白昼夢の終わり (いつのせキノン)
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白昼夢の終わり
双子の姉が亡くなった。
20歳だった。
病気でも何でもなかった。
昨日まで元気だったのに。
朝起きたら、ベッドの上で。
静かに呼吸を止めていた。
最初は、ただ寝てるのかと思った。
姉は寝る時には寝息も立てず、まるで死んだように眠るから。
だから、今日もいつも通り、と。
勝手に思い込んでいたのだ。
◆
「驚いた?」
「驚くに決まってんでしょ……」
だからこうして、夢に姉の顔が出てくるなんて、予想してなかった。
だだっ広い草原。
春を思わせる青空。
風もなく、音もなく。
そこには木製のベンチがあって。
俺は、そこに姉と隣り合わせで座っていた。
「でもさ、泣いてなかったよね? せっかく双子で20年は一緒にいたんだしさ、涙ぐらい見せても良かったんじゃない?」
「泣く暇なんてなかったよ。訳わからなすぎてさ」
姉は膨れっ面でこっちを見たが、俺は首を横に振った。
「ふぅん、ボクが死ぬ程度じゃ悲しくないってコト?」
「それはないな。ポッカリ穴が空いた気分だったよ。……多分、悲しかった」
「でも、泣かないんだ?」
「そうみたいだ。何でだろうな?」
「わかんないよ。ボクは人間じゃないからね」
人間じゃない? 何を言ってるんだこの姉は。
ああ、そうか、これは夢だから。
夢なら死んだ姉が出てきて、ハチャメチャなことを言っててもおかしくはないな。
「言ってなかったけど、ボクは夢魔なんだ。今の家族とは血の繋がりなんて微塵もないしね」
「へぇぇ、そりゃあすごいな。じゃあ俺が双子の弟ってのは間違いで、一人っ子だったってワケだ」
「……………………まぁ、そうなるね」
珍しく、歯切れの悪い返答が返ってきた。
驚いて隣を見ると、姉は少し居心地悪そうに、悲しげな表情で俯いていた。
姉はいつだってマイペースを行く自由人間みたいな奴だった。
いつも気だるげなダウナー気質で、感情の起伏もなくのらりくらりと暮らしている。
どんな時だって薄ら笑っていて余裕を感じさせる態度。
慌てて取り乱す姿なんてついぞ見なかった。
「……なぁ。そのムマってなんだ? 姉さんは、妖怪みたいな感じか?」
「妖怪……別に怪しい奴じゃないよ。ただ、人に夢を
「夢を
「その人が夢でどんな反応をするのか観察する。それだけ」
「楽しいのか、それ」
「さぁね。人間にとって必要な呼吸や食事と同じなんだ。人間の感情の起伏が、ボクたちの生きる糧となる。楽しいと思ってやったことはないよ」
姉は肩をすくめて背もたれに寄り掛かって空を見た。
つられて俺も空を見上げる。
「まぁ、それを楽しむかどうかは個性の差だ。ボクは生きるための手段としか思わなかった。ある夢魔は生を彩る趣味にもなると言ったし、ある夢魔は生き残るための武器と言った。感じ方も使い方も夢魔それぞれなのさ」
その話を聞いても、イマイチ理解は及ばなかった。
しかし姉は、自分以外にも夢魔が存在することを示唆する。
「姉さんはムマで、姉さん以外にもムマがいるのか?」
「いるよ。小学生の時に校長先生をしていたアイツもそうだし、大学でたまにつるむアイツもそう。誰も気付かないだけで、人間たちの生活圏には多くの夢魔が暮らしているんだ」
「意外に多いのか、ムマって」
「さて、どうだか。ボクは他の夢魔には興味もないしね。まぁ人間が1000人いたら1人くらいは夢魔なんじゃない? 知らないけど」
言われて、記憶の中の顔を思い出す。
見た目は普通の人間。しかし、中身は人に夢を見せるムマという……人間じゃない何か。
「夢を見せるのがムマの習性で、姉さんみたいに人間と一緒に暮らすのが普通なのか」
「いや、そうでもない。夢魔はどこにでもいるし、どこにもいない。ふわふわと曖昧模糊で、人間風に言えば空を掴むようなものさ。ただそこに在るだけの、本来は人前に出てこない存在だ」
「けど、姉さんは俺と一緒にいたよな。それも夢か?」
「…………夢、なのかな。夢と言えばそうだし、夢じゃないとも言える」
「ハッキリしないな。いつもはスパッと論破してくるのに。小中高と浮きまくって友達できなかった実力はどこに行ったんだ?」
「やめたまえよ。それはボクにとって今回の汚点だ。まぁおかげで汚い虫が払えたので万々歳だがね」
「ああ、噂されてたよ。姉さんは地雷系、付き合ったらヤバい組織に絡まれるってね」
「誰だよそんな噂を流した大馬鹿者は?」
「知らん。身から出た錆だろどうせ」
見るからに不機嫌そうな姉の顔がこっちを見ていた。
あれは睨む仕草だろうか。とても珍しい。
「で、夢かどうかの判定は?」
「むぅ…………それは、判断は任せる。ボクはこれを定義しないと決めた」
「夢の専門家ならハッキリさせろよ」
「ヤダ」
フン、とつっけんどんな態度。
なんというか、大人びた雰囲気だった姉さんのイメージとは裏腹に、かなり幼稚に見えた。
これがギャップってやつだろうか?
「……姉さんはさ、何だって俺たち家族に夢を見せたんだ?」
「たまたまさ。ボクは何ら理由なく母の夢に現れ、お腹の中にいた君を軸に夢を魅せた」
「俺なのか? 母さんじゃなく?」
「そうだよ。母さんじゃない」
「赤ん坊に夢なんか見せてどうなるんだ?」
「んー…………まぁ、そこは、ほら、色々ね……ボクも未熟だったからさ」
「未熟? 姉さんはムマで、ずっと生きてきたんじゃないのか?」
「ボクの年齢がどれくらいか、という問いなら、キミと全く変わらないさ。ボクはね、母さんの夢から生まれたんだ」
ムマはそこにいるだけで夢を見せる。
何かしらの意図を持って、という訳もなく。
「いきなり自我が芽生えて、母さんの中にボクはいた。隣には誰かもわからない赤ん坊が一人。お腹が空いて堪らなかったボクは、その赤ん坊に夢を魅せたんだ」
ムマが生きるのに必要なこと。
人に夢を見せ、その感情の起伏を取り込む。
「赤ん坊が夢に魅せられるかどうかすらわからなかった。ただ生きるのに必死だったのさ。餓死寸前ってところかな」
「俺に夢を見せて、食いつないできた、と?」
「そうなる。ボクはキミ以外に夢を魅せなかった」
それは、ムマにとってどうなんだろう、と。ふと思った。
「飽きなかったのか?」
「食べ飽きる、という意味で? まぁ、そう思う夢魔もいるにはいる。そこは好みの問題でしかない」
「じゃ、姉さんはこの20年間、飽きることなく俺の感情を食べてきたってか。物好きだねぇ」
「……はは、かもしれないね。確かに、好きじゃなきゃいつまでだってやってかもしれないよ」
姉さんは背もたれから離れて、前かがみに俯く。
両手の指を組んで、意味もなく開いたり、握ったり。
「……夢魔はね、同じ夢だけで生きていけない。ボクも最近先輩から教えてもらったんだけどね。機会を見て、別の人に夢を魅せる必要がある」
「ようは乗り換えってことか」
「そう。近頃妙に体調が良くなかったのは栄養失調だったってワケだ」
「あー、なるほどなぁ。最近ちょっと静かだったモンなぁ。で、次の相手は決まってるのか?」
「いや、全然。先輩に急かされてるけど、全く候補はないよ」
「そっか……早く見つかるといいな」
「…………なんか声のトーンが婚期を逃してる独身女性に対するソレじゃないかい?」
「命の危機なんだからそれよか重い気がするけどな?」
「うっ、まぁ、確かに……」
眉をひそめて口を引き結ぶ。
姉さんが結婚、というのは中々想像し難い。
この人はとにかく他人に対して無遠慮にズバズバ物を言う性格なので、同性異性含め仲のいい友達がいないのだ。
おかげで弟の俺とよくつるみ、自動的に俺の周りにも友人という存在がいなくなっている。良いのやら悪いのやら……。
「てか、何を迷ってんだ。適当にその辺の友達とかに夢を見せりゃいいんじゃねぇの?」
「それは……うーん、なんか違うっていうか……。わざわざ死を装ったのに次の日にハイコンニチハってのはねぇ……。キミがこれまでの全部を忘れるってなっても、ボクは覚えてるからさ。どう接してやればいいのかわからないんだ」
姉さんは首を横に振って、諦めたような自嘲気味の苦笑をしていた。
いっそのこと、遠くにでも行けば気にしなくても良くなるのかも、とは思った。
ただ、その提案は不思議と全く口にする気にはならなかった。
「…………しっかしそうか、俺は全部忘れるのか。父さんと母さんも?」
「そうだね。綺麗サッパリに」
「そいつは……寂しくなりそうだ」
「? 忘れるのに?」
「ああ。夢ってそういうモンだろ。何か見ていた気がするけど、内容は思い出せない。悪夢だろうがなんだろうが、中身のわからない感情みたいなモノだけを覚えてる」
「へぇぇ、夢ってそんな風に感じるんだ。ボクは眠らないからわからなかったよ」
「ムマは寝ないのか」
「ああ、眠らない。人間の言う睡魔に襲われる感覚ってのもわからない」
「じゃあ寝たフリしてたのか?」
「そうだね、夜はいつも。明日はどうなるのかなって、考えてた」
楽しいよ、と姉さんは言う。
今日あったことをひとつひとつ思い出して、明日はどんなことが起きるのかとひとつひとつ考えてみて。
その時間は、退屈じゃなかった。
「…………なら、良かったよ」
「? なぜ、キミが良かったと?」
「姉さんがさ、20年も俺に夢を見せてくれて、それをつまらなかったって言われたら、……傷付く」
そう、そうだ。
「…………今更になってな。さっきからずーっと、まぶたが重いんだ。そんで、ようやく心が追い付いてきた。姉さんの言葉も、現実味を帯びて来てるって。次に目が覚めたとき、
そう思うと、酷く悲しさが込み上げてくる。
「……何だかんだ、楽しかったんだ。夢物語だったとしても、俺にとって姉さんは姉さんだからな」
喧嘩もしたし、罵りあったりもした。
気まずくすれ違って過ごしながら……結局、そう長く離れることはなかった。
「…………ふふ、そうか、そうか……。ボクは、キミの姉であれたんだね。血がつながっていなくても」
「血のつながりなんざ関係ないよ、きっと」
嗚呼、眠い。身体が動かなくなってくる。
けど、心地良い眠気だ。
「そろそろ、眠いだろう? ボクは行くよ」
「ああ、いってらっしゃい……」
呂律が上手く回らなかった。
姉さんが席を立つ。
ゆっくりと、向こう側へ歩いてゆく。
「…………そうだ、姉さん。最後に……まだ、言ってなかったっけ……」
歩みを止め、微かに振り向く。
「……ありがとな、色々」
「……ああ、こちらこそ。ありがとう」
また会う日まで。
◆
そう言えば最近、夢を見る機会が多くなったなぁと自覚している。
「近年の研究論文によれば、睡眠時の夢が覚醒に及ぼす影響についても言及されていてですね、――――――――」
小難しい講義を右から左に聞き流しながら、手元の配布資料をぼんやり眺める。
卒業のために単位数を稼ぐ必要があり受けた講義だが、これが中々、理系分野の自分には全く縁がないゆえの話ばかりで、ラジオ感覚に聞くには面白いのだ。
そう、例えば、夢の話だとか。
今日も今日とて、初老の細身で柔らかい非常勤講師による講義を聞き流す。
視界の端にはちらほらと、講義が始まったばかりにも関わらず既に睡眠に突入せんとする男子学生も見えた。
「――――やぁ、失礼。お隣よろしいかな?」
ふと、横合いから小さく声がかかり、確認もせず「どーぞ」と口走ってから、既視感を感じて首を巡らせた。
「…………うん?」
「ん? どうかしたかい?」
隣りに座ったのは女性だった。
大学内でもそこそこ有名人の、地雷系女子。
「ああ、いや、なんでも」
「そう」
彼女は大人びたシニカルな笑みを浮かべ、特にノートや資料を開くことなく教壇上を眺め始めた。まともに聞く気はないらしい。
…………この人、どっかで会ったような?
いや、そも同じ大学内なんだから会うことはあるだろう。声はかけずともすれ違ったり同じ講義を受けてたり。
「何か気になるようだね、キミ」
と、俺の挙動不審さを見てか声をかけてきた。
ズバズバと来るな、この人は。
「……何か、はじめましてな気がしなくてさ」
「おや、奇遇だね、ボクもさ」
言われて、思わずまじまじとその人を見てしまった。
切れ目で深い藍色の目と視線が合う。
「ふふ、不思議な感覚だね? ま、これも何かの縁だ。お互いに自己紹介でもするかい?」
「……いや、いい」
「おや、つれないね」
「……知ってるから、いい。アンタのことは、ね」
「…………ふふ、ふふふ、そう、そっか。そうだね。実はボクも、キミのことはよく知ってるんだ」
は? と。
これまた訝しげに顔を見る。
すると、彼女は、ニタニタととても嬉しそうな顔をしていて……。
「実は、ボクはね、
ちょっと駆け足気味でした。機会があれば加筆修正したいです。ありがとうございました。
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