ヤバイ子ちゃん (きばらし)
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前半

●月✕日

 女子高生として初めての夏休みが終わった。

 

 何一つ特別なイベントはなかった。友達と海に行ったり肝試ししたりめくるめく恋の予感にときめいたりはせず、朝起きてご飯食べてごろごろして宿題して寝る。気分転換に海に行くことはあったけど、3日くらい外へ一歩も出ないのはしょっちゅうだった。

 

 花の女子高生としてこれはいけない。

 

 やっぱりどうにかして友達を作ろう。友達がいればもっと楽しいはずだ。16にもなってスマホの連絡先がお父さんお母さんだけはまずい。

 

 明日から2学期。

 

 秋までに友達を作るぞ。

 

 

 

●月✕日

 やっぱムリ。友達なんて都市伝説だ。

 

 自慢じゃないけど私は小学生の頃から一人も友達がいない。超常現象レベルで友達が作れない。

 

 いやほんとに不思議で、なんで私みたいにかわいくて人当たりも良くて頭もいいイケイケJKがずっとぼっちなのか分からない。最初はみんな仲良くしてくれるけど、気づいたら一人になってる。で、こっちから話しかけにいったら幽霊でも見たような顔をして。

 

 あーやばい。

 

 初めてそうされたときのこと思い出した。ちくしょー。

 

 はいはい、どうせ私は一生ぼっちの社会不適合者ですよ。友達なんてクソくらえ。

 

 もういいや、今日も海に行ってさっぱりしよ。

 

 

 

●月✕日

 怖い怖い。なんなの一体。

 

 今、隣の席の女子にものっそいチラ見されてる。気づかれてないつもりだろうけど、私は人の視線には敏感なのだ。

 

 なんなのホントに。みんな私のことなんてプリント渡すときくらいしか見ないのに、めっちゃ見られてる。

 

 たしか四谷さんだっけ。中学でも同じクラスだったから覚えてる。

 

 あ、視線が止んだ。

 

 ああああ、バカ。バカをした。何見てるのって話しかければよかった。つい怖くてスマホ日記に逃避しちゃった。

 

 鬱だ。

 

 今日も海に行こう……。

 

 

 

●月✕日

 最悪だ。死にたい。せっかくのお休みだったのに。

 

 電車に乗ったらそこそこ混んでて、一人分の空きスペースしかなかった。そこに座ったら、地獄だったんだ。

 

 隣のおっさんの体臭がえげつなかった。汗とタバコと加齢臭が混ざり合って軽いバイオテロ兵器だった。

 

 でも座ってすぐ立ったらおっさんが気を悪くするかもと思って、次の駅までガマンすることにした。気遣いができる私えらい。

 

 で、テロに耐えながら正面を見たら、四谷さんが座ってた。目が合った。

 

 クラスメイトだし目礼くらいしようかと悩んでたら、目をそらされた。

 

 刺激臭とミスコミュのダブルパンチ。もうやだ。

 

 結局耐えられなくなって、走ってる途中で別車両に逃げた。

 

 なぜ私のようにかわいくてコミュ力抜群でイケイケなJKがこんなみじめな思いをしなければならないのか。つらい。

 

 海に行こう。

 

 

 

●月✕日

 やった! やったぞ!

 

 クラスメイトとお話できた。おなじみ四谷さんと、その友達の百合川ハナさん。あんなに楽しく話せたのは久しぶり、ていうか親以外で初めてかも。

 

 きっかけは四谷さんだった。急に話しかけてきて、私がアタフタしてるうちに百合川さんも参戦。話を合わせていると、よかったらお昼一緒にと誘ってくれた。三人でごはんを食べながら、昨日のテレビの話とか、担任の話とかしたり。百合川さんが食べても食べても足りないみたいだったから、私がいつも持ち歩いてる煮干しをあげた。喜んでくれた。

 

 ただ、話しかけてくれた理由がよく分かんなかった。

 

 四谷さんが、助けてくれてありがとうとか、あのヤバイのやっつけてくれて、とか言ってた。先日の電車でのことらしいけど、どういうことだろう? 私はおっさんの匂いに負けて席を立っただけなのに。

 

 まあいいや。

 

 ここからの立ち回りが勝負。どうにか二人と仲良くなって、あわよくば友達になりたい。

 

 頑張るぞ。

 

 

 

●月✕日

 友達候補の二人について情報をメモする。

 

 四谷さんは美人さんだ。さらっとした黒髪と整った顔立ち、スタイルのいい身体はモデルみたい。まさにクールビューティなんだけど、すごく友達思いで百合川さんに甘くて、よく世話を焼いてる。お姉さん気質。いい匂いがする。

 

 百合川さんは天真爛漫な食いしん坊。常に何かを食べてて、私の煮干しはすでに業務用3袋は犠牲になってる。でも本当に幸せそうに食べるからついついあげちゃう。今度お寿司をおごってあげたい。いっぱい食べて。匂いは、甘くておいしそう。

 

 順調だ。お昼休みだけじゃなく休み時間もお話しできてる。もうそろそろ友達になれるんじゃないか。

 

 英気を養うため、海へ行こう。

 

 

 

●月✕日

 四谷さんが分からない。

 

 移動教室で廊下を歩いていると、たまに珍獣でも見るような目を向けてくるのはどうしてなんだろう。理由を聞いてもなんでもないよとしか言わないし。

 

 あ、そうか。

 

 私の横顔がかわいすぎて見惚れてるんだ。なんたって私はかわいい賢い天才と三拍子そろった美少女だからな。なんで気づかなかったんだろ。

 

 この調子なら近いうちに友達になってくれるに違いない。

 

 

 

●月✕日

 四谷さんにあーんされた。食べさせ合いっこ。

 

 仲良しみたいで嬉しかったけど、何の脈絡もなく急にあーん・アプローチを仕掛けてきたからびっくりした。

 

 四谷さんはたまに突拍子のないことをする。

 

 

 

●月✕日

 生きててよかった。世界のすべてにありがとう。

 

 今日、歴史が動いた。

 

 私は思い切って、四谷さんと百合川さんに「友達になってください」とお願いした。

 

 そしたら百合川さんが煮干しを貪りながら「もう友達だよ」って。

 

 泣いちまったよ。今も泣いてるよ。

 

 友達がいると、こんなにあったかいんだな。

 

 こんな日はやっぱり、海に行くに限る。

 

 

 四谷みこは見える子ちゃんである。

 

 ごく普通の女子高生でありながら、ある日を境に突如人ならざるものがはっきりくっきり見えるようになった。

 

 彼らを見てはいけない、見えることを気づかれてはいけない。本能的にそう悟ったみこは、怪異たちに徹底的なシカトを決め込む。たとえ怪異がどれほど醜悪な外見をしていようと、家の中にまで現れようと、悲鳴を我慢し全力でスルー。それが見える子ちゃんと化した四谷みこの日常である。

 

 そんなみこをして思わず二度見してしまった怪異は、隣の席のクラスメイトだった。

 

「えっ」

「どうしたの? みこ」

「な、なんでもない」

 

 休み時間。親友の百合川ハナに生返事を返し、向き直る。

 

「でね、夜中にお腹が空いて目が覚めたんだけど、冷蔵庫見たらハンバーグとカレーと肉じゃがしかなくて!」

「いや十分すぎ……前もそんなこと言ってなかった?」

「そうだっけ?」

 

 ハナとの雑談に応じながら、視界の隅にうつる隣の席を意識した。

 

(まぶしっ。え、何これ。なんの光?)

 

 それはみこが普段よく見るような、気味の悪いものではない。白く、清浄な光。どこまでも澄み切った透明な光が、隣の席で燦然と輝いている。

 

 見える子でないハナや他のクラスメイトは何も反応していない。その手の種類のものであるのは明らかだ。気取られないよう視線だけ動かして、発光源の生徒を確認した。

 

(たしか、和二(わに)シズミ、ちゃんだっけ)

 

 ごく普通のボブカット、幼い顔立ち、細身の身体。目立つところのないクラスメイトの一人だ。中学でも同じクラスだったものの、話したことはほぼない。それどころか、隣の席にいたことも今まで忘れていた。影が薄いのだ。

 

 みこだけでなく、クラスメイトの誰もシズミを一瞥すらしない。かといってシズミが孤立しているわけではなく、体育や家庭科のグループワークなどではなんだかんだ誰かと組めているし、悪い評判もない。むしろ人当たりがよく話しやすいとまで聞く。ただ、いつの間にか誰もシズミの存在を気にかけなくなってしまう。影の薄い不思議な子。

 

 そのシズミが光っている。とてつもなく光っている。

 

(もしかして今までずっとこんな風に……何?)

 

 光の次は、音だった。みこの耳に奇妙な音が響く。

 

 ざーん、ざざーん。波打ち際のような音。潮騒。イヤホンからかすかに音漏れしているような遠さで、穏やかな波音が聞こえる。

 

 謎の光と潮騒の音。意味がわからないが悪い予感はしない。その日からみこは、物静かなそのクラスメイト、和二シズミを意識するようになった。

 

 シズミは休み時間をほとんど自席で過ごし、スマホにすさまじい速度のフリック入力で何かを打ち込んでいた。時折煮干しをカバンから取り出してしゃぶっているのを見てみこは吹き出したが、クラスメイトの誰もそれを気にしていなかった。

 

(まさか幽霊とか……いやでもみんなも見えてるみたいだし、普通に触れるし……)

 

 見れば見るほど何かがおかしいシズミの生態に、みこは混乱した。

 

 よく分からないけど悪い感じはしない不思議な女の子。そんな認識を覆したのは、ある日の電車での出来事だった。

 

(プレゼント、買えてよかった)

 

 弟といっしょに母親の誕生日プレゼントを買いにでかけた帰りの電車内。弟の恭介はみこの肩に頭をのっけて居眠りしている。

 

 車内の混み具合はまあまあで、みこの正面の座席が一人分だけ空いている。

 

 そこに見覚えのある少女が座った。

 

(あ、シズミちゃん)

 

 クラスメイトの和二シズミ。地味な私服姿の印象をかき消すほどド派手な謎の光をめいっぱい放射しており、気づかない方が難しい。かすかな潮騒も聞こえてくる。

 

(まぶしっ)

 

 目が合ったものの、眩しすぎてつい顔をそむけてしまう。話しかけるほどの仲でもないので、そのままそっぽを向く。

 

 電車が発車してしばらく経つ。すると、嫌なものが視界に入った。

 

(うわあ、またなんか来た……)

 

 ズタ袋と大ぶりのオノを引きずる不気味な人影。コートに覆われた図体は電車の天井に届きそうなほど大きく、フードの下に見える形相はどう見ても尋常ではない。

 

 それはみこが普段見えないふりをしている異形のものたち──その中でも特に『ヤバイ』と形容する類のものだった。案の定、乗客たちはそれにまったく気づいた様子もない。

 

 ぞわぞわと粟立つ肌を感じながら、みこはいつも通り見えない風を装う。

 

(えっ!)

 

 が、怪人がオノを振り回し乗客たちを切り刻みはじめたために、みこのスルー力が揺らぐ。

 

 怪人は順番に乗客たちへオノを振り下ろしていく。やはりそういうモノなのだろう、オノを振られた乗客たちはかすり傷一つなく、気にした様子もない。

 

(これ順番回ってくる!)

 

 しかし平気なのはアレが見えてないからだ。見える子であるみこは、たとえケガを負わずとも振り下ろされるオノをスルーできるかどうか。

 

 どうにか弟を連れて移動しようとするが、

 

「あーもしもし、お疲れ様です──」

(だめ、動けない!)

 

 怪人は、向かいの席で立ち上がった乗客に反応して切りかかった。下手な動きを見せればみこも同じ目に遭うだろう。

 

(やられた人なんともないし、無視してれば大丈夫……うん、私なら乗り切れる……!)

 

 ばくばくと早鐘を打つ心臓の鼓動を聞きながら、必死で自分に言い聞かせるみこ。

 

 そうして恐怖に耐えていると、向かいの席でまたも誰かが立ち上がった。

 

(あ、シズミちゃん……!)

 

 クラスメイト、和二シズミだ。まばゆい後光と潮騒の音を背負い、立ち上がる。

 

 みこがあっと声を上げるまもなく、怪人が振り返りざまシズミへ斬りかかる。

 

 分厚い刃がシズミの身体をすり抜ける──ことはなかった。

 

『アア?』

 

 オノが消えた。それを振り回していた怪人の腕も同じく、何か強い力に引っ張られるようにして消失した。

 

 怪人はなくなったオノと腕に唖然としていたが、

 

『ア、アアア!?』

 

 突如膝をついて苦悶の声を上げる。

 

 叫喚しながら残った手で喉元をかきむしっており、何か異物を取り除こうとしているように見える。芋虫のような指が喉を刳り、真っ黒な飛沫が上がる。

 

 不意に、怪人の目と口から黒い何かが溢れ出す。一見血のようだが、強烈な磯臭さがみこの鼻を突いたことで正体が分かる。

 

(海水……?)

 

 怪人は両目と口と鼻から大量の海水を吐き出し呻吟している。

 

 まるで陸にいながら海で溺れているようだ。そう思ったとき、先程まで聞こえていた穏やかな潮騒が、ざぶざぶと激しく打ち付ける波濤のような音に変化していることにみこは気がついた。

 

 音は徐々に大きくみこの耳に響く。何かが水中から近づいてくる様を想像し、ぞっとした。

 

 その音がひときわ大きく、ざぶん、と跳ねる。

 

 怪人の上半身が消えた。食いちぎられた、とみこは直感する。

 

 残された怪人の両足は黒い靄となり、跡形もなく消滅した。

 

 みこはハッとしてクラスメイトの姿を探す。別車両へ移動していく後ろ姿が見えた。

 

「た、助けてくれた……?」

 

 みこはそう悟った。

 

 シズミが席を立ったタイミングは明らかに不自然だった。座ってから一駅分の時間すら経っていないのに立ち上がる動機がない。さらに、あの不気味な波の音。怪人の気を引くためにわざと立ち上がり、何か不思議な力でやっつけてくれたのだろう。

 

 つまり、シズミも見える子なのだ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 翌日。

 

「あの、シズミちゃん」

「……えっ」

「昨日はありがとう。あのヤバイやつやっつけてくれて。すごく助かった」

「えっえっ、何それ、てか名前呼び……ん、いや待って待って、何の話?」

「えっ」

「えっ」

 

 みこは休み時間になるや否や、友人のハナではなく真っ先にシズミへ声をかけた。

 

 助けてもらったお礼のためもあるが、何より同じものが見えている心強い味方を得たのが嬉しかった。

 

 が、シズミは目に見えて困惑している。視線がぐるぐる回って耳まで赤くなり声が上ずっていた。

 

「ほら、昨日の電車で」

「う、うん。四谷さんいたね。こ、声かけようかなって思ったんだけど、めめ、迷惑かなって思って、そ、そのあの」

「……あのままだと、私にまで順番回ってきてた。だからありがとう」

「順番……? あっ、もしかして何かの隠語? 流行りのスラングを駆使した高度な会話? ごめんなさい分からない、すぐ覚えるから教えて!」

「うん、もういい」

「そんなぁ!」

 

 みこはため息をついた。

 

 シズミは涙目になってあたふたしている。分からないふりをしているようには見えない。同じものが見える理解者ではなかった。

 

 であればあの波音と海水は、突然立ち上がった動機は何だったのかと首を傾げていると、横から割り込む声。

 

「みこー! シズミちゃんと何話してるの?」

 

 百合川ハナだった。首に回される腕、背中に感じる弾力。くりくりした瞳がすぐ横からみこの顔を覗き込み、続いてシズミにも向けられた。

 

「珍しい組み合わせだね」

「な、なんて距離感……物理心理ともにスキがない……!」

「あはは、何驚いてるのシズミちゃん。あ、ていうかこうやって話すの地味に初めてじゃない? 中学でも同じクラスだったのになんでだろー。ね、みこ、それで何の話してたの?」

「昨日電車で偶然会ったから、そのことをちょっとね」

「そうなんだ! みこはお母さんにプレゼント買いに行ってたんだよね。シズミちゃんは何してたの?」

「ちょ、ちょっと寿司を食べに」

「お寿司屋さん!?」

 

 ハナが目をキラキラさせて食いついた。その後好きなネタは何か、何皿までいけるか、ガリが美味しすぎるなどと話すうち、今日のお昼を一緒に食べる流れになった。

 

 最初は戸惑っていたシズミも次第に慣れてきて、ハナの明るさもあってか普通に話せるようになった。

 

「百合川さんよく食べるね」

「まあねー。でも今日はいつもよりお腹が空くなあ。なんでかなー」

 

 みことシズミのお弁当に物欲しそうな視線を向けるハナ。

 

 するとシズミはおもむろにカバンへ手をつっこみ、大きな袋を取り出す。その袋には業務用煮干し、と書かれてある。

 

「これ食べる?」

「食べる!」

「いや、なんでよ」

 

 みこの呆れた視線をものともせず、ハナはスナック菓子のごとく煮干しをもさもさ食べ始める。シズミはその見事な食べっぷりに「ほあー」と感心の声を上げていた。

 

 この日からみことハナは、シズミとよく絡むようになった。

 

「シズミちゃーん」

「はいよ」

 

 ハナはお弁当含む大量の食料を持ち込んでいるが、それが尽きるとシズミに煮干しをねだる。みこはその様子を眺めつつ、時折シズミへ不思議そうな目を向ける。

 

「四谷さんも食べる?」

「ううん、いい」

 

 例の光は四六時中輝いているが、目が慣れた。近くにいると聞こえてくる潮騒の音は元々気になる音量でもない。みこも、シズミを煮干し携行が趣味で友達の少ない不思議な友人として扱うようになった。

 

「匂いとか先生に注意されないの?」

「されたことない。なんたって流行の最先端なんでね。今どきの女子高生といえば煮干し携帯っしょ」

「そんな流行ないから」

「あるの、私の中では!」

「それただのマイブーム」

 

 シズミはどこから来るのか分からない謎の自信に満ちていた。驚くほど前向きで、みことハナと一緒のときは常にドヤ顔をしている。嫌味な感じはなくむしろ微笑ましい。友人になって初めて知った一面だ。

 

 もう一つ気づいたのは、シズミの特徴的な歯だ。

 

(なんかギザギザしてるような……気のせい? 目の錯覚?)

 

 ギザギザしているように見える、気がする。面と向かって話すときちらりと見える歯が尖っているような、そうでもないような。

 

 みこは違和感を覚えたその場で確かめることにした。

 

 たまたまその時が教室でのお昼休みだったので、自分のお弁当のおかずを一品箸で掴み、シズミに差し出す。

 

「あーん」

「えっ?」

「急にどうしたの、みこ?」

「なんか無性にあーんしたくなった」

「そんなことある!?」

 

 目を丸くするハナと、なぜか慄然とするシズミ。

 

「わ、私が食べさせあいっこの栄誉に賜るなんて恐れ多すぎて……!」

「いいから早く、あーん、ほらほら、あーん」

「なんか四谷さん色々雑じゃない?」

「そんなことないよ」

 

 そんなことはあった。日頃からヤバイものたち相手に見えない芝居を強いられているので、特にリスクのない今は不自然さを取り繕う気が起きない。結果、流れを無視した極めて雑なあーんに至った。

 

 シズミはみことおかずを何度か見比べると、ままよとばかり食いついた。小さなお口が開かれ、歯がよく見える。

 

 普通の歯だった。むしろ歯並びがよく、色もいい手入れのよく行き届いた健康的な歯だ。ギザギザしているのはやはり気のせいだった。

 

「おいしい!」

「シズミちゃんいいなー。私もみこにあーんされたいなー、ちらちら」

「はいはい」

 

 気のせい、のはずなのだが。

 

 ひな鳥みたいに口を開けるハナへ次々と餌付けしながら、みこはシズミを盗み見た。頬に手を当て幸せそうな笑みを浮かべているが、その口元にはどうしてもギザギザの印象がある。確かにこの目でそうではないと確認したにもかかわらずだ。

 

 見えないはずなのにそう見えるギザ歯。何度考えても分からない友人のミステリーにみこは混乱した。

 

 それにも増してみこを驚かせたのは、シズミが纏う光の効果だった。

 

 ある日、廊下を三人で歩いていると、進路上に『ヤバイ』何かが現れた。

 

 このままでは三人ともそのおぞましい何かにぶつかってしまう。みこはどうにか見えてない体で回避しようと頭を働かせ始めたが、その必要はなくなった。

 

(え……!?)

 

 その『ヤバイ』ものは、自分からみこたちを避けた。正確には、シズミの光を恐れ慄くように後ずさり進路を開けたのだ。

 

 それを見たとき、みこはふと思いついた。

 

(もしかして、守護霊とかそういう……?)

 

 みこは見える子ちゃんになってからというもの、オカルト関連の情報をある程度調べている。その中でシズミの光に思い当たることがあった。

 

 悪いものから守ってくれる良い憑き物。いわゆる守護霊があの光の正体ではないか。

 

 だとすればかなり助かる。今のようにヤバイものが現れても、ゴキブリやらなんやらとでっち上げて見えない芝居をする必要がない。守護霊を恐れてヤバイものから道を譲ってくれる。

 

 気づけばみこは、シズミに熱い視線を送っていた。

 

 当然、シズミもハナもそれに気づかないわけがない。

 

 ある日三人で連るんでいると、シズミは神妙な面持ちで言った。

 

「四谷さん、気持ちは分かるよ。私はかわいくて賢くて天才なイケイケ女子高生だから」

「は?」

 

 急に何言ってんだこの子。ハナも菓子パンと煮干しを貪りながら目を丸くしている。

 

「いや、隠さなくていいって。最近私を熱い目で見てるの知ってるから。惚れたんでしょ?」

「誰が誰に」

「あなたが私に」

「フッ」

「鼻で笑われた!?」

 

 相変わらずの自信に思わず失笑。

 

 それで終わりになるはずが、ハナが悪ノリしてくる。

 

「そんな、みこ! あたしとは遊びだったの!?」

「ハナ」

「え、マジでそういう関係だった!? あらまあ」

「あらまあじゃないから! もう二人とも!」

 

 囃し立てるシズミ、悪ノリを続けるハナ。休み時間にこんなやり取りをするものだから、周囲のクラスメイトたちの中は三人をそういう関係だと誤解する者も出始めた。

 

 シズミは前向きだが、多少自信過剰になるところが欠点。

 

 そのような認識が覆されたのは、いつもの日常の一コマだった。

 

「あのさ、二人とも」

 

 放課後、通学路にて。

 

 シズミはみことハナに向き直ると、口を開いて、かと思うと閉じて、深呼吸を挟んでからやっと言った。

 

「私と友達になってください!」

「え?」

 

 今更何の冗談だろうか。みことハナは顔を見合わせる。

 

 しかしシズミの口を真一文字に引き結んだ真剣な表情は、冗談を言っているようには見えず、二人も真面目に言い返す。

 

「もう友達だよ? ね、みこ」

「うん、私もそう思う」

 

 率直にそう答えると、シズミは唖然として立ち尽くし、程なくくしゃりと泣き顔になった。かがみこんでしくしく泣き出す。

 

「シズミちゃん!?」

「ど、どうしたの!?」

「う、嬉しすぎる……」

 

 シズミは嗚咽混じりに語った。小さな頃からどうしても友達ができないこと。最初は仲が良くても、いつの間にか一人ぼっちで遠巻きにされること。だから初めて友達ができたのが嬉しくて仕方ない、と。

 

 みこはハナと一緒に励ましながら、シズミの自信が虚勢なのを察した。いつも一人ぼっちになってしまうのはきっと辛い。それをそのまま受け止めるのはもっと辛いから、虚勢を張って強がっていた。それが自信過剰の原因だろう。

 

「うう、良かったねぇ……!」

「良かったよう、我が友……!」

「……ふふっ」

 

 抱き合うハナとシズミを眺めながら、みこは微笑む。

 

 耳に届く潮騒の音は、とても穏やかだった。



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後半

△月□日

 数日ぶりの日記。

 

 最近、四谷さんと百合川さんとお話するのが楽しくて、スマホを触る時間が減った。このままだともう日記も書かなくなるかも。

 

 二人と知り合ってから、毎日が充実してる。休み時間をつまんない日記書くので潰したり、寝たフリの必要がない。だって二人がかまってくれるもの。

 

 二人の知り合いに、隣のクラスの子がいるらしい。その子も今度紹介してくれるって。最高だ。

 

 こんなに楽しいのも、四谷さんが話しかけてくれたから。四谷さんにはいつか改めてお礼をしたい。海に連れて行ったら喜んでくれるかな?

 

 今日はとっても嬉しい。海に行こう。

 

 

 

△月□日

 四谷さんに笑われてしまった。

 

 最近無性に魚が食べたくて、休み時間にスキあらば煮干しを食べてる。百合川さんもお腹がすくたびパンやらお菓子やら食べてるから、大ぐらい族だって言ってた。

 

 私の場合はお腹が空いたというか、ただ魚が恋しくて食べちゃうんだよな。魚肉中毒? 体質なのかな。

 

 気になってお母さんに聞いてみると、ご先祖様が漁師だったから遺伝かもだって。

 

 そういえば昔、「ご先祖様は山より大きなワニを仕留めたすごい漁師」とかばあちゃんが言ってたな。

 

 絶対ウソだ。昔の日本にワニなんているわけない。よしんばいたとしても海にはいないだろ。私は賢いからウソだって分かるんだ。

 

 よし、海に行こう。

 

 

 

△月□日

 世界はバラバラに分断され、新たな秩序が築かれた。

 

 ぶっちゃけて言えば席替えがあった。お隣だった四谷さんは真ん中の方、百合川さんは前の方、私は後ろの方。ついでに担任の先生が産休で、男の人に代わった。

 

 しかし私たちの友情はその程度で崩れない。その証拠に、四谷さんは頻繁にチラチラ私の方を見てくる。休み時間はすぐ三人で集まる。友情バンザイ。

 

 

 

△月□日

 新しい友達ができた。

 

 二暮堂ユリアさん。隣のクラスのちっちゃくてかわいいツインテの子。ごはん食べてたら、四谷さんが連れてきて合流した。

 

 スピリチュアル系というのか、不思議な子だった。

 

 私の方を二度か三度くらい見直して、しきりに目をこすってると思ったら、あなたも能力者ねと耳打ちされた。異能力バトルかな?

 

 私にそんな能力は、あるわけないと書こうとしたけどちょっと待てよ。異様に友達が作れない超常現象があったな。

 

 いらんわそんな能力。第一今は友達が三人もできてる。私は特別な能力なんて何もない普通のかわいいJKなのだ。

 

 スピリチュアルは専門外だけど、二暮堂さんからはぼっちの匂いを感じる。同族同士仲よくできそう。

 

 

 

△月□日

 四谷さんの様子がおかしい。

 

 担任の先生を怖がってるみたい。男の人だから緊張してるのかな。

 

 それとスキンシップが多くなった。

 

 百合川さんがよく抱きついてくるのは平常運転として、四谷さんがめっちゃ私の手を握ってくる。それはもうすごい握力でちょっと痛い。私のこと命綱か何かだと思ってるのかってくらい痛い。

 

 うーんもやもやする。海に行こう。

 

 

 

△月□日

 私は四谷さんの膀胱の理解者になった。

 

 あれは限界寸前だったなきっと。いいことした。

 

 四谷さんの名誉のため詳細は割愛。

 

 

 

△月□日

 四谷さんは波乱万丈のJKだ。

 

 担任の先生が車にひかれそうな猫を庇って病院送りに。四谷さんはその現場に居合わせたらしい。

 

 心配になって百合川さんと二暮堂さんといっしょに病院にいった。幸い四谷さんの方は無傷で、先生も猫もすぐ治るくらいのケガらしい。よかったよかった。

 

 ただ、事故現場を見て四谷さんも結構ショックだったみたい。またものすごい力で手を繋がれた。

 

 今日は色々あって疲れた。

 

 海へ行こう。

 

 

 

△月□日

 海は大きくて広いなあ。

 

 一人で煮干しをかじりながら浜辺に寝転がって、スマホ片手にぼーっとする。なんだかすごく風流だ。日差しに負けないようスマホの画面輝度マックスだからバッテリー消費がやべー。長くはもたねえ。

 

 海を見ていると安心する。これはぼっちの時も友達ができた今でも変わらない。

 

 いつか四谷さんと、百合川さんと二暮堂さんと一緒に、みんなで海に行けたらいいな。

 

 

 

△月□日

 今日は焦った。

 

 百合川さんから、四谷さんが行方不明の音信不通と連絡が入って、四谷さんの弟さんとも合流して三人で大捜索。

 

 日が暮れるまで探してたら、郊外のグァストであっさり見つけた。おばあさんの荷物運びを手伝ってたら遅くなったとか。優しい四谷さんらしい。

 

 別れ際、そのおばあさんになぜかめっちゃ睨まれて、怖かった。

 

 とりあえず、四谷さんが無事で良かった。

 

 

△月□日

 今日はいい日だった。

 

 みこたちに行きつけのお寿司屋さんを紹介した。みんなで食べるお寿司は一人のときより美味しかった気がする。

 

 そして何より、名前呼びができるようになった。うれしい。今まで私から距離を詰めるのが怖くて名字呼びだったけど、みこの方から言ってくれた。

 

 ぶっちゃけこれは私が奥手というより、みこたちが強すぎるだけだと思う。ユリアですら初対面で名前呼びしてきたからな。

 

 尻込みしてたけど、みこのおかげでやっとみんなと本当の友達になれた気がする。

 

 サメのお寿司も食べてくれたし、これで海に行けるかな。

 

 海に行こう。

 

 

 

△月□日

 海に行こう

 

 

 

△月□日

 海に 行こう

 

 

 

?月?日

 海へ

 

 

 

?月?日

 海へ

 

 帰ろう

 

 

 みことハナがシズミと仲を深めてから間もなく、学校生活に二つの変化が訪れた。

 

「遠野善です。みんなよろしくね」

 

 一つは担任教師の変化。遠野と名乗ったその男性教師は、すさまじい量の良くないものたちに憑かれており、みこの警戒心を否応なく引き上げた。

 

『見るな』

 

 中でも明らかにヤバイ一体は、見える見えない関わらず遠野に視線を送るすべての生徒に『見るな』と恐ろしいガンを飛ばしていて、みこは授業中にもかかわらず泣く寸前まで追い込まれている。

 

(な、なんでよりにもよってこんなときに席替えなんか……)

 

 不幸にも二つ目の変化、席替えによってシズミと席が離れた。ちらりと盗み見てみると変わらずものすごい勢いで発光している。隣にいてくれたなら遠野のヤバイものだって近寄らないだろうに。間の悪さと間近に迫る怪物にみこは毎日泣きそうだった。

 

 そうした悪い意味での変化とは別に、新しい関係も築かれた。

 

「あなたが二暮堂ユリアさんね。私は和二シズミ、よろしく」

「……うわあ」

「二暮堂さん?」

 

 お昼休みのグループに隣のクラスの二暮堂ユリアが加わった。ツインテールの小柄な子で、見える子でもある。たまたま昼休みに一人でいるのにみこが出くわし、以前絞め落とした縁もあるので誘った。

 

 初対面のシズミと自己紹介するのを眺めながら、そういえばユリアにはこの光がどう見えるのか、とみこの好奇心がうずく。

 

 ユリアは目をゴシゴシこすって、信じられないものを見るような目をシズミに向けていた。

 

 きょとんとするシズミ。やがて、ユリアはその耳元でささやく。すぐ隣なのでみこの耳にも届いた。

 

「あなたも能力者ね」

「ほえ?」

「とぼける必要はないわ。そんなに強力な守護霊を使役しておいて、見えないわけない」

「よく分かんないけど煮干し食べる?」

「なんで煮干し!?」

「あ、私食べるー。チョコチップ焼きそばメロンパンの口直ししたーい」

「たんとお食べ」

 

 あ、やっぱこれ(光)守護霊なんだ。多少すれ違いつつ仲よくなる三人を前に、みこは納得した。

 

 ただ、ユリアの予想に反しシズミはまったく見えていない。見えない演技をできるような人柄でもない。ユリアは同じヤバイものを見られないので、みこは一人で遠野のヤバイものに耐えないといけない。

 

 そうしてどうにかみこが忍耐の学校生活を送っていると、ハナが授業中にお腹を空かせて保健室送りになる事件が発生した。ユリアによると、遠野に憑いているもののせいで生命オーラを消費したためらしい。

 

 親友のハナが被害に遭った。その事実がみこを先走らせることになった。

 

 遠野の授業が終わり、遠野は教室から出ていく。ハナはまだ保健室だ。シズミの席へ小走りに急ぐ。

 

「シズミちゃん、ちょっとトイレ行かない?」

「う、うん。別にいいけど、四谷さんなんか怒ってる?」

「怒ってないよ。行こ」

 

 シズミの手を取って、教室を出る。

 

「こ、この急ぎっぷりからしてさては膀胱が悲鳴上げてる!? だけど四谷さんトイレは逆方向なんだわ!」

「あれー、そうだったっけー」

 

 困惑するシズミを引きずって、遠野の背中を追う。

 

 近づくにつれ、遠野に憑きまとう良くないものたちが姿を潜める。

 

 例のヤバイものも遠野の背中から巨体を覗かせるが、

 

『アアアアッ!?』

 

 およそ二メートル背後に寄ると、シズミの光に悲鳴を上げてのたうち回る。明らかに効いている。

 

 このまま居なくなってくれれば。みこが淡い期待を抱いたとき、手が振りほどかれた。

 

「んもー、四谷さんてば! 痛いよっ!」

 

 シズミが手をさすりながら抗議の声をあげる。

 

 珍しくぷんすこしている風なシズミを前に、みこはハッと我に返った。ハナが傷つけられたことに腹を立てて、短絡的な仕返しに走ってしまった。

 

 遠野は不思議そうにこちらを一瞥したあと、何事もなかったように去っていく。後にはみことシズミの二人が残される。

 

「限界が近いときこそ焦らない! 急がば回れ。ほら、ゆっくり上下動を抑えて膀胱に優しく、最短ルートで行くよ!」

「いやあの、そうじゃなくて」

「分かってる、分かってるから。四谷さんの膀胱のことは分かってる、大丈夫」

「……そう。ごめん、焦っちゃって」

 

 焦った非があるのは確かなので勘違いを正すこともできない。みこはあまりの尿意に気が動転していたと思われ、近くのトイレまでエスコートされた。

 

 個室に放り込まれ、便器を前に呆然とする。シズミの近くでいつも聞こえる穏やかな潮騒は、非難の色を帯びた波濤の音に変わっていた。

 

 腹が立ったとはいえ、友達を道具のように扱ってしまった。守護霊(?)が怒るのも当然だ、とみこは反省した。

 

 この出来事をきっかけに、みこはシズミを頼らないと決めた。何しろシズミは見えていない。ハナも同じくで、ユリアは見えているがヤバイものは見えない。見えている自分がしっかりしなければ。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「ワシの名前はタケダミツエだよ。下町のゴッドマザーと呼ぶものもおる。まあ好きに呼んでくれて構わないよ」

「じゃあ、タケダさん……」

「ミツエがいいね」

(今好きに呼べって)

 

 郊外のグァストにて、みこは老婆──ミツエと向かい合っていた。

 

 結果として、遠野に憑いていたヤバイものはどうにかなった。

 

 みこはとある神社にお参りした折、三回だけ悪いものから守られるご利益を得ており、その三回目を使うことで遠野に憑いていたものはいなくなった。みこが遠野に対して抱いていた誤解も解決し、すべて丸く収まった。

 

 と思われたが、どうもすべて解決とはいかない。

 

 神社の神様のような何かは良いものとは言えないものだったらしく、お礼参りに行くと恐ろしいほどの塩対応を受けた。なぜか神社にたどり着くことすらできず、困り果てていたところを助けてくれたのがミツエだったのだ。

 

「ここは昔から蚊が集まる場所でね。血は吸わんから安心しな。しばらくしたら居なくなる」

 

 ミツエはグァスト店内の悪いものたちを蚊にたとえ、みこがどの程度見えるのかを確認した。あの神社は何なのか、どうすればいいのか。説明の途中、ミツエにも見えないほどの何かが現れるトラブルがあったものの、それが済むとみこは深い安堵を覚えた。

 

「私、ちょっと嬉しいです」

「何がだい?」

「見えるようになって初めて、分かって貰えたというか。今までこういう話できる人いなかったから……」

「だろうね。まあワシもみこほどは見えんが、経験はそこそこ積んどる。何か困ったら店においで」

「お待たせしました、黒蜜白玉デラックスパフェです」

 

 話していると、注文したデザートが届く。ミツエがみこの見えないふりへのご褒美として注文してくれたものだ。

 

 ミツエはみこにとって初めての理解者だった。見えるものは違っても、見える苦しみを分かってもらえる。見えることを相談できる相手。

 

 だからみこは、最近すっかり慣れたクラスメイトの光について聞こうとした。

 

「ミツエさん、少し聞きたいんですけど」

「何だい」

「友達に、何というかめちゃくちゃ光って見える子がいて。アレは何が見えてるんでしょうか」

「光って見える? ああ、あの胸の大きい子のことかい。それは生命オーラさね」

「いえ、その子じゃなくて」

 

 瞬間、ミツエの表情が強張る。

 

 少し遅れてみこもその理由が分かった。店の空気が変わったのだ。

 

 先程まで見えていた大量の蚊たちが消滅し、場の雰囲気が軽く、清らかに。まるで教室のようだと思ったそのとき、聞き慣れた潮騒の音と、三人の声が聞こえた。

 

「ドリンクバー全種類制覇しとる場合か!」

「そうだよ! 歩きながらシズミさんの煮干し全部食べといて、呑気すぎだろ!」

「塩気が多くて喉乾いちゃったんだー。大丈夫すぐ飲むから」

「早く姉ちゃん探しに──」

 

 みこの弟、恭介が言葉を切ってみこと目を合わせる。釣られてハナ、最後にシズミもこちらを見た。

 

「みこー! いるじゃん!」

「姉ちゃんいるし!」

「四谷さんいたぁ!」

 

 三人がテーブル席に合流する。みこを音信不通として心配し、三人で探していたようだ。

 

 五人はドリンクバーとデザートを手早く(主にハナが)片付けて、店を出る。

 

「みこ、ちょっとこっちに」

 

 別れ際、ミツエはみこを手招きした。

 

 ミツエの鋭い視線が、光り輝くシズミに向けられている。そういえばあの守護霊について聞こうとしていた。この人ならやはり何か分かるのだろうか。

 

 しかしそんなみこの予想は裏切られる。

 

「あれは守護霊なんて生易しいもんじゃないよ」

「え」

「まったく目を疑ったわい。シズミと言ったか、とんでもないもんとでつながってる。あの縁の深さは多分、憑き物筋だね」

「憑き物筋?」

「簡単に言えば血筋、家系に憑くもののことさ。普通は狐や蛇みたいな小動物なんだが……一体あの子の先祖は何をしたのやら」

「えっと……結局、あの光は何なんですか?」

 

 ミツエはいかにも不本意そうに口をへの字にして、言った。

 

「神だよ。おそらく相当に古い土着神。まさか国津神じゃなかろうが…あの子の周囲だけ極端に清浄になっとる。まるで歩く神域さ。血潮がご神体、身体がお社ってところか。ちょっとした悪いもんくらいなら、そこにいるだけで浄めるだろうね」

「神様の守護霊って、そんなことあるんですか?」

「ないよ、あり得ない。正直ワシも混乱しとる。あの子、学校で影が薄いとか言われてるだろう?」

 

 言われている。なぜかいつも一人ぼっちになる、と零していた。

 

 みこがそう言うと、ミツエはさもありなんとばかり頷く。

 

「だろうね。あの子の半分はあっち側にある。存在感が薄れて見えにくくなっとるんだ」

「え、それ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫さ」

 

 ミツエが微笑みを向けた先では、恭介、ハナ、そして話題のシズミが並んで談笑している。

 

「私の煮干しに加えパフェとドリンクバーを瞬殺とは……胃袋オバケと呼んでよろしい?」

「オバケは怖いからやだなあ。モンスターならいいよ!」

「いや大差ないだろ」

 

 シズミはやはり光り輝いているが、その点を除けば普通の女子高生にしか見えない。半分があちら側にあると言われてもピンとこない。

 

「いきさつは知らんが、一度繋がれた縁はすぐには切れん。もう一人ぼっちにはならんだろう」

「……はい、きっと」

 

 出会ってからほんの数ヶ月。それでもシズミはみこの日常に溶け込んで、確かな友人になっていた。たとえ神様が憑いていようと、あちら側に近い存在であろうと、その事実は変わらない。

 

 みこはこの時、ミツエいわく『半分はあちら側にある』意味を軽く捉えていた。

 

 そのことを思い知らされるのは、一週間後のことである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「おすし、おすしー!」

「ハナ、はしゃぎすぎ」

「回らないお寿司なんて緊張する……」

「へーきへーき、庶民的な安くてウマイとこだから。この駅だよ、降りよう」

 

 みこはハナ、ユリア、シズミと共に休日のお出かけと洒落こんでいた。神社の件は気がかりではあるが、ミツエのなんとかするという言葉を信じ、気分転換だ。

 

 目的地はシズミが贔屓にしているという寿司屋で、地元から二駅移動し徒歩で数分のところにあるらしい。

 

 四人で駅を出、川沿いに歩く。

 

「ちゃんと値段書いてるわよね。時価とかじゃないよね」

「特上握りセットで850円、単品は一貫百円均一でございます」

「楽しみだなー、何頼もう。とりあえず全種類三つ、いや五つ?」

「先に店の食材がなくなるんじゃない?」

「あーみこひどい!」

 

 緊張するユリア、ウキウキのハナ。シズミも上機嫌に弾む足取りで一行を先導している。

 

 みこは会話に参加しつつ、何気なく周囲を見渡した。川沿いの住宅街に見えてはいけないものは何一つ見えない。

 

(ミツエさんの言ってた通りだ……)

 

 ちょっとした悪いものなら、シズミはそこにいるだけで浄める。どこでも見かける小さいおじさんや、ゾンビめいた風体の何かが一切見えないあたり、浄められているのだろう。あの日グァスト店内の蚊たちが消滅したように。

 

 一行はやがて細い橋に差し掛かり、シズミを先頭に渡る。

 

「ここを渡ったらすぐだよ」

 

 渡った先はさびれた住宅街だ。古めかしい木造家屋が軒を連ね、その合間に走る細い路地に「にぎりずし」とのれんのかかった小さな屋台が佇んでいる。

 

 みこたちはのれんをくぐってカウンター席に腰掛け、物珍しげに店内を見渡した。正面には種々の魚を保存するガラスケースとコンロや流しなど調理設備。奥には小ぶりな生簀と、魚の頭をお供えした神棚が見える。かぐわしい酢飯の香りが鼻をついて、食欲がそそられる。無愛想な板前姿の男性が、手際よくおしぼりとお通しを出した。

 

「おおー、お寿司屋さんの屋台なんて初めて」

「ほんと、こういうところあるんだ」

「そうだろうすごいだろう」

「なんでシズミが胸張ってんのよ」

 

 それからは楽しいランチの時間だった。

 

 ハナはもっとも量が多いセットメニューを5つ、みこ、ユリア、シズミは特上握りセットを一つずつ。ネタの一つ一つがとろけるように甘く、シャリの酸味とネタの旨味が絡み合いほっぺが落ちるほどおいしい。口直しのガリや茶の質も申し分なく、またセット一つの量も多い。控えめに言って最高に美味しかった。

 

 とりわけ印象的だったのは、鯛に似た白い切り身だった。しかし味は鯛の淡白なそれとは違い、濃厚な旨味が凝縮され、脂がよくのっていておいしい。食事に夢中なハナとユリアに代わり、みこが聞く。

 

「これ変わった味だけど、何の魚?」

「サメ」

「サメ!?」

 

 さすがにハナとユリアも食事の手を止め、自慢げなシズミの説明に聞き入った。新鮮なサメの切り身は調達が難しく、その寿司ともなるとかなり貴重らしい。

 

 それでこの値段なのだから大したものだ。みこは素直に感心し、ハナはサメのときだけ咀嚼の回数が増えた。

 

 ハナがセットをしめて八つ平らげたところで、お勘定。四人は満足げな笑顔で屋台を後にした。

 

「はー、あんなの食べたらスーパーのお寿司で満足できなくなっちゃうよ」

「びっくりするくらい美味しかった……850円はお得すぎるでしょ」

「はっはっは、そうだろう。隠れた名店だからあんまり広めちゃダメだぞう。四谷さんもおいしかった?」

「うん、すごく」

 

 一行は駅に向かって、川にかかる橋を渡る。ハナとユリアが並んで前を、みことシズミが後ろを歩く。

 

「ねえ、四谷さん。ありがとうね」

「何が?」

 

 急な物言いにみこが振り向くと、シズミはギザギザの歯を見せて心底幸せそうな笑顔を浮かべている。

 

「こうやってお休みの日に友達とでかけたり、休み時間にだべったり。ずっと憧れてたことができて、今すっごく幸せ。それもこれも四谷さんが声をかけてくれたから。私を見てくれたから。だからありがとう」

「大げさだよ。でもありがとうついでに、その呼び方いい加減やめない?」

「え?」

「みこ、って呼んで」

 

 シズミは呆然と立ち尽くし、みるみる目に涙を貯めて、号泣しだした。何事かと振り返るハナとユリア。

 

「あー! みこがシズミちゃん泣かせてる!」

「け、ケンカはよくないわ!」

「ち、ちが……ちょっと、シズミ!」

「嬉し涙はいくら流してもいいんだよぉ……みこ、ありがとう……」

 

 はいはい、と受け流しながらハンカチを貸してやる。シズミは涙もろく、自信家の寂しがりやな友達だ。

 

 そのとき、みこは視界の隅に違和感を捉えた。

 

「え?」

 

 シズミが立ち止まったためその後ろ、すなわち先程渡ってきた橋が見える──はずだが、そこには何もなかった。

 

 みこたちが渡ったはずの橋が忽然と消えている。

 

 それだけではない。川の向こうには古い木造家屋など存在せず、草の生い茂る広大な空き地が広がっているだけだった。

 

 当然、舌鼓を打った寿司の屋台など影も形もない。

 

「みこ? どうしたの?」

「いや、あれ……」

 

 橋のあった場所を指差すみこ。

 

 シズミは涙を拭いつつ不思議そうにそちらを見て、首を傾げた。

 

「何もないよ?」

 

 ハナとユリアも釣られて見るが、みこの指差す方向にしばらく目を凝らすと、

 

「何もないよね?」

「何もないわ」

 

 と口を揃えた。

 

 みこの目には明らかな異変でも、三人には見えていない。

 

 半分はあっち側の存在というのは、こういうことなのだろう。ミツエの言っていたことがストンと腑に落ちる。

 

 理解するや否や、潮騒がやけに大きく聞こえる。

 

 いつもより音が近い。さらに、かすかな磯の臭いもするし、なんならシズミのまとう光の中に巨大な尾ひれのようなものが見えた、気がする。

 

 血の気が引くのを感じながら、みこは悟った。

 

(これ、ヤバイやつだ)

 

 和二シズミは友人だ。しかし同時に、神様の憑いてるヤバイ子でもある。

 

 みこはひとまず何も見ないし臭わなかったことにして、連れ立って駅へ向かった。



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おまけ前半

?月?日

 邯ソ豢綿津・隕見九?ォ縲

 

 

 

◇月☆日

 はて。無料のテキストエディタだけど、一年以上使っててこんなのは初めてだ。昨日の分がまるまる文字化けしてる。

 

 昨日は普通に学校行って、みこたちとつるんで帰りに海へ行って。帰ってきたらお風呂入ってご飯食べて歯磨いて寝た。

 

 起伏ゼロ。特に書くネタもない普通に楽しい日だった。

 

 だから何も書かなかったはずなんだけど、なんで昨日分があるんだろう。寝ぼけて書いたのかな。

 

 まあ昨日より今日のことだ。

 

 今日はいいことと悪いことがあった。

 

 いいことは、あさっての調理実習でみことハナと同じ班になれた。話したことのない子もいっしょだから、この機会に仲よくなれたらいいな。

 

 悪いことは、せっかくビレバンで買ったラムダラビットを失くした。ストラップが千切れてたからどこかに引っ掛けたのかも。探したけど見つからなかった。一緒に買ったふかふかフカくんが無事だったのは不幸中の幸い。

 

 人生いいこともあれば悪いこともある。

 

 

 

◇月☆日

 最近、お母さんの元気がない。

 

 思いつめた顔で私をじーっと見たり、あなたはシズメじゃないとかブツクサ言ったり。一文字しか違わないけど。

 

 今日はパソコンにかじりついてうさんくさいオカルト動画を熱心に見てた。動画タイトルはシンドロームのなんたらかんたら。

 

 考えてみると去年もこの時期は様子がおかしかった。和二の家の方で近く法事があるから、気が滅入っているのかも。お母さん、あっちの家苦手みたいだからな。

 

 アホで鈍感なお父さんの代わりに、かわいい娘の私が気を回してやろう。

 

 

 

◇月☆日

 調理実習はちょっと失敗もあったけどうまくいった。クラスメイトのちえさんとも話せたし、たぶん友達になれた気がする。ハンバーグもおいしくできた。

 

 ただ、おしゃべりに夢中になって多少焼きすぎたかもしれない。みこにちゃんと火加減しろ、と怒られてしまった。そのくらいのことで涙目になってまで注意してくるあたり、みこはお料理ガチ勢だったらしい。今度からはもっときちんと取り組もう。

 

 海へ。

 

 

 

◇月☆日

 今日は生まれて初めて怪奇現象を体験した。あわせてハナの勇敢な一面も知れたステキな日だった。

 

 みこ、ユリアと別れてハナと下校してたら、お守りを川に落として困ってる少年に遭遇。ハナは迷わず川に入ってお守りを拾ってあげてた。この寒い季節、名前も知らない人のためにそこまでやる勇敢さはすごい。私は風邪ひきそうでイヤだったから応援するだけだった。

 

 で、少年といっしょに応援してたら変な人が現れたんだ。

 

 黒い帽子、黒いコートに黒いリュックみたいなのを背負った、黒ずくめの怪しい男の人。

 

 その人は少年に謎めいたことを言った後、私の方をじっと見て「和二シズミさんですか?」と聞いてきた。

 

 そうですよって答えたら、なんか苦笑いして立ち去った。

 

 なんで私の名前を知ってたんだろう。名前が分かるようなものは身につけてなかったし。不思議なこともあるんだな。

 

 

 

◇月☆日

 ただいま法事のため移動中。新幹線とバスで四時間かかるからヒマだ。

 

 ハナは案の定風邪引いて、みことユリアがお見舞いに行くみたい。私もお大事にと気持ちだけ送っておく。

 

 お母さんはやはり法事が面倒なのか顔色が良くない。アホのお父さんは窓外の景色にはしゃいでいる。

 

 私もちょっとワクワクしてる。和二の実家はお屋敷が大きくて探検のしがいがあるし、いつも行ってる海ほどではないけどきれいな浜辺がある。お母さんには悪いけど、フダラクの方の実家は遠すぎる上周りになんにもなくてつまんないんだ。

 

 みこたちへのお土産に和二名物、サメの干物を買って帰ろう。きっと喜んでもらえるぞ。

 親戚一同集まってのお経やらなんやらが終わった。あー疲れた。

 

 何の伝統か知らないけど、お経上げてる最中に数珠をぶっ壊す風習はさっさと廃れちゃえばいいと思う。「ワタツミ様のおたわむれじゃあ」とか言って数珠を壊すんだけど、さもひとりでに壊れましたみたいに振る舞うから白々しい。数珠がポップコーンみたいにパンパンパンパン……勝手に壊れるわけないだろうに。

 

 来る前はソワソワしてたお父さんも、お母さんと一緒になって落ち込んでた。いざ妹さんの三回忌となるとしんみりするらしい。

 

 三回忌とはいえおばさんが失踪したのは十年くらい前だから、私は記憶が薄い。一緒に湿っぽくはなれない。

 

 というわけで今は浜辺で休憩中。お土産も買ったし後は帰る時間まで自由だ。冬に素潜りはやる気が出ないし、何をするか。

 

 そういえばここで昔、海に返してあげたサメは元気かな。あのときは鮫肌で手がズタズタになって大変だった。今の汚れた私じゃ恩返しはよ、としか思えない。恩返しする前に寿司や干物になって私に食べられてたらと想像すると、愉快だ。

 

 笑った笑った。

 

 そうだ、せっかく友達が出来たんだからあれやろう。出先の写真取りまくって送りつけるやつ。岬からの景色とか、家宝の変な形の銛とか、バエバエのスポットたくさんあるし。

 

 よーし、やるz

 神童ロム。

 

 この前の黒ずくめさんの名前だ。急に後ろから声かけられてびっくりした。こんな小さな漁村に観光で来たというから、見た目通り変わった人だ。

 

 でも実際話した印象だと、よくしゃべるいい人だった。自撮り棒でツーショットも撮ったし、投稿してる動画サイトのチャンネルも紹介してくれた。そのチャンネルがお母さんの見てたシンドロームなんたらだったのは、すごい奇縁だなと思った。名前間違えて覚えててちょっと申し訳ない。

 

 ただ、去り際に哲学問答が始まったのには困った。「海に呼ばれたことはありますか?」だって。

 

 そりゃ、女の子ならあるに決まってる。私の場合は生まれたときからずっとなので、空って青いですよね、と同じレベルの問いかけだった。

 

 いい感じに機転の効いた返答ができなくてそのまま答えたら、「私は山に呼ばれたことあるんですよ」と張り合ってきた。男の子は海じゃなくて山に呼ばれるものなんだ。初めて知った。言われてみれば、昔話でもおじいさんは山へ、おばあさんは海へいくものな。

 

 ロムさんはパワースポット巡りをしてから帰るらしい。メアドも交換してもう友達だ。

 

 友達が増えて嬉しいな。

 

 

 

 和二シズミはヤバイ子である。

 

 見える子のみこだけが例の寿司屋の一件からそう理解したものの、友人関係には特に変化がなかった。教室ではみこ、ハナ、シズミの三人でよく話すし、昼休みにはユリアも加えて四人で昼食を共にする。

 

 みこは友達にヤバイのが憑いてるといって邪険にするほど薄情ではない。また、存在しない寿司屋以降恐ろしい現象が起きていないし、むしろ良くないものが寄り付かなくてありがたい。何より、シズミが完全に無自覚で悪気などこれっぽっちもないため、文句を言う気も起きなかった。

 

 などとみこが考えているのを見透かすように、神様は日常へひょっこりと顔を出す。

 

 ある日の朝。ハナが日直で先に行き、みことシズミの二人で通学しているときのことだ。シズミのカバンに見慣れたウサギと、珍しいサメのキーホルダーが揺れていた。

 

「シズミ、それラムダラビットじゃない。買ったの?」

「ん、ビレバンで限定販売って言葉につられてつい。本命はこっち」

 

 こっち、と示して見せたのはサメの方だ。大きなヒレと小さすぎる目が特徴的なデフォルメマスコット。

 

「ふかふかフカくん! いやーみこのメメちゃんとハナのラムラビの対抗馬が欲しかったんだよね。十分張り合えるかわいさでしょ?」

「どうだろ。目が小さすぎてちょっと怖いかも」

「それがいいの。サメは小さい目と書いてサメと呼ぶんだよ。つまり目が小さいほどかわいいってわけ」

 

 不覚にも雑学に感心してしまったのが癪で、みこはドヤ顔するシズミの頬をむにむにした。子犬みたいに大きな目を白黒させている。

 

 ラムラビは本当に衝動買いだったらしく、ファンのハナに譲ろうかと言いながら歩いていると、話題が流れた。他愛もない雑談に興じつつ、シズミのカバンで揺れるウサギとサメにみこの視線が吸い寄せられる。ちょうどみこの焦点がそこへ合った何度目かのタイミングで、異変は起こった。

 

 ラムラビに縦一直線の裂け目が出来る。裂け目はひとりでに左右へ広がり、皮を剥がれたように中の綿が露出。その綿は端から順に虚空へ飲み込まれ、最後には剥がれた皮ごと消えてしまった。シズミのカバンには半ばから千切れたストラップと、かわいいサメのマスコットだけが残される。

 

「……」

 

 神様はラムラビがお気に召さなかったらしい。帰り道にどこかで落としたのかもとみこたちは探し回ったが、ラムラビの姿はもちろんどこにもなかった。

 

 そんなこんなでみこは神様の存在を間近に感じながら、ハナ、シズミと共に今日も学校生活を送る。

 

「では各班、調理を始めて。分からないことがあれば遠慮なく聞いてね」

 

 家庭科室。調理実習の時間だ。先生の一声でクラスメイトたちはそれぞれ調理に取り掛かる。みこはおなじみのハナとシズミ、それからちょっと話す程度の間柄のちえと同じ班だった。

 

 シズミが意気揚々と包丁を手にする。

 

「切ったり刻んだりは任せろ!」

「得意なの?」

「ものすごく!」

 

 ドヤ顔を泣き顔に変えてやろうと試しにたまねぎを手渡してみると、裁断機めいた手際の良さでまたたく間にみじん切りができた。

 

 それを受け取ったみこがハンバーグの種を作っていると、シズミはハナから次々に食材を渡され、言われるままに刻んでいく。それら食材はハナ主導の下フライパンへ投入され、数分でよく分からない料理のような何かが姿を現す。

 

「じゃーん、完成!」

「なんのキメラ?」

「創作料理!」

「ちょ、待って。私が刻んだ食材どこにどう使った?」

「ここだよここ!」

 

 シズミが本気で困惑してハナの言う「ここ」をよく見るが、首をかしげるばかりだ。

 

 その様子に、クラスメイトのちえが吹き出す。

 

「ふふっ、シズミちゃんってもっと無口な子かと思ってた。料理得意なの?」

「魚料理ならなんでも作れるよ!」

 

 なんでも、という言葉にハナが食いつく。

 

「活造りとか三枚おろしも?」

「余裕余裕。免許はないけどフグも捌けるよ。将来は闇のフグ専門店開くんだ」

「捕まったらカツ丼も食べれて一石二鳥だね!」

「何それー」

「はいはい、三人ともしゃべりすぎ。今日のテーマ、ハンバーグだから」

 

 和気あいあいとしているところにみこが釘を差す。テーマ以外に一品作っていいことにはなっているが、放っておくとおしゃべりばかりになる。

 

 そうしてごく普通の日常を送っているみこの耳が、異様な音を捉える。

 

 びたん、びたんと何かを叩きつけるような音。嫌な予感を覚え横目で見てみると案の定、そこには見てはいけないヤバイものが映り込んでいた。

 

(ええもう、うわぁ……)

 

 でっぷり太った肉だるまのような体格の化け物。人の頭ほどもある大きなギョロ目と、むき出しの歯茎が恐ろしい。

 

 その怪物は同類と思しき小人のようなものをテーブルに叩きつけている。調理中には見たくない陰惨な光景がみこのすぐそばに広がっている。

 

 最悪なことに、怪物は次の工程で使うコンロの方向に陣取っていた。

 

 みこは手早く種を小判型に整えると、大きくため息をつく。

 

「シズミ、交代。これ焼いて」

「焼き加減は?」

「レアで」

「お腹壊すやーつ」

 

 しょうもないやり取りにくすくす笑いながら、みこは調理用具を洗いに、シズミは種を焼きにコンロへ向かう。

 

 シズミに憑いているという神様は、みこには眩い光として見える。最近はその中にヒレが見えることもあるが、清浄な光が大半だ。

 

 その光が怪物に近づくと、

 

『ア、ショクザイ、ショクザイ!』

 

 怪物が叩きつけていた、小人が消滅した。

 

 怪物は怒り狂ったように頭でっかちの頭部を前後へ揺らすと、シズミへぎょろりとした目を向ける。その目は殺意と憎悪に塗れていた。

 

「気になってたんだけどさ、シズミちゃんとみこたちって、最近急に仲よくなったよね。なんかあったの?」

「それはね、ちえちゃん……なんでだっけ?」

「みこが話しかけてくれたんだよ。たしか最近の世界情勢とかの話で」

「マジで!? インテリ〜」

「そうだったかなぁ」

 

 ちえとシズミ、ハナが雑談に花を咲かせている後ろで、怪物が動く。後頭部から伸びる長い鎖を振り回し、ムチのようにしならせてシズミの小さな背中へ叩きつける。

 

 しかし当たる直前、鎖の先端が消えた。

 

『ア? オエッ』

 

 怪物は短くなった鎖を呆然と見つめる。かと思うと、怪物の大きな目と口から黒い濁り水が溢れた。

 

 その液体は最初、涙か鼻水のように少しずつ滴り落ちた。しかし間もなく滝を思わせる濁流の勢いを得、調理室の床を汚す。強烈な磯臭さを伴う液体が足元まで迫り、みこは悲鳴を上げそうになった。

 

「……」

「最初は強火で……あれ、弱火でじっくりだったっけ。みこ、どう思う? みこー?」

 

 強火でハンバーグを焼くシズミが聞いてくるが、みこはそれどころではなかった。

 

『オエッ、オエッ』

 

 怪物は壊れた蛇口よろしく黒い海水を吐き出し続ける。口から流れるそれは吐血を思わせる。電車の怪人の場合と同じく、陸で溺れている有様だ。

 

 ならばこの末路も、とみこが思った途端。怪物の上半身がふっ、と消失する。

 

 食いちぎられたという印象も同じ。違ったのは、怪物の背後に大きな口が見えたことだろう。

 

 ずんぐりした怪物の身体さえ一呑みにできそうな、真っ暗なトンネルのような口が、少なくとも四つかそれ以上。上下にびっしり敷き詰められた牙が怪物に食らいついて引き裂くところを、みこの目は確かに捉えた。

 

(前よりはっきり見える……)

 

 みこは死んだ目できゅっと唇を引き結んだ。

 

 分かってはいたことだ。元々、みこが『見える』ようになってから、シズミの光を認識するまで少しの時間差があった。時間がたつにつれ、シズミのヤバイのが見えてくるのも予想はしていた。

 

(うん、分かってたし大丈夫……やっつけてくれたのもありがたいし……)

 

 そう、シズミもシズミのヤバイ神様も悪いわけではない。今の怪物はみこをしてシカトし続けるのが辛いビジュアルだった。だからこそみこは距離を取り、シズミなら何があっても大丈夫だしあわよくば返り討ちにするかも、と期待した。

 

 したのだが、

 

「もうちょっと加減してよ……」

 

 神様のやり方も、それはそれでキツイ。

 

 調理室の床は足首の高さまで黒い海水に浸って、部屋中に磯臭さが充満している。神様の仕業なのだろうが、怪物の目と口から吐き出されるのを目撃していたみこにはひたすら気持ち悪い。潮の香りがトラウマになりそうだ。

 

「ご、ごめん。火加減間違えたかな。中火? 中火でいいんだっけ? は、ハナ!」

「えっと、両面に焦げ目がつくまで焼いたら弱火でじっくり、だね」

「了解! みこ、大丈夫だから、今からリカバリーするから泣かないで!」

「泣いてない。さっきのタマネギが効いてきただけ」

「時間差で!?」

 

 本当は足元の濁り水とむせ返るような海の匂いに泣きそうなのだが、みこはすべてをタマネギになすりつけた。

 

 調理実習が終わり、班で作ったハンバーグをお弁当と一緒にいただき、担任の遠野に作った分を職員室に届けに向かう。

 

 その道中、スキップしそうなハナとは反対に、シズミがしょんぼりした調子で、

 

「みこ、本当にごめんね」

「え?」

「みこは泣くほど真剣に取り組んでて、私を信頼して焼くのを任せてくれたんだよね。なのに私すごくいい加減だった……」

「いや、違っ、くはないけど、でもそうじゃなくて」

 

 シズミなら大丈夫だろう、と任せたのは間違っていない。間違ってはいないがズレている。

 

 言葉を探す間もなく、シズミは訳知り顔で頷く。

 

「みこは料理ガチ勢なんだね!」

「……」

 

 もうそれでいいや。みこは力なく首肯する。

 

 シズミの光から響く潮騒は腹立たしいほど穏やかだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ある日の昼休み。

 

 中庭のベンチに腰掛け、みこはユリアと二人きりだ。いつものハナは風邪で、シズミは親戚の法要で欠席している。

 

 いつも三人か四人でいるため、まだ付き合いの浅いユリアと二人でいると緊張する──なんてことはなく、みこは切実な理由で朝からげんなりしていた。

 

(ヤバイの多い……)

 

 鬼の居ない間にとばかり、良くないもの、ヤバイものが家や通学路から学校までどこにでも溢れ返っている。シズミに憑く神様を恐れ、普段隠れている分が一斉に出てきたのだろうか。

 

 ベンチの陰にも小さなおじさんたちが屯しており、ユリアはそちらとみこへ交互にチラチラと視線を送っている。

 

「今日、多いね」

「……何が? お弁当のおかず?」

 

 ヤバイのがいつどこで聞きつけるか分からないため、見える子のユリアの前でもみこのシカト方針はブレない。というかできればオカルト方面とは関わりたくない。

 

 ユリアはむっとした顔をして、唐突に立ち上がる。

 

「みこちゃん、あなたにはまだ敵わないかもしれないけど、私も強くなったの」

「へー」

「特にあのお寿司を食べた日から、弱いものなら祓えるようになったんだから!」

「へー、え?」

 

 みこの脳裏に、この世のものとは思えないほど美味しいお寿司の味が過ぎった。シズミをヤバイ子として認識するきっかけとなったあの日。

 

 ユリアは不敵に笑い、ベンチの下にいる小さなおじさんへ掌を向ける。

 

「はあーっ!」

 

 気合一閃、おじさんは内側から破裂した。真っ黒な水が血溜まりを作り、磯臭い匂いが香る。

 

 得意満面のユリア。

 

「どう!? この力があれば、私も立派な霊能力者に」

「ユリアちゃん」

 

 がしっ、とみこはユリアの両肩をつかむ。ゆっくり上げた顔からは表情が完全に抜け落ちて、目が合ったユリアは震え上がった。

 

「それ、二度とやらないで」

「な、なん」

「なんででも。いい?」

「ひゃい」

 

 ユリアには悪いが、みこにとっては海の匂い恐怖症になるかならないかの瀬戸際である。返答次第ではアナコンダ穴熊の再来も辞さないつもりだった。

 

 ガタガタ震えるユリアとしかめっ面のみこが、重い空気の中でもそもそ食事を続ける。

 

 その空気を破るように、二人のスマホが同時に通知音を響かせる。顔を見合わせ取り出して見てみると、シズミからのメッセージだった。

 

『法要終わってヒマ。実家のパワスポを紹介する』

「パワースポット……!」

 

 ユリアが目をキラキラさせている。霊能力者としてのパワーを常に求めているユリアには甘美な響きなのだろう。

 

 みこは平常運転なシズミに安心しつつ少し呆れていた。おばの三回忌の法要と言っていた割にまったくしんみりしていない。

 

 最初のメッセージから数分で、写真が送られてきた。

 

『景色のいい岬!』

 

「わあ、きれい!」

「えっどこが?」

 

 その写真は真っ黒に塗りつぶされて、岬など欠片も見えない。きれいどころか、淀んだ水か深い海を連想させる暗黒が映るばかりでむしろ怖い。

 

「きれいな岬だよ? 見るだけで力が増しそう!」

 

 何か見えないものを見てしまってるんだろうな、とみこが当たりをつけていると、すぐに二枚目。

 

『ウチの家宝。大きなワニを獲った銛』

 

「いわくつきっぽくてカッコイイね」

「そう、だね」

 

 一枚目と違って、異常はすぐに見て取れた。

 

 古い日本家屋にありそうな床の間。ありがちな刀や掛け軸に代わって、三叉のフォークのような銛が飾られており、シズミの自撮り顔が画面の下で見切れている。

 

 問題は、その銛にまとわりつく黒い靄だ。ヘドロの如く濁ったそれは、写真にも関わらずうねうねと動いているように見える。いわくつきっぽいのではなく、本当の曰くがあるのは明らかだ。みこは目を逸らした。

 

 三枚目が送られてくる。

 

『観光のあんちゃんとツーショット』

 

「え、この人」

「わあ、神童ロムだ! この人がいるってことは本当にパワーがあるのかも」

「え?」

「え?」

 

 それは、黒ずくめの怪しい男と満面の笑みでピースするシズミとのツーショットだった。シズミの背負う光以外に変なものは映っていないが、以前町で見かけた男が出てきたためみこは目が点になった。

 

 ユリアに聞いてみると、主にネットで活動しているおそらく本物の霊能力者らしい。みこたちが共通で知っているその人物が遠く離れたシズミの実家にも現れる世間の狭さに、みことユリアは目を丸くした。

 

 やがてメッセージだけが送られてきた。

 

『実家のパワーで風邪治れー治れー』

 

 グループチャットなので内容はみこ、ユリア、ハナに共有されている。シズミなりの病人へのエールだったようだ。

 

 しかし写真越しのパワーでは不足なのだろう。ハナから写真とメッセージが届く。

 

『おなか。へった。おかゆ。もうない』

 

(うわこっちにも……)

 

 みこは目を覆いたくなった。空っぽのお鍋を抱えるパジャマ姿のハナの写真だが、後ろの水槽にヤバイのが映り込んでいる。

 

「わーハナちゃんきつそうだね。オーラも小さくなってるし……」

「えっ」

 

 ユリアの言葉にみこはぞっとする。

 

 みことユリアは二人とも見える子だが見えるものが若干異なっている。みこは良くないものからヤバイものまで見えるがハナのオーラは見えない。ユリアは良くないものまでしか見えないがオーラは見える。

 

 ハナは強いオーラによって悪いものを引き寄せると同時に、守られてもいるという。しかし風邪でオーラの弱ったところにヤバイものが寄ってきたら。

 

(よりによってシズミがいないときに……でも……!)

 

 みこは見えるだけで立ち向かう力はない。お参りで得た神様のご利益ももうない。

 

 それでもじっとしてはいられない。

 

「行かなきゃ」

 

 みことユリアは早退してお見舞いへ向かった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「さすがに食べすぎだよぉ、体熱くなってきた……」

 

 お腹いっぱいになったパジャマ姿のハナがぐったりとソファにもたれかかる。水槽に陣取るヤバイのの動きは明らかに弱っており、みこはほっと息をついた。

 

 ハナのお見舞いは首尾よくいった。生命オーラの量をユリアに見てもらい、減るたびハナに食べ物を与えオーラを回復させる作戦を実行し、ヤバイのの力を弱らせることができた。この調子ならハナは大丈夫。

 

 そう安堵したのもつかの間、すぐに次がやってきた。

 

「あつー。空気入れ替えよ。そうだ、二人ともあとで……」

 

 ハナが窓を開けようとベランダへ駆け寄ったそのとき、みこの目に巨大な獣の影と、手すりに降り立つ着物の人影が二体映る。

 

「うわ、すごい突風……あれ、立ちくらみ……」

「ハナ!」

 

 窓が開くや否や、巨大な獣は逆光を背に長い腕を部屋に突き入れる。狙いは先程までハナを狙っていた、生首のようなヤバイのだった。

 

 獣は鷲掴みにしたそれを悍しい口腔に放り込み、ゴキゴキバキリと凄惨な咀嚼音をたてて嚥下する。それからハナを指差すと姿が消え、狐面に着物姿の二体が代わりに入ってきた。

 

(ここまで私を追って……!?)

 

 それらはかつて、みこがある神社で願った際に憑いてきた者たちだった。みこの願いは叶ったがお礼参りを拒絶され、その後の対応は何か知っているらしいミツエに任せたきりだった。

 

 ミツエはなんとかすると言ってくれたが、なんとかする前にここまで追いかけてきたのか。

 

 しゃらん、しゃらん。澄んだ鈴の音を響かせ、狐面たちが近づいてくる。

 

(な、なんでハナの方に!?)

 

 狐面は願ったみこではなく、立ちくらみでうずくまるハナの方へ進んでいる。ユリアは狐面たちが見えておらず頼れない。このままではハナが危ない。しゃらん、と鈴の音が執拗に響く。

 

 そうしてパニックになりかけたみこを落ち着かせたのは、潮騒だった。

 

「えっ」

「なに、この音……?」

 

 ユリアも聞こえているらしいそれは、常よりも近く大きい。

 

 ざーん、ざざーん。鈴音をかき消す大音量。まるで海がそのまま頭蓋の内でたゆたっているように、直接鼓膜を揺らしている。同時に部屋中の空気が軽く、教室と同種の清浄な雰囲気に変化した。

 

 狐面の二体は歩みを止めた。

 

 一体はじっと立ち尽くし、もう一体は凶悪な形相を歪め、ハナとみこを指差す。

 

『──! ──!!』

 

(めちゃくちゃ怒ってる……!)

 

 狐面は怒っていた。言葉も事情も分からずとも確実に分かるくらい、怒髪天をついて怒り狂っている。

 

 その対象はみことハナだった。みこはなんとなくこの無礼者め、恩知らず、みたいなことを言われている気がした。

 

 時間にして数秒、言われるがままになるみこ。

 

 すると、狐面がぴたりと動きを止めた。みこたちを指差していた腕を下ろし、若干視線を上にしてみこたちの背後を睨み付けている。

 

 見えないふりを続けるなら、狐面たちの視線につられてはいけない。そうとは分かっていても、みこの理性は潮騒と鈴音で弱っていた。好奇心のままにゆっくりと振り返る。

 

 そこには深淵が広がっていた。

 

 底の見えない深い闇。一筋の光さえ差さない深海の黒い水。そんな暗黒の何かが、ぽっかりと空間に穴をあけるように浮かんでいる。広い部屋の床から天井までかかるその闇は丸く、中に淀む暗澹はみこの直近の記憶に結びついた。

 

 黒く塗りつぶされた、きれいな岬の写真。あれは目の前のこれが映り込んでいたのだ。

 

 みこの連想はさらなる飛躍を遂げ、

 

(これ、目だ……)

 

 そう理解した瞬間、全身を包み込む視線を感じた。目前の深淵は明確な意思を持って周囲を睥睨している。

 

『──』

 

 狐面たちが何か言い捨てて、ベランダから外へ出ていくのが視界の隅に見える。それに応じ、目もふっと姿を消す。

 

 ただ、潮騒だけは消えない。みこの頭の奥で小さく、かすかに響き続けている。

 

 短い夢でも見ていたようだった。

 

 呆然としていると、呼び鈴が鳴る。

 

「みこ、出て……」

 

 ハナの言葉に機械的に従うと、寿司の出前だった。ハンコを押してリビングに戻る頃、ようやく現実感が戻ってくる。

 

「ふたりが来るって言ったらママがお寿司頼んでたの、すっかり忘れててさー。お寿司めっちゃ元気でる! あ、サメ寿司はあるかなー?」

 

 もりもり食べるハナ。

 

 みこがぼうっとしていると、ユリアがふと見上げる。

 

「なんか水の音が……あ」

 

 視線を追うと、キッチンの水が出しっぱなしになっている。

 

 壊れたように激しく出ているように見えたのは気のせいではなく、本当に壊れていた。栓をいくら操作しても止まらない。

 

 音の源は水槽もだった。

 

「ハナ、これ、ヒビ入ってる」

「なんで!?」

 

 なんで、はみこもユリアも同感である。なぜか水槽に刻まれた亀裂から水が漏れていた。

 

 その日はハナの母親が帰ってくるまでハナに付き添い、壊れた水道と水槽を報告してから帰路についた。

 

 後日聞いたところによると、錆びない素材の水道管が酷く風化し、破裂していたという。



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おまけ後半

百合展開あり。
短編につきこれで終了。
読んでくれてありがとうございました。



▼月■日

 学校行ったらハナが復活してた。良かった良かった。

 

 久しぶりに煮干しとお土産のサメの干物をあげると瞬殺された。幸せそうな笑顔でこっちも幸せな気分だった。ただ残念なことに、みこは干物が好きじゃないのか、渡すとき微妙な顔だった。

 

 私が実家に行ってる間、特にお見舞いの日はたいへんだったみたいで、小さな地震が起きてハナの家の水槽と水道管が壊れたらしい。

 

 ものは考えようだ。速報もされないくらいの地震で壊れるなら、きっと寿命だった。前向きに行こう。みこのことも、友達の好みを一つ知れたと考えるんだ。

 

 

 

▼月■日

 ユリアに和二村のことを聞かれた。写真からスピリチュアルなパワーを感じたらしい。

 

 親の実家の歴史とか聞かれても分かんない。分かってるのは魚がおいしいことと海がきれいなことくらい。

 

 調べてみたら自治体のホームページが出てきた。

 

 あんな田舎がデジタル化の波に対応してるのは意外だけど、一番の驚きはふるさと納税だ。申し込みページのリンクがあった。19,000円の寄付で特産品の新鮮サメ切り身が返礼されるらしい。ハナにアドレス教えとこ。

 

 和邇神伝説というリンクがあったけど、全部文字化けしてて読めない。せっかくユリアが好きそうな字面なのに残念。

 

 

 

▼月■日

 ハナのおっぱい

 

 

 

▼月■日

 やべー手が震えてフリックできん。音声入力ありがとう。

 

 え、みこってあんな子だったっけ? ハナ並みにスキンシップ多くてやべーんだけど。

 

 最近何かおかしいとは思った。やたらと私の髪触ったり抱きついてきたり。挙げ句のはてに壁ドンなんてされたら、惚れちゃうじゃない。

 

 いや違うな、惚れてるのはみこだ。みこはきっと私への恋心を自覚できないまま、欲望に駆られてスキンシップをしている。そうに違いない。

 

 正直みこ相手ならそっちの道に踏み込むのもやぶさかじゃない。問題は、ハナ、ユリアとの友人関係がごちゃつきそうなこと。

 

 難しい問題はまず海に行って……待てよ、私に惚れてるなら海にも来てくれるんじゃない?

 

 誘ってみよう。

 

 

 

▼月■日

 海には来てくれなかった。

 

 でもスキンシップはめっちゃされた。

 

 乙女心をもてあそびやがってあの黒髪美人野郎許せねえ。

 

 

 

▼月■日

 本日歴史が動いた。すべての謎が解けた。

 

 みこは私にすべての秘密を打ち明け、私もすべての秘密を話した。この日記にすら書いてない(たぶん)最重要機密だ。

 

 まさかみこがあんな事情を抱えていたなんて。誰にも打ち明けず今までよく頑張った。最近の奇行もそのせいだったんだ。

 

 これからは互いの秘密を共有する同志として、より親密に付き合えると思う。

 

 みこ、いい匂いだったな。

 

 

 

▼月■日

 海はそこにある

 

 

 

 

 

 

「ところで何か進展ありました? 神社の件」

「え」

「あとシズミさんの祟り神の件もどうです? かなりまずい感じですけど平気ですか?」

「えっ、ちょ、あの、待って」

 

 放課後の帰り道。黒ずくめの男、神童ロムに呼び止められたみこは、路地裏で爆弾発言を重ねられ大いに混乱した。

 

 まず神社の件は、三回悪いものから守られるご利益を得た神社のことで、ミツエに任せっきりにしていた結果、みこではなくハナが狙われる事態に至った。あの神社に願った自分が本当に投げっぱなしでいいのだろうか、とちょうど揺れていたところだ。

 

 次にシズミに憑く神の件。ハナの家で見た巨大な目がその一端であるのはなんとなく察せられる。しかしあのときシズミは遠いところにいた上、同じ神様の目が写真に映っていた。なぜ異なる場所に同時に現れたのかという疑問もあるが、何より、

 

「た、祟り神? 悪いものなんですか?」

 

 不穏な響きに寒気がする。そんな聞くからに危なそうなものに憑かれてシズミは大丈夫なのか。

 

 ロムはにこりと人を食ったような笑みを浮かべる。

 

「シズミさんは、大丈夫ですよ。シズミさんはね」

「なら、いいですけど……」

「それより神社の方は、ミツエさんから何か聞いてます?」

「いえ。なんとかする、とは言われました」

「おやおやそれだけですか。よければ私が相談に乗りますよ……と、言いたいところなんですが」

 

 ロムは言葉を切って、路地の入り口を見やった。

 

 釣られてみこも見てみると、そこには息を切らした老婆が立っている。独特な意匠の装束をまとっている彼女は、神社の件を引き受けた見える人、タケダミツエだ。

 

「山の神の前に、海の神をどうにかしないといけません。そうですよね、ミツエさん」

 

 ミツエはロムの呼びかけに顔をしかめ、ひときわ厳しい顔つきでみこを睨み、踵を返した。

 

「ついてきな。場所を変えるよ」

 

 訳も分からず成り行きを見ていたみこは、ロムに促され慌ててついていく。

 

 路地裏から移動した先は商店街。ミツエが占い屋をやっている店舗だ。シャッターの下りている正面から勝手口へ周り、薄暗い店内へ連れ立って入る。

 

 普段は水晶玉でも置いてそうな丸テーブルを囲って座ると、ミツエが忌々しげにロムを睨む。

 

「元師匠を呼びつけるとは偉くなったね」

「緊急事態だったもので。伝説は読んでくれました?」

「あ、あの!」

 

 置いてけぼりの状況にみこはたまらず声を上げる。

 

「海とか山とか神様とか、一体何の話をしてるんですか?」

「簡単に言うとだ、みこ。お前さんは今、二柱の神に目をつけられとる。一つは例の神社のもんだが、こっちはまだいい。やつは結界の外では体を保てん。今すぐどうにかなるってことはない。だが」

「シズミさんの神様がちょっとせっかちなんですよね。みこさん、耳を澄ますと何か聞こえるでしょ?」

 

 図星だった。シズミのそばを離れた今でも、遠く潮騒の音が聞こえる。ハナの家であの巨大な目を見たときから。

 

 みこの反応から察したのか、ミツエは表情を和らげた。

 

「安心しな。やっこさんの正体も対応も、もう調べはついとる。その通りにすりゃなんともない」

「さすがミツエさんですね。私じゃシズミさんと絶縁するくらいしか思いつかないですよ」

 

 さらっと友情を引き裂こうとするロムにみこは狼狽する。不安を煽るようなこと言うんじゃないよ、と叱りつけるミツエ。

 

 ミツエはその鋭い視線を、続けてみこへ向ける。

 

「だけどその前に確認だ。みこ、あんたあの嬢ちゃんの神に何かしただろう」

「えっ」

「たとえば、ネットの聞きかじりで神事のマネごとをしたとか。そうでもないと今の拗れた状況が説明つかんのよ」

「してないです、そんなこと! あ、でも……」

 

 神事と言われてもまったく心当たりはなかったが、神様の関わっていそうな現象なら思い当たることがある。存在しない寿司屋だ。あの一件以来光の中にヒレが見えるようになり、ユリアに至っては除霊のような力を得ている。

 

 ミツエたちの相槌と質問に促されあの日の体験を細かく語り終えると、ミツエは頭が痛そうに眉間を抑えた。ロムは飄々とした笑みをすっかりひそめ真顔になっている。

 

「うわぁ、あんた……やっちまったね」

「何を!?」

「いよいよミブリ映画の世界ですねえ」

 

 真顔のロムは嘆息混じりに言う。

 

「みこさんたちは異界に招かれ、神の肉を食べ、帰ってきた。ヨモツヘグイは起きていない。そういうことでいいんですかね、ミツエさん?」

「少し違う。サメの肉はワニ神じゃあないよ」

「理由は?」

「影響が少なすぎる。記紀に語られる怪物を人が食らってただで済むとは思えない。ヨモツヘグイ以前の問題さね」

「なるほど。たしかに、現代版八百比丘尼で済めば御の字かな」

 

 エラや水かきが生えたりして、とロムは真顔から薄笑いに戻って茶化しているが、みこは気が気じゃない。安くて美味しいお寿司を食べた帰りに多少背筋の凍る思いをした程度に考えていたのに、そこまで危ない橋を渡っていたとは。

 

「おそらく御使いの肉を使った神饌で加護を与えたんだろう。大きな代償つきでね」

「ワンクリック詐欺みたいですね〜」

「あの、すみません。もうちょっと分かりやすく……」

 

 ついていけないみこが音を上げると、主にミツエが分かりやすく説明してくれた。

 

 まず、みこたち三人はあの日の寿司を食べたことで神様の加護を得た。それがユリアのパワーアップであり、みこに憑いている分霊である。ハナは不明。

 

 分霊は元の神から分かれたもので、力の格は元とまったく同じ。端的に言うとものすごく強い守護霊である。

 

 ただし神が無償で人間に奉仕することはあり得ない。みこが山の神に目を付けられたように、大きな力には必ず代償が伴うものだが、今回は一方的にご利益を押し売りされたことになるので代償の内実が分からない。後で請求されるかもしれないし、されないかもしれない。

 

「多分海に近づいたら引きずりこまれるとかじゃないですかね〜」

 

 ロムの冗談はさておいて、今のみこの状況はこうなる。

 

 山の神に願いの代償を請求されると同時に、海の神にも勝手に契約され、請求されるのを待っている。

 

 みこは状況を正しく理解し、脳裏にギザ歯の無自覚ヤバイ子ちゃんを思い浮かべ、引きつった笑みを浮かべた。

 

「ちょっとくらい八つ当たりしてもいいかな……」

「ま、まあ落ち着け。気持ちはわからんでもないが」

 

 どうどうとミツエが荒ぶるみこをなだめる。

 

 すると、ロムが興味深げに身を乗り出した。

 

「それでミツエさん、どうするんです? 古い神の分霊をどうやってみこさんから引き離すんですか?」

 

 寿司を食べたら勝手に憑いてきた神の分霊。重い代償を求められる前に帰ってもらうための方法とは。

 

 注目を集めるミツエは不敵に笑って、

 

「分祀すりゃいいんだよ」

 

 と、自信ありげに言ってみせた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 休み時間のチャイムが鳴ると、みこは小走りでシズミの背後に回り、首元に腕を絡めた。

 

「おっ、ハナは今日も元気だね。でもちょっと胸縮んだ?」

「ハナじゃなくて悪かったね」

「え、みこ!? 待って絞めないで絞めないで!」

「みこがそういうことするなんて珍しいねー」

 

 スキンシップ担当のハナが合流し、珍しいものを見るような目をしている。

 

 実際、後ろから抱きつくなんて友達相手でもみこは滅多にしない。それでも敢行したのは別にシズミを絞めるためではなく、必要なものを手に入れるためだった。

 

(髪の毛は……付いてないか)

 

 密着しながらシズミの肩元を見るも目的のものはない。体を離して接触した部分を確認するが、一本もない。一度目の試みは失敗だ。

 

「シズミちゃんいいなー、みこのハグって貴重だよ? あたしもいつだってウェルカムだからね、みこ!」

「はいはい」

「ふへへ……いい匂い」

 

 受け答えの裏で、みこは先日のミツエの説明を思い出す。

 

 ミツエいわく、シズミの神の分霊は特別な食事で深まった縁を頼りに憑いて来ている。ただしちゃんとした手続きを経ず勝手に分裂してきたため、非常に不安定な状態でみこの周囲にいたりいなかったりするらしく、いつ何がみこに降りかかるか予想もつかない爆弾みたいなものとか。

 

 これを解決するために分祀する。日本中で祀られるお稲荷様のように、祠を建てて正式に勧請してそこに入っていただく。神様もみこも落ち着く解決策だ。

 

 祠や勧請の手配はミツエが担当し、みこが任されたのは分祀する御神体の準備。この場合もっともふさわしいのは、シズミの髪の毛である。いわく、髪には神様が宿っているから祀るには最適とか。

 

 一本だけで大丈夫らしいが、机や制服に付いているのを回収するところを万が一にも見られたくない。故に、スキンシップで誤魔化しながら探す作戦をとっている。

 

(一本くらいなら簡単だよね)

 

 一度目の試みは失敗したが、髪は一日に何本も抜けるものだ。ミツエと約束した今週末までには必ず手に入るだろう。

 

 気楽に構えたみこは、次の休み時間で二度目を仕掛ける。

 

「シズミって髪きれいよね」

「えっ、あ、ありがと」

 

 正面から顔を間近に近づけ、手でシズミの頬を撫でながら髪を触る。サラサラしたボブカットが指の隙間をすり抜けていく。

 

 シズミは顔を赤くしてうつむく。教室のそこかしこでざわめきが起き、ハナはおおっと興奮しながら身を乗り出した。

 

「シャンプー何使ってるの? どんなトリートメントしてる?」

「ぜ、全部お母さんが買ってきたの使ってます……」

「そうなんだ。美容院とかどこ行ってる?」

「自分で整えてる」

 

 話している間、みこはずっとシズミの髪を触っている。

 

 シズミはもじもじしながら上目遣いでされるがままになっているが、ここで時間が切れた。ハナのストップがかかったのだ。

 

「そこまで! いい雰囲気になるの禁止!」

 

 ハナは二人の間に割って入って、ぷっくり頬をふくらませる。

 

「シズミちゃんばっかりずるい! 私だって触り放題なんだからね! 髪でもどこでも!」

「どこでも?」

 

 勢いだったのだろう、みことシズミがハナのもっとも曲線的な部分に注目すると、ヤケクソ気味に胸を張った。かかってこいと言わんばかりだ。

 

「前から触ってみたかったんだー」

「んっ」

 

 遠慮なく鷲掴みにするシズミと悩まし気な声を出すハナを眺めながら、みこはひそかに成果を確かめた。シズミの髪をこれでもかと梳いていた手を検める。あれだけやれば一本くらいはあるはず。

 

(ええ……)

 

 一本もなかった。

 

 きっと毛根が強い、確率的にそんなこともある。みこは気を取り直して次の休み時間も攻めの姿勢を見せた。抱きついて制服の肩口をよく見てみる。事あるごとに手櫛で髪を梳く。シズミは急激に距離を詰めにきたみこに困惑し、赤くなってずっとあたふたしていた。ハナはヤキモチを妬いて自分も触れとアピール。いつもはブレーキ役になるみこが人目を憚らずそんな調子なので、一部の野次馬気質なクラスメイトたちは大いに盛り上がった。

 

 しかしこれだけ仕掛けても、シズミの髪の毛は一本たりとも手に入らない。

 

「あ、忘れ物しちゃった。ちょっと待ってて」

 

 と、放課後に一人で教室に戻って椅子や机を調べても、ブツはなかった。次の日も同じ手で仕掛け、成果ゼロ。

 

(こうなったら……)

 

 しびれを切らしたみこは強攻策を企て、チャンスを伺う。

 

 機会が訪れたのは作戦開始から三日目、水曜日の昼休みのことだった。

 

「ちょっと手洗い行ってくる」

「あ、じゃあ私も」

「いってらっしゃーい」

「いってらっしゃい」

 

 昼休み、ユリアも加えて四人で昼食をとっているとシズミが立ち上がり、みこも同行する。二人きりになるときを待っていた。

 

 トイレへ向かう道中、周囲の視線が途切れる瞬間を狙う。

 

「みこはさあ、最近何かあった?」

「何かって?」

「スキンシップめちゃ増えたじゃん。ハナがお株奪われたとか言うくらいに。どうしちゃったの?」

「どうしちゃったと思う?」

「え……」

 

 空き教室の前を通りかかったそのとき、みこは躍りかかった。シズミの肩を優しく押して、一歩ずつ距離を詰める。後退ったシズミは壁に退路を塞がれ、みこは顔の横に手をついた。思いつきで足の間に膝も差し込んでおく。

 

「なんで私がこんなことしてるのか、分からない?」

「はう」

 

 若干の八つ当たりの意味がなくもないみこの猛攻。耳まで真っ赤になるシズミの頭に手を回し、髪の房を探った。うまく一本だけを指につまみ、強く引っ張る。

 

(ぬ、抜けないっ!?)

 

 それでも髪は抜けない。指の力だけでなく、腕全体を使って引く。シズミの頭が揺れるほど引いても髪は抜けず、切れもしない。

 

 みこは、これダメなやつだと悟った。抜け毛が一本も見つからない時点で薄々感づいてはいたのだ。ミツエの『髪には神が宿る』という言葉が脳裏をよぎる。

 

 シズミは狙い通りパニック状態で、髪を引っ張られる痛みには気づいていない。

 

 諦めて身を引くみこ。

 

「なんちゃって。早く行こ」

「……え、あっ、待ってよう!」

 

 その日の晩、みこはカバンに小さなハサミを忍ばせた。抜けないなら切るまでだ。

 

 と、そこまで考えたところで何やってんだろうと正気が戻る。友達の髪の毛を躍起になって手に入れようとしている自分を客観視して、唐突な虚しさを覚える。

 

 しかし神様の恐ろしさは例の神社の件で体感している。なぜか勝手に分裂して憑いてきている海の神様だって、いつどんな形で牙を剥いてくるか分からない。それを避けるため必要なことだ、と強く言い聞かせた。

 

 その恐ろしさを翌日、みこは目の当たりにすることになる。

 

 登校し、席について持ち込んだ武器(ハサミ)を確認する。うまく二人きりになってから、気づかれないようシズミの髪を切り取るのだ。

 

 そうしてハサミをスカートのポケットに忍ばせようとしたみこは、愕然とした。

 

 昨晩まで真新しいねずみ色をしていたハサミの刃。それらが錆に覆われ、赤茶色になっている。持ち手の部分には干からびた海藻らしきものとフジツボが貼り付き、長年海中に放置したような印象だった。

 

 ふざけたマネはするな、と。みこは声なき神様の声を聞いた気がした。

 

「みこっ!」

「……!」

 

 どうにか悲鳴をこらえハサミをポケットへ隠す。正面を見ると、シズミが胸の前で握りこぶしを作って勇ましい顔をしている。

 

「一緒に海に行こうよ!」

「……海? 結構遠いし、オフシーズンだよ?」

「大丈夫。海はそこにあるから」

「行かない」

 

 存在しない寿司屋、海に引きずり込まれるとロムに脅されたこと。さらに、突如大きく響き始めた潮騒の音も相まって、みこははっきりと拒絶を示した。

 

 すごすご席へ戻るシズミを申し訳なく思いながらも、みこは追い詰められていた。ミツエとの約束の日は明日だ。

 

 シズミの髪は切ることも抜くことも拾うこともできなかった。ならば残された手段は一つだけだ。

 

 気づきはしたものの、最後の手段を実行する覚悟ができたのは、一日中授業もおざなりにして悩み抜いた末の放課後だった。

 

 ハナとユリアには大事な話があるからと言い置いて、校舎の隅でシズミと二人きりになる。シズミは海に誘って断られたのをまだ根に持っているのか、ふてくされた様子だった。

 

 そんなシズミに、みこは堂々と言ってのける。

 

「シズミ。あなたの髪がほしいの」

「……はぇ?」

「ここ最近ベタベタしてたのは、あなたの髪がほしかったからなの」

「……」

 

 最後の手段は正直なお願いだった。ドン引きも軽蔑も恐れず誠心誠意気持ちを伝える。

 

 シズミはこてん、と首を傾げた。

 

「なんで?」

 

 言葉に詰まる。誠心誠意とは言ってもシズミはオカルト方面の自覚がない。御神体のためだと打ち明けていいものかどうか。

 

 そうして悩んでいる間が致命的なスキになった。

 

「あっ、髪フェチかぁ! みこは女の子の髪が大好きなんだね!」

「……え」

「あー、そういうことか。正直に教えてくれてありがとう! みこのためなら丸坊主にだってなるよ!」

「そ、そんなにはいらないから! 一本だけ、本当に一本だけでいい!」

「そう?」

 

 たいへん不名誉な納得をしたシズミは、自分の髪を一本つまむ。大した力もなく引き抜いて、みこの手に握らせた。

 

「……っ!」

 

 一週間あれだけ恥を忍んで悩みに悩んでそれでも入手できなかったブツが、あまりにもあっさり手中にある。みこは口を引き結んで遠い目をした。

 

 黙り込むみこに対し、シズミは恥ずかしげに「えへへ」とはにかんだ。ギザギザの歯がきらりと光る。

 

「みこが秘密を教えてくれたから、私の秘密も教えるね。日記にもたぶん書いたことがないすっごい秘密」

 

 この言葉に、感情が荒れ狂って訳が分からない状態のみこが我に返った。どんな秘密だろう。もしかして本当は神様のことを自覚しているとか、見える子であるとかだろうか。

 

 そんなみこの淡い期待はもろくも打ち砕かれることになる。

 

「私、匂いフェチなんだ! 昔から鼻が良くって、おっさんの匂いは苦手だけど、女の子の匂いは好きすぎて毎日興奮してる。ハナは美味しそうな甘い匂いがして、みこも最高にいい匂いだよ!」

「ッスゥー……」

 

 深く息を吸って天井を見上げるみこ。きっと自分は死んだ魚の目をしているだろう、と冷静に自覚した。

 

「だからさ、髪あげる代わりに、匂い嗅がせてくれない? ね、ちょっとだけ!」

「……うん」

「わーい!」

 

 みこは気力が最低値を吹っ切って、力なく頷いてしまう。シズミが首元に飛びつき深呼吸をしながら恍惚とした笑みを浮かべる。

 

 それを窘める気も起きず、みこはただ死に体で立ち尽くしていた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 決死の奮闘を経てみこは最悪の勘違いとカミングアウトを応酬した末、古い神の依代を手に入れた。

 

 祠はミツエの店に神棚として建てられ、御幣や祝詞を駆使しミツエがきちんと勧請して、分祀することに成功する。

 

 こうして海の神の分霊は鎮まり、みこはようやく一安心──

 

「いやいや、みこさん。神社の件忘れてませんか?」

 

 するのはまだ早かった。ロムの言葉に、狐面と山の神のことを思い出す。

 

 ロムによると何をするにもまずあの神社にもう一度行く必要があるらしいが、みこはふと思った。

 

「海の神様についてきてもらったら、安全だったんじゃ?」

「どちらも古い神様ですからねぇ。巻き添えで祟り殺されてもおかしくないですよ」

 

 ハナの家で狐面と分霊が顔を合わせただけでも、水槽や水道管に影響があった。もしもあの巨大な山の神と海の神が鉢合わせたら、ロムの言うとおりになるかもしれない。

 

 というわけで、みこは海から山へ忙しなく巻き込まれていくのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 二暮堂ユリアは見える子ちゃんである。

 

 幼い頃から人には見えないものが見え、将来はこの力を活かしたすごい霊能力者になる予定だ。そのためにお手本や師匠となりうる本物の霊能力者を求めている。

 

 そんなユリアは現在、三人の能力者と友人である。

 

 一人は四谷みこ。あらゆる悪いものを祓う強大な力がある。もう一人は百合川ハナといい、無自覚に膨大な生命オーラで悪いものを祓う。

 

 最後の一人、和二シズミはというと──たぶんすごい能力者である。白い靄のような守護霊を引き連れ、その靄は悪いものをまとめて祓う。きっと厳しい修行の末に守護霊が憑いたにちがいない、とユリアは思っている。

 

「えーっと、和二……あったあった」

 

 そんな彼女の父方の実家について、ユリアはスマホで調べていた。ベッドでごろごろ転がりながら。

 

 その実家は和二村という漁村で、先日送られてきた写真にはパワーギチギチのスポットがたくさん映っていた。それに、本物の霊能力者である神童ロムもそこに居たというから、きっと良いパワースポットだ。

 

「結構遠いな……」

 

 しかし地元からでは距離があって、新幹線で一時間、バスで三時間かかるらしい。ユリアの小遣いで交通費を出すのは難しそうだ。

 

 曇った表情で検索結果を見ていくと、和二村の自治体のウェブページを見つける。タップするとデザインは古臭いものの小綺麗に整ったページが開いた。

 

 上から下へざっと見ていくと、ページの片隅に目が留まる。

 

和邇(わに)神伝説』

 

 リンクを開いてみる。村に伝わる古い伝説ですとの但し書きの後、おごそかなフォントで本文が続く。

 

『昔、村にたいそう美しい娘がやってきた。

 

 娘は大いに歓待されたが、村人の無礼に激怒し、大きな和邇へ変じた。

 

 和邇は村人を食らい尽くすと、海に出て魚を食らい、次に島々を食らった。

 

 これに村一番の漁師が立ち向かい、和邇を殺した。

 

 その後、祟りが起きた。民の多くが陸で溺れ死んだ。

 

 和邇は神として祀られ、鎮められたが、それでも祟りはやまなかった。民は次々に陸で溺れ死んだ。

 

 するとある日、和邇を殺した漁師の娘が海に呼ばれたと言い残し、姿を消すと、祟りがやんだ。

 

 以来、その漁師の血筋に生まれた娘には、海に呼ばれ、二度と戻らない呪いがあるという。

 

 その呪いを負う娘は代々、海の底で和邇を鎮めているとされ、鎮女(しずめ)と呼ばれる』

 

「ふーん……ん?」 

 

 ワニとシズメ。聞き覚えのある響きだ。守護霊みたいなものを連れた煮干し大好き女が頭に浮かぶ。

 

 興味が惹かれて更に情報を探ろうとするユリアだが、 

 

「ひゃっ?」

 

 着信だった。緊張していたところに不意打ちをもらって変な声が出る。

 

 設定は非通知。いつもなら切るところだが、最近出来た友達が携帯じゃなくて固定電話から掛けているのかもしれない。

 

 希望的観測で通話へスワイプ。

 

「もしもし」

 

『──』

 

 ざーん、ざざーん。波が浜辺に打ち寄せる、潮騒の音。

 

 いたずらかと訝しんでいるうちに、潮騒は繰り返す。なぜかユリアの頭に、通話を切る考えは浮かばなかった。

 

『ザザッ』

 

 不明瞭なノイズを最後に、通話が切れる。

 

 変ないたずら電話だった。無言でもなく、ただ波の音だけが響いて──

 

「あれ?」

 

 波の音はまだ響いていた。スマホからではなく、ユリアの頭の中にだ。イヤホンから音漏れしているような遠さでずっと鳴っている。

 

 きっと耳に残るとはこういうことなのだろう。夜も遅いので、ユリアは気にせず寝た。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 潮騒は翌朝になっても聞こえた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 海はそこにある

 

 

 



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