影浦、狙撃されたってよ (Amisuru)
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『日向坂撫子』1/2




乗るしかない
このワートリ杯(ビッグウェーブ)


よろしくお願いします。




 

 

 PM2:00、天候は晴れ。三門市某所、警戒区域内。

 界境防衛機関『ボーダー』の隊員4名が、防衛任務のために集まっていた。

 

 

「――はーい、それじゃ点呼取りまーす。辻ちゃん」

「はい」

「カゲ」

「…………」

「日向坂さん」

「は、はい!」

「うん、誰かさんと違っていい返事だ。それじゃひゃみちゃん、サポートよろしくね」

『了解』

 

 

 声の主はA級4位二宮隊所属の銃手(ガンナー)、犬飼澄晴である。

 今回の防衛任務は二宮隊の隊長・二宮匡貴と狙撃手(スナイパー)の鳩原未来が所用で不在のため、代わりに2名の隊員が組み込まれた『混成部隊』によって遂行されることとなった。

 A級6位・影浦隊隊長、影浦雅人。そして、フリーのB級隊員――

 

 

『――ま、初出勤なんだし気楽にやんなさいよ。ヒナタ』

「……お、おう」

 

 

 日向坂(ひなたざか) 撫子(なでしこ)

 数日前に正隊員へと昇格を果たしたばかりの狙撃手(スナイパー)である。

 

 

 

 

 日向坂撫子は六頴館高等学校1-A在学の16歳である。

 二宮隊のオペレーター・氷見亜季と同じクラスに属しており、彼女とは出席番号が隣同士ということもあり、かねてから親しい間柄にあった。撫子がボーダーに入隊したのも彼女の影響である。

 

 

『――え、ひゃみってボーダー隊員だったの!? まだ高1なのにすごくない!?』

『ボーダーで高1って言うほど若くもないけどね。ていうかあんたも嵐山隊なら知ってるでしょ? 私の前に綾辻さんがいるじゃん、同じクラスのボーダー隊員が』

『や、そうなんだけど。それこそ綾辻さんはあたしにとってクラスメイトの前にテレビの中の有名人だったから、実はひゃみもそうでしたって明かされるのは驚きの度合いが違うっていうか』

『あとウチのクラスだと栞もボーダー隊員だよ』

『マジかー……たけのこみたいに生えてくるなボーダー隊員……』

『あ、たけのこで思い出したけど隣のクラスの奈良坂くんもそう』

『なんでたけのこで思い出すのが奈良坂くんなの?』

 

 

 きのこじゃないの? 髪型的に。

 とにかく、きのこたけのこの如く生えているのならなでしこが生えていてもいいだろう、などと思った訳ではないが、ボーダー隊員が意外と身近な存在であることを知った撫子は、もしかしたら自分にもワンチャンあるんじゃないかと半ば勢い任せにボーダーの入隊試験に参加した。

 そして受かった。

 ただ一つ誤算があったとすれば、オペレーターではなく戦闘員としての素養に期待されての採用だった、ということである。

 

 

『どうしようひゃみ、あたし生まれてこのかた刀も銃も握ったことなんかないのに』

『この日本でそんなもの握ったことある16歳女子がいたら逆に怖いわ』

運動音痴(うんち)同士ひゃみと仲良くパソコンかたかた出来ると思ってたのに!』

『うんち言うな。まああんた結構トリオン凄いんでしょ? 二宮さんや出水くん以来の逸材だって早くも噂になってるよ。射手(シューター)にでもなればいいじゃん、シューター』

『あのトリオンキューブとかいうのあたしが出すとすぐ勝手にどっか飛んでくんだけど……』

『だったら銃手(ガンナー)は』

『なんか乙女のポジションじゃないような気がする』

攻撃手(アタッカー)……』

『うんちだぞ』

『あんたそれでよく自分のこと乙女だとか言えるよね』

 

 

 で、最終的に『遠くから一方的に相手のこと撃ち放題できるなんてサイコー!』などという(シールド)のシの字も知らない素人の発想で選んだポジションが狙撃手(スナイパー)だった。工作員(トラッパー)の存在を知ったのは入隊から数週間後のことであった。『教えたところでヒナタに罠を使いこなせるだけの賢さがあるとは思えなかった』というのが後の氷見亜季の主張である。

 閑話休題。

 これ幸いと飛びついた狙撃手(スナイパー)というポジションであったが、悲しいことに日向坂撫子は狙撃の才にも別段恵まれてはいなかった。合同訓練では常に成績最下位に居座り続け、枕を涙で濡らす日々を過ごしていた。

 そんな友人を見るに見かねたのが氷見だった。チームメイトの鳩原未来に『今が一番大事な時期なのは解ってるんですけどどうかこのへっぽこ狙撃手(スナイパー)に狙撃の何たるかを教えてやって下さい』と頭を下げ(その隣で撫子は土下座していた)、何卒この日向坂撫子を鳩原未来の()()弟子にと推したのである。

 鳩原はこれを了承し、晴れて撫子はA級狙撃手(スナイパー)の師を得ることに成功した。先にいた一番弟子の少年に疎ましがられながらも撫子なりに根気強く教えを乞い、来る日も来る日も引き金に指を掛け続けること数ヶ月、晴れて狙撃手(スナイパー)の昇格条件(3週連続合同訓練で上位15%以内の成績を収める)を満たしたのが数日前のことであった。

 

 

 で。

 

 

う……ウォアアアァ―!! やったよひゃみぃー! 師匠ォー! ユズル兄さぁーん!!』

『点数ギリギリ過ぎ。オレが手抜いてなかったら落ちてたでしょ。ていうかその兄さんって呼び方いい加減やめてほしいんだけど』

『兄さん……あたしのためにわざわざ自分の成績を落とすような真似までして……ちなみにユズルくんを兄さんって呼ぶのは君があたしの兄弟子だからだよフフフ……』

『その理屈で言うとあたしもレイジさんのことを兄さんって呼ばないといけなくなっちゃうなあ』

『鳩師匠……あたしみたいなひよっこ狙撃手(スナイパー)がこの冴えないC級服を脱げるようになったのも全て師匠のおかげです……この御恩は一体どうやって返せばいいのやら……』

『ナデコは大袈裟だね。……えっと、そういうことなら一つ、お願いしちゃってもいいのかな』

『はっ。この鳩原未来様の忠実なる下僕2号に何なりと』

『それ1号オレのことじゃないよね?』

『……あたしは、誰かを下僕扱いできるほど大層な人間じゃないよ』

『――師匠?』

『あ、ごめんごめん。それでねナデコ、あたしのお願いなんだけど』

『押忍!』

『今度の防衛任務、あたしの代わりにナデコに出てもらってもいいかな?』

押ォ忍!! …………えっ?』

 

 

 

 

 ――かくして今に至る。

 

 

「うぅぅ……まさかいきなりA級の皆様方と一緒にお仕事だなんて……こんなん絶対あたしが足引っ張るやつやん……もぅマヂ無理。ベイルアウトしよ」

「日向坂さんのJK観ふっるいなー」

「現役なんですけど!?」

「おっ、ノってくれる子だねえ。これは弄り――もとい、絡み甲斐がありそうだ。OK、その調子でリラックスしていこう」

 

 

 へらりへらりと薄笑いを浮かべて渾身のツッコミを受け流した目の前の金髪黒スーツ男に、撫子は思った。この先輩には気を許さないようにしよう、と。

 犬飼澄晴。同じ六頴館に通う一つ上の先輩だが、まともに会話をしたのは今日が初めてである。どんな時でも余裕あり気な薄ら笑いを浮かべている典型的チャラ男マンというのが第一印象であったが、悔しいことに顔が良い。初対面の自分をいきなり弄ってくるコミュ力の高さといい、間違いなく『陽の者』だろう。つまりはあたしの敵だ、敵。

 

 

「ま、A級って言っても友達のひゃみちゃんが付いてるんだし心細くはないでしょ。それにほら、クラス違うみたいだけど同級生の男子もいるわけだし」

あっ……その…………ろしくぉねがぃ……ます……

「辻くん。大丈夫。大丈夫だから。無理しなくていいから。ひゃみからちゃんと話聞いてるから。半径1m以内には近寄らないようにするから」

 

 

 ムーンウォークで距離を取りつつ、黒髪の赤面少年を宥めかける。犬飼先輩と並ぶと何とも対照的な二人に見えるなあ、辻新之助くん。

 異性が苦手という話は前もって耳にはしていたが、先程までの引き締まった表情がこちらと目を合わせた瞬間に見る見る崩れていってしまった。微かに抱いていた『格好良い人』という印象は刹那で消し飛んでしまったが、代わりに『あたしが守護(まも)らねばならぬ』という保護欲はむんむん湧いてきた気がする。

 だからその照れ顔をやめなさい辻くん。なんていうかこう、悪い趣味に目覚めそうになるから。あたしの中のSが騒ぐから。もっとその顔が見たくなっちゃうから。わさわさ。わさわさ。

 

 

「ひゃみ――辻くんってなんか、そそられるね」

『……あんたも栞や小南と同類だったか……』

 

 

 あ、宇佐美さんってそういうキャラだったんだ。同じクラスなのにあんまり絡む機会がないまま進級間近になっちゃったけど、ボーダー仲間になった訳だしこれからはもっと仲良く出来るかな。

 ところでコナミって誰? 遊戯王カードとか刷ってる人?

 

 

「…………チッ」

 

 

 その時。

 黒服の二人の更に後方、沈黙を貫いていたぼさぼさ頭の男の口から、舌打ちが漏れたのを撫子は聞き逃さなかった。

 そういえばこの男は何者なのだろう。二宮匡貴――二宮隊の本来の隊長は任務の直前に急用が入ったとかで出られなくなったらしく、代役として犬飼が探してきたのがこの人物だと聞いているのだが……どうにも二人の関係が良好には見えない。さっき名前呼ばれた時も無反応だったし。

 

 

「あれ、なんかご機嫌ナナメだねカゲ。ロビーで対戦相手もいなくて暇そうだったから声掛けてあげたのに」

「うるせー。鋼も荒船も見当たらねーし小銭稼ぎも悪くねェと思っただけだ」

「あー、カゲって基本給はきっちり家に入れてるんだっけ。キャラに似合わず家族思いだよねえ」

「……オイ、誰から聞きやがったその話」

「ゾエだけど?」

「あの野郎……」

 

 

 遠くに見える本部基地の方をぎりりと睨み付けるぼさぼさ頭の人。ただでさえ悪い目つきが更に鋭くなってしまった。よく見ると何だかギザギザした歯をしているし、まるで野生の猛獣か何かのような印象を受ける。

 あれ、でもなんか今の話だけ聞いてると割といい人っぽくない? 孝行息子じゃない? と少しだけ感心しながら視線を向けたところで、男の首がこちらの方へと向いた。

 視線が合う。

 ……うわー、やっぱり目つき悪っ。ていうか明らかにヤンキーだわヤンキー。因縁付けられないように大人しくしてなくっちゃ……くわばらくわばら。

 

 

「……うざってえ」

 

 

 ぼそりと吐き捨てて、ぼさぼさの人が踵を返す。苛立たし気にぼりぼりと頭を掻きながら、独りでずんずんと先を歩いていってしまう。

 ……あれ、あたし今そんな露骨に態度に出してたかな。なんとも思われないようにさり気なーく目を逸らしたつもりだったんだけど。勘が鋭いのかしら。

 

 

「おーい、新人(ルーキー)の教育も兼ねてるのに先輩の方が団体行動乱すのやめてくれない? ていうかまだ挨拶も済ませてないでしょうが」

「知るか。狙撃手(スナイパー)なんだろそいつ、攻撃手(アタッカー)と並んで歩かせてもしょーがねェだろーが。オラ辻、てめーも行くぞ」

「……ま、辻ちゃん的にもそっちの方がいっか。それじゃカゲと辻ちゃんが前衛(フロント)、おれと日向坂さんは後衛(バックス)ってことで」

「――了解です」

 

 

 いつの間にやら落ち着いた表情を取り戻していた辻が、犬飼の指示に応じてぼさぼさ頭の後を追う。うん、やっぱりキリッとしてると格好良いぞ辻くん。一粒で二度おいしい。

 ああでも、格好良いと言えば――

 

 

(……ぼさぼさ頭の人も、傍から眺める分には割と好みのタイプかも。直接睨まれると流石に怖いけど)

 

 

 そんなことを思いながらもう一度ぼさぼさ頭の背中に視線を送ると、遠ざかっていく彼の肩が、微かにびくりと震えたような気がした。

 なんだろう、寒がりなのかな。トリオン体だし寒さとか平気な筈じゃない?

 変な人。

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、犬飼先輩」

「うん? 何かな日向坂さん」

「暇です」

「まあ、暇だろうねえ」

 

 

 防衛任務開始から10数分。撫子ら4人は黙々と、警戒区域内の巡回に当たっていた。

 現状、至って異常なし。近界民(ネイバー)の湧く様子も一向になし。防衛任務というよりは、パトロールとでも言い換えた方が正しいのではないだろうか。そんなことを撫子は思っていた。

 

 

「防衛任務っていっつもこんな感じなんですか?」

「戦闘してる時間よりも散歩してる時間の方が長いのは事実かな。シフト中、ひっきりなしに(ゲート)が開いてるってワケでもないし」

「思ってたんと違う……」

「ま、おれたちみたいな子供でも務まる仕事だって考えたらこんなもんでしょ。本気の戦争やるんだったら大人に出張ってもらわないと」

『新人の前で職場を揶揄するような発言は控えた方がいいと思うよ、犬飼先輩』

「あらら。ひゃみちゃん聞いてたの」

 

 

 そりゃオペレーターなんだから聞いているでしょう、とはまかり間違っても口にはしない撫子である。日向坂撫子は目上の人間を立てられる女なのだ。

 とはいえ、こうも暇だと雑談タイムに興じたくなってしまうのが、年頃女子の習性というものなわけでありまして。

 

 

「……えっと、今のうちに他のことも色々と聞いておきたいんですけど」

「随分とかしこまるねえ」

「仕事とあんまり関係ない質問になっちゃうんで。……その」

 

 

 ちらり、と。

 のっしのっしと遠方を往く、ぼさぼさ頭に視線を向けて。

 

 

「――あのひと、一体どういう人なんですか?」

 

 

 聞こえないように口にしたつもりだったのだが、丁度同じタイミングで彼がぼりぼりと頭を掻くのが見えた。まあ、単なる偶然だろう。

 

 

「ああ、カゲね」

「犬飼先輩のお友達……なんですよね?」

「うん、友達友達。ランク戦中に声掛けたらうるせェ死ねって言われるくらいには仲良いよ」

「わー、男子の友情って殺伐としてるぅー……」

『まあ女子も見えないところじゃ大概アレだけどね』

「あたしとひゃみは違うよね!? ね!?」

『私はあんたに腹立つことがあったら直接怒るから』

「ならばよし!」

 

 

 でもお手柔らかにお願いします。心の中でそっと撫子は付け加えた。だって怒った時のひゃみって怖いんだもん。氷見さんが氷見(冷え切った目でじっとこちらを見据えてくるの意)してくるんだもん。あの圧は実際に体験したら震え上がるよ、ほんと。

 

 

「うんうん、陰口は良くないね。言いたいことがあるなら本人に直接言うのが一番だ。――カゲが相手なら尚更ね」

 

 

 相変わらずの薄ら笑いを浮かべながら、犬飼もまた先を行くぼさぼさ男の背中を眺めている。

 それにしてもこの人は、何がそんなに楽しくていつでも笑みを浮かべているのだろうか。本当に見た目通り、四六時中心の中でも笑っているのだろうか?

 まあ、それはさておき。

 

 

「でも、あのひとに直接何か文句言うのって度胸いりますよね」

「おや、なんで?」

「だって、その……」

 

 

 ぎろり、と。

 そんな効果音がよく似合う、あの鋭い眼光に射抜かれた時のことを思い出して。

 

 

「あのひと、ちょっと、怖いじゃないですか。……目つきとか、雰囲気とか」

 

 

 野生の猛獣のような印象――なるほど、確かに虎やライオンは格好良いし、檻の外から鑑賞物として眺める分には魅力的だろう。

 しかし、それが野良に放たれていて、すぐ傍で牙を剥き出しにしていたとしたらどうだろう? それでも貴方は、その猛獣に触れてみたいと思えるだろうか?

 

 

 あたしはそうは思わない。

 だから、あのぼさぼさ頭の男の人は、怖い。

 

 

 それが、日向坂撫子の影浦雅人に対する、現時点での偽らざる本心であった。

 

 

「んー……やっぱり、そういう風に思っちゃうよねえ。女の子なら尚更」

 

 

 そして犬飼は尚も笑っている。

 笑っているが――不意に撫子は気付いてしまった。

 よく見るとこの男、笑みらしきものを浮かべているのは口元だけで、眼差しの方はてんで緩んでなどいない。

 その瞳が、ぼさぼさ頭の男から、撫子へと向けられる。

 

 

「あのさ、日向坂さん――『サイドエフェクト』の説明は、もう受けた?」

「あ、はい。入隊試験に受かった後、お医者さんのとこ行かされて、その時に」

 

 

 ボーダー隊員が使用する兵器『トリガー』を使用するためのエネルギー、トリオン。

 高いトリオン能力を持つ人間は、トリオンが脳や感覚器官に影響を及ぼして、稀に超感覚を発現する場合があるという。それらの超感覚を総称して、『サイドエフェクト』と言う。そのように、撫子は教わっている。

 

 

「あたしも調べてもらったんですけど、残念ながら何にもなかったんですよね。凄いトリオンだーって持ち上げられた割にはおまけの方は何もなしって、攻撃力だけいっちょ前の無能力(バニラ)のモンスターみたいで微妙な感じです。ブルーヒナタホワイトナデシコです」

「あれ今じゃ結構強いって話も聞いたことあるけどなあ。詳しくないけど――それはそれとして、日向坂さんは自分にサイドエフェクトがなくて残念だって思うんだ?」

「だって超感覚ですよ? 超感覚! なんていうかこう、頭の横にぴきーん! ってエフェクトとSEが入って危険を察知できたりとか、スパイダー感覚(センス)がビンビンに反応しちゃう的なそういうアレですよね? そんなの、ロマンじゃないですか……」

『犬飼先輩。この子ちょっとオタク趣味なんで』

「うーん、それも広く浅く系と見た。……日向坂さん、『サイドエフェクト』を日本語に訳すと、どういう意味になるかわかるかな」

「ふふん、あたくしもこう見えて六頴館ですわよ先輩」

『六頴館組の頭の程度が疑われそうなキャラ作りするのやめて』

 

 

 あたしの親友が冷たい。撫子は心でそっと涙した。さめざめ。

 

 

「『副作用』……ですよね?」

「そう。君が何か不思議な力に目覚めたとして、超感覚だって言われたら確かにワクワクするかもしれないけど、大きな力の()()()だって言われたら――なんか、不安に思わない?」

「それは、まあ、確かに」

 

 

 副作用。いかにも代償だのリスクだのが付き纏いそうな単語である。便利なだけの力ではない、ということなのだろうか。そこまで詳しい説明は医者もしてくれなかった。

 

 

「カゲ――フルネームは影浦雅人っていうんだけど、あいつも()()()()()なんだよね」

「――え」

「そのせいでまあ、色々と苦労してるわけ。もっとも、それを理由にカゲのことを特別扱いなんかしてあげないけどね、おれは」

『犬飼先輩はもう少し、影浦先輩との接し方を考えた方がいいと思うんだけど』

「それはムリ。おれはゾエや仁礼ちゃんほど人間できてないし、結局カゲに受け入れられるのってああいう『いいひと』だけでしょ? それはもうおれじゃなくてカゲ自身の問題だし、おれの方でどうにかしようったってどうにもならない話でしょ。ムリなものはムリ。それだけ」

『それが理解(わか)っててよく平気な顔であの人に絡んでいけるよね』

「バカだって思う? ひゃみちゃん」

『どっちかっていうとMなんだなって思う』

「その認識は流石にイヤだなあ」

 

 

 そう言ってまた、薄ら笑い。

 心なしか今までの笑みに比べて、やや自嘲的な印象を受ける、乾いた笑みだった。

 

 

「……えーっと」

 

 

 置いてけぼりを食らったような気分で、それでも撫子は口を開く。

 影浦雅人。サイドエフェクトを持つ男。彼を苦しめ、そしておそらくは犬飼と犬猿の仲になっている原因でもある筈の副作用(サイドエフェクト)とは、一体何なのだろう?

 ……どうでもいいけど、犬飼先輩と犬猿の仲だっていうと影浦先輩の方がまるで猿みたいだ。等と下らないことを思いつつ、核心に触れる質問を切り出そうとしたその瞬間――

 

 

 警報(サイレン)が、鳴り響いた。

 

 

「――!?」

「お、ようやくお出ましだね」

 

 

 反射的に身体を強張らせた撫子に対して、待ち合わせに遅れた友人を出迎えるかのような呑気な口調で犬飼が空を見上げる。前方の辻、そして影浦も、足を止めて視線を虚空に投げていた。

 青空に黒い染みが浮かび上がったかと思うと、バチバチと音を立てながら染みが広がっていき、巨大な黒円となる。(ゲート)。『近界民(ネイバー)』と呼ばれる異世界からの侵略者たちが、今からこの扉を潜って姿を現すのだ。

 

 

(ゲート)発生。(ゲート)発生。座標誘導、誤差3.90。近隣の皆様はご注意ください』

「きっ、ききき来た……!」

「1、2、3――おー、今日は結構大量だねえ。稼ぎが増えるよ! やったねヒナタちゃん!」

「その言い回しやめて下さいよォ!!」

 

 

 しかもどさくさに紛れて呼び名が変わっている。なんて自然に距離を詰めてくる男なのだろう。そんなことを思いつつ、撫子は(ゲート)から現れた異形の者達へと視線を向けた。

 捕獲型(バムスター)×4、戦闘型(モールモッド)×2、更に飛行型(バド)が多数――少し離れた方にも別の(ゲート)が開いている。砲撃型(バンダー)が、1体。

 え? 多くない? これ4人だけじゃ足りなくない? 第1話からいきなりハードモードじゃない? 撫子は戦慄した。

 

 

(ゲート)の封鎖を確認。第一波はこれで全部みたい』

「んー、バドが多くて面倒だねえ。カゲじゃなくて炸裂弾(ゾエ)連れてきた方が良かったかな」

『てめーで引っ張ってきといて文句垂れてんじゃねーぞコラ』

「ま、責任持ってバドは全部おれが落とすよ。カゲと辻ちゃんは近くの地上組を相手して、日向坂さんはあっちのバンダーを片付ける。いいね?」

『辻了解』

『チッ、てめーが仕切ってんじゃねェ……!』

 

 

 悪態を吐きながらも即座に傍の捕獲型(バムスター)へと突っ込んでいく影浦。辻もその後に続いていく。流石はA級、動き出しが早い――

 等と感心している場合ではない。自分も仕事を割り振られているのだ。遠方のバンダー――幾つかの民家を挟んで、数十メートルほど先の道に降りてきている。ここから目視で存在を確認出来るということは、即ち射線が通っているということだ。犬飼の割り振りは妥当であると言えた。

 

 

「お――おーし! いっちょやったるぞー!」

「ま、気合入れるのもいいけど肩に力が入り過ぎないようにね。どうせやられても緊急脱出(ベイルアウト)があるんだし、生身に危険が及ぶわけじゃない。のんびり行こう」

「お、押忍……」

 

 

 気勢を削がれてしまった。こんな緩い調子で仕事をしていていいのだろうか、界境防衛機関。

 とはいえ、確かに気負い過ぎるのは良くない。師の鳩原にも教えられたことだ。『狙撃のコツはスコープの中に映ってるものを的以外の何とも思わないことだよ』と。標的が近界民(ネイバー)だから、人間だからと意識し過ぎると狙撃の精度はブレやすくなるのだという。

 

 

『あたしもそれで一度()()()()()から』

 

 

 そう言って、ばつが悪そうに笑っていた彼女のことを、不意に撫子は思い出した。

 

 

 狙撃銃(イーグレット)を肩の位置に構える。ボーダーの狙撃用トリガーは3種類存在するが、撫子はまだイーグレット以外のトリガーを使ったことがなかった。一応他の2種類も装備(ビルド)には入っているが、まずは使い慣れた相棒を頼りにさせてもらおう。

 

 

隠れ蓑(バッグワーム)は……まあ着なくていいよね)

 

 

 砲撃型(バンダー)をスコープに捉える。周囲をきょろきょろと窺っており、こちらの存在には気が付いていないようだ。

 肩に力が入り過ぎないように。犬飼はそう口にしていたが、流石にやはり緊張する。もし外してしまったらどうなるのだろう。たちまち怪物の顔がこちらへと向いて、口から放たれた砲撃が自分の身を粉々に――

 ああでも、緊急脱出(ベイルアウト)があるんだっけ。ていうかそもそも近界民(ネイバー)は口の中が弱点だっていうし、むしろさっさとこっち向いてもらった方がいいんじゃない?

 

 

 丁度そんなことを考えたタイミングで、スコープ越しに砲撃型(バンダー)と目が合った。

 『僕の顔をお食べ』と言われているような、そんな気が、した。

 

 

「――――」

 

 

 引き金は、思ったよりもあっさりと引けた。

 イーグレットの銃口から放たれたトリオン粒子の弾丸が、寸分違わず砲撃型(バンダー)の口内に着弾する。『目』と呼ばれる近界民(ネイバー)の弱点部分(口の中にあるのだがとにかく目と呼ぶらしい)に穴が空き、もうもうと黒煙を吐きながら砲撃型(バンダー)がゆっくりと崩れ落ちるのを確かめて、撫子は快哉の雄叫びを上げた。

 

 

「いよっしゃあ――!!」

『おー。初戦果』

「見た? 氷見さん今の見ました? あたし近界民(ネイバー)倒しちゃったよ! このあたしが! どや!」

『まあ近界民(ネイバー)っていうかただのトリオン兵なんだけどね」

「トリオン……Hey……?」

『後で説明してあげる。一応まだ敵が残ってるし』

 

 

 そうだった。一仕事終えた気分になっている場合ではない。まだすぐ隣で犬飼が、そして影浦と辻が戦っているのだ。彼らの援護をしなければ――慌ててスコープから顔を引き剥がした撫子の耳に、

 

 

「ナイスキル」

 

 

 年頃の女子に投げかけるには、やや物騒にも思える賞賛の一言が飛び込んできた。犬飼である。

 

 

「あっ、はい。ありがとうございま――うわ、かっけえ!!」

佐伯(サエ)くんみたいなリアクションするなあ日向坂さん」

 

 

 相槌を打ちながら、犬飼は空の飛行型(バド)軍団に向けて引き金を引き続けている。突撃銃型の通常弾(アステロイド)と、キューブ型の誘導弾(ハウンド)による両攻撃(フルアタック)。その弾幕の厚みはかなりのもので、空に湧く飛行型(バド)の群れが次から次へと撃ち落とされていく。この残骸たちって一体誰が掃除するんだろう、と至極どうでもいいことを撫子は思った。

 

 

「うはー……一斉射撃だぁー……銃身が焼け付くまで撃ち続けてやるって感じだぁ……こんな風に戦場の真ん中で無双したいだけの人生だった」

『あんた銃手(ガンナー)は乙女のポジションじゃないとか言ってなかった?』

「よく考えたらセーラー服と機関銃なんて小説もあったなあってことを不意に今思い出しました」

「やっぱり日向坂さんって歳誤魔化してない? ――ま、見ての通りおれの方は問題ないよ。カゲと辻ちゃんの方も……ああ、もう終わりそうだね」

「なんですと?」

 

 

 言葉に釣られて、視線を遥か前方に移す。

 真っ先に目に入ったのが、胴体を横一文字に両断されて沈黙している2体の捕獲型(バムスター)だった。更にその奥、突進してくる戦闘型(モールモッド)を前に悠然と佇む辻の横顔が見える。鞘に納めた日本刀型トリガーの柄を握り締めるその精悍な顔付きは、撫子の前で赤面の至りを演じた少年のそれではなかった。

 辻の口元が微かに揺れて、何事かを呟いているのが見える。その単語を聞き取ることは撫子には叶わなかったが、辻の手にするトリガーの名を知る者であれば、誰もがその七文字を察することが出来ただろう。

 

 

『旋空弧月』

 

 

 瞬間、横薙ぎに振るわれた辻の(ブレード)トリガー――弧月の刀身が急激に伸びていき、3、4mほど先に迫っていた戦闘型(モールモッド)を真っ二つに斬り捌いた。凄まじい威力に驚嘆するのと同時に、なるほど、そこで死んでる捕獲型(バムスター)くん達もこんな感じでぶった斬られたんだなあ……と納得する撫子だった。

 ていうかすごい。戦闘型(モールモッド)って他の近界民(ネイバー)よりも段違いで強いって聞いてたのに、瞬殺じゃん。つよい。強いぞ辻くん。辻くんはモールモッドより強い。辻くんはモールモッドより強い! おい聞いてるかそこの有袋類(コアラ)!?

 

 

「きゃ――――!! 辻く――――ん!! 抱いて――――!!」

えっ!? だっ……あっ……あっあっ……

『ヒナタ。辻くんをおもちゃにしない』

「いや、そんなつもりはなくて素で居合斬りに興奮したのだ」

「うーん、イコさんと日向坂さんを引き合わせたらまた愉快なことになりそうだなあ」

『犬飼先輩。ボケとボケを組み合わせると収拾付かなくなりそうだからやめて』

 

 

 見ると、犬飼も既に全ての飛行型(バド)を狩り尽くした後のようだった。二桁以上は飛んでいたのに、本当に一人で全部撃ち落としてしまったらしい。こちらもまた大したものである。

 そうなると、残るは――

 

 

「……あれ?」

 

 

 頬を朱に染めて明後日の方向を向いている辻の更に後方、両手を隊服のポケットに突っ込んで、気怠そうに背中を壁に預けているぼさぼさ頭――影浦雅人の姿があった。

 ……違う。壁ではない。口から煙を吐いて沈黙している捕獲型(バムスター)の亡骸だった。すぐ傍には、もう1体の捕獲型(バムスター)戦闘型(モールモッド)も同じように転がっている。辻の斬り伏せた3体とは異なり、目立った外傷が見受けられない3つの残骸。

 一体、いつの間に。辻よりも早く、獲物もなしに3体もの近界民(ネイバー)を仕留めてみせたというのだろうか。いやそんな筈はない。流石に何かしらのトリガーは使っていたに違いないのだが……肝心なところを見逃してしまった。

 しかし流石に、犬飼が自分の隊長に代わって連れてきただけのことはある。やはりこの男もA級に相応しい実力者なのだ。

 それだけに尚更、戦ってるところをちゃんと見ておきたかったなあ――と、影浦に対する関心をやや強めながら視線を送ると、退屈そうに地面を眺めていた彼の眉がぴくりと動いて、またしても撫子と視線がぶつかり合った。

 あ? 何見てんだコラ。あ? ……そんな幻聴が聞こえた気がして、慌てて撫子は視線を切った。

 見てません。見てませんよあたしは。あなたに興味なんか微塵もないです。そのぼさぼさの髪の毛を泡立ててわしゃわしゃしたら楽しそうだなあとか欠片も思ってないですから。いや、本当に。

 

 

「……ケッ」

 

 

 短く吐き捨てて、またしても一人ですたすたと歩いていってしまう影浦。恐る恐る視線を戻し、遠ざかっていく後ろ姿を眺めてみる。

 無言の背中が、誰も傍に寄るなと訴えているような、そんな風に見えた。

 

 

「……うーん」

 

 

 なんだろう。

 あの鋭い目で見据えられると、確かに怖い。ちらりと見え隠れする尖った歯が怖い。噛みつかれるんじゃないかって、びくびくする。するのだけれど。

 

 

(……そんな見た目でも、にこにこ笑ったり可愛げのあるところを見せてくれたりしたら、こっちだってこんなにびくびくしないと思うんだけどなあ)

 

 

 例えばそこの、黒服の男たちのように。

 それが出来たら苦労はしないとでも言うように、影浦雅人はがしがしと、鬱陶し気に頭を掻いていた。

 

 






主人公:日向坂撫子
ポジション:狙撃手(スナイパー)
トリオン:13
攻撃:7
防御・援護:1
機動:2
技術:6
射程:7
指揮:1
特殊戦術:1
トータル:38

トリガーセット
メイン:イーグレット、アイビス、シールド、ライトニング
サブ:バッグワーム、FREE TRIGGER、シールド、FREE TRIGGER


ク ソ ザ コ ナ メ ク ジ 花 子


防御・援護(味方を支援・防御する能力)の数値に注目していただくと後編の展開が受け入れやすくなるものかと思います。
それでは、ワートリ杯楽しんでまいりましょう。





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『日向坂撫子』2/2



ワートリ杯、他の作者様方の作品も楽しく拝読させていただいております。
たくさんワートリが読めて幸せなのでこの1週間を永遠にしたい

今回の独自解釈
①アイビスでバムスターの装甲は抜ける(ラービットにアイビスを弾かれた東さんが『アイビスを弾いただと……!?』と驚いていたことからの推測)
②モールモッドはバムスターよりも脆い(遊真のトリオンとはいえ訓練用のレイガストでもばっさり斬れたことから推測。どっちかというと展開のためのこじつけ)

以上の2点を前提としてお進み下さい。




 

 

それでは、今日のその時です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後は再び警戒区域内を見回り(散歩し)つつ、散発的に開く(ゲート)から湧き出る近界民(ネイバー)を千切っては投げ、千切っては投げの繰り返し。

 初めの頃は(ゲート)が開く度にびくりと身を震わせていた撫子も、数をこなす度に少しずつ緊張が解れていき、新たに3体もの近界民(ネイバー)を狩ることに成功していた。

 

 

 されど、安定の次は更なる上乗せを求めてしまうのが人間の性なわけでありまして。

 

 

「……むー」

 

 

 ――動いている敵の弱点を狙い撃つのって、しんどい。

 ある意味、狙撃手(スナイパー)最初の壁とでも言うべき難題に、撫子は今ぶつかっていた。

 

 

「普通の狙撃訓練は距離遠くなるだけで的自体は動かないし、補足掩蔽とかレーダーサーチは的のどっかに当たれば得点になるけど――実際の近界民(ネイバー)って頭揺れるしそもそも口の中こっちに向けてくんないし、違うゲームやらされてる感がすっごい……」

『そりゃ、狙撃に限らず何だってそういうものでしょ。練習と本番が別物なのは』

「あたしは我慢弱く落ち着きのない女なのだ!」

『あんた本当に狙撃手(スナイパー)やる気あんのか』

 

 

 わからない……あたしは何となくで狙撃手(スナイパー)をやっている……いや、鳩原先輩(お師匠様)も確かこんなことを言っていたけれど。

 

 

『"狙撃手(スナイパー)の仕事の9割は、撃てる機会(チャンス)をじっと待つことだ"……なんて言葉があるらしくってね。なかなか標的(ターゲット)がこっちを向いてくれなかったり、そもそも照準を合わせることすら難しい時もあったりするけど――そういう目標を上手い具合に撃ち抜けると、なんていうか、ほっとするよ』

 

 

 狙撃手(スナイパー)って片思い中の女子みたいだなあ、などとズレた感想を抱いたことを撫子は思い出した。ついでに、あたしのお師匠様は喜び方が謙虚だなあ、なんてことも。

 だって、『スカっとする』とか『気持ちが良い』ならわかるんだけど、『ほっとする』って言い方はあんまりしないと思うんだよね。

 まるで師匠はいっつも、何かに怯えながら狙撃手(スナイパー)をやっているみたいだ、そんなのは。

 

 

「随分と目玉狙いに拘ってるねえ、日向坂さんは」

 

 

 と、よくわからない反応を返してきたのは犬飼である。ちなみに辻は相も変わらず、影浦と共に先行している。何度か視線を合わせる機会はあったのだが、その度に赤面しては露骨に顔を逸らされる始末であり、当面はまともなコミュニケーションを取れる気配がなかった。流石にいきなり『抱いて――!!』は攻め過ぎたか……と反省する撫子であった。

 

 

「拘るも何も、そこ以外狙ってもあんまり攻撃通んないじゃないですか。特に捕獲型(バムスター)は」

「ま、確かにバムスターは『頑丈だけが取り柄です!』みたいなとこあるけど――キミのトリオンなら、ある程度はゴリ押しが効くんじゃないのかな?」

 

 

 犬飼、撫子の手にする狙撃銃(イーグレット)をこれ見よがしに指差して、一言。

 

 

「それ以外にも持ってるでしょ、狙撃用トリガー」

「……あー」

 

 

 アイビスかあー……と、思わず渋い顔になる撫子である。

 確かに、持っている。ライトニングと合わせて持ってきてはいる。が、今一つ気乗りがしない。そう思いつつも、手持ちの装備をイーグレットからアイビスへと切り替えてみる。

 ずしり、と。生身と比べて筋力が向上している筈の戦闘体でも、無視出来ないレベルの重みが掌に襲い掛かる。イーグレットよりも厚みの増した外観、肥大化した銃身はもはや()()と言い換えた方が相応しいほどで、なんというか、見た目からして殺意に満ち溢れている。

 近界民(ネイバー)必ず殺すトリガー。それが、日向坂撫子のアイビスに対する印象であった。

 

 

「ああ……あたしのイーグレットちゃんがこんなに厳つくなっちゃって……」

『そんなに軽いトリガーがいいならライトニングに乗り換えればいいのに』

「あれはなんか見た目がおもちゃっぽくてカッコ悪いから嫌」

 

 

 ※個人の感想です。

 

 

「それはそれとして、実はあたしってまだ撃ったことないんですよ、アイビス(これ)

「ああ、最近昇格したばっかりなんだっけ。C級はトリガー一個しか使えないもんねえ」

「いえ、一応訓練中に試し撃ち出来る機会はあったんですけど、お師匠様から止められてたのもあって」

「鳩原ちゃんが? なんでだろ」

「『ナデコはトリオン多いから、基礎が固まる前にアイビス持たせると火力頼りの雑な狙撃が身に付いちゃいそうで不安』みたいなことを言われました」

『ああ……』

 

 

 氷見さん。そこで『確かに……』とでも言いたげな納得感に満ちた相槌を挟むのは止めていただけますか氷見さん。撫子は深い悲しみに包まれた。

 

 

「なるほどね。流石に狙撃のこととなると鳩原ちゃんはストイックだ」

「実際、そんなに威力違うものなんですか? イーグレットとアイビスって」

「うーん、そこは撃つ人のトリオンにもよるけど――並の隊員が使っても、捕獲型(バムスター)の装甲を抜いてダメージ与えられるくらいの火力は出るよ。少なくとも今のところ、アイビスを弾ける硬さのトリオン兵っていうのはおれは見たことないなあ」

「ほえー……」

 

 

 マジか。そんなに出来る子なのかねキミは。両手に抱えた無骨な相棒への見る目が少しばかり変わった撫子である。このごっつい見た目は伊達じゃないんだなあ。

 試しに構えてみる。……やはり重い。イーグレットと同じ感覚で保持しようとすると腕が震えてしまいそうだ。銃身の付け根に二脚が付いているので、これを支えにするのが無難だろうか。でも長さ的にしゃがまないと撃てないよねこれ。

 

 

「お、試し撃ち?」

「いやあ、いくら放棄地帯だからって近界民(ネイバー)もいないのにトリガーぶっぱは流石にしませんって。ただその、ちょっとしたイメトレというかなんというか――」

 

 

 言いながら、雲一つない空の彼方へと照準を合わせる撫子。目標・仮想大型近界民(ネイバー)。スコープを覗き込み、その向こうで怪獣の如く暴れている捕獲型(バムスター)の姿を想像してみる。

 おのれ、三門を荒らすにっくき侵略者どもめ。我が必殺の一撃を受けてみよ――と、仕様もない妄想に耽っていると。

 

 

 

(ゲート)発生。(ゲート)発生。座標誘導、誤差0.36――』

 

 

 円形の視界を埋め尽くすように、スコープの中の景色が(ゲート)による漆黒で染め上げられる。

 そして顔を出す、最早お馴染みの捕獲型(バムスター)。地に降り立ち、スコープの中で大口を開けて佇むその様は、撫子が思い描いていた仮想敵の姿と完全に一致していた。

 

 

「おや、日向坂さんの想像に現実が追い付いてきた」

「まさか……あたしの願望が近界民(ネイバー)を呼び寄せているとでもいうの……!?」

『そういうのいいからさっさとやっちゃいなさい』

「はい」

 

 

 見れば、捕獲型(バムスター)の巨体に隠れて戦闘型(モールモッド)もぽつぽつと湧いてきている。より正確に言えば、戦闘型(モールモッド)の群れに場違いな捕獲型(バムスター)が一匹混ざっている、というのが今回の敵の布陣であった。

 こういうのって普通は雑魚(バムスター)の数が多くて強敵(モールモッド)の方が少ないものじゃないの? などと思ってしまった日向坂撫子、ゲーム脳である。大型1の中型複数と考えれば、そこまで不自然な構成でもないのだが。

 

 

「よし、いい機会だ。バムスター相手に日向坂さんのアイビスがどこまで効くのか試してみよう」

「……え、今ってそんなトレモ気分で問題ない状況なんですか? 戦闘型(モルちゃん)多めで結構ヤバいんじゃ……特に前線のお二方」

「あいにく、あの二人はモールモッド程度に不覚を取るほどヤワじゃないよ。――ああでも、カゲはトリオン兵相手じゃサイドエフェクト使えないから、いつもの調子で乱戦してると事故る可能性もあるのかな?」

『――オイ、急に通信入れてきやがったと思ったらクソみてーなこと言ってんじゃねーぞコラ』

 

 

 え、なんでわざわざ煽るような真似してるのこの人。ていうかなんで平気な顔であのおっかない先輩を煽れるのこの人! 撫子はハラハラした。犬飼はヘラヘラしている。そしておそらく、影浦雅人はイライラしていた。あらあらまあまあ。

 

 

「いやいや、心配してあげたんだって。例の()()()()()ってやつがなくても気を抜かないようにねって」

『いらねー世話だクソッタレ。てめーらはそこで大人しく見物してろ』

「そういうワケにもいかないでしょ。ま、おれは適当にたたたたーっと援護するから、そっちはそっちで上手くやってよ」

『……俺に当てたらその首すっ飛ばすかんな』

「トリオン体の首でいいならいくらでも好きに刎ねてどーぞ」

 

 

 最後にお馴染みの舌打ちを返して、犬飼から視線を切る影浦。そのまま単身、猛然と戦闘型(モールモッド)の群れ目掛けて突っかけていく。

 ……そういえば、彼のサイドエフェクトについて詳しい話を聞きそびれたままだった。犬飼は『刺さる感覚』がどうとか言っていたが、何かしらの危機察知能力でも持っているのだろうか? いよいよもってニュータイプとかデクくんの世界だなあ、と撫子は思った。

 

 

「あーあー、その位置から突っ込んだら辻ちゃんが旋空振り辛いでしょーに」

『問題ありません。俺も近付いて一匹ずつ処理します』

「ん、オッケー。カゲのお守りをよろしくね、辻ちゃん――さて、それじゃあこっちもお仕事開始といこうか、ヒナタちゃん?」

「まーたどさくさに紛れて呼び方が変わっている……」

「気にしない気にしない。さ、構えて構えて」

 

 

 何ともまあ、自分の空気に相手を巻き込むのが上手い男だ――そんな内心を口には出さず、撫子は再び円形に覆われたスコープの奥へと意識を集中させる。

 捕獲型(バムスター)は照準のど真ん中でこれ見よがしに口内を晒しており、『目』を狙うのは容易い状況だ。しかし、今回の目的はアイビスの火力調査なのである。故に敢えて弱点部は狙わずに、分厚い装甲に覆われた胴体の方を――

 

 

「いきます」

 

 

 照準、合わせ。

 

 

「――どすこぉい!!」

 

 

 ぶっ放した瞬間に、理解した。

 空気が震え、銃身が揺れる。手元から全身にかけて伝わる強烈な反動が、明瞭に訴えていた。『別物だ』と。イーグレットのそれとは比較にならない発射光(マズルフラッシュ)に視界を覆われて、思わず目を瞑ってしまう。

 ……恐る恐る目を開くと、スコープの中の視界は爆煙に覆われていた。顔を外して立ち上がり、肉眼で状況を確認する。

 装甲を突き破られ、腹部に大穴を空けた捕獲型(バムスター)が、苦痛に悶えるかの如くじたばたと暴れているのが見えた。

 イーグレットの弾丸では、決して起こり得ない光景だった。

 

 

「やっ……やった……?」

「うん、いいね。きっちりアイビスが大砲(アイビス)してる」

 

 

 よくわからない賞賛の言葉を頂いてしまった。だがとにかく、犬飼としてもこの威力は合格点ということなのだろう。実際、撃った撫子自身も確かな手応えを感じていた。

 すごい。これがアイビス。あたしのトリオンを、弾丸の威力に注ぎ込んだ結果なんだ。イーグレット使ってた時は、イマイチ実感湧かなかったけど――

 ……本当に、才能(トリオン)あったんだ、あたし。

 

 

『浸ってるとこ悪いけど、まだギリで生きてるよ、そのバムスター』

「――おぉん?」

「ま、流石に胴体(ボディ)狙いでワンパンとまではいかないよね。そんな弾丸が撃てるとしたら、その子はもうちょっとした怪獣(モンスター)だ」

 

 

 言われてみれば確かに、傷口からありったけの煙を吐き出しながらもしぶとく踏ん張っている。致命傷には至らなかったとはいえ、身動き出来ない程度の深手は負わせられたと思ったのだが――この無機質な外見といい、『トリオン兵』という氷見の表現といい、近界民(ネイバー)の正体というのは生物ではないのだろうか?

 まあ、そんなことは今はどうでもいいとして。

 

 

「ええい、だったら今度こそトドメを――」

 

 

 かちり。

 かちり、かちり。

 

 

「――出ねえ!?」

「いやー、アイビスって一発の威力はデカいんだけど、その分再装填(リロード)に時間食うのが難点なんだよねえ。日向坂さんの場合は撃った時の発射光(フラッシュ)も派手だし、防衛任務ならともかくランク戦じゃ意外と使いどころ難しいかもしれないなあ」

「ああもう、あっちを立てればこっちが立たず……!」

「とはいえ、威力に関しては文句なしだ。装甲もしっかりと砕けてるし、おかげでこっちのダメも通る」

 

 

 言いながら、瀕死の捕獲型(バムスター)目掛けて犬飼が手持ちの突撃銃(アステロイド)による銃撃を浴びせかける。損傷部の中を細かな弾丸で掻き混ぜられた捕獲型(バムスター)は、今度こそ完全に沈黙して動かなくなった。うわあ、ミンチよりひでえや。

 

 

「――とまあ、こんな具合に装甲を削ってくれるだけでも他のポジション的には大助かりなわけ。ただでさえ銃手(ガンナー)射手(シューター)はあんまり火力出せないからさ。ノーガードいただき、ってね」

「……はあ、なるほど」

『その代わり、撃破報酬はトドメ刺した人の方に振り込まれてヒナタには入らなくなるけどね』

「なるほどなるほ――はァ!?

 

 

 聞き流せない追加情報に思わず声を荒げてしまった。そんな撫子の反応を意にも介さず、犬飼は相変わらずの余裕綽々な笑みを浮かべている。この男……まさかあたしを踏み台に……!?

 

 

「ちょおおおお! なにそれずっこーい! 犬飼先輩、あたしのバムスター(お給料)返して下さいよぉ!!」

「あっはっは、トリオン兵がお金に見えるようになったあたり、ヒナタちゃんも順調にボーダーに染まってきてるねえ。あんまり行き過ぎると漆間(うるてぃー)みたいになっちゃうけど」

「そんな飛び六胞か何かやってそうな名前の人なんて知らないですぅー!! ――ああもう、そういうことするなら――」

 

 

 

 

 

 ――後の日向坂撫子に問いかけたら、きっとこう語るであろう。

 この時のあたしは慢心していたのだ、と。

 アイビスの威力にいい気になって、自分には才能があるのだと浅はかな勘違いをして、近界民(ネイバー)のことを舐め腐って、お師匠様の教えも忘れて。

 

 

「え、ちょっとヒナタちゃん?」

戦闘型(モールモッド)って強さはともかく、硬さの方は捕獲型(バムスター)ほどじゃないですよね……!」

 

 

 そう言って、遠方の辻と斬り結んでいるモールモッドに狙いを付ける行為は。

 鳩原未来の危惧していた、『トリオン頼りの雑な狙撃』以外の何物でもなく。

 

 

『……ちょっと待ったヒナタ、あんたその位置から撃ったら』

「辻くんならちゃんと避けてるからだいじょーぶ! ってことではい、発射――」

『ちがう! 辻くんじゃなくて――』

「――カゲ!!」

「――へっ?」

 

 

 バムスターの装甲を貫通する威力の弾丸を、耐久性で劣るモールモッドに放つ。その結果、何が起こるのか。

 撫子のアイビスから放たれた高密度のトリオン粒子砲は、モールモッドの脇腹を撃ち抜いてなお減衰することなく、射線の延長線上に存在していた、あるものも纏めて貫いた。

 着弾面から黒煙を噴き出し、モールモッドの胴体が真っ二つに砕け割れる。近界民(ネイバー)の影に隠れて見えなかった、あるものの正体が、露になる。

 そして、撫子はそれを見た。

 

 

 右の半身をごっそりと抉られ、戦闘体のあちこちに罅割れの入った影浦雅人が、首だけをこちらに向けて、撫子を見ていた。

 ひっ、という反射的な悲鳴を、撫子は抑えることが出来なかった。

 

 

『――この、クソ女――』

 

 

 直後、影浦の戦闘体は爆炎の中に覆われて見えなくなり――そこから生じた一筋の流星が、弧を描くようにボーダー本部基地の方角へと飛んでいった。

 緊急脱出(ベイルアウト)。戦闘体が致命的な損傷を受け、活動限界を迎えたことの証である。

 かくして、とある新米B級狙撃手(スナイパー)の本日の戦果に、新たに二つの名前が刻まれることとなった。

 戦闘型トリオン兵、モールモッドが1体。

 そして、A級6位部隊隊長――

 

 

 

「もっ――もぎゃあああああああ――――――――――!!」

 

 

 

 ――影浦雅人が、この日。

 日向坂撫子の手によって、撃ち落とされたのである。

 

 






Q.『狙撃』じゃなくて『誤射』の間違いじゃないですか?
A.ホントだよねヨーコちゃん! オレもそう思う!


次回仮タイトル『斬首』



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『罪人、一夜明けて』1/2



キリの良いところで企画最終日を迎えたいので1日2話投稿です。
多分9話か10話くらいで一区切りになる、筈。




 

「……ユズル兄さん」

「何。訓練中に話しかけるのやめてほしいんだけど」

「訓練って言ったって点数そっちのけで遊んでるだけじゃんよぉー……うわ、相変わらずきれーな(ほし)描いちゃってまあ……どんだけ練習したらそんなに上手くなれるの? それともこれが生まれ持ったセンスの差なの? 変態なの? ユズル兄さんって変態なの?」

「中坊に向かって変態変態言って絡んでるおめーの方がよっぽど変態くせーぜヒナ子」

「うっさいです番長先輩。こんなところで油売ってないでさっさと横浜に帰って下さい。来年はAクラス行けるといいですね」

「俺のヘアースタイルが三浦大輔みてーだとォ? おーそのとーりよ。もっとこのリーゼントを褒め称えな」

「当真さん、ボケに付き合う余裕あるならそのままヒナさん引き取ってよ。なんか今日いつにも増してめんどくさいんだよこの人」

 

 

 あたしの兄弟子が冷たい。正直弟感覚で絡んでるけど。さめざめ。

 狙撃手(スナイパー)合同訓練場。本日の訓練項目、通常狙撃訓練。訓練生にとっては昇格のかかった真剣勝負の場も、不真面目な正隊員の手に掛かれば新手のキャンバスへと早変わりしてしまう。先日までは前者の立場で必死になっていた撫子も、今となっては若干後者寄りであった。

 ……いや、流石に今日は真面目にやるつもりですけどね。初心に帰る意味も込めてね。でもそれはそれとして、今日のあたしはユズル兄さんに相談しなけりゃならないことがあるのだ。切実に。

 

 

「いやね兄さん、ちょーっと確認したいことがあるんだけど……兄さんの所属してる部隊(チーム)の隊長さんって、なんていうお名前でしたっけ」

「ウチの隊長……? ――カゲさんだよ、影浦雅人。急に変なこと聞くねヒナさん」

「えっと……実は昨日、その隊長さんをうっかり撃ち殺してしまいまして……」

「!?」

 

 

 絵馬の手元がびくりと震え、☆マークの角を狙って放たれたと思しき弾丸が的のど真ん中に命中する。あらら、お絵かき失敗。でも訓練的には点数大幅アップだから結果オーライだよねと撫子は気に留めなかった。

 

 

「……あのさ、冗談言うなら内容とタイミングをよく考えてから言ってくんない。思いっきり狙いがブレたんだけど」

「かっかっか、ヒナ子のボケ程度に調子狂わされてるうちはまだまだヒヨッ子だぜ? ユズルよ」

「残念ながらボケでも冗談でも何でもないんですよぉ……いや、殺したっていうのは言葉の綾で、実際はちょっと戦闘体の身体半分吹っ飛ばしちゃっただけなんですけど」

「普通に緊急脱出する(死ぬ)やつじゃん」

「……おいおい、マジな話か? カゲに狙撃ぶち当てるたあ中々やるじゃねーの。俺でもあいつに一発かますのは隊長と連携取らなきゃ結構しんどいってのによ」

「いやまあ、影浦先輩を直接狙って撃ったわけじゃなくて、あたしがやったのはなんていうか……轢き逃げ……?」

 

 

 リーゼント頭の驚嘆を苦々しい表情で否定しながら、撫子は回想する。

 影浦雅人をアイビスの狙撃に巻き込み、緊急脱出(ベイルアウト)させてしまった後の出来事を――

 

 

 

 

 

 

 

「お……終わった……あたしのボーダー生活終わった……オワタオワタオワタ」

「落ち着け。どうせまだ始まったばっかりなんだから、終わったところで大して悔いないでしょ」

「そこは『まだ始まってもいねえよ』って返すとこでしょうひゃみぃ……」

 

 

 A級4位・二宮隊作戦室。防衛任務を終えた撫子・犬飼・辻の3名は、オペレーターの氷見が待つこの部屋へと舞い戻ってきていた。

 しかしこの場に、防衛任務に参加していた最後の1名・影浦雅人の姿はない。戦闘体が破壊され緊急脱出(ベイルアウト)した場合、生身の身体はその者が所属している作戦室のベッドに転送される仕組みとなっている。つまり、影浦が飛ばされた先は自身が隊長を務める影浦隊の作戦室以外にはあり得ないのだった。

 が、影浦の緊急脱出(ベイルアウト)直後に犬飼と氷見が影浦隊の作戦室に幾度となく通信を入れたものの、影浦からの返信(レスポンス)が返ってくることは一切なかった。そのことが一層、撫子の精神を恐怖のどん底へと叩き落とす要因でもあった。

 キレておられる。あの御方は間違いなくキレておられる。だって犬飼先輩にもこう言ってたじゃんね。『俺に当てたらその首すっ飛ばすかんな』で、あたしがやったのって当てるとかそういうレベルじゃないじゃん? 直撃じゃん? 死球(デッドボール)じゃん? 首斬るだけじゃ済まないでしょそんなん。全身輪切りのホルマリン漬けにされちゃうんだよあたし。輪切りのナデコだよ。グロい。これ以上の妄想はやめよう。

 

 

「――だーめだこりゃ。電話にも出ないしLINEにも既読付かないし、これはもうガン無視だねガン無視」

 

 

 広間の椅子に腰掛けスマートフォンを弄っていた犬飼が、お手上げだというように肩を竦める。ちなみに撫子はテーブルを挟んで犬飼の正面、その隣に氷見が座っている。辻は犬飼の隣、撫子の対角線上でそわそわとしている。どうやら未だに警戒を解かれていないようだった。かなしみ。

 

 

「犬飼先輩ってそもそも影浦先輩に友だち登録されてるの? されてたとしても普段からブロックされてるんじゃない?」

「ひどいこと言うなあひゃみちゃん。確かになんか送っても8割方は既読スルーされるんだけど、たまーに思い出したようにウゼェとか殺すぞとかくらいは返ってくるんだよ?」

「現実の方がひゃみよりもよっぽど残酷ですやん」

「そうだねえ。おれにも厳しいし、そしてどうやらキミにも厳しい。これは相当おかんむりだね、カゲは」

「ひえぇえぇ……」

 

 

 撫子は戦慄した。正直半分涙目であった。

 未来が……未来が真っ暗だよママン……『撫子がボーダー? どうせ半年くらいで飽きたーって言ってすぐ辞めちゃうんじゃないの』とか言ってた時はキレそうになったけど本当に半年くらいで辞める羽目になりそうだよママン……正隊員になったとか言ってぬか喜びさせてごめんね……ほろほろ。

 

 

「作戦室に通信入れても誰も出なかったあたり、ゾエとか仁礼ちゃんも留守にしてるみたいだし――カゲもとっくに帰っちゃってるよねえ。となると、後は直接家行って捕まえるくらいしか思いつかないな」

「それ、影浦先輩の性格的にかえって逆効果だと思うけど」

「ま、そうだろうね。詫びを入れるにしても日を改めた方が良さそうだ」

「ああぁあぁ……今日の夜ぐっすり眠れる気がしないぃぃ……」

「ウソつけ。あんた布団入って1分もしないうちに眠れるのが自慢だって前言ってたでしょ」

「のび太くんかな? ――まあでも、単に日向坂さんの相手をするのが面倒になったからさっさと帰っちゃった可能性も無くはないし、あんまり悲観し過ぎなくてもいいかもよ」

「だったら良……いや、それはそれでよろしくないです」

 

 

 反射的に同調しかけてから、いやいやそれは駄目だろうと思考を切り替える撫子。

 仮に百歩譲って、影浦が今回の件にそれほど怒りを覚えていなかったとしても。なあなあで済ませるのは良くないに決まっている。緊急脱出(ベイルアウト)という生身を守る術が存在したおかげで大事には至らなかったとはいえ、撫子がやらかしたのは紛れもない味方殺し(フレンドリーファイア)なのだ。何らかの罰則があってもおかしくはないとさえ撫子は思っていた。今のところ犬飼からも氷見からも、そういった話題が出てきたことはないのだが。

 それに、何より。

 

 

「――自分を撃ち殺しておいてごめんなさいも言えないような相手に、背中預けて戦ったりとか、ムリじゃないですか」

 

 

 少なくとも、自分が影浦の立場であったのなら、そう思うから。

 撫子もまた、自分で自分を赦す訳にはいかないのであった。

 影浦への恐怖心で混乱していた思考が、ようやく正常に回り出したのを感じる。そうだ――思い返してみれば、自分が詫びなければいけない相手は影浦だけではない筈だ。二宮隊の3人をぐるりと見回して、撫子は言葉を続けた。

 

 

「犬飼先輩、先輩の指示も待たずに勝手な行動をして、すみませんでした。ひゃみも止めに入ってくれたのに、聞かずに突っ走っちゃって、ごめん」

「――おや」

「うむ」

 

 

 そう言って、まずは二人に頭を下げる。犬飼は意外そうに眉をぴくりと震わせ、一方の氷見は『よろしい』とでも言わんばかりに目を閉じて頷いている。そんな友人の反応に若干の安堵を抱いてから、撫子は残る最後の一人を正面から見据えて、声を掛けた。

 

 

「それに――辻くんも」

えっ!? なっ……なに……!?」

 

 

 案の定、辻の顔があからさまに赤面し、視線はあからさまに明後日の方向を向いている。けれど撫子はそれに構うことなく、茶化すこともなく言葉を紡いでいく。

 

 

「辻くんと戦ってるモールモッドを狙うんだったら、せめて撃つ前に一声くらいは掛けるべきだったんじゃないかって、落ち着いて考えたら思った……あたし、あの時調子乗ってたんだ。下手したら辻くんだって巻き込んでたかもしれないのに、自分のことを過信しちゃって――だから、うん。ごめんなさい」

 

 

 そう言って、一礼。

 顔を上げると、まだ頬に若干の朱色を遺したままの辻が、呆けたようにも見える表情で撫子の方を向いていた。

 日向坂撫子と辻新之助の視線が、初めて正面からまともにぶつかり合った瞬間であった。

 

 

「――やっと目を合わせてくれたね?」

「あ――う、うん……」

 

 

 そう言ってからかうと、またすぐに顔を赤くして逸らされてしまったけれど。

 まあ、半歩くらいはお近づきになれただろうと、撫子は若干の達成感を得た。

 

 

「……なるほどね。ひゃみちゃんが気を許すだけのことはあるわけだ」

「なんだか私が心の狭い女みたいじゃん」

「別に広いとも思ってないでしょ? 自分で」

「そういうことをずけずけと言うから嫌われるんだよ犬飼先輩は」

「おれは嫌われてなどいない! ……うーん、この台詞はどちらかというと二宮さんの方が似合いそうだよなあ。あの人も天然だし」

「今の言葉、今度二宮さんに会った時チクっとくね」

「それだけはご勘弁」

 

 

 などと浸っている間に、犬氷組が謎の寸劇を繰り広げていた。この二人って相性が良いのか悪いのかよく解らないなあと撫子は思った。

 

 

「ま、おれらの話はいいとして……ヒナタちゃんが真面目なノリもやれば出来る子だってことはわかった」

「犬飼先輩はあたしのことを芸人か何かと勘違いしていらっしゃる?」

「その返しがもう語るに落ちてるよ。――とにかく、キミが本気でカゲに謝るつもりなら、その真剣さと申し訳なさをありのままぶつけることだね」

 

 

 そう口にした犬飼の表情は、これまでに見てきた笑みよりも、ほんの少し――ほんの少しだけ、柔和な印象を撫子に与えた。普段の笑顔が不自然だという訳でもないのだが、とにかく。

 

 

「――はい。そうするつもりです」

「うん、OK。だったらもう、おれからアドバイスすることは特にないね。――後はカゲをどう捕まえるかだけど、普通に明日作戦室に押しかければ問題ないかな」

「……ヒナタが謝りに行くのはいいとして、犬飼先輩が付いていくのって逆効果なんじゃない? 門前払い食らったりとかしない?」

「その可能性がないとは言い切れないのが切ないとこだけど、だからって一人で行かせるわけにもいかないでしょ。ゾエや仁礼ちゃんもいるとはいえ、ヒナタちゃん的には完全アウェーなんだし」

「その二人だけじゃないでしょ、影浦先輩のチームメイトは」

「――ああ、なるほど。鳩原ちゃんの弟子やってるってことは、そうなるのか」

 

 

 何やら納得したように犬飼が手を叩いているが、撫子はというと完全に置いてけぼりであった。何のこっちゃと首を捻っているところに、

 

 

「あのさ、ヒナタ」

 

 

 と、氷見亜季はもったいぶった前置きを挟んで。

 

 

 

 

 

「――ヒナタって確か、()()()()絵馬くんと仲が良かったよね?」

 

 

 とてもよく知っている少年の、知らない情報をさらっと口にしてきたのであった。

 

 

 

 

 以上、回想終わり。

 

 

「――というワケで、ユズル兄さんにはこのあたしと影浦先輩の仲立ち人をお願いしたくっ!!」

 

 

 90度に身体を折り曲げて3歳年下の男子中学生にガチ懇願している日向坂撫子という女を、絵馬ユズルは心底哀れな者を眺める目で見降ろしていた。我妻善逸の醜態を目の当たりにした時の竈門炭治郎もかくやという表情であった。何か喋れよ!!

 

 

「ほう……ナカダチー」

 

 

 そしてリーゼントは馬鹿だった。その伸ばし棒は一体どこから来たんだ当真勇。

 

 

「……要するに、カゲさんに謝りたいけど犬飼先輩と一緒だと余計に揉めそうだから、オレに間を取り持ってほしいってことでいいんだよね」

「そうそう。そゆことなのですよ」

「――別にいいけど、本当にカゲさんに会わせるとこまでしか手伝わないよ、オレは。ヒナさんのこと庇ったりとかしてあげないし、する気も起きないから。話聞いた限りじゃね」

「……うん。それは、勿論」

 

 

 傍から聞いている分には冷淡とも取れる絵馬の反応を、むしろ当然のことだと撫子は受け止めた。おそらくは当真も――否、いっぱしの狙撃手(スナイパー)を名乗る者であるのなら、誰もが撫子の失敗を許しはしないだろう。味方殺しとはそれほどまでに、狙撃手(スナイパー)というポジションの信頼に傷を付ける行為なのだと、今の撫子は理解していた。

 密集地帯での戦いを強いられることもある攻撃手(アタッカー)や多くの弾丸を扱う銃手(ガンナー)射手(シューター)とは異なり、一発の無駄撃ちも許されないのが狙撃手(スナイパー)というポジションである。狙撃手(スナイパー)の弾丸は標的を射抜くものというのが大前提であり、その弾丸が仲間を撃ち抜いたとあっては、仲間そのものを標的(ターゲット)にしたと見做されてもおかしくないのだから。

 撫子は回顧する。昨日のあたしは――アイビスを手にした時のあたしは、狙撃手(スナイパー)じゃなかった。あれじゃあただの砲撃手(ハープナー)だ。正隊員になったからって驕ってる場合じゃない。上位15%に残ったのなら、次は10%以内を目指さなければならないのだ。その次は5%。そのまた次は3%。2%。

 そして、やがては――

 

 

(……って、それはいくらなんでも身の程知らずが過ぎるでしょ、あたし)

「――おお? どーしたヒナ子。とうとうおめーも俺のリーゼントの魅力に気付いちまったか?」

「やっぱりいつかぶち抜いてやろう……」

 

 

 こんな頭の上にクロワッサン乗せてるようなのがNo.1狙撃手(あたし達の頂点)だなんて信じたくない。いや、別にリーゼントを馬鹿にしている訳じゃないんだけど。ドララララーって殴られたくないしね。胸中でそんな言い訳をしつつ、撫子は訓練用のイーグレットを手に取った。

 

 

「――とにかく、そんなことがあったのもあって、今日のあたしは狙撃手(スナイパー)として心機一転の気持ちなわけなのです」

 

 

 100m先の的に狙いを定めてみて、撫子は思った。うんうん、やっぱりあたしにゃイーグレットの方が良く馴染む。アイビスなんかに浮気しちゃってごめんね、これからはずっとキミだけを大事にして生きていくからね――等と、不貞を働いたダメ亭主の如き薄っぺらさで誓いを立てつつ。

 

 

「ロックオン・ナデシコス――狙い撃つぜぇ!!

「黙って撃ちなよヒナさん」

 

 

 この日の日向坂撫子の訓練成績、110人中17位。

 ギリッギリのギリで、15%以内に――入れていなかった。

 合掌。

 

 






ひゃみさんに「うむ」って言わせたかっただけの回

このSSを書くにあたってひゃみさんが犬飼相手に敬語使うかどうかでかなり悩んだのですが、
年上の村上を相手に老師範の如き貫録で頷く彼女を見て二人の関係はこんな感じになりました。
臨時二宮隊の加賀美といい最新話の羽矢さんといい年功序列の概念がこわれる

後編はまた0時に……と思ったのですが平日に入ったので更新時間を再考中です。
困った時はこれだ↓



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『罪人、一夜明けて』2/2



ガールズトーク回。




 

 

「おいは恥ずかしか……生きておられんご……」

「今時ンゴとかもう誰も使ってないよヒナタ」

「そっちじゃないンゴ……薩摩弁にごわす……誤チェストにごわす……」

 

 

 そもそも一時期女子の間で語尾にンゴを付けるのが流行ったというのは真実なのか。テレビ局の流したデマではないのか。女子の友人が少ない撫子には真偽が掴めなかった。

 訓練を終えての昼休み。ボーダー本部基地の食堂にて、撫子と氷見の二人は食卓を囲んでいた。影浦の件についてはひとまず、絵馬からの連絡待ちということになっている。正直未だにビクビクしているところはあるのだが、それはそれとして腹が減っては(謝罪)も出来ない。そんな撫子の今日のチョイスは五目炒飯。ちなみに氷見は酢豚定食を注文した。

 

 

「はぁー……炒飯ってエライよ。うまいからエライよ」

「世の中探せば偉くない炒飯だって幾らでも転がってると思うけど」

「そんなものを生み出す輩は海原雄山が許してもこのあたしが許さん」

「山岡士郎にでもなったつもりかあんたは」

 

 

 蓮華で炒飯の小山を崩し、そしてまた一口。

 うん。やっぱりおいしい。こういうシンプルで癖のないものが好きなんだよあたしは。ていうか炒飯なんて変なことしなけりゃ大抵はおいしいに決まってるよね。ところであたし達の話を聞いていたと思しきそこの糸目のお兄さん、急に頭とお腹を抑えてどうしたんです? 何か悪いものでも食べました? 偉くない炒飯とか。まさかね。

 

 

「まあ炒飯の話はどうでもいいのだよ。訓練の成績が下がったのだよ」

「言っても一つ落としただけでしょ? 前の時が16位でギリギリ昇格だったんだから」

「普通こういう気持ち入れ替えた日ってあたしの隠された才能が目覚めて順位跳ね上がったりとかそういうパターンじゃないの!?」

「そんな都合の良い話はない。地道にコツコツ頑張んなさい」

 

 

 言いながらはむりと一口サイズの豚肉を口にする氷見。ちくしょう。口ちっちゃくてかわいいなこいつ。腹いせに頬でも指で押してやろうかと撫子は一瞬思ったが、酢豚とヨーグルトを食べている最中の氷見を下手に刺激すると後で地獄を見る羽目になると知っているので行動には移さない。

 そう、あれは以前つい魔が差して氷見の食べていたアロエヨーグルトにうまい棒(コンポタ味)をぶっ刺した時のこと……いや、やめよう。全て終わった話だ。

 

 

「はあぁあぁ……やっぱりあたしにゃ師匠がいないとダメだぁー……鳩師匠……早く元気になってくだせぇー……」

「私用でヒナタと防衛任務代わったと思ったら今度は体調崩して休み、か。ちょっと心配」

 

 

 鳩原未来。撫子にとっては狙撃の師であり、氷見にとってはチームメイトの一人である。本日は体調不良とのことで基地には顔を出していない。具合の悪いところに更なる心労を重ねたくはないと思ったので、影浦を誤射した件についてはまだ伝えていないのだが――まあ間違いなくお説教コースだよね、うん。でも甘んじて受け入れる所存です。出来の悪い弟子をどうか叱って下さい、お師匠様。

 

 

「あたし、師匠には今までかなり甘やかしてもらってたと思うんだけど、これからはスパルタ式でびしびし扱いてもらおうと考えを新たにする所存であります」

「――その意気込みはご立派だけど、4月に入ったら今までみたく付きっきりで教えてもらうのは難しくなると思うよ」

「え、なして」

「ついでに私も今ほどあんたに構ってる時間なくなると思うから」

「なして!?」

 

 

 撫子は錯乱した。氷見と鳩原――ボーダーの右も左も知らなかった撫子がまがりなりにも正隊員の座に就くことが出来たのは、間違いなくこの両名の手厚いサポートがあったからである。その二人がまとめて自分の下から離れていく。三輪車から自転車に乗り換えて、母親の支えも無しに走らされる時の幼児にも似た絶望感が撫子を襲った。ステシャーンという転倒音さえ聞こえるようだった。

 

 

「無理……そんなん絶対コケる……理屈の上ではそうなるってあたしの中の甘えんボーイも訴えてる……」

「随分と変なものが住み着いてるね、あんたの頭の中」

「え、ていうか真面目な話どゆことなの。二人してどっか遊びにでも行くの? あたしをのけ者にして……よよよ」

「まあ、遊びじゃないけど出かけに行くって意味で言えば合ってる」

「あってるんかい」

「辻くんとか犬飼先輩なんかも一緒だよ」

「ああ、(チーム)ぐるみのイベントなのね……そりゃあたしが混ざる余地ないわけだわ」

 

 

 どうやら女子会からハブられた訳ではないようだと安堵する撫子。なんでも二宮隊の面々は月に何回か焼肉屋で会食する程度の交流はあるという話だし、今回もまたそういった集まりの一環なのだろう。しかし氷見の口ぶりからして結構な長旅になると見えるのだが、県外にでも出て行く予定なのだろうか?

 

 

「で、どこへ行こうというのかねひゃみさん」

近界(あっち)

 

 

 何故か唐突に小声になる氷見。なんやなんや、いかがわしい場所にでも行くつもりなんかひゃみさんよぉ。いやそんな筈ないんだけど。とりあえず合わせて声量を落とす撫子である。ひそひそ。

 

 

「……どっち?」

「あんたも昨日見たでしょ。(ゲート)の中からトリオン兵がぽんぽん飛び出してくるの」

「うんうん」

()()()()()()()()()()()()。だから、あっち」

 

 

 淡々と述べて、氷見はお冷の入ったコップに口をつけた。今日は夜から雨になるらしいよ、程度の心底軽い口ぶりであった。

 されど、その発言が撫子にもたらした衝撃たるや、それこそ昨日ぶっ放したアイビスの一発にも勝るとも劣らなかった。

 

 

「マジで!?」

「何のために声のボリューム絞ったと思ってんのあんたは」

「いやだって、ええ……そんなん初めて聞いたし……ていうかなに、行けるの? 行けちゃうものなの? ()()()って」

「向こうから来るやつらがいるんだから、こっちから行けない道理なんてないでしょ」

「いやでもほら、技術の壁とかそういうのあるじゃん……要するにウチのぽん吉さん達は偉大ってことじゃな?」

「そういうこと」

 

 

 正トリガーの申請に赴いた際、開発室でちらりと見かけた我らが開発室長の顔を撫子は思い浮かべた。鬼怒田本吉47歳。恰幅の良い外見と苗字をもじって一部の隊員からたぬきさんと呼ばれている彼だが、そこから更に一捻りしてぽん吉呼ばわりしているのは恐らく撫子ただ一人だけである。王子一彰でもそんな綽名は付けない。

 

 

「わざわざ内緒話したんだからわかってるとは思うけど、これ一応機密事項だから。C級(訓練生)とかには喋らないようにね」

「お、おお……こういう話を聞けるようになるとB級(正隊員)になったっていう実感が湧いてくるのだぜ」

「――そう。あんたももう正隊員なんだから、いつまでも訓練生気分で私や鳩原先輩に甘えないように。いい機会だからぼちぼち自立しなさい」

「ぐ……ぐぬぬ……どうせ厳しいことを言うならボリューム戻さずに小声で優しく言ってほしかったのぜ……」

 

 

 急に厳しい現実を突き付けられて渋面になる撫子。もう少しばかり友人の囁き声に浸っていたかった。余談ながら撫子は氷見の声が割と好きだった。この声でサポートしてもらえるとか二宮隊って最高か? と思っていた。昨日の防衛任務でその意識がより強まったのは言うまでもない。

 

 

「……自立って言ったって、具体的にどーいうことなのよさ」

「誰かと(チーム)組んでランク戦に参加するとかそういう話」

「なるほどひゃみ。今日からあたしら運命共同体ってことだね? 我ら生まれた日は違えども死す時は同じ日同じ時を願わん……」

「あんたの席ないから」

「どぼじでぞん゛な゛ごどい゛う゛の゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!」

「ああもう、泣くなうっとうしい……! 二宮隊(ウチ)に入りたいって言いたいんでしょ? 部隊(チーム)の人数は戦闘員4人とオペレーター1人までって決まってんの! 定員オーバーになるのわかるでしょ!?」

「そんなことないもん! あたしとひゃみと師匠と辻くんと犬飼先輩でほら5人! ピッタリじゃんよ!!」

「肝心の隊長が抜けてるでしょうがぁ!!」

 

 

 いやだって隊長さん会ったことないし……名前しか知らんし……と内心で見苦しい言い訳に走る撫子。でもこの5人で組めたら絶対楽しいのになあ……邪魔だなあ二宮匡貴……などと最高に失礼なことを考えつつ、撫子はそっと目尻の涙を拭った。氷見の拒絶に割と本気でショックを受けていたのだった。

 

 

「うぅううぅ……ひゃみと師匠がいなくなったらあたしはぼっちの道をひた走るしかないやん……綾辻さんとか宇佐美さんとはあんま絡みないし……しくしく」

「あの二人のとこもちょっと仲良いくらいで入れるような部隊(チーム)じゃないけどね」

「あれ、嵐山隊(綾辻さんとこ)は知ってるけど宇佐美さんとこもなんか特別なアレなの」

「……ま、ヒナタには特に縁のないとこだよ。玉狛(あそこ)は」

「にゃにおう」

「ていうかあんた、仮にも半年近く狙撃手(スナイパー)やってきたんだからそっち方面で仲良い子とか誰かいないわけ? ……まあ、1チームに狙撃手(スナイパー)二人って三輪くんと荒船先輩のとこくらいだから難しいとは思うけど」

「……ふむ」

 

 

 氷見の言に釣られて、脳内でぱぱっと正隊員の狙撃手(スナイパー)たちをリストアップする撫子。真っ先にとある少年の顔が思い浮かんだのだが、昨日の一件を思い返してその未来は断たれたと泣く泣く除外する。

 当真勇。前に一度だけ顔を合わせた彼の隊のオペレーターが自分と致命的に相性が悪そうだと感じたので×。ありゃ間違いなくあたしのテキトーなライフスタイルを看過してくれないタイプだ。いや、それを言ったらトーマパイセンがチーム組めてる理由が謎なんだけど。

 宇野隼人。全くもって絡みがない。けれど纏ってる空気が明らかに善のオーラ出てるから人となりを知ったら絶対好きになれるタイプの人間だと思っている。あのグラサンの下に潜むスマイル、惹かれますよ。だけど現時点では残念ながら×。

 佐鳥賢。次。

 奈良坂透と古寺章平――この二人は同じ部隊(チーム)だったっけ。1チームに狙撃手(スナイパー)3人とか流石にないよね。×。

 桃園藤一郎。この男とも特に絡みがない。でも前に同じ部隊(チーム)のオペレーターっぽい子から『死ね! 桃園死ね!!』って怒鳴られてたのを見たことがあるなあ……うん、ないな。次。

 

 

「……ヒナタ? ちょっとヒナタ? おいこら日向坂」

「いやですわ氷見さん、そんな急にドロップキックでもかましてきそうなトーンで喋らないでくださいまし」

「どういう喩えよそれは。ていうか考え過ぎ」

「いや、なんか一人一人念入りに名前挙げてくのが楽しくなってきちゃって……このまま最後までやっちゃっていい?」

「ダメ」

「えー」

「大体あんた、絵馬くんはどうしたのよ絵馬くんは。さっき私と桃園の誓いやろうとしてたけど、あんたの義兄弟だったらもうあの子で埋まってるんじゃないの」

「え、いやだって兄さんとこはほら……昨日あたし……ほら……」

 

 

 ――そしてようやく、話は本題へと差し掛かる。

 なるほど確かに、氷見・鳩原の両名を除いて最も撫子と交流の深い隊員といえば、絵馬ユズルの名が挙がるだろう。しかし彼と部隊(チーム)を組むには、越えなくてはならない高い高いハードルが存在するではないか。ハードルを引き上げたのは撫子自身なのだが。

 

 

 影浦雅人。

 日向坂撫子の手によって、その半身を吹き飛ばされた男の名前である。

 

 

「流石に私も、昨日の今日でOK貰えるとは思ってないけど。あんたのリカバリ次第でワンチャンくらいは残るかもしれないでしょ、可能性が」

「……ごめんなさいして許してもらって、そこから仲良くなれたらってこと? うわ、無理ゲー臭すっごい……」

「――仲良くなれるかどうかはともかく、許してはもらえると思ってるよ。ヒナタなら」

「なにそれ。どゆことだってばさ」

「少なくともあんたは、上っ面だけ反省してるように見せて腹の底ではヘラヘラしてるようなやつじゃないよねってこと。――ごちそうさまでした」

 

 

 皿に箸を置き両の手を合わせる氷見。育ちの良い女である。ちなみに撫子は既に食べ終わっていた。

 

 

「……あたし、そんなご立派な人間に見える?」

「別に立派とまでは言ってない。そんな器用なキャラじゃないよねってだけ」

「ズコー」

「でも――影浦先輩は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから、うん。大丈夫」

 

 

 大丈夫。

 優しさでもなく、励ましでもなく。淡々と事実を述べるように、氷見はその言葉を口にした。

 その確信めいた口調が、撫子には引っかかった。一体、氷見は何を根拠にこうもはっきりとした主張が出来るのだろうか。

 もしかしたらそれこそが、犬飼の口にしていた、影浦の――

 

 

「……あのさ、ひゃみ。影浦先輩の副作用(サイドエフェクト)って」

「教えない」

「ええ!?」

「意地悪で言ってるんじゃないよ。あんたの場合はきっと、知らない方が上手くいくと思うから。絵馬くんにも聞いたりしたらダメだからね」

「え、ええー……なにそれ……正直不安しかないんですけど……」

「ま、私の言うことが信じられないんだったら、犬飼先輩の言ってたことを思い出しなよ。あの人も別に根っからの良いひとってわけじゃないけど、気に入った後輩にウソ吐くような悪い先輩でもないから。一応ね」

 

 

 そう言って、食器の乗ったトレーを手に立ち上がる氷見。そういえば今日は午後からチームミーティング的なことをするのだと言っていた。例の『あっち側』に行くにあたっての下準備的なことをするのだろうか。とりあえず釣られて一緒に立ち上がる撫子。トレーを手に。

 

 

「……え、ちょっと待って。あたしって犬飼先輩に気に入られてるの? いつから? なんかフラグ立てるようなことしたっけ……?」

「――やっぱりあんたは、余計なこと考えない方が結果出せるタイプだわ」

「答えになってないってばよひゃみさぁーん!!」

 

 

 ……結局そのまま、トレーを片付けて解散の流れになってしまった。

 食堂の出口で氷見と別れ、独りきりで背中を壁に預けてみて、思う。

 日向坂撫子は影浦雅人を撃ち殺した。仮想の身体(トリオン体)だからといって、笑って許されるようなことではないと撫子は思っている。犬飼や氷見からの通信にも応じなかったことからして、影浦も間違いなく、撫子の行為に怒りを覚えていることだろうと思っている。

 その上で、影浦は自分を赦してくれるだろうと、あの二人は口にする。

 わからない。影浦雅人の副作用(サイドエフェクト)とは、一体どういう代物なのか。こんな浅ましく愚かな過ちを犯した自分のことでさえも、赦して()()()ような異能を、彼が抱えているのだとしたら。

 

 

(……そりゃ、確かに立派な()()()だよね)

 

 

 だって、そんなのは。

 あまりにも、優し過ぎるんじゃないだろうか。

 

 

 ぶるり、と。尻ポケットの中身が震える。別に誰かに触られた訳ではない。風の噂によればボーダー内には度々女性隊員の尻を撫でに掛かる不埒なグラサン男がいるとのことなのだが、幸いにも撫子は遭遇したことがなかった。市民の味方のボーダー様にもヘンタイさんっているんだなあ……と切ない気持ちになりつつ、スマホを取り出し画面を確認する。

 着信、有り。

 

 

 

「――ハロー、兄さん」

 

 

 

 ……さてさて。

 兎にも角にも、後は当たって砕けろだ。

 

 






・声優上田瞳の代表キャラといえば
一般人「ゴールドシップ」
ワ民「氷見亜季」

ワ民「氷 見 亜 季 (鋼の意志)」


次回はついにあの男視点。



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『影浦雅人~感情受信体質~』1/2

 

 

 クソみたいな一日だった。

 

 

 ランク戦ロビーのソファに腰を下ろした影浦雅人は、大画面に映る友人2人の対戦をぼうっと眺めつつ、前日の出来事を回顧していた。

 そもそも、あのいけ好かない犬飼澄晴の誘いに乗るという判断が間違っていた。いくらロビーで対戦相手が見つからずにフラストレーションを溜め込んでいたとはいえ、今更トリオン兵程度を何匹斬り刻んでもストレス解消には繋がらないと理解していただろうに、気の迷いにも程がある。

 極めつけはあの女だ。鳩原未来の代わりに呼ばれたという、ひよっ子のB級狙撃手(スナイパー)。ただでさえ遠巻きに飛んでくるちくちくとした恐怖と関心の入り混じった感情が鬱陶しく、まともに相手をする気が失せていたところに、あれと来たものだ。

 

 

(……防衛任務で緊急脱出(ベイルアウト)したのなんざ昨日が初めてだ、クソッタレめ)

 

 

 作戦室に誰も残っていなかったのは不幸中の幸いだった。あの時の最悪な気分(テンション)で北添や仁礼に気を遣われても、逆に当たり散らすような醜態を重ねていたかもしれない。仁礼といえば緊急脱出(ベイルアウト)の直後に彼女のPCがビービーと着信音のような何かを鳴らしていたのだが、あれは一体何だったのだろう。『ヤローどもはアタシのパソコンに触るんじゃねぇー!』と言われているので無視して帰ったのだが。

 ちなみに犬飼からの着信とLINEは明確に対応を拒絶させてもらった。どうせあの男のことだ、『だから気を抜くなって言ったのに』とでも皮肉ってくるのが目に見えている。いつもヘラヘラと人好きしそうな笑顔を振り撒いているが、それが単なる擬態に過ぎないことを影浦は知っていた。あの男が自分に向けてくる感情は――少なくとも、影浦にとって愉快なものではないのだから。

 気の合う連中の浮かべる自然な笑みとは異なる、計算された表情。それが小賢しい。

 有りもしない愛想を絞り出して、他者に媚びるような生き方だけは、真っ平御免だった。

 

 

(…………チッ)

 

 

 痒い。

 こうしてただ座っているだけでも、幾人かの感情がチクチクと突き刺さってくる。針のように、棘のように。

 感情受信体質。トリオンという未知のエネルギーと引き換えに与えられた、クソろくでもない副作用(サイドエフェクト)

 犬飼のような生き方が出来る人間であれば、この力に苦しめられるようなこともなく、逆に有益な使い道さえ思いつくのではないか。そう考えることが偶にある。相手が自分のことをどう思っているのか一方的に知ることが出来るというのは、対人関係を築く上で極めて有用な能力(スキル)であるとも言える筈なのだ。

 相手の悪意を見透かした上で、知らない素振りをして笑ったり。

 相手の好意を逆手に取って、こちらの意のままに操ってみたり。

 

 

 けれど、影浦雅人には、それが出来ない。

 出来ないような人間に、なってしまっていたのだ。いつの間にか。

 

 

 

 

 

「――ゲ、おいカゲ。終わったぞ、何ボーっとしてんだ」

 

 

 聞き慣れた友人の声で、我に返った。

 トレードマークの帽子の下、呆れたような表情を浮かべて、荒船哲次が影浦の傍に立っていた。呆けている間に対戦を終えていたらしい。

 

 

「……寝てたわ」

「目ぇ開けたままかよ? おまえがそんな冗談言うのは珍しいな」

「疲れが溜まってるんじゃないか? 昨日は色々大変だったらしいからな」

 

 

 同じくブースから出てきた村上鋼が、いつもながらの落ち着いた表情で声を掛けてくる。荒船よりも先に顔を合わせた村上には、雑談がてらに昨日の出来事をある程度話してしまっている。例の誤射の件も含めて。

 

 

「昨日? 何かあったのか」

「いや、犬飼に誘われてヘルプで防衛任務に入ったそうなんだが……あー、これ全部言っちゃっていいのか? カゲ」

「うぜー気ィ遣ってボカしてんじゃねーよ鋼。フツーに言えフツーに」

「悪い。ならバラしてしまうが――同じくヘルプで入った狙撃手(スナイパー)の子に、アイビスで身体半分吹っ飛ばされたんだそうだ」

「ぶっ!」

 

 

 言われるがままにしれっと言い放った村上の言を受け、噴き出す荒船哲次。あの荒船が堪え切れずに笑ってしまうほどの話題(ネタ)だという事実に、改めて頭を抱えたくなる。だがそれはそれとして。

 

 

「……オイ、荒船この野郎」

「いや……スマン。カゲからしたら笑いごとじゃないっていうのは解るんだが、不覚にもってやつだ」

「はっはっは、気にするな荒船。オレも最初に聞かされた時は思わず笑ってしまったからな」

「気にするなじゃねーんだよボケ。人の身体が消し飛んだ話がそんなに面白ェか? あァ?」

「そうは言うけどなカゲ。もしオレが太一に間違って落とされたり、荒船が穂刈や半崎に後ろから撃たれたなんて話を聞いたらおまえはどう思う?」

「ぶわははははははは!!」

「てめーが一番笑ってんじゃねーかこのヤロウ」

 

 

 ぐいぐいとヘッドロックを決めてくる荒船にも構わず、腹を抱えて笑う影浦。なるほど、確かにそれは面白い。当分は弄りのネタに困らない話だ。撃たれたと言っても所詮は偽りの肉体(トリオン体)、一々糞真面目に死んだ殺したと大騒ぎする方がどうかしている。当事者として考えていた時には気付けなかったことだが、視点を変えてみればこうも笑い話になりえるものか。いや、盲点だった。

 

 

 ……当事者といえば。

 肝心の自分を撃ったあの女は、今回の件をどう捉えているのだろうか。

 

 

「――ちなみにって言うとアレだけど、太一に撃たれて()()()ことなら本当にあるぞ。オレ」

 

 

 と。

 お誂え向きな話題を提供してきたのは村上だった。

 

 

「マジか? あと撃たれてねーの荒船だけじゃねーか。おう荒船、てめーもさっさと穂刈と半崎に心臓ぶち抜かれてこいよ」

「生憎とウチの狙撃手(スナイパー)どもは腕利きなんだよ――って言い方は太一を腐してるみたいでアレだな。まあなんだ、事故みたいなもんだったんだろ? 鋼」

「そりゃ、いくら太一でもチームメイトを狙って撃つような真似はしないさ。あいつも悪気があってやらかしてるわけじゃないんだ」

 

 

 流石は仏の鈴鳴第一、隊員のフォローも手厚い。尤も『いくら太一でも』という言い回しからして、日頃からどれだけあのヘルメットの悪魔による被害を被っているのかが察せられるというものなのだが。

 

 

「モールモッドと初めてやり合った時の話でさ。訓練で()()はしていたんだが、実際に相手をしてみると思った以上に手数が多くて苦労させられたんだ。そんなオレを太一は援護しようとしてくれたんだが、味方を助けなきゃって意識が逸りすぎて手元が狂ったんだろうな。見事に脳天を撃ち抜かれて、気付いた時には作戦室のベッドの上だった」

「かっかっか。今のヤローがキレ散らかしてる様が目に浮かぶぜ」

「……いや待て、鈴鳴の面子的に前線(フロント)を張る鋼が落ちるのって結構洒落にならねえだろ。最悪そのまま全滅コースだぞ」

「そこは来馬先輩が踏ん張ってくれたおかげで何とかなった。幸いなことにシフトも交代間際だったからな。……ただまあ、作戦室に二人が帰ってきてからはカゲの想像通りだ」

 

 

 今結花。隊長の来馬辰也が飼っていた熱帯魚を皆殺しにされても怒()ないほどのお人好しということもあり、別役太一を叱りつけるのはもっぱら彼女の役目なのだと影浦は耳にしている。きっとこの時も般若の如き形相で太一を出迎えたのだろう。

 

 

「で? おめーは太一のヤローにきっちりヤキ入れてやったのかよ、鋼」

「まさか。流石に何度も謝られたし、太一自身もかなり落ち込んでいたからな。今がキツく叱った後ってこともあったし、オレの方は次から気を付けてくれって言って、それで終わりだ」

「仕方がないとはいえ、今は損な役回りだな」

「……そうだな。それでもやっぱり、オレは太一を責める気にはなれなかったよ。元はと言えば、オレがモールモッドに手古摺ったせいでもあるし――来馬先輩がどれだけフォローしたとしても、肝心のオレに許されなかったら太一も引き摺っただろうしな」

「そういうモンかァ? いつもみてーに鋼さんスミマセーンっつって大騒ぎして、次の日になりゃケロッとした顔でカップ麺ぶち撒けてそうな気ィすっけどな」

「あれで意外と繊細なところもあるやつだよ、太一は。ランク戦で結果が出なかった日には『うぶぶ……』って泣いたりもするしな。それはそれとしてカップ麺はまあ、よく落とすけど」

 

 

 最後はやや苦笑交じりに村上が言った。ちなみに落としたものがカップ麺だから笑えているが、後に今度は来馬の私物である壺(高級品)をも同じ要領で落として粉々にすることをこの時の村上は知らない。それを知っていたら流石の村上も笑えなかったであろう。

 

 

 人間には様々な一面が存在する。常日頃から明るく振る舞っているように見える人物でも、内心では誰にも明かせない複雑な悩みを抱えていたりもする。犬飼澄晴のようにへらへらと笑いながら他人の腹の底を探ることしか考えていない人間がいるのなら、そそっかしさの塊である別役太一が失意に涙することも、まあ、有り得るのかもしれない。

 ……思えば、外面と内面の一致していない人間など、ボーダーの外に出れば珍しくも何ともないのだから。

 影浦雅人はその現実を、誰よりもよく知っていた。

 

 

「――そういや、カゲの方は結局どうなったんだその後」

「あァ?」

「おまえの半身吹っ飛ばした狙撃手(スナイパー)の話だよ。丸く収まったのか揉めちまったのかは知らねーが、流石に向こうも知らんぷりってことはねえだろ」

「……あー」

 

 

 『あ』の一文字だけを巧みに使いこなして荒船の問いに応じる影浦。横着者である。

 とはいえ、単に返事を面倒臭がっているだけではない。言葉に詰まったせいでもある。何しろ、知らんぷりを決め込んだのは相手の方ではなく。

 

 

「……帰った」

「マジかよ? 随分失礼なやつだな、戦闘体とはいえ人の身体吹っ飛ばしといてそのまま――」

「いや、俺が」

「「おい」」

「あーあーうるせー、ステレオでツッコミ入れてくんじゃねーようざってえ。流れでそうなっちまったんだよ、流れで」

 

 

 がしがしと頭を掻いて明後日の方向を見る影浦。いつものように不快な感情が刺さったからではなく、単にばつが悪いからである。機材の使い方さえ知っていれば流石に返事の一つくらいはした――いや、どの道やはり無視して帰っていたかもしれない。わからない。まあ、可能性の話なんてどうでもいいだろう。

 

 

「ったく……狙撃手(スナイパー)()って言ってたよな? 年下のやつか、それとも女子か?」

「んだよ荒船、やけにしつけーなオイ」

「鋼が言ってただろ? 撃たれた方に許されなかったら、撃った方はいつまでも引き摺るってよ。カゲがもう気にしてなくても、フォローの一つくらいは入れてやるに越したことねえだろ」

「――何だそりゃ、めんどくせェ。確かに今となっちゃ笑い話だろうけどな、これでも俺ァ被害者だろーが。ヒガイシャ」

「だからこそ、だ。――まあ、そいつが太一と同じようにきっちり反省出来るやつかどうかは知らねえけどな」

「……ケッ」

 

 

 別役太一と反省。対義語か何かだろうか。先の話を聞いていなければまるで結びつかない概念だった。

 荒船の言いたいことは理解できる。他の誰でもなく、被害を被った影浦自身に赦されて初めて、あの狙撃手(スナイパー)の女は味方殺しの罪から解放されるのだと言いたいのだろう。だが、しかし。

 

 

 

『ひっ――』

 

 

 

 ……半分の身体で振り返った時に向けられた、『恐怖』という名の棘の痛みを思い出す。

 あの痛みを塗り替えるほどの『反省』とやらが、果たしてあの女の中に眠っているものだろうか?

 

 

 

 

 

 ぶるり、と。尻ポケットの中身が震える。別に誰かに触られた訳では――ねェに決まってんだろ。なんでそんなこと考えた俺。マジで鋼の言ってた通り疲れてんのか?

 スマホを取り出し画面を確認する。着信、有り。

 

 

「……あァ? 珍しいなオイ」

「電話か? 早く出てやれよ」

「わーってるっつーの。――おう、なんか用か? ユズル」

 

 

 荒船の催促をしっしっと手で追い払い、電話に出た。

 絵馬ユズル。影浦のチームメイトであり、例の女や別役太一と同じ狙撃手(スナイパー)の一人でもある。影浦との関係は良好であり、訓練の後には実家のお好み焼き屋に連れていって食事を奢ることもある仲だが、絵馬の方からこちらに連絡を入れてくるのは珍しいことだった。

 

 

『悪いねカゲさん。個人戦やってるとこ邪魔しちゃって』

「ちょうどロビーで駄弁ってたとこだから気にすんな。で? 何だよ」

『昨日カゲさん、防衛任務で狙撃の巻き添え食らって緊急脱出(ベイルアウト)したでしょ』

「……なんでおめーがんなこと知ってんだ」

 

 

 うんざりだという感情を全力で顔に出す影浦。まさかとは思うが、犬飼あたりがあちこちに喧伝して回っているのではないだろうか? 気付けばボーダー中で訓練生どもの噂になっているのだ。『影浦、狙撃されたってよ』とでも。されてねーよ誤射だわクソッタレ。事実が捻じ曲がって伝わっから噂ってやつはクソなんだよ。タイトル詐欺だ詐欺。

 

 

『オレの知り合いなんだよ、カゲさんのこと撃っちゃった人。直接会って謝りたいから手助けしてくれって頼まれた』

「……あァ? マジかよ」

『一応、本人なりに反省はしてるみたいだよ。でも――カゲさんの場合、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……そういうワケなんだけど、今って時間ある?』

「…………」

 

 

 すぐには、返事を返せなかった。

 影浦雅人の副作用(サイドエフェクト)は、表面だけの謝意を見逃さない。その裏にある本心を的確に感じ取り、影浦の身を傷付ける。絵馬がそのことを理解出来ていないとは思えない。性根の腐った人間は影浦にとっての害でしかないと知った上で、絵馬は件の女を影浦に会わせたいのだと言う。少なくとも絵馬にとっては、あの女はそれなりに信の置ける人物なのだろう。

 それでも尚、緊急脱出(ベイルアウト)の直前に見た女の怯えた顔と、あの胸の痛みが影浦の口を鈍らせていた。自身の外見や態度が周囲に威圧感を与えるものだという自覚はあったのだが、ああも直接恐怖心を向けられたのは久々のことだった。ただでさえ僅かな怯えを抱えていたところに、その対象を怒らせるような真似をしでかしてしまったのだから無理もないが――

 

 

『……これは本当、カゲさんには何も関係のない話なんだけど』

 

 

 おもむろに、電波の向こう側で絵馬が口を開いていた。流石に沈黙が長過ぎたかと意識を切り替えかけたところに、

 

 

『撃ってはいけないものを撃っちゃったっていう経験は、早めに乗り越えておいた方がいいと思うんだ。そうじゃないと――もう二度と、人を撃てなくなっちゃうかもしれないから』

 

 

 人を撃てない狙撃手(スナイパー)の弟子である少年が、そんなことを言った。

 副作用(サイドエフェクト)などに頼らずとも察せられる、絵馬ユズルの本心が表れた言葉だった。

 

 

「……だー、クソッタレ」

 

 

 どいつもこいつも。

 本当に、どいつもこいつもお人好しが過ぎる。

 別役太一を赦したという村上も、影浦自身が赦すことに意味があるのだと諭す荒船も、知り合いの女を心の底では案じている絵馬も、誰も彼も。

 

 

 人の心を感じ取る術など知らない癖に、どうして彼らは、誰かのために優しくなることが出来るのだろうか。

 

 

「――夕方まではロビーにいっから、来るなら来いって言ってやれ」

 

 

 ヤケクソ気味にそう言い放って、影浦はがしがしと頭を掻いた。

 何の感情が刺さってきている訳でもないのに、自身の振舞いがやたらとむず痒いものに思えて、仕方がなかった。

 

 



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『影浦雅人~感情受信体質~』2/2



絵馬ユズル君の好きな食べ物、カレーとクリームシチュー。
母親の味って感じがしてほっこりする組み合わせですよね。

ちなみにBBFで確認できる絵馬ユズルの家族構成は

『父』

以上。




 

『――ってことだから、後は自分で何とかしなよ。ヒナさん』

「……うん、ありがと兄さん。今度お給料入ったら、お礼に食堂のカレーでも奢るね」

『貰っとく。でも別にナスは付けなくていいから』

「そう? 食べてみると意外とおいしいよ、ナスカレー」

「せやろ?」

「せやんな」

 

 

 知らないゴーグルのお兄さんと最後にそんなやり取りをして、撫子は絵馬との通話を切った。好みの食べ物がカレーとクリームシチューっていうあたり、年相応って感じで可愛いよね。言ったら絶対怒るだろうから言わないけど。

 今更ながら、今回の件とは一切関係がないというのに絵馬にはすっかり世話になってしまった。この機会を無駄にする訳にはいかない。何としてでも全力で、影浦雅人に赦しを請わなくては――

 

 

(……って、そうじゃない。そうじゃないでしょバカ)

 

 

 がつんと額を壁に叩きつけ、自分を戒める。

 赦してもらうために影浦の下へと赴くのではない。自分がやるべきことはただ、前日の愚かな行いを深く恥じ入り、二度と同じ過ちは繰り返さないという誓いを立て、誠心誠意、心の底から彼に詫びを入れることだけだ。赦す赦さないは自分の考えることではない。そう、犬飼澄晴もこんな風に言っていたではないか。

 

 

『キミが本気でカゲに謝るつもりなら、その真剣さと申し訳なさをありのままぶつけることだね』

 

 

 温情を前提に行動するのは、罪を犯した者の取るべき態度ではない。恥を知れ、日向坂撫子。

 

 

「――ええ目になりよったな、嬢ちゃん」

 

 

 壁から額を離すと、ゴーグルのお兄さんが腕を組み満足げに頷いていた。後方師匠面ってこういう人のことを言うのかなと撫子は思った。ていうかマジで誰。

 

 

「ありがとうございます、謎のゴーグルお兄さん」

「礼なんぞいらへんて。ナスカレーが好きな女の子に悪いやつはおらへんねんな。むしろ女の子に生まれた時点で存在自体が善みたいなモンや」

「それは流石に女っていう生き物に夢見過ぎだと思いますけど」

「このゴーグルが俺の目に映る世界を夢みたいに彩ってまうねん……」

「それ、外すとどうなるんです?」

「キミと目ぇ合わせて喋れなくなる」

「…………」

「ちょ、アカン! 取ったらアカンてホンマ! 俺はカワイイ子と裸眼で1秒以上見つめ合うたら心臓止まってまう呪いに掛かってんねん!」

 

 

 それ、見つめ合ってもあなたが無事だったらあたしは可愛くないってことになりますよね? と意地悪く追い詰めたくなる気持ちをぐっと堪えつつ、撫子は男のゴーグルから手を離した。

 いかんいかん、真面目にやるって決めた傍から顔も知らない男のひとと漫才やってる場合じゃないでしょ。でも何かやけに波長合うなあこのひと。もっと違う設定で、もっと違う関係で出会える世界線を選べたら良かった。グッバイ。君の運命の人は僕じゃない……。

 

 

「わかりましたゴーグルのお兄さん。あなたの素顔を暴くのは今日は諦めますので、代わりに一つお訊ねしても構わないでしょうか」

「姓は生駒の名は達人。今年の春から大学生、4月29日生まれねこ座のB型――」

「ガバガバ個人情報ありがとうなんですけどそういうのじゃないですごめんなさい。その……」

 

 

 放っておいたらスマホの暗証番号まで喋ってくれそうな勢いで語り出したゴーグルの男――生駒達人に待ったを掛けて、撫子は自身の望みを口にした。

 

 

「……個人(ソロ)ランク戦のロビーって、どこにあるのかご存知です?」

 

 

 日向坂撫子、担当ポジション狙撃手(スナイパー)。個人戦に一切縁のない女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 で。

 着きました。

 

 

「ここやで」

「おぉ~……」

 

 

 ロビーに足を踏み入れた撫子が真っ先に感じたのは、活気であった。狙撃手(スナイパー)の合同訓練場もそれなりに多くの隊員達が集まりはするのだが、そのポジション柄いわゆる『職人肌』的な性格の隊員が多いため、数が揃ってもこれだけの騒々しさは生まれない。しかしこの空間にはなんというか、ライブ会場か何かのような熱気が籠もっている。オトコのコの世界って感じするなー、というのが撫子の率直な感想であった。

 

 

「わざわざ案内までしてくれてありがとうございます、イコさん先輩」

「ええねんええねん、俺もメシ食い終わったら寄ろう思とったところやさかい。報酬はスイス銀行にでも振り込んどいてくれたらええわ」

「R.I.P...」

 

 

 あたしもいつかはゴルゴみたいなスゴ腕の狙撃手(スナイパー)になれるといいなあ。そんなことを思いつつ、目当てのぼさぼさ頭をきょろきょろと探し回る撫子。

 ……見当たらない。目立つ頭してるから割と見つけやすいと思うんだけどなあ。隊服だって真っ黒だったし。

 

 

「そういや、ヒナちゃんて何しにここ来たん? 自分狙撃手(スナイパー)言うとったやろ」

「いやですね、ちょっと目つき悪くて髪はぼさぼさで歯はギザギザのヤンキー系お兄さんを尋ねに参りまして……」

「カゲやん」

「そう、カゲさんです! 影浦雅人先輩!」

 

 

 ロビーに辿り着くまでの道すがら、撫子は生駒にある程度の自己紹介を済ませてあった。相手の名前も誕生日も聞いちゃったしまあそれくらいはね。ちなみにあたしは8月2日生まれぺんぎん座のO型です。誰か祝って。

 

 

「何やったら知ってそうなやつに声掛けたろか?」

「……いいんですか? なんかあたし世話になりっぱなしな気が……」

「ま、ここまで来たら乗りかかった舟っちゅうやつや。そう、乗りかかった――」

 

 

 などと言いつつ右に左に首を振る生駒の視点が、徐にある一点で停止する。その方向へと小走りで駆けていったと思うと、大画面の対戦映像を眺めている帽子の男に向かって――

 

 

「乗りかかった荒船!!」

「うおっ!?」

 

 

 背後からのボディプレスを敢行した。

 というのは誇張表現であり、実際は軽く勢いを付けて肩に手を置いただけである。とはいえ人の不意を突くには充分な行動であり、案の定帽子の男からも驚きの声が漏れた。

 男が振り向き、撫子の位置からでも顔が見えるようになる。いわゆるイケメンというよりは男前の二文字が似合う感じの精悍な顔付きで、あ、シンプルにカッコいいなこの人と撫子は思った。ボーダー男子って顔面偏差値高くない? とも思った。犬飼、辻、影浦、そしてこの帽子の男と、昨日からやたらと顔の良い男にばかり縁がある。これはイコさん先輩の素顔にも期待できますよ。わくわく。

 

 

ホンマに乗りかかるやつがおるか! 俺!!

「……今日はやけにテンション高いですね。何か良いことでもあったんですかイコさん」

「ちゃうねん、丁度ええところに荒船がおったからこらもう乗りかかる流れやろ思うて」

「どういう流れですかそれは……お」

 

 

 どうやら真面目な人柄のようで、明らかに生駒のマイペースっぷりに困惑している。感情(エモーション)よりも理論(セオリー)を優先するタイプなのかもしれない。そんな男の目線が、生駒の後ろをとてとてと着いてきた撫子に気付いて止まる。

 ……お、おおう。影浦先輩ほどじゃないけど、この人に見られるのもちょっぴり緊張するぞぅ。犬飼先輩だと特にそういうのなかったんだけどな。雄度の違いってやつ? わからーん。

 

 

「その子は?」

「ヒナちゃんやで」

「ど、どもです」

「……イコさんの連れ……は流石にねえか」

「アホウ荒船、連れ言うたら普通は男友達のことやろ。ヒナちゃんに失礼やで」

「ああ、関西の方じゃそうなるのか――関東(こっち)だと彼女とかそういう意味になるんですけど」

ばっ、おま、アカンやろ荒船! 俺はカワイイ子と付き合うたらアカン顔やろが!! ……え、そんなことある? ないよね?」

「そこであたしに振るなら大人しくその顔見せて下さいよう」

 

 

 ホンマにそのゴーグルぶん取ったろかと脳内で関西弁が伝播している撫子である。カワイイって言ってもらえるのはまあ、女子として素直に嬉しいとこですけど。でもなんかこのひとの場合誰にでも似たようなこと言ってそうで信用ならんなあ……逆に言われてない方が特別感出そう。なんとなくだけど。

 

 

「――と、悪い。こっちの紹介がまだだったな。攻撃手(アタッカー)の荒船哲次だ。挨拶するなら帽子取った方がいいか? ヒナちゃんとやら」

是非!! ……失礼、どうぞお構いなく。狙撃手(スナイパー)の日向坂撫子です」

 

 

 危ない危ない。礼儀を無視して欲望が漏れ出てしまった。いや、別に帽子が悪いわけじゃないんだよ? ただ直感がこう囁いたのだよ、このひとの帽子オフ姿っていうのは割とレアなんじゃないかって。拝めるものなら拝んでおきなさいって……誰ともなしに撫子は胸中で言い訳に走った。

 

 

「何や知らんけど、ヒナちゃんカゲに用があるらしいねん。どこおるか知らんか? 荒船」

「……ひょっとして君のことか? 昨日カゲのこと撃っちまった狙撃手(スナイパー)ってのは」

「うっ……じょ、情報が早い……はい、あたしです。お恥ずかしながら」

「悪いな、呼びつけた当の本人が留守でよ。電話切って3分くらいは大人しくしてたんだが、結局我慢し切れなくなって始めちまった」

「……始める? 何をです?」

「そら、ロビー(ここ)におるやつがやること言うたら一つしかあらへんやろ」

 

 

 そう口にした生駒の顔は、撫子の方を向いてはいなかった。先程までの荒船が注視していたもの――電光掲示板に映し出された、隊員達の戦闘風景へと移っている。攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)射手(シューター)――様々なポジションの隊員達が覇を競い合っているその中に、撫子は探していた男の姿を見つけた。

 

 

 

「――個人(ソロ)ランク戦や」

「あ……」

 

 

 

 舞台は市街地、大通りのど真ん中。

 右手に刀、左手に大楯を持ち、鋭い目つきで身構えている前髪を上げた男――その正面。

 牙のような歯を剥き出しにして、影浦雅人が、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 振り子のように腕をしならせて振るったスコーピオンの刃が、大楯(レイガスト)によって防がれる。

 舌を打つ間もなく、スラスターを吹かして距離を詰めてくる村上。毎度のことながらこの急加速が鬱陶しい。マンティスによる射程の有利を一瞬にして潰される。尤も、密着しての斬り合いならこちらとしても望むところなのだが――盾ごと突っ込んでくるつもりであるのなら、流石に付き合ってはいられない。

 

 

「バレてんだよ」

 

 

 弧月を振るおうという意識を感じない。斬撃の前兆が()()()()()()()(シールド)モードのまま突進を仕掛けてくるつもりのようだ。

 横に一歩、最小限の動きで身を躱し、自身を追い抜こうとするがら空きの背中にスコーピオンを突き立てる。振り向いて大楯(レイガスト)で捌いてくるか、或いは振り向きもせず後ろ手の弧月で防ぐような曲芸染みた真似でも決めてくるか――しかし、村上の選択はそのどちらでもなかった。

 ガキンと音を立てて、スコーピオンが半透明の障壁によって防がれる。集中シールド――大楯(レイガスト)と弧月の両トリガーを手にしている以上、起動し得ない筈の第三の防御策。と、いうことは。

 

 

「――弧月は()()かよ!」

「ご明察だ」

 

 

 鞘から抜いてはいるものの、切れ味を失ったOFFモード。その状態の弧月は、トリガーの使用判定には含まれない。道理で斬る気が見えない筈だ――僅かに驚嘆した影浦の隙を突かんと、続けざまに村上の手が動く。

 

 

(ブレード)モード――スラスター!」

 

 

 大楯(レイガスト)のシールド部分が形を変えて、半透明の刃を作り上げる。このタイミングで初めて、影浦の胸に村上の戦意が突き刺さってきた。即座に集中シールドを展開し、供給器官をカバーする。

 直後、振り向きざまに投擲された大剣(レイガスト)がそのシールドを突き破――らない。的に突き立った弓矢の如く空中で僅かに静止して、それから間もなく地に落ちる。それと同じタイミングで、大剣(レイガスト)の抜け落ちたシールドもぱりんと音を立てて砕け散った。

 もうちょい範囲ケチってりゃ死んでたな、こいつは。胸中でそう独り言ちつつ、影浦は大剣(レイガスト)のグリップ部分を蹴り飛ばして村上に寄越した。開発者の寺島雷蔵が目にしたら憤激しかねない雑な扱いっぷりであった。

 

 

「使えよ、オラ」

「……意表を突いてからのスラスター投げも通らないか。相変わらず手強いな、その副作用(サイドエフェクト)

「ケッ。おめーが言えた台詞かよ」

 

 

 たった一日相手をしなかっただけで、またしても新たな技術が身に付いている。この調子で()()を続けていったら、果たしてどんな怪物が出来上がるのか――尤も、どれだけ月日が経ったところで後れを取るつもりなど、影浦には毛頭ないのだが。

 

 

「昨日は結局捕まんなかったよな。見てねー間にどんなネタを仕入れてきやがった? 出し惜しみしねーで見せてみろよ、オイ」

「――それなら、こういうのはどうだ?」

 

 

 自身の足元に転がってきた大剣(レイガスト)を拾い上げ、弧月と共に構える村上。てっきり盾に戻して普段通りのスタイルで仕切り直すものだと思っていたのだが、まさかこれは。

 

 

「……弧月とレイガストの二刀流だァ? どこぞのヒゲ野郎にでも影響受けたのかよ」

「そのまさか、だ。昨日はまる一日太刀川さんに捕まってた」

「ぶはははは! おめーもとうとうあの野郎に目ェ付けられちまったな? 同情してやるよ、鋼」

 

 

 太刀川慶。ボーダーNo.1攻撃手(アタッカー)にして、近々個人(ソロ)ポイント4万の大台に達しようという馬鹿じゃねぇのこいつボーダー屈指のランク戦ジャンキーでもある男。影浦も他人のことをどうこう言えた口ではないのだが、流石に単位を犠牲にしてまでランク戦に身を捧げるほどの愚かさは持ち合わせていない。何のために大学行ってんだろうなアイツ。通う気ねェならハナから進学なんざしなきゃ良かったんじゃねえの。少なくとも俺ァ大学なんざこれっぽっちも通う気ねーぞ。将来? 進路? 知るか。いざとなったら兄貴追い出して俺が店継ぐわ。

 

 

「おかげで収穫はあったさ。今日のオレには、一日中受け続けたあの人の剣が嫌って言うほど染み付いてる」

「ケッ。にわか仕込み――って言えねーのがおめーの副作用(サイドエフェクト)のウゼーとこだが、だからってレイガストで弧月の真似事が出来っかよ」

「……オレがもし米屋だったら、あいつの口癖を使いたくなる場面だな」

「あァ?」

 

 

 珍しいことに、戦闘中にも拘らず村上の口元が笑みの形を作っている。剣を振るっている最中は機械のように死んだ目をしているのが常だというのに、例のヒゲ野郎から余裕ぶった態度をも模倣するようになったのだろうか?

 或いは――村上もまた、この戦いを純粋に楽しんでいるのか。

 自分と同じように。

 

 

「――『と、思うじゃん?』だ」

 

 

 村上の初手は旋空弧月。横薙ぎに振るわれた一撃を、身を伏せて回避する影浦。太刀川であればすぐさま二発目の旋空が飛んでくる場面だが、村上の手に二本目の弧月はない。にも関わらず、感情受信の副作用(サイドエフェクト)は瞬く間に押し寄せる二撃目の存在を伝えてくる。

 その答えは眼前に迫る村上と、大剣(レイガスト)の剣先から噴出するトリオン粒子の輝きが教えてくれた。今度こそシールド突撃(チャージ)ではなく、スラスターによる加速の乗った大剣(レイガスト)で直接ぶった斬ろうという腹積もりな訳だ。

 

 

「上等……!」

 

 

 ようやく待ちに待った正面切っての殴り合い、もとい斬り合いの時間だ。袈裟懸けに振るわれた大剣(レイガスト)を後方へのステップで躱して、返し刃のスコーピオンを繰り出す影浦。その反撃を村上は弧月で受け――そこからは、スコーピオン二刀流と弧月+レイガストの異色二刀流による手数勝負の時間だった。

 スコーピオンの耐久力は、弧月やレイガストと比べて遥かに脆い。まともに刃がぶつかり合えばたちまち砕け散ってしまう。しかし影浦は、感情受信の副作用(サイドエフェクト)によって相手の剣線をある程度察知することが出来る。その線を自分から逸らすようにスコーピオンを巧く当てることで、村上の二刀を捌き切ることが出来ていた。

 とはいえ、これが本物の太刀川慶相手であればそうはいかない。あの男の剣速は出鱈目染みており、攻撃が飛んで来ると思った頃には現実の刃が追い付いてきている。感情受信も糞もないのだ。それと比べた村上の二刀流は、完成度こそ流石の一言に尽きれど、やはり――

 

 

「オラオラおせーぞ鋼ォ! おめーが覚えた太刀川の剣ってのはこんなモンかよ、あァ!?」

「手厳しいな」

 

 

 ――速さが足りない。

 強化睡眠記憶。覚醒中の経験を睡眠時にほぼ100%学習するという、村上鋼の副作用(サイドエフェクト)。自身が体験したことであれば何であろうと模倣できると思われがちなこの副作用(サイドエフェクト)だが、実際はそこまで万能なものでもないだろう。村上がどれだけ太刀川の技を受け続けたといっても、それで身に付くのはあくまでも受け手として得られる情報しかない。直接太刀川の身体に乗り移って、弧月の振り方を覚えた訳ではないのだ。どれだけ精度が高くとも、結局のところは見様見真似。完全なる再現には至らない。

 ましてや片手はレイガスト。弧月と同じ感覚で振り回そうと思えば、どうしたって動きに無駄が出る。案の定ちょくちょくと、攻撃の合間に差し込めるだけの余裕が出来てしまっている。影浦は的確にその瞬間を狙い撃ち、スコーピオンによる細かな斬撃を村上の戦闘体に刻んでいた。流石に首や心臓を直接狙えるだけの隙は与えてくれないものの、このまま事が運べばトリオン漏出過多による緊急脱出(ベイルアウト)は免れないだろう。

 

 

「よお、このまま行きゃあこっちの判定勝ちだぜ」

「――だったら一発、逆転KOでも狙ってみるか」

 

 

 と、来れば。

 そういう思考に至るのが、道理である。

 

 

(――そーやって大振りになんのを待ってたぜ)

 

 

 KO勝ちを狙っているのはこちらも同じだ。チクチクと刺すだけの鬱陶しい立ち回りなど、するのもされるのも性に合わない。大剣(レイガスト)を振り上げた村上の胸元はがら空きで、この斬り合いの最中(さなか)では弧月をOFFにしてのシールド展開も間に合わないだろう。村上の戦意は影浦の右肩付近を鋭く刺してきてはいるが、実際の斬撃が届くよりもこちらが胸を穿つ方が――速い。

 これまでに受けてきた大剣(レイガスト)の体感速度から、影浦はそう判断した。自身の狙い通りに隙を生み出せたという驕りも、少なからずあったのかもしれない。とあるボーダー正隊員の言葉を借りるならば、そう――

 

 

『物事がうまくいってるときは、操られてても気付けない』

 

 

 ――釣り出されたのは自分の方だと気付いたのは、急加速した大剣(レイガスト)によって、自身の右肩から先を刎ね飛ばされた後のことだった。

 

 

「……!?」

「迂闊だな、カゲ」

 

 

 村上の煽りに憤るよりも、自分で自分を罵りたい衝動に駆られた。迂闊――全くもってその一言に尽きる。村上は最初から、大剣(レイガスト)の隙を突いて自分が勝負を決めに行くことを読んでいたのだ。決着の一撃を繰り出そうという最も油断する瞬間における、()()()()()()()()()()()()()()()()。推進力によって振り回される都合上、一度格闘戦が始まってしまえばスラスター斬りは振るえないものだと思い込んでいたのだが――認識が甘かったと思わざるを得ない。地面に向けて振り下ろすように(ブレード)を加速させればいいだけの話だったのだ。『レイガストでは弧月の代わりにならない』という影浦の慢心をも逆手に取った、意識外からの奇襲であった。

 失敗を悔やむ間もなく、矢継ぎ早に繰り出された村上の弧月が影浦の胴を薙がんと襲い掛かる。このまま斬り合いを続けるのは不味い。腕を失っても肩から無理矢理生やせば二刃のスコーピオンを振るうことは出来るが、右側のリーチが大幅に縮まることは避けられない。ここから先は村上も容赦なくスラスター斬りを繰り出してくることだろう。バランスを欠いた二刀流で、本気になった村上の双刃を捌き切れるとは思えない。ここは一度距離を離して仕切り直しを――

 

 

(――違ェ!)

 

 

 振るわれる弧月の軌道と、村上から刺さる戦意の受信箇所が一致していない。()()()()()()()()()()()()()。旋空――後ろに下がることを読まれている。こちらのステップバックに合わせて旋空を起動し、回避したと思ったところを叩き斬るつもりなのだ。後ろにも横にも逃げ場がない。

 考えるよりも先に、足が前に出ていた。

 

 

「…………!」

 

 

 目を見開いたのは村上であった。影浦の取った体勢は、格闘技で言うところのクリンチ――首相撲の格好となる。胴薙ぎに振るった弧月の刃は虚しく空を切り、影浦を自ら懐へと抱き込むような形になってしまう。

 自身の首元で獣の如く影浦が息を吐いた瞬間、村上は己の敗北を悟った。

 思えば自分はいつも、この状況にだけは陥らないよう、レイガストを剣ではなく盾として使い続けてきたというのに――

 

 

「――今の台詞、そっくりそのまま返してやんぜ」

 

 

 どすり、と。

 首に絡めた左腕から新たに生やしたスコーピオンの刃が、村上の喉を突き破っていた。

 スコーピオン使いに組み付かれることは死を意味する。攻撃手(アタッカー)界隈の鉄則である。

 村上の両手から二刀が零れ落ち、身体に刺さっていた戦意が全て抜け落ちたのを確かめて、影浦は首の拘束を解き、身を剥がした。伝達系を切断した以上、もう村上にトリガーを操る術はない。現に全身を罅割れが覆い始めている。とはいえ、緊急脱出(ベイルアウト)の前に少し話すくらいは出来るだろう。

 

 

「迂闊なのはおめーも同じだっつーんだよ、ボケ」

「……初めての二刀に浮かれ過ぎたな。覚えたての剣を振るうのに夢中で、防御の意識が鈍った」

「はっ、おめーでもそんなガキみてーに浮かれることあんのかよ? 鋼」

「勿論、あるさ。――()()()()()()?」

 

 

 直後、村上の戦闘体は爆煙の中に姿を消し――無機質な電子音声が、一本目の終わりを告げた。

 なるほどな、と。ブースに戻されるまでの僅かな時間、独り残された仮想の世界で、影浦は一つの納得を得た。感情受信体質。影浦雅人が感じ取るのは、負の感情に留まらない。この戦いの間に自身が感じていた高揚感というのは、影浦だけが抱いていたものではなく。副作用(サイドエフェクト)を通じて、村上からも、きっと――

 

 

「……へっ」

 

 

 知らず知らずのうちに、口元が笑みの形を作り上げていた。

 クソみたいな一日だった。昨日のことだけを指して言えば、それは紛れもなくその通りだ。

 それでも一夜が明けてみれば、こんなにも退屈しない時間が待っている。

 道を歩けば苛立ちに当たる、クソみたいな毎日だが、それでも――

 この高揚の中にいる間だけは、忘れられるのだ。何もかもを。

 

 

 

「スリルあったぜ、鋼」

 

 

 

 ――きっと自分は、この感覚を味わうために生きている。

 転送の間際にぽつりと漏らした一言は、村上鋼へと贈られた、影浦雅人にとって最大級の賛辞であった。

 

 






冒頭の人はプロット段階では出演予定が一切なかったのですが、
ユズル君の好物がカレーということでうっかり『ナスカレー』という単語を出してしまった結果
吸い寄せられるように生えてきてそのまま居座ってしまいました。
この現象をナスカレーエフェクトと名付けたいと思います。

次回とその次はちょっと脱線回。



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『生駒達人/荒船哲次~達人問答~』



「初めてしゃべった相手でも、めちゃくちゃ盛り上がるときあるじゃん。
 きっかけがないとしゃべんないから、ホントはそういう相手がたくさんいるのに、気づいてないのかもなんだよね」

 ――小佐野瑠衣




 

 

 ……ああいう顔も、するんだ。

 

 

 画面の中で満足気な笑みを浮かべる影浦雅人を目の当たりにして、撫子は胸中でそんなことを思った。

 獣のような男だと思っていた。獰猛で攻撃的で、迂闊に近寄ると噛みつかれるような、剥き出しの牙をちらつかせた危険な生き物。同じボーダーという組織に所属してはいても、住んでいる世界がまるで違う、異邦人(ネイバー)のような男だと。

 けれども。今の彼は、なんだか。

 

 

(……休み時間に、校庭で友達と遊んでる時の小学生(こども)みたい)

 

 

 仮にも年上の先輩を相手に我ながら酷い言い草であるが、本当にそう思ったのだ。ウチのクラスにもああいう子いたなあ、みたいな。その手の男子を当時の撫子は敬遠していたものだが、高校生となった今改めて眺めてみると、どことなく微笑ましさすら感じるのだから不思議なものだった。この感覚は一体、何なのだろう。

 

 

「……鋼のやつ、ちょいと見ん間に強うなり過ぎとちゃうか? あいつまだ入隊から半年も経っとらんやろ?」

 

 

 一方、ゴーグルの下でポカンと口を開けて試合を眺めていたのは生駒である。どうやら彼は影浦よりも、もう一人の隊員の方に意識が行っているらしかった。

 入隊から半年未満。まさかとは思うが、もう一人の隊員――鋼さんとやらは、自分と同期か下手したら後輩なのだろうか? アレで? あの強さで? 正直二人とも何やってんのかさっぱり解んないレベルでわちゃわちゃ斬り合ってたんだけど、半年足らずであんなに動けるようになるものなの? マジで? 運動音痴の女(うんち)は戦慄した。

 

 

「大したもんですよ。あと一月か二月もしたらマスターになってるんじゃないですかね」

「マジで? 俺らもウカウカしとられへんやん。荒船今ポイントなんぼやったっけ」

「ようやく7000越えたとこですよ。鋼はまだ6000台前半ってとこですけど、稼ぎのペース的には俺とほぼ同時か――或いは、俺よりも先にマスターに手を掛けるか」

「……マスター? ()()()()ですか?」

「そないいきなり名前呼びやなんて!?」

 

 

 生駒達人(イコマスター)、ステイ。撫子が目だけでそう訴えると、生駒もまた無言で頷きを返してきた。そんな二人を内心なんだこいつらと思いつつ、解説のために口を開くのだから荒船哲次は生真面目な男であった。

 

 

「……マスターってのは、使用してるトリガーの個人(ソロ)ポイントが8000を越えた隊員に与えられる称号みたいなもんだ。正隊員基準の4000ポイントみたく、到達したからって何か特典があるワケじゃないが――今のところは、この8000って数字がトリガー使いとしての上級者ラインってことになってる」

「うへぇー……今の倍かぁー……きっつぅ……」

 

 

 8000ポイント。その半分の数字に辿り着くだけでも半年近くを要したというのに、また新たな目標が生まれてしまったというのか。ただでさえ狙撃手(スナイパー)って個人戦ないのに、どこでそんな稼げばいいんだろ。チーム戦だけで行けちゃうものなの? 無理じゃない? 日向坂撫子、挑戦する前から諦めムードであった。よくこれでNo.1目指すとか言えたもんだな。

 

 

「言うてヒナちゃん、あの鳩原ちゃんの弟子やってんねやろ? せやったらこれからガンガン伸びるやろ」

「……鳩原の弟子? 絵馬以外にも弟子いたんですか、あいつ」

「あ、あはは……不肖の二番弟子でーす……」

 

 

 つい昨日、師匠の顔に泥を塗ったばかりの鳩原門下の面汚しです。破門待ったなし。ははは……顔で笑って心で泣く撫子。でも師匠、『あの鳩原ちゃん』なんて一目置かれてる辺りやっぱり凄い狙撃手(スナイパー)なんだよね。きっと個人(ソロ)ポイントもめっちゃ高いんだろうなあ。1万とか行ってたりして。

 

 

「俺ももっと上目指さんとなあ。8()0()0()0()()()()で満足しとったらアカンアカン、太刀川さんなんぞぼちぼち4万越えるっちゅう話なんやから」

「――――」

「……今、フリーザ様の話しました?」

「4万言うたら例の台詞言われたやつの方やろ」

4000(ナッパ)からしたら42000(ネイル)530000(フリーザ様)も化け物には変わりないんですよう」

 

 

 私の個人(ソロ)ポイントは530000です。60年くらいランク戦に身を捧げたらワンチャンあるかなあと撫子は思った。そんな先までボーダー続けられるとは思えないけど。トリオンって大人になったら成長止まっちゃうって話だし、おまけに使わなくなったら少しずつ減ってくっていうんでしょ? それなのにおじいちゃんおばあちゃんになっても現役のトリガー使いとかがいるなら、そのひとはきっと息をするように刀振ったり銃撃ったりするような人生送ってるんだろうなあ。怖い怖い。

 

 

「……イコさんにとって、8000ポイントはあくまでも通過点に過ぎませんか」

「なんや荒船、他人事みたく言いよって。お前かてええ筋しとるし覚えも悪うないんやから、早う()()()に上がって来ぃや。もたもたしとったら鋼のやつに置いていかれてまうで」

「…………」

 

 

 生駒に言葉を返すことなく、帽子の唾に指を添えて沈黙する荒船。無視しているというよりも、何かを考えこんでいるような仕草に撫子の目には映った。

 そんな彼の口が、躊躇いがちに動いて。

 

 

「……正直、誰にも言うつもりなかったんですけどね」

 

 

 ()()()()()には存在し得ない、日向坂撫子という女の入隊、それに伴う生駒達人との邂逅。

 それらのイレギュラーが、結果として荒船哲次に口を割らせる要因となった。

 

 

「俺、8000点を獲ったら――マスターになったら、攻撃手(アタッカー)を辞めようと思っているんです」

「そうなん!?」

 

 

 生駒の大声がロビー一帯に響き渡り、周囲の隊員たちの視線が撫子らに集中する。

 イコさん先輩、『誰にも言うつもりなかった』っていうあたり、これ荒船先輩的にあんまり知られたくない話なんじゃないです? と言わんばかりに撫子が視線を送ると、生駒は即座にぶんぶんと頷き、周囲の隊員たちに「なんもない。なんもないで」と隠蔽工作を行い始めた。露骨か。

 幸いなことに、荒船の発言が聞こえそうな範囲内に他の隊員の姿はなかった。少し前まで影浦雅人が近くのソファを占有していたという話なので、その影響もあったのかもしれない。よほど耳の良い隊員でもない限り、撫子と生駒以外に荒船の告白を聞いた者はいないだろう。すごい耳が良い副作用(サイドエフェクト)の持ち主とか。そんな副作用(サイドエフェクト)あるのかどうか知らないけど。

 

 

「……なんでやねん。なんでやねん荒船」

「別に、攻撃手(アタッカー)が嫌になったとかそういう訳じゃないですよ。前々から決めていたことなんです」

 

 

 周囲の関心が薄れたのを確かめて、改めて荒船への追及に走る生駒。一方、『荒船哲次が攻撃手(アタッカー)を辞める』というのがどれだけの大事なのか理解出来ていない撫子は、関西の人ってこういうとき本当になんでやねんって言うんだなあ……と胸中で謎の感心をしていた。

 

 

攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)狙撃手(スナイパー)――近・中・遠の全部のポジションで8000ポイントを獲って、木崎さん以来の完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)になる。それを達成した暁には、8000点を獲るために組み上げた俺の方式(メソッド)を理論で一般化して、隊員間で共有したいと思ってます。最終的には、俺の理論をボーダー全体に浸透させて、数多くの完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)を排出するのが目標です。……今のところ、絵に描いた餅でしかない話ですけどね」

「す、すげえ……!」

 

 

 今度は撫子が大声を上げる番だった。ただでさえ狙撃手(スナイパー)だけでもマスターとやらに届くか怪しい身である撫子からすれば、異なる3つのポジションで8000点を獲ろうという荒船の野望は、『海賊王に俺はなる!!』レベルの壮大な話に聞こえたのである。木崎さんとかいうのはさながらゴールドロジャーだわ。俺の財宝(ポイント)か? 欲しけりゃくれてやる……とか言ってそう。いや、どんな人なのか全然知らないけど。

 

 

「言ったろ、絵に描いた餅だ。今の俺はまだ、攻撃手(アタッカー)ですら7000点止まりなんだからな」

「でもでも、荒船先輩もあと1、2ヶ月くらいでマスターになれそうなんですよね? そしたら第一目標クリアじゃないですか」

「……そうだな。8000点を獲るだけなら、そのくらいのペースで行けそうな手応えはある。あるんだが――」

 

 

 そこで改めて、帽子の男はゴーグルの男に向き直って。

 

 

「――そもそも8000ポイントっていうのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――みたいなことを、さっきのイコさんの言葉を聞いて、考えてしまったんですよ」

「……そういうことかいな」

 

 

 ばつが悪そうに頭を掻く生駒。何やら真面目(シリアス)な話になってきたような気がする。あたしの存在って場違いになってないかなあと、撫子は妙な不安を抱き始めた。

 

 

「スマンな。お天道様に誓うて言うけど、そないなつもりで言うたんやなかった」

理解(わか)ってますよ。俺が勝手に深みに嵌まっただけです。……それに正直、9000点や10000点越えの方式(メソッド)を組み上げる自信は、今の俺にはないですからね。そのくらいの数字になると、理論以上の()()が必要になってくるような――そういう領域の世界に思えてしまう」

「……ま、そらあるかもしれへんな。メソッドっちゅうんは正直ようわからんけど、そないなぽんぽん万越えのやつが生えてきよったらかなわんわ」

「でも、イコさんは目指すつもりでしょう。1万越え」

「――そら、俺には(これ)しか出来ることあらへんからなあ」

 

 

 そう言って、生駒は空の刀をぶんぶんと振り回す。

 生駒が幼少期から祖父による居合の手ほどきを受けていたのだという話は、食堂からロビーへと移動するまでの道すがら、撫子も耳にしていた。その剣の腕がボーダーの目に留まり、スカウトを受けて三門にやって来たのだということも。

 

 

「ガキの頃から竹刀や木刀振り続けて、三門(こっち)に来ても未だに弧月(カタナ)を握っとる。職人さんのスシみたいなモンやな。これ以外の()を知らへんのや。せやのに、俺の歩いとる道の先には太刀川さんやら小南ちゃんやらが走っとったりする。そのうち鋼も後ろから俺を追い抜いていくやもしれん。そう思うたら、とても自分のことを達人(マスター)やなんて自信持てなくなるやろ。8000ぽっち言うたんはそういうことや」

「……道、ですか」

「やから、俺の言うたことなんざ気にする必要あらへんで。弧月しか振れんアホウの戯言(たわごと)やと思うてくれたらええわ。――俺からしたら、荒船のやろうとしとることの方がよっぽどエラい話やで」

 

 

 生駒もまた、ゴーグル越しに荒船の目を真っ直ぐと見据えている。

 一つの道と三つの道、それぞれを往こうとする二人の男達。

 

 

「俺は弧月やったら1万でも2万でもポイント積み上げる気持ちでおるけど、銃手(ガンナー)やら狙撃手(スナイパー)やらに乗り換えたらそこらの訓練生にも勝てる気がせえへん。せやのに荒船は、攻撃手(アタッカー)と同じように8000点稼ぐつもりでおんねやろ? 俺には到底真似出来ん話や。素直にリスペクトやで、ホンマ」

「……それこそ、イコさんが言うところの楽な道に逃げただけかもしれませんよ」

「アホウ、俺からしたらお前の往こうとしとる道の方が険しゅう見える言うてんねん。弧月で1万獲るんと3つのポジションで8000獲るん、後の方が簡単やなんて誰が決めたんや? そないなこと抜かしよるやつがおったらはっ倒したるで俺が。もっと自分の目指しとるモンに自信持ちぃや」

 

 

 ていん、と。相方に突っ込みを入れる芸人の如く、荒船の帽子に軽めのチョップを入れる生駒。或いは――しっかりしろよと、活を入れたような。そんな気持ちが込められているようにも見える一打であった。

 荒船は一瞬、虚を突かれたようにぼうっとした後――ふっと肩の力を抜き、口の端を吊り上げて笑った。何やら思うところがあったようだが、憑き物が落ちた、ということなのだろう。

 

 

「――ありがとうございます。おかげで吹っ切れました」

「そら良かったわ。あんじょう気張りや、未来のレイジさん2号」

 

 

 生駒もまた、ゴーグルの下に見える口元が笑みの形を作っている。相変わらずその瞳を覗くことは叶わないが、おそらくは彼の方も、荒船同様のすっきりとした表情を浮かべていることだろう。

 そんな男達のやり取りを蚊帳の外で見届けた、4000点ぽっちの女はというと。

 

 

「……なんていうか、お二人とも、すごいです」

 

 

 それ以外に、口に出来る言葉を持ち合わせていなかった。

 影浦雅人に続いて、またしても他者の思わぬ一面を垣間見たような気持ちだった。ひょうきん者の面白お兄さんという印象が強かった生駒にも、剣の道を極めんとする静かな情熱が宿っている。荒船哲次もまた、その大いなる野望を胸に秘めたまま一介の攻撃手(アタッカー)として振る舞い続けていた。親友の氷見亜季、そして師匠の鳩原未来は、近々近界民(ネイバー)たちの世界へと旅立つ予定なのだという。

 誰もがこのボーダーの中で、自分なりの目標や居場所を見つけている。翻ってみて、自分はどうだろう。何の目的意識もなしに、興味本位でボーダーに入り、あっという間に半年近い時間が過ぎていってしまった。どうにかこうにか正隊員への昇格は果たせたものの、今後の展望については真っ新の白紙なのだ。生駒達人が言うところの道など、一寸先も見えはしない。

 

 

 

「――あんたももう正隊員なんだから、いつまでも訓練生気分で私や鳩原先輩に甘えないように。いい機会だからぼちぼち自立しなさい」

 

 

 

 氷見の放った言葉が、今更のように重みを増して、撫子の胸に圧し掛かる。

 朝方の訓練中、『当真勇(No.1スナイパー)を越える』などという大言壮語を小声で吐きはしたが、あんなものはただの夢想だ。生駒や荒船の情熱を目の当たりにした今となっては、口にすることすら憚られる。自分の中に、二人のような確固たる信念は存在していないのだから。

 ……だったらあたしは、このボーダーで一体何がしたいんだろう?

 防衛任務で近界民(ネイバー)と戦って、街を守って――それだって立派なお仕事だけど、イコさん先輩や荒船先輩、それに、()()()()の楽しそうな顔を見てたら、なんだか。

 あたしもこのボーダーの中で、自分だけの特別な何かを見つけられるんじゃないかって。そんな風なことを、考えてしまうのだ。

 

 

「とと、すまんなヒナちゃん。すっかり置いてけぼりにしてもうた」

「いや……なんていうか、聞いててずうっと圧倒されっぱなしだったっていうか。意外と熱い人だったんですね、イコさん先輩」

「……確かに、俺もまさかイコさんとこんな話をする日が来るとは思ってなかったな。巡り合わせっていうのはあるもんだ」

「ちょ、何やねん急に二人揃うて。そない褒めたって何も出ぇへんで」

「何言ってるんですか……先輩があたしに差し出せるものならその耳にずうっと引っかかってるじゃないですか……ほら……ほら……」

「キャーッ! ヘ、ヘンタイ!」

「男と女が逆じゃねえのかこのシチュエーション……」

 

 

 ――ああ、こうやってすぐに不真面目な方(コメディ)へと逃げてしまうから、きっとあたしは何をやっても長続きしないんだろうなあ。

 『せや、代わりに荒船の帽子くれたるからそれで堪忍してぇや』と生駒が荒船を売り飛ばした結果、最終的に三人揃ってのわちゃわちゃとした騒ぎに発展していく中――心の隅の隅の方で独り、日向坂撫子はそんなことを考えていた。

 

 






そういうことだこらぁ



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『村上鋼~強化睡眠記憶~』

 

 

「……にしても、カゲと鋼のやつ出てくるん遅過ぎとちゃうんか? とっくのとうに勝負終わったやろ、ブースん中で何やってんねん二人して」

 

 

 日向坂撫子とのゴーグル防衛戦が一段落したところで、生駒は相も変わらず分厚いレンズに覆われた視線を電光掲示板の戦闘映像へと向けた。そう、撫子はゴーグルの奪取に失敗したのである。敗北者じゃけえ……。

 それはそうと、確かに二人とも出てくるのが遅い。影浦の勝利で決着したところまでは観ていたのだが、生駒と荒船の対話に気を取られていたせいですっかりその後の動向を追い忘れていた。という訳で、生駒に倣って大画面へと目をやる撫子。

 すると、そこには。

 

 

 

影浦×××
村上×××××

 

 

 

「何がっつり10本やろうとしてんねん!?」

 

 

 生駒達人、絶叫。個人(ソロ)ランク戦に疎い撫子としては『あ、ランク戦って一本取ったらそれで終わりじゃないんだー……』くらいの感覚だったのだが、どうやら本職から見ても割と長期戦の形式で戦り合っているらしい。

 

 

「……日向坂さんを待つって話を完全に忘れてんなあいつら。鋼のやつまで一緒になって何やってんだか……」

「なんやカゲのやつ、ヒナちゃん来るの知っとって鋼とバチバチしとるんか? そらアカンやろ、女の子待たせる男はモテへんっちゅうんが世の中の鉄則やで。こら、いっちょ割り込んでガツンと――」

わー! ちょま、いいですいいですいいですって!」

 

 

 ディーフェンス! ディーフェンス! と言わんばかりに両手をばたつかせて生駒の前に立つ撫子。ただでさえこちらは謝罪を目的として影浦の下を訪れたというのに、相手が趣味の時間を満喫しているところに無理矢理割って入ることなどあってはならない。

 

 

「あの、完全にあたしの一方的な都合でお邪魔してるだけなので。本当だったら話も聞かずに追い払われても文句言えない立場なので。お気持ちは大変ありがたいんですが、どうかお控えなさって下さいイコさん先輩。何卒何卒……」

「……そういやさっき、荒船がなんや言うとったな。ヒナちゃんがカゲのこと撃ってもうたとかなんとか……それ、どういう話なん?」

「まあ、いきさつを簡単に説明するとですね……かくかくしかじか」

「これこれうまうま」

 

 

 魔法の言葉である。

 

 

「……という訳で、あたしが影浦先輩のお楽しみタイムを邪魔するなんてもってのほかなのです。待てと言われたら何時間でも待つ覚悟だし、犬の真似をしろと言われたらいつでもワンと鳴く構えなのです。……あ、でも犬になるっていうと犬飼先輩に飼われてるみたいでなんかやだなあ……」

「犬飼はあの名字で犬飼ってねえって聞いたことあるけどな」

「「詐欺やん」」

「二人してハモることねえだろ……ついでにって訳じゃあないが、真似事でも犬ってのは勘弁してくれ。俺は犬が嫌いなんだ」

「そうなんですか? 猫派とかならまだしも、嫌いってはっきり言う人は珍しいですね……小さい頃にどこか嚙まれたりとかしました?」

「……聞くな」

 

 

 渋面を浮かべて明後日の方向へと目を逸らす荒船。どうやら中々に苦い思い出があるらしい。3つのポジションを選り好みせずにマスターしようとしてる人でも苦手なものってあるんだなあ。思わぬ弱点っていうとカナヅチとかも思い浮かぶけど、流石にそれはないよね。うん。日向坂撫子、無駄に勘の鋭い女であった。

 

 

「せやけど、ただ待っとるのも退屈やろヒナちゃん。何やったらカゲが出てくるまで俺としりとりでもしよか?」

「時間潰すにしても流石にもう少し何かあるでしょうイコさん」

「なんや荒船、そない言うならお前の帽子から鳩か何かでも出してみぃや。おまえもイケメンなんやから女の子ウケする小ネタの一つや二つぐらいなんか持っとるやろ」

「そういう無茶振りは隠岐のやつにお願いしますよ」

「や、本当にお気遣いなく。正直お二人のそういうやり取り聞いてるだけでも割と楽しいですし」

「聞きよったか荒船。ウケとる、俺らヒナちゃんにウケとるで。こらこの調子でがんがん盛り上げてかなアカン」

「趣旨が変わってますよイコさん。……水上の野郎その辺に歩いてねえかな、イコさんの面倒見るのはあいつの仕事の筈なんだが……」

「そない水上が好きやったら水上の(ウチ)の子になればええやない!!」

「百歩譲ってそれが出来る日が来るとしたらイコさんの(ウチ)が一家離散した時ですかね……」

 

 

 生駒達人、リアクションが完全にめんどくさい系女子のそれであった。前回はあんなに真面目(シリアス)な空気出してたのに……やっぱりこのひともあたしと同じで根っこがお笑い(コメディ)なんだなあ……等としみじみ思いつつ、撫子は改めて、影浦と村上の対戦映像へと意識を向けた。

 相も変わらず、撫子の目では追うことも叶わない速度の攻撃を互いに繰り出し合っている。最初の一戦との違いはといえば、村上が二刀流から剣と盾のオーソドックスなガンダム騎士スタイルへと構えを変えたことだろうか。見るからに防御の厚みが増しており、1戦目ではそれなりに村上を捉えていた影浦の刃がまるで通っていない。代わりに手数が減った影響も大きいのか、村上の攻撃も影浦に当たる気配がまるで見られない。いや、それどころかこれは――

 

 

「……影浦先輩ってすごいですね。あんなに速い攻撃なのに、(シールド)も出さずにひょいひょい避けてる……」

 

 

 もはや影浦は、村上の攻撃を光の刃で捌くという動作すら必要としていなかった。まるで攻撃の放たれる位置を予め察しているかの如く、村上の剣を巧みにすり抜けては両腕の刃を存分に振るっている。それを大楯一つで凌ぎ切っている村上もまた怪物に映るのだが、それでも大楯のシールド部分は着実に削れていっているのが見て取れる。このまま影浦が矢継ぎ早に攻撃を繰り出していれば、いずれはぱりんと砕け散ってしまうことだろう。

 

 

「そらまあ、カゲには()()があるからなあ。どんだけ鋼がカゲの攻め方を覚えとる言うても、自分の出す技が当たらんかったら話にならんやろ。3本取りよっただけでも大したもんや。……いや、ホンマにどうやって3本獲ったんやろな? 後で記録(ログ)漁ったろかな……」

「……あれ、ですか?」

「なんや、ヒナちゃん知らへんか? 狙撃手(スナイパー)の方にもそこそこ知れ渡っとると思っとったけどな。何しろ()()やし」

「天敵……」

 

 

 そういえば――と、撫子の脳裏に思い浮かぶ幾つかの言葉があった。

 

 

 

『いやいや、心配してあげたんだって。例の()()()()()ってやつがなくても気を抜かないようにねって』

『……おいおい、マジな話か? カゲに狙撃ぶち当てるたあ中々やるじゃねーの。俺でもあいつに一発かますのは隊長と連携取らなきゃ結構しんどいってのによ』

 

 

 

 あのお絵描き番長ことNo.1狙撃手(スナイパー)の当真勇をもってしても、影浦を単独で狙撃するのは困難だという話。そして、犬飼澄晴の口にした『刺さる感覚』という単語。やはり影浦の副作用(サイドエフェクト)というのは、一種の危機察知能力に当たる可能性が極めて高い。しかし、それなら。

 

 

(……どうしてあたしのアイビスは、あのひとに当たってしまったんだろう)

 

 

 考えられる可能性としてはやはり、直接影浦を狙っての狙撃ではなかったから、ということになるだろう。あの時の自分は影浦の存在に一切気付いておらず、スコープに映る戦闘型(モールモッド)の存在しか()()()()()()()()()。それが影浦の感覚(センサー)に引っかからなかった理由だとするのなら、影浦の副作用(サイドエフェクト)が感じ取るものの正体というのは、即ち――

 

 

 

『意地悪で言ってるんじゃないよ。あんたの場合はきっと、知らない方が上手くいくと思うから。絵馬くんにも聞いたりしたらダメだからね』

 

 

 

「わー! わぁー!!」

「なんやヒナちゃん、さっきからよう手ぇバタバタさせよるなあ。空でも飛びたいんか? はい、グラスホッパ~

「裏声で物真似してるところアレですけどイコさんグラスホッパー使わないじゃないですか」

「イコえもぉん! あたしが今考えてたこと思い出せなくなる道具出してよぉ!」

「しゃあない子やなぁヒナ太くんは……え、ひみつ道具ってそんなんもあるん? どうなん荒船」

「なんでそこで俺に振るんですか……でもまあ、民間人保護した後に連れていく部屋にでも行けば似たようなものは手に入るんじゃないですか」

「……え、ボーダーって人の記憶消しちゃったりとかそういうことも出来るんですか? あたし初耳なんですけど……」

「おま、さらっとボーダーの闇に触れるのやめーや。ヒナちゃんドン引きしてもうたやんけ」

「いや、引いたっていうか普通に驚いたっていうか……ああでも、そっか」

 

 

 不可能な話でもないのかもしれない。副作用(サイドエフェクト)がトリオンによる脳機能の変容で生まれるものだというのなら、トリオンを用いて海馬に影響を与えることで、一時的なエピソード記憶を消し去ってしまうことも、或いは。

 ……いやでも、人道的にどうなのよそれって話は出てくるよね、うん。記憶処理だなんてどっかの財団組織じゃないんだからさ。きっと地下に小さいSCP-3000(アナンタシェーシャ)とかそういうの飼ってるんだよ。C級隊員(訓練生)の下には知られざるDクラス隊員(使い捨て職員)とかがいたりするんだよ。怖い。ボーダーの闇は深い。撫子は結局ドン引きした。

 

 

 あれ? ところであたしさっきまで何考えてたんだっけ? 思い出せない……まさかあたしも知らない間に記憶処理を……? おのれボーダーめ! ゆ゛る゛さ゛ん゛!!!!!11!1!

 

 

 

 

 

 

影浦××××
村上×××××

 

 

 

 などと言っている間にラスト1本になっていた。一同、改めて大画面へと向き直る。

 

 

「鋼が勝っとるとこ映せや!!」

「誰に向かってキレてるんですか……にしても、あの流れから勝ち拾ったのか。まさかの引き分けもあり得る展開になってきたな」

「や、流石に三連勝締めはキツいんとちゃうか? なんや勝負の最中に掴んだんかもしれんけど、きっちり()()()()思うたら一回寝ぇへんとアカンのやろ。鋼の副作用(サイドエフェクト)っちゅうんは」

「別に起きてる間の物覚えが悪いってワケでもないですよ、あいつは」

「そらそうやろけどなあ。……カゲと引き分けるとこまで来よったら、いよいよホンマにウカウカしとられへんな。俺も太刀川さんや風間さんみたく、鋼が俺の剣を覚えよっても勝てへんとこまで鍛え直さなアカンわ」

 

 

 神妙な顔付き(口元でしか判断が付かないのだが)で腕を組み、大画面を見つめる生駒。

 それはさておき、またしても気になる話題を耳に挟んでしまった。さっきからあたし質問ばっかでお二人に申し訳ないなとは思うのだが、それでもこの『あたし、気になります!』という胸中の衝動には抗えない。好奇心の猛獣、日向坂える。もとい撫子。

 

 

「――あの、影浦先輩と戦ってる人――村上先輩も持ってるんですか? その、例の……」

副作用(サイドエフェクト)か?」

「ですです。イコさん先輩は眠って覚えるとかどうとか言ってましたけど……いわゆる睡眠学習的なアレなんですかね」

「……睡眠学習っていうと微妙に意味が違ってくるな。ボーダーからは『強化睡眠記憶』って呼ばれてるらしいが……目が覚めている間に学んだ知識や経験を、一眠りするだけでほぼ完璧に覚えられる――そういう力をあいつは持ってる」

「う、うらやましい……!」

 

 

 え、何それ。はっきり言ってチートでは――いやイカサマ(cheat)って言い方は良くないか。()()()っていうくらいなんだから、村上先輩だって好きで手に入れた能力(スキル)ってワケじゃないだろうし……と、自身の反応を嗜める撫子。が、時すでに遅し。

 

 

「……ま、誰だって普通はそう思うだろうな」

「あ――すす、すみません! うっかり本音が漏れちゃったんですけど、決して村上先輩のことをひがんだりとかやっかむ気持ちはこれっぽっちも」

「うらやましい言うたんは否定せんでええんか? ヒナちゃん」

「うっ……だったら、イコさん先輩は村上先輩の副作用(サイドエフェクト)、欲しいか欲しくないかで言ったらどっちなんですか」

「ものごっつ欲しい」

「ほらぁー!」

「そらまあ、二択で言うたらそうなるわ。せやけど実際、ないもんねだったところでしゃーないしなあ。欲しがったところで手に入るもんやないんは副作用(サイドエフェクト)も彼女も一緒やねんな。……やっぱ本気でモテよう思うたら女の子ウケする趣味とか持っとった方がええんかなあ。ヒナちゃん、俺って何やっとったらモテるようになるやろな?」

「え、え、そんなシームレスに話題転換されても――お、音楽なんかはどうでしょうか……?」

「ええやん!」

 

 

 今日から俺は浪速のクラプトンや! とでも言わんばかりにエアギターをじゃんじゃか掻き鳴らし始める生駒。このひと本当にノリと勢いだけで生きてるな……と呆れた気持ちになりつつも、副作用(サイドエフェクト)に対する生駒の考え方には感銘を受けた撫子である。欲しがったところで手に入るものじゃない、か。

 ……なるほど。

 あたしはまだ、副作用(サイドエフェクト)そのものに対する憧れってやつを捨てきれてないんだな、きっと。

 

 

 

『カゲ――フルネームは影浦雅人っていうんだけど、あいつも()()()()()なんだよね。そのせいでまあ、色々と苦労してるわけ』

 

 

 

 犬飼澄晴はこんなことを言っていたが、実際に影浦が副作用(サイドエフェクト)の何に苦しめられているのかを撫子はまだ知らない。村上鋼についても同様である。メリットのみを聞かされて、デメリットの方を理解していない現状では、どうしても羨望の念が浮かんできてしまうのだ。

 

 

「……その、やっぱり良いことばかりって訳じゃないんですかね。村上先輩の副作用(サイドエフェクト)も」

「――そうだな。初めてあいつの副作用(サイドエフェクト)について聞かされた時、俺はこんなことを言ったよ。『すげえな。そんな力があるなら、サッカーだの野球だのやっても天下取れるんじゃねえか』ってな」

「確かに……」

 

 

 言われてみればその通りだ。自分の所属している組織に対してこう言うのもなんだが、わざわざボーダー隊員などという辺鄙な職業に就かずとも、村上の副作用(サイドエフェクト)をもってすればあらゆる分野で栄光を手にすることが出来た筈なのに。

 どうして彼は、防衛隊員などという()()()()()()()()を選んだのだろうか。

 

 

 荒船は帽子の唾を持ち上げ、大画面の向こう――影浦雅人と斬り結んでいる、件の男へと視線を移して、言った。

 

 

「『その道はオレが楽しくても、周りの皆がイヤな思いをするって解ったから、もういいんだ』――あいつらしくないひでえ面してそう言ったのを、よく覚えてるよ」

「……それは……」

「君はさっき、鋼のことを僻んだりやっかむ気持ちはないって言ってたが――昔の鋼の周りにいた連中は、そうじゃなかったってことなんだろうな」

 

 

 村上鋼の副作用(サイドエフェクト)は、あらゆる経験を一度眠りについただけで学習する。学習してしまう。

 言い換えればそれは、普通の人間の成長速度に合わせることが出来ないということだ。彼が新しく何かを始めようと思った時、自分と同じ初心者の輪の中に入っていったとしても、あっという間に彼は輪の中でずば抜けた存在になってしまう。約束された突出。集団の中に埋没することを許されない。それは確かに、孤独の源となってもおかしくない力ではある。

 その一方で、ならば自分の成長に合わせてステージを上げていけばいいだけの話なのではないかとも撫子は思った。例えば、サッカーならばプロの下部組織に入ってみてもいい。或いはそこでも成功を収めてしまうのかもしれないが、そうなれば後はいよいよだ。周りの目など気にせず、行けるところまで行ってしまえばいい。その道を村上が自ら閉ざしてしまったのは、あくまでも遊びの段階(レベル)で楽しめれば満足だったのか、或いは――

 

 

 ――村上自身が、自分の副作用(サイドエフェクト)に後ろめたさを感じているのか。

 だとしたら、それは。

 

 

「……もったいない、ですね」

「……ああ。そうだな」

 

 

 言葉少なに、荒船は同調した。

 副作用(サイドエフェクト)などではなく、天から与えられた才能(ギフト)だと言い換えてもいいほどの力だというのに。周囲の人間の反応が、村上から自身の異能に対する肯定感を奪ってしまった。それは不幸なことだと撫子は思った。村上鋼という人間が、他人のことを思いやれるが故に起きてしまった不幸。彼がもっと利己的に振る舞える性分だったなら、孤独も妬みも意に介すことなく、堂々と自身の才能に仕えることを許されただろうに。

 村上がボーダー隊員という職業に就いたのも、或いはそういった心の痛みから逃れるための選択だったのかもしれない。身に着けた技術は市民の生活を守るために活かされ、振るう相手は異世界からの来訪者。『誰かのため』という理由が、己を鍛える免罪符になる。彼が何処までも強くなることに、不満を抱く者など現れる筈もない。

 

 

 ランク戦などというシステムさえ存在しなければ。

 

 

 撫子は自分の立っている空間――ランク戦ロビーに群れを成している、数多の隊員達へと視線を移した。

 結局、村上鋼は防衛隊員という立場に身を置いて尚、コミュニティ内での競争から逃れることは出来なかった。個人(ソロ)ポイントの奪い合いという、数字によって明確な優劣が付けられるシステム。村上はこれからも瞬く間にポイントを積み上げて、幾人もの先人たちを追い抜いていくのだろう。彼の友人である荒船哲次、ともすれば達人級(マスタークラス)の使い手だという生駒達人でさえも。その歩みの中で、彼の心の傷が再び開かないという保証は何処にあるだろうか。もしも、そんな未来が訪れてしまったら――

 

 

 ……今度こそ彼は、サイドエフェクト(じぶんのこと)を本気で嫌いになってしまうのではないだろうか。

 

 

 

「――だから、今のあいつは毎日が楽しくて仕方ないんだろうな」

 

 

 

 そんなことを、考えていたせいか。

 荒船が口にした言葉の意味を、撫子は一瞬、理解することが出来なかった。

 

 

「え……?」

「自分の身に着けた技術や経験を、真正面から受け止めてくれるやつがいるっていうのは――鋼にとっても救いになってるんだろうなって、そう思ったんだよ」

 

 

 そう口にする荒船の視線は、先と変わらず大画面の対戦映像へと注がれている。

 釣られるように、撫子も彼と同じものを視る。荒船哲次の心を理解するために。

 10本勝負、最後の一戦。相打ちにでもなったのか、いつの間にか両者の片腕が失われてしまっていた。影浦は千切れた左肘の先から光の刃を構築し、右手と共に不格好な二刀流を継続している。一方の村上も、大楯を構えていた左腕が欠損して尚、右手の刀と通常のシールドを巧みに使いこなして、影浦の猛攻を凌ぎ切っている。一歩間違えばあっさりと防御を抜かれてしまいそうなものなのだが、これも()()の賜物ということなのだろう。

 素人目にも察せられる。村上鋼は加減などしていない。自身の副作用(サイドエフェクト)によって培われた技巧を、何の迷いもなく刃と盾に注ぎ込んでいる。撫子が想像していたような後ろめたさなど、ほんの一片も見受けられはしない。

 そして。

 そんな村上の全身全霊を前にして、影浦雅人(あのひと)は。

 

 

 ――笑っていた。

 戦い(これ)以上に楽しいことなど、この世の何処にも在りはしないとでも言うように。

 

 

(……本当に、ぜんぜん、違う)

 

 

 昨日の自分が見た、不機嫌を顔に貼り付けた苛立ちの塊のような男と。

 画面の向こうで生き生きと刃を振るい、村上との勝負(あそび)に夢中になっている男。

 一体どちらが、本当の彼なのか――などと仕様もない二元論に走るつもりはない。気の合う人間と合わない人間、それぞれに対して異なる態度を取るのは自然なことだ。人間というのは何処までも、()()()()()()()()生き物なのだから。

 ただ――先にこちらの顔を見ていたら、影浦に対する自分の印象はだいぶ違っていただろうなと撫子は思う。昨日の影浦には迂闊に視線を向けることすら恐ろしかったのだが、今の彼の表情は、どちらかというと。

 

 

 ……上手く言えないんだけど。

 なんかいいな、って。そう思うのだ。ふつうに。

 

 

 ()()()()()()と、荒船哲次は口にした。それは即ち、影浦雅人にとっても村上鋼の存在は救いになっているということだ。犬飼澄晴が語っていた、副作用(サイドエフェクト)による苦労とやらを考えずにいられる時間。それがきっと、村上と刃を交えている瞬間(とき)なのだろう。

 その繋がりを尊いものだと思う反面、女のあたしにゃ割って入れない関係だなあ――と、彼らのことを少し遠くに感じる気持ちも、あったりなかったりする。いや、トリオン体になってしまえば性別の壁など関係なく対等に渡り合えるのかもしれないが、だとしても自分は攻撃手(アタッカー)ではなく、一介の狙撃手(スナイパー)に過ぎないのだ。斬り合いに興じる彼らのことを、スコープ越しに遠くから眺めることしか出来ない、異邦人(ネイバー)

 少なくとも自分には、あんな風に影浦雅人から楽し気な表情を引き出すことなど、決して出来はしないだろうから。

 

 

(――うん?)

 

 

 そこまで考えてから、自分の思考の流れに、ふと違和感を覚えた。

 ……別に、あのひとが笑っていようが怒っていようが、あたしには何の関係もないでしょーよ。

 なんであたしが、あのひとを笑顔にせにゃならんのだ。そんなにあのひとの笑ってる顔が見たいんか? あたし。

 そりゃまあ、いっつも不機嫌そうな顔してないでにこにこ笑ってくれたらなあとは思いはしたけどさ。あたしがわざわざ笑わせようとする理由なんか、どこにもないでしょ。

 あのひとは被害者で、あたしは加害者。あたし達の繋がりなんて、今のところはそれだけなんだから。

 よけーなことを考えるな、日向坂撫子。あんたは黙って、あのひとにごめんなさいすることだけ考えてればいーのよ。ぺしぺし。

 

 

「――正直、ああやってカゲと互角に渡り合ってる鋼を見て、何も思うところがないって言ったら嘘になる」

「……へっ?」

 

 

 不意に語り出した荒船を前に、間の抜けた声を返してしまう撫子。いかんいかん、さっきとは別の意味で荒船先輩の話を理解し損ねてるぞあたし。自分のことばっか考えてないで人の話を聞きなさい。

 撫子の漏らした声を自身への返答と受け取ったのか、荒船はそのまま言葉を続ける。

 

 

「鋼のやつに剣を教えたのは俺なんだ。俺と鋼は同い年なんだが、ボーダーに入ったのは俺の方が1年くらい早かったからな」

「……な、なるほど」

 

 

 今度こそ明確に相槌の意を持って頷く撫子。単なる友人同士ではなく、師弟関係でもあったのか、この二人は。

 1年というアドバンテージ。普通に考えれば、容易なことでは埋められない経験の差だ。けれど村上鋼には、その1年を一夜で飛び越える異能が備わっている。

 だから撫子は、荒船哲次が次に何を口にするのか、耳にするよりも早く察してしまった。

 

 

「――だがまあ、もう追い抜かれちまった」

「…………」

「一応、数字だけならまだ俺の方が上にいるけどな。直接勝負じゃもう敵わない。あいつは俺の方式(メソッド)を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。更に言えば、あいつの副作用(サイドエフェクト)が糧にするのは俺の教えだけじゃあないからな。理屈の上ではそうなるって、頭ん中じゃ理解できてたつもりだったんだが――いざその時が来てみると、少しだけ、な」

「……くやしかった、ですか?」

「――まあ、な。師匠としての一番の喜びは弟子に追い抜かれることだなんてたまに聞くが、どうやら俺にその法則は当て嵌まらなかったらしい」

「……そりゃあ、そうですよ。師匠って言ったって荒船先輩、まだ全然これからのお年じゃないですか」

「ああ、そうだ。――だからまあ、逆に言うなら俺はまだまだ()()()()()()()ってことだ」

 

 

 そう言って。

 帽子の唾を持ち上げて、荒船哲次は口元に、不敵な笑みを浮かべた。

 村上鋼に攻撃手(アタッカー)として上回られたという現実を、『それがどうした』と一蹴し――腐ることなく前を向く、男の顔がそこにあった。

 

 

「イコさん風に言うんなら、俺には俺の道がある。鋼が自分自身をひたすらに鍛え上げるんなら、俺は俺のやり方でボーダーっていう組織そのものを鍛え上げてやるさ。決して特別な存在(オンリーワン)にはなれないが、どんな状況にも対応できる完璧万能手(パーフェクトオールラウンダー)――兵士としての理想っていうのは、そういうものだと俺は思ってる。時には攻撃手(アタッカー)、時には狙撃手(スナイパー)――求められる役割に応じて、自由自在に姿を変える便利な()だ。動かす側からしてみれば、さぞかし扱いやすい存在になるだろうぜ」

「今……なんか呼ばれたような気がする……」

「すみませんイコさん先輩、今まじめなとこなんで脳内武道館を満員にする作業に戻って下さい」

「Laylaaaaaaaah! you've got me on my knees!!」

「――何の話でしたっけ」

「……今の台詞を俺にもう一度言わせる気なのか……? 勢いで長々と語っちまったから思い返すと結構恥ずかしくなるんだが……」

「ごめんなさい、つまんないウソです。――正直、めちゃくちゃカッコいいですよ。荒船先輩」

「……そうかい。ありがとよ」

 

 

 礼意を示したつもりなのか、苦笑と共に荒船がさらっと帽子を脱ぎ――ふお、おおおおおおお……!? えっちょっ待っ、ヤバいヤバいそうだろうなとは思ってたけど帽子オフ荒船先輩やっぱりフツーにカッコ良くていきなり見せられると破壊力すっごい……! マキマさん助けて! あたしこのひとのこと好きになっちまう!! そんな日向坂デンジの胸中も知らずに、荒船哲次は言葉を畳みかけていく。

 

 

「――攻撃手(アタッカー)をマスター出来たら、次は狙撃手(スナイパー)に乗り換えようと思ってる。そうしたら、君にも教えを乞う日が来るかもしれないな。そん時ゃよろしく頼むぜ、日向坂()()()()

「しぇっ――しぇんぱい!? あたしが荒船先輩のセンパイ!?

「誰かに物を教える自分っていうのは想像付かないか?」

「だっ、だってあたしまだB級に上がったばっかりだし、そもそもあたし自身が鳩原先輩(お師匠様)に教えてもらってるような立場だし、防衛任務で誤射やらかすようなへっぽこだし……!」

「それでもいつか、君が誰かに自分の経験を伝えるときっていうのは必ず来る。()の面目ってやつは、その時にどれだけのものを下のやつに授けられるかどうかで決まるんだぜ。未来の新人(ルーキー)どもにいいツラ見せたけりゃ、今のうちからみっちり自分を磨いておかねえとな。――そうしていれば、追い抜かれる日が来たとしても少しは格好が付くってもんだ」

 

 

 俺が言えた台詞じゃねえけどな、と。

 自分(あたし)の後輩になるのだという先輩(ひと)は、そう言って、深々と帽子を被り直した。

 

 

 ……狙撃の技術を、誰かに教える自分。

 そんなものは、一度たりとも想像したことがなかった。自分のことだけで精一杯だった。けれど荒船の言う通り、自分はもう最下層の住民(C級隊員)ではないのだ。上へと昇っていくだけではなく、下から来る者達のことも考えなければならない立場になってしまった。いつまでも訓練生気分で甘えないように――という、氷見の言葉がリフレインする。

 過ぎ行く時間というやつは、本当に、嫌になるほどあっという間だ。

 『何者かになりたい』などというモラトリアムに浸ることを、時の流れは許してくれない。いつ如何なる時も、現実は現実だけを容赦なく突き付けてくる。

 そして、今。

 現実の自分が向き合わなければならない、一番の相手といえば――

 

 

 

 

 

『10本勝負終了。勝者、影浦雅人』

 

 

 

 

 

 ――清算しなければならない。

 現実を。あたしの罪を。トリオンなどという()()()()()()()()に踊らされて、調子に乗ったその報いを。

 生駒達人。荒船哲次。彼らとの交流は実に楽しく、有意義で、新たな発見が得られる貴重な時間だったけれど。

 

 

「……おっし」

 

 

 

 ()()()は、もう終わりだ。

 最後に、頬をぴしゃりと叩いて。日向坂撫子は、自身に喝を入れ直した。

 

 






なんだこいつ乙女ゲー主人公みたいな立ち回りしやがって

次回、最終話(仮)。



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『影浦、謝罪(そげき)されたってよ』

 

 

 ――6-4。影浦雅人と村上鋼の10本勝負は、前者の勝利という形で幕を下ろした。

 個室(ブース)を抜けて、同じように隣の部屋から出てきた村上と顔を合わせると、影浦は上機嫌に口元を吊り上げ、牙のような歯を覗かせながらニヤリと笑った。

 

 

「よう、惜しかったじゃねーか。続けて2本獲られた時はマジかよって思ったぜ」

「……今日こそは五分まで持っていけると思ったんだけどな。最初の1本、あれは特に獲っておきたかった」

「かっかっか、何だったらもう10本続けていくか? おめーが満足するまでいくらでも付き合ってやるよ」

「――そうしたいのは山々だが、どうやらカゲの次の相手はオレじゃないみたいだ」

「あァ?」

 

 

 影浦は怪訝な反応を示し、村上の言葉の意味を追求しようとして――ちくりと、背中に刺さる一つの感情に気が付いた。

 つい最近、何処かで浴びたような覚えのある感情だった。遠巻きにおっかなびっくりとこちらを伺う、小心者の気配。

 ただ――今日の感情は何処となく、昨日のものに比べて真っ直ぐだった。こちらに気付かれないよう恐る恐るという具合だったかつてのものとは異なり、自身の存在を強く主張しているような、意思の強さを感じる。

 喩えるならば、()()()()()()に似ていた。『これから私はお前を撃つぞ』という、戦意の表れ。かといって悪意や敵意はそこになく、代わりにあるのは愚直な誠意と、罪悪感。不快とまでは言わないが、受け取る側からしてみるとやや重たくも感じる――『反省』という名の想い。

 

 

 来たか、と。そう思った。

 

 

「……なーに10本もやってんだ、自分から呼びつけといて」

 

 

 呆れ気味の声に振り返ると、馴染み深い帽子頭の男が咎めるようにこちらを見ていた。その隣にいるのは、虚空に左手を添え、右手首を腰の前でじゃかじゃかと振っているゴーグルの奇人。

 ……いや、マジで何やってんだこいつ。とりあえずこいつは放っとこう。以降、影浦の中で生駒達人はその存在を抹消された。

 

 

「んだよ、個室(ブース)ん中もロビーの一部みてーなもんだろが。カラオケ屋で待つっつって歌わずに受付で突っ立ってるやつとかいねーだろ」

「言ってもカゲ、カラオケとか誘われても絶対行かねえだろ」

「うるせー。ものの例えだ例え」

「……まあいい。とにかく、待たせたからには面と向かって相手してやれよ」

「――そりゃ、そいつの態度次第だろ」

 

 

 ぎろり、と。

 荒船哲次の傍に立つ、黒髪の女に視線を向ける。

 160cmかそこらの、性別を考えれば平均以上の高さはある背丈。腰まで伸びた長髪に、木の実の如く丸みを帯びた、くりっとした瞳。顔立ちはおそらく、整っている方なのだと思う。異性の美醜というものに、影浦は微塵も興味を抱いたことがなかった。()()()()()は他者と関わる上での判断材料になり得ないので、わざわざ意識する必要がなかったのである。

 ただ――昨日は睨み付けるやいなや即座に逸らされていたその双眸が、今日は逃げることなく、真っ直ぐにこちらを見据えていた。その眼光から刺さる感情に若干の怯えが混ざりはするものの、それ以上の克己心を持って、踏み止まっているのが()()()()()

 

 

 ……なるほど。

 どうやら、絵馬ユズルの信頼を裏切るような女ではなかった、ということらしい。

 

 

「……あ、あの」

 

 

 声にやや、震えがあった。緊張に頬が引き攣ってさえいる。

 それでも尚、女の照準(まなざし)はブレない。標的を見据え、雑念を排除し、少しずつ――少しずつ。

 恐怖が。甘えが。引き金(トリガー)を引くにあたっての、余計な感情が削ぎ落とされていく。

 

 

 感情を籠めて相手に言葉を放つという行為は、狙撃(スナイプ)に似ていた。

 

 

 

 

 

「あたし、昨日は、本当に――すみませんでしたっ!!

 

 

 そう言って、狙撃手(スナイパー)の女はこちらに深々と頭を下げ。

 謝罪という名の弾丸が、影浦雅人に向けて、放たれた。

 

 

 

 

 

 

 

 ごめんなさい。

 ただひたすらに、それだけしかなかった。

 戦闘型(モールモッド)の陰に隠れてあなたが見えなかったんですとか、そもそもあたしのアイビスが戦闘型(モールモッド)を貫いてしまうだなんて思ってなかったんです――とか、昨日の晩に頭の中を駆け巡っていた反吐の出るような言い訳を、殺し尽くすことに全神経を注いでいた。

 全て、全て、自分の責任だ。状況確認を怠り、氷見の制止も無視して弾丸を放った、愚かな女の短慮があの事態を招いたのだ。情状酌量の余地などない。過ちを過ちとして認め、その上で自身の処遇を受け入れるのだ。

 そう――罪人の処遇を決めるのは、いつだって裁定者だ。生殺与奪の権を握っているのは、自分ではない。膝を突き地に頭を付けろと言うのであればそうするし、首を出せと言われたのなら差し出さなければならない。流石に生身の首を刎ねるとは思えないが。

 

 

 そして、もしも。

 ()()()()()()()()と言われたのなら、辞めて――

 

 

 

 

 

 瞬間。

 幾つかの光景が、脳裏に浮かび上がってきた。

 

 

 

 

 

『――そ、受かったんだ。そしたら今日からは同僚だね。ま、改めてよろしく』

 

 

 

真っ先に合格を伝えに行ったとき、ぶっきらぼうにそう口にした、親友の顔。

 

 

 

『……言っとくけど、先に鳩原先輩の弟子になったのはオレだから。ヒナさんはあくまでも二番。そこのところだけは曲げないよ、絶対』

 

 

 決して『先輩の弟子はオレだけだ』とは口にせず、自分のような情けない女が隣に居座るのを、拒絶することはしなかった心優しい少年の顔。

 

 

 

『――おめでとう。途中で挫けないでよく頑張ったね。えらいよ、ナデコ』

 

 

 

B級昇格を果たした時、例のやり取りがあった後。

 そう言って柔らかな笑顔で頭を撫でてくれた、我が師の顔。

 

 

 

 

 

 

――捨てられるのか?

 本当に?

 

 

 

 

 

「…………っ」

 

 

 ――考えるな。

 余計なことは、考えるな。

 

 

 

 

 

「…………ふ~…………」

 

 

 

 

 

 ――深々と。

 あまりにも、深々とした、溜息だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――仮に今、自分がこの女を赦さないとして。

 赦さない理由というものが、特に存在しないことに影浦雅人は気が付いてしまった。

 謝って済むとでも思ってんのか、生身だったら死んでたんだぞ――そう言って憤ることはまあ、出来なくもないだろう。とはいえ、怒るという行為にはそれはそれで労力がいる。そのために身体を動かそうと思えば、それに足るだけの気力の源が必要だ。

 たとえば、内心で相手が自分のことを舐め腐っていることに勘付いてしまった、とか。

 

 

(……っつっても、そういうのは特にねーんだよな。こいつ)

 

 

 女の謝罪は愚直だった。これが本当の狙撃であったなら、いとも容易く避けられるほどに()()()()()()()()()()()。こうして頭を下げられている間にも、胸元に突き刺さる感情の棘がちくちくと訴え続けている。ごめんなさい、ごめんなさい――と。

 感情受信体質。影浦の脳に巣食った副作用(サイドエフェクト)は、今日も立派に務めを果たしている。女の放つ馬鹿正直な謝意から、逃れることを許してはくれない。

 こんな痛みさえ感じなければ、相手の主張に耳を傾けることなどなく、こちらの一方的な怒りを叩きつけることすら出来ただろうに。

 

 

 

 

 

 ――時折、想像することがある。

 副作用(サイドエフェクト)を持たずに生まれた自分のことを。

 今の自分と同じように、目つきは鋭く歯は尖り、神経質で、攻撃的で。

 それでいて、()()()()()()()()()()()()()()

 決して受け入れた訳ではない。こんなものを抱えているせいで、ふとした拍子に苛々させられて仕方がない。誰がなんと言おうがこの副作用(サイドエフェクト)はクソだ。他の誰かに押し付けられるものなら、今すぐにでも押しつけてしまいたい。

 

 

 それでも。

 この副作用(サイドエフェクト)がなければ、自分はきっと、目の前の女を赦そうなどとは思えなかっただろう。

 

 

 村上鋼、荒船哲次、絵馬ユズル。あるいは、北添尋や仁礼光――自分は副作用(サイドエフェクト)のおかげで、辛うじて()()()()()()()()()()()()()()()()()。けれど、こんなものは決して、優しさでも寛容さでも何でもない。単なるイカサマに過ぎないのだ。

 自分の周りにいるのは、副作用(サイドエフェクト)に頼らずとも、自らの意思で他人のことを思いやれるような連中だ。けれど、自分はそうではない。副作用(サイドエフェクト)によって生じる棘の痛みを忌み嫌いながらも、その痛みに頼らなければ、目の前で頭を下げている女の『反省』が、本物であるかどうかを見抜くことすらも出来ないのだ。

 当然、常日頃からこんなことを考えている訳ではない。ただ――今のように一際鋭い感情を他人から向けられると、稀にこうした馬鹿げた考えが顔を出してくるのだ。

 普段は考えないようにしている自身の本質と、強制的に向き合わされているような、そんな時に。

 

 

 

『――だったら、()()()に逆らってみるか?』

 

 

 

 心の何処かで、そう囁く自分の声がした。

 なるほど。それも悪くない。副作用(サイドエフェクト)の奴隷になるのが嫌だというのなら、こんなちっぽけな痛みなど無視してしまえばいいのだ。

 大体、反省しているから何だというのか。悔やんでいるから何だというのか。本人がどう思っていようが罪は罪だ。それに見合うだけの罰が与えられて然るべきだ――

 ――等と、本気で思っている訳でもないそれらしい理屈を頭の中で並べ立てていた時。

 

 

 

 

 

「…………っ」

 

 

 

 

 

 頭を下げたままの女の肩が、怯えるようにびくりと震えたのと。

 『反省』の中に混ざり込んだ、何よりも強い女の本音に、気が付いてしまった。

 

 

 

 

 

 『ここにいたいです』という、影浦雅人(感情受信体質)だけが聞き取ることの出来る、本当の声を。

 聞き取って、しまった。

 

 

「――――」

 

 

 その感情はまさしく、世界でたった一人、影浦雅人のみを撃ち抜く必殺の弾丸で。

 避ける術もなければ、防ぐ術もなく。

 無抵抗に、撃ち抜かれるしか、なかった。

 

 

 

 

 

 ――くそったれ。

 結局、こうだ。どうしたって、逆らうことなど出来ないのだ。

 感情受信体質。このクソ副作用(サイドエフェクト)はいつだって、気付かなくてもいいことまで勝手に感じ取って、こちらに突き付けてくるのだ。

 女の『反省』が本物であることも。

 その上で――どうしようもなく、堪え切れない心の悲鳴があることも。

 

 

「…………ふ~…………」

 

 

 観念したように、溜息を吐いた。

 ああ、そうだ。自分は観念してしまった。この女の感情と、己の副作用(サイドエフェクト)を前に、屈することを選んでしまったのだ。

 認めるしかない。この場において、自分は紛れもなく副作用(サイドエフェクト)の奴隷だ。この体質の赴くままに、感じ取ったものを受け取り、咀嚼して、飲み干した。吐き出すような気になど、今更なりようもない。

 いや――きっと自分はこれから先も、死ぬまで副作用(サイドエフェクト)に縛られながら生きていくのだろう。恐怖や嫌悪を感じ取っては苛立ち、敵意や悪意を感じ取っては憤り、善意や好意を感じ取ってはむず痒い気持ちになり――

 

 

 ――『たすけてください』という、心の声を感じ取った、その時は。

 

 

(……は。アホくせえ)

 

 

 気紛れだ。こんなものは、単なる気紛れに過ぎない。

 自分は断じて、そんなご立派な人間ではない。救い手を気取りたい訳でもなければ、誰彼構わず手を差し伸べようとも思わない。誰がそんな面倒な生き方を選ぶものか。

 第一、思えば大したことをした訳でもない。撃ち殺された、生身だったら死んでいた――そういう言い方をすれば大事にも思えるが、結局のところはトリオン体という、幾らでも作り直せる()()()()が壊れただけの話に過ぎない。

 馬鹿馬鹿しい。糞真面目に()()()()()()だ。この女も、そして自分も。

 ああ――そうだ。ようやく頭が冷えてきた。この女の感情に当てられたせいで、今回の出来事を大袈裟に捉え過ぎていた。既に一度、気付いていた筈のことだったのに。

 この仕様もない空騒ぎを締め括るための言葉を、影浦雅人は、もう手に入れていた。

 

 

「……お前、なんつったっけか」

「――へっ?」

「名前」

 

 

 ――おそらく、後で村上や荒船からは冷やかされるのだろうなと思う。

 何しろ、これから口にしようとしているのは、かつての自分が一度否定した言葉なのだから。

 

 

「えっ、あ、あ――ひ、日向坂撫子……です」

「おう、ヒナタザカ」

「は、はひ」

 

 

 ……話を終わらせる前に、改めて、目の前の女を眺めてみた。

 ようやく顔を上げた女は、無闇矢鱈と丸っこいその瞳をぱちくりと瞬かせて、戸惑うようにこちらを眺めている。はっきり言って、間抜け面という表現が似合う顔をしていた。

 ただ――よくよく見ると、その目尻に透明なものが浮かんで見える。頭を下げていたせいで気付かなかったのだが、知らず知らずのうちに涙目になっていたらしい。

 ――いや。

 思えば自分は、こうして他人の顔をまじまじと眺めることなど、滅多にない。今のように目の前で泣いている人間がいたとしても、そこから突き刺さる『悲しみ』という名の痛みに気を取られてばかりで、現実に流れている雫の存在になど気付きもしなかったのではないだろうか?

 

 

(……クソ野郎じゃねーか)

 

 

 ――やはり。自分は決して、優しい人間などではない。

 今から口にする言葉は、自分自身への戒めにもするとしよう。

 

 

 すっかり癖になってしまった、頭をわしわしと搔きむしる仕草と共に。

 影浦雅人は、日向坂撫子にこう言った。

 

 

 

「――()()()()()()()()。そんだけだ。解散」

 

 

 

 それは、自身の親友がとある狙撃手(スナイパー)を赦した時と同じ言葉であり。

 ここ(ボーダー)にいてもいい』という、女の訴えに対する、赦しの言葉でもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ってことで、皆さん今後もよろしくお願いしまぁぁぁぁぁぁぁす!!」

 

 

 翌日。

 ボーダー本部基地内・二宮隊作戦室にて、クソやかましい女の挨拶が木霊した。

 日向坂撫子、完全復帰である。イェーイ、今日も一日張り切って参りましょーう。ぴすぴーす。

 

 

「……え、終わり? ホントにごめんなさいして許してもらってはい解散で話終わり? その後は? 何もなかったの?」

「ないですよ? 終わり! 閉廷! 以上! みたいな。大体そんな感じでした」

「元ネタわかんないけど影浦先輩は絶対そんなノリじゃなかったと思うよ」

 

 

 撫子の結果報告にうーんと首を傾げる犬飼と、名は体を表すと言わんばかりに氷の視線を撫子に浴びせる氷見。そして本日もテーブルの隅で顔を赤くして小さくなっている辻新之助。うん、またしてもお邪魔しちゃってごめんね辻くん。すぐ出て行くからもう少しだけ我慢してちょうだいね。それはそれとして今日も照れ顔がかわいいなあキミは。

 

 

「なんだかなー。もっと劇的なイベントとかあると思ってたんだけどなあ。仁礼ちゃん以外の女の子とカゲが絡むことなんか滅多にないし、新しいからかいのネタでも拾えないかなーとか思ってたんだけど」

「犬飼先輩、そういうとこだよホント」

「や、あたし的には割と重大イベント乗り越えてきたつもりだったんですけど……犬飼先輩が期待してたのってどういう展開だったんです?」

「んー、率直に言うとラブでコメ的な感じ」

「はい? ラブでコメ? あたしと影浦先輩がですか?」

「あらら、その顔はマジで何もなかった顔だねえ。迅さんと違って未来視の才能ないなー、おれ」

 

 

 久しぶりに――と言っても2日ぶりなのだが、お馴染みのへらへら顔でそう言い放つ犬飼。迅さんって誰やねん。その言い方だとまるで迅さんとやらには未来を見通す力があるみたいに聞こえるんですけど? いくら副作用(サイドエフェクト)で普通じゃあり得ない超能力を持っている人がいるっていっても、流石にそれはオカルトが過ぎるでしょ。もー、犬飼先輩ったらまたふざけたこと言っちゃって。

 ……にしても、ラブでコメな展開、か。

 そりゃあ、あたしも花の16歳ですし? 出会いがあるなら歓迎ですけど? でも影浦先輩っていうのはどうなんだろう。昨日のあのひとを見た感じだと、正直な話、そういうのは。

 

 

「――なんていうか、あのひとはまだ女の子といちゃいちゃするよりも、友達とわいわい遊んでる方が楽しいお年頃なんじゃないですかね」

「あんた仮にも先輩相手にめちゃくちゃ上から物言うね」

「いや、だってさあ」

 

 

 本当にそんなことを思ってしまうくらい、いい表情をしていたのだ。ずっと。

 日向坂撫子は影浦雅人に赦された。彼に『次』を与えられたおかげで、自分は今もボーダー隊員として、こうして振る舞うことが出来ている。そのことには心の底から感謝してはいるが、だからといって二人の距離が縮まったのかといえば、全くそんなことはない。自分は当分フリーのB級狙撃手(スナイパー)としてあっちこっちをふらふらと渡り歩いているだろうし、彼は彼で気の合う仲間たちと個人(ソロ)ランク戦で斬り合う日々を送るのだろう。そして、狙撃手(スナイパー)の自分がランク戦ロビーに足を運ぶ機会など、今後は早々起こり得まい。縁が出来ただけでも奇跡のようなものだ。

 

 

「そう……この2日間の出来事は喩えるならばある種のお祭り騒ぎ、平凡な日常に突如として発生した大規模侵攻(イベント)……なんか実際2日が一週間くらいの長さに感じたし、今まで見たこともないような人とか出来事にたくさん出会えたし、本当に夢のような時間だったのだよ……楽しかったよ……みんながいたからこの(きかく)は楽しかった」

「何よくわかんないまとめに入ろうとしてんのあんたは」

「いや、なんか自分でもよくわかんないんだけど謎の満足感があってね……もうこれで終わってもいい、だからありったけを……This way……って気分」

「今日のあんたが言ってることは一段とよくわからんわ」

 

 

 うん。あたしにも正直わからん。きっと何か別世界からの電波でも受信したんだろう。撫子は自身の奇行をそう結論付けた。

 

 

「――とにかく、この度は色々とお騒がせしてすみませんでした。おかげさまで日向坂撫子、今後もボーダー隊員継続であります」

「うむ」

「ま、とりあえずはめでたしめでたし。正直言って盛り上がりには欠けるけど、ハッピーエンドで良かったんじゃないかな? おめでとう」

「犬飼先輩はさっきから何目線で語っておられます?」

「――ょ、ょかった……ね。ひなたざか……さん」

 

 

 その時。

 自分に都合のいいことは耳聡く感じ取り、都合の悪いことは聞き流す撫子イヤーが、確かにその少年の言葉を捉えた。

 

 

「――辻くん。結婚しよ

「けっ……!? こっこここ、こけっこっこっこ、こけっ……!」

「ヒナタ。辻くんをニワトリにしない」

「人をニワトリにするななんてツッコミ生まれて初めて聞いたなあおれ」

 

 

 うん。流石に結婚という言葉を軽々しく使うのは乙女として如何なものかと思うぞあたし。撫子は反省した。

 影浦雅人に対してのそれと比べたら、吹けば飛ぶような軽さの反省であった。やっぱりこの女は駄目だ。

 

 

 

 

 

「――おはよーございまーす……」

 

 

 

 

 

 ――作戦室の扉が開き、控えめな声量の女の声が、二宮隊の室内に届く。

 おや、という具合に犬飼が。待ってましたというように氷見が。助けを求める視線で辻が。三者三様に彼女を見据える。

 そんな三人を置き去りに、わんわんと尻尾を振る飼い犬の如き素早さで飛びつく女が一人。

 

 

 

 

 

「――師匠ー! おはようございまぁぁぁぁ――す!!」

「うん……まだちょっと頭痛いからあんまり大声出さないでねナデコ……」

「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「えっ……その声どうやって出してるの……?」

 

 

 

 

 

 A級4位・二宮隊の()狙撃手(スナイパー)、鳩原未来。

 この2日間の出来事に関わることのなかった彼女が、ようやく顔を出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――最終回やないで。もうちっとだけ続くんや」

「誰に言ってはるんです? ――あ、ワールドトリガーは毎月4日発売のジャンプSQにて好評連載中なんでよろしゅう。最新話もめっちゃおもろいで。誰とは言わんけどめっちゃ目立っとるんで。誰とは言わんけど」

「おまえその最後の最後にちょいと顔出して美味しいとこ全部掻っ攫ってくスタイルずるない?」

 

 






とても濃密な1週間を過ごさせていただきました。毎日が楽しかったです。
では、またいずれ。



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『鳩原未来~人を撃てない狙撃手(スナイパー)~』




副題:ぼくのかんがえたさいていのはとはらみらい




 

 

「ほんとうにごめんなさい」

 

 

 ボーダー本部基地内・二宮隊作戦室にて。

 新米B級狙撃手(スナイパー)・日向坂撫子の目の前で。

 二宮隊所属のA級狙撃手(スナイパー)・鳩原未来が。

 

 

 土下座していた。

 

 

 

 

 

「――アイエエエ!? ドゲザ!? ドゲザナンデ!?」

 

 

 ナデ=シコは錯乱した。What's that(ワッザ)!? ワカラナイ! アーッ!!

 

 

「いや……元を辿れば、あたしがナデコに代わり押しつけちゃったのが全ての始まりだったんじゃないかって思って……」

 

 

 背中を丸めたまま顔を上げ、本当に申し訳なさそうな顔で答える鳩原。

 事の経緯はこうである。数日ぶりの再会を果たした師へと大はしゃぎで駆け寄った撫子は、お身体大丈夫ですかあっまだ頭痛いんですよね無理しないで下さいところで防衛任務の日って何のご用事だったんですかそうそう防衛任務といえば聞いて下さいよ! と鳩原が割り込む間もなく一方的に捲し立てた挙句、第一話から今に至るまでのあれやこれやをつらつらと語った。

 鳩原は『誤って味方を撃ってしまった』という第一報にどきりと胸を抑えて、その相手がよりにもよってあの影浦雅人であったという事実に顔を青ざめさせ、されどとりあえずは謝ったら許してもらえましたという顛末に胸を撫で下ろし――おもむろに、亀の如く丸く低く体を畳んでしまったのである。

 

 

「いやいやいやいや! そんなの全然お師匠様のせいじゃないですって! よっぽど外せないご用事があったんでしょう!?」

「……うん。それはまあ、そうなんだけどね。だからって昇格したばっかりのナデコに、いきなり代わり頼んじゃうとか無責任にも程があったかなあって……」

「いーえ師匠! それはそれ、これはこれです! あたしが何でもお申し付け下さいって言って引き受けた以上、その後に起きたことの責任は全てあたしが背負うべきことです! そこはお師匠様が相手でも譲りませんよ!」

「な……ナデコ、意外と頑固さんだね……?」

 

 

 ふんす! と鼻息荒く訴える撫子。とはいえ事の発端がこの女のやらかしである以上、立派な心掛けでも何でもない。『責任』とか言われるまでもない、当たり前のことです。キリッ。

 

 

「――ま、実際ヒナタちゃんがちょっと落ち着いて周り見れる子だったら普通に防げたミスなのは間違いないしねえ」

「うぐっ……!」

「私がちょっと待てって言ったのも無視したしね」

「ぐふっ……!」

「……たしかに、撃つ前に一声くらいは掛けてほしかった……かも……」

「あばっ! あばばばばばっ!!」

「あああああみんな、ナデコを後ろから撃たないであげて」

「い……いいんです……そもそもあたし自身が影浦先輩のことを後ろから撃ち殺した女ですし……この扱いもまさにインガオホー……ショッギョ=ムッジョ……しめやかに爆発四散(ベイルアウト)……」

「ヒナタちゃんは気に入ったネタをしつこく擦り続ける悪癖があるなあ。すぐに飽きられて長生き出来ないよ、その芸風じゃ」

 

 

 芸風言うなし。撫子は脳内でぼそりと反論した。

 慌てたようにばたばたと立ち上がり、瀕死(精神的に)の撫子を支える鳩原。病み上がりの師に手厚く介護される哀れな弟子の姿がそこにあった。はい。手の掛かる弟子で本当にすみません。

 

 

「……何にせよ、無事に解決したみたいでほっとしたよ。影浦くんに許してもらえてよかったね、ナデコ」

 

 

 そう言って、撫子の目と鼻の先で穏やかな笑みを浮かべる鳩原。

 ――その表情は実に柔らかく自然であり、意識して作り上げたような代物ではなかった。断じて日向坂撫子の盲目的な尊敬による思い込みではない、ということを補足しておく。

 

 

 その上で。

 日向坂撫子は、鳩原未来の笑顔を見るのが好きだった。

 

 

「――はい。それは本当、影浦先輩に感謝です。……おっかない人だと思ってたんですけど、意外と心が広いっていうか――優しい人でしたね」

「……ううん。いや、影浦くんが見た目ほど怖い人じゃないのはその通りなんだけど、それだけじゃなくってね。ナデコがちゃんと真っ直ぐな気持ちで謝れる子だから、影浦くんもその気持ちに応えてくれたんだろうなって、そう思うから」

「そう……なんですかね? そりゃ、あたしなりにマジメにごめんなさいしたつもりではありますけど……」

「――うん。やっぱり、ナデコはえらい子だ」

 

 

 よしよし、と。

 我が子をあやす母親のように、撫子の頭を撫でる鳩原。その目はどこか、眩しいものでも見るかの如く細められていたが――

 

 

「…………」

 

 

 ――そんな彼女の様子に気が付いたのは、この場において、犬飼澄晴ただ一人だけであった。

 

 

「ぶぇへへへへへへぇ……」

 

 

 で、一番気付いてもいい距離にいる女の反応はこれであった。他人に甘やかされるのがこの世の何よりも大好きな女、日向坂撫子。精神性が幼児からまるで成長していない……。

 

 

「鳩原先輩。その子『これからは鳩原先輩にスパルタでびしびし扱いてもらいたい』って言ってたんで、今のうちにその緩み切った頬ひっぱたいておいた方がいいですよ」

「は? 言ってないが? ワシはこれから定年退職するまでずっーと師匠に甘やかしてもらうんじゃが?」

「頭パワーになってるとこ悪いけどこっちだって存在しない記憶に飲まれたわけじゃないからね」

 

 

 ち……人が極楽気分に浸っているところを無理矢理引き摺り出すような真似しよってからに……撫子は胸中で親友の告げ口に舌打ちした。こいつ本当に影浦雅人に一度赦された女か?

 

 

「さ、流石におばあちゃんになるまでボーダー勤めを続けるつもりはないかなあ……ていうか、それだと……」

「…………?」

 

 

 流石に今度は師の変化に気が付いた撫子である。言葉を途中で切り、考え込むように俯いた鳩原の反応に首を傾げる。はて、それだと?

 鳩原未来が数十年後になってもボーダー隊員を続けているというのは、彼女にとっては望ましくない未来予想図なのだろうか? 未来だけに。何も上手いことは言えていなかった。

 鳩原ははっとしたように顔を上げ、それから再び、へらりとした笑みを()()()

 

 

「――あはは。ごめんごめん、なんでもないよ。……それより、これからはあたしにもっと厳しく指導してほしいっていうのは本当? ナデコ」

「あ――お、押忍! 女に二言はないであります!」

「言ってないって言った傍からその台詞が出てくるとかあんたの舌ってイギリス製か何かなの?」

「ええいやかましい、人がせっかく気合入れたところに水を差すでない。しっしっ」

 

 

 撫子は鳩原の様子にささやかな違和感を覚えはしたものの、直後に振られた話題と氷見の横槍に気を取られ、即座にその違和感を忘れた。並列処理能力0の女であった。これで元はオペレーター志望だったというのだから悪い冗談である。

 

 

「んー……そうだね。ナデコも正隊員になったわけだし、そろそろ教える内容も次の段階に進めていかないとだよね。これからの防衛任務で同じ失敗を繰り返さないためにも」

「うっ……は、はい。もちろん、今後はしっかりと撃つ前に『ヨシ!』と指差し確認してからぶっ放すつもりではありますけど……」

「その確認って絶対ガバガバでしょ」

「うーん……標的の周りだけじゃなくて、ナデコの場合はもっと全体を意識しないといけないっていうか……あ、そうだ」

 

 

 ぽん、と手を叩いた鳩原が、続け様に二人の男へと視線を送って。

 

 

「――犬飼、新くん。もし良かったら、ナデコの訓練に付き合ってあげてくれないかな?」

「……おや。これは意外な申し出だ」

「そう? 犬飼だったら一緒にやってて気付いてたでしょ、ナデコのダメなところ」

 

 

 ぐほぁ!! し、師匠の口からはっきりと『ダメ』っていう単語が出てくると流石に堪えるぜ……いや、ダメなところだらけだって自覚はあるんだけど……二人のやり取りの陰でひっそりとダメージを負う撫子。ていうか師匠、二人のことそういう風に呼ぶんだ。ちょっと意外。

 

 

「いや、ヒナタちゃんが狙撃手(スナイパー)としてまだまだダメダメのダメっていうのはおれも理解(わか)ってるんだけどさ」

「人の心とかないんか?」

「その改善のためにおれと辻ちゃんを頼るって発想が、鳩原ちゃんの口から出てきたのが意外だったなーってね。割と本気で可愛がってるんだ? ヒナタちゃんのこと」

「……そりゃ、せっかく出来た弟子なんだからきちんと一人前にしてあげたいって気持ちくらい、あたしにだってあるよ」

「それは立派な心掛けだ」

「犬飼のそういう皮肉めいた言い方、好きじゃないよ。あたし」

「あっはっは、ごめんごめん。お詫びと言ってはなんだけど、喜んで力にならせてもらうよ。ね? 辻ちゃん」

「あ――は、はい。鳩原先輩の頼みだったら、俺も断る理由ないですから」

 

 

 ――本当に、意外だった。鳩原未来と犬飼澄晴、同世代の二人が交わすやり取りをぼけっと眺めつつ、撫子は胸中でそう思った。

 あくまで言い回しの話とはいえ、あの犬飼を相手に真正面から『好きじゃない』と言ってのける堂々たる姿勢。それは、撫子の中にある『優しい師匠』のイメージとは、やや離れたところにある姿だった。後輩の弟子と同い年のチームメイトに対する態度など異なっていて当然だという思いはあるのだが、それにしても。

 ……まあでも、こういう師匠はこれはこれで悪くないというか、むしろアリです。優しい師匠と凛々しい師匠、一粒で二度おいしい。撫子はそう結論付けた。

 

 

 あ、一粒で二度おいしいと言えば。

 二宮隊屈指の二面性を誇る少年へと向き直り、撫子は脳裏に浮かんだ疑問を率直に投げつけた。

 

 

「……ところで辻くん。あたし相手だと一声かけられただけでしどろもどろなのに、お師匠様には随分と従順なのだね?」

えっ!? あ……ぁの、鳩原先輩は、その……ゃさしぃ、から……」

「そんな……あたしだってこんなに辻くんのことを想っているのに……どうしてあたしの気持ちを理解ってくれないの……?」

「ぇ……ぁ、あ、ひなたざかさん……!?」

「あんたが辻くんに抱いてるのは優しさとか愛じゃなくてただの加虐心でしょうが」

「ぐええ」

 

 

 よよよ、と一粒も出ていない涙を拭いつつそっと辻へと寄せていった身を即座に引っぺがされる撫子。というか氷見さん、引っ張るんならせめて肩とかその辺にして貰えませんかね? 今あんた容赦なく首根っこ引っ掴んだでしょ? トリオン体じゃなかったらむせ返ってたところだぞこら。

 ――などと文句を垂れようとした撫子の口は、続く親友の叱咤によって即座に塞がれる。

 

 

「ヒナタ。あんたちょっと辻くんで遊び過ぎ。あんまり度が過ぎるようだと私も怒るからね」

「うっ……ご、ごめんなさい」

「あ……」

 

 

 氷見の視線が『そういうとき』の厳しさを湛え始めているのに気が付いて、流石にしゅんとする撫子。

 ……いかんいかん。初めて会った時は辻くんの苦手意識に配慮しようって思えてたのに、辻くんがあまりにもいい顔するもんだから調子に乗り過ぎてた。アイビスで影浦先輩を撃っちゃった時といい、あたしはこういうところが本当にダメだ。その時その時の気持ちに流され過ぎる。意識の継続性って奴がまるでない。自分の根っこからきっちり植え替えないと、人間なんて死ぬまでずっとそのまんまだぞ、日向坂撫子。

 

 

「――辻くんも、ごめん。流石にちょっとふざけ過ぎた」

「ぅ……あ、いやその、俺は……」

「……?」

 

 

 ぺこりと下げた顔を上げると、辻新之助はいつものように頬を真っ赤に染めながらも、撫子から視線を切らずに口をもごもごとさせていた。

 どうしたのかね辻くん、遠慮せずにこの撫子お姉さんへと思いの丈をぶつけてごらんなさい――そう言ってからかいたくなる気持ちをぐっと堪えて、続く辻の言葉を今か今かと待ち望む撫子。

 ――が、その催促に満ちた上目遣いが宜しくなかったのか。辻は結局ばっと顔を背けてしまい、か細い声で。

 

 

「……な、なんでもない……です……」

「oh……」

 

 

 ――これは中々に重症だなと、撫子は思った。

 自分は辻に嫌われている訳ではない、と思う。影浦雅人との一件が解決した際に、彼から貰った精一杯の祝福。少なくともあれは、嫌悪を抱いている相手に対して差し出せる代物ではなかった。その程度の観察眼は、16歳の小娘なりに撫子も身に着けているつもりだった。

 けれど。

 その上で彼は、異性に対して堂々と振る舞うことが出来ずにいる。

 

 

『鳩原先輩は、その……ゃさしぃ、から……』

 

 

 辻新之助に対して、鳩原未来が持っていて、日向坂撫子が持っていないもの。

 いや――撫子が抱いているつもりでも、辻新之助に()()()()()()()()()

 優しさ。相手のことを思いやり、尊重する気持ち。それを自分は、明確に態度で表していかなければならない。

 からかい半分だったとはいえ、先に口にした『どうしてあたしの気持ちを理解ってくれないの』という言葉が、今となっては実におぞましく感じられる。あんなふざけた態度を取って、伝わる訳がないだろう、そんなもの。

 辻新之助は、超能力者(サイドエフェクター)でも何でもないのだから。

 

 

「……うん。やっぱりこれは、ナデコにとっても()()()()()()()()、やらなきゃいけないことだ」

 

 

 そんな二人の様子を見ていた鳩原が、何処か使命感の籠もったような口調で、ぐっと拳を作る。

 そうして彼女は、その視線を二宮隊の誇る敏腕オペレーターへと移して。

 

 

「亜季ちゃん。訓練用(トレーニング)ステージの準備、お願いしてもいい? 狙撃手(スナイパー)用じゃなくて、ちゃんとした戦闘訓練用のやつ。建物もありで」

「了解です」

 

 

 こくりと頷き、オペレーターデスクのある奥の部屋へと引っ込んでいく氷見。

 う、うおお……今更ながら、あたし一人のためにA級の皆様方が力を貸して下さるとか、こんな厚遇を受けていい立場なんだろうかあたし。いや、あたしだけじゃなくて辻くんのためにもなるっていう話だけれど、それにしても。

 今更のようにそんな疑問が涌き出した撫子、おそるおそる。

 

 

「……あの、お師匠様。いいんですか? 昨日ひゃみから聞いたんですけど、近々()()()の方まで遠征に行くとかでお忙しくなるんじゃ……」

「あ――うん。選抜試験も無事に通って、後は行くだけっていう段階」

「流石に向こうに行ったらヒナタちゃんの相手は出来なくなるけど、逆に言うならそれまでは割とヒマだよ、おれ達は。今期のランク戦ももう終わったしね」

「A級ランク戦……! あたしそれすっごい気になってたんですよ! 観たい観たいってずっと思ってたんですけど、昇格目指すのに必死でランク戦会場まで足運んでる余裕がなくって――選抜試験とやらにしてもそうなんですけど、一体いつの間にやってらしたんです?」

「さあ。いつだろうね? おれも知らない」

「おいパイセン」

 

 

 あり得ないことを言いだしたのでジト目で睨み付けてはみたものの、あっはっはーと笑って誤魔化すばかりの犬飼である。

 うん。突っついても無駄なパターンだなこれは。撫子は早々に思考を放棄した。

 

 

「ま、気になるんなら記録(ログ)があるからそのうち見せてあげるよ。――いいよね? 鳩原ちゃん」

「……わざわざあたしに許可取らなくても、大丈夫だから。ほら、新くんと一緒に先行ってなよ」

「はーいはい。それじゃ辻ちゃん、女の子組は遅れて来るってさ。行こ行こ」

「……了解です」

 

 

 最後にちらりと、申し訳なさそうに撫子を一瞥しつつ――犬飼と共に、辻新之助は個室の中へと入っていった。どうやらあそこが、訓練用(トレーニング)ステージとやらの入口になるらしい。個人(ソロ)ランク戦の個室(ブース)のように、あの中から仮想空間へと転送される仕組みになっているのだろう。

 はてさて、一体どんな訓練が待ち受けているのやら。若干の不安はあるものの、それよりも遥かに期待の方が勝っている。何しろ我が師、鳩原未来直々の提案なのだから。自身を正隊員へと辿り着かせた彼女の手腕を、撫子は一切疑っていなかった。

 

 

 

『言うてヒナちゃん、あの鳩原ちゃんの弟子やってんねやろ? せやったらこれからガンガン伸びるやろ』

『――攻撃手(アタッカー)をマスター出来たら、次は狙撃手(スナイパー)に乗り換えようと思ってる。そうしたら、君にも教えを乞う日が来るかもしれないな。そん時ゃよろしく頼むぜ、日向坂()()()()

 

 

 

 例の騒動の最中に知り合った、二人の男達の言葉が脳裏を過ぎる。

 生駒達人の言う通り、鳩原の指導の下、自分は今後も成長するための努力を惜しまない。そして必ずや、荒船哲次が狙撃手(スナイパー)へと転向してきた時、胸を張って彼のことを出迎えられるような一人前の狙撃手(スナイパー)になってみせるのだ。

 

 

 ――このひとの傍にいれば、きっと、それが叶う。

 

 

いよぉーし! あたし達もいっちょ行きましょうお師匠様! どんな試練もどんとこいですよ! えいえいむん!」

「自分のことをマチカネタンホイザだと思い込んでいるツインターボ」

「うるさいよそこのゴールドシップみたいな声した女ァ!!」

「……あのさ、ナデコ」

「アッハイ」

 

 

 微妙に冒頭のネタを引き摺ったような発音で応じる撫子。いかんいかん、仮にも師匠の見ている前で羽目を外し過ぎただろうか。

 そんな弟子の様子に構うことなく、鳩原はじっと撫子を見据え、やけに真剣な面持ちで。

 

 

「ごめんね。犬飼に聞かれるとまた後で何か言われるんじゃないかって思ったから、先に行かせたんだけど」

「え、えーっと……割とマジメなお話です?」

「……ナデコにとっては、どうってことない話かもしれないけど――あたしにとっては、とても」

 

 

 ――なるほど。

 そういうことなら、おふざけの時間はこれで終わりにしなければ。

 

 

 姿勢を正し、撫子もまた、真正面から自身の師と向き合った。

 

 

「伺います」

「――ありがと。……その、影浦くんのことを撃っちゃったっていう話、あったでしょ?」

「は……はい」

 

 

 思いがけぬ出だしに戸惑いながらも、撫子は頷く。正直、その話はもう終わったことだと思っていたのだが――やはり、狙撃手(スナイパー)としてどうしても見逃せない点があったということなのだろうか?

 とはいえ、何を言われようと大人しく受け入れるべきだ。そもそも、この件を鳩原に伝えたら間違いなく叱られるものだと思っていたのだから。こうして二人っきりになった状況を選んでくれるだけ、やっぱりあたしの師匠は優しい――

 などと、思っていると。

 

 

 

 

 

「――()()()()()()?」

 

 

 

 

 

 それは。

 実に、不明瞭な問いかけだった。

 

 

「……大丈夫……というと?」

 

 

 鳩原の意図が読めずに、思わず怪訝な顔になってしまう撫子。

 彼女は一体、自分の何を心配しているのだろう。それなりの騒ぎになりはしたものの、最終的には赦してもらえたと確かに伝えた筈なのだが。

 言葉足らずを察したのか、鳩原は続ける。

 

 

「その……気分が悪くなったりとか、吐き気がしたりとか、頭の中がパニックになったりとか――」

「あ――ああ、なるほど。そういうことですか」

 

 

 要するに鳩原は、撫子の精神面を気遣ってくれていたのだった。

 相手がトリオン体(偽物の肉体)であろうと、破壊することに抵抗を覚える戦闘員がいるのだという話は、撫子も耳にしたことがある。そして個人(ソロ)ランク戦の経験がない撫子にとって、影浦雅人こそが初めての()()()ということになるのだが――

 

 

「……正直な話、『あっ……』ていうやらかした気持ちと、影浦先輩の目つきにひいひい言ってた気持ちの方が強くって――不快感とかそういうのは、あんまり」

「――そう」

「頭とか吹っ飛ばしちゃってたら、流石にうわって思ったかもしれないんですけど……()()()()()()()()が見えたからかな? 自分でも、はっきりと理由は説明できないんですけど――とにかく、大丈夫でした」

「……うん、わかった。ごめんね、変なこと訊いちゃって」

「あ、い、いえ! お気遣いに感謝いたしますです、はい」

「……そういうのじゃないんだけどね」

 

 

 ぼそり、と。

 吐き捨てるような、口調だった。

 

 

「――師匠?」

「……ごめんね、ちょっと先に行ってて。そこの部屋に入ったら、勝手に飛ばされるようになってるからさ」

「は……はい。それは、いいんですけど――」

 

 

 肯定を返しはしたものの、撫子は即座にその場を後にすることが躊躇われた。

 目の前にいる鳩原が、何処か陰鬱な空気を纏っているような――このまま目を離してしまったら、今にも暗闇の中に溶けて、いなくなってしまいそうな。

 そういう風に、見えたのである。

 

 

「……本当に、後から来てくれるんですよね?」

 

 

 何をバカなこと言ってるんだあたしはと、自分で自分を罵りたくなるような愚問だった。

 それでも――そう問いかけずには、いられなかった。

 

 

「……なーに言ってるの、ナデコ」

「わ」

 

 

 おもむろに、ふっと口元を緩ませて。

 鳩原未来は、わしゃわしゃと弟子の頭を撫で回した。

 

 

「どこにも行ったりなんかしないよ、あたしは。あんまり変なこと言うと、ナデコの髪の毛も影浦くんみたいにしちゃうよ?」

「ちょ、それ、あのひとに訊かれたら首ちょん切られますよ……!?」

「うん。だから今言ったのはないしょ。二人だけの――あ、もしかして亜季ちゃんも聞いてる?」

「聞いてないです」

「そ。よかった」

「いやそんな古典的なボケかまされましてもあわわわわわわわ」

 

 

 わしゃわしゃわしゃわしゃ。

 成す術もなく髪という髪を蹂躙され尽くした結果、鳩原が手を離した頃には、すっかり立派な影浦撫子が出来上がっていた。

 ……うわあ。影浦撫子なんて言ったら、まるであたしとあのひとが()()なったみたいな――ないでしょ、ない。そんな未来は絶対にない。未来は無限に広がってない。あたしの師匠は鳩原未来。ちくしょう。脳味噌が完全にパニック起こしてやがる。もうだめだー。

 

 

「……これ、トリオン体じゃなかったら師匠が相手でも流石にキレてましたからね?」

「あはは――ごめんね、意地悪しちゃった。再換装したら元通りになる筈だから、向こう行く前に一度生身に戻った方がいいよ」

「もーっ……」

 

 

 表面上はぷりぷりと怒ったフリをしながらも、撫子は内心で安堵していた。

 ……よかった。お師匠様、とりあえずは笑ってくれてる。流石にさっきのは、あたしの変な思い込みだったな。うん。

 思い込みで、ほんとうに、よかった。

 

 

「――待ってますからね! すぐ来てくださいよー!」

 

 

 そう言って撫子はばたばたと駆け出し、犬飼と辻の入っていった訓練室(トレーニングルーム)の前に立ち――扉を潜る寸前で、一度トリガーを解除した。

 危ない危ない。このもさもさヘアーを男子連中に晒してしまうところだった。本当に一つのことしか考えられない女だなあたしは。

 

 

 ――さっきの笑顔は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――とか。

 そんなことを思ってたって、しょうがないでしょ、ホントにもう。

 

 

 頭の中のもやもやを消し飛ばすように、ぶんぶんと首を振って。

 撫子は再度トリガーを起動し、仮想の戦場へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

「――で、私がいるのに一人だけわざわざ残ったっていうのは、何か女同士で愚痴りたいこととかそういうのがある感じなんですかね。鳩原先輩」

「……最初に会った頃と比べて、亜季ちゃんは聡い子になったなあ」

「あの頃と比べて、話せる相手が一気に倍以上になりましたから。視野も少しは広くなります」

 

 

 ――いちばん話しかけたい男の子とは、未だにまともな会話も出来ないでいるんですけど。

 その言葉だけは、決して口にはしなかった。鳩原未来を相手にその悩みを打ち明けるのは、まるで彼女への当てつけのようになってしまうからだ。

 実際、本気で感謝してはいるのだ。『烏丸くん相手にくらべたら、他の人は緊張しないでしょ』――その言葉があったからこそ、今の自分がある。あの犬飼澄晴のような食えない先輩を相手に臆することなく意見を言えるようになったのも、自分とよく似たところのある辻新之助を気遣えるようになったのも、日向坂撫子のようなじゃじゃ馬娘を相手にしても、本当にしょうがないやつだなこいつは――と、溜息混じりに付き合える図太さを持てるようになったのも。

 

 

 全部。全部。壁一枚を隔てた先にいる、心優しい先輩の助言があったからなのだ。

 

 

「――ヒナタにまだ、言ってないんですよね。鳩原先輩が人撃てないこと」

「……なんていうか、タイミング逃しちゃってね。この数ヶ月、ナデコは本当に昇格することしか考えてなかったから――あたしが本当にちゃんとした師匠かどうかなんて、考えてる暇もなかったみたい」

「一人はA級6位、もう一人は毎週最下位からの正隊員入り――立派な実績じゃないですか。もっと自分に自信持って下さいよ、絵馬ユズル君と日向坂撫子のお師匠様」

「――それでも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――ああ。

 このひとはそれを口にするために、わざわざヒナタを先に行かせたのか。納得。

 

 

「――そんなこと思ってるの、この世の中で鳩原先輩ひとりだけですよ」

「……そうかな? 亜季ちゃんがあたしの立場だったら、きっと同じように考えると思うよ」

「そんなことは――」

 

 

 ないです、と言い切る気持ちよりも。

 そうかもしれない、という気持ちが勝ってしまった。

 

 

 だって自分も、別に出来なくても良かったことばかりが上手くなって。

 本当にやりたいことだけは、決して出来ずにいる人間だから。

 

 

 ――でも。

 あなたがそれを口にするのは、流石に卑怯じゃないですか。鳩原先輩。

 

 

「ごめんね」

 

 

 ……そうやって、何もかもを見透かしたようなタイミングで謝ってみせるのも卑怯だ。

 我慢の限界だった。ぎい、と軋んだ音を立てた椅子にも構わず勢い良く立ち上がり、こちらの道を阻むように形作られたL字型のデスクをなにくそと大回りに歩いて、オペレータールームを抜け出る。

 

 

 老婆のようにくたびれ切った表情で、壁に凭れて虚空に視線を投げている、そばかす顔の女の姿があった。

 

 

「……ひどい顔してますよ。そのままヒナタ達のところに行くつもりですか?」

「――まさか。これでもあたし、ナデコの師匠だからね。……あの子の前では、ちゃんとするよ。ちゃんとする」

 

 

 そう言って、鳩原未来は日常動作の一種か何かの如き手早さで、作り笑顔を顔に貼り付けた。

 犬飼澄晴のそれと比べて、遥かに完成度で劣って見える――冴えない女の表情をしていた。

 

 

「……ねえ。知ってましたか? 鳩原先輩」

 

 

 そんな偽物の被り物は、今にも叩き割ってやりたくて仕方がなかったので。

 その裏側に隠れている、本物の存在を教えてあげたいと思った。

 

 

「あの子のことを褒めてあげてる時の先輩って、傍から見てても本当に眩しく思えるような、きらきらとした顔になってるんですよ」

「……まさか。見間違いだよ、そんなのは」

「いいえ。断言します」

 

 

 そうだ。そんなことはない。

 きっと、あの子にだって見分けがついている。あの子は本当に馬鹿で幼稚で我慢弱くて気紛れな甘えん坊だけれど、それでも。

 

 

「――私の知っている限り、あの子が一番幸せそうな顔をしている時っていうのは。笑顔のあなたと一緒にいる時なんですよ、鳩原先輩」

 

 

 だから、どうか。

 あの子の笑顔を曇らせないために、あなたの笑顔を曇らせないで下さいと。

 

 

 祈るような気持ちを込めて、氷見亜季は、鳩原未来を真っ直ぐに見つめた。

 

 

「……あたしには、今の亜季ちゃんの顔の方がよっぽど眩しく見えるな」

 

 

 ……だから、目を逸らすんですか。眩しく見えるものから。

 訓練室(トレーニングルーム)へと向いた背中に、そんな言葉を投げつけたくなる気持ちを、ぐっと堪えて。

 

 

「……とにかく、しっかりして下さい。誰が何と言おうと、鳩原先輩は立派な狙撃手(スナイパー)です。たとえ、自分自身でそう思えなくなってしまったとしても――」

「――うん。わかってる、大丈夫。……付き合ってくれてありがとね、亜季ちゃん」

「それ、こっち向いて言って下さいよ」

「……言ったでしょ? 眩しいんだよ。ごめんね」

 

 

 そう言って、結局最後まで、振り向くことはなく。

 自分の前から逃げ出すように、鳩原未来は、訓練室(トレーニングルーム)の中へと消えていった。

 

 

「…………はあああああ…………」

 

 

 ――疲れた。

 この部隊(チーム)はあまりにも、手の掛かる人間が多過ぎる。異性とまともに会話の出来ない少年、人を撃てない狙撃手(スナイパー)、傍若無人を絵に描いたような隊長。それに加えて、自由気ままな甘えん坊のへなちょこ狙撃手(スナイパー)も最近になって増えた。残る一人の男はどうにも、頼っていいのか悪いのかはっきりとしないところがあるし。

 

 

 ――そして部隊(チーム)屋台骨(オペレーター)と言えば、気になっている男の子に、声の一つも掛けられずにいる臆病者ときたものだ。

 

 

 ……まったく、鳩原先輩に大口を叩けたものじゃない。

 私達は本当に、揃いも揃って、ダメなやつばかりだ。

 

 

『――おーい、ひゃみちゃん聞こえてるー? 準備できたからヒナタちゃんのサポートしてあげてー』

「……犬飼先輩は本当に、人生楽しそうでいいよね」

『え? いきなり何? ありがと』

「皮肉だよ、今の」

『うん。知ってる』

 

 

 ――本当に、そういうところだ。このひとは。

 最後にもう一度溜息を吐いて、氷見亜季は自身の戦場――オペレータールームへと舞い戻っていった。

 

 






二宮ァ! おまえ早く空気変えてくれ二宮ァ!!(作者の切実な叫び)



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『辻新之助~Blue Bird Syndrome~』



辻ちゃん回を書く前に今の辻ちゃんの状況を理解する必要がある
少し長くなるぞ…




 

 

 ――なんでもない、平凡な日常における1ページの話。

 

 

 

 

 

「あ、奈良坂くん」

「……辻か」

 

 

 ボーダー本部基地内の売店にて、辻新之助はばったりとその少年に遭遇した。

 奈良坂透。辻の通っている六頴館高等学校在籍の男子学生である。クラスやポジションは違えど同じ学校に通う貴重な同性同年代ということもあり、割と会話を交わす機会の多い間柄であった。

 

 

「今日の午前は三輪隊の防衛任務(シフト)だったっけ。ちょうど上がったところ?」

「ああ。そっちは個人戦上がりか」

「うん。ちょっとお菓子でも買ってから作戦室に寄ろうと思って――あ、きのこたけのこの新作が出てる」

「…………」

 

 

 スッ……と売場に並んでいるきのこの山を奥へと押しやり、その前にたけのこの里を並べる奈良坂。澄ました顔で。

 

 

「たけのこの新作が出てるな」

「ちょっと待って」

 

 

 すごい。さも当然のように対立派閥の存在を抹消しようとしている。とりあえずお店の迷惑になるからやめよう、そういうのは。

 そう思って奥に引っ込んだきのこを再び前へと並べ直し、ついでにせっかくだからこれ買っていこうかなあと手に取りかけた瞬間、がしりと力強く手首を掴まれる。

 顔を上げた先にいるのは当然、こちらを否定するようにふるふると首を振るマッシュルームカットの少年であった。

 

 

「やめておけ――お前と殺し合いはしたくない」

「俺も別にそんなつもりで買おうとした訳じゃないんだけど……」

「わからない……どうして人は空ばかりを見上げる? 山の麓にひっそりと生えるたけのこの尊さに何故気付かない? 俺には山育ちの連中の考えが理解できない……」

「山育ちでも里生まれでもないけど俺は今の奈良坂くんの方がよっぽど理解できないかな……」

 

 

 出会って数分足らずで自身のイメージを粉々にするような言動は控えてほしい。

 とりあえずこの環境が良くない。山だの里だのに囲まれていると奈良坂の思考が乱れてしまう。お菓子じゃなくて和菓子にしようかな? どら焼きが食べたい。出来ればバター入ってるのがいいんだけど、ここの売店じゃ売ってないかなあ――などと思いつつ別の売場に移った辻の視線が、

 

 

「あら、辻くんと――とーちゃん」

「――――!?」

 

 

 3人の白き少女たちを前にして、硬直した。

 那須玲、熊谷裕子、日浦茜――B級ガールズチーム『那須隊』の面々が、和菓子売場の真ん前に集まっていたのである。例の隊服姿で。

 

 

「あー! 奈良坂せんぱーい! それに辻先輩も! こんにちは~!」

あっ、こっ……こん……ちゎ……」

「玲――それに日浦か」

「あれ、あたしはスルー? 奈良坂くん」

「悪い。そういうつもりじゃなかったんだが……随分と久しぶりに会うような気がするな、熊谷」

「ま、攻撃手(アタッカー)狙撃手(スナイパー)じゃ顔合わせる機会全然ないからね。おまけに学校も階級も違うし」

「はっ……はわゎ……」

 

 

 ヤバい。ヤバい。ヤバい。ヤバい。脳内でガンガンと警鐘が鳴っている。ここに留まっていてはいけない。あっちを向いてもこっちを向いても刺激が強過ぎる。だって目の前に女の子が、それも自分の目からしてみれば割と過激な恰好の女の子が! トリオン体であるにも関わらず、沸騰するほどの頬の熱さを辻は感じた。視界がぐらぐらと揺れ動いているような気さえしていた。

 

 

「とーちゃんと辻くんは二人でお買い物?」

「いや、たまたまここで会った。そっちは部隊(チーム)で――と思ったが、志岐が見当たらないな」

「あら? 小夜ちゃんも一緒に来ているのだけれど……おかしいわね。どこに行ったのかしら」

「志岐先輩なら急にばたばた走って店の外に出て行っちゃいましたよ?」

「あー……」

 

 

 正直、周囲の会話はほとんど耳に入っていない。だがとにかく、危険が危なかった。ピンチはピンチであり断じてチャンスにはなり得ないのだと頭の中のイマジナリー新之助が訴えていた。

 ひゃみさん! 助けてひゃみさん! 鳩原先輩! 犬飼先輩でもいいんです! 内部通話とか届いてませんか!? ひゃみさん! ひゃみさん!!

 声なき声で辻は叫んだ。独房に放り込まれたアムロ・レイの如き必死さで叫んだ。二宮匡貴の名前は一度たりとも呼ばれなかった。後に絵馬ユズルのオレを獲れアピールに気が付くという意外な察しの良さを見せるあの男であるが、この当時の辻にはそうした二宮の知られざる一面が伝わっていなかったようである。哀れなり二宮匡貴。

 で、独りで勝手に追い詰められている辻の様子に気付いた那須玲、おもむろに。

 

 

「――辻くん、大丈夫? ひどく顔が赤いわ」

えっ!? あっ……いゃ……その……

「お熱でもあるのかしら? トリオン体の活動は生身に影響を与えないというだけで、生身の病気や体調不良を治してくれる訳ではないから――えい」

「――!?!?!?!?!?!?」

 

 

 ひたり、と。

 心地よい冷たさと柔らかな感触が、額をそっと覆っていた。

 那須の手のひらがおでこに振れて、辻の体温を計っている。右手は辻に、左手は自身の額に。体温の比べ合いをしているのだ。

 トリオン供給器官破損、緊急脱出(ベイルアウト)。そんな幻聴が聞こえた。それ程までに動悸が半端なかった。トリオン体の人体再現機能、仕事し過ぎである。

 

 

「……結局は生身の調子が良い時でないと、換装しても満足に動けなかったりするのよね――まあ、本当にすごく熱いわ。ダメよ? 辻くん。具合の悪い日は大人しくお家で休んでいないと」

「玲……あんたはもうちょっと男の子との距離の詰め方ってもんをね……」

「?」

 

 

 私今何かやっちゃいました? とでも言うようにちょこんと首を傾げる那須玲。恐ろしいことにこの女、善意100%である。男子禁制のお嬢様学校(星輪女学院)に通う少女は異性に対する適切な距離感というものを理解していなかった。同級生の小南桐絵がほぼ初対面の三雲修にチョークスリーパーを敢行していたのと似たような感じである。しかも読み返したらあの女オッサムの頭噛んでやがる。首を絞めながら頭も叩いておまけに噛んでる。三連コンボかよ……怖……。

 

 

「だっ……だぃじょぶ……です……」

「そう? 辛いときは本当に無理をしてはダメよ。自分の身体を一番気遣ってあげられるのは自分自身、そういう意識を忘れないように――って、私もお医者様によく言われるわ。お互い健康には気を配りましょうね、辻くん」

「玲。お前なりに真面目なアドバイスのつもりなのは分かるが……違う、そうじゃない」

「?」

「おまえ困ったらとりあえず首傾げておけばいいと思ってないか?」

「まあ。心外だわ」

 

 

 辻の事情を知る奈良坂、さり気ないインターセプト。那須の従姉弟という立場を活かした容赦のないツッコミでタゲ逸らしに成功する。狙撃手(スナイパー)らしからぬヘイトコントロールの巧みさであった。

 ちら、と辻を一瞥して頷く奈良坂。ここは俺に任せて先に行け、と言わんばかりの頼れる横顔であった。心の中で粛々と奈良坂を拝み倒しつつ、忍び足で辻はその場を後にした。どら焼きの確保は泣く泣く諦めた。金の雛鳥は放棄する……。

 

 

「……はあ……」

 

 

 背中を丸め、溜息交じりに店の外へ出る。独り虚しく、辻は己の不甲斐なさを胸中で嘆いた。

 奈良坂くんはすごいなあ。親戚だっていうのは聞いてたけど、それでもあんなに綺麗な那須さんと顔色一つ変えずに話が出来るなんて。おまけに日浦さんを弟子に取ってるって話も聞くし。女の子に付きっきりで何かを教えるなんて、俺には無理だ。どうしても緊張しちゃって、まともに声が出せなくなる。

 女の子が嫌いな訳じゃない。むしろ仲良くなりたいんだ。だけどさっきの那須さんみたいにいきなり距離を詰められると、頭の中がパニックになって、どうしたらいいのかわからなくなる。

 そういう時の自分のことを、後から思い返す度に、格好悪いなと思ってしまう。

 

 

 

 

 

 いつからこうなってしまったんだろう。

 俺はただ、奈良坂くんのように(ふつうに)なりたいだけなのに。

 

 

 

 

 

「――ひっ!?」

 

 

 すぐ傍で、そんな悲鳴が聞こえた。

 視線を向けた先に、右目を前髪で覆った黒い制服の少女がいた。露になっている左目は、戸惑うように揺れ動きながらこちらを見据えている。

 この子は――志岐小夜子だ。先に出会った那須隊の面々を支えている、オペレーターの女の子。と言ってもブリーフィングファイルで顔写真を見たことがあるというだけで、直接顔を合わせるのはこれが初めてのことだった。それも、これ程までに近い距離で。

 そう、近いのだ。おそらく入口のすぐ傍でチームメイト達が出てくるのを待っていたのだろう。二人の視線が僅かに交差して、間もなく。

 

 

あっ、ごめ……なさ……

ひえっ、ほあ……ひや……ほい……

 

 

 意味を成さない言葉と言葉がぶつかり合って、それから暫しの沈黙が流れた。

 男は赤面しながらふるふると目を逸らし、女は冷や汗を流しながらぶるぶると震えている。緊張と緊張が織り成す局地的大地震、マグニチュード22.345(つじ・さよこ)。両者を繋ぐ断層は分かたれ、もはや修復は絶望的であると言えた。

 それでも――奇跡的なことに、片方の揺れが収まりつつあった。辻新之助である。おそるおそると言った具合に再び志岐へと視線を向けて、そこでようやく、辻は彼女の異変に気が付いた。

 

 

(……志岐さん……怯えて、いる……?)

 

 

 ともすれば、異性と相対した時の自分以上に平静を保てなくなっている少女の姿がそこにあった。顔は青ざめ、目尻には涙を浮かべ、ぜえぜえと呼吸を荒げてさえいる。単なる照れや焦りによるものではなく、明らかに――尋常ならざる状態であった。

 辻は志岐の抱えている事情を知らない。異性――とりわけ年上の男性の前では、生活に支障を来たすほどの精神状態に追い込まれてしまう、彼女の事情を理解していない。

 それ故に、辻は選択を誤った。

 志岐にとっての最適解は、即座にその場を離れること。辻新之助が取った行動は、その真逆。

 即ち――目の前で震える少女のことを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()などという考えは、同類のようなもの(似て非なるもの)を前にして浮かんだ、致命的な思い違い以外の何物でもなかったのである。

 

 

「あ……あの、志岐さん、大丈夫――」

 

 

 無論、悪意もなければ、敵意もなく。

 ほんの一歩、辻は志岐へと踏み込んだ。

 

 

「――――!」

 

 

 本当にたった、それだけのことで。

 志岐小夜子の脆弱なる境界線(ボーダーライン)は、崩壊した。

 

 

「ひっ――ひええええええええええええ!!」

「あ……」

 

 

 脱兎。その一言に尽きた。

 悲鳴と共に地を蹴って、止める間もなく辻に背を向け駆け出す志岐小夜子。韋駄天か何かでも使っているんじゃないかと思えるほどの全力疾走であった。見る見るうちにその背中が遠ざかっていき、程なくして曲がり角の向こうに消えていったのを確かめて――

 

 

「……はああああああああ……」

 

 

 辻は本日二度目となる、深い深い溜息を吐いた。

 怖がらせるつもりなんてなかった。傷つけるつもりも、勿論なかった。

 ただ――自分と同じように、()()()()()()()()()()()()()彼女のことを、どうにかしてあげたいと思って。

 こうして拒絶されてようやく、それが単なる独りよがりに過ぎなかったことに、気付かされる。

 

 

(……何、やってるんだ。俺は……)

 

 

 やってはいけないことをしてしまった。

 自分と異なる存在が、突如として距離を詰めてくることへの恐怖。

 それがどれだけ人の心を不安定にさせるのか、誰よりも自分は理解していた筈なのに。

 あの瞬間、辻新之助という愚かな男は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 吐き気がするほどの自己嫌悪に襲われ、思わず壁に手を突く一方で――それでも、という想いもあった。

 恐怖に怯え、震える少女を前にして。黙ってその場を立ち去ることなど、出来る筈がなかった。

 たとえ自分が、志岐小夜子にとっての外敵(ネイバー)でしかなかったとしても――

 

 

 ――あの時、俺は。

 俺自身がそうするべきだと、そう思って、しまったんだ。

 

 

(……帰ろう)

 

 

 惨めったらしい自己弁護を強引に切り上げて、ふらふらと歩き出す。

 何なんだろうな、と思う。男と女――性別の違いを意にも介さず語り合える人達がいる一方で、それに馴染めない異端の男女が、ふとした偶然から出会った。普通はあぶれ者同士、意気投合する流れじゃないのだろうか。

 現実は、ひとりとひとりが出会っても、ふたりぼっちにすらなれない。

 それなら一体、自分たちは、何処へ行けばいいのだろうか。

 

 

(……本当に、俺達みたいなのって、どうすればいいんだろうね。志岐さん――)

 

 

 そんな問いかけを彼女に投げかける機会など、未来永劫訪れはしないだろうけれど。

 それでも――そう思わずには、いられなかった。

 

 

 

 

 

「ちょっ――小夜子ちゃん!? トリオン体で廊下走ったらダメだって! 生身の人にぶつかったらたいへ――あー、行っちゃった。まったくもう……」

 

 

 ――その声は。

 自分にとって、誰よりも馴染み深い少女の声だった。

 

 

「「……あ」」

 

 

 間の抜けた気付きの声が、互いの口から漏れた。

 志岐小夜子の走り去っていった曲がり角から現れたのは、氷見亜季。

 辻の属するA級4位・二宮隊のオペレーターにして――辻がまともに会話できる、数少ない女子のうちの一人であった。

 

 

「――ひゃみさん」

「辻くん……? こんなところで何して――ってこともないか。売店の真ん前だし」

「……何も買ってないけどね」

「ダメじゃん。お金なかったの?」

「そういう訳じゃ……なかったんだけど」

 

 

 ただただ、何も手に入らなかった。きのこの山もたけのこの里も、どら焼きも――新たな異性の話し相手も。

 何ともなしに、彼女を見つめる。氷見亜季。出会った当初は『氷見さん』でしかなかった少女は、いつの間にか『ひゃみさん』になって、普通に話せる相手になっていた。

 思えば――初めて会った頃の彼女は、異性を相手にした時の自分や志岐小夜子に雰囲気が似ていたような気がする。緊張しがちで、引っ込み思案で、言いたいことが言えずに口ごもってしまう、そんな女の子。

 

 

「なかったんだけど――なに?」

「……言いたくない」

「うわ、辻くんが反抗期だ。めずらしい」

 

 

 それがいきなり、こうなっていた。

 本当に突然だったのだ。何のきっかけがあったのか、誰に魔法を掛けられたのか――それとなく訊ねてみてもはぐらかされるばかりで、未だに辻は氷見の変貌の理由を知らずにいるのだけれど。

 それでも、正直な感想を言わせてもらうならば。

 

 

「……俺、ひゃみさんみたいになりたいな」

「え゛。……うわ、変な声出ちゃった。ちょっと、何。どうした急に」

 

 

 おまえは何を言っているんだ。そう言いたげな訝しむ目で、氷見が自分を見つめている。実際、何の脈絡も無しにこんなことを言われたら、誰だって似たような顔になるだろう。ましてや男子が女子に対して使う台詞ではない。普通は。

 ――けれど、辻新之助は少なくとも、自分のことを正常(ふつう)とは思っていないので。

 

 

 

 

 

「ひゃみさんは――かっこいいから」

 

 

 

 

 

 こういう言葉に限っては、すんなりと口に出せてしまうのである。

 氷見のような異性が相手でも。

 

 

「……かっこいい? 私が?」

「うん。誰に対しても臆さず話せて、堂々としてて――そういうところがかっこいい。正直言って憧れる」

「……なんでまた急にそんなこと言い出したのかは知らないけど、とりあえず。見習う相手を間違えてるよと言いたい」

「でも、二宮さんとか犬飼先輩よりかはひゃみさんみたいになりたいって思うよ、俺は」

「あー、比較対象がよりにもよってあの二人なのかぁー……そっかぁー……」

 

 

 是非も無し、というように眉間を右手で抑える氷見。今更になって気付いたのだが、左の手には土産袋のようなものが握られている。買い物帰りか何かだったのだろうか。

 二宮匡貴と犬飼澄晴。彼らも異性に対して堂々と振る舞える存在なのは確かなのだが、前者はいささか我が強過ぎるきらいがあるし、後者は逆に軽薄な印象が目立つ。彼らと比較した氷見の対人感覚は、なんというか、丁度良いのだ。

 決して突き放すことなく、かといって近過ぎもしない。そうやって適切な距離感を保ってくれることが、辻にとっては心地良かった。自分が氷見と普通に話せるようになったのも、きっと彼女のそういった見えない気遣いを、感じ取れるようになったからだと思っている。

 ()()()()()()に、自分はなりたい。

 だから――辻新之助にとって、氷見亜季は憧れの対象で在り続けるのだ。

 

 

「微妙な気持ちになった?」

「ここでうんって頷いたら角が立つじゃん」

「だったら別に、比べなくてもいいよ。誰を引き合いに出す訳でもなく、俺にとってひゃみさんはかっこいいんだ。それだけは、自信を持って言える」

「……私も別に、誰に対しても普通に話せるってわけじゃないんだけどね」

「そうなの? 今のひゃみさんでも緊張するような相手なんて、いるんだ」

「――いるよ。他の誰とも話せるようになった代わりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。まったく、助言なんだか呪いなんだか……いや、本当に感謝はしてるんだけど」

「……?」

「なんでもない。こっちの話。……とにかく、私は辻くんが思ってるほど立派な女ではない。それだけは言っとく」

 

 

 区切りを付けるように、氷見はそう言い切った。

 自分は立派な人間ではない。氷見亜季が敷いた、自己評価という名の境界線(ボーダーライン)。それを今、自分は踏み越えようとしている。だから氷見は言い切ったのだ。ここから先には進んでくるな、と。

 志岐小夜子の時は、その線が何処にあるのか見えなかった。見えないままに恐る恐る歩み寄った結果、案の定地雷を踏み、志岐はあえなく緊急脱出(ベイルアウト)と相成ってしまった。

 

 

「――それなら、俺も俺で勝手に憧れるだけだよ」

 

 

 だから、今度は。

 氷見の敷いた(ライン)の位置を理解した上で、正面から堂々と、彼女の境界(ボーダー)に踏み込んでいくのだ。

 

 

「ひゃみさんがどう思おうが、ひゃみさんがかっこいいかどうかは俺が決めることにする――みたいな。……この言い回しは印象良くないかな、あんまり」

「まるで八丸くんみたい……」

「ひゃみさん、最近漫画のネタに詳しくなったよね」

「……ちょっとオタクの友達ができちゃってね。本とか借りて読んでるうちに色々覚えちゃった。悪い影響だわ……」

「でも、友達なんでしょ」

「――ま、ね」

 

 

 たった二文字に友愛を籠めて、氷見は困ったように笑った。

 照れている。氷見のこういう表情は、中々に珍しい。貴重なものを拝めたというささやかな感動と共に、彼女にこんな表情をさせる友人というのは一体どんな人物なのだろう――と、若干の興味も湧いていたりした。

 まあ、きっと氷見と同性の友人だろうし、自分が話す機会など訪れないだろうとは思うけれど。

 

 

 ――ぐーきゅるるるるるるる。

 

 

 唐突に強烈な勢いで、腹の虫が鳴った。

 そういえば小腹を満たすために売店へ寄ったのだということを、今更のように辻は思い出した。結局何も買えず仕舞いだったのだけれど。

 

 

「……お腹空いた」

「今時こんな古典的な空腹アピールって逆に珍しいよね……」

「今からでも戻って何か買ってこようかな? 何か忘れてるような気もするんだけど……」

「ちょっと待った。――私がいいものをあげよう」

 

 

 そう言って、左手に持った袋の中をがさごそと漁り出す氷見。

 見れば、袋の外側には――『鹿のや』の三文字が刻まれていた。

 

 

 

 

 

「ん」

 

 

 

 

 

 などと至極軽い調子で差し出されたのは、半透明の包装が施された、茶色くて丸い、ふっくらとした和菓子。

 一度は追い求め、されど異性という名の壁に阻まれて手に取ることを諦めた、辻新之助の大好物であった。

 

 

「……どら焼きだ」

「そ。栞がよく言ってるいいとこの~ってやつ。元は月見先輩が広めたらしいんだけど、とにかく味は保証済みだよ。私はまだ食べたことないけど」

「しかもバターどら焼きって書いてある……」

(チーム)の皆で食べようと思って買ってきたやつだからね。――好きなんでしょ? 辻くん」

「……うん。好き」

「じゃあ、めしあがれ」

 

 

 言われるがままに封を切り、はむりと一口、齧りつく。

 柔らかな生地に覆われた餡とバターの奏でる芳醇なハーモニーが云々――だとか、評論家染みた感想よりも、なんというか。

 幸福というものに味があるのなら、それはきっと、こんな味をしているんだろうなと思った。

 

 

「どう? おいしい?」

「……チルチルとミチルの気持ちが理解(わか)ったような気がする」

「今日の辻くんは言うことがやたら唐突だよね」

「いや、だけど――本当にそう思ったんだ」

 

 

 奈良坂透に憧れて、那須玲からは逃げ出して、志岐小夜子には逃げられて。

 少しの間に色々なことがあって、結局自分自身は何一つとして変えられないままで、腐りかけていたところに、彼女が現れて。

 自分にとって誰よりも身近な少女が、自分の探していたあらゆるものを、最初から持っていた。

 まるっきり、青い鳥の童話のようだなと、思ってしまったのだ。探しものはいつだって、自分のすぐ傍に転がっている。

 空を舞う青い翼の羽ばたきに惹かれていては、地に落ちた羽根の放つ煌めきには、気が付けないものだ。

 

 

『わからない……どうして人は空ばかりを見上げる? 山の麓にひっそりと生えるたけのこの尊さに何故気付かない? 俺には山育ちの連中の考えが理解できない……』

 

 

「……いや、羽根じゃなくてたけのこの間違いだったかもしれない」

「辻くんが何考えてるのかはわからないけど、なんかズレたこと考えてるのはわかる」

「ひゃみさん。俺、今日からたけのこ党になるよ」

「ほら絶対ズレたこと考えてるこれ」

 

 

 ――まあ、奈良坂透は絶対に、こんなことまで考えて口にした訳ではないのだろうけれど。

 彼の言う通り、たまには自分の足元を見つめ直してみるのも、悪くないのかもしれない。そう思った。

 

 

「……はあ。辻くんのよくわかんない話に付き合ってたら、私までお腹空いてきた……早く帰って私もこれ食べよう」

「――うん、そうだね。いいとこのって言うだけあってすごい美味しいから、きっとみんな喜ぶと思うよ。……ありがとう、ひゃみさん」

「うむ。よろしい」

 

 

 流石にここで『え、ひゃみさん(うち)に帰るの?』とすっとぼけるほど、辻も愚かではなかった。

 だから自分も、彼女と一緒に帰ろう。

 作戦室(うち)に帰れば、今まで見落としていた、新たな羽根(しあわせ)の存在にも気が付くかもしれないから。

 

 

「――チルチルミチルで思い出したんだけど、あの兄妹が飼ってた鳥って鳩だったっけ」

「うん。夢の中で捕まえた鳥はみんな死んじゃって、目が覚めたときに自分たちの家で飼ってた鳩の羽根が青いことに気が付くんだけど――最後には、その鳩も飛んでいなくなっちゃうんだよね」

二宮隊(ウチ)にもいるよね、鳩さん。人間だけど」

「鳩原先輩は何処にも行ったりなんかしないでしょ、ひゃみさん」

「……ま、そりゃそうだ」

 

 

 ――そうして二人、当然のように並んで帰路に就く。

 照れもなければ、緊張もない。変化のないその状態を、人によっては退屈と言い換えてしまうのかもしれないけれど。

 

 

 

 

 

 ――今はただ、この退屈こそが愛おしい。

 隣を歩く少女の横顔をちらりと眺めながら――辻新之助は、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――とーちゃん。あの二人――()()なのかしら?」

「……どうだろうな。風の噂によれば氷見の本命は――いや、よそう。俺の勝手な推測で皆を混乱させたくない」

「霧が濃くなってきましたね……」

「……あ、小夜子? うん、うん。大丈夫、何があったか大体わかってるから――そうね、あたしから……だとダメそうだから、奈良坂くんに代わりに伝えてもらうことにするわ。――あのねえ、そんなにしょげないの。誰もあんたのこと責めたりなんかしないから。ほら、代わりに何か買ってってあげるから好きなもの言ってみな? ……またそれ? あんたね、たまには水と塩昆布以外のものも摂取しなさいよ。ホントにもう――」

 

 

 

 

 

 ――そんな、本当になんでもない。

 平凡な日常における、1ページの話。

 

 






……バカ……!



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『That's one small step for mankind, one giant leap for a man.』1/3



テニスで世界を滅ぼしていたら遅くなりました。
今年もよろしくお願いします。

間が空いた割に全然話進まなくてごめんなさいと今のうちに謝っておきます
全力で続き書いてるからゆるして(^p^)




 

 

 おハロー!

 画面の前の皆さんこんにちは! さすらいのB級狙撃手(スナイパー)こと日向坂撫子です☆

 え? なに? いきなり一人称に切り替えて何のつもりだって? いやいや、最初だけですよ最初だけ。こうやってあたしに視点戻しとかないとこのお話の主役が誰なのかみんな忘れちゃうじゃないですか。前回あたし撫子のなの字も出なかったんですよ? 主人公の姿か? これが……。

 失敬。とにかく、こういうメッタメタの痛々しいノリはホント最初だけなんでもうちょっとだけお付き合い下さいね。あたしもほら、慣れてないからこういうの。Vtuberか何かじゃあるまいし、第四の壁を突き抜けていいのはデッドプールとイコさん先輩だけ。撫子お姉さんとの約束です。

 

 

 さて。辻くんが丸ごと1話使ってがっつりひゃみとイチャコラしてくれやがりましたので、今のあたし達の状況がどんなだったか忘れてる方もいらっしゃるかと思います。

 影浦先輩狙撃事件が無事解決しまして、体調崩してたあたしのお師匠様こと鳩原未来先輩と再会しまして、お師匠様のいない間にやらかしてしまったあたしを一から鍛え直そうってことで二宮隊の男子組(隊長さんは除く)も連れて訓練室へと移動したのが前々回の話。

 なんでも、あたしの狙撃手(スナイパー)としてダメなところを改善するための訓練をするっていう話だったのですが――そんなあたしが今、一体何をやっているのかと申しますと。

 

 

 

 

 

「ぁっ……ぁっ……ぁっ……」

「おお……もう……」

 

 

 ――あたしの目の前で刀を振り被ったままぷるぷるしている辻新之助くんと、近距離にらめっこの真っ最中なのであります。笑うと負けよ、あっぷっぷ。

 辻くんよ……膝が笑ってるぜ……。

 

 

 

 

 

 

 

【二宮隊トレーニングルーム(戦闘訓練用/市街地設定)】

 

 

「――さてと。わざわざおれたちまで巻き込んで、一体どんな風にヒナタちゃんのことを矯正するつもりなのかな? 鳩原ちゃん」

「……えっとね」

 

 

 一目で仮想空間と判る、空も太陽もない天井付きの住宅街。民家の塀に背中を預け、犬飼澄晴はいつもの薄ら笑いを浮かべて口を開いた。

 話を振られた鳩原未来は、こちらもすっかり見慣れてしまった申し訳なさげな表情で撫子に向き直り、それでも言葉は容赦なく。

 

 

「まず、何よりも改めないといけないのは亜季ちゃんの声掛けを無視したこと。……これは流石に言われなくてもわかってると思うけど」

「海よりも深く反省しております……」

『次やったらコンビニでヨーグルト奢りね』

「ふぁい」

 

 

 百数十円で納まる安上がりな罰であった。氷見亜季、髪型もあっさりなら裁きもあっさりとしている。そんな優しさに甘えて同じこと繰り返したらダメだぞ、と撫子は自身に釘を刺した。

 

 

「……で、そもそもナデコはどうして亜季ちゃんの制止も聞かずに引き金を引いちゃったのかっていうのが、あたしが思ってるナデコの改善ポイントになるんだけど――はいナデコ、()()()()()

「お、押忍」

 

 

 言われるがままに意識を視界の左下に向ける撫子。そこに映っているのは、自身を中心に三つの黒点が表示された電子の円形。黒点はそれぞれ犬飼、辻、そして鳩原の三人を表している。

 そう、レーダーである。決して生身には映り得ない、戦闘体の標準機能。これもまた、影浦雅人狙撃事件における撫子の非を露にする要因だった。たとえモールモッドの陰に隠れた影浦を目視することが叶わなかったとしても、レーダー表示に僅かでも意識を割いていれば、射線上に立つ味方の存在に気付くことは出来た筈なのである。

 

 

狙撃手(スナイパー)っていうのはポジションの性質上、どうしても標的(ターゲット)のことばっかりを意識しちゃって、他のことが疎かになりがちなんだけど――これから先、正隊員でやっていくなら真っ先に直さないといけないポイント。……ここはあたしとしても反省点かな、教える立場として」

「い、いえいえそんな! お師匠様の教えのおかげであたしみたいなへっぽこでも正隊員になれたんですから、反省だなんてとんでもないですよ!」

『そうですよ鳩原先輩。ただでさえこの子まともに的に当てるとこからのスタートだったんだし、狙撃以外のことまで教えてたら半年どころか一年経っても昇格出来てなかったんじゃないですか』

 

 

 ひゃみよ、余計なことは言わんでよろしい。撫子は胸中で親友の頬をぐいっと引っ張った。あらやだ、この子の頬っぺた赤ちゃんみたいにつるっつるしてる……肌年齢3歳児かよ……いや、実際は赤ちゃんの肌って結構ざらざらだって話も聞いたことあるけど。流れと全然関係ねえなこれ。

 

 

「そういえば、狙撃手(スナイパー)の訓練って模擬弾を使った実戦形式のやつもあった筈だけど――捕捉&掩蔽訓練だったっけ? ヒナタちゃん、そっちの成績はどうだったの?」

「フッ……」

「あ、これダメなやつだ」

 

 

 明後日の方向を向いて空虚な笑みを浮かべた撫子の態度に、犬飼は全てを察した。それはもう、未来の夏目出穂もかくやと言うほどのハチの巣っぷりであったという。モテる女は辛いぜ……と、顔で笑って心で泣く撫子であった。

 

 

『いくらランク戦は失点より得点が大事って言っても流石に限度があるよね』

「ただでさえ狙撃手(スナイパー)っていうのは見つかったら終わりのポジションだしねえ。鳩原ちゃんは流石にしっかりしてるよね、その辺」

「……あたし、点獲る方じゃ部隊(チーム)に貢献できないから。せめて死なない努力くらいはしないとね」

「ほえ? そうなんですか?」

 

 

 鳩原の言を撫子は意外に思った。部隊(チーム)ランク戦の会場に足を運んだこともなければ対戦映像を見たことがある訳でもないのだが、内容は何となく想像がつく。影浦雅人と村上鋼の繰り広げていたトリガー勝負、あれの多人数版だと思えばいいのだろう。狙撃手(スナイパー)として名高い我が師のこと、それはもう獅子奮迅の活躍っぷりでヘッドショットを決めまくっているものだと思っていたのだが。

 

 

「――ま、チーム戦で点獲れないのは鳩原ちゃんに限った話じゃないけどね。ウチの場合」

 

 

 口を開いたのは犬飼だった。何か言いたげに鳩原が彼へと視線を送り、薄ら笑いの男はひらひらと手を振ってそれに応える。そのやり取りの意味するところは、撫子にはよく理解(わか)らない。なので単純に発言の方へと食いついていく。

 

 

「といいますと」

「ウチにはほら、絶対的な点獲り屋さん(ストライカー)がいるから。おれも辻ちゃんも鳩原ちゃんも、基本的にはアシスト役ってわけ。ヒナタちゃんの好きな漫画に例えるなら『ウチには点を獲れるやつがいる。おれは部隊(チーム)の主役じゃなくていい』みたいな感じかな」

『話の主役であれば……』

「亜季ちゃん?」

『……聞かなかったことにして下さい』

 

 

 ひゃみよ……『堕ちた』な……こっち(オタク)側へ……。

 氷見亜季にスラムダンク全巻を貸し与えた張本人の女は独り、着実に沼へと嵌まりつつある親友の言動にほくそ笑んだ。我が変革ここに成就せり。

 その一方で、どうも腑に落ちない面もあるなと撫子は感じていた。点獲り屋――未だに顔を合わせたことのない二宮隊の長がそれに当たるのだろうが、他に絶対的エースがいるからといって鳩原が点を獲れない理由になるものだろうか? それこそスラムダンクで喩えるのなら、流川楓が同じチームにいようと三井寿が1試合で30点獲ることは可能なのだ。何故ならば彼は、流川楓(二宮匡貴)にはないとっておきの飛び道具を持っているから。

 長距離狙撃(3ポイントシュート)という、唯一無二の妙技を。

 

 

(……いや、スリーだったら流川も何回か決めてるから唯一無二ってことはないか)

 

 

 というか完全に脱線してるな。よし、切り替えよう。撫子は脳内で自身の頭をぽかりと叩いた。

 

 

「――とにかく、ナデコの今後の課題は周りをちゃんと見られるようになること。標的(ターゲット)に意識を集中するのは確かに大事なんだけど、それ以外の要素にも気を配らないと今回みたいなことになっちゃうから」

「き、肝に銘じるであります……」

『……私が紹介しといて今更こう言っちゃうのもアレですけど、本当にこの子が狙撃手(スナイパー)の立ち回りなんて覚えられるんですかね、鳩原先輩』

「六頴館なんですけど! ど!!」

「あ、あはは……まあ、初めのうちは難しいかもしれないけど、いつの間にか自然と身に付いてるものだよ、こういうのは。――焦らないでゆっくりやっていこうね、ナデコ」

「押ォ忍! よろしくお願いしまっす!」

 

 

 来馬辰也を前にした弓場拓磨の如き気合の入りっぷりで撫子は応えた。組の一つでも二つでも潰してきてやんよコラァ、くらいの意気込みであった。余談ながら、弓場の威圧感を100とするなら今の撫子の圧はせいぜい2か3程度といったところである。根本的に顔立ちが小動物系なのだった。

 

 

「――さて。そういう訳で、今回ナデコにやってもらうのは『標的(ターゲット)以外の相手がいることを意識した訓練』。まずナデコに狙われる役、犬飼」

「……何に使われるのかと思ってたらよりにもよって的扱いとか、意外とやることがえぐいね? 鳩原ちゃん」

「うっへっへ、そのキレイな顔を吹っ飛ばしてやりますよ犬飼センパイ」

「うわあ、こっちはこっちでなんか乗り気と来たもんだ。おっかない師弟だなあ」

 

 

 ちょろいもんだぜ、と言わんばかりに犬飼に向けて狙撃の構えを取る撫子。その手にトリガーは握られていないのであくまでも只のフリなのだが。

 そんな二人のやり取りを目にしつつ、鳩原は残る最後の一人――ここまでひたすらに背景と同化し続けていた、黒髪の少年へと視線を向けて。

 

 

「で、新くん」

……!? は――はい」

 

 

 辻くん……生きとったんかワレ……訓練室(トレーニングルーム)に飛ばされた時から完全に沈黙を貫いていたので危うく存在を忘却するところだった撫子である。透明化(カメレオン)のトリガーでも使っていたんじゃないかと思ってしまうほどに空気だった。いい加減にキミとの付き合い方もどうにかせんといかんなあ、と顎に手を添えて悩んでいると。

 

 

「新くんは、犬飼を狙うナデコのことを更に狙う役」

「えっ――ええ!?

 

 

 まさかの指示に驚愕の声を上げる辻新之助。撫子も胸中でマジですか? と思った。お師匠様、いきなりA級攻撃手(アタッカー)様がお相手というのは流石にハードル高過ぎるのではありませんか?

 などと困惑を隠せない両名をよそに、そばかす顔の女は話を先へと進めていく。

 

 

「ルールはこう。ナデコと新くんは互いにマップの端からスタートして、二人ともバッグワームを着用。犬飼はバッグワームなしでマップ中央(ここ)からスタート、動いてもいいけど走るのはダメ。ナデコの狙撃を防御(ガード)するのもダメ。ナデコは新くんにやられるよりも早く犬飼のことを倒せたら勝ち、犬飼がやられるよりも早くナデコのことを倒せたら新くんの勝ち」

「――おっとぉ?」

「亜季ちゃんはナデコのサポート。だけどフォローはマップの案内(ナビ)と最低限の警戒(アラート)止まりで、立ち回りの方は全部ナデコに考えさせること。……どうかな? 訊きたいことがあるなら今のうちに」

「おれには何か勝利条件とかそういうのないの? 鳩原ちゃん」

「ないよ、そんなの」

 

 

 訳:黙って撃たれて死になさい。

 鳩原未来、犬飼に対しては割と容赦のない女であった。同い年っていうのはあたしの知らないところで色々あるんかなあと、撫子は二人の関係性に若干の興味を抱いた。仲が悪いとかそういう訳じゃなさそうなんだけど。

 それはさておき――これ、普通にワンチャンあるのでは? むしろあたしガン有利まであるのでは? というのが、説明を聞き終えての正直な感想だった。いくら自分が運動音痴(うんち)のウスノロ鈍亀系女子だとしても、流石にこの条件なら辻に見つかってぶった斬られるよりも犬飼を射程に捉える方が早いだろう。おまけに的は走れもしなけりゃ守れもしない哀れなイケメン先輩ときたものだ。うむ、考えれば考えるほど負ける気がしねえ。お師匠様、いくらあたしがクソザコとはいえハンデをつけ過ぎましたね……?

 

 

「お、俺が……日向坂さんを……」

 

 

 ……というか、もしかすると試されてるのはあたしじゃなくて辻くんの方なのかなあ、これは。

 

 

『……うん。やっぱりこれは、ナデコにとっても()()()()()()()()、やらなきゃいけないことだ』

 

 

 訓練室(トレーニングルーム)へと移動する前に耳にした、鳩原の言葉を思い出す。辻新之助にとっても必要なこと――まあ間違いなく異性との接し方問題にメスを入れることなのだろうが、あえて撫子圧倒的有利の条件で競わせることによって、鳩原は彼に奮起を促しているのかもしれない。逆境からの覚醒だとか、そういうものを。

 とはいえ――やるからには当然、こっちも勝ちを狙いに行く訳なので。

 

 

「――悪いけど、手加減しないぜ? 辻くん」

えっ、あっ、はぃ……よろ……ます……

 

 

 バキューンと人差し指で狙い撃つ仕草と共に宣戦布告したはいいものの、どっちが乙女なのか判らない程に恐縮し切った挨拶が返ってきて、これ本当に勝負になるんかなあ……とかえって心配になってきた撫子であった。調子に乗んなって小突いてくれてもいいところだよ、今のは。

 

 

「新くんは……どう? やれそう?」

「うっ……そ、その……頑張ってみます……」

「何だったらおれの代わりに撃たれる役やらない? 辻ちゃん。ヒナタちゃんを追っかけ回すのは中々に楽しそうだ」

「え、なにこのひと怖い」

『それじゃ辻くんの訓練にならないでしょ、犬飼先輩。――だけど辻くん、無理なら無理って先に言っておいた方が楽だと思うよ』

「――いや。……やってみるよ、ひゃみさん」

 

 

 その時。

 氷見亜季に言葉を返す時だけ、辻新之助の声の震えは、僅かに弱まっていた。

 

 

「……このままじゃダメなことくらい、自分でもわかってる、から。やれるだけのことは、やってみる」

『――そ。じゃあ、がんばって』

「うん」

 

 

 ……んん? んんん? なーんか怪しくないですか、このお二人さん?

 短いながらも確かな信頼感が垣間見えるやり取りを耳にしつつ、撫子は思った。いや、あたしがすぐにそういう方向へと話を持っていきがちなピンク色の脳味噌してるせいでそう思っちゃうのかもしれないんですけど。

 ていうか辻くん、いくらなんでもあたしとひゃみとで態度が違い過ぎるんじゃないかね。そりゃ付き合いの長さの違いとかあたしとひゃみのキャラの違いとかそういうのはあるかもしんないんだけど、それにしたってここまで明らかに差付けられちゃうと、あたしだってそれなりに思うところがあるっていうかさ、正直に言うとちょっぴりさみしいぞ、こんちくしょう。

 いや、わかってます。わかってますよ、あたしのアプローチの仕方にも問題があるのは。実際それでひゃみにも叱られてるし。でもね? 本音を言うならあたしはなるべく、()()()()()()()キミと普通にお喋りがしてみたい。優しさがどうとか思いやりがどうとか偉そうに語っていたけれど、結局のところはそれこそがあたしの――

 

 

「ヒーナタちゃん」

「うおぁ!?」

 

 

 にゅっ、と唐突に生えてきた目の前のイケメンに仰天して悲鳴と共に飛び退く撫子。なんだこのひと、一体いつの間にあたしの傍へと忍び寄ったんじゃワレ。音とか気配とかそういうの一切しなかったんですけど。ゾルディック家の方か何かでいらっしゃいます?

 

 

「あっはっは、ヒナタちゃんは相変わらずいい反応するよねえ。からかい甲斐があっておれは好きだよ、きみのそういうとこ」

「……な、なんですかいきなり。言っときますけどあたし、好きって単語だけに反応して勘違いで顔赤くするようなテンプレ系女子じゃないですからね。あなた方の想像してる百倍はめんどくさい女だと知りたまえ」

「え、そう? ヒナタちゃんが独りでそう思ってるだけじゃない?」

 

 

 不意打ちを決めておきながら悪びれもせずにけらけらと笑う犬飼の態度に、だからあたしはパイセンに気を許し切れないんですよと撫子は思った。このひとはどうも、人の心の隙間にするすると滑り込むのが上手いタイプの人間であるような気がする。

 そういうの、人によっては()()()()()()()()(さか)しさかもしれませんよ、パイセン。

 

 

 ――だけど、まあ。

 よろしくない考えに漬かりかけてたところを引っ張り上げてくれたことには、心の中でひっそりと感謝しておきます。お手数おかけしました。ぺこり。

 

 

「……ナデコも、大丈夫? なんだか少し、ぼーっとしてたみたいだけど」

「――いえいえ、まったく問題ないです。余裕のよっちゃんです」

『切り返しが古い……』

「は? 古くないが? 赤い服着たセーラー服の姉さんがよく言ってる激マブワードなんじゃが?」

「たまにナデコはあたしの知らない世界の言葉を口にするなあ……とにかく、二人とも大丈夫そうなら早速始めてみようか」

「押忍! 日向坂了解です!」

「――辻、了解」

 

 

 ビシィ! と敬礼の構えを取る撫子。やや強張った面持ちなれど、覚悟を決めて同調する辻。

 そんな二人の返答に頷きを返して、鳩原は交互に正反対の方角を指差しながら宣言する。

 

 

「それじゃあ――ナデコはあっち、新くんは反対のあっちから。はい、散開!」

 

 

 ――あ、師匠がセリフにエクスクラメーション付けてる(気合入れた声出してる)ところ初めて見たかもしれない。

 なんとなく得した気分になりつつ、撫子は目標のポイントに向けて駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

「はーい、行ってらっしゃーい――今更だけど、ウチの訓練室(トレーニングルーム)ってこんなに大きかったっけ? なんか普通にマンションとか建ってるし、ほとんどランク戦の会場と変わらないくらいの広さあるよねえこれ」

『設定弄ってあるから』

「なるほど。細かい理屈を取っ払った大雑把な説明をありがとう」

「何の話してるの……それよりも犬飼、大丈夫だとは思うけど」

()()()()()()()()()()()()()、でしょ? OKOK、上手いことやるよ」

 

 

 毎度お馴染みのへらへら笑いを浮かべ、鳩原の念押しに応じる犬飼。言われるまでもなく、この男は自身に与えられた役割の意味を理解していた。

 本当に単なる的役を所望しているのなら、わざわざ自分を指名する理由がない。捕獲型(バムスター)なり戦闘型(モールモッド)なり、適当にプログラムを組んだトリオン兵でも狙わせていればいい。にも拘らず、これ見よがしに穴だらけの制約を用意して自分(にんげん)を駒にする以上、求められている動きがあるのは明らかであった。

 

 

「ただまあ、ヒナタちゃんの方はともかく――辻ちゃんの問題はどうにも根が深いからねえ。訓練一つで解決するかは怪しいもんだ」

「……あたしだって、こんなことで新くんの根本的な部分を変えられるとは思ってないよ。本人がどうにかしたくっても、どうにもならないことって、あるから」

「それは辻ちゃんの話かな? それとも、鳩原ちゃん自身の話?」

『こら』

「うわあ、マジトーンだ。最近どんどんおれに対する遠慮がなくなってない? ひゃみちゃん」

『そう思うなら普段からもっと尊敬したくなる言動を心掛けてほしい』

「あ、あはは……とにかく、わかってるならいいんだ。二人のことお願いね、犬飼」

「……二人のこと、ね」

 

 

 ――誰よりも真っ先に面倒見ないといけないのって、ホントはきみの方なんじゃないのかな? 鳩原ちゃん。

 胸中でそう思いながらも、口にすることはしなかった。ただでさえ氷見に釘を刺されたばかりであるのだし、これから後輩二人のお守りをしようというタイミングで踏み込めるような話題でもなかった。

 

 

(それに――それこそおれには、どうにもならない話だからねえ。こればっかりは)

 

 

 何しろ自分は、トリガーで他人を撃つことに躊躇いを覚えたことなど一度もないので。

 人を撃てない狙撃手(スナイパー)の気持ちなど、一生経っても理解出来る気がしなかった。

 

 

 故に今日も、犬飼澄晴は口元を吊り上げてこう応える。

 鳩原未来の不格好なそれとは異なる、完成された作り笑いを顔に貼り付けて。

 

 

「犬飼、了解」

『――辻、配置に着きました』

『同じく日向坂、準備オッケーであります!』

 

 

 時を同じくして、日向坂、辻の両名からも通信が入ってくる。

 全員の用意が整ったのを確かめて、いよいよ鳩原は、開幕の下知を飛ばした。

 

 

「……よし、じゃあ行くよ――全員、行動開始!

『っしゃあー!』

『…………!』

 

 

 号令と共に、視界の端に映る三つの光点が残り一つとなる。遠方の両名がバッグワームを起動して、レーダーから姿を消したのだ。

 さて、それじゃあこっちも始めますか――と一歩目を踏み出すその前に、なんとなく気になったことがあって、犬飼は残された最後の光点に向けて問いかけた。

 

 

 

 

 

「――思ったんだけど、鳩原ちゃんは一体どこからおれらの様子を見守ってるつもりなのかな?」

「……あ」

 

 

 鳩原未来。訓練の内容を考えてみたはいいが、自分自身に肝心の役割を用意していなかったので部屋へと入った意味が特になかった。

 この子は意外と勢いだけで後先考えずに動くところがあるのかもしれないなあと、ほんの僅かに微笑ましさを感じた犬飼であった。

 

 






とりあえず辻ちゃん編は次で一区切りです。多分。
あんまり二宮隊コミュに時間割き過ぎると影浦雅人さんの霊圧が消えてしまうので早いとこ話を先に進めたい



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『That's one small step for mankind, one giant leap for a man.』2/3



Q.どうして2/2になる筈のサブタイトルが2/3になっているんですか?
A.つまりはそういうことだ

私もう次で○○ですとかいうのやめる!!




 

 

【BGM:Previous Notice】

 

 

「デデデデデデン! デデデデン! デデデデデデン! デデデデン! デデデデデデン!」

『狂った?』

「やれやれ……聴こえないのかねひゃみ、この軽やかに跳ね踊るスネアドラムの音が……」

 

 

 16歳にもなって口から擬音を垂れ流しつつひた走る女、日向坂撫子。バッグワームを身に纏い、撫子なりの全力疾走でせっせと地を駆けている。本当はもっとこう、民家の屋根から屋根へと飛び移るようなアクロバティック走法にチャレンジしたいのだが、自分の運動神経では途中で足を滑らせて無様に転げ落ちるだけだとわかっているので実行には移さない。機動2のステータスに偽りはないのである。

 

 

「トゥールン……トゥルルルルルン、トゥルルルールルン……さあひゃみよ、犬飼パイセンへと至る最短ルートをあたしに示したまへ」

『その鬱陶しいBGMもどきやめたら教えてあげる。――鳩原先輩、これは案内(ナビ)の範疇ってことでいいんですよね」

『ん。問題なし』

 

 

 結局しずしずと作戦室へと戻っていった鳩原未来が、オペレーターデスクに構える氷見亜季の隣で了承する。ちなみに撫子は鳩原もバッグワームを着てレーダーから消えただけだと思っている。まさか何をするでもなく黙って退室(ログアウト)しているものとは思いもしなかった。

 撫子の視界に電子の矢印が表示され、こちらへどうぞと手招きをしてくる。わー、あたしの眼にgoogleマップが搭載されちゃってるよ。すごいねトリオン体と感動に打ち震える撫子。余談ながら撫子は方向音痴でもある。こいつ何かまともな特技の一つくらいは持ってないのだろうか?

 

 

(……なんていうか、当たり前のように上方向にも矢印向いてるあたりが人間やめちゃいました感すごいよね)

 

 

 普通のカーナビは『800m先、進路、上方向です(跳べ)』などとは言ってくれない。まあさっきも言った通り屋根の上はノーサンキューなんですけど。という訳で大人しくアスファルトの上をひた走りつつ、撫子はレーダー上の光点へと視線を向けた。

 緩慢な速度で移動する犬飼までの距離は残り600mほど。当真勇か何かであれば既に有効射程内なのかもしれないが、自分は更にもう半分は距離を詰めないと話にならない。欲を言えば200m、いや100mほどまで近付いておきたいのだが、流石にそこまで行くと辻の方に捕まる恐れがある。こちらもレーダーからは姿を消している以上、そう簡単に見つかるものとも思えないが――

 

 

(――ていうかどの道、射線通そうと思ったらどっかのタイミングで高いとこ登らないとダメなんだよねえ)

 

 

 原っぱの上で戦っているならともかく、何しろここは仮想とはいえ街中なのだ。長距離狙撃を敢行しようと思ったら、どうしたって立体的な角度が必要になってくる。遮蔽物も何もかんも無視してぶっ放せるような()()でもあれば話は別だが、撫子のアイビスといえども流石にそこまでの火力は持ち合わせていなかった。

 

 

(……お、あれなんか良さげ)

 

 

 ちょうど犬飼との相対距離が300mほどに差し掛かったあたりで、撫子は前方にその建物を発見した。他の民家と比べて一際高く聳えている、7階建てのマンション。あそこの屋上に陣取れば、遠方の犬飼であろうとスコープ越しの捕捉が叶いそうだ。

 エントランスに飛び込んだところで、(メイン)トリガーからイーグレットを起動する。そう――標的を撃ち抜く前に、愛銃をもって粉砕しなければならないものが二つ存在していた。

 

 

 一つ目。

 一体誰が開けてくれるんだと問い質したくなる、オートロック式の自動ドア。

 

 

「最後のガラスをぶち破れ~♪ 見慣れた景色を蹴り出して~♪」

 

 

 オラァ!! とイーグレットの銃身部を叩きつけて自動ドアをぶち割る撫子。どうして撃たずにわざわざ叩き割ったのかって? その方が気持ちいいからだよ。他に何か理由が必要ですか?

 

 

『蛮族』

「うふふふふ……そうは言うけどねひゃみ、この背徳感たまんないぜマジで。現実じゃこんな風に好き放題あれこれぶっ壊したりなんか出来ないもんね……この快感を知られただけでもボーダーに入って良かったと思えるよあたしは」

『知ってるかなヒナタ。ボーダーの仕事は街を守ることであって壊すことじゃないんだよ』

『な……ナデコ、なにか辛いことでも抱えてるなら話聞こうか……?』

 

 

 鳩原の声が完全にドン引きした者のそれであった。いかん、師匠の前ではしたないところを見せてしまった。でも本当にスカっとするんですよこれ。師匠も騙されたと思って一回やってみませんか? 世界が変わるような快感を味わえますよ……うふふふふ……。

 まるっきり薬物中毒者のような思考に浸りつつ、エントランスを抜けて階段を駆け上がる撫子。他のポジションには存在しない狙撃手(スナイパー)の知られざる戦い、それこそが狙撃ポイントの確保である。高いところが大好きなのは馬鹿と煙に限った話ではないのだ。

 

 

(……こういう時、おっきーみたいにグラスホッパー使えたら楽なんだけどなあホント……)

 

 

 ゆるゆる笑顔の泣きぼくろバイザー関西人こと、隠岐孝二の顔が頭に浮かぶ。犬飼澄晴に負けず劣らずのコミュ強系イケメンは、当然の如く撫子とも良好な関係を築き上げていた。出会った頃は犬飼同様に撫子の中で警戒対象に属していたのだが、最近はひょっとしたらこいつ割と癒し系男子なのかもしれん……と印象が変わりつつある男でもある。パイセンと違って笑顔に闇がないよね。いや、パイセンも別にそこまで黒いオーラが出てるわけじゃないんだけど。

 グラスホッパー。トランポリンの如く、踏んだら跳び上がることの出来るジャンプ台トリガー。訓練生時代に遊びで使わせてもらったことがあるのだが、ええ、見事に空中でバランスを崩してびたーんと地面に叩きつけられましたとも。あんなに勢いよく宙へと放り出されて姿勢制御が叶う訳ないじゃないですか。こちとら内村航平でも相川摩季(エアマスター)でも何でもないんですよ?

 故に撫子は駆け上がる。愚直なまでに。2階、3階、4567――そうして第二の壁にぶち当たる。屋上へと通じる扉に掛かった錠前である。流石にこれは殴って壊すという訳にはいかない。

 

 

「だから前もってイーグレットを起動しておく必要があったんですね」

『どうした急に』

 

 

 バキュンとイーグレットをぶっ放して錠前を破壊する。気分はさながら、アクション映画で建物に突入を試みる特殊部隊員のそれであった。蝶番を上から順々に砕いていって最後にドアを蹴破るやつ、あれにも憧れるよね。などと仕様もない夢想を抱きつつ、撫子はとうとうマンションの屋上へと辿り着いた。

 期待通りの絶景がそこには広がっていた。360度、どこを見回しても戦場の端まで見渡すことが叶う絶好の狙撃スポットである。犬飼側の塀へと駆け寄り、身を伏せて頭と銃身だけを覗かせる。

 ゲートイン完了。各馬、態勢が整いました。

 

 

「さぁーて……犬飼パイセン、一方的に殴られる痛さと怖さを教えてやるぜ」

『トリオン体って痛覚ほとんど(かよ)ってないけどね』

「ええい、無粋なツッコミを入れるでない。それよりも犬飼パイセンは……お、いたいた」

 

 

 スコープを覗き込み、レーダー頼りに索敵を行う。目当ての金髪頭はすぐに見つかった。それも正面や横顔ではない、後頭部だ。こちらに背を向けているのである。何の変哲もない通りの真ん中を、俯き加減にすたすたと歩いている。

 『勝ったな』『ああ』とかいうおっさん達のやり取りが、撫子の脳内で再生された。

 

 

(――悪いですけどお師匠様、やっぱりあたしに有利過ぎましたね? ふふん――)

 

 

 獲物を前に舌なめずり。三流のすることだなとどこぞの少年兵に笑われそうな行いだが、その三流にこれからパイセンはぶっ殺されるんですよと撫子は独りほくそ笑んだ。この女、振舞いも三流なら精神性も三流である。

 遠ざかっていく犬飼の脳天を、スコープの中央に捉える。後はちょいっと人差し指に力を込めるだけだ。何とも呆気ないものだが、現実とは得てしてそういうもの――にしても、さっきからどこ見て歩いてるんですかねパイセン。イケメンらしくもなく首下げながら歩いちゃって、歩きスマホか何かしてる人みたいですわよ。

 それともひょっとして眠いのかしらん? だったらあたしが、目の覚めるような一発をお見舞いして差し上げましょう。我が愛しのイーグレットちゃんでね――

 

 

「目標をセンターに入れて――発射(スイッチ)!!

 

 

 ――そうして、勢いのままに引き金を引いた、その瞬間。

 撫子の狙撃に合わせて、犬飼の手元で何かがきらりと瞬いた。

 

 

「…………!?」

 

 

 『何の光!?』と大林隆介声で絶叫しかけた撫子に、更なる驚愕が襲い掛かってくる。

 ひょいっと軽妙なステップ一つで、振り向きもせずに犬飼がこちらの狙撃を躱したのだ。

 

 

「よ……よけた……!?」

 

 

 孫悟空にエネルギー弾を避けられたフリーザの如き困惑に包まれる撫子。『そっ……そんなはずはない!』と立て続けに連射すれば完璧に再現できたのだが、残念ながらライトニングと違ってイーグレットの連射性能はそこまで高くはない。なので代わりに謎解きに専念する。何故こちらを見向きもせずに狙撃に反応することが出来たのか。犬飼パイセン……もしや貴方も副作用持ち(サイドエフェクター)でいらっしゃる……!?

 

 

『――お、来た来た。そろそろ撃ってくる頃だと思ってたよヒナタちゃん』

 

 

 すっかり聞き慣れた軽薄な響きの声が、通信を介して撫子の耳に届く。スコープの中に映る犬飼が、いつも通りの薄ら笑いを浮かべてこちらを眺めていた。

 これ見よがしに掲げた右手に、謎の光の正体が握られていた。掌サイズのガラス片である。犬飼はこれを鏡代わりにして、イーグレットの発射光(マズルフラッシュ)を反射させたのだ。隙だらけに見えた背中は、こちらに撃たせるための罠だった――まんまと釣られたことを悟って、撫子は激おこぷんぷん丸になった。これもう死語もいいところだなおい。

 

 

「おのれぇ、いけしゃあしゃあと……! ていうか何避けてるんですかパイセン! 的なら的らしく黙ってぶち抜かれて下さいよぉ!」

『走るのもダメだし防ぐのもダメだけど、()()()()()()とは言われてないんだよねえ。でしょ? 鳩原ちゃん』

『まあ、そういうこと』

「くっ……師匠のくれたヒントにも気付けずパイセンの掌の上で転がされるとは、日向坂撫子一生の不覚……!」

『あんたこの間宿題忘れて居残りさせられてた時にも同じこと言ってたよね』

 

 

 三日に一度くらいの頻度で一生の不覚を消費する女、日向坂撫子。当然、影浦雅人を撃ち殺した件も不覚の一つに含まれている。多分死ぬまでにあと一万回は不覚を重ねていくものと思われる。

 とにかくこれはよろしくない。不意打ちに失敗した以上、この場所からのイーグレットによる狙撃はもはや命中を期待できないだろう。弾の出所さえわかっていれば、イーグレットの弾丸程度は避けられるだけの反応速度を犬飼は持っているらしい。

 と、なれば――

 

 

「フッ……誇りたまえパイセン、あたしにこいつを抜かせたのはあなたが初めてだぜ……!」

 

 

 人生で一度は言ってみたかった台詞と共に、(メイン)トリガーを切り替える。選手の交代をお知らせします。投手(ピッチャー)、イーグレットに代わりまして――

 

 

「動くこと――雷霆(ライトニング)の如し!

 

 

 キィィィンと手元に生み出したるは、かつて撫子に理不尽な外見ディスを食らった狙撃用トリガー、ライトニングである。イーグレットと比較して威力と射程で劣る分、使用者のトリオン量に応じて弾速が向上するという性質を持っている。

 そう――もう誰も覚えていないかもしれないが、こう見えてもこの女はボーダー内で二宮匡貴に次ぐトリオン量の持ち主なのである。ゴルゴ13(サーティーン)には程遠くともトリオン13(サーティーン)なのである。その完全に持て余している才能を以て、撫子は犬飼の反応速度を凌駕しようという魂胆であった。

 だからごめんねイーグレットちゃん。今だけあたしはあなたを忘れて、稲妻(ライトニング)の女になります。ふしだらな狙撃手(スナイパー)と笑いなさい……。

 

 

『おっと、ポリシーを曲げてくるとは予想外――だけどヒナタちゃん、まだその位置からおれのこと狙い続けるつもりなんだ?』

「あたぼうよぉ! せっかく良い感じのポジション確保したのに一々移動するの面倒ですからね! ここをキャンプ地とする!

『……鳩原先輩、ヒナタに『狙撃手(スナイパー)は撃ったら走らないとダメ』っていうの教えてないんですか』

『あ、東さんが普通はB級に上がってから教えることだって言ってたから……訓練生のうちはまだ早いかなって……』

 

 

 動かざること山の如し。雷霆の真逆に位置する心境へと至りつつあった撫子である。こいつの矯正しないといけないポイントがまた一つ見つかってしまった瞬間であった。

 ライトニングはイーグレットに比べて軽く、照準もスコープではなくモニター式になっている。こういうところも性に合わないんだよなあというのが、撫子の率直な感想だった。

 なんというか、スコープ型に比べて狙撃に対する没入感を得られないのである。小さいレンズをじっと覗き込み、その奥に映る標的(ターゲット)()()()()()()()()()()()()()()()()()――ライトニングにはそれがない。あたしはもっとがっつりと腰を据えてご飯が食べたいのに、味気ないスナック菓子を差し出されているような物足りなさ。サクサクしてて食べやすいのかもしれないけど、お腹いっぱいにはなれないよねえ、みたいな。

 日向坂撫子は感覚派の狙撃手(スナイパー)であった。小南桐絵や小佐野瑠衣と大盛り上がりするタイプの女ということである。波長さえ合えば。

 

 

(うーん、やっぱりしっくりこない……まあいいや、下手な狙撃も数撃ちゃ当たるでしょ)

 

 

 じっくりと時間を掛けて狙いを定めた弾が外れることもあれば、ええいままよと雑に放った弾丸が直撃することもある。何事も()ってみなければ結果は判らないものだ。そう開き直って、撫子は引き金に指を掛けた。

 

 

『…………!』

 

 

 ビギュン、という気の抜ける射撃音と共に放たれた弾丸が、瞬く間に犬飼の頬を掠める。あー、やっぱりブレちゃったよ。イーグレットと同じ感覚で撃ったらダメだわこりゃ。引き金引く寸前に力みすぎちゃってそのせいで微妙に外れるんだよねきっと――などと独りで反省会をしていた撫子は、モニタに映る犬飼の流した冷や汗に気付くことはなかった。つくづく一つのことしか考えられない女である。

 

 

『――はっや。発射光(フラッシュ)見てから対応するのは無理だな、これは』

「ふふん、飛んでくるのがわかってても避けようのない攻撃ってのは怖いですよねえパイセン? まっすぐいってぶっ飛ばす、右ストレートでぶっ飛ばす」

『脳筋』

「完成された筋肉に脳味噌は必要ないんだよ氷見さん」

『ナデコが何を言っているのかあたしにはよくわからない……』

 

 

 いいんです師匠。あなたはどうか、そのままのピュアなお師匠様でい続けて下さい。師匠までもがあたし色(コメディ)に染まってしまったら何かが終わってしまうような気がするので。撫子は切に願った。

 流石に姿を晒し続けるのも限界と判断したか、こちらに視線を向けたままバックステップの要領で物陰へと飛び込もうとする犬飼。けれど逃がしはしない、ここで仕留め切る。ぴょこぴょこと小刻みに跳ねる犬飼に照準を合わせ、いざ第二射を放とうという時になって、モニタの中の男が口を開いた。

 

 

『ところでヒナタちゃん。始まる前に鳩原ちゃんが言ってた、この訓練の課題(テーマ)は覚えてるかな?』

「『標的(ターゲット)以外の相手がいることを意識した訓練』でしょう? 辻くんが襲い掛かってくる可能性を匂わせようったってそうはいきませんよ! 流石にマップの反対っ側からあたしに追いつけるほどの時間はまだ経ってない筈ですからねえ!」

『いや、()()()()()()()()()()()()()()()()

「フッ……今更見え見えのハッタリ(ブラフ)なんぞ、往生際が悪いと言わせてもらいましょう――」

 

 

 もはや問答無用。犬飼だけに。いや、かの首相さんとは漢字が違うか――などとまったくこの場に関係ないことを考えつつ、終焉の一撃を撫子が放とうとした瞬間――

 

 

 

 

 

『おれの方に、だけどね』

 

 

 

 

 

 ――犬飼の上半身を庇うように、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「はあっ!?」

 

 

 ビギュン。相変わらずのしょっぱい射撃音と共に撃ち出された弾丸が、ルール違反の(シールド)に弾かれあえなく消え失せる。

 あり得ない。犬飼がこちらの攻撃を防ぐことは、鳩原によって禁止されていた筈。いくら犬飼が勝敗と関係のない立場にいるとはいえ、こうも露骨に前提条件を覆されては――そう訴えようとした撫子の口は、犬飼に代わってモニタの正面へと躍り出た、()()()()()の顔を見て止まった。

 そう――犬飼は決して、撫子の狙撃を防御することは出来ない。そして、犬飼が撫子に倒されるよりも早く、()が撫子を斬り伏せようというのも現実的ではない。ならば、彼がこの訓練で勝利を手にするにはどうすればいいのか?

 

 

 簡単な話だった。

 先に犬飼の安全を確保して、それから存分に撫子を追い回せばいいだけのことだったのである。

 

 

 

 

 

『――ま、つまりはそういうこと。この訓練(ゲーム)、きみに有利なんてものは初めからなかったんだよ。ヒナタちゃん』

 

 

 

 

 

 普段通り――されど、この状況では煽り以外の何物でもない薄ら笑いを浮かべた犬飼の前に悠然と現れたるは、辻新之助。

 今回の訓練における、日向坂撫子の真なる対戦相手であった。

 

 

 

 

 

 

 

「――なんて言ってますけど、一発目のライトニングが外れてなかったら全部台無しになるところでしたよ、犬飼先輩」

「いやー、ヒナタちゃんのライトニングがどれだけのものか直接確かめてみたくってね。ハラハラした? 辻ちゃん」

「……すみません。今の俺は別のことで緊張しっぱなしなので、先輩の心配をしてる余裕がなかったです」

「なるほど、辻ちゃんにとってはこれからが正念場ってわけだ。――で、どう? やれそう?」

「……目を合わせさえしなければ、なんとか」

 

 

 300m先。現時点では豆粒程度にしか視認できない遠方の撫子を見据えつつ、辻新之助は犬飼の問いに応じた。流石にこの距離で硬直するほどの過敏さは持ち合わせていない。

 そう、やれる筈だ。『加古隊や那須隊と戦ったらたぶん何もできずに落とされる』と評される辻であるが、日向坂撫子の衣装(コスチューム)は彼女らと異なりごく標準的なボーダーの隊員服に過ぎず、先述の天敵たちに比べれば異性であることを意識せずに済む格好をしている。仮に那須隊の隊服を着られていたら詰んでいた。あの部隊(チーム)の隊服はなんというか、ボディラインがくっきりと見え過ぎて目に毒だと思う。誰が考えたのかは知らないが反省してほしい。辻はそう思った。

 

 

「鳩原先輩。もうバッグワーム切ってもいいですか」

『うん、どうぞ。……今更だけど、がんばってね。新くん』

「……やれるだけのことは、やってみます」

 

 

 ひゃみさんにも同じこと言ったっけな、と思い返しつつ。

 後方の犬飼が路地裏へと姿を消したのを確かめて、辻はバッグワームを解除した。犬飼が身を晒して釣り出してくれたおかげで、撫子の位置は完全に割れている。かくれんぼの時間は終わって、こちらが鬼となる時がやって来たのだ。

 

 

 ……残された、たった一つにして最大の問題はといえば。

 

 

――パイセェェェン! 謀ったなパイセェェェェェェェェン!! おのれぇ……かくなる上は、この怒りをパイセンに代わってキミへと叩きつけてくれるわ! ハイクを詠めぇ! 辻新之助ェ!!

「ひっ……!?」

『……まあ、辻くんが犬飼先輩を庇うのがありなら、ヒナタが辻くんを先に倒すのもありってことになるよね』

『あたしの考えてた流れと違う……』

『あっはっは。流石にヒナタちゃんを弄び過ぎたかな? 独りになってから嬲り殺されるのもイヤだし、必死こいて勝ってね。辻ちゃん』

『『そういうところだよ』』

 

 

 ――自分は本当に、鬼としての務めを全う出来るのか。

 本当に()と化してしまったのは、相手の方なんじゃないだろうか――そんな不安を振り切るように、撫子の待ち構えるマンションを目的地に定め、辻新之助は駆け出した。

 

 






次で辻ちゃん編終わりです!!!!!!!



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『That's one small step for mankind, one giant leap for a man.』3/3



アニトリが終わってもワートリ二次は終わらねえ! の精神でお送りする辻ちゃん3部作完結編。
無理矢理1話に収めたらクソ長くなってしまったのでお時間のある時にご覧ください……。




 

 

 幸せの青い鳥は、闇雲に探し回ったところで見つかるものではない。

 気が付かないうちに自分のすぐ傍にいるものだと、メーテルリンクの書は綴っていた。

 けれど。

 物語の最後に、青い鳥は主人公たちの下を離れ、どこかへと飛び去って行ってしまう。

 

 

 その結末を自分の現状に当て嵌めようというのは、馬鹿げた話だろうか。

 

 

 

 

 

 日向坂撫子。鳩原未来の弟子にして、氷見亜季の親友だという少女。

 心優しい狙撃手(スナイパー)の先輩に代わって突如として現れた彼女は、あっという間に犬飼澄晴とも仲良くなって、ずっと前からそこにいたかの如き自然さで自分の家(二宮隊)に住み着いた。

 そんな彼女の登場と引き換えに、立場を失ったのが自分だ。この二日間、自分は数えるほどしか他の隊員(チームメイト)たちと言葉を交わせていない。会話の中心には常に彼女がいたからだ。自分が苦手としている、押しの強い女の子が。

 彼女がわいわいと氷見や犬飼と愉快なやり取りを繰り広げている間、自分はといえば隅の方で存在感を押し殺すことに努め、撫子の一挙一動におどおどして、たまに話を振られては赤面して声を震わせ、一言二言返してはまた縮こまって目を逸らすばかり。

 

 

 素直な気持ちを、吐露するならば。

 みじめな思いを、ずっと感じていた。

 

 

 どうして自分は、皆と同じ空気を共有できずにいるのだろう。

 どうして自分は、あの輪の中に入っていけずにいるのだろう。

 まるで見えない境界線(ボーダーライン)が敷かれているかのように、自分だけが独り、彼女の生み出す滑稽で騒々しい空気から締め出されている。

 彼女はあくまでも、二宮隊にとっての異邦人(ネイバー)でしかない筈だというのに。

 青い鳥は自分の下を離れ、彼女の下へと飛び去って行ってしまった。

 

 

 駄目だ。

 このままじゃ、駄目だ。

 

 

 踏み出さなければならない。

 確かに物語の最後、青い鳥はチルチルの下から飛び去って行ってしまう。けれど、挫けずに彼はこう口にするのだ。『Je le rattraperai』――()()()()()()()()()、と。

 だから自分も、己の意思で取り戻しに行かなければならない。もう一度この手に幸福を掴み取るために、勇気を出して、目の前にある境界線(ボーダーライン)を踏み越えていくのだ。

 

 

 

 

 

――だから、日向坂さん。

 

 

俺は、君を。

 

 

 

 

 

君と――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 私、シン(ノスケ)を倒します。必ず倒します。

 ――などと闘志に燃えることを許された時間は、1秒にも満たなかった。

 

 

「え、ちょ、ま――」

 

 

 日向坂撫子はパニくっていた。前回ラストに見せた羅刹の如き怒りはあっさりと消え失せ、無理無理無理無理と脳内で連呼するだけの哀れなクソザコ狙撃手(スナイパー)がそこにいた。

 迫り来る辻をモニタに捉えることが出来ない。右へ左へ巧みに動きを散らしつつ、時には跳ねて道の端から端へと飛び移り、更には塀を蹴ってまた逆方向へと舞い戻ったりもする。格好次第では忍者と見紛う程の、俊敏かつ迅速なる脅威。

 こんなものを標的(ターゲット)にするのは、半年に渡る狙撃手(スナイパー)人生において初めてのことだった。

 

 

(――これが、A級4位攻撃手(アタッカー)の動き……!)

 

 

 近界民(トリオン兵)の鈍重な歩みとは比べ物にならない。撫子の技量では到底、捕捉することなど叶わない。それでもライトニングの速射性を頼りにビギュンビギュンと引き金を引きはするのだが、盲撃ちが当たるのなら苦労はない。300mの猶予はあっという間にx軸上では0となり、残るはy軸――自らの足場である7階層分の高さだけが、撫子に残された命綱であった。マンションに取り付かれたのである。

 

 

「……おおお落ち着けあたし。大丈夫、まだ詰んでない、まだ詰んでない、まだ詰んでない……」

 

 

 こういう時は素数を数えるんだ。1! 違う!! 完全にいっぱいいっぱいになりながらも、どうにかこうにか思考をフル回転させる撫子。

 辻はマンションの中へと入っていった。自分と同じように、階段を使って屋上まで駆け上がってくるつもりなのだ。つまり辻はグラスホッパーを持っていない。そして屋内にいる間は、こちらの動きを窺い知ることも叶わない。たとえば辻が3階ほどまで昇ってきたあたりでこちらが屋上から飛び降りれば、捕まることなく姿を消すことも可能なのではないかと思うのだが――

 

 

『私の経験から言わせてもらうと、位置バレした状態で足元まで寄られた狙撃手(スナイパー)が生き残れるケースっていうのは殆どないよ』

「だまらっしゃい! ワンチャンあれば勝てるの精神が大事なんじゃい! 諦めたらそこで試合終了だって安西先生も言ってたんじゃい!!」

『……まあ、辻くん相手なら確かにまだそう言えないこともないんだけど――あ、辻くんがまたバッグワーム着た(レーダーから消えた)

「なんですとぅ!?」

 

 

 氷見の言に釣られて、目をかっ開きレーダーをガン見する撫子。一瞬前まで表示されていた筈の辻の光点が確かに消えている。こんなに早く着直すんだったらなんで一回脱いだの? 段取り悪くない? 東春秋が聞いていたら、撫子の疑問にこう答えることだろう。君にそうやって意味もなく考えさせるためだよ、と。

 とにかく不味い。これでは辻が本当に階段を昇ってきているのか判断が付かない。焦って飛び降りたが最期、下で待ち構えていた辻に見つかってそのままバッサリ――なんてことも考えられるのだ。せめて近くに飛び移れそうな手頃な高さの建物でもあれば良かったのだが。見晴らしの良さが仇となった形である。

 決断の時が迫っていた。動くのか、動かないのか。動くのなら早い方がいい。こうして迷っている間にも、辻は駆け足で2階3階へと昇りつめているかもしれないのだ。向こうが待ちの選択肢を取っていないと判断できるのは、屋上の扉が開かれそこから辻が出てきた時だけだ。しかし、そこまで距離を詰められてから飛び降りたところで到底逃げ切れるとは――

 

 

(……待てよ? 屋上の扉――そっか、辻くんが屋上に顔出せるところといえば、そこしかないんだから――)

 

 

 撫子は思った。辻が屋上に姿を現すタイミングというのは、こちらにとっても最大のチャンスなのではないか、と。

 イーグレットで破壊した錠前の付いた扉は、あくまでも7階から屋上に通じる階段に設置された侵入防止用の扉だった。ドアノブ式の屋上自体の扉は別にある。その扉に狙いを定めて、辻が出てきた瞬間に引き金を引く。単純極まりない作戦だが、正直他に逆転の手段が思いつかない。もぐら叩きの要領で行くしかない。

 とはいえ流石に、馬鹿正直に扉の真ん前に立たないだけの思慮はこの女にも残っていた。あくまでも塀の側からは離れぬまま、すすすと扉の側面に横歩きする。

 扉から見て扇状、20m以内には決して立たないように。

 

 

(イコさん先輩からちゃんとした名前教えてもらったんだけど――『旋空弧月』だっけ? 出待ち作戦が読まれてたら、扉開ける前にあれパナされてあたしが死ぬもんね……万が一外した時のことも考えて、やっぱりあたしは塀のギリギリで待ってないと……)

 

 

 日向坂撫子、この期に及んで両睨みの戦法を取るあたりがチキンハートである。万が一も何も、ここまで寄られてから外した時点でどう足掻いてもお前は死ぬんだよ。

 という指摘を誰からも入れられないまま、愚直にライトニングを構えて待ちの姿勢を貫く撫子。気分はさながら、サマーソルトキックを放つ前のガイル使いであった。辻くん(ザンギエフ)へ、お元気ですか。いま溜めてます。心の中のレバーを左下に傾け続け、今か今かと扉が開かれるのを待ち続ける。

 そしてついに、その時はやって来た。

 

 

「――開いたァ!!」

 

 

 ↑+K。開け放たれた扉からはためくマントが飛び出してきたのを確かめ、撫子は即座に引き金を引き絞った。音速の弾丸が的確に目標を貫き、穴の開いたバッグワームがぼとりと地に落ちる。

 ()った――一瞬そう錯覚してから、すぐに現実へと引き戻される。()()()()()()()()()()。自分が撃ち抜いたのは辻ではない。本人が出てくる前にバッグワームを囮に投げて、こちらの迎撃を釣り出したのだ。後に空閑遊真や風間蒼也、東春秋らも用いることになる、由緒正しき身代わりの術であった。

 

 

「ウソでしょ!?」

「…………!」

 

 

 サイレンススズカ(ウマ娘)ばりの絶叫を上げた撫子の前に、今度こそ辻がその姿を現す。その視線は完全に伏せられ、露骨に撫子と目を合わせようとしていない。そんな有様でまともに接近戦を仕掛けることなど出来るのかと思ってから、そもそも辻は無理に自分へと斬りかかる必要はないのだということを思い出した。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(旋空弧月――!)

 

 

 鞘に納めた弧月を辻が抜き払うのと、撫子が虚空に身を投げ出すのは、ほぼ同じタイミングでのことだった。仰向けに傾いた撫子の鼻先を、延長されたトリオンの刃がちりちりと掠め焼いた。

 堕ちる。堕ちる。重力に導かれるまま、命綱なしの自由落下を敢行する。生身であれば文字通りの自殺行為でしかないのだが、戦闘体でこうして高所から飛び降りるのは初めてのことではない。捕捉&掩蔽訓練で何度もやっている――

 ――のだが、今回はいささか落ち方がよろしくなかった。

 

 

 世界が逆しまに映って見える。

 

 

「――ぎゃああああああああああああああああ――っ!?」

 

 

 撫子は一瞬にしてパニックに陥った。いくら飛び降りの経験があるといっても、足から落ちるのと頭から落ちるのとでは話がまるで違う。恐怖の度合いもまるで違う。ありったけの金切り声を喉から吐き散らして、愚かなる女は何処までも堕ちていく。堕ちて、堕ちて、堕ちて――

 

 

「ぐほぇあ゛っ!!」

 

 

 クッソ汚い悲鳴と共にぐしゃりと着地した。脳天から。

 それでも流石のトリオン体。潰れたイチゴのようになることもなく、撫子の身体は無傷で原型を保っていた。そう、あくまでも身体(ボディ)の方は。

 一方、肝心の中身の方(メンタル)はというと。

 

 

「ひーっ……ひーっ……ひーっ……」

 

 

 この有様であった。

 掠れた息を引き気味に荒げ、目は完全に泣きが入っている。死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ――胸中で幾度となくそう唱え続ける、前後不覚の哀れな小娘がそこにいた。日頃からイキり散らしている者ほど、罅が入れば脆いものである。この女もまた例外では、

 

 

「ま……まだだ、まだ終わらんよ……!」

 

 

 訂正。心が折れるギリギリのところで辛うじて踏ん張っていた。滲む視界の中、こんちくしょうと歯を食い縛って半身を起こす。

 ライトニングが手元にない。落下の衝撃で取り落としてしまったのだ。目尻を拭って涙を払い、周囲を見回す。

 自身の右手、ほんの2mほど先に転がっていた。すぐさま駆け寄って拾い上げたいのだが、腰が抜けてしまって立ち上がれない。仕方がないので赤子の如く、四つん這いの姿勢で拾いに掛かる。

 

 

 ――そんな撫子とライトニングの間に割って入る、空から降ってきた黒スーツの少年が一人。

 

 

「ぎゃ――――――――!!」

 

 

 絶叫と共にひっくり返る撫子。完全な判断ミスである。トリガーなど落としたところでいくらでも再構成できるのだから、無視してさっさと逃げ出してしまえばよかったのだ。どの道大して寿命は延びなかったと思うけれども。

 尻餅を突いた自分を見下ろし、()()()()()()()()()()()()()()。はい死んだ。死にました。撫子終了のお知らせです。やだむりこわい刀で斬られるとか絶対無理痛くないって解ってるけど怖いものは怖いんだよっていうか首とかちょん斬られちゃったりするのかなうそうそこわいこわいお願いやめてごめんなさいゆるしてください――等と、無様以外の何物でもない思考に囚われながらも。

 

 

「くっ、殺せ……!」

 

 

 なけなしの見栄を振り絞って、そう口にすることに成功した。

 世界一見栄の張りどころを間違えている女であった。

 

 

「――――――――」

 

 

 辻は刀を振り上げたまま動かない。撫子は腰を抜かしたまま動けない。

 無言のまま両者は見つめ合い、そうして――暫しの沈黙が流れた後。

 

 

「……ぁ、ぅ……」

「……うん?」

 

 

 先に変化が訪れたのは、辻の方だった。

 頬を赤くし、視線を泳がせ、わなわなと身体を震わせる――撫子にとっては実に見慣れた、彼の基本姿勢(ニュートラル)。ここまで普通に動けていたというのに、よりにもよって最後の最後に再発するとは――せっかくずっと下向いてたのに、肝心のあたしが足元にいたせいで逆に目が合っちゃったのね。うーん、よもやよもやだわ。

 後一歩。本当に、後一歩のところだというのに。ほんの少しだけ目を瞑って、無理矢理にでも刀を振り下ろしてしまえば、それだけで彼は勝利を手にすることが出来るのに。自らの前に立ちはだかる壁を、乗り越えることが出来るのに。

 撫子の目には膝よりも低く映るであろうその壁が、彼にとってはきっと、雲をも越える山の頂ほどに高いのだ。

 

 

 

「ぁっ……ぁっ……ぁっ……」

「おお……もう……」

 

 

 

 ――かくしてようやく、二人の時間はここまで辿り着いたのである。

 話数にして2話と半分、文字数にして約2万字掛けての、本当に長い長い回り道であった。

 はい、メタですね。

 

 

(……で、ここから一体あたしはどうしたらいいんだろうか)

 

 

 魔眼(メドゥーサ)に魅入られたかの如く固まってしまった辻の後方、転がっているライトニングへと視線を向ける。

 多分、今なら難なく拾える。そのまま辻を撃ち抜いて、逆転勝利を収めることも出来るだろう。そうして何の障害もなく悠々と犬飼をシバき倒しに行き、独り気分良く作戦室へと凱旋する――

 

 

 ――そんなことのために、鳩原未来(おししょうさま)は自分と辻を競わせたのだろうか?

 

 

(……それは、流石に違うよね)

 

 

 撫子にとっての訓練はきっと、辻の動きを読めずに犬飼を仕留め損なった時点で終わっている。或いは、犬飼の仕掛けたガラス片のトリックに気付けなかったのが減点対象となるか――いずれにしても、今更辻を撃ち殺したところで得られるものなど何もないだろう。

 犬飼に翻弄されて熱くなっていたせいで、本来の目的を見失っていた。小さく息を吐いてから、どっこいしょと腰を上げて身を起こす。

 そうすると、自分の真ん前で石になっている辻と、目と鼻の先で向き合う形になるわけで。

 

 

「…………!?」

 

 

 とまあ、当然こうなる。ただでさえ紅潮していた頬はもはや茹蛸のようになっているし、目は完全に明後日の方向を向いているし、トリオン体だというのに冷や汗はもうダラッダラだ。誰がどう見てもいっぱいいっぱい、限界ギリギリまで追いつめられているのが丸わかりの有様であった。

 そんな黒髪の少年に向けて、黒髪の少女は上目遣いに語りかける。

 

 

()()()()()()、辻くん」

「ぇ、な、ぅあ……」

 

 

 撫子の言葉に反して、これでもかというくらいに全力で顔を背ける辻。

 その対応は流石にカチンと来るところがあったので、両手でこめかみを引っ掴んで、強引に首をこちらに向けさせた。辻の握り締めていた弧月がその拍子にからんと零れ落ちたのにも構わず、すう……と息を吸い込んで。

 

 

 腹の底から、ありったけの気持ちを吐き出すように。

 

 

「あ、た、し、を! 見ろ!!」

ひ……ひなたざかち、ちか……」

じゃっかあしい! そういうこと言われるとあたしもなんか意識しちゃうでしょうがァ! いいから黙ってあたしの問いに答えなさい! アーユーオーケー!?」

 

 

 生じてしまった気恥ずかしさを強引に勢いで押し切って、撫子は辻を真っ正面から睨み付けた。首を振ろうにもがっしりと固定されてしまって動かしようのない辻が、観念したようにこくこくと頷いたのを確かめて、よろしいと手を離す。

 掴んだ場所がこめかみで良かった。これで頬でも抑えていたら、まるっきり、その、アレだ。

 あたしにとっての未体験領域に踏み込むところだ。ええ、16にもなってまだなんです。何か文句あるかこんちくしょう。

 ごほんと咳払いを一つ挟んで、切り出す。

 

 

「――質問その1。辻くん、あたしのこと怖い? YESなら首を縦に、NOなら横に振りなさい」

「うっ……」

「別にいいよ、怒んないから。実際、今だってこうやって圧掛けるような真似してるわけだし――これでキレたらあたし、本当にイヤなやつになっちゃうよ」

 

 

 別に今だって善人(いいやつ)やれてる自信はないけどさ、と思いつつ。

 それまでの騒々しさが嘘のように大人しく、撫子は辻の反応を静かに待った。

 

 

「…………」

 

 

 ――やがて、ひどく遠慮がちに。

 小さく、こくりと傾く首が一つ。

 

 

「じゃあ、その2。――あたしのこと、嫌い?」

「…………!」

 

 

 今度は、それはもう一生懸命に。

 ぶんぶんと勢い良く否定の首振りをする辻の姿を見て、撫子はくすりと笑った。

 それさえ確かめることが出来れば、これから先、どんな態度を取られようともへっちゃらだって思えた。

 

 

「――じゃあ、その3。……これは、言葉にして聞かせてほしいんだけど」

 

 

 本題はここからだ。

 正直な話、撫子は辻が自分を斬れようが斬れまいがどうだって良かった。極端なことを言ってしまえば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とすら思っている。確かに部隊(チーム)ランク戦とやらで異性の隊員と戦うことがあれば不利を背負うことになるのかもしれないが、そもそもボーダー隊員の仕事は三門市を襲う近界民(ネイバー)たちと戦うことであって、身内同士でドンパチすることではない筈だ。

 

 

(……女の子の見た目した近界民(ネイバー)とかがいるなら、ごめんなさいだけど)

 

 

 未だに近界民(ネイバー)=トリオン兵だと思っている女は、心の中でそっとそう付け加えた。

 とにかく――撫子が辻に求めているのは、自分を斬り殺せるようになることではない。知りたいのは、確かめたいのは、もっとちっぽけなことだ。

 問い詰める形になったとはいえ、こうして力強い意思表示を見せてくれた今なら、聞き出せると思った。

 

 

「辻くん、この訓練をやろうって話が出る前に、作戦室であたしに何か言おうとしてたでしょ」

「え――」

「覚えてないかな? あたしが辻くんのこといじり過ぎだってひゃみに怒られてさ、ごめんねってあたしが頭下げたじゃん。そのあと」

 

 

 

『――辻くんも、ごめん。流石にちょっとふざけ過ぎた』

『ぅ……あ、いやその、俺は……』

『……?』

 

 

 

 ずっとずっと、気になっていたのだ。

 その先に続く言葉を聞けない限り、きっと自分と辻は一生、境界線(ボーダーライン)を隔てた別世界の住人で終わってしまうような、そんな気がしていた。

 ほんの少し、()()()()()()という思いがある。もしかしたら――彼が口にしようとしたことと、自分が彼に求めていることというのは、同じなのではないか、と。

 単なる独りよがりかもしれない。自分だけが勝手に、馬鹿げた夢を見ているだけかもしれない。でも、それでも。

 胸の中にある『そうだったらいいな』という想いを、捨てることなど出来ないので。

 

 

「……今度は、なんでもないって誤魔化すのは、なしだよ」

「――――」

 

 

 撫子はじっと、辻の瞳を見つめ続ける。

 戸惑いながらも、揺れ動きながらも――辻の視線もまた、撫子を捉え続けている。

 別に、恋とか愛とかそういうものを求めている訳ではない。ただ、お隣さん(ネイバー)のように近しいようで限りなく遠い彼との距離を、少しでも埋めてみたいと、そう思ったから。

 わずかの緊張と、抑え切れない期待を込めて、日向坂撫子はその言葉を口にした。

 

 

 

「ねえ――聞かせて? 辻くん」

 

 

 

 こわがらないで、と言うように。

 花の名前を持つ少女は、その名に似つかわしい無邪気な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――駄目だった。

 何一つとして、自分を変えることなど、出来はしなかった。

 異性を前にすると、平静を保てなくなる。口、手足、思考――全てがまともに働かなくなって、無様を晒すことしか出来なくなってしまう。案の定、今回もそうだった。

 彼女を斬れたら、何かが変わると思っていた。目を逸らしたまま、誤魔化したままであっても、自分にとっての天敵とでも言うべき存在をこの手で打ち倒せたなら、心の枷を断ち切ることが出来るんじゃないか――という、浅はかな夢想。

 目の前の壁と向き合わないまま飛び越えようとしても、足を取られて躓くのが関の山だと、心の底では理解できていた筈だったのに。

 情けない。恥ずかしい。今すぐにでも、この場から逃げ去ってしまいたい。

 結局、いつまで経っても自分は、異性とまともに向き合うことなど出来やしないのだ――

 

 

 

「あ、た、し、を! 見ろ!!」

 

 

 

 ――そんな自分の顔を、強引に引っ掴んで。

 日向坂撫子は、辻新之助の退路を断ち切った。

 鳩原未来の穏やかさや、氷見亜季の自然さとも異なる、ぐいぐいと手を引っ張ってくるような――力強い導き。

 正直、未だに戸惑う気持ちはある。恐れる気持ちも確かにある。日向坂撫子の行動は読めない。ほんの一秒前まで滑稽な馬鹿騒ぎを繰り広げていたかと思ったら、急に真面目な顔で詰め寄ってきたり、花のように可憐な笑みを湛えて、じっとこちらを見つめてきたりもする。

 自分にとってあまりにも未知なる、異邦人(ネイバー)のような存在。その不可思議さがずっと、自分の心を乱し、狼狽させ、追い詰めてさえいた。

 

 

 

「ねえ――聞かせて? 辻くん」

 

 

 

 けれど、今。

 馬鹿みたい話になるが、今更になってようやく、思い出した。

 自分は決して、彼女のことを斬りたかった訳ではない。自分の居場所を奪われてしまったと、逆恨みしていた訳でもない。()()()()()()()

 自分にとっての青い鳥(しあわせ)は、二宮隊の――部隊(チーム)の仲間たちと過ごす日々の中にある。そして、彼女が自分と同じように、青い羽根の存在を氷見亜季らの中に見出したのなら――

 

 

 ――彼女は決して、自分にとっての外敵(ネイバー)には成りえないのだから。

 

 

「……お、俺は……」

「うん」

 

 

 そうだ。

 ずっとずっと、言葉にしたかった。そう出来ればどんなにいいかと、思い立っては諦めていた。

 未知なるものを恐れてはいけない。向き合うことから逃げてはいけない。今度こそ――今度こそがきっと、自分に与えられた最後のチャンスになるだろう。

 その瞬間が訪れるのを、彼女は静かに、微笑みながら待ってくれている。

 きっと、何もかもが劇的に変わるなんてことはない。自分はきっとこれからも、彼女の行動や言動に戸惑い、顔を赤くし、言葉を詰まらせるみっともない日常を過ごすことになるのだろう。

 けれど、それでも。

 『自分はこう思っているんだ』という嘘偽りのない気持ちだけは、彼女に伝えておきたかった。

 

 

 

「俺は――」

「――うん」

 

 

 

 繰り返し口にすることで、心の中の助走を付ける。少女もまた、繰り返し頷く。

 一歩。自分がこれから踏み出すのは、たったの一歩だ。世界中の人間から見ればきっと、そんなことすら口に出来なかったのかと鼻で笑ってしまうような、ちっぽけな一歩。

 

 

 されど――辻新之助にとってその一言は、地球の引力を超えて月へと至るほどの、大いなる跳躍であった。

 

 

 

 

 

「俺は――日向坂さんと、()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

 

 

 

 

 言った。

 言えた。

 一字一句違わず、詰まることもなく。胸の内にずっと抱えていた、思いの丈を、はっきりと。

 普通。自然。ありのまま。それだけにずっと憧れていた。それ以上のものなど、欠片も求めてはいなかった。

 自分のような人間にとっては、特別ではないということが、何よりも特別なことだから。

 

 

 日向坂撫子の突拍子もない行動に、なんだそれはと待ったを掛けられるようになりたい。

 日向坂撫子の思わせぶりな発言を、恥ずかしがらずに笑って受け流せるようになりたい。

 日向坂撫子の自分に向いた視線を、真正面から逸らさず受け止められるようになりたい。

 

 

 それだけでいい。自分が求めていることなんて、本当にたったのそれだけなのだ。

 自分とはまったく異なる存在である彼女を、否定したくない。受け入れられるようになりたい。

 もしも、そうすることが出来たのなら――

 

 

 ――彼女もまた、自分にとっての青い鳥になり得るかもしれないのだから。

 

 

「――――――――」

 

 

 暫しの間、撫子は無言であった。口元の笑みは絶やさぬまま、瞼を閉じて、何やら思案に耽っている。

 今更ながら、こうして大人しくしている時の彼女は、普段の滑稽さが嘘のように(たお)やかだった。

 

 

「――辻くん」

「は――はい」

 

 

 そんなことを考えていたせいか、ついつい返事が敬語になってしまった。

 再び撫子が瞼を開き、木の実のような瞳で辻を見上げてくる。頬が紅潮するのを感じながらも、辻もまた視線を逸らさない。

 そうして、可憐なる少女は笑みを深くし、眉目麗しい顔付きで――

 

 

 

「言えたじゃねえか……」

 

 

 

 麗しさの欠片もないことを口にした。

 ぶふう! と通信越しに誰かが噴き出し、耳元がノイズに襲われる。辻もまたがくりと膝の力を失い、危うくその場にすっ転ぶところであった。今までのそれなりに真剣さを帯びていた空気が、この一言で一気に吹き飛んでしまったような気がした。

 それを裏付けるかの如く、ここぞとばかりに外野たちの声が耳へと飛び込んでくる。

 

 

『聞けてよかった』

「ひゃみさん!?」

『そりゃ……つれぇでしょ……』

「犬飼先輩!?」

『ふっ……くっふふふ、くひっ……』

「鳩原先輩! しっかりして下さい鳩原先輩!!」

 

 

 (チーム)の全員にネタが通じている。国民的RPGの名は伊達ではなかった。

 おかしい。どうしてこうなった。何故さっきまでの流れから一瞬にして、ここまで場の雰囲気ががらりと変わってしまうのか。当たり前のように対応してくる氷見と犬飼は何なのか。日向坂撫子は一体どういうつもりで、唐突に一人ファイナルファンタジーをおっ始めてしまったのか――

 

 

「日向坂さん、君は……!」

()()()()()()()()、辻くん」

 

 

 ふざけているのか――そう詰め寄りかけた辻の内心を見透かすように、日向坂撫子は不敵な笑みを浮かべている。その表情に、はっとさせられた。

 そうだ。

 ()()()()()()に臆せず接していくのだと、たった今自分は誓ったばかりではないか。

 

 

「あたしもね? 辻くんとおんなじこと考えてたよ。キミと普通にお喋りがしてみたい――だけどほら、あたしの()()()ってこんなだからさ。一緒にいてなんだこいつって思ったりするだろうし、真面目にやれって怒りたくなる時もあると思う。実際ひゃみにもよく叱られてるし」

『自覚があるなら治す努力をしなさい』

「それで治るなら苦労はしないってこと、あるでしょ?」

『……ま、ね』

 

 

 ひどく実感の籠もった声で、氷見亜季は親友の意見に同調した。

 

 

 真面目(シリアス)になり切れない少女がいる。

 異性と接することが苦手な少年がいる。

 意中の相手を前にすると、普段の自分を保てなくなる少女がいる。

 そして――

 

 

『…………』

 

 

 ――人を撃てない狙撃手(スナイパー)がいる。

 誰もが皆、己の欠点を自覚している。なんとかしたい、普通(正常)でいたい――日々、そう思いながら藻掻いている。

 わかっていても、どうにもならない。

 どうにもならないのだ。

 

 

「――だけど、そんなあたしとちゃんと話せるようになりたいって、辻くんは言ってくれた」

「あ……」

「だからもう、あたしは辻くんに遠慮なんかしてあげないぜ。今まで以上に辻くんを弄り倒すし、隙あらば照れ顔狙いに行くし、そのためならいつか手段を選ばなくなる日が来るかもしれない……フフフ、怖いか?」

「え――ええ!? そうなるの!?

「そうなるんです。……どうする? 辻くん。引き返すなら今のうちだよ」

 

 

 そう言って、日向坂撫子は上目遣いに悪戯な笑みを浮かべる。愛くるしさの塊とでも言うべき瞳が、真っ直ぐに辻を捉えている。

 心拍数が急激に跳ね上がるのを感じる。鏡など見なくても、自分の頬は間違いなく紅潮していると判ってしまう。そのまま視線を逸らし、声を震わせ、たどたどしい受け身の言葉を返す――

 

 

(――――あ)

 

 

 けれど。限界を迎えかけた、その間際。

 目の前の少女の頬もまた、仄かな朱色を帯びているのに、辻新之助は気が付いた。

 

 

 ……そっか。

 恥ずかしいのは、照れ臭いのは――俺の方だけじゃないんだ。今は。

 

 

 相手が自分と同じ感情を抱えている。たったそれだけのことが、不思議と心を落ち着かせる。

 そうだ。

 どれだけお道化て見えようと、言動が奇抜に映ろうと、挙動の一つ一つが自分を惑わせる、そういう存在だとしても――

 やっぱり彼女も、こういうところは、()()()女の子なのだ。

 

 

「……の」

 

 

 ならば、今だけは。

 自分が格好を付けるべき場面だと、普通になりたい少年は、そう思った。

 

 

「――望むところ、だよ……!」

 

 

 案の定、すんなりと口にすることは出来なかったけれど。

 それでも、少女の視線を受け止めたまま、少年は己の覚悟を示してみせた。

 

 

 少女は満足げに頷き、何故だか顔の半分に陰影を付けて、不敵な笑み(ドヤ顔)で一言。

 

 

 

「それを聞きたかった」

 

 

 

 ブラックジャックであった。

 やっぱり最後の最後まで、真面目(シリアス)になり切れない日向坂撫子であった。

 

 

 

 

 

 ――今日の決意が、いつまで続くものかはわからない。

 明日には消えてなくなってしまうような、脆く儚いものかもしれない。或いは明後日、明々後日か――先のことなどわからない。今までずっと変えられなかったものが、心持ち一つでそう簡単に変えられるとは思えない。

 けれど。

 境界線(ボーダーライン)の向こうから手を差し伸べて、自分が踏み出すのを待っていてくれた、この奇妙で愉快な女の子(ネイバー)のことを裏切りたくはない。

 その気持ちだけは、絶対に手放してはいけないと、そう思うから。

 

 

 

 

 

「……改めて。――これからよろしくね、日向坂さん」

「――照れちゃうぜ。えへへ」

 

 

 

 

 

 ――俺は、界境(ボーダー)を越えていく。

 彼女が引き金(トリガー)となって生み出される、滑稽で騒々しい世界(ワールド)の中へと、飛び込んでいく。

 

 

 自らの、意思で。

 

 






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次回はようやくあの人が出ます。



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『二宮匡貴~射手の王(No.1シューター)~』



ルールを守って楽しく決闘(デュエル)!!(更新に間が空いてしまって申し訳ありませんでした)




 

 

「…………」

 

 

 モニタの中、自らの弟子とチームメイトの少年が無事に関係性の再構築を果たせたことを確認して、鳩原未来はふっと口元を綻ばせた。

 日向坂撫子の視野狭窄と、辻新之助の異性に対する苦手意識。この二点を纏めて改善しようという当初の目的からはややズレたところに落ち着いてしまったが、却って良い結果に納まったのではないかと思う。

 自分にとって大切な者たちの仲がぎくしゃくしているのは、悲しいことだ。今まで以上に辻の苦労は増すかもしれないが、互いにやり辛さを抱えたままでいるよりはいいだろう。同じ部隊(チーム)に所属している訳ではないといっても、彼女たちはこれから先も、ボーダー隊員として背中を預け合う仲間同士なのだから。

 もちろん、自分も含めて。

 

 

「――いやー、いい仕事したなあおれ。人の役に立つことした後は気分がいいもんだ。ね? 鳩原ちゃん」

 

 

 などと調子の良いことを言いながら、一足先に作戦室へと帰ってきたのは犬飼澄晴である。撫子と辻の両名は未だに訓練室(トレーニングルーム)の中だというのに、一人だけ早々と抜け出てきたらしい。つくづく自由な男であった。

 

 

「……なに勝手に出てきてるの。犬飼にはまだナデコに撃たれるっていう大事な仕事が残ってるでしょ」

「勘弁してよ。ちゃんと辻ちゃんとヒナタちゃんをぶつけるところまでは働いたんだし――それにしても、ヒナタちゃんはやっぱり面白い子だよねえ。辻ちゃんをああいう形で攻略した女の子っていうのは今までいなかったんじゃないかな? ひゃみちゃんの時はどんな感じだったっけ?」

「私、別に辻くんを攻略した覚えはないんだけど」

「そうは言うけどひゃみちゃん、肝心のとりまる君とはこれっぽっちも進展ないじゃん。本当にちゃんと落とす気あるのかな?」

「……!?」

 

 

 何故それを――と言わんばかりにぎょっと目を見開く氷見亜季。氷見の性格からして犬飼を相手に恋愛相談を持ち掛けるとは到底思えないので、おそらく何かの拍子に氷見と烏丸京介が対面しているところを犬飼が目撃してしまったのだろう。ただでさえ観察眼に優れる犬飼のこと、一目見て全てを察してしまったに違いない。

 ……亜季ちゃん、どんまい。胸中で独り、鳩原は後輩の少女に向けて手を合わせた。

 

 

「……え、え、うそ。なんで知ってるの、鳩原先輩にしか相談したことないのに。ヒナタにだって言ってないのに」

「そりゃ、順当に推理するならおれが鳩原ちゃんから聞いたってことになるんじゃない?」

「犬飼。怒るよ」

「あっはっは、ウソウソ。ていうかひゃみちゃん、あれで隠せてるつもりだったことに正直おれはびっくりだよ。見る人が見れば一発で気付くやつじゃないかな? あの態度は」

「だ、だって烏丸くんは私がどれだけテンパっててもこれっぽっちも表情変えないし……小南とかにも一度だって追及されたことないし……」

「うーん、とりまる君って結構とぼけた冗談言う割に自分のことは案外鈍いタイプっぽいしなあ。小南ちゃんはまあ、小南ちゃんだし」

「桐絵ちゃんだもんね……」

 

 

 鳩原は思った。小南桐絵――きっと彼女は烏丸の前で取り乱している氷見の様子を目撃しても、『あれ? どうしたのひゃみ、あたしに声掛けられた時の辻ちゃんみたいになってるわよ?』等とすっとぼけたことを口にするのだろうな、と。戦闘中には異様なほどの勘の良さを発揮するにも拘らず、その勘の冴えが日常生活に活かされているところを見た覚えがない、天真爛漫を絵に描いたような少女。

 

 

 何から何まで、自分とは真逆の存在。

 

 

(……あー、また良くないこと考えてる……)

 

 

 悪い癖だ、と拳で額をこつんと叩く。

 決して嫉妬心だとか、そこまで大袈裟な感情を抱いている訳ではない。ただ、根底にどうしようもない諦念があるだけだ。自分は決して小南桐絵のようにはなれないのだという、強固な確信が。

 彼女の明るく活力に満ち溢れた振舞いは、自分のような人間には一生、縁遠い代物だろう。

 

 

――こらぁー! 犬飼パイセーン! あたしに黙ってこっそり出て行くとは何事かー!」

 

 

 そんな小南桐絵に負けず劣らずの威勢の良い声が響き渡り、はっと我に返る鳩原。

 ぷんぷんという擬音(オノマトペ)が頭の横に浮かんでいそうな怒り具合で、日向坂撫子が訓練室(トレーニングルーム)から帰ってきた。やや遅れて静々と、辻新之助も顔を出す。相も変わらずその頬には若干の紅潮が見受けられるものの、訓練前に比べれば大分マシになったものだと思う。何より、こうして二人並んで戻ってこられただけでも大きな進歩だと言えるだろう。

 

 

「やーやーヒナタちゃん、お疲れ様。ジュースか何か飲む? おごるよ」

「今時そんな古典的な話の逸らし方に釣られるアホウがおりますかァ! でもそれはそれとしてお飲み物はいただきますなっちゃん(りんご味)あたりがいいですね!」

「……お、おかえり辻くん」

「……? うん、ただいま」

 

 

 人数が増えて一気に騒がしさを増す、A級4位部隊(チーム)の作戦室。この部屋がこんなにも賑やかなのは初めてのことではないだろうか、と鳩原は思った。

 基本的に自分たちの部隊(チーム)は犬飼を除いて口数の多い方ではないし、ただでさえ()()()()はこういったどんちゃん騒ぎを好むタイプではない。今更ながら彼に黙って訓練室(トレーニングルーム)を好きに使用してしまったが、こんな自分の行いを知ったら、果たしてあのひとは何を思うのだろうか――

 

 

 

 

 

「――騒がしいな」

 

 

 

 

 

 耳の奥へと響く、存在感のある声だった。

 一言。そのたった一言で、室内の喧騒が噓のように静まり返る。犬飼、氷見、辻――そして撫子も、誰もが作戦室の入口に視線を向けている。やや遅れて、鳩原も向き直った。

 隊員(チームメイト)たちと同じ漆黒のスーツに身を包んだ、長身痩躯の男。スラックスのポケットに両手を納め、冷めた視線で一同を見回している。

 相変わらずだな、と思った。決して場の空気に迎合せず、威風堂々と我が道を往く立ち姿。

 小南桐絵とはまた別の意味で、自分とは対極の生き方をしている者。

 

 

 ――それなのに、あたしなんかを拾ってくれたひと。

 

 

 

 

 

「おはようございます、二宮さん」

「ああ」

 

 

 鳩原の挨拶に淡泊な相槌で応じたのは、A級4位二宮隊隊長、二宮匡貴。

 個人(ソロ)総合2位にして、射手(シューター)1位――現ボーダーにおいて、最も多くのトリオン量を誇る男の名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 なんだこのクッソ偉そうなイケ兄さん。

 ――というのが、日向坂撫子が二宮匡貴に抱いた第一印象であった。

 いや、我ながら失礼な感想だとは思いますよ? だけどね皆さん、見て下さいよこのオラついた立ち姿を。なんていうかオーラ出てるもん。天上天下唯我独尊っていうか、俺はお前たちとは違う的なギラギラした空気纏ってますもん。どうでもいいけど唯我独尊って文字を見ると会ったこともないロン毛のお坊ちゃんが頭に浮かぶのなんなんだろうねこれ。謎い。

 鳩原に続いて辻、氷見の両名が、お疲れ様ですと頭を下げる。そして犬飼澄晴が、相変わらずの薄ら笑いを浮かべて。

 

 

「今日は遅かったですね二宮さん。ここ来る前にどっか寄ったりしてました?」

「……作戦室に来る途中で太刀川(バカ)に捕まった。おかげで朝っぱらから個人(ソロ)ランク戦で10本勝負だ」

「うわー、見たかったなそれ。二宮さんと太刀川さんの10本勝負なんてギャラリーからお金取れるレベルじゃないですか。で、どっちが勝ったんです?」

「チッ……」

「あらら。ヤブヘビだったかな」

「――5-5だ。次は俺が勝つ」

 

 

 苛立ち混じりに舌を打つ二宮と、隊長相手にもいつも通りの気安い調子で絡んでいく犬飼。へらへら顔の金髪頭を眺め、つくづくこのひと怖いものなしっていうか無敵マンだな……と思う撫子。

 ところで太刀川さんってどちら様でしたっけ。どっかで名前聞いたことあるような気もしたんだけど――ていうか犬飼パイセン、今ひょっとしてバカって呼び名からノータイムで太刀川某さんを連想しましたか? 失礼じゃないですか?

 などと、取り留めのないことを考えていると。

 

 

「……見ない顔がいるな」

 

 

 鋭く圧のある二宮の視線が、真正面から撫子を捉えていた。

 ひいい、と引き攣った悲鳴が漏れそうになるのを寸でのところで堪える撫子。基本的にこの女は小心者(ビビり)なのである。そして今更ながら、自分はこの場において完全なる部外者なのだという事実を思い出す。

 親友の氷見と師の鳩原がいて、防衛任務の件から何やかんやの末に辻、犬飼とも知らない仲ではなくなったとはいえ――結局のところ、日向坂撫子は無職属(フリー)の女でしかないのだ。今のところは。

 

 

「え、あ、えと――お、おじゃましてます」

「二宮匡貴だ。こいつらの隊長をやっている」

「ひ、日向坂撫子です。ついこないだまで訓練生だったんですけど、最近やっと昇格できまして、はい」

「――日向坂?」

 

 

 わたわたとした撫子の自己紹介を耳にして、ぴくりと眉を吊り上げる二宮。え、なんで。なんであたしの苗字にそんなリアクション取るんですかまさたかさん。別に46とか付いてるアイドルグループとは何の関係もありませんよ?

 などと困惑し切りの撫子に代わって、鳩原が口を開く。

 

 

「前に話したあたしの弟子ですよ、二宮さん」

「……絵馬の後に二人目を取ったというのは確かに聞いたが、それがこいつだというのは初耳だ」

「あの、ナデコがなにか……?」

「ああ、なるほど。そりゃ二宮さんは気にしますよね、かつてのライバル候補だったわけだし」

「――はい?」

 

 

 妙なことを言いだしたのは犬飼であった。なんすかそれ。誰と誰がライバルですって? あたしとこのポケインお兄様が? 一体何を競い合えっていうんですかパイセン。少なくとも立ちポーズ対決じゃ微塵も勝てる気しませんよあたしは。

 失礼の極みに思考が至りかけている撫子へと、犬飼が向き直って。

 

 

「知らなかったかな? きみって割と有名人なんだよヒナタちゃん。二宮さんや出水くんと同じくらいのトリオン持ってる新人が入ってきたーって、9月頃にはそこそこ話題になってたし」

「……あー、そういえば仮入隊の頃にひゃみからそんな話を聞いたような聞かなかったような」

 

 

 記憶の片隅(第一話の回想)にあった会話を思い起こして納得する撫子。なるほど、あたしってば知らないところで結構期待されちゃったりしてたわけね。ところで犬飼パイセン、9月頃にはって言いましたけど今は話題になってないんですか? 日向坂撫子はもうオワコン扱いなんでしょうか? ドラフト1位でプロ入りしたけど大して伸びなかった元甲子園投手みたいな扱いになったりしてません?

 

 

「……そこまで気に掛けていたつもりはない。たまたま名前を憶えていただけだ」

「またまたー。ゆくゆくは射手(シューター)になったヒナタちゃんと弾幕ごっこ出来たらとか思ってたんじゃないですか? やっと出水くん以外で撃ち合いに付き合ってくれそうな相手が出てきたなーって」

「里見と同じようなことを言うな」

「おっと、流石は自他共に認める二宮さん信者だ。理解度が高い――だけど聞いての通り、ヒナタちゃんは射手(シューター)じゃなくて狙撃手(スナイパー)の道に進んじゃいましたからね。夢の対決は実現ならずかな」

「――それだ」

 

 

 ぎろり、と。目つきのせいで半ば睨んでいるようにさえ見える二宮の眼差しが、真正面から撫子に突き刺さる。

 こわい。影浦先輩ほどじゃないけどこのひとの視線もけっこう怖い。なんていうか、本人にそのつもりはないのかもしれないんだけど圧があるんですよ圧が。ただでさえやたら背高いから文字通りの上から目線だし、王様(キング)を前にした時の臣民みたいな気分ですよあたしは。跪け、首を垂れよ。ははー。

 そんな重圧(プレッシャー)を感じている撫子に構わず、二宮は続ける。

 

 

「日向坂。おまえ――なぜ狙撃手(スナイパー)になった?」

「……へ」

「おまえの()()が最も活きるポジションは射手(シューター)、或いは銃手(ガンナー)だ。狙撃手(スナイパー)用のトリガーもある程度はトリオン量で性能が変動するが、よほどの規格外(モンスター)でもない限りは腕前の方が物を言う――加えて言えば、狙撃手(スナイパー)は他のポジションに比べて正隊員への昇格条件も特殊だ。わざわざ選んだからには何か理由があったんじゃないのか」

「あ、ああー……なるほど、そういう……」

 

 

 曖昧に頷く手のひらの今日、もとい撫子。黙っていれば千反田えるに見えないこともない女は、おそるおそるといった調子で。

 

 

「その……恥ずかしながらわたくし、あのトリオンキューブなるサイコロもどきに嫌われておりまして……なんかちょっとしたことですぐにあっち行ったりこっち行ったりするんですよあの子」

「親に似たんじゃない?」

「ひゃみちゃん、座布団一枚」

「そこの漫才コンビはちょっと口を挟まないでいただけます?」

「……里見と同じタイプか。なら銃手(ガンナー)はどうだ」

「あー……なんていうか、自分がマシンガンとか持ってだだだだだーってやるイメージがあんまり湧かなかったといいますか……はい……」

 

 

 これもひゃみと似たようなやり取りしたような気がするなあ、と思いつつ応じる撫子。攻撃手(アタッカー)についての詰問が飛んでこなかったことに安堵する。あたし運動音痴(うんち)なんでとか言っても『日向坂はうんちではなく人間だろう』とかマジレス返してきそうだし。ていうかこんなクール系お兄さんがうんちとか口走るところは見たくねえ。

 

 

「――それで行き着いたのが狙撃手(スナイパー)か。随分と消極的な理由だな」

「うぐっ……か、返す言葉もございませぬ……」

「別に責め立てるつもりはない。お前が狙撃手(スナイパー)というポジションに拘りがあるのかどうかを確かめたかっただけだ」

「……?」

「日向坂。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言ったら、お前はどうする」

「おファッ!?」

「えっ……」

 

 

 品のない声を上げて仰天する撫子。語頭におを付ければセーフだとかそういう話ではなかった。

 え、え、なにそれどゆこと。A級4位の隊長さまがわざわざあたしにご指導を? そんな都合の良いお話あります? というかまさたかさん、失礼ながらあなたそこまで他人に対して面倒見がいいタイプには見えませんですわよ?

 撫子の脳内がクエスチョンマークに埋め尽くされていく中、二宮は淡々と言葉を紡いでいく。

 

 

「トリオンキューブのコントロールが乱れるのは、お前の精神(メンタル)が浮ついていて落ち着きがないからだ。その部分さえ改善出来れば、お前にも再び射手(シューター)としての道が開ける」

「い、いやー……簡単に仰いますけど、そういうのって気持ち一つでどうにか出来ちゃうものなんです?」

「愚問だな。苛立ち、焦り、不安、力み、緊張、プレッシャー――付き纏う感情に振り回されず、自分にとって必要なことだけを考えていればいい。元々の性格など関係ない、感情のコントロールは後天的に習得できる技術の一つだ」

「や、楊海(ヤンハイ)先生……!?」

「誰だそいつは」

「え、ええー……ダメですよ二宮さん、いくらなんでも丸パクりは流石に怒られますよ……ただでさえヒカルの碁なんて今でも根強いファン多いんですから……」

「俺にこの話をしてくれたのは東さんだ。楊海だのヒカルだのとかいう奴らのことは知らん」

 

 

 あずまさん。誰だそいつは。口にしたら今度こそ狙撃手(スナイパー)失格の烙印を押されかねないことを思う撫子。お前がやってるポジションの開祖様だよ。

 

 

「随分と熱心に口説きますね? 二宮さん。やっぱ本音じゃヒナタちゃんに射手(シューター)やらせたくて仕方ないんじゃないですか?」

「茶化すな犬飼。……今季のランク戦も終わって、選抜試験にも通った。次にやることが見つかるまでの暇潰しみたいなもんだ」

「ひ、ひまつぶし……」

 

 

 すごい。本人を前にしてそういうことはっきりと言っちゃうんだこのひと。配慮がないというか人のことなんだと思ってるんですかというか……複雑な表情を浮かべる撫子の顔を、二宮は無感動な瞳でじっと見据えて。

 

 

「――で、どうなんだ日向坂。ただの気紛れだ、答えるなら俺の気が変わらないうちにしろ」

「む、むむむ……」

 

 

 何がむむむだ。などと突っ込みを入れる者もいない中、撫子はうんうんと唸りながら思考を巡らせていた。

 

 

 なんて言って断ったら角が立たないかなあ、と。

 

 

「…………」

 

 

 ちらり、と。

 戸惑いの表情を浮かべながら事態を見守っている、自身の師を横目で窺う。

 仮に自分が、この話を受けると言ったら彼女はどう反応するだろうか。悲しんだり引き留めたりしてくれるのなら嬉しい。けれど優しい彼女のこと、おそらくはぎこちない笑みと共に『ナデコが決めたことなら、あたしは尊重するよ』とでも言って、自分を送り出してしまうのだろう。

 それは自分にとって、優しさでも何でもない答えなのだけれど。

 

 

(……めんどくさい女みたいなこと考えてるなあ、あたし)

 

 

 みたいっていうか、実際そうなんだけど。

 いずれにしても、『ダメですよ二宮さん! ナデコは私の弟子(もの)なんですから!』的な感じの素敵な台詞が聞ける未来は訪れないと見た。別に師匠の名前と掛けてるわけではないのでそこんとこよろしく。誰にでもなく脳内で注釈を入れつつ、撫子は二宮へと向き直って。

 

 

「……これ、先に言っておけばよかったですね」

「何だ」

「あたしが狙撃手(スナイパー)に拘り持ってるのかどうか確かめたいって、二宮さん仰ってたじゃないですか。――()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言って。

 撫子は親指と人差し指で小さな輪を作り、片眼鏡(モノクル)の如く自身の右目に添える。

 

 

「狙撃銃のスコープが見せてくれる、あの小さい小さい円の中に入っていくのが好きなんですよ。あたしと標的(ターゲット)以外に誰もいない、シンプルな空間――あたしのこと、落ち着きがなくて浮ついてるって二宮さん言ってたじゃないですか。はっきり言ってその通りなんですけど、あの円の中にいる間だけはあたし、()()()()()()()()になれるんです。これって多分、狙撃手(スナイパー)以外じゃ味わえない感覚だと思うんですよね」

 

 

 『キミにとって一番大切なことだ。石だけを見ろ』と、かの楊海は言っていた。あの人の言っていたことは正しいなと、今の撫子は思っている。

 スコープの中に標的(ターゲット)を捉え、じっくりと狙いを定めているとき。余計なものが削ぎ落とされ、真っ新な気持ちで引き金(トリガー)を引けることがある。その状態で放たれた弾丸は例外なく、狙った通りの箇所を寸分違わずぶち抜いてくれる。その瞬間に味わえる達成感を、撫子はこよなく愛していた。初めての防衛任務で近界民(トリオン兵)を仕留めて以来、その想いはますます強固なものになっていた。

 

 

「だからあたし、今のところは転職とか考えてないんです。まあ、今は逆にもっと視野を広く持てるようになりなさいってお師匠様からご指導いただいてる真っ最中なんですけど――それでもやっぱり、いまさら射手(シューター)とか銃手(ガンナー)に乗り換えようって気持ちは湧いてこないですね」

「……なるほどな」

「そ、れ、と」

 

 

 ――さあ、ここからがあたしの本題ですよお兄さん。

 おそらく、今の説明だけで二宮は事情を納得してくれたことだろう。しかし、それとは関係なしにこのことだけは主張しておかなければ気が済まない。無用の使命感に心を燃やしつつ、撫子はのっしのっしと()()()()()()()()()()

 

 

「えっ、わっ……!?」

 

 

 ――がっしりと、()()()()()()()()()()()()()()()()

 鳴かぬなら、あたしが鳴こう、不如帰(ほととぎす)。天下の三傑からお前は何を言っているんだと突っ込まれそうなことを思いつつ、撫子は不敵に口元を吊り上げ宣言した。

 

 

「――あたしのお師匠様はただ一人、鳩原先輩だけですので。そこを違えるつもりはありません」

「な、ナデコ……!? なんで!? なんであたし今ナデコに抱かれてるの!?」

「いやあ、師匠があたしのこと引き留めてくれないならあたしの方から捕まえちゃおうかなと思いまして……」

「ひ、日向坂さん……かっこいい……」

「まーた辻くんが見習う相手を間違えようとしてる」

「うーん、辻ちゃんが女の子相手にこんなこと言えるようになるのとひゃみちゃんが()を相手にあがらず喋れるようになるのってどっちが早いかなあ」

「かれ?」

「ぼかして言えば許されるとか思ってたら大間違いだよ犬飼先輩」

「あっはっは、トリオン体だからってめちゃくちゃ全力で足踏んでくるなあひゃみちゃん」

 

 

 わいわい。がやがや。撫子の奇行が火種となって、作戦室の空気が再び喧騒を取り戻していく。そんな中、二宮は静かに溜息を吐き、わたわたと赤面する鳩原とドヤ顔の撫子を交互に見やって。

 

 

「……お前の主張は理解した。二度と誘いを掛けようとは思わん」

「お心遣いに感謝いたします」

「だが――俺からも一つ言っておく」

 

 

 心なしか、今まで以上に圧のある視線を叩きつけてくる二宮匡貴。こわい。鳩原の肩を抱く手に思わず力が籠もってしまう。ごめんなさい師匠。でもトリオン体だから別に痛くはないですよね。だからもうちょっとだけぎゅっとしちゃってもいいですか。

 そんな甘ったれた撫子の思考を揶揄するように、二宮が続ける。

 

 

「日向坂。お前が今引っ付いてるその女は、間違いなくボーダー1の狙撃の腕を持っている奴だ」

「おお……!」

「――――」

「そいつの下で教わる以上、狙撃手(スナイパー)として半端な存在で終わることは許さん――絵馬と同等とまでは言わんが、せめて達人級(マスタークラス)に届くくらいの腕前は身に付けてみせろ」

 

 

 そう言って、撫子から視線を切りすたすたと作戦室備え付けの冷蔵庫へと歩いていく二宮。どうやら話は終わりのようだ。自分から話を振っておいてこの一方的な切り上げっぷり、つくづく傍若無人を絵に描いたような男であった。

 撫子は瞳をきらきらと瞬かせ、敬意に満ち溢れた眼差しで腕の中の師を見つめた。すごい。やっぱり師匠はとんでもない狙撃手(スナイパー)だったんだ。だって一番ってことはアレでしょ? 訓練で毎回1位取ってる奈良坂くんとか、そんな奈良坂くんを差し置いて何故かNo.1狙撃手(スナイパー)とか呼ばれてるトーマパイセンよりも師匠の方がすごいってことでしょ? あたしの師匠が。あたしの! 師匠が!

 我が事のように誇らしくなり、左拳をぐっと握り締める撫子。達人級(マスタークラス)。やってやろうじゃないですか。荒船センパイとイコさん先輩の話聞いて以来、ちょっぴり興味が湧いてたとこだったし。それにニノミヤさんの仰るとおり、お師匠様の弟子を名乗るからにはそれなりのものにならなくっちゃあね。

 『日向坂撫子の師匠』という肩書きを、恥ずべき呼び名にしてはいけない。二宮匡貴が言いたかったのはそういうことだろう。俺の部下の名を貶めるような真似はしてくれるなよと、彼は撫子に釘を刺してくれたのだ。

 

 

(……なんか、そう思ったら――あのひとの身勝手なあれこれを全部許せちゃいそうになるから、へんな感じ)

 

 

 だって、それって。

 誰よりもお師匠様のこと、認めてるってことだもんね。

 

 

「うふふふふ……師匠、あたしはやりますよ……あたしがマスターになった暁には『この御方のおかげであたしは達人(マスター)になれました!』って師匠の顔写真貼り付けたポスター持ったまま本部基地中を練り歩きます。選挙カー並の頻度で徘徊してみせます」

「鳩原先輩、その子のこと引っぱたきたくなったらいつでも好きな時に手出しちゃっていいですからね」

「か、過激すぎじゃないかなひゃみさん……」

「あっはっは。女の子って怖えー」

「…………」

 

 

 ぎゅうぎゅうと、お気に入りのぬいぐるみを抱き締めるかの如く鳩原にしがみ付く撫子。流石にそろそろ怒られるかなあと思いつつ、伏せられていて見えない彼女の顔を覗き込もうとする。

 その間際、そばかすの下の口元が開いて。

 

 

「……しっかりしなきゃなあ、ホント」

「……?」

「――あのね、ナデコ。今更なんだけどあたし、ナデコに言わないといけないことが――」

 

 

 おもむろに顔を上げた鳩原が、何やら意を決したような表情で撫子を見上げて、そんなことを言った。

 え、え、なになに。どうなさったのですか師匠。やっぱりあたしなんかに引っ付かれるのはお嫌でしたか? ゆりんゆりんな空気はお気に召しませんでしたか? ちょうどそこにイケメンが三人並んでますけど誰かと代わりましょうか? ヘイ辻くん! キミもあたしと一緒にお師匠様の柔肌を堪能してみないかい!? うーん、言った瞬間にひゃみからドロップキックとか飛んできそう。ダメだな。

 この期に及んで鳩原の纏う真剣な空気を察せない女、日向坂撫子。そんな馬鹿弟子の頭の出来に構わず、人を撃てない狙撃手(スナイパー)がその事実を伝えようとした瞬間――

 

 

 

 

 

      ぴろりん♪

ぴろりん♪      

ぴろりん♪

        ぴろりん♪

ぴろりん♪        

  ぴろりん♪

 

 

 

 

 

 6人分の携帯端末が一斉に反応し、クソやかましい着信音の六重奏(セクステット)が作戦室に響き渡った。

 う、うるせえ……! 思わずそう吐き捨てたくなるのを、顔を顰めつつ堪える撫子。ていうかこれだけ人数いて誰一人として消音モードにしてないとかどういうことよ!? いや待てよ、立場的に誰よりも音切ってないといけないのって部外者のあたしだよなあごめんなさいね!

 

 

「出た。本部の適当業務連絡(メッセージ)、これはうざい」

「犬飼先輩、適当ってことはないと思いますけど……」

「相応しいとか理に適ってるって意味もあるでしょ? そっちだよそっち」

 

 

 そんなやり取りを交わしつつ、犬飼と辻が懐からボーダー支給のスマホもどきを取り出す。当然、氷見と二宮(なんか独りでグラスに注いだ薄茶色の飲み物飲んでた)も同様に。撫子と鳩原は至近距離で暫し顔を見合わせてから、どちらともなくこくりと頷き、周囲の行動に倣った。お話はCMの後で。

 

 

「『来月の防衛任務シフト表』……なんじゃこれ。なんであたしにまでこんなお知らせが届いてるんだぜ?」

「あんたが正隊員になったからに決まってるでしょ」

「え、でもあたしまだ誰とも部隊(チーム)組んでないのに」

無所属(フリー)の子でも適当にどこかの部隊に編入されたり、後はヒマだったり多めにシフト入れたいって子とかと適当に部隊組まされたりするんだよ。この場合の適当はテキトー(いい加減)の方だけど」

「マジかー……働かざるもの正隊員になるべからずですなぁ……」

 

 

 いやまあ、防衛任務がイヤって訳じゃないんだけど。仕事でやらかした次の日って職場に行くのしんどくありません? ぽんぽん痛くならない? いや、あたしまだ働いたことないから適当なこと言ってますけどね。いい加減な方の。誰にでもなく胸中でそんなことを思う撫子。

 とにかく――誰と組まされることになるのかは知らないが、今度こそ汚名挽回、もとい返上をしなければならない。一緒に仕事してあたしが良いとこ見せたら、こいつ使えるじゃんってなって部隊(チーム)に誘ってもらえるかもしんないしね。申し訳ないが近界民(ネイバー)の皆さん、あたしの就活のために死んでもらうぜ……!

 かくして、スマホの画面をスライドして自身の名をちまちま探していく撫子。日向坂、日向坂、ひなたざか――

 

 

あっ! ――……った……

 

 

 ――見つけた。見つけてしまった。早番・遅番・夜勤の三項目が並んだ簡素な表の中、遅番の欄に確かに刻まれた、馴染み深い我が三文字と――

 

 

 

 

 

3月2日(土)

早番遅番夜勤
太刀川隊/烏丸(鈴鳴支部)影浦隊/日向坂(鈴鳴支部)三輪隊(鈴鳴支部)
生駒隊(綿鮎支部)弓場隊(綿鮎支部)王子隊(綿鮎支部)
荒船隊(弓手町支部)諏訪隊/漆間(弓手町支部)柿崎隊(弓手町支部)
海老名隊(早沼支部)吉里隊(早沼支部)間宮隊(早沼支部)
迅(久摩支部)小南(久摩支部)木崎(久摩支部)

 

 

 

 

 

 ――隣に並んだ、ほんの二日前に撃ち殺(誤射)したばかりの男が率いる部隊(チーム)の名を。

 

 






ようやっとこの男にターンが回って参りました。
二宮隊のソリティアはドライトロンよりも長かった



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