が吉と出るか凶と出るかは分からない。

 

 以前にも書いたが、カメの脚質『追い込み』は終盤の直線に全てを賭けるやり方だ。『逃げ』の娘に終始逃げられ続け、距離を離されると最後まで追いつけずにレースが終わってしまう事がよくある(短距離ならなおさら)のだ。

 

 今日のカメは2番人気で、1番人気はローゼスストリーム。ホープフルステークスで私と戦い、惜しくも6着と掲示板を逃した、栗毛のポニーテールにメガネを掛けた秀才っぽい印象のウマ娘だ。

 脚質は私と同じ『先行』らしいので、カメが私との並走をイメージしてくれれば戦いやすいのでは無かろうかと思われる。

 

 ☆

 

 快晴で良バ場、時刻は15時35分、出走開始予定時間ぴったりにレースが始まりフルゲート18人のウマ娘が飛び出した。

 

 立ち上がりはローゼスが4番手、カメは最後方で様子見の模様。カメラの映像が遠くてカメの表情までは捉えきれていない。

 

 今日のレースには過去に重賞を獲っているウマ娘は出走していない。

 これは単に巡り合わせの良さもあるだろうが、1400mという短い距離のレースとの相性もあるだろう。

 

 現に私やコロの様に距離適正の合わないウマ娘が出走しても、理想的なレース運びは極めて難しい物になると考えられる。短距離適正のある娘って多そうで意外に少ないのだ。

 

 さてレースも終盤、コロの「そろそろ来るよ…」の予言直後にカメがギアを1段階上げた様に速度を上げる。

 

 一時は垂れウマ回避に失敗して順位を落としていたローゼスだったが、持ち前のセンスと体捌きで再び先頭集団に返り咲く。

 第4コーナーを回った時点でローゼスが2番手、カメが4〜6番手だ。

 

 程なくローゼスが、早期スパートでスタミナを切らせた先頭の娘を抜き去りトップに躍り出る。カメも上がってきたけどまだ5身程の差がある。

 残りは300m、果たして仁川の坂はどちらの味方をしてくれるのか…?

 

「行けっ…」

 

 自然に声が出た。テレビ画面のカメは物凄い追い脚を見せているが、ローゼスのスピードも思ったほどには落ちていない。

 

「行けーっ! カメーっ!!」

「カメちゃん、ファイトっ!」

 

 コロとアイリスも私に釣られる様に応援の声を出す。それで私の恥ずかしさの(たが)も外れた。

 

「カメーっ! 根性見せろよっ!!」

 

 そこで私の声を合図にしたかの様にカメが猛加速を見せた。まるでカメだけ倍速になった映像を見ているみたいで、あっという間にローゼスを追い抜き1身差で優勝をもぎ取っていった。

 

 今のちょっと不思議な光景に固まってしまったのは私だけでは無かった。コロもアイリスも『信じられない物を見た』みたいな顔をしている。

 確かにカメの追い脚は凄い。だが今見たのは『走る』というよりも『飛ぶ』といった表現が相応し… あっ…!

 

「なぁなぁ、今のってカメの《領域(ゾーン)》なんじゃないか…?」

 

 コロの呟きは、今まさに私が言おうとしていた事、そのものだった。




キャラクタービジュアルイメージ
ローゼスストリーム ≫ イクノディクタス


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52R コロの変化

 カメの衝撃的な勝利から1週間、次はコロの皐月賞トライアルである若葉ステークスが開催される。

 

 カメが帰京してからの約1週間だが、まぁまず相変わらず鬼忙しいトレーニング&レッスンの日々であった事は既定なので、それ以外のイレギュラーなイベントをざっくり説明したいと思う。

 

 まずフィリーズレビューでカメの見せた急加速だが、本人(いわ)く「あまり覚えていない」だそうだ。

 

「ローゼスさんが詰まっていた所から抜け出したのが見えたから、『あ、これは捲くらないとヤバい!』って思って必死で走ってただけだよ。それにその《領域(ゾーン)》…? の時の事って頭がボーッとしててあんまり覚えてないの。リリィさんの言ってた『ふわふわ』ってイメージ、今なら何となく分かるかも…」

 

 だそうである。チィッ、カメ(こいつ)も天才型の自動発動なのか… 参考にならんじゃないか。

 

「う〜ん、本当にアレを言葉で説明するのって凄く難しいんだよ。ゴメンねコロちゃん…」

 

 一応私は入口だけどは言え《領域(ゾーン)》体験者なのでカメの言わんとする事は分かる。未だ《領域(ゾーン)》と無縁なコロがつまらなさそうにブスッとしていたせいかカメのフォローが入った。

 

「別にカメが悪いわけじゃ無いから謝らなくても良いよ。なんかいつもあたしだけ置いていかれているみたいで、それが気に入らないだけ…」

 

 弥生賞の結果で皐月賞出場を決めた私と、フィリーズレビュー優勝で同期で重賞勝利 (しかもGⅡだ)一番乗り、かつ桜花賞への参加キップを手にしたカメ。

 更には2人とも《領域(ゾーン)》を体験している。

 

 同期の私達やリリィを前にコロの焦りが募ってくるのは十分に理解できる。その日から口数が減っていったコロに、私は最後まで気の利いた言葉を掛けてやる事が出来なかった。

 

 ☆

 

 もう1つ、この週のイベントとしてはナズナグレートちゃんからまたお便りが来た。最早私単体ではなくチーム〈ポラリス〉全体へのファンレターとなっている。寂しくもあり嬉しくもあり、だ。

 

 内容は私の弥生賞敢闘への賛辞と励まし(弥生賞はテレビで見たそうだ)、カメの優勝への祝辞、メル先輩や今週末走るコロへの激励が綴られていた。

 中でも目を引いたのは『こんどのファン感しゃさいにはぜったい遊びに行きます! スズシロナズナさんに会えたらいいな…』の一文だった。

 

 その言葉に背中を押される様に、翌日私は少々緊張しながら学園の生徒会室へと足を運ぶ事になる。

 

「やぁ、中等部C組のスズシロナズナ君だね。私が生徒会長のトウザイブレイカーだ。宜しく頼む。何やら春ファンの企画の相談と聞いたが…?」

 

 昨年の天皇賞 (秋)でアモ先輩を破って見事『天皇賞ウマ娘』となったトウザイブレイカーさんだ(ちなみにその後の有記念でも2着に入っている)。

 天皇賞 (秋)後のステージで、涙目ながらもとても嬉しそうに歌っていたのが強く印象に残っている。

 生徒会長なんてもっと怖い人かと思っていたから、意外と優しそうな人で安心した。

 

「はい、まだちょっと企画として固まってはいないのですが、やってみたい事がありまして…」

 

 ☆

 

 さて週の最終日である土曜日、前回カメも走った阪神レース場でコロの若葉ステークスへの挑戦が行われる。

 

 当初は私とカメに合わせる様に、同じGⅡの皐月賞トライアルである明日のスプリングステークス(1800m)が検討されたそうなのだが、長距離型のコロなら若葉ステークスの2000mの方が相性が良かろうとして変更されたらしい。

 

「ナズナやカメに置いていかれない様にあたしも特訓したからな! あたしの《領域(ゾーン)》を見て震えろ!」

 

 レース前日に府中駅まで送り出したコロは、トレーナーの源逸さんとともに元気に旅立っていった。

 コロが《領域(ゾーン)》について何かを掴んだ、という話は聞いていない。私達にも秘密にしているのか、或いは何も掴めなかったのかは定かではないが、本当に何かを掴んだのならあの子は黙ってはいられないタイプの子だ。つまり……。

 

「コロちゃんかなり無理してたみたいだけど大丈夫かな…?」

 

 カメもコロに関して私と近い感想の様だ。私も《領域(ゾーン)》を巡ってのかつての自分を見せられている様で正直辛かった。

 

 《領域(ゾーン)》に拘るコロに、アモ先輩に言われた様に『《領域(ゾーン)》に頼る走りは危険』と説こうともしたのだが、

 

「ナズナはあたしが強くなると困るからそういう事を言うんだろ? あたしの邪魔をしないでくれ」

 

 と、取り付く島も無かった。《領域(ゾーン)》に触れた者の言葉は今のコロには届かないし、《領域(ゾーン)》を知らない者では《領域(ゾーン)》の何たるかを伝えられない。

 

「まぁ今回のコロも先週のナズナと同じだよ。あたしの言葉も届かなかったからねぇ…」

 

 テレビの前でアモ先輩もボソリと呟く。アモ先輩も姉弟子として何とかコロの目を覚まさせてやろうとしたらしいのだが、コロの対応は私と同様にけんもほろろだったそうだ。

 

「前回のナズナ同様にトライアル条件の2着までに入ってくれれば、皐月賞へは出られるから頑張って欲しいんだけど…」

 

 そして私達の期待は裏切られ、予想は当たる事となる。

 

 この日、コロのレース結果は12着と惨敗、彼女の皐月賞への挑戦はここで幕を閉じる事になった……。



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幕間4 乙女の秘密

「なぁメル、頼むよ。コロに声掛けてやってくれないか?」

 

 若葉ステークスで惨敗したコロちゃんはレース後の地下道において、待機していた源逸トレーナーに抱きつき号泣したそうだ。「何であたしだけ?!」と何度も繰り返しながら……。

 

 そのコロちゃんが、学園に帰って早々に不貞腐れて部屋に籠もって出てこなくなってしまったらしいのだ。

 アモちゃんによると、アモちゃんやナズナちゃんの様な「《領域(ゾーン)》を使える人とは話をしたくない」と言っているらしく、このままではチームはもちろんコロちゃんのルームメイトであるレッドヴァルキリーさんにも迷惑がかかる。

 

 ちなみにレッドヴァルキリーさんは私やアモちゃんと同学年で、ダートコースが得意なウマ娘。戦績は私と似たような感じだが、昨年11月のみやこステークス(GⅢ)に勝っている重賞ホルダーだ。

 

 騒々しくて手の掛かるコロちゃんの面倒をよく見てくれるいい先輩で、アモちゃんとも仲がいい。私とは、たまに会った時に世間話をするくらいかな?

 

 コロちゃんがレースに負けて悔しいのと、《領域(ゾーン)》という最近チームで流行っている謎の現象が身に着けられない苛立ちから籠城に至った、という事は容易に想像出来る。

 

 ウマ娘の住む寮には男女問わずトレーナーは立入禁止なので、寮の中のゴタゴタはウマ娘自身で解決する必要がある。

 しかもナズナちゃんとカメちゃんは栗東寮住まいなので、おいそれとここ美浦寮の問題に口を挟めない。

 

 そこでアモちゃんが白羽の矢を立てたのがチームメイトで美浦寮住まい、尚且つ《領域(ゾーン)》とやらに無縁な(無能な?)メルヘンランド(わたし)だったという訳だ。

 

 私も正直、前回の中山ウマ娘ステークスでの残念な結果から立ち直れていないし、ドロワの飾り付けの準備もしなきゃいけないし、何より次のレースに向けての調整があるんだけど、確かに愚痴を言える相手の筆頭は私だろうからコロちゃんのためにも何か役に立てるなら手伝うに(やぶさ)かではない。

 

 ☆

 

「コロちゃん聞こえる? メルヘンランドだけど、みんな心配してるよ…? ここは前のレースで負けちゃった者同士、愚痴を言い合ってスッキリしない? 甘口堂のにんじんプリンも持ってきたよ…」

 

 翌日の夕方、コロちゃんの部屋の前でアモちゃんに持たされたにんじんプリンを手にドア越しに声をかける。中のコロちゃんに聞こえているのかどうかは分からない。

 

 コロちゃんの代わりに出てきたのは同室のレッドヴァルキリーさん。こちらにニコリと笑顔を見せると部屋の中を親指で指し

 

「メルさんなら入ってもいいってさ。私はちょっと出てくるからごゆっくりどうぞ」

 

 と気を遣ってくれて私と入れ替わる様に部屋から出てくる。元々レッドヴァルキリーさんの分として用意したにんじんプリンを渡すと、小躍りするほど喜んでくれた。

 

 部屋の中は薄暗く、コロちゃんは自分のベッドで頭から布団を被り、体全体で不満を表していた。

 

「大体の流れはアモちゃんから聞いてるわ。とりあえずプリン食べましょうよ」

 

 私の言葉にコロちゃんはガバと起き上がり、とても愛おしそうな顔でプリンを見つめていた。さすがアモちゃん、コロちゃんの操縦方法を熟知しているわね。

 

 ☆

 

「大体ナズナもカメもズルいんだよ。いつもあたし1人を()け者にしてさ!」

 

 コロちゃんの不満は同期であるナズナちゃんとカメちゃんに成績で一歩先んじられている事であるらしい。

 加えてアモちゃんを含む3人が《領域(ゾーン)》を発現させたという事実も拍車をかけていた。

 

 どうにも自分1人取り残されている様な感覚が不安で堪らないのだろう。

 私と違って、明確なライバルと思える人がいるが故の悩みなのだと思う。

 

 私なんてアモちゃんは同級生だけど、デビュー年は1年違う。しかも私の同期にはツキバミさんという、当然の様にクラッシック3冠を達成してしまった人もいるのだ。

 それに後輩であるはずのナズナちゃん達だって春のGⅠ戦線に名を連ねている。あまり大きな声では言えないが、去年の私はこの時期まだ未勝利だった。

 

 周りが凄すぎて、ライバルがどうとか闘争心を燃やすとかあまり無かったと思う。

 むしろ専属トレーナーの目黒さんの喜ぶ顔が見たくて走っていた様な気がする……。

 

「…メル姉、聞いてる?」

 

 あら、自分の事で考え込んでしまってコロちゃんの話を聞き流していたわ。駄目な先輩ね……。

 

「ねぇ、コロちゃんの最終的な目標って何?」

 

 話題転換がてら、そこでふと思いついた質問をコロちゃんに投げてみる事にした。

 

「え? 目標…? やっぱりたくさん走ってGⅠ獲って、行く行くはドリームトロフィー… かな?」

 

 うん、トレセン学園のウマ娘で結果を出せている子は大体そんな感じなのだろうと思う。

 たとえ(おぼろ)げでも自分の将来のビジョンが見えている子は強い。少なくとも2年目春のこの段階でGⅠを前提に語れるのは、同期デビューした子の中でも上位3割くらいだろう。

 

「そのドリームトロフィー狙ってる子が部屋の中で布団被ってて良いの? ナズナちゃん達との差がまた開いちゃうよ?」

 

 始めはお説教をする気は無かった。コロちゃんの愚痴だけ聞いてあげれば機嫌は治ると思っていたから。でもコロちゃんみたいなまだまだ成長出来る子が(くすぶ)っていたら、やはり先輩としては黙ってはいられなかった。

 

 私は3年目が始まった現在、どうにかオープンクラスに上がれたウマ娘。

 それでも全体から見れば、強豪ひしめくトゥインクルシリーズで曲がりなりにも『初勝利』して、そこからファン数を増やしてこれた一端(いっぱし)の『エリート』の筈だ。

 

 でも、そんなちっぽけなプライドを簡単に壊すほど、GⅠ戦線を走るウマ娘は速くて強い。

 何度も未勝利戦を繰り返す私の前で、他者を全く寄せ付けずに圧勝したツキバミさんの走りは、冗談抜きで『異次元』だった……。

 

「う… それを言われるとキツイけどさ… そういうメル姉は何か目標あるの? やっぱり重賞制覇か?」

 

 コロちゃんからのまさかの返しの質問に、今まで考えていた『目標』が唐突に脳裏に浮かび上がる。

 私の目標… それは次のレースで……。

 

「何だ? 急にメル姉の顔が真っ赤になったぞ。純粋にレース以外の事を考えているな?! 言え! 何かエロい事か?!」

 

 別にエロい事は考えていない。でも全く的外れかと言うとそれも違うわけで、何とも答えに詰まってしまう。

 

「なっ…?! そんなんじゃないわよ… ふぅ… あのね、誰にも言わないでね…?」

 

「言わない!」

 

 この即答が逆に怖いんだけど、私の思いと決意を誰かに知ってほしい気持ちが強かったのは確かだ。

 明日にはチームの皆にバレているんだろうなぁ、と半ば覚悟しつつ、私は今まで胸に秘めていた思いを(おもて)に出すべく口を開いた。

 

「あ、あのね… 私の最終的な目標は『お嫁さん』。今度の目黒記念で… 目黒の名の付いたレースに勝って、目黒トレーナーに告白したいの…」



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53R 春のファン大感謝祭(前編)

 いじけて部屋に籠もっていると聞いていたコロが、何事も無かったかの様に平然と練習を再開していた。

 なんでもメル先輩と色々話して気持ちを落ち着けたらしいのだが、詳細は「女同士の約束だから話せない!」の一点張りだった。

 

 でも話の最後にポツリと「でも目黒は無いわぁ…」と呟いていたので、相手がメル先輩な事もあって目黒トレーナーと関係する何かがあると思われるが、それ以上は推測の域を出ないので何も言わない事にする。

 

 メル先輩の思いは周りには駄々漏れなのだが、本人は好きバレしていないと思っているみたいだし、目黒トレーナーからもメル先輩に対して特段『女性』を意識している風には見受けられない。ていうか目黒トレーナーって色恋沙汰に興味あるのかな…?

 もしメル先輩の恋バナって事だったら、悪いけど前途多難な予感しかしないんだよね……。

 

 まぁ何にせよコロの機嫌が治ったのなら何よりだ、という事で私達は春ファンに向けての練習を続けていた。

 

 そして4月になり、桜の花が舞い散り、真新しい制服を着た中等部の新入生達が、メチャクチャ広いトレセン学園のそこかしこで迷子になる、という春の風物詩が見られる季節に、私達はめでたく高等部へと進学し、晴れて女子高生(JK)になった。

 

 4月最初の日曜日には春のGⅠシニア3冠の緒戦である「大阪杯」が行われ、翌週はカメの「桜花賞」、そして翌々週には私の「皐月賞」が行われる。

 

 大阪杯はやはり当然であるかの様に5バ身差でツキバミが勝った。これで無敗のままGⅠを6勝している、本当に化け物だ。

 

 もしこのままツキバミが天皇賞 (春)や宝塚記念を穫るようであればURAの記録しているGⅠ勝利数記録1位である『マカダミアノーズ』に並ぶ8勝(マカダミアノーズは海外のGⅠも穫っているので実質9勝)となる。

 もし秋以降のGⅠも穫れたならば、前人未到のGⅠ二桁勝利ウマ娘が誕生し、紛うことなき『伝説』として歴史に永代語られる事だろう。

 

 一応6月の安田記念以降のGⅠレースは私達クラッシック級でも出走出来るルールなので、早ければ宝塚記念やジャパンカップ等でツキバミと相まみえる可能性はゼロではない… 一応ね。

 

 その戦場には恐らくリリィやスメラギも居るに違い無い。ツキバミの伝説に終止符を打つのは私達の誰か、いや『私』だ… と自信を持って言えるようになりたい。いや、ならないとね……。

 

 ☆

 

 大阪杯が終わればその3日後には待ちに待っ… てはいないけど、一生懸命準備した春ファンの始まりだ。

 

 例のチーム対抗歌合戦はエントリーされている100以上のチームから、アトランダムに選出された順番に(のっと)ってとにかく歌わせ、後に点数が一斉に公開されるという結構雑な形式だった。

 

 ちょっと覗いてみたステージはGⅠ仕様の豪華版で、眼の前には数万人を収容出来るスペースがある。そしてその客用スペースが平日の昼間、しかもイベント開始前にも関わらず満員で、無数のサイリウムが揺らめいているのがはっきりと見て取れた。

 

 私達のチーム〈ポラリス〉の順番は14番目で、これは集まったお客さんが段々暖まってきて、1番熱く盛り上がる良い頃合いのはずだ。とても運がいい。

 

 着替えの準備や控室での最終調整のリハーサル等で、私達はステージを見に行く余裕は無いが、他チームの熱い歌声が外から聞こえてくる。

 やはりみんなスケジュール的にキツかったのか、聞こえてくる曲は「Make(メイク) debut(デビュー)!」が多い。たまに「本能スピード」や「Winning(ウイニング) the() seoul(ソウル)」も聞こえてくる。

 

 本当は私もチームで曲を決める時に最初「Winning(ウイニング) the() seoul(ソウル)」にしようかと思ったのだ。「Winning(ウイニング) the() seoul(ソウル)」は皐月賞、ダービー、菊花賞のクラッシックGⅠレースで使われる曲なので思い入れも深い。

 

 でもどうせなら『こんなイベントじゃなくて、本番レースのウイニングライブで歌いたい!』と思ったから別の曲で投票したんだよね… 後から聞いた話だが、カメも同様の理由で「(いろどり)ファンタジア」を回避したそうだ。

 

「次はチーム〈ポラリス〉さん、準備お願いしまぁす」

 

 運営の係員ウマ娘から控室の私達に声が掛かった。いつものウイニングライブだと周りが慣れない面子なので若干の緊張もあったりするが、今回はお祭りでかつ、勝手知ったるチームの同期メンバーとのユニットだ。ノリと楽しさ100%で演れるだろう。

 

「よっしゃ、行くぜお前ら!」

 

 コロが代表して元気に返答し、気合を入れる様に自分の両頬を叩く。いい機会なのでここで初お見前したコロの勝負服を簡単に説明したい。

 

 パッと見は童話やアニメでよく見かけるピーターパンによく似ている。色も全身緑色で女の子らしいヒラヒラしたフリルはたくさん付いているが、アクセサリー系の装飾品はベルトのバックルと、そのベルトに挿した小さな模造ナイフくらい。

 

 頭にはやはり緑色の大きなとんがり帽子を被り、その帽子のイメージから、コロの名の由来であるアイヌの妖精『コロボックル』を示しているのだろう。

 活発なコロならこんな感じの勝負服だろうなぁ、という予想がそのまま頭から出てきたような嬉しさと安心感が同居する服装だった。

 

 私達の前のチームの歌が終わり、袖で控えていた私達3人が、照明を落として薄暗くなったステージの中央に立つ。

 

「『君と夢を駆けーるよ! 何回だって勝ちー進ーめ、勝〜利のそーの(さっき)へ〜!!』」

 

 トランペットの勇壮かつ軽快なイントロから一気に照明が当たり、センターである私の歌い出しに繋がる。

 『知名度』だけはある私と、先月GⅡに優勝したカメに見覚えのあるお客さんが多いのか、はたまた選曲が良かったのか客席は大歓声に包まれる。

 

 私のパート、カメのパート、コロのパートと来て全員でサビの熱唱。お客さんも「ノーモア!」とか「レッツゴー!」の合いの手のタイミングを熟知していて、もう完全に私達の為のステージと言って差し支え無い程の大盛り上がりだ。

 

 シメの仕掛けとしてワンコーラス終わってからのCメロに「(とーも)達ぃ以上〜、仲〜間で〜ラーイバル〜」というフレーズがあるのだが、通常はそこの『ライバル』の振り付けでセンターとセカンドが(こぶし)と拳をコツンとぶつける仕草がある。

 

 ここを少し改変させてもらって、私が両拳を左右に広げ、セカンド(カメ)とサード(コロ)が両側から同時に私に拳を合わせてくる、という形にした。

 

 この意外な演出に客席は更に盛り上がりを見せる。こういったイベントだから許されるお茶目であり、レース後のウイニングライブでやらかしたら、トレーナー共々呼び出されて大目玉を食らうだろう。

 

 なので私は前もって生徒会長に「ダンスを少し(いじ)りたい」旨を伝えておいた。

 春ファンの企画立案のご褒美という事で「そのくらいなら」と生徒会長も快諾してくれたのだ。

 

「すっごい盛り上がって、もうこれあたしらが優勝で決まりだろ!」

 

 歌い終わって興奮冷めやらぬコロが話し掛けてくる。レースで勝つのも嬉しいけど、ライブで大盛り上がりするのも嬉しいよね。次の皐月賞、本気で「Winning(ウイニング) the() seoul(ソウル)」が歌いたくて今からウズウズしてくる。

 

「あ、あのっ… スズシロナズナさん!」

 

 ステージが終わって、再び着替えるために控室に戻ろうとした私達に向けて、小さな女の子と思われる声に呼び止められた。

 

 そちらの方に目を遣ると、私の名前が書かれたお手製の応援団扇(うちわ)を両手に持って、キラキラと輝く瞳をこちらに向けている車椅子に乗ったウマ娘、ナズナグレートちゃんが出迎えてくれた。



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54R 春のファン大感謝祭(後編)

「ライブ見てました! もう凄くて… 何て言うか凄くて… もう勝負服も格好良くて…」

 

 興奮して語彙が消滅するグレートちゃんの横で、付き添いのご両親が苦笑しつつも幸せそうな表情を浮かべている。

 やがてお父さんと思しき男性が一歩前に出て、申し訳無さそうに私に会釈する。

 

「お忙しい所、お声がけして申し訳ありません。私共家族全員、スズシロナズナさんにどうしてもお礼を言いたくて… 娘に元気を下さり本当にありがとうございます!」

 

 今度は横のお母さんと一緒に会釈ではなく最敬礼。逆に私の方が(かしこ)まってしまう。

 

「あ、いえいえ、頭を上げてください! 私こそグレートちゃんのファンレターでどれだけ励まされたか… お礼を言うのはこちらの方です。ね、グレートちゃん、午後に体育館で私の企画したイベントやるの。是非見に来て」

 

 私の誘いにグレートちゃんはとても嬉しそうに「うん!」と全身で頷いた。

 

 そう、このあと体育館で行われるのは私の企画立案した「学園生徒による車椅子レース」、後に『伝説のトレセン学園杯』と呼ばれる事になる催しなのだ。

 

 ☆

 

 初めはグレートちゃんを喜ばせようと思って考えた、子供相手に車椅子体験してみよう、という程度のお祭り成分高めのアイデアだったのだけど、生徒会に話を持っていって以降あれよあれよと話が膨らんでいき、最終的には「車椅子レースの現役チャンピオンを招聘(しょうへい)して、学園のGⅠウマ娘と対抗させよう」という化け物企画に進化してしまった。

 

 なのでウマ娘による車椅子レースの現行チャンピオンであるゴールドギガントさんがゲストとして呼ばれ、生徒会長のトウザイブレイカーさんや、昨年の大阪杯の覇者レーザーディスクさん、今年の日経賞の覇者ナースホルンさん、そしてどういう経緯なのか当代最強のウマ娘ツキバミ嬢まで参加する。

 

 そこに私を加えた6人立ててレースが行われる。でもこれだけのメンツ揃えて更に私って要るかな?! 正直自分が走るつもりはサラサラ無かったのだけれども、生徒会長さんに「君も参加するんだろう?」と訊かれて「いいえ」とは言い切れなかった……。

 

 図らずもツキバミとの初対決となってしまった訳だが、ツキバミとて車椅子なぞ乗ったことは無いはずだ。私も乗ったこと無いけどこれで条件は50∶50(フィフティフィフティ)、勝機は私にもあり得るだろう。

 

 ☆

 

「まさかまたトレセン学園に帰ってこれるとは思わなかったわ。とても素敵なイベントを企画してくれてありがとうね。お礼にチャンピオンの走りを見せてあげるわ」

 

 20代後半と思われるゴールドギガントさん、聞けば以前は競走ウマ娘としてトゥインクルシリーズで走っていたそうだ。しかし腰の故障が原因で半身不随となり引退、それでも『走り』を諦めたくなくて車椅子レースに身を投じたらしい。

 

 その力強く自信に溢れた口調は、その辺のGⅠウマ娘よりもよほど生命力に満ちていた。そういう『夢』を諦めない姿勢は本当に尊敬する。

 それこそさっき歌った「ユメヲカケル!」にも『諦めないでI believe! いつか決めたゴールに』という歌詞があるのだが、『決めたゴール』とは中央のGⅠとは限らないんだよね… とても運命的な物を感じる。

 

 催しの規模は小さいが、トウザイブレイカー会長やツキバミも出場する、なんとも異彩を放つレースに観客の関心は高く、あっという間に体育館の客席は満員に。

 感謝祭の実行委員会が急遽外部の案内用の掲示モニターをモード変更し、簡易ながらテレビ中継っぽく仕立て上げてくれた。

 

 もちろん車椅子レースなので、車椅子使用のお客さんは最優先で前列のいい場所をキープさせた。これから走るトラックからも、期待と興奮に満ちたグレートちゃん一家の嬉しそうな顔が見える。

 

 スタートを控えて各選手が車椅子に乗り込み体を固定させる。

 レース用の車椅子は街でよく見かける車椅子とは大きくデザインが異なっている。前のめりに転倒しないように長く作られた前輪と『ハ』の字に配置された後輪が印象的な、(まさ)に「競うためのマシン」だった。

 

 練習する時間もほとんど無かったので、どうすれば効率的に前に進めるのかもよく分かっていない。だが周りを見る限り諸先輩方も似たような物だ。ここはナズナさんの若いパワーで押し切るしか無いだろう。

 

「企画が盛り上がっているみたいで良かった。秋の聖蹄祭の時にも何かアイデアを出してくれ」

 

 早くも車椅子を自由自在に使いこなしているトウザイブレイカー会長が、私に声をかけてきた。

 

「どうしてもこの企画を見せたかった人が客席に居るので、盛り上がってもらわないと困ります。だから生徒会長にもツキバミさんにも負けませんから!」

 

 私の答えに会長は満足げに大きく頷き、自分のコースへと戻って行った。

 

 体育館内のトラックを2周、400mを競うこのレース、今回はいつもの様に脚では無く腕の力が物を言う。

 

 でもさっき話した時にちらりと見たゴールドギガントさんの腕の太さって、私の太ももの太さとほとんど同じだったんだよねぇ… あれはドキュウセンカンといい勝負の太さだ。

 逆に長い車椅子生活を送ってきた彼女の脚の太さは、私の腕の太さとあまり変わらなかった……。

 

 グレートちゃん一家やカメやコロの見守る中、中山レース場でGⅠの時に流されるファンファーレが、学園備品のステレオプレイヤーから奏でられる。

 

 横一列に並んだ6台の車椅子、1枠ナースホルン、2枠は私、3枠トウザイ会長、4枠レーザーディスク、5枠ツキバミ、大外6枠がゴールドギガントという編成だ。

 当然スターティングゲートなど存在しないので、スタートラインで審判と進行係を兼ねたウマ娘が右手を高く上げる。

 

「位置について〜、よーい、スタート!」

 

 振り下ろされる手を合図に一斉に飛び出す6台の車椅子。

 まず驚いたのは自分の体の意外な重さだ。断っておくが私はデブでは無い。そしてウマ娘は通常の人間よりも高い筋力を有している。

 それでも私の車椅子は思ったほどには加速してくれなかった。まず出遅れ1名。

 

 更に私を混乱させたのが、隣のナースホルン先輩が走りながら車椅子を当ててきたのだ。反対側に目を遣るとツキバミとギガントさんも互いに激しいチャージ合戦を行っている。

 

 後で分かった事だが、ウマ娘の車椅子レースは『体当たりアリ』なのだそうだ。激しい! レース中の接触から転倒、負傷の経験のある私には、一瞬あの時の恐怖が蘇る。

 思わず加速の手を止めてしまう。これで出遅れ×2。

 

 あとはもう私のレースはグダグダで、そのまま誰一人追い抜く事も出来ずに最下位の6着と相成った。

 まぁメンツがメンツだから楽に勝てるとは思ってなかったけど、グレートちゃんの眼の前でこの体たらくは辛い。愛想尽かされちゃったかなぁ…?

 

 ちなみに1着は余裕でゴールドギガントさん。2着はトウザイ会長でツキバミが3着だった。

 非公式でしかも車椅子でのレースとはいえ、初めてツキバミに土を付けたギガントさんと会長は大喝采を受ける事になる。

 

 実はツキバミ自身かなり無愛想でほとんど喋らない人なので、メディア等の受けも普段からあまり良くない。なので何とかツキバミの悪い所を暴いてやろう、という不届き者は一定数いて、今回の件は彼らを大喜びさせる事だろう。

 

 ☆

 

「どうだった? GⅠウマ娘と言えど私の土俵じゃ負けないからね?」

 

 最後にゴールドギガントさんがわざわざ私に挨拶しに来てくれた。ちょうど観客席に、まだ健気に私の応援団扇を振ってくれているグレートちゃんが見えたので、

 

「さすがチャンピオンですよね、凄かったです… あ、それでですね、観客席で団扇振っている車椅子の娘が見えますか? あの子も車椅子のスポーツに興味があるそうなんですよ。後でギガントさんを紹介しても良いですか?」

 

 私の問いにギガントさんは一瞬瞳をウルっとさせながら、

 

「あら、未来のチャンピオンを紹介してくれるの? もちろん大歓迎よ!」

 

 そう心の底から嬉しそうな顔で答えてくれた。



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55R カメの戦い

 さて、前回書ききれなかった春ファンの顛末からいくつか書いていきたい。

 

 まず「チーム対抗歌合戦」だが、夕方に全チームの成績が一斉に発表され、優勝チームが表彰されていた。

 という感じに他人事の様に書いている時点でお察しだが、私達チーム〈ポラリス〉はあれだけの手応えを感じながらも14位という、なんとも微妙な順位の結果に終わってしまった。

 

 公表された採点表を確認すると、連携点は高かったものの歌唱とダンスの点数が思いの外伸びなかったようである。『歌唱』ってつまりセンターの私の責任って事なのかな…? やはり歌もダンスも練習不足は否めなかった、といった所だ。

 

 ちなみに優勝チームは「ユメゾラ」という元気な曲を歌ったチーム〈カペラ〉という所で、前回のオールカマーでアモ先輩と対戦した昨年の七夕賞覇者ピコグラムさんが所属している。

 いや正直『誰?』という気持ちは強いのだが、まずは『勝者には敬意を!』という事で素直に祝福したいと思う。

 

 優勝賞品の新しい勝負服は後日贈られるらしい。ちょっと羨ましくもあるけど、私は今の自分のデニムベースの勝負服が大好きなので別に悔しくは無いかな?

 

 カメとコロも「惜しかったねぇ」で話が終わってしまった辺り、私同様あまり執着していなかったのだろう。

 あの広くて豪華なステージで歌えてお客さんが喜んでくれたってだけで、もう十分すぎるほどに満足しているのだから。

 

 ☆

 

 最後にナズナグレートちゃんとゴールドギガントさんを会わせたのだが、これは失敗だったかも知れない。

 だってグレートちゃんったら、ギガントさんと会ったらもう私の事なんて見向きもしないで機関銃の様にギガントさんに話し掛けていたんだよ?

 

 彼女は私のファン第1号だったのに、自分の手でむざむざ他人(ギガントさん)にまるごと譲り渡してしまったような寂寥感を覚える。

 歌合戦で結果が奮わなかった事よりも、こちらの方が余程ダメージが大きい気がするね……。

 

「心配するな。あたしもカメもナズナのファンだから、これからも応援してやるよ!」

 

 私の表情を読んだのか、コロが珍しく気を遣った発言をしてくれた。その横でカメが笑顔で頷いてくれた。

 2人ともありがとう! 私もあんた達2人のファンだからね! ズッ友だからね!!

 

 ☆

 

 そんな感じで春ファンは平和 (?)に終了、私達も大レースを前に日常に緊張感が戻ってくる。

 

 春ファンも終わって日曜日、今日はクラッシック級のティアラロードの緒戦であるGⅠレース「桜花賞」が阪神レース場で行われる… のだが……。

 

「うわぁぁぁぁぁぁーんっ!! わぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 フィリーズレビューを見事制して桜花賞への出走を決めていたカメだったが、彼女は今、栗東寮の自室のベッドで布団を被り悔恨の激情を嗚咽とともに大量の涙と鼻水で外に吐き出していた。

 

 えーと、何があったのかと言うと、一昨日の夕飯後にカメが頭痛と倦怠感を表明してきた。一夜おいて翌日検温したところ体温が38.5度と高温だった事から急いで病院で検査、症状はただの感冒(かぜ)だったが、源逸さんときりさんの2人の判断で桜花賞への出走は取り消されてしまったのだ。

 

 一生に一度の桜花賞、カメは「明日には絶対治しますから!」と頑なに阪神行きを主張したが、その意見が汲まれる事は無かった。

 

 阪神ジュベナイルフィリーズで10着になった時も涙を見せる事の無かったカメが、今日はここまで取り乱している。

 初歩的な体調管理の失敗で大事なGⅠを逃した事、そんな自分を許せない気持ちがひしひしと伝わってくる。

 

 そして子供の様に大声で泣くカメに何もしてやれない自分が不甲斐なくて、私まで涙が出てくるよ。

 よくカメが私にしてくれたみたいに、そっと抱きしめてあげれば良いのかな? 答えが分からない……。

 

「カメ…」

 

 中にカメの入っている布団の塊に話しかける。号泣から次第に(むせ)び泣きに変わってきたカメが、今初めて私の存在に気付いたかのようにビクリと動きを止める。

 

「ナッぢゃん…」

 

 布団の中からカメが話しかけてきた。泣いて鼻の詰まった声で私の名を呼ぶ。やがて被っていた布団から頭だけを出してこちらに顔を向ける。

 

「ナッちゃんも来週レースでしょ? 感冒(かぜ)感染(うつ)したら申し訳ないから、暫くアイリスさんの所とかに避難しててくれる…?」

 

 カメの顔は涙と鼻水でデロデロだ。それでも私を気遣って、私の為の言葉をくれる。そんなカメを笑ったり冷やかしたりする真似は私には出来なかった。

 

「ありがとカメ、でも私は病気には強いから大丈夫だよ。そもそもカメが発熱した時点でもう感染るなら感染ってるって。それにこういう時の為のルームメイトじゃん。寮長さんだって忙しいんだからもっと私を頼って良いんだよ…?」

 

 頼られても大して役には立たない自覚はあるけど、側にいるだけでも気持ち的には助かると思うんだ。少なくとも私が落ち込んだ時にはカメに側にいてもらってとても心強かった。

 

「じゃあ… じゃあさ、トレーナー事務所に直訴しに行くからちょっと付き合って!」

 

 そう言うとカメはおもむろに起き上がり、洗面台で顔を洗い始めた。

 

「え? 直訴ってどういう事? 何する気さ…?」

 

「良いから。ナッちゃんは横にいてくれるだけでいいよ…」

 

 状況が分からず混乱する私を後目に、制服に着替えて身支度を整えたカメは1人で脇目もふらずに部屋を出ていった。

 

 カメは普段優しいけど、一度決めた事は頑として譲らない性格でもある。多分何かを『決めて』その承認を得るためにトレーナー事務所に向かうのだとは思うが、その決めた何かが分からないのでとても不安だ。

 まさか「チームを抜けます」とかじゃないだろうな…?

 

「ちょっとカメ、待ってよ! それにあんた熱は大丈夫なの?」

 

 私の問い掛けに一瞬足を止めたカメは(ふところ)から何か細長い物を出して私の方に放り投げてきた。

 慌ててキャッチしたのは電子体温計。その表示版には36.8℃の文字が浮かんでいた……。

 

 ☆

 

「きりさん、次走はアーリントンカップでお願いします!」

 

 事務所に入るなりカメは高らかに宣言した。

 『アーリントンカップ』は今週土曜日、つまり私の皐月賞の前日に阪神レース場で行われる、クラッシック級GⅢレースの1つだ。

 

「そろそろ来る頃だと思ってたぞ。ある意味ティアラ路線よりもそっちの方が良かったんじゃねぇか?」

 

 源逸さんとその横で静かに微笑んでいるきりさんは、こちらが何も言わずともカメの考えを全て理解している風だった。



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56R カメの意地と私の挑戦

 私達クラッシック級ウマ娘の走るGⅠレースにはクラッシック路線とティアラ路線という、大きく分けて2つのルートがあり、それは中距離〜長距離が得意な娘向けのクラッシック路線と、マイル〜中距離が得意な娘向けのティアラ路線という認識でおおよそ間違い無い。

 

 クラッシック路線とティアラ路線はそれぞれに3つのレースが開催されるのだが、実はそれとは別にクラッシック級の年度にのみ走れるURA公認のGⅠレースが他に2つある。

 

 ひとつは地方レースの「ジャパンダートダービー」。こちらは(ダート)のレースなので芝コース専用の私達には関係ない。

 もう1つが「NHKマイルカップ」という、1600m(マイル)のヤングチャンピオンを決定するレースだ。

 

 カメの距離適性は短距離〜マイルで、2000mを超える距離のレースとはかなり相性が悪い。

 GⅠのティアラ路線は初めの桜花賞でこそ1600mだが、続くオークスや秋華賞は共に2000m以上となりカメには苦戦が予想される。

 

 桜花賞が穫れなかったのならば無理に相性の悪いティアラ路線にしがみつく理由もない。そのままシニア級に混じって短距離〜マイルのレースに絞って戦っていく方がカメの適性に合っている、とも考えられる。

 

 そして今日カメの走るアーリントンカップは、そのNHKマイルカップのトライアルレースでもあるのだ。

 散々説明してきたのでトライアルレースが何なのかはもう説明しない。

 

 とにかく、カメは次の目標をNHKマイルカップに定めて直訴に訪れ、きりさんらトレーナー陣も初めからそのつもりだった、という事だ。『出走を取り消された腹いせにチームを抜けてやる』なんて物騒な話じゃなくて本当に良かった。

 

 ☆

 

 桜花賞はドキュウセンカンが出走していて、得意のブロック戦法で良いところまで行ったんだけど、終盤に複数の仕掛けを受けて対処しきれずに、最後はオオエドカルチャーという小柄で気の強そうなウマ娘が差し切って優勝した。

 

 ドキュウのあの戦法はもう対策されつくしてGⅠレベルではもう通用しないんじゃないかな? あの娘も色々と考える時期が来ているのでは無いかとも思える。

 

 ちなみに同日、同じ阪神レース場でアモ先輩が大阪-ハンブルグカップ(OP(オープン) 2600m)に出場、こちらは危なげなく優勝している。

 

 ☆

 

 そしてカメのアーリントンカップ当日、カメは最終直線で10人抜きの大爆走を見せて優勝し、見事重賞2タイトルホルダーとなる。更にこの時のタイムは桜花賞優勝時のオオエドカルチャーに実に2秒もの差をつけるものだった。

 

 どういう事かと言うと、桜花賞とアーリントンカップは共に同じ阪神レース場で行われる同じ1600mのレースであり、アーリントンカップは疑似桜花賞とも解釈できる。

 つまり同じ条件で走っていたらカメがオオエドカルチャーよりも2秒早くゴールしていたという事に他ならない。

 

 これはカメの逃してしまった桜花賞へのリベンジだったのだと思い知らされる。カメの穏やかな顔の裏に隠された執念を垣間見て、背筋が凍る思いだった……。

 

 ☆

 

 更に翌日、いよいよ私の… いや多くの国民が待ち望んだクラッシックGⅠロードの緒戦、皐月賞が開催される。

 

 カメが阪神レース場でばかり連戦しているのと同様に、私は最近中山レース場でばかり走っている気がする。

 もちろん今日の皐月賞の舞台も中山レース場だ。そしてもちろん(?)天気は雨だ。昨夜から降り続いた雨が芝を濡らし、第1レース開始前の時点で場発表は『重』、メインレースの頃には多数のウマ娘に踏み荒らされ、確実に『不良』となるだろう。

 

 それでも中山レース場には概算で24000人と、たくさんの人達が応援に来てくれた。

 

 皐月賞のメンツは人気順にスメラギ、リリィ、セイバー、ジュニアGⅠである朝日杯フューチュリティステークスの覇者パッションオレンジ、弥生賞と同じく皐月賞のトライアルだったスプリングステークスの覇者トッカンクイーン、お馴染み私スズシロナズナ、やはり皐月賞トライアルで

コロの惨敗した若葉ステークス覇者、ホープフルステークスでも対戦したリンカイパワフルといったところだ。

 

「ナズナちゃん、お久しぶり〜。今日も良いレースにしようね」

 

 パドックに向かう地下道で、私を見つけるなり飛び込んで抱きついてきたリリィ。どんだけ私の事が好きなのよ?

 

「やれやれ、相変わらず仲が良いわね…」

 

 その様子を苦笑しながら茶化してくるスメラギ。スメラギを視認するとリリィは「あ、スメラギちゃんだ!」と私から離れてスメラギに抱きつきに行く。

 明らかに距離感がバグっているリリィにスメラギがしどろもどろにリアクションしている様がとても面白い。

 

「おう、揃っとるな。今日こそお前らまとめて置き去りにしたるから覚悟しとき!」

 

 セイバーも元気そうだ。なんか『孤高の戦士』みたいなオーラ出してるくせに、妙に構って欲しそうなんだよね。実はツンデレ属性なのかな?

 

「ブラックリリィにクリスタルセイバー… 他にも速そうな人がたくさんだ! あたしはパッションオレンジ、はじめましての人が多いけどよろしくね!」

 

 私と同じ栃栗毛を雑に切り揃えたショートカットでボーイッシュなウマ娘、パッションオレンジだ。直接絡むのは初めてだけど、リリィ、セイバーに並ぶジュニア王者の一角だ。油断は出来ない。

 

 実はこういう『爽やかスポーツ女子』タイプの娘は嫌いになれないから戦い辛いんだよね。

 もっとこう、「こんちくしょうっ!」って思うくらい性格の悪い相手の方が戦い易いよね。私みたいな奴が相手なら他のメンツも相当戦い易いはずだ……。

 

 ハッ?! という事は私がもっと可愛いくて憎めないキャラになって媚を売れば、他のライバル達は力を出しきれ無くなって私が勝てるようになる…? 訳ないよな。アホくさ… 何考えてんだ私は……。

 

 見慣れたメンツが多いせいか、GⅠだというのにそれほどの緊張を感じていない。まぁバカな事を考えられるくらい心に余裕があるのは、リラックス出来ている証拠として良い事だと割り切りますか……。

 

 ☆

 

 そしてレース開始時間となり、午後から収まるどころか強さを増してきて、もはや視界すらはっきりしない篠突く雨の中、総勢16人の強豪ウマ娘がスターティングゲートから足元の悪い戦場に飛び出した。




キャラクタービジュアルイメージ
トウザイブレイカー≫エアグルーヴ
オオエドカルチャー ≫ ナリタタイシン
パッションオレンジ≫メジロライアン


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57R 意外な結末

 レース開始後、鼻に立ったのはクリスタルセイバー。『逃げ』作戦の娘が他にも3人居たようで、その4人で先頭争いをしている。

 

 それにすぐ後続する第2集団の先頭にスメラギが位置取ったので、私は当面スメラギをマークして走っている。リリィはいつもより後方寄りで、視界の悪い中それでも後ろから全体を掴もうとしているのかも知れない。

 パッションオレンジもリリィをマークしているのか、レースの流れを慎重に読んでいるのか、後方に待機している感じだ。

 

 先頭争いの人数が多いと、少しでも前に出ようと小競り合いが多発して、結果全体的にハイペースのレースになりがちだ。

 先頭集団に置いていかれない程度に速度を上げつつ、終盤で追い上げの全力疾走ができる程度には体力を温存する必要がある。

 

 何より雨が強くて自分がレーンのどの辺を走っているのかすら、周りの子たちの位置から推測して走っている有様だ。

 セイバーら先頭集団が前にいるのは分かるのだが、その距離感はまるで掴めない。悪いけどスメラギにぶら下がって彼女のペースに合わせて後を追っている。

 

 第2コーナーの時点で自慢の勝負服は前の娘の靴跳ねで泥だらけ。雨を想定してブーツの履き口をきつく縛っておいたのだけれども、容赦無く水滴はブーツの中に入り込み、中も既に雨でビシャビシャ。一歩ごとに靴の中の水分が対流し、気持ちの悪い感触がレースへの意欲を減退させる。

 

 しかも雨音が激しい上に、口を開くと雨が口に入り込んで来るので今回は『ささやき戦法』は使えない。

 

 向こう正面に入ってスメラギがペースを上げた。仕掛けるにはまだ早いタイミングだが、それほどまでに先頭集団がハイペースなのだろうか?

 

 私もスメラギに追従する様に速度を上げて第3コーナーに差し掛かる。全体の流れが捉えきれていないせいで、仕掛けどころが分からないのが(つら)いし怖い。

 

 その時、後方に大きな『圧』が2()()湧き上がる。

 1つは覚えがある、リリィの《領域(ゾーン)》である《ふわふわ》だろう。レースが早い展開になったのを感じてか、こちらも早目の発動と思われる。

 

 もう1つは位置的にパッションオレンジだろうか? 彼女に関しては実地のデータが無いので推測でしか無いが、ジュニア王者なのだから《領域(ゾーン)》を習得していても何ら不思議はない。

 リリィを徹底マークして、《領域(ゾーン)》の発動すらもタイミングを合わせてくる辺り、単純そうな見掛けに依らずレース巧者なのかも知れない。

 

 後続の追い上げで全体が短くなる。セイバーの先頭集団からスタミナを切らせて脱落したウマ娘が、視界の悪い前方から不意に現れる。予期せぬ垂れウマに第2陣の私達のグループの何人かが引っ掛かり減速を余儀なくされていた。

 

 もちろん私やスメラギはそんな事で順位を落としたりしない。スメラギは器用に垂れウマを回避して、着実にセイバーの尻尾を捉えている。私はスメラギを防波堤にして楽をさせてもらっていた。

 

 今気にするべきは前方よりも後方のリリィやパッションだろう。既にレースは第4コーナーを越えて最後の直線勝負となりつつある。

 

 私もここからが本気の追い上げだ。スメラギのロングスパートに付き合って予定よりも多くの体力を消耗したが、まだラストスパートを掛ける余力くらいは残してある。

 もう雨がどうとか泥がどうとか言っていられない。後ろのリリィやパッション、前のセイバーやスメラギを(おさ)えて勝利するのはこの私だ!

 

 例え《領域(ゾーン)》が発動しなくても私は勝つ! そのためにトレーニングしてきた。私だけの力じゃない、アイリスやアモ先輩から与えられた力を今ここで爆発させて、カメやコロ、私の家族やグレートちゃん、そして雨の中観客席で私を応援してくれているファンの人達。必ず皆の想いを成就させる。絶対に勝ってやるんだ!! 

 

『!!!』

 

 直線から坂に掛かる直前、懐かしい感覚が私を包む。時間が止まったような感覚、体が軽くなり空を飛んでいる様な気分……。

 

「来たっ…!」

 

 この感覚は間違い無い。私の《領域(ゾーン)》が始まったのだ。

 起こそうとした物では無かったし、前回の反省もあって正直今回はあまり期待をしていなかった。その心構えが逆に功を奏したのか、図らずも私の《領域(ゾーン)》が発動し、大きな加速力を得る。

 

 追い縋るリリィやパッションはもちろん、前を走るセイバーやスメラギを置き去りにし、坂を登り切る頃には私が一躍先頭に躍り出る。

 同時に観客席から沸き上がる爆発的な歓声。中山の坂はキツイが直線の距離は短い。ここで先頭に出てしまえば後はもうゴールするだけ。

 ここから私を抜けるウマ娘は存在しない。私は遂に念願のGⅠの勝利を……。

 

 その瞬間、ただでさえ雨でぼんやりとしていた視界が真っ暗になった。首から頭頂にかけて千枚通しで何度も刺される様な痛みが走り思考が死ぬ。

 

 体は動いている。走っている。だがどこがゴールか分からない。私は今ゴールに向かっているのか…? 

 観客席からの大歓声は私の勝利を讃えてくれているものなのか? 時折交じる戸惑いの声はそれとも別の何かなのか?

 

 何も見えない。何も分からない。何も考えられない。《領域(ゾーン)》が発動した後の耐え難い頭痛で意識も保っていられない。

 

 やがて私は何か硬い板状の物にぶつかって倒れ込んでしまった。倒れて意識を失う直前に一瞬だけ視界が開ける。

 それは観客席の目の前、外ラチだった。私はゴール手前で斜行、いや逸走して外ラチに激突したのだ。

 

 再び暗転する視界、降りしきる雨の中、私の意識も泥の中に沈んでいった……。



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58R 告げられた真実

 目が覚めると知らない天井だった。部屋は主照明が落とされていて暗い。頭上の間接照明と、私に繋がれている何らかの機械の画面に映し出される数字の光のみが、この狭い部屋(せかい)を照らしている。

 

 頭がぼんやりして思考もハッキリしない。体中が(だる)くて手の指ですら動かすのが億劫だ。今分かるのはどこかの簡易ベッドに寝かされている事と、むち打ち症の時に使われる大きな首ギプスで顔の向きを正面に固定されている事だけだ。

 

 第一印象としては、どこかの病院の病室だ。

 えっと… 何があったんだっけ…? 確か皐月賞を走ってて、最後の直線で《領域(ゾーン)》を発動させて、ライバル達を抜き去って先頭に立った所までは覚えている。

 

 問題はその先だ。激しい頭痛から軌道修正が出来なくなって、外ラチに衝突するほど逸走してしまったらしい。

 全速力じゃなかったけどあれは痛かったなぁ。でもそれ以上に、頭が本当に割れてしまうのでは無いかと思うくらいの酷い頭痛だった。

 

 …………。

 

 そこまで考えて徐々に頭が冴えだしてきた。私は寝てる場合じゃないんじゃないか? レースは? 皐月賞はどうなったんだ?!

 

 私は慌ててナースコールのボタンを探し、怠くて重い右手に全精力を込めてボタンを押し込んだ。

 

 ☆

 

 ナースコールで来てくれた若い看護師さんから大まかな説明を受けた。

 レースで倒れた私は、中山レース場近くのこちらの病院に緊急搬送されて、実に丸一日以上昏睡状態だったらしい。

 

 担当の看護師さんはレースの事には詳しくないらしく、皐月賞の結果に関しては『私が事故でゴール未達のため失格』となった事以外は知らないそうだ。

 

 とりあえず学園に連絡してもらい、チームの人間の誰かが迎えに来るという所まで話を進めてもらった。

 その間の暇つぶしと情報収集を兼ねて、看護師さんに頼んで病院の売店でスポーツ新聞を数種類購入してきてもらう。

 

「皐月を獲ったぞブラックリリィ!」

「まずは1勝! 波乱の皐月賞、続くダービーはどうなる?!」

「ゴール直前で逸走、どうしたスズシロナズナ!?」

「皐月賞覇者ブラックリリィ、勝利者インタビューで『ナズナちゃんが心配』と優しい気遣い」

 

 各紙の皐月賞に関する見出しはこんな感じだ。とりあえずリリィが勝ったらしい事は理解した。

 新聞を読み解くに、2着以下は順にパッションオレンジ、クリスタルセイバー、リンカイパワフル、トッカンクイーンで、スメラギレインボーは8着だった。

 

 スメラギ(あのこ)の事だから、私の逸走からの衝突事故を目の当たりにして、気が動転して脚を止めてしまったのだろう。悪い事をしてしまった。

 

 上記最後の「リリィが心配云々」はかつて私を取材して『鉄人』の称号を名付けてくれた優駿タイムズさんの記事だ。

 記事を読むと、私を心配してなのか、後のウイニングライブにも今ひとつリリィの覇気が無かったそうだ。リリィにも心配を掛けてしまった。今頃はエバシブ経由でリリィにも私の回復は伝わっているだろう。

 

 記事の終わりにはこうあった。

「スズシロナズナは『鉄人』である。以前本紙記者の前で見せたガッツは、ツキバミ目当ての観客の何割かの心を鷲掴みにして、スズシロナズナに転向させるに相応しいものだった。本記事執筆の時点では彼女の容態に関する情報は流れていない。それでも本紙は言い続けよう。『スズシロナズナは鉄人である』と! 『彼女の更なる復活を信じている』と!」

 

 記事の最後にあの大阪弁の変なオジサン、新城記者の名前があった。この人にもいつかお礼をしなくちゃいけないねぇ……。

 

 ☆

 

「もう、ナッちゃんのバカ! あんぽんたん! おたんちん! 何度も心配させて!!」

 

 病院からの知らせを聞いて急いで飛んできたのは、源逸さんとアイリスとカメの3人だった。なんでもチーム全員で来ようとしていたのだが、さすがにお見舞いとしては大人数すぎるので絞ったそうだ。

 上の罵詈雑言は私の顔を見るなり、涙目でカメが叫んだ言葉だ。病院の中なので騒いじゃダメだよ?

 

 担当トレーナーが来た、という事で診察を兼ねて医者が私の状態を説明してくれるらしい。

 病室のベッドから車椅子に乗せられて、カメに押されて移動する。車椅子と言えばグレートちゃんにはまた格好悪い所を見せてしまった。

 ゴールドギガントさんの件もあるから、グレートちゃんにはいよいよ愛想を尽かされてしまった気もするよ……。

 

 ☆

 

 気分や体調への簡単な問診の後、担当医さんが机の上のパソコンを操作して、私の頭部の断面図写真を画面に映し出す。

 さすがにちょっとキモい。でも私の中にも図鑑と同じ様な器官がちゃんとあるんだ、という事に妙に感心してしまう。

 

 私の方はかなり前に頭痛も治まって、首のギプス以外は平常通りなのだけれど、私以外の3人は真面目な顔でニコリともしない。みんな深刻に考えすぎているんじゃないかな…?

 

「検査の結果、スズシロナズナさんには頸椎に損傷が見つかりました。これは恐らく昨年末の転倒の際に負った傷が悪化したもので、早急に治療に当たらないといずれ脊髄を傷めて首から下が動かなくなる可能性もあります…」

 

「え……?」

 

 担当医さんの説明に、頭痛とは別の理由で目の前が真っ暗になる。

 私自身『どうせ大した事ない。だって私は鉄人だからね!』と高を括っていた。何事も無かったかの様に次のレースを走れると思っていた。それなのに……。

 

「な、何かの間違いじゃないんですか…? 前の医者(せんせい)は骨や脳に異常は無いって…」

 

 しかし、私の(ささ)やかな抵抗を一蹴するかのように担当医さんは静かに首を振った。

 

「あの時の写真を急いで取り寄せて照会しましたが、当時は影も小さく医師の判断で『危険』という診断を避けた物と思われます。それにレースの様な極度のストレス状態を何度も続けた事で損傷部分が肥大してしまった可能性もあります…」

 

「……」

 

「神経的な後遺症の示唆はされていませんでしたか? 恐らく今までも慢性的な頭痛や頚痛を引き起こしていたのでは無いかと予想されるのですが…」

 

 …確かにちょこちょこと細かい頭痛は頻繁にあったし後遺症の注意も受けた気がする。私はそれをただの偏頭痛と解釈してアイリスに相談すらしなかったのだ……。

 

「それで先生、ナズナはどうなるんですか…? もうレースは走れないんですか?」

 

 アイリスが担当医さんに詰め寄る。彼女の美しいシルバーの瞳が悲しみにくすんで鈍色(にびいろ)になってしまっている。

 

「レースを続行されるつもりがあるのなら、一刻も早い治療をお勧めします。治療期間は恐らく半年ほど掛かりますが、この後の人生を考えれば選択の余地は無いかと…」

 

 医師の言葉は来月に日本ダービーを控えたクラッシック級のウマ娘にとって、全くデリカシーに欠けた無慈悲なものだった……。



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59R 車中会議

「今回のスズシロナズナさんの資料は全て府中の『URA総合医療センター』に送っておきますね。とりあえずお帰り頂いて結構ですが、くれぐれも激しい運動等されませんように…」

 

 URA総合医療センターとは、トレセン学園近郊にある、URAの出資管理するウマ娘の治療にかけては国内随一と言われる大病院で、打ち身から骨折まで様々な治療を始め、屈腱炎や繋靭帯炎といったウマ娘にとっての『死病』ともされる様な病気にも高いレベルの医療を行える大変ありがたい施設だ。

 

 早く東京に帰りたいという私のワガママで無理矢理退院の許可を得て、そそくさと病院を後にする。

 どうやら源逸さんがマイカーを出してくれたそうで、5人乗りの高級セダンで車の乗り心地は良いのだが、道中誰も何も話さないのでとても空気が重い。

 

「なぁ、ナズナ… お前はどうしたい…?」

 

 運転中なので目を正面に向けたままだが、長かった沈黙を破って源逸さんが私に質問してきた。

 

源逸(せんせい)! 私は反対です。ナズナは本当に強い子なんです! 今からちゃんと治せばシニア級には…」

 

 助手席のアイリスが割って入る。アイリスの気持ちも嬉しいのだけど、やはり私は……。

 

「お前には聞いてねぇ! ちょっと黙ってろアイリス… お前の意見は後でちゃんと聞いてやるから、まずはナズナの気持ちだ」

 

 源逸さんから一喝されて、怯えた様に(すく)むアイリス。了解の合図なのか、後部座席に振り返り私に視線を送ってきた。

 

「私は… 私は走りたいです… だって一生に一度のクラッシック、しかも次は日本ダービーですよ? よちよち歩きの頃からダービーを目標に頑張ってきたんです。ここで… こんな所で諦めたくないっ…!」

 

 私も今の気持ちをぶち撒けた。たとえその先に良くない事が待っていたとしても、『やらない後悔』より『やった後悔』で終わりたい。

 

「ふむ… 待たせたなアイリス。お前の意見は…?」

 

 私の言葉を伏せ目がちに聞いていたアイリスが源逸さんの声にビクリと反応するかの様に身じろいで見せた。

 

「…私はナズナはすぐに治療を受けるべきだと思います。私はナズナのトレーナーです。『ナズナのレーサー人生』を第一に考えたいです。ナズナは丁寧に育てて来年のシニア級GⅠで勝負するべきです… ナズナは、ナズナは使い捨てのマシンじゃないんです…」

 

 言葉の途中でアイリスも涙声になってきている。アイリスと私の意見は真っ向から対立する物だが、アイリスの意見は全面善意から発せられているのだ。

 

 担当になって以来、アイリスとはしょっちゅうケンカしてきた。まぁ多分に私が一方的に歯向かっていただけだけどさ……。

 それでもアイリスはずっと正面から私にぶつかってきてくれた。いつでも私が勝つための作戦を考えてくれた。そして今、来年以降を走るためのプランを真剣に考えてくれている。

 

 アイリスの気持ちは強く伝わっているし、その思いには感謝しかない。

 

 それでも、それでも私は……。

 

「カメ、お前はどう思う? ナズナの親友兼ライバルとして」

 

 アイリスの意見に特に反応を見せずに源逸さんはカメに話題を振った。

 

 まさかここで意見を求められるとは思っていなかったのか、魂消(たまげ)て呆けた顔で動きを止めるカメ。

 

「わ、私ですか?! …私は、分かりません。ナッちゃんの気持ちもアイリスさんの気持ちも痛いほど分かるから… 何とか怪我の進行を抑えつつレースにも出られる様な手があれば良いんですけど…」

 

 カメの言葉を最後に再び沈黙に包まれる車内。本当、そんな良い手があるなら採用したい。いや、ひょっとしたらあるのかも知れない。どうせ府中の医療センターにも通う事になるのだから、行ったついでに聞いてみても良いだろう。

 

「そうか… 実は俺も正直判断つかなくてな… 実は過去に何人も似たような事例で目標のレースを諦めさせてきたんだ… でもな、でも決まって皆その後の『心』が続かずに埋もれちまう… もしかしたら俺がその『心』を殺してしまっていたんじゃないかって、ずっと引っ掛かっていてな…」

 

「それは違いますよ、気を確かに持って下さい先生! 少なくとも私は先生が殴って止めてくれなければ、今頃は右膝から下が無くなっていました。だから… だからそんな風に言わないで下さい…」

 

 源逸さんの呟きをアイリスが必死にフォローする。そう言えばアイリスの現役時代の詳しい話って聞いてないなぁ。源逸さんがトレーナーで膝を故障して引退、その後トレーナーを目指したって事くらいしか知らない。

 

「アイリスよ… お前とはもう20年近い付き合いになるよな…?」

 

「え? はい、そうですね…」

 

 源逸さんの唐突なネタ振りに頭がついてこれずに一瞬反応が遅れるアイリス。

 

「その長い付き合いの中でお前を殴ったのは()()()の一度だけだ… もう今のが答えなんじゃねぇのか? お前みたいな冷静な子でも殴って言い聞かせないと抑えられない程の衝動、闘()心、俺は…」

 

「やめてください! 私は先生に感謝しているからこそチームにも残ったしトレーナーへの道も目指しました! そんな… 今になって揺れないで下さいよ…」

 

「なぁ、アイリス… もしお前があの時に、『マイルチャンピオンシップ』を走っていたら…」

 

「先生、止めましょう。昔の話です…」

 

 源逸さんとアイリス、2人だけの昔話に興じているが、あまり楽しい話では無さそうだ。

 

 アイリスもトゥインクルシリーズの間に故障して引退しているウマ娘だ。目標を無念な形で断念する悲しみは私以上に味わっているはずなのに……。

 その上でアイリスは「『今』を諦めて『未来』を取れ」と言ってくれているんだ……。

 

 私は… 私はどうしたら……。

 

「ナズナよ、やはりトレーナーとして走りの継続にゴーサインは出せん。大事な娘さんを預かっている手前、お前に何かあったら故郷のご両親に顔向け出来んからな。すまんがダービーは諦めて…」

 

「いやですっ!」

 

 源逸さんに最後まで言わせたらこの話は終わってしまう。私の気持ちを聞いたくせに、私の気持ちを無視した結果になってしまう。

 それでは何のために話を聞かれたのか分からないじゃないか。私の気持ちを数の暴力で決めないで欲しい。

 

「ナズナ…」

 

 3人共に言葉は無い。この隙に私はスマートフォンを取り出して、電話帳の『お父さん』の番号を押す。

 

「もしもーし、どうしたナズナ? 大きな怪我はしとらんてトレーナーさんから聞いちょるけど、何かあったとね?」

 

 脳天気な父の声がスピーカーモードのスマホから車内に響く。カメもアイリスも私が何を始めたのか理解できずに動きを止めたままだ。

 

「あのねお父さん、大事な話があるったい…」

 

 私は今回の件のあらましを父に相談した。そして『子供の頃からの夢を叶えるために今少しのワガママを許して欲しい』事も。

 

 一通り私の話を聞いた父は、しばらく無言でいた後でこう返してきた。

 

「…電話口で出せる答えや無かろう? 明日お母さんと東京ば来るけん、トレーナーさんも交えて、キチンと会って話そうや…」



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60R 最終決定

 翌日、私とアイリスは朝から病院に検査に行かなければならなかったので、私の両親を迎える為に空港へは目黒トレーナーが代わりに行ってくれる事になった。

 

 夕方になって診察を終えた私達とカメ達が学園近くのファミリーレストランで合流する。

 後から源逸さんも来るとの事だが、目黒さんは用事があるとかでそそくさと学園へと戻っていった。

 

 結果、私とアイリスと私の両親の4人でテーブルを囲んでいる状況だ。

 私の診察はとりあえずレントゲンとCTを撮って、ロキソ系の痛み止めを2週間分貰ってきた。「これでも痛みが治まらなかったら次はモルヒネですよ。レースどころじゃなくなりますからね?」としっかり釘を刺されている。

 

 ☆

 

「まずはナズナが元気そうで安心したったい。あげん派手に転んでから、町会長やらたまがってテレビん前でバリ固まっとったけんな!」

 

 源逸さんが来てから本題に入ろうと言うことで、他愛もない(?)雑談中なのだが、父の地声が大きくて周りに響いて恥ずかしい。

 

「お父さん、声が大きか。ナズナが困っとぉよ。ナズナ、今は痛みとか無いと? ウチがウマ娘やったらまだナズナの体の事とか分かってあげられたんやけどね… こげん時に限ってヨっちゃんもミヨちゃんも連絡つかんかったし、あ、ナズナ知っとぉ? イっちゃん東京の高校に入ったとよ…」

 

 母も母で話があちこち飛んで取り留めがない。ヨシとミヨは正月に会ったけど、イチとは何年も会ってないから知らないし連絡も取ってないよ。アイリスも隣でリアクション取れなくて冷や汗流してるよ!

 

「す、鈴代さん達もお元気そうで何よりです…」

 

 冷や汗通り越して顔が青くなりつつあるアイリス。うちの両親が2人とも空気読めなくてゴメンね……。

 

「アイリス先生も相変わらず綺麗かねー。うちの辰雄の嫁に欲しかー。どげんね? な、母さん?」

 

「そうねぇ。こげんやーらしかお嬢さんなら我が家は大歓迎よ」

 

「やっ、やらしい?!」

 

 両親の『田舎のオッサンオバチャンあるある攻撃』と慣れない方言に戸惑うアイリス。こういう狼狽えるアイリスの顔はレアなので記憶にしっかり刻んでおこう。

 ちなみに辰雄とは私の兄の事だ。兄も男ばかりで出会いの無さそうな職場なので嫁探しも切実なのだろうが、私的にアイリスはちょっとなぁ……。

 

「『やーらしい』は『可愛い』の意味だよ、お母さんが佐賀人なだけで『嫌らしい』じゃないからね」

 

 それだけフォローしておこう。それを聞いたアイリスも「そうなの?」と少し安心した顔をしていた。

 

「お待たせしました。鈴代さんお久しぶりです、矛田です」

 

 ちょうど話にオチがついた所で遅れていた源逸さんが現れた。父も立ち上がり2人笑顔で握手をする。この良い雰囲気のまま会合を終わらせられれば良いんだけどなぁ……。

 

 ☆

 

「…話は大体分かったとです。ナズナよ、お父さんもお母さんもナズナがこげんこまか頃からダービーが夢だった事は知っとる。可愛い娘の長年の夢やけん叶えさせてやりたか…」

 

「お父さん…」

 

 さすが私の親、娘の気持ちを分かっていらっしゃる。

 父の意見に源逸さんやアイリスが反論しようと口を開いた所で、それらを遮って父が言葉を繋げる。

 

「ダービーに出られるだけでん超エリートだって分かっとぉし、ナズナや先生方がそれだけ頑張った事も理解しとる。ダービーに出られるモンなら出してやりたか。でもなナズナ…」

 

 父の瞳が真っ直ぐ私を見つめる。普段おちゃらけた顔しか見せない父が真剣な顔をしている。

 

「親として娘が危険な目に遭うのが分かっとって『どうぞどうぞ』っち送り出す奴は外道ばい。オイはそげん恥知らずにゃなりたくなか。やけんナズナ、ちゃんと治して未来に賭けり。ダービーは諦めとうせ…」

 

 …何だよ、お父さんも『あっち』側かよ?! 裏切者! 眉を怒らせて反論しようと私が立ち上がりかけたところで母が軽く挙手をしてきた。

 

「ちょっと良かかしら? お父さん、それやとナズナが可哀想すぎます」

 

 父と対峙するべく私側に立って弁護してくれるのだろうか? ここで私が激昂してキレ散らかしたら周りの迷惑になる事を見越して参入したものと思われる。

 

「しゃーしか。女の出る幕や無か!」

 

「あら、ナズナはウマ娘で女の子ですよ? 女が出らんでどぎゃんするとね?」

 

 父の一喝に怯むことなく反論する母。おっとり型であまり口論を好まない母は、良くも悪くも九州男を煮詰めた様な父とは殆どケンカをしてこなかった。少なくとも私や兄の前で夫婦喧嘩を見せた事は無かったはずだ。その母が珍しく父に絡んでいる。

 

「ナズナの性格は私達が一番良く知っとぉはずでしょ? あの子をレースに出さんで後々嫌な事があったらなんでんかんでん私らのせいにしてブーブー文句たれよるよ? 幼稚園の運動会の事、忘れたと?」

 

 いや、お母様… それはそうかも知れないけど全然フォローになってませんよ…?

 

「うぐ… ならどうするとか? これで走らせてナズナに何かあったら泣くに泣けんばい」

 

「ナズナ、あんたは治療ば受けたくないんやなくてダービーを走りたいだけっちゃろ?」

 

 私は母の問いに真剣に頷いた。秋の菊花賞はもう無理としてダービーは… ダービーだけは逃したくない。ウマ娘なら誰しもが憧れる日本ダービー、その舞台に手が掛かっているのだ……。

 

「そんならあと1戦、ダービーだけでも走ってみたら良かばい。それでもしナズナの体が不自由になっても母さんが支えてやるけん…」

 

「お母さん…」

 

「お父さんもそれで良かね? ダービーさえ走れれば良いと。ね、ナズナ?」

 

 私は再び無言で先程よりも強く頷いた。父の返答は……。

 

「う〜ん、確かになぁ… ナズナは機嫌崩したらしゃーらしいからなぁ…」

 

 説得は良い感じに進んでいる様だが、私のネガティブな情報ばかりが拡散されているみたいで、まるで釈然としない。

 

 そこでお父さんが何かを思い出した様に口を開いた。

 

「ところでナズナ、ここまで散々ダービーダービー言いよっちゃけど、きさん本当にダービー出れるとね?」

 

 あ…! 実はそれってちょっとデリケートな問題だったりする… 隣のアイリスがスマホを取り出して、レースの予想を上げているサイトを開く。

 

 ダービーのメンツ予想として、自動的に出走優先権を与えられる皐月賞の1〜5着(リリィ、パッション、セイバー、リンカイ、トッカン)は別枠ながら、それ以外はファン数順に並べられていた。

 

 上記5人を除き現在ファン数トップはスメラギの27000強、一方私は弥生賞と春ファンのステージでそれなりに数を増やしたものの、皐月賞の体たらくで微減しており9000弱でランキング9位。

 

 ここにダービートライアルの青葉賞から2人、プリンシパルステークスから1人が優先的に入ってくる事を考えると、私の順位は実質17位となる。

 もしダービーがフルゲートの18人で行われるとしても、その中で17位は下位の者から簡単に下剋上されてしまう位置である。

 

「『今はまだ』という但し書きは付くけど、ダービーへの出走は叶いそうね…」

 

 アイリスの言葉は地味に私の胸にグサリとダメージを与えてくる。恐らくあともうひと押しが無いと、直前の選考で落とされてしまうだろう。ここまで来てそれだけは回避したい。

 

「鈴代家での結論は出たみたいだけど、俺はまだ納得してねぇ。だからナズナよ、俺と勝負しろ」

 

 突如発された源逸さんからの挑戦状に全員の視線が源逸さんに集中する。

 

「来週のダービートライアル青葉賞にコロが出る。本気の戦いでコロを負かして1着になってみせろ。そしてそこで倒れたらダービーも無し、トライアル圏内の2着でもダメだ。いずれもダービーは棄権する。いいな?」

 

 何てこと。このタイミングでコロと対決しろってか。あ、でもコロなら事情を話せば1着を譲ってくれたりとか……。

 

「もちろんこの事はコロには秘密だ。コロにバレたらその時点でゲームオーバーだからな?」

 

 あう、やっぱり見透かされていた… 源逸さんの声が重い。

 今ここに最終決定が下された。私はガチレースでコロを打ち負かさねばならない……。



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61R 青葉賞のジンクス

 私の両親を交えて会議した日から1週間、今週末には『テレビ東京杯青葉賞 (GⅡ)』が東京レース場で行われる。

 ダービーと同じ東京レース場でかつ、ダービーと同じ2400mを走るこのレースはダービーの練習台として最適なのだが、1つとても大きな問題がある。

 

 青葉賞は1984年より行われた「日本ダービー指定オープン」を祖とする、元よりダービートライアルを目的としたレースな訳だが、ここで青葉賞の歴史について語りたい訳ではない。

 私が気にしているのは業界では非常に有名な『ジンクス』についてだ。

 

 青葉賞は上記の通りダービーへの登竜門として毎年2人 (以前は3人)の優秀なウマ娘を次の戦場(ダービー)へと送り出してきた。

 そしてその40年にも渡る青葉賞の歴史の中で、なんと「ただの1人も」ダービーを優勝したウマ娘が生まれていないのである。

 

『青葉賞からダービーに行ったウマ娘は絶対に勝てない』

 

 年ごとのウマ娘の性質や適正に何らかの問題がある訳ではない。本当に何が悪いのかが全く分からないので『ジンクス』としか言いようが無いのだ。

 もちろん青葉賞を勝ったウマ娘は、毎年その全員が「自分こそがジンクスに終止符を打ってやる!」と意気込んでダービーに乗り込んで行ったはずであるが、その漏れなくが玉砕している、という訳である。

 

 コロはそういうの全然気にしないタイプだから問題無いのだろうけど、私は占いとかジンクスとか結構信じるタイプだったりする。

 前にも書いたけど、ウマ娘は発情期があるせいで晩冬〜初夏にかけて誕生日が集中する。だから星座占いとか水瓶座、魚座、牡羊座、牡牛座の間でほぼ全員のウマ娘が収まってしまうのだ。

 さすがに人生の運勢が4パターンしかないのはおかしいとは思うのだが、それでも朝の情報番組で星占いをやっているとついつい見てしまうし、結果が良くないと凹んだりもする。スズシロナズナさんはそんな可愛らしいウマ娘なのだ。

 

 話が逸れた。まぁ青葉賞のジンクスについては恐らく人の力の及ぶ問題ではないので後々考える事にする。

 源逸さんもどうせなら敢えて同門対決なんてしないで、日程に余裕のあるプリンシパルステークスを条件にしてくれれば良いのに……。

 

 いや逆だな。プリンシパルステークスだと今からは余裕があるが、その分ダービーまでの期間が短くなる。プリンシパルステークスからダービーまでの期間は2週間。これでは最終調整が間に合わなくなる可能性がある。

 

 ☆

 

源逸(おっちゃん)から聞いたぞ! ナズナも青葉賞走るらしいな。ここはワンツーフィニッシュ決めて2人でダービーに乗り込もうぜ!! あ、1番はあたしだからね。ナズナは2番!」

 

 皐月賞の事故もカメ以外のチームメンバーには『貧血』だと説明してある。そしてコロはその嘘情報を欠片も疑ってはいない様子だ。

 私の怪我の詳細も含めて何も聞かされていないコロの天真爛漫さが眩しすぎて見ていて辛い。でもね、残念ながらコロが1着だと私はダービーには出られないんだよ……。

 私がダービーに出走するには、目の前のこの眩しい笑顔を泣きっ面にする必要があるのだ。

 

「コロ、ゴメンね。今のうちに謝っておく。青葉賞の1着は譲れないから…」

 

 私の悲壮感の籠もった顔に不思議そうな表情をしながらも、コロはニヤリと笑い返す。

 

「よぉし! んじゃあ容赦なくあたしとナズナの一騎打ちだな! 大丈夫、青葉賞は2着でもダービーに出られるからさ!」

 

 それじゃ私は出られないんだけどね… でもそんな事情はコロには知る由もない。

 挑戦状返しに私もニヤリと笑ってコロに(こぶし)を突き出す。瞬時に理解したコロも私に拳を突き出し拳同士が熱く(軽くだが)激突する。

 春ファンでやったパフォーマンスをまさか実際のレースを前にやるとは予想外だったが、まさに『友達&仲間&ライバル』ってのがいる。そしてこれってとても幸せな事だと思う。『強敵』って書いて『とも』と読む、みたいな感じかな?

 

 ☆

 

 さて、勘違いしている人が多いかも知れないが、コロは決して弱いウマ娘ではない。今まで彼女の戦績を語る際にあまり芳しい成績が出てこないのは、彼女の実力というよりも外因的な要素が大きい。

 

 まずコロは天性の長距離走者(ステイヤー)だ。今までチームでの模擬レースはほぼマイル寄りの中距離だったから、コロにとって不得手な距離だった。

 それに、彼女のレースの日に限って私が怪我したり彼女が怪我したりと不運なイベントのせいで心安らかに走れない状況が少なくなかった。

 

 加えてジュニア級やクラッシック級の初期は開催されるレースそのものに長距離レースが無い。

 従って、これまでのコロは苦手では無いにせよ得意距離とは異なるレースを強いられてきた経緯があるわけだ。

 

 私も逆の意味で2400mのレースは経験が無い。トレーニングの一貫でロングランの練習はしてきたが、実際のレースとは全く違う物であろう事は想像に難くない。

 スタミナの配分や患部に負担の掛からない走り方、対策部分は山ほどあるのに、それらを身に付ける時間が圧倒的に足りなかった。

 

 それに《領域(ゾーン)》に関してもいくつか分かってきた事がある。今度の青葉賞で私の《領域(ゾーン)》に関する仮説の検証をするつもりだが、下手に発動されてまた意識を失くしたりしたら元も子もない。

 《領域(ゾーン)》に関しても慎重に探っていく必要があるだろう。

 

 全てに於いて準備不足な青葉賞だが、それでも泣き言は言っていられない。この1戦に日本ダービーが、私のこれまでの人生の目標が掛かっているのだ。

 

 ☆

 

 やがてレース当日。東京レース場は学園から徒歩圏内にあるので、レース開始時間近くまでゆっくりしていられるのは有り難い。

 午前中は学園のグラウンドで軽く体を温めて、午後イチでレース場へと向かう。

 

 控室で着替えを済ませ、前レースの府中ステークスの終了を確認、パドックへ向かうべく立ち上がる。

 

「ナズナ… 頭では今すぐ入院して怪我を治して欲しいと思っているのは変わらない。でも心では怪我に屈せず挑戦し続ける貴女を本気で尊敬しているわ」

 

 今日はほとんど喋らなかったアイリスがようやく口を開いた。ここまで何を言えば良いのか掴みかねて、試行錯誤していた感じだ。

 

「私は貴女のトレーナーとして、貴女が勝てるように今日まで様々なプログラムを組んできた。その私が言うわ、ナズナは私の… いえチーム〈ポラリス〉の最高傑作足り得る存在よ。今日のコロは強いわ、でも貴女なら勝てるはず。トレーナーの願望じゃなくてデータの蓄積から断言する。だから… だから、必ず元気に戻ってきて。優勝して明るい笑顔を私達に見せてよね…」

 

 最後らへんは涙声になっていたアイリスに送り出される。ここまでアイリスが感情をぶつけてきた事って無かった気がするな……。

 気の利いた返しが思いつかず、私は「…行ってきます」とだけしか言えなかった。




ちなみに実際の競馬界に於いて、2022年の時点で未だにこのジンクスは続いております。いつか誰かが打ち破ってくれると信じておりますw


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62R 運命の分かれ道

 青葉賞当日まで私は怪我を理由にハードな練習を禁止され、逆に体力を持て余していた気配もある。

 

 ダービーまでの期間はアイリスの指示は源逸さんからの指示と同義とされ、絶対に服従する事がトレーニングを続ける条件でもあった。

 もし私がトレーニングメニューに対して反抗的な態度を取ったら、アイリスからコロに今回の勝負の事情が暴露される仕組みになっているのだ。

 

 『コロにバレたらゲームオーバー』だ。それは困るので、『こんなトロいトレーニングで大丈夫なのか?』とは思いつつも口には出せない日々が続いていた。

 

「ナズナはトレーニング軽めだな。具合でも悪いのか? あたしは追いトレしちゃうもんね〜w」

 

 などと軽口を叩きながらコロは練習カリキュラムを終えた後でも遅くまで走り込んでいた。逆にオーバートレーニングを心配するくらいに。

 

 パドックでのコロも気合が満ち満ちていて、とても調子が良さそうに見えた。なんと本レースの1番人気はコロである。私は前走のやらかしのせいか3番人気、それで2番人気は誰かと言うと……。

 

「スズシロナズナ…」

 

 ホープフルステークスから先、何かと私を目の敵にしてきたイジメっ子のフックトッシンである。一応彼女との対戦成績は私の2戦2勝なので、見たくもない顔を見ても比較的落ち着いて対応できている。

 

 パドックからの帰り道でフックトッシンとすれ違う。その際に声を掛けられた。

 また何かイチャモンでも吹っ掛けに来たのかと身構えたのたが、フックトッシンはえらく気まずそうに上目遣いで私を見て口を開いた。

  

「まずホープフルステークスの時に悪口言ったの謝る… そこからアンタには負けっぱなしだから、改めて挑戦しに来た。ここでアンタを倒してダービーへの景気付けにしてやるから…」

 

 これは謝罪なのか何なのかよく分からないが、相変わらず私をターゲットにしている様だ。しつこい。こちらはコロとの対決を控えて君に構っている暇は無いのだよ。なので勘弁して欲しいのだが、無視するのも可哀想だしなぁ……。

 

「…へぇ、そんな目で見られたら無視も出来なさそうね。まぁ胸貸してやるから掛かってきなよ」

 

「ふん、貸す胸も無いくせに。やっぱりアンタ気に入らないわ…」

 

 そう言って去っていった。せっかく人が誘いに乗ってひと芝居打ってやったのにこの仕打ち。私もお前キライだからね。そもそも人の胸どうこう言えるほどお前の胸も大きくないからね!

 

 よーし、フックトッシン(あいつ)は殺そう。コロの装備品のナイフを借りて… とかやるとシャレにならないから、私の走りでこれ以上無いほど差を見せつけて、あいつの心を殺してやるぜ!

 

 ☆

 

 天気は晴朗、風も弱し。青葉賞の名の通り、爽やかな春の空気に芽吹く木々の香りを府中の空に仄かに運んでくれている。

 前述の通り体力が余っていると感じられる程に私も力が満ちている。2400mを無事に走り切れる予感はある。

 

 私とフックトッシンは内枠、コロは外枠でゲートに入る。スタートが近いと、またフックトッシンにマークされて煩わしい(しゃーしい)思いをするのかとウンザリする。

 

 それに私の予想が正しければ、今日のレースに私の領域(ゾーン)の発動は無いはずだ。戦力の持ち駒が減るのは痛いが、下手に発動して物理的に頭が痛くなる方が都合が悪い。

 今回は領域(ゾーン)は完全に『無し』の方向で想定しておこう。

 

 全員のゲートインが終了し、(ゲート)の開く音と同時に、15人の挑む青葉賞、ウマ娘達の戦いの幕が切って落とされた。

 

 ☆

 

 やはりフックトッシンは私の直後でプレッシャーを掛ける作戦の様だ。現在の順位は私が5番手、直後のフックトッシンが6番手、後方なので判然としないがコロは10番手位と思われる。

 

 『逃げ』作戦の娘が3人いて、序盤から激しい先頭争いが展開される。

 あくまでコロを標的(ターゲット)とした場合、早いレース展開の方が私にとって有利だが、コロだって思慮の浅い所はあれどレースが読めないほどバカじゃない。きっと展開に沿って行動してくるに違いない。

 

 最初のコーナーを過ぎた頃、先頭集団の3人が深く先行し私達2段目と大きく差が開く。そのまま3人で体力を削り合ってくれれば御の字なのだが、あまり差が開きすぎると追い付く前にゴールされてしまう。

 

『すぐ追うか? 機を待つか?』

 

 この葛藤は今、中段以降のウマ娘全員が持っているだろう。あまり仕掛けが早いと体力の浪費を招いてしまうし、先頭集団から脱落した者に進路を塞がれて前に進めなくなってしまう。

 

 その時、後方に風の流れを感じた。早くも()()()が動き出したようだ……。

 

「ナズナ、お先〜」

 

 コロは仕掛けを選び、私達の前に出る。同様に後方の何人かが速度を上げ早めに仕掛けてきた。フックトッシンは動く気配が無い。徹底して私をマークする作戦らしい。

 

 コロに釣られて私も前に出そうになるが、ここは我慢を選択する。作戦変更、ここからは『差し』でいく。

 東京レース場の名物である第3コーナーの大欅(おおけやき)、ここまで我慢しよう。

 

 私の見立てでは先頭集団の娘達は早晩崩れる。加えて早仕掛けしていったコロ他のメンバーとニアミスを起こして軽い混乱状態になるはずだ。

 私は()()を突く。その為の安全策として少し外に振れておく。垂れウマに巻き込まれるのだけは回避したい。

 

 機が動いた。先頭集団が大欅を越えた頃にその統率が崩れ、1人また1人と速度を落としていく。先程無理に仕掛けたコロ達も巻き込んで一時的に全体の速度が落ちる。

 

 びっくりするくらい私の読み通り。私は右に進路を取り、場のキレイな大外へと飛び出す。第4コーナーを回ってここから直線勝負だ。

 

 まずコロは垂れウマを回避しきれずに速度を落としていた。その隙に外から抜き返す。コロはここまでの流れで体力を使い切ってしまったのか異様に疲労困憊している様で、既に目の焦点が合っていない。

 

 コロはもうここまでなのかな? いずれにせよ私はこのレースを落とすわけにはいかないのだ。予め謝っておいたことだし、心置きなくコロを置いて先に行かせてもらう。

 

 私の前には先頭集団の最後の生き残りがいるが射程内だ。坂に速度を殺されない様に私も速度を上げていく。

 

「今日こそ… 勝ぁつっ!」

 

 坂に差し掛かる所で後ろのフックトッシンが動いた。私のスリップストリームに引かれる様に速度を上げ、鬼気迫る表情で私に並ぶ。

 

 私も更に加速しなければ… でも息が苦しい。坂を越えた辺りで脚が前に出なくなる。疲労に加えて距離適性の壁もあるのだろう。今の速度を維持するだけで精一杯だ。

 それでも私は、いや私達は最後の『逃げ』た娘を捉えて追い抜いた。

 

 先頭に立ったものの、ここからの引き出しがもう無い。余ると思っていた体力は尽き果て、領域(ゾーン)は予想通り発動しない。恐らくレース中は「無い」と見て間違い無いだろう。

 となれば後はもう根性勝負。私とフックトッシン、互いに譲らず直線を疾走する。

 

 観客席からの大歓声が聞こえてくる。多分私とフックトッシン、一進一退のデッドヒートに大盛り上がりを見せて……。

 

  ヒュンッ。

 

 疾風(かぜ)が走った。ゴールまで残り100m、私は真横のフックトッシンしか見ていなかった。

 

 並んで走る私達の横を小さな影が駆け抜ける。先程まで死んだ目をして大欅の前を走っていたはずのコロが、妙に生き生きとした目で幸せそうに私達2人を内から抜き去り、直後ゴール板を駆け抜けた……。



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63R 失意のナズナ

 私とフックトッシン、2人の横をすり抜ける様にコロが差し返して1着をもぎ取っていった。

 さっきまで死にそうな顔をしていたコロだったが、ゴールしてから、いやゴール直前から生まれ変わったかのように元気いっぱいで、観客席に向かって体全体で喜びをアピールしている。

 

 2着争いは掲示板に長いこと『判定』の文字が浮かんでいたのだが、どうやらハナ差で私の勝ちらしい。

 私にとってここでの2着なんて何の意味も価値も無いのだから、譲れるものならフックトッシンに着順を譲ってやりたい気持ちだ。

 

 ゴール後の三者三様のドラマは実に残酷だ。コロは飛び回って喜んでいるし、フックトッシンはその場で崩折れてしまい、突っ伏したまま地面を叩いて大声で泣き出した。

 私はどうしたものかと対応に困ったまま固まっている。一体全体私はどうすれば良いのだろう…? 普通は青葉賞の2着ならダービー出走確定なのだから、少し悔しがりながらも『次は頑張ろう』という顔を見せるべきなのだろう。

 

 しかし私の夢見た日本ダービーは今ここで終わってしまった。「青葉賞で1着」がダービー出走の条件だったのだから……。

 決してコロをナメた訳ではない。だがコロの精根尽き果てた姿を確認した後では、最後に見ていた相手はフックトッシンだけだった。

 

 そもそも何故あんなにバテバテだったコロが今あんなに元気なのか理解できない。それこそテレビゲームで体力回復アイテムでも拾ったかの様な変わり様だった。

 

 そのヒントは直後のコロの勝利者インタビューに隠されていた。

 

「スターコロボックルさん、青葉賞優勝おめでとうございます! レース終盤はスタミナ切れのように見受けられましたが奇跡の大差しで1番人気の面目躍如でした。あの時に一体何があったのですか?」

 

 ウイニングサークルでインタビュアーのマイクを通した大きな声が会場に響き渡る。2着以下のウマ娘はお呼びでないので、他の娘はさっさと地下道から控室へと帰っていった。

 私もそうしたいのだが、どうにも胸騒ぎがしてコロのインタビューから目が離せなかった。

 

「う〜ん、あたしにも分かりません!(ここで観客席爆笑) でもナズナ達に抜き返されて、『イヤだイヤだ、絶対負けたくない!』って思ったら、何だか体の奥から力が湧いてきてさ、スッゴい元気に走れたんだよね!」

 

 ここでピーンときた。本人は気付いていない様だが恐らくこれは《領域(ゾーン)》だ。コロはあれだけ切望していた《領域(ゾーン)》を、レースの極限状態の中で遂に会得したのだ。

 恐らく私やカメの様な分かりやすい加速型ではなくて、コロの《領域(ゾーン)》はゲーム的な言い方をするなら『体力を回復させる技』なのだろう。

 

「さて、次はいよいよ日本ダービーですがズバリ気になるライバルはどちらですか?」

 

 インタビューは続く。もう知りたい情報を仕入れた私は虚無感に包まれたまま、喧騒に背を向け他の娘を負うように地下道へと降りていった。

 

「やっぱりブラックリリィは要注意だけど、一番怖いのは今日も走ったナズナだな。でも2人でダービー行ける事が凄く嬉しいんだ!!」

 

「ありがとうございます。同門のお二人のダービー対決を楽しみにしています。とっても元気なスターコロボックルさんでした!」

 

 コロを称える歓声と拍手に沸き返る東京レース場。だがコロの言葉にも私の心は一切反応することなく凍ってしまったみたいだった……。

 

 ☆

 

「お疲れ様。痛みとかは出てない…?」

 

 地下道に降りてすぐにアイリスが待っていた。アイリスにどんな顔して会えば良いのかまるで分からない。それ以前に心が死んでしまった様な感じで、言葉を一言ひねり出すのも一苦労だ。

 

「痛みは大丈夫… ごめんアイリス、今は何も考えられないんだ。先にライブ済ませてから、その後で… また明日で良いかな…?」

 

 今はこれが精一杯だった……。

 

 ☆

 

「ナズナ、元気無いな。あたしに負けたのがそんなに悔しかったのか?」

 

 無邪気な顔して無神経にグサグサ刺してくる。でもこれがコロなんだ。これはこれで私を元気づけようとしてくれているのだと頭では理解している。

 

 私も大概だけど、フックトッシンの負ったダメージも大きい様に見受けられた。弥生賞の4着に加えて青葉賞もハナ差で3着と、ことごとくトライアル圏内を外していては天を呪おうとしても責められる物ではない。尤も私も今は他人を気にしていられるほどの余裕もない。

 

 ライブ曲はいつもの「Make debut(メイクデビュー)!」、前述の様に学園のウマ娘はまずこの曲を完璧に仕込まれる。どんなに悔しくても悲しくても()()()だけは笑顔で歌えるように、踊れるように。

 

 昔は『もっと色々歌と踊りを教えろ』と思った物だが、自分がどんなに苦しくてもお客さんの前で笑顔でいる為には、脳細胞が停止してても条件反射だけで歌って踊れる曲が必要なのだろう。

 

 URAの年間レーススケジュールの中で「Make debut!」の歌われるレースの割合は95%を超える。己の激情に負けてライブ中に泣き出したりする娘が出ないように、頭や心を空っぽにしてもステージに立てる様に私達は「Make debut!」を体の芯まで叩き込まれるのだ。

 

 これは全て私の推測でしか無いが、もし仮に当たっていたとするなら、「Make debut(メイクデビュー)!」とはドえらく業の深い歌だと改めて思う。

 

 とにかく今の私には脳死状態でコピーペーストした笑顔でも歌って踊れる曲の存在はありがたい。またアモ先輩あたりに「ナメたライブ」とか言われるかも知れないけど、今はどう頑張っても『心からの笑顔』なんて出せそうに無かった……。

 

 ☆

 

 ライブが終わって学園に帰る。アイリスが付き添ってくれるみたいな事を言ってたけど断った。多分アイリスが横にいたら、また私は頓珍漢な八つ当たりをアイリスにしてしまうに決まっているから。怪我の原因すらアイリスの責任にしてしまいそうだから……。

 

「✶✻❆❏❢❥❧〜っ!!」

 

 近くだが遠くだかよく分からない距離で誰かの叫び声が聞こえた様な気がした。そちらに目を向けるとトレセン学園名物の『大樹のウロ』で誰かが叫んでいるようだった。

 

『大樹のウロ』とは学園の片隅にある古い切り株で中央が空洞になっており、そこに顔を突っ込んでレースに負けた悔しさや人に言えない秘密なんかを暴露して発散する場所である。

 せっかくだから私も使わせてもらおうかな…?

 

「くっそぉ〜っ! 次は負けねぇからな〜っ!!」

 

 先客がいた。ウロに顔を突っ込んでいるので顔は分からないが、その声と金髪おかっぱ頭で誰かはすぐにわかった、フックトッシンだ。

 

「秋のレースでは絶対スズシロナズナにリベンジしてやるぅ〜っ!」

 

 あ、やっぱり私に対するリベンジ宣言か。まぁ気持ちは分かる。私だってリリィに対するリベンジはまだ果たせていないし、今日のコロにだっていつかは仕返ししてやらないとね……。

 

「ダービー出たかったよぉ〜っ! うぁぁ、うわぁ〜ん!!」

 

 感極まって切り株に顔を埋めて泣き出した。その気持ちは私も同じだ。私だってダービー出たかった… 子供の頃からの夢だった… あと数メートル先に出られていれば届いたのに……。

 

 私も今になって涙が溢れてきた。私もちょっと叫んで良いかな…?

 

 近づいた私の雰囲気を察したのか、フックトッシンが「誰っ?!」と飛び退く様な動きを見せた。

 私の顔を見て「マズいところを見られた」とばかりに慌てて涙を拭うフックトッシン。

 

「ちょっとで良いから替わってくれる…?」

 

 フックトッシンがのそりと退()いてくれたので、今度は私が切り株の淵に手を付き顔を近づける。

 何て言おう? すぐ横にいるフックトッシンにこちらの事情を知られる訳にもいかないので言葉にエラく気を遣う。

 

 結局何も思い浮かばないまま溢れる涙に後押しされるように、私は「うわぁぁぁっ!」という意味のない雄叫びを上げ、フックトッシンは不思議そうにその光景を眺めていた。



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64R 闇の中の光

 大樹のウロで吠えた後、結局食欲も湧かないまま部屋で布団を被って横になっていたら、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 

「……」

 

 不意に人の気配を枕元に感じて目が覚めた。学園の寮は万全の警備(セキュリティ)を誇る要塞なので不審者の侵入などは考えられないが……。

 

「なんだ、カメかぁ… 脅かさないでよ」

 

 不審者の正体はルームメイトのカメだった。私の事が心配で何となく付き添っていたらしい。

 私のベッドの横に椅子を置いて座っているカメに、私は寝そべったまま視線を合わせた。

 

「だって、ナッちゃんが心配で… コロちゃんの優勝は嬉しいけど、ナッちゃんのダービーはもう…」

 

「分かってるよ。約束だもん仕方ないよ… 今年はもう諦めて治療に専念するよ。運が良ければ秋のGⅠに間に合うかも知れないし…」

 

 自分で言っている事を否定したいのに出来ない。でもまだダービーを諦めきれないでいる往生際の悪い私がいる。諦めないといけないのに。その葛藤でまた涙が溢れてくる。

 

「ナッちゃん…」

 

 カメが私の手を握ってくる。握られた手からカメの優しさが伝わってくる。

 

「カメぇ…」

 

 カメに(すが)って泣くのは新戦で負けた時以来だが、彼女は変わらずそんな弱い私を受け入れてくれた。

 カメに泣かせてもらって心の重荷が少し軽くなった様な気がした。

 

 ☆

 

 翌日、事務所で源逸さんとアイリスとの3人で話し合い、頸部の治療に向けてスケジュール調整等の話をした。まずは明日か明後日から2日ほど検査入院をして、医師とも治療の方針について話し合うそうだ。私も大掛かりな手術とか出来ればやりたくないしね。

 

 そのままする事も無いので、暇つぶしに事務所のテレビでレース中継を眺めていた。

 そうか、青葉賞の翌日は天皇賞(春)じゃないか。どれどれ出走メンバーは、と… おっとトウザイブレイカー会長とか、前年度青葉賞覇者でダービーは9着に沈んで見事ジンクスを守ったブラッドハーレーさん、他にもスターバトラーさんとかフォレストレージさんとか見覚えのある顔がチラホラ… あぁツキバミがいるね。

 

 レースはやはりツキバミの圧勝、かと思われたが、いつもの『逃げ』の冴えが無くトウザイ会長やブラッドハーレーに追いつかれそうになりつつも、何とかアタマ差でツキバミが逃げ切る展開になった。

 勝ちはしたものの、今日のツキバミはあまり調子が良さそうに見えなかった。

 まぁ化け物に一番近いウマ娘であっても1人の女の子である事に変わりはない。たまには体調の良くない日だってあるだろう。

 

 いつもなら春のシニアGⅠの主役である天皇賞(春)はもっと盛り上がるものなのだが、チームの関係者が走ってない。自分の怪我でそれどころではない。どうせツキバミだろ。といった要素が重なって、今年は私の中では関心の薄いレースになってしまった。

 来年の天皇賞(春)には私も出走出来たらいいのだけれど……。

 

 ☆

 

 2日間の検査入院を終えて学園に帰ってきた私と付き添いのアイリスを迎えたのは、多くの野次ウマ娘に囲まれた1台の救急車だった。

 『何事か?』と眺めていたら、何でも練習中に倒れたウマ娘が居たらしい。あらら、大変ねぇ。

 …等と言ってられなかった。車の脇で救急隊員と話をしているのは、うちの矛田源逸トレーナーではないか。

 

 嫌な予感が頭をよぎる。まさかうちのチームメンバーの誰かが倒れた、とかいう話なのか…?

 

「おお、ナズナとアイリスか。ちょっとコロが(つまず)いてな。本人は元気なんだがちょっくら病院まで行ってくるわ」

 

 私達と入れ違いに学園から出て病院に向っていった源逸さんの目は、明るい口調と裏腹に暗く沈んでいた……。

 

 ☆

 

 その日の晩、本入院の為の荷物の準備をしていたら部屋の扉がノックされた。

 もう消灯時間が近いのだが、誰だろう? とドアを開けた先に居たのは栗東寮寮長のヤオビクニさんに連れられた、泣きべそをかきながら左足をギプスで固めて松葉杖をついているコロだった。

 

「もう門限もとっくに過ぎているのに『ナズナと話をさせろ』の一点張りでねぇ。ナズナが迷惑なら美浦寮に追い返すけど?」

 

 コロの様子が尋常で無い事を理由に、私(とカメ)はコロを引き受け、美浦寮と源逸トレーナーにその旨を伝えてもらう様にヤオビクニさんにお願いした。

 

 ☆

 

 とりあえず私とカメがそれぞれの椅子に、コロを私のベッドに座らせて車座で話をする。

 

源逸(おっちゃん)から全部聞いたぞ。ナズナは大きな怪我をしてるからダービー出られなくて、手術しないと死んじゃうって」

 

 べそをかいたままで一気に捲し立てたコロの第一声がそれだった。

 

「いやそれはいくらなんでも大袈裟すぎるよ。怪我とかはともかく、手術をするかどうかもまだ決まってないし、未施術のままでもさすがに死ぬまでは無いってば。そんな事よりもコロ(あんた)の足の方が気になるんだけど…?」

 

 単純に今の状況を考えたら、コロが一番重症に見えるよね。

 コロは私の問いに俯いてしばし黙っていたが、やがて意を決した様に口を開いた。

 

「今日、練習中に足が痛くなってそのまま転んじゃったんだ。そんであたしの足の痛い所を触ったおっちゃんが血相変えて救急車呼んで…」

 

 そこでコロの目から再び涙が零れ落ちる。再び下を向いたまましばらく言葉を選ぶように沈黙するコロ。

 

屈腱炎(エビ)だって… 治すには1年かかるって… ダービーはもう走れないって… せっかく、せっかく青葉賞に勝ったのに…」

 

屈腱炎(くっけんえん)。「不治の病」とも「ウマ娘のガン」とも言われる難病だ。直接生命に影響しないものの、屈腱断裂や不全断裂と診断された場合は競走能力喪失となりアスリートとしては引退を余儀なくされる。

 

 屈腱炎自体は割とメジャーな病状で、その昔『BNWトリオ』と称された有名なウマ娘達も、その全員が屈腱炎を患って引退していたりする。 

 

 コロの報告にまたしても目の前が暗くなる。何で私だけで無くコロまでそんな酷い目に遭わないといけないの? そこまで酷い運命を背負わされるほど私達が何か悪い事をしたとでも言うのだろうか…?

 

「コロちゃん…」

 

 隣のカメも既に大泣きしている。もちろん私もだ。こんなの女3人で泣く事しか出来ないじゃないか。こんな、こんな酷い展開……。

 

「でもさ、でもナズナはまだ走れるんでしょ? 青葉賞2着だもん、ダービー出られるよね?」

 

 急に何を言い出すのこの子は。その事はもう諦めて……。

  

「いや、それも無理だよ。源逸さんとの約束だし…」

 

「それも聞いたよ。『コロ(あたし)にバレたらゲームオーバー』ってね。それならあたしが聞いた時点でナズナとおっちゃんの約束もチャラじゃないの?」

 

 確かにそういう考え方もあるかも知れないけど、そんな無茶な話が……。 

 

「ナズナが走っちゃダメなのは知ってるよ。でもダービーだよ? ナズナは諦められるの? それで良いの?」

 

 そんなん言うまでも無い。出られる物なら出たいに決まってる。でも……。

 

「だからさ、あたしの代わりにナズナがダービー走ってよ! ナズナが1等賞獲れば、ナズナに勝ったあたしが本当の日本一だって証明になるでしょ!!」

 

「バカ言うな…」

 

 部屋の扉がノックも無しに急に開かれて熊の様なガタイの源逸(おじさん)が乱入してきた。

 ちょっ! ここ女子寮! 私達は寝間着! それにトレーナーも本来入室不可のはず……。

 

 あ、後ろにヤオビクニさんが待機してる。寮長さんの許可があれば特例が認められるんだっけ。て言うかむしろ寮長さんが源逸さんを呼び込んだ可能性の方が高いか。

 

「まったく、美浦寮から『門限過ぎても帰ってこない』って聞いて心配してたんだぞ? ほれ、ナズナ達にも迷惑だから帰るぞ」

 

 迎えに来た源逸さんの差し出した手を振り払い、コロは毅然と源逸さんを見上げた。

 

「なぁおっちゃん… いや源逸先生! 一生のお願いだよ… です。ナズナをダービーに出してやって下さい。あたしの、あたしの無念をナズナに託させて!」

 

「そうは言ってもお前…」

 

 コロの必死の嘆願に怯む源逸さん。しばらく困った感じでこめかみをポリポリと掻いていたが、やがて何かを諦めた様に「ハァ」と大きく息を吐き出した。

 

「まぁもし今回のコロの屈腱炎の原因がオーバートレーニングにあったのなら、遅くまで自主練していたのを黙認した俺の責任でもあるしな…」

 

 打って出るなら()()しか無いかも知れない。私は源逸さんの前で大きく頭を下げた。

 

「源逸さん… 私、ダービーに出たいです! お願いします、私をダービーに出して下さい。コロの為にも私の為にも…」

 

「私からもお願いします!」

「お願いします!」

 

 カメとコロも同様に頭を下げてくれた。その後の3人の少女の熱い視線に、源逸さんは困り顔で更に顔の皺を深くする。

 

「…分かった、ナズナの出走を認めよう。アイリスには俺から連絡しておく。ただしナズナ、くれぐれもあの《領域(ゾーン)》とかいうのは使用禁止だ、良いな?」

 

「はいっ!!」

 

 いい返事を返したが、まだ自発的に出せるものでも引っ込められるものでも無いので、どうなるかは保証しかねる。それは多分当日の天候次第になるだろう……。



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65R カメの流儀

 実は青葉賞での2着に終わった翌日に、母から「気を落とさずに来年頑張りなさい。私達はずっとナズナを応援しているから。またお正月には帰って来て元気な顔を見せて下さい」とのメールがあった。

 

 だが、気分も落ちていたし検査入院の準備でバタバタしていた事もあって返事を返せていなかった。

 今回コロのおかげ、というと大きく語弊があるが、状況が変わって私はダービーに出走できる事になった。そしてその事をあらためて両親に報告できるのがとても嬉しい。

 

 コロはコロで北海道にいる家族に悲しい連絡をしているだろう事は容易に想像できる。だからこそ、コロとその家族の思いを背負って私は走らなければならない。

 ダービーはこれまで戦ってきたライバル達がほとんど出揃う大勝負になるだろう。

 だけど私にはコロの『想い』も宿っている。2人分の精神力(パワー)でぶつかって行くだけだ……。

 

 ちなみに私がダービーに出られる、となって地元後援会も大騒ぎだったそうだ。その後、後援会から「これ食って頑張れ」と30人前くらいのモツ鍋セット(締め用のチャンポン麺付き)が送られてきた。まぁチームのウマ娘7人 (+人間3人)でペロッと食べちゃったけどね。

 

 ☆

 

 新たな目標、というか元の目標に立ち戻った為に、再開された練習にも熱が入る。当然先週同様に軽い練習が続いたが、首への負担軽減と心肺機能増加を併せ持つ、プールでのトレーニングが増えた。

 青葉賞で起こったスタミナ切れを考えると、同距離のダービー対策としてスタミナアップは外せないものとなる。今週から来週にかけては私の服装はジャージよりも水着が増えることになるだろう。

 

「源逸先生から聞いたわよ。《領域(ゾーン)》禁止令が出たって」

 

 トレーニングの合間のクールダウン時間にアイリスが雑談の体で話しかけてきた。

 

「まぁ禁止も何もまだ出し方すら掴めてないんだけどね。でもヒントはそれなりに掴めてきてるよ」

 

「そうなの? 私にはどうしても理解できない感覚なので逆に教えて欲しいくらいだわ。いつの間にか皆出来る様になってるし… あ、メルはまだなのか。とにかく羨ましいのと寂しいのと… とにかく複雑な気分」

 

 アイリスが苦笑しながら漏らす言葉は本当に寂しそうだった。もしもアイリスが《領域(ゾーン)》を習得していたら、歴史に名を残すウマ娘になっていた可能性もあるだろう。

 

「もし、さ… もしも私とアイリスが同世代だったら、私達ライバルになってたかな…?」

 

「うぅん…? そぅねぇ… 地力なら多分ナズナの方が上かな…? でもナズナは単純だから私のテクニックでナズナを翻弄出来そうな気がする」

 

「はぁ? 何それ?」

 

 アイリスは視線を上の方に向けて目を閉じ、しばらく夢を見る様な仕草をする。 

 

「うん! 昔の私だったら絶対ナズナとレースしたかったと思うよ。『速い』とか『強い』っていう要素とは別に『絶対この娘と勝負したい』って思わせる雰囲気を持ってる娘がいるのよ。ナズナにはそれがある。実際レース場でナズナはモテてるからね」

 

「うへぇ、どうせモテるなら勝利の女神にモテたいわ」

 

 確かにスメラギとかフックトッシンとか、戦績と比較しても異様なほどに私は他人から絡まれる。もう1人ウザいのが居たような気が… まぁいいか。

 

 そんな感じで私は平常運転に戻った。もうダービーまでの期間は20日を切っている。ここで慌てても得る物は少ない。アイリスを信じて一歩ずつ少しでも力を付けていくだけだ。

 

 ☆

 

 天皇賞 (春)の翌週はいよいよカメの出走するGⅠ「NHKマイルカップ」だ。舞台は青葉賞やダービーと同じ東京レース場、チームみんなで応援行くぞ! …と思っていたらアモ先輩のレースが中京レース場であるらしい。なんでも「鞍馬ステークス」と言って1200mのオープンレースだそうだ。今回は短距離に挑戦なのね。

 

 という訳でまた今回も東京と中京、二手に分かれて応援しに行く事になった。東京組は私とアイリス、コロ、エバシブで、中京組は目黒トレーナーとメル先輩だ。源逸さんときりさんは勿論それぞれ担当ウマ娘に付き添っている。

 

 カメは午前中から取材があるとかで早々に出ていった。現在重賞2連勝を決めているカメはダントツの1番人気。続いてファイヤーブレス、チャームラズベリーといった実力者が続く。

 

「今日のカメは特に気合い入ってるな。くっそぅ、やっぱりGⅠは違うよなぁ…」

 

「来週はオークスですからね。桜花賞を走ったライバルに向けてアピールしてるんじゃないですか?」

 

 コロの呟きにエバシブが答える。日光に弱いエバシブは今の時期でも日光避けの大きなコートと鍔の広い帽子、サングラスが欠かせない。

 そして関係者席から見えるパドックのカメはいつにも増して気合が満ち満ちていているように見えた。

 

 エバシブはああ言ってたけど、カメはもうティアラレースには未練は無いんじゃないかな?

 私にはアレは私へのアピールの様に思える。『今日はレースに勝つので、(カメ)に負けたくなかったらダービーで結果を出しなさい』と圧をかけられている気がしてならない。 

 

 そう、カメは既に重賞2つを含む4勝をしていて紛れもなく同期のエースだ。コロだって今は松葉杖だが、青葉賞を含んで3勝している。

 

 コロがよく「カメとナズナばかりズルい」とか言っているが、戦績で言うならば置いていかれているのは誰あろう私であって、重賞どころか未勝利戦での1勝しか勝ち星の無い身分は少し肩身が狭い。

 

 当然勝ち負けだけが人生では無いけれど、アスリートである以上、勝ち負けで人生を測られるのは致し方ない部分もあるだろう。

 

 ☆

 

 レース場のターフビジョンに中継されたアモ先輩のレースは、NHKマイルカップの開始10分前に始まり短距離な事もあってあっさり終わった。序盤は良い位置に付けていたものの、終盤の加速が間に合わず最終的には6着と残念ながら掲示板を外してしまっていた。

 やはりアモ先輩と適性の合わない短距離では実力が出せなかったのだろう。

 

 適性の合わないレースに挑んでは微妙な順位に着いているアモ先輩だが、それでも何だかいつも楽しそうに走っているのは好印象だったりする。

 

 ☆

 

 さて、間を置かずカメのレースが始まった。序盤から縦長の展開となり速いレースが予想される。

 終盤までレースに参加していないかの様に、第3コーナー(おおけやき)を越えても悠然と最後方でのんびり走るカメ。見ていてちょっと心配になる。

 やがて第4コーナーを回った最後の直線、16人のウマ娘が横に膨らんで並んだ瞬間に大外からカメが仕掛ける。

 

 既にトップとの差は80m以上開いている。普通に考えればここからの逆転はかなり厳しいのだが……。

 

「来たっ!」

 

 コロの声でカメの全身の筋肉が『ミシッ』と一斉に動き出した音が聞こえた様な気がした。勿論空耳だろうが、そこからまたあの『超加速』が始まったのだ。

 

 大歓声の東京レース場、カメは驚異の15人抜きをやって見せ、あまつさえ2着と1身の差を付けてゴール板を駆け抜けた。

 

 カメのGⅠ初勝利、今のクラッシック級で最も速いマイラーはカメに決定した。

 3連勝の上にGⅠ制覇。親友の大偉業に、私は喜びよりも彼女の底知れぬ実力に畏怖し身震いが止まらなかった。



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66R 風林火山

 「NHKマイルカップ」も無事終わり、カメが念願のGⅠトロフィーを手に入れた。

 勝利者インタビューで「最近チームで暗い話題が増えているので、なんとか皆に笑顔になって貰いたくて頑張りました!」なんて言われるとこちらの胸が痛くなる。

 

 コロの屈腱炎によるダービー棄権は早々に発表されたが、私の怪我はまだマスコミには伏せられたままだ。

 本来ならカメは『皆』では無く『コロ』と言うべきだったのだろう。でもカメは『皆』と言う私達にしか通じない言葉で、私にも気遣いを見せてくれた。

 ありがとうカメ。カメの気持ちは怖いくらいに私に届いたからね。

 

 その後、本日の最終レース「立川特別」を経て、NHKマイルカップのウイニングライブが行われた。

 

 楽曲はもちろん「本能スピード」。その名の通りスピード感のあるテクノポップで、聴いていて元気の出る曲だ。

 

 ライブ服に着替えて観客に手を振りながらステージに上がるカメ達レース出走者。それを大歓声で迎える20,000人の観客。

 

 暗いステージにスモークが焚かれ、サイバーチックな背景と舞台より発される赤いレーザー光線が縦横無尽に空を(はし)る。

 

 段差のある舞台が一気に光りだし、これまで闇に隠れていた出演者を後方から照らしだす。 

 同時にドラムのダンダンダンダンと刻むリズムから始まるイントロから激しいながらも一糸乱れぬダンスが披露される。

 これまで赤一色だった背景とレーザー光線が緑や紫と目まぐるしく移り変わり未来都市感を演出する。

 そしてイントロの終わりに、後方から白く照らし出されたカメ(センター)が右手を高く掲げ人指し指を立てる。

 

最高(さぁ〜いこう)の〜感覚(ときぃ)、ただ(も〜と)め〜ては〜」

 

 「本能スピード」の歌い出しは静かに始まる。そこからサイド2人の歌が被さり徐々に曲のスピードも増してくる。

 

 サビの「誰より今、強く駆け抜けたら」の直前にステージが真っ暗になり、歌と同時に今まで以上に明るく照らし出されるカメ達。

「本能スピード」はGⅠ使用楽曲の中で最も激しいダンスが要求される。あれだけ手足を動かしながら歌えるのは素直に尊敬する。カメはダンスの自主練頑張ってたもんなぁ。

 短距離はともかくマイルレースに出たら私もアレをやらなきゃならんのか… 萎えるなぁ……。

 

 この曲で1番盛り上がるシーンは、ワンコーラス歌い終わって間奏の後に来るセンターのソロサビだ。観客席に左手人指し指を突き出し「一番(いちばんっ!)先で笑顔にっな〜れ〜る〜!」と最強のドヤ顔を見せる。この時ライトアップされるのはセンターのみ。この場面は歌い手が誰であっても観客は思わず息を呑む。

 

 曲が終わり大喝采に包まれたままフェードアウトしていくステージ。カメは今日、私に最高の走り(レース)と最高の(ライブ)を見せてくれた。この気持ちに答えるためには、次は私が最高のレースを見せるしかない。

 

 勝ったら外食で戦勝パーティをしても良い、とアイリスが源逸さんから軍資金を預かっていたらしいので、帰りは皆で焼肉をご馳走になった。本日のMVPのカメよりも私やコロの方が肉を貪り食っていたのは秘密だ。

 

 ☆

 

 翌日の午後、事務所に雑多に並べられたスポーツ新聞を見る。昨日のカメの大活躍がデデーンと載っているのだろう… と思ったら4紙中1紙を除いて1面は全て『ツキバミ骨折、宝塚記念は断念』とあった。

 

 カメのNHKマイルカップは2面以降に追いやられ、カメの扱いもそれに従い小さいものだった。

 

 それはともかくツキバミの件は気になるので記事の中身を確認すると、天皇賞 (春)の時点で足に違和感があったらしい。走りに安定感が無かったからそんな気はしていたけど、先週のトレーニング中に踏み込んだ際に足の爪先部分の骨が、疲労のために折れてしまったそうだ。

 

 重傷では無いが、足はウマ娘にとって生命線だ。とりあえず来月の宝塚記念は棄権とし、春のシニア3冠獲得挑戦は来年に持ち越しになった。

 復帰の予定はまだ未定らしいが、天皇賞 (秋)を照準して動くと思われる。と記事にはあった。

 

 ツキバミのGⅠ勝利数も『7』で仮止めとなった。それでもまだ無敗のままの絶対王者である事は変わらない。

 私もツキバミも怪我から復帰したレースで対決! なんて展開は… 無いだろうなぁ。そこに行くにはまだ私のレベルが低過ぎる……。

 

 カメの記事を1面に取り上げてくれたのは、私を贔屓(ひいき)してくれている(?)優駿タイムズさんだった。

 

「オカメハチモク、まさに『風林火山』!!」

 

 …??? 『どういうこっちゃ?』と思い記事を読んでみる。

 

「レースが始まってからオカメハチモクは『静かなること林の如し』と最後尾を淡々と走っていた。やがて東京レース場名物の大欅を越えても『動かざること山の如し』とばかりに速度を上げる気配を見せない。だが第4コーナーを回った直後『侵掠すること火の如し』、オカメハチモクは怒涛の攻め上がりを見せて他のウマ娘をごぼう抜きにする。そして最後は『疾きこと風の如し』のまま、突風の様に観客席の前を通り過ぎて行った。このウマ娘レース史に残る見事な追い込みを目撃できた幸せを噛み締めたい」

 

 だそうだ。このやたら煽情的な言い回しはきっと新城記者だろうと思ったらやっぱり新城記者だった。新聞記者も結構クセが出るんだねぇ。

 

「おー、ナズナ早いな、ヤル気だなぁ」

「あ、ツキバミさんの骨折は学校で噂になってたけど本当なんだね…」

 

 コロとカメが来たので2人に手に持っていた優駿タイムズを渡す。

 

「へぇ、この『風林火山』ってカッコいいね! 気に入っちゃった。リリィさんの『ふわふわ』みたいに私も《領域(ゾーン)》に名前付けようかな…? 『《領域(ゾーン)》風林火山』! ってカッコよくない?」

 

「あー、ズルいぞカメ! あたしも何か考える! えーとえーと… あの時は何だか全身が暖かい風に包まれた感じがして、そしたらグーンと力が湧いてきた気がするから… えーとうーんと… よし、あたしの《領域(ゾーン)》は『シリポプケレラ』にする! アイヌの言葉で『(あった)かい風』って意味だぞ!!」

 

 何か急に2人で盛り上がり始めた。カメは新聞のキャッチフレーズが余程気に入ったのだろう。コロは名前がコロボックルなだけあって、アイヌ繋がりで攻めてくるのか、カッコいいじゃん。

 

「なぁ、ナズナは? ナズナの《領域(ゾーン)》はどんな名前にするんだ?!」

 

 カメとコロ、2人並んで子供みたいにワクワクした目で私を見つめてきた。

 

「いや、そんなの考えたこと無いし…」

 

 引き気味で答える私に、あからさまにガッカリして失望の眼差しを向けてくる2人。あれ? これって私が悪いのか?

 

「しょうがないなぁ。じゃあダービーまでに考えておけよな!」

 

 今一つ状況が理解できないまま、コロに一方的に話を決められた。



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67R 日本ダービー

 東京優駿。これが90年もの歴史を持つ日本ダービーの正式名称だ。年に一度、クラッシック級のウマ娘だけが挑める至高の座。ウマ娘レースに興味のない一般人でも『日本ダービー』の名を知らない人はまず居ない。

 《ダービーウマ娘》の称号は日本中の全ウマ娘の夢であり、憧れと言っても過言では無い。

 

 今、学園のクラッシック級でURAに登録されているウマ娘の総数は約300人。(ダート)や短距離、ティアラ路線に進んだ娘も多いが、それでも日本ダービーのあるクラッシック路線を望む娘は最も多い。

 そしてその大多数が夢破れ、路線変更を余儀なくされたり地方レースに転向したり、そのまま学園を去ったりする……。

 

 今日この場に立っている18人のウマ娘は、全国から厳選されてトレセン学園に入学した精鋭達の中の、更に一握りのエリート中のエリート達だ。

 そして見事《ダービーウマ娘》の称号を得られるのはこの中でたった1人。それはすなわち『日本一のウマ娘』を意味する。

 

 それはこの東京レース場に集まった10万人ものお客さんの熱気が如実に現している。毎年ダービーの日には開門前から各入場門前に熱心なファンが詰め掛ける。

 今日も東京レース場の収容人数を大きく超えて、コース内側のダートコースまで開放しているが、それでも足りずに会場に入れないお客さんも多数いるらしい。

 

 これがダービーだ。ウマ娘だけでは無い。日本中の視線がここ東京レース場に集中する。何よりそんな『ダービーの空気』が私を奮い立たせる。

 

 当然ながら本日東京レース場で行われるのはダービーだけでは無い。第1レースのダート1600m未勝利戦から始まり、最後の目黒記念まで12ものレースが待ち構えている。

 その全てのレースが10万の視線に晒される。こんな環境で未勝利戦なんて、私だったら正気でいられる自信が無い。

 

 そう言えばダービーの後の目黒記念にはメル先輩が出走する。メル先輩は初のGⅡ挑戦だが、メル先輩的に『本命』のレースらしいので頑張って欲しい。私とメル先輩とで同時優勝なんて出来たら素敵なのだけれどね。

 

 「18人の日本ダービー出走者」。多分に運も味方しているが、私もその18人の末席に加えてもらっている。幼い頃から憧れだったダービーを『見る』のではなく『走る』事が叶うのだ。それだけで私の心は歓喜に打ち震えている。

 昔から言われるのは「ダービーは最も運のあるウマ娘が勝つ」だ。私がここにいる事自体が『強運』の賜物ならば、その勢いでこのままレースを勝ってしまう事も有り得るかも知れない。

 

 そしてもし、もしそんな事が起きたのなら私が《ダービーウマ娘》と呼ばれる事になるのだ。

 

「ダービー… 遂に来たんだね…」

 

 東京レース場の控室で誰ともなく呟く。部屋にいるのはアイリスとカメ、この2人には本当に終始支えてもらった。2人のうちどちらかが居なかったら私がこの場にいる事は無かったと断言できる。

 

「ナッちゃん、リラックスだよリラックス! ナッちゃんの分まで私が緊張してあげるから、ナッちゃんはリラックスだよ!」

 

「フフッ、なにそれ?」

 

 カメの激励 (?)のおかげで、確かに少し緊張が(ほぐ)れた。助かる。

 

「色々あったけど遂にダービー本番ね… ねぇナズナ。実は私もダービー走ってるんだよ」

 

 急にアイリスが得意気な顔で話し出した。ふむ、と目で続きを促す。

 

「その時の着順はギリギリ5着でした。同じレースで結果を競えば、私達もライバルになれるんじゃない?」

 

 そう言って目を細めるアイリスの顔は、紛れもなくイタズラを仕掛ける子供の顔だった。

 

「…つまり4着以内に入れば私は師匠(アイリス)を超えた、という事で良いのね? よし、やったろうじゃん!」

 

「もぉ、ナッちゃんもアイリスさんも悪ノリしすぎ!」

 

 カメのツッコミで顔を揃えて大笑いする。一世一代のダービーを前にして、この雰囲気が出せる私達は世界最高のチームなのだと本気で思う。

 

「トレーナーとして最後の助言。ナズナ、貴方の『走りの原点』を思い出して。それがウマ娘にとっての最高の必勝法だから」

 

 パドックに送り出される時にアイリスから掛けられた言葉。私の走りの原点…? はて、何だったかな…?

 

 ☆

 

 このレースに勝てれば《ダービーウマ娘》なのだが、当然ながらすんなり勝たせてもらう流れにはならない。私の人気順位は青葉賞のジンクスもあってか現在15位。まぁそれはともかく、人気上位の娘達の顔ぶれがとにかく豪華だ。

 

 ここまで無敗、GⅠを2勝しているリリィを筆頭に、セイバーやパッションもGⅠホルダーだし、スメラギはGⅠ勝利こそ無いものの重賞を3勝している。他にも既に対戦しているリンカイパワフルやトッカンクイーンも参戦している。

 彼女達全員を相手にして1着をもぎ穫るのは、まさに死闘を繰り広げなければ不可能だろう。

 

 本当ならこの場にいるのは私ではなくコロだった。コロ、あんたの魂も私が背負うからね。力を貸してちょうだい……。

    

「久し振りねスズシロナズナ! ダービーでも出会うなんてやはり運命を感じるわ。アンタにだけは負けられないからね!」

 

 パドックへ至る地下道で、人が(コロ)を想って集中している最中に聞き覚えのある(かしま)しい声が耳をつく。

 

 鳥の羽をイメージしているのかな? フサフサした感じでゆったりしたデザインの青い勝負服を着たウマ娘が私の前に立っていた。

 栗毛の髪をハーフアップにしてキツそうな性格が顔に出ている… あ、何か思い出してきた……。

 

「あ、あー! えーと、えーと、『ナントカナントカ』さん!」

 

「『イーグルダイブ』よ!! いい加減覚えなさいよ! 前より酷いじゃない、ホント腹立つわぁ…」

 

 あぁ、そうだそうだ、イーグルダイブさんだ。デビュー戦と未勝利戦とで過去3回対戦したウマ娘。確か年明けのレースでコロ相手に勝ってたはずだ。それからオープンに上がって……。

 

「プリンシパルステークスに優勝してこの場にいるのよ。アンタやブラックリリィにリベンジする為にね!」

 

 おお、なるほど。青葉賞と同じダービートライアルのプリンシパルステークスからこの場に上がってきたのか。根性だねぇ。

 

「まぁリリィが本命でアンタはおまけだけど、どの道潰す事に変わりはないからね」

 

「呼ばれた気がした!! こんにちはナズナちゃん、怪我は大丈夫なの…?」

 

 ただでさえやかましいイーグルダイブの相手に辟易していたのに、神出鬼没の変人(リリィ)までもが現れた。

 

「げ!? ブラックリリィ? あ、アンタにもリベンジさせてもらうからね!」

 

 リリィの登場に驚きながらも、ちゃんと持ち直して啖呵を切って去って行くイーグル。

 クソ雑魚ムーブが目立つけど、実はあの人、過去のレースで3着以下になったことが無い。常に1着か2着、つまり連対率が脅威の100%という事だ。無敗のリリィ以外には他にそんな娘はいない。性格はともかく走りの実力は決して無視できない存在だ。

 

「リベンジ…? 私あの人に何か悪い事したのかな…?」

 

 デビュー戦で一緒だったのだが、リリィは覚えていないらしい。私も面倒くさかったので「さぁ?」と流しておいた。

 

 ☆

 

 パドックから見上げる空は灰色を通り越して黒に近い。まだ雨は降ってはいないが、もう早いか遅いかだろう。午後の天気予報は降水確率100%、またしても雨女の面目躍如だ。

 

 だがそれで良い。『それが』良い。私の勝率を上げる為の最後のピース、それが天候だ。

 私の《領域(ゾーン)》が発動したのは過去2回。そのどちらも雨が降って不良場だった。そして天気の良い日のレースに《領域(ゾーン)》の発動したシチュエーションにいくら近付けても、《領域(ゾーン)》が発動する事は無かった。

 

 つまり私の《領域(ゾーン)》を発動させる為には『雨天』である必要があるのだ。そしてお(あつら)え向きな事に空は今にも泣き出しそうな… いや、今ポツリと来たな。と言っている間にザーザーと降り出した。私がパドックの小ステージに立った途端これだ。龍神様によほど好かれているとしか思えない。

 

「ダービーでは《領域(ゾーン)》禁止」

 

 ダービー出場が決まった際に源逸さんと約束した事だが、お腹の音が鳴る時の様に自分の意志でどうにか出来る物でもないし、()してや強豪揃いのこのレースに《領域(ゾーン)》無くして勝てる道理も無い。

 

 やれる事は全てやってきた。恐らく天運も私の味方をしている。あとは私の全部を出し切ってレースにぶつけるだけだ。



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68R MUDDY GLORY

 冒頭から悲しいお知らせがある。あれだけ勢いよく降っていたはずの雨が、ダービーの本場入場を境にピタッと止んでしまったのだ。

結局私の他、何人かのウマ娘とこれから走るコースをずぶ濡れにしただけで、真っ黒だった雨雲は文字通り霧散するかの様に消え失せ、今頭上には真ん丸な太陽が誇らしげに燦々と輝いている。

 

「ゲリラ豪雨で災難だったわね。身体拭かなくて大丈夫?」

 

 スメラギが心配して声を掛けてきた。こいつはタイミング良く雨を回避していて全く濡れていない。

 逆にリリィは私同様にずぶ濡れで、一言で表すなら『妖怪濡れ女』。でもリリィの勝負服ってマジで服の下は全裸っぽくて、濡れた事で布が体に纏わりつき見様に依っては物凄くセクシーだ。特に尻の形とか胸の先っちょとかが浮き出てて、本人があまり気にしていない分、同性ながら目の遣り場に困る。

 

 とりあえずスメラギが赤面しながら「胸を隠しなさい!」と注意していたので私からは何もしなくてもいいだろう。

 

 ☆

  

 東京レース場の荘厳なファンファーレが鳴り響きレースの開始を告げる。各ウマ娘が1人ずつゲートに入って準備が整う中、私は勝負の直前でいきなり手の平を返してきた『天運の神』に悪態を()いていた。

 

 ふんだ、分かってたもんね。そんなに都合よく《領域(ゾーン)》出して勝てる様なメンツと展開じゃ無いって事くらい。

 ええ、ええ、やってやりますよ。《領域(ゾーン)》もテクニックも要らない。ライバル達を速さと力でねじ伏せる。それが出来てこその《ダービーウマ娘》って事なんでしょ?!

 

 ☆

 

 ゲートが開き全員が綺麗に横一線でスタートする。その後、先頭に立ったのはクリスタルセイバー。それを追う様に2番手にバブルギンザが付く。続いてリンカイパワフル、スメラギレインボー、私はここ5番手。

 後方にはパッションオレンジ、ブラックリリィ、リリィをマークするようにイーグルダイブ、最後方にトッカンクイーンという布陣だ。

 

 雨は止んでも雨によって泥濘(ぬかる)んだコースはすぐには乾かない。3番手以降はほぼ全員が前の走者が後ろに蹴り上げた泥を浴びて、一張羅の勝負服を真っ黒に汚している。

 

 レースはそのまま大きな順位変動も無く、向こう正面から第3コーナーの大欅に先頭のセイバーが差し掛かる。

 皆がここで合図でもあったかの様に一斉に仕掛けだした。リリィ他、後方に居たウマ娘が速度を上げて迫ってくる。私も速度を上げてスメラギを抜き、セイバーを捉える。

 

 第4コーナーでは更に差が縮まり、全体が団子状態で進んでいく。

 直線に入ると観客席の声が直接耳に入ってくる。

  

「リリィーっ! 二冠だぞーっ!」

「パッションーっ! リリィに負けるなーっ!」

「セイバーっ! 逃げ切れーっ!」

「スメラギーっ! GⅠを取ってくれーっ!」

 

 10万の歓声の中から個別にウマ娘を応援する声が聞こえる。人気のある娘はそれだけ声の数も多い。

 

 そしてそれらの歓声を聞いた途端に、幾つもの青い光がコースに立ち昇った様に見えた。

 それは恐らくリリィやパッションが《領域(ゾーン)》を発動させた証。2人だけじゃない。セイバーも、リンカイも、そしてスメラギも《領域(ゾーン)》と思われる力を発動させていた。

 

 この蒼い炎が足元から立ち昇る現象は、果たして物理的な物なのかどうかは今は調べる術が無い。確実なのは私の周りのウマ娘が急激に強化されている、という事だ。

 

 その中で今の私には《領域(ゾーン)》は期待出来ない。雨が止んでしまったから。

 でもだからと言って勝負を諦める訳にはいかない。私は勝つ為にここに居るんだ。走る為にここに居るんだ!

 

 だが現実(リリィ)は私の気持ちとは関係なく、無慈悲に易易(やすやす)と私を追い越していく。走れ、走れ、私の脚! 直線序盤でリリィに抜かれてんじゃないよ!

 

 そして割れんばかりの10万の歓声が轟き渡る東京レース場、その時、その中でほんの微かに聞こえた声があった。

 

「スズシロナズナーっ! 意地を見せろーっ!」

 

 源逸さんとは違う、若い男性の声だ。その人だけでは無い。耳を澄ませば沢山の声が私を応援してくれているのが分かる。私に「走れ」「勝て」と言ってくれている。

 

 するとライバル達の光に呼応する様に、私の視界も光に包まれて輝き出す。これはまさか《領域(ゾーン)》の前兆? そのまま私は《領域(ゾーン)》の感覚に身を任せる。重力が無くなった様な感覚、走るのでは無く『飛ぶ』感覚… でも何故…?

 

 …あぁ、ようやく理解(わか)った。私の《領域(ゾーン)》の条件とは『雨』では無く『体が泥に(まみ)れている』事。その上で『絶対に負けたくない!』と気持ちが極まる事で発動する仕組みだったのだ。

 

 《領域(ゾーン)》の世界の中で私はリリィとセイバーを捉える。リリィは相変わらず恍惚とした表情だし、セイバーは3日くらい何も食べてない感じで目を血走らせている。

 

 私と2人の距離が徐々に狭まる。ゴールまであと何メートルなんだろう? 時間にして10秒程しか経っていないはずだが、体感的にはもう5分くらい競っている様な気がする。

 

 リリィもセイバーも、後ろにいるスメラギもパッションも皆速い。イーグルやトッカンも上がってきて、スタートと同じ様に横一線だ。

 

 リリィが抜く。セイバーが抜き返す。スメラギが抜く。イーグルが抜き返す……。

 なんだかこうやって皆で並んで抜きつ抜かれつ競走する様が滑稽でとても楽しい。

 このメンバーでこのまま何時間でも走り続けたくなる。私の右手にはスメラギが、左手にはイーグルがいる。皆この一世一代の大勝負に向けて必死な顔だ。

 

 一生に一度のダービー。あと少しでゴールだ。あと少しで今年の《ダービーウマ娘》が誕生する。

 周りの皆と気持ちが繋がる。皆「自分こそが《ダービーウマ娘》になるのだ」と息巻いている。

 

 そんな中、周りから伝わってくる「想い」は『勝ちたい』だけでは無く、同時に『楽しい』も含まれていた。

 子供の頃からやっている、脚の速いウマ娘達が集まって『誰が1番か?』と競走をしている。そして勝った負けたと一喜一憂している。あの頃と全く同じ事をしているのだ。

 

 アイリスに言われた「走りの原点」とは…? 何という事も無い。『走る事が好き』、これだけだったのだ。子供の時は目的もなくただ原っぱを駆け回っているだけでも楽しかったじゃないか。

 

 私は『走るのが好き!』『ライバル達ともっともっと競い合いたい!』そして最後に『絶対に負けたくない!』

 

 レースをするたび、ライバルが増えるたびに私の中に膨らむ『想い』は、この先無限に大きくなっていくのだろう。

 

 チームのみんな、家族、後援会、クラスメイト、強力なライバル達、そして私なんかを応援してくれるファンの皆様、何より自分自身。たくさんの『想い』が一つになって『スズシロナズナ』というウマ娘を形作る。

 

 その行き着く先にあるのが栄光なのか挫折なのかはまだ分からない。とにかくその『想い』に感謝しつつ日々を走っていくしか無いのだろう。

 

 今、先頭集団で5、6人が団子になって走っているはずだ。一様にみんな疲れ果て息も絶え絶えで泥だらけになりながら《1番》を目指している。

 

 泥に塗れて不格好に走る。それでも私は今、楽しくて仕方がない。各人の差はもうセンチメートル単位だろう。ゴール板はもう目の前だ。《領域(ゾーン)》の光が私をゴールへと、「ここへ来い」と導いてくれている。私はその光を掴む思いで最後の力を振り絞る。

 

 横並びの列からほんの半歩だけ前に出た。そして私は《1番》にゴール板を駆け抜けた。

 

 これが… これこそが私の《領域(ゾーン)》、『MUDDY(泥だらけの) GLORY(栄光)』だ!!



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幕間5 目黒記念

 目黒記念の開始時間はダービーから1時間以上も間が空いていたので、俺とメルは今日ナズナやメルを応援しに来たチームメンバーと一緒に、関係者席から悠々とレースを観戦させて貰っていた。

 

 何と言っても今日はダービーだ。源逸チーフを始め、メンバーは自分の事以上に緊張してターフを見守っている。ナズナの負傷に関しても、痛み止めくらいで治療らしい治療も出来ていないはずだ。

 まずは無事に帰ってきて欲しい。我々の思いはそこに集約されるだろう。

 

 ☆

 

 レースは終了し、日本ダービーの優勝者は『まさか』のナズナとなった。

 

 源逸チーフは娘さんのきり嬢と抱き合って喜び、アモとコロ、アイリスとカメもそれぞれ抱き合って飛び跳ねている。

 

メルは白熱したレースに興奮しすぎたのか、呼吸すら忘れて固まってしまっている。

 エバシブもメル同様に固まっているように見えるが、その紅い瞳には闘争心なのか嫉妬心なのか判別しづらい光が輝いていたように思えた。

 

 しかしまさか()()ナズナがGⅠを、それも日本ダービーを獲るとは夢にも思っていなかった。それが故に俺も頭が事態を理解するのに少々時間が掛かってしまったようだ。

 

 俺の隣のメルが呼吸を忘れていた事を思い出したのか、急に咳き込んでゼーゼーと荒い息をつく。

 

「大丈夫か、メル?」

 

「は、はい、目黒さぁん… ナズナちゃんがもう凄くて… 感動で胸がいっぱいで…」

 

 ナズナのレースに感化されたのか、興奮冷めやらぬままメルはしばらく泣きじゃくっていた。

 

 ☆

 

 このちょっとトボけた娘は俺の担当ウマ娘『メルヘンランド』。シニア級のウマ娘で、勝利数はそこそこ多いのだが、まだ重賞の勝利は未獲得だ。

 元来が優しく大人しい性格な為か、オープンレースならまだしも重賞ともなるとメンタル的に他のウマ娘に競り負ける傾向がある。

 

 このメンタル面を強くできればメル(この娘)もGⅠに注ぎ込める実力はあったのだが、3年目の今になってもその課題はクリアできていない。

 それは(ひとえ)にトレーナーである俺、目黒 宗太郎の力不足に他ならない。

 

 メルはこの後、GⅡの目黒記念を走る。

 シニア級からは積極的に重賞を狙っていく方針ではあったのだが、それは主にGⅢレースであってGⅡは当面考えていなかった。しかし、メル本人から珍しく「目黒記念に出たい」と強く言ってきた為に、彼女の希望を汲んで本日の出走とあいなった訳だ。

 

「ちょっと部屋で集中してきます…」

 

 涙が引っ込まないうちにメルはおもむろに立ち上がり、ナズナの勝利者インタビューを待たずして自身の控室へと戻って行った。

 

 ☆

 

「なんとか落ち着きました… そろそろパドックの時間ですよね、行ってきます…」

 

「おいメル…」

 

 なんだか今日のメルは… いやここ1週間程のメルは少しおかしい。妙にヤル気をアピールするものの、その割にはどこか抜けている様な『心此処に在らず』、みたいな事が多くあった。

 その事と、今日の目黒記念は何か関係があるのだろうか…?

 

「はい、何ですか目黒さん…?」

 

「お前がナズナ達に今日の『目黒記念』が本命だと言っていたのは知っている。聞いても良いか? どういう意図で目黒記念が本命なんだ? 何かあるのか?」

 

 レース前、それもパドック直前に訊くような事でも無いのだが、どうにも気になった俺はメルに訊かずにはいられなかった。

 

「え?! そ、そそそそそそれはですね… あの、その…」

 

 急に顔を真っ赤にして取り乱すメル。全く訳が分からない。

 

「あの… その… レ、レースの後にもう一度お話しする時間を貰っても良いですか…? わ、私も目黒さんにお話ししたい事があるんですっ!」

 

 それだけ言うとメルは脱兎の如く地下道を走り去って行った。

 

 目黒記念の出走開始予定時間は17時。まだ暗くなる時間ではないが、このレースの後に行われるナズナのウイニングライブの頃には日が沈みきっているだろう。

 

 ダービーのレース本番は終了したが、この後のライブ目的で観客の大半はレース場から帰っていない。数万の観衆の前でメルは緊張せずに実力を出せるか心配ではある。

 

 パドックでのメルの人気は3番手。調子は悪くないが、重賞未勝利のウマ娘としてはこんな所だろう。この段階まで来てしまうとトレーナーとして出来る事は祈る事だけだ。

 

 ☆

 

 レースが始まり、メルはいつもの様に『逃げ』ている。目黒記念の出走ウマ娘の中で『逃げ』の脚質はメルだけで、序盤に他者との競り合いが無いのはメルとしてはとても助かる展開だ。

 

 そして最後の直線、ここまでトップを守ってきたメルだったが、徐々に後続のウマ娘に詰め寄られる。メルは大体いつもここで根負けしてしまうパターンが多いのだが、今日は様子がおかしかった。

 

 相手の進路を半身でブロックするような動き… ナズナやカメと同期のドキュウセンカンが使っていたテクニックに近い。それをメルは一切後ろを見ずにやっている。

 後続はメルを回避しようと迂回すると、その分大回りに走る事になり、その隙にメルは内側を前進出来る。

 

 しかし今まであんな走り方を指示した事も無ければ、「やってみたい」と相談を受けた事も無い。ましてやメルが1人であんな技を自主練習していたとも思えない。そもそも誰かの助け無しで練習出来るタイプの動きでは無い。

 

 後ろに目が付いているかと思うほどのドキュウセンカン以上の正確さで後続を塞ぎ、メルはあっさりすぎる程あっさりと1着でゴール板を駆け抜けて見せた。

 そのあまりにもメルらしくない堂々とした勝ちっぷりは、トレーナーである俺の目ですらも容易に信じられる物ではなかった。

 

 ゴール後、勝利を確信したメルは今まで抑えていた感情が溢れ出したかの様に、その場でわんわんと泣き出した。

 直後の勝利者インタビューでも終始泣きっぱなしで、受け答えもズルズルと何を言っているのか分からないレベルだった。

 

 ☆

 

「用意するので10分経ったら控室に来て下さい」

 

 ライブの後、メルは先程までの泣き顔が嘘のようにニコニコと話し掛けてきた。どうにもメルの情緒が安定していないのがトレーナーとして不安で仕方がない。

 とりあえず控室近くの喫煙室で時間潰しがてら今日の総括をしてみよう。

 

 メル的に『本命』の目黒記念に勝てた事は素直に喜ばしい事だし、先程見せたブロック技術も完全に習得出来たのなら今後GⅠでも通用するかも知れない。

 

 宝塚記念はもう無理として、秋には昨年のアモの様にオールカマーから天皇賞 (秋)なんて流れも良いかも知れないし、『GⅠに限りなく近いGⅡ』と言われる毎日王冠で実力を試しても良い。

 

 後輩のアイリスやきりが『GⅠトレーナー』(アイリスに至っては『ダービートレーナー』だ)となった今、俺がGⅠ無冠というのもバツが悪い。だが今回の勝利のおかげで俺も少し夢を見られるかも知れないな……。

 

 柄にも無くそんな夢想をしてしまう。そうこうしているうちに10分経ってしまっていた。

 メルは何をするつもりなのか? 何も聞かされないままなのが余計に不安だ。

 

 サプライズで優勝おめでとうパーティをするなら控室ではなく学園の事務所でやるべきだし、ナズナのダービーもあるのだから尚更だ。

 かと言って俺の誕生日でも無ければ何かの記念日でも無い。

 

「メル、入っても良いか?」

 

 ドアをノックすると「ど、どうぞ!」と返事があったので控室に入る。

 中にいたメルは何故か勝負服を着ていた。童話の「赤ずきんちゃん」の様な赤いフードとフリルの付いた白いドレス、メルヘンランドの名の通りメルヘンチックな衣装である。

 

「どうしたメル? 勝負服なんて着て…?」

 

 勝負服を着られるのはGⅠレース限定だ。メルはまだGⅠに出場した事が無いので、彼女のこの姿は初めて勝負服が支給された時以来になる。

 

「あ、あの、目黒さん! わ、私、目黒記念に勝ったら目黒さんに言いたい事があって…」

 

 目黒目黒で紛らわしいが、何やら勝負服に着替えてまで俺に伝えたい事があるらしい。

 

「あの… 今日の目黒記念は私にとって『本命』レースでした。そして私はその本命レースを獲りました!」

 

「ああ、そうだな。おめでとう、よく頑張った!」

 

 ここまでメルの情緒不安定が続いてまともに祝辞も述べられなかったが、ようやくまともに「おめでとう」が言えた。

 

「そ、それでですね、『言いたい事』というのは… えと、その…」

 

 顔を真っ赤にして口ごもるメル。余程言いづらい事なのか? 俺の練習方針について何か意見があるのだろうか?

 

「わ、私の大本命は目黒さんなんです! 目黒さんに目黒記念のトロフィーをプレゼントしたくて… こ、告白したかったんです…」

 

 ふむ、その好意は嬉しいが、そこまでして何の告白をするつもりなのだろう…? まさか3年目にして担当替えとかそういう話か…?

 

「わ、私は目黒さんが好きです! トレーナーとして尊敬してるし、男性としても大好きなんです!」

 

 …………え?



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69R 勝利の余韻

 夢の様なレースが終わり、私はダービーで《1番》になる事が出来た。

 掲示板に表示された1着から5着までの着差はアタマ-ハナ-ハナ-アタマと言う、本当に誰が勝っても不思議では無い、奇跡とも言える大接戦だった。

 

 ちなみに掲示板は2着からイーグルダイブ、ブラックリリィ、スメラギレインボー、トッカンクイーンの5名。

 以下にパッションオレンジ、リンカイパワフルと続くが、彼女らの着差もトッカンクイーンから見て半バ身程度だった。

 

 ようやく頭が追い付いてきて自分の勝利を理解できた私は、初勝利の時と同様にあらん限りの力と雄叫びで天に向かって右手を大きく衝き上げた。それに呼応するかの様に一斉に沸き上がる10万の観客席。

 死闘を制し、晴れて《ダービーウマ娘》となった私を称える歓声と拍手。2着以下の娘達も皆同様に拍手で称えられる。

 

「リリィ、惜しかったなーっ!」

「スメラギちゃんドンマイ! 良いレースだったよーっ!」

「みんなよくやったぞー!」

「お疲れ様ーっ! 感動させてもらったよーっ!」

「今年のクラシック級は最高だなーっ!」

「お前ら全員大好きだぞーっ!」

 

 普段なら優勝者以外のウマ娘は早々に地下道に引っ込むのだが、今日は何故か18名の出走者全員がその場に残り、堂々と観客席に向かって手を振ったり頭を下げたりと感謝の意を表していた。

 それは今回の日本ダービーで悔いの無い全力の走りが出来たという満足の、そして誇りの証だったのだろう。

 

「もう! 何でリリィには勝ったのに、よりにもよってアンタに負けるのよ?!」

 

「おめでとうナズナちゃん。『負ける』って結構悔しいんだねぇ…」

 

 モンスター2人に同時に絡まれた。面倒くさいから速攻で逃げようかと思ったけど、多方向から一斉に囲まれてしまう。

 

「死ぬほど悔しいけど悔いの無い走りができたわ。おめでとうナズナ」これはスメラギ。

 

「ナイスラン! こんな楽しいレースは初めてだったよ!」これはパッション。

 

「………………」いやわざわざ近くまで来てんだから何か言えよセイバー。

 

「あと一歩追いつけなかったなぁ…」これはトッカンクイーン。

 

「最高のステージで最高のレースが出来たよ! みんなありがとう!」これはリンカイパワフル。

 

 他にもダービーを闘ったウマ娘達が、入れ代わり立ち代わり私の前に現れて一言ずつ述べていく。今までこんなの見た事ない。

 まるでどこかのアイドルグループの様に、私達は18人全員で観客席に向かって長いこと手を振り続けた。

 

「スズシロナズナさん、勝利者インタビューを行いますのでウイナーズサークルへ」

 

 係員さんに導かれたウイナーズサークルには、すでに源逸さんとアイリスが待機していて、2人とも拍手で私を迎えてくれた。

 

 その後のインタビューは私も興奮していて何を話したのかよく覚えていない。リリィやスメラギ、アイリスの事なんかもちょこちょこ聞かれていたはずなんだけど、とにかく「はい!」と「ありがとうございます!」しか言っていなかった気がする……。

 

「それで体調はどう? 頭とか首とか痛みは無い?」

 

 インタビューからの帰り道でアイリスが私を心配して声を掛けてきた。すっかり忘れていたけど今の所は大丈夫、ホープフルステークスや皐月賞の時がウソみたいにスッキリしている。

 

「全然平気! 実はもう治ってるとか?」

 

「それなら良いけど…」

 

 不安な顔のアイリスを尻目に控室に戻ると、チームのみんなが待っていて揃って祝福してくれた。

 メル先輩と目黒トレーナーがいないけど、メル先輩はもうすぐ目黒記念が始まるのだから、自分の控室で集中しているのだろう。

 

 カメもコロも涙でデロデロの顔をしている。

 

「ナッちゃん… 一緒にGⅠ穫れて本当に、本当に嬉しい!」

「ナズナよくやったな! これで… これでナズナに勝ってるあたしが日本一で良いんだよな?!」

 

 2人とも涙声で(いささ)か不明瞭だが、お祝いの言葉をくれた。まぁコロは直後にアモ先輩から「んなわけねーだろ」とチョップされていたが。

 

 まだ目黒記念にもウイニングライブにも少し時間があるのでこの隙に着替えさせてもらうとする。

 何と言っても泥だらけでどうにもみすぼらしい。泥のおかげで《領域(ゾーン)》が発動して勝てたのだが、乙女としてはずっと泥塗れでいるのも抵抗があるのだ。

 

 レース場備え付けのシャワー室に着替えの制服とスマホを持って出たのだが、スマホは通知が凄い事になっていた。クラスメイト、後援会、地元の友達、そして両親と兄……。

 

 みんな私のダービー勝利を祝福してくれている。今になってようやく『ダービー終わったんだなぁ、勝ったんだなぁ』とジワジワと実感してきた気がする。

 

 その中に@tomisakiという見慣れぬアカウントがあったので確認してみると、どうやらナズナグレートちゃんのお母さんの物らしかった。そう言えばグレートちゃんは「富崎さん」で春ファンの時にアドレス交換してたんだったわ。

 

「グレートです。レース見てました! ダービーウマむすめおめでとうございます! やっぱりスズシロナズナさんはさい高です。ずっと大好きです!」

 

 とのグレートちゃんからのメッセージだった。

 あぁヤバい。今になって感情が事態に追いついてきた。もうこのグレートちゃんのメッセージが引き金になったのか、一気に感情が押し寄せて涙が抑えられなくなってしまった。

 慌ててシャワー室に駆け込んで、泥と一緒に涙も洗い流す。ライブは泣き顔厳禁だ。ライブで泣いてしまわない様に、私はシャワー室で人知れず感情と涙を思いっきり放出してきた。

 

 ☆

 

 さっぱりして関係者席に向かうと、ちょうどメル先輩の目黒記念が始まろうとしている所だった。

 メル先輩は3番人気。得意の『逃げ』が決まれば勝ちは十分に狙えるだろう。

 

「おかえりなさい、ナッちゃん。スッキリできた?」

 

 意味深な質問に曖昧に答えておいた。カメには泣いてた事がバレてるのかな?

 

「さぁ、メル姉も負けられない勝負だぞ! みんなで応援しよう!」

 

 コロがやたらと張り切っている。この子はメル先輩の『目黒記念が本命』の本当の意味を知っているのだが、約束しているとかで私達には最後まで教えてくれなかった。

 

「ねぇ、いい加減メル先輩が何を考えてるのか教えてよ。気になるんだけど?」

 

 私の質問にもツーンとそっぽを向いてしらばっくれるコロ。ちょっとムカつく。

 

「これはあたしの予想だけどね。メル(あの子)は『目黒記念』に勝って、目黒トレーナーに告白しようとしてるんじゃない? 目黒と目黒を引っ掛けて」

 

 アモ先輩は冗談めかして言うがコロが一気に挙動不審になる。先輩の予想は大当たりの様である。

 はぁ、なるほどねぇ。だからコロの「目黒は無いわ」に繋がるのかぁ……。

 

 そういう事なら私も真剣に応援しよう。ウマ娘だって女の子、恋に夢見たいお年頃だもんね。

 

 ☆

 

 目黒記念はメル先輩の横綱相撲とも言える貫禄勝ちで堂々と優勝を飾った。それはともかく……。

 

「ねぇカメ、メル先輩のあの走り…」

 

「うん、ドキュウさんみたいな走りだったよね…」

 

 なんともメル先輩らしくない走り方だった。それにあの一切振り返る事無くブロックしてみせた精度は恐らくドキュウ以上、あんなの技術とかそういうレベルじゃ無い。これはまさか……。

 

「ほほぉ、遂にメルも《領域(ゾーン)》に目覚めたかな…?」

 

 アモ先輩の呟きに私も同意見だしカメもコロも横で頷いている。全会一致でメル先輩も《領域(ゾーン)》が開花したとの見解だ。

 

 『新たな力』を手に入れてめでたいメル先輩。それに加えてライブの後に目黒トレーナーと2人で連れ立って帰ってきたのだが、何故かメル先輩は勝負服を着ていて目黒トレーナーと腕を組んでいた。

 

 これはずっと後に聞いた話なのだが、メル先輩は本当に目黒トレーナーに告白したらしい。

 もちろん学園生徒とトレーナーの恋愛は禁止。目黒さんは大人として「まず学園をちゃんと卒業しろ。それでもまだなお目黒(オレ)の事が好きならば改めて考えさせてもらう」と答えたそうだ。

 

 まぁ面白みには欠けるけど常識的な対応だよね。それでメル先輩はせめて今日の重賞勝利のご褒美として「腕を組んで歩きたい」とねだったらしい。

 こんなん既成事実じゃん。目黒トレーナー逃げられないよこれは。ウマ娘から逃げられる人間は居ないよ。

 とかなんとか言いつつも、メル先輩にしがみつかれている目黒トレーナーも満更じゃなさそうだし、案外この2人は将来的にもうまく行くんじゃないかな…?

 

 メル先輩のほっこりエピソードで私も少し幸せな気分を分けてもらった。今度は私が最高のライブで皆に私の幸せを分けてあげないといけないね。

 

 よっしゃ! と気合を入れてライブ衣装に着替えるべく廊下に出る。

 その瞬間、立っていられない程の激しい頭痛が襲い来て、私はうめき声を上げてその場にしゃがみ込んでしまった……。



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70R Winning the seoul

 関係者席から出た直後に廊下に(うずくま)ってしまった私だったが、アイリスがすぐに気付いて慌てて「ナズナ大丈夫?」と聞きに来た。

 

「うん、ちょっと疲れが出ただけ。だいじょぶダイジョブ…」

 

 無理やり立ち上がり笑顔を作り、頭痛が出た事は内緒にした。ここで下手なことを言ったらせっかくのステージから降ろされかねない。

 

 これから私が歌うのは「Winning the seoul(ウイニング ザ ソウル)」。年に3度、クラッシック級の三冠GⅠである皐月賞、日本ダービー、菊花賞でしか使われない栄誉ある曲だ。

 

 皐月賞の時は逸走して倒れてしまったし、これから時間のかかる治療の為に菊花賞は棄権不可避だろう。

 私が「Winning the seoul(ウイニング ザ ソウル)」を歌えるのは今日ここ、ダービーのライブをおいて他に無い。

 

「ナズナ…」

 

「アイリス、お願い… このライブだけ… 「Winning the seoul(ウイニング ザ ソウル)」だけ歌わせて… あとは何でも言うこと聞くから…」

 

 こちらに向けて何かを言いかけたアイリスを制して自分の希望を伝える。レースとライブは表裏一体だ。夢の舞台で走り、夢の舞台で夢の曲を歌ってこそ完成するのだ。

 

 やがてアイリスは心配顔から口元を歪めて心細い笑顔を作る。そして何かを諦めた顔をしてポツリと呟いた。

 

「もう、ナズナはずっとそればっかりじゃない。次から、とか今度から、とか言って結局いつもわがまま通してる。ふう、分かった… もう地獄まで付き合うわよ…」

 

 ☆

 

 ライブ服に着替えて舞台袖に来ると既に他の全員が集まっていた。「Winning the seoul(ウイニング ザ ソウル)」の舞台装置は3人ずつに分かれて4~9着の娘はセンターグループの両脇に、10~18着の娘は横10m×高さ3m、奥行き5m程の部屋に入れられる。

 

 その部屋のある場所がセンターグループの左後方(高さ3m)、右後方 (高さ5m)、左後方グループの真上 (高さ6m)だ。奥行きはそれなりにありそうだが、客席側には柵等の安全装置は存在しない。

 私も若干そのケがあるが、高い所の苦手な娘はメチャクチャ怖いだろうなぁとは思う。

 

「もう、何で貴女は毎回遅れてくるのよ?」

 

 顔を出すなりスメラギが突っかかってきた。申し訳ないとは思うが、こちらとて絶賛大頭痛の中で何とか準備してきたのだ、勘弁して欲しい。

 

 そう、私の頭痛は治まる事無く、目眩がするほどの痛みを1秒毎に脳味噌に叩き付けてくる。まるで『今まで我慢していた分をまとめて暴れさせろ』とでも言うように……。

 

 波の様に寄せては返す痛みの為に、うまく笑顔が作れない。ライブの直前なのに、どうにも顔をしかめた苦笑いみたいな顔にしかならないのが辛い。

 

 ただ一点救われているのが、「Winning the seoul(ウイニング ザ ソウル)」は可愛らしいアイドル調の曲では無くて、戦闘的なロックミュージックである事だ。

 これなら終始睨みつける様なしかめっ面で歌っていても怪しまれる事は無い。

 

「ナズナちゃん、どうしよう? 私センターの練習しかしてないからサードのソロパートとか歌えないよぅ…」

 

 人が頭痛いのにこのリリィ(ばかちん)が更に頭の痛い事を言ってくる。知らんがな、そっちが練習サボってたのが悪いんでしょうに。

 

「心配しなくてもサードのソロパートなんてサビの『進め~』だけだから楽勝でしょ?」

 

 イーグルが私の代わりにツッコんでくれた。

 しかし今更ながら、常勝のリリィを差し置いて私とイーグルの2人が勝てた事に驚きを隠せない。

 1着から7着までタイム差が1秒程の激戦とは言え勝負は勝負だ。イーグルがリリィと競り合ってリリィの体力と集中力を削ってくれたからこそ、私の最後の一歩が活きたのだと言えるだろう。

 

 何よりイーグルは(またしても)2着。リリィは初の3着となり、イーグルは連対率100%を維持しているクラッシック級唯一のウマ娘となった。

 このどうにも扱いに困る強敵(ライバル)とは、また近いうちに会う事になるだろう。

 

 ライブ開始の時間となった。空は既に日が落ちて暗くなり、観客席から掲げられた無数とも言えるサイリウムの光がぼんやりとステージを照らしている。

 弥生賞や青葉賞の時もGⅡだけあって大入りの観客だったが、やはりダービーは『桁』というか『格』が違う。見渡す限りのサイリウム、単純にドーム球場における収容人数の倍の人間が居るのだ。

 

 頭痛のレベルがズキズキじゃなくてグワングワンになってきているが、今倒れたら10万のお客さんをガッカリさせる事になる。あと5分、あと5分で良いから意識をしっかり保たないと……。

 

「具合が悪いんか? いつでもセンター代わったるで?」

 

 ステージ展開前にセイバーがこっそり話しかけてきた。たはは、具合が悪いのはお見通しか… こりゃスメラギ辺りにもバレてるよなぁ……。

 

「アリガト。大丈夫だよ、緊張しているだけ」

 

 この1年で、ごまかしと言い訳は上手くなったな、と自分でも思うよ。

 

 ☆

 

 エレキギターの爪弾きから始まるイントロに合わせて意識を集中させ体幹を持ち直す。正直立っているだけでもかなりキツい。

 私が左手を衝き上げるのと同時に演奏が賑やかになり、ステージのウマ娘達のダンスが開始される。

 

「光〜の(はっや)さ〜で〜、駆け抜ける衝動は〜」

「「「何を〜犠牲にしてーも〜、叶えたい強さの覚ぅ悟〜!」」」

 

 (センター)の歌い出しから3人の合唱になる。『何を犠牲にしても』か、全く以て今の私の為の曲だよね。そしてそれでも叶えたい夢があった。必死で掴み取った。その喜びと誇りで私は今歌っている。頭痛なんかに負けない。

 

 マイクスタンドを手に持って観客席を睨みながら歌うのは振り付け通りだが、この眉を怒らせた睨み顔が、今演技では無く素で出来るのはとても助かっている。

 観客席には私の鬼気迫る顔が見えているはずだし、それがこの曲のロックな部分でもある。

 

(はっし)〜れ〜今を! まだ終わらない! 辿り〜着き〜たい〜場所が〜あ〜るから〜」

「その先へと〜」

「進め〜!」

 

 そうだ、こんな所でまだ止まれない。トレセン学園2000人の頂点に立つ野望の前ではダービーなど単なる一里塚でしか無いんだ。

 ちなみにリリィはちゃんと「進め〜」を歌えていたよ。

 

 ワンコーラス終わって間奏、すぐに大サビとなる。最早視界は歪みに歪んで自分がどこを向いているのかすら分からない。

 それでも声はまだ出ている。自分の声が頭蓋骨に響いて一音を出す度に頭に激痛が走る。

 でもまだだ。まだ終われない。辿り着きたい場所があるんだ……。

 

「果ってっし〜な〜く続くウイニング! ザ・ソ〜〜〜ウル!」

「「「wowoh! wowoh! wowoh〜!!」」」

 

 曲の締めにマイクスタンドを高々と掲げ上げてポーズを決める。10万の観客の大歓声と拍手は全て私の物だ。

 頭痛でボヤけた視界には、全てが歪んで波打って見える。まともに見える物は何も無い。

 ステージの照明が落とされてステージの上下に設置された花火の吹き出す炎だけが光源となり私達の輪郭を隠す。

 

 やりきった満足感で満たされる。頭の痛みに身を任せればそのまま楽になれる気がする。わが人生に悔いなし、だ。

 私達が闇に紛れる。それと同時に限界だった私の意識も闇に沈み、マイクスタンドを持ったまま後ろに倒れてしまう。

 最後に見えたのは心配そうに涙目でこちらを覗き込むリリィの顔だった……。



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71R 究極の選択

 目が覚めたらまた病室だった。何回目だよこの展開?

 慣れた手付きでナースコールをすると、10秒くらいで看護師さんとお医者さんが連れ立って飛び込んで来た。

 

 皐月賞の後で通った府中の医療センターで診察してもらった医師(せんせい)だったので、今いるここは府中の医療センターだと理解できた。

 まぁぶっ倒れた場所が府中の東京レース場だったから当然と言えば当然の話だろう。

 

 医師曰く、今度の私は倒れてから5日も昏睡状態だったそうだ。今は麻酔で頭の痛みを抑えているが、薬が切れたらまた激痛に襲われる可能性が高いと言われた。

 

「今トレーナーさんを呼びました。詳細は到着されてから説明しますが、覚悟はしておいて下さい…」

 

 何か怖い事を言い残して、医師は後事を看護師さんに任せて病室を去って行った。

 

 ☆

 

「スズシロナズナさんは無理にレースに出た事で以前より病状が悪化しています。これでは治療に最低でも1年から2年、その後も日常生活は送れるでしょうが、全治後も恐らく痛み止めを服用し続ける事になります」

 

 前回と同様に私の頭の断面図を画面に表示しながら医師は淡々と説明する。言外に『今ちゃんと治さないともっと酷い事になるって前に説明したよね?』という怒りのオーラが満ち満ちている。

 

「あの、ちなみにレースは…?」

 

「言語道断です」

 

 試しに可愛く聞いてみたけどバッサリ斬られちゃった。

 

 はぁ… 覚悟はしていたけど私のアスリート人生はここで終わってしまったなぁ… まぁ念願のダービーウマ娘にもなれたし、最悪半身不随って話だったから、それに比べればかなりマシな方に転んだのかも知れない。

 

 頭では納得している。私のわがままでレースに出て、結果走りを引退する羽目になった。全て自業自得だ、頭では納得している……。

 

「ナズナ…」

 

 でも心は… 気持ちはこれっぽっちも納得していない! イヤだ、イヤだ! ウマ娘から走りを取ったら何が残るのさ? 私はまだ走りたい! カメやリリィやスメラギともっともっと走って競って、勝ったり負けたりしながら泣いたり笑ったりしたい。もっとレースで走りたい!!

 

 口には出せない。私にもプライドはある。誰が見ても自業自得な案件だ。自分で決断して周りを巻き込んで、それこそ福岡の両親を東京に呼び出してまでわがままを通して今があるのだ。

 

 それでも心には嘘を吐けない。必死にこらえているが大粒の涙が目から幾つも零れ落ちてくる。

 本当に私は弱い子だ。泣き虫でわがままで意地っ張りで、そして嘘つきだ……。

 

 涙を止めようとしても余計に気持ちが昂ぶってきて、溢れる涙を抑えきれない。ここで泣いたって医師(せんせい)を困らせるだけなのに……。

 

「あー、ただ手が無い訳でも無いんです…」

 

 医師(せんせい)の口が重い。良い話を驚かせたくて隠していた、とかいう雰囲気ではない。本当は教えたくなかったが仕方なく、という感じだ。

 

「アメリカに居る私の恩師が神経治療の名医でして、彼に依頼すれば手術によって肥大した患部を切除し、その後数ヶ月でレースに復帰できる可能性があるかも知れません…」

 

 天から光が差した様な気がした。手術っていうのは少し怖いけど、このまま二度とレースを走れない人生なら死んだ方がマシとすら思える。

 

「ただそれでも成功率は7割… いや6割5分といった所でしょう。失敗すれば本当に半身不随になる危険性があります。加えてアメリカの医療は極めて高額です。詳しくは問い合わせてみないと分かりませんが、恐らく数千万円ほどの費用が必要かと… もしご希望であれば詳細を聞いてみますし紹介状も書きます。慎重に考えて下さい…」

 

 高価で危険な手術か或いは引退か? そんな究極の選択を突きつけられても、すぐに答えなんか出せない。

 私はとりあえず入院続行で、医師(せんせい)にアメリカ側の詳細を聞いて貰う事にした。アイリスは一度学園に戻って源逸さんと話し合いをしてくるそうだ。

 

 確率65%… 3回に1度は失敗する確率だ。決して悪い数字では無い。ただ悪い結果が出てしまった場合、これまで以上に親を悲しませる事になるのは大変心苦しい。

 母さんは「体が不自由になっても支えてくれる」と言っていたけど、ハイそうですかと甘える訳にもいかないだろう。

 

 ☆

 

 翌日、チームのみんながお見舞いに来てくれた。事情はアイリスから聞いているらしく、皆表情が固い。

 

「まずはナズナの無事を喜ぼうぜ! ほれナズナ、お土産だ!」

 

 コロが重い空気を吹き飛ばそうと元気に振る舞ってくれている。自分だって足の治療で辛いはずなのに。

 んで土産とは何ぞやとコロの差し出した物に目を移すと、何やら高さ20cm程の人型のぬいぐるみの様だった。

 

「ほら、ナズナのぱかプチだぞ! この目つきの悪いところとかそっくり!」

 

 『ぱかプチ』とはゲームセンターのクレーンゲーム等で入手できる、デフォルメされたウマ娘の可愛らしいぬいぐるみのシリーズだ。

 

 手渡されたぱかプチは確かに私の顔によく似ていた。格好は学園制服のセーラー服でスカートの下は黒いパンツを穿いていた。

 ちなみに私は黒の下着など持ってはいない。

 この人形のパンツチェックって意味も無くしちゃうよね。これは老若男女関係ない人類の習性だと思うのだけどどうだろうか?

 

 それはともかくぱかプチの腰にメーカーさんのタグが付いているって事は、誰かの手製じゃ無くて商品としてあるって事なのかな…?

 

 ぱかプチはその時代で活躍したウマ娘が数名選ばれ商品化される。それこそ実力と話題性が伴って初めて採用されるという、考え方によっては下手なGⅠに勝つよりも難易度が高い代物なのだが。

 

「メーカーさんが夏から『ダービーウマ娘』のナッちゃんのぱかプチを売り出すんだって。これはその試作品なんだけど、あまりにもそっくりすぎて笑っちゃったよ」

 

 カメが楽しそうに話を繋ぐ。確かに目つきの悪さとか髪の毛のザンバラ具合とかそっくりだと思うよ。イマイチ嬉しくないけどね。

 しかし、自分の人形が売り出されるとか少し… いやかなり奇妙な気分だ。

 

「制服バージョンと勝負服バージョンを出すんだって。この子はナッちゃんが居なくて寂しかった私が毎晩抱いて寝ていたから、私の汗と涙が染みてると思うけど」

 

 マジかよ。変な呪物と化したりしてないかぱかプチ(これ)? 急に持ってるのが怖くなってコロに返しちゃった。

 

「あとこれも見て」

 

 カメが手にしていたスマホの画面を見せてくる。そこにあったのはSNSのウマッターで『#負けるなスズシロナズナ』とタグ付けされた投稿の数々だった。

 

 どこかの神社に私の回復の願掛けをしてくれたり、沢山のぱかプチを並べてお供え物で囲んでいたり、『スズシロナズナファイト!』と書かれた横断幕を広げて何人かで写真を撮ってくれていたりと、各人が様々な方法で私の復活を願って応援の投稿をしてくれていた。

 

 この見知らぬ大勢の人達の善意に胸が押し潰されそうになる。私はこの人達に何も返せない。自分の無力さに腹が立つと共に、申し訳無さで消えてしまいたくなる。

 

 もちろんこの人達に対して一番良いお返しは、私がレースに復活して元気な姿を見せる事だ。ただ復活と言っても簡単な話では無い。

 実は皆が来る直前に源逸さんやアイリスと共に手術に関しての話を聞いたのだが、リハビリテーションも含めて必要な期間は4ヶ月、掛かる費用は5000万円と言われていた。

 

「…事務所から出せるのは絞りに絞って1000万って所だ。昨日URAにも掛け合ってダービーウマ娘の治療って事で結構奮発しては貰ったんだがそれでも出せて1000万だそうだ…」

 

 これが現実。仮に私の実家や後援会の尻を叩いても千万単位のお金なんて引き出せる訳も無い。

 未成年のウマ娘にお金を貸してくれる所も無いし、仮にあっても桁が大きすぎる。

 

 必要経費5000万から学園と事務所から出して貰える2000万を引いても3000万の金策が必要になる。

 そして少々のカンパを頂いた所で、3000万という巨象の前では蟷螂の斧だ。

 

 …やはり万策尽きた。スズシロナズナさんのレース人生はここで幕引きです。

 学園は卒業するまで居させてはもらえるだろうけど、楽しそうに走るスメラギらクラスメイトを見て過ごすのも辛いよなぁ。そしたら転校かなぁ? 皆と別れたくないなぁ……。

 

 悲観的な妄想で私が1人で凹んでいる横で、カメが何やら真面目な顔でスマホを操作していた事に、私は最後まで気が付かなかった。



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72R 初めての呟き

「お金かぁ…」

 

 10代半ばでこんなボヤきをしたくはないのだが、状況が状況だけに愚痴の1つも言いたくなる。

 お見舞いに来てくれた皆が帰った後の一人部屋、とても寂しい。更に1人でいるとネガティブな思考ばかりが浮かんできて、最終的には死にたくなってしまう。

 

 さすがにまだ死にたくは無いので、気持ちを上げる為の秘密兵器を手に取る。

 それは日本ダービー翌日のスポーツ新聞だ。レースの模様はどの新聞も大絶賛で、全ての新聞で『今年のベストレース確定』と囃し立てていた。

 

 1面はもちろん全て私。各紙の見出しも『スズシロナズナ偉大な一歩!』『前代未聞、横並びの芸術!』『青葉賞40年の悲願!』『最高のメモリアルレース』『泥濘の奇跡、青葉の刺客現る!』

 

 こんな感じで私の偉業を皆が称えてくれている。この辺は世界の中心に居るような気がしてとても気分が良くて、何度でも見直してニヤニヤしてしまう。

 

 返すがえすもあの横並びから抜け出せたのは運が良かったからとしか思えない。「ダービーは最も運のあるウマ娘が勝つ」は本当の話なのだろう。

 

 ただ2面以降になると雲行きもちょっと怪しくなってきて、『鬼気迫るライブに暗雲?!』『お騒がせ娘、また倒れる』『スズシロナズナ昏倒、怪我の影響か?!』『問われるウマ娘管理体制』

 

 なんて書かれ方をする。やはり観客の目の前のステージでぶっ倒れたのは良くなかった。せめて控室に戻るまで倒れるのを我慢出来ていれば、もう少し穏便なタイトルの記事にして貰えたかも知れない。

 

 私のスマホも倒れてから数日は各種通知が鳴り止まぬ状態だったらしい。とりあえず昏睡状態で面会謝絶だったこともあってカメが代わりに対応してくれていた。

 

「『#負けるなスズシロナズナ』かぁ…」

 

 何ともなしにウマッターを立ち上げてタグに沿ったタイムラインを眺めて見る。

 ウマッターに関してはアカウントこそ作ったものの、私は見る専門で自ら何かを呟く様な事はしてこなかった。

 

「ナッちゃんも一端(いっぱし)のレーサーなんだからアピールしないと駄目だよ」

 

 そうカメによく言われていた。でもネットで不特定多数に向けて何を言えば良いのかよく分からなかったんだよね。

 でもまぁ今回は沢山の人に心配かけたし、最低限の事くらいはしておくかな、と思い「スズシロナズナ、なんとか生きてます」とだけ打ち込んで送信した。私の初めての『呟き』だ。

 

 それだけやってトイレに立つ。1人で歩いてトイレに行くのが許可されているのはとても助かる。おまるや尿道カテーテルなんて事になったら、乙女の恥じらい的にとても辛い。

 

 用を足して帰ってきたらスマホがチカチカ点滅している。カメか誰かが反応してくれたのだと思っていたら、物凄い勢いで『ウマいね』とリウマートが回転している。その数5000ウマいね。わずか数分でだ。しかもまだ上がり続けている。

 

 同様に私宛のリプライも大量に届いており、とてもじゃないが目で追いきれない。

 あたふたしているうちに『ウマいね』は1万を超えた。私が生きている事について1万を超える人が賛同してくれていて、その数はどんどん増え続けている。

 

 これほどまでに応援してもらいながらも、復帰に向けて有効な手段が全く用意出来ていない事は慙愧の極みだ。

『何か、何か無いのか…?』と考えながら横になっているうちにいつしか眠りこけてしまっていた。

 

 ☆

 

 翌日、面会時間開始直後に慌てた様子でカメがやってきた。

 あまりにも興奮しているので、何とか落ち着かせて話を聞いて見ると今とんでもない事になっているらしい。

 

 順番に解説していくと、昨日カメが帰り際にスマホをいじっていたのは、私の手術費用の工面に関して何かいい案は無いかとリリィやスメラギを含む何人かに相談のメールをしたんだそうだ。

 

 エバシブから詳細を聞いていたリリィがここで暴走してくれた。あろうことか私の手術費用の事を自身のウマスタグラムで暴露してくれやがったのだ。

 

 人のプライバシーに土足で踏み込む絶交レベルのやらかしではあったのだが、ほぼ時を同じくして偶然にも私の呟きがトレンド入りした相乗効果で私の怪我の事やお金に困っている事が大きく拡散されてしまった。

 

 更にそのリリィのウマスタを見たグレートちゃんのお父さんが、今度は私の手術費用の為のクラウドファンディングを立ち上げてくれたのだ。

 しかも「言い出しっぺの義務」とかでいきなり200万円も支援してくれていた。

 

 曰く「私の家族はスズシロナズナさんに救われました。この御恩は金銭なんかでは到底お返しできる物ではありません。それでも今できる事は彼女の復帰の為にお金を出す事だと考えました。スズシロナズナさんの、そして娘の笑顔の為なら一戸建て用の頭金を崩す事など苦でも何でもありません」だそうだ。

 

 一応『詐欺ではない』と言う意味合いだろう、春ファンの時に撮った私と車椅子に乗ったグレートちゃんのツーショット写真がトップページに飾られていた。

 

 この事がきっかけで、今現在日本中から凄い勢いでカンパが集まっているらしい。目標金額は当初の不足分3000万円とされていたが、わずか一晩で800万程が集まっている。

 

 何それ怖い… そもそも手術を受けるかどうかも決まってなかったのに、手術する前提でお金を集められても困る……。

 

 いや確かに手持ちが無ければ「手術する」という選択肢そのものが無かったわけなのだが、仮に目標金額が達成されたとしても、私はどんな顔でそれを受け取れば良いのだろう? 皆の気持ちを受け取る資格が果たして私にあるのか…?

 

「あの、カメ… ちょっと話の動きが早すぎて…」

 

 私の言葉を遮るようにカメが自分のスマホ画面をこちらに見せてくる。グレートちゃんのお父さんが立ち上げたと思われる「ナズナ基金」と題されたクラウドファンディングのページ、そこに100万円の振り込みが終了した事を告げるメッセージが表示されていた。

 

「うちの両親から。ナッちゃんに潰れて欲しくない人が日本中に沢山いるんだよ?」

 

 いやでも… そんな… 私なんて… どうすれば……。

 

 違う。

 

 私は答えを知っている。私がターフに戻ってくる事こそがグレートちゃんのお父さんを始め、支援してくれる人達の望みなのだ。手術の成功率など知ったことか! 私は絶対に帰ってくる。そして『鉄人』スズシロナズナは健在だと吠えて見せる。

 その気概無くして何の為にウマ娘として生を受けたのか、だ。

 

「カメ… ありがとう。ご両親にもお礼を言っておいて。何かお礼が出来れば良いんだけど、私に出来ることがあるなら何でも言って…」

 

 カメへの感謝。それは今このカンパだけではない。同部屋になってからずっとカメには世話になりっぱなしだ。借りばかり作って居心地が良くないのは事実なのだ。

 

「…じゃあさ、怪我が治ったら私と走ろう。スズシロナズナ復帰第一戦の相手は私に務めさせて。あとリリィさんを怒っちゃダメだからね?」

 

 カメはにっこりと笑って私に挑戦状を叩きつけてきた。



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73R 6月の出来事

 富崎さん(グレートちゃんのお父さん)の立ち上げたクラウドファンディングは、結局期限の1ヶ月を待たずして3000万をクリアし、最終的には65,628,813円という大金が集められた。

 

 その成果を以て私のアメリカ行きは決定事項となり、7月早々の学園主催の強化合宿と時期を合わせて渡米する運びとなった。

 

 さて、それまでの約1ヶ月の間の事件をざっくり話していこうと思う。

 

 まず私とコロは怪我、アモ先輩とメル先輩はレースエントリー無し、という事で、結局チームの中で6月にレースに出たのはカメだけだった。

 

 カメの走ったレースは「安田記念」。1600m(マイル)で、クラッシック級とシニア級とが直接対決する年度初のGⅠとなる。

 

 NHKマイルカップを獲ってクラッシック級のマイル王となったカメが、今度は安田記念というシニア級マイルGⅠへの挑戦を行ったわけだが、今回は残念ながら7着と掲示板すら外してしまう結果となった。

 

 これには幾つか理由がある。まず安田記念は日本ダービーの翌週であり、私が倒れてからの数日間、カメはまともにトレーニングが出来ていなかった。

 

 私をお見舞いに来たのが金曜日、クラファンの事を教えに来たのが土曜日、そしてレースは日曜日だ。

 私も自分の事で手一杯だったからカメに気を回す余裕が無かったが、それにしてもレース前日までこちらに来なくても良いのに、とは思う。

 

 あとはカメの苦手な『流れの早いレース』に持ち込まれてしまい、最後の直線勝負でスピードが乗り切らないうちに勝敗が決してしまった。

 カメの《領域(ゾーン)》である『風林火山』も今回は不発だったようで、何と言うかまぁ「ドンマイ」といった感じのレースだった。

 

 ちなみに安田記念の優勝者は昨年の青葉賞覇者のブラッドハーレー先輩。

 勝利者インタビューで「今年のダービーウマ娘は遂に青葉賞から誕生しました。同じ青葉賞出身の仲間が奮発したのだから、と気合が入りました。今その子は怪我で入院しているそうなので、元気になったら是非勝負したいですね!」と語っていた。

 

 これにはカメも悔しがる事なく素直に称賛していた。私もGⅠを穫った先輩から挑戦状を貰うとは、気合を入れ直さねばなるまい。

 

 ☆

 

 安田記念の後には宝塚記念のファン投票の結果が発表され、ツキバミやトウザイ会長、私やカメ、リリィといったGⅠホルダーを始めクラッシック級からも多数の有力ウマ娘が選出されていた。

 

 でもまぁ、せっかく投票してもらって申し訳ないのだが、私はドクターストップだしスプリント〜マイラーであるカメも宝塚記念の2200mは距離適性不適合として2人仲良く辞退させて貰った。

  

 さて宝塚記念と思われたが、その前週に少々意外な事が起こった。ユニコーンステークスというGⅢのダートレースがあるのだが、そこにドキュウセンカンが出場していたのだ。

 地方出身のドキュウが本来の得意場であるダートを走るのは不思議な事ではない。加えて最近成績が低迷している事も含めてダートに復帰するつもりなのかも知れない。

 

 そしてユニコーンステークスで見せたドキュウの走りは今までと全く変わっていた。

 得意技であった後続をブロックするようなステップを封印、全力で『逃げ』た。結果見事な2身差で優勝をもぎ取ったのだ。

 

 新たな戦法を見せて一皮剥けたドキュウ、ユニコーンステークスはGⅠ『ジャパンダートダービー』のトライアルレースでもある。

 彼女の次の挑戦はダートGⅠという事だろう。あちらはあちらで頑張って欲しい。いつかまた芝に戻ってきたらまた戦おう。ドキュウにはちゃんとリベンジ出来てないからね……。

 

 ちなみにユニコーンとは何だろうと思って調べてみたら、『角の生えたウマ娘』で海外の伝説に登場するキャラクターらしい。昔の人は変な事を考えるねぇ。

 

 ☆

 

 さて宝塚記念だが、骨折で出場を辞退した現役最強の王者ツキバミを欠くものの、連覇を狙う昨年の覇者ケイヨウブロンコ、現生徒会長にして天皇賞 (秋)ウマ娘のトウザイブレイカー、今年の桜花賞とオークスの2冠を勝ち取ったオオエドカルチャー。

 そしてお馴染みリリィ、スメラギ、イーグル、セイバーといった面々に加えて、多くのシニア級の猛者達が集い、かつて無い豪華な顔ぶれで行われた。

 

 レースはいつもの様にセイバーが逃げて、各員がそれを追う展開になる。終盤トウザイ会長とスメラギの熾烈なデッドヒートなども見られたが、最終的にはリリィが差し切って優勝を手にした。

 

 2着以下、イーグル(!)、トウザイ会長、ケイヨウブロンコ、スメラギと続く。6着はセイバーだったが、見るからにバテバテであの娘には2000以上の距離は向いてないんじゃなかろうかと思った。

 クラッシック級でのワンツーパンチという快挙に、秋以降の大混戦を予想してマスコミは大いに盛り上がっていた。

 

 ☆

 

 宝塚記念が終われば学園は2ヶ月間の夏休みに入る。デビュー前の娘には普通の夏休みなのだが、トゥインクルシリーズに登録されているウマ娘は基本的に全員参加の強化合宿が待っている。

 

 強化合宿自体のハードメニューもよく語り草になるが、同時に合宿所の近くで行われる夏祭りやスポーツ大会等のレクリエーションも話題となる、一種後輩達の『憧れのイベント』とも言える。

 

 実は私も本来なら今年が合宿初参加となるはずであったが、ご存じの通り怪我の手術の為に合宿参加は見送られた。

 ちょっと寂しいけど、また来年の楽しみに取っておくとしよう。

 

 来年… その為には怪我を治して調子を戻して、まずはカメとの対決だ。どうせならGⅠとまでは言わないけれど、何かの重賞でカメとはケリを着けたい。

 7月から4ヶ月… 10月いっぱいまでアメリカ(むこう)に行ってるとして帰るのが11月の頭。

 そこから1〜2ヶ月の調整期間は欲しいから、カメとの対決は年明け一番の京都金杯(マイルGⅢ)あたりがベストかな?

と考えている。

 ☆

 

 私とアイリスの渡米する日、既にチームメンバーは夏合宿に出発しているので、空港への見送りは源逸さんと怪我仲間のコロ、デビュー前のエバシブ、そして富崎さんが来てくれた。

 

 コロはこの後URAの管理する保養所と学園を行き来しつつ、温泉に浸かりながら屈腱炎の治療とリハビリに専念するらしい。

 エバシブもトレーニングは順調で、8月あたりを目安にメイクデビューに備えているそうだ。

 

 そしてグレートちゃん本人は「今日はトレーニングの日だから来れません」(お母さんは付き添い)との事。

 春ファン以降、ゴールドギガントさんの所属するスポーツクラブに入会して、本当に車椅子レースの手ほどきをギガントさんから受けているらしい。

 

「スズシロナズナさんにもらった勇気で私は一歩踏み出せたし、ギガント先生みたいな凄い人に出会う事も出来ました。今私がするべき事は、スズシロナズナさんに会いに行く事じゃなくて、私が頑張っている姿を見てもらう事だと思いました。スズシロナズナさん、私は『走っています』! だからスズシロナズナさんも絶対ターフに帰ってきて、また元気な姿を見せて下さい!」

 

 体中にプロテクターを装着し、それでも転んで、ぶつかって傷だらけになりながら競技用車椅子で楽しそうに走るグレートちゃん。

 富崎さんのスマホに収められた素敵なビデオレターを見て、微笑みがこぼれる。何だかんだでグレートちゃんも人に夢と希望を与える立派な『ウマ娘』やってるじゃん。お姉ちゃん誇らしいぞ。

 

「実はダービーを家のテレビで見ていたのですが、スズシロナズナさんがレースに勝った瞬間、芙美子(ふみこ)が… あ、グレートがですね、『立った』んですよ…」

 

「え…?」

 

 確か聞いた話では、グレートちゃんは先天的な神経系の病気で生まれた時から腰から下が不随になっていたはずだ。

 加えて脚の骨格も筋肉も未成熟で、とてもではないが『立てる』体格ではなかった。

 

「ほんの1秒あるかないかの時間でしたけど、それは私達家族が長年夢見て、そして絶対に叶わないはずの光景でした。まぁ本人も夢中すぎて何をどうやったのか全然覚えていない様で再現は出来なかったんですけど…」

 

 驚きすぎて声の出ない私を尻目に富崎さんが言葉を続ける。

 

「もし芙美子が立たなかったら私はクラウドファンディングなど思いつきもしなかったでしょう。貴女は本当に何度も奇跡を起こしてくれた。娘の為に素敵な出会いもくれた。たとえ私達夫婦の命を差し出してでも貴女に御恩返しがしたかったんです… 手術の成功を心から願ってます…」

 

 富崎さんが私の手を取り、男泣きして語ってくれた事を私は一生忘れないだろう。



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75R 彼の地にて

 アメリカに着いて最初に思ったことは『空気が乾燥しているな』だった。まぁ比較対象が日本の7月なのだから当然と言えば当然なのだが。

 

 これからお世話になる病院は、首都ワシントンDCとメリーランド州との州境にある比較的大きな所だった。

 さっそく病院へ。通常アメリカの病院は、基本全ての診察が予約制で当日や翌日に予約を取ることは難しいらしい。もちろん私は1週間以上前から予約してもらっているので問題ない。

 

 英語に関しては私は挨拶程度しか出来ないので、全てアイリスに任せてしまっている。

 というのもウマ娘には結構な割合で海外の血が入っていたりするので、英語を話せるウマ娘は比較的多い。

 

 アイリスもその1人で彼女の母親はアメリカウマ娘(じん)、加えてアイリス自身も幼少期はアメリカで育って英会話はネイティブレベルだそうだ。他にはスメラギのお母さんもイギリス出身って聞いた気がする。

 

 まずは入院の手続きを済ませる。1週間ほど検査と様子見をして、それから手術とリハビリの細かいスケジュールを決めていく、という話らしい。

 

 そもそも肥大した神経を切除するのは良いとして、その切り取られる神経が体のどこを司っているのか分からないのだ。迂闊にバッサリいくと私の人生ごとバッサリいく可能性も否定出来ない。その辺りの特定と各種薬への耐性等を見極める為の1週間だそうだ。

 

 無為に1週間を過ごすのはやや苦しいが、スマホの持ち込みが許可されて院内にWi-Fiスポットも用意されていたので、カメやコロとLANEでやり取りが出来たのが嬉しかった。

 

 そして1週間後、私はガチガチに固まっていた。手術の成功率が7割を切るという話は、改めてこちらの病院でも聞かされたし覚悟はしていたつもりだった。

 それでも確率的にサイコロを1つ振って、1か2が出たらもう二度と走れない体になってしまう、なんて可能性がある事を考えたら怖くて震えが止まらない。

 

 手術しなきゃいけないのは分かっている。もう必要な費用は全額振り込み済みだ。今から「キャンセルします」といった所でお金は半分も戻らないだろう。

 

 私の背中を押してくれたのは、車椅子で必死に練習を続けているグレートちゃんの存在と、なんと驚くべき事にドキュウセンカンの存在だった。

 

 というのも、ドキュウセンカンがダートへと転向 (回帰?)したのは前述した通りだが、昨日夜にクラッシック級ダートチャンピオンを決定するジャパンダートダービーが行われたのだ。

 

 すっかり日の落ちた大井レース場、ナイター照明に照らされながら(ダート)の上を駆けるウマ娘達。場は違えどこちらもれっきとしたダービーである事に変わりは無い。

 

 その中でドキュウセンカンはまたしても圧倒的な実力を以てレースを制して見せ、ユニコーンステークスに倍する4身差をつけて快勝した。今年のダートダービーウマ娘はドキュウに決定した訳だ。

 

 それだけならまだしも、ドキュウはレース後の勝利者インタビューで「芝とダート、ダービーの王者が出揃ったので、その統一戦をやりたい」と(のたま)ったのだ。

 

 そりゃ漠然と『いつかはドキュウにもリベンジしなくちゃいけないなぁ』とは考えていた。だがまさか向こうから挑戦状を叩き付けてくるとは思わなかったよ。

 

 私の渡米はニュースにもなったので、トレセン学園に私の状況を知らないウマ娘は居ないだろう。その上での挑戦状は『さっさと怪我を治して戻ってこい』というメッセージに他ならない。

 

 ここまでされて火が点かない訳が無い。挑発されるとすぐに乗ってしまう安い性格だが、私はそれを自覚しているしそんな自分が嫌いではない。

 

 斯くして『絶対にレースに帰ってやるんだ』とこれ以上無く意気込んだ私は手術本番に臨むことになる。

 

 ☆

 

 目が覚めたら自分の病室だった。すぐ横にアイリスが座って私の様子を見てくれていたらしい。私の覚醒に気付いて「気分はどう?」と語り掛けてくる。

 

 アイリスが居てくれた事に安心しつつ、Vサインでも挙げてやろうかと右腕を動かそうとするも腕の感覚が無い……。

 

 え? ウソでしょ…?

 

 右腕だけじゃない。左手も両足も全く感覚が無い。え? これはどういう事…? まさか… まさか手術が失敗して首から下が動かせなくなっちゃった、とか…?

 

 アイリスに問い質そうにも口がうまく開けられない。口から発せられるのは「あ…」とか「う…」みたいなうめき声だけだ。

 最悪の事態を想定して目の前が暗くなる。そんな… ここまで来てそんな残酷な終わり方で良いの…? 私の人生って一体何だったの…?

 

「ナズナ、心配しないで。手術は成功したわ。今はまだ麻酔が効いていて体が動かないだけ。とりあえず源逸先生とナズナのご両親には報告しておいたけど、口止めもしておいたからその他のチームメイトや友達には自分から報告すると良いわ」

 

 手術の成功した安心感からか、アイリスはとても穏やかで優しい顔をしていた。

 

 ☆

 

 翌日体調の回復した私はカメやコロ、そして富崎さん、担任の先生、スメラギ、トウザイ会長に手術が成功した旨を報告した。これで放っておいても学園内では勝手に広まるだろう。

 

 ついでにウマッターの方でも「手術が成功しました。これからまたレースに向けて頑張って行きます」と書いておいた。

 こちらもすぐに万バズで、とてもたくさんの人が私の回復を喜んでくれて応援してくれている。

 

『何かファンの人達にお礼をしたいなぁ』とぼんやり考えていたら、医師との打ち合わせの終わったアイリスが病室に入ってきたので、お礼について相談してみる。

 

「そうね… それなら何かお礼の品を作って配ったらどうかしら? たとえばクラファンで募金してくれた人達に何か贈るとか…」

 

 ふむふむ、確かに当初の目標額を大きく超えた資金が集まり、URAやチームに借金をせずに済んだ事と病室のグレードアップが出来たのはとても助かっている。

 

 その上でまだ1000万近いお金が残っており、その使い道にも悩んでいたのだ。

 富崎さんに返すわけにもいかないし、募金してくれた人達にその募金額に応じた返金をするのも変な話だ。

 

「実はメーカーさんから商魂(たくま)しい問い合わせが来ていたのだけど、『限定版のぱかプチを作って返礼品にするのはどうでしょう?』って。どう思う?」

 

 なるほどなぁ。私のぱかプチに需要があるのかどうか疑わしい部分はあるが、非売品の限定版を作れば喜んで貰えるのかなぁ…?

 

「一応服装とか大きさとかで予算は変わってくるらしいんだけど、市販のサイズだったり既存の衣装デザインだったらかなり安く作れるみたい。しかも事情を考慮して原価ギリギリまで割り引きしてもらえるらしいわ」

 

 そう言ってアイリスは小脇に抱えていたノートを広げて見せてきた。

 そこには規定サイズと特注サイズの注文額の差とか、既存の衣装 (制服とライブ服、勝負服もデータは作成済みなので既存扱い)とパーティドレス等の特注衣装の差とか、予算に関して色々と考察している風だった。

 

「ちょっと暇に飽かせてたくさん考えちゃった。商品化予定のないライブ服バージョンで大サイズぱかプチを作って、募金額2000円以上の人に配ると想定するでしょ… それ以下の募金額の人にも何か贈りたいから、とりあえずナズナのプリントシールを作りましょう。そうすると掛かる費用が…」

 

 何だか当事者の私を差し置いて1人で楽しそうに計算を始め出した。きっとこんな感じで手元の書き込みでいっぱいのノートが作られたのだろう。

 このモードになったアイリスは外部からの声が全く耳に入らなくなるので、しばらく待つ必要がある。

 

「…これで予算ギリギリな感じかしら? ちょっと予算オーバーしそうなんだけど、そこは私が自腹を切るから安心して」

 

 ふーん… って、えっ? なんでアイリスが自腹を切る必要があるのさ? ノートを覗くとアイリスが100万円ほど手出しになる計算式が書いてあった。

 不思議そうな顔でアイリスを見つめる私に、アイリスは優しそうな、それでいてどこか寂しそうな微笑みを浮かべた。

 

「私もナズナの担当としてファンの皆様には多大な感謝をしているわ。もちろん貴女自身に対してもね… 私を『ダービートレーナー』にしてくれてありがとう! 富崎さんじゃないけど、この溢れる感謝の気持ちをお金で表せるなら本望だわ」

 

 一気に喋って大きく息をつくアイリス。

 私だってアイリスに、富崎さんに、カメ達チームのメンバーに、そしてたくさんのファンの人達に感謝している。

 私は学徒の身でお金は無いから、(レース)で返すしか道は無い。それはこれからも頑張ると約束する。

 

「それにこうしてナズナといられるのもあと少し… 実は私ね、日本に帰ったら貴女のトレーナーから… いえチーム〈ポラリス〉から離れる事になっているの…」



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75R アイリスの責任

「えっ?! ウソ…? 何でよ? そんな話は聞いてないんだけど?!」

 

 アイリスが私のトレーナーを、いやチーム〈ポラリス〉を離れると聞いて、私は思わず気が動転してしまった。

 担当替えか? 1年前ならまだしも今の私はアイリスを信頼しているし、アイリスも本気で私に向き合ってくれている。関係は悪くないはずだ。

 

 いや、アイリスは「チームから離れる」と言った。それはすなわち『チームを離脱する、或いはトレーナー業を辞める』という事なのだろうか…?

 

「本来ドクターストップのかかっていた重傷のナズナを青葉賞とダービー、2度もレースに出して走らせた『悪逆トレーナー』として名を馳せてしまったからね。今回の事件の責任を誰かが取らないといけないのよ…」

 

 そんな… レースに拘ったのはあくまでも私のわがままだし、意識を失って倒れたのも言葉は良くないが想定内だった。私はダービーに文字通り命を懸けていたし、仮にその結果が惨敗であったとしても、走れなかった場合に比べてより幸せを感じていただろう。

 

 頭がグチャグチャで反論しようにも上手く言葉が出てこない。空いた間を繋ぐ様にアイリスが続ける。

 

「チームとして責任を取るとなると源逸先生が腹を切る事になるでしょ? そしたらチーム〈ポラリス〉そのものが瓦解してしまうもの。私1人の離脱で済むならチームとしては安い物よ。それに源逸先生や鈴代さんご夫妻の弁護もあって、なんとかトレーナー免許の剥奪だけは免れたから、またどこかで新しいウマ娘を見つけて鍛えるわ。ナズナも縁があったらその娘と勝負してあげて…」

 

 そんな悲しい話を淡々と続けるアイリス。何でだよ? 何でこんな話が出来るのさ? アイリスは嫌じゃないのかよ?!

 

「嫌だよ…」

 

 色々考えていたが口から出せたのはそれだけだった。代わりに目から涙が滂沱の如く流れてくる。

 

「ナズナ…」

 

「そんなの嫌だよ! ずっとアイリスと2人で頑張ってきたんじゃん! アイリスがいたから私は走る楽しさを思い出せた。思い出せたから『ダービーウマ娘』になれたんだよ? 私のトレーナーはアイリスじゃなきゃ駄目だよ! アイリス、ダービーのライブの時に『地獄まで付き合う』って言ってくれたじゃん! それなのに私を見捨ててどっか行っちゃうの? これからのスズシロナズナの活躍を見ててくれないの?!」

 

 そこまで言ってアイリスに抱きつかれた。アイリスは私の頭を抱いて動かない。微かに鼻を啜る音がしているのは、きっとアイリスも泣いているんだ……。

 

「私だって… 私だってナズナと離れたくないよ! これからもずっとずっとナズナと二人三脚して行きたかったよ… ナズナが天皇賞とか有記念とか勝つ姿を傍で見ていたかったよ!」

 

 アイリスは抱き締めていた私の頭を放し、私の両肩に手を置く。泣き顔の2人が見つめ合う。

 

「でもこれはもう決まった事なの。何をどうしても(くつがえ)る事は無いわ… 帰国後のナズナのトレーニングは源逸先生が引き継いで下さる事になったし、その分フォローの手が回りにくくなったエバシブは新しいトレーナーを雇ってそちらに付けるんですって。コロとは同じトレーナーになるから仲良くね…」

 

「アイリスぅ…」

 

 未だ泣き顔の私は、神の裁きの如く下されたアイリスとの別れに気持ちが抵抗するのに精一杯で、言葉が何も思いつかないままだった。

 

「それに今だから言うけど、ダービーの後にゴシップ週刊誌とかテレビのワイドショーとかで『鬼トレーナー』とか『自身の名誉の為に弟子を使い潰した』とか、やたら叩かれたのよ? ナズナには見せない様に必死で隠してたんだからね?」

 

 …何となく分かる。アイリスは元競走ウマ娘で理知的な上に超の付く美人だから、多分お茶の間の奥様受けがあまり良くない。ワイドショー的にも叩きやすかったんだと思う。

 

「でも… でもアイリスは何も悪くないじゃん… アイリスは私が走るのを反対してたじゃん… やっぱりアイリスが責任取るなんておかしいよ…」

 

「でもそれが『大人の社会』って物なのよ… ナズナの地獄には付き合うつもりだったけど、ナズナが私の地獄に付き合う必要はこれっぽっちも無いわ。とりあえず帰国するまでは私はナズナのトレーナーですからね。帰ってからも走る気があるのならアメリカでしっかりリハビリしていかないとダメよ?」

 

 『もうこの話はお終い』とでも言わんばかりにアイリスが話題を変えてくる。さっきの返礼品の話も、きっと離れる前のひと仕事って感じで取り組んでいたのだろう。

 

 でもそんな簡単に頭の切り替えなんて出来ないよ。私はまだ何もアイリスに恩返しが出来ていないのだ。

 

 恩返し… 今の私がアイリスに出来る事って何だろう…?

 

「ねぇアイリス、それならせめて何か、今までお世話になったお礼をさせて。えっと… あの、お金はあまり無いからそれ以外で何か、私に出来ることがあったら言って欲しいな…」

 

「…バカね、『ダービートレーナー』だけでももう十分過ぎるほどだわ。この称号は何十億円払ったって簡単に手に入れられる物では無いのだから。お願い、どうか気を遣わないで…」

 

 またしても寂しく微笑むアイリス。

 でもそれじゃ困るんだよ! 何か無いの?

 

「それにナズナはダービーの着順でも私に勝ったもの。私を越えたナズナにトレーナーとして教える事はもう何も無いわ…」

 

 こんな時に勝負なんてどうでも良いよ! 私はアイリスに……。

 

 …いや、そうじゃない。私はウマ娘、アスリートだ。走って勝負して、という世界でしか自分を表す事が出来ない人間だ。

 それならばやはりレースの結果で返すしか無い。考えるまでも無かった、私に出来るのは初めからそれしか無かった。

 

 勝負で返すというのなら、例えばダービー以外にもアイリスが思い入れのありそうなレースは……。

 いや待て。以前アイリスのレースに関する話をどこかで聞いたぞ。そう、あれは確か中山の病院から帰る途中だ……。

 

「ねぇ… 確かアイリスはマイルチャンピオンシップを目前に怪我をして引退したんだよね?」

 

「え? ええ、そうよ。どうしたの急に?」

 

 質問に対して『それがどうした?』と言わんばかりの素っ気ない答え。もうアイリスの中では怪我をしてレースに出られなくなった事は過去の事になっているのかな?

 

「じゃあさ… じゃあ私がアイリスにマイルチャンピオンシップの優勝トロフィーをプレゼントする… 私の復帰戦は11月のGⅠ、マイルチャンピオンシップにするよ!!」

 

 アイリスの敵討ちって訳じゃないけど、これが今の私に思いつく最大の師匠孝行だ。

 

 これは単なる勘だが、復帰戦を当初の予定である来年まで待っていたら、アイリスはきっと何処かに旅立ってしまう。帰国して1ヶ月以内ならまだアイリスは近くにいてくれるだろう。

 

 もちろんリハビリとトレーニングを両立させつつ、入院中に落ちた筋力や心肺機能を再び鍛え直さなければならない。それはどえらくハードな日々になるだろう。

 

 でも目標が決まった以上絶対に諦める訳にはいかない。ついでだから、そのGⅠの舞台でカメやドキュウ、ハーレー先輩らもまとめて返り討ちにしてやるとしよう!




 本日(8/17)早朝、タイキシャトル号が老衰のために永眠したというニュースがありました。
 謹んで彼の冥福をお祈り申し上げます。スズカやエアグルーヴら天国の仲間達とまた楽しく走って欲しいと思います。


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76R 復帰戦に向けて

 術後の経過は今のところ良好で、手術の翌週にはグラウンドを軽く流す程度ではあるが走る事が許可された。

 

 医師からは神経の事なので多めに時間を取って、体に不調が出ないかどうかの確認を徐々にしながらリハビリを続けていく旨の説明を受けた。

 

 加えて《領域(ゾーン)》の使用に関しては『極力使用しないでくれ』との事だった。

 患部肥大と《領域(ゾーン)》の関連性は最新医学を以てしても不明なままだったのだが、『《領域(ゾーン)》を使う事で再発する可能性が否めない』からという理由らしい。

 

 私としては「善処します」としか言えないところが(いささ)かもどかしい。良場のレースしか出られないというのは、それはそれで困るのだ。

 

 私の復帰戦の時期に関してはアイリスも年明けを想定していた模様で、私がマイルチャンピオンシップの名を出した事に心底驚いていた。

 まぁ普通に考えれば、リハビリ明けすぐの状態でGⅠに挑むのは無謀すぎる。私だって他人がそんなスケジュールを組んだらツッコミのひとつも入れたくなるだろう。

 

 だが私も無茶は承知でマイルチャンピオンシップへの出場を決めたのだ。決して思いつきや冷やかしの気持ちではない。

 

 アイリスからは「私へのお礼のために無理なスケジュールで走るのなら、そんな考えは捨てて欲しい」とまで言われたが、これはアイリスへのお礼だけではなくカメやドキュウに受けた挑戦への返答でもあるのだ。

 

 最高の舞台で最高の勝負をする。このマイルチャンピオンシップを逃すと残す年内のGⅠはジャパンカップ(2400m)と有記念(2500m)のみとなり、長距離の苦手なカメとドキュウには大きなハンデとなってしまう。

 やはり諸々の状況を鑑みても復帰戦はマイルチャンピオンシップ1択である事は変わらないだろう。

 

 ☆

 

 さて、ここから私達が日本に帰国する10月の終わりまで、残念ながらアメリカ勢にイベントらしいイベントは無い。

 淡々とリハビリとトレーニングをこなして、少しずつ以前の能力(ちから)を取り戻そうと頑張っている私とアイリスがいるだけだ。

 

 なので激動 (?)の日本勢のイベントを時系列順に書いていこうと思う。

 

 まず合宿期間中にありながらアモ先輩がレースを走った。新潟レース場で行われたアイビスサマーダッシュ(GⅢ)だ。

 以前「今年は重賞は走らない」と公言していたアモ先輩であったが、何か思うところがあったのか急にGⅢを走っていた。

 

 このアイビスサマーダッシュというのはかなり風変わりなレースで、『コーナーの無い』直線一本1000mを競うレースになっている。

 レース開始直後に坂の昇り降りがあるが、そこから先はずっと平坦な直線勝負になるという何やらとても楽しそうで興味深いレースなのだ。

 

 アモ先輩はこのレースで3着だった。まぁ順位なんてどうでも良さそうな笑顔で走っていたから、それはそれは楽しいレースだったのだろう。

 

 8月は特に動きは無し。9月の第1週目にはエバシブの新戦が行われた。こちらも場所はアイビスサマーダッシュと同じ新潟で2000mのレースだ。

 

 聞いた話ではエバシブは脚は速いのだが、アルビノという健康面の問題に加えて生来の気まぐれな性格のせいで、調子の浮き沈みが激しくなかなかデビューのタイミングが掴めなかったそうだ。

 

 8月から新しく若い男性のトレーナーを雇って源逸さんから担当替えになったエバシブだが、今の所は大人しく新トレーナーさんに従っているそうだ。

 コロによるとエバシブの新しいトレーナーさんは結構な優男らしく、「あれは源逸(おっちゃん)より若くてイケメンだから言うこと聞いてるんだぞ」だそうだ。ホンマかいな?

 

 肝心のレース結果だが、自称『天才』は伊達ではなく新潟の長い直線をまるで1人で走っているかの様に、2着に堂々の6身差を付けてメイクデビューを飾った。

 イケメンパワーってやつ? ちょっとそのトレーナーさんに興味が湧いたかも… え? いつも硬派なナズナさんらしく無いって? まぁ発情期(なつ)だから勘弁して欲しい……。

 

 エバシブのデビュー翌々週にはスメラギがセントライト記念 (GⅡ 菊花賞トライアル)に勝利して、いち早く菊花賞への切符を手にする。

 

 更にその翌週にあった神戸新聞杯 (GⅡ 菊花賞トライアル)。去年私がツキバミの走りに圧倒されたレース、今年はリリィとイーグルが出走していたのだが、ここで事件が起こった。

 

 内ラチギリギリを走っていたリリィをマークしていたイーグルが垂れウマを避けようと斜行してリリィと接触、そのせいでリリィは内ラチに衝突、バランスを崩しつつなんとかゴールしたものの、順位は5着となり腕を負傷してしまう。

 反動で弾かれたイーグルも同様に減速、8着となりイーグルの連対率100%の伝説はここに終了した。

 

 レース後、痛そうに腕を押さえるリリィがやけに印象的だったが、後の報道でどうやら右肘を脱臼してしまったらしく、リリィは菊花賞への挑戦が難しくなったと聞かされた。

 イーグルはかすり傷だけだったようだが、まぁこっちはどうでもいいか。

 

 そして去年と同じく神戸新聞杯の直後にはオールカマー(GⅡ)が行われた。

 去年アモ先輩が力走を見せて優勝したレースに、今年は満を持してメル先輩が挑戦する事になった。

 

 目黒記念で手に入れた《領域(ゾーン)》とラブラブパワーの力で頑張って欲しかったのだが、こちらは初手から出遅れて先頭集団に追いつこうとするが前が詰まって抜けられず、終始良いところ無しのままメル先輩は11着に沈んでしまう。

 

 レースは水物、悪い事が重なるのはよくある事だが、今回のメル先輩はあまりにもツイてなかった。去年のアモ先輩の様にオールカマーから天皇賞 (秋)といったルートを考えていたのだと思うが、なかなかウマい事は起こらない様だ。

 

 10月に入り、私の体調もかなり回復してきた頃、秋のGⅠロードがスタートする。

 まずはドキュウがスプリンターズステークス(GⅠ 1200m)に優勝し、芝とダート両方のGⅠを制覇するというURA史上7人目の偉業を成し遂げた。

 

 本当はカメもこのスプリンターズステークスに出走予定だったのだが、私がマイルチャンピオンシップに出るつもりだと伝えたら、こちらをあっさりと棄権してマイルチャンピオンシップのステップレースであるスワンステークスへと乗り換えた。

 カメにとってはGⅠよりも私との決戦の方が比重が高いらしい。名誉な事だがそのプレッシャーはとてつもなく重い。

 

 カメとドキュウの決戦も見たかった気もするが、どうやらそれはマイルチャンピオンシップへ持ち越されるみたいだ。もちろんそこには私もメンバーに入っている。

 

 翌週はティアラGⅠ最後を飾る秋華賞。桜花賞とオークスの2冠を持つオオエドカルチャーの3冠が確実視されていたが、なんとクラッシックからティアラに路線を変更したセイバーが見事な逃げ切り勝ちで、昨年末から10カ月ぶりのGⅠ勝利を飾った。

 

 スタミナに不安のあるセイバーには菊花賞の3000mはかなり厳しいだろうと予想していたが、まさか路線を変更してくるとは思わなかった。

 

 最近成績の奮わなかったセイバーだが、マイル〜中距離にかけての逃げ足はやはり油断出来ない。

 いつもクールぶっているくせに、ゴール直後のガッツポーズと共に見せた笑顔は年相応に可愛らしいものだったとは言っておく。

 

 更に翌週は遂にクラッシックGⅠの最後を飾る菊花賞だ。

 当初はリリィとイーグル、路線変更したセイバー、そしてもちろん私を欠いた迫力的に見劣りすると思われたレースであったが、蓋を開けてみるとスメラギ、パッション、リンカイ、トッカンというレギュラーメンバーに加えて、リリィらのトラブルを尻目にちゃっかり神戸新聞杯を優勝していたフックトッシンまでもが参加する豪華幕の内弁当になっていた。

 

 そしてこちらもダービーに負けず劣らず熱い戦いを見せてくれた。京都レース場、スタートから2500mを走ってもなお突出したウマ娘は現れず、スメラギとパッションを筆頭にひと塊で5、6人が最終直線に飛び出した。

 残り100mで一瞬フックトッシンがトップに立つものの、ゴール直前でスメラギが差し返して見事ゴールイン。スメラギは遂に念願のGⅠ勝利を手にした。

 

 このタイミングでツキバミ陣営からツキバミの骨折からの全快が報じられ、年末の有記念からレースに復帰する旨が発表された。

 

 有記念はファン投票によって出走ウマ娘が決められる年末最後のお祭りだ。菊花賞と天皇賞の中間という、衆目の集まりやすい秋GⅠ前期の山場に発表する事で、ツキバミの存在感をアピールする作戦なのだろう。

   

 さて、菊花賞の翌週にはカメのスワンステークスと天皇賞 (秋)だ。カメは全く危なげなく勝利を飾り、天皇賞はトウザイ会長が2連覇を成し遂げた。

 

 勝利者インタビューに答える2人の顔は自信に満ちあふれていて、私の目にはどちらも「かかってこいスズシロナズナ!」と訴えているように見えた。



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77R 帰国後のアレコレ

「アイリス、ナズナ… 今回の事は本当に済まないと思っている。俺の力不足を心から詫びさせてくれ…」

 

 日本に帰国して最初にあったのは、空港に迎えに来てくれた源逸さんからの謝罪だった。結果的にトカゲの尻尾切りの様にアイリスをチームから放逐してしまった訳なのだが、もちろんチームの誰一人としてそんな事を望んではいなかった。

 

『そうせざるを得なかった』そう言ってしまえばそれで全てが終わってしまう。私はそんな簡単な言葉で終わらせてしまって良いとは思えなかったのだが……。

 

「頭を上げて下さい先生。それに新しい移籍先までお世話して頂いて、感謝こそあれ恨みなんてありませんから…」

 

 私が何か言う前にアイリスが源逸さんに答えてしまった。本当は嫌味の一つでも言ってやろうかと考えていたのだけど、今回一番辛い目に遭っているアイリスにこう言われたら私も引き下がらざるを得ない。

 

 帰国後のアイリスは、なんでもチーム〈プロキオン〉とかいう所に移籍、というか再就職が決まったそうだ。

 

 本来なら今回の様に『不祥事扱い』でチームを抜けたトレーナーには、他チームへの再雇用のチャンスは限りなく低くなる。

 地方のトレセン学園ならまだワンチャンスあるかも知れないが、少なくとも中央のチームでは復帰はまず絶望的だ。

 

 アイリスの移籍の流れを簡単に説明すると、プロキオンというチームは源逸さんの先輩という高齢のトレーナーさんが1人で切り盛りしていたのだが、この度その方が胸を患ってしまいチームの存続が厳しくなってきた。

 

 幸か不幸か現在チーム〈プロキオン〉に所属しているウマ娘はデビュー前の子が1人だけだったので、その娘をチーム〈ポラリス〉で引き取ってはくれないか? という打診があったのだ。

 

 だがそうするとウマ娘の居ないチーム〈プロキオン〉は開店休業状態となり、活動出来ないトレーナー事情もあって程無く解散を余儀なくされてしまうだろう。

 そこで源逸さんが考えた作戦が『アイリスをプロキオンに移籍させる事で、チーム名も残せるしアイリスも中央に残れる』というものだったのだ。

 

 色々と思うところはあるが、アイリスが中央に残れるならこれ以上に素晴らしい事は無いだろう。これがベストでは無いにしてもベターであると思える。

 何よりトレーナーとして働けるなら、アイリスとはまた学園のどこかで会えると言う事だ。

 

 ☆

 

 夜になって懐かしの栗東寮に帰ると、カメが玄関まで迎えに来てくれた。しかもホールにはトウザイ会長やスメラギを始め幾人かの顔見知りも集まっている。

 寮の門限を過ぎた時間な為か、この場にいるのは栗東寮の娘達だけだが、明日にはコロ他美浦寮組にも挨拶に行かねばなるまい。

 

「ナッちゃーん!」

 

 こちらがまだ靴も脱いでいないのにカメが私に飛び込んで抱きついてきた。

 それに合わせて周りのギャラリーが一斉に拍手をする。なんだこの『感動の再会』的な流れは?

 

 しかもカメは私の胸に顔を埋めて、動物がマーキングするかの様に顔をグリグリと押しつけてきた。

 それに加えて「本物のナッちゃんだぁ~」と鼻息を荒くしてくんかくんかと匂いを嗅ぎ始める。

 

 あの、私半日飛行機に乗ってて寝汗とかかいてると思うのね。いくらカメでも乙女として、密着して匂いをかぐとかいう行為はちょっと止めて欲しいのね。

 

 て言うかカメ、あんたちょっと呼吸がおかしいんだけど、もしかして発情(フケ)ってるんじゃないでしょうね? もうそういう時期じゃないよ?

 

「やっぱりナッちゃん2号より1号の方が良いね!」

 

 そう言ってカメが差し出したのは、毎日カメに抱きしめられていたのだろう。4ヶ月の間にかなりクタクタになった私のぱかプチの試作品だった。メーカーさんのサンプル品のはずなのに、普通にカメの私物になっているのが何か怖い。

 アンタも大変だったね、2号……。

 

 私がカメに戦慄している間に次はスメラギがやって来た。

 

「おかえりナズナ。具合はどうなの? また一緒に走れそう?」

 

 そう言えばスメラギは『絶好調の私を倒すために』色々世話を焼いてくれたんだったっけ。これからもそういうスタンスならば私の体の具合が気になるのは当然の流れだ。

 

「うん、もう大丈夫。リリィやスメラギもバッタバッタと倒せる位にパワーアップしてるから。あとレース見てたよ、菊花賞おめでとう」

 

 半分冗談だが半分は本気だ。私の目の輝きを確認してスメラギも私の本意を理解したのだろう。優しそうに微笑んで「ありがとう。早く貴女とまたレースがしたいわ」と言って去っていった。

 

 それから入れ代わり立ち代わり、何人もの寮生に囲まれて色んな話をした。

 最終的に午前零時近くになって寮長のヤオビクニさんが「もう寝ろ! 何時だと思ってんだ?!」とブチ切れてお開きとなったのだった。

 

 ☆

 

 翌日午後、トレーナー事務所に顔を出すと見慣れぬ男性がいた。

 顔立ちは端正で優しそうだが、全体的に線の細い感じで生命力が薄い印象。蛮族みたいな外見の源逸さんとは真反対に位置する人に見えた。

 

「やぁ初めまして。僕は8月からチームにお世話になっている家守峠(やもりとうげ) 邦治(くにはる)といいます。今はエバシブのトレーナーやってます。今年のダービーウマ娘に会えて光栄ですよスズシロナズナさん」

 

 おお、この人がアイリスの代わりに入ってきたという新人トレーナーさんか。確かにイケメンだとは思うけど、私の好みとは外れているなぁ。少し残念。

 

 握手をしようと手を差し出してきた家守峠トレーナーに握手を返し簡単に自己紹介をする。

 そのタイミングでコロが入ってきた。もう松葉杖無しでも歩ける様になったらしく、傍目には不自由無く生活出来ているように見える。

 

「お! ナズナだ! 早速男漁りしてんのか?」

 

 まったくこのクソガキゃ、どこでそんな言葉を覚えてくるのか… それでもまぁ久し振りだし元気そうで私も嬉しいからチョップ1発だけで許してやるか。

 

 その後やって来たアモ先輩とメル先輩、目黒トレーナーときりトレーナーとも挨拶を交わして話をした。アイリスの件は皆それぞれに考えがありそうではあったが、総じて『中央に残れてラッキーだよ』といった印象だった。

 

 ☆

 

 グレートちゃんからもLANEが来た。正確にはお父さんからで「お帰りなさい。また素敵なレースを楽しみにしています。芙美子のこの涙を是非見てやって下さい」と書かれていた。

 

 最後の文に『???』となりながら貼付された動画を再生してみると、どこかの体育館だろうか? 最初に私のぱかプチ(LLサイズ)を大事そうに抱きしめた、赤いゼッケンの体操服を着たグレートちゃんが映る。あれがきっとクラファンの返礼用として作った品なのだろう。

 

「スズシロナズナさん、今日は私のレースデビューの日なんです! 頑張るので応援して下さいね!」

 

 何かの正式なレースではなく、クラブの練習試合とかそういった雰囲気ではあるが、グレートちゃんの期待に満ちた表情が眩しい。『ほぉ、遂にグレートちゃんもレースを走れるようになったのか』と胸が熱くなる。

 

 場面が少し飛んでコースに並ぶ5人の車椅子のウマ娘達、合図用のピストルが鳴って一斉に飛び出した。

 だがグレートちゃんはスタートから出遅れてしまう。

 80m程の短いレースだったが、やはり経験の差なのかグレートちゃんはトップから10m以上離され最下位になってしまった。

 

 レース終了後にお父さんのカメラ(スマホ)が近付くと、グレートちゃんは「こんなの撮らないで! 絶対にスズシロナズナさんに送らないでよ!」と涙声で大きな声を上げ、やがてその場で号泣し始めた。

 

 なぜ富崎さんはこの動画を送ってきたのだろう? それこそグレートちゃんに見つかったら絶交されてしまう危険もあるのに……。

 

 恐らくだが、富崎さんは私に生まれ変わったグレートちゃんを見て欲しかったのだと思う。

 

 長い車椅子生活で覇気を無くしていたグレートちゃんが、私のレースを通じて走る楽しさを見出し、自身も挑戦したいと言い出した。

 

 そしてグレートちゃんが初めてレースに出て、初めて味わった『敗北』。

 今まで車椅子生活でレース等『競う』経験の無かったグレートちゃんの初めての挫折。

 

 うんうん、悔しいよね。悲しいよね。勝った娘が妬ましいよね。力が出せなかった自分が許せないよね。もう周り全てが憎いよね……。

 

 でもきっと、だからこそ… 『負け』を知るからこそ強くなれるんだよグレートちゃん。だって私がそうだもん。

 レースをすれば勝ち負けがあるのは当たり前だ。『負けて悔しい、次こそ勝つ!』その気持ちがあれば人は、ウマ娘は果てしなく強くなれる。

 

 そしてグレートちゃんは今その入り口に立った。私と同じステージに上がってきた。レースの苦しさはある。しかし同時にそれ以外の楽しさを全身で感じられるはずだ。

 

 私とグレートちゃんが直接競う事はまず無いだろう。

 だが、私達は今日同じ()()()()()になった。ウマ娘たる者の誇りを胸に走る楽しさ、競う楽しさ、勝つ楽しさ、負ける悔しさ、強敵(ライバル)を前にした形容しがたい胸の高鳴りを心ゆくまで堪能して欲しい。

 

 グレートちゃんへの返信に私は「負けた数だけ強くなれる。ドンマイ、次は勝てるよ! ようこそレース沼へ(笑)」と書いて送った。



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78R エバシブとイーグル

 マイルチャンピオンシップを来週に控えた日曜日、私は阪神レース場に来ていた。

 

 トレーナーがアイリスから源逸さんに代わったと言っても、やる事に大きな違いはない。調整の方も順調で、入院で衰えていた分の取り返しは8〜9割方出来ている様だ。

 残り1週間であとの1〜2割を取り戻すべく、休みになっていた土日を使って自主トレしようかと思っていたのだが、源逸さんから「休みはちゃんと休め。でなきゃエバシブのお守りをしろ」と言われてしまった。

 

 んで『エバシブのお守り』って何じゃい? と思ったら、阪神レース場でエバシブがプレオープン戦の黄菊賞を走るのだそうだ。

 恐らく来年には脅威になるエバシブの走りを見ておこうとは思っていたので、これは渡りに船だ。

 エバシブが何故か私に懐いている事も相まって、「行きましょう行きましょう!」とトントン拍子に話が進み、私は久し振りに仁川の土を踏むことになる。

 

 ついでに来週走るマイルチャンピオンシップの舞台も同じ阪神レース場だから下見を兼ねている。源逸さんとしても阪神の空気だけでも慣れておけ、との気持ちもあったのだろう。

 

 黄菊賞の後にはGⅠであるエリザベス女王杯が開催されるのだが、このレースにはなんとイーグルダイブがエントリーしていた。菊花賞を走れなかった鬱憤をエリザベス女王杯(こちら)に回してきたのだと思われるが、出走者は他にもカメと対戦したローゼスストリーム、チャームラズベリー他、シニア級からもスターバトラー、フォレストレージ等の強豪も揃っている。

 まぁイーグル(彼女)の事だから2着にはなれるんじゃないかな?

 

 エバシブの応援はチームメイトとはいえ『付き合い』の面が強いが、エリザベス女王杯は純粋にレースとして興味がある。

 

 ☆

 

 さて早速エバシブのレースだが、彼女の順位は5着。全くと言って良いほど気合いの入っていない、レースとすら呼べない内容だった。

 それでも5着なのは凄い事なのかも知れないけどね……。

 

 どこか故障でもしたのかと心配になって、トレーナーの家守峠さんとエバシブを迎えに地下道まで行ったのだが、本人は悪びれる事も無くあっけらかんと

 

「なーんか気分が盛り下がっちゃった。せっかくナズナさんが見に来てくれたと思ったのに、(こっち)を見てくれてないんだもん」

 

 と言い放った。あまりの理不尽に「なに? 私のせいって言いたいの?」と詰め寄ろうとした時に、エバシブが見せた咎める様な視線は鋭利なナイフみたいに私を刺した。

 

 …そりゃ確かにこの後のエリザベス女王杯がメインレースであり、私の興味もそちらに大きく傾いていたのは否定しない。

 あのカメを差し切り、デビュー戦で大勝ちしたエバシブの実力なら、今回のプレオープンなんて楽勝の消化試合みたいな物だと高を括っていた面もあったろう。

 

 『ナズナさんが応援しに来てくれた』と喜んでいたエバシブの期待を裏切ったと受け取られたのかも知れないが、でもだからと言って神聖なるレースで手を抜くなんて許される事では無い……。

 

「あの娘はいつもあんな感じなんですよ。本気で走れば誰も追いつけないくらい速いのに、『目の前に枯れ葉が落ちてきた』なんて理由でヤル気を無くす事もあったりして…」

 

 「ライブがあるから」と、1人ですたすたと控室へと帰って行くエバシブを見つめながら、やつれた感じで話す家守峠トレーナー。

 

 確かにリリィの妹だけあってクセの強い娘だと思ってはいたが、そこまで扱いの難しい娘だとは予想だにしなかった。

 結局エバシブとトレーナーはライブ終了後、エリザベス女王杯を見ること無く早々に東京へと帰って行った。

 

 私はエバシブを追う家守峠トレーナーの背中に、得も言われぬ憐れを感じずにはいられなかった……。

 

 ☆

 

 いつまでもエバシブの瘴気に当てられてはいられない。気を取り直してエリザベス女王杯を見るとしよう。1人残されたって寂しくなんか無いもんね。

 

 パドックでポーズを取るイーグル、調子は良さそうで人気も高い。1番人気は昨年の日経賞を獲っているスターバトラーだが、ほとんど差の無い2番人気に収まっている。

 

 程無くレースはスタートし、開始から中盤まではギンザバブルとキタミタカッタの『逃げ』勝負が続きレースを引っ張る展開になる。

 イーグルとスターバトラーは共に後半追い上げるタイプなので、この2人が動き出した第4コーナー直前から一気にレースが動き出す。

 

 先頭の2人を追い抜いたローゼスストリームを追う様にイーグルとスターバトラーが激しい競り合いを見せる。更に後ろからフォレストレージが一気に加速してトップ争いに乱入、4人によるデッドヒートの末にイーグルとスターバトラーがほぼ同事にゴール板を駆け抜けた。

 

 掲示板の1着と2着が空欄のまま長い審査時間が過ぎていく。これでまた2着とかなら慰めてやろうかな? とか思っていた矢先に結果が表示された。

 なんと掲示板に1着と発表されたのはイーグルのナンバー。彼女も遂にGⅠ初制覇となった。

 

 またしても私達クラッシック級が先輩がた(シニア級)を尻目にGⅠレースを奪取した。

 私達、今年のクラッシック級は強い。過信でも蛮勇でも無くそう思う。リリィやカメを始め、一瞬でも気を抜いたらあっという間に置き去りにされてしまう俊足がこの世代にはゴマンといる。

 

 ツキバミの様に1人で全てを掻っ攫っていくタイプではないが、私達の世代だって世が世なら全員がツキバミクラスの活躍が出来たのでは無いかな? と思う。

 強敵(ライバル)全員が怪物級という恐ろしさは大きいが、それ以上にそんなバケモノ達に混ざって走れている自分が誇らしい。ダービーで1着を取れた事が本当に嬉しい。

 

 ☆

 

 そんな気持ちを伝えてやろうと、インタビュー後にイーグルの控室を訪ねてみた。

 ドアをノックするとトレーナーさんらしき若い男性が顔を出してきた。こちらが名乗る前に向こうから「え? スズシロナズナ?! 何で?」と反応してくれたので手間が省けた。

 

「今日チームの応援で阪神に来ていたので、流れでエリザベス女王杯も見てまして。それでイーグルにお祝いを言いたくて来たんですけど…」

 

 と、よそ行きの顔と声で済まして言ってみる。

 

 トレーナーさん(?)が「ちょっと待ってて」と一度引っ込みイーグルに相談しているようだった。少し開いたドアの奥から「スズシロナズナが来たんだけどどうする?」「何で?!」って聞こえたからね。

 

 でも返ってきたイーグルの反応は「帰ってもらって」だった。『なんだよー? せっかく出向いてやったのにムカつく反応しやがって』と一瞬思ったが、声が鼻声だったから多分私が来る前は嬉しくて泣いてたんじゃないかな…? 私には泣き顔を見せたくないよね? うんうん分かるよ。

 

 トレーナーさんが戻ってきて、困り顔で私に「悪いんだけど…」と言い始めた所で、奥から「待って!」と声が上がった。

 

 その後目を赤く腫らしたイーグルがドアまでやってきた。

 

「何の用…?」

 

「用って… 『おめでとう』を言いに来たに決まってんじゃん。わざわざ嫌味を言いにこんな所まで来ないっつーの」

 

 しばらく言葉の真偽を吟味するかのように、私をジロジロと見ていたイーグルだったが、やがて「入りなよ」と控室内に招き入れてくれた。

 

「で、どういう風の吹き回しなの? あんたがお祝いを言いに来るなんて…」

 

 備え付けのテーブルにトレーナーさんがお茶を煎れてくれたので、椅子に腰掛けお茶を頂く。

 

 しかし、なんでそこまで警戒されてるのかなぁ? 私ってそんなにイヤな奴だと思われてたの? 軽くショックだわぁ……。

 

「いや、別に他意は無いってば。純粋にGⅠ勝利おめでとうって言いたかっただけ。お邪魔なら帰るよ」

 

 そう言って立ち上がるふりをする。言いたい事は伝えたからもう良いよね。

 

「待って! ゴメン… ちょっと意外だったから驚いて…」

 

 ちぃ、やっぱりそういうイメージだったのかよ。

 

「とりあえずアリガト… 今さらだけどあんたもダービー優勝おめでとう… 怪我の具合はもう良いの?」

 

「うん、来週のマイルチャンピオンシップで復帰戦やるから良かったら見に来てよ」

 

「応援の為に阪神来いって? 無茶言わないで」

 

 冗談を言い合って互いに少し笑顔になる。

 

「…実は私さ、ダービー直後は心底あんたが憎かった。殺してやりたいくらいだった。だってアタマ差だよ? あんたが半歩引っ込んでれば私がダービーウマ娘だったのに…」

 

 いきなり物騒な話を始めるイーグル。もう用件は済んだし、これは逃げた方が良いかな…?

 

「でもライブでぶっ倒れるまで、必死に頑張って走ってたあんたが凄く眩しかったのも確かなんだよ…」

 

「……」

 

「いつの間にか私自身がスズシロナズナってウマ娘に魅せられてた… 分かる? この死ぬほど屈辱的な気持ち?」

 

 うーん、デビューの時のリリィみたいな感じかな? それならちょっと分かるかも……。

 

「こう見えてあんたの手術の募金もしたんだよ? 部屋にあんたのぱかプチ置いて毎日殴ってるんだから…」

 

 それはとてもありがたいんだけど、最後の情報いらなくない?

 

「ぶっちゃけあんたってさ、強者オーラって言うの? そういうの全然無いから弱そうに見える、『私でも勝てそう』って思えるんだよね…」

 

 …そろそろブチ切れても良いかしら?

 

「でも勝てない。いつもあと一歩あんたに届かない。そうやってあんたを追いかけているうちにダービーで2着になれたし、こうしてエリザベス女王杯にも勝てた」

 

「……」

 

「私はあんたに勝ちたくて頑張ってきた。あんたのおかげで強くなれた。でもあんたには負け越してるのが気に食わない。だからリベンジマッチだよ。次の中山、約束して」

 

 中山で勝負… つまり有馬記念で勝負という事か。

 

 有馬記念はファン投票でメンバーが選ばれる為に、今ここで約束は出来ない。でも次のマイルチャンピオンシップの結果如何では私も十分にチャンスがあるはずだ。

 

 年末の有馬記念はリリィやスメラギはもちろん、復活したツキバミやトウザイ会長も出てくる正にオールスター戦となるだろう。

 

 まずはそこに何としてでも自分の椅子を捩じ込まないとね……。



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79R マイルチャンピオンシップ(前編)

「本日のインタビューは『マイルチャンピオンシップ注目の5人』としましてGⅠホルダーの皆さんに集まって貰いました。まずは1番人気、クラッシック級にして芝とダート両方のGⅠを制したドキュウセンカンさん、続いて安田記念の覇者ブラッドハーレーさん、NHKマイルカップ覇者のオカメハチモクさん、昨年の朝日杯フューチュリティステークス覇者パッションオレンジさん、最後に本年度ダービーウマ娘にして半身不随寸前の大怪我から奇跡の復活を遂げた『鉄人』スズシロナズナさんです!」

 

 司会者の記者会見開始の挨拶から一斉にカメラのフラッシュが焚かれる。

 勝負服を着た5人のウマ娘が横一列に並び、マネキン人形の様に展示されている状態だ。

 

 ちなみにハーレー先輩の勝負服は、ボーイッシュなご本人とは対照的な真っ黒なゴスロリ、今まで言ってなかったがパッションの勝負服は、名前の通りオレンジを基調に青い縁取りをしたテニスウェアっぽい動きやすそうな服装だった。

 

 レース前の有力者インタビューとして用意された席ではあるが、集まった記者さん達の聞きたい事は私とアイリスのスキャンダルなのだろうというのは容易に想像出来た。

 

 実際記者さん方から上がってきた質問のほとんどは私宛てで、やれ「プラチナアイリストレーナーとは不仲だったと伺っていますが?」とか、「大怪我を放置した上にレースを強制したトレーナーにひと言お願いします」とか、「募金活動で結構(ふところ)が潤ったと聞いていますが?」とか直接レースに関係ない質問ばかりが飛び交っていた。

 

 いい機会なので、ダービーまでのレース強行は私が自分で主張して親とトレーナー込みで話し合った事、アイリスは必死に止めようとしていた事、1年前ならまだしも、今はアイリスを篤く信頼しており、担当トレーナーから離れても変わらず尊敬している事等を大きく主張させてもらった。

 

 あとついでに募金の余剰額は募金者への返礼品とさせて貰った事も言っておいた。ていうか、そんなの調べればすぐ分かる事なのにわざわざ訊いてくるのが性格悪いと言わざるを得ない。

 

 私の隣に居たカメもきちんとチームメイトとして私に同調してくれて、この場の雰囲気だけで言うなら、アイリス含め私達の身の潔白は証明出来た気がする。

 

 とりあえず上の質問してきた記者の所からの取材は今後NGとさせてもらおう。

 

 もちろんまともな質問もあった。「ドキュウからの挑戦をどう思うか?」とか、「長年苦楽を共にしてきた相棒のカメとの対戦にかける意気込みは?」とか、「次のレースは有記念ですか?」とかだ。

 

 ドキュウの挑戦に対しては「かかってこいやぁ!」であるし、カメとのバトルにしても「友達以上仲間でライバルですから」と春ファンネタで返した。

 有記念は… ふとイーグルの憎たらしい顔が思い浮かぶ。今は「出られれば良いな、とは思います…」としか答えられないよね。今日のレース結果でファン投票の内容も大きく変わってくるはずだ。

 

 ☆

 

 出走時間が近付いてきた。控室で私の隣りにいるのは、これまでの様にアイリスでは無く源逸さんだ。11月に入ってからはアイリスは正式にチーム〈プロキオン〉のトレーナーとして新人の娘の育成に当たっているそうだ。

 

 バタバタしていて、アイリスの送別会も出来ないままそれっきりになってしまっているので、アイリスが今どこで何をしているのかも分からない。

 何を書いて良いのかも分からないからメール等も送っていないし、アイリスからも連絡は来ない。

 まさかここ阪神レース場に来ている訳は無いだろうが、テレビ中継で私の走りを見ていてくれている事を願う。

 

 控室で柔軟体操をしながら、力の入り具合を確かめる。正直手術前の状態には戻せなかった。状態は9割に届いているかどうか、といったレベルだろう。

 

 しかも天候は快晴で足下も良場。《領域(ゾーン)》はまず期待できない。

 無い無い尽くしではあるが、これが今の私の精一杯だ。泣き言を言っていても勝率は上がらない。今ある手札で戦い切るしか無いのだ。

 

 何より気持ちで負けていては対戦相手にも失礼だ。今の全力を以てレースに勝つ! その思いで精神を統一させる。

 

「ナズナ、お前には苦労をかける… 15、6の娘が背負えるレベルを超えてるよな…」

 

 源逸さんの言葉は色々な物に掛かってくるのだろう。ダービーウマ娘たる者の力の誇示、大手術からの奇跡の復活、芝とダートの『ダービーウマ娘統一戦』、長きに渡るカメとの因縁対決、そしてマイルチャンピオンシップ寸前に夢破れた師匠(アイリス)の弔い合戦……。

 

「確かに物凄いプレッシャーを感じていますよ。でも今の私ならその重圧(プレッシャー)に押し潰される事なくレースを楽しめる気がします。アイリスが『走る楽しさ』を思い出させてくれたから…」

 

 源逸さんは微笑みながら頷いて「そうか…」と一言だけ答えた。

 

 ☆

 

 パドックへ向かう地下道で立ち止まり再度気持ちを集中させる。数多(あまた)のGⅠホルダーを前にして、今の私でどの様に戦うか? 脳内で最後のシミュレーションを行う。

 

 「ナッちゃん大丈夫? またどこか痛いの…?」

 

 立ち止まって考え事をしている姿が具合悪そうに見えたのか、通り掛かったカメが心配して駆け寄って来る。

 

「うん? あぁ大丈夫、ちょっと考え事をしていただけ。頭痛とかじゃないから心配しないで」

 

 私の返事にカメの表情が一気に明るくなる。

 

「もぉ、紛らわしい真似しないでよ。ほら、一緒にパドック行こう」

 

 カメは優しく私の手を取ると、地上の光の方へと私を導き始めた。

 

「ナッちゃん、『怪我が治ったら私と走ろう』って約束、守ってくれてありがとうね。あんなに苦しそうだったナッちゃんがレースに復帰出来た事、そして今日GⅠの舞台でナッちゃんと勝負出来る事が本当に嬉しいんだ…」

 

 夢を見る様な表情(かお)で嬉しそうに語るカメ。

 

「カメのご両親にも大金使わせちゃったからね。娘さんへの『お礼』は今までの模擬レースの分も含めてしっかり返させて頂かないと!」

 

 そう、過去の模擬レースでも私はカメに大きく負け越している。晴れのGⅠの舞台で思いっきりカメを負かして、これまでの借金をドカーンと一括返済したいのだ。

 

 そう言えばカメの家にも返礼品のデカナズナぱかプチが届いているはずだが、実家に置いたままなのか寮の部屋には置いて無かったな。

 まぁ自分の顔したぬいぐるみが近くにあるのは落ち着かないのでそれはそれで助かっているのだが。

 

「うふふ、それでこそナッちゃんだ。今日はナッちゃんにも、ドキュウさんにもハーレー先輩にも負けないからね!」

 

「私も話に混ざっていいだろうか…?」

 

 唐突に横から声を掛けられて、私とカメ、2人の息が止まる。現れたのは革の鎧の要所に鉄板を貼り付けた、私達より頭一つ大きい巨漢ならぬ巨娘、ドキュウセンカンだった。

 

「スズシロナズナ、まずは日本ダービー勝利おめでとう… あと怪我からの復帰おめでとう、私の言える義理ではないが…」

 

 何となくドキュウの口が重いのは、私の怪我の原因がドキュウと接触、転倒したからだろう。それできっと彼女は未だに責任を感じているのだ。

 

「ありがとう、ドキュウ。その話は去年の阪神でもう終わったはずでしょ。私は気にしてないからそっちも気に病まないで。それより芝とダートのダブルGⅠおめでとう。今日も良いレースにしようね」

 

 私の返答に少し頬を赤らめて照れた様な反応をするドキュウ、体つきはゴツいけど首から上は整った顔立ちをしている分、女の子らしい仕草をされるとこちらがドキリとしてしまう。

 

「そう言えばドキュウさんて夏から走り方を変えてますよね? あれ、すっごく良いと思いますよ」

 

 ちょっと変な雰囲気になっていた所を、カメがナイスなフォローで助けてくれた。

 

「あ、あぁ… 元々他の人の進路を塞ぐやり方は自分でも好きでは無かったんだ。それにグレードが上がると小細工も段々と効かなくなってくるからな。トレーナーに直訴して今のやり方に変えてもらったんだ…」

 

 照れくさそうに話すドキュウ。なるほどねぇ、彼女も彼女で色々迷ったり悩んだりしてたんだなぁ、と感心させられる。

 

「ハイハイ、狭い地下道で同窓会してないでね。ほらほら行った行った」

 

 パッションと仲よさげに一緒にやって来たハーレー先輩に押し出される様に、私達はパドックでの披露と本馬場入場までを終わらせる。 

 

 いよいよマイルチャンピオンシップ、その本番の始まりである。



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80R マイルチャンピオンシップ(後編)

 スターティングゲートが開き、17人のウマ娘の死闘が始まる。私はタイミングバッチリの良いスタートが切れた。

 

 強豪の出揃っているレースだが、最も注意すべきはカメの末脚だ。

 カメの追い脚の届かない所までリードを広げられれば一番良いのだが、彼女には《領域(ゾーン)》『風林火山』がある。どこまでが安全なリードなのかまるで見当も付かない。

 

 まずは確実に『逃げ』てくるドキュウをマーク、後ろから彼女を追い立てる様にプレッシャーを掛けて速度を上げさせ、レース展開をカメの苦手な早い流れに持っていく。

 

 あとこれは勘だが、パッションはカメをマークして、ハーレー先輩は私をマークしていると思う。

 パッションはいつも後方からマークした相手とタイミングを合わせて仕掛けてくる。リリィ相手にほぼ同事に《領域(ゾーン)》を発動させてくる柔軟性が彼女の強みだ。

 

 一方のハーレー先輩は脚質が私と同じ『先行』なので、私と近い位置で競り合ってくるつもりなのだろう。

 ドキュウは相変わらず先頭で風を切りたいだろうし、私達の作戦には無関心と思われる。

 

 だがしかしまずはドキュウだ。彼女をせっついて早い流れに持ち込む。ここがまず私の作戦第一段階。

 体格の大きいドキュウを風除けにさせてもらって、向かい風による損耗を軽減させる。第3コーナーに差し掛かった時点で先頭はドキュウ、1身後ろに私、更に1身離れてハーレー先輩、そのすぐ後ろが団子状態でカメやパッションの位置までは掴めなかった。

 

 ドキュウの『逃げ』に付き合った形になったが、ドキュウは私に()かされていつもより早いペースで回っている。そしてドキュウのスリップストリームに()かれる様な形で私はスタミナの温存に成功していた。

 

 ここまでほぼ計画通り。理想的とも言える形で第4コーナーを越えて最後の直線に差し掛かる。

 

 その瞬間ドキュウがまさかの再加速を見せる。ここまで風に削られて消耗したと思われたドキュウだが、『逃げ』た後の再加速なんて芸当は、簡単に誰にでも出来る物ではない。

 

「《領域(ゾーン)》かな…?」

 

 ドキュウだってGⅠを連勝している駿才だ。《領域(ゾーン)》だって習得していて不思議ではない。

 

 もちろん私も手をこまねいて見ているだけでは無い。溜めていた末脚を働かせて速度を上げる。

 引き続きドキュウの真後ろで、風を除けながら体力消費を抑えつつドキュウにへばりつく。

 

 この先はお馴染み『仁川の急坂』が待っている。ドキュウがこのままゴールするか、坂に捕まってスタミナが切れるかの勝負だ。

 坂のスタート地点で、ドキュウの真後ろから少し体を横にずらして彼女を観察する。

 

『ドキュウの手の握りが緩い…』

 

アモ先輩直伝のスタミナ判別法だ。ドキュウはじきに速度を落としてくるはずだ。

 ドキュウは去年の阪神ジュベナイルフィリーズでも、坂の手前でスタミナを切らし惨敗した経緯がある。今回は私がその様に追い込んだ事も相俟って、ドキュウは昨年と同じ過ちを繰り返してしまったのだ。

 

 ドキュウが下がってくるタイミングを見極めて私が外からドキュウを抜き、一時的に先頭に立つ。

 更に外、半身後ろにハーレー先輩、そして……。

 

「オカメハチモク、来たぞーっ!!」

 

 観客席からの見える程かと思える様な大きな声援で、本日の『最恐キャラ』であるカメが始動した事が分かる。

 

 阪神レース場は坂を登ればすぐにゴールだ。今は私が先頭だが、ハーレー先輩はすぐ後ろ。そしてドキュウもまだ諦めていない。いつの間にか先程の私の様に私を風除けにして再び力を溜めている。

 

 そして感じる… 何年も苦楽を共にした、間違えようの無いカメの息遣い……。

 

 観客席の盛り上がり具合でカメがどこに居るのか手に取る様に分かる。坂の頂上、ゴール板はもう目の前だ。

 

 私に残された最後の力を振り絞る。何が《領域(ゾーン)》だ、何が回復率9割だ、そんな物など無くても私は勝つ! 『勝ちたい』気持ちは誰にも負けない!

 私だけじゃない。アイリスの想いも背負っているんだ! 負けられないんだぁっ!!

 

 ……………………。

 

 『疾きこと風の如し』

 

 カメの《領域(ゾーン)》だ。目を疑った。本気で速かった。あと0.5秒、いや0.3秒あればゴール出来た私の横をすり抜けて、見たことも無い猛スピードでカメはゴール板を駆け抜けていった……。

 

 今起きた光景が信じられなかった。カメの《領域(ゾーン)》が無茶苦茶速いのは前からよく知っている。だが遠くから見るのと真横を駆け抜けられるのは全くの別物だった。

 一時的にとはいえ、ウマ娘があんな速度を出せるものなのか…? とにかく狐に摘まれた様な気分で掲示板を見上げる。

 

 1着はカメ、2着は半身差で私。更に半身差でラストに根性を見せてきたドキュウ、ハーレー先輩、パッションと続いていた。

 

「……………………」

 

 勝てなかった……。

 アイリスの無念を晴らせなかった。またしてもカメに借金を作ってしまった。悔しさよりもアイリスに対する申し訳無さでいたたまれなくなる。

 

 マイルチャンピオンシップ2着。これが私の本当の実力なのだろう。日本ダービーの優勝はそれこそ『運が良かった』から勝てただけだ。

 

 大きく息を吸い、そして大きく吐き出す。2着でも大したものだ。カメには負けたが、ドキュウとの勝負には勝っているのだ。少しは自分を褒めてやっても(ばち)は当たらないだろう……。

 

「ナッちゃん…」

 

 どうにか心を落ち着かせたタイミングでカメがやって来た。あれ? ウイナーズサークルに行かないとダメなんじゃないの? こんな所で何してんの…?

 

 カメの表情は眉を怒らせ口を尖らせ、と(おおよ)そ大レースに勝った者の顔ではない。どういう事よ…?

 

「ナッちゃん、ちょっと来て」

 

 カメは私の手を握り、ウイナーズサークルの方へと引っ張って行く。

 何なのさ? 私はそっちには用は無いよ? カメはわざわざ私を連れて行って「ダービーウマ娘に勝ちましたぁっ!」って嫌味ったらしい宣言をする様な娘でも無いし、本気で何がしたいのか分からない。分からないが故にちょっと怖い。

 

 ☆

 

「えー、マイルチャンピオンシップの優勝を果たし、見事2度目のGⅠ勝利を上げたオカメハチモク選手です!」

 

 勝利者インタビューの席でカメとトレーナーのきりさんが並び、何故か私もその横にいる。インタビュアーさんも含めて周りのスタッフさん達、なんならきりさんですら『何でスズシロナズナがここに居るの?』という雰囲気がアリアリで、どうにも居心地が悪い。

 

「ありがとうございます! 皆さんの応援のおかげで、速い人ばかりのこのレースに勝つことが出来ました!!」

 

 マイクを手に持ち、インタビュー台の上から観客席に向けてハッキリとした声で感謝の言葉を贈るカメ。その言葉に会場を揺らす程に、観客席から大きな歓声が上がる。

 歯噛みするほど悔しさは大きいが、この場面は素直に勝者であるカメを祝福したい。

 

「えっと… それでなんですけど…」

 

 カメがマイクを持ったまま言葉を切って、視線を私に向ける。一体何だと言うのだろうか?

 

「皆さん! こちらの方をご存知だと思います。本年度のダービーウマ娘、スズシロナズナさんです!」

 

 カメが不思議なタイミングで観客席に私を紹介してくれる。

 観客席からも「もちろん知ってるぞーっ!」とか「スズシロナズナもよく頑張ったなーっ!」とか「ナズナちゃん、応援してるからねーっ!」なんて声も上がってくる。うーむ、ありがたやありがたや……。

 

「皆さんご存知の通り、こちらのナッちゃん… いえナズナさんは夏に大きな手術をして、今日がその復帰第一戦でもあります!」

 

 カメの言葉に観客席から拍手が巻き起こる。「ナズナ、おかえりー!」なんて歓声もちょくちょく混ざってくる。

 

「ナッちゃんは私と同じチームで、寮でも同じ部屋で、ずっと2人で切磋琢磨してきました。そして復帰初戦は私と走ると約束してそれを守ってくれました!」

 

 パラパラと起こる拍手。そろそろお客さん達もカメが何をしたいのか訝し始めている雰囲気がある。

 

「私は今日、100%の力で走って1着を取りました! でもナッちゃんの調子は戻りきってなくて《領域(ゾーン)》も使えなかったのに結果は半身差の2着です!」

 

 カメの視線が再び私を捉える。私を見据えたままカメは次の言葉を吐き出した。

 

「もし今日ナッちゃんが完全な体調だったら、私はきっと負けていました。私は試合に勝って勝負に負けたんです!」

 

 なんか既視感があるなぁ。あ、プリンステークスの時と似た流れだね。

 まぁその辺も含めて『実力』だよ。私も出せる力を出し切ってカメに負けた。それが全てだよ。

 

「だからナッちゃん、また来年勝負しよう! 今度はナッちゃんが100%の時に!!」

 

 3万人の観衆の面前で叩きつけられたカメからの挑戦状。観客席は一気にヒートアップして再度大きな歓声と拍手に包まれる。

 

「…ったく、カメはいっつもワガママなんだから。しょうがない、受けて立つよ!」

 

 インタビュー台から降りたカメが右手を差し出してくる。私はその右手をガッチリと握り返した。



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幕間6 プラチナアイリス

 出会いは一目惚れだった……。

 

 中央のトレーナーになって最初の1年は、源逸先生の下でトレーナー業のイロハを学びながらアモのトレーニングやレッスンに付き合ったりしていた。

 

 そして2年目の春の選考会、後学の為にと連れられた学園のレース場で彼女の走りに魅せられたのだ。

 

 スズシロナズナ……。

 

 まだまだ荒削りで無駄の多いフォームであったが、とてもしなやかで張りのある身体と、稼働域の広そうな柔らかい股関節、勝利を狙う貪欲な姿勢とがマッチしており、太古のアマゾネス戦士をイメージさせた。

 

『この娘は私が育てたい、勝たせてやりたい』

 

 そう強く思った。理屈など無い、これは「一目惚れ」なのだから。

 

 事務所の意向としては別のレースを走っていたオカメハチモクのみをスカウトする予定だったのだが、そこで私が強硬に捩じ込んで「アイリスがそこまで言うのなら」とスズシロナズナもスカウトしてもらったのだ……。

 

 ☆

 

 私の名前はプラチナアイリス。トレセン学園でトレーナー業に就いている元競走ウマ娘だ。現役時代の戦績は15戦7勝、獲得重賞はスプリングステークス(GⅡ)、富士ステークス(GⅡ)、中山ウマ娘ステークス(GⅢ)。クラッシックを含めてGⅠには何度か挑戦したが、一度も優勝する事は出来なかった。

 

 最も脂の乗った3年目、シニア級の秋に富士ステークスを勝利してから1週間ほど経った後、次はいよいよマイルチャンピオンシップだと意気込んでいた頃に、練習中に足首の違和感を覚えて病院で検査を受けたところ、告げられた病名が「繋靭帯炎」だった。

 

 かの《皇帝》シンボリルドルフや《名優》メジロマックイーンを引退に追い込んだ魔病。

 繋靭帯炎は屈腱炎と並んで代表的なウマ娘の宿痾(しゅくあ)であり、一度罹ると半年から1年以上もの療養が必要となる。

 

 人は知らなければ元気なままだったのに、病名を知ってしまってから急激に体調を悪くする事がある。

 今回の私はまさに『それ』で、病名を告げられてから足の痛みが酷くなり、結局そのままレース界から引退する事になってしまった。

 

 その後、元から興味のあったトレーナーを目差して猛勉強し、『東京大学よりも難しい』とされる中央トレセン学園のトレーナー試験に合格、無事学園で働ける運びとなった訳だ。

 

 ☆

 

 ナズナとは1年半ほど共に過ごした。ナズナも初めは私が2年目の新米トレーナーと知って、露骨に軽蔑してやたらに反抗的だった。臆面もなく私の事を『負けウマ娘』と罵った事もある。

 

 それでも苦難の末の初勝利の後くらいから段々と棘が取れていった様で、クラッシック級に上がってからは互いに忌憚ない意見を言い合える良い関係だったと思っている。

 

 ちょうど時を同じくして、アモやナズナらチームのメンバーがどんどん《領域(ゾーン)》に覚醒し始めた事で、《領域(ゾーン)》に触れること無く引退した私は何となく肩身の狭い思いをしていた。

 

 ナズナやカメは私なんかの届かない領域にまで力を伸ばしている。そんな私に彼女達を導く能力が、それ以前に資格があるのか? と考えると夜も眠れなくなってしまった。

 

 私自身の指導力に限界を感じ始めた頃に、皐月賞でナズナの怪我の再発が起こった。私はナズナの不調に全く気づけずに弟子のGⅠ出走に浮かれていたのだ。

 

 ナズナの怪我が発覚しても、私はナズナ本人の勢いに負けて強く出られずに、結局ダービーとその前の青葉賞を走らせてしまった。

 

 でももし私がナズナと同じ立場だったら、やはり「死んでもいいからダービーを走らせろ」と言っただろう。

 それほどまでにウマ娘にとって日本ダービーは特別なレースだ。ナズナの気持ちは分かりすぎる程に分かる。それ故に辛かった。

 

 何より引退直前のマイルチャンピオンシップで、私はトレーナーである源逸先生にほぼ同意義の事を言っているのだ。

 

 あの時に源逸先生は初めて私を殴って止めた。

 ショックだった… 殴られた事が、ではない。源逸先生は山賊の様な人相風体をこそしているが、心根は紳士でウマ娘を含む女性全般に手を上げる様な事は決してしない人だ。

 

 そんな人に手を上げさせてしまった自分がとても罪深く、情けなく感じて、その場で先生に縋り付いて「ごめんなさい」を連呼しながら大号泣をした覚えがある。

 

 あの時の先生の気持ちがナズナの師匠となった今にようやく理解できた。そして私は最終的に先生とは逆の選択をした。

 ナズナは見事結果を出してダービーウマ娘となり、難しい手術も無事に成功し今日彼女はターフに帰ってきた。

 

 もちろんナズナをレースに出した事で「鬼」だの「無慈悲」だの日本中から叩かれた。源逸先生やナズナのご両親は必死に私を守ろうと動いて下さったけど、やはりナズナの体を危険に晒した責任は私が取らなければならない。

 

 それに私にはもう力量的にもナズナに教えられる事は無い。レース出走登録の申込みを行う為だけの存在に成り下がるのならば、別の位置からナズナをフォローしてやりたいと思ったのだ。

 

 だから私は「渡りに船」とばかりに〈プロキオン〉へのチーム移籍の話に乗っかった。

 それ以外にもナズナの故郷に近い佐賀トレセン学園でのトレーナーの誘いや、テレビ中継でパドック等のレポートをするターフレポーターのお仕事の誘いも来ていたのだが、やはり私は中央のトレーナーとしての道を選んだ。

 

 ☆

 

「アイリストレーナー、スズシロナズナさんの調子はどうなんです?」

 

 セミロングの栗毛を揺らせて若いウマ娘が私の横に立つ。

 この娘は『ハピネスシアター』。元々プロキオンに居た練習生で、本年度のジュニア級として登録されているが、まだ未デビューだ。

 

 性格は素直で元気。ちょっと粗忽(オッチョコチョイ)で食いしん坊な所はあるが、教えた事は何でもすぐ吸収して自分の物にしてしまう、師匠次第では大化けする可能性を持つ末恐ろしい娘だ。

 そろそろ本格化の兆しが見えてきたので、年明け早々くらいにデビューさせようかと思っている。

 

 ここ数分見かけなかったのは売店で食料を調達してきたからだったようだ。

 牛すじとネギのたっぷり入ったお好み焼きと、カス肉と呼ばれる細かい肉を煮込んだ「かすうどん」という阪神レース場の名物を両手に持って帰ってきた。

 

 そう、ここは阪神レース場。私は今、観客席からナズナの勇姿を目に焼き付けている。

 

「そうね… 状態は9割いってるかどうか。でも帰国してからの短期間にここまで仕上げたのは、さすが源逸先生だわ…」

 

 調子で言うならカメやドキュウの方が上だろう。それでもナズナはわざわざ私に因縁のあるマイルチャンピオンシップのターフに帰ってきてくれたのだ。

 

「私の初弟子にしてとっても怖い強敵(ライバル)よ。来年の今頃には貴女も彼女の横に立っててくれると嬉しいな」

 

「うへぇ、頑張ります!」

 

 ゲートが開きナズナの復帰戦が始まった。

 

 ☆

 

 ナズナは残念ながら2着だった。でも順位なんて正直どうでも良かった。病み上がりのナズナが無事に走りきった。どこにもぶつからずに元気な姿で帰ってきた。ウイナーズサークルでカメと2人で笑顔で楽しそうに漫才をやっている。

 

 それだけで十分ではないか。『教え子が元気で走ってくれる』それ以上の師匠孝行は無い。

 

 私は自分でも気づかぬうちにボロボロと涙を流して彼女達に拍手をしていた。ハピネスシアターも私に付き合ってナズナとカメに惜しみない拍手を送っていた。

 

 ☆

 

 ウイニングライブの楽曲はもちろん「本能スピード」。この曲は私も相当入れ込んで練習したので、アメリカでのリハビリトレーニングと並行して本能スピードのレッスンも私が担当して叩き込んだ。

 私のおかげなどと驕り高ぶるつもりは無いが、ステージのナズナは華麗なダンスを披露してくれた。

 

 大歓声に包まれた観客席も完全にナズナ達と一体化している。今回のライブは一生忘れられない素晴らしいものであった。

 まさに感無量だ。ナズナは私の未練を完全に昇華してくれた。もう今死んでしまっても構わない位に私は満たされている。

 

 ナズナは「アイリスへの恩返し」だと言っていたが、やはり過分に貰いすぎた。今度はこちらがきちんとお礼をしなければならないだろう。

 

「さ、学園に帰ってトレーニングするわよ。貴女には強くなってもらわないとね…」

 

「はいっ! よろしくお願いします!」

 

 私達はウマ娘だ。気持ちを伝えるには走るのが一番だ。ナズナは『走り』で今日再び私を魅せてくれた。

 

 この礼は私も『走り』で返すしかない。私の新たなる秘密兵器ハピネスシアターによって……。




先月のタイキシャトルに続いて本日(9/2)ゼンノロブロイ号の死去が報じられました。
タイキと同様に老衰で苦しまずに亡くなったそうです。
天国で先輩のシンボリクリスエスにたくさん自慢話をしてあげてほしいですね。


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最終話 至高の舞台へ

 マイルチャンピオンシップで私に対して高らかに宣戦布告してきたカメだったが、普段の生活は今までと特に変わる事も無く「ナッちゃんナッちゃん」と事ある毎に世話を焼こうとしてくる。

 

 あくまでも『生活は生活』『レースはレース』なのだろう。

 まぁ下手にライバル心剥き出しでツンケンされるのに比べれば何百倍もマシだ。私も変に意識せずに生きていこうと思う。

 

 特に2人で話し合った訳では無いが、次の勝負は恐らくヴィクトリアマイルか安田記念のどちらかだろう。

 どちらに出るかで、出るレースを軸に来年の出走スケジュールを考えて行けば良い。その方が源逸さんにも相談しやすい。

 

 ☆

 

 マイルチャンピオンシップの翌週は世界の強豪を招いて盛大にジャパンカップが行われた。

 

 こちらはレース中の怪我が元で療養していたリリィが復帰第一戦としてエントリーしており、新聞や雑誌では大きく『お帰りなさいブラックリリィ』などと大きく報道されていた。

 

 あれ? 先週の私の時にはこんな盛り上がった報道されてなかった気がするんだけど…? うん… 考えると腹が立つからやめておこう。

 

 さて肝心のレースだが、リリィ他日本勢は奮闘したものの、今年のベルリン大賞を獲っているドイツのバラタックというウマ娘が優勝を果たし、リリィは2着と惜敗してしまった。

 やはりリリィといえど世界の壁は厚い、という事なのか?

 

 よく見たらリリィは最終直線で例の《領域(ふわふわ)》を使わずに普通に走っていた。

 《領域(ゾーン)》を使『わ』なかったのか、使『え』なかったのかは不明だが、リリィも完全な力は出せていなかった様である。

 

 12月に入ってすぐ、東京レース場でエバシブがプレオープンの葉牡丹賞に出走した。今度は私もきちんと応援した為か、エバシブもやる気を出して2番手に3馬身差を付けての快勝、見事オープンクラスに昇格した。

 

 また、エバシブの1時間後にはアモ先輩がステイヤーズステークス(GⅡ 3600m)に出走していた。

 実に東京レース場を2周する平地の最長距離重賞。アモ先輩も頑張って走っていたが、やはり距離適性の壁は高くアモ先輩は7着に沈んだ。

 

 まぁ今年のアモ先輩は、勝敗を度外視して短距離からダートまで色んなレースを実体験する事が目的らしいから、その集大成としての今日があるのだろう。

 

 そしてアモ先輩はレース後に今年限りの引退を表明した。「やりたい事を思っきりやれて満足した」からだそうだ。

 

 正直今でもアモ先輩なら、もっとセオリー通りきっちりスケジュールを組んでいれば、ツキバミ不在もあってGⅠのひとつくらいは獲得出来ていたのではないかと思う。

 返す返すももったいない話だが、アモ先輩の決めた道だ。これ以上の野暮はやめよう。

 

 アモ先輩の話が出たついでに、チーム〈ポラリス〉の他のメンバーの来年の予定を書いていこうと思う。

 

 私とカメとコロの3人は順当にシニア級に上がる。カメの最初の目標は高松宮記念(GⅠ、1200m)だろう。

 

 コロはまだ本格的に走るまで回復していない。屈腱炎は再発しやすいので、源逸さんも慎重にコロの療養に付き合っている。「秋のオールカマーや毎日王冠くらいに間に合えば良いね」みたいな話はしていた。

 

 エバシブはクラッシック級… の前に、葉牡丹賞の勢いのまま年末のホープフルステークスに挑戦する予定だそうだ。もしそうなら去年の私の雪辱を果たして欲しい所だ。

 

 アモ先輩は卒業後、大学に進学して本格的にトレーナー勉強を始めるそうだ。

 アモ先輩は自分自身のトレーニングのカリキュラムやスケジュールも自前で揃えていた人だし、今年のレースで短距離、長距離、ダート、直線と色々なレースを走ったから、『実践』という意味ではかなりの蓄積されたデータがアモ先輩にはある。

 アモ先輩なら案外簡単に学園に帰ってくるんじゃないかな? もちろんトレーナーとして。

 

 メル先輩も今年でトゥインクルシリーズを引退して、春から実業団に所属して社会人レースに進むそうだ。GⅡを獲得しているメル先輩、実はすでに推薦で就職に内定をもらっているらしい。

 

 愛しの目黒トレーナーから「卒業したら交際を考える」と言われていたから、メル先輩としては一刻も早く卒業したいのだろう。

 女性として気持ちは分からないでも無いが、男に縁のない身分からすると『勝手にしやがれ』と思わないでもない。

 

 私の来年は… カメとの約束もあるけど、海外遠征とかちょっと憧れている。具体的にいつどこにというのは全く考えていないが、まぁ年が明けたら源逸さんに相談してみようかな…?

 

 ☆

 

 そしていよいよ年末の大イベント有記念のファン投票の結果が発表された。

 ツキバミとリリィが僅差のトップツー、更にドキュウ、トウザイ会長、私、スメラギ、カメ、ケイヨウブロンコ、オオエドカルチャーと続く。更にブラッドハーレー、セイバー、レーザーディスク、イーグル、パッション、トッカン… という順位だ。

 

 ドキュウが3位なのはウケるけど、あの娘ただでさえ目立つし、芝とダート両GⅠ制覇なんて記録的な芸当もやっているから、妥当な評価と言えるんじゃないかな?

 

 GⅠを2勝したカメよりも私の方が得票数が多いのは、やはり日本ダービーというレースの知名度の大きさだろう。

 その票数およそ12万票。現在の私のファン数57000に倍する人達が「有記念を走るスズシロナズナが見たい」と言ってくれているのだ。気合が入らない訳が無い。

 

「ファン投票はナッちゃんの勝ちかぁ。それに私には2500mは長すぎるから、残念だけど有記念はパスだなぁ…」

 

 口調の割にはカメの呟きに悔しさは感じられない。彼女の視線はすでに来年に固まっているので、『年末の用事(レース)を終わらせて、早く来年の話をしようぜ』と誘っている様だ。

 

 カメの有記念辞退は寂しいけど、カメは短距離〜マイルが主戦場だ。上記の上位順位者の中でも、長距離に不向きなドキュウやセイバーはカメと同様に辞退してくると思われる。

 

「それよりも遂にツキバミさんと直接対決だね! ツキバミさん、リリィさん、会長さん、そしてナッちゃん… うわー、豪華すぎて目眩がするよ! ナッちゃん頑張ってね!」

 

 興奮しながら1人1人のウマ娘の名を挙げていくカメ。

 確かに雲の上の存在だった『常勝不敗』ツキバミや、春ファンでお世話になった『秋天2連覇』トウザイ会長と遂に同じ舞台に立てるという訳だ。

 

 今度は体育館の車椅子レースではなくて、中山レース場の芝の上で思いっきり勝負が出来る。

 

 もちろんこの2人だけではない。皐月賞のリリィ、ダービーの私、菊花賞のスメラギ、今年は3つに分かれたクラッシック3冠の統一戦の意味もある。

 リリィもスメラギもダービーの頃より速くなっているに違いない。同期同士のあのヒリつく感じのレース展開は、クセになってしまう程に熱くて楽しくて、最高にハイになる。

 

 同期と言えばイーグルとの約束も果たせそうだ。あの娘には散々因縁つけられたけど、今にして思えば全てが楽しい思い出だ。彼女とはこれから何度も楽しいレースが出来るだろう。

 

 パッションやトッカンといった『イツメン』も居るし、ハーレー先輩ともまた対決出来る。ケイヨウブロンコやレーザーディスクといった大ベテランの先輩達との対決も楽しみだ。

 

「うん、私も今、かつてない程にドキドキワクワクしているよ… これからもさ、こんな風に楽しく走って行けたら良いよね。カメも一緒に!」

 

「え? それってプロポーズ…?」

 

 カメがまた何か勘違いして嬉しそうに抱きついてきた。この娘ともこんな感じでこれからも日々を過ごしていくのだろう。

 

 ☆

 

「ナッちゃん、グッドニュースだよ。なんと有記念当日の降水確率は『90%』です!」

 

 レースを明日に控えた夜、カメがスマホの天気予報を見ながら報告してくれた。

 雨か… 或いは雪や(みぞれ)の可能性もありそうだ。いずれにしても道が泥濘(ぬかる)んでくれた方が私としては助かる。

 

 そう、私の《領域(ゾーン)》は泥濘の中でこそ光り輝く能力だ。泥に塗れてこそスズシロナズナは100%の力が出し切れる。

 

 マイルチャンピオンシップから今日までに出来る事は全てやってきた。体調も万全だ。後は全力でぶつかってツキバミを、リリィを、会長を、その他全員を抜き去るだけだ。

 

 リリィに『勝ちたい!』、会長に『勝ちたい!』、そしてツキバミに『勝ちたい!』 そしてそれを明日中山レース場に集まるであろう10万の観衆の前で『見せつけたい!』

 

 記憶にも歴史にも残る『熱い』戦いを通して、スズシロナズナというウマ娘の生き様を世に知らしめてやるのだ。

 

 私にはそれが出来る。出来るはずだ。出来ると信じている! これは記念出走でも玉砕覚悟でもない。

 

 私は私の力でレースを走り抜く。この鍛えた体と『MUDDY GLORY(泥だらけの栄光) 』と共に!!



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エピローグ

 スズシロナズナというウマ娘は極めて不思議な娘だ。

 デビューからクラッシック級の終わりまで1年半の彼女の戦績は9戦3勝。そう、わずか『3勝』しかしていない。クラッシック級に限って言えば2勝のみだ。

 

 数字だけ見ればスズシロナズナは決して強いウマ娘ではない。しかしその2勝の中身が「日本ダービー」と「有記念」となれば俄然話は変わってくる。

 

 日本ダービーでは前人未到の青葉賞からのトライアルで、レース史に残る横一線の大激走を制した。

 そして有記念ではデビュー以来10戦全勝のツキバミ、『最強伝説エクリプス』に最も近い存在と言われるウマ娘を(くだ)して、見事『最強』の称号を奪い取った。

 

 その日は師走(しわす)とは思えない程に妙に(ぬる)い日で、朝から雨が降っていたが春雨の様に心地よいとさえ思える天候だった。

 

 足元の悪い中、誰もがツキバミとブラックリリィの一騎打ちを予想していた。

 だがそこに割って入ったのはスズシロナズナ。逃げるツキバミを追い、後ろからはブラックリリィが迫ってくる状況。

 

 猛スピードで追い上げてくるブラックリリィに追い抜かれそうになった瞬間、スズシロナズナも猛加速を見せる。

 まるで日本ダービーの再演の様に横に並んで2人のウマ娘が直線を走る。

 

 そして2人は遂に単身で逃げていたツキバミを捉えた。過去にツキバミがここまでのリードから差された前例は無い。

 

 猛追を受けるツキバミも更なる加速を見せるが、後続の2人はそれ以上に速かった。

 スズシロナズナとブラックリリィ、2人はゴール直前でツキバミを(かわ)し、紐で繋がれているかの様に2人仲良く並んでゴール板を駆け抜けた。

 

 ダービーを思わせる長い審査時間の後、ハナ差で1着になったのがスズシロナズナだったのだ。

 

 そこにいたのは、かつて飢えた野獣の様に勝利を渇望していた痩せっぽちの雑草ウマ娘(なずな)ではない。

 神々しいまでの(オーラ)を纏い、実力に裏打ちされた自信から放たれる歓喜の笑顔は、まさに見る者を魅了する女神の様であった。

 

 そしてスズシロナズナは本年度の最優秀クラッシックウマ娘に選出され、同時に年度代表ウマ娘にも選ばれる。名実共に『日本一』となった訳だ。

 

 皐月賞の先頭からの逸走と失格、昨年の事故からの怪我の再発、青葉賞から日本ダービーを獲ったジンクス破り、先頭から7着まで0.5秒という大混戦の日本ダービー、成功率7割という難手術の超克、マイルチャンピオンシップでの盟友にしてライバルのオカメハチモクとの激闘、そして有記念で見せた『巨人殺し(ジャイアントキリング)』……。

 

 本年度の戦績だけで言うならばスズシロナズナを超えるウマ娘はゴマンといる。しかしこれだけの事件(イベント)を起こした人物であるならば、年度代表ウマ娘に選ばれるのは至極当然と言えよう。

 実際選考委員の中でもスズシロナズナの年度代表ウマ娘は満場一致で決定されたそうである。

 

 実は有馬記念当日の中山レース場で、偶然スズシロナズナの前トレーナーであるプラチナアイリス氏を見かけ、取材をお願いしてみた。

 

 取材を快諾してくれたアイリス氏は、かつての教え子であるスズシロナズナの事をとても嬉しそうに語ってくれた。

 

 有記念でツキバミを破ったスズシロナズナの実力の程を聞き出そうとした際に色々と語ったアイリス氏、その中で特に印象に残った言葉は「強い子はどうやっても強いんです。ナズナは『強い子』なんですよ」であった。

 

 今は別のチームで後進の指導に当たっており、いずれはスズシロナズナへ挑戦させたいと意気込むアイリス氏の目は、イタズラを企む子供の無邪気さと残酷さを兼ね備えており、アイリス氏自身の持つ美しさと(あわ)せて、私に畏怖心すらも抱かせる物だった。

 

 来年以降もスズシロナズナは走り続けるだろう。ツキバミやブラックリリィ、他のライバル達との戦いもまだまだ始まったばかりだ。

 

 師匠であるプラチナアイリスの育てた刺客も後ろから迫ってきているし、一部では海外への遠征を考えているとも噂されている。

 

 これからも『鉄人』スズシロナズナから目が離せない期間が続きそうだ。

 そしてそれは我々にとっても何物にも代え難い至福の時間であると断言できる。

 

 スズシロナズナの未来に光があらんことを! 是非また我々に新たな奇跡を見せてくれる事を切に願う。

 

 

 文責  優駿タイムス  新城勇吾




あとがき
 作者のちありやでございます。「MUDDY GLORY 〜泥だらけの栄光 byウマ娘プリティーダービー」お楽しみ頂けましたでしょうか?

 本作を書く切っ掛けになったのは言うまでもなくアプリゲームの「ウマ娘プリティーダービー」にハマったからでありますが、ゲーム中のイベントとしてたまに出てくる『夢に破れた』『夢を諦めた』ウマ娘達に光を当ててやりたかった、という面があります。

 スターウマ娘の影でひっそりとマイクを持つ事も許されずに、たった今自分を負かした相手の為にバックダンサーをしなければならない。
 本作中でも度々触れていますが、楽曲の「Make debut(メイクデビュー)!」に秘められた闇の深さに気付いてしまったのも執筆の原動力にもなりましたね。

 本作の基本コンセプトは「モブウマ娘が雑草の様に踏まれても踏まれても立ち上がる」というスポ根ものでして、本来はGⅠを勝つどころか参加すらさせてもらえないレベルの娘達(本編で言うならアモやメルの立ち位置)のお話でした。

 ですが、ライバル(リリィ)が勝ち進んだ時に『勝てない主人公』だと挑戦する事すら不可能になってしまうんですな。
「これはいけない」という事で当初は予定になかったGⅠ戦線での戦いをナズナは強いられる事になりました。

 本来のテーマからは外れてしまいましたが、いつまでも未勝利戦や条件戦を勝ったり負けたりしていても地味なだけで面白くないし、条件戦でフラフラしているライバルと激闘しても『こいつら低いレベルで何を遊んでるんだ?』となりそうなので、思い切って路線を変えた次第です。

 なんだかんだで20万文字以上も続けられてこれたのは、読者の皆様の応援のおかげです。皆様の上げてくださるPV数にとても励まされました。ありがとうございます。

 とりあえず次のウマ娘小説もボチボチ考えております。また新作でお会いできたら幸いです。


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おまけ
番外編 大歌謡祭(前編)


「新春ウマ娘大歌謡祭」

 

 年が明け、世代ごとの最優秀ウマ娘や年度代表ウマ娘の発表から半月程を空けた第3週に、新年度のレースが開催される直前の東京レース場にて行われる、ウマ娘だけの歌謡祭がある。

 

 ジュニア級、クラッシック級、シニア級からそれぞれ好成績を修めた18名のウマ娘が集められ、一大ステージと化した東京レース場で10万人のお客さんを前に歌と踊りを披露するのだ。

 これはテレビでも全国生中継されて視聴率は毎回50%を超える大人気イベントでもある。

 

 昨年はチーム〈ポラリス〉からの出場者は無かった(アモ先輩は選出されたが《領域(ゾーン)》後の体調不良から辞退)ので、私は弥生賞と《領域(ゾーン)》の解明に集中する為にまるっとスルーしていたが、今年の私は『年度代表ウマ娘』としてVIP待遇で招待されているんだ。エッヘン!(笑)

 

 毎年恒例である「新春ウマ娘大歌謡祭」の基本的な流れは、冒頭にトゥインクルシリーズでメイクデビューを果たした全ウマ娘の中から、勝ち負けに関係なくアトランダムで選出された72名による「GIRLS' LEGEND U」が歌われて祭りの開催を告げる。

 

 これは大昔に行われていた「グランドライブ」という、現行のウイニングライブとは異なるライブ形式の再現であるらしいのだが、詳細はよく分からない。

 グランドライブは10年近く前に有志により復活したものの、その志の高さと収益が反比例してしまいコストパフォーマンスの悪さから数年で廃れてしまったらしい。

 

 現在はその『ウマ娘は全員が主役である』というグランドライブの想いだけでも受け継ごうと、歌謡祭の頭には毎回「GIRLS' LEGEND U」が歌われている。

 

 その後に選抜されたジュニア、クラッシック、シニア各級の代表が1曲ずつステージを披露するのだが、この時に使用する楽曲は各最優秀ウマ娘に決定権がある。

 一応レースの勝利者に敬意を表す意味で『GⅠ使用の曲は避ける』のが通例ではあるのだが、そのGⅠレースの勝者が呼ばれる催しでもあるので、その辺は割と適当だったりする。

 

 そしてイベントの最後に3人の年度ごとの最優秀ウマ娘をセンターに据えて「うまぴょい伝説」が大合唱されて大団円となる。

 以上が「新春ウマ娘大歌謡祭」の概要である。

 

 ☆

 

「ナッちゃん、早くクラッシックメンバーの楽曲決めないとダンスの練習も出来なくなっちゃうよ?」

 

「うー、分かってるよぉ…」

 

 カメにせっつかれて頭を抱える。使用楽曲選択の権利という大いなる栄誉を得たものの、候補が100曲近くもある中で1曲を決めろと言われても悩んでしまう。

 

 ジュニア級とシニア級は既に使用楽曲が決定しており、あとは私達クラッシック級からの申請待ちのみとの事で、この件については大変申し訳なく思っている。

 

 ちなみにジュニア級はデイリー杯ジュニアステークス(GⅡ)とホープフルステークス(GⅠ)を勝利して最優秀ジュニア級ウマ娘となった『フォーゲルフライ』ちゃんがセンターとなって、「We are DREAMERS!!」という『仲間やライバルとの切磋琢磨の楽しさ』をテーマにした可愛らしい曲を歌うそうだ。

 

 余談だが、昨年末にホープフルステークスを走ったエバシブもジュニア級選抜メンバーの末席に入っている。ホープフルステークスは5着と惜しい結果になったが、トレーナーの家守峠さんによれば、また悪い癖が出て本気の走りが出来なかったらしい。私も大概面倒な性格だと自覚しているけど、エバシブ(あの娘)は特級に気難しい娘だと思うわ……。

 

 シニア級代表はもちろん『ツキバミ』。3年連続で最優秀ウマ娘という快挙も成し遂げた。

 怪我による途中退場はあった物の、今年GⅠを2勝しているシニアウマ娘は彼女だけなのだ。あとは安田記念のハーレー先輩と天皇賞(秋)のトウザイ会長、ヴィクトリアマイルのヤマノテレディー、高松宮記念のヘラクレスビートがGⅠを穫っただけで、ジャパンカップを除く残りのGⅠは全て私達クラッシック級が穫ってしまっているのだ。

 

 この結果は誇らしくもあり恐ろしくもある。激強の先輩達とガチンコ勝負して次々と1着をもぎ取っていく、如何に今年のクラッシックウマ娘達が化け物揃いなのかお分かり頂けると思う。

 

 地方レースを含むGⅠダートレースに関してはクラッシック級はドキュウ以上のレベルの娘がいなかった為か、クラッシック級は無冠(クラッシック限定のジャパンダートダービーは除く)であった。

 そのせいか、今回の歌謡祭のシニア級メンバーはダート勢の方が芝勢よりも多い構成になってしまっていた。

 

 上記のGⅠホルダーの他にも目黒記念 (GⅡ)覇者のメル先輩を始めとする聞き覚えのあるメンツが多数選出されている。

 

 シニア組で使用する楽曲は「BLOW my GALE」。走りを極めて更にその先へ進め、という戦闘的な曲だ。去年のクラッシック級もこの曲を歌ったらしいので、ツキバミは個人的にこの曲が好きなのかも知れない。

 

 クラッシック級から選出されたメンバーは、私を筆頭にリリィ、カメ、ドキュウ、(オオエド)カルチャー、スメラギ、セイバー、イーグルといったGⅠのホルダーを始めとして、GⅡやGⅢで活躍した娘達だ。

 

 一応屈腱炎で療養中のコロも青葉賞 (GⅡ)覇者であり、メンバー候補になってはいるのだが、あまり激しいダンスの楽曲だと怪我に響く恐れがあるので、その面も考慮して曲を決める必要がある。ここでコロの怪我を理由に仲間外れにするのは可哀想だしね。

 

 シニア級に上がって次のレースを控えている面々ばかりなので、みんなで集まって歌やダンスのレッスンをする時間も満足に取れない。事前に18人全員が集まる事はまず無理だろう。

 

 なので私の所に色んなチームから「早く楽曲を決めろ。練習する時間が更に減るだろ」との矢の催促が来るわけだ(特にスメラギやイーグルから)。

 

 クラッシックメンバーで歌う曲の選定、「うまぴょい伝説」のレッスン、私の次走予定は2月半ばの京都記念 (GⅡ)でその為のトレーニング、そして学業と目の回る忙しさ。これで歌う曲が決まったら、更に最優先でその曲のレッスンが加わる。

 いかん、本当に目が回ってきた……。

 

「ねぇカメ、なんかこう今のコロでも普通に踊れて、それでいてインパクトのある曲って無いかな?」

 

 楽曲リストとのにらめっこに疲れた私は、目をマッサージしながら背中合わせで机に向かって勉強しているカメに相談してみた。

 

 お互い背中合わせだから表情は分からないし、それ以前に聞いていたかどうかも分からない。それでも直後に「う〜ん…」と返ってきた辺り、カメはちゃんと聞いてくれていたらしい。

 

「…今のコロちゃんの回復具合なら、よっぽど踊りが激しい曲じゃない限り大丈夫だと思うけど、私もあんまり激しい曲は得意じゃないから踊りの易しい曲が良いなぁ」

 

 いかにも「私、のんびり屋さんなので」みたいに言ってるが、カメの専門とする短距離/マイルの楽曲は激しいダンスを特徴とする「本能スピード」じゃないか。あの曲をバッチリ踊れる奴が「踊り得意じゃない」とか言うなよな。マイルチャンピオンシップの時にすぐ横で見てたんだからな。

 

 まぁそれはそれとして、私もダンスはあまり得意じゃない。覚えたダンスを踊るのはまだ良いのだが、頭が足りなくて振り付けをなかなか覚えられないのだ。

 となるとやはり難易度の高いダンスは避けたい。練習時間が限られているので尚更だ。

 

「歌う順番も重要だよね。今年はクラッシック級から年度代表ウマ娘が出たから、順番はジュニア級、シニア級、クラッシック級になるでしょ? つまりロック調のBLOW my GALEの後に聞いて印象に残る曲にしなきゃダメ。だから可愛い路線で行くか、元気路線とかしっとり路線とか… ナッちゃんはどうしたいの?」

 

『どうしたい』かを自分でも決めかねているから悩んでいるんだよなぁ… うー、こういう責任を伴う決断は女子に任せちゃ駄目なんだよ……。

 

「…漠然となんだけど、普通のライブみたいにトップ3人で歌う感じじゃなくて、みんなで歌える方が良いかな? って思ってる。一応最優秀ウマ娘になったのは私だけど、カメには勝ててないしリリィやスメラギに対しても『勝った』って気持ちには乏しいんだよね。私達の世代ってみんな凄くて速くて… 私1人でスポットライトを浴びるのは何か違うよなぁって……」

 

「ナッちゃん…」

 

「でも『皆で歌う』ってなるとやっぱり「GIRLS' LEGEND U」になるけど、それはオープニングで歌われる訳だし、せっかくの歌謡祭で曲を被らせるのもサービス足りないじゃん? だから悩んでるんだよ…」

 

「……」

 

「そして更にせっかく年度代表ウマ娘になれたんだからさ、そこら辺を誇れるような、『わたし頑張ったんだよ!』的なメッセージも入れたいなぁ、って…」

 

 いつの間にかカメがこちらを向いてジト目で私を見ていた。それでいて口元がωみたいな形になっていたところを見るに、何か妙案を思いついた様だった。

 

「ナッちゃんはホント欲張りさんだよねぇ、知ってたけど。…じゃあさ、コレなんかどう?」

 

 カメがクリティカルに指し示した楽曲リストの一点に、私の目は釘付けになってしまった。



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番外編 大歌謡祭(後編)

 歌謡祭当日朝、現地入りした私は控室前でウマ娘の集団に、歓声と共に襲撃される事になる。

 

「スズシロナズナ先輩、ファンです! サイン下さい!」

「まだ未勝利の私が憧れのナズナ先輩と一緒のステージに立てるなんて感動です! 握手して貰っていいですか?!」

「あたし先月デビューしたばかりなんです。もっと活を入れる為にビンタしてもらって良いですか!」

「私も今怪我で休場してるんです。『鉄人』ナズナさんにあやかって回復祈願のツーショットセルフィーしてもらって良いですか?」

「ちょっとナズナ! ステージの事で確認したい事があるんだけどっ?!」

 

 最後の声はスメラギだったらしい。『らしい』というのは、彼女自身がこの場にいた彼女のファンに囲まれてどこかへ拉致られてしまったので、その場の私では追えなかったからだ。

 

 この一団の正体はオープニングの「GIRLS' LEGEND U」を歌うメンバーと、ジュニア級からの選抜メンバーの混成の様だ。よく見たら、私だけでなくカメやリリィ(そして恐らくツキバミや会長も)にも同様の人だかりが出来ていた。

 

 学園でもダービー以降、時々熱い視線を感じる事はあったが、こんなに直接的にサインや握手を頼まれた事はない。

 これは私も経験があるが、学園のスター的な先輩って何だか高貴なオーラがあって近寄り難いんだよね。『自分なんかが話しかけたら迷惑だ』とか勝手に思って引っ込んでしまう。

 

 今は立場が逆転した身分だから敢えて言うが、『別に高貴でも何でも無いただのウマ娘なんだから、普通に話しかけてくれても構わないよ?』なんだよね。スターウマ娘の先輩達もみんなそう思ってたんじゃないかと、今にしてようやく理解した。 

 

 その中で1人、「今日はよろしくお願いします!」とだけ言って手を差し出してきたウマ娘がいた。

 セミロングの栗毛を揺らして、その顔はとても緊張していたが、彼女の目には私に対する憧れだけでなく、畏怖と多分に闘志も含まれていた様に見えた。今日はステージだけでレースは無いのだから、そんな挑む様な目をする必要は無いよね?

 

 見覚えの無い娘だが、向こうは私の事をよく知っている風だった。私のファン… にしては様子がおかしいが、まぁ危害を加えてくる訳でないなら気にする事も無いかな…?

 

 ☆

 

 司会進行役の人の音頭で、ステージ上の3期×18で54人のウマ娘全員が「新春ウマ娘大歌謡祭!!」と声を合わせる。当然この場に集まってくれた10万人のお客さんも一緒だ。

 日本ダービーや有記念で受けた『10万の歓声』が今また私の目の前にある。当然私1人だけに向けられた物ではないが、ダービーの頃と比べたら格段に「ナズナ!」という声は多くて大きい。

 

 これだけのお客さんを前にして歌うだけなんて勿体ない。日本最高レベルのウマ娘が揃っているのだからエキシビションマッチでいいからレースをすれば良いのに、と思う。ていうか興奮して体が疼く。今すぐ走りたくなる。

 

 とにかく司会進行の邪魔をしてくれるな、との厳命を運営から受けているので(恐らく浮かれて何かやらかした先輩が過去にいたのだろう)、走り出したい気持ちをグッと堪えて作り笑顔で舞台挨拶をこなした。

 

 ここから先はしばらく控室で観客モードだ。私達の退場後、入れ替わりに見慣れたライブ服の72人のウマ娘が登場、ステージの外縁に円を描く様に整列する様が控室のテレビに映し出されている。

 今回はバックダンサー衣装の娘は居ない。ステージの全員が『主役』のライブ服だ。

 

 ステージが暗くなり、ファンファーレの様なイントロから「GIRLS' LEGEND U」が始まった。

 

「wowwowwowwow! wowwowwowwow! やぁっとみんな会えたねぇーっ!」

 

 前述の通り「GIRLS' LEGEND U」は全員で声を合わせて歌う歌だ。もちろんセンターだのセカンドだののソロパートはあるが、他の曲と違い全員がマイクを装着し歌い踊る。

 

 このステージで懸命に歌っている72人は本当にランダムに選ばれている。メイクデビューを終えたばかりの娘もいれば、何ヶ月も未勝利の娘もいるはずだ。怪我で療養している娘もいれば、初勝利以降芽が出ないままプレオープンから上がれない娘もいるだろう。

 

 トレセン学園には色んなウマ娘がいる。みんながみんな幸せな気持ちで走っている訳では無いだろう。それでも1人1人にストーリーがある、ドラマがあるという思いで歌い紡がれてきたのがこの「GIRLS' LEGEND U」という曲なのだ。

 

 「未来描きゴール目〜指〜し、狙え挑め掴めウイニ〜ング」

 

 曲のCメロに入った時にソロパートを歌っていたのは、先程私に挑戦的な目を向けてきた栗毛の娘だった。特段に歌が上手い訳では無いのだが、物凄く気持ちが入っているのが感じられる。心が伝わってくる素敵な歌声だった。

 

「ずっとずっとずっとずっと想い、夢はきっと(か〜な)うから〜」

 

 あ、ここで感極まったのか涙声になってる。私も初勝利の時はちょっとステージ上で泣いちゃったから、気持ちはとてもよく分かるよ。

 彼女のパートはここで終わり、次の娘のパートに移る。彼女の涙が契機になったのか、最後は半分くらいの子が泣きながら大サビを歌って曲が終わった。

 

 原則としてステージ上で涙は禁物だ。でも今日は『お祭り』だ。ちょっとの涙なら熱気で吹き飛ばしてくれるだろう。そう思えるくらい初っ端から刺激のある良いステージだった。

 

 曲が終わり72人のウマ娘が舞台袖に引っ込む際に一瞬目に入った情景に我が目を疑った。

 例の栗毛の娘が涙のまま見覚えのある人物と抱き合っていたのだ。

 

「アイリス…」

 

 その瞬間私は全てを理解した。きっとあの娘が今アイリスの育てているチーム〈プロキオン〉の選手なんだ… 私に握手を求めてきたのは恐らく顔見せと宣戦布告を兼ねていたのだろう。そしてアイリスは敢えてそういう事をさせる人だ。

 

 ふーん、アイリスからは「新しい娘を育てるから縁があったら勝負してやってくれ」と言われているからね。いつでも勝負してあげるよ栗毛ちゃん、楽しみに待ってるからね。

 

 ☆

 

(き~み)と見~た(ゆっめ)が、み~んなの(ゆ~め)になっる~!!」

 

 次はジュニア組による「We are DREAMERS!!」だ。新調されたドレス調のステージ衣装で、ギターソロの間奏に弾ける様に踊るジュニア級の娘達が初々しくてとても可愛らしい。

 

 センターのフォーゲルフライは背の高い芦毛の娘で、なんだか常に眠たそうな顔をしている。それが初めからそういう面相なのか、本当に眠たいのかは分からないけど、何となくエバシブと良いコンビになりそうだな、と直感した。

 

 眠そうな顔つきとは裏腹にフォーゲルフライは伸びのある透明感を覚える歌声だった。

 エバシブもバックダンサーではあったが、特に変な動きは見せずにそつなく踊って見せてくれた。

 

 ☆

 

疾走(はし)れ~っ! 未来(みら~い)の中へ~っ、新~しく吹~く(かっぜ)~のように~、今~っ!」

 

 シニア組の「BLOW my GALE」が始まった。こちらはお揃いのステージ衣装ではなくて、トウザイ会長やメル先輩を含む18名が各々の勝負服で舞台に上がっている。この不揃い感が逆にシニア組の歴戦具合を際立たせている様に見えた。

 

 シニア級 (3年目)の終わりともなれば、ライバルとの切磋琢磨よりも、『自分の限界への挑戦』が主流になる。18人全員が集まった場では無く、1人一派が18組集まった様な、『ステージ上の全員が敵』『決して妥協はしない』そんなオーラが張り詰めている。

 

 全員が『私が1番!』という気概を持ちながら、互いに前に出ようとする気持ちを最前列で抑えているのがツキバミだった。

 

 なんだこれ…? ステージでありながら本気のレースを生で見せられている様な気がしてくる。

 こんな演出が人為的に出来る物なのだろうか? この演出の指揮棒を振るって後ろの17名を従えて常に先頭を走るツキバミはまさに『王者』の風格を携えていた。

 

 今更ながら格の違いを思い知らされる。私、よくあんなバケモノに勝てたよなぁ……。

 今になって震えが止まらなかった。

 

 ☆

 

 さて、3組の最後は私達クラッシック組だ。真っ暗なステージ、そこに立つのは私1人。細いスポットライトが数本、私を照らし出す。

 右手で前にある何かを掴むような仕草で私は歌声を奏で上げる。

 

(ゆ~め)(つっか)むそ〜の日っまで~ 走り~抜け~! beyond the future~ step into the land victory~」

 

「スリー!」

「ツー!」

「ワン!」

「エンモア!」

 

「スリー!」

「ツー!」

「ワン!」

「レッツゴー!」

 

 掛け声から間奏に入り、そこで学園の制服をモチーフにした可愛らしいデザインのステージ衣装を着た残りの17名が一斉にステージに登場してくる。その中には嬉しそうに走ってきたコロもいる。

 私はそれを大きく手を振りながら「ようこそ」と迎え入れるのだ。

 

 そう、私の選んだクラッシック組(わたしたち)の為の楽曲は「笑顔の宝物 -Beyond The Future-」だ。

 かつて、メジロマックイーン、ゴールドシップ、ライスシャワー、ウイニングチケット、ナリタブライアン、サイレンススズカ、スペシャルウィークが同時に所属していた伝説の最強チーム〈シリウス〉。

 

 そこでスペシャルウィークがフランスのモンジューを降してジャパンカップを制した際に記念として作られ歌われた曲だ。

 〈シリウス〉の7人が歌うように設計され、歌唱パートも通常曲の3人ではなく7人分に分かれている。

 

 加えてこの曲のダンスは連携が重視されるものの、特殊な動きが無く簡単で覚えやすい。

 何より私が気に入ったのは、Cメロにてカメが「さぁ〜、みんなの〜夢〜を乗っせ〜て〜」と歌ったあとに、(センター)の「ニッポンいっちを〜、掴〜むそ〜の日〜まで〜」と人差し指を天に掲げ、掴む様に拳を握る振り付けをするシーンだ。

 

 私は有記念を勝って年度代表ウマ娘となった。ここで得た『日本一』の称号を汚さぬよう、最低でも1年間守り抜く必要がある。「笑顔の宝物」で日本一を掴んで見せたのは私の覚悟の表明でもあるのだ。

 

「スリー、ツー、ワン、エンモア! スリー、ツー、ワン、レッツゴー!!」

 

 こうしてジュニア、シニア、クラッシック各級の代表による楽曲の披露は大歓声に包まれて終了した。

 

 ☆

 

「おい…」

 

「は、はいっ?!」

 

 歌謡祭も大詰め、残すは大トリの「うまぴょい伝説」だけだ。

「笑顔の宝物」から休憩する間もなく着替えに入る。ロッカー室でやはり着替えに来ていたのだろう、ツキバミと出くわしたのだ。

 

 ツキバミとは有記念のライブの際に一応後輩のこちらから挨拶に向かったのだが、負けた腹いせか、たまたま機嫌が悪かったのか、えらくにべもない態度を取られてしまい、それ以来どうにも苦手意識が働いてツキバミに近付く事すら躊躇われていた。

 

 しかし今回は完全な遭遇戦、ロッカー室は2人きり。気まずい、そして怖い! そんな感じでビクビクしていたタイミングで声を掛けられたのだ。

 

「な… 何でしょうか…?」

 

 2人きりの密室で殴られでもしたら抵抗も出来ない。ウマ娘のパワーで攻撃を受けたら、下手したら命に関わるしね。

 

「…次のレースは何だ?」

 

「ふぇっ?! き、京都記念ですけど…?」

 

「そうか… 私は大阪杯だ。逃げるなよ…?」

 

 え? これはどういう事なのかな? ツキバミ直々に挑戦状を叩きつけてきたって事? この私に?!

 

 彼女の真意を聞き出す前に、着替えを済ませたツキバミは私の方を振り返ることなくロッカー室から退出して行った。

 

 ☆

 

 トレセン学園の楽曲には可愛い歌、勇ましい歌、応援歌、中には恋愛の歌なんかもあったりするのだが、その中で特に異彩を放っているのが今から歌う「うまぴょい伝説」だ。

 

 まず「うまぴょい伝説」というタイトルの意味が分からない。『うまぴょい』とは何ぞや…? そして『お陽様パッパカ快晴レース、ちょこちょこなにげにソーワソワ』という歌い出しももはや理解不能だ。『赤チン塗っても治らない』の赤チンって何? 何かエロワード? 全編通じてこんな感じだ。これはもう『考えたら負け』な事象なのだろう。

 

 まぁタイトルや歌詞に関しては『そういうもの』だと割り切っても良いのだが、更に理解できないのはこの「うまぴょい伝説」が今回の様な『最高級の栄誉』として常に使用されている件だ。

 それこそ「Winning the seoul(ウイニング ザ ソウル)」や「NEXT FRONTIER(ネクスト フロンティア)」みたいなステージ映えする名曲はたくさんあるのに、なぜこの様なふざけた(?)曲が最も格上なのか、トレセン学園の数ある謎のうちかなり深度の深い謎だと思う。

 

 おっと、今はそんな事を考えている暇はない。大きなイベントの締めなのだ。しっかりとこなさなければならない。

 ツキバミらステージの共演者はもちろん、お客さん達も私の登場を待っているのだ。

 

 いつもの着慣れたステージ衣装に着替えた私は、本日最後の戦場(ステージ)へ向けて力強く一歩を踏み出した。



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番外編の番外編 5戦5敗のウマ娘

 新年早々彼女の涙が辛い。『今度こそは』と勇んで走った未勝利戦であったが、惜しくも3着。トップとは僅か1バ身差だったが、未勝利戦は着差など関係無い。2着以下は先に進む事も許されないシビアで残酷なシステムなのだ。

 

 これで昨年9月のデビューから数えて5戦5敗。まだまだ今年の9月の頭まで未勝利戦への挑戦は許されている。だが制度がどうであれ、それまでに参加するウマ娘の心が折れてしまう事は決して珍しくない話だ。

 

「トレーナー… 私… ごめんなさい… また負けちゃった…」

 

 ウイニングライブで健気な笑顔を見せていた彼女も、控室に帰るやいなや大粒の涙を幾つも流しながら静かに泣き始めた。

 

「お前のせいじゃない。相手が速かったんだ。次は勝てるよ、また一緒に頑張ろう」

 

 この台詞を言うのは何度目だろう? 回を重ねるごとに『次は』の意味が重くなっていく。

 

「私、本当に勝てるのかな…?」

 

 彼女自身、生まれ故郷では並ぶ者無しの最速自慢だったらしい。そのプライドをぶら下げて入学した中央トレセン学園で、彼女の自信は完膚無きまでに踏みにじられた。日本中の最速を集めた学園で、自分が如何に『井の中の蛙』であったかを思い知らされたのだ。

 

 それでも俺は彼女を信じ指導するべくトレーナーとしてスカウトした。俺の見立てでは彼女は未勝利戦で潰れる器ではない。安定してオープン戦を走れて、ともすれば重賞すらも狙える実力を秘めているはずなのだ。

 

「気持ちを入れ替えて次のレースの事を考えよう」

 

 俺の言葉も今の彼女には響いていない様だった。彼女は死んだ目をして「そうだね…」とだけ答えた。

 

 ☆

 

 レース翌日、彼女はトレーナー室に現れなかった。心配して電話を掛けたが出ないし、LANEを送っても既読が付かない。

 彼女の担任や友人に連絡して探すのを手伝ってもらった結果、学園近くの河川敷で1人何をするでなく座り込んでいた彼女を発見した。

 

「大丈夫か…?」

 

 今回のレースは本人的に勝算が高かったのだろう、しかしそれでも勝てなかったショックが彼女をこんな所に導いたのかも知れない。

 

「トレーナー… 怒らないの…?」

 

「落ち込んでいる女の子を怒鳴りつけるようじゃ中央のトレーナーとしてやっていけないよ。今日は練習は良いから何か美味い物でも食いに行くか?」

 

 俺の言葉に彼女はほんの少しの笑みを見せた。

 

「ね、トレーナー。私ってダメダメなウマ娘だよね…? 中央に来てから負けてばっかりで、田舎の友達にも連敗をバカにされてるみたいだしさ…」

 

 涙を流し鼻をすする彼女、かなりメンタルの被害が大きいみたいだ。

 

「中央になんか来なければ良かった… 地方のトレセン学園ならこんなに連敗を重ねて辛い思いをせずに済んだのに…」

 

「…悲しい事を言うなよ。俺まで悲しくなる」

 

 女の愚痴を遮るのはあまり上策ではないのだが、このまま放置していては彼女は最悪の一言を口にしてしまいかねない。

 

「俺はお前が『中央で通用する』『勝てる』と見込んだからスカウトしたんだ。昨日だって1着との時間差は0.3秒だ。瞬きするほどの時間差でしかない。次はその瞬きの分だけ速くなれば良いんだよ。ティアラ3冠を目指すんだろ? それは中央でしか出来ないんだぞ?」

 

 俺の言葉を聞いて彼女はまた1人、口を噤んで考えている。

 

「でも未勝利戦に勝っても、その次は未勝利戦に勝ってきた娘ばかりを集めたプレオープン戦が始まって、更にそこを勝ち上がってファンを獲得しないと上に上がれない… もうそれだけで絶望しか無いよ… ティアラなんてとてもとても…」

 

 彼女は俺の思っている以上に思い詰めていた。ほぼ完全に心が折れているようだ。果たしてここから巻き返す言葉はあるのか…?

 

 その時、俺の携帯電話が呼び出し音を鳴らした。通知されている番号は協会(URA)の物だ。協会からトレーナー個人に電話をかけるなど滅多にない事態で、俺は少々面食らいながら電話に出た。

 

「はい… はい? はぁそうですか… 分かりました。本人に話してみます」

 

 どうにも歯切れの悪いやりとりになってしまったが、今の通話の内容を目の前の彼女に話すとしよう。

 

「協会から通達でな、今度の『新春ウマ娘大歌謡祭』で「GIRLS' LEGEND U」を歌うメンバーにお前が選ばれたそうだ。このオファー、受けるか?」

 

 ☆

 

 トレーナーからの申し出には二つ返事でOKした。未だに「Make debut(メイクデビュー)!」すらまともに歌えていない私が、東京レース場の大きなステージで、しかも大好きな「GIRLS' LEGEND U」を歌えるなんて、宝くじで大金が当たった様な幸運だ。

 

 まだトレーナーには話してないが、私は自分の実力に見切りを付けて、3月いっぱいまでで自主退学し学園を去るつもりだった。

 中央のあまりに高いレベルと、それに全く太刀打ち出来なかった自分の不甲斐なさで毎日泣いて過ごしていたから。

 

 だから有終の美という訳でも無いが、このイベントで良い思い出を作ろう、せめて憧れのトレセン学園を嫌いにならないで田舎に帰ろう。そう思ってレッスンに励んだ。

 

 ☆

 

 イベント当日、私と同じく抽選で集められたウマ娘達は用意された大部屋の控室で、浮かれながら雑談に勤しんでいた。

 何せ今日は普段は縁の無い、GⅠで勝ち星を上げるようなスターウマ娘達とステージで共演できるのだ。やれツキバミがどうとか、スズシロナズナがどうとか、皆『推し談義』に余念が無い。

 

 私としてはもう特定の推しとかでなく「皆さん尊くて神様みたいな存在」という感覚なので、恐れ多い気持ちでいっぱいだ。

 それでも敢えて推しを挙げさせて貰うなら、ツキバミさん、ブラックリリィさん、そしてスズシロナズナさんかな。

 

 ツキバミさんのF1マシンの様な、リリィさんの紙飛行機の様な、ナズナさんのラリーカーの様な走りはいずれも見ていて引き込まれる。やはりスターになるウマ娘は『走りだけで魅せる』事が出来るのだ。私みたいな凡ウマ娘とは次元が違う。

 

 誰かが「サイン貰いに行かない?」とか言い出して、大部屋のウマ娘のほとんどが出払ってしまった中で、私を含む動か(け)なかった数人のウマ娘は会話をする事も無く無言のまま椅子に座っていた。

 

 ☆

 

 オープニングセレモニーが終わり、私達の出番になる。72人という大人数が、普段センター3名しか着ることを許されないステージ衣装「STARTING FUTURE」を着ている。

 

 とても異様で、そしてとても特別な光景だ。この場にいる72名全員が『主役』であり『センター』だ。私の様な勝ち星無しの田舎者には眩しすぎて恐れ多い場所に立っている。怖くて仕方がない、すぐにでも逃げ出してしまいたい。

 それと同時に今この場に立っている誇らしさに満たされている。私達はこれから行われる3期分のエリート達の歌の前座に過ぎない。それでもステージを構成する大事なピースの一つだ。無様な真似は晒せない。

 

 もうステージに立っただけで緊張と歓喜と興奮と責任感で泣きそう、というか吐きそうだ。

 とにかく今から何か別の事をする余裕は無い。歌と踊りに集中しなくては……。

 

 ☆

 

「Don’t stop! No,don’t stop ’til finish!!」

 

 曲が終わった。全員が人差し指を天に衝き上げた姿勢で動きを止める。大地が震えるほどの大歓声が巻き起こる。

 やり切った。私の両隣の娘は感極まって泣いている。私も泣きそうだ。でもステージで涙はご法度だ、必死の思いで堪えた。でも……。

 

「お疲れ様。最高のステージだったよ!」

 

 舞台袖で拍手しながら笑顔で迎えてくれたトレーナーの顔を見たら一気に涙が吹き出して、その場でトレーナーに抱きついて大泣きしてしまった。周りのメンバーも半分以上は同様で、トレーナーや友達同士で抱き合ったり肩を寄せ合って涙を流していた。

 

 でもこれは悲しみの涙じゃない。嬉しい涙、誇りの涙だ。昨日までは見も知らぬ仲だった71人が、今では全員家族の様に愛おしい。

 

 私は今日、10万人の前で歌う事、歓声を浴びる事を知ってしまった。この興奮、一体感、口では言い表せない幸せな気持ち… スターウマ娘と呼ばれる娘達はいつもこんな気分を味わっているのだろうか?

 

 そんなのズルい!!

 

 私だってみんなの前でGⅠ専用の楽曲を歌いたい。こんな感じのイベントで可愛らしい特注のステージ衣装を着てみたい。

 

 ライブだけじゃない。こんな大人数の前で勝負服を着てレース出来たら、応援してもらえたらどんなに気持ちが良いだろう?

 

 そこに至る道はただひとつ、『勝ち続ける』しかない。

 私だって『勝ちたい』! 今になってようやく分かった。私に足りなかったのはこの勝ちたい気持ち、『勝利への渇望』だったんだ。

 トレセン学園に来て、周りの皆の速さに圧倒され、始めから心が勝負を投げていた。

 

 それは違うんだ。私は勝ちたい! 勝って自分を証明するために中央(ここ)にいるんだと再確認出来た。もう弱音なんて吐いてる暇は無い!

 

「トレーナー、私やるよ! 次のレースこそ必ず勝ってみせる! 無茶でも何でもするから、今からティアラに挑戦できるスケジュール組んでよね!!」




現在こちらのウマ娘を主役にした新作も書いてます。よろしければ遊びに来て下さいw
https://syosetu.org/novel/319039/


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番外編の番外編2 ハピネスシアター

「ハピネス、貴女のメイクデビューが決まったわ。12月の最終週、中山の第6レース1600よ」

 

「あ、はい… って、ええぇぇっ?!?!」

 

 私のトレーナーであるプラチナアイリスから告げられたデビュー戦の日程に、私は目玉が飛び出るほどに驚いてしまった。

 当初の予定では『年明けくらいにデビューしましょうかね』とか言ってたのに年内に繰り上げだなんて……。

 

 いやいや、話はそこじゃない。年末最後の中山レース場って、有記念のある日じゃないですか?! その日の中山レース場は10万人以上のお客さんが押し寄せる今年最後の大一番。確かにその日も新戦は行われるが、何もよりにもよってそんな大観衆の真ん前でデビューなんて、想像しただけで胃が痛くなる。

 

「いやいやいやいやいや! そんな有の舞台でデビューなんて無理ですよ! 私絶対におしっこチビる自信ありますって!!」

 

「やぁねぇ、何の自信よ? 『有記念で勝って「NEXT FRONTIER(ネクスト フロンティア)」を歌う』のが夢なんでしょ? 今からビビってどうすんの?」

 

 無茶な注文に慌てふためいてトンチンカンな事を口走る私と、冷静にツッコミを入れてくるアイリストレーナー、そのやり取りは私達の日常の基本パターンとなっていた。

 

 ☆

 

 私の名は「ハピネスシアター」。中央トレセン学園に通う中等部2年生だ。一緒にいるのは私の専属トレーナーである「プラチナアイリス」。銀色の瞳がとってもキレイ、美人で頭もスタイルも良くて、歌も超絶に上手いスーパーお姉さんだ。

 

 1年と少し前に行われた選考会で、私はチーム〈プロキオン〉の高城さんという年配のトレーナーさんに見出されスカウトされた。

 その頃には私の他にもう1人、「ハイパーバズーカ」さんというシニア級のウマ娘がいたのだが、彼女は3月いっぱいで引退するらしく後継となるウマ娘を探していたそうだ。

 

 私は高城トレーナーの指導の元、コツコツと努力を重ねて実力を上げていった。

 そして10月になり、そろそろ私のデビュー日を決めようかという頃になって、高城トレーナーが急性肺炎を起こしてしまい、長期入院する事になってしまった。

 

 始めは高城トレーナーの後輩であるチーム〈ポラリス〉の矛田トレーナーにお願いして、私をチーム〈プロキオン〉からチーム〈ポラリス〉に移籍させて、私のトレーニングを引き継いでもらおうと言う話だったのだが、なぜか〈ポラリス〉から〈プロキオン〉へアイリスが移籍して来て、そのまま私の担当に収まった。

 

 アイリスが今年のダービーウマ娘であるスズシロナズナさんのトレーナーだった事は知っている。有名だから。

 そしてもう一つ有名なのは「アイリストレーナーの悪名」だった。

 

 やれ『自分の名誉の為に弟子であるスズシロナズナを使い潰した』とか『弟子の怪我を無視してレースを強行した鬼トレーナー』とかの噂や報道には事欠かなかった。

 

 ぶっちゃけ超怖かった。件のナズナさんはアメリカで手術をしてレースに復帰するべく練習を再開している。

 そのタイミングでナズナさんの担当を外されて私の担当になるなんて、『次の生け贄はお前だ』って言われている様な物でしょ? 怖すぎるって……。

 

 まぁ実際に話をすると、アイリスはとても優しくて上品で何より弟子思いの優しい人だと分かった。スズシロナズナさんの事件の詳細も教えてもらったし、ナズナさんと同じ境遇なら私もレースを継続したと思う。だってダービーだもん、絶対に走りたいに決まってるよ。

 

 私のデビューが有記念の日なのは、その日にスズシロナズナさんが有記念を走るからだと思う。都会の通勤ラッシュ並みの混雑を見せる当日の中山レース場だけど、関係者席からなら良いアングルでレースをゆっくりと見ることが出来るからね。

 

 ただ私が気がかりなのは、チームを離れて2ヶ月近く経つというのに、未だにアイリスの視線はスズシロナズナさんに向いている、という事だ。

 まぁ、私とナズナさんを比べてどちらが輝いているか? なんてのは言うまでもない格差があるのだが、それでもアイリスの今の担当は私であってナズナさんじゃない。

 

 その事がどうにも納得できずにモヤモヤが晴れないままレース当日を迎えた。

 

 ☆

 

 小雨の降りしきる中、本日の第6レースである私のデビュー戦が始まる。

 パドックでの感触は悪くは無かった。それでも私に対するお客さんの反応は賛否両論。「鬼トレーナーの弟子なんか走らないに決まってる」と「ダービートレーナーの弟子だから走るに決まってる」だ。完全に私個人の調子ではなくて、トレーナーの良し悪しでしか語られていない。

 

 私に関する事は何でも「アイリス」「アイリス」だし、逆に言えば私みたいな凡ウマ娘には全く話題が無いという事だ。

 

 なんか色々悔しい。いつまでもアイリスのおまけ扱いされるのも腹が立つし、当のアイリス本人はずっと私じゃなくてスズシロナズナさんを見ている。

 

 絶対に負けられない! もう中山の10万のお客さんがどうこうなんて気にしていられない。ていうかこの怒りをバネにして周りを見ずに一心不乱に走れば、『10万のプレッシャー』と『アイリスの影』、互いの嫌な部分を打ち消し合って集中して走れるんじゃないかなぁ…?

 

 そしてこのヤケッパチ戦法が大ハマリして、私はデビュー戦で2着に3身差をつけてのぶっちぎり優勝を飾る事が出来た。

 更にこの日、ナズナさんがまさかの有記念優勝を果たした事も相まって、アイリスの中でも「ナズナはもう私の手を離れた」と強く思わせたのだろう。

 世間がナズナさんの話題で溢れていくのと反比例して、アイリスの口からナズナさんの名前が出る事は減っていった。

 

 ☆

 

「ねぇハピネス、URAから貴女に歌謡祭のGIRLS' LEGEND Uを歌わないか? ってお誘いが来てるんだけどどうする?」

 

 年が明けて私が長めの帰省から戻ってきた時に、顔を合わせたアイリスからの第一声がそれだった。

 

「やりますっ!!」

 

 もちろん即座にOKした。「GIRLS' LEGEND U」は大好きだし、1000人近い候補の中から栄えある72人の1人に選ばれるなんて、年始からなんて縁起が良いのだろう。

 

「じゃあ同じステージに立つ(よしみ)で『年度代表ウマ娘』様にきちんとご挨拶してきなさいね」

 

「あ、はい… って、ええぇぇっ?!?!」

 

 そこにはとてもとても楽しそうな、イジメっ子の顔をした『鬼トレーナー』が立っていた……。



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真エピローグ

 20XX年9月下旬、俺は中京レース場にウマ娘のレース観戦に赴いていた。目当ては第11レース、当時『伝説(エクリプス)』の名を引き継いだと噂されていたツキバミの神戸新聞杯 (GⅡ)だ。

 

 無敗の2冠ウマ娘、そして3冠確実視、クラッシック級にありながら当代最強とまで言われたウマ娘の菊花賞トライアルを、是非ともこの目で見たかったのだ。

 

 そしてその日、俺は『彼女』と運命の出会いをした……。

 

 昨夜から小雨が降り続き場の荒れた中京レース場、その第3レースである未勝利戦での事だ。

 レース中に足を滑らせた『彼女』が転倒、大惨事が予想されたが『彼女』は健気にも立ち上がり、右腕を押さえて歩きながらも独力でゴールした。

 

 俺はそんな『彼女』の姿に感動して、我を忘れる程に大きな声援を上げていた。「頑張れ!」「もうちょっとだ!」と……。

 

 その日の事はそれ以外あまり記憶に残っていない。あれほど楽しみだったツキバミのレースすらも「あれ? 確か勝ったんだよね?」程度しか覚えていなかった。

 

 それほどまでに『彼女』の衝撃(インパクト)は巨大だった。俺はその日のうちにツキバミから『彼女』に担当(推し)を変えた程だ。

 

 それから『彼女』の出るレースを追い掛けて、東京や兵庫のレース場にもしばしば足を運んだ。

 

 クラッシック級の『彼女』はダービーや有記念等、いずれも歴史に残る熱い名勝負を見せてくれた。

 

 一方シニア級の『彼女』は何とも評価し難い凸凹な成績だったと言える。

 まぁ4年目のツキバミや同期のブラックリリィ、スメラギレインボー等に囲まれて突出した成績を出せ、というのも酷な話ではあるのだが、シニア級の『彼女』はとにかく勝てなかった印象がある。

 

 年度始めの京都記念では多数のマークから抜け出せずに、群に呑まれたまま10着、ツキバミやリリィ等因縁のライバルが勢ぞろいした大阪杯では8着と掲示板を逃す結果となった。

 

 春の天皇賞は回避し翌月のヴィクトリアマイル (GⅠ)に出場、高松宮記念 (GⅠ)を勝って絶好調の、これまた因縁のオカメハチモクとの決戦。ここで2人は雨の府中の直線を彼女達だけの舞台(ステージ)にした。

 抜きつ抜かれつの大接戦、ハナ差で『彼女』は勝利をもぎ取る。このレースは3着以下のウマ娘を大差で置き去りにした、堂々たる『頂上決戦』だった。

 

 続く宝塚記念 (GⅠ)は、日本ダービーで惜しくもフォーゲルフライにアタマ差で2着となった、ハピネスシアターという15番人気の無名なウマ娘が、並み居る列強を押し退けてGⅠ初勝利という大荒れに荒れた展開になる。

 

 その時の『彼女』は3着だったが、ハピネスシアターの担当トレーナーがかつての自分の担当トレーナーだった事に大きなショックを受けたと後日取材に答えていた。

 

 ここでチーム〈ポラリス〉から『彼女』の海外遠征が発表される。目指すはフランス、パリのロンシャンレース場「凱旋門賞」だ。

 夏季強化合宿を半分で切り上げて渡仏した『彼女』は、10月の凱旋門賞までの期間で、必死に鍛錬と調整に励んだらしい。

 

 そして凱旋門賞当日は例年通り『雨』。

 これまで凱旋門賞に挑戦してきた日本ウマ娘はその重たい場に苦労させられて来たが、『彼女』は重場を苦にしないどころか、雨のレースでことごとく勝利を手にしている。そんな『彼女』に俺を含む日本のレースファンは多大な期待を寄せていた。

 

 凱旋門賞は世界中からトップのウマ娘が集い、世界中の注目が集まる、文字通り『世界一』のレースだ。

 

 そこで『彼女』は世界一になった……。

 

 雨の中、泥飛沫を上げ、泥飛沫を浴びて走った世界最高峰20人のウマ娘。その中で中団からの怒涛の追い上げで、1番に勝利線を駆け抜けたのが『彼女』だったのだ……。

 

 日本ウマ娘界の悲願、凱旋門賞勝利。日本中がこの話題に湧いた。ウマ娘レースに興味のない人間もこぞって『彼女』の勝利を祝福したものだ。

 

 それまで『彼女』は『鉄人』の二つ名で呼ばれていたが、凱旋門賞以降は『龍神の巫女』と呼ばれ出す。

 勝つ時はいつも雨、雨を司る龍神の加護を受けているから。なんて理由らしいが、俺は『鉄人』の方が好きだった。

 

 「雨の時は世界トップレベル、晴れた時はGⅢレベル」と揶揄されながらも、まさにその通りの戦績を残して『彼女』は走り切った。

 

 その後『彼女』はトゥインクルシリーズからドリームトロフィーリーグに進んだが、面白い様に雨の日は勝ちまくって晴れた日は大負けも珍しくなかった……。

 

 ☆

 

 俺が『彼女』と出会ってからもう30年近くになる。当時モラトリアム学生だった俺も結婚して、とても元気で可愛らしい、走る事が大好きな娘が生まれた。

 

 その娘は今、トレセン学園で大きな夢を叶えるべく頑張ってトレーニングに励んでいる。

 本格化が遅れたせいで、同級生のほとんどはすでにクラッシック級らしいが、ついに娘のデビューも決まったそうだ。

 

「デビューは中京レース場だからお父さんも絶対に応援に来てね!」

 

 電話口の娘の誇らしげな声に俺の目尻も下がってくる。

 

 そして娘のデビュー当日、俺は出走表を見て固まってしまった。

 9人立てのレースで娘は4番人気、そして1番人気の娘の名前には見覚えがあった。

 

 俺の応援していた『彼女』はレース引退後、数年スポーツキャスター等をしていたが、やがて一般人男性と結婚して芸能界からも引退した。

 そして今から約2年前、『彼女の娘』がトレセン学園に入学したと小さくニュースになったのだ。

 

 俺の娘と『彼女の娘』は学年は1年違うが、レースは同期になる……。

 

 いやはや… 我が娘よ、ツイているのかいないのか父には分からないが、とんでもなく強い(であろう)ライバルに対しても、気持ちで負けずに君も自分の夢を掴んで欲しい。

 

 勝っても負けても悔いの無い青春を送って欲しい。怪我や病気に気を付けて、願わくば君が夢を追い()ける中で、『彼女』がそうしてきた様に、君を応援する人達に勇気と希望を与えて上げて欲しい。

 

 ウマ娘の君にはきっとそれが出来るのだから……。



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