満場一致試験をもう一度 (猫タクシー)
しおりを挟む
茶柱紗枝は変わる
息抜きで書いているので、続かないかもです。
面白かったらコメント・感想お願いします。
その日はいつもの朝とは少し様子が違った。
先日行われた特別試験『満場一致試験』において、オレたちのクラスは退学者を出した。
試験失敗という最悪な結末を回避し、貴重なクラスptを得たものの、その弊害は目に見える形で表れていた。
ひとつは、佐倉愛理という一人の少女がこのクラスから消えたこと。
彼女がいなくなったことで、オレたちのグループはこのまま自然消滅してもおかしくない状況だ。波瑠加はまだ学校には来ておらず、明人はそれを心配しており、幸村は心ここに在らずといった様子。
そしてもうひとつ。
「分かってはいたけれど…残酷ね」
櫛田桔梗という少女の周りから人間が消えたこと。
先日の試験でオレに自身の闇を暴かれ、やけになり次々と友人の秘密をクラス全員の前で暴露した。本性を知った彼女の周りの人間は姿を消し、それどころかヒソヒソと陰口を叩いている。その本人はといえば、当然というべきか学校には来ていない。
そしてその櫛田の暴走によって、洋介への秘めた思いを暴露されたみーちゃんまでもが学校を休んでいた。
「当然の結果なんじゃないか。それにオレたちを退学させると決めた以上、櫛田もこうなることを覚悟していたはずだ」
賢い選択だったとはとてもじゃないが言えない。この試験で早まってオレと堀北を退学させようとした線も考えられなくはないが、あるとするなら誰か第三者から唆されでもしたか。
そうオレがいうと、堀北は黙り込んだ。チャイムの音がなり、茶柱が教室へと入ってくる。
「先日の特別試験、ご苦労だった。私としても佐倉が退学になったことは非常に残念だ」
クラスの雰囲気は重い。下を向き、俯いている者がほとんどだ。いつもは朝でも騒がしい池も、今日ばかりはそのなりを潜めている。
「すでにお前たちも1年の頃から知っているだろう。昨日まで仲良く話していた友人が、明日には消えている。そんなことが起こってもおかしくない、ここはそういう学校だ」
勉強だけできても、運動だけできても、この学校では通用しない。それを両立できてやっとスタートラインに立てる。
正に、実力主義。
「10月には体育祭、11月には文化祭が控えている。私は、できればお前達にはこの件をそれまで引きずって欲しくない」
櫛田を中心として、一部を除いたクラスメイト達は疑心暗鬼になっている。このままいけば、次の特別試験に必ず支障をきたすだろう。そうなれば、来月でBクラスとなるオレ達も、すぐに下のクラスに逆戻りだ。
「だから───乗り越えて見せろ」
茶柱の雰囲気が変わった。
「退学者が出ることに慣れることはおそらく無い。受け入れがたい、納得がいかないことだってこれから山ほど出てくるだろう。だが、その度に立ち止まるな、なんとしてでも前を向け。どんな方法でもいい、目が腫れるくらい泣いても、友人や私に相談してもいい。それでも前を向け」
今まで聞いたことの無い茶柱の熱意と感情のこもった言葉に、一人またひとりと生徒達は顔を上げていく。隣の堀北も珍しく驚いている。
「実を言えば、一年の一学期の頃の私はお前たちにはなんの期待もしていなかった。教師としての役割を最低限しか果たさず、クラスのテストの範囲が変更したのを伝え忘れていたこともあったな」
懐かしい記憶を掘り起こす。須藤が赤点により退学になるのを、オレと堀北とで阻止した最初の学力試験。茶柱は伝え忘れていたと言ってはいるが、本当はわざと伝えなかった。
「本当にすまなかった」
「え、ちょ、ちょっと!?茶柱先生!?」
一際大きく放たれた池のその言葉にその場の全員が顔を上げ、そして驚いた。あの茶葉先生が頭を下げている。
「だからここで約束しよう。私はなんとしてでもお前達をAクラスへと連れて行く。しかしもちろんそれには、お前たち自身の力と協力が必要不可欠だ」
驚いたな、ここまで変わるか。
確かに先日茶柱と話していた際には、それなりの覚悟は見て捉えれた。それがここまでわかりやすく、表向きな形でとは思わなかったが。
「お前達自身が、そして───私がAクラスにあがるためにお前達の手を貸してくれ。頼む」
静まり返る教室内。生徒たちはざわつき始め、隣同士顔を見合わせる。
「やってやろうぜ皆!佐倉のことは残念だったけどさ、あの茶柱先生がここまでして頼んでんだぜ?男ならやるしかねぇだろ!」
そう池が口火を切ると、それを皮切りにして熱はクラス全体へと広がっていく。
「賛成~。ていうか茶柱先生私達のことそんな風に思ってるなんて、普通に感動しちゃったんだけど」
「ね!普段がアレだから余計にそのギャップがっていうかさ」
「紗枝ちゃんせんせぇ!拙者、感動したでござるよ」
オレたちのクラスは感情で動く者がかなり多い。その事に気づいてかまぐれか、そこを上手く利用したな。
ここまで言いきったからには、それ相応の活躍をしてもらう必要があるが、茶柱はそれも全て承知の上だろう。
「…ありがとう」
「え、待って。今先生笑った!?」
「マジでか!?最悪だ、見逃したぁ!」
「先生もう一回だけ、ね?お願い!」
茶柱のおかげでオレたちのクラスは息を吹き返した。だが、全員とまではいかない。具体的にいえば、櫛田と三宅だ。彼らには、彼女の言葉はまるで入ってこなかっただろう。
「調子に乗るな池。もうすぐ授業が始まる、席につけ」
「えぇー」
渋々と言った様子で池は席に着いた。
放課後となり部活がある者は部活の、何もない者は帰る準備を始める。あれから長谷部は学校を休むものと思われたが、昼から学校に来たため、茶柱もクラスも驚いていた。何より驚いていたのは、明人と幸村だ。特に明人にいたっては人一倍心配している様子で、大丈夫かと質問していたが
「ごめん、みやっち。今は一人にしておいて」
その言葉を聞き、素直に明人はその場を引いた。幸村も何か言葉をかけようとしていたが、いかんせん昨日の愛里と波瑠加の退学とAクラスとを天秤に掛け、後者に傾いたことも後ろめたかったのだろう。波瑠加と話すことはなかった。
「綾小路君は彼女と何も話さなくていいの?」
オレたちのグループを気遣ってか、そう堀北が声をかけてくる。
「珍しいな、お前がオレの事を心配してくれるなんて」
「今はそんな冗談に付き合う気は無いわ」
こちらの方は見ずに淡々と帰る準備を始めているが、その声の調子で本気でこちらのことを心配しているのが分かる。
「今はそっとしておいてやるべきだろう。何より、他でもないオレが今あいつに話しかけるのは、あいつにとってもオレにとってもいいことはない」
「…それもそうね」
最終的に佐倉愛里のクビを切ったのはオレだ。全ての責任はオレにあるという言い方に堀北は否定したかったようだが、諦めた。
「話は変わるけれど、あなたこれから時間あるかしら?今後の試験について───」
と、その時スマホのバイブ音が鳴った。無言で出なさい、と言うので悪いと思いつつスマホのトーク画面を開く。
『今日の放課後、屋上に来て』
そのメッセージに「わかった」とだけ返事をし、席を立つ。
「すまん、急用ができた」
「そう、なら明日にするわ。今すぐに行ってあげなさい」
何かを察したのか、こちらを探ってくることもなく堀北はそそくさと教室を出ていった。オレとしてもそうしてくれてありがたい。
「清隆、一緒に帰ろ」
オレが堀北と話終えるのを待ってくれていたのか、恵が教室の外からこちらに駆け寄ってくる。
「悪い、恵。急用ができたから今日は先に帰っててくれ」
「…それって」
「心配するな、お前が今考えているようなことじゃない」
不安がる恵をなだめるため、できる限り優しく答える。
「わかった…。なら明日はいいよね?」
「あぁ、もちろんだ」
その返事に満足したのか、「わかった!」とだけ言うと恵は廊下を走っていった。その先には佐藤と松下もおり、元々一緒に帰る予定だったのか合流したようだ。それを見届けると、屋上へと足を運ぶ。
屋上といえば、先日の茶柱との会話を思い出す。思えば色んな話を聞かされた。
茶柱も高校時代同じ特別試験を受けたこと。
最愛の人を守ることを優先し、結果試験を失敗したこと。
その選択を今でも後悔していること。
しかしそのことをオレに吐きだしたことで、過去を精算し、彼女も一歩前に踏み出した。教師とて人間だ、生徒と同じく成長していく。
屋上へと繋がるドアの鍵は開いていた。屋上に出ると扉を閉め、そこに佇む少女に声をかける。
「待たせたな、波瑠加」
「…いいよ全然」
───お前はどうだ?長谷部波瑠加。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
長谷部波瑠加は叫ぶ
「どうやってここに入ったんだ?屋上の鍵は施錠されてるはずだが」
「茶柱先生にお願いしてね」
屋上への出入りは年々風当たりが強くなってきている。屋上が危険ということと、龍園の一件もあってか生徒が屋上に入ることは容易ではない。
「最初はめちゃくちゃ心配されたけど、きよぽんの名前を出したら少し黙って、何故か普通に貸してくれた」
友人が退学し、次の日に学校を休んだ。かと思えば、昼から登校して、放課後に屋上に行きたいと言う。何も知らない人間がそれだけを聞けば、最悪の展開を予想するのも仕方なくは無い。
普通なら茶柱もついてくるところだが、オレの名前が出たことで、大丈夫だろうとでも思ったのだろうか。詰めが甘い。それが嘘だったならどうするつもりなのだろうか。
とにかく余計なことをしてくれたものだ。
「ねぇ、きよぽんって何者なの?数学のテストで100点をとってたし、茶柱先生はきよぽんの名前出したらすぐに鍵をくれた」
さすがに波瑠加も、オレが普通の生徒とは少し違うということに気づき始めていた。
「昨日の愛里を退学させたとき。あのときのきよぽんは、なんていうか別人みたいだった」
波瑠加だけでなく、クラスも不審に思っているだろう。いつもは大人しく、人畜無害そうなオレが、突然饒舌にしゃべりだし、そしてクラスメイトを一人退学させた。
「昔から数学だけは得意だった。それに茶柱先生とは少し仲が良くてな、オレなら波瑠加に万が一のことがあっても大丈夫と信頼してくれてるんだろう」
波瑠加は真剣な面持ちで、黙って話を聞いている。
「波瑠加はオレが普通に喋れることは知っているだろう?普段はみんなの前では喋ることは少ないが、あの時は必要だと思ったから話したまでだ」
「…まぁ、今はそういうことにしておいてあげる」
納得がいっていないようだったが、頭を振り、波瑠加はすぐに切り替える。
どうやら話はここからが本番のようだ。
「単刀直入に聞くけど、愛里を退学させたのは誰かに強制されたとか、脅されたとかじゃなくて、本当にきよぽんの意思なの?」
なるほど。それがお前がオレに一番聞きたかったことか。
佐倉愛里がオレに好意を抱いている。そのことはオレももちろん知っていたし、波瑠加もオレがそのことをわかっているかどうかは、クルーズ船のプールで最後に確認している。
そんな時、愛里達にとってある事件が起きた。
それが、オレと恵が付き合っているという事実である。当然、波瑠加達は混乱しただろうし、愛里が泣いて落ち込んだとも聞いている。だが、波瑠加の話を聞く限りだと、愛里はまだ諦めていないようだった。
そして、先日の特別試験。愛里は他でもない、好意を抱いているオレによって退学を言い渡された。
「私は今でもきょーちゃん…ううん、櫛田さんが退学すべきだったと思ってる。少なくとも愛里はここに残るべき子だった」
波瑠加は最後まで愛里が退学することを拒んだ。しかし愛里自身の退学するという頑なな意志を、彼女は止めることができなかった。
「もちろんオレも愛里には退学して欲しくなかったし、させるつもりもなかった。だが、あの場で櫛田が退学になる流れを堀北が止めた」
櫛田にしてみれば、予想外からの擁護だっただろう。いや、正確に言えばそれは擁護などではなかった。櫛田からは堀北は理解できない存在に見えただろうな。
なぜ目の敵にしていた人物が、私を庇っているのか。
なぜ私の本性を知りながら、離れていかないのか。
そんなふうに思っていたはずだ。
そして堀北の言葉はクラスメイトの怒りを鎮静し、黙らせた。
「となればオレにはもう櫛田を退学させることは不可能だ」
「でもきよぽんなら…きよぽんなら堀北さんを止めれたんじゃないの?」
「買いかぶりすぎだ。オレはそんなに優秀な人間じゃない。それにオレは堀北の指示で今まで動いていただけだ。そんなオレが櫛田を退学させると言っても、堀北は聞く耳を持たなかっただろう」
何気なくふと空を見上げると、昼まで晴れていた空はいつの間にか雲に覆われ、日差しが遮られている。やがて空には暗雲が立ち込め、ぽつぽつと雨が降り始めた。
「確かに愛里はこれから成長して文化祭や勉強面で活躍することになったかもしれない。だが、それはクラス全員に言えることだ」
佐藤や松下、みーちゃん達が企画したメイド喫茶を始め、クラス全員が積極的に堀北に企画書を提出している。
それぞれがAクラスに上がるため、オレたちのクラスは今成長している。
「逆に言えば、愛里は昨日までに成長するべきだった。『クラス内投票』では特に思い知ったはずだ。この学校の残酷なシステムを」
『クラス内投票』で一度退学候補に上がった者達のほとんどは危機感を得た。あの頃から池や須藤たちは確実に成長している。具体的に言えば、須藤は動機は不純とはいえど、学力面を堀北に教えてもらうことで向上させている。
生まれつきの身体能力を伸ばすことや、社交性を改善することは難しい。しかし、分かりやすく数値化できる勉強は伸ばすことができる。あの特別試験から時間は十分にあったはずだ。
「それは、結果論じゃん」
「そうだ、結果論だ。だから俺たちは最善の未来を選択出来るように、常に最悪の結果を想定して動く必要がある。あの場面での最悪の結果は、クラスが文字通り崩壊し、試験に失敗することだった」
オレはあくまで理屈で話を進める。
「わかってる…。わかってんのよそんなこと…」
これが愛里ではなく他の生徒だったなら、当たり前だが波瑠加はここまで思いつめることは無かっただろう。彼女は今『感情』で動いている。『感情』で動いている人間にいくら『正論』をぶつけても、大した効果は得られない。ここでオレも『感情』で答えることは簡単だ。
だが今のオレには、それをする理由も意味もない。
「私ね、中学でちょっとトラブっちゃってさ。内容は詳しくは言えないけど、不登校になったの」
そうして、波瑠加はぽつぽつと語り始めた。
「とにかく中学の誰とも同じ高校に行きたくなかった、だからここに来たの。最初はもちろん友達なんてできないし、男子たちはイヤらしい目で見てくるし、やっぱり学校なんてクソくらえって思った」
手すりを握る波瑠加の手に力が入る。
中学で波瑠加がどのような目にあったのかは詳しくは知らない。だが、大方予想はつく。
波瑠加は大人顔負けのスタイルの持ち主だ。彼女のそれを羨む女子は少なくないだろう。先の発言と、重度の男嫌いということを踏まえれば、最悪そういう目にあったというのも想像にかたくない。
「でもみやっちと出会って、勉強会ではゆきむーに出会って、きよぽんに出会って───そして愛里に出会えた。そこから毎日が楽しかった」
数少ない楽しい思い出を一つ一つ、まるで宝物を自慢する子供のように彼女は話す。
「クルーズ船でのプールは恥ずかしかったけど、愛里と一緒なら平気だった。みやっちとゆきむーは必死で見ないように努力してたよね。きよぽんなんて相変わらず私たちのことをイヤらしい目で見なかったし」
思春期の明人達にとって、あの二人の水着姿は絶景に見えただろう。かく言う俺も、視線が吸い寄せられそうになるのを何とか理性で抑えた。
「でもね、思ったの。きよぽんは確かに顔にあんまり出ないし、イヤらしい目で私達のことを見ない。でもそれって───
ただ私達に興味がないだけなんじゃないかって」
それは、偶然か。それとも女としての勘か。
いずれにしてもそれが波瑠加が思い至った結論であった。
「そんなことはない。オレだって───」
手すりから離した手で素早くオレのネクタイをつかみ、グイ、と引っ張って自分の顔へと引き寄せる。あとほんの少しで唇同士が触れ合う距離。フェンスに押し付けられ、股の間に足を入れ、胸をオレに押し当てる。
「ほらね、なんの反応もなし。ゆきむーかみやっちなら今頃顔真っ赤だよ。でも、それが普通」
そうか、そういうものなのだろうか。
「いきなりでビックリしただけだ。急にこんなことをされたら誰でも驚くだろ。現に今、オレの心臓はバクバクだ」
近くで見て気づいたが、波瑠加の目にはクマができており、赤く腫れている。ろくに寝ることもできず、一晩中泣いていたのだろう。
「とりあえず離してくれないか」
「私の目を見て答えて。きよぽんは愛里のこと、どう思ってるの?」
こちらの発言を無視して、波瑠加はオレの目を覗き込む。表情を読み取ろうするが、当然読み取れることなど何も無い。
「昨日、最後に愛里に会ったの。そしたらあの子なんて言ってたと思う?」
『清隆君のことは責めないで、悪いのは全部私だから。私は一足先に外でみんなを待ってる』
『波瑠加ちゃんのおかげだよ。私に勇気をくれた、だから一歩前に進めたの』
『本当にありがとう───波瑠加ちゃん』
「あの子はまだ…諦めてなかった。きよぽんのことが、好きだったッ…!」
「あぁ。本当に、嬉しいことだ」
波瑠加の目から大粒の涙がこぼれている。
それだけ愛里はオレのことを想ってくれていたということだ。そのことについては素直に嬉しいとは思う。
「そんな愛里が退学したってのに、クラスの連中は落ち込むばかりか、楽しそうにワーワーやってんの。まるで最初から愛里がいなかったみたいに…!」
昨日の今日のことなのに、クラスの連中の雰囲気が明るかったことに理解できなかっただろう。正確にはそれは茶柱によるものだが、今はただ波瑠加の話を聞くことだけに徹する。
「私には無理、クラスの連中みたいには切り替えれないッ!きよぽんみたいに割り切れないッ!…きよぽんみたいには…なれないッ」
ついにはその場で膝をつき、泣き崩れる。
「波瑠加はオレにはなれないし、オレみたいになる必要も無い。むしろそのままでいていい」
クシャクシャになった泣き顔で、オレのことを見上げる。
ひどい顔だな。これではすぐには教室には戻れないだろう。
「これから卒業するまで、ずっと愛里のことを忘れるな。それが佐倉愛里という人間がここにいたという証明になる。オレも明人も幸村も、決して愛里のことを忘れない」
オレはしゃがむと、彼女の涙を拭ってやる。クマを隠すためなのだろうか。自然な程度のメイクが少し落ちている。
「オレはもう行く。落ち着いてから、波瑠加も今日は早く帰るといい。このままだと風邪を引く」
それだけ言うと立ち上がり、出口に向かって歩き出す。
「きよぽんは絶ッ対後悔する!愛里が退学したことに、例えAクラスで卒業しても、愛里がそこにいないことに、ぜったい後悔するッ!」
オレは一度立ち止まったが、それから振り返ることなく扉を開け校舎へと戻った。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
そして時計の針は巻き戻る
すいません少し時間が空きました。
コメント・ご感想お待ちしております。
「それじゃ。今日もありがとね、清隆」
「あぁ、気をつけて帰れよ」
玄関で帰る恵を見送ると、扉を閉め、机の上に広がった教材を片付ける。
最近恵はオレの部屋に来ることが多い。加えて先日の特別試験で思うところがあったのだろうか、勤勉に勉強に取り組む姿勢が見られた。いい変化だ。
風呂や歯磨きをすませてベッドに横になる。
季節は秋に入りかけており、夜は一気に冷え込み少し肌寒い。朝起きたときに感じる温もりが恋しく感じられる。電気を消し、なんの面白みもない天井を見つめてから、目を閉じる。
佐倉愛里を退学させる。それがあの時点、あの瞬間での最適解だ。何度考えてもそれは変わらない。
だが、茶柱や長谷部の話を聞いてオレは思ってしまっている。もし佐倉愛里を退学させない、そんな選択肢があったとしたら。
『いいや…一人、最後までその生徒の退学に反対を続けたからな。その反対の一票を投じ続けたのは、他でもないこの私だ』
『大丈夫、大丈夫だからね愛里。私が絶対に反対に投票し続ける。他の誰が賛成に回ったって───!』
茶柱にとって、長谷部にとって、彼ら彼女らはかけがえのない大切な存在であった。もし仮に今のオレがその立場、親友や恋人が退学するはめになったとして。一切の迷いなく彼らを切り捨てることが出来るのだろうか、あるいは。
いや、やめておこう。こんな仮定にはなんの意味もない。薄れゆく朦朧な意識の中、そう思った。
ジリリリ、というけたたましい目覚まし時計の音で目が覚める。未だはっきりしない意識の中、それを消そうと手を伸ばし叩いた。
バキッ。
「あ」
やってしまった。お気に入りの時計だったのだが、まぁ仕方がない。
時刻はまだ午前二時を回った丑三つ時だ。セットする時間を間違えたのだろうか。しかしそんなことはどうでもよくなるくらいの激しい眠気に誘われ、オレは身を委ねた。
どれくらい寝ただろうか、小鳥のさえずりで目が覚める。カーテンの隙間から差し込む陽の光は、いつもより少し明るい。バッ、と飛び起きて時刻を確認する。
まずい、始業のチャイムまで15分しかない。
ただでさえオレは今クラスで浮いているのに、遅刻したとあれば何を言われるかわかったものではない。隣人からも小言を言われることだろう。
ふと、部屋の様子に違和感を感じたが今は気にしている余裕はない。鏡を見ながら寝癖をある程度整え、素早く制服に着替える。荷物を確認し、急いで靴を履き玄関を飛び出した。
開いた先には、男が1人立っていた。オレと同じく寝坊したのだろう。息は荒く、余程急いで出てきたに違いない。
「おし、やっと用意できたな清隆!起こしても全然起きないから焦ったぞ」
見たことがない顔だった。顔立ちは整っており、寝起きにもかかわらず目は輝いている。だが、ヨレヨレの制服と直しきれていないアホ毛のせいで、なんとも言えない。
何故だろうか。一度も会ったことがないはずなのに懐かしさを感じるのは。それは決してホワイトルームのような無機質なものではなく、どこか胸が暖かくなるようなそんな感覚。
なんだ、これは。
「なにボケっとしてんだ。時間がない、早く行くぞ」
「あ、あぁ」
しかし一年半も同じ場所で生活してきて一度も見たことがないなんて有り得るだろうか。
疑問に思いつつもオレは彼の勢いに流され、そのままエレベーターのある方へと歩こうとするのを彼が止める。
「待て待て、コッチの方が断然早い」
そういうと、転落防止のために高く設計されている手すりの柵を飛び越えた。慌てて駆け寄ると壁のくぼみや手すりを利用して器用に下へと降りていく。そうこうしているうちに、あっという間に地面へと降り立った。
「ほら、急げ!お前も早く来いよ」
そんな当たり前のように言われても困る。しかし確かにエレベーターを使うのは時間ロスだし、こうして考える時間も惜しまれる。仕方なく同じように柵を飛び越えると、柱に片手で飛びつき、そこから降りていく。
ロックライミングという競技は奥が深い。極めれば数cmのくぼみや出っ張りさえあれば、全体重を支えることが出来る。無人島試験では、七瀬と一緒に崖を上りはしたが、下りるのは久しぶりだ。
難なく下まで下り、地面に降りると不敵な笑みを浮かべたそいつが立っていた。
「さすが清隆だな」
「行こう」というそいつのあとを追うようにして走り出す。ペースは須藤とのトレーニングより少し早い程度、いずれにしても苦では無い。走り出して数分、オレはあることが気になった。
なんだこの違和感は。ベンチ、自販機、コンビニ。視界に映る景色がどんどん後ろへと流れていく。
「なぁ、変なこと聞いてもいいか?」
「ん?」
「今って西暦何年だ?」
内心では有り得ないと思いつつも、頭に浮かび上がったこの仮説を確かめたくてしょうがなかった。
「なんだよ改まって。今は西暦〇✕年だろ」
まさか…いや、そんなことがあり得るのか。
靴箱で靴を履き替え、階段を上がっていく。途中で階段を上がるのをやめ、廊下に出てひとつの教室を覗き込む。
そこは本来オレ達がいるはずの教室。中では早めにHRが始まっているが、教壇に立っていたのは茶柱ではなく、見たことがない女性教師だった。
「何してるんだー、早く行くぞ」
上の階段から降りてきたそいつにそう言われ、オレは着いてくことに決める。廊下に出て、スタスタと歩いていくと教室の扉を開けたところで始業のチャイムが鳴った。
「いやー危ない危ない」
「ふむ、今回はギリギリセーフだな、四葉」
そこに立っていたのはこれまた見たことがない男性教師。そのまま教室内をぐるっと見渡しても、やはり全員見たことがない顔ぶりだ。
「おい四葉。いい加減その朝弱い癖はどうにかならんのか」
「いやいや、そんな無茶言うなって西園寺。これでも頑張って走ったんだぜ?」
眼鏡をかけた知的な男子生徒が、四葉と呼ばれた男に話しかける。どことなく幸村のような雰囲気を感じるのは気のせいだろうか。
「しかし四葉だけならともかく、綾小路が遅刻とは珍しいな。まぁいい、とりあえず二人とも席につけ」
状況を完全には呑み込めてはいないが、とりあえず席につくことにする。がしかし、ある席の前でオレの足は止まった。
寡黙な表情に、やや鋭い目つき、そして目覚えのある髪型。
「どうした綾小路。私の顔になにかついているか?」
「いや悪い、気にしないでくれ」
教室へ入ってすぐに空席を見つけた。何の因果か、オレはこの教室でも同じ窓際のその席だった。しかし当然のごとく、隣に座っているのは堀北ではない。
「なーに?朝からサエちゃんと見つめ合っちゃて」
髪はウェーブのかかった茶髪。馴れ馴れしい口調に、こちらのプライベートゾーンに平気で入ってくる彼女には、オレの記憶の中の人物の面影があった。
「星之宮、なのか?」
「フフッ、綾小路君もしかしてまだ寝ぼけてる?いつもみたいにチエって呼んでいいんだよ?」
いつも?チエ?
次々と押し寄せてくる情報が渋滞を起こし、さらに混乱を加速させる。
「そこの二人、少し静かにしろ。今からお前たち全員にとって大事な話をする」
「はぁーい」
全く悪びれる様子のない返事をする星乃宮だが、男性教師はそれを気にする様子はない。
「お前たちの高校生活も、最後の卒業試験を残してあとわずかとなった。Aクラスとのクラスptの差はたったの73pt、Dクラスからスタートしてよくここまで登りつめたものだ。私はそこを高く評価する」
クラスはその言葉を聞いてもあからさまには喜ばないものの、少し誇らしげな様子が見て取れる。
「そしてここからが最も重要な話だ。当初は予定されていなかったが急遽、卒業試験の前に新たな特別試験を行うことが決定した」
教師のその発言により、動揺が走る。四葉が手を挙げ、クラス全員の気持ちを代弁する。
「待ってくれよ荒木先生。この時期に特別試験があるなんて話、俺たち聞いてないっすよ」
「四葉の言いたい気持ちも分かる。一部の者たちはフェアじゃないと感じるだろう。だが、これは学校側が既に決めたことだ。私一人ではどうにもならない、そこを理解してくれ」
既視感。このような状況をオレは知っている。
見慣れない生徒の存在。
記憶とは違う配置の建造物。
そして、見覚えのある生徒が二人。
今の西暦。
それらを全て加味してたどり着いた結論は。
「お前たちにはこれから行われる試験、『満場一致試験』についての説明を行う」
オレはどうやら、過去にタイムスリップしてしまったらしい。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
荒木涼は買っている
「満場一致試験?」
「そうだ。この特別試験はとてもシンプルかつ事前準備も必要ないと学校側は考えている。ゆえにこの試験は明日決行されることになる」
「明日ァ?ずいぶんと急だなァ、オイ」
この試験がオレが受けた試験と同一のものなら、確かに準備は最低限ですむ。むしろ余計な準備期間を設ければ、他クラスからの干渉など、それだけ不正等を行われるリスクも上がる。
「ねぇ、どんな試験だと思う?」
「さぁ、名前だけじゃなんとも言えないな」
ここでオレが試験についての情報を少しでも漏らせば、厄介なことになるのは目に見えている。ここは惚けておくのが正解だろう。
そして荒木から試験についての具体的な説明がなされた。
当日学校側からオレ達に5つの『課題』が出題されること。
その課題に対し、完全な匿名で35名が賛成か反対に投票すること。
それら全てを5時間以内に満場一致にさせ、クリア出来なければ-クラスpt300になること。
具体例や実際に投票を行う予行演習を挟みつつ、途中で細かな説明をしていく。また、ほかの生徒への投票の束縛や、契約等も禁止された。一通り説明を聞き終わったが、オレが既に聞いたものとほぼ同等のルールだった。
「昼休みの前に少しいいか。俺は一度みんなの意見を聞いておきたい」
昼休みになってすぐに四葉は席を立ち、壇上へあがった。すぐに察したのか、西園寺がそれに答える。
「今回の試験について、だろう?」
「その通り。この試験では必ずどこかで揉めることになるし、それは避けられないことだ。だから、今回の試験の進行役を俺に勤めさせて欲しい」
最初の投票の段階で満場一致になることは少ない。余計な時間ロスをなくし、試験を円滑に進めるにはその場を仕切るリーダーの存在が重要となってくる。
「カッカッカ、ちゃんとオメェにしきれるんだろうなァ?四葉」
ボサボサの金髪に制服を気崩し、いかにも不良といった格好の男子生徒が不満を漏らす。体格だけでいえば宝泉と同様、いやそれ以上か。
「へぇ、なんか文句でもあるのか?獅子神」
「いやなに、別にオメェが仕切ることに文句はねェさ。ただな、俺は心配なんだよ」
何かを確信しているかのように頷きながら獅子神は不敵に、笑う。
「なにがだ」
「オメェは身内のことになるとどーも甘くなる。この前の特別試験の時だってそうだ。他クラスと戦う時と比べて、ここぞと言う時の判断力が鈍るのさ」
身内に甘いことは別に悪いことではない。人間は他人よりも自分と関係の深いものを優先するものだ。しかしそこがお前の弱点だ、と獅子神は言う。
「なんなら今回は俺が大将をやってもいいんだぜ?」
「ほざけ。少なくともお前がリーダーになることなど有り得ない」
「…あぁ?」
1人の女子生徒が獅子神の発言に反発する。それは、オレが立ち止まった席に座っている人物だった。
「何度もしつこくシュウに勝負を挑み、そしてついには公の舞台で堂々とシュウに打ち負かされたお前にはな」
「んだと茶柱?今リーダーになる気がない人間に発言する権利はねェ。オメェみたいにちょこまかと四葉についてまわるばかりの雑魚にはよォ」
まさに一色触発、激しい衝突にピリつくクラス内。しかし、両者共に決して譲らない。
「───そこまでだ二人とも」
重く、圧のある低い声。たった一声でその場の主導権を一人の男が握った。
なるほど。これが、四葉という男のリーダーとしての一面か。
「サエ、必要以上に相手を煽るのは止めろ」
「私は事実を言ったまでだ」
「今は俺と獅子神が話をしていたんだ。その点に関しては獅子神が正しい」
何も言い返せなくったのか、押し黙る茶柱。
「そして獅子神、お前は俺とあの時約束したはずだ。この勝負に負けたら今後一切リーダー争いには関与しないと。まさか、忘れたとは言わせないぞ?必要なら契約書も出してやろう」
「ハッ、わかってらァ」
興が冷めたと、獅子神は教室を出て行く。
「獅子神の発言を支持するわけではないが、本音をいえば俺も少しその点が気がかりだ」
獅子神が出ていったのを確認して、西園寺が再びその場で発言する。
「四葉、お前は1年の時から俺たちを引っ張ってきた実績があるし、俺もお前を認めている。だが、お前は何かを切り捨てるということが大の苦手だ。その辺はちゃんとわかっているのか?」
「もちろんわかってるさ西園寺。だからこそ、俺は今回をみんなを引っ張っていかなくちゃならない。この学校に入ってもう3年近くだ、覚悟はできている」
「…そうか。それなら何も文句はない」
「よし、それじゃあ解散!悪いな、みんなの時間削っちゃって」
手を叩いて解散を促すと、それまでの剣呑の空気は霧散し、賑やかな教室に戻った。それを見計らって、席を立ち教室を出ようとすると四葉に止められる。
「清隆、ちょっと相談いいか?」
「悪いな、少し急用ができたから放課後でもいいか」
「OK、放課後だな。悪いな、引き止めて」
なんとか教室を出れたな。少し校舎を歩き回ることにするか。
すれ違う生徒達の顔はどれもこれも見覚えがない。
唯一の手がかりは、教室で出会った星乃宮という存在と、茶柱と呼ばれていた生徒。すでにオレの中では結論が出ているが、それを断定できる確かな根拠が欲しいところだ。
気づけばオレの足は、自然と職員室へ向かっていた。
「失礼します、荒木先生はいらっしゃいますか」
「おぉ、綾小路か。遅刻したり、職員室に来たり、今日はなんだか珍しいな」
「えぇ、少し先生に頼みがありまして」
ドアをノックしてすぐ近くに、オレたちの担任であるこの荒木という男はいた。
「ほぅ、聞かせてもらおうか」
「オレたちのクラスも含めた、3年生全員分の名前と顔写真付きの名簿を見せて下さい」
とにかく今のオレには情報が足りない。
今現在オレが置かれている状況を正確に把握することが何より先決だ。
自分の足でひとつひとつのクラスを確認してもいいが、それでは時間がかかりすぎる。さらにいえば、今の時間帯は昼休み。クラス全員が教室にいることはほぼないと考えていいだろう。
となれば、手っ取り早いのはこの方法しかない。
「一応確認しておくが、くれぐれも試験に関する他クラスへの干渉などという馬鹿な真似をする訳ではないな?」
「えぇ、もちろん」
「わかった。だが、これは立派な個人情報だ。うちのクラスだけならまだいいが、他クラスの分ともなるとそう簡単に渡す訳にはいかない」
「わかっています。いくら払えばいいですか」
不正行為に繋がる態度や行動への警戒は厳重なようだ。
「話が早くて助かる。そうだな、うちのクラスの分はいいとして1クラスにつき5万の計15万ptで手を打とう」
「分かりました」
オレは職員室に入る前に確認したpt表示画面から操作し、ptを譲渡する。
「確認した。ここには人の目もある、こっちの部屋で少し待っていてくれ」
そう言われて移動させられたのは給湯室。1年の一学期の頃、オレが茶柱に脅されて入った部屋だった。
早速手渡された名簿を開き、中を確認する。当時Dクラス、現Bクラスのそれにはやはり『星乃宮知恵』『茶柱紗枝』そして『四葉秀』という名前がある。
一応念の為にほかのクラスの分も確認すると、Aクラスの名簿のある名前に目が止まった。
「何かわかったか?」
「えぇ、十分な収穫です。ptを払って見るだけの価値がありました」
「それはなによりだ」
見終わった名簿を返すと、荒木はそれを片付け始めた。
「綾小路、お前に四葉秀はどう見える」
唐突に、そんな問いだけを投げかけてくる。
「どう、とは」
「そのままの意味さ。四葉がどんな性格で、どんな人間なのか。あいつは交友関係は広いが、中でもお前と一際親しいように見えるからな」
そんなことを言われても、オレからすれば四葉は初めましての人間、趣味嗜好や部活なども一切知らない。ゆえに下手に答えるわけにも行かない。
「そうですね。色々とありますが、中でも目を引くのはやはり今日見せたリーダー性は頭ひとつ抜けていると思います」
当たり障りのないことをいっても構わないが、今オレが知り得る限りの事実を提示する。あの時の四葉には、有無を言わせない、そんな雰囲気があった。
「そうか、やはりお前にもそう見えるか」
期待していた答えと違っていたのか、ため息を吐き、片付け終えたのかこちらに体を向ける。
「私にはな綾小路、いわば『命綱なしで綱を渡っている』、そんな風に四葉が見えて仕方がないんだ。たしかに、あいつは運動神経、学力共に申し分ない。リーダー性についてはお前の言う通りだ」
それだけを聞けば、一見なんの問題もないように見える。
「どこか危なっかしいのさ、あいつは。今まで落ちなかったのが奇跡のようにな。もう少しで綱をわたり切る、そんなゴール目前でフッといきなり姿を消す。そんな予感がしてならない」
なにひとつ具体的な根拠はない。だが、2年半もその生徒を真摯に見てきた教師の言葉だ、馬鹿にはできない。
「できれば綾小路、お前には四葉の命綱となって欲しい。あいつがバランスを崩さないように、道を踏み外さないようしてやって欲しいんだ」
『命綱』か。それは随分と荷が重いな。
「期待しているところ悪いですが、オレには精々アドバイスくらいしかできませんよ」
「それでいいさ、綾小路。私はお前を買っている」
言いたいことだけいって出ていくとは、随分と自分勝手な身分だな。教師とはみんなそいういうものなのか。
一足先に部屋を出た荒木に続いて、オレも部屋を出ると、職員室を後にした。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
真嶋智也は気づいている
少し整理をしよう。
ひとつ確かなことは、今オレがいるここは茶柱達が高校生、つまり約11年前の高度育成高等学校だということ。イタズラやドッキリかとも疑ったが、オレ一人を騙すにしては規模が大きすぎる。何より、それをする意味がない。
信じられない話だがつまり、過去にタイムスリップをしたということだ。
正直未だあまり実感が湧かないが、そのことはひとまずおいて置くとしよう。それよりも今のオレには1番気になることがある。
それは『ホワイトルーム』の存在。
あの男がそう易々とオレを手放すとは考えにくい。その権力と立場を使って、あの手この手でオレを退学させようとするはずだ。元の時間軸では、2年生になると同時に同じWRからの『刺客』を送りこんできた。
今現在もある程度校舎中を歩き回ってみたが、監視や尾行の気配はない。とすれば、既に撃退することに成功したのか。まぁまだ潜んでいるならば、そう簡単にボロを出すこともないだろうが。
さらに気になることがある。ここが11年前の世界ならば確かにあの部屋は存在しており、そして稼働しているはずだ。しかし、当時のオレはまだ6歳のはず。
───では『今のオレ』は一体何者なのだろうか。
今朝の軽い運動や授業を受けてみた感想としては、何も違和感は感じなかった。つまり元の時間軸とこの時間軸とで、オレの能力に差はないことになる。自慢ではないが、オレの能力は一生のうちに独学で身につけることの出来るレベルを軽く超えている。ならば、一体どこでこの力を身につけた。
『清隆!?珍しいなお前が遅刻するなんて』
『フフッ、綾小路君もしかしてまだ寝ぼけてる?いつもみたいにチエって呼んでいいんだよ?』
さらに言えば彼らのオレに対する態度は、まるで長年親しい友人に喋りかけるそれであった。ここでのオレは一体どのような人間関係を築いたのか。それはどんな理由で、どのような行動理念によるものなのか。
考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだ。
そして重要なことがもう一つ。
果たしてオレは『元の時間軸の世界』に帰ることができるのか。
ふと、ひとつの部屋の前で足が止まった。
理由は分からない。分からないが、中に入りたいと何故かオレは思っている。
なにか少しでも情報が掴めるならば、そんな淡い期待も込めつつ、本能に身を任せ扉を開いた。
何の変哲もない部屋の中に男が一人立っている。扉が開いたことに気づき、こちらを振り返った。
「綾小路?なぜお前がここにいる」
職員室で確認した際に、Aクラスのある写真に目が止まった。『真嶋智也』、元の時間軸ではAクラスの担任をしていた人物。
それが目の前にいる男の正体だった。
「あー…そうだな。冒険?といったところだ」
「相変わらず何を考えているのかわからんなお前は」
少し呆れ気味にそう答える。
「真嶋こそここで何をしてたんだ?」
「生徒会役員の仕事のひとつに部活の見回りというのがあったんだが、その癖が抜けなくてな。こうしてたまに来てしまう」
どうやら真嶋先生は元『生徒会役員』だったらしい。確かにその堅物なところは学と似通ったものがある。
「特にここ、ボードゲーム部は俺のお気に入りのひとつでな」
「ボードゲーム?」
「なんだ?知らないで入ってきたのか」
よく見ると、陳列棚にはオセロやチェス、将棋や囲碁などのありとあらゆるテーブルゲームが整然と並んでいる。
部屋の真ん中にある机に広げて、いつもは遊んでいるようだ。
「どうだ綾小路、せっかくだから俺と一局戦ってみないか?ゲームはお前が選んでいい」
時計を見れば、まだ次の授業まで40分以上も余裕がある。それなら少し付き合って見るか。
「本当になんでもいいのか?随分と自信があるようだが」
「確かに俺はどちらかと言うと体育会系だが、ゲームも趣味でな。役員の仕事が終わったついでに、何度か遊んだこともある」
それは生徒会役員としてどうなんだ。仕事を全てを終わらせたのならいいのか。しかし、それはそれでバレたら大変そうだな。まあそんな初歩的なミスを目の前の男がやるとは思わないが。
「なら、チェスで頼む」
「ほぉ、奇遇だな。俺も今チェスをしたいと思っていたところだ」
そして、校舎の片隅で人知れずその勝負は始まった。
オレがその一手を指したところで、真嶋は手を止めた。両手の肘をついて指を組み、熟考する。
途中まで戦ってみた感想としては、確かに強い。基本の戦術や基盤をもとに徹底した実直な戦い方。それから派生したいくつもの戦術パターンもしっかり熟知している。あれだけ自信を持って豪語していたのも腑に落ちる。
少し熟考したあと、真嶋は次の一手を指した。
「余談だが綾小路、お前は占いを信じるタイプか?」
本当に余談だな。生死やptを賭けている訳でもないし、何より真嶋は話術で人を誘導するような性格の人間ではないだろう。ここは素直に答えるか。
「そう見えるか」
「俺は人を外見や見た目では判断しない」
占いといえば、ケヤキモールでの一連の出来事を思い出す。当初の予定とは違い、流れで伊吹と行くことになった期間限定の占い。
「信じているといえば嘘になるが、ある種の娯楽のひとつとして楽しんではいるな」
「そうか」
俺の指した一手に、今度は迷うことなく次の一手を刺す。
「これは俺の経験則だが、ボードゲームにもその人物の性格がよく出る。チェスはまさにそうだ」
それにはオレも同意する。
チェスにはその人の性格がよく反映される。例えば坂柳。その攻撃的な性格は、これまでの特別試験にも、一対一での俺とのチェスにもよく表れていた。
「話は変わるが『ライアー・ゲーム』、今年の特別試験を覚えているか」
もちろんその名前には心当たりがないし、それについての記憶もない。
「さぁ、朧げな記憶だけであまり覚えていないな」
「当初俺達は順調に行けば、そのまま試験を1位で終えることができたはずだった。それを阻止したのは他でもない、お前たちのクラスだ」
今度はオレの手が止まった。
次の一手を考えるためではない。ただ純粋に、目の前の男の話に興味が湧いた。
「見事その試験に勝ったお前たちは四葉を褒めたたえた。だが俺達のリーダーは、あの結末は四葉の仕業ではないと言っている。四葉の性格から判断して、あの芸当は不可能だとな。かく言う俺も、それに同意見だ」
落ち着いて次の一手を指す。
気のせいだろうか。ここに来て、真嶋の次の一手を刺すまでの速度が上がっている。
「俺達は自分たちで出した答えに自信を持っていた、だからこそ驚いたぞ。『四葉秀は嘘つきではありません』と表示されたときにはな」
Aクラスである自分たちの力を奢っていたわけでは無さそうだ。何かそれを確信するような証拠や根拠があった。にもかかわらず、その回答は外れ、試験に負けた。
「そこでやっと何人かは気づいた。俺達はまんまとしてやられたんだという事実にな」
コンコン、と持っている駒を机に打ち付ける真嶋。
「その人物は気付かれぬように罠を仕掛け、俺達を誘い込み、そしてそれは成功した。俺達がそれに気づいたときにはもう全てが終わっていて、どうあがいても勝ち筋は見当たらなかった」
そして、その一手を指した。
「───似ている。その人物と今のお前の戦略は瓜二つだ。この盤上は、まるであのときの試験をなぞっているかのようだ」
真嶋のキングはオレの駒に完全に囲まれており、逃げ場はどこにもない。これ以上駒をどこに動かそうとも、オレの勝ちは揺るがない。
「考えすぎだろ、それにチェスもただ得意なだけだ」
「お前が否定してくることは既に知っている。だが、これで確信した。四葉だけじゃない、茶柱や星乃宮を変えたのもお前だな」
オレからしてみれば本当に心当たりがない。無いものを証明することは難しい。オレが言い返す暇もなく、真嶋は既に結論を出している。
「降参だ、片付けは俺がやっておく。お前は先に教室に戻るといい」
確かに今二人で教室から出るのを見られれば、怪しまれることは避けられない。それを気遣ってか先にオレを返そうとする。
ありがたくその気遣いを受け取ると、「綾小路」と名前を呼ばれた。振り返ると、片付ける手を止め、真嶋はまっすぐこちらを見据えている。
「次は負けんぞ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
四葉秀は悩んでいる
お久しぶりです。
やることが終わって落ち着いたので、続きを書きたいと思います。
ちょくちょく修正している部分があると思いますので、また一から読んでいただけると幸いです。
個人的には茶柱から告白したとは思ってるんですが、秀君とのからみを書きたかったのでこうゆ感じになりました。
ようじつ2年生編7巻めっちゃ面白かったです。
「お前に相談があるんだ、清隆」
放課後になり、いつもの賑やかな教室は今はがらんとしている。
今この部屋の中にはオレと四葉しかいない。
「それで、一体どんな相談だ」
「その前にちょっといいか」
本題に入る前に、四葉はオレになにか言いたいことがあるらしい。
「清隆、お前最近なんかあったか?」
「最近?すまん、話が見えないんだが」
「俺の勘違いだったらいいんだけど、今日一日様子が変だなって思って」
目敏いな。そこまでオレを気にする素振りは見えなかったが、四葉はオレの些細な行動の変化に気づいたらしい。
「気のせいじゃないか?」
「じゃあ聞くが清隆、お前今日一度でも俺の名前を呼んだか?いつもは『秀』って呼んでくれるだろ」
たしかにオレは今日一度も彼の名前を呼んでいない。
いや、正確には呼ばなかったのでは無く、呼べなかったが正しい。
それは単純に、オレが今まで彼をどう呼んでいたのかがわからなかったからだ。『四葉』なのか『秀』なのかはわからないが、いずれにしても呼び方を間違えれば怪しまれただろう。まあ、結果的にみれば逆にそれが仇となって今現在こうして怪しまれているわけだが。
「そうか?お前の気にしすぎだろ。それに、コミュニケーションをとるのに必ずしも名前を呼ぶ必要はないだろう」
「そこは『俺とお前の仲だから、さ』とか言ってほしかったぜ」
面白い冗談だ。
「まあ、雑談はここまでにして、さっそく相談の内容なんだが」
それまでの陽気な雰囲気から一変し、真剣に悩んだ顔で四葉は口を開く。
「俺は───今日サエに告白しようと思ってる」
それを聞いて思い出されるのは先日での屋上での茶柱の告解。
茶柱にとってのリーダーであり、友人であり、誰よりも大切の恋人、にこれからなるであろう人物はやはり目の前の男なのだろう。
「元々告白することは決めていたんだ。今日という日は俺にとって、サエにとって、いやオレたちにとって『特別な日』だから」
そして同時に、二度と後戻りできなくなる関係になる男であることも。
「それで?」
「俺は今躊躇してる。特別試験のことを聞かされてから嫌な予感がしてるんだ。今回の試験ではおそらくなにか良くないことがおきる」
「それはなにか根拠があるのか?」
「ない。俺の『勘』だよ」
『勘』、か。これはまたずいぶんと抽象的だな。
だがたしかに、やけに勘の鋭い人物というのは不特定多数存在する。かくいう四葉の言う勘も、オレから言わせれば当たっているわけだしな。
「そんな中でクラスのリーダーである俺が、恋愛していいのかなって思っちゃって。だから、清隆に相談することに決めたんだ。俺は、いったいどうするべきなのかって」
どうするべき、か。
普段であるならば、どんな恋愛をするかなどすべて当人たちの自由だ。しかし、いまのオレたちは最後の特別試験をひかえた3年生であり、Aクラスとのクラスポイント差は73ポイント。そのクラスのリーダーともなれば抱える重圧は相当なものだろう。
それと並行して自由気ままに恋愛を楽しむというのは、たしかに難しいことなのかもしれない。付き合った事実をクラスメイトが知れば、なにを呑気なことをと思う者も少なからずでてくるだろう。
そして、ここにきて急に行われる追加の特別試験。そこで感じた言い知れぬ不安感。慎重になるというのもうなずける。
「告白するのは絶対に今日じゃないといけないのか?」
「正直いって、今日をおいて他にないと思ってる。明日の特別試験が終われば、俺たちは最後の特別試験に向けて動き出す。そうなれば、今よりいっそう恋愛などしている暇なんてなくなる」
「だから、今日告白しなかったら俺はこの気持ちを抱えたまま卒業するつもりだよ。サエも今日の呼び出しの意図にははなんとなく気づいてるだろう。返事を先延ばしにするのも、あっちに不安を与えるだろうからな」
「告白しないと決めたら、どうするつもりなんだ」
「明日の試験について、これからの最終試験についての話だったて誤魔化しとくよ」
今日告白すると事前に決めておいたのなら、その言い訳はだいぶ無理があるだろう。
それこそ茶柱に不安を与えかねない。本当にこの男がDクラスを引っ張ってきたのか一瞬疑問におもうが、どちらかといえばこれは。
「四葉。いや、『秀』。お前のそれは甘えだ」
「…続けてくれ」
「今のお前は茶柱のことを考えているようで、結局自分のことしか考えていない」
「ッ!そんなことは…」
「ある」
たった一言。それでも有無をいわせず断言することで、四葉は押し黙る。
「たしかに特別試験が一つ増えた、それも予定日の前日に告白するとなれば不安になるのもわかる。だが言ってしまえばそれだけでしかない。今のところ退学者が出ると決まったわけでもなければ、その根拠もおまえの勘という不確かのものでしかない。オレには、そんな不透明なもので茶柱に告白しない理由付けしているようにしか思えない」
とっさになにか反論をしたかったようだが、思い当たることでもあったのだろうか。四葉は口を閉じた。
「一応聞いておくが、おまえは本当に茶柱が好きなのか?」
「ああ、好きだよ。大好きだよ。でも…」
「違うな、今のは『リーダー』としてのお前の答えだ。おれは『四葉秀』という一人の男に対して聞いている」
「…愛してるさ!心の底から!世界中の誰よりも!」
そうか。
しかし、よくもまあ今時そんなクサい台詞が言えたものだ。
「ならあとは簡単だ。お前のその本心を、そのまままっすぐに相手に伝えるだけでいい。今は、今日この一日だけは余計なしがらみなど忘れてしまえ。大事なのは後で後悔しないような選択をとることだ」
「後悔、しないように」
人は生きているうちにどこかしらで後悔をする生き物だそうだ。ふと過去を振り返り、ため息をつき、後悔する。
そして次こそは後悔しないようにと意気込み、忘れたころにまた思い出す。
「もう少しすれば夕日も沈み始めるだろう。それで?お前はここでじっとしている暇はあるのか?」
聞いていた待ち合わせの時間まで残り数分。今から走れば余裕で間に合う距離だ。
「…やっぱり敵わないな、清隆には」
「なにが」
「特別試験で困った時も、4人が喧嘩したときも、お前は俺を助けてくれた。清隆のアドバイスひとつでみんな魔法みたいに解決するんだ」
「よしてくれ。俺はそんなに大したことはしてない」
「それでもだよ」
椅子から立ち上がって、荷物を持ちこちらを振り向きなおす四葉。その顔は先ほどとは打って変わって自信に満ち溢れている。
「俺、ちゃんと伝えてくるから。もし断られたとしても後悔しないように、俺の全部をぶつけてくる」
「大丈夫だとは思うが、安心しろ。ダメだったときは骨くらいは拾ってやる」
「いやさすがに死なねえから!?」
そういうと笑いながら四葉は教室の出口へと歩き出す。
それにしても、茶柱が言っていた『平田と池を合わせたような人間』、か。言い得て妙だな。
四葉はクラスのリーダーになるだけの素質はある。能力的にも荒木の言う通りだとすれば合格の水準を優に満たしているだろう。
つまり、四葉秀という人間は壊滅的に恋愛が苦手なのだろう。いや、不器用というべきか。あくまで予想ではあるが。
「清隆」
「ん、どうした」
「ありがとな」
やはりだ。なぜだろうか、オレはまだこの男と話したいと思っている。こんな感覚初めてだ。どこか心地いいようなそんな感覚。
この男ならば、あるいは。
四葉の背中を見送ってからしばらくして、オレも帰る用意を始めようとしたところでブーッ、と通知がなった。
それはまるで狙っているかのようなタイミングで、今オレが最も興味を持っている人物からのお誘いだった。
♦
あたりはすっかり日も落ち、暗くなってしまった夜。普段なら寮にいる時間帯だが今夜は違った。
ある人物の誘いを受けたからだ。
オレは今外にいる。正確に言えば、様々なお店が立ち並ぶ飲食店にきていた。目当ての店をみつけると、合流であることを伝え、中に案内してもらう。そして、そのこじんまりとした個室に彼女はいた。
「あ、きたきた。もおーっ、遅いよ綾小路君」
前Bクラスの担任、星之宮知恵本人だ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
星之宮知恵は変わらない
「時計の針は巻き戻る」の話を大きく修正しました。
何度もすいませんm(__)m
「すまん、一回寮に帰って準備をしていたら遅くなった」
「なあに?私に会うためにわざわざ準備してきてくれたの?」
「いや。待ち合わせの時間までまだ余裕があったし、荷物をおいて着替えてきただけだ」
案内してくれた店員に礼をいい、席に着く。
「んもう、そこは冗談でも肯定しないとだめだよ?」
「そうか、すまなかった」
「ううん、来てくれただけでも嬉しいから許します」
「来なかったらオレの秘密をばらすといって脅されたんだが」
何のことー?、と星之宮はカラカラ笑う。
来た時から気にはなってはいたが、肩や首元が開いてやや露出の多い私服。元の素材の良さも相まって上品に笑うその姿はなかなか様になっている。
「それで、今日はオレに何の用だ?」
「うーん。ただ一緒にご飯食べたかったからじゃ、ダメ?」
「ダメじゃないが、それならそうと言ってくれたらよかったと思うが」
「せっかちだなあ。せっかく綾小路君顔はカッコいいのに、だからモテないんだよ?」
余計なお世話だ、といいさっそく肉を焼き始める。
「でも、今日はほんとに何でもないんだよ?ただ、一緒にご飯が食べたかっただけ。普通にさそっても来てくれないかなーって思って。だから今日は私のおごりだから遠慮なく食べて?」
「ほんとにいいのか?」
「うん、来てくれたお礼」
「なら、遠慮なくいただくとしよう」
「フフフ、ちょっとした愚痴には付き合ってもらうけどねー?」
聞き捨てならない一言が聞こえた気がしたが、まずは目の前の肉に集中するとしよう。
愛里が退学する前、綾小路グループで焼き肉をする機会があったが、『焼肉は戦争だよ。男も女も関係ない』と波瑠加が言っていた。そのときは啓誠も明人もあの普段大人しい愛里でさえも、豹変したように肉にかぶりついていたな。
今となっては、もう二度と叶わないわけだが。
ある程度ご飯を食べ終わると、一息つく。
「聞いた?秀くんとサエちゃん、付き合ったんだってね」
「らしいな」
あのあと四葉から告白が成功したと喜びのメッセージが送られてきた。どうやら茶柱のほうからも告白するつもりだったらしく、少し想像はつかないが泣いて喜んでいたらしい。
オレは祝福を込めたメッセージとあらかじめ用意しておいた文章を返信しておいた。
「ほんと呑気だよねー、明日は特別試験だっていうのにさ」
「まあそういってやるな。秀だって相当悩んだうえでの告白だったみたいだしな」
「むー。綾小路君は二人が付き合うのに賛成だったの?」
「お互い合意のもとなら問題ないんじゃないか。それにオレたちはまだ高校生なんだ、恋愛の一つや二つくらいしてもいいだろう」
そう言ってはあ、と星之宮はため息をつく。
「林間学校でさ、私たち4人が一緒の部屋になったとき、あったじゃない?」
「ああ、なんとなくしか覚えてないがな」
「思えばさー、あのときからなんだろうなって。サエちゃんが秀君を意識し始めたの」
林間学校というのは、オレ達が一年生のときに経験した特別試験『混合合宿』のことだろうか。しかし、オレ達のときは男女別々で別れてグループをつくり、寝泊りもそのグループだったはず。
となればこの時代で行われた別の試験か、あるいは年を重ねるごと改良され、特別試験が変更されていったのか。
「やっぱりルームシェアの効果ってすごいよね。恋愛に興味がなくても、異性が近くにいるってだけでドキドキしちゃう」
「思春期の高校生たちにとってはめったにないイベントの一つでもある。普段は見えない部分が見えるというのも大きいかもな」
「そうそう、男女二人がひとつ屋根の下、何も起きないはずがなく…ってね」
異性と異性と密室の空間に二人きりというのはやはり普通の高校生たちにとっては、理想のシチュエーションのようだ。それは恵にとっても同じようだった。
意図的にしろないにしろ、手と手がふれあい、肩と肩がぶつかるその距離感。甘い雰囲気が、脳を刺激しホルモンを分泌する。中には、より脳を刺激しやすいような香りのルームミストもあるらしい。
「ねえ、綾小路君この後暇だよね?私の部屋に遊びに来てよ」
「待てチエ。多少確認したいことが…」
「秀くんもサエちゃんも今頃君らの部屋だよ?だから大丈夫。それとも二人がいる部屋に帰れるのかな?」
なるほど、やはり気のせいじゃなかったか。
朝起きた時に感じた強烈な違和感。あの時は急いでいたため隅々まで観察しなかったが、たしかにベットが二つあったことは確認している。
つまりこの時代の生徒たちはルームシェアをしているということだ。
♦
「ねえ~綾小路くん、ひゃんと飲んでる~?」
「ああ」
あのあと結局誘いを断ることができなかったオレは部屋にお邪魔することにした。部屋の中は思ったよりも女の子らしさはなく、多少のインテリアと机にベットが二つ。意外だと一瞬思ったが、あの茶柱と同棲しているのであればこの部屋になるのもうなずける。
茶柱が可愛いぬいぐるみを抱いて寝ているのは…ちょっと想像できないな。
『綾小路君は何飲むー?』
そういって星之宮が見せてきたのはどう見ても缶のアルコール飲料、それも度数が高めのものだった。
『そんなのどこで手に入れた。お前の今の年齢じゃ普通買えないだろ』
『コンビニの店員さんと仲良くなってね。ちょっとお願いしたら、監視カメラがないところで渡してくれたんだあ』
「わかってはいるとは思うが、ほどほどにしておけよ。明日には特別試験もひかえてる」
「はぁい。気を付けまーす」
そして現在、缶チューハイや缶ビールを合計7本ほど開けたところで徐々に星之宮に異変が起きた。呂律が回らなくなり、ほんのりと頬が赤い。
オレのほうはというと体にはいまだ何の変化もない。興味本位で試しにいろいろ飲んではみたが、特に美味しいとも不味いとも思わなかった。
「…何してるんだチエ」
「えへへ、あったかーい♪」
「暑いから離れてくれると嬉しいんだが」
ベットに腰掛けるオレの膝にもたれかかる星之宮。膝に頭を乗せてがっちり片足を抱え込まれているため身動きが取れない。
「むぅー。せっかくこんな可愛い美少女とお酒飲めてるんだよ?なんか他にリアクションとかないの?」
「オレはチエとお酒を飲めて楽しいぞ?」
「ちっがーう!もうそういうのじゃないのっ!」
はあーっ、と大きなため息をついて彼女はオレの膝に顔を埋める。そしてポツポツと語り始めた。
「…あーあ。最初のころは私のほうが仲良かったのになぁ。いつの間にか仲良くなって、話す機会も増えて、気づいたら追い越されちゃった」
星之宮知恵という人間は、一言でいえば「腹黒い一ノ瀬」だ。
コミュニケーション能力が高く、誰とでも仲良くなれる。容姿もかなり整っており、現在は多少幼くはなったがその分仕草や表情が豊かで、教師のときのそれよりたちが悪い。
対して茶柱のほうはどうだろうか。教員同士の人間関係については知らないが、今の彼女を見ると人付き合いが苦手なのはこの頃からだろう。まるで一学期の堀北を見ているようだ。
この学校は何故か容姿が整っている女子が多い。茶柱も十分整ってはいるが、寡黙な彼女と明るく積極的な星之宮とでは、どちらが男子に人気であるかは言うまでもない。
「サエちゃんそういうの興味なさそうだったから油断しちゃったなぁ。
ほーんとずるいよあの子…ズルいって…」
細く震えてかすれたその声は、静まり返った部屋には良く響いた。
「ねえ綾小路君…私ってそんなに魅力ないのかな」
星之宮はこの頃から、いやあるいはもっと前から自分に自信を持っていたに違いない。
だが、その自信は打ち砕かれた。
四葉が茶柱を好きになった理由はなんだろうか。
単に好みのタイプだったのか、ともに激闘の日々を戦い抜いてきた信頼ゆえか、あるいはそれ以外か。
星之宮が本気で四葉を好きだったのかはオレにもわからない。
だが、そんなことは関係ない。
『四葉秀』という男が、他でもない『茶柱紗枝』を選んだ。
その事実が星之宮の根底を揺るがした。
「それは今更オレが言うことでもないだろ」
「ダメ。君の口から直接聞きたいの」
「…チエは美人だと思うぞ。加えて社交的で人の変化に気づけるほどの気配りもできる。正直、かなりモテてたんじゃないか?」
この頃の星之宮をオレは知らない。だから、教師のときのこいつに対して思ったことを素直に伝える。
ピクリ、と動きが止まったのを膝越しに感じ取った。
「…本当に?ほんとにそう思ってる?」
「ああ」
「最初はさ、秀君も言ってくれたんだよ。『チエは可愛い』って。でも結局サエちゃんを選ぶんじゃん。嘘つき…うそつきウソつきウソツキッッ!」
より一層強い力でオレの足を抱きしめる。気づいてか気づかずか、爪がふくらはぎに食い込んだ。
女子の爪ってこんなに長いのか。
「オレは嘘なんてついていないが、お前は信じない。ならこれ以上どうすればいいんだ?」
「…そうだね」
じゃあさ、と言っておもむろに立ち上がった瞬間、オレは押し倒された。対処することも勿論できたが、悪意は感じられなかったのでそれはしなかった。上に覆いかぶされられ、両手をふさがれる。
何を、と言いかけてオレは息をのんだ。
火照りで赤く染まった頬に、喜びと悲しみがごちゃ混ぜになったくしゃくしゃの笑み。酷くいびつで、歪んでいて、それでいてとても綺麗だった。
オレの頬を数滴の雫が濡らしていく。
「抱いてよ、
押さえつけられていたてのひらの指と指が絡み合う。
股の間に据えられていた膝が、オレの股間をまさぐるのがわかる。
「好きも慰めも、くちだけじゃ何とでも言えるよ。大事なのはさ、形にすること。だからさ、体で証明してよ」
頬を上気させ、淫蕩な表情を浮かべた顔を近づけてくる。
親指の先で、ピンクの潤った下唇と肌の境目を撫でた。
重く深く濁ったその瞳は、オレだけを映している。
興味がないわけではない。
ただ、先延ばしにしていた。いずれその時はくると。
事前に予習は済ませており、『教材』も身近にいた。
あとは実践するのみだった。
「チエ。もし…もしもだ」
元の時間軸に帰れる算段はある程度ついている。
しかし、本当にそれで帰れるかはわからない。
「もしお前が二人に復讐できるとしたらどうする?
だが、興味がわいた。
読者の皆様の感想がモチベに繋がります
あ、R18版書いてくれる方待ってます(*^^*)
目次 感想へのリンク しおりを挟む