ポケットモンスター・パールストーリー (ましゅ)
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第1話    パール

 シンジ湖の水面はいつも静かに揺れている。

 湖底に棲むポケモン達が湖上に顔を出すことは稀で、ほとりに並ぶ木々の隙間を縫って吹く風だけが、なだらかに水面をくすぐるのだ。

 昼は太陽の光に照らされたさざ波が輝き、夜は月を美しく映すそのシンジ湖の湖面は、自然の美しさを体現する一幕だと名高い。

 

 この美しい眺めを、月に一度は必ず眺めに訪れる少女がいる。

 彼女は今日も湖のほとりに立ち、とりわけこの日は幼い頃から見慣れたシンジ湖の景観を、感慨深い眼差しで眺めていた。

 今は夕方に差し掛かる少し前の時間帯。陽が弱くなってきた頃合いに、晴れた青空の色をすらりと映し込む湖面はやはり美しい。何時でも綺麗な湖だ。

 

「……この眺めも、もうすぐ見れなくなっちゃうな」

 

 彼女にとって、このシンジ湖は特別な場所。

 8年前にこの湖で経験したことを、少女は一度も忘れたことはない。

 それだけ歳月が経った今も、あの日のことを忘れたくなくて、月に一度はここへ来ていたほどにだ。

 

 だけどもうすぐ、月に一度、この湖に来ることも出来なくなる。

 故郷を旅立つ日を目前に、この景色をはっきりと目に焼き付けようとする彼女の目は、未来に向けた憧憬にも似た色で輝いていた。

 

「――よしっ。

 今日はこのぐらいにしておこうっと」

 

 シンジ湖の近隣にあるフタバタウンに住む少女、"パール"。

 今日もいつものように湖を眺めていた彼女は、名残惜しいけどもう充分なはず、とばかりに、家に帰る方向へと歩きだそうとする。

 

「…………あれ?」

 

 しかし、帰り道に目を向けようとした時、ふっと視界の端に人の姿が見えた。

 湖の方ばかり見ていたからさっきまで気付かなかったが、ちょっと離れた所の湖畔に、自分と同い年ぐらいの男の子がいる。

 背中を丸めてもぞもぞと動いているが、何か落として探してでもいるのだろうか。

 なんだか困っているようにも見えたので、パールはてこてこと駆け寄ってみる。

 

「う~ん……やっぱり変わったことはないけど……」

 

「どうしたの? 何か探しもの?」

「はわ!?」

 

 後ろから近づいたパールは穏やかに声をかけたのだが、びっくりしたのか裏返った声を出し、びくんと跳ね上がった少年が慌てて振り返る。

 おばけでも見たかのように、尻餅ついたような姿勢で見上げられ、パールの方こそびっくりする想い。おどかすつもりはなかったのに。

 

「ご、ごめん、びっくりさせちゃった?」

「い、いや、別に気にしないで……

 ちょっと集中してたから……あっ、やばっ」

 

 お互い気まずい感じの言葉を向け合っていたが、ふっと何かに気付いた少年は、そばでころころと転がっていたモンスターボールに手を伸ばして拾う。

 彼のそばには、口の開いたままのバッグが倒れている。

 どうやらさっきパールが声をかけた時、驚いて振り向く際にバッグを蹴倒してしまったらしい。

 バッグからこぼれ落ちてしまったボールを拾い上げ、ほっとした顔で彼はバッグの中にそれを入れる。

 

「……………………あれ? あれ!?」

「どうしたの?」

「ボールが足りない!

 2つ入ってたのに……っ!?」

 

 慌てて周囲を見回す彼だが、バッグからこぼしたもう1つのボールはすぐに見つかった。

 ころころと、彼から離れる方向へと転がっていくそれは、まさに今、湖の際まで辿り着いたところ。

 2秒後には岸から湖へと転がり落ちてしまう、もう間に合わない位置にあったのを、パールもほぼ同時に気付いていた。

 

「いけない……!」

 

「ちょ!?」

 

 パールの行動は早かった。

 逃げていくボールへと一気に駆けだして。

 明らかに間に合わず、ボールは岸を踏み切って、湖の方へと落ちてしまい。

 それでも迷わず、走ることをやめず、パールはボールが落ちていった湖へ、岸を踏み切って飛び降りていったのである。

 

 ざぶーん、と着水した大きな音がして、大慌てで立ち上がった少年は岸へ駆け寄り、えらいこっちゃの顔色で湖を見下ろす。

 こぽこぽ泡が立つ湖面を見下ろしていると、数秒経ってざばぁとパールが顔を出し、ぷぅと息を吐いて目元を拭ってみせた。

 

「あったよー!

 これ、あなたのモンスターボールでしょ?」

「だ、大丈夫!?」

「私泳げるから平気平気~!

 ちょっと待っててね~、今上がるから~!」

 

 3メートル近く下の湖面、顔を出してボールを持って振るパールは誇らしげに笑っていた。

 勝利報告と帰還の報せめいた言葉を元気に発し、ここからでは上がれないのでと、ちゃぷちゃぷ水面を泳いでいく。

 ここは彼女にとっては地元のような場所。どこから上がれるかはよくわかっている。

 

 飛び降りた場所から少し離れた場所、浅くなっている場所を歩いて湖のほとりに上がれる場所へ、パールは何事も無く泳ぎ着いた。

 びちょ濡れになってしまっているが、ボールを落としてしまっていないか確認することの方が彼女にとっては大事。

 しっかり掴んだモンスターボールを見て確かめ、ふふっと達成感に満ちた笑顔を浮かべていたものだ。

 

「――――あっ!?

 危ない! ムックルだ!」

 

「え……ひゃわっ!?」

 

 しかし、そんな彼女のすぐ目の前に、ばさばさっと翼の音を立てて舞い降りるポケモンが一匹。

 シンジ湖の周りは野生のポケモンが少ないことで知られるが、ある一角に踏み込めば遭遇することもある。

 地元住まいであるパールは、シンジ湖周囲のポケモン遭遇場所をよく知っているはずなのだが、今いるここがそうだとは今一瞬頭から抜けていたようだ。

 それだけ、少年の落としたボールを保護することで頭がいっぱいだったと言える。

 

「――――z! ――――――z!」

 

「あ、あわわわ……どうしよう……!」

 

 パールの目の前に舞い降りた一匹のムックルは、こちらを見上げて威嚇してくる。

 30cm程度しかない小さな鳥の姿でも、怒って飛びかかってこられたら、確実にパールは怪我をする。

 野生のポケモンは結構好戦的だ。あの小さなくちばしでつつかれただけでも、人の肌は血が出る傷を負ってしまう。

 

「そのポケモンを出して! モンスターボール!

 使っていいから!」

 

 湖畔を回り込んで駆け付けようとしてくれている少年だがまだ遠い。

 一歩後ずさったパールに対し、ぴょんぴょんと二歩ぶん近付いてくるムックルだから、逃げても後ろからつつかれるかもしれない。

 パールの手にはモンスターボールが握られており、それがムックルへの一番の対抗手段だと少年が大声で伝えている。

 

「い、いいの!? いいんだね!?

 えぇっと、こうかな……!?」

 

 片手で持っていたモンスターボールを両手で持ち、パールはボールのスイッチを、重ねた両手の親指で素早く三度押し。使い方は知っているのだ。

 それによって、ぱかんとモンスターボールが開き、一匹のポケモンが中から飛び出した。

 ムックルとパールの間に立つ位置に着地したそれは、ぷいんと頭を振り上げて頭上の葉っぱを一度揺らす。

 

「え、ええっと、えぇと……!」

 

「"たいあたり"が使えるよ、その子は!

 指示してあげて!」

 

「たっ、たいあたりっ!」

 

 パールの握りしめたボールから出てきたのはナエトルだ。

 その突然の登場に面食らっていたムックル、出したはいいがどうすればわからなかったパール、どちらも何も出来ない数秒はあったものの。

 近い所まで来つつも叫んでくれた少年の言葉を信じ、パールはナエトルに指示を言い放つ。

 それにより、見知らぬ場所で少し周りを見渡そうとしていたナエトルも、目に火を宿して目の前のムックルへと駆けだした。

 

 強い体当たりを受けたムックルは吹っ飛ばされ、ごろんごろんと地面を転がったのち、痛そうにしながらも何とか立ち上がる。

 しかし、ナエトルに怖気づいたのかすぐ翼を広げ、逃げるように去っていく。

 ピンチが去ったことを目で追うパールは、はぁ~っと息をついてほっとする。

 

「ごめん、大丈夫だった!?」

「へ、平気平気、私は何もケガしてないから。

 それよりごめんね、あなたのポケモン勝手に使っちゃって」

「いや、それはいいんだ。

 元々僕の預かってたポケモンを助けてくれたんだから。

 ありがとう、えーっと……」

 

 やっとパールの目の前まで辿り着いた彼は、ちょっと息が上がっていた。

 対するパールは、ボールを持った両手を胸元に抱え、びしょ濡れになっている今の胸元をさりげなく隠している。女の子だからそういうのには敏感だ。

 

「私、パール。

 あなたは?」

 

「僕はプラチ……うっ……」

 

「プラッチ?」

「あ、いや、違くて……」

 

 名乗りを途中でやめてしまい、少年は帽子を目深に引いて顔を伏せる。

 濡れた胸元は隠しているが、スカートがべったり脚に貼り付いているのを見たら、あんまり見ちゃいけないものだとわかったようだ。

 耳まで赤くして顔を逸らすその態度、紳士的とも初心とも言う。

 

「ちょ、ちょっと、そういう態度されると余計に恥ずかしいじゃん。

 あなたのポケモン助けるためにこの有り様だよ」

「そ、それは別にいいんだけど……」

「すけべ」

「うるさいなっ。

 そっ、それよりもポケモン返してよ」

 

 彼女を徹底して見ない姿勢を決め込んだ彼は、不愛想な仕草とは思いつつも片手を出す。

 パールはナエトルが入っていたモンスターボールのスイッチを三度押しだ。

 ぱかっとボールが開き、ナエトルがそのボールの中へと戻っていくと、ボールはかちっと音を立てて閉まる。

 

 パールは胸元を片手で隠しながら、少年の手にボールを返した。

 受け取ると、パールの方に背を向けた少年は、バッグにボールを入れてそれを肩にかける。

 

「……ありがとう、ほんとに助かった」

 

「あ、ちょっと……」

 

 パールに目を向けることが出来ないので、居づらくなってしまったか少年は走りだし、そのまま去ってしまった。

 追いかけるのもしづらいびしょ濡れ姿なので、パールはその後姿を見送るのみだ。

 

「………………へくちっ。

 いけない、帰ろ。風邪引いちゃう」

 

 やや唖然としていたパールだが、寒くなってきたので小走りで湖のそばを離れる。

 家に帰る道を進む前に、一度だけ思い出深いこのシンジ湖を振り返って。

 もう一度だけ、この眺めを名残惜しそうに目に焼き付ける。

 

 ぶるっと感じる寒さに今一度帰り道を向き、パールは家へと駆けるようにして向かっていくのだった。

 

 

 

 

 

「あれ?

 パール、どうしたんだ? びしょ濡れじゃん」

 

「あっ、"ダイヤ"。

 あははは、ちょっとね……」

 

 フタバタウンに着いたパールだが、家までもう少しという辺りで、幼馴染の少年に声をかけられた。

 今日も両サイドがハネた髪の毛である。せっかちな彼のことだから、今日も寝癖を直しもせずに遊んでいたんだろうなとパールは想像する。

 

「大丈夫か?

 服すごく貼り付いてるけど」

「わかってるわよっ! がさつ!

 風邪引かないかとかそういう心配してよ!」

 

 今のちょっと人に見せたくない恰好を、口に出されると余計に恥ずかしい。いやに顔が熱くなって、胸元を隠す手にも力が入る。

 いい友達なんだけど、ちょっとデリカシーの無いところが困る幼馴染だ。

 この恰好で長話もしたくないし、べえっと舌を出してパールはさっさと家に向かおうとする。

 

「ホントに風邪引くなよー!

 明日はポケモン捕まえに行くんだろー?」

 

「わかってるってばー!」

 

 せっかちなのとそそっかしいのは、愛称ダイヤの名で知られる彼の代名詞とこの町では有名だが、今はパールが慌ただしく家に帰り着く。

 どうしたの、と濡れ濡れの我が子に驚くお母さんに適当に言い訳し、パールはさっさとお風呂に入るのだった。

 

 明日は大事な日なのだ。風邪は引きたくない。

 冷えた体を温めつつ、明日が待ち遠しい想いをパールは膨らませているのだった。



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第2話    ダイヤとプラチナ

 

「パーーーーールーーーーー!」

 

 朝ごはんを食べていたパールに、家の外から聞こえてくる大音声。

 あいつにはインターホンを押すっていう発想が無いのかな、って、パールも毎度のことながら思っちゃう。

 

「パール?」

「わかってるよ、お母さん。

 せめてご飯食べてから……」

 

「パーーーーールーーーーー!!」

 

 晴れた日の朝日が窓から差し込む、気持ちのいいゆったりとした朝食の気分もぶち壊し。

 お母さんが出てよ、という旨を発したパールだが、玄関の向こう側から飛んでくる声ときたら、パールを出せ出せオーラがとんでもない。

 これは多分、無視し続けていたら奴も叫び続けるパターンだ。近所迷惑間違いなし。

 

「ふふ、あの子は今日も元気いっぱいね。

 行ってあげなさいな、パール」

「……はぁい」

 

 食べかけのパンをお皿の上に置いて、パールはミルクを一口飲む。

 がたん、と不機嫌な音を立てて立ち上がったパールが、ずんずん玄関の方へと歩いていく。

 見守るお母さんも、背中を眺めてくすくす笑えてくる姿だ。

 あなたあの子をガサツと言うけど、あの子と一緒にいる時だけは、あなたも同じぐらいガサツよと。

 

「パーーーーールーーーーー!!!」

 

「うるさーーーーーーーーーーいっ!!!!!」

 

 ばこんと玄関の戸を開けたパールの第一声たるや、彼女を呼んでいた少年の大声を遥かに上回るほど大きかった。

 ビッパを連れてお散歩していた近所の女の子が、パールの声でビッパ共々びくっとしたぐらいである。

 ダイヤの声にもびびっていなかった女の子とビッパが、パールの声でそうなるんだから、よほどこちらの方が大声だったということ。

 

「おはよう、パール!

 今日も元気だな! いい声してたぞ!」

「ダイヤ! こんな朝早くから人の名前呼ぶのやめてよ!

 恥ずかしいじゃん! そういうあんたと同類だと思われたらヤなの!」

「あははは、友達だろー!

 それにパールも声おっきいし!」

「あんたが怒らせるからでしょっ! ご飯食べてる途中だったの!

 言っとくけど私のことこんなに怒らせるの、あんただけなんだからね!」

 

 こっちがこんなに怒っているのに、へらへら陽気に笑う幼馴染の"ダイヤ"の姿は、それがいっそうパールを怒らせる。

 静かにしてくれてさえいれば、優しいところもあるしいい奴なのに、このうるささと節操の無さだけがパールをいつも参らせるのだ。

 

「それで、なに?

 今日は遊びに行けないよ。お母さんと、ポケモン捕まえに行くんだから」

「なんかさー、さっき町の入り口辺りで人を探してる奴に話しかけられたんだよ。

 なんとなく話聞いたカンジだと、お前のこと探してるっぽいんだよな」

 

 パールの育ったフタバタウンでは、11歳になると大人の誰かと一緒にポケモンを捕まえに行くことが出来るようになる。

 パールの場合、その大人とはお母さんになる。

 町ごとに風習は異なるが、フタバタウンでは自分でポケモンを捕まえて友達にするのは、11歳からと決まっているのだ。

 ビッパをお散歩させていた女の子がすぐそばにいたが、あれはあの子が自分で捕まえたビッパではなく、親が捕まえたものだろう。

 

「私? なんで?」

「知らねーよ。アイドルのスカウトとかじゃね」

「えー、そう?

 あんたから見て、私そういうのありそう?」

「無いな。

 いててて、つねるなよ」

「自分で聞いておいて失礼なやつ。ゆるさん」

 

 上げて落としてくる幼馴染の腕をパールはつねっておく。

 振り払うダイヤだが、後ずさって逃げたりしないぐらいには、こんなの慣れたいつものやり取りである。

 

「とにかく行ってみようぜ。

 多分探してるのってお前のことだと思うから」

「ん~、まぁ……じゃ、行ってみようかな。

 お母さ~ん、ちょっと出かけてきていい~?」

 

「はいは~い、お昼までには帰ってきなさいよ~」

 

 出られる恰好が既に整っているパールは、玄関からお母さんに声をかけておく。

 いいよと言われたので、ダイヤと一緒に外出の運びへ。

 町の入り口は北の方。二人で並んで歩いていく。

 

「私を探してるっぽいって、どんな風に説明されたの?」

「湖に迷わず飛び込んでいけるぐらい勢いのある、可愛い女の子だってさ。

 そんなのお前しか思いつかない」

「い、勢いのある……あんたから見て私ってそんなやつ?」

「すぐ周り見えなくなって突っ走るじゃん」

「あんたにだけは言われたくない」

 

 歩く中でのお喋りはテンポよい言葉のキャッチボールだ。

 もう7年も一緒に育ってきた幼馴染なので、並び歩く距離感も近い。手だって繋げそう。

 

「で、私はあんたから見て可愛いの?」

「うん、可愛いよ。

 俺の知ってる女の子の中じゃ一番可愛い」

「うっ、冗談で言ったのに真顔で返されると……」

「あははは、照れてる照れてる!」

「もぉ! うるさいわよっ!」

 

 顔を赤くしたパールがぶんぶん掌を振ってダイヤを遠ざけようとするので、ダイヤも笑いながらパールから距離を置く場所に行く。

 並んで歩く足を止めないまま、器用にやり合うものである。

 

「…………あれ?

 湖に飛び込むって……」

「あっ、ほら見えてきた見えてきた。

 あいつお前の知り合い?」

 

 ふと、今の話の流れからパールが何かに気付きかけたところで、町の入り口に辿り着く。

 ダイヤが指し示すのは、なるほどパールも確かに知っている顔。

 赤い帽子をかぶった少年は、昨日シンジ湖で出会った同い年そうな男の子だった。

 

「あぁ、よかった、会えた!

 昨日名前を聞いてたのに忘れちゃって、どうやって探そうかって困ってたんだ!」

「え~、なんか失礼な話。

 私はあなたの名前ちゃんと覚え……あ~、え~っと……」

「なになに、お前ら知り合い?」

 

「プラ……プラッチだったよね?」

「いや、プラチ……」

「なーなー、お前ら知り合いなの?

 どこで知り合っ、むぎゅぎゅっ」

 

 昨日一回きり聞いた相手の名前を思い出そうとしているところ、横でうるさい奴がいるので、パールはダイヤの頬に掌を押し付けて離れさせる。

 近いわうるさいわ、おかげでプラチナと改めて名乗った彼の声も、ダイヤの声にかき消されてパールの耳に届かなかったという巻き込み事故を起こす。

 

「ごめんね、プラッチ、うるさいやつで。

 さあさあ、私は思い出したよ。私の名前も思い出して」

「いや、だから違……あ~、もういいや……」

 

 この際訂正を諦めて、プラチナは目の前の女の子の名前を思い出そうとすることを頑張り始める。

 だが、難しい。名乗られたあの時は、びしょ濡れ姿の女の子を目の前にして、意識が乱れていたタイミングである。

 頑張って思い出そうとしながらも、引っかかるものすら得られず困った顔のプラチナに、パールも思わずくすっと笑ってしまう。なんか可愛いんだもの。

 

「私、パール。

 今度は覚えてね?」

「あ、うん……

 ついでに僕の名前も……」

「俺、ダイヤモンド!

 パールの友達なんだ! ダイヤって呼んでくれていいからな!」

 

 横槍もう一丁。なかなかパールに名前を訂正させて貰えない。

 思いっきり邪魔されたので、ダイヤの方を見るプラチナもうへぇとした顔。

 

「あはは、ダイヤ引かれちゃってる」

「え~!?

 なんにもヘンなこと言ってないだろ~!?」

「プラッチ、ダイヤは結構うるさい奴だけど、結構優しいとこもあっていい奴だからそんなに引いてあげないで。

 うるさいけどね」

「なんだってんだよー!

 うるさいって二回も言うなよー!」

 

 ほらうるさいでしょ、とダイヤを指差して笑うパールの態度を見ると、二人が仲良しなのはプラチナにもわかる。

 プラチナは、自分のために湖にまで飛び込んでくれたパールが優しい人であるのは知っているし、そんなパールがそう言うのなら、とは思えるのだが。

 声が大きいのはそういう人なんだなと。確かにぎゃんぎゃん騒がしいけど、表情豊かで愛嬌もあるダイヤの姿は、まじまじ見れば印象も悪くない。

 

「あははは……ダイヤ、だね?

 よろしく、僕はプラ……」

「プラッチだろ? さっき聞いたよ! よろしくな!」

 

 駄目だ、運命に許されない。名乗り直せない。

 無理矢理気味に握手され、ぶんぶん手を振られるプラチナの顔がやつれる。

 パールの方を見て、こいつ何とかしてという眼を送るプラチナの表情には、パールも苦笑いしてダイヤの肩をぽんぽんと叩く。

 そしたらダイヤはパールの言いたいことを理解して、プラチナの手を放してくれるのだ。猛獣使いか何かか。

 

「そんなことよりパール探して何の用だったんだ?

 告白?」

「ち、ちがっ……!?

 博士がパールっていう女の子を連れてくるようにって……っ!」

 

 ぼふっと顔を真っ赤にしたプラチナは、ダイヤとパールを交互に見てあわわ。

 そんなんじゃないよ!? と必死で訴える表情があまりにもで、わかってるわかってるとパールは両掌をプラチナに向けて苦笑い。

 それを見てプラチナも少しずつ落ち着き始める。ブリーダーみたい。

 

「と、とにかくマサゴタウンに来てくれないかな?

 博士が、パールと話をしてみたいんだってさ」

 

 何とか要件をようやく伝えられたプラチナは、ここまでのやり取りだけでも随分疲れてしまったようだ。

 乾いた笑いのプラチナの疲れを察したパールは、じとーっとした目でダイヤを見つめていた。

 多分あんたのせいよ、と。まあまあ合ってる。

 たはは、と笑うダイヤは目で指摘されて自覚は出来たようだが、あまり悪びれていない様子だった。

 

 

 

 

 

 マサゴタウンはフタバタウンから近く、往復しても昼には家に帰れるぐらいの距離にある。

 フタバタウンとマサゴタウンを繋ぐ201番道路には野生のポケモンも出没するため、ポケモンを連れていない子供が歩くには注意が必要だ。

 しかし、パールもダイヤも野生のポケモンに絡まれない道筋と歩き方は知っているため、気軽に通える隣町といったところ。

 過去に何度か遊びに行ったことはあるし、知らない町ではない。

 

 マサゴタウンにはポケモン研究所があることも知っているし、最近そこになんだか有名な博士が帰ってきたらしい、という話もある。

 パールはお母さんが見るニュース番組を一緒に見ていたから、それも何となく知っている。

 ダイヤはそんな番組見ないし新聞も読まないから知る由もなし。

 ただ、パールに会ってみたいという人物が"博士"というから、案内された先がポケモン研究所だったことには概ねわかっているかもしれない。

 

「さっ、着いたよ。

 ここが博士の研究所」

 

「あんた結局最後までついて来たわね。

 何しに来たのって言われても知らないよ?」

「パールの保護者?」

「えー、私とあんただったら、どっちかって言うと私の方が保護者っぽい」

 

 201番道路を抜けてマサゴタウンに来たパールとプラチナだが、ダイヤも一緒についてきた。

 ヒマだったらしい。道中、パールとプラチナがどんな風に出会ったかなど、ちょうどダイヤが知りたがるような話題もあった。

 湖に飛び込んだパールのいきさつを聞いて、えらくダイヤは笑っていたものだ。

 お前らしいなぁと。褒められているんだか、嗤われているんだかわからない言い草に、パールはたいそう微妙な顔をしていたが。

 

 なんとかチャンスがあれば、道中でも名前を訂正しておきたかったプラチナだが、これは結局叶わなかった。

 ずーっとダイヤがくっちゃべっていて、それらしいタイミングを掴めなかったのである。

 ダイヤとパールの、笑顔の多い軽快な会話のキャッチボールが、見ていて口を挟みづらいほど微笑ましかったのも一因か。

 ここまで辿り着いてようやく、あぁそういえば結局訂正してないな、とプラチナが気付いたほど。

 それだけ三人でお喋りしながら来る道中が楽しかったとも。

 

「博士が待ってるよ。

 ついてきて」

 

 パールはともかくダイヤはプラチナにとって、タイプの違い過ぎる男の子。実際、初対面時の印象はあまり良いものでもなかっただろう。

 だけど呼んでもいなかったはずのダイヤを、パールと一緒に研究所につい招き入れてしまうほどには、今やダイヤに対する印象も悪くないようだ。

 そういう気持ちは顔に出る。そそっかしいようでそういうのはちゃんとわかるダイヤだから、迎え入れてくれるプラチナの態度には嬉しそうだった。

 何だか短い時間で打ち解けたみたい、とダイヤとプラチナを見て取ったパールも、なんだか嬉しかったものである。

 

 なかなか仲良くなっていけそうな三人だ。

 研究所に入っていく三人は、みんな明るい笑顔だった。

 そしてこの十秒後、こんなに和気藹々としていた三人の笑顔が、"博士"を前にしてかちんこちんに固まることになることを三人はまだ知らない。



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第3話    ナナカマド博士

 

「君が、パール君かね?」

「あっ、はい……そうです……

 は、はじめまし、て……?」

 

「君は?」

「え、えぇ~~~っと……ダイヤ、です……

 パールの友達で、なんとなくついてきて……」

 

「あ、あのぅ、博士……

 勝手に連れてきちゃまずかったでしょうか……?」

「いや、問題ない」

 

 さあ空気が重たい。

 さっきまであんなにほのぼのと笑い合っていたパールもダイヤもプラチナも、この研究所に入って間もなくかちんこちん。

 この研究所の長である"博士"なる人物とご対面してから、三人とも借りて来た猫みたいにおとなしくなってしまった。

 

 この人、なんだか顔が怖い。

 どっしり胸を張って直立する姿からも、なんだかとっても凄い人オーラ出てる。

 あのやかましいダイヤですら、この人の前ではびびっちゃっておとなしくなるのだから、なかなかたいした風格だ。

 

「私は、"ナナカマド"という。

 ここで、ポケモンの研究をしている身だ。

 よろしく」

「よっ、よろしくお願いします……」

 

 手を差し出されたので、パールはびくびくしながら握手する。

 しかし、握手してみるとぬくもりのある優しい力で握ってもらえた。

 同様に握手を求められたダイヤも、怖い顔の人だけど優しい握手だったなという印象は抱いただろう。

 

「この子から、シンジ湖でのことは聞いている。

 モンスターボールを拾うため、湖に飛び込む無茶をしたそうだな。

 風邪を引いたりはしなかったかね?」

「あ、それは……大丈夫でした」

「うむ、よかった」

 

 強面の表情が変わらず、低い声で淡々と話すナナカマドなので、感情が全く表に現れない人物だ。

 しかし、濡れたパールが風邪を引かなかったかをまず案じてくれる辺り、怖そうに見えていい人かも、とパールも少しずつ思い始める。

 

「一つ、確かめたいことがある。

 君が昨日一緒にムックルと戦ったのは、このナエトルだったかね?」

 

 そう言ってナナカマドは、一つのモンスターボールのスイッチを三度押しして、中に入っていたナエトルを出す。

 床に降り立ったナエトルは、きょろきょろと周りを見渡して、パールを見つけるや否や表情を輝かせた。

 パールを見上げるその顔は、笑顔のそれとはっきりわかる口の開き方だ。

 

「昨日、ここに帰ってきてこのナエトルを出したところ、何かを探すように落ち着かなかった。

 その何かが見つからぬとなれば、落ち込む仕草も見せていた。

 やはりこの様子だと、このナエトルは君のことを探していたようだ」

「こ、この子が?」

「頭を撫でてあげてくれないか。

 あるいは、抱きしめてあげてもよい」

 

 急なことなのでパールも戸惑うが、自分を見上げて機嫌よさげにするナエトルを見ていると愛らしくなってくる。

 しゃがんで、ナエトルの頭を撫でてあげると、きゅうっと目を閉じ嬉しそうに身を震わせてもくれるのだ。

 こんなリアクションを見せられたら、パールもなんだか嬉しくなって、思い切ってナエトルの首に腕を回して抱きしめてみる。

 

「あははは、可愛い~!

 あっ、ちょ、すりすりしないで、くすぐったいよぉ」

「ウム。

 やはり君は、このナエトルとの相性が非常にいいようだ」

 

 怖い顔のナナカマドを前にして緊張していたのとは一転、幸せなハグですっかりパールは肩の力が抜けている。

 優しく、ぎゅっと抱き締める腕の中で、身をくねくねさせるナエトルの可愛いこと可愛いこと。

 草ポケモン特有の草の匂いを間近に感じながら、パールもなかなかこの子を抱きしめる腕を解くタイミングが見つけられなくなる。

 ずっとこうしていてもいいぐらい。すごく可愛くて愛らしい。

 

「よろしい。

 そのナエトルは、君にプレゼントしよう」

「えっ!?

 いいんですか!?」

 

 よほどに望外だったのか、あんなにびくついた声でナナカマドと話していたパールが、思わずの声量でナナカマドを見上げてしまう。

 怖い顔のまま変わっていないはずのナナカマドだが、今やパールにとって嬉し過ぎることを言ってくれたこの人のことは、もう怖い人には見えなくなる。

 

「私が見たところ、君とそのナエトルの間には、僅かながら確かな絆を感じる。

 きっかけは少し特殊だったようだが、君にこうしてこれだけ懐けるナエトルと、君が出会えたのも何かの縁だろう。

 きっと君のそばにいる方が、そのナエトルにとっては幸せなことになるだろうと私には思える」

 

「ありがとうございますっ!

 ぜったい、大事にします!」

「ウム」

 

 ナエトルの頭を撫でてから、抱きしめていた手を解いて立ち上がったパールは、ナナカマドの方を向いて深々と頭を下げた。

 嬉しさに満ちたその顔は、床を向いている間も、ナナカマドの顔を再び見た時も、晴天の空に輝く太陽のように明るい。

 それすら無表情で受け取るナナカマドだが、口ひげに隠れた口元は、ほんの僅か笑顔になったように両端が上がっていた。

 

「えぇ~……いいなぁ……」

 

 ぽそ、とダイヤが素直な想いを口にしていたのは、ナエトルとナナカマド博士しか見えていないパールが聞き逃すほどの小声だった。

 しかし、ナナカマドは聞いている。

 羨ましい目でパールを見る彼の姿を、ナナカマドは見過ごさなかった。

 

「さて……代わりに、とは言ってはなんだが、君に頼みたいことがある。

 話を聞いてから、引き受けてくれるかどうかを考えてくれていいから、まずは私の話を聞いて欲しい」

 

 ひとまずダイヤのことは念頭に置きつつも、ナナカマドはパールに語りかける。

 ナエトルを預けてくれる博士からのお願いだ。

 パールも輝いた瞳のまま、はいと気持ちのいい返事。

 

「私はこのシンオウ地方にいるポケモンの研究をするために、このマサゴタウンに帰ってきた。

 そこで、まずは今このシンオウ地方に、どんなポケモンがいるのかその全てを知っておきたい。

 そのためにはこのポケモン図鑑に、このシンオウ図鑑に生息するポケモンを記録していく必要がある」

 

 ナナカマドは懐から、ポケモン図鑑と呼ばれるものを取り出した。 

 有名なものだから、パールもダイヤもこれがどんなものかは知っている。

 所有者が出会ったポケモンを、自動で次々に登録していくハイテクな機械だ。

 

「私は君にこのポケモン図鑑を託したい。

 そして君には、そのナエトルとともに、シンオウ地方にいるすべてのポケモンを見てきて欲しいのだ」

 

 つまり、ナナカマド博士から預けられたポケモン図鑑を手に、シンオウ地方を巡る旅に出て欲しいという申し出。

 なかなか壮大な頼み事をされたものだ。

 なんだか魅力的な響きではあるけれど、パールもすぐにはいとは言えない申し出である。

 

「親御さんとも相談して、引き受けて貰えるかを考えてみて欲しい。

 もしもその気になれるなら、また私のもとを訪ねて貰いたい」

 

 これが、ナナカマドがパールを呼んだ要件だ。

 突然のことに、怖くてではなく頭がついていかない表情で、パールははいと細い返事を返すことしか出来なかった。

 

「君もだ。

 もしもその気があれば、私のもとに来なさい」

 

 そして、ナナカマドはパールに向けた申し出を、ダイヤの方を見ても言う。

 これはパール以上に予想外であったダイヤも、あっけに取られた表情でこくこくと頷くばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、パールはどうする?」

「どうするも何も……俺はもちろん、行ってみたいけど」

 

 フタバタウンに帰る道、第201番道路を歩く中、パールとダイヤはナナカマドに言われたことで頭がいっぱいだった。

 11歳の誕生日を迎えたばかりのパールより、ちょっとだけ誕生日が後のダイヤは、現時点ではまだ10歳。

 

 フタバタウンを出てシンオウ地方を旅するなんていうのは、基本的に11歳になってからというのが通説だ。

 しかし、ダイヤの誕生日はたったの3日後なので、それまで待てばダイヤもナナカマドに頼まれたことは出来る。

 そしてダイヤは昔から冒険に憧れる子供だったので、これをきっかけにシンオウ地方への旅に出られるというのは願ってもいない話である。

 

 パールはダイヤの性格をよく知っているから、返事は予想できていた。

 そして、ダイヤもだ。幼馴染のパールが、ナナカマドの申し出をどう受け止めたかなんて、ダイヤにしてみれば答えは一つしかない。

 

「パールはもちろん、行くんだろ?

 どっちにしたってポケモンを捕まえたら、旅に出るんだって言ってたもんな」

「うん。

 ずっと、そのつもりだったからさ」

「やっぱり、"憧れの人"を探すためか?」

「そうだね。

 ちっちゃかった頃、シンジ湖に落ちちゃった私を助けてくれた、あの人に会いたいんだ。

 ほんとに見つけられるかどうかなんてわかんないけど……やっぱり、どうしても会いたいんだ」

 

 空を見上げ、希望を追いかける瞳を浮かべるパールの横顔は、彼女の前向きさを最も体現する表情だ。

 こんな顔を見せられたら、やっぱりお前はそうだよなって、ダイヤもにひっと笑わずにいられない。

 

 パールは幼い頃、一人でシンジ湖に遊びに行って、湖に落ちてしまったことがある。

 泳ぐことが出来なかった彼女は、溺れてしまうんじゃないかと本当に怖かったその日、名も知らぬ誰かに助けて貰い一命を取り留めたのだ。

 意識が朦朧としていた当時のパールは、助けてくれたその人の顔はどうしても思い出せないが、記憶の欠片にあの恩人の像は残っている。

 

 大丈夫か、もう大丈夫だ、と案じてくれた男性の声。

 逆光でその顔こそ見覚えられなかったものの、確かめられたシルエット。

 朧げでありながらも未だ忘れ得ぬその姿こそが、パールにとっての命の恩人であり"憧れの人"なのだ。

 名乗りもせずに去ってしまった彼の名は知らなくても、いつかは会ってあの日のお礼を言いたいと、ずっとパールは思ってきた。

 パールにとって、初めてポケモンを捕まえて旅に出るその日とは、あの人に出会うための旅の出発点でとして夢見てきたもの。

 ナナカマドの申し出がなくたって、パールは故郷フタバタウンと思い出の地であるシンジ湖に手を振って、旅に出発するつもりではあったのだ。

 

「帰ったら母さんに話して、すぐ出発だな。

 俺は10歳になってからって言われてたから、出発するのはパールより少し遅れちゃうけど」

「3日でしょ? 待とうか?」

「え、いいのか?

 パール、すぐにでも出発したいだろ」

「ううん、元々そうするつもりだった。

 ダイヤだって、10歳になったら旅に出るつもりだったでしょ?

 だったら、おんなじ日に出発しようよ。ずっと一緒とは言わないけど、出発する日ぐらいは揃えてみたいじゃん」

「あはは、そっかそっか!

 なんかいいな、そういうの!」

「ふふ、いいでしょ。

 あんただけ置いて先に行っちゃうようなこと、したくないもん」

 

 すごく嬉しそうな顔で笑うダイヤに、パールもサプライズ気味に明かした成功を実感して嬉しくなる。

 せっかく誕生日まで近くて仲良しの幼馴染なんだもの。

 手に負えないところもあるけれど、大事な大事な友達なのだ。喜ばせてあげられるなら、そうしたくなる。

 

「旅かぁ~、わくわくするなぁ。

 ナナカマド博士も言ってたもんな。覚えてる?」

「もちろん。

 あの人、ちょっと顔は怖いけど、ほんとにポケモンのこと好きなんだね」

「ポケモンのこと大好きな人に悪い人いねえもんな!

 ちょっと顔は怖かったけど、あの人絶対にいい人だよな!」

 

 あの申し出をパール達に話した後、ナナカマドが語ってくれたことを、二人はしみじみと思い出す。

 未だに怖い顔だと言って憚らないナナカマドを、二人がこれだけ印象を変えているのは、それだけのことをナナカマドが語ってくれたからだ。

 決して、ナエトルをくれたからいい人、なんて発想ではない。

 

 "私は生まれて60年、未だにポケモンと一緒にいるだけでドキドキする。

  世界にはとてもたくさんのポケモンがいる。

  つまりそれだけたくさんのドキドキが待っている"

 

 いかついお顔で子供のようなことを、真顔で話すナナカマドの言葉が、パールとダイヤの胸を打ったのだ。

 ポケモン達が溢れるこの世界を歩くこと。

 それは数多くのポケモン達との出会いと、その都度わくわくする毎日を顕す旅。

 そんな旅路に憧れを抱いた少年にとっても、旅の一番の目的は違えどポケモンが大好きな少女にとっても、胸がときめいてたまらない響きである。

 大好きなお母さんのそばを離れてでも、旅に憧れる子供達が絶えないのは、そんな光り輝く未来への希望が脈打っているからなのだ。

 ポケットモンスターと呼ばれる星の数々が放つ輝きは、いつの世も子供達の心に夢抱かせてやまぬ、宝石の輝きにも勝る眩しさに溢れている。

 

「ありがとな、パール!

 なんだか最高の気分で旅に出発できそうだ!

 パールが今日言ってくれたこと、絶対一生忘れないからな!」

「あはは、ほんとに?

 ダイヤ、だいたいのことはすぐ忘れちゃうじゃん!」

「ぜ~ったいこれだけは忘れない!

 忘れたりなんかしたら罰金100万円だっ!」

 

 歩きながら小指を差し出してくるダイヤに、パールも小指を差し出して結ぶ。

 足を止めず、三度簡易に上下させての指切りげんまんだ。

 結んだ誓い、離れた指先、小指に残る温かさ。

 顔を見合わせる二人も、無性に嬉しい笑顔に溢れてしょうがない。

 

 いつか住み慣れた故郷を離れて旅に出ることを想い、寂しさを考える夜もあった。

 だけど、今のパールとダイヤはその旅立ちに、寂しさをずっと上回るわくわくを抱いている。

 それはきっと、一緒に歩み出せる友達がいるという、些細でちょっとした、ともすれば寂しさとは無関係と見られようものも無関係ではない。

 共に希望を抱いて笑い合える、心の通じ合った友達は、生涯に渡って掛け替えのない財産だ。間違いないことである。



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第4話    ナエトル

「あっ、パール!

 遅いぞー! 遅れたら罰金1000万円って言ってただろー!」

「遅れてないでしょ、10分早く来てるよ。

 あんた何分前から来てるの?」

「ずっと待ってたぞ!」

「ダメだ、会話が成立してない」

 

 フタバタウンの入り口で待ち合わせいていたダイヤと顔を合わせるや否や、パールはさっそく頭を抱えたい気分である。

 旅立ちが待ち遠しいあまり、30分早く来ていた可能性ありありの幼馴染だ。

 自分だって待ち合わせ時間に余裕を持って来たパールをして、きゃんきゃん文句言ってくるダイヤの姿は理不尽極まりない。

 

「さあ、行こうぜ!

 マサゴタウンまでは一緒に行くんだからな!」

「はいはい」

 

 手のかかるせっかちな弟に急かされる気分で、パールはダイヤと一緒にフタバタウンを発つ。

 昨日がダイヤの誕生日であり、ダイヤの家にも行って誕生日を祝ったパールから見れば、どうもダイヤはいつまで経っても子供っぽいというか。

 自分のことも気にもかけてくれず、ずいずいずんずん前に行ってしまうダイヤに、相変わらずだなぁという気分で歩いていく。

 

「パールは旅に出たらどうするんだ?

 憧れの人を探すって言ったって、手がかりもナシじゃ難しいだろ」

「あんたからそういう理論的な発言が出るとすっごい新鮮」

「えっ、この程度で?

 俺もしかしてパールの中じゃすっげーバカ?」

「バカとは言わないけど、考えてそうなイメージ無い」

「なんだってんだよー!

 俺だって色々考えながら生きてるんだぞー!」

 

 愉快にいつもどおりの掛け合いをしながら、201番道路を通ってマサゴタウンへと向かっていく。

 わざわざ野生のポケモンに絡まれたくないので、そうならない場所を選びながらの歩みである。

 

「昔はアイドルになるんだー、とか言ってたよな、パール。

 有名になって、テレビに出て、思い出の人に呼びかけてみるんだって」

「覚えておいて欲しくないこと覚えてるね……

 あの時はほら、子供だったし」

「じゃ、どうやって探すつもりなんだ?

 パールも結構ノープランで突っ込むタイプだから、何もナシでも驚かないけど」

「あんたの中でも私って結構バカな感じになってない?」

「バカとは言わないけど、パールは感情まっしぐらレッツゴータイプじゃん」

「あんたにだけは絶対言われたくない」

 

 幼馴染というものは困ったもので、パールにとっては幼い頃、無邪気に宣っていたような黒歴史をダイヤに覚えられている。

 あんまり色々ほじくり返して欲しくない。恥ずかしくなる。

 

「……今のところは一応、ジムを回ってバッジを集めて、ポケモンリーグに挑戦してみたいかなあって思ってる。

 ほら、有名になれば"あの人"だって、私のことに気付いてくれるかもしれないじゃん?」

「アイドル目指してた時の発想とあんまり変わってなくね?」

「違う違う、全然違うっ!

 アイドルなんてムチャなこと目指さなくなったの! 私もオトナになったの!」

「そっちの方がお前は可能性ありそうなんだけどな~。

 なんてったって、可愛いし」

「っ……あんたのそういうとこ苦手っ!」

「いててて、なんで!?」

 

 つねる。なんでつねられたのかわからずダイヤも逃げる。

 異性も意識するようになってきた年頃、お前は可愛いなんて歯に衣着せず言い放つダイヤの子供っぽさは、パールの調子を本当に狂わせる。

 ぷいっとダイヤから顔を逸らす素振りを見せるパールだが、それはちょっと熱くなった顔をダイヤに見せたくないからだ。

 

「どうせあんたも、すっげー強いトレーナーになるんだー、とか言ってポケモンリーグに挑みに行くんでしょ?」

「ああ、それが俺の夢だからな!

 パールもポケモンリーグを目指すっていうんならライバルだな!」

「あんたがそんな凄い人になるイメージ全然沸かない」

「なんだってんだよー!

 言っとくけど、俺だってお前にだけは絶対負ける気はしてないぞ!」

 

 あしらいながらダイヤの夢を聞くパールだが、本音では応援している。

 でも、素直に頑張れと言うのも今の話の流れではやりづらい。色々複雑だ。

 

「なーに、パールがどっかでポケモンリーグを諦めたとしても、俺がいつかチャンピオンになってお前の言うこと代わりに言ってやるさ!

 俺の友達が、昔シンジ湖で助けてくれた人を探してるってさ!

 パールはそれを、の~んびり待っててくれてもいいんだぜ!」

「人任せなんてやだよ、自分でやるよ」

「あははは、ほら感情優先じゃん!

 じっとしててもいいのに自分で頑張りたがるんだから!」

「うるさいっ」

 

 わざと空振りする感じでダイヤを叩く手を振り、すかっすかっと相手を痛くさせない突っ込みだ。

 ダイヤもひょいひょい大袈裟めに躱して楽しんでいる。

 

「せっかくパールがおんなじ日に出発するようにしてくれたんだもんな!

 俺とお前は今日からライバルだっ!

 どっちが先にバッジを全部集めて、ポケモンリーグのてっぺんに挑戦するのかも競争しよう!」

「あはは、私あんたにだけは負けないつもりで頑張れそう」

「ありがとな、ほんと同じ日の出発って面白いや!

 待っててくれたパールのおかげで、俺いますっげえわくわくしてる!」

「……もぉ」

 

 やっぱりなんだか、パールはダイヤのことが憎めない。

 せっかちで、そそっかしくて、よく怒らせてくる友達だけど。

 その裏表のない素直さで、いつだって自分の考えてることを尊重してくれるダイヤの言葉の数々が、パールにとっても居心地がいい。

 容赦のない掛け合いはしてしまうけれど、絶対に絶好したくない友達。

 

 仲良く語らいながら、マサゴタウンに到着だ。

 パールも、ダイヤも、一緒にいるとずっと話しちゃって、時間が経つのもすごく早い。

 あれ、もう着いたんだ、とパールが思うほどには、喋りっぱなしの二人旅はあっという間に感じられたということである。

 

 

 

 

 

「それじゃな、パール!

 今度会った時には、すっげー強くなった俺の姿にびびらせてやるからな!」

「はいはい」

 

 マサゴタウンのポケモン研究所、ナナカマド博士のいる研究所の前で、パールはダイヤとお別れした。

 パールは既に、先日ナナカマド博士に初めて会った翌日、再びここを訪れてポケモン図鑑を受け取っている。

 ダイヤはその時まだ11歳になっておらず、昨日誕生日を迎えた今日、ナナカマド博士に図鑑を受け取るのだ。

 

 ここでお別れ、というのはダイヤが言い出したことで、旅立ちこそ一緒に踏み出したものの、二人別々に旅を行こうという運びである。

 その方が、いつかまた再会した時にお互いの成長に驚けて面白そう、というのがダイヤの発想である。

 男の子の考えることはわからん。一緒に旅した方が面白そうなのに。

 ともかくここでお別れということになり、パールもなんだかいきなり一人になっちゃうと寂しさめいたものも感じる。

 なんだかんだであの親しんだ騒がしさ、急にいなくなられると静かになるもので寂しく感じるのだ。いてもいなくてもパールを悩ませる子。

 

「……まあ、気持ちを切り替えて。

 さあ、行くぞーっ」

 

 無理矢理独り言めいたことを言って気持ちを切り替えると、パールはマサゴタウンの北の方へと歩いていく。

 マサゴタウンの北から202番道路に出ることが出来、そこを通ってさらに北の、コトブキシティに行くことが出来る。

 パールがひとまず目指すのはそこである。

 始まった旅路、今までに行ったことのない場所を目指して一人で歩いていくことは、やっぱり無性にわくわくするものだ。

 

「んんん、どこにポケモン棲んでるかわかんないや……

 でも今は、この子がいるもんね……うん、大丈夫大丈夫」

 

 地元に近い201番道路やシンジ湖なら、どこに野生のポケモンが出没するかもわかっているパール。

 しかし、一人で来るのが初めての202番道路はそうはいかない。

 いつ、どこで野生のポケモンに絡まれるかわからない環境であり、一人歩きをするにはちょっとした怖さもある。

 

 パールは葉っぱのシールを貼り付けたモンスターボールを両手でぎゅっと握り、202番道路を歩いていく。

 頼れる、今は唯一そばにいてくれる友達が入ったボールだ。

 野生のポケモンが出てきたら、速攻でそのボタンを押す準備が出来ている。

 

「――――z!!」

 

「わわわっ、出たっ!?

 お願いっ、出てきて"ピョコ"っ!」

 

 そんな折、がさがさっと草むらの音が鳴り、振り向けばそちらからビッパが姿を現した。

 パールをじーっと睨むような姿勢で、逃げなきゃ飛びかかってきそうである。

 はらはらしつつも落ち着くよう努め、ぎゅっと握りしめたボールのスイッチを三度押ししたパールにより、中から彼女のパートナーが飛び出してくる。

 

 ナナカマド博士に貰ったナエトルだ。

 着地し、ビッパとパールを交互に見て、"ピョコ"と呼ばれたナエトルは状況を把握し、ふんすと鼻を鳴らしてパールに指示を仰ぐ目を送ってくる。

 任せろ、さあ何でも言ってくれ、というその表情は頼もしい。

 

「ええっと……!

 ピョコ、たいあたりっ!」

 

 あわあわしながらビッパを指差し、慣れない指示をパールが発する。

 ナエトルは、ピョコはビッパに駆けだして、身構えた相手に思いっきりぶつかっていく。

 身構えていてもビッパには重過ぎる一撃だったようで、あえなく吹っ飛ばされたビッパは地面に転がった。

 なんとか立ち上がったビッパだが、恐れを為したのか尻尾を巻いて逃げだして、パールをびびらせたビッパを追い払ったピョコが得意顔である。

 

「あはは……!

 ありがとう、ピョコ! 頼もしいよ!」

「――――♪」

 

 頑張ってくれた友達の奮闘に嬉しくなって、パールはピョコに駆け寄って抱き締める。

 ほんとは抱っこして頭をなでなでしてあげたいけど、ナエトルって案外重いのだ。平均10kgくらいあるそうな。

 しゃがんだパールに抱かれ、彼女の胸元に体を預けて嬉しそうにするピョコだが、これだけでもまあまあパールには負担になってたりする。

 

「それじゃ、ボールに……」

「――――!

 ――――、――――――!」

 

「え、な、なになになに?」

 

 ピョコをボールに戻そうとしたパールだが、彼女から離れたピョコは首を振って、何かを訴えるように首を振る。

 何を言いたいのか言葉では理解できないパールだが、必死な目で何かを訴えようとするピョコの態度である。

 言葉の通じない相手の主張、これをどれだけ汲み取れるかも、"ポケモントレーナー"の資質と呼べるかもしれない。

 

 ピョコの言いたいことがわからず戸惑うパールだが、思い当たった一つの発想に沿って、ピョコのボールをバッグの中に入れてみる。

 それを見て、ピョコの表情はぱあっと明るくなり、ぴょんっと一回跳ねるのだ。

 これは明らかに、パールの行動に喜びを表している。

 

「……一緒に歩こっか?」

「――――♪」

 

 パールの提案に対するピョコの笑顔がまさしく答えだ。

 モンスターボールの中は、ポケモンにとって居心地のいい場所だと言われる。

 ピョコだって、ボールの中が嫌だとは思っていないはずだ。

 だけど今のピョコは、もうちょっとボールの外に出て、パールと一緒に風を感じていたいと思ってくれている。

 

「んふふ、ピョコは甘えん坊さんなのかな?

 うん、それじゃ、一緒に歩こっか」

 

 パールの言葉に満面の笑みのピョコを見て、しょうがないなぁという態度を見せるパール。

 人のことを言えた口か。自分こそ、ピョコのことが可愛くて可愛くて仕方なく、甘えられて顔ふにゃふにゃになっているくせに。

 言動こそ、甘えられた側の上から目線に近いものだが、パールの方こそ仮にピョコに急に嫌われでもしたら、お先真っ暗みたいな顔をしそう。

 

 ポケモンって可愛いのだ。

 初めてのポケモンなんてそれぐらい好きになってもだいたい当たり前なぐらいである。

 

「よーし!

 ピョコっ、コトブキシティに向けてレッツゴー!」

「――――♪」

 

 元気のいい声で先導しようとするパール。よほど楽しいらしい。

 初めてのポケモンと一緒に歩く、未知なる世界へ向けた旅立ちは、彼女をそれだけハイテンションにさせてしまうぐらい楽しいものだった。



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第5話    コトブキシティと203番道路

 202番道路を抜けて、コトブキシティに到着したパール。

 時間は夕方頃であったこともあり、この日はパールもポケモンセンターにお泊まりした。

 預けたポケモンの体力を回復させてくれることで最も有名なポケモンセンターだが、旅するポケモントレーナーを泊めてくれる場所でもあるのだ。

 おうちよりもちょっと硬いベッドだとパールは感じたりもしたが、シャワールームもあって、さっぱりすることの出来る施設である。

 故郷を離れての夜、ちょっとした寂しさはあったりしたものの、パールは安らいだ眠りを明け、次の朝を迎えたものである。

 

 さて、明るくなってポケモンセンターを出れば、通い慣れていない新天地。

 パールは小さい頃にお母さんに連れられて、何度かはコトブキシティに来たこともあるが、こうして一人で訪れるのは初めてだ。

 フタバタウンやマサゴタウンと比べるべくもなく、コトブキシティはシンオウ地方全土の中でも都会的な街である。

 高層ビル、噴水、何よりもインパクトがあったのはテレビ局。

 テレビの向こう側にしか見たことのないようなものが沢山ある街は、歩いて見回すたびにきらきらした景観を見上げられる。

 

 ついついきょろきょろしてしまう首の動きも多く、ちょっと田舎者っぽい仕草が増えるパールだったが、それだけ楽しくてしょうがなかった。

 自分の足で歩く新天地とは、何もかもがわくわくする。

 小さい頃にお母さんに手を引かれて歩いた時と比べても、その高揚感はずっと上だった。

 

 

 

 

 

 コトブキシティには、トレーナーズスクールという施設がある。

 学校と言うよりは図書館のような解放された施設であり、大人の先生の案内のもと、色んなことを教えて貰える。

 ポケモントレーナーになるような子は、元々ポケモンについて自分で色々知っていることも多いので、教える先生もあまり苦労しないらしい。

 パールも興味本位で行ってみたが、だいたい知ってるようなことばかり教えて貰うばかりで、概ね復習作業みたいなものである。

 元々思い出の人を探すために旅に出ることを夢見ていたパールなので、知識はそこそこ豊富な方である。

 

 そこで居合わせた他の子供と、ちょっとポケモンバトルなんかもしたりして。

 ピョコが頼もしいもので、二戦ほどやって二戦とも勝てたことはパールも嬉しかった。

 負けた方の子も、ピョコを撫でたいと言ってくれたりして、和やかなバトル後の時間を楽しく過ごしたものだ。

 ピョコは誰に頭を撫でられても喜ぶ。人懐っこい子のようだ。

 

 街を歩いていると、変なおじさんに声をかけられた。

 ちょっと警戒したパールだったが、このおじさんはどうやらこの街に会社を構える"ポケッチカンパニー"の人だそうで。

 この街のどこかに三人のピエロがいるから、探してポケッチ引換券を貰って来れば、ポケッチをあげるよなんて言われたり。

 新製品なので、色んなポケモントレーナーに持って歩いて使用感を宣伝して欲しいそうな。

 ピエロ探しは、初めてこの街に来た子に楽しんでもらうための、レクリエーション的なお遊びらしい。

 なんで自分が初めてこの街に来たのかわかったのか、パールは不思議がっていたが、おじさんからすればそんなの仕草を見ればわかるという話で。

 初めての街で足取り軽くきょろきょろ。そんな姿を見られていたのだと知ったパールは、ちょっと恥ずかしくなったりもして。

 さておき、街を見歩きながらピエロさん三人を探し、引換券を三枚集めておじさんの所に持っていけば、ポケッチと交換して貰えた。

 時計も付いているし便利そうで、けっこう素敵な貰い物だったはず。

 

 街の西側には218番道路に繋がっており、行ってみるとそこは知る人ぞ知る釣りスポットらしいと話を伺えた。

 釣り好きのおじさんが"ボロのつりざお"を譲ってくれて、やってみたらどうだいと誘われたりも。

 地元にシンジ湖があることもあり、パールは水辺に慣れたものである。

 せっかく貰ったものなので、試しに釣り竿を釣りをしてみたら、まあまあよく釣れること釣れること。

 コイキングばっかり。嫌というほど釣れた。

 釣り上げたところで襲いかかってくるわけでもなく"はねる"ばかりなので、パールもピョコを呼んで応戦することもせず、水に返すばかりだった。

 まあまあ重いし、何がしたかったのかわからない釣りタイムである。

 ただ、パールは楽しんでいた。初めての釣りだったので。

 

 こうして初めてのコトブキシティを観光気分で堪能したパールは、また一日ポケモンセンターにお泊まりした。

 旅足は一日ぶん止まってしまったが、急ぐ旅でもなく、こんな日があってもいい。

 街を出発するのは明日に回し、ゆっくり休んでパールは明日に備えていた。

 

 

 

 

 

「くそ~、負けた!

 ジム挑戦にはまだ早いってことか……」

 

 翌日、パールはコトブキシティを出発して、街の西にある203番道路を進んでいた。

 道中には、何人かのポケモントレーナーがいて、みんなパールと同じ年頃か、あるいは年下というところ。

 コトブキシティのトレーナーズスクール通いの子供が多く、みんなあそこで勉強してから203番道路で、野生のポケモン相手に実戦経験を積んでいるようだ。

 

 実戦経験を積みたい子供達は、トレーナーを見付けると勝負を挑むことに旺盛だ。

 もっともこれは、ポケモントレーナーの皆々様みんなに言えることで、ここに集う子供達に限ったことではない。

 パールも第203番道路を歩く中で、何度か勝負を挑まれており、結果的に彼女もポケモンバトルを数度経験することになっていた。

 

「俺のワンリキー、トレーナーズスクールじゃ一番強かったんだぜ!

 お姉ちゃんのナエトル強いな!」

「ありがとう。

 よかったね、ピョコ。褒めて貰えてるよ」

「――――♪」

「へー、ピョコっていう名前つけてるんだ。

 俺も自分のポケモンに、ニックネームつけてみようかな」

 

 ピョコだけで何戦もこなしてきたパールだが、今のところ負けていない。

 今しがた勝った、二つ年下そうに見える男の子が繰り出すワンリキーはそこそこに強く、ピョコも少々押されそうになる場面もあったのだが。

 それでも力押しだけで勝ちきってしまうぐらいには、力強く戦えるピョコのポテンシャルは高いようだ。

 今のところ、しばしば遭遇する野生のポケモンとの戦いも含めて、パールとピョコは負け無しである。

 

「ピョコ、傷薬いらないの?

 ほんとに大丈夫?」

「――――♪」

 

 少年と別れたパールは、ピョコをボールから出したまま、一緒に歩いて第203番道路を進んでいく。

 ここまでもずっとそうだ。ピョコはパールと一緒に歩くことを好む。

 そんな中で、パールはコトブキシティを出発前に買っておいた傷薬をピョコに与えようとするが、ピョコは首を振って微笑んで、大丈夫だよと意志表示。

 

 まだまだ大丈夫、もったいないから使わないで、と言わんばかりの態度だ。

 ワンリキーにけたぐりをかまされて痛そうな顔をしていたのに、こうしてパールの限られた道具を使わせないよう気遣いまでしてくれる。

 強いだけじゃなくて優しいピョコのことを、パールはどんどん好きになるのだけど、それはそれでいっそう傷薬を使ってあげたくなるのだから困りもの。

 好きになればなるほど、大変なことになって欲しくない気持ちが強くなるんだから、優しいピョコもなかなか罪作りな男の子である。

 

「ピョコと一緒なら、初めてのジム戦も勝てちゃったりするかなぁ」

「――――?」

「あぁ、えーっと……

 ジム戦のこと、何て説明したらいいかな」

 

 つい口をついて思ったことを言ったパールに、ピョコは首をかしげるリアクション。

 203番道路を西に向かって進めば、クロガネゲートという山の中を行くトンネルがあり、そこを抜ければクロガネシティに辿り着く。

 クロガネシティにはポケモンジムがある。パールが目指しているのはそこ。

 彼女はシンオウ地方の8つのジムを回り、ジムリーダーに勝利して得られるバッジを8つ集め、ポケモンリーグに挑みたいと思っている。

 そうして有名になれば、顔も知らぬ"憧れの人"に呼びかけられるかもしれない、というのが、彼女が旅をするそもそもの目的だからだ。

 

 ジムリーダーというのは強いポケモントレーナーであり、バトル初心者の自分がそんな人に勝てるのかな、というのはパールも考える。

 ピョコが頼もしいので、頑張れば何とかなるかもしれない、とも前向きに考えやすくなっているようだが。

 しかし、ピョコに諸々の事情を説明しようとするとどう説明したものか。

 とりあえず、ポケモンバトルで勝ちたい相手がいっぱいいて、みんな強い人達なんだよ、という砕いた説明をする。

 

「――――♪」

「ありがとう、ピョコ。

 やる気満々でいてくれるんだね」

 

 説明をどこまで理解してくれたかはわからないが、ピョコは自信に満ちた目で、任せろとばかりに頷いてくれた。

 強い相手だと聞かされても物怖じしないこの態度、まして協力的な姿で、パールは嬉しくなる。

 そんな強い相手との戦いなんてちょっと……なんて顔をされようものなら、無理強いするのも気が引けてしまうところ。

 目指したいことなら力を貸すよ、と前向きな回答を見せてくれるピョコの姿に、一緒に歩くパールの表情もいっそう明るくなる。

 

「でも、ピョコ一人だけだと大変だろうし……

 やっぱり、もう一人ぐらいポケモンを捕まえた方がいいよね」

「――――?」

「ピョコの新しいお友達」

「――――♪」

 

 さて、パールもまさか今後ずっとピョコ一人で戦い続けるとも考えておらず、新しいポケモンを捕まえることははじめから考えている。

 傷薬を買った時に、新しいモンスターボールも買ってきているのだ。

 それを見せて、新しい仲間がもうすぐ出来るよ、と示唆するパールの行動に、ピョコも喜んだ顔を見せてくれる。

 やっぱりポケモンのピョコには、ポケモンのお友達がいた方がいい。そう思っていたパールにとって、このピョコの反応にはやっぱりと思わせられる。

 

「どんなお友達がいいかな?」

「――――、――――」

「あ~、えぇと……

 聞いておいてなんだけどよくわかんない」

「――――~~」

 

 すっかりピョコと仲良くなって、お友達感覚で普通に話しかけてしまうパール。

 鳴き声と表情である程度の感情表現を見せてくれるピョコだが、具体的な会話は流石に無理。

 ピョコなりに何か伝えようと声を出してくれたが、具体的な内容が理解できず自嘲気味に苦笑いするパール。ピョコはふへっと乾いた笑い。

 呆れられたのはわかる。ちょっと恥ずかしい。

 

「っ、よーし! ピョコ、友達探しだよ!

 草むら歩くから、お友達になりたい子がいたら教えてね!」

「――――!」

 

 とりあえずパールは押し切っておいた。

 呆れられている恥ずかしさを誤魔化すように、大きな声を出して気合を入れる。

 合わせてうなずいてくれるピョコである。話のわかる子だこと。苦笑いしながらだもの。

 パールの気持ちを察してくれる、やっぱり優しいピョコである。



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第6話    初めてのお友達

 

 

「ピョコ! たいあたり!」

「――――!」

 

 さて、草むらを歩き始めたパール。

 草むらはそうでない場所と比べて、野生のポケモンとの遭遇率が高い。

 ピョコをボールの外に出して一緒に歩く中でありながら、パールは首を動かす頻度が高く、どきどきしながら歩いている。

 いつ、どこから野生のポケモンが襲いかかってくるかわからない。パールからすれば気が気で無いところ。

 それでもピョコの新しい友達を探そうという想いから、それに踏み込んでくれるパールだから、ピョコだって彼女の必死めいた指示にはよく応えてくれる。

 

 今は草むらの陰から姿を見せたケーシィに、ピョコが体当たりしたところ。

 その一撃を受けてごろごろと転がったケーシィは、パールがモンスターボールを投げるより先に、テレポートして逃げてしまう。

 野生のポケモンは逃げ足も早い。やばいと思ったらすぐ逃げちゃう。

 

「あう……ごめんピョコ、また逃がしちゃった」

「――――♪」

「あはは、励ましてくれてる?

 うんうんっ、私もまだまだ諦めてないよ!」

 

 謝るパールを笑顔で見上げて、気にするなって言ってくれるかのようなピョコの姿に、パールも胸の前で両拳を上下させる仕草で頑張るアピールをする。

 でも、今逃がしてしまったケーシィは、なんだかピョコも悪くない友達候補らしくリアクションしてくれた相手。

 逃げられてしまったことを気に病みながら、パールはそれをピョコに気取られぬよう、元気なふりして草むらを歩いていく。

 

 野生のポケモンを捕まえるには、いくらか弱らせてからというのが常套だ。

 姿を見せた瞬間の元気なポケモンに、捕まえるためのモンスターボールを投げても、避けられるか、ボールに捕えかけても逃げられてしまうからである。

 だから野生のポケモンに遭遇すれば、最低一回はピョコの体当たりで弱らせるのがセオリーと言えるのだが。

 野生のポケモンも馬鹿じゃないから、ダメージを受け過ぎて"ひんし"とでも呼べるほど弱ったら、一目散に逃げてしまう。

 

 困ったことにピョコが強過ぎて、野生のポケモンに遭遇して繰り出すピョコのファーストアタックで、相手はすぐに逃げてしまう。

 弱らせてから捕まえる、というのが逆に難しいぐらい、ピョコのポテンシャルが高くなってしまっていると言えよう。

 ここまでに何人ものトレーナーとの戦い、野生のポケモンの撃退を経て、ピョコがもりもり強くなってしまっている功罪と言えるかもしれない。

 

「――――……」

「だ、大丈夫だよピョコ。今いっぱい考えてるから。

 絶対、ピョコの新しい友達を探してみせるからね」

 

 良くも悪くも賢いピョコは、自分の能力高さのせいで、野生のポケモンにパールがボールを当てられないことに気付いていそう。

 しょんぼりとまではいかないものの、どうしたものかと思案を巡らせるピョコの表情は、パールにだって読み取れてしまう。

 

「ピョコはお友達になりたい子がいたら、それをアピールしてね?

 あとは私が色々考えるからさ」

「――――」

 

 そうは言うものの、パールも悩ましい。

 どうすれば、ポケモンって捕まえられるんだろう。

 ピョコの体当たり一発でどんなポケモンも逃げちゃう。さっきのケーシィに限らず、ムックルも、ビッパも。

 これはもしかすると、成功率の低さにも目をつぶって、出会い頭の相手にボールを投げるのも考えなきゃいけないかもしれない。

 ポケモン捕獲に確たる手法を編み出していないパールなりに色々考えてはいるようだが、有用な解決策はまだ見いだせていないというところ。

 パールもピョコも悩ましい中、草むらの中を歩いていく。

 

「ねぇ、そういえばピョコは男の子な……」

 

「――――ッ!」

 

 これまで幾度か野生のポケモンと遭遇する中、いい反応だったりそうでなかったりするピョコ、それにパールが問いかけようとしたところ。

 視野をピョコに偏らせていたパールは、草陰から近付いていた野生のポケモンに気付いていなかった。

 よりにもよってその野生ポケモンは、ピョコではなくパールにぶつかりにきていたのだ。

 その行動に対し、自らの体をその間に割り込ませるピョコは、飛びかかってきた野生ポケモンの突撃を額で受け止めて踏ん張っている。

 

「ふあっ!? わわっ!?

 ピョコっ、だいじょ……」

「――――!」

 

 強い体当たりを受けながらも、ピョコは自分が後ずさったり吹っ飛ばされたりしてパールにぶつかったりしないよう耐えきった。

 さらに頭の上の葉っぱが揺れるほど首を振り、相手を見ろとパールに示すかのような所作も見せる。

 突然の出来事にびっくりして動揺しているパールが、はっとして野生ポケモンに目を向ける、そんなきっかけを作ってくれる頼もしい姿である。

 

「えぇと、えぇと、あれは、コリンク、だっけ……!?」

 

「――――z!!」

「――ッ……!」

 

 なんとかゆっくり状況を把握し、冷静な頭を取り戻そうとするパールだが、現れた野生ポケモンのコリンクは待ってくれない。

 パールを背後に守るような立ち位置をキープするピョコに、再び力強い体当たりを繰り出してくる。

 ぶつかられる寸前に頭を突き出し、互いの頭をぶつけ合う受け方をするピョコも少し後ろにたじろぐが、コリンクもまた押し返されたように三歩退がっている。

 

 力負けしているコリンクだが、その後もさらに二歩退がり、前肢で地面を引っかいてピョコの出方を伺う姿は、未だ逃げるつもりはなく好戦的。

 少しだけピョコの側面に回り込もうとするような動きを見せれば、ピョコもまた位置をずらして、顔の向きと眼差しはコリンクへ真っ直ぐ向けて。

 ちらちらとパールの姿を見ながらコリンクを睨みつけるピョコは、パールに手を出したら只じゃおかないと、敵に対して警告を発している。

 それを受けたコリンクもまた、視界にパールを含んでいた眼差しを改め、前方のナエトルに集中する構えに移っている。

 

 トレーナーと一緒に戦うポケモンは、トレーナーの指示にのみよって動くと思われがちだが少し違う。

 それは戦況を把握し、先読みし、的確かつ迅速な指示でポケモンをコントロールする、レベルの高いポケモントレーナー同士の戦いに限ったこと。

 戸惑うパールからの指示が無い中でも、ピョコは自分の考えで敵を見定め、位置取りを構えている。

 指示が無ければ棒立ちで待つのみ、たとえ敵から攻撃されたとしても。そんなポケモンそうそういない。

 

「っ……ピョコ! たいあたりっ!」

「ッ、――――!」

「え……!?」

 

「――――z!!」

 

 意志がある。だから、指示に従わないこともある。

 体当たりを指示したパールだったが、首を振ってピョコは動かない。

 その挙動に見たコリンクがピョコにぶつかってくる。隙と見たか。

 

 だが、パールの指示した体当たりに従わなかったピョコは、コリンクにぶつかられる瞬間に、手足と頭を甲羅の中に引っ込めた。

 止まりきれなかったコリンクは、硬い甲羅だけあらわにしたピョコに頭からぶつかり、二歩退がって額を痛めたかのように頭を下げて呻く。

 ころりんと後ろに少し転がったピョコだが、すぐに頭と手足を出し、コリンクにぶつかりに行くかのように体を勢いよく前に傾ける。

 フェイントめいたそれに、コリンクも体当たりされてたまるかと、痛い頭に耐えて少し距離を稼ぐ。

 

「そっか、ピョコが体当たりしたら逃げられちゃうから……!」

 

「――――!」

「――――!? ――――、――――ッ……!」

 

 たいあたりの指示に従わなかったこと、体当たりするふりをしてコリンクをびびらせて退かせた行動。

 それが、パールにも真意を気付かせてくれる。

 さらにピョコは、ぶるっと体を震わせた後、顔を上げてコリンクの方を見据えたまま口を開ける。

 それに伴って、コリンクが地面に四肢で踏ん張るようにして、吸い込まれるのを耐えるかのように身を震わせる光景は、パールの理解に足るものだろうか。

 

 よく見れば、ピョコとコリンクの間の空気が陽炎のように揺れ、コリンクの方からピョコの方にエネルギーが流れる動きも僅かに見えるのだが。

 体当たりよりは威力が劣り、しかしコリンクに着実にダメージを与える、"すいとる"攻撃をピョコは繰り出している。

 パールにそれを目視する余裕は無いが、少なくともコリンクが片目を閉じ、苦悶の姿にあることを見受け、ピョコが何かを繰り出していることは理解できる。

 

「――――、――――!」

「うんっ、ピョコ……!

 今なんだね……!?」

 

「――――z!!」

 

 コリンクは逃げない。"ひんし"に至っていない証拠だ。

 ピョコに向かって体当たりしてくるそれに、迎え撃つ側も激突寸前に頭を突き出して対抗する。

 何度もピョコの石頭や甲羅にぶつかって、弱りつつあるコリンクは、このぶつかり合いを再び経てよろよろと退がる。

 それでも荒い息を吐いてピョコを睨みつけるのだから、蓄積したダメージで弱りながらも逃げない、捕獲するには良い状態。

 

「っ、いけ~っ!」

 

 ピョコに示されてモンスターボールを握りしめていたパールが、コリンクに向けてそれを投げ付けた。

 下手投げながら彼女なりの全力、目の前に星を散らしながらピョコを注視していたコリンクに、そのモンスターボールが向かっていく。

 はっとしてボールに振り向いたコリンクだが、その頭に当たったモンスターボールが開き、次の瞬間に光粒の集合体になったコリンクがボールに吸い込まれる。

 閉じたモンスターボールは地面に落ちて転がり、中でコリンクが暴れるかのように、がたがたボールは震えている。

 ポケモンを捕えようとするボールと捕獲対象の抵抗が鬩ぎ合う光景に、パールは前のめりな姿勢のままどきどきするばかり。

 

 しばらく揺れ続けるボールを見つめるパールは気が気でなかったが、やがて動きが小さくなってきたボールは、とうとうその動きを止めて。

 さらに、かちりと大きな音を立てた。これが、ポケモンを捕まえたことを表す、モンスターボールが主張する音。

 それはポケモンを捕まえたいトレーナーに対し、成功を伝えるものであり、とりわけ大きな音を立てるよう設計されたものである。

 

「っ、やったぁ~!

 ピョコっ、ありがとう! つかまえた! つかまえられたよー!」

「――――♪」

 

 ぱたぱたボールに駆け寄って、それを両手で持って胸元にぎゅっとするパールに、ピョコもまた嬉しそうに駆け寄っていく。

 初めて自分の投げたボールで捕まえたポケモンなのだ。パールが抱いた感動に近い達成感は並々ならないだろう。

 でも、彼女にとっては自分の未熟な指示に反してでも、こうやるのが一番だってリードしてくれたピョコへの感謝だって、同じぐらい並々ならない。

 駆け寄ってきてくれたピョコを、腰を下ろしてぎゅうっと抱きしめるパールの表情を満たす喜びには二つの意味がある。

 初めてポケモンを捕まえた嬉しさと、ピョコがいてくれてよかったという幸せ。

 双方の意味で笑顔いっぱいのパールに抱かれ、ピョコも満足げに笑っていた。

 

 

 

 

 

「よーしっ、出てきてっ!」

 

 草むらから一度出たパールは、周りに野生のポケモンがいなさそうな場所に移り、コリンクを捕まえたモンスターボールのスイッチを三度押しする。

 開いたボールからコリンクが出てくる。座った姿勢で着地したそれは、未だ痛むのか額を前足でくしくししながら。

 そしてパールとピョコの姿を見ると、少し身構えて顎を引く。

 

「わわわ、あ、あんまりニラまないで……?

 ケガ、治してあげるから……」

 

 見下ろすほど小さなコリンクだが、睨みつけられるとパールだって腰が引けてしまう。

 捕まえたからといって、怒っている相手には物怖じだってするものだ。

 バッグから傷薬を取り出したパールは、目線をなるべくコリンクに近づけようと、しゃがみ気味に腰を曲げてゆっくりと近付く。

 

 警戒しているコリンクだったが、スプレー状の傷薬をしゅっしゅっと噴きつけられ、目を閉じそれを額に受けて間もなく、痛みが引いてきたのか目を開ける。

 痛みが消えたことに驚くその顔からは敵意が抜け、真ん丸な目でパールを見上げるコリンクの顔になった。

 野生のポケモンは基本的に攻撃的な眼をしているので、毒気の抜けたこの顔は、概ね捕まえた後でなくては拝めない。

 元々可愛らしい風貌のコリンクではあるが、こうして見ればいっそう可愛らしい、本来の魅力がいっそう露わになった姿と言えるだろう。

 

「――――、――――♪」

「ッ――?」

 

 きょとんと首をかしげていたコリンクに、横からピョコがすり寄っていく。

 驚いたコリンクではあったが、好意を示す、そして痛めていた額をぺろぺろと舐めるピョコの仕草には満更でも無さそう。

 先程はがっつりやり合った間柄ではあるが、少し前には痛んでいた場所をいたわるピョコの行動は、仲直りを求めるものだ。

 ピョコがパールのポケモンで、自分もパールに捕まえられたことを理解しているコリンクは、和解を求めるピョコの態度に微笑んで頬ずりを返す。

 

 ポケモン達はみんな純真だ。それはまるで、感情に任せて喧嘩してしまっても、ごめんなさいって言われれば許して仲直り出来る人の子のように。

 そんなコリンクとピョコの姿を前にして、さっき戦ったばかりの子と仲良くなっていけるかな、と不安だったパールも心が温まる。

 

「あははっ、ピョコ、その子とはいい友達になれそう?」

「――――♪」

「ねぇねぇ、私ともお友達になってくれない?」

「――――♪」

 

 じゃれ合うように身を寄せ合う、ピョコとコリンク双方に声をかけるパールは、まずピョコから嬉しくなれる反応を得られて。

 問いかけたコリンクにも、目を細めた笑顔を向けられて、もっと嬉しくなって抱きしめにいく。

 初めて捕まえたポケモンであるという感慨も、今に限っては吹っ飛んでしまう。

 ただただ好意的な笑顔を向けてくれるコリンクが可愛い。

 

「――――♪」

「わっ、わわっ?

 なんかぱちぱちするよ?」

 

 ハグしたコリンクから、強い静電気みたいな強い刺激を肌に受け、思わずコリンクを抱いた腕をほどきそうになるパール。

 でも離さない。耐えも入っているが、自分から抱きしめにいって離すことはしたくない。

 首元に頬ずりされ、顔に近い位置にぱちぱちと痛みが走っても、これだけ好意的な接し方をされて突き放すなんて、傷つけかねないことはしたくないのだ。

 

 しばらくそのまま抱きしめてから、後ろ足だけで立ってパールに身を寄せていたコリンクを離し、パールは前足を着地させる。

 尻尾を振って、これからも仲良くしてねと微笑むコリンクの姿に、パールは胸がきゅんきゅんする。

 やっぱりポケモンって可愛い。たまらなく可愛い。

 テレビの向こう側や、他人様のポケモンを遠目に眺めていた時とは全然違う。

 目の前にあって活き活きとした仕草を見せてくれる、そんなポケモンの実像の可愛らしさは想像以上と言う他ない。

 

「えぇと、えぇと……"パッチ"、って呼んでいいかな?」

「?」

「あなたの名前。

 私、あなたのことそう呼びたい。だめ?」

「――――♪」

 

 コリンクは、自分のことをどう呼ばれようが気にしない。コリンクなんてのは人間が勝手につけた呼び名にして分類だ。

 問いかけるパールに、パッチという名でこれから呼ばれるのだと名付けられたと知って、コリンクは猫のような鳴き声を出して微笑んだ。

 快諾のリアクションに、パールの表情もぱあっと明るくなる。

 

「えへへ、ピョコ、覚えてね? この子はパッチ!

 パッチも覚えて、この子はピョコだよ!」

「――――♪」

「~~~~♪」

 

 パッチにピョコの名前を教えて、ピョコにパッチの名前を教えて。

 自分の名前を捕まえたばかりのポケモンに伝えるのは二の次のようだ。

 そんなことより、ピョコにとって一緒に旅する、初めてのポケモンの友達が出来そうなシチュエーションに、パールは頭いっぱいである。

 鳴き声を交わし合い、ポケモン同士でのみ伝わる声で改めて自己紹介し合うかのようなピョコとパッチの姿を、ただただパールは幸せそうに眺めていた。



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第7話    クロガネゲート

 

「パッチ! たいあたりっ!」

「――――z!」

 

 パールの指示を受け、コリンクのパッチが野生のビッパにぶつかっていく。

 一撃で吹っ飛ばされたビッパは、何とか立ち上がると一目散に逃げていった。

 ピョコと一緒でこの辺り、第203番道路の野生ポケモンぐらいなら、一撃で退けられるパッチの姿にパールもうきうき。

 

「あははっ、強くなったねパッチも!

 昨日いっぱいトレーニングしてみた甲斐があったね!」

「――――♪」

 

 昨日パッチを捕まえたパールは、その時点でそこそこの時間帯に至っていることを顧みて、先へ進むことを取りやめた。

 野生ポケモン達との戦いや、出会ったトレーナーとの戦いで、それなりに時間を使っていたようだ。

 これ以上旅を急いでも、夜になってしまう。そう考えたパールはコトブキシティの方へ戻り、その道のりで遭遇する野生ポケモンとの戦いをパッチに任せた。

 

 マサゴタウンからコトブキシティへの道のり、また、パッチと出会うまでの間は、野生ポケモンとの戦いはずっとパッチが一人でやっていた。

 そんな中で、出会った頃よりピョコがより強くなっているのは、パールの目にも明らかだった。

 ポケモンは、バトルを重ねるたびに強くなると言われる。あれは本当だったんだ、と、パールも実感することが出来たはずだ。

 そんなわけで、今度はパッチにも実戦経験を積ませてみたいと思ったのが、昨日のパールの発想である。

 ポケモントレーナー初心者ながら、育成の基礎を理解できたと言えるだろう。

 

 捕まえたばかりのパッチはピョコほど強くなく、野生のポケモンを体当たりで押し切ろうにも、はじめ反撃を受けることは多かった。

 買い溜めてあった傷薬もまあまあ使ったものである。

 しかし、そんなことを繰り返しているうちに、いつしかパッチの体当たりを受けた相手が、反撃に移る余裕を失う局面が増えてきて。

 返す刃が無いと見れば、果敢に攻め込むパッチの思い切りの良さもあって、反撃を受けずに勝てる場面もいくつか生じていた。

 西の空が赤くなる頃には、ムックルが体当たり一撃を当てただけで逃げていく、一撃勝利も叶えられたものである。

 

 ポケモンセンターに泊まり、ピョコとパッチもゆっくり休んで、元気いっぱい今日も第203番道路を行く旅。

 昨日もここで会ったトレーナー達、ポケモンバトルをした相手にご挨拶しながら、パールはパッチと共に進んでいく。

 ピョコは今日はボールの中。時々ボールが揺れる。出番があったら出してね、と訴えるボールの動きに、パールは微笑みボールを撫でる。

 勇ましくって頼もしいピョコ、と改めて思うパールだが、ピョコは単にパールと一緒に歩きたいだけである。微妙に気持ちが伝わっていなかったり。

 

「う~、着いた着いた。

 クロガネゲートだぁ」

「?」

「これを抜けた先に、クロガネシティがあるんだ。

 昨日も話したけど、そこのポケモンジムに挑戦してみようかなって」

「――――♪」

 

 ピョコにも話したことではあるが、パッチにも昨日のうちに話してある。

 パッチもパールのジム挑戦に付き合おうということには、非常に前向きでいてくれているようだ。

 ここまでに遭遇した野生のポケモンなど一ひねりの実力を持つパッチは、今やピョコと同じでパールにとっては非常に頼もしい仲間である。

 

「交代しよっか、パッチ」

 

 今日はここまで頑張ってくれたパッチを、パールはボールの中へ収める。

 うなずいたパッチがボールの中へ入って、代わってパールが呼び出すのはパッチ。

 何戦もしてきて疲れているかもしれないパッチを休ませ、ピョコと一緒にクロガネゲートに入っていく心積もりだ。

 

「――――♪」

「ピョコっ、頑張ろうね!」

 

 初めて足を踏み入れるクロガネゲート。

 旅は進めば進むだけ、行く限り初めて来る場所ばかり。

 新たな世界を見続ける旅路には、パールも胸が躍るばかりである。

 

 ただ、胸の前で握った拳を上下に振り、ピョコに頑張ろうねという気持ちを訴える姿は、少し気合を入れ過ぎな姿とも取れる。

 実は、こうしていないと手が震えそうだったから、パールは仕草で誤魔化したのである。

 クロガネゲートは言うなれば、洞窟的環境とも言える。

 パールは諸事情あって、こういう環境は少し苦手なのだ。

 

 

 

 

 

 クロガネゲートはあくまで人口のトンネルであって、道も歩きやすいように均されており、躓いて転ぶような足元はしていない。

 所々にランプめいた蛍光灯も吊り下げられており、強い発光のおかげで視界も良い。

 パールのような子供でも、一人でここを抜けてクロガネシティに辿り着くのはそう難しくないはずだ。

 

 一方で、壁面にあたる岩肌は粗っぽいまま残されており、足元に目を向けない景色のみで語るなら洞窟的。

 明かりはあるから人造的で、だけどそのぶんこの景色もはっきりわかる。

 コトブキシティとクロガネシティを繋ぐトンネルとして造られた一方で、歩きやすさだけは確保しつつも、自然の景色をあまり損なわない構造と見える。

 

「ピョコ離れないでよ?

 絶対どっか行かないでよ?」

「――――」

 

 頻りにきょろきょろして歩くパールにそう言われ、ピョコも頷きつつ怪訝な顔。

 気合入れて来た割にはびくびくするばかりのパールだ。

 暗くもないし不安にもならない眺めだろうに、そんなに怖がるほどの場所かな? と、ピョコには思わずいられない。

 昨日、パッチのトレーニングという名目で、いつどの近い場所から野生のポケモンが飛び出してくるかわからない草むらを積極的に歩いていたパールなのに。

 あそこに比べれば野生のポケモンが寄ってきてもすぐわかるし、ここの方がずっとびびらず歩けそうなものなのだが。

 

「――――!」

 

「わあっ!?

 来た来た来たっ、びっくりしたっ!

 ピョコっ、構えてっ!」

「――――?」

 

 20メートル以上離れた場所から、野生のポケモンが鳴き声をあげて近付いてくる姿にも、パールは些か過剰な反応。

 動きも速くないイシツブテが跳ねながらこちらに近付いてくるのに身構えつつ、そんなにびっくりすることないのに、というのがピョコの本音。

 

「えぇと、イシツブテは岩タイプだからっ……!

 ピョコ、すいとる攻撃っ!」

「――――z!」

 

 でも、指示はけっこう冷静である。

 ポケモンにはタイプというものがあって、それには相性というのがあるのだが、パールだってそれぐらいは知っている模様。

 見るからに岩タイプのイシツブテに普通に体当たりしても効きが弱く、一方で草タイプの攻撃はよく効くとわかっている指示だ。

 自己判断ですいとる攻撃を仕掛けようとしていたピョコだったが、なんだわかってるじゃんとばかりに少し微笑み、離れたイシツブテに攻撃を仕掛けた。

 

 距離を詰める前から力を吸われるような感覚に、イシツブテは分の悪さを感じたか一度立ち止まると、振り返って逃げる方向へと切り替えていった。

 けっこう野生のポケモンは引き際上手である。そりゃあこてんぱんにされて捕まりたくはなかろう。逃げられないほど動けなくなる前にちゃんと逃げてしまう。

 ともあれあっさり退けることには成功だ。ピョコはふんすと鼻息を鳴らして得意気にパールに振り返る。褒めて褒めての顔。

 

「うんうんっ、ピョコありがとう!

 ピョコがいてくれれば安心!」

「――――♪」

 

 不安げだったパールの顔にいつもの元気が戻ってきており、ピョコは褒められたこと以上にそれが嬉しい。

 自分がやったことのおかげで、パールが元気になったような気がして。なかなか達成感めいたものもあることだろう。

 

「よーしピョコっ、行……」

 

「あーーーーーーーーーーっ!!

 パールっ!!」

「わひえっ!?!?!?」

 

 前進再開しようとしたパールだったが、背後からのもの凄い大声に、体が浮きそうなほど背筋を伸ばしてびっくり。

 突然のことに心臓が口から飛び出そうになったが、振り返って声の主が駆け寄ってくるのを見て、すぐに我に返ってかっとする。

 

「パールっ、お前もクロガネシティに行……わああっ!

 なんだなんだっ!?」

「~~~~~っ!!」

 

 近付いてきた声の主、ダイヤに平手をぶんぶん振りかぶるパール。

 よくもびっくりさせてくれたな、という怒りが声に出ていない。

 本気で当てにいっている"はたく"攻撃だが、ぴょんぴょんひらひら避けるダイヤには当たらない。

 じゃれ合い攻撃だったら甘んじて受けてくれるダイヤだが、本気で当てにいくとちゃんと避ける。そして身のこなしがいいので回避率もよろしい。

 

「なんだってんだよ~!?」

「っ、なんだってじゃなあああいっ!!

 びっくりするでしょうが~っ!!」

 

 やっと声が出たパール。こちらもダイヤに劣らぬ大声だ。

 離れた場所の野生のイシツブテやコダックがこれに驚き、なんだなんだと水底や岩陰に隠れるほどである。パールも大概なびっくりさせ屋さん。

 

「あははは、ごめんごめん!

 それより久しぶりだな! お前のポケモン強くなったか!?」

「それよりじゃなくってっ……!

 ううぅ、もうっ、話が通じないとこある……!」

 

 本当マイペースなダイヤである。パールは未だばくばくしている胸に手を当て、はぁ~っと心底の溜め息。

 怒っても無駄な相手だもの。こういう奴だってパールが一番よく知っている。

 

「パールもクロガネシティに行ってジムに挑戦するつもりなんだろ?」

「まあ、そうだけどぉ……」

「じゃあさ、じゃあさ、ポケモンバトルしてみよーぜ!

 俺のポケモンも結構強くなったんだぜ!」

 

 釈然としない気持ちを抑えて会話を合わせるパールに、ダイヤは言いたいこと、やりたいことをぽんぽんぶつけてくる。

 呆れたようにほっぺたを指先でかりかりしながら、あらぬ方向を見てパールは遠い目。

 まったく、こいつは……というパールの表情を、ピョコが心中お察ししますの顔で見上げている。

 ピョコ目線でもダイヤは悪い人には全然見えないのだけど、パールを苦労させてそうだなぁというのはもう充分わかったようだ。

 

「ジムに挑戦する前に一勝負だ! いいだろこういうの!」

「わかった、わかったわよ……

 ピョコ、やってくれる?」

「――――」

 

 こんな流れだけどお願い出来る? と、ピョコにはちょっと申し訳なさそうな目を向けるパールに、ピョコは気のいい笑顔を浮かべて頷いた。

 いいよいいよ、パールも大変だね、と言ってくれているような顔に、少し癒されるパールである。

 

「よーし、そう来なくっちゃ!

 行くぞ~! ヒコザル、出て来い!」

 

 バトルの承諾を得られたダイヤは、パールに背を向けて駆けだして距離を作りつつ、腰元のモンスターボールを手にして。

 パールとの間にバトルフィールドが出来るだけの距離を作ったらすぐ、振り返ると同時にボールのスイッチを押す。

 すべての動作が速い。矢継ぎ早に放たれる言葉の速さに、ちゃんと行動が追い付いている。

 フタバタウンでせっかちのダイヤと有名になるだけのものはある。

 

「あっ、ちょ……!

 炎タイプじゃん、ずるい!」

「だ~いじょうぶだって! "ひのこ"は使わないから!

 な、ヒコザル!」

「――――」

「タイプの相性だけで勝っちゃうのはなんかズルいよな!

 今日のところは普通に力比べだぞ!

 さあ、かかってこーい! パールのナエトル!」

 

 草ポケモンのピョコは炎の攻撃に弱い。

 ダイヤのヒコザルは炎ポケモンだ。たいそう不利。

 しかし、お互い手持ちのポケモンも多くなさそうで、戦略的な選択肢も少ない今、ダイヤはパールとの勝負に相性を持ち込まないつもりでいてくれるようだ。

 そんなダイヤにヒコザルもうなずいている。パールとピョコが相性の良い付き合いをしているように、ダイヤとヒコザルの関係もよく通じ合った仲と見える。

 

「かかってこい、って、戦うのはあんたじゃなくてヒコザルなんだけど」

「こまけーことはいいんだよ!

 行けっ、ヒコザル! ひっかく攻撃!」

「――――z!」

「――――!」

「わわっ、ピョコ、甲羅に入って!」

 

 いかにも身軽そうな見た目のヒコザルは、素早い動きでピョコに詰め寄ってきた。

 急に始まってしまったのでパールも慌てかけたが、なんとかちゃんとした考えを持った指示を出せた。

 亀さんみたいな姿ながらも案外動けるピョコではあるが、それにしたってヒコザルはパールが知るピョコの素早さを上回っていると見えた。

 下手に避けるより一度防御しよう、というパールの判断は悪くない。

 

「――――ッ!」

 

「おっ、やるじゃんパール!

 先手必勝作戦だったのにちゃんと反応したな!」

「ばかっ、今のは先手必勝じゃなくて不意打ちみたいなものでしょ!

 でも私達そんなのには負けないんだから! ね、ピョコ!」

「――――!」

 

 甲羅に身を隠したピョコに爪を振り下ろしたヒコザルは、手首を振りながら少し距離を取る。

 硬い甲羅に爪を打ち付ける形になって少し痛んだようだが、ピョコにもダメージが無いわけではない。

 ナエトルにとっては甲羅も身体の一部だ。引っかかれもすれば痛くもある。ただ、顔や四肢を傷つけられるよりは痛みも小さい。

 パールの意気込んだ声に対しても良い返事をするピョコは、たいしたダメージじゃないよと雄弁に語っている。

 

「へへっ、パールも熱くなってきたな!

 ヒコザル、行くぞ! 野生のポケモン相手だと思っちゃダメだぞ!

 相手は強いぞ!」

「――――!」

 

「ピョコ、お返しいくよ!

 たいあた……」

 

「――あっ!?

 パールっ、後ろ後ろっ!」

 

 熱が入ってきたパールの姿に、迎え撃つダイヤもいっそうテンションが上がっていたところだ。

 しかし、パールがピョコに体当たりを指示しようとしたその矢先、何かに気付いたダイヤがパールの後ろを指差す。

 指示を遮るような声と指摘であり、前のめりだったメンタルのパールが勢いを挫かれてしまう。

 

「え、ちょ、何なのっ。

 後ろ向かせてまた不意打ちする気?」

「違う違う! マジで後ろっ!」

「もう、なに……」

 

 あっ、後ろ、で相手を振り向かせて、隙あり、的なことでも仕掛けられてるのかと思って、パールはダイヤをはじめ信じなかった。

 最初のヒコザルの攻撃が、パールが身構える前の奇襲的な攻撃だったせいで、一時的にだがダイヤがずるい子に見えていたようだ。

 しかし、そんなことをする幼馴染でないと思い直して、パールはふいっと後ろを振り返った。

 

「………………ゃ」

 

「ヒコザルっ!

 バトル中止! あのズバットにひっかく攻撃!」

「――――z!」

 

 振り返ったパール。

 彼女に背後から近づきつつあった野生のズバット。

 そしてそれを目の当たりにした瞬間、ぞあっとパールの表情が一変する。

 意気盛んにダイヤとのバトルに集中し始めていた強い眼差しの色が失われ、瞬く間に恐ろしいものを目の当たりにしたかのように歪み。

 そんなパールの事情を知っているダイヤは、楽しくなり始めていたバトルを中断してでも、ヒコザルをそのズバットへと差し向けた。

 

「や~~~~~っ!?!?!?

 やだやだやだいや~~~~~っ!!」

 

 飛来してきたズバットから離れるように後ずさり、パニックを起こしたように慌てた足取りがもつれ、パールはお尻から地面に座り込む。

 地面に打ち付けたお尻を痛がる暇もなく、顎を引いてぎゅっと目をつぶり、来ないで来ないでと両手をぶんぶん振るう。

 パールに襲いかかろうとしていたズバットの方が、過剰な挙動に驚いて戸惑うほどであり、そこへ地を蹴ったヒコザルが飛びついてひっかく攻撃を放つ。

 ざしゅっと引っかかれたズバットはよろめいて、これはたまらんとばかりにいそいそ逃げていくのだった。

 

「やだやだ来ないで~っ!

 ピョコ助けてえっ!」

「落ちつけパールっ! ズバットならもう逃げたから!

 お前ほんと今でもコウモリ駄目なんだな!」

 

 ヒコザルとズバットの交戦や、逃亡していったズバットの動きも見ず、とうとう頭を抱えて背中を丸めてしまうパール。

 ナエトル姿になってがたがた震えながらピョコに助けを求める始末。完全に我を失っている。

 駆け寄ったダイヤがゆさゆさと揺さぶりながら、なんとか落ち着かせようと宥めていた。

 

 両者ともに気乗りしつつあった、幼馴染同士のポケモンバトルも有耶無耶だ。

 野生のポケモンに乱入されたから、と単に言い表すだけでは少々足りない。

 パールは蝙蝠の姿をしたポケモンが、これほど取り乱してしまうほど苦手なのだ。付き合いの長いダイヤも知っている事実である。



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第8話    クロガネシティ

 

「ダイヤっ、絶対離れないでよ!? 絶対だよ!?」

「もう~、そんなにくっつくなよぉ。

 歩きにくいだろ」

「や~だ~! あんた離したら先にすたすた行っちゃうもん!

 ズバットいない!? 周りちゃんと見ててよ!?」

「わかってるってば、来てないってば」

 

 クロガネゲートは抜けきるまでそんなに長くないのだが、パールがダイヤの腕にぎゅうっとしがみついており、なかなか進まず抜けきるまで時間がかかる。

 ズバットの棲む場所だと確定したら、パールはすっかりびびってしまい、周りを見回すのに忙しい首、震えっぱなしで遅い足。

 捕まっているダイヤも足並みを合わせねばならず、なかなか進まない。

 こんな所さっさと抜け出したいとパールは思っていそうだが、彼女が進みを遅らせているという本末転倒ぶり。

 

「3歳の時、ズバットに襲われてシンジ湖に落ちたんだっけ?」

「そうそう、あの時は本当に死んじゃうかと思って……

 それからずっと、コウモリがダメになっちゃって……テレビで見てても無理」

 

 怖がってばかりのパールの気を紛らわせようと、ダイヤはとっくに知っている話を敢えて振って会話を作る。

 パールとダイヤは今より小さい頃、お互いの家に遊びに行くような関係でもあったのだが、本当にパールはテレビ越しでもコウモリを見ると取り乱す。

 ズバットが映ると、小っちゃな頃は目に涙を溜めて怖がり、6歳ぐらいの頃には目を覆うかテレビの前から逃げ、今でもテレビから顔を逸らす。

 その一方で、ホラー系の番組なんかは、どきどきしたりたまに短い悲鳴をあげたりもしつつ、何だかんだでちゃんと最後まで見れるパールだったりもする。

 それほど彼女にとって、命を危ぶめられたコウモリポケモンというのは、心に根深いトラウマとなっているようだ。

 

「まあ、"あの人"が助けてくれたから助かったんけど……」

「そっちは未だに顔も思い出せねーの?」

「私だっていっぱい水飲んで、意識朦朧だったんだもん。

 全然思い出せないよ、そもそも顔も見えてなかったんだからさ」

 

 そのシンジ湖に落ちたパールを助けてくれた誰かというのが、その日よりずっと彼女が"思い出の人"と称する、顔もわからぬ想い人。

 何とかして再会して、あの時はありがとうございましたと伝えたい人である。

 パールがポケモンリーグを目指し、有名になりたいと思ったのも、そもそも有名になった場で自分の過去を打ち明け、"あの人"に自分の声を届けたいからだ。

 命の恩人であり、彼女が旅に出ることを志したきっかけを生み出したとも言える、パールの人生に只ならぬ影響を与えた人物と言っていい。

 

「はぁ~……会いたいなぁ……

 ダイヤよりずっとかっこよかった人」

「あっ、そんなこと言うなら振り切って逃げるぞ」

「だめだめごめん、許して許して。

 一人にしないで、一人にして逃げたら一生うらむ」

「うらまれる」

「うらむ」

 

 金色の思い出を脳裏に描けばちょっとは元気が出たか、パールも多少の軽い掛け合いが出来るようになってきた。

 でもダイヤの腕にしがみつく力は全力。一人にされたくない。

 自分が忘れられているような気がして、ピョコがものすごい目でじとーっとダイヤを睨んでいる。

 うちのパールを取るな、とでも妬いているのかもしれない。

 パールはそんなピョコにも気付かないほど余裕の無い有り様だが、ダイヤは刺すような視線に気付いていてなんだか気まずい。

 早くクロガネゲートを抜けてしまいたい。色んな意味で。

 

「あっ、ほら、見えてきたぞ出口。

 もう走らね?」

「あ、う、うん、もう急ご?

 ごめんねダイヤ、ありがと」

「よーし行くぞ!」

「わっ、ちょ、もう~! 置いていかないでよぉ!」

 

 ゴールが見えたのであとは走っていこうと提案するダイヤから離れたパールだが、すぐさまダイヤは突っ走ってしまう。

 ずっと捕まっていて焦れていたせっかちと、置いていかれるのが嫌な女の子。

 なんか俺ほんとに忘れられてるなぁと溜め息をつくピョコを、ぽんとヒコザルが肩を叩くように手を添えて慰めていた。

 こちらでも密かに、男の子同士の友達関係が出来つつあるのを、ダイヤとパールは今のところ知る由もなし。

 

 駆けだすピョコとヒコザルは、ダイヤとパールにじりじり追い付いて、概ねみんなで揃ってクロガネゲートから出る形に。

 トンネルを抜ければそこはクロガネシティ。

 ジムへの挑戦を志すパールとダイヤが目指す、最初の目標地点である。

 

 

 

 

 

 クロガネシティは、炭坑で栄える町として有名だ。

 町の南に広がるクロガネ炭坑は、一般人にも見学が許されており、町の賑わいに一役買っている側面もある。

 そこで採掘される潤沢なエネルギーにより夜でも明るく、シンオウ地方最大の都とも称されるコトブキシティとはまた違う趣で人の集う都市の一つである。

 

「ダイヤはここ来るの初めて?」

「おう。パールもか?」

「砂っぽいよね。

 なんかまだクロガネゲートの中を歩いてる気分だよ」

 

 生まれて初めてクロガネシティを訪れたパールとダイヤは、ざりざりと鳴る自分達の足音と、靴の裏から伝わる砂の実感を得ながら歩いていく。

 道路が整備されたコトブキシティや、緑溢れる道脇に細かい砂地の道を敷いたフタバタウンやマサゴタウンと異なり、クロガネシティの歩道は確かに砂っぽい。

 平たく均した地面に粗い砂粒が目立ち、躓いて転んだりしたら硬くて痛そうな印象を受け、町の中の公道でありながら獣道のようにも感じられる。

 歩いて得られる感触は、確かにパールが言うとおり、先ほどのクロガネゲートを歩いていた時とあまり変わらない印象だ。

 

「見たこと無いものが結構あるなぁ。

 何だろコレ?」

「えーっと、炭坑の地下通路の空気を入れ替える通気口だってさ。

 時々地下からの蒸気が出てくることもあるみたいだから、あんまり近付かない方がいいよ」

 

 道の脇にはいっそうじゃりじゃりした地面が広がっており、そこには所々金属製の土管のようなものがいくつか整立している。

 近くにはそれが何かを説明する看板が立っており、初見のパール達にもそれが何かわかるように説明されている。

 町の南のクロガネ炭坑の地下深くと繋がっているようで、しばしば採掘に働く機械が発する熱蒸気が噴き出すこともあるので、近付き過ぎるとあまり良くない。

 蒸気はこの通気口を通ってくる過程でいくらか冷却されるそうだが、それでもまともに浴びれば熱い。

 

「へぇ~、じゃあコレは地下に通じてるんだ。

 おーーーーーいっ!」

「やめようよ、恥ずかしいじゃ……」

「って、わあっ!?」

「はわっ!?」

 

 離れた地下まで繋がっているというこの通気口を見て、思わずその通気口に顔を近付けて大声を出してみるダイヤ。

 期待はしていないけど返事が返ってきたら面白い、なんて思いながらのイタズラだ。

 しかし、偶然ながらそれに呼応するように、その通気口から真っ白な熱蒸気がぶしゅーと発射された。

 安全な程度に冷却された蒸気は、火傷するほど熱いものではないが、思いっきり上半身全体で受けてしまったダイヤはのけ反って離れてじたばた。

 浴びなかったパールだって、傍から見ていてびっくりするぐらいの真っ白で大量の蒸気だった。

 何せ蒸気に包まれたダイヤの顔が、一瞬完全にパールの前から消えたほど。

 

「も~、バカなことしてるから」

「うへええ、しっとりしちまった」

 

 水分を多く含む蒸気を浴びてしまったことで、大量の霧を吹きかけられたようになった顔を拭うダイヤと、呆れながらも笑うパール。

 そんなやりとりを交わしながらクロガネシティを歩く二人は、ひとまず町を歩いていく。

 炭坑で栄えた町らしく、炭坑博物館と呼ばれる施設もあり、この辺りも気が向いて訪れてみれば面白そうだ。

 観光客を呼び込む一因にもなっているようで、道行く人々の数々の中には、きっとこの町住まいでない人も多いだろう。

 コトブキシティのように都会的な町ではないながら、人の活気に溢れた景観は、"タウン"ではなく"シティ"と呼ばれることへの説得力を強めるものだ。

 

「さぁーて、ジム行くか!

 パールも来るだろ?」

「や~、私は今日はいい。

 ポケモンセンターで一日休んでから行く」

「えっ!? なんでだよ、すぐ行こうぜ!」

「疲れたよ~、さっきほんとにびっくりしたんだから」

「ああ、ズバット疲れか。

 なんだよあれぐらいで、ちょっとびっくりして騒いだだけじゃん」

「私はきっついの、ちゃんと見てよほら、今でも立ち止まったら」

「あっ、ホントだ足震えてら。ぷぷ」

「その笑い方むかつくっ」

 

 ひっぱたく手を当てない程度に振り抜くパールの攻撃を、ダイヤはけらけら笑いながら避ける。

 さっきクロガネゲートで遭遇したズバットにパニックを起こしたパールは、どうやらあれだけで随分と疲れたらしい。

 あの後、いつまたズバットと遭遇するかで神経をすり減らしながらゲート内を歩いたことも疲れの一因だろう。

 本当にパールは、傍目が勝手に想像する以上にコウモリが怖いのだ。

 今でも当人が言うとおり、立ち止まったら体を支える二本の足が、少しだけ小刻みに震えているほどである。根深い恐怖がしばらく焼き付くのだ。

 

「しょうがないな~、じゃあ俺一人でジム行ってくる!

 お前もすぐにジム戦勝って、俺に追い付いてこいよ!」

「わかってるわよ。

 あんたこそ、とっくに勝つつもりでいるのはいいけど、負けないように気を付けなさいよ」

「もちろんだってば! じゃあな!」

 

 行くと決めたらダイヤってば行動が速い。

 パールと一緒に並んで歩いている時は足並みを合わせてくれるが、一人になったらすぐ走る。

 あっという間に駆けていったダイヤは、見送るまでもなくすぐパールの目の前からいなくなってしまった。

 

「さて、と。せっかくだし」

 

 パールもダイヤと同じで、ジム巡りをするためにシンオウ地方を巡る旅に乗り出しているが、ダイヤほどはせっかちではない。

 せっかく初めて訪れる町なのだ。ちょっとぐらい、色々見て回りたい。

 ジム戦で勝利して、次なる町へと出発することになれば、ここを再び訪れるのはいつになるかわからない。

 見て回るのであれば今のうち。二度と来ないわけではないとはいっても、町との出会いも一期一会だ。

 

 炭坑博物館を覗いてみて、石炭がどのようにして生まれるかなど、初めて知ることにへぇ~と思って楽しんだり。

 クロガネ炭坑の浅い場所を見学してみて、地下で発掘した石炭を地上まで運ぶ大きな機械を見上げて圧倒されたり。

 炭坑も地下まで潜ると野生のポケモンが出てくるそうなので、そこまで踏み込むのはやめておいた。

 時々ズバットが出てくることもあると聞いた時点で、パールに地下炭坑まで見学してみるという選択肢はなかった模様。

 もしかしたら、一生行く気はしないかもしれない。

 

 日が沈んできたのを見受けて、パールはポケモンセンターに向かい、そこで一夜を過ごした。

 夜になっても潤沢なエネルギーで明るく照らされるクロガネシティだが、パールはそもそも夜があまり好きじゃない。

 ズバットが活発になる時間帯だからである。町の中まで野生のズバットが飛んでくることはないけれど、それでも連想してしまう以上は夜が好きになれない。

 早寝、早起き。我が家以外での夜更かしは苦手。パールはそんな子だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええっ、ジムリーダーさんいないんですか?」

「そうなんだよ。

 "ヒョウタ"さんはクロガネ炭坑に行ってることが多くてね」

 

 さて翌朝。

 気合を入れてクロガネジムへと赴いたパールだったが、さっそく問題発生だ。

 9時にジムを訪れて、入ってすぐの場所にいる受付の男性に話を伺ったところ、どうやらジムリーダーのヒョウタは不在の模様。

 

 元々こういうことは多いらしい。ポケモン達と共に炭坑での採掘を手伝ったり、あるいは単に珍しい石を探しに行ったり。

 地下深くまで掘られたクロガネ炭坑、ごく稀にだがポケモンの化石が発掘されることもあるようで、ヒョウタにとって炭坑潜りはライフワークに等しいそうだ。

 

 ジムリーダーがジムを留守にしていていいのかと時々言われるそうだが、かといって、極論ずっとジムにいなきゃいけないというのも少々酷な話でもある。

 毎日朝から夕方までずっとジムで挑戦者を待ち続けていなさい、なんて、ひどい拘束時間になりそうだ。

 趣味の時間もありませんでは、誰もジムリーダーなんてやりたがるまい。

 

「いつぐらいに帰ってきそうだとか、わかりませんか?」

「夕方にもなれば必ず帰ってくるけどね。

 ただ、待ちたくないならクロガネ炭坑に会いに行けば早いよ。

 挑戦したいんです、って言えばヒョウタさんもすぐに帰って来てくれるから」

「ん~、そうですか……」

 

 さて、パールにとっては悩ましい話になってしまった。

 話の流れから察するに、ヒョウタがいるのは地下炭坑。

 会いに行けばすぐジム戦をして貰えそうだが、その地下炭坑とやらにはズバットが生息している。

 あんまり行きたくない。夕方まで待つのも充分選択肢。

 

「あっ、そうだ。

 昨日、夕方かそれぐらいの時間帯に、私と同じ年ぐらいの男の子が来ませんでした?」

「昨日? えーっと……せっかちそうな子?

 やたら早口だった男の子なら来たよ」

「えぇと、その子ってヒコザル連れてました?」

「ああ、そうだね。知り合い?」

「多分そうだと……ちなみに、ジムリーダーさんには勝ってました?」

「勝ってたよ、随分苦労してたようだけどね。

 ヒョウタさんも筋がいいって褒めてたな」

「うぐぐ……」

 

 しかし困った。

 恐らくそれはダイヤであり、昨日ここのジムリーダーに勝利し、次なる地へと出発したのだろう。

 そもそも昨晩、ポケモンセンターに帰ってこなかった時点で、もしかしたら勝っちゃったのかなとはパールも思っていたのだけど。

 負けていたら、もう一日以上この町に滞在するために、ポケモンセンターに泊まりに来そうなものだから。

 帰ってこなかった時点で、ジム戦をクリアして、あのせっかち足でとっとと町を出発したとしか思えない。

 

 こうなってくると、パールもなんだかのんびりしていたくなくなる。

 夕方にジム戦、仮に勝ったとして、夜のクロガネゲートを再びくぐって帰るなんて出来ない。夜はズバットが多くなるらしいし。

 勝ててもこの町を出発するのがダイヤより二日も遅れるとあっては、あいつにどんどん置いていかれそう。

 それでいつの間にか追い付けないほどの差をつけられでもしたら悔しくなっちゃう。実はパール、対ダイヤに関しては負けず嫌いなところがあるようだ。

 

「わ、わかりました……ヒョウタさんに会いにいってみます」

「そうか、そうするといいよ。

 ……あ、でも君、ヒョウタさんに挑戦するつもりなんだよね?

 だったら先に、ジム生の子達と先にポケモンバトルしておくかい?」

「ジム生さん?」

「ヒョウタさんに挑戦するほどの腕があるか、先にジム生の子達と勝負してみることを推奨してるんだ。

 しなきゃいけないわけじゃないけど、君もポケモンバトルの経験が積めていいんじゃないかな」

 

 ジムごとにしきたりは異なるのだが、いくつかのジムではジム生とされるポケモントレーナーが、挑戦者の腕を確かめる試験官めいた立ち位置を務める。

 言い方を変えると、俺に私に勝てないようじゃうちのジムリーダーには挑戦させませんよ、という人達。

 クロガネシティでは挑戦者にそれを強制していないようだが、今後も考えればそれを経験しておくのも良いのでは、というのが受付の男性の言うところだ。

 

 せっかくなので、パールはその話を受け、ジム生のポケモントレーナー二人とポケモンバトルをするに至った。

 さっそく炭坑に、と赴くには、ズバットとの遭遇の恐れから僅かに躊躇も残っていたので、ちょっとした気分転換を兼ねたところもありそうである。

 

 

 

 

 

「パッチ、大丈夫?

 けっこう大変だったでしょ」

「――――」

「ジム生さんのポケモン、強かったよねぇ。

 ジムリーダーのヒョウタさんは、あれよりもっと強いんだもんなぁ」

 

 さて、ジムでのバトルを二戦終えて、パールはクロガネ炭坑に訪れた。

 地下に入る前の露天地帯をパッチと共に歩き、話題はさっきのジム生とのバトル。

 

 流石にジムで本格的にポケモンバトルを練習しているトレーナーの皆様方、自分と同じ年頃か年下だというのに、今まで戦ってきたトレーナーとは力量が違う。

 ポケモンは強く、指示も早く、パールは相手のポケモンの淀みない動きにわたわたすることが多かったほどだ。

 はっきり言って、ピョコとパッチが強かったおかげで勝てただけである。

 パールも今ちょっと気にしているぐらい、頭が追い付かず指示もあまりしてあげられなかったことが、自分の経験不足を知るきっかけになっている。

 へこみ気味なパールだが、先にやっておいてよかったとは言えるだろう。反省点は早めに知れておくに越したことはない。

 

「でも、知ってるようでわかってなかったけど、ポケモン同士の相性って大事だね。

 ごめんねパッチ、無理させちゃった」

「――――」

「岩タイプのポケモンに、普通に体当たりさせるばっかりじゃダメなんだよね。

 私がもっとしっかりしなきゃ」

 

 得られたものはもう一つある。

 一人目のトレーナーとの戦いは、パッチと相手のイシツブテとの戦い。

 今のパールが知るパッチの唯一の攻撃手段である"たいあたり"は、岩タイプのイシツブテには大きなダメージを与えづらい。

 その認識が甘いパールの未熟な指示は、パッチに体当たりの指示を繰り返すだけで、勝負を長引かせることに繋がってしまった。

 勝負が長引けば相手の反撃も増える。パッチが受けるダメージも増える。

 勝つには勝ったが、勝利後のパッチが息を切らしていた姿に、パールの胸は申し訳なさでちくちく。

 自分の指示がなっていなかったことを、その結果から思い知らされて二重の意味でショックでもあった。

 

 一方で二戦目は、ピョコの"すいとる"攻撃が、相手のイシツブテとイワークの二体を次々と仕留める快進撃。

 岩タイプにはよく効く攻撃なのだ。

 パッチがあれほど苦戦したイシツブテをあっさり下すばかりか、続く勝負もあっさり勝利した結末から、パールもタイプ相性の重要性を肌で感じただろう。

 知識としては持っていたことでも、いざ実戦で経験してみれば、本当に大事なことなんだなと思い知るというものだ。

 それを痛感できただけでも、ジム生二人との勝負に大きな意義があったと言えるはず。

 

「ジムリーダーさんとの勝負はピョコに頑張って貰うから……

 パッチは、炭坑で私を守ってね」

「――――♪」

 

 傷薬で先ほどの戦いの傷を癒して貰って元気になったパッチは、先ほどからパールに謝られても、気にしなくたっていいよと微笑んでくれる。

 まるで戦力外通告をするようで気が引けることを言うパールにも、パッチはわかった、炭坑では任せてと意気込んで鼻を鳴らしてくれる。

 "おっとりとした性格"で、嫌な顔一つしない。優しくていい子だな、と感じるパールは、こんな子にさっき無茶をさせたんだなぁと再び胸がちくちく。

 

 もっともパールだって、先のジム戦でパッチが負った傷を、無料で癒してくれるポケモンセンターに行くでもなく、傷薬を使ったりもしているのだが。

 引け目があったから自分で傷を治してあげたかったというところだろう。

 申し訳なさそうに、消耗品を使ってでもいたわってくれるパールの姿に、パッチもその気持ちは伝わっているのかもしれない。

 

「よ~しっ……!

 いくぞ~! たんこう!」

「――――♪」

 

 周りに人もいるのであまり大きな声は出さなかったが、パールは恥をかかない程度に強い声で地下炭坑への階段を降りていった。

 ズバットに遭う"かもしれない"というだけで、毎回気合を入れなきゃ足が気持ちについていかないようだ。 

 余程に、相当、苦手なのである。想像しただけで身が震えるほどにだ。



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第9話    クロガネ炭坑

 

 

 さて、彼女なりにパッチを気遣って、クロガネ炭坑を行く中でのお供をパッチに任せたパール。

 これはこれで、パッチにとってはそれなりに試練だったのだが。

 パールもじきにそれに気付き、たいそう気に病む羽目になっていた。

 

「うぅ~、またイシツブテ……!」

「――――!」

 

 クロガネ炭坑には野生のポケモンも生息している。

 しばしば見かける作業員の大人達も、自分のポケモンを持っており、野生のポケモンに遭遇すれば自分で対処しなくてはならない。

 

 さてその野生ポケモンの内訳だが、イシツブテがいっぱい、ズバットが時々、稀にイワーク。

 パッチの体当たりがあまり効かない岩ポケモンと、パールの大嫌いなズバットしかいないのである。

 能力があるから野生のイシツブテになんて負けないパッチだが、一撃で勝利することなんかは出来ず、相手の体当たりを受ける場面も生じる。

 パッチにしてみれば遭遇する相手すべて試練である。

 そしてパールも、ここがそういう場所だと分かるとピョコに代わらせたいが、来る前にパッチに任せると言った手前、その理由も合わせてパッチを下げづらい。

 ましてパッチは、大丈夫、任せてとばかりにやる気満々である。その意気に反して引き下がらせるのも挫く気がして、尚更引っ込められない。

 

「た、たいあたり……!」

「――――! ――――!」

 

 またもイシツブテと遭遇する展開に、指示できることがそれしかないパールは、不正解な気がしながらも体当たりの指示しか出来ない。

 しかし、パッチだってパールの言うことに従うばかりじゃない。

 首を振って、パールに振り返って強い眼差しを向け、パールをびくっとさせる。

 私がこんなだからとうとうパッチも怒った、とパールが胸の前で両手を握って肩を縮めるが、パッチがやろうとしたのはそうではない。

 

 自分の鋭い眼差しをパールにアピールした後、改めて向かってくるイシツブテに目を向けたパッチは、いっそう強い眼で敵を"にらみつけ"た。

 接近してくるイシツブテが、怯んだように一瞬びくりと体を跳ねさせ、その前進が僅かに鈍る。

 しかし気を持ち直したか、イシツブテは再び体当たりするための勢いある前進を取り戻し、パッチに向かって突っ込んでくる。

 ぎりぎりまで引き付けたパッチが跳び、体当たりを躱してイシツブテの後方に着地すると、振り返ったイシツブテに体当たりする。

 

「わわわっ!?」

 

 ここまで三度、野生のイシツブテと戦ってきたパッチだが、そのいずれの戦いで見てきた以上に、パッチの体当たりがイシツブテを突き飛ばした。

 大きく突き飛ばされたイシツブテは、パールの横をすっ飛んでいって地面に転がる。

 自分に向かって飛んできたわけでなくても、あのサイズが勢いよく自分寄りの方向に飛んできたらパールだって驚くというものだ。

 そして地面に手をついて体を起こすイシツブテに、パールの横を勢いよく駆けていったパッチが、イシツブテをもう一度の体当たりで突き飛ばす。

 再び転がされて倒れたイシツブテは、体を起こすとむすっとした悔しそうな顔で、すたこらさっさと逃げていった。

 

「ぱ、パッチ……」

「――――、――――」

 

 パッチの動きを目で追うばかりだったパールに、パッチが急ぎ足で駆け寄ってくる。

 ごめんね、びっくりさせて、と、申し訳なさそうな顔で見上げて、きゅうぅと詫びるような声でパッチが鳴く。

 怒っていたわけじゃないんだよって言わんばかりに、前足でパールの脚にしがみつくパッチは、誤解を解こうと哀願するような表情だ。

 ポケモンの言葉はパールにはわからないが、その表情と声だけで、さっき自分が鋭い目つきで見返されたショックも和らいでいく。

 

「――ううん、気にしてない。

 ありがとう、パッチ。ほんとに頼もしいよ」

「――――♪」

 

 しゃがんで頭を撫でてあげれば、パッチはほっとしたように目尻を下げた後、ぱあっと明るい顔で笑ってくれる。

 やっぱり優しい子なのだ。さっきの怖い目は、決して自分を嫌って向けた眼じゃなかったんだとパールにもわかる。

 誤解が晴れたようで喜ぶパッチと同様に、それ以上にほっとしたパールの表情は、愛おしくてたまらないものを見るものに溶けていた。

 

「……そっか。

 あれが、"にらみつける"っていう……」

 

「――――!!」

「え、パッチ……っ!?」

 

 しかし和んでいた二人の空気の中、ぴくっと耳を動かしたパッチが勢いよく振り返った。

 その顔が向いた先を見たパールは思わず息が詰まる。

 遠いが、ズバットがこちらに向かってきているではないか。ひぐっ、と悲鳴を押し殺したパールが立ち上がり、両手を胸の前で握りしめて体を後ろに傾ける。

 

 パッチは速かった。迫ってくるズバットを真っ向から迎え撃つダッシュで、そのまま勢いよく飛びかかるように体当たりだ。

 岩タイプでなく、そもそも体も小さなズバットにこの一撃は痛烈で、突き飛ばされたズバットは大きく吹っ飛ばされて地面に転がった。

 いててとばかりに地面で体を起こすと、こりゃあたまらないとばかりにぱたぱた逃げていく。

 

「――――、――――♪」

 

「あ、あははは……!

 ありがとうパッチ……!」

 

 ズバットを見ただけで胸を恐怖でいっぱいにしていたパールも、あっという間に退けてくれたパッチが、笑顔で駆け戻ってくる姿に表情が和らいでいく。

 もう、証明されたも同然だ。パッチがいれば、ズバットだって怖くない。

 恐怖が生み出した生唾を飲み込んで、はあっと安息を一つ吐き出すと、思わずパールはパッチを抱きかかえてぎゅっとする。

 そんな彼女の胸元で、パッチはパールに頬ずりし、喜びの感情を体全体で表していたのだった。

 

 

 

 

 

 炭坑内には何人かの作業員さんがいて、パールはしばしば声をかけ、ヒョウタさんを見かけませんでしたかと問う。

 みんな快く、きっと今はあっちだよと教えてくれるのだが、中にはポケモンバトルを求めてくる人もいる。

 野生ポケモン対策に連れて来たポケモンだけではなく、機会があればバトルもしたくて、それ用のポケモンを連れてきているらしい。

 採掘作業は地道な反復作業の繰り返しだ。息抜きは必要なのかもしれない。

 休憩時間になると、作業員同士のポケモンバトルで盛り上がることもあるそうな。

 

 求められればパールも断らず、これも経験とばかりに勝負を受ける。

 野生のポケモン達との戦いで疲れもあろうパッチはここでは控えて貰い、舞台に立つのはピョコの役目。

 ちなみにその時でも、パッチはバトルに参加しないながらもボールから出しっぱなしである。

 バトル中にズバットに寄って来られると、バトルどころじゃなくなるからだ。

 その辺りは、私本当にズバットが苦手で――という説明のもと了承を得た上で、ピョコが戦うポケモンバトルの始まりとなる。

 パッチはあくまで見張り役だ。気合入れてふんすと常に周りに注意を払ってくれていた。

 

 二人ほどとポケモンバトルをする機会があったが、相手がワンリキーにせよイシツブテにせよイワークにせよ、やはりピョコは強かった。

 相性の問題で岩ポケモン相手だと余裕の勝ちっぷりで、腕っぷしの強そうなワンリキー相手にも全く力負けせずだ。

 お嬢ちゃんのポケモン強いな、という褒め言葉を貰って、誇らしげなピョコの頭を撫でている時間は、パールも嬉しくてズバットのことも忘れられていた。

 ピョコもいつも以上に嬉しそうだった。

 ここでは野生ポケモンの撃退ではパッチが大活躍であった中、やっと自分も見せ場を見せられて嬉しかったのかもしれない。

 

 バトルが終わるたびにピョコをボールに戻し、ヒョウタがいるらしいという方へと歩いていくパール。

 おおよそのヒョウタの特徴は教えて貰っている。

 作業員の皆様は黄色いヘルメットをかぶっているが、ヒョウタはいつ挑戦者が来ても声がかけやすいよう、赤いヘルメットをかぶっている。

 それで自分がジムリーダーだとわかるよう、意図的に特徴づけているそうだ。

 

「――あっ、ヒョウタさんですか?」

 

「ん? 君は……

 あぁ、うん、そうだよ。僕がヒョウタだ。何か用かな?」

「えぇと、私、パールっていいます。

 実は――」

 

 見つからなければどこまで潜らなきゃいけないだろう、と不安がっていたパールだが、案外浅い層でヒョウタを発見することが出来た。

 発掘用の道具を両手に、しゃがんで岩壁をかつかつ叩いていたヒョウタは、声をかけられて振り向いた先に初めて会う女の子の姿を見る。

 何の用かを問う前に、ヒョウタはまず名乗ってくれる。

 立場上、初対面の相手が自分に声をかけてくる時は、ジムへの挑戦者であることが多いので、まずは自分の立場を相手に告げて確定付けるのだ。

 パールがクロガネジムに挑戦したい旨を告げれば、ヒョウタとしてはやっぱりねというところ。

 

「うん、わかった。

 すまないな、ここまで来てくれて御足労だったよね」

「いいえ、そんな。

 ジムリーダーだからってずっとジムにいなきゃいけなかったら、遊ぶことも出来なくて退屈ですもんね」

「ふふ、理解のある子で嬉しいよ。

 君はきっと、優しくて素敵な女性になっていくんだろうな」

「え~、そんな、褒めても何にも出ませんよ」

 

 眼鏡をかけた若い好青年のヒョウタは、ジムを空けていたことに文句ひとつ言わないパールに微笑みかけてくれる。

 落ち着いた、優しそうな大人の男性だ。パールもこんな人とお話している時はなんだかいつもより肩の力が抜けている。

 いつもそばにいた幼馴染がそそっかしいので、落ち着いた男性には癒しを感じてしまうらしい。

 

「わかった、それじゃあジムに戻るよ。

 君のポケモン達もここに来るまでで疲れてるんじゃないかな。

 ポケモンセンターに一度行って、休ませてあげてからジムに来てくれるといい。

 待ってる間に他の挑戦者がたまたま来ても、君の挑戦を最優先にするからさ」

「はい、よろしくお願いします」

 

「あ、そうそう。

 ちなみに君は、もうジムバッジは持ってるのかな?」

「えぇと、まだ……」

「なるほど、僕が最初に挑戦するジムリーダーなんだね?

 わかった、僕もそれに合わせたポケモンを用意しておくよ」

「え、そういうのに合わせてくれるんですか?」

 

「ジムリーダーは、挑戦者が持っているジムバッジの数に合わせて、迎え撃つポケモンも選ぶ決まりになってるんだ。

 誰でもポケモントレーナーになりたての時は初心者だろう?

 そんな挑戦者に、いきなりすごく強いポケモンをぶつけるジムリーダーが地元にいたんじゃ、どう頑張っていけばいいのかみんなわからなくなる。

 バッジをあまり集めていない挑戦者には手頃な強さのポケモンを、仮にバッジを7つ集めた挑戦者を迎え撃つジムリーダーは、それはそれは本気だよ」

「そうなんだ……」

「君はまだバッジを一つも持っていないみたいだから、僕は一番手加減する感じでポケモンを使うことになるね。

 気にしなくていいよ、そういう決まりだからさ。

 ただ、だからってそう簡単に勝てるとは思わないでくれよ?」

 

 不敵に微笑むヒョウタの表情に、パールもちょっとどきっとする。

 手加減してくれるようだと聞いて、だったらチャンスあるかも、って考えていた矢先、心を読まれたような心地なのだ。

 えへ、えへへ、と笑って誤魔化すパールだが、さっそく大人のジムリーダーの貫禄めいたものに呑まれかけ。

 

「僕は、岩タイプのポケモンと共に歩むことを決めたトレーナーさ。

 ここまで僕に会いに来てくれた君は、野生のイシツブテかイワークか、岩タイプの野生のポケモンを退けてきたはずだ。

 その力を、遺憾なく発揮して立ち向かってくれることを期待しているよ。

 ……勝負が簡単につくようじゃ、つまらないからね?」

 

 ちょっと意地悪された。笑顔でプレッシャーをかけられる。

 底意地が悪いわけではなく、なんだ手加減してくれるなら何とかなるかも、と顔に出そうだったパールへの、ジムリーダーなりの洗礼というやつ。

 心してかかってきなさい、という教訓を突きつけるヒョウタを前に、パールの表情からは誤魔化し笑いも消えていく。

 

「はいっ、頑張ります……!」

「うん、いい返事だ。

 君とのバトル、楽しみにしているよ」

 

 そう言って歩きだすヒョウタに、パールはついていかない。

 一緒に帰らないのかい? と声をかけてくれたヒョウタだが、パールは後で行きますと一言返した。

 ズバットの出る地下炭坑、大人と一緒に帰った方が安心できるとわかっていながら、パールは敢えてヒョウタと離れる選択をした。

 

「――――?」

「……あはは、大丈夫だよ、パッチ。

 ちょっとだけ、気を引き締めたくなっただけ」

 

 別にジムへの挑戦というものを、甘く見ていたわけじゃない。

 岩タイプのポケモンを好んで使うヒョウタとのバトル、相性のいいピョコが頼りになるだろうとはパールもわかっている。

 ジム生とのバトルでは、一人で岩ポケモン二体をあっさりと連続撃破してくれたピョコなのだ。

 あの子がいれば、きっと何とかなるはずだって、信じたい。

 

 一方で、ポケモントレーナーとしては初心者で、目まぐるしい展開になれば指示の追い付かない自分であることもわかっているパールだ。

 きっと、ヒョウタさんは強い。ジム生とは比べちゃいけないぐらいに。

 果たして今までのように、ピョコやパッチの能力だけに頼った、自分が何もしなくたって勝てたようなバトルの再現となってくれるだろうか。

 そうはならない気がして仕方ないから、パールは今一度自分を見つめ直す。

 

「ピョコ、出てきて」

 

 パールはピョコの入ったボールを作動させ、ピョコとパッチを並び立たせる。

 そんな二人を前にしてしゃがんだパールは、少し緊張した表情で二人を交互に見る。

 

「ピョコ、頼りにしてるよ。

 でも、もしかしたらピョコ一人で勝てる相手じゃないかもしれない」

「――――」

「パッチ、もしかしたら苦手な岩ポケモンとの勝負に、あなたの力も借りちゃうかもしれない。

 その時は、頼りにしてもいい?」

「――――!」

 

 ピョコの気持ちを傷つけないよう、言葉を選んで語りかけるパールに返ってくるのは、わかっているよと頷くピョコの姿。

 信じていないわけじゃないんだけど、というパールの想いは、傷つかないで聞いて欲しがるパールの表情からピョコにも感じ取れる。

 そしてパッチも、迷わず力強い目で即答するように頷いてくれる。

 何度も岩タイプのポケモンに怪我しながら立ち向かってきたパッチは、それでも尚、今までで一番強いであろう岩ポケモンとの戦いの予感にも物怖じしない。

 

「力を貸してね、二人とも。

 私も、頑張るから」

「――――z!」

「――――z!」

 

 不安と希望の入り混じった、作られた弱い笑顔を前にして、ピョコもパッチも強い鳴き声を出して、首を縦に振ってくれた。

 そして、二人はお互いを見合わせて、どちらからともなくお互いの額をこつんとぶつけ合う。

 そうして笑い合うピョコとパッチは、俺達で、私達で絶対に何とかしてみせよう、という意志を交わし合うかのよう。

 

 初めてのジム戦だ。

 始まる前から、パールの胸はきつく打ち始めている。

 それは、遠き大願へ向けて歩みだそうとする若き志を襲う、一番最初の試練の片鱗だ。

 どんな夢も、その第一歩を踏み出そうとする時の緊張感は、同時に沸き立つ希望にも勝るとも劣らない。

 それを乗り越え、8つのバッジを集める旅の、初めの一つを獲得できるか否か。

 パールは今、それを問われていた。



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第10話   クロガネジム

 

 

「すいません! 遅くなりました!」

 

 昼下がりのクロガネジム。

 ジムの最奥、四角錘の上部を切り取ったかのような祭壇状のオブジェクトは、ジムリーダーが挑戦者を待ち構える、椅子の形をしていない玉座のようなもの。

 今朝はそこにいなかった、ヒョウタの姿が今は在る。

 息を切らして汗を流し、走ってここまで来たパールは、この場所でヒョウタの姿を目にしたことで、いよいよジムリーダーとの勝負だと身が入る。

 

「来たね、パール君。

 思ったよりも時間をかけてきたようだけど、準備は万端かな?」

「はいっ、イメトレばっちりです!

 勝ちたいですから!」

「うん、いい心構えだ。

 それじゃあ、バトルフィールドに移ろうか」

 

 気合充分、大きな声で意志表明するパールとは対照的に、落ち着いた口調でヒョウタは返答する。

 壇上から降りてきたヒョウタは、ジムの奥へとパールを導いていく。

 扉一枚隔てて広い通路を進み、もう一枚の扉を開いた向こうには、ジムリーダーが挑戦者を迎え撃つバトルフィールドが広がっていた。

 

「わぁ~、広い……!

 本格的にジムリーダーさんと戦うんだなぁって雰囲気ありますね……!」

「これがクロガネジムのバトルフィールドだよ。

 日によって、散らばっている岩の位置や形状も変えられるんだ。

 オブジェクトを利用した戦い方がしたいなら、それも選択肢の一つだからね」

 

 長方形の広大なフィールドは、大小さまざまな石や砂を散りばめた砂地敷きで、所々に壁になりそうな大きな岩や、あるいは座れそうな大きさの岩もある。

 岩タイプのポケモン使いであるヒョウタが構える、クロガネジムのバトルフィールドは、岩石を前面に押し出した趣のようだ。

 日によって岩の位置や形状が変わるのは、一度負けた挑戦者が再びヒョウタに挑むに際し、戦場環境は毎回変わるので前と同じ戦いとはいかない、ということ。

 手の内を晒し続けた上で何度でも挑まれる、そんなジムリーダー側にとってのハンデを補う、ホームグラウンド側のささやかな強みというものだろう。

 

 勝負の前に、ヒョウタがパールにジム戦のルールを説明する。

 まず、使用ポケモンの数はジムリーダー側が指定する。

 本来、今回の場合は三体のようだが、パールが二体しかポケモンを所持していないため、それに合わせてヒョウタの側も二体に合わせてくれた。

 合わせてくれない場合もあるそうだが、バッジ未所持か少数のトレーナーに対しては、ジムリーダー側も融通を利かせてくれやすいようだ。

 挑戦者側のポケモンの数を縛るのは、そうしないとバッジの所持数によって加減を選ばなくてはならないジム側が、調整が難しくなってしまうからだそうな。

 

 長方形のバトルフィールドの両端には、トレーナーが立つ少し高さのあるステージがある。

 バトルが始まると、トレーナーはそのステージから動いてはいけない。

 一箇所から動けないので、トレーナー目線では死角になってしまう場所も生じそうだ。

 バトル前には下見をしても構わないので、ルールを説明されたパールは、バトルフィールド内に一度踏み込み、ざっと全容を確認する。

 あの岩になら、ピョコやパッチの体なら身を隠せそう、だとか、色んなことを考える。

 

「熱心だね。

 やっぱり一度で勝ちたいかい?」

「あはは……一回で勝ちます、なんて言えるほど自信は無いですけど……

 やっぱり後悔しないぐらいは、全力を出し尽くして戦いたいですから」

「うん、いいね。

 僕も燃えてくるよ」

 

 入念にバトルフィールドを確かめるパールは、ヒョウタに問われて笑ってみせるが、頬をかきながら弱気の返事である。

 炭坑で軽くプレッシャーをかけられて、格上相手の挑戦だと強く認識して、すっかり緊張してしまっているようだ。

 元々バトルに自信がある性格でもなし、ちょっと強い圧をかけ過ぎたかな、とヒョウタも思わなくはない。

 

 しかし、一生懸命バトルフィールドを観察するパールの姿からは、重圧に負けじと良い結果を導き出そうとする、ひたむきな挑戦者の姿を感じられる。

 元々、一発勝負なんて何が起こるかわからないのだ。

 格下と見做された者が大物食いを果たしたポケモンバトルなんて、今も昔も枚挙に暇が無い。

 ポケモンバトルにおいて最も重要とされる相性差だが、それすらもひっくり返した逆転劇なんて、各地で幾度となく起こってきたことだ。

 だからジムリーダーにとって、諦めない挑戦者は怖い。

 そして、この一戦に全力を投じんとするパールの姿は、どんなに追い詰められても簡単には諦めないトレーナーだろうとヒョウタに思わせる。

 迎え撃つ甲斐のある挑戦者じゃないか。これだからジムリーダーはやめられない。

 忙しくて、自分の時間を取られるジムリーダー業だけど、時にひたむきな挑戦者達との全力の真剣勝負が出来ることは、多忙を補って余る魅力である。

 

「僕は昨日、負けているからね。

 流石に二日連続で負けたくはないな。

 そう簡単に破らせるつもりはないから、君も全力でかかってくるんだよ?」

「うっ……わ、わかりました……!」

 

 言うと怯むだろうな、と思いつつ、ヒョウタも負けじの精神を表明した。

 予想通りパールはびくついているが、すぐに、自分だって負けませんよという目を取り戻す。

 決意を固めた両者はバトルフィールドの両エリアに移り、先鋒のポケモンが収まっているモンスターボールをその手に持つ。

 

 右手で手慣れてボールを持つヒョウタと、ぎゅっと両手でボールを握りしめるパール。

 仕草一つで場数の差が明らかな両者。

 格上の順当な勝利か、初心者上がりの幼き志の番狂わせか、戦いの結末はそのいずれか。それを象徴する戦前光景である。

 

「さあ、始めよう!

 君のポケモンがどれほどのものか、見せて貰うよ!」

「はいっ!」

 

「行くぞ! イワーク!」

「ピョコ! 任せるよ!」

 

 ヒョウタとパールが先鋒のボールのスイッチを三度押しし、ほぼ同時にお互いのポケモンがバトルフィールドに降臨する。

 小さなピョコが見上げるほど、大きな全容のイワークが敵を見下ろす姿が戦場に現れる。

 ジムリーダーの育てた強いイワークが、鋭い眼差しでピョコを見下ろす姿には、パールの方がびくびくしてしまうほどの迫力だ。

 肝心のピョコは、ざりざり前足で地面をひっかいて、さあ来い負けないぞとふんすと鼻息を鳴らしているが。

 自分が戦うわけじゃないパールがびびっていてはよろしくない。パールもすぐに自分でそう気付き、ぱちんと両手で顔を挟むように叩いて気合を入れ直す。

 

「やはり草タイプのナエトルで来るよな……!

 イワーク! いつものとおりで行くぞ!」

「――――z!」

 

「ピョコ! すいとる攻撃!

 相手に近付き過ぎないように慎重にね!」

「――――z!」

 

 まずイワークは、かなり大振りに尻尾を振り上げて、ピョコを叩き潰すかのように振り下ろしてきた。

 かなり威力のありそうな攻撃だが、挙動が大きく振り上げてからの溜めも大きく、振り下ろされる前に躱すことさえ容易な一撃だ。

 跳ぶようにして後ろに退がったピョコの前で、轟音を立てて地面に叩きつけられたイワークの尾が、砂と岩石を炸裂させる。

 頭を下げて片目を閉じるピョコにも、少し痛い砂粒がびすびすと当たっている。

 

 舞い上がった砂煙が晴れつつある向こう側、目を細めて顎を引くイワークの姿が見える。

 ピョコとイワークの間、大気が陽炎のように揺れつつピョコの方へと向かうかのような流動。

 敵の攻撃を躱してすかさず、ピョコは冷静にすいとる攻撃を発揮している。

 よしっ、と拳を握りしめつつも、パールはひとまずの良い流れに浮き足立たないよう、努めてバトルフィールドを見つめる目に力を入れる。

 

「岩タイプに効く技をよくわかっているね……!

 だが、まだまだだ! イワーク、よく狙っていけ!」

「――――z!」

「ピョコ、来るよ! よく見て!」

 

 体力を吸い取られて弱る自らに活を入れるかのようにイワークが吠え、地を這うようにして頭からピョコへとぶつかってこようとする。

 真っ直ぐではなく僅かに迂回し、ゆるやかな弧を描くような体当たりだ。

 すいとる攻撃の吸収流動を振り払うような動きなのだろうか。あるいは単なる直線軌道よりも、避けを少し難しくする動きだろうか。

 巨体の割には速く、しかしピョコは斜め前に突き進むかのような動きで、当たれば突き飛ばされそうな攻撃を回避するに至る。

 

 勢い余ってなのか、体当たりを躱されたイワークが、バトルフィールドに乱立する岩のうち一つに頭からぶつかっていく。

 大きな岩が砕けるほどの頭突きめいた体当たりは、激突の瞬間に鈍い音を出し、パールが二重の意味で身を縮ませる。

 イワークの方こそ痛そう、とも、あれがもし当たっていたら、とも、どちらの意味でもぞっとする。

 対してピョコは、すぐにイワークの頭部に向き直り、再びすいとる攻撃を発揮しようと身を震わせかけていた。

 

「だめ! ピョコ!

 甲羅に入って! 防御!」

「――――!? ――――ッ!」

 

「へぇ……!

 びくびくしてるように見えてよく見てるじゃないか!」

 

 しかし、そんな中でもピョコが見落としていたものを、パールが補い指示を出す。

 岩にぶつかりそれを砕いたイワークは、その瞬間に頭を振り上げ、割れた岩石を高所へと放り投げていたのだ。

 同時に尻尾でも、違う位置に転がっている岩を跳ね上げている。

 それらが降り注ぐ先はどこか。すいとる攻撃を放つに際しては、一度足を止めねばならないピョコの位置に他ならない。

 

 初動をわかりにくく凝られた"いわおとし"に晒される中、自己判断よりパールの声を信じ、ピョコは甲羅の中に手足と頭を引っ込めた。

 次の瞬間に降り注ぐ岩は、ピョコの周囲と彼自身へ降り注ぎ、そのうちいくつかがピョコの甲羅にがすがす当たる。

 当たるたびに甲羅が傷つくような音がしてパールが胸の前でぎゅっと両手を握る。甲羅の中ではピョコも歯を食いしばって耐えている。

 ようやく岩の降り注ぎがおさまった時、ピョコは素早く手足を出すのだが。

 

「だめだめだめ! もう一回……」

「――――!」

 

 甲羅に入って、という言葉を最後まで聞かなくても、パールの声でピョコは再び、即座に甲羅の中にこもる。

 岩落としを放ってすかさず体当たりに向かっていたイワークの攻撃は、今からではもう躱せないほど迫っていたからだ。

 守備を固めたピョコに激突するイワークの一撃は、小さなピョコを吹っ飛ばし、バトルフィールドの端まで転がしてしまう。

 

「ピョコ……!」

「イワーク、すぐに来るぞ!

 苦しいだろうけど、ただじゃ負けないところを見せてやれ!」

 

 ピョコが心配になる光景に心臓ばくばくのパールだが、イワークから離れた位置で手足と顔を出したピョコは、ぷるぷる頭を振るって再び前を向く。

 体を震わせ、すいとる攻撃を発揮して、大丈夫だよと態度でパールに伝える。

 相性の問題で痛烈に効く攻撃を受け、苦しむ表情を見せるイワークだが、頭を上げて離れた位置からピョコを見下ろし、鋭い眼差しで"にらみつける"。

 

 先の岩落としでもそうだが、ヒョウタははじめからずっと、具体的な技名を口にした指示を出していない。

 漠然とした言葉ばかりを使い、パールやピョコに何が来るかを知らせないのだ。それでも何を指示されているかを、イワークだけが理解している。

 

「まだ行けるか……!?

 よし、イワーク! ぶつけていけ!」

「――――z!」

 

「ピョコ、来るよ!

 えっとっ、か、躱してっ!」

「――――z!」

 

 基本的にパールは指示の出し方が優秀ではない。迷いもある。

 ピョコだって、躱せと言われなくたって自分で勝手に躱すとも。当たれば痛い攻撃なんだから、躱せる状況なら自己判断で凌ぐ。

 意味の無い指示も出すパールだ。それでも、迷いかけつつ一秒でも早く何か伝えてピョコを助けなきゃ、という意志は垣間見える。

 いかにも初心者、しかし伸びていきそうな子だともヒョウタに思わせる姿だ。

 

「ピョコ後ろ! 尻尾が来てるよ!」

 

 イワークの体当たりを躱したピョコだが、続けざまに尾を振ったイワークが、それでピョコを打ち据えようと狙っていたようだ。

 パールの指示で気付いたピョコは、甲羅に入ってその一撃を受けて耐える。

 弧の小さなスイングだったため、"たたきつける"ほどの威力の無い、普通の体当たり相当の威力で済んだだろうか。

 しかし再び殴り飛ばされたピョコは、今度はあまり敵から離れていない場所で顔と手足を出し、さすがに少し苦しそうな顔だ。

 

「頑張れピョコー! 相手も弱ってるよ!」

「――――z!」

 

 殴り飛ばされた場所が相手から離れておらず、足を止めてのすいとる攻撃が少し怖い位置取りだ。

 それでも今は攻め所だと訴えるパールの声を信じ、ピョコはすいとる攻撃を再行使する。

 決して本来の威力が高い技ではない。だが、イワークにとって三度目にもなるその攻撃は、耐えきれず呻き声をあげさせるほど効いている。

 

「ここまでだな……!

 よくやった! イワーク!」

 

 頭を上げて再び攻撃に移ろうとはしているイワークだが、それが苦し紛れで力無く、相手に躱され届かぬ攻撃になることをヒョウタは見極めていた。

 もう充分な戦闘不能だ。戦わせ続けても、大きな傷一つ負わせられずに、イワークが傷ついていくだけだろう。

 ボールのスイッチを三度押ししてイワークを帰還させるヒョウタの行動は、緒戦がパールとピョコの勝利で飾られたことを表している。

 

「やった……!

 ピョコっ、やったね!」

「――――♪」

 

「相性で押されるのは予想していたよ。

 出来ればもう少し弱らせたかったけど、そうはさせてくれなかったね……!」

 

 自分の扱うポケモンのタイプが公開情報であるがゆえ、ヒョウタとて自分のポケモンが苦手とするタイプ相手の戦い方は、いくつも用意してきているのだ。

 イワーク一体でナエトルを撃破するのは難しいだろうという、厳しい見解も併せ持っている。

 ゆえにこそ、もう少しピョコの体力を削りたかったところだ。

 思惑を100%叶えられなかったのは、それなりにパールがピョコを導いたことによる差分とも言える。初心者丸出しでも侮れたものじゃない。

 

「だけど、次は同じように行くかな……!?

 さあ、行くぞ! ズガイドス!」

 

 次鋒、あるいは大将の収められているボールのスイッチを三度押しして、切り札の一体をバトルフィールドに喚び出すヒョウタ。

 決して大きな体ではないが、見るからに石頭で二足歩行のその姿は、突進力と攻撃力を想像させるもの。

 ヒョウタが挑発的に言う言葉は虚勢ではあるまい。一筋縄ではいかない相手だと、パールもピョコも見るからに感じ取れている。

 

「頑張ってね、ピョコ……!」

「――――z!」

 

 漠然とした指示でも何でもない言葉だが、負けたくないという強い感情だけはピョコにもよく伝わっただろう。

 鳴き声を発して応えたピョコは、背中で意志を語り果たしていた。

 

 掴んだ一勝。しかし勝負はこれからだ。

 目の前のズガイドスが、今まで戦ってきたすべてのポケモン達の中でも強い相手であると、ピョコは本能的に感じ取っていた。



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第11話   VSズガイドス

 

 

「ズガイドス! 頭突きだ!」

 

「あわわわ、ピョコ逃げて~!」

 

 二足歩行で身軽そうな小柄な身体、走るのも速そうだとパールが見て感じたとおり、ピョコに駆け迫るズガイドスの動きは速い。

 初めて見るポケモンだが、ヒョウタが使う以上は岩タイプだろう。つまり硬そうに見えるあの頭は、岩のように硬い石頭と予想がつく。

 絶対、あれで頭突きされてはただじゃ済まない。避けての指示しか下せないパールだが、絶対当たるなという忠告としては的を射ていそうだ。

 

 ピョコもあれを受けてはまずいと感じているのか、躱す動きにも必死さがある。

 ちょうどピョコが躱した後方に岩が一つあり、それに頭からぶつかっていったズガイドスは、その岩石をぶっ壊してしまう。

 頭からぶつかったにも関わらず、自分が痛いという顔一つせず、すぐ振り返ってピョコの方へと再び突っ込んでいく。

 

「そうだズガイドス!

 反撃のチャンスを与えてはいけない!」

「えぇと、えぇと、こういう時は……!」

 

 ズガイドスはピョコを追い回している。足を止めさせたらすいとる攻撃が来るからだ。

 動きの鈍そうな姿のピョコだが、体当たりを攻撃手段にするだけあって足は遅くない。頭を突き出して突っ込んでくるズガイドスの攻撃を凌いでいる。

 しかし、一戦終えたばかりのピョコの体力が落ちてきたら、いずれぶつかられるのは時間の問題。逃げるばかりではじり貧だ。

 

「っ、ピョコ! あっちあっち!」

「――――!」

「むっ、仕掛けてくるか……!?

 構わないぞズガイドス! そのまま追い詰めろ!」

 

 パールが逃げる方向を指差して指定する。

 何らかの意図があるのは明らかだが、ヒョウタも警戒する想いを封じて、ここは敢えて突っ張った攻撃の継続を命じている。

 策が何であれ、とにかくあのナエトルに距離を稼がれて足を止めることはさせられない。この優先度の高さは揺るがない。

 

「そうそう! 次こっち!」

 

 ズガイドスに距離を詰められながらも走るピョコ。走る動線を指示するパール。

 やがて弧を描くように曲がって走ったピョコに、ズガイドスも駆け足で距離を詰めていく。

 追う側の当然として、相手が弧状に走れば同じようには走らず、常に相手へ真っ直ぐ走るものだ。それが、最短距離だから。

 逃げる側が曲線を描く走りをすれば、追い付かれやすく不利である。

 

「なるほど、岩石を障害物にするつもりか……!」

「ピョコ間に合え~!」

 

 しかしピョコは、追い付きつつあるズガイドスと自らの間に、大きめの岩がある場所へと滑り込む。

 ダッシュしているズガイドスはどう来る? 回り込んでくるか? それはそれで助走が削がれる。

 走り込んでの頭突きの威力は、回り込んできた時点である程度弱められる。

 

「甘く見ないで貰いたいな……!

 ズガイドス、そのまま突っ込め!」

「――――z!」

「ピョコ! 甲羅に入って!」

「――――ッ!」

 

 ズガイドスは回り込んだりしない。

 一枚岩に止まらず突っ込み、その岩石を粉砕した挙句、ぶっ壊した岩の向こうにいるピョコへ、さらに踏み込み頭突きをぶち当ててきた。

 砕けた岩がピョコの身体に襲いかかり、さらには勢いは半分でもズガイドスの頑丈な頭突きがさらに乗る。

 助走をつけての体当たりと、足し引きそこまで威力は変わらない。

 

 しかし、ピョコはズガイドスから見えない場所で、既に甲羅に手足と頭を引っ込めて防御態勢を作っていた。

 ズガイドスの強い頭突きを受けはしたものの、吹っ飛ばされつつ転がった先で、なんとかピョコは素早く引っ込めていたものを出す。

 距離は作れた。甲羅に入っても痛かったが、それでも最小限のダメージでだ。

 

「すいとる攻撃!」

「――――!」

 

「――――z……!」

「ズガイドス、追うんだ!

 立ち止まっちゃいけない場面だぞ!」

 

 足を止めての吸い取る攻撃を発したピョコに、体力を奪われるズガイドスは少し苦しい表情を浮かべた。

 だが、怯んでいる暇はない。追い込まねば延々とこれが続くのだ。

 鞭打つような指示でありながら的確で、ズガイドスも理解しいっそうの火を目に燃やし、再びピョコへと突っ込んでいく。

 今度は逃げ場がない。一度こちらが足を止めての攻撃を発揮した時点で、躱し続けるにも限度がある。

 

「ピョコっ、甲羅に……!」

「――――ッ、――――z!?」

 

 それしかなかっただろう。

 頭をぶつけられる寸前に、頭と手足を引っ込めて防御態勢を取るピョコ。

 しかし、障害物無しの勢いのあるズガイドスの頭突きは、パールと、そしてピョコ自身も想定していた以上の力強さだ。

 離れたパールの耳に響くほどの激突音に続き、バトルフィールドの端までピョコが突き飛ばされる一幕は、なんとか耐えられればと祈ったパールの希望を砕く。

 

「追い討ちだ! ズガイドス!」

 

「ピョコ……!」

「ッ…………、――――z!!」

 

 頭を出したピョコの表情はかなり苦しそうだったが、自らに向かい来るズガイドスを前に、身を震わせてもう一度すいとる攻撃を放つ。

 もう避ける体力も無いなら、せめて次のパッチにバトンを。

 指示されずとも、最後の力で少しでもズガイドスを弱らせようとするピョコの戦いは、すいとる攻撃に目を細くしたズガイドスが目前に至った時に終わった。

 

 ぎゅうっと目を閉じ顎を引いたピョコの額に、ズガイドスの頭突きががづんと激突だ。

 のけ反るようにして吹っ飛ばされ、地面に転がったピョコは、横倒れになってひくついていた。

 あんなピョコの姿は一度も見たことのなかったパールは、悲鳴も出せずにショックを受けた顔をしていたけれど。

 それでも、ぐっと気を持ち直してボールのスイッチを三度押ししたパールが、ピョコをボールの中へと戻らせた。

 傷ついた友達の収まったボールを両手で握りしめ、胸の内がじくじく痛む想いに耐え、パールは再びバトルフィールドのズガイドスを見る。

 

「強いね、君のナエトルは……!

 正直、二発耐えきられるとは思っていなかったよ!」

 

 ヒョウタにはズガイドスのパワフルな頭突きな二発当たれば、"からにこもる"ピョコでも二発で仕留められる見立てがあったようだ。

 パールには知り及べない次元の話だが、それは先鋒を務めたイワークの"にらみつける"攻撃から既に始まっていたことである。

 

 すいとる攻撃を受け続けて弱りながらも、鋭い眼光で睨み返してきたイワークの姿は、ピョコの精神に訴えかけるものがあったはずだ。

 どんなに弱った相手でも、闘志が萎えぬ限りは侮れないという、野生時代もあったピョコにその本能を思い返させる。

 それは、戦いに対する恐怖心の増幅とも言い換えられよう。

 びびれば腰が引け、踏ん張りが利かず、勇猛果敢に無心で戦えた時と比較しても、敵の攻撃で押し負ける局面も増えてしまう。

 そして、イワークの"にらみつける"眼光に植え付けられた本能的警戒心は、当のイワークを倒した後でも引きずるのだ。

 対ズガイドス戦においても、ピョコ本人も気付かぬうちに踏ん張りが弱い精神状態となり、それは防御態勢を固めても同様である。

 

 ヒョウタにとってのナエトルは、岩タイプの弱点を突く草タイプのポケモンで、最も手傷浅く仕留めたかった相手に他ならない。

 ズガイドスの強さだけではなく、次に繋がるイワークの補助も得て、結果すいとる攻撃を二発しか受けていない余力を残したズガイドスが今残っている。

 一体のポケモンで苦手な相手を仕留めるのではなく、繋いで不利な相手を効率的に仕留める。ジムリーダーの手腕である。

 しかし一方で、イワークの"いわおとし"他の攻撃を受けてなお、ズガイドスの頭突きを二度耐えたピョコのタフさは、ヒョウタの予想を上回ってもいる。

 導ける限りの最善を得たヒョウタとズガイドスだが、それでも理想的展開とは言い切れない。勝負はまだまだわからない展開だ。

 

「パッチ、お願い……!

 頑張って……!」

 

 残されたもう一人の友達が入ったボールのスイッチを三度押ししたパールが、コリンクのパッチを喚び出した。

 だが、祈るように声を絞り出したパールは、ただでさえの相性の悪さにズガイドスのあの強さに、勝利へのビジョンを見失いかけている。

 四本足でバトルフィールドに降り立ったパッチも、後方のパールの気力がすっかり弱くなっているのは、耳でも肌でも感じている。

 

「――――――――z!!」

 

 察したパッチが取った行動は、遠吠えする狼のように天井を見上げ、大きな鳴き声をあげる行動だ。

 パールが今まで聞いた中で、一番大きなその鳴き声は、しっかりしろとトレーナーに活を入れる、独り鬨の声に他ならない。

 思わぬほどの大きな鳴き声にパールが驚く中、振り返ったパッチの横顔と眼光は、私がまだいるんだと訴える眼差しである。

 あなたがそんなことでどうする、と、パッチの叱咤とも激励とも取れるその瞳に、パールも自分が今どんな顔をしていたかを気付かされたものだ。

 

「っ、っ……ごめん、パッチ!

 頑張ろう! 絶対に勝とうね!」

「――――z!」

 

「折れないか……! それでこそポケモントレーナーだよ!

 ズガイドス! 気を引き締め直して一気に畳みかけるぞ!」

「――――z!」

 

 さあ、第二ラウンドの幕開けだ。

 必殺の頭突きを最大の武器とするズガイドスは、パッチに向かって一直線。

 迎え撃つパッチも"いかく"する眼光をぎらりとズガイドスに向け、勢いのある突進めいた頭突きを、跳躍して敵を飛び越える形で回避する。

 駆けっこではピョコより少し速い程度のパッチだが、この身軽さと跳躍力は、ピョコには出せない大きな強みである。

 

「――――ッ!?」

「パッチ!?」

 

 だが、着地の瞬間にパッチが表情を歪め、痛いものを踏んでしまったかのように数歩の千鳥足。

 ふらつく仕草は反撃に転じる間を削ぐもので、頭突きを一度躱されたズガイドスが再びパッチに差し迫る。

 頭を突き出して突っ込んでくるズガイドスに、これもパッチは機敏な動きで回避したものの、目に見えて足が痛むかのようで跳躍を為せていない。

 サイドステップで頭突きを躱すようにしながら、一目散にズガイドスから離れる方へと駆けて振り返り、ひとまず仕切り直しの構えを取る。

 

「な、何かおかしいのはわかる、わかるんだけど……!」

 

「ズガイドス、逃がすな! 攻め立てろ!」

「――――z!」

 

 休ませる暇も与えぬかのように駆け迫ってくるズガイドスの頭突きを、パッチは何とか躱し続けている。

 パッチの機敏さなら、攻撃に転じず逃げに徹する限り、躱し続けることは困難ではない。

 だが、しばしばその中でズガイドスの攻撃を凌ぎ続ける中でありながら、パッチが痛そうな顔をするのは何故なのか。

 その都度、何か踏んだかのように足を上げるパッチの姿から、どうやらその原因は地面にあるとパールも察し始めている。

 

 緒戦で敗れたイワークが撒いていたものは、ピョコを睨みつけて精神的に揺さぶったことのみではない。

 地を這い暴れる中、イワークがフィールド各所にばら撒き、自重で地面に埋めて切っ先のみを小さく突き出させていたものが、それを踏んだ者を苦しめる。

 撒き菱のように、所々で踏めばじくりと足の裏を傷つける"ステルスロック"の所在は、それを間近で見ていたピョコと、仲間の技を知っているズガイドスだけ。

 目を凝らさねば見えぬほどの、小さな埋まった岩のトゲ。

 

ズガイドスに追い回されるパッチに注視する暇など無く、逃げ回る中で踏めばダメージは蓄積する。

 

「パッチ、頑張れえっ……!

 な、なんとかっ……体当たり!」

 

 異変の本質に気付きかけてはいながらも、解決策が閃かぬ中ではパールも状況を変える指示など出せない。

 しかし、防戦一方で逃げ回っているだけでは、そのうち走れなくなっていつかは捕まる、と考えて出した指示は的外れではないだろう。

 パッチもその意には同調したようで、ズガイドスの頭突きを躱してその側面に身を移す。

 助走は稼げないが、近い距離から頭を相手に突き出して、こちらも頭突きだとばかりに振り向いたズガイドスに体当たりをぶちかます。

 

「甘いな……! 苦し紛れだよ!」

「ッ、――――z!」

 

 パッチの体当たりに二歩よろめいたが踏ん張ったズガイドスは、すぐに前へと踏み出して、パッチの額に石頭を振り下ろす。

 ズガイドスは岩タイプだ。真っ向からの体当たりがよく効く相手ではない。

 振り下ろしの頭突きでパッチの額を打ち付けて、目の前に星が飛んでよろめくパッチを前に、ざざっと三歩ぶんすばやく退くズガイドス。

 そのまま助走をつけて頭突きの体当たりをぶちかますズガイドスが、ごづんとパールもぞっとするような激突音とともにパッチを突き飛ばした。

 

「ああぁっ……パッチ……!」

 

「…………っ、――――z……!」

 

 地面を転がり擦るようにして、ズガイドスから離れた位置に倒れたパッチ。

 音といい衝撃といい、勝負あったと思わずにいられない痛烈な一撃に倒れたパッチを見て、思わずパールはパッチのボールのスイッチを押しかける。

 だが、それを見受けたパッチは力強く前足で地面を踏みしめ、胸を持ち上げ天井を見上げると、再び大きな鳴き声を発してみせた。

 まだ戦える。人の言葉を発さずして、その意志ははっきり表明されている。

 

「ううぅ、パッチ……!

 でも、でも、どうしたら……!」

 

「見上げた根性だね……!

 ズガイドス、侮るな! 畳みかけるんだ!」

「――――z!」

 

 あの強烈な頭突きを受けてなお立ち上がり、ふはぁと荒い息を吐いてズガイドスを睨みつけるパッチに、ヒョウタは勝負を決めにかかる指示をズガイドスに。

 トレーナーであるパールが惑う今こそ好機に他ならない。このまま勝負を決めてしまうのが最善策だ。

 勝負は何が起こるかわからない。きっかけ一つ、パールかパッチが掴んでしまったら、この優勢もいつひっくり返されるかわからないのだ。

 

「あ……!?

 パッチ避けて! えぇと、あっち! ピョコの足跡がある方!」

「――――!?

 ッ――――!」

 

 だが、少しヒョウタにとって悪い方向へと展開は傾いたか。

 パッチが地面を転がって地面に刻んだ、うっすらとした擦り跡。

 そこに着想を得て何かを閃いたパッチは、パールに指示される方へと渾身の跳びを見せてズガイドスの頭突きを躱す。

 先の戦いでピョコが残していた無数の足跡に、パッチも上手に四本の足を収めきっている。

 

「むぅ……!」

 

「パッチ、大丈夫!? 痛くない!?」

「――――!」

「よかった……!

 でも、ここから……!」

 

 パッチの足を傷つけるものが何なのか、そしてそれがいつ配置されたものか、パールは未だに判然としていない。

 だけど、さっきの戦いでピョコは一度もパッチと同じ反応は見せなかった。

 つまり、少なくともピョコはその何かを踏んでいないのだ。

 それはピョコが、ステルスロックをばら撒くイワークの挙動を間近で見ていたからであり、しかしピョコにはパールには伝えるすべがなかったこと。

 さりとて未だバトルフィールドに残るピョコの足跡は、パールやピョコには見えぬ罠の無い場所を示す、かすかで確かなヒントに相違ない。

 

 土壇場でパールが閃き至ったその解答は、緒戦を戦い抜いたピョコが残したバトンを、拾い上げてここに繋ぐ役目を果たしている。

 パールの支えが、そしてもう一人の友達が残してくれたものを武器に、パッチはその眼差しに再び勝利を目指した火を宿す。

 

「パッチ、何とか凌いで……!

 多分、きっと、相手も弱ってるはずだから!」

 

「初心者だと思ってたらこれだ……!

 だが、それがいつまで続くかな!? ズガイドス、行け!」

 

 痛い所を突かれたヒョウタも、ズガイドスに早期決着を目指す指示。

 ピョコの足跡を使ってステルスロックの撒き場を躱す手段を導きだしたこともそうだが、同時にパールはナエトルVSズガイドスを思い出したと見える。

 つまり、すいとる攻撃を複数回受けて弱っている、ズガイドスの本質を。

 元気なズガイドスなら、そもそも先程のパッチの体当たりを受けてよろめきすらしない。ただの体当たりになど充分過ぎる耐性があるはずなのだから。

 あの時点でヒョウタは、決して余裕のある戦いではないと重く受け止めたからこそ、パールとコリンクが立ち直る時間など与えたくなかったのだ。

 

 ズガイドスとて重々承知、パッチに迫る頭を突き出しての突撃はいっそう速い。

 躱すパッチはズガイドスを飛び越え、足を延ばしてズガイドスの足跡を踏みしめる。

 気付いてしまえば応用すら見せるパッチである。だって、ズガイドスだって踏んでないから顔色一つ変えずに走れるんでしょうと。

 自由気ままに走れないのは不自由だが、器用に足を動かしてズガイドスとピョコの足跡を踏みしめるパッチは、さほど立ち回りに苦労していない。

 バトルフィールドの真ん中は、ステルスロックの位置を知るナエトルとズガイドスの足跡だらけだ。逆に避けろと言われた方がむしろ難しいほどに。

 

「体当たりじゃない、えぇと、えぇと……!」

 

「決めにかかれ、ズガイドス! 今だぞ!」

「――――z!」

 

 逃げ場を示したパールだが、有効な攻撃手段を導き出せない。体当たりの効果が薄い現実からは、もう目を逸らして希望を懸けられない。

 ヒョウタが見定めた付け入る隙はそこだ。

 ヒョウタも想像しなかったヒントを頼りに、ステルスロックの躱し方を与えたパールに時間を与えたら、またどんな新解答を導き出されることやらわからない。

 頭突きを一撃くらわせて弱らせはしたはず。コリンクの動きも最初よりは悪くなっている。追い立てる指示。

 

「ッ――――!」

「――――z!?」

 

 現にパッチは、迫るズガイドスの頭突きを派手な動きで躱すことが出来なかった。

 身を捻ってその頭突きを自らの横へ抜けるよう回避した程度であり、ブレーキの利くズガイドスが振り返った時に敵は間近。

 だが、至近距離の頭を振り上げての頭突きを下されるより早く、パッチは勢いよくズガイドスの尻尾の付け根に"かみつく"反撃を見せた。

 

「まずい……!

 ズガイドス、振りほどけ!」

「あ……!

 パッチ、背中に飛びついて!」

 

 一転、窮地に陥ったと悟ったのが、経験豊富なジムリーダーたるヒョウタの判断。

 しかし、パールもズガイドスの背後を取ったパッチの姿を見て、これは好機だと知るには充分だ。

 牙を持つポケモンの"かみつく"攻撃は、岩タイプのポケモンの表皮の奥にさえも強い圧と苦しみを与える本質を持つが、それは今のパールも知らぬこと。

 後ろを取ってしまえばあの石頭に晒されない、という事実を目の当たりにしたことの方が、よほど勝利への道筋を確信するに充分な事象であろう。

 

 噛みつかれた尻尾を振るって牙から免れようとしたズガイドスだが、パールの指示に従うパッチはすぐに牙を抜く。

 軽くなった尻尾を重いつもりで振るったズガイドスには肩透かし、しかし背中に飛びついてくるパッチ。

 絶対に頭突きされない場所にしがみついたパッチは、物理的に体当たりをかませない場所に陣取り、しかし攻撃手段は残っている。

 

「パッチ! 噛みついて!」

「――――z!」

 

「――――――――z!!!!」

「ズガイドス!?」

 

 肩と首の間にがぶりと噛みついたパッチの牙が、ズガイドスの硬い表皮の奥まで痛みを与えた。それは鋭くも鈍くもあり重いもの。

 例えるなら体内の骨を握りしめられるようなもので、激痛を覚えたズガイドスは暴れ悶える。

 何とかパッチを振り払おうと、半狂乱のようにぶんぶん体を振り回すズガイドスは、悲鳴に近い鳴き声をあげるほど悶絶する。

 

 

「ズガイドス、あれだ! 叩きつけてやれ!」

「ッ、ッ……――――z!」

 

 それでもヒョウタの指示を耳にして、かろうじて彼が指差した方向と意図を悟れるのは、流石ジムリーダーの切り札だ。

 凄まじい痛みを覚えながらも、背中にしがみついたパッチを背負うようにしながら、フィールドに乱立する岩の一つへ駆けていく。

 そして岩に自分からぶつかりに行く動きの果て、直前に体を回し、自分と岩の間にパッチを挟むようにしてそこへ叩きつけるのだ。

 

「ああぁぁ……!」

「よし、ズガイドス……!」

 

「…………ッ、ッ……!」

「…………!?

 ――――z、――――――――z!!」

 

 叩きつけられたその瞬間は、パッチもけはっと息を吐いて、その牙を抜いてしまったものだ。

 しかし、自分から離れようとしたズガイドスにしがみつく前足を離さず、かすれた息を一度吐いた口を、再び同じ場所へ噛みつく動きへ戻す。

 激痛から解放されたかと思った瞬間に、再び同じ痛みが突き立てられた衝撃は、一度免れたと感じた安堵が逆転するぶんいっそうズガイドスには衝撃的。

 

「な、なに……!?

 ズガイドス、振り払え! 地面に叩きつけてやれ!」

「ぱっ、パッチぃっ!!

 頑張れえっ!! 離しちゃだめえっ!!」

 

 片目を閉じるほど息が詰まっていながら、ズガイドスに食らい付くパッチ。

 ここで逃したらもう勝機は無いだろうと腹を括っている。

 その執念に驚愕しつつ、振りほどくための手段を唱えるヒョウタ。

 必死で低く跳んで後ろに倒れ、自分の体と地面にパッチを挟むようにして叩きつけるズガイドス。

 そしてパールは、もはやこの唯一の勝機と見えたこの局面、パッチを応援する叫び声を必死で届けることしか出来ない。

 

「――――z、――――――――z!!」

「ッ……! っ、ッ――――z!」

 

 それでも離さないパッチの牙が、いっそうズガイドスの首元近くに深く食い込み、噛み締められるズガイドスの悲鳴はいっそう大きくなる。

 ごろんごろんと地面をのたうつように悶え、幾度となくパッチを地面に擦りこするズガイドスと、牙と前足で必死に食らい付くパッチ。

 小さな体のポケモン同士が絡まって地面を転がる姿も、苦悶の絶叫を絶やさぬズガイドスの声が、いかに死闘であるかを物語っている。

 決意に満ちた牙と、それに捕らえられた獲物の壮絶な戦いを前に、パールは胸の前で両手を握りしめ、足が震えるのを止められない。

 あまりにも凄まじかった。開いた片目からパッチが漂わせる勝利への執念も、暴れるズガイドスの必死に歯を食いしばる表情もだ。

 

「――――z……!!

 ――――――――z……!」

 

「っ……よく頑張った!

 ズガイドス、戻れ……!」

 

 十数秒もの間、大暴れしていたズガイドスが、腹ばいになってヒョウタの方を見て、とうとう鳴き声の色を変えた。

 もう無理、これ以上耐えられない、今すぐ助けて。苦悶の表情で訴えるズガイドスに、ヒョウタは迷わずボールのスイッチを押した。

 降参の想いを受け入れられたズガイドスは、パッチの牙から解放され、光の粒になってボールへと戻っていく。

 

 目を背けたくなるほどの、それでいて目を逸らせない死闘だった。

 たった十数秒でもパールには、それが何十秒にも感じられたほどだっただろう。

 だが、ズガイドスがヒョウタのボールに収まったことで、それを目の当たりにしたパールの腰から力が抜けていく。

 その場にへたり込んでしまったパールは、未だばくばくと鳴る心臓に力の抜けた握り手を当て、はっはっと短い呼吸を繰り返すのみ。

 その終焉とともに半ばそのように呆然となってしまうほど、パールにとっても身がもたぬほどの戦いだったということだろう。

 

「……本当に、よく頑張ってくれた。

 屈したことは恥じゃない、相手が強かっただけだ」

 

 ボールの中でしょんぼりしているズガイドスに、ヒョウタは決して気休めではない労いの言葉を向けていた。

 鍛えられ、戦い慣れた、ジムリーダーの切り札が、音を上げギブアップするなど想像を絶する苦痛だったはず。ヒョウタもわかっているのだ。

 人間だって関節を捩じり上げられ、まして逃げられないとなってしまえば、大人でも泣いて許しを請うのである。

 どれだけ暴れても放してくれない、鋭い牙を首筋に突き立てられる苦しみなんて、想像しただけでぞっとするというものだ。

 

「か……勝ったの……?」

 

「……おめでとう!

 悔しいけれど、君とコリンクと、ナエトルの勝ちだ!」

 

「――――!」

 

 ズガイドスが屈したことで、ヒョウタの二体のポケモンは共に敗北だ。

 ヒョウタの敗北、そしてパールの勝利を意味する宣言を耳にしたパッチが、ぱあっと明るい表情になってパールに振り返る。

 鬼気迫る表情でズガイドスに牙を突き立てていたパッチが、無邪気な笑顔で駆け寄ってくる姿に、ようやくパールの表情も綻んだ。

 

 胸元に飛び込んでくるパッチを、腰に力が立てないパールは受け止めたが、体の芯がもたずそのまま後ろにこてんと倒されてしまう。

 だけど、ぎゅうっとパッチを抱きしめて。

 すぐそばで、やったよ、見てたよね、と嬉しそうな顔で笑うパッチの姿を前にすれば、パールの表情もまた笑顔で満開になる。

 

「やった……!

 やった、やったっ、やったあっ……!

 パッチ、ありがとう……! ほんとにっ、ほんとに頑張ってくれたね!」

「――――♪」

 

 あんなにも必死で食らい付いて頑張ってくれたパッチの姿が脳裏に蘇るにつれ、パールは感極まってちょっと泣いちゃいそう。

 頬ずりしてくれるパッチをいっそう強く抱きしめながら、体を起こして。

 すぐにピョコのボールを手に取り、スイッチを押してピョコもボールから出す。

 

「ピョコもありがとう……!

 二人のおかげで勝てたよおっ! 二人とも大好き! ほんとにありがとう!」

 

 戦後でひどく疲れていてもう戦えないピョコだって、パールにじゃれつく体力は残っている。

 自分のことを忘れず呼んでくれて、パッチと一緒に褒めてくれるパールの姿に、ピョコはパッチの顔を見た。

 やったな、という一言ぶんの疎通。そんなピョコの眼差しから気持ちを受け取ったパッチも、照れ臭く前足で顔をくしくしする。

 

 あとはもう、ピョコもパッチも二人でパールに身を寄り添わせるだけ。

 うんうん俺達頑張ったよ、私達頑張ったよ、もっと褒めて褒めてとパールの手が届きやすい場所に頭を持っていってすりすり。

 バトルフィールドではあんなにも頼もしくて心強かった、そんなピョコもパッチも戦いが終われば、子供のように無邪気にパールに甘えるばかりである。

 

「あははは……!

 私もう、絶対、一生、ピョコとパッチのこと大事にする……!

 ずっと、ずうっと一緒にいてね、二人とも……!」

「~~~~♪」

「――――♪」

 

 初めてのジム戦の勝利の中、ガッツポーズ一つ無く、頑張ってくれたポケモンを両手に抱きしめて、大好きという想いを伝えるパールの姿。

 二日連続で挑戦者に負けてしまった悔しさはあれど、ヒョウタにとっては頬が緩むほどの眺めだった。

 ごめんねヒョウタ、と、ボールの中から彼を見上げているズガイドスにも、ヒョウタは気持ちを察して、ボール越しの笑顔を返すのみ。

 未熟ながら、全身全霊を尽くして戦い抜いての勝利だからこそ、あれだけパールが喜んでいるのだとヒョウタにもわかる。

 けちなど一つもつくものか。負けたズガイドスが恥じることなど一切無いほど、あれはこの戦いの勝者を誇るに相応しいポケモントレーナーだ。

 

 何度だってヒョウタは思う。

 これだから、ジムリーダーはやめられない。

 余すことなく全力を尽くした真剣勝負以と比べてしまったら、趣味の炭坑遊びだって比較にならないのだ。

 だからみんな、ポケモントレーナーであることもやめられない。



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第12話   怪しい二人

 

 

「ふー、抜けたぁ。

 やっぱりズバットのいる所はヤだなぁ」

「――――」

「あはは、もう大丈夫」

 

 ヒョウタとの勝負に勝った翌朝、パールはクロガネシティを出発し、今クロガネゲートを抜けたところである。

 昨日は、時間の早いうちにジムリーダーに勝利して、その日のうちにクロガネシティを出発したかったパールだが、ジム戦が想像以上の激闘で。

 ピョコもパッチも疲れているだろうなと思ったら、次への旅を急ぐことなど出来ず、ポケモンセンターで一晩ゆっくり休む判断に至ったのだ。

 

 戦後のヒョウタに、次に目指しやすい近いジムはありますかと聞けば、ハクタイシティが一番行きやすいんじゃないかと教えられた。

 クロガネシティからそこへ行くには、一度コトブキシティに戻り、そこから北上していく道のりとなる。

 パールは教えられたとおりに倣い、クロガネゲートを抜け、コトブキシティへ向かう足。

 ズバットの巣窟でもあるトンネルを抜け、そばで頼もしく目を光らせてくれていたパッチと共に、揚々とした足取りでコトブキシティへと進んでいく。

 

「でも嬉しかったね、パッチ。

 ピョコもそうだけど、ジムリーダーさんに褒めて貰えたもんね」

「――――♪」

「ダイヤよりも筋がいいかも、なんて言われたら私も嬉しくなっちゃう。

 あいつ先に先に行っちゃってると思うけど、すぐに追いついてびっくりさせてやろうね」

「――――」

 

 パールは今朝から機嫌が良い。

 昨日、ヒョウタに勝った後も彼といくらか話したのだが、ついついパールは前日ヒョウタを破ったというダイヤのことを尋ねたくなった。

 彼も強かった、彼のポケモンはよく鍛えられている、戦略も指示も合理的で将来性溢れる少年だった、とはダイヤに対するヒョウタの寸評。

 いわく、ヒコザルに岩タイプのポケモンによく効く"いわくだき"を覚えさせ、きちんと岩タイプ対策を立ててきていたそうだ。

 それを聞いたパールもなんだか嬉しかった。なんだかんだで憎めない幼馴染だもの。

 先んじて進んでいる彼に早く追い付きたい気持ちはあるけれど、順調にいっているらしいことを聞けば、やっぱり心温まる想いの方が勝る。

 自分には考えも付かなかった手段で、強い相手を打ち破ったらしいダイヤの立派さを聞いて、私もそうなっていければと熱くなれる気持ちもある。

 

 しかしヒョウタは、パールにも良い言葉を向けてくれた。

 彼に比べればいっそう粗削りだけど、危うくなっても諦めず、勝利を導く戦い方と解答を導き出した、発想力とその挫けなさは見事だったと。

 追い詰められた状況でも決して諦めなかったパッチの根性や、立派に先鋒を務め果たしたピョコの強さも併せてだ。

 知り合いらしい彼とどちらが上かなんて語れないけど、君にも彼には無い強みがありそうで、一ヶ月後、一年後にはどうなっているかわからないと。

 先が楽しみなトレーナーだ、今後も頑張って欲しい、応援しているよとパールに言ってくれたのである。

 二日連続で挑戦者に負けた悔しさより、大器の予感がする若きトレーナーと戦えたことへの喜びを表す、そんな笑顔と共にだ。

 望外でさえあった賞賛の意を伝えられ、パールはすごく嬉しくて、その日の夜は幸せいっぱいの気持ちで眠ることが出来た。

 今日も引き続きご機嫌だ。それぐらい嬉しかったのである。

 

「ふう、ありがとう、パッチ。

 それじゃ、一回休もうね」

「――――♪」

 

 さて、道中はあまり野生のポケモンに絡まれにくそうな道を通り、コトブキシティに到着だ。

 ここまでパールを護衛するかのように、きちんと視野を広くしながら共に歩いてくれていたパッチを、ボールの中に戻して休ませる。

 都会のコトブキシティはクロガネシティ以上に人通りが多く、一人で歩いた方がいいだろう。

 何度来ても都会だなぁ、なんて思いながら、パールは昼時のコトブキシティを北に向けて進んでいく。

 

 コトブキシティの北から出れば204番道路に出て、"荒れた抜け道"と言われる場所を抜けると、ソノオタウンに着くらしい。

 そこからさらに出発し、205番道路を抜けていけば、道中に広がる"ハクタイの森"を経て、ハクタイシティに辿り着く。

 目指す先も、その過程にあるものも、すべてパールにとっては未踏の世界。

 旅というものはわくわくする。ましてその道半ばには、初めて見るポケモンもいるかもしれない。

 ナナカマド博士の言っていた、今でもポケモンに会うたびワクワクするという言葉を思い出して、パールは新天地への足を弾むように進ませていた。

 

「――あれっ?

 もしかして、あれって……」

 

 せっかちダイヤの程ではなくとも、新たなる世界が楽しみで足早になりつつあったパールが、コトブキシティ北の出口に至るのは早かった。

 しかし、町の出口には知った顔の二人と、知らない大人が二人いる。

 ナナカマド博士とプラッチ(違う)が、おかっぱ頭で妙なボディスーツに身を包む大人二人に、随分近く詰め寄られて何か話しかけられている。

 

 見知り合いを見れば声をかけるパールだが、知らない人と話している姿を見ると、割って入っていいものだかわからず、足を止めて遠巻きに様子を見る。

 ナナカマド博士とプラチナ、それに向かって話しかける二人の変な大人の表情は、四人いずれも少々むすっとしたものだ。

 あまり良い空気ではなさそう。そう見えると、余計に近寄りがたい。

 

「強情な方ですねェ。

 あなたも、あなたの研究成果が世の中のために活かされればそれは喜ばしいこと、違うデスか?」

「ウム」

「私達にはあなたの研究成果を、大いなる目的のために活かすチカラがあるデース。

 ですから我々に、ご協力頂きたいのデス」

「ウウウム」

 

 はじめの問いにはとりあえず頷いたナナカマド博士。

 でも、協力を求める男達には、無表情のまま首を二度振る。

 別に迷っているわけでもなく、お断りの意志堅し。

 

「だから、博士の研究を何に活かすつもりなのかって聞いてるじゃないですか。

 それを話してもくれないのに、はいわかりましたなんて言えませんよ」

「おおぅ、それは言えまセーン。

 正確には、私達のリーダーの目的は崇高ゆえ、"したっぱ"の我々には多くを知らされていないのデース」

「だったら世の中のために活かしてくれるかどうかもわかんないじゃないですか……」

「いいえいいえ、心配はいらないデスよ?

 ナナカマド博士のような高潔で偉大な博士の研究成果が必要な目的など、良い目的にしか活かされないと信用できるはずデース」

「ウム」

「博士もまんざらでもない感じの返答やめません?」

 

 ちょっと近付いて聞き耳を立ててみると、変な格好で髪型を揃えた変な大人だなぁという印象の二人、余計に変人。

 片言なのはもういっそたいした問題じゃない。超胡散臭い。くっさくさ。

 ナナカマド博士はマイペースにあしらっているようだが、相手にも身内にもまともなツッコミをしているプラチナだけがまともな会話をしている。

 大人ってみんな結構しっかりしてるものだと思ってるパールにとって、あんなヘンな大人は初めて見る。

 

「お子様は黙ってて下サーイ。

 ナナカマド博士、我々に協力して下さいませんか?

 シンオウ地方に来られて最初の論文、読ませて頂いたデース」

「ウム」

「我々、素晴らしい学者様だと思ったデース!」

「私達はもはや、あなたのファンと言っても過言ではないデース!」

「ウム」

「ですから、ご協力頂けませんか?」

「ウウウム」

 

 調子を合わせて話を聞いていても、結論だけは変わらず首を振るナナカマド博士。

 徹頭徹尾打っても響かないナナカマド博士と、お調子口調で絡んであっさり躱される変な人達。

 私はいったい何を見てるんだろうと、パールもふへっと変な笑いが出る。

 

「オーゥ、これだけ言ってもダメですか?」

「仕方ありまセーン!

 こうなれば実力行使デース!」

「ウム」

「いや博士、ウムじゃなくて」

「我々の言うことを聞かないのであれば、そこの助手を痛めつけマース!」

「流石にあなたを傷つけるわけにはいかないデース!

 そこの少年の身の安全が惜しければ、我々に協力するのデース!」

 

「あっ、悪い奴だ!」

 

 謎の男二人はモンスターボールを握り、脅迫文句を口にした。

 怪しい変な大人止まりだった印象も、ここまで言うなら悪者認定で結構。

 そして、見知った二人にあんなことを言う怪しい連中の姿を見てしまっては、出方を迷っていたパールも足が前に出る。

 

「やっぱりろくな人達じゃないですね……!

 博士、退がってて下さい! 僕なら大丈夫ですから!」

「ウム」

「生意気なボウヤデース!

 それでは痛い目に……」

 

「プラッチ!!」

「えっ、はっ!? パール!?」

「なんか困ってる!? 助けるよっ!」

 

 飛び込んでくるように参じたパールの姿には、プラチナの方が思わぬ参入者にびっくり。

 パールは手短に意思表示。話が早くてよろしい。

 

「えぇと……! あぁ、うん、お願いするよ!

 こいつら、絶対悪い奴だからさ! 撃退する!」

「オッケー!」

「行くよ! ピョコ!」

「頼むよ! ポッチャマ!」

 

「オー! やんちゃガールが増えたデース!」

「関係ありまセーン! 所詮は子供デース!

 二人まとめて怖がらせてやりマース!」

 

 パールとプラチナはこの状況から自分達を守ってくれるであろう、頼もしいパートナーのボールのスイッチを押して喚び出す。

 怪しい男達も、プラチナに差し向けようとしていたポケモンの入ったボールのスイッチを三度押し。

 ピョコとプラチナのポッチャマと対峙するのは、怪しい男達のズバットとケムッソだ。

 

「ぴゃ!?」

「っ……!

 ポッチャマ! ズバットに"あわ"!」

 

 パール戦闘不能。

 そう離れていない場所にいきなりズバットが現れて、あばばばと後ずさって距離を取る。さらに足をもつれさせて、尻餅ついてしまう始末。

 あんなに勢いよく推参したくせに、ズバットだけはやっぱり駄目らしい。

 ズバットの姿を見た瞬間、あぁこれはパールが駄目になりそうだと察し、指示が無くても頑張るぞと即時決意するピョコったら立派なものである。

 

「むむむっ、ケムッソ!

 あのポッチャマに糸を吐……」

「ケムッソにもだ! 邪魔をさせないように!」

「――――z!」

 

 でも、もっと立派な子もいる。

 明らかに取り乱したパールの姿を見て、やっぱり女の子だ、大人の出してくるポケモンはやっぱり怖いんだろうとすぐに考えて。

 一秒でも早くこいつらを撃退して、安心させてあげようと気合を入れている。

 ポッチャマに、勢いのある泡を無数に吐き出すことでズバットに撃ち込ませ、そちらを怯ませたらケムッソにも泡を放つよう指示。

 パールがナエトルに指示が出せそうにないので、自分とポッチャマだけで勝負を決めてやるという勢いである。

 

「えーいズバット、根性出すデスよ!

 ポッチャマにきゅうけつ……」

「次はズバット! はたいて叩き落とせ!

 ケムッソに大きめの泡一発! それに続いて"つつく"!」

 

 指示の早いプラチナである。ズバットを使役する怪しい男の、根性出せの文言が時間の無駄すぎるほどプラチナの指示が早い。

 ポッチャマに噛みついて"きゅうけつ"しようと迫りかけたズバットに、地面を踏み切って跳びついたポッチャマが、ばしんと強烈な平手を振り下ろす。

 噛みつかれすらせず空中でズバットを叩き落したポッチャマは、指示されたとおりケムッソにも大きめの泡を一つ発射。

 既に何発かの泡を受けた後、なんとか立て直した直後のケムッソに、追い討ちのように飛んできた泡が衝突、はじけて再び怯ませる。

 勢いよく走っていくポッチャマは、そのままケムッソにくちばしを突き出して、突進めいた勢いのままケムッソを突き飛ばした。

 

「ポッチャマ退がって!

 まとめて泡で押し返せ!」

 

 あぁこれ俺のやること無さそう、と、ピョコが前足で頬をくしくししながら眺める中、指示どおり少し位置を下げたポッチャマが泡を撃つ。

 広がるように放たれる泡は、ズバットとケムッソにべちべちと当たり、たまらずズバットとケムッソは一目散。

 怪しい男の後ろに隠れてしまう。無理無理、あいつ強過ぎ、逃げましょご主人、という態度だ。精神的に戦闘不能である。

 

「オー! なんということでしょう!

 こんなお子様に我々がいてこまされてしまうとは!」

「おーおー、ズバットもケムッソも可哀想に。

 無茶をさせてしまったデス、ボールに戻るデスよ」

 

 案外身内には優しい奴らである。

 負けたポケモンをなじりもせず、ボールのスイッチを押して戻すのみ。

 

「うーむ、仕方ありまセーン。

 今日のところは撤退デース」

「我々"ギンガ団"は、世界に優しく、人にもポケモンにも優しい組織デース。

 だけど、これからも諦めまセーン」

「ナナカマド博士、首を洗って待っているデース!

 いつかは我々に協力して頂きマース!」

「ウウウム」

「ブレませんね、博士は……」

 

 流石に手持ちのポケモンがやられてしまったら、悪党連中も撤退するしかない模様。

 諦めは悪そうだが。そして、どうせ言っても聞かない奴らであろうことは明らかなので、ナナカマド博士はマイペースに首を振るのみ。

 協力なんてしないぞ、という意志表示は頑固一徹。こういうところは譲らない。

 

「お嬢さん、お尻大丈夫デスか~」

「傷薬塗って安静にするデスよ~」

 

「っ……ばかーーーーーっ!

 こんなことする、あんなこと言う人が、何が世界にも人にも優しいなのよーっ!」

 

 走って撤退していく前に、お尻をさすって立ち上がるパールの方へ、ひょいと手を挙げ気遣う言葉を向けてくる奴ら。

 あぁ白々しい奴ら、嫌な大人。あいつらのせいでお尻打ったのに。

 余計にむかついて、感情任せに抗議するパールの至極まともなツッコミが、怪しい男達の去っていく先の204番道路の彼方までよく響いていた。

 勝った側にいるのに、一泡吹かせられた側の捨て台詞みたい。息巻いて参戦した割に何も出来なかったら、何を言ってもこうなってしまう。無念。

 

 怒ったら本当に大きな声を出せる女の子だ。プラチナがびくっとしたぐらい。

 ナナカマドですら、ぴくっと眉が動いたぐらいである。この何事にも同時無さそうな熟年の博士ですら、少し驚かされたようだ。

 ピョコはくぁ、とあくびしながら聞いていた。のんびりした顔をしている割にまあまあ豪胆である。



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第13話   プラッチといっしょ

 

「大丈夫?」

「あ、ありがと、プラッチ……」

 

 謎の二人との戦いで、正確には謎の二人が繰り出したズバットにびっくりさせられ、腰砕け状態で座り込んでいたパールに、プラチナが手を差し伸べてくれる。

 手を握ったら引っ張って貰えて、パールは立ち上がるに至る。

 ぱっぱっとお尻の砂を払うパールは、手を差し伸べてくれた割に今さらどぎまぎしているプラチナのことになんて気付きもしない。

 柔らかい手に触れて初めて、うわ僕女の子の手なんか握っちゃった、と少し顔を赤くしかけているプラチナたるや、なかなか初々しいものである。

 

「さっきの人、なんだったの?」

「あー、えぇと……僕達もよくわからないんだよ。

 っていうか初めて見る人達だし。あんなヘンな格好した知り合いいないし」

「ひどい言い草。

 でも共感しちゃう」

「ねぇ。ワルい奴らだよね」

 

 "ギンガ団"と名乗っていた怪しい男達だが、いったいどういう連中なのかはプラチナもナナカマド博士もよく知らない。

 どちらにしたって、目的のためにプラチナを痛めつけるぞと言ってナナカマド博士を脅迫するような奴らなので、パールもプラチナもすっかり悪者認定。

 そうなっちゃうと子供って特にだが、敵視した相手に対する言い草が随分と容赦なくなるものだ。

 まあしょうがない。特にプラチナなんて脅された当事者だ。

 

「えーと、パールはどうしたの?

 これから204番道路に行くとこだった感じ?」

「ああ、うん、これからハクタイシティに行こうと思ってたとこ。

 クロガネジムに挑戦して勝ってきたの。次の目標はハクタイジム」

「へぇ、ジム戦に勝ったんだ。凄いじゃんか」

「ふへへへ、もっと褒めて」

 

 胸を張って鼻を鳴らすパール。褒められるとご機嫌、わかりやすい性格。

 うちのトレーナーは調子のいい性格だなぁ、とピョコがふへっと笑ってあさっての方向を向いている。パールに見えない角度で。

 さっきまでズバットにびびって腰抜かしてたのに、というのを思い返すピョコ目線では、お調子に乗ったパールの姿がなんだか可笑しい。

 

「ウム、パール君。

 ハクタイシティに向かうというのであれば、うちの助手と一緒にどうかね」

「えっ!?」

「えっ、でもプラッチはナナカマド博士の助手じゃ?」

「プラッチ……?

 ウム、構わんよ。

 元々私も、彼をそばに付かせ過ぎて、あまり自由な時間を与えられなくて考えものだったところだ」

 

 プラチナをプラッチと呼ぶパールの発言に、一瞬の引っかかりを覚えたナナカマド博士だが、あだ名か何かだと思ってそのまま話を続ける。

 訂正されなかった。パールの中では未だプラチナ君じゃなくてプラッチ君。

 

「僕は大丈夫ですよ、博士。

 博士と一緒にいられると勉強できることも多いですし」

「それは、いつでも私のそばに戻ってきてくれればいくらでも作れる時間だ。

 君も私のそばではたらくだけでなく、外を歩いて身内以外のポケモン達に接する時間を作った方がいい。

 これはいいきっかけだと思う」

「そ、そうなんですかね?」

「君がそばにいてくれねば手が足りなくなるかもしれんが、私一人でも出来ることを進めておくとしよう。

 様々な経験を積み、知識を深めてきた君が帰ってきてからなら、それも取り戻せるだろう。

 パール君に同行してあげなさい」

 

 博士なりに考えがあるようで、ナナカマド博士はプラチナに、パールの旅に付き添うことを強く推す。

 君の力は私にとって必要だが、それでもだという言い方を含めているのは、お払い箱ではないことを強調する目的あってのこと。

 寡黙で口数の少ない人とされるナナカマド博士だが、相手を万一にも傷つけないために紡ぐ言葉は惜しまない。こんな時は饒舌になってくれる人だ。

 

「パール君、どうかね。

 君は真剣にポケモンリーグを目指していると見える。

 知識が豊富でポケモンバトルの腕が立つ彼に、色々教えて貰いながら旅をするのはいい経験になるだろう。

 君にとっても、悪い話ではないと思う」

「それは嬉しいですけど、なんかちょっと申し訳ないな……」

「ハクタイシティへ向かう道のりの中では、"荒れた抜け道"と呼ばれる洞窟を抜けねばならない。

 見たところ随分とズバットが苦手なようだが、ズバットの生息率が高い荒れた抜け道を一人で進めるかね?」

「プラッチ! よろしく!」

「あははは……」

 

 遠慮気味だったパールだが、ナナカマド博士に急所を突かれて一瞬で心変わり。

 ズバットの多発する洞窟を一人で歩くなんてイヤ。プラッチが一緒にいてくれるならその方がいい。

 素直なパールに苦笑いのプラチナだが、ねぇ俺のこと忘れてな~い? とピョコが溜め息をついている。

 ズバットなんて、俺とパッチがいくらでも撃退するのに、という感情ぷくぷく。まあパールが余程ズバット嫌いなのはわかるので、理解はする。大人なピョコ。

 

「プラチナ。

 ハクタイシティまでとは言わず、好きなだけパール君と旅をしてくるといい。

 頃合いと見たら、好きな時に帰ってきて……」

「あっ……博士、博士、ちょっと……」

「ウム?」

 

 見識を広めるための旅として、ナナカマド博士はプラチナに、ハクタイシティまでに限らず好きなだけ旅をしてきなさいと告げる。

 しかし、あるキーワードに反応したプラチナは、いそいそっとナナカマド博士に駆け寄って、何やらひそひそ。

 

「……僕の名前、パールに教えないままでいいですよ。

 プラッチって、なんかあだ名みたいになってて別にそんなに悪くもないかなって……」

「ウム……?

 ウム、わかった」

 

「プラッチ?」

「あぁ、何でもないよ!

 ちょっとお仕事の話してただけ!」

 

 どうやらプラチナ、同じ年頃の女の子であるパールとお友達になった上に、あだ名呼びのような関係になっているのが満更でもなくなっているらしい。

 いま本名のプラチナの名を教えたら、ごめんずっと勘違いしてた、なんて言われて、謝られた上にプラチナ呼びに戻されるかもしれない。

 これからしばらく一緒に行動することになれば尚更、もう少し仲良くなっていきたいな、と思っているプラチナは、妙なところで敏感になっている模様。

 プラチナは、パールよりも思春期を迎えるのが少し早かったようだ。

 傍目には何を拘っているんだと思われるようなことにも、ついつい繊細に深く考えてしまうお年頃とナナカマド博士にだけはわかる。

 

 一方パールは、一瞬だけプラチナという彼の本名を耳にしたが、彼女の頭ではプラッチで一度インプットされているので、あまり耳に残らなかったようだ。

 一度焼き付いたワードは、さりげなく程度にでは周りが正しても、先入観のせいで聞き違いかなと思って頭に刻まれなかったりする。

 すっかり間違えて覚えて定着しているため、きちんと本腰入れて修正しないとパールは永遠に気付かないかもしれない。

 

「えぇと、それじゃあ、しばらくよろしく」

「うん、プラッチ! これからよろしく!」

 

 握手を求めるパールの姿を前に、プラチナは照れ臭く手を差し出して握った。

 無表情のナナカマド博士だが、内心では微笑ましく見守っていたものだ。

 優秀なだけじゃなく、頑張り屋さんの助手なのだ。ナナカマド博士にとっては、可愛い可愛い愛弟子のようなもの。

 こうして同い年の友達が出来て、嬉しそうにはにかむ笑いをパールに見せるプラチナの姿は、ナナカマド博士の親心のようなものをくすぐっていた。

 

 

 

 

 

 さて、二人でコトブキシティを出発した二人。

 ハクタイシティを目指す道のり、204番道路を歩くうちは、まあまあ楽しくお喋りしながら進んでいたものなのだが。

 道中にはポケモントレーナー達が何人かいて、時々勝負を挑まれたりもして。

 その都度相手をするのはパールであり、ピョコとパッチは次々と勝利を収めてくれたものである。

 

 何せパールは、今やクロガネジムを攻略したポケモントレーナーである。

 勝利に貢献したピョコとパッチは相応に強く、地元周りでのびやかにポケモンを育てているぐらいのトレーナー達には、なかなか負けない強さがある。

 パールも自信がついたのか、指示の声にも張りがあって迷いも無い。

 勝負を挑まれ、圧勝気味の返り討ちの連続だ。何のかんのでパールも彼女のポケモン達も、草の根バトルで胸を張れるほどには成長している。

 

 勝った相手に強いねって言われれば、実はクロガネジムでも勝ったんだよ、と自慢げにバッジを見せるパールの姿がその都度見られたりも。

 それでいっそう、凄いなって言われたら、パールもてれてれするのである。

 最初はそんなパールの姿を無邪気で可愛いなと思っていたプラチナだが、何度も見過ぎて印象が少し変わり、おだてに弱いだけの子なんだなとわかってきたり。

 せっかく異性として悪しからず見られていたっていうのに、いつの間にか俗物を見る目で見られていることに、おだてに弱いパールは全く気付いていなかった。

 些か残念な子。でも、変に異性と見られ過ぎてぎくしゃくするよりは、友達らしい付き合いがしやすいだろうし、これはこれでいいのかもしれない。

 

「み゙ゃ~っ!?

 またズバット~!?!?」

「――――z!」

 

 そして、プラチナから見たパールへの印象を変える事象がもう一つ。

 件の荒れた抜け道に入ってからというものの、あれだけポケモンバトルのたびに活気付いていたパールは何処へ。

 びくびく、おどおど、いつズバットが出てくるかと怯え気味で、しかも付き合いの浅い男の子のプラチナにはしがみつくことも出来ない。

 流石にあれは、親しみきったダイヤ相手じゃなきゃパールも出来ないことだ。

 で、ズバットが出てきたら即発狂である。そういう彼女だとわかっているピョコなので、パールよりも先にズバットに気付いて速攻の体当たりで撃退。

 頼れる自分の姿をちょっとは思い出して貰いたくて、ピョコも少々張り切り気味。

 

「ううぅ、洞窟きらい……!

 プラッチ、絶対離れちゃイヤだよ……! 置いていかないでよ!?」

「本当にズバットが苦手なんだね……」

「だって、昔さぁ――」

 

 背中を丸めてぷるぷる震えながら歩くパールは、道すがら、どうしてここまでズバットを苦手になったのかをプラチナに話して気を紛らわせる。

 とにかく、ズバットが苦手で苦手でしょうがないことだけはわかって欲しい。

 やっぱり自分のこんな姿を見せるのは少し恥ずかしいし、でも自分じゃどうしようもないし、そんな怖がるほどのもの? なんて軽視されたくはない。

 

「そっか、大変だったんだね。

 死んじゃうかって思うほどの目に遭ったなら仕方ないよね」

「ほんとにほんとに、もうね。プラッチわかってくれる?」

「うん、覚えておく。

 どうしても駄目なん……」

 

「はうぇあっ!?

 また出たあああっ!?」

「ひゃっ!?」

 

 それにしてもナナカマド博士の仰っていたとおり、ズバットの生息率の高い洞窟である。

 プラチナと話している最中にでも、近付いてきたズバットの姿を見るや否や、パールは悲鳴じみた声を上げてばたばた遠ざかる方へ足を回す。

 パールのリアクションにプラチナがびっくりさせられてしまうのだが。

 ズバット自体は、たいそう張り切ってくれているピョコがあっさり撃退してくれるので、問題自体は起こらない。

 

「ご、ごめんプラッチ……まあ私、こんな感じなのです……」

「わ、わかった、わかったよ、しょんぼりしないで?

 とりあえず震えてる足、なんとかしよう?」

「ううぅぅ……すごいみっともない……」

 

 すっかりパールは意気消沈。ズバットは怖いし、プラチナに恥ずかしいところを見せまくるし。

 洞窟の外と中か、昼か夜か、それでパールの顔は本当に180度変わってしまうのだ。要はズバットの出る時間帯か、環境か、それだけの話だが。

 闇の中では輝けず、光を浴びてこそその純白の美しさが魅力となる真珠のよう、とでも言えば例えになるだろうか。美化し過ぎな比喩とも言う。

 少なくとも、パールにとってはそんな自分は望ましいものでなく、何とかズバット恐怖症は克服したいという想いも強いのも事実である。

 とはいえ、まだまだそれを果たすには時間がかかりそうだ。

 

「一人でここ抜けるの、パールには無理だったんじゃないかなぁ」

「あぁもうそんなの絶対むり。

 そのうち腰抜かして歩けなくなって泣く」

「…………」

「あっあっ、ご、ごめんピョコ……

 そうだね、ピョコやパッチもいてく……」

 

 駄目駄目、もう拗ねた。パールったら俺達のこと忘れ過ぎ。

 ぷいっとパールから顔を逸らすピョコの姿が、ざくーとパールの胸にぶっ刺さる。

 ずっと頑張ってくれてるピョコに、凄く失礼なことを言っていたことにやっと気付いたパールは大へこみである。

 

「ごめんピョコ~! 怒らないで~!」

「――――(ぷいっ)」

「やだやだ機嫌直して~!

 ピョコがいてくれないと私こんなとこ無理だよ~!」

 

「あの~、あんまり騒ぐとズバットが……

 あっ、ほら来ちゃった」

「いや~~~!? ピョコ助けて~!」

 

 跪いてピョコに抱きつくようにして、拗ねて見捨てるようなことはしないでと哀願するパールである。

 パールがやかましいと野生のポケモン達も、興味を持つか、うるせぇなと機嫌を悪くして寄ってくる。

 飛来するズバットの姿を見るや否や、ピョコの後ろに小さく丸まって隠れるようにして、助けての気持ちを全力で表すパールである。

 どんなにパールが小さくなろうが、もっと小さなピョコの後ろに隠れ切れるわけがないのに。本当に、すぐパニックを起こすんだから。

 

 しょうがないなもう、と駆けだすピョコは、あっさりズバットを体当たりで退けて、ふんすと鼻息を鳴らして自己アピール。

 今までごめんなさい、と、両手をすりすりしながら頭を垂れるパールの姿は、詫びと媚びを共に隠さぬ懇願姿勢。

 ダメダメっぷりが半端ない。後から思い出して、他ならぬパール自身がたいそうへこみそうな姿であろう。

 

「プラッチ、私いっつもいっつもこんなんじゃないからね……?」

「わ、わかってるわかってる……ズバットがいる所だけだよね?」

 

 無様を晒し過ぎて、消えちゃいたいぐらい恥ずかしいパールは、自己フォローの言葉をプラチナに伝えておかずにいられないらしい。

 立たせてあげるために彼女の手を握り、引き上げるプラチナも、最初手をつないだ時のようなときめきも特に無かった。

 それどころじゃないっぽいので。立ってしょんぼり、歩きだしてもびくびく、そんなパールにどきどきしている場合じゃないもの。心配の方が勝ち過ぎる。

 

 ピョコ一人でもどんな野生のポケモンも退けられてしまうし、彼もなんだか張り切っているようだし、プラチナは自分のポケモンを敢えて出してこなかった。

 だけどこの辺りからプラチナは、ポッチャマをボールの中から出し、彼女の後ろを歩かせて、少しでも安心できるように配慮してくれる。

 パールにいい所を見せたいピョコを気遣ってしばらく傍観者でいて、パールの怖がりようを見れば判断を改め、彼女の安心を優先した布陣を作る。

 気遣いの出来るプラチナだ。ナナカマド博士が信頼する助手、聡明かつ柔軟で優しい男の子である。



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第14話   ソノオタウン

 

 

「あははは~、待て待てピョコ~♪」

「――――」

「ほらほらパッチ~、捕まえてごらんなさ~い♪」

「――――」

 

 何をしているのだろうか。

 お花畑の真ん中で、女の子走りのパールがピョコを追いかけ、パッチに追いかけられている。

 心から楽しい笑顔と言うよりは、作られ過ぎなぐらいの満面の笑みである。頭がおかしくなってしまったのだろうか。

 そんなパールを、離れた場所でポケッチを構えたプラチナが、ムービー機能で彼女を中心にした映像を撮っている。

 有り体に言えば、変な遊びに付き合わされている。

 

「――プラッチ、撮れた?」

「いや、まあ、撮れたけど……う~ん、すごくバカバカしいよ」

 

 撮影終了。

 撮れたよと言うプラチナの返事を聞いて、彼の元へ駆け寄ってくるパール。

 その間にプラチナは、今しがた撮ったばかりの映像をスロー再生して眺めてみる。

 うむ、なんだこいつ。頭の悪そうな女の子の姿が映し出されている。

 

「どれどれ……うわ、きもちわるっ。

 なにこれ、だれ?」

「あなたですパールさん」

「うへえぇ……私こんなに女の子走り似合わないんだ。

 うわ~、うわ~、何これぞわぞわするぅ」

 

 プラチナのポケッチで再生される映像を、パールが横からひょこっと覗き込む。

 お花畑の真ん中で、大好きなポケモンと追いかけっこをする女の子の姿が映っている。

 ドラマなんかで主人公がこれをやっていれば絵になるかもしれないが、自分や知り合いがこんなことしている姿たるや何とうすら寒いことか。

 パールもわかっていて撮ってみたのだが。馬鹿ムービーを撮って遊んでいる。

 

「周りにお花散らしてみよっか。

 ……うわぁ~」

「うわぁ~、ヘンタイだこれぇ」

 

 スローで再生される、きゃははうふふ姿のパールを眺める二人、共にひくついた笑いである。

 もうちょっと可笑しがれる映像になるかと思ったら、想像以上にイタい映像になってしまった。

 アプリ機能でパールの周りにお花を散らしたり、光効果を足してみたりするといっそうひどい。

 

「だめだめ、もう消して、かゆいかゆい」

「配信してみたいんだけど。

 たぶん有名になるよ」

「やめてやめて、恥ずか死んじゃうから。

 早く消して、消したとこ確認するまで絶対逃がさない」

 

 一時の遊びで生まれた想像以上の黒歴史映像を、今後も残されては堪らない。

 プラチナの肩をぎゅーっと捕まえて離さないパールに、プラチナもわかったからとばかりに笑って今の映像を削除するのだった。

 

 パールとプラチナは204番道路と荒れた抜け道を抜け、ソノオタウンに到着していた。

 何と言ってもこの町は、町いっぱいに広がる花畑で有名だ。

 様々な色の花が整然と、区画ごとに分けられて咲き誇る姿は人造的ではあるも、高い所からその花畑を見下ろした時の美しさは雄大である。

 色鮮やかな花々は地上で眺めても当然美しく、地上絵としても壮観というその景観こそ、ソノオタウンの最大の魅力だ。

 コトブキやクロガネのような"シティ"程には人口の多くないソノオタウンではあるが、定期的にこの町の花畑を眺めに訪れる旅行者も少なくはない。

 都からは離れている一方で、人通りも穏やかで静かな町、老後はこんな町で過ごせればいいねという声はシンオウ地方全体でもそこそこ寄せられるらしい。

 都会的ではないけれど、パールの故郷であるフタバタウンと同様に、この静謐さも充分に魅力的である。

 

「女の子走りが似合わない、って自分で言っちゃう女の子ってどうなの」

「女子力ピンチだけど……でもなんか、あんなの私じゃないって思っちゃった。

 プラッチはどう思う?

 似合うって言ったらウソツキだと思う。似合わないって言ったら怒る」

「逃げ場ないじゃん」

「正直に言いなさい」

「まあ僕は、ボール拾ってくれるために走って湖に飛び込んだパールの姿を最初に見てるし……

 きゃぴきゃぴ走ってるパールの姿ってなんかしっくりこないよね」

「うんうん、素直でよろしい。

 でも怒る」

「も~、どうすりゃ許されたの?」

 

 全部冗談だとわかるよう、終始笑顔のパールなので、プラチナも掛け合いを楽しんで町を歩く。

 パールは幼い頃からせっかちなダイヤに振り回されてきただけあって、跳べる走れるで結構活動的な動きが身に沁みついている。

 肘を下に手を上にした女の子走りなんて、ただの一回もやったことがない。

 そんな走り方していたらダイヤと遊ぶなんて無理、ついていけないのである。

 

 まあ、女の子走りが似合わなかったら女子力ピンチ、なんていうパールの理屈も、ちょっと偏った見方であるが。

 あの走り方が似合う人がいるなら、それはそれで特別な魅力である。

 自分に全くそれが似合わないことを目の当たりにした直後なので、私ってば女の子としてどうなんだろうとはちょっと考えもするようだが。

 自分がどう周りに見られるかに敏感になっちゃう、難しいお年頃。

 

「とりあえず、ポケモン達を休ませたらちょっとだけ町を見て回ろうか。

 ハクタイシティに向けて出発するのは明日の朝って感じで」

「うんうん、そうしよう。

 せっかく初めて来る町だし、ちょっとぐらいは見て回りたいよ」

「僕もソノオタウンまで来るのは初めてなんだ。

 いい所だよね、自然も綺麗で空気もおいしいし」

 

 今日のこの後のことや明日の予定を話しながら、パールとプラチナはポケモンセンターへ入っていく。

 今はちょうどおやつ時の時間帯で、ピョコやパッチをポケモンセンターで休ませてあげてからでも、暗くなる前に外を歩く時間が作れそうだ。

 元々ピョコもパッチも、ここまでの道のりにおける、野生ポケモンやトレーナーとのバトルでも、さほど消耗していない。

 二人が休んで元気いっぱいになるまで、そう時間はかからないだろう。

 

 しかし、パールとプラチナがポケモンセンターの自動ドアを抜け、カウンターに向かっていたその時のことだ。

 

「はわ!?!?!?」

「わっ、停電!?」

 

 ばつんと電灯がすべて消え、ポケモンセンター内が暗くなる。

 今は日中、外から差し込む光もあるため真っ暗にはならなかったが、急に電気が全部消えればやや暗くなるし、パールもプラチナもびっくりする。

 どよどよとした空気が館内に蔓延し、ざわめく中でパールも意味もなくきょろきょろする。

 

「落ち着いて下さーい!

 間もなく非常電源が作動しまーす!

 慌てずその場で動かずお待ち下さーい!」

 

 預かったポケモンを癒す施設であるポケモンセンターは、流石に非常時への対応も迅速だ。

 センター内の職員の誰かが大きな声で発してくれた言葉のとおり、間もなく非常電源が作動する。

 とはいえ非常電源にも限りがあるのか、節電仕様で電灯の発する光はやや弱め。

 蛍光灯の一部に至っては、ぼやぁと光を発する程度で心許ない発光だ。

 

 一番肝心の、ポケモン達を預かる場所に多くの電力とエネルギーを回すため、それ以外に回せる電力は少なめに設定されているのかもしれない。

 現にポケモンを預かるナース服のお姉さんが構えるカウンター付近は、けっこう明るく電気の使い方に遠慮が無い。

 最悪真夜中に停電したとしても、これなら大事なポケモンを預けるカウンターも頼りなくは見えないだろう。

 ポケモンセンターの本分は、預かったポケモンの傷や疲れを癒すことである。

 

「あぁびっくりした……」

「パールそんなに驚かなくても。暗い所苦手?」

「まあ、うん、ズバット関係で暗いとこ自体も苦手になっちゃってる感ある」

「あーなるほど」

 

 他愛無い話をしながら、電気の復旧したポケモンセンター内を歩き、パールとプラチナはカウンターの方へと向かっていく。

 受付のお姉さんにピョコとパッチを預けて、しばらくその辺りで座って待つ。

 大丈夫そうですか、と尋ねたパールに受付のお姉さんは、非常電源があるから大丈夫ですよと断言してくれた。

 やはりそこにだけは電力を惜しまないようだ。施設として正しい優先順位。

 

「停電、すぐに直るかなぁ……

 夜までこれだったらヤだよ、絶対寝る時に怖いじゃん」

「まあ確かに、夜にこの電灯の光り方はされたくないなぁ。

 ポケモンセンターの人達のせいじゃないけどさ」

 

 蛍光灯のいずれもが、ぼやぁとした白い光を発するのみで、一部のものは切れかけの電灯のように点滅している始末。

 確かにこのまま夜になって、外から差し込む光が無くなったら、この明かりはかえって不気味な雰囲気を醸し出しそうである。廃屋めいた雰囲気というか。

 想像しちゃうと嫌になってしまうパール、やはり暗い所は苦手のようだ。

 町の中でズバットが現れることが無いのはわかっていても、暗所はズバットを連想してしまうため、暗い所自体が得意でない子に育ってしまっている模様。

 外が明るい今は別に怖がっていないが、現時点でも夜を想像して、肩をそわそわさせている。 

 

「あら? 停電なのかしら?」

 

 ポケモンセンターの入り口付近で座り、お話している二人のそばで、ポケモンセンターに入ってきたばかりの女性が一声あげた。

 自動ドアも開きはするのだが、やはり入ってきてすぐこの異変は目につくようだ。

 

「停電みたいですよ。

 今は非常電源で何とかしてるみたいです」

「あら、そうなの。

 ポケモン預けられなかったりするのかな」

「大丈夫みたいですよ、私も今預けてますし。

 ポケモンの回復は普通にやってくれるみたいです」

「あぁ、よかった。

 あたしのポケモンちょっと怪我してて、早く元気にしてあげたかったのよ」

 

 停電したと見えるポケモンセンターに不安げな顔をしていた女性に、一足先に事情を把握しているパールが、話しかけて状況を話す。

 女性はパールに、教えてくれてありがとうという笑顔と会釈を向け、ポケモンを預けに行く。

 

「パールって初対面の人とも普通に喋れるんだね」

「プラッチは難しい?」

「無理じゃないけど、あんなすぐに話しかけるのは無理だなぁ。

 話しかけるの早かったよね、パール」

「怖そうな人には無理だよ?

 あの人はほら、普通に優しそうな人だったし」

 

 社交的なパールと、やや人見知りするプラチナ。

 初対面の人にも自分から声をかけられるパールっていうのは、それが出来ないプラチナ目線では、ちょっとすごいなって思ったりもする。

 別段そこまで大層なことではないはずだが、自分に出来ないことが出来る人というのは、隣の芝理論で凄く見えがち。

 プラチナだってパール目線で言えば、ギンガ団の二人と戦っていた時のプラチナのポッチャマに対する迅速な指示は、思い返せば凄かったなぁに尽きる。

 

「お二人とも、お隣いいかしら?」

「あっ、さっきの人。

 いいですよ~、どうぞどうぞ」

「あたし、モミっていうの。

 あなた達は?」

「パールです」

「えと……ぷ、プラチナです」

 

 パールとプラチナがお喋りしていると、さっきの女性がこちらへ戻ってきた。

 ポケモンを預け、待っている間の少々の暇に、先ほど縁の生まれた二人とお話しようと思って来てくれたようだ。

 パールは自分の隣にどうぞと両手で示し、座ったモミの自己紹介に応じてパールとプラチナも名前を言う。

 

 元々人見知りで声を大きく出来なかったプラチナ、名乗りの声もモミの方に意識がいっているパールの耳には印象に残らなかったらしい。

 え、プラッチじゃなくてプラチナっていう名前なの? という展開にはならず。彼の名前はプラッチ、という先入観がこびりついている。

 なんだかまだまだ、しばらくこのままいきそうだ。

 

「なんで急に停電なんかになったんでしょうね。

 カミナリが落ちたとかならわかりやすいんですけど」

「う~ん、この町の東に発電所があるんだけど、そこで何かあったんじゃないかしら。

 この町の電気は、殆どがそこから供給されているからね」

「何かって、事故とか?」

「あたしこの町にずっと住んでるけど、今までそんなこと一度もなかったけどね。

 それに今は、発電所の周りでなんだか怪しい人達がうろうろしてるし、そのせいなんじゃないかなぁって気もしてるの」

 

 ぴく、とパールとプラチナの頭の上の、見えないアンテナが震えた。

 怪しい人達。つい最近、怪しい人達に遭遇したばかりの二人。

 まさか、とまでは思わないが、ちょっと連想してしまう。

 

「ひどいのよ、その人達。

 私、用事があってハクタイシティに行こうと思ってて、そしたら発電所のそばのハクタイの森を抜けなきゃいけないんだけどさ。

 ここは我々ギンガ団が調査中だ、通るな通るな~、って邪魔してきてね。

 ポケモン使って攻撃してきたから、私も逃げてきたの」

 

「えっ、うそ、その人達、ポケモンに人を攻撃させたんですか?」

「最低ですねその人達。

 それって、絶対やっちゃいけないことですよ」

「私も自分のラッキーを出して、守って貰いながら逃げてきたのよ。

 おかげでラッキーも怪我させられちゃってさ。

 それでここに帰ってきて、ポケモンセンターに来たっていうわけなの」

「可哀想……」

 

 ポケモンを人を傷つけようと命じる行為などというのは、ポケモンに関わる全ての人々の間で、最低最悪な行為であると常識だ。言語道断である。

 最悪の場合、怪我で済まないこともあるのだから当然だ。

 加えて言うなら、実行犯をポケモンに担わせ、己の手を汚さないその手法そのものが、いっそう卑劣な性根だとさえ断じられる。

 傷つけられたラッキーへの気の毒な想いがまず先立つパールの横、絶対に許されべからず話を耳にしたプラチナが、義憤を目にも表しているほどだ。

 

「ハクタイの森でそんなことする人達と同じ格好をしている人が、発電所のそばにもいたのよね。

 もしかしたら、ああいうひどい人達が発電所で何かやってるせいで、この停電も起こったのかなって思っちゃうのよ。

 そのせいだとしたら、停電ももしかしたらしばらく復旧しないかもねぇ」

 

「お呼び出し致しまーす。

 パールさーん、いらっしゃいますか~。

 あなたのお友達、元気になりましたよ~」

 

「あっ、私だ。

 すいません、行ってきます」

「うん、いってらっしゃい。

 私も話を聞いて貰えて、ちょっとだけ気が楽になったわ。

 ラッキーが傷つけられて、ちょっとへこんでたのよ」

「わかりますよ~、とっても。

 元気出して下さいね、モミさん」

「うふふ、ありがとう」

 

 話の半ば、ポケモンセンターからパールへのホール内アナウンスが流れた。

 ピョコとパッチを迎えに行くため立ち上がったパールだが、モミもここで立ち上がってお別れの流れとなる。

 嫌なことがあった後で、誰かにそれを話したかったということだろう。

 初対面の相手に愚痴を言う行為ではあるが、こんな話はポケモンに関わる者なら誰だって、黙って胸に抱え込んでおける話じゃないとひどく共感できるはず。

 可愛い可愛い大事なポケモンを、見知らぬ連中の乱暴な攻撃で傷つけられたのだ。モミの心中は、パールにもプラチナにも察して余るものである。

 

 モミと別れたパールは、ピョコとパッチを受け取った後、プラチナと一緒にポケモンセンターの外へ。

 この後は町を歩いてみよう、という話だったが、あんな話を聞いた後では何だかけちがついてしまった。

 楽しくお喋りしながら散策してみよう、という気分じゃない。特にプラチナが、相当に胸糞の悪くなる話を聞いた直後で表情も明るくない。

 

「ギンガ団、って言ってたね……」

「あいつら、そんなこともしてるんだね。

 僕のことだって、痛めつけてやるなんて言ってたしさ」

「ひどいよね、ほんとに最悪。

 しかも話聞いてる感じだと、一人じゃなくて何人かがかりっぽくない?」

「僕達の場合は自分達で迎え撃てたけど、それが出来る人ばかりじゃない。

 戦うことに挑みづらい人を暴力で、しかもポケモンを利用していじめるなんて最低の行為だよ」

 

 モミは"あの人達"と言っていたし、件の連中は"我々ギンガ団"と言ってたようだし、恐らくモミにポケモンを差し向けたのは一人ではない。

 自分のポケモンを出して迎撃するには、恐らくそれなりに気の強さが要る状況だっただろうと想像できてしまう。

 パールやプラチナがその立場なら、そっちがそう来るなら、とでもピョコやパッチやポッチャマを出して迎え撃てたかもしれないけれど。

 世の中、非常識で悪意ある行動に突然直面した時、強気に立ち向かえる人ばかりではないのだ。

 逃げたモミはきっとそんな人か、あるいは相手の数が二人や三人ですらなく、もっと多くて逃げるしかなかったか、どちらか。

 いずれにしたって、喧嘩を好まない人を暴力的な手段で追い立てたか、数の暴力で虐げたか、どちらにせよ悪辣な行為であったことには変わりあるまい。

 

 モミの話を聞いている間は、彼女や怪我をさせられたモミのポケモンへの気の毒さで胸いっぱいだったパールも、ふつふつむかむかしてくるものだ。

 プラチナは最初からそう。ポケモンをそんなことに使役しようとする者に対する怒りは、ポケモントレーナーなら誰しもが抱くものである。

 

「ねえプラッチ。

 発電所に行ってみない?」

「えっ……パール、本気で言ってる?」

「私、すっごいむかむかしてきた。

 ……それに、停電した原因がその人達にあるんだとしたら、今夜になってももポケモンセンターの停電は直ってないかも。

 怖いじゃん、それ」

 

 真顔でむかむかしてきたと言ってのけたパールの眼には、ギンガ団に対する強い憤りが滲み出ていた。

 だが、強い声で言ってしまったのに自分で気付いたパールは、少しの間を置いて表情を柔らかくし、頬をかきながら別の理屈を口にする。

 感情的になり過ぎたと思ったらしい。実際そうだったし、発電所に行きたい理由をもっと私的なものに言い換えることで、空気を変えたがっている。

 

 とはいえ一時でもあんな顔を見せられたらプラチナも、その目で見たパールの正義感に疑いを持たない。

 そんな奴らは許せないという気持ちはプラチナも一緒だから。

 停電の原因が本当に、発電所にたむろしている連中のせいなのだとしたら、それ自体も今夜ソノオタウンに一泊したい自分達にも実害だ。

 いざ赴いて、

 

「……警察に行ったって、僕達のような子供の推測を話したところで、すぐには動いて貰えないだろうね」

「ねえ、行ってみようよ……!

 一回、がっつんと言ってあげなきゃ気が済まないしね!」

「うん、わかった」

 

 険のある顔こそ見せなかったものの、握り拳をぎゅっとして見せたパールは、力強い笑顔でプラチナを囃し立てる。

 プラチナも頷いて、自分も拳を握ったら、パールの拳にこつんと触れ合わせて同志であることを表した。

 幼くも正義感に溢れた二人は頷き合って、ソノオタウンの東出口へと足を進めていく。

 

 その先にある、谷間の発電所と呼ばれる場所へと向かってだ。

 ギンガ団。ナナカマド博士とプラチナに因縁をつけてきた者達の同類らが集うと推察される場所へ、今度はこちらから赴く図式である。



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第15話   谷間の発電所

 

 ソノオタウンを東から出ると、そこから先は205番道路。

 ある程度進んだところで、道は東と北に分かれており、北上すればハクタイの森を経てハクタイシティへと繋がる道。

 東へそのまま進み続ければ、やがて谷間の発電所と呼ばれる場所に辿り着く。

 

「――ええ、じゃあ、そういうことなので」

 

 ちょうどその岐路にあたる場所まで来たパールとプラチナだが、そこでプラチナがちょっとごめんと言い、少しパールから距離を取る。

 パールに背を向け、ポケッチ片手にその通話機能を使い、誰かと話しているようだ。

 離れた場所で話すプラチナが何を話しているのかパールにはわからないが、電話は手短に済ませてきたようで、時間をかけずにプラチナが戻ってくる。

 

「プラッチ、どうしたの? お電話?」

「ああ、別に気にしないで。たいした用事じゃないから」

 

 電話の相手にはやや重い声で淡々と話していたプラチナだったが、パールに対しては柔らかな笑顔で応じている。

 さあ行こうか、と言うプラチナと共に、再びパールは谷間の発電所の方へと向かって歩いていく。

 道中、野生のポケモンが群生していそうな草むらを避け、無用のバトルを避けながらの進みである。

 

「うわわ、いっぱいいるよ」

「中に入れてくれって言っても無理だろうね。

 殆ど発電所を占拠したような状況だし」

 

 発電所が見えてきた辺りでパールとプラチナは、発電所周りにうろついている人頭の数に、少し引き返して木陰に身を隠す。

 大きな発電所だが、その入り口を二人の男が直立不動で塞いでおり、周囲にも何人もの大人の男女が、見張りめいてうろついている。

 すべて、おかっぱ頭で風変わりなボディスールに身を包んだ大人達だ。

 ナナカマド博士に絡んできた、ギンガ団と名乗った者達の特徴と一致する。

 ギンガ団と名乗る勢力が、発電所を制圧して中で悪さしていそうだ、とプラチナが推察するには充分な光景であろう。

 ソノオタウンの停電とギンガ団の活動は、決して無関係ではなさそうだ。

 

「何人か、草むらでがさがさしてるね。

 何してるんだろう……」

「ここからじゃよく見えないけど、ろくなことはしてないんじゃないかな。

 こうやって発電所を占拠するような奴らだしさ」

「どうしよう?

 入り口から入れなさそう……」

「一応、考えはあるんだ。

 ――出ておいで、ケーシィ」

 

 木陰に隠れてひそひそとした声で話すパールとプラチナ。

 プラチナがモンスターボールを一つ握り、そのスイッチを押すと、中からケーシィが静かに二人の足元に登場する。

 地面に座ってうつむいて、お昼寝中のような姿のケーシィだが、プラチナはしゃがんでケーシィに目線を近付ける。

 

「ケーシィ、僕達をあそこまで一緒にテレポートさせられるかい?」

 

 プラチナが指差すのは、発電所の屋上である。

 目を閉じ眠っている風のケーシィだが、プラチナの問いかけをちゃんと聞いたように、小さくながらも確かに頷いて見せる。

 

「真正面からの突入が無理なら屋上からだ。

 ケーシィのテレポートであそこまで行って、そこから発電所に入ろう」

「なるほど、プラッチ流石……!」

「じゃあ……えぇと、手を繋ごうか。

 一緒にテレポートさせて貰おうとしたら、それが必要で……」

「うんうんっ」

 

 ケーシィのテレポートでは、一緒に移動出来る相手は単一で限界だ。

 ケーシィの力で、パールとプラチナの二人ともを目的の場所まで転送して貰おうと思ったら、何らかの形で二人が繋がっていなければならない。

 一応その程度の工夫でも、二人まとめて転送して貰うぐらいには融通が利く模様。三人も四人も繋がったら難しいそうだが。

 そんなわけでパールに右手を差し出すプラチナだが、意図をすぐに理解したパールは、ちょっとわくわくした顔さえして、両手でプラチナの手を握り返す。

 

 本当は、肩でも組むなりしてもっと密着した方が、二人と見えるより一人に固まるシルエットとなった方が、ケーシィにはやりやすいのだが。

 お年頃で年の近い女の子にそんなこと求められないプラチナなので、手繋ぎ止まり、しかも両手で握られて顔を伏せるぐらいである。

 一方パールは、ケーシィのテレポートを初体験できそうでわくわくするのみで、プラチナの照れなんて露知らず。

 

「えと……それじゃあケーシィ、よろしく」

「――――」

 

 わかった、とばかりに鼻息をふすーと吐くケーシィの全身が、淡くぽうっと光を放つ。

 少々の溜めが必要なのか、ケーシィの全身が光を放ち始めてから数秒かかったが、ケーシィの力が発動した瞬間はパールにも実感できた。

 一瞬、まるで無重力の世界に入ったかのように全身がふわりとして、目の前が光で包まれたかと思って、思わず目を閉じて。

 目を開けた時、さっきまでいた場所とは全然違う場所に自分が立っていることに気付く。

 

「うわぁ~、凄い! これがテレポート!?

 ここ発電所の屋上だよね!?」

「ぱ、パール、あんまり騒がない方が……

 近くに敵はいないかもしれないけど、一応警戒しなきゃ……」

 

 きょろきょろ周りを見回すパール、コンクリート製の足元と高所と思しき眺めで、ここが発電所の屋上だと理解して大はしゃぎ。

 興奮していて、両手で握ったままのプラチナの右手をぎゅーしたまま。

 強く握ってきても全然痛くない女の子の握力、プラチナからしてみればどきどきしてしょうがないので早く放して欲しい。

 

 プラチナの手を放したパールは、屋上のへりまで駆けていって地上を見下ろす。

 どうだ見張り番、私達は潜入成功したぜぇ、とでも得意げな顔を、一瞬垣間見せていた。

 パールの力で潜入したのではなくプラチナのポケモンのおかげなのだが。潜入成功劇の成功で、ちょっとテンションが上がってそうである。

 

「……あっ。

 プラッチ、ちょっと来て来て」

「あんまり身を乗り出すと危ないよ。

 それに、万が一誰かに見上げられて見つかったら……」

「いいから来て来て」

 

 立って屋上から地上を見下ろしていたパールは、とにかくプラチナに来て来てと招き手が忙しない。

 しかしプラチナの忠告は聞き受けたようで、屋上床に胸をつけるほど這いつくばって、屋上のへりから地上を覗き見る姿勢に改める。

 見せたい何かがあるという強い気持ちと、案外ああ見えてプラチナの話を聞く程度には冷静であるパールの双方を見たプラチナも、彼女の言う先を見下ろす。

 

「……あれって、もしかして」

「なんかイヤな気分になるよね……

 私達も、同じことをしてるって言われるかもしれないけど……」

 

 発電所周囲の草むらに、群がって参じていたギンガ団連中が何をしていたのか、上から見ればよくわかる。

 一人一人が自分の周りに、取り巻きのように複数のポケモンを出して、草むらを徘徊しているのだ。それが何人もいる。

 草むらに生息する野生のポケモン達も、見るからに徒党を組んだそれらに向かっていくことはせず、隠れるように身を低くするものが殆どである。

 

 ギンガ団達はそうして身を隠すポケモン達を探し当てると、自分達のポケモン達に攻撃を指示して袋叩きにしているのだ。

 たまらず野生側のポケモンも逃げ出すが、別のギンガ団員がその逃げ道を塞ぎ、従えたポケモン達に指示を下して痛めつける。

 野生のポケモン達は捕まったりしないよう、余力があるうちから逃げだすものだ。

 そんな野生のポケモンが、逃げても数の暴力で包囲され、動けなくなるまで徹底的に痛めつけられるのだ。

 立てなくなるほど痛めつけられてひくついたピッパが、ギンガ団員の投げたモンスターボールになすすべなく捕らえられていく光景。

 パールもプラチナも、むかっ腹がぎりぎり痛むほどの光景であろう。

 

「一緒じゃないよ。

 あんなのと一緒のことしてるって言われたら、僕けっこう本気で喧嘩するよ」

「プラッチ……」

「やり過ぎだよ。あんなのは合理的だなんて言わない。

 あんなやり方、ポケモンに人間に対する不信感や、一生残る心の傷を残すだけだ」

 

 複数のトレーナーと、それらが使役する複数のポケモン、数の力に任せてポケモンの捕獲に挑むのは、きっと手段としては確実で合理的なのだろう。

 そうしてギンガ団員達は、発見さえしてしまえばそのポケモンの捕獲率は、ほぼ100%で保っている。

 その成功率の高さが、いわば合理性に似たものとして、ギンガ団員にとってはその正当性を肯定する要素なのだろう。

 

 確かにパールやプラチナだって、野生のポケモンを捕まえたい時は、攻撃を浴びせて弱らせてからボールを投げる。

 どんなトレーナーでもそうする。地上のギンガ団員とやっていることは同じ、という者がいるなら、それはある意味そうなんだろう。

 だが、健全な精神を持つポケモントレーナーは、痛みに耐えかね逃げ出したポケモンを追撃することはしない。

 あるいは数の暴力で、身動き取れなくなるまで徹底的に痛めつけようとすることなどしない。

 だってそんなの、ただの弱い者いじめじゃないか。

 捕獲を望むあまり、その対象をいじめるような行為まで肯定する屁理屈など通用してはならないのだ。

 ポケモンだって、痛みを感じれば表情を歪めるじゃないか。心があるのは誰の目にだって明らかなはずである。

 心ある相手のことを、一切考えられなくなったら終わりだ。生きたポケモン相手にそれが出来なくなった者は、必ず対人ですらそれも忘れていく。

 ポケモンを捕まえたいと望むトレーナーがいたとして、その対象を過剰にいじめるようなことはするまいとする矜持は、当然にして重要なことなのだ。

 

「――あっ」

「やばいパール、引っ込もう。

 もしかしたら目で追って見上げられるかも」

 

 そうして見下ろす中で、一匹のポケモンがギンガ団の包囲網から逃れて、高い場所までふわふわと昇ってきた。

 地上の他のポケモンの捕獲に忙しいギンガ団員達はそれをいっそ見逃したようだが、それを目で追ったギンガ団に自分達が発見されるのは良くない展開。

 覗き込んでいた場所から引っ込んで立ち上がった二人に、地上から逃れてきたポケモンがよれよれと姿を見せた。

 

「あっ、あっ、大丈夫……!?」

「――――!」

「待って待って、その体で逃げないでっ!」

 

 そのポケモン、傷だらけのフワンテは周りが見えていないかのように発電所の屋上に着地したが、心配で駆け寄ったパールに気付くや否や逃げようとする。

 地上で人間にこっぴどい目に遭わされた直後なのだ。人間のパールやプラチナを見れば、再び空に飛び立って逃げようとする。

 風船状の体を浮かせるのも一苦労、それほどに傷ついたフワンテに、パールは飛びつくように両手で捕まえて逃がさない。

 

「じっとしてて、今元気にしてあげるから」

「――――! ――――!」

 

 やだやだ放して、人間なんて嫌い、とじたばたするフワンテは、細い糸のような腕の先の手で、ぺちぺちパールの体を叩いている。

 ちょっと痛くて片目を閉じながらも、パールは傷薬を取り出して、スプレー状のそれをフワンテに噴きつける。

 はじめは自分を捕まえるパールに対して、弱った体なりの全力抵抗をしていたフワンテも、傷薬によって体の痛みが引いていくうちにおとなしくなる。

 

「大丈夫?」

「――――?」

「ふふ、顔色よくなったね。

 ほら、逃げて。あの人達にはもう近付いちゃダメだよ?」

 

 暴れなくなったフワンテを手放したパールを、フワンテは少し怯えた目を残したままながら、怪訝な表情で見つめていた。

 しかし、少し元気な顔にはなってくれたね、という笑顔を見せるパールに対し、自分を痛めつけた人間に対する眼と同じものは向けられなかった。

 戸惑いながらもパールから離れ、彼方の空へと去っていくフワンテを、パールは手を振って見送っている。

 

 パールから離れた空で一度だけ振り返ったフワンテの目には、元気に空を飛べるようになった見送る、彼女の微笑んだ表情が見えていた。

 それは、パールのすぐ隣にいたプラチナにも確かめられた表情だ。

 

 パールは言っていた。

 乱暴な手段でポケモンを捕まえようとするギンガ団の所業を見て、私達も同じことをしてるのかもしれないけど、と。

 一緒なものか。感情論を抜きにして断言できることだ。

 いじめられて傷ついたポケモンをいたわれるパールが、そして多くのトレーナーが、あんな連中と同じなわけがないとプラチナには断言できる。

 

「行こう、パール。

 あんな奴らに好き勝手なんてさせたくない。

 パールもむかついてるかもしれないけど、僕も我慢ならなくなってきた」

「うん、頑張ろ。

 私の方がもっとむかついてるかも」

 

 共に立ち上がるプラチナとパール、特にプラチナの無表情に近い顔つきは、内に秘めた燃え上がるような怒りを隠しきれていなかった。

 パールもまた、そんなプラチナの感情に共感を覚え、同志に向けた笑顔を浮かべてはいたものの、その眼は全く笑っていない。

 手段を選ばぬひどい大人達に対する憤りなど、誰でも同じということだ。

 

 屋上の階段から、発電所内へと進んでいくパールとプラチナ。

 あんな奴らに好き勝手になんてさせたくない。

 そんな意志をいっそう強くした二人の前進は、力強いものだった。

 

 

 

 

 

「……あんまり見張りの人がいる感じじゃないね」

「中は案外手薄なのかもね。

 でも油断しない方がい……あっ、ちょ、退がって退がって」

 

 発電所内に潜入成功したパールとプラチナだが、慎重に進む二人の心がけとは裏腹、発電所内でギンガ団員との遭遇はしばらく無い。

 所内を見張るギンガ団員が警戒するとしたら、そもそも下層階からの侵入者であって、屋上から侵入してくるような者に対しては基本想定外なのだろう。

 上層階を徘徊する見張りは殆どおらず、警戒心いっぱいで進むパールとプラチナとは裏腹、今のところギンガ団員との遭遇はない。

 警戒心が強いのは良いとしても、腰を曲げてひょこひょこ歩きするパールの姿勢はどうかという話でもあるが。

 

 しかし、いつ敵に遭遇するかわからないということに対する用心さは良いもので、とある曲がり角でプラチナがパールを制して二歩退がる。

 その曲がり角の先、離れた場所でギンガ団員が腕組みして突っ立っているではないか。

 流石に屋上からの侵入者に対する警戒が弱いとは言っても、見張りも多少はいるようだ。

 当のギンガ団員、くぁぁとあくびしている姿を見るに、まさか自分に仕事や出番があるとは思っていない気の緩みっぷりだが。

 

「見つかったら面倒なことになりそうだな……

 どうしようか……」

「こういう時って、相手の服を剥ぎ取って、敵の団員に成りすますのが有効手段って感じ?

 ドラマとかでそういうの見たことある」

「んん~……でもパール、あのボディスーツ着たい?」

「うっ……それはヤだな……」

「敵に混じるなら髪型もあのおかっぱにしなきゃだよ?」

「もっとイヤ。

 ダサすぎて死んじゃう」

「……そもそも大人から服を剥ぎ取れるぐらい気絶させるなんて、現実的には無理じゃない?

 流石に僕達二人がかりでかかってもしんどいよ」

「まあ確かに映画とかでも、大人が大人に後ろから忍び寄って、鉄パイプでがつーんとかだもんね……

 そこまでやるのは私もちょっと無理かな……」

 

 ひそひそこそこそ、見張りの男にバレないよう、曲がり角の陰に隠れて話すパールとプラチナである。

 映画やドラマで見たような潜入手段を、二人ともとりあえず一度本気で検討しちゃう辺りは子供心というやつか。

 

 一方で、見張りの男を自分達のポケモンに攻撃させて気絶させようなんて発想は、そもそも思い付きもしないらしい。

 しかしこれが健全なポケモントレーナーの思考回路である。ポケモンに、人を攻撃しろなんて命令をしてはいけないのだから。

 

「どうしよう、プラッチ」

「……僕に考えがあるんだ。

 パール、ついてきてくれる?」

「頼りにしていい?」

「うん、何とかいい結果に繋げる……!

 ポッチャマ! 出てこい!」

 

 意気込んで乗り込んできた割には、苦境に直面すると案が詰まるパールである。

 それだけ感情のみの勢いでここまで来てしまうぐらい、ギンガ団の所業に腹を据えかねていたということでもあろう。

 頼りはポッチャマをボールから喚び出すプラチナだ。

 発電所に乗り込んでギンガ団に一言言ってやらなきゃ気が済まない、と、先走る感情任せに訴えたパールを、知識と経験で以って肯定したプラチナである。

 

「……むっ!?

 侵入者デスか!?」

「気付くのが遅いよ……!

 さあ、かかってこい!」

「これはいけまセン!

 マユルド! お仕置きするデスよー!」

 

 意図してポッチャマと共に、自ら敵前に身を踊り出させたプラチナに、ギンガ団員も気付いてモンスターボールからポケモンを出した。

 前に出会ったギンガ団員とは別人のようだが、この人も片言である。

 ギンガ団員はもしかしたら、こういう人達の集まりなのかもしれない。

 

「ポッチャマ! "あわ"で攻撃だ!

 相手に近付き過ぎないようにね!」

 

「おわわわっ……!

 マユルド! "どくばり"で反撃デスよー!」

 

 小さな口から勢いのある泡を無数に発射するポッチャマに、ギンガ団員はマユルドに毒針での反撃を命じる。

 ばすばす泡をぶつけられて怯みかけながら、指示されたとおりに毒針を発射するマユルドだが、ポッチャマは素早くそれを回避。

 距離を詰めるなというプラチナの指示は、相手のそうした攻撃への回避率を高めるためのものだ。

 この一戦で仕舞いではない以上、毒を受けて次まで響きそうな消耗は避けたいところ。

 マユルドが毒針を撃てるポケモンだと知っているからこその立ち回りだ。

 

「もう一度! とどめだ!」

 

 相手の攻撃を躱したポッチャマが再び撃つ無数の泡が、受けたマユルドを転がらせる。

 押し切られたというよりは、もう嫌とばかりに自らマユルドが転がった姿と見た方が適切だろう。

 ギンガ団員の目にも、ダメージを受け過ぎたマユルドが戦意喪失したのがよくわかるはず。

 

「むおおお、これはマズいデース!

 フレンズとリーダーに報告デース!」

 

「あっ、プラッチ、逃げちゃうよ!?」

「いいんだ、追いかけよう!

 追いかけていけば敵のリーダーの所に辿り着けるさ!」

「あっ、そっか……!

 プラッチすごい! 頭いい!」

「それほどでもないさ……!」

 

 マユルドを引っ込めたギンガ団員は、この異変を味方に伝えようと逃げていく。

 プラチナにとっては望むところだ。どうせ発電所内の構造など知る由もなければ、敵勢のお偉い様がどこにいるのかもわからない。

 だったら下っ端と思しき奴をちょっと驚かせてやって、報告のために走るそいつの背中に案内してもらうという図式で結構なのだ。

 プラチナの判断に感銘すら受けながら、ギンガ団員を追うプラチナと並び、パールも一緒に走っていく。

 

「待ちなサーイ! とおせんぼデース!」

「子供はそろそろ寝る時間デスよー!」

 

「ほんと片言だな、適当な定型句ばっかり口にして……!」

「パッチ、出てきて!

 悪いオトナをやっつけるぞー!」

 

 まだ夕前。子供が寝る時間には早すぎる。

 ギンガ団員の皆様、確かにプラチナが仰るとおり、微妙に言葉の遣い方がズレていらっしゃる。

 それはともかくとして、駆けるパールとプラチナの前に立ちはだかった二人のギンガ団員は、ケムッソとニャルマーをボールから出して道を阻もうとする。

 プラチナと並び駆けてきたポッチャマはさっそく戦列に立っているが、一対二は良くない。パールもパッチを出して加勢の意を表明する。

 

「ケムッソ! 糸を吐……」

「ポッチャマ! ケムッソに泡を撃て!」

 

 流石はパールよりも知識豊富なプラチナ、相手が命令するより早く、敵勢二体の厄介な方に先制攻撃を仕掛けるようポッチャマに指示している。

 パッチとポッチャマ両方を、吐く糸で絡めて動きにくくするはずだったケムッソに、ポッチャマの泡がばすばすと当たって糸を吐かせない。

 どちらを抑えるべきか、よくわかっているプラチナだ。

 

「パッチ! ニャルマーに体当たり!」

「――――!」

 

 こうなるとパールも指示がやりやすい。

 想定していた味方のケムッソの"いとをはく"攻撃が発動せず、仕方なしに自らポッチャマに襲いかかろうとしていたニャルマーだ。

 そこに迷いなく突っ込んでいくパッチは、長い尻尾で自分よりも体格が大きく見えるニャルマーを容赦なく突き飛ばす。

 突き飛ばされて床を転がったニャルマーはすぐに立ち上がったが、一度パッチを睨み返しこそしたものの、文字通り尻尾を丸めて尻込みがち。

 まだ戦う気力は残っていそうだが、正直パッチにまだ立ち向かおうという気力は、あまり残っていなさそうである。

 

「うおおお、これはマズいデース!」

「突然の奇襲なんて卑怯デース! これでは勝ち目がありまセーン!

 リーダーに報告してコテンパンにしてもらうデース!」

 

 戦況を見定めて、あるいは思ったより強いプラチナとパールのポケモンに動転し、ニャルマーを引っ込めるギンガ団員。

 ケムッソも引き続き泡を受け続けて、たまらずご主人のそばまで逃げており、こちらもギンガ団員のボールに回収される。

 あとは二人のギンガ団員ともども、逃げていくのみである。

 恐らく、リーダーと呼ばれる上役のもとへ向かって。わかりやすい人達だ。

 

「え、卑怯だった?」

「充分イーブンの状態からバトルスタートだったと思うけどね……!」

 

 逃げていくギンガ団員達を追っていくパールとプラチナ。

 奇襲でも卑怯でも何でもなかったと思うのだけど。お互い相手の存在を認識し合った上のポケモンバトルだったとしか思えないけど。

 年下相手にポケモンバトルで負けたからって、たいした理由も無くズルいとか卑怯だとか言う、かっこ悪い大人にはなりたくないものである。

 

「あっ、また出た……!

 パッチ、体当たり! 一気にがつんといっちゃえ!」

「ポッチャマ、つつく攻撃だ!

 虫ポケモン相手だ、一気に押し切れ!」

 

「なにぬねっ!?

 なんと強い子供達でショウか!?」

「リーダーに報告デース!

 我々の手には負えまセーン!」

 

 逃げるギンガ団員を追う道のりの中、立ちはだかるギンガ団員の差し向けてくるポケモンを、パールとプラチナのパッチとポッチャマは次々と撃破していく。

 あまり強いポケモンを使うギンガ団員はいない。

 快進撃に、勝利するたびぐっと手を握るパールだが、こんなに強くない相手ばかりとは思っていなかったプラチナは拍子抜け気味だ。

 この発電所に陣取るギンガ団員、強いポケモンを引き連れていないのには理由もあるのだが、その理由を知らなければ確かに不気味にも感じるかもしれない。

 ともあれ、苦戦らしい苦戦もせず、ギンガ団員の放つポケモン達も次々退けるパールとプラチナは、発電所内を突っ走っていく。

 

 廊下を走るばかりだった二人だったが、やがて少し広いスペースに繋がる道を経て、そこで二人とも速い足が鈍った。

 直感的にだが、この先には今までの相手とは違う、ギンガ団員達にリーダーと呼ばれていた人物がいる予感を得たからだ。

 廊下光景とは違うエリアに突入したことで、そう感じた二人の勘は、この先のことを考えればなかなか悪くない。

 

「あら、可愛い侵入者ね。

 あなたがうちの下っ端どもが言ってた、強いポケモンを手懐けるトレーナー?」

 

 パールとプラチナを迎えたのは、ここまでで見たギンガ団員とは風体の変わる女性だった。

 おかっぱ頭が共通していたギンガ団員とは異なり、赤い髪で、その独特のボディスーツも腰回りがスカート状に広がっている。

 "したっぱ"と称されるギンガ団員達の風体が妙に統一されていることもあり、これはここまでの連中とは一味違う、とパールとプラチナが察するには充分だ。

 

「パール、気を付けるんだよ……!

 今までの相手とは絶対に違う!」

「幹部格、ってやつなのかな……

 なんだか風格あるよね……!」

 

「あははっ、行儀のいい子達!

 コリンクとポッチャマはとっくにボールから出してるのに、私を直接攻撃しろなんて言わないんだ!

 いいよいいよ~、そういう子達って大好き!」

 

 赤髪の女性はパールとプラチナの発想には無い、外道の手段を口にしながらも楽しそうに笑う。

 恐らく彼女はギンガ団という、手段を選ばない者達の集う組織に属するゆえ、普通のトレーナーなら絶対にやらない悪い大人の非道にも思慮が回るのだろう。

 汚い大人達に囲まれた組織内において、真っ当な価値観で敵対してきた二人の子供に、赤髪の女性が手を叩いて向ける笑いは明るいものだ。

 

「あたしはギンガ団の幹部、"マーズ"。

 あ、警察に言ってくれてもいいからね? どうせ本名じゃないし。

 コードネームってやつよ。なかなか味あるでしょ?」

「……そういうの、どうでもいいんで。

 ここで、何をしようとしているんですか?」

「ん~? そうね、簡単に言うと、ワルいこと♪

 あなた達にはその返答で充分じゃないかしら?」

 

「リーダー! 何をお喋りしてるデスかー!」

「早く! 早く! 我々の仇を!」

「うっさい!!!!! 黙らっしゃい下っ端ども!!!!!

 あたしはあんた達みたいな頼りなくて情けない大人は大嫌いなのよっ!!」

 

 マーズと名乗ったギンガ団幹部は、プラチナとの会話をおどけて演じてみせている。

 しかし、彼女の後方に集まっているギンガ団員、パールとプラチナに敗れてここまで逃げてきた連中のうるさい野次には、かなりの大声量の怒号を返した。

 騒がしかった外野が静まり返る中、ヒステリックな叫びにパールもびくっとさせられたものである。

 パールもパールで感情昂ればもっと大きな声を出せる子なのだが、他人の大声にはびびらされちゃうらしい。自分の激情家ぶりには無自覚とも言う。、

 

「どちらにしたってあなた達ってば、私達を許したくない感じでここまで来てるっぽいわよね?

 まあ外で好き勝手やってるうちの下っ端どもの所業、子供達には目に余るかな」

「……知ってて許容してる辺り、言って部下を制してくれるつもりもなさそうですね」

「ええ、残念ながら。必要なことだしね。

 でもまあ、こういう大人達が占拠した建物まで乗り込んでくる勇気と正義感に免じて、ちょっとは妥協してあげてもいいけどね」

 

 くすくす笑ってプラチナとの会話に応じるマーズからは、余裕めいたものさえ感じられる。

 自身はそばにポケモンを出さず、既にコリンクとポッチャマを出しているトレーナー二人を前にしてだ。

 煽り気味の言葉遣いをしてなお、目の前の少年少女が自分への直接攻撃をポケモンに命じない性格だと、その眼を見ただけで充分に確信しているのだ。

 それだけの洞察力がマーズにはある。

 

「あたしと、ポケモンバトルしてみない?

 あたしが勝てば、あなた達は無力を噛み締めて泣きながら帰る。

 あなた達が勝てば、私達はこの発電所から去ってあげるわ。

 どう?」

「リーダー! それじゃ我々の気が済まな……」

「うるさいわよ!!!!! あんた達の意見なんか聞いてないっ!!!!!

 ……さぁ、どーする? お二人とも?

 二人いっぺんにかかってきてくれていいのよ? 悪い話じゃないでしょ?」

 

 一方的に自分に利の無い条件を提示してくるマーズだが、幼いプラチナとパールにはそれなりに効く煽り文句だ。

 悪い奴らを何とかしたくて、こんな所まで乗り込んでくる正義感溢れる二人である。

 負けてすごすごと帰るしかない結末は、かなり悔しい。敗北についてくる重い条件としては充分だ。

 

「本当に、僕達が勝ったら去ってくれるんですね……!?」

「約束ですよっ! 私達が勝ったら絶対引き下がって下さいね!」

「あははは、もちろん!

 私に勝てればだけどね!」

 

 マーズは楽しそうだ。

 赤い帽子をかぶった男の子は、敵対する自分の言葉の裏に隠された思惑を警戒していそうだが、女の子の方は熱くなった頭で純粋な言葉を投げかけてくる。

 若いっていいわね、という一言に尽きる。格下を見下すマーズの余裕である。

 

「オッケー! 始めましょう!

 行くわよ、ルビー!」

 

 モンスターボールを手にしてスイッチを押すマーズは、そこから自分のポケモンを喚び出した。

 パールとプラチナに対する立ち位置に姿を出したのはデルビルだ。

 パールが自分のナエトルとコリンクを愛称で呼ぶように、マーズもまた自分のポケモンにニックネームをつけている。

 

「一対二だからって甘く見ないでよ!

 せいぜい足掻いて見せて頂戴!」

「ポッチャマ、行くよ!

 パールも気を引き締めていこう!」

「うん、プラッチ!

 パッチ、絶対負けないよ! 私も全力でサポートするからね!」

 

 二人で一人に挑むアンフェアな勝負。

 それでもパールとプラチナは、不公平な図式に良心の呵責を感じる余裕は無かった。

 この状況で心躍るように笑い、バトルを楽しもうとするマーズの笑顔は、二人にとってそれほど不気味で格上と見えたからだ。

 

 ギンガ団幹部との戦い。

 バッジの所持数で手加減をしてくれるジムリーダーとの戦いとは全く異なる、年上で経験豊富なポケモントレーナーとの真っ向勝負である。



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第16話   VSマーズ

 

「ポッチャマ! "あわ"攻撃!」

「ルビー、上手く凌ぎなさい! 当たっちゃ駄目よ!」

 

 デルビルは水タイプの攻撃に弱い。

 一対二の状況である上に、相手が既にポッチャマを見せている状況でそんなデルビルを差し向けてきたマーズは、たいそう挑戦的な采配ぶりだ。

 しかしそれでも一方的に負ける勝負ではないと見込むかのようなマーズ、それに応えてルビーと呼ばれたデルビルも、素早く駆けて散弾される泡を躱しきる。

 逃げ場を作るまいと前方広くにばらまいた泡を躱した素早さは上等だ。

 

「スモッグよ、ルビー!

 狙いはポッチャマ!」

「――――z!」

 

「ポッチャマ……!

 っ、みずあそび!」

 

 開いた口からぶばっと黒い煙を吐き出したデルビルが、ポッチャマの周りをその黒い煙で覆ってしまう。

 周囲が見えなくなったポッチャマは素早いデルビルに狙いを定められなくなる。

 ならばと敵が見えていようがいまいが関係ない技で、戦況を有利なものへと変えようとするプラチナの判断と指示も早い。

 

「へぇ、やるじゃん……!

 ルビー! まずはコリンクに噛みついてあげなさい!」

「来てるよパッチ! 体当たりで迎え撃ち!」

 

 スモッグに周囲を包まれたポッチャマが上方に大量の水を吐き、周囲いっぱいに飛沫を撒き散らす。

 感心しながらも指示を下すマーズと、従いパッチへ突っ込んでくるデルビルに、パールも真っ向から迎撃するようパッチを囃し立てる。

 "いかく"の眼差しをぎらりと光らせ、牙の立つ口を開けて突撃してくるデルビルに、パッチも怯まず突っ込んでいく。

 

 衝突寸前に首を引き、やや頭突き気味にデルビルに激突するパッチ。

 対するデルビルもぶつかられて押し返されながらも、その直前に上顎をぐっとパッチに近付け、牙でパッチの耳の横を引っかいていった。

 デルビルがたじろぐのと同様に、パッチも三歩退がって首を傾けている。傷を作られた場所に走る鋭い痛みが彼女を弱らせる。

 

「ルビー、まだまだ!

 ガンガン攻めてコリンクをまず仕留めるわよ!」

「――――z!」

 

「ポッチャマ!」

 

 マーズの指示を受け、傷ついたパッチを畳みかけるべく飛びかかろうとしていたデルビル。

 しかしスモッグから脱出したポッチャマが、デルビル目がけて大量の泡を吐いてくる。

 これは受けちゃまずいと判断したデルビルが、前に踏み出していた足を力強く踏み止め、後方に跳ぶ動きで泡の直撃を避ける。

 

「ふふっ、いいわよルビー、好判断!

 自分で考えて動ける子じゃなきゃね!」

 

「あいつ、強い……!

 デルビルも、トレーナーも……!」

「パッチ、大丈夫……!?」

 

 明確にあるはずの相性差とて、敵に攻撃が当たらなくては意味が無い。

 加えてデルビルは、威嚇の眼差しで突撃の勢いを少々削がれていながら、パッチとのぶつかり合いで全く力負けしていない。

 幹部を名乗るマーズのポケモン、やはり一筋縄ではいかぬレベルの高さだ。

 何よりマーズ自身も、この戦いで自身の命令に反して攻撃をやめたデルビルを咎めることなく、むしろ自主性を育てようとしているふしすらある。

 傷ついたパッチが心配になる気持ちでいっぱいのパールの隣、まるで本気を出していない強敵の姿にプラチナも戦慄を覚えている。

 

「ルビー、スモッグ!

 さあ、次はどうする!? あんたの判断に任せるわ!」

「そんなの何度も受けてられないよ……!

 ポッチャマ!」

「パッチ、動ける!?」

 

 口を開いたデルビルの初動から、何が来るかはパッチもポッチャマも察しているだろう。

 敵二人を黒い煙で覆うスモッグの吐き出しに、パッチもポッチャマもその黒煙域から逃れ果たす。

 デルビルはどうするか。逃げに一手割いた敵から離れ、発電施設の高所に跳び移り、そこから水浸しの犬が全身を震わせて水を吹っ飛ばすかのような動き。

 それによってデルビルの全身から放たれるのは水ではなく、皮膚熱から発した火の粉であり、それがパッチとポッチャマ位置を含む広範囲に降り注ぐ。

 

「あらあら、臆病ねルビーったら……!

 でも、水の危うさをよくわかっているのは良い判断よ!」

 

「く……! ポッチャマ、あわを撃って!

 好き勝手に火の粉を撒き散らせないように!」

 

 広範囲に降り注ぐ火の粉は回避が難しく、これを続けさせればじりじり肌を焼かれるパッチとポッチャマには、ダメージが蓄積していくだろう。

 そうはいかないとばかりに泡を撃つポッチャマだが、デルビルは別の高所に跳び移って、再び身を震わせて火の粉を振り撒く。

 互いに決め手となる強い攻撃を当てづらい距離を保つデルビルは、威力で劣れど確実に当てやすい火の粉でじわじわと敵を弱らせる戦法を取っている。

 

「パッチ、行ける!? あいつを捕まえて!」

「――――z!」

 

 火の粉を浴びながらもその熱さより対抗心に目を燃やすパッチが、勢いよく駆けだしてデルビルの元へ迫る。

 ポッチャマの"みずあそび"で体が濡れ、デルビルの火の粉で受ける痛みとダメージが緩和されているのは小さくない影響だろう。

 ポッチャマとの一対一の限りでは延々と逃げ続けて、じわじわ追い込んでいく構えに入ったデルビル。

 この図式を破るファクターとなり得るのは自分だとパッチも悟っている。

 

「ルビー、捕まるんじゃないわよ!

 凌いだら気合の入れ直し!」

 

 身軽に跳んで、発電所の施設を蹴り、素早く迫るパッチの体当たりを、デルビルはあわやのところで跳んで躱す。

 床に降りてきたデルビルは、天井を見上げて大きく吠えてみせた。まさに指示されたとおり、気合を入れ直すかのように。

 "とおぼえ"で目にいっそうの闘志を燃やしたデルビルは、まずポッチャマが自らに撃ってくる泡を回避して。

 

「――――z!」

 

「ルビー! 返り討ちにしてあげなさい!」

 

 追ってくるように高所から飛びかかってくるパッチの体当たりを躱し、デルビルはパッチの背の横に思いっきり噛みついた。

 熱を放つ牙が肌に食い込み、悲痛なほどの鳴き声を上げたパッチの姿には、パールも思わず声を失うほどのショックを受けたものだ。

 遠吠えで気合を入れ直したデルビルは、威嚇に怯まぬ全力で食らい付き、パッチに甚大なダメージを通している。

 そしてパッチとデルビルが密接している今、ポッチャマもまたデルビルに泡を撃てなくなる。パッチに当たりかねないからだ。

 二対一のディスアドバンテージも、同士討ちのリスクを突きつけて打ち消す、攻防一体の立ち回りである。

 

「ッ、ッ――――!」

「――――z……!?」

 

「ええっ、ちょっと!?」

 

 泡の発射を躊躇ったポッチャマの姿を見てしまったパッチは、激痛に涙すら浮かんでいた目を見開いて、デルビルに噛みつかれたまま床を蹴る。

 まるで自分を盾か人質にされたみたいじゃないか。冗談じゃない、そんな足手まとい。

 かえって反骨精神を燃やしたパッチは、食らい付いたデルビルを引きずるように駆け、壁まで迫ると全身振るってデルビルを壁に叩きつける。

 壁と自分の体でデルビルをサンドイッチ状態にするようにしてだ。自分に噛みつかれたたズガイドスがそうしたのと同じように。

 噛みつかれたまま相手を引きずり振り回す、それが傷口をどれだけいっそう痛めるか、それでもやってのけるパッチには、マーズが最も驚いている。

 

「っ、ポッチャマ!

 あわを撃って! 信じよう!」

 

 それでも牙を抜かずに踏ん張るデルビルも、パッチと同じ根性を持ち合わせている。ズガイドスに叩きつけられても離れなかったパッチのように。

 だが、プラチナとポッチャマに何かを示すように目線を送ったパッチに、プラチナが勝負を賭けた指示をポッチャマに。

 パッチ目がけて泡を撃つ行為に一瞬ためらったポッチャマも、パッチと目が合った瞬間の意志力に満ちた想いを受け、泡を撃つ決断を下せたものだ。

 

 泡が自らも巻き込む勢いで迫る中、パッチは身を振るい自分の背の横に噛みついたまま離れようとしないデルビルを、その泡の着弾点に差し出した。

 振り回された瞬間に意図に気付いたデルビルも牙を抜いたが、本当に自分の体に泡を受ける直前にそれをされては逃げる暇もない。

 デルビルの背中と尻と横っ腹に、苦手な水の攻撃が何度も当たり、たまらずデルビルは吠え声をあげてパッチから離れる。

 盾にしていたデルビルに逃げられたパッチも、素早く動いて泡の着弾位置からは逃れている。

 

「っ……パッチ頑張れぇーっ!

 すぐ近くっ! ぶつかっていけーっ!」

「ッ……!」

 

 顔を伏せるかのようにして動いたパッチが、消耗のあまり周りを見る余裕が無いことはパールもわかっていた。

 だが、痛々しいパッチの姿に胸の前で手を握りながら、パールはちゃんと好機を見逃していない。

 余裕が無いのはデルビルもパッチと同じぐらいだ。その両者が逃げた先は近い場所で、どちらも相手に飛びかかりやすい距離感にある。

 

「ルビー駄目よ! 一旦退……」

 

 パールの意を組みチャンスを活かせると見たパッチがデルビルに迫り、デルビルもまた気付いてパッチの方を見た。

 回避に徹するか、迎え撃つか。一瞬でそれを判断しなくてはならない局面。

 マーズは逃げることを強く提唱したが、デルビルが下した判断は前足を床に踏みしめて迎え撃つ構えだ。

 これも自己判断。デルビルの挙動に、マーズは露骨に苦い顔。

 

 ぶつかってきたパッチの体当たりを額で受け止め、よろめきながらもデルビルは口を開いてパッチに噛みつきにかかった。

 パッチは頭と頭のぶつかり合いだけで、自分が後ろに二歩退がるほど弱っている。

 牙を突き立て、今度は放り投げて壁か床にでも叩きつけてやれば、もう動けなくなるだろう。デルビルの判断はそうだったのだ。

 

「ポッチャマ行けえっ!

 絶対にパッチを助けるんだあっ!」

「――――z!!」

 

 だが、噛みついて人質同然にまで追い込んだパッチに一矢報いられ、パッチへの怒りで頭に血が上っていたデルビルは、一対一ではないことを忘れている。

 既に位置を移したポッチャマは、デルビル目がけて泡の連射だ。

 それも、パッチに襲いかかる勢いを絶対に削ぎ落とさんとする、一点発射の強い泡の連続放射。

 逃げの一手を選べなかったデルビルの全身を、ポッチャマの泡が何度も打ちのめし、前に進む脚の力も浮くほどの攻撃にデルビルが転がるように押し返される。

 横っ腹を床につけて倒れたデルビルは、何とか震える体と両足で立ち上がるも、その体では先程のように複数の相手に立ち回れる機敏さは出せまい。

 

「しょうがない子ね……!

 ルビー、戻りなさい!」

 

 体がついてこない闘志だけを燃やしているデルビルを、マーズはモンスターボールのスイッチを押して引っ込める。

 戦闘不能と判断するには充分だった。引き際の早さに、一勝を挙げた側のプラチナも全く浮かれられない心境だ。

 

「あんたなりに考えてよく頑張ったわ。

 いい勉強になったでしょう。今回の負け、忘れずもっと強くなんなさいよ」

 

「……パッチ、ごめん!

 戻って!」

「――――!?」

 

 その手で握る、デルビルの入ったボールを見下ろしながら語りかけるマーズの表情は、気の強い尖った目つきながら確かないたわりの感情が表れていた。

 そんなマーズの姿を見て、パールもまた、パッチのボールのスイッチを押して彼女を引っ込める。

 まだ戦えるという意志をむき出しにしていたパッチが、驚愕して振り返りながらも、ボールに回収されていく。

 

「へぇ。

 あんたのコリンク、まだ戦えそうだったけど?」

 

「っ、ピョコ! お願い!」

 

 マーズから見ても、まだ余力があると見えたパッチだったはず。

 パッチのことをマーズよりも知っているパールだから、彼女目線でもそれはわかっていただろう。

 だけどパッチを引っ込めたのは、傷ついたポケモンを引き際よく引っ込めた、そうして身内を庇えるマーズの姿を見てしまったからなのかもしれない。

 傷ついた体のパッチに、好機ゆえの正しい体当たりの指示を下せたと信じられても、あの瞬間を思い出すとパールの胸が締め付けられてしまう。

 

 ポケモンが闘志を失っておらず、まだ戦える状態にあるのであれば、戦える限り戦うことを許すのは酷い判断とは言えないのだけど。

 それでもこれ以上戦わせては、取り返しのつかない怪我をしてしまうかも、という判断で引っ込めるのもまた選択肢の一つである。

 戦闘不能と見たデルビルを引っ込めたマーズとは判断基準が異なるが、パールもまた敵の挙動を見て、下げ際というものを意識し始めている。

 

「ごめんねプラッチ、ピョコはもう戦わせたくない……!」

「うん、わかった……!

 ポッチャマ、ピョコと一緒に頑張ろう!」

 

「あははは! 熱い子達ね!

 いいわいいわぁ、もっと楽しみたいんだけどねぇ……!」

 

 マーズは次のモンスターボールを頭上に掲げ、そのスイッチを押す。

 そこから出てきたのはゴルバットだ。

 マーズの頭上で翼を広げたその姿には、プラチナがやばいと感じたのはパールより早かった。

 

「ひ……っ!?」

 

「悪いけど、時間切れ!

 警察が来ちゃったみたい! 派手にやり過ぎたみたいね!」

 

 コウモリが苦手なパール、ましてズバットよりも大きく、幼い自らが湖に落ちたきっかけを作ったポケモンと同種の存在だ。

 まだまだピョコと一緒に頑張るつもりだったパールが、詰まるような悲鳴とともに腰が引け、血の気の引いた顔で三歩後ずさる。

 事情がわかっているプラチナにとっても、ゴルバットの姿を見た瞬間、この強敵に一対一で挑まねばならぬ腹を括らされたほど危険な一幕だ。

 

 だが、ゴルバットはその両足でマーズの両肩を掴み、マーズはそのまま踵を返してパール達に背を向けて駆ける。

 ぱたぱたと羽を動かすゴルバットは、重い自分の体でマーズを押し潰さないようにしながら彼女に乗っている。

 そうして発電所の奥へ向かって駆けたマーズは、大きな窓を開けてそこに足をかける。

 

「リーダー!?

 どこに行くデスかー!?」

 

「ごめんねー! あたしまだ捕まりたくないからさ!

 あんた達は勝手に上手いこと逃げちゃって!」

 

 振り返ってピースしてウインクするマーズ。

 確かにマーズとの戦いに集中していた中では耳に入ってこなかったが、外からサイレンの音が聞こえてくる。

 マーズは撤退する模様。ギンガ団の下っ端達にフォローは無し。自分のポケモンには優しいのに、ギンガ団の身内には厳しい人だこと。

 

「あんた達、パールとプラッチって言うのかしら?

 いいバトルだったわ、ありがと! あんた達のこと覚えとくわね!」

 

 二人を指差して笑ってみせたマーズは、そのまま窓から踏み切って外へと飛び出していった。

 ここは上層階なのだが、ゴルバットが翼をはためかせ、彼女を空を経て逃亡させていく。

 世界で一番苦手なゴルバットを目にしたことで、顔を真っ青にして足ががくがく震えさせていたパール。

 それが去っていくのを見送ると、腰を抜かしてその場にへたり込んでしまうのだった。

 

「これは困りマース!

 このままじゃ我々はお縄デース!」

「こうなったら手段は選んでいられまセーン!

 あの子達を人質にして、警察の皆さんと話し合いデース!」

 

「あっ、こいつら……!

 ポッチャマ、泡を撃って! あの辺!」

 

 マーズを応援していたものの放置されたギンガ団員達は、やけくそになってパールとプラチナを捕まえる気になったようだ。

 数に任せて襲い掛かってきそうなので、プラチナはポッチャマに砲撃を指示。

 当てはしないけれど。駆け迫ろうとしていたギンガ団員の前方床にばこばこ泡をぶち当てて、近寄るなという強い警告だ。

 

「今度は当てるようにポッチャマに言いますよ……!

 こっちだって女の子を守る立場ですからね……!」

 

「のーん! あの目は本気デース!」

「正義の眼差しデース! 悪の我々には勝ち目がありまセーン!」

「カノジョさんを守ろうとするオトコはおっかないデース!」

 

「……へっ? あっ? ち、ちがうよ? ぜんぜん」

「んがっ……!

 ぱ、パール! フツーに返答する場面じゃないっ! あいつら悪い奴だよ!?」

「あっ、あ~……そ、そうだそうだっ!

 ピョコっ、私達を守ってっ! 乱暴されちゃうっ!」

 

 ゴルバットショックで呆然としていたパールは、ギンガ団員の妙な発言に反応して、真顔で手を顔の前で振る冷ややかな反応。頭が回っていない。

 いや、それはそうなんだけど。なに普通に敵とのんのん会話してるんだと。

 プラチナにそう突っ込まれ、ようやく我に返ったパールは、腰が抜けちゃって立てないのでピョコに守って貰うようにお願いする。

 あいつらうちのパールに手を出そうとしているな、とギンガ団員達を睨むピョコは、頼りないパールに呆れる想いすら抱かず凄く怒っているが。

 ざりざり前足で床を引っかき、近付いてくるならボコボコにするぞという眼光を光らせるピョコ、小さな体でギンガ団員をびびらせるほど怒気を纏っている。

 

「仕方ありまセーン! 我々は所詮ワルモノでーす!」

「警察におとなしく捕まりマース!

 ケガはさせないで欲しいデース!」

 

 ギンガ団員達はマーズが飛び立っていった窓のそばまでぞろぞろ逃げていき、そこから降りるすべが無いため行き止まり、あとはみんなで観念のポーズ。

 何人もいるのでポーズも個性いろいろ。両手でお手上げする者、お代官様へへぇ~の姿勢で土下座する者、大の字に寝て無抵抗アピールする者。

 諦めの早い皆様である。賢明ではあるが、だからあんた達は下っ端なのよと、この姿をマーズが見たら酸っぱく突っ込みそうである。

 

「……待とうか、ここで。

 パール歩けないでしょ」

「え、えへへへへ……すいませぇん……」

 

 サイレンの音は大きくなっており、集まってきた警察がこの発電所内のギンガ団を制圧するのは時間の問題だろう。

 この足で下の階まで行くも、屋上に一時避難するもよしのパールとプラチナだが、生憎すっかり腰の抜けたパールが立てない。

 腐っても敵地、ちょっと気が休まらない環境下、警察がここまで来てくれるまで二人はピョコとポッチャマに守られながら待つことになった。

 保護されるまでのしばらくの間、プラチナは、パールが怪我せずに済んでよかったという一事にのみ、ほっとするばかりだった。

 

 

 

 

 

 警察に保護されたパールとプラチナだが、それはそれはもう怖い顔した警察のおじさんに、これでもかというほど叱られた。

 特にプラチナである。それはもう、こっぴどくだ。

 警察が来てくれたのはプラチナの事前策あってのことだが、やり方がいかにも警察を怒らせるものだったからだ。

 

 発電所に乗り込む前に誰かと電話していたプラチナだが、その時の相手が警察である。

 淡々とした声で自分のことを名乗り、谷間の発電所に悪い奴がいて占拠してるみたいです、という通報をしたのはまだ良かった。

 でも、自分達は子供だし、イタズラ電話だと思われるかもしれないと思ったら、プラチナには警察な迅速な対応を信じきることが出来なかった。

 そこでプラチナは、僕が(僕達とは言わない)乗り込んで話し合ってきますとまで、その電話口で伝えたのである。

 警察からすれば、万が一通報者の言うことが本当で、そんな所に子供が乗り込んでいくなんて危険なことを看過できようはずもない。

 特にプラチナ一人の声を聞く警察からすれば、一人で乗り込むつもりかと。

 やめなさい、すぐに動くから、と言う警察の説得はそれなりに迫真だったのだが、プラチナはそのまま手短に電話を終わらせてしまった。

 ここまでやって動いてくれないんだったらどうしようもない、と、プラチナはやるだけのことはやって、発電所へと乗り込んだというわけだ。

 結果として、そんな状況であると知った警察は、こうして動いてくれたというわけである。

 

 それにしたって、大人にかまをかけるような、試すような、そんなやり方は怒られて当たり前。

 危ないことをするんじゃない、お父さんやお母さんがどんな顔をするか、というきついお叱りはパールも受けたけど。

 君がプラチナか、はい、という一発目の挨拶早々に、ごづんと頭にげんこつを貰ったプラチナはその時点で折れた。

 その後、大声でプラチナを叱り飛ばす警察のおじさんの迫力は半端なかったものだ。

 自分なりに考えあって策を講じたプラチナも、その剣幕には怯えっぱなしで、借りてきた猫のようにしゅんとなっていた。

 長いお説教を受ける中、パールの前だから意地でも泣かなかったけど、叱られて泣きそうになっている姿は年相応に子供らしくもあったか。

 心配しなくてもパールだってそんなプラチナの顔なんて見ていないけど。彼女もごりごりに叱られて、へこみまくって横を見る余裕なんてなかったので。

 

 警察の人達に保護されたまま、ソノオタウンまで連れていかれ、とりあえずどういうことがあったのかは説明させられて。

 まあまあ事情を話してから、解放して貰えたのは夜になってから。

 ポケモンセンターに泊まる予定だったことを伝えれば、子供二人で夜の町を歩くのは良くないと、そこまで付き添ってくれるのは警察の人達も優しい。

 でも、ポケモンセンターに着いての別れ際、二度とこんなことはするなと、太い太い釘を刺されたのは言うまでもない。

 

 けちょんけちょんに叱られて、二人ともポケモンセンターにしょぼーんとした姿勢で入っていき、お泊まり部屋に向かっていく。

 電気の復旧したポケモンセンター内だ。発電所のギンガ団は捕らえられ、施設も正常化したのだろう。

 考えようによっては、発電所内のギンガ団を概ね無力化した一端を担ったパールとプラチナ、速い復旧には一役買えたとも言えるのだけど。

 あれだけきつく怒られた後じゃ、私達やったんだよと誰かに自慢できる心地にもなれない。しょぼしょぼ歩いていくのみだ。

 

「ねぇ、プラッチ」

「なに……?」

 

 はぁ~とへこみきった溜め息をつくプラチナに、パールが少し明るさを出した声を向ける。

 振り返ったプラチナは、疲れ切った表情だ。怒られた後の子供ってこんな顔。

 

「私達、やったよね」

「……………………まあ、うん」

「パッチもピョコもポッチャマも、みんな頑張ってくれたよ。

 プラッチもありがとう。私のこと、守ろうとしてくれてたよね」

「……うん」

 

 励ますように笑いかけてくれるパールに、プラチナは少しだけ心が軽くなり、照れるように笑うことが出来た。

 プラチナだって、自分なりに頑張っていい結果を出そうとしたのは確かなのだ。

 こうして理解してくれる友達がいてくれるのはやっぱり嬉しい。

 

「私達の勝ちっ……!

 そうだよね?」

「……あははっ。

 ありがとう、パール」

「これ、絶対警察の人達に聞かれちゃだめなやつ。

 私達だけの秘密だよ」

「うん、そうだね」

 

 あれだけ叱られた後だから、流石に反省している二人である。

 でも、色々と上手くいったことだってあった。全部を無しになんてしたくない。それだけ必死で頑張ったんだから。

 夜のポケモンセンター内、迷惑にならないよう、ぺちっと静かな音を立てるハイタッチをしたパールとプラチナは、誰にも言えない達成感を共有していた。

 

 子供達には子供達だけの世界と、彼らだけが共有できる無垢で純粋な正義というものがある。

 それは危うくて、儚くて、だけど賢い大人になっていくにつれて、みんなが忘れていってしまうもの。

 それを尊しと見るか、愚かと見るかは人次第である。



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第17話   ハクタイの森と新しい友達

 

「まあまあ暗そうだね」

「ズバットいるかも」

「やめてよー! プラッチのあほー!」

 

 谷間の発電所でギンガ団相手に戦ってから一夜明け、パールとプラチナは"ハクタイの森"を前にしていた。

 ソノオタウンから出発し、205番道路を経て北上すれば辿り着く、北のハクタイシティへと繋がる大きな森だ。

 朝方にソノオタウンを出発し、晴れた明るい時間帯に森へ到達したパール達も、鬱蒼とした木々の間から差し込む光の少なさに薄暗さを感じている。

 暗さを口にしたパールに、すかさず彼女の苦手なものを口にして、怖がらせようといういたずらをする程度には、プラチナもパールとすっかり親しくなった。

 

「ズバットはいないっていうタレコミは既に得ているのだっ!

 プラッチ、怖がらせようとしたってムダだよっ!」

「それ僕が教えたんだけどね」

「なぜそれでズバットがいるかもなどというウソをつくのかね。

 ズバットがいないというのがウソだったのかい?

 もしそうだとしたら今からプラッチをつねる」

「冗談、冗談だってば。

 絶対いないとは言えないけど、発生例は無いみたいだから。」

 

 変な喋り方で遊べるぐらいには、パールもズバットの単語を聞いても余裕を保っている。

 ハクタイの森にズバットが発生したことは今まで一度もないという情報を、博識なプラチナから貰っているからである。

 あくまでこれまでの話であって、今日や明日以降もそうだという保証はないのだが、まあ信頼していい話だろう。

 ズバットと遭遇する可能性が限りなく低いとあれば、パールも元気なものである。

 

「出ておいで、ポッチャマ。

 ――パールはどうする?」

「じゃあ、さっき捕まえた子!

 おいで! "ニルル"!」

 

 さて、野生のポケモンも多く発生するというハクタイの森、仮にそれと急に遭遇してもすぐ迎え撃てるよう、ポケモンを一匹は出して連れ歩きたい。

 ポッチャマをボールから出したプラチナに続き、パールも一つのボールを握ってスイッチを押す。

 ピョコのボールに葉っぱのシール、パッチのボールに雷のシールを貼っているように、そのシールには水のしずくのシールを貼っている。

 

 中から出てきたのは、桃色の体をしたカラナクシだ。

 ハクタイの森までの205番道路で、野生のポケモンとしてパールと遭遇したポケモンであり、今はパールのポケモンである。

 ピョコとの戦いを経て、パールの投げたボールに捕えられ、傷薬を与えられて今はもう元気な体調だ。

 

「ニルルっ、よろしくね。

 頼もしいとこ、期待してるよ!」

「――――!」

「ポッチャマ、ニルルが危なくなったら助けてあげるんだよ」

「――――♪」

 

 パールはこのカラナクシを"ニルル"と名付けたようで、ニルルと呼ばれたカラナクシも、期待してるよの言葉に笑顔で頷いてくれる。

 けっこう"すなお"な性格をしているようだ。自分のトレーナーになったばかりのパールに言われたことに、たいそう素直に応えてくれるものだ。

 パッチも似たようなものではあったが、このカラナクシはいっそうその気が強く感じる。よく言うことを聞いてくれそうだ。

 

「よーし行くぞー!」

「あんまり騒ぐと野生のポケモンが寄って来過ぎると思うけどなぁ」

 

 新しい友達との旅路に気分上々のパール、そんな彼女を先頭にニルルも、プラチナもポッチャマもそれについていく。

 ぐいぐい行っちゃってくれるパールだなぁと、プラチナにも印象付いてきた頃だ。

 そそっかしくてせっかちなダイヤに対してあれこれ酸っぱい口を叩くパールだが、彼女もあんまり人のことを言えたものではないのではなかろうか。

 

 初めて訪れる世界に意気揚々と踏み込んでいくパールも、しょうがないなぁと笑いながらついていくプラチナも、振り返る暇も無いほど前進の楽しい旅だ。

 だから二人とも、音も立てずに二人をゆらりと追いかけてくる、小さな影になど気付く予兆も無い。

 知らず知らずのうちに、いつの間にやら長い付き合いになっているであろうそれのことなど、パールは知る由も無かったようだ。

 今のパール達は、目に見える前の景色で頭がいっぱいなのである。

 それだけ、自分の足で初めての地に踏み込んでいく旅というのは、夢中にならずにはいられないほど楽しいのだ。

 

 

 

 

 

「ニルル! みずのはどう!」

「――――z!」

 

 パールにとっての三人目のポケモン、カラナクシのニルルは非常に優秀なポケモンだったと言っていい。

 野生上がりで捕まえられたばかり、トレーナーの下で全く鍛えられていないにも関わらず、森の野生ポケモンを全く相手にしていない。

 もちろん、一緒に戦ってくれるポッチャマが、泡による攻撃で敵を牽制してくれたりと、パートナーに助けられている側面もあるにはあるのだが。

 それでも大いなる武器と呼べる技一つで、どんな相手も退けられるだけの力量があるのは、優秀と呼ぶに値する姿である。

 

 野生のケムッソ、マユルドぐらいなら、ニルルの放つ"みずのはどう"の一撃で追い払えてしまうのだ。

 時々それに交じって出てくるスボミーは、草タイプであるため水の波動が通用しにくいが、それに対してはポッチャマが撃退してくれる。

 スボミーが出てくればその相手をするのは基本的にポッチャマ、それ以外の相手はニルルが退ける。そんな図式で森を歩いていけている。

 流石にニルルもそこまで高レベルではないため、たまに危ないかもという場面があれば、ポッチャマが相手を泡で撃って窮地から救ってもくれる。

 ニルルとポッチャマ、水ポケモン同士で気が合うのかもしれないが、なかなか良い組み合わせとして森を進めている。

 

「多いね~。

 なんか野生のポケモンいっぱい出てくるよ」

「自然に溢れてて野生のポケモンの生息総数自体が多いんだろうね」

「生息総数、なんて言葉の使い方初めて聞くんだけど。

 プラッチってばナナカマド博士の下で働いてるだけあって、時々言葉遣いが学者っぽい」

「あはは、でも僕けっこうテンション上がっちゃってるかも。

 地元にいるだけじゃわからなかった、初めての地でのポケモンの生息形態に触れられてる気がして何だか楽しい」

「なんて学者のタマゴっぽいセリフ」

「ナナカマド博士が、僕に旅を勧めた理由がわかった気がするよ。

 実際にこの足で歩いて、この目で見なきゃ実感できないことってあるんだね」

 

 パールに同行する旅をナナカマド博士に勧められた時、実は自分の力は要らないのかな、なんて少し考えちゃっていたプラチナである。本当に、少しだけ。

 今は少しずつ、自分の足で未踏の地を踏むことで得られる経験が、いかに刺激的かを実感しているようで、あの日の不安はすっかり払拭できている。

 パールのように、はじめから旅そのものを楽しめる心境とは言い切れなかったプラチナも、今は純然と旅を楽しめる心境のようだ。

 

「それに、野生のポケモンと戦える機会が多いっていうのはいいよ。

 パールにとっては、新しく捕まえたその子をもっと強くしたいでしょ?

 やっぱり場数を踏むのが、ポケモンが強くなっていくには一番の道だからね」

「そうなんだ?

 ニルル、強くなってきてる?」

「?」

「あはは、そういうのってポケモン達だってそう簡単には実感しないかもだよ。

 でも、着実に経験を積んで強くなっていくのは確かなんじゃないかな。

 何度も勝ってると、自信だってついてくるだろうしさ」

「そういうものなのかな? そういうものだって思うことにする。

 ニルルっ、もっと強くなろう!」

「――――♪」

 

 単細胞な把握ぶりである。これはこれでポジティブ。

 いいことだよ、って信頼できる友達に言って貰えることに、理屈を練って考えない方がむしろ良い。

 よくわからないけど敢えて考えるのをやめにして、前向きな結論だけを導き出すパールの思考回路は、見失うもの以上に得るものの方が多そうだ。

 パールの考え方が良いとも、彼女の考え方で最善と言える信頼できる友達がそばにいるからこそ、とも言える。

 

「あっ、そんなこと言ってるうちにまた野生のポケモン」

「うわわ、ほんとに休む暇も無い感じだね。

 ニルル、まだいけそう?」

「――――」

 

 大丈夫だよ、と頷いてくれるニルルの反応は、まだまだパールがニルルを引っ込めなくていいという信頼感を高めてくれる。

 積極的に襲いかかってきたケムッソら野生のポケモンとは違い、いま遭遇した野生のポケモンは、パール達に背中を向けている。

 しかし順路を歩く中、近付けば気付いて襲いかかってくるのはよくあることで、パールもニルルも身構えてはおく。

 

「はわっ……!」

「え、パール?」

 

 しかし、当のポケモンに近付いてきたところで、パールのリアクションに異変発生。

 裏返った声を出したので、ズバットにびびった時の彼女の声を連想しかけたプラチナだが、絶対そんなシチュエーションではないはず。

 パールとニルルが身構えている対象は、そんな怖いポケモンではない。

 

 木陰で座ってもそもそと草を結んでいるそれの挙動は子供っぽく、近付いたパール達に気付いて立ち上がって振り返った全容も、可愛い可愛い見た目である。

 うさぎポケモンのミミロルだ。これを怖がる人なんてまずいないだろう。

 ましてそのミミロルは、人間とカラナクシを見て身構えて見せるが、短い手足で腰を低くして構える姿に迫力めいたものがあるはずがない。

 

「かっ、可愛いぃ~!

 ミミロルはじめて見た! 実物! あんなに可愛いんだ!」

「あぁ、ツボだったんだ?」

「見て見てプラッチ、すごい可愛い!

 わかる!? わかんなかったら信じられない!」

「いや、わかる、わかるけど、集中した方がいいよ……」

「はっ、そうだった!

 ニル……」

 

 ミミロルの可愛さに胸をきゅんきゅんさせるトレーナーは少なくないそうだが、どうやらパールも例外ではなかったようだ。

 先の声は、思わぬタイミングで可愛いポケモンを見てしまい、びっくりしただけだったらしい。

 はしゃいだあまり冷静さを欠かしていたパールだが、プラチナの忠告を受けたパールはニルルへの指示へ意識を傾け直す。

 しかし、ニルルに跳びかかってくるミミロルの速さが勝っており、ニルルはろくに指示も受けられないまま接近してくるミミロルを迎え撃つ立場となる。

 

 まあ、トレーナーが指示をしなくたって、ポケモンだって自分に向けられた攻撃は自己判断で躱すものだ。痛いのは普通に嫌だし。

 基本的に動きの速くないカラナクシだが、素早いミミロルの急接近を充分引き付けて、にゅるっと地面を滑るようにしてミミロルの平手の"はたく"攻撃を回避。

 指示されていなくても勝手に躱してくれた。相手の素早さを加味すると、自己判断でこれが出来るニルルってかなり賢いかもしれない。

 全力の平手打ちを躱されたミミロルは、空振った自分の手に振り回されるように、よたついてふらふらっとしながら体勢を整える。

 

「あわわっ、ごめんニルルっ、でもナイスっ!

 えぇと、気を取り直して水の波動!」

「――――z!」

 

 指示が遅れてごめんの言葉を発し、ニルルに攻撃の指示をしながら、しれっと新品のモンスターボールを手に握っているパール。

 ミミロルを捕まえたくなっているようだ。感情が行動に出やすい子。

 さておき、ニルルの開いた口から放たれる水の波動は、きちんとミミロルに直撃している。

 そんじょそこらの虫ポケモンを一撃で退けるだけあり、威力充分のニルルの水の波動はミミロルを吹っ飛ばした。

 吹っ飛ばされて背中から倒れた挙句、ごろんごろんと転がりまくっていくミミロルの"ぶきよう"な姿には、ちょっとパールも胸がちくちくしなくもない。

 なんだか痛めつけ過ぎちゃった感ある。

 

「――――!」

 

「うわ、あいつ根性あるな……!

 ポッチャマ、いつでもニルルをサポート出来るよう身構えておいてよ?」

 

 しかし、ミミロルはすぐに立ち上がり、よくもやってくれたなとニルルを睨み返していた。

 可愛い顔と瞳なので全く迫力は無いけれど。

 プラチナだけは冷静で、闘志を失っていないミミロルが想像以上の行動を見せないかと警戒し、ポッチャマに気を抜かないよう念を押す。

 基本、勝てそうな限りでならニルルに経験を積ませるため、ポッチャマに手を出させない前提を保ちつつ、不測の事態には対応する構えである。

 

「ッ、――――!?」

 

 しかし杞憂と言うかなんと言うか、再びニルルに跳びかかろうとしたミミロルは、足をもつれさせてすってんころりん。

 額から地面に突っ込んでいく転び方で、痛い場所を押さえて涙目で立ち上がる。

 見方によってはこれもキュートだが、パールの方が心配になる挙動でもある。

 

「――――☆、――――!?!?」

 

「あっ、パール!

 今だよ、モンスターボールを投げて!

 ミミロルは多分"こんらん"してる!」

「えっ、あっ、そ、そうなの?

 あーあー、えぇと、いけーっ!」

 

 立ち上がりこそしたものの、千鳥足でフラフラダンスめいたよろつきぶりのミミロルは、プラチナが見定めたとおりに弱っている。

 "みずのはどう"には、受けた相手の意識をその波紋が渦巻く紋様が強く刺激し、しばしば混乱させる作用がある。

 毎度そうだと決まっている確実性に秀でた追加効果ではないが、ダメージを与える以上の結果を与え得る、強い技だということだ。

 

 見るからによれよれのミミロルに、パールは戸惑いながらも言われたとおりにモンスターボールを投げてぶつける。

 当たったボールに吸い込まれるようにして消えたミミロルは、モンスターボールの中に一時捕らえられ、中で足掻くミミロルの動きに合わせてボールが揺れる。

 言われてすぐ投げたぐらいには、ミミロルを捕まえて一緒に旅したいと思っていたパールである。

 捕まえたいポケモンに投げたボールが揺れる時間は、何度やっても胸が騒ぐものだ。大人も子供もそうである。

 

 間もなくして、ボールがかちりと音を立てたことで、ミミロルの捕獲をモンスターボールが表してくれた。

 前のめりな姿勢でどきどきしていたパールも、その音を聞いてぱあっと表情が明るくなる。

 でも、まず駆け寄っていくのはボールを拾う足ではなくニルルである。

 

「やったー! 捕まえたあっ!

 ニルルありがとうっ、私が思ってた以上にずーっと頼もしい子だよー!」

「――――♪」

 

 常に全身が体液で濡れており、ぬめるカラナクシの体を抱え上げて、ぎゅーっと抱きしめるパールである。

 え、触って平気なの? と思うプラチナである。

 いや、自分は平気だけど、女の子ってああいうぬるぬる軟体生物を抱っこするなんて嫌がりそうな気もするんだけど、という、少し偏った見方もあってだが。

 パールは気にしないらしい。抱っこされたニルルが喜んでくれるのを間近に見てパールも喜び、やがて地面に降ろした後も、後悔ひとつ無い顔だ。

 パールの肌と服、ニルルに触れ合った場所全部がテカっている。カラナクシのぬるぬる体液に濡らされて。

 

「ふふっ、思わず捕まえちゃったけど、ニルルってばほんとに強くて賢くて頼りになるよね……!

 これからもよろしく、一緒に強くなっていこうね!」

「――――♪」

 

 元々パールは205番道路で遭遇した、数多の野生のポケモンに過ぎないカラナクシを、はじめから捕まえるつもりなんて無かったはずなのだ。

 だけど、退けるためにピョコに命じた体当たりを受け、それでも屈せず水の波動を打ち返してきたカラナクシの姿を見て、モンスターボールを投げたのだ。

 そうそう失わぬ根性と闘志。これはもしかすると強くて頼りになる子かも、と閃いたパールの判断は、きっと間違っていなかったのだ。

 

 今はニルルと名付けられてパールと行動を共にするカラナクシは、三人目の彼女のポケモンとして、既に存在感を充分に発揮し始めていた。

 技も精神面も優秀で、きっとパールのためならといくらでも頑張れるピョコやパッチと比べても、遜色の無い強さを今後も見せてくれそうである。

 なかなか優等生だ。パールの手持ちとなって数時間も経たぬうちに、彼女に新しい友達を導き出す結果を出すぐらいなのだから。

 

 嬉しそうな顔でミミロルの入ったボールを拾うパールの傍ら、ピョコとパッチの収められたボールががたがた揺れていた。

 新しい仲間は優秀だ、でも俺達私達の事も忘れないで、と訴える、パールの先輩パートナー達の激しい訴えだ。

 気付いたパールがそっとそのボールを撫でてあげれば、中の二人も少しは安心しておとなしくなるんだから、パールにとっては可愛いのなんのって。

 

 ピョコにパッチに、ニルルに新しく捕まえたミミロル。

 少しずつ、パールも一端のポケモントレーナーらしく、連れ歩くポケモンの数が増えてきているものである。

 どの子も可愛い。みんな大好き。誰が一番なんて序列を考えたこともない。

 なのにピョコとパッチときたら、自分が一番大好きだって言って欲しいといわんばかりに、よく妬いた反応を見せてくれるものである。

 

 誰でもそうだが、新しいものには目が向きがち。捕まえたばかりの新しいポケモンに、胸が躍る経験は誰しもあるはずだ。

 それでもきっとパールは、捕まえたてのポケモンだけに心奪われ、たとえ一時たりとも昔からいる友達を蔑ろにすることなど絶対にあるまい。

 可愛いミミロルを捕まえられたことは嬉しい。ニルルの強さも頼もしくて胸躍る。

 それでもこうして甘えてくれるピョコとパッチの可愛さだけは、パールは絶対忘れることはない。

 ニルルの見ている前でありながら、愛情いっぱいにピョコとパッチの入ったボールを撫でるパールの姿を見て、プラチナもそう感じたものだ。

 

 そんなパールの姿を見て、ニルルがいいなぁという顔をしていたりもするのだけど。

 なかなかパールも知らず知らずのうちに、罪作りな立場になっているものである。彼女はなんにも悪くないけれど。

 手持ちのポケモンに、みんなが同じだけ満足するよう、平等な愛情を注ぐというのはなかなか難しいものなのだ。



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第18話   ハクタイシティ

「はぁ……癒される眺め……」

「みんな気が合うみたいで何よりだよね」

 

 ハクタイの森を抜け、続く205番道路を少し進めば、間もなくハクタイシティに到着する。

 パールは町が見えてきたところで、自分のポケモンを全員ボールから出して、四人のポケモン達の交流会を促していた。

 街の中でみんなを出すと、周りの人達に迷惑をかけるかもしれないので、街の外でやっている。

 ナエトル、コリンク、カラナクシ、ミミロルの四人がお喋りしたり追いかけ合いっこしたり、野で楽しく遊ぶ姿を遠目に見るパールはうっとり。

 みんな可愛い。しかも仲良し。見ているだけで心がとろけそう。

 

「そろそろいいかな……

 みんなー! 戻っておいでー!」

 

 ポケモン同士で戯れる場からは離れ、一歩退いた位置から彼ら彼女らの世界を保っていたパールも、そろそろ西日が赤くなりそうなのでみんなを呼ぶ。

 充分遊んで楽しんだポケモン達が、パールの呼び声一つでぱたぱた駆け寄ってくる姿もまた可愛い。

 愛くるしい姿にきゅんきゅんしながら、自分のそばまで来てくれた"三人"をボールの中に戻すパールである。

 

 そう、三人。

 けだるそうな足運びで、露骨に不機嫌な顔してパールのそばに遅れて帰ってくる子が一人。

 元よりパールに懐いているピョコやパッチ、今朝パールに捕まえられたばかりでも素直に言うことを聞いてくれるニルルとは、えらく対照的な態度である。

 

「ね、ねぇ、"ミーナ"? どうして怒ってるの?」

 

 ミーナ、とパールに名付けられたミミロルである。

 さっきまでピョコやパッチやニルルとあんなに楽しそうに遊んでいたのに、パールを前にするとむっすーとした顔になってしまう。

 なんでそんな顔をされるのかわからず、おどおど尋ねるパールに対しても、腕組みしたままぷいっと顔を逸らして話したくもないという態度。

 捕まえたばかりでは流石にそう懐いてくれない、そんなポケモンも決して珍しくはないが、それにしたってミーナは極端だ。

 パールのポケモン達には好意すら示すものの、対パールにおいては嫌いとまで言わんばかりの態度をはじめから一貫している。

 

 実はハクタイの森で捕まえた直後からも、ニルルと代わってミーナを出し、傷薬でダメージを癒してあげてから連れ歩いてもみたのだが。

 野生のポケモンに遭遇すれば戦ってもくれるが、とにかくパールから離れたがるように、先へ先へとすたすた歩いていってしまう。

 幾度かの野生ポケモンとの戦いを経て、何度かダメージを受けもして疲れ始めたミーナに、パールが駆け寄って手を差し伸べた時なんかが特に如実だった。

 長い耳でぺしんとパールの手をはたき、触るなとばかりに睨みつけて再び歩きだしたミーナの態度は、パールに結構なショックを与えたものである。

 プラチナが慌てて色々とフォローめいた言葉をかけてくれたが、はっきり嫌われていることを伝えられたパールったら、茫然自失で頭真っ白になっていた。

 

 あの子とこれからやっていけるのだろうか、という強い不安も手伝っての、ハクタイの森を抜けてからのポケモン親睦会だった側面は否めない。

 蓋を開けてみれば、ミーナはピョコやパッチやニルルに対しては、むしろ仲良くしたがっているように見えたぐらいである。

 どうやら自分以外のみんなとは関係良好なようなので、そういう意味では一つの懸念が解消されたのだが。

 しかしポケモン同士のお友達抜きに、パールに対するミーナの態度のとげとげしさは変わらずのまま。

 どうしてなんだろう、と、へこみ混じりの感情で胸の奥を沈めながら、ミーナをボールの中へと戻すパールである。

 

「私、この子に何かしたっけなぁ……」

「捕まえた時も、別段ひどいことをした印象は無かったんだけどな。

 ポケモンだって色んな性格の子がいるし、こればっかりはミミロルと会話でも出来なきゃどうしてもわからないと思うよ」

「うう、解決不可能だ……

 でも諦めずに、仲良くなっていけるよう頑張ろう……!」

 

 ポケモンと言葉での疎通が出来る者なんて一人もいない。

 ミーナがどうしてここまでパールを嫌うのかなんて、きっとはっきりわかる日は訪れないだろう。

 巷では、元々ミミロルというポケモンは気難しく、捕まえたとてなかなかトレーナーに懐いてくれないという説も有力に語られてもいるのだが。

 テレビなんかでトレーナーに甘える可愛らしいミミロルの姿が映される時なんかは、長い時間をかけてそこまで至れたというのが俗説だ。

 

 ともかくパールが捕まえたミミロルも、俗説に漏れずなかなかトレーナーに対してつっけんどんなものである。

 元々ミミロルってそういうところがあるんだよ、とはプラチナも教えてくれたので、パールもそこまで悲観し過ぎてはいないのだが。

 しかし、ミーナとの良好な関係を望むのであれば、パールもこれから長い時間苦労しそう。

 パールにとって四人目のポケモンは、可愛い見た目でなかなかくせのある子のようだ。

 

 

 

 

 

 ハクタイシティは、昔を今に繋ぐ街とよく言われる。

 太古に実在したという伝説のポケモンを祀り、街の真ん中に作られた大きな像は、それを象ったものと言われている。

 どんな街にも歴史があり、ご当地の博物館にでも行けば、その街の歴史について色々と知れるものだが、ハクタイシティはそれが少々事情の異なる街。

 街を挙げて敬う太古のポケモンに対する伝承や、シンオウ地方全体の旧き歴史を紐解く博物館が代わりに名物として今も在るという形なのだ。

 自らの歴史ではなく、伝説のポケモンが実在したという時代やシンオウ地方全体の過去を重んじる、そんな街として知られるのがハクタイシティである。

 

「ピョコとニルルが♂、パッチとミーナが♀なんだよね。

 遊んでるとこ見てる感じでも、やっぱり男の子同士や女の子同士が一番気が合うのかな?」

「どうなんだろう。

 駆けっこして遊んでたコリンクとミミロルは、女の子同士だからじゃなく二人とも足自慢だからだろうし。

 ナエトルとカラナクシがそれに混じらずお喋りして和んでた感じなのは、単に走るのがそこまで得意じゃないからじゃない?

 ♂と♀同士でも、普通に笑い合って話してた風だったし関係ないと思うよ」

「プラッチもみんなのこと、ニックネームで呼んでくれていいんだよ?」

「だめだめ、あれはパールとパールのポケモン達だけのものって感じがする。

 僕が例えばあのナエトルをピョコって呼ぶのは、なんか気が引けちゃうな」

「プラッチってヘンなとこ真面目だよね」

 

 もっとも、そうした所に目を向けなければ、栄えた普通の大きな街。

 歴史の古い街らしいが、ビルも普通に立ち並んでいるし、シンオウ地方中部の中心都市とも称される。

 発展した近代的な表面上を保ちながら、街を挙げて歴史を重んじるその有り様は、人によっては"昔を今に繋ぐ街"が僅かに本質とずれているとも語る。

 そんな人達は、"今と昔が共存する街"と表現した方が適切なのではないか、とポジティブな意味で語るのである。

 お喋りしながら都会的な街並みを歩くパールとプラチナは、別段歴史的でもない景観に目を奪われることなく、互いのみを意識して歩き話している。

 今時の子にとって、わざわざ目移りするほど独特な景観ではないということだ。

 

「なんかたまに、他の人にはどうでもよさそうな事にもこだわりたくなる時ってない?」

「あー、うん、あるかも。

 普通の人ってパソコン通信でポケモンを預けたりもするみたいだけど、私は多分ずっとそれやらないと思う。

 ずっとそばにいたいもん」

「ポケモンって6匹しか連れて歩けないよ?

 7匹目以降はどうするの?」

「別にいいよ。6人もそばにいてくれる友達がいれば充分だもん」

「つ、捕まえないんだ……

 トレーナーとして、色んなポケモンを使ってみたいとか思わないの?」

「全然思わない。

 出会えた六人の子達と一緒にどこまでも行っちゃいたい」

 

 話す機会が増えれば二人も、話さなければわからないお互いのことを知る機会も増えてくる。

 極論的な話だが、パールは生涯6匹のポケモンしか捕まえない可能性が示唆されている。少なくとも今の彼女の主張はそんな勢いである。

 多くのトレーナーは、何匹もポケモンを捕まえて、育てて一緒に戦ったりして、自分のバトルスタイルに合う6匹のポケモンを厳選するものだ。

 パールは根本的に、その観点がはじめから無いらしい。この子だ、と直感的に捕まえた6匹のポケモンを、ずっと大事にして仲良くしていきたい模様。

 今後あと二人、どんなポケモンを捕まえていくかなんてのもあらかじめ考えてはいないだろう。彼女はけっこう、感情まっしぐらで生きている。

 ズバット系統を捕まえることはまずあるまい、ということだけは確定的だが。

 

「パールにとってのポケモンって本当に、バトルのお供って言うよりも友達でしかないんだね。

 ずっと思ってたけど、自分のポケモンのこと1匹2匹って数えないし」

「あっ、気付かれてた?」

「そりゃそうだよ、そういう呼び方する人そんなにいないもん。

 ポケモン大好きのナナカマド博士でもそんな数え方しない」

「なんかヤなんだよね、ピョコやパッチやニルルやミーナをそういう風に数えるの。

 友達だもん。プラッチだって、友達の1匹じゃないよ?」

「それはそうでしょ、1匹なんて言われたら僕も流石に拗ねる」

「あはは」

 

 お互いのことを知りながら――特にプラチナがパールのことをもっと知りたがりながら、楽しくお喋りしながら街を歩いていく。

 ポケモンセンターに行くのはどうせ今晩だ。暗くなるまでは、街をぶらぶらと歩いて色々と見回っておきたい。

 わざわざ目移りはしない景観というだけで、初めて訪れる街には変わりないのだ。

 二人ともお互いの顔を見て話しながら、しばしば街の眺めを楽しみながら歩いている。

 

「あっ、着いた着いた。

 伝説のポケモンの像」

「わぁ~、おっきいねぇ!

 なんだかかっこいい!」

「空間を司るポケモン"パルキア"の像だってさ。

 僕も一度は見てみたいって思ってたし、こうして実物を見るとじーんときちゃうなぁ」

「プラッチが学者モードになってる」

「テレビや本で見たことはあるけど、やっぱ実物は違うじゃん」

「わかる。私もなんか、圧倒されちゃってる感ある」

 

 さて、歴史のお勉強なんてするためにこの街に来たわけじゃない二人だが、やはりハクタイシティの名物と名高いこれだけは一目見ておきたかった。

 街の真ん中に鎮座する大きな像は、この街に住まう人、ひいてはシンオウ地方各地の人々にとっても、神様のようにあがめられし存在を象ったもの。

 伝説のポケモンの姿をこの世に顕現したかのような大きな像は、遠くから見ても胸躍るほどの巨大で雄大。

 近付くにつれて大きくなっていくよう目に映るそれは、ただそれだけでパールとプラチナに高揚感に近いものさえ与えてくれるものだ。

 近付いて、見上げてみれば、どんなに圧倒的だろう。遠目に見える象に向かって歩いていくだけでそう思わせてくれる、伝説のポケモンの肖像は圧巻だ。

 

「……あれっ?

 あの人って……」

「プラッチ?」

「いや、でも、こんな所に……ええっ?」

 

 いよいよそろそろ像を見上げられそうなほど歩み寄ったパールとプラチナだが、不意にプラチナの足が止まった。

 巨大な像の足元で、二人の女性が神妙な顔で立ち話している姿がある。

 そのうち片方が、どうやらプラチナにとっては心当たりのある顔で、しかしその割にプラチナもある観点から、勝手に人違いの可能性を考えている。

 シンオウ地方の超有名人なのだ。こんな所で偶然見かけるとは思えないほどに。

 

 片や、オレンジがかったマッシュルームカットでへそを出した若い女性。

 片や、黒い服を着たすらりとしたボディスタイルの大人の女性。

 その後者は、神妙な内容の話を終えたのか、互いに会釈し合う程度の挨拶を最後に去っていく。

 去っていく方がプラチナの目に留まった女性であり、そちらに駆け寄り話しかけに行こうかと一瞬迷うほど、良い意味での有名人である。

 

「――あら?」

 

 その女性を見送った、話し相手だった女性は、不意に少し離れた場所に立っていたパールとプラチナに気付いて振り返る。

 なんだか少しだけこちらに顔を突き出し、目を閉じてすんすんと鼻を鳴らす動きを見せたかと思ったら、ぱたぱたこちらに駆け寄ってくる。

 目が合った気がしたパールも、駆け寄ってくる女性に少しどぎまぎ。

 

「ねえねえ、あなた達ポケモントレーナー?」

「えっ、あ……そ、そうではあります」

「やっぱりやっぱり!

 自分のポケモンを可愛がってあげられる優しい人の匂いがしたもの!

 ハクタイシティは初めて? 私もあなた達の匂いは初めてだし」

 

 匂いとな。変わった単語を使って接点を作ってくる人である。

 人見知りの気があるプラチナは、女性が引き締まったウエストを露出しているせいで目のやり場に困るせいもあり、パール以上にきょどきょどしている。

 社交的で初対面の相手と話すのも得意なパールだって、相手の勢いが強くて自分からの第一声がすぐに出せないぐらいである。

 

「あたし、"ナタネ"っていうの。

 ハクタイシティでは、若輩者だけどジムリーダーを務めさせて貰ってるわ」

「あっ、ジムリーダーさんだったんですか?

 えぇと、私はパールっていいます、よろしくお願いします。

 ジムリーダーさん達に挑戦して、バッジを集めようとしてます」

「じゃあもしかしてあなた、もうすぐあたしに挑む新しい挑戦者?

 あははっ、すごいわくわくしてきた! 楽しみ!」

 

 ぱちぱちと手を叩いてはしゃぐ仕草を見せる、ナタネと名乗る女性である。

 なんだかハイテンション。こういう人なのだろうか。

 しかし笑顔は草木を照らす太陽のように明るく、単にお調子者な明るさではなく、見ていて気持ちのいい快活さだという印象が強い。

 きっと二十歳を超えた大人だろうとは見えるも、無邪気な姿は子供のようで、パールから見てもなんだか年の近い相手と話しているような親近感がある。

 

「あのぅ、すいません。

 さっきお話してた人って、もしかして"シロナ"さんだったりします?」

「ええ、そうよ。

 ちょっと用事があってこの街に来てたみたいでね」

「うわぁ、やっぱりそうだったんだ……!

 しまったなぁ、追いかけてお話したかったなぁ……!」

「えっ、シロナさんって、ポケモンリーグチャンピオンの?」

「あははっ、シロナもすっかり有名人ね」

 

 どうやら先程ナタネと話していた女性とは、シンオウ地方のポケモンリーグのチャンピオン。

 テレビに出演したことも非常に多く、今や子供でも彼女のことは知っている。プラチナだって興奮するわけだ。

 そんな多くのポケモントレーナーには敬称をつけて呼ばれるであろう、シロナを呼び捨てにする辺り、ナタネは元々シロナと親交があるのだろうか。

 

「来て来て、ジムまで案内するわ。

 その間、色々お話しましょ!」

「わわわっ、ひ、引っ張らなくても」

「あなたも来て来て! お話しましょ!」

 

 ナタネはパールの手を両手で握り、ジムに行きましょうとぐいぐい来る。

 乱暴に力任せに引きずるような力ではないが、手綱を引いてこっちこっちと足を向けさせるような強い牽引力を孕む力だ。

 プラチナにも呼びかけながら歩きだすナタネからは、二人とお喋りしながら歩きたい想いが駄々洩れ状態である。

 

 いったいどうしてこんなに初対面のジムリーダーさんに食い付かれているのだろう。

 パールもプラチナも、戸惑いながらナタネに導かれるまま、パルキア像の観光を嗜む暇もなく連れていかれるのだった。

 

 

 

 

 

「二人ともがジムに挑戦しに来たってわけじゃないんだ?」

「はい、私だけ。

 プラッチは一緒に旅してるだけなんです。

 ナナカマド博士の助手をしてたから、色んなことに詳しくて、私にも色んなことを教えてくれるんですよ」

「へ~、プラッチ君っていうんだ。よろしく。

 ナナカマド博士ってあの人でしょ? 凄いね、その年でそんなの」

「いや、まぁ……

 お父さんが博士と知り合いで、そういう縁あってたまたま……」

 

 一緒にハクタイジムへと向かう間も、ナタネはパールやプラチナと楽しそうにお話する。

 パールの手前、別にプラッチでもいいやの気分だったプラチナだが、こうして旅中で出会う人出会う人に間違えて覚えられていくのは如何なものか。

 どこかで本名プラチナだとパールに知って貰った上で、あだ名プラッチで呼んで貰えるようになっていかないと、なんだか取り返しがつかなくなるのでは。

 ここでも結局訂正せず、なし崩しでプラッチのままでいる少年だが、身の振りを考えていかないと少々まずい気がしてきている模様。

 

「ナタネさんは草ポケモンの使い手のジムリーダーなんですね」

「ええ、うちのジムはたくさんの草ポケモンを放し飼いにしてるし、みんなのとってもいい匂いで満たされたジムよ。

 ずっとそこで過ごしてるせいか、あたしもすっかり鼻が良くなっちゃって。

 あなた達から、ポケモンに優しい素敵なトレーナーの匂いがしたから、ついついテンション上がって声かけちゃった」

「匂いでそんなのわかっちゃうんですか?」

「うん、機嫌のいいポケモンの気持ちがボール越しでも感じ取れちゃうの。

 あなた達二人とも、連れてるポケモンみんな幸せそうなのがわかっちゃってさ。

 プラッチ君のボールからもよ? きっとよく可愛がって育ててるんでしょうね。

 あなたもジムに挑戦していかないの?」

「いやぁ、僕はいいですよ。

 ポケモンバトルは本業じゃないんで」

 

「でもプラッチ強いんですよ?

 私いま、プラッチより強くなるのが目標でもあったり」

「え、初めて知ったんだけど」

「いま初めて言ったもん。

 いつか勝負申し込むかもしれないよ。その時は受けてね?」

「あー、まあ、考えとく」

「約束してよ~、別にそれぐらいいいじゃん」

 

 急に知らされて少し驚く想いと、照れ臭い感情が入り混じってプラチナはパールからちょっと目を逸らしている。

 仲が良いんだなと見えてナタネも微笑ましい。くすくす静かに笑っちゃう。

 

「でも今はジム戦が最優先!

 ナタネさん、ハクタイジムでもジムリーダーに挑戦する前に、ジム生の人達相手に勝たなきゃいけなかったりします?」

「あぁ、それね。

 普段はそういう雰囲気なんだけど……今は別にいいわ」

「雰囲気?

 別にルールじゃないって感じなんですか?」

「うん。

 普段はね、草木の生い茂るジムの中で、色んな所に隠れたうちのトレーナーを探して、見つけて、みんなとバトルして勝ってからあたしに挑戦、って流れなの。

 ジム生のみんなも挑戦者と勝負して経験を積みたいだろうし、せっかくだからそんな感じに遊んで貰ってるのよ」

 

 各地のジムにはジム生がいて、概ねそれらに勝ってからジムリーダーに挑戦、という流れが一般化している。

 それがルールなのか任意なのかはジム次第。ハクタイジムは、普段はジム生と勝負してからナタネに挑戦、とルール付けているジムのようだ。

 

「でも今は、あたしがみんなに他の仕事をお願いしててね。

 ジム生のみんなが忙しいのよ。だからあなたは、あたしにすぐ挑んでくれていいわ。

 挑む資格があるか無いかなんてたいした問題じゃないわ、挑戦者にとってはあたしに勝てるかどうかが大事なんだしさ」

「そうなんだ……

 じゃあ、さっそくみたいな形になっちゃうけど、よろしくお願いします」

 

「え、パール?

 今日いきなりやるつもりなの?」

「あ、いや、そうじゃなくて。

 ちゃんと今日はポケモンセンターで休んで、みんなが元気になってから明日挑むよ?

 さっそくって言うのは、試験とか抜きでさっそくって話。明日の」

「あぁ、そうなんだ、びっくりした。

 いきなり今日行くとしたら流石に無謀だから止めようかなって」

 

「二人とも、もしかして今日ハクタイシティに来たのかしら?」

「はい、だからみんなも疲れてるし、挑戦するのはまた明日にします。

 今日はとりあえず、ジムがどこかだけ。

 出来たら中に入れて貰って、バトルフィールドも見ておきたいけど……」

「ふふっ、いいわよそれぐらい。

 よく見て充分イメージトレーニングして、明日に備えて来て頂戴」

「やったっ」

 

 やる気満々のパールの無邪気な張り切りようには、迎え撃つ側のナタネも全力を尽くして欲しいと感じる。

 ナタネは個人的な経験から、子供のポケモントレーナーは強いと思っている。

 怖いもの知らずで、何にでも物怖じせず挑めるからだ。

 知識や経験の豊富な大人のトレーナーはその点において強敵だが、そういう相手にこそ通用する駆け引きというのもあるのだ。

 一般的によくあるような話で言えば、相手の不利を示唆する展開を演出し、ポケモンの入れ替えを誘って"おいうち"を撃つとか、そんな駆け引きが一例か。

 ジムリーダーのナタネはそんな手練手管には秀でている方で、かえってその腕を活かしにくい恐れ知らずのトレーナー相手の時は、別の意味の怖さも感じる。

 

 ハクタイジムまでパールを案内し、バトルフィールドへ彼女を導くナタネ。

 草木の茂るフィールドを、たくさん歩き回って細かい所まで観察し、使える地の利でも無いかとよく見定めようとするパール。

 そんな姿を見ればナタネも、なるほどこのひたむきさは明日が楽しみだと感じるわけである。

 ヒョウタも同じような印象をパールに抱いていたものだ。

 ジムリーダーも性格は人それぞれだが、同じ立場にある以上、似通う根本理念というのは必ずある。

 気骨のありそうな挑戦者を前にした時、ふつふつと情熱が燃え上がり胸が躍る。どんなジムリーダーでもそう。

 みんな、それがたまらないからジムリーダーを務めている。



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第19話   ハクタイジム

「待ってたよ、ヒカリ!

 あたしもう、今日がほんとに楽しみだった!」

「よろしくお願いします、ナタネさんっ!」

 

「二人とも、テンション高いなぁ……」

 

 朝を迎えたパール達。

 よく寝てばっちりお目々の冴えたパールは、朝一番でハクタイジムへ向かい、門を叩く前に帽子をちょっと正して。

 プラチナと一緒に昨日も訪れたハクタイジムへ踏み入って、従来ならジム生が切磋琢磨する屋内森林めいたエリアを通過していく。

 ナタネに頼まれ、ジム生達は連日出払っているのだ。普段は挑戦者を迎え撃つジム生が、先日から今日にかけて不在ということ。

 よって、ジムリーダーが挑戦者を迎え撃つバトルフィールドまで直行だ。

 

 芝生のように草が生い茂り、所々に何本もの木が生え揃う、状況次第では隠れ場所も作れそうな、ハクタイジムのバトルフィールド。

 ネタネは朝の眠い顔一つ匂わせぬ、高揚感に満ちた笑顔でパールを迎えてくれた。

 当人が言うとおり、パールが挑戦してくる今日が楽しみで、昨夜から今朝にかけては早寝早起き、コンディションは完全に整えてきた様子。

 見るからに気合が入っていらっしゃる。一方で、自分との勝負をこれだけ楽しみにしてくれていたんだと見せつけられては、パールもいっそう気合が入る。

 大きな声でご挨拶し、言葉の締め括りもかなり強い。

 パールもナタネさんも燃えてるなぁ、とは、一番近くの傍目から見るプラチナが強く得る所感である。

 

「プラッチ君、観戦?

 歓声、応援、気持ちのこもった声を出すのは全面的に歓迎だけど、アドバイスなんかは絶対しちゃ駄目よ?」

「はい、わかってます。

 パール、頑張って。君とポケモン達の力だけで、ばっちり勝ってこよう」

「うん、見ててプラッチ!

 みんなのかっこいいとこ、見せてあげられるよう頑張るから!」

 

 自分の格好いい所じゃなく、ポケモン達の格好いい所を見せるからと言う辺り、なんだかパールらしいなと思いながらプラチナは観戦位置へ。

 広いバトルフィールドだが、その外側にはバトルフィールドを囲う二階席があり、そこが観戦席と言える。

 

 ジムリーダーと挑戦者、本来その戦いに余人は不要であり、こうした観戦席のそもそもの必要性を疑問視する声はたまに上がるのだが。

 たまにジムリーダーの戦いぶりは如何なものかと、ポケモンリーグ本部の方々が視察に来ることもあるそうなので、建前上はそのために必要とされている。

 実際のところは、ジムリーダーの戦いぶりをジム生が観て学んだり、こうして挑戦者の身内の観戦に使われる側面が強い。

 時によっては、街の親子客を招待したりして、ポケモンバトルを観戦させるジムも多かったりする。ナタネもヒョウタもしばしばやっていることだ。

 子供の頃に地元のジムリーダーの格好いい戦いぶりを見て、僕も私もポケモントレーナーになりたい、と夢見るようになった人は結構多いらしい。

 強きポケモントレーナーの筆頭格たるジムリーダー、幼く未来ある後進を芽吹かせることもまた、本業とは異なるもちょっとしたお仕事である。

 

「あなたが持ってるジムバッジは1つ。

 勝負は3対3! どの子に任せるかはもう決めてきた?」

「はい、大丈夫です。

 あとは出てもらう順番だけ!」

「よろしい! それじゃあ、さっそく始めましょう!

 見せてね、あなたとあなたのポケモン達の培ってきたものを!」

「はいっ!」

 

 ナタネとパールは、お互いボールを一つ握る。

 ジムリーダーとの戦いを含む、いわゆるポケモンリーグ傘下の"公式戦"は、最初の一体を出すのは同時というのが暗黙の了解だ。

 ポケモンのタイプに相性というものがある以上、後出しを許される側がいるとそちらが有利になりがちだからだ。

 両者とも、バトルフィールドの両端にある高台、トレーナーエリアに立ち、お互い真っ向から目を合わせて開戦三秒前の空気を噛み締める。

 

「いくよ! チェリンボ!」

「頑張ってね! パッ……」

 

 ナタネのボールからバトルフィールドへ、先鋒チェリンボが降臨する。

 パールのバッグからバトルフィールドへ、先鋒にする予定のなかったミミロルが降臨する。

 おかしいな。

 

「えっ、あぇ、ミーナ!?」

「――――z!」

 

「あ、あら?

 ミミロルがトップバッターでいい、のか、な?」

 

「あー、うー、えー……!」

 

 実はモンスターボール、中に入っているポケモンがじゃじゃ馬だと、トレーナーがスイッチを押さなくても自分で勝手に出てくることが稀にある。

 モンスターボールの中というのはポケモンにとって快適らしく、心を落ち着かせてくれるため、よほど気の強い個体でも自分から飛び出すのは相当稀なのだが。

 ミーナはその一般論に該当しないらしい。

 呼ばれてもいないのに飛び出してきて、パールを振り返りもせず前のめりな姿勢でチェリンボを睨みつけている。

 鳴き声は可愛いのだが、威嚇するような強い鳴き声を発している辺りも含め、かなりやる気満々な空気である。

 

「も、もうこれでいきます!

 どのみち三人の中には含んでましたのでっ!」

「よ、よーし、わかった!

 アクシデントのようだけど受け入れるのね?

 それじゃあ、気を取り直して始めましょう!」

 

 いずれにしたって草ポケモンの使い手とわかっているナタネ相手に、水ポケモンのカラナクシであるニルルを出す予定は無かったのだ。相性最悪極まりない。

 ミーナを先鋒にする予定は無かったのだが、どのみちどこかで出て貰うつもりだったのは確かなことである。

 だったらミミロルを起用したことを知られた上で、引っ込めて、手の内の三分の二を早々に公開するようなことはしないのも選択肢。

 間違いなくアクシデントだが、パールもパールなりに考えての強攻策である。

 

「チェリンボ、やどりぎのタネ!」

 

「ミーナ行け~っ! はたく攻撃!」

 

 捕まえてからさほど日が過ぎていないミーナだが、パールはミミロルが使える技ぐらいは勉強してきた模様。プラチナに教えて貰ったとも。

 チェリンボがミーナにひゅんひゅんと無数の種を投げ付けてくるが、フットワークのいいミーナはそれを躱しながらチェリンボに突っ込んでいく。

 距離を詰めたらチェリンボを振りかぶった平手でばちーん。

 とりあえずパールの指示には従ってくれているようで、懐いて貰えていないのを気にしていたパールにとって、一つ目の懸念はクリアされた。

 全く言うことを聞いてくれない、そんな可能性も想定はしていなくもなかったので。

 

「さぁさぁチェリンボ、逃げて逃げて!

 追いかけっこよ!」

 

「え、あ、あれ?」

「――――z!」

 

 はたく攻撃を受けてよろめいたチェリンボから、どんな反撃が来るのかと警戒していたパールにしてみれば、意外な指示を下すチェリンボ。

 ちっちゃな体で非常に短い足のチェリンボが、ちょこちょこ足で走って跳んで、ミーナから離れる方へと逃げていく。

 そうそうその調子! と、握り拳を胸の前でぶんぶん振って応援するナタネの姿からは、戦略的なものを感じ取れない。

 一方で、やる気満々のミーナはパールの指示を待たず、逃げるチェリンボを追いかけていく。

 

「来てるわよチェリンボ、右に避けて!

 いいわよいいわよ、次は隠れて!」

 

「え、ええぇと!?

 ミーナ、はたく攻撃! 捕まえてっ!」

 

 足の速さではミーナが勝っているようで、ばたばた駆けるチェリンボに急接近。

 後ろから追いかけてきたミーナの攻撃を、チェリンボもナタネの指示を耳にして躱す。

 はなから回避に意識を割いているようで、ミーナの素早い接近と攻撃にも、紙一重という風ながらきっちり躱しきっているチェリンボだ。

 近場の木の後ろに回り込んで、回り込む形でチェリンボに迫るミーナと、ぐるぐる木の周りを回って追いかけ合い。

 ミーナもチェリンボも可愛らしい姿なので、和む光景ではあるのだが、これがジム戦? と思えるほど無垢な眺めなのは確かである。

 

「パール気付いてるのかな……

 このままじゃやばいんだけど……」

 

 時計回りに木の周りを追いかけ回すだけじゃなく、たまに逆回りしてチェリンボを追うミーナ。

 正面衝突しかけたチェリンボに振りかぶった平手打ちをしようとするも、跳んで躱した相手を空振って、振り抜いた手が木に当たって自分が痛い想いをする。

 いたたと手を振るミーナに対し、チェリンボは逃げていく。

 捕食者から逃げるような必死の速さだが、その表情は逃げるだけの慌てふためくものじゃなく、楽しそうなものであるのをパールも目にするに至る。

 

「ッ――――!」

「あっ、ミーナ!?

 だ、大丈夫!? 手、折れたとか!?」

 

 逃げるチェリンボをすぐに追いかけるかと思ったミーナだが、木の幹に当たった手を痛そうに振りながら、足が敵を追う動きに至らない。

 なんだかちょっと表情も苦しそう。息切れしている。

 思わず心配になってしまうパールが的外れな心配をするが、嫌いなパールに心配されて逆に闘志が燃えたか、ミーナは再びチェリンボを追う走りに移る。

 

「あっ、もしかして……!」

「ふふふ~、気付いたみたいだね挑戦者さん!

 早くチェリンボを捕まえないと、あなたのミミロル枯れちゃうよ!」

 

 開戦間もなくよりも足の運びが遅いミーナの様子に、彼女を注意深く視たパールも、ミーナを襲う異変に気が付いたようだ。

 ミーナの右肩と片耳から、双葉を生やした小さな植物がぴこんと生えている。

 パールだって知っている、あれは"やどりぎのタネ"を受けたポケモンが背負うことになる、じわじわ体力を奪われる芽だ。

 最初、やどりぎのタネをばら撒いて逃げたチェリンボ。ミーナもフットワークを以って躱したかに見えたが、あんなに撒かれて全ては避けきれなかっただろう。

 ミーナの体力をじくじく削る役目をやどりぎのタネに任せ、チェリンボが逃げに徹するというナタネの作戦は、どうやらパールの目にも見えたようだ。

 

「がっ、頑張れミーナ!

 早く追い付いて倒さないとやられちゃう!」

「――――z!」

 

 わかってるようるせぇなとばかりに舌打ちするミーナ。だからあんたの指示も待たずに突っ走ってんだよという顔である。

 露骨にうざったそうに一瞬睨まれたパールが自分のポケモンに怯まされる中、ミーナは再びチェリンボとの距離を詰める。

 平手打ちを狙うミーナの攻撃を、チェリンボはぴょんぴょこ跳ねて躱し続ける。

 あわあわとした回避ムーブであり、決して軽業師のような華麗な回避ではないのだが、ともかくミーナの攻撃を凌ぎ続けられているのは事実である。

 やどりぎにじわじわと体力を吸い取られ、息切れが激しくなるミーナの動きが鈍っていることもあり、逃げに徹するチェリンボになかなか攻撃が当たらない。

 

「――――ッ!!」

 

「ぉえ!?!?」

「はわっ!? チェリンボ!?」

 

 全然攻撃が当たらず相当いらいらしたのか、ミーナははたく攻撃を躱した直後のチェリンボを、回し蹴りめいた豪快な蹴りでぶっ飛ばした。

 チェリンボを蹴飛ばされたナタネも焦るような一撃だが、パールもびっくりである。可愛い見た目で腰の入ったえげつない蹴りである。

 相当な威力を孕む一撃だったらしく、蹴飛ばされたチェリンボは離れた場所に、がつんがつんと地を跳ねて転がる。

 

「チェリンボ、立てる!?

 マジカルリーフよ!」

「――――ッ!」

 

 かなり痛い目に遭って倒れた姿だったチェリンボだが、何とか立ち上がり、再び自らに駆け迫ってくるミーナと向き合う。

 ナタネの指示に応えてチェリンボが放つのは、淡い光を放つ不思議な葉。

 チェリンボが魔法のように宙へ突然生じさせた、一枚一枚が人の掌を大きく開いたほどの大きさの葉数枚が、ミーナに向かって飛んでいく。

 それは飛来する刃のように、向かい来るミーナに迫り、耳を掴んで背中を丸めて顔を傷つけられまいとするミーナの体をばすばすと斬りつける。

 小さな体で逃げ回っていた姿ばかりを晒していたチェリンボも、攻めに回ればなかなかのものだ。流石にジムリーダーのポケモンである。

 

「ミーナ……!?」

「――――ッ、――――z!」

「だめだめ、戻って!

 これ以上戦っちゃダメ!」

 

 体力を奪われ、傷ついた体で膝を着き、それでも立ち上がってチェリンボに駆け迫ろうとする意志がミーナからは垣間見えた。

 だが、明らかに足が震える姿は、逃げ回る戦術を使うチェリンボを相手に、長引きかねない戦いを挑ませるには厳し過ぎるものだ。

 まだやれるというミーナの意志表示に反し、彼女をボールに戻すパールの判断は正しい。

 誰がどう見てもわかるような実例を経てながら、パールもこうして少しずつ、自分のポケモンの"戦闘不能"を見極める目を養っていく。

 

「どう? あたしのチェリンボ、なかなかやるでしょ!

 可愛い見た目で実はやり手、草ポケモンってそういう子多いんだから!」

「な、ナタネさん、ほんとに草ポケモン大好きなんですね」

 

 ミーナを引っ込めたボールを握り、緒戦を獲られたパールは気落ちしそうになるが、快活に自分のポケモンを誇るナタネの姿が気の沈む暇も与えてくれない。

 ネガティブなメンタル状態に沈み込まれるよりは、パールにとっては良い展開だが。

 いや、むしろナタネは苦笑い気味の表情を自らに見せたパールを見て、暗くなりかけた顔に感情が戻ったと嬉しがるように笑う。

 

「さあ、まだまだよ! あなたのポケモンもまだ二匹残ってる!

 これからよね? 自慢のあなたのポケモン達の底力、見せてくれるよね!?」

「……はいっ!

 パッチ、行くよ! 絶対勝つよ!」

 

 出鼻を挫かれると、それを引きずって後々まで100%の力を発揮しきれず、ずるずる劣勢続きで不甲斐ない負け方をするトレーナーも少なくは無い。

 特に、挫折の少なかった者がある日いきなりそれに直面すると、立て直せなくなる傾向も顕著である。

 自身のメンタルコントロールが未熟な、子供のトレーナーに多い傾向でもある。

 

 だけど少々発破をかけてあげれば、パールは再び闘志を取り戻し、二人目のポケモンを喚び出してバトルフィールドへ降臨させる。

 それでいい。いや、これがいい。

 へこんで沈んで全力を発揮できなくなったトレーナーとの勝負ではなく、雑念に惑わされず全身全霊を目の前の戦いに投じる、そんな挑戦者との戦いがいい。

 それこそがナタネが、ジムリーダーたる彼女がパールとのバトルに望むもの。

 相手の精神状態も加味した心理的な駆け引きなど、もっとバッジを集めた上級トレーナー、あるいは大人のトレーナー相手で充分なのだ。

 

「ナタネさん、まだまだここからです!

 そうだよね、パッチ!」

「――――z!」

「あははっ、素敵な意気よ!

 かかってきなさいっ!」

 

 情熱に溢れたバトルフィールドだ。

 観戦に回っているプラチナもぎゅっと両手を握り合わせ、真剣勝負に興じる二人の姿を胸躍り眺めていた。

 プラチナの本分は、決してポケモンバトルではないけれど。

 こうして熱くなった者同士の真剣勝負を見ていたら、ふつふつと胸の奥に沸き上がるものが溢れるのも男の子である。

 

 まだまだ勝負はここからとはまさにその通り。2対3。

 数の上では片側有利でも、ここから結末がひっくり返る勝負など腐るほどある。

 ナタネは微塵も気を緩めておらず、パールもこの劣勢をひっくり返す気満々だ。



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第20話   ナタネの戦術

「パッチ気を付けて!

 タネに当たっちゃダメだよ!」

「――――z!」

 

 体当たりするにせよ噛みつくにせよ、パッチの攻撃手段は接触技だ。

 しかし逃げるチェリンボが、ちんちくりんな見た目で案外素早い。流石に足の速いミーナから逃げきっていただけのことはある。

 しかも背中を見せてパッチから逃げ回る中で、後方にばらまくやどりぎのタネが、パッチを真っ直ぐ追わせない。

 真っ直ぐ走れば追い付けるパッチも、やどりぎのタネを浴びながら追い詰めるような気の早い攻め方は出来ない。そんな強攻策、するにしたってまだ早い。

 

「いいよいいよー、チェリンボ!

 草むらに隠れて、潜って、充分距離を作ったら……おっと」

 

「パッチ! 葉っぱが飛んでくるかもしれないよ!

 注意して追いかけてね!」

 

 一度もパッチを振り返らず、きちんと離れる動きで逃げまくるチェリンボは、まるで背中に目がついているかのよう。

 それもそのはず、チェリンボのもう一つの目を閉じた顔が、後ろのパッチの方を向いて、こっそりちらっと薄目を開けている。

 背中に目はついていないが、振り返らなくたって後ろの光景は見えているのだ。逃げを主戦術に取り込む身分として、この視野能力は結構馬鹿にならない。

 

 そして丈の長い草が生い茂る広い草むらへ、小さな体で潜り込むチェリンボは、一旦パッチの視界から姿を消す。

 その後の動きを示唆するようなことを言い、コレ大声で言っちゃダメだと口を手で隠して言葉を止めるナタネ。

 これにより、パールもパッチもチェリンボのやどりぎのたねやマジカルリーフを警戒するが、警戒すれば果敢パッチの追い足も鈍る。

 気の萎えぬパールとの真剣勝負が望みのナタネだが、案外細かいところでは心理戦を楽しんでもいるようだ。

 

 チェリンボが草むらを抜けていく姿は、がさがさと揺れる草の動きでわかる。

 パッチはそれが向かう方向へ先回りするように走るが、途中でチェリンボは足を止め、ぴょいんと草丈の上までジャンプ。

 チェリンボの方からもパッチの場所は見えていなかったようだが、今から取る手段はパッチの細かい位置を把握する必要が無い。

 

「よーし! ばら撒け~!」

 

 ぷくっとほっぺたを膨らませて気合を入れたチェリンボは、上に向けて大量のやどりぎのたねを発射した。

 十や二十では利かぬ数のやどりぎのタネが、四方八方全面に、噴水のしぶきのように拡散する。

 パッチがどの方向にいるかなんて関係ない。ナタネが撒けと言ってくれるなら、射程範囲内に敵がいることは確定なのだ。

 

「っ、パッチ~! いっちゃえ! 今しかないかも!」

「――――z!」

「あらっ!? そう来るの!?」

「噛みつき狙って! 絶対逃がしちゃダメだよ!」

 

 逃げなきゃやどりぎのタネを浴びてしまう状況、あるいは逃げても間に合わぬかもしれぬ広範囲の種撒き攻撃。

 やどりぎのタネの怖さと厄介さを見せつけてやった直後だし、コリンクが逃げる指示をする見込みだったナタネの予想に反している。

 パッチが逃げるなら、その隙にチェリンボはさらに距離を作り、マジカルリーフを飛ばす攻撃に移れたのだが。

 

 草むらへと突っ込んでいき、チェリンボの方へ突き進むパッチの体に、やどりぎのタネが付着したのは確かである。

 しかし、着地してすぐ逃げようとしたチェリンボを、草むらの中でパッチががぶりと噛みついて捕まえる。

 これだけで大きなダメージだが、パッチはさらにチェリンボを捕まえたまま草むらから飛び出してくると、近場の木に向けてチェリンボを投げ飛ばす。

 

「行っけぇパッチ! たいあたり!」

 

 べちんと木の幹にぶつかって、着地するもよろめいているチェリンボに、パールの指示とパッチの狙いがシンクロして迫る。

 逃げる足運びが出来なかったチェリンボが、パッチの頭からの体当たりに押し出され、樹木と敵の頭に挟まれる強烈な一撃に沈んだ。

 目を回してぺちょりと地面に転がったチェリンボは、誰がどう見ても気絶した戦闘不能状態である。

 

「お疲れ様、チェリンボ!

 いい仕事だったわ!」

 

 チェリンボをボールに戻し、目を閉じ両手で持ったボールを、こつんと自分の額に当てるナタネ。

 気を失っているチェリンボを、その揺れで目を覚まさせるかのようにだ。

 

「ふふっ、見ててねチェリンボも。

 あなたの繋いでくれた最高のバトン、いい結果に繋げて見せてあげるから」

 

「ナタネさーん! 早く次のポケモン出して下さーい!

 うちのパッチが弱っていっちゃうじゃないですかー!」

「あ、あらあら?

 なんだかせっかち……」

「やどりぎで弱らせる時間稼ぎなんてズルいですよー!

 なんか許せないですっ! ジムリーダーさん、正々堂々とお願いしますー!」

「あ、あー、そういう誤解?

 いやぁ、あははは、そういうわけではないんだけど……」

 

「パール、焦ってるなぁ……それだけ熱中してるってことか」

 

 観戦席のプラチナも、やどりぎのタネがどういうものか詳細を知らぬパールを見て、だけど知らぬなりに、ゆえに神経を遣っているんだろうなと想い馳せる。

 一気の撃破のためにやどりぎのタネを浴びてしまい、頭の上と背中から双葉の芽が出てしまっているパッチである。

 パッチがじわじわそれに体力を吸い取られているはずだと、パールはすごく気が急いている。

 ナタネがポケモンを出さねばパールもパッチも何も出来ないし、その時間で少しでもパッチを弱らせるつもりなのかと、パールは一人でぷんすかぷー。

 心配しなくてもやどりぎのタネはそういうものじゃないので、ナタネもそんなつもりではないのだが。

 

「まあいいや、この熱が冷めないうちにいっちゃおう!

 いくよ、ナエトル! あなたの仕事を見せてあげて!」

 

「わっ、ピョコだ!

 パッチ、わかるかな!? 戦い方!」

「――――z!」

「よーし、行くよ!

 だいたいパッチに任せちゃうかも!」

 

 さて、ナタネの次鋒はナエトルだ。

 パールは旅の中で、パッチとピョコの両方がボールから出ている時、しばしばお手合わせするかのように戦っている姿を見たことがある。

 初めてそれを見た時は、ケンカでもしているのかと思って大慌てだったパールだが、ピョコもパッチも非常に仲良しで喧嘩なんてしない。

 これからもいくつものジムを回り、強敵と相対することを見越したピョコとパッチは、互いに手合わせして己を高め合うことに非常に前向きだっただけだ。

 そんなわけで、仮想的ながら、パッチはナエトルという個体との戦い方を、幾度か肌で経験済である。この局面、それは活きるだろうか。

 パッチの方が自分よりも戦い方を知っているかもしれないと、任せる意味合いを強めたことを言うパールだが、これは身内を知るがゆえの敢えてだろう。

 

「はは~ん、なるほど。

 あなた手持ちに草ポケモンがいるわね?」

「うっ、なんでわか……あっ」

「図星っ! 勝てるっ!

 ナエトル、はっぱカッター!」

 

 なんとなく文脈から当てずっぽうしてみたナタネだが、パールが素直過ぎて正解だとわかってしまった。

 先ほど余計なことを言ったふりして、片手で口を塞いだナタネの演技と異なり、両手で慌てて口を隠すパールときたら、これは明らかに演技じゃない。

 この動揺はつつき回したくなる。見抜いたぞ、私が有利だ、と言わんばかりの煽り文句を作って、ナエトルへの指示へ繋ぐナタネ。楽しんでいらっしゃる。

 

 マジカルリーフのように複数の葉が多種多様な飛来を見せるものではなく、素直な直線弾丸の群れの様相を為す、葉の数々がパッチに迫る。

 当たれば肌が傷つく刃である。パッチもわかっている。

 きちんと躱してナエトルに迫るパッチの姿は、やどりぎのタネを受けて徐々に体力を吸われる身、だらだらしてはいられないという意志が感じられる。

 

「ナエトル、リフレクターよ!

 活きるわ!」

「――――z!」

「ッ……!?」

 

 素早い駆け足でナエトルに迫ったパッチだが、体当たりの直撃寸前、ナエトルの全身が淡い光を放ったのがパールの目にもはっきり映った。

 全力の体当たりをぶつけていくパッチ、受けきるナエトル、そして当たった側のパッチが硬い岩盤にぶつかったかのようにたじろぐ姿。

 ナエトルも目を閉じて二歩三歩退がるが、攻撃を仕掛けた側と受けた側で痛みがイーブンと見えるこの図式は攻め手に悪い展開だ。

 

「はっぱカッター!」

 

 体勢を崩していないナエトルの放つはっぱカッターが、躱せぬ近距離で晒されるパッチの全身をばしばしと斬りつけていく。

 首を引いて背を丸め、顔と目だけはやられまいとするパッチだが、見るも甚大なダメージを受けていることは傍目からも明らかだ。

 攻め気を弾かれた予想外の展開に続く逆風に、パールの焦燥感が募る。

 

「パッチ……!」

「ッ……、――――!」

 

「――――ッ!?」

「ガッツが凄いわ……!」

 

 的確な指示が閃かず、パッチを案じる声を放つのでいっぱいのパールだが、ぎらりと眼光を光らせてナエトルに再び体当たりするパッチである。

 頭と頭をごっつんこ、くらつくように退がるナエトルに、さらに口を開けて迫ればその頭部にかじりつく。

 よろめいた相手に牙を立て、もう離さないと顎に力を入れるパッチが、リフレクターを構えて物理的な攻撃に強くなっているナエトルにも相応の苦痛を与える。

 

「ナエトル、甲羅に! 振り切って!」

 

 頭に噛みつかれたまま、ナエトルは強引にその頭を甲羅の中に引っ込める。

 頭ごと引っ張られる形でパッチはナエトルの甲羅に頭をぶつけ、逃げ切られた頭からは口を離してしまう。

 だが、よろめくように三歩退がるふりをして、このままで終われるかとばかりに前へと踏み出すパッチ。

 相手は甲羅の中に入り込んだ防御態勢だが、それでも全力の強い体当たりが、脚で踏ん張れないナエトルを離れた場所まで突き飛ばす。

 

「はっぱカッターよ! 立て直して!」

「ッ、――――z!」

 

 倒置の命令、早く立て直してはっぱカッターを撃てという指示。

 早くとどめを刺して動けないようにしなきゃ、いつまでもどこまでも食らい付いてくるコリンクだとナタネも悟っている。

 突き飛ばされて痛いかもしれないが早く足を出して立って、そしてとどめの一撃を、という急務に応えたナエトルが立ち、迫りくるパッチに散弾を放つ。

 

 向こう見ずなパッチの姿に何を指示していいのかわからなくなったパールだが、パッチはもう腹を括っている。

 全身をはっぱカッターに切り刻まれながらも足を止めず、顎を引いた体当たりでナエトルの額に頭をぶつけにいく。

 バトルフィールド全体に響いた鈍い衝突音は、パールが短い悲鳴をあげるほど怖いもので、百戦錬磨のナタネでさえも息を呑むほどのものだった。

 それによってナエトルがふらふらとたじろぐが、何歩もたじろぐパッチはもう、その攻撃に全力を使い果たしたかのように右前脚の膝をついている。

 

「――ナエトル! はっぱカッター……」

「だめだめだめ!

 やめてやめて、パッチ戻ってえっ!」

 

 しかし、真剣勝負の世界はしばしば非情さも必要だったり。

 完全にパッチが落ちるまで油断は出来ないと、さらなる追い討ちを命じるナタネの判断は絶対に正しい。流石に指示までに僅かな間が開きはしたが。

 しかし、哀願するように叫ぶパールがパッチのボールのスイッチを押し、彼女をボールに引っ込める。

 絶対に駄目、もう戦えない状態だと、パッチのことを一番よく知っているパールの目に曇りは無い。

 傷ついたパッチがさらなる痛みに晒されることを恐れたパールの必死さに、ナタネもばつの悪い感情は拭えない。敢えて顔には出さないが。

 

「……さあさあ、パール!

 時間稼ぎは無しよ! 次のポケモンを出さなきゃ!」

「うぅ……ナタネさん容赦ない……!」

 

 恨みがましい目ではないが、パッチの収まったボールを両手でぎゅっとして胸に抱くパールが、さあ来い次来いと煽るナタネにたじろいでいる。

 ナタネも内心では胸ちくちく。この辺り、ジムリーダーらしく振る舞おうとする身分としては色々複雑なのだ。

 どう見ても戦闘不能に見えた、しかし油断ならぬコリンクへのとどめを命じた自分の判断は間違っていないと思うし、詫びるつもりは無いしすべきではない。

 だったらいっそ、厳しく接するしかないのだ。年下の女の子相手に、こうきつく当たるしかないのは、先輩トレーナーとして少々胸も痛むところ。

 

 こんな出来事をきっかけに、パールがポケモンバトルそのものを嫌いになったりしないかとさえ、心の片隅では心配もしてしまうのだ。

 "匂い"でわかるが、パールが自分のポケモンを可愛がってやまない子なのはナタネも知っているのだから。

 しかし、そんな心配は杞憂だと教えてくれるのもまた、自分の顔を両手でぱちんと叩き、続く戦いに気合を入れ直すパールの姿である。

 

「ぜえったい負けません!

 ひどい大人には絶対勝つぞーっ!」

「ひどくないっ!

 あたしだってジムリーダーとして、正しい全力の尽くし方をしてるのよっ!」

「わかってますっ! 冗談です!

 でも、パッチの仇は絶対討ちます! これは譲れないっ!」

 

 大丈夫そう。あの子、燃えてる。

 三番手のポケモンが収められたボールを握りしめて、それに目線を向ける表情は、絶対勝つよと最後のパートナーに意志を伝えるかのよう。

 戦闘不能のパッチに追い討ちをかけられそうになればあれだけ慌てる、友達ポケモン大好きな割には、この局面で日和るようなトレーナーではないようだ。

 口にはしないし顔にも出さないが、ナタネは心の中で密かに詫びておく。

 あなたの前向きな精神力、甘く見てたかも、と。もちろん、ポケモンバトルにおける自分の判断に対する謝罪なんてものではないとも。

 

「ピョコ、行くよ!

 絶対に勝とうね!」

 

 相性問題でカラナクシを出せない中、パールにとっては他に選択肢の無かった最後の一人。

 そこに、これしか無くって追い詰められた状況、という感情の色は微塵も無い。

 最初のポケモンにして一番のパートナー、自分の切り札とも言える懐刀にこの苦闘を任せる彼女は、姿を見せたピョコと共に気合充分だ。

 

「ここまではほんと順調なんだけどね……

 ふふっ、でもでもまだまだわからない!」

 

 ナタネはここまで、ほぼほぼ自分の望んだ組み立てから逸さず、それどころか想定以上に展開を進められてきた立場にある。

 元々ナタネは、自分が草ポケモンの使い手だと公言しているので、挑戦者は対策が立てやすい。

 どんなジムリーダーにも言えることだが、そのジムリーダーが扱うタイプのポケモンに、有利なタイプのポケモンで挑まれたら一定は不利である。

 ナタネも勿論、草タイプに有利なポケモンを相手が用意してくることは想定済みで、ゆえに無思考なポケモンの出し方選び方は当然していない。

 

 やどりぎのタネは、どんなタイプのポケモンにも通用する技だ。

 逃げ足の速いチェリンボでアウェイ戦術を取り、長引きがちな一戦目の中で、挑戦者の戦い方をおおよそ見定める。

 戦い方が戦い方なので白星は高望みの域だが、それだけにミーナを緒戦で破ったのは大きかった。これが想定以上に良い展開という意味。

 一体撃破し、パッチの戦い方をチェリンボとの戦いの中で見定め、ナエトルによるパッチの撃破までスムーズに繋げたのだ。

 ナタネは本来、切り札である最後の一体を出す頃には、相手が複数残っているぐらいの想定である。そうはなっていない。

 かなり順調な試合運びである。しかし、勝負は何が起こるか最後までわからないので、今でも気を抜かず慎重である。

 自分のポケモン全員に覚えさせている、隠し技を未だパールに見せていないのも、密かな慎重さの一端だ。

 

「ナエトル、小手調べいくわよ!

 はっぱカッター!」

「ピョコ、新技いくよ!

 はっぱカッター!」

 

 次戦に繋ぐことも意識して、パールの最後のポケモンであるピョコに、ナエトルとの戦いで手の内をなるべく晒させたいナタネ。

 同種の対決なので、小手調べという単語も、そんな真意をパールには隠したまま、ナエトルに行間として伝えられる。

 指示ひとつ取っても、望む戦術に沿ったものを短い思考時間で選び抜くナタネの真髄に、今のパールが気付くには経験不足が過ぎる。

 

 お互い離れた距離で、無数のはっぱカッターを飛ばし合うピョコとナエトル。

 惜しみない飛刃がばちばちと双方の中間点でぶつかり合い、音と火花めいた光を放つのはなかなか派手な見栄えである。

 パールは妙にどきどきしてしまう。なんだかテレビで何度も見たような、トップトレーナー同士の戦いの一幕のようで。

 既にベテラントレーナーのナタネのみならず、プラチナ目線でさえも、ぎゅっと握り拳を作って興奮しているパールの表情は微笑ましい。

 

「ナタネさん、ナエトルでピョコの戦い方を暴く戦法取るつもりだな……

 パールも出し惜しみなんて出来ない状況だし、けっこう厳しい戦況かも……」

 

「やるじゃない……!」

「いけるよ、ピョコ!

 絶対勝とうね!」

 

 よく育てられたナエトルだと、相手の侮れなさを心に刻むナタネ。

 二体の相手が残った苦しい状況だとは知りつつも、勝てない勝負じゃないはずだと信じてピョコに発破をかけるパール。

 そして傍観者目線として冷静な分析をする中で、やや劣勢の現実と、それでもパールに勝って欲しいという理想の狭間でやきもきするプラチナ。

 バトルフィールドに立つ勝敗の懸かった者同士の意識と、傍目の認識は全く違うという好例であり、対戦相手同士でも有利不利を超越した意識の差がある。

 勝負の世界の思惑の渦は、いつでも混沌としたものだ。

 

 パールのポケモンはあと一体。

 果たしてここから望む結末、勝利という結果を導き出せるだろうか。

 ピョコに全てを懸けてバトルフィールドを見据えるパールは、まばたき一つせず少しでもピョコを助ける指示が出来るよう、意識を研ぎ澄ませていた。



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第21話   VSロズレイド

 

「ピョコ! たいあたり!」

「ナエトル! 防御!」

 

 ナエトルVSナエトルの図式、表面上はイーブンに見える図式でも、実際のところはパール側パッチの優勢というのが本質だ。

 何せナタネのナエトルは、パッチ相手に一戦終えた後である。

 ナタネのナエトルもジムリーダーに育てられた強い個体とは言ったって、ピョコだって何ら遜色ない程度には強く育っているのだから。

 事実、甲羅に入って守備力を高めたナエトルにぶつかったピョコは、自分も頭を少し痛がりつつも、脚を引っ込めた甲羅を突き飛ばすことに成功している。

 

「ナエトル、まだいけそう!?」

「――――z!」

「よーし、ナイスガッツ!

 いけそうだったら反撃よ!」

 

「ピョコ、はっぱカッターが来るかも!

 こっちもはっぱカッターで反撃!」

「――――z!」

 

 発破に鳴き声で応じて立ち上がるナエトルに、ナタネは反撃手段を敢えて公言しない指示を出す。

 しかしパールもナエトル使いだ。自分のポケモンの手の内はわかっているわけで、相手のナエトルの主な攻撃方法もわかっている。

 距離がある中でナエトルの反撃手段といえばあれしかないし、体当たりで来るなら来るではっぱカッターで迎撃できることに変わりない。

 自信の無い読みでありながら、相手がどう来ようとも対応できる迎撃手段を選べている辺り、トレーナーの指示としては上々だ。

 握り拳を突き出して気持ちのこもった指示を出している辺り、無邪気すぎてどこまで計算ずくなのか怪しいものだが。そこまで高度な判断はしていなさそう。

 

「ピョコ、がんがんいっちゃえ! たいあたり!

 相手だって苦しいよ! 一気に決めよう!」

「――――z!」

 

「あぁ~もう! 何気にこういうのが一番困る!

 ナエトル、はっぱカッターで迎撃!」

 

「いいよパール、その調子……!

 ヘタに何か考え過ぎない方がいいのかも……!」

 

 お互いのはっぱカッターが双方の間で火花を散らしきった後、パールはピョコに突撃の指示を出す。

 やっぱりパールは初心者である。いけると思う戦術をそのまま使っちゃう。

 しかしながら、その思い付きが有効打であるかどうかに、果たして充分な思索を巡らせたかどうかはあまり関係なかったりする。

 当てずっぽうでも正解ならよし、幾重にも思考を渦巻かせて導いた回答でもハズレなら残念。一発勝負の世界というのはそういうものだから。

 

 敵の反撃手段がはっぱカッターであるとあらかじめ強調して貰えれば、敵に迫るピョコだって行く中での回避が一手早くなる。

 無数に飛来するはっぱカッターを全て完璧に躱すことは出来ないが、走行軌道を追って曲がって、傷は最小限に抑えられている。

 びすびすと傷つけてくるそれを、体をひねって主に硬い甲羅で受けつつ、ナエトルまで接近するまでの展開は理想的に近い。

 そのまま詰めた距離を活かし、地を踏みしめて体ごとぶつかっていくピョコが、甲羅にこもる指示を出そうとしたナタネの口より早く相手に当たっている。

 

「ナエトル……!」

 

 防御態勢を取れぬまま突き飛ばされたナエトルが、やや力無く芝生の上を転がっていく。

 脚に踏ん張る力が入っておらぬ様相でごろごろ転がるそれが、強い体当たりで受けたダメージの大きさを物語っているといえよう。

 流石にジムリーダーに育てられたナエトル、それでも立ち上がろうとはするものの、立ち上がりまでの遅さは致命的な弱りを表している。

 

「ありがとう、ナエトル!

 よく頑張ってくれたわ!」

 

 いかにリフレクターの恩恵が残っていたとはいえ、コリンクにそこそこのダメージを通された上でここまでやられては、限界到達とナタネも判断した。

 彼女がボールのスイッチを押し、ナエトルをボールに戻したことで、ピョコ対ナエトルの勝負はついたと断じられるだろう。

 よもやあのナエトルを、いかに今後風向きが悪くなったとて、再び繰り出してくることはあるまい。これで残すは一対一だ。

 

「やった!

 ピョコすごいすごい! この調子でいこう!」

「――――z!」

 

「ほんと、見るからに初心者トレーナーなのよね……

 だからこそ怖いとこもある、っていうの、つくづく忘れられないわ……!」

 

「結果的に、僕がやるより多分ずっと理想的な勝ち方してるんだよね……」

 

 ぴょんぴょん跳ねるかのように体を上下に揺らして歓喜するパールはあまりに無垢で、すぐ後に続く最後の一対一のことすらまだ考えていない。

 ただただ目の前で、大好きなピョコが華麗に勝ってくれたことを嬉しがるのみ。

 本当、初心者。目先の勝敗に一喜一憂し、その後のことまで意識が向かない。まあ、はじめはみんなこういうものではあるけれど。

 

 とはいえこういう初心者が、ベテラントレーナーにとってはある意味で手を焼く相手だったりするのも現実である。

 例えばパールと同じ手持ちのプラチナが、ナタネを相手にこの状況で戦いに挑んでいたら、指示は全く変わっていただろう。

 見るからに主将に繋げる戦いを、敵の手の内を暴くための戦いをナエトルに望んでいると見えるナタネ相手に、プラチナだったらもっと考える。

 手の内を明かしきらぬように、工夫した戦い方を探して戦うはず。相手の思惑を破るにはそれが最善手と言える。

 しかし、それを意識するあまりに指示の決断が一秒でも遅れれば、それはそれでベストとはなり得ぬかもしれぬのが、リアルタイムの戦いというものだ。

 そんな理屈、はなから理解も想像もしていないパールだから、出すもの出して一気に勝負をつけよう、という決断指示が早かったのも事実である。

 その上で早い決着を、すなわちピョコに傷の浅い勝利を結果と出来たのだから、ここまでの流れで考えれば、パールの戦い方は"正解"だったと言えるのだろう。

 

「プラチナ君! さてはパールに感心しているね!?

 顔に描いてあるぞっ!」

「あー、まあ……当たらずとも遠からずな感じです」

「うんうん、気持ちはわかる!

 あたしも今おんなじ気持ちを共有してる気がするわ!」

 

 パールそっちのけで、ポケモンバトルに知識ある者同士のやりとりが発生している。

 下手に知識を増やすと、知識で乏しくもがむしゃらに突き進んでくる者を相手にした戦いで、油断せずとも押し切られることが多々あるものだから。

 現に今のピョコとナエトルの戦いは、それそのものと言って相違ない。

 

「それに、全然予想もしなかった事っていうのも起こるものだからさ……!」

 

「えっ、あっ、ピョコ!?

 ど、どうしたの!?」

 

 鼻息荒く、さあ次来い次来いと意気込んでいたピョコが、ふと興奮を失ったかのように顎を引いた挙動に、ナタネが先に気付いていた。

 それから体をぶるぶる震わせ始めたピョコを目の当たりにして、パールがようやくピョコの異変に気付く。

 それが何を意味する挙動なのか、知っているプラチナとナタネはこの局面でのそれに驚くばかりで、一方パールは心配そうな顔。

 これから何が起こるのかわかっていなければ、苦しんでいるかのような仕草にも見えるのだろう。

 

 びしばしとピョコの甲羅にひびが入ったかと思えば、それがはじけるように割れて破片を撒き散らす。

 その下から現れたのは甲羅の下の身体ではなく色の変わった新たな甲羅の一面だ。

 そのことばかりに目を奪われているパールだが、その下でもピョコの前足や頭部、胴体はめきめきと膨らむようにして、やがて一回りも二回りも大きくなる。

 気付けばパールの膝の上にも乗れるサイズだったピョコは、一転パールが跨れるほどの大きさとなり、前足ひとつで地面を踏みしめた音も重々しく響く。

 そして背中の甲羅に、ばさぁと瑞々しい藪草が生え揃い、敵を見据えて大きく吠えたピョコが、新たな姿で戦場に独り君臨する様と相成った。

 

「えっ、進化!?

 ピョコっ、進化したの!?」

「あぁもう、計算が全部狂うわぁ……!」

 

 敵勢主将を残したこの局面、"ハヤシガメ"に進化したピョコの姿に、パールは身を震わすほど興奮して大はしゃぎ。

 対するナタネは苦笑いするばかり。ナエトルから切り札に繋いでいく中で用意していた戦術や見通しが、相手が様変わりしたことで総崩れ。

 頭をかいて参ったなぁの顔をするナタネだが、一方で冷めやらぬ興奮が彼女の心を奮い立たせてもいる。

 これだからポケモンバトルは面白いのだ。何が起こるか本当にわからない、というのを、今まさに目の当たりにしているところなのだから。

 

「パール! いいムードのところ悪いけど、あんまり調子には乗せさせてあげないからね!

 まだ終わりじゃないもの! あたしにだってまだ切り札が残ってる!」

「っ、はいっ! 望むところです!

 ピョコが絶対勝ってみせます!」

「あははっ、いい顔になった!

 あなたはやっぱり、そういう顔してる時が一番輝いてる!」

 

 ピョコの進化に浮かれていたパールも、相対するジムリーダーの強い言葉を受け、気を引き締めてバトルフィールドに目を向ける。

 でも、進化してくれたパートナーの頼もしい姿を改めて見ると、ついつい口の端が上がっちゃう。

 勝つぞの気持ちは表れている。それ以上に、今のピョコなら絶対勝ってくれるはずだという信頼感に満ちた目の色の方がずっと強い。

 

 どんなトレーナーにも言えることだが、その者に合った型というのがあり、それは精神的な面でも同様だ。

 ジムリーダーであるナタネは、バトルにおいては自分のポケモンをその指示と力量で、コントロールしてリードする。

 今回のような、所持するバッジが少ない挑戦者を迎え撃つにあたり、一番強い手持ちのポケモンを容赦なく出すバトルではない場合など尚更だ。

 成長途上にある、まだ経験場数の少ないポケモンを、その手腕で以って力を最大限発揮させることこそ、今のナタネの"型"と言えるだろう。

 

 対するパールはそうじゃない。自分が未熟であることをよくわかっていて、基本的には大好きなポケモン頼りで、細かい判断の多くすらピョコ達に任せている。

 勝ちたい勝負だから、自分も少しでもピョコ達の力になりたいと意気込んでいたものの、そうしてリードする側に回るのは今のパールの"型"ではないのだ。

 急激にいっそう頼もしくなったピョコの姿を見て、頼りにさせてねという目の色をいっそう強くするパールの姿は、本来の彼女に戻ったことの表れだ。

 トレーナーとしては本当に初心者だ。しかし、今はまだそれが許されたまま戦っていける時期でもある。背伸びはかえって良くないことも多いのだから。

 現状の自らに最も望ましい、あるべき精神に立ち返ったパールの姿こそ、雑念を失ってコンセントレーションに入った一番強い姿とさえ言い切れる。

 

「いくわよ! ロズレイド!

 あなたに相応しい挑戦者よ! 勝って誇りましょう!」

 

 描いた戦術を一掃させられるような一幕の連続に、面食らわされてきたことをナタネは嘆かない。

 戦場は不変だ。いつ、どこで、何が起こるかわからない、という当然がある。

 負けてから、その当たり前を忘れていた、と顧みて悔いるよりは余程良い。

 想定外のハヤシガメへの進化さえ、この当然を忘れじと遅きに失さぬタイミングで思い知ったことを、ナタネは最悪ではないと考えられるのだ。

 油断一つ無き眼差しで、バトルフィールドに切り札ロズレイドを喚び出すナタネもまた、最も手強いジムリーダーとしてステージに立っている。

 

「ロズレイド、先手必勝! よく狙って!」

 

「ピョコ、いこう! ぶつかって!」

 

 離れた相手によく当たる手段として、技名を明言せずナタネがロズレイドに命じるのはマジカルリーフ。

 対するパールも、距離を取った戦い方は選ばない。ハヤシガメとなりスケールアップしたピョコに、たいあたりするよう指示している。

 相手がこちらより小さいから近距離戦が有利と捉えたか。短絡そうな判断だが、案外的を射ているかもしれない。

 

「ロズレイド、躱せる!?

 躱せないようなら"どくばり"で迎撃よ!」

 

「どくば……っ!?

 ピョコっ、気を付け……」

 

 ロズレイドの放つ葉の数々は、すべて直線ではなくあらゆる弧を描く軌道でピョコに迫り、大きくなった今のピョコではいっそう躱しづらい。

 だったらいっそ、下手に躱そうとせず顎を引き、目を傷つけられぬようにしながら一気に突っ込んでいくピョコの思い切りはいい。

 パールの指示に従った上で、臆病風を吹かさない真っ直ぐかつ最短の突撃は、物怖じしていれば逃げられていたロズレイドを逃がすまいとするに十分だ。

 

 これは躱せない。そう判断したロズレイドはブーケ状の片手をピョコに突き出し、相手の脳天目がけて太い毒針を一本飛ばしてきた。

 毒針という響きにぞっとしたパールは、思わずピョコを案じる声を出す。

 草タイプに毒タイプが特効であることぐらいはパールだって知っているのだ。

 

 ピョコときたら賢いもので、只ならぬパールの声半ばを耳にしただけで、相手が危険な反撃を狙っていると察しきっている。

 相手にぶつかる直前に草地を踏みしめ飛びついて、その中で頭だけを甲羅の中に引っ込めて、狙われた頭を守っての体当たりとする。

 相手が回避を諦めたことで、視界を捨ててでも防御を固め、その上で攻撃も果たすという最善種。

 躱せなかったロズレイドに、硬い甲羅ボディでピョコが激しくぶつかり、ロズレイドは大きく吹っ飛ばされる形となる。

 

 しかし流石はジムリーダーの切り札、大きく吹っ飛ばされた割には空中でくるんと身を回し、しっかり両足を下にして着地する。

 さらにぴょこんと一跳びして、大きなダメージではなかったとナタネにアピール。

 それこそ同時にこの姿は、パールと、当たりの手応えを感じていたピョコに、やっぱり強い相手だと警戒させる。

 

「ふふっ、まだまだ余裕ね、ロズレイド!

 作戦変更よ! もう一度マジカルリーフ!」

 

「っ……ピョコ、攻めよう! もう一回たいあたり!」

 

 ロズレイドがああして過剰な平気アピールをする時は、実はけっこう効いているのだと知っているのはナタネのみ。

 相手に底を見せないことで用心させるロズレイドも、駆け引き上手なナタネのポケモンらしい振る舞いだ。

 現に敢えての余裕アピールをするナタネの態度は、パールを困らせその指示を一瞬遅らせている実績がある。

 

「来るわ! 今度は躱せるわね!?

 まずは相手の足を止めるわよ!」

 

 果敢なピョコはロズレイドのマジカルリーフを受けながら突き進んでいき、つまりどれだけ平気ぶろうとダメージは確かに蓄積していく。

 その上で、この単調な指示と攻撃の繰り返しでこの相手を倒せるのだろうか、とは、他ならぬパールも内心で不安になるところ。

 これは良くない。明確な新たな対応策も打ち出せぬ中で、不安に駆られるばかりではただの消極に繋がる。

 ロズレイドを主体にナタネも追従した、効いてませんよアピールは、それこそ毒針のようにパールのメンタルをじわじわ蝕みつつある。

 

 それでこそ、じわじわとピョコを攻め立てるロズレイドの戦略が活きてくる。

 ピョコに迫られる前の早い段階からマジカルリーフの放射をやめたロズレイドが、たいあたりを受ける直前に高く跳躍する。

 ピョコを飛び越え、その後方に着地へ向かう中、自分が立っていたその場所に花粉をばら撒いていきながらだ。

 たいあたりを躱されて振り返ったピョコに、パールの場所からでも見えるような粉塵が大量に降りかかる。

 

「あっ、えっ、ピョコっ、大じょ……」

「――――z!」

「ロズレイド油断しない!

 受けちゃ駄目よ!」

「ッ……!」

「どくばり! いけえっ!」

 

 何の粉をかけられたかわからなくても、ピョコが何らかの被害を受けたことにパールの焦燥感が募る。

 しかしピョコはびりっと全身に覚えた痺れを鑑みて、喉奥に仕込んでいた小さな木の実を口の中まで反芻し、がりっと噛み砕いて呑み込んだ。

 そのまま自己判断で、離れた位置に着地したロズレイドに、はっぱカッターの乱射を放つのだから上等な動きである。

 

 しかし、来るならそれだろうと考えていたナタネの回避指示は早く、ロズレイドもすぐさまその位置から跳ぶように逃れている。

 新たな着地点でピョコにブーケ状の手を向け、太い毒針を発射だ。

 額にそれを受けたピョコが頭を振り上げるが、前足を浮かせるほどにはのけ反らず、ぶはあと息を吐いて顎を引いて再びロズレイドを睨みつけている。

 

「"しびれごな"か……!

 ナタネさん、やっぱり一枚も二枚も上手だな……!」

 

「いけるわよ、ロズレイド!

 近付き過ぎないよう、上手に距離を取りながら戦うわよ!」

 

 どくばりを受けても強い眼を失っていないピョコだが、顔色が紫がかるというか、少し陰のある色使いに代わっていることからも、毒を受けたのは明らかだ。

 実はパール、こうした展開も初心者なりに見越して、ピョコのみならずパッチやミーナにも対策を授けてきたのだが。

 ナタネは草タイプのポケモン使いで、草タイプのポケモンというのは、毒やら麻痺やら相手を状態異常に陥れる技の使い手が多いものだ。

 だから、もしも麻痺を受けたとしても、それを治すための木の実をポケモン達に持たせて挑んだのは、パールなりの工夫である。

 ピョコが先ほど噛み砕いたのは、麻痺に侵された体を癒すクラボの実であり、それはロズレイドが放っていったしびれごなへの対策としては機能した。

 

 しかしナタネは、相手が状態異常回復の木の実を用意してくることなんて、はじめから想定済みなのだ。

 間髪入れなかったしびれごな、どくばり、と続く一連の流れこそ、ナタネがロズレイドに教え込んでいるコンビネーションだ。

 相手が麻痺対策のクラボの実を持っていようが、毒対策のモモンの実を持っていようが関係ない。どちらかの状態異常に陥れる連続攻撃。

 麻痺対策を重んじたらしいパールに対する結果として、ロズレイドがピョコをどくばりで以って毒状態に陥れた結果がここにある。

 見るからに良くない顔色になってしまったピョコに、少しずつ追い込まれていそうな流れを感じてしまったパールが弱気になってしまっている。

 

「ど、どうしよう……ピョコ……」

 

「ッ……!

 ギュアアアアアアアアアアッ!!」

 

 どうやってピョコを勝利に導けばいいのか、わからなくなりかけていたパールの意識に差し込んだのは、他ならぬピョコの咆哮だった。

 ナタネやロズレイドも怯むほど、思わずパールもびくっとしてしまうほど、バトルフィールド全域に響き渡るピョコの吠えた声。

 それが吐き出しきられたその時、バトルフィールドがしぃんとした静寂に包まれるほど、ピョコの吠えた声は誰もが息を呑むほど凄まじかった。

 

「――――!」

 

 ぎらりとした眼でパールを振り返るピョコの目は、諦めには程遠い眼差しだ。

 しっかりしろ、お前が一番勝ちたいんだろ、そんなあわあわしててどうする、俺がまだいるじゃないか。

 もっと強く気を持てと訴えるピョコの眼差しに、パールも胸を撃ち抜かれて言葉や反応を一度失ったものだ。

 

 しかし、我に返ったように自分の両頬を、両手でぱちんと叩いたパール。

 そうだ、痛みに耐えながら勝利に向かって戦っているのはピョコなのだ。

 自分がこんな体たらくでどうするんだと、眼に光を取り戻したパールが大きく息を吸い、ピョコに向けるべき言葉を紡ぐ。

 

「勝つよ、ピョコ!

 負けたくない! ピョコと一緒に勝ちたい!」

「――――z!」

 

「ロズレイド、怯まない!!

 負けるわけにはいかないわよ! マジカルリーフ!!」

 

 戦っていてぞくぞくするほど、心身共に力強いピョコの姿を見た直後だけに、ナタネの指示の声も今日一番強くなる。

 ロズレイドとてその声に触発され、身が震えるほどのハヤシガメの咆哮に対する畏れを、血気盛んな必勝の想いで塗り替えて飛び道具を放つ。

 負けられないのはこちらも同じだ。いや、ここまで以上に尚いっそう。

 トレーナーに発破をかけてでも勝利へと向かわんとする敵の姿に、私だってそんなものに気圧されてなるかと、意地さえ燃やさずにいられない。

 

「いけえっ、ピョコ! たいあたり!

 大丈夫、ピョコならそれで勝てるよ!!」

 

 短絡と一度は感じていた指示も、ピョコへの頼もしさを信じてより強い指示で背中を押すパールが、ピョコの突撃を迷い無きものとする。

 葉の数々が飛来して傷つけられる体の痛みさえ噛み潰し、接近戦へと持ち込むのみ。

 毒に侵された体は長期戦に向かない。勢いを取り戻そうとする戦い方は間違っていない。

 

「ロズレイド、どくばり……!」

 

 鬼気迫るピョコの体当たりをどうにか躱したロズレイドだが、比較的近い場所ですぐロズレイドに向き直り、再び突き進んでくる敵からは逃げ難い。

 距離を縮められ、逃がすかと接近戦の間合いを保とうとし続けつ相手に、いつまでも逃げ続けられるほどロズレイドも敏捷性自慢ではないのだ。

 反撃する暇も与えられずに二度の体当たりを躱したロズレイドに、ナタネは隠し玉でない方の攻撃技を命じている。

 

「続けてはっぱカッター!」

 

 ロズレイドがブーケ二つをピョコに向け、撃った二本の太い毒針がピョコの前足の付け根に刺さり、しかしピョコは立ち止まらずロズレイドにぶつかっていく。

 体格で勝るピョコの体当たりがロズレイドを吹っ飛ばし、なんとか膝立ちの姿勢で着地するロズレイドに、ピョコがはっぱカッターを撃ち込んでいく。

 どうにかそれを躱しにかかるロズレイドだが、避けきれずに浴びてしまったカッターに表情を歪めている。

 余裕を見せつける余力の無いロズレイドの姿は、まばたき一つしないパールにも、勝ちの目があるはずだと信じさせてくれる。

 調子付かせてはいけないことはナタネもわかっている。挫くための手段はあと一つだけある。たいあたりを受けて距離が生じたのも計算のうち。

 

「ピョコ! もう一押しだよ! いけえっ!」

 

「くさむすび……!」

 

 一度でも見せれば警戒されてしまい、次に覿面な効果を出すことの難しい技だ。

 チェリンボもナエトルも教えてあるナタネの十八番、それをこの局面まで一度も使ってこなかった、数戦跨ぎの計略は劇的に光った。

 ロズレイドが離れた草地の植物に、地面を介してエナジーを送り込み、伸びて輪を結ぶ草が突き進んでくるピョコの前足をがしりと掴んだのだ。

 

「ッ、――――z!?」

「ピョコ!?」

 

「畳みかけるわよ! マジカルリーフ!」

 

 どっしりとしたピョコの体が躓いて前のめりに転がる姿を、ナタネもロズレイドも最大の好機と捉えている。

 立ち上がったピョコを襲う無数の葉は、一枚たりとも回避を許さずピョコの全身を切り刻む。

 動いてどうにか全てを受け切らぬよう凌いでいた時と異なり、このダメージは甚大だ。

 大きくなってあんなに頼もしくなったピョコの苦しむ表情に、押せ押せの顔だったパールの表情も一気に不安一色に染まる。

 技一つで虚を突いて、精神的な形勢逆転を引き出さんとする点で最も、ここまで隠し通してきた"くさむすび"の功は奏されている。

 

「どくばりでフィニッシュよ!」

 

「っ、っ……ピョコいけえーっ!

 防御しちゃだめっ! 前に出なきゃ勝てないからあっ!」

「――――z!」

 

 ああ、しかし功は半々だ。正しい選択肢を取られた。

 あの果敢なハヤシガメですら、一度甲羅にこもって戦局を立て直そうとしたのだから、ナタネの演出はよく効いていたのだろう。

 近付かれたら不利なのだ。攻め気を失い防御に傾いた敵を、いっそう距離を稼いで畳みかけてこそ本当に詰みだったのに。

 毒針でフィニッシュになんてならないことはナタネにもわかっている。それさえ凌げば、という甘い期待から前に出てこさせない、それが本当の狙いなのに。

 勝つために為すべき行動は何か。それを教えてくれるパールを信じ、飛来するどくばりを額に受けながら突っ込んでくるピョコは吹っ切れている。

 

「マジカルリーフ!」

 

 こうなるともうナタネにも取れる手段は一つしか無い。もう一撃は攻撃を受けるしかない。相手が動ける以上、凌ぎ続けられるわけがない。

 こちらが先に倒れるか、相手が先に倒れるか、それを問う攻撃技のぶつけ合いとするしかない。

 毒はどこまでハヤシガメを蝕んでいる? 結末は天に委ねられている。

 

「ピョコ、かみついて! 絶対に逃がさないで!」

「く……!」

 

 ナタネにとって一番恐れていた展開だ。

 たいあたりで仕留められなかったら距離を作られてしまう、それはまずいとパールがきちんと判断している。

 ばくんと噛みつきにかかったピョコの攻撃一度目はロズレイドも身を捻って躱したが、すぐに首を回したピョコが、ロズレイドの右腕に噛みついた。

 もうこうなれば絶対に離さない。振り回されないよう踏ん張るロズレイドも、その表情は激甚な痛みに苦悶一色に染まっている。

 

「どくばり! ぶっ刺せ!」

「ッ……!!」

 

 空いた左手のブーケから毒針を出したロズレイドが、ピョコの右足付け根にそれを思いっきり突き刺した。

 ぶすりと刺さった光景はあまりに痛々しく、パールも一気に顔から血の気が引く。

 ぎゅうっと目をつぶったピョコの苦しみは語るにも及ばず、しかしがっちり閉じた牙を離すことはせず、ピョコはロズレイドを引きずって身をよじる。

 

「っ……ピョコ、投げ飛ばして! あっち!」

「――――z!」

「えっ!?」

 

 絶対離さないと思ったから密着戦で勝負を付ける戦術にシフトしたのに、パールの指示はナタネとロズレイドの予想を覆している。

 ピョコの皮膚が貫かれた光景に、堪らず離れるよう命じたのだろうか。

 あるかもしれない。だが、そこには只それだけじゃないタクティクスも実在している。

 パールが指差す近くにあった太い樹めがけて、首を振るって口を離したピョコは、ロズレイドをその樹に叩きつける形で投げ飛ばしているのだ。

 

「ロズレイド……!」

 

「ピョコたいあたり! 決めてぇーっ!」

「――――z!」

 

 叩きつけられて膝をついたロズレイドは、迫りくるピョコの体当たりを避けるための脚が間に合わなかった。

 ロズレイドにぶつかる寸前、頭を引っ込めたピョコの体当たりが、甲羅と樹木でロズレイドを板挟みにする最も痛烈な体当たりを形にする。

 吹き飛ばされる先もなく、押し潰されたロズレイドがけはっと口の中のものを吐き、刃を抜くように後ずさったピョコの前で、前のめりに倒れた。

 あと一撃のたいあたりを耐えられるかどうかが争点ですらあった戦い、かみつくダメージに加えてこのクリティカル、ナタネの目にも勝敗は明らかだった。

 

「ロズレイド、お疲れ様……!

 相手が強かっただけよ、あなたは本当に頑張ってくれたわ!」

 

 ロズレイドをボールに戻したナタネが、目を閉じ大きく息を吸い込んだ。

 ああ負けた、本当に悔しい負け方だ。やれるだけのことは全部やり尽くした。

 その上で負けたんだから一番悔しくて、だけど悔いの無い、そんな戦いだったと胸の痛みと爽快感を同時に噛み締めている。

 

「か……っ、勝ったの……!? 勝ったよね!?」

 

 ずっと息も詰まりそうな想いで激戦と向き合っていたパールが、観戦席のプラチナの方を見て問いかける。

 ほっとした表情のプラチナは、力の抜けた笑顔でぱちぱちと手を叩いてくれた。

 途中から彼も独り言をつぶやく余裕も無くなり、どうか良い結末をと無言で望んでいた余韻がまだ残っているようだ。言葉無き拍手はその表れである。

 

「ハヤシガメのピョコくん! それともピョコちゃんかな!?

 受け取って!」

 

 ピョコの名を呼び振り向かせたナタネは、モモンの実をピョコに放り投げてきた。

 ぱくんとそれを食べたピョコの体から、ロズレイドに受けた毒素が抜けていく。

 戦い抜いて勝利した好敵手に、毒を忘れてトレーナーと喜びを惜しみなく分かち合って欲しいという、ナタネのささやかな気遣いだ。

 

「凄いわ、本当に……! あなた達、本当に強かった!

 おめでとう、あなた達の勝ちよ! いい勝負だったわ!」

 

「っ……やったぁーーー!!

 ピョコ、勝ったよー! あなたのおかげ! ありがとう!」

「――――z!」

 

 握りしめた両手を思いっきり振り上げて、体いっぱいで喜びを表現するパールに、彼女に振り向くピョコもぱあっと表情が笑顔に染まる。

 やったぞ、勝ったぞ、とパールに喜びいっぱいの顔で駆け寄ってくるピョコ。本当に嬉しそう。

 パールに飛びついて頬ずりする勢いである。どかどかどか。

 

「ピョコ本当に……って、わ゙ああちょちょちょっ!?」

 

 でかくなった体で本当に飛びついてきたので、流石にパールも避けた。潰されちゃう。

 あれ、拒否られた、とピョコの喜びに水を差されてしまうが、しょうがない。

 ピョコも大きくなった自分の足を見て、ああそうか、しまったな、と苦笑い。

 だけど、突き放したかったわけじゃないパールは、すぐにピョコの甲羅に抱きつくようにして喜びを表現する。

 

「もう~、今のあなたおっきいんだから前みたいには出来ないよ。

 でもありがとうピョコ! かっこよかったよ!」

「――――♪」

「ああっ、ちょっちょっ、ひゃああっ!?

 あははは、やめてやめて、くすぐったいよぉ!」

 

 回り切らない腕で抱きしめられ、褒めて貰えて嬉しさ爆発。

 ピョコは体を捻ってパールに顔を向けると、今度はぶつかる勢い無しでパールを鼻先で押し倒しちゃう。

 わちゃわちゃと腰砕けに倒れたパールに、踏み潰さないよう上から体を乗せて逃げ場を無くさせると、パールの顔をぺろぺろする。

 身動きとれない中でくすぐられ、ピョコのお腹の下に潜らされてしまった足をばたばたさせるパール。これたまんない。

 でも、ピョコのお腹を蹴り上げるような足の動きはしないのだ。パールも今はピョコの頭を抱きしめ、そうして嬉しさを表現するばかり。

 

 大きくなったってピョコはピョコのままだ。

 自分がピョコのことが大好きなのと同じぐらい、ピョコも自分のことを大好きでいてくれているのがわかる。

 ぺろぺろ舐められて顔をびちょびちょにされるのが、こんなに幸せなことなんてそうそうあるまい。

 

 負けた悔しさより、嫌味ひとつない歓喜に染まる勝者の姿に、背中を丸めたナタネは声を上げて笑っていた。

 負けてよかったとは思えないけど、勝利したパールのあんな幸せそうな姿を見られたなら、悔しい結果にも救いめいたものがある。

 笑い声を止め、頑張ってくれた三匹のポケモンが入ったボールを見つめるナタネは、ごめんねと少し申し訳ない顔を向けていたけれど。

 何の何の、こんな彼女に育てられ、懐き、ここまで強くなってきた三匹だ。

 みんな、明日からまた頑張るぞという想いを胸に、気にしないでナタネという表情でボール越しに彼女を見上げていた。



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第22話   ギンガ団の影

「はいっ、これがフォレストバッジよ。

 これで二つ目よね。先はまだまだ長いけど、頑張ってね。

 あなたはきっと、バッジ二つで終わるような子じゃないってあたし思ってるからさ」

「えへへへ、ありがとうございます……!

 どうしよう、しゃんとした顔で受け取りたいのに、ナタネさんが凄く褒めてくれるから顔が……」

「あはははは、感情に素直な子なのね、あなた。

 いいのいいの、嬉しい時は笑うのが一番よ」

 

 ナタネに勝利し、バッジを受け取るパールの笑顔はぴっかぴか。

 バッジを貰う瞬間というものに、形式ばった儀式的なものを意識するパール、ジムリーダーに勝利した側としてぴしっとした姿を作りたいのだけど。

 嬉しい気持ちと達成感の強さに負けて、子供の顔でいるのをやめられない。

 自分の感情に嘘をつけない子は、格好つけるのも大変だ。当分難しそう。

 

「それにしてもあなたのハヤシガメ、強かったね~!

 普段どんな風に育ててるの? ねえねえ教えてよ」

「ふ、普段ですか?

 別にそんな変わったことは……」

「ナタネさん、やっぱり草ポケモンが特に好きなんですねぇ」

「ミミロルやコリンクも立派だったけど、やっぱりあたしの興味のど真ん中はね?

 さあパール、聞かせて聞かせて!

 バトルの後の反省会という名の、単なるポケモン自慢大会!」

「ぜんぜん反省する気がない」

 

 プラチナが指摘したように、草ポケモン使いのナタネは草ポケモンが大好き。だからこそ草ポケモン専門のジムリーダーをやっているぐらいなので。

 今回パールが草ポケモンのピョコと一緒に勝っただけあり、色々知りたがっての食い付きぶりが凄い。

 自分を破った挑戦者に、こうして食い気味に雑談をふっかけてくるジムリーダーも、少々珍しい方である。

 例えば岩ポケモン好きのヒョウタでも、自分に勝ったトレーナーが岩ポケモンを使っていたら多少の会話は求めてくるかもしれないが、ここまでではなかろう。

 

「そうねー、まずはどこで捕まえたの?

 私の行ったことのない場所だったら行ってみたいな」

「えっと、実はピョコ、自分で捕まえたポケモンじゃ……」

 

「――あっ、ごめん、ちょっと待って。

 ヨウコ、どうしたの?」

「あら、よかったのかしら?

 随分楽しそうだったから声がかけづらかったんだけど」

 

 パールに色々と尋ねたがっていたナタネだが、ジム奥のこのバトルフィールドを訪れた身内に気付き、一度話を断ち切ってそちらへ呼びかける。

 いかにもナタネがパールを相手に楽しそうだったので、気を遣ってすぐに声をかけなかったその女性は、ナタネの方から声をかけられたことで歩み寄ってくる。

 ハクタイジムの、ジム生の一人である。大人のお姉さんという風貌で、ナタネと敬語を使い合わず話す辺り、年の近い間柄なのだろうか。

 

「ちょっと話があってね、あなたに頼まれてたことについて。

 後にする?」

「あ……いや、すぐ聞くわ。

 んん~、パールにもっと色んな話を聞きたかったんだけどなぁ」

「パールってこの子? 挑戦者?」

「うん、あたしに勝ったばかり。将来有望!」

「へぇ、凄いじゃないの。

 うちのナタネに勝っちゃうなんてさ」

「わ、わ、ありがとうございます」

 

 にかっと笑って褒めてくれる初対面のお姉さんに、パールはてれてれ。

 綺麗な人だな、と思いながらもプラチナは黙っていた。彼はちょっと人見知り。

 

「ごめんねパール、あたしこの人と大事な話があるの。

 申し訳ないけど、今日はお開きにさせて貰っていい?

 あたしから話を始めておいて、ほんと申し訳ないんだけどさ」

「いいえ、そんな、仕方ないですよ。

 ジムリーダーさん、忙しいですもんね」

 

「あっ、そうだ、後で一緒にご飯でも食べにいかない?

 奢ってあげるよ?」

「いいんですか?」

「いいのいいの、埋め合わせみたいなもの。

 それにあたし、やっぱりあなたに色々と聞きたいし。

 プラチナ君も一緒にね?」

「僕までいいんですか?」

「うんうん、勿論!」

 

 話を聞きたいと自分から振っておきながら、手前の都合で急に話を終わらせたのは少々悪いと感じたか、そうした意味での埋め合わせなのだろう。

 ナタネはパールとプラチナに、後で会おうと待ち合わせ時間を決め、一旦の別れを告げた。

 わかりました、後でまた来ます、と締め括り、パールとプラチナもジムから去る方へと歩きだす。

 

 バトルフィールドから出る直前、ピョコ達と一緒に戦い抜き、勝利した舞台を改めて見ようと、パールは一度振り返った。

 その時、ナタネとヨウコが話す表情が、いやにパールの目には印象強く残ったものである。

 パール達に笑顔で手を振って見送ってくれたナタネが、大人同士の会話をしている表情がそこにあったのだが。

 

 神妙な面持ちで何かを語るヨウコが、ナタネに何を言っていたのかは聞き取れなかった。

 しかしその話を聞くナタネが、憤るほどの話を聞いているかのように、怖い横顔をしていた表情にパールもぞわっとしたものだ。

 明るく快活な声と表情で自分とのバトルに臨んでくれていたナタネの、知らなかった一面を思わぬ形で見てしまったパールの動揺は露骨なもの。

 見ちゃいけないものを見た気がして、バトルフィールドから去る足が早くなったパールの姿には、プラチナも僅かな異変的空気を感じ取っていた。

 

 

 

 

 

 まずはポケモンセンターに向かった二人。

 バトルを終えたばかりのパールのポケモン達は疲れ切っており、何につけてもまずはみんなに元気になって貰うのが最優先。

 ポケモン達を預け、回復が済むまで少々お待ち下さいと言われて、パール達はポケモンセンター内で時間を潰していた。

 

 普段はいつも一緒のパールとプラチナだが、時には別行動することもある。

 例えば今もそう。ポケモンセンターは旅するトレーナーの宿泊施設として使われることもあり、建物自体がかなり大きくて広い。

 すれ違う人も多く、ポケモントレーナーが集う場所というだけあり、トレーナー同士の交流の場としても重宝されるのがポケモンセンターだ。

 人によっては、出会ったトレーナーとポケモンを交換したりする人もいるそうな。もっとも、それはパールが一番やらなそうなことでもあるが。

 

 共に旅する中で、プラチナには色々教えて貰っているパールだが、プラチナだって自分が教えられることが全てだとは思っていない。

 どうやらパールは初対面の人が相手でも話せるぐらいに社交的なようだし、たまにはセンター内で色んな人と話を聞いてみたらとも提案する。

 色んな人と色んなポケモンの話をした方が、パールにとっても勉強になるだろうと思ってだ。

 そんなプラチナの気遣いを喜んで、プラッチって先生みたいだよねと笑いかけられたのが、プラチナにとってはなんだかこそばくて。

 ポケモンセンター内で別行動とし、プラチナから離れるや否や、年下の女の子にさっそく話しかけているパールの姿が、プラチナにはとても微笑ましかった。

 確かに先生みたい。見えている限りでは教え子の姿を、目で追わずにいられないかのよう。先生は先生でも世話焼きな先生寄り。

 

 ジム戦を戦い抜いてかなりの体力を使ったピョコ達が回復するまでには、普段よりも長めの時間がかかったものであるが。

 色んな人と話して回ったパールにとってはあっという間だったようで、対して待つだけだったプラチナには、今回はやっぱり長かったなという印象。

 離れ離れになると時間軸まで噛み合わなくなる二人である。

 

 ハクタイジムへと再びナタネに会いに行く、待ち合わせの時間まではまだ少々の時間がある。

 ポケモンセンターの入り口付近、いつでも出発できる場所の椅子に座り、時計を眺めるパールとプラチナ。

 あとは二人で話して時間を潰すのみである。話の種もある。

 プラチナが『どうだった?』と聞けば、色んな人と話してきたパールからいくらでも話題が出てくるはずだ。

 

「どうだった? 面白い話とかあった?」

「ん~……面白い話っていうか、面白くない話ならあった。

 しかもそっちの方が多かった」

「え、なになに、どうしたの」

 

 こんな話してきたよ、と明るく話してくれるパールかと思ったら、難しい顔をして首を傾けている。

 面白くない話を今からプラチナにするのだろうか。楽しくない話をしたがるなんて、あまり普段のパールらしい言動ではない。

 

「えーっとね……ギンガ団というキーワードがありまして」

「うわっ、嫌な単語……!

 詳しく聞かせてよ、何があった?」

「いや、本当むかむかするような話なんだけどさ――」

 

 ギンガ団。

 谷間の発電所を占拠していた、いかにも良からぬことを企てていそうな集団だ。

 現地でそれと関わってきた二人をして、悪党連中という認識で固まりつつあったのだが、今回の話はもっと悪質なものである。

 それについての話を聞いてきたパールがプラチナに内容を伝えるにつれ、彼の方も少しずつちりちりと胸の奥に義憤の火が灯り始めるような内容だ。

 

 聞けばハクタイシティやその近辺にて、ギンガ団と名乗る者達が、ポケモントレーナーからポケモンを奪って回っているというではないか。

 谷間の発電所やその周囲にたむろしていたギンガ団達も、確かにポケモンを乱獲していて、ポケモンを集めていたふしはある。

 しかし、人が愛情を注いで育てたポケモンを強奪するなど、言語道断も甚だしい。

 せっかく育てたポケモンが、なんて話で済む問題ではない。絶対に違う。

 パールが聞いた最もむかむかするエピソードは、幼い女の子がとても可愛がっていたスボミーが、ギンガ団に奪われてしまったという話だ。

 友達だったスボミーから引き離された姪っ子が、毎晩寂しくて泣いているという話をしてくれたお兄さんに、パールの胸は引き裂かれるような痛みを覚えた。

 ピョコやパッチ、ニルルやミーナとそのようにして引き離されたらと思ったら、それだけで胸が張り裂けそうになる。

 泣いているという女の子の気持ちには、察して余るものがあるというものだ。パールだって、自分だったら絶対に泣いてしまうと確信している。

 人のポケモンを奪うという行為は、それほどまでに罪深いのだ。

 

 そんな事件が頻発していたせいもあり、警察も既に動いているのだが、流石にギンガ団側もなかなか足をつけさせてくれないそうだ。

 わざわざ我々ギンガ団と名乗る連中、賢そうには感じないが、事件の頻発に伴って人々の警戒も強まり、法治組織の目も鋭くなってきている。

 こうなってくれば、当然ギンガ団側も一旦はおとなしくなる。ここ数日の限りでは、そんな事件も起こってはいないようだ。

 彼らは既にこのハクタイシティから去ったのか、それとも潜伏を続けているのか、捜査する側はまずはそこから考えるところである。

 流石にここまで大っぴらに動いている以上、あのギンガ団の服装でうろうろしている奴がいるほど、連中だって馬鹿ではないようだ。

 谷間の発電所でギンガ団の連中の言動を見てきた限り、何となく、あの人達はそんな馬鹿さえやっちゃいそうだとパールとプラチナは思ってしまうのだが。

 流石にその認識は改めてよろしいようだ。

 

「……でね?

 ナタネさん、さっきジム生のお姉さんと、なんか大事な話してたじゃん」

「うん。

 もしかして、ってこと?」

「プラッチは見てなかったかもしれないけど、あのお姉さんの話を聞いたナタネさん、すごく怖いオーラ出してたんだ。

 許せない話を聞いたみたいな、そんな感じの」

「あぁ、だからパール、ジムから出る時にちょっと足早になってた?」

「怖かったぁ~……

 ナタネさん、あんな顔するんだって思ったもん」

 

 あの時はどうしてナタネがあんな顔をしていたのか想像もつかなかったパールだが、情報を握ったがために、なんとなく関連付けてしまう。

 きっとそうだよと言えるほどの根拠は無いけれど、この話を聞いてあれだけ明らかに怒りを漂わせていたなら、辻褄が合うような気がしてならないのだ。

 一度そう思ったらそんな気がしてしまうだけで、後付け情報から合点を合わせただけの推察ではあるのだが。

 

「思い切ってナタネさんに聞いてみようと思うんだ。

 もしそうだったら、その……ね?」

「うん、僕も同じこと考えてる気がする。

 許せないんだろ」

 

 パールは力強くうなずいた。

 そして二人は口にこそしなかったが、そんな人でなしが起こす事件の解決のために、自分達が出来ることがあるならやりたいと強く思っている。

 そこには、谷間の発電所のギンガ団に挑むことを共に選んだ二人だからこそ、言葉すら無く同じ想いであることを確信し合える共振がある。

 ただポケモントレーナー同士というだけでなく、同じ志を抱き苦難に挑んだパールとプラチナの心の繋がりは、当人らが無自覚なだけでかなり強い。

 

「ハクタイシティで暮らしてるナタネさんが、そんな事件のことを知らないなんてことは無いはずだ。

 もしかしたら、ナタネさんも警察とは別に、自分達で動いて解決に向かおうとしているのかもしれない」

「私もそんな気がする。

 ナタネさん、明るいだけじゃなくて、優しい人だと思ったもん。

 こんな事件、絶対無視する気持ちじゃないはずだと思う」

「うん、会ったら聞いてみよう。

 場合によっては、僕達がナタネさんに提案することも一つだ。

 パールは絶対そうだよね」

「うん……!」

 

 あの日、谷間の発電所に行こうと言い出したのはパールの方。

 プラチナの気持ちを想像するパールより、パールの気持ちを想像するプラチナの方が簡単だ。

 事件解決のために協力できるなら何でもしたい、と言うに決まっている。

 

 やがて待ち合わせ時間が近付き、ポケモンセンターを出発してジムへと向かうパール達は、既に心穏やかな表情ではなくなっていた。

 ついさっきまで、ナタネに勝利して喜んでいた気持ちもすっかり過去のもの。

 無理も無い話である。人のポケモンを奪う者達がいるという話を聞いて、心穏やかでいられるポケモントレーナーはそうそういない。

 長らく共にしてきたポケモン達を奪われるなどというのは、家族や友人を誘拐されるにも等しい悲劇。言うまでもない話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まあ、はっきり言っちゃうとそうなのよ。

 あたし達は警察とは違う立場から、ギンガ団と名乗る奴らを探してるの」

 

 結果としてはご明察だったようだ。

 ジムでナタネと再会し、どこに行こうかと明るい表情で語りかけてくれたナタネを前にすると、重そうなこの話をするのはパールも抵抗があったのだが。

 話をしてみれば、ナタネはすぐに二人をあのバトルフィールドまで招き、今はそこで話している。

 余人の立ち入らぬ場所での会話である。聞き耳を立てている者がいてはまずい内容ということだ。

 

 ナタネを中心としたハクタイジムの面々、ジム生達を含めた何人もの一団で、犯人の手がかりを探していたようだ。

 警察のような捜査権を手に情報を集めることは出来ないが、耳と目で集められる限りの情報を集め、事件解決に向けて動いてきたという。

 どうしたって悪党からの警戒が強まる警察と異なり、いち民間人に過ぎないジム生達は、世間話の体や聞き耳で、悪党から目をつけられにくい立場でもある。

 考えようによっては、悪人の目を惹く警察を隠れ蓑に動く、私服捜査班めいた存在として機能していたとも表現できるかもしれない。

 思えばパールも、ジム生達は忙しいと言われ、ナタネに挑む前のジム生との勝負をパスさせて貰ったが、忙しさの所以とはそういうことだったのだろう。

 

「警察に任せておけばいい案件ではあるんだろうけどね。

 人のポケモンを奪おうとするような非道な奴ら、いよいよとなれば何をしてくるかもわかったものじゃないからさ。

 民間人でしかないあたし達がどうこうしようとするには、少し重たい問題なのもわかってるつもり」

「それでも、ナタネさんは……いや、ナタネさん達、なんですよね」

「うん。

 あたし達が暮らすこの街を中心に、そんな悪人が潜んでいるなんて黙って見ていられないのよ。

 あんな事件が起こる前は、大好きな自分のポケモンと一緒に街を歩く人だって沢山いたのに……

 あれ以来、怖くてそれが出来なくなった人ばかりで、すごく街が寂しいの」

 

 先日この街に来たばかりのパール達にはわからなかったことだが、一ヶ月前に訪れていたとしたら、もっと明るい街だったということだ。

 シティの呼称を冠するだけあり、過去を知らねば景観だけでも栄えぶりは感じ取ることが出来る。

 それでもずっとこの街で過ごしてきた、ナタネをはじめとしたハクタイシティの人達に言わせれば、今のハクタイシティは本来の姿ではない。

 悪の手によりそうなっていることに、やりきれなさを覚えている人は多いはず。それが郷土愛というものだ。

 

「ジムリーダーのあたしが動いていることを少しでも悪人に察知されたら、ジム生のみんなが動きづらくなるどころか、狙われることだって考えられる。

 あたしには何も出来なかったの。本当に、やきもきするばかりだったわ。

 上手にやってたつもりだったけど、どう?」

「そ、想像できなかったです……

 ナタネさん、そんな悩みを持ってるなんて全然わかんないほど明るくて……」

「空元気すごかったんだけどねぇ。

 正直、疲れるわぁ……どこに顔出す時も、元気なふりしてさ。

 まあ、普段のあたしとそんなに変わらないつもりではいたけどさ」

 

 ジムリーダーである自分が事件解決のために義憤を燃やしていることを気取られぬよう、ナタネはジム外で一切重い表情を見せないよう努めてきたのだ。

 事件の話を聞くたびに、気の毒に思う感情を最も主張する表情の仮面を張り付け、握り拳を握らず、溢れ出そうな怒りを抑えて。

 悪党連中に、ナタネが事件解決のために動いていることを悟られたその瞬間、ジム生達が攫われる可能性も生じてしまう。

 人質に取られるようなことになれば、取り返しがつかないというものだ。

 

 しかし一方で、ナタネがそうであると敵に確信されない限り、実はかえってジム生達も安全なのだ。

 なぜならギンガ団目線、ナタネが事件解決のために動いているかどうかもわからぬまま、その身内たる関係者にちょっかいを出せばどうなるか。

 それはナタネという、ハクタイシティでも指折りのトップトレーナーを、完全に敵に回すことを確定付ける行為に他ならない。

 警察以上に敵に回したくない眠れる獅子を、わざわざ起こしにいくような行為は、動きを縛れる"かも"だけで選ぶには釣り合わぬほどリスクが高すぎるのだ。

 徹底して、事件に対する激情を表に出してこなかったナタネの忍耐は、非常に大きな意味を持つものだったと言えるだろう。

 

「……その甲斐もあって、ギンガ団のアジトと呼ばれる場所は突き止められたわ。

 うちのジム生のみんなが、集めてくれた情報のおかげでね」

「じゃあ、ナタネさんは……」

「ええ、踏み込むわ。

 あなた達とご飯を食べたら、その後で行くつもりよ」

 

 ナタネは笑顔を見せてくれたが、眼差しは意志の強さを表すように鋭く、それは今朝までの明るく笑っていたばかりの彼女の顔ではない。

 そこにはジムリーダーとして、ハクタイシティに生まれ育った一人として、街を荒らす者を絶対に退治してみせると表明する頼もしき大人の姿。

 それはパールとプラチナの目に、同じポケモントレーナーという身近さゆえか、どんな仕事をしているのか詳しく知らぬ警察以上に頼もしく映る。

 バッジを一つしか持っていないパールとの戦いなんて、彼女にとっては手加減していたものに過ぎないと、無関係なここで不意に思い出すほどだ。

 

「あっ、あの、ナタネさん……!

 その、えと、もし……もしよかったら……」

「え?」

「わ、私達も……ついていって、いいですか……?」

 

 この流れになるのであれば、そう言おうと決めてここに来たパールですら、それを言い出すのに想像以上の勇気を要したものだ。

 一度勝った相手なのに、本来ならば別次元のトップトレーナーなのだと、今さらながらに思い知らされた気がして。

 そんな人が、断固たる意志をあらわに戦場へ赴かんとする姿に、小さな小さな自分が同行を申し出るのは、差し出がましさに近い感情すら生じてしまう。

 パールが卑屈なわけではない。眩しいばかりの高潔な意志は、只の人には容易に足すら踏み入れられぬ聖域さえ自ずと生み出してしまうということだ。

 

「……あなた達が?」

「僕達も、出来ることをやりたいんです。

 人のポケモンを奪っていく奴らなんて、ただそれだけで許せません」

「邪魔はしないよう頑張りますから……!

 私達にも、手伝わせて欲しいんです!」

 

 プラチナの堂々とした主張をそばに、気を持ち直したパールは今度こそ胸を張って言い切った。

 真っ直ぐナタネの目を見て訴えたプラチナの眼差しからも、声が大きくなってしまったパールからも。

 決して自分達が未熟であることに自覚が無いわけではない上で、この悲劇が二度と繰り返されぬよう、力を尽くしたいという強き意志がナタネにも伝わる。

 少年少女の目は純真だ。悪を憎む二人の眼に、嘘偽りやお為ごかしは欠片も無い。

 

 ナタネには、すぐに答えを出すのが難しかった申し出だ。

 だけど、ナタネは呼吸三つぶんの思索を挟み、悩ましい難題に対しては比較的早く、彼女なりに思うところ在りしの回答を二人に示す。

 

「……いいわよ。

 その代わり、危険だと判断したらすぐに帰って貰うわ。約束できる?」

「はい」

「はいっ……!」

 

 推奨される決断だろうか。

 ナタネがそれを加味せず決断したはずはあるまい。

 極めて危険な展開も予想される世界へ、ナタネが二人を導こうとしている。

 意気込むように、静かに、あるいは力強い返事を返した二人に微笑んだナタネの胸中は、彼女のみぞ知るところでしかない。

 

 行きましょう、と出発するナタネの後ろを歩く二人には、決して見ることが出来なかったもの。

 作戦決行のこの日この時、有事無きようジム内から決して出ないよう命じられていたジム生達が、出発前のナタネを見て声一つかけられなかった。

 激情を胸に出陣するジムリーダーの眼光は、朗らかで優しい彼女本来の姿を知る身内をして、ぞっとするほどその本来からかけ離れていたからだ。

 

 ジムリーダーを怒らせてはならない。

 ジム生達は、他の誰よりもそれをよく知っている。

 それは、パールやプラチナの想像を遥かに超えている。



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第23話   ギンガハクタイビル

 

 ハクタイジムのジム生が突き止めたという、ギンガ団のアジトとでも呼べる場所は、特段隠された場所にあるわけではない。

 街にいくつも建っているビルの一つ、築三年のどこにでもあるような、オフィスビルめいた建物だ。

 そんなビルの前にナタネと共に到着したパールとプラチナだが、見上げて本当に何の変哲もないただのビルである。

 これは、見たってわからない。悪の組織の建物らしく、奇抜なトゲでも生やしてくれていない限り、悪の根城だと外観からはわかるまいという好例だ。

 

 実際のところ、たとえ住み慣れた街であっても、立ち並ぶビルいくつもをざっと見て、どれがどんな業種のビルか網羅している人なんてそうそういない。

 適当に外をぶらついて、そういえばあのビルって中でどんな仕事しているのか知らないな、なんて建物が一つでもあればそういうことである。

 よくわからない建物なんて、街の真ん中にあったとて、誰一人として気にも留めない。

 木を隠すなら森の中。わざわざ拠点を隠す細工などしなくても、悪の巣窟というのは身近にあっても気付けないものである。

 後から知ったけど悪徳業者の事務所が思ったよりも近所にあった、なんて話も、世の中結構あるらしい。

 

「警察の人が見つけてくれたら一番早かったんですけどね……」

「そう言わないの、フォローするわけじゃないけど警察の人達の仕事も複雑よ?

 警察がもう拠点を突き止めてきた、ってギンガ団も察しちゃったら、捕まえる前に逃げられちゃうじゃない。

 自分達の行動が敵の逃げ足と直結するってわかってる警察の人達も、相手に悟られないよう慎重に動かなきゃいけないのよ。

 一般人のあたし達とは違うからさ」

「……そっか。

 そういう見方もあるんですね」

 

「プラッチ、警察の人嫌いなの?

 谷間の発電所でも、あんまり警察のこと信用してなかったっぽいし……」

「いや、別にそういうわけじゃ……

 ほんとほんと、警察の人達のことが嫌いなんてことは無いんだけどさ」

 

 パールは谷間の発電所で、警察への通報の仕方が少し手の込んでいたプラチナの事を思い出している。

 呼んでも信用して貰えないかも、なんて言って、相手の重い腰を挙げさせるような通報の仕方をして、おかげでこっぴどく怒られて。

 あれに加えて今回も警察の行動が、一般人に過ぎないナタネのジム生に速度で劣っていることを、暗に頼りないと批難するようなことを言うものだから。

 警察に対して特段の不信感でもあるのかとさえパールは思ったのだが、本人いわくそういうわけでもないらしい。

 

「…………大人は苦手なんだよ、僕。

 ナナカマド博士やナタネさんのような、優しい人なら平気なんだけどさ」

「プラッチ……?」

 

「……それより二人とも、ポケモンの準備は出来てる?

 乗り込んだら、敵がポケモンを差し向けてくるかもしれないわよ?」

「はいっ、大丈夫です」

「いつでも大丈夫です。

 足手まといにならないよう頑張ります」

「ふふっ、二人とも勇ましくていい顔してるわ。

 頑張りましょう!」

 

 さあ、敵地へ。

 ビルの中へと入っていくナタネと、後をついていくパールとプラチナ。

 自動ドアをくぐればビルの一階はフロントすら無く、二階へ上っていく階段があるのみで。

 見知らぬ建物へ足を踏み入れ、階段を踏みしめて進んでいく中、パールはなんだかいけないことをしているような気分でどきどき。

 知らない人の家に勝手に上がり込んでいるようなこの感覚、大義名分こそあるとはいっても、思った以上にそわそわするものだ。

 谷間の発電所という公的施設としての側面が強い場所に、こっそり忍び込んだ時とは若干感覚が違うらしい。

 

「むっ、どなたですか?」

「やっほー、こんにちは。

 自己紹介が必要かしら?」

 

 二階に上がればいくつかの机とパソコンが並ぶ、広いオフィスのような場所。

 そこで三人の白服の研究員が仕事をしており、思わぬ来訪者を振り向いて動揺する。

 自己紹介は不要であろう。ハクタイシティに身を置く者かつポケモンに関わる者で、ナタネのことを知らない方が少数派だ。

 まずい奴が現れた、と眼鏡の奥の目を泳がせる研究員に、ひらひら笑顔で手を振るナタネは、相手の態度から疑惑をいっそうの確信に変えている。

 

「ちょっとお話うかがいたいんだけど。

 あたし達、ギンガ団っていう悪~い奴らを探してるんだけど何か知らない?」

 

「いかん! ジュピター様に報告だ!」

「まだ捕まりたくはないっ!」

「行けっ! そいつらを足止めしてろ!」

 

「あららら、話が早すぎる……」

 

 研究員達はどたばたと二階への階段へ向かって駆け、幾人かがそんな中でモンスターボールを放り投げていく。

 ズバット、ニャルマー、ユンゲラーの三匹のポケモンが、二階へと続く階段の前に立ちはだかり、時間を稼ぐ役目を担っているようだ。

 真っ黒だと自白したも同然の態度だが、どうせナタネにあれこれ言い訳しようが追い返せそうになさそうだと、早期に見切った辺りはある意味賢明か。

 

「はひっ!?」

「パール、しっかり! ポケモン出して!」

「あいあいあいっ、ニルルお願いーっ!」

 

 どれだけ意気込んでこようが、ズバットが敵対陣営にいてはパールが後ずさる。

 慌ててカラナクシのニルルが入ったボールのスイッチを押す彼女とともに、プラチナもポッチャマを喚び出すスイッチを押す。

 水タイプ二体、互いに目を合わせて頑張るぞという気持ちを交換し合うニルルとポッチャマ、気は合いそう。

 

「じゃああたしは……」

 

「ニルルみずのはどう~! あいつぶっ飛ばして~!」

「ポッチャマ、あわ! あいつとあいつの狙って!」

 

 二人が何を出すかを見てから、自分のポケモンをすぐ決めたナタネだが、パールとそれに続くプラチナの指示が非常に早い。

 ズバット嫌いのパールがニルルに狙いを頼むのがそこで、そうだろうなとわかっているからプラチナの指示もニャルマーとユンゲラー狙い。

 水の波動の直撃を受けて壁に叩きつけられて落ちるズバットと、泡の連弾を受けて怯むニャルマーとユンゲラーに、それなりにダメージが通っている。

 

「ポッチャマ、ユンゲラーにつつく攻撃!

 パールはニャルマーを!」

「ニルルっ、あっちにもみずのはどう!」

 

 指示してくれるトレーナーがいない中で、攻撃に晒されて弱ったポケモン達の判断力は、野生のそれと大差ないかそれ以下。

 時間をあげれば自己判断もするだろうが、普段指示してくれる人がいないのでは、戸惑いのせいで野生のポケモンより行動が僅かに遅れるふしさえある。

 念力で反撃しようとしたユンゲラーに、突進めいたくちばしを突き出した攻撃を受け、ユンゲラーは押し出されて床に転がる。

 ニルルの水の波動の直撃を受けたニャルマーも、吹っ飛ばされて壁に叩きつけられて動けなくなる。

 

 何とか立ち上がろうとしたのがユンゲラーのみであり、しかしポッチャマがくちばしをアピールしながら追うように走るので、ユンゲラーも慌てて逃げる。

 一階への階段へ逃げるよう誘導するポッチャマが、こりゃあたまらんとビル外へと逃げていくユンゲラーを誘発させる。

 悪党に飼われたポケモンだからって痛めつけるのが目的ではないので、戦意を無くしたなら逃げてどこかに行ってくれれば充分だ。

 ばたばた階段を降りていくユンゲラーを見て、プラチナはポッチャマに、一番いい仕事をしたぞという笑顔を見せていた。

 

「あははっ、やっぱりあなた達って只者じゃないわね!

 プラッチ君の戦いぶり、初めて見たけど立派じゃない!」

「いや、あはは……恐縮です……」

 

 ジムリーダーに褒めて貰えるのはいいのだが、名前が未だに間違えて覚えられているのが痒いところ。

 やっぱりこのビルから帰ったら、後で訂正しておこうと思うのであった。

 一方パールはニルルに頼んで、階段に近い場所でひくひくしているズバットを、階段から引き離してとニルルに頼んでいたり。

 ズバットの羽をつまんで、ずりずり引きずってちょっと離れた場所に寝かせたら、これで大丈夫だよね? という顔で笑いかけてくれるニルルである。

 

「ナタネさーん、プラッチ! 行きましょう!」

 

「あの子、ズバットが苦手なの?」

「小さい頃に色々あって、苦手どころかトラウマになってるみたいなんです。

 ズバットやゴルバットを相手が使ってきたら、パールすごく怖がりますんで覚えておいてあげて下さい」

「ん、わかった」

 

 パールを追って階段に向かう中、大切な話だと強調する顔のプラチナに、ナタネはついつい微笑ましくなる。

 大事な友達の弱点を味方に理解して貰い、一緒に守ってあげて下さいと訴えるにも等しい姿じゃないか。

 ちょっと下世話だけど、ナタネもこの子もしかしてパールのこと、なんてことをつい考えてしまう。

 どっちにしたって仲のいい友達同士以上であるのはよくわかる。

 

「オウ! 来ましたね!?」

「ジムリーダーとは大物です! 我々に勝ち目はありマスか!?」

「ムリでーす! コテンパンにされる予感しかしまセーン!」

 

「あっ、あいつら……!」

「あのダサいデザインとヘアースタイル、完全にギンガ団だな……!」

 

 三階に上がれば、例の格好をした奴らが揃い踏み。五人待っていた。

 胸のギンガ団シンボルマークを抜きにしても、ボディスーツとおかっぱ頭だけでその一団だとわかりやすい。

 すっかり連中を悪い奴らと見做しているパールとプラチナ、人のポケモンを奪う憎むべき者達を見る目で、がるるとギンガ団を睨みつけている。

 

「シット! 聞き捨てなりまセーン!」

「ダサいとはどういう言い草デスかー!」

「このカッコいいギンガ団スーツの魅力がわからないというのデスかー!」

 

「かっこいい……!?」

「ど、どこが……!?」

 

 子供は素直である。そんな恥ずかしい恰好受け入れられません。

 組織行動だから仕方なく着ているんだろうなと勝手に想像していたが、なんとあいつらコレ最高の気持ちで着て、髪型もあれにしているらしい。

 パールとプラチナの目は一転顰蹙色に染まっていた。うわぁ……という目で後ずさるほど、ギンガ団下っ端連中のセンスにドン引き。

 

「許せまセーン!

 ナタネさんは倒せなくても、あの子供達ははっ倒しマース!」

「我々にもプライドがありマース!

 戦わずして逃げるわけにはいきまセーン!」

「ナタネさーん、手を出さないでくだサーイ!

 これはプライドを懸けた戦いデース!」

 

 ギンガ団員達は数人がかりで、モンスターボールからポケモンを出して、ずらりと戦力を並べてきた。

 ズバット二匹を含むポケモン面々、総勢五匹である。

 たった二人の子供相手に、ここまで多勢に無勢の戦術を取っておいて、どの口が敵方のナタネに手を出すなと要求してこられたものなのやら。

 これにはナタネも憤る想いより呆れが勝ち、額に手を当て溜め息すら出る。

 

「パール、頑張れる……!?」

「う、うん……!

 こんな卑怯な奴らに絶対負けたくないっ!」

 

 二匹のズバットを目にして、うっと怯んで脂汗を流すパールさえ、相手のやり口にむかっ腹が立つようで、逃げ腰にならず攻め気の姿勢。

 ナタネがいてくれるからというのもあるのかもしれないが、この多勢を相手に逃げないのは立派な姿である。

 

「チェリム、いくわよ。一掃するわ」

 

 なんとなく、五匹相手でも勢いで押し切ってしまいそうなパール達だとナタネには見えたが、本当に二人だけに戦わせるようなことは勿論しない。

 ナタネが喚び出したチェリムが着地したのは、ニルルやポッチャマよりも少し前。

 それはパールやプラチナに、出る幕は無いと表明するに等しい喚び出し位置。

 

「はなびらのまい」

 

 その一撃で勝負はつくと始めから知っているかのように、ナタネの指示は極めて淡々とした声だった。

 しかし次の瞬間、小さなチェリムの体から大量の桜の花びらが舞い上がり、フロアいっぱいに渦を巻くように拡散する。

 それに続いてぴょこんと跳ねたチェリムが、宙でくるりんと身を回す動きに併せ、百枚や二百枚では利かぬ花びらが部屋いっぱいを凄まじい勢いで回り始めた。

 

「はわわわわっ!?

 なになになにこれえっ!?」

「あ、危なくないんですか……!?」

「大丈夫よ、チェリムはちゃんとコントロールしてくれるから」

 

 竜巻の中に放り込まれた桜吹雪が振り回されるかのように、目にも止まらぬ速度で部屋いっぱいを旋回する花びら。

 桜の花びらは次々とギンガ団のポケモン達に襲いかかり、斬りつけるはっぱカッターとは違う趣で、びしびしと一枚一枚が弾丸のように敵の体を打ちのめす。

 翻弄するばかりの中倒れていくギンガ団のポケモン達の姿を見て、そんな危険な花びらが、自分達の周りも渦巻いているのだから、パールもプラチナも大慌て。

 しかしこの激動空間の中にあって、ナタネは何ら危険なことはないという落ち着いた態度で、二人の肩に手を置いて安心させようとするのみだ。

 

 ばたばたと敵方のポケモンが倒れた姿を見て、ぴょんぴょこ跳ねて踊るようにしていたチェリムが着地して止まれば、花びらの数々もすべて床に落ちる。

 花弁を閉じた、見た目小さなこのチェリムが、これほどの激しい奥義を操りきっていたということらしい。

 所持バッジ数の少ない挑戦者を相手に手加減していた、そんなナタネは今ここにいない。

 あっという間に勝負ありの光景を前にして、ついつい恐る恐るナタネを振り返るパールは、数時間前この人に自分達が勝ったのが信じられない気分である。

 

「参りましタ!」

「許してくだサーイ!」

「だめ」

「じゃあ逃げマース!」

 

 潔くて忙しい奴らだ。許しを請うて、認められなかったら即逃亡。

 上の階へと向かう階段へ、みんな揃って一目散。

 ただ、自分が放ったポケモン達が傷ついて倒れているのも、ボールに戻しもせず放置して去っていく辺りはナタネの鼻につく。

 

「この子達は、後でポケモンセンターに連れていってあげましょう。下の階の子達もね。

 さあ、行くわよ! パール、プラッチ君、しゃんとして!」

 

 すっかり呑まれていて返事の声こそ出なかったが、頼もしい大人の笑顔で導こうとしてくれるナタネに、二人も強くうなずいて。

 四階へ向かう階段へ、ナタネを先頭に駆け上がっていく。

 そうして上がった上階は、余計なもの一つ無い、広くて平たい空っぽのテナントフロアめいていた。

 

「まったく、警察相手にもう少し粘れると思ってたら……

 まさかジムリーダーその人が出張ってくるなんてねぇ」

「あら、随分と他とは違う出で立ちね。

 あなた、特別な立場と見えるわ」

 

 そして、そんな広いフロアには、これまでのギンガ団員とは少々異なるデザインのボディスーツを見に纏う、大人の女性が待ち構えていた。

 既にその手にはモンスターボールを握り、いかにも臨戦態勢だ。

 服装だけでも他の団員と違うのは明らかだが、ジムリーダーのナタネを前にして物怖じ一つしない態度もまた、異なる風格というものをいっそう漂わせる。

 

「ナタネさん、気を付けて下さい……!

 きっと、幹部とかそういう人ですよ……!」

 

「ふふ、そうね。自己紹介しておきましょうか。

 私はギンガ団幹部の一角を預かる"ジュピター"。

 ジムリーダー様に名を覚えて頂けるとあれば光栄よ」

「ふうん、コードネームといったところかしら?

 あれだけのことをする組織に属する身分が、まさか本名を明かさないわよね?」

「ええ、幹部格にのみ与えられる特別な名の一つを賜っている身。

 ぜひ以後お見知りおきを」

 

 マーズという前例を知るパールによる忠告が、ジュピターの名乗りを引き出す形となったと言えそうだ。

 慇懃無礼に飄々と頭を下げての自己紹介、罪深き者を追って本気の戦いも辞さぬナタネを前にして、未だその余裕を崩さない姿である。

 今しがたナタネの本気のポケモンを見たばかりのパールをして、ナタネを前にこの余裕、不気味さすら感じるものだ。

 

 ナタネは一度、ここまで一緒に来たチェリムをボールへ戻す。

 相手が只者ではないと感じている証拠だ。

 戦うことになれば、初手をチェリムと縛らない、思う限りでの最善手段を取るための構えとも言える。

 

「いろいろ聞きたいことはあるけど、まずは一つ尋ねるわ。

 あなた達が奪ったポケモン達はどこ?」

「うふふふ、そう怖い顔しないの。

 このビルの下、地下室で色々と働いて貰っているだけよ。

 二階をよく調べて貰えれば、地下へと繋がる隠し通路もすぐに見つけられると思うわ。

 ポケモン達はそこにいる、どうぞ後ほどご自由にお持ち帰り下さいませ」

 

「……二つ目の質問よ。

 あなた達は、奪ったポケモン達に何をさせ、何を目的としているの?」

「単なる労働力としてエネルギーを集めさせて貰っているだけよ。

 野生のポケモンでもそれは出来るんだけどね。やっぱり人が育てたポケモンの方が、力も強いし生み出すエネルギーを生み出すじゃない。

 奪っただなんて人聞きが悪いわ、少し長めに借りていただけよ。

 ご協力頂けた、快くポケモンを貸してくれたトレーナーの皆々様には、我々一同深い深い感謝の意を抱いております」

 

 両手を合わせて深々と礼を言うような仕草が、パール達をかりかりさせる。

 ポケモンを強奪し、それを快く貸してくれたのだと臆面も無く言い放つ恥知らずな主張に対する、この不快感は抑えようがない。

 大切なポケモンを奪われ、嘆き、泣いている子供さえいたという話もある中で、その首謀者と見えるジュピターがへらへら笑う姿には心底胸糞が悪くなる。

 

「質問を変えましょうか。

 あなた達はポケモン達から搾取したエネルギーで、何を果たそうとしているの?」

「ふふふ、どうせあなたのような安っぽい正義感で動くような人間には、私達の崇高なる目的は理解できない。

 ジムリーダーを任せられるような人間は人格者であってこそと言われるけど、案外そうでもないみたいね?」

「あら、随分な言い草だこと。どういう意味?」

「警察に任せていればいいものを、いち個人が企業のオフィスに乗り込んで大暴れ?

 それで何の罪も無い建物に乗り込んでの暴行だったらどうするの?

 どうやらある程度の確信を以ってここに来たのは確かでしょうけど、万が一にも間違いだったらどうするのかって、ここに来る前に少しも思わなかったわけ?」

「くだらないことを言うのね、あなた」

「あははははは、くだらない、か。

 社会のルールをちゃんと順守して生きるべき大人の発言じゃないわ。

 ハクタイジムも、こんな思慮無き子供にジムリーダーを任せるなんて堕ちたものねぇ」

 

 馬鹿にした笑いをあげるジュピターに、思わずパールは息を吸って何かを言いかけたが、後ろのパールを制する手を向けるナタネが彼女の言葉を封じた。

 肩を持ってくれるつもりだったのだろうとはわかる。

 しかし、ナタネは自分の言葉で、許すべからずこの輩に向けるべき言葉がある。

 

「失敗できないのが警察、失敗しても監獄に入ればいいだけなのが私よ。

 慎重に動かざるを得ない警察と、民間人の私では実行の速さが違うわ」

「あぁ、なんて無責任なジムリーダー様なの。

 もはや敬称を付けるのも相応しくないかしら?

 滑ったら自分が過剰な行為に踏み込んだ罪人として、独房に拘束され長らくジムを留守にすることに何とも思わないなんて」

「その時は誰かが新しいジムリーダーとして速やかに就任するだけよ。

 あたしよりも優れたトレーナーなんていくらでもいるわ」

 

 追い詰められれば何をするかわからない犯罪集団への対抗戦力として、ここまで乗り込んできたナタネだが、確かに一歩間違えば彼女こそ罪人になり得るのだ。

 調べや情報が間違いで、無関係な企業にこのような形で乗り込んでいたら、それこそ何らかの法に引っかかってナタネが裁かれる立場にもなっていただろう。

 今回の場合、二階と三階で早々に調べが誤りでなかったことが確定付けられたが、それは来てからわかったことに過ぎない。

 もし失敗したらどうするんだ、というのは、ここに来る前に考えるべきことである。

 

「あなた達の身勝手な都合で、ポケモン達が見知らぬ連中に奪われるかもしれないと思った街の人々が、どんな気持ちで日々を過ごしてると思う?

 あたし達の愛するハクタイシティや、その周りでポケモン達との憩いの時を過ごす人々は、最愛のポケモンがいつ奪われるかという恐怖で夜も眠れない。

 あなた達のような人が一日でも早くいなくなってくれる結末を導き出せるなら、どのような誹りを受けることになろうと、あたしにはたいした問題じゃないわ」

「だから警察よりも自由に、早く動ける自分が、というところ?

 たかだかジムリーダーの身分で、法の番人を気取るのね」

「あたしは欲張ってるの。

 警察があなた達を三日後にこの街から追放してくれることよりも、あなた達が何も出来なくなった結末を今日、街のみんなに知らしめたい。

 自分の望む我が儘な結果を掴み取るには、自分自身で行動し、過ちを踏めば責任を負う覚悟が必要よ。

 黙っていても"いつかは"解決されるであろう事件を、一日でも早くとあたしが望むなら、現実的なリスクを背負わずして望むべきじゃないわ」

 

 一見、大人同士の冷静な会話を装った声調子でジュピターと対話するナタネだが、彼女の胸に渦巻く熱い感情はパールやプラチナにも感じ取れている。

 彼女の後ろに立つ二人には、今のナタネの表情は見ることが出来ないけれど。

 努めて冷静な対話を演じているつもりでも、溢れてしまう強き感情を、子供のパール達が何故だか感じ取れてしまう。

 

 ナタネは大人だ。完璧な大人ではないというだけ。

 もっとも、完璧な大人なんていう単語そのものが幻想に過ぎないのだが。

 かつては少年か少女だったはずの今の大人が、いつから明確に線引いて、ここから大人だと定められることやら。

 二十歳以上の人に、あなたはいつから"大人"ですかとでも聞いてみればわかる。明確な答えを返せる人は多くないのだから。

 何歳になろうが大人は子供だ。知った理や法でのみ括って我慢することも能わぬ、譲れぬ何らかというものは大人になってからが必ずある。

 

「浅いわね。

 大人の世界は結果が全て……」

「喋るわね、あなた。

 口喧嘩だけで最後まで済ませられるつもりでいるの?」

 

 そろそろパールも、ズバット以上にナタネが怖くなってきた。

 背中越しに見るナタネが、今どんな顔をしているかなんて、覗き込みにいけるはずもないし、やれと言われても首を振る。

 無感情めいたトーンで今の言葉を発したナタネの声には、声を大きくせず怒りを蓄えている彼女を想像せずにいられない。

 いつでもニルルを戻せるよう、ボールを握りしめているその手も、知らぬうちに恐怖で震えている。

 

「言わせて頂戴。

 上っ面だけを見た見解で、その人が所属するジムや団体まで侮辱する。

 そんな人に思慮ある大人の何たるかを語られる筋合いは無いわ」

「お前にだけは言われたくない、って?

 批判を受け止められない人間の常套句ね」

「苛つかせて冷静な判断を削ぐ挑発のつもりなら、はじめから意味の無いことだとわからないかしら。

 あたし達の過ごすハクタイシティの安寧を乱したあなた達ギンガ団に、はじめからあたしもはらわた煮えくり返ってるのよ」

「じゃあ、私は優秀ね。

 はじめから目的は達成できていたというわけだ」

 

 燃え盛る感情があらわになっているナタネ、徹頭徹尾へらへらと会話のキャッチボールをいなすジュピター。

 心理戦は優劣ついたと語られるべきだろうか。感情的にさせられた側が負けだろうか。

 少なくとも、ナタネもジュピターもそう考えてはいない。

 静かに怒れるジムリーダーを前に、楽観的でいられるようなジュピターであるなら、はじめからこうした組織の幹部の地位など与えられてはいまい。

 離れた距離で対話しているからいいものの、至近距離での語らいならナタネの拳が自分の顔面に飛んできそうな、そんな空気が場を支配しているのだ。

 煽って相手の冷静さを欠かすトラッシュトークも、決して仕掛ける側とて気楽に果たせるものではない。

 

 私の最初のポケモンはここに入っている、と、握りしめたモンスターボールを突き出すナタネ。

 今の私とやり合う他に、あなたに残された道は無いと示すナタネに、ジュピターもまたほくそ笑んでみせる表情に汗を垂らしていた。

 冷静になれと胸中で自らに声をかけねばならぬナタネと、本当に強い敵の本気を引き出している現実と改めて向き合わねばならぬジュピター。

 互いにハンデめいたものを背負う、プラスマイナスゼロの対等な戦いの始まり。

 パールは元より、彼女よりも知識深いプラチナですら、それは想像に至り得ないほど高度な心理戦の終着点。

 

「いくわよ、ロズレイド!

 負けられない戦い、あなた達に懸けるわ!」

「参りましょう、スカタンク!

 世間知らずに現実を教えてあげる時間よ!」

 

 ナタネとジュピターが繰り出した、負けられない戦いに選んだ戦友。

 その空気に呑まれ何一つ出来ずにいたパールとプラチナの前で、かつて二人が見たことのないような戦いが始まろうとしている。

 ジムリーダーVSギンガ団幹部。歴戦のポケモントレーナー同士の、容赦無き激戦の開幕だ。



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第24話   ナタネVSジュピター

「マジカルリーフ!」

「お手並み拝見! えんまく!」

 

 ナタネのロズレイドが放つ何枚もの大きな葉っぱが、多種多様な弧を描きジュピターのスカタンクへ迫る。

 口を開いてぶわっと煙幕を吐き出したスカタンクは、あっという間に自分の周囲を黒い煙でいっぱいにするが、マジカルリーフはお構いなし。

 黒い煙幕の中に対象めがけて突き進む葉の数々、しかし煙幕の中ではスカタンクの速い足さばきの音が鳴り、葉がスカタンクの毛を切り刻んだ気配は無い。

 ナタネが噛む力を強くする一方でジュピターがほくそ笑み、煙幕を突き抜けて駆けるスカタンクが一気にロズレイドへ迫ってきた。

 

「つじぎりよ!」

「凌げる!?」

「――――z!」

 

 ロズレイドが迫るスカタンクにもう二枚のマジカルリーフを投げ付け、それをスカタンクは前足の爪を二度振り抜いてはじき落とす。

 金属音めいた激しい衝突音二度は、素早いスカタンクの前進を束の間鈍らせるに至り、爪先で斬りつけんとしてくる辻斬りの一撃をロズレイドが横跳びに躱す。

 追おうとしたスカタンクだが、ロズレイドがブーケの手を振るえば、煙幕の中に迷い込んでいたマジカルリーフが煙を破ってスカタンクに迫ってくる。

 熟達の使用者であれば、落とされぬ限りずっと操れる魔法の木の葉、すなわちいつかは必ず当たる葉っぱカッターのようなものだ。

 しかしスカタンクも尻尾を振るって三枚の葉を纏めて打ち払い、残る自らへ迫る五枚の葉は、みだれひっかきめいた速い前足の動きで全て叩き落とす。

 

「どくガスいくわよ! 一気にドン!」

「――――z!」

 

 口を開いたスカタンクは、今度はロズレイド目がけて煙の塊を吐き出した。

 黒みの濃い紫色の煙はロズレイドとその周囲を包み込み、その濃さは煙幕と遜色なくロズレイドの視界を最悪にする。

 敵が見えぬ中ではロズレイドとてどうしようもない。素早い足取りでガスの中から飛び出してくるが、既に駆け始めていたスカタンクは一気に迫っている。

 

「みだれひっかきよ!」

「どくばり! 凌いで、ロズレイド!」

 

 数で押すスカタンクの爪の連続攻撃に、ロズレイドは両手のブーケから太い毒針を出し、短剣両手の騎士の如くその攻撃を受け凌ぐ。

 二度がつがつと爪を打ち弾きながらも、次とその次の爪は跳び退がって躱すロズレイド。

 力で勝るスカタンクが優勢であり、足元の怪しいロズレイドにスカタンクの爪が振り下ろされ、それを両手の毒針で防いだロズレイドはいっそうふらつく。

 

「ふふ……!」

 

 この瞬間に、ジュピターはぱちんと指を鳴らした。

 よく育て上げ、多くを教えたスカタンクだ。今撃つべき最善の技を撃てというこの最速指示を、あのスカタンクは必ず理解する。

 相手は草ポケモン、スカタンクも今の状況における最善技はわかっている。

 大口を開いたスカタンクは、敵のナタネに自分の放つ技の名を聞かせずして、ロズレイドに"かえんほうしゃ"を吐き出すのだ。

 

「はかいこうせん!!」

「んんっ!? スカタンク、逃げなさい!」

 

 躱せない体勢を作られ、炎に晒されんとするロズレイドを救うべく、ナタネが発する最速手。

 想定外だった技の名に、ジュピターもスカタンクもその回避に全力を投じ、跳んだスカタンクの足の下をロズレイドの放った光線が突き進んでいく。

 ロズレイドに届くはずだった、火炎放射すら呑み込んでだ。

 避けずにいれば逆にスカタンクを丸々焼いていた太い破壊光線は、ビルの壁を突き破って風穴を開けるほどであり、凄まじい威力にスカタンクもぞっとする。

 パールやプラチナですら、ジムでナタネが繰り出していたロズレイドとは格が違うロズレイドだと、今改めて思い知らされて絶句するばかり。

 

「ヒュゥ~、怖い怖い。

 だけど切り札が不発では、随分風向きは悪くなったんじゃないかしら?」

 

 ロズレイドは自らの技の反動で後ろに吹っ飛び、僅かな行動できない時間があったものの、肝を潰され次の行動へ素早く動けなかったスカタンクとイーブンだ。

 立ち上がればすぐに駆けだしたロズレイドは、ナタネから離れてしまったその位置から、彼女に近い位置まで立ち位置を正す。

 

「ロズレイド、勝ちに行くわよ! わかるわね!?」

「――――z!!」

 

「む……!」

 

 駆ける中でロズレイドは、両手を合わせてそこに生み出す、光の塊のようなエネルギーをこのフロアの天井中心へと放り投げた。

 それは天井に辿り着くと、部屋全体をかあっと照らす強い光を放つ、太陽のような光球として留まった。

 思わずそれを目で追っていたパールが、光球の眩しさに首を振ったほどだ。

 

「な、なになに!? あつぅ、っ……!?」

「"にほんばれ"……!?

 ナタネさん、それは……っ!」

 

「怖いわねぇ、エキスパートの演じる悪手めいた一手……!

 スカタンク! 見せて貰いましょう!」

 

 ぱちんと再び指を鳴らすジュピターは、ナタネの打った手の真意を問うべくスカタンクに火炎放射を命じている。

 フロア全体を一気に暑くする光を放射するあの光球は、炎タイプの攻撃の威力を高める"にほんばれ"の効力そのもの。

 炎に弱い草タイプ使いのナタネが、弱点属性の威力をいっそう強くする意図を、悪手と感じてならぬプラチナに反しジュピターは警戒すらする。

 

「ソーラービーム……!」

 

「あはっ、その程度の策!?

 釣り合ってるとは思えないけどねぇ!?」

 

 先ほど以上の火力、燃え広がるような火炎放射を躱そうとしつつ、一瞬火に包まれて体を焦がされたロズレイドだ。

 強い日差しめいた光の中、溜めを要する高威力の光線を撃って反撃するロズレイド。しかしスカタンクも素早く躱し、大きなダメージは受けていない。

 流石に少し尻尾の先を焼かれたが、敵の位置すなわち発射点がわかっている直線の光線など、機敏なスカタンクにしてみれば回避も容易い。

 

「マジカルリーフ!」

 

「手数を増やしてじわじわ削るつもりかしら?

 結末は時すでに遅しに至るのみよ!」

 

 ロズレイドの放つマジカルリーフが、包囲するような軌道でスカタンクに迫る。

 煙幕による視界の遮りさえ無ければ、精緻に葉を操るロズレイドの葉はスカタンクを逃がさない。

 躱そうと駆けるスカタンクだが、その全身をびすびす切り裂かれる。

 しかし毒タイプのスカタンクは、僅かな毒素を含む体毛が触れた葉を僅かに腐食させ、その切れ味を半減させてしまいダメージは大きくない。

 指示を受けずして"つじぎり"の一手が最善と自己判断したスカタンクが、毒針二本を構えて防御するロズレイドを打ち、大きく後ずさらせる。

 何枚ものマジカルリーフより、苦しい顔で後退するロズレイドに入った辻斬りの一撃の方が、ダメージが大きいのは明らかだ。

 

「あと、こうしてみればどうかしらねぇ……?」

 

「は!?」

「え……」

 

「スカタンク、かえんほうしゃ!」

 

 この優勢の局面で、ジュピターが取った行動は、パールの方を向くようスカタンクに命じる手の動き。

 それによって、目の前の敵ロズレイドではなくパールの方を向いたスカタンクが口を開く。

 ポケモンに、トレーナーを直接攻撃させる命令を下すなど、そんな非道は想像すらしないパールにとって、それは頭が真っ白になるほどの行動だ。

 

「ポッチャマ! バブルこうせん!」

 

「く……っ!」

 

 火に包まれれば只で済むはずもないパールへと、スカタンクは容赦一つ無く火を吐いて攻撃してきた。

 目の前が真っ赤に染まる光景に、身動き一つ取れないパールの方へ、一手早くナタネが決死の想いで駆けていた。

 飛びつくようにパールを抱きかかえ、床を転がったナタネのすぐ後ろを、スカタンクの放った炎が焼き払う。

 

「あぐう、っ……!?」

「ゔぅぁぁ……っ……!!」

 

 殆どナタネの下敷きにされるように地面に倒れたパールは、彼女と共に辛うじて炎の範囲外に逃れることが出来ていた。

 火炎放射の範囲外のプラチナがポッチャマにバブル光線を命じ、放たれる輝く泡の数々が横から火炎の拡散を防いでいたことも小さくない。

 そのおかげで、パールのそばにいたニルルだって、火炎放射の範囲外に這うようにして逃げられたのだから。

 しかし、パールを救う中で足先を炎に晒されたナタネの悲鳴は、体を打ち付け痛みに喘いでいたパールでも、その声で現実へ意識を引き戻される。

 

「ナタネさん!!」

「な……っ、ナタネさん……!?」

 

「あはははは、正義の味方はご立派ね。

 恰好つけちゃって世話無いわ」

 

 あまりの出来事に頭に血が上ったロズレイドは、怒り任せにスカタンクにソーラービームを放っていた。

 あわやのところで躱したスカタンクは、一度ジュピターのそばまで駆け戻る。

 完全に頭にきているロズレイドは、スカタンク狙いかつ、その後ろにいるジュピターまで焼き払ってやるとばかりに、両手のブーケを向けていた。

 

「っ……ロズレイド、撃っちゃ駄目!

 トレーナーと共に戦うポケモンが、絶対に人を攻撃しちゃいけないって教えたでしょう!」

 

 脚を焼かれてすぐに立ち上がれなかったナタネが、パールに覆いかぶさったような姿勢のまま、ロズレイドを制止した。

 なぜ止める、こいつらが先に、という目でナタネに振り向きつつ、ぐっと耐えてソーラービームの発射を耐えきったロズレイド。

 火傷した片脚を引きずりながら、震えながら立ち上がったナタネの表情は、苦悶に満ちていていっそうの怒りをロズレイドに抱かせるけれど。

 

「クズと同じ土俵に上がっちゃ駄目……!

 あなたはそんなことをしなくたって、あいつに勝って胸を張れるはずよ!

 あなたにはそれだけの実力がある!」

 

「あははは、結構結構!

 あなたがクズと呼ぶそれに敗れ、安っすいプライドをズタズタにされる姿を見るのが楽しみになってきたわ! 

 叩き潰してあげましょう! スカタンク!」

 

 矢のように駆けるスカタンクがロズレイドへ迫り、乱れ引っ掻きで押し込もうとする。

 流石に何度か打ち合って真っ向からの力受けは不可能と実感しているロズレイド、一発目の爪だけ毒針で打ち弾き、早期に後退して距離を作る。

 瞬時に毒針を引っ込めた両手を振るい、比較的近いスカタンクへ何枚ものマジカルリーフを差し向ける。

 

「顔色が悪いわよぉ?

 子供に支えられるなんて、頼りないジムリーダーもいたものね」

 

「本当にクズだわ、あなた……!

 あなたなんかに、あたしもロズレイドも負けられるものですか……!」

「なっ、ナタネさん、ナタネさぁんっ……!」

 

 両手に膝を置いて震える軸を支えるナタネを、しがみつくのか支えているのか、ぎゅっと抱きつくパールがいる。

 心配のあまりに震える声が、泣きだす寸前のそれであるのは誰にでもわかる。

 この苦境の中にあって、レベルの高すぎるスカタンクとロズレイドの戦いに加勢のすべもなく、プラチナもポッチャマと共に能動的な行動一つ取れずにいた。

 再びナタネとパールがスカタンクに狙われたら、という危惧に備えてポッチャマに指示を出す構えではいるが、何もしていないのと本質的には変わらない。

 

「ロズレイド、ソーラービーム……!

 負けちゃ駄目よ、こいつらにだけはっ、絶対に譲れない……!」

 

 痛む脚に脂汗をだらだら流しつつ、ナタネはジュピターを一切見ず、スカタンクの挙動だけを目で追っている。

 マジカルリーフを躱してロズレイドから距離を作ったスカタンクへ、追撃を命じたソーラービーム。

 避けたスカタンクのなびいた尾を僅かに焼いたが、植物の力で放った力はやはり、毒タイプのスカタンクの全身の毒素が抑えてしまい効果は薄い。

 直撃ならまだしも、やはり毒タイプの敵に草タイプの攻撃は効きづらいのだ。

 

「はっ、あくまで綺麗に勝ち切ろうっていう腹なのかしら?

 綺麗事ばかりの正義感ぶりには虫唾が走るわね」

「何とでも仰いなさい……!

 あなたがあたし達を疎むように、あたし達もあなた達を許せない……!」

「いい年した大人が何を子供みたいなことを。

 ははぁ、童心忘れずという言葉で自己陶酔かしら?」

「綺麗事を否定するのは大人の言葉じゃない!!」

 

 ぱちんと指を鳴らしたジュピターの指示が、スカタンクに火炎放射を命じている。

 燃え広がる炎に体を焼かれつつの足取りをしながら、ロズレイドはマジカルリーフを放ち続ける。

 当たりはするし、少しずつダメージを与えているのは確かだが、ロズレイドに積み重なっていくダメージの方が大きい。

 

「罪無き人々が安心して過ごせる法に支えられたこの世界は、あなた達が綺麗事だと揶揄する、高潔な信念を捨てなかった大人達が作り上げてきた……!

 それがわからないあなたにっ、大人を語る資格なんてない……!」

 

 ロズレイドの戦いぶりを目にしながら、戦い方を変える指示を下さないナタネは、今のロズレイドの戦法を肯定しているのだ。

 少しずつ削れ、まだ大丈夫、必ず勝てるから。

 苦悶を顔に隠せぬまま、心配で心配で涙目でナタネに抱きつくパールの顔を、ナタネは一度も振り返らない。

 

「子供みたいですって……!?

 子供達が夢見る、希望に満ちた世界を導かんとするのが大人の使命でしょう!

 年下を理由無く見下し、否定したい者を見下す言葉で括りたがるあなたこそ、体だけ大きくなった身勝手な子供そのものよ!!」

「――――z!!」

 

 接近してきて爪による"つじぎり"の重い一撃を振り下ろすスカタンクの攻撃を、ロズレイドは二本の毒針を交差するように構えて受け止めた。

 力で勝るスカタンクの攻撃は、防ぎおおしはしたものの、ロズレイドの腰が少し沈むほどのパワーがある。

 ナタネの声を聞き、負けてなるかの想いを振り絞ったロズレイドが耐えたのは見事だが、それでも力負けの現実は敵の攻撃以上に重い。

 

「理由無く見下す、ねぇ……

 遺憾ながら、無くはないわ」

 

 へらへらと煽っていた表情こそ改めはしているものの、無表情となっているジュピターの目。

 冷徹さを色濃くした眼差しで、ぱちんと指を鳴らすジュピターがスカタンクに命じるのは、その至近距離での火炎放射。

 

「見てきた現実の数が違うのよ」

 

 口を開いたスカタンクの挙動を目の前に、強引に敵の前足を横殴りにして、それとは逆の横へと跳んで逃れるロズレイド。

 真正面近くで吐かれる炎を凌ぐには確かに至れたが、一瞬全身を包んだ炎によるダメージは甚大だ。

 ふらついてよろめいて、片膝をつきかけたロズレイドの動きは、そのまま座り込んでしまうほどだったのをぎりぎり耐えたものに過ぎない。

 

「はかいこうせん、っ……!」

 

 それでも指示を出してくれるナタネに応え、ロズレイドはスカタンクへと破壊光線を発射した。

 なんとか跳んで躱したスカタンクの下半身を掠めた光線は、確かなダメージを与えはするが、反動で後方へ転がっていくロズレイドに戦う力はあるのか。

 一つ前の破壊光線で壁に開けた風穴のそばまで転がって、ビルの外まで落ちないようぎりぎり踏ん張ったロズレイドは、立ち上がれずにほぼ四つん這いの姿だ。

 

「不条理な現実、理不尽な現実、この世界がいかに歪んでいるかを知りもせず、声高に世間知らずの理想論を唱える子供をどう嗤わずにいられるの?

 ここまでのこのこ足を運んで、見ていることしか出来ない子兎ちゃんを御覧なさい?

 自分達に何一つ出来ることは無いとも知らず、いったい何のつもりで来たのかしら?」

 

 尻尾の根元に隠していたオボンの実を、念のためにと放り上げて口でキャッチしたスカタンクが、それを噛み砕いて自らの体力を回復させる。

 立ち上がる力も残っていなさそうなロズレイドを離れに見ながら、さほどダメージが蓄積してもいない中で早めに食す入念さは、主人に似て周到というところ。

 余裕たっぷりのまだまだ戦えるという姿で、ナタネ達をにやりと見つめるスカタンクが放つ存在感は、パールとプラチナを蛇に睨まれた蛙にしてしまう。

 

「あなた一体、どういうつもりでこんなザコ二人を連れてここまで来たのかしら?

 非道に手を染める連中を成敗するつもりで、ここへ来たのでしょう? まあ恰好いい。素敵素敵。

 そんな相手のそばへ、無力で傷つけられるだけの子供を連れてきたのってどういうつもり?

 恰好いいとこ見せたかった? あははははは!! 今のあなたってば無様!」

 

 ナタネをあざ笑うジュピターの言葉に、パールもプラチナも耐え難いほどの胸の痛みを覚えながら、何ひとつ反論することが出来なかった。

 理屈を作る賢さが無いのではない、恐怖によってだ。

 この窮地、ナタネを少しでも助けるためにニルルとポッチャマに戦って貰おうにも、あのスカタンクは強過ぎる。

 戦うよう指示しても、ずたずたにやられてしまうだけだろうとわかる。

 

 これが、ギンガ団幹部が本気で繰り出してきたポケモンの強さなのだ。

 現実という言葉を使うジュピターに連想し、敵わぬ敵の強さという現実を見ず、ここに乗り込んできた自分達。

 それがナタネの脚を引っ張っている現実を知らしめられ、悔しさを感じるよりも後悔が勝りプラチナですら泣きたい想いである。

 

「……あたし達、ジムリーダーっていうのはね」

 

 ぽんぽんと、自分を抱きしめるパールの手を叩き、放してとばかりに訴えるナタネ。

 ふるふると首を振って、もう逃げようよと哀願するパールの涙目に、ナタネは微笑みパールの頭を撫でる。

 汗だくの微笑みは、余裕ひとつない彼女の様態を示すものながら、その裏の強い意志めいたものに圧されるかの如く、パールも抱きしめる力が弱くなる。

 

「ジムリーダーは、負けることが仕事なの。

 負けないことが使命とされる、チャンピオンとは違うのよ」

 

 ジュピターに向けて言い放つ言葉を口にしながら、ナタネはプラチナにも険の無い、柔らかさを取り戻した顔を向けている。

 それは、大丈夫だからと優しく伝えるような表情で。

 絶望の中にあり、ましてパール以上にこの状況の儘ならなさを実感している彼に、その笑顔はどの程度の気休めになるだろう

 

「強くなるため、ひたむきな努力を重ねてきた挑戦者を迎え撃ち、許された限りの全身全霊を尽くし、最後には破られることをあたし達は喜ばねばならない。

 希望を持ってここまで進んできたトレーナー達の前に、かつてない強敵として立ちはだかり、それを乗り越えたという成功の実感を得させることが大切なのよ」

 

「何の話をしているの?

 あなたのジムリーダーとしての矜持なんて知ったことではないわ」

 

「あなた、やったぁ、って思ったことは一度も無いの?

 そうした経験が、あなたをいっそう前に向かって歩かせてくれたことはないの?

 あたしは、それこそが希望を見据えてこの世界を歩いていくために最も必要なことだと信じてる。

 あたしよりも年上に見えるあなた、理解できないことかしら……?

「……減らず口を」

 

 初めてジュピターが、飄々とした煽り口調とは異なる、感情的な声を出した。

 スカタンクが、ジュピターのことを振り返って彼女の表情を確かめるほどにだ。

 長らくジュピターと共に歩んできたスカタンクだからこそ、今の言葉がジュピターの心を乱すものであったとは理解できてしまう。

 

 そして、そんなスカタンクの挙動によって、ジュピターもまた案じられるほど自らの心が乱されたことに気付き、すぐに沸騰しかけた頭を冷やしている。

 スカタンクもまた、その行動一つでジュピターの動揺を鎮められる程度には、彼女にとってのベストパートナーということだ。

 

「あなた達の悪行を知り、そんな悪事が挫けることを希い、自分達の力がその支えになればとさえ掲げ、ここまで来ることを自分達の意志で望んだ子達よ。

 あたしはそんな高潔なこの子達に、希望ある正しき現実を目の当たりにさせたいの……!

 あたしはあなたに負けないし、あなたの悪行はここで潰える! 必ずそうする!」

 

「あははははっ! 呆れさせてくれるわね!

 それでその子達が傷ついたらどうするの? あなたの責任じゃないの?」

 

「あたしがそうはさせない! 絶対に!

 ジムリーダーを、甘く見るんじゃないっ!!」

「――――z!」

 

 火傷して痛むはずの方の足を振り上げ、力強く床を踏み鳴らすナタネの行動は、こんな痛みが何だと音を鳴らす激情の表れだ。

 彼女自身も歯を食いしばり、痛みに涙さえ出てきそうな行動に、応えるように声を発したのが、彼女のベストパートナー。

 それに振り返ったジュピターの目には、既にろくに戦えぬ姿となったであろうはずのロズレイドが、背筋を伸ばして立ち上がった姿である。

 

「"こうごうせい"か……!

 詰めが甘かったわね、反省しなきゃ……!」

 

「ロズレイド、勝負かけるわよ! マジカルリーフ!」

 

 風穴の空いたビルの壁から差し込む西日と、フロア内を照らすにほんばれの光、双方を浴びて体力回復の技を行使して立ち上がったロズレイド。

 身構えたスカタンクにマジカルリーフを放つロズレイドだが、それを機敏に躱す敵へと、毒針二本をブーケの手から突き出して駆け迫る。

 勝負を懸けるという言葉の裏に、接近戦を仕掛けるという含みがある。

 

「何のつもりかしら……!?」

 

 接近戦は不利であることなど重々承知のはず。

 その上でそれを仕掛けてくるナタネとロズレイドの行動に、意図があることは明白だ。

 ぱちんと指を鳴らしたジュピターは、火炎放射でその隠された意図を炙り出せとスカタンクに命じている。

 

「ウェザーボール!!」

 

 火炎放射を高く跳んで躱したロズレイドは、スカタンクの上方から、燃え盛る火球めいたものを生み出してそれを撃ち放った。

 回避されることはある程度織り込み済み、しかし反撃があるとしてもマジカルリーフ程度の想定、そこへ飛んできた大きな火の玉だ。

 身を逃がそうとしたスカタンクだが、避けたスカタンクの立っていた床に直撃して炸裂した火球は、はじけるように火を撒き散らした。

 爆風と熱はスカタンクを煽り、敢えてその爆風に押されるように転がるスカタンクは、爆心地から離れつつ熱で体毛を焦がされ悶えつつ立ち上がる。

 

「それで"にほんばれ"か……!

 まったく、布石を拾うまでに焦らしてくれるわ!」

「あなた用心深そうだからね……!

 実を結ぶまでが苦しかったわ……!」

 

 "こうごうせい"による体力回復促進、溜めの無い"ソーラービーム"の発現。

 その一方で、ジムリーダーであるナタネは、ロズレイドの弱点である火炎放射をスカタンクが使い得ることぐらい想定していたはずである。

 アドバンテージ二つに対し、ディスアドバンテージ二つも背負っての"にほんばれ"が釣り合うものかと不審がっていたジュピターだがこれで得心がいく。

 相性問題でスカタンクに有効打を撃ちにくいロズレイドが、強い日差しの下で炎の"ウェザーボール"というメインウェポンを得られるなら確かにそうだ。

 フロア内を照らす強い日差しは、火炎放射の威力を高められる一方で、それに勝る恩恵をナタネ側にもたらしている。

 

 ジュピターも舌打ちさせられるものだ。

 "にほんばれ"を発したその時、こうした真意があるなら暴かんとばかりに、パールに火炎放射を放つという非道策さえ選んでみせたのに。

 あの状況でもなおこの切り札を伏せ、ここまで伏せてスカタンクにウェザーボールを当て、有効な一撃をぶつけることに繋いできたのである。

 やはり百戦錬磨のジムリーダー、決定打へと繋ぐための運びようは、用心深く運んだジュピターの目さえ欺くドミネーションだ。

 

「さあロズレイド! もう遠慮は要らないわよ!

 マジカルリーフで追い詰めて!」

「スカタンク、そんなものは受けて結構!

 ウェザーボールを警戒しながら、接近戦に持ち込むのよ!」

 

 さあ手の内は明かした。あとは真っ向勝負だ。

 ウェザーボールを当てたいロズレイドも、火炎放射を当てたいスカタンクも、相手が躱せない状況を作ることが最大の課題となる。

 "つじぎり"の爪を光らせて迫るスカタンクと、バックステップで距離を稼ぎながらマジカルリーフを飛ばすロズレイドが、相手の隙を作ろうと努めている。

 

「パール」

 

 ナタネがパールの胸に手を添えて、優しくも強い力を込め、そこで動くなと表して少し前に出る。

 私の後ろにいなさいと背中が語っている。何も出来ないパールは、両手をぎゅっと握りしめてナタネの勝利を願うことしか出来ない。

 彼女からは顔の見えないナタネが、勝利を信じている眼差しをしていることだけが想像できる。

 

「まったく、ちょこまかと……!」

 

 これまでの戦いで充分なほど、接近戦は良くないと実感しているロズレイドだ。

 みだれひっかきも、つじぎりも、何度も受けて筋を肌で実感している。

 追い迫るスカタンクだが、距離を作りつつマジカルリーフを放つロズレイド。

 いざそろそろ触れるかというほどまで近付けても、燃え盛るウェザーボールを放たれて回避を強いられる。

 "こうごうせい"で体力を回避しただけのロズレイドではない。敵の手の内に触れて学んだ後で尚、体力回復したロズレイドである。

 一転スカタンクに厳しい立ち回りを見せる姿は、先ほどまでに嘘偽りなく手こずらされた敵を翻弄する、ジムリーダーのエースそのものの姿だ。

 

「だったら、こうするとどうかしらね……!」

 

「!?

 ナタネさん!!」

 

 埒が明かない展開に陥り始めたと見るや否や、ジュピターが選ぶ打開策はやはり非道。

 ナタネのいる方向へスカタンクを向かせ、火炎放射を放つよう命じている。

 思わず叫ぶプラチナは、その火炎放射に向けてバブルこうせんを放つポッチャマへの訴えを兼ねており、ポッチャマもまた応えている。

 

 ナタネの後ろにいたパールが、今日二度目の炎が迫る光景に、短い悲鳴をあげて両腕で身を守るようにして目を閉じた。

 これほど恐ろしい光景がどれだけあるだろう。無理の無い姿である。

 だが、パールのそばにいたニルルは彼女とナタネを守るため、迫る火炎放射に向けてみずのはどうを撃っている。

 しかし、高レベルのスカタンクが放つ火炎放射は、ポッチャマとニルルの全力の水を浴びてなお、ナタネとその後ろのパールを焼き払う勢いを失わない。

 

 そんな火炎放射が、ナタネの前方で爆発に見舞われて、彼女らを焼けず道半ばに形を失ってしまう。

 友の窮地にウェザーボールを投げ付けたロズレイドが、火炎放射を撃墜してこその結末だ。

 きついカーブを描いてナタネの前方で火炎放射を受け切ったウェザーボールは、ナタネとパールを焼くはずだった炎を拡散させて彼女らに届かせない。

 

 爆音に目を開けたパールの目には、逃げもせず背筋を伸ばし、戦場から目を逸らさぬ堂々としたトップトレーナーの背中があった。

 爆ぜた炎が撒き散らす火の粉に、顔を、膝を、へその周りを焼かれながら、それがパールに降りかからぬよう壁となるナタネ。

 歯を食いしばって片目をぎゅっと強く絞る彼女の表情はパールには見えずとも、不動たる姿とその頑健たる志は、恐怖一色だったパールの目さえ覚まさせる。

 

「さあ、もう一回!」

「――――z!」

 

 熱に晒される中で振り絞った大声の指示に応え、ロズレイドはスカタンクへと燃え盛るウェザーボールを放った。

 火炎放射を放った後で、しかし跳んで躱すスカタンクは直撃を免れたが、立っていた場所に着弾した火球が大爆発を起こす。

 最小限のダメージに抑えつつ、爆ぜた炎と熱に晒されたスカタンクは、逃げた先でぺえっと苦痛を吐き出す顔を見せている。

 

「っ、いっけええっ!!」

 

「まずい……!

 スカタンク、戻りなさい!」

 

 作り出された状況の最悪さを悟るのが早いのも、ジュピターという用心深いトレーナーの慧眼によるものだ。

 敵の攻撃を躱しづらい状況にあったスカタンクと、ロズレイドを結ぶ直線上の先に、風穴の空いた壁がある。

 ナタネの指示が意味するところを察したジュピターは、すかさずボールのスイッチを押し、スカタンクをボールの中へと戻していた。

 

 ロズレイドの撃つはかいこうせんは、あわやの所で消えたスカタンクがいた場所を通過して、風穴の向こうへと突き抜けていった。

 ジュピターがスカタンクを引っ込めなかったら、破壊光線はスカタンクを撃ち抜き、ビルの外まで吹っ飛ばしていたということだ。

 こうした"回収"で攻撃の回避をするのは、公式戦ならペナルティの対象だ。ジュピターは、手段を選ばない。

 

「わかったわかった、私の負けよ!

 流石にジムリーダー様に出張ってこられちゃ堪らないわ!」

 

 スカタンクを手元に戻してすぐに、胸のギンガ団マークを拳で叩いたジュピターは、自分の後ろの壁がシャッターのように開くことを促していた。

 スイッチ一つで隠し扉を開かせるようにだ。

 壁に突然開いたそれは、狭いドアのようであってジュピターの体を辛うじてくぐらせるかのようで、そこに彼女は手早く体半分を潜らせる。

 

「私もまだまだね、いい勉強になったわ……!

 敵対者にこうして学ばせてしまったことを、せいぜい後々後悔することね! ジムリーダーさん!」

 

「っ、く……!

 待ちなさ……」

 

 捨て台詞を吐き、その向こうへと身体を全て運び、そこから滑り台のように下層階へと下っていく横顔を、最後に見せて去っていくジュピター。

 脱出経路として有用な逃げ道なのだろう。

 妙に手の込んだ仕掛けということは、きっとそういうことだ。

 フロア内からジュピターがあっという間にいなくなってしまったことに、思わず追う足を前に向けようとしたナタネも、脚の痛みで躓いてしまう。

 膝をついて崩れるナタネに、思わずパールが駆け寄ってしまうほどの姿だ。

 

「ナタネさぁんっ……!」

 

 もうやめて、これ以上無理しないでと訴えてしがみつくパールと、言葉なくやっとナタネに駆け寄るプラチナ。

 ジュピターを追おうとしたロズレイドも、敵が逃げた場所がすぐに閉まってしまったことに、ナタネの方に駆け寄る足へと遅れて切り替える。

 滴って床に落ちるほどの脂汗を流しながら、息を乱して立ち上がりきれないナタネに、周囲の心配が注がれるばかりだ。

 

「……あははっ、ごめんね。

 悪いやつ、捕まえきれなかったなぁ」

 

 心配してくれる子供達に、ナタネは精一杯の笑顔を作って、それをパールとプラチナに向けていた。

 叶えたかったすべてを叶えられず、少しの悔しさを孕んだ表情でありながら、そこにはそれ以上の達成感も確かにある。

 追い詰められた局面もありながら、屈せず戦い抜き勝利したことは、恥じることなく誇るべきものですらあろう。

 

 駆け寄ってきたロズレイドが、大丈夫、しっかりしてとばかりに、ナタネにぎゅっと抱きついていた。

 ナタネもまたそれに応え、跪いて立ち上がれない姿勢のままロズレイドの背に手を回し、優しい力で抱きしめるのみ。

 一緒に戦い抜いてくれた最愛のパートナーに頬を近付け、ようやく安らかな息を吐くナタネに、パールもプラチナもかける言葉がなかったものである。

 二人の世界。割って入ることなんか出来ないと、子供にだってわかるのだ。

 

 それでもパールは、決死の想いで戦い抜いてくれたナタネに伝えたい想いを表すかのように、彼女の背中に膝をついて身を寄せずにいられなかった。

 ナタネとロズレイド、その二人の世界に割り込んだそれに、ナタネの表情は心からの安らぎを得られたものである。

 すすり泣いてでもいるかのように、自分の背中で震えるパールのぬくもり。

 ありがとう、とロズレイドの耳元で囁くナタネの言葉に、ロズレイドもまた小さく頷いて返すのだった。

 

 屈さずという結末を迎えられた喜びと、その結実へと繋げてくれたパートナーへの感謝。

 百人の挑戦者に連続で勝利するよりも、ずっとずっと価値のある大きな勝利に、ナタネの方こそパールのように目に涙さえ浮かびそうだった。



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第25話   ナタネとパールとプラチナと

 

 ジュピターとの戦いの中、足を火傷したナタネはパールとプラチナに肩を借り、無人の二階と三階をよろよろと経てビルから出るに至った。

 ちょうど駆けつけた警察の皆さんと鉢合わせ、何事ですかと尋ねられて事情を説明する。

 年上のお巡りさんに敬語で話しかけられる辺り、やはりナタネは若くしてハクタイシティの要人たるジムリーダーというところ。

 

 わざわざ通報なんてしなくたって、ロズレイドの破壊光線で四階の壁をぶち破っているのだ。

 騒ぎになるのも当然で、警察だって集まってくるというわけだ。

 そこまで計算に入れていたかは果たしてというところだが、結果的に悪人のアジトに乗り込んで間もなくして、ここに然るべき人を集わす結果には繋がった。

 ぎゅっと抱きつくようにして支えてくれるパールに助けられながら、ナタネは手短にお巡りさんに事情を説明。

 手短になってしまったのは、ナタネと警察官の間に立ちはだかるようにして、ナタネさんは怪我をしているんですと強い声と眼で訴えたプラチナの影響もある。

 案じてくれるのは嬉しいが、話すべきことは話さなくてはならないので、ナタネも事情を巻き巻きで語って話を終えた。

 

 足を怪我しているなら、と警官も、パトカーに乗せて病院までと言ってくれたのだが、ナタネはへらへらっと笑ってやんわりお断り。

 平気平気という態度だが、脂汗がすごい。全然平気そうじゃない。

 心配そうにしてくれる警官、車に乗せて貰った方がというパールとプラチナの主張も振り切って、ひょこひょこその場を立ち去ろうとするナタネ。

 あとはよろしくね、と告げられた警官が敬礼で見送る中、無論パールもプラチナもナタネについていく。

 一緒も何も、パールはナタネを支えて離れたがらないが。べったり。

 

「ナタネさん、やっぱり救急車呼んだ方が……」

「パール、パール、あなたのハヤシガメ出して。

 乗りたい」

「えぇ、まさかそれで」

「こんな時じゃないと人のポケモンの背中に乗せてなんて言えないもん。

 ねぇお願い、乗せて乗せて」

 

 意固地に搬送を拒んでいたかと思ったら、見惚れた他人の草ポケモンに乗せて貰いたかったらしい。

 絶対足が痛いはずなのに、これを奇貨にと企てるのだから、転んでもただでは起きない彼女の性格が垣間見える。

 パールも驚かされるやら呆れるやら、複雑な気持ちながら苦笑して、ピョコの入ったボールのスイッチを押す。

 出てきたピョコは、ボールの中で話を聞いていたらしく、ナタネに身を寄せて傾けると、自分の背中に乗りやすいよう配慮してくれる。

 

「あははっ、あなたのハヤシガメ、強いだけじゃなく優しいのね。

 ピョコ君って呼んでるんだっけ?」

「はい、とってもいい子なんです」

「ふふ、ピョコ君ほんと素敵なトレーナーと一緒にいられて幸せよね。

 あなたが褒められると、きっとあなたよりも嬉しがってくれる素敵なトレーナーよ」

「――――♪」

 

 背上のナタネに頭を撫でられ、ピョコもまたパールのことを良く言って貰えたことにこそ嬉しがる声を出す。

 病院の方角をナタネに教えて貰い、背中の上が揺れ過ぎないよう、のそのそっとした歩みかつその上で最速に歩いていくピョコ。

 動き自体はゆっくりしたものに見えても、大きな体格で歩幅も大きいため、そばを歩くパールもプラチナも早歩き気味だ。

 なるべく早く進んであげるべきだと察している、気の利くピョコの性格はこんな所でもよく表れていると言えよう。

 

 やがて病院に辿り着いたパール達だが、何故か病院の前に人が待っていてくれていて、ナタネは迅速に看護婦さんに院内へ案内して貰えた。

 ナタネがピョコに楽しそうに話しかけている間、後ろを歩く位置に移っていたプラチナが、先に病院に電話して今から行く旨を伝えていたらしい。

 ハクタイシティの病院の電話番号なんて知らないのに、ちゃんとポケッチのアプリ機能で調べて連絡しているのである。こちらもよく気の利く子。

 病院内に入っていったナタネと一度別れ、そろそろ暗くなっていく時間帯であることを鑑み、パールとプラチナはポケモンセンターへ向かっていく。

 あとは一夜過ごし、ナタネのお見舞いに行くのは明日にしようという流れである。

 

 

 

 

 

「も~、入院って退屈だわ。

 三日で退院できるみたいだけどさ」

「足、大丈夫なんですか?」

「火を浴びたのだってほんと一瞬だけだったしね。

 腫れてる感じになっちゃってるけど、三日きちんと入院して安静にしてれば火傷跡とかも残らないってさ」

 

 翌朝、改めて病院に向かい、ナタネの病室を訪れたパールとプラチナ。

 火を浴びてしまった方の足だけ裸足にして、包帯でぐるぐる巻きにされたナタネの片脚は痛々しい。

 色んな意味で、この包帯は今はずさない方がいい。下はパールみたいな女の子が見たらショッキングな状態になっている。

 

 しかし、三日も病院できちんと手当して貰えれば、退院後しばらくしたら跡の残らないように治して貰えるらしい。

 どんな怪我をしたポケモンも元気にしてくれる技術がポケモンセンターにあるように、人間に対する医療技術も高水準なのだ。いい時代である。

 小範囲かつ焼かれたのも一瞬だけだったというのも幸いだったが、短い期間で綺麗な肌を約束して貰えるのは、女性のナタネにとって大きな救いだろう。

 

「ハクタイジムもその間はお休みね。

 長い入院になるようなら代役を立てるんだけど、短期の入院で済むみたいだし。

 まあちょっとジムリーダーとしては反省、反省」

「えぇそんな、無責任とかそんなことないと思いますよ」

「人に向かって火炎放射をするような奴との相手での怪我じゃないですか。

 ナタネさんが悪いとは思いたくないですね」

「あはは、ありがと。

 大丈夫よ、あたしもそこまで気に病んでるわけじゃないから」

 

 為すべきことをしたという自負と、それでも本職のジムを留守にしてしまうことで、大人としての責任感に挟まれるナタネ。

 この辺りは当人にしか語れない複雑な事情である。

 まあ、強く批難されるほどのことでもなく、さりとて少々は気にした方がいいところなので、ナタネの捉え方が一番いいのだろう。

 自責は軽すぎては無責任だし、重すぎては周りに迷惑をかけかねないほど当人のメンタルに悪い。当件に限らず、何でもそうである。

 

「ああ、そうそう。

 昨日警察の人が来てくれて、捜査の結果どうなったかとか聞かせてくれたんだけど。

 聞いてく? 二人は聞いていい立場だと思うけど」

「あっ、はい、気になってたんです。

 どうなったんですか?」

 

 パールとプラチナが帰ってからしばらくして、あのビルを迅速に調べ抜いた警察からの報告が伝えられた。

 電話じゃなく、直接来られてということらしい。

 捜査自体は迅速に進んだらしく、報告が早いのもその証拠と言えるだろう。

 

 攫われていたポケモンはジュピターが言ったとおり、二階の隠し扉から下り階段を経て至る、地下施設で様々な仕事をさせられていたという。

 電気ポケモンは発電機に電気を流すよう強いられていたり、格闘ポケモンはよくわからない車輪めいたものを回させられていたり。

 ムックルやビッパのような小さなポケモンだって、風車みたいなものを風で回したり、走れば回転する回し車のようなものの中で走り続けていたり。

 エネルギーとは無縁そうなゴーストタイプのポケモンにすら、その光を呑むような暗いオーラを受け、マイナスエネルギーを蓄積させる機械があったそうな。

 どんなポケモンにも言えることだが、持っている力の何らかを、人力が生み出す以上のエネルギーに変換することは容易である。

 地下施設は地上よりずっと広大かつ二階層であり、集められたどんなポケモンでも、何らかの手段で"仕事"が出来るようになっていたようだ。

 

 強制労働させられるような響きで残酷そうに聞こえるが、ポケモン達の健康状態はすこぶる良かったらしい。

 ご飯は充分に与えられ、地下でポケモン達を指揮していたギンガ団員も、疲れているのに無理をさせたりはせず、休みたければ休むも自由。

 ポケモン達からすれば、元のトレーナーに会えないのは寂しいが、泣いてもしょうがないから運動して気を紛らわせていた程度のものだろう。

 特に気が弱く、どうしても求められる仕事に身が入らないポケモンに関しては、しょうがないからご飯だけあげていたというぐらいである。

 悪の組織めいたことをしている割には、妙にこういうところはホワイトである。

 

「なんか想像してたのと違う」

「いやー、でも考えようによっちゃ悪賢いわよ。

 結局それが一番、ポケモン達の力を発揮させられるんだから。

 無理矢理やれよやれよで頑張らせたところで、どこかで必ず疲れてやる気ゼロになっちゃうんだから」

 

 もっとも、ギンガ団のそうした働かせ方は最効率だったとも言える。

 人間でもそうだが、日を跨いでの過酷な強制労働は、疲弊によって必ず仕事率が下がる。

 ブラック理想でモチベーションが全く低下しなかったとしても、残る疲れは絶対に後日響いてくる。

 まして働かせているのが、見知らぬ場所で働かされるポケモン達なのだ。

 みんな感情には素直である。しかも、仕事は反復作業で退屈ときたものだ。

 例えばの話、丸々一日ずっと休まず働けと言われたら、たとえ一日目にそれをやったとしても、翌日からは多分やらないし、出来ない。気持ちがもたない。

 

 ギンガ団にしてみれば、お手頃価格でがさっと大量確保したご飯で、ポケモン達のパワーをエネルギーに変えられるのだから始めから安上がりなのだ。

 ワンリキーの朝昼晩の食事代だけで、大人数人がかりでも回せないタービンを一匹で回し続けて貰うだけで、どれだけのエネルギーを得られるか。

 やる気を出し続けて貰えるよう配慮する方が、よほど大事というものだ。

 トレーナーが育てた強いポケモンをかき集めただけで、膨大なエネルギーを確保できていたのは想像に難くない。

 

「そうやってエネルギーを集めて、ギンガ団は何をするつもりなんでしょう?」

「それは現段階ではわからないけどね……

 だけど、そうして大量のエネルギーを確保するっていうのは、何か大きな目的があってのことだって考えるのが妥当よ。

 罪とされる行為に及んでまで果たそうとする何らかの大願なんて、ろくなものじゃないとしか思えないけれど」

「あっ、そういえばギンガ団の人達は捕まえられたんですか?

 特に、あのギンガ団幹部って言ってた人が一番気になるけど……」

「うーん、残念ながらそいつには逃げられたみたい。

 それ以外の連中は逮捕できたみたいだけど」

 

 五階より上に逃げていたギンガ団員や研究員達は、もう逃げても無駄と諦めきっており、素直に警察に捕まってくれたそうだ。

 もっと言えば警察が踏み込んだ上層階で、カード遊びして暇を潰していたらしい。

 いや、状況が状況で警察がすぐに来るのはお察しだったし、抵抗したって無駄だったのは確かだが、その潔さときたら小物なんだか大物なんだか。

 ただ、そうして潔くお縄についてくれるのは結構なのだが、何をしていたのか厳しく詰問しても、ギンガ団の真の目的や最終目標については返答を得られず。

 口の堅い連中というよりは、そもそも組織の重要な情報は与えられず、やるべきことだけ命じられていたということだろう。

 すこぶる諦めの良さが随所で垣間見えるギンガ団員達、厳しい取り調べを受けても組織に忠誠を誓って断固黙秘、なんて根性は無さそうなのだし。

 この辺りは、谷間の発電所で逮捕されたギンガ団員にも言えたことである。

 

 肝心のジュピターだが、あの隠し扉の先は、地下施設とはまた別筋へと繋がる螺旋滑り台のようなルートになっていたらしく、結果を言えば取り逃がした。

 その先が荒っぽく作られた緊急脱出用地下道になっていたようで、警官達がその繋がる先を調査しても、道は途中で崩され塞がれていた。

 通ってからジュピターが爆破するなりして埋めてしまったのだろう。

 推測でしかないが、街の外にまで繋がる地下トンネルにでもなっていて、ジュピターはそこから地上に出て逃亡したものと思われる。

 街の東にはテンガン山が広がっており、そこに繋がる地下道を掘られてしまっていたとすれば、もはや出所を今さら探っても後の祭りだ。

 

 ハクタイシティに潜伏していたギンガ団員はごっそり捕えられたと考えられるので、今回のポケモン強奪事件に関しては解決に至れたと言える。

 今後も警察の捜査は続くし目は厳しくなるので、今後ハクタイシティとその近辺で同様の事件も起こるまい。

 しかし、最も捕えたかったギンガ団幹部を取り逃がしたということで、未来に対する懸念要素は残ってしまった。

 明暗はっきりとした結末となったが、ひとまずナタネが当初望んだ、事件解決は果たせたという点で今回は良しとしていいであろう結果だろう。

 以上、事件の顛末である。

 

「それにしても警察の人、報告しに来てくれたっていうけど、それって要するにナタネさんに対する聴取も含めてでしょ?

 足を火傷して入院してるナタネさんに、すぐ話を聞かせろって来るなんて……仕方ないかもしれないけど……」

「いや、まあ、それはほら、やっぱり現場にいたあたしの声は捜査に……

 っていうかプラッチ君、所々で感じるけどほんと大人の人嫌ってない?

 あたしのこと気遣ってくれてるのはわかるし、ありがたいけどさ」

「い、言い過ぎですかね……?

 まあ、その……僕、こういうところは確かにありますけど……」

 

「プラッチほんとどうしたの?

 ……それとも、あんまり聞かない方がいい話とか裏にあったりする?」

「い、いや、別に……う~ん……」

 

 比較的短い付き合いでありながら、こうも大人を邪険にするプラチナの言動を何度も見ると、何か理由があるんじゃないかとパールも気になる。

 だけど、こういう話をする時のプラチナの目は、ナタネ目線でも尖っているなと思うし、パール目線ではちょっと怖くもある。

 重い事情があるのかも、なんて思ったら、パールも詮索しづらい想いも湧く。

 現にプラチナは問われて困っている。話せないほどの内容でもないが、どう伝えたらいいのか悩ましくもあるから。

 

「大人って、汚く見える?

 ……まあ、あのギンガ団幹部のような人は大人だからね。

 いつだって、悪いことするのは大人だし、大人は汚いってイメージは印象は抱いちゃうかもしれないけどさ」

「…………」

 

 子供はいたずらもするし、悪いことも考えるが、大人に比べれば社会的悪事をはたらくような子供はずっと少ない。

 それに大人の方が、悪事をはたらくとなればずっと狡猾にやる。

 世によく言われる"大人は汚い"というフレーズは、型に嵌め過ぎた考え方とも言えるものだが、あながち丸はずれな言い分でもない。

 

「でも、あなた達の正義感に溢れた志と行動を、ちゃんと肯定して手を貸してくれる大人もいるからさ。

 大人がみんな、あんな悪い奴みたいに歪んだ人達だとは思わないで欲しいな」

 

 ナタネのように、パールとプラチナの想いを最大限汲み、無茶めいた同行すら許してくれる人だっている。

 そんな彼女を前にしているから、プラチナだってその言葉に信憑性を感じるし、耳でなく心でその言葉を受け止められてはいる。

 

「ほらほら、あたしみたいにさ」

 

 ああ、自分で言っちゃうんですね感。ちょっと言葉に重みが薄れたような。

 しかしながら、だめ? と茶目っ気に笑うナタネの顔を見ると、葛藤の中にあったプラチナも少し笑うことが出来た。

 難しく考え過ぎて煮詰まった時には、ふっと頭が現世に戻ってこられるよう、俗な話ででも手を引いて貰えることが助けになることもある。

 

「でも、今回のことで言ったらさ。

 もし二人だけで乗り込むようなことをしてたら危なかったよ?

 あのスカタンク、二人がかりでも大変だったんじゃない?」

「え、ええ……色んなことを甘く見てたなぁって……」

「ニルル達を信じないわけじゃないつもりだけど……

 私達が、もっとひどい病院送りになってたような気がしてます……」

「もしも、これから同じような場面に出会っても、何とかなるって勢いで突っ走っちゃ駄目よ?

 怪我で済んだらまだいい方だけど、あたしだってあなた達と二度と会えなくなっちゃったら悲しいからさ」

 

 谷間の発電所ではマーズ相手にはどうにか出来たパールとプラチナだが、あれもジュピターと同じギンガ団幹部だ。

 あれがもしも、遊ばず本気を出していたら、あの時だってどうなっていたかわからないということを、二人は今改めて思い知る。

 一度上手くいったからって、次もどうにかなるとは限らないのだ。

 良くも悪くも、谷間の発電所の一件は自分達だけでも一定の結果を出せたことにより、浮き足立っていた自分達を自覚する想いは強い。

 

「だから困った時は、ちゃんと大人も頼って欲しいな。

 信頼すべきじゃない人を見極めるのも大切だけど、信頼できる人を探すのも大切なことなんだからさ。

 そっちの方が大変だけど、頑張って欲しいなって思う」

 

 ナタネのように、ただその背中を目で追うだけで、味方だって確信させてくれる人は確かに少ない。

 そばにいる人が信頼するに値する人物かどうか、それは常に迷いを孕んだまま、長い時間をかけて見極めることが本来である。

 疑うことは防御だ。下手に人を信頼しないよう努めることで守れる身もある。

 信じることは挑戦だ。努めて信頼に値する人物を見付けたことで得られるものは、たとえようもなく大きい。

 

「ねえ、パール、プラッチ。

 電話番号交換しない?」

「え、いいんですか?」

「わっ、わっ、ジムリーダーさんと連絡先交換?

 私達、すごいこと言われてる気がする」

「いつでも電話してよ。私、あなた達のこと好きなの。

 ハクタイシティの平安を乱した悪い奴らに、私と同じ気持ちで立ち向かおうとしてくれたんだもの。

 これからも、あなた達とはいっぱいお話したいな」

 

 何か困ったことがあれば、悩みがあればいつでも聞きたい、力になりたい。

 そんな行間がパールにもプラチナにもよくわかった。

 その上で、ただただ今までよりもっと話がしたいと言ってくれるナタネの申し出は、パール達に初めての、年上で大人の"友達"が出来た瞬間を物語る。

 

「じゃあじゃあすぐに!

 あっ、ジム戦の真っ最中に電話しちゃったりしたらごめんなさい?」

「あはは、すぐには出られない時もあるかも」

「……何かあったら、電話させて貰ったりするかもしれないです」

「うん、どんな時でも電話してくれていいよ」

 

 連絡先の交換。それも、思わぬ人と。

 ジムリーダーという特別な立場にある人物と、そんな関係になったこと自体が、二人にとっては刺激的だったけれど。

 それが二人にとって、もっと親しくなりたいなと思えるような、信頼できる人が相手であることが、何より二人を嬉しくさせてくれる。

 二人を心配して酸っぱい忠告もするナタネだが、本当に彼女は、パールとプラチナに欲しいものを沢山与えてくれる人物だ。

 

 ナタネの火傷が心配でお見舞いに来たはずのパールとプラチナが、いつしかそのことも忘れて、その後ナタネとしばらく談笑していたのだから微笑ましい。

 旅をしていれば出会いもある。ジュピターのような悪い大人との出会いもある。

 だけど、出会えたことで親しくなれてよかったと、心から思える人との出会いもある。それが、旅の魅力である。



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第26話   サイクリングロード

 

 ナタネのお見舞いを終えて病院を出たパールとプラチナは、次なる地へ向かうために歩き始めていた。

 次なる近い目的地は、ここハクタイシティから南に下り、東へ進んだ先にあるヨスガシティ。

 3つ目のジムバッジ獲得を目指し、次にパールが向かうのはそこである。

 

 シンオウ地方には"シティ"の名を賜る街が9つあり、コトブキシティを覗いたその8つの街すべてにポケモンジムがある。

 コトブキ以外のシティと名のつく街にジムがある、と覚えやすいので、シンオウ地方は初心者にもジム巡りがしやすい地方と言われたりもするそうな。

 例えばここより彼方のジョウト地方では、ヒワダタウンやチョウジタウンにジムがあるし、ホウエン地方ではムロタウンやフエンタウンにジムがあったり。

 

「はい、それじゃあ。

 本当にありがとうございました」

 

 そんなわけでハクタイシティを出発しようとしたパール達だが、プラチナが電話したい相手がいるというので、パールから少し離れた位置で通話。

 電話を切ると、プラチナはパールのそばへ戻ってくる。

 

「今の相手、ナタネさん?

 何の用だったの?」

「いや、つい病院でも話し込んじゃって、色々お世話になったことちゃんとお礼言えてない気がしてさ。

 改めてもう一回、ありがとうございましたって。

 パールも同じ気持ちのはずだからって言っておいたから、パールは電話しなくていいよ」

「プラッチそういうとこ律儀だよね。

 でもそっかぁ、私もそういうとこ気付けるようになっていきたいな」

 

 電話番号を交換したばかりのナタネに電話していたプラチナは、パールにはそう説明した。

 実は本題は、改めてのお礼を言うついでに伝えた、僕の名前は本当はプラチナなんですという旨であったのだが。

 あのままいくと本当にプラッチ君だと思われたままになってしまいそうだったので。

 

「よーし、行こ!

 サイクリングロード、楽しみ! 私初めてなんだ!」

「僕も初めてだよ。

 話には聞いたことあったんだけど、こうした旅がきっかけで来ることになるとは思わなかったな」

 

 しかしながらプラチナ、未だパールにはプラチナという本名を明かさず。

 時間が経って、今にして思えばあんな拘りたいしたことじゃなかったな、と考え改めているプラチナなので、もう明かしてもいいかなとは思っているのだけど。

 しかしながら、敢えてしばらく話してこなかったのは事実であり、プラチナの中でのみ、なんだか隠し事をしてきたようなばつの悪さも抱えている。

 いざ話したら、どうして早く言ってくれなかったの? なんて言われて気まずくなるかも、と思ってしまい、また別のタイミングで言おうと今は考えている。

 その別のタイミングっていうのがいつのことなのやら。

 日にちが経つごとに、隠したところでたいした意味は、というのに気付きつつあるのに、その時その時で何か理由を考えちゃって、結局解決は先送り。

 パールと一緒に旅する時間が楽しいせいで、楽しい空気に水を差したくない、というのを妙に考え過ぎてしまうようだ。

 以前のような自分都合ではなく、気を遣っての側面重視なのは進歩だが、まだ少々お為ごかしの域を逸していないともとれそうなところ。

 

 さておき、二人は濃密な時間を過ごしたハクタイシティを出発し、次なる地への足並みを揃えて歩いていく。

 これまでも何度か経験してきた、未踏の地で出会う新鮮な経験や楽しい出来事の数々。

 今は二人とも、それを夢見る楽しみな想いで頭がいっぱい。

 それと比べれば、名前がどうとかプラチナのちょっとした悩みも些事である。

 

 

 

 

 

 ハクタイシティの南にゲートを構える"サイクリングロード"は、南北に長く真っ直ぐ続く大橋のような、自転車専用の公道だ。

 北口からでも南口からでも自転車を借りることが出来るので、その往来自体は誰でも出来る。

 自分の自転車を持ち込むのでない限り、レンタル料がかかるというだけである。

 パールもプラチナも自分の自転車を持っていないので、二人とも北ゲートで自転車をレンタルする。返却は南ゲートで済ませられるようになっている。

 パールは白の自転車、プラチナは銀の自転車だ。好みの色はそれらしい。

 

「ポケモンと一緒に走ってもいいんですよね?」

「一人一匹までなら大丈夫ですよ。

 ただ、道は広いし平坦で前への見晴らしはいいといっても、誰かとぶつかったりしないよう気を付けて下さいね。

 自分も相手も右に左に同じ方へ何度も避けて、ぶつかりかけてしまう人達も結構いますから。

 危ないと思ったらちゃんと止まるようにして下さい」

「はいっ、わかりました」

 

 長い道を自転車で爽快に走れるサイクリングロードだが、ボールの外に出したポケモンと一緒に駆けることも許されている。

 あとは誰かにぶつかったりしないように気を付けましょうというだけ。

 危ないと思ったら自転車もポケモンも回避よりブレーキ。諸注意としてはそんなところである。

 

「じゃあ、プラッチ!

 出発進こ……」

「――あっ、ごめんパール。

 ちょっと待って」

「え、どうしたの? もしかしてまた電話?」

「いや……」

 

 さあ行こうというところで、プラチナがパールを引き留める。

 何かなと思ってパールがプラチナの方を振り向くと、彼はゲート出口付近に立っている大人の男性を見据えていた。

 ごめん、と手振りでパールに謝ると、プラチナは自転車に跨ったまま、その男性に近付いていく。

 

「プラチナ……」

「……お父さん、こんな所でお仕事?」

 

 学者らしい着こなしのその男性は、どうやらプラチナのお父さんのようだ。

 少し距離があることと、今いち弾まない二人の会話と声の小ささで、パールの耳までその会話は届かない。

 ただ、プラチナと話している男の人の神妙な表情が、会話の内容に興味があるパールも、入っていっちゃいけなさそうな空気を感じている。

 

「いや、お前がパールという女の子と一緒に、旅に出てると聞いてな……

 どうしてるかなと思って、一目会おうとここで待ってたんだ。

 ハクタイシティで無茶をしたという話も聞いたからな」

「それは、その……心配かけて、ごめんなさい」

「まあ、無事だったならいいんだが……

 正義感は結構だが、あまり危ないことはしてくれるな。

 私もなんだか気が気でなくなってしまう」

 

 叱るような声色ではないものの、昨日のプラチナの行動に対して強く否定的なのは、言葉のみならず面持ちにも表れている。

 プラチナも、そんな顔でなじられては、やはり反発するよりまず反省する。

 まさか親にこんなに早く知られるなんて、という気持ちもあるため、正直今はかなり弱った心持ち。

 

「ポケモントレーナーになるというなら応援するが、危険なことは……」

「ま、待ってよ父さん、それは別の話でしょ。

 確かに悪かったとは思ってるけど……僕はポケモントレーナーになりたいわけじゃないって父さんも知ってるでしょ」

「む……だが、学者は……」

「何度も聞いたよ、そんなの。

 それでも僕は、ポケモン学者になりたいんだ」

「…………」

「…………」

 

 苦言を受け入れはしたものの、それとこれとは話が違うことを言われれば、プラチナだって反論する。

 少ない言葉で、互いに折れないことを改めて感じ合う二人は、紡ぐ続きの言葉を失って沈黙を挟んでいた。

 それだけこの話題は、二人の間で何度も交わしてきた内容ということだ。

 

「……もう行くからね。友達を待たせてるんだ。

 たまにはちゃんとこっちからも連絡するようにするよ」

「……わかった。

 だが、考えておくんだぞ。お前には……」

「それは嫌。

 父さんはそればっかりだ……!」

 

 最後のプラチナの言葉だけが少し大きな声で、パールの耳にもそれは届いた。

 心底うんざり、不機嫌をあらわにしたプラチナが、大人からぷいと身と顔を逸らし、パールのそばへと戻って来る。

 なんだか人の込み入った事情、見ちゃいけないものを見てしまった気がして、パールもなんだか気まずさめいたものを感じてしまう。

 

「行こう、パール」

「う、うん……」

 

 動揺する想いはパールの表情にありありと表れており、プラチナの目にも明らかだ。

 とにかく今あの人がそばにいると、自分も機嫌良くはパールとも話せないので、プラチナはパールを急かすかのように先へ進もうとする。

 どぎまぎしながらプラチナを追い、ちらっと先程の大人を見れば、その人はプラチナのことをじっと目で追うばかりだった。

 

 ゲートをくぐってしばし進んだ所、あの人から距離を作ったところで、プラチナは自転車のブレーキを引いて止まった。

 この気まずさは嫌だ。パールも気になっているようだし、何も話さずに行くことはプラチナも選べない。

 

「あの人、僕のお父さんなんだ」

「えっ、そうなの?

 えぇと……喧嘩してた?」

「まあ、昔からなんだ。

 あの人は、僕にずっとポケモン学者じゃなく、ポケモントレーナーになるよう勧めてきてるんだよ。

 僕はずっとそれに反抗してる、って感じかな」

 

 苦笑い気味に話すプラチナだが、悩み事を人に吐き出すのは、当人にとってもいくらか気が楽になるものだ。

 プラチナ自身はそんなつもりで話しているわけではなさそうだが、苦笑いでも頬の力を抜けるように辺り、プラチナにとっても良い傾向をもたらしている。

 

「プラッチは、学者さんになりたいんだっけ」

「うん。

 お父さんも、ナナカマド博士の助手をやってる学者なんだ。

 学者がどれだけ大変なのかは、父さんからも何度も聞かされてるし、僕だってわかってるつもりなんだけどね。

 あの人、なかなか家にも帰ってこないしさ。ナナカマド博士の研究所以外の場所で会ったの、今日が本当に久しぶりだよ。

 だからまあ、本当に大変な仕事なのはわかるし、僕に同じ道を歩ませたくない気持ちがあるのもわかってるけど……」

 

 悩ましい顔で話すプラチナを見ていると、父との折り合いの悪さをパールも感じざるを得ない。

 付け加えるなら、妙に大人に対して見方のきついプラチナの挙動や態度は、ここに原因があるのかな、ともパールは想像してしまう。

 だからなの? なんて流石に聞けないけれど。

 

「でも僕、迷ってないよ。

 僕は学者になるんだ。自分でそう決めたからさ」

「……そっか。

 プラッチがそう言うんだったら、私もそれ応援したいな。

 学者がどれぐらい大変かなんて、私にはわからないけどさ」

「ありがとう、パール。

 そう言ってくれる人がいると、僕すごく嬉しいよ」

 

 父に反対されている夢を、パールは応援してくれる。

 パールも多少は言葉を考えたが、やっぱり友達がやりたいと思っていることは、感情面では応援したくなる。だから友達なのだ。

 複雑な事情を抜きにして、自分の感情をはっきり伝えて、プラチナが本当に嬉しそうに笑ってくれるのだから、パールの表情も少し光を得る。

 

「さっ、行こうよ!

 サイクリングロード、一緒に楽しもう!」

「うんっ!」

 

 暗い空気は二人とも望んでいない。

 来ると決めてから楽しみだったサイクリングロードだ。

 こんな気持ちも自転車で走れば風が吹き飛ばしてくれる、そう信じて二人は両足をペダルに置き、長い真っ直ぐなサイクリングロードに車輪を乗せる。

 

「おいで、パッチ!

 一緒に走ろう!」

 

 一緒に走る友達を決めていたパールだ。

 ボールの中から飛び出したパッチは、選ばれたことを嬉しがるかのように鳴き声をあげてくれた。

 さあ、楽しいサイクリングロードの幕開けだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「速いねー、パッチ!

 私ももっとスピード出したいよぉ!」

「――――♪」

「駄目だぞー、パール。

 それ以上スピード出したら事故しちゃうかもしれないんだから」

「いけず~!」

 

 パールが漕ぐ快速自転車に並走するように、パッチはしっかりついてくる。

 跳ねるような足取りは疲れを微塵も感じさせないもので、ただただパールと一緒に気ままな速さで駆けられることを楽しんでいるのがわかる。

 もっとスピードを出してもついてこられそうなパッチ、そう出来たらもっと喜んでくれるのかな、と思い、パールは加速したいのだけど。

 あまりスピードを出し過ぎると、いくら遠くからの対向自転車が早めに見えるここでも、反応が遅れて事故に繋がりかねないので並走するプラチナに制される。

 

 パールだって、たびたび横のパッチを目で追ってしまうのだ。

 だって、それが楽しいのがポケモンとの並走なんだもの。

 自分はポケモンを出していないプラチナが、パールの横を走りながら前をよく見て、事故は未然に防げるよう注意を配ってくれている。

 スピードを出しちゃ駄目というプラチナを、口ではいけずとなじるパールだが、その表情に一切の反抗心は無く笑顔満開である。

 今でも存分に楽しいのだ。口うるさいようでいて、優しく見守ってくれているプラチナには、感謝の想いしか沸かないというものだ。

 

「――あれっ?

 プラッチ~、ちょっといい?」

「んっ? どうしたの?」

 

 パッチのことだけじゃなく、このサイクリングロードから眺められる遠景を流し見ながらのパールだが、ふと彼女の目についたものがある。

 ゆっくりとブレーキをかけて止まるパールに、プラチナとパッチも減速し、道の端へと向かっていくパールへついていく。

 

「あれ、洞窟かな?

 テンガン山だよね? ほんと色んな所に入り口あるよねぇ」

「へぇ~、あんな所もにもあるんだ」

 

 シンオウ地方の中心に、南北に広がる巨大なテンガン山。

 地理を語るなら、決してシンオウ地方とは切り離せない、大自然の象徴そのものだ。

 その雄大さは、北のハクタイシティからテンガン山の中部を望め、そこから遥か南のクロガネシティからも、テンガン山の最南部が望める。

 ハクタイシティからクロガネシティまでは、かなりの距離があるのにだ。

 長い長いサイクリングロードを経て、さらに207番道路を南下して、ようやくハクタイシティからクロガネシティに至れる、その道のりよりも山は広い。

 それさえも、南北に広がるテンガン山の一部に過ぎず、その最北端はハクタイシティの遥か北東である。

 

 シンオウ地方の西と東を二分するテンガン山には、至る所に洞窟があり、山への入り口は各地に点在していると言える。

 パール達が見つけたのは、高き大橋のサイクリングロードと同じ高さの、岩肌にぽっかりと開いた穴めいた入り口の一つだ。

 サイクリングロードの下の大地は206番道路と定義されており、降りればあの入り口に行くことも不可能なことではない。

 

「パール、行ってみたいの?」

「やだよ、どうせズバットいるでしょ。

 ヨスガシティに向かうためにもテンガン山の洞窟抜けなきゃいけないし、正直言っちゃうとそれだってほんとはイヤ」

「だよね」

「なんでわかってるのに聞いたの? うん?」

「ぶれないパール」

「はい、正しくわかってくれているようで何よりです」

 

 眺めを話の種に語らうパールとプラチナに、体の小さなパッチはサイクリングロードの縁壁より体高が低く、二人の見ているものが見えない。

 自転車を降りたパールがパッチを抱っこしてあげて、自分達の見ている洞窟の入り口を見せてあげる。

 同時に目に映るテンガン山の眺めも壮観であり、パッチも目を輝かせてこの景色を堪能するばかり。

 

「ああいうとこ、冒険好きな人にはたまらないんだろうな」

「ズバットがいないんなら、私もちょっと冒険してみたいな~って思うけ……」

 

 

『たすけてぇ~~~……』

 

 

「!?」

「!?!?!?」

 

 楽しくお喋りしていたパールとプラチナが、揃って心臓ばくりとする出来事発生。

 山を眺めていた二人がぐるんと互いの顔を見合わせるが、それが全く同時である。

 今の聞こえた!? と確かめ合いたいかのような両者の態度、概ねその挙動で答えは出たようなものである。

 

『だれかぁ~~~……たすけてぇ~~~……

 みちにまよっちゃったよぉ~~~……』

 

「はわあああっ!?!?!?

 聞き間違いじゃないいいぃぃっ!?」

「な、なんだあの声!? おばけ!?」

 

 一度聞こえたのでと耳を澄ましてみれば、今度ははっきり聞こえてしまった。

 それも、なんだか今二人が目にしていたあの洞窟入り口から響いてきているような。

 声の出所は確かにははっきりしないものの、声の内容を鑑みればやはり洞窟内だろうかという推察も強まるところである。

 

『こわいよぉ~~~……かえりたいよぉ~~~……』

 

「ぷぷぷぷぷプラッチさんっ!

 いかがいたしましょうかっ!?」

「お、お化けの声っぽくは無いよね……

 でも、道に迷ってるって……じゃあ結構洞窟の奥なんじゃないの?

 そんな場所から外まで声が聞こえるかな?」

「やはりおばけ!?」

「ど、どうだろね……」

 

 半ばパニックのパールだが、同じくらい動揺しつつもプラチナは比較的冷静な分析を果たせている。

 声は女の子の声のように高く、それも妙なほどはっきりと聞き取れる内容で、人間的な声だとは耳が感じているのだけど。

 本当に迷子が洞窟内にいるとして、物理的にここまで声が届くだろうかという見解も確かである。

 だったら何かと別の答えを探したら、お化け濃厚。

 それに、多分お化け自体は実在する。そういうポケモンも結構いるのだし。

 

「どどどどうしましょ!?

 おばけだったら全力で逃げたいけど、もし本当に困ってる人がいたら……

 賢いプラッチさんに、可能性があり得るかどうかだけ確かめたいっ!」

「パールめちゃくちゃな言葉遣いになってるね。

 ……ゼロじゃないよ。音を上手く操れるポケモンだっているからさ。

 迷子の誰かが、自分のポケモンの力を借りて、外まで声を届けてるっていう可能性は無くもない、けど……」

「あ゙あ゙ぁぁぁ……あり得るのかああぁぁぁ……」

 

 パッチを抱えたまま、体をくの字に曲げて俯くパール。

 困ったことになった。ゼロって言ってくれれば迷わず無視するのに。

 でも、万が一にも本当に困っている人がいたらって思うと、パールの場合は思うところが出てきてしまう。

 

「いや、わからないよ、わからないけどさ。

 そんな人いなくて、野生のポケモンのいたずらかもしれないし……

 あぁでも、こんな具体的な声出してイタズラする野生ポケモンはあんまり……」

「要するに、迷子になってる人はほんとにいるかもってことだよね……」

「えっ、パール、まさか」

「迷ってるんですよおおぉぉぉ……!」

 

 正直驚きのプラチナである。

 ズバットの生息域である洞窟内なんて絶対に寄り道したがらないパールなのに、困っている人がいるならと、助けに行くことを視野に入れている。

 無条件では乗り気になれない、無視し難い要素があるから迷っているだけで。

 つまり、仮にだが、ズバットが一匹もいないと保証されるのであるなら、彼女は助けに行っちゃう性格ということだ。

 誰もいないかもしれないのに? パールにとっては、もしも本当に困っている人がいたらという可能性が重い。

 

「洞窟内で道に迷うなんて、泣きたいぐらい怖いと思うんだよぉ……

 私がそんなことになっちゃったらって思うとぞっとするんだよぉ……」

「まあ、パールはズバットが怖いから洞窟内なんて尚更だよね……」

「うぐぐぐぐ……」

 

 本当に迷子がいたらと思うと放っておけないのだ。

 人の苦しみを推察する最大のヒントは、自分がそうなったらどうかというのを考えるのが一番早い。

 特別なトラウマ持ちであるパールの場合は極端だが、洞窟内で絶望の中にある誰かが本当にいたらと思ったら、見捨てていくのは相当に寝覚めが悪い。

 こんな性格だからこそ、谷間の発電所や、ハクタイシティのギンガ団のビルに乗り込むことが選べるのである。

 

『だれかきてぇ~~~……さびしいよぉ~~~……』

 

「っ、っ……!

 プラッチ、お願い、ついてきて! ほっとけない!」

「わかった、わかったから……とりあえず落ち着こう?」

「ほんとに!? ほんとについてきてくれる!?

 お化けが出ても、絶対、絶対に私のこと見捨てて逃げないって約束してっ!

 お願いしますっ!」

 

 洞窟内にいるかもしれない迷子より、この困ったちゃんの方が心配になってくるプラチナである。

 帽子が無ければ髪が振り上がっていたような勢いで顔を上げ、プラチナを向き直って再び深々と頭を下げるパール。

 体を折り曲げる勢いが凄くて、抱かれたパッチがパールの胸元で頭をむぎゅっとされたほど。

 余程行きたくないのが本音なのが嫌というほど伝わってくる。それでも行くことを決断するのはある意味ご立派。

 一人で行くのは無理です、助けて下さいという割り切りぶりも潔い。あまり褒められたものでもないが。

 

「も、もちろん、それは約束するから……」

「絶対だよ!?

 約束破ったら罰金一万円だからね!? そして一生うらむ!」

「罰金よりそっちの方が怖いなぁ」

 

 仕舞いにはダイヤみたいなことを言い出すパールであった。

 金額が妙にリアルな辺り、裏切ったら本気で請求してきそうでおっかない。

 まあ、一生恨む宣言の方が、プラチナの言うとおりずっと怖いが。想像を絶するほど恨まれそうである。

 

「…………プラッチ、お礼は必ずするね。

 今はなんにも思い付かないけど……」

「大丈夫、大丈夫だから。

 情緒どうなってんの、パールの方が心配になってくるよ」

 

 約束して貰えたら、はふ~と息を吐いて一旦落ち着いて、一転しおらしくなってしまうパールであった。

 冷静になれば、我が儘で振り回している自覚も湧いてくるようだ。

 この駄目駄目ぶりには、プラチナも苦笑い全開である。

 しかし、あれだけズバットが苦手にも関わらず、いるかどうかもわからない迷子を助けたいと決断した想いに免じて、あまり責めない心持ち。

 客観的に見れば滅茶苦茶を言ってくれる女の子だが、その性格を理解しているからこそ、いいよと言ってくれるのも友達だ。

 そこは流石、二度も同じ志を胸に、ギンガ団に挑んだ仲というところである。

 

 サイクリングロードを駆け、ゲートをくぐって地上に降りたら、206番道路と呼ばれる下道を戻ってあの洞窟へ向かう足取り。

 洞窟に辿り着く前から顔を強張らせている、そんなパールの横顔を見て、プラチナはむしろ自分に対して溜め息が出そうだった。

 僕はこういうパールに求められると、ついつい断れないなぁと。

 父に危険なことはするなと言われた直後で、それ自体は強く戒めた直後で、今も忘れていないからこそ余計にだ。

 折り合いの悪い父親だが、今ばかりはプラチナも心の中で、ごめん父さんと呟かずにはいられなかった。



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第27話   まよいのどうくつ

 

「わっ、暗い。

 ぜんぜん見えない」

「明かりが欲しいな……ケーシィ、"フラッシュ"頼むよ」

 

 謎の声に応えてテンガン山の洞穴の一つに足を踏み入れたパール達だが、人の手が加えられていない洞窟は、日差しを得られず真昼時も真っ暗。

 入り口付近のここだけは外の明るさに照らされているが、十数メートルも前方を見れば、どこまで続いているのかわからないほど真っ暗。

 明かりも無しに足を踏み入れていくのは本能的に無理だ。

 

 ケーシィの入ったボールをぽんと叩いて技一つ頼むプラチナにより、ボールの中からケーシィが強い光を放つ技を発動させた。

 ボールそのものが強く光を放つ電灯に薄布を被せたように光り、眩しくない程度に周囲を照らして明るくしてくれる。

 

「プラッチってポケモンに色んな便利な技教えてるよね。

 私もそういう技、うちの子達に教えてあげたいなぁ」

「帰ったら僕が教えてあげるよ。

 パールの手持ちならパッ……コリンクがこの技を覚えてくれると思うよ」

「あっ、まだ遠慮してる。

 プラッチだってパッチのことパッチって呼んでいいんだよ? ゆるすっ」

「そ、そう?

 前も言ったけど、パールのポケモンをパールが呼ぶ時の特別な名前のような気がしてさ……

 わかった、今度からは知ってる名前で呼ぶよ」

 

 うんうん、と笑ってうなずくパールに、プラチナも行こうかと言葉を繋げ、洞窟の奥へと向かって二人で歩き始める。

 パールはカラナクシのニルルを出して、プラチナはポッチャマを出して、野生のポケモンに遭遇しても大丈夫なように連れ歩いてだ。

 道中、プラチナはケーシィに使わせている"フラッシュ"という技について、その諸注意をパールに話しておく。

 後でパールのポケモンにも教える技なので、パールは使い方を間違えないように教える時間も必要だ。今のうちにやっておく。

 

 本来フラッシュという技は、バトル中に相手のポケモンの目を眩ませるほどの強い光を放つ技だ。

 ボールの外に出したポケモンにフラッシュを使わせても、暗い道を歩くための明かりとしては使えない。かえって眩し過ぎるのである。

 今プラチナがやっているように、ボールの中のポケモンに使わせることで、ちょうどいい明るさになるそうだ。

 

「っていうことは、フラッシュを使って貰ってる子は、その間ボールから出てバトルして貰うことが出来ない?」

「フラッシュをやめたら暗くなっちゃうし、発光したままだと僕達がそのポケモンの動きも見れなくなるからね。

 最悪、その子の方を見ないようにして、見えないから指示も出せないし自己判断で戦って貰うっていうのが限界かな。

 だからフラッシュを使えるポケモンを、二匹以上連れてる方が安心だね」

「プラッチも、ケーシィ以外の子にも教えてるの?」

「うん、ピッピも使えるんだ。

 あ、パールの前ではピッピの姿を見せたことなかったっけ?」

「見たい見たい! 可愛いよね!」

「じゃあ、後で帰ったら見せてあげるよ。

 可愛いけどバトルでも活躍する、ポッチャマやケーシィに負けないぐらい僕の自慢の子の一匹だよ」

 

 プラチナは敢えて、言葉多く語り、話を広げて、パールとの会話を繋ぐ。

 お喋りしている限りであれば、パールにもズバットのことを忘れさせてあげられるからだ。

 自分から積極的に長話をしたがる性格ではないプラチナなので、これは完全にズバットがいる場所を歩いていると、パールに忘れさせるためにやっている。

 

「でも、パッチがフラッシュ覚えやすそうなのは、でんきタイプだからなのかなってわかるけどさ。

 私の他の子達はフラッシュ覚えられるのかな?」

「案外けっこう色んなポケモンが覚えられるよ。

 パールのハヤシガ……ピョコだって使えるんじゃないかな」

「あっ、ピョコって呼んでくれるようになった。

 っていうか、よくよく考えてみたら前にも呼んでいいよって話はしたのに」

「なんか人のポケモンをニックネームで呼ぶのはむずむずするなぁ。

 僕だけかな?」

「慣れていってよ、だいたい私、ハヤシガメって言われてもあんまりピンとこないかもしれないよ。

 ピョコはピョコだもん」

「あー、そうか、パールの中ではずっとピョコだもんね」

 

「でもそっかぁ、ピョコも使えるようになれるんだ。

 後でピョコにも教えてくれる?」

「うん、ちょうどいいかもね。

 シンオウ地方の東側に行くには、どのみちテンガン山の洞窟をくぐらなきゃいけなかったからさ。

 パールのポケモンにもフラッシュを使える子がいた方がいいよね」

「私プラッチと一緒じゃなかったら、どうやってテンガン山越えて向こう側に渡ってたんだろ?

 ほんと私、プラッチのおかげで色んなこと教えて貰ってるなぁ」

「そ、そんなに気にしてくれなくていいよ。

 一緒に旅をしてる友達なんだから、知ってること教えるのは当たり前だしさ」

「あはは、プラッチって照れてる時すごく顔に出るよね。

 フラッシュのおかげでよく見える」

「うっ、あんまり見られたくないな、それ。

 ケーシィ、フラッシュ消してくれる?」

 

「わっ、まっくら!

 もープラッチ、すぐつけて!」

「蛍光灯のスイッチみたいに言うのやめようよ」

 

 掛け合いして、いたずらして、洞窟内を歩いている状況であることを、楽しい空気で揉み消してパールに忘れさせる。

 出来る限りこの時間が長く続いて欲しいところ。そのうち必ず壊れる空気なのは間違いない。

 どうせ壊れるなら、なるべく進んだ場所で終わってくれた方が助かる。

 

「案外プラッチもいたずらするよね」

「ごめんごめん、控えるよ」

「んーん、むしろそういうとこどんどん出していこ?

 気兼ねなく何でもしてくれる方が、私と一緒でもリラックスしてくれてるみたいで嬉しいし。

 出会った頃のプラッチは、なんか遠慮がちだったしさ」

「あー、まあ僕はけっこう人見知りす……あっ」

「えっ?」

 

 はい終了。ぱたぱたぱた。

 パールの大っ嫌いな何かが、翼をはためかせて登場だ。

 洞窟内にはいくらでもいるというアレ。パールはアレがゴキブリ以上に苦手。

 

「ひゃ――――」

 

 この後のパールの反応や展開は、プラチナが予想したものから何らはずれなかった。

 ズバット登場、悲鳴、パニクる、そうだここスバットの巣窟だったとすっかり思い出して、ズバットを撃退した後もがくがくびくびくモード。

 駄目パールになってしまった。プラチナからすれば、誰かを助けにここまで来た中、手のかかる子がもう一人発生して苦労が増える局面だ。

 想定内ではあったのだし、苦笑いを浮かべつつ容易に甘受する辺り、プラチナも優しいものである。

 

 もう、彼女がきゃあきゃあ騒ぐ描写はわざわざするまい。

 パール自身ですら後から思い出せば、自分でも恥ずかしくなるような格好つかない姿である。彼女の名誉のためにも、ある程度は。

 

 

 

 

 

「な、なんだろうあの声……

 誰か助けに来てくれたのかな……?」

「――――」

 

 さて、騒がしくなってしまったパールだが、その声は洞窟の奥にいる誰かさんの耳にも届いたようだ。

 何せパールの声はでかい。本気で怒鳴ったらあのダイヤより大きな声を出せる地声なので。

 それが本気の恐怖とパニックで叫んでいるのだから、エコーの良い洞窟内での反響ぶりは凄い。

 

「でも、なんだかそれっぽくないような……

 なんだか向こうの方が困ってる感じだし……」

「――――?」

「い、行こうかユンゲラー?

 困ってるなら助けてあげなきゃ……」

 

 十歳ぐらいの女の子は、連れのユンゲラーにそんなことを提案する。

 帰り道がわからなくて困っていた側の女の子が、彼方からの声から只事じゃなさそうと感じ、人助けの方に回ろうと立ち上がるとは。

 自分の事情で不安だった子供にまで正義感を呼び起こさせるとは、パールの悲鳴ときたらなかなかの魔力を持っているものだ。

 

「だれか~~~~~!!

 だれかいるんですか~~~~~!!」

 

「ひゃっ!?」

 

「たすけにきました~~~~~!!

 へんじしてくださ~~~い!!

 すぐに行きま……っ、ひぃえええまた出たあああああっ!?」

 

 洞窟の奥から聞こえた声の主に、必死の大声で呼びかけるパールだが、また新しいズバットが出てきたら悲鳴もう一丁。

 このメンタルコンディションでも人助けを忘れない精神を褒めるべきか、この情緒の乱れっぷりに溜め息をつくべきか。

 身近のプラチナの感想としては両方である。客観的かつ優しい方寄り。

 

「へんじしてぇ~~~!

 どこにいるのか教えてぇ~~~~~!

 はやく助けてはやく帰りたいんです~~~~~!」

 

「っ、こっちです~~~!!」

 

 助けに来ているんだか助けを求めているんだかわからない呼びかけに、女の子の方も大きな声で返事する。

 連れのユンゲラーと共に、声の聞こえた方向へと駆けだす女の子。

 パールも同じようにするため、一人が駆け寄る倍の速度で、パールと女の子は近付き合っていく。

 響きやすいとはいえ声の届き合う距離からのそれだ。こうなれば、両者が鉢合うまでそこまで時間はかからない。

 

「あっ……!」

「ああぁぁぁ……!

 よかったぁ~~~……! やっと人に会えたぁ……!」

 

 パールとプラチナの姿を見た女の子は、その場でぺたんと座り込んだ。

 ほっとして気が抜けたようだ。それだけ、こうなるほどに長く不安に身を圧されていたということだろう。

 今はズバットがそばにいないこともあり、恐らく助けを求めていたであろう相手に出会えたことで、パールも新情報で頭に冷静さを取り戻しつつある。

 

「えっと……あなたが洞窟の外に助けを呼んでた人?」

「そうなんです……

 ポケモンを捕まえに来たら、道に迷って帰れなくなっちゃって……」

 

 どうやらパールが探していた人物とは、やはりこの女の子のようである。

 近くで聞いた女の子の声は、確かにサイクリングロード上で聞いたあの声とよく似ている。

 パールもこれで一安心。はぁ~っと深い息を吐いた。

 助けを求めていた人が無事でよかったという気持ち半分、これで帰れるという気持ち半分。自分都合もちょっと含まれた溜め息である。

 逆に言えば、助けを求める人に会えるまでは、あれだけ怖がりながらも帰るつもりは無かったということで、その気骨は案外なかなかのような気もするが。

 

 助けに来た旨をパールが伝えると、女の子は深々と頭を下げて、来てくれて本当にありがとうございますと丁寧にお礼を言ってくれた。

 "ミル"と名乗った女の子に、パールとプラチナも自己紹介を済ませて。

 この自己紹介、困ったことにパールが、私はパール、こっちはプラッチだよと言う形で済ませられた。

 まだプラチナ自身がパールの前で、僕はプラチナですという日は訪れてないらしい。どれだけ運命に逆らわれているんだろう。

 

 そんなミルの隣では、彼女の連れであるユンゲラーが、保護者のようにパール達に感謝の意を伝えるかの如く頭を下げていた。

 礼儀正しく頭のいいポケモンである。パールにとってのピョコのように、むしろトレーナーを引っ張ってくれるタイプなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなんだ、昔そんなことが……

 だからズバットが苦手なんですね」

「そうなの~、だからあんな風に叫び回っちゃうのも仕方ないの。

 わかってくれる? お願いわかって」

 

 ミルと一緒に三人で、洞窟入り口までの道を進むパールとプラチナ。

 そばにはユンゲラー、ポッチャマ、そしてミミロルのミーナが歩く、割と今までになかった大所帯である。

 パールがニルルをミーナに替えているのは、行きの道でズバット相手に水の波動をぶっ放しまくっていたニルルを休憩させるためだ。

 会話の種となっているのは、パールによるミルへの昔話である。昔ズバットに襲われて湖に落ち、溺れかけたことがきっかけでズバット嫌いになったこと。

 要するに、みっともない声を聞かせてしまった言い訳と、帰り道でそんな私を見ても馬鹿にしないで欲しいという懇願である。

 

 やはりパール、どうしたってズバット嫌いを克服できない一方で、取り乱す自分のことも、出来ることなら本当になんとかしたいと思っている模様。

 だって人前で恥ずかしいもの、あんな自分。コンプレックスと言っても過言ではない。

 幼少のトラウマから今もそれに捕われて、恐怖の意味でも恥の意味でも悩まされると言い換えれば、やはり少々気の毒なところである。

 

「でも、どうやって洞窟の外まで声を届けてたの?

 僕ら結構進んできたよ? 外まで声が届く距離じゃなかった気がするけど」

「えぇと、それはユンゲラーの超能力で、声を洞窟の外まで真っ直ぐ届くようにして貰ったんです。

 音そのものを操る能力のあるユンゲラーじゃないですけど、やっぱりエスパー能力って応用が利きますよね。

 上手くいくかは不安もあったけど……パールさんやプラッチさんが来てくれたから成功だったんだなぁって」

「へぇ、ユンゲラーの超能力でそんなことが……

 出来るユンゲラーも能力高そうだけど、ミルちゃんもそれを考え付いたっていうのが凄いなぁ」

「えへへ、思い付きですよ?

 たまたま上手くいっただけです」

 

 超能力である程度音を操りきるなんて、プラチナの言うとおり、なかなかレベルの高いユンゲラーと見て間違いなさそうである。

 洞窟内を迷子になってうろうろしている間も、野生のポケモンとの遭遇数は嵩んだはずだ。ミルを守り抜いたユンゲラーの実力は確かなはず。

 パール達より年下のミルだが、こんなユンゲラーを育て上げたのだから、彼女のトレーナーとしての腕も確かなようだ。

 一人でこんな場所までポケモンを捕まえにきたということといい、迷子になったのは失態ながら、それに踏み込む力量そのものは備わったトレーナーと見える。

 

「それだけ能力の高いユンゲラーなら、洞窟の外までテレポートして出ることも出来たんじゃ?」

「えー、でも失敗して壁にめり込んだりしちゃったら怖いじゃないですか。

 見えてる所へのテレポートなら、ユンゲラーも簡単にしてくれますけど」

「確かに怖いね、テレポートの失敗は。

 疲れてる時なんかは失敗率高くなるし、迷っちゃって自分達がどこにいるのかわからない時はあんまりやるものじゃないか」

 

「ちょっとプラッチ、あの時……」

「あの時は行き先が見えてたから大丈夫だったんだって。

 空中にテレポートして落ちてぐちゃっ、なんてことは無いよ、あの日は」

 

 谷間の発電所に乗り込む時、屋上にテレポートした時のことを思い出しているらしい。

 心配しなくても、ポケモン達だって空中だの壁の中だの水の中だの、危ない場所にはテレポートしないし、本能的なものもはたらいて、出来ない。

 飛行能力を持つポケモンですら、物理法則を無視したテレポートには本能的に神経質になり、地に足の着かない場所へ意図的なテレポートは出来ないぐらいだ。

 危険な場所に"誤って"テレポートしてしまうのは、あくまで疲れているなり行き先のイメージ不足による"失敗"の時のみである。

 逆に言うと、テレポートの使い手が疲れていたり、あるいは目の届かない場所へなど、そんな移動手段としては用いない方が良い技なのだ。

 視界外の場所へテレポートして、たとえその場所のイメージが完璧でも、その瞬間その座標に人やポケモンがたまたまいたりすると非常に面倒なことになる。

 流石にめり込んだりはしないものの、超常的な力で場所を移動しての"衝突"は、お互い大きな怪我をすることにも繋がりやすいのである。

 厳密には異なるが、光のような速度で別の場所に移った時、そこに物体があってぶつかればどうなるか、とでも考えれば良い。

 

「道、大丈夫?

 私もうわかんないんだけど」

「堂々と言うね、パール……迷子を助けに来たのにそれってどうなの」

「はじめっからプラッチのことアテにしてた。

 ズバットに遭遇してパニクってた私が道を覚えていると思うのかね」

「そういう行き当たりばったりなようできちんとアテを作ってるパール、実はけっこう抜け目ないよね」

「言い方、言い方。

 褒められてる気がしない」

「まあ一応褒めてはいるんだけどさ」

 

 パールって、自分で何かを成し遂げようとする時と、人を頼る時の割り切りがはっきりしているのだ。

 助けてくれる人には身を寄せちゃうし、かと言ってそればっかりじゃだらしないから、自分で出来る範囲のことは自分でやろうとする。

 バランスは良いのではなかろうか。人任せもそれが過ぎると怠惰だし、自分でやるを徹底し過ぎると当人への負荷が大きい。良い生き方である。

 

「そういえばそのユンゲラー、進化させたいと思ったことはないの?」

「あ、えーっと……それは……」

「あっ、ちょ、待って待って待って!

 ズバット来たぁっ! ミーナよろしくっ!」

 

 プラチナが、ふと思いついたことをミルに尋ねようとした時、パールの天敵再登場。

 人の手が加えられていない洞窟内には本当に多いものである。

 今までよりもパールの取り乱しようが(これでも)控えめなのは、周りに人とポケモンが今までで一番多いから、幾許か恐怖心が抑えられているからだろう。

 逆に言うと、仮にプラチナすらそばにおらず、一人でこんな所を歩くことになっていれば、パールの取り乱しようは超最大だったような予感もするが。

 

「――――」

「えっ、ちょ、ミーナ!?

 ズバット、ズバットに攻撃……ひやあああ来てる来てる来てるぅ!?」

 

 ところがこのメンバーで一番素早いはずのミーナ、パールにズバットの撃退を命じられても従わない。

 それどころか、ふへっと笑ってズバットに道を譲り、さあパールの方へどうぞと促すような動きである。

 ズバットは飛んでくる。簡単に撃退してくれると思っていたのにいきなりこれでは、急転直下な展開にパールの動揺も爆発する。 

 

「ユンゲラー、ねんりき!」

 

 しかし、ズバット対策にミルのユンゲラーは強い。

 毒タイプのズバットに、ユンゲラーが得意とするエスパータイプの技は特効だ。

 念波を浴び、びくりと体を震わせたズバットは、こりゃあたまらんやとばかりにすぐ進行方向を切り返して逃げていった。

 

 ユンゲラーの使える技の中では威力の低い方のである"ねんりき"だが、威力の高い光線系の技と違って命中率はより良い。

 ズバットの撃退という目的を一撃で果たせる威力も持ち合わせているため、ミルの指示は最も的確である。やはりトレーナーとしての腕は確かと見える。

 

「た、助かったぁ……

 っ、ミーナぁっ、なんで……」

 

 慌てふためいていた中から救われて、はぁ~っと息を吐くパールだが、ミーナに呼びかけ彼女の顔を見た時の衝撃はなかなかのもの。

 ミーナったら、きひひひとばかりに笑っている。可愛い顔して悪い目つきだ。

 あれはパールがズバットを最大の苦手と知っている上で、ズバットをパールの方へ飛んでいかせた悪意の隠そうともしない表情である。

 もはや悪質な嫌がらせにちかい。いたずらにしては度を越している。

 

「ちょっとぉ!

 それはあんまりなんじゃないのっ、ミーナっ!」

 

 流石にパールも怒って強い声を出すが、ミーナはちっ、と舌打ちして睨み返してきて、パールをたじろがせて黙らせる。

 怖い顔はしていないが、パールにとっては自分のポケモンに、あんな顔して睨まれることへのショックの方が重大だ。

 言葉を失ったパールの見る先、ミーナはぷいっとパールから顔と身を逸らすのみである。

 

「み、ミミロルは捕まえてもあまり懐かないって聞いたことあるんですけど……

 あのミミロルも、相当気難しそうですね……」

「うぅ、どうして……?

 ほんと私、あの子に嫌われるようなことした覚えないよ……」

「ミミロルっていうのはそういうポケモンだって考えた方がいいよ。

 傾向としては確かなんだから……」

 

 学者を目指すプラチナもそう言うのだから、そうした傾向があるのは確かなのだろう。

 プラチナとしては、しょぼんとしてしまったパールに、気にしないための心持ちの一つを教えたい気持ちの方が強いのだが。

 自分のポケモンにあんなつんけんした態度を取られたら、怒りが勝ってしまう人も多いのだが、パールはそういう子じゃないのをプラチナは知っている。

 数少ない、自分で捕まえたポケモンへの愛着を捨てられない性格なのだ。

 口ではああ言いながら、ミーナと出会ってからの数日間、自分の接し方に本当に問題が無かったか、今一度記憶を掘り返しているのもなんとなくわかる。

 

 どんなにミーナにきつく当たられようが、決してミーナを見限らず、今後もずっと彼女と一緒にい続けることを選びそうなパールだ。

 なんだかプラチナ目線では、心配にならずにいられない姿である。まるで、悪い男に騙されていながら離れられない友達を見ているような気分。

 しかし、ミミロルを育てたいトレーナーにとっては、避けて通れない試練であるのも確かなのだ。

 ミミロルというポケモンは、本当に気難しいのである。

 

 

 

 

 

「あぁ~、出口だぁ~……!

 よかったぁ、本当に……!

 パールさん、プラッチさん、本当にありがとうございました!」

「あはは、いいんだよ。

 困った時はお互い様って言うじゃないか」

「ミルちゃんも頼もしかったよ。

 私の嫌いなズバット、ユンゲラーと一緒に全部追い払ってくれてさ」

 

 道がわかっている帰りは行きより早く、三人は程なくして洞窟から外に出るに至れた。

 改めて深々と頭を下げて礼を述べるミルに、プラチナとパールはいずれも笑顔で気にしないでと言うのみだ。

 パールの返事はややズレているが。助けに行った方が、救助対象に頼もしかったよって言うのは何かおかしい。矛盾は無いけど何かおかしい。

 

「あっ、それとプラッチさん、さっきの話ですけど……」

「さっきの話?

 ――ああ、ユンゲラーの進化っていう話のことかな?」

 

 少し前にそんな話をしたプラチナとミルだが、ズバットの登場やミーナのやんちゃで、一時お流れになっていた話題である。

 名前がプラッチさんのままのプラチナだが、まあいいやの気分でそのままにしている。

 訂正をきっかけに、パールに対する訂正にもなりそうなものだが、今はそのタイミングでない気分なのだろうか。まるで告白のように時を選びすぎ。

 

「あたし、ユンゲラーはずっとユンゲラーのままでいいと思ってます。

 ……多分、プラッチさんが協力してくれるとか、そういう話なんですよね?」

「うん、もしよかったらっていう話だったんだけど……

 そっか、そうなんだね。だったら、それが一番いいと思うよ」

「えへへ、わかってくれます?

 きっと、フーディンに進化すればもっと強くなるのはわかってるんですけど」

「強さが全てじゃないよ。

 大事にして貰ってて、ユンゲラーも嬉しそうだね。いいじゃないか」

 

 あまりこの辺りのことに詳しくないパールにはわからない話題だが、プラチナとミルは理解し合って笑い合う。

 変わり種と言われかねない自分の気持ちを理解して貰えたミルは嬉しそうで、プラチナもまたユンゲラーに対するミルの愛情を微笑ましく思うばかり。

 なんとなく、自分のポケモンに対するミルの思い入れというものの形は、パールのそれと似てるんじゃないかなとプラチナは思う。

 

「それじゃあ、本当にありがとうございました!

 パールさん、プラッチさん、またいつかどこかで会えるといいですね!」

「うん、バイバイ!

 ミルちゃん、今度会ったらもっと色んなことを話そうね!」

 

 洞窟内でミルと世間話した中で言われたことだが、早く帰らないとお母さんに叱られてしまいかねないらしい。

 なるほど、ポケモンを捕まえに出て迷子になり、帰りが遅くなったらお母さんがとても怒りそうだ。

 急ぎ足で二人と別れて駆けていくミルの姿は、洞窟内の孤独も今は忘れ、親に叱られることを一番恐れたもの。

 ポケモントレーナーとしては優秀と見えても、ああした姿を見ると見るとやはり子供である。

 

「プラッチ、さっきの話ってどういうこと?

 ユンゲラーの進化って?」

「ああ、ユンゲラーは他の人と、ポケモン交換することで進化するんだ。

 交換の過程でどんな力がはたらいてるのかはわからないけど、そうした形で進化するポケモンって結構多いんだよ。

 ナナカマド博士も、これに関する研究には凄く力を入れてるんだ」

「へぇ、そうなんだ……

 あの人でもわからないことが、ポケモンにはまだまだあるんだね」

 

 ポケモンの交換というのは、ポケモンセンター等にも設置されている、ポケモン交換用の機械を使って行われる。

 ボールを渡し合えばそれだけで済みそうに感じられるポケモン交換だが、環境さえ整うなら、機械を通すことが推奨されている。

 モンスターボールには持ち主のIDが登録されているため、機械を通した方がお互いに、新しく得たポケモンのボールの所有者IDも交換出来て良い。

 機械を通しての交換は、そこに明確な同意があり、ボールのIDも入れ替えるということで、後腐れの無い交換をスムーズに行えるのだ。

 

 ギンガ団のポケモン強奪事件があったが、同意無く奪われたポケモンとそのボールは、IDまでは完全に奪われない。

 だから、警察に押収されたポケモンとボールは、持ち主の元へ速やかに返還されやすくもあった。

 逆に言うと、自分のIDになっていないボールを所持しているのは、万が一の有事の際にはあらぬ疑いを生む可能性もあるので、機械を通しての交換が推奨だ。

 その機械を通しての交換の過程で進化するポケモンがいることに関し、その所以は未だ解き明かされていない。

 

「僕はミルちゃんのユンゲラーを僕のポケモン何かを一度交換して、フーディンに進化したユンゲラーをすぐ返す、って話を持ち掛けようとしたんだけどね。

 交換によって自分のポケモンを進化させられるとわかっていても、一時も自分の大事なポケモンを手放したくない人っていうのはいるんだよ。

 ミルちゃんもそういう一人だったっていうことなんじゃないかな」

「あぁ~、それすっごいわかる。

 私、もしピョコがそういう形で進化するポケモンだったとしても、一秒だって、仮にでも、ピョコとお別れはしたくない気分」

「パールならそう言いそうだなって思ってたよ。

 自分のポケモンに対する思い入れって凄いもんね。

 絶対、一瞬でも人の手に渡らせたくはないよね」

 

 進化して得られる強い力と、愛着から生じる拘り。天秤にかけてどちらが勝るかというだけの話だ。

 前者が勝るトレーナーの方がずっと多いのだが、そうすることを選びたくない人というのは、自分のポケモンが好き過ぎるのである。

 少数派とて、自分のポケモンとの付き合い方は人それぞれだ。

 その手と肌で触れ合える、ポケモンとの日々の中での愛情は、出会う前の想像を超えたものになることもしばしば。

 強いフーディンを自分のポケモンにしようとケーシィを捕まえて育てたものの、いざ進化する段階になると少々の躊躇いが、という人自体は案外いるらしい。

 多くの場合はそれでも進化の道を選ぶが、パールやミルのような、自分のポケモンへの愛着が膨らみ過ぎた子は、無理の方に結論が至るということだ。

 

「プラッチはどうなの?

 ケーシィもいつかはユンゲラーに進化すると思うけど、そしたら進化させる?」

「僕はしないよ。僕は強いポケモンを求める"トレーナー"じゃないからね。

 ずっと一緒にいたケーシィのことを、一時だって手放したくはないよ」

「あははっ、私達と一緒だ。

 プラッチのそういうとこ好きだよ、私にも優しくしてくれるけど、ポケモン達のことも凄く大事にしてるプラッチのそういうとこ」

 

 あまりプラチナを異性と意識していないから好きなんて平気で言えてしまうパールだが、プラチナ目線ではむずむずしてしまう言葉でもある。

 友達としてだろうな、というのはわかっている。だけど、好感を持っている女の子に、好きって言って貰えるのはやっぱりどきっとする。

 意識こそ噛み合っていない二人だが、微笑むパールとはにかむプラチナ、双方違う形ながらも幸せと喜びを感じ合えているのは確かである。

 何気ない日々の会話でお互いを幸せにし合えるのだから、今や二人は本当に、掛け替えの無い友達同士になっていると言い切れるだろう。

 

 出会ってからの日数は少なくても、昔からずっと一緒にいる親友同士のよう。

 見方を変えれば、短い時間でここまでの間柄になれるのだから、二人は相性の良い男の子と女の子であるということでもあろう。

 十年後も、二十年後も、仲良くしていきたい相手だと、やがて二人は自ずとそう思うようになっていきそうだ。それだけ、一緒にいて楽しい二人である。



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第28話   テンガン山と謎めいた男

 

 207番道路は、北に行けばサイクリングロード、南に行けばクロガネシティ、東に行けばテンガン山という旅の分岐点だ。

 特に207番道路から至る、テンガン山の抜け道は比較的抜けやすく、シンオウ地方を東西に渡る者にとって最も親しまれる通り道である。

 

 シンオウ地方を東西に二分する、テンガン山を渡るルートは、北と南の二つが有名だ。

 北のハクタイシティから211番道路を経て至るテンガン山の入り口から、東のカンナギタウンに至る道が一つ。

 しかしこのルートは地盤が脆いのか、落石や岩盤が多く障害物の多いルートだ。

 全体的に険しいテンガン山全体の中で比較するなら、ぎりぎり山越えには使えるというだけであり、歩きやすくは無いだろう。

 ハクタイシティを出発したパール達も、シンオウ地方の東へ向かう目的がありながら、このルートを選ばなかった根拠もそこにある。

 

 対してもう一つのルート、南のクロガネシティから207番道路を経て至るテンガン山の入り口から、東のヨスガシティに至るルートは歩きやすい。

 道のりは短く、ある程度は歩きやすいよう道も舗装されており、岩盤を削って階段を作られている場所もある。

 北部と違ってこちらは地盤が安定しているのか、一度均した地面も概ね綺麗なまま長年保たれているのだ。

 地震や落盤が多く、どんなに人の手を加えても時が経てば大自然の気まぐれで崩されがちな、北部の山道とは対照的である。

 

 さて、そんな愛されし抜け道に繋がる207番道路だが、実は少し前まで一部が工事中で、通行止めだったという事情がある。

 それも人々にとって不都合なことに、クロガネシティからテンガン山への入り口に続くルートがだ。

 元々人通りは北部に比べて多いため、年に一度はこの道路の舗装は定期的に行われており、それがつい最近のことである。

 ちょうどパールがクロガネジムでの戦いを終え、次なる地へと出発したあの頃は、工事も大詰めに差し掛かっていた頃合いだったらしい。

 ヒョウタはパールやダイヤに次なる目標として適した場所に、山越えではなくハクタイシティを伝えたが、こうした事情もあってのことだったようだ。

 今は工事も終わっており、ちょうどハクタイ方面から南下してきたパール達は、207番道路からテンガン山を越え、ヨスガシティに向かう運びとなる。

 

 暗い時間帯での山越えはしたくないので、一旦クロガネシティに向かって一夜を過ごしたパール達は、今朝出発して再び207番道路に。

 いよいよテンガン山越えである。

 昨日のうちに、プラチナの指導のもと、パッチやピョコにフラッシュを覚えて貰い、暗い洞窟を抜けるにあたっても準備万端である。

 

「うーん、案外明るい?」

「洞窟なんだから光源なんて無いと思ってたけど……」

 

 昨日、テンガン山の迷いの洞窟の真っ暗ぶりを目の当たりにしたばかりの二人、この通り道も暗いものかと思ったら意外とそうでもない。

 クロガネ方面からヨスガ方面に渡るためのこの洞窟は、所々の岩間から光が差し込んでおり、光源には不足していなかった。

 夜ならともかく、晴れた昼間なら随所に差し込む日光のおかげで、通り道全般、充分歩けるほどに明るいのだ。

 光源に近いか遠いかでも明暗も分かれるし、暗めの場所は足元に気を付けるべきだが、人為的な光源を持ち込まなくても進める道である。

 むしろ人の手を加えなくても元々こうだったからこそ、長年ここが山越えのルートとして重用されてきたとも。

 

「せっかくフラッシュ覚えて貰ったけど、これだと要らなかったかな」

「まあまあ、きっといつか使える日が来るかもしれないし。

 教えて貰って損とかなかったんだしさ。ありがと、プラッチ」

 

 ちょうど昨日、真っ暗な洞窟を経験したこともあって入念だった二人だが、結果的には杞憂だったと言える。

 とはいえ今後それを活かす機会はあるかもしれないし、バトルにおいても相手の虚を突けるスキルの一つには違いない。

 フラッシュ無しでも進みやすい環境とあれば、単に歩きやすいという面で得なのだし、二人は気にせず洞窟内を進み始めた。

 野生のポケモンとの遭遇に備えて、パールはニルルを、プラチナはポッチャマを引き連れてだ。

 

「――あれっ? 人がいるよ」

「あ、本当だ……うっ」

「んうっ」

 

 さて、そうしてしばらく洞窟内を進んでいた二人だが、前方に人影を発見。

 こんな場所に人が? という疑問符は特に無い。出会いというのはどこにでもあるものだ。

 ここまで207番道路を歩いてきた中でも、何人かのトレーナーとは出会って勝負したし、迷いの洞窟のような場所でさえミルとの出会いはあった。

 あんな場所でもトレーナーが、ポケモンと一緒にトレーニングを積んだり、ポケモンを捕まえに来たりするぐらいである。

 まして東西シンオウ地方を繋ぐ通り道のここなんて、人とすれ違うことなんて他の洞窟に比べれば多い方だと考えていい。

 

 パールとプラチナが何やら怯んでしまったのは、どうにもその人物が強面だからである。

 後ろ手を組んで胸を張り、周囲を見回しているその男性、背も高そう。

 パール達に気付いてこちらに歩み寄ってくるが、無表情とは見えるものの目つきが鋭く、子供にはおっかない顔立ち寄りと言っていい。

 パール達の前で立ち止まるが、遠くから見てもわかったぐらいなのでやはり背高く、パールにしてみれば見上げるほどの背丈である。

 

「山越えか?」

 

「えー、あー、はい……」

「すいません、何か怒ってます……?

 うるさかったなら申し訳なかったですけど……」

「そんなことはない。

 私は元よりこうした目つきだ。気にしなくていい」

 

 いかんせん目つきの鋭い人なので、怒らせることをした覚えが無くたって、ついプラチナはその辺りを探ってしまう。

 一応、想像し得る限りでなら可能性も無くはない。

 たとえばこの人物がポケモンを捕まえに来たところ、パール達の話し声に反応して目当てのポケモンが逃げたり隠れたりした、など。

 しかし、別にそんなことはないようだ。無表情で目つきのきつい人というだけのようだ。

 

「東へ向かうのか?」

「あっ、はい……」

「方向は同じだな。一人や二人よりも、三人の方がいいだろう。

 行くとしようか」

 

 そう言って男性は、二人に背を向けて行く道を進み始めた。

 口にした言葉から鑑みるに、じゃあな、ということでは無さそう。共に行こうという提案のようだ。

 

「ど、どうしよプラッチ?」

「パール、そんなにびびらなくても……

 まあ僕も最初は緊張しちゃったけど、別に怒ってるとかそういうことはなさそうだし、いいんじゃない?」

 

「行かんのか?」

 

「あっ、はいっ、行きます行きます」

 

 話す二人がついてくる気配が無いので、男は立ち止まって振り返って呼びかけてくる。

 顔が怖いだけで悪い人とは限らない、と、パールもぱたぱたその男性の方へ駆け寄っていき、プラチナもそれに追従する。

 わざわざ想定していなかった出会いと同行、パール達は三人でテンガン山を抜ける洞窟を歩いていく足運びとなった。

 

 道の均されてはいないこの洞窟だが、やはり有力な山越えルートとして重宝されているため、多少は人の手を加えられている点もある。

 神話や伝説の多いシンオウ地方、そうした口伝の多くがこのテンガン山にまつわるため、畏れもあって極力手を加えない傾向にはあるようだが。

 それでもやはり、山越えの最短ルートを少しでも歩きやすくするよう、最低限の加工は加えられている所も散見する。

 

「光はあるが、足元は暗く視界が悪い。

 目をよく配らねば、足を捻る」

「わっ、階段だ。

 岩石を削って作った階段ってなんだか新鮮」

 

 男性の言うとおり、歩けるだけの明るさがある洞窟だが、満遍なく照らされているわけではないので地表に明暗が分かれる。

 前の明るさに目が慣れ過ぎると、少し暗くなっている場所の窪みや段差に足を取られ、怪我をしてしまうかもしれない。

 パールも今まさに、目の前にある下り階段を目にして、言われたとおり気を付けながらそれを降りていく。

 

「形の綺麗な階段ですね」

「遥か昔、鑿と槌で削って作ったものだと言われている。

 東西の旧き職人が集い、ポケモンや機械の力にも頼らず、その手で作り上げた階段だ」

「へえぇ……平らでカドも立ってるし、こんな階段が手作りで作れるんだ」

 

 階段を降りた所で振り返り、形の整った階段をしゃがんで眺めるパールは感服するばかり。

 プラチナも男性も足を止めてくれて、初めて歩く場所で見る初めてのものに興味津々のパールを、置いて先に行くようなことはしない。

 

「テンガン山は、シンオウ地方の始まりの地と言われている。

 その神聖さゆえに、太古の人々は人類がこの道を歩きやすくするため手を加えるにも、毎夜山に赦しを請うように祈りながら道を作り上げたとされている。

 その階段も、何気なく佇んでいるように見えて、歴史の深い遺物だ」

「そうなんだ……」

 

「パール、なに祈ってるの?」

「昔の人ありがとうございます~、的な?」

 

 男性の話を聞いて、パールは両手を合わせて擦り合わせ、ちょっとだけ階段に対して頭を下げておく。

 確かにこうしたものがあるおかげで、高低差もある洞窟内の山道も歩きやすい。手作りとされるこの階段、ありがたいものである。

 そこまでしなくたって、という笑いのプラチナに立ち上がって振り返ったパールは、再び三人で歩く足取りに戻る。

 

「あっ、出た」

「ふむぐっ……!」

 

 さて、覚悟していたエンカウント一回目。

 洞窟の中には大抵生息しているアレ。ぱたぱた翼をはためかせてこちらに飛来してくる、パールの苦手なポケモンだ。

 今日もやはり一目見た瞬間、裏返った声が出そうになってしまったパールだが、瞬時に自分の両手で口をばしんと塞いで封じ込んだ。

 声が出てしまうのは仕方ないとして、咄嗟にこれが出来るのは進歩だろうか。

 

 ニルルがすぐに水の波動を発射して、近付いてくるズバットを接近前に狙撃し、直撃を受けたズバットが逃げていく。

 パールの手持ちの中で唯一、ズバットに有効な飛び道具を持つニルルである。ピョコのはっぱカッターはズバット相手だと効き目がいまいち。

 ズバットがいそうな洞窟を抜けていくにあたり、ニルルはパールの連れとして最適なチョイスと言える。

 それにニルルは、小さな体でのんびりした歩みとは裏腹、気付きも狙撃の決断も早い。こう見えて優秀である。

 

「パール、ちょっと頑張ったね」

「そろそろズバット嫌いも治していこうと頑張ってるの。

 今日みたいに、初めて会う人の前できゃんきゃん喚くのイヤだもん」

 

「洞窟のポケモンが苦手なのか?」

 

「洞窟のポケモンが苦手っていうか、ズバットが凄く苦手なんですよ~。

 小さい頃ズバットに驚かされて、湖に落ちちゃって溺れかけた時から、ズバットに対してはトラウマすんごいんです」

「普段はもっと叫ぶよね」

「あんまり言わないで、それガマンして何とかしたとこなんだから」

「だから頑張ったよねって話だってば」

「ふふん、もっと褒めてくれてもいいんだぞ?」

 

 仲良しな掛け合いをする中で、何気なくプラチナはパールのズバット嫌いを強調している。

 普段はもっと声を出して怖がるほど、パールはズバットが苦手なんですよと、どちらかと言えば男性の方に聞いて貰うための言い方だ。

 いじられた気がしているパールにその配慮が気付かれることは無いが、それもまたプラチナなりに気遣った奥ゆかしさである。

 

「ズバットが苦手、か。

 では、ヤミカラス」

 

 男性はモンスターボールを手に取って、中からヤミカラスを喚び出した。

 パールとプラチナの活動圏や生活圏には野生生息していないポケモンなので、二人にしてみれば実物を見るのは初めてだ。

 もちろん、テレビなどでは見たことはあるけれど。

 

「私達の進む先にいる野生のポケモン達を追い払え。

 なるべく、傷を付け過ぎないようにな。

 分が悪いと思ったら、すぐに引き返して来い」

「あ、あれ?

 ごめんなさい、気を遣わせちゃってますか?」

「気にすることはない。

 恐れるものに遭遇し、その都度騒がれては私も気になる」

 

 ズバットが苦手だと言うパールのためなのか、ヤミカラスに先々の野生ポケモンを追い払ってこいと指示してくれる男性だ。

 おずおずとしたパールに対する返答も、やや冷ややかなものである。

 ちょっと冷たい反応だな、とプラチナは感じているが、それでもパールからすれば気を遣ってくれたことには違いないので嬉しい話だ。

 

「それじゃあニルル、あなたは私達のそばや周りをよく見てて。

 後ろからズバットが来ることもあるかもしれないから」

「――――」

 

 任せて、とばかりに頷くニルルにパールも微笑んで、再び三人は進行再開。

 男性の放ったヤミカラスが前で頑張ってくれているからか、進む限りで野生のポケモンとの遭遇は全くと言っていいほど無い。

 それなりに野生のポケモンとの遭遇を見込まれる場所でこうなのだから、前のヤミカラスはばしばし敵を追い払っているのだろう。

 戦っている姿は見えないが、なかなか優秀そうである。

 

「いっそ恐怖という感情さえなければ、君も楽になるのだろうがな」

「あはは……それは極端だと思いますけど……

 でも、ズバットはイヤだなあ、今でも……

 人前で、ズバットに会っちゃった時にすぐ取り乱して、格好悪いとこ見せちゃうのもなんだかイヤですし」

 

 極論で以ってパールのズバット嫌いを語る男性に、パールは冗談だと受け止めて苦笑いで応じている。

 しかし、先程までよりもパールの位置が、前に出ていて男性の隣位置。

 さっきまではプラチナと一緒に、男性の少し後ろを歩いていたパールが、男性の横で相手の顔を見ながら話している。

 

「おじさんは……」

「"アカギ"と呼んでくれていい。

 おじさんと呼ばれるほど年はとっていないつもりだ」

「あわわ、失礼しちゃった、ごめんなさい。

 えぇっと……アカギさんは、ここで何か探してたんですか?」

「そう見えたか?」

「最初に見た時、周りを見渡してた感じでしたから」

 

 あんな大きくて少し怖い大人を相手に、よく自分から積極的に話しかけられるなぁ、とプラチナも感じるパールの姿である。

 確かに野生のポケモンとの遭遇も無く、能動的に誰かが喋らなければ沈黙の旅になりそうだが。

 初対面の自分にも気さくに話しかけてくれたし、パールは本当に社交的で誰にでも話しかけていけるんだな、とプラチナも印象を強めている。

 

「あくまで目的自体は山越えだ。

 だが、通りがけにこの山のことを少し見ておきたくてな。

 歴史の深いテンガン山だ、些細なことでも気付けば興味深い」

「アカギさんは学者さんなんですか?

 それっぽいな~、っていうことを仰いますけど……」

「そうではない。そんな難しい話ではない。

 例えばあの大岩も、あの先に道が続いているのは明らかでありながら排除されずに放置されている。

 人通りの多いこの洞窟において、道を塞ぐ岩など定期的な公的機関の視察において、排除されて然るべきはずでありながらだ」

 

 アカギが目線で示す先には落盤の残骸が鎮座しており、経年を示すかのように砂埃をかぶったままそのままにされている。

 彼の言うとおり、その向こう側に続く道もあろうのに、それを塞いだまま佇んでいるのだ。

 何年も前に道を塞いだ落盤を、西のクロガネと東のヨスガの人々が何度も目にしているはずながら、誰も手を加えまいとしている証左である。

 

「あの先が危険な区域とされており、落盤が道を塞いだならこれ幸いと放置しているという可能性はある。

 しかし、そうであるなら元より看板の一つや二つが立てられるべきだ。

 その上で道を塞ぐ落盤を放置するのは、テンガン山がもたらした自然的産物に神意めいたものを感じ、敢えて触れずにいるからとも想像できる。

 そうして山に対する人々の敬意が残されているであろうことを想像し、そこに意図在りしと想像するのもまた興味深い」

「な、なんだかムズカしい話ですね……」

「子供には早い話かもしれんな。

 だが、知識を増やし想像力を養えば、この世界には興味深いものがいくらでも溢れている。

 私は特に、シンオウ地方の始まりの地とさえ言われるこのテンガン山については、もっと多くのことを知りたいという強い興味を持っている」

 

 歩きながら無表情で語るアカギの横顔を、パールは初めて見るタイプの人を見る眼差しで見上げていた。

 何に興味を持っているかもわからない顔立ちと表情で、しかし語る言葉には強い探求心を覗かせていて。

 改めて思えば、野生のポケモンと一切遭遇しない現状、この人は強いヤミカラスを育て上げたポケモントレーナーであろうことも推察される。

 不思議な人物である。パールがむしろ、この人の内面に興味を持っている。

 

「……私の顔に、何かついているか?」

「あっ、いえ、別に……じ、じろじろ見られると気になります?」

「いや、構いはしないが。

 私のような仏頂面に、わざわざ語りかけて子供は初めてだ。

 怖いと思われても仕方のないことだと思っているが」

「怖くないですよ、最初はちょっと……でしたけど。

 私の知らないことをいっぱい知っていそうで、なんだか頼もしい大人って感じがします」

「……ふっ、面白い子供だ」

 

 ほんの僅かに口の端を上げただけだったが、アカギは確かに笑ってみせてくれた。

 強面には違いないが、笑ってくれればパールも少し嬉しくなって、アカギよりもずっとわかりやすい笑顔を浮かべる。

 人間性は第一印象だけでは語れない。パールは改めてそう思っている。

 そそっかしくてせっかちで、人からちょっと距離を取られがちながら、話せば正義感があっていいやつだっていう良い例が、幼馴染にいるからだ。

 

 そうして語らいながらであれば、障害物の無い洞窟越えもすぐ終わる。

 洞窟の出口が見えた所で、その近辺で待っていたヤミカラスがアカギのそばまで戻ってくる。

 羽ばたいてアカギの前に身を浮かせたまま、ミッション完了ですと少し頭を下げるその姿は、よく躾けられた姿である。

 アカギもうむとばかりに頷いてヤミカラスを労うと、ボールのスイッチを押してヤミカラスをその中へと戻した。

 

「パール、と言ったな」

「はい」

「なかなか優秀なカラナクシだ。

 言われたとおりに周囲に目を配る意識を絶やさず、いつでも水の波動を撃てる構えを解かぬまま前に進み続けていた。

 良い育て方をしている」

「わっ、ニルルよかったね、褒められてるよ」

「――――♪」

 

 気恥ずかしそうに笑うニルルである。

 褒められると胸を張って得意げになる、ピョコやパッチとは少し反応が違う。

 みんな性格は様々だ。

 

「君のポッチャマもだ。

 周囲を見渡すことはカラナクシに任せ、君やパールの歩く先の地面をよく見ていたな。

 戦うことに限らず、トレーナーが足を挫かぬように心配りが出来るポケモンを育てるなど、なかなか出来るものではない」

「あっ……ありがとうございます」

 

 プラチナも、自分が褒められるとは思っておらず、少し戸惑いながらも嬉しそうにお礼を返していた。

 トレーナーではなく学者になりたいプラチナ、ポッチャマにだってバトルに限らぬ多くのことを教えている彼にとって、それがわかって貰えるのは嬉しい。

 アカギの観察眼には驚かされるが、それ以上に無性な喜びの方が大きかった。

 

「少し、私のポケモンと手合わせしてみるか?

 君達のポケモンがどれほどのものか、少し興味が湧いてきた」

 

「えっ、アカギさんとですか?」

「私やりたい!

 ニルルっ、やってみよう!」

 

 パールはたいそう乗り気である。

 ニルルもパールに言われて鼻をふんすと鳴らし、やる気満々だ。

 なんだかすごく強そうな相手だとはパールも思っているが、それを踏まえた上でチャレンジしてみたい相手である。

 

「では、私はこいつだ」

 

 アカギはヤミカラスが入ったものとは別のボールから、ニューラを喚び出した。

 左耳だけ赤いのが特徴のニューラだが、このニューラは赤い左耳が虫食いのように少し欠けている。

 雄の赤耳は長いそうなので、このニューラは雌なのだろう。知識のあるプラチナはそんなことを考えていたりも。

 

「ニューラ、自分で考えて戦ってみろ。

 癖の悪い戦い方をしていたら、後で教えてやる」

 

「わわっ、アカギさんそういうスタイルなんだ。

 よしっ、ニルル! 私達は二人で戦うよ! 頑張ろうね!」

「――――!」

 

 自己判断を推奨することで、積極的に自発的判断力を養おうとするアカギ。

 自分の指示にも未だ強い自信は無く、むしろポケモン達の自己判断に助けられつつ、指示して共に戦う形のパール。

 なんだか対照的。ポケモンの育て方も色々あるものだ。

 一番多い、トレーナーが指示して自分のポケモンをコントロールする戦い方というのを、どちらも選んでいないというのがプラチナ目線では興味深い。

 

「よしっ、まずはみずのはどう!

 相手はたぶん素早いよ! よく見てね!」

 

 バトル開始。

 攻撃を躱されても、速そうな相手の動きをよく見て、反撃にも備えようとも含んだパールの指示。

 水の波動を撃ったニルルが、躱したニューラをしっかり目で追っている。

 迫るニューラに速度では対抗できないニルルだが、接近戦に持ち込まれたら返し技だってある。

 

「ニルル、どろかけ!」

 

「ッ――――!?」

 

 自分の体の下で濡らした砂をなるべく多く含んだ水を、迫ってきたニューラに波のように返すニルルだ。

 浴びせられたニューラが怯む中、しれっと位置をずらすニルル。自分の下にあった砂と土を使ってしまったので、別の場所に移ってまた使える状況にしておく。

 言われなくても次の行動に移れる辺り、ニルルだって自己判断能力は高い。

 

「ふむ……ニューラ、まだまだやれるな?」

「――――!」

 

 具体的な指示を出さないアカギと、目を拭いながら闘志を燃やすニューラ。

 場が熱くはなってきたが、あくまでバトルと言うほど勝敗に拘らぬ、あくまでお手合わせのようなもの。

 勝ちを意識するならアカギもそれなりに指示を出すはずだ。

 そんな空気を感じ取りつつも、パールはやっぱりニルルに勝たせてあげたい。

 

「油断しないでね、ニルル!

 好きなように戦わせたら、きっとすごく追い詰められるよ!」

「――――!」

 

 素早いニューラだ。主導権を握られるとまずそう。

 滑り出しは良かったものの、気を緩めないパールの声がニルルにもよく伝わる。

 まだまだ勝負はこれからだ。

 

 この後、勝負は短い時間で済んだのだが、パールにとってはかなりの熱戦だったと感じるバトルとなった。

 各地で出会ったトレーナーの皆さんとのバトルも一度一度が熱かったが、このニューラは今までに戦ったポケモンの中でもかなり強い方だった。

 それこそパールが実際に勝負した相手の中では、ジムリーダーが繰り出してきたものにも匹敵しそうなぐらいにだ。

 未だジム戦を一度も経験していないニルルにとっては、かなりの刺激になっただろう。良い経験である。



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第29話   ヨスガシティ

「ふむ……まあ、こんなところだろう」

 

 ニルルとアカギのニューラの一騎打ちはしばらく続いていたが、ふとしたタイミングでアカギがニューラをボールに戻した。

 どちらもまだまだ戦えそう、しかし決定打一つで大勢決しそうな接戦だったため、パールもここからだと熱くなっていたところである。

 

「あ、あれ? アカギさん?」

「もう、勝負はついた。

 続けたところで君のカラナクシがニューラの隙を突くだろう。

 続けるだけ、互いのポケモンが傷を増やすだけだ」

 

 パールの目にもプラチナの目にも、勝負付けが済んだようには見えなかったが、アカギの目にはその先が見えたのだろう。

 勝敗に拘る局面であれば、最後までわからないの精神で続けてもいいのかもしれないが、どうやら今日はアカギにとってそうではない。

 ニューラの入ったボールを見下ろす、アカギの眼差しは冷静だ。

 

「こいつは少々、頭が切れる割には前のめりな所がある。

 今の戦いでも踏み込みが過ぎて、徐々に劣勢となっていた。

 後でその辺りは教え込むつもりだが、こいつも自覚はあるだろう。

 こちらにとっても良い経験となった。良いバトルだった、礼を言う」

「いいえ、そんな、こちらこそ。

 ニルルもいい経験になったよね、きっと」

「――――♪」

 

 はっきりとした勝利の形で戦いを終えられなかったことに首をかしげていたニルルだが、どうやら勝ちでいいんだろうと思って笑顔を見せてくれた。

 最後までやらせろ、という顔をしないのは、無為に傷付け合うことを好まない性分をしているからだろうか。

 そんなニルルを見て小さく笑っているのは、パールでもプラチナでもなく、他ならぬアカギである。

 

「ポケモンバトルと、傷付け合うだけの争いは違う。

 君のポケモンは、それをよくわかっているようだな」

「えへへ、わかります?

 みんな優しくていい子なんですよ」

「戦争や争いの無い世界、それが私にとっての理想郷だ。

 いつかそんな世界を、私の手で実現したいと思っている」

「わわ、すっごく大きな夢なんですね

 アカギさんもしかして凄い人ですか?」

「ふっ……さあな」

 

 大願を唱える大人は、子供の目には立派な人として映るものだ。

 パールには、アカギが腕の立つポケモントレーナーだと見えているから尚更なのだろう。

 はじめ怖がっていた顔はすっかり失われ、アカギを尊敬の眼差しで見上げるパールに、何故かプラチナが悶々としていたり。

 

「さあ、出口はすぐそこだ。

 私はもう少し、テンガン山を見て回ってから山を抜けることにしよう。

 ここでお別れだ、縁があればまた会おう」

「はいっ!

 アカギさん、よかったらまた会った時も、色んなことを教えて下さいね!」

 

 ご挨拶を済ませ、パールとプラチナは洞窟の出口へと向かっていく。

 外の日差しを目の前にした時、振り返ったパールの目には、見送ってくれているかのようにこちらを眺めるアカギの姿があった。

 すっかり敬愛の情を抱いているのかパールが笑顔で手を振ると、アカギもまた無表情ながら小さく頷いて応えてくれた。

 

 洞窟を出れば208番道路を経て、やがて間もなくヨスガシティである。

 薄暗い空間を抜けた二人を明るく照らす日差しは、これから何に出会えるのだろうというわくわくをいっそう駆り立ててくれるものだ。

 

「……僕もちょっと、ポケモンバトルが上手になってみたくなってきたな」

「えっ、プラッチ急にどうしたの?

 プラッチは元々強くない?」

「や、僕はまだまだ……いやぁ、別になんとなく……」

 

 ポケモンバトルに秀でた大人を前に、敬愛に満ちた眼をしていたパールの姿が、プラチナに今までと違う感情を抱かせているようだ。

 長く一緒に旅していれば、出会う前と違う見方を得ることもあろう。

 勿論そんな彼の内心なんて、パールも知る由無しである。

 

 

 

 

 

 テンガン山の洞窟とヨスガシティを繋ぐ208番道路は、ヨスガシティのポケモントレーナーが多い。

 道行く中でパールは何度もポケモンバトルを申し込まれ、最初のうちは良かったが、街に近付くに連れて、うちの子達疲れてないかなという懸念も膨らむほど。

 途中からは、じゃあ僕がとプラチナが申し込まれたバトルを引き受けたりもしたぐらいである。

 かつての彼ならあまりやらなそうなことだ。心境の変化は行動にも表れている模様。

 

 さて、そんな過程も経て辿り着いたヨスガシティ。

 シンオウ地方、西の中心地がコトブキシティだとすれば、東の中心地と最も謳われるのはこのヨスガシティだ。

 商業の発展と共に出来上がったこの街は、テンガン山を挟んだシンオウ西部との交易の要でもあり、人々の流入も多く人口も多い。

 特筆すべきは何と言っても、ポケモンコンテスト会場、ふれあい広場、ポケモン大好きクラブ、噴水など、憩いの施設や場が数多く目立つことだろう。

 坂道が少なく、子供にもお年寄りにも歩きやすい街全体の造りもまた、わざわざ語られることは少ないものの、この街の大きな魅力の一つである。

 ベビーカーを押すには怖い坂道一つ無いというのは、結婚したらこの街に住みたいね、という人が多い一因でもあろう。

 心が触れ合う場所、というこの街のキャッチフレーズは、実に偽りなくヨスガシティの在り方を物語っている。

 

「よしっ、ジムに行こう!」

「ええっ、パールのポケモンみんな疲れてるでしょ。

 流石に無謀過ぎない?」

「ご挨拶だけ! 明日来ます、っていうのだけ言うの!」

 

 しかし、パールの一番の興味はヨスガジム。

 何せ旅の通過点でも何でもなく、ジム目当てでここを訪れているのだから。

 しかしそれにしても、街に着くや否や、疲れたポケモンを引き連れながら早速ジム、とは、真意抜きにしてここだけ切り取ると戦闘狂みたい。

 そんなことはないけれど。アカギのニューラはアカギ曰く"前のめり"だそうだが、パールも大概な前のめりである。

 

 パールとプラチナはテンガン山より東側に来たことが無く、せっかく二人とも初めて来る街なので、散策だってしてみたいが今日はもう時間が足りない。

 山越えに、ポケモンバトルを繰り返しながらの208番道路を行く旅と、今日は案外時間をかけての到着だったのだ。

 今日のところはジムの場所だけ確かめて、ご挨拶だけして、明日以降この街を見て回ろうというのは、二人の間で暗黙めいて決まっている。

 というわけでジム。元気な足取りで進むパールに、プラチナもやれやれと微笑ましく思いながらついていく。

 

 が、いざヨスガジムに着いてみると。

 

「えっ、ジムリーダーさんいないんですか!?」

「ここしばらくはホウエン地方のポケモンコンテストの特別審査員として招待されていてね。

 今朝出発したばかりだから、当分の間は帰ってこられないのよ」

 

 受付の女性に突き付けられたのは残念なお知らせである。

 ホウエン地方といえばたいそう遠い場所であり、今朝出発したばかりの人が、明日や明後日に帰ってくるとは考えにく過ぎる。

 せめてあと二日でも早く着いていれば、出発前のジムリーダーさんと一戦は交えられたはずだったのだが。

 パールにとっては、ジムリーダーが帰ってくるまでに一番時間のかかる、非常に間の悪いタイミングでこの街に着いてしまった形である。

 

「"メリッサ"さんはこの街のポケモンコンテストでも、出場者としても審査員としても大活躍のスーパースターだからね。

 ジムリーダーでありながら、シンオウ地方随一の、ポケモンコンテストの有名人なの。

 他の地方のコンテストに招待されると断るわけにもいかないのよ」

 

「えー、どうしよう……

 一週間ぐらい待ってたら帰ってきてくれそうですか?」

「厳しいんじゃないかなぁ……

 コンテストの審査員だけじゃなく、向こうでの社交界にも顔を出すだろうし……二週間ぐらいは見て欲しいところよ。

 ヨスガジムではメリッサさんの立場上、年に何度かどうしてもこういう日が出来ちゃうの。

 申し訳ないけど、納得して貰えないかな」

 

「うぐぐ、仕方ないか……

 どうしようプラッチ、二週間もこの街で留まっていくのはなんか焦れちゃいそう」

「ジム回りたいもんね。

 ――すいません、僕達シンオウ地方の東側に来るのは初めてなんですけど、この街から一番近いジムのある街はどこですか?」

「それだったらノモセシティ……

 あ、でもこの時期は天気が悪いから、あまり212番道路を横切るのはお勧めしないかな……

 北に進んで、トバリシティに向かうのが一番いいんじゃないかしら」

 

 受付の人が詳しく語ってくれるには、ここから行けるジムのある街は二つ。

 北に進んで209番道路を経てズイタウンを越え、210番道路と215番道路を通って辿り着くトバリシティ。

 南に進んで212番道路を抜ければ辿り着くノモセシティ。

 こう言うとノモセシティの方が近そうで、まあそれ自体は事実なのだが、ヨスガシティとノモセシティを繋ぐ212番道路がまあまあの曲者らしい。

 

 かなり長い上に、海が近いせいか天気が悪く、足元の悪い湿原も通るため、一日では通過できない人もかなり出てくる環境だそうで。

 ましてこの時期は天候が悪く、観測ではどしゃ降りの可能性も高く、そうなってしまうと事故も増えるという話だ。

 212番道路は人行く旅路としてよりも、人には少し厳しい環境で、ポケモンのトレーニングに赴く積極的なトレーナーに愛される場所だという。

 今はそんな場所を通ってノモセシティに行くより、気候も安定する北へと進み、まずはトバリシティに行く方がいい、という見立てだそうだ。

 

「トバリシティに行ってから、そこからノモセシティに向かって、それからここに戻ってくるのがいいんじゃないかなって思うわ。

 それぐらいの日が経てば、きっとメリッサさんも帰ってきてるはずだからさ」

「わかりました。

 それじゃあ、その時はまた来ますからよろしくお願いしますね」

「ええ、ごめんなさいね。

 その時は、歓迎するわ」

 

 そうして次なる目標を見定めて、パールは前向きな気持ちでジムを去る。

 今日いきなり挑戦できなくたって、待つ間に並行して他のジムの攻略を目指していければ、決して時間の無駄にもなるまい。

 どうせこれから目指すジム二つ、今までのように一日で攻略できるとも限らないのだし、二週間ぐらいの時間はかかりそうだ。

 

「今日はもう疲れたね~。

 ポケモンセンターに行こっか」

「ああ、やっとその発想に至ってくれた。

 僕もう結構へとへとだったよ」

「あはは、ごめんごめん。

 でもジムにだけは行っておきたかったんだ」

 

 比較的安定した道を造られているとはいえ、テンガン山の洞窟を歩くのは足に疲れも溜まる。

 208番道路ではポケモンバトルも多かったし、まして普段は積極的にバトルしてこなかったプラチナは、今日はまあまあ疲れている。

 パールも実は疲れを溜めていたようで、ジムへのご挨拶という今日の最終目標を終えたら糸が切れたか、肩の力を無くしてすっかりお疲れの身体を表していた。

 

 一日一日、その日の終わりに疲れ果てたと思えるのは、ある意味ではすべての日が充実しているとも言える。

 新しい地を踏みしめ続ける旅。毎日が新鮮なのだ。

 この疲れは、大人になる頃には感慨深く思い返せる素敵な思い出が、いくつも出来上がっているであろうことを示唆する、先行き明るい疲れである。

 

 ポケモンセンターに泊まる夜、ナタネに電話して旅の報告をするパールは、今日はこんなことがありましたよと話したいことがいっぱい。

 どれも全てを楽しそうに聞いてくれるナタネも相まって、それはなかなかの長電話となってしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……む」

 

 夜、テンガン山の洞窟を抜け、夜空を見上げられる山の中腹まで上り詰めていたアカギの腰元で、通信機が電波を受信した震えを打つ。

 パール達に、もう少しテンガン山を見て回ると告げたアカギだが、もう少しどころの山への滞在時間ではない。

 山越えが目的だとパール達に告げていたことも、彼の今日の行動を鑑みる限り、真意であったのか怪しいものである。

 

「"サターン"か。どうした」

 

『トバリシティでの作戦遂行が順調であることを報告します。

 近日中に、ノモセシティに移す予定です。

 どちらかと言えば本題はこちらですね』

 

「ご苦労。問題が無いようならそのまま続けてくれ。

 そちらは変わらず、お前に指導権を預ける」

 

『かしこまりました』

 

 トランシーバーめいた通信機を片手に話すアカギは、この山奥にまで電波が届き、かつ会話の内容が万一にも傍受されぬ機械での会話を交わしている。

 有事の際には必ず報告を受けられ、そして誰にも聞かれてはならぬ内容をも話すには適した、そんな通信機。

 その用途は、まるで極秘事項を隠密に進める秘密組織のそれである。

 

『テンガン山に赴かれているようですが、そちらに変わったことはありませんか?』

 

「……そうだな。

 ジュピターから報告のあった、パールという少女だったか。

 偶然だが、彼女と思しき少女と遭遇した」

 

『む……いかがでしたか?

 マーズやジュピターからこちらも話は聞いていますが、幼くもそれなりに腕の立つポケモントレーナーだそうですね』

 

「粗削りだが、成長は早そうだな。

 軽く手合わせもしてみたが、確かに将来性のある育て方をしている」

 

『始末されたんですか?』

 

「いや、片付けてはいない」

 

 通信機の向こうからアカギと会話するサターンと呼ばれた人物は、危うい発想に思い至るのがやや早い。

 マーズとジュピターの名前を口にしていることから、彼もまたギンガ団の一員であることは明白だ。

 谷間の発電所やギンガハクタイビルにて、パールと呼ばれる少女がギンガ団の邪魔をしたことは既に知っており、彼女のことは敵と認識しているはず。

 そして将来性もありそうな人物と見えれば、物言わぬよう片付けてしまえと、11歳の女の子相手にも言ってのけるほどサターンの発想は冷徹だ。

 

『子供は成長が早い。ポケモントレーナーとしてであれば尚更です。

 アカギ様の判断で敢えて処分しなかったのであれば、お考えあってのことであろうとは存じますが……

 私には、念の為に始末しておいた方が得策であったと思えてなりません』

 

 そして、ギンガ団幹部のマーズやジュピターを呼び捨てにするサターンもまた、ギンガ団内ではそれに匹敵する立ち位置なのだろう。

 そんな彼がアカギに様を付けて呼ぶ辺り、アカギの立場とは察して余るべきものがある。

 これは確かに、傍受されてはならぬ会話というわけだ。

 

「ギンガハクタイビルに、ハクタイのジムリーダーのナタネと共に踏み込んでくるほどには、正義感の強い少女ということだろう。

 ナタネはそうした、正しい心を持つ子供とやらが好きだからな。

 大方、その後にでも連絡先の交換をしていることは想像に難くない」

 

『ナタネの性格を御存じで?』

 

「"シロナ"の友人だからな。何度かはシロナから話を聞いたこともある。

 そもそもシロナと気が合う友人で、離れた地で過ごす間柄でも親しいという時点で、いかに気が合うかは充分に察しがつくというものだ」

 

 アカギはナタネと面識が無い上で、彼女の性格を推察し果たしている。

 その性格について想像するだけでなく、彼女と行動を共にしたパールをどう見ているか、その後繋がりを持ちたがるであろうというところまで読み切っている。

 これはあくまで"念の為"の思慮だが、的を射て正解している点を鑑みれば、アカギの慧眼は只ならぬものがあると言えよう。

 

「下手に手を出し、少女とナタネが連絡付かぬことにでもなれば、ジムリーダーに強い異変への勘繰りを与えてしまう。

 既にそちらには、ギンガ団が暗躍していること自体は割れているだけに尚更だ。

 ギンガ団がジムリーダーの少女に手をかけた、とでも想像させてしまえば、シロナ共々黙ってなどいまい。

 ジムを放り出してでも、ギンガ団の足取りを追うことに向け、本格的に行動させてしまうことも考え得る。

 ……まあ、考え過ぎかもしれんがな」

 

『いえ、失礼致しました。

 確かに入念が過ぎるとも捉えられ得る理屈ですが、私は共感致せます。

 万が一にも、ジムリーダーやチャンピオンに我々との積極的な敵対を煽るようなことは避けるべきでしょう』

 

 ナタネは強く、顔も広い。そして彼女の友人というシロナもそう。

 既にギンガ団の活動を訝しんでいる両者なれど、共に本来の責務があるがゆえに、今はまだ大きな動きを見せずに済んでくれているに過ぎないのだ。

 はっきりと敵に回し、向こうが本格的にギンガ団と敵対することを選べばその日から、ギンガ団の活動への制限はかなり大きくなる。

 現時点では、アカギもサターンもそれは得策ではないと考える。

 

「時が満ちた時、あの少女が再び我らの道を遮るのであれば容赦は要らん。

 だが、今はまだそうした動きに移るのは時期尚早だ。

 もしも巡り会う日が訪れても、今は事を荒立てぬように片付けろ。

 時が満ちるまではもうそれほどかからん。少々の辛抱だ」

 

『かしこまりました。

 マーズやジュピターにも、そのようにお伝えしておきます』

 

 パールにとっては非常に危うい。

 ジュピターのような、本気を出したジムリーダーと渡り合えるような実力者二人に、顔と名前を覚えられているのだ。

 それも将来性はありしと見立てられ、その上で敵対し得る正義感の持ち主とあれば、今や状況が許すなら消し去るをも厭わぬ警戒対象ですらある。

 ほんの僅かな巡り会いに由来した、アカギの入念さによって救われている幸運さえ無かったら、数時間前にどうされていたかもわからない。

 彼女はそんなことも知らず、今頃ナタネと楽しそうに長電話しているが、こんなことになっていたともし知れば、ぞっとしているような話である。

 

『すべてはギンガ団の為に。

 我ら一同、ボスであるアカギ様の為に全身全霊を投じる想いです』

 

「うむ。

 よろしく頼む」

 

 最後の挨拶に締め括り、アカギは通信機の電源を切った。

 無表情のままテンガン山の遠景を眺めるアカギの目に映るのは、やがては叶えんとする大願と、今日その目に映ったパールの残影だ。

 忘れてなどいない。今日、あの少女の姿は目に焼き付けた。

 万が一にも障害になり得るかもしれない、幼くも将来有望と見立てられた未完の大器のことを、アカギは決して忘れようとはしない。

 

 時が満ち、再び相見えることがあれば?

 サターンが口にした"始末"という手段も、アカギはきっと厭わない。

 今日の出会いでアカギを尊敬できそうな大人と見たパールが、彼とのいつかの再会を望む想いとは裏腹、その現実は全く逆の方へと突き進み始めていた。



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第30話   ふれあい広場

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。


 

 朝を迎えたパール達。

 さっそく北上し、トバリシティを目指してもいいのだが、せっかく初めて訪れるヨスガシティだ。

 ちょっとぐらいは観光していきたいものである。

 今日は諸々の旅の目的も忘れ、一日この街を見回って遊ぼう、とはパールの提案であった。

 プラチナも快く頷いたものだ。最近の彼は、パールに遊ぼうと言われるとそちらの方が嬉しい気分にある。

 やっぱり男の子である。年の同じ女の子に、他の目的も無く遊ぼうと言われたら嬉しくなっちゃうものだ。決してプラチナに限ったことではあるまい。

 

 さて、朝から真っ先にパールが向かった場所。

 それはコンテスト会場でもなく、ポケモン大好きクラブでもなく。

 女の子のパールが真っ先に行きたがりそうな場所といえば、そのどちらかとプラチナは勝手に想像していたのだが。

 

「この"ふれあい広場"では、あなたのポケモン一匹と一緒に好きなように歩いていいことになっています。

 手持ちのポケモン、全部出してみんなで遊ぶようなことはしちゃダメですよ?

 みんながみんな、そうしちゃったら、広場いっぱいがポケモンでいっぱいになって狭くなっちゃいますから」

「はーい! わかりましたっ!」

 

 ヨスガシティの名物の一つ、ポケモンと共に歩くことを推奨された上でのびのびと歩きまわることが出来る、ふれあい広場。

 まあ冷静にパールの性格を想像すると、プラチナ目線でもここが本命だったかとは今になってわかるのだが。

 華々しいコンテストよりも、ポケモン大好きな人との交流よりも、大好きで大好きでたまらない自分のポケモンとの触れ合いが真っ先。なるほど。

 もっと言えば、昨日の話をすればそれよりもさらに彼女が優先したのはジム。

 案外パールって、プラチナが想像している女の子像から、ちょっとずれた位置にいるらしい。

 

 ふれあい広場のゲートをくぐる前に、受付のお姉さんに言われた諸注意に対するパールの返事も、まあ元気で明るくテンションの高いもの。

 早く早くここに入りたいという気持ちを抑えられないらしい。

 本当に、自分の感情に素直な挙動が表れやすい子である。

 

「気持ちはわからなくはないけど、そこまで楽しみ?

 ポケモンと一緒に歩くなんて、いつでもやってるじゃんって言っちゃったらヤボ?」

「だめだめ、プラッチ、そういうことじゃないんだから。

 自分のポケモンと二人きりで広~い広場をお散歩するなんてたまんないよ。

 えっ、むしろプラッチこのカンジわからない?」

「う~~~~~ん……全然わかんないつもりは無いけど……」

 

 と、プラチナが感じてしまうのは案外仕方ないことである。

 だってパール、時々自分のポケモンを街はずれで全部出して、みんな同士で好きなだけ遊んでおいで、ということをしている。

 仲良く遊ぶピョコやパッチ、ニルルやミーナを眺めているだけでうっとりのパール、しかも遊び疲れたらピョコもパッチもニルルも彼女にすり寄ってくる。

 スキンシップ混じりの自分のポケモンとの"ふれあい"なんて、プラチナが知るパールがいつでもやってることなのだ。

 それを知っていると、今さらふれあい広場にここまでわくわくする心情も、ちょっとよくわからないというのが本音である。

 

「あ、もしかしてプラッチ、パンフレット見てない?」

「いや、見たけどね。

 ポケモンセンターに置いてた、ふれあい広場に関するパンフレットでしょ?

 広場いっぱいにポケモン達が安らげるハーブが植えられてて、一緒にお散歩するポケモンの可愛い表情が見られますよ、ってやつだよね」

「え~、わかってんじゃん。

 なんでわくわくしないの?」

「まあ、魅力的だとは思うけど……

 パール、そういうのに頼らなくたって自分のポケモン達とはラブラブじゃん」

「えっ、プラッチから見てもそう見えてる?

 どうしよう、嬉しい。ありがと、プラッチ」

「ど、どういたしまして?」

 

 駄目だ、パール的乙女心がわからない。

 今の何が嬉しかったのやら、肩をひょこひょこさせて大喜びのパールである。

 元より乙女心というのは男の子が察するには少々難しいものではあるが、とりわけパールの嬉しがるツボというのはプラチナにはわかりにくい。

 

 まあ、パールを喜ばせようと思ったら簡単なのだが。

 明かしてしまえば、彼女が大好きなポケモン達を褒めてあげればいいのである。

 パールはきっと、自分のことを可愛いねと言われるより、綺麗だねと言われるより、最愛のポケモンを可愛い子達だねと言われた方が喜ぶ。お世辞でもウケる。

 愛に生きている。生き過ぎだが。

 自分で捕まえた、鳴き声を聞かせてくれる、すり寄ってくれる、肌で触れ合えるポケモンが、可愛くて可愛くてたまらないのは仕方ないことだけど。

 

「で、パールはどのポケモンと一緒に広場を歩くの?

 やっぱりピョコ?」

「……………………み、ミーナ?」

「なんで疑問形なのさ」

「むっ、今プラッチも疑問形な顔してるぞ」

 

 目先をあらぬ方向に向けて応えたパールだが、確かにプラチナにとっても意外な答えだった。

 たった四人しかいないパールの手持ちで、一番パールに懐いていない子だ。

 と言うよりもむしろ、みんなパールに懐いている彼女のポケモンの中で、唯一彼女に好意的な態度を徹頭徹尾見せてくれない唯一とさえ。

 

「これを機会に、ちょっとでもミーナと仲良くなっていきたく」

「知らないよ、テンションだだ下がりで帰ってくることになっても」

「も~! なんでそんな幸先悪いこと言うの!」

「いやぁ、だって……冒険的ではあるし、心配にもなるよ。

 暗い顔で帰ってきそうな予感は凄いし」

「うぐぐ、心配してくれてるなら責められない……

 私も正直、けっこう思い切ってるところはある」

 

 自覚はあるようだ。

 どうにも懐いてくれないミーナと一緒にふれあい広場を歩き、少しでも心を近付けられたらいいな、という望みを含めてのチョイスと見えてならない。

 実際そうで、目論見がはずれてミーナに終始つんけんされて、結局上手くいかずにしょんぼりして帰ることになる覚悟もしているようだ。

 わかっているなら、プラチナも異は唱えられない。肯定してあげるしかない。

 

「まあ、頑張って」

「あっ、なに、その気の毒そうに見送る目!

 見てろよ~! ぜったいミーナと仲良しになって帰ってくるからな~!」

 

 とはいえパールからしてみれば、他者からこんな眼で見られては意地を張りたくなる。

 ミーナと関係が良くないことは自分でもわかっているとも。

 それを他人に突き付けられたらむかっとしちゃうというのもよくある話である。

 

 啖呵を切って、ミーナをボールから出してふれあい広場に入っていくパール。

 いくらふれあい広場が、ポケモンにとって心安らぐハーブの香りに満ちた場所とはいえ、それで昨日の今日であのミーナが態度を改めるとは考えにくい。

 友達なんだから応援はするのだけれど、厳しいんじゃないかなぁ……という現実的な視点で見送るプラチナの眼差しも真っ当だ。

 

 苦笑い気味に手を振って、パールを見送るプラチナだが、彼は彼で寂しいものである。

 結局パールはプラチナを遊びに誘っておきながら、自分のポケモン達のことで頭がいっぱいなのだ。

 自分に好意を持ってくれていて、今日一日パールと一緒に遊べるなら楽しそうだな、と思ってくれている異性にこの仕打ち、まあまあ罪作りなパールである。

 プラチナはパールを見送ると仕方なく、自分のポケモン達をボールから出して、パールを待つ間ヨスガシティを散策して時間を潰すのだった。

 

 ちょっぴり気の毒なプラチナだが、彼は案外残念がっていない。

 初めて訪れる街を興味津々に見回す、自分のポケモン達はやっぱり可愛い。

 パールが自分のポケモンを、他の何よりも勝って愛する気持ちは、プラチナにだって理解できてしまうのだ。

 可愛い自分のポケモン達の姿を見て、パールの気持ちも察して余ったプラチナは、今度こそより強く、上手くいけばいいねとパールに想い馳せるのである。

 優しい友達がそばにいてくれてパールも幸せ者だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……まっ、待てえぇ……ミーナぁ……」

 

 いや、案外そこまで幸せなばかりではないのかもしれない。

 ふれあい広場に入って数分後、息も絶え絶えのパールと意地悪に笑うミーナの姿があった。

 たいそう振り回されているパールである。こっちの友達は超やんちゃである。

 

 ふれあい広場は広大で、ボールから出てきたミーナはその眺めに目を輝かせていた。

 いい匂いが漂っていて心地良い上に、いくらでも走り回れそうな広さが目の前にあれば、ミーナだって機嫌が良くもなる。

 都会のコトブキシティを訪れた時、目移りする光景に瞳を輝かせていたパールと同じように、目に上機嫌を物語るミーナの姿にはパールも手応えを感じていた。

 今の機嫌が良いミーナとなら、ちょっとずつでも仲良くいけるかも、と。

 

 実際その後、ミーナの方からパールに近付いてきて、彼女のスカートをくいくいと引っ張る姿を見せてくれたものである。

 こんなの初めてのことだ。それだけでパールはたまらなく嬉しかったのだが、ミーナが何を言いたいのかをすぐに考える。

 ミーナは走りかける仕草を見せてくれたり、振り返って来い来いと手で招いたり、鬼ごっこでタッチする仕草のようにパールのお腹をぽんと叩いたり。

 その後、身振り手振りで何かを主張するミーナの姿から、どうやら追いかけっこがしたいんだなとはパールも理解できた。

 人とポケモンでは言葉による会話は出来ないが、一生懸命ジェスチャーしてくれるポケモンとなら、大まかな疎通は出来たりするものである。

 

 それこそパールにしてみれば、ミーナが初めて自分に遊ぼうと持ち掛けてくれた展開である。気合だって入ったとも。

 しかし、ミーナの足ときたら速いのなんの。

 元々ミミロルは足が速い方のポケモンで、ミーナはパールの下で鍛えられた結果、健脚でバトル慣れしたパッチと駆けっこで競えるほどの走力がある。

 ミーナに全力で逃げられたら、パールに追い付ける道理なんてはじめから無いのだ。

 パールだってそれはわかっているし、何なら"負けてあげる"ことだって全然吝かではなかったぐらいなのだけど。

 

「――――♪」

「はっ、はひ……

 こいつめええぇぇぇ……」

 

 ミーナときたら、逃げ方にも煽り方にも明確な意地悪心がある。

 パールが全力で走ったら追い付けそうな速さに自分のスピードを調節し、近くまで迫られたらちょっと本気を出してそれ以上距離を縮めさせない。

 鬼ごっこの鬼から逃げる中、相手に追い付けそうな希望を錯覚させつつ、結局捕まらない逃げ方を普通にやっている。

 なまじパールも頑張らざるを得ず、ずっと必死でミーナを追い回し、しかし結局捕まえられない、それがずっと続いている。

 ずっと全力で追う足を駆けさせ、とうとう息が切れて膝に手をついてひぃひぃ息を荒げるパールに、ミーナは得意気な顔で歩み寄って来る。

 

 スキップして近付いてきて、息を切らしてうつむくパールの顔を下から覗き込んで、どうしたの? もう限界? とにんまりした顔を見せつけるのだ。

 露骨に挑発している。そんな煽り顔をされては、パールも思わず捕まえる手を伸ばしかけるが、ミーナは余裕いっぱいにぴょんと跳び退がって回避。

 そしてパールに背中を見せると、突き出したお尻をふりふりするのである。

 その時、振り返り気味にパールの方を見て、ザコめと鼻で笑うかのようなミーナの表情たるや、パールに新たな認識を抱かせる。

 この子、かなり性格尖ってるなと。

 

「ぜ……っ、ぜえったい捕まえてやるうぅぅ……!」

 

「――――♪」

 

 こんなに煽られるとパールも熱くなってしまって、汗だく息切れの身体を起こして、再びミーナを追い始める。

 あと数分は走り回っても息切れしないスタミナのあるミーナ、へろへろ必死の足で追ってくるパールから、軽やかな足取りで逃げるだけ。

 引き付けるだけ引き付けて、パールが掌を伸ばしてきたら悠々と加速して、捕まらない距離をあっさり稼ぐ。

 その都度勝ち目の無い勝負をしていることを突きつけられ、疲労も相まって絶望的な顔をするパールを、振り返ってきひひひと笑うミーナである。

 

 そんな馬鹿にするような顔をされたら、熱くなって奮起しちゃって、顔を上げてまたミーナを全力で追い走るパールである。

 賢明ではない行為と言えばそうなのだろう。そもそも捕まる気の無い脚自慢のポケモンと追いかけっこなんて、最初から勝ち目のない勝負なのだ。

 もう何分も付き合ったんだし、もういいでしょと膝を着いていい頃合いである。

 だが、パールは熱くなっちゃってる。煽られたらムキになっちゃう。

 パールは感情に素直である。結果、ミーナの掌の上で転がされまくる。

 

 結局その後も、元気な時の全力疾走には遠く及ばない足取りで、パールがミーナを追いかけ回し続けて。

 何らかの奇跡が起こって捕まえられることもなく、とうとうパールの体がついていかなくなり、走れなくなってすっかり立ち止まり。

 もうだめ、むり……とばかりに心の折れたパールが、倒れ込むかのように草地の上で膝をつき、頭を垂れて息を掠れさせるところで追いかけっこは終わった。

 

「――――? ――――?」

「く……っ、くゃしぃ……

 み、ミーナ……今日のこと、ぜったいにわすれないからね……っ!」

「――――♪」

 

 完全に力尽きたパールに歩み寄り、腰に両手を当てて頭を低くして勝ち誇るミーナである。

 屈服して跪いたパールを、顎で見下して笑うかのように、鼻まで鳴らして。

 解釈次第では、自分有利な追いかけっこでマウントを取れて勝ち誇る子供っぽいミーナ、とでも言えそうな姿だが、どうやら本質はそうじゃない。

 好かぬパールを煽って、限界以上まで引きずり回して、息を苦しくしているパールを見下してご満悦という顔だ。

 背丈の低いミミロルを、低い位置から見上げたパールが見た、ざまぁみろと嗤うミーナの表情には、パールにさえもそう確信させるものがある。

 

「~~~~♪」

 

「ちょ……ま、待ってぇ、ミーナ……

 一人でうろうろしないでぇ……」

 

 パールをここまでへとへとにさせて満足したミーナは、ぴょんぴょこ上機嫌な足取りで広場の散策へ向かっていった。

 保護者にあたるはずのパールも、がくがくの膝に力が入らず、胸もお腹も痛くて立ち上がることさえすぐには出来ない。

 パールのことなんか知ったこっちゃないと奔放に離れていくミーナは、いくらパールが手を伸ばして呼びかけても無視して去っていく一方だ。

 飽きたオモチャにはもう興味も無いと言わんばかりの態度である。

 

 自分に懐いてくれていないからのあの態度だと思っていたパールだが、どうやらミーナは元々じゃじゃ馬気質のようだ。

 悪い企みをする知性が、好かない相手はいたぶるように苦しめることすら出来、飽きたらポイ。

 あのずる賢さ、バトルで活かせれば案外大物になったりするかもしれないが。

 そういう発想をするにはまだ幼過ぎるパールをして、ミーナには今後も何度も苦しめられそうな予感しか感じられない。

 ミーナが自分に懐いていないことは明白なだけに、これからもこんな意地悪をされ得ると思ったら、立てない弱った体で気が滅入る。

 

 それにしても。

 これだけ苦しめられながら、自分が捕まえたポケモンなんだからと、なんとかミーナとの関係を良いようにしていきたいと念じているパールである。

 可愛がるんだと決めた初心は、絶対に覆さない。ここまでされて尚だ。

 実は"ぶきよう"なミーナだが、パールも好きになっていこうと一度決めた相手を決して見限るまいとするその思考、こちらも案外器用ではないのかもしれない。

 

 今のパールって、出会いや縁に人生まで左右されそうな子だ。

 素敵な人に出会えれば、尽くして愛して幸せな人生。

 逆に悪い人に騙されて絆されたら、本質的には苦しめられつつも、それに気付かず、あるいは気付くまいと献身的であり続けるやも。

 11歳って純真である。ややもすると、パールは特に。

 最近出来た友達のプラチナが悪い子じゃなかったことは、こんなパールにとっては、本来以上に幸せなことだったのかもしれない。

 もしかすれば、パールもそのうち気付くかもしれないことだが。



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第31話   お久しぶり

「~~~~♪」

 

「うーん、機嫌良くなってくれてるのはいいんだけど……

 なんだか複雑な気分だなぁ……」

 

 広場をぴょんぴょん跳ねながらお散歩するミーナは上機嫌だった。

 追いかけっこでパールをくったくたにしてやって、それで溜飲でも降りたかのようにご機嫌というところ。

 並んで歩いても邪険にされないほど機嫌良くしてくれるのは結構なのだが、私をいじめてすっきりしてご機嫌、とでもいうこの態度はパールももやっとする。

 仲良くしたいし可愛がってあげたいミーナだけど、流石にそういう関係は歪んでいると思うし、パールは新しいアプローチが出来ないか考え中。

 

「――――♪」

 

 しばらく広場を散歩していると、ミーナが一本の木に目をつけて駆け寄っていく。

 ぴょんぴょんと跳ねた後、幹に手をかけぎゅっと力を入れて、そのままよじよじと上っていくではないか。

 腕力自慢には見えない手だが、軽い体で木登りするぐらいの力は出せるのだ。

 

「――――、――――」

「ええっ? 私も来いって?」

「――――」

 

 二階ぶんぐらいの高さに生えた太い枝まで到達すると、ミミロルはそこに立って地上のパールを見下ろし、来い来いとばかりに手招きする。

 登って来いということらしい。まあ、パールには出来るけれど。

 そんな想定はしていなかったパール、近くには誰もいないとは言ってもスカートで木登りはちょっと抵抗があったりも。

 小さい頃からダイヤに連れ回されていたパール、木登りぐらいは何てこともないのだが、そういうことをするんだったら下は履き替えたいのが本音である。

 

 とはいえ珍しく、ミーナが機嫌良く一緒に遊ぼうと言ってくれているのだ。

 誰にも下から覗かれたりはしなさそうだし、パールも木の足元にまで行き、手のかけられそうな場所を探して。

 昔はこんなことしてよく遊んだなぁ、というのを思い出しながら、ミーナが立っている枝にまで登り切る。

 

「――――♪」

「あははっ、良い眺めだよね。

 ミーナも楽しんでくれてるみたいで私も楽しいよ」

 

 パールとミーナ、太くて折れそうにない枝部分にお尻を乗せて座り、ちょっと高いこの場所から広場の遠景を眺めている。

 二階のベランダから外を見る程度の景色でも展望は良く、まして小さなミーナにとってこの高さは、地上よりも相当に目線の高さが変わるはず。

 眺めの良さにミーナが目を細めて笑っている横顔を近くで見られて、それがパールにとっては何よりも良い眺めだったものだ。

 

 あんまりべらべら話しかけて、景色を堪能しているであろうミーナの邪魔をするまいと、パールもミーナが眺める遠方を共に見つめていた。

 まったりとした時間である。しかし、それなりに楽しい。

 高い場所では、吹く風が肌を撫ぜる心地良さも、地上とは一風変わった感覚で味わえて、それもまた趣のあるお楽しみ。

 ミーナが飽きて降りるまでは、何も言わずにただただこの景色を楽しもうとするパール、充分満足できる心地である。

 

 目先の眺めしか見えていなかったパールは、後ろから近付いている何かに気付くことなど全く出来なかった。

 それはふわふわと、音も無く、そーっとパールの後ろから近付いて、彼女の顔のそばまで接近し。

 結果的のそのポケモンは、パールの耳元に口元を添える形にまで至り、その瞬間にパールがほんの少しだけ、気配を察した程度である。

 

「――――」

 

「へぁうっ!?!?!?

 っ、はわ!? ちょっ、やっ、あわわわわわっ!?!?!?」

 

 パールの耳元で小さな鳴き声を発したそのポケモンだが、声よりその口元から溢れた吐息めいたもので、パールは不意打ちで耳をくすぐられる形に。

 超びっくりしてあわあわばたばたしたパールだが、ここは木登りした枝の上。

 そんな所で暴れたら、バランスを崩して落ちちゃう。さあ大変。

 

 いや、パールは膝の裏を自分が座っていた枝に辛うじて引っかけて、頭から真っ逆さまに落ちそうだった危機を自力で免れた。

 結果、逆さまに宙ぶらりん。スカートがめくれてその下が大変なことに。

 いや、この緊急事態でも左手でスカートを押さえ、太ももの付け根が見えないように押さえている反射神経はなかなか凄い。

 別にそばに誰もいなくたって、宙ぶらりになって恥ずかしい下半身丸出しなんて絶対にさせない。ウルトラCである。

 

「ちょちょちょ、やばやばやばっ!?

 ミーナたすけてぇ!? 引っ張り上げてぇ!?」

 

 スカートを押さえる左手が全く使い物にならない上で逆さ吊り、脚だけで枝にしがみついているパールは大ピンチ。

 見下ろすミーナに右手を伸ばし、お願い引っ張り上げてと訴えるパールだが、この期に及んでたいそう楽しそうなミーナである。

 な~にやってんの、とばかりにくつくつ笑い、口元を隠すことに両手を使うミーナに助けてくれる気配はゼロ。

 パールの絶望感ったら凄い。このままじゃこの高さから、頭から地面に落ちちゃいそう。でも左手は使えない。右手を引いてくれる人もいない。

 腹筋に力を入れて体を起こして枝を右手で握れれば何とかなるかもしれない。流石にか弱い女の子のパールに、そんな筋肉はありません。

 運動神経と反射神経でここまで何とかしているのは凄いが、どうしたってここまでである。

 

「お願いミーナ~!

 しんじゃう、しんじゃうから~!」

 

 ミーナが助けてくれないと頭から落ちちゃいそうなパールは、必死で叫んで訴えるしかない。

 流石にここまで必死にお願いされると、ミーナもこれは放置するのも心苦しくなって、太い枝にお腹をつけて、パールに向けて頭を下げる。

 長い耳を垂らして、これでも握れというサインらしい。

 これはいいんだろうかとパールも一瞬思ったが、彼女の中では命さえ懸かってる気がしているので、四の五の言っていられない。

 ごめんなさい助かります、と心の中で唱えて、ミーナの耳をぎゅっ。

 

 ミーナは頭を上げて、首の力でパールを引き上げつつ、自分の両手は耳のパールが握っている場所の近くを握っている。

 これをしないと大事な耳がびぃんと伸びて痛いからだ。

 こうしてなんとか枝を掴めたパールは、逆さ吊りの状態からなんとか座る姿勢まで戻ることが出来た。

 心臓ばくばく、死ぬかと思ったの心境の中、パールはいそいそと木から降りていくのだった。

 

 

 

 

 

「もぉ~、あんな危ないイタズラするなんて良くないよ!

 まあ、反省してるみたいだからいいけど……」

「――――……」

 

 高所のパールに背後から近付き、声あるいは吐息をかけたのは一匹のフワンテだった。

 木から降りたパールは腰に両手首を当て、自分の目線より少し低い位置まで降りてきたそのフワンテに、ぷんすかしながらお叱りだ。

 フワンテもしょんぼりしているので、パールも怒るのもほどほどに、溜め息を吐いてこれぐらいでいいかとお説教を打ち切る。

 ダイヤのような、怒っても悪びれなく笑うような相手ならぎゃんぎゃん行くパールだが、しょぼんとした相手にはあまり強く出られないようだ。

 

 その横では、ミーナがなるほどとその様子を眺めていた。

 もし本当にパールをこれぐらい怒らせてしまう日が来ても、こうしてしょんぼりして見せれば怒られずに済みそうだと学習中。

 パールの知らない所で悪女が知恵を蓄えている。今後もミーナに手を焼かされそうな予感がたいそう強まる光景だ。

 

「あなたのトレーナーさん、どこ?

 近くに誰もいないけど、トレーナーさんからあんまり離れちゃダメだよ」

「――――、――――」

 

 ここはトレーナーが自分のポケモンとお散歩するふれあい広場であり、野生のポケモンなんて生息していない。

 このフワンテにもトレーナーがいるはずだと思うパールの言葉に反し、フワンテはぷるぷると身体を振る。

 まるで、首を振って否定するかのように。

 

「えっ、あなたトレーナーは……

 ……………………あ、あれ? もしかして、もしかしてだけど……

 あなた、もしかして前に私に会ったことある?」

「――――!」

 

 じーっとフワンテを見ていると、なんだかこのフワンテ、見覚えがあるような。

 ポケモンの個体ごとの顔つきの違いなんて流石にわからないが、このフワンテのサイズ、目つき、パールにどこかで見たようなという直感は得させてくれる。

 パールがテレビ越しでなく、生でフワンテを見たのはかつて一度きりだ。

 もしかしてわかってくれた、と表情を明るくしたフワンテは、パールの胸元にダイブしてきてむぎゅ~すりすりする。

 

「ちょっ、あはは、やめてやめて、くすぐったいから!

 あなたやっぱり、発電所で会った子だね?」

「――――♪」

 

 たまらないぐらいこそばゆいので、パールもフワンテを両手で持って胸から引き離す。

 顔を合わせて尋ねたパールにフワンテは、わかってくれた喜びいっぱいの笑顔と声で応えてくれた。

 谷間の発電所に乗り込んだ時、屋上に迷い込んできた傷ついたフワンテを、パールが傷薬で癒してあげたことがある。

 どうやら本当に、このフワンテはあの時の子らしい。

 

「えぇ~、うそぉ、信じられない。

 あそこからここまで結構あるよ?

 こんなところで再会だなんて運命感じちゃうよ」

 

 運命じゃなくてこのフワンテ、ず~っとパールについて来て、離れた場所から見つめていたのだが。

 彼女らがハクタイの森に入った時からずっとついて来ており、街に入られたらそれ以上追えないので、野生の暮らしで暇つぶし。

 やがてパール達が街から出たら、再び追跡開始である。

 今日のように近付いてコンタクトを取ればパールも喜ぶばかりなのだが、なかなか今日までそれが出来なかったのは、このフワンテが内気だからだろうか。

 人間にも、好意を持った女の子に、なかなか積極的に声をかけるのが難しくなっちゃう子はいるものだ。多分、プラチナ辺りもそういう男の子だし。

 

「――――、――――」

「あははっ、なになに?

 言葉が通じないからよくわかんないけど可愛い!

 待ってね待ってね、何が言いたいのか今考え……いたっ!?」

 

 パールに何か言いたげに、浮かせた体をふりふりと揺らすフワンテの仕草は、意志疎通を目的としたものだがパールにはそれ以前の問題。

 すごく可愛い。一生懸命に揺れるフワンテ。

 何か伝えたいことがあってそうしているのはわかるけれど、言葉が通じない人とポケモンなので、パールもフワンテの言いたいことを考える。

 しかし、そうしてフワンテに目を輝かせるパールのお尻を、ミーナがべっちんと平手打ちする。

 

「ちょ、なに!?

 ミーナっ、乱暴なのは……」

「――――、~~~~♪」

 

 振り返ったパールにお尻を向け、それをふりふりする仕草を見せると、ぱちんとウインクしてみせるミーナ。

 何がしたいのかよくわからない。ウインクから察するに、自分を可愛く見せようとしている意図はパールにもわかった気がしなくもないが。

 これは何なんだろう。私の方が可愛いでしょ、的な?

 

「あ、えと……か、可愛い、よ?」

「――――!」

 

 実際、ミミロルは可愛らしい姿かつ、ミーナは自分を可愛く見て貰える仕草を直感的にわかっているタイプ。

 "かわいさコンテスト"なんかに出れば、きっと天性の才能を発揮するだろう。

 しかし、今いきなりこんな場面でそんなもの見せられたって、パールも戸惑いながら返事することしか出来ない。

 嘘は言っていないが半ば棒読みみたいな声使いになってしまうパールに、ミーナは本心でないお世辞を言われた気がしてしまって拗ねる。

 ほっぺたぷくーと膨らませ、顔を真っ赤にしてむかつくやら恥ずかしいやら。

 確かに、ぶりっ子仕草を作って見せて空振ったら恥ずかしいものだが。

 

「――――」

「あっ、ごめんね。

 あなたも可愛いよ~、すごく抱きしめたい!

 ね、ね、ぎゅってしていい? よかったらうなずいて?」

「――――♪」

「ゆるされた! えへへっ、ぎゅ~!」

 

 今のパールの興味はフワンテに全振りである。

 ハグしていいかという問いに快諾を得られたら、フワンテを胸元に抱きしめる。

 可愛い可愛い愛らしいの想いが強い抱きしめでありながら、相手が苦しくない程度に力を加減できている辺りは、パールも根っから優しいものである。

 

 そのそばでは、蚊帳の外にされたミーナが、むぎぎぎと顔を真っ赤にして拗ねまくっているが。

 パールが自分から興味を離してしまっているのが、なんだかたまらなく悔しいらしい。

 あんなにパールのことを態度にも表すぐらいなのに、相手にされないとむかむかしてしまうらしい。

 ツンデレ? いや違う、これは単なる構ってちゃん。すごく拗ねた眼でパールを見上げ、むかむかと身を震えさせている。

 

「ねえねえ、あなたも私と一緒に来ない?

 あなたが友達になってくれるなら、私すっごく大歓迎だよ!」

「――――♪」

「やった! いい反応!

 それじゃボールに……」

「――――!」

 

 五人目の友達が決まってしまったパールは、バッグから空のモンスターボールを取り出したが、それを見てフワンテは表情一変だ。

 ぴゅんっ、とパールの目前位置から後方に2メートルぐらい、凄いスピードでバックして距離を取る。

 あ、あれ? とボールをフワンテに向けようとしたパールも、思わぬ反応に固まってしまう。

 

「――――、――――♪」

 

「えっと……一緒に来てくれるん、だよ、ね?」

 

「――――♪」

 

 パールの問いかけに、フワンテは笑顔でうなずく仕草を見せる。

 でも、パールの目線よりずっと高い場所に身を浮かせ、ボールを投げて当てるには一定のコントロールが要る位置へ。

 これは、自分をボールに入れて一緒に連れて行って、という位置取りとは真逆の意図を感じさせるものである。

 

「~~~~♪」

「ええっ、ちょっと!?

 どこ行くの~!?」

 

 間違いなく、パールに好意を持っているのは明らかなフワンテだが、そのまま風船のようにぷかぷかと浮いていって、そのまま空の彼方へ去っていった。

 行動と態度が噛み合っていない。何を考えているのかわからない子である。

 ボールを投げても届かない高さまで至られてなお、向こうはもっと高空へと去っていくので、パールも唖然と見送るのみである。

 

「ど、どういうことなんだろ……っ、あれ!? ミーナ!?」

 

 地上に目を向けてみたらミーナもいなくなっている。

 パールがフワンテにばかり構っていたものだから、拗ねてどっか行っちゃったらしい。

 構ってちゃんどころか困ったちゃんである。

 この後パールは、この広い広いふれあい広場で、ミーナを探すために奔走する羽目になるのである。鬼ごっこの次はかくれんぼである。

 

 ミーナの名前を呼びながら広場を探し回るパールは、結果その五分後ようやくミーナを見付けられた。

 いわポケモンが和むようにと作られた、砂地の上に作られた岩屋のような場所である。

 そこでミーナは硬い地面の上に、肩肘ついて横になるという、休日テレビを寝転がって眺めるだらしないおっさんのような寝姿で不貞腐れていたのだった。

 

「もぉ~、ミーナぁ、行くよ~。

 ごめんってば、ミーナのことほったらかしにして」

 

 パパ休日なんだから遊びに行こうよ、とでも例えられそうな感じでゆさゆさとミーナを揺さぶるパールだが、ぺちっとその手も払われる。

 すねすね。すごく拗ねてる。

 顔を覗き込んでみたら、頬を膨らませているミーナの表情。これはこれで可愛い顔なのだが。

 

「ここからは何でもミーナに付き合ってあげるから。

 追いかけっこする? 何でもやるよ?」

 

 ご機嫌取りな言葉を口にするパールだが表情は柔らかい。

 あんなに自分のことを嫌っている素振りを見せるミーナだが、無視されたらされたでこんな風に怒っちゃうのだ。

 なんとなく、構ってちゃん気質なのはわかったし、これはこれで今後も手がかかりそう。

 しかし、自分がこの子に関わることが、不快感を与えるばかりというわけでもなさそう、とも感じられる。プラス思考に考えよう。。

 何だかんだで"私のポケモン"である。だったら愛着は無くならない。

 

「ほらミーナ、抱っこ抱っこ。行こ?」

「――――!」

「はぐうっ!?」

 

 寝そべったミーナを抱いて立たせるパールに、子ども扱いするなとミーナの拳がパールのお腹にどすり。

 女の子に腹パンだなんてひどい。でもミーナも女の子である。女の子が女の子に腹パンって、ひどさ果たしてどの程度だろうか。

 男が女の子のお腹を殴ろうものなら万死に値する罪なのだが。

 

「うぐぐぐ……やったなミーナっ……!

 そんなやんちゃな子はこうだっ!」

「――――!?

 ――――ッ、――――っ!!」

 

 殴り合いになったら勝てないので、パールはミーナに組み付くようにして、こちょこちょミーナのお腹や脇腹をくすぐる。

 セクハラとはひどい。でもミーナは女の子である。女の子が女の子の体をまさぐるって、犯罪度いささかどの程度だろうか。

 男が女の子にこんなことしたら即パトカーだが。

 

「――――!」

「わひゃっ!?

 まってまってまって、ミーナやめっ、あはははははっ!!」

 

 だけどやっぱり、力任せに勝負したらミーナの方がパワフル。

 くすぐったさに暴れてパールを振り払うと、ぐいぐいパールを仰向けにして、お腹の上に座り込む。

 マウント取ったら絶対逃がさないよう下半身でパールのお腹を強く挟み込んで、パールの脇腹をこちょこちょこちょ。

 暴れて抵抗するパールだが、そのうちパールの両手首をミーナが右手だけでぎゅっと掴み、パールの頭の横にぐいっと押さえつける。

 がら空きになった腋。あっ、これはやばい、とパールも今さら悟ったが、自由な左手をわきわきさせているミーナの悪い笑顔がいっそう怖い。

 

「ま、待ってミーナ! まいりましたっ!

 私の負けっ! だから許し……いやあああああはははははっ!?!?!?」

 

 駄目です、ギブアップなんて認めません。

 仰向けで、両手を顔の横に上げた状態で押さえつけられて、お腹に乗られて下半身は何の抵抗にも使えず、どう足掻いても弱点は無防備。

 足をばたばたさせたって、首をぶんぶん振るぐらい体をよじろうとしたって、腋をくすぐるミーナの手からどうやっても逃げられない。

 

「だめえええぇぇぇしぬうううぅぅぅあはははははは!?!?

 おねがっ、ゆるしっ、わたっ、私がわるっ、わるかった、からあっ……!」

 

 悶絶の笑顔で涙まで散らして苦しむパールを見下して、ぞくぞくするような楽しみを得ていっそうくすぐり攻撃の手を速めるミーナ。

 右の腋をくすぐったら今度は左の腋。たまらず暴れようとするパールだが、ぐっと押さえつけられて逃げられないパールをすっかりミーナが掌握している。

 蹴ったり殴ったりしてパールをいじめてきたりはしないけど、ミーナのサディスティックな性格がちょっと垣間見えているような。

 

 たいそうおっかないことに、そんなミーナの拷問が五分以上続いたのである。

 最後の方はパールも息が切れ、笑い声もかすれて出るか出ないかの状態で、体に力が入らなくなってもぞもぞ動く程度に衰弱し。

 いつの間にか、パールの手首を押さえつけている方のミーナの手に、抵抗の力が全く入っていないことに気付いて、ミーナもようやくくすぐりをやめた。

 乗っていたパールのお腹の上からどいて、立ち上がって見下ろすミーナの目には、指一本にも力が入らず、ひくひく体を痙攣させるパールの姿があった。

 

「ひっ……はひ、ぃ……

 もう、むり……ゆる、ひて……」

 

 追いかけっこで体力をゼロ以下にしてやった時とは異なる、骨抜きにされたパールが枯れた声で許しを請う姿には、さしものミーナも少し反省。

 これは流石にやり過ぎたか。涎が溢れそうになってぎりぎり口を閉じたパールを前に、ミーナもぺたんと座り込み、彼女から目を逸らして頬をかく。

 やり過ぎちゃったら少し反省するぐらいには、ミーナにも良心というものがあるようで何よりだ。

 

 結局この後、パールが立ち直るまで随分と時間がかかってしまった。

 呼吸を整え普通に息が出来るようになるまで5分、そうなっても腰に力が入らず、やっとがくがく震える足で立つことが出来るまでにさらに10分近く。

 流石にミーナも、早く行くぞとパールを急かすようなことはしなかった。自分のせいだし。

 ふれあい広場に滞在した時間もやや長くなってきており、結局パールが立って歩けるようになれば、そのまま広場から去る方へと進んでいくのであった。

 

 気難しくて、性悪で、今後もパールを振り回しそうなミーナである。

 短時間でそれを改めて痛感させられたパールだが、単に今後に不安を感じるばかりでないのが、パールの転んでも只では起きないところ。

 無視したらこうして不機嫌になる辺り、嫌われているばかりじゃないんだな、と前向きな結論を脳内で反芻するパールは本当にポジティブである。

 

 実際に滞在した時間以上に、ミーナのことをよく知り、関わり、色々今後ミーナとの付き合い方を考えていくにあたって、貴重なヒントにはなっただろう。

 それもまた、最愛のポケモンと一緒に歩ける環境として整えられた、ふれあい広場がもたらしてくれた経験の一つ。

 まあ、来てみてよかったのではないか。共に歩く友達を誰にするかで、考え抜いた末にミーナを選んだパール。

 きっと今日の経験だって、いつかは後から良い思い出になってくるはずだ。



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第32話   久しぶりの三人揃い

 

「楽しかったね~!

 テレビで見るよりもずっと面白かった!」

「あはは……元気になってくれてよかったよ」

 

 ふれあい広場から帰ってきたパールはプラチナと合流した。

 明るく笑って楽しかったとプラチナに伝えたパールだったが、明らかにその笑顔は疲れきっていた。

 ミーナにけちょんけちょんに振り回されたのは見るも明らかである。

 プラチナが気を遣って、あらかじめパールが喜びそうな次の行き先へ誘ったのであった。

 きっとプラチナは彼女が出来ても、ちゃんとデートコースを作れる子。

 

 ヨスガシティ最大の名物である、ヨスガコンテスト会場にエスコートして貰えたパールは、華々しい舞台を見て目を輝かせていた。

 ポケモン達がバトルではなく、可愛らしさや美しさを競うコンテストであり、きらきらとしたステージ上の輝かしさは折り紙付き。

 きっとパールも、ふれあい広場での苦労を忘れて楽しんでくれるだろう、と見立てたプラチナの眼は見事である。

 現にパールはお腹いっぱい楽しみ、コンテスト会場から去る時はきらっきらの笑顔。プラチナ的には大成功。

 

「パールはコンテストに出てみたいとは思わないの?」

「思わないことはないけど、今はいっかな。

 今の私はポケモンリーグ目指して忙しいのだ」

「へ~、意外。

 僕らと同じ年頃の女の子、こういう舞台に憧れる子が多いのに」

「興味ないことは無いってば。

 今はまだ、っていうだけだよ」

 

 そうは言うが、本質的にパールはあまり興味を持っていなさそうである。

 パールぐらいの年頃だったら、世の中見るもの新鮮なものがいっぱいあって、やってみたいことは沢山できるものだ。

 やりたいこと全部やろうと思ったら時間がいくらあっても足りないし、二兎を追いたくなることだってあろう。

 そんなパールは『今は別にいい』と素っ気ない時点で、興味が無い、厳密にはバトル寄りのトレーナーとしての日々に夢中ということである。

 寄り道している暇は無い、という賢明さではなく、単に興味を持っていないから。持っているなら、少々程度は後ろ髪を引かれるリアクションがあるはずだ。

 

「パールのお母さんはコンテストの有名人なんでしょ?

 そっちの道は目指さなかったんだ?」

「うんうん、私も今日知ってびっくりした。

 お母さん、すごい人だったんだね」

「えっ、知らなかったの?」

「だってお母さん、私にそういう話は全然しなかったもん。

 私が生まれてからは、ポケモンコンテストに一回も行ってないっぽいし」

 

 パールが驚かされたのは、歴代コンテスト優勝者が額縁写真で飾られた場所に、お母さんの若い頃の姿を発見したことだ。

 今のパールよりももう少し年上ぐらいの頃に、ポケモンコンテストで優勝したことがあったらしい。

 その後も時々、コンテストの審査員を務めたこともあるぐらいなので、主催者側からも余程に一目置かれていたということだろう。

 ヨスガシティでポケモンコンテストに関わる者で、パールのお母さんを知らない者はそうそういないはずである。

 

 どうやらパールはこのことを今日初めて知ったらしく、お母さんから一度もこんな話を聞いていないらしい。

 たまたまそんな話をしてこなかったのか、それとも意図して伏せられていたのか。

 パールはお母さんと仲良しなのだし、一度ぐらいは昔の自慢話だって聞かせてくれそうなものなのだが。

 何にせよ、コンテストで優勝するほどの腕があったお母さんの影響一つ受けず、パールはコンテストに無興味な子に育ってしまったようだ。

 

「あのお母さんの子供っていうことでコンテストに参加すると話題にもなったりしてね。

 パールもそういう才能、お母さんから貰ってたりするかもしれないし」

「あはは、そうだったら嬉しいけどね。

 でもいいんだ、私は今はポケモンリーグが目標だからさ」

「ぶれないね。

 やっぱり昔、自分のことを助けてくれた人に会いたいから?」

「ん~、最近は色々と考えも変わってきてるけど……まあ、そうかな。

 やっぱりポケモンリーグに挑戦するぐらいのトレーナーになった方が、有名になれそうだからさ。

 や、コンテストで優勝するぐらいの人が有名じゃないっていうわけじゃないんだけど……やっぱり私はこっちが目標かな」

 

 街を歩く中でお話する二人。

 ポケモンコンテストも大きなイベントであり、そこで優勝するともなれば、テレビでも大々的に報じて貰えるし世に広く顔を知って貰えるだろう。

 とはいえ、ポケモンバトルの方がポケモンコンテストより世間への浸透度が高く、そちらでの第一人者となる方が世間への認知度はやや上回りがち。

 パールは有名になって、テレビに出て、幼い頃に自分の命を助けてくれた人に伝わるよう、メッセージを送るのが夢なのだ。

 それで相手に伝わり、会いに来てくれるようにでもなれば理想形である。

 彼女がポケモンリーグでの優勝を目指す初心とは元々それなのだ。

 

「……パールにとってはそれって、初恋の人って感じ?」

 

 今日はなんだかプラチナも、らしくないことを尋ねている。

 色恋話なんてあまり得意でなさそうなのに、こんなことを訊くなんて。

 ちょっと思い切るように尋ねているところを見ると、うん、という返事はあまり聞きたくなさそうである。

 

「いや~、そんなんじゃないよ。

 だって私が小っちゃい時にもう大人だった人だよ? 年が離れすぎてるよ。

 憧れの人で恩人ではあるけど、そういう感情は無いかなぁ。

 私は一緒になるなら、自分よりちょっと年上なぐらいか、同い年ぐらいの人がいいなぁって思ってるし」

 

「ふーん……そうなんだ」

「え、ちょっと、何その聞いておいて素っ気ないカンジ。

 プラッチどこ見てんの?」

「あ、いや、ちょうど……なんだろね?」

「なんだろねじゃないよ、こらっ、今なにか隠したね?

 言いなさい、さあ今すぐに、人の話を聞いてなかったバツとして」

「な、なにも隠してないよ、いや本当に本当に……」

 

 いや、隠している。隠そうとして予想外の角度から気付かれて困っている。

 あぁパールまだ初恋はまだなんだ、しかも同い年ぐらいの子がいいって、なんだか嬉しく聞こえてしまった響き。

 でも、それを顔に出すと何だか気取られそうなので、パールの方を見ずに前だけ見てクールなふりをして。

 結果、私の話聞いてなかったでしょ、と絡まれているのである。愚策のどつぼ。

 余程ここで絡まれるとは想定外だったらしく、咄嗟に言い訳しようとして何も思い付かなかった、なんだろねの一言に動揺が溢れている。

 

「い、いや、さっきパール言ったじゃん、最近は考えも変わってきてるって……

 それってどういう意味なのかなぁってちょっと想像しちゃってさ」

「あ、それ?

 もう、そんなの普通に聞いてくれれば答えるのに」

 

 ぎりぎり切り抜けるプラチナである。

 粗のある言い訳ではあるが、パールがあまり細かいところを気にしない性格なのは幸いしたかもしれない。

 引っかかりめいたものは多少感じつつも、納得してそちらの話題に移ろうとしてくれるパールに、密かにプラチナが心底ほっとする。

 

「最初はその、憧れの人に声をとどけるきっかけに、って目指してたポケモンリーグだけどさ。

 最近はそういうの抜きででも、リーグ優勝を目指したくなってるんだ。

 たまに考えるんだ。もしリーグで優勝して、有名になっても、私の声の届けたい相手に届かなかったらどうしようかな、とも。

 やっぱり有名人になって呼びかけても、必ず相手に届くわけじゃないからさ」

「忘れてるわけじゃないけど、別の理由も出来たってこと?」

「うん。

 ピョコやパッチ、ニルルやミーナと一緒に色んな人と旅してたら、それが楽しくなっちゃってさ。

 どんどん強くなってくみんなと一緒にいたら、もっともっと私も有名なトレーナーになりたくなってくるんだ。

 それで、もっと沢山の人達に、私の友達はこんなに凄いんだぞーって自慢したい」

「そっか。

 ポケモンリーグで優勝するぐらいになれば、まさしくそれが叶うんだね」

「えへへ、そういうこと。

 よく思い出してみて、プラッチ。

 私今まで、一回もポケモンバトルで負けたことないんだよ?

 バトルなんて初心者だった私がだよ?

 みんなが本当に凄い子達だからじゃない?」

 

 にわかに興奮するように声が少し大きくなるパール。

 たまにいるのだ。自分のポケモンを誇らしげに語る時こそ声高になる人が。

 自分のポケモンが好き過ぎて好き過ぎて。パールもそんな一人のようだ。

 

「ポケモンリーグ優勝、今まで以上に目指してみたいって本気で思ってるんだ。

 もしもそんなことが出来て、テレビで何か言ってもいいよって言われたら、もちろん憧れの人に伝えたいことは言うけどさ。

 それより先に、見て見て私のポケモン凄いでしょ、自慢の子達だよ! って言うと思う。

 今はそれがしたくって、ポケモンリーグ目指してる感じ」

 

 なんとなく、プラチナにはわかってしまったことがある。

 今のパールに、恋だの男の人だの考えている暇なんて無さそうだ。

 強いて言うなら、彼女が惚れている相手というのは既に四人もいて、それは一緒に旅するピョコをはじめとしたポケモン達なのだろう。

 バッジを集めてポケモンリーグに挑む理由を、日の光に煌めく一番の笑顔で語るパールの表情こそ、プラチナにそう確信させるには最も雄弁だ。

 感情が良く顔や態度に出るパールだから尚更に、瞳は口程に物を言う。

 

「そっか……うん、頑張ろうね、パール。

 僕も応援してるし、教えられることがあれば何でも教えるから」

「へへ、ありがと、プラッチ。

 絶対、今プラッチに応援して貰えたことも無駄にはしないからね!」

 

 漠然と夢を抱いていた頃と違い、ナタネやジュピターのような強いトレーナーとの出会いを経験して、パールも楽観的な夢を見られなくなっていたところだ。

 この世には、自分の想像をずっと超えている、強い強いトレーナーが沢山いる。

 テレビでトップトレーナー同士の戦いを百戦見るよりも、肌で感じた、目で触れた歴戦の猛者の戦いぶりこそ、そんな現実をいっそう実感させてくれる。

 ポケモンリーグで優勝するというのは、そんな並み居る強豪を打ち破った先でしか叶えられないのだ。

 自分にそれが出来るんだろうか、という想いは、高い壁の存在を痛感するたび強くなるものである。

 

 だからパールは、絶対チャンピオンになってみせるから、と、具体的な言葉でプラチナに約束するのが少し難しくなっている。

 自信が揺らぐと大きなことは言えなくなるものだ。

 一方で、応援してくれているのを無駄にはしないから、と、遠回しには夢を叶える宣言はしてみせている。この辺りが言える限界なのだろう。

 気持ちがわかるプラチナは、微笑ましく頷いて返していた。

 

「……僕も頑張ってみようかなぁ。

 いつかパールが僕より強くなっちゃったら、教えること無くなっちゃうし」

「最近プラッチ、そういうこと考えるようになってきてるよね。

 いいじゃん、頑張ってみよ! 二人で一緒に……」

 

「――あっ!

 パーーーーールーーーーー!!」

 

 パールに頼りにされているのは確かなようで、プラチナもそれは何だか誇らしく、今後も力になれるようにと昔の考え方さえ変え始めている。

 学者になりたいのであって、ポケモントレーナーとして強くなりたいわけじゃないと、親にまで強く主張していた彼がである。

 パールにとっての特別な立ち位置にいるような気がすると、今までの自分のままじゃ駄目だって思うぐらいには、プラチナもパールを強く意識している表れか。

 

 さて、しかしそんな二人だけの世界にいられる気がして殊更楽しかったプラチナの元へ、言葉は悪いが邪魔者参上。

 邪魔だとまでは思わないけれど。でも、本音を言えばもっと二人きりの時間を堪能したかったので。

 

「あれっ、ダイヤじゃん。

 久しぶり、こんなとこで会うなんて奇遇」

「パール頑張ってるかー!

 俺はもうバッジ3つ集めて絶好調だぜー!」

「えっ、ほんと!?

 私まだ2つ……」

 

 再会早々、冒険の進捗報告が早いダイヤである。

 聞けばダイヤは、先日このヨスガシティでジムリーダーに挑戦したが、相手が強くて負けてしまったらしい。

 となれば、まずは修行がてらに他のジムを回ろうと、トバリシティまで行ってジム戦をクリアしてきたそうだ。

 強くなったぞ、さあリベンジだ、とばかりにヨスガシティに戻ってきたという流れだそうで。

 

「ヨスガジムのジムリーダーさん、いま遠いとこ行ってていないよ」

「なにっ!? そうなのか!?」

「なんかホウエン地方だっけ?

 そこでコンテストの審査員やってるんだってさ。

 帰ってくるまで一週間以上かかるみたい」

「がーん! だったらノモセシティにでも先に行っときゃよかった!」

 

 せっかちなので、時間を無駄にしてしまった気がするとショックを受けちゃうダイヤのようだ。

 確かにそうだと知っていたら、ノモセシティのジムに挑戦してからヨスガシティに帰ってきていただろうに。

 

「こうしちゃいられないや! じゃあ俺ノモセシティに行ってくるから!」

「あ、ちょっとダイヤ、今はノモセシティへの212番道路は天気が悪いらしくて……」

「だいじょーぶだいじょーぶ!

 俺にはポケモン達がついてるから!

 じゃあな、パール! お前もバッジ2つでうろうろしてないで早く俺に追い付いてこいよ!」

 

 忠告も振り切って、ばひゅんと街の南に向かって突っ走るダイヤ。

 再会してお別れまであっという間。嵐のような男の子である。

 見送ったパールはやれやれとばかりに小さい溜め息をつき、プラチナは唖然である。ああいう子だとよく知っているかどうかでリアクションも変わる。

 

「あんなヤツだから」

「ああ、だからパールもいつものことだって顔してるんだね……」

 

 肩をすくめるパールに対して、プラチナは苦笑い。

 パールとダイヤはお互いのことよく知り合ってるんだなぁと感じる。

 これに関しては妬いたりしない。パール苦労してそうだなぁと思うばかりで。

 

「パーーーーールーーーーー!

 そうだそうだ、忘れてた!」

「えっ、なに、こわっ。

 何なのアイツ」

 

 あっという間に何メートルも駆けていったくせに、いきなり同じスピードで戻ってくるダイヤである。

 何考えてるのか全然わからない奴は漠然と怖い。

 よく知っているはずの相手がいきなりの奇行に及んだら余計に怖い。

 

「パール、ポケモンバトルしようぜ!

 せっかく会えたんだ! お互いどれだけ強くなったか勝負だ!」

「あぁ、そういう。

 むしろダイヤ、会ったら絶対そういうこと言いそうだったから、言わずにどっか行っちゃってびっくりしてた」

「当たり前だろー! ちょっと忘れてただけだ!

 お前もポケモントレーナーなら、いつでも出来るよう心掛けてるよな!?」

「いいけどもうちょっと隅に行こうね。

 はいはい、こっちこっち」

 

 こんな街の真ん中でポケモンバトルしたら、周りの人の迷惑になるからと、パールは周りを見渡して適した場所を探す。

 噴水前広場はバトルにも適していそうだ。道路敷きではない草地の出た広いエリアがあって、そこがポケモンバトル向きと見える。

 知識人のプラチナに、あそこはどうかな? と聞いて確かめてみるパールに、プラチナもいいと思うよと返事してくれたのできっと問題無い。

 場所を探している間、ダイヤったら早く早くと急かしてくる。あんたも場所探ししなさいよ、とはパールの胸の内で唱えられる苦情。

 

「一対一のバトルをお互い2匹でやるぐらいでどうだ?

 そしたら丁度いい具合に早く勝負がつくだろ!」

「あんたほんとせっかちよね。いいよ、それで」

「よーし、俺はもう二匹決めたっ!

 勝負だ、パールっ!」

「ふふっ、負けないよ!」

 

 テンポの早いダイヤとのやり取りに、しっかりスムーズについていくパールである。

 パールとの付き合いも長くなってきて、彼女も案外まあまあ気が早いことはもう知っているプラチナだ。

 そりゃあこんな幼馴染に引っ張り回されて育ってたら、気が早くもなるんだろうなと納得する気分。

 ダイヤと比べてしまうと落ち着きのある方に見えてしまうパールだが、逆に言えばダイヤのアップテンポについていけるだけでも中々のものだ。

 

「行くよ、パッチ!

 今回は絶対に負けられない戦いだよ!」

「よーし、行けっ! モウカザル!」

 

 お互いボールのスイッチを押して先鋒のポケモンを喚び出した。

 ダイヤが出してきたポケモンの姿に、まず驚かされたのはパールである。

 

「あっ、それってヒコザル?

 進化したんだ!」

「ああ、こいつのおかげでトバリジムの苦しい戦いもクリア出来たんだ!

 俺の一番のパートナーだぜ! これでお前のポケモン二匹とも倒してやるっ!」

 

 自信満々。最初のポケモンの進化形だ。思い入れも強かろう。

 自分にとってのピョコと同じなんだろうと思うと、パールもその気持ちはわかるので微笑ましい。

 まあ、パッチだって負けないよという気持ちは全く揺らがないパールだが。

 あと、もしもパッチが負けてしまっても、次は炎ポケモンに強いニルルを出してやるとこっそり企んでもいる。パールも案外したたかである。

 

 とはいえこの緒戦、あまり落としたくないところである。

 ニルルを先に出してしまうと、それでモウカザルに勝てたって、ダイヤは水ポケモンに強いポケモンを出してくるかもしれない。そうなると不利。

 パッチが負けた時のことなんか考えず、ここは絶対に勝とうと強く意識を改める辺り、パールもポケモントレーナーらしい考えが出来るようになってきたか。

 そこそこ戦い慣れてきたトレーナーなら誰でも考えることだが、ここまで考えられるようになってくれば、もうそろそろ初心者でもあるまい。

 

「行くぞモウカザル!

 まだ進化してないコリンクなんて、あっさり倒して二人抜きだっ!」

「あっ、今の聞き捨てならないよ!

 パッチ、絶対に勝つよ! あいつが調子に乗ってるとむかつくからっ!」

 

 煽るダイヤ、言い返すパール。どちらも楽しそうな顔である。

 根は仲良し。喧嘩じゃなくて健全なバトルでこういったやり取りが出来るのを、二人とも安心して楽しんでいるようだ。

 

「――――z!」

 

「わっ、パッチ、気合入ってるね!

 それじゃあ……って、あ、あれ?」

 

 パールとダイヤは楽しんでいるようだが、進化もしていない弱い奴扱いされたパッチはむっとしたようで、ばちばち火花を飛ばしてふくれっ面。

 電気ポケモンのパッチなのでそれぐらいのことは出来るのだが、それにしたって今回は凄い。全身光り輝くかのよう。

 気合の入っているその姿と見て、パールもやる気を燃え上がらせたのだが。

 

 しかし今のパッチはちょっと凄すぎ。

 ばちばちばりばりと火花を散らすパッチの全身は、眩しいぐらいに光を放ち、その姿形さえ光で呑み込んでしまっている。

 あまりに眩しい光を放つのでパール達も目を細め、通行人も振り向くほど。

 仕舞いには、ばりっと稲妻のような強い光を放ち、その瞬間にはパッチの方を見ていた全員が一瞬目を閉じたほどだ。

 

「……ええっ!? マジか!?」

「わっ、パッチ、なにそれ!?

 いま進化したの!?」

「ちょ、挑発されたから……?

 負けん気強いなぁ……」

 

 光がやんだその場所に立っていたのは、小さなコリンクの姿だったパッチではない。

 一回りも二回りも大きくなり、尖った黒い毛並みを携えた、コリンクの進化形"ルクシオ"の姿へと変わったパッチである。

 たまたまその瞬間を見かけた通行人がひゅうと感心する中、プラチナは乾いた笑いを溢れさせていた。

 あんな子供っぽい煽り一つでむかっ腹を立て、進化までしてしまうんだから、今まで見てきて感じた以上にパッチって気が強そうだ。

 

「面白くなってきたな! 馬鹿にするようなこと言ってごめんな!

 モウカザル! 油断せずにいくぞ! あいつ多分すげぇ強いぞ!」

「すごいすごいパッチ!

 絶対勝てるよ! それじゃ……って、あららら!?」

「えっ!? ちょちょちょ、んわわっ!?」

 

 さあ、空気も熱くなってきたところで仕切り直して開戦、という場面。

 パールはパッチに指示を出そうとしたが、指示される前からパッチがぴゅん。

 身構えていたモウカザルの横を素通りし、ダイヤに向かって一直線だ。

 それはそれはもう、奇襲かつ勢いのある飛びかかりで、ダイヤを押し倒し、さらに四本足でお腹の下にダイヤを敷くように、逃げられないようマウントを取る。

 

 すごい得意顔である。

 よくもバカにしてくれたな、どうだ私は強いだろ、と強気の笑顔。

 ルクシオに進化して目つきの鋭くなったパッチのドヤ顔に見下されるダイヤ、これはピンチだと大慌て。

 

「なんだってんだよー! 謝っただろー!」

「――――」

「あばばばっ!?

 おまっ、こらっ、ポケモンが人にそんなこと……」

「――――」

「ぎゃわわわわっ!?」

 

 放電するパッチ。言い訳や弁解なんて聞こえません。

 私やパールを纏めてバカにするような奴は許しませんの勢いで、口の早いダイヤをびりびり責めにする。

 これには流石のパールもパッチに駆け寄る。止めないと。

 

「ま、待って待ってパッチ。

 そこまでしなくても……」

「――――」

「あー……これはとても怒っていらっしゃる……」

「いやいやパール、諦めんなよ!?」

 

 触ると痺れそうなのでパッチに触れられずに声をかけるパールだが、振り返るパッチは案外冷静な顔。

 顎を引いて、んーむんーむとゆっくり首を振る。

 これは一応、あんまりこんなことはしちゃいけないとわかっている顔である。

 それでもこいつはちょっとお仕置きしておいた方がいいんだ、という表情なので、単にかっとなっての暴力ではないと主張していると見える。

 

「いやー、それでも……

 わわっ、えっ、モウカザルさん?」

 

 いやいや、でもこれは良くないんじゃないのと思うパールだが、後ろからモウカザルがパールの手を引いて、優しくパッチから引き離す。

 振り返ったパールに、モウカザルは何故かにっこり笑顔。

 そしてパッチの肩をぽんと叩き、パッチと目を合わせたら、神妙な顔でうむと頷く。

 パッチもうむと頷いた。パッチに組み敷かれている位置、間近でこれを見たダイヤには、このやり取りが意味することがわかって焦る。

 

「こらこらモウカザル!

 こういう時は助けてくれるのが……はびゃっ!?」

「――――♪」

「ぎゃわーーーーー!!

 たすけろー! モウカザルー! うらぎりものー!」

 

 止めないモウカザルである。むしろパッチに、もっとやれ宣言。

 ああ、いいんだ、とわかったパッチは、ダイヤに再びばちばちびりびり。

 怪我しない程度に、電気風呂程度にびりびりさせる電力で調整するのはお上手だが、ダイヤにしてみれば痛いってば痛いってば。

 まあ、叫べるぐらいの元気はあるので大丈夫ではあるのだろう。

 

「わかった、わかったってば! もう一回謝るから!

 ごめんってば、さっき言ったの取り消すから! なんだってんだよー!」

「――――」

「いててて! まあちょっとマシにはなってるけど!」

 

「モウカザルさん、もしかしてあいつのポケモンでそこそこ苦労してる?」

「――――」

 

 話しかけるパールに、モウカザルは頭をかきながら笑って頷いた。

 深刻ではない程度の苦笑いなので、別にダイヤを嫌っているわけでもなさそう。むしろその実、ダイヤには非常に懐いているぐらいなのだが。

 しかし、たまにはこうして身から出た錆なら痛い目に遭うことも覚えた方がいいのでは? ぐらいには思われているようで。

 決して関係は悪くないと見えるダイヤとモウカザルだが、まあ一概には語れない色々あるのだろう。

 こういう愛憎複雑な関係は、人間同士でもよくあることである。

 

 しばらく放っておいたらパッチも満足したのか、ダイヤの上からどいて、ダイヤも身体を起こすことが出来た。

 まったくこのやろう、と、むすっとした顔で見てくるダイヤに、パッチはぷうっと頬を膨らませる顔を一度だけ見せて、でも笑ってみせた。

 もうあんな口利くなよ、なんて威嚇するいたずら顔には、ダイヤも両手をお手上げしてわかったよと返答。

 びりびりさせられて頭が冷えたのか、ダイヤはこの後パールに、バトルはまた今度にしようと申し出るのだった。

 

 聞けばダイヤは、トバリシティからここまで戻ってきたばかりで、道中で野生のポケモン達との戦いも経て、ポケモンセンターに向かう途中だったらしい。

 ついついパールと再会できたのが嬉しくて、テンション上がって賢明でもないバトルを仕掛けていたそうな。

 冷静になると、良くなかったなと思い改めたようである。まあ何より。

 唐突に始まりかけていたパールとダイヤのポケモンバトルはお流れになったが、事情を聞けばパールもお預けで結構。

 やっぱり、お互いが悔いなく全力で戦える状態で白黒つけたいので。ダイヤというのはパールにとって、そんな相手だから。

 

「じゃあな、パール!

 次に会った時こそ本気で真剣勝負だぞ!」

「うん、楽しみにしとく。

 その時は、私達だってもっと強くなってるんだからね」

 

 パール達と別れてポケモンセンターへダッシュしていくダイヤは、ポケモン達を元気にして貰ったら、すぐに南下して212番道路に向かうつもりのようだ。

 元気そうで何より。旅疲れの体にびりびり電気を流されて、むしろマッサージ効果で元気になったんじゃないかってぐらい。そんなわけないと思うけど。

 相変わらずのせっかち幼馴染を、パールは手を振り微笑ましく見送っていた。

 ボールから出たままのパッチを改めて見て、今後も私に任せてねと笑ってくれる姿に、今まで以上の頼もしさを感じつつである。



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第33話   ズイタウン

 

 ヨスガシティは見所が多い。

 一日じっくり街中を見て回ったパールとプラチナは、その日は街を出発せず、再びポケモンセンターでお休みだ。

 遊んでいるうちに夕頃になってしまい、今から出発というのも……という流れだったようで。

 ジム巡りの旅をしている身分ながら、行きずりの街で一日丸々潰してしまうのだから、ここだけ見ればもはや単なる旅行のよう。

 もっとも、初めて訪れる地ばかりとなるのが地方全体を巡る旅なので、こんな丸一日があって良くもある。

 

 さて、一夜明ければ二人はヨスガシティの東へ向かい、いよいよ新たな地へ向けて出発だ。

 ヨスガの東へと伸びる209番道路は、しばらく進んだ所で北へと曲がり、旅人を北上の足取りへ導いていく。

 209番道路は、ヨスガシティとズイタウンを繋ぐ道路であり、パールの目指すトバリシティはズイタウンのさらに北東だ。

 コトブキシティからソノオタウンを経てハクタイシティへと至った時のように、今回も少々の長めの旅路となる。

 

 この209番道路、ズイタウンと、人口の多いヨスガシティに挟まれた場所ということだけあり、連日多くのポケモントレーナーが散策している。

 ズイタウンの北にある210番道路側が、草が多くてあまり多くのトレーナーが好んで行く場所ではないらしく、209番道路側に人が偏りがちなのだとか。

 そして、ただでさえ209番道路はやや長い道のりなのだが、パールはポケモントレーナーに勝負を求められると、全部受けてしまう。

 結論だけを先に言ってしまうと、この日はそんなパールが旅路に長い時間をかけ、ズイタウンに辿り着く頃にはもう夕時前になってしまっていたほどだ。

 まあ、先述のとおり209番道路自体が長いのも無関係ではないが。

 

 どうも自称初心者のパール、持ちかけられたバトルを全部喜んで受けるのは、積極的に経験を積んでいきたいという気持ちが強いからようだ。

 今日に至っては、自分からトレーナーらしき人に声をかけ、勝負しませんかと持ち掛ける側にすらなった場面もある。

 バッジ2つを既に獲得し、ポケモン達と共に山一つ越えるような旅をしてきた彼女、そろそろ初心者と自称するのもどうかという域に達してもいるのだが。

 当人の中ではまだ初心者。ギンガハクタイビルで、ジムリーダーナタネが本気を出した姿を、生で見てしまった影響もあるのかもしれない。

 若いうちにあまりにも凄いものを見てしまうと、人間なかなか驕れなくなってしまうものだ。

 目指すところがあれなんだから、自分なんてまだまだ、という意識が根底に根付いてしまっているのだろう。

 

 ちなみに当のナタネさんとは、昨晩も、その前の夜も、ポケモンセンターで寝る前に長電話していたパールである。

 怪我も回復し、ジムリーダーに復帰したナタネと、近況報告し合うだけで二人とも夜話が弾む弾む。

 ナタネが入院していた間も、ジムには挑戦者が何人か訪れており、そうした人達にはナタネ復帰後のジムリーダー挑戦を予約して貰っていたそうだ。

 ジムリーダーに復帰したら、列を作って待っていた挑戦者との勝負がいくつも待っていたらしい。

 しかし、そんな挑戦者すべてを捌いたナタネ、きっちり全勝したそうだ。

 苦戦しなかったわけではないが、何だかんだで負けなかったのである。当人が言っていた、ジムリーダーは負けることが仕事とは何ぞや何ぞや。

 つまりナタネが最後に負けた相手はパールであり、あなたみたいな強いトレーナーはまだ現れてないよ、と言葉を変えて伝えてくれるナタネ。

 先日の勝利を改めて讃えてくれるナタネに、パールがてれてれしているのは電話越しの声でも向こうに伝わっただろう。

 基本、誰にであろうが褒めて貰えれば喜ぶパールだが、ナタネお姉さんに褒められると普通以上に嬉しい。なついている、ってこういうことである。

 

 話を戻すと209番道路だが、ここはヨスガシティを出発していくつか橋を渡り、川を越えた辺りで随分と地層が変わる。

 坂道や階段といった高低差が非常に少なく、町全体の平坦さを強調したヨスガシティとは対極、盆地や窪みの多いでこぼこした地形が散見されるようになる。

 川を隔ててがらりと大地が変わったというよりは、元々はヨスガシティもその近隣、太古には凹凸の多い大地ではあったそうだ。

 つまりヨスガシティとは、人の手であそこまで丹念に拓かれたものであり、子供も老人も過ごしやすい平らな街として定着したものだとも語られる。

 逆に言えば、そんなヨスガシティから離れれば離れるだけ、わざわざそこまで開拓されていない209番道路は、自然体の地形が残っているということだ。

 いったい何の意味があるのか不明な石の塔、階段まで作ってある広い盆地、虫ポケモンが群がる大樹。

 ズイタウンに近付けば近付くほど、自然は有りのままの形で残されている。

 

 

 

 

 

 また、209番道路にはズイタウンに近い場所に"ロストタワー"と呼ばれる施設が建てられており、パール達はここにも立ち寄った。

 ここはいわゆる墓地である。トレーナー達に大切にされていたポケモン達が、長い眠りについた後、安らかなその後を願って見送られてきた場所なのだ。

 何階層にもある塔の各階には墓石が並び、それはまさしく大事にされてきたポケモン達の数多さを物語るものだ。

 ポケモンは人類にとっての掛け替え無きパートナーである、と語る者は多い。

 笑顔で歩ける場所ではないし、そんな気持ちにもなれないが、墓前に手を合わせる人の姿を見るたび、パール達が抱く感情は寂しさだけではなかった。

 墓地とはただ悲しみの象徴だろうか。別れを乗り越え、前へと進もうとする人達がいることを雄弁に語ってくれる場所でもある。

 幸せに眠っているポケモン達も沢山いるはずだ、と、救われた気持ちになるパール達の感情もまた、ロストタワーを訪れることで得られた正しい解釈だ。

 

 ただ、ついうっかりプラチナが、僕達のポケモンもいつか別れが来たら、必ずここで眠らせてあげようねと言ったのはちょっとまずかった。

 縁起でもないことではあるが、別におかしなことは言っていない。

 これは、大好きなポケモンだからこそ、別れの日が訪れるなら尽くせる形で、という情念から生じた感情なのだから。

 パールもプラチナのその言葉に、そうだねと心から同意する笑顔で答えていたものである。ここまでは良かった。何もおかしくなかった。

 

 が、その後数十秒、無言で神妙なこのロストタワーを歩いていた時のこと。

 急にパールが早歩きでプラチナから離れ始め、どうしたのとばかりにプラチナが駆け寄ろうとすると、パールが手をぶんぶん。

 来ちゃだめ見ちゃだめとプラチナの接近を拒絶する仕草をするパール、階の隅に行って断じてプラチナの方に顔を向けない。

 泣いてるっぽい。急に泣きだした。プラチナもびっくり。

 どうやらプラチナの言葉に心から同意したところまでは良かったものの、本当に今の自分のポケモンと"お別れ"する時のことを想像してしまったらしい。

 よほど具体的に想像してしまったのか、想像しただけでぐずぐず。時間差で自ら涙腺に傷を負うとは器用な子だこと。

 

 いや、まあ、確かに、確かに。

 最愛の誰かが目を閉じてもう動かなくなり、二度と話せなくなった、笑い合えなくなった姿を本当に想像すると、けっこう目にくるものはあるのだが。

 きっと今後も一生自分のポケモン達のことが大好きなパールだが、ややもすれば今こそ一番、自分のポケモン達が可愛くて可愛くて仕方のない時期でもある。

 初めてのポケモンに、自分で捕まえたポケモン達、すくすく育ってくれている姿を現在進行形で見守っている、初心者が一番自分のポケモンを好きになれる頃。

 しかも最も多感な年頃かつ、感情で生きているパールには、想像しただけでもかなりきつかったということである。

 試しに一番好きな人が、本当にそうなって自分の目の前で動かなくなった姿を想像してみれば、パールの気持ちに近いものは感じられるかもしれない。

 

 やっちゃったなぁ、と気まずい感情を抱いてしまったプラチナだが、まあこれは彼女の問題なのでプラチナが自責するべきような話ではない。

 しばらくパールに近付いて声をかけることも出来ず待っていたプラチナだが、ようやく涙を拭い終えたパールは、笑顔を取り戻してプラチナのもとへ。

 お目々が真っ赤っか。かなり泣いたらしい。困った子。

 ついつい謝ってしまったプラチナだが、私の方こそ急にごめんねと、鼻をすすってばつの悪い笑顔でパールも謝る。

 充分泣いたら気持ちの整理もついたらしく、元気を取り戻したパールと共に、改めてロストタワーを見て回る。

 これでもう嫌、すぐに帰ろうとならない辺りは、二人ともここをちゃんと見て回りたい気持ちがある。

 ロストタワーは、どうしても哀愁の漂う施設ではあるが、ポケモンが大好きな人達にとってこそ、決して忘れたくない貴き場所にも違いない。

 ちょっとしたアクシデントに見舞われつつも、時間の許す限りロストタワーを見て回った二人は、ここに刻まれた情念を胸に旅を再開するのである。

 

 

 

 

 

 さて、そうして果ての夕時に辿り着いたズイタウン。

 都会的なヨスガシティや、北のこれまた都会寄りのトバリシティからこの町に訪れると、非常にのどかで自然に囲まれた場所という印象が強まる町だ。

 かつては広い牧場も擁していたそうだが、現在では人口が増えて開発されていった結果、それは残っていない。

 ただ、この町にある"ポケモン育て屋さん"が広い牧草地を有し、今日もポケモン達を開放的に育成している姿に、かつてのその名残らしきものはある。

 

 ズイタウンの魅力は、のどかでのんびり過ごすには最適なその気風であり、ソノオタウンと同様に、住めばその魅力もわかりやすい地だ。

 ここから北のカンナギタウン、北東のトバリシティ、東のヨスガシティを繋ぐ町でもあり、シンオウ地方東部における町としての重要性も高い。

 しかし、名物にはやや乏しく、通行する者と移住してくる者は多いものの、観光客があまり群がってこない場所でもある。

 育て屋さんがあるため、この町を訪ねるポケモントレーナーは多いのだが、そうした人々は一旦預けると、しばしこの町を離れるケースも多々。

 出入りは激しいが、多くの人が一期一会でこの町を去る形を取ることが多いのだ。

 ある意味では、この町と南の209番道路が、ポケモントレーナー同士の一期一会の場となることも多い、と評ぜられることも無くはない。

 ただ、それは別にどこの街のポケモンセンターでも、どこの道路でもある話なので、特筆するほどのこととは言い難くもある。

 

 しかし果たして名所が全く無いのかと言えばそうでもない。

 町の東には"ズイの遺跡"と呼ばれるものがあり、決して数多くは無いが、これが目当てでズイタウンを訪れる人もいる。

 一度この町に立ち寄った人が、話を聞いてとりあえず行ってみようということが多い場所にも違いない。

 パール達もその例に当て嵌まり、夕時前にこの町に着いて、ズイの遺跡なるものがあると聞き、行ってみようという運びに。

 あまり観光名所と呼べるものが無いぶん、今日のうちに遺跡を眺めてみて、明日の朝にはこの町を出発する勢いだ。

 やはり長旅するトレーナー達には、通過点として認識されることが多い町ということだろう。

 名物の一角、ポケモン育て屋さんも、パールとプラチナにとっては興味の対象にはならない。

 大好きな自分のポケモン達と、一日たりとも離れたがらない二人なんだから。人に預けたがるわけがない。

 ただし、この町が無ければヨスガからトバリやキッサキに向かう中、この辺りで野宿しなければならなくなるので、旅人にとってはありがたい町には違いない。

 

「わ、明るいね。

 観光しやすくはされてるんだ」

「うーん、凄いなぁ。

 こんなにくっきり壁画が残されてるんだ」

 

 ズイの遺跡に足を踏み入れた二人。

 洞窟めいているが、中にズバットは生息していないとあらかじめ教えて貰えたため、パールは全く怖がっていない。

 これまで洞窟に入るたびにそわそわしていたパールだが、別に暗い場所や洞窟そのものが苦手というわけではないのだ。

 連想してしまうので、わざわざ進んで入りたがらないというだけである。

 遺跡内も、自然を破壊しない程度に導線から繋げられた蛍光灯で淡く照らされており、少々薄暗くはあるが充分に歩ける明るさである。

 

「凄いの?」

「けっこう凄いことだよ、こんなの。

 何百年も前のものが、こんなにくっきり残されてるなんてさ。

 岩石に刻まれたものだって、どんなに人が触れないようにしたって風化していくものなんだからさ」

「プラッチが熱い。

 学者さんの卵だから、やっぱり遺跡はワクワクする系?」

「そうだからっていうつもりはないけどね。

 なんかこう、無性にわくわくするとこはある」

 

 大昔に人の手で作られた遺跡内の階段は、比較的近年テンガン山に作られた階段と比べれば、時代の技術の差なのか少々粗い。

 カドも削れて丸くなりつつあり、降りる時は少々程度に気を払わないと足を滑らせるやも。

 テンガン山の階段は、定期的に形を整えられているというのもあるが、この遺跡内の階段の粗さもまた、積年の歴史を感じられて趣深くある。

 そして所々に、現代ほど娯楽に溢れていなかった時代の人々が、お戯れに岩壁に刻んだ壁画の数々は、時代を越えた感情を感じさせる。

 正直、わざわざその壁画に芸術的な何かを感じることは無いけれど、遥かなる時を越えて当時の人々の存在に触れる感覚は、こうした遺跡の魅力であろう。

 

 自分達が生まれるずっと前から、シンオウ地方にはずっと人がいて、そうした人々が命と歴史を紡いできた末に今がある。

 見方を変えれば今の自分達も、何百年も未来の誰かに、ふとした形でその存在を思い返されることさえあるかもしれない。

 遺跡が物語る人の歴史の面白さとは、きっとそんなところにあるのだろう。

 興味があるなら身近な遺跡に是非。想像力豊かにその地で様々に想い馳せられるなら、佇むだけの遺跡がいくつものことを雄弁に語ってくれるはずだ。

 写真や画像や映像でも充分だが、触れてみればもっと色んなことが感じられるので。

 

「わっ、アンノーン文字だ。

 よめない」

「ん~と……みぎ……みぎてまえ……みぎ、てまえ……」

「えっ、もしかしてプラッチ読めてる?」

「いや、案外アンノーン文字ってシンプルなんだよ。

 読み方さえちょっと勉強すればすぐ読めるようになるからさ」

「え~でもなんか凄い!

 今プラッチほんとに学者さんっぽい!」

 

 しばらく進んでみると、アンノーンが並ぶように刻まれた壁画も。

 文字のような形をしている、不思議な不思議なポケモンとして有名なアンノーン。

 非常に稀だが、こうして文字のように刻まれる遺跡もあり、読み方さえ現代風に解読すれば、書いてある内容も理解はしやすい。

 現代の文法にも似通うアンノーン文字、果たして人の歴史では、文字が開発されたのが先なのか、アンノーンが先に存在したのか未だに議論の的。

 アンノーンの姿から着想を得た太古の人類が文字を作り出した、という説が現代ではやや有力だが、確証たり得るものも無いため未解決の謎のようだ。

 

「ポケモンセンターに帰ったら、寝る前に教えてあげようか?

 勉強って感じもしないぐらい、簡単に覚えられるよ」

「うん、ちょっと興味湧いてきた!」

「あはは、そっか。

 まあ、今はとりあえず進もう。

 途中に文字があれば、今日のところは僕が読むから」

 

 パールはうきうき、プラチナも内心では喜んでいる。

 夜はポケモンセンターで別室泊まりの二人、ポケモン達の回復が済んだら二人ともすぐ部屋に行ってしまい、その日は一旦お別れになってしまう。

 今日はポケモンセンターに泊まった後も、パールと夜遊び出来る話の種が出来た。

 今夜限りの話題だが、それでも遊べるきっかけが出来るとプラチナも嬉しい。

 

 さて、ズバットの出ないズイの遺跡だが、野生のポケモンもいるにはいる。

 アンノーンがいる。色んな形のアンノーン、ふわふわ、ふよふよ。

 案外散見するのだが、多くはパール達人間と目が合っても、興味なさげにどこかに行ってしまう。

 しかし、時々こちらに興味を示し、寄ってくる個体もいる。

 そういう時は要注意。近付いてきて"めざめるパワー"を放って攻撃してくるからだ。

 人類目線ではそれ以外のアクションが確認できないアンノーン、それが敵意からくるものなのか、単に興味からじゃれてきているだけなのかもわからない。

 しかし、攻撃力はあるので困りもの。

 

「わわっ、パッチ、あのアンノーンこっち来てるよ。

 ほえて」

「――――z」

 

 パールが共に連れているのは、ルクシオに進化したパッチである。

 アンノーンは決して強い個体ではないし、めざめるパワーの威力も高くないので、真っ向迎え撃って勝てない相手ではない。

 とはいえ遺跡の中に生息する、いかにも不思議なこのポケモン。傷付けちゃうのは遺跡に傷をつけるような気さえして気が引ける。

 別に、たとえ捕獲したとしても罪深くはないのだけど。

 たまに、多種あるアンノーンを全種揃えようと、こうした遺跡に乗り込んで乱獲するトレーナーもいるのだが、そんな人達も咎められはしない。

 何故ならこの手の遺跡、限られた空間内に少数漂っていると見えるアンノーンを、百匹捕まえようが千匹捕まえようが、何故かアンノーンは絶えない。

 いつの間にか湧いてきて、必ずいつも同じ程度の数だけふよふよ漂っているのである。何もかもが不思議なアンノーンだ。まさにアンノウン。

 

 普段は野生のポケモンも戦って撃退して貰うパールも、今日はパッチに"ほえる"をお願いして、寄ってくるアンノーンを無傷で追い払う。

 遺跡内で大きく吠えると、響いて他の人に迷惑になりかねないので、パッチも唸るように静かに吠える。

 強い威嚇行為と見えれば、アンノーンもすすっと逃げ出してくれる。

 きちんと目を配って歩く限り、何ら困らず歩いて行ける遺跡である。

 

「ん、ここ最下層かな」

「ここにもアンノーン文字あるね。

 プラッチ、読んでみてよ」

「せっかくだから、いま簡単に読み方教えてあげようか?

 パールにもすぐ読めるよ」

 

 プラチナはポケッチを起動して、色々書いてパールにアンノーン文字の読み方を教える。

 このアンノーンは現代で言うところのこの文字に対応してて……という講座。

 いくつか教えて貰ううちに、パールもアンノーンが、普段から知っているあの文字に見えてきたりで、法則性を感じてくる。

 

「じゃあ、もしかしてこれは……えっと……友達、って意味?」

「そうそう、ほら、読めたでしょ?

 他のも読んでいこう。わかんない文字があったら僕が教えるよ」

 

 遺跡の壁画を読む遊びで、パールとプラチナはまったり楽しむ。

 教えて貰いながらなのでパールもすいすいとは読めないが、わかってきた法則性に沿って、ゆっくりと壁画文字の短文を読む。

 時間はかかったが、全解読が出来た時のパールは、何だかパズルを解いたような達成感があったものだ。

 

「すべての、いのちは、べつのいのちとであい、なにかをうみだす……

 昔の人が残した言葉、ってことなのかな」

「そうかもね。

 わからないけど、説得力みたいなものは感じるよ」

 

 パールはパッチをまず見てから、ボールに入った三人の友達を見て、次に目線を向けた先で、自分を見ていたプラチナと目が合う。

 見つめ合うというよりも、お互い同じことを考えているのがわかり合えた気がして、パールもプラチナも小声で笑ってしまった。

 

 ピョコと出会ったあの日から、パールの旅が始まった。

 パッチと出会い、彼女が頑張ってくれたからこそ、初めてのジムバッジを手にすることが出来た。

 ニルルとの出会いは、苦手なズバットがよくいるという洞窟を、今までよりもずっと歩きやすくしてくれた。

 ミーナと出会ったパールは、ポケモンにだって心があり、捕まえたからって何でも思い通りになるわけじゃないという当たり前を改めて学ぶことが出来た。

 そして、プラチナという彼に出会えて、一緒に旅をしていることで、きっと一人じゃここまで楽しくなかった遺跡を歩くのもこんなに楽しい。

 旅にまつわる出会いだけでも、それがこんなにも自分の毎日を彩ってくれていることを、パールはつくづく思い出す。

 

 湖で自分を助けてくれた、顔も名前も知らない人との出会いから、パールはいつか旅に出てその人に会いたいという夢を描いた。

 幼い頃に初めて出会ったダイヤは、今でもどこで何をしているんだろうと思い馳せられる大切な親友だ。

 初めて挑んだジムリーダーのヒョウタは、目指した夢への道のりが険しいことと、その一歩を刻めた達成感の両方を実感させてくれた。

 ともにギンガ団に挑んだナタネの背中が見せてくれた、許すべからざる者達に胸を張って挑みし強い意志は今も忘れられない。

 ここまでの旅だけでも、ここまで総括めいたものが出来る。

 そして、この思い出を胸に、出会ってそばにいてくれるみんなと一緒に、まだ見ぬ明日がこれからも紡がれていく。

 壁画の語るとおりだ。パールは別の命と出会った自らの命ある胸に、こんなにも明日へわくわくする感情を生み出して貰ったことを、実感せずにいられない。

 過去も、今も、そして未来も、希望に溢れた日々の根底にあったものが、出会いと縁にあったというなら、パールはその言葉を疑うまい。

 

「私、プラッチに出会えてよかった!

 みんなとの旅も楽しいけど、やっぱりプラッチがいてくれて楽しいよ!」

「……あははっ。

 僕も、パールに出会えてよかったよ」

「私達、ずっと友達だよ! これからも、ずっと!」

 

 両手でプラチナの手を握って笑うパールに、プラチナの頬が赤らんだのは、この薄暗さで幸いにもパールの目にはよくわからなかった。

 プラチナは、きゅっと優しくパールの手を握り返すことで応え、もう片方の手で帽子を目深に引いて顔色を隠す。

 照れた仕草だとしか認識できなかったパールは、その奥にあるプラチナの感情にこそ気付かなかったのが、それも結構なことだろう。

 親愛感情を伝えたパールに、照れて快い返事を表してくれたプラチナの姿は、パールが幸せな想いを胸に抱くには充分なものだったのだから。

 

 ズイの遺跡で長い時間を過ごしていたこともあり、二人が遺跡から出てきた頃には、町は夕時を過ぎ去って既に夜を迎えていた。

 夜分の外歩きは良くないものだとわかっている二人、足早にポケモンセンターへ。

 しかし、いけないことをしていると思っている時は、かえって楽しいものだ。叱る親もそばにはいない、子供達だけの世界。

 急いで帰らなきゃ、と足早な割に、パールとプラチナはどこか楽しそう。

 ふと顔を見合わせた時、お互い同じことを考えていそうだとわかってしまい、それが余計に二人を楽しくさせてくれる。

 本当に、一人旅では得られない楽しみが、二人が出会って共に旅することによって、いくつも生まれているというものだ。

 

 寝る前に、アンノーン文字をパールが教えて貰うというその時間も、こんな時間に一緒に語らっている、そのことが二人を何よりも楽しませた。

 親しい者同士の話の種なんて、往々にして一緒にいられる楽しみのきっかけに過ぎないのだ。

 この日は夜更かし。プラチナの泊まる部屋で、アンノーン文字のことばかりじゃなく、沢山のことを語り合った二人は、夜遅くにようやく別室に別れた。

 時計を見て、流石にそろそろ寝なきゃ駄目だよね、と、名残惜しい顔をしてくれたパールの表情は、プラチナにとっては嬉しくもあり寂しくもあっただろう。

 

 毎晩ナタネに電話していたパールが、今日はもう遅いしと、今宵はナタネに電話をしなかった。

 電話番号を交換して以降、本当に毎晩電話をしていたパールがだ。今日は、パールとプラチナだけの一日だったのだ。

 きっと今まで以上に、はっきりと、二人の心は近付いている。



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第34話   215番道路(雨)

 

 朝を迎えたパール達。

 ズイタウンの北から町の外に出れば、そこは道長さで有名な210番道路。

 刈られず残された丈の高い草や、起伏の激しい地形をそのまま残された、歩くだけでも体力を要求される場所としても名高い。

 210番道路が長く感じるのは、そうした地形を進むにあたり、脚に疲れが溜まりやすいのも一因だったりする。

 街と街を繋ぐ道路、もっと歩きやすく開拓してもいいのだが、こうして敢えて自然を残すことを選ばれた道路もあるということだ。

 あまり人類好みに環境を作り変える場所が増え過ぎると、野生のポケモン達も過ごしづらい地が増えてしまうかもしれない。

 ポケモンとの共存を重んじるのはどこの地方でも同じ。シンオウ地方も同様で、開発する地とあまり手を加えない地の、地方全体のバランスが意識されている。

 

「けっこう歩いた気がしちゃうね~。

 多分、実際にはそんなに長い距離を歩いてきたはずじゃないんだけど」

「うーん、あれ多分ズイの遺跡だもんねぇ。

 坂道も多いし、実際の倍ぐらい歩いてきた気がしちゃうよね」

 

 随分歩いてきた気がして振り返るパールとプラチナだが、遠方ながらズイタウンの傍らに佇む山を目視できる。

 昨晩遊びに行ったズイの遺跡は、シルエットの大きなあの山の中に掘り築かれた遺跡。

 山の標高自体は高いので、離れた場所からも見えるのだが、それがズイタウンまでの距離を感じる良い標代わりにもなる。

 結構歩いたつもりでいながら、あの山がはっきり見えるのだから、出発した町からまだそんなに離れていないのもわかってしまうのだ。

 旅慣れしつつある二人の健脚はまだ音を上げないが、普段よりも歩いている気がしてこれだから、ちょっと先行き不安になる。

 

 さて、ズイタウンを出発してしばし210番道路を北上すると、そこで道は北向きと東向きに分かれる。

 ここを北上すれば210番道路はまだまだ続き、その先にはカンナギタウンがある。

 そちらはここよりもっと道の険しい山道が続くため、ここまで以上に体力を使う道のりだ。しかも長さも結構ある。

 210番道路が長いと言われるのは、主にこちらの話である。

 

 一方、東に進めば210番道路は一旦途切れ、そこから先は215番道路となる。

 こちらがトバリシティへと向かう道であり、パール達の目指す先。

 この215番道路もやや長く、結局トバリシティへの道のりは長いのだが。

 ズイからトバリへ向かう道、210番道路の長さそのものより、ここからは215番道路の長さとの勝負となる。

 

「あっち、霧すごいね~。

 ものっすごい視界悪そう」

「あれ地上大変な視界になってんじゃないの。

 山道を越えるらしいし、あの有り様だと絶対に冒険したくないよね」

 

 無論、今日は東の215番道路へ向かうパール達なのだが、北の210番道路を進む方角をちらっと見ておく。

 遠方の山や木々が霧に包まれて真っ白である。プラチナの言うとおり、地上は霧で満たされていて視界最悪と見える。

 足元もよく見えるか怪しいのに山道を進むなんて、滑落して大惨事の恐れさえありとは子供でもわかる話。

 今日の旅路とは関係ないが、近寄りたくないほど危険そうな道路だなという印象だけ、眺めた思い出として胸に留めておく二人である。

 

 気を取り直して、トバリシティを目指して東へ進もうとするパールとプラチナだが、ちょうどこの岐路には"カフェ山小屋"という施設がある。

 美味しい牛乳、モーモーミルクを名物に、旅路を行く者達がひと時の疲れを癒せる憩いの場。

 ここまでの道のりでも、ズイから210番道路に出向いてきたトレーナー達と顔を合わせ、バトルも何度かやってきたパールである。

 南の209番道路ではなく、やや道の険しいこちら側でポケモン達を鍛える実力志向のトレーナー達、なかなか強いポケモンを繰り出してきたものだ。

 結果的にパールもプラチナも一度も負けていないが、ポケモン達とて疲れていそうだし、一旦このカフェ山小屋にてひと休み。

 

 モーモーミルクはパール達も美味しく頂いたが、ポケモン達にとっても飲めば美味しく、元気が出る素敵なミルクである。

 パールとプラチナは自分のポケモン達にもミルクを買ってあげて、みんなに元気を取り戻して貰う。

 今日もパール相手につんけんしていたミーナでさえ、モーモーミルクを差し出されると、尻尾を振って嬉しそうに受け取っていたものだ。

 パールを組み敷いてくすぐり地獄に追い込んできたり、くせのある性格をしているミーナだって、美味しいものの前では子供のように無垢。

 ポケモンって根本的に、自分の感情には素直なのだ。どんな姿をしたポケモンだって、そんな姿には愛嬌を感じさせてくれる。

 そうした楽しい時間を経て、ひと時の休息によって活力を取り戻したパール達は、改めて215番道路へと出発だ。

 

 

 

 215番道路はいっそう険しい山を切り拓かれた道であり、いかにも人工的な階段や橋が架けられた場所も多く、かなり人の手が加えられている。

 せめてこれぐらいには開拓しなければ、元は到底人の足では歩けないほどの山だったらしい。

 210番道路と同様に、極力自然をいじり過ぎない意識がある地域なのか、道はずれには密集した木々や切り立った崖もそのまま残っている。

 山の中に拓かれた町ズイタウンのように、ここは山道を強く人為的に拓いた道路で、広く取られた道の脇をより大いなる大自然に包まれた道のりとなる。

 

「うーん、歩くだけでも大変。

 ピョコは平気なの?」

「――――♪」

「ポッチャマ、疲れたら言ってね。

 他の子と交代して休むのも全然アリだよ」

 

 坂道、階段、草が茂り足の取られる区画。

 高い場所まで登って橋を渡り、やや高く良い眺めだと思ったら階段を下り、その後も平坦な道など稀有な、上り下りの坂道続き。

 まだまだ平気だが、足に疲れが溜まっていく実感を口にするパールである。

 プラチナだって、一緒に歩くポッチャマにそんな言葉を向けるのは、裏を返せば自分の足に感じるものがあるということだ。

 一方で、のっしのっしと平然とした顔で歩くピョコは余裕の顔。流石はがっしりとした体格なだけあり、強くて頼もしい脚の持ち主だ。

 

 こんな215番道路にもトレーナーの皆さんは散見し、ポケモントレーナーと見えたパールに勝負を仕掛けてくるのは相変わらず。

 ここまでなかなかの距離を旅してきたパール達だが、本当にどこの地域のトレーナーも、考えることは一緒である。

 野に出て獣道も厭わず歩き、鍛えたポケモンを出会ったトレーナーとのバトルで腕試し。

 申し出られたら二つ返事で受けるパールとて、望むところは一緒だし。

 自分のポケモンを鍛えること自体は、地元とその周辺でも充分に出来ることだが、やはり旅をすればこうした刺激を得られるというのが大きい。

 故郷から遠く離れた地まで来たパール、出会うトレーナーが使うポケモン達も、地元ではなかなか見られなかったものが多くなってきている。

 

「くうぅ、負けたか……!

 切れ味が鈍ったな……!」

 

「お疲れ様、ピョコ。大丈夫?

 傷薬、かけてあげるからじっとしててね」

 

 そして、210番道路でもそうだったが、こんな険しい場所までポケモンを鍛えにくるトレーナー、その実力も今までの相手以上に高く感じる。

 今しがたパールが勝利した相手は、空手王コスチュームで野を行く男性で、なかなか強いグレッグルを繰り出してきたものだ。

 パールにとっては一番頼もしいパートナーであるピョコ、相手の毒タイプの攻撃にも耐えきって勝ってくれたが、彼でもそれなりに手を焼いたのは見えた。

 いくら自分の手持ちで一番強いピョコだって、草タイプである以上毒タイプは弱点。強いから押し勝ってくれたし、無茶をさせた気はする。

 苦手なタイプの相手にさえ、ピョコが自己判断で怖い攻撃を凌ぎ躱すよう努める戦いぶりに勉強させて貰いつつ、パールもピョコの疲れを労わっていた。

 

「強いですね、お兄さんのポケモン。

 この子、きっと私の連れてる子達の中では一番強いと思うんですけど……」

「はは、ありがとうな。

 負けたのは残念だが、俺のグレッグルも自慢の切り札だ。

 今回は相手が悪かった、君のハヤシガメも見事な戦いぶりだったぞ」

 

 自分のポケモンを評価されると嬉しいのは、パールに限らず多くのトレーナーがそうだ。

 勝者のパールが嫌味無い声と表情でそう言って、不快一つ覚えさせず本心を伝えられるぐらいなのだから、それだけ強い相手だったということだ。

 ピョコが今の勝利を誇らしく胸を張る姿からも、そういう戦いだったということである。。

 

「俺はトバリシティの生まれでな。

 トバリジムのジムリーダー、スモモは君と同じぐらいの年頃の女の子だ。

 あの年で立派にジムリーダーを務める姿を見ていると、ずっと年上の俺達も負けちゃいられないって気持ちにさせてくれる。

 彼女ほど強くなるにはまだまだ遠い俺だが、これからも精進していかねばとは強く感じさせてくれる子だよ」

「トバリジムのリーダーさんってそんなに若いんですか?

 私と同じぐらいの年頃でジムリーダーって……バッジ7つ集めてきたような挑戦者相手でも勝っちゃったりするぐらい?」

「ああ、人呼んで"天才格闘少女"だ。

 それでいて常に謙虚で、今日もきっとジムで己を高めるために修行を欠かさないでいるだろう。

 恵まれた才のみではなく、ああしたたゆまぬ努力の末に今の地位に立つ彼女の姿は、トバリのトレーナー全ての尊敬の対象だ」

 

 挑戦者が所持しているバッジの数によって、示す力量の度合いを変えるジムリーダーだが、バッジを多数持つ強い相手との勝負を求められる日もある。

 それで勝ち負けするスモモという人物は、パールと同じ年頃でありながら、今のパールでは及びつかぬほどのトップトレーナーである。

 身近な例で言えば、ギンガ団幹部のジュピターとパール達を守りながら渡り合った、あのナタネにも匹敵する実力者かもしれない。

 世の中、凄い人は沢山いるものだ。スモモも間違いなくそんな一人なのだろう。

 

「君もその強さを見る限り、トバリジムへの挑戦を意識していそうだな。

 頑張れよ、君ならきっといい勝負が出来るはずだからな」

「はいっ、ありがとうございます!

 お兄さんも、グレッグルとの修行頑張って下さいね!」

 

 別れを告げて、再び215番道路を進み、トバリシティを目指して歩くパール達。

 レベルの高いトレーナーとの戦い、険しい道のり、そして先のトレーナーに聞かされたトバリジムの高き壁。

 楽なジム戦など一つも無いとわかっているパールでも、次なる試練を予兆するようなこの旅路には、胸がわくわくしてくるものだ。

 こんな中で、私がそんな人に勝てるのかな、なんて不安の強い感情を抱かなくなった程度には、パールも一端のトレーナーらしくなってきたか。

 戦うのはポケモン達である。己の力量より、自分のポケモン達を信じられるなら、無用の不安を抱えなくていいはずだ。

 

「私達と同じぐらいの年でジムリーダーって凄いよね。

 私、勝てるかな? きっと凄く強い人だよね」

「うーん、どうなんだろ。

 ついにパールも初めての負けを経験する日が来るのかも」

「え~、そこは大丈夫だよとか言ってよ。

 お世辞でもいいじゃん、プラッチそういうとこ無責任なこと言えない派?」

「あはは、そうだな、僕こういうとこで愛想悪いとこが出るな……

 いや、パールに勝って欲しいとは本気で思ってるんだけどさ」

「大丈夫だって、それはわかってるから。

 応援しててね、プラッチ。

 私まだ、みんなが作ってくれてる無敗記録を切らないよう頑張りたいからさ」

 

 私に勝てるかな? という表情に、無理かもという不安げな色が無いから、プラチナも正直なところを言えたという側面もある。

 不安げに尋ねていたらプラチナだって、大丈夫だよと元気付ける言葉を紡いでいたはずだ。

 無敗を強調する少しお調子に乗った表現を冗談で放つぐらいなのだから、今やもう、初めてのジム挑戦にそわそわ緊張していたあの頃のパールではない。

 縁起でもない想定はあまりしたくないが、これなら仮に負けたとしても自信を無くして挫けたりはしなさそう、とはプラチナの所感である。

 

「パールどこまで無敗のままいけるんだろ?

 バッジ集めきるまでずっとそれで行けたら凄いよ?」

「いやぁ、流石にそれは難しいと思うけど。

 でも出来るとこまで……あっ?」

 

 苦も楽もありそうな行く末を遠く眺めつつ、楽しそうに語らい歩いていたパールとプラチナだが、ここでちょっとした苦の方が二人を襲う。

 ぽつ、ぽつと二の腕に滴る何かが空から注ぎ、その冷たさに空を見上げれば、いつの間にか上天の雲の厚さは随分なものになっていた。

 続いて顔にもぴすぴすと、冷たいものを小粒に浴びせてくる気まぐれな空。

 

「わっ、やだ、雨!?

 傘持ってきてないのに!」

「うわ~、行くにも戻るにも遠そう……

 雨宿り出来る場所、近くにあるかな……」

 

 きょろきょろと周りを見回すプラチナだが、雨を凌げそうな場所が無い。

 木陰はどうだろうか。いや、案外近場に雨露を凌げそうな良い形の木が無い。

 ちょっと戻れば橋の下ででも雨宿り出来るだろうか。いや、それもまあまあ遠い場所にある。

 そうこうしているうちに、雨は急激に強くなっていく。すごい勢いで。

 

「ちょ~!?

 これ完全に夕立じゃん! 全然夕方でもないのに!」

「と、とりあえず戻ろう! 遠いけど、さっきあった橋の下で雨宿り……!」

 

 ぽつぽつ来たと思ったら、肌への刺激でわかるぐらい雨粒も大きくなって、じゃんじゃんざーざー振り出す雨。

 焦って遠いとわかっていても、確実に雨宿り出来そうな場所まで引き返すため駆けだすパールとプラチナ。

 だが時既に遅し。局地的豪雨めいたシャワーのような大雨は、数十秒走ってようやく橋という天井のある場所に滑り込んだ二人を、無残な姿に変えていた。

 

「意味ない……」

「だね……」

 

 雨を浴びずに済む場所に到達した頃には、とっくに二人ともびっちょ濡れ。

 バケツいっぱいの水を浴びたかのよう。帽子から溢れるパールの髪が、ぺちょんと彼女の顔の横に張り付いているぐらいに。

 プラチナも服が肌に張り付く感触に、冷たくって風邪を引かないか不安になる。

 

「……なんか、パールと初めて出会った時のこと思い出すなぁ」

「みるな~! こっちむくな~!」

「うぶぶっ!? ご、ごめん……」

 

 うへぇという気分でパールの方を見て、びしょ濡れになったパールの姿を見たプラチナだが、顔をぐいーと両手で押されて背けさせられる。

 プラチナと同じ状況に苛まれているパールなのだ。見ちゃ駄目。

 そうだった、と彼女の身に考え至ったプラチナも、迂闊だったと顔を真っ赤にする。

 

「ピョコだけ機嫌良さそう……うらやましいぞ、草ポケモン」

「――――♪」

「あ、ポッチャマもだ。

 何だろうね、この、人の気も知らないで感」

 

 こういう時、ポケモン達は天気の変化を楽しむばかりなので気楽なものだ。

 草ポケモンのピョコは天然の水浴びを楽しみ、水ポケモンのポッチャマは雨を浴びて小躍り。

 一応ポケッチを操作してみるプラチナ。びしょ濡れだけど元気に動いている。

 防水加工は完璧のようだ。流石はポケッチカンパニーが自信満々に世に送り出した新製品。

 

「もう行っちゃおうか?

 雨宿りしても今さら意味ないっぽいし」

「そうしようか……

 どうせこの雨、やむ気配無いし」

 

 夕立みたいに激しく降ってきたと思ったら、いつの間にかほどほどに強い程度の雨に変わっている空模様。

 いっそ激しく振り続けてくれれば、上天の雲を使い果たす勢いで間もなくやんでくれそうなのだが、この調子だと強いまま長く降りそうだ。

 じゃあもうどうせびしょびしょなんだから、雨を浴びてでも突っ切った方がいいんじゃないかという発想に辿り着く二人である。

 まだまだ先は長そうだし、雨がやむまで待ち過ぎて、いつの間にか暗い時間帯にまでなってしまったら、それはそれで最悪だ。

 シンオウ地方の夜は冷えがちなのに、濡れた体で野宿なんて論外である。嫌とかそれ以前に、絶対二人揃って風邪を引く。

 

「よーし、元気いっぱい行くぞ~!

 よく動いて体あっためつつ行かなきゃ! でないと風邪ひく!」

「妙なとこでは理屈しっかりしてるんだね……」

「プラッチ! 私を追い抜いたらダメだぞ!

 さあ、ついてくるんだっ!」

 

 小走りで進み始めたパールの後ろを、プラチナも追うように走る。

 追い抜くなとはつまり、自分を前から見るなという意味らしい。

 服がぺちゃっと張り付いた自分の体、その前面を見られたくないということだ。 

 スカートもお尻に張り付きそうな中、ちゃっかり左手はスカートの後ろの裾をつまみ、後ろのプラチナに肌の形を見せないようにするパールである。

 その後ろ姿、気を抜いたら裸を晒してしまいそうな意識で神経質になっている姿でもあり、これはこれでプラチナの目のやり場を困らせる仕草なのだが。

 

「プラッチー!

 えっちな目で見てたら軽蔑するぞー!」

「見てないよっ!」

 

 見ないようにしようとしたって、あまり見られたくない今の有り様のパールが、わざわざそんなことを言ってくるんだから余計に意識する。

 プラチナに言わせれば忘れさせてくれ感。

 そんなプラチナを気遣ってか、ピョコがパールの後ろを駆け、自分の体でプラチナの視界からある程度パールを隠してくれる位置へ移る。

 振り返ってプラチナを見るピョコは、うちのパールをいやらしい目で見るな、という顔ではなく、プラッチも大変だねという優しい目であった。

 あぁ、この子本当に出来た子だなぁと、プラチナもしんみりしそうになるぐらいの男前ぶりである。

 

「ホッ、ホッ、ホッ……!

 おおっ、君はトレーナーか!? ひと勝負どうだっ!」

「うっそーん!?

 こんな天気の中ジョギングしてる人がいる~!?」

「急に振り出したからな! もはや逃げ場は無かったのだ!

 それよりどうだ! バトルしてみないかっ!」

「うぐぐっ、よーし受けて立ちますっ!

 ピョコ戻って!」

 

 急な大雨に見舞われて、逃げ場無くずぶ濡れにさせられてしまった被害者は、今この215番道路に溢れて返っているらしい。

 このジョギング青年もその一人。

 そして今さら濡れた体をどうしようもないので、そのままジョギングを継続し、いっそハイになってしまっている。

 良い生き方である。人生はポジティブでなければ。

 そしてそんな彼もまたポケモントレーナーであり、ハイなテンションに任せて目についたパールに勝負を仕掛けてくる始末。

 受けるパールもパールである。彼女もまた、感情とテンションに任せた勢いで生きていくタイプ。

 たまにプラチナ、こういうパールを見ていると、ダイヤのあれこれをどうこう言えた彼女ではないと思うのだがどうだろう。

 

 せっかく雨が降っているので、ピョコを引っ込めてニルルを出すパール。

 湿度が高いだけでも気分を良くするカラナクシ、こんな雨の日に外に出られて露骨に上機嫌だ。

 ジョギング青年が繰り出す素早いムクバード相手に、モチベーションたっぷりに水の波動を撃つ快活な戦いぶりを見せる。

 先のグレッグル使いのお兄さんも強かったが、このムクバードも素早くて強い。トバリ近辺のトレーナーの皆さんはやっぱり強い。

 熱くなってパールがバトルに夢中の中、壁役のピョコがいなくなったプラチナが、なんとかパールだけ見ないように努めながらバトルの行方を見守っていた。

 スカートちゃんとつまんでおいてよ。すっごい張り付いてるじゃん。パールを直視しちゃいけない気分で凄く困っている、プラチナの密かなる心の叫びである。

 

「くぅ~、負けたっ!

 いい勝負だったぞ! それじゃあ僕もジョギングに戻る!」

「風邪ひかないように気を付けて下さいね~!」

「ありがとう、若く有望なトレーナーの少女!

 ホッ、ホッ、ホッ……!」

 

 バトル自体はニルルの快勝。

 雨の下では、彼が放つ水の波動の威力も少々上がっているのだろうか。

 ナタネが天候を操作する技をポケモンに使わせ、バトルを優位に運ぼうとしていた姿を思い出すパール。

 環境や天候もまた、バトルにおいては勝敗を左右し得る重要なファクターであると、いま改めて学ぶ次第である。

 

「……あっ!!

 プラッチ、見てないよね!?」

「っ……全然見ずにいるなんて無理に決まってるでしょ!

 バトルしてるの見ずにいるのもおかしいし!」

 

 はっとして、お尻に張り付いているスカートを慌てて指でつまんで肌から離すパールである。

 バトルに夢中ですっかり忘れていたらしい。

 我に返った途端に羞恥心マックスで顔を真っ赤にするなんて面倒な子。 

 プラチナもプラチナで嘘を返さない。いっそ開き直った。どうせ嘘で弁解しても問い詰められそうな気がしたので。

 

「見たんだな!? すけべっ!」

「理不尽だっ!

 女の子も色々あるんだろうけど、僕は絶対に認めないっ!」

 

 どっちも怒りとは違う意味で顔いっぱいに血を昇らせ、きゃんきゃん騒がなきゃ発散できない想いを口にして言い合い。

 初めての喧嘩というやつだろうか。案外そのレベルにも達していないが。

 お互いの言い分が、言ってる当人さえ低レベル過ぎると自覚してやまぬ言い合いで、相手に対する批難の感情より、僕も私も何言ってんだ感の方が強い。

 後でお互い謝り合いもせず、双方忘れたがって勝手に水に流れそうである。

 

「うううぅぅ……もぉ~! 行くぞ~、プラッチ!

 目指せトバリシティ! ポケモンセンター! お風呂! いそぐ!」

「同感だよっ……!」

 

 雨の中のどたばた珍道中になってしまった。

 気まぐれな空模様に翻弄され、己を見失ったやけくそ気味の駆け足で突き進むパールとプラチナだ。

 二人にとっては具合の悪いことに、215番道路は長い。トバリシティは遠い。

 この手を離すまいと、左手でスカート右手で帽子を押さえるパール。前を見て走りたいのに見ちゃ駄目そうなものが常に前にあるプラチナ。

 二人とも、相手のことを意識しているような、自分のことで頭いっぱいのような。

 こんな恥ずかしい姿をプラチナには見られたくないと感じるパール、変な目をしてると思われて嫌われたくないプラチナ、とでも言えば聞こえはいいだろうか。

 実際のところは二人とも、あんまり頭がはたらいておらず、せいぜい躓いて転ぶ最悪だけは避けようという意識がぎりぎり残る程度である。

 

 こんな中でも道中で出会ったトレーナーとのバトルだけは、きっちり受けて戦い抜くパールなんだからよくわからない。多分彼女もわかってない。

 先の反省からスカートをつまむ指だけは絶対離さなかったが、早く行きたいのにいちいちこうして足止めされるプラチナの参りっぷりは深刻だ。

 なんやかんやで全勝して進むパールを褒めてあげながら、絶対に体の全面を見せないよう振り向き顔で、ピースして応えてくれるパールの仕草がもどかしい。

 彼女も色んなものと戦ってるんだなぁと。だってその笑顔も、恥じらいを残したように引きつっているし。

 目を泳がせているプラチナを見て、パールも紳士的にいようとしてくれているプラチナの気持ちがわかって、なんだかとっても申し訳なくなってくる。

 

 幾度かそんなことを繰り返しながら、長い長い215番道路を速やかに駆けきった二人は、ようやくトバリシティに辿り着いて。

 そんな頃にちょうど雨がやむのである。

 今日の空はただの敵だったと、二人同時に心の奥底で感じるのだから、通じ合えぬ範疇で気の合う二人。

 

「つっ、着いた……

 ポケモンセンターに行こう……すごい疲れたよ……」

「わ、私も……お願いプラッチ、あんまり見ないで……

 恥ずかしいよ、こんな格好見られるの……」

「わかってる、わかってるから……」

 

 実際の倍以上の時間をかけて辿り着いたとも思える目的地で、パールもプラチナも心身ともに疲弊しきった声を交わしていた。

 時間はおやつ時。思ったよりも早く到着出来たではないか。

 これならポケモンセンターで二人ともお風呂を借りて、さっぱりしてから街を散策する時間も作れそうである。よかったね。

 

 二人は今日の思い出したくない経験を、相手のせいではなく、全部空模様に責任をなすりつけつつ、トバリシティのポケモンセンターへ向かっていくのだった。

 それでよろしい。どちらも悪くはなかったのだから。

 パールが恥ずかしくて取り乱すのは仕方ないし、プラチナだって出来る限りの努力は精一杯した。

 こういう時は、批難されても痛くも痒くもない、空のせいにでもしておけばよい。



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第35話   トバリシティ

 トバリシティはシンオウ地方の中でも、近年異色の発展を遂げた街として知られている。

 

 黎明期より地質の関係で、掘れど拓けど大きな岩がごろごろ出てくるトバリシティの真ん中には、"石に囲まれた街"という看板が今も立っている。

 山林を切り拓いて町を作ろうとした過程でも、かつての技術では開墾の難しかった地層が多く、高低差の激しい街の全容にその名残が未だ在る。

 発展を遂げた今でも、街の中心部から少しはずれれば、露出した岩肌をそのままにしている場所も多い。

 その近くには、かつて落ちてきたという隕石と、その衝撃で生じたという大きな盆地がそのままに残され、ある種の名物として顕在だ。

 天と地、共の石との関わりを今でも意識したトバリシティは、石に囲まれた街という謳いを未だ重んじる、シンオウ北東部の主要都市として名を馳せている。

 

 シンオウ地方の一角に広く築かれたこの街、元より人口の多い都市としては名高かったが、ここ十年における発展模様は相当に著しい。

 今やこの街の新たな売りとなった大きなトバリデパートや、シンオウ地方初の巨大ゲームコーナーも、ほんの数年前に出来た名物だ。

 その後も大きな建物が次々に造られ、古くからこの街に住む大人達の中には、随分と空が狭くなったなと近年の変わりようを形容する人も多い。

 シンオウ地方の都会といえば、西のコトブキか東のヨスガと言われたものだが、今やトバリもそれに加えて、シンオウ三大都会と呼ぶも良しとさえ語られる。

 それほどまでには、ここ近年のトバリシティの発展ぶりは目覚ましく鮮烈であった、ということだ。

 

 そうした形で近年名高いトバリシティだが、この街にはその急成長と関係深い、もう一つの大きな特徴がある。

 雨でずぶ濡れになった体を、ポケモンセンターのシャワーで流してさっぱりし、夕時前の街へと繰り出した二人。

 そんな二人が街にて目にしたものとは、それは何にも勝って衝撃的なものだ。

 

「と、トバリシティって山賊の村みたいなとこなの……?」

「それは言い過ぎだと思うけど……

 でも、パールの言いたいことはわからなくもないね……」

 

 道行く人々の中に、当たり前のように溶け込んでいる、シルバーボディスーツを纏った、緑色のおかっぱ頭の大人の男女。

 パールとプラチナには忘れようの無い、ギンガ団の象徴的コスチュームだ。

 谷間の発電所やハクタイシティ近隣での蛮行、二人にとっては悪党集団でしかないギンガ団の者達が、この街では天下の往来を堂々と闊歩している。

 パールの言い草は極端だが、悪党としか見えない出で立ちの者が当然のように散見する光景は、決してずれた例えとも言えぬものだ。

 

「でも、思ってたより雰囲気柔らかいね……

 街の人達とも普通に笑顔でお話してるし……」

「……だ、だまされないもん。

 ギンガ団は、私やナタネさんを炎で焼こうとしたひどい奴が幹部の組織だもん。

 みとめない」

「そ、そうだね……油断しちゃダメだ、いけないいけない」

 

 しかし、歩み進む中で二人が見かけるこの街のギンガ団は、どうも二人が抱くギンガ団員のイメージとは違う。

 団員同士で談笑している者達もいるが、街の人々と世間話に花を咲かせて笑い合う者もいれば、子供と遊んであげるギンガ団もいる。

 お年寄りの荷物を持って並び歩く、目に見えていい人そうなギンガ団員の姿さえあるのだ。

 あれ? みんないい人? ギンガ団員達を受け入れて、朗らかな表情で語らう街の人々の姿もまた、二人にいっそうそんな印象を抱かせる絵。

 以前のことがあるため、信用なんかしないぞとパールは意地っぽく主張するが、逆に言えば理屈を付けないと、ギンガ団員達の姿は敵視に値するものではない。

 強く抱いていたイメージとは真逆のギンガ団の姿に、トバリシティを進むパールとプラチナの困惑ぶりは相当なものだ。

 

 それに、団員同士や街の人と語らうギンガ団員達の声が耳に入ってくる中で、もう一つ自分達が知るギンガ団のイメージと乖離した要素がある。

 マーズやジュピターが率いていたギンガ団員は、皆どこか余所の国生まれを思わせる言葉遣いだったが、この街のギンガ団員達は普通に喋っている。

 片言ではなく、自分達が当たり前のように話すのと同じだけ言葉も流暢だ。

 自分達が知るイメージとはかけ離れたギンガ団員達の言動すべてが、二人を不思議の世界に迷い込んだかのような気分に陥らせている。

 

「……まあ、でも、いっか。

 とにかく今はジムだっ! 着いた着いたっ!」

「詳しいことは、また後で調べてみることにしようか」

 

 歩く中では困惑しきりの二人だったが、目的地を目の前にしたパールは、努めて雑念を振り払うかのように、胸の前でぱんぱんと二度手を鳴らして気分転換。

 暗くなるまでの時間があまり残されていない中、今日のうちにパールが行っておきたかった場所だ。

 ジムリーダーへのご挨拶と、泊まるポケモンセンターからここまでの道のりの確認を兼ね、トバリジムに到着である。

 新しい街に辿り着いたら、物見も楽しみではあるのだが、やっぱりパールは何につけてもまずはジム。

 根本的にはそれを目的とした旅なので、ある種のぶれなさをプラチナにも感じさせる。

 

「すいません。

 ジムに挑戦に来たんですけど、ジムリーダーのスモモさんはいらっしゃいますか?」

「はい、いらっしゃい。

 スモモは今、お客さんに対応しているところだよ。

 そろそろ終わると思うから、もう少しだけ待っててね」

 

 トバリジムに入ったパール達。

 格闘ポケモンの使い手として知られるスモモのジムは、広大かつ木目敷き平坦な風景を表しており、さながら道場のような趣だ。

 そこで空手道着に身を包む、さながら門下生のジム生達がポケモンバトルという形で腕を高め合っている。

 もっとも、木目敷きと見えるデザインというだけで、それは単なる模様の平面床なのだが。

 ここでジムへの挑戦者を、門下生がまず迎え撃つのである。本当の木目敷きだったら、炎ポケモンが戦っただけで焦げ焦げに。

 そのたび床を張り替えるなんてしていたら、ジムの経営の方が火の車。

 というわけで、土足で入っていいらしい。門下生の皆様はみんな空手王コスチュームで裸足だが、挑戦者側は気にしなくてよい。

 

 トバリのジムの受け付けはお婆さんだ。

 入ってすぐの所に番台のようなものが電話ボックスのように作られていて、そこから訪問者にお婆さんが対応する。

 木目敷きの雰囲気に合わせて番台なのだろうか。何かがヘンなトバリジム。

 

「パール、落ち着いてるね。

 ジム挑戦も慣れてきた?」

「え、そう見える? けっこう緊張してるよ?」

「今までのパールだったら、すいませーん、って子供っぽい挨拶してたと思う」

「あぁ、そういう……まって、プラッチもしかして私のこといじってる?」

「いや別に」

「こら、人の目を見て話しなさい。

 返答によっては罰する」

「場合によっては何の刑?」

「死刑」

「こわっ」

 

 すごく機嫌を悪くした目をしたパールに詰め寄られ、プラチナは余裕のある目の逸らし方でたじろいでみせる。

 逃げるなと手を伸ばして捕まえようとするパールだが、その手をプラチナは捕まえてそれ以上の接近を許さない。

 プラチナが右手で掴んでいるのはパールの左手首だが、左手はパールと掌を合わせて指の間が噛み合う掴み合いの絵図。

 片手だけ恋人繋ぎ状態なのだが、特に意に介さず、ぷんすこパールといなすプラチナの絡み合いは、たいそう仲良く親しくなった二人の間柄を顕していた。

 

「うふふ、二人とも仲が良いんだねぇ。

 ほら、スモモが来たよ。ちょうど応接も終わったみたいだね」

 

「あっ、やった、あんまり待たなかった。

 プラッチ、おぼえてろ。絶対そのうち蒸し返してやる」

「そんな根に持つアピール初めて聞いた」

 

 キッ、と覇気不足の眼でプラチナを威嚇するパールは、迫力の欠片もない捨て台詞を吐いてジム奥の扉から出てきたスモモに目を向ける。

 結局のところ、性根では結局のところ喧嘩や争いごとを嫌う子はこんなものだ。威嚇の才能ゼロ。

 "おっとりした性格"ながら、バトルとなれば闘志を燃やして"いかく"を放てるパッチのようにはいかないものである。

 

「…………えっ、あれ?

 あの人って、もしかして……」

「え、うそ!?

 お客さんって、そういう……!?」

 

 応接していたという客人とともに、ジムリーダーのスモモと思しき人物が、ジム奥の部屋から姿を見せた。

 パールもプラチナもスモモの顔を見るのは初めてだが、消去法でどちらがスモモなのかはわかった。

 ジムリーダーと客人、二人の人物が姿を見せた中で、片方があまりにも有名で名高い人物であり、一目でそれが誰なのかパール達にもすぐわかったからだ。

 

 パールと同じ年頃と見える裸足の女の子が、噂の天才格闘少女スモモなのだろう。

 黒衣に身を包むもう一人は、パールもプラチナもテレビで何度か見た偉人。

 現在の、シンオウリーグチャンピオンである"シロナ"の顔を知らないポケモントレーナーは、シンオウ地方にそうそういない。

 

「……あら?

 スモモ、あの子達ってもしかして挑戦者なんじゃない?」

「あっ……!

 すいません、シロナさん! 急いでお仕事に戻ります!」

「ふふ、いいわよ、そんなに気にしてくれなくても」

 

 スモモと思しき女の子は、シロナに手短に一礼すると、受付の前に立っているパール達に駆け寄ってくる。

 小走りなのは姿勢を見てわかるのだが、それでも駆け寄ってくる速度が速くてパールはちょっとどぎまぎ。

 トレーナーの身体能力が高そうなジムリーダーである。

 

「すみません、挑戦者の方ですか?」

「あっ、はい……」

「お待たせしたようですね、お詫び致します。

 あたし、トバリジムのジムリーダーを仰せ仕る"スモモ"と申します。

 以後、お見知りおきを」

「え、えぇぇと……パールともうし、ます?

 よろしくお願い、致しますで、す」

 

 パールを前に立ち止まったスモモは、拳と掌を合わせてぴんとした背筋を曲げ、立ち姿勢のまま毅然としたお辞儀を見せる。

 どう見ても年が近いのに、しっかりとしたご挨拶を見せるスモモである。

 パールとプラチナの立ち位置を見て、挑戦者はパールの方だと見切った目も、本質を見抜く目としては優秀だ。

 

 パールもそれに従って、自分も厳かな言葉でご挨拶しようとするが、慣れないことはするものじゃない。

 使い慣れない言葉を使おうとして、しばしば言葉が詰まる始末。プラチナ目線ではなんだか可笑しい。

 

「……どうしましょう。

 本来ならば、ジム生の皆様と勝負して頂いて、それからあたしへの挑戦という流れなのですが。

 お待たせしてしまったようですし、お詫びの意味も込めてさっそく……」

「こらこらこら、スモモ?

 挑戦者は挑戦者であって"お客様"ではないのよ?

 あなたはいつものように、普段通りに、ジムリーダーとして勝負を受けなきゃ」

 

 前のめりな話の流れを作ろうとするスモモをシロナが窘める。

 トバリジムも多くのジムと同様に、挑戦者はジム生数人とバトルして実力を証明してから、ジムリーダーに挑む運びとなるはず。

 待たせてしまって申し訳ないからと、過程を省いてお受けしますというスモモの配慮、ちょっとお客さんに対して甘すぎである。

 

「う……そ、そうですね。

 いけないいけない、しっかりしなきゃ……」

 

「ごめんなさいね?

 すぐジムリーダーに挑めそうな流れだったところ、邪魔しちゃって」

「あ~、いえ、それは別に……

 し、シロナさんですよね? 本物ですか?」

「ふふふ、どうかしら?

 最近あたしのニセモノさん、多くなってるみたいだからね」

「あーっ、わかるわかる!

 子供向けのシロナさんコスチュームが最近売られるようになったから、シロナさんごっこしてる子が結構いるんですよね!」

「チャンピオンになるとそういうこともあるのよ……

 正直、あたしとしては見かけるたびに気恥ずかしいんだけど……」

 

 ふいっと目を逸らしたシロナ、正直あれは勘弁して欲しいなという苦笑い。

 黒い服のシロナだが、これは世間的にも、彼女が公の舞台でポケモンバトルをする時にいつも着る"勝負服"として定着している。

 若くて綺麗で格好いいチャンピオンのシロナ、彼女の勝負服と同じものを売ったら当たるんじゃないか? と企画した会社は結構儲かっているらしい。

 チャンピオンごっこする女の子はシンオウ地方にもそれなりに多く、バトルはさておき大人の女性シロナの真似っこをして遊ぶだけの女の子だっている。

 結果的に、バトルに興味のなかった女の子がその世界に入っていくきっかけになったりもするようで、裾野の拡大にも一役買う形になっているようだ。

 パールもこの手の流行には敏感なので、シロナの言う"ニセモノ"の意味を、このようにすぐ察している。

 

「えーと、えーと、握手して貰えませんか?」

「ええ、あたしでよければ」

「あはははっ、すごいすごいプラッチ!

 私いまチャンピオンさんと握手してるよ!

 私もうこの手、寝る前まで洗わないかも!」

「そういう時は、嘘でも一生洗わないっていうところじゃないの?」

 

 不潔っぽいことは冗談でもあんまり言いたがらないらしい。

 案外こういうところで、敏感に人目を気にするパールである。

 チャンピオンの前だから? どちらかと言えば、一緒にいる時間が長く、今後も一緒の時間を過ごすプラチナの前という側面が強そうだが。

 

「あなたがパールなのね。

 ナタネから聞いてるわ、すっごく将来有望なトレーナーさんらしいわね」

「え~、そんなことないですよぉ。

 私のポケモン確かにすごく頼もしくって強い子達ですけど」

「あなたがプラ……プラッチ君ね?

 正義感の強い子だって、ナタネからも聞いてるわ」

「プラッチ……え~、あ~、はい、プラッチです。

 よ、よろしくお願いします」

 

 大好きなナタネさんが、自分のことをそんな風に人に話してくれているのが嬉しくて、てれてれ凄く嬉しそうなパール。

 一方、恐らくナタネからプラチナの本名を聞いているはずであろうに、意味深な笑顔でプラッチ呼びしてくるシロナにプラチナはたじろぐ。

 大人の女性陣二人でからかってきている。未だにパールに本名を教えていないこと、そのきっかけを察されているふしさえある。

 初対面から茶目っ気を見せてくるシロナに、渇いた笑いでご挨拶するプラチナ、本当いつパールに本名を教えるきっかけを作ろうかと迷走中。

 

「スモモ。

 あなたと年の近い挑戦者だけど、この子けっこう強いわよ?

 あなたも負けられないでしょうし、全力で迎え撃ってあげましょうね」

「はいっ、勿論です」

 

 自分ばかり喋っていても仕方ないので、シロナはスモモに話を振って、二歩退がった立ち位置を作ってそう表明する。

 代わってスモモがパールの前で、改めて拳と掌を合わせて会釈気味に頭を下げる。

 

「パールさん、ですね。

 ジムバッジはいくつですか?」

「2つです」

「えぇと……では、ジム生四人と勝負して、いずれにも勝てれば奥のバトルフィールドに来て下さい。

 今日それを達成して、一度休んでからの明日の挑戦でもいいですので。

 あたしはいつでも、あなたの挑戦を受け付けます」

「あっ、はいっ……!

 必ず達成して挑戦します! よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 ジムリーダー挑戦までの流れを説明してくれるスモモだが、少々ぎこちない面も垣間見える。

 彼女はジムリーダーになってからの日が浅い方だ。

 堂々挑戦者を迎え撃って来たヒョウタやナタネと違い、年の近いパール相手でも少し緊張が顔に表れている。

 一方、それでもお辞儀や一礼の仕草は身に沁みついて柔らかいので、普段から礼儀正しい彼女の気質もまた挙動に表れていると見えよう。

 

「あら、スモモ?

 挑戦者とジム生のバトル、見ていかないの?」

「あたしだけがパールさんの手の内を先に見るのはフェアじゃありませんから。

 パールさん、お気兼ねなく全力で戦い抜いて下さいね」

 

「おおぅ……スモモさん、なんかかっこいい」

 

 挨拶を済ませるとジムの奥へと帰っていこうとするスモモに、シロナが問いかけたところの返答がこれだった。

 元々ジムリーダーの方が、自分の使うポケモンのタイプと傾向を把握されているので、挑戦者の手の内ぐらいあらかじめ見ても不公平ではないのだが。

 迎え撃つ側として、それは敢えてしないというスモモったら漢らしいものである。女の子なのだが。

 

「それじゃ、あたしは見てから帰ろうかな。

 ナタネが言ってた強い子、どんな戦い方をするのかしら?」

「えっ、ちょっ、あ、あんまり見て欲しくないような……

 私、指示とかヘタだし……チャンピオンさんに見られたら笑われちゃうかも……」

「笑ったりなんかしないわよ、あたしだってあなたと年が同じだった頃は指示だって下手だったわ。

 さ、見せて見せて。頑張ってね!」

 

 パールは自覚があるぐらい、自分のポケモンの自己判断に助けられて勝ってきたタイプなので、トレーナーとしての自分の手腕には自信を持っていない。

 ポケモンバトルの第一人者の前で、そんな自分の戦いぶりを見られるというのは少々恥ずかしく感じちゃう。

 いいからいいから、とパールの背中を言葉で押すシロナに、パールは人目気にしまくりのちらちら振り返りぶりで、ジムの門下生の前に立つ。

 

「おおっ、挑戦者だな!!

 俺達カラテ4兄弟!! 押忍!!」

「お、おすっ!

 声おっきいですね! よろしくお願いします!」

 

 気合の入ったジム生の皆様方である。パールもびくっとしながらも、自分も大きめの声を出して返答だ。

 面白いことに、がたいも良く年上の男性らが大声を出してくる割には、そんなに怖いと感じさせてはこない。

 強そうだけど暴力的な人には見えないのだ。健全たる心身の精進を志した格闘家として良い姿である。

 

「行くぞっ! ワンリキー!」

「ええっと……!

 よしっ、ニルル! 任せるよ!」

 

 ちょっと呑まれそうになりかけながらも、パールはポケモンをボールから喚び出してバトルスタート。

 始まってしまえばパールも集中する。チャンピオンさんに見られて恥ずかしいような、という気持ちも今は頭の隅にどけて。

 流石にもうポケモントレーナーだ。バトルとなれば頭の切り替えも早い。

 

「シロナさん、こないだハクタイシティにもいましたよね。

 色んな街を回ってるみたいですけど、やっぱりチャンピオンさんって忙しいんですか?」

「まあ最近は、ちょっとね。

 あたしは家でゆっくりして、考古学の資料を眺めていたいんだけどな」

 

 パールが戦う姿を眺めながら、プラチナはシロナとの会話を繋いでおく。

 なんだか最近忙しいらしいチャンピオンさん、現状を憂い気味。

 気乗りしない忙しさに追われているようだ。それはプラチナの目にも、なんとなく伝わった。

 

 パールの方は、このジム生にそつなく勝ったあと、その後三人のジム生とも連戦し、破竹の勢いさながらにジムリーダーへの挑戦権を獲得を果たす。

 ジム生の皆さんも、バッジ2つのトレーナー相手のポケモンを使うので、そんなに滅茶苦茶レベルの高いポケモンは使ってこない。あくまで試験みたいなもの。

 順調に勝ち進めたパールは、スモモに挑む資格ありと認められ、奥のバトルフィールドで待つスモモの元へ赴いてご挨拶だ。

 瞑想していたスモモだったが、意識を深いところに沈めるより早く、思ったよりも早く挑戦権を獲得したパールに少し驚きの表情を見せていた。

 同時にスモモも、パールを強い挑戦者だと認識したようである。

 

 全力の戦いを望むお互い同士、勝負はゆっくり休んでからの明日と決め、パールはジムを後にした。

 大きな戦いに向けてふつふつと胸を熱くする想いを抱え、今宵は一夜を過ごすことになる。

 3つ目のジム挑戦。何度経験しても、まだまだこの胸の高鳴りにパールは慣れていけそうになさそうだ。

 

 

 

 

 

「すいませんシロナさん、送ってもらっちゃって」

「いいのよ、子供だけで暗い時間をうろうろするのも良くないしね。

 無視してあたしだけ帰るのもなんだか冷たいじゃない」

 

 トバリジムからポケモンセンターに帰るパールとプラチナだが、シロナもポケモンセンターまでついてきてくれる運びとなっていた。

 時は夕深く、夜の一歩手前。西日も沈んだ頃合いだ。

 まだ空は暗く染まりきっていないが、これも何かの縁とばかりに、心配してついてきてくれるシロナである。

 

「ゲームコーナーが出来てから、そこでお金全部すっちゃう人とかもいてね。

 お金欲しさに悪いことする人もいて、ちょっとトバリシティでは問題になったりもしてるのよ。

 人の街をあまり悪く言うべきじゃないけど、治安のいい街だってあんまり言える状態じゃないからね」

「あわわ、私達が夜に子供だけでうろうろしてたら危ないやつだ。

 ……山賊の街」

「パールそのフレーズ気に入ったりでもしてるの?」

「さっきは冗談だったけど、今度はもっとしっくりきちゃう感じだからもっかい使ってみた」

「あんまり大きな声で言っちゃ駄目よ?

 悪いことなんかせずに普通に過ごしてる人が大半なんだから、そういう人達にそういう言葉を聞かれたら悲しい想いをさせてしまうからね」

 

 パールもわかってはいるようで、山賊の街という単語はひそっとした声で使っている。

 身内間だけの冗談で済ませておくべき言葉の使い方なので。

 街の人に聞かせたらいい想いはさせないだろう、という配慮はパールも出来るようだ。

 

「……治安で思い出しましたけど、この街ってギンガ団が普通に闊歩してるんですね。

 これ、街の人達は大丈夫なんですか……?」

「プラッチがムズかしい単語を普通に使っている」

「え、闊歩のこと? 普通に使わない?」

「いや~、どうだろ……」

 

「あなた達、ナタネと一緒にハクタイシティのギンガ団に挑んだんだっけ。

 そうねぇ……あなた達なら、ギンガ団にはとりわけ不信感を抱いていても不思議じゃないわ。

 ……まああたしも正直なところ、不審視はしてるけどね」

 

 シロナも、ギンガ団を不審視しているという主張を、やや小声でパール達に伝えている。

 これもあまり周りに聞かせたくない言葉なのだろう。周囲に気を遣っている。

 そして気を遣う程度には、この街においてのギンガ団というものは、中傷されて構わないといった類の集団ではないということ。

 谷間の発電所やハクタイ周辺でのギンガ団の蛮行を知るパール達にしてみれば、気を遣う必要の相手に感じられなくて当然なほどなのだが。

 

「あなた達、二人ともシンオウ西の生まれ育ち?」

「はい」

「僕もあんまりこっち側には来たことないですね」

「じゃあ、知らないのも仕方ないわ。

 トバリシティにおけるギンガ団って、きっとあなた達が思うギンガ団のイメージとは少し違うのよ。

 この街の発展にも根深く関わってる組織で――」

 

 テンガン山を境とした、シンオウ西部で過ごしていると、シンオウ東部のトバリシティのことには詳しくなりにくい。

 パールとプラチナには知る由もなかったトバリシティの事情というものを、シロナが少しずつ紐解いて話してくれる。

 二人にとっては単なる悪の組織だという認識でしかなかったギンガ団だが、どうやら話はそう単純ではないらしい。

 納得いく部分にもいかぬ部分にも分かれる内容だったが、シンオウ西部育ちのパール達にとっては、なかなか新鮮な話だった。



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第36話   トバリシティとギンガ団

 

 ギンガ団という名が社会に初めて姿を現したのは、ここトバリシティである。

 

 ちょうど十年前、今ほど都会的ではなかったトバリシティだが、元々トバリシティはシンオウ北東部に位置する広い街だ。

 近年の人口の増加に伴って、華々しいヨスガシティに負けないぐらい、開発を進めて都会化させていこうという話が持ち上がった。

 競いたがったと言うよりは、郷土愛溢れる人々の、俺達の街をもっといい街にしようぜという純粋な想いが強かった企画である。

 元より山の中に切り拓かれたトバリシティ、少し開拓を進めて街を少々広めて、じっくりと都市化計画は進められていた。

 

 そんな折、七年前のことだ。

 有志を引き連れた"ギンガ団"を名乗る若者が、トバリシティの発展計画に荷担したいと申し出た。

 突然の余所者の申し出だったが、後にギンガ団の"オーナー"として名を馳せるこの若者は非常に礼儀正しく、トバリシティの人々にすぐ受け入れられた。

 人当たりの良い若者に、私達の町おこしに協力してくれるならありがたい、と、トバリシティにギンガ団が居着く形となる。

 結果的にギンガ団を受け入れたことは、この後トバリシティに只ならぬほどの影響を与えたと言っていい。

 

 ギンガ団は"銀河エネルギー"と謳う絶大なエネルギーを組織の売りとし、それをトバリシティの開発事業に惜しみなく提供した。

 スケールの大きい単語を用いているが、実質その単語が意味するところは、簡単に言えば"すごい膨大なエネルギー"とでも考えて差し支えない。

 本当に宇宙から降り注ぐエネルギーを享受して人々の生活に、というわけではないらしい。単に、ギンガ団の持つ力をアピールするための造語だそうで。

 しかしゆくゆくは、広大なる宇宙からエネルギーを得られるほどの技術を得られれば、という目標も暗には抱えているそうな。

 企業秘密めいたもので、どのようにしてそんなエネルギーを生み出しているかは非公開だが、実際ギンガ団の提供するエネルギーは凄かった。

 始めは小さなビルを間借りして活動していたギンガ団だが、その時点で発電所一つに相当するほどの膨大なエネルギーを都市開発に提供しているのだ。

 これにはトバリシティの開発部も目をひん剥いて驚き、ギンガ団の成果に適正な報酬を支払うことも厭わなくなる。

 活躍目覚ましいギンガ団への適正な報酬とは、言ってしまえばかなりの大金だ。それが惜しまれぬほど、ギンガ団の活躍がもたらしたものは大きかった。

 

 発足二年目にして、現在も街の北部にそびえ立つ巨大なビルを擁するようになったギンガ団。

 施設が充実すれば、元より著しかったギンガ団によるトバリシティへの発展支援も急加速する。

 現在トバリシティの名物である、巨大デパートやゲームコーナーの設立もその少し後だ。

 まさしくギンガ団の活躍あってこそ、そうした街の売りになるほどの近代的施設が完成に至ったと言っても過言ではない。

 設立から数年経ち、今や"ギンガビル"と呼ばれて定着するその総本山は、ビル一本で発電所5つとガス会社3つに匹敵するほどだとさえ囁かれる。

 決して大袈裟ではない。この程度の規模の建物で、それほどまでに人間社会への高い貢献度を為す組織は、世界広しと言えどもそう多くない。

 十年かけての都市開発は今、ちょうど山をいくつか越えたところで落ち着いているが、未だギンガ団がこの街のエネルギーを提供し、人々の生活を豊かに保つ。

 発展に伴って、各施設の維持に必要なエネルギーも常にそれなりなので、今は新開発に着手する時期ではないとされる。

 言い換えればギンガ団は、今や発展を遂げたこの街の基盤を根底から支える、そんな組織でさえあるということだ。

 

 急発展したトバリシティだが、古くから刻まれてきた歴史、石に囲まれた街というイメージも決して壊れてはいない。

 アスファルトの道路も増えたが、所々に露出した、山林を拓いて町が作られた過程を思わせる石は随所に残されている。

 十年前と随分景色の変わったトバリシティでありながら、ギンガ団がもたらした急発展に、過去を惜しむ意味で不満を唱える者は皆無である。

 トバリシティにおけるギンガ団とは、ただただこの街をより良き街にするため尽力してくれた人達に他ならないのだ。

 街の人々がギンガ団員に親しみを持って接するのは、そうした背景があってのことである。

 トバリシティに鎮座するギンガビルだが、街の人々に"ギンガトバリビル"とは呼ばれない。

 トバリシティの人々にとって、ギンガビルという単語でイメージするのは、この街にそびえ立つあの総本山の他には無いのである。

 たとえ他の街にギンガビルが建ったとて、私達にとってのギンガビルはあれだけだ、と、トバリの人々が主張するほどには、ギンガ団は愛されているのである。

 

 

 

 ゆえにこそ、先日テンガン山の向こう側で、ギンガ団を名乗る者達が蛮行をはたらいたことは、トバリシティの人々には衝撃的ですらあった。

 街の英雄が犯罪組織めいたことをしていたかのような報道だ。耳を疑った者も多い。

 当然、社会のギンガ団への追及も強く、今では人前に顔を出すことの少なくなったギンガ団の"オーナー"も、記者会見に出席する事態となった。

 今となっては大企業とでも言える存在となったトバリのギンガ団、オーナーというのは社長のようなものだと考えてよい。

 

 オーナーの主張は一貫して、我々ギンガ団はテンガン山の向こうには一切関与していない、というものだった。

 つまり、谷間の発電所やハクタイシティ近辺で暴れていた、ギンガ団を名乗っていただけの集団は、自分達とは無関係という主張である。

 これに対する世間の反応には、当然厳しい声も多い。

 特にギンガ団に実害を受けたハクタイシティやソノオタウンは良い感情を抱いておらず、差し向けた刺客を知らんぷりして尻尾切りしただけとしか見えまい。

 現にパールとプラチナも、シロナにこの話を聞かされた時は、そんな言い逃れが通用するんですかという顔を隠せなかった。

 

 しかし、ある程度は主張に理屈は通っているのだ。

 ハクタイシティに建てられた、ギンガ団の根城とされたビルは、そもそも三年だか前に造られたビル。

 確かに大きくなった企業が他地方に進出する例は世に多くあるが、ハクタイシティはギンガ団が、トバリの外へ事業拡大を目指す最初の地としてそぐわない。

 テンガン山を越えずに至れる、カンナギタウンやヨスガシティやノモセシティが、トバリシティからはより近い場所にある。

 あまり開発を進めていないカンナギタウン、あるいは都会のヨスガシティと、企業拡大に赴くならまずそちらであろう。

 ハクタイシティをシンオウ西部側の新拠点とするにしても、だったらより都会的なコトブキシティや、炭坑と競合できるクロガネシティの方がより現実的だ。

 ハクタイシティに鎮座していたビルが、我々の手で作られたものではないという主張には充分な説得力がある。

 

 それに、ギンガ団の幹部を名乗ったマーズとジュピターが引き連れていた構成員。

 みな逮捕されたのだが、いくら取り調べてもトバリのギンガ団に結び付く情報が全く無い。

 言っちゃなんだが、逮捕されたギンガ団員の皆様、あまり頭はよろしくなさそうである。

 組織の関与を悟られぬよう上手く凌いでいる、という感じはしない。逮捕された数十人、全員にそれが出来る能力は無さそう。

 ギンガ団の活動の目的を問い質しても、ろくな回答が出てこないところを見ると、恐らく上手く誤魔化しているのではなく本当に知らされていないと見える。

 結論としては、マーズとジュピターというあの幹部格が、独自に集めた寄せ集めの集団というところなのだろう。これは恐らく真実と思われる。

 つまりマーズとジュピターが、トバリに拠点を構えるギンガ団という組織と繋がりがあるのか、そこが最大の争点となる。

 肝心の二人が逃亡中なので、ここをはっきりさせられないのだ。

 事件性ありとして法の手がギンガ団に及ぶには、決定的なものがない。

 

 真実が確定していない以上、オーナー側の主張も決して苦しい言い逃れだと断ずることは出来ず、公には捜査中という形で話は続いている。

 もしもオーナー側の言い分が本当ならば、ギンガ団はならず者の自称によって風評被害をこうむった被害者だ。

 不確かな現状、公の声でトバリのギンガ団本陣を糾弾することは得策ではなく、現状では草の根レベルで議論が交わされる程度に留まっている。

 スキャンダルを好む人々の間では、そんなこと言って実は裏で糸を引いてるんでしょ、という声も立つし、トバリの人々はギンガ団の肩を持ちたい。

 よりはっきりとした情報が出回るまでは、この事件はここまでというところである。

 ギンガ団に悪いイメージは少しついてしまったが、組織の地盤が揺らぐほどの批難が常に寄せられているわけでもないのが実状だそうだ。

 

 これが、シロナが二人に聞かせてくれた話である。

 

「え~、なんか納得したくないなぁ……

 まあ、本当に無関係だったらトバリのギンガ団さんも被害者だし、あんまり今の時点じゃ言えないけど……」

「ハクタイは進出先じゃないっていう主張もどうなんだろうね。

 そう主張できるような場所に着手したから言い逃れられてるのかもしれないし。

 だからこそハクタイを悪行の拠点にしたのかもしれないよ」

「名探偵プラッチ」

「いや、わかんないよ?

 僕も今けっこう思い付きで喋ってるし」

 

「真相はわからないからね。思うだけなら自由だから。

 でも、あんまり大きな声で悪い推理を口にしちゃ駄目よ?

 トバリの人達はギンガ団のことが好きだし、邪推を聞かされて面白くはないでしょうからね」

 

 どうしても、ギンガ団に苛烈な迎え撃ちを受けたパールとプラチナは、ギンガ団へのイメージがそう簡単には覆らない。

 風評被害を受けているのなら気の毒だし、逆に裏で繋がっているなら、本当に腹黒い悪の組織そのもの。

 わからない、ってやきもきする。思い付きなれど推測を述べる程度には頭の回っているプラチナはまだましだが、パールなんて珍しく腕組みして歩いている。

 かしげた首、釈然としない口元、憎むべきものを見失った眼、憤慨すべきか哀れむべきかもわからず悩み沈む目尻。

 感情豊かな彼女の複雑な想いが、顔に出やすい子なので全部混ざって表情に出るらしい。

 恐らく今後、今と全く同じ顔をすることもそうそう無さそうで、作ろうとして作ることさえ難しそう。それぐらい、雑多に感情が混ざり過ぎ。

 

「シロナさんが最近忙しいのって、もしかしてギンガ団の関係で?」

「えぇ、実はそう。

 本当のところを調べたくて、今はシンオウ地方を渡り歩いてるの」

「チャンピオンさんって、そういう警察みたいなこともしてるんですか?」

「いや、別にそういうわけじゃないわ。

 あたしが個人的に気になってね……まあ、色々あるのよ」

 

 有数の実力者であるチャンピオンは、手腕を頼られ本業とは違う仕事を頼まれることも少なくはない。

 しかし流石に、ギンガ団の真相を明かすために動いてくれだとか、そんなことを依頼されているわけではないようだ。

 ほんの少しの何かをはぐらかすような目の動きをされたが、どうやら彼女は彼女自身の意志でこの事件の真相を追っている。

 

 プラチナ目線では首をかしげる想いも新たに沸くところだ。

 トバリジムでシロナは、本当は家でゆっくりと考古学の資料を眺めていたい、とも言っていた。

 やりたいことが他にあるのに、誰にも強いられていないシンオウ巡りを今やっている。

 そこにあるのは使命感なのか、あるいは義務感なのか、どういった想いで趣味を諦めて旅に出ているのか、少し気になるが尋ねにくくもなる。

 語らず伏せたかのような態度を見てしまうと踏み込みづらい。プラチナにだって、人に話したくないことの一つや二つはあるので。本名は早く明かしたいが。

 

「それより二人とも、ナタネと一緒にギンガ団に挑んだんだって?」

 

「あっ、これ怒られる流れだ」

「怒られそうだね」

 

「はぁ……まあ、わかってるならそこまでは言わないけどね。

 聞けばギンガ団の幹部を名乗るジュピターって、ナタネと渡り合うほどの実力者なんでしょう?

 そんな奴がいる敵、まして人に向けて火を放つような非道な相手に、あなた達が挑むなんて本当に危険なことよ?

 あなた達が思ってる以上に、ナタネだって強いんだから」

「見てました、見てましたよ~。

 ナタネさん格好よかったですよ~、守って貰えたあの時のこと、思い出すだけで痺れちゃう」

「あたしに時々勝つぐらい強いトレーナーだって知ってる?」

「えっ!? そんなに!?

 シロナさんチャンピオンでしょ!?」

「公式戦ではまだ負けたことないけどね。

 正直、負けるたびにすっごい悔しいの」

 

 そんなに凄いの!? と、そんな相手と毎夜電話している自分にもびっくりなパール。

 ナタネが、というよりも、本気を出した一部のジムリーダーはそれだけ強いという話である。

 ジムバッジを8つ集めてから、ジムリーダーに本気の手合わせを望んでみればいい。どこの皆さんもびっくりするぐらい強い。

 バッジを集めきったトレーナーというのは、これで僕も私もトップトレーナーの仲間入りだと、一旦そこで大きな達成感を得られるものなのだが。

 一度勝ったことのあるジムリーダーに、軽い気持ちでお手合わせを望み、こてんぱんに負かされて鼻っ柱を折られるケースは結構多いらしい。

 

「チャンピオンだからって私も絶対無敗じゃないからね。

 公式戦では負けてない、ってだけよ」

「本番に強いタイプなんですね」

「ふふ、そう言うと聞こえがいいわね。そこはあたしも自慢できるかも」

 

 最強のトレーナー=負けない、というイメージは抱かれがちなものだが、現実のところは案外そうでもない。

 この試合で負けたらチャンピオン交代、という試合で負けていないから未だチャンピオン、というだけだ。

 立場上、メディア出演も多く、腕利きトレーナーとのバトルを求められることも多いので、案外彼女も非公式の草の根バトルはそれなりの頻度でやっている。

 そんじょそこらの相手に負けるシロナではないが、相手が四天王やジムリーダーだったりすると、勝敗はどちらに転ぶか全くわからないらしい。

 高頻度ではないが、シロナも絶対的な王者という世間的認識に比べれば負けることは意外と多く、勿論その時もちゃんとシロナは全力で戦っている。

 良き友人であるナタネに負けた時なんかは、かえって特段悔しいそうな。

 

「でもあたしだって、そんな強い悪者と対峙したら、必ずしも制圧できるとは限らないぐらいよ?

 あなた達も、無茶に挑むのは程々にね。心配してくれる人、いるんだから。

 特にパール、あなたがもしも二度と話せないようになっちゃったりしたら、ナタネなんて絶対に大泣きさせちゃうのよ?」

「うぅ、そういうとこ突かれるときつい」

「わかった?

 大人に任せて、危ないことはしないように我慢するのも大事よ。

 あなた達と同じように正義を信じる、そんな大人達の中にもきっと、あなた達が信頼に値する人はいるはずなんだから」

 

 冷たく解釈すれば、子供がこんな問題に首を突っ込むなともとれる。

 最大限、そうは聞こえにくいよう言葉を重ねているのは、パール達の意志も汲んでくれているのだろう。

 ギンガ団に無謀にも挑んだパール達を肯定するのは難しいが、その気持ちまでは否定したくない彼女の感情が多少なりとも滲み出ている。

 

「ちょうど着いたわね。

 さっきも言ったけど、トバリシティで夜にうろうろしちゃ駄目よ?

 これに関しては、トバリの良識的な大人の人だって同じことを言うからさ」

「この街に住んでてこの街が好きな人でもそう言う、ってことですもんね」

「気を付けます!

 シロナさん、送ってくれてありがとうございました!」

「ふふ、よろしい。

 それじゃあ二人とも、元気でね」

 

 ポケモンセンターに到着し、シロナはパールとプラチナに手を振って去って行った。

 彼女は予約してあるホテルがあるそうだ。流石はチャンピオン、きっとVIP待遇とかされたりするんだろうな、なんて二人も勝手に想像してしまう。

 

「パール、実はシロナさんと電話番号交換したかったんじゃないの?」

「いや~、流石に私もあれほどの人に自分からそんなの言えないよ……

 ナタネさんとの交換だって、向こうが言ってくれなきゃムリだったよ絶対」

「流石にパールも、いきなりそこまで出来るほどじゃないか」

「プラッチ私のこと何だと思ってるの?」

「いや、誰にでも、初対面の人にでも普通に話しかけられるパールは凄いな、とは普段から思ってるんだけどね」

 

 今日はチャンピオンさんとお話ししちゃった。二人ともどことなく意気揚々。

 明日はトバリのジムリーダーとの勝負を控え、寝る前にでもなれば緊張感が蘇って、寝付けない夜になるだろう。

 しかし、まだ夜も浅いこの辺りの時間帯、それを忘れてうきうきと過ごせたのは、パールにとって幸せなことである。

 大一番を前に緊張するのも悪くない。でも、そんな時間が長すぎても息苦しいので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます。

 来て下さいましたね、パールさん」

「おはようございます。

 スモモさん、今日はよろしくお願いします」

 

 翌朝、トバリジムを訪れたパールとプラチナ。

 ジム奥のバトルフィールドは昨日も覗いたが、戦前視察要らずの障害物ゼロフィールドだ。

 

 特殊素材の床に木目の模様が描かれていた、ジム生達と戦ったエリアと異なり、こちらは本当の畳敷きだ。

 いわく畳に見えて特殊素材を用いたものらしく、火にも氷にも汚れにさえも強く、激しくバトルしても損傷せず、毒が沁みても掃除はしやすいらしい。

 地面に関わる技で穴が空くことがあっても、時間をかければ修繕も容易だそうだ。不思議素材の畳に似た何かだと考えるべきだろう。

 一方で、掌で触れてみればわかるとおり、手触りは殆ど本物の畳と変わりなかったりもする。

 障害物一つ無い、畳敷き平面の非常に広大なバトルフィールドは、格闘ポケモン使いのジムリーダーに挑む者達に、さながら道場破り感覚を味わわせてくれる。

 

 加えて言うなら、クロガネやハクタイのジムなどに見られる、トレーナーが立つ高台が無いのも特徴の一つか。

 トレーナーが立つ場所は、四畳半ぶんの朱染め畳の上であり、戦うポケモン達と目線の高さは一緒である。

 少し高い所から戦況を俯瞰的に見ることが出来た今までのジムとは、そういう点でも少々勝手が違う。この違いは大きいか否か、それは挑戦者次第。

 

「あれ?

 パールさん、脱がなくてもいいんですよ?」

「えへへ、雰囲気重視です。

 スモモさんも裸足ですし、畳ですし、私もせっかくなので」

「ふふっ、そうですか。

 お楽しみ頂けているならそれで結構ですよ」

 

 さて、畳敷きの広大なバトルフィールドだが、靴で上がっていい場所だ。

 ポケモン達も土足で戦う場所なのだから、雨の日に濡れた靴の裏で上がって汚したとしてさえ、たいした問題じゃない。

 しかしパールは、畳のフィールドに上がる前から既に靴を、靴下までも脱いで裸足である。

 足の裏で畳に似た感触を味わいながら、バトルフィールドに踏み込んでいく。

 

 一度、フィールドの真ん中でスモモと対面する位置に立ち、お手合わせ前の改めてのご挨拶とばかりにスモモがお辞儀。

 拳と掌を合わせて一礼するスモモを真似して、ぎこちないながらも同じ仕草を返すパールである。

 ジムリーダーとして毅然の顔を装うスモモも、単なるお遊びだけでなく、礼を応じようとしてくれるパールに微笑みが溢れる。

 

「勝負は3対3です。

 ポケモン三体は、もう決めてこられましたか?」

「はいっ、いっぱい考えてきました。

 絶対に勝ちたいと思って選んだ三人です」

「三人……?

 パールさんは、自分のポケモンを一人二人と数えるんですか?」

「へ、ヘンですか?

 個人的には拘ってるんですけど……」

「いいえ、なるほど、わかりました。

 パールさんにとってのポケモンは、特別な仲間ということなんですね」

 

 正直なところ、パールも変わり種なことをしている自覚はあるので、意識せず人前で口にしたそれに驚かれると腰が引ける。

 だからこそとも言えるが、理解を示して笑顔を見せてくれるスモモの態度は、パールにとって嬉しかったりする。

 年は近くても懐の深いジムリーダーだと、パールも認識できただろう。

 

「パールさん、今さら言うまでもないことですが……

 是非、全力で、全身全霊でかかってきて下さいね」

「へっ?

 あ、えと……それは、勿論ですけど……」

 

「あたし、こんな年でジムリーダーという大役を仰せつかってます。

 正直なところ、あたしよりも強くて、立派なトレーナーは、トバリシティにはいっぱいいます。

 あなたが勝利してきたトバリのジム生の皆様だって、あたしの知らないことを沢山知っていて、敵わないなと思うことも多いぐらいです」

 

 柔和な笑顔でパールと話していたスモモだが、ふいに神妙な面持ちとなり、パールに気持ちのこもった声を向けてくる。

 ジムリーダーが、ジム生に敵わないなどと口にするのは、あまり推奨されるような行動ではない。

 スモモもわかっているのか、観戦席のプラチナには絶対に聞こえないよう、パールにだけ聞こえる程度の小声である。

 

「あたしは、どうして自分がジムリーダーに選ばれたのか、未だにわかっていません。

 強いポケモントレーナーっていうのが何なのか、その答えも見つかっていません。

 あたしはこのジムに挑戦しに来てくれる沢山の人々の戦いで、それを見付けられたらと思っています」

「スモモさん……?」

「パールさん。

 挑戦者として、腰を低く、謙虚なその姿勢は見習いたくも存じます。

 ですが、ポケモンバトルの場においては、大人も子供も、男も女も、ジムリーダーという肩書きがあるかどうかも関係ありません。

 すべてのポケモンバトルは対等です。遠慮も、物怖じも、必要ありません」

 

 少し表情の硬かったパールをわざわざ奮起させることを言うスモモだ。

 それだけ彼女は、全身全霊の出し惜しみ無き戦いを望んでいる。

 真っ直ぐな瞳でそう訴えかけてくるスモモの姿には、パールも胸を打たれるというものだ。

 

「あたし達、きっと同い年です。

 負けたくありません。きっと、負けたらすっごく悔しいです。

 全力で迎え撃たせて頂きますよ……! どこからでも、かかってきて下さい!」

「……はいっ!

 スモモさん、絶対に負けませんよ!」

 

 ばちんと両手で自分の頬を叩き挟むようにして、気合を入れたことを表明したパールに、スモモは両の握り拳を引く姿勢で返答する。

 双方、情熱を胸に燃え上がらせ、それが相手にも伝わるほど。

 笑顔一つない表情、しかし相手への敬意を目に宿した両者は背を向け合い、トレーナーが立つ朱塗り畳の上へと歩を進めていく。

 

 振り返り、離れたスモモと対峙したパール。

 最初のポケモンはもう決めてある。そのボールを手に握る。

 勝ちきれるかどうかはわからない。だが、考えられるだけのことは考えてきた。

 あとは力の限りをすべて、このバトルに置いてくるだけだ。

 

「参ります! パールさん!」

「はいっ!」

 

「行きますよ! アサナン!」

「行くよ! ニル……」

 

 パールが先鋒のニルルを出そうとしたその時だ。

 バッグの中から、正確にはバッグの中に入れていたボールの中から、バトルフィールドに飛び出してきた子がいる。

 突然の出来事に、ニルルの入ったボールのスイッチを押す指も止まったパールだが、出てきた子の姿を見てさらにびっくりする。

 

「えっ!? ミーナ!? えっ!?」

 

 それはパールが、スモモとの勝負で繰り出す三人のうち、4分の1ではじかれた唯一のポケモンだ。

 気合充分、ざりざりと両足で畳を引っかいて、離れた前方のアサナンを睨みつけるミーナは、やる気満々なのが背中からも伝わってくる。

 いや、それは結構なのだが、そういう予定はまったくなかったのが。これは困る。

 

「格闘タイプの使い手であるあたしに、ノーマルタイプのミミロルですか……?

 出方も、なんだか事故だったような……」

 

 怪訝な顔をするスモモに対し、パールは目を泳がせてパニックに陥りかけている。

 3対3のバトルだ。一度出てしまったポケモンは、引っ込みつくのだろうか。

 負けられない戦いでやんちゃをされたパールは、意気込むミーナとは裏腹、身内を出鼻を挫かれる形で激戦必至の舞台に立っていた。



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第37話   トバリジム

 ノーマルタイプのミミロルが、格闘タイプの攻撃に弱いことなんて、旅に出る前のパールでも知っていたことである。

 格闘タイプのポケモン使いであるスモモ相手の勝負に、自ら進んでミーナなんて出すわけがない。

 現にパールは、勝手に出てきたミーナを前にしてあたふた。

 これは取り返しがつくのだろうか。それも含めてあたふた。

 

「むむむ……どうやら意図しない第一手のようですね!

 特例として仕切り直しを認めますよ! いかが致しますか!?」

「えっ、あっ、うっ……そ、それは……」

 

 ポケモンバトルの公式戦では、一度出したポケモンはその日の"出場者"として確定する決まりになっている。

 今回のケースに当てはめると、パールが今回のバトルで使えるのは、ミーナとあと二体、つまり三体のうちからミーナをはずせなくなったということ。

 6対6のフルバトルの時なら意味の無いルールだが、今回のような3対3の時には大事なルールだ。

 ポケモンバトルは最初の一匹を同時に出すため、相手の先鋒がどんなポケモンかは蓋を開けてみるまでわからない。

 ナタネとの勝負でもそうだったが、緒戦を白星で飾れるかで展開は大きく変わるため、この読み合いはポケモンバトルの重要な醍醐味である。

 

 今回、はっきり言ってミーナを出す気の無かったパールだが、明らかにアクシデントと見たスモモは、ミミロルを引っ込めていいと言う。

 パールからしてみれば甘くも嬉しい話だが、さてどうか。

 パールはスモモの先鋒がアサナンだとわかった上で、自分はミーナ以外の三人を使って戦っていいとスモモは言ってくれている。

 "交代"ではなく"仕切り直し"という言葉を使っているのはそういう意味だ。

 

 どうしよう。甘えちゃいたいところだが、それもどうかと思ってパールは、つい観戦席のプラチナの方を見てしまう。

 え? 僕に聞く? なんて思ったプラチナも、一瞬考えてしまうのだが。

 苦笑い気味ながら首を二度振るプラチナ。良くないよ、と。

 

「ううぅぅ……そ、そうだよね……

 特例つきで勝ったって、そんなのバッジ貰う資格ないよね……」

 

 がくーと肩を落とすパール。まあ、そりゃあそうだ。

 スモモの提案に甘えてしまいたいと思った一方、つまり本当は良くないことだともわかっている。

 これに限ったことではないが、世の中『本当にいいのかな?』なんて自分で思ってしまうようなことは、大抵やらない方がいいものである。

 多くの場合、"案の定よくない結果に繋がった"とか、仮に上手くいっても罪悪感みたいなものが、しばらく心にちくっと刺さったままになってしまうので。

 

「……このままいきます!

 スモモさん、迷っちゃってごめんなさい!」

「そうですか……! いいでしょう!

 こちらも、礼を以って迎え撃ちましょう!」

 

 勝手なことをするミーナの急参戦で、さっそく暗雲立ち込めるパールの戦列だが、それはパールがちゃんと自分のポケモンをリード出来ていないだけ。

 トレーナーの力量不足で発生した不測の事態である。受け入れるべきだ。

 惜しみなき全力勝負を望むスモモは特例を認めようとしたが、これはこれでガチンコな勝負の様相。スモモとしては、これでも良い。

 

「あ、あの……別に、甘く見てるわけではないんで……

 なんというか、舐めてかかってるわけではないので、わかって貰えると……」

 

「あ、えぇと……はいっ、結構です!

 それでこそ、誇れる勝利を目指す高潔な志ですからね!」

 

 さあ真剣勝負だ、と気合の入った声をパールに返したスモモだったが、大きい声を出したらパールがびびってしまった。

 ジムリーダー相手に不利なポケモン先鋒で舐めてんの、とでもスモモを怒らせてしまったのかも、とパールの目には映ったらしい。

 引け腰で冷や汗を流して弁明するパールの弱々しい声に、燃えていたスモモもかくっと気が抜けそうになる。

 しょうがないので、怒ってるわけじゃないですよと、笑顔含みで返答するスモモ。世話の焼ける挑戦者だこと。

 

「パールさん、一切の遠慮は無用ですよ!

 気兼ねせず、あなたの全身全霊を見せて頂けるよう願います!」

「は、はいっ! 頑張ります!

 ミーナ、いくよ! 任せるよ!」

 

 ミーナはやる気満々で、座禅を組んだような姿勢で不動にてミーナを見つめるアサナンに対し、ファイティングポーズで拳をしゅっしゅと突き出す仕草まで。

 落ち着いたアサナンの姿とは、まさしく対照的とさえ。

 そしてパールに声をかけられて、チッうっせーなとばかりに不機嫌な横顔を見せたりと、何かとテンションの上下が激しい子である。なお♀。

 

「ミーナ、接近戦! 反撃をくらわないよう気を付けて!」

「――――z!」

 

「速い……!

 アサナン、壱の型!」

 

 ミーナに先制指示を出すパールも、受けに回るアサナンも具体的な技の名前を口にしない。

 技の名前を命じれば、指示を受けるポケモンにはわかりやすいが、指示を聞いた相手にも手の内がバレてしまいがち。

 スモモはともかく、ヒョウタやナタネとの勝負を経て、パールもこんなことをするようになってきたらしい。最近やり始めたとも言う。

 

 まあ、パールが命じる"接近戦"とは、単なる"はたく"攻撃なのだが。

 それでも足の速いミーナがアサナンに急接近する速度はなかなかのもので、スモモ目線では"でんこうせっか"かと思うほど。

 動かないアサナンに一気に距離を詰め、平手を振り抜くミーナの攻撃を、少し目を大きく見開いたアサナンは身をひねり、体をずらして最小限の動きで躱す。

 あぐら座りのまま、腰に力を入れるだけで、低めに跳ねて位置をずらして敵の攻撃を回避できるようだ。なかなかに器用。

 

「ミーナっ!!」

「ッ……!」

 

 ミーナの平手打ちを躱したアサナンが、それと同時に拳を引いている姿を見る前から、パールは注意喚起の指示を発している。

 殴りを返してくるアサナンの一撃を、パールの指示を受けてか自己判断か、ミーナは跳び退がって回避してみせる。

 前者の可能性も充分ある。パールも良い指示が出来るようになってきたか。

 

「"みきり"で躱してカウンターの一撃を返すのか……

 スモモさんの言う"壱の型"っていうのはそういうことなのかな……?」

 

 観戦席で戦況を眺めるプラチナは、知識も目の付け所もパールより一枚上。

 ミーナの攻撃を躱す寸前、少し目を大きく開いたアサナンの挙動を見逃さず、立てた仮説も正解である。

 傍観者としてパールに肩入れすることにならないよう、小声でぼそっと独り言のように呟いているが、逆に言えば思わず出た独り言とも。

 ジムリーダーの戦いぶりを見るのは面白い。練達トレーナーの個性がある。

 

「んんん……!

 ミーナ、もう一度! 接近戦!」

「――――z!」

 

 一方、アサナンの型を見切っていないパール。再びミーナに攻撃を命じる姿勢は、もう一度仕掛けて見極めてやるという試みだろうか。

 それもある。ただし、鼻息を鳴らす血気盛んなミーナの姿を見受けてでもある。

 やる気満々のミーナだ。いけいけで動くよう促した方がいいだろうという判断含みのパールである。

 見る所が少々身内に偏っているのは手放しの高評価が難しいところだが、指示に瞬時の根拠があるのは、初心者時代よりも視野が広がっているとも言える。

 

「……壱の型!」

 

 迫るミーナの速さの中でも、スモモが若干指示を躊躇ったのも駆け引きゆえ。

 見切って躱して反撃、この型を何度も見せていいものだろうか、誘われているのではないかとスモモも一瞬考える。

 指示の応酬、その一度一度にトレーナー同士の心理戦は生じ得るという好例だ。どちらも緒戦を落としたくはない。

 

「ミーナっ、跳んで!」

「ッ――――!」

 

 アサナンに迫ったミーナの平手打ちは、再び"みきり"で躱したアサナンに当たらず、返ってくるのはアサナンのカウンターパンチ。

 一度躱された攻撃だ。ミーナも初回よりもよく敵の動きを見て、いっそう当てにいったはずである。

 アサナンもあわや掠めるほどの回避だったが、それは敵から1ミリでも遠ざかる距離を大きくしない最小限の回避、すなわち反撃の到達距離も短い。

 アサナンも今度こそ反撃を当てるために、ぎりぎりの所を攻めている。

 同じ指示を下された双方、だからといって現地の動きは一度前と同じではない。むしろ、双方いっそうシビアなところを追う。

 

 跳んで反撃を躱せというパールの指示は、あらかじめその声を用意していたかのように早く、ミーナはアサナンを跳び越えて反撃の拳を躱した。

 一つ前の指示と同じように躱されたら、それも一つ前よりもミーナが当てにいく上で、という想定で下したパールの指示。

 より危うかった反撃をミーナが躱すことに、トレーナーの指示が活きている。

 

「アサナン、弐の型!」

 

「――――ッ!?」

「わわ、ミーナっ!?」

 

 アサナンの攻撃を躱したミーナだが、着地と同時に振り返ったアサナンと目を合わせてすぐ、全身を強張らせて片目をぎゅっとする。

 全身に電気を流されたかのように、びきりと全身の筋肉が攣るような痛みに耐えるミーナの表情に、パールが異変を察するには充分だ。

 それがアサナンの"ねんりき"に依るものだと、パールもすぐに気付くことが出来る。

 格闘タイプのアサナンだが、エスパータイプでもあるとはパールも知っている。

 

「接近戦は見切られ躱され、距離を作ればねんりきの攻撃か……!

 パール、どうする……!?」

 

「ミーナ、動ける……!?」

「――――z!」

「よしっ……!

 ミーナ、もう一度アタック!」

 

「来ますね……!

 アサナン、参の型!」

 

 離れた位置からの念力で体を痛めつけられながらも、ミーナはそれを振り払うように一歩ぶんアサナンに踏み出し、二歩三歩と駆け迫らんとする足で加速。

 対するスモモの指示も、ここまでとは違うものだ。

 "みきり"は何度も連続では成功しない。相手のポケモンも一度見切られたら、相手の眼をかいくぐるために工夫を凝らしてくるのだから。

 次は受けての反撃だと命じたスモモの指示は合理的で、パールが今からやろうとしていることに対しては最善手とも言える。

 

「ミーナっ、アクセル! いっけえっ!」

「――――z!」

 

「速い……!」

 

 あと三歩でアサナンに手が届く場所で、アクセルという言葉と強いゴーサインを出すパール。意味するところは"でんこうせっか"だ。

 初速の倍ほどある速度で、一気に接近速度を上げたミーナの跳ぶような接近、そして突き出した拳。

 まずいと思って躱そうとしたアサナンも、"みきる"意識無くしては握り拳の"はたく"攻撃も、凌ぎきれず頬で受けてしまう。

 座禅姿から攻撃を受けて体を流され、片脚膝立ちで立ち上がることでなんとかふらつく程度に留めるアサナン、状況に応じた体の使い方は見事である。

 

「そこだあっ! メガトンキック!!」

「――――z!」

 

 よろめき立ちながらも反撃の拳を繰り出そうとしていたアサナンだが、さらに踏み込むミーナの方が早い。

 そこにパールが一発勝負の指示を出したのは、ミーナにとってはわかってるよの一言。すなわち、指示と現場の判断の合致。

 アサナンの眼前まで身を跳び移し、着地と同時に蹴りを放つミーナの右足は、アサナンの顎をぶち刺す痛烈な一撃だ。

 噛み締めていなかった口、顎を蹴られてがちんと歯が鳴るほどの一撃に、よく鍛えられたアサナンものけ反って、倒れそうになるほどの一撃である。

 

「――乾坤!!」

「っ、ッ――――!」

 

 だが、あわや倒れそうになったアサナンの意識を呼び戻すのは、自身のタフさのみならずスモモの声。

 単に命じられ呼ばれで目を覚ましたのではなく、ここぞ勝負所だというスモモの言葉が、アサナンに余力を振り絞らせる。

 現に蹴りを撃った直後のミーナが、改めてアサナンの姿を正面切って見据えたその瞬間、アサナンは既に拳を引いてミーナに迫っている。

 

 まずいと思ってミーナに逃げるよう指示しようとしたパールだったが、もはや手遅れだ。

 アサナンの繰り出した拳はミーナの横っ腹を捕え、けはっと息を吐いたミーナの動きはそこで一度完全に止まってしまう。

 殴られた場所を押さえてよろめくミーナには、弱点である格闘タイプの一撃が痛烈に効いているだろう。

 そんなミーナの前、もう一撃の拳を引いて構えたアサナンの立ち姿からは、もはやパールも指示では救えない。

 

 もう駄目だと思って、ミーナのボールのスイッチを二度押ししたパールだが、アサナンのアッパーカットめいた拳がミーナの体を浮かせる方が早い。

 殴られ、浮かされ、力を失って地面に背中から落ちる直前のミーナを、少し遅れてパールの握りしめたボールが回収する。

 格闘タイプの相手の拳を二連撃で受けたのだ。ボールの中に戻ったミーナは、もう一度バトルフィールドに戻れるコンディションではないだろう。

 交代ではなく、事実上の敗退である。

 

「……ミーナ、お疲れ様」

 

 ボールに微笑みかけて労うパールだが、心中では色々と複雑。

 勝手に飛び出したミーナだったが、それなりに善戦し、苦手なはずの格闘タイプ相手に善戦してみせた方だ。

 とはいえ、本来ならばパールにとって、出すつもりのなかったミーナである。

 ボールの中で悔しがっていそうなミーナを想像すると、勝手に飛び出したりしないよう、今日までにもっと関係を良くしておきたかったところでもあろう。

 あるいは仕切り直しを認めてくれようとしたスモモの提案を受けるべきだった? いやいや、あれは挑戦者として断って正解だったと信じたい。

 

 今さら考えても仕方ないことを考えてしまう程度には、今の一戦はどこかに悔いを残さずにいられないものだったと言える。

 いや、今は勝負に集中しなくては。首を振って、顔を上げ、スモモとアサナンを真っ向見据えるパールは、気持ちを切り替えて次なるステップへ移る。

 

「スモモさん、勝負はここからですよ……!

 巻き返してみせます!」

「ええ、いい心意気です!

 どこからでもかかってきて下さい!」

「行くよ! ピョコ!」

 

 残された三人の中からパールが選んだのは、最も頼れるパートナー。

 2対3のこの苦境を、どうにか少しでも良き流れに変え、主将に繋ぐための切り札を打つ。

 パールの声とボールのスイッチを強く推した指に応え、バトルフィールドに姿を現したピョコは、天井を仰いでいなないた。

 任せろ、という声にパールも拳を握りしめ、そうした呼応を目にすれば、リードしている側のスモモも強く気を引き締め直すというものだ。

 

 緒戦を白星で飾れなかったのは少々痛いところだ。

 しかし、ハクタイジムも同じような状況から巻き返して、勝利した実績がパール達にはある。

 この状況を悲観することなく、逆転を前向きな眼差しで追うパールの姿は、勝負はまだまだわからないという事実を強調するには充分な要素である。



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第38話   ジムリーダーVSポケモントレーナー

 

「ピョコ! たいあたり!」

 

「むぅ……!

 アサナン、壱の型!」

 

 スモモがアサナンに"みきり"を別の言葉で命じているように、一部のトレーナーは自分の指示が何の技に繋がるか、初見の相手に隠すことがある。

 パールもミーナに似たようなことをしていたと見えているスモモ、技名をはっきり言うパールには少々警戒もする。

 さあどう来るか。既に内容の割れている壱の型だが、ハヤシガメの手の内を少しでも見るべき場面でもあるとし、スモモはその指示を出している。

 

 大きな図体ながら足は速いピョコ、アサナンはしっかりその動きを見切って、同時にその体当たりを躱している。

 的の大きい相手だ。回避して突き出す拳は当てやすい。

 躱されたことを見受けてパールが次の指示を出す暇も与えないカウンターだ。

 ではその時パールはどうしているか。ぎゅっと握りしめた拳で息を吸い、まばたき一つせずここからの展開を見逃さない。

 

「ッ――!?」

「え!? 速い!?」

 

「よしっ! ピョコ、もう一回体当たり!」

 

 パールが体当たりに次ぐ指示を出すこともなく、甲羅に頭を引っ込めて"からにこもる"行動を素早く見せたピョコにスモモは驚きだ。

 頭を狙ったつもりが硬い甲羅を拳で殴り、僅かに怯んだアサナンに、ピョコはすぐさまぶつかっていく。

 パールは今、相当ぐっときているだろう。ピョコは賢いのは彼女が一番よく知っているのだ。

 ミーナとアサナンの戦いを見ていたピョコ、"壱の型"に攻撃を躱された瞬間に何をすべきかは、わかってくれるはずだと信じたパールが当たっている。

 指示無き自己判断任せがトレーナーとして評価されるべきか否かは議論が分かれるが、結果的にスモモとアサナンの虚を突けている。

 

「はっぱカッター!」

 

「凌いで、アサナン……!」

 

 吹っ飛ばされて転がりながらも、上手く受け身を取ってかすぐ立ち上がったアサナンに、ピョコが飛び道具で追撃だ。

 距離を作ればねんりきによる攻撃が来る。これもミーナが見せてくれたもの。

 間髪入れない連続攻撃で畳みかける挑戦者に、何枚もの葉っぱカッターに襲いかかられるアサナンも苦しい表情で回避に努める。

 攻撃を受けた直後で体が痛むこともあり、元々すべて躱すには厳しい散弾を、多数受けるアサナンへのダメージも大きい。

 

「アサナン、肆の型……!

 いけますね!?」

「――――z!」

 

「ッ……!」

「ピョコ、体当たり! 行ける!?」

「――――z!」

 

 アサナンが発しているのは念力だろうか。ピョコの目にダメージの色が現れたことをパールは見逃さない。

 葉っぱカッター一本で攻めるのは得策じゃない。もっと距離を作られたら、葉っぱカッターの当てにくい距離からねんりきを乱発されるかもしれない。

 距離を詰めなきゃというパールの判断と指示は正解だ。

 

 しかし駆けだしたピョコに対し、アサナンもまた突き進んでくるのだから、体格で劣ると見える側の取る戦法としてはやや意外か。

 面食らいそうになるパールとピョコだが、いいやこれで正しいはずだと信じるピョコは、迷わずアサナンとぶつかり合う。

 アサナンの拳とピョコの頭のぶつかり合いは、やはりウェイトの差が想像させるとおりアサナンを突き飛ばす。

 しかし頭を殴られたピョコも、軽く目の前に星が飛ぶぐらいにはダメージがある。

 

「アサナン、もう一度……!」

 

「はっぱカッター! ピョコしっかり!」

 

 吹っ飛ばされて倒れたアサナンだが、なんとか跳ね起きてあぐら姿勢を作り、すぐさま念力を発動させる。

 弱ったアサナンのそれがピョコに与えるダメージは小さいが、それでも次の戦いが控えるピョコには望ましくないもの。

 頭を振って意識を持ち直すピョコに、早く仕留めなきゃというパールの指示も切実だ。

 

「ここまでですね……!

 アサナン、お疲れ様でした!」

 

「終わったか……

 でも、あのアサナン、すごくタフだったな……」

 

 ピョコの葉っぱカッターを両腕庇いで受けたアサナンは、耐えきったように一瞬見えたが、くはぁと息を吐いて後ろに倒れた。

 ボールにアサナンを戻すスモモを以って、ピョコの勝利が確定する。

 観戦席のプラチナがこの決着を見て静かに呟くとおり、よく耐えて踏ん張り、ピョコに傷を残していったアサナンであった。

 

 でんこうせっか、メガトンキック、たいあたり、はっぱカッター、そして正面衝突のいっそう強烈な体当たり。

 これだけ受けて倒れなかったアサナンだ。少し頑丈が過ぎると感じるプラチナの感想は間違いではあるまい。

 バトルが終わるまでスモモが挑戦者に明かすことはないが、それはアサナンの拳が持つ特殊な魔力に秘密がある。

 "肆の型"とは、意地でも拳を当てろというスモモの指示。そこに何かあるのだ。

 

「ピョコ、頑張ってね……!」

「――――z!」

 

「楽観視していませんね……怖い挑戦者です……!」

 

 アサナンの撃破が確定した瞬間、パールの表情がぱあっと明るくなった一瞬を、スモモは見逃していなかった。

 たった一勝にあれほど顔に喜びが出る性格とすぐわかるにも関わらず、気を引き締め直すかのようにすぐ真剣な表情に戻ったことも。

 あのハヤシガメとて無傷では済まなかったのだ。次なる戦いが今以上の苦闘になると思い、浮かれまいとするパールの精神性は警戒に値する。

 

 スモモも次の次の一匹を、二つある選択肢のどちらとするか僅かに悩むところだ。

 ハヤシガメ相手ならここで切り札を出すのも充分あり。ただ、それには一抹の不安要素がある。考え過ぎか? とはスモモも思っているのだが。

 

「続きましょう……!

 行きます! ゴーリキー!」

 

 だが、そんな勝負手を打つ場面ではないだろう。

 ハヤシガメに次ぐパールの残り一体、そのタイプが何かわからぬ中、切り札を最後まで残すことはリスキーか?

 いや、蓋を開けてみるまでわからないものを恐れるのは正しくない。ここは順当な次鋒を繰り出す真っ向勝負である。

 

「……ピョコ! はっぱカッター!」

 

「強襲!」

 

 いかにもパワーファイターと見える大柄なゴーリキーを前に、進んで接近戦を仕掛けるのは得策ではないと判断したパール。

 それは正しい判断だと物語るかのように、飛来する葉っぱカッターを交差させた腕で防ぎながら、ダメージ上等で突っ込んでくるゴーリキーの姿がある。

 接近戦をスモモ側が望んでいるのだ。それを望まない指示を先に出していたのは、少々程度だが好判断だったと言っていい。

 

「甲羅に入って!」

 

 強引に近付いて、振り上げた右の手刀を振り下ろすゴーリキー。"かわらわり"だ。

 パールもここは強い指示だ。どのみち自己判断で頭を引っ込めるつもりだったピョコも、素早く頭を引っ込めて甲羅で手刀を受けている。

 結果的に意味の無い指示でも、危険性をパールが理解して声を出した姿には、プラチナもいいぞと拳を握りしめている。

 

「ぶつかって!」

 

 甲羅越しでも重い一撃にピョコは一歩退いたが、その動きを見受けたパールは、僅かに距離が生じたことでこの攻撃を選ぶ。

 頭を出したピョコの体当たりが、助走は少ないながらゴーリキーに正面衝突だ。

 しかし、腹に頭突きめいた強い体当たりを受けながら、のけ反りかけつつもピョコをがっしり両手で掴み、踏ん張り切ったゴーリキーの膂力は強い。

 今まで多くの相手を強烈な体当たりで吹っ飛ばしてきたピョコが、ハヤシガメのサイズになって初めて踏ん張られた相手だ。やはり強い。

 

「かみつく攻撃!」

「――――z!」

 

「ッ……!」

「打って、投げて!」

 

 そんな初めての展開でも、相手の体格からこんなことも起こり得ると見て、パールは想定済みのように早い指示を下せている。

 組み付いてきたゴーリキーの右肩に噛みついて、投げ技を仕掛けられる展開を封じつつダメージを与える。

 だが、スモモも噛みつかれる直前に発そうとしていた指示を即時取り止めて、この状況に適した指示を最小文字数で伝えるほどには頭の回転が早い。

 ゴーリキーにはそれで伝わるのだ。緊急性の高さに応じて短くされた指示が、一瞬でも早くポケモンを動かすことが及ぼす戦況への影響は馬鹿になるまい。

 

 自分の右肩に噛みついたピョコの首元へ、左の手刀を振り下ろすゴーリキー。

 かなりの痛打でありながら、それでも離さぬピョコの根性は大したもの。

 それでも僅かに力は弱くなり、肩に食い込む牙の痛みに耐えながら、ゴーリキーはピョコの頬へ左の掌底をぶち当てる。

 顎の付け根にこれを受けては流石にピョコも噛む力が一瞬抜け、その隙に改めてピョコに両腕で組み付くゴーリキー。

 豪快な投げ技ではなかったが、重いピョコの体をスイングするように投げて距離を作る。

 ピョコは四本足で着地しつつ、畳上の足元を滑らせて止まり、ダメージらしいダメージは無さそうだ。

 

「足払い!」

 

「へっ!?」

 

 その場で足を振り上げたゴーリキーが、フィールド全体にびりびりっと衝撃が響くほど強く、畳の足元を強く足を振り下ろす。

 すると、ゴーリキーの踏んだ一枚の畳の端、そのもう一端側にあるピョコの踏む足元が、ばこんと跳ね上がってピョコの左前足を痛めさせる。

 まるでシーソーのように。パールには、まるで原理の理解できない一撃だった。

 

「畳の下から岩……!?

 ストーンエッジ……いや、がんせきふうじ、かな……?」

 

 まるでジムのからくりを知っているジムリーダー側だけが使える優遇技に見えたが、知識豊富なプラチナにはそうでないとわかったようだ。

 地中から岩を突き出させ、離れた相手を攻撃しつつ足を傷つけ、ダメージと共に動きを封じる技。

 畳があるぶん岩石の直撃を脚に受けなかっただけましとも言えるし、しかし片脚を急にせり上げられ、脚の付け根を挫かれたピョコへのダメージも大きい。

 よたっとせり上がった畳から横に逃れ、挫かれた足に力が入っていないピョコの表情は苦しそうだ。

 

「っ……はっぱカッター!」

「追い詰めます!」

 

 動きの落ちたハヤシガメに、遠距離戦を仕掛けることはもう不可能だ。

 葉っぱカッターに耐えながら突っ込んでくるゴーリキーの振り下ろした左手の手刀。

 "かわらわり"の一撃は、先と同じように頭を引っ込めたピョコへ甲羅越しに入る。

 一度目もそうだったが、岩と甲羅がぶつかったような衝撃音がしているのだ。

 防御に成功しているとはいえ、ピョコへのダメージの蓄積は相当に著しい。

 

「かみついてっ……左肩だよ!!」

「ッ――――!」

 

「くっ……!

 打って、投げて!」

「メガドレイン!!」

 

 がぶりとゴーリキーの左肩に噛みついたピョコ。先程と同じ展開が繰り返されるだけだろうか。

 いや、右肩に噛みつかれたゴーリキーにはそのダメージが残っている。

 初撃が右手刀のかわらわり、つまり利き手の攻撃だったのに、一つ前のかわらわりが左手刀だったのをパールは見逃していない。

 今のゴーリキーを狙うべきは左肩で、抵抗に使われるゴーリキーの右腕は先程に劣る、そう見て指示を出せている。

 

 そして、先ほどよりも一秒でも長く粘れるなら。

 長い旅の中で、進化し、日々強くなり、ピョコが新しく覚えていた技をパールがここで選ぶ。

 本来ならば、離れた距離からでも敵の体力を吸い上げる、いわば"すいとる"攻撃の強化版。

 近距離戦を免れないこの状況下、逆に噛みつき、逃げるどころか逃がさぬとし、体力を吸い上げて持久戦に持ち込む戦法へ移す。

 

 ゴーリキーも左肩に食い込む牙の痛みと、吸い取られ始めた力に焦燥感を抱きつつ、痛む右腕に鞭打って必死の手刀だ。

 ピョコの首筋に一撃、掌底を頬に。それでもまだ離れない。

 下顎の牙がいっそう食い込むことを覚悟で、ピョコの顎を下から殴り上げるも、それでも離さず食らい付くピョコの目は血走っている。

 一撃一撃ごとに、けだものの咆哮めいた気合を発するゴーリキーの必死さには、パールも怖さすら感じて両手を胸の前で握りしめていた。

 パッチがズガイドスに噛みついて繰り広げたあの死闘の様相、それをあの時より大柄な二体が壮絶な形相で繰り広げる姿には、あの時以上の迫真がある。

 

「足払い……!」

「――――z!」

 

「ッ、ッ……!」

「あっ、あっ……!

 っ、ピョコーっ! はっぱカッター!」

 

 鬼の形相で目を見開いたゴーリキーが、畳を力強く踏みしめて、今度はピョコの右前足の下の畳をせり上げる。

 畳の切れ目が丁度いい所にあったのだ。それを見極めたのはスモモ、そして指示された以上は狙い所が必ずあると理解し、すぐに見つけたゴーリキー。

 トレーナーが苦境の打開策を導いてくれた指示に応え、前足両方を挫かれたピョコにとうとう牙を抜かせたのは、まさにジムリーダーとそのポケモンの強さだ。

 

 かつて見たぞっとするような血生臭い死闘、それに似たものを唐突に目の当たりにしながらも。

 パールは嫌な汗で顔をいっぱいにしながら、必死で反撃の指示をピョコに向けている。

 遠距離攻撃用の技だろうか。いや、助走がつけられない今、これでいい。

 至近距離でショットガンのように葉っぱカッターの数々を受け、全身を切り刻まれるゴーリキーへのダメージは今日一番だ。

 

「強襲……!」

 

 だが、ガードするように顔と目だけは守り抜いたゴーリキーは、振り上げた利き手の手刀をピョコの脳天へと振り下ろした。

 筋骨隆々の肉体から繰り出される強撃のクリーンヒット。

 鈍い音がバトルフィールドに響き渡る中、もう駄目だってパールがショックを受けた表情になるのも無理は無い。

 

「いや、まだだ……!」

 

「ッ……ッ――――!」

 

「うそ……!?

 っ、追撃……」

 

「はっぱカッター!!」

 

 頭を垂れて屈するはずの流れを、踏ん張り目を上げ、ぎらりとゴーリキーを睨み返したピョコの眼は死んでなどいない。

 ぶはぁと息を吐くピョコの姿に驚愕したスモモ、その一瞬の指示の遅れが勝負を左右するのだから、実戦における刹那は日常の数秒にも匹敵する。

 左手の手刀を振り上げたゴーリキーに、至近距離で葉っぱカッターを撃つピョコが、ゴーリキーにガードを強いて追撃を許さない。

 傷だらけのゴーリキーが耐えきれず、とうとう一歩、二歩と後退する姿はまさに、一瞬早かった反撃が明暗を分けたことを象徴する一幕だ。

 

 倒れまいとするゴーリキーに、前足が共に痛む中で踏ん張って、とどめの体当たりに踏み込んだピョコ。

 その一撃が、ピョコの体当たりを食い止めていたはずのゴーリキーを、どかっと突き飛ばして背中から畳に倒れる姿を導いた。

 それでも畳に手をかけて、首を上げてピョコを睨みつけるゴーリキーだが、立ち上がろうとする力は残っていない。

 既にボールのスイッチを押していたスモモが、ゴーリキーをボールに戻す直前、がくりと後頭部を畳に置いて力尽きたゴーリキーの姿が残影のようにあった。

 

「……本当に強い。

 あなたのような挑戦者を迎え撃てるとは、ジムリーダー冥利に尽きる限りです」

「……私の、自慢の、最高の友達ですから!」

 

 スモモとしては、強いポケモンと、それをよく導いてみせたパールを併せて強いと言いたいのだが。

 まあ、パールみたいな子には自分のポケモンの強さを褒められたようにしか聞こえないのだろう。

 謙虚から己の力量を鼻にかけず、自分のポケモンの強さだけを誇る、というわけではないみたい。

 こうも毎回勝負所で、自分の想像を超えた根性、執念、ポテンシャルを見せられ続けると、自分じゃなくうちの子達が凄い、という発想になるのも仕方ないが。

 そもそもポケモン達って、パールが思う以上にずっとずっと凄いのだ。この観点から言えば、パールはまだまだ理解不足。

 

「勝負はこれからです……!

 参りましょう! ルカリオ!」

 

 状況は2対1。一転、追い込まれたのはスモモの方。

 だが、ジムリーダーの最後の一体には、たとえこれ以上のビハインドであろうと、覆すほどの能力を持つものさえ珍しくない。

 それはパールも、ヒョウタのズガイドスやナタネのロズレイドの強さに触れてきた身として、今日一番の緊張感を持って最後の壁の姿を見据える。

 

 両の肘を引き、格闘家さながらの呼吸を一つ挟み、闘いの構えを取るルカリオが発するプレッシャーは只ならない。

 先のゴーリキーも大柄で強そうであったが、それ以上に、このルカリオこそがスモモの切り札だと確信させてくる何かがある。

 満身創痍のピョコが、これを相手にどこまで立ち向かえるか、パールは胸が痛くなるほど心臓が鳴っている。

 

「――――z!」

 

「…………ピョコ! 絶対、勝とうね!」

 

 そんなパールの感情を感じ取ってか、吠えてまだまだ戦えると表明するピョコの姿がある。

 どうしてポケモン達は、しばしばトレーナーの気持ちというものを、言葉も無いままにして察してくれるのだろう。

 誰も、それを解明した者はいない。ただ一つだけ強く唱えられるのは、それは相当にトレーナーを信頼するポケモンにしか為せぬということのみ。

 ほんの少しだけ、もうピョコを引っ込めた方がいいんじゃないかとも考えたパールだが、その発想もすぐに頭から締め出した。

 生憎それは、トレーナー向きの思考じゃない。バトルで勝ちたいなら、戦い抜かせること、食らい付くことに全力を投じるべきだ。

 

「ルカリオ! 先手必勝!」

「ピョコ! はっぱカッター!」

 

 駆け迫るルカリオの速度は脅威的だ。

 前足の痛むピョコに、ルカリオから距離を稼いでの戦い方は絶対に出来ない。

 葉っぱカッターを回避しながら、躱しきれぬ何枚かを拳で打ち弾きつつ接近するルカリオに、ピョコは既に頭を引っ込める準備を済ませている。

 

「背後へ!」

「甲羅に……っ!?」

 

 だが、ルカリオは甲羅に頭を引っ込めかけたピョコを攻撃しない。

 スライディングキックのように背中で畳の上を滑りながら、ピョコの足の下を潜り抜けて背後にまで回り込む。

 あわや見逃すところだったその動き、まずい、後ろを取られたとピョコが身を回すが、体ごと向けた先では既に立ち上がったルカリオが拳を引いている。

 

「斬撃!!」

 

 そんなピョコの額に正拳を突き出そうとしていたルカリオだが、スモモの指示が一瞬早く間に合っている。

 甲羅に頭を引っ込めるハヤシガメの速度は馬鹿にできない。絶対当たりそうなこのタイミングでも、頭に甲羅の中へと逃げられてしまうとスモモは断じた。

 殴りつけるつもりだったその手の形を変え、突き出した手と爪先で、ピョコの逃げ込んだ甲羅を引っかきにかかるルカリオだ。

 殴っていれば甲羅を殴りつけて、少し拳を痛めていただろう。鉄拳のルカリオとて、次もある戦いでは些細なダメージも避けたいところ。

 

「たいあたり!」

「――――z!」

 

「勝負……!」

 

 甲羅にだって感覚はあるのだ。甲羅に傷をつけられて走る痛みは、肌を裂かれる痛みに劣るも、ただでさえ苦しい今ではその場で崩れ落ちたくなる。

 それでも頭を出したピョコの眼は、ぎらりとルカリオを睨みつけ、痛む脚に渾身の力を込めて突っ込んでいく。

 助走がつけられないなら押し潰すように。捻挫した足で跳ぶような激痛に耐え、僅かに身を浮かせながら突っ込んでいくピョコがルカリオに激突する。

 

 受けきるべき勝負所だと命じられたルカリオは、重いハヤシガメの斜め上から来る体当たりを、両手を突き出して受け止めた。

 さすがの重みにルカリオの目にもぎゅうっと力が入ったが、腰を沈めぬルカリオがピョコの体当たりを受けきり、ピョコの後ろ足が畳の上に降りる。

 その瞬間、ピョコの顎を膝で蹴り上げるルカリオが、既に満身創痍であったピョコの意識をいっそう朦朧とさせる。

 

「ピョコ……!」

 

「貰いましょう!」

 

 とどめの宣言、スモモの言葉に応じてルカリオの突き出した拳が、ピョコの額を打ち抜いた。

 目の前が星でいっぱいになりながら後方によろめいたピョコが、そのまま四本の足から力を失って、腹ばいに畳の上に崩れ落ちる姿が続く。

 そこまで至っても尚、頭を上げて悔しげにルカリオを睨みつけるピョコの気概も大したものだが、パールは既にボールのスイッチを押している。

 ハヤシガメに進化して、大きく頼もしい姿になったピョコが敗北する姿を初めて目の当たりにし、ショックを受けつつ正しい判断が出来ている。

 

「ピョコ、ありがとう。

 ……あなたが頑張ってくれたこと、私が絶対に無駄にしないから」

 

「あっ……」

 

 プラチナは、少しだけ驚いた。

 ピョコが戻ったボールを見つめ、微笑み口にしたパールの言葉が、プラチナの知っている彼女らしくない。

 ポケモン達に指示は出しつつも、本質的には自分のポケモン達に助けられ、引っ張って貰い、勝ったって全部ポケモン達のおかげと堂々言い切ってきたパール。

 そんなパールが、"私が"ピョコの頑張りを無駄にはしないと口にしたことに、プラチナは彼女の心情の変化を感じざるを得ない。

 

 パールにとっては、パッチも、ニルルも、ミーナも、みんな強くて頼もしくて可愛い、大好きなみんなだろうけど。

 決してその中で誰が一番好きかを聞かれても、序列なんて絶対つけたがらない彼女だろうけど。

 きっとパールを、ここまでの気持ちにさせる仲間がいるとしたら、それは初めてのポケモンであり、一番のパートナーに違いないピョコだけなのだろう。

 傷ついたピョコの入ったボールを片手にしたまま、再びルカリオとスモモを見据えるパールの眼は、今までで最も勝利を渇望する眼差しそのものだ。

 

 少しずつ、少しずつだが、パールもただのポケモン好きの女の子ではなく、ポケモントレーナーらしい姿になってきている。

 少なくとも今の彼女は、自分のポケモンに頼って甘え、勝利を他者の手に縋るような、モンスターボールを手にしただけの子供の眼をしていない。、

 

「さあ、残るは一対一ですよ。

 どう出ますか……!?」

 

 対するスモモも、ジムリーダーとはいえパールと近い年。

 一勝挙げた直後とて、決して余裕があるわけではない。むしろ、完全にイーブンで始まる大将戦に持ち込めたことに、ほっとする想いすらある。

 

 パワーと重さに優れるハヤシガメ、ごく稀にだが"いわくだき"を習得している個体がいるため、ハヤシガメを相手にルカリオを出しづらかったこと。

 殴った相手からエネルギーを吸収する"ドレインパンチ"を駆使して、アサナンに粘って貰ったこと。

 なんとかゴーリキーに踏ん張って貰い、ハヤシガメを弱らせ、ルカリオには大きなダメージを残さぬまま今の状況に至れたこと。

 そしてルカリオによるハヤシガメへのとどめを、ドレインパンチで締め括り、のしかかり気味の体当たりを受けたダメージもいくらか軽減して。

 貰いましょう、というルカリオへの指示も、そうした意図を含んでのものだ。

 スモモだっていくつもの思索の末、この展開に持ち込んでいるのだ。

 

「…………」

 

「パール、ルカリオは鋼タイプなんだよ……

 知ってるかな……」

 

 そしてパールも、最後の一人を非常に悩む局面。

 ルカリオは、発見されて日が浅いポケモンで、テレビで見られるポケモンバトルですら、使用者がまだ少ない方。

 ルカリオについてよく知っている者は少なく、それはポケモンへの研究や勉強を精力的にしている者ぐらいのもの。そう、プラチナのような。

 パールのような、ほんのつい最近までトレーナーですらなかった普通の女の子に、ルカリオが鋼ポケモンである、という知識が備わっている可能性は実に低い。

 加えてルカリオは、その戦いぶりから格闘タイプであることは想像できても、触れもせずして鋼タイプだと察するには難しい外見である。

 

 パールに届かず助言にならない、小さな声を漏らして不安視するプラチナの望みに反し、パールはルカリオが鋼タイプであるということを知っていない。

 しかし、葉っぱカッターを受けて傷一つないルカリオの姿を見るに、物理的な攻撃には強い頑丈な肉体を持っていそうなのは確かである。

 特殊攻撃、水の波動をメインウェポンとするニルルのボールを握ったパールの手元、雫のシールを貼られたボールの中でニルルも鼻息を鳴らしている。

 

「…………………………パッチ、いくよ。

 この勝負、あなたに託させてね……!」

 

「よしっ……!」

 

 しかし、パールは一度握ったニルルのボールを引っ込めて、雷シールを貼られたパッチのボールを取り出して、力のこもった指でスイッチを押す。

 飛び出したパッチがバトルフィールドに降り立つ反面、出場できなかったニルルは、肩透かしされた鼻息をふすーと吐く。

 それでもこれがパールの判断なら、と納得し、勝利をパッチに託すほどにはニルルも物分かりが良い。パールは話のわかる仲間達に恵まれているのだ。

 

 そして観戦席で見ていたプラチナも、ここでニルルを出さずにパッチを選んだパールの判断には、握った拳に力が入る。

 これならわからない。勝ちの目は強くなった。

 

「……ニルル?」

 

「――――、――――!」

 

 ニルルのボールを鞄の中に入れようとしたパールだったが、握ったそのボールががたがた揺れている。

 中でニルルが暴れているのだ。何かを訴えるように。

 パッチを出してしまった以上、もうニルルを出すことは出来ない。そんな中でニルルが訴えているのは何か。

 それを理解できるのは、彼と長い時間を過ごしてきたパールだけだ。

 

「……最後まで見たい?」

「――――!」

「わかった……!

 ニルル、見ててね……! パッチと私が、絶対勝ってみせるから!」

 

 自分の出場できなかった戦いを、最後まで見届けたいと訴えてボールを揺らしたニルルの意志を、パールは正しく汲み取ることが出来た。

 鞄の中に入れられず、パールの手に握られたままとなったニルルのボールは、揺れをおさめておとなしくなった。

 そしてバトルフィールドでは、"いかく"の眼差しでルカリオを睨みつけるパッチが、相手も軽はずみには動けぬプレッシャーを放ち続けている。

 再びフィールドに目を戻したパールの姿を見受け、スモモも激闘の始まりを予感する。

 

「パールさん、悔いなく最後まで戦い抜きましょう……!

 しかし、勝つのは私のルカリオです!」

「スモモさん、絶対に負けませんよ……!

 勝つのは私と、パッチです!」

 

 それは、トレーナー同士の意志のぶつかり合いだろうか。それもある。

 しかし、本質的にはそうではない。負けたくないという気持ちを発する両者は、それを託した相手にそれを伝えたい気持ちの方がずっと強い。

 それに応えるかのように、パッチも、ルカリオも、天井を見上げて遠吠えめいた咆哮を発するのだから、どちらもトレーナーの気持ちをよくわかっている。

 パールがパッチを、スモモがルカリオを、好きにならずにいられない理由というところまで、この一幕でわかろうというものだ。

 

「参ります!

 ルカリオ、猛襲の型!」

「パッチ、走って!

 捕まらないようにね!」

 

 パッチに駆け迫るルカリオ、そしてパールに指示されたとおり、走り始めるもぶつかっていく軌道ではなく、まずは敵の出方を伺う足取りを見せるパッチ。

 パッチの攻撃力はパールのポケモンの中でも上位にある。もしかすれば、ピョコを上回るかもしれない。パールが一番よくわかっているはず。

 その上で、早速のぶつかり合いを仕掛けたりせず、勝つための動きを組み立てようと試みるパールの姿に、プラチナはぎゅっと拳を握りしめるのだった。



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第39話   VSルカリオ

 

「パッチ! スパーク!」

「――――z!」

 

「ルカリオ! 躱せますか!?」

 

 ルカリオの爪や拳を躱し続けていたパッチが、ルカリオから大きく跳んで離れる動きを見せた瞬間のこと。

 助走を作れると見たパールの声は、パッチの足が畳に着地するよりも早い。

 指示を受けたパッチは迷いなく、元より果敢な眼差しをパールに後押しされてルカリオに突っ込んでいく。

 

 対するスモモも、躱せと命令しないのは、回避が間に合うかどうかをルカリオの判断に委ねたことに依る。

 これはもう無理、と判断したルカリオは、腕を構えて帯電したパッチの体当たりを受け止める策へと切り替える。

 地を蹴る瞬間、ばちりと全身から溢れる電流で火花を散らしたパッチ。

 防御態勢のルカリオに激突した瞬間、体当たりめいた衝撃のみならず、相手の体に電流をも流す。

 

「発勁!

 ルカリオ、棍を!」

「――――!」

 

「あっ、まずい……!」

 

 一歩退がってパッチの額に掌底めいた一撃を差し向けてきたルカリオだが、素早い反撃に関わらずパッチは大跳びに後退して躱している。

 少し髪に掠ったか、着地点で首をぷるぷると振るう仕草を見せたが、ダメージらしきものは受けていないだろう。

 それよりも、顔を上げて相手を見据えるパッチの目に映る、ルカリオの行動の方が問題だ。

 

 両の掌を向け合って、波動を発したルカリオが発現させたのは、淡く輝く波動エネルギーの凝縮体。

 それは1メートル半の棒状の形となり、それを両手で握ったルカリオの姿は、まさしくスモモの言う棍を手にしたかのよう。

 そして再びパッチに駆け迫ったルカリオは、それを武器にパッチを打ちのめそうとしてくるのだ。

 

「パール……!」

 

「黙ってて!!

 パッチ、離れて! 距離を作って!」

 

 棍と呼ばれたそれの危険性を瞬時に察したプラチナは、思わずパールに忠告したい衝動に駆られたほどだ。

 だが、その後に続くはずだった、気を付けて、の一言さえ、パールの大きな声に封じられて発せない。

 冷静なプラチナにしては珍しい失態で、思わず拳で口元を隠して反省するプラチナだが、その拳がぎゅっと握りしめられているほどにはこの展開はまずい。

 

 棍の危険性はパッチも察しているようで、幾度もそれを振り抜いて攻め立ててくるルカリオの攻撃に、パッチは背を向けて走り出してでも一度距離を作る。

 頭だけは振り返り、追ってくるルカリオの棍を握りしめた姿に舌打ちしながらだ。

 あれが電気タイプのポケモンによく効く、当てた対象の電気を吸収して力を削ぎ落とす"ボーンラッシュ"だと本能的にわかっているのだろう。

 パールでさえ、淡い光を放つ棍の異質さと、背中まで見せて逃げるパッチの姿に、当たれば大変なことになりそうだという警戒心を強めているほどだ。

 

「ルカリオ、執拗に!

 優勢を覆させぬよう!」

 

「っ……パッチ、溜めて!

 勝負懸けるよ!」

 

 今一度、絶対に口出ししないで、私達の力で勝つんだからとプラチナに強い眼差しを向けるパールだ。

 プラチナが両膝の上に肘を置き、乗り出す姿勢で両手を握りしめて口元を隠す中、バトルフィールドではルカリオがパッチを追い詰める。

 追う側と逃げる側では、追う側の方が体力の消耗が激しいのだ。逃げる側が弧を描く走りをした時、追う側の軌道は逃げる側より短い。

 逃げ続ける限りではいつか必ずルクシオの体力が先に尽き、そうなってしまえばもう大勢決したとさえ言える戦況になる。

 追撃を命じたスモモの真意がわかるパールも、早く打開策を打ち出さねばならない局面だ。

 

「"じゅうでん"ですか……!

 ルカリオ、警戒……!」

「――――!」

 

「頑張って、粘って、パッチ……!

 何とかしてみせるから……!」

 

 ばちばちと体内に強い電気を溜め込むパッチに、ルカリオの降り抜く棍が幾度となく襲いかかる。

 足元を薙ぐ一撃を跳んで躱し、殴りつける一撃を横っ跳びに躱し、頭を狙ったスイングを前に跳び込んで体勢低く、畳の上を転がるようにして立ち上がり。

 すぐに立ち上がって跳んだパッチのいた足元を、追って振り下ろしたルカリオの棍が強く打ち伏せる。

 充電と激しい運動を両立するパッチ、無傷で力を溜め続けているのは良い立ち回りと見えるが、体力の消耗は普段以上に激しい。

 駆けながら別のことを並行してやるなど、人で言えば走るために腕を振らず、手では別のことをしながら全力疾走するようなものだ。

 

「――――ッ!」

「うん……!」

 

「来ますよ! 構え!」

 

 充分な力が溜まったと、パールをちらりと見て口を僅かに開いたパッチの姿に、パールは声無く小さく頷いた。

 反撃に転じるタイミングをスモモやルカリオに最大限悟らせぬ努めだ。

 それでもパッチだけでなくパールをも見ていたスモモ、無言のジェスチャーから来るぞというのを察してルカリオに最速の指示。

 パッチがぐるりとこちらを振り返り、突進体勢となったその瞬間からもう、ルカリオは棍を構える備えを果たせている。

 

 強く帯電したパッチが、構えたルカリオの棍に激突した瞬間、バトルフィールド全体に落雷のような轟音が響いた。

 頑丈な棍とパッチの頭がぶつかった、金属と石頭の衝突音めいた鈍い響きもその爆音にかき消されている。

 激突の瞬間に放電したパッチの電気エネルギーは、パールとスモモもびくりとするほどで、棍を介してルカリオの全身に走り痛めつけるほど激しい。

 

「パッチ! 噛みついて、放り投げて!」

 

「――――z!」

「ッ……!?」

 

 激しい電流に一瞬怯んだルカリオの隙を見逃さず、パッチが口を開いて食らい付く。

 ルカリオではなく彼が持つ棍に。そして力強く引っ張って、ルカリオの両手から奪い取ると横へ放り投げる。

 電撃に握力も緩んでいたルカリオから武器を奪い取れば、もう目の前には討つべき敵しかいない。

 

「発勁!!」

「かみついて!!」

 

 動じないスモモの指示、ここだと唱えるパールの叫び。

 ルカリオの掌底がパッチの額に突き刺さるが、のけ反りかけながらもパッチは開いた口を、ルカリオの右肩に食らい付かせて押し倒す。

 苦悶の表情こそしつつ、悲鳴ひとつあげずにルカリオは顎を引き、左手の爪をパッチの額に突き立てる。

 そのまま引き剥がさんとするかのように、ぐいと上向きに引っ張るのだ。

 

「――――、――――z!」

「ッ、ッ……!」

 

 額にかぎ爪を突きさされたまま、その傷を上向きの力で裂かんばかりに引っ張られれた痛みは想像を絶するはずだ。

 それでも牙を抜かず、ぐいぐい頭を振って牙をいっそう食い込ませるパッチの執念は未だ衰えず。

 ずぶずぶと牙が肌の下まで食い込んでくる激痛に目を見開きながらも、瞳に宿した闘志に陰り一つ無く、右手でパッチの耳を掴んで引っ張る。

 かつての幼いズガイドスのような泣いての降参など、このルカリオには絶対に無い。畳に背を着けた倒れた姿勢にありながら、臆す想いなど微塵も無い。

 

「っ、蹴り上げ!」

 

 さりとてこんな展開が長続きすれば、ルカリオとて危ない。指示を出すスモモの声に僅かな焦りがあるのは当然だ。

 ルカリオの膝がパッチの腹を蹴り上げ、その拍子に顎の力が僅かに弱まったパッチの両肩に手を添え、さらにルカリオが下半身を跳ね上げる。

 パッチの下半身を押し上げるように上げつつ、その瞬間だけ頭部付近を引き付けて、パッチの下半身が後方に回転したところで突き放す。

 倒れた姿勢から相手を投げきり、突き放したルカリオは跳ね起きるようにして、すぐさま立ち上がろうとするパッチに向き直る。

 

「棍です! 猛襲!」

「――――!」

「パッチ、躱し……」

 

 いや、もう間に合わない。

 素早く波動で棍を作り上げたルカリオは、今度は一本のそれではなく短い二本の棍を両手に作り上げ。

 淡く輝くそれを両手にパッチに駆け迫ると、立ち上がりかけて跳び逃げようとしたパッチを打ち据える。

 

 一撃目で頬を殴られて怯んだパッチへ、ルカリオの両手の棍が幾度も連続で殴りつけるのだ。

 逃げて、なんとか躱して、という言葉をパールが発する暇も無く、計5度パッチを棍で滅多打ちにしたところで、ルカリオはその棍を放り捨てる。

 実体のある物体を生み出しているわけではない波動の凝縮体は、何度でも生み出せる反面ずっと使い続けられるわけではないようだ。

 

「貰って!」

 

 ボーンラッシュの連撃を受けて足元がふらつくパッチに、スモモが命じたのはドレインパンチの暗喩。

 そもそも強力な正拳突きを放てるルカリオの、最も得意として威力の出る一撃が、爪を突き立てられて深い傷の出来たパッチの額に突き刺さる。

 なんとか後方跳びで逃れようとしたパッチだが、凌ぎきれずにルカリオの一撃が直撃し。

 跳ぼうとした脚力だけが僅かに残り、過剰にパッチが殴り飛ばされるように畳に転がる結末がその後に続いた。

 

「ああぁぁ……!」

 

 青ざめた顔でパールが静かに悲鳴をあげるのは、何もパッチが戦闘不能になったかのように倒れたからではない。

 パッチを殴った拳を振るい、その手に着いた血を畳に投げ捨てたルカリオの姿が、パッチの深い傷をまざまざとパールに見せつけたからだ。

 まだ戦いは終わっていないとばかりに、顔を上げて脚に力を入れて立ち上がろうとするパッチだが、その額から流れ落ちる血はおびただしい。

 プラチナでさえもこれはまずいと思うほどで、ましてパールにとってはあまりにショックな光景と言える。

 パッチは女の子だとパールだって知っている。一生残るかもしれない傷を想像してしまったら、女の子にしてみればたまらない。

 

「パッチ……」

 

「!?

 ッ……、――――――z!!」

 

 思わずパッチのボールのスイッチを押そうとしたパールの姿を見たパッチは、パールを威嚇するように大きく吠えてみせた。

 敵を"いかく"する時とは違う、初めて身内を威嚇するその声は、心臓をわし掴みにされるかのような想いに駆られたパールが思わずボールを落とすほど。

 絶句したパールの、まばたき出来なくなったその目に映るのは、絶対そんなことするなと荒々しい息遣いと眼でパールを睨みつけるパッチの姿。

 

 私はまだ負けてない、まだやらせろ。

 さらには、今やめさせるんならあなたのこを許さないとまで訴えるかのよう。

 思わずパールが一歩たじろいで、生唾を呑んでしまうほどの迫力が、額の傷からどくどく流れる血に顔を染めながらも屈しないパッチの表情にある。

 

「――パールさん!

 やめるなら今のうちですよ!

 まだやるというのなら、あたし達だって容赦は致しません!」

 

 だが、決定権はトレーナーにあるのだ。スモモはパールに戦意を確かめる。

 パールの思考回路が潰れている今のうちに畳みかける選択肢もあるにはあった。そんな勝ち方、スモモもルカリオも嫌だ。

 心を立ち上がらせられるか。血を流すパッチの姿に、我が事のように青ざめるパールの気持ちは、スモモにだって痛いほどわかる。女の子なんだから。

 

「……………………やり、ます……!」

 

「いいでしょう……!

 ルカリオ! 手加減無用ですよ!」

「――――!」

 

「っ、パッチ! 走って!

 絶対、勝たせてみせるからっ……!」

「――――z!」

 

 棍を一本の長いものに持ち替えたルカリオが急接近する中、棍の一振りを跳び退がって回避したパッチ。

 赤く染まりつつある顔で、血が目に入りそうなのか片目を閉じているパッチだが、開いている方の眼から闘志が失われていないのは誰が見てもわかる。

 息を切らし始めながらも、"じゅうでん"しながらルカリオの攻撃を避け続ける姿は、逆転勝利への希望を捨てていない。

 

「あと少し……あと少しっ……!」

 

「ルカリオ、勝負所!

 動きが落ちてきてる、今しかない!」

 

 逃げ回り、追い付かれ、振り抜かれる棍の連続攻撃をぎりぎりで躱すパッチだが、疲労からくる動きの低下は誰の目にも明らか。

 回避に徹して充電する戦法にも限界がある。このやり方に次は無い。

 今ですら棍がパッチの耳を掠め、せっかく溜めた電気の一部を吸い上げられつつ痛みを覚えるパッチも、崖っぷちで踏ん張っているも同然の状態だ。

 この戦いは、もはやあと一分も続かない。パッチがもたないはずだ。

 

「……………………きたっ!」

 

「ルカリオ……!」

 

「いっけえええっ!!」

 

 だから最速で。パールに充電が済んだタイミングを知らせる余裕も無いパッチ、だが充分な電気が溜まったことをパールが自分の目でしっかり見極めて。

 パールの小声はスモモに聞こえていない。その表情の機微だけがスモモにとって、パッチの充電完了タイミングを知る要素。

 迎える体勢を取れと命じるスモモにルカリオは構え、次の瞬間、脚を切り返したパッチが一気にルカリオへと直進する。

 血みどろの形相で火花を散らして猛襲せんとするルクシオの姿には、迎え撃つルカリオもその気迫に背筋が冷たくなるほどだ。

 

 棍で打ち返すことも考えていたルカリオだが、ここにきて衰えを感じさせない突進速度のパッチには、ルカリオも棍を構えて受け止めることしか出来ない。

 選択肢がある中で、この判断が一瞬で出来るルカリオの判断力も特筆点だ。

 激突の瞬間に、落雷音のような放電音がフィールド全体に響き渡り、パールもスモモも、プラチナまでもが握り拳に力が入る。

 お願いパッチ、負けるなルカリオ、頑張れパールと、握りしめて汗の滲む手に込められた想いもそれぞれだ。

 

「噛みついて!!」

「発勁!!」

 

 パールの指示とスモモの指示は全くの同時だった。

 ルカリオの棍に噛みついて奪いにかかるパッチ、この行動がルカリオの手から武器を引き剥がせることは先にも証明されている。

 だったらいっそ武器を取られると同時、至近距離の一撃を叩き込めと指示するスモモだ。

 相手の抵抗を意識して武器を奪おうと首を振るった瞬間、ぱっと手を離したルカリオによって、パッチはあっさり過ぎた武器の奪えように足元すらふらつく。

 

 そこにルカリオの掌底だ。

 それも、裂き傷のある額への一撃は、血の流れる傷をいっそう広げるものであり、のけ反り血飛沫を舞わせるパッチの姿にはパールも泣きそうになる。

 痛そう、もう駄目、パッチをボールに戻すスイッチを押しそうになってしまう。

 そうじゃない、我慢しろ、そう自分に強く訴えて息を吸うパールは、勝つためにパッチを導く声を必死で振り絞る。

 

「は……っ、反撃っ、それでぇっ!!」

「ッ……、――――z!」

 

「うわ……!?」

 

 痛烈な掌底を受けてなお、ルカリオから奪った棍を咥えた顎の力を失わずに耐えていたパッチ。

 奪ったものを手放さなかったのではなく、意識が飛びそうなほどの一撃を、歯を食いしばって失神を耐えていただけなのだろう。

 だが、それを目にしたパールの指示は、首を振るうだけでルカリオに反撃できるという状況を見逃さなかった勝利への道筋。

 ルカリオ自身の波動によって作られた棍状のそれが、咥えて首を振るったパッチによって、ルカリオの鼻っ柱を殴りつける結果に繋がっていく。

 

「ルカリ……っ、来ますよ! 構え……」

 

「かみついてえっ!!」

 

 電気タイプによく効く"ボーンラッシュ"の性質を持つ波動棍は、ルカリオのタイプを鑑みてもよく効く一撃だ。プラチナも驚かされる反撃手段だった。

 しかしその強烈な一撃を返せたことにも満足せず、棍を吐き捨てルカリオに飛びかかるパッチの勝利への執念は、まさに闘う者達に必須とされる魂だ。

 今度はルカリオの左肩に噛みついて、傷ついた右腕による抵抗が弱い中、もう一方に牙を立てて勝ちに行く姿は、ピョコの戦い方を引き継いだものとさえ。

 先の戦いを見届けていたパッチは、どんな戦い方が賢いかを、その中でしっかりと学んできているのである。

 きっとパッチは、パールにあれこれ教えられなくても、育てられなくても、自分で考えて強くなっていける程には賢い。

 

「ルカリオ! 撃退!

 出来ぬはずは無い勝負です!」

「ッ――――!!」

 

「ああぁぁっ……!

 パッチっ、頑張れっ、頑張れえええっ……!」

 

 押し倒されるように畳に背を着けたルカリオも、牙を突き立てられた痛みに耐えながら必死だ。

 既に開いた傷にもう一度右手の爪を刺し、放せこいつと抵抗する。情け容赦ない行動と取られ得るかもしれないが、ルカリオだって牙に肌を貫かれているのだ。

 皮膚の下までもう一度尖ったものを突きさされる激痛、悲鳴すらあげたくなるような苦しみに目を見開きながら、牙を食いしばる力を抜かないパッチ。

 彼女こそ涙目にすらなりながら耐え、ルカリオにダメージを貫き通しつつ、泣き叫ぶような声を発するパールの声を必死で耳にする。

 

 頑張れって? わかってる、わかってるとも。

 たとえ言葉に出来なくたって、あなたが私に何を求めてるか、私はちゃんとわかってる。

 

「蹴り上げ……っ!?」

 

 食らい付いて離さないパッチを引き剥がすための手段を命じたスモモだが、その指示を下したその瞬間に気付いたのは早かったか、遅かったか。

 あのルクシオの全身から火花が散っているではないか。

 噛みつき、ダメージを与え、傷口に爪を突き立てられる苦しみに悶えながら、なおも"じゅうでん"を始めているというのか。

 ルカリオの膝がパッチの腹を蹴り上げたその時、パッチは自ら牙を抜き、蹴られる力に押されるままの如くルカリオから離れた場所に着地する。

 

「来ますよ!! 躱し……」

「スパーク!!」

「――――――――!!」

 

 全身が発光せんばかりの電気エネルギーを溜め込んだパッチの体当たりが、素早く立ち上がろうとしたルカリオに迫る。

 こうもあっては、寝そべる時間など最短とせんとしたルカリオの優秀な立ち回りも仇となろう。

 ようやく中腰となったルカリオの目前、鬼気迫る表情で突撃するパッチの姿から、もはやルカリオは逃れられない。

 

 スモモの指示は的確に違いなく、棍無き今は受けてはまずい一撃と唱えたが。

 もはや躱せぬと見て、交差させた腕でそれを受け切ったルカリオの判断能力も優れてはいたけれど。

 既に"じゅうでん"済みのパッチによる激突は、突進的インパクトに加え、ルカリオの腕から痛烈な電撃を直接ルカリオに流し込む。

 両者の衝突点が、落雷地点のように爆発的な音と光を発したことに、プラチナは眩しい光景を目にして尚まばたき一つ出来ない。ここが勝負の分かれ目だ。

 

「ッ……ッ……!」

 

「パッチぃっ!!

 スパーク、もう一回ぃっ!!」

「――――z!!」

 

「ルカリ……」

 

 激突ダメージと痛烈な電撃を浴びてなお、よろめくように後ずさったルカリオは倒れなかった。

 耐えただけでも殊勲賞ものの、強烈極まりない一撃だったはず。ましてボーンラッシュ一撃ぶんの痛打を受けた直後の身なのにだ。

 だが、絶叫じみたパールの声に応じ、再びルカリオに突進するパッチの動きに、戦場に立つ武人は構えが間に合わない。

 構える腕を作る暇すらなく、胸元に血みどろの額を矢のような勢いでぶつけてくるパッチの"スパーク"を受け、激突瞬間の電撃と衝撃を受けてしまう。

 電撃だけでも意識が飛びそうな中、息も詰まらずにいられない衝突を胸元へ無防備に受けたルカリオは、そのまま吹っ飛ばされて畳の上に倒れた。

 

「パッチ、頑張って、頑張って……!

 ここまで……ここまでして、っ……!」

 

 パッチとニルルのボールを握った両手を胸の前に合わせ、ぎゅうと力を入れるパールの声が震える中、パッチは倒れたルカリオを見据えている。

 呼吸が掠れるほど消耗しながら、ルカリオが立ち上がってくるならば、まだまだやってやるという意志を潰れかけの目に宿して。

 畳に手をかけ起き上がろうとするルカリオがパッチを睨み返す中、やめて、もう立たないでと心底祈るパールの姿がある。

 

「……………………ここまでです、ね……」

 

 不屈の闘志溢れるルカリオが、十秒経っても立ち上がれない姿を見て、スモモは無念の表情を表しつつボールのスイッチを押していた。

 正真正銘、ルカリオに継戦能力が残されていないことをはっきり見極めて。

 スモモのボールにルカリオが戻っていく光景を以って、バトルフィールドに残された者はパッチ独りとなる。

 

「あ……」

 

「……………………」

 

 ボールに収まったルカリオを見下ろし、想うところ多々の眼差しのスモモだ。

 もっとあたしがあなたを正しく導いていられれば。そうして敗戦の苦さに唇を噛み締めるスモモに、ルカリオに対する批難の想いは一片も無い。

 そんな想いも全て吞み込んで、パールとパッチに胸を張って向き直ったスモモは、武闘家らしく両の拳を腰の横に引いて、深く息を吐く。

 

「私達の負け、です……

 あなたと、あなたのポケモンの心強さに、敗れました……」

 

「――――!!」

「っ、パッチ!!」

 

 潔く敗北宣言をしたスモモだったが、その時パールが抱いた感情は、勝利に対する歓喜ではなかった。

 それこそ、やったよとパールを振り返ったパッチに向かって、赤畳のトレーナーエリアを飛び出してでもパッチに駆けていかずにいられない。

 思わずパッチもパールの方へ、嬉しさのあまり駆けていこうとしてしまうが、ふっと思えばその足も止まるというものだ。

 

 目に血が入りかけて改めて気付くが、自分の顔は額の傷から流れる血でどろどろだ。

 私やったよ、褒めて褒めてとパールに飛びつきたい想いも、今の自分がパールに飛びついたら血で汚してしまう気がしてしまって。

 そうして遠慮がちだったパッチだが、彼女に駆け寄るパールは足も手も止めず、一切の躊躇いも無くパッチを抱きしめる。

 

「ッ――――、ッ――――!?」

「パッチ、ありがとう……!

 今日ほど私、あなたのこと凄いって思ったことないよ……!」

 

 女の子のパッチが、顔に傷を負ってまで戦い抜き、あまつさえ勝利までその執念で勝ち取ってくれた事実は、パールにしてみれば尊敬の念を禁じ得ない。

 パッチは顔に傷がつこうがつくまいが、そんなのたいした問題ではないのだけど。それは、ポケモンの価値観だけど。

 それを抜きにしても、どれだけ傷付こうが最後まで戦い抜いたその姿は、賞賛に値するものとしてパールが感極まるに相応しいものには違いあるまい。

 膝をついてパッチをぎゅうっと抱きしめるパールは、パッチの額から流れる血が服に沁みることさえ、今は何の抵抗も無い。

 そんなこと、はなから意識に入っていないのだ。勝利のためにここまで頑張ってくれたパッチのことを、抱きしめずにはいられないのだ。

 

「――――!」

 

「――――?」

「――――♪」

 

 パールの手に握られていたままの、パッチのではないボールからニルルが飛び出し、パッチに頭と頬をすり寄せる。

 その挙動に込められているのは、祝福の想いに他ならない。

 自分が立つことの出来なかった戦場で、最高の戦果を残してくれたパッチへの惜しみない賞賛に、パッチも疲れ果てた体が癒されれるかのよう。

 額の傷は痛いし、パールに隠せないほどの息切れは苦しいけれど、今はただただパールに身を預け、ニルルの肌のすり寄せを温かく感じる。

 

 パッチは疲れ果てた顔色ながら、その表情は満たされていたものだ。

 勝った。やりきった。成果がついてきたというのなら、思い返せば私よくあれに耐えきったなという苦痛も、今となっては誇れる勲章ですらある。

 

「パールさん、パールさんっ!

 さあ急いでポケモンセンターに向かいますよ!

 ルクシオさんの怪我が傷跡にでもなったら大変です!」

「あっ……!

 スモモさ……そっ、そうですねっ……!」

「ボールに戻して!

 さあ、走りますよ!」

「パッチごめん、ほんとにごめんね……!

 後でいっぱい、ありがとうするからね!」

「~~~~!?」

 

 もっとパールに抱きついて、この勝利の余韻に浸っていたかったパッチだが、駆け寄ったスモモの強い提言により、パッチはボールに戻される。

 ニルルもボールに戻されて、パールはスモモと一緒にポケモンセンターへと猛ダッシュ。

 ポケモンセンターはポケモンの怪我をも癒してくれる施設だ。

 でも、深い傷なら早めに癒さないと、傷跡が残ってしまったりもする。

 パッチの額にあんなぞっとする傷の跡が残るなんて絶対嫌、そんなパールのポケモンセンターへの走る勢いは凄まじい。

 それについてきてくれるスモモである。重ねて言う形になってしまうが、スモモもパールの気持ちはわかるので。

 

「はああぁぁ~~~~~……よかった……

 もうダメかと何度も思った自分がちょっと恥ずかしいや……」

 

 そして、プラチナは気持ちいいほど放置されて観戦席に残っていた。

 まあそれはいいのだ。パールもスモモも目先の戦いに全力集中、そして戦後はパッチの額の傷への共通意識で行動を共に。女の子同士だからしょうがない。

 残された中、パールの勝利を喜びながらも、プラチナは先の戦いを見て感じたことを反芻する。

 

 パールの戦い方は、トレーナーとして未熟なそれそのものだ。

 だが、勝ったのだ。勝負の世界では、どんなにご高説垂れても負けては意味も無く、逆に理屈ゼロでも勝てるなら官軍だ。

 プラチナは先の戦いを見る中で、自分だったら諦めてしまいそうな場面がいくつもあったことを回想する。

 自分の手持ちがルクシオ唯一になった後で、ボーンラッシュの使い手が相手となってしまったあの瞬間も。

 パッチが一度倒れてしまったあの時もだ。

 

 それでも諦めなかったパッチの、そしてそんな彼女に勝負の命運を託したパールの、精神的な戦いぶりあっての勝利であったとは断言できる顛末だ。

 それを目にしてしまったら、物分かりが良く、諦めの良い自分に対しても、考えるところが出てしまうのも子供心というものだ。

 自分があのパッチのトレーナーで、今と同じシチュエーションに置かれていたら、ギブアップしていただろうとプラチナは思う。

 あの状況から、自らの心を折らず、立ち向かうことを選び、最上の結果を勝ち獲ったパールの姿は、プラチナに己の在り方というものを考えさせる。

 

 自称初心者トレーナーで、知識も浅いパールが、勝利という結末まで繋ぎきったのだ。

 結果論だろうか。だが、結果を出した者の成果を無効化し、無かったことにする理屈は存在しない。

 パールとパッチが紡ぎきった結末は、精神的に未熟とて、パールがポケモントレーナーとして確立しつつある証拠そのものだ。

 

 トバリジムの戦い。

 パールは勝利し、3つ目のバッジの入手を約束された。

 戦後慌ただしい展開になってしまったが、これはそれに釣り合って偉大な成果とも言えるだろう。

 諦めずに、あるいは諦めぬことを前提に勝利を手にした、パッチとパールがこの築いたキャリア。

 そしてそれは、間違いなく向上し続けているパールの姿を前にして、プラチナにも今後の自らを顧みる一つのきっかけにもなっている。

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第40話   シロナとギンガ団

 

 どうしてもパッチの顔に傷を残したくなかったパールは、それはそれはもう、ジムを飛び出してポケモンセンターまで全力で突っ走った。

 すんごい勢いでポケモンセンターに飛び込んできたパールには、センターのお姉さんも目をひん剥いてびっくり。

 勢いや態度のせいではない。パールの服は、パッチを抱きしめた時に付着した血がべっとり。

 事情を知らないお姉さんが見たら、大怪我して血まみれの女の子が駆け込む場所を間違えてきたかと思って、ただちに救急車を呼ぼうとしたぐらいである。

 

 パッチのことしか考えていないパールは、お姉さんにパッチならびに他のみんなも預けることを求めるのみで、センターのお姉さんも困りかけたのだが。

 同行してくれたスモモが事情を説明してくれて、あぁなんだ、あなたは怪我してるわけじゃないのねとお姉さんも一安心。

 その時初めて、自分の服が血まみれになっていることに気付いたパールがうへぇ顔。

 こんな格好で街を突っ走ってきたのかと思うと、今さらになって恥ずかしくなる。

 

 とりあえずパールはポケモンセンターのお風呂を借り、その間に服を洗濯、そして超速乾燥。

 沁みになりそうで不安だったが、洗濯マシンも乾燥機もとっても高性能。

 パールが長めのお風呂から出てくるまでの間に、着ていたものは全部綺麗さっぱり、しかもからっと乾いている。

 懸念していた血の沁みも残らず、体も着るものもさっぱりしたパールがお風呂から上がってきたら、プラチナとスモモが待ってくれていた。

 

「すみません、スモモさん。

 わざわざ付いて来て貰っちゃって」

「いいえ、いいんです。

 きちんと説明しないと、変な騒ぎになるかもしれませんしね。

 ジム内で起こったことですし、余計な混乱を避けるためにもあたしがちゃんと説明したかったんです」

 

 いささかパッチの傷が深かったため、ジムリーダーのスモモが、自分との戦いでこうなったと説明するのが、一番話の角が立たずに済む。

 でなきゃ相手の気分次第では、どこの誰にここまでされたの、とか、あなたここまでポケモンにやらせたの、とか、パールに困る質問が飛びかねない。

 特に後者のような訊き方をされたら、パールは並々ならないへこみ方をしかねない。

 スモモが来て説明役を買って出てくれて助かった、とはプラチナの感想である。

 

「パッチ、どうなんだろう。

 傷、残ったりしないかな……」

「大丈夫ですよ。

 ポケモンセンターのお姉さんも、傷が残らないように治せるって言ってくれていますから。

 その代わり、今日は一日ポケモンセンターに預けて欲しいとのことですが」

「あぁよかった、預けます預けます。

 パッチ女の子なんですよ~、顔に傷なんて出来たら可哀想じゃないですか」

「そうなんですね。

 確かにそれは、何としても避けたいと思いますよねぇ……」

 

 ガールズトーク気味。プラチナは自分から話に参加しない。

 聞いてるだけでも別に楽しい会話なので。男の自分と二人旅続きのパール、同姓相手と話を弾ませる姿はプラチナ目線でも微笑ましい。

 

「プラッチ、ごめん、一日この街に残っていい?」

「いいよ、大丈夫だよ。

 パールのペースで進めばいいんだ、僕は旅を急ぐつもりは無いしね」

 

 一日パッチをポケモンセンターに預けることになるので、今日はトバリシティから出発できなくなる。

 元々プラチナはパールに足並みを合わせて旅している身分で、見識を広めることが目的なので何も問題ない。

 むしろ一日この街に留まるなら、初めて訪れたトバリシティを今日ゆっくり見て回れそうだとプラス思考である。

 

「それじゃあよければ、あたしがトバリシティを案内しましょうか?

 一日この街に留まるのも、あたしとのバトルが原因みたいなものですし」

「えっ、スモモさん、ジムは大丈夫なんですか?」

「あたしも一日中ジムにいるわけじゃないですからね。

 普段は街を出て、ポケモン達と一緒に鍛錬に勤しんでいる身分ですから、ジムを空けてる時間の方が多いんです。

 せっかくだからトバリデパートで買い物もしたいし、ご案内致しますよ」

 

 ストイックに自己鍛錬している天才格闘少女とよく囁かれるスモモだが、何も年がら年中修練に身を尽くしているわけじゃない。流石に。

 プライベートの彼女がデパートや商店で買い物している姿はよく見かけられる。年頃の女の子、正味で言えばショッピングも冷やかしも実は好き。

 ただ、今の格好で街をうろうろするものだから、今日もスモモちゃんはやってるなぁという印象が、街の皆様に変な形で植え付くのである。

 実際、裸足だし。ショッピングの時ぐらい靴を履けばいいのに。

 

「パールさんに負けましたし、明日からはいっそう修行に励まなくてはなりません……!

 その前に、今日は羽を伸ばしたいんですよ。ご一緒してくれませんか?」

「はいはいっ、喜んで!

 プラッチも行こうよ!」

「あはは、そうだね。

 トバリデパート、ちょっと興味あったんだ」

 

 特に今日のような、年が近くてポケモントレーナー同士の女の子と、一緒に街巡りが出来そうとなれば、スモモもそれを楽しみたくなるのだろう。

 修行も毎日やるに越したことは無いが、息抜きも必要である。

 明日はパールも次なるジムを目指して出発し、いなくなってしまいそうなことを考えれば、スモモにとってもパールと遊べるのは今日のうちというところ。

 こんな日まで修行やジム業に専念し、一期一会の機会を手放すなんて、それこそ年頃の女の子には勿体ない。

 

 スモモもパールがポケモン達をポケモンセンターに預けたのと同様に、自分のポケモンを預けたスモモは、パール達と共に出発する。

 この街の現代の名物といえば、高い高いトバリデパート。あるいはゲームコーナー。

 悪い嵌まり方をする大人が多く、煩悩の象徴めいているゲームコーナーはスモモも敬遠気味なので、案内先はやはりデパートである。

 初めて訪れる、都会のコトブキシティでもこれほどの大型デパートは無い、とまで言い切れるトバリデパートだ。

 パール達にとっては、たとえ何も買わなくたって、来ただけで楽しくなれる場所には違いなかった。

 

 ちなみにデパートまで来てスモモが何を買うかといえば、ブロムヘキシンやらキトサンやら、サプリメントばかり。

 遊びに来たよという割にはチョイスがこれなんだから、やっぱり鍛錬一筋の性分が出ていなくもない。

 そんな一幕を経つつ、最後はデパート内の憩いの広場で、ドリンクを飲みながら愉快に語らう時間も作って。

 楽しい時間を過ごしたのは確かである。

 ジムリーダーという身分を聞くと恐縮してしまいそうになるが、やはりスモモも仕事を離れれば、多感な年頃の女の子である。

 話せば話すだけ、パールもプラチナも楽しかった。

 

 仕舞いには、パールはスモモ相手にも電話番号を交換していた始末である。

 毎晩ナタネと長電話しているパールだが、今後はスモモとお電話する時間も生じそうだ。

 スモモ曰く、夜は早めに寝るので、電話してくれるなら朝の方がいいという言質も頂いた。

 きっと、起きてスモモに電話、寝る前にナタネに電話、そんなパールの毎日が今後は続きそうだとプラチナは予感していたものである。きっと合ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃のこと。

 

 パール達がスモモと楽しい時間を過ごしているお昼過ぎ、ギンガビルを訪れた人物がいる。

 偉大な肩書きを持つ彼女、突然の訪問であれば大抵の人を驚かせるものだが、迎えたビルの受付の女性に驚きの表情は無かった。

 ただ、わぁ本物だ、と大人ながらにも少し感激する表情は垣間見せてもいるが。

 

「お待ちしておりました、シロナ様ですね?

 オーナーからお話は伺っております、どうぞあちらのエレベーターから最上階までお進み下さい」

「ええ、ありがとう」

 

 アポは取っていたため予想外の来訪ではなく、しかしやはり生で見られるとなれば、多くの人に芸能人を目撃したような感激を覚えさせる地位。

 チャンピオンとは、ポケモン達に関わる人々にとってそんな存在だ。

 丁重な対応に微笑んで返答するシロナは、まして美人であることもあり、素敵な大人の女性だなぁと受付の女性にも憧憬を抱かせる。

 エレベーターまで向かう中でも、シロナの姿を二度見するギンガ団員は非常に多く、正直シロナにとってはくすぐったくもある。

 チャンピオンになって長く、慣れてもきているが、やはり少々はというところ。

 

 エレベーターに乗ってしまえば、最上階へとエレベーターが進む中でシロナは一人になる。

 はぁ、と息を吐いたのは、好奇の目から逃れられてひと息ついているのだろうか。

 そうとも取れるが、シロナの胸には別の感情もある。

 正直、今日会いに来た相手というのは、シロナにとって非常に複雑な想いを抱かずにいられない人物でもある。

 最上階に到達したエレベーターが、音を立ててそれを知らせてくれた時、シロナはドアが開く前にもう一度息を吐き、少し強い眼をしてドアの先へと歩み進む。

 

「お待ちしていましたよ、チャンピオン、シロナ様。

 そちらにおかけ下さい」

 

 いわゆる社長室というイメージが非常に似合う一室だった。

 組織のトップが座る大きな机、そしてその向こうはトバリシティの景色を一望できる一面窓。

 そこに座っていたギンガ団のトップ、オーナーと呼ばれる青年はシロナの姿を見るや否や席を立ち、部屋の中央の席へと案内する。

 賓客と語らうため、対面させた大きなソファーの間の大きなテーブルには、既にお茶菓子が用意してあった。

 秘書がこの部屋におらず、ましてお茶も冷めていないことを考えると、どうやらこのオーナーが特別な来客に対して、自ら用意したものとさえ見える。

 

「お忙しい中、わざわざ我々のギンガビルまでご足労頂けるとはね。

 歓迎致しますよ、どうぞお好きに召し上がり下さいませ」

「…………」

「シロナ様?」

「…………」

 

「ふむ……如何されましたか?

 私が何か、失敬でも……?」

「…………」

 

 向かい合って座った両者だが、シロナは何を話しかけられても無言である。

 むすっとしている。露骨に不機嫌である。

 特にオーナー側に失言があったわけでは無いのだが、ともかくシロナにとっては、オーナーのこの態度がたいそう気に入らないらしい。

 

「……………………はぁ、わかったわかった。

 普通に話すよ。済まないね、僕にも立場ってものがある」

「他に誰もいないんだから別にいいでしょう。

 水臭いし、気持ち悪いし、それに正直言うと寂しくも感じるわ」

「気持ち悪いは言い過ぎだろう。

 君だってもうチャンピオンなんだ、見知った顔にもこうして畏まれるように、話しかけられるのにも珍しくないんじゃないか?」

「ある程度は割り切ってるわよ。

 でも、あなたにまでそんな口の利かれ方はされたくない」

 

 やや鋭い目で不機嫌だったシロナも、ちょっと拗ねてふくれっ面という程度の顔になり、まだ不機嫌だがいくらか機嫌も直ったと見える。

 宥めるように苦笑いし、両手でお手上げの仕草を見せるオーナーは、久しぶりに会うシロナに相変わらずだという想いを馳せる。

 猫の耳のようにはねた、特徴的な青い髪型のこのオーナー、チャンピオンの立場を自覚するシロナが対等な語り口を望む程度には浅からぬ関係にある。

 

「まあ、僕も久しぶりに君とこうして話せるのは素直に嬉しい。

 お互い難しい立場同士になって、電話で話すことすら何年もしていないしね」

「そうそう、そういうことを言って欲しいのよ。

 あなたも随分、世渡りが上手になったわね」

「対して君は外でクールに振る舞っている割に、中身はそう変わっていないな。

 少しは片付けられる女になったのかな?」

「なってないわね」

「くくっ、堂々と笑顔で言うことかい?」

 

 オーナーが再会を喜んでくれているという言葉を聞ければ、シロナはそこで機嫌を直し、膝に肘をつく頬杖でリラックスした体勢に。

 背筋を伸ばしたままのオーナーに姿勢からリラックスした様を見て取ることは出来ないが、口元に手の甲を当てて笑う仕草は、肩の力を抜いてこその挙動だ。

 元々育ちが良く、機嫌や心情に関わらず、姿勢の良い彼であることはシロナも知っている。

 久しぶりの再会で、お互い大人の顔立ちになってしまっているが、こうして話すと親しく語り合った時の顔に戻って見えてくるから不思議なものだ。

 まるで、同窓会。どちらもこの空気に、胸を温かくしていたものだ。

 

「さて、色々積もる話もしたいんだけどね。

 僕も忙しい身分だから、本題があるならまず聞いておきたいところだ。

 わざわざビルに電話してアポを取るぐらいなんだから、チャンピオンという公人としての面会を望んでということなんだろう?」

 

 シロナは旧知の仲であるこのオーナーの、電話番号だって知っている。

 旧友として会いたいだけであれば、直接電話するのが一番いい。お互い忙しい身だとはわかっていても、着信ぐらい入れておけばいいのだ。

 そうせず、ギンガビルに連絡を取り、オーナーとの面会を願い出たシロナのやり方は、私人同士の再会を望むそれではない。オーナーもそう察している。

 

「……単刀直入に聞くけれど。

 ソノオタウンやハクタイシティでの、ギンガ団と名乗る者達の蛮行に、あなたは本当に関わっていない?」

「まあ……そりゃあ聞かれるだろうなとは思うけれど。

 でも、直球過ぎやしないかい。

 仮に僕が裏で糸を引いていたとしたって、ここで実はそうだよなんて答えるはずが無いだろう」

「そうだけどさ、わかっているわよ。

 でも、記者会見で答えた公人としてのあなたの声としてより、私の旧友であるあなたとしての声で、潔白を口にして欲しい」

「公人同士の面会なのにかい?」

「屁理屈やめてよ」

 

 オーナーはふーっと鼻で息を吐き、真剣な眼差しのシロナと向き合う。

 都合の悪いことを自ら言うわけがない相手から言質を取ることに、たいした意味が無いことぐらいシロナとて承知だろう。

 それでも、全く無意味なことではないと、オーナー側も感じている。

 ギンガ団のオーナーとしてではなく、一人の旧友として彼女に言葉を向けることを求められている以上、問われる側とてその意義を理解して応じるとも。

 

「誓って無関係だよ。

 あれらは僕達ギンガ団とは全く無関係の、組織の名を騙る迷惑集団だ」

「誓ってくれる? 絶対に本当?」

「ああ」

「後で嘘だとわかったら、本気で見損なうわよ?」

「僕だって、こんな真顔で旧友に嘘なんてつきたくはないさ」

 

 この期に及んでも嘘をつくなら、友人関係における致命的な裏切りだ。

 嘘であったなら縁切りをも厭わないと強く推すシロナだが、同時にその目には、そんな結末を本心では望んでいない色も表れている。

 

 シロナは旧知のオーナーと、永遠の絶交なんてしたくない。

 彼の方はどう思っているのだろうか。それをも気にしている。

 それがわかるから、オーナーだって無意味な質問をする彼女だと嗤うことなど絶対にしない。

 駆け引きの無い真っ直ぐな対話は、地位高い公人同士の語らいで特に話題が繊細な時、そうそう出来るものではないのだ。

 大人になった今、何も考えず、ただ真っ直ぐな気持ちを誰とでも好きなだけぶつけ合えたあの日々が、本当に懐かしくなる。

 

「もういいだろう、疑わないでくれよ。

 正直、顔も知らない記者に真偽をしつこく問われるだけでもうんざりなんだ。

 君にまで強く疑われたままじゃたまったものじゃない」

「……わかった、信じるわ。

 ごめんなさいね、私も良くない大人になってしまったみたい」

「信じることは怪我を覚悟しなきゃ出来ないことだ。疑うことは正当な防御さ。

 君は大人になって強くなったんだ、ということでしかないよ」

 

 嫌味や皮肉ではない。

 信じてくれたことを喜ぶように、かすかに、確かに笑ったオーナーには、申し訳なさそうな顔こそしながらも、弱々しくながらシロナも微笑むことが出来た。

 ほっとしている彼女の心情が良く表れた、同時に疲れを隠せない顔だ。

 もしも望まない返答であったらどうしよう、と今日まで不安であったことが、旧知の彼にだけ想像できるその表情である。

 

「あなたとしては、ギンガ団を名乗るならず者達にはどういう見解を持ってるの?

 いかにもあなた達の信用を傷つけられてるわけだけど」

「風評被害もいいところだよ。

 誰かに恨まれるようなことをしてきた覚えは無いんだけどなぁ……

 浅慮極まりない推察だけど、成功者として嫉妬でもされてるのかな? なんてことさえ思ったりもするさ」

「ふふ、記者会見ではとても言えた言葉じゃないわね」

「いや、本当に皆目見当がつかないんだよ。

 だいたい人のポケモンを奪おうとするような、頭のおかしな奴らが何を考えているかなんて、僕にわかるはずがないだろう。

 プロファイリングは警察に任せたいよ、ただでさえ忙しいんだからさ」

 

 オーナー側の言い分を真実として話を進めると、ギンガ団を名乗って悪行をはたらく者達の真意は、議論の対象になりやすい。

 悪事を為すのみならともかく、わざわざギンガ団を名乗る以上、ギンガ団の名を落としたいという真意があるのだろう、とは基本的な推察だ。

 だとして、そんなことをされるほどギンガ団はならず者達に嫌われている?

 こう推察されるのが概ねで、これはこれでギンガ団は恨みを買うようなことを過去に何かしたのか、と邪推されたりもしてしまう。

 世間というのはスキャンダラスな話が大好き。無実であってもギンガ団は、たいそう嫌な立場を強いられている。

 

「あなた達、手広くエネルギー生産事業に着手してるけど、それによってお仕事を奪われた人とかいない?

 いや、だとしてあなた達が罪になるとか、そういう話じゃなくてね?」

「いや、まあ……絶対無いとは言い切れないけど、それは正直ギンガ団が大きくなり始めた時から、かなり気を遣ってきたつもりなんだよ。

 僕達の台頭で、元あった発電施設が不要になって、そこが潰れて失職した人が増えたのではないか、とかそういう話だろう?」

「けっこう意識してるのね、敵を作らないように」

「実際、トバリの発電施設を吸収させて貰ったのは事実だ。

 だけど、そこの職員もきっちりこちらで雇わせて貰ってる。

 ノウハウも持っていて優秀な人達だからね。待遇も悪くしていないつもりだ。給料だけじゃなく、立場の面でも。

 というか先月も、日頃の感謝と労いを込めて、接待させて貰ったぐらいでさ」

「オーナーが接待って」

「だって年上だろう、相手は。

 こっちが上司になったからって居丈高に指図してたら、感情面で向こうだって面白くはないさ」

 

 若くしてギンガ団を立ち上げただけあり、ギンガ団内部にはオーナーより年上の人の方が多いぐらいだ。人を雇えば雇うだけ顕著になりやすい。

 そんな自分が偉そうにしていては反発も招くであろうとし、団員の不満が募らないよう気も配っているようだ。

 腰の低さも持っている割に、しっかりギンガ団を牽引するリーダーとして今なお君臨しているのだから、このオーナーはかなり優秀なトップであろう。

 部下の顔色を伺うばかりのトップなど頼りなく、さりとて若いのに偉そうでは反発を招く、そんな難しいバランスを良い所を見事に保っている。

 

「団員同士の間で一番有力な説は、僕達ギンガ団の台頭によって作られたゲームコーナーで、有り金全部使い果たした奴の逆恨みじゃ? なんてものさ。

 みんなが本気でそう思ってるわけじゃないだろうけどね。

 そんな仮説がいっそ最も辻褄が合うんじゃないかと言われるほどには、ギンガ団の名を騙る連中の真意なんて見当もつかないさ」

 

「ゲームコーナー、私も以前行ってみたけど、楽しい反面危なっかしくもあるわよねぇ。

 私だって、最初思ってたよりちょっと多めにお金使っちゃったもの。

 自制心に自信の無い人には危ない、というのも真理なんでしょうね」

「何をしているんだよ、チャンピオン」

「ほら、それよ、それ。

 私だって遊びたくなる時ぐらいあるのに、ちょっとゲームコーナーに行った程度で"らしくない"なんて言われたくないわ。

 チャンピオンだって聖人君子でも何でもないんだから」

「まあ、楽しめてくれたようなら何よりだけどね。

 ゲームコーナー設立の一端を担った身としては」

 

 話せば話すだけ、昔ながらの間柄らしく、より気兼ねない会話になっていく二人だ。

 チャンピオンという肩書きが神格化され過ぎているが故、一挙手一投足にも神経を遣うこともあると溜め息を吐くシロナ。

 経営者めいた立場で気苦労が絶えないことを語りつつ、砕けた会話で友人に愚痴を聞いて貰えて少し嬉しそうなオーナー。

 こんな関係、やはり二人とも、絶交などしたくあるまい。シロナだけが抱いている感情ではない。

 

「治安は良くないみたいに語られることもあるけど、実際どうなの?

 ゲームコーナーですっからかんにされた人が、不機嫌で荒っぽくなるケースも無いではないらしいじゃない。

 まあ、それがゲームコーナーを作ったあなた達にも責任の一端が、なんて暴論には私も反対だけど」

「まあでも、もうギンガ団も企業みたいなものだし、企業はイメージも大事だからね。

 団員には時々、街の見回りに回って貰ってるよ。警察の方々との関係も良好だ。

 特にゲームコーナー付近は、ギンガ団員が常に複数人はいるはずだ」

「そこまで意識してると、ギンガ団員の皆さんはゲームコーナーで遊べないわねぇ」

「そもそも団員規則で、ゲームコーナーで遊ぶことは禁止しているよ。

 遊びたかったら、ビル内にゲームコーナーがあるから団員はそこで遊んでいいことになってる。

 制限時間あり、天井あり。負けがかさむようなら指導。ここまでやってる」

「大変ね、オーナーも」

「エネルギー事業だけじゃないんだよ、組織のトップの仕事は。

 大きくなればなるほどに、わけのわからない敵を作ったり、身内がおかしくなってしまうことを未然に防がなきゃいけないからさ。

 たまに思うよ、こんなの僕がしたかった仕事じゃないのに、って」

「気苦労お察しするわ」

「シロナもだ。

 チャンピオンも大変なんだなって、所々から滲み出ているよ」

 

 まったりとした空気である。

 信じると宣言した以上、未だにシロナはオーナーの事件関与を疑っている、というわけではないのだが、やはり話せば話すだけ信じたい想いは強くなる。

 中性的な顔立ちかつ、あまり表情の機微には富まない旧友だが、会話を楽しんでくれているのはひしひしと伝わってくるのだ。

 彼が悪事の糸を引く、悪しき組織の首魁であるなど、そうはあって欲しくないというのがシロナの本懐である。

 

「まあ、とにかく信じて貰いたいね。

 ギンガ団の名を貶める者達なんて、僕達にとっては憎むべき敵だ。

 そんな連中の思うつぼ、なんて、君にまでなって欲しくはないな」

「ええ、わかってる。信じているわ。

 改めて言うわ、本当にごめんなさい。疑ってしまってね」

「君になら構わないさ。

 君は僕が誤った道に進もうとしていると思えば、全身全霊を以ってして止めようとしてくれる人だと信じている。

 君が僕を疑うのであれば、それは僕を案じてのことだと信頼できるからね」

 

 その後、二人は積もる話という名目で、この案件とは関係の無い世間話で談笑し、実に朗らかな時間をしばし過ごした。

 元々忙しい立場のオーナーだ。時々シロナも、そろそろ切り上げた方がいい? と尋ねた場面もある。

 その幾度かを、まだ大丈夫だよと話を続けさせてくれるオーナーの心遣いには、シロナだって嬉しかっただろう。

 そうなればシロナも、オーナーが喜んでくれそうな話題を選び、彼を喜ばせようとするトークを実践しようとしてくれるのだ。

 そんな彼女の心遣いがわかるから、オーナーも、ただ単に話を面白く聞くのみならず、彼女との対話そのものが楽しくてたまらなかった。

 

 ずっと、こうして一日中話せればいいのに。

 こんな時間がもっと続けばいいのに。

 いくらでも、日が暮れるまで、語り明かして喧嘩して仲直りして、明日もまた会う日を楽しみにしていたあの日に戻れれば、と何度だって思う。

 立場や責務に縛られてそれが出来なくなった大人として、そんなことを考えてしまうのは弱さだろうか。

 旧友とは、そんな弱さをも許してくれる、掛け替えのない存在だ。

 その無償さにおいてのみ例えるなら、何の見返りも無く愛してくれる母親や父親、それに比べてさえ遜色無く、断じてその縁を失いたくないほど尊かろう。

 

「――ふふ、楽しかった。

 多くの尊敬されるほど立派な大人になったあなたでも、中身は全然変わってないのね。

 なんだか故郷に帰ったみたいで、本当に嬉しかったわ」

「お互い様だ。

 今や奔放に振る舞うことも難しいチャンピオンが、体面を気にせずこうして屈託なく話してくれる、それが僕にとっても一番嬉しい。

 公人としての対話を望まれた時には少し寂しかったけど、こうして二人きりの場で人の目を気にせず話せたのは、結果的に一番よかったよ」

 

 席を立った二人は、オーナーがシロナをエスコートするように、エレベーターへ向かっていく。

 シロナがエレベーターに乗り、オーナーは見送り、手を振るような仕草や言葉も無く、ただ微笑んで。

 ドアが閉まる前、振り返ったシロナとオーナーが求め合う言葉に多くは要らない。

 

「またね」

「ああ」

 

 幼少の頃のような言葉の使い方で、二人は別れを締め括った。

 名残惜しさを互いに抱えて。しかし、いつかまた会おうねという約束とともに。

 だから、明日も頑張れる。

 

 オーナーはデスクの椅子を引き、そこに座って天井を見上げる。

 そこに、はじめギンガ団を統べる立場としてシロナに挨拶した、大人としての彼の表情は無い。

 

「まったく、敵わないな」

 

 子供だった頃のように。寂しさを隠せぬ表情で。

 今はもう、二人とも大人である。変えようのない現実。

 時の流れがもたらした変化は時に残酷だ。



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第41話   リッシ湖

 

「着いた~! 長かったね!」

「寄り道し過ぎた感もあるけどね」

 

 トバリシティを出発したパール達は、旅の節目に到着していた。

 二人が目指すのは、4つめのジムがあるノモセシティ。

 トバリシティとノモセシティを繋ぐ214番道路を南下して、今ようやくそのゴールに辿り着いたところである。

 

 

 

 昨日はスモモと楽しい時間を過ごしつつ、パッチの額の傷が残らないよう一日ポケモンセンターに彼女を預けつつ、一日をトバリシティで過ごし。

 で、翌日、朝になったがパールがなかなか泊まり部屋から出てこない。

 珍しく寝坊してるのかな? とプラチナが思って待っていたら、朝からスモモとお電話していたらしいパールである。

 素直に隠さず明かしてくる辺り、素直で憎めないとは思うのだが、まさか今後毎朝こんなに待たされることにならないだろうな、と不安にはなった。

 どうもパールは、年上あるいは尊敬できる人、それも女性に対してなつきやすい。電話してお喋りしちゃう。楽しくてしょうがないらしい。

 もっとも、プラチナの心配は杞憂であるのだが。根拠はまた今後。

 

 その後さっそく出発かと思ったら、パールがゲームコーナーに一度行ってみたいと言い出して。

 まあ、確かに初めて訪れる街の名物、一度は触れてみたい想いはあろう。プラチナも興味はあったし、割と乗り気で付き合った。

 前日スモモとの語らいで、子供だけでゲームコーナーに行きたいなら朝がいいですよ、とパールが教えられていた時点で、この展開はプラチナも予想済み。

 朝からゲームコーナーのスロットにお金を突っ込む、熱くなりがちのおじさんおばさんは、早過ぎたってお金が尽きるのは昼過ぎになるらしい。

 朝っぱらから一日中やってやるぜの勢いで来る人は、軍資金もとりあえず多めに持ってくる傾向にある、というのが根拠なのだそうな。

 なので、朝から行って午前中のうちに帰るなら、負けてイライラして荒っぽくなっちゃった駄目な大人に絡まれる懸念はいくらか減る、らしい。

 もっとも、いてもそんな人が生じる数が少ないゆえ、警邏のギンガ団の皆様やゲームコーナーの従業員が、充分対応できるという要素もあってのこと。

 

 だから午前中に帰ろうね、という話だったのに、パールがめり込むめり込む。

 朝9時にゲームコーナーに入って、最初の15分で結構いい当たりを叩き出しちゃったのが、良いことなのか悪いことなのか。

 いっぱいメダルが出てくると、パールも嬉しくなっちゃって嵌まる嵌まる。ビギナーズラックと言えばそれまでなのだが。

 しかし、それにしても、その後もけっこう豪快に当てちゃうパール。スロットとの相性がいい。

 要は絵柄を揃えるためにスロットを自分の手で止めるのだが、パールはバチバチ当ててしまうのだ。恐らく目押しの才能がある。

 決して性差で語れるものではないが、遊びで思いっきり集中状態に入った時、とびきりのゾーンを発揮するのは大抵女の子の方だと思うのだがどうだろう。

 

 こうなるとパールも楽しくって、すっかり嵌まって時間を忘れちゃう。

 しかしまあ、何と言うか、決して集中力を失っているわけでもないのに、そのうちパールの目押しも微妙なズレを孕んで当たらなくなってくる。

 重ねて言うが、目押しの才能は確実にある。のめり込んで集中力はずっと高いので、時間が経っても指と目が疲れて衰えたということもあるまい。若いし。

 それでどうして当たらなくなるのかは謎。理由はご想像にお任せする。

 とにかく最初はあんなに当たったのに、なかなか当たらないものだから悔しくてパールも熱くなっちゃうし、何だか色んな意味で誰かの思うつぼ感。

 別の場所で適度に遊んできたプラチナが、そろそろだなとパールを迎えに来た時、同じ場所でずーっと遊んでたっぽいパールから危うい空気は感じた。

 これはまずいかもしれない!

 

 現にプラチナがそろそろ行こうと言っても、もうちょっとだけと懇願してくるパールなんだもの。

 最初はまあ、仕方ないなの精神で見守っていたプラチナだが、目の前でメダルを減らしていくパールを見ていると、我が事のように冷や汗が出る。

 とうとうパールがメダルを使い切って、どうしようメダルを買いに行っていいのかなと悩む素振りを見せた時、いよいよヤバいとプラチナも思った。

 まあ、衝動に任せてメダルを買いに行かない辺り、あれだけ嵌まっていた割には自制心のある子だと評価してもいいのだが。

 女の子の体に触れるのにも臆病な彼が、珍しくパールの手首をぎゅっと掴んで、帰るよと強い眼差しで訴えたものだ。

 そんなプラチナの顔を見て、はっと我に返ったパールは、私なにしてるんだろうと急に冷や汗を流し、逃げるように二人でゲームコーナーを去ったのだった。

 結果的にパール、最初に勝っていたぶん大金負けたわけではないが、後半豪快に負けた経験が鮮烈すぎて、建物から出た瞬間にはぞっとしたものだ。

 プラッチが止めてくれなかったら……と思うと恐ろしい気がしてならないそうで。まあまあそれに自分で気付けただけでも賢明である。

 

 変な話、負けてよかった。悪い味だけ覚えて帰るよりは、長い目で見て良かったのだろう。

 あんまり嵌まっちゃ駄目だよと、ちょっと程度にプラチナにお小言を貰っただけで、パールはひどく後悔とも言える反省をしたものだ。

 そんなこともあって、トバリシティを出発したのは昼過ぎである。

 午前中にゲームコーナーを出ようねという話が、ちょっとだけながら午後に入ってしまい、だったらいっそ昼食を食べてから出発という話になって。

 トバリとノモセを繋ぐ道のりはやや長いことで有名であり、昼にトバリを出発した時点で、今日のうちのノモセへの到着はほぼ諦めモードであった。

 

 そうなると、過ぎたことはしょうがないし、二人ともやや開き直り気味で214番道路を進んでいく。

 道半ばには"マニアトンネル"という、トンネル作りがご趣味の人が、長い時間をかけて一人で掘ったというトンネルがあったり。

 ちょっとそこを探検してみたりもしたし、道中で出会うトレーナーの皆さんに申し込まれるバトルにも精力的に受けるパール。

 最近はプラチナも、想い色々あってバトルにも気が向きがち。パールに代わって彼がバトルする局面も。

 

 そんな中で、プラチナのポッチャマが、ポッタイシに進化した。

 ポケモントレーナーとして強くなることより、ポケモン学者になりたい想いの強い彼とて、やっぱり一番のパートナーの進化にはとても喜んでいた。

 パールと比べれば感情が行動に出にくいプラチナが、珍しくポッタイシを抱きしめて祝福していた姿には、パールもちょっと驚いた。

 基本的にパールにとって、プラッチは色んなことを教えてくれる尊敬できる人なのだが、この時に限り、プラチナのことを可愛いと思っちゃったのは秘密。

 男の子に可愛いだなんて面と向かって言うと、いい顔をされないかな、なんて思ったりもするのである。良い気遣いだ。

 プラチナ、もしもパールに可愛いなんて言われたら、何とも言いようもない顔をしそうである。とりあえず喜びそうには無い。

 

 そうして寄り道も多く214番道路を進んできたパール達は、もうすぐ夕方という頃合いになって、214番道路を走破するに至った。

 その終着点は、"リッシ湖のほとり"と呼ばれる場所。

 トバリシティとノモセシティの間に位置するそれは、シンオウ地方三大湖の一つとされる。

 生まれ育ったフタバタウンのそばで、三大湖の一つ、シンジ湖と親しんで長かったパールにとっては、どこか懐かしきに近い空気を感じる場所でもある。

 

 

 

「今日はここでお休みしてから、明日の朝に出発しよっか」

「パールがゲームコーナーで遊びすぎるから」

「なんか今日のプラッチ、辛辣」

「いや、いいんだよ? 楽しかったみたいだし、それはいいんだけど。

 でも僕が止めなかったら、今日のお泊り代もあったかどうか」

「うぐっ……そ、それは……ほんとにごめんなさい……」

 

 トバリシティからノモセシティまでの道のりは非常に長く、一日で到達しようとすると基本的に寄り道している暇は無い。

 少し長い214番道路を通り、大きなリッシ湖のそばを通り、続いて海辺の213番道路を通り抜けて、ようやくノモセに到着する。

 朝9時にトバリを出て、のんびり歩いて行く限りでなら、子供の足でも日が暮れる前にノモセに着くことも不可能ではないのだが。

 昼過ぎ出発、しかもポケモンバトルを何度も繰り返して、マニアトンネルに寄り道して、これで日の高いうちにノモセに着くのは無理筋だ。

 

 しかし、リッシ湖が観光名所として名高いこともあり、リッシ湖のほとりには宿泊施設やレストランなど、施設が充分揃っている。

 フタバタウンを傍らとしたシンジ湖や、キッサキシティを傍らとするエイチ湖と異なり、リッシ湖はノモセとトバリとナギサシティに囲まれた位置取りだ。

 シンオウ三大湖の中では、最も観光客が訪れる場所である。

 美しい湖面や静かな雰囲気も相まって、専らデートスポットとして非常に名高いのだとか。

 フタバタウンの大人も子供も大好きで、ぱらぱらと人が訪れつつも物静かなシンジ湖とは、少し人々との付き合い方が違う。

 

 元々リッシ湖は、トバリ、ノモセ、ナギサの三方に道を繋げる、人の道としてもジャンクションに位置する場所にある。

 観光名所として名を馳せる前から、旅人の中継地点としては古くから意義深い。

 パールもプラチナも出発前にそれはあらかじめ知っていたので、元より一日でノモセまで急がなければ野宿、という意識ではなかった。

 だからのんびりと寄り道してでも、夕暮れ前にリッシ湖まで辿り着ければいい、そんな足取りでここまで来た。

 ゲームコーナーに悪嵌まりしたことをここでも軽くつつかれるパールだが、別にプラチナも、ここへの到着がこの時間になったことに困ってはいない。

 まあ、旅するトレーナーを無料宿泊させてくれるポケモンセンターとは違い、ここでの宿泊にはお金がかかるので、あわやの散財忘れじと念を押すのは必要か。

 

「と、とりあえずどうしよっか?

 私、ちょっとだけリッシ湖見てきたいんだけど」

「ん……まあ、これぐらいまだ明るい時間帯なら大丈夫かな。

 夜に出歩くのはよくないと思うけど、今なら」

「夜は私もやだ。

 水辺って意外とズバットいるからね」

「ああ、そっか。

 最近あんまりあのパール見てないから忘れかけてた」

「あのパールってどのパール?

 とりあえず全部忘れて欲しい私の姿の予感がぷんぷんする。

 グーで殴って忘れさせたい」

「やめてよ、なんで急にそんな乱暴なキャラになってんの」

 

 そうじゃなくて、暗くなって子供達だけで出歩くと、悪い大人に会った時に大変だからよくない、という話をプラチナはしたいのだが。

 パールは悪い人間よりズバットに対する恐怖の方が大きいらしい。

 まあ、それで夜遊びをしたくないと仰るなら結果的に結構だが。

 

「そうだな~……じゃあ僕、泊まるホテル探してくるよ。

 あんまり高くないとこ。いい所は早く押さえないと、他の人の予約で埋まっちゃうかもしれないしね」

「え、じゃあ私も行く。

 プラッチ一人にそれだけやって貰うの悪いし」

「いいよ、大丈夫。

 それやってる間に暗くなっちゃったら、今日は湖を眺める時間なくなるよ。

 僕は明日の朝にでも見られればいいから、パール行っておいでよ」

「ん~、でもなぁ……」

 

「そんなこと言いながら、行きたい行きたいってそわそわしてんじゃん」

「あ~、まぁ、うん……

 なんかこう、湖のいい匂いがここまで漂ってきてるじゃん?

 シンジ湖の匂いに似てて、なんだか懐かしい気分になっちゃって……」

「い、犬……」

「なんてこと言うの!」

 

 人をわんちゃん呼ばわりとは失敬な。100%冗談で言っているプラチナも、流石にちょっと躊躇い混じりに突っ込んでいる。

 彼はあんまり、強い言葉で人をいじるのに向いた性格をしていないようだ。

 もっとも、怒った声を出して対応するパールも、気心知れた相手のジョークだとわかっているから、心の底からは怒っていない。

 

「……そんな変わった匂い、する?

 僕わかんないよ」

「え、うそ? さっきからずっと……」

「…………」

「…………」

 

 二人で周りを見渡しながらお鼻をすんすん。

 変わった匂いなんて一つも感じないプラチナ、棲んだ湖そばの微かに湿った草木の匂い、湖の匂いとして特徴的なそれをずっと感じ続けているパール。

 鼻を動かすのをやめて向き合う両者だが、いやわかんないよという顔のプラチナが、パールにとっては嘘でしょってぐらいのもの。

 それぐらい、彼女の鼻は湖の香りを感じてならない。当たり前のように。

 

「…………え、嘘でしょ?

 湖の匂い、しない?」

「パールの鼻、たぶん普通じゃない……」

「あっ、何その目!

 今ほんとに私のこと犬か何かだと思って見てるでしょ!」

「いや犬とは思ってないけど……

 特殊な嗅覚あるよ、パール、絶対、ナタネさんと一緒で」

 

 草ポケモン限定とはいえ、ポケモンの機嫌を匂いで、それもボール越しでも嗅ぎ取れるジムリーダーさんも確かにいたけれど。

 後からパールが電話で聞いた話によれば、草木に溢れたハクタイジムで草ポケモンと毎日過ごしていると、勝手にわかるようになってくるのだとか。

 絶対、みんながみんなそうなるとは思えないのだが。草ポケモンのことが好き過ぎる、ナタネぐらいだろうとしか思えない。

 ポケモンは生息環境によって特殊な進化することもあるというが、人間だって生まれや育ちや性格で、鼻が進化したりするのだろうか。んな馬鹿な。

 

 何を食べて育ったかで、舌の味覚が人それぞれになるように、パールの鼻もそういうものなんだろうと無理くり理屈づけるプラチナなのであった。

 学者を目指す彼、不可解にはどうにか理屈で納得したがる性分のようで。

 でも彼が目指しているのはポケモン学者。パールはポケモンではありませんよ。

 

「まあ、とにかく予約取ってくるよ。

 取れたら電話する。暗くなる前に帰ってきてね」

「なんかプラッチがお母さんみたいになってる」

「遊びたがりのパールが今日はどうも子供っぽくてさ」

「も~! ゲームコーナーのことはもう忘れて!

 反省はしてるから!」

 

 笑ってホテルの方へと向かっていくプラチナに、パールはぷんすかしながらも、プラチナに背を向けてリッシ湖へ向かって歩きだす。

 彼から顔を逸らしたら、怒った顔もすぐに消え、はぁと息を吐いて素敵な友達に想い馳せる。

 なんだかんだで優しいプラッチだもの。宿は僕が取っておくから遊んでおいで。そんな気遣いしてくれるプラッチだから、自分ものびのび好きなことが出来る。

 一緒に旅して、すっかり当たり前のようにそばにいてくれる彼だけど、こんな時にこそ特に、一人じゃない旅でいっそうよかったなって思える。

 毎日が楽しいのは、ピョコ達ポケモンのおかげだけじゃなく、間違いなくプラチナがそばにいてくれるからだ。

 

 リッシ湖の方へと歩いて行く彼女の足取りは軽い。

 リッシ湖ってどんな所だろう。それだけでもわくわく。

 同時に、長く親しんだシンジ湖によく似た匂いに、故郷に帰ってきた懐かしさに近いものまで味わわせて貰い、パールは胸躍るばかりだった。

 

 

 

 

 

「んんんん~~~~~……!

 きれい……!」

 

 シンオウ三大湖と呼ばれ、かつ観光名所としても名高いのだから、さぞ素敵な湖だと期待していたパールの想いを、リッシ湖は全く裏切らなかった。

 西日が赤くなるほんの少し前のこの時間帯、揺れない水面は大鏡のように空の青を映し、しばしばの波紋が自然的曲線の陰影を水面に描く。

 見慣れ過ぎたシンジ湖から遠く離れた地、本当に久しぶりに見た大自然の大きな湖は、こうして見ると静かで大きな生き物、あるいは神様のよう。

 その雄大さを新地で目の当たりにしたパールは、いつか久しぶりにシンジ湖に帰ったら、見慣れたあれも見方が変わりそうだと感じてしまう。

 

 まあ、そんな小難しい話はそこまで重要じゃない。

 水が綺麗。草木が青々。風が優しい。正直、この気持ち良さはそれが全て。

 リッシ湖を前にし、壮大なる自然に抱かれてうんと体を伸ばすパールは、来てみてよかったとすぐ確信する。

 明日の朝には、プラッチと一緒にここに来ようというのも今決めた。絶対、見せてあげたいぐらいの絶景だ。

 

「え~と……え~と……」

 

 こうなると、どこかに座って腰を落ち着かせ、のんびりこの景色を堪能したいところである。

 しかしどこに座ったものか。見渡すと、結構カップルがいる。

 デートスポットにお勧めされるだけあって、観光に訪れるお客様もそういう人が多いのだろう。

 二人の世界でいたいであろうことは、子供のパールだって気遣えるほど、みんな幸せそうに手を繋いでいたり、微笑み合って語らったり。

 出来ればああいう人達がそばにいない、邪魔をしない場所で腰を落ち着かせたいところである。

 最大限邪魔をしないよう、音さえ立てないよう忍び足気味の足取りになっているパールは、少々やり過ぎではあるが。

 意図したそのやり過ぎを楽しめるぐらいには、ここを訪れたカップルの皆さんの幸せそうな姿は、赤の他人のパールが見ても微笑ましかった。

 

 しかし、こうして何組かのカップルを尻目に歩いていると、なんだかそういう場所なんだなぁと、パールにも印象付いてくる。

 明日、ここにプラッチを連れてくるのは彼女の中で決定事項なのだが、こういう場所に彼と二人きりで来るとなると、それってまるで。

 わぁ私なに考えてんの、と、ちょっと顔を赤くして首を振るパール、一人で勝手に感情渦巻いて心乱して器用だこと。

 いやあ、別にプラッチとはまだそんな……と、頭をかきながら、てれてれしつつ歩く。でも、困った顔でもない。

 プラチナの全く知らない所でだが、彼も結構パールからは悪しからず想われているようである。

 

 さて、そばに誰もいない湖畔を探し求めて歩き続けていたら、いつの間にか宿泊施設等とは離れた側まで来てしまったパール。

 観光客はだいたい宿泊施設に近い場所で湖の景観を嗜むので、人がいない場所を目指して歩けばこうなるのも必然である。

 近くに誰もいない、誰の邪魔もせずのんびり出来る場所だなと確かめたら、パールは鞄を傍に置いて草地の上に座る。

 そのまま背中まで草の上に寝かせ、青空を見上げてはぁ~っと息を吐く。

 いっぱい吐けば、そのぶん次に吸う時には、おいしい空気がいっぱい吸えるのだ。

 棲んだ空気の場所の楽しみ方を知っているのは、シンジ湖のそばで育った彼女だからこそとも言えるだろうか。

 

「ん……?」

 

「よいしょ、っと。

 みんなも出してあげようっと」

 

 そうしたパールに、近場の木陰に隠れるかのようにしていた誰かが気付いた。

 そんなことなど露知らず、パールは上体を起こして鞄の中に手を入れると、みんなの入ったボールを取り出そうとごそごそ。

 木陰からパールのことを見ていた人物は、背後から彼女の方へと歩み寄る。

 この景色を見たらみんなも喜んでくれるかな、という想いでいっぱいのパールは、近付いてくるその誰かさんに気付かない。

 

「やっほー、可愛い子。

 お姉さんもお隣に座ってもいい?」

 

「え?

 あっ、はい、どうぞ……」

 

 急によく知らない相手に後ろから声をかけられても、お隣ならどうぞと何の迷いも無く即答するパール、社交性いっぱいの性分が良く表れているものだ。

 振り返ったパールが見上げた先には、レザージャケットを着たカジュアルな着こなしの女性が、にっこり微笑んでパールを見下ろしている。

 赤い髪をツインテールに降ろし、両膝に手を置いてパールに微笑みかける表情は、敵意などなく好意的なものですらあるはずなのだが。

 

「…………」

「…………」

 

 なんかこの人見たことある。パールが固まって考える時間を作るほどには。

 しかも、忘れてちゃいけない顔のような。だからパールも、固まってまで女性の顔をじっと見つめ、すごい早さで一昔前の記憶を辿っている。

 この顔と赤い髪は、谷間の発電所で――

 

「わ゙――」

「だめだめっ、騒がないで!

 あたし今、指名手配中なんだから!」

 

 記憶に辿り着いた瞬間、大声あげて逃げ出しそうになったパールを、赤毛の女性はがばりと捕まえた。

 パールに後ろから抱きついて、その両手でパールの口を塞いで。

 ばたばた暴れるパールだが、大人の力でぎゅっと捕まえられたら逃げられない。

 しかし、本気の力で大暴れするので、大人の女性も押さえつけるのが大変。

 

「待って待って、お話しよーよ……!

 今日はあなたに危害を加えるつもりで来たわけじゃないからさ……!」

「んむむ~~~っ! むぐぐ~~~っ!」

 

 だめだめ、信じません。

 あなたのことは知ってる、ギンガ団幹部を名乗り、谷間の発電所を襲撃したマーズでしょと。あの時とは服装も髪型も違うけど。

 悪いやつだ。絶対言うことなんて聞かない。放せ放せの大暴れ。

 

「――――!」

「あっ、ニャムちー手伝って!

 この子を一旦おとなしくしてあげてっ!」

 

 しかし、パールにとっては凄く嫌な展開。

 木立の向こうから飛び出してきたブニャットは、どうやらマーズのポケモンらしい。

 暴れるパールを地面に背を着け、パールに乗られたままその口を塞いでいたマーズに頼まれたとおり、パールに近付きずいっと顔を近付ける。

 にらみつける。そんな顔で間近で睨まれたら、パールも怖くなって動きが止まっちゃう。喉元にナイフでも突きつけられた気分。

 ああもうだめ、ひどい目に遭わされちゃう、パールの目が潤んでくる。

 

「お願いおとなしくしてっ、本当に危害を加えるつもり無いんだってば。

 騒がないでくれればそれでいいかな、ね? お願いっ。

 ほら、ニャムちーも離れてあげて?」

 

 パールが一度おとなしくなったので、諭すようにマーズが耳元で言う。

 首を回してマーズの顔を間近に見るパールは、ちょっとばつの悪そうな苦笑いのマーズの表情を見た。

 これを見る限り、確かに敵意は無さそうだけど。

 同時に、涙目になっているパールを見てしまったマーズは、流石に軽率だったかな、怖がらせてしまったなと少々程度に反省。

 

「――――z!」

「わわっ!?

 ニャムちー、守って守って!」

 

 この只ならない状況に我慢ならなくなったのか、ピョコがボールから飛び出してきた。

 ニャムちーと呼ばれたブニャットが、パールを押さえているマーズとピョコの間に割り込んで、自分の体で壁を作る。

 このブニャットも判断力が良く、マーズに頼まれる前から動いている。

 

「えぇと、あなたパールって言うんだっけ?

 ほんと、ほんとにあなたをいじめに来たわけじゃないのよ。

 少しお話したくて近付いただけ。お願い、わかって?

 今から口を放すけど、騒がないで? お願いだから、ね?」

「むぐぐぐ……」

「ほんと? 絶対よ?」

「むうう」

 

 ピョコが出てきてくれて少しでも安心したのか、ちょっとだけ冷静になれたパールは、語りかけてくるマーズの言葉に頷いていた。

 周りに誰もいない中で、捕まえられた上でブニャットに脅された絶望的状況より、一番頼もしいピョコがそばにいてくれれば全然状況が違う。

 入念に確かめてから手を離すマーズに、パールは約束どおり声を出さず、しかしすぐに立ち上がってぱたぱた駆け、ピョコの後ろに隠れる。

 

「――――、――――z!」

「――――z! ――――!」

 

「ニャムちー、手を出しちゃ駄目だからね?

 喧嘩をしにきたわけじゃないんだからさ」

 

 ポケモン同士の鳴き声で口喧嘩するように吠え合うピョコとブニャットだが、マーズがブニャットの頭を撫でて宥める。

 それでブニャットが何も言わぬようになれば、ピョコも売り言葉が無くなって買い言葉も無くなって一度静かになる。

 しかし、かつて敵対する立場にあったマーズの顔は、どうやらピョコの記憶にも強く残っているようだ。

 唸り声をあげてブニャットとマーズを威嚇するピョコの後ろに隠れるパールも、マーズを睨みつけてがるると鼻を鳴らしていた。

 

 これだけ敵愾心いっぱいの目で睨んでおきながら、約束したとおり騒いだりしない辺り、パールも妙なところで口約束に律儀である。

 大声で悲鳴でもあげれば、流石にどこかの大人に聞こえるだろうし、人が集まってきてこの場を切り抜けられそうなものでありながら、だ。

 もっとも、そんな展開にでもなろうものなら、マーズは意地でもパールを人質に取り、攫いつつ逃げ延びるしか打つ手が無くなりそうでもあるが。

 そういう意味ではパールも騒がなくて正解だったのかもしれない。

 

「ねえパール、お願いよ。

 そっちのハヤシガメを、興奮しないよう宥めてあげて?

 本当に争うつもりは無いし、お話したいだけだからさ」

 

 しばらく睨み合っていたが、パールは悩むように考えた末、ピョコの甲羅を撫でて、あまり睨まないでと頼む形を取った。

 頼みを聞き入れなかったら、戦いになりそうな気がしたというのもある。

 ギンガ団幹部を名乗るジュピターは、ナタネと渡り合えるほどの実力だった。マーズも本気を出させてしまうと果たしてどうだろう?

 未知の相手と戦うことをせず、ここは表向きにも友好的に振る舞う相手に、一応でも従うパールもよく考えて決断しているものだ。

 

 彼女の意図を理解してくれたか、不服そうながらもばふーと鼻息を吐き、ブニャットやマーズを威嚇する眼をやめるピョコ。

 ブニャットも、ふうと息を吐いて落ち着いたようだ。

 ひとまず、衝突は無さそうである。

 

「ふふ、よかった。

 パール、こっち来てよ、隣に座って?」

「うう……なんかヤだけど……」

 

 湖畔に腰掛け、おいでおいでと手招きするマーズに、渋々歩み寄って隣に座るパール。

 ピョコもパールのそばを絶対に離れない。そばに身を置く足取りだ。

 この際にも、ブニャットがピョコに突っかかるかのような態度を見せたので、ちょっとした睨み合いも生じる。

 俺の、私のトレーナーに手を出したら只じゃおかないぞ、という、ピョコとブニャットの釘の差し合いは迫力のある眼光のぶつかり合い。

 そんなピョコとブニャットを真後ろに、パールとマーズは湖の方を向いて並んで座っている。

 

 後ろは一触即発の空気だし、隣にいるのは美人のお姉さんだけど悪人だし、パールはそわそわして落ち着かない。

 一方マーズは空を見上げ、長い逃亡生活の中で得られた僅かな楽しみの中、はぁ~と満足げな息を吐いているのだった。



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第42話   パールとマーズ

 

 

 報道において、谷間の発電所から逃げ延びたギンガ団幹部は指名手配犯だと言われるとおり、今のマーズは追われる立場にある。

 トバリのギンガ団目線でも、警察目線でも、何とか捕まえてあの蛮行の真意を詰問したい人物だ。

 そのためマーズは、今やどこの街に立ち寄ることも出来ない状態、人が通る各地の道路すら、目撃者と通報を警戒するなら立ち寄りがたくある。

 とりわけマーズはその鮮やかな赤い髪が目立ち過ぎる。人に見られれば即刻通報対象だろう。

 ゆえに、ずっと野宿である。パールにしてみれば絶対嫌な暮らしだ。

 

 マーズとジュピター、二人の指名手配犯を未だ捕まえられていない警察に対する、世間の批判は非常に少ない。無能となじる者は皆無である。

 シンオウ地方は現存する自然が地方全体に対して広く、要するに開拓されていない野や森や山が非常に多い。

 そういった場所に隠遁されれば、警察だってしらみ潰しに探してもきりが無く、積極的に探しに行くことさえ難しい。

 シンオウ地方はそういう土地柄なので、野山、特にあの広く険しいテンガン山にでも潜伏されようものならどうにも出来ない、と誰もがわかっているからだ。

 この"凶悪犯を現行犯逮捕できず逃がすと、後から捕まえるのが非常に困難"なのは、シンオウ地方の警察の頭を悩ませる点である。

 

「えぇ……お風呂どうしてるんですか……?」

「ちょっと、フケツなものから逃げてく顔やめてよ。

 別に臭くないでしょ?」

「やっ、ちょっとやだ絶対……あ、あれ?

 ほんとにくさくない……」

「ちゃんと一日一回は、水場を見付けて体を洗ってるからね。

 洗濯だってちゃんとしてるのよ?

 やっぱり家電に頼らず干すと、乾くまでに時間かかるけどさ」

 

 どうやらマーズは、人里離れの野山で潜伏する連日を過ごしているらしく、それを聞かされるとパールはマーズに触りたくなくなる。

 だってお風呂にも入っていなさそうだし、服の洗濯もしていなさそうだもの。

 女の子のパールからしてみれば、そんな不潔な人に近寄りたくない。

 距離を作ろうとしたところ、手を掴まれて引っ張られ、マーズの胸元に顔をうずめさせられた時の拒否反応ったらない。

 

 でも、息を止めていられず少し吸ってみたら、何日もお風呂に入っていない人のような匂いはしなかったので驚き。

 マーズだって、体を洗わずに何日も過ごし続けるような生活は絶対嫌なようで、野山に潜伏する日々の中、泉や川などで身綺麗にはしているようだ。

 自然豊かなシンオウ地方なので、それが出来る綺麗な水場には案外事欠かないらしい。

 例えばこのリッシ湖だって、水の冷たさに目を瞑れば、服を脱いで入れば体を綺麗に洗える、清純な水で溢れた水場の一つとさえ言えるだろう。

 

「今は秋だから何とかなるけど、冬になったらどうしようかなって今から心配。

 寒くなってきたら、服を脱いで川に入るだけでも凍っちゃうし風邪ひいちゃう」

「それ、現代人の悩みじゃないと思う……」

「とある川で体を洗ってた時なんて、コイキングに噛まれちゃったりもしたしさ。

 見てよこれ、噛まれた跡も残っちゃってイヤなのよ~」

「うわぁ、痛そう……」

 

 短いスカートをくいっと上げ、ソックスを下げたマーズの太ももに、コイキングに噛まれたという歯形が赤く残っていた。

 牙を持っているコイキングではないし、噛まれたというよりは吸い付かれたようなものだが、人肌には数日残るような跡は出来るし、噛まれた時はやはり痛い。

 マーズに対して強い警戒心を抱いているはずのパールも、そんなものを見せられたら、体に跡を残されるような痛みを想像して気の毒に感じちゃう。

 

「木の実も自分で獲らなきゃいけないしさ。

 山の中で過ごしてれば誰にも見つからないけど、お腹が空くのよねぇ」

「木の実……そのまま食べるんですか?」

「どこにでもあるから重要な食料源よ。

 モモンの実なんて、柔らかくて甘くって私達人間でも美味しく食べれるわよ?

 一つ分けてあげる、食べてみて」

「え~、なんかやだ……」

「食わず嫌いは良くないわよ?

 ほら、私も食べてみせるから。――はい、どうぞ」

 

 パールの前でモモンの実を半分かじって、もう半分を差し出してくるマーズである。

 渋々受け取って、おっかなびっくりながら口にするパール。その割に、全部ぱくっと口に入れる辺り、腹を決めたら思い切れる子だ。

 

「……あっ、結構甘い。

 っていうか、美味しいかも」

「木の実にも色々あるからね。

 甘くて柔らかいのは人間にだって普通に食べられるわ。

 私は甘さの中にちょっと苦味のある、カイスの実なんかも好きよ」

 

 近年、木の実を直接口にする人はめっきり少なくなり、木の実といえばポケモンのご飯か、ポフィンの材料というのが専ら世間のイメージになりつつある。

 確かに多種に渡る木の実、硬くて人の歯じゃ噛めないものもあれば、苦味や辛味が強過ぎて美味しさを感じ難いものも多い。

 もはや木の実は人々の主食やおやつと認識されにくくなったが、案外今でも実を選べば、普通に美味しく満足いく食物として成立するものも少なくはない。

 実のところ、木の実が持つ強い味を原料に作られるソースやスパイス、あるいは上手く味を染み出させて作るスープだって実存する。

 そもそも昔々の人は、好みの木の実をおやつ感覚で食べていたという逸話もあるし、正しい知識があれば人にとっても、今なお木の実は食用たり得るのだ。

 

「いい具合に甘酸っぱい、ウブの実なんかもあたしは好きなんだけどな~。

 生えてる気が見つかりにくいし、211番道路にウブの木があるのは知ってるけど、流石に取りにはいけないしね。

 ほら、あたし目立つ髪の色してるしさ」

「なんか大変そ……はっ!?

 違う違うっ、それってあなたの自業自得だっ!」

「あははっ、一瞬忘れて同情してくれたのがちょっと嬉しい。

 大変なのよ~、ノラ暮らしも」

「してないっ! わるものめっ……!」

 

 話しているといつの間にかマーズのペースに乗せられて、相手がかつて戦った悪人であることも忘れかけ、普通に喋っているパールである。

 仕舞いには隠遁生活でそれなりに気苦労も背負っているマーズに、大変そうですねとまで言いかけるほど。

 パールはどうも、今話している相手は信用ならない敵だという理屈より、対話においてその時々に抱いた感情に対して素直すぎる。

 その一方、ふっとこいつは敵だと思い出したら、身構えてびくびくするんだからマーズ目線では面白い。顔がころころ変わる年下の女の子だ。

 

 しかし一方で、頭で考えればこの人は悪者だとわかっていても、無邪気に笑って話すマーズの姿だけ見ると、憎むべき人なのかわかりにくくなってくる。

 勿論、理屈を丸投げするわけではないから、心を許しちゃいけない相手だという意識を失うことは絶対にないだろうけど。

 ギンガ団のボディスーツを着ず、どこにでもいる二十歳前のお洒落した女性らしい姿のマーズから、悪人らしき毒気は感じられない。

 朗らかな語り口にせよ、屈託なく笑う表情も、過去のしがらみさえなければ、綺麗で魅力的な大人びた女の人だな、と感じられそうですらある。

 

「ニャムちー、どう?

 パールのハヤシガメさん、お話してみてどう?」

「――――」

「あはは、なんだ、いい子っぽいわね、あなたのハヤシガメも。

 あたしのニャムちーと、喧嘩するでもなく普通に話してくれてたみたいでさ」

 

「ピョコ~……この人達、悪い人だよ?

 絶対私のこと、ちゃんと守ってよ……?」

「――――z!」

 

 パールとマーズが話している間、双方のボディガードめいてその後ろで顔を突き合わせていたピョコとブニャット。

 パール達が話している中でも、後ろでもぐるぐるにゃごにゃご小さな唸り声で会話していた両者だ。

 意外とこの両者、喧嘩腰で話すわけでもなく普通にお喋りしていたようで、マーズに問われたブニャットも、こいついけ好かないという顔を一切見せない。

 ピョコもピョコで、ごろにゃんとマーズに頬を擦り寄せるブニャットに、ちょっと微笑ましい顔をしているぐらいである。

 ポケモン同士の会話、内容は人には理解しようもないが、少なくともピョコとブニャットの間柄はそう悪くなさそうとさえ見える。

 パールに害意を抱くなら絶対に黙っていないピョコであるはずだが、そうでない以上は大人の対応ができるピョコというところなのだろうか。

 

 とはいえ、マーズやブニャットを信用しきれないパールからしてみれば、あの二人に気を許して見えるピョコの姿には不安も覚える。

 しっかりしてよ、私いま怖いんだよ? と懇願するパールの声に、ピョコは表情を切り替えて力強く頷いてくれもする。

 しかし、その上で改めてブニャットの姿を見るピョコの眼が、警戒的でないから、余計にパールにはわからなくなる。

 パールから見ても、敵視すべき相手なのかわからなくなってしまう、マーズとブニャットの仲睦まじい姿なのだ。

 ポケモン好きに悪人はいない、なんて美談を鵜呑みにする彼女ではないが、ブニャットにここまで懐かれるマーズの姿は、彼女の思う悪人像からは程遠い。

 

「……ねぇ、マーズさん」

「あら、なに?」

 

 ここまでしばらく話してきた中、基本的にすべての会話はマーズの発信によるものだった。

 とうとうパールから能動的な声をかけられたことに、マーズは少し嬉しそうな目すら見せる。

 純粋に自分との会話を楽しんでくれているマーズに、厳しく切り込む話題を振ろうとしていたパールが、胸をちくりとさせてしまう。

 人が良過ぎだろうか。いや、これが幼さ。こんな相手ですら、不快にさせちゃうかもと思ったら、ただただ胸を痛めて躊躇うのだから子供は純真だ。

 

「谷間の発電所であんなことして、何が目的だったんですか?

 いっぱい、電気が欲しい感じでしたけど……」

 

 とはいえパールも、問いかけに嘘偽りない答えを無条件に貰えるほど、世の中甘くないとはわかっているぐらいにはお花畑頭でなない。

 それでも尋ねてしまうのは、少し感情的になってしまったがゆえ。

 こんなに明るく魅力的に笑える大人が、あんな悪行に手を染めていたという噛み合わなさが、今のパールには不可解でならないのだ。

 

「…………答えられない部分もあるから、全部は話せないけどさ。

 ただ、私にも夢があるんだ。

 ずっと昔に遠く離れちゃった子に、なんとかもう一度会いたいっていう夢がね」

「あの子?」

「うん、ポケモンなの。

 あなたぐらいの年頃の時、反抗的な自分のポケモンと喧嘩して、その子は私のそばから離れていっちゃってさ。

 あたしも子供だったからねぇ……今は、後悔してる」

 

 遠い目をするマーズは、パールに初めて寂しい、言うなれば極めて人間的な表情を見せた瞬間だった。

 客観的に見ても、作り話を語る表情にしては出来が良過ぎるほどだ。

 そこにはこれまでの人生の中でも、拭いきれない悔いを思い返す大人の姿のみがあり、その迫真にはパールを疑念一つ抱かない。

 

「それが、発電所を襲ったのと関係あるんですか?」

「詳しいことは話せないとこもあるけどね。

 沢山のエネルギーが必要なのよ。それが上手くいけば、あたしはかつて別れたあの子にも会えるかもしれないって言われてる。

 あたしはどうしても、それを果たしたいのよ。

 ……あ、でも、やり方が良くなかったことは認めてるからね?

 やっぱり悪いことしてるのはわかってるからさ」

 

 舌を出して気まずそうに笑うマーズは恐らく、だからって発電所を襲うなんて――と目を細めたパールの表情に、ばつの悪さを感じたのだろう。

 言うまでもなく正論だし、大人の作った理屈的正論でもなく、率直な感情論から鑑みてもの正論だ。

 マーズも自分がやったことの反社会的さは理解しているようで、事情を語りながらも、パールに共感や理解は求めていない。

 尋ねられたから答えただけだ。しかし、嘘もつかない。

 話せないこともあるから、という黙秘の主張は、言うなればそこにおいて虚偽を語ることを選ばなかった証拠でもある。

 

「そのためだったら、ジュピターさんみたいなひどい大人とでも、手を組んじゃう感じですか?」

「……もしかしてあなた、一緒にしないでくれている?」

「わかんないけど、マーズさんはそこまでしなかったし……」

「あはは……優しいわねぇ、あなた」

 

 マーズとほぼ同じ境遇にある、ギンガ団幹部を名乗る指名手配犯を、パールはもう一人知っている。

 自分に向けての火炎放射をスカタンクに命じた、ポケモンの攻撃で人を傷つけることも厭わない極悪人ジュピターだ。

 恐らくマーズも同種の人間、ジュピターとも繋がりがあろうと認識した上で、パールはマーズをジュピターと一緒くたにはしまいと語ってくれている。

 話せば明るいマーズの語り口に、絆されかけている側面もあるのかもしれない。ちょろいと言えばちょろい子だ。

 しかし、マーズにとってはあの徹頭徹尾非情極まりない年上と、一緒にしないよう語ろうとしてくれるパールの言葉は嬉しくもあった。

 

「正直、あいつのことは嫌い。気が合わないわ。

 利害が一致してるから手を組んでるだけよ。

 一応あたしも、あいつほど腐り果ててはないつもりだけどね。ま、世間的には一緒かな」

「腐り果……マーズさん、もしかして本当に嫌い?」

「ええ、だいっきらい。

 言い訳と屁理屈ばっかりの半端者よ。

 あたしああいう奴、一番ダメなの」

 

 思い出すだけでもむかつく、という顔のマーズを前に、パールもびくびくするばかり。

 谷間の発電所で戦った時は、へらへらと余裕顔で勝負をあしらっていたマーズだが、いらいらする心持ちを眼に表すと相当尖っている。

 そのきつい眼差しがパールを突き刺しているわけでもないのに、その横顔だけで、喧嘩上等の喧嘩女王が間近がいるような気がして怖い。

 

「あたしはあなたみたいな子、好きよ?

 全然まだまだ弱いのに、正義感だけで発電所まで突っ込んできたでしょ。

 やっぱり人間、理屈や理性だけじゃ駄目よ。決断する時には自分の気持ちを大事にしないとね」

「ほ、褒められてる気がしないけど……」

「ふふっ、でも今度あたし達の邪魔をしたら、次こそはあたしも本気で迎え撃つわよ?

 ぼっこぼこにしちゃうかも? あなたも、あなたのポケモンも」

 

 恫喝発言だが、いたずらっぽい笑顔を使って言うその口は冗談交じりで、本気のように聞こえないものがあった。

 でも、忠告には違いないだろう。脅される側のパールは、嫌な意味でどきどきする胸の苦しみを押さえ、なんとかマーズを上目遣い気味に睨んで返す。

 上目遣いになっている時点で、相手を怖がり顔を伏せかけている証拠でもある。

 

「…………私、また目の前であんなことがあった時、じっとしてられるかなんてわかんないもん」

「あははっ、そんなこと言ってくるんだったら、念の為にここで葬っちゃうぞ~?」

「ううっ……ピョコ……」

「――――z!」

「ひゃあ、吠えないで吠えないで。

 流石に冗談よ、あたしもそこまではオニにはなれないわ」

 

 笑いながら脅し文句を言ってくるマーズだが、その手のジョークは今のパールにはきつい。

 助けてね絶対、お願い、と請うパールに応え、ピョコもずいっとマーズに鼻を近付けて呻き声。

 マーズが詰められるこの場面でブニャットが動かないのは、ピョコも本気でマーズに危害を加えようとしているわけでないのがわかっているからだろう。

 

 マーズはここでやり合うつもりはないし、ピョコもそれがわかっている。

 パールを怖がらせるのはやめろ、とだけ釘を刺しているだけで、戦意の無いマーズとやり合うつもりはない。

 正直パールをびびらせるマーズのことを、正直いけ好かないと思っているピョコなれど、自分で諍いに火をつけてパールを喧嘩に巻き込むことはしたくない。

 ブニャットもそれがわかるっているから、ピョコがマーズに手を出さないだろうとはわかるし、わざとあくびを見せて荒事ムードなんて醸し出さない。

 パール以外の三人とも、相手方の感情を計算して自分の行動を決められる大人思考の持ち主だらけで、一人あわあわしているパールが子供なのが際立つほどだ。

 

「――――?

 ――――、――――」

 

「あら、誰か来そう?

 そっか、じゃあ私はもう行かなきゃ。

 これでも指名手配犯だしね、誰か来る前に逃げないと」

 

 その拍子、ブニャットが遠方の音に反応するように首を上げ、尻尾でぺちぺちマーズの膝を叩く。

 どうやらこのブニャットは耳がいいらしく、遠くから近付いてくる人の足音にも敏感なようだ。

 こうして人の接近に気付き、未然にマーズが発見されることを防ごうとしてくれるブニャットがいると、マーズも追っ手からの逃亡生活がやりやすかろう。

 パールにとってのピョコと同じく、このブニャットもまた、マーズにとってのベストパートナーと言える存在だ。

 

「よっ、と。それじゃあね、パール。

 話し相手のいない逃亡生活、久しぶりに人とじっくり話せて楽しかったわ。」

 

 すぐに立ち上がり、ブニャットに跨ったマーズは、パールに向けてウインクを打ちながらお茶目に笑った。

 本当、大人の顔なのに子供のように無邪気なその顔からは、指名手配犯になるほどの犯罪者の人相には思えないのだけど。

 別れの言葉を最後に、自身を乗せて駆けだしたブニャットと共に野山へと去り、消えていくマーズの姿をパールは呆然と見送るのみである。

 

「…………」

「――――?」

「あ……う、うん、ピョコ、大丈夫だよ……

 よく、わからない人だったね……」

 

 心配するようにパールのお尻を鼻先でつんつんするピョコに、パールは疲れ気味の笑顔を返した。

 やっぱり緊張する。相手も自分で認めているほどの、悪の組織の構成員。

 幼い頃にテレビでよく見た変身するヒロインでも何でもない自分が、あんな悪者と間近で話していた数秒前を思い出すと、それもそれでぞわっとする。

 一方で、過去の経緯さえなければ悪人には見えない顔だったし、ゆえにこそむしろ得体が知れず、かえって不気味。

 パールのマーズに対する感情は極めて複雑だ。好意的にはなれない上で複雑な想いとは、自分の中で整理がつかないという点で最も気持ちが悪い。

 

 湖面を眺めてのんびりしていられる気分でもなくなってしまったパールは、そのままピョコと一緒にリッシ湖ほとりのホテル方面へ戻る足を進めていた。

 どのみちそろそろ陽が沈み始めている。暗くなったら、ズバットが出没し始めるかもしれない。

 景観と湖の空気を楽しむはずだった時間を、マーズとの対話に費やし、こんなもやもやする気持ちで帰ることになるなんて無念としか。

 現にパールはさっきの怖さを引きずっているのか、ピョコをボールに戻さずに、一緒に歩いていく行き取りである。

 そばに誰かいてくれないと、一人で帰るのも落ち着かないのだ。怖い人からようやく逃げた後というのは、恐怖心を引きずりがちというもの。

 

 ホテル付近に戻ってきた時、丁度プラチナからの着信が入り、ちょうど良さそうなホテルを予約できたよと連絡を貰えた。

 パールはどうやら、さっきのことはプラッチには黙っておこうと決めたらしく、着信に出る前に一呼吸挟んで、いつもどおりの元気な声でプラチナに応じた。

 一人でちょっと遠くに行った結果、ギンガ団幹部に遭遇したなんて言ったら、軽率な所まで行くからだよ、とでも怒られそうな気がしたらしい。

 今日に限り、朝っぱらからゲームコーナー絡みの問題で辛辣に叱られているパールなので、今日はもう万一にも怒られるネタを作りたくないようだ。

 まあ、それでいい。そんな話をしたら、別の意味でプラチナを驚愕させる。

 パールがそんな奴に独りで遭遇し、運が悪ければよもや、という話を聞いたら、どうして僕がそばにいてあげなかったんだろう、とプラチナは悔いるだろう。

 そんなわけで、マーズと鉢合わせてしまったことをプラチナに隠し通したパールの判断は、結果的に誰も不幸にならない正解だったといえる。たまたまだが。



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第43話   今日もプラッチといっしょ

 

 

「ん~っ、楽しかった!

 また来たいね」

「……うん」

 

 癖になりそうなふかふかのベッドに、朝はカーテンの隙間から差し込む光に目を起こして貰える最高の目覚め。

 リッシ湖のほとりのホテルで目を覚ましたパールは、旅に出て以来最高に気持ちがいい寝覚めだった。

 ポケモンセンターのお泊り部屋も快適だが、やはりきちんとお金を払って泊まるお宿の心地良さは、それを大きく上回るものだ。

 これでもプラチナは高くないホテルを選んでくれた方である。その中でも、特に良いものをきちんと選んでくれたようだが。

 寝る前のナタネとの電話でも、プラッチがすっごくいいホテルを見付けてくれて、と彼を褒めちぎるパールの姿があったものだ。

 

 今朝に限っては、今後も日課になっていきそうなスモモとのお電話を楽しんだパールも、プラチナを待たせてはいけないと思って長電話しなかった。

 気持ちのいい朝を、今の一番の友達プラチナにおはようを言う最高の始まりで迎えたパールは、彼と一緒にリッシ湖に赴いて。

 まだ観光客が集まっていない、朝の静かな湖畔は、二人きりでのどかに過ごすには最適だ。

 同じことを考えた観光客もいたようだが、お年寄りの夫婦が二組ほどいた程度。

 そんな人達を見かけたら、いい天気ですね、空気がおいしいですよね、とご挨拶もするパールだが、基本的に談笑の時間も短めである。

 ご挨拶こそするものの、相手の時間を邪魔するのは控えめに、同時にプラッチと一緒のこの時間をあまり使い過ぎず。

 とりわけああした優しそうな老夫婦とのお喋りは好きなはずのパールだ。

 プラチナとの時間を大事にしたがっているのは、なんとなくだがプラチナにも感じ取れて嬉しかった。

 

 朝方の湖畔は涼しく、ともすれば少し肌寒くもあったが、仲良しの友達とお喋りしながら歩く楽しい時間の中では些細なことである。

 むしろ、少しぶるっと肌を震わせたパールに、寒くない? とプラチナが気遣ってくれた時に、パールは内心で喜んでいたぐらいだ。

 彼が優しいのは以前からだが、自分だけであんな素敵な宿を見付けてくれて、自分に自由な時間を作ってくれたのが昨日の今日。

 改めてそうだと意識して触れると、常に一緒にいる人の優しさはいっそうのこと温かい。肌寒さなんて本当に忘れてしまえるぐらいに。

 今日はなんだかいつも以上にパールの機嫌が良さそうだな、と感じたプラチナだったが、流石にその本当の理由までは察せるものではなかった。

 

 人が少々は増える昼以降にくらべ、いっそう静かな湖畔歩きは、湖周りの歩き方を知っているパールのリードもあって、二人にとってとても楽しい時間だった。

 どういう場所から湖面を眺めれば一番綺麗な水鏡を見られるか、どうやらパールは無意識にわかっている。シンジ湖に親しみ育ってきた強みだろう。

 元より観光名所と名高いリッシ湖を、最も絶景たる場所から一望できたのは、プラチナにとっても素敵な経験だっただろう。

 綺麗な湖の煌めく姿に、静かに目を輝かせてプラチナの横顔もまた、パールにとっては湖の美しさにも劣らない絶景だ。

 佇む朝の湖の前、はしゃぐことはなくも胸を躍らせる二人、パールも思わず気持ちに任せて、プラチナの手を引いて次はあっちだよと案内した。

 楽しさのあまり距離の近い行動に出たパールの無意識さと、そうした些細な行動にどきっとするプラチナで、抱いた感情はまた別物ではあったけど。

 きっと後から思い出せば、パールも私あんなことしてたんだなぁと、頬さえ赤らめてしまいそうな金色の思い出ともなろう。

 

 二人で湖畔を楽しんだら、レストランで遅めの朝食とも早めの昼食とも取れる時間を過ごし、昼過ぎにリッシ湖のほとりを出発である。

 213番道路を通り、ノモセシティを目指す旅の再開だ。

 トバリからノモセへの旅はもう半分。とはいえ213番道路は、214番道路ほど長くない。空が赤くなる前にはノモセシティに着くだろう。

 

「プラッチ、疲れちゃった?

 引っ張り回し過ぎちゃったかな」

「いや、そんなことないよ。

 楽しかったなぁ、って思い返してただけ」

「ふふ、そう? よかった♪」

 

 楽しかったね、というパールの言葉に対するプラチナの返事が少し小さくて、パールもちょっと不安になったが杞憂である。

 湖畔でもどきどきしたし、レストランで二人でご飯を食べている時もデートみたいで、内心そわそわしていたプラチナだけど。

 過ぎてしまえば忘れられない、忘れたくない素敵な思い出だ。

 胸のざわめきはおとなしくなったが、代わりに今あるのは、一日中たくさん遊んだ後のような充足感に近いもの。

 それでいて今日はまだ終わっておらず、まだまだパールと一緒に歩く時間が続くんだから、寂しさめいたものさえないぶん例えにも勝る。

 疲れているけど気を遣って大丈夫、と言っているわけじゃないと一目でわかるプラチナの笑顔には、パールも幸せな気分にさせれ貰えるのだった。

 

 緑溢れるリッシ湖のほとりを離れ、213番道路を進んでいけば、次第に足元の草も短くなっていく。

 植物は、塩分の沁み込んだ土壌ではすくすくとは育てない。極論、高濃度の塩水を撒かれると大抵の草は枯れる。

 進むにつれて、植物の背丈が小さくなっていく光景は、この先にあるものを推察させるには充分な要素でもあったりする。

 

「わっ! 浜だっ!」

「海なんて久しぶりに来るなぁ」

 

 やがて二人は、213番道路の最たる特徴であるエリアに到着だ。

 広がる砂浜、そして入ったばかりのここからは見えないが、その先に広がっているのはシンオウ南の大海。

 特にフタバタウン育ちのパールは、幼い頃からあまり海に触れ合う機会が無く、旅の中で自分の足で踏みしめる砂浜の感触にうきうき。

 フタバタウンの隣町であるマサゴタウンの南部にも海はあり、ごくごく稀にお母さんに連れていっては貰えたのだが、頻度は高くなかったようだ。

 パールは昔、シンジ湖で溺れた経験から水を怖がりがちで、お母さんも積極的に子供を海へ連れて行くことをしなかったのだろう。

 今はもう泳げし、水に対する恐怖心も無いパールだが。服を着たままシンジ湖に飛び込み、プラチナのボールを拾い上げて笑っていた姿がその証拠。

 

「えへへ、遠くまで来たって感じがするね~。

 ――あっ、カラナクシだ! でも青い! 色違い!?」

「東の海のカラナクシは、西の海のカラナクシとは違って青いんだよ。

 珍しい色違いのポケモン、っていうわけじゃないと思うよ」

「へ~、そうなんだ?

 ピンクのニルルに見慣れてるからびっくりするよ」

「環境の違いでそうなるんだろうね。

 ちなみに、西の海とも東の海とも違う、色違いのカラナクシはまだ発見すらされてないよ。

 もし見付けちゃったら大発見かもしれないね」

 

 浜を這い歩いている青いカラナクシもまた、パールをわくわくさせてくれる光景の一つだ。

 毎日ニルルを見ているパールなので、東の海のカラナクシは色だけじゃなく、背中の形が少し違うのも一目瞭然。

 生態からして違うのは、プラチナの解説を聞けばいっそうよくわかる。

 一方、学者志望のプラチナ、解説も一言二言ばかり多め。ついつい喋り過ぎちゃうのは学者の卵の性みたいなものか。

 

 未踏だった地を歩く経験に胸躍らせる足をいつものように進めながら、パールとプラチナは213番道路を歩いていく。

 ここでもノモセの出であるポケモントレーナーの皆さんと出会い、バトルを挑まれ、あるいは自分から挑み、精力的にバトルするパールである。

 ポケモンバトルはどこでも出来る。相手だってどこにでもいる。

 ポケモントレーナーにとっての長旅というのは本当に、色んな相手と勝負して経験を積んでいくには最適の足運びである。

 

 ここでは水ポケモンの使い手のトレーナーが多く、それに有利なタイプのピョコやパッチの活躍が目覚ましくもあったが、少々変わった一幕も。

 浜に着地したピョコが妙にそわそわして、足元を気にしていた姿はパールも気になったものだ。

 プラチナの解説によると、潮風の沁み込んだ砂浜は、ピョコにとっては気になる足元なのでは、という説。なるほど、植物は塩分が苦手だから。

 岩場もコンクリート上も平然と裸足で歩くピョコだが、塩の沁み込んだ砂浜は裸足で歩くとむず痒いのだとすれば、人間目線では面白い。

 ポケモンの生態は、まだまだ人間目線ではわからないことだらけだ。

 

「――あれ?

 なんか人が集まってるね」

「こういうとこに人が集まってるのって不思議な眺めだね。

 何かやってるのかな?」

 

 そうして浜を進んでいくパール達だが、いよいよ海も見えてきたというところで、何かを中心に群がった人々の姿を発見。

 浜辺に人が散開しているのではなく、見世物に集まるかのように明らかに固まっている。

 興味はすぐに沸く。何かやってそう。

 

「行ってみようよ、プラッチ」

「えっ……あっ……」

 

 パールはプラチナの手を握り、見に行こうと誘う。

 これも思わずの行動だろうか。いや、今回はパールも多少何かを意識している。

 繋いだ手を少し上げ、目を合わせるお互いの視界に入るようにして、少し気恥ずかしげに笑う姿は、高いテンションに任せて手を取った子供の姿じゃない。

 二人で一緒に、それを強調するパールの挙動と表情が、今朝から続く二人の楽しい一日の続きを望み、良い返事をプラチナに求めている。

 

「…………うん、行こうか」

「えへへへ……♪

 よしっ、行こう!」

 

 照れ隠しのように大きな声を出し、プラチナから顔を逸らして前を向いたパールはやや早歩き気味。

 手を引かれるプラチナは、二歩目三歩目を速い進みに引っ張られる形で足を急がせたが、すぐに足並みの合う速さに合わせてついていく。

 わざわざ誰にも見られていないそこで、繋がれた二人の手は、体温以上のぬくもりを感じ合っていた。

 お互いの顔が見えない中、空に輝く太陽のように上機嫌な笑顔のパールと、むずむず口の端が上がりそうでそれを堪えるので必死だったプラチナ。

 

 ずっと一緒に旅をしてくれば、出会った時と同じままではいられないのだ。

 初めて知り合った時よりもずっと、お互いのことを好きになってきている二人はもう、特別な友達同士と言っても過言無い間柄と言えるものだった。

 

 

 

 

 

「何かやってるんですか?」

「お、いい所に来たんだな。

 そろそろ始まるぞ」

「わ、何が始まるんです?」

「マキシマム仮面のヒーローショーだよ!

 たのしいよ!」

 

 海際近くの中範囲に向けて弧を描くように集まった人波の最後方まで来たパールは、子供連れのお父さんに尋ねてみる。

 お父さんが答えてくれて、重ねて尋ねれば子供の方が元気な声で教えてくれた。

 これから始まるものが楽しみで、気分が高揚しているのが声からもわかる。

 知らずにたまたま居合わせた身分ながら、これは面白そうなものを見れるのかもしれない。

 そんなパールの横顔も、うきうきしているのがプラチナ目線でわかりやすい。顔に出過ぎ。

 

「あっ、始まるよ! 海の方を見て!」

「うんうん、何が始まるの!?」

「マキシマム仮面が来るよ~!」

 

 6歳ぐらいの男の子とパールのテンションが一緒。

 流石にこれは、男の子の方に合わせてパールも、敢えて気分の乗った声を返しているのかもしれない。

 わからないが。何しろパールだけに。たまに凄く子供っぽくなるから。

 

 海の方を見れば、海面にばしゃばしゃと大きな水飛沫をあげて、こちらへ泳いでくる影がある。

 体格の良さそうな男性が、バタフライで豪快に水を上げているのだ。恐らく、集まってくれた人々に自分の接近がわかるように、敢えて水を上げている。

 やがて海水から陸に上がったその男性は、濡れた浜に立ち一足、二足と力強く濡れた砂を踏み、その力強さをアピールする。

 

「ウガアァーーーーー!! マキシマム仮面が来たぞー!

 子供を攫って、意地悪しちまうぞー!!」

 

「わっ、強そう! 悪者なのかな!?」

「すっごいムキムキだね」

 

 マキシマム仮面を名乗る男性は、上半身裸でマッスルポーズを取り、ただでさえ太い腕と厚い胸板をばちっと張ってみせる。

 見ただけで強そうだ。あの太い腕でぐいぐっと首を絞められたら、きっと抜け出せずにきゅ~である。

 とはいえ目元と口の出たマスク、その表情はよくわかるものであり、ぎらっと集まった人を睨みつける眼をしていながら、どこか楽しそうで憎めない。

 本当に悪い人なんじゃなくて、"悪役"ってだけなんだな、とはプラチナにもすぐわかった。

 

「ガハハハハ、さぁ~、どの子を捕まえるかな!?

 おぅら逃げろ逃げろ~! 捕まえて意地悪しちまうぞ~!

 転んだりしたら、真っ先に捕まえに行っちまうからな~!」

 

 親御さんと一緒に来た男の子も女の子も、お父さんお母さんのそばを離れて、わあきゃあ悲鳴をあげて浜辺を逃げ回り始めた。

 がお~という手つきをして、子供達を走って追い回すマキシマム仮面だが、もちろん子供でも逃げ切れるよう全力でなど走っていない。

 せっかく楽しみに来たのに転んで怪我して悪い思い出に、なんてことにならないよう、その念押しも抜かりなし。

 逃げ回る子供達は悲鳴をあげながらも笑っており、客が演者の盛り上げを理解して楽しむ、非常に愉快なイベントの様相が完成されている。

 

「――おおっ!?

 逃げない勇敢な子供がいるな!?」

「あわっ!?

 わ、私達ですかっ!?」

「おっと、これはピンチだっ……!」

 

 どうやら他の子供達はこのノリを最初からわかっている中、それを知らないパールとプラチナは棒立ちで展開を眺めていた。

 マキシマム仮面がどすどすと駆け寄ってきて、二人の前でぐはははっと笑う。

 思わぬ形でショーに深く関わる身分になりそう。パールもどきどき。

 一方プラチナは、パールの前に立って盾になるようにして、この子に手を出すなよと手を広げてみたりする。

 案外ノリノリではないか。頭の回転が早いだけに適応力良好だ。

 

「ガハハハ!

 なるほど、友達を守ってみせるってか! 男らしいな!」

「くっ、来るなら来ーいっ!」

「ぷ、プラッチ頑張れっ! 勝てる気がしないけど!」

「失礼なっ! でも僕もそう思う!」

 

「だが、勇気だけでは勝てない相手が、マキシマム仮面という相手なのだ!

 道を開けろ~い!」

「あ~れ~!」

「ああっ、負けた!

 プラッチもうちょっと頑張ろうよ!?」

 

 プラッチのアドリブをマキシマム仮面も楽しんでくれたようだが、その手でプラチナに触れると、ぐいっと横に押しのける。

 力強いが、タッチしてから緩慢に優しく力を入れる、転ばない押しのけ方。

 逆らっても耐えられそうにない力で、しかし転びもせずにプラチナはよろけた。

 さあパールを守る者は誰もいなくなった。ピンチ。

 

「見ない顔だな!

 よーし、今日のターゲットはお前さんだ! 意地悪しちまうぜ~!」

「ひゃあっ!?

 たっ、たすけてだれか~!?」

「ぱ、パール~~~!」

 

 のっしのっしとパールに近付いたマキシマム仮面は、あっさり軽々とパールをお姫様抱っこして、海際の浜の方へと攫っていった。

 人の手でこんな簡単にひょいっと担がれることなんて初めてのパール、未経験の浮遊感にびっくりして、悪ノリして発する声も裏返り気味。

 連れ去られていくパールに手を伸ばし、無力な登場人物Aを演じて遊ぶプラチナが、ショーに結構いい味を出している。

 波打ち際まで辿り着いたマキシマム仮面は、パールを砂の上に優しく降ろし、まあ心配するなとにかっと笑ってみせてくれる。

 降ろし方も丁寧だったし、攫われ身分のパールも危ない目に遭わせられるわけではないと充分信頼できる、でかくて優しい大人の姿。

 

「さぁ~て、どうしてやろうか……

 海に沈めてやるか、砂浜に埋めてやるか……」

「あわわわ……」

「よーし、決めたぞ! お前さんに一日中、泳ぎの稽古をつけてやる!

 背泳ぎをマスターするまでは絶対に逃がしてやらんからな!」

 

 悪役らしいひどい行為を案に先に挙げておきながら、決まった意地悪はそれ果たして悪行? と思えるような内容。

 拍子抜けしてパールはちょっと笑ってしまった。

 というかむしろ、背泳ぎマスターするまで指導して貰えるならやって貰いたいぐらいである。パールはバタ足と犬かきしか出来ないので。

 いやいや、悪行なんだろう。これはマスター出来ない限り、泣いても喚いても逃がして貰えない地獄の特訓を子供に強いる悪行。そう解釈しましょう。

 

「やっ、やだ~!

 だれか、たすけてぇ~!」

「ガハハハハ! 諦めろ、もう助からんぞ!

 俺様にとっての強敵は海の神ぐらいのもんだ!

 それがこんな所までわざわざ来るわけ……むっ!?」

 

 ここで助けて~と叫ぶんだぞ、と教えなくても勝手にアドリブで悲鳴をあげてくれるパールなので、マキシマム仮面も楽しくなってくる。

 次の展開を示唆する言葉を並べるマキシマム仮面だが、それに続いて海の方へと振り返る。

 ここまでは、マキシマム仮面のショーの様式美である。子供を攫って、さあ本格的なショーのスタート。

 ここからの展開は、マキシマム仮面のショーを何度も見た地元の人も、これから初めて見るものだ。

 

 マキシマム仮面が沖の方から泳いできた時とは、段違いの水しぶきを上げて浜へと向かって泳いでくる何かがある。

 それは水深が浅くなったところで海面から頭を出し、そのまま大きな体を空に浮かせてマキシマム仮面を睨みつけた。

 大迫力のギャラドスが、浜の上に身を浮かせ、少し離れた場所から眺める観客の目にも抜群の存在感を示している。

 

「ひゃああああっ!?」

 

「ちっ、こんな所まで来やがったか、海の神!

 俺様が悪事をはたらくたび、いつも表れて邪魔しやがって!

 海と浜辺の平和を守る正義の化身だか知らないが、今日という今日は返り討ちだ!」

 

 見事な説明口調。

 つまり、マキシマム仮面が悪役で、あのギャラドスがそれを成敗するヒーロー役。それが今回のショーの趣向のようだ。

 

 しかし、ヒーロー役にギャラドスとは、あの少し怖い顔がマッチしていないような。

 現にパールでさえ、突然姿を見せた大きくて大迫力のギャラドスの姿に、演技じゃない叫び声を上げてしまっている。

 観客側の子供達とて、今日のヒーロー役には少し戸惑い顔。

 子供目線でのギャラドスは、強そうで格好いいのは確かだけど、この役柄らしくは感じられていなさそうだ。

 男の子達でもそんな顔なので、女の子に至ってはちょっと怖がっているふしもある。

 

「出てこい! ブイゼル三兄弟!

 偉そうな海の神を叩きのめしてやるぞ!」

 

 さて、マキシマム仮面は三つのボールを高い場所まで放り投げて、ブイゼルを3匹も喚び出した。

 1匹の相手に対し3匹がかりとは、バトルだったら目に見えて反則だが、今回はショーなのでお構いなし。

 というか、子供達にもそれが卑怯なのはわかるようで、ずるいぞー! なんて叫ぶ男の子がいるぐらいである。これも悪役らしい所業の一つということか。

 

 マキシマム仮面は自ら、わざわざ攫ったパールから離れ、誰もいない砂浜の中心に位置を移す。

 ギャラドスがそちらに向き直った頃には、ブイゼル三兄弟がギャラドスを囲むようにして陣形を作っている。

 マキシマム仮面&ブイゼル、VSギャラドスの構図が完成だ。

 そのバトルに客を巻き込まないよう、きちんとそばには誰もいない場所を作るのだから、安全性も配慮したショーということである。

 

「行くぞ! 海の神!

 お前を追い返して、攫った女の子も、ここに集まった子供達も俺様のものだ!」

「――――z!」

 

 許さん、とばかりに吠えたギャラドスだが、迫力があり過ぎて子供達の多くはびくびく。

 一部の男の子達は、かっこいいとばかりに興奮しているが、割とそれって少数派。

 子供達の反応を見ながら、プラチナはこのショー上手く纏まるのかな? なんて考えたりもしちゃう。

 

 取り残された位置でぽつんと立つパールは、さて自分はどうしたらいいのかな? なんてことぐらいしか考えていなかった。

 プラッチのそばにしれっと戻ろうか、いやいやもしかしたらまだ何かあるかも、そんなこと考えるぐらいには、演者の立場に入り込んでいるようだ。

 なんだかんだで一番楽しんでいるのはパールなのかもしれない。



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第44話   マキシマム仮面

「いけブイゼルども! みずでっぽうだ!」

 

 ギャラドスを取り囲んだブイゼル達による、水鉄砲の一斉射撃。

 小柄なブイゼル達だが、開いた口から発射する水鉄砲は、離れた場所から見ても迫力があるほどの水量と圧がある。

 頬に、側頭部に、体に強い水鉄砲を受けたギャラドスも怯みかけるが、ぎらっと目を光らせて方々のブイゼル達を睨み返す。

 さらに長い体を振るうと、尾の大きな一振りでブイゼル達を纏めて振り払ってしまうのだ。こちらの方が大迫力の攻撃だ。

 べちべちべちっと尾びれで叩き飛ばされたブイゼル達は、ころんころんと浜辺を転がり、一匹に至っては海の仲間で転がっていく。

 

「ちいっ! やはりブイゼルどもじゃ相手にならんか!

 ならば俺様が相手だ! かかってこい!」

「――――z!」

 

「え、マジで?」

「うそでしょ?」

 

 戦う構えを見せたマキシマム仮面に、唸り声ひとつ上げてギャラドスが突っ込んでいく。

 いやいや、まさか避けるでしょと思っていたパールとプラチナだったが、なんとマキシマム仮面は両手を突き出し、ギャラドスの顔面体当たりを受け止めた。

 もちろんギャラドスも手加減しているはずなのだが。

 とはいえ両者の激突の瞬間は、マキシマム仮面の突き出した両掌と額がギャラドスの額にぶつかり、ばづんと大きく響く鈍い音が鳴ったものだ。

 生半可な衝突じゃない。これがマキシマム仮面の一番の見せ場、ポケモンの攻撃を受け止めるという肉体パフォーマンス。

 恐らく見慣れているのであろう、常連観客からは大人からも子供からも歓声が上がるが、初見のパールとプラチナにしてみれば驚愕ものであろう。

 

「ぬぐぐぐぐ……海の神めぇ……!」

「――――z!」

「どわあっ!?」

 

 額を押し付け合った状態から、ぐいっと力をもう一押ししたギャラドスにより、マキシマム仮面は大袈裟に吹っ飛ばされる。

 恐らく自分で後方に跳んでいるのだろう。豪快なやられっぷり。

 ごろんごろんと情けなく後転して砂浜に倒れ、砂まみれの体で一度立ち上がる。

 

「ひええええ、すまねえ、悪かった!

 やっぱりお前には敵わねぇや! 今日はもう勘弁だ!」

 

 おや一転、マキシマム仮面ときたら跪いて両手を合わせてすりすり。

 大きな声で情けなく命乞い。大の大人がなんてみっともない。

 ギャラドスも訝しげな顔を作りつつ、ずいずいっと身を前に進めてマキシマム仮面を睨みつける。

 

「もう俺は心を入れ替えた! 二度と悪さはしねぇからよ!

 今日のところはもう許してくれ! なっ、なっ?」

 

「うそだー!」

「だまされるなー! マキシマム仮面はうそつきだぞー!」

 

 常連客の子供達から、たいそう容赦ない野次が飛んでいる。大人達もくすくす。

 何かしら"いつもの展開"なのだろう。初見のパールとプラチナに対しては、半分近くネタバレ著しい。

 しかしギャラドスさん、そういう子供達の声は聞こえないふりをして、怪しむような顔こそしつつマキシマム仮面ににじり寄る。とても不用意。

 

「……な~んて、な♪」

 

「!?」

 

 急にぺろっと舌を出して笑うマキシマム仮面。

 それを合図とするかのように、ギャラドス後方の砂の下から一匹のフローゼルが現れ、その両腕でギャラドスの尾を抱き込む。

 そのままなんとギャラドスの巨体を、一本背負いの要領で砂浜の上に投げつけてしまう。

 これには効いたといわんばかりに、ギャラドスも砂浜の上に寝そべってげほっと咳を吐く。

 

「ガハハハ、よくやったぞフローゼル!

 流石は俺様の切り札、マキシマム軍団の幹部筆頭だな!」

 

「ひきょうだぞ~! マキシマム仮面~!」

「せいせいどうどうとたたかえ~!」

 

「あぁ~ん? 勝てばいいのよ勝てば!

 お子様は黙ってろ~い!」

 

 子供達は非常に純真だ。わかっている子もわかっていない幼い子も、マキシマム仮面の卑怯な戦法に全力のブーイング。

 対するマキシマム仮面は、そんな子供達に向けてべろべろば~。大人げない。

 徹頭徹尾、悪役だ。パール達から見れば愛嬌のあるおっちゃんにしか見えなくてしょうがないのだが。

 

「さあフローゼル! 痛めつけてやれ!」

「――――z!」

 

 フローゼルが吠え、配下のブイゼルにしっかりしろと命じるようにすれば、背中を丸めておとなしく待っていたブイゼル達も活気を取り戻す。

 顔を上げて立て直そうとしていたギャラドスの頭の上に、フローゼルが飛びついて踏みつけ、再び顎から浜に落とされるギャラドス。

 ブイゼル達も三匹で群がってきて、水圧の強い水鉄砲をギャラドスの顔に放ったり、浜に横たわった体に体当たりしたりする。

 

「わわ、これは結構えげつないな。

 多分パフォーマンスなんだろうけど、迫真のいじめっぷり……」

 

「ちょ、ちょっとやり過ぎなんじゃないの……

 ギャラドスさん、すごく痛そうだよ……?」

 

「あ、ダマされてる。

 本気でダマされてるな、あれは……」

 

 ダマすと言うと人聞きが悪いが、フローゼルとブイゼル達に袋叩きにされるギャラドスがリアクション上手なのだ。

 体当たりされたボディを逃げるようにくねらせ、水鉄砲を浴びせられたら苦しそうな声をあげ、再び頭を跳んで踏みつけられて黙る。

 なんとか立ち上がろうとする、というか体勢を整えようとするが、執拗に全身を打ち据えるフローゼルとブイゼル達に阻まれていたぶられるだけ。

 いくら巨体のギャラドスとはいえ、これはちょっと可哀想な光景である。

 これが恐らく筋書き通りと理解しつつも、なかなか見ていて気分の良くないリンチを演出するんだなと、プラチナだって思うほど。

 

「がっ、頑張れ~! ギャラドス~!」

 

「お、おぉ?」

「入り込んでるなぁ……」

 

 あまりにあまりなので、パールときたら大きな声でギャラドスを大声で応援する声。しかもまあまあ切実。

 絶対パフォーマンスの一環だと、プラチナぐらいの年頃の男の子にもわかるのだが、パールはわかっているんだかわかっていないんだか。

 ともかくだが、あんな風にギャラドスがやられっぱなしの光景に耐えかねての声援には違いない。声はとりあえず本気である。

 

「負けちゃ駄目だよ~! 海の神様なんでしょう!?」

 

「がんばれ~、ギャラドス~!」

「マキシマム仮面なんかにまけるな~!」

 

「ま、マジか? マジなのか?

 純真な子だな……」

 

 演技とは思えない、いや恐らく演技でもないパールの声に触発されて、観客側の男の子女の子からギャラドスを応援する声が続いてしまった。

 これにはショーの演者、兼プロデューサーのマキシマム仮面の方が戸惑うぐらいである。

 本来ならば、もっとギャラドスをいたぶる展開を続けて、さぁとどめだという場面で、この展開に持っていくつもりだったのだが。

 そこまでやれば、怖い顔のギャラドスにさえ子供達が声援を贈ってくれるはずだという構成だったのに、思ったよりも子供達の反応が早過ぎる。

 

「こわいかおだけど、まけるな~!

 うみのかみさま~!」

「ひきょうなマキシマム仮面をたおせ~!

 まけるなぁ~!」

 

 根本的な話、子供って、単純という言葉で揶揄しては無粋なほど純真だ。

 ヒーローショーで、追い詰められたヒーローに、細かいこと一切無しの本気の声援を贈る子供達の姿を思い浮かべればわかりやすいだろう。

 どんなに子供目線で怖い顔のギャラドスでも、あんな風に悪者にいじめられる姿を見ていると、頑張れって応援してくれる。

 手玉に取りやすい客なのだろうか。いや、間違った現実にそんなの駄目だと本気で訴えるその声は、斜に構えた大人の屁理屈など通用しない迫真がある。

 実のところ、いじめられる怖い顔のギャラドスに、こうして声援を贈ってくれる子供達の姿こそ、マキシマム仮面こそ胸が熱くなるぐらいだ。

 

 予定どおり、あとしばらくはフローゼル達にギャラドスをいたぶらせる展開を続けさせるか。

 いや、こんなに観客が熱くなってくれている空気の中、早くみんなが喜んでくれる空気に持っていかなければ。

 その辺りはマキシマム仮面も敏感である。ひっそり、客に隠した腰元の拳を軽く震わせ、ギャラドスに逆転の流れに移れと指示している。

 この時、観客側の子供達の盛り上がりを見て、このままいじめ続けていいの? と思って少し攻め手が弱まっているフローゼルやブイゼル達も。

 どうしましょうご主人、とばかりにマキシマム仮面の方を(それも客にはわからない角度で)見て、どうすべきか指示を待っているギャラドス。

 結構みんなわかっている。ポケモン達とてショーマンのご様子。

 

「――――z!」

「うおっ!? フローゼル!?」

 

 子供達の声援を受けて奮起したギャラドスが、頭を振り上げフローゼルを吹き飛ばし、体を振り回してブイゼル達を振り払う。

 最初に突き飛ばされたマキシマム仮面と同じく、やられ役だとわかっているブイゼル達はこんころりんと弱そうに吹っ飛ばされていく。

 立ち上がりはするものの、海の神の怒りに恐れをなしたように、ひええと背を向けて逃げていくのみ。弱い末端戦闘員の姿を絵に描いたように。

 一方でフローゼルは、吹っ飛ばされながらもしゅたっと宙返りして着地。流石は悪の組織の幹部的というか、そう簡単にはやられてくれない。

 

「はっ、やるじゃねえか!

 だが俺のフローゼルにそんな傷付いた体で敵うつもりでいるのかよ!?」

「――――z!」

「よぉーし、やってやるよ!

 フローゼル! ブチのめしてやれ!」

 

 悪役言葉遣いのマキシマム仮面だが、それは要するに自分のギャラドスとフローゼルに、決戦ファイトを演じてやれという宣言。

 となれば、ギャラドスもフローゼルも終盤の熱戦を演じろという指示と受け、あとはがつがつやり合うだけ。

 わかってるな? おぅ行くぞ? という眼差しを交わし合ったギャラドスとフローゼルが、前倒しながら最終的な勝敗だけ決めた戦いを始めていくのみ。

 

 始まってしまえば、両者の戦いときたら派手なもの派手なもの。

 フローゼルの、ブイゼル達とは桁が違う迫力のみずでっぽう。ギャラドスもそれを躱し、同様にみずでっぽうを返したりして。

 どちらも強く育てられているから、たかがみずでっぽうでも迫力がある。子供目線では、あれハイドロポンプなんじゃないのって思うぐらい。

 なかなか決定打を与えられない両者同士、"アクアジェット"と"アクアテール"のぶつけ合いの肉弾戦になっていったりもして。

 お互い適度に躱しつつ……ではなく、殆どの技をがっつり受け合いながらの攻防戦だ。

 痛いはず。でも根性で踏ん張っている。ひらひら避け合い、ばちばち技をぶつけ合う攻防を避けてでは、子供達にはつまらないだろうという信念あってのこと。

 我慢してでもぶつかり合う自分達のファイトが、客を熱くさせるものだと信じられるからこそ、痛みに耐えるギャラドスとフローゼルのプロ意識が成り立つ。

 

「ぬうう、"アクアテール"か……!

 なにっ!? "りゅうのいかり"だと!?」

 

「がんばれ~! ギャラドス~!」

「まけるな~! マキシマム仮面をやっつけろ~!」

 

 演者側ながら観客にもわかるよう、ギャラドスがやっている技を中心に解説発言を発するマキシマム仮面。

 押しも押されぬ攻防をやれば、子供達も熱くなってくれる。一生懸命、ギャラドスに勝て勝てと応援してくれる。演者冥利に尽きるというものだ。

 脚本を作っているのは自分達だが、やはりああして心から熱くなってくれる子供達がいてこそ、やり甲斐があると感じられる瞬間である。

 

「頑張れギャラドスさん~!

 負けちゃ駄目だよ、みんな応援してるんだよ~!」

 

「パールぅ……」

「なんかすげぇなあの子……」

 

 7歳以下の子供達と同じぐらい、熱くなっちゃってギャラドスに声援を贈っている女の子の存在が、マキシマム仮面やプラチナ目線では浮きまくり。

 結果的に攫われたヒロイン役なので、あの立場からギャラドスを応援してくれるのは、シナリオ的にもマキシマム仮面にとってはありがたいのだが。

 どうあれ彼女の切実な声をきっかけに、客は盛り上がってくれるので。

 

 しかしそれにしても、パールに目を奪われずギャラドスとフローゼルの激戦に目を向ければ、プラチナから見ても唸らされる衝突である。

 素早いフローゼルのいっそうの速度を乗せた"アクアジェット"は、巨躯のギャラドスのボディに小柄をぶつけても苦しめるほど。

 尻尾を振り抜くギャラドスのアクアテールや、頭を伸ばしての噛みつく攻撃をフローゼルは躱すが、続くギャラドスの水鉄砲は約束通り受ける。

 徹頭徹尾フローゼルの技を受けるのはギャラドスの側で、フローゼルはその素早さを活かしてある程度攻撃を躱しつつ、きちんと最後は攻撃を受ける。

 恐らくそのように決まり事あってのものだろうとはプラチナにもわかるが、見方を変えるとどちらも非常にタフで打たれ強い。

 水ポケモン同士、お互い効果いまひとつの技を受けている事情はあるとはいえ、元々フローゼルもギャラドスも攻撃力自慢のポケモンであるはずだ。

 何発も何発も技を受け合えば、流石にそろそろどちらか力尽きそうなものなのに、ショーにして両者息を切らしての消耗戦。

 そこにはさながら、明日の大舞台に勝つために熾烈極まりないトレーニングに励むかのような、迫真の表情で根性比べに挑むポケモン同士の姿がある。

 真剣勝負とは全く異なる趣とて、これはこれで見るものをぐいと惹き付ける熱戦だ。

 

 しかし、やはりこの場面ではギャラドスに勝って貰わねば。

 程よいところで目で通じ合わせたギャラドスとフローゼルは、一度ギャラドスがアクアテールでフローゼルを叩き飛ばす。

 砂浜を転がりつつ立ち上がるフローゼルだが、ギャラドスは口元にエネルギーを集める仕草を見せ、決め技の構えに入る。

 わざわざ上を向いて、エネルギーの吸収、集中を見えやすくする辺りは、客向け意識の表れか。

 

「ぬううぅ……!

 これまでか! フローゼル! 撤退だ!」

 

 ヒーローの必殺技発動の前兆を目の当たりにすると悪役は絶体絶命。

 フローゼルと共に海の方へと逃げ出すマキシマム仮面だが、ギャラドスさんは逃がしません。

 ここまでやっといて逃げるな、とばかりに、悪役連中を成敗する"りゅうのいかり"を発射である。

 "はかいこうせん"ではなかった。当てたら大怪我しちゃうし。

 狙いはマキシマム仮面とフローゼルのちょっと後ろで、砂浜に着弾させてドッカーンである。

 

「ぎょえ~っ!? 覚えてろ~!」

 

 自分達で跳びつつも爆風に押され、沖の方までけっこう豪快に吹っ飛ばされていくマキシマム仮面とフローゼル。

 わざわざ大の字で無様っぽく吹っ飛ばされていきつつ、マキシマム仮面は着水の瞬間、飛び込み体勢で手と頭から突っ込み安全な体勢を作っていた。慣れ過ぎ。

 親分まって~、とばかりに、ブイゼル三兄弟も海の方へと逃げていく。

 同時に観客から拍手が上がったので、これでショーは終わりということだろう。

 司会による締め括りなどのないショーだが、マキシマム仮面が悪役の場合、先述のセリフを言えば終了、と地元の人達には定着しているようである。

 

「ギャラドスさんっ!」

 

 さて、あとはギャラドスも海の方へと帰っていき、海に身を沈めてから顔だけ出し、観客に感謝の笑顔を向けるつもりだったのだが。

 パールが駆け寄ってくるのでギャラドスも戸惑う。脚本に無いことを客がやってくると演者は動揺しちゃう。

 

「かっこよかったですよ!

 守ってくれてありがとうございますっ!」

 

 前半は見たままの感想そのまま、後半は自分が攫われた立場にあったことも意識しての言葉。

 後半の台詞などを鑑みるに、本当に劇に入り込み過ぎである。

 そのままヒーローに抱きつくようにぎゅっとしてくるパールには、ギャラドスもなんだか照れ臭く、笑顔で頬を擦り寄せて返したものである。

 パール楽しそうだなぁとプラチナには感じる。なかなか出来ないであろう、いい思い出が出来てよかったね感。

 

「……お? おおっ?」

 

 海面から顔を出したマキシマム仮面は、足のつかない深い場所からざぶざぶ泳ぎながら、フローゼル達と一緒に浜の方へと帰っていく。

 そうして浜の光景を見れば、彼にとっては想定外の光景があった。

 子供達がギャラドスに群がって、大きなギャラドスがきょどきょどしているではないか。

 耳を澄ませば黄色い歓声、かっこよく活躍したギャラドスに触れて触って、きゃいきゃいはしゃぐ子供達の声。

 見た目は子供達にとって怖いとされがちのギャラドスだ。そんなギャラドスに子供達が、ヒーローと触れ合いたいとばかりに群がっているのである。

 この展開が一番予想外だったのは他ならぬギャラドスで、こんなに子供達に懐かれるのは初めてのギャラドスの、あわあわする表情がむしろ可愛い。

 あんまり動いちゃ駄目だ、でかい俺が下手に動いて子供を怪我させちゃ大変だ、と殆ど体を動かせず、頭だけ動かし慣れない愛想笑いを振り撒いている。

 

「……ガハハハ!

 こいつぁ、思った以上の大成功だな!

 なぁフローゼル! ブイゼル!」

 

 ちゃぷちゃぷマキシマム仮面のそばを泳いでいるフローゼルもブイゼルも、その言葉には非常に嬉しそうに笑った。

 あのギャラドス、身内同士では心優しく信頼を寄せる気立てでありながら、見た目で損をしてこの手のショーでは悪役を演じることも多かった身だ。

 そんなギャラドスがあんな風に、みんなに愛され戸惑う姿を見れば、フローゼル達も嬉しくなる。

 今回のショーは、出来れば最後そんな風に出来ればいいなというコンセプトで作られたものだったので、これは間違いなく大成功である。

 

 攫った女の子が、ショーの盛り上げに大きく貢献してくれたのも間違いないだろう。

 満足げにギャラドスの姿を眺めながら、ギャラドスに群がる子供達から一歩退き、あははと笑っているパールの姿にマキシマム仮面は小さく会釈しておいた。

 ショーマンは客を楽しませる立場。とりわけショーを盛り上げてくれるお客様は、まさしく演者にとっては神様だ。



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第45話   ノモセシティ

 

 

 213番道路の浜辺で、マキシマム仮面主催のショーをたっぷり楽しんだパール達。

 その後、進行を再開してノモセシティに向かったが、結局街に着いたのはすっかり空が赤らんだ時間帯だった。

 どうやらショーとその後も含めて、思った以上に長い間あの場所に留まっていたらしい。

 

 今回のショーでは悪役を演じたマキシマム仮面だが、元より人気者であり、ショーが終わって浜に上がってくれば子供達からも大人気。

 さっきまで悪役をしていたおっちゃんが、子供達になつかれて、抱っこしてあげたり、一緒に写真を撮ってあげたりと人気者。

 最後はマキシマム仮面とギャラドスを中心に、集まってくれた子供達全員集めての記念撮影なんてやっちゃって。

 後で現像すればわかることだが、照れ臭くてしょうがないギャラドスの緩んだ笑顔は、子供達にとって素敵な思い出の写真になるだろう。

 ちなみにカメラのシャッターを切っていたのはフローゼルである。カメラまで使えるとは、流石ファンサービス旺盛なマキシマム仮面の身内である。

 水に濡らしてカメラを壊したりしないよう、タオルを使って入念に手を拭いていたし、ポケモンってちゃんと教え込めば本当に賢くなってくれる。

 

 解散と相成ったショーだが、その後マキシマム仮面は改めてパールに声をかけ、握手を求めて深い感謝の意を伝えてくれた。

 元より今回のショーは、見た目で怖がられがちなギャラドスに対する、子供達の持つイメージを少しでも良くしていきたかった試みだったそうだ。

 悪のマキシマム仮面を海の神ギャラドスが成敗する、というシナリオは、いかにもそれを目指したものだったということ。

 脚本を作ったマキシマム仮面にとっても、果たして感情に素直な子供達相手にどこまで上手くいくか、かなり挑戦的な内容だったそう。

 結果としては大成功であり、それはやはり子供達の純真さに助けられたものとし、マキシマム仮面としては客に助けられたなぁという想いひとしおである。

 

 しかし何と言っても、ノリよく攫われ役を担ってくれたパールの楽しみようが、空気を良くすることに一役も二役も買ってくれたのは事実だろう。

 おかげでショーは大成功、と半分近く言えるレベル。マキシマム仮面はそれについて、ありがとうなとパールに熱烈な感謝の意を述べていた。

 そんな意図は無く、心から楽しみ過ぎていただけのパールは、そこまでお礼を言われてしまうと戸惑い照れるだけだったが。

 その隣でプラチナが、入れ込み過ぎてただけなのにね、とくすくす笑っていたので、パールがしゃーっと威嚇していたのも一幕としてあった。

 思い返すと私、子供よりも子供っぽかったなぁとパールは恥ずかしくなっちゃうようで。後から思い返すと恥ずかしい、の多い子だ。子供な証拠。

 

 さて、ところでノモセシティのジムリーダーは"マキシ"という名で知られる。

 プラチナがマキシマム仮面に、もしかして的なことを尋ねたが、はぐらかされたような自白されたような。

 マキシマム仮面が言うには、ジムリーダーのマキシは私用でいつも出払っているだらしない野郎で、仕方なく俺がジムリーダー代理をしているのが殆ど、と。

 本当にそんなジムリーダーだったらとっくに解任されているだろう。

 マキシがマキシマム仮面を名乗ってジムリーダーやってるだけだろうと、大人も子供もわかりきっている話である。パールとプラチナにもわかった。

 何故そんな一秒でバレる作り話をするのやら理解し難くもあったが、まあそこは突っ込んであげなくてよろしい。遊び方は人それぞれである。

 

 パールがジム巡りをしている身だと話せば、よしよし来い来いとマキシマム仮面も上機嫌。

 世話になったがジムでは手加減しないぞ、と笑うマキシマム仮面の言葉に意気込んで、パールは改めてノモセシティを目指した。

 道中で出会う、ポケモントレーナー達との勝負にも、ジム戦が目前というのもあってパールも気合が入っていたものだ。

 そうやって時間を使うから、真っ直ぐ帰ったショーの観客とは違って、街に着くのが夕頃になってしまったのだが。

 この日パール達は、ポケモンセンターに向かい、自らもポケモン達もゆっくり休み、明日に備えたものである。

 

 明日はノモセジムへ。

 意気込みたっぷりのパールが、ナタネ相手の夜長の電話で気合充分の声遣いであったのは、プラチナにだって容易に想像できたことである。

 

 

 

 

 

 さて、翌朝さっそくパールはノモセジムに向かい、出迎えてくれたマキシマム仮面と再会だ。

 今日来るとわかっていたため、マキシマム仮面もわざわざ待っていてくれたらしい。パールもちょっと嬉しい。

 好意的に迎えてくれたジムリーダー代理さんだが、まずはうちのジム生と勝負だぞというのは、贔屓無しの正当な要求。

 パールも気合充分にはいと応え、ジム生達との勝負に臨んだ。

 

 ノモセジムは、ジムリーダーであるマキシが水ポケモンの使い手であるのと同様に、水ポケモンの使い手が集うジム。

 水タイプに対して有利なタイプは、草と電気の2つであり、言い換えれば水タイプには弱点が少ない。

 どこの地方にも沢山いる、特段メジャーなタイプの水ポケモン達だが、バトルとなればその弱点の少なさは強みである。

 だから逆に、自分の手持ちのポケモンに、草タイプか電気タイプの技を一切覚えさせていないベテラントレーナーはかなり少ない。

 バトルにおいて常に存在感を強く意識されるという意味でも、水ポケモンというのトレーナー全般にとって身近に感じられやすいものだ。

 親しみやすい可愛らしいポケモンが特に多いのも水ポケモンの特徴とされるが、水ポケモンの愛好者が多いのは、きっとそれだけが理由ではないのだろう。

 

 幸いなことにパールは、特に意識して手持ちを操作しなくても、草タイプのピョコや電気タイプのパッチが普通に手持ちにいる。

 両者の活躍はジム生相手にも著しく、バッジ3つ持ちの挑戦者相手にジム生達も気合が入っていたが、苦も無い勝利続きだったのは否めない。

 あまりに快進撃続きだったので、調子に乗っちゃわないよう気を付けなきゃと、かえってパールも意識していたぐらいである。

 ニルルとミーナも出番を貰えれば頑張ったが、やはりジム戦においての主力がピョコとパッチになることは、パールも早期から意識しただろう。

 その後、そつ無くジム生達に勝利したパールは、晴れてマキシへの挑戦権を勝ち取るに至った。

 

「うーむッ、いい戦いぶりだったぞ!

 こいつぁ骨のある挑戦者だ! 俺も燃えてきたぞ!」

「マキシさん、よろしくお願いし……あっ、マキシマム仮面さんでしたっけ……」

「おう、間違えるなよ? 俺はマキシマム仮面だ! ガハハハ!」

 

 マキシって呼んじゃダメらしい。どう考えてもマキシなのだが。

 こういう時に、ちゃんと相手に都合と話を合わせられるのがいい子。

 子供ながらに無粋しないパールの態度には、マキシも嬉しく上機嫌である。

 

「ポケモン達も疲れてるだろう。

 一旦ポケモンセンターに行って、ゆっくり休ませてくるといい。

 そうだな……今日の夕方ぐらいに来て貰えるか。

 それまでに俺も、自分のポケモンを用意して待っているとしよう」

「はい、わかりました。

 私、絶対に負けないつもりでいきますからね!」

「ガハハハ、いい意気込みだ!

 俺も全身全霊で以って迎え撃つとしよう!

 真剣勝負だ! 万全の構えで来てくれよ!」

「はいっ!」

 

 気合充分のパールに対し、マキシマム仮面も熱い言葉でパールを鼓舞してくれる。

 これまでのジムリーダーと同様、悔いなき全力勝負を望むのは彼も同じだが、声と見た目の大きさもあっていっそうそれが如実。

 パールもふんすと気持ちを燃え上がらせ、夕時の決戦に向けて熱くなれたものである。

 

 4つ目のジム。ここを勝利すれば、バッジを8つ集める旅の折り返し地点。

 パールの旅にとっての大きな節目である。

 勝ってそうしたいパールの意気込みは、これまで以上に並々ならぬものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マキシさ……あ、いや、マキシマム仮面さん、いい人だよね」

「マキシさんでいいんじゃない?

 本人の前じゃない限りは」

「あはは、そうかな?」

 

 ポケモンセンターに身内を預け、ノモセシティを歩くパール達。

 夕時までは時間潰しだ。街巡りは明日以降にもやる予定だが、とりあえず今日も。

 後から予定があるのでじっくり遊ぶには向かないが、今日のうちに街を見て回り、明日以降にじっくり行く場所を決めておくには悪くないだろう。

 

 ノモセシティは元々湿原が広がっていた場所に作られた街だ。

 アスファルトの敷かれていない自然体の地面は、意識して踏みしめれば湿地帯らしき柔らかさも感じ、所によっては足跡もつきそう。

 日によっては霧がうっすら張るほど湿度の濃い街として知られており、今日は快晴ゆえそうでもないが、普段は少しでも曇ればしっとりした空気が漂うらしい。

 そんな街の性質もあってか、ノモセシティではグレッグルをマスコットキャラクターとして扱っており、どこの商店でもグレッグル人形が買える。

 蛙っぽい見た目の上に可愛いので抜擢された、というところなのだろう。

 

 街の北部には"ノモセ大湿原"が広がっており、ノモセシティはむしろ、当初ここを保護することを目的に築かれた街だと言ってもいい。

 人間社会の発展に伴って、人が住みやすい世界が広がるに連れて、開拓と共に破壊される自然というのはどうしたって生じてしまう。

 ノモセシティとてそうした側面は否めないが、シンオウ地方東南部に広がるこの湿原は、とりわけ特殊な環境かつ、野生のポケモンも多い。

 シンオウ地方に限って見ても、世界的に見れば殊更に、珍しい環境かつ貴重な自然遺産とさえ言える。

 ノモセシティはこの大湿原を保護していくことを固く定めており、そばに人里が出来た今なお、ノモセ大湿原は昔と大きく変わらぬまま今もある。

 

 もっとも、そうした歴史価値が生じてしまうと、観光客が増えるのも世の常だ。

 ノモセ大湿原にはクイック号という乗り物と線路が作られ、広い広い湿原を見回りやすくする配慮も為されている。

 見方によっては自然破壊だが、この辺りは難しい。それのおかげでノモセシティの財源も潤い、湿原保護に充てられる資金も溜まる。

 近年では試験的に、期間限定でノモセ大湿原を利用したサファリパーク企画も試行されているが、これもいつまで続くかはわからないところ。

 観光客のポケモン捕獲が続き過ぎるようなら、湿原の生態系も狂うかもしれないし、それも絶え間なく続く調査の末に、まだ問題無しとして継続されている。

 ノモセシティは湿原の保護に敏感ということだ。街の使命とさえ言える。

 おかげでパール達も、明日はこの湿原を見て回ろうと決めることが出来た。何百年もそこにある湿原を、ほぼ自然体のまま観光することが出来るのだ。

 それも、湿原を保護するよう努め続けてくれたノモセシティの、連綿と続けられてきた保護の賜物である。

 

「パールは新しいポケモンを捕まえてみたい?

 6匹のポケモンをバトルで使える中、あと二つ空きがあるけど」

「うーん、どうだろ?

 これ! っていう子がいれば捕まえてみたいけど」

「パール的には今いる子達って、これ! って感じで捕まえた子達なんだ?

 ピョコは特別だろうけど」

「うん、なんかみんな、こう、ビビッと来て捕まえた感じ。

 愛着すごいんだよ? 熱く語っていい? 一晩中話せるよ?」

「あはは、また今度ね。

 だいたいそんな話しだしたら、僕も一晩中離せそうで終わらないよ」

「二晩中かかるね。何時間かな」

「二晩中って何なのさ、どういう時間の使い方すればいいの」

 

 街の展望台に上がり、望遠鏡を覗かせて貰い、明日訪れると決めたノモセ大湿原を遠望したパール達。

 街のマスコットキャラクターであるグレッグルを始め、地元じゃなかなか見られないポケモン達の姿を、望遠鏡越しながら沢山見られて楽しかったものだ。

 特にルリリやマリル辺りは、シンオウ地方ではノモセ大湿原以外での目撃例自体が極めて希少である。

 初めてそれをテレビ越し以外で目にしたパールは、思わず見て見てとプラチナに望遠鏡を譲ったぐらい興奮していた。

 珍しい上に可愛くて興奮してしまったのだろう。明日ノモセ大湿原でマリル辺りを見付けたら、きっとボールを投げるだろうなとプラチナは思った。

 

「とりあえず、ご飯食べに行こっか。

 夕食にはちょっと早いけど、ジム戦の前に腹ごしらえって感じで」

「えー、太るかも。

 ジム戦の後も絶対お腹すくから、食べるよ?」

「あ、パールもそういうの気にするんだ」

「するよっ! 当たり前でしょ!」

「わああ、怒らないで。ごめん、ごめんって」

 

 うっかりデリカシーの無いことを言ってしまい、パールに帽子を取られて頭くしゃくしゃされるプラチナである。

 ジム戦のたび、パールは全身全霊を投じ、終わる頃には毎回へとへとだ。お腹だって空く。

 というわけでジム戦後のご飯は定常化しており、それは今回もパールとて規定事項として考えている。

 今お腹を膨らませてしまったら、数時間後にもまた夕食、となって、体重増加を懸念してしまうのも仕方ない。

 あんまりそういうデリケートな所を軽々しくつついちゃ駄目。

 

「ほ、ほらパール、あんまり騒ぐと人の目惹くよ。

 見られてる見られてる」

「うぐっ……あ、あははは……」

 

 大きい声を出してしまったので、周りの人がこっちを見てる。

 こいつは恥ずかしい。パールは誤魔化すように笑いながら、いそいそプラチナの手を引いて早歩き。

 上手いこと凌がれた感があるので、さっきの場所の人の目を避けながらじとーっとプラチナを睨んでおく。

 

「ごめんってば、機嫌直してってば」

「別にもういいけどさ~。

 私もちょっと、がーっといき過ぎちゃった感あるし。

 どうもプラッチ相手だと、素直になり過ぎちゃうんだよね」

 

 確かに初対面の頃は、もうちょっと落ち着きのあるパールだと見えたプラチナだが、最近は子供っぽい性根が隠しきれていない場面がやや多い。

 それだけプラチナに心を許しているということだろう。

 パールだって、付き合いの浅い人の前では態度を考えるし、気心知れている相手の前でこそリラックスし、素の自分を出してしまうこともある。

 程々にしてよね、と苦笑するプラチナも、無意識に言ってしまって何も考えていないパールも、それが良好な関係を象徴する発言だったことには案外無自覚だ。

 あるいは、意識しなければこれぐらいのやり取りが当然と感じる親密さ、そんな証拠ともとれるかもしれない。

 

「……っていうか、まだ結構こっちちらちら見てる人多くない?」

「えぇ、うそ?

 私そこまで大きな声出したかなぁ……」

 

 そんなことより気になるのは、さっきの場所からそれなりに離れた場所まで来ているのに、なぜかパール達を二度見する人が多いこと。

 今、おとなしくしているのだが。わざわざ人目を惹くようなことはしていないはずなのに。

 気付いてしまうと、行く先行く先、周りをよく見れば常に、パール達のことを一瞥していく人が必ずいる。気のせいではない。

 

「ちょっと待ってプラッチ、私もしかしてくさい?」

「大丈夫でしょ、昨日もホテルでお風呂入ったでしょ。

 というか周りの人がついつい振り向くほど臭かったら僕が突っ込んでる」

「だよね、よかった、よかったけど……

 なんで私達こんなにじろじろ見られてんの?

 いなかもの? 私いなかものオーラ出てる?」

「そんなことはないと思うけど……」

 

 立ち止まって、マフラーに鼻を当てたり、帽子を脱いで鼻に押し付けたりして、すんすん自分で確かめるパール。

 今日はたいして汗もかいていないし、そんなはずは無いのだが。

 それでも万が一を考えてぞっとして、確かめずにはいられないぐらい、何故か町行く人達の注目を浴びている自分達である。

 どうしてこうもじろじろ見られているのかわからないパールは、気付かぬうちに恥ずかしいことでもしてるのかと感じてそわそわ。

 

「――あっ! お姉ちゃんだ!」

「ふえ?」

 

 そんな折、パール達を指差す男の子が一人。知らない子。

 実は213番道路の浜で、マキシマム仮面のショーを見ていた子供の一人なのだが、流石にパールもプラチナも覚えていない。

 ただ、向こうは攫われた女の子として覚えている。

 

「あらあら……あなたがジムの挑戦者なのね。

 ふふ、頑張ってね。この子と一緒に応援しに行くからね」

「へっ?」

「夕方だよね? 頑張ってね!

 ジムでのマキシマム仮面は強いよ!」

 

 さて、なんでそんなことをこんな子や、一緒にいるお母さんも知っているのだろうか。

 パールが狐につままれた顔をしていると、色々察したお母さんが、パールに一枚のパンフレットを渡してくれた。

 それはそれはもう、その一枚に全ての答えが詰まっている。

 

「なぁにこれぇ!?」

「し、仕事が早いなぁ……」

 

 そこにはマキシマム仮面の写真がでかでかと載っており、つまり今日の夕方6時からジム戦を行うと大々的に告知するパンフレット。

 とっくに町中にばら撒かれているのだろう。パールがジム生達に勝利し、ジムリーダーへの挑戦が決定したのが昼前のこと。

 そこから超速でビラを作って刷って、3時過ぎの今、パール達が街を歩けば"あれが挑戦者の女の子か"と振り返られる状況の出来上がりと。

 プラチナの言うとおり、素晴らしい仕事の速さである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと~! マキシさ~ん!」

 

「おおっ? 早過ぎないか?

 それと人違いだぞ、俺様はマキシマム仮面だ!」

「じゃあそれでいいですけどっ!

 マキシマム仮面さんっ、このパンフレット何ですかっ!」

 

 約束の時間より随分早く、ノモセジムに舞い戻ってきたパール。

 息が切れている。本日初のたっぷり汗。突っ走ってきたらしい。

 さっきのお母さんから借りてきたパンフレットを手に、まあまあの剣幕で詰め寄るパールにマキシも少し後ずさる。

 

「まずかったか?

 うちのジムでは、ジム戦があると街のみんなに告知する風習があるんだ」

「しょーぞーけんの侵害で訴えたら勝てる気がする」

「いやいや、写真を使ってるわけじゃねえだろう?」

 

 挑戦者を迎え撃つジムリーダーの戦いぶりとは、ジムを地元に持つ人々にとって、さながら身近でポケモンバトルの公式戦を見られるようなもの。

 見物として非常に評判高い。ジム戦自体も決して秘匿されるべきものではないため、都合が合えばテレビカメラやリポーターが入ることもある。

 それ自体はどこの街でもある話だ。ノモセシティにおいては、ジムリーダーのマキシの掲げる方針で、積極的に客入れを行うというだけである。

 勝手に人の写真を使っている点は少々頂けないが、苦情が出たのは今回が初なので、今後はマキシも同じことはしなくなりそうだ。

 

「え~、うそでしょ?

 絶対私の写真とか載せたパンフレットも作ってませんか?

 街歩いてると妙に、色んな人からじろじろ見られたんですけど……」

「人様の写真を勝手に使ったら揉め事の種になるからやらねえのよ。

 ただ、ビラを配ったうちのバイトに、配るついでに挑戦者の特徴は話してくれとは頼んだ。

 帽子、マフラー、可愛い女の子、充分わかるだろ」

「かっ、可愛いって言われても誤魔化されません!」

 

 ぷりぷり怒るパールだが、可愛いって言われてちょっとだけ嬉しそうな間があった。

 単純すぎてプラチナも呆れそうになる。ちょろ過ぎ。

 

「まあまあ、別にバトルの内容に変化があるわけじゃねえ。

 ちっとお客さんが増えるってだけだ。あまり気にするな」

「そ、それが一番問題なんですってば……

 私、そんな沢山の人前で試合したことなんて無いし……」

「なぁに、始まってしまえば気にもならなくなるさ。

 同じ事を言う挑戦者も少なくはなかったが、みんなバトルとなりゃあ目の前のことに集中してそれどころじゃなくなってる。

 それに厳しいことを言わせて貰えば、負けたのは観衆のせいで緊張したから、なんて言われても言い訳だぞ?」

「うっ……そ、そうかもしれないけど……」

 

「お前さんもいつかはバッジを集めて、ポケモンリーグに挑戦するんだろう?

 その時は嫌でも、山ほどの観客の前でバトルすることになるんだ。

 今のうちに、それを経験しておくのも悪くはない話なんじゃねえか?」

「うぐぐ……そういう見方も、あるのかもしれないけど……」

 

 腑に落ちたくないパールだが、ある程度の筋が通っているので返す言葉が無い。

 経験しておくのも悪くは、というのは後付けだが、客が入ってると緊張して全力が出せないかも、なんてのは少々言い訳がましい。

 いつでも自分にとって最も望ましい環境でのみバトルさせて貰える、それが当然と考えるのはちょっと違う。

 マキシの言い分にも充分な理がある。ジムにはジムの流儀があるのだ。そこはある程度、挑戦者が合わせねば。

 

 勢いよく乗り込んできたのはいいものの、あっさり丸め込まれたパールは返す言葉なく撃沈。

 確かにジムバッジを8つ集めてポケモンリーグに挑もうという身、人前では試合できません、では後々通用しなくなるのも確かだ。

 事後承諾の形にはなっているが、ここでどうしても嫌ですと言うのは、逃げであると断じざるを得ない。世の中厳しい。

 

「わ、わかりました……

 気合入れてきます……ぜったい負けませんからね……!」

「ガハハハ、頼むぜ!

 白熱するようなバトルを俺も望んでるからよ!」

 

 最後に人睨みして、敗者の捨て台詞のように啖呵を切ると、パールはすごすごと引き下がる。

 すいませんうちのじゃじゃ馬が、と軽く会釈して去るプラチナに、流石にマキシもちょっとだけ気まずそうな顔であった。

 どうせ挑戦者が嫌と言おうが言うまいが、これがノモセジムの流儀なのだ。事後承諾なのは関係ない。

 それに、人前でバトルすることに慣れるのも必要なので、相手に望まれようが望まれまいが、マキシなりの心遣いがそこにあるのも確か。

 集まった観客からお金を取るでもなく、パンフレットを刷ったり、それを配ってくれる人に払うお小遣いのぶんだけ出費もある。

 実利ゼロでそこまでやるジム側の方針を、挑戦者側が咎めるのは難しい。根本的にジムの方針というのは、ジムが決めていいのだから。

 

 さりとて、これはパールにとっては想定外の試練。

 ジムからずんずんと出たパールは、ぐるっとプラチナに向き直って途端に弱い表情になった。

 

「プラッチ助けて~!

 私ぜったい凄く緊張するよ~! ミスしたらどうしよう~!」

「頑張ろうよ……どうせいつかは経験することなんだから……」

 

 もっとも、あらかじめ知れて、これからしばらくの間に心の準備が出来るだけでも幸運だったかもしれない。

 大衆の前での公式戦。パールにとっては初めての経験となる。

 思わぬ形で直面した早すぎる現実に、パールはひたすら取り乱してプラチナに縋るばかりだった。



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第46話   ノモセジム

 

 色んな意味で緊張する、パールにとって4つ目のジム戦。

 ノモセジムの奥、ジムリーダーとのバトルフィールドへと続く扉の前に立ち、息を吸って吐いて胸を落ち着かせようとしたパール。

 だが、胸のばくばくはおさまらない。

 薄い扉の向こうから、既にいっぱい集まった観客の、がやがやとした声が聞こえてくるからだ。

 

 見る前からわかる、大勢の人前で自らの腕を披露する舞台。

 負けたら自分のポケモンが悔しがる姿を、沢山の人の前に晒すことになる。それを想像すると胸がぎゅうっとなる。

 今の自分に、みんなを観衆の前で勝たせ、気持ちのいい思い出を作らせてあげるだけの腕があるだろうか。

 何としても勝ちたいが、果たして自分にそれが出来るのか不安でたまらない。

 

「……よしっ」

 

 だが、二時間程度の短時間ながらも、パールとて腹は括ってきた。

 自分自身に大丈夫なはずだよと発破をかけ、今の手には重く感じる扉を開く。

 既にライトアップされた広大なバトルフィールドの彼方、小さくも大きいマキシの姿が見えた。

 

「おう! 来てくれたな!

 みんなも歓迎してやってくれ!

 既にジムバッジを3つ手にして、4つ目のバッジ獲得を目指してこのノモセジムの扉を叩いた挑戦者、パールだ!!」

 

 ヘッドマイクをマスクの上から装着して待っていたマキシマム仮面――もといマキシによる煽りに、観客席から歓声が上がる。乗りのいいお客さん達だ。

 まずその歓声で、そんなものを自分に浴びせられたパールはびくっとして、想像以上の熱気に目をしぱしぱさせていた。

 

 ノモセジムのバトルフィールドは、非常に大きなプールに3つの島があるシンプルなものと言っていい。

 プールの真ん中に広い円形の島が一つ、そして対戦するジムリーダーと挑戦者が立つ大きくない円形の島が二つ、大きな島を挟んで対面する形。

 挑戦者が立つ側の島には橋がかけられており、おどおどびくびくしながら橋を渡るパール。

 そこに立って見回せば、巨大プールの周りの観客席にはお客さんがいっぱい。

 流石に短い宣伝時間で集まった客の数、満員御礼と呼べるほどの人を集めていないが、ソーシャルディスタンス気味の距離感含みでは充分に満員級。

 五百席はありそうな観客席、その3分の1強ぐらいには客入りしているだろう。

 

「おーっし、挑戦者!

 そこに置いてあるマイクを拾え! 遠くてそっちの声が聞こえんからな!」

 

「うう……こういうとこだけ本格的だ……」

 

 パールが渡り立った島には、無線のヘッドマイクが置いてある。

 これを付けて話さないと、バトルエリアである大きな島を挟んだ向こう側のマキシまで声が届かない。

 今までのジムと違い、ノモセジムは広さがあるのだ。

 それでパールにとって何が困るかって、自分の声がお客さんにも聞かれ放題な点。

 人前で歌うことぐらいは普通に出来るパールでも、まだまだ自信満々にはなれないトレーナーとしての自分の指示を、大衆に聞かれるというのは抵抗がある。

 

「どうだ! 壊れちゃいないな!?」

「あー、あー……大丈夫です、っ……!」

 

 帽子を脱いで、ヘッドマイクを付けて、帽子をかぶり、マイクを口元近くに調整して。

 そんなパールの挙動を見て話しかけてくるマキシに返答すれば、マキシの声が会場全体に響き渡るのと同様に、パールの声も会場いっぱいに響いた。

 久しぶりに客観的に聞く自分の声が、がちがちに緊張しているものであることを嫌でも痛感するパールは、一度ぎゅうっと唇を絞って口元に力を入れる。

 

「ルールは理解しているな!?

 バトルは3対3!

 そしてローカルルールとして、俺様のポケモン達に限り、十秒以上プールの中に浸かっていたら反則負けだ!

 ただし、そちらのポケモンが水に入った瞬間から、そのポケモンとの戦いに限り、こちらのポケモンは自由に水に出入り出来るようになる!

 いいな!?」

 

「…………はいっ!」

 

 ノモセジムは環境上、特殊なルールの下で行われる。

 周りが深い水に囲まれたフィールドである以上、泳げる水ポケモン使いのマキシが有利になり過ぎるからだ。

 挑戦者側のポケモンが水上・水中のポケモンに届く飛び道具を持たない場合、マキシのポケモンはプールに逃げればあっさり安全圏を確保出来てしまう。

 挑戦者側も、プールに"かみなり"でも撃ち込めば反撃も可能だが、ジムバッジ所持数の少ない挑戦者は、そんな豪快な戦術を取れるほどの力量がまず無い。

 元々そんな狡い戦術を客前で披露する性格をしていないマキシだが、そんな戦略は取らないぞ、という保証のようなものと考えていい。

 ただし、挑戦者側も泳げるポケモンを出してくるのであれば、その時に限りマキシもプールを使った戦術を解禁すると。

 あとは細かい所まで上げれば、水に落ちたマキシのポケモンに飛び道具で追撃した場合、十秒ルールは一秒から数え直しだとか、そんなルールもある。

 "マキシのポケモンをプールに突き落とし、水から上がって来れないようにして時間切れ反則負けを狙う"、という戦術は流石に取れない。

 

 要するに、真ん中の広いエリアでばちばち陸上戦をやり合いましょうという話。

 戦術上、マキシも多少はプールを利用することもあるが、ずっと潜って逃げ回るような戦術は取らないというのが確約されている。

 そして挑戦者側もプールを利用するのであれば、水中戦や水上戦もマキシは歓迎というわけだ。

 

「よし、始めるか!」

 

「っ……!」

 

 マキシがモンスターボールを手にする姿を遠目に、パールも先鋒の入ったボールを手に取る。

 誰を最初に出すかはもう決めてきている。それに続く二人もだ。

 どよどよと盛り上がりを見せつつある観客席の空気にぞわぞわしつつも、ぎゅうっとボールを握りしめるパール。

 滲む汗と共に、過剰な緊張感を絞り出さんとするほど力が入っている。

 

「――挑戦者パール!」

 

「へ……!?」

 

 三秒後にはバトル開始だと思っていたパールの耳に突き刺さったのは、開戦前にパールの名を呼んだマキシの声。

 思わぬタイミングでのことに、前のめりになりかけていた心を躓かされ、パールの抜けた声は会場いっぱいに響き渡る。

 それはパールの耳にも入るので、お間抜けな声を出した自分自身にかあっとパールの顔も赤くなる。

 

「一緒にいた男の子はお前の友達か!?」

 

「えっ、あっ……

 はいっ、そうです、けど……!?」

 

「いつからの旅の連れだ!?

 最近知り合ったばかりか!? それとも、お前さんの初めてのジム挑戦の時からの付き合いか!?」

 

 何の話をしているのかわからない。パールも返事に滞る。

 プラッチのことを言っているのだと、それだけなんとか理解できる程度に、今は頭が真っ白に近い。

 

「わ、私がっ……旅に出るようになってから、それからずっと一緒です!

 初めてのジム戦より、その前から一緒の友達ですっ!」

 

「ジム戦のたびに、観客席でお前のバトルを見届けてくれた友達か!?」

 

「もちろんです……っ!」

 

「探してみろ! 必ず見つけられる場所にいるぞ!」

 

 そう言われ、はっとなって会場を見渡すパール。

 すぐに見つかった。パールから見て右手側、センター最前列の特等席。

 挑戦者の身内だけあって、指定席へと案内して貰えたのだろう。この辺りは流石に、ノモセジムとて便宜を図ってくれている。

 

 沢山の観客が集まるこの環境で、大きな声でパール頑張れと叫ぶには恥ずかしがりが勝るプラチナだけど。

 握りしめた両の拳で自分の膝を二度叩き、目の合ったパールにエールを贈ることはしてくれる。

 頑張れ、パール。口を動かさずそれを伝えてくれるプラッチの姿は、パールに大切なことを改めて思い返させてくれる。

 いつもと何も変わらないじゃないか。ああして応援してくれる友達の前で、全力を尽くすだけのジム戦だ。

 

「お前さんはあの友達の前で、3度もジムリーダーに勝ち、嬉しい想いを分かち合ってきたはずだ!

 どうだ! 今回もその喜びを分かち合いたくないか!?」

 

「…………勝ちたい、ですっ!」

 

「固くなっちまってる場合じゃねえぞ! お前さんの全力全開を見せてみろ!

 これまでに培ってきたお前さんの勇姿を、俺様に、友達に!

 そしてお前さんがきっと最も愛するポケモン達に、悔いなく見せつけてやるこった!!」

 

 声を張り上げるマキシの姿に、観客は聞き入るように静まり返っている。

 客を集めて観衆の前での戦いを強いるノモセジム。それを嫌う挑戦者がこれまでにいたことも事実である。

 しかし最後にはそうしたトレーナー達も、たとえ負けても、客前では緊張して力が出せなかった、と不完全燃焼の不満を口にする者は少なかった。

 それはマキシの、こうした辣腕によるものであると断じていい。

 

 対戦相手のことを短時間でよく見極め、大観衆の前でもその過ぎた緊張をほぐすための言葉を的確に選び、鼓舞し、バトルに集中させてくれるからだ。

 ショーで大活躍したギャラドスに、女の子には怖い顔であろうそれに、迷いなく抱きついたパール。ポケモンが大好きな子である証拠。

 自分のポケモンに対する思い入れが並々ならぬことは容易に想像がつく。

 そして旅の連れである少年は、あの仲良さからして、彼女の旅路において大きな心の支えになっていたこともわかる。

 パールの旅路を一つも見ていなくても、これだけのことを読み取って、どんな言葉がパールを奮い立たせられるか、そして選べるのがマキシという人物だ。

 一見さんを含む、年も性格もわからない無数の客を楽しませんとするショーマンだからこそ、マキシは人を見る目には長じている。

 

 マイクパフォーマンス。一言でそう言い表されるそれは、決して観衆には悟り得ない、声を発する側の幾多もの思索の末に紡がれるものだ。

 マキシは今、これだけの観衆を集めながら、パールのみに向けて声を発している。

 観客がマキシの言葉に耳を傾けているのは結果論。

 活を入れるには最適な言葉を受けたパールが、微笑みかけるプラチナに向け、ようやく小さく笑みを返せたことで、マキシも手応えを感じられただろう。

 マイクに入ってしまう深呼吸の音を厭わず、気持ちを落ち着けようと息を吸って吐いてするパールは、マキシの望む精神状態に近付きつつある。

 

「マキシさ……マキシマム仮面さん!

 絶対に負けませんよ!

 私のポケモン、初心者だった頃の私のことだってずっと勝たせ続けてくれた、すっごく強くて、頼もしい子達なんですから!」

 

「おう! その意気だ!

 気骨に満ちたいい顔になったじゃねえか!

 今のお前さんはただの女の子じゃねえ、立派なポケモントレーナーのツラだ!」

 

 ボールを握る手の汗ばんだパールだが、ライトアップされた下で彼女が緊張で流していた頬の汗も、今や溢れ出る熱き魂が輝く結晶にさえ映る。

 距離が遠く、互いの表情をはっきりと見据え合えない中でながら、目を合わせるパールとマキシは、それでも抜群の闘志を抱いた相手だと互いを認識する。

 マキシの熱弁と、意気込み充分のパールの声に観衆から歓声が上がるが、もはやそれも今のパールの情熱を遮らない。

 いつでもボールのスイッチを押せると指をかけたパールの目には、バトルフィールドとマキシの姿しか映っていなかった。

 

「さあ、時間いっぱいだ!!

 始めるぞ! 準備はいいな!?」

「はいっ!!」

 

「行くぞ!! ギャラドス!!」

「パッチ!! 絶対勝とうね!!」

 

 高々とボールを放り投げたマキシ、両手で握るようにして力いっぱいにスイッチを押したパール。

 双方の先鋒がバトルフィールドに降臨だ。

 ボールから飛び出しバトルゾーンに降り立ったパッチと、高所のボールから姿を見せフィールドから僅かに身を浮かせたギャラドスが対峙する。 

 

「あのギャラドス……!」

 

「おお! わかってくれるようだな!

 昨日のショーで主役を張った、うちの自慢のギャラドスだ!

 ショーでは発揮できなかった、こいつの本気を見せてやる!」

 

 パッチとギャラドスが"いかく"の眼差しで睨み合う中、パールは対峙したギャラドスが知る個体であることを察していた。

 直感的なものではあったが、威嚇の表情に変わる直前、強面ながらも心優しい性根が僅かに滲み出る顔立ちが、パールの目に焼き付いたゆえと言える。

 あの時はショーマンとして立ち回ったギャラドスだが、バトルにおいてのその実力たるや果たして。

 巨躯が物語るとおり、直接睨まれていないパールですら、腰が引けてしまいそうな迫力を有しているのがギャラドスという存在だ。

 

「パッチ、行くよ! スパーク!」

「そうはいくか!

 ギャラドス! 躱せるな!?」

 

 フン、と鼻息を鳴らして口の端を上げて、挑発的な笑みを見せたギャラドスに、パッチは大きな吠え声をあげて突撃していく。

 気合の入ったパッチの姿は頼もしく、駆ける中であっという間に発電し、ばちばちと全身を光らせる勇姿にはパールも燃えてくる。

 だが、身を浮かせたギャラドスに飛びかかった矢のような電撃突進は、回避には持て余すほどの巨体をくねらせたギャラドスに回避されてしまう。

 しかもパッチは着地に際し、勢い余って地面に口がつきそうなほど前足を躓かせているではないか。

 

「あわわっ、パッチ大丈夫!?」

「撃てギャラドス! 畳みかけろ!」

 

 立ち上がったパッチにギャラドスがその顔を向け、開いた口から多量の水鉄砲を発射する。

 その位置から跳び退くようにして躱したパッチだが、フィールドに着弾した水鉄砲は、その勢い強さを物語るかのように炸裂だ。

 爆散するような水の飛沫を浴びながら、漏電するかのように電気の火花を散らしたパッチは、パールの指示も待たずギャラドスに突っ込んでいく。

 

「パッチ!?」

「迎え撃て!」

「――――z!」

 

 先の突撃よりも近い位置からの、パッチの素早い突進だ。流石にここからは避けようがない。

 ギャラドスの口から発射される強烈な水鉄砲に、パッチが迎撃に対して不用意に突っ込んでいくという図式が成立してしまう。

 自分の全身よりも太い多量の水に押し返され、パッチがフィールドに転がし返される光景にはパールも狼狽する。

 向こうっ気の強い子なのは知っているが、流石に妙なほど気合が過ぎる。

 

「パッチ落ち着いて! 一旦離れ……」

「――――z!」

「うおおお!? タフだなお前さんのルクシオ!?」

 

「冷静さを欠いてる……!

 "こんらん"してるんじゃないか……!?

 でも、いつそんな……」

 

 パールの指示を無視して再びギャラドスへと飛びかかるパッチは、立ち上がってすぐの急発進でギャラドスに逃げる時間を与えない。

 少しは怯んでくれるかと思ったら、全くそんなことも無いパッチの根性は、ギャラドスに回避行動を命じようとしたマキシを諦めさせる。

 一方で、パッチが過剰な興奮状態にあることを冷静に観客席から眺めているプラチナが、今のパッチに起きている異変を的確に見抜いていた。

 開戦早々ギャラドスが見せた"いばる"ような態度により、パッチが興奮状態にあることなど、流石にここまでの流れを見ただけではそうそう見抜けまい。

 

「――――z!!」

 

「ッ、ッ…………!!」

「ギャラドス、踏ん張れ! 振り払ってみせろ!」

 

 帯電したパッチの体当たり、スパークの一撃を頬へ横殴りに受けたギャラドスに、そのダメージは甚大だ。

 とりわけ電気タイプの攻撃に弱いギャラドスに、同じ攻撃をもう一度受ける体力は無いだろう。

 むしろこのギャラドスが格別にタフな個体だからこそ、いきり立ったパッチの電気技をぎりぎり一度耐えられたと評価してもいい。

 この痛打にマキシの指示も力強く、ぎらりと目を光らせたギャラドスが頭を振るい、パッチを少し離れた場所まで叩き飛ばす。

 苦し紛れの反撃にさして攻撃力は無く、パッチも四本足できっちり着地。今なお鼻息荒く、パールの指示を待たずしてすぐ全身せんという前のめりな体勢だ。

 

「"りゅうのいかり"だ! 逃がすなよ!」

「――――z!」

 

 ここは絶対に攻撃をはずせない局面だ。

 マキシに命じられた技とその真意を理解するギャラドスは、パッチに向けてその喉奥から青い業火めいたものを発射する。

 それはパッチに逃げられぬよう、前方へ燃え広がるように放たれて、突っ切ろうとさえしていたパッチの前方で爆裂する。

 ただの炎ではないのだ。ギャラドスの怒気に呼応して、炎に模したそのエネルギー凝縮体が炸裂する、敵に逃げ場を与えず確実なダメージを与える技。

 吹っ飛ばされたパッチがフィールドの岸を越え、プールの中へとざばんと落ちてしまう。

 

「いけない……!

 パッチ、すぐ上がって!!

 ギャラドスが来るよ!!」

 

「行けギャラドス! 噛みついてやれ!」

 

 耳が水面下まで沈んだパッチにも聞こえるよう、とびっきりの大声で叫ぶパールの声は、マイクが音割れするほどのもので観客の耳を痛くさせる。

 思わず耳を塞いだ子供もいるだろう。それだけ必死な挑戦者の叫びに、熱いポケモンバトルを観に来た大人達は耳を塞がない。

 ざばっと水面から顔を出したパッチの方へ、飛び込むように大口開けて突っ込んでいくギャラドスは、パッチに噛みつき再び水面下へ沈めにかかる。

 

「――――ッ、――――ッ!!」

「――――z!」

 

「パッチぃーっ!! 放電してえーっ!!」

「いいぞギャラドス! 早く上がってこい!」

 

 息の出来ない水中で鋭い牙に食い付かれ、もがいても離れないギャラドスの攻撃に苦しむパッチに、水の上からも聞こえるパールの必死な声が届く。

 暴れるのをやめて強烈な電気を放電するパッチに、頭だけ沈めたギャラドスの水面上に出ている体が激しく暴れている。

 この展開を予測していたマキシも、水に沈めて苦しめる自己判断をしていたギャラドスに、それは悪手だ上がってこいと的確な指示。

 

 パッチをくわえたまま大飛沫を上げて水面から顔を出したギャラドスは、流される電流に堪らずパッチをフィールドの方へと投げ捨てる。

 首を振るっての豪快な投げに、パッチも叩きつけられ転がるようにフィールドに打ち据えられたが、すぐに立ち上がって口から水を吐く。

 噛みつかれた場所がずきずきする身ながら、すぐに再びギャラドスへと突撃していく姿、未だ闘志は一切衰えず。

 

「決めろ! ギャラドス!」

「パッチ、冷静に! 絶対躱せるよ!」

 

「まずい……!

 パールっ、わかってな……」

 

 過剰な興奮状態あるパッチに対し、機微を求める指示は功を奏さない。

 パッチが混乱状態にあると悟っているプラチナにとって、パールのこの指示は悪手と見える。

 数々の技を受け、弱ったパッチにとどめの一撃とばかりに水鉄砲を撃つギャラドスの反撃は、冷静さを欠いたパッチに躱せるものではない。

 

 だが、事実は違う。駆けだす寸前、確かにパールの方を一度だけ振り返ったパッチの目は、彼女が冷静さを取り戻しているとパールに確信させるものだった。

 これは観客にも、マキシにも、プラチナにも見極められるものではなかっただろう。パールとパッチ、お互いの目を見てよく親しみ合った両者だけのやり取り。

 そしてパールもまた、パッチが冷静さを欠いていた少し前のことから、相手もそんなパッチを前提に攻撃してくるだろうという意識がある。

 "絶対"躱せる。その指示には、油断している相手をびっくりさせちゃえというパールの力強い想いが込められている。

 

「ッ――――!」

 

「なにっ!?」

 

「よしっ! パッチ、スパークだあっ!!」

 

 自らに向けて撃たれた水の巨砲を高い跳躍で躱したパッチの姿には、パールも思わずガッツポーズが出る。

 その握りしめた拳を突き出し、溜まった力を全力でぶつけろというパールの声に、着地してすぐ足元を蹴るパッチも応えている。

 逃げ場のないギャラドスのボディに突き刺さったパッチの体当たり、そして流れる膨大な電流が、高く上げられていたギャラドスの頭をぐらりと傾かせる。

 

「駄目だな……!

 ギャラドス、よくやった!」

 

 "いかく"の眼差しで多少は腰を引けさせてやっていたとはいえ、"いばる"ことでいっそう血気盛んになっていたパッチのスパークだ。

 一度耐えただけでも上出来だ。二発も受けてはさしものギャラドスとて限界。

 自らのボールに戻したギャラドスを労うように、マキシはそのボールをばしばしと二度叩いた。手つきは乱暴だが、彼なりの賞賛だ。

 

「やるな、パール!

 ルクシオの混乱が解けていたのを、お前さんはちゃんと見極めていたか!」

「大好きなうちの子達ですからね……!

 目を見ればわかります! 信じさせてくれる目をしてくれてますから!」

「いい回答だ! こいつぁ今日は、いい挑戦者を迎えられたもんだぜ!」

 

「そっか……わかってなかったのは、僕の方だったんだな」

 

 もう、先輩風を吹かせ続けられたもんじゃないなとプラチナもはっきり感じた。

 自分のポケモン達に助けられてここまで来たと常に感じているパールだか、ただそれだけでバッジを3つも集めてこられるものか。

 ゆっくりと、確実に、パールもポケモントレーナーとして成長しているのだ。

 彼女をただただ応援する想い一色のプラチナにとって、ぶるっと体が震えるほど嬉しい姿である。

 

「さあ、次行くぞ!

 ヌオー! お前の力を見せてやれ!」

 

「うっ……!

 ヌオーって確か……パッチ、一回戻って!」

 

 次鋒を繰り出したマキシのポケモンを見て、パールはほんの短い間の思索を経て、パッチのボールのスイッチを押す。

 さあ次だ、と意気込んでいたパッチは、えっ嘘? とばかりにパールの方を振り向きつつ、彼女のボールに収められていく。

 これは正しい。水ポケモンでもありながら地面タイプでもあるヌオーには、電気タイプの攻撃は一切通用しない。

 

「パッチごめんね、必ずまた出番があるからね……!

 行くよ、次! ピョコ、お願い!」

 

「ガハハハ、賢明だ!

 ヌオー、出てきた所を狙い撃て!」

「――――」

 

 この程度の判断ならどんなポケモントレーナーでもやることだが、彼女を初バトルの時からずっと見てきたプラチナには、こんな彼女の姿も感慨深い。

 とはいえ、ポケモンを交代させる際にはついて回るデメリットもある。

 パールにボールのスイッチを押され、フィールド上に降臨した瞬間のピョコ目がけ、ヌオーが掲げた両手に生み出した泥の塊を投げ付ける。

 泥の塊は重量自体もそこそこで、それを頭に直撃させられたピョコは少しふらつく。潰れた"どろばくだん"が、ピョコの顔を泥まみれにして視界を悪くさせる。

 交代直後は狙い撃たれるケースが多いのだ。来るとわかっていても躱せないのが殆どなので、バトル中のポケモン交代はよく気を付けて。

 

「おーっし、第2ラウンドだ!

 緒戦を勝ったからって見くびってくれるなよ! まだまだここからだぜ!」

 

「交代しないんですね……!」

 

「おお! 男が一度任せたポケモンを、不利だからって引っ込められっかよ!」

 

 おや、白々しい。

 水タイプでもあり地面タイプでもあるヌオーは、草タイプに対して非常に弱い。唯一の弱点にして最大の弱点だ。

 マキシはヌオーを引っ込めてもいい場面である。というか、彼とて勝利を目指すトレーナーとして、下げるべきなら下げると判断する。男とか関係ない。

 引っ込めないのは戦術上、それでいいという判断あってのことなのだ。ジムリーダーがここまでの不利を前にして、矜持だけで下げないこともあるまい。

 

「そんなこと言っちゃって、別の日にポケモン引っ込めたい時に困りません?」

 

「ガハハ、気にするな!

 そんなこと言ったっけなぁ~? で通すわ!」

 

「あはは……! 悪役だっ!」

 

「ジムリーダーなんて、リーグ挑戦を目指す奴らにとっちゃあ、力でねじ伏せにくる悪役みてぇなもんよ!

 おら、勝ってみな! 客は若き挑戦者の、鮮烈な勝ちっぷりを見てぇと思ってんだぜ!

 なあみんな!? パールが勝つところを見てぇ奴らは叫べ!」

 

 短い宣伝活動で集まってくれた観客はノリが良い。

 マキシのマイクパフォーマンスに応じ、大人達はみな一様に、男の野太い声と女の黄色い声で大歓声だ。

 一部の子供は歓声を上げられずにいるが。マキシが勝つところが見たいのかもしれない。悪役ぶっていても、やはりマキシもノモセの人気者で子供は素直だ。

 

 ナタネが言っていた言葉をパールは思い出していた。

 ジムリーダーは、負けることが仕事だって。それは、負けてもいいと思っているわけじゃない。

 全身全霊で挑戦者を迎え撃ち、それでも負ければ、自らに打ち勝った若き志が翼を広げていく姿を、賞賛の想いで見送ることに喜びを感じる。

 そんなナタネの言葉の真意を理解しているパールには、マキシもまた、尊敬する一人のジムリーダーと同じ想いを胸に抱く、勝って応えたい大人として映る。

 もう、観客の声なんて耳に入るものか。この人に、心から勝ちたい想いで胸がいっぱいになる。

 

「マキシさん、絶対負けませんからね!」

 

「おう! かかってこい!」

 

 形式的にでもマキシマム仮面と呼んでいた意識も失われ、敬意を向ける人物の名を呼んだパール。

 マキシももはや、拘りを唱える無粋な返答をすることはない。パールの熱意を真っ向から受け止めて、水を差すことが言えようものか。

 3対2。戦いはまだまだ始まったばかりだ。

 決着まではまだ遠いと言えるこのうちから、パールもマキシもこのバトルに向けた情熱を、最高潮にまで燃え上がらせていた。



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第47話   ジムリーダーの切り札

 

「ピョコ! はっぱカッター!」

 

「ヌオー、どろばくだんだ! 恐れるな!」

 

 相手がこれならこれしかない、と迷わず草タイプの技を指示するパール。

 マキシもそれはわかっているが、特に対策法があるわけでもなし。実際どうしようもない。水の中に逃げたとしても、上がり際を狙い撃ちされるので余計悪い。

 泥爆弾を投げ付けることのみ指示して、回避は自己判断でやれという勢いである。少々投げっぱなし気味。

 

 しかし、泥爆弾を生み出して投げ付けたヌオーの攻撃は、最初の泥爆弾で視界を悪くされたピョコに当たる。

 そして目の利かないピョコが撃つ葉っぱカッターは、とてとて走るヌオーに当たる枚数が少ない。

 相手をよく見据えて撃てないぶん、自己判断でやや散開的に葉っぱカッターを撃つピョコの賢さは光っているが、与えたダメージは大きくなさそうだ。

 いかに草タイプの攻撃が効く相手とはいえ、二枚か三枚しか当たっていないようでは大きなダメージにはなっていまい。

 

「よーしいいぞ、上出来だヌオー!

 お客さんへのアピールも忘れるんじゃないぞ!」

「――――」

 

 のぺっとした表情のヌオーだが、葉っぱカッターを凌ぎきると、マキシに言われたとおり"しっぽをふる"ことでお客さんにアピール。

 観客席の子供達を可愛いヌオーの仕草だと喜ばせるが、バトルの真っ最中にこの振る舞い、ピョコの心をかき乱すものとしては成立する。

 こいつめ、と少しカチンときたピョコが、冷静で手堅く戦う彼の持ち味を、僅かに削がれる精神状態に近付く。後々響きそうだ。

 

「ピョコ、近付いて! 離れたままじゃ難しいよ!」

「――――z!」

 

「そう来るよな……!

 ヌオー、容赦なくぶつけまくれ!」

 

 葉っぱカッターを的確に当てられないピョコ、それが泥爆弾を受けた視界の悪さだと判断し、適した立ち回りを指示できるようになっているパール。

 対するマキシも、それを見越した上での反撃指示。相性有利のハヤシガメ、何につけても攻撃を当てれば勝ちという図式なのだ。

 泥の塊を掲げた両手の間に生成したヌオーは、両手でのオーバースローの形でピョコへと泥爆弾を投げ付ける。

 一発目は躱されたが、相手が近付いてきて距離が縮まれば二発目は当てやすい。

 その二発目こそ、絶対当てるという意を込めた全力投球で、ピョコの顔面にぶつけてくるヌオーは勝負所をわかっている。

 のっぺりした顔立ちながら、やはり内面はジムリーダーに育てられた強いポケモンだ。

 

「ピョコしっかり! はっぱカッター!」

「――――z!」

 

「ヌオー! でかいのをぶつけてやれ!」

 

 相手との距離を縮めたピョコの放つ葉っぱカッターは、決して動きの速くないヌオーには逃れ難い集中放射のように襲いかかる。

 銃弾数十を同時発射するショットガンのような葉っぱカッターに対し、ヌオーはより大きめの泥爆弾を生み出してぶん投げる。

 何枚かの葉っぱカッターはその泥爆弾を免れてヌオーに突き刺さるが、多くの葉っぱが泥爆弾に呑まれて潰された。結果的にダメージはある程度抑えている。

 その泥爆弾を顔に受けるピョコも、顎を引いて目を潰されることを回避しているものの、目より上から流れ落ちる泥が目に入って視界が悪い。

 

「ヌオー! わかってるな!?」

 

「来てるよピョコ!

 相手をよく見て、はっぱカッター!」

「ッ――――!」

 

 視界が悪い中でも、それを言い訳に屈してなどいられるものか。

 ばちっと開いた両目のうち、右目に泥が入って潰されながらも、接近してくるヌオーに向けてピョコが葉っぱカッターを撃つ。

 防衛手段の無いヌオーに何枚もの葉っぱカッターが突き刺さり、前進するヌオーの足が止まりかけるほどの甚大なダメージを与えている。

 だが、それでも踏ん張って耐えたヌオーの前進が止まらないのは、やはりジムリーダーに育てられた、心も身体も強いポケモンというとことだ。

 

「たたきつけろ!」

 

 敵の痛烈な攻撃を受けながらの攻撃、半ばやぶれかぶれの一撃だが、跳んだヌオーが振り下ろす尻尾がピョコの脳天を強く打ち据える。

 重い痛打にピョコも目の前に星が飛んだが、前足を踏ん張って顔を上げる姿はやはり、流石パールが一番頼りになると言って憚らぬベストパートナーだ。

 

「はっぱカッター!

 ピョコがんばれえっ!!」

 

 ここだ、という局面で発するパールの声は一際に大きい。

 そんな声の大きさだけでも、ここしかないというのをよくわかってくれるピョコだ。

 ちかつく頭で近い位置の相手を見据え、葉っぱカッターを乱射するピョコの強襲が、ヌオーを無数の葉で切り刻む致命的なダメージを与え果たす。

 

「~~~~……、~~~~っ……」

 

「よくやってくれたぞ、ヌオー……!

 大した奴だ、お前はよ!」

 

 一度倒れれば立ち上がれないほど力を失ったヌオーだが、倒れる前にふりふりっと尻尾を振るい、観客に向けてのアピールだ。

 僕頑張ったよ、という仕草にはえも言われぬ可愛げがあり、マキシがヌオーをボールに戻した直後、ヌオーに拍手を贈る観客もまばらにいた。

 客前で試合をしているという意識の強いヌオー、と言えばそうではあるのだろう。

 しかし、自分にやられていながら最後の力を振り絞ってそれ、という行為が、ピョコにしてみれば歯痒いものであったりもする。

 この挑発めいた"しっぽをふる"行為が、よもやこの後の戦いに明確に響いてくるとは、パールも観客も知識豊富なプラチナでさえも気付かない。

 

「いつの間にかもう残り一体か!

 こりゃあ絶体絶命のピンチってやつだな!」

 

「勝てるよ、ピョコ……!

 だけど気を抜かないでね! 最後の一人は絶対に強いよ!」

「――――z!」

 

「浮き足立たねぇとはいい心がけだ……!

 行くぜ! フローゼル! ここから一気に巻き返すぞ!!」

 

 水タイプに有利な草ポケモンと電気ポケモンが未だ健在のパールが、3匹残しでマキシの最後の一匹を迎え撃てるこの図式。

 マキシからすればまさしく絶体絶命のピンチというところだろう。

 それでもパールが気を一つも緩めていないことも含め、ジムリーダーからすれば追い詰められた局面だ。

 

 だが、不安一つ覗かせないマキシの自信満々な、逆転劇を謳うその宣言は果たして単なるハッタリなのだろうか。

 バトルフィールドに降臨したマキシの最後の一匹、フローゼルは不敵な笑みを浮かべ、パール達が打ち倒すべき最後の敵として立ちはだかる。

 これはきっと、昨日のショーで悪役の手先としてギャラドスと戦っていたフローゼルだ。目つきがあれと全く同じなのだから。

 

「知ってるか?

 悪役ってえのは強くなきゃ務まらねえんだぜ!

 勝つべきヒーローを徹底的に追い詰めるぐらい悪役ってモンが強くなきゃ、熱くなれるほどのショーは描けねえってもんだ!」

 

「わかってます……!

 ジムリーダーさんの最後のポケモンは、みんな凄く強かったですから……!

 マキシさんは、悪人でも何でもないですけどね!」

 

「ガハハハ! さっきも言ったろ、俺ぁ悪役だ!

 きっちり勝って、若き勇士が栄光へと一歩近付くハッピーエンドをここに刻んでみな!

 当然、俺とフローゼルも、黙ってやられてやるつもりはねぇがな!」

「――――z!」

 

 があっと口を開いて吠えるフローゼルが、気合充分であることは明らかだ。

 ギャラドスのように巨体ではない。ヌオーのように水ポケモンの天敵である電気タイプに対策を持っているわけでもない。

 それでもこのフローゼルが、このジム戦攻略における最後の難関、最大の壁であることはパールにも自ずと理解できる。

 ジムリーダーの切り札が、一筋縄でいくはずがない。

 

「ピョコ! 葉っぱカッター!」

 

「はっ、当たるかよ!

 フローゼルの素早さを舐めるなよ!」

 

 とにかくピョコの攻撃手段は、体当たりや噛みつくといった攻撃よりもこれに尽きる。

 "すいとる"攻撃のように自分の動きを制限することもないのだ。パールとて何も考えずこの技ばかりを今日指示しているわけではない。

 だが、泥に目を侵されて視界が悪いことに加え、軽快な足取りで葉っぱカッターを躱すフローゼルに、その攻撃は当たらない。

 一枚でも当たるようにと、やや攻撃範囲を広げた撃ち方をするピョコに対し、フローゼルは身を捻り、沈み、駆け、一枚たりとも葉を受けぬまま敵に接近する。

 

「そこだ! "こおりのキバ"!」

 

「えっ!?」

 

 仕舞いにはピョコを飛び越えてその後方位置に移ったフローゼルが、マキシの指示を受けてピョコの甲羅に飛びついた。

 牙を甲羅に突き立てるフローゼルが、その牙先からフローゼルの甲羅と身体に強烈な冷気を流し込む。

 噛まれた瞬間に苦悶の声を上げたピョコが、跳ねて身をよじりフローゼルを振り払うが、草ポケモンのピョコにとって氷タイプの攻撃は痛烈に効く。

 吹っ飛ばされながらも綺麗に着地したフローゼルに対し、流し込まれた冷気のせいで体が震えるピョコは、そちらに振り向くことさえ遅れている。

 

「とどめだ! 水鉄砲!」

 

 対応させる暇も与えず撃ち込む水鉄砲をフローゼルが吐き出して、振り返ったピョコに直撃させる。

 草ポケモンのピョコには威力が半減するはずの、水タイプの攻撃であるはずなのに。

 その攻撃を顔面に受けたピョコがたまらずのけ反って、四本の足で立つ力を失ったかのように腹からフィールドに身を沈める。

 なんとか立ち上がろうと足を動かしてはいるものの、もう戦えるだけの力を失っているのは明らかだ。

 

「っ……ピョコ、戻って!」

 

 どうしたの、頑張って、と訴えたくなった想いを封じ、パールはピョコの敗北を認めてボールに戻した。

 水に強いピョコがあの攻撃でダウンさせられたことに、不可解な想いを抱きつつだ。

 この展開には観客席のプラチナも、ピョコにしてはどうしたんだと怪訝な想いを抱かずにはいられない。

 

「さあ、来い!

 あと二体! 俺のフローゼルが全部なぎ倒してやるよ!」

 

「っ……パッチ! 行こう!」

 

 目に見える戦場の光景から状況を判断し、指示を出せばよかったはずの戦いから一転、不可思議な出来事一つ生じたことで不安を感じざるを得ない展開だ。

 しかし一度その雑念を振り切って、パールは改めてパッチを喚ぶ。

 ダメージの残る彼女だが、水タイプのフローゼルには有効打を持つルクシオだ。正しい判断である。

 

「仕切り直しのルクシオか……!

 フローゼル! さっきの脇が甘かったハヤシガメとは違うぞ!

 気を引き締めて行けよ!」

 

「パッチ、大丈夫だよね……!

 有利な相手だよ、信じてるからね!」

「――――z!」

 

「そうか、尻尾を振っていたのも……

 マキシさん、豪気そうなファイトスタイルに見えて緻密に戦ってるんだ……」

 

 謎を解けないパールだが、観客席で落ち着いて考えられるプラチナには、後からながらもピョコの敗因がわかる。

 "しっぽをふる"ことで観客にアピールしていたヌオーだが、それは言わば、対面しているピョコにしてみれば見くびられた行為だ。

 "いばる"混乱誘発とは違う意味で、ピョコの心をかき乱す行為である。

 それに心乱されたピョコは、ヌオーが去った後とて落ち着きを取り戻すには時間が無く、フローゼルの攻撃で本来以上のダメージを受ける形と相成った。

 かっかしていて気構えが100%で無い以上、いつものようにどっしり構えたピョコの時より、堅実にダメージを耐えきる意識が欠けさせられるということだ。

 草タイプに対して非常に弱いヌオーだが、その奮闘がピョコに残したものは、フローゼルの勝利に繋がったとは断じられるだろう。

 ヌオーをピョコ一人に撃破されたマキシだが、結果として水ポケモン使いにとって厄介な草ポケモンを、切り札ほぼ無傷のまま討ち取れたのは確かである。

 

 しかしプラチナ目線でも、たかだか水鉄砲でピョコが沈められたことには腑に落ちない。

 マキシの戦術には、プラチナにも解き明かせていない何かがまだ残っている。

 細かいことを意識しないぶつかり合いを好みそうなマキシと見えても、やはり彼はジムリーダーなのだ。

 自身が水ポケモンの使い手だという公開情報の下、相手がそれに有利なポケモンを使ってくる想定の上、勝利を攫うための策をしっかり構えている。

 

「パッチ、スパーク! 当てにいくよ!」

「フローゼル、わかってるな!?

 お前の得意なみずでっぽうだ!」

 

 駆けだすパッチ、それを迎え撃つように開いた口から砲撃のような水鉄砲を放つフローゼル。

 単調な攻撃ながら速度のある水の砲撃で、しかしあわやのところで身を横に逃がして回避し、なおも突き進むパッチの動きは良い。冷静さを取り戻している。

 しかしそれ以上に特筆すべきは、自らが吐く水の反動に逆らわず、バックステップでパッチから距離を稼ぐフローゼルの姿。

 距離の縮まったパッチに向け、もう一発の水鉄砲を撃ちながら、今度は強く後方に跳ぶようにしてフローゼルはプールに逃げ込んでしまう。

 避けるには距離が近すぎて、フローゼルの水鉄砲を躱しかけながら肩口に受けたパッチは、敵にぶつかる前に跳び込めぬ領域へ取り逃がす形となった。

 

「ううぅ、ずるい……!

 プールがマキシさんのポケモンに有利すぎ……!」

「だから十秒ルールがあるんじゃねえか! だが十秒以内なら活用するさ!

 そら、グチグチ言ってる暇はねぇぞ!」

「あっ、パッチ! 右側!!」

「――――z!」

 

 水面下を潜水して進み、円形フィールドのパッチの右側へと回り込んだフローゼルが、フィールドに手をかけてパッチに水鉄砲を撃つ。

 やや近い。気付いて振り返ってから避けるのでは僅かに間に合わない。跳んで躱そうとはするものの少し浴びてしまう。

 水鉄砲を浴びた時間は短いものの、強い水圧で頭を横から殴られた衝撃は、小さくないダメージとしてパッチに響いている。

 

 フローゼルは一度フィールドに這い上がり、十秒ルールを一度途切れさせると、体勢を立て直して自らに迫ってくるパッチに不敵な笑みを見せ後ろ跳び。

 またもぶつかられる前のプールへの逃亡だ。

 飛び道具を持たないパッチにとって、水の中に逃げ込まれてしまっては手の出しようがない。

 

「えぇと、えぇと……!

 パッチ、追いかけて飛び込んじゃ駄目……!

 よく見渡して、上がってくるところを狙おう! 私が絶対見逃さない!」

「よくわかってるじゃねえか……!

 電気タイプのポケモンだからって、水に飛び込みゃ水域全体にダメージなんて現実的じゃあねえわなぁ!」

 

 泳げるパッチなので飛び込む強攻策も無いではないが、明らかに相手のフィールドだとわかっている場所に飛び込むことは愚策だ。

 流石に水に飛び込んだパッチが放電したところで、プール全体に強く流れるほどの電気を流して超範囲攻撃なんて出来ない。

 そんなことが出来るのは、もはやチャンピオンに挑戦するクラスのトップトレーナーが従える、とびきり強いポケモンぐらいのものだ。

 それでも水中でフローゼルに近付いて放電すればダメージを与えられる? いや、フローゼルが逃げて先に陸へ上がるだけ。

 その後、フィールドに這い上がろうとしたパッチが狙い撃たれるだろう。絶対に負ける。

 

 短い時間でそこまで考えて、水に飛び込むことパッチにさせないよう指示する辺り、パールもバトル向き、戦略的な頭の回転が早くなってきているのは確かだ。

 だからこそわかる、苦しい現状。今の状況ではベストに近い指示だが、苦し紛れは否めない。

 ホームグラウンドの利を存分に利用し、挑戦者をひどく困らせるマキシに客席からちょっと文句も飛んでいるが、マキシは全然気にしない。

 ずるいぞー! と叫ぶ子供の声に、ハァ~? 何だって~? とばかりに耳に手を当てて、聞こえませんなぁアピールするぐらい。そこまで悪役しなくても。

 

「右か左から離れて這い上がってくると思うよな?」

「えっ!?」

「残念! 真っ正面からなんだよなぁ! フローゼル!」

 

 フローゼルは岸から離れ、水底まで一度深く潜り込むと、一気に水面まで真っ直ぐ泳ぎ上がる。

 二本の尻尾をスクリューのように回し、最大速度での水泳浮上だ。

 そのまま水面上に大きく跳ねるほどの勢いに加え、自ら出た瞬間に首を引き、下方に発射した水鉄砲で自らをいっそう高く跳ね上げるのだ。

 

 それはパッチを飛び越えるほどの大きな弧を描き、さらにはその中でフィールド上のパッチにフローゼルが、跳躍力の足しにした水鉄砲の矛先を向ける。

 想定外の方向からの砲撃に、パッチは回避こそ出来たものの、その後自らの後方位置だった場所に着地したフローゼルを追う余裕が無い。

 パールがパッチの名を大声で叫び、はっとして振り返った時には既に、フローゼルの方からパッチに駆け迫り始めていたところだ。

 

「撃て! フィニッシュだ!」

 

 躱させぬ距離で放つフローゼルの水鉄砲が、パッチに直撃して押し飛ばす。

 踏ん張ろうとしたパッチだが、鳴くような悲鳴を上げて脚の力を失い、水の勢いのまま倒されてしまう。

 倒れてなお、ちくしょう負けるかとフィールドを引っかく前足の動きは執念の賜物だが、全身をひくひくさせるその姿は明らかに継戦不可能である。

 

「頑張ってくれたね……!

 だけどもう、戻って……!」

 

 歯噛みする想いでボールのスイッチを押すパールが、パッチを戦線から離脱させた。

 あっという間に、残るはお互い一体ずつ。

 一時は3対1の状況まで追い込んだのに、草タイプと電気タイプという、水ポケモンに強い二人が立て続けに倒され、今この状況に至っている。

 これは、勝負は振り出しに戻ったという実状以上に、パールに風向きの厳しさを痛感させる展開だ。

 ましてフローゼルは殆ど無傷であり、ピョコとパッチを立て続けに倒した強豪に、最後のポケモンだけで勝たねばならない。

 

「さァて! 逆転劇が見えてきたぜ!

 どうした、かかってこいよ! 返り討ちにしてやるぜ!」

 

「ううぅぅ……!」

 

 2対1から1対1に巻き返される展開は、ヒョウタ相手でもスモモ相手でも経験してきたことだ。

 だが、3対1の、それも相手に有利なタイプの二人を立て続けに破られるという、これほど追い上げられる展開はパールも未経験だ。

 いつだって練達相手の挑戦者の側だったパールは、むしろ劣勢の経験が多く、それでも最後まで諦めずに戦い抜く意志力で薄氷の勝利を掴んできた。

 今回のような、確実に優勢であったはずの状況から追い上げられ、余力充分の相手に立ちはだかられる追い詰められ方は初めてなのだ。

 最後の一人と決めているボールを握る手も、スイッチを押す指に躊躇いが走って上手く動かない。

 果たして勝てるんだろうか。何度も感じたこの気持ちは、今までの中でも一番大きい。

 

「――――駄目!!」

 

 鞄の中で、飛び出してやるとばかりにボールを揺らした身内に、パールははっとして大声を発していた。

 ヘッドマイク越しに会場に響いたその声の意図するところは、マキシにも観客にもわからなかっただろう。

 選んだ三人でもないのに勝手に飛び出そうとした誰かさんに、今はやめてと余裕のない叱り方をするパールの姿がある。

 後から乱暴な言い方をしたことを後悔しそうなほどの強い声だった。それが出るほど、今のパールは精神的にも追い詰められた中にある。

 

 だけど、静まり返った会場の中で、徐々に頭を冷やしたパールは、意図しない強い声で自分のポケモンに怒鳴ったことに気付く。

 後からどころか、やってしまったと。今の時点で表情が歪む。

 勝手に飛び出す悪い癖のある子なのは確かだけど、それは自分が最後のポケモンを出すのを躊躇った時間のせいでもあるだろうに。

 そんな自分を自覚して、ようやくパールは、自分自身すら追い詰められていたことに気付くのだ。

 

 不意にパールがボールを足元に置き、両手で自分の両頬をばっちーんと叩いた。

 マイクを通して会場に響いた音は、マキシも観客もびっくりするようなもの。

 プラチナもびっくりしたが、付き合いの長い彼だけはなんとなく、彼女の真意も理解できた。

 余裕の無い自分が乱暴な言葉をミーナに向けたことへの後悔、そんな自分に対する強い叱りの行動だろうと。

 両頬が赤くなるほど自分の顔を叩いて、ぎゅっと瞑った目を開いたパールは、遮二無二挑み続けた過去のジム戦と同じ気概を強引に取り戻す。

 それは、足元に置いたボールを拾ったパールが、彼女なりの最大の力でぎゅうっとボールを握りしめる力にも表れている。

 

「マキシさん!!」

 

「おお!」

 

「絶対、勝ってみせます!

 頼んだよ! ニルル!!」

 

 音割れするほどの大きな声で、強い気持ちを表すパールの感情の迸りは、対戦相手にも観客にもその耳をきんきんさせる。

 流石にそろそろ耳を塞ぐ大人もいる。プラチナも苦笑いしながら同様。ダイヤ相手にでかい声出せる子だったなぁ、そういえば、というのを思い出す。

 いよいよ戦いは完全に客を置き去りにした、挑戦者とジムリーダーの一騎打ちの極地に至ったということである。

 フィールドに降り立ったニルルもまた、気合充分で鼻を鳴らしている。パールの気持ちがわかるぶん、それに応えんとする意志もまた強い。

 

「ニルル………………っ、えっ!?」

 

「んな……!?」

 

 初動の指示を出そうとしたパールだが、彼女の目には、そしてマキシの目にも、まず予想だにしなかった一幕が映っていた。

 首を振り下ろし、自分のお腹にキスするぐらいまで丸まったニルルが、その全身をもごもごと揺らしている。

 背中をぐいと上げ、お腹で地面を叩くようにして。それによって軟体が押し潰れるように広がって。

 同じことを何度も繰り返し、潰れるように横に広がるニルルだが、背中を振り上げるニルルの体高はより高くなっていく。

 小さな小さなカラナクシであったニルルが、もはやそうとは呼べない大きさに膨れ上がった時、ついにそう変容の最たるものが現れる。

 

 軟体の内に秘められた殻のようなものが、バキンとニルルの背中から首の後ろにかけてまで表面化し。

 それに伴い頭を振り上げたニルルの、複数コブのようなものが失われ、耳の形をした新たな形状と化した頭部が姿を見せる。

 体高も、より平べったくなった接地部分も、全体のシルエットそのものが大きくなったニルルの変貌を表す的確な言葉は、進化の他に存在しない。

 

「ニルル……!」

 

「マジか……!

 この期でそいつぁ、いくらなんでも予想だにしねぇわ……!」

 

 パッチも、ピョコも、あれだけ頑張ったのだ。

 そしてパールは、今でも勝ちたいと思っているはずなのだ。

 だったら残された一人である僕しか、やれる奴はいないじゃないか。

 何が何でもパールを勝たせたいと、普段は胸の内に秘めていた静かな情熱を、ここにきて一気に燃え上がらせたニルルが、今の彼の姿を叶えている。

 

「~~~~~~~~~~z!!」

 

 人の耳には可愛らしい鳴き声、そしてニルルにとっては全力の気合だ。

 慣れないことをして震えた体が、フィールドに触れている部分を揺らし、くちゅくちゅという音さえ立てるから、ピョコやパッチの咆哮ほど迫力は無い。

 ポケモンの進化の瞬間を目の当たりにして興奮し、"トリトドン"の可愛い声に喜ぶ観客には、ニルルの想いの丈など伝わるまい。

 ここまでしてくれたニルルの心意気を100%胸を打たれるのは、その胸元を手でぎゅうっとしてしまうパールだけだ。

 すげぇもの見せて貰ったぜというマキシも、凄いよニルル頑張れと熱くなるプラチナも、せいぜい70%止まりだろう。

 進化したことを自慢げにではなく、勝つぞ、という力強い眼差しで振り返るニルルとパール、その二人の目でしか知り得ないほどのものがここにはある。

 

「ニルルっ、いこう……!

 二人で勝とうね、絶対に……!」

「~~~~~z!」

 

「やるぞ! フローゼル!

 いい挑戦者だよな!? お前ならわかってくれるだろうよ!」

「――――z!」

 

 過去最も頼もしいニルルを前に、それでも自分の力で勝たせてあげたいという気持ちを取り戻し、それは結果的に半々の"二人で"という言葉に。

 パールの限界だ。やはり彼女は、ポケモンに助けられての勝利という意識をゼロに出来ない。

 そんな中で、せめて自分も勝利のために力を添えられれば、というのを、ことここに至って強く願えるほどには、トレーナーとしての自覚に目覚めている。

 

 そしてマキシも、ジムリーダーとしての一番の楽しみを、フローゼルと共有せずにはいられない。

 弱い相手に勝ってもたいして嬉しくもない。当たり前のことだから。

 強い相手と勝ち負けの勝負をし、その上で勝利を掴むこと、それを目指すことこそが、ポケモンバトルの一番燃える醍醐味だ。

 今やジムリーダーという強者側として迎え撃つ立場となって長く、しかし、強いと認められる相手が目前にいるこの喜びたるや如何たるや。

 間違いなく、ここ最近のジムバトルの中で最も熱くなれる一戦。

 本来負けて勝者を讃えるべしという、ジムリーダーとしての矜持に反してでも、ここを勝ちたい気持ちが沸き立つ胸の高鳴り。

 ショーマンとしても長くなってきたマキシだが、やはり生涯、ポケモントレーナーであるという"本職"は絶対に捨てられそうにない。

 

 概ねダメージの蓄積していない者同士、全力でぶつかっていけるコンディションの者同士で迎えた大将戦だ。

 ノモセジムの戦いも、いよいよ大詰めというところである。



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第48話   VSフローゼル

 

「よし行け! フローゼル、撃て!」

 

「あわわっ、ニルル避けれる!?」

「――――z!」

 

 お手並み拝見とばかりに水鉄砲を発射してくるフローゼルだが、ニルルはにゅるんと滑って位置をずらし、直線的な一撃を躱してみせた。

 基本的にのんびり動くトリトドンだが、ぬめる体液で接地部分を滑ることで、瞬発的な速い動きは出来る模様。

 バトルにおいて、敵の攻撃を躱すには充分な動きも出来るようだ。

 

「パール、気を付けるんだよ……

 トリトドンは、進化前ほど水の攻撃には強くないよ」

 

「お手並みは拝見させて貰ったぜ!

 だったらフローゼル、わかるよな!?」

「――――z!」

 

「ニルル! みずのはどう!」

 

 両手を広げたフローゼルの手の上に、輝くエネルギーが形を作る。

 ニルルが水の波動を発射するのと同時、フローゼルは星型となったそれを手裏剣のように投げ付けてきた。

 "スピードスター"と呼ばれるそれは、真正面からの水の波動を弧を描いて避けつつニルルに襲いかかる。

 その後の展開が対照的で、水の波動を横っ跳びに躱したフローゼルに対し、滑って躱したニルルを追尾するように迫ったスピードスターは直撃だ。

 いてて、とばかりに目を閉じるニルルに大きなダメージは無さそうだが、こちらは一撃受けて相手は無傷というのは望ましくない展開である。

 

「水に強いフローゼルだから黙って受けてやると思ったか?

 水の波動は当たり所が悪いと目を回すからな! その手を食うかよ!」

 

「うぐぐ、やっぱりわかられてる……!

 じゃあニルル、もっと距離を詰めてっ!」

 

「そうそう上手くいくかよ!

 フローゼル、距離を保ってじっくりいたぶってやれ!」

 

 いたぶるだなんて、悪者が使いそうな台詞をわざわざ使っちゃって。まだまだ悪役を楽しみたいらしい。

 しかし、指示そのものは的確だ。

 にゅるる~んと地面を滑ってフローゼルに迫ろうとするニルルは、見た目ほどには遅くない。パール相手ぐらいなら追いかけっこも出来るだろう。

 しかし、健脚で駆けるフローゼルに追い付けるスピードではない。

 横に逃げられたフローゼルを追って進行方向を曲げるニルルだが、こちらが最短距離で追っているにも関わらず距離は稼がれがち。

 スタミナ豊富のフローゼルは、余裕の顔で距離を稼ぎながらスピードスターを投げ付けてくるのみだ。

 さっきよりも距離は近まったのでニルルも水の波動を撃ってみるが、それも跳んで躱される始末である。

 

「だったら……!

 ニルル! 作戦Bいくよ!」

「――――z!」

 

「むっ!?

 フローゼル、警戒し……んんっ?」

 

 御大層な言葉を使った指示をするのでマキシも警戒したが、ニルルはにゅる~んとフローゼルとは別の方向へ進み、プールの中へ飛び込んだ。

 それで何を仕掛けてくるのかと思ったら、水に沈んだまま浮かんでこないニルルである。意図の読めない会場全体も一度静まり返る。

 フローゼルも怪訝な表情で動くに動けず、そのうちニルルが水からちらっと顔を出した。

 あれ? 来ないの? と、つぶらなお目々で首をかしげるニルル。

 

「ほほう、なるほど、水中戦ってわけか!

 水ポケモン使いのジムリーダー相手にいい度胸だな!」

「さあ! マキシさん、どうですか!

 勝負ですよ!」

「よーしフローゼル! やってやろうぜ!

 ……と、言いたいところだが」

 

 さあ来たここからだ、という意気込みのパールを挫く、マキシのやっぱりやめとくぜ宣言。

 前のめりな体勢になっていたパールもかくっ。客も数人がかくっ。

 フローゼルはと言えば、マキシの真意は最初からわかっているかのように、腕を組んでつーんと含み笑い。

 

「陸上戦の方が分がありそうなんでな!

 やり合いたきゃ上がってきな! かかってこいよ!」

「なっ、なっ……み、水ポケモン使いなんでしょ!?

 水上の戦いならプロなんでしょ!?」

「そんな煽りに乗るかよ!

 客もどうやら素敵な水中戦が見てぇようだが、俺ぁ勝算の高い方を取るさ!

 オメーや客の望み通りになんか戦ってやるもんかい!」

「うぐぐぅ~……!

 に、逃げるんですか~! よわむし~!」

「ガハハハハ! おっ、客からもブーイングが飛んできてるな!

 おおいに結構なこったぁな!」

 

 観客席のプラチナも額に手を当て、たは~と失笑するばかりである。

 水中戦に持ち込んで、何やら目論見があるのはわかる。現に地上戦では分が悪そうだし、パールとしてはそう持っていきたいのだろう。

 それにマキシが付き合わなきゃいけない理由なんてどこにもないわけで。

 水ポケモン使いのジムリーダーがこの誘いから逃げるのか、と客もブーイングしたりするが、マキシの主張は正当である。

 優勢な地上戦を選択したマキシに狙いを根本から断たれ、とっても安い挑発言葉を使うパールの困りっぷりったらない。

 

「さぁどうする!

 言っておくが、一時間も二時間も勝負がつかねぇようならバトルは中止だぜ!

 このまま俺達は、お前らが上がってくるまで何時間でも待つけどな!」

「ええっ、ちょっと!?

 そんなルール無かったはずでしょ!?」

「意味のない睨み合いを何時間もやってどうすんだっつーの!

 俺のジムだ! ルールは俺が決められるんだよ!」

「ず~る~い~!

 水中戦しましょうよっ! 怖いのか~!」

「ガハハハ、逃げてんのはお前らの方だ!

 さあ、中止が嫌なら上がってこいや!」

 

 バトル中でもジムリーダーが勝手にルールを加えるのは少々ずっこいが、これはまあまあ仕方ない。

 意固地に水中戦をしたがるパール、それは受けんと頑なに突っぱねるマキシ。どちらか折れるまでず~っと睨み合いが続くのであれば、流石に。

 それではバトル出来ていない。中止も已む無し、という言い方は出来ないが、このままやってもしょうがない状態には違いない。

 マキシは譲る気無し。ここで折れるべきなのは、仕掛けてみたけど空振っただけのパールの方である。

 

「んぐぐぐぐぐ……

 ニ、ニルルぅ……上がってきて……」

「ガハハハ、さあ仕切り直しだ!

 フローゼル、さっきと同じように……んっ?」

 

 すごく悔しそうな顔をして、パールがニルルに地上戦に戻そうと言う中で、揚々としていたマキシが妙なことに気付く。

 さっきまで、俺は行かないからお前が上がってこいよ、とふんぞり返っていたフローゼルが、じーっとニルルを睨みつけている。

 ちょうどニルルは、マキシに背中を見せている位置にいるのだが、ニルルが首を横にゆらゆら揺らしている姿しか見えない。

 つまりマキシにはニルルの顔が見えず、彼が何をやっているのかわかりにくい。

 

「――――!」

 

「…………あ゙っ!

 こいつ、いばってやがるな!?

 おいフローゼル、挑発に乗るんじゃねえぞ!!」

 

 しかし、普段は狡猾なぐらい冷静でしたたかなフローゼルが、ニルルを睨みつけて怒りをあらわにした表情を見ればわかる。

 "いばる"ことで相手を怒らせ、冷静な判断が出来なくなる戦術は、マキシも採用しているものだから尚更だ。

 マキシ目線からは、ゆらゆら頭を揺らしたり首をかしげたりする後ろ姿しか見えないニルルだが、恐らく今すごくむかつく顔でフローゼルを煽っている。

 対する位置、パール目線から見たニルルの顔は今日も可愛いのだが、ポケモン相手にむかつかせる顔なので人の目では判断が難しいのかもしれない。

 

「――――、――――z……!」

「こらこらこら、フローゼル落ち付け! 相手の思うつぼだぞ!

 この野郎、そんな技まで覚えてやがったとはな……!」

 

「え、ええぇぇと……!

 ニルルーっ、その調子だよー! 弱虫フローゼルなんかあなたの敵じゃないよー!」

 

 パールはニルルに"いばる"なんて技を教えたことなんてない。

 それでもニルルがフローゼルをいらいらさせているらしいのは見て取れるので、予想外の展開だとは表に出すまいとしながらサポート。

 普段は冷静なフローゼルが、パールの弱虫発言を聞いてカチンときて、睨みつけてくるほどかっかしているのだから相当効いている。

 睨まれてびくっとしてしまうパールだが、自分から目を逸らしたフローゼルに、ニルルがしれっと泥爆弾を投擲。

 はっとして振り返ったフローゼルは躱して事なきを得たが、なおも水上で体をふりふり揺らすニルルの煽りっぷりはたいしたものだ。

 ここまでされてまだ来ないの? と、ふへっと嘲笑する口元を見せたことで、とうとうフローゼルも堪忍袋の緒が切れてしまう。お見事である。

 

 パールにこんな戦術を仕込まれてもいないニルルが、どこでこんな戦法を閃いたかと言えば、先のギャラドスが見せた"いばる"であろう。

 ちゃんとそれを覚えていて、ここで実践しようとする機転もさることながら、成功させる器用さもまた特筆点。

 いばって相手を怒らせるには、相手がむかつく態度を的確に選んで演じる必要がある。案外難しいのだ、"いばる"という技は。

 方法論だけ見て学び、あとは持ち前の器用さで技を真似て成功させたニルルが、怒ったフローゼルがニルルの水域に飛び込む結実を果たす。

 パールの望んだ展開を、ニルルが手を添え叶えさせた形である。

 

「ちぃ~っ、仕方ねえか……!

 フローゼル、追い詰めろ! 潜られても逃がすなよ!」

 

「ニルル~っ! ケムまき作戦いくよ!」

 

 水に潜ったニルルとそれを追うフローゼル、双方指示の聞こえにくい水面下に行ってしまったため、パールとマキシの声は大きくなる。

 さて、パールの言うケムまき作戦だが、何のことはない、水中で泥爆弾を撃つだけの行為。元々カラナクシの頃から使えた技でもある。

 水中で発射された泥爆弾はすぐに水に溶け、ニルルの周囲に広がって水を濁らせる。

 長持ちしないが、ニルルの姿を水中で煙にまく効果があるのだ。だからケムまき作戦。安直なネーミングだこと。

 

「はっ、関係ねえ!

 フローゼル、狙い撃ちだ!」

 

「よしっ、そこだね……!

 ニルルっ、みずのはどう!」

 

 しかしこのケムまき作戦、実は相手の目くらましが目的ではなく、水中に広がる泥によって、パールにニルルの位置をわかりやすくするのが目的。

 パールもニルルの位置を確かめて、フローゼルとニルルの距離感を確かめて的確な指示が出来る。小さくない。

 

 素早く水中を泳ぐニルルとフローゼルが、スピードスターと水の波動を放ち合う。

 陸上戦と違うのは、水の波動がやや拡散気味かつ、フローゼルに迫る速度も速いという点だ。波動は大気中より、水や個体を伝わる速度の方が上。

 結果、撃ち合いは痛み分けだ。フローゼルに水の波動では大きなダメージを与えられないが、スピードスターも威力は低いので分は半々というところ。

 

「根性比べがしたいなら受けて立つぜ!

 俺様の切り札がそうそう先に沈むと思ってくれるなよ!」

「わかってる……!

 ニルル! 勝負つけに行くよ!」

「む……!?」

 

 とはいえこの勝負を続けたところで、一か八かの過ぎる業。ジムリーダーの切り札がタフである想定をするなら、むしろこのままではいけない。

 具体的な指示ではなくも、ニルルが水中を力強く泳ぎ、一気にフローゼルへと急接近だ。

 陸上と比較して速いニルルの動きは、フローゼルを逃がさないだけのもの。これだけでも、水中戦に持ち込んだ甲斐はあったと言える。

 

「上等よ……!

 フローゼル、迎え撃て! 技はわかるな!?」

 

「まずい、パール……!」

 

 迫るニルルに対して迎撃の体勢を取るフローゼルだが、何をするにせよ良くない技が飛び出すとプラチナは察している。

 トリトドンに進化したニルルは、地面タイプとしての性質が色濃く出て、カラナクシだった頃よりも水や氷タイプの技に対する耐性が下がっている。

 そして迫る敵に迎撃体勢を取るフローゼルが選ぶ技とは、ほぼ間違いなく物理的な攻撃技。恐らく"こおりのきば"だろう。

 さらに、"いばる"ことで冷静さを欠いた相手は、その物理的な攻撃力がそれまでの限界以上に出やすいのだ。パールはわかっているのだろうか。

 

「ニルル、耐えてね……!」

「そこだ!! フローゼル!!」

 

 体当たり気味にぶつかってきたニルルに、フローゼルがマキシの期待どおり噛みついた。

 やはり氷の牙だ。それはニルルに浅く食い込み、彼の体内にまで冷気を送り込む。

 ここが水中だろうと関係ない。周りの水に冷気を逃がすことなく、ニルルを内から凍らせんとする冷気が流し込まれる。

 

「頑張ってニルル、つかまえて!!

 一気に締め付けてえっ!!」

 

「ぬうっ!? 耐えきるのか!?」

 

 ニルルが悶絶する結果を見越していたマキシだが、ニルルは苦悶の表情こそ浮かべつつも、ぐいっとお腹をフローゼルの半身に向けてその軟体で抱き込む。

 そのままぎゅうっと、軟体を縮めてフローゼルを締め付けるのだ。

 "しめつける"めいた指示を出しているパールだが、水中におけるそれは、正しくはニルルによる"のしかかり"のようなものである。

 粘液下に溜め込んでいる泥の砂粒も絡めて、ぎゅうっとフローゼルを締め上げる。

 これにはフローゼルも、敵に突き立てた歯を食いしばって耐えるほど痛く苦しい。

 

 マキシの想像を下回る"こおりのきば"の効き目を象徴するのは、思ったよりもフローゼルの牙がニルルに食い込んでいないことだ。

 パールの発した耐えてという指示は、何も根性を出せというに留まった意味ではない。

 "かたくなる"ことが出来るニルルは、"いばる"ことでフローゼルの攻撃力が高まっていることを含めても、ある程度自らへのダメージを抑えている。

 マキシも両者が揉み合う姿が水中かつやや遠く、牙の刺さりが浅いことを視認できないのだ。

 フローゼルが送り込んでくる冷気に苦しみながらも、フローゼルを締め上げるお腹も硬度を増すニルルは、きつく圧迫することで相手を苦しめる。

 

「やるな、流石に水中戦を仕掛けてくるだけの気骨はある……!

 だがフローゼル、こっちからは離すなよ! 勝算はこちらが上だ!」

 

「ニルル頑張ってえっ……!

 苦しいのはわかってる、わかってるけど、お願いぃぃっ……!」

 

 水の中で大きな動きも無く、密着してもごもごしているニルルとフローゼルの姿は、観客目線では何が起こっているのかよくわからない。

 そこで熾烈な戦いが繰り広げられている迫真を知るのは、パールとマキシ、そして有識者のプラチナぐらいのものだろう。

 牙を突き立てられて体内から冷やされる、急激に風邪を引くような目眩めいた感覚に襲われるニルルも。

 隙間なくぎちぎちに圧迫される体に激しい痛み、さらに血が止まり痺れる感覚に気分の悪さを、それも息の吸えない水中で味わうフローゼルも。

 決して傍目からではわからない苦痛の中で必死に戦っているのだ。

 本当の意味でこの苦しみに痛烈なほどの共感を得られるのは、過酷な指示を下した自覚のあるパールとマキシだけだ。

 パールは言わずもがな、マキシも強気な声を発する表面的な態度とは裏腹、どちらも手汗が滲むほど両の拳をぎゅうっと握りしめている。

 

「……………………ニルルーっ! もういいよ!

 振り払って、上がってきて!!」

 

「ちっ、的確だぜ……!」

 

 組み付き合ったまま消耗していく両者だったが、その膠着状態を解くことを命じたのはパールの方。

 どのみちこのまま根競べでは分が悪いとは彼女も思っている。

 数秒に渡ってフローゼルを締め上げたこの展開、それさえ叶えばもう充分だと、技を解くことを指示するパール。

 これ以上続けてはニルルの方がもたない。その点も含め、遅過ぎず早過ぎずのこの指示、マキシもパールになかなかのものだと感じざるを得ない。

 

 三次元的に身を振り放題の水中、ぶるんと身体を振るったニルルがフローゼルを振り払って、水上まで真っ直ぐに上がってくる。

 フローゼルも水上へ。だが、ニルルを追った動きではない。

 バトルフィールドに這い上がったニルルに対し、フローゼルは少し離れた場所からフィールドに上がってくる。

 そして、真っ直ぐフローゼルを追ってこなかった理由を物語るかのように、片足を引きずるような仕草さえ見せるフローゼルは見るからに動きが悪い。

 

「"まひ"したからって侮ってくれるなよ……!

 フローゼル! こうなりゃ接近戦だ! それしかねぇ!」

「ニルル、どろばくだん!

 相手が何か撃ってきたら躱してね!」

 

 そう、水中でフローゼルを締め上げた特殊な形での"のしかかり"は、フローゼルの体の血行を悪くして痺れさせるに至っている。

 儘ならぬ身体に鞭打って、ニルルに駆け迫らんとするフローゼルの速度は明らかに、戦闘開始直後より悪い。

 形勢は逆転に少しずつ近付いている。地上でフローゼルが接近戦を仕掛けざるを得なくなったことがその象徴だ。

 

 フローゼルのスピードスターとニルルの泥爆弾の遠距離戦になれば、動きが落ちて躱せるか怪しくなったフローゼルの方が、受けるダメージが大きく不利。

 ほんの少し前まで離れて戦えば安泰だった地上戦、そこに未練を感じることなく、接近戦を仕掛けるべきだと断じられるマキシも流石はトップトレーナー。

 ニルルの放った泥爆弾を受けてのけ反り返りそうになりながら、顎を引いて迫るフローゼルも、マキシの期待に応えるべく根性を見せている。

 

「食らい付け!」

 

「ニルルっ、泥に乗って! 絶対躱せる!!」

 

 痺れる体でもニルルとの距離を詰めれば、絶対逃がさぬの勢いで瞬発力を見せるフローゼル。勝負所と力の振り絞り方がわかっている。

 だが、氷の牙の脅威を知るニルルの切実な回避行動も機敏。

 床に接する場所に集めた粘液と泥、体を捻って力を入れるとそれに乗って滑るようにし、フローゼルの開いた口から体全体を逃がす。

 がちんとはずれた牙を鳴らすフローゼルに対し、近く振り向いたニルルは額のそばに泥の塊を作り出している。

 

「撃てえっ!!」

「返せ!!」

 

 氷の牙をはずしながらも、その手にスピードスターのエネルギーを集めていたフローゼルだ。

 至近距離から発射された泥爆弾を顔面に受けてよろめき退がりながらも、フローゼルの投げたスピードスターはニルルの首元をがすりと傷つける。

 たじろぐ両者、蓄積しつつあるダメージは頭を上げにくそうな姿勢からも明らかながら、敵を見据える目だけは意地でも保つ。

 

「みずのはどう!」

 

「跳べ! 撃ち下ろせ!」

 

 泥を作ってから撃つ時間も惜しいこの局面、最速で撃てるニルルの得意技を指示したパール。

 それでも足に力を入れて跳ぶフローゼルが、ニルルごと飛び越えるほどの跳躍で以って、環の大きな水の波動を回避する。

 そして飛び越えるに際し、下を向いたフローゼルの口から発射される水鉄砲が、ニルルの体を力強く押し潰そうとする。

 

「ッ……、――――z!」

 

「っ、ニルルー!

 頑張れえっ! どろばくだん!!」

 

 如何に撃ち下ろしで圧のある水鉄砲とはいえ、悲鳴じみた声をあげて喘ぐほどニルルには大きなダメージがあったのは、パールの目にも明白だ。

 それでも、もう少し、あと少し、ほんのちょっと。

 高い跳躍から着地して、膝を崩しそうになりながらも体勢を整え、息を切らしたフローゼルがニルルに振り返る姿があるのだ。

 祈るように両手をぎゅうっと握りしめて願い望むパールの声に、荒い息を吐いたニルルも泥爆弾を作り上げる。

 

「ぐううぅ……!

 あと一撃だ! 決めるぞ、フローゼル!」

「――――ッ!」

 

「みずのはどう!」

 

 かろうじて放たれた泥爆弾を躱したフローゼルも、ニルルがフィールド上にばらまき続けてきた泥と粘液に足を滑らせ、フィールド上に膝を打つ。

 それでもすぐに立ち上がりつつ、水鉄砲を発射するフローゼルに対し、地表を滑りながら水の波動を撃つニルル。

 両者の砲撃が中間点、いや、僅かにそれよりフローゼル寄りの場所でぶつかり合い、水のエネルギーが爆散してフィールドいっぱいに広がるほど水を散らした。

 

「ッ、ッ……!」

「フローゼル! 来……」

「撃ってえっ!! どろばくだん!」

 

 自らが発射した水鉄砲を相殺され、その水が自らに降りかかったことが、パール達には意図しなかった敵の最大の隙だった。

 マキシが自分のポケモンに教え込んだ切り札奥義、ただの"みずでっぽう"にしか見えぬながら、傷ついた相手にはより強い苦痛とダメージを与える技。

 その"しおみず"を、傷ついた今の体で浴びせられてフローゼルが僅かに怯んだことが、勝負の展開を大きく左右したとさえ言える。

 予期していた以上の苦痛に意識を奪われたフローゼルは、地表を滑って接近しながら泥爆弾を撃ったニルルの攻撃を躱すことが出来なかった。

 

「フローゼル……!」

「のしかかりいっ!!」

 

 上半身いっぱいでもろに受けた泥爆弾が着弾と同時に炸裂し、吹っ飛ばされて背中を打ち付けたフローゼル。

 そして体を起こすより早く、低くながらも跳んだニルルが、フローゼルの体に思いっきり押し潰す。

 体重自体はそれほどでもないトリトドンだが、お腹に泥を纏ってのしかかった相手を、軟体ですり潰すように揉むニルルは、圧迫感と砂の力で敵を苦しめる。

 弱った体で足掻き振り払う力の無い今のフローゼルにとっては、身動きとれぬまま拷問のように全身を擦り潰されるような展開に近い。

 

「フローゼ……」

「――――――――z!!」

 

「ッ、――――z……!」

「ああぁぁ……!

 頑張って、頑張ってニルル、お願いいぃぃ……!!」

 

 胸より下ニルルに揉み潰され、押しのけようとする手でもニルルを剥がせないフローゼルは、開いた口をニルルに向けて水を発射。

 みずでっぽう、いや、"しおみず"の砲撃。それを顔面に受けるニルルも顔をのけ反らせ、それに乗じてフローゼルもニルルを押しのけようとする。

 しかし、ニルルはぐいっと顎を引き直し、打ちのめされた体に沁み込む塩水の苦痛を食いしばって耐え、フローゼルを包み潰そうと力を加える。

 やっと捕まえたのだ。ここしかないとニルルはわかっている。

 

「ぬうううぅぅぅ……!

 フローゼル! 踏ん張ってみせろ! 屈するんじゃねえぞ!!」

 

「ニルルーっ!

 頑張ってえっ!! 勝ってえ……っ!!」

 

 砂粒を纏ったニルルの体に、逃げ場無く力強く擦り下ろされるような苦痛に耐えながら、諦めずニルルの顔面に再び塩水を吐くフローゼル。

 傷に痛烈に沁み痛み、それも至近距離ゆえ水圧で以って、ニルルの顔がひしゃげそうになるほどの砲撃だ。

 しかし吸い込んだ息を全部吐き出したかのように、塩水の発射が止まるまで耐えれば、ニルルは再び顎を引いて敵を睨みつける。

 

 逃がすものか、お前がギブアップするまで絶対に僕は逃げない。

 離れろこの野郎、俺が負けてたまるか、お前が泣いて逃げ出すまで何度でも塩水を浴びせてやる。

 塩水を吐くフローゼル、浴びせられて身を裂かれる想いニルル、それでも逃げずに敵の体を締め上げて苦しめて。

 水を吐き終えた口でがはっと苦悶に満ちた肺の空気を絞り上げられながら、執念を振り絞って再びニルルの顔面に塩水を撃つ。

 大きな動きも無く、傍目からはフローゼルが何度も何度もニルルの顔に塩水を吐く姿だけが見える光景の中にある、双方の地獄を誰が真に理解できるだろう。

 観客には絶対に伝わらない。所詮は他人事だ。プラチナですらどうか。

 勝負の分かれ目だとは目に見えても、その迫真を100%は感じ取れまい。

 

 バトルの当事者たるパールとマキシだけが、ニルルとフローゼル双方の血走った眼と表情から目を切れず、勝利を渇望する両者の執念に共感できる。

 可愛らしい鳴き声を当人にしては絶叫めいて吠えあげるニルルと、余裕を捨てた獰猛な表情で抗うフローゼルの姿。

 捕食者とそれに抗う凶獣が咆哮を交わし合うその光景は、風貌に愛嬌のあるポケモン達の姿ゆえ、きっと傍観者にその迫真さは薄れて伝わる。

 そこに命のやり取りさえ想起させる両者の闘志があることを理解するパールもマキシも、頑張って欲しい想いで歯を食いしばる。

 ニルルとフローゼルが決死の想いで戦うのと同等に、パールもマキシも爪で自分の手が傷つきそうなほどの力を、握り拳に入れずにはいられなかった。

 

「ッ…………、ッ…………!」

「――――z、――――――z!」

 

「――――……っ……!」

 

「…………!

 よくやった、フローゼル……!」

 

 互いにしばしば息を詰まらせながらも傷つけ合っていた両者だったが、かはっと息を吐いたフローゼルが、その手でばん、ばんと床を叩いた。

 後頭部をフィールドに預け、歯を食いしばって痛みに耐えながらも、もう耐えられないと表明するその仕草。

 もっと早くに彼を引き下げてもいいとさえ考えていたマキシも、フローゼルの降参宣言を受け取って、既に握りしめていたボールのスイッチを無念無く押した。

 

「ぁ……」

 

 まばたき一つせず戦況を見守っていたパールの目の前に生じたもの。

 マキシの最後のポケモンが回収され、戦闘不能をジムリーダーが認めた光景だ。

 呼吸も忘れてそれを見届けたパールの前、捕らえていた相手が消えたこと、勝利を認識したニルルが天井に向けて首を振り上げる。

 

「―――――――――――――――z!!」

 

 それは苦闘を制したニルルの、やったぞという想いのこもった雄叫びのようなものだ。

 例えるなら、甲高いムクホークの長い鳴き声を、何倍にも何倍にも長くしたようなほどの長い咆哮。

 それはパールも聞いたことのなかった、喜びに打ちひしがれるかのようなニルルの声だった。

 

 初めて大一番の大将を任されて、見事に勝利を飾ることが出来たニルルの喜びが、その長く続く声には強く表されていたのだ。

 これほどまでに達成感を、誇らしげに、高らかに、声に出すニルルの姿には、パールもその歓喜に胸を撃ち抜かれたかのように想い高まるというものだ。

 

「……パール! 負けたぜ!

 お前と、お前のポケモン達の勝ちだ!!」

 

「っ……や……っ、やったぁーーーっ!!」

 

 勝利の実感をようやく得始めたパールを見据え、マキシは何よりもまず、挑戦者にそれをいっそう確信させる言葉を発してくれた。

 高らかな敗北宣言は、観衆に向けたファンサービスが好きな彼ゆえのものか。決してそうではない。

 やはりどんなに趣向が他のジムリーダーと違っても、マキシとてその一人としての心根は何も変わらない。

 全力を出し切って、自らに勝利を収め、輝ける未来への前進をまた一歩踏み出した者へ、それを心から実感させることにこそ我が言葉を。

 パールが握り拳二つを振り上げて、ヘッドマイク越しの割れた声を会場全体に響き渡らせる姿に、マキシは悔しさよりも賞賛を強く含む表情で眺めていた。

 

 挑戦者の勝利に観客席が沸き立つ中、マキシはヘッドマイクを一度はずし、握りしめたフローゼルの入ったボールを見下ろし、短い言葉を添えていた。

 観客席にも、対戦相手のパールにも伝わらない、マキシとフローゼルの二人の間でのみ交わされた特別な言葉だ。

 その機微を目にしていたプラチナにさえ、何を言っていたのかはわからなかったが、マキシの表情を見ればおおよそのところはわかる。

 死力を尽くして戦い抜いたフローゼルに向けたマキシの微笑みからして、労いや感謝こそすれ、なじるものでは絶対にない。

 具体的に何を言っていたかは永遠の謎だ。それでいいのだ。それを知れるのは、この戦いに全身全霊を尽くした者達だけの特権だ。

 

「――――z!」

 

「ニルル……!」

 

 嬉しそうにバトルフィールドを滑り、プールに飛び込み、パールの方へと泳いでくるニルル。

 トレーナーが立つ小島の端まで行き、這い上がってきたニルルをすぐに抱きしめるパール。

 喜び全開、それこそのしかかるようにパールに身を預けてくるニルルに、重たいけれどパールもぎゅうっと抱きしめ返して応えるのみ。

 プールを泳いで泥を落としてきたニルルは、仰向けに寝そべったパールの上に乗っかって、その軟体の腹でパールを抱きしめて頬ずりする。

 トリトドンの重さでお腹に乗っかられるパールは息苦しくもあったが、嬉しさが勝っちゃって耐えられてしまう。

 にゅるにゅるするニルルの体に腕を回して、その頭の後ろを撫でることに右手が夢中である。

 

「大好き、ニルル……!

 あなたのこと、今までよりもずっとずっと凄いって思った……!」

 

「だーーーーーっちくしょう! 負けた負けた!

 テメエら俺が負けて嬉しい奴らはもっともっと叫びやがれ!

 ジムリーダーを打ち破り、4つ目のバッジを手にした勝者を、最大限の賞賛で讃えてやるがいいさクソッタレー!!」

 

 パールへの賛辞、フローゼルへの労い、それを済めばマキシも通常運営に立ち返り。

 ジム全制覇を目指す若者の道を遮る、強い悪役としての演者として振る舞いつつ、集まってくれた観客にパールへの歓声を求めるのみ。

 とはいえ結局、どれだけコンチクショーの小悪党めいた言葉遣いを演じても、その態度が表すのはパールを褒めてやってくれの真意しか無いのである。

 わかる大人達がその心意気に応え、改めてパールへの賞賛を重ねる歓声が、今日一番の大きな音としてバトルフィールドいっぱいに響き渡る。

 それはもっと客数さえあれば、ポケモンリーグの大きな大会で決着がついた時にも匹敵するであろう、個々の大声で奏でられる大歓声だ。

 ニルルへの感謝で気持ちがいっぱいだったパールも、それを受けるニルルも、それに気付いて客前での勝負だったと思い返して会場を見渡している。

 

 死に物狂いで掴み取った勝利の末、惜しみない歓声を受けるこの感覚。

 きっとこれまでのパールの人生の中で経験したことのない、そしてニルルも初めて得る実感だ。

 いつかポケモンリーグに挑戦するなら、大観衆の前でバトルすることになり、その予行演習だと思えと言われて始まったこの勝負。

 それを望む結末で締め括れた時、こうした心震えるほどのものに直面できるということも含め、その予行演習めいたものは最高の形で終えられたと言える。

 二人だけの間でのみ通わせ合っていた喜びを、これほどの観客が共感するように声を上げてくれる一幕に、パールも心震えるほどの嬉しさを感じているだろう。

 

「えへへ、ニルル……!

 いま私、すっごく嬉しい……!

 あなたのおかげだよ、ほんとにありがとう……!」

「~~~~♪」

 

 改めて顔と目を向け合うパールとニルル。

 僕、頑張ったよ、とばかりに微笑んでもう一度頬ずりしてくるニルルに、パールはニルルをぎゅうっと抱きしめるだけだった。

 マキシや観客の賛辞も手伝って、パールの目が潤んでいたことは、彼女とニルルだけが知り得る二人だけの秘密だ。

 

 確かにこんな嬉しい勝利、これが初めてというわけではないのだけれど。

 全身全霊で戦ってくれたポケモンが、自分の望んだ勝利を死にもの狂いで勝ち取ってくれたという感動は、何度経験しようとそう簡単には慣れないものだ。

 ジムバッジの獲得が確定した事実よりも、パールの心を打ち震えさせてくれるものがここにはあったはずだ。それが何かはきっと言わずもがな。

 大好きなポケモン達と一緒に大きな夢を追うポケモントレーナー達ならば、きっと誰しもがわかるはずのことだ。



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第49話   ノモセ大湿原

 

「来た来た~! ノモセ大湿原!

 一度来てみたかったんだ!」

「そうなの?」

「テレビで初めて見た時から、綺麗な場所だな~ってずっと思ってたんだ。

 わざわざ話さなかったけど、ノモセシティに来たら絶対寄ろうって思ってた」

 

 マキシとのジム戦を終え、ゆっくり休んで一夜明けた翌日。

 パールとプラチナはノモセシティの傍らにある、ノモセ大湿原を訪れていた。

 

 ノモセシティとはそもそものところ、シンオウ地方以外ではなかなか見られない、大いなる湿地帯の保護に努めたい人々の築いた村が発展して出来たもの。

 人間社会が発達し、自然に手を加えることも多くなった今なお、この大湿原はノモセシティの管轄のもと、殆ど人の手を加えられることなく現存している。

 大湿原入りのゲートをくぐり、パール達が目にしたのは、百年前と何ら変わらぬ自然のままの形で残された大湿原の光景だ。

 

 大湿原は、大きく分けて6つの区画に分かれるのだが、その区画一つ一つさえ町一つに匹敵するほど広大。

 すべて合わせた湿原全体の広さたるや、一日で全区画を回ることなど到底出来ないし、入り口から一番遠い場所まで行くだけでももの凄い時間がかかる。

 そんなわけで湿原内には、区画を素早く渡るためのクイック号と呼ばれる乗り物や、それが走る線路も作られてはいる。

 なるべく完全に自然のまま残したいとは言っても、頼まなくたって客が集まってくる観光名所ゆえ、致し方のない部分もあろう。

 非常に広大なノモセ大湿原、線路ぐらい引いたところで、そこまで自然を破壊していると形容するほどのものではあるまい。

 

「クイック号、乗ってみようよ!

 第2エリア行こ!」

「マリルがいっぱいいるんだっけ?」

 

 水を得た魚のように既に楽しそうなパールに手を引かれ、プラチナも一緒にクイック号に乗る。

 大湿原の入り口には望遠タワーがあり、その上階の望遠鏡から湿原の眺めを見渡すことが出来る。

 いわばこれを先に覗いておくことで、今日はノモセ大湿原のどこを回ろうと決める指針を作ることが出来るのだ。

 先に望遠鏡を覗いていたパールの心を射止めたのは、大湿原の第2エリアで群がっていたマリルとルリリの集団である。

 親のマリルが子のルリリを抱っこしてあやしているかのような姿は、望遠鏡越しに見ても胸がきゅんきゅんしたものだ。

 ぜひ生で見たい。第2エリアに向かうクイック号の中で、まだかなまだかなと身を揺らすパールは本当に楽しそうだった。

 

 

 

 数か月前には入場料の500円を払えば、サファリボールが30個貰えて、ポケモン捕まえ放題という企画をしていたノモセ大湿原。

 ただしあくまで試験的にやってみた企画でしかなく、やっぱりポケモン乱獲が進み過ぎると自然に悪影響を及ぼすかも、という懸念から今はやっていない。

 とはいえポケモンの捕獲自体は、全面的に禁じられているわけではなく、自分で持ち込んだボールでポケモンを捕まえること自体は良い。

 そもそもノモセ大湿原のポケモン達は、様々な理由から、他の場所の野生のポケモンよりは捕獲が難しい傾向にあるからだ。

 

 現在、入場に際してサファリボールは貰えないが、サファリ時代の名残として、湿原のポケモン達に与えてもよいエサは少々頂ける。

 なので大湿原のポケモン達にとって、湿原を訪れる人間とは"もしかしたらエサをくれるかもしれない"人達なのだ。そう学んでいる。

 そんなわけで人間に対してはみんな友好的で、攻撃を仕掛けてくることなんてまず無い。

 バトルにならないので、弱らせてから捕まえるということが出来ないのだ。弱っていないポケモンにボールを投げても、捕獲はなかなか上手くいかない。

 

 相手が友好的だろうがお構いなしで、こちらから攻撃してダメージを与えることで、弱らせ捕獲しようという人もいるかもしれない。

 しかしこれをやってしまうと、湿原内に群生するポケモン達が、あっコイツ悪い人間だ、と見做して一斉に群がってくる。

 どうも大湿原のポケモン同士のコミュニティと結びつきは強いようで、外敵と見做した相手は一致団結して袋叩きにしてくるのだ。

 月に一回ぐらい、そういう良からぬことをしてしまう観光客が、怒ったポケモン達にもみくちゃにされ、ゲート近くにポイされるケースが発生するそうな。

 怒っても泥んこまみれにして人里そばまで運び、帰れ帰れのお仕置き程度で済ませる湿原のポケモン達、なんだかんだで人間には優しい。

 

 乱暴なことをせず、ボールを投げるだけだったら、案外ここのポケモン達は怒らない。

 そもそも無傷で元気なポケモン達、ボールを投げても避けることだって多く、躱すポケモン側も楽しそうにしているぐらいである。

 ボールを当てられたって、ボールから脱出できれば、残念だったね~とばかりにお尻を振って得意げになる個体がいたりも。

 要はここのポケモン達にとって、ボールを投げられるのは遊んで貰っているのと同じ感覚なのだ。

 そしてその余裕とは、もし捕獲されとしたって、人間と一緒になるのも別に悪くはないと思っているからこそ。

 おイタした人間に対する処罰が甘いことからもわかるように、大湿原のポケモン達は本当に人間に対して友好的なのだ。

 何十年にも渡り、ノモセの人々が大湿原のポケモン達と、長く長く友好的な関係を築いてきたからこその関係だろう。

 

 そんなわけで、パールも機会があるならば、ポケモンの捕獲を目指してみてもよい。

 バトルせずの捕獲なので難易度は高く、しかも何個もボールを投げて失敗する想定をするなら、出費もまあまあ厳しいことになりそうだが。

 たった500円でボールを30個確保させて貰えた頃と違い、サファリ企画抜きで来訪者に捕獲を認めても、乱獲するのは難しいという話である。

 

「うぅわあぁぁぁ~~~……!

 かわいぃよぉ~~~……!」

「パール、メロメロだねぇ。

 でも、これは僕にもちょっと気持ちわかるかも」

 

 とはいえパール、今はそんなこと全然考えられる状態じゃない。

 第2エリアに到着したパールは、お目当てのマリルファミリーを前にして、見ているだけで幸せな気分を満喫しちゃっている。

 二匹のマリルリがお父さんお母さんと見え、その周囲には可愛いマリルが5匹いて、泥をかけ合って遊んでいて。

 お母さんマリルリは、ルリリを抱っこしてゆらゆらして、ぐずりそうな顔の赤ちゃんをあやしている。

 お父さんマリルリも、赤ちゃんの頭を撫でており、やがてはその子も安息の表情で目を閉じ、すぅと眠りにつくような仕草。

 一家団欒、それも可愛い可愛いポケモン達の家庭風景である。

 眺めているだけで骨抜きにされそうなくらい可愛くて心和んで尊ささえ感じるのに、ここにボール投げて邪魔するなんてパールには絶対無理。

 

「――――、――――?」

「――――。

 ――――♪」

 

「ふあっ!? プラッチ見て!?

 あのマリルリこっちに手を振ってくれてるよ!? しかも笑顔で!」

「凄いな、ここのポケモン達……

 本当に人間に友好的で……こんな世界をノモセの人達は、長い時間かけて作ってきたんだな……」

 

 一番小さい、5匹のマリルの中では末っ子と見えるマリルが、あれ何? とパール達を指差してお父さんマリルリに尋ねるような仕草。

 それでパール達に気付いたマリルリお父さんは、我が子ににっこり微笑みかけて、怖いものじゃないよと教えてあげる。

 そうしてパール達に笑顔で手を振ってくれるのだ。友好的を通り越して、人間さんのことが大好きとさえ見える。

 トレーナーとそのポケモンに強い絆が生じるという例は、決してそんなに少ないものではないけれど。

 誰のポケモンでもない野生の個体らが、あんなに人間に対して無警戒で、友好的で、親しみたがる環境が、世界広しといえどここ以外にどれだけあるだろう。

 マリルリ親子の愛くるしさよりも、その掛け替え無さにプラチナは心奪われさえするというものだ。こんな世界があったなんて。

 

「パール、ごはんあげてみれば?

 きっと喜んでくれるよ」

「あっ、そうだそうだ!

 ほらほら、おいしいよ~!」

 

 パールは鞄の中から、大湿原の入場料を払った際に貰ったエサを取り出し、それを掲げてマリル達に見せつける。

 それが美味しいごはんなのは、マリル達にもわかるのだろう。

 5匹のマリル達が目を輝かせ、てちてちこちらに駆け寄ってくる。もうこの眺めだけでパールは腰砕けになりそうである。

 

 しかしパールも、ちょっといたずら心がむずむずする。

 そんなつもりは無いけれど、マリル達が近付いてきたところで、鞄の中からボールを取り出して見せたのだ。

 それを見るや否や、マリル達の動きたるや機敏なこと。

 あっ、ワナだ、逃げろ逃げろとパールから距離を取るように散会して身構えるマリル達である。

 ちょっぴりイジワルして反応を見たかっただけのパールだが、マリル達も怒るどころか、来て来て投げて投げて遊ぼうよと楽しそうな顔。

 怒らせちゃったら謝って、エサだけ置いて潔く帰ろうと心を決めていたパールだが、好感度の高すぎるマリル達の態度にもう駄目。腰に力が入らない。

 

「ああぁぁ……プラッチ……

 わたしもうだめ……かわいすぎてしぬ……」

「負け過ぎでしょ。

 ごはんはあげなきゃ、はい腰に力入れて、立って」

 

 本気で腰砕けになるほどメロメロにされているようで、パールの肩に手を置いて、支えありしで立つのが精一杯になってしまうパール。

 流石にプラチナとてこんな絡まれ方は面倒。まあ、共感自体はかなり出来るので疎ましくは無いが。

 しゃんとしてエサあげよう、と促してくれるプラチナに、パールは自分で立ってボールを片付けると、しゃがんでマリル達にエサをもう一度見せる。

 ボールが無くなった、じゃあやっぱりごはんだ、と群がってくるマリル達に、パールは小さなドーナツ型のエサを一つずつ配る。

 

 受け取るや否や、ぱくっと食べてもぐもぐするマリル達、美味しそうに幸せそうな笑顔を浮かべるのだからたまらない。

 さらに、一番体の大きい長男マリルは、そのエサを半分ぐらい自分で食べると、それをお父さんとお母さんのところへ持っていく。

 お父さんも食べて、と差し出す我が子の姿に、心温まる笑顔を浮かべて受け取るお父さんの姿には、パールもなんだかじーんとしちゃう。

 そんなお兄ちゃんの姿を見たら、エサを半分以上食べてしまっていた他のマリルも、親や赤ちゃんルリリのそばへそれを持って行く。

 みんなお父さんとお母さんと、最近生まれたばかりの末っ子ルリリのことが大好きなのだ。美味しいごはんを、自分だけで食べるよりみんなで食べたい。

 両手の塞がっているお母さんマリルリに、長女のマリルが差し出すごはんを、お母さんマリルリはあーんと口を開けて一口貰って。

 次男マリルも同じことをするし、三男マリルは幼いルリリの口元にごはんを持っていってあげて、小さな口でそれをかじって美味しそうに笑う弟の姿に微笑む。

 長女のマリルが、手の塞がっていないお父さんの口元にごはんを持っていって、あーんしてよとねだる姿には、お父さんもちょっと恥ずかしそう。

 あんまり見ないでくれると助かるんだけど、とちらちらパール達の方を見ながら、口を開けて愛娘の差し出すご飯を口にするお父さんマリルリ。

 それで長女マリルが飛び跳ねて喜ぶのだから、お父さんマリルリに限らず、傍観者のパールですら心がてろてろに蕩けさせられそう。

 

「プラッチ……私は楽園を見付けてしまったよ……」

「もういっそここに住めば?」

「悪くないと思い始めている」

「ジム巡りの旅も終わりかな」

「無念っ……!

 これほどの楽園を前にして旅立たねばならないとはっ……!」

 

 あぁ、流石に今の夢と天秤にかければ旅の方が勝つんだな、とプラチナも苦笑い。

 しかし、大袈裟に頭を抱えてリアクションぶるパールの仕草が、まあまあ迫真で面白くもある。

 女の子はやっぱり可愛いものが好きなんだなぁと。ハートをそれに掴まれると、もうどうにもならないぐらい堪らないんだろうなとプラチナも感じる。

 

 半分正解、半分そうでもない。それって女の子に限ったことじゃない。

 男の子でも、女の子でも、可愛いものが好きな子達は、可愛いものを前にした時にはどうにもならないぐらい幸せ。

 老若男女問わず、多くの人にポケモン達が愛されるわけである。

 

 

 

 

 

「いや、でもね、プラッチ。

 私本気で、いつかノモセシティに引っ越して暮らしてみたいって思ったよ?

 この大湿原に関わるブリーダーさん、本気で目指してみたい気分になっちゃった」

「チャンピオンになる夢と比べたらどっちが勝つ?

 けっこういい勝負する?」

「う~~~~~ん……今はやっぱりチャンピオン目指す夢が最優先だけど……

 いつかほんとにそれが叶えられたら、次に目指すところはその辺になりそう」

 

 マリルリ親子から離れ、クイック号に乗り込んで、ゲート付近まで帰ってくる途中、パールとプラチナはそんな話をしていた。

 チャンピオンになるなんて夢、百人いて百人が叶えられないまま終わるほど遠い夢なのに、それを叶えた後の人生設計なんてしちゃって。

 それも、夢を描く子供達の特権である。パイロットにも警察官にも両方なりたいんだけど……なんて言う子供は可愛いものだ。

 それでいい、あるいはそれこそが良い。

 子供には無限の未来と夢がある。賢しい現実に悩むのは大人の仕事だ。

 

 クイック号を降りて、ゲート付近に降りたパールとプラチナ。

 西に行けば第5エリア、東に行けば第6エリアという所で、別段どこを目指すでもなく東向きに歩く二人である。

 目当てであったマリルリ親子はもう見られたので、あとはのんびりこの大湿原の雰囲気を堪能しようという足運び。

 

「あぁ~、でもなんかここ落ち着くなぁ。

 空気がすっごく美味しく感じる。なんでかな?」

「湿地帯好き? 水分があるとパールは幸せ説」

「なにそれ、人を水ポケモンみたいに」

「いや……どっちかって言うと草ポケモンじゃない?

 水があると嬉しいそのカンジ」

「あ、それならいいや。

 ピョコと一緒だ、ナタネさんと一緒だ」

 

 なんだかちょっと満更でもない顔のパール。

 プラチナがパールを掌の上でころころするのが上手になってきた証拠である。

 パールはピョコのことが一番好き、そしてナタネさんにべったり。

 ポケモンみたいだね、なんて言われて喜ぶパールではないが、草ポケモンみたいだねって言うとそんなに嫌な顔をしないのである。

 それをおおよそ見抜いた上で、適当ではなくその言葉を紡ぎ出し、パールの不機嫌化を阻止してむしろ上機嫌にさせるんだから、プラチナってばたいしたもの。

 むしろちょっと嬉しそうに笑うパールの横顔を見て、この子もしかして実は超ちょろいんじゃないかと思ったプラチナの感想、そんなに間違ってない。

 

「ん~、ずむずむするね、やっぱり。

 水を含んでるぶん、土が柔らかいのかな」

「僕達の足跡、けっこう残ってるよ。

 場所によっては、もしかしたら深みに嵌まる場所とかあるかも。

 ちょっとだけは気を付けて歩いた方がいいかもしれないね」

 

 さて、人懐っこいポケモン達と会えるノモセ大湿原だが、ここには湿原ゆえのもう一つの持ち味がある。

 水分を多く携えた大湿原は、どこもかしこも土が柔らかく、靴の裏から足に伝わる感触がなかなかに新鮮だ。

 どこを歩いても1cmは沈むかようにずぶっと足が土に嵌まり、草の生えていない露出した土を歩く限りでは、振り返れば自分達の足跡もくっきり。

 一歩一歩と歩くごとに、ねちゃねちゃとした質感が靴越しに足に響くのは、なかなか他では出来ない体験である。

 アスファルトや人の為に均された道路しか歩いていない現代っ子にとって、これは歩いているだけでも非日常的経験だ。

 

「ぺちゃぺちゃっ」

「ちょっとパール、何してんの。

 靴が汚れるよ」

「ん~、これだとちょっと走っただけでも靴下まで泥だらけになりそうだね。

 よしっ」

「えっ、えっ、ちょ、ほんと何してんの?」

 

 足先で湿地の土を蹴り、泥を前方に跳ねさせるパールの姿は、いったい何をしてるんだろうとプラチナには映る。

 それだけならまあいいのだが、よしっ、と一言残してパールが取る行動は、プラチナから見て奇行とさえ感じられたものだ。

 近場の木に手を置いて、右足を上げて靴を脱ぐと靴下も脱ぎ、裸足になった右足で柔らかい土を踏みしめると、左足も同じようにする。

 そうしてその木の根元に、靴下を丸めて入れた靴を置いて、自分は両足ともに裸足で湿地の土をぎゅっと踏みしめるのだ。

 

「あははっ、柔らかいよ、ここの土。

 プラッチもやってみない? 」

「ぼ、僕は結構です……

 パール、急にどうしたの、そんなに柔らかい土を素足で踏んでみたかったカンジ……?」

「え~、そんなことで学者になれるの?

 ここのポケモン達が毎日のように踏みしめてる大湿原の土、素足で踏んでみて経験してみようぜぇ?」

「どういうキャラになりたいのさ……」

 

 ちょっと引いてるプラチナである。

 でも、パールはプラチナの白い目に晒されながらもなんだか楽しそう。

 なんだか野生児を見ている気分のプラチナだ。魅力的な女の子だなと思っていた相手が、急にヘンなことし始めると衝撃度もまあまあ高い。

 そろそろ彼女を異性として意識し始めていたプラチナにとって、これは目覚めかけていた気持ちもふっと冷める事象には違いあるまい。

 

「プラッチわからないかなぁ、こういうの。

 まあいいもん、私達は私達で楽しむからね?

 みんな、出ておいで! 一緒に遊ぼ!」

 

 正直、自分が女の子としてどうかなという行動を取っているのは、パールも自覚があるのだろう。

 明らかに顰蹙を買っているような目を向けられることに苦笑いしつつ、パールは自分の鞄をぽんぽんと二度叩く。

 パールにはパールなりの、大事にしたい何かがある。プラッチにどう思われようと、彼女にとっては他の何より大事にしたいものがあるのだ。

 

 モンスターボールはスイッチを押すことで中のポケモンを出せるが、中のポケモンは自分で飛び出してくることも出来る。

 みんな出ておいで、というパールの声と仕草と鞄を叩く音で、パールのポケモン達が外に出てくる。

 ここで特筆すべきは、ピョコも、パッチも、ニルルも、パールからはやや離れた場所に姿を現したことである。

 パールのそばに姿を見せたミーナが、着地の瞬間に湿地の泥を跳ねさせて、パールの膝近くを汚した一幕が、ピョコ達が離れた場所に着地した所以そのものだ。

 

「てやっ! どろかけっ!」

「――――!?」

 

 自分達がこんな湿地に降り立つと、跳ねた泥でパールの体や服を汚してしまうと思ったから、みんなパールから離れた位置に降り立ったのである。

 しかし、パールは靴を置いた木のそばに鞄を置くと、両手で湿地の土に救ってピョコにぶっかけた。

 顔にべちゃっと泥をかけられたピョコは、それ自体にも驚いたが、女の子のご主人が自分から綺麗な手を汚したことにびっくりする。

 それこそ同じ女の子で、流石に頭の毛や背中を汚すのは好まないパッチなんて、パールの行動を同じ女の子の行動とは思えず目を丸くしたものだ。

 

「あっ、ピョコが怯んでる!

 プラッチ見て! 今は私がピョコに勝ってるよ!」

「え、えぇ……?

 まあ、そういう解釈も出来るの、かな?」

「さあどうしたピョコ~!

 かかってこいこい! いつもの頼もしいあなたはどうした~!」

 

 なんで急にピョコを挑発しているんだろう。

 プラチナも奇行続きのパールに顰蹙全開である。まあ、付き合いのいい彼なので掛け合いには良い反応をするが。

 しかし、それこそピョコもどう返せばわからず、意見を求めるようにパッチに顔を向けている。そんな顔されてもパッチも困っているが。

 

「――――z!」

「うひゃあっ!?」

 

 しかし、ここで空気を呼んだニルルが行動を起こす。

 湿って滑りやすい土の上をにゅるる~っと滑っていき、ぴょいんと跳ねてパールの胸元に飛び込んでいく。

 トリトドンは案外体重があるのだが、ニルルはそれをわかっていて、体当たり気味にパールに突っ込んでいくそのダイブもやや弱め。

 それでもパールにはそこそこの重みであり、やわく突き飛ばされたパールが湿地の上に尻餅をつく。

 何してるの、パールが泥だらけになっちゃう、と焦るピョコとパッチとプラチナの前、ニルルは尻餅ついた姿勢で座ったパールにじゃれついていく。

 

「わわわっ、ちょぉっ……!

 ニルルだめだめそんなのっ、力押しなんて反則……っ、ちょ、やめてやめて離れてっ、くすぐったいからっ!」

 

 元々全身を粘液で光らせる上、触れた土を身に吸いやすいニルルが、パールを押し倒してのしかかるようにじゃれることで、いよいよパールは泥まみれ。

 背中を湿地の土につけ、ニルルに胸元へ頬ずりされ、自分の下半身を乗っかったニルルにぬめる体で揉まれて。

 流石に顔に泥を塗るのは憚られるのか、パールの顔だけには触れないようにする辺りは、雄にしてニルルも紳士的だ。

 その一方で、大事な髪の先が泥にまみれようとも気にせず、触れれば手が泥と粘液だらけになるニルルを、だめだめと押し返そうとするパールの姿もある。

 

「――――z!」

 

「!?」

「――――!?」

 

 待って待って、女の子のパールにそんなことしちゃ駄目だよ、と歩み寄ったピョコとパッチに、ニルルが弱めの泥爆弾を投げる。ミーナにもだ。

 湿地の土を力の源として撃つ、しかし攻撃的な威力の無い泥爆弾。要するに、柔らかい泥団子をべちゃあと投げ付ける、威力の無い戯れ。

 顔を泥まみれにされたピョコとパッチとミーナが、首を振ったり顔を拭うなりする中、ふんすと鼻を鳴らす音を大きめに立てるニルル。

 すっかり"いばる"を使いこなしている感がある。煽りに回ると上手い顔をする、言い換えれば誰が相手でも上手く挑発する千両役者。

 

「――――z!」

「――――――――z!」

 

「わ゙~ちょっと待ってぇ!?

 私が巻き添えに……ひえええっ!?」

 

 しれっとパールから離れて臨戦態勢を取っていたニルルだったが、彼の挑発で火のついたピョコとパッチによる猛撃が始まった。

 パッチは器用に両前足で泥を掬い上げ、ニルル目がけてぶん投げる。

 ピョコは自ら湿地に顔を突っ込み、口の中に吸い上げた泥をスプレーのように噴射してくる。

 狙いはもちろんニルルなのだが、そしたらニルルのそばにいるパールにも当然ぶっかかる。

 両腕で顔を庇うパールだが、次の瞬間にはパッチがニルルに跳びかかり、組み付いて泥の中をごろんごろん。

 ピョコはお前も入ってこいとばかりにミーナの腕を軽く咥え、ぽいっとニルルとパッチがくんずほぐれつの中へと投入。

 そしてピョコも、その輪に加わっていくのである。

 4匹参戦の泥んこレスリングの開幕である。四人で絡まり合い、頭のてっぺんから足の先まで湿地の泥にまみれての組付き合いになってしまった。

 

「ふえぇ~、どろどろになっちゃった」

「それ多分、洗濯しても落ちないよ……」

「いいのいいの、私達、旅してるんだよ?

 ちょっとの落ちない汚れなんて、色んな場所を歩いてきたんだぞ~っていう勲章みたいなもんでしょ」

 

 顔は綺麗で服は泥だらけ、スカート含む下半身なんて綺麗な所の方が少ないパールには、プラチナも女の子らしからず過ぎる姿に心配すら覚える。

 しかしパールはあっけらかんと、泥まみれの体で手をひらひらさせて笑うのみだ。

 勝手なプラチナの想像だが、やんちゃ盛りのダイヤに引っ張り回される幼少時代、泥遊びには慣れっこなんだろうかなんて思っちゃう。合ってるが。

 

「ひゃっ、飛んできた飛んできた。

 プラッチ、汚れるのヤだったら私から離れてないと危ないよ」

「うわわっ……う、うん……」

 

 さしてパールと離れていない場所でくんずほぐれつするピョコ達は、湿地の土をばちゃばちゃ跳ねさせてのじゃれ合いだ。

 けっこう激しい。こっちまで飛沫が飛んでくる。

 慌てて離れるプラチナだが、パールは飛んでくる泥が目に入らないよう手と腕で守りながらも、泥の冷たさを楽しむかのように笑っている。

 彼女が見つめて顔を逸らさないのは、楽しそうに遊ぶ四人の姿。

 泥が届かないぐらいの遠くからじゃなく、近い位置で自分のポケモン達が笑顔ではしゃぐ姿を見たいのだ。

 愛くるしいマリルリ親子を、望遠鏡越しじゃなく間近で見たいと思うのと同じなのだろう。最高の景色は、やっぱり近くで見てこそである。

 

「……あぁ、そっか。

 だから、なんだな……」

 

 プラチナにも、やっとわかった。

 ピョコも、パッチも、ニルルもミーナもそう。女の子のパールがそばにいると、奔放にはしゃぐことが出来ない優しい子達。

 自分達がこんな所でばちゃばちゃ遊んだら泥が飛ぶのだ。現にパールに呼ばれて出てきた時、彼女から離れた場所に着地点を選んでいたぐらいだ。

 だけど、パールが既に泥まみれになってしまった今、そうなったって気にしない姿を見せてくれたパールを見ればどうか。

 気兼ねが無くなり、四人で思いっきり遊び始めたではないか。

 靴を脱ぎ、素足を泥で汚すことも平気な姿を見せたことに始まり、私はどうなってもいいから好きなだけ遊ぼう、と示したのがパールなりの表現手段。

 ニルルがパールを押し倒し、もみくちゃにして泥を塗りたくったのは、きっとそういう意図を読み取ったからだろう。賢くて気付けるニルルである。

 

「私も混ざるぞ~!

 ピョコが強いな、よーし劣勢のパッチとミーナにサポートだっ!」

 

 土を両手で掴んで固めて、ピョコ目がけて投げるパールも、その輪に入りたがってすらいる。

 離れた場所から見る、パールの楽しそうな横顔を見て、自分に同じことが出来るだろうかってプラチナは考えてしまう。

 きっとダイヤのような幼馴染と一緒に育った彼女、泥遊びの経験もありそうだとは確かに想像もつくけれど。

 大好きなポケモン達と遊ぶためなら、旅の大事な一張羅をあれだけ泥まみれにすることも厭わない姿に、彼女がポケモンに向ける好意の強さを感じてやまない。

 親しくなりたければまずは自分が合わせる。人と人同士でも大事なことだ。

 

「――――!?」

 

「……あっ」

「あっ」

 

 さて、しかしながらたまにスベる辺りがパールの詰めの甘いところか。

 ピョコを狙って投げた泥団子は、そうと知らず動いてたまたま避けたピョコのそばを素通りし、ミーナの顔にべちゃあと当たった。

 サポートするよと言った相手にフレンドリーファイアしてしまったことが問題?

 いや、それもそうだがパッチに当てるよりやばい相手に、よりによって。

 

「ご、ごめんごめんミーナ!

 わざとじゃな……ひえぇぇなにその笑顔!?」

「――――z!」

「ちょっと待っ、ふぎゃうっ!?」

 

 ミーナはそんなに怒っていなかった。むしろにま~っと悪い笑顔だった。

 泥をぶっかけられたこと自体より、パールに攻撃する大義名分が出来たことの方が嬉しかったかのように。

 そして素早いミーナがパールに駆けだしたら、後ずさるパールに逃げ場なんて無いのである。

 胸元に飛び込んでくるミーナに押し倒され、再び泥へ尻餅をつくパールだが、ミーナはさらにパールの胸を押して湿地に背中まで着けさせる。

 そのまま全身パールに預けて起き上がらせないように押さえつけると、泥いっぱいになった顔でパールに頬ずりしてくるのだ。

 

「ぷわっ、ぷへっ……!?

 無理無理だめだめっ、降参っ、降参しますっ!

 負けたっ、負けたからやめて~! たすけて~!」

 

 あんたの塗った泥だぞ、あんたの顔も泥んこにしてやる、と、汚された顔でパールの顔を汚しにくるミーナであった。

 圧の強い力で押さえつけ、パールを起き上がらせない、寝返りさえ打たせない、そんなミーナの全身に胸と首元を制圧されてパールは逃げ場無し。

 泥まみれの体同士でぬるんぬるん上半身をもみくちゃにされるとくすぐった過ぎて、抵抗する力も半減する。絶対もうどうしようもない。

 くすぐったいわ顔をべちょべちょにされるわ、助けを求めるパールの声に、苦笑い気味のピョコ達が寄ってきて、どうどうとミーナを宥めてくれる。

 気の済んだミーナは、パールの胸を股下に立って胸を張り、どうだまいったかと鼻息を鳴らす。

 全身余すことなく泥一色にされてしまったパールは、くすぐり混じりの中で必死に抵抗したのもあり、息切れした体で胸を上下させてミーナを見上げるのみ。

 

「も、もうかんべんしてぇ……

 ミーナの攻撃、きっついよぉ……」

「――――♪」

「やっ、ちょ……!?

 な、なんでまた!? たっ、たすけてえぇぇ!?」

 

 くたくたになったパールを見て何のテンションが上がったのか、再びミーナはパールに覆いかぶさってきた。

 泥まみれの体をパールに預けてもみくちゃにして、また頬ずり頬ずり。

 これがとにかく上半身全部くすぐったい。笑わせ殺されそう。

 ピョコもパッチもニルルも、もう流石にそろそろ……と小さい鳴き声で制止しようとはしているが、なかなかやめないミーナである。

 こういう時、力ずくでやめろと訴えられない辺り、パールを守るためとて身内には強く出られないのがピョコ達の甘いところなのかもしれない。

 

 結局パールは、過呼吸になるほどくすぐられて汚されて、ようやく再び満足したミーナのお尻の下に敷かれ、指一本動かせないほどぐったりさせられた。

 元々パールへの懐きが悪いミーナだが、パールを攻め始めた時の容赦なさは格別である。

 以前と比べれば、ややアプローチが遊び混じりで距離が近まっているとも捉えられるが、当事者パールにしてみればダメージの大きさはたいして変わらない。

 ようやくミーナの猛襲から解放されても、パールはしばらく息を整えることだけで精一杯で、もはや死体同然の有り様で横たわるのみだった。

 

 

 

 この後なんとか立ち直ったパール、湿原でみんなと遊ぶ時間を再開したのだが、存分に遊んで大湿原から出る段階で、人の目を引いたことは言うまでもない。

 そもそも湿原ゲートをくぐる時点で、全身泥んこになって帰ってきた女の子の姿に、係員が目をひん剥いたのは言わずもがな。

 顔ぐらいは洗わせて貰えたが、そこまで湿地で泥まみれになる子がいるとはノモセ側も想定外であってシャワーなんて無い。

 ようやくその段階になって、自分がぶっ飛んだ姿になっていることを理解したパールは、顔から火が出る想いでポケモンセンターに向かった。

 通行人らに二度見されまくったこと、うち何人かにくすくす笑われ、お風呂までの道のりが遠かったことはパールの黒歴史になるだろう。

 流石にこの時ばかりはプラチナでさえ、今のパールと並んで歩くのはヤだな……と思ったものだ。ごく真っ当な感想である。

 

 ポケモンセンターに帰り着いたのは夕過ぎ。

 相当長い間、大湿原で遊んでいたようだ。

 お風呂に入って、泥んこまみれになった服を洗濯して、多少の沁みが残ってしまった服を改めて着たパールが、プラチナと苦笑いまみれの話を交わして。

 あとは二人、お互いの寝室に分かれて一夜のおやすみである。

 こうしてノモセ大湿原でどたばたと遊び尽くした一日は終わりを告げ、明日の再出発に向けて二人はゆっくりと身体を休めるのであった。



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第50話   212番道路

 

「うぅ……まだ眠い……」

「夜更かししてたでしょ。

 具体的にはナタネさんとの長電話」

「はい、ごめんなさい」

「いや、別に謝るほどのことじゃないけど……」

 

 ノモセ大湿原でたっぷり遊んだ翌日、パールはたいそうお寝坊さんだった。

 先に起きたプラチナが、のんびり朝支度してからパールの泊まり部屋に行ってコールしても起きてこなかったのだ。

 

 ひとえに、前日に体力を使い過ぎた上で夜更かししたせい。

 大湿原ではピョコ達とこれでもかというぐらい遊び回ったパール、楽し過ぎて疲れを忘れていただけで身体はへとへとである。

 例え話だが、大湿原であれだけ遊んで、帰りが車かバス辺りであれば、車内で一度寝ちゃうであろうぐらいには遊び疲れていただろう。

 しかも、泥んこになってしまった体を綺麗にするためお風呂に入っている間、洗濯が普段の倍ほどの時間がかかるんだから長風呂で体がほぐされ過ぎて。

 その後、たくさん遊んでお腹も空いているから普段より沢山食べて。

 この上、あまりに楽しい一日だったせいで、ナタネさんとのお電話でも話すことがいっぱい出来てしまい、ついつい12時過ぎまでの長電話ときた。

 ベッドで寝転がって通話している間、それほど楽しく電話しているにも関わらず寝落ちしそうになったんだから、実際よほど疲れていたということだ。

 でも楽しい電話は切りたくない。部屋をうろうろ歩きながら、長らくナタネときゃっきゃお話ししていたようである。

 

 それだけ無理して起きてるにも等しい夜更かしをしていたら、あったかくて柔らかい布団に包まれて熟睡したが最後、そう簡単には起きられない。

 ポケッチのアラームでも起きない、部屋の外からコールされても起きない、ついにプラチナがモーニングコールしてみても起きない。

 自然に目を覚ます朝の10時まで、パールは幸せな夢を見ながらず~っとすやすや。

 朝起きて、ポケッチで時間を確認した時、すっごくプラッチを待たせていることに気付き、寝ぐせも整えず部屋を飛び出すパールは大慌てだった。

 まあ、プラチナは結構賢い子で諸々の推察要素から、今日はパールも寝坊するかもなと予想していたので、全然気にしていなかったが。

 むしろ長いあの髪が寝ぐせまみれのばっさばさ、帽子もかぶらず飛び出してきた彼女の姿を見て、朝から面白かったので、別に。

 

 きちんと身支度を身だしなみを整えて、朝食というにはあまりに遅すぎるお昼ご飯を口にしたら、ノモセシティを出発だ。

 西へと進む、あるいは西へと帰る道のりとも言える212番道路を行く、ヨスガシティへと戻る旅の始まりである。

 212番道路はシンオウ地方の道路の中でも最も長い一つとしても有名で、出来れば朝早めに出発したかったのだが、パールが寝坊したのでやや遅い出発に。

 さて、一日で走破できるだろうか不安が残るところ。

 出来てもヨスガに着く前に夜になりそうなので、それなりに急ぎ足で進んだ方がいいかもしれない。

 

 パールは夜の野外がたいそう苦手である。

 野生のズバットを想像してしまうからだ。212番道路に目撃例はないそうだが、絶対いないとは言い切れないので。

 

「多分、トレーナーさん達も結構いるよ。

 わざわざバトル全部受けるようなことさえしなければ、夜になる前にヨスガシティに着けるかもしれないけど」

「いや、そういうわけには……

 ヨスガシティに着いたらジム戦の可能性大だよ?

 ちゃんとサボらず修行しつつ行かなきゃ」

「だよねぇ、パールならそう言うと思った。

 まあ、歩くのはなるべく速めに、すたすた行こうか」

 

 どちらにしたって暗くなると、足元の視界も悪くなって危ない。

 朝起きが遅く、出発が遅れて急ぐ旅になっていることを少し気にしながらも、パールは気持ちを切り替えてノモセシティを出発した。

 長尺と名高い、212番道路の旅の始まりである。

 

 

 

 

 212番道路は、3つのエリアに分かれていると言える。

 沼めいた深みのある、ぬかるみが広がっている湿地帯エリア。

 海へと繋がる大河に隣する、水場に近い場所を行く水際エリア。

 木々と草むらが広く長く続く、緑溢れた草木エリア。

 ノモセを出発してヨスガに向かう旅では、この順番で3つのエリアを通過していくことになる。

 

 212番道路は海から離れているが、北より流れる河いくつかの合流点でもあり、潮水ではない水が集う場所でもある。

 つまり水に恵まれた自然環境であり、3つのエリアは、湿地、河越え、水ですくすく育った植物の群生地、とも言い換えられる。

 恐らく海に近いエリアほど、潮風に晒されがちで草木もそれほど元気になり過ぎず、水気をたんまり含んだ湿地はぬかるみに。

 海から離れてヨスガに近付けば近付くだけ、塩から離れて植物も元気いっぱい、というところなのだろう。

 この辺りは、ノモセのポケモンセンターに置いてある、旅のトレーナーが自由に取ってよいパンフレットにも書いてあることである。

 もちろん、パールとプラチナも昨日のうちに目を通してあることだ。

 

「わ゙っ!?

 またやっちゃった!」

「すっかり僕らドロドロだね……」

「うへえぇぇ……全然すいすい進めないよぉ」

 

 さて、まずは旅人泣かせの湿地帯エリア。

 ヨスガからノモセではなく、ノモセからヨスガに向かう時は、ここを最初に通らなければならないというのが旅人にとっては厄介な話。

 沼地のような広いぬかるみを、靴の中に泥が入るぐらいずぶずぶ足を沈めながら歩かなければならないのだ。

 しかも所々に落とし穴の如く深くなっている所があって、そこに踏み入ってしまったら子供のパールやプラチナでは、おへそまで沈んでしまう。

 どちらかが深みに嵌まれば、その都度もう片方が手を握ってあげて、引っ張り上げてあげることの繰り返し。

 一人でもがいて這い上がることも出来るのだが、手や胸まで泥まみれになってしまうので、二人いるんだから助け合った方が勿論いい。

 

「プラッチ大丈夫? 気分最悪だったりしない?

 私はまあまあ大丈夫だけど、プラッチ昨日は大湿原でも汚れるの避けてたし……」

「いやぁ、気にしてないよ。これは仕方ないことだし」

「やっぱり、高台ルートを選んだ方がよかった……?」

「あはは、大丈夫だってば。

 僕だって、こういう所だってわかった上で来てるんだからさ」

 

 昨日、泥んこになってピョコ達と遊ぶパールを遠巻きに見ていたプラチナなので、こんな泥まみれは本意じゃないのではとパールも気にかかるところ。

 とはいえ、パールと同様に自分も下半身全部泥まみれのプラチナも、それが嫌な気分にはなっていない。

 ここを歩くと決めた時点で、こうなることは覚悟しているのである。

 泥んこになってぶつくさ言うぐらいなら、こんな所を歩くことを選ぶこと自体が間違い、というのがプラチナの発想である。

 

 実はこの湿地帯エリア、どうしても泥沼を歩きたくない旅人のために、地形の高台を歩けるように作られたルートもある。

 ただし、こちらはかなりの回り道になるのだ。

 どれぐらい遠回りかと言うと、その高台ルートをずっと走り続けたとしても、沼に足を取られまくった下道ルートの方が早いぐらい。

 高台ルートで時間的に下道を行くより早くこのエリアを抜けようと思ったら、それこそ自転車でも無ければ無理だろうとさえ言われる。

 

「やっぱり私が寝坊したからだよねぇ……

 そういうプラッチの優しいところは好きなんだけど、ほんとに無理はしないでね?」

「うん、大丈夫。

 僕だって、無理なことを無理にやろうとすることはしないからさ」

 

 靴の中にまで泥が入ってくるぬかるみを歩きながら、パールはちょっぴりプラチナに頭が上がらない。

 この下道を行くことを発案してくれたのはプラチナの方である。

 パールが夜を怖がることは知っている彼、実際どれほど長いのかわからない212番道路越えに、最初のエリアから時間をかけることを拒んでくれたのだ。

 足を取られようとも、急ぐ旅ならこちらの方がいいのは、昨日目を通したパンフレットにも書いてあった信頼できる情報である。

 プラチナがそういう想いで自分から下道を提案してくれたとも、それは自分が寝坊したせいだともわかるパールは、胸がちくちく痛むところ。

 本当に気まずいのが顔に出ているパールなので、そういうとこ好きだよと言って貰えて内心嬉しいプラチナも、喜ぶよりまずフォローの言葉が先んじる。

 

「でもパール、あんまり急ぎ過ぎないようにね。

 つまづいて転んだら顔からべちゃりだよ」

「うん、私も流石にそれはヤだから気を付けてる。

 ピョコ達と遊んで泥まみれなら楽しいからまだ我慢できるけど、こけて顔まで泥んこはちょっと……はわぅっ!?」

「あぁまた……よかったね、顔からいかなくて」

 

 また深い所にずぶりんこ。

 窪みめいた所に足を嵌めても、柔らかい土の中なので捻挫しないのは結構なのだが、嵌まるたびに声が出るぐらいには焦る。

 何がって、前に進みながらで足ががくんと下がると、前のめりに転びそうになってしまうので。

 血迷って走りだしたりして、それで深みに足を嵌めようものなら、確実に沼に顔から突っ込んでしまうだろう。

 速く進みたい旅ながら、その割に歩みもゆっくりだ。これでも高台ルートよりは下道ルートの方が抜けるのは早いそうな。高台ルートどれだけ長いのやら。

 

「ほらパール、つかまって」

「ありがと、プラッチ……ん?

 ちょっと待って、ちょっとだけ……」

「ん? どうしたの?」

 

 下半身全部が沼にどっぷりのパール、プラチナの手を握りながら、泥に沈んだ自分の体を見下ろしてもぞもぞ。

 身体を揺らすパール、何をしているのだろうか。プラチナにはわからない。

 だが、泥の中で硬い何かを踏んだ気がしたパール、泥中で足をもぞもぞ動かして、それを上手く日の当たる地上まで持ち上げてきた。

 靴のつま先で引き上げて、膝で押し上げて、泥の上まで持ってくる。けっこう器用なことをやってらっしゃる。

 

「何コレ、モンスターボール?」

「あー、ここで落としちゃって、探すの諦めた人がいたのかも。

 ……まさか無いと思うけど、中にポケモン入ってたりしないよね?」

「えっ……あぁうん、それは大丈夫みたい、流石に。

 怖いこと言うのやめてよプラッチ、ポケモン入ったボールをこんな所に沈めていく人いたらマジで悪魔だよ」

「あ、あぁ、そっか、よかった。

 一瞬頭をよぎったらゾッとしちゃって、つい」

 

 泥まみれのボールのスイッチを連続押ししてみたパールだが、反応が無いので空っぽの新品ボールと判明。ひと安心。

 こんな場所でボールを落としてしまったら、沼に手を突っ込んで探すのも億劫になり、諦めて捨てていってしまう人もいるのだろう。

 この湿地帯の泥沼、底深くには案外こういう落とし物が沈んでいたりする。

 時間と汚れを気にせずに、沼全部を攫ったらちょっとした宝探しになったりするかもしれない。そんなことする人は一人もいないけど。

 ただ、そんなことが何年も続いたらゴミのポイ捨てが溜まるようなものなので、半年に一回はノモセシティの業者が沼攫いをしたりもするそうだが。

 

「……あるいはもしかすると、底なし沼に嵌まって命を落としたトレーナーの遺品だったりするかもしれない」

「はえ……っ!?

 ちょっとプラッチ、ヘンなこと言わないでよっ! 今ほんとに寒気したよ!?」

「あはは、ごめん。

 そんなにびびられるとは思ってなかったからさ……」

「い~から早く引っ張り上げてっ!

 けっこう下半身冷たいんだよっ!」

 

 感情が顔や態度に出やすいパールなので、上手にからかうとパールは表情豊かに、笑うし怒るし怯えるし慌てる。

 なんだかプラチナ、悪い味を覚えてしまいそうで、自分で自分が気がかりだ。

 自分の言動でパールが色々と反応してくれて、それが狙い通りだったりすると、ちょっと楽しくなってしまう。

 

 心配しなくても、本当に顔まで沈んでしまうような、嵌まれば沈み切って死んじゃう底無しスポットなんて212番道路には無い。

 そんな危ない沼があるなら、そんなものが通過点にある場所を公に謳える道路にするわけがないのだ。

 212番道路によって繋がるノモセシティとヨスガシティ、その街二つの業者が徹底的な調査の末に出した結論である。

 底無し沼自体はシンオウ地方にも実在するが、それは人の道の外側にある。公共道路はちゃんとそれを避けて名付けられているというわけだ。

 

「ほら、スカート引っ張って。

 張り付いてるから」

「みるな~!

 泥まみれの手でさわるぞっ!」

 

 スカートをつまんで引っ張って肌から離すや否や、その手を向けてくるパールには、プラチナも後ずさって距離を作る。

 が、運悪くそこに深みがあってプラチナもずぶりんこ。上半身だけ泥の中から出たプラチナ君の出来上がり。

 

「うわ流石にそれはヤだ。

 逃げ逃げ……うぅわっ!?」

 

 泥の中から引っ張り上げた直後のパールはいつもそうだが、びちゃびちゃになったスカートがぺったり肌に張り付いている。

 脱いだみたいに下半身のラインが出過ぎるので、パールからしたら恥ずかしくて見られたくないし、プラチナとしても目のやり場に困る絵だ。

 こればっかりはからかっているわけじゃない。正直なところを言っただけ。パールの羞恥心を掻き立てて、彼女の顔を真っ赤にさせているのは結果論。

 

「んふふ」

「なにその笑い。はやくたすけて」

「私をからかうからそうなるんだっ! バチが当たったね!

 ざまーみろっ! はっはっは!」

「う……パール、身体反らしたらスカートが……」

「あ゙っ!?

 みるな~っ!!」

 

 からかってくれやがったプラチナが無様に泥に吸い込まれた姿を見て、とりあえずパールは胸を張って高笑い。

 が、それに伴ってスカートの前部分が、パールの下腹部と太ももにぺたり。

 土色ながらも肌のラインをぺっとり明朗に表すその様に、まして低い位置から見上げるプラチナは流石に顔を逸らしている。紳士的な子だこと。

 気付いたパールはまた顔を真っ赤にして、スカートの張り付いた下半身を両手で押さえて後ずさる。

 その先には、先程あなたが嵌まったばかりの深みがあるのですが。

 

「はえぅっ!?」

 

 ずぶりんこ。プラチナの目の前でパールは泥沼に半身沈んでいった。

 それも、スカートを押さえていた手ごと沈んでいったので、肘の近くまで腕半分ごと泥沼の中へ。

 濁ったお風呂に入っているかのようなパールの出来上がり。

 

「…………」

「はぁ~……」

「まってまって、何その心底呆れたような溜め息。

 ぷ、プラッチが私のことからかうからだよ?

 私だけのせいじゃないと思うよ?」

「うん、わかった。とりあえず頑張って出よう?」

「ぷ、プラッチぃ……そんな目で見ないでぇ……」

 

 お互い離れた位置で共に沼に嵌まってしまったので、引っ張り上げて助けることが出来ない者同士になってしまった。

 こうなってしまうと、プラチナも頼れる相手がいない現実を直視して、自分で粛々と這い上がる。

 底のはっきりしている沼なので、上手に足を動かしつつ、沼に手をついて力を加えればなんとか上がってこられるのだ。

 何度も嵌まってきた二人なので、下半身の動かし方はそろそろ慣れてきているらしい。ここ以外では一生使い道の無さそうなスキルだが。

 

「パールどうしたの? 上がってこないの?」

「ぷ、プラッチたすけて……

 私がわるかったです……調子に乗ってすみませんでした……」

「え、もしかしてホントに自分で上がってこれなくなってる?」

「頑張れば出来るけど、がんばれません……

 助けて下さい……もう逆らいません……」

 

 へこんでいる。

 足を動かして泥に手をかけて、沼から這い上がってくるのにもまあまあ体力は使う。それはプラチナにもわかること。

 パールだってそれぐらいは出来るはずだが、今は頑張れないテンションになっちゃっているらしい。

 深みに嵌まったプラチナをざまーみろと笑い、しかしおドジをかまして自分も嵌まり、なんだかんだでプラチナを助けるつもりだったのも叶えられなくなり。

 そんな自分に呆れ果てたようなプラチナの目を見てしまったら、なんだかもう色々と折れて、地力で這い上がる力も入らないようだ。。

 

 プラチナも最近はすっかりパールに嫌われたくない気持ちが強くなっているようだが、案外パールも同じような心境なのだろう。

 一度嵌まった場所にお間抜けに再度沈み込んだこと自体より、それを見て溜め息ついたプラチナの姿にこそ、最もショックを受けたぐらいなのだから。

 もう調子に乗ったりしないから助けて、お願いと、手を伸ばして哀願するパールの目を見たら、プラチナだってこれ以上からかう気力も無くなってしまう。

 

「……大丈夫だよ、パール。

 ほら、つかまって。怒ってたりするわけじゃないからさ」

「うぅ……その優しさがかえってつらい……」

 

 ここまでへこまれたら、安心させる言葉を向けてあげるしかないじゃないか。

 ここでもう一声いじめたら本当に泣かせてしまうかもしれないし。

 しょうがないな、ではなく、これぐらいのやりとりいつもどおりの友達同士のお喋りだよ、と微笑んで手を握ってくれるプラチナである。

 大へこみしているパールにしてみれば、調子に乗って煽り返したりしていた自分には優し過ぎるプラッチだと自己嫌悪バリバリ。

 

 深みから出てきて、パールはとりあえずスカートを整えた。

 無言で粛々と恥ずかしい部分だけ整える彼女の姿に、大丈夫かな、落ち込み過ぎてないかなと心配になりかけるプラチナだが。

 

「…………よしっ!

 行こっ、プラッチ!

 次にプラッチが深い所に嵌まったら、からかったりせず全力で助けるよっ!」

「ははっ……うん、頼りにしてるよ」

 

 見るからに落ち込みきっていた数秒前、そこから心底ここまで立ち直るほど、パールもお天気頭でないのはプラチナも知るところ。

 自分の沈んだ顔を見せる時間は早めに終わらせ、敢えて大きめの声を出して空気を入れ替えようとするパールである。

 自分のしょんぼりをプラッチにまで伝染させたら最悪だ、と空元気を出す姿は、プラチナ目線では嬉しい心遣いでもあろう。

 プラチナのように、頼もしく、相手の心と身体を助けることは出来なくたって、自分なりに何とかしようと頑張る姿はやっぱり憎めない。

 

 その後二人は、何度も何度も深みに嵌まりながらも、お互い快く助け合うままにこの湿地帯エリアを抜けていくのだった。

 特筆すべきはきっと、野生のポケモンが出没しないこの沼を抜けようとする間、二人とも連れのポケモンを一切出そうとしなかったこと。

 パールの手持ちにはトリトドンのニルルがいる。

 例えばパールが深みに嵌まったとして、泥に沈まないニルルに引っ張り上げて貰えれば、別にプラチナの助けは必要ないのだ。

 極論、小さな背中だがパールだけでもニルルの背中に乗せて貰えば、パールは靴を泥で汚すことなく沼越えを果たすことも出来るぐらいである。

 

 それらの発想は、二人には無かったのだけど。

 知識豊富なプラチナですら、それを思い付けなかったのは何故だろう。

 それはやっぱり、ポケモンの力を頼らずに進める道なら、二人で力を合わせて歩いていければいいな、という想いが深層心理にあったからかもしれない。

 そして現に、パールはプラチナに引っ張り上げて貰う時も、自分が一生懸命引っ張り上げる時も、大変ではあるけどどこか充足ある表情をしていたものだ。

 彼女は顔に出やすいから。パールほど顔に出やすくはないプラチナですら、助け合って進む旅路において表情は明るかった。

 

「よいしょ、っと。

 なんかもう、沼に嵌まっても全然動じない僕らがいるよね」

「あははっ、何度も嵌まっちゃってるもんね。

 次に嵌まった時もよろしくね? プラッチ」

「こちらこそ」

 

 旅人を悩ます湿地の沼も、それさえ楽しみの一つに変えられる無敵の旅人には、たいした障害になり得ない。

 パールとプラチナがそうあれるのは、きっと一人じゃないからだ。

 ポケモントレーナーにとっての最大のパートナーは、己が愛するポケモン達に他ならない。

 しかし、トレーナーであると同時に二人は、ただの少女と少年でもある。

 山あり谷ありの旅の中で、二人を支えるのはそばにいてくれるポケモンのみに限った話ではないということだ。

 

 プラチナとの出会いが無ければ、ナナカマド博士の提案さえなければ、プラチナのいない自分の足だけで歩いていく旅さえ想定していた、旅立つ前のパール。

 今はどうか。

 もう、プラッチがそばにいない自分だけの旅なんて、今さら想像できやしまい。

 きっとプラチナも、パールと一緒じゃない見聞の旅なんて、今より絶対につまらないと密かに言い切ってしまえるだろう。

 学者を目指す者として、一人のロードワークなんてつまらないという言い分に、未熟過ぎると言われようとも、プラチナだって自分の気持ちに嘘はつけまい。

 

 人は一人では生きていけない。そんな格言を当てはめるに足るほどの好例ではないだろう。

 だが、人は一人で生きていってもつまらない。

 ポケモントレーナーは、一人じゃないようにポケモンに補って貰える。

 だけど、そこに親しい友達がもう一人いてくれれば、ずっと、もっと、楽しくなる。

 何ら、当たり前のことである。



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第51話   212番道路(豪雨)

 

 

「くそー、強いな!

 釣りもイマイチだし、今日は風向きが悪ぃや!」

「ありがとうございましたー!

 おじさんのギャラドス、強かったですよ!」

 

 湿地帯エリアを抜けたパール達は、川辺を進む水際エリアを歩いていた。

 沼だらけの湿地帯エリアには流石にポケモントレーナーも少なかったが、このエリアはトレーナーも多い。

 とりわけ釣り糸を川に垂らす、釣り人トレーナーの数が多く、そういう人達は水ポケモンの使い手がやや多め。

 皆さんやっぱり大事に育ててきたポケモンだけあって、バトルとなればなかなか強い。

 とはいえ、マキシのそれと比べれば一枚も二枚も劣る相手、連戦気味ながらも快勝続きで、危なげのない勝ちっぷりを続けている。

 

「しょうがねぇ、今日はもう切り上げるか。

 お前さん達もそろそろ急いだ方がいいぞ、たぶん雨が降るからな」

「えっ、うそ?

 めちゃくちゃ晴れてますよ?」

「甘いぞ、この辺りの天気は本当にすぐ変わるんだ。

 この湿気はかなり怪しい。まあ、急いだ方が身のためだぞ」

 

 ここでの釣りに慣れている口ぶりのおじさんが、荷物を整えて帰ろうとする中、パールは空を見上げて少し信じられない顔。

 お空真っ青、快晴ぴかぴかお昼時。雨なんて降りそうな予感は1ミリも無い。

 しかしながら、帰りを急ごうとするおじさんは、絶対に降るぞという自信満々の顔である。

 

「それだけ泥まみれで身体を冷やしてるところに、雨までくらっちゃ風邪を引きかねないぞ。

 悪いことは言わないから急ぐこった」

「えぇと……あ、ありがとう、ございます?」

「くくっ、信じられないって顔をしてるな。

 まあ、すぐに思い知るよ。いいか、急ぐんだぞ?」

 

 あまりに晴れ過ぎた空を目の当たりにして、ちょっと信じられない本心があるのは仕方ない。

 去っていく釣り人おじさんも、信じて貰えないことに不快感は得ていない様子。そりゃあこれだけ晴れていればな、と納得も出来るので。

 はてさて、どうなることやら。

 

「まあ、とりあえず行こう。

 どのみち暗くなる前に212番道路を抜けてしまいたいしね」

「うん。

 でもホントに降ったらどうする? あのおじさん、エスパー認定?」

「予報も見ずに天気を当てる人って案外いるからねぇ。すごい人。

 天気予報は……ん~、降水確率30%だって。どうだろ?」

「ホントに降ったらあのおじさん、天気予報に勝っちゃってるね」

 

 疑問を感じたらすぐポケッチを閲覧し、アプリで212番道路の天気予報を見るプラチナ。

 ポケッチは、今時の子にとって欠かせない便利アイテムである。

 雨が降るかどうか、半信半疑のまま進んでいくパールとプラチナは、泥の足跡をつけまくって橋を歩いていく。

 

「むしろ雨が降ったら、泥を落としてくれるから助かるかも」

「それ女の子のセリフじゃない、原始人の発想」

「かぴかぴしてて気持ち悪いんだもん~。

 もっと言っちゃうと、川に入って一度洗いたいぐらいだよ。

 流石にそこまではやらないけどさ」

 

 湿地帯エリアで何度も深沼に嵌まった二人、たいそうひどい有り様だ。

 下半身はおろか、所によっては特段深い場所に沈むこともあって、胸の下まで泥沼に沈んだ跡が残っている。

 歩くにつれて少しずつ土は落ちてきているが、服に沁み込んだ泥と水分は今でも残っている。

 その一方で、布地の薄いスカートや靴下だけが乾きも早く、土にまみれたまま乾いてかぴかぴになっており、それもパールにとっては嫌な感触だ。

 

 そのくせ靴の中はぐじゅぐじゅなので、一歩歩くごとに嫌な感触を足に感じるという調子である。

 河に架かる橋を渡り、土や草の上を歩く時なんかは、ここもやや湿った土で僅かに沈むので、靴の中の嫌は感触は如実。

 時々分かれ道らしい所に至ったら、ノモセのポケモンセンターで貰ったパンフを見て、道を間違えないように進んでいく。

 寄り道はしない精神だ。なるべく最短で進もうという意識から、早足ではないものの急ぐ意識は垣間見える。

 

「むむっ! そこの二人、トレーナーですな!?」

「あっ、はい! トレーナーです!

 さてはお兄さんも!」

「いい反応ですな!

 これはポケモンバトルも辞さない精神の気配!」

「やりますやります!

 よろしくお願いします!」

 

 しかし、トレーナーに遭遇すると、喜々として勝負を受けてしまうパール。

 ポケモンコレクターと見える眼鏡のお兄さんと対峙して、ボールを手にした相手の前、自分も鞄からボールを取り出して。

 さっきのバトルではパッチが活躍した。次は誰にしよう? 直感的に選んで彼女が手にしたのはニルルのボールである。

 

「さあ行きますぞ! イシツブテ!」

「いくよ! ニル……って、また!?」

 

 ニルルのボールを投げようとしたパールだが、鞄の中からミーナが飛び出してきた。

 元々こういう所がある子ではあるのだが、今日はどうも今までよりも頻度が多い。

 先の釣り人お兄さんとのバトルの前にも、何人かのトレーナーとバトルしてきたが、その中でもミーナは何度もこうして勝手に飛び出している。

 今日は妙に張り切っているというか、出しゃばりたがるというか。

 

「岩ポケモンのイシツブテにミミロルとは!

 相性はよくないですぞ!? 大丈夫ですかな!?」

「んむむ、えぇと……!

 大丈夫ですっ! ミーナ、とびげり!」

 

 バトルの出だしで想定と違うことをされると、一度やろうとしていたことを全部捨てねばならないので、パールも少し考える時間が生じるが。

 すぐに思考を素早く巡らせ、イシツブテ相手に放つミーナの最善技を導き出す。

 その結論を出すのが早い辺り、パールもミーナの勝手な飛び出しには、そこそこ慣れてきつつあるようだ。

 

 鼻息ふんすと気合の入っていたミーナは、パールの指示を受けてイシツブテに弾丸のように飛んでいった。

 その強烈な跳び蹴りは、躱そうとしたイシツブテを逃がさず、その額に強烈な一撃を叩きこむ。

 額の石の破片を少々散らしながら、蹴飛ばされたイシツブテは地面に転がり、顔を上げようとはするが体を起こせるに至らない。

 岩タイプには効果抜群の格闘キックで、どうやら一撃KOと成ったようだ。

 

「なんてこった! まさか一撃でやられるとは!

 可愛いお姿のミミロルですが、どうやらよほど強くお育てになっているようですな!」

「あはは……ミーナ、凄いね!

 格好よかったよ!」

 

 驚愕気味にミーナを賞賛する相手トレーナーと、褒めてくれるパールの声に、腰に手を当てふんぞり返る仕草で誇るミーナである。

 どうだ凄いだろ、とも、当然でしょ、とも見える。とにかくドヤが凄い。

 血気盛んに出てきただけあり、やはりこういう自分を見せつけたかったようで、それが果たせればやっぱり誇らしいというところ。

 

「んん~、申し訳ないがバトルはここまでで!

 こちら、残りの手持ちはみんなイシツブテですのでな!

 おたくのミミロルにみんなやられそうですし、みんなやられちゃ帰りが大変そうですからな!」

「わかりました!

 ありがとうごさいましたー!」

「それでは、僕は帰るとしましょうかな!

 曇ってきましたし、そろそろ雨が降り始めるかもしれませんからな!

 それでは!」

 

「えっ……あれ、うそ? ほんとに?」

「うわ……こ、これは確かに……」

 

 先の釣り人おじさんから雨予報を聞いてからは少々の時間も経っているが、ふと空を見上げてみると雲が増えている。

 ほんの30分前は快晴そのものだったのに、上手く日の光を遮らないよう曇り空になっていたせいで、見上げてみるまで気付かない。

 しかし、空の大半を占める雲は厚い。見るからに重そうなほど分厚い。

 もしあれが全部水になって落ちてきたらぶっ潰されそうなほどの大雲である。

 

「すんごいあっさり天気変わったね……これ絶対すごい雨降るよね」

「湿度が高すぎて、低気圧だとかほんのきっかけですぐ雲が出来るとかそんな感じなのかなぁ……」

「プラッチ理屈っぽい。学者ごっこしてる」

「一応学者志望なんで……うん、これダメだね。

 どう足掻いても振られたら逃げようないね」

 

 話している間に上空の雲が流れて、太陽をすっぽり覆い隠して少し暗くなった。

 もう降る。これは絶対降る。そう覚悟していい。

 パールもプラチナも、雨が降る前に212番道路を抜けきることを早々に諦めた。地図を見ればわかるけど、まだ半分も越えていないもの。

 いつ降りだすかはわからないけど、あの空模様で今から一時間も二時間も空が我慢してくれるようにはとても見えない。

 

「えーっと……

 『212番道路の夕立は特殊で、勢いよく降ってもそう簡単にやむとは限りません。

  旅の中で当たってしまったら、雨宿りして凌ぐことは考えない方がいいです。待っている間に暗くなってしまいます。

  ただし、大雨の中で湿地帯を歩くのは滑りが増して危険なので、湿地帯の前では雨がやむのを待つか、高台ルートを進むのが得策です』

 ――だってさ」

 

「湿地帯エリアはもう抜けてるから……」

「濡れても気にせず行った方がいいってことだね。

 はい、頑張ろうね、パール」

「諦めてびしょ濡れになれとも聞こえる」

「そだね」

 

 降る時は突然でも降る、そして降りだせばどざぁとくる。

 それが212番道路の特色として有名で、パンフにわざわざそう書かれるほど。

 降水確率30%からこの流れ、天気予報への不信感が上がる上がる。

 まあ、予報とて現地のつぶさな変化から毎秒更新で発信しているわけではなく、昼前発表予報なので仕方ない。

 

「うえぇ、またびちょびちょになるのかぁ……

 あの恰好でヨスガシティに入るの絶対恥ずかしいよぉ」

「トバリシティに着いた時もそうだったもんねぇ」

 

 お天気には文句が言えない。我慢するしかない。

 ぼやきながら再び進み始める二人、夕立の直撃を覚悟しつつ。

 そんなことを語らいながら進む中、さっそく小粒の雨が二人の体を濡らし始めているのだから、堪え性の無い212番道路である。

 きっと、早めに切り上げた釣り人のおじさんも、湿地帯辺りで雨の直撃を免れていまい。

 本当に天気の急変が突然な212番道路だと、パールとプラチナも印象付けられる旅へと相成ったのだった。

 

 

 

 

 

 果たして降り始めてから30分ぐらい経ってのところである。

 本降りとなった空の下、パール達の進行はむしろ早くなった。

 激しい雨のもと、増水しつつある河の中にでも落ちたら大変だ。流石にこの天候事情で、河の近くでバトルを仕掛けてくる人はほぼいない。

 結局のところ、ただでさえ長い212番道路、進むにあたって一番時間がかかる要素は道中何度も相見えるトレーナーとの皆さんとのバトルである。

 道中でポケモンバトルさえせず、早足ですたすた進めばテンポは良い。

 

「ミーナっ、そこだよ! メガトンキック!」

 

「ぬわーっ!

 私のユンゲラーがっ!」

 

 しかし、水際エリアをようやく越え、最後の草木エリアに突入すれば話は別。

 こんなにざんざか雨が降っているのに、それでもロードワークするような人達って、雨が降ってるからバトルはやめとこうとはならないらしい。

 パール達と遭遇した研究員姿のお兄さんにバトルを申し込まれ、今しがた決着がついたところである。

 

「くぅ~、負けた負けた!

 なかなか骨のあるミミロルだった!

 君達もそうだがね。こんな大雨の中で傘も差さずに根性あるねぇ」

「いや~、それはお兄さんにも言えることじゃ……」

「ふふふ、僕はいいんだよ!

 こうしてずぶ濡れになってこそ、この湿度高い212番道路の天候に肌で触れ合えるってものさ!

 フゥー! 雨はいいね! キモチイイッ!!」

 

 変な人だけど悪い人ではなさそうなので結構なこと。嗜好は人それぞれ。

 シャワーかと思うほどの夕立級豪雨の中で、苦笑しながら平静テンションでお兄さんと喋っているパールとプラチナも、今はちょっと変。

 

「じゃあ僕は場所を移すよ!

 少年少女! カゼ引かないようにな!」

「はーい! お兄さんも!」

 

 こんな豪雨の中でもロードワークするような人は精力的である。

 がさがさ道はずれの木々の間へと進んでいく姿に手を振ったパール。

 あとはプラチナと一緒に順路を再び歩みだす。

 

「ミーナ大丈夫? まだ戦えるの?」

「――――z!」

「わわっ、なんで怒るの~!?」

 

 さて、草木エリアを歩くパールだが、バトルを終えたミーナをそのままボールから出しっぱなしにして、並んで歩いていく形。

 野生のポケモンが飛び出してきやすい環境になってきたので、ポケモン一体は常に出して急襲に備えるスタンスである。

 

 今日はなんだか張り切っているミーナ、トレーナー戦になるたび呼ばれてもいないのに飛び出してきて、何戦も済ませた後である。

 そろそろ疲れてきてるんじゃないかな、一度ボールに入って休んだ方が、と含むパールの言葉に、きっ、と睨んでパールの身体をぺちぺち叩いてくる。

 小さな背丈で背伸びして、なるべく高い場所を攻撃しようとしてくるミーナの手、けっこう痛くてパールも逃げ惑う。

 

「わ、わかったから、もう言わないから……

 が、頑張ってねミーナ? 頼りにしてるからね?」

「――――z!」

 

 当たり前でしょ、全部私に任せといて、とばかりに鼻を鳴らすミーナが、ずいずいパールの前を歩いていく。

 気難しい上、言葉も通じないから、何をきっかけにあんなにぷんすかするのかも判然としない。

 なかなかパールの手に余すミーナである。しかし、溜め息混じりながらも苦笑止まりでそれを追うパールの表情には、もうやだの気配は一切無い。

 正直プラチナ目線では、パールがもっと辟易とした顔をしたって責められないぐらい、ミーナの気難しさは深刻なのだが。

 

「パール、我慢してない? 大丈夫?」

「あははっ、大丈夫だよ私は。

 まだまだミーナの気持ち、わかんないとこもあるけど……やっぱり、どうせ嫌いにはなれっこないんだしね。

 ゆっくり、わかっていければいいなって思ってる」

「達観してるなぁ……」

 

 土砂降りの中で、普通にお互いを見て話すパールとプラチナである。

 濡れた自分をあんまり見られたくないパールも、ここまで降られちゃもう気にならないらしい。

 降り過ぎ。でかい雨粒にびしばし身体を打たれてちょっと痛いぐらいだもの。

 目をぱっちり開いていられないし、なんとかお互いの表情を見て取って話すので精いっぱいの二人、濡れて張り付いた服と浮き出た体のラインなぞ見えない。

 びしょ濡れになると、見るな見るなとプラチナにきつく注意するはずのパールだが、ここまで視界最悪級の豪雨の中では逆に気にならないようだ。

 

「達観してるっていうか、まあ私もちょっとは悩んだことあったけど……

 でも、だからってミーナとお別れとか、それって絶対あり得ないことだけは決まってるって結論出ちゃってるからさ。

 じっくりミーナのこと知っていって、いつか仲良く出来るようになったらいいな、ってずっと追いかけ続けたいと思ってるよ」

「……まあ、そっか。言われてみれば、そうだよね」

 

 全然言うことを聞いてくれない、時間が経っても懐いてくれないポケモンとの付き合い方は、人によって様々だ。

 逃がしてしまう人もいる。お互い好きになれそうにないと結論付いたら、道を分かつことも、双方にとって悪いことばかりじゃない。

 だけどパールは、自分がそういうことを出来ないタイプだと、悩んだ末にはっきり自覚していると見える。

 一度自分の意志で捕まえたポケモンなのだ。自分の都合や気分でお別れにはしたくない。それも一つの考え方であろう。

 

「…………もし、ミーナが私と一緒にいるのがイヤだって思い知らされちゃったら、どうしたらいいかわかんなくなっちゃうけど」

「考え過ぎだよ、ミーナも何だかんだでパールの望むとおりにバトルしてくれるし、言うことも聞いてくれてるじゃないか。

 気持ちのすれ違いはあるかもしれないけど、ミーナだってきっと、パールと一緒にいるのが嫌だってことはないと思うよ」

「あはは……ありがと、プラッチ。

 ごめんね、こういうのって私が弱気になってちゃダメだよね?」

 

 ミミロルというのは、そもそも人に懐きにくいものだと言われる。

 パールも知識としてはそれを持っている。でも、やっぱり長いことつんけんされると、自分と一緒にいるのは嫌なのかなって不安にもなる。

 そうじゃないと信じて一緒にい続けるしかないのだ。パールが、ミーナと一緒にい続けたいのだから。

 プラチナが優しく励ましてくれるとおり、ミーナはバトルにおいてパールの言うことを聞いてくれるぐらいには、疎通の全く通じない相手じゃない。

 抱えている不安の一部を吐露したパールだったが、作り笑いよりも一歩前にでた前向きな笑顔を浮かべ、プラチナの励ましに応じていた。

 

「……おっ?

 君達もトレーナーか? ミミロルを連れてるようだが」

「あっ、はい! バトルですか?」

 

「話が早いわね! どう、勝負しない?

 こっちも二人、あなた達も二人、ちょうどいいんじゃない?」

「プラッチ、やろやろっ!

 ダブルバトルだよ!」

「うん、わかった……!

 僕もたまには、やらなきゃね!」

 

 そうして進んでいたら、二人一組のトレーナーに遭遇。

 身なりからして、ポケモン達の生息する自然保護などを目的に活動する、ポケモンレンジャーのお二人とは察せた。

 男女である。単なる同志かもしれないが、もしかしたら恋人同士かも? 口には出さないが、そんなことをつい考えちゃうパールっておませさん。

 

「ミーナ、いくよ! 任せるからね!」

「――――z!」

「よしっ、ピッピ、頼んだよ!」

 

「あははっ、ポケモンにニックネーム付けてるのね!

 いいわね、私もそうしてみようかな!」

「そういうの、いいかもな……! まあ、今はバトルだ!

 行くぞ! ポッタイシ!」

「いくわよ! エイパム!」

 

 気合充分のミーナに先陣を任せるパールと、今日はピッピを繰り出すプラチナ。

 相手方も一人一匹ずつのポケモンを出してきて、さあバトルの場は整った。

 雨が降っている。すっごい降っている。

 しかし双方四名、バトルが始まってしまえばそんなこと全然気にしなくなっちゃう程度には、その精神はポケモントレーナーそのものだ。

 特筆すべきは、バトルは自分の本分じゃない、学者になりたいんだと言っていたプラチナまで、今じゃこうして当たり前のように燃えているところだろうか。

 

「ミーナ! エイパムにとびげり!」

「でしょうね……!

 エイパム、バトンタッチ!」

「へっ!?」

 

 さて、さっそくノーマルタイプのエイパムに向け、威力の高い跳び蹴りをミーナに指示したパール。

 しかし女性のポケモンレンジャーは、エイパムに引っ込むことを指示。

 自らボールの中に引っ込んでいったエイパム、そして既に跳び蹴りを放っていたミーナ、対象が目の前から消えたミーナが地面にぶつかりすっ転ぶ。

 顔から落ちてべちゃり、ごろごろと転がる姿、単につまづいただけとは一線を画す、自身へのダメージの大きい倒れ方だ。

 

 基本的にポケモンバトル、ポケモンを引っ込めることで相手の攻撃を回避するのはご法度だが、それがトレーナーとボールの操作によるものでなければOK。

 技である"バトンタッチ"の発動による引っ込みは、指示されてからのタイムラグもある。これは、相手の攻撃を読み切ったトレーナーの手腕で叶えた回避。

 仮に公式戦であっても、この戦法はアリである。野良バトルながら、きちんと合法手段を用いる辺り、ポケモンレンジャーの女性も正々堂々だ。

 

「~~~~っ……!」

 

「ポッタイシ! ミミロルにみずでっぽう!」

「まずいな……!

 ピッピ、このゆびとまれで引き付けられる!?」

 

 なんとか立ち上がったミーナに、ポッタイシの水鉄砲が撃たれそうになるが、プラチナのピッピが指を立てた手を掲げて技を行使。

 完全にミーナの方を向いて水鉄砲を撃とうとしていたポッタイシが、光を発したピッピの指先に思わず振り向き、そちらへ水鉄砲を撃ってしまう。

 単に注意を引くとか意識を引き付けるではない、相手の攻撃を引き寄せる魔法のような力を含む技なのだ。発動したが最後、相手はそう簡単に抗えない。

 もっとも、ピッピは自らに向けて撃たれた水鉄砲を躱す暇が無く、その強力な一撃を受けて尻餅をつく。使い手が痛い目を見る自己犠牲の技だ。

 

「さあ、マリル! あなたの出番よ!」

 

「ううぅ、まずいかも……!

 ミーナ、戻って!」

「――――z!?」

 

「パッチ、お願いっ!」

 

 元々、幾度ものバトルを経てここまで来たミーナ、疲れも溜まっているであろうことはパールも意識していたことだ。

 ましてこうして跳び蹴りをすかされて、立ち上がりはしつつも鼻を押さえているミーナを、このまま戦わせ続けるのはリスキーと感じる。

 ミーナのボールのスイッチを押し、彼女を引っ込めて代わりにパッチを出す。

 この時、嘘でしょとパールを振り返ったミーナの表情は、激しい雨に紛れてパールの目には映りきらなかった。

 

「マリル、バブルこうせん!」

「ポッタイシ、みずでっぽうだ!」

 

「あわわわ……!

 パッチ、耐えられる……!?」

「く……!

 流石にこれを肩代わりさせるのは、ちょっと……!」

 

 新たに出てきたパッチめがけて、マリルとポッタイシの水タイプ技の集中砲火。

 対象を指定しない指示でマリルもポッタイシもそうする辺り、コンビネーションがよく出来ている。このレンジャー二名、やっぱり付き合いは長そう。

 さすがにピッピ一人で引き付けて受ければやられてしまいそうなこの多重攻撃、プラチナも為すすべなくパッチが集中砲火される様を傍観するしかない。

 とはいえこれも、タフで根性のあるパッチなら……という希望を込みで選べた決断でもあるのだが。

 

「ッ……、――――z!」

「いける!? よーっし、パッチ!

 ポッタイシにスパークだよ!」

「ピッピ、マリルにおうふくビンタ!」

 

 見立ては正しく、やはりパッチはそう簡単には倒れない。むしろ、なにくそと闘志を燃やしたぐらいである。

 吠えたその声で相手二人を驚かせると、パールの指示を受けて電気を纏った体当たりへ。

 ポッタイシを感電させて突き飛ばすパッチの傍ら、ピッピもマリルをばしばし叩きにかかって相手の動きを制限する。

 レベル差があるのか、突き飛ばされて倒れたポッタイシが立ち上がるのに難儀し、男性のレンジャーがそのポッタイシを撤退させる一幕もある。

 まだ戦えそうではあるも、大事を取って引っ込めたというところか。バトルで完全に使い潰すようなことはしない辺りは、ポケモンレンジャーらしい判断。

 

「強そうね、あのルクシオ……!」

「分は悪そうだが、一度受けた勝負は最後までやらなきゃね……!

 そら! もう一体のポッタイシだっ!」

 

「わわっ、水ポケモン出してきたよ!?

 こっち電気タイプなのに! 何か作戦があるカンジかな!?」

「大丈夫、ポッタイシの出来ることは僕が全部知ってる……!

 ピッピ、いくよ! パッチを自由に戦わせることが出来れば勝てる!」

 

 パールは少し深読みしているが、レンジャー両名、水ポケモンに手持ちが偏っているためルクシオ相手の時点で相性不利は受け入れねばならないだけだ。

 しかし、これだけ雨が降っていると水ポケモンは活力を得て、その水タイプの技の威力も増す。

 パッチ相手の受けでは弱いが、攻めでは強みも残る敵陣営の二匹である。

 その一方、手持ちにポッタイシがいるだけあり、水ポケモンについては知識深いプラチナがいることは、パールにとっても頼もしい要素だ。

 

 ダブルバトルはその後も続いたが、ここからは割とパール達にとって安定した展開が続いたものだ。

 攻めれば優勢の攻撃力があり、相手二体といってもピッピの上手なサポートをプラチナが的確に導いてくれて、パッチも非常に戦いやすくて。

 マリルを倒し、ポッタイシを退け、残ったエイパムもきちんと打ち倒して。

 相手方も意地を見せ、パッチとピッピにそれなりのダメージを返してきたが、それが両者のダウンに繋がるほどのものには出来なかった、というところ。

 ジム戦を除く今までのバトルと同様に、今回も危なげなく快勝という形で、パールの連勝街道は未だ途切れずだ。

 

「くうっ……エイパム、戻って!

 はぁ、負けたわぁ……! 強いのね、あなた達!」

「ロードワークもあるから手持ち全部を出すことは出来なかったけど、公式戦で全力を尽くして戦っても厳しかっただろうな……

 完敗を認めるよ。僕達も、まだまだ精進していかなきゃってところだな」

「えへへへ、そう言われちゃうとなんだか照れ臭いですよぉ……

 ありがとうございました!

 パッチもお疲れ様! すっごい頼もしかったよ!」

 

 バトルが終われば熱い握手を交わし、健闘を讃え合ってから別れる。

 降りやまぬ雨に晒されてずぶ濡れの体でも、ポケモンバトルを終えたばかりの熱くなった身体は寒さを感じさせずにいてくれる。

 草木エリアの探索を再開せんと離れていくレンジャー二人を手を振り見送ったパール達は、再びヨスガに向けた足を進め始めた。

 

 しかし、バトルの終わった今になって、ボールの中から飛び出してくるじゃじゃ馬さんがいる。

 パッチと一緒に212番道路北上の足を進めるパールのそばに姿を現したのは、飛び出し癖の強いミーナである。

 

「わわっ、ミーナ?

 ど、どうしたの?」

 

「――――√ ̄\_/\/`――!!」

 

「ま、待って待ってミーナ!?

 ほ、ほんとにどうしたの? 私、何か怒らせるようなことしちゃった?」

 

 突然のミーナの登場に驚いたパールだったが、出てきていきなりぎゃんぎゃん喚きたてるミーナの姿にはいっそう戸惑う。

 両手をぶんぶん振ってパールを見上げ、鳴き声をあげながら地面を踏みしめる地団太の仕草。

 ポケモンの言葉がわからないパールにも、何か余程に腹に据えかねる何かがあることは見て取れる姿であろう。

 

「待って、待ってよぉミーナ、落ち着いて……

 私が何かよくないことしちゃったなら謝るから……

 お、怒ってるんだよね? いったん、落ち着いてよ……」

 

「~~~~……!」

 

「ね、教えて……?

 私、あなたの言葉はわからないけど、わかっていけるようにしたいから……」

 

 げしげしと力強く地面を踏むミーナに、パールは彼女をなだめる手振りと声を発しながら、両膝をついてミーナに相対して目線を下げる。

 しゃがむのではなく、土の上で膝立ちになってでも、背の低いミーナと目線の高さを近付けたいのだ。

 そこに深い意図は無く、だからこそ、最愛のポケモン達を前にする限り、膝をつくのも何ら厭わぬ彼女の性格を表したものでもあると言えよう。

 困った顔で、だけどなんとか自分を理解しようと努めるパールを前にするからこそ、ミーナも喚くのを辞めて声を喉奥に封じ込んでしまう。

 

 だけどそこには、言葉が通じないことへのやりきれなさも確かにあって。

 無言になった一方で、ぷるぷると全身を震わせるミーナの姿が、雨に濡れた寒さによるものじゃないのはパールにもわかる。

 そして、真正面でそんなミーナの表情を目の当たりにするパールには、そばのプラチナにもパッチにも見えないものがちゃんと見える。

 単なる自分への不満だけじゃなく、他にも何らか、やりきれない想いで唇をぎゅっと絞るミーナの表情を、パールはその目で見て捉えている。

 

「………………さっきのバトル、最後まで頑張りたかった?」

「…………!?」

「私、思わず引っ込めちゃったけど、ミーナは最後までバトルしたかった……?」

 

 パールの言葉に、ミーナが驚愕の目の色をして後ずさる。

 図星、とも取れる態度で、少なくともプラチナにはそう見えた。

 きっとミーナの驚いた表情は、自分の言葉が通じない相手が、自分の本心を悟ってきたことに対する驚嘆によるものだろう。

 戸惑うミーナの反応に、やっぱりそうなんだ、と一度気まずげに目を伏せかけつつ、改めてパールはミーナに目を向ける。

 

「でも私、無理のあるバトルをミーナにはさせたくないよ?

 私、あの時はミーナが危ないって思ったし……わかってくれない、かな?」

「~~~~……!」

 

 きっとミーナも、理屈ではわかってくれているのだろう。

 跳び蹴りに失敗して地面にぶつかったあの時、相手の攻撃を集中砲火されたら立てなくなっていたかもしれない。

 パールの判断がそういうものだったのは、言われなくたってミーナにもわかっていたことである。

 

 だけど、でも。

 歯を食いしばって顔を伏せ、ぎゅうっと両手を握りしめるミーナの姿には、パールが言い当てた想いの他にも何かもう一つ以上の何かがある。

 それを知りたいから、パールは砂にまみれた膝を上げ、自分から遠ざかるように離れたミーナに歩み寄る。

 

「ねえミーナ、どうして最近、そんなに……」

 

「――――ッ!!」

 

「いぅ゙、っ!?」

「パール!?」

 

 自分の想いが伝わらないもどかしさを、ミーナは最悪の形で爆発させた。

 歩み寄ってきたパールの足を、ミーナの乱暴な蹴りが突き崩したのだ。

 太ももを前から蹴られる衝撃に、パールが思わず前のめりに崩れ落ち、足を抱えて背中を丸める姿には、思わずプラチナも駆け寄るというものだ。

 

「――――z!」

 

「ッ、ッ――……!」

 

 流石の暴挙に、パッチがミーナを睨みつけて吠えたが、ミーナもまた反発する態度ではない。

 やってしまった、してはいけないことをしてしまった顔で、普段の強気な表情を失っておろおろするように目を泳がせて。

 うずくまって震える、脚の痛みに顔を上げられないパールの姿を前にして、普段の強気のミーナの表情はすっかり失われていた。

 胸の前で手を握り合わせてうろたえるミーナの姿は、ジム戦でうろたえた時のパールの仕草によく似ている。

 

「~~~~~~~~っ……!」

 

「えっ!?

 ちょ、ちょっと……!」

 

 そのままミーナは、パール達に背を向けて、逃げるように遠くへと逃げていってしまった。

 思わぬ行動にプラチナが声をあげ、パッチは追おうと足を踏み出しかけつつ、うずくまっているパールからも離れられず歯噛みして。

 プラチナの声を聞いて、顔を上げたパールの目には、遠くまで去りかけたミーナの姿が、雨の激しい中でかろうじて視認することが出来た程度である。

 

 ヨスガシティも随分近い所まで来たが、時間もそろそろ晴れ空ならば夕焼け色になり始める時間帯。

 雨雲いっぱいの空の下は、やや既に暗くなり始めている。

 これほどの激しい雨に見舞われるという、旅の中での非日常を現在進行形で体験しているパール達だが、彼女らを襲う非日常はどうやらそれに留まらない模様。

 今まで歩いてきた道のりの半分程度を歩けばもうヨスガ、という所まで至って、大事なポケモンに家出されるとは波乱万丈もいいところ。

 

 当然、ミーナを放置してヨスガを目指せるようなパールであるはずがない。

 長いと言われる212番道路の道のりは、まだほんの少し長くパールを苦労させるようだ。



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第52話   212番道路(夜)

 

 どうして、こうなっちゃうんだろう。

 

 212番道路の人が歩く道をはずれた山道を駆けてきた一匹のミミロルは、大きな木の根元に座って休みつつ、その一言で総括できる悔いに俯いていた。

 自分と同じぐらい足の速いパッチから逃げるべく、全力でここまで駆けてきて。

 激しい雨音だけが響き渡る森の中、滴りやまない樹上からの雫で顔を濡らしながら、ミーナはぎゅうっと唇を絞りながらその手も握りしめている。

 

 あんなこと、絶対にするべきじゃなかったのに。

 パールの脚を蹴ってしまった感触が、今も自分の脚に残っている。激しい雨でも洗い流せない、弱い女の子の柔らかい脚を蹴った感触。

 ぺたんと地面に座り込みながらも、脚に残る嫌な記憶とうずくまったパールの姿を思い返すたび、ミーナは雨に濡れた目元を新たに濡らしてしまいそうになる。

 

「――――」

 

「…………!?」

 

 人が歩ける道路を大きくはずれた場所、野生のポケモンもかなり多い。

 一匹のコロトックがミーナに近付いてきて、そんなところで何をしているんだと鳴き声を発してくる。

 敵意は無さそう。縄張り意識という強い感情ではなく、僕らのプレイスポットで何をしているのと問いかけるような態度に過ぎない。

 害意無き問いかけに、ミーナは他者の領分に踏み込んだ申し訳なさだけ感じ、返事もせずに駆けて逃げていく。

 コロトックや、彼が養うコロボーシも唖然と見送る中、ミーナはいっそう木々群がるその先へと逃げていくのみだ。

 

 走れば勿論、体力を使う。

 まして今日は、張り切ってパールと相対するトレーナーとの戦いに、積極的に参じてきたミーナである。

 溜まった疲労は足にも重く、そう長く走れないままミーナは歩き始め、間もなくへたり込むようにして息を整える。

 何をしているんだろう、私は。

 こんな所で独りぼっちで膝をつき、ずっとそばにいてくれた温かい誰かのことを脳裏に思い浮かべて。

 今になって、そんなあいつのことを思い浮かべる自分のことが好きになれず、長い耳の先を握りしめて、座り込んで丸くなる。

 

「……………………」

 

 どうしてパールは、あんなに私のことを見放さないんだろう。

 こっちだって、自分の言いたいことが通じないこともたくさんあって、やきもきすることはあるけれど。

 そのぶん、こっちの言葉を100%伝えられないことだってわかってるし、パールが困ってる顔をするのも理由もわかってる。

 自分が主張するたび悩ましい顔をするパールが、愛想を尽かして自分を嫌いになっちゃうことだってずっと覚悟しているぐらいなのに。

 そしたらお別れになっちゃうけど、私は前のように野生に戻るだけなんだし。

 パールが私と一緒にいたくないって思うんだったら、きっとお別れするのだってお互いのためになるはずだって思ってる。

 

 でも、お別れするのはちょっと嫌だなって思ってる自分が嫌だ。

 だってパール、優しくしてくれるんだもの。甘やかしてくれるんだもの。居心地がいいんだもの。

 好きなように生きてる私を、全部許して可愛がってくれる。

 それに甘えたくさせられる。私、どんどん嫌な奴になってる気がする。

 

「ミーーーナーーーーー!

 どこーーーーー!?」

 

 ううっ、来た。やっぱり探しに来るんだ。探しに来てくれるんだ。

 もう放っておいてよ、雨だってすごいよ?

 早く街に着いてあったかくしないと風邪ひいちゃうよ。

 私のことなんていいから、もう行っちゃってよ。私は野生に帰っても大丈夫なんだから。

 

 暗い森の中をパールから離れる方へ駆け、ミーナは見つからないよう、捕まらないよう距離を作っていく。

 二度と会えない遥か遠くまで至れぬまま、息を切らして立ち止まるのは、疲労ゆえなのか未練ゆえなのか。

 後者だとしてもミーナには自覚できない。今の彼女は、今の自分の姿をパールに見せたくないと、心の底から思っている。

 わがまま喚いて、家出同然にトレーナーのそばを離れて、ばつの悪さのあまり顔向けできないほどの気持ちに陥っている。

 

「パール……」

「プラッチお願い、手伝って。

 二手に分かれて探そう? 私は大丈夫だから」

「でも、脚が……」

「平気平気! ダイヤと遊んでた頃なんて、あいつに振り回されてもっと沢山ケガしてたんだから!

 そのたびダイヤのお母さんがダイヤのことこっぴどく叱ってくれたなぁ、懐かしいや」

 

 遠く離れた場所でのパールとプラチナの会話も、激しい雨音の間からでもミーナは聞き取ることが出来る。ミミロルは耳がいいのだ。

 そして、プラチナがパールの脚を心配している声を聞いたその瞬間、自分が犯した一番ひどいことを想い返したミーナが青ざめる。

 むしゃくしゃするあまり、かなり強く蹴ってしまったのは、蹴ったその瞬間にわかったことだ。

 うずくまって立てなくなったパールの姿の実像、それでも自分を探そうとしてくれているパールの想像、それがミーナの心をいっそう追い詰める。

 

 もう駄目、絶対駄目、あんなことした私がもうパールのそばにいていいはずがない。

 あぁ、でもお別れする前に、せめてそれだけはきちんと謝った方が……

 そんなの駄目、顔を合わせたら私は絶対泣いちゃう。それで、パールは私に怒りはするだろうけど、きっと最後は私を許そうとする。そんな人だもん。

 いや、もしかしたら、お前なんてもう嫌いだ、どっか行っちゃえって言ってくれるかな?

 その方が、いいような――――

 

 そこまで想像したら悲しくなってきて、垂れた耳を両手でぎゅうっと握るミーナ。

 もう、どうしたらいいんだろう。

 また一緒にいたい、でももう一緒にいちゃいけない。

 ごめんなさいって言いたい、許して欲しい、でも許されるべきじゃない。

 このままもう会えないぐらい遠くに行くべきだ、だけどそうしたくない。

 私って本当にわがままだ。嫌い、嫌い、パールのことじゃない、私のことがどんどん嫌いになる。

 

「――――z!」

 

「!?」

 

 降りしきる雨とは別のもので、目元がじわぁと滲み始めたミーナのそばへ、一匹のムクバードが降り立ってきた。

 敵意のある目だ。きっと、俺の縄張りに入って何をしてるんだという眼。

 身構えたミーナの前、もう一度鳴き声を発して威嚇してくる姿に、久しぶりに独りぼっちで外敵に見舞われるミーナもびくびくする。

 

 独りってこんなに心細かっただろうか。

 パールに会う前は、こういう敵に遭遇したら、すぐに勝てそうかそうじゃないか判断できて、攻めるか逃げるかがすぐに行動に移せたのに。

 どっちつかずで足の止まっている私は、もう野生の私じゃなくなってしまったんだと思い知らされる。

 

「――――z!」

 

「ッ……!」

 

 威嚇されても立ち去らないミーナに、ムクバードが翼を広げて飛びかかってくる。

 くちばしを突き出した攻撃を、ミーナはほぼ反射的に両手で塞いだ。

 手先を傷つけられつつも、攻撃を止めて耐えきり、押し返す仕草をするミーナにより、ムクバードはばさばさ翼を動かして千鳥足でたじろぐ。

 野生のミミロルだった頃の彼女には出来なかった力技の押し返しに、ミーナは自分が昔より強くなっていることも思い知らされるというものだ。

 やった、今の私ならムクバード相手でも――という喜びではなく、こんなに自分を強くしてくれたパールに私は――という呵責ばかりが胸を裂く。

 

「パッチ、行ってみて!

 もしかしたらいるかも!」

「――――z!」

 

「…………!?

 ッ――――!」

 

 このまま何とかムクバードを撃退しようかと思っていたミーナだったが、今のムクバードの大きな鳴き声に反応したらしい声を聞きつけて焦る。

 だめだめ、見つかっちゃう。パッチは足が速いし、見つかっちゃって追い回されたらきっともう逃げられない。

 ムクバードから、それ以上にパッチから逃げるべく、ミーナは慌ててその場を去っていく。

 

「はぁはぁ……パッチ、どう?

 ミーナ、いた……?」

 

「――――」

 

「あ、あっちの方にいそうなの……?

 うん、わかった、行ってみよう……!」

 

 しばし遅れて、ミーナとムクバードが遭遇した場所に駆けつけたパッチは、一度ムクバードと睨み合ったが。

 ひとまず威嚇対決でパッチの方がムクバードをたじろがせるに至る。野生のムクバードも、明らかに自分より強そうなルクシオ相手だと出方が悩ましい。

 しかしパッチは、きゅうきゅう鳴き声を発してムクバードに語りかけ、縄張りに踏み込んでごめん、すぐに行くから話を聞いてと穏やかに会話し。

 ミミロルが来なかった? という問いかけに対し、ムクバードはあっちに逃げたよと翼で示した。

 ありがとう、すぐに行くからね、とぺこりしたパッチに、だったらまあいいよとムクバードも息を吐き、ひとまず樹上に羽を休めに行ってくれた。

 それからパールがパッチに追い付いたのだ。どういう経緯でパッチがミーナの行く先を知り示しているのかわからないが、信じてパッチと一緒に森を行く。

 

 うう、多分あのムクバードが行き先を教えたんだ。

 パッチの足音がすごい勢いでこっちに来る。パッチは目がいいから、近くに来られたら絶対見つかっちゃう。

 どうしようどうしよう、もう走れないよ。逃げきれない。

 見つかっちゃったら絶対パッチは逃がしてくれないよ。

 

 おろおろしていたミーナだったが、起死回生の閃きで樹をよじ登っていく。

 地上にいたら絶対パッチに見つかってしまう。だけど、樹上にいれば見上げられない限り見つからないし、凌げるかも。

 疲れた両手と両足で、急いでよじよじ樹の上に登っていくミーナも必死である。

 

「ミーナーーー……!

 どこにいるのーーー……!?

 返事してよぉ~……!」

 

 危ないところだった。

 高い所に昇ってから見下ろしてみれば、ほんのついさっきまでミーナがいた所にパッチが辿り着いている。

 すんすん鼻を動かして、少しでもミーナの手がかりを探そうとしている。雨が降ってるから、匂いで探すのも難しいだろう。

 お願い上だけは見ないで、私を見つけないで。

 そう祈りながらぷるぷる震えているミーナだったが、パッチに追い付いてきたパールの姿が、ミーナにとってはショッキングで胸が苦しくなるほどのもの。

 

 樹上から見下ろすミーナには、帽子と後ろ髪だけが見える、うつむき息切れした疲弊しきりし姿。

 そしてそれ以上に、ミーナに蹴られた足を引きずって、歩くことさえつらそうなのが見るも明らか。

 自分がしてしまったことが、今どれほどパールにつらい想いをさせているのか目の当たりにしたミーナは、顔面蒼白でまばたき一つ出来なくなる。

 

「ミーナぁー……どこーー……!?

 勝手にどこか行っちゃ、嫌だよぅー……!」

 

 息切れしながら必死に声を出すパールの姿に、ミーナまで泣きたくなってきてしまう。

 絶対駄目、パールは絶対私のことを責めるより許そうとする。

 そんなのおかしい、絶対おかしい、私は絶対やっちゃいけないことをやってしまった奴だ。

 どんどん合わせる顔が無くなってきて、これだけ求められているのに動けないミーナは、こんなに近いのにパールと再会できない。

 会いたいと願ってくれているパールの姿が、いっそうにミーナの胸を締め付けても、求められる行動に移ることが出来ないのだ。

 

「~~~~」

 

「!?!?」

 

 ふと、そんな時である。

 樹上で背中を丸めていたミーナの肩を、誰かが後ろからちょんちょん叩いてくる。

 びっくりして振り返ったミーナだが、そこには一匹のフワンテがぷかぷか浮いている。

 

「~~~~?」

 

「――――、――――――……!」

 

 なんだおまえ、あっちいけ、しっしっと、足場の悪い樹上で手をばたばたするミーナ。

 声は出せない。下にいるパール達にバレちゃうかもしれないもの。

 無言で鼻息荒くふんすふんすして、フワンテを追い払おうとするミーナである。

 

「~~~~」

 

「――――z!?」

 

 なんかどこかで見たことあるフワンテだな、とミーナが考えかけた直後のこと。

 小さいお手々のフワンテが、どんっとミーナのことを押してきた。

 そんなに力は強くないが、この不安定な場所で押されるとバランスが崩れ、ミーナはあわあわしながら枝を掴む。

 ぶらさがった形に。やばいやばい、今パール達に見上げられたら見つかっちゃう。

 

「~~~~♪」

 

「――――~~!?」

 

 その捕まってる手も、フワンテの両手であっさり剥がされた。

 ちょっとー!? ってな鳴き声をあげて落ちていくミーナ。高い場所からの落下だが、元々跳躍力のあるミーナ、高所からの着地は得意な方。

 望まぬ形の落下でも、きちんと足を下にして土の上にのしんと着地完了である。

 

「~~~~……!」

 

「!!」

「えっ!? ミーナ!?」

 

「!?!?!?

 ――――z!」

「――――――――z!!」

 

 真上でふわふわ漂っているフワンテを、よくもこのやろうと見上げて睨みつけるミーナだが、あなたが立っているのはパールとパッチのすぐそば。

 探していたミーナが突然上から降ってきて、自分達の前に姿を見せたので驚かされたのはパール達の方である。

 やばい、と悟って逃げようとしたミーナだが、すぐにパッチに尻尾をくわえられ、脚だけ前に言ってお尻を土のうえにべちゃん。

 反応の早いパッチである。逃がさない。

 

「~~~~っ、こらっ! ミーナっ!」

「…………!」

 

 初めてパールに強い声で迫られることになったミーナは、びくっとして両耳を握りしめ、丸くなって震え始める。

 ああ、やっぱり怒ってる。ごめんなさいごめんなさい。

 すっごく怒られることを、蹴ったんだから頭をばちんされることさえ覚悟して怯える姿は本当に、悪いことした子供の姿によく似ている。

 

「そんなに震えて! 寒いに決まってるでしょ!

 ほら、あっためるよ!」

「ッ…………?」

 

 そう言うとパールはミーナを抱きかかえ、痛む脚でひょこひょこ歩いて大きな木の根元に座り、まずはその大樹に背中を預ける。

 そしたらなんと、自分の服をめくり上げて、自分のお腹にミーナの顔をぎゅうっと押し付けるのだ。

 戸惑い目をぱちくりさせるミーナだが、パールは女の子座りした膝の上にミーナのお尻を座らせたまま、ミーナの両手を自分を抱きしめさせる形にする。

 びしょ濡れのミーナの体と体毛を、自分のお腹と背中にぴったりつけたパールは、ミーナに見えない位置で少しだけ歯を食いしばった。

 そりゃあ、びくっとするぐらい冷たいんだもの。一気に体温を持っていかれる。

 

「~~~~、~~~~!?」

 

「もうっ、ほんとに心配したんだからね!

 ミーナだって、風邪とか引くかもしれないんだよ?

 こんな天気の時に離れていっちゃ駄目っ……!」

 

 なんでこんなことされてるのかわからないミーナはもごもごするが、逃がさないとばかりにミーナの頭を両腕でぎゅ~するパール。

 声は、少しだけ震えていた。

 寒さや冷たさからくるものではなく、ミーナと会えたことへの安心から、張り詰めていたものが切れたせいなのだろう。

 雨に濡れた彼女の目元が、自分のもので滲んでいたかは見てもわからないけど、近いものはあるだろうなとはその表情からパッチも窺い知れている。

 

「…………」

 

「……あと、そうだっ!

 よくも蹴ってくれたな~っ!!」

 

「~~~~~~~~!?!?!?」

 

 しかし、流石にあれが全くのお咎めなしとはならないようで。

 抱きしめたミーナの頭を、パールがその両腕で力強くぎゅううう。シメる。

 さすがに痛苦しい頭絞め、ミーナもぺちぺちパールの背中を叩いてやめてやめての抵抗。

 自分が悪いことをしたせいだとはわかっているので、ぺちぺち叩きも弱め。

 

「ごめんなさい、は?」

「~~~~……!」

「うりうり、ごめんなさいは~?」

 

 ミーナの顔を自分のお腹にぬらぬら押し付けるようにして、くすぐったさも手伝ってパールは少しずつ笑顔とその声を取り戻しつつある。

 もごもごしながら、謝るから謝るからという風に顔をこくこく上下するミーナの反応に、初めてパールは勝ってる気分。

 元々、いっつもけちょんけちょんにしてくるミーナだもの。たまには勝っておきたい。

 

「パッチ、プラッチを呼んできてくれない?

 ミーナ見つかったよ、って伝えたいからさ」

「――――z!」

 

 気立て良い返事をしたパッチが森を駆け始め、プラチナに届くよう鳴き声を上げる。

 すぐにプラチナと合流できるだろう。そうなれば、プラチナだってすぐこっちに来てくれる。

 山探しは概ね解決した。腕をゆるめてほっと息をつくパールの前、パールのお腹から顔を放したミーナがこちらの顔を見上げてくる。

 ここまでの至近距離で見るのは初めてかもしれないミーナの顔、その目もまた初めて見る色で、しおらしくパールを見つめる申し訳なさそうな顔である。

 

「私、大丈夫だよ。ミーナのこと大好きだもん。

 ケンカしたっていいじゃん、何でも言いたいこと、思ったこと、全部言ってくれて、行動してくれていいんだよ。

 ミーナの言葉はわかんないけど、何もしてくれなかったら、ほんとに何にもわかんないからさ」

 

 ただ優しく微笑んでそう言ってくれて、頭を撫でるパールを目の前に、ミーナはちょっとうつむいた。

 本当、ダメにされそう。パールの優しさって、私をダメな奴にしていく優しさだと思う。

 そんなパールにまだ見放されず、可愛がって貰えることを、やっぱり嬉しいと感じてしまう辺り、私はもうダメにされてるんだろうなとミーナも感じるばかり。

 

「わわ、なになにミーナ、くすぐった……」

 

 ミーナが自分の蹴ったパールの脚を、その手でさわさわと撫でる。

 けっこう腫れてる。やっぱり、強く蹴り過ぎたのだ。くすぐったいと言ってはくれているが、もう少し強く触ったらきっとパールは短い悲鳴すらあげるだろう。

 ミーナはお尻をずらしてパールの膝の上から降りると、座り込んでいるパールの前に、彼女を見据える形で一度立つ。

 

 みぃ、という小さな鳴き声とともに、ミーナはパールに向けて深く頭を下げた。

 ごめんなさい、のジェスチャーであることは、パールにだってよく伝わっただろう。

 元々許すつもりだったパールも、こうしてしおらしくきちんと謝るミーナの姿を前にすると、そうしてくれる嬉しさが勝って、責める責めないどころじゃない。

 コミュニケーション一つも困難だった相手と、こうしてしっかりした意思疎通を叶えられているのだ。感慨深いものすらあろう。

 

「うん、わかった。

 おいで、ミーナ♪」

 

 両手と胸を開いて受け入れる姿勢を見せてくれるパールに、ミーナはもじもじしながらも歩み寄り、再びちょこんとパールの膝の上に座る。

 再び自分の服をめくり上げたパールが、お腹にミーナの顔を抱き、ミーナの手も自分の背中に回すよう導く。

 雨で冷えても、人肌は温かい。ミーナとパール、冷えた体同士でもひっついていれば、内側からの温かさがじんわりと滲み出る。

 冷えていたミーナの体をパールの肌のぬくもりが温めてくれて、対するパールは発熱しないミーナの毛皮の冷たさに、ずっと肌を直接冷やされ続けるけれど。

 心地良い温かさに、きゅっと抱きしめる力で肌を擦り合わせてくるミーナの前では、絶対放さないの意志で微笑みを浮かべるのみだ。

 

「パール~! 見つかった!?」

 

「あっ、プラッチ……!

 え、えとえと、あのっ……くるな~!」

 

「えっ、なんで……

 うわわっ、何してんの!?」

「みるな~!!」

 

 パッチが呼んできてくれたプラチナだったが、パールの姿を見るや否やびっくり仰天。

 自分の服をめくりあげてミーナの顔を素肌で抱きしめる姿は、胸やお腹こそミーナの身体で隠しているが、上半身裸みたいなものである。

 見られちゃいけない場所はきちんと隠れていながら、下手をすると裸よりもえっちぃ恰好なのでプラチナも慌ててパールに背を向ける。

 自分がそういう姿な自覚があるパール、絶対見るなと叫ぶ声も必死である。

 

「いまミーナをあっためてるの!

 終わるまで待っててよ! あと絶対こっち見るなっ!」

「わかった、わかったから……わかってるから……」

 

 だいたいパールのやりたかったこと、今やっていることの真意を理解して、プラチナもたはぁという気分である。

 本当、突拍子もないことばかりする友達なんだから。

 あなたも大変ね、とプラチナを励ますような息遣いを、彼の顔を覗き込んで見せてくるパッチは、今のプラチナにとってはささやかな理解者であった。

 

 ひと悶着はあったけど、こうして再びミーナとも再合流できて一件落着だ。

 あたためタイムを適度な所で切り上げると、再び212番道路を抜ける旅の再開。

 脚の痛むパールがひょこひょこ歩くので、見かねてピョコがボールから出てきて、パールに背中に乗れと示してくれた。

 身体をなるべく揺らさないように、のしのし進んでくれるピョコの甲羅の上でパールは、やっぱり私は友達に恵まれてるんだなと幸せいっぱいの気分。

 ありがとうピョコ、と彼の頭を撫でるパールの表情には、あるはずの脚の痛みさえ気にならない、満たされた幸福感の方がずっと大きかった。

 ミーナがボールに戻らずに、ピョコとその背に乗るパールのそばを、一緒に歩きたがっていたことも、今日の特筆点の一つと言えるだろうか。

 

 長い212番道路だったし、すっかり夜になってからのことながら、パール達はそれを抜けきり、ヨスガシティに辿り着くことが出来た。

 雨の上がっている空のした、ずぶ濡れ二人は街を歩くのがちょっと恥ずかしくもあったが、ポケモンセンターにまっすぐ向かう。

 何のかんので疲れの溜まる一日だった。ミーナ探しに限らず、沼に何度も嵌まって抜け出すことにも体力を使って。

 温かいお風呂で雨と泥を流し、洗濯して乾かした服を着て、さっぱりほくほくの身体で夕食を食べて、あとは眠りにつくだけだ。

 ナタネさんといっぱい話したいことがあったパールも、今日は電話こそしたものの短めの通話とし、早めに眠りにつくのだった。

 今朝、寝坊してしまったことへの負い目はまだ少し残っていたのかもしれない。

 

 以前訪れた時は、ヨスガジムのジムリーダーが遠出していたため、この街におけるジム挑戦はお預けとなった。

 そろそろ今日ほどにもなれば、ジムリーダーも帰ってきているはずだ。

 明日はいよいよ一度見送ったジムへの再挑戦だと、パールはわくわくしながら眠りにつくのだった。



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第53話   ヨスガジム

「ハーイ! お待ちしておりました!

 あるいはお待たせしたのはワタシの方でしょーか?」

「あははっ、そんなことないですよ。

 その間に、私も他の街を回ってバッジを集められましたから!

 今日はよろしくお願いします!」

「フフッ、気持ちのいいお返事デース!

 いいでしょう、今日は心ゆくまで真剣勝負デース!」

 

 元気いっぱい、気合充分。

 一度お預けされたこともあり、やっとこの日が来たという想いめいたものを抱え、パールはヨスガジムを訪れていた。

 

 バトルフィールドの真ん中で、ジムリーダーの"メリッサ"と強く握手を交わし、これから始まる熱戦に向けて両者の胸も熱を帯び始める。

 紫色のドレスに身を包み、髪型も派手に四つ分かれに括ったメリッサの姿は、ジムリーダーらしく見えるよりもコンテストのプロの出で立ちと見えやすい。

 しかし、手を結び合える距離で向き合えば、メリッサは微笑みつつも、そう簡単にバッジは渡しませんよという強い眼を返してくれている。

 らしからぬ風貌で見誤ってはならぬ、挑戦者を迎え撃つに相応しきプライドを持つジムリーダーであることは、対峙してみれば明らかだ。

 

 ヨスガジムの、ジムリーダーと挑戦者が鎬を削る舞台となるバトルフィールドは、障害物の全く無い平面フィールドだ。

 しかし趣は、やはりジムの特色を主張するように癖がある。

 広大かつ平坦なフィールド全体ながら、真ん中広くが強いスポットライトで照らされており、トレーナー同士が立つ所も小円にして同様の照らされ方。

 小・大・小の三点が天井からの強いスポットライトで照らされ、ポケモン同士がぶつかり合う場所が広く、トレーナーが立つ場所は狭く照らされるという形だ。

 その三点以外は真っ暗闇。バトルフィールドを照らすスポットライトは上手く光を絞られており、照射する場所以外は闇に包んでいる。

 この闇は、双方どのように活用しても構わない。闇の中も障害物は無く平坦だ。

 

「そういえば、昨日一緒に来たお友達はどうかしましたか?

 今日は応援に来ていないようですが」

「あ~、えぇと……プラッチは……」

 

 さて、こうして五度目のジム戦に臨むパールだが、これまで必ず彼女の檜舞台を観戦してくれた彼の姿が無い。

 不思議がるメリッサに、パールはなんだか居心地悪そうに、今日はプラチナが来ていない理由なるものを説明しておく。

 

 パールとプラチナが212番道路を越え、ヨスガシティに到着したのは一昨日の晩。

 昨日は朝一番でジムに訪れこそしたものの、ジムリーダーのメリッサに挑戦する前の、ジム生達との手合わせのみに留めたパール達である。

 ジム生達を撃破するのが午前中に済んだので、一旦ポケモンセンターで休んで夕頃に挑戦、という流れでも良かったのだけど。

 どうもパールの顔が赤く、少し熱っぽく見える姿だったので、プラチナから強めの待ったがかかったのである。

 考えてみれば前夜はびしょ濡れ、そのまま長時間過ごしていただけあって、いくらすぐにお風呂でよく温まったとはいえ風邪を引いてもおかしくなかったのだ。

 そんな調子でジム戦なんてして、明日本格的に風邪引いたら大変だよ、というプラチナの強い主張により、メリッサとのバトルを今日に移したのである。

 まあ、一日休んだ方がパールのポケモン達にとっても健康的だし、賢明な側面の方が目立つ判断だろう。

 

 さて、それはいいのだがポケモンセンターに帰ってから、プラチナが世話を焼いてくれる焼いてくれる。

 明日は大事な日なんだからと。万が一にでも風邪をこじらせちゃ駄目と。

 泊まり部屋の空調を調整してくれるわ、念の為にと漢方薬みたいなものを買ってきてくれるわ、お粥まで作ってくれるわ。

 簡単なものとはいえ普通に料理してくれている。パールの知らなかったプラッチの、えらく家庭的な一面が垣間見えたというものだ。

 差し出されて渋りながら口にした漢方薬はお味最悪だったが、そのおかげで今日は熱っぽさも無く、体調万全でジム戦に挑めているとも言えるかもしれない。

 

 そして、今日はプラチナが熱を出してダウンしたのである。

 プラチナもパールと同じように、一昨日のずぶ濡れを味わった身ながら、昨日パールのために色々奔走しまくった結果なのだろう。

 今はポケモンセンターでお休み中。おいたわしや。

 パールをジム戦に万全の状態で送り出すために、自分が風邪を全部持っていくとは、献身ここに極まれり。

 

「んん~、あなたのお友達はいいヒトですね~。

 もしかして、あなたのお嫁さんですか?」

「あの、プラッチ男の子なんで」

「世界は広いデース。

 女性の旦那さんに男性のお嫁さんが嫁ぐことだってあるかもしれまセ~ン」

「めちゃくちゃですよ、それ」

 

 専業主夫とかそういう話をしたいのかもしれないが、微妙に変な言葉の使い方のせいでわけのわからないことに。

 まあ、完全に冗談と聞こえるメリッサのこの語り口の方が、パールにとっては都合が良かったかもしれないが。

 もしも、彼はあなたのお婿さんですか? なんて形で冗談をかまされていたら、ちょっと想像してしまってどきっとさせられたかもしれない。

 大事なバトルの直前に、あまり雑念は望ましくもなかったので。

 

「さて、始めましょうか。

 ルールは3対3デスよ?

 バッジを4つ集めてきたアナタなら、慣れてきているかもしれませんネ?」

「はいっ、もう3対3は四回目ですから。

 ちゃんと出す順番もイメージしてますし、展開次第で出す順番を変えるイメージもバッチリです!」

「エクセレント!

 もはや若きルーキートレーナーと見くびっていては、アタシの方がイのナカのカワズにされてしまいますね!」

「負けませんよ~!」

 

 メリッサは生まれがシンオウ地方でなく、かなり遠くの外国だ。

 流暢に語れるほど現地の言葉を身に付けはしながらも、細かい所で粗がある。

 井の中の蛙じゃなくて、才子才に倒れるとかそういうことを言いたいのだろう。油断していると私が負けてしまうかも、的な。

 誰か突っ込んであげればいいのだけど、パールはそもそも意識していない。

 やる気満々な上、メリッサが闘志をあらわにしてくれているのはわかるので、細かいことはどうでもよくなっちゃっているらしい。

 

「それでは、お遊びはここまでデスよ!

 オンステージ!」

「はいっ……!」

 

 ウインクしてパールのお喋りは終わりと主張すると、メリッサはパールが立つトレーナーエリアを指し示す。

 モデルのような体型での優雅な仕草は、流石にポケモンコンテストの第一人者として全国的にも有名なだけある。

 しかし示されたエリアへと歩いていくパールは、深く息を吸って吐いてを繰り返し、昂る気持ちを抑えることでいっぱいだ。

 常に見所たり得るメリッサの雅な仕草や挙動も、一つの山場を迎えて緊張しているパールの心や目だけは奪えない。

 

 こうした格上挑戦は、パールのような自身不足の子にしてみれば、何度経験しても慣れないのだろう。

 5度目のジムリーダー戦でなお、少し歩み足の硬いパールの後ろ姿を見たメリッサは、その初々しさにくすりと笑う。

 いいじゃないか、挑戦者というのはあれほどまでに緊張するのだ。自分にもそんな頃があったとメリッサも想いを馳せられる。

 そんな当時の自分がいくつかのことを成し遂げてきたように、若くして大願に挑む志は、挑まれる側の想像を超えることを成し遂げることもある。

 挑み、挑まれた、その経験すべてが、メリッサにそう学ばせてくれたことだ。

 

 双方トレーナーエリアに立ち、振り返ったパールの真剣な眼差しをバトルフィールド越しに見たメリッサは、この高揚感こそ堪らないと言って憚らない。

 わくわくする。各地を巡り、バッジを4つも集めてきた挑戦者。どんなに年下で可愛らしくたって強いに決まっている。

 挑む者達の高みを目指す魂の熱さもさることながら、迎え撃つ者達には迎え撃つ者達の、何度だって経験したくなるこの胸の熱さがある。

 8人の彼ら彼女らはみんなよく言うのだ。ジムリーダーはやめられない、って。

 

「さあ! 参りましょう!

 あなたの全てを、この戦いで披露してみせて下さいね!」

「はいっ!!」

 

「セットアップ! フワライド!」

「パッチ! 任せたよ!」

 

 両手で握りしめたボールのスイッチを力いっぱいに押すパールと、高々と投げたボールから先鋒を繰り出すメリッサ。

 高所に漂うフワライドを、まずはそれを見上げるパッチが強い声で威嚇したことに、二人の勝負が幕を開けていた。

 

 メリッサは、ゴーストタイプのポケモンの使い手だ。

 パールが選んだ3人も、それに対抗する策をちゃんと考えてのもの。

 高い場所に浮かび、そう簡単にパッチに接近戦を許すまいとするフワライドのポジションだが、パールに動じる気配は無い。

 

「レッツゴー、フワライド!

 コンベンショナル!」

 

「パッチ、まずは凌いで!

 最初は我慢の時間だよ!」

 

 特有の指示を出すメリッサだが、その単語が意味するところは"いつもの"というところ。

 出てきてこの構図ならまずこの技、という指示をしっかり理解したフワライドは、身体を震わせ全方位に向けて強い風を吹かせた。

 

「ひうっ……!?

 な、何これぇ……!?」

 

 "かぜおこし"だろうか。いや、その余波を受けたパールが、思わず鳥肌を立てて身震いするその風は、ただの風起こしによるものではない。

 風の強さや冷たさではなく、嫌な風音や肌の撫で方で受けた者に身の毛よだたせる、"あやしいかぜ"と呼ばれる技だ。

 あらゆる方向へその風を発するフワライド、駆けるパッチもある程度風の流れに身を乗せて寒気を凌いでいるが、完全なる回避は不可能な攻撃だ。

 余波を受けた程度でパールが縮み上がるこの風、バトルフィールドで受けるパッチには、寒さと痛さとおぞましさで肉体的にも精神的にも効く。

 

「さあ、どうしますか!?

 何も出来ずに黙って受け続けるだけでは、一方的な展開になりますよ!」 

「パッチ、そのままそのまま!

 絶対にチャンスは来るよ!」

 

 高所を確保し降りてこないフワライドによる、パッチに直接攻撃を届かせない位置からの遠距離攻撃。

 浮遊が出来て飛び道具を持つというのは、それだけでかなりの強みである。

 きちんとそれに対する対策を編み出してきていないトレーナーが、こうしたポケモンを前にして完封されてしまうことも珍しくはない。

 

 しかし、このまま自分の言ったとおりの展開にはならないだろうと、メリッサだって思っている。

 パールの指示には迷いが無い。絶対に何か仕掛けてくる。いや、今すでに仕掛けているのだろう。

 ジム生とのバトルで、浮遊能力を持つフワンテの使い手ともバトルしたパールだ。こんな相手が立ちはだかり得ることを想定していないわけがない。

 

「~~~~……!」

 

「ンっ!?

 フワライド、バッドコンディションですか!?」

 

「効いてるよパッチ!

 でも、焦らないで!」

 

 身体を震わせ妖しい風を発し続けていたフワライドだが、メリッサはその震え方の中に、僅かな苦悶があることをすぐに見抜いた。

 つぶらなお目々を少し細める、そんなフワライドの顔を見ずしてだ。

 そして現に、パッチが跳び付こうとしても届かないほどの高所にいたフワライドが、重たいものを背負わされたかのように少しずつ高度を下げている。

 ちょうどそんなフワライドの真下にいるパッチの体が、ばちばちと放電しているのは、強いスポットライトの光で照らされたフィールド上では目立たない。

 

 相手のポケモンを麻痺状態にする"でんじは"という技があるが、パッチが発電するとともに発している磁場は、そうした技より微弱なもの。

 しかし、高く離れたフワライドにびりびりと身体が痺れる感覚を強い、高所に位置を保つのを苦しい状態にさせている。

 どんなポケモンだって、望む自らの高度に保つためには、翼に限らず何らか自らの力を用いて浮力を作っているものだ。フワライドもそう。

 "まひ"させられてそれが続くほどではないにせよ、パッチが磁場を放つ限りは、安全地帯をキープし難くなるこの痺れ。

 うんうん踏ん張るように上を向くフワライドだが、徐々に高度を下げていくフワライドはパッチの飛びつける射程圏内に近付いていくのみだ。

 

「これは捕まるのも時間の問題デスね……!

 ですが、フワライド! もっと、もっとデス!」

 

「ひゃうぅ……っ!

 ぱ、パッチ、耐えて耐えて一気にいくよっ……!」

 

 手のような四枚の羽をぱたぱたして、なんとか落ちまいとしつつも硬度を下げ続けるフワライドだが、ならば襲いかかられるまでの時間いっぱいを攻撃に。

 フィールドいっぱいに妖しい風を再び発するフワライドの攻撃は、高度が下がったぶんだけより近い距離でパッチを苛む。

 パールを襲う余波もさっきより強い。体の芯までぞわつく。

 それでも明確な意図を以って指示を出すパールに、妖しい風に晒されながら尚ばちばちと火花を散らすパッチは、来たる好機を逃さぬ眼差しだ。

 

「"じゅうでん"デスね……!

 クレバーです……!」

 

「今だよ、パッチ! かみつけえっ!」

「――――z!」

 

 自らの内側にも強い電気を溜め込まんとしたパッチの行動は、耐え忍ぶべき局面で自らに活を入れ、我慢強さを自らに命じることを兼ねている。

 今も自らの全身を襲う妖しい風を前にして、身の内に迸る充電電力に奮い立つパッチは、受けるダメージへの意識より闘志が勝っている。

 単に気力でカバーしているだけではなく、意図し強い電力を"じゅうでん"するルクシオは、本当に我慢強さを発揮できるようになる。

 

「フワライド! フェードアウト!」

 

 地を蹴り牙を剥いて飛びかかるパッチだが、メリッサが指示したこととは要するに"ちいさくなる"。

 襲いかかるパッチの攻撃を躱そうとしながら、すんっと急激に萎んでサイズを小さくしたフワライドが、パッチが牙をがちんと空振り鳴らす結果をもたらす。

 

 突然小さくなるフワライドがまるで遠のいたかのように見える辺り、フェードアウトという指示でも間違いではないのかもしれないが。

 もしかすると、直訳してもすぐには何の技かわからないように、意訳お構いなしの指示を採用しているのかもしれない。

 発する指示で、相手のトレーナーに技を悟られないようにする言い回しは、他のジムリーダーもそこそこやっていることである。

 

「思いっきりいっちゃえ!」

 

「――――――――z!!」

 

 しかし、これから飛びかかるぞと予告して放ったも同然の初撃、躱されてしまうことはパールだって想定済。

 フワライドのそばを空中ですれ違う形になったその瞬間、内に溜め込んでいた電気をパッチが全身から一気に放出する。

 それは大きなダメージを与えるほどの電撃ではないが、至近距離でその渦中に含められたフワライドを、一時ながらきつく痺れさせることを果たしている。

 高所の敵を引きずり下ろす手段、それを狙い撃つ攻撃の選択、それを凌がれた時に備えた策。一人前のトレーナーらしく練った戦い方が出来ているではないか。

 

「エクセレント……!」

 

「パッチ、いけえっ!」

 

 やはり麻痺が残るほどではないにせよ、痺れから動きが止まってしまったフワライドへ、着地して直ちに踵を返したパッチが跳びかかる。

 萎んだ身体で噛み潰されては大変だ、と、せめてぷくっと身体を膨らませたことが、フワライドに出来る最大限の抵抗だった。

 がぶりと噛みついてフワライドを捕まえたパッチは、振り上げていた頭を着地と同時に振り下ろし、フワライドを床へ思いっきり叩きつけた。

 そしてなお、放さない。強烈な一打に目を白黒させるフワライドだが、未だパッチに捕われたままという危険な状況だ。

 

「クールに! フワライド!

 あやしいかぜデスよ!」

 

「~~~~!!」

「ッ、ッ……!」

 

 噛みつき捕えた、つまり至近距離。

 喉の奥まで入ってくる、身体を芯から凍らせにかかるようなフワライドの起こす風に、パッチもフワライドをぶん投げて逃げたくなる。

 それでも耐え、ぎちっと牙に力を入れて踏ん張るパッチは、捕らえたこの機を逃すのはもっと駄目だとよくわかっている。

 ぎりぎりと突き立てた牙で締め上げられるフワライドも、四本の羽をばたばたさせるほどには苦しんでいる。厳しいのはこちらの方。

 

「オーケー、サプライズですヨ!

 ビックリさせてあげましょう!」

 

「!!」

「――――z、ッ!?」

「はわ!?」

 

 少なからず怯みかけながらも耐えて顎に力を入れていたパッチだが、いきなりフワライドが瞬時に倍ほどのサイズに膨らんだのだからびっくり。

 はがっと口を強引に開かされる驚きにパッチが完全に虚を突かれ、その瞬間に身をよじって萎んで元のサイズに戻るフワライド。

 これまで多くの敵を捕らえて離さなかったパッチの牙から、フワライドが逃れ果たしたことにはパールも驚愕だ。単に急にでかくなったことにも驚いたが。

 "おどろかす"やり方にも色々ある。ばちりと嵌まれば窮地を凌ぐ妙手にもなる、フワライドの隠し技だ。

 

「~~~~……!」

「フワライド、もうひと頑張りデスよ!

 相手に負けないガッツを見せて下さい!」

「~~~~ッ!!」

 

「パッチ頑張って!

 全力でスパーク!」

「――――z!」

 

 傷ついた体で苦しそうに漂い離れていくフワライドだが、握り拳のメリッサが発する言葉で眼に強さを取り戻し、妖しい風を吹き荒れさせる。

 根性と執念に秀でたルクシオだ。だが、私だって負けちゃいないんだという意地がフワライドにもある。

 その姿に呼応するように、吠えたパッチが強く帯電した体で突撃していく姿もまた、骨身を包むおぞましげな風にも気圧されぬ勇猛たるものだった。

 

 元々物理的な攻撃を受ける頻度が他のポケモンに比べて低いゴーストポケモンは、物理的な激しい痛みに対する慣れがどうしても低くなりがちだ。

 牙を突き立て、なおもぎりぎりと締め上げる"かみつく"攻撃などが、ゴーストタイプのポケモンに与えるダメージは、身体的にも気力的にもかなり大きい。

 パッチに受けた攻撃は"かみつく"攻撃の一度ながら、叩きつけられ、さらに噛み絞め上げられたフワライドの限界は間近だったのだ。

 全力スパークの激突を受けたフワライドが、その一撃で戦闘不能に陥ることは、受ける前からメリッサにもわかっていたことである。

 

「サンクス、フワライド……!」

 

「えっ!?」

 

 激突されて強い電流を流されたその瞬間、小さな目を最大限までフワライドが開き、真っ赤になって膨らんだ。

 その瞬間に、フワライドを中心に発生した大爆発は、その爆心地に接した場所にいたパッチを吹き飛ばす。

 パールの所にまで届く強い爆風、それも火のように熱い熱風は、その爆発を至近距離で受けるパッチへのダメージを容易に想像させる。

 

「ぱ、パッチ……!」

 

「ッ……ッ…………」

 

 体内に溜めたガスのすべてを体表から発したフワライドは、へろへろとフィールドに降りて横たわり、メリッサによりボールに戻されていく。

 爆風に煽られて何度もフィールドに身を打ちつけながら、やがて止まって倒れたパッチも、立ち上がろうとするものの。

 今の爆撃によって受けたダメージは相当のもので、どんなに力を入れて立ち上がろうとしてもそれが出来ない。

 パッチだって何度もフワライドの妖しい風を受け、そもそもダメージは蓄積しているのである。これ以上は流石に無理がある。

 

「っ……パッチ、戻って……!

 ありがとう、よく頑張ってくれたよね……!」

 

 緒戦はフワライドの"ゆうばく"による相討ちという形で勝負が決まった。

 パッチをボールに戻したパールは、二人目を出すべきこの局面を、全く情報が無いまま迎えている。

 今までのバトルでは、片方のポケモンが戦闘不能になれば、そのトレーナーは相手のポケモンを見て次鋒を選ぶことが出来ていたからだ。

 二人目を出すこの場面で、相手がどんなポケモンを出してくるかわからないという、バトル開始時と同じ駆け引きを強いられるとは。

 よくあることではある。だが、実際に直面すると初めての時は戸惑う。

 

「――血も涙もない戦い方だと見えますか?

 ですがこれも、タクティクスですよ!」

 

「っ……いいえ、そんなことありません!

 負けられないのは、メリッサさんだって一緒ですもんね!」

 

「グレイト……!

 チャイルドではありませんね! アンビシャス!」

 

 二体目のポケモンを選び悩むパールの表情に、自爆技めいたもので引き分けを導いた自分を、ひどいとでも感じたかとメリッサは語りかけた。

 そうじゃない。ただ一方的に破られるだけに留めず、一矢報いて引き分けに持っていく戦法に、強い覚悟と決断が必要なのはパールにだってわかる。

 勝つためならば、相手のトレーナーをポケモンが放つ炎で焼き殺そうとまでする、悪の組織のやり方と一緒にするような非道なんかじゃない。

 むしろ苦しい中で尚、パッチと刺し違える形に持っていったフワライドの執念にこそ、パールは敬意に似た驚嘆を得ているぐらいである。

 

 どんなトレーナーにとっても、一戦一戦すべてが負けたくない、全身全霊を投じてでも勝ちにいきたい勝負である。

 メリッサもそうだ。そう易々とバッジを譲るような敗北など、若き大志の目指すべき目標とされるジムリーダーとして、そう簡単には叶えさせたくない。

 そしてメリッサもまた負けられないというのを、相手の立場に立ってパールが考えられるのは何故か。

 パールにだってジムリーダーとしての責任感は想像できるから? そんなわけがない、彼女にジムリーダーの気持ちなんて真にわかるものか。

 どんなバトルでも絶対負けないようにしたいと、常に全力で臨める、望み続けたパールだからこそ、相手もそのはずだと確信している。

 ほら、だから伝わってくるんじゃないか。このバトルにだって、彼女がどれだけ全身全霊を投じているか。

 ジムリーダー達はいつだって、こんな挑戦者をこそ待ち望んでいるのだ。

 

「さあ、早く次を!

 この熱く燃え上がるハートが冷めてしまう前に!」

 

「はいっ……!」

 

 迎え撃つ立場として無粋かとは思いつつ、メリッサは急かすことを耐えられなかった。

 もっともっと、ぶつかり合いたい。情熱を見せて欲しい。

 格上が挑戦者の決断の時間を待たず、考える時間を減らすよう求める不躾を厭わぬほど、メリッサはパールとのバトルに熱くならずにいられないのだ。

 それにパールが応えるように、迷っていたはずの次のボールをすぐ握ったのは、彼女もまたメリッサの熱き魂に胸打たれたから。

 尊敬に値する大人が、ジムリーダーが、こんなにも自分とのバトルに燃え上がってくれているのだ。

 心震えずにいられない。応えずにいられるものか。

 

「参りましょう!

 セットアップ! ゲンガー!」

 

「ピョコ! 頑張って!」

 

 握りしめた少女の手から喚び出されたパートナーと、もはや相手を単なる挑戦者とは見做さぬジムリーダーが投げ上げた先から現れたアークエネミー。

 ボールから飛び出してバトルフィールドに降り立った両者は、共に普段よりもいっそう強い眼光で、対峙した相手を睨みつけている。

 2対2で迎えた自分達のこの舞台が、勝敗を大きくする戦いだとわかっているのだろう。

 頑張れ、私の友達、アタシのフレンズ、そう言わんばかりに拳を握りしめるパールとメリッサの強い想いは、語るまでもなく二人の相棒に伝わっているのだ。

 

 もう四度目のジムリーダーとの真剣勝負、もう百回以上は経験してきた挑戦者とのバトル。

 何度やったって、強い相手とバトルするたびに熱くなる血は抑えられない。

 だからみんな、ずっと、大人になってもポケモントレーナーなのだ。



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第54話   ダークサイドファイト

 

「フフフ、無念でしょうけどミステイクですね!

 この勝負は、頂きましたよ!」

 

「……大丈夫だよ、ピョコ!

 絶対、勝とうね!」

 

 ピョコと対峙するゲンガーは、毒タイプを併せ持つポケモンだ。

 ピョコが得意とする草タイプの技が効きづらく、タイプ相性は非常に悪い。

 この辺りはパールとて、ジム生との勝負でゴースやゴーストをピョコで相手取る場面もあったため、元々の知識からのみならず経験でも痛感している。

 相手の次鋒がゲンガーだとわかっていれば、ピョコを出すことはしなかったかもしれない。緒戦を引き分けで括られたのが響いている。

 

「ピョコ、たいあたり!」

 

「オホホホ、狙いが見え見えデスよ!

 ゲンガー、まずはエスケープです!」

 

 しかしピョコには、毒タイプ相手には有効ではないけれど、ゴーストタイプ相手には有効な技がある。

 接近戦にさえ持ち込めれば――そんなパールの思惑は、ゴーストポケモンの使い手であり知識豊富なメリッサには知れたものだ。

 ゲンガーは、駆け迫ってくるピョコからゆったりと後退しつつ、充分にピョコを引き付けてから、バトルフィールド外の闇の中に消えていった。

 見えない場所に姿を逃がされては、ピョコもそれ以上追えずに立ち止まるしかない。

 

「"かみつく"、でしょう?

 体当たりなんて、ブラフにしてはアマチュアですよ?」

「うぐぐ……!」

 

 広大で平坦な長方形な一室、その中央部の広く円形をスポットライトで照らしているのが、ヨスガジムのバトルフィールドの特徴だ。

 光は上手く絞られているようで、スポットライトに照らされる円形フィールド外は、境界線に区切られたかのように綺麗な真っ暗闇。

 例えるなら、円形バトルフィールドと、不可視の場外と区切られているようなものなのだ。

 地続きながら敵の見えない闇の中へ足を踏み入れられず、立ち止まったピョコが歯ぎしりする姿のみが残る。

 

「むしろあなたは崖っぷちデスよ……!

 ゲンガー! アサルトです!」

 

 そんな、スポットライトと闇の境界線近くにいるピョコは、ゲンガーにとっての絶好の狙い目だ。

 メリッサの指示を受ける前から、ピョコの正面位置から場所を素早く移していたゲンガーは、ピョコの右側位置の闇から飛び出してくる。

 ゲンガーの人相によく似合う自信げな笑みを含む口元、ピョコがはっとして振り返っても、相手の出所がわからず遅れて振り返ったのでは間に合わない。

 

「ッ――――z!?」

「ピョコ!

 っ、つかまえて! かみついて!」

 

「ヒットアンドアウェイですよ! ゲンガー!」

 

 強襲を意味するメリッサの指示の下、ゲンガーが選んだ攻撃手段は"どくづき"だ。

 ピョコの苦手な毒タイプの技、それは甲羅横殴り越しに受けてなお、強固さが強みのピョコの表情を苦悶いっぱいにするほど痛烈。

 その痛苦を想いつつも、敵が近くにいるこの好機を逃しちゃダメだと、かみつく攻撃を指示するパールはよくやっている方。少なくとも動転はしていない。

 だが、怯んだピョコの動きに満足して退いたゲンガーは、ピョコの噛みつきを回避して再び闇の中へと姿を引っ込める。

 痛打を受けて反撃ならず、こちらはダメージを抱えて相手は無傷。良くない出だしだ。 

 

「さぁて、ゲンガー! ネクストアタックです!

 かみつく攻撃が怖いですよ! わかりますね!?」

 

「うぅっ……ピョコ、来るよ!

 絶対、敵の動きを見逃さないで!」

 

 ピョコの目が届かない上で近い位置に逃げ込んだゲンガーに、次の一撃を示唆した指示を下すメリッサ。

 これが、パールを焦らせる。身構えなきゃと思わせる。

 パールにそう意識誘導させるためのメリッサの発言でしかなく、不測の状況に追い込まれた挑戦者を、ジムリーダーが心理戦で翻弄していると言える図だ。

 

 相手が見えない闇の中に潜むこのシチュエーション、その闇のそばにいることなどデメリットしか無いのだ。

 パールがピョコに発するべきベストの指示は、一旦退がって光に照らされたフィールドの中央側に立つこと。

 それを咄嗟に判断させないための、メリッサの指示だったと言える。

 

「ゴー!!」

 

 この指示は必要無かったのだが。ゲンガーの攻撃タイミングを指示の声で、相手にもわかるようはっきりさせるなんて。

 とはいえ、これはこれでメリッサなりのジムリーダーたる矜持の一つ。僅か僅かのハンデだが、これぐらいは。

 バッジ4つ持ちの挑戦者なので、心理戦も解禁するメリッサながら、幼いパール相手の心理戦なんて大人のメリッサには有利極まりない。

 これぐらいは甘くする。パールがバッジ6つ以上なら容赦しなかったけど。

 

「!?

 甲羅にっ……」

 

 だが、そのハンデが致命的な反撃を許す気の緩みになるほど、メリッサだって甘すぎる気の抜き方はしていない。

 闇の中から飛び出して襲いかかるゲンガーだが、その出所はピョコの正面位置、つまり敵との距離が近い、しかしながら高所位置。

 前か、左右か、闇から駆け出て現れると思っていたゲンガーが、45度頭上から飛びかかってくる姿はピョコにとっても想定はずれのこと。

 気付いて敵の方を向いて見上げた瞬間にはもう、ゲンガーはピョコの目前にまで迫っており、今さら回避も反撃も間に合わない。

 そんな中、甲羅に頭を引っ込めるよう指示したパールの声が、ぎりぎりピョコが額を"どくづき"で傷つけられる結果を免れさせている。

 

 ピョコが頭を引っ込めた甲羅に毒突きを当てたゲンガーは、さすがに硬いものを殴った感触に多少顔をしかめたが。

 ちょっと痛い、とばかりに手を振りつつ、素早く闇の中へとバックステップで引き下がる。

 ダメージを緩和させられたとはいえ、二度目の攻撃を受けたピョコ、相手は未だ無傷。良くない流れが出来つつある。

 

「ピョコ、照らされたとこの真ん中に戻って!

 そこで戦っちゃ駄目……!」

 

「フフッ、気付きましたね……!

 遅すぎた決断にならなければいいのでしょうけど……!」

 

 二撃目の毒突きを受ける前にこうしていられれば、もっとよかった。

 パールの指示どおりに動くピョコの姿を見ながら、パールは後悔しきり。

 これはメリッサさんの言葉に焦り、翻弄され、この決断がもっと早く出来なかった自分のミスだ。

 掌の上で転がされていたことに気付いたら、へこむよりもまず悔しい。

 

「ピョコ、まだ戦える……!?」

「――――z!」

 

「さあ、ゲンガー!

 毒突きで弱った相手をクッキングする時間ですよ!」

 

 弱った獲物をお料理とな。外国生まれで現地の言葉遣いの使い方が若干拙いせいか、なんだか悪役みたいな言葉遣いになってしまっておられる。

 しかし状況はそのとおりで、二度も苦手なタイプの強撃を受けたピョコの衰弱ぶりは確かである。

 闇から飛び出してきて駆け迫ってくるゲンガーに、ぐっと足元を踏みしめて迎え撃たんとする小さな挙動から、パールの目にはピョコが弱っているのは明らか。

 

「……はっぱカッター!」

「――――z!」

 

「苦しいですね!

 ゲンガー、お構い無しでアサルトでーす!」

 

 ピョコの持ち技の中で、対ゴーストで最も効き目のある技が、かみつく攻撃なのはパールもわかっている。

 とはいえ距離のある場所から駆け迫ってくる相手に、ただ待ち構えるだけというのも間違い。

 葉っぱカッターでの迎撃を指示して、毒突きの瞬間に噛みつき返せという意図のパールの目論見は正しいはずだ。

 ピョコも利口で、葉っぱカッターの指示を受けつつも、接近戦ともなれば話も変わるんだろうという算段は立てている。

 

「アウェイ!」

 

「えっ!?」

「…………ッ!」

 

「シャドーボール!」

 

 もっとも、近付いてくる相手を飛び道具で迎え撃ちながらも、毒突きに対するカウンターを構えている相手に、接近戦を仕掛ける道理もメリッサにはない。

 もう少しでハヤシガメの待つ位置に到達する、という所で指示を出したメリッサに、ゲンガーも待ってましたとばかりに進行方向を折るサイドステップだ。

 ピョコとの距離をある程度残したままの位置に移り、既に両手に溜めていたエネルギーを凝縮し、ピョコに向かって飛び道具として発射する。

 

 ゲンガーの両手から放たれる黒い球体めいたゴーストエネルギーは、駆けだしていたピョコの額に着弾した。

 そう、ピョコは駆けだしていたのだ。牙をちらつかせる自分の懐に、相手がわざわざ飛び込んでくるとは思わずに。

 ゲンガーが自分から距離を作る動きを見せた瞬間に、その方へと駆けだしていたピョコの判断は、パールに言われて取った行動ではない。

 己の額に着弾した瞬間、高密度のエネルギーが額で炸裂する重みに耐え、ゲンガーに急接近するピョコの挙動は、メリッサにもやや想定外。

 

「はっぱカッター!」

 

「ゲンガー! どくづきでイかせますよ!」

 

 指示していないはずのピョコの行動だが、それにすぐ対応した指示を出せるパールだが、それはそれで強みである。

 ずっと自分のポケモンに助けられて勝ってきた自覚のある子だ。予想外の行動を見せた自分のポケモンに、それが自分には見えなかった好判断だと信じて。

 早かった指示はその甲斐あり、ゲンガーに回避を許さず無数の葉っぱカッターを当てる結果に繋がっている。だが、ダメージは小さい。

 

「かみついてえっ!」

 

 葉っぱカッターの連撃を受けてでも、自らとの距離を詰めきったピョコの"かみつく"攻撃に身構えていたゲンガーだ。

 身を逃がすが、その逃げた方向へすぐ舵を切って牙をちらつかせるピョコから、どうやら逃げきれそうにはない。

 それなりの自己判断を見せつつも、なるほどやはりメリッサの言うとおりだなと、手に毒突きの力を込めるゲンガーの瞬時の判断も早い。

 ゲンガーとメリッサの間にもまた、パール達とは違った形の信頼関係がある。

 

「ッ、ッ……、――――z!」

 

「――――!?」

 

 先に入ったのはゲンガーの毒突き。

 ピョコの額にゲンガーの爪めいた形の指先が、カウンター気味に突き刺さる光景は、パールの顔色がさぁっとしたものだ。

 それでもここが踏ん張り所、ぎらっとした眼を一切伏せず、大口開けて前に出たピョコが、ゲンガーの腹部にがぶりと噛みついた。

 噛みつかれた痛みだけで、ゲンガーが軽く怯む程度には、やはり噛みつく攻撃はゴーストタイプに特効だ。

 

「ピョコっ、絶対放さないでえっ!

 思いっきりやっちゃえぇっ!」

 

「ゲンガー、リベンジですよ!

 サヴァイヴのためです! 決死で!」

 

 一度食らい付いてしまえばピョコの腹の括りようはメリッサも察するとおり。

 毒突きを何度も受けた自分が、この至近距離で毒突きを放てるゲンガーを相手に、自分が最後に立っている結末を迎えられないこともわかっている。

 負けても諸共、次に繋げるべく、このゲンガーに少しでも大きなダメージを。

 前身を振り上げてでもゲンガーの重い体を持ち上げると、牙を抜かぬままにして地面に叩きつけ、少しでも大きなダメージを積み重ねようとする。

 

 げは、と息を吐いたゲンガーであったが、このまま死兵に限界近くまでいたぶられてたまるかの意地を目に燃やし。

 ぎらりと目を光らせて振るったゲンガーの爪先が、ピョコの頬にがすりと突き刺さる。無論、"どくづき"の一撃だ。

 その一撃で顎の力が抜けそうになったピョコだが、遠のきかけた意識を引き戻し、いっそうぐっと噛み絞める力を取り戻して。

 ゲンガーが苦悶の表情を浮かべる姿からも、ピョコの執念は確かなダメージをゲンガーに通し続けている。

 

「シャドークロー!!

 ゲンガー! ノー・マーシー!!」

 

 響き渡ったメリッサの声は、今日一番の強い声だった。

 この局面に絶対に慈悲は要らぬと唱えたメリッサに応じ、牙を突き立てられたゲンガーはその爪で、ピョコの目元を切り裂いた。

 反射的に瞼を閉じたピョコだが、今まで一度も傷つけられたことの無い場所を傷つけられれば、小さく呻いて口元の力も緩む。

 その瞬間、両手でピョコの口に手をかけたゲンガーが、相手の口を開かせて抜け出て転がると、すぐに立ち上がって次の技を撃つ構えを見せている。

 

「シャドーボール!!」

 

 目元を切り裂かれてなお顔を上げ、相手を見据えようとしていたピョコの執念は認められるべきものだが、そこに飛んできた攻撃は痛烈だ。

 顔面に直撃したゲンガーのシャドーボールは、着弾と同時に炸裂する様を見せ、それが大柄なピョコの前身を浮き上がらせるほど。

 ひっくり返りそうなところを耐え、なんとか前のめりに着地するよう後ろ脚で踏ん張ったピョコだが、前足で地面を踏みしめることは出来なかった。

 腹ばいに屈したピョコの姿は、彼がもうこれ以上ゲンガーを相手に渡り合えぬことを、パールに確信させるには充分な姿である。

 

「っ……ピョコ、ありがとう……!

 ごめんね……!」

 

 ピョコのボールのスイッチを押したパールの判断は英断と言える。

 まだ立ち上がろうとしていたピョコだが、もう戦えない体なのにそれを続けようとするポケモンは、トレーナーが自分の手で退くことを命じねば。

 ピョコもパッチも、そういう性質が強過ぎる。もう無理な身体でも、パールを勝たせるためならまだやろうとする傾向にあり過ぎるのだ。

 長くそんな彼ら彼女らとの付き合いの中、パールは退き所を直感的に身に付けられてきていると言えるだろう。

 

「オーッホッホッホ! これでアナタは後がありませんね!

 さあ、どうしますか!?

 ワタシのゲンガーはまだまだパワフルですよ!」

 

 これ見よがしなほどの高笑いを見せて、パールを挑発するような言動を見せるメリッサである。

 これは、そこそこのバッジを集めて自らに挑む者相手にならと、メリッサが解禁する精神揺さぶり攻撃の一つ。

 相手もわかっているであろう、追い詰められた状況を復唱して精神的に追い詰める、心理戦の基本技とも言えよう。

 仮にこのように自分優勢の流れになっていなくても、何か隙があれば言葉を用いて相手を揺さぶることを、案外ジムリーダーの皆様は厭わない。

 

 まあ、相手がバッジ1つか2つ以下の初心者認定級トレーナーなら、こんなきつい精神攻撃はジムリーダーの皆様もしないのだが。

 基本的にジムリーダーは未熟者には優しい。でも、皆様勝ちに行くすべには秀でている大人だから、その気になればやれちゃう。

 例えばパールが大好きなナタネさんだって、もしパールがバッジを4つか5つ集めた後で挑む相手であったなら、こんな心理戦を仕掛けてきたかも。

 ジムリーダーとは、トレーナー同士の舌戦を学ばせることも、挑戦者を鍛え上げる使命として掲げていたりする。

 そこまで出来ないジムリーダーもいるけど。若過ぎるスモモとか。

 

「残る一匹のポケモンで、私のゲンガーをディフィート出来ますか!?

 仮に出来ても、ワタシにはまだ切り札が残っていますよ!

 さあ! さあさあさあ! やれるものなら、かかってきなさい!」

 

「うぅ、っ……」

 

 パールはかなり苦しい逆境に置かれている。メリッサにこうして突きつけられるまでもないほど、わかりやすく苦境だ。

 しかし、言葉にして突きつけられると重い。べろぉと舌を出して挑発的な顔を見せるゲンガーは、見るからに余力がある。

 残る最後のポケモン一人で、このゲンガーと、残る最後のメリッサの一体を撃破できるものだろうか?

 敢えて『諦めるなら今のうちですよ!』と言わないメリッサだが、それをパールに迫ることさえ、この状況を以って伝えているほどだ。

 諦めたらどうですかと、はっきり口にしてしまうと若いパールに意地を張られてしまいかねないので、明言しない辺りメリッサも上手いものである。

 

 諦めずに次のポケモンを考えるパールは、追い詰められた中で活路を見出さんとしているだけでも、挑戦者としての資格を失っていない。

 だが、この状況を打破するには誰が適切? ニルルか、ミーナか。

 どちらがゴーストタイプのポケモン使いのジムリーダー相手に、最適解なのだろう?

 この状況、迷うべくもない中でボールに手を伸ばせないパールは、半ば勝利への道を見失った迷い子そのものだ。

 

(――――――――ッ!)

 

「あ……」

 

 心の折れかけたパールの目を覚まさせてくれたのは、自分を出せと、ボールの中で身体をわめかせ、そのボールを揺らした子。

 鞄の中からのその反応に、思わずそれを手にしたパールだが、その隣にあるもう一つのボールは揺れもしない。

 ピョコとパッチを失ったパールの鞄の中、まだ戦える力を残した二人の家族。

 そのうち片方が、私を出せと強く主張する中、もう片方がそうすべきだとおとなしくしている姿は、鞄の中を見るパールに与えられる解答だ。

 

 あなたの選ぶべき正解はこっちだ。

 それは、それが選ぶべきものだと思っていたパールの考えと一致するものであり、肯定してもらえたように感じられたパールに勇気をくれる。

 諦めてなるものか。ギブアップなんて、最後まで戦わずにやるべきことじゃない。

 

「む……」

 

「……メリッサさん! 私、諦めませんよ!

 絶対、あなたに、今日、勝ちたいんです!

 諦めて、今度勝てばいいやなんて絶対に考えたくありません!」

 

 鞄の中から最後のポケモンが入ったボールを掴み取り、メリッサに向けて強い声を発するパールの真意は何か。

 一つは、折れかけていた自分の心を奮い立たせるため、このバトルに臨んだ自分の初心に喝を入れるため。

 そしてもう一つは、これから出す自分にとっての切り札に、私は諦めてないよと力強く伝えるため。

 

 これほどの劣勢にありながら、その想いの丈を口にするパールの姿に、真意二つを察したメリッサもぞくぞくしてくるというものだ。

 舌戦は大人の専売特許だろうか。そんなはずはない。

 きっと心理戦のいろはも知らぬであろう少女が、勝つために自分の感情を大声で口にすることで、遮二無二勝とうとしていることだけが伝わってくる。

 これぞ決死の真剣勝負じゃないか。

 若き志の、勝ちたい気持ちを気取って隠さぬその姿が、しばしば逆転劇すら起こすことを知っているメリッサには、こんな彼女こそ望むべく姿そのものだ。

 

「エクセレント!

 貴女のネバーギブアップ、ここにご披露して頂きましょう!」

 

「お願い! ミーナ!

 私、勝ちたい……! 頑張って!」

 

 この局面、パールが両手で握りしめたボールのスイッチを力強く押して喚び出したのは、ニルルではなくミーナである。

 出てくるたび、やる気満々の顔でフィールドに降り立っていた過去と同様、今日もミーナは鼻息荒く敵を見据えている。

 一方、思わぬ最後のポケモンに、うっ、と動揺をメリッサが感じるのもまたやむないことである。

 

「ミミロルですか……!?

 ゲンガー相手に……」

 

「ミーナ、"見破れる"よね……!?」

「――――z!」

 

 ゴーストタイプ相手にノーマルタイプのポケモンを、それも物理的な攻撃手段しか持たぬミミロルを繰り出したパールの行動は、メリッサを驚かせるには充分。

 そしてその行動の真意を、パールが口にするのもまた早い。

 前のめりな姿勢かつ、ゲンガーをぎっと睨みつけるミーナの姿は、タイプ相性最悪の相手を、これから打ち破ってやるぞというものに他ならない。

 

「……"みやぶる"ことさえさえ出来れば、ワタシのゲンガーを、そしてワタシの切り札を破れるとお考えですか?」

「やるしか、ないです……!

 ミーナは、私の、切り札です……!」

「甘く見られたものデスね……!」

「っ……勝てる子、です……!

 信頼、してますから!!」

 

 メリッサの精神攻撃は続いていた。

 ゴーストタイプのポケモンに、物理的な攻撃を当てられるようになる、ミミロルの"みやぶる"技に理解は出来る。

 だが、それで不利が有利になるわけではない。マイナスがイーブンになるだけ。

 それが藁に縋る少女の苦肉なら、大人なりの威嚇で舐めるなと強く言うだけで、子供は腰を引けさせるだろう。

 パールが気の強くない子なのは目に見えてわかるし、これで以って精神的有利に図式を傾かせるのは、メリッサにとって充分可能なことであったはず。

 

 だが、パールはメリッサの恫喝的な声色に対し、少しびくりとはしつつとて、はっきり強く反発して見せた。

 虚勢かもしれない。だが、そこに強調されるのは、ミーナ一人ででも勝ちにいくんだという強い意志力。

 甘く見てくれるなという怒ったような眼差しこそ表向きに保ちつつ、まだ死んでいないパールの闘志に、内心メリッサは喜びすら感じる。

 こうでなくては、ここまで言われても絶対に屈しない挑戦者でなければ、熱くなれないじゃないか。

 本当に、いい挑戦者に巡り会えたと思える。ジムリーダーの本音だ。

 

「エクセレント……!

 いいでしょう、かかってきなさい!

 貴女達のファイティングスピリット、見せて貰いましょう!」

 

「ミーナ、頑張って……!

 もう、あなたしかいないの……!」

「――――z!」

 

 何度もパールに反発し、時によってはパールをいじめに来たミーナが、任せろとばかりに口の端を上げて鼻息を鳴らした。

 その挙動に、パールも感慨を感じる暇もないぐらい必死である。

 対峙するゲンガーを睨みつけるミーナは、それだけ余裕の無いパールに、自分を選んだことが正解だったと証明せんとばかりに拳を握りしめる。

 

 ジム戦という、パールにとっての大一番で、初めてパールが自分を最後に選び、すべての命運を懸けてくれたのだ。

 自分の意志でボールから飛び出す形以外で、ジム戦のメンバーにさえ選んで貰えることさえ無かったミーナにとって、これは過去最大の檜舞台。

 パールが祈るように両拳を握りしめるのと同様に、ミーナもその心血をこのバトルに注ぎ込む腹は決まっている。

 パールとミーナ、その二人の心が初めて一つになった戦いが、ここから幕を開けようとしているのだった。



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第55話   必殺メガトンキックの謎

 第55話   

 

「ゲンガー! アサルト!」

 

「ミーナっ、当たらないようにして!

 今それ受けちゃ駄目だよ!」

 

 "どくづき"を指示するメリッサ、回避を指示するパール。

 持ち前の素早さで急接近するゲンガーの、指先を尖らせた突きをミーナは跳んで躱す。

 反撃や迎撃の意志の無い、大きくゲンガーから離れた位置に着地するミーナの行動は、かなり余裕を持った回避だった。

 流石に身軽で機敏なミミロル、回避に徹するなら相手の攻撃から逃げ続けることも難しくなさそうだ。

 

「オホホホ、逃げ回ってばかりでは勝てませんよ!

 臆病風にやられてますね!」

「うぐぐっ……!

 ミーナ、だいたいわかるよね……!?

 相手の攻撃で、一番受けちゃ駄目なのはあの技だよ!」

 

「フフッ、それではちょっと勇敢になれるようヘルプして差し上げましょう!

 ゲンガー、あやしいひかりデス!」

「うぁっ、きたっ……!」

 

 ゲンガーがミーナに両手を向け、両手を中心に全身をぼうっと光らせた。

 陽炎の中に身を置いたかのように、ゲンガーの姿がゆらゆらと揺れ、さらに放つ光はちかちかと多色に点滅し、パールとミーナの目を痛くさせる。

 眩しい光で相手の眼を潰すのとはまた異なり、瞳を通して頭を痛くさせる配色の光で以って、相手を"こんらん"させる技。

 目を逸らすか、閉じるか、その光を見さえしなければ免れる症状なのに、ミーナとパールがゲンガーの姿から目を逸らせないのも、技の効果の一部である。

 霊的な魔力を含むそれは、対象の魂を魅了する力をも擁しており、自身と相対する者の意識を確実に侵害する、非常に成功率の高い技として知られるものだ。

 

「さあ、ゲンガー! アサルトですよ!

 サムライ魂、見せて下さい!」

 

「っ、く……!

 ミーナっ、退がって、躱して、なんとか……!」

 

 ミーナが少し後ろにふらついて、足を広げて腰を落とした姿からも、妖しい光を受けたことでくらついた症状が表れているのは明白だ。

 他ならぬパールさえ、ミーナほどじゃないにせよ少しの頭痛とくらつきを覚え、片目を閉じているぐらいである。

 そんなミーナに駆け迫るゲンガーに、ミーナは何とか足に力を入れてバックステップだ。

 大きな跳びで回避したつもりが、あまり離れきれていないのは、やはり頭の中まで傷つけられたかのような症状による行動力の不全ゆえだろう。

 

 真っ直ぐ立つのが苦しいコンディションに追い込まれたミーナは、ゲンガーの一撃目を容易に躱していた最初より、明らかに動きが落ちている。

 掠らせこそしないものの、追い込むようにすぐ距離を詰め、毒突きを繰り出すゲンガーの攻撃を回避するすべてがぎりぎりだ。

 恐らくこの追い詰められぶりと今のコンディションの中、安易に反撃でもすれば、躱された挙句にすっ転びでもして自傷さえするだろう。

 混乱状態に陥った時の怖さとは、攻め立ててくる敵への対抗手段すべてが普段のように上手くいかなくなり、自滅的なダメージに繋がる点にある。

 

「さあ、チャレンジャー! どうしますか!?

 逃げているだけでは袋のネズミですよ!」

 

「ッ――――ッ……!」

「ミーナ、っ……!?」

 

 逃げと回避に徹するミーナも、やがては毒突きを脇腹に掠めさせられて、小さく呻く声を発していた。

 このままではジリ貧、まさにその図式。

 一方で、さながらノーガードで攻め立てるゲンガーの方には、戦況的アドバンテージもあるだけに、その猛攻にも迷いが無い。

 仮に手痛い反撃を受けて自分が敗れても、次が控えているのだから。カウンターなど恐れる必要は無い、自分の仕事は一撃でも多く相手に当てることのみ。

 サムライ魂という極端な言葉の使い方をするメリッサだが、刺し違えてでも、という使命を理解し攻め立てるゲンガーにその真意は正しく伝わっている。

 後が無いパールと、次が控えているゲンガーというこの状況も含め、パールはなんとか攻めて活路を見出さねばならない戦況だ。かなり苦しい。

 

「っ、ぅ……!

 ミーーーナーーーーーっ!!」

「――――ッ……!?」

「バック! こっちに! 迷わなくていいよ!

 私が絶対、勝たせるから!!」

 

 あまりにパールが大きな声で呼ぶものだから、思わずミーナもちらっとだけそちらを見てしまった。

 目線の先にあったのは胸の前で拳二つを握りしめて、少し苦しげな表情で叫んでいたパールの姿だ。

 振り返ってしまったせいで、ゲンガーの毒突きの攻撃をまた掠めさせてしまって痛かったが、彼女の姿はミーナに僅かな活を注ぐ結果にもなっている。

 

 自分が頭がずきずきする中で頑張っている中、パールだって似たような症状に見舞われているのはミーナだって知っている。

 パールも妖しい光を目にしてしまったのだから。そして彼女が、頭痛で頭に手を添えていた姿もミーナは全く見ていないわけではない。

 そんなパールが弱い自分の姿を見せまいと、あんな顔しながらも拳を握り、痛むはずの頭を押さえず大声を出してくれているのだ。

 私がへこたれてられるかと頭に血を昇らせたミーナは、パールに言われたとおり、力強く足元を蹴ってゲンガーから離れる方へと跳んだのだった。

 

「おやおや……!

 今度はあなたがダークサイドを利用する戦術ですか……!?」

 

「いいよいいよ、ミーナ……!

 相手は見えてるよね……!?」

 

「フフッ、お生憎様ですが深追いはしませんよ?

 ゲンガー、バック!」

 

 天井からの光に照らされたバトルフィールド外に出ると、その真っ暗闇に身を置いたミーナの位置が、ゲンガーには見えなくなる。

 双方闇の中へと飛び込んだら、どっちも相手の位置がわからなくなるし、トレーナーも自分のポケモンの位置がわからなくなる無法地帯。

 もっと言えば、"みやぶる"眼を持つミーナだけがゲンガーの位置を確かめられるまであり得る。こんな場所にメリッサもゲンガーに飛び込めとは言わない。

 フィールド中央に引き下がらせて、どこから敵が飛び出してくるかわからない、闇の近場で待つようなことから免れさせる。

 

「えぇと……ミーナ、しっぽをふる!」

 

「なるほど、混乱状態から立ち直るまでの時間稼ぎですね?

 まあまあにはクレバーですよ?」

 

「うっ、バレてる……

 でもでも、ここから……!」

 

 まあ、別にバレても痛くはないのだが。それでも即看破されるとへこむ。

 闇の中に身を隠したミーナに、相手にお尻を向けて尻尾をふりふりさせることを指示するパールだが、行為自体に意味は無い。

 可愛げいっぱいの仕草で相手の警戒心をほぐし、ちょっとでも相手のガードを解かせる効果を見込める技なのだが、相手にミーナの姿が見えていないし。

 どちらかと言えば相手に背を向け、妖しい光を放たれても見ずに済む姿勢を作ることが目的なので。それも含めてバレバレだったようで。

 

 妖しい光を一緒に受けたパールなので、ようやく頭がはっきりしてきたという実感と共に、ミーナが快調したタイミングも推し計れる。

 遠目のメリッサの姿がしゃきっと見えるようになった自分のコンディションを頼りに、ミーナも立ち直っただろうと見込んで、さあ反撃の狼煙を。

 

「行くよ、ミーナ!

 まるくなって、突撃!」

 

「ゲンガー! 来ますよ!」

 

 パールの指示が、勝負再開のゴング音に近いものだ。

 身構えるゲンガーは、どこから敵が飛びかかってくるものかと視野を広げて待ち構える。

 ここにほんのちょっとでも、敵の虚を突く挙動を混ぜられれば戦況は少しずつ良くなっていくはず。パールの指示はそう信じてのものだ。

 

「いっけえっ!!」

 

「むむぅっ……!

 ゲンガー、凌いでアサルトですよ!」

 

 地に足を着けた、駆け足あるいは転がる攻撃ではなく、跳躍して身を丸めたミーナが回転球体めいた勢いで、放物線を描きゲンガー目がけて飛んできた。

 地続きの場所からミーナが駆けてくる想定であったゲンガーとメリッサにとって、多少程度には予想外の動きを見せられたか。

 しかし、砲弾のような特効に対してゲンガーが選んだ回避行動は、躱してすぐさま反撃に移ろうという極めてシンプルなもの。面は食らったが困りはしない。

 

「でんこうせっか!」

 

「む……!?」

 

「キックバック! とびげり!」

 

 ゲンガーが躱して誰もいなくなった床の上に着地、あるいは着弾したミーナが、足元を蹴って体勢を整えたその瞬間。

 その隙を毒突きで攻め立てようと踏み込んだゲンガーだが、素早く離れる方向へと逃れたミーナは、その毒突きを空振らせる。

 そして、その素早さで一度ゲンガーから距離を稼ぎつつ、ひとっ跳びの着地点から即座にゲンガーの方へと矢のように跳ぶミーナの瞬発力は凄まじかった。

 これが出来るミーナの脚だと知り、それが出来るよう指示を先んじて指示を置いたパールの言葉に、ミーナはまさしくトレーナーの望むとおりに動いている。

 

 着地を両足、ゲンガーから逃れるために離れる方向へ跳ぶ、その着地の瞬間に地を蹴って再び敵の方へ。

 毒突きを空振った後で前のめりな姿勢のゲンガーの額に、ミーナの跳び蹴りが突き刺さる一幕は、やられたとメリッサに感じさせるには充分だったはず。

 

「ガッツですよ! カウンターショット!」

「――――z!」

 

「ッ…………!?」

 

 ゲンガーも弱ってはいる。ピョコの強烈な噛みつく攻撃を受けた傷は癒えていない。

 だが、脳天を貫くようなミーナの跳び蹴りを受けても、のけ反りかけた顔をぐいっと前に引き戻し、ミーナに向けて毒突きを放つ。

 それがミーナの胸元に直撃し、痛烈な一撃にミーナがけはっと息を吐いた姿は、パールも我が事のように表情を歪めるほど痛そうなものにも違いない。

 

「っ……メガトンキック!!」

「――――z!!」

 

 突かれ、よろめくように一歩退がったミーナは、毒突きに打たれた所を両手で押さえる寸前だった。それだけ痛かったのだ。

 それでも長い耳に届いた強い声を受け、痛い場所を押さえる手も止め、眼に強い光を取り戻したミーナは、片脚軸に身を回す。

 確かな手応えを感じていたゲンガーが、目の前でぐるんと獲物が回転する姿にはっとする中、視界が横にぶっ飛んでいくような光景を目にすることに。

 回し蹴りめいた強烈なミーナのキックがゲンガーの側頭部を捉え、思いっきりぶっ飛ばしたからである。

 

「む、むぅ……これは、少々……」

 

 蹴っ飛ばされて、フィールド上に転がされ、目を回して倒れているゲンガーの姿は、ミーナの決め技の破壊力を顕著に表すものだ。

 仮にゲンガーがミーナに敗れるとて、立とうとすることすら出来ない負け方をされるとは想定外だったメリッサは、動揺混じりにゲンガーをボールに戻す。

 挑戦者のミミロルが、これほどまでの必殺技を持っていたことは、それなりにメリッサに見解を改めさせるには充分だったようだ。

 

「ミーナ、大丈夫!?」

「――――!」

 

 毒突きを受けたミーナを案じるパールに、ミーナは背を向けたまま振り向いて、ぐっと握り拳を振り上げた。

 どうだ、見たか、やるだろ私、という誇らしげな姿である。

 ずきずき痛む胸の痛みに、ちょっと涙目になっている辺り格好つききっていないが、まだまだやるぞという意気の表れは、むしろ強調されている。

 

「うん……!

 頑張って、お願い……! 頼りにしてるからね!」

 

 それでもやっぱり、ミーナの目元に溜まった雫を見て、彼女の苦痛を感じ取ってしまうパールだ。

 すべて理解した上で、苦しいだろうけど頑張ってと訴える彼女の両手は、ぎゅうっと握られている。

 ミーナには、自分の痛みを想像した上で、それでもこの大一番の勝利を自らに託そうとしてくれている、そんな姿と見て取れる姿であろう。

 これだけ切実に頼られるっていうのも、なかなか悪い気はしないものだ。

 

 ふんっ、と鼻息を鳴らして、私に任せろとパールに力強い笑みを見せて、ミーナは再びメリッサの方に向き直った。

 さあ来い、お前の出してくる最後の一人も私がぶっ飛ばしてやる。

 やや前のめりな姿勢をこれ見よがしに、そうして敵対者にかかって来いと見せつける姿は、不屈の挑戦者を望むメリッサを喜ばせそうなものである。

 

「…………」

 

 しかし、メリッサの表情は熱戦を目前に滾るものではなく、むしろ訝しげにパールとミーナを見つめる目つきを露わにしていた。

 最後のポケモンはもう決まっているメリッサだ。そのボールを、手首の力だけで回転させながら低く投げ上げて、それをキャッチすることを繰り返している。

 何らか考えているようだが、手持ち無沙汰でボール遊びしながら、鋭い目つきでパールとミーナをじっと見つめる表情には、パールも気付いてぞわっとする。

 

「め、メリッサ、さん……?」

 

 背が高くスタイルも良い大人の女性。お上品に振る舞えば、パールも見惚れて憧れるようなメリッサである。

 が、大人だ。機嫌を悪くしているかのような、目を細めて無言の姿は、パールのような気が強くない子供には怖さすら感じる。

 さあいくぞ、と意気込んでいたパールも一転、何か怒らせるようなことを、知らずにルール違反でもしちゃったのだろうかとさえ考える。

 

「……やはり、メガトンキックであるはずがないですね。

 その一方で、あれほどの威力……パラドックスです」

 

 パールの耳に届かぬような独り言で、自答しながら解に迷うメリッサ。

 メリッサには経験上わかる。ミーナがゲンガーを打ち破ったあの強烈な蹴りは、技の名をあてるならば"やつあたり"だ。

 先の場面での一幕をなるべく鮮明に思い出しても、蹴りを放つ瞬間のミーナの眼、溜まったストレスを爆発させるようなぎらついた目だったのは間違いない。

 あれは絶対に"やつあたり"に間違いない。メリッサには確信できる。

 

 トレーナーにむごい仕打ちを受け続けたポケモンほど、その鬱憤を晴らすかのように高い威力を出す技。それがやつあたりだ。

 メリッサが生まれ育った地の、柄の悪いポケモン使い――敢えてトレーナーとは呼ばない――には、自分のポケモンにそれを多用させる者もいた。

 要はポケモンを大事に育てなくても、むしろ蔑ろな扱いにするほどポケモンが力を出す技なので、勝利だけ求めて愛情を惜しむ者達には都合のいい技なのだ。

 中にはその力を引き出し続けるために、自分のポケモンを意図的に苦しめ続けることに努めるという、歪んだ努力をする者さえいたほど。

 他者を喜ばせること、幸せにするためには思慮という簡単ではないものが必要だが、苦しめることと嫌わせることには悪意しか要らず、ずっと簡単だからだ。

 メリッサが故郷を離れ、異郷の地に移り住むことを決断したのには、そんな連中のいる地元が嫌だというのも一因に含まれるぐらいである。

 シンオウ地方にはそんなトレーナーがおらず、だからこそメリッサは、シンオウ地方が好きだという想いを胸に秘めている。

 少なからず愛着もある地元の、一部とはいえ忌むべき背景はわざわざ人に話したくないし、誰にも話せないメリッサだけの秘密だ。

 

 メリッサの目が不機嫌を含んでいると感じたパールの解釈は、あながち間違ったものではない。

 嫌なことを思い出しているからだ。こればかりはメリッサもどうしようもない。

 しかし一方でメリッサは、ミーナが使っていた技が"やつあたり"だと確信した上で、腑に落ちないものも見て捉えている。

 パールはやつあたりの技が高い威力を発揮するような、あのミミロルに対して嫌われ続けるような接し方をする少女だろうか。

 断じてそうは見えないのだ。このバトルの中においても、パールとミーナ相互の信頼関係は、ここまでだってそれなりに見て取れてきた。

 きっといい関係を築いているはずの関係にして、"おんがえし"ではなく"やつあたり"があれだけの威力を出しているのは、どう考えても理屈が合わない。

 

「……まあ、いいでしょう。

 勝負がつく頃には、自ずと答えは出るはずです」

 

 浮かせてキャッチ、それを繰り返していたボールをぱしんと力強く握ったメリッサの姿。

 個人的な事情で空気の変わったメリッサの姿を、いよいよジムリーダーが本気を出してくると勘違いしているパールは、ごくりと生唾を呑み込んだ。

 いや、まあ、大間違いではないけれど。

 ほんの思索と好奇心こそ抱えてはいるものの、ジムリーダーとしてのメリッサが目指すところは、挑戦者から勝利をもぎ取ることに他ならない。

 最後の一対一。落とせない勝負に、メリッサも深呼吸を一つ挟んで気を引き締める。

 

「さて、ラストバトルですよ。

 そう簡単に、勝利はお譲りしませんからね?」

 

「……はいっ!

 ミーナと一緒に、絶対勝ってみせます!」

「――――z!」

 

「フフッ……………………エクセレント!

 行きましょう! ムウマージ!」

 

 純真な瞳で強く主張するパールと、それに応えたミーナの声に、やはり彼女らは私が忌むようなトレーナーとポケモンの関係ではなさそうだと信じて。

 ようやく再び一気に滾った想いと共に、メリッサは最後のポケモンのボールを高々と放り投げた。

 高所に達したボールから飛び出してきたムウマージは、宙に浮遊させた身を降ろさず、遥かミーナの手の届かぬ場所から見下ろしてくる。

 

 フワライドとバトルした時と同様、平面同士の戦いではない。

 高所を確保し、恐らく飛び道具を持つであろう相手との勝負だ。

 パッチのような、じわじわと相手を引きずり下ろす手段にも秀でないミミロルに対し、ムウマージは位置取り一つで大いなるアドバンテージを持っている。

 

「行くよ! ミーナ!

 絶対、勝とうね!」

「――――z!」

 

「アイディアはあるようですね……!

 さあ、見せて貰いましょうか!」

 

 過去を思い返してしまった雑念も、今一度胸に秘めて。

 確かな絆を感じる挑戦者の姿に、熱き魂を取り戻したメリッサは、口の端が思わず上がる想いでこの一戦に臨めている。

 

 明確に一度疑念めいたものまで抱えてしまったにも関わらず、信ずるに値するその姿で再び燃えさせて貰えたのだ。

 ベストチャレンジャー。現時点でメリッサも口にしかけ、一度お預けに喉の奥に封じ込めた称号である。

 果たしてパールはこの勝負の結末を以って、改めてメリッサにその言葉を賜れるものを残せるか。

 歴戦のジムリーダーにそこまで言わしめられるなら、それは自慢してもいいぐらいのことだ。ベストという言葉は、それだけの意味を含められている。

 

 このバトルには、そうしたものさえ懸かっていた。

 5つ目ものバッジを目指すトレーナーであるならば、手加減してくれている相手にただ勝てただけの、形だけの結果に恵まれる才のみでは物足りない。

 本気でチャンピオンという大願を目指すなら殊更だ。

 初心者を脱却しつつあるパールは、更に一皮剥けたことを示した結果を叶えられるか。

 ここが、彼女の築き上げてきたものが問われる分水嶺である。



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第56話   VSムウマージ

「シュート! ムウマージ!」

 

「えっ、うそ!?

 ミーナ、躱せる!?」

 

 空中に陣取ったムウマージだが、初手で放ってきた技はゴーストタイプでも何でもない"マジカルリーフ"である。

 ばさりと紫色のオーラを纏った葉っぱを魔法のように生み出して、葉っぱカッターのように敵へと打ち込む技。

 そしていずれも直線的ではなく弧を描き、それが対象へ多様な角度から迫るため、回避の難しい、言い換えれば命中率の高い技だ。

 

 軽快な足捌きと素早い動きで、飛来するそれらを躱すミーナだが、散弾気味に襲いかかるそれらすべてを躱しきることはやはり出来ない。

 根本的にマジカルリーフは、確実性の高いダメージソースとして採用される技だ。

 主にはサイケ光線やシャドーボールを基本技とするムウマージなので、この高い命中性を重視した技のチョイスということだろう。

 

「っ、ミーナ! 反撃しなきゃやられちゃうよ!

 いけるよね!? みやぶって!」

「――――z!」

 

 うるさいお前に言われなくてもわかってる、とばかりに大きな声で鳴いて応じるミーナ・気が強い強い。

 メリッサ目線では、はてさてという気分。バトルの真っ最中にケンカ気味。

 やつあたりであれだけの威力が出せるだけに、やはりパールとミーナの関係は悪い?だったら付け入る隙はいっそうあるし、負ける気がしないのだが。

 楽観的な方には考えないメリッサだが、マジカルリーフの飛来がやんだ所で、足を止めたミーナがムウマージを凝視するように見上げる。

 "みやぶる"ことを指示したパールには従っている模様。客観目線、仲がいいのか悪いのか、容易には判然としない関係だ。

 

「ムウマージ! キープ!」

 

「ミーナ、また来るよ!

 攻めていこう! 勝てるはずだって信じてるから!」

「――――z!」

 

 再びマジカルリーフを撃ち続けろと指示したメリッサと、それがミーナに見舞われる中で攻めろと指示するパール。

 言われたとおり、駆けてマジカルリーフを躱しながらも、その足がムウマージに向かう積極的な動きを見せるミーナ。

 敵から離れる動きよりも、刃のような葉っぱの被弾率もやや上がる、ダメージも上等の動きを望んだ指示である。

 これは非道な指示とはメリッサも解釈しない。比較的安全圏の空中から削り技を撃ってくる相手に勝つためには、努めた攻め気も必須である。

 

「いっけえっ!」

「――――z!」

 

「ムウマージ!!」

 

 ムウマージの真下に近付いたミーナが、パールの声を受けて地を蹴った瞬間には、思わずメリッサも窮に迫った声を発したものだ。

 地上5メートルの高所にいるムウマージへ向かって跳躍したミーナだが、ミサイルのような初速で地を離れたその跳躍力は目を瞠るほど凄い。

 敵に迫って放つ空中回し蹴りめいたメガトンキックもどきの一撃は、あわやで身をずらしたムウマージに躱されたが、それでも少し掠っている。

 驚かされた顔のムウマージだが、やや不意であった急襲を咄嗟に躱してみせた姿は、指示ばかりに頼らない判断力と対応力の証左と言える。

 

「サプライズは失敗ですね!

 さあ、ムウマージ! クッキングタイムですよ!」

 

「うぅっ……ミーナ、避けて避けて!

 当たらないようにして!」

 

 この展開はパールにとって痛い。

 届く位置に身を置いた相手にとって、初見となるはずのファーストアタックは当てておきたかったのだ。

 自称メガトンキックは威力充分だ。当たっていれば、確実に戦況に響いたはず。

 叶わず、地上に降り立ち舌打ちするミーナ目がけて、ムウマージがマジカルリーフを乱射する光景は、振り出しに戻ったことを見せつけられるものに等しい。

 

 さらに言えば、口での指示とは別に指をくいくいと動かし、高度を上げるよう指示したメリッサにムウマージが従っている。

 元々ミミロルは、空を飛ぶ鳥ポケモンを上からさえ叩く"とびはねる"という技さえ覚える、それほどの跳躍力の持ち主だ。

 天井が高いとはいっても所詮は室内、どこまで高度を上げようがミーナの射程範囲内には違いない。

 しかし高度を高くして、跳んだミーナが0.5秒でもムウマージに到達するまでの時間を増やせれば、今の辛うじての回避より容易に、つまり概ね躱せる。

 用心した高度からマジカルリーフを撃ち下ろしてくるムウマージに、状況はより悪くなったとパールも感じているはずだ。

 

「ミーナ大丈夫!? 当たってないよね!?」

「――――z!」

 

「流石にすばしっこいですね……!

 ですが、いつまでキープできますか……!?」

 

 一方で、駆けてマジカルリーフを躱すミーナも、命中率に秀でるはずのマジカルリーフを、ここでは一度も被弾していない。

 流石に発射点が遠すぎるのだろう。ある程度はムウマージも葉っぱの動きを操っているが、発射された葉の動きを見る時間が長ければ目でも追いやすい。

 躱しにくいことには変わりないが、減速しないままジグザグに駆けるも流暢なミーナの敏捷性が、高所に移ったデメリットをムウマージに突き付けている。

 だがメリッサの示唆するとおり、体力の消耗は免れない中、いつまでもこれの繰り返しではいけない。息切れを迎えればじっくりと料理されるだけだ。

 

「ミーナ、もう一回いくよ!

 諦めちゃ駄目なんだから!」

「――――z!」

「いっけえっ! メガトンキック!」

 

「残念ですね、ボーンヘッドですよ……!」

 

 今度こそ、めいたパールの指示で地を蹴るミーナは、見るからに先の一撃よりも強い跳躍で、いっそう勢いよくムウマージに迫った。

 それでも距離を稼いだムウマージからすれば、空中で軌道を変えられないミーナを躱すには充分な余裕がある。先程と違って心構えも出来ている。

 迫ったミーナの回し蹴りめいた"やつあたり"、その身をずらしての回避を叶えると、落ち始めたミーナにムウマージが振り返るのも早い。

 

「や、やばっ……! ミーナ、まるくなってえっ!」

 

「ファイア!」

 

 狙撃を意味するメリッサの指示を受け、宙のミーナへムウマージが"サイケこうせん"を発射する。

 慌ててせめてもの防御態勢を取るよう請うパールに応じ、逃げ場の無いミーナも身を丸めるが、直撃した超能力エネルギーの圧力は凄まじい。

 何枚も当ててこそ高い威力を発揮するマジカルリーフとは異なり、当ててさえしまえばマックスの威力が叩き出せる、ムウマージにとっての強力技だ。

 背中に当てられたのに、サイコエネルギーに全身を包まれ、全方向からぎゅうっと圧迫されるような激痛と共に、ミーナは光線に押されて吹き飛ばされる。

 

 スポットライト外まで吹っ飛ばされていったミーナの姿は誰にも見えなくなったが、ずしゃりと足でなく体から床に叩きつけられた音は響いた。

 サイケ光線の直撃、さらに叩きつけられたダメージの上乗せ。甚大なはず。

 パールがさあっとした顔色になっていることからも、追い込まれた状況にあることは彼女もわかっているはず。

 

「みっ、ミーナっ、頑張ってえっ!

 まだ戦えるよね!? 大丈夫だよねっ!?」

 

 一度だけ大きく音が鳴るよう手を叩き、目の届かぬ闇の中で倒れているであろうミーナに呼びかけるパール。

 メリッサも、今の一撃だけでとどめを刺せたとは思っていない。立ち上がってくるだろうとは思う。

 しれっとくいくい指を動かし、ムウマージをより高い場所に身を浮かせるよう指示する辺り、ぬかりの無いところも見せている。

 

「…………戻ってきませんね。

 リタイアですか?」

「だっ、大丈夫です! ミーナはまだまだ戦えます!」

「まだ戦える姿を見せてくれないままずっと過ごすのであれば、戦闘不能と見做しますよ?

 このまま一時間も二時間も、ずっとステイさせられるばかりではバトルになりませんからね」

「ううっ……ま、まだやれます!

 そうだよね!? ねっ、ミーナ!?」

 

 真っ暗闇の中からミーナが戻ってこないので、誰もミーナが戦えるかどうかを確かめられない。

 流石にこの状況がずっと続くようでは、メリッサの言うとおりバトルにならないだろう。

 ジム側からの一方的な戦闘不能判定は少々越権的と聞こえるが、せめてまだまだ戦うぞという意志ぐらいは見せてくれなくては埒が明かない。

 元々ジム戦とはジムリーダーがルールである。良識から逸脱した判定でも無い以上、パールも文句は言えないところ。

 

「えぇと、えぇと……!

 ミーナ、まだ立てるよね!? 頑張れるよね!?」

「むぅ……ネバーギブアップは評価したいところですが……」

「ま、待って待って、待って下さい!

 絶対戻ってきますから! ミーナは頑張れる子なんですっ!」

 

 必死に判定負けにされないよう食い下がるパールだが、こう見えて時間を稼ぎ、闇の中から飛び出してムウマージに飛来する心積もりでは堪らない。

 メリッサがムウマージを天井近くの高所で待機させるのは、そうした奇襲に備えるものだ。きちんと用心深い。

 ムウマージもその意図を理解しているようで、余裕ぶらず地上全体を見渡している。スポットライトに照らされた外は見えないが。

 

「だから、えぇと、えぇと……

 メリッサさん、あと少しだけ……」

 

 きょどきょど目を泳がせるパールは、探すべきミーナが闇の向こう側で見えず、行く先の無い目線を高所のムウマージに向けたりで落ち着かない。

 一度叩いた両手は今ぎゅうっと握り祈る形であり、ミーナが立ち上がってくれることと、試合中止しないでとメリッサに請うこと、両方を表すかのよう。

 諦めたくないのはわかるけれど、少し往生際悪く見え過ぎてしまうほど必死な姿だ。

 

「しばらくは待ちますが……」

 

「!!!!!

 いっけえっ!!」

 

 途端にパールが顔色を変え、一度地上に向けた目を一気にムウマージへ向け、それを指差し力強い指示。

 真っ暗闇の中でミミロルが立ち上がる姿を見えるはずもなさそうだが、戦線復帰の気配を何らかの手段で感じ取ったのだろうか。

 メリッサもムウマージも、そんなパールの強い声を受け、決して緩んでもいなかった気持ちをびしりと殊更引き締め直したものだ。

 

 だが、メリッサ達が予想した、地上から闇を突っ切ってムウマージに突っ込むミーナの姿はそこには無かった。

 あろうことかミーナが飛び出したのは、高所に移ったムウマージよりもさらに高い場所からだ。

 まさにその、ほんの一瞬前、ムウマージから少し離れた真っ暗な天井から、誰かが蹴ったような強い音が立ったのは確かな予兆である。

 はっとして振り返ったムウマージだが、闇を突っ切り足を突き出して襲いかかるミーナの強烈な蹴りが、弾丸のようにムウマージに突き刺さった。

 

「なんと……!?」

 

「よしっ……!」

 

 今度はムウマージの方が、光に照らされていない闇の向こう側へと勢いよく蹴り飛ばされることになった。

 ミーナはと言えば、ムウマージを蹴飛ばしたままくるりと身を回し、高い場所から落ちてもきちんと足を下にして、軽々しく着地するのみ。

 高い跳躍力が自慢のミミロルだ。高く跳び過ぎたら落ちて怪我、なんてことはない。高所から飛び降りたって大丈夫な足腰である。

 

「してやられましたね……!

 天井をガンポイントにしての奇襲ですか……!」

 

 パール達の取った策というのは至極単純で、ミーナが天井まで跳ぶ、天井を蹴る、予想外の方向かつ闇からムウマージに迫るというもの。

 肝となったのは、何とかそうだと悟られまいと努めたパールの振る舞いであったと言える。

 ミーナに呼びかける時、手を叩いたのはこの作戦を伝える無言のサイン。

 続けて往生際悪く見える態度であろうと、必死に声を発してメリッサ達の目を惹き、闇の中でミーナが静かに立ち上がるまでの時間を稼ぐ。

 一方で耳に神経を集中させ、ミーナが天井を蹴った音に直ちに続いて、大きな声でまた注意を惹く。

 地上からの攻撃を瞬時に警戒したムウマージに、完全なる虚を突く一撃を食らわせる結果に繋いだのだ。

 何よりもこうした虎視眈々と狙うべき策の中、おろおろ不安げな目をしていたことが、メリッサ達にこの策を看破させなかった最大の要因だろう。

 

「不安そうな表情や目も演技でしたか?

 だとすればアクトレスですよ!」

 

「……………………もっちろんです!」

 

 あ、これは違うな、とメリッサにもよくわかった。あれは作った顔じゃなかったようだ。

 メリッサ苦笑い。年相応の可愛げだなとは思ったけれど、これと争う立場としてはむしろ少し困る。

 

 だって、メリッサですらサイケ光線を一撃受けただけのミーナを、立ち上がってくるだろうという想定の方が内心では強かったぐらいなのに。

 自分のポケモンの強さやタフネスをメリッサより知っているはずのパールが、大丈夫かな大丈夫かなって不安な顔していたということである。

 これは、対戦相手の表情の機微から相手の内心を読み取らんとする駆け引きも出来るメリッサにとって、パールの顔って何の判断材料にならないということ。

 未成熟の挑戦者ってこういう所が厄介。そして、面白くもある。

 

「さて、ムウマージ……!

 一度リターンしましょうか……!」

 

 相当痛い一撃を受けたか、闇の中に消えていたムウマージはその中で身を浮かせ、ややよれよれとした軌道でスポットライト下へ戻ってきた。

 やってくれたな、という目だ。しかし、痛いがまだまだ戦えることを表明した不敵な笑みを含んで。

 対するミーナのドヤ顔たるや。これでわかったでしょ、なめんなよ、という目つきと表情は、可愛い顔立ちにして気の強さがよく表れている。

 

「勝負はイーブン、ここからですよ!

 ムウマージ! シュート!」

 

「ミーナ、さっきと同じ感じでいくよ!

 なるべく当たらないようにして!」

 

 ムウマージは最初と同じ高度、5メートル強の高度に位置を戻し、マジカルリーフを放ってくる。

 さっきはむしろ高所過ぎる位置にいたことが、天井を蹴って飛来したミーナにとってはむしろ近距離アタックになり、仇となったことを学んでいる。

 そして高度が低ければ低いだけ相手との距離も縮まり、マジカルリーフの命中率も上々だ。

 ムウマージの攻撃を躱そうとしつつ駆けるミーナだが、凌ぎきれなかった葉の数枚がミーナを切りつけている。

 

「いけっ、ミーナっ!」

 

「凌いで! よく見て、必ずもう一撃来ますよ!」

 

 ムウマージの下点に近付いたミーナへ指示を出すパールに応じ、ミーナが我が身をミサイルに見立てたような跳躍でムウマージに迫る。

 足先をムウマージに向けて突き刺しにかかるような蹴りをなんとか躱したムウマージだが、ミーナの勢いは放物線を描いて落ちるものではない。

 そのまま天井まで届く勢いである。それだけの跳躍力があるのだ。

 挑戦前夜、パールがミーナにあのバトルフィールドの天井まで届くほど跳べるかと尋ねた時、ミーナは頷いて即答したぐらいなのだから。

 

 ミーナは天井に足が届いた瞬間、頭を下にした状態でしっかりムウマージを見据え、その方向へと天井を蹴って再び飛来する。

 重力による加速も乗ったその直進は、メリッサの言うとおりすぐミーナを目で追っていたムウマージも回避が間に合わない。

 正面衝突こそ身を逃がして免れたものの、すぐそばを通過するに際して身を回して蹴りを放ったミーナの一撃が、側頭部をがつんと打ち据える。

 宙でふらつくムウマージ、凄い勢いで落下しながらもしっかり着地するミーナ。流石にこの勢いでの落下、ミーナも足だけじゃなく両手も使っての着地だ。

 

 一撃くらわせた手応えはあるのだ。渡り合えるぞ、という自信をみなぎらせるミーナは、ちらっとパールを見て敵意無く笑った。

 ジム生のゴースやゴーストとのバトルを経て、浮遊能力を持つゴーストタイプの相手との戦い方を、ちゃんとパールは編み出してくれていたのだ。

 自信を胸に抱くミーナの表情に、見たか、という感情の表れだと解釈したパールは、うんうん頼もしいよと拳を握って賞賛を返す。

 やるじゃん、という意味の笑みだとは伝わっていないらしい。そう感じてミーナも、こういうところがちょっとな~、という気分である。

 ポケモンの言葉が人間相手に通じないことは案外、ポケモン側からしても歯痒いこともしばしば。

 

「いけませんね……!

 仕方ありません、ムウマージ! ショータイムです!」

「ッ――――z!」

 

「うぁ……!?

 また、これっ……!」

 

 ムウマージが体を震わせて放つ淡い光は、ゲンガーも見せた"あやしいひかり"。

 比較的近い位置でそれを見たパールもくらっとさせられる中、最もその光を強く見せられるミーナも片目を閉じて目眩を表す表情だ。

 視覚を介して相手を混乱状態に陥れるこの技、一戦の中で何度もやると、相手の脳も自ずと慣れて、効果が薄くなっていきがちである。

 一体の相手に、やれて一戦に二回か三回が限度なのだ。

 その二度目を発してきたということは、メリッサ側も山場を意識しているということ。切り札一枚を使い切ることを惜しんでいない。

 

「さあ、シュートですよ!

 ムウマージ、ここが正念場です!」

 

 繰り返しマジカルリーフを乱射してくるムウマージは、つくづく相手を確実に消耗させる正着手をはずさない。

 シャドーボールは効かない、サイケ光線は素早いミーナに躱される可能性が高いという中、どうしてもこれがメインになるという事情もあるだろう。

 逆に言えば、こうした攻め立て方をも習得しているこそが、幅広い相手に対応できるムウマージの強さとも言える。

 ゴーストタイプでありながら、相手がニルルならミーナ相手以上にもっと有利だっただろう。やはりジムリーダーの切り札は一筋縄ではいかない。

 

「がっ、頑張ってミーナ……!

 なんとか、躱してっ……!」

「ッ、ッ――――!」

 

 片手で帽子の横、頭を押さえるパールは頭痛めいたものを覚えながらも、ミーナを応援する声を絶やさない。

 ちょっと気を抜けば足がもつれそうなほどくらくらするなか、必死で駆けて飛来する歯を躱すミーナだが、被弾は明らかに増えている。

 そして現に、転びそうになって踏ん張った、足が止まった瞬間には、ここだとぎらりと目を光らせたムウマージの操る葉が襲いかかる。

 すぐに動いたミーナではあるも、逃がさぬと一斉急襲する数枚の葉が、ミーナの背中にざくざくと刺さる場面は痛々しさこそあろう。

 混乱状態はかなり効いている。ここまででもじわじわ傷つけられてきながら踏ん張っていたミーナに、加速度的なダメージは重くのしかかる。

 

「ま……っ、まるくなって、進んでっ……!」

 

 不充分な指示だったが、しっかり意図を汲み取ったミーナは、ムウマージの下の位置へ跳び込むような動きと共に身を丸めた。

 そのまま転がるようにして望む位置取りへ向かう中、小さく丸まったミーナの体に刺さる葉の一部は回転に阻まれて刺さっていない。

 ダメージは一時的ながら最小限に抑えている。良い意味で響かせられるだろうか。

 

「跳んでえっ……!」

 

「ムウマージ……!」

 

 転がる勢いが弱まってきたところで指示したパールに応じ、ぱっと両足立ちとなったミーナはすぐさま地を蹴った。

 衰え知らずの全力跳躍、勢いは傷つく前にも微塵も劣らず。

 ムウマージは身を逃がし、しかし今度はそのまま遠くへと移るように浮遊を続け、天井を蹴って再飛来するミーナの狙いをはずそうとする。

 それでもミーナはしっかり狙ってくるだろう。だが、今は状況が違う。

 

「ミーナ!?」

 

「グッド……!

 ムウマージ、ファイア!」

 

 確かにミーナはムウマージを逃がさぬよう天井を蹴って迫ったが、僅かに狙いが正確ではない。混乱しているからだ。

 地上から飛んでくる時よりも勢いのある飛来を、ムウマージはなんとかミーナの蹴りも受けずに躱すことに成功している。

 対するミーナは、着地に際して両手足を使うも、受け身が万全でなく四肢の痛みに立ち上がりが遅い。わけもわからず自分を攻撃したかのよう。

 動きが止まってさえしまえば、マジカルリーフよりも威力があるサイケ光線の狙い目だ。

 

「ミーナあっ!!」

 

「ッ……ッ――――z!」

 

 高所から斜方発射されるサイケ光線に、歯を食いしばって痛み痺れる両足に力を入れたミーナは、そのまま真上に跳躍した。

 勝負に出たサイケ光線は無人の床に着弾して不発。これはボーンヘッドか。

 ミーナはそのまま天井まで我が身を届かせると、宙で身体を回してしっかり天井を蹴っている。

 向かう先は当然ムウマージだ。それも、強い技を撃った直後で、回避行動に移るまでに僅かな時間を要する状態。

 

 なんとか躱そうとしたムウマージだが、やはり身のそばをミーナが通過する形しか叶えられなければ、痛烈な空中回し蹴りが飛んでくる。

 頬を直撃したその一撃は痛烈で、体を傾かせぐらぁと落下に向かいかけたムウマージの姿には、さしものメリッサも決着さえ意識した。

 だが、なんとか持ち直したムウマージは空中で強く目を開き、高度を落としながらも宙に留まる。

 対するミーナも、二度立て続けの両手両足着地が痛く、相手を見上げながらも四つん這いのような姿勢ですぐには立ち上がれない。

 

「く……手品を……!」

 

「ッ…………、―――――z!」

 

 追い詰められつつあるメリッサがムウマージに命じたのは、ムウマージにとっての最後の切り札だ。

 ムウマージとミーナ、両者の体から紫色の糸のようなものが五本伸び、互いを繋ぐように両者の中間点で繋がる。

 ミーナの手足と胸、そこから伸びてムウマージと繋がった紫色の糸は、次の瞬間黒い稲妻のようなものをばりばりと放つのだ。

 

「みっ、ミーナ……!?」

 

「ビハインドではありません、これでイーブンです……!」

 

 繋がった糸に走る黒い稲妻は、ミーナのみならずムウマージの表情をも苦悶のそれに染め上げていた。

 口を開いて声も出ないほどの痛みに喘いだミーナも、歯を食いしばって片目をぎゅっとするムウマージも双方苦しい。

 双方の抱えた痛みを一度共有し、互いの受けたダメージを均等化する、使い手が非常に少ないとされる奇策"いたみわけ"だ。

 大きなダメージを受けていた方が得をして、傷の浅い方にダメージが乗るこの技をメリッサが使ったということは、確かにミーナが優勢だったということ。

 それも、この技を以ってイーブンに。そして苦しいのはミーナの方。

 

「シュート! あと一押しですよ!」

 

「ミーナっ、お願いっ、頑張ってえっ……!」

 

 ここまで至ればあとは確実性。

 マジカルリーフを何枚も飛ばしてくるムウマージに、ミーナは躓きかけながらも立ち上がって駆けるしかない。

 ただでさえ傷だらけにされて痛む全身が、今はその傷に塩を塗られたかのようにいっそう痛むけれど。

 走る中で躱しきれない葉が突き刺さるたび、傷口をもう一度抉られたかのような激痛で涙さえ出るけど。

 何とか勝つんだ、いいところを見せるんだと走るミーナは、決死の形相で自らを見下ろし、マジカルリーフの放射を続けるムウマージから目を切らない。

 負けたくないのはムウマージも同じなのだ。追い詰めている、そして追い詰められている。

 どちらにも勝利と敗北が、等しく目の前にある状況だ。わかっているからこそ、どちらもまばたき一つしない必死の表情でここ一番に臨んでいる。

 

「ッ…………!?」

 

「ぅぁ……!」

 

 それでも体がついていかなかったのだろう。

 足がもつれかけていたミーナ、まさにその瞬間に脚を後ろから傷つけたマジカルリーフが、一瞬完全にミーナの片脚に力を失わせた。

 走る中でのそれは致命的で、勢いよく前のめりに転んだミーナは、駆けていた勢いのままごろごろ転がり、腹ばいの姿勢で床に倒れて止まった。

 この局面で致命的な動きの静止、パールが絶望すら感じた声を発する中、対してメリッサにはここしかない好機と映る。

 

「ムウマージ! ファイアー!!」

 

「みっ、ミーナ……!

 頑張ってっ、耐えてえええっ!」

 

 今日一番のメリッサの強い声に応え、ムウマージが倒れたミーナに向けてサイケ光線を発射した。

 立ち上がれない中で後方からの殺意めいたものを感じていたミーナも、もう駄目かとさえ思ったけど。

 それでもパールにあんな必死な声で叫ばれて、格好悪いところは見せたくないじゃないか。

 膝を縮め、両耳を手で以って引っ張って丸くなったミーナの背中を、ムウマージの高威力のサイケ光線が直撃した。

 

 うずくまったミーナの体をサイケ光線が焼き尽くすかのような光景には、パールも顔を背けたくなるほど悲痛だ。

 それでもまばたき一つせず、諦めない気持ちを奮い立たせて。

 涙ぐみ始めてすらいるけれど。

 これがとどめの一撃となったと確信していたメリッサが、パールの表情から感じた不屈さは、それさえ慢心なのかと心に警鐘を鳴らさせるほど。

 ムウマージの全力のサイケ光線が止まり、傷まみれの全身をさらに打ちのめされたミーナの姿を前にして、まだ戦えるとは見て思えないのだけど。でも。

 

 それでもミーナは、少し顔を上げてパールの方を見た。

 苦痛のあまり、とっくに涙ぼろぼろの表情だったけれど。

 さあ耐えたぞ、"こらえた"ぞ、指示はどうしたのと訴えるその眼差しを受けたパールは、手汗が溢れるほど両手を握りしめて。

 

「っ……でんこうせっかあっ!」

 

「な……!?」

 

 軋む体に最後の力を込めて、素早く立ち上がったミーナはその中で後方のムウマージを振り向き見据え、その体勢のまま地を蹴った。

 背中からムウマージにぶつかりに行くような体勢、だがその飛来速度は、きっと今日で最も速い。

 蹴りに行く動きを含めない、飛びつくことだけを意識した最速の接近を、まさかこの一撃を耐えられるとは想像もしていなかったムウマージに躱すすべは無い。

 

 ミーナはムウマージにぶつかる直前、首を思いっきり後ろに引いて宙返りのように体を回した。

 身体は逆さまになり、しかし自分のお腹とムウマージの顔が向き合う形。

 そのままぶつかっていくミーナは、何の工夫も無い体当たりの形でムウマージにぶつかる形を叶えた。

 決して大きなダメージではなかっただろう。それでも弱っていた上に、虚を突かれたムウマージを空中でふらつかせるには充分。

 さらにミーナは、耳を動かしそれでムウマージの体を捕まえると、浮遊するムウマージの体に組み付いた形と相成った。

 

 まずい、とはムウマージも思っただろう。だが、勝負はここで決していた。

 膝を曲げたミーナの足が、ムウマージが顎を引いたすぐ目の前にある。

 ムウマージのお腹に顔を押し付けて耳で抱きついたミーナは、相手に顔が見られぬ中ながら、私の勝ちだと得意気な顔をしていたものである。

 

「メガトンキック!!」

 

 組み付いていた手と耳を離すと同時、その両足を勢いよく突き出したミーナ全力の蹴りが、ムウマージの顎を捕らえて天井まで蹴っ飛ばした。

 天井に叩きつけられるムウマージ、自らも落ちて行くミーナ。

 頭を下にした状態で、蹴った反動と重力の勢い双方を受けて落下していくミーナは、なんとか体を回したけれど。

 足を下にすることは叶わず、凄まじい勢いで背中から床に叩きつけられるというに等しい結果を招くことになった。

 

 パールが叫ぶようにミーナの名を呼ぶ中で、天井に叩きつけられたムウマージは、完全に力を失った上で落ちてきた。

 最後の自己防衛本能か、着地の瞬間こそ浮遊の力で減速し、ぱさりと音も小さく降りはしたものの、もう立ち上がることは出来ないだろう。

 戦闘不能のムウマージ、立ち上がることも出来なさそうなミーナ。

 バトルフィールドに横たわる両者の姿は、引き分けという判定を断ぜられてもおかしくはない。

 

「……エクセレントでした。

 ムウマージ、あなたも。そして……」

 

 立ち上がる力も無く、胸を上下させる呼吸で精いっぱいのミーナだが、彼女は顎を上げてメリッサの方を睨みつけていた。

 勝ったのは私だぞ、と。引き分けなんて絶対嫌だ、と。

 ムウマージをボールに戻したメリッサの姿を見て、いっそう、私の勝ちだと、パールの勝ちだと言えと、その眼は何よりも雄弁に物語っていた。

 

「あなたと、あなたのポケモンも。

 私の、負けです。

 ベストチャレンジャーズ、コングラチュレーションですよ……!」

 

 気を張っていたメリッサも、どっと体の力が抜ける想いで、一人の拍手でパールに決着を告げていた。

 たとえミーナがもう戦えない状態であったとしたって、これで引き分けは流石に認めたくない。

 完全に戦闘不能のムウマージ、長めにでも休めば立ち上がることぐらいは出来るようになるであろうミーナ、0と1の差は明白だったのだから。

 立ち上がれることを証明させる時間を省いただけだ。メリッサが次のポケモンを出せない以上、これはミーナの勝ち取った勝利である。

 決して甘い判定と言われるほどではない。勝者は誰か、それを問えば答えは一つしかないのだから。

 

「ミーナっ……!」

 

 ジム戦に勝利したことを告げられて喜ぶよりもまず、パールは心配で心配でたまらないミーナの方へ駆けだす方が早い。

 バトルフィールドを横切って、ミーナのそばに膝をついて、鞄の中から傷薬を出して。

 間近で見れば、マジカルリーフにずたずたにされたミーナの体は、改めてパールが顔面蒼白になるほどに痛々しかった。

 駄目、無理、これは泣いてしまう。ここまでになってでも、勝利をもぎ取ってくれたミーナの頑張りには、胸を打たれてもしょうがない。

 パールは特に感受性が強いからそうなってしまうけど、愛着ある自分のポケモンがここまで頑張って勝ってくれたら、誰とて感極まるのは同じではなかろうか。

 

「いっ、今まででっ、一番かっこよかったよ……!

 ありがとうミーナ、すごかったよ……!」

 

 言葉も出ないほどの感情に胸を満たしながら、それでも思い付くままに最大級の賛辞を言葉にしようと努めるパールに、ミーナはぷいっと顔を逸らしていた。

 照れ臭くって、でも口の端は嬉しくて上がっていて。

 そんなミーナの表情の機微を読み取る余裕も無く、ミーナの体に傷薬を吹きつけるパールの姿は、メリッサには微笑ましいものだっただろう。

 "やつあたり"を高い威力で使いこなすパールに対し、疑念めいたものも一度は抱いたが、あの子は故郷の心無いポケモン遣いとは違うと確信できた。

 ダンサーで、コーディネーターで、芸能業界に出入りすることも多いメリッサには、役者の知り合いも多いのだ。

 そんなメリッサの目をして、涙目でミーナを案じるパールの表情に嘘一つ無いことなんて、見るも明らかというものなのだから。

 

 傷だらけの全身に噴きつけられる傷薬はよく沁みる。痛い痛い。

 だけどこんな痛みさえ、勝利の勲章とも呼べる傷の実感と、自分がパールに大事にされている証と思えば、ミーナも耐えられる程度には心地良い。

 ポケモンセンターに連れていってくれれば治るのに。傷薬ってお金がかかるんでしょ? 買い物してるパールをボールの中から何度も見ているから知ってる。

 一秒でも早く、自分の痛みをやわらげようとしてくれていることがひしひしと伝わる中、ミーナはほうっと安らいだ息を吐いていた。

 

 わがままで、子供で、不器用で、パールの手を焼いてしまう自分なのは、ミーナ自身が一番よく知っている。

 そんな自分が、最高の形でパールの力になれた。格好いい所を見せられたのだ。

 それがミーナにとっては、痛い痛いのこの身体以上に、ずっとずっと嬉しかった。



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第57話    Fate

「ミーナ今だーっ! ジャンプー!」

「――――z!」

 

「ムウマージ、ラスト!」

 

 メリッサに勝利し、ジムバッジを受け取った翌朝、パールは再びヨスガジムに訪れていた。

 バトルフィールドに招いて貰い、メリッサのポケモンとお手合わせである。

 

 とは言っても、今日は真剣勝負が目的ではない。

 現にメリッサのムウマージは一切反撃せず、高所を漂いパールのポケモン達の攻撃を躱し続けるのみである。

 今日は風邪が治ったプラチナも同行し、観客席ではなくパールのそばで観戦である。時々、パールにアドバイスしたりしつつ。

 

「ハーイ、終了です!

 ベリーグッドですよ、パールさん。エクセレント未満、グッド以上です」

「んん~、褒めて貰えてるんでしょうか?」

「反撃意識の無いあの子に、一撃でもヒットさせられるぐらいであれば上出来すぎるぐらいです。

 当てられないのが当然、と、私の立場からは申し上げたいですね。

 とはいえ、あわやの場面が何度かあったのは、ベリーグッドであったと評価して然るべきなのです」

 

 昨晩ポケモンセンターで休んでいたパールのもとへ、わざわざヨスガジムのジム生が訪れ、パールにメリッサからの言伝を預かってきてくれた。

 明日の朝には時間が作れるから、私のポケモン達と稽古をつけないか、と。

 ジムリーダーさんにお稽古をつけて貰えるなんて、一介のトレーナーにとってはなかなか出来ない経験であり、パールは二つ返事で喜んだ返答。

 そうして今、メリッサとメリッサの"切り札"とお手合わせしているというわけだ。

 

 普通の実戦形式の稽古付けではなく、空を舞うメリッサのムウマージに攻撃を当ててみよう、というゲームめいたものだ。

 昨日のバトルでメリッサはパールのポケモン達を見て、空中の相手への攻撃の当て方に慣れていなさそうだと感じた模様。

 野生のポケモンや、旅行く先々でのトレーナーとのバトルなどで、空を飛ぶ相手との勝負自体はパールも経験済みではある。

 とは言っても、ジムリーダー級の強いトレーナーが擁する、空中戦に秀できった難敵と勝負した経験があるかと言えば、否。

 メリッサとの勝負では、工夫を凝らして攻撃を当ててみせていたパールだが、今が頭打ちではそのうち必ず行き詰まるだろう。

 それを強調するかのように、今日、メリッサの繰り出したムウマージは、パールのポケモン達の攻撃を一撃も受けなかった。

 

 このムウマージ、バッジ4つ所持のパールに対して繰り出したムウマージと異なり、メリッサが本気を出す時の主将格である、正真正銘の切り札ポケモンだ。

 ナタネがジュピター相手に繰り出したロズレイドと一緒で、かなりの相当な高レベル個体である。

 動きも素早く機敏であり、まして反撃を意識せず攻撃を避けることに専念するのだから、今のパール達が攻撃を当てるには難易度の高すぎる相手だろう。

 ピョコも、パッチも、ニルルも、今しがたミーナも、一人ずつムウマージに攻撃を当てようゲームに臨んだが、結果はいずれもムウマージは無傷である。

 とはいえあと少しで当たったのに、という場面はあったので、向こうが攻撃も意識する実戦であれば、全く当てられないということもなさそうだが。

 それぐらいにはパールのポケモン達も、格違いの相手にしっかり健闘を見せたということである。ただ、まだまだ強くなれる。

 

「今後ももっともっとストロングな相手との勝負もあると思います。

 私のポケモン達に昨日ビクトリーした時のようには、簡単にはいかないこともあるでしょう。

 昨日の勝利には胸を張って下さい。でも、あなた達はまだまだ強くなれます。

 何が足りないか、何があればもっと良くなるか、いっぱい、いっぱい今後も考えて励んで下さいね?」

「はいっ。

 ありがとうございます、メリッサさん」

 

「とりあえず、アドレスでも交換しましょうか?」

「えっ、いいんですか!?

 わーい! きっと電話しますよ! たくさん!」

「ホホホ、そうらしいですね。

 少し前、ナタネさんとお話しましたが、パールさんとテルするのは楽しいと仰ってましたよ。

 私もちょっぴり楽しみです」

「え~、ナタネさんそう言ってくれてるんだぁ。

 えへへへ、なんか嬉しいなぁ」

 

「パールがジムリーダーのコミュニティに溶け込んでる……」

 

 プラチナ唖然気味。

 ジムリーダー同士にも横の繋がりというものがあり、それは同性のジムリーダー同士だと強い傾向にあり、プライベートでの遠距離通話も多め。

 なにぶん女性同士、みんな根が明るくお喋り気質である。スモモなんかもストイックな反面、心開いた先輩ジムリーダー相手の会話ではよく喋るらしい。

 そのうち3人の女性ジムリーダーと連絡先を交換して、恐らく今後も懇ろにお喋りしそうなパールである。

 やがてはグループチャットにまで溶け込んで、普通に話せるようになるんじゃないだろうか。いちトレーナーとしてはもはや特異点級である。

 

「ミーナっ、これからも頑張っていこうね!

 私達、まだまだもっと……」

「――――z!」

「あいたっ!?」

 

 メリッサさんとアドレス交換できて、嬉しい嬉しいのパールだが、その勢いでミーナに話しかけたのだが。

 ミーナに伸ばしたパールの手を、耳でべちんと払われたのである。

 パールがびっくりする前で、ミーナはふしゃ~と不機嫌な目と息遣いを返し、さらにはぷいっとパールから顔を逸らしてしまった。

 機嫌が悪い。今日はムウマージに一撃も当てられなかった、というのも不機嫌の一因であろうとは分析できるのだが。

 

「ん~……やっぱりあなたのミミロルさんは、あなたにあんまりフレンドリーではないですか?」

「んむむむ……む、昔はほんとになついてくれなかったですけど……

 最近、仲良くなれてるような気はしてたんだけどなぁ」

 

「僕もそう思うんだけどな。

 ほら、こないだ雨降った時も……」

「ふしゃーーーっ! 思い出さなくてよろしい! どすけべ!」

「どす……べ、別にあの時のことだけ言ってるんじゃないよっ!

 だいたいアレ何してたのさ! 未だに意味わかんないんだけど!」

「思い出さなくていいって言ってるでしょ~!

 このエロ~!」

 

「何の話ですか?

 ファニーな予感がします。その話詳しく……」

「「ノゥ!!」」

 

 パールが雨の中で服をめくり上げてミーナを抱きしめていた時の話をしているらしい。

 あれがパールの人肌ぬくぬく作戦だったとは、ちょっとプラチナにも想像に至りきれない。

 ちょっと刺激的だったあの光景を思い出した時点で、思考にノイズが入るのも問題になっているのかもしれないが。

 とりあえず二人とも、メリッサにこの話は教えたがらない。二人だけのひみつ。

 

「ふーむ……私から見ても、良い関係と見えるんですけどねぇ。

 ミミロルさんの"やつあたり"が強力なのも、むしろ合点がいかないぐらいなのですが」

 

「…………へっ?」

 

 プラチナとの安っぽい喧嘩に傾倒していたパールだが、メリッサの言葉を聞いて思わず頭の中身が入れ替わる。

 いま、なんと? やつあたり? パールもそういう技があるとは知っている。

 ひどいやつである。自分が絶対ポケモンに教えないような技。

 

「あなたが"メガトンキック"と言っていたあれ、"やつあたり"でしょう?」

 

「えっ、うそ、えっ?

 わ、私そんな技教えたりしてないです、よ?」

「やつあたり、って、なついてないポケモンほど強い威力を出す技ですよね?」

「イエス。

 あの技は、間違いなく"やつあたり"ですよ。

 蹴りを放つ瞬間の、憂さ晴らしの想いを込めた眼差しは確実にそうです」

 

 パールが固まった。

 うそうそ、そんなことってないない、まさかそんな。

 ミーナの切り札だと思っていたメガトンキック、あの威力抜群の必殺技が、やつあたり?

 それが、必殺技と思っていたほどの威力って、えっ?

 私、もしかしてひどいやつ? 超ひどいやつ?

 

「ミーナ、全然なついてないんだね……」

「…………」

「全然なついてないんだね……」

「いや聞こえてるよ! 二回も言わなくていいよ!?」

「あ、あぁ、いや、聞こえてないかなって思うぐらい固まってたから……」

 

 現実に頭がついていかず、ショートした頭で硬直していたパールであった。

 傷に塩を塗られても気付かないぐらい呆然としていた彼女だったが、もいっちょ塗られたら流石にはっとしたらしい。精神的ダメージ増幅。

 しかし、立ったまま心が死にかけていたので、そこから目を覚まさせて救い出したという意味ではプラチナは彼女を助けたかもしれない。

 

「まあ、私が見る限りではミミロルさんも、あなたに心を許していないわけではないと思います。

 とはいえ、他の皆さんのように素直にあなたの愛情に応えるわけではない振る舞いには、何か理由があるのかもしれませんね。

 きっとそれは、その子と一番長く一緒にいる、あなたにしかわからないことでもあるはずです」

「うぅ……そ、そうなのかな……」

「嫌われているわけではないと思いますから、ね?

 ネバーギブアップ、もっともっとあなたのポケモン達について理解していこうとすることを続けていきましょう。

 私だって、一番付き合いの長いこのムウマージについて、まだまだ知らないことが沢山あるぐらいなのですから」

「そうなんですか?」

「ええ、たくさん。

 この子が本当は、夜のような暗い場所ではなく、明るい場所の方が好きだなんてことも、出会って五年経って初めて気付いたぐらいですから」

 

「そうなんですか?

 ムウマージは、夜を好みそうなイメージなんですけど」

「フフッ、私もずっとそう思っていたんです。

 ですから、幼い頃にこの子をお散歩させる時は、夕方の日が沈みかけていた時間にしていたんですよ?

 この子は気を遣ってくれる子ですからね。今にして思えば、わざと喜ぶふりをしてくれていたんでしょう、大袈裟に。

 きっと、私がこの子にとってはそれが良いと思っていたことに……あっ、こらこら」

 

 昔日の思い出に馳せるメリッサを、ムウマージがぺちぺちと横から叩いてくる。

 照れるからやめろ、という態度なのだろう。そんな昔の話はいいでしょ、と。

 こうした照れくさそうな態度もまた、メリッサにとっては可愛らしい。

 

「人と人のフレンドシップでもそうです。

 自分にとっては本当は好ましくないことでも、相手がよかれと思ってやってくれていることだと感じたら、敢えて喜んで見せる人だっているでしょう?

 相手の心というのは、必ずしも言葉や態度ですべてがわかるわけではありません。

 言葉が通じないポケモン達が相手では、それは尚更、なのでしょうね」

 

「む、難しいですね……」

 

「大切な人、大切なポケモンに、優しくしたくなるのは当たり前です。

 ですが、誰かに優しくしてあげるというのは、思った以上に難しいことです。

 相手が何を望んでいるか、あるいは何が本当に必要なのか、考え、思いやり、現実との追いかけっこの繰り返しです。

 なかなか大変なことだと思いませんか?」

 

 それはそうなのだが、本来そんなに重く考え過ぎなくてもいい話でもある。

 この程度の話、戒め程度に心の片隅に置いておけばいいだけの話に過ぎない。

 最後は言葉で疎通して、わかり合っていけばいいのだから。

 メリッサが今この場、多感な少年少女にこうして教訓として授けるのは、自分達が付き合う最大のパートナーが、言語の通じぬポケモン達だからだろう。

 

 仲間になり、時を経て親しくなり、なついてくれたポケモン達は、どんどん我が儘を言わなくなりがちだ。

 そんな子達をもっともっと幸せにしたいと思ったら、言語の通じ合わぬ彼ら彼女らの気持ちを、常にたくさん考えてあげるぐらいでちょうどいい。

 ポケモン達は、トレーナーに多くのものをもたらしてくれる。それに同じだけ応えようと思ったら、対人以上に大変なのがポケモン達なのだ。

 自分のポケモン達には世界一幸せになって欲しいと思うぐらい、自分のポケモン達が大好き大好きなパールにとって、それは長い長い旅路である。

 

「ミーナ、と呼んでいましたね。

 あなたは、ミーナさんのことが好きですか?」

「はい、大好きです」

「ふふっ、大事にしてあげて下さいね。

 もっと、もっとです。必ず、いつか、あなたの気持ちは伝わると思いますよ」

 

 即答したパールに、顔を背けていたミーナも、思わずちらっと彼女の横顔を見た。

 メリッサに、私はミーナのことが大好きですと答えたパールの眼は、絶対に嘘一つないものだったのは明白だ。

 自分がそれを見ていたことを悟られないよう、すぐにパールから目と顔を逸らしたミーナは、むにゅむにゅ動きそうな口元に力を入れていた。

 好きって言われて嬉しくて、にまにましちゃいそうな口元を、力を入れて封じているのだ。見られてもいないのに。

 

 "ぶきよう"な子である。なかなか、素直になれないらしい。

 ポケモン達の心というのは、そう簡単にはわからないものだ。対人以上に、ずっと、遥かにだ。

 きっと、それにどこまで深く心及べるかもまた、一流のトレーナーと一流半のトレーナーの大きな違いなのだろう。

 その根拠は非常に簡単だ。

 本当に強いポケモントレーナーに限って、自分のポケモンのことをよく知っているものだ。対戦で強いトレーナーを想像すればわかる話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いいんですか? ああいうの」

 

「……まあ、本当はバッドですね。

 ジムリーダーが、一部のトレーナーの向上に、過剰な手添えをするべきではありませんから」

 

 パール達と別れ、彼女らがヨスガジムを離れてからのこと。

 一人のジム生がメリッサに問いかけたことに、メリッサもまた少しばつの悪い苦笑いを見せていた。

 

 口頭で色々とアドバイスする程度ならまだしも、自分に勝ったトレーナーに、飛空ポケモンへの対処法を稽古付けするのは、少々やり過ぎなところがある。

 そんなの、ジムリーダーさんにご指導頂ければと思うトレーナーなんて、枚挙に暇がないというのに。

 だからこそメリッサも、いや、他のジムリーダーだって、たとえ教えを請う者が訪れたとしても、バトルの相手をするだけであってその最低限しかしない。

 ジムリーダーに教えを請いたいのであれば、そのジムのジム生になれという話だ。それがジム生の特権なのだから。

 昨日自分を破った挑戦者に、わざわざ宿まで遣いを出して、稽古を付けましょうなんて申し出るのは、異例かつ推奨されるべきことではない。

 ヨスガジムのジム生達に、俺達は私達は? と思われても仕方のない愚挙と言える。

 

「……友人に聞く限り、あの子達には、自分で自分を守るだけの力が必要なのです。

 そうでなければ、あの子達は……」

 

「あ、いや、その……別に、私達はいいんですが……」

 

「ええ、信じています。

 あなた達は、あの子達に妬くような門下生ではありませんね」

 

 メリッサに問うジム生は、メリッサさんがあの子達に特別な指導をしたことに、嫉妬しているわけではないという。

 気遣いだろうか。いや、本心だろう。メリッサを敬い、信頼するヨスガのジム生達は、メリッサの行動に意図があったであろうこともわかっている。

 こんなことをメリッサがやるのは初めてなのだから。ジム生達だって馬鹿じゃない、何かあるんだろうとは考えるとも。

 

「どうか、あの子達の光ある未来を祈ってあげてくれませんか?

 あの子達は、力なくば、あるべき光さえも浴びられない、そんな境遇にあるのです」

 

「……何か、あるんですね。

 わかりました、みんなにそう伝えておきますよ」

 

 笑顔を作ってそう告げるメリッサに、ジム生もまた微笑みを返し、同門の友の方へと向かっていく。

 深い詮索は無かった。メリッサが、敢えて抽象的な表現を使ったからだ。

 話せないこともあるのだろう。ジムリーダーには、一介のトレーナーには知り得ない苦労もあるのだろう。そう考えてだ。

 これこそ真意を嘘で隠すのとは異なる気遣いだ。メリッサは、深入りしないことを選んでくれたジム生に、感謝の想いを胸に秘めて唇を噛み締める。

 

 実状は知っている。

 パールとプラチナがどのような境遇に置かれているのか。

 ナタネとも、スモモとも、そしてジムリーダー以上の立場にいる者とも繋がりのあるメリッサは、その現実を痛烈に知る情報も握っている。

 

 自分で自分を守るだけの力が無くば――

 光ある未来とは、そのポジティブな単語から想像される、栄光に包まれた世界に到達することを単に語るものだろうか。

 そうした未来に辿り着けぬということは、光無き世界に堕ちるという解釈も出来るのではないだろうか。

 あるべき光さえ浴びられぬとは、それはメリッサなりの言葉でいうところ、光届かぬインフェルノのことを指すのではないのだろうか。

 

「……………………ギンガ団。

 一線を越えることあらば、私とて黙ってはいませんよ」

 

 パールも、プラチナも、まさか自分達がそれほど逼迫した状況に置かれているとは、今の時点では想像もしていまい。

 谷間の発電所で、そしてギンガハクタイビルで、悪を憎む志をはっきりと主張し、力をつけてきている少年少女。

 出る杭は打たれる。それは行儀の悪いトレーナーがひしめく故郷にて、頭角を現しつつあった者の身に起こった災いの数々を見てきたメリッサが学んだ教訓だ。

 耳にした情報の数々から、メリッサが想定する悪しき未来とは、決して、断じて、的外れな杞憂などではない。

 

 

 

 8つのジムバッジの半分以上を集め、チャンピオンロードの折り返し地点を過ぎたパール。

 彼女はこれより、未だ彼女が想像だにしていなかった形で、激動の渦へと巻き込まれていくこととなる。

 それをパールが知ることになるのは、まだ今よりも先の話。

 それこそが、何よりも彼女に対して過酷な運命であると断言できる。

 

 果たして未来予知が出来たなら、そんな運命も変えられたのだろうか。

 後戻り出来ぬようになってから気付く、というのは、想像しただけで恐ろしい響きである。



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第58話   もっとプラッチといっしょ

 

「次はキッサキジム?」

「うん、ミオシティと迷ってたんだけどさ。

 キッサキシティに先に行こうかなって」

「ミオじゃないんだ、どうして?」

 

 今朝のメリッサとの稽古を終え、ポケモンセンターに短時間だがみんなを預け、昼食を食べたら出発。

 パール達は北上する方向へ、ヨスガシティを歩いていた。

 6つ目のジムを目指す旅の足取りを、シンオウ地方最北の街、キッサキシティへと向けた進行である。

 

 パールがまだ制覇していないジムがあるのは、ミオシティ、キッサキシティ、ナギサシティの3つである。

 このうちナギサシティは、大抵のトレーナーが最後のジムとして目指す傾向にある。

 ナギサシティから北に出発して、223番水道を真っ直ぐ進むと、シンオウ地方のポケモンリーグ本部に到着するからだ。

 ナギサシティはその位置そのものが、ポケモンリーグへの最寄りであり玄関口のようなものである。

 ゆえに最後に制覇するジムをここに見定め、それを果たせばさあポケモンリーグだ、という計画を立てる人が非常に多い。

 一方ナギサシティ出身で、そこから出発するトレーナーなんかは、むしろ初挑戦のジムとするケースも少なくはないようだが。

 比較的近い、ノモセ出身やトバリ出身のトレーナーも、2つ目か3つ目の挑戦先とすることはあるそうで。

 ナギサジムは、バッジの少ないトレーナーの挑戦対象となるか、既に7つ集めたリーグ目前のトレーナーの最後の関門、どちらかに挑戦者が偏りがち。

 パールはその後者に当たるというわけだ。ナギサジムは、最後に挑むと概ね決め打っている。

 

 残る候補はミオジムか、キッサキジムか。

 ここヨスガからでは、どちらも等しく遠い位置にある。どちらを選んでも大差は無い。

 判断基準は正味なところ、気分に任せても良いぐらいだ。

 

「キッサキシティって一番北の寒いとこでしょ?

 本格的に寒くなる前に行っておきたいじゃん」

「あ~、なるほどね。

 今はまだ秋だけど、冬になったら多分ずっと雪だよね」

「秋でもけっこう雪が降るらしいじゃん?

 絶対今のうちだよ」

 

 シンオウ地方はそもそも北国で、他の地方に比べれば年間の平均気温も低い方だ。

 パールは昔からシンオウ地方の生まれ育ちなので、この気温には慣れているが、余所の地方から来た人は、中秋の今でも寒いなと感じるらしい。

 この寒さの中、ノースリーブとスカートという肌の出た格好で元気に旅するパールなんて、他の地方から来た人はびっくりするレベルである。

 そしてそんなパールであっても、シンオウ地方で最も寒い最北地に、冬に足を踏み入れようものなら寒い寒い。

 暖かいうちに、キッサキジム挑戦は済ませておきたいというのが、こちらを6番目のジムに選んだ最大の動機のようだ。

 

「それにミオシティに行こうとしたら……

 ほら、フタバタウンのそばを通るじゃん?」

「いいじゃないの、たまには家に帰ったって」

「いや~、久しぶりに家に帰ったら、たぶん私のんびりしちゃう。

 思い出のシンジ湖もそばにあるしさ」

「駄目なの?」

「バッジ6つ集めてからだったら、もうポケモンリーグも目前だ~、って気分でのんびりしてられないと思う。

 そっちの方がいい。私、早くポケモンリーグに挑戦したいし」

 

「パール、チャンピオンになって有名になって、シンジ湖で助けてくれた人に会いたいんだったっけ」

「会えなくたって、もしテレビに出られたら、あの時はありがとうございましたって言うよ?

 私、そのためにポケモンリーグ目指してるんだからさ」

 

 パールの旅をする動機そのものであり、彼女の原点かつ旅足の力の源泉だ。

 命の恩人である憧れの人に、出来れば会いたい。会えなくたって、感謝の想いを伝えたい。

 それを語る時のパールの目は、夢に向かう前向きさと、顔も覚えていない憧れの人を想う気持ちに溢れて輝いている。

 

 プラチナには、ちょっと胸がちくちくする姿なのだけど。

 パールにとっての"一番の人"は、その人でずっと揺るがなそうにしか見えないから。

 僕がその人よりも特別になるのは無理なのかな、と思わせられるほどのパールの目だから、なんだか寂しく感じてしまう。

 

「まあでも、まずはキッサキジム!

 行って、挑んで、すぐ勝てるとも限らないしさ。

 今まではずっとそんな感じで勝ち続けてこられたけど、今度こそはそうもいかないかもって毎回思ってるよ。

 ジムリーダーさん達、ほんとに強いんだもん」

「毎回ひりっひりで勝ってるもんね。

 風邪引いてみられなかったけど、メリッサさんとのバトルどうだった?」

「なんかもう、奇跡みたいなもんだったよ。

 ミーナが私が思ってたよりずっと、ずーっと頼もしかったから勝てたってカンジ」

「そっかぁ。

 今後のジムでも、やっぱ苦戦させられそうな気はしちゃうよね」

「でもやっぱり、私はまだまだ今の無敗記録もっと更新していきたいな。

 その方が、一番早く夢に近付けるしさ。

 ナマイキ?」

「いいんじゃないかな、いけるとこまで行こうよ。

 頑張ってなくてただ勝ってるだけじゃないのは僕が一番よく知ってるし、勝ってる限りは自慢していこうよ」

「えへへ、ありがと、プラッチ。

 けっこう強気なこと言うのも怖いんだよね。

 こういう話、笑わず聞いてくれるプラッチに話せるの、私すごい助かってる」

 

 現状、対人バトルで未だに無敗のパールだが、いつまでも誰にも一度も負けずにやっていけると思うほど、流石に彼女とて楽観的ではない。

 でも、ここまでこうしてやってこられていると、出来る限りこのままいきたいと思ってしまうのも人情というやつ。

 もっともっと無敗、という、大きく出たなと言われそうな意気込みというのは、口にするなら少々自分にプレッシャーがかかりがちだ。

 パールのような自信家でないタイプなら特にそうなのだろう。

 初心者上がりで調子に乗って、とも言われかねないことを、真顔で受け止め応援してくれるプラチナがいることは、彼女も言うとおり本当に嬉しいことだ。

 高めの目標を持つというのは、なかなか難しいことである。気持ちを支えてくれる誰かがそばにいてくれた方が、ずっとずっとそうしやすい。

 

「成り行きで一緒に旅するようになったけど、私、プラッチとはずっと一緒に旅がしたいな。

 だめ? たまには一人になりたい時とかもあったりする?」

「な、なに急に?

 そんな、かしこまって言うこと?」

 

 街の東、209番道路へと向かう道のりの中、パールは足を止めてプラチナに向き直り、大事なことを伝える表情でそう言ってくる。

 拒絶されたら嫌だな、という、ちょっと勇気を使って言っているのが、感情が顔に出やすいパールだからよくわかる。

 プラチナも足を止めてそれを受け取るが、改めてこうされると調子が狂う。

 

「メリッサさん、言ってたもん。

 人と人ならわかり合うために、最後は言葉で通じ合えばいいって。

 それって、言わなきゃわからないことだってある、っていうことだよね?」

「ま、まあ……そういう解釈も出来るかな。

 あれは、言葉の通じないポケモンと理解し合うのは、人と人同士よりも難しいねって話だったと思うけど……」

「だからちゃんと言うの。

 前も言ったかもしれないけど、これが今の私の気持ち。

 それに、前に言った時よりもずっと強いよ?

 私、プラッチと一緒に旅しててほんとに楽しい。

 もう、今さら一人で旅するのなんて絶対寂しくなっちゃうよ」

 

 プラチナと一緒に旅してきた思い出を胸に馳せながら、明るい声と表情で話していながら、最後の一文だけは照れ臭そうに言うパールだ。

 そんな寂しんぼな自分を晒すのは恥ずかしいような、でも言わなきゃダメだから言うような、気恥ずかしさに耐えているのは少し赤らんだ顔からも明白。

 だからこそ、言葉以上によく伝わるはずだ。

 パールが、どれだけ、プラチナがそばにいてくれることを、特別嬉しいことだと実感してくれているかが。

 ほんの少し前、パールの"憧れの人"と自分を比較して、勝手に沈みかけていたプラチナにとって、小さな穴を空けられた胸を新たな何かで満たしてくれる姿だ。

 

「どうしても、一緒にいるのがイヤになったら言ってね?」

「そんなことは……」

「全力で引き止めるから」

「あ、拒否権とかは無いんだね」

「拒否したら泣く。

 プラッチに女の子泣かせの罪を背負わせる」

「あっ、それすっごい卑怯なやつ」

「手段を選ばないのだ」

 

「……大丈夫だよ、僕はそんなつもりないからさ。

 僕もまだまだ、パールと一緒にいたいよ。

 お父さんに、急に帰ってこいって呼ばれても、やだって言うよ?」

「あははっ、嬉しい!

 もっともっと、一緒に色んな所に行こうね!」

 

 嬉しいと言葉にするパールだが、その言葉以上に、太陽のような笑顔で喜ぶその表情が、どれだけ雄弁に彼女の心を描くか。

 自分とまだ一緒に旅できるという確約を得られただけで、こんなにも嬉しさに満ちた表情をしてくれるのだ。

 胸が温かくなる。それだけで、たまらなく心地良いほどに。

 一緒にいてね、って言われる喜びは、それに勝る感情を探せと言われて難しいほど、並び立つ嬉しさなどそうそう無い。

 

 言わなきゃわからないことだってある。

 パールにそう言われ、プラチナも胸の内に溜めているこの気持ちも、伝えなければ形にならないものだと改めて思う。

 もしかすると、今がその最大の機会なのではないだろうか。

 自分だけに向けた笑顔を見せてくれるパールを前に、プラチナもまた、ずっと黙っていたことをそろそろ言う時なんじゃないか、という感情が湧き上がる。

 

「…………ねえ、パール。

 僕も、パールに伝えたいことがあるんだ」

「えっ……な、なに?

 急にかしこまる感じで、どしたの?」

「かしこま……それはパールだってそうじゃん」

「そ、そうかな? あははは……

 で、な、なに? 聞くよ?

 大事な話? 多分そうだよね? そういう空気出てるぞ?」

「まあ……大事な話、だね……」

 

 急に男の子が神妙な面持ちで、じっと自分の顔を見つめて話を切り出してくると、パールだってついついどきどき。

 普段より口数が露骨に多くなっている。動揺している証拠。

 まさかまさかっていうのは考えちゃう。思春期の女の子だもの。

 

「えぇと…………あのさ、パール」

「な、なに?」

「僕、実は……」

 

「――――あっ!

 おーい、そこの二人っ! 久しぶり!」

 

 駄目でした。話の腰を折られました。

 このくそ大事な場面で水を差してきた相手は、パールとプラチナ二人にとって、今の空気も吹っ飛ぶほどの敬い対象。

 思わぬところで再会、それはシンオウ地方のチャンピオンである。

 

「はわっ、シロナさん!?

 お、お久しぶりなのですっ!?」

「ど、どうも……お久しぶりです」

「あははは、堅い堅い。

 もう一度一緒にトバリシティをみんなで仲良く歩いた仲じゃない。

 そんなにかしこまらなくたっていいわよ? えいえいっ」

「はわはわ……」

 

 最近ジムリーダーにも親しく話せる相手が増えてきたパールながら、チャンピオンともなればさらに上の人。流石に急に会うと緊張しちゃう。

 シロナはそんな反応は織り込み済みなのか、パールの両肩を持って揺さぶり、無邪気なスキンシップでパールをほぐそうとしてくれる。

 されるがままのパールはお人形さん状態だが、五秒も揺らされて放して貰ったら、実際ちょっと楽になれる。

 微笑むシロナの姿は、みんなの憧れである凛々しきチャンピオンのそれではなく、気さくで優しいお姉さんの姿なのだから。

 

「パール、メリッサに勝ったんですって?

 電話で聞いたわよ、やるじゃない」

「えっ、もう知ってるんですか?

 プラッチどうしよ、私いまチャンピオンさんに褒められてる!」

「偉くなったね」

「え~、どうしよう、なんかすっごい嬉しい! 調子に乗っちゃいそう!」

「こらこら、まだまだバッジ3つあるんでしょ。

 調子に乗っちゃダメダメ」

「えへへへ、わかってます!」

 

 ちょっとほぐしてもらったら、もう完全にいつものパールである。

 嗚呼、さっきの空気は吹っ飛んでどこかに行ってしまった。プラッチ無念。

 今日こそ、いい機会だと思ったから、僕ほんとはプラチナっていう名前なんだよって伝えようとしたのに。

 まだ見事なほど運命に遮られるらしい。未だプラッチ君。

 

「二人はこれから、どこに向かうの?

 209番道路に向かって歩いてる感じを見ると、キッサキシティ?」

「はい。

 カンナギタウンを通って、北のテンガン山道を通ってキッサキシティに行こうかなって」

 

「あら、ちょうど私と行き先が一緒ね。

 私もキッサキシティに用事があるのよ。

 どう? 一緒に行かない?」

「えっ! ぜひぜひ!

 っていうか、いいんですかレベルですけど!」

「もちろんよ~、むしろ何がダメなの?

 私がチャンピオンだから?」

「チャンピオンさんと一緒に旅なんてすっごいことですよ! たぶん!

 そうだよねプラッチ!」

「うん、まあ……

 パール、なかなか出来ない経験してるよね、たくさん」

 

 ジムリーダー三人と連絡先を交換して、毎夜毎朝お電話する関係になり、今度はチャンピオンと一緒にしばらく旅とは。

 けっこう多くの人に羨ましがられそうな経験が出来ているのは確かだろう。

 冷静に考えると、僕の友達って実はすんごい子なんじゃないかって、ついついプラチナも思っちゃう。

 

「ふふふ、楽しい旅になるといいわね。

 遠慮なんかせず、気軽に話しかけて頂戴ね。

 あなた達がどんなふうにこれまで旅してきたかなんて、いっぱい聞かせて貰えると嬉しいわ」

「えっ、そんなのいっぱい話せることありますよ!

 ハクタイジムのこととか……」

「あっ、ナタネとのこと?

 あなた本当に好きよねぇ、あの子のこと」

「色々あって、今日もっと好きになったのです!」

「え、なになに、何があったの? 詳しく聞かせて?」

 

 209番道路に向かって、三人で歩きだす。

 最初はチャンピオンさんだって少し緊張していた顔もどこへやら、楽しそうにはしゃいでお喋りのパールになっている。

 本当、人懐っこいんだから。尊敬する大人と話す時、どうしてもああなってしまう。

 もっとも、シロナが話しやすい空気を作ってくれているから、というのもあるのだろう。プラチナも傍から見ていて、そう感じている。

 

 すっかりパールをシロナに取られてしまったプラチナだが、パールが楽しそうなのでむしろプラチナは、微笑ましくって嬉しいぐらいである。

 パールが幸せそうなら、それで何より良いらしい。

 流石は雨の中を突っ切ったパールを、我が身も厭わず世話を焼いて、自分が翌日風邪を引いてしまうような子である。

 もうちょっと我が儘でもいいぐらいなのに、なんて言われる人は、世の中そんなに多くないのだが。

 プラチナはきっと、そういうタイプに該当しそうである。

 

 

 

 

 

 その後パール達は、シロナと話を弾ませながら、209番道路を進んでいった。

 パールとプラチナ、二人の旅路の身の上話を聞きたがり、よく話を振ってくれるシロナのおかげで、パールもシロナに沢山のことを伝えた。

 ナタネに限らず、数々のジム戦での苦闘の数々。どれも特別な思い出だ。

 いつだって、自分のポケモン達が必死で戦い、決死の想いで食い下がり、薄氷の上で掴み取ってくれた勝利の数々なのだから。

 追い詰められた苦い記憶の数々を、最後は大好きな子達が勝ってくれたことをきらきらした目で語るパールの話は、シロナにとって心温まるものだ。

 自分にも、そんな頃があったから。本当に、気持ちがよくわかるのだから。

 

 一度は通った209番道路、以前バトルしたトレーナーとの再会もあり、シロナが見ている前だからかいっそう、パールは挑まれた再戦にも燃えた。

 相手もそうだろう。チャンピオンが見てる。両者、熱が入る入る。

 最後はきっちり勝ってみせるパールだが、以前よりも強くなった相手との勝負は、どきどきさせられる場面も多かった。

 パールがそうであるように、誰しもみんな、自分の最愛のポケモン達とともに、昨日までの自分達より強くなっているのだ。

 今日も負けちゃったか、と悔しそうな顔をするトレーナーに、パールは必ず相手の手を握りに行ってでも、勝負できた感謝を表すことを忘れない。

 悔しそうにしていた相手が、表情を改めて、次は負けないぞと笑う姿こそ、きっと今後も伸びていくトレーナーの姿そのものなのだろう。

 それを当事者として、一番間近で見られるパールもまた、いつか負ける日が訪れたとしても、そんな彼女になっていけるはずである。

 一つ一つのバトルに、教えて貰えることが沢山あるのだ。

 

 どうでしたか、とチャンピオンに勇気を持って尋ねてみるパールに、シロナは何一つアドバイスを与えなかった。

 その調子で頑張りなさい、とだけ言う。笑顔ゆえ、冷たくはない。

 そこにはポケモントレーナーの第一人者たるシロナ、一介のトレーナーに肩入れした指導は推奨されるべきではないという、難しい事情もあってのこと。

 しかし一方、その短い言葉もまた事実であると、シロナが自信を持って告げられるという側面もまたあった。

 

 バトルごとに何かを感じ取り、やがては目指すべき人物像を自分なりに形作っていくパールの姿を見れば、それでいいんだよの一言に尽きるからだ。

 お偉い様のアドバイスで育ててあげる必要なんてない。むしろ、重く受け止められかねない言葉をわざわざ、紡がない方がいいかもしれないぐらいだ。

 だから立場を踏まえた上でも、率直な意図でも、シロナがパールに向けるアドバイスめいたものは、そのままで頑張りなさいの一文に尽きる。

 具体的な答えを貰えないまま、少し不安げでありながらも、頑張りますと元気よく返事するパールの姿もまた、シロナを嬉しく感じさせてくれるものだ。

 それでいい。明確な指針を与えられないまま模索していく道が、不安を伴うものだとは、シロナも知っているけれど。

 その先にしか、"パールにしか出来ないこと"は存在しない。シロナもそんな過去を経て、"シロナにしか出来ないこと"を身に着けている。

 そうしてチャンピオンにまで上り詰めた彼女だからこそ、寄る辺無くも手探りで進み続け、己だけのものを掴み取ることが大切なのだとも知っているのだ。

 

 チャンピオンと一緒に歩く旅路が、今のところ、パールを成長させてくれる何かをもたらしてくれたかと言えば、それはきっと皆無である。

 シロナがそう努めているからだ。それもまた、公に徹するべきとされるチャンピオンに推奨される能力。シロナにはそれがある。

 その上で、バトルするたび少しずつ、何かをその内に育んでいるパールの姿にこそ、シロナは心躍るものを感じている。

 プラチナと目を合わせ、無言で微笑み合ってそれを共感するほどにだ。

 

 十年先と言わず、一週間先でさえ楽しみ。

 それが、旅路の中で見せてくれたパールのトレーナーとしての素質の片鱗から、シロナが感じた所感である。

 一つ一つの勝利に無邪気に喜びつつ、少しずつ、確かに強くなっていく少女の姿とは、それを感じさせるほどのものがあるということだ。

 純真さは他ならぬ強み。大人には得難い何かを、少年少女は持っている。

 特別なのはパールじゃない。ただただ今よりも強くなりたいという濁り無き想いには、誇張無く無限の可能性が秘められている。

 

 シロナはそれを知っているから、若き志には胸躍る。

 いつか自分が超えられる日が来たとしても、それを歓迎するだろう。

 それもまた、求められるべき大人の姿の一つである。



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第59話   210番道路

 

 209番道路を進み、夕頃にはズイタウンに着いたパール達はそこで一夜を過ごし、翌朝出発して足を踏み入れたのは210番道路。

 道中間もなくの岐路で東に進めば、トバリシティに繋がる215番道路へ続く。

 今日はその岐路を曲がらず、北へと進むルートを選び、カンナギタウンへと向かう足運びだ。

 パール達の目的地であるキッサキシティへと向かうにあたり、カンナギタウンは良い中継地点にあたる。

 

「霧がすごい!」

「なんにも見えない!」

「以上、現場からの実況でした」

 

 さて、このカンナギタウンに向かう210番道路、道半ば辺りから霧が濃いことで有名だ。

 濃霧を目前に、ちょっと楽しそうに驚きの声を出すパールとプラチナに、シロナは気さくに相槌を打ってくれる。

 チャンピオンという立場上、恐縮されやすいシロナであるが、昨日一日一緒に行動しただけで随分二人とも気軽な掛け合いが出来るようになったと見える。

 誰が相手でも話せるパールと異なり、プラチナは人見知りする方のはずなので、シロナが親しみやすさのある優しい大人ということだろう。

 

 210番道路と215番道路の分かれ道は、カフェ山小屋という建物がわかりやすい道しるべになっている。

 そこから北行きの道を選んで間もなくの所は、霧こそ無いが丈の長い草がぼうぼうに生い茂っているエリアが広い。

 それを越えた辺りから、本格的に濃霧いっぱいのエリアだ。

 年中いつでも霧いっぱい、シンオウ地方の霧の特異点とさえ呼ばれる。

 草の背高い先のエリアも、常に湿度が高いその場所に近いから、すくすくびんびん植物も育つということなのかもしれない。

 

「"きりばらい"、よろしくね」

 

 霧の中に足を踏み入れたらもう、2メートル先もはっきり見えなくなる濃霧の層。無策で踏み込んでいくのは些か危険。

 シロナは取り出したボールを顔の近くまで上げ、ボールの中にいる自分のポケモンにお願いする。

 するとその子は、中から出てこずして頼まれた技を行使してくれたのか、目の前いっぱいに広がっていた霧が晴れていった。

 

 非情にレベルの高いポケモンは、ボールの中に収められたままでも、こうして外界に影響を与えるような技の使い方が出来るそうな。

 フラッシュなどの技でも可能だろう。いあいぎりは流石に難しいが。

 

「シロナさんのポケモンすごい!

 そのボールの中、どんなポケモンが入ってるんですか? エスパータイプ?」

「ん~、秘密♪

 チャンピオンの手持ちは、知られてない方がなんだか神秘性あるでしょ?」

「むむむ、そう言われるとそんな気もしてくるから困る」

「それにあなた、近々バッジを全部集めて私に挑む立場なんでしょ?

 そう遠くなく公式戦で相見えるライバルに、そう簡単に私の手の内を明かすことはしたくないな~」

 

「わっ、わっ、プラッチどうしよ。

 ライバルだって。私そわそわする」

「リップサービスだよ、流石にわかってるよね?」

「超わかってる!

 なのに嬉しい! ふしぎ!」

「あはは、気持ちはちょっとわかるかも」

 

 チャンピオンのお言葉というのは、大きな影響力を持つものなので。

 偉人の言葉は些細なものでも人の感情を揺さぶる魔力がある、と一般的に言い換えても良い。

 ささやかな冗談でも、こうしてはしゃいでくれる可愛い後輩トレーナーの姿を見ると、シロナもやっぱり楽しくなれる。

 今の立場になって、対等に話していた相手からも一線引いた付き合い方をされたりもするシロナだが、こんな時には、立派な大人になれてよかったと感じる。

 

「さあ、行きましょう」

「はい……って、あぶなっ」

「ぷっ」

 

 さあ行こう、と、振り返って手を差し伸べる姿を見せたシロナだが、思わずその手を取りにいこうとしたパールである。

 なに子供みたいなことしてるんだ私、と、慌てて大きく手を引っ込める。あぶない、ってそういう意味。

 可笑しくってプラチナも吹き出した。先生のことを間違えてお母さんと呼んじゃった子、に対して吹くのに近い。

 

「わらうな~っ! プラッチゆるさん!」

「だ、だって……ごめん耐えられない、あははは……」

「だからわらうな~っ! 今すぐだまれ~っ!」

 

 相当恥ずかしいものを見られて笑われた気分で、顔を真っ赤っ赤にして吠えたけるパールである。でかい声出てる。

 その反応込みで可笑しいので、プラチナも笑うのをやめられない。

 プラチナの口を物理的に塞ごうと手を伸ばしてくるパールと、その手首を掴んで防御するプラチナ、力を拮抗させてぐいぐい押し合う。

 激おこパールと笑いながらのプラチナでも、余裕を持ってプラチナが耐えて抑えているのだから、やっぱり男の子のプラチナの方が力は強いか。

 

 仲の良い子達だな、とシロナも微笑ましく見守っていた。

 私にも、こんな風に何でも言い合える親しい男の子がいたな、と、自身の幼少の頃を少し想い馳せつつである。

 あの頃は今より感情的になりやすかった自分を、パールの姿に重ね合わせてだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっ、とっ、えいや、っと……」

「パール何それ、身軽さアピール?」

「ふふ~ん、小さい頃からダイヤに振り回されて、ちょっとした運動ぐらいなら楽勝なのだ。

 プラッチにはこの足使いは出来まい」

「さっきシロナさんに褒められたからって得意気だなぁ」

 

 210番道路はカンナギタウンに近付くにつれ、山岳地帯に入って道も険しくなる。

 公道である以上、極力歩きやすいように均されてはいるものの、可能な限り自然を残す方針のシンオウ地方、荒っぽい道も少なからず残されている。

 利便の意味では人に優しくないが、自然的環境でトレーニングがしたい人やトレーナーには、むしろ好まれる環境だったりするらしい。

 その道の険しさをざっくりと言い表すなら、ほぼ自然山岳のままそこに在るテンガン山未満、一般公道よりちょっと険しめ、というところ。

 ロードワーク初級者から中級者にはちょうどいい具合、には違いない。

 

「軽快ね、パール。

 でも、足を捻ったりしないように気を付けてね?

 それをやっちゃった途端、一気にかっこ悪くなっちゃうかも」

「ふふふふ、大丈夫です!

 実はけっこう気を付けてますから!」

 

 そんな道ばかりではお年寄りや子供にきついので、実は平坦に進める裏道も作られてはいるのだが、シロナが選んだのは表道の方。

 普通に山道のロードワークコースである。若いトレーナーなんだからこれぐらいの道は元気に進まなきゃ、という意識。案外肉体派。

 怖いもの知らずで何でもチャレンジしたがるパールとプラチナも、そういうシロナの判断には乗り気上々だ。

 凹凸の多い場所、盆地の下りや駆け上がりなど、元気な脚ですいすいと進んでみせている。

 

 特にパールなんかは、大袈裟にぴょんぴょんっと跳ねて進む姿を披露して、これぐらいだったら平気というアピールに旺盛。

 少し前に、多少の高低差も軽々と越えていたのをシロナに褒められたものだから、ちょいと得意気になっているようだ。

 調子に乗って何かやらかさないか心配になるプラチナだが、態度に反して案外注意しているようなので、妙なハプニングは起こらなそうである。

 

「それじゃあ、今度はあそこを進んでみましょうか?

 近道よ?」

 

「あっ、ロッククライムだ! やるやる!」

「あれはボルダリングっていうんじゃないの?

 まあ、出っ張ってるんじゃなくてへこんでるけどさ」

 

 どうやら210番道路には詳しいらしいシロナ、ちょっと面白い場所にも二人を案内してくれる。

 5メートルぐらいの崖に、岩盤に階段梯子のようなへこみを規則的に掘った、人の力でも頑張れば登れそうな壁である。

 ちょっとした人工的アスレチック要素だ。210番道路の小さな名物である。

 高い場所から落ちたら危ないのだが、ポケモントレーナーなら自分のポケモンを上手く使って、保険をかけましょうというところ。

 

「パール、いけるの?

 落ちたりしない?」

「プラッチこそ大丈夫?

 ひ弱なイメージあるぞ?」

「むっ……

 パールこそ、女の子のそんな細い手足で大丈夫なの?」

「さべつ!」

「うるさいな、先に煽ってきたのそっちだろ」

 

 男女差別だっ! と反論するパールも、そっちが仕掛けてきたんだろと対抗するプラチナも、互いに笑顔である。冗談なのはわかっているし。

 とはいえ、プラチナはちょっとむきになりたい気分。もやし呼ばわりされては流石に。

 先日風邪で一日ダウンしちゃったせいだろうか。由々しき事態。

 

「そこまで言うならパール登ってみせてよ。

 僕はパールの倍ぐらいのスピードで登ってみせるから」

「あっ、そんなこと言っちゃって大丈夫なの?

 出来なかったら何でも言うこと聞いてくれる? 勝負する?」

「むぅ……倍は言い過ぎたかな。

 じゃ、パールよりは速く登ってみせるよ。

 それでも負けたら、何でも言うこと聞いてあげる。

 逆にパールが負けたら、何でも言うこと聞いてくれるんだね?」

「おっ、無謀なチャレンジを受けた気がするぞ?

 男に二言はないね?」

「さべつ」

「そっちが言い出したことだぞ~?」

 

 まあ楽しそうに張り合う二人である。

 シロナも話に入っていけない。いや、入っていきたくない。

 二人の世界を、子供達の世界を侵したくない気持ちが勝ってしまう。

 

「じゃあパール、どうぞ。

 シロナさん、ある程度でいいから時間計っておいて下さいね?」

「はいはい、公正にジャッジするわ。

 どっちにも肩入れしないからね?」

「ふふんっ、見てろよ~!」

 

 ぱたぱた崖の下に駆けていって、しかし立ち止まって一度見上げ、指先でふんふんと手足のかけ所をしっかり下見、チェックするパール。

 勝負所となれば真剣である。根が無邪気でも、こういう所で気持ちの切り替えが出来るのであれば何よりだ。

 そういう切り替えの良さというのは、多分ポケモンバトルでも活きてくるかもしれないので。良い傾向かもしれない。

 

「……………………」

 

「…………?

 どうしたの? パール」

「何かある?」

 

 崖を見上げてふんふんと下見していたパールが、足をかけて一段登ろうとした矢先、その動きがぴたっと止まった。

 どうしたんだろうと疑問を抱くシロナだが、プラチナも同じ気持ちである。

 怖気づいた? なんて煽りはしないプラチナ。そもそもそんなの考え付きもしない。彼が見てきたパールってそういうタイプじゃない。

 

「……プラッチ、ハメようとしたね?」

「えっ、何が……」

「どすけべっ!!

 へんたいプラッチ!!」

 

 崖から離れてプラチナを睨みつけるパールは、また顔を真っ赤にしてスカートのお尻を押さえている。

 その仕草を見て、謂れなき批難と聞こえかけたパールの言葉の意味に気付いたプラチナは、表情を一変させ自己弁護に徹さねばならない窮地に陥った。

 

「ちちちっ、違う違う違うっ!!

 そういうつもりで先に行ってってわけじゃ……」

「むっつりすけべ~っ! 見損なったぞ~!

 けいべつする! ぜったいゆるさん!」

「だから違うってえっ!!

 僕だってそこまで考えてなかっただけで……」

「あっ、来るな来るなっ! どへんたいっ!

 寄るな触るな近付くな~っ!」

 

 よくよく考えれば簡単な話である。

 短いスカートのパール、先に彼女が崖登りを敢行したら、下からそれを見上げるプラチナの目には何が見えるか。

 これはどう考えても、パールが先に崖登りをしちゃいけない案件である。

 煽るようにお先にどうぞとしたプラチナ、さてはそんなもの見ようとしたんだなと、パールのプラチナに対する警戒心がマックスにまで上り詰めたようだ。

 

「話を聞けってばっ!

 名誉棄損レベルだっ! 聞き捨てならないっ!」

「しっしっ!

 さわるなエロプラッチっ!」

「あ゙~もう! 話を聞け~っ!」

 

 聞かんちんになったパールに駆け寄るプラチナにも、伸ばしてくる手をぺちんぺちんとはたいて退けるパールは、自分の胸を隠す手つき。

 セクハラ野郎は近付くなという身体全部での表明で、プラチナを拒絶するパールの仕草にプラチナも必死。

 その誤解は嫌過ぎる。親しい友達にそんな不名誉な嫌われ方をするのも嫌だけど、そもそもそんな烙印を押されるのは男として嫌過ぎてたまらない。

 プラチナにしては乱暴なぐらい、後ずさるように自分から離れるパールの手首を捕まえて、話を聞くまで放さないという必死さを見せている。

 

「い~~~や~~~!

 シロナさんたすけて~! ひどいことされる~!」

「だまれ~っ! 誤解されるだろ~っ!

 シロナさんフォローして下さいよ~!」

 

「あらあら……どう収拾つければいいのかしら……」

 

 苦い苦い笑みを浮かべるシロナの手前、パールもプラチナも顔に火がついているんじゃないかという色である。

 今のプラッチにだけは触られたくもないパール、こんな誤解だけは絶対されたくないプラチナ。

 どっちも必死な両者、片側に肩入れしたら逆側が納得しそうにないのが明らかで、シロナもどうやって二人を落ち着かせればいいのか困る場面である。

 

 自分のような第三者がおらず、二人だけの時にこういう状況に陥っていたら、二人ともどうやって事態を収拾させるというのだろうか。

 シロナがまず感じずにいられない所感はそんなところである。

 まあ、見方によっては自分がいてよかったかもしれないし、こうして頼りにされるというのも悪くは無い気分だけど。

 そんなわけでシロナも知恵を絞って、二人に歩み寄って何とか仲を取り持とうと努めるのであった。双子の保護者になった気分である。

 

 

 

 

 

「よいしょ、っと……

 登ったよ! 思ったより時間かかったけど!」

「たいしたことないね! エロプラッチ!

 すけべなことばっかり考えてるから集中力足りないんだぞっ!」

「だから違うーっ!

 やめろっ! そういうのやめろっ!」

 

 とりあえずシロナの懸命な仲裁もあり、崖登り勝負にまではスムーズにこぎつけられたのだが。

 先に崖を登りきったプラチナに、崖下から見上げるパールが口撃ばりばり。

 禍根めいたものはシロナでも掃除しきれなかった。まだやり合っている。

 

「ほら、パール。

 プラッチ君より先に崖を登って見返してあげましょう?

 あなたが勝ったら、何でも言うこと聞いて貰えるのよ?」

「むむむっ……まあ、楽勝ですね!

 プラッチ覚悟しろよー!

 絶対へんたいプラッチにはきっつ~い罰を据えてやるからな~!」

 

「はぁ……もう好きにしてよ……

 ………………その代わり、負けたらパールこそ覚悟しろよ」

 

 額を押さえて諦観めいた嘆きの表情を見せるプラチナである。

 もう本当、何を言っても聞いて貰えそうにないので挫けたようだ。

 しかし、ぽそっとパールに聞こえない小声で怨々とした言葉を発するぐらいには、誤解されっぱなしの現状に腹を据えかねてもいる模様。

 下心の誤解をしたパールのプラチナに対する敵視もそれなりだが、話を聞いて貰えないプラチナの憤りもまあまあである。

 

 双方に充分な言い分がある。どっちも悪くはあるまい。

 シロナとしては、勝った方が相手にごめんなさいとでも言わせて、とりあえず今日のところは収まればいいなぁという気分である。

 本当に仲良しなら明日になれば忘れているはずだ。この喧嘩は、そういうレベルのものだから。大人のシロナにはわかる。

 

「パール」

「はいっ?」

「落ちたりしたら失格よ?

 負けたくないのはわかるけど、無茶な早上がりはしないように。

 女の子が体に傷を作っちゃ大変なんだからね。忘れないで」

「……はいっ!

 無茶しない上で、プラッチを完膚なきまでに叩き潰しますっ!」

 

 しかし念の為、パールに大事な釘を刺すことも忘れないシロナだ。

 万が一、気の急いたパールが手や足を滑らせて落ちたりしたって、それに対する保険は自分のポケモンに任せているシロナである。

 彼女が育てたポケモンなら、今ボールの中にいようとも、心構えてさえいれば緊急時にボールから飛び出して、悪い事態を防ぐことも可能だろう。

 とはいえ、我が身を捨て身で勝ちに行くような真似を、パールに癖にはさせたくないというのも、シロナがパールという女の子を案じる気持ちの表れだ。

 パールの両肩を後ろから持ち、聞きなさいという強い主張とともに伝えるシロナの想いは、少なからずパールにも伝わっているはず。

 

「……パール。

 無茶した速さで登ってこないようにね」

「敵が心配するな~っ!

 しっかり充分気を付けて登って、プラッチを負かしてやるっ!」

 

 ちょっと熱くなっていたプラチナも、シロナの声が聞こえたら、パールが無茶しないよう、頭を冷やして崖の上から声をかけるぐらいである。

 パールも血気盛んな返事をしているが、怪我しかねないような無茶はしないという表明を含めている辺り、ある程度は冷静さを取り戻している。

 ささやかな声をかけるだけで、二人ともをお互い案じ合える心持ちにさせられる辺り、シロナの振る舞いは上手いものと言えるだろう。

 勿論、根は仲良しの二人だからこそというのもあるが。その"だからこそ"を見て、シロナも安心させられるのだが。

 

 さて、パールのクライミングスタートだ。

 プラチナがやってみせたのと同じように、崖のへこみに手をかけて、足をかけて登っていく。

 速さを競う勝負なので、パールの手足の動きはそれなりに速い。

 負けたくないから急いでいるのもあるが、そもそもこういう動きには慣れたものという、元からの体の使い方も上手である。

 

「むっ……むむむっ……

 ぷ、プラッチが手こずるのもわかる気がしてきた……」

 

「……………………」

 

「ふふ、そこでプラチナ君と同じ所で戸惑うのよね。

 わかるわ、あそこで少し迷うのよ」

 

 しかし、崖半ばの位置でパールの登る速度が落ちる。

 手をかけた場所が、少し指のかかりが浅く感じて、ここを掴んで大丈夫だろうかと不安にさせる、傾き混じりの刻まれ方をされているからだ。

 実はそこは罠なのだ。アスレチックコースめいて人工的に作られているこのクライミングコース、そんな仕掛けもちょっとある。

 そこに手をかけるのが不安なら、少し横に、登頂まで遠回り気味ながらも指のかけやすい所もある。

 競い合う形でない時、急ぐ理由も無いのであれば、冷静にそこに手を伸ばせばいいのだ。目に見える場所にそれはあるんだから。

 

 ちなみに先のプラチナは、パールが不安がっている手のかけ所に、迷いはしたものの手をかけて登っていった。

 パールにひ弱呼ばわりされたプラチナだが、元々彼は学者志望、ロードワークも時には必要と考える口で、身体を使うことには慣れている方。

 先日風邪を引いたのも、病気はどうしようもない話であって、彼とて決して虚弱はわけではないのだ。

 むしろ急ぎたがるパールの旅路に足並み合わせていただけあって、その気になれば身体能力も低くは無い。

 そんなプラチナが、彼自身もパールも思ったより時間がかかって登頂したこのクライミングコース、案外歯応えのある構造ということである。

 

「でもっ……プラッチには負けたくないっ……!」

 

「だ、大丈夫かな……

 そこ僕もけっこう握力使ったルートなんだけど……」

 

 意地になって、パールもプラチナと同じルート、ちょっと力が要るけど最速で崖を登れるコースを選んだ。

 割と根性を出せるパールなので、はらはらする想いで見下ろすプラチナをよそに、意外ときちんと滑らず手足をかけられている。

 一方、下から見守るシロナもまた、万一の時に備えてパールの下で控えている。

 

「プラッチぃ~……覚悟しろぉ~……」

 

「うぐ……そ、そこからが大変だぞ。

 僕でもちょっと苦労したんだから」

 

「な、なんとなくわかる……

 なんかこう、手足かける所が小さく……んっ?」

 

 頑張るパールと見下ろすプラチナ、距離が近付くにつれ、落ちやしないかと心配がるプラチナと、そういう気持ちを感じて喧嘩腰を失いつつあるパール。

 窮に迫ってくれば、ほんのさっきの諍いなど吹っ飛んでしまう辺りが、普段仲良しの二人らしいところである。

 しかし、そんな折にパールのそばに、少し離れたそばからふよふよ近付いてきた存在が、パールとプラチナの勝負に水を差してきた。

 

「~~~~」

 

「あ、あれ?

 あなたって、もしかして……」

 

「……んん?

 あのフワンテ、ひょっとして……」

 

「…………?

 敵意みたいなものは、全く感じられないけど……」

 

 クライミング中で手足が塞がっているパールに、ぷかぷか近付いてきた一匹のフワンテ。

 それを見受けたシロナも、野生のポケモンがパールに近付いてきたかと警戒したが、同時にその行動に害意が無いのも見抜ける辺りがチャンピオンか。

 一方、パールもプラチナも、そのフワンテを見て、どこかで見覚えがあるような気がするのだが。

 

「~~~~」

 

「ま、待って待って、今はちょっと、私あんまり余裕な……ひゃ!?」

「~~~~♪」

「はひっ!? やめっ、ちょっ、こらあっ!?

 あぶない、あぶないからっ、今はやめ……っ……!」

 

 このフワンテ、パールが谷間の発電所で傷を癒してあげた個体である。

 パールには良い感情を抱いているようで、よりにもよってこのタイミングですり寄ってきて、文字通りパールにすりすり。

 そして場所が悪い。自分の頭よりも上の場所にある窪みに手をかけているパール、その腋のそばにすり寄ってくるという致命的一撃。

 要するにくすぐったい。他のどこよりくすぐったい。

 以前パールと再会した時には、すり寄ることをしてこなかったこのフワンテ、もしかするといたずら好きな性格をしているのかもしれない。

 

「待っ、待っ、やめっ、おねがっ……!

 力っ、抜けっ………………はゎぁっ!?」

 

「あらららっ!?

 こんなハプニングある!?」

「パール!?」

 

 力の要る場所でこちょこちょされ、耐えられなくなったパールの指から力が奪われ、彼女は下まで真っ逆さま。

 まだ崖半ばの3メートル弱の場所だったが、そんな場所からでも地面に叩きつけられたら怪我ものだ。パール本人よりもプラチナが一番焦った。

 それを救ってくれたのは、万一パールが足を滑らせても大丈夫なように、真下で待機していたシロナである。

 

 降ってきたパールを両腕でキャッチしたシロナが、両腕と足腰に力を入れて、少し腰を沈めながらもパールをキャッチしてくれたのだ。

 背中から地面に叩きつけられるかと思って、身を縮めぎゅうっと目をつぶっていたパールだが、落ちた場所では痛くなかった。

 あれ? 私なぜか助かった? と思って、恐る恐る目を開けたパールの目の前には、ほっとした顔のシロナの顔がある。

 そうしてパールは初めて、自分がシロナにお姫様抱っこされていることに気付くのだ。

 

「ふうっ……大丈夫?」

 

「し、シロナさん……

 す、すみません、ありがとうございます……」

「ごめんなさいね。

 咄嗟だったから、受け止めることしか出来なかったけど……」

 

「はあぁぁ~っ……ぞっとした……」

 

 フワンテは、どうやらまずいことをしてしまったみたいだと気付き、あわあわしながら飛んで去っていってしまった。ばつが悪そうだ。

 しかし今のパールもプラチナも、フワンテに対してどうこう思う心持ちじゃない。

 パールが助かったことに深い安堵の息を吐くプラチナと、シロナの腕の中に抱かれて丸くなるパールの二人に、他のことを考える余裕なんてない。

 

「はっ、はわっ……

 だっ、大丈夫、ですっ……」

「ふふ、よかった。

 自分の脚で立てる?」

 

「……………………何アレ。

 パール、年上のお姉さんに弱すぎなんじゃないの」

 

 上からパールの表情もよく見えるプラチナには、僕の友達は女の子なのに何故ああなんだろうっていう気分にさせられる。

 お姫様抱っこして身を案じてくれるシロナに対する、パールのときめいた目にプラチナも呆れてしまいそうだ。

 そういえばナタネさんにもひどくなついていたなぁと。スモモさんにもメリッサさんにも、連絡先交換して貰って大喜びだったなぁと。

 そして今、シロナさんを見る乙女の眼差しは敬愛以上のものさえ感じるなぁと。これこそ誤解であって欲しいぐらいなのだが。

 前々からそんなケは感じないでもなかったが、パールは年上の女性が好き好き大好きなんだろうか。そう思わずにいられない。

 まあ男性社会でも、頼れる兄貴分に尊敬の一念でべったりの弟分というのは珍しくないものだと、プラチナも知らないわけではないのだけれど。

 

「本当に大丈夫よね?

 痛い所は無い?」

「は、はいっ……!

 大丈夫ですっ! シロナさん、ありがとうございました……!」

 

 地面に足を降ろして立ち、自分と向き合うパールに顔を近付け、心から案じてくれるシロナは優しい。

 尊敬対象にそんな目で見られて、嬉しいような気恥ずかしいような、帽子をぐいっと引っ張ってうつむき、顔を隠して後ずさるパールである。

 それは恋する異性に顔を近付けられた乙女が恥ずかしがる仕草ではないのか。

 なんでシロナさん相手にそのリアクションなんだ、と見下ろすプラチナもふへっと変な笑いが出る。

 尊敬する人なのはわかるけど、なんだかなぁという気分。

 

「でも、パール。

 落ちたからあなたの負けよ?」

「えっ……………………あっ!?」

 

 横槍が入ったとはいえ、パールが崖から落ちてしまった。

 ということで負けである。そうジャッジされてしまった。

 ぶっちゃけ、この勝敗自体はシロナのどんぶり勘定タイムアタックに懸かっていたので、シロナの判定次第でどうとでも。

 ポケッチのストップウォッチ機能を使って厳密に計るという手段もあったのだが、生憎シロナはプラチナの登頂タイムを計ってもいない。

 明らかに片方が遅いか早いかでもない限り、引き分けで収めをつけようと思っていたからである。

 

「まままっ、待って下さいっ!

 今のはノーカンでしょ!? ほら、あれはいくらなんでもっ!」

「でもペース的に、プラチナ君ほど速く登れそうにはなかった」

「そ、それはそうかもっ……しれないですけどっ……!」

 

「まけ~」

「うるさ~~~いっ!!」

 

 本当、シロナ的にはどっちが勝とうがいいのであるが。

 ただし、崖半ばでかなりもたついて手足が止まっていたパールが、プラチナよりも速く登頂できただろうなとは思えないものだったのも事実。

 それを伝えて再チャレンジさせたところで、焦って急いだパールがまた落ちるかもしれない。それはそれで危ないし。

 どんぶり勘定ではあるものの、ジャッジをシロナに委ねた以上、彼女のジャッジにパールは逆らえない。

 判定根拠も客観的に正しくはある。だいたい、落ちたら失格だとは強めに釘を刺したことなので有効と言えば有効だし。

 崖の上から煽ってくるプラチナに言い返すパールだが、もはや負け犬の遠吠え確定である。

 

「だめよ、パール。

 落ちたら負け、そういうルールでしょ?」

「そ、そうですけどっ……!

 でもっ、今のは……!」

「こういうことだってあるわ。

 プラチナ君だって、ちんたらしてたら野生のポケモンに寄ってこられたリスクは等しくあったのよ。

 それともパールは、いつでも起こり得るああいう現象が起こらないまで、何度だって再チャレンジする?」

「あっ、うっ……」

 

「まけ~」

「だまれ~~~~~!!」

 

 フィールドワークにはアクシデントがつきものである。

 野生のポケモンなんてどこにでもいるんだから、それが現れない想定で毎度毎度というのは案外狭い条件である。

 プラチナの登上過程でそれが無かったのは"ただの幸運"。

 パールの登上過程でそれが無かったのは"想定内の出来事"。

 理屈としては正しかったりする。君の負けだぞ~、と煽り倒してくるプラチナの勝ち誇った顔に、パールが釈然としなくてもそれが現実なので。

 こればっかりはしょうがない。運も実力のうちだ。

 

「諦めましょう?

 プラチナ君も、これで勝ったからって無茶な命令はしてこないわよ。

 ね? そうよねプラチナ君?」

 

「まあ、こういう形の勝ちですもんね。

 めちゃくちゃなことは要求しないようにします」

 

「んあぁ~~~~~! 納得いかないぃ~~~!!

 プラッチにお情けかけられてるようなことも含めてぇ~~~!!」

 

 代わりに、賭け事めいていたパールとプラチナの間の取り決めも、加減されることになるだろう。

 ここに納得してくれるぐらいには、クリーンな勝利であったとはプラチナもわかってくれているようで。

 パールは敗北してしまったが、そんな痛い目に遭うようなことは無さそうだ。それは彼女も安心していい。

 

 しかし、勝ち負けという点で納得いき難いのは哀しいところ。

 世の中、こんなこともあるのである。パールはこうして、世の理不尽というものをささやかにながら感じ、学んでいくのであった。



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第60話   カンナギタウン

 

 210番道路を程なく通過し、カンナギタウンに到着したパール達。

 ソノオタウンやズイタウン、あるいはパールの故郷であるフタバタウン同じように、ここカンナギも静かで小さな町だ。

 山間の大きな盆地を中心に拓かれたこの町は、山林と傾斜に周囲を囲まれるように佇み、どこにいようと耳を澄ませば、山の声が聞こえてくると例えられる。

 具体的に語ると情緒を欠くが、林間を抜ける風の音や、それによって揺らめく木々や葉のざあっという音のことを概ね指すと思えばいい。

 山林の真ん中に拓かれた町であるゆえ、山々を駆け抜ける風の集う場所として、一際それがよく人肌に届く場所として相成っているのだ。

 ある程度標高が高いせいもあのだろう。また、それゆえにシンオウ最北のキッサキシティに次ぎ、寒くなるのが早い町でもある。

 今日この頃はそこまででもないが、秋半ばにしてパールもプラチナも、ちょっと肌寒さを感じているぐらい。

 

「プラッチぃ~……覚えてろぉ~……」

「覚えとくのはパールの方でしょ。

 絶対忘れないでよ、忘れた頃に今日のこと引っ張り出すかもだよ」

「うぐぐ……私、何をさせられるんだろう……

 プラッチはすけべだし、保留にされると恐怖しかない」

「誰がすけべだよっ。

 次それ言ったら命令がきつくなるからね、覚えておきなよ」

「あい。

 敗者には何も言い返す資格がないのです」

「そういうとこは潔いんだね」

 

 さて、パールとプラチナだが、静謐で趣あるカンナギタウンの情緒を味わうにはまだ少し若い。

 特に今日の二人は、そんなことより大事なことで頭いっぱい。

 崖登り勝負ではプラチナが勝利し、パールはプラチナの言うことを何でも一つ聞かなきゃいけなくなったのだが、プラチナがその話を保留にしてきたのだ。

 今、特に何かして欲しいことが思い付かないらしい。また今度に取っておく、と。なんかそれってずるい気もするのだが。

 そんなわけで、いったいどんなことをある日突然要求されるのかと、パールは今後に懸念を抱えて過ごすことを余儀なくされたのであった。

 

 まあ、プラッチのことだからそこまで意地悪な命令はしてこないだろう、とはパールも信頼しているので、そこまで悲観的にはなっていないのだが。

 反則じみた保留を許すのも、二人の間に信頼関係があるからだ。

 保留なんてパールももっとごねるかと思っていたシロナ目線、パールも随分プラチナ君のことを信用しているんだなと察せたものである。

 

「私、ここの生まれなのよ。

 今日は、里帰り」

「えっ、そうなんですか?」

「パール、知らなかったの?

 けっこう普通にシロナさんのプロフィールとか見たら書いてあるよ?」

「あはは、私そういうのあんまり見ないから……」

 

 チャンピオンたえうシロナのファンの間では常識、そうでなくてもプラチナのようにちょっと物覚えのいい子なら知っているような話なのだが。

 本当にこうしてジム巡りの旅に出る前は、ポケモンバトルという文化の豆知識に疎かったことを垣間見せるパールである。

 それでもここまで、バッジ5つを集められた彼女の結実を見るに、ポケモンバトルに重要なのはそういう知識ではないということの証左かもしれない。

 確かに現チャンピオンの出身地なんて知っていようがいまいが、バトルの腕には関係あるまい。大事なことは全て、旅立った後から学んできたパールである。

 

「今日は久しぶりに実家で寝るけど、あなた達も来る?

 たまにはポケモンセンター以外のお布団で寝たくない?」

「ええっ、そんなの悪いですよ。

 シロナさん、せっかくの実家帰りなんでしょ?」

 

「あ、パールが遠慮してる。僕にもわかる。

 ほんとは行きたいオーラが凄い」

「うるさいぞプラッチ~!

 余計なことを言うでなし~!」

「あはははは、いいのよいいのよ。

 せっかく一緒に旅してるのに、今日は別の所で寝ましょうなんて水臭いじゃない。

 来て来て二人とも、一緒にご飯食べて一緒に寝ましょ?」

 

 年長者の里帰りを邪魔するなんて、と遠慮全開のパールだが、そわそわ靴先で地面をかいている姿から、プラチナには一目瞭然。

 シロナさんの実家ってどんな所だろう、行ってみたいなぁ、シロナさんと夜もいっぱいお話できたら楽しそうだなぁ――と、絶対そんなこと考えてる。

 我慢してるのにそれを暴いてくるプラチナに、パールはふしゃ~っと吠えて抗うが、子供はもっと素直でいい。パールはちょっと行儀が良過ぎ。

 

「シロナさん、キャッチして下さい」

「さあ来いっ」

「えっ」

 

「よいしょ」

「はわっ!?」

 

 プラチナとシロナが最短の会話で意志疎通。

 何かと思ったパールの背中を、プラチナが突き飛ばし気味に押してシロナの方へよろめかせる。

 彼の意図を理解していたシロナは、わたわたっとしていたパールに歩み寄って、真正面からぎゅむっと両腕で抱き止めるように捕まえた。

 たった一日のうちに打ち解けて、なんとシロナもプラチナもわかり合っているものであろうか。シロナがそれだけ話しやすいお姉さんということか。

 

「あぷぷ……

 ご、ごめんなさいシロナさん、プラッチが……」

「パールぅ?」

「は、はう?」

 

 シロナの胸に顔をうずめる形になったパールは、自分の足で立って顎を上げ、シロナの顔を間近に見上げる形に。

 自分を抱いて離さないシロナが、至近距離でいたずらっぽい笑顔を浮かべる目前光景には、一旦言葉を失うパールである。

 それに際し、シロナがパールの頭を優しく撫でてあげると、あっという間にパールが弱くなるのを何となくシロナもわかっているようで。

 

「一緒にお泊まり、しましょ?

 あなたがどんな風に旅してきたか、私、たくさん聞かせて欲しいな?」

「は、はい……

 よろしくおねがいします」

 

 どうにもパールは、尊敬する人に強く迫られると弱い。

 元々ナタネにも、スモモにも、メリッサにも、敬意を抱けばわかりやすい程で、一番惚れているナタネさんへのなつきっぷりは随一。

 そして他の女性陣に比べても、押しの強いシロナがぐいっと迫れば、パールは遠慮や気遣いなど削ぎ落とされ、されるがままに従うのみ。

 そんな子だとわかっているプラチナのアシストもあって、シロナはあっさりパールを丸め込むに至ったのであった。

 

 しかし、言質を受け取りにっこり笑ったシロナの腕から解放され、よろよろ後ずさって顔を赤くするパールの姿は如何なものか。

 本当、一度心から尊敬した相手には、何をされても言われても従順なほど弱々なんだなぁ、とプラチナも再度痛感するばかり。

 そもそも『よろしくお願いします』と言うのもなんだかヘン。『お世話になります』ならまだしも。頭が回っていなかった証拠。

 なんだか間違えて悪い奴を尊敬してしまったが最後、ころっとダマされてしまうタイプにも見えてきて、今後もプラチナはパールから目を離せなくなりそうだ。

 

 同い年に母親のような心配をされているパール、彼女が頼りないのかプラチナが心配性すぎるのか、どちらゆえなのかは一概に語れないところである。

 恐らく、両方なので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後パール達は、シロナの実家に一度赴き、シロナのお爺ちゃんとお婆ちゃんのご挨拶。

 今晩はお世話になります、と礼儀正しく挨拶する二人を、シロナの家族も快く受け入れてくれた。

 ひとまず今夜、二人がシロナの実家にお泊まりすることはこれで確定だ。

 

 ただ、暗くなる前にとシロナのお婆ちゃんが、シロナに頼んだことが一つある。

 カンナギタウンには、古くから在る遺跡があり、それはこの町にとって非常に重要なものとされている。

 その遺跡の入り口に陣取っている、気持ちの悪い恰好をした男がいるから、そいつを追い払って欲しいという頼みである。

 ちなみにお婆ちゃん、"気持ち悪い恰好"とはっきり言った。容赦ない物言いである。

 

 カンナギタウンはハクタイシティとは少し異なる意味で、"昔を伝える町"と呼ばれている。

 ハクタイシティは神話をまず中心に置き、それに携わってきたシンオウ地方の人々の歩んできた歴史や暮らしを、追想するかの形で今に伝える町。

 カンナギタウンはそうではなく、古くからあるものをなるべく残し、古来よりの地に残るものを重んじ、あるがままを現代に残そうとする形で歴史を語る。

 周囲の山林に全く手を加えられておらず、盆地を中心に山間の起伏の多い町の形を、ご老体も多い中で全く均さないのもその意図ゆえ。

 ホテルの一つも無く、それらしい宿に泊まろうとするならば、民宿めいた旅館に泊まるのがこの町だ。

 カンナギタウンを訪れる外来者は一様に、ここは今時にして古風だなと口にすることが殆どである。

 

 そんなカンナギタウンにとって、古くから人の手を決して加えてこなかった遺跡の価値は、只ならぬほど大きいものとさえ言えるだろう。

 そんな町の宝である遺跡の前に、不審者が陣取っているという情報自体の由々しさは、あまり冗談では済ませたくないものだ。

 

「気持ち悪い恰好、ってどんなんでしょうね?」

「身なりが汚いとかだったら、うちのお婆ちゃんなら"だらしない"って言いそうだけどねぇ。

 よっぽどこう、変人な恰好してるんじゃない?」

 

「ヘンなメイクしてるとか?」

「奇抜な色の服装してるとか?」

「あなた達の想像力、楽しいわ」

 

 シロナのお婆ちゃんは、カンナギタウンの長老と呼ばれる人物で、それなりにこの町のためになる判断を重んじる人だ。

 そういう人が、あいつを何とかしてくれ、と明言してくる時点で、問題ありということなのだろう。

 その気になれば、という力があるシロナに排除を頼むということは、単に恰好が変なだけじゃなく、そいつはお行儀も悪いということである。

 でなければ、長老と呼ばれる人物が、あれをどうこうしてくれと頼むこともあるまい。

 お婆ちゃんだって本来、無用な波風は望むべくもないはずなのだから。

 

 そんな頼みごとをされたシロナも、これは軽く見ていい問題じゃなさそうだな、と思うのだが、連れの二人のおかげでちょっと和む。

 自由な発想力で不審者を想像してくれるパールとプラチナの言葉を、そのまま想像すると、ちょっとくすっと笑えてくる。

 変なメイクして奇抜な服装の変人か。そりゃあ確かにド変人。

 

「……あっ?

 もしかして、あれがそうでしょうか……?」

「うっ……!

 私あの恰好してる人すっごく嫌い……!」

 

 さて、そうして町の真ん中の遺跡入り口の方まで来たパール達なのだが。

 その遺跡の入り口に立っている男の姿を見て、プラチナが眉間に皺を寄せ、パールに至っては後ずさるほど嫌悪感を顔に出している。

 この辺りは、感情が表に出やすいかどうかの違い。シロナから見れば、プラチナも同じぐらい嫌なものを見た態度だと察して余る。

 

「そんなに?」

「ギンガ団だと思います……!

 ハクタイシティにいた人達と同じ髪型ですもん……!」

 

 ギンガ団の服装自体は、トバリシティで公共事業に携わる、悪事と無縁とされる本家ギンガ団も同様だ。

 谷間の発電所やギンガハクタイビルにて、悪事に手を染めていた自称ギンガ団らに加わる特徴は、みな一様の髪型とその色。

 それが、あの不審者と一致する。パールにはもう、悪人にしか見えない模様。

 

 シロナもニュースや新聞で、件の悪党についての容姿は一度見ているが、いま見てピンとくるかどうかは別問題。

 二十年以上生きて色んなトレーナーを見ていると、色んなファッションの方々を見てきているので。

 各地のジムリーダー、四天王、コーディネーターを例にとっても、皆様それなりに個性的だもの。シンオウ四天王の一人だって、赤毛の丁寧なアフロ頭。

 ギンガ団下っ端の出で立ちが、一度見れば忘れないほどの奇抜な恰好かと言えば、案外そこまででもなかったりする。

 

「……ふぅん」

 

「うえっ?

 し、シロナさん……?」

 

 が、パールの口から悪しきギンガ団の名を聞いて、それを確信すればシロナの目の色が変わる。

 パールとプラチナを後ろに置き去りにして、遺跡の前に陣取っているギンガ団員の方へ歩み寄っていくシロナ。

 彼女の横顔を一瞬見ただけのパールだったが、その瞬間にパールの頭からは、ギンガ団への嫌悪感も一瞬で吹き飛んだ。

 

 シロナさんのぎらっと鋭く光った眼が怖かったからである。

 ひゅんっとプラチナの方を見て、シロナさんどうしちゃったのと無言で冷や汗を流すパールの顔に、概ねプラチナも共感する。

 

「ちょっと、あなた」

「は? 何ですかアナタ」

「こんな所で陣取って、何してるわけ?」

 

「な、なんかすごいよ、シロナさん……

 私いまあの人に近寄りたくない……」

「僕も……なんか怖いね……」

 

 決して強い声でも無いし、どすの利いた低い声を発しているわけでもない。

 それでもシロナから漂う、声をかけた相手に対する敵愾心は、後ろ姿からでもびんびんに伝わってくる。

 しかし、優しいシロナさんにしか触れていないパールとプラチナでさえそうなのに、それを真っ向からぶつけられるギンガ団員はそう感じていなさそう。鈍い。

 

「遺跡を調べているところデース!

 邪魔しないでくだサーイ!」

「へぇ、それはそれは精が出るじゃない。

 で、何か発見はあった?」

「なんにもありまセーン!

 名高い遺跡と聞いてわざわざここまで来たのに、何の発見も無くてイライラしてるぐらいデース!」

「あらあら……それはご愁傷様。

 すぐに発見を得られないからってイライラするぐらいじゃ、あなた考古学には向いていなさそうね」

 

 ちょっと嘲笑気味に笑ってそう仰るシロナの声が、パールとプラチナには何だかぞわぞわくる。不機嫌オーラがえぐい。

 自分が何か言われてるわけでもないのに、パールもプラチナも蛇に睨まれた蛙のようにびびっている。

 

「なんですかアナタ! 何様ですか!

 私はイライラしているのですよ!」

「奇遇ね、私もまあまあイライラしてるのよ。

 私、ここカンナギタウンの出身なんだけど、町にとって大事な遺跡の前に変な人が居座っててさ。

 イライラしてるあなたが妙なこと起こさないか、町の人も私も気が気じゃないのよ」

「妙なことなんてしまセーン!

 どうせ何ひとつ発見の無い遺跡なら、ギンガ爆弾でドカーンとやっちゃいたいと思ってるだけ……」

 

「は?」

 

「……………………で、別にホントにやろうとは思ってませーん」

 

「ひえっ……」

「パール、わかる、わかるよ……

 僕も今すっごいびびってるから……」

 

 人間、たった一文字の発言であんなに恐ろしいオーラを放てるものだろうか。

 パールはシロナの背中しか見えないシチュエーションで幸いだったというところだ。

 あれだけ覇気に鈍感だったギンガ団員の男性が、びびってシロナから目を逸らしたぐらいである。今のシロナはどんな目をしているだろう。

 恐らくパールがそれを自分に向けられていたら、恐怖で腰を抜かしていたのではなかろうか。それだけの眼をしている。

 怯えてプラチナに身を寄せるパールの背中を、プラチナがさすさすして気遣っている。

 

「ねえ、悪いんだけど余所行ってくれない?

 迷惑なんだけど」

「そ、そんなことあなたに言われる筋合いは……」

「さっき言ったこと、もう一回言わなきゃ駄目なの?」

「…………え~~~…………あ~~~……」

「余所行ってくれない?

 二回言ったわよ。三回目は言わせないで欲しいんだけど」

 

 殆ど恫喝と化しているが、ぎりぎり仰ることは筋が通っている。

 去って欲しい理由はさっきもう言ったはず。それでも知るかと言われるなら次の話に移るだけ。

 まあ、次の話に移ってくれそうな顔をしていないシロナだが。

 

「し、仕方ありまセーン! ここは私が妥協しマース!

 そこまで仰られるなら折れるのも私が大人だからデース!」

「悪かったわね、子供で」

「それでは、さよーならー!」

 

 びびって退散するなりの捨て台詞を吐いて、ギンガ団員は一目散に逃げていった。

 走る足の速さから見て、相当びびったことは見て取れる。

 パールやプラチナから見れば尚更にわかる。この位置からでも怖かったもの。

 そして、二人に振り返るに際し、表情が元に戻りきっていないシロナだったから、思わずプラチナでさえびくっと肩が跳ねた。こわい。

 一瞬見えた無表情でも、ぞっとするほど怖い。

 

「あ……あははははは、ごめんね、二人とも。

 我慢できなくてイラッとしちゃってたから……」

 

「あい」

「はい」

 

「ぱ、パール~?

 大丈夫よ~、いつもの私よ~? 怯えないで~?」

 

 駄目です、そんな風に誤魔化そうとしたってどうにもなりません。

 両手と胸を開いて、よければこっちに来てと訴えるシロナだが、プラチナにぎゅっと身を寄せたままのパールは動かない。

 女の子に身を寄せられるプラチナは役得だろうか。そうでもない。怖くて未だに余裕がないので。

 普段にこにこしていた人の豹変ぶりは、それだけ衝撃的なものを二人に深く刻み付けるほど鮮烈だったようで。

 

「シロナさん、元ヤンキー説」

「だから強くてチャンピオンなんだね。

 今シロナさんの強さの秘訣がわかった気がする」

「誰がヤンキーかっ!

 聞こえてるわよ、二人とも!」

「ひゃ~! 怖いシロナさんモードだっ!」

「遺跡に逃げ込めっ!」

 

 しかし、わざと聞こえる声でひそひそ話の素振りを見せ、シロナをいじる二人の切り替えも早い。妙な息の合わせ方とも。

 抗議するシロナから逃げるように、誘われた遺跡の中へ。

 話のわかってくれる二人である。シロナも、いい子達と親しくなれたんだなぁと、内心ほっこり嬉しく感じる所存だ。

 

 

 

 

 

 カンナギタウンの遺跡は洞穴めいており、中に明かりも通さない自然体のまま残されているため、手ぶらで来ると真っ暗である。

 ライトを持ち込んでもいいのだが、ポケモントレーナーならフラッシュを使いましょう。

 プラチナはケーシィに、シロナは今回もどのポケモンに使わせているのかわからないが、二人ともボールの中のポケモンにフラッシュを使って貰っている。

 そしてパールも今回は、先日プラチナに教えて貰ったフラッシュの使い時。

 パッチがボール越しに光を発してくれて、三人分の光で真っ暗なはずの洞窟も道行き明るし。

 

「へぇ~……なんか、人が棲んでた形跡あるんですね」

「雨ざらしにもなっていないから、けっこう旧いままの形でそのまま残ってるの。

 これだけ太古の生活感を残した遺跡って、現代じゃなかなか珍しいのよ?」

「これもしかして、昔の人がテーブルみたいに使ってたのかな?」

「恐らくね。

 そばの段差も、腰かけるにはちょうど適した形じゃない?」

 

 腰掛けに丁度いいような、盛った土の塊が長椅子のように佇み、その前に低くも平たい台のような形のものがあるのは、まるでテーブルと椅子のよう。

 壁面に、意図的に作ったんじゃないかと思われるような出っ張りがあるのは、彫像品や装飾品でも飾っていた名残なのだろうか。

 蟻塚のように高く盛られた土の塊は何の目的でそこに作られたか不明だが、昔はてっぺんに穴が開いていて、松明の差し所だったのではという説が有力。

 当時の人々の暮らしは想像で補うしかないが、容易に想像させてくれるのも、こうして形良く残った遺跡がもたらしてくれる楽しみだ。

 

 風雨に晒される野外の遺跡と比較すれば、こうした閉じた空間の遺跡は、かつての面影をやや残しやすい。

 もちろん経年に伴う風化は進んでおり、五十年後、百年後にはまた、いま現存する太古の名残も失われているだろう。

 パール達も200年早く生まれていれば、今よりもっと鮮明に過去を刻む遺跡を見られたし、逆に200年後に生まれるよりはよりよい眺めとも。

 それもまた、古くからカンナギタウンがこの遺跡を保存しようと努めてきた、今後もそうであろうからこそ語れる仮想の話。

 

 過去より連綿と現代まで続く人の歴史と文化を識るにあたり、遺跡というものの存在は極めて貴重である。

 誰しもにわかってもらえる価値とは限らないが、多くの人々が神秘性と歴史的意義を感じるものには違いない。

 先のギンガ団員は爆破を仄めかしていたが、切にとんでもないことだ。

 誰かにとって並々ならず大切であるはずのものを、軽はずみにぶち壊しにしてしまおうと思うような、想像力に欠き過ぎる大人にはならないようにしよう。

 

「けっこうがちがちに固められてるんだなぁ……

 シンオウ地方ってそこそこ地震も多いのに、そのたび崩れ落ちずにこうして残ってるんだ」

「現代の建物なんかは、多くの建築士さんの設計で、耐震性の優れたものが沢山作られてるわよね。

 昔の人は現代のような、発展した算術や計量に基づく設計技術は無かったはず。

 それで、こうして現代まで残るようなものをこうして造っていること自体、凄いことだと思わない?」

「んむむむ……言われてみると、確かに……

 見てるだけでもへぇ~って思えるとこ沢山あるけど、ここにこうして残ってるだけでもそういうとこ見えるんですね……」

 

 壁面に触れてみるパールに、シロナは遺跡や歴史を好む学者らしい言葉で解説を添えてくれる。

 しみじみ聞いて新たな考察を得るパールに対し、語るシロナも楽しそう。

 それを見て、プラチナが微笑ましく感じるぐらいである。

 プラチナも学者の卵だ。気持ちはすごくよくわかる。彼とて自分なりに気付いたポケモンに対する知識は、人に沢山話せたらきっと楽しい。

 奥ゆかしい彼なので普段は控えているが、好きなだけポケモンについて語れる機会があったら、一晩中だって語れそうな子には違いない。

 

「一番奥には、この遺跡の一番の名物とも呼べる壁画があるのよ。

 行ってみたくない?」

「行く行く!」

「すごい興味あります」

「ふふっ、じゃあ、レッツゴー♪」

 

 シロナも昔からよく触れてきて愛着のあるカンナギの遺跡だ。

 パールとプラチナが興味を持ってくれると、まるで可愛い兄弟に好意を示して貰えたかのように嬉しい。

 先導するシロナは、背を向けた二人に見えない角度で、上機嫌な笑顔を絶やすことが出来ずにいた。

 

 進む中でも、太古ここにいた人々の生活感をほのかに感じる情景がいくつもあり、それを眺めながら歩いていく。

 階段もある。果たして人類が、階段という原始的かつ現代でも有用な造形を初めて開発したのって、果たして何千年前なんだろう? 何万年前なんだろう?

 そんなことさえ、ふと疑問に感じれば面白い。シロナがそれを話し、過去を想う楽しみを二人に教えてくれたりなんかしつつ。

 そう広くないこの遺跡の最奥に辿り着くまで、そう時間はかからなかった。

 

「……あら?」

 

 そろそろ着くわよ、という言葉を用意していたシロナだが、間もなく目的の最奥だという所、行く先に人がいることに気付く。

 ライトのようなもので壁画を照らし、じっとそれを見つめている後ろ姿に、パールとプラチナも気付いたようだ。

 ほんの一瞬だけ三人とも、気付きによって足が止まったが、先客かなという軽い気持ちでその人物に近付く歩みを再開する。

 

 しかし、その後ろ姿、どこかで見覚えがあるような。

 シロナにとっては古くからの知り合い。そしてパール達にとっても、比較的最近出会ったばかりながら見知り合い。

 誰なのかわかったのはシロナが一番早かったのだが、近付いてから声をかけようとした彼女なので、まだ声を発して呼びかけることはしない。

 

「あれ……?

 アカギさん、ですか?」

 

 シロナが足を止め、少し驚いた顔でパールに振り向く。

 え?知り合い? という顔と心情である。

 そして名を呼ばれた人物もまた、既に足音から気付いていた者達に、壁画に背を向けて振り返る。

 

「……パール、だったかな。

 それに、シロナと、プラッチ君か」

 

 まずは自分の名を呼んだ少女の名を。

 続いて、旧知のシロナの名を。

 そして、間違えて覚えたプラチナの名を。

 かゆくなるプラッチ君である。そういえばちゃんと名乗っていなかったなぁと。

 

 女の子のパールに"君"付けをしないアカギで、"ちゃん"をつける語り口でもないゆえ、アカギがパールだけ呼び捨てにしたかのような一幕となった。

 シロナ目線では、二人が知り合いだったことに加え、その事実にもまた驚きを隠せない。

 そんな形で迎えた、誰しも予想だにしなかった、パールとアカギの邂逅だった。



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第61話   パールとアカギ

 

「あなた達、知り合いなの?」

 

「前にテンガン山を抜ける時に、初めて会ったばかりですけど……」

「顔を合わせるのは今日で二度目だ」

「へぇ、珍しい。

 あなたが、覚えてるんだ……」

 

 アカギと旧知の関係にあるシロナは、彼がパール達と知り合いであるという事実に、意外や意外という顔である。

 加えて、今日で二度目という言葉を聞けば、口元に手を持っていくほどびっくりした様子。

 そんなに? と思われるかもしれないが、そんなに、である。

 

「シロナさんのリアクションが気になる」

 

「なんて言うかアカギって、ほんと他人に興味を持たないタイプでね。

 あたし、アカギに名前覚えられるまでに5回ぐらい自己紹介した記憶あるわ」

「余計なことは言わなくていいぞ」

「当時あたし既にチャンピオンよ?

 別にかさに着るつもりないけど、初対面、二回目、三回目と、誰だお前って言われたのはけっこう衝撃的だったわ」

 

「チャンピオンの顔も名前も覚えないって、なんか凄いですね」

「アカギさん、大物だっ!」

「興味が無い相手の名前や顔はどうしても覚えられんタチでな。

 シロナのことは、考古学の造詣という点で共通点を感じられた時に覚えた」

 

「あなたさ、綺麗な大人の女性を見て顔や名前を覚えるとか、そういうのって無いの?」

「お前はそうではないからな」

「ひどいわ。きらい」

 

 むっすーとして見せるシロナ、冗談交じりでいらっしゃるものの、結構お綺麗な女性であるはずなのだが。

 アカギにはそう評価されていないらしい。タイプじゃないのかも。

 シロナもアカギも、パール目線ではどちらも大人っぽくて素敵な人だと見えるし、仮に男女の関係であってもお似合いだなぁと感じるぐらいなのに。

 

「え、でも私達、アカギさんに覚えられてる?」

「そうよ、だからびっくりしてるの。

 あなた達、アカギから見ればチャンピオンより興味深い二人みたい。

 まだバッジ集めきってもいないのに既にあたしに勝つとは。やるなおぬしら」

「そういう勝ち負けってあるんです?」

 

「そんなにアカギ、この子達のこと興味あるの?

 覚えてる時点でかなり強い興味持ってるでしょ」

「まあまあ、な。

 特にパール、君はなかなか興味深い。

 どうも、何故か他人のような気がしないのだ」

「えっ? えっ?

 私いまコクられてる?」

「またうちの子がバカなこと言いだした」

「プラッチだまらっしゃい」

 

 100パーセント冗談でそんなこと言ってるパールなのは確かだが、抽象的ながら特別視を強く示唆する言葉に、少々戸惑い気味でもある。

 真意がよくわからない発言だ。シロナも興味深げに首をかしげる。

 

「あなたにしては珍しい表現ね。

 感情論は極力避けて、理知を以って理解するのが好みでしょ?」

「感情的と直感的は別物だがな。

 まあ、確かに私にしては珍しい感覚ではある。

 君の何が私のこう感じさせるのか、未だ結論も出ていない。

 それも含めて、興味深くもある」

「わわわ、近いです近いです」

 

 パールに歩み寄り自分の顎をつまみながら、彼女と目線を同じ高さに顔を下げて近付けてくるアカギだ。

 じっと観察する眼差しでしかないが、パールも思わず一歩下がってどぎまぎする。

 こういう興味の持たれ方はされたことが無い。する側も珍しそうだが。他ならぬアカギ自身も、こんな感覚は珍しいと公言するぐらいである。

 

「君もだ。

 正直、パールに対するような不思議な感覚を君に覚えることは無いのだが……

 一目見ただけで、君とパールは隣り合うピースのように噛み合うほどの相性の良さを感じさせる。

 君に興味を抱いたのは、それが最たる理由だな」

 

「あ、相性ですか……?

 それはなんかこう、嬉しいですけど……」

「あははっ、なんか嬉しいね、プラッチ!

 私達、ラブラブだもんね!」

「あらあら、あなた達もしかしてもうそういう関係?」

「あ、それは違いますけど。

 親友なんです。友達じゃなくってその上。

 だよねプラッチ。そう言って?」

「ん……そう、だね、うん。

 大事な親友だよ、パールは。友達以上のね」

「やったー! 勇気出して聞いてみてよかった!

 ちょっとどきどきした!」

 

 どうやらアカギがプラチナに興味を抱いたのは、パール個人に対する強い興味に付随する形で、彼女と不思議な好相性を感じさせるという点に依るらしい。

 忌憚ない言い方をしてしまうと、パールのおまけみたいな覚え方とも。プラチナ単体と出会ったとしても興味は持っていなかったととれる。

 

 それはそれとして、プラチナとしては複雑なところであったりも。

 パールと相性がいいと評されるのはなんだか嬉しいし、それをきっかけにパールに親友認定されているのを改めて聞けるのも嬉しい。

 それより上ならもっと嬉しいのだけど、この際贅沢は言わない気分。

 そういう関係じゃないですよ、と言ったパールの態度に、照れ一つ無かったのは少し寂しく感じるところでもあるが。

 一方で、親友だよって言ってあげれば、本当に嬉しそうに笑ってくれるパールの姿を見られたので、これはこれで嬉しいところ。

 好きな子が、自分が好意を伝えたことで喜んでくれるというのは、ただそれだけで胸が満たされるものだ。

 

「ねえアカギ、あなたここに来るのは初めてじゃないわよね?

 一度見たものをもう一度見に来るって、それもあなたにしては珍しくない?」

「確かに、そう多いことではないな。

 ただ、少し気になることがあって、もう一度この壁画を見に来た」

「なにか新しい発見はあったの?」

「いや、元々あった仮説を再認識するに留まった程度だ。

 無駄足だったかもしれんな」

「でも、あなた楽しそうよね」

「そう見えるか?

 まあ、悪くないものを見られたとは思っているがな」

 

 アカギはずっと無表情である。声にも抑揚は無い。

 それを見て楽しそうだと言えるシロナにだけ、付き合いがあったがゆえに見えているものがあるのだろう。

 

「この壁画、どういう意味なんですか?

 なんだか、三角形の真ん中に点がある感じですけど」

「あっ、ほらアカギ、パールが興味を持ってくれてるわよ?

 解説してあげなさいよ」

「ふむ……

 まあ、拙い説明でよければ説いてやっても構わんが」

「プラッチ! アカギさんの壁画講座だよ!

 正座して聞こ!」

「座る気配が無い」

 

 アカギの背後には、この遺跡の最奥であるここに刻まれた、大きな壁画のようなものがある。

 それがどういうものなのか解説してくれるというアカギに、パールは肩ごとぴょこぴょこ揺らして大はしゃぎ。

 とりたて勉強好きでもないパールだが、尊敬してくれる人が何か教えてくれるというだけで、ちょっと気分が浮つくらしい。

 ひとえにその解説内容に興味津々のプラチナとは、また違う感情である。

 

 一方シロナは、こうしたアカギの態度にも驚きを禁じ得なかった。

 解説してあげなさいよ、なんて冗談のつもりだったのだ。

 普段の彼なら、面倒だ、お前が話してやればいいとでも言う想定だった。

 それに対して、もうちょっと愛想よくしてあげなさいよ、なんて軽いやりとりを挟んで、解説役は自分が受け持つというところまで考えていたシロナである。

 アカギが快諾した時点で、シロナからすればそれ自体が想定外すぎる。

 

 先の言葉に偽り無く、どうやらアカギは相当に特別視している。

 いったい何が彼をそこまでさせるのか、シロナの一番の興味はもはやそれに移りつつあるほどだった。

 

 

 

「君達は、ハクタイシティに祀られている神の像を見たことはあるか?」

 

「はい、"パルキア"の像ですよね?

 空間を司る神様だって聞いてます」

「プラッチ詳しいね」

「いや、これでも学者志望だから……

 これぐらいは知ってるよ、シンオウ地方で学者を目指す人なら」

 

「空間とは、この世界すべてのことを指す。

 空間を司る存在とは言わずもがな、途轍もない力を持つ存在だ。

 例えるなら、ここに扉を作り、別の場所へとあっという間に移動するような、絵空事のようなことも叶えられるということだ」

「な、なんか凄いですね……

 もし私にそんな力があったら、行きたい所に好きな時にワープし放題、的な?」

「そういうことだ。

 もっと壮大なことを叶えることも出来るだろうな」

 

 学者志望のプラチナは色々知っていそうなので、アカギの語り口は一般的な知識しか持っていない子供、パール向けの説明を添えている。

 こういう所も、妙にアカギはパールに優しいな、とシロナが感じる姿である。

 

「一方で、この遺跡の入り口にあった壁画は見たか?」

 

「はい。

 パルキアと対になるかのような古文が刻まれていましたよね」

「え? そんなのあったんだ。

 っていうか、プラッチ見てたんだ?」

「見てたっていうか、元々知ってたからね。

 それで、入る前にちらっと見てただけ」

「よく勉強しているな。

 学者志望というだけのことはある」

 

 カンナギ遺跡の入り口両脇には、壁画とそれに添えた文が彫られている。

 この遺跡にはそういうものがあるのだとは、普段色々なことを勉強する中でプラチナも既に知っていたようで。

 シロナとじゃれ合いながら遺跡の中へとなだれ込んだ二人なので、パールはそこまで見ていなかったが、プラチナはちゃっかり見てきている。

 実際に見るのは初めてなので。帰りにでもじっくり見る気満々。

 

「片側に刻まれた文言、"空間とはすべての広がり、そして、心も空間"。

 これが、パルキアのことを示しているのは間違い無いだろう。

 もう一方は、なんと刻んであった?」

「"時間とは止まらないもの、過去、未来、そして今"……でしたっけ。

 そして、そこには誰も見たこともないようなポケモンの姿もまた刻まれている」

「シンオウ神話において、神と崇められる唯一神と思われていたパルキア。

 それと同列に語られる存在があったかのように、ここカンナギ遺跡入り口の壁画は、パルキアと対を為した存在を示唆している。

 神話を通じて現代に伝わる神とはまた別に、もう一つ、神と呼ぶに値する存在があったのでは、というのが、カンナギ遺跡の壁画から得られる有力説だ」

 

「神様って、二人もいたりするものなんですか……?」

「決して珍しいことではない。

 異なる地方では、神と崇められる存在が2つに限らず3つ以上であることもある。

 信仰の対象は、同じ地方であってすら、場所によっては異なることさえあるほどだ」

「んむむむ……パルキアだけじゃなく、もう一人神様が……?」

 

「パルキアの壁画には"空間"にまつわる文言が添えられていることに対し、もう片方の壁画には"時間"にまつわる文言が添えられている。

 ここから推察するならば、パルキアに並び立つ神が実在するなら、それは"時間"を司る神であったのではないか、と推測される。

 果たしてその名さえ現代にははっきりと伝わっていないが、数々の古書を読み解く限りでは、候補に挙がるものも実在する。

 この辺りはシロナ、お前が詳しかったな?」

「ええ、"ディアルガ"と呼ばれる存在であることが、私の中では最有力説。

 カンナギタウンに古くからある書物にしか確かめられない名で、しばしばパルキアについて語る書物にこそその名を現す。

 どうやら余所の町の古書にもその名が出ないことから鑑みるに、パルキアほど高名ではなく、あるいは古代の人々も多くを知り得なかった神なのかもね」

 

 シンオウ地方の考古学に携わる人々の間では、これが現在、未解決かつ最も多くの人々の興味を惹く命題だ。

 シンオウ全体の神話に名を残すパルキアについても謎は多いが、限られた数少ない資料にて、まるでパルキアと対等に語られる存在、ディアルガ。

 

 神と呼ばれた存在は二人いたのか?

 だとすれば、どうしてディアルガに対する情報はかくも少ないのか?

 神と神が争い、勝利したのがパルキアで、ディアルガは歴史の深き場所に葬られるか、忘れ去られていくかでもしたのだろうか?

 それとも対等な存在であったという説が誤りで、パルキアとは同列ではない存在でしかない、例えば眷属などでしかない存在に過ぎなかったのだろうか?

 だとして、カンナギの遺跡の入り口壁画に、対等を示唆するように並べて刻まれるのだろうか?

 

 パルキア自体すら謎が未だ多く、どういった存在だったのか本質は解き明かされていないというのに、ディアルガという名も加わればそこは謎の宝庫。

 並々ならぬ好奇心ゆえに学者となった者達にとって、何としても自分が生きているうちに、その真実を解き明かしたくなるほどのものがそこにある。

 神話、歴史、そこにあった真実。知ることそのものが究極の実利たる学者達にとって、謎深きこの命題は底知れぬほどの浪漫であろう。

 

「さて、神と呼ばれる存在が単一ではないというのは、この遺跡の入り口の壁画が語る有力説だ。

 その一方で、この壁画を見てみるといい」

 

 カンナギ遺跡の最奥に刻まれたこの壁画を、目線で指してパールとプラチナの視線を促すアカギ。

 妖精のようなものを描いたものが三角形に位置し、その中心に光るものを一つ描いたような壁画である。

 これが何を意味するのかもまた、現代の学者達にも解明されていない、大きな謎の一つである。

 

「シロナ。

 これについては、お前の方が詳しかったな」

「ええ。カンナギタウンには、古くから伝わる昔話がある。

 "そこには神がいた。

  それは強大な力を持っていた。

  その力と対になるように3匹のポケモンがいた。

  そうすることで、鼎の如く均衡を保っていた"

 それを象徴するのが、この壁画なんだとあたしは思ってるわ」

 

「えぇと……

 この3つが、その3匹のポケモンで、真ん中にいるのが神様、みたいな?」

「そう思ってるんだけどね。学説としてはあまり支持されないのよ。

 確かに私も、矛盾を孕んでいるのかもとは感じてる」

「どうしてですか?

 けっこう説得力あると思うんですけど」

 

 三匹のポケモンが神を中心とした図に描かれ、さながら唯一神を囲う壁画だというのが、シロナの掲げる仮説である。

 プラチナも、今の話を聞く限り、そうと思えるという想いなのだろう。

 だが、神話から解き明かさんとする史実や歴史とは、なかなか一筋縄では"真実"に辿り着けないものだ。

 考古学の徒であるシロナもアカギも、それをよくわかっている。

 

「この3匹のポケモンが囲う存在は、壁画が語る限り一つしかない。

 一方で、シンオウ地方で神と崇められた存在が、パルキアのみならずディアルガもそうであった可能性も今は有力視されている。

 そうだとすれば、この壁画の中心に描かれたものがたった一つなのは何故?

 神が唯一ではないとすれば、どうして壁画の中心に描かれるものが"一つ"なのか説明がつかないわ」

「むう……」

 

「それに、もう一つ説がある。

 この3匹のポケモン達には、あたしなりにも持論を持っている。

 色々調べてそれらの情報を総括した結果、この3匹のポケモン達は、それぞれが"知識"を、"意志"を、"感情"を司るものだとあたしは思ってる。」

 これ自体は、それなりに支持もして貰えてる仮説なのよ」

「知識、意志、感情……?」

「プラッチ君、気付いてるんじゃない?

 この3匹のポケモン達は、神の力と対となる存在と伝えられている。

 では、知識・意志・感情、この3つと対になる力とは?

 空間、あるいは時間が、その答えだとは考えにくくないかしら?」

 

「この3匹のポケモン達、名をユクシー、アグノム、エムリット。

 彼らか、あるいは彼女らか、この3匹が囲い支えるとされる存在は、パルキアであれ、ディアルガであれ、神話と照らし合わせればそれらしくない。

 あたし自身、それらしく説を挙げてはいるのだけど、その矛盾からも目を逸らせないのが実状よ」

 

 自分なりに考え至った結論というのは、余所の誰かが考え付いた幾多の説より、当人にとっては一定の特別性を持ちがちだ。

 客観視するだけでもそれなりの意識が必要となる。

 自説の矛盾と向き合い、立ち上げつつもそれが不正解である可能性の高さから目を逸らさないのも、学者にとっては必要な素養だ。

 プラチナにとっては、良い勉強になっているのではないだろうか。

 

「この3匹が囲う一つの光は、パルキアとディアルガを一纏めに描いたもので、3匹が2匹を囲うものなのか。

 そうだと考えれば合点はいくが、その一方で3対2というアンバランスな数も、均衡を保つための存在として相応しいものなのか? という疑問が残る。

 であれば、一つの光に纏められた存在は、2つではなく3つ、すなわち未だ誰も知らぬもう一体が存在するのだろうか、という仮説も立つ」

「い、いっぱい仮説があるんですね……

 私、そろそろ頭パンクしそう……」

「あるいはやはり、神とされるのはパルキアのみで、ディアルガはこの壁画に無関係なのか。

 だとして、先程シロナが言ったとおり、3匹のポケモンが司るものが、空間を司るパルキアの力の対極に位置するものとは、感覚的には受け入れ難い。

 中心にあるのがパルキアと仮定し不動とするなら、3匹のポケモンが司るものが、知識・意志・感情ではない別のものであるという説も視野に入る」

「今度はそっちがおかしくなっちゃうんだ……」

「それとも、あるいは究極的な別解として、この壁画の中心にあるのは、パルキアともディアルガとも違う、別の単一神という説も考え得る。

 そうだとするには、そのような存在に対する歴史的情報が無く、空想の域を逸していないがな。

 そうした可能性も、決してゼロではないということだ」

 

 太古の歴史を解き明かさんとする考古学は、当時の写真や映像も無い以上、結論を想像で描いたもので補完するしかない。

 化石から当時の生き物の姿を解析する学問さえ、その発展により限りなく真実を解き明かせるようにはなっているが、未だその体色を確信する技術は無い。

 歴史学の難しいところはここにある。定理や数式によって確たる法則や絶対的真実を明かさんとする、理系的学問とは対極を為すものだ。

 数多の妄想めいた想像の数々が描かれ、その中からたった一つしかない真実を拾い上げ、それを幾多の資料に照らし合わせて信憑性を得て解とする。

 それすらも、ある日新たな情報が加われば、長らく信じられていた説さえたちまち誤りであったと覆ることさえあろう。

 確信無き暫定的な結論の数々の中から、最も信憑性のあるものを仮に真実とし、それが永遠の解答ではないと胸に誓い、新たな真実を求めてまた旅する。

 考古学とは、たった一つの命題にさえ永遠の解答と真実の獲得が約束されていない、究極的な学問の一つである。

 

「ふふ、難しかったか?」

「だ、だいじょーぶです!」

「意地を張るな、目の焦点が定まっていないぞ。

 纏まらない考えで頭がいっぱいなのだろう?」

「あぅ……

 で、でも、話してくれれば一生懸命覚えますので……」

 

「あ、アカギ……?

 あなた今、笑ってる……?」

「む? そうか?」

 

「笑ってたわよね? パール?」

「え、はい、まぁ……

 それって、そんなに驚くことなんです?」

「いや、あたしもアカギが笑ってるとこ見るの初めてだから……

 ほんと珍しいわね、今日のあなた……」

「つまらないことを随分と重く見るんだな」

 

 素っ気ない対応を見せるアカギは、確かにシロナの言うとおり、感情的とは対極の位置にあるような人物像であろう。

 それでもパールの前では、シロナも、もっと言えば彼の生まれ育ちであるナギサシティの人々の前でも見たことのない、笑顔を見せているのである。

 そんな一面さえ垣間見せさせてしまうパールって、アカギにとって一体なんなんだろう。

 俄然、先程まで以上に、シロナはそれが気になってしょうがない。

 

「まあ、これ以上語っても覚えられんか。

 君は考古学に対してそこまで造詣があったわけではないようだからな。

 だが、今後興味を持ったなら、多少は考えてみてもいい。

 我々とは違う観点から、新たな仮説を導き出せるかもしれんしな」

「ど、どうでしょ、私そんなにアタマいいタイプでもないので……

 でも、せっかくアカギさんやシロナさんがいっぱい色んなこと教えてくれたし……ちょっと、考えてみます」

「まあ、無理はしなくていい。

 ただ、何か新しいことを思い付いたら教えてくれ。

 そうした所から、意外な新説が生まれたりもするものだからな」

 

「……アカギさん、本当にパールに対しては何か見る目が違う気がしますね」

「……あなたもそう思うのね。

 本当に初めて見るわ、アカギが誰かにここまで優しく接するのは……」

 

 他者への徹頭徹尾な無興味ゆえ、冷徹あるいは不愛想が歩いているとさえ評されるアカギだ。

 ここまでパールに親身にものを教える姿は、シロナに限らず、アカギの人物像を知る者達なら誰もが驚くものだろう。

 このように、他者に興味を抱き、思慮を見せるアカギの姿というものは、それほどまでに類を見ぬものに相違ないからだ。

 

 強くて、知識豊富。

 尊敬する大人の一人にアカギを数えているパールだ。

 だからこそ、そんなアカギが教えてくれる話についていこうと、考古学に覚えのない彼女ながら、慣れない頭を使ってでも一生懸命になっている。

 そうしたパールのわかりやすい姿勢を前に、アカギは小さくながらも笑みを浮かべて、どこか満足げですらあった。

 

 テンガン山での出会いから数えて、僅か二度目のパールとアカギの出会い。

 既に二人の間には、今後も互いを忘れないであろう強い縁が、早くも、既に完成しつつあった。

 その縁は、やがて二人に何をもたらすものなのだろう。シロナは、そんなことまで考えずにはいられぬほど、両者の邂逅に特別なものを無性に感じ取っていた。

 アカギ自身が語る、パールへの特別な興味、それ以上にだ。



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第62話   シロナとアカギ

 

「……っと。

 お喋りしてたら随分と遅い時間になっちゃってるわね。

 そろそろ外も暗くなり始めてる頃じゃないかしら?」

「わっ、やだやだ、すぐ帰りましょう。

 夜は嫌いです」

「町の中まで野生のズバットが来ることなんか無いわよ?」

「どうしても想像しちゃってそわそわするんですよ~。

 出来ればあんまり、夜は外を歩きたくないなぁ」

 

 アカギと話し込んでいる中で、ふと時計を見たシロナ。5時過ぎである。

 外では秋空が赤く染まっている時間帯で、今晩の泊まり宿であるシロナの実家まで行くまでの間に、夜を迎えそうな頃合いだ。

 暗い野外を歩くことを苦手とするパール、さあ帰ろうという気持ちに移り変わるのも早い。

 

「スバットが苦手、か。

 以前会った時もそう言っていたな。

 ……きっかけは、ズバットに襲われて湖に落ちたことだったか?」

「はい~、それ以来もうトラウマでトラウマで」

 

「あなた、知り合う人知り合う人みんなにわざわざそれ話してるの?

 アカギとは前回が初対面だったのよね?」

「それはその、出会った場所がテンガン山の抜け道だったので。

 ズバットうようよですもん」

「ああ、なるほど。

 そりゃあそういう話題にもなるわよね」

 

「ズバットが苦手なのか? それとも、蝙蝠ポケモン全般か?」

「ゴルバットもクロバットもダメです。

 テレビ越しに見てもビクッとします」

「あらあら……そこまでだと大変ね。

 アカギ、この子の前でクロバット出しちゃ駄目よ?」

「そんな意地の悪いことをする趣味は無い」

 

 へぇ、アカギさんってクロバットの使い手なんだ、とパールとプラチナも初めて知った。

 ヤミカラスやニューラの使い手なのは知っている。あくタイプのポケモンが好きなのかな? と勝手に想像していたが、別に偏ってはいないのかも。

 ただ、クロバットも先述2匹のポケモンと同様、身体の色が暗色。

 もしかして明るい色より暗い色がお好みなのかな、と勝手推測は別方向へ。まあ、わざわざ口にしたりもしないが。

 

「それじゃあパール、プラッチ君。先にあたしの家に向かっておいてよ。

 私はちょっと、アカギと話したいことがあるからさ」

「あっ、私達を先に帰らせて二人だけでのお話ですか?

 ドラマあります?」

「さぁ~、どうでしょう?」

「え~、気になる気になる!

 大人同士の会話ってやつですよね? なんかありそう!」

「あなたこそ、私達と離れればプラッチ君と二人きりよ?

 そういう雰囲気になりたければどうぞ?」

「いじり返してきた!

 でも私達、いつも二人旅ですよ? 今日に限って、別にそんな」

「普段は誰にも見られてない二人きりでどんな空気なの?

 こっそりいちゃいちゃしてたりするんじゃないの~?」

「え~、プラッチと?

 うーん……」

 

 女の子ってこういう話題好きだなぁ、と、プラチナは話題に巻き込まれている立場ながら他人事気分で聞いている。

 ちらっとアカギの方を見れば、輪をかけて興味無さげ。無表情には無表情でいつもどおりだが、しら~っとしているのがなんとなくわかる眼。

 

 自分の方を見て首をかしげるパールの姿を見て、本当まだまだ恋愛対象に見られる域に入っていなさそうなのは、プラチナにとって少々寂しいが。

 でも、こういうきっかけを経て、自分も男の子であることを少しは意識してくれたらいいな、とは思わなくもない。

 そう考えると、パールにこういう話を振ってくれているシロナの姿は歓迎。心の中でシロナさんに、グッジョブと感じるプラチナであった。顔には出さないが。

 

「とりあえず、先に行っておいて。

 暗くなる前に帰りたいでしょ?」

「はーい、それじゃあお先に失礼します!」

「シロナさん、今夜はお世話になります」

「ふふふ、別にいいのよ。

 お婆ちゃんも、気合入れて晩ご飯を作ってくれてると思うわ。

 自分の家だと思って、のんびりしておいてね」

 

 パールとプラチナはシロナとアカギに、片や手を振り、片やお辞儀して、元気良しと礼儀正しの対照的な姿を見せて、遺跡の出口に向かっていく。

 どうせこの後家で会うながら、シロナもひらひら手を振って、また後で。

 見送り、二人が見えなくなったところで、ふうと息を吐いてアカギの方を向き直るシロナである。

 可愛い年下と話を弾ませた楽しさを、僅かその表情に残してはいるものの、その顔色はやや神妙だ。

 

「私に話とは?

 どうやら、楽しい考古学の意見交換というわけではなさそうだな」

「……いや、別に、ちょっと、ね。

 まあ、何でもないような話ではあるんだけどさ」

 

 シロナは呆れられるかもしれない話をするかのように、少し自嘲気味な笑みを浮かべている。

 対するアカギは相変わらず表情一つ変えないが、話してみろという目をしているのを、対面するシロナはちゃんと感じ取っている。

 鉄面皮の彼の、目元や口元の僅かな動きからでもそれが読み取れるようになるには、それなりの付き合いがなければ難しかろう。

 

「あなたの着こなし、ちょっとギンガ団っぽいからさ」

「まあ、その意匠には違いないからな。

 機能的であるし、風通しもいい。

 フィールドワークには適している。愛着するだけの価値はある」

「あぁ、そういえばそうか……

 新エネルギー開発に苦戦していたギンガ団オーナーと話した時、あなたの些細なアドバイスをきっかけに、行き詰まってた研究が進んだのよね。

 その感謝の意を込め、金銭を断ったあなたへの贈り物として、フィールドワーク向きのその服が贈呈されたんだったわね」

「義理で着ているわけではない、実用性に優れているからな。

 良いものを作ってくれた。少々奇抜ではあるがな」

 

 ギンガ団オーナーとは、シロナと幼少の頃からの長い付き合いである、いわば幼馴染とも言えよう人物。

 元より顔の広いオーナーだが、彼自身もそうあろうとする意識はあり、彼の方からアカギにコンタクトを取ったことが一度だけある。

 何故ギンガ団オーナーという、いち企業の社長にも相当する人物がアカギとの対話を望んだかと言えば、それにも理由がある。

 ナギサシティ出身のアカギ、機械いじりが幼い頃から好きだったと知れた彼に、当時開発面で苦心していたオーナーが、気分転換がてら話す相手を求めたのだ。

 専門職が暗礁に乗り上げた時、違う視点を持つ者から意見を集め、視点を切り替えてみようという試みはしばしばある。

 オーナーが統べるギンガ団員は、いずれも正しく技術職のプロフェッショナルの集いだが、それと違う視点を求めて"知識ある素人"のアカギと対話を試みた。

 

 余談ではあるが。

 シンオウ地方からは遠く離れた、ジョウト地方とカントー地方の話。

 そこには二つの地方を繋ぐリニアという乗り物があり、切符を買った乗客が通る自動改札機も設備されている。

 この自動改札機、開発過程で大きな問題が一つあり、なかなか実用に漕ぎつけられなかったという過去がある。

 それは乗客が手なりで切符を入れた時、斜めに切符を入れたが最後、中で詰まって機械が止まってしまうという致命的欠陥を抱えていたのだ。

 乗客に"切符は真っ直ぐ入れて下さい"と呼びかけてもいいが、急ぐ乗客も想定される中、そんなことを乗客には求められない。

 なんとか"どんな角度で切符を入れても正常に機能する改札機"を開発しようと努めても、なかなかその手段が思い浮かばない。

 そんな日々の中、ある日開発者の一人が、川を流れる一枚の葉を見て、解決策を閃いたという逸話がある。

 横向きの一枚の葉が、水に流されるままに岩に当たり、くるっと回って川の流れに沿った向きに変わったことを見て閃いたのだ。

 切符が入ってすぐの場所に"コマ"を設置することで、傾いて入れられた切符の向きを正常化し、切符が詰まることが無い改札機の機構が完成されるに至る。

 ほんの小さな、取るに足らない、専門職の知識とはかけ離れたきっかけから、閃きに至り難題の解決が果たされることもある、という逸話である。

 "本当にあった話"だ。

 

 オーナーとアカギの対話そのものは、二人だけの場であったため、どのような内容であったかは誰も知らない。

 しかし、そこでアカギがオーナーの悩みに対して、こうしてみてはどうだろうか? と言った内容が、どうやらオーナーを閃かせたらしい。

 結果、開発部門を苦しめていた難題の解決策を得たオーナーの提言により、当時ギンガ団が悩んでいた新技術の開発は大成功へと繋がったのだ。

 オーナーはそのヒントをくれたアカギに恩を感じており、はじめアカギに連絡を取り、ありったけの礼をしたいと訴えたほど。

 しかし金銭や名誉、表彰などにも興味を持たぬアカギだったので、せめてもの気持ちとしてフィールドワークの多いアカギに、服を贈呈したのである。

 それが、今アカギが身に纏う服だ。どうやら当人も機能的だと評価して愛用しているようで、良き贈り物にはなったのだろう。

 ちょっとギンガ団のユニフォームに似ているのは、ギンガ団への多大なる貢献をしてくれた名誉会員、みたいな意図も含まれているのかもしれない。

 

「あなたオーナーにどんな話をしたの?

 ドキュメンタリー一つ作れそうな話なのに、オーナーの意向で未公開なのよね。

 気になるわぁ」

「企業秘密にも関わることだからな。

 現時点ではまだ語れまい」

「やっぱりそういうことなのよねぇ。

 記者に尋ねられても、『私が年老いた頃に思い出話として語る機会を作れたら面白いですね』なんて焦らしちゃってさ。

 あいつ、そういうミステリアスなところを残した語り口を見せる辺り、ほんと抜け目ないなぁって思うの」

 

 オーナーの話をするシロナ、なんだか楽しそうである。

 親しい幼馴染がセンセーショナルな活躍を現代に顕していることを語るのは、我が事の自慢話より楽しいものだ。

 今はもうお互い大人になってしまい、面と向かって話すことも少ない疎遠気味ながら、心のどこかでいつだって忘れられずにいる大切な親友。

 シロナの語り口には、それを想い馳せる感情が溢れている。

 

「"コウキ"のことを話す時、お前はいつも楽しそうだな」

「そりゃあそうよ、幼馴染ですもの。

 偏屈なところはあるけど、その実ひたむきで、今でもあたしは尊敬してる。

 けっこう男前なのに、ずっと仕事ばかりに没頭してて、いい年してるのに結婚もせずに勿体ないなあってずっと思ってるもん。

 仕事でも、プライベートでも、どっちでも成功して幸せな人生を歩んで欲しい、そうあるべきほどの人物だってずっと思ってるぐらいよ」

「老婆心が過ぎる」

「なによ、いいじゃないの」

「そんなにそう思うなら、お前が寄り添ってやればいい」

「あなた本当、女心を無視したジョークを明け透けに言うわね。

 そういうとこよ、そういうとこ」

「知らん」

 

 世間からは"オーナー"とばかり呼ばれる彼のことを、今や実名で親しげに呼べる者も限られている。

 少なくとも、シロナはその一人に違いあるまい。

 たまにはお互い、大きくなり過ぎた肩書きを捨て去って、シロナと、コウキと、昔のように呼び合えれば、という夢を見ることも彼女にはある。

 多忙な双方ゆえ、電話で語らう機会すら無く、そんなささやかな希望さえ容易には叶え難くなるのだから、大人になるというのもしばしば寂しいものだ。

 

「お前が、シンオウ西で悪行をはたらいた、ギンガ団を名乗る者達を憎んでいることはわかった。

 私のことも、疑っているか?」

「……あなたは、あの連中に関わっていたりしないわよね?」

「愚問だな」

「はいはい、だとしてもハイなんて言うわけないわよね」

 

 流石に鼻で笑われる問いかけだったのはシロナも自覚しれいるようで、珍しく小さく笑ったアカギを前に、彼女も肩をすくめている。

 かまもかけずに直球で聞いても仕方ない質問なのはわかっている。あんな犯罪組織めいた集団に関わっていることを、素直に自白するバカがどこにいるか。

 もっとも、シロナにとっての本題はそんなことではない。彼女がアカギに言いたいことは、その先にある。

 

「あたし、本当に怒ってるの。

 あたしの大切な親友が築き上げた、社会貢献果たせし立派な組織の名を貶める連中のことが、個人的な感情で堪らなく許せない。

 連中について、何か知ってることは無い?

 あるなら、ほんの些細なことでもいいから教えて欲しいの」

「生憎だが、お前に渡してやれるような情報は何一つ無いな。

 失望されても、詫びる筋合いは無いが」

「もぉ、簡単な人付き合いレベルで言葉を選んでみせてよ。

 『すまないな、特に何も無い』って言ってくれていいじゃない。

 そういうとこよ、そういうとこ」

 

 アカギは不愛想が過ぎるタイプである。

 シロナもこの辺りに対しては諦めも強い。

 批難する口ぶりながら、冗談めかした笑顔は携えている。

 

「あたしのアドレス、知ってるわよね?

 お願い、何か少しでも情報を得られたら、すぐにでもあたしに教えて。

 お礼は何でもするから。本当に、何でもする」

「断る理由は無い。

 覚えておこう」

「……ありがとう。

 あなたの"覚えておこう"は、あなたなりの最大級の協力の表しよね」

「皮肉はほどほどにな。

 請う相手の機嫌を損ねるかもしれんぞ」

「あはは、そんなこと言わずに、ね?」

 

 立ち話をしていた二人だが、話が一つ締め括られたのをお互い感じ取り、遺跡の出口へ向かって歩きだす。

 パール達に遅れての出発しばらくだ。二人並び歩いての帰路である。

 

「しかし、あの二人に席をはずさせるほどの話題か?」

「あの子達に、悪しき側の自称ギンガ団の話を聞かせたくはない。

 本当に、純粋な子達なの。触れさせたい世界じゃないわ」

 

「過保護だな。

 お前は幼い者達に入れ込みすぎるきらいがある」

「大人になるにつれて儘ならぬ現実、嫌な現実を知っていくことなんて、誰に教えられなくたって誰もが勝手に得ていくものよ。

 この世界は、美しいものばかりじゃない。仕方のないこと。

 ただでさえそうであるのに、あたし達大人がわざわざ仄暗い現実を努めて教えるようなことこそ、余計なお世話もいいところだわ」

 

「ひた隠しにすることが、保護になるという考えも偏っていると思うがな」

「10人が隠そうとしたって90人が勝手に教えるのが、この世の嫌な現実ってものでしょう。

 別に救おうとしてるわけじゃない。私はその多数派になりたくないだけ。

 純粋な子達に、綺麗な世界をなるべく伝え、汚い世界をわざわざ見ないよう努めることって、そんなに馬鹿にされるようなこと?」

「どうかな。

 世論の多くは、お前のその考え方を甘ったれと評じそうだが」

「関係ないわ。

 嫌な現実ほど印象強く心に残り、世の中捨てたものじゃないものだと教えてくれる素敵な経験さえ、その嫌な記憶が呑み込みがち。

 歪んだ大人が生まれるのはそのせいだって、あたしは信じて疑ってない。

 どんな嫌な現実に直面することがあろうと、世の中はそんな嫌なことばかりじゃないっていうのを、ちゃんと思い返せる人で溢れて欲しいとあたしは思う。

 純粋で、白にも黒にもこれから染まり得る子供達に、美しいこの世界の片鱗を少しでも覚えて欲しいと思う私の感情に嘘はつけないわ」

「理想論だな」

「それを掲げる者が一人もいなくなった時こそ、暗黒社会の誕生よ。

 少なくとも、社会が力無き者を法や倫理で保護するこの美しい世界は、その理想論を捨てなかった先人が築き上げてきた財産よ。

 美しい世界を各々が築き上げていこうとしなければ、社会が力無き者を守るこの世界はやがて腐り、淀み、形骸化していく一方に違いない。

 あたしはそれに反する存在にはなりたくないし、そうあろうと努めたいわ」

 

「果たして正しいことであろうことか」

「わからないわよ、そんなの。

 死ぬまで悩み続けるしかないわ」

 

 短い返答を繰り返すアカギの心に響いていないことを理解していながら、シロナは饒舌に信念を語っている。

 相手がどうであれ、胸を張って言えるからこそ信念だ。

 相手の胸に響いているかどうかなんて関係ない。それで言えるか言えまいかが左右されるようでは、所詮は交渉思想か自己満足。

 嗤われようが、興味さえ持って貰えなかろうが、きっとシロナは誰にでもそう胸を張って言うだろう。反論されることあろうともだ。

 そうでなければ、到底なんの意味も為さないのが、良き世界を目指そうとする者の思想というものだ。本気で目指さんとするならかくあるべし。

 

 戦いを挑む者には強さが必要だ。その普遍的な真理に集約される。

 シロナが挑んでいる相手とは、不条理なことも多いこの世界そのものだ。

 強くあらんとせん限り、太刀打ち出来ない強敵との、生涯をかけての死闘である。

 

 

 

 

 

「あら?

 二人とも、こんな所で」

 

「あ、すいません。

 プラッチが壁画を見たいって言うもんだから」

「せっかくだからシロナさんと一緒に帰りたいってパールも言ったじゃん」

「あらあら~、愛いやつめ~」

「あわわぷぷ……」

 

 やがて遺跡から出てきたシロナ達を、パールとプラチナが迎えてくれた。

 はじめはそのままシロナの家に向かおうとしていた二人だったのだが、遺跡の入り口壁画を振り返り、プラチナが足を止めたのだ。

 もう一回ちょっとだけ見て帰るふしのプラチナの傍ら、パールも、せっかくだからシロナさん達を待ちたいと提唱し、今に至る。

 一緒に帰りたいです、という人懐っこいパールには、シロナも歩み寄ってぎゅ~。こういう子供って可愛いので。

 

「あ、でもお二人だけのお話、まだ続いてます?

 続いてたら、私達すぐ逃げます」

「ううん、もう終わってる。一緒に帰りましょ?」

「は~い!」

 

「アカギ、あなたはどうするの?」

「…………」

「……ん? どうしたの?」

 

 一緒に帰りましょう、と言ってくれるシロナの笑顔に、パールはそれ以上の嬉しみに満ちた笑顔で応えていた。

 一方、続いてアカギに振り返って問うシロナだが、そちらからは声も態度も返答が無い。

 目線すら、三人の方を向いておらず、あさっての方向を見据えて無言で立ち構えているかのよう。

 

「……敵意だな」

「え?」

「アカギさ……えっ、はゎ!?」

 

 アカギが小さく呟いて、腰元のボールを素早く一度叩いた。

 ボールのスイッチを押す仕草を省き、自分のポケモンを一匹選んで呼び出す所作に、ボールの中からポケモンが自己判断で飛び出す最速の喚び出し方だ。

 次の瞬間、彼の斜め後ろから凄まじい勢いで跳びかかってきた黒い影、それとアカギの間に、彼の喚び出したポケモンが素早く立ちはだかった。

 

 金属の剣を打ち鳴らすような、甲高く激しい衝突音が一度鳴り響き、ぶつかり合った二匹のポケモンに距離が生じる。

 アカギの喚び出したポケモンはマニューラだ。突然アカギに襲いかかった敵の一撃を阻み、鋭い爪で受け切って、こちらは一歩も退かない。

 大きく退がったのはアカギに襲いかかろうとしたポケモンの方で、それがニューラであることをパール達も改めて目にする形となった。

 

「野生の……!?

 町の中にまで入ってきてるの……!?」

 

「マニューラ」

「――――♪」

 

 ニューラに向き直ったアカギは、不動の姿勢で口だけ動かす指示。

 不敵に笑うマニューラは、そのゴーサインを待ってましたとばかりに爪を一振りだ。

 その一振りで生じる強い風は、氷の粒を大気中に煌めかせながらニューラへと襲い掛かり、それが強い冷気を擁したものであるとは傍目にもわかる。

 跳び退がって躱すニューラだが、足先に少しそれを受けただけで痛苦に歪んだ表情からも、少し掠っただけでも痛い攻撃であると見える。

 着地し、マニューラやアカギに背を向けて逃げていく片脚が氷結していることからも、このマニューラの放つ"こごえるかぜ"の威力は推して知れる。

 

「――――?」

「いや、追わなくていい。

 取るに足らないものだ、これ以上わざわざ関わることもあるまい」

 

 あっという間に、起こり、終わった出来事を前に、目をぱちくりさせるばかりのパールだった。

 身構えるのが早かったシロナとプラチナも、事態の収束の早さにこそ、急襲の瞬間にも劣らぬほど驚きだ。

 あのような突然の出来事に動じもせず、最速で事を終わらせてしまうアカギの手腕は、プラチナが想像していた以上のものだっただろう。

 何よりも、背後から襲いかかってきたニューラの気配に振り向きもせず気付いていたらしき対応は、まるでテレビの向こう側に描かれるヒーローのようだ。

 

 ニューラを追う気満々らしかった、交戦的な眼のニューラは、アカギに追うことを諫められて、つまんねぇのとばかりにむくれていた。

 スイッチを押してマニューラをボールに収めるアカギは、まるで命を狙われた直後だというのに、何らそうした危機感を引きずる素振りも無い。

 

「町の中にまで野生のポケモンが乗り込んでくるなんて……

 警邏の人達に一応連絡しておいた方がよさそうね」

「レアケースだと思うがな。

 まあ、年には念を入れておくに越したことはあるまい」

「ごめん、パール、プラッチ君。

 あたし、ちょっと警邏の人達に今のことを報告してくるわ。

 待っててくれて申し訳ないけど、先に家に帰っておいてくれない?」

 

 頷いた二人を見受け、シロナはやや急ぎ足で向かう先へと去っていった。

 野生のポケモンが人里にまで乗り込んでくるのは物騒だ。

 夜も近いし、同じ案件がズバットで起ころうものならパール発狂もの。

 パールもこの状況に至って、シロナについていく形で夜の町を歩くことなんてしたくなかった模様。

 

「だ、大丈夫ですか? アカギさん」

「些細なことだ。

 だが、狙われたのが私であって、まだよかったのかもしれないな。

 あのニューラが襲い掛かったのが君であれば、結末はどうなっていたかわからない」

「うっ……

 た、確かに、私だったら何も出来なかったし……」

 

 怖い想定を突きつけられ、パールはぞわりと背筋を震わせる。

 もしも自分が狙われていたら、なすすべなく血まみれだっただろう。ぞっとする。

 

「ポケモンが人を傷つけることもあるが、人同士だって傷つけ合う。

 くだらない争いはこの世から無くされ、もっと理想的な世界であるべきだ。

 そうは思わんか?」

「え、えぇと……

 さっきみたいな出来事は、確かに嫌ですね……」

「私は、そんな理想の世界を作るための力を探している。

 君も、何かそれにまつわることを見付けたら、いつか私に教えて欲しい」

 

 そう言って、遺跡の入り口の壁画を見るアカギ。

 空間を司る力、時間を司る力。この世界の有り様さえ変え得る大いなる力だ。

 もしやアカギがその手にしようとしているものとは、それほど大きなものなのだろうかと、パールとプラチナの目にもはっきり映った。

 

「私はもう、行くとしよう。

 大いなる力を目指すこの足取りには、時が何よりも惜しいからな」

 

 あまりにスケールが大きく感じる話を前に、パールもプラチナも呑まれたかのように無言でしかいられなかった。

 そんな二人を最後に一瞥し、いずこかへ向かう足を歩みだす姿を、二人は呆然と見送ることしか出来ない。

 初対面時の別れとは異なる、あの時以上にアカギのことを知り、思っていたよりずっと底の知れない人だと認識を改めさせられた現状だ。

 

「……行こうか、パール」

「う、うん……」

 

 急展開が続いた後で、二人ともなんだか足取りが重く感じる。

 いつも元気なパールが、シロナの実家まで歩む道のりの中で一言も発さない。

 ちょっとプラチナも心配になる彼女の姿である。

 

「パール、大丈夫? なんか滅入ってる?」

「え? あ、いや、そんな感じじゃないんだけど……

 今ちょっと、考え事してたとこで」

「どうしたの?」

 

 こういう時に、話を振って会話できる流れを作ってくれるプラチナの姿は、常に心のどこかでパールを案じている証左。

 ただ、別にパールは怖い経験をしたからへこんでいるとか、そういうわけではない模様。

 彼女の言葉を信じるなら、プラチナもちょっとだけ安心する。

 

「アカギさんのこと?」

「いや、えぇと……

 あのニューラ、どこかで見たことある気がしない?」

「え?

 そりゃあ僕もニューラぐらいは見たことあるけど……」

「そうじゃなくて、なんかこう……

 一度会ったことのあるニューラ、みたいな、そんな気がしてて……」

 

「……パール、ポケモンの顔が見分けつくようになったの?」

「いやいやいや、流石にそんなわけないと思う、私すご過ぎじゃん。

 でもなんだろう、何故か……一回見たことのあるニューラの気がするんだよね……

 なんでかな?」

「僕に聞かれても」

 

 野生のイシツブテとヒョウタのイシツブテが並んでいて、どちらがどちらなのか見分けのつく者がどれだけいるだろう?

 まあ、ヒョウタだけは見分けがつくかもしれないが。

 進化前のナエトルだったパールのピョコと、ナタネのナエトルを見比べて、どちらがどちらなのか見分けのつく者がどれだけいるだろう?

 まあ、パールとナタネなら見分けがつくかもしれないが。

 毎日見てきて愛着のある自分のポケモンだったら、同種に紛れてもなんとなくわかる、という例は案外少なくない。

 だが、自分のポケモンでもない個体を見分けられる人は相当に少ないし、パールにそんな目があるのなら相当な才覚認定してもいいぐらいだ。

 

 実は、種がある。

 既視感があるというのなら、それは決して気のせいではない。

 

「パールの隠された才能だったりしたら僕びっくりするよ?」

「ま、まあそうだったらいいのになぁとは思うけど……」

 

 アカギを急襲し、状況が悪くなればあっという間に逃げていったニューラ。

 じっくり観察する暇が無かったものの、短時間ながらもニューラの姿を見ていたパールの目には、その身体的な特徴がかすかに刷り込まれている。

 無意識的ながらも視界内に捉えていたそれが、パールに既視感を残しているのだ。それを具体的に思い出せないというだけだ。

 いつか解答に気付く日が訪れるなら、なんだそういうことか、と言える程度の話である。

 

 赤い左耳が虫食いのように欠けていたニューラ。

 確かにパールはあのニューラと、過去に一度対面しているのだ。



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第63話   一線を

 

「急がなくてもいいの?」

「いいのいいの、ゆっくり行こうよ。

 ああいうこともあるって」

 

 カンナギタウンのシロナの実家で一夜泊めて貰い、朝を迎えて出発したパール達。

 その日はまったりと210番道路を引き返し、夕時前にズイタウンに到着だ。

 のんびりと町を歩き、傷薬を買うなどして明日以降の備えをきちんと整えたら、早いうちにポケモンセンターへ向かって泊まり支度である。

 これは北のキッサキシティに向かうはずだった二人の旅において、逆戻りしている足取りだ。

 

「ダイヤとどっちが先にバッジを集めるか、みたいな競争してそうな雰囲気だったしさ。

 急ぐんだったら、明日はもっと速い運びに僕も合わせるよ?」

「あはは、私そんなの気にしてないから。

 ゆっくりみんなと一緒に強くなって、次のジム戦に備えるのも大事だよ。

 変に急いで、ヤな結果になっちゃったりしても嫌だしさ」

 

 どうしてこんな運びになっているかと言えば、実は先日、テンガン山北部で土砂崩れが起こったのだ。

 大きな地震などといったわかりやすいきっかけがあったわけでもないのだが、大自然の気まぐれというのは、ある日何を起こすかわからないものだ。

 それが、パールがカンナギタウンに到着する前日のお昼頃。ヨスガシティからズイタウンを、シロナと一緒に歩いていた頃のことである。

 土砂崩れ自体は小規模ながら、山道やキッサキシティへと繋がる洞窟の一部を塞いでしまっているそうだ。

 塞がれた他にもキッサキシティへ向かうルート自体はあるのだが、山崩れの後は傷ついた山や地盤の影響で、どこで二次災害が起こることやらわからない。

 今はカンナギタウンや、山の反対側のハクタイシティが協力し、慎重に道を再び拓いているところである。もちろん、シロナも協力だ。

 こんな状況で山越えしてまでキッサキシティを目指すなんて、不運次第では命すら危ない。よって、パール達も北上を断念した次第である。

 

 当面キッサキシティに行きづらくなったことを踏まえ、パール達はもう一つのジムがある街、"ミオシティ"を目指すルートを選んでいた。

 ミオシティは、コトブキシティの西にある町であり、カンナギタウンを出発して向かうには少々遠い場所である。

 パール達の計画では、カンナギからズイまで一日、そこからヨスガまで一日、さらにそこからクロガネを経てコトブキまで一日。

 そこから水道を越えてミオシティに到着する見立て。それなりに日数もかかる。

 とはいえ、今の事情を鑑みると、時間がかかるのも悪い話ではない。

 キッサキシティへの山道が再び開通されるまで時間がかかるだろうし、のんびり進めばいいという考え方もある。

 極端な例え話、何らかの手段で一日二日でミオシティに赴けて、そこでジムバッジを手に入れられたとしても、キッサキシティへの道はまだ開いてはいまい。

 

「今日は早く寝るんだ~。

 電話もしたいし」

「何人と?」

「一人だよ、流石に。

 グループ通話もしてみたいけど、流石にそんなとこ混じっていけない。

 私だってそれは躊躇するよ」

「毎晩ジムリーダーさんと仲良くお喋りしてるのにねぇ」

「ナタネさんは特別だよ、とくべつ。

 あの人ほんと話しやすくしてくれるんだよ、私いっつもあの人と電話すると喋り過ぎちゃう。

 電話切ってからいつも、あぁ私よく考えたらジムリーダーさんとあんなに話してるんだなぁって思い出すの。

 よかったのかなぁ、ってたまに思うぐらい」

「でも今晩もかけるんでしょ」

「やめられないんだよ~。

 ほんとに全部の話、明るい声で聞いてくれて、相槌まで打ってくれてさ~」

 

 夕食を食べながらのお喋りだが、プラチナはまるで惚気話を聞かされているような気分。

 パールも一応、ジムリーダーとお話ししていることに、多少は立場の違いというのを意識することはあるようだ。

 失礼なこと言ってないかな、などなど、そういうことを後から考えることはある模様。

 誰とでも気兼ねなく話せる楽観的な明るさの持ち主かと思ったら、結構そういうところは気にしているようである。

 もっとも、だからこそ和を以って誰とでも広く話せるのかもしれないが。

 

「だってさぁ、プラッチ。

 こないだヨスガジムでメリッサさんに挑戦する前の夜なんだけどさ。

 私あの日、ナタネさんに電話してなかったんだよね」

「パールが熱っぽい顔してたから僕がしつこく付き纏ってた日のこと?」

「言い方、言い方。

 心配してくれてたんでしょ、どうしてそんな言い方しちゃうかな。

 プラッチ自分のことお安く扱い過ぎなんじゃないの」

「いやぁ、だって翌日僕が風邪こじらせちゃったし……

 なんかアレ、思い出すと恥ずかしいんだよね」

 

「まあそういう事情もあって、あの日は誰にも電話せず寝たわけですよ。

 その次の晩、私はナタネさんに電話をかけました。

 メリッサさんに勝ちましたよ~、っていう電話だから私もウキウキでした。

 さて、何があったでしょう?」

「褒めて貰えたんじゃないの?」

「それだけではないのです。

 電話から出てくれるや否や、ナタネさんってば何て言ったと思う?

 『どうして昨日電話が無かったの? なんか寂しかったんだよ?』ですよ。

 私はもう、その瞬間にナタネさんの虜になったのです」

「最初っから虜でしょ。

 あ~、でもそれは嬉しくなるよね」

「もうね~、前までは電話する前は、ちゃんと失礼の無いようにしようって心に決めてからコールしてたのですよ。

 それは今でもそうだけど、私あれからナタネさんに毎晩電話するのだけはやめられない。っていうかやめたくない。

 最悪疲れ果ててて電話できない日があったとしても絶対メール飛ばす。

 っていうかバテてても絶対電話だけはする」

「本当、大好きなんだね……」

「世界一尊敬してるかも。

 トレーナーならチャンピオンさんを一番尊敬すべきなのかもしれないけど、私はナタネさんが一番だな」

 

 どうして昨日は電話してくれなかったの、というナタネの言葉も、あくまで愛想含みでもあるとはパールもわかっているだろう。

 でも、毎日電話で長話してきた習慣が続いた末、敬愛する人がそんなことまで言ってくれるようになると、後輩からすれば嬉しいものだ。

 きっとナタネにとっても、わざわざ記憶に残っているような大きな発言ではあるまい。

 年下っていうのは、尊敬する人の些細な言葉にも心を揺さぶられ、相手さえ忘れているようなこともずっと覚えていることもある。そんな好例であろう。

 

「別にいいんじゃないかな、それで。

 誰を一番好きかなんてその人の自由だし、一番好きな人を変な理由つけて二番目以下にするのは絶対おかしいもんね」

「あ、でもでも、シロナさんのことを尊敬してないわけじゃないよ?」

「あはは、わかってるよそんなこと。

 パールは尊敬する人、いっぱいいるもんね」

「ジムリーダーさん達、みんな凄い人だよね。

 今でも改めて思うと、ナタネさんやスモモさんと毎晩、毎朝電話してるのが、私すっごいことしてるなぁって気分になっちゃうかも」

「でも今夜もかけるんでしょ」

「えへへ、今からもう楽しみ」

 

 尊敬する人のことを想い浮かべる時のパールは本当に楽しそうだ。

 ポケモンバトルに挑む時のパールは、その時その時に毎度必死で、わざわざ女の子らしくはない。

 男女の垣根を越えた、懸命なトレーナーらしい彼女の姿を見せてくれる。

 裏を返せば、パールが相対してきた数々のポケモントレーナー達が見てきた彼女とは、"ポケモントレーナー・パール"の姿でしかない。

 勝って初めてその都度無邪気に喜ぶ彼女の姿に、パール本来の明るくて子供っぽい姿の片鱗を見られるのがせいぜいである。

 

 子供っぽくて、感情に素直でよく笑う、そんなパールの姿をこうして毎日見られるのは、ずっと一緒に旅するプラチナの特権だ。

 改めて思う。パールも、普通の、女の子なんだなぁって。

 いつでも必死に、ポケモンリーグを目指す彼女の姿を見ているから、忘れそうになってしまう確たる事実だ。

 抱き始めていた淡い恋心もよそに、今はこうして、気を張るバトルの場から離れた彼女と、楽しい会話を弾ませることがプラチナにとっても快い。

 

 男女の関係になれれば嬉しいって、時々思うプラチナではある。

 だけどこうして、同い年の友達として、何の気兼ねも無く話せる日々もまた捨てがたい。

 ただの、無邪気な、普通の女の子であるパールと、込み入ったことを考えず無垢に話せるこの時間もまた、プラチナにとっては手放し難いほど幸せ。

 だからこそ、たとえ自分の気持ちに気付いていたって、告白なんていうのは相当な勇気が要るのである。

 いつ、どこの世でも、確たる真理である。

 

 

 

 

 

「ありがとう、メリッサ。

 あの子にわざわざ、稽古つけてくれたのよね」

 

『いえいえ、お構いなく。

 彼女らからは、鬼門を厭わぬメンタリティを感じましたのでね。

 少なからずの手ほどきも、人としての使命と感じたのでそうさせて頂きました』

 

「やめてよ……あなた霊感あるから冗談に聞こえないわ」

 

『あははは、私は確かにゴーストの皆様と縁はありますが、フューチャーサイトの才覚はありませんよ。

 あくまで直感、フィーリングです。的中することは稀ですよ』

 

 パール達がズイタウンで夜を過ごすその日、二人の偉大なトレーナー二人が、夜長に重々しい会話を交えていた。

 片や、カンナギタウンの人々と共にテンガン山の整地に勤しんだ夜、実家とは違う旅館に泊まるシロナ。

 片や、ヨスガシティのジムリーダーであるメリッサだ。

 不安げな声を発したシロナに、メリッサは明るい笑い声を敢えて聞かせ、空気を少しは軽くしようと努めているが、それも相手には気休めにもならないだろう。

 それだけシロナが、今の話題について重く感じていることは、メリッサだってわかっている。

 

「あなたも知ってるでしょう?

 あの子達、自分達だけで谷間の発電所に乗り込んだり、ナタネと一緒にギンガ団に立ち向かったりする、正義感の強い子よ?」

『…………シロナ。

 あまり自分で自分を苦しめるような考え方はおよしなさい。

 他者を思いやる気持ちは美徳ですが、手の届かない場所まで案じていては、やがてはあなたの心をも蝕みますよ?』

「それでも心配せずにいられないのよ……

 あの子達、行く先でまた、何か許せないと思うような出来事があったら、誰か止められる大人がそばにいないと突き進んじゃうわ。

 あたしにはわかる。確信してるわ」

『あなたが、昔はそんな子だったからですか?』

「…………」

 

 二人が話題にしているのは、他ならぬパールとプラチナのことだ。

 共に歩くうちは、パール達と共に、明るく語らう姿のみを見せていたシロナ。

 こうして少し年上のメリッサ相手の通話で、不安げな表情すら相手に思わせてならぬ声を発するシロナの姿など、パール達は想像もするまい。

 

『漠然とした予想よりも、経験からくる推測は、浅い予言よりも遥かに真実味があるものです。

 だからあなたは、一時でも、あの子達と一緒に旅することを選んだのでしょう?

 それがいつまでも出来ることではないと理解しながら、少しでも』

「……ギンガ団を名乗る者達の行動が表向きすぎる。

 きっとあいつらはまた、遠くない未来、何らかの大きな行動を起こすわ」

「ええ、それは私も同じく感じています」

 

 シロナも、メリッサも、ギンガ団を名乗る悪党集団に対して、強い警戒心を持っている。

 間違いなく、近く何らかの動きを見せるであろうとだ。

 これは単なる推測ではなく、理路整然とした理論を以ってして導かれる、確信された推察である。

 

 どんな悪事をはたらく者にも、必ず断言できることがある。

 それは、最終目標の達成のためには全力を尽くすということだ。

 その前提の上で、谷間の発電所やハクタイシティで悪行を明るみにしたギンガ団の行動を顧みれば、その確信はいっそう強まる。

 なぜならそれによるギンガ団の目的は、発電所にせよ、強奪したポケモン達で得たものにせよ、大きなエネルギーを得るというもの。

 エネルギーを得ること自体が目的だと考えるのは楽観に過ぎる。

 ギンガ団の目指す所には、その集めたエネルギーで、何かを為すことであると推察して然るべきだ。

 

 果たしてどんな悪人とて、自身の目的を達成するための最終段階までは、極力自らの企みを表沙汰にしないものだ。

 一例として、銀行強盗という悪事一つを拾えばわかる。

 たくさんのお金がある場所を襲撃し、多大なる利益を得ようとする行為。武装して銀行に押し入った行為とは、果たして悪行の第一段階だろうか。

 そんなはずはない。大金を得るという目的に向けた企みの"最終段階"だ。

 それを実行に移す前に、犯行現場で最大限にスムーズに事を済ませるため、さらにその後逃げ切らんとするため、策を練ってから実行に移っているはず。

 それらは当然、表沙汰にならぬ所で、長い時間をかけて練られるもの。

 つまりどんな悪行に踏み込むものとて、最終目標に向けての中で、自身らの咎められる行動やその意志を、表面化させたくないのである。当然のことだ。

 

 それをギンガ団に当て嵌めてみればわかる。

 大量のエネルギーを得るために起こした行動は、世間にも知れ渡るほどの表沙汰になっている。

 つまりこれは連中にとって、こうして表沙汰になることは本意ではない上での、そうせざるを得なかった必要な道のり。そう考えるのが妥当である。

 そして、望まぬながらもその悪行を表沙汰にした時点で、連中の計画は最終段階に入りつつあると見て間違いない。

 まだまだ目的完遂までの先が長い中で、こうも世間を警戒させるようなことをしては、長い間動きを制限されてまったく望ましくない。

 もはやギンガ団を名乗る悪党連中は、あの事件二つを起こした時点で止まるつもりなどなく、むしろいっそう行動を加速させるだろう。

 正義の手に先回りされるより早く、迅速にことを進めようとすると相場は決まっているのだ。

 

 近いうち、ギンガ団が新たな行動を起こすであろうというシロナとメリッサの推察。

 単なる漠然とした危機意識からの漠然とした憶測ではない。明確な根拠ある、確信さえ得た断定だ。

 

「……あの子達が、悪意を目の当たりにしたその時、若い正義感で突き進んじゃう子達なのはもうわかってるの。

 ずっと一緒にいられない私には、止めようがない」

『あの子達に、随分と入れ込んでいますね。

 お気持ちはわかりますが……』

「悪を純粋に憎み、それを行動に移せる人がどれだけいる?

 誰でもそうよ、目の前で惨劇が繰り広げられていようと、ヒーローが解決してくれることを願い、傍観者に徹し、救済者を待つ。

 何も間違ってないわ、それが賢い生き方よ。身の程に合わぬ世界に身を投じ、怪我や命の危険を冒すことをあたしだって肯定したくない。

 あの子達はそうじゃない。賢くない行動を、正義感から本当に取ってしまう」

『だから、あなたはあの子達を喪いたくない』

「それを出来る人達が、この美しい世界を作ってきたのよ。

 危機や惨劇を目の前にしても、自傷を恐れて動けない人を、誰かが救ってくれるこの優しい世界。

 そうした"賢明な生き方"を百人のうち百人が選んでいたら、惨劇はただただ誰にも制されず悲劇へと繋がるだけ。

 あなたも知ってるでしょう、誰一人消防車を呼ばなかった逸話」

『ええ……

 あれは、私の故郷近くで起こったことでしたから』

 

 ある日、一つの火災があった。家一つが灰になるほどの大家事だ。

 野次馬は集まった。だが、その火を消すための消防団は、ずっと、ずっと来なかった。

 それはその場に集まった誰もが、消防団に通報しなかったからである。

 馬鹿げた話だと思うだろうか。だが、野次馬達が思っていたことはただ一言に尽きる。

 "誰かが通報しているだろう"

 誰かがこの惨事を何とかしてくれるだろう。その一念だ。

 おかしなことだろうか。だが、生じた出来事に二番目以降に気付いた者が、そう思ってしまうのも全く不自然ではない。だって、所詮は他人事。

 第一発見者のせいなのだろうか? そんな責任転嫁、まさしく何の解決にもならぬ愚者の犯人捜しに他なるまい。

 誰しもがそう思っている限り、どのような、いくらでも解決できたはずの事件さえ解決できず、取り返しのつかぬ惨劇へと繋がるのだ。

 

 何らかの手を尽くし、目の前の惨劇を回避しようと行動する者の志とは、どんなに些細でも、小さくとも、大きいものだ。

 パールとプラチナは、目の前にあった悪事を見過ごさず、行動に移り、何とかしようと出来る子供達。

 それは、多くの大人が無くしてしまいがちなもので、大人ぶろうとするものが理屈を構えて捨てようとするものである。

 そしてそれは尊いと同時、彼ら彼女らの身を極めて危ぶめるもの。最悪、何も為せずして。それもまた、最低最悪の結末。

 だからシロナは、そうした人格ありし二人のことを、案じずにはいられないのだ。

 

『……得体の知れない悪人達の目指す何かを止めねば。

 その一念のみで行動する限りで充分だというのに、あなたは守りたいものを増やしていくからつらいのですよ。

 私は、あなたが先に潰れてしまわないかと心配になりますよ?』

「あはは……そうかもね。

 考え過ぎてるかもしれない。

 でもあたし、やっぱり子供達が好きなの。

 未来を作るのはあの子達よ。パールやプラチナに限ったことじゃない」

『プラチナ? プラッチ君のニックネームですか?』

「ああ、違う違う。

 プラチナが本名で、プラッチっていうのは――」

 

 元よりシロナは、友人であるナタネを傷つけてでも、悪行を突き進むギンガ団を許せないという想いが根底にある。

 行動原理としてはそれで充分なはずなのだ。

 そこに関わり得る子供達を案じる想いがあろうと無かろうと、シロナの行動は何も変わらないはずなのだから。

 心配し過ぎて必死になる、心が重くなる、いつか身体まで壊してしまうかもしれない。だから考え過ぎない方がいいとメリッサは言っている。

 無心も逃げではない、大事な自衛手段の一つである。

 シロナも自覚はあるようで、元気は無いが笑い混じりで話し、自分の心に折り合いをつけようと、今から努めているようだ。

 

 煮詰まってきたところに、丁度いい閑話休題があると助かるものだ。

 シロナはプラチナが今ああいう名前でパールに呼ばれていることも話しちゃう。

 知ったからってプラチナ君って呼んじゃ駄目よ? という釘も刺しつつだ。だってその方が面白そうだし。

 

『あはははは、なるほどなるほど。

 ピュアですねぇ、ベリーキュートです』

「こういう何でもない、だけど大人になってから思い出せば、きっと素敵な思い出になるような青春時代ってあるじゃない。

 それが、誰にでも、当たり前のように享受できる、優しい世界が常に続いて欲しいってあたしは思うの。

 だからギンガ団が、誰かを不幸にするようなことを企んでるなら絶対許したくない。まだまだ頑張るわ!」

『ええ、私も同じ気持ちです。

 ジュベナイルの幸福と、彼ら彼女らがそうして育んだ健全な精神で形作っていく未来、それはロストされてはならないものであるはずです』

「あたし達も昔は子供だった。

 大人達に導かれ、育ち、今はあたし達が大人として社会を歩いている。

 そんなあたしたちが、今はまだ若いみんなのことを導くこともまた、あたし達が目を逸らしてはいけない使命だからね」

『オールライト。

 ふふっ、あなたに言われるまでもないとさえ申し上げましょう』

「ありがとう、メリッサ」

 

 パールがナタネとの長電話で無邪気に笑っている中、同じ時間帯にこのような通話が交わされていたなど、彼女らは夢にも思うまい。

 世の中は捨てたものではない。優しい大人は必ずいる。

 若者と喧嘩する大人は多いけど、若者の姿に未熟な頃の自分を想起して、なんとか良き未来に辿り着けるよう手を引こうとしてくれる大人も必ずいるのだ。

 

 ギンガ団のような者さえ現れなければ。

 不安を抱えて日々を生きる者達、誰もが心の奥底で感じていることである。

 シロナとメリッサに代表される、平穏なる世を強く望む大人達であるほど、殊更にその想いは強い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよ~、プラッチ。

 今日も昨日も、私もプラッチもやたら早起きだね」

「寝るのが早いからじゃない?

 まったり旅してるもん」

「急げば昨日のうちにもクロガネシティまで行けそうだったけどねぇ」

「でも暗くなる時間帯にテンガン山越えるのは嫌でしょ」

「絶対やだ。ズバットうようよ」

 

 パール達はズイタウンを出発し、ヨスガシティに到着すると、急がずそのまま滞在してそこで夜を明かした。

 急ぐ旅にすると、テンガン山南の抜け道を夕頃に越えることになり、パールの嫌いなあれが活発化する時間帯になってしまう。

 ちょうど日が沈み切って少しの頃にクロガネシティに到着、という旅程も取れぬではないが、色々都合というものがあるらしい。

 

「今日なんとかコトブキシティまで行って、朝出発して、ミオシティを目指す感じかな。

 水場越えはニルルに任せる感じ? 僕はポッタイシに頑張ってもらうけど」

「なんとかなるなる。

 ニルルもだいぶおっきくなったし、今なら背中に乗せてもらえそう」

「パールはポケモンライドに慣れてるからねぇ。

 昨日もピョコの背中に乗せてもらってたし」

「えへへ、プラッチも乗る?

 ピョコがいいって言ってくれるなら、プラッチなら特別にゆるす」

「ピョコの背中はパールだけのもの感あるんだね」

「当たり前でしょ~、私のピョコだよ?

 プラッチしか許さない。それ以外なら、ダイヤはギリギリ許せるかな?」

 

 二人で朝ご飯を食べながら、今日以降の予定や昨日までの思い出を種に話を弾ませる。

 最近まったりした旅路ということで、パールはピョコの背中に乗せて貰って、209番道路を進んできたりもしたようだ。

 ピョコがハヤシガメに進化して以来、そういうことは何度か程度にはあったのだが、昨日は旅足がゆっくりしていることもあり、乗っている時間も長かった。

 そんなパールなので、ポケモンの背中に乗るというのには慣れている。

 明後日はミオシティへ向かうにあたり、"なみのり"ニルルの背中に跨る予定だが、彼女なら難なく落ちずに乗れるだろう。

 既に昨日、209番道路の水場を使い、ニルルもポッタイシも"なみのり"は練習済みである。

 

「なみのりニルルの背中に乗るのは初めてだから、ちょっとどきどきするけどね。

 今日、どこか水場があったら背中に乗せて貰ってみようかな?」

「いいかもね。

 どんな感じなのか、本番の前に一度は……」

 

『――緊急速報です。

 ノモセシティからお伝えします、先程リッシ湖方面から、巨大な爆発音が発生しました』

 

 楽しくポケモンセンターの食堂でお喋りしていたパールとプラチナだが、食堂に設置された大型テレビから、思わぬ情報が舞い込んだ。

 思わず会話が止まったパール達と同様、周りの人達も会話が止まる。

 やや衝撃性のある緊急速報に、テレビに集まる目線も一様に速い。

 

『現場からの情報によると、凄まじい爆発と共に、間もなくしてリッシ湖の水が一気に干上がっていったということです。

 現在……え? はい……はい………………はい。

 只今得られた続報によりますと、現在既に、リッシ湖の水は完全に干上がり、湖底が晒された状況ということです』

 

「うえぇぇ……!?

 何それ何それ……!?」

「あんな大きな湖の水が、干上がったりするの……?」

 

 驚嘆の声を出すパールとプラチナだが、どよめく周囲の人達も同じ気持ちというところ。

 まるで天変地異を目の当たりにしたかのよう。理屈無く、恐ろしいことが起こっているんじゃないかと、背筋をぞわりとさせている人もいるだろう。

 

『現地への映像に切り替えます』

 

『こちらリッシ湖畔の映像です。

 えー、干上がった湖の映像をここからお届けすることは出来ませんが、畔のホテル最上階からは、干上がった湖の様相がはっきりと捉えられます。

 現在、そちらに映像を切り替えます』

 

『ホテル最上階のカメラからお届けします。

 水に満ちていたリッシ湖は今は干上がり――』

 

「う、うわぁ……マジだ……」

「あれ何? 人?

 ひ、干上がった湖になんかうようよいるよ?」

 

 ノモセシティのニュースキャスター映像から、リッシ湖地上からの映像へと切り替わり、続いて高所からの映像に切り替わる。

 大きな湖の水がすべて無くなっているという、目を疑うような光景が現実に起こっていると、誰もが突きつけられる。

 そして干上がった湖に立ち入った、何人もの人間が闊歩している光景が、この騒動の関係者なのではと想像する者も少なくない。

 

『湖を徘徊する人影をご覧になれるでしょうか。

 地上では、あの集団がリッシ湖への入り口に陣取っており、カメラや報道陣を近付けさせぬよう威嚇行為を続けています。

 この事件と無関係ではない集団と――』

 

「あ…………!?」

「…………!」

 

 だが、目を凝らしてみれば、その推察は確信めいたものに変わる。

 上空から移した湖を徘徊する者達の頭髪は、みな一様に緑のおかっぱ頭。

 それはパールとプラチナの意識において、このような事件を起こしそうな者達のイメージに合致するものだ。

 

 トバリシティのギンガ団とは違う、ハクタイシティや谷間の発電所に出没した、悪しきギンガ団員の象徴とさえ言っていい。

 奴らの仕業だ。二人は間違いなく、そう感じただろう。

 

「……ごちそうさま」

「え? ちょっと、パール?」

 

 朝ごはんも概ね食べ終えていたが、僅かな食べ残しを置いて、パールは急ぎ足で食堂から去る足を向ける。

 急にどうしたと感じたプラチナだが、次の瞬間には、まずいと思って彼も席を立つ。

 普通の女の子だと思っていたけど、最近そんなパールばかりみていたから忘れていたけど、よくよく思い返してみれば嫌な予感がする。

 

 けっこう暴走する子なのだ。許せないと思ったことには、身体を張ってでもぶつかっていく。

 谷間の発電所でも、ギンガハクタイビルでも、乗り込むことを提案したのはパールの方。

 それを知るプラチナの抱いた焦燥感は、断じて的外れなものではない。

 

 

 

 

 

「嘘でしょパール!?

 本当に行く気!?」

「うん、もう自転車借りちゃったし」

「遠いよ!?

 着く頃にはもう警察が解決してるでしょ!?」

 

 いやはや、この行動速さはプラチナの予想の遥か上を行く。

 自転車なんてどこの街でも売ってるが、少々お高いのでレンタルサービスをやっている場所も多い。

 パールときたら、あのニュースを聞くや否や、遠いリッシ湖まで行くことを即決し、レンタサイクルで赤自転車を早速借りている。

 これで212番道路を疾走し、ノモセを経て、リッシ湖まで突っ走るつもりらしい。

 沼が多く自転車で走るには向かないとされている212番道路だが、高台を経ての自転車ルートも実在する。

 本気でずっと突っ走ったら、確かに日が沈む前にリッシ湖に到着するのも不可能ではない。不可能ではないけれど。

 

 マジでやる気らしい。もう自転車に跨っている。

 プラチナがそんなパールの前に立ち塞がって、前からハンドルを握りしめて止めていなかったら今にも突っ走りそう。

 どいて、止めないで、というパールの眼は、頼むようでも突っぱねるようでもある。

 

「危ないよ、絶対……!

 ハクタイシティのビルで、ギンガ団の幹部とナタネさんの戦い見てたでしょ!?

 どんな相手がいるのかもわからないんだよ!?」

「っ……関係ない、行く!

 じっとしてられない!」

「どうして、そこまで……」

「許せないもん! わかるでしょプラッチも!

 湖のポケモン達、どうなってた!?

「そ、それはっ……」

 

 上空カメラが映していたニュース映像に映り込んでいたのは、単に干上がった湖とそこを徘徊する連中の姿だけではない。

 さっきまで泳いでいた水が無くなって、むき出しになった湖底に晒されて、苦しそうにひくついたポケモンの姿もあったのだ。

 特にコイキングは、図体が大きいため高所からの撮影映像への映りもよく、至る場所で跳ねていたものである。

 そして、果たしてテレビを見ていた他の人達が、そこまで見ていたどうかは定かではないけれど。

 ギンガ団員が陸に上げられて苦しむコイキングを、邪魔だとばかりに足蹴に押しやる乱暴な仕草が、パールの情熱に火を点けてしまったのだ。

 

 信じられないことをする奴らだ。パールの怒りは並々ならない。

 行って自分に何が出来る? そんなことさえどうだっていい。

 今ここでじっとして、嫌な奴らだ最低な奴らだと、悪口叩いて発散する程度で気が収まらないほど、パールは頭に血が上っている。

 怖い想いをしたはずのことをプラチナが突きつけ、思い出させて初めてパールも怯んだが、それでもすぐに持ち直すほど。

 言っても聞かない、絶対なにがあっても止まるまい。これほどそうだとわからせてくれる姿もそうそうあるまい。

 

「っ、っ……あぁ~~~っ、もう!!

 わかったよ、僕も行くよ! どうせどれだけ止めてもムダなんでしょ!」

「う……ぷ、プラッチ……」

「言っとくけど僕もちょっと怒ってるからね!

 反省せずに無茶して!

 ちゃんと無事に帰ってこれても、後でめちゃくちゃ文句言うよ!」

 

 初めてプラチナが自分に対して凄く怒ってる姿を見せたので、パールも腰が引けるほど怯んだ。

 無茶なこと言ってる自覚は多少あるのか、それさえ呑んで貰えたら、今度はパールが強く言える部分がゼロになる。

 ダメ、と言われたら、やだ、で強く返す。行くのは構わない、って言われたら声を張り返す所もないわけで。

 ずんずん自転車屋さんに乗り込んでいくプラチナが、青い自転車を借りて引っ張ってくる姿を、パールは一転びくびくしながら迎える。

 一気に弱くなった。優しい相手にこそ弱いらしい。

 

「行くよ、パール……!

 本当、どうなっても知らないからね……!」

「うん……!

 ありがとう、プラッチ……! 許してくれて!」

「許してない! 後でめちゃくちゃ怒る!」

「でもありがとう!」

 

 真っ直ぐな気持ちをペダルに乗せ、二人はリッシ湖へ向かう最短ルートにして長い道のりへ、跨る自転車を進め始めた。

 朝から出発、目標地点への到達は夕時見込み。

 長い長い、若い健脚でもぱんぱんに腫れそうなほどの強行軍だ。

 途中でパールが根を上げて、やっぱりやめようって言ってくれたらいいのになって、プラチナは強く思っているだろう。

 彼女はそんなこと絶対言わないだろうと、なんとなくわかりきっているからこそ、いっそうのことやるせない。

 

 許し難きギンガ団の所業に、何か出来ることを一矢でも報いんと突き進むパール。

 そんな無茶型のパールのそばに寄り添うことを選び、何があっても絶対彼女を守るんだと密かに決意を固めているプラチナ。

 遠い、遠い、そんな場所での火中の栗さえ拾いに行くという、自ら危険な地へと赴くことを、若く幼い二人は選び抜いていた。

 これが出来てしまう二人、たとえ一人でもそれを選んでしまうパールという時点で、もはや彼女はギンガ団とは切れない縁を自ら結んでいる。

 シロナの懸念は、最悪の形で結実してしまったとさえ言い切れよう。

 パールはもはや、彼女の感情が許せないと感じる所業を繰り返すギンガ団から、離れようとするどころか自ら近付きに行く危うい正義感の持ち主だ。

 

 もはや、一線を越えている。

 きっとパールは、その目や耳がギンガ団の悪事を捉えるたび、その身が動く限りであるなら、じっとしていることが出来ない。

 そんな彼女であると、この暴走が物語っていた。



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第64話   リッシ湖

「はぁはぁ……! 着いた、っ……!」

「ぱ、パール、大丈夫なの……?」

「平気平気っ……!

 ダイヤに振り回されまくって育ってます! 体力だけは満点っ!」

 

 果たして本当に、日が沈むより早くリッシ湖のほとり、宿泊街まで辿り着いたパールとプラチナ。

 想像していたより早く着いたぐらいである。速度面でもかなり頑張ったらしく、パールの息切れっぷりは激しい。

 

「脚、震えてるじゃん」

「さ、流石にキてるよ、そりゃ……

 プラッチ平気そうだね……すごい……」

「そりゃ僕はパールより体力あるよ。

 パールは最近旅を始めたばかりかもしれないけど、僕はその前からずっとロードワークしてたんだから」

「うぐぐ……風邪引きプラッチのくせにぃ……」

「僕そこまで虚弱じゃないから。

 あの日は我ながら無理したなって反省してる」

 

 宿泊街の一角で自転車を止めて地面に降り立ったはいいものの、パールは自転車に手を置いて、それを支えに立っているような状態。

 脚がっくがくである。片手で膝を押さえつけようとしても、止まらないほど脚が笑っている。

 一方プラチナが平気そうな顔してるので、パールはそれが悔しい悔しい。

 はっきりとプラチナの方が、ずっとパールより脚が強いのである。

 パールがどんなに自転車飛ばしてもプラチナはついていけるし、溜まる疲労からパールが失速してきたら、プラチナにとってはいい休憩。

 流石は足が命のポケモン学者の卵というところか。野にも生きるポケモン達を観察するにあたり、ひ弱な脚では務まらないのだから。

 

「ピョコの背中に乗せて貰いなよ。

 急ぐんでし?」

「うぐぅ……ピョコ、お願いします……」

 

 事件発生から何時間も経っているが、どうやらリッシ湖の事件は未だ解決に至っていないらしい。

 ちょいと冷たい声で、だらしない脚をピョコに助けて貰いなよとばかりに提案してくるプラチナである。

 言葉の鞭。どうやらプラチナ、あんまり機嫌は直ってなさそう。

 

 ピョコをボールから呼び出したパールは、よじ登るようにしてピョコの背中に這い上がって座った。

 ぴょんと跳び乗ることが出来ないぐらい、疲弊しきった脚に力が入りきらないようだ。

 駆けつけた割には締まらない子である。

 

 

 

 現在シンオウ地方では、特に東部において、リッシ湖の水が枯れたという大事件は、大きな大きなトピックスだ。

 どこのニュース番組でも、高所から撮影する映像をもとに、近況報告や出演者の考察が交わされている。

 チャンネル次第では普段放送している番組の間に、特別番組として今回の報道を挟んでいるぐらい。

 

 それほど世間の注目を集める事態なので、比較的自由なラジオ番組などでは、現在の状況をこと細やかに、合間の実況じみた形で報じている。

 パール達はリッシ湖に向かう間、ポケッチのラジオ機能で近況を聞きながら、リッシ湖の現在の状況を把握してる。

 事件発生から時間も経ち、複数回の新展開は生じたようだが、事態の穏便な収束はまだ先というのが実状のようだ。

 

 人為的な手段での湖を枯れさせたことが容易に想像できる要素があり、歩けるようになったリッシ湖底をギンガ団が闊歩していれば当然警察も動く。

 が、ノモセから出動した警察がリッシ湖に立ち入らんとしたところ、やはりギンガ団も抵抗する。

 なにぶんポケモンを差し向けられると、警察もそれなりに手を焼くのだ。

 もちろん警察にだって強いポケモンを使役する人はいるし、戦うことは出来るのだが、統率されたギンガ団の動きはなかなか機能的。

 押し寄せる警察に対し、地形を削って進軍ルートを断ったり、木陰から狙撃したり、割と良く出来たゲリラ戦術で、警察を押し返すことに成功している。

 一旦退がった警察は、立て直しての再突入を試みるも、これもまた制圧には至れず。

 今回のギンガ団は、谷間の発電所やギンガハクタイビルで侵入者に為すすべなく屈した下っ端連中とは違うようだ。強い。

 もっとも、強いといっても今回使役しているポケモンが、以前の事件と比べて強いというだけなのだが。

 それが何より厄介な、警察にとっての苦戦要素なのも確かだったりする。単純に兵力の強い軍勢の防衛線は、それだけでも相応に堅固となる。

 

 こう聞くと警察の皆様を頼りなく感じるかもしれないが、二度の突入でギンガ団員のいくらかを確保することには成功しているようだ。実績はある。

 警察には、何度でも再突入できる作戦力があり、複数の突入で最後には勝利をものにするという、警察なりの戦い方がある。

 報道されていない範疇の話だが、夕過ぎの夜にも三度目の突入を予定しており、この三度目の正直が警察にとっての決着戦となるのだろう。

 敵の実態は二度の突入で概ね把握できた、敵勢の余力も削いだ。次は負けまい。

 きちんと最後には勝てるよう算段を立てている辺り、警察の戦い方もそんなに悪いものではない。

 とはいえ各位報道も懸念していることだが、迅速に勝負をつけられないのは、ギンガ団の思惑を想定する限りでは歯痒くもある。

 リッシ湖の水を抜いてまで、ギンガ団は何を成し遂げようとしているのか。

 最終的に警察が勝ってくれるのはいいのだが、時間をかければかけるほど、ギンガ団の目的とやらが達成されるまでの時間を与えることになるまいか。

 明日を迎えるまでにギンガ団の連中殆どを逮捕することは叶うかもしれないが、それを果たした時既に、目的は達したぞ、と悪の集団が高笑いでは歯痒い。

 何を企んでいる連中かは知らないが、とにかくその悪人を一秒でも早く制圧してくれ、というのが、庶民の本音である。

 これは警察もわかっていることで、こちらもそれなりに必死。精神的にも実績的にも、決して無能な公安組織ではないとは補足できる大人達である。

 

 そんな折に降臨した正義の味方の存在はセンセーショナルなものであった。

 基本、警察に任せて本職を離れまいの精神であったノモセのジムリーダー、マキシがここの制圧に参戦してくれたのだ。

 ジム生の中でも優等生の者達と共に、警察の二度目の突入を退けて疲弊しているギンガ団へと突入したのである。

 警察との戦いで弱った相手に追い討ちをかける形での参戦、ジョークの得意なラジオのDJには、おいしいとこ取りだねぇなんて揶揄されたりもするけれど。

 当然、冗談に過ぎない。警察にとっては降って湧いた最高の協力者。

 本気を出せば最強格のポケモントレーナーが、精鋭揃いのジム生達と共に、この悪党集団の制圧に与してくれるというんだからありがたい。

 ギンガ団も死に物狂いで応戦するし、ジム生のポケモンが敗れて引き下がらざるを得ない者も現れるが、そのトレーナーとポケモンの保護には警察も尽力。

 強いマキシを最強の矛とし、ギンガ団達を打破し、マキシが快進撃を続けることが最新の報道としてラジオでもテレビでも報じられていた。

 

 マキシ達がこの戦いに参戦したのは、パール達がリッシ湖のほとりに到着する少し前。

 つまり、今でもギンガ団相手に戦っているかもしれない頃合いだ。

 パール達はちょうど、事件の佳境にここへ参じたことになる。

 

 

 

「ねぇプラッチ、こっちでいいの?」

「当たり前でしょ、湖の入り口から素直に向かっても、警察の人に危ないから入るなって止められるだけだよ。

 別の場所から入らないと、結局野次馬止まりだよ」

 

 一般的にリッシ湖に近付ける唯一の道は、湖北東部の拓かれた道のみ。

 そこが警察の Keep Out で塞がっていることが容易に想像される今、パール達は湖に立ち入ろうとするなら別角度から迫らねばならない。

 いっそその真逆、湖の南西部から森と木々をがさがさ潜り抜け、それこそ不審者ルートで湖の岸へと向かっていく。

 これはこれで正しい判断である。

 

「プラッチ、なんだかんだで協力してくれてて……」

「は?」

「あわゎゎ……さ、最後まで聞いて聞いて……

 私のワガママで、その……でも、知恵を貸してくれてて……

 あ、ありがとうって、言いたくて……」

「……わかってるなら結構ですよだ。ふんっ」

 

 駄目だ、やっぱりプラチナの機嫌は良くならない。

 乗りかかった舟だから、最善を尽くすために協力しているだけのプラチナ、ここに来たこと自体が決して本意ではないのだ。

 一瞬、楽観的なありがとうでも言うかと思ったパールに対して、冷たく怒った声を返すぐらいにはぴりぴりしている。

 決してそんな軽い気持ちではなく、申し訳なさ含みの感謝をしようとしたパールさえ、今のプラチナの尖ったメンタルにはびくびくする。

 

 まあ、プラチナも必死なのだ。

 これから先、どんな敵が待ち構えているかわからない。

 ギンガ団幹部のジュピターに匹敵するか、あるいはそれ以上の強い敵が待ち構えていたら、果たしてパールを守りきれるだろうか。

 彼こそ一番神経質である。ぴりぴりするのもしょうがない。

 

「……ここからでいいかな。

 よし、パール、ここから行くよ」

 

「わわわっ、こんなとこ降りられる?」

「なんとか降りられると思うのケーシィのテレポートで」

「あ、なるほど。

 高い所にも行けるテレポートなんだから、降りることも出来るんだ」

 

 木々の間を抜け、パール達が辿り着いたのは、大きなリッシ湖の南側。

 リッシ湖ほとりの宿泊街からは最短に近く行ける場所であり、同時に、警察やギンガ団が壁になる湖北東側にあるリッシ湖本来の入り口とは反対側。

 ここからの侵入が叶うなら、とりあえず干からびた湖底に邪魔者無く踏み至れそうだ。

 

 元が水深のあるリッシ湖は、水を失った今、巨大盆地のような状態だ。

 その南側は、湖水がある時なら一気に深くなっていく湖畔であり、つまり水の無い今は急斜面。崖ほどではないが、下り角度がきつすぎる。

 湖底までの高さもあり、こんな所からの侵入は危ない。それをクリアするのが、プラチナのケーシィによる湖底へのテレポートだ。

 転送距離に限りはあるが、かつて谷間の発電所の屋上にみんなで向かった時と同じように、遠く見下ろす低い位置への瞬間移動も可能である。

 

「……湖の真ん中に、洞窟みたいなのがあるね。

 ギンガ団もあの周りに集まってるし、あれがギンガ団がここまでして目指していたものなのかもしれない」

 

「んんんっ……?

 でも、集まってるギンガ団殆どくたくただよ。

 なんか、バトルに負けた後みたい」

「マキシさんが突入したっていう話だし、本気出したマキシさんやジム生の人達にのされたんじゃないかな」

 

 露出した湖底を一望するパール達、水の無くなった湖の真ん中の洞めいたものと、周囲で立たずに屯しているギンガ団員達に目を惹かれる。

 座っていたり、寝転がっていたり、洞の壁にもたれかかっていたり。見張りをしている姿勢じゃない。

 みんな後で警察に拾われて捕えられるのを待つだけのように意気消沈している。

 

「そっかそっか、流石マキシさんだ!

 もしかしたら私達が何もしなくても、マキシさんが事件解決しちゃうかも?」

「だといいけどね……どうする?

 もう、あの感じだと……」

「ううん、行こう。

 ここまで来たんだよ、やること無いかもしれないけど、何か出来ることはちょっとでもあるかもしれないしさ」

「はいはい、説得失敗ですね……」

 

 あわよくば、パールを引き下がらせられればなと一言振ってみたプラチナだが、やっぱり流石にそれは無理。

 まあ、何時間もかけてここまで来たのだ。既に事件解決済ならまだしも、何もせずに帰るというのは、感覚的に受け入れ難かろうというもの。

 それに関してはプラチナも、一応腹は括った上で来た以上、ちょっと気持ちはわかる気分である。

 

「ただ、行くなら行くで、マキシさんの足を引っ張るようなことになったら最低最悪だよ。

 ギンガ団員に負けて、捕まえられて、僕らを人質にされてマキシさんが全力を出せなくなる、なんてことになったら……」

「うっ……それは、ちょっと……」

「ほんとに、絶対負けられないよ。

 死に物狂いで頑張ろうね」

「う、うん……」

 

 やるからには、事態の悪化を招くような役者にだけは断じてなるべからず。

 きつく念を押され、パールがピョコをボールに戻し、プラチナがケーシィをボールから出す。

 テレポートでの着地地点をケーシィに見据えさせ、二人で湖底に降り立つ構えに入る。

 

「パールのことは、僕が絶対守ってみせる。

 …………本当に、時々、パールは世話が焼けるんだから」

 

 プラチナは、決した覚悟を口にすることでいっそう心に刻み付けるかのように、パールを真っ直ぐ見据えてそう言った。

 かなり照れ臭い発言であるのは口にする前からわかっていたようで、耐えられずに照れ隠しの言葉も後に続いたようだけど。

 真っ直ぐな眼差しで、大事な人を守ることを表明する男の子の姿には、パールも不意に胸を打たれたものである。

 

「……うん、ありがとう。

 プラッチ、頼りにさせてね。

 ここまで一緒に来てくれただけでも、私ほんとに嬉しいよ」

「一人で行かせられるわけないでしょ……

 パール、逆の立場だったら絶対僕と同じこと考えるよ」

「あははは……そうかも、そうだよね」

 

 プラチナが自分を止めようとしてくれているのだって、心配してくれているからだというのは、パールにだってわかっていたことだ。

 でも、もしかしたら頭でわかっているつもりであったって、その迫真さをきちんとわかっていたかといえば、そうではなかったかもしれない。

 今になって、パールは自分の我が儘を許してくれて、今なおここまで案じてくれるプラチナを前にして、胸がずきんとしたものだ。

 感情のままに我を押し通したこと、支えてくれる誰かがいてくれること、それを強いた自分の罪深さを自覚するのは、幼いうちは難しい。

 

「行こう、パール。

 僕達なりに、全力で頑張ろう」

「うん……!」

「ケーシィ、テレポート!」

 

 二人を連れてテレポートを行使したケーシィに伴って、パールとプラチナは湖の底へ降り立った。

 振り返って見上げれば、遥か高い場所にさっきまで立っていた場所。

 ギンガ団が制圧したエリアという敵地に降り立てば、もう後戻りは出来ないかのように、二人の肌もひりつきを感じている。

 

 かつての谷間の発電所のように。あるいはギンガハクタイビルのように。

 悪の組織が陣取る世界へ、二人は再び身を投じたのだ。

 かつての苦戦や、傍観することしか出来なかった死闘の記憶が、いま改めて二人の心に強い重圧を覚えさせていた。

 

 

 

 パールとプラチナが真っ直ぐ駆けて向かうのは、湖真ん中の洞窟だ。

 当然、思わぬ方面から現れた侵入者に、気付いたギンガ団員達も応戦してくる。

 ポケモンを出してくるでもなく、生身でだ。恐らく自分のポケモンは、警察との攻防戦で疲れ果てているか、マキシとのバトルでやられた後なのだろう。

 それでもパール達をその手で捕まえようとするのは、まあプラチナの言ったとおり、子供を使えばいい人質になるだろうという画策でもありそうだ。

 

「ぎゃひん!?」

「ポケモンを使って攻撃してくるなんてズルいデース!?

 こちらは生身の人間ですヨー!?」

 

「子供二人に大人数人がかりで襲い掛かってきてよく言うよ……!」

「ニルルっ、撃って撃って!

 でも直接当てちゃ駄目だよ! 大怪我させるのは流石に駄目だからね!」

 

 もちろんパール達だって、むざむざ捕まってやる気は無い。

 パールはニルルを、プラチナはポッタイシを出し、迫るギンガ団員達を容易に退ける。

 本来ポケモンに人間を攻撃することを命令するなんていうのは、トレーナーの風上にもおけない行為。

 今回の場合は流石に仕方ないが。ポケモン達の力を借りないと、大人の力で押さえつけられて手も足も出ない。

 ニルルは水の波動、ポッタイシは水鉄砲を、ギンガ団員達に当てず相手近くの地面に着弾させ、泥と衝撃を浴びせて転ばせ撃退するに留めている。

 

 いくら悪人相手だからって、自分のポケモンの手を汚して大怪我させるなんてのは、パールもプラチナもしたくない。これがトレーナーの普通の考え方。

 状況が状況だし別にいいじゃん、なんて言い訳を作って"一度目"をやってしまうと、二度目三度目をもっと軽い基準で再びやってしまうのも人間の危うい所。

 敵を退けること自体は免れないが、許すまじ敵が相手でも一線を越えないようにすることは、案外馬鹿にならぬほど重要だったりする。

 

「くぅ~、今日はツキが無いデース!

 ここまで順調だったのに!」

「リーダーとジムリーダーが戦っている所に、邪魔が入ったら大変デース!

 我々がリーダーに怒られてしまいマース!」

「ここは負けられまセーン! ウリャーッ!」

 

「っ……!

 やっぱり、幹部格がいるんだな……!」

 

「あひん!?」

「ヒョエーーーッ!」

 

 毎度そうだが、ギンガ団員の下っ端どもからは、酸っぱいことを言うと賢さが感じられない。連携力も無い。

 ポッタイシやニルルの攻撃で吹っ飛ばされていく姿は、あまりに弱すぎて哀れみすら誘い得る。

 まあ派手に吹っ飛ばされて地面に転がってた割には、むしゃくしゃじたばたしている辺り、やたら頑丈そうではあるが。ニルルとポッタイシの手加減も上手。

 

 ただ、リーダーという単語を耳にしてしまえば、プラチナもパールもぞわっとする。

 悪の組織ギンガ団の下っ端構成員は、先の事件でも逮捕されてもろくに情報を持っておらず、寄せ集め集団であることが概ね想定されるが幹部格は違う。

 ジュピターが本気のナタネと渡り合っていたように、そしてマーズも明らかに遊んでいてあの強さであるように、その前例の記憶は二人にも鮮烈だ。

 自分達が向かう洞窟の中に、その幹部格が待っている。そんな予感がする。

 それはマーズかジュピターか、あるいはそれに比肩する新たな顔か。

 ギンガ団員の口にしていた言葉から、まさに今、洞窟内ではマキシと敵の幹部格が戦っているところだとも示唆されている。

 

「急ごうか、パール……!」

「うん!」

 

 邪魔者を打ち払いながら、パールとプラチナは洞窟内へと駆け込んでいった。

 マキシは強い。パールとのバトルでは、手加減していながらあれほどの強さだったのだ。

 そんじょそこらの相手には負けやしまい。だが、あのジュピターにも並ぶほどの幹部格が相手となれば、勝負はどう転ぶかわからない。

 あの日のナタネのように、苦戦は強いられているはずだ。

 なればこそ、マキシの実力を疑いこそしないものの、早く力にならねばと足を速める二人の姿がそこにあった。

 

「ぐああ、っ……!?」

 

 だが、勝負は既についていた。

 厳密に言えば、パールとプラチナが今まさに、勝者が自らをより強くそう確定付ける、駄目押しの一撃を目撃することに至っていた。

 

 洞窟の再奥地、未だ僅かな湖水が残るその場所で。

 既に自分のポケモンが全員敗れ、戦える者をそばに置いていないマキシに、敵のドクロッグが無慈悲な"どくづき"を打ち込んでいたのである。

 膂力に秀でるドクロッグの強烈な一撃を受けた、逞しい体つきのマキシが突き飛ばされ、力無く地面に倒れる姿をパール達が目の当たりにする。

 

「マキシさん!?」

 

「おっと……新たな来客か。

 外の団員は何をしているのやら……まあ、もはや余力は無かったということか」

「っ……! ポッタイシ!」

 

 倒れたマキシに駆け寄るパール、そしてポッタイシをボールから出すプラチナ。

 ジュピターと同じだ。ポケモンに、人間を傷つける指示を下すことを厭わぬギンガ団幹部。

 パールや自分、そしてマキシを守るため、ポッタイシに敵と自分達の間に立つ指示を出すプラチナの判断は早い。

 

「うっ……ぐうっ……!

 お、お前ら、どうしてここにっ……!?」

「あっ、あっ、プラッチどうしよう……!?

 毒消しって人間にも効くのかな……!?」

 

「あまり喋らない方がいいですよ、マキシ氏。

 あなたの動きを止めるための弱い毒に過ぎませんし、命に関わるものではないはずです。

 とはいえ、無理な運動は毒が回りやすくなって苦しむだけですよ」

 

 ドクロッグを使役するギンガ団幹部は、パール達に僅かな安心をもたらし、それ以上の嫌悪感を抱かせる言葉を淡々と発していた。

 ドクロッグの毒は非常に強いもので、容赦なく人間に注ぎ込めば容易に命を奪うほど強力。

 それを毒の濃度か量を調節したのか、マキシの命に別状は無いよう加減しているというのは、最低限まだ救いがある。

 しかし、人間の体に毒を打ち込むことを命じ、悪びれもしないその姿は悪の組織の幹部そのものだ。

 パール達がこの人物に抱く印象は、許せないという想い以上に、その冷徹さにぞっとする想いの方が遥かに強い。

 

 そしてこのギンガ団幹部らしき人物、その風体もやや異質。

 目の穴だけが開いた何の装飾も無い白面を顔に纏い、肩まで届く金髪という出で立ちながら、その声は男性とも女性ともつかない。

 恐らく仮面の下には変声機も仕込んであり、それが発する声は肉声ではないのだ。

 声変わりを迎える前の少年のような高さを僅かに残しながら、機械的な合成音声が、いっそうその人物の不気味さを増長している。

 いかにも正体を隠したその出で立ち、その金髪さえ、地毛を隠すためのウィッグであることも視野に入ってくる。

 

「人に毒を打ち込むなんて……」

「正当防衛ですよ。

 戦えるポケモンを失ったマキシ氏とて、その腕力で襲いかかられては私とてひとたまりもない。

 おとなしくしておいてもらわねば、私の方が危ないのでね」

「こいつ……!」

 

「か、帰れ、お前ら……!

 こいつに勝つのは、お前らじゃ無理だ……っ!」

「マキシさんっ、立ち上がろうとしないで!

 毒を受けたんでしょ!? 寝てなきゃ……!」

「そいつは、そのドクロッグ一匹で……っ、俺のポケモンを全部撃破してきやがったんだ……!

 これほどまでに強い奴は、そうそういねぇぞ……!」

「は……!?」

 

「名誉のために申し上げておくと、あなたのポケモン達もうちの下っ端どもとの連戦を経ていくらか疲れていましたがね。

 今回は部下にも、それなりに強いポケモンを預けていましたから。

 あなたほどのトレーナーを食い止めることはやはり出来なかったようですが、あなたを消耗させ、ジム生を全員退けるだけの仕事はしてくれたということです」

 

 それにしても、の衝撃的な現実だ。

 こいつは、マキシに勝ったのだ。それも、手加減していないジムリーダーに、たった一匹のポケモンで。

 その実績はパール達に、ここで待ち受けていた敵の強さが、想像を遥かに超えたものだと痛切に思い知らせる。

 

「っ…………お前が、ギンガ団のボスなのか?」

「浅い発想だ。

 想像を超える強さの持ち主と見れば、敵対組織の最強戦力想定か?

 残念だが、私はボスではないよ。ボスは、私よりもずっと強い」

 

 プラチナの問いかけに対する回答は、二人にとっていっそう悪いものだった。

 ジュピターのような強者のみならず、ボスの下にもう一人こんなに強い奴がいて、しかもそれよりさらに上がいる。

 想像のみで補っていた、悪しきギンガ団を構成する敵の強大さが、実像となって二人の気持ちを押し潰しにかかってくる。

 

「名乗らせて頂いておこうか。

 ギンガ団の幹部、ボスの補佐役を預かる"サターン"だ。

 ジュピターから話は聞いているよ。ギンガ団に歯向かう勇敢な子供達が二人いるとね。

 どうやらそれは、君達で間違いなさそうだ」

 

「湖をここまでして、何が目的なんだ……!?」

 

「生憎だが、それに答えてやる義理は無いな。

 それに君達にとっては残念なお知らせだが、私は既にここに訪れた目的はもう果たしている。

 あとは撤退するだけの身だ」

 

 わざわざここまでご苦労様、と慇懃無礼に上品なお辞儀仕草を見せるギンガ団幹部、サターン。

 やはり、事件発生からここに至るまでにかかった時間は大き過ぎたか。

 もうこの時点で、ギンガ団の目的そのものを挫くことは果たせなくなっている。

 

「そんな折に、マキシ氏に逃がしてなるかと絡まれてね。

 降りかかる火の粉は振り払わねばなるまいと思って応戦したまでだ。

 ……それとも君達も、せめて私を警察に突き出すべく、制圧しようという気概でそこにいるのかな?」

 

 淡々とした口調ながら、そこには『やるのか?』という明確な恫喝の意図。

 腰が引けるほど怯んだプラチナだったが、視界の端でマキシのそばにて立ち上がったパールの姿が見えた。

 彼女の方を振り向いてみれば、目の前の相手に強い恐怖心を抱く、冷や汗にまみれたパールの表情があったけれど。

 退かず、戦う意志を振り絞り、強い眼差しでサターンを見据えるその瞳もまた、言葉無くともパールの解答を示しきったものに他ならない。

 

「プラッチっ……頑張ろう……!」

「っ……そうだね……!」

 

「噂に違わぬ果敢な子供達だな。

 いつか大きな怪我をしそうな、幼く危うい正義感だ。

 その大怪我をする日が、今日であったとしても構わないというんだな?」

 

 ドクロッグが腕を振るい、指めいた形の毒針から青い体色と同じ色の毒液を分泌する。

 地面にその雫が滴って、湿った土がじゅうと煙を発するほどの、溶解性さえ匂わせる強力な毒。

 お前達も負けて戦うポケモンをすべて失えば、マキシのように俺様の毒を打ち込まれることになるぞ、というドクロッグの脅迫だ。

 思わずパールも恐怖のあまり一歩下がり、全身を震わすほどすくみ上っている。

 

「まあ、重畳だ。

 どのみち君達が尻尾を巻いて逃げ出していたとしても、私は君達を逃がすつもりはなかったのでね。

 我々の邪魔をしようという反抗勢力には、痛い目を覚えておとなしくしているよう、私もきつく灸を据えておかねばならない」

 

「て、てめぇ……!

 俺はまだしも、こんな子供にまで暴力を厭わねえってのか……!?」

 

「これは必要な教育ですよ。

 悪しきと認めた敵に、力の差をも度外視してでも挑もうというその姿、決して皮肉ではなく敬うべき気高さだ。

 だが、そうした高潔な志を貫き通すには、理想を叶えるための力と、失敗した時に取り返しのつかないものを喪うリスクもまた伴う。

 それを知って尚、今のような姿を保ち続けられるのであれば、それはそれで立派なものですよ」

 

 パールやナタネの正義感を小馬鹿にしていたジュピターの同胞からのものとしては、おおよそ信用できない賞賛の言葉を発するサターンだ。

 合成音声で発される声には、抑揚のみで感情が乗っていない。声から真意を推察することさえ困難。

 底の知れない言葉だからこそ、パールもプラチナも気持ちの悪いものを見る目をサターンから離せない。

 

「なに、心配するな。

 私のドクロッグも、さしものジムリーダーの強きポケモン達との連戦で疲れきっている。

 私の切り札である彼を使うようなことはしない。少しは気が楽になるだろう」

 

 おいおいそりゃあねぇぜ、とサターンを振り返るドクロッグだが、サターンも肩をすくめる仕草を見せ、ドクロッグのボールのスイッチに指をかける。

 せっかくやる気になってたのによ、と不満げなドクロッグだったが、こちらも肩をすくめてしゃあねぇなという仕草。

 サターンも、それを確認してからドクロッグをボールに戻す。仕草だけで対話めいたものを為す辺り、切り札と称するほどの強い繋がりはあるようだ。

 

「そして、君達は二人同時にかかってくる権利がある。

 命が懸かっているも同然の戦いだ、せいぜい手段を尽くすことだ。

 死にたくなければ遠慮なくかかってくるといい」

 

 死という最も恐ろしい単語を匂わせて、戦いが始まる直前に子供達の心を揺さぶったサターンは、別のボールから自分のポケモンを出した。

 中から飛び出してきたのはミノマダムだ。

 小さな体で強そうに見える個体ではないが、ナタネのチェリムがギンガ団相手に大暴れしていたように、ポケモンの強さは見た目に依らない。

 

「…………ミーナ」

 

 小さなミノマダムを前にしてなお、パールの心に緩みは無かった。

 敵はギンガ団幹部。あのミノマダムが弱いはずがない。

 負ければ自分がどうなってしまうかわからない戦いを前に、パールはニルルをボールに戻し、新たにミーナを繰り出した。

 ここまでの短い突破戦でも、それなりに力を使って来たニルルの僅かな疲れを意識してのことだ。

 何よりも、怖い戦い。それにおいて、血気盛んに出てきて、任せろと強気の眼差しをパールに向けるミーナの姿は、パールに僅かな勇気をもたらしてくれる。

 

 プラチナはポッタイシと共に、パールはミーナと共に。

 そして、自分よりも大きなポケモン二体を前にしても、何ら動じる様子も見せないミノマダムを従えるサターンは、仮面の下で小さく笑っている。

 お手並み拝見。この時間は、サターンにとって実に楽しい時間である。

 

「さて、見せて貰おうか。

 我々に真っ向から楯突こうとする、その無謀を肯定せんとした実力の程をな」

 

「いくよ、プラッチ……!

 絶対、勝つよ!」

「ああ、負けない……!」

 

 戦えるジムリーダーはそばにいない。自分達だけで、ギンガ団幹部に挑むという初めての戦い。

 心臓にひびが入りそうなほど、恐怖に締め付けられて鳴る胸の痛みに耐え、パールとプラチナはその意気を唱え合っていた。

 敗北が未来を閉ざされる結末へと直結する大一番。覚悟を決めて自ら挑んだものとはいえ、子供達には過酷な戦いだ。



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第65話   VSサターン

 

「ポッタイシ! みずのはどう!」

「ミーナ! 走って!」

 

「ふむ、わかりやすい」

 

 ポッタイシの撃つ水の波動を、サターンのミノマダムはひょいっと跳んで躱す。

 本来動きが遅いとされるミノマダムにしては機敏だが、パールやプラチナにとっては想定外ではない。

 相手がレベルの高いポケモンであることはわかっているのだ。

 

「ミーナ! メガトンキック!」

 

「む? 用心深いな……」

 

 水の波動を躱した直後のミノマダムにミーナが繰り出したのは、ハイキックめいた全力の回し蹴りだ。

 このミノマダムは"ゴミのミノ"個体だ。はがねタイプを複合しており、メガトンキックの効果はさほど大きくない。

 "とびげり"の方が効果が高そうなところ、回避されれば逆に痛手と見たか、攻撃の命中性を高めるコンビネーションを敷いてきたにしては用心深いと見える。

 格上相手の挑戦なりの技の選び方をしている辺り、幼く見えて侮れない子供達だとはサターンも意識すく

 

「なんだ、"やつあたり"か?

 あまり懐いていないようだな」

「うっ……一目で……!」

「まあ、悠長に戦うのがお望みなら私も付き合おう。

 ミノマダム、準備しろ」

 

 ミーナに蹴られてやや飛ばされながらも、着地しくるっと容易に体勢を整えるミノマダムに、大きなダメージは通っていなさそうだ。

 蹴ったミーナの方が、蹴り足がちょっと痛くてぴょんぴょんしているほど。反動と呼べるほどのダメージではないようだが。

 一方で、パールの言う"メガトンキック"が別の技であると即座に看破したサターンは、ミノマダムに新たな指示。

 ぶるぶるっと体を震わせるミノマダムは"せいちょう"しているのだが、この仕草を見て何をしているか見極めるのは少々難しい。

 

「まずいよ、パール……!

 時間をかけると相手がどんどん強くなる!」

「そ、そうなの!?

 ミーナっ、急げる!?」

「――――z!」

 

「なるほど、見る目はあるな」

 

 しかしプラチナはしっかり見極めている。

 そんなプラチナの態度を見て、決着を急ぐべきだと察し、水の波動を自発的に撃つポッタイシの賢さも、サターン目線では評価点。

 対するパールはやや動揺気味で、詳細を省き要点のみ伝えたプラチナの言葉から、本質を100%理解しているわけではなさそう。

 比較的厄介なのは少年の方だ。ひとまずサターンは、そう見定める。

 

「ミノマダム、撃て」

「――――」

 

 水の波動を受けて少し後退したミノマダムだが、ポッタイシに向けて反撃だ。

 少し目つきを鋭くしたかと思ったら、避けようもないほどの速い光線が発射され、ポッタイシの体の真ん中を撃ち抜いた。

 その光景を目にしたミーナが、やめろこの野郎とばかりに横から飛びかかり、技を撃っている途中のミノマダムに横殴りの"とびげり"をぶちかます。

 蹴飛ばされて転がって、すぐ跳ねて体勢を整えるミノマダムは頑丈で、しかしサイケ光線の発射が途絶えたことでポッタイシも助けられた形となる。

 

「ポッタイシ……!」

「ッ、ッ……!」

 

「ミーナ、でんこうせっか!

 好きなようにさせちゃ駄目だよ!」

 

「ふむ、流石に一撃では沈まないか」

 

 成長一度を挟んで威力を高めたにせよ、あのサイケ光線の威力はかなり高かったようで、ポッタイシが膝を地面から離して立つまで数秒かかった。

 いっそう相手が強くなってはまずいと見たパールが、速攻戦術に切り替えたのは正着手だろう。

 速度重視の接近速度でミノマダムに組み付いて、両手と耳で相手を捕まえれば、逃がさぬ姿勢で足を縮めて得意技へ。

 

「メガトンキック!」

「防げ」

 

 ミーナが両足でミノマダムの眼の下を蹴飛ばし、自身はくるんと後方回転して着地する中、蹴っ飛ばされたミノマダムは地面を転がりこそすれほぼ無傷。

 "まもる"ことでダメージを殆ど緩和している。元が頑丈なだけでなく、小さなダメージすらゼロに持っていく堅固さがこのミノマダムにはある。

 続いてポッタイシが撃ってくる水の波動も、来ることが概ねわかっている中では、跳躍で以って回避してしまう。

 高く跳んだ中で、再び体を震わせていることが目に留まるなら、またも攻撃力を高めていることも理解できるはずだ。

 

「っ……!

 ポッタイシ! 水鉄砲!」

 

 着地した瞬間のミノマダムを狙い撃つよう発したプラチナの指示は、サターンに僅かな違和感を与えたはずだ。

 水の波動の連発ではないのか。水鉄砲など、威力でもそれに劣るはずだ。

 だが、開いた口から実際に水鉄砲を撃ったポッタイシの姿を見た瞬間、サターンもまさかという想いは抱いた。そして、その予感は的中している。

 

「"しおみず"か……!」

 

「やっぱり、最初から弱ってる……!」

 

 ポッタイシの水鉄砲を受けたミノマダムのリアクションは、格下の撃つ基本技を受けたそれではない。

 痛い痛いとばかりに身をよじらせて、浴びせられる水鉄砲からミノマダムの仕草から、サターンもただの水鉄砲ではないと確信したようだ。

 既にダメージの蓄積した相手、傷のある相手にこそよく効く"しおみず"だ。

 

「ミノマダム、撃て。ポッタイシだ」

 

 サターンの判断は早かった。潮水使いを一気に叩き潰す。

 ミノマダムの撃つサイケ光線は、ポッタイシの胸元に直撃し、浴びせられた者の全身が四方八方から押し潰されるかのような苦痛を与える。

 派手に吹っ飛ばしたり倒したりこそしないものの、身体を内側まで傷つけられるかのようなダメージに、立つ力を失ったポッタイシが後方に倒れた。

 

「くうぅ……ポッタイシ……!」

 

「ミーナっ、当てたら退がって!」

「――――z!」

 

 倒れたポッタイシをボールに戻すプラチナの傍ら、パールの指示もやや冷静。

 攻撃直後で隙のあるミノマダムに跳び蹴りをぶつけたミーナに、威力の高まった反撃を浴びないよう離れるよう指示。

 ここで畳みかけるのは、戦闘不能覚悟の捨て石戦略も同然。パールの指示に従い退がるミーナも、少々不満げだが意図は理解しているようだ。

 

「やるな、少年。

 どうして私のミノマダムが、既にダメージを受けているとわかった?」

「答える義理なんてない……!」

「参ったな、意趣返しか。

 だが、見上げた態度だ」

 

 リッシ湖を占拠したギンガ団が、警察と二度の交戦を経たという事実。

 サターンが口にした、既にここを訪れた目的は達成したという発言。

 そしてマキシの相手を、切り札ドクロッグ一匹でこなしたという実績。

 まさかマキシのポケモン全てを、既にダメージのあったドクロッグ一匹で倒したなんて話はあるまい。

 つまりその前の戦いや使命は、ドクロッグ以外のポケモンに任せていたというのが妥当な読み筋である。

 その中にこのミノマダムが含まれていたとは限らないので、あくまで可能性は半々にしか過ぎなかったが、充分な推察要素であったのは確かだろう。

 

 格上挑戦を意識して、ある程度の緊張感やプレッシャーもある中で、思索を巡らせこの仮説に辿り着いたプラチナには、サターンも舌を巻いている。

 敵に情報なんてわざわざ渡すか、と突っぱねる度胸もなかなか。

 それを相手取るサターンにとっては厄介な気骨だが、それを踏まえてもサターンはこうした若者は嫌いじゃない。戦っていて楽しいとさえ感じる。

 

「頼んだよ、ガーメイル……!」

「ほう」

 

 プラチナがポッタイシに繰り出したのは、ちょうどミノマダムの親戚筋とも言える個体だった。

 分岐進化するミノムッチの進化先は、雌のミノマダムに対して雄のガーメイル。

 だが、ゴミのミノを纏う種類のミノマダムに対し、ガーメイルの相性はあまり良くない。

 一見、他に選択肢があるならもっと他のポケモンを出せば、と言われそうな判断だ。

 

「まあ、ゆっくり様子を見よう。

 ミノマダム、撃て」

 

「ガーメイル、"かぜおこし"!」

 

 とはいえ、知恵も知識もそれなりのプラチナが選んだカード、サターンの警戒心もそれなり。

 現に天井のあるフィールド下とはいえ、高所を素早く飛ぶガーメイルは、狙撃する側にとって厄介だ。

 高威力のサイケ光線を回避したガーメイルが、羽をはためかせて生み出す強い風は、土を舞い上げそれをぶつけながら、ミノマダムをぎゅっと押す。

 

「ミーナっ、行ける!?」

「――――z!」

「よしっ……! 跳び蹴りだよ!」

 

「地上と頭上からの挟撃か……

 2対1の利を最大限に活かした戦い方には違いないな」

 

 ミノマダムがガーメイルを狙撃しようとすれば見上げざるを得ず、地上を駆けるミーナへの対処が一瞬でも長く遅れる。

 ミーナを迎撃しようとしても同様だ。ミノマダムの視線は振り回される。

 そしてじわじわとミノマダムの体力を削る"風起こし"、その強い気流の中にあっても強い足腰で走るミーナは、味方の風に遮られない。

 吹き飛ばされないよう踏ん張るミノマダムが動けない所へ、風を切って素早く突っ込んでいく。

 

「防げ」

 

 "まもる"ことでミーナの跳び蹴りを真っ向から受けたミノマダムは、少々揺らされた程度で踏ん張りきっている。

 鋼のように頑丈なミノマダムに踏ん張り受け切られたミーナにすれば、鉄の壁に思いっきり突っ込んで蹴ったようなものだ。

 突き出した蹴り足である右足が内から割られるかのような、そんな痛みに片目をぎゅっと閉じたミーナが、立つ姿勢を崩したかのように腰を沈める。

 

「頑張れえっ! メガトンキック!」

「ッ――――z!」

 

「む……!?」

 

 怯んだミミロルに至近距離でのサイケ光線を浴びせる心積もりだったサターンだが、やられる前にやっちゃえの無茶を言うパールも必死。

 でなきゃ撃たれるのがパールにだってわかるのだ。ここには必要なガッツ。

 そしてミーナも、腰を下げたのはもう左足を引いたからで、つまり痛いはずの右足を軸足にしている。

 気付いてしまえば明らかなこと。ミーナも元よりそのつもり。

 

 目の前のボールを全力で蹴飛ばすかのように左足を振り上げたミーナは、天井までぶっ飛ばす勢いでミノマダムを蹴り上げた。

 軽いミノマダムが踏ん張りを失って蹴飛ばされればよく飛ぶ。本当に洞窟の天井まで届いた。

 蹴られたことに続いて叩きつけられたダメージは大きく、両目をぎゅっとしたミノマダムがひるると落ちてくる。

 

「"サイコキネシス"!」

 

 だが、それでも戦闘不能にまでは追い込まれないのだから、このミノマダムのレベルの高さは並じゃない。

 落ちながらにしてぐいっと頭を下げ、ミーナを睨みつけたミノマダムが、その念動力で対象を捕える。

 そのままぐいっと頭を上に向けたミノマダムの動きに合わせ、今度は超能力に捕獲されたミーナの身体が天井まで放り上げられた。

 ミノマダムが天井に叩きつけられたのと同様、あるいはそれ以上の勢いで天井に背中から叩きつけられたミーナは、痛烈すぎるダメージにけはっと息を吐く。

 そして何とか着地したミノマダムが、再びぐいっと頭を下げると、ミーナがただ落ちる以上の速度で、地面に向けて叩き落とされる。

 強力な念動力によるそれは、ミーナを掌握した見えない巨人の手が、天井に叩きつけた後に地面にも叩きつけるかの如し、無容赦極まりない連続攻撃だ。

 

「み、ミーナっ……!」

 

「~~~~……っ……」

 

 腹這いに倒れたミーナは立ち上がろうとしているが、手足に力が入らず震えるだけに留まっている。

 気を失っていないだけで、戦闘不能なのは明らかだ。

 彼女を引っ込めようと、パールがボールのスイッチに手をかけるのも早い。

 

「――――z!」

「えっ! うそ!?」

 

 だが、パールがミーナを引っ込めるよりも早く、ニルルが自らボールから飛び出した。

 パールから離れた前方まで一気に現れ、粘液で地表を滑り、ミーナを飛び越えてミノマダムを真正面から見据える位置取りに。

 それはやってやるぞという意気よりも、ミーナを守るべく自らの後ろに置いたその姿から、これ以上はミーナをいじめさせないという気骨が窺える。

 温厚なニルルがこんなに自発的な行動を取ったことは、パールにとっても驚くほどのことだ。

 

「……ニルル! 頼むね!」

「~~~~!」

 

「どうも、トレーナーの手を離れた行動を起こすポケモンが多いな。

 額面よりも、脅威的であると認識すべきか」

 

 ミーナをボールに戻してニルルに激励を送るパール。

 対するサターンも、自主的な行動を起こすパール達のポケモンは興味深い。

 指示が無くても水の波動を撃ったポッタイシ、言われるまでもなく蹴る体勢に入っていたミミロル、呼ばれるより早く飛び出したトリトドン。

 それは強みか、あるいは欠点か。楽観的でない方の結論を取る。

 

「サイコキネシスだ」

 

「ニルルっ、危ないよ!」

「~~~~!」

 

 捕まってしまうとかなり危うい念動力だ。一方的な展開にもなり得る。

 わかっているのかニルルはにゅるるっと地表を素早く滑り、ミノマダムが標的を念動力で捕えようとした指定座標から逃れる。

 相手をよく見て発動のタイミングさえ見極められれば、策の無いサイコキネシスの回避は案外難しくない。

 サターンが軽視できないのは、指示されるとほぼ同時か少し早く動いたニルルの、自力でそれを見極め判断した賢さである。

 

「ガーメイル、かぜおこし!

 相手を好きなようにはさせるな!」

「みずのはどう!」

 

「むぅ……撃て、ミノマダム」

 

 ガーメイルの起こす風に煽られ、耐えて、しかし差し向けられる水の波動の回避も強いられるという難しい立場にミノマダムはある。

 跳んで水の波動を躱したはいいが、風に煽られやや叩きつけられ気味に地面を転がるダメージもあろう。水の波動を受けるよりはマシというだけ。

 少し苦しいか。顎を動かして上空のガーメイルを撃てと命じるサターンに、ミノマダムも成長を経て強力化したサイケ光線を発射する。

 

「防いで!」

 

「ミノマダ……」

 

「どろばくだん!」

 

 ガーメイルが"まもる"でサイケ光線を凌ぐことは、サターンも折り込み済みだ。同じミノムッチの進化系、それが出来るのは当然わかっている。

 ガーメイルを黙らせてトリトドンにサイケ光線を、と続けようとしたサターンだが、ニルルが飛ばしたのは泥爆弾。

 狙撃対象から飛来する大きな泥の塊は、障害物かつ攻撃手段としてミノマダムに襲いかかり、攻撃体勢にミノマダムは回避できず攻撃そのものまで不発。

 次なる狙いがトリトドンと絵図を描いていたサターンの思惑を読み切っての指示だとしたら、パールもサターンにとっていっそう侮り難く映る。

 

「サイコキネシス……!」

 

「あっ、あっ……!」

 

 かなり苦しくなってきた中でも、ミノマダムはニルルをがっちりと見定め、その念動力で捕えた。

 浮かされたニルルが壁面に向けて飛ばされ、叩きつけられた姿はパールを焦らせる。

 自転車に乗っても追い越せないような速度で、硬い壁に叩きつけられるニルルの痛みは、その表情からも明らかなのだ。

 

「次は、あちらだ」

 

「え!?」

 

「ぁ……!」

 

 なおもニルルの体を念動力で捕まえたままのミノマダムは、ニルルの体を全速力でパールへ向かわせた。

 充分距離のある所からの飛来だ。躱すことも可能だろう。それはそれでいい。

 飛来したトリトドンから逃げたパールが、その後地面に叩きつけられるトリトドンも含め、数秒バトルに参加できなくなる時間にガーメイルを仕留める。

 それがサターンの思い描いていた次の展開だ。

 

 結果だけを語るなら、パールはニルルのことを避けなかった。

 避けられなかったのではない。きちんと腰を低くして、両腕を開いてニルルをキャッチするかのような掌を開いて。覚悟を決めて避けなかったのだ。

 だが、重くて速いニルルの飛来を、女の子の華奢な身体が受け止め切れるはずがない。

 パールにぶつかったニルルは、彼女を押し飛ばし、さらにそのニルルに下敷きにされる形で倒れたパールへのダメージは並々ならぬはず。

 なんてことを、と真っ青な顔で気を取られるプラチナの姿を鑑みれば、戦略上ではサターンにとって、躱されるよりいっそういい展開だった。

 

「ゔ……ってえっ……!!」

「~~~~……!」

 

「なに……!?」

 

 だが、ニルルの体に下敷きにされたまま、パールが絞り出すように発した声、撃てというをニルルは決して聞き逃さない。

 ニルルは自分の体と地面の間にパールを挟んだまま、ぐいっと首を動かしてミノマダムに水の波動を撃つ。

 力強い発射に対し、踏ん張りひとつ利かせなかった水の波動は、ニルル自身の体をパールの上に乗っかった位置から動かすほど。

 そしてサターンやミノマダムの想定より、遥かに速く発射された水の波動は、躱す暇も与えずミノマダムの真正面から直撃だ。

 素早い上に"まもる"という防御手段も持つミノマダムに対する、今日一番のクリーンヒットである。

 

「パールっ……!」

「っ、げほっ、えぐっ……!

 に、ニルルっ……ナイス、ショットっ……!」

「~~~~!!」

 

 軋む体でなんとか立ち上がり、ニルルの成功を褒める言葉を発して。

 案じる言葉を投げかけてくれたプラチナに対し、まだ大丈夫だという言葉こそ発す余裕もないものの、苦しそうな表情に笑顔を作って張り付けて応じる。

 こんなのダイヤに振り回されて、ケガしたもっと幼い頃の経験からすれば些細なもの。今はあの頃より、もっと強い自分だってパールは信じている。

 

「ちっ……流石に限界だな」

 

 水の波動の直撃を受けて一度倒れながら、なんとかぴょこんと跳ねて立ち上がったミノマダムは、その気になればもう少し戦える。

 だが、そんなミノマダムに躍起になられる前にボールへ戻したサターンは、ほぼ同時に入れ替えるようにユンゲラーを喚び出した。

 プラチナも、そして誰よりニルルも、サターンを睨みつける眼差しの鋭さが尋常じゃない。その眼が語る怒りを表す針が限度を振り切っている。

 一秒たりとも自分の身を守るポケモンをそばに置かない時間があれば、取り返しがつかないことにもなり得る。サターンとてそう判断せざるを得ない。

 

「ここまでだ。

 ユンゲラー、撤退するぞ」

 

「逃げるのか……!?」

 

「私の敵はお前達だけではないのでね。

 だらだら居座っては、そろそろ警察が押し入ってくる」

 

 バトルを続けようと思うなら、このユンゲラーに加え、疲れがあるとはいえドクロッグも控えているサターンだ。

 だが、引き際は見極めなければならない。プラチナの挑発にも乗らない。

 充分、パール達のお手並みは拝見したというものだ。

 

「お前達に、我々の邪魔をするなと忠告しても無駄なんだろうな。

 ならばもう、何も言うまい。いつでも挑んでくればいい。

 今回のように、我々の目的を挫くことも出来ず、己や身内が傷つくことだけの徒労に終わることを覚悟の上でならな」

 

 合成音声で語るサターンだが、その息遣いには嘲笑の意がはっきりと感じられた。

 かっとなりそうになるプラチナだが、必死で冷静さを保とうと、最も案じて守るべきパールをちらちらと見て自らを律する。

 

 全身痛むであろうのに、震える身体で立ち上がるパールだ。いくらでも無茶する彼女をそばに、自分がこれ以上冷静さを失ってはならない。

 そしてその姿こそ、どんなに暴力的な手段で警告しようと、折れずに立ち向かってくるであろう少女の姿としてサターンには映っている。

 忠告しても無駄、と口にしたサターンの根拠はそこにある。

 

「だが、次に私と相見えることがあれば、今回のように穏便な結末を迎えられるとは思わない方がいい。

 私はマーズのように甘くもなければ、ジュピターのような半端も好まない。

 また会う日が訪れるなら、私はお前達を守ろうとする仲間達を一匹残らず叩き潰し――」

 

 サイコキネシスで操ったニルルをパールにぶつけ、彼女の体を傷つけて尚、サターンはこんなもの穏便な結末だと言っている。

 マキシの体にドクロッグの毒を打ち込んでもだ。

 今日、サターンの手にかかった者達は、みんな明日を迎えられる。

 

「最後は抵抗さえ儘ならぬお前達を八つ裂きにするまでだ。

 手足をもがれ、皮膚が膨れ上がるほどの毒を流し込まれ、血みどろの身体で這いつくばる覚悟が出来るなら、いくらでもかかってくるがいい。

 なればこそ、私もそれ相応のもてなしを以って応えよう」

 

 あれほど熱意を以って挑んでいたパールとプラチナも、サターンの言葉には血の気の引くような想いを抱いたものだ。

 言葉だけじゃない。それを現実にせんとする意志が、迫真がある。

 淡々とした語り口にして声も合成音、なのに冷徹かつ有言実行の意に偽りを感じさせない現実味を含ませるサターンの声には、それだけのものがあった。

 敵対する者を、人を人とも思わない、それがどうなろうとも自分には関係ない話だと、葬ってしまうことも良心に咎めぬ悪意がサターンからは漂っている。

 

「ふふ、また会える日を心待ちにしておこう。

 我々に歯向かおうとする生意気な小鼠に、思う存分報いを受けさせる日が楽しみだ」

 

「っ……待……」

 

 芽生えた恐怖心から、待てと発しようとしたプラチナの声も躓いていた。

 サターンは悠々と、そばに置いたユンゲラーにテレポートを発動させ、忽然とその場から姿を消してしまった。

 静寂に包まれたこの洞窟内、消えたはずの敵に抱いた戦慄の名残に身を縛られ、パールもプラチナもしばし動けず立ちすくむばかりだった。

 

「………………マキシさん!」

「あっ……!」

 

「だ、大丈夫だ、大丈夫だ俺は……

 ったく……たいした奴らだぜ、お前らは……」

 

 はっとするように、毒を打ち込まれて倒れていたマキシの名を呼び駆け寄るプラチナに、パールも追従するように足を向かわせる。

 立つことも出来ないマキシだ。打ち込まれた毒は、彼が発熱と目眩を覚えるばかりか、痺れる身体で立てぬほどに強力。

 それでも、自分に代わりサターンへ立ち向かい、一匹撃破するも同然の結末を導いた二人に、いま発せる限りの賞賛を惜しまない。

 そして何よりも、バトルの実績など以上に、ここへ駆け付け悪しきに挑まんとした二人の精神そのものにだ。

 

 心配そうに自分の顔を覗き込むパールとプラチナに、マキシは力無く、しかし満面の笑みを返さずにいられなかった。

 戦いが終われば、やっぱり子供の顔だ。傷ついた誰かを前にして、心配でならない想いを、飾らぬ表情そのものに表す幼い顔立ち。

 強き者にはこうあって欲しい。他者の痛みがわかる、優しくて強い者こそ、こんな世の中には必要なのだから。

 

 二人の戦いを見届けたい一心で意識を失わず耐えていたマキシは、そろそろもう疲れたとばかりに、先の言葉を最後に目を閉じた。

 いや、死んじゃったりしたわけではないのだけど。

 単にもう、意識を保つよう耐えるのも限界なのであった。ほっとしたら気が抜けてしまってもう駄目。

 でも、まるでそれが事切れたかのように見えた二人には、目の前でマキシさんが毒にやられたように見えてしまってさあ大変。

 必死でマキシさんマキシさんと呼びかけまくる二人に耳を劈かれ、おちおち安らかめに気絶することも出来ず、マキシはかすかな苦笑いを浮かべるのであった。

 

 声を聞く限りパールが本気で泣きだしそうだったので、マキシは力を振り絞って地面をべんべん叩き、生きてるっつーのというアクションを長く続けていた。

 大人って大変である。子供を泣かせちゃいけないんだもの。



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第66話   暗い夜

 

 これは、パールとプラチナがリッシ湖に乗り込んだまさにその時の話。

 

「……あれ?

 ナタネさん、この二人って……」

「んぶ、っ……!?

 っ、けほっ、うえっ……ぱ、パール……!?」

 

 リッシ湖で起こった事件は、ずっと上空カメラから撮影され生中継されていたのだが、ナタネもジム生達と共にテレビを観ていたらしい。

 日々のトレーニングも大切だが、これほどの一大事が起こった時は、やはり本業を中断してでも同行を見守らねば。

 野次馬根性でもないし単なる興味本位でもない。ハクタイビルでギンガ団と直接ぶつかり合ったナタネ、この手の案件に知らぬ存ぜぬは出来ない。

 

 またあいつらがとんでもないことを、と、義憤に満ちた目でテレビを観ていたナタネだったが、中継映像に水の無くなったリッシ湖を駆ける二つの影を発見。

 思いっきり、よく知る子達の帽子と髪の色である。空中映像でもわかる。

 まさかまさかの光景に、ナタネも口にしていた飲み物を吐き出しそうになってむせていた。

 

 速攻でパールに、何してるの今すぐ引き返しなさいと電話しそうになったナタネだったが、洞窟内にもう踏み込んだ二人に電話なんか出来ない。

 そこでジュピターのような強いギンガ団幹部と遭遇し、二人が死闘を強いられている局面に陥っていたら、着信なんて邪魔にさえなり得る。

 結局ナタネは、親しみある二人が危険な状況に自ら飛び込んでいった姿を目の当たりにしながら、安否を問う電話一つもずっと入れられなかった。

 

 パール達とサターンがやり合っている間、そんなことがあったという話である。

 

 

 

 その続き。

 サターンが撤退してからものの数分も経たぬうちに、警察による再突入が行われ、逃げ遅れたギンガ団員達は一斉検挙と相成った。

 どうやらサターンの引き際は絶妙だったようだ。あと少し撤退が遅くなっていたら、警察の突入とかち合う形になり、サターンも逃走が難しくなっただろう。

 ともあれそれを以ってリッシ湖を占拠していた者達は制圧され、とりあえずのところ事件は収束を迎えた。

 警察がパールとプラチナとマキシを保護し、マキシはすぐ搬送。命に別状は無さそうと、改めてそこでも判断されたのは何よりである。

 パール達はある程度の事情聴取をされ、ほどなくして解放して貰えた。

 事件現場に居合わせると、場合によっては邪推もされるものだが、二人は幼いこともあってそうした猜疑にはかからなかったようである。

 

 その日はパール達もお疲れで、多少お金がかかることは承知の上で、リッシ湖ほとりの宿泊街で一夜を過ごした。

 プラチナと一緒にご飯を食べて、おやすみを言い合ってお互いの泊まり部屋に行き、その後はパールにとって毎夜のお楽しみタイム。

 ナタネさんにお電話お電話。どうやら自ら虎の尾を踏みにいったようだ。

 

「もしもし、ナタネさ……」

 

『ねぇ、パール。

 あなたあたしに何か言うべきことがあるんじゃない?』

 

「えっ……?」

 

 食い気味に発されたナタネの第一声は、電話越しにパールがわかるほどはっきりとした怒気を孕んでいた。

 以前、ナタネと一緒にギンガハクタイビルに乗り込んで、ジュピターという悪の組織幹部の怖さに直面したはずのパールだ。

 あのあと短期入院することになったナタネにも、自分達だけで危ないことはしないようにと、強く釘を刺されていたはずである。

 そして、バレている。

 テレビ観てたけどあなたリッシ湖で何してた? とナタネが切り出した瞬間、パールは凍り付いたかのように言葉を失っていた。

 

 どれだけ心配したかわかってる? とか、約束守れないの? とか、お母さんのような激烈説教が電話越しに長々と。

 本当に心配してくれていたようである。毎晩電話をかけてくる、可愛い可愛い後輩トレーナー、ナタネにしてみれば妹のようなものであって。

 それだけに、約束を破って心配させられたお姉ちゃんの、一度噴出してしまった怒りは止まらない。

 声を荒げず、しかし強くて低い声で、こんこんとお説教するナタネに、パールははいとすいませんを連発するばかりだった。

 相手が目の前にいるわけでもないのに、ベッドに座って背筋を正していた。よほど怖い叱られ方をしたようだ。

 

 言うこと全部言っても怒りが収まらないナタネが、最後は強い言葉を発してぶちんと電話を切ったのだから、パールとしては大へこみ。

 完全に自分が悪いのですっかり沈み込み、そのまま泥のようにベッドにぶっ倒れて眠りにつくのであった。

 プラチナを散々困らせてのリッシ湖突入劇だったのも確かである。

 尊敬する人、大好きな人に痛烈なお灸を据えられるのはきついが、こればかりはいい薬になったであろうとしか言いようがない。

 

 

 

 翌朝、パールから昨夜のナタネとのやり取りを聞いたプラチナは、まあまあ溜飲が下がった気分であった。

 また同じことされたら嫌なので、プラチナも日を跨いでから多少はパールに釘を刺そうと考えていたのだが、どうやら必要なかったようだ。

 朝からパールがずーんと暗い顔だったのを見て、まあこれ以上は言うまいとする辺り、何だかんだでプラチナもパールに甘いところがあるが。

 

 その日は一日かけて、リッシ湖ほとりからヨスガシティまでまったりとした自転車の旅。

 行きの時は突っ走るのみだったので、帰りは下道の沼から離れた、やや高所のサイクルロードからの眺めをゆったり楽しみつつ。

 二度目の212番道路だったが、これはこれで物見の旅として悪くない。

 もっとも、一度目とは違う景色を楽しみつつ、パールの表情がずっと晴れきらなかった辺り、昨晩のことを少なからず引きずってはいたようだが。

 大好きで尊敬する人にあれだけきつく怒られて、嫌われてしまったかも、絶交されたかもと思ってしまったら、そうへらへらとはしていられないようで。

 向こう見ずな自らの行動を悔いる根拠が、我が身に起こり得た危機でなく人間関係に依るものというのも、それはそれで反省の仕方が違うような気もするが。

 

 夜はヨスガシティのポケモンセンターでお泊まりである。

 パールは電話しようかどうしようか散々迷った挙句、結局またナタネに電話したようで。

 懲りないのではなく、許してもらえないと耐えられなかったのだろう。

 向こうの『……もしもし』に対するパールの第一声は、切実な声での『ごめんなさい』であった。

 許して下さい、お願いします、今日はともかく明日からは普通に話させて下さい、という想いが乗っかりまくったその声には、ナタネも内心で溜め息。

 なついてくれるのは嬉しいけど、本当に反省してるのかなぁ? という疑念は未だにあったので。

 元々ギンガハクタイビルに、ついて行きたいと言ってきた時点で、そしてリッシ湖に乗り込んだ実績から、思い立ったら走っちゃう子なのはもうわかった。

 今後も同じことがあったら、今日のことを忘れていなくたって、結局突っ走ってしまいそうなパールに思えてならないので、ナタネも対応に困るのである。

 

 今は懲りてる風だけど……という懸念は拭えぬながら、ナタネはひとまずパールを許す言質を発し、その夜は普通に話してあげることにしたのだった。

 パールはほっとしたような息遣いになりながらも、会話の中で笑うことだってありながら、どこかよそよそしく。

 反省はしているのだろう。それはナタネにもわかった。

 でも、いつかはどうだろう。それは考えずにもいられなかったのも事実である。

 ギンガ団を名乗る連中の行動に、間違いなく"次"があるだろうというのは、誰しも想像つくところ。

 湖底の洞窟から何かを獲得したとして、それが最終目的ならそれ以前の蛮行との関連性は? よほど楽観的な解答しか出まい。

 リッシ湖の一件を見る限り、あれがギンガ団の悪事の最終段階ではないことぐらい、誰にだって想定できて然るべきところである。

 本当に、見放し難い後輩になつかれてしまったなぁと、ナタネはパールに顔を見せぬ電話の向こう側で、諦観混じりの笑顔を浮かべていた。

 大切なものが増えると苦労ばかり増える。貰えるものも掛け替えないけれど。

 

 世の中って、生き辛いぐらい儘ならないものだ。でも、それは悪が絶えないから。

 パールの前のめりさにはナタネも苦言を呈したくもなるが、パールをそうさせたものは何か、それは容認されるべきものか。

 それを抜きにして、あるまじき行為に立ち向かったパールだけに非を突きつける論法は、ナタネだって本懐においてはしたくない。

 許されざるべき行動に対して正しく異を唱えた者を、愚かな蛮勇だと誹るのが正論の世界を、世の中そういうものだと言い出したら無法世界への第一歩だ。

 汚い現実を知った大人はそれを正論としたくなる。それも、善意でだ。

 だから、汚い現実とやらは駆逐されていかないのである。

 

 たとえ青臭い理想論だと嗤われても、それを求め続けていく者がいなくなっては、やがて世界は暗黒時代へと向かう一方。

 気高くあらんとする者も、決してこの世界から失われてはならない。それが、秩序を形成する最大の礎なのだから。

 知ったかぶった現実を語る者が気楽にそれを口に出来るのも、それを気軽に口にしようが庇護される秩序ある世が在るからだ。

 本当の意味で言いたいことも言えない、ちょっと発言を誤った程度で、粛清という形で命さえ危ぶまれる世界に身を置く恐怖と比べれば存分に恵まれていよう。

 シンオウ地方がそうした暗黒社会でないのも、きちんと気高くある者達が、人の上に立つ社会であるからに過ぎない。それを忘れてはならないのだ。

 

 悪しき事に対し異を唱える。

 ただそれだけのことに、こんな前提を置かねばその正当性を強調できない。

 パールを叱らねばならなかったナタネこそ、悪が跋扈するこの現実が生み出すいびつさに、最も儘ならない想いを抱いている。

 簡単な話ではないか。根本的な話、あんな奴らさえいなければ、こんな風に可愛い後輩の正義感溢れる行動を咎める必要自体なかったというのに。

 

 大人は大変だ。もっと正しく言えば、泰安の世を望み、それを目指さんと本気で志す大人は大変だ。

 若き純真を否定してはならない、その上で、生き残ってくれるよう導かねばならない。それも、儘ならぬ現実に妥協した誤りし認識を押し付けることなく。

 後進を育てるということがどれだけ大変かを、端的に語る一例である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「首尾よく運んでくれたようだな。

 ご苦労だった」

 

『運ぶだけでしょ? 楽勝楽勝。

 今はもうアジトで拘束してるわ。あと二匹よね?』

 

「ああ。ここからが骨の折れる仕事だがな」

 

 それは、同じ夜のこと。

 リッシ湖騒動の翌日であり、パールもヨスガシティでナタネとの電話を終わらせ、既に深い眠りについた深夜帯。

 ギンガ団のアジトと呼ばれる場所で、トランシーバーめいた機械を片手に、便宜上は対等な相手との通話するギンガ団幹部の姿があった。

 

 ギンガ団幹部、赤髪のマーズが通話している相手は、ギンガ団幹部という同じ肩書きを持つサターンだ。

 立場の上では対等ながら、実質的にはボスの片腕として、参謀職めいた立ち位置にあるサターンは、マーズやジュピターに指示を下す立場でもある。

 ギンガ団のナンバー2は誰かと言えば、それは間違いなくサターンであるし、マーズやジュピターはその一つ下の位置、というのが本質的なところ。

 とはいえ会話そのものは対等であり、マーズもわざわざ形式ばった敬語を使わない、そんな関係のようだ。

 

「次はシンジ湖だ。

 私は加勢できないが、お前とジュピターの二人で充分目的は果たせるだろう。

 だが、失敗が許されないということだけは肝に銘じておいて貰いたい」

『きつい念押しだわ。

 それってもしかして、失敗したらあたし達の命は無いとか?』

「失敗した者に破滅的な制裁を下すのが悪の組織の典型的冷血、か?

 アニメやドラマの見過ぎだ、たかだか一度二度の失敗で貴重な人材を棄てる馬鹿と一緒にしないでくれ」

『あはは、あたし達そういう立場にいるんだ?

 そこまで言われちゃったら、あたし達だってやり果たすしかないじゃない』

 

 仮面と変声機で自身の正体を部下にさえ明かしていないサターンだが、マーズとの通話ですら変声機を用いている。

 彼あるいは彼女、サターンの正体は、ギンガ団のボス以外誰にも知られていない。サターン自身が徹底的に隠し通しているのだ。

 しかしながら、限られた数のギンガ団幹部と唯一のボスだけが持つ、いかなる形でもその通話を探知・盗聴・傍受されない特殊なトランシーバーだ。

 サターンが信頼に値する同胞であることは、マーズやジュピターとて信用している。このトランシーバーで通話できること自体がその根拠である。

 

「とはいえ、失敗されると我々の計画も相当な遅れを取ることになるからな。

 失敗すれば、私の人遣いが荒くなることぐらいは覚悟して貰いたいところだ」

『わぁ怖い。

 それは嫌だわ、あたし今でも大変なのよ? 逃亡生活しながら頑張ってるんだから』

「わかっている、気苦労察しているよ。

 これ以上労働条件が悪くならないよう、次のミッションはぜひ成功させてくれ。

 良い待遇は成果で以って勝ち取るべきだ。わかりやすいだろう?』

『あははっ、いいわねそういうの。

 頑張って掴み取った結果が待遇に繋がるなんて、素敵な職場の典型よ』

 

 変声機越しで生の声ではないサターンは、その声から感情を読み取りづらい。

 それでも意図して冗談めいた言葉も選び、笑い含みの息遣いをわざわざ発する程度には、マーズに対する語り口は柔らかい。

 今後の核心にも繋がるような重要な会話でありながら、相手に過剰なプレッシャーをかけないよう、態度を選んでいる配慮がそこにある。

 得体の知れない存在だとはマーズも感じる相手だが、上司としては付き合いやすい相手だとも感じているだろう。

 マーズが陽気な本来の性分に蓋することもなく、気楽に笑って冗談口まで叩けているのがその表れとも言える。

 

「当日はジュピターにサポートして貰えるようこちらかも連絡を入れておく。

 私が行けばいいと思うかもしれないが、生憎こちらも行動に制限があってな。

 お前がジュピターとの折り合いが悪いことも知っているが、この一度は我慢して力を合わせて貰うぞ」

『あのオバさん鬱陶しいのよね~。

 実力はあるから、大事なミッションで協力して貰えるのは助かるけどさ。

 あたしとは合わないわ、向こうも絶対そう思ってるでしょうけど』

 

「まあ、あいつはつまらない人間だからな。

 共感はするよ」

『でしょでしょ?

 聞いてよ、こないだ通話した時も……』

「やめろ、長くなりそうだ。

 多少の愚痴に付き合うぐらいはしてやってもいいかもしれないが、お前はその手の話をし始めると長いんだ。

 私も忙しい、勘弁してくれ」

『え~、聞いてよぉ』

「ミッションを成功させられれば纏めて聞いてやる。

 成功させられたらだぞ。いっそう励め』

『はいはい、部下をやる気にさせるのが上手な上司だこと。

 でも、ミッション成功させたら絶対聞いてよね? あたしも溜まってるんだから』

「わかったわかった。

 気持ちはわかるよ、私にもな」

 

 苦笑い気味の声と息遣いで話すサターンは、変声機を通じながらもマーズへの共感を表明するのが上手い。

 具体的な愚痴は聞いて貰えなかったマーズだが、それでもいくらかの溜飲は下がる。

 共感してくれる人がいてくれることがはっきりとわかればば、愚痴を半分こぼしたも同然の満足感も得られるのだ。

 

「では、切るぞ。

 良い報告を期待して待……」

『あっ、ちょ……待って、サターン』

「ん?」

 

『あたしがどうしてギンガ団に協力してるかは知ってるわよね?

 約束、守ってくれるわよね?』

「ああ、ボスもそう仰っている。

 そう念押しされなくたって、約束を反故にするつもりはないさ」

『絶対よ?

 くだらないって言われるかもしれないけど、あたしにとってはそれが全てなんだから』

「くだらない……とは思わんが、いい年して、とは思わなくもないな」

『もぉ、わかってるわよあたしだって、それぐらい。

 でも、絶対よ? それだけは、絶対に守ってね?』

「ああ。

 次にボスと話す機会があれば、それを念押ししておくよ」

『ありがと、サターン。

 それじゃあね、あたし頑張るから応援しててよ?』

「ああ。

 ギンガ団幹部サターンとしてのみではなく、個人的な感情においても応援してやれる相手だ、お前はな」

『あははっ、ありがとうね!』

 

 機嫌のいい笑い声を最後に、マーズは通話を断ち切った。

 サターンも通話の終わりに伴って、自身のトランシーバーの通話ダイヤルを回す。

 こちらの音声が向こうには聞こえないよう、完全に確定させる。

 

「純真だな。

 だからこそ、扱いやすい」

 

 誰一人そばにいない中で、サターンが発した完全なる独り言。

 マーズに共感すら表していた態度すべてをも覆すようなその発言は、決してマーズの耳には届かない。

 悪しき行為に手を染める組織のナンバー2、その若頭の本質はやはり、確かに持ち合わせていそうな情念とは裏腹に冷徹さも併せ持っている。

 サターンにとって所詮マーズとは、自身の目的を果たすための駒に過ぎないのだ。

 

「さて……次はジュピターだな」

 

 続いてサターンは、トランシーバーのダイヤルを回し、通話相手にジュピターを定める。

 そのままとんとんと指先でトランシーバーを叩く。その音は、この機械において着信音に相当するものを相手に伝えるもの。

 話せる状況なら応答せよ、という呼びかけだ。

 

「……………………」

 

『こちらジュピター』

 

「サターンだ。

 逃亡生活は捗っているか?」

『居心地のいい野山よ。

 指名手配犯を捕まえることも出来ない無能が躍起になっている中、私は樹上で安らかな夜。

 この愉悦、あなたにもわかるかしら?』

「ふふ、眺めは良さそうだな。

 彼方に馬鹿どもを想像するだけでも楽しそうだ」

 

 通話の切り口から皮肉たっぷりの語り口たるジュピターに、サターンもまた笑って応じている。

 ジュピターとてマーズと同じく、ハクタイシティでの罪科を問われて追われる身。

 そんな彼女が未だ逃げおおせていることに、何ら状況は悪化していないなとサターンはほくそ笑むばかりである。

 

「マーズにも伝えたが、次はシンジ湖だ。

 私は現地に赴けないが、マーズと共に目的を達成して貰う。

 異論はなかろうな?」

『あるわけないでしょう、上司に命じられたことに感情論で反対する単細胞な社員がどこにいる?

 子供のお守りもたまには悪くないわ、そんな面倒な指示にも忠実に従った実績を評価して貰えるならね』

「やはりマーズとお前は相容れないんだな。

 まあ、ミッションさえ成功して貰えるなら今回限りのことだ。

 私もお前達の実力は共に買っている。

 正しく協力してくれるのであれば、任務を失敗するはずもあるまいと信じているよ」

『えぇ、結構なこと。

 あの子の余計な感情論に連携を乱されそうになっても、大人の私が上手く手綱を捌いて見せるわ』

 

 ジュピターもマーズに嫌われている自覚はあるらしく、一方でジュピターもマーズのことは決して見上げてなどいない。

 直接的な、表面的な対立や口喧嘩などなかろうとも、自分を嫌っている相手のことというのは不思議とわかってしまうものだ。

 マーズもジュピターも、お互いをそうした相手とはっきり認識している。

 ミッションという鎹さえ無ければ、決して二人が行動を共にすることなど無いだろうとサターンにも断言できるほど、マーズとジュピターの関係は険悪だ。

 

『それより、契約のことは忘れないで貰えているのかしら?

 それを果たして貰えないのであれば、私がこうしてあなた達に協力しているのも、何のためだかわからない』

「承知しているさ。

 ボスからも、それは最優先で熟慮するとの言質を頂いている。

 信頼できないか?」

『信頼だなんて悪の組織に最も程遠い単語だわ。

 もっとも、私はあなた達のその言質を信用するしかない立場だけど。

 あなたが未だに、その正体すら明かしてくれない人物であることをわかっていながらね。

 我ながら、危ない橋を渡っているものだとは常に痛感しているわ』

「わざわざ功労者との約束を反故するほど我々も冷血ではないさ。

 お前はこれまでもギンガ団の大願のためによく働いてくれている。

 それ相応の報いはあって然るべきだと、いかに悪の組織と称されようが私もわかっているさ」

『どうだかね。

 とはいえ、契約を果たしてくれないのであれば、私もそれなりの態度で応じるわよ。

 私には、失うものなど何一つ無いのだから』

「無敵の人だとわざわざアピールしてくれなくたって、別に私はお前を裏切るつもりはないよ。

 数少ない約束を果たす手間を惜しんで、要らぬ敵など作っていられるか。

 お前も大人なら、この考えには充分共感してくれるんじゃないか?」

 

『話のわかる上司で助かるわ。

 私は、最後に私の望むものさえ得られればいい。

 その利害だけは裏切らないでくれればそれでいいわ』

「わかったから要らぬ釘を刺すのはもうやめてくれ。

 話すたびにこれでは、こちらも飽き飽きだ」

 

 苦笑いの息遣いを発してみせるサターンだが、それもまた意図的に表したものであろう。

 肉声でなくとも、二度も三度も言うなという想いを表明するサターンの態度には、ジュピターもこれ以上の再三を繰り返さない。

 わかってくれているならいい。大人の付き合いの不文律だ。

 

「何につけても、成果だけは持って帰ってきてくれ。

 それが進まぬ限りでは、お前の希望も叶えてやれんのだからな。

 ギンガ団の為とは言わん、お前自身のために尽くせる限りの力を尽くしてくれればそれでいい。

 利害は一致しているんだからな」

『ええ、ごもっとも。

 あなたのその言葉、嘘でないことを切実に祈りながら寝るわ』

「ああ、おやすみ。

 エックスデーに向けて、存分に鋭気を養ってくれたまえ」

 

 互いの声は笑い含みながら、相手方の腹を探り合うかのような本質を隠しもしない対話。

 敵意無きことのみを表明し合い、しかし利害が一致しているからこその関係でしかないということを突きつけてきたジュピターの真意もサターンにはわかる。

 手段を選ばず、悪に手を染めることも厭わない彼女だ。

 それが何故かも、只では叶えられぬジュピターの宿願を知るサターンにとっては、充分に理解できることである。。

 

「つまらない奴だ。

 だからこそ、扱いやすい」

 

 ジュピター側からの通話が断ち切られたサターンは、トランシーバーのダイヤルを回し、相手に自らの声が絶対に届かない中でそう言った。

 マーズがそうであるように、ジュピターもまたサターンにとっては、自らの目的を果たすための駒の一つでしかない。

 意のままに動いてくれる、扱いやすい存在であり続けてくれるなら、それはそれで結構なのだ。

 

 利害の一致。気の合わぬ大人同士でも共闘することが出来る魔法の言葉だ。

 そこに当人らの性分が本来抱える性格や価値観など、何ら反映されることはない。

 

「さて……いよいよ大詰めだな。

 我らギンガ団の大願も、もはや目前だ」

 

 社会に露見する表向きの活動こそ無い中であろうとも、真の目的に向かって突き進むギンガ団の動きは、水面下において留まることはない。

 谷間の発電所のように、ハクタイシティ近辺のように、そしてリッシ湖のように。

 再びギンガ団が表沙汰に姿を現し、大きな行動に移る日は必ず訪れる。

 そしてその次なる舞台がシンジ湖であることは、ギンガ団の悪行を止めようとする正義の組織や人々の耳に、未だ決して届かぬのが実状だ。

 

 今、シンオウ地方は静かに揺れている。

 断続的にその活動を垣間見せるギンガ団が、その最終目的を果たす日が訪れれば、それはシンオウ地方に何をもたらすのだろうか。

 それをわかっているのは、その真意を手中あるいは胸中に収めるギンガ団の上層部だけ。

 その実状がいかに恐ろしいことであるのか、本質的に理解している者は、現時点ではシンオウ地方全体を見渡しても相当に少ない。

 所詮、ニュースの向こう側の出来事。世間は他人事には無関心だ。

 

 悪意の本質が未だ明らかになっていない。それこそが、最も恐ろしい現実である。



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第67話   ミオシティ

 

 ヨスガシティを出発し、クロガネシティを越えてそのままコトブキシティまで辿り着いたパール達は、そこで一夜を過ごして翌朝再出発。

 コトブキシティから西へと続く218番道路を越えれば、ミオシティは目前だ。

 

 しかし、コトブキとミオを繋ぐ218番道路は、実はなんと陸続きではない。

 入り江すなわち海が広がる道路であり、それを渡る橋が架けられていないのだ。

 桟橋はあるが、それは広い入り江を越えて繋がるものではなく、専らその入り江にて釣りをしたがる人々のために作られたものでしかない。

 定期船が回遊しているので、往来自体は簡単に出来るのだが、海に阻まれて徒歩だけでは行き来することが出来ない繋がりとなっている。

 

 実はこれ、ミオジムを擁するミオシティ側による、ジムへと挑まんとするトレーナー皆々様に対する、ちょっとした呼びかけを兼ねている。

 早い話、腕の立つトレーナーならミオジムに挑もうとミオシティに訪れるに際し、入り江をポケモンに乗って越えてきてはどうだね、という提案だ。

 "なみのり"を覚えさせたポケモンは水上を泳ぐことが可能になるが、トレーナーがその背中に乗るとなれば、実は案外簡単ではない。

 トレーナーを背中に乗せたポケモンは、ご主人を落とさないように意識しなければいけないし、そうしてくれる子だとトレーナーも信頼しなくてはならない。

 "なみのり"を覚えたポケモンの背中に乗って海路を越える、というのは、技一つ覚えただけで成り立つものではなく、人とポケモンの信頼関係が必要だ。

 ミオシティは、そのレベルに及んだトレーナーであるなら、そうして訪れジムに挑戦してみては如何か、と暗に語っているのである。

 

 もちろん無理強いではなく、定期船に乗って普通に来る限りでも構わない。

 単に湾岸都市たるミオシティ、ポケモンライドによる海越えは楽しいものだと声高に唱えたいし、それを推奨する環境を用意して憚らないスタンスのようだ。

 決して広大な入り江に架かる長い橋を作ること、それへの定期的なメンテナンス、その費用をケチしているわけではない。と、思われる。たぶん。

 

「着いたっ!

 ありがとうニルル、すっごい楽しかったよ!」

「~~~~♪」

 

 さて、パール達もその風習に則って、"なみのり"を覚えたポケモン達の背に乗って、218番道路の海を越えてミオ側に到着だ。

 パールはニルルに、プラチナはポッタイシに乗って。

 元々ここを、自分のポケモンの波乗りで越えようという意識はあった二人、練習してきた波乗りは二人に楽しい海越えをもたらしたようだ。

 やっぱり大好きなポケモンの背中に乗って旅をするという、何にも代えがたい楽しい旅をしたいなら、定期船には頼りたくないものである。

 

「ニルルのなみのり、本当に上手だったね。

 パール、ほんと座ってるだけだったでしょ」

「うん、落ちたら怖いしニルルの首は持ってたけど、なんか落ちそうにない感じはずっとしてた。

 っていうか、ニルルの肌ってぬるぬるしてるから、もし落ちそうになってもあんまりしがみつけないかもだけど」

「その割にはリラックスしてたからさ」

「曲がる時も、私が傾きそうになったらニルルが勝手に動いてリードしてくれてたもん。

 私たぶん、普通にぼーっとしてても落ちてないよ。

 いや~、すごいねうちの子。天才すぎる」

「親バカ炸裂してるなぁ」

 

 ミオシティまで間もなくの陸を歩きながら、楽しい波乗りタイムの思い出話に花を咲かせるパールとプラチナだ。

 二人とも、靴は中まで海水でぐじゅぐじゅである。こればっかりはどうしようもない。

 ニルルもポッタイシも身体が小さいし、自分の背中に跨ったトレーナーの足が、海水に浸からないようにするのはどうしたって無理。

 パールとプラチナは波乗りの過程で海に浸かり、靴下の中まで水を吸いまくった靴で歩いているのだ。

 本来、気持ちのいいものではない。雨にやられるか、あるいは誤って水たまりに足を突っ込むかして、そんな靴で歩いた経験があれば誰しもわかる話だろう。

 

 そんなことをいちいち気にしているようでは旅なんて出来ないのだ。

 濡れた靴下と地面で靴を挟んで歩く、じゅくじゅくとした感触を一歩ずつ確かに感じながら、パールもプラチナもそんなことは全く気にしていない。

 二人に言わせれば、大好きなニルルの、ポッタイシの背中に乗りたい。それで足が濡れるんだったら、それも大好きな子の背中に乗れた証の一つ。

 大きくて足を濡らさないラプラスの背中に乗ったり、もっと安全な定期船を選ばなかった時点で、二人にしてみればこれも思い出を彩る味ということだ。

 仮に足が濡れるのがどうしても嫌なら定期船を使えばいいのだ。

 好きなポケモンの背中に乗って海路を越えられた、という浪漫溢れる旅路において、結果的に濡れた足なんて良い思い出の欠片でしかあるまい。

 

「帰りもニルルの背中に乗るのが今から楽しみ!

 ねぇねぇ、帰りはちょっと寄り道してみない? 広い入り江をうろうろしてみてさ」

「いいけど海の方は行っちゃダメだよ。

 沖に流されたら大変だから」

 

「も~、それぐらい私だってわかってるよ。

 プラッチたまに近所の心配性のおばちゃんみたい……わひゃっ!?」

「――――z!」

 

 二人でお喋りしながら歩いていたら、突然ピョコがボールの中から飛び出してきた。

 こんな何でもない時に、自分のポケモンが自分からボールから出てくるなんて、パールにしてみれば驚きである。

 バトルの真っ最中ならミーナにせよニルルにしろ経験者はいるが、バトル以外の場でというのはあまり例が無い。

 それも誰が出てきたかと思えば、前科の無いピョコときたもんだ。

 

「――――、――――!」

「な、なんだろう?

 ピョコ、急にどうしたんだろう?」

 

「これは……きっと、私に背中に乗れと言っているっ!

 とりゃっ!」

 

 パールに呼びかけるように鳴き声をあげながら、甲羅を横に振るったり上下させたりするピョコが何を主張しているかを理解するのは、言語が無いので難しい。

 しかし、流石にパールである。

 プラチナあるいはパール以外の人、ピョコのトレーナー以外にはピンと来づらいピョコの主張を、70%程度の自信ながらも読み取って。

 私にはわかるよ、という主張含みに、わざとぴょんっと跳ぶようにしてピョコの甲羅に飛び乗ってみせるパールである。

 70%って、肝心な時にはずれる確率そのものなのだが、さて今回は合っているのでしょうか。

 

「――――♪」

「あわわわっ、ちょっとっ、ピョコ揺らさないでぇ」

 

「……あ~、なるほど。

 パールがニルルのことを褒めちぎったからだな」

 

 どうやら正解だったようだ。

 パールを背中に乗せたピョコは、それを喜ぶかのような声と一緒に、いたずら混じりに甲羅を上下に揺らして感情表現する。

 アトラクションの上に乗るような心地のパールは、口ぶりはああでも楽しそうで、きっとピョコも楽しむ彼女を望んでいる。

 

 傍から見ているプラチナには、ここだけパールよりもよくわかるのだ。

 波乗りでパールを楽しませたニルル、それをパールがやたら褒めるから、やきもち妬いたピョコが出てきて、俺にも乗ってくれよと訴えたんだなって。

 呼ばれてもいないのに勝手に出てきて、背中に乗って貰えれば得意気に上機嫌なピョコ。どう考えてもそれしかない。

 

「えっ、マジなの?

 ピョコ、やきもち焼き?」

 

「――――z!」

「わあっ、ごめんごめん。

 余計なこと言わないようにします」

 

 プラチナが余計なことを言うものだから、やきもち妬いて出てきたことをパールに気取られたピョコ、プラチナにふしゃ~と威嚇声を出して黙れとアピール。

 なんかすっごく照れ臭そう。そんな自分だとパールの前では浮き彫りにされたくないみたい。

 やきもち全開で出てきたくせに、一番大事な相手の前ではそんな自分だとは隠したいという、ピョコの性格がよく滲み出た行動と言えるだろう。

 ポケモンにだって感情というものがある。それも人の心にも通じるほど、繊細なものがだ。

 

「えぇ~、ピョコ可愛いよぉ~!

 おっきくなっちゃったけど、ちっちゃかった時よりずっと可愛い!」

 

 とはいえ、そんなピョコの内心を知ってしまうと、パールからすれば元々大好きなピョコへの愛がめちゃくそに肥える。

 パールがピョコ以外の誰かをべた褒めしたら、妬いて出てきて自己主張するなんて。

 パールはお腹をピョコの甲羅にぺたんとして抱きしめるぐらいの姿勢に崩れ落ち、ピョコの首元をぎゅうっと両腕で抱きしめずにいられないようだ。

 ハヤシガメになって大きくなってしまったピョコを、ナエトルの時のように胸の中に抱くことは出来ない。でもハグせずにはいられないのだ。好き。

 

「――――♪」

 

「…………」

 

 パールにむぎゅーされたピョコ、たいそう嬉しそうである。

 あわやプラチナは、すけべ亀とでも一言突っ込みそうになって耐えた。

 もしもそんなの口にしたら、そんな言い方するなとばかりにピョコに噛みつかれそうだ。

 

「よ~しプラッチ!

 私はミオシティまでピョコに乗っていくぞ!

 プラッチは徒歩だ! ざまあみろ!」

「えっ。

 ざまあみろって、僕なんにも悪いことしてないんですけど」

「私もそう思うんだけど、なんだかピョコがプラッチを見る目が厳しい。

 よくわかんなくたって、とりあえず私はピョコの肩を持ってみる」

 

「……あ~、なるほどね、なんとなくわかった。

 確かにこれは僕が悪かったのかも」

 

 怒っているわけではなさそうだが、確かにプラチナを見るピョコの目が少しじっとりしている。

 やきもち妬いたことをべらべら喋りやがって、ちょっと恥ずかしいじゃないか、という目なんだろうな、とプラチナにも推察がつく。

 確かに黙っておいてあげた方がよかったのかもしれない。プラチナだって、もし誰かに妬いてることなんかを明かされたらと思うと確かに嫌だ。

 

「というわけで、プラッチだけ徒歩でゴー!

 あっ、ピョコ、置いてっちゃうぐらい速く進んじゃダメだよ?」

「――――♪」

 

 そんなわけで出発進行。

 何のかんのでピョコも、プラチナの歩く速度と同じぐらいのスピードでのそのそ進んでくれる。

 抗議の目を向けたりすることはあったって、パールの友達に意地悪したりはしない辺り人の良いピョコである。

 

「……パール、バランス感覚いいね。

 そんな座り方で体勢崩れないの?」

「え、そう見える?

 そもそも私、全然揺れるカンジしないよ」

「ふーん。

 パールって、もしかしてポケモンライドの才能あるタイプ?」

「えっ、そういうのに才能ってあるの?」

「うん、結構ポケモンの背中の上って揺れるものらしいから。

 跨ったり持つところがあればバランスも取りやすいけど、パール全然そうじゃないしさ。よく落ちないなって感じするよ」

 

 ピョコの背上のパールはぺたん座りである。両手もピョコの甲羅にぺたっと置いてあるだけ。

 動く生き物の背中の上というのは意外と揺れるもののはずなので、掴み所も無く下半身の踏ん張りも皆無、そんな姿勢でバランスを崩さないというのは凄い。

 現にニルルに乗って海を渡る際は、跨るようにして太ももでニルルの背中を捕まえて、落ちたり揺れたりしないよう無意識に踏ん張っていたパールなのに。

 今この乗り方でピョコの背上に乗り、己のバランス感覚のみでこうも揺れずにいられているのだとしたら、確かに騎乗の才能があるのかもしれない。

 

「……………………あぁ、そっか」

 

「…………」

 

 いや、きっとそういうわけじゃない。

 ピョコの甲羅とパールのお尻が接している所をよく観察してみるプラチナだが、ピョコが上手く歩いているのだ。

 歩き方も、極力足を上下させないよう地表すれすれを滑らせるような歩き方で、自分の甲羅が殆ど上下しないよう気を配っている。

 パールを落として怪我をさせたくないからだ。背上のパールには見えない、気付けない所でも、ピョコは歩き方ひとつにすら気を遣っているようだ。

 

 プラチナが気付いた声を小さく漏らしたところ、ピョコがじっとプラチナを見つめるのだから、プラチナもなんだか微笑ましくなった。

 言うなよ、と。パールにライドの才能があると思わせてご機嫌にしてあげたいのか、それともこういう配慮を明かされるのは気恥ずかしいのか。

 とにかく自分が気を配っていることは口にしないでくれよと、目で訴えるピョコと向き合うプラチナは、秘密をこっそり共有する。

 

「プラッチ、どうしたの?」

「いや、別に。

 パールとピョコは相性抜群だなぁって思っただけ」

「えへへ~、そうでしょ。

 ピョコは私の一番だよ。ねっ、ピョコ」

「――――♪」

 

 四人の友達に進んで優劣をつけたがるパールではないが、ふとした時についこう言ってしまう辺り、やはりパールにとってのピョコは特別だ。

 初めてのポケモンなんだもの。旅の苦楽をはじめから、一番長く、プラチナと共に旅するようになる前から、ずっと一緒だった最初の友達。

 そんな彼の背中に乗って、触れ合うこと自体が楽しくてしょうがないパールの声を聞くだけで、ピョコもまた満面の笑顔と感情を表す声を発している。

 

 ミオシティに辿り着くまでの、短い時間のポケモンライド。

 だけど、素敵な思い出が積み上がる。親しい誰かと心繋がった歩みを進める時間の貴さに、長いも短いも関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミオシティは、シンオウ地方西の湾岸都市として名高く、海運で栄えた街である。

 旧くはシンオウ地方の外へと赴くに際し、ミオからの船に乗るのが数少ない手段だったこともあり、交易の玄関口として無二の存在感を発していた。

 現代においては、地方外との交流手段が増えたこともあり、過去ほど特別視されることは無くなってしまったようだ。

 しかし海運の祖としてその性質は錆び付いておらず、有事の際にはその交易力で以って、街や地方全体に恵みをもたらすことも少なくはない。

 余所の地方で流行ったものを、シンオウ地方に運び込み、文化的に新たな風をもたらすのは大抵ミオシティと言われていたりも。

 外界との繋がりを未だ強く保つミオシティを、シンオウ地方の玄関口だと認識する風潮は、かつてと時代が変わった今でも根強い。

 

 街の真ん中に横たわる運河は名物の一つであり、ここから船を介してミオシティ近隣の"こうてつじま"に行けるのも、観光客の呼び込みに一役買っている。

 昔は鉱山であったと言われる鋼鉄島、廃坑は洞窟のように広く、今でも明かりが設置されたままで歩きやすい。

 今やもう発掘が果たされてしまって鉱山としての役目を終えているが、宝探し気分で懸命に探せば、珍しい石なんかを拾えたりもするそうな。

 環境的にポケモントレーナーの修行の場にも使われやすく、単に廃坑見学としても見所が多く、訪れてみれば楽しめる要素はそれなりだ。

 無二の海運都市としての性質が薄れた今なお、ミオシティはシンオウ最西の湾岸都市としての存在感を保っている。

 

「たのもーっ!」

「今日はなんだか元気だね」

「実は一回言ってみたかったの」

 

 さて、せっかく来たのだから観光して回る時間も作りたいが、やはりパールが最初に訪れるのはミオジムだ。

 それ目的でここまで来たんだから。観光なんていつでも出来るの精神である。

 

 もうポケモンジムも6件目だ。

 パールもジム挑戦に慣れてきたのか、その門をくぐるに際して昔ほど緊張していない。

 道場破りみたいな台詞を発して門を開く遊びが出来るぐらいには、今までと違って心にも余裕がある。

 初めてのジム挑戦だったクロガネジムに足を踏み入れた時なんか、勝手もわからず緊張しきりだったことを顧みると、パールも挑戦者らしくなったものだ。

 

「うむ、挑戦者か。

 地元じゃ見かけない顔だな。

 シンオウ地方の西の果て、ミオシティまではるばるようこそ、というところか」

「こんにちは。

 えぇと、ちょっと大きい声出しちゃってごめんなさい。

 ジムバッジを集めてシンオウ地方を旅してる、パールっていいます」

「おっと、ちゃんと礼儀正しいご挨拶が出来る子だ。

 元気のあり余った女の子だと思ったら、どうやらそれだけではないようだな」

「あははは……」

 

 パールを出迎えたのは、背高く体格のいい大人の男性だ。

 筋肉質のマキシとはまた違う意味で、背高くがっしりと太い腕で、縦にも横にも大きな人。

 スコップを肩に担いだその出で立ちからは、連日の発掘作業で自然に筋肉のついた肉体だという印象を受ける。

 

 ちょっと彫りの深い顔立ちなので、もしこの顔で睨みつけられでもすれば怖そうだが、快男児の笑みで話しかけてくれるその姿に怖さは無い。

 強くて逞しくて頼もしいお父さん、そんな雰囲気を醸し出す人物だ。

 きちんとした挨拶をするパール、ちょっぴり調子こき気味のたのもー宣言で入ってきたことを想い返し、今になるとちょっと恥ずかしそう。

 らしくないことをあまりするものではない、のかもしれない。ものの数秒でこうなるんだから。

 

「私がミオジムのジムリーダーを務める"トウガン"だ。

 見たところ、随分とジムバッジを集めてここまで来たようだな」

「えっ、わかるんですか?」

「年の功でな。見ればわかる気がするぞ。

 君は最初の前のめりな挨拶をするほど、自分に自信満々のタイプではないだろう?

 それでも何度かジムを勝ってきて、自信もそろそろついてきて、気合を入れて入って来れるようになったというところかな」

 

「プラッチ! このジムはエスパータイプ専門だよ!」

「ミオジムは鋼タイプの使い手さんが集まるところだって予習してきたでしょ」

 

「君も挑戦者か?」

「いえ、僕はパールと一緒に旅してるだけなんです」

「君もなかなか腕が立ちそうに見えるがな。

 一度手合わせしてみたいが……まあ、挑戦者でないと主張するのであれば無理は言うまい」

 

 人生経験豊富な大人のトウガン、パールを数秒観察しただけで、けっこうパールの性格を当てきっている。

 別に超能力の持ち主ではない。もっとも、これほどの人は多くないと言えるほど、鋭い観察眼を持つ人物であるのも確かだが。

 

 プラチナと短い会話を交わしたトウガンは、再びパールに目を向ける。

 さりげなく名乗っていないプラチナ。また彼の名をプラッチと誤解したままの大人が増えた。

 いったいいつになったら、プラチナは自分の本名をパールに明かすのやら。

 

「ジムバッジを見せて貰えるか?」

「え~と、はいっ」

 

「――ほう、クロガネジムはクリア済みか。

 ヒョウタは私の息子だ。まあ、あいつもまだまだ未熟者だからな」

「えっ、そうなんですか?

 親子でジムリーダーなんてなんだかすごい」

「そうか、思い出したぞ。

 ヒョウタが言っていた、パールという女の子が君だったんだな。

 あれはいいトレーナーだ、いつかは必ず父さんの前にも顔を出すようになるよ、ってあいつも言っていた」

「い、いいトレーナーですか?

 そういう褒められ方はあんまりされたことがないなぁ……」

 

 すごく照れ臭そうに顔がふにゃつくパール。

 ジム戦で勝つたび、それなりの賞賛を意を向けられることは多々あったが、はっきり"いいトレーナーだ"と直球で言われるのは確かに少ない経験か。

 ストレートな褒め言葉はやっぱり嬉しい。私もそんな風に言って貰えるようになったんだなぁ、と、パール自身も感慨深い喜びがある。

 

「ポケモンリーグに挑戦しようと、バッジを集め始める旅を始めたものの、すべて集められないまま夢を諦めてしまうトレーナーは多いからな。

 3つから5つ集めたところで、ここが自分の限界だと感じてしまう人が多いそうだ。

 その次のジムバッジをなかなか獲得できずにな」

「そうなんだ……

 私、なんだかんだで5つまで来られたけど……」

 

 挑戦者を迎え撃つジムリーダーは、挑戦者が持っているバッジの数で加減を決めるルールなので、挑戦者目線ではバッジを集めれば集めるほど相手が強くなる。

 ちょうどバッジを3つ集めて4つ目のジムに挑む時あたりから、トレーナー達も今後の壁の高さを痛感するようになっていきやすいようだ。

 パールが戦った4人目5人目のジムリーダーといえば、マキシやメリッサがそれに該当する。

 ヒョウタやナタネと勝負した頃なんかは、パール自身の経験不足も目立ち、おろおろするばかりの苦戦もあったが、最近のジム戦はそうではない。

 成長したパールなりに一生懸命戦い方を考えて挑んだ上でなお、追い詰められて追い詰められての、ぎりっぎりの勝利ばかりだったものだ。

 

 勝負の運命の針がパールの敗北に傾き、何度再戦を挑んでも負けることを繰り返す結果になっていたなら、パールだって心が折れていたかもしれない。

 結果的にこれまでは、運よく無敗街道邁進中のパールだったが、パールだってこうじゃなかったら、辞めちゃう残念な末路も無い話ではなかっただろう。

 夢半ばに旅を終えてしまう人がいるということを改めて聞き、パールも今一度気持ちを引き締め直す想いである。

 

「君にとっては私が6人目のジムリーダーだな。

 私とて、バッジを5つ集めてきたという挑戦者ともなれば、相応の対応を以って迎え撃つことになる。

 そう簡単に乗り越えられる壁だと見くびらないでくれよ?」

「うっ、揺さぶられている……

 ヒョウタさんにも初対面の時、そんな感じでびびらされたような」

「はっははは! 血は争えんな!

 あいつもこんな可愛い挑戦者相手に、そんな心理戦を仕掛けるようになったか!」

 

 ヒョウタにクロガネ炭坑で軽く喝を入れられたことは、パールにとっても鮮烈な記憶だったようだ。

 ただでさえ初めてのジム挑戦で、クロガネシティに入る前夜から緊張していたパールなのに、現地で挑戦する相手そのものに軽く脅されたんだもの。

 頑張るぞという想いで何とか上塗りしたものの、内心びくびく、大丈夫かなと不安いっぱいで挑んだ初めてのジム戦の記憶は今でも鮮明に思い出せる。

 あの日と似たように、今はトウガンが心してかかれよとばかりに喝を入れてくるんだから、なおさらヒョウタさんのお父さんなんだなぁと印象しきり。

 一方で、ただ委縮するだけでなく掛け合いを返せる程度の余裕があるパールの姿からは、成長した彼女の精神が窺えるとも言えよう。

 そんな気分をしみじみ味わえるのは、ずっと彼女をそばで見守り続けてきた、プラチナだけの特権かもしれない。

 

「まあ、しかし恨みっこなしだぞ?

 私はここまで辿り着いた挑戦者に、許される限りで一切の容赦はせん。

 たとえ私に敗れ続けた君が、心が折れて夢を諦めようとも悪びれもしない。

 残酷かな?」

「……いいえっ、望むところです!

 強いトウガンさんにちゃんと勝って、7つ目のジムを目指してみせます!」

「うむ、いい返事だ!

 その言葉、有言実行となるよう是非とも励んでくれたまえ!」

 

 どこかで誰かが言っていたことで、パールの心にも強く残っている言葉がある。

 ジムリーダーとは、負けることが仕事なのだ。勝ち続けることを求められるチャンピオンとは違う。

 許容される限りの全力で挑戦者を迎え撃ち、そんな自身を打ち破った挑戦者が、チャンピオンロードという大願へと羽ばたいていくこと。

 どのジムリーダーとて、内心ではそれをも望んでいるのだ。

 

 簡単には負けられないジムリーダーとしてのプライドと、新たなる新星の誕生や芽吹き、新時代の到来を望む感情は相反するものである。

 君が私に負けて夢潰えることも厭わぬ、という、トウガンによる厳しい忠告。

 そしてパールが、勝ってみせますと意地で言い張る姿に、それが叶うならそれも良しと歓迎するトウガンの笑い声。

 シンオウ地方のジムリーダーの中では、最も年長者であり経験豊富なトウガンは、その矛盾する両思想を幾度と無く反芻してきた人物である。

 彼は、全力でパールを負かしにくる。難敵であったと回想されるべきほど、強いジムリーダーとしてパールの前に立ちはだかるつもりでいる。

 そして、パールが勝利し未来へと歩を進めていくのであれば、そんな自らであらねばならないという意義を、彼は最もよく知る人物の一人ということだ。

 

「さて、まずはうちのジム生達とお手合わせ願おうか。

 啖呵を切った君が、変わらぬ想いで私の前に挑戦者として再び訪れることを待ち望んでいるぞ。

 頑張れよ! 若者!」

「はいっ!」

 

 自分に勝とうとしている挑戦者に、これほど強く快い声で発破をかけてくれるジムリーダーには、パールも応えねばならないという意識を掻き立てられる。

 いい気合が入っただろう。挑戦者も、迎え撃つ側も、最高のメンタルで。

 良い勝負というのは、そんな時にこそ生まれるものだ。トウガンが何にも勝って求めるものとは、まさにそれに他ならない。

 

「プラッチ! 応援しててね!

 私いま、すっごい燃えてるよ!」

「うんうん、ガンガン燃えていこう。

 相手は鋼タイプだよ、燃えれば燃えるほどいいよ」

「えっ、つまんない!

 プラッチそんなこと言うキャラだっけ?」

「え~、辛辣すぎない?

 まあ慣れないことした自覚はあるけどさ……」

 

 ジムの奥へと去っていったトウガンを見送ったパールだが、プラチナが親父ギャグみたいなことを仰るので叩き潰しておく。

 鋼タイプには炎タイプが効くので、燃えれば燃えるほどいいと。やかましいわ。

 

「まあ、リラックスさせようとしてくれてるんだと思うことにします!

 許したよ、プラッチ! ありがとう!」

「いいよいいよ、元気いっぱい。

 そういう感じでどんどんいこう」

 

 ちょっと気の利いたことを言おうとして失敗した感のあるプラチナは気まずそうだが、パールも真意には気付いてくれているようだ。

 エールを贈ってくれる友達もいる。頼もしいポケモン達も身近にいる。

 溌剌としたテンションでジムへの挑戦を開始するパールの背中と小走りを、プラチナは心から微笑ましい想いで眺めていた。

 

 ギンガ団を許せないの一心で、可愛い顔を険に染めて必死に戦うパールより、やっぱりこうして無邪気に夢に向かって駆けんとするパールの方がいい。

 リッシ湖の苦い戦いも記憶に新しい中、あるべき日々に帰ってきたことを実感するプラチナは、そうした意味でも純真にパールを心から応援したくなる。

 間違いなく今回も、並ならぬ強敵が待つミオジムだ。

 だけど、頑張って欲しい。勝って次のステップへ進み、大好きなポケモン達と喜びを分かち合う、幸せいっぱいのパールの姿がまた見たい。

 今も昔も、あるいは今もっとも、プラチナはただただその一心であった。



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第68話   ミオジム

 

「うむ! よくここまで辿り着いた!

 どうだったかな、うちのジム生達は!」

「大変でしたぁ……!

 はがねタイプって、話には聞いてたけど本当に頑丈なんですね……!」

「うむ! 堅牢堅固、面壁九年!

 はがねタイプを有するだけで、その粘り腰の強さは特徴の一つとさえ言える!

 他のタイプのポケモンを相手にする時よりも、一味違った苦しさがあっただろうな!」

「けんろ……?

 え~と、とにかくカタいってことですね?」

「まあ、それでいい!」

 

 ジム生達を破り、ジムリーダーのトウガンへの挑戦者を勝ち取ったパールは、一度ポケモンセンターに戻ってみんなをリフレッシュさせて。

 ついでに海を越えるに際して濡れてしまった靴と靴下も、お風呂上がりに服を乾燥させてくれる機械でがーっと乾かして、とりあえず足元もさっぱり。

 準備万端でポケモンセンターを出発したのが日没で、トウガンの前に立った頃にはすっかり外は夜。

 それだけジム生達とのバトルに時間がかかってしまったということだ。

 はがねタイプのポケモン達は頑丈である。はがねポケモン使いが集まるこのジムは、前哨戦一つ一つが他のジムより長引きがちな傾向にある。

 

 多くのタイプの技を今一つの威力に抑え込んで耐えることで有名なはがねタイプだ、それをパールも実感したことだろう。

 いい思い出ではないが、リッシ湖で戦ったサターンのミノマダムだってはがねタイプ。レベル差があるとはいえ頑丈な相手だった。

 一方で、炎や地面や格闘タイプの技が使えれば勝負を優位に進められるのだが、いかんせんパールの手持ちにはその使い手が少なめで。

 ニルルが地面タイプの技を、ミーナが格闘タイプの技を使えるため、ミオジムにおいてはこの二人がジム攻略のキーを握りそうだ。

 それも、ジム生とのバトルを通じてパールが学んできたことである。

 以前からそうだがジム生とのバトルは、後に戦うジムリーダーの得意とするタイプに、どのように戦えばいいかの試金石を得る機会として重要だ。

 

「それでは改めてここに、君の挑戦を受諾しよう。

 良いバトルを期待しているぞ。

 事前に君とバトルした各地のジムリーダーに話を聞いてみたが、いずれも良いバトルだったと評してくれている。

 私としても、非常に期待しているよ」

「わわわ、そんな、なんだか恐れ多いカンジ……

 っていうかトウガンさん、先にリサーチ済だなんてずるい」

「はっはっは、君がどのように戦ったかなどは聞いていないよ。

 信頼してくれたまえ。それは流石にフェアではないからな」

 

 ジムリーダー達同士にはジムリーダー同士だけのネットワークがあり、まあ簡単に言えばグループチャットみたいなものだと思えばいい。

 トウガンが『パールという女の子が来たんだが、そちらではどうだった?』と聞けば、まあまあみんなから良い反応が返ってきた模様。

 あまりにみんなから『いい勝負だった』という反応が返ってくるものだから、トウガンとしてはパールとのバトルが楽しみになった一方で。

 まだパールとバトル出来ていないキッサキシティのジムリーダー"スズナ"からは、早く戦ってみたいよ~という声も返ってきたそうな。

 こういうトレーナーは決してパールだけに限ったものではない。バッジを5つも集めてきたトレーナーというのは、やはりみんな結構な有望株。

 挑戦者とのバトルの思い出話に花を咲かせるのは、ジムリーダーの皆々様方の楽しみの一つである。

 

「聞けば君は、未だ全戦無敗の身だそうだな。

 ジム戦以外も含めてかな?」

「え~、まあ、それはそうなんですが……

 みんなが頼もしいからですよ? まだまだ負けさせたくないですけど……」

「ふふっ、そうか。

 ということは、もしかすると私が今日、君の連勝街道を止める人物になってしまうこともあり得るわけだ」

「え、えっと、お手柔らかにお願いします……!」

 

 不敵な笑みと共に、パールをバトルフィールドに導いていくトウガンだ。

 戦前にこうして煽りをかけてくる辺り、やっぱりヒョウタさんにどこか似ているなぁとパールも感じつつ。

 ジムごとに個性あるバトルフィールド、しかしトリッキーな戦い方を求め過ぎないフィールドへ、パールはどきどきしながら足を踏み入れる。

 

 広大なミオジムのバトルフィールドは、一面つやつやぴかぴかの鋼の床。

 よく磨かれた床は、もう少しツヤを出せば鏡のように自分の顔すら確かめられそうなほど。

 滑りやしないかと靴でぎゅっぎゅとしてみるが、特殊なコーティングでもしているのか、ツヤめく割には滑ったりしない。

 平坦なフィールドでバトルするにあたって、ポケモン達の足元に不自由は無さそうだ。

 あとは、床と同じくぴかぴか金属の、太くて天井まで届くような柱が四本あるのが、ミオジムバトルフィールドの個性と言えるか。

 特別、頑丈な金属らしい。どんな攻撃でも折れたり削れたりしないし、どんな熱でも溶けることのない頑強な柱。

 ピョコぐらい大きなポケモンでも、柱の陰に隠れれば相手の視界内から消えられるほど太い柱、戦術上でも何らかの使い道がありそうなオブジェクトだ。

 トウガンも"使い方"は熟知しているだろう。

 相手方だけが便利に活用する地の利とするか否かは、パールもまたこの柱をどのように有効活用するかどうかに懸かっている。

 

「勝負は3対3だ。

 話は少し変わるが、もしも君が私に勝利し、7つ目のバッジを目指す次のジム戦を迎えるならば、その時は4対4のバトルになるだろう。

 つまり君のジム巡りの旅において、3対3のバトルを行うのはこれが最後になる。その意味が、わかるかな?」

「え、えぇと……?」

 

「6つ目のバッジを目指す戦いとは、3対3バトルの集大成ということだ。

 心してかかってくるといい。

 今まで以上に、楽なバトルにはならんぞ?」

 

 いたずら含みににやっと笑って見せるトウガンだが、そこには微かに、甘く見てくれるなよという強気の感情もまた垣間見えた。

 甘い戦いぶりを見せるなら、一方的に蹂躙することも辞さぬ、真剣勝負に臨むジムリーダーの表情だ。

 これは絶対に、お手柔らかもくそもない。パールもびりっと肌がひりつく。

 

「……よろしくお願いします!

 全力で、挑みます!」

「うむ! いい返事だ! ここまでは期待通りだぞ!」

 

 パールが女の子じゃなかったら、背中でもばっしーんと叩いてやりたいぐらい、トウガンも気合が入ったようだ。

 というか、あわや叩く手を振り上げそうになってしまい、パールが敏感にびくっと反応してしまったぐらい。

 しまった、これはいかんな、と思いとどまったトウガンがパールに背を向け、危ない危ないと苦笑いしながら、フィールドを挟んだパールの対面位置へ移る。

 お互い、充分に熱くなった。熱くなり過ぎないようにご注意を。

 

 双方、先鋒の収められたボールを手にして、バトル開幕前の目線合わせ。

 準備万端を確かめ合うこの視線の衝突は、多くの言葉を要さない。

 真剣な眼差しを向けてくれる挑戦者の姿だけで、それはどんな言葉より雄弁にそれを物語ってくれるのだから。

 一足先に観戦席に座っていたプラチナには、両者の

 

「始めようか! 挑戦者パール!

 君の旅路がどれほどのものを培ってきたか、私の前に見せてみろ!」

「はいっ!

 負けませんからね!」

 

「行こうか! ドーミラー!」

「任せるよ! ニルル!」

 

 初戦はトウガンのドーミラーと、パールのトリトドンの対峙から始まった。

 大事なバトルの開幕戦、どちらもそれなりの読みや意図あっての選択とされるのがトップバッターだが、さて。

 

「うっ……いきなり……!」

 

「はっはっは、いきなり計算が狂ったか!?

 私のドーミラーに地面タイプの技が有効かどうか、試してみるのも一興だぞ!

 もしかすれば、そこまで高い浮遊能力は無いかもな!」

 

「パール、ほんと顔や態度に出やすいなぁ……

 トレーナー同士の駆け引きとかには、未だに全然向いてないんだな……」

 

 はがねタイプに有効なのはじめんタイプ。ニルルの泥爆弾はじめんタイプ。

 そうした狙いも、"ふゆう"が得意な相手であれば、じめんタイプの技も全く効果を為さなくなりがち。

 そして大抵のドーミラーは"ふゆう"持ちである。まあ"たいねつ"に優れる一方で"ふゆう"能力がいまいちの個体もいるにはいるのだが。

 あまりドーミラー相手にじめんタイプの技が有効だという戦術は立てにくい。

 

「でもっ、だったらみずのはどう!」

「――――z!」

「ドーミラー! まずは惑わせ!」

 

 しかしパールが先鋒にニルルを選んだのは、最悪出鼻を挫かれようと戦いようがある、ニルルの柔軟な攻め手も根拠の一つ。

 耐性の多いはがねタイプだが、みずタイプに対する耐性は無いのだ。

 ドーミラー相手だろうと有効な一撃を指示するパールに間違いは無く、困らず済むのもニルルの引き出しの多さゆえ。

 対するトウガンは、決して相手を侮らぬ一手、まずは"あやしいひかり"でニルルを弱らせる動きに出る。

 

 水の波動を受けたドーミラーが宙に浮いた体をぐらつかせ、ニルルもドーミラーが発した妖しい光に少し頭を傾ける。

 相手の初手に怯む両者だが、どちらも頭や体をぷるぷる振るって持ち直し。

 バトルはまだまだ始まったばかり、ここからだ。

 

「ニルルもう一回! よく狙って!」

「ドーミラー! "じんつうりき"だ!」

 

「――――、ッヵ……!?」

「~~~~☆!?」

 

「はわっ!? ニルルっ!?」

「むうぅ……!

 みずのはどうで"こんらん"させられたか……!?」

 

 妖しい光で混乱させられたニルルは、開いた口から水の波動を撃とうとしたところ、咳き込むかのように発射叶わず不発。

 しかも口の中で水の波動のエネルギーを暴発させたかのように、のけ反りひっくり返って床の上にべちゃあ。

 対するドーミラーも、ニルルに向けて放とうとした技が上手く発動せず、自分で自分を床に叩きつけるかのようにがつん。

 こちらもニルルの水の波動による、稀に生じる追加効果で混乱しているようだ。

 

「お互い混乱するとたまにこんな風に泥仕合っぽい眺めが出るよね……

 公式戦でもよくあることだし、別にお間抜けではないんだけど……」

 

「っ、どろばくだ……違う違うっ、みずのはどう!」

「ふむ、冷静だな……!」

 

 なんとか体勢を整えたニルルに、パールは一時の気の迷いを封じて、水の波動を指示していた。

 床に落ちたドーミラーを見て、相手が浮く前にじめんタイプの技を当てられればという浮気心が一瞬沸いたようだ。

 しかし、そんな甘いものじゃないとすぐに思い直し、確実性の高い攻撃技を選べるパールは、ちゃんとトレーナーなりの判断が出来ている。

 現にドーミラーはすぐに身を浮かし、水の波動を受けこそしたものの、仮に泥爆弾を発射されていても、すぐに身を浮かせて躱しきっていただろう。

 着実にダメージは与えられている。悪くない流れだ。

 

「ニルルしっかりー!

 立て直すよ! こっちこっち!」

 

「よく見て狙え! じんつうりき!」

 

 パールが大きく手を振る仕草で、ニルルの行く先を指示する。

 応えたニルルが向かう先は、フィールド上に点在する巨大な柱の一つの陰。

 にゅるるると鋼の床を滑って進む姿は意外に素早いのだが、その中で顎を引いて身を強張らせるニルルの姿は、敵の攻撃を受けた表れだ。

 "じんつうりき"は見定めた相手の体を、念動力で締め上げる技だ。

 少し具体的に例えると、見えない力で全方位からぎゅうっと強く締め上げたり、身体をねじられるような痛みを与えたり。

 光線を介さないサイケ光線のような技だ。技の使い手が対象を凝視するだけで叶うので、サイケ光線よりも躱しづらい厄介な技である。

 

「ある程度は、凌ぎ方も覚えてきているようだな」

 

「ニルルっ、しっかり!

 大丈夫? 頑張ってね、お願い、頼りにさせてね!」

「ッ、~~~~!」

 

 混乱が残る頭でも、ニルルはドーミラーの視線からはずれた位置で、パールの方に目を向けてうなずいてみせた。

 時間が経てば経つほどに、浴びせられた混乱も快方へ向かう。

 一時凌ぎの柱隠れだが、ニルルを持ち直させるという意味ではこれも悪くはない。

 

「そう簡単に好きにはさせんぞ……!

 ドーミラー! 狙い撃て!」

 

 しかし、ドーミラーは自分と相手の間に柱があることもお構いなしに、力を溜めるかのように発光する。

 次の瞬間、鏡状のドーミラーの顔全体から発射されるのは、レーザー砲のような光線だ。

 狙いは? ニルルの隠れた柱とは別の、鋼の柱に向けて発射された光線は、そこから反射してニルルに直撃するのである。

 

「ええぇっ!?

 ニルルっ、ちょ、だ、大丈夫!?」

「~~~~! っ、っ……!」

 

「もしかして、あれが"ラスターカノン"……?

 反射を利用して物陰の相手も狙えるのか……」

 

 ドーミラーの光線を浴びせられたニルルは、たまらず身をよじらせて柱の陰から飛び出した。

 急に受けると、じっとしていられないほど熱いようだ。ビームかレーザーのようにも見えたラスターカノン、威力は見た目どおりと見てよさそう。

 流石にニルルもカチンとくるほど痛かったのか、パールの指示を待たずしてドーミラーに水の波動を発射だ。

 柱の陰から飛び出してすぐのことであり、ドーミラーも躱しきれずに直撃を受ける。

 

「いける……!?

 よしっ、ニルルっ、のしかかり!」

「――――z!」

 

「撃て! ドーミラー!」

 

 ドーミラーの攻撃手段が、ラスターカノンにせよ神通力にせよ、回避の難しい技ばかりと見て、接近戦に持ち込もうとするパールの判断は良い。

 中距離、遠距離の戦いを得意とするドーミラーだとはっきりしたのだ。

 接近戦も仕掛けられるニルル、距離を詰めて相手への攻撃をより当てやすい中で戦う方がずっとやりやすいだろう。

 

 鋼の床を滑って直進するニルルに、ドーミラーが迎撃のラスターカノンを撃つ。

 躱せなかったが、それでも構わない。どのみち躱せと命じられても難しい光線だ。

 真っ向からの光線を受けても怯まず、そのまま突っ込んでいくニルルが跳び、ドーミラーにのしかかる攻撃を仕掛けていく。

 

「ッ――――!」

 

「ニルルまだだよ!

 みずのはどう! 至近距離!」

「――――z!」

 

 愚直な飛びかかりはドーミラーに躱されたが、着地したニルルが逃げた相手に首を向ければ、すぐそばに敵の姿。

 ニルルの賢いところは、パールに指示されるまでもなくこの展開に備え、水の波動を撃てる構えと首の動きを為していたこと。

 至近距離で発したニルルの水の波動がドーミラーに直撃し、地面に落ちることこそしないものの、宙でふらつくドーミラーの姿がそこにある。

 

「跳び付け~っ!」

「~~~~!」

 

 怯んだ相手に跳びかかるニルルが、今度こそドーミラーを自分の下敷きにしてしまう。

 はがねタイプのポケモン相手に、この攻撃自体はさほど有効ではない。

 だが、自分の体重でドーミラーを捕えて押さえつけるニルルは、既に次の技に繋ぐべく口を開けている。 

 

「じんつうり……」

 

「撃てえっ!」

 

 さながらマウントポジジョンを取った相手を殴りつけるかのように。

 押し潰した相手に顔を向けたニルルが、駄目押しの水の波動を発射だ。

 まずいと思って神通力での抵抗を命じようとしたトウガンだが、畳みかける展開で一気に攻め立てるパールとニルルの方が早かった。

 床と上からの水圧に挟まれたドーミラーに甚大なダメージが与えられ、ニルルはにゅるんと後退してドーミラーを解放する。

 

 せっかく捕まえた相手を自らニルルが解放するのだから、勝負の結果は現場のニルルがはっきりわかるものだったということだろう。

 水しぶきが霧のように舞うその真ん中で、床の上に寝そべったドーミラーはすっかり目を回していた。

 

「うぅむ、見事だ……!

 様子見のつもりだったが、得られたものは少なかったな……!」

 

 ボールにドーミラーを戻したトウガンは、風向きの良くない展開を口にしながらも、その表情はどこか楽しそうだ。

 やはりジムリーダー、手応えのある相手が挑んできた時が一番楽しい。

 豪気な性格を体つきや顔つきにも表すような人物たるトウガンだが、大人びた口ぶりの奥に隠れた、彼のトレーナーとしての情熱に火が灯り始める。

 勿論、初めから真剣だったとも。だが、バトルが始まり場が熱を帯びてきてから得られる真の情熱は、やはり今こそ沸き始めるものだ。

 

「やったね、ニルル!

 さすが私達のトップバッター代表だよ!」

「~~~~!」

「でも油断しちゃダメだよ! 次が来るからね!

 次はきっと、トウガンさんのもっと強いポケモンだよ!」

「――――z!」

 

「だが、たった一つのこの得られた真実は、他のどんな憶測にも勝って大きかったであろうな……!

 君は私が、最高の札を切ってでも全力で打ち破るに値する挑戦者だ!」

 

 トウガンの先鋒、ドーミラーの本分とは、本来搦め手で勝負を長引かせ、敵の手の内を明かしていくことにある。

 相手方の先鋒の戦い方、それを通してトレーナーの性格や戦法、それを解き明かしていくことがドーミラーの本来の役目なのだ。

 結果は決して、芳しいものではない。勝負はやや早く決められてしまい、トウガン目線で初対決となるパールの戦い方なるものの実像を得られていない。

 本来これは、斥候による視察が充分な成果を挙げられなかったも同然の結末で、単なる一敗以上にトウガンにとっては重い敗北とも言える。

 ただ負けるだけでなく、為したかったことも充分に為せなかった敗北とは、後々の戦局にも大きく響きがちだ。

 

 だが、だからこそ得られた真実というものもある。

 ジムリーダーの思惑をも潰してきた、パールとトリトドンが強い挑戦者であるという事実こそ、今のトウガンにとっては重要な真実だ。

 残り二匹のポケモンのうち、どちらを先に出すか。

 この展開を迎えた以上、トウガンの選択肢は一つしかない。

 ここからどう戦うのが正解か、それをはっきり教えてくれる真実は、確かにどんな情報にも勝って大きいものに違いない。

 

「さあ、見せてもらおうか! 君達の底力の程をな!

 行くぞ! トリデプス!」

 

 トウガンが次鋒に選んだボールを放り投げ、中から飛び出してきたポケモンが放つ存在感は非常に強いものだった。

 まずはその巨体もさることながら、でこぼことした顔の陰になっている眼差しは鋭く、ざりざりと前足で足元を引っかく姿からも血気盛ん。

 大きな声と共にトウガンが繰り出してきたことから、パールもニルルも気を引き締め直してはいたが、目の当たりにすればいっそうのプレッシャーだ。

 

 今の弱ったニルルなら、"ふみつけ"一撃でダウンさせそうな恐竜に見える。

 パールのぎゅっと握った拳には汗が滲み始め、ニルルも体力の削られた今、どこまでこいつとやり合えるだろうと戦慄を覚えている。

 言い換えれば、自分自身は負けることを既に視野に入れ、せめて少しでも弱らせて退場しようと腹を括っている辺り、ニルルの献身的な内心でもあるが。

 

「君の快進撃はどこまで続くかな?

 私の切り札を前に君達が、どこまでやれるか見せてもらうぞ」

 

 不敵に笑うトウガンの表情からは、このトリデプスに対する強い自信が垣間見えていた。

 図式は3対2。それでもパールには、これを絶対的優勢には感じられない。

 さりげなくトウガンが発した、このトリデプスを切り札と称する言葉は、一時の優勢など気休めにならぬことをパールに突きつけるものだ。

 それは今までのジムリーダー達との戦いで、嫌というほど学んできた実戦の厳しさが裏付けている。

 

 パールの方を一度振り返ったニルルに、パールは緊張感に満ちた顔でぎゅっと唇を引き締めて、小さく頷くので精いっぱいだった。

 頑張ろう、という表明。ニルルもその意を感じ取って、強大な敵に対峙する。

 厳しい戦いはここからだ。パールも、ニルルも、そう感じずにはいられなかった。そして、それもまた真実だ。



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第69話   VSトリデプス

 

「さて、トリデプス!

 まずは小手調べだ!」

「――――」

 

「わわわっ、来るよニルル、避けれる!?」

「~~~~!」

 

 縦にも横にも幅のある巨体のトリデプスは、ずしんと大きな足音を立てた登場した瞬間から、パールに強い緊張感を抱かせていたようだ。

 トリデプスはのっしのっしとニルルに歩み寄りながら、岩とも鋼とも見分け難い大きな顔を、ぎらりと光沢に染め上げる。

 それがラスターカノンの初期動作だとはパールにもわかったようで、回避を指示するパールは慌て気味。緊張感のせいで少々冷静さを欠いたか。

 

 しかし相手が何をしてくるか事前にわかれば、ニルルもにゅるりんと横滑りに体をずらし、ラスターカノンの被弾を最小限に抑える。

 ドーミラーより大きな顔から発射される光線は太く、ニルルも半身を一瞬焼かれることになったが、直撃を受けるよりはダメージも少ないだろう。

 

「ニルルっ、反撃! みずのはどう!」

「~~~~!」

 

「トリデプスは岩タイプでもあるから……効くだろうとは思うけど……」

 

 どうやら歩きながらでもラスターカノンを撃てるトリデプス、今なおのしのしとニルルに接近しつつあり、パールの指示する反撃は当てやすくなっている。

 ましてあの巨体だ。機敏な回避はそう得意ではあるまい。そして、効果も見込める。

 観戦席のプラチナが一抹の不安を覚えるのは、水タイプの攻撃に強くないトリデプスを、敢えてかトリトドンにぶつけてきたトウガンの真意が読めないからだ。

 何かある。そう思わずにいられない。

 

 水の波動は、躱そうともしないトリデプスの顔面に直撃し、前にゆっくりと進んでいた体が二歩退がる程にはダメージも与えられたようだ。

 よし、と多少なりの手応えに拳を握るパールだが、プラチナがまず刮目したのはトウガンの方。

 軽視できないダメージを負わされたはずにも関わらず、むしろこれこそ狙い通りとさえ見えるほど不敵に笑っている表情は、プラチナの疑念を確信に変えた。

 確実に何かが起こる。一秒前の確信だ。

 

「さあ、撃て」

「――――z!」

 

「……えっ!?」

 

 水の波動を受けたトリデプスが、大きな顔をがたがたと揺らし、徐々に強い光を発し始める。

 ラスターカノンの発射前とは違う、まるで蓄えたエネルギーが急激に溢れ出んばかりの光。

 決してそれによって音が出ているわけでもないのに、パールとニルルがごおぉという音を耳に聞いた気がするような、それほどの危うさがその発光にある。

 

「ニルルっ、気を付……」

 

 パールの指示は間に合わなかった。いや、間に合ったとしてもどうにもならなかっただろう。

 ぐいと顔を振り上げたトリデプスの顔全体から、前方広範囲に放たれた無数の光線は、ニルルに回避など許さぬほど速い。

 まさに光の速さで放たれる無数のレーザーを、その身に雨あられのように受けるニルルは為すすべなく打ちのめされるのみ。

 威力も高く、ようやくその乱打を受け終えたニルルが力無く顎を下げる姿に、既にトリデプスはその顔を向けている。

 

「あれが"メタルバースト"か……!

 生で見るのは初めてだけど、使い手次第ではあんなにとんでもない技なんだ……!」

 

 トウガンのトリデプスの得意技の一つ、メタルバーストは、受けたダメージを、エネルギーを膨らませた上で放つカウンター技である。

 その特性上、大きなダメージを受けた時にこそ高い威力を持つ。

 しかしそれにはそのための構えが必要であり、つまり挙動で相手にメタルバーストの構えをしていると悟られれば、大きな威力の攻撃は貰えなくなりがち。

 だからメタルバーストの使い手は、その構えに入っていることを相手に悟られてはならず、例えばトレーナーがそれを大声で指示するなど愚策の典型だ。

 

 トウガンは指示の声ひとつ無く、トリデプスにメタルバーストの構えを取らせていた。パールだけじゃなく、プラチナだって気付けなかったのだ。

 この不可解さこそ、トウガンの強みの一つであり、トリデプスのメタルバーストを最大限に活かせる要素に他ならない。

 いったい如何にしてその指示を水面下で下していたのかなど、そう簡単に看破できるものではないのだろう。

 

「とどめだ、トリデプス」

 

「あっ、あっ、ニルル……!」

 

 避けてと言いたいその言葉さえ、すぐに動けない彼だとわかったパールは、慌ててニルルのボールを握りしめていた。

 自らニルルの戦闘不能を認め、ボールに退避させて守ろうとしたのだが、それでもその判断が遅れたパールの実行は間に合わない。

 トリデプスの発射するラスターカノンがニルルを直撃し、そのままのけ反り倒れかけたニルルを、パールの握ったボールが回収する結果が残った。

 

「っ……ニルル、お疲れ様……!」

 

「さぁて、巻き返したぞ。

 勝負はここからだ!」

 

 一度はリードを作ったパールだったが2対2に。

 状況はイーブンだが、あっさりとニルルを撃破されたパールの方が、悪い流れにある展開と言えよう。

 パール当人が一番それを感じているはずでありながら、すぐに強い眼差しをバトルフィールドに向け直す姿からは、成長した彼女のメンタルが窺える。

 パールを応援するプラチナにも、そうだ頑張れという想いが強まる姿だ。

 

「――ミーナ、いくよ!

 かっこいいとこ見せてね!」

 

「――――z!」

 

 このトリデプスがいかに強敵か、もう充分に理解したからこその判断だ。

 はがねタイプの相手には格闘タイプの技がよく効く。

 "とびげり"を得意とする彼女を繰り出したパールに応え、ミーナは軽く足踏みしてやってやるぞという意気込みを見せつけた。

 ニルルもそうだったが、自分よりも大きな相手に対峙しておきながら、委縮もせずに堂々戦うミーナの姿はパールをも奮起させてくれる。

 

「おっと、怖い格闘攻撃使いだな。

 トリデプス、いつでもメタルバーストを返せる準備をしておくんだぞ?」

「――――」

 

「うっ…………ミーナっ、見てたよね!?

 相手の凄い反撃、よく気を付けてね!」

「――――z!」

 

 トウガンの発言は、既に見せた自らの手札を相手に強調し、強い警戒心を抱かせることに目的がある。

 いつあの強烈な反撃が飛んでくるかわからない。それはパールに強いプレッシャーを与えるのだ。

 これでパールが積極性を失うならしめたもの。こうしてちょっとした揺さぶりをかけることで、心理戦の様相を呈することをトウガンはお楽しみ中。

 どうやらこういうのが好きらしい。ポケモン同士の対決はもとより、バトルにトレーナー同士の駆け引きがあればもっと楽しい。

 いかつい外見でジムリーダーの中でも年長者のトウガンだが、中身は案外無邪気である。バトルにそうした楽しみを積極的に持ち込んでいきたいようで。

 

「ミーナっ、詰めて!

 まずは近付かなきゃ!」

 

「とはいえ、やりやすい方だな。

 トリデプス、撃っていけ」

 

 駆けだすミーナと、それに向かってラスターカノンを撃つトリデプス。

 トウガンからすれば、厄介な相手には違いないがやりやすい相手でもある。

 だってミミロルがトリデプスに強烈なダメージを与える手段があるとすれば、"とびげり"か"とびひざげり"をおいて他にそうそう無いのだから。

 もしかすれば思わぬ技を習得させているかもしれないが、それはそうした技を見てから考えればいい話である。

 機敏な走りでラスターカノンをぎりぎり躱し、トリデプスとの距離を詰めるミーナの動きは、おおよそ蹴り技狙いとしか見えないが。

 

「いけえっ、ミーナ!」

「――――z!」

 

「弾き飛ばせ、トリデプス」

 

 戦略もへったくれもないパールの指示、要するに飛び蹴りの指示だが、良くも悪くもパールに迷いは無い。

 だってはっきり言って、それしかないんだもの。よく効く技がそれしかない。

 相手目線で読め読めだろうと思ったって、いっそそれを武器にがんがんいっちゃえという割り切りの良さは、中途半端に策をこねくり回すよりは良いだろう。

 

 とはいえ相手はジムリーダー。百戦錬磨のトレーナーだ。

 こちらのやることを概ね悟られてしまっては、最善手による手痛い反撃が待っている。

 

「ッ…………!?

 ~~~~~~~~っ……!」

 

「み、ミーナ!?

 効いてな……そ、そんなはず無いんじゃ……!?」

 

 トリデプスに充分接近したところから勢いよく地を蹴ったミーナは、確かにトリデプスの顔面に飛び蹴りをぶちかましていた。

 だが、ぐっと四本の足で鋼の床を踏みしめたトリデプスは、まるで不動の鉄壁の如くミーナの跳び蹴りを受けてたじろぎもしない。

 生身の足で壁を思いっきり蹴ってしまったかのように、ミーナの方がはじき返され、蹴り足を痛めたかのようにぴょんぴょん跳ねる始末。

 

 格闘タイプの技に弱いはずのトリデプスが無傷で、ミーナの方が逆に手痛いダメージを足に負うこの図式。

 躱されてた時や"まもる"で耐えきられた時に、自身への反動が大きいのが"とびげり"である。

 トウガンは、跳び蹴りに対する最適解を知っている。その堅牢さを誇るトリデプスに、"まもる"を覚えさせていることとて当然だ。

 

「いいぞ、トリデプス。

 撃っていけ」

 

「ミーナっ、来るよ!

 なんとか凌いで! 頑張って!」

「ッ、ッ――――!」

 

 相当きつい反動であったのはパールにも見て取れるのだが、ラスターカノンを発射してくるトリデプスを前に、なんとか回避を祈るしかない。

 ミーナはよく応えた。ミーナの方へと歩み寄りながらラスターカノンを撃つトリデプスの攻撃を、一撃目はなんとか横っ跳びに躱す。

 着地した先でやはり足が痛く、腰が下がったところでもう一発飛んできたラスターカノンは躱しきれない。

 太いレーザーめいたそれを身に浴びせられ、焼かれるかのような想いで悶えるように跳び退いて、その放射線状からようやく逃れて。

 有効打を与えられないままダメージを蓄積させられるこの図式、パールに焦燥感を抱かせるには充分だ。かなりの劣勢。

 

「っ、まだまだ!

 ミーナ頑張って! もう一回いくよ!」

 

「うむ、また来るか。

 トリデプス、構えておくんだぞ」

 

 一度は完全に退けられたのに、なんとか体勢を立て直したミーナが再び同じようにトリデプスに突き進んでくる。

 今度は何か勝算があるのだろうか。トウガンとて落ち着いた声で指示しているが、少々の警戒心は抱いている。

 全く同じことはしてくるまい。さあ、果たして次はどう来るか。

 

「いっけえっ!」

 

「むっ……?

 トリデプス、弾き飛ば……」

 

「メガトンキック!」

 

 懲りずにまた飛び蹴りか? と、トウガンも不審がりながらも、先程と同じように"まもる"ことを命じる指示。

 どちらにしたってダメージを最小限に抑える手段であるため、相手がどのような意図であろうと安定策には違いないのであるが。

 しかし、片脚を突き出して本当に跳び蹴りする勢いでトリデプスに迫っていたミーナは、激突の寸前にもう片方の足を前に出して。

 蹴るのではなく、その両足をトリデプスの顔面という壁に着地するかのように置き、両手と両耳でトリデプスの顔の突起物を掴む。

 

 ほんの一瞬ながら、トリデプスの大きな顔にぴたっとしがみついたミーナは、両足を引き、ピストン運動のようにその両足でトリデプスの鼻っ柱を蹴った。

 正確には"やつあたり"なのだが、頑丈なトリデプスにも顔面を蹴られるのは少々重く、ぐっと耐えながらトリデプスは片目を閉じている。

 ダメージはたいして通っていない。

 だが、跳び蹴りを凌がれた時とは違い、足を痛めない蹴り方でトリデプスの顔面を蹴ったミーナは、くるりと宙返りして着地する流れに移っている。

 

「とびげりっ、いっけえっ!」

 

「なるほどな……!」

 

 "まもる"体制で耐えきったトリデプスは不動であったが、すぐにもう一度同じ踏ん張りには移れまい。

 無防備な体勢のトリデプスの顔面へ、着地の瞬間に勢いよく地を蹴ったミーナが飛び蹴りをぶちかましていく。

 とりわけこの技に弱いトリデプスに響いた重みは非常に大きく、水の波動を受けた時より明らかに、五歩退がるトリデプスに通ったダメージは見るも明らかだ。

 

「駄目だ……!

 ちゃんと構えてる……!」

 

「…………!?

 ミーナっ、逃げ……」

 

「さあ、撃ち返せ!」

 

 しかし、大きなダメージを与えた時ほど恐ろしいしっぺ返しがトリデプスにはある。

 のけ反るように顔を上げて後退しながら、トリデプスの頭部が震える姿は、ついさっきも見た脅威的な反撃の予兆そのものだ。

 

 いったい、いつどのタイミングでメタルバーストの構えを取るようトウガンは指示しているのだろう。

 それをパールやプラチナが知る余地も与えられぬまま、ぐいと頭を下げたトリデプスの顔からは、無数の反撃光線が発射される。

 とりわけ痛い"とびげり"で受けたダメージを、いっそう膨らませて撃ち返す強烈極まりないメタルバーストだ。

 やはり光速めいたその反撃、蹴った勢いでしれっとトリデプスから距離を稼いでいたミーナでさえ、その機敏さでも回避しきれない。

 一撃受ければ次々に被弾、蜂の巣にされたミーナが片膝をついて、胸を下にして倒れ込むのをぎりぎり踏ん張るだけの姿がそこに描かれる。

 

「トリデプ……」

 

「だめだめだめ待ってえっ!

 ミーナっ、戻って!」

 

 パールにもわかる、もう躱す余力の無いミーナ。戦闘不能も同然の姿だったのだ。

 追い討ちのラスターカノンを指示しようとしたトウガンに、お願いやめての大声を発したパールが、ミーナをボールに引っ込める。

 これは事実上の、この一対一における降参宣言に近い。

 屁理屈こねない限り、パールはミーナの戦闘不能を認めたも同然だ。

 

「2対1、ということだな?」

 

「うぅっ……えぇと、えぇと……」

 

 念のために確認するトウガンであったが、パールは素直にミーナの退場を認めている。次はどうすればいいのか、と狼狽える姿はその表れだ。

 あっという間に形勢は逆転した。

 トリデプス相手に、一気に二人抜きされたパールの精神的劣勢感は只ならない。

 ここから巻き返せるのだろうか。あの強いトリデプスを倒せたとしても、次に更なるもう一匹が控えているというのに。

 トリデプスにも充分なダメージが蓄積しているはずだという認識こそ捨てていないものの、パールにしてみればかなり厳しい局面には違いない。

 

「っ……パッチ!

 お願い、頑張って! 信じてるよ!」

 

 しかし、諦めないのもパールの強みの一つだ。

 ナタネにだって2対1の状況から巻き返してみせた。メリッサの時もそう。

 諦めなければ活路は見つけられるはずだ。パールはそう信じて、最後の一人を繰り出した。

 はがねタイプを相手には分の悪い草タイプ、そのピョコではなくパッチを出したその判断からも、彼女はまだまだ勝負を捨ててなどいない。

 

「さて、詰ませるぞ。

 トリデプス、リフレッシュしろ」

 

「え……!?」

 

 ここでトウガンは、なんとか気力を保っているパールの前に、とどめの一言を発していた。

 トウガンの声に応えたトリデプスは、ルクシオを前にしたまま目を閉じて、ここまでニルルとミーナが積み上げてきたものを無に帰さんとする。

 

 "リフレッシュ"という名の技は実在するが、トウガンがトリデプスに指示したそれは別物だ。

 目を閉じたトリデプスだったが、がりっと口の中で何かを噛み砕いた音と共に、ばちんと目を開けパッチを睨みつける。

 "ねむる"ことで自らの体力を完全回復させ、代わりに生じる睡眠状態で生まれるはずの隙を、目覚まし効果のある"カゴの実"で帳消しにしているのだ。

 一度しか使えない手段ではあるも、体力全開となって再び立ちはだかるトリデプスの活力溢れる眼差しは、パールに底知れぬ絶望感を与えるには充分過ぎた。

 

「う、うそ……?

 また、はじめっから……?」

 

「さて、宣言しよう。

 私のトリデプスは、意地でも君のルクシオの攻撃を、すべてメタルバーストで受け切ってはね返すぞ。

 元気になった私のトリデプスと君のルクシオ、根性比べだ。どちらが最後に立っているかな?」

 

 これが、事実上のチェックメイト宣言だった。

 メタルバーストはその性質上、自身が受けるダメージよりも相手に与えるダメージの方が大きくなりがちだ。

 その上で、ニルルの水の波動やミーナの跳び蹴りも耐えきったあのトリデプスと、パッチが根性比べの勝負をする?

 諦めまいと、せめて身体だけは前のめりな姿勢を作っていたパールさえ、勝ちの目が薄いこの局面に体がぐらつきかけている。

 しかも、その分の悪い勝負を僥倖にて勝ち取れたとしたって、トウガンには次のポケモンが控えているのだ。

 

「――――――――z!!」

 

「っ……パッチ……」

 

 この状況がいかに絶望的であるかなど、パールだけじゃなくパッチだってわかっているはずだ。

 ニルルとミーナの戦った姿を、そしてそれを退けたトリデプスの戦い方を、彼女だって見届けてきたはずなのだから。

 そんな彼女が、心が折れかけたパールを発奮させるべく、大きくいななく姿はぎりぎりパールの目を覚まさせた。

 

 完全にトリデプスに背中を向け、真っ直ぐパールを見据えた上でパッチは吠えていたのだ。

 諦めるな。戦い抜け。私はやるから、最後まで絶対に希望を捨てずに。

 この絶対的窮地にあって尚、パールに膝を着くなと強く訴えるパッチの姿が、あわやギブアップさえ脳裏に浮かんでいた彼女を引き留めることに成功している。

 

「う、うん……そう、だよね……!

 頑張ろう、パッチ! 絶対、諦めちゃダメだよね!」

「――――z!」

 

「うむ、それでいい……!

 だが、勝負は譲らんぞ!」

 

 決して立ち直れたわけでもない中で、再び戦い抜くことを選び抜いたパールを、確勝の流れの中でトウガンは肯定する。

 優位の傲慢だろうか。決してそうではない。

 ジムリーダーは負けることが本当の仕事だ。劣勢の中で勝負を諦めない挑戦者を、圧倒的優位から蹂躙することに快感を覚えるジムリーダーなどいない。

 どれだけ敗北必至な局面であろうと、勝負を投げずに戦い続けてくれる挑戦者の姿にこそ、ジムリーダー達は彼ら彼女らの未来を見出せる。

 諦めなければ必ずいい結果がついてくる? そんな甘い理想論を無闇に語るほど、百戦錬磨のジムリーダー達は世間知らずではないのにだ。

 

 現実だけを語るなら。

 その後に続いたのは、単なる消化試合に過ぎなかったけれど。

 確定した勝利を信じて疑わぬ中でも、万が一のどんでん返しを警戒するトウガンとトリデプスの戦いぶりは盤石で。

 パッチの如何なる攻撃に対しても、確実にメタルバーストを返し、着実にパッチの体力だけが速く削られる一方であり。

 立つことも苦しくなり、攻め立てることの出来なくなったパッチに、防御の合間を縫うトリデプスのラスターカノンは容赦無く。

 勝ち目の無くなったバトルの中で、一方的に傷を負うばかりのパッチの姿に、パッチのボールを握るパールの手はずっと震えていた。

 

 パールがボールのスイッチを押したくなるたび、それを察して呼応するかのように吠えるパッチは、自分が戦える限り絶対にそれをするなと訴え続けていた。

 そう主張して尚、勢いよく相手に駆けていく力さえ失ってもだ。

 耐えるようにボールのスイッチにかけていた指をずらし、パッチに戦い続ける指示を発し続けるパールに、パッチは死力を振り絞って応え続けた。

 ぶつかり、極小のダメージとともに小さな反撃を受け、ラスターカノンの痛烈な反撃を追い討ちで受け。

 それを複数回繰り返し、いかに不屈を演じ続けたパッチとて、とうとう立てずに崩れ落ちたところで、パールの挑戦は終わりを迎えた。

 顔すら上げられず、絶え絶えの呼吸で胸と身体を上下させるだけの、床に屈したパッチをボールに戻したところで、パールの手持ちはゼロになったのだ。

 

 トリデプス一体に、三人の手持ちをすべて撃破されるという、あまりにも痛烈な現実だけがそこにあった。

 ボールに戻ったパールは、懸命に戦い続けてくれたパッチに、ありがとうと絞り出すような声を向けることしか出来なかった。

 そうしてから、敗北したという現実を、トリデプスだけが残るバトルフィールドを前にして突きつけられた時、パールの胸を締め付けたものは尋常ではない。

 それが、敗北の痛みだ。巡り良く、彼女が今まで一度も経験したことのなかったもの。

 そしてあるいは、自信皆無の中から手探りでここまで来て、ようやく自信を得始めてきた頃の彼女を、好事魔の如き機に打ちのめす挫折は痛烈極まりない。

 悔しさより、悲しさより、手も足も出なかった現実にただただ打ちのめされて頭が真っ白になっていたパール。

 トウガンに向けて発するべき言葉も見つからず、唇を噛み締めて涙目になっていたパールの姿には、プラチナも心配になったものだ。

 

「まだまだだな……!

 君はまだ、6つ目のバッジを獲得するには程遠い!」

 

「っ……」

 

「もっと強くなってまた挑みに来い!

 私はいつでも、君の再挑戦を待っているぞ!」

 

 痛烈な現実と、それに負けずに立ち上がることを求める発破。

 二つを同時に突きつけるトウガンに、パールは胸をじくじくと苦しめる痛みを、ぎゅうっと握りしめる手で必死に耐えるかのよう。

 何も言えずに立ちすくむパールだったが、トウガンの強い声を前にしてようやく口を開き、濡れた唇の間からか細くも出来るだけ多くの息を吸う。

 

「ぜ……っ、ぜったい、また来ます……!

 次はっ……勝って、みせますからあっ……!」

 

 やっと沸いてきたこの感情。

 悔しい、悔しい、たまらなく悔しい。

 幸いにも成功を繰り返してこられた彼女を襲う、とうとう訪れた敗北と挫折は、なまじそれを経験してこなかっただけにいっそう重い。

 それでも、掠れた声でもリベンジの意を唱えて見せたパールの姿に、内心では微笑みながらもトウガンは厳しい表情を作っていた。

 言うだけなら誰でも出来る。今日のこれほどの敗北の次に、違った結末を見せられるならやってみるがいい、と言わんばかりの表情をだ。

 

 確かな才気には溢れつつも、恵まれた仲間達によって連勝街道をここまで連ねてきた少女のサクセスロードは、ついにこの日ここで一度途絶えた。

 誰しもが一度は経験する挫折だ。そこから立ち上がることが出来ないものに、チャンピオンロードは門を開かない。

 真の意味でのターニングポイントだ。

 いつかは必ず訪れるものを前にして、パールはその夢に向かって歩み続ける資格を持つ者か否か。

 それを問われることとなる結末であったと言って過言無い。



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第70話   幼馴染との再会を経て

 

「おはよー! プラッチ!」

「ん、おはよう、パール」

 

 ミオジムに挑戦し、一夜明けた朝のポケモンセンター。

 互いの泊まり部屋から出てきた二人が朝のご挨拶を交わしていた。

 

 パールがいつもの明るい彼女になっていたので、内心プラチナとしては一安心というところだ。

 実のところ、昨日トウガンに負けた後のパールは随分へこんでおり、気にしてない素振りを演じようとしながらも演じきれていなかった。

 元より感情が表に出やす過ぎるパールである。しょんぼりしてたらプラッチに心配かけちゃうかも、と思って演技したって、上手くやれるタイプではないのだ。

 そんな昨日の彼女と比べると、今日のパールはいくらか吹っ切れたか、ちゃんといつも通りの明るい笑顔に戻っている。

 

「パール、立ち直れた?」

「ん~、なんとか。

 昨日の夜なんか、思い出したら悔しくって悔しくってさぁ。

 なんかこう……色々あって、そのまま寝て、起きたらスッキリしちゃった」

「えっ、さては泣いた?」

「あ~、え~、その……もうっ、あんまり言わないで!

 ちょっとは自信ついてきたとこでアレだよ? ショック大きかったんだから」

「気持ちはわかる気するけどさ」

 

 仮に、自信も何もないもっと初心者の頃に負けたとしたって、パールはしょんぼりすることはあれど、泣くほど悔しいとは思わなかっただろう。

 しかし、たまたまとはいえここまで敗北を経験せずに来て、それなりに自信もついてきたところで、あの一方的とさえ言える負け方だ。

 敗戦直後は頭が真っ白になるほどショックでへこみ、寝る前にベッドで思い出したらどんどん悔しくなってきて……というのはあり得る話。

 枕を濡らしたことを看破され、パールは隠すのを諦めたようだが、あんまりネタにしないでと顔を真っ赤にして抗議である。

 悔しい時なんて大人も子供もいくらだって泣いていいものだが、泣き虫だとでも思われるのは、パールもお好みではないようで。

 

「もう気持ち切り替えたよ!

 修行だっ、トレーニングだっ!

 もっと強くなって、トウガンさんにリベンジするつもりだからね!」

「うん、その意気だよ。

 立ち直ってくれてよかった、僕ちょっと心配してたんだから」

「えっ、もしかしてへこんだ私がもう辞めちゃうみたいなこと言うかも的な?」

「そこまでは……万一あったら嫌だなぐらいには少し考えはしたけれど。

 ただ、どうしていけばいいのかわかんなくて、ふさぎ込んじゃうことはあるかもなぁ、ぐらいのことは思った」

「あ~えぇと、そうそう、実際どうしていけばいいかは考え中。

 強くなるために頑張っていこう、って思っても、具体的にどう頑張っていけばいいんだろ?

 やっぱり、今までのように色んなトレーナーさんに勝負を申し込んで、実戦経験積んでいくしかないのかな?」

 

 いつもの前向き思考を取り戻しているパールだが、確かにこれからどうしようというのは、大きな挫折を味わった者がまず突き当たる壁だ。

 どうしていきたいかははっきりしていても、どのようにしてというのはなかなか難しい。

 リベンジして勝てるぐらい強くなりたい、と、目的がシンプルである時ほど、それは尚更な話になりがちである。

 

「それもあるけど……僕、ちょっと考えがあるんだ。

 朝ごはん食べたら、ちょっと行きたい所があるんだけどついてきてくれる?」

「えっ、なになに?

 プラッチ何か考えてくれてたの?」

「そりゃあ僕だって、パールがバッジ集めるの応援してるわけだしさ。

 こういう時、ちょっとぐらいは案出さないと」

「ええ~、すごい!

 ありがとうプラッチ! そういうのほんと嬉しい!」

 

 別にまだ何も具体的な話をしたわけでもないのに、プラチナがパールのために色々考えてくれていたこと自体に、パールは体を上下させるほど喜んでいる。

 プラチナからすれば、一番そばで応援する立場なんだから、それぐらいするのは決して特別なことではないのだけど。

 やっぱりそうした心遣いを受ける側は、そういう気持ちそのものが嬉しいものだ。

 

「えぇと……まあ、ごはん食べながら話すよ。

 でも期待しないでよ? 全然こう、画期的な提案とかじゃないんだよ?

 そんなに期待されても困るっていうか……」

「いいのいいの、私が嬉しいだけ!

 プラッチに言われたとおり頑張ってみる!」

 

 何気なく、そして無邪気なばかりのパールの発言だったが、プラチナにとっては胸が熱くなるような想いだった。

 パールは、プラチナのことをここまで信頼しているのだ。話も聞かないうちから、言われたとおりにしてみるってつい言ってのけるぐらいに。

 照れ臭くって濁し気味の言葉を返していたプラチナも、思った以上の言葉を聞いてしまい、帽子を目深に引いて赤くなりそうな顔を隠している。

 

 本当に、期待され過ぎると困るのだが。

 ここまで目を輝かされると、決してそこまで革新的でもない提案をする側にとっては、ハードルだけが上がって話すのを躊躇いそうになる。

 

 

 

 

 

「"こうてつじま"行きの船ってあれかな?」

「多分そうだと思う。

 えーっと、跳ね橋運河のそばだって話だから……間違いないんじゃないかな」

 

 ミオシティはずれの海にある鋼鉄島は、廃坑となって以来トレーナー達の修行場所として有名な場所となっている。

 そこに行ってみたらどうかな、という提案をしたプラチナ、ご当地のトレーニングエリアに行ってみようという話をしただけである。

 あんなに話す前から喜ばれても、という想いでいっそ気まずげにその話をしたプラチナだったのだが、パールはいいねと笑顔で応えてくれた。

 パールにしてみれば何でもいいのだ。プラチナがパールのために考えてきてくれた案とあれば、それだけで嬉しくて気乗りする。

 

「でも、提案しておいてなんだけど大丈夫?

 鋼鉄島は洞窟みたいな作りだからズバットもいるんだよ?

 ゴルバットだっているっていう話だけど……」

「そ、それはその、がんばる?

 前から言ってたじゃん、そろそろコウモリ嫌いも克服していかなきゃって。

 今までだって、ズバットやゴルバットを出してくるトレーナーさんとバトルするたび、やっぱこのままじゃダメだって私も思ってきたしさ」

「あ~うん、明らかに指示に冷静さが無くなるんだよね」

「ポケモンバトルなんだから、トレーナーさんのズバットやゴルバットが、私に襲いかかってくるわけないのは絶対わかってるんだけどさ~。

 やっぱりどうしても私、びくっとしちゃうんだよね。

 でもでも、このままじゃいけない、克服していかなきゃ。

 そんな私じゃ、ピョコ達みんなの足を引っ張っちゃうもんね」

 

 一方プラチナも、思い付いただけのことを話しただけではなく、昨夜のうちに鋼鉄島のことを調べてきてくれている。

 どんな野生のポケモンが生息しているかや、鋼鉄島の地図をポケッチにインストールする方法もリサーチ済で、提案するからには準備万端。

 ズバットがいる所は……と、パールに断られて下準備が全部パーになる想定もした上でこれだけやってくるんだから、当人は謙遜気味だがその実甲斐甲斐しい。

 マネージャーなんてやらせたら、きっと良い仕事するタイプである。

 

「というわけでプラッチ。

 一緒についてきて下さい」

「別に最初からそのつもりなんだけど、そんな水臭いこと念押しするぐらい一人はイヤ?」

「まだ克服したわけじゃないもん」

「威張って言うことでもないでしょ」

 

「初めて自転車に乗り始めた時って、誰から後ろで支えてくれなきゃ不安でしょ。

 ああいう感じ」

「あはは……わかったから」

 

 笑い合って話しながら、鋼鉄島行きの船の乗り場へ向かうパールとプラチナ。

 いつもどおりの一幕だった。

 しかし、何の他意もなく口にしたパールの例え話が、ちょっとプラチナの胸をざわつかせたのはちょっとしたアクシデントか。

 

 幼い頃、初めて補助輪無しの自転車に乗る練習をし始めた時、後ろで支えてくれた親の顔をプラチナはふと思い出していた。

 父さんから距離を置くようにしてからというもの、そういえばずっと会っていないなぁと思い返すのだ。

 旅の中で、たまたま一度だけ顔を合わせた機会もあったのだが、その時だって自分から距離を作りたがって、話も手短にお別れして。

 今にして思えば、心配そうな顔で見送ってくれたなぁと回想する。

 

 家を離れたくなってしまったきっかけだった親子喧嘩も、根は自分のことを心配してくれてのものだったと、今ならわかる。

 あるいは、当時でもちょっとそんな気はしていたのだけど。

 どうしても譲りたくなくって、家を離れてナナカマド博士の助手になり、それ以来父とは顔を合わせまいとさえしてきた自分を振り返ってしまう。

 パールと一緒にいるのが楽しくて、ついそんなこともずっと忘れてきたけれど、ふとした時にこうして思い返す程には、やはり家族とは忘れられぬものだ。

 

「プラッチ?

 どうしたの? なんかぼーっとしてる?」

「あぁ、いや……

 パールがゴルバット相手に泣きだしたらどう慰めようかなぁってシミュレート中」

「泣かないから!

 私そこまで弱くはないからね!?」

 

 ちょっとしたセンチメンタルな感傷は、軽い冗談でちゃちゃっと流しておく。

 しかしながら、ズバットよりもずっと大きいゴルバットに遭遇した時、パールがどれだけ怖がるんだろうというのは、プラチナの好奇心を刺激してもいる。

 マーズのゴルバットにパールが大びびりしていたのは見ていたが、野生のゴルバットがいきなり彼女の前に出てきたらどうなるだろうか。

 パールは泣いたりするわけないじゃんとむきになって反論しているが、泣かぬにせよどんなリアクションをするやら、まあまあ想像すると面白い。

 それでプラチナもなんだか笑えてきちゃって、余計にパールをぷんすかさせてしまう辺りが罪深い。

 

「……あっ!?

 パーーーールーーーーー!!」

 

「げっ」

「あっ、あの声は……

 っていうかパール、げっ、は無いでしょ」

「げっ、だよ。

 うるさいもん」

 

 二人で仲良くお喋りしながら、鋼鉄島行きの船着き場に向かっていたパールだったが、その先にいた一人の少年がでっかい声を出してきた。

 あんなでかい声出せるパールの知り合いは一人しかいない。

 出港まであと数分の船を待つ中で、ふとパールを見付けた少年が、こちらに大きく手を振っている。

 

「パーーーーールーーーーー!!

 久しぶりだなーーーーー!!」

 

「黙らせてきます」

「えっ、ちょっと」

 

 馬鹿でかい声で自分のことを呼んでくる少年、見慣れた顔ダイヤのせいで、彼と彼の声をかける相手のパールに注がれる視線が急増だ。

 なんだか恥ずかしい。言い換えれば、恥をかかされている。

 かちんときたのでパールはダイヤを一秒でも早く黙らせるべく走りだした。アグレッシブな子。

 

「わっ、なんだなんだパール……って、うわ!?」

「とうっ!」

 

 跳び蹴り。ちゃんとスカートを押さえてやってる辺り、慣れてる動き。

 真正面駆けてくるパールと踏み切ったジャンプ、そこまで見えてりゃそう来るとわかっているようで、ダイヤもひらっと身を横に流して躱す。

 これぐらいのやり取りは二人の間で"よくあること"なのだろう。パールも躱して貰えること前提で跳び蹴りをかましているふしすらある。

 

「なんだよいきなりっ!

 久しぶりだろ!」

「だまれっ!」

「なんだってんだよー!

 なんでそんなに怒ってるんだ!?」

「だまれっ!!」

「旅の中でたまたま会えたらテンションだって上がるだろー!」

「だ~ま~れ~!!」

「うぐががっ……」

 

 うるさいから一旦黙れと言わんばかりに、パールは両手で物理的にダイヤの口を塞ぎにいって無理矢理黙らせる。

 プラチナ含めた周囲の皆様、全員が思ってる。黙れと言ってる側の方が確実にでかい。

 アベレージに大声を出すダイヤだが、いよいよとなって大声比べになったらパールの方が強いらしい。

 単に女の子で声が高いからそう聞こえるのではなく、声量だけで完全に勝っていると周りもはっきりわかるぐらいなんだからたいしたものである。

 

「あんた声でかすぎ。

 普通に話して、私が恥ずかしくなるでしょ」

「パールの方がずっとでかい声……いててっ、げしげしするなよっ!」

 

 正論だろうが反論は認めない。対ダイヤに限ってのみ、非常に当たりの強いパールである。

 ここだけ切り取ると横暴に見えるが、パールも昔からいっぱいダイヤに振り回されて苦労してきた身である。

 ダイヤも抗議こそしているものの、本気で不快感を感じているわけではなさそうで、これが二人の肩の力を抜いた日常的掛け合いということであろう。

 

「あはは……相変わらず仲良しだね。

 ダイヤ、だったよね。お久しぶり」

「おっ、久しぶりだな!

 あ~、えぇと……」

 

「プラッチでしょ!

 友達の名前忘れるとかサイテーだぞ!」

「あっ、そっかそっか!

 ごめんなプラッチ! 前に会った時からだいぶ時間経っちゃってたから!」

「あ……やぁ、まあ、べ、別にいいよ、大丈夫だよ。

 だいぶ久しぶりだもんね、しょうがないよ」

 

 久しぶりなので名前を忘れられていようが別にいいのだが、パールにプラッチ名義で再紹介されている。

 忘れかけていてたまに思い出させて貰うのだが、本当にパールはプラチナの本名をプラッチだと覚えているのだ。

 時間が経てば経つほどに、訂正のタイミングが無くなっていく。なんで今まで黙ってたの? と、首をかしげられる可能性が高まりそうだもの。

 本当にこのまま、一生プラッチ君でいってもおかしくなさそうな二人の関係である。プラッチの明日はどっちだろう。

 

「ここに来たってことは、パールも鋼鉄島で修行か?」

「あ~、まあ、うん。

 昨日トウガンさんに負けちゃってさ。全力で修行してくる」

「えっ、そうなのか?

 パールってバッジいくつ?」

「5つ……って、まさか」

「俺もうトウガンさんには勝ったぜ!

 バッジ6つだ! 俺の勝ち!」

「えぇーっ! ちょっとぉ!?」

「あははははは!

 どうやら俺の方がチャンピオンロードには近いみたいだな!」

 

 旅に出る前のやり取りに過ぎないが、パールとダイヤはどちらが先にバッジを8つ集めるか、競い合うようにフタバタウンを出発した経緯がある。

 普段はいちいち気にしていないが、こうしてたまたま出会った矢先、はっきり表れた優劣があると二人も熱くなる。

 どやっと胸を張るダイヤの手前、パールのすごい悔しそうな顔。負けたくない相手らしい。

 

「そっかぁ~、パールにバトルを申し込もうとしてたけど、今は俺の方が勝っちゃいそうだな。

 じゃ、やめとこ。パールのプライドをへし折っちゃいそうだしな!」

「なにおっ! 私が負けた相手はトウガンさんであんたじゃないぞっ!

 ダイヤとやって負けるかなんてまだ決まってないじゃん!」

「やるか?」

「やる!」

「う~ん……でも、パールって負けたら泣きそうだしなぁ。

 泣かせるのはちょっとな~」

「泣くわけないでしょ~! 負けたからって!

 っていうかあんたに負けないし!」

 

 熱くなっちゃってるパール、バッジの獲得数で勝ってる相手の掌の上で転がされまくっている。

 負けても泣かない、って、負けて悔しくて昨晩泣いてたんじゃないのかっていうプラチナの内心ツッコミはさておいて。

 

 本音では、久々に会ったパールとポケモンバトルをしてみたいダイヤなのだが、むきになるパールが面白くって、からかうことを優先したくなっている。

 ダイヤぐらい無邪気な少年ですら、感情極まって子供になってしまったパールというのは、年下みたいで可愛がりたい対象になってしまうらしい。

 言動、パールの方が少しは大人に近いという評価がフタバタウンでは多いが、時々立場が逆転してしまうぐらいにはパールもまだまだ幼い。

 所詮は幼馴染、同い年で生まれも三日違うだけの二人だもの。

 

「う~ん……いやっ、今日はやめとくよ!

 パールとやるのはお互いバッジを8つ集めてから、ポケモンリーグでの舞台でだ!」

「なにぃっ! 逃げるのかダイヤっ!

 やろうよっ、私が絶対勝つんだから!」

「いや~、俺もやりたいけど今日は我慢しとく!

 大きな舞台で成長したライバル同士の決戦、の方が燃える!」

「へりくつだっ! にげるなっ!」

「あははは! ごめんな、俺こっちのロマンの方が追いかけたい!」

 

 やりたい気持ちをちょっと我慢して、ダイヤはドラマチックなパールとの決戦を勝手に想像して盛り上がっている。

 少し昔の話だが、カントー地方でそんなドラマがあったせいで、最近の若きポケモントレーナーはそんなドラマをちょっと想像したがりがち。

 ライバル同士だった二人、片や先んじてチャンピオンとなり、それに挑んだもう片方という形で頂上決戦になったという逸話だ。

 ドラマみたいな、しかし本当にあった話だから、他の地方にも伝わって語り草になるほどの話である。

 

 ダイヤもそういうのに憧れる年頃で、パールとの決戦はそんな舞台になればいいな、なんて考えちゃっているらしい。

 まあ、当のドラマの主役二人は、旅の中で何度か邂逅して腕を高め合った史実もあるのだが、そこは案外わざわざ語られない部分であって周知度低め。

 昔よりも強くなったお互い同士だけど、どうせやるならポケモンリーグの舞台で大一番、というドラマをダイヤは追いたくなったようだ。

 裏を返せば、ダイヤもパールがいつかはバッジを8つ集め、同じ舞台に立てるだろうと信じている発想でもあるが。

 自分もそうだと思っている辺りも含め、皮算用をそうだと思わず信じ切れる、前のめりなダイヤらしい発想である。

 

「でも、パールはトウガンさんに負けちゃったのか~。

 それで今から鋼鉄島で修行なんだよな」

「なに話を逸らそうとしてんのっ!

 やるよ! 鋼鉄島でバトルだからね!」

「パールの修行する姿は見たくないなぁ~。

 それってパールの手の内とか、見ててスパイする感じになっちゃうよな」

「こら! 話を聞きなさい!

 その前に私と勝負……」

「やーめた! 俺もう次のジムに行こうっと!

 パールより順調な俺が、先にバッジ8つ集めちゃおう!」

「あっ、まて!

 どこ行くのっ! 逃げるのかあっ!」

 

 方針を決めればダイヤの行動は早い。さすがウルトラせっかち。

 パールとのバトルという大一番は、お互いバッジを8つ集めてから。

 それまでに、パールの手の内を覗くようなことはせず、お互いまっさらな状態で正々堂々とした勝負がしたい。

 そう決めたダイヤは、トウガンに勝った直後とてちょっと修行がてら言ってみようと思っていた鋼鉄島行きの船も離れ、パールから離れる方へ駆け始める。

 今日は意地でもやらないつもり。逃げたといえば逃げているが、これはこれでバッジ収集の旅でリードしている側の余裕ある戯れとも。

 

「パール頑張れよ!

 バッジ集めてから俺に挑戦してこいっ!」

「こらーーーーーっ!

 にげるなーーーーーっ!」

 

 振り返って余裕いっぱいの言葉を発すると、よく見た全速力の背中を見せつけて去っていくダイヤであった。

 勝負したいと訴えるパールも、相手にすらして貰えなかったやりきれなさを吠えるが、生憎ダイヤのダッシュスピードは速い。

 叫びも虚しく、ミオシティを出発する方へと駆けていってしまったダイヤに取り残されたパールが、周囲の注目を集めたまま呆然と立ち尽くす姿だけが残る。

 

「っ、プラッチ!!」

「はい」

「鋼鉄島で猛トレーニングだよ!

 あいつにはぜぇったい負けないんだから!

 私のこと、びっしびししごいてくれていいからね! 強くなるんだから!」

 

 すっかり熱くなってしまったパール、プラチナに向ける声さえ強く大きく、後に炭さえ残らなさそうなほど燃え上がっている。

 でかい声である。一連の流れを見ていた周囲の人からすれば、くすくす笑いたくなるような今のパールの言動、態度。

 しかしパールは、周りの目なんか全然気にならない。かっかし過ぎてそんなの意識にすら入らないらしい。

 

 別にプラチナはパールの指導者でもなければ、トレーニングメニューを組んでくれるマネージャーでもないのだが。

 しごいてくれていい、という発言は何かおかしい。テンションが勝ち過ぎ。

 パールの中では、鋼鉄島での修行を提案してくれたプラチナが、一旦そういう人だという認識になっちゃっているのだろうか。

 まあ、頼られるのはプラチナにとっても悪い気はしないのだけど。

 

「まあ、頑張ろうね。

 トウガンさんに勝つために、その末にはダイヤにだって勝てるように」

「頑張るよ!

 私、そのためだったら何だってするよ!」

 

 気合充分、充分過ぎるパールと一緒に、鋼鉄島行きの船に乗り込むプラチナ。

 ふんすふんすと鼻息荒く、燃え上がっているパールの横顔に、昨日負けたことでへこんでいた彼女の面影は全く無かった。

 あれだけの挫折から一夜明けながら、早くもこれだけ立ち直っていることは、プラチナ目線でも喜ばしいことには違いなかった。

 へこみきったパールを眺めるよりは、やっぱりこういう元気なパールの姿の方が、プラチナにとっては安心する姿には違いないのだから。

 

 とはいえ、ちょっともやっとする部分もあるプラチナ君。

 ダイヤと再会し、ちょっとしたやりとり程度で、昨日の敗北の悔しさも忘れ、こんなに元気になっちゃったパールである。

 幼馴染のダイヤにはそれだけのものがあって、それはプラチナの持ち合わせていないもの。

 自分の力ではパールを元気にしてあげることが出来ず、自分以外の誰かがパールをここまで持っていったことが、なんだかプラチナには悔しい。

 今はパールと一番長く一緒にいるのは自分なのに。これは何だか、大好きな女の子の特別たり得ない気がして、男の子としては歯痒いところである。

 

 鋼鉄島に向かう船の上、パールは頑張るぞという気持ちを燃え上がらせていた。

 しかしそのそばで、密かに、静かに、彼女以上になんだか燃えていた少年もいる。

 今はパールのそばにいるのは僕の方で、きっと、必ず、パールに一番いい結果を勝ち取らせてあげるように頑張るんだとばかりに。

 鋼鉄島におけるパールの修行は、存外彼女が想像する以上に、自分以外の思惑も強く噛んだ一幕となりそうである。



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第71話   こうてつじま

 

 

 ミオシティの沖合に鎮座する鋼鉄島。

 鉱山として開発される前の自然状態の有り様は、ぺんぺん草も生えやしないほどの、硬い岩盤の塊のような島だったそうな。

 海の上に浮かぶ岩山のようだとさえ言われたそれを、試しに掘って開拓してみれば、目も覚めるほど多量の鉱物が採掘できたという。

 たちまち海上の鉱山として開発され、そこで採れた鉱物の数々はシンオウ地方全体にも出荷されたほど。

 ミオシティで独り占めするには手に余るほど、沢山の鉱物が採れたということであろう。

 鉄にせよ石炭にせよ、今ほど科学が発展していなかった時代にもたらされた資源は、シンオウ地方全体の産業を大いに発展させたと言っても過言ではない。

 

 宝の山とも呼ばれた鋼鉄島が、鉱山として名高くなれば、採掘も加速される。

 資源の宝庫であった鋼鉄島は、それでも長く人類に恵みをもたらしてくれたのだが、やはりいつかは鉱山だって空っぽになってしまう。

 無限のものはこの世に無い。改めてそんな教訓を自然に教えられたミオの人々は、惜しむ想いを以って鋼鉄島を廃坑として見送った。

 その日は長らく恵みをもたらしてくれた鋼鉄島、そして大自然そのものに対し、ミオシティのすべての大人が鋼鉄島に向けて最敬礼をしたという。

 そんな光景を描かれた古き肖像画は、今もミオシティの大図書館で大きな額縁に収められて飾られる、ミオを語る上ではずせない歴史的遺産だそうな。

 

「フラッシュいらないね」

「そういうポケモンを連れてこなくても普通に歩けるようになってるから、多くの人が修行する場所として好むんだろうね」

 

 さて、そうして鉱山としての役割を終えた鋼鉄島だが、ミオシティの人々は、長らく親しんだその島との縁切りをしたくはなかったようだ。

 なんとか島と人の関わりが途切れぬよう、導き出された結論が、廃坑のインフラを継続し、トレーナー達の修行場所にしていこうというものだった。

 決してタダではない基金を投入し、廃坑となった鋼鉄島の坑道には、常に灯りが設置されていたようである。

 当時はランプ、技術の発展した最近においては、二年三年は長持ちする電灯。

 つまり昔は、年に何度も交換しなければいけないランプを、決して安くない基金を工面してでも定期的に廃坑各地に設置していたということだ。

 愛着ある鋼鉄島と袂を分かちたくないという、かつての人々の想いが連綿と繋がれた末に、今なお鋼鉄島は人類の隣人として歴史を歩んでいる。

 

 そんなわけで、洞窟めいた廃坑に足を踏み入れたパール達だが、鋼鉄島の内部は外観から想像される以上に明るい。

 地下深部に行けば行くほど暗くなるそうだが。それも、電灯の配置や明るさそのものを調整してのこと。

 開発前の岩の塊でしかなかった鋼鉄島も、廃坑という名の洞窟的空間のある今や、野生のポケモンも多く棲みついている。

 人が修行場所として足を運べて、かつ野生ポケモン達の棲みかとしても成立する、人類史により創造された人とポケモンの交わる地とさえ言えるかもしれない。

 今や原住民となったポケモン達にも配慮して、洞窟内を照らす電灯の光の強さも気遣われているそうな。

 人の都合であまり強く洞窟全体を照らし過ぎると、例えば野生のズバットやゴルバット辺りが目を痛めるそうなので。

 そんなわけで、鋼鉄島はズバット系統のポケモン達にとって過ごしやすい環境だったりも。パールにとってはあまりいい話じゃなさそう。

 

「えーと、こっちがキャンプ地。

 こっちが野生のポケモンも多くて修行場所に適してるエリア、かな」

「キャンプ地なんかもあるんだね。

 野生のポケモンが寄って来ない休憩地点みたいなもの?」

「なんか特殊な機械や香草を使って、ここの野生ポケモン達が寄りつきたがらない場所みたいだね。

 疲れたらそこで休憩すればいいんだってさ。

 泊まり込みで修行したい人なんかは、そこで野宿したりもするみたい」

 

 ポケッチにインストールした地図アプリを眺めながら、ナビゲートしてくれるプラチナである。

 ちょっと普段より精力的さが一割増。

 船に乗ってここに来る前、パールの幼馴染であるダイヤが、プラチナには出来ない形でパールを燃えさせたので、なんだかプラチナも少し燃えている。

 どうしたってダイヤはパールにとって"特別な男の子"と見えるが、プラチナもどうやら、パールにとってのそういう存在でありたい模様。

 頑張るパールを一番そばで支えられるのは自分だけ、そうなっていきたいし、そう思って貰えるようになっていきたいようだ。健気。

 

「もっと強くなっていこうって思うんだったら、なるべく下の方の階層に行った方がいいみたいだね。

 野生のポケモンも多いみたいだし。

 で、そういう所で修行する他のトレーナーさんもいるなら、多分それなりに実力者だよ。

 ポケモンバトルさせて貰えれば、きっといい勉強になるんじゃないかな」

「なるほど……じゃ、行こう!

 鋼鉄島のより深くへっ!」

「ズバットやゴルバットに遭遇する可能性も高まるよ?

 大丈夫?」

「か、かかってこーいっ!

 克服していく気マンマンだよ、私! むしろ来い来いっ!」

 

「いつまでその意気がもつかなぁ……」

「もたせるもん!

 プラッチの中で私は根性なしなのかっ!? 頑張れるんだぞ、私だって!」

「わかった、わかったから。

 ちゃんと格好ついてる姿、見せてよ?」

 

 ここに訪れた目的は二つある。

 一つはパールの、ポケモントレーナーとしての実力向上。

 一つはパールの、ズバット嫌いを少しでも治していこうというもの。

 特に後者の方が難題だ。パールにとっては、幼い頃に溺死しかけたきっかけを作ったトラウマが根源にあるので、一朝一夕で何とかなりそうなほど軽くない。

 それでも本人は頑張るって言うんだから、プラチナも彼なりの全力エールとして、からかい気味にパールを煽っていく。

 こうやって煽れば、むきになったパールは頑張ろうとする傾向にある。パールの扱い方をすっかりわかってきているプラチナであった。

 

 今までだって一度や二度でなく、パールはコウモリポケモンに遭遇したら、ひたすら慌てて狼狽えて取り乱してきた。

 それを見てきたプラチナは、パールを応援はするものの、なかなか難しいだろうなと思っている。

 ほら、今だって前を歩くパールの一歩一歩は、いつズバットに遭遇するかを怖がるかのように歩幅が普段より小さい。

 そんな後ろ姿を眺めるプラチナは、彼女をからかったりもする口ぶりとは裏腹、なんとか頑張ってねと強く心で望んでもいる。

 

 時々プラチナを振り返り、いなくなってないよね、と、一人でズバットの生息する所を歩くなんて絶対嫌の精神を隠しきれないパール。

 プラチナはその都度、微笑みかけて、頑張れという気持ちを彼女に伝えるのみだ。

 修行に付き添う友達というよりも、なんだか保護者みたいな立ち位置である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひゃひいっ!?!?

 ぱっ、パッチ、お願いいぃぃ!!」

 

「う~ん、まあ……」

 

 鋼鉄島に最も多く生息する野生ポケモンはゴローンと言われる。

 パールの苦手な苦手なズバットやゴルバットの生息数は、それと比べればやや少ない方だ。

 しかし、出てきてしまえばパールにとっては乾坤一擲の戦い。ノータイムでパッチを呼び出して撃退してもらう。

 

 初期と比べればコウモリと遭遇した時のパールのリアクションも、随分ましになった方である。

 旅する中で幾度かくぐり抜けてきたズバットの巣窟、そこで遭遇するたびに鍛えられてきたのは確かなのだろう。

 しかし、克服まではまだまだかかりそう。確かな進歩と、それでも尚のゴールの遠さに、傍で見守るプラチナの心境は複雑なところ。

 

「はぁはぁはぁ……

 心臓によくない……」

「忘れた頃に来るからつらいよね」

「ほんとにそうだよ……

 私はず~っといつ出るか出るかってびくびくしてるのに、ちょっと安心しかけた頃に来るから……」

 

 鋼鉄島に生息する野生のポケモンは、ゴローンやイワークが圧倒的に多い。

 それと比べればゴルバットの生息数は少ない方で、実は遭遇率もそんなに高くないのだ。

 しかし、それはいわばパールにとって、常に10%の確率で遭遇する一番怖いやつ。

 いつ出てくるかとずっと震えながら歩き続け、実際のところはなかなか出没しなくたって緊張感だけは長く続く。

 ゴローンやイワークを撃退することを繰り返して進む中、流石に対ゴルバットも意識が少しは薄れてきたところで急に出てくる、そんな印象。

 これならいっそ、もっと高頻度で出てきてくれた方がいい気さえする。ずっと引き締めた気持ちで、覚悟した精神状態で毎回迎え撃てるからだ。

 

「でも、ゴルバット以外は結構そつ無く追い払えてるよね。

 ここの野生ポケモン達、そこそこ強いと思うんだけど。

 進化系のゴローンがこんなにわらわらいるぐらいだしさ」

「それはほら、ニルルもミーナも頑張ってくれてるし。

 相性がいいおかげもあるかもしれないけど、うちの子とっても強いんだぞ?」

 

「ほんと自分のポケモン自慢には余念が無いよね、パールって」

「好き」

「大好き?」

「大好き」

 

 いつも一緒の自分のポケモンへの贔屓目は、ポケモントレーナーならそんなに珍しい話ではない。パールは表現が少し強めではあるが。

 プラチナはそういうパールの性格をよく知っているから、気を紛らわせようとする話題にも、パールが少しでも浮かれて話せるものを選んでいる。

 ミーナやニルルの良さを語るパールは、ゴルバットとのバトル後でまだ少し冷や汗の残る顔ながら、ちょっと楽しそうで気を持ち直している。

 苦手なコウモリに精神を削られる友達のメンタルケアにまで余念が無いとは、プラチナも敏腕マネージャーぶりに磨きがかかってきたものだ。

 

「地元にこんな修行場所があると、"ミオシティ出身のトレーナーは強い"っていう俗説にも説得力があるなぁ」

「え、そうなの?

 確かにトウガンさんもすっごい強かったけど」

「今までにシンオウ地方でバッジを集めきったトレーナーのうち、四人に一人がミオシティ出身の人達らしいよ。

 けっこう凄い数字じゃない?」

「えっ、それすごい。

 シンオウ地方には他にもいっぱい街あるのに、そんなに偏ってるんだ」

 

「子供の頃からこういう場所で修行した人は、やっぱりトレーナーとして大成しやすいとかそんな感じなのかな?」

「え~でもそれ難しくない?

 ここのポケモン達けっこう強いよ?

 私がもしもミオシティ生まれで、トレーナー初心者の頃にここで修行しようとしたって、こてんぱんにされるだけのような気がする」

「う~ん、それもそうか……

 そこそこ強くなってからならここでの修行も……でも、それは余所の地でも出来ることだし……」

「地元にいい修行場所があるからって言っても、旅先でいい修行場所あればそっちでやればいいだけだもんねぇ。

 どうしてそんなに差が出るんだろ? 地元に修行場所があるのってそんなに強みになるのかな?」

 

 ミオシティ出身のトレーナーは強い、という俗説から、その根拠は何だろうと推理しながら歩いていく二人。

 ちなみに答えは、"夢を諦めて一度里帰りしたトレーナーが、地元でもう一度修行して再起するケースが多い"からである。

 俺には私にはバッジを8つ集めきるのは無理だ、と、及ばぬ自らの実力に心折れて里帰り、というのは、その実多くのトレーナーが歩んできた道。

 ミオシティ出身のトレーナーとてそれは例外ではなく、夢を諦め故郷でゆっくり過ごそう、とした者だって当然多い。

 

 しかし、そこは元トレーナーである。

 かつて共に旅路を歩み、数々のバトルをこなしてきた自分のポケモン達に、たまには鋼鉄島で運動してこようか、となりがちなのがミオのトレーナーの風土感。

 決して修行して再起しようという意図ではなくとも、何度かそうしているうちに、情熱と自信を取り戻してくる者達もよくいるのだ。

 そうして、一度は諦めた夢だけどもう一度頑張ってみようか、となれば、それはもはや夢路の死者ではない。

 結局もう一度夢潰えて、再び帰ってくる者達もまた多い中ながら、再出発した末にとうとう8つのバッジの獲得を果たした者も確かに存在する。

 大きな挫折からの再起には、それなりの時間ときっかけが必要なものである。鋼鉄島は、ミオのトレーナーにそれをもたらしやすい島なのだ。

 ミオシティ出身のトレーナーが良い実績を残すという俗説は、そうした要因もあって確かな事実である。

 

「ちなみに、バッジを集めたトレーナーの一番少ない町ってどこか知ってる?」

「え、どこ?」

「フタバタウン」

「なにっ」

 

 最多の統計があれば、最少の統計もある。

 隣町にまで行ったってジムすらないのどかな町、フタバタウン出身のトレーナーで、ポケモンリーグ挑戦を果たした者は非常に少ない。

 やはり身近にポケモンバトルの指導者たる者がいない町は、逸材が輩出されやすい環境ではないということだろう。

 ジムが無くても都会でスクールもあるコトブキや、それに近いコトキ、あるいはヨスガに近いズイや、ハクタイに近いソノオとは事情が違うのだ。

 もっとも、そんなフタバタウンと似たような環境にあるカンナギタウンの出身者シロナが今のチャンピオンという辺り、世の中わからないものだが。

 

「パールがもしもバッジを8つ集めたら結構話題になると思うよ。

 久しぶりにフタバタウン出身のリーグ挑戦者が出た、ってさ。

 もう十年か二十年以上、そういう人は出てないみたいだし」

「へぇ……

 ………………ねぇねぇ、もし出来たらインタビューとかされるかな?

 テレビに出れるかな?」

「ん? まあ、あり得ない話じゃないけど……

 あ、そっか、思い出の人?」

「うん、そもそも私がポケモンリーグを目指してるきっかけってそれだから。

 テレビに出れたら、あの日私を助けてくれた人、会いに来て下さい、お礼が言いたいんです、って言う気満々だよ」

 

 パールは幼少の頃、ズバットに襲撃されてシンジ湖に落ちてしまい、溺れかけたことがある。コウモリ嫌いのきっかけだ。

 そんなパールを助けてくれた人がいて、その人に会いたいとずっと思ってここまで育ってきた、そんなきっかけでもあった。

 大いなるトラウマと、遠き恋心めいたものを生み出した小さな思い出。幼い頃のあの一事は、その両方を内包している。

 

「うんうん、その調子。

 トウガンさんにも再挑戦して、バッジを……」

「でも最近、私それ忘れてた感もあるんだよね」

「え?」

 

「最初は、チャンピオンになってテレビでそう呼びかけたかったっていう理由で旅に出てたけどさ。

 最近はピョコやパッチ、ニルルやミーナと一緒に旅してて、強くてかっこいいみんなのこと、どんどん好きになっちゃって。

 もしもバッジ集めきっても、それでインタビューされても、うちの子達ほんとに凄いんです! ってことばっかり私話しちゃいそう。

 で、呼びかけ忘れちゃう予感もしなくもない」

「わぁ本末転倒」

「最近、自分がどうしてバッジを集めてるんだろうって考えたら、その理由が半分半分になってきてるのがわかるんだ。

 有名になって、テレビで呼びかけがしたいのが半分。

 もう半分が、みんなと一緒に凄いことやってのけて、うちのみんなはこんなに凄いんだよ、って自慢したいのが半分。

 私きっと、もし明日思い出の人に会えたとしたって、バッジ集めはもう辞めないと思うよ。だって、それだけが理由じゃなくなったからさ」

「……そんなこと、考えてたんだ」

「えへへ、夜よくトップトレーナーさんと電話してますので。

 けっこう深~い話してたりもするのです」

「あぁ、ナタネさんね。

 あの人すっかりパールの電話師匠になってるなぁ」

「なに電話師匠って。初めて聞く単語」

 

 トウガンに敗れたパールが自信を失っていないか、夢を諦めてしまわないかと懸念していたプラチナだが、どうやら完全に杞憂だったようでほっとする。

 パールは今や、大好きな四人のポケモン達と一緒に強くなっていくことを偏に目指す、立派なポケモントレーナーである。

 幼心の恋心だけでチャンピオンを目指していた、故郷で夢見がちでいただけの少女ではなくなっているのだ。

 それは言い換えれば、初心とは違うものを、大好きなポケモン達に教えて貰えて今がある、かつてと違うパールの姿であるとも言える。

 

 ポケモントレーナーとはそうなっていく傾向が強いものだ。

 触れ合える、愛着ある、自分にとって一番頼りになるポケモン達と、多くの何かを叶えてきた実績。

 もっと強くなりたい。自分がではなく、自分のポケモン達をもっと強い子達にしてあげたい。そう考え至るのも自然なことなのがポケモントレーナーだ。

 

「……いいなぁ、ポケモントレーナーって」

「プラッチもそうでしょ?」

「いや、僕は……

 まあ、トレーナーじゃないことはないけど、"本職"ではないからね」

「そっか、プラッチはあくまで学者さんだもんね」

「僕はあんまり、自分がトレーナーだとは自称しないようにしてるんだ。

 学者であることに拘りたいんじゃなくて、トレーナーとして頑張ってる人に、それに本腰を入れてない僕を一緒にするのは少し違うと思ってるからさ」

 

 そんなに難しく考えなくてもいいことなのだが、プラチナにはプラチナなりの拘りがある。

 話しながら頬をかき、何かばつの悪そうな顔をするプラチナには、恐らくパールには話していない別の事情がある。

 彼とてまだ幼い年頃であろうに、こんな細かい話に妙な拘りを抱くということは、そう思うようになった特殊な背景があるからに他ならない。

 付き合いの長くなってきたパールにも、普段は見せないプラッチの困ったような顔に、昔なにかあったのかなと思うだけのものを感じられてやまない。

 

「プラッチ?」

「あ~、えぇと……まあ、そのうち話すよ。

 今日はとりあえず、パールの修行を……」

 

「そこの君達!」

 

「はいっ!?!?」

 

 二人の世界で歩いていた二人だったが、後方から大きな声で呼びかける声を耳にして、パールがびっくりした返事をする。

 ゴルバットのいる環境であることに影響されてか、びっくりしたら背筋がぴぃんとなるパールである。

 あくまで遠くから呼びかけられただけであり、決してその声も過度に大きかったわけではなく、プラチナは特にびっくりする風もなく振り返ったのだが。

 

 振り向いた先には、一人の青年がこちらへ歩み寄ってくる姿が見えた。

 青いスーツに同色の帽子、静かな色使いの着こなしの男性だ。

 そんな大人がこちらへと、やや目を細めて接近する姿に、パールは相手とプラチナを交互に見る首の動きが早い。きょどきょど。

 

「ぷ、プラッチ、なんだろう?

 私達、もしかして何か怒られるようなことした感じ?」

「そんなことないと思うけど……

 まあ、呼びかけられたんだし話を聞いてみようよ」

 

 落ち着いたプラチナと、挙動不審なパールの態度は真逆である。

 二人に近付く男性も、どちらかといえばパールに目を引かれる。

 別に悪いことなどしてないし、叱られるようなこともしていないのだから、堂々としていればいいのにという話である。

 

 本来、初対面の相手でも気さくに話せるパールと、人見知りするタイプであるプラチナ。

 それでいて今は、見知らぬ大人に声をかけられただけでびくついているパールと、落ち着いて話を聞いてみようと冷静なプラチナ。

 苦手なゴルバットの生息環境でメンタルの弱ったパール、それをそばに置くプラチナがしっかりしようとしてこの逆転現象だ。

 一歩退がってプラチナの後ろに身を置くパールの姿は、自分でも無自覚のうちに、プラチナのことを心から頼りにしている表れだ。

 

 メンタルコンディションが一時の感情にも左右されやすいパールにとって、ぶれの少ないプラチナは良いパートナーなのだろう。

 何のかんので多くの局面を、二人で乗り越えてきた二人である。お互い知らず知らずのうちに、互いの補い合い方をよくわかっている。



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第72話   ゲン

 

「わひゃああっ!?!?

 パッチっ、パッチぃっ、よろしくぅっ!!」

 

「ね、凄いでしょう」

「なるほどな。

 余程に苦手なのがよくわかるよ」

 

 鋼鉄島のより深くを目指す足取りの中、ゴルバットが出てくれば大慌てで叫び散らし、ノータイムでパッチを呼び出して追い払って貰うパールである。

 そんな彼女を後ろで見守る二人。プラチナともう一人いる。

 ほんの少し前の話であるが、たまたまこの鋼鉄島で初対面の青年と、パール達は同行して深い階層を目指して歩いている。

 

「うぅ……こういうとこあんまり、人に見られたくないのに……」

 

「む、そうか……それで同行は少しだけ渋っていたんだな。

 いや、すまない。疑って悪かった」

「あ~、まあ、もういいんですけどね……

 一回見られちゃったら二回見られても十回見られても一緒ですし。

 私はいっつもこんな感じです。ズバットもゴルバットもダメなんです」

 

 パールやプラチナと共に歩く、青いスーツと帽子の青年。

 彼の名は"ゲン"というそうだ。

 感情が素直に出やすいパールは、出会って数分のゲン相手にも、胸の内が一目でわかる表情と仕草が良く出ている。

 恥ずかしいところを見られてしまい、いつもこうなので別に気にしないで下さいね、と言い訳混じりの苦笑いは、言葉以上にものを語る。

 ゲンも同行を求めた身として、少々だが申し訳ない気分である。

 

 

 

 鋼鉄島は今や野生のポケモンが棲みついた廃坑だが、ミオシティは鋼鉄島を、ポケモン達にとって住みよい場所として保護せんとする方針だ。

 地元のトレーナー達の修行場所として良いというのも理由の一つだが、ミオシティの人々にとってここのポケモン達は、海を隔てた隣人のようなもの。

 決して島の外まで出てきて迷惑をかけてくることもないポケモン達、まして時々、人間側の都合でトレーナーの修行にも付き合ってくれる相手なのだ。

 ミオシティも、鋼鉄島のポケモン達の生息環境を悪しからぬものにするための配慮は、役所を挙げてでもしばしば施行している。

 鋼鉄島のポケモン達も、ミオの人々に対する心象は良いもので、後述するが修行に訪れたトレーナーへの対応もどことなく優しい。

 形は違うが、ノモセシティと大湿原のポケモン達の関係によく似て、ミオシティと鋼鉄島のポケモン達の関係もまた良好なのだ。

 

 鋼鉄島にはミオの調査員が駐在しており、ポケモン達に異変が起こればすぐ本土へと連絡が入る。

 もっと極端な例を語れば、病気と見える野生ポケモンを発見した場合、医療班を島へ呼ぶことさえするのだ。力を入れている。

 そして今回、調査員の報告によると、鋼鉄島の野生ポケモンがどこか落ち着かず、気が立っているようにも感じられる、とのこと。

 調査員はポケモンブリーダー経験者であり、そうした判断に秀でる人物でもあるのだ。

 杞憂に済めばいいが、出来れば調査を入れて欲しい、という要請がミオシティに届けられたのが、今回ゲンが鋼鉄島を訪れた理由である。

 

 鋼鉄島のポケモン達はそこそこに能力が高い。

 並のトレーナーなら返り討ちだし、バトルに秀でない調査員が、ぴりぴりしているポケモン達の住処を進んでいくのは万が一を考えると危ない。

 役所の腕利きトレーナーが派遣される流れであったところ、たまたまその話を聞いたゲンが、皆様も忙しいでしょうし、とその役目を買って出たそうである。

 それで役所が彼を信頼して仕事を預けるのだから、ゲンはトレーナーとしての実力も、人間性も信頼される人物というところだろう。

 

 果たしてこの島に訪れたゲンだったが、まず目についたのは騒がしい女の子。

 最初はうるさいこの子がポケモン達の気を立たせているのかと思ったが、これも後述するが恐らくそうではないとゲンは考えたようだ。

 そして一度疑ってしまったことを軽く謝罪し、ゲンは二人に事情を説明。

 話を聞いたパールとプラチナは、そんな異変があるなら解決した方がいいと、むしろ自分達から協力を申し出たほどだ。

 ただ、ちょっとだけパールの歯切れが悪かったのは事実である。事件解決への協力はしたいけど、ゲンさんと一緒に行くのは少し引っかかるという複雑な顔。

 要はゴルバットに遭遇した時の情けない自分の姿を、見慣れられているプラチナ以外に見られるのは恥ずかしい、という話だったのが今しがた判明したところ。

 コウモリ恐怖症も難儀なものである。持ち前の正義感の強さにさえ、こうした余計な感情がついて回り、煮え切らない態度を見せたりしてしまうのだから。

 

 とはいえ一度見られてしまえば、そしてわかってくれるなら、笑わずいてくれるならもういい、とパールは割り切ったようである。

 気を取り直して、島に起こった何らかの異変があるなら、それの解決という一つの目的を掲げて並び進んでいく三人だ。

 向かは鋼鉄島の最深部まで一直線。何事も無かった取り越し苦労、そんな拍子抜けする結末でも結構結構。

 事件なんてのは、はなから起こらない方がいいのである。

 

 

 

「ニルル、みずのはどう!」

 

 進んでいく三人だが、立ちふさがる野生ポケモンとバトルして退ける役目は、すべてパールが担っている。

 元々修行目的でここを訪れたパールだ。ゲンにもその事情は説明済。

 余程もう駄目だと思わない限り、プラチナもゲンも手を出さない方針である。

 

 ゴローンやイワークの生息数が多い鋼鉄島、パールが最も繰り出すことの多いポケモンは、水ポケモンのニルルに偏る。

 しばしばミーナを繰り出すこともあるが、彼女も格闘タイプの技、跳び蹴りが使えるので岩タイプのポケモン相手には相性も良い。

 パッチはゴルバット撃退専門である。ゴローンやイワーク相手ではそもそも相性が悪すぎるのもあるが、これはこれで非常に頼られる立ち位置だ。

 

「ありがと、ニルル。やっぱり頼もしいね。

 ずっと一撃で岩ポケモン達を追い返せてるよ」

「~~~~♪」

「あっ、わわっ、ごめんごめん、ミーナも頑張ってくれてるよね。

 頼もしいのはニルルだけじゃなくって、ミーナだってそうだよ」

 

 ここの野生のゴローンは、初心者お断りレベルには強いのだが、ニルルの水の波動は一撃でそれらが逃げ出すほど威力が高いようだ。

 相性が良過ぎるのも確かだが、それだけのレベルは備わっているということである。

 パールもそんなニルルを褒めてあげるのだが、ニルルのようには一撃でゴローンらを退けられないミーナが、鞄の中で、ボールの中でがたがた。

 これだけで、鞄の中身も見ず、誰が騒いでいるのかわかってフォローして、鞄越しに中のミーナを撫でるパールである。

 身内のことがよくわかっている証拠だ。

 

「ゲンさんから見て、ここのポケモン達は気が立ってるように見えますか?」

「ああ、かなりぴりぴりしているな。

 パール君は腕が足りているから危なげなく済んでいるが、本来ならば今日はここでの修行が勧められる日ではなさそうだ。

 万が一、自分のポケモン全員が戦闘不能にされ、抗う力を失ってしまったら、トレーナーにまで襲い掛かってきて大怪我をさせてきかねない。

 それほどには、どのポケモンも気が立っているように見える」

「わ、怖……

 ゴローンやイワークに襲いかかられたら、骨折じゃ済まないんじゃ……」

 

「今日は、って仰いますけど、普段は違うんですか?」

「違うな。

 仮に未熟なトレーナーが、鋼鉄島のポケモン達に敗れ、打つ手が無くなっても、普段はただ攫われるだけだからな」

「さ、攫われ?

 それはそれで怖……」

「島の入り口までだ」

「あっ、え……そ、送迎?」

 

「ミオシティの人々による、何十年にも渡る付き合いにより、鋼鉄島のポケモン達は基本的に人間に対して友好的だ。

 訪れるトレーナーに対し、立ちはだかって勝負しようと仕掛けてくるポケモンは多いが、勝利してもそうして丁重に送り返してくれるほどだぞ。

 普段はそうなんだ」

 

 単なる似たようなものではなく、本質的にもノモセと大湿原のポケモン達との関係性に共通点が見られる。

 鋼鉄島のポケモン達は、島を訪れる者達を外敵として認識しないのだ。むしろ、隣人のように迎え入れる。

 トレーナーが訪れれば、バトルして遊ぼうぜと勝負を持ち掛けてくるだけなのだ。

 たとえ自分達が未熟なトレーナーのポケモンを撃破したとしても、トレーナーをいじめたりせず、入り口まで送り返してくれるだけなのである。

 勝ち誇った顔で人を運ぶ辺りは、勝者として『出直してきな』とでも言いたげな愛嬌の範疇であろう。

 

 とはいえポケモン達だって馬鹿じゃない。敵意には敏感だ。

 純粋な修行ではなく、乱獲や憂さ晴らしといった、悪意ある目的で島を訪れた人間に対しては、丁重な態度で応じるとは限らない。

 邪な意図で島を訪れた悪辣な者がどれだけ好漢を演じようが、ポケモン達の目を欺けるとは限らない。

 この辺りは不思議なようにも聞こえるが、たとえ人間同士であろうとも、悪意を潜めた好青年の裏の顔を見抜ける慧眼を持つ者も世の中にはいる。

 むしろ虚言や虚飾そのものによる欺きに縁遠い、野性の環境で生きているポケモン達は、悪意への鼻の利かせ方が人とは違う。

 ノモセ大湿原でも言えることだが、基本的に友好的だからといって、野生のポケモン達が人類にとって都合がいいばかりの存在だとは思わない方がよい。

 

「だが、今はそうしてくれる保証が無い。

 それだけ気が立っているのは確かだ。

 人もそうだがポケモン達だって、機嫌次第でいつも優しいとは限らない」

 

 ぴりぴりしているとゲンが称した、今の鋼鉄島のポケモン達は、そんな前例のとおりに接してくれるとは限らない。

 むしろそうだから、それをよくわかっている調査員は、バトルの腕に自信が無い以上、自分の手で原因究明が出来ないのだ。

 普段なら、トレーナー以外の害意無き人間が島を訪れても、ここのポケモン達は邪魔をしてこない。

 バトルしようぜ、と立ちはだかったとしても、こちらが遠慮する姿勢を見せると、そうか残念だなとばかりに去ってくれるのみである。

 

 今はわからない。機嫌の悪いここの住人は、こちらが交戦の意志無きと表明しようが、お構いなしに人の体に攻撃を浴びせてくるかもしれない。

 普段は温厚な人が、たまたま虫の悪い日に、たいしたことのないことに対して声を荒げたりしたら、それは失望されるべきようなことだろうか。

 誰にだって、機嫌というものがある。それさえ微塵も加味されない世界は極めて冷たい。ポケモン達がそうであったとしても、責められる謂れはあるまい。

 

「あのぅ……

 私の騒ぎ声がうるさくて、ここのポケモン達が機嫌を悪くしてるなんてことは、あったりしますか……?」

「それは心配しなくていい。

 確かにズバットを前にした君の声は甲高く響くほど大きいが、それでここのポケモン達がいらつくようなことは無いだろう」

「そ、そうなんですか?

 だったら、よかったけど……」

 

 ふと、大きな声を出している自覚のあるパールは不安になってしまったが、それは鋼鉄島のポケモン達の腹の虫を騒がせるものではないらしい。

 騒音によるストレスを与えているのが自分だとしたら、パールにとってはへこむほど申し訳ない話なので。

 

「君の叫び声は……まあ、その、覇気とは無縁だからな。

 ここのポケモン達に、害意と取られることは絶対に無いだろう」

 

「うっ、なんか言葉を選ばれた気がする」

「ダサい、情けない、みっともない」

「うるさいぞプラッチー!

 いじるなっ! 私にとっては重大なんだぞー!」

 

 最初はゲンとて、耳にしたパールの騒ぎ声が、野生のポケモン達を刺激しているのかとも推察した一瞬もあったのだが。

 恐怖心のみで発せられるパールの悲鳴なんて、現住者のポケモン達からすれば、なんかビビリな人間が来たなぁという程度にしか感じられない。

 そこに島への害意や悪意が無いことは明らかで、鼻で笑われこそすれ、それがポケモン達の不機嫌の種になったりはするまい。

 ゲンなりに導き出した結論であり、それは実際のところ正解だ。

 

「とにかく、ここのポケモン達がこれほどまでに気が立っている原因が、きっとこの先にあるはずだ。

 君達がそれではないことはわかっている。

 ひとまず原因を究明したい。協力して貰えるかな」

「あっ……はいっ、すみません。

 頑張ります! 力になってみせますから!」

 

 プラチナとじゃれていたパールだが、畏まって頼まれれば遊ぶのをやめ、異変の解決に再び意識を戻すのも早い。

 ついつい雑念に引っ張られることはあっても、間違いがあれば、それを正すために動きたいという正義感が、彼女の根幹にあるものだとよくわかる態度だろう。

 この純真さは、成人したゲンにとって、大人同士の会話では滅多に見られなくなった得難いもので、ついゲンも頬を緩ませて頷いてしまう。

 無言の中に、その心意気に感謝すら表すようにだ。

 

「あ、ゲンさん、少しいいですか?」

「ん?

 プラッチ君、どうした?」

「っ……いや、あの、ちょっとしたお願いなんですけど」

 

 いつものことだが、初対面の人に本名じゃない方で覚えられてしまったプラッチ君。

 特に今回の場合は、いきなり話しかけてきたゲンに対し、人見知りする上に少々の警戒心をはじめ抱いてしまったプラチナだ。急に話しかけられたし。

 互いに自己紹介する場面において、上手く口が動かないプラチナに代わり、パールが自分の名を告げるついでにプラッチの名前も紹介してしまったようで。

 未だにプラチナはパールに本名を認識して貰えていない。

 訂正するきっかけをいくつも経てきたはずにも関わらず、今日に至っても未だこれなので、本当にずっとこのままいくのではなかろうか。

 

「僕達がゲンさんに協力するって言った時、何かしらのお礼はするよって言ってくれてましたよね?」

「ああ、勿論だ。

 善意から同行してくれる君達に、何一つの報いも無いというのは、私の中では考えられない」

 

「ちょっとプラッチ、今そんな話しなくても……」

「ゲンさんはポケモントレーナーなんですよね?

 きっと、経験豊富な強いトレーナーさんなのは見てわかるんです」

 

 歩む足を止めてゲンに話しかけるプラチナに、今そんな報酬の話なんてするのはちょっと……と咎めに入るパールである。

 しかし、プラチナはパールを無視するかのように話を続けている。

 閃いたこの案をゲンに伝え、出来ることなら承諾して貰い、言質を取るなら早い方がいい。そんな提案を持ち掛けようとしている。

 

「強い、かどうかは保証しかねるが……

 この仕事に責任を意識した上で請け負う程度には自負はあるつもりだ」

「パールは、今より強くなりたいんです。

 ミオジムのジムリーダー、トウガンさんに勝てるようになるぐらい」

「ん……やはりそうか。

 確かに、あいつは容赦が無いからな」

 

「先輩トレーナーであるゲンさんにお願いしたいんです。

 ここからも、出来る限りはパールが野生のポケモン達とバトルしていきます。

 その中で、何か気付いたことがあったら、パールに教えてあげてくれませんか。

 パールや僕が気付いていないことが、パールが今以上に強くなる何かのきっかけになるかもしれないんです」

 

 真剣な眼差しでゲンに訴えかけるプラチナの横顔を前に、パールは彼を諫めようとしていた言葉を全て失ってしまった。

 協力に対する対価を求めるプラチナ、そんな彼がゲンに求めたものは、パールのための報酬以外の何ものでもない。

 自身に一粒の利をも顧みないプラチナの姿と、彼が一途にパールの成長のみを望んでくれている声明には、パールも紡げる言葉が無くなってしまうのだ。

 

 そしてこれは、パールにはわからないけれど、プラチナにとってはなりふり構わない提案とさえ言える。

 パールのことを一番そばで見続けてきたのは他ならぬプラチナだ。確たる事実であり、プラチナだってそれはわかっている。

 だから、パールを良き方へと導ける者がいるとすれば、それは自分であるはずだという戒めをもまたプラチナは持っている。

 マネージャー気質とでも揶揄されそうなほど、伸び悩みかけたパールを入念なリサーチの上で鋼鉄島に誘ったプラチナには、そうした自負が確かにある。

 そんなプラチナが今、今日パールと初対面の年上の男性に、自分には無い視点からでもパールにアドバイスをして欲しいと求めているのだ。

 これは、パールのことを一番よく見てきていて、パールのことを一番よく知っている"はず"だと考えるプラチナにとって、実はかなり踏み込んだ要求だ。

 

「…………気付けることがあれば、言うことにするよ。

 パール君はどうだい? それでいいのかな?」

「えっ、あ……は、はい、出来れば……」

 

「よし、ルカリオ」

 

 パールからの了承を得たゲンは、自らのボールの中からルカリオを出した。

 スモモとジムでバトルした時にも見た個体だ。パールにとっては少し懐かしい。

 しかしスモモのそれと比べればいくらか背が低く見え、しかし逞しくも見えるという、小柄でありながら強さを疑わせはしない風貌だ。

 同じ個体でも、トレーナーの育成により、見る者に与える印象はいくらでも変わり得るという好例である。

 

「ルカリオと共に、君の本質を見定めさせて貰う。

 君がここから先、野生のポケモン達とバトルする後ろ姿を、ここから先も見守らせて貰おう。

 気付いたことがあれば言わせて貰うとするよ」

 

「ルカリオと、ともに……?」

「ほらパール、行くよ。

 アドバイスをくれるゲンさんが乗り気になってくれてるんだから。

 じゃんじゃん進んで、バトルこなして歩いていこう」

「う、うん……」

 

 ゲンがルカリオを出した意図がわからず、パールはうろたえ気味ながら、プラチナの言葉に背を押されて歩きだす。

 前を行くのはパールであり、プラチナとゲンが歩くのはその後ろ。

 野生のポケモンを相手取るのはパールと決めているので、三人で歩くようになってからずっと続いている隊列である。

 

「――君は本当に、パール君のことを大切に思っているんだな」

「……大事な、友達ですから。

 パールが強くなって、したいことを叶えてくれるんだったら、僕はそれだけでいいんです」

 

 前を歩けば、いつゴルバットが出てくるかという意識を強め、後ろの二人のことなど気にしていられなくなるパール。

 そんなパールの心境を察したかのように、ゲンは決して小さくしていない普通の声でプラチナに語りかけていた。

 それが、パールの耳には届いていない声量だと確信しているかのように。

 

 プラチナは、ゲンよりも小さな声で、パールには聞かれないように抑えた声量で返答していた。

 その声には、本当は自分の力でパールを成功に導いてあげたかったという本音と、そのエゴを封じてパールへの最善を求めた男の子の感情が表れている。

 自分には無い目線を持つ、付き合いが浅く客観的にパールを見られそうな先輩トレーナーに頼ることを、今のプラチナは選び抜いている。

 自分の力でパールを喜ばせることが出来たという、一番嬉しい結末を放棄してでも、彼女が一番喜ぶ未来を叶えんとした少年に、ゲンは微笑みかけるのみ。

 複雑な思春期の心模様だ。感じ取れてしまったら、ゲンとて男として支持したくなるではないか。

 

「応えてみせるよ。

 君が、それほどまでに心を砕いて訴えたことだ」

「…………」

 

 パール自身もよく言ってきたことだ。

 優しいプラッチと友達になれてよかった、一緒に旅してこられてよかったって。

 それでも、それでも、彼女が思う以上に、それって幸せなことだったのかもしれない。

 パールが思っているより、遥かに、ずっと、プラチナはただただパールの幸せを願い、そのためだったら自分が彼女の一番であることさえ捨てきってしまう。

 その献身を、あまつさえパールには隠そうとするプラチナなのだから、彼の意志を以ってパールにその決意の程は伝わらない。そして彼はそれで本望なのだ。

 

 少年の心、少女知らず。

 手を繋げるほど親しんだ親友であっても、すべてを知り尽くせる日なんてそう簡単には訪れない。



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第73話   異変の正体

 

「ミーナ頑張れ~! もう一回、とびげり!」

「ッ、――――z!」

 

 鋼鉄島の地下深い階層まで来たパール達。

 ここまで来ると、野生のハガネールまで稀に生息している環境で、中級者以上のトレーナーでなければ訪れるべきでないエリアである。

 しかし、今のパールは堂々と戦い抜いているものだ。

 巨大な相手に小さなミーナを、この対格差があっても勝てるはずだと見て繰り出し、勝利に導く指示をきちんと発している。

 流石に頑丈な個体、相性良好とはいえ退けるまでに跳び蹴り三発を要するが、舌打ち顔で引き下がるハガネールが逃げていく姿には、ミーナも胸を張っていた。

 

「あっ、まだだよミーナ、きずぐすりかけるからね」

「――――、――――」

「だめだめ、ハガネールのしっぽ攻撃ちょっと受けてたでしょ。

 そういうの、後から響いてくるんだから」

 

「ふむ……良くも悪くも粗削りなんだな。

 当人も自覚はあるみたいだし、アフターケアへの意識も高い」

「褒めてるのか、まだまだなのか、微妙なラインですか?」

「いい意味での方が強いよ。

 元々優しそうな子ではあるが、もっともっと優しくポケモン達に接しようという心構えの根拠はそれもあるんだろう。

 自身の未熟を認めての謙虚をきっかけに、大事なポケモンをいっそう大事にしていけるのなら、それは卑屈と称するにも相応しくない美点だからな」

 

 バトルを終えたミーナをボールに戻さず、いい傷薬をかけてあげるパール。

 そんなの別にいいのに、とふるふる耳を振って遠慮がちなミーナだが、パールは譲らずスプレー状の傷薬をしゅっしゅ。

 意地っ張りで、施しさえあまり受けたがらなかった昔のミーナと比べれば、態度はともかく二人の関係はかなり良化してきたものだと言える。

 

 見守る位置に立つゲンとプラチナは、パールのバトル模様だけではなく、こうした一面においても意見を交換する。

 とりわけゲンは、鋼鉄島の野生ポケモンを退け続けられる程度にはパールに一定の腕が備わっていると見て、主にバトル場面以外にも注目しているようだ。

 パールはハガネールの"しっぽ攻撃"と言ったが、トレーナーらしい言葉の使い方ではない。腕の立つトレーナーの多くはあれを"たたきつける"と呼ぶ。

 ゲンがパールを粗削りと感じるのはその辺りも含めてであり、腕より知識が先行しがちなトレーナーの多い昨今、その逆だなとも感じている。

 それでここまで強くなっているのだから、才にも情熱にも、何より向上心に溢れた女の子なのだろうなとも確信する限りだ。

 

「しかし、トウガンに敗れたか。

 この腕前なら、ジムバッジを5つ所持した相手を迎え撃つトウガンに、勝てないほどではないと思うんだがな……

 勿論、簡単に勝てる相手だとも思わないが」

「……えぇと、あんまり大きな声で言うとパールが気にするかもしれないですけど。

 けっこう一方的な展開で負けてるんですよ。

 やっぱり6つ目のジムは相当な難関だなって観てても思ったし、思い切ったトレーニングも必要なのかなって少し考えてもいるんですが」

「まあ、確かにな。

 バッジ集めの旅において、6つ目か7つ目のバッジ獲得が最大の難関とも言われやすい。

 この辺りで挑戦者を迎え撃つジムリーダーも、かなり本気に近い力を発揮してくるからな」

 

 先を進むパールの後ろ、内容を意識してやや小声の会話を交わすプラチナとゲン。

 5つ目のバッジを獲得するためのバトルは、半数のバッジを集めきった挑戦者に対して、ジムリーダーもそろそろ力を出してくる。

 6つ目のバッジを獲得するためのバトルは、3対3バトルの最終戦にして総決算。ジムリーダー側も気合が入る。

 7つ目のバッジを獲得するためのバトルは、ついに4対4のジムバトルとなり戦略性にも難しさが増す。無論、ジムリーダーの出す力も本気により近付く。

 バッジを8つ集める旅における後半戦は、いずれも大きな山場である。

 人によってどの辺りが一番の難関とするかは意見が割れるところで、ゲンは6つ目と7つ目が難関二山と感じるようだ。

 7つ目ではなく5つ目の方を強調する人も少なくはないが、6つ目は意見が二分することも少ない、誰しもが難関と称しやすい。

 パールが挑もうとしているトウガンは、過去と未来を含めた中でも最も大きな山場の一つ、と表現されやすいところである。

 

「……ポケモン達の能力に、6人目のジムリーダーとして立ちはだかるトウガンに敵わぬほどだという印象は無い。

 となれば、敗因はやはり彼女の方にこそあるのかもしれないな」

「やはり、って……?

 そう思い当たる節があるんですか?」

「今はまだ、断言できないがな。

 現時点では、そう思える要素もあり、それが濃厚という印象だ」

 

 パールの耳に届かない程度の小声で、きっと彼女の耳に届こうものなら、たいそう辛辣であろう意見をゲンは発していた。

 パールのポケモン達には、充分トウガンに劣らぬほどの力量がある。

 それで何故勝てなかったのかを論じるなら、パールの方に問題があるのではと言っている。

 好きな女の子を批判される言葉に、プラチナが面白いはずがない。だが、真っ直ぐにパールの背を見つめて発するゲンの眼は、その結論を信じかけている。

 そこに一定の説得力を感じ取れてやまないプラチナは、感情的な反論をぐっと抑え、静かに息を吸って吐いてしながら自らを落ち着かせる。

 

「…………もしもそうだと結論付いたら、しっかり言ってあげて下さいね。

 パールはへこむかもしれないけど、強くなれるんだったら、って、きっと前向きに受け取ってくれる子ですから」

「……ああ、約束するよ。

 そうだと結論付いたらね」

 

 そんなプラチナの複雑な心境も、ゲンは充分察して応じてくれていた。

 へこむかもしれないから言葉は出来るだけ選んで欲しいとか、でも言わずにおくようなことはして欲しくないという強調も込めてあって。

 パールに強くなって欲しい、それで成功する彼女の喜ぶ姿は見たい、でも傷つく彼女を見るのはつらい。

 男の子の言外に込められた情念を感じ取れてやまぬゲンは、なんとなく、プラチナがパールをどう思っているのかまで概ね理解できてしまう。

 本当に、ただの友達以上に大切な人なんだなと。

 

 アドバイザーというのも大変だ。

 同行を依頼した代わりに求められる仕事は、きっとゲンが想像していたよりも、二人にとっては深刻で、重大。

 共に歩くルカリオと目を合わせて頷き合うゲンは、生半可な言葉は紡げないなと意識を交わすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつては鉱山として長らく栄えただけあり、鋼鉄島は各階層が広く、その上で地下深くまである。

 海面から出ている鋼鉄島の大きなシルエットは、まさしく氷山の一角のようなもので、地下階層すなわち水面下の階層はもっと広い。

 階段を下るにつれ広くなる鋼鉄島の環境は、大柄なポケモン達でものびのびと過ごせる楽園であり、野生ポケモンの生息数も増える。

 地下に進めば進むだけ、野生のポケモンとの遭遇率も高くなるというわけだ。

 実に修行場所に適した環境である。ミオシティの中級者トレーナーの間では、地下何階まで行けたよ、というのが実力のバロメーターにもなるらしい。

 

「ニルル、まだ大丈夫?」

「~~~~♪」

 

「けっこう進んだけど、異変の正体みたいなものは見えませんね」

「これだけ島全域のポケモン達の気が立っているのなら、わかりやすい異変だと思うんだがな。

 ここまで進んでその片鱗すら見えないというのは、思ったよりも調査が難航していると言える」

 

 ゴローンを撃破したばかりのニルルに声をかけるパール、明るい声で返答するニルル。

 まだまだ大丈夫だよ、と主張するニルルだが、疲れは溜まってきているだろう。声の調子でパールにはわかる。

 とりわけニルルが一番出番が多い。ゴローンにもイワークにもハガネールにも、誰にでも通用する水ポケモンなのだから。

 ミーナを連戦させ過ぎると苦しそうなので、主にニルルの出番がどうしても多くなる。

 高い攻撃力による撃退が早いので受けるダメージはさほど蓄積していないが、継戦能力とは別の体力はかなり削られているはずだ。

 それなりに良い修行にはなっているだろう。

 

「…………む?

 ルカリオ、どうした?」

「――――」

 

「ゲンさん、どうしたんですか?」

「ルカリオが、あちらに妙な気配を察知したらしい。

 向かってみよう」

 

「ルカリオ、ってそういう能力があるんです?」

「ああ、波動の力で様々な……いや、まあその解説は後にしよう。

 とりあえず、異変の正体を突き止めねばな」

 

 "波導"ポケモンのルカリオは、生物の発する気やオーラに対して非常に敏感で、人には感じられぬ多くのことを感じ取れる能力がある。

 音や光といった波動とは全くの別物である"波導"は、科学的に定義されたそれとは全く異なるものだ。

 単に目や耳がいいだけで遠方の何かを察する能力とは全く別物で、存在や気配、果ては感情や心境、善意や悪意などさえ感じ取ることが出来るのだ。

 こう表現すると五感以上のものを持っているように感じるが、はっきり見たり聞いたりするよりは遠方に対して確信が持てなかったりと、不安定な所もある。

 優れた聴力と超音波により、遥か遠方のものの存在を明確に認識するゴルバットの能力などと比べれば、一長一短というところか。

 超常的な能力を持つポケモンは枚挙に暇がないが、ポケモン同士において、絶対的上位互換と言える固有能力はそう多くない、というのが面白い。

 

 ひとまずそんなルカリオが察知した何かというものへ向かい、やや駆け足で向かっていく三人。

 そこまで急がず早歩きでもいいと思うゲンなのだが、パールとプラチナが走るので、ゲンも走らざるを得ない。

 子供達は元気だな、とゲンも思わせられる一幕である。

 パールとてバトル自体はポケモンに任せているとはいえ、結構な距離を歩いてきて足も疲れていそうなものなのだが。

 

「…………んあっ!?」

「うっわ、あれって……!」

「なるほど、とびきり怪しいな。

 ルカリオ、あれがお前の察知した連中か?」

「――――z!」

 

 駆けた先でパールが見たものは、彼女に裏返った声を出させ、プラチナの表情を曇らせ、ゲンに確信に近いものを抱かせる。

 緑色のおかっぱ頭で、シルバースーツで胸元にはGのシンボル。

 それは最近世間を大きく騒がせる連中の姿そのものであり、パールとプラチナにとってはある意味、非常に因縁深い存在だ。

 

「――ムッ!?

 野生のポケモンですカ!?」

「いや、どうやら違うようデース!

 トレーナーっぽいデスよー!」

 

 どこからどう見てもギンガ団である。それも下っ端の。

 パールとプラチナにはもう、あいつらがここで余計なことをして、野生のポケモン達を怒らせたようにしか見えない。

 前に出た二人の後ろ姿を見るルカリオには、急にめらぁと燃えた二人の波導を感じ取らずにはいられない。まあ、それはゲンにも見えるほど明らかなのだが。

 

「ギンガ団だなっ! 今度はここでどんな悪いことしてるのっ!

 鋼鉄島のポケモン達がすっごい不機嫌になってるんだよ!」

「オゥ! なんですかこのちんちくりんガールは!

 出会い頭にとっても失礼デース!」

「生意気デース! 親の顔が見てみたいデース!」

「んあ……っ!?

 お母さんは関係な……っ、こいつらぁ~~~っ!」

 

「あっ、やば……パール、落ち着いてっ」

「いだあっ!?!?

 ちょ、プラッチぃっ!?」

「カッカし過ぎちゃダメだよ。

 叩いたのは後で謝る、何でも言うこと聞いてお詫びする。

 でも今は冷静に、こいつらを叩きのめさなきゃ」

「うぐぐ……わかってるよっ!

 平常心、平常心、っ……!」

 

 ただでさえ目の敵であるギンガ団を前にして、親まで侮辱するようなことを言われて、パールがぶっちん切れかけてしまう。

 流石にそこまで冷静さを欠いてはいけないとしてプラチナの荒療治。パールの背中をばっしーんと叩いた。

 強引すぎて申し訳ないとは思っているようで、プラチナは思い付く限りの詫びを告げ、今は相手に冷静に向き合うべきだと訴える。

 パールも痛くて怒りの矛先がプラチナに向きかけたが、信頼するプラチナの言葉なら聞けるらしい。鼻息を鳴らしながらなんとか気持ちを鎮めて。

 怒りは抱えつつ、少しは頭の冷えた頭でギンガ団員達を睨みつける。

 

「敵意を感じマース!

 これは迎え撃つしかありまセーン!」

「子供達といえど容赦はしませんヨー!

 ポケモンバトル、できるカナ!?」

 

「古いな……」

 

「やるよ、プラッチ!

 ぎったんぎったんにしてもらうんだから!」

「あぁもうそれでいいや、もう……!

 向こうもやる気みたいだし、まずは相手を黙らせるよ!」

 

 冷静さたるものを取り戻しきっていないパールと見えるが、プラチナ目線ではまだマシになったかなと思えた。

 ぎったんぎったんに"してやる"じゃなく、ポケモン達にぎったんぎったんに"してもらう"と言えているだけ、まだ彼女本来の価値観に近いというか。

 ポケモントレーナーとしてはやや珍しい傾向なのだが、パールは言動端々にすら、バトルで勝っても自分の力という認識が殆どない。

 みんなのおかげ。そんな彼女の根本的な観点が垣間見える発言である。プラチナにはよくわかる。

 

 同時にゲンも、"ぎったんぎったんにしてもらう"という珍しい文字列に、パールの価値観めいたものは感じ取っている。

 これはもしかすると、後でアドバイスを求められる身として、大きなヒントになるだろうか。少し、そんな気がしている。

 ルカリオと目を合わせるゲンの言動には、そんな想いが表れている。

 

「ミーナ! 絶対勝つよ!」

「ポッタイシ! 頼んだよ!」

 

「ニャルマー! やってしまいなサーイ!」

「ズバット! 絶対勝つのデース!」

 

「うひえあっ!?」

「あぁもう、ポンコツ……!」 

 

 五秒前まであんなに血気盛んだったのに、相手がズバットを出してきた瞬間に三歩ばたばた退がって腰の引けるパールである。

 事情を知らなければとんだ情緒不安定ガールであろう。プラチナもパートナーの不安定ぶりに出鼻を挫かれた気分。

 パールの苦手なズバットの撃破を最優先に、ポッタイシをケーシィに入れ替えようかとさえ思うぐらいである。

 

「パールっ! だらしないところ見せるなっ!

 ギンガ団だぞ! 戦い抜くよ!」

「うぅっ……! わかってるっ……!」

 

「あのちんちくりんガール、ズバットに怯んでマース!

 臆病なちびっこデース!」

「この勝負貰ったデース!

 雑魚ガール相手に、ここまで来た我々が負けるわけがありまセーン!」

 

「誰がちんちくりんかー! 誰が雑魚かー!

 ミーナお願い頑張ってー! 私こいつらに絶対負けたくないよー!」

 

 キーワードに反応して、両拳を振り下ろしてふしゃ~と怒り散らすパールである。

 何というか、心理戦では既に惨敗ぶりが少々気にかかるところだが、敵対陣営にズバットがいてもこれだけ燃えてくれるならパールにしては良い方。

 プラチナはそう考えることにした。難儀なパートナーである。

  

 結論だけを先に言ってしまうと、パール達はこのギンガ団の二人を、この後けちょんけちょんに負かすことになる。

 ゲンも展開次第では、ルカリオと共に二人を助けるべきだと考えていたようだが、それは杞憂だったということだ。

 その一方でゲンは、プラチナはともかく、パールの戦いぶりをよく見届けていた。

 そんな中で彼なりに見定めたものは、どうしてパールがトウガンに惨敗したのかを、充分言葉にできるほどはっきり確信できるものでもある。

 

 結果的にパールはこの後、ゲンに非常に大きなアドバイスを得ることになる。

 野生のポケモン達を相手取る修行のつもりで鋼鉄島に訪れたパールにとって、ゲンとの出会いはきっと、後から思えば並々ならぬ縁。

 彼女に決定的に欠けているものは何か。それはきっと、パール一人では気付けない、そしてプラチナにも気付けぬであろうことだったから。

 

 その痛烈な現実を突きつけられるパールがどんな顔をするか、核心に気付いたゲンは、早くから言葉を選ぶことに意識を割いていたものだ。

 自分のポケモン達が大好きな子供にとって、これはきっとショックな現実だから。

 つくづくゲンも、難しいことを引き受けてしまったものだと、ギンガ団連中を撃破してぐっと拳を握るパールを眺めながら、溜め息一つ挟んだものである。

 そんなゲンを彼のパートナーであるルカリオも、彼の心情を波導で察したかのように、悩ましい目で見上げていた。



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第74話   ギンガ団の内情

「さあっ!

 今度はここで何をしようと企んでたんですか! 白状して下さいっ!」

 

「な、なんなんデスかこの子は……おっかないデース」

「どうどうどう、あんまり"いかく"しないでくだサーイ。

 ギャラドスのようデース」

「誰がギャラドスかー!!」

 

「君の友達、凄いな。なかなか迫力があるぞ」

「それでも敬語っていうのが微妙にしっかりしてるんですよ」

 

 ギンガ団の二人組を、ポケモンバトルでけちょんけちょんにやっつけたパール。

 戦う手段を失った大人二人にずいずい近寄り、大人相手に引け腰しない問い詰めぶり。

 向こうが怯んでいるぐらいだ。勢いある時のパールって結構強い。

 

「あなた達ギンガ団でしょ!?

 どうせここでまた悪いことを企んでたに決まってるんだっ!

 さあ今すぐ白状です! 絶対に許さんぞー!!」

 

「別に我々はワルいことは企んでないデース!」

「ここで野生のポケモン達相手にトレーニングしてただけデース!

 ウソじゃありまセーン!」

「嘘だー! ギンガ団の言うことなんか信じられるかー!」

 

「随分と聞かんちんだが、彼女はギンガ団に特段の恨みでもあるのかい?」

「えー、まあ、因縁深い相手になってしまってると言いますか……

 とりあえず一旦落ち着かせてきます」

 

 極端に相手の言い分を聞かないモードに入っているパールである。

 色々あって、彼女の中でギンガ団員は絶対悪になってしまっている模様。

 これでは話が進まないので、プラチナがサポートへ。

 

「どうしてここの野生ポケモン達が……むぐぐっ!?」

「はいはいパール、一旦静かにしようね」

「むぐぐぐぐぐっ、プラッチのセクハラっ!」

「セクハラじゃないよっ!

 こうでもしなきゃパール止まらないでしょ!」

 

 後ろから両手でパールの口を塞いできたプラチナに、パールはその手から抜け出して抗議である。

 不名誉な罵倒を受けるプラチナは必死の抗弁をするが、結果的にギンガ団敵視一色だったパールの意識を、自分へ逸らすことには成功。

 ほんの一旦彼女を止められたこの隙に、ゲンがギンガ団の二人に歩み寄る。

 

「とりあえず、話を聞かせて貰おうか。

 君達二人の行動が、鋼鉄島のポケモン達を強く刺激していた可能性がある。

 ここで何をしていたのか、少し詳しく聞かせて貰えないか」

 

「ゲンさんっ! その人達の言うこと簡単に信じちゃダメですよ!

 ギンガ団はワルい奴ら……むぐぐぐっ!?」

「はーい、パールは黙っていようねー」

「むぐががっ、プラッチのドエロー!

 くちびるをさわるな~!」

「くちび……っ、うるさいなっ、嫌なら一旦静かにしててよっ!

 詳しい話はゲンさんが聞くんだから邪魔しないようにっ!」

「うるさいっ! プラッチがスケベなのはもうわかったぞっ!

 女の子の唇をべたべた触るなんてサイテーなんだからね!」

「そんなつもりじゃないってばっ!

 こうでもしなきゃパール絶対黙らなかったでしょ!」

「だまれ~! プラッチがだまれ~!」

「パールが黙れっ! 今すぐ黙れっ!」

 

 あまりにうるさいのでゲンがちらと振り返ると、二人とも顔を真っ赤にしてきゃんきゃん喧嘩している。

 仲が良さそうにしか見えない。放っておいても後で勝手に仲直りしそうだなぁと思って、ゲンは無視することにした。

 

「まあ、あちらは置いといて普通に話をしてくれればいい。

 潔白を証明するためと思って、少し話に付き合ってくれないか」

 

 問い詰めるような尋ね方をせず、穏やかに回答を求めるゲンに、ギンガ団員両名も頷き合って事情をゲンに話し始めた。

 あの子よりはゲンの方が、ちゃんと話を聞いてくれそうだと感じたのだろう。

 暴走気味のパールの接し方が、相対的にゲンの印象を良いものとする形となり、ある意味でパールの突っ走り具合が良い方向に傾いたとも言える。

 もちろん、ゲンがフォローしてくれたおかげとも言える。世話の焼ける子だ。

 

 

 

 

 

「ほう、ギンガ団は希望したポケモンを支給してくれるのか。

 随分と振るまいがいいな」

 

「私はサターン様やジュピター様やマーズ様の強さに憧れて、グレッグルとスカンプーとニャルマーを希望したのデース。

 まあ本当はその進化系を希望してみたのですが、流石にそれはちょっと」

「私はバトルはあまり得意ではありませんので、遠くの状況を知るのも得意なズバットを希望したのデース。

 生活するにあたってもとっても便利で、今は頼れる相棒二匹デース」

 

 ゲンがギンガ団員の二人に話を聞いてみたところ、少しずつギンガ団の内情めいたものが明らかになってきた。

 普通、こうした場面で相手の言うことを鵜呑みにはしづらいところがあるが、ゲンは二人の言葉を概ね信じている。

 

 なぜならゲンのそばにいる、人が発する波導を感じ取れるルカリオが、嘘の気配を感じ取っていないからだ。

 決して100%の嘘発見機などではないが、拙い嘘なら見破ってくれるルカリオが無反応ということは、今のところこの二人の発言には概ねの信が置ける。

 

「ちなみに君達は、どうやってギンガ団に入った?

 トバリのギンガ団本部に、入社というか、正式な手続きを経て入団したのか?」

「私達はそうではないデスねぇ。

 彼もそうですが、このシンオウ地方の外からスカウトされてきた身デース」

「シンオウ地方は素敵な地方デース。

 私達が生まれ育ったところとは違って、街も自然も綺麗ですし、人々も優しいデース」

 

「ふーむ……君達と同じ境遇のギンガ団員も多いのかな?」

「まあ恐らくは。

 シンオウ地方に来る前に、三か月ぐらい言葉の勉強をさせられたのデース」

「おかげでみんな、ある程度はここの人達とも話せマース」

 

「……外国?」

「多分そうなんだろうね」

 

 この二人はシンオウ地方の外、それも言語が同じカントーやジョウトやホウエンではなく、海を隔てたもっと別の国から誘致されてきた身。

 そして、そんなギンガ団員は他にも結構いるらしい。 

 どうもマーズやジュピターやサターンが従えているギンガ団員達に、片言使いばかりだと思っていたパール達だが、その理由が明かされた気がする。

 

「つまり君達は、トバリシティのギンガ団とは別物なんだな?」

「そうデース。

 むしろトバリシティには行かないようにと言われてるぐらいデース」

「あそこはエリートギンガ団員が集まる場所だから、一般のギンガ団員は立ち入り禁止デース。

 本部に至りたければ、実績を出して昇進することだと言われてマース」

 

「君達のような境遇の者達は、みんなトバリのギンガ団とは無関係の、別の集団と考えていいのかな?」

「さあ、どうなんでしょ……

 私は同じ組織だと説明されてますが……」

「でも、別の組織のようにも感じマース。

 もっとも、我々にとってはあまり関係のない話デース。

 平穏なシンオウ地方で、仕事をしてご飯を食べて、それが出来れば何でもいいデース」

 

 どうもこの二人、生まれ育った地の環境があまり良いものではなさそう。

 シンオウ地方はいい場所だと言うのも、我々の育った場所とは違って、という言外が含まれている気がするし、ここにいられればそれで満足という主張もそう。

 サターンを始めとする悪のギンガ団幹部が従える尖兵は、こうして恵まれぬ地から呼び込んだ、傭兵集団のようなものなのだろうかという推察も立つ。

 

 実のところこの辺りは、先の事件いくつかで逮捕されたギンガ団員達も吐いていることで、警察側も知っていることだったりする。

 これを素直に解釈すれば、悪のギンガ団とトバリの真っ当なギンガ団が別物という気はしてくるのだが、その結論を急げないのも難しいところ。

 悪事をはたらくギンガ団員達が、全員すべてこうだとは断言できないのだもの。

 まして幹部格の三人が確保できていない以上、未だ真相は霧の中である。

 

「君達は誰の部下なんだ?」

「サターン様デース。

 とても強くて頭もキレて、我々の憧れの的デース」

「サターン様のドクロッグはまさに最強デース。

 チャンピオンのポケモンより強いんじゃないかってさえ思いマース」

 

「そいつは凄いな。

 ところで君達は、先日のリッシ湖の作戦にも参加したのか?」

「ハーイ、爆弾の搬入を手伝わせて貰ったデース」

「む……犯罪への荷担をあっさり吐いたな。

 言い逃れの一つぐらいはすると思ったが……」

 

「えっ!? 罪デスか!?」

「私達は湖の水を一時的に抜くのを手伝っただけデスよ!?

 湖の水はやがて間もなく満たされますし、人の家を破壊したわけでもないデスよ!?」

「当たり前だろう、シンオウ地方はポケモンとの共存を重んじ、自然破壊への罰則が厳格だぞ。

 材木のための伐採ひとつとっても、きちんと役所に手続きを通して行わなければきっちりお縄だ。

 水棲ポケモンの多いリッシ湖の水を一時的にでも勝手に吹っ飛ばすなど、どう考えても真っ黒だ」

 

「えぇ~、我々の育った地方ではそんな決まりは……」

「家を修理する材木が欲しければその辺の木を切ってこいデス」

「生憎ここはシンオウ地方だ。君達の地方とはルールが違うぞ」

「オゥフ……」

「アゥフ……」

 

 ポケモンバトルで木が燃えたりもすることはあるので、多少の程度では目を瞑られる決まり事だが、あれほどの大規模破壊となれば流石に駄目。

 陸に打ち上げられたコイキング達の苦しそうな姿からも明らかなように、あれはポケモン達との共存を望む、シンオウ地方の方針に明確に反している。

 あれで水棲ポケモンの一匹でも死んでいたら大変な話だ。事後の報道では幸いにもそうはならなかったと報じられたが。

 それは事実なのだろう。悪い方に至っていたら、それも容赦なく報道して反ギンガ団の感情を世論に煽るのも、報道班の仕事には違いないので。

 

「まあ、それはさておいて、だ。

 君達は自分のポケモンをここで育てようとしていたようだが、それはどういうつもりでだ?

 力をつけて、またギンガ団の悪行に手を貸すつもりだったか?」

「い、いえいえ、ワルいことはあんまりしたくないデース。

 それで捕まったり、この地方から追放でもされたらたまりまセーン」

「あんまり我々、本国に帰りたいとは思ってないデース。

 シンオウ地方はいい所デース、離れたくはないデース」

 

「ギンガ団は乱暴な手段を取る組織だとは思わないか?

 正直、罪ではないと思っていたとしても、湖の水を爆弾で吹っ飛ばすのはやり過ぎだとは感じるべきだろう」

「それは正直思ってたデース。

 あんまりこういうことを繰り返すようなら、あまりギンガ団には戻りたくないデース」

「一応シンオウ地方に連れてきてくれた恩人のようなギンガ団ですから、義理といいますかそれも心苦しいデスが……

 出来れば、ヤメてしまいたいデース。

 でも、ヤメたらこの子達もギンガ団に返さなきゃいけませんし……」

 

「ん?

 こう言ってはなんだが、黙って持ち逃げという発想は無いのか」

「借りパクは良くありまセーン。

 人のものを取ったらドロボウデース」

「だけど我々もこの子達に愛着が移ってきましたし、離れたくもありまセーン。

 やっぱりギンガ団をヤメるのは、ちょっと考えにくいデース」

 

 なんだかこういう所は人間的。

 支給されたポケモン達ではあったものの、長く連れ歩いているとすっかり情が移ってしまったようで。

 こうなるぐらいなら、やはりポケモンというものは、どんな労を経てでも自分で捕まえた方がいいという話である。

 

「え~、ハクタイシティのギンガ団は人のポケモン奪ってたよ。

 おんなじギンガ団の人が、人のものを取ったらドロボウだ何だって、な~んか白々しいというか……」

「あれはジュピター様の率いる部隊デース!

 あいつらは一度会ったこともありますが、なんだか目がギラギラしててあんまり好きじゃなかったデース!」

「サターン様は人のポケモンを奪ってこいなんて指示は絶対しないデース。

 我々はサターン様の部下デース」

 

 パールは未だ猜疑心に満ちた目で見ているが、どうやら片言ギンガ団員達にも、仕える上司ごとに派閥めいたものがあるのかもしれない。

 少なくともこの二人は、自覚のある限りで悪行に手を染めることは好みではないらしい。良心ゆえなのか、保身ゆえなのかは計りづらいが。

 やや表向きにも悪辣な言動の目立つジュピターと、それに従うことを好む者達とは、正味のところであまり気が合わないというところか。

 

「まあともかく、君達はこの鋼鉄島に、ただ修行に来ただけで他の目的は無いと。

 ギンガ団の任務というわけではないんだな?」

「そうデース。

 ここのポケモン達は強いですが、いい修行になりマース」

「うちの子達も結構強くなった気がしマース。

 トレーニングはなんだかやる気が出るのデース」

「ふーむ……それだけでここのポケモン達がここまで不機嫌になるとは思えんが……

 君達が原因では無い、ということなのか……?」

 

 鋼鉄島の野生ポケモン達は、基本的に人間に対して友好的だ。

 とおせんぼしてきても、それは腕試ししようぜという想いのみであり、勝ったら得意気、負けたら悔しがって逃げるだけ。恨みっこなし。

 普通に修行しにきただけのトレーナーが、ここのポケモンを怒らせるシチュエーションなんてそう多くないはずなのだが。

 

「倒したポケモンを過剰に痛めつけたりはしたか?」

「そんなことするわけありまセーン!

 かわいそうデース!」

「我々そもそも、リッシ湖のコイキング達だってかわいそうだと思ってたデース!

 正直あれがきっかけで、ギンガ団とは距離を置きたいと思い始めたぐらいデース!」

 

「うぅむ……視点を変えるか。

 君はニャルマーとスカンプーとグレッグルを使うんだったな。

 ゴローンが出てきたらどうバトルする? 相性は良くなさそうだが」

「そうですねー……スカンプーに"つじぎり"で頑張って貰うか、グレッグルの"リベンジ"デスねー。

 特にグレッグルは、ハガネールにもよく効く攻撃でここでの切り札デース」

「私もズバットの"ちょうおんぱ"でサポートしマース。

 二人でなら、なんとかある程度安定しマース」

 

「…………ん? 二対一か?」

「そうでもしなきゃ、ここまで来れまセーン」

「ここの野生ポケモン達は強いデース」

「ずるい」

「ずるいね」

 

「君達が二人なのを見て、野生ポケモンも二匹一度にかかってくることもあるだろう。

 その時はどうしている?」

「逃げてマース」

「二対二なんて苦しいデース」

 

「あぁ、なるほどな。

 ここのポケモン達が怒るわけだ」

「えっ!? 罪デスか!?」

「罪ではないが、ポケモン達にも感情というものがあってだな」

 

 これではっきりした。

 やはり鋼鉄島の野生ポケモン達の気が立っていたのは、この二人が原因だったらしい。

 

 要はこの二人、野生のポケモンが一匹で出てきたら二人がかりで倒して、二匹で出てきたら逃げる、その繰り返しでここまで来たらしい。

 島を進んでいきたいだけなら賢いやり方というやつなのだろう。修行という目的に沿ったやり方なのかが少々疑問だが。

 そしてそうした人間どもというのは、野生のポケモン達からすればあんまりいけ好かない。

 数で勝る戦いのみ望む、というこすいやり方にも好ましい感情は湧かないし、発想を広げれば修行目的じゃないのかも、とさえ思える。

 となれば、自分達の住処を荒らしにきたのか、あるいはポケモンの乱獲だけが目的なんだろうか、とも考えてしまう。

 

 鋼鉄島に生息するポケモン達のコミュニティにおいて、こんな得体の知れない奴がいるとなれば、ぴりぴりするというものだ。

 もっとも、警戒心がこの二人に向いて気が立っているだけで、他の来客に対する接し方は変えていなかったようだが。

 要するに、機嫌が悪くて目つき顔つきが悪かっただけである。危惧されていたような、人に危害を加えるかもしれないという精神状態ではなかったようだ。

 ここのポケモン達に神経質なミオシティの駐在員の心配は、結果的に杞憂だったと言える。この二人が島を去った後は、ポケモン達の機嫌も直るだろう。

 

「修行というならラクな手段ばかり取るのも考えものだぞ。

 単に最深層まで行きたいだけならともかく、修行に来たんだろう?

 ポケモン達に強い相手とのバトル経験をきちんと積ませることを蔑ろにして、最深部到達を誇っても本末転倒だ」

「ムムム……言われてみればその通りだったかもデース」

「ましてや、それでポケモン達が不機嫌になるとは想像もしなかったデース。

 これは反省するべきデース」

「なに、わかってくれるならいい。

 話がわかるようであれば、解決も早くて助かるよ」

 

「ねぇねぇゲンさん、この人達の言うこと、信じちゃっていいんですか?

 ウソついてるかも」

「いや、まあ大丈夫だろう。

 君は本当に、ギンガ団が信用できないんだな」

「だって、悪い奴らですし。

 トバリシティ以外で会ったギンガ団、みんな悪いことしてたんですよ?」

 

「世間でギンガ団の評判が悪いのは仕方ないかもしれませんが、どうしても信用されないというのは悲しいデース!

 ホントのことちゃんと話したデース!」

「ギャラドスガールは人間不信すぎデース!」

「だから誰がギャラドスかー!」

「こっちもギンガ団相手に、直接色々あったんですよ。

 だいたいどうしてあなた達、今ギンガ団の服着てるんですか?

 何かの悪事の任務中だとこっちだって思うじゃないですか」

 

「これは私達の勝負服デース!

 修行という大一番、これを着ると気持ちが引き締まりマース!」

「ヘアースタイルも勿論ヅラデース!

 髪の毛はすぐには伸ばせまセーン! でもこれはこれで気に入ってマース!」

「勝負服……なんでいちいちそんなダサい服を……」

「っていうかあれ、ウィッグだったんだ……

 まあみんながみんなあんな自己主張激し過ぎる地毛なわけないか」

 

「ダサいとは心外なっ!」

「このシャープでオリエンタルなセンスがわかりませんか!?」

「わかりません」

「ありえません」

 

 流石にギンガ団員達も、プライベートでは私服らしい。

 そもそも現在シンオウ全体で、ギンガ団員そのものが要注意な人物像になっている昨今、いつもギンガ団員の服を着てうろうろ出来たものではない。

 そんなもの着ていたら、この島に来るための船に乗る時点で訝しげな顔をされるはずである。現に指名手配中のマーズには、パールも会ったが私服姿だった。

 私服で船に乗せてもらって鋼鉄島に来て、ここで着替えたということなのだろう。勝負服というだけあって、本当に気に入って着ているようである。

 まあこの二人の場合、好きじゃなかった故郷から素敵なシンオウ地方に導いてくれたギンガ団、その正装への感謝混じりの愛着もあるのかもしれないが。

 パールとプラチナにそのセンスは全然わからないが。ギンガ団への悪感情抜きにして、これは無いの一点張りのようで。

 

「強くなりたいというのなら、トウガンに紹介してみようか?

 あそこのジム生になって、みっちり修行させて貰うのもいいだろう」

「……そんなことが出来るのデスか?

 私達は、シンオウ地方に来たばかりの外国人ですよ?」

「根無し草の暮らしですし、住民票もゲットしていないのデスが……」

「ジム生にそんなものは必要ない。

 厳しく見るジムもあるが、トウガンなら大丈夫だろう。

 強くなりたいと思う者なら、彼なら喜んで受け入れてくれるさ」

 

 ジム生というのは案外敷居が低いものであり、希望者を募る門戸もやや広い。

 ジムそれぞれに扱うタイプの偏りが強いので、一つのタイプの愛好者たれる者でないと少し乗り気になれない部分もあるので、数も氾濫しないだけだ。

 一方で、右も左もわからず指導者もいない、だけど立派なトレーナーになりたいという者が、ジム生から始めて修行を積むというケースは結構多いらしい。

 

「でも、ミオジムは鋼タイプのジムでしょう?

 我々のポケモンは……」

「ジムではそれに近いポケモンの育成を推奨されるが、だからといって自分の手持ちを手放せとは言われないさ。

 ジムに関わる時間以外の、プライベートな時間で育ててやればいい。

 まあ、ジム生としての本業と、それとは関係ないポケモンの育成という二足の草鞋、楽ではないかもしれないがな」

 

「……どうしマス?」

「いいかもしれないデース。

 強くなって、ジム生を卒業してからでも、この子達をより育てていくことはできマース」

「うむ、決まりだな。

 トウガンには後で話を通しておくとしよう」

 

 なんだかするすると、ミオジムにジム生が二人増えそうな流れである。

 ギンガ団員の二人だが、根はそこまでの悪人ではなさそうだ。常識に欠けるところはあるが、それもジムリーダートウガンが矯正してくれるだろう。

 実はトウガン、豪気で人当たりのいい大人だが、ああ見えて身内が道理に反することをしようとすれば、お叱りの剣幕は尋常じゃない。

 悪のギンガ団に半ば騙されて悪行に荷担させられたこの二人も、トウガンの門下生として日々を積めば、真っ当なトレーナーにして貰えるだろう。

 根は悪くなさそうな二人という面を鑑みて、トウガンとこの二人を信頼し、ゲンが導き出した結論である。

 

「まあ、しかしその前にだ」

 

 とはいえ、ついていないケジメがあるのも事実だったりする。

 ジム生になれるかも、なんて無邪気に少し喜んでいた二人の前には、にこっと笑ったゲンの姿がある。

 

「まずは警察だ。

 リッシ湖の事件に加担していたんだろう? 罪は償わねば」

「逃げマス!!」

「ラナウェーイ!!」

「あっ! こらーっ!!」

 

「逃げても無駄だぞー。

 今から警察に連絡して、迎えに来て貰うからな。

 君達は船に乗らないとこの島から逃げられないだろう?」

 

 逮捕宣言を受けた瞬間、踵を返して走りだした二人に、ゲンは冷静に呼びかける。

 大丈夫、もう詰んでるから。逃げ道なし。

 ジム生になる前に、少々厳しい禊の時間が待っていることを確定づけられ、二人は足を止めてがっくりとうなだれるのであった。

 

 まあ、様々な事情を鑑みれば、そこまできつい刑罰にかけられることはなさそうだ。

 二人の場合、一時的な自然破壊への荷担が罪行であり、マーズやジュピターの部下がやっていた、施設の占拠やポケモン強奪に比べれば少し罪も軽い。

 あくまで騙されていただけ、とも取れる境遇を顧みれば、情状酌量の余地もあろう。

 執行猶予つきで、身元引取人のいない二人の場合、ミオジムに引き取られて社会貢献して過ごせ、という判断になりそうなところ。

 牢屋にがっつり入れられるようなことは無さそうである。

 

 とはいえ、しばらくきつい縛りを受ける暮らしになるのは間違いない。前科も付きそう。

 それぐらいはわかっている二人、せっかくの新天地なのにお先真っ暗という顔だったが、更生を最良とする法に救われて再起することも決して夢ではない。

 長い人生、誰しも間違えることはある。その都度あるべき報いによって打ちのめされることもあるが、正しい道に向かって再び立ち上がることは出来るのだ。

 きちんと人生をやり直していけばいい。せっかく、人にもポケモンにも優しいシンオウ地方で、第二の人生を歩み始めているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「警察に連行される人の後ろ姿を見るのって初めてです」

「なんだか気の毒にも見えてきちゃう。ギンガ団なのに」

「悪行は結局、いつか必ず自分自身を苦しめるということだよ」

 

 一度鋼鉄島からミオシティに帰ってきたパール達。

 ギンガ団の二人は警察の人達に連行されていった。すっかりしょぼくれた背中。

 反省と後悔に溢れたその姿には、仮にも罪人をしょっぴく警察の方々ですら、背中をぽんぽんと叩いての優しい連行であったほど。

 あそこまで哀愁漂わせられると、ギンガ団憎しのパールですら気の毒に感じてしまう。余程である。

 

「とりあえずのところ、事件は解決だな。

 二人ともありがとう、心細くなかったよ」

「いえいえ、そんな。

 なんだか大事件とかじゃなくてよかったです」

「それじゃあ、もう行くよ。

 君達とは、いつかまたどこかで会えるといいな」

「はいっ! ゲンさん、またいつか!」

 

「えっ、ちょ、あの……!?

 ゲンさん、アドバイスは!?」

 

 ともあれ事件は解決だ。二人に別れの挨拶を告げ、去って行こうとするゲン。

 そのまま笑顔で見送るパールもどうかしてる。事件解決のめでたしめでたし感で忘れていらっしゃる。

 プラチナが慌てて引き留めなかったら、このままこれ以上何も聞けずにそのままお別れだったこと間違いなし。

 

「あ……そ、そうだったな、すまないね。

 そうだそうだ、手伝ってくれたお礼に何か気付いたことを言うんだったな」

「ちょ、ちょっとゲンさーん!

 忘れていっちゃうなんてあんまりですよっ!」

「パールも忘れてたでしょ……」

「しっ!」

 

 二人から離れ始めていた場所から、慌てて振り返って小走りで近付いてくるゲンであった。

 申し訳なさで足が早まっている辺り、心底しまったと思ってくれている模様。

 

「えぇと、君のバトルの仕方に気付いたことか……

 そうだな……有り体に言えば、君はもっと、自分のポケモンのことを良く知るべきというところかな」

「えっ、今よりですか?

 ……みんなのこと、私はまだまだちゃんとわかってない的な?」

 

「ゲンさん、もっともらしいこと言ってやり過ごそうとなんてしてませんよね?

 なんかこう、いつでも言えちゃうアドバイスにも聞こえるんですか」

「いやいや、元々途中から思っていたことだよ。

 まあ、一度忘れて去ろうとしたから、慌てて取り繕って言っているように聞こえるかもしれないが……これは本音だ。

 少し厳しい言い方をしてしまうと、パール君自身の言ったとおり、君はまだ自分のポケモン達に対してわかっていない所が多々見られる。

 それを知ることは、間違いなくトウガンに勝てるほどの実力を身に付けるにあたって、非常に重要なきっかけになるはずだ」

 

 さて、どうだろう。未熟なトレーナーには、誰に対してでも言えてしまいそうなアドバイスだが。

 じとーっとした疑わしそうな目でゲンを見つめるパールとプラチナ、本当にそれが元々思っていたアドバイスですか? と言わんばかり。

 一回忘れて帰ろうとしてしまったから、適当に取り繕って逃げようとしているように見られてしまう。ゲンもちょっとだけ悪い。

 内容が月並みなのも、ちょっとは不運だったが。

 

「むぅ……

 でも、私これ以上みんなについて、どうやって知らないとこまで知っていけばいいんでしょう……

 今までだってずっと一緒だったし、みんなに対して出来るだけいっぱいのことを知ろうとしてきたつもりなんだけどな……」

「あれ、パール、もしかしてへこんでる?」

「へこんでいるっていうか、まあ……

 あれだけみんなと一緒にいて、まだわかってないことあるんだって思うとさ。

 それを、初めて会うゲンさんにもそう思われてるって、パッと見てわかることも私わかってこなかったみたいだし」

 

「いや、そんなに気落ちするようなことじゃない。

 人間とポケモンは言葉が通じないんだ。特に、ポケモン達の言葉が我々にはわからないんだからな。

 長年連れ添った仲間ですら、数年付き合って初めて気付くようなことがあったりもするものだよ。

 私の場合は初見でわかるというより、ルカリオという波導によってポケモン達の感情の揺らぎを読み取るパートナーがいてくれるからだ。

 まあカンニングに近いよ。そう気にしないで欲しい」

 

 パールが目に見えて元気の無い愛想笑いをプラチナに向けるので、これはへこませ過ぎて良くなさそうだと、ゲンも必死のフォローである。

 道中でもよく見てきたが、パールは自分のポケモンが好きで好きでしょうがない。

 今までも、きちんとポケモン達の気持ちに対して、理解を深めようと努めてきたであろうことは想像に難くない子だ。

 それが報われていない現状と、それを突きつけられてショックな彼女の姿には、それをきっかけに潰れて欲しくないとゲンも言葉が多くなる。

 

「思えば、鋼鉄島はそんな君の事情を解決するにあたっても、丁度いい環境なのかもしれないな。

 一度、自分のポケモン達以外と触れ合わない時間を、可能な限り取ってみたらどうだろう。

 早い話が、鋼鉄島への島籠もりという形でね」

「えーと……それってしばらく鋼鉄島に泊まり込む、みたいな?」

「それが出来る環境は整っているよ。

 キャンプ地もあるし、そこには簡素だがシャワーボックスもある。

 飲食物は缶詰だが定期的に支給されているしね。過ごせるはずだ」

 

「鋼鉄島って本当に、ミオシティに修行場所認定されてるんですねぇ……」

「行き詰まったトレーナーが自分自身を見つめ直すために、人里を離れてポケモン達のみと触れ合う、鋼鉄島での短期の合宿というのはしばしばあるんだ。

 それによって新たな何かを発見し、一躍したトレーナーも多いからね。

 今の君には、それがちょうど勧められるよ」

 

 それはつまり、踏ん切りがつくまでミオシティにも帰ってこない、文字通りの島籠りという武者修行。

 危険そうな響きだが、子供がやっても安全だと評価されるほど、鋼鉄島のポケモン達は人間に対して友好的なので問題は無いらしい。

 むしろ島では人間同士の喧嘩にすら、騒ぎの気配がすればポケモン達が群がってきて、仲裁しようとするらしいというのだから凄い話だ。

 本当に、まさしくノモセ大湿原のポケモン達と人間の関係のように、あるいはそれ以上に、積年の実績が成す人と鋼鉄島のポケモン達の特別な関係性である。

 

「出来ればその間は、君もパール君には関わりに行かない方がいいぐらいだ。

 信じて待てるかな?」

「待つぐらいなら……

 僕も僕で、フィールドワークして時間を潰しておこうか、な?」

「え~っと……じゃあプラッチ、島から帰る時には電話しよっか?

 それで合流する的な?」

「うん、まあ、そんな感じで……」

 

 女の子には結構な勇気が要りそうなことを提案している自覚のあるゲンだが、するっとパールはそれを受け入れ、さっそく今日からやるつもりでいる。

 プラチナの方が、えっもうやる気なの? という本心をあらわにしないよう努め、戸惑い気味にパールと会話しているぐらい。

 強くなれるなら……という想い一途に、やや突拍子もない提案に対し即時乗ってしまうパールの素直さは、ゲンも少々驚いている。

 

 その後、ゲンと別れてから、パールとプラチナは一度ポケモンセンターに帰り、これからどうするのかをしばらく話した。

 急に行っても何だから、明日からにしようと。

 そして今夜は、毎日電話している相手にも、これからしばらく電話はし合わないように約束を取り付けたりもしようと。

 毎晩電話している相手からすれば、ある日を境に連絡がぷっつり途絶えたら心配する。それも含めて準備は必要である。

 

 翌朝からは鋼鉄島に改めて赴いて、パール一人で電話も断ち切り、ポケモン達と一緒に島籠りだ。

 今宵はポケモンセンターのベッドにて一夜を過ごしたパール、明日からはどんな毎日が始まるんだろうと、不安大きくどきどきする胸を鎮めながら目を閉じる。

 自分のポケモン達について、今よりも知る。果たして島籠りはそれを解決させてくれる有力手段なのだろうか。

 そんな疑問も今一度封じ、パールは明日からも頑張るぞと意気込んで、深い眠りについていくのだった。

 

 成長のための最善手や最速手、そんなものはなかなか見つからない。遠回りすることだってあり得る。

 道に迷ったら、効率や近道への意識を捨て、目の前にあるものをがむしゃらに追ってみることがあってもいい。

 その中で何を見付けられるかというのも、当人の意識と資質次第である。



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第75話   鋼鉄島の夜

 

「……ふぅ」

 

 その日の朝、プラチナは急激に暇になった。

 鋼鉄島へ向かう船に乗ったパールを手を振って見送り、水平線の彼方へと遠のいて見えなくなった彼女を見届けたら、さぁ果たして今から何しよう状態。

 元々、学者志望のプラチナである。初めて訪れるミオシティに来ているのだから、やれることは本来いくらでもあるはずなのだが。

 野生のポケモンの生態を追うフィールドワークは、元々プラチナが一番意欲的に取り組める趣味のようなものだ。

 ミオ側218番道路にせよ、釣りするにせよ、地元と異なる野生ポケモン達を、いくらでも観察できる機会である。

 今なら波乗りを使えるポッタイシがいるんだから、少々冒険的だが海に出て、直に海のポケモン達を間近で見ることにさえ挑めるだろう。

 

 これから数日、パールが自分の意志で鋼鉄島から戻ってくるまでの間、一旦プラチナは一人である。

 ずっとパールと一緒に旅をしてきたのだ。ふと離れ離れになってしまったら、今までの日常がまるで一変したかのよう。

 かつては暇が出来れば必ずやっていたはずのフィールドワークすら、すぐには思い付かずどうやって過ごそう、なんて思ってしまうのがその証拠だ。

 一人になった時の時間の使い方を忘れてしまっている。

 それだけパールと二人で過ごしてきた何日もが、プラチナにとってのそれ以外を一度想像できなくなるほど、日常的なものになっていたということだ。

 

「…………よしっ」

 

 しばらく考えて、プラチナは一度218番道路の方へと向かっていく。

 ミオシティから出て、少しの所。野が広がる場所で、プラチナは自分のポケモン達を全員ボールから出した。

 ポッタイシ、ケーシィ、ピッピ、ガーメイル。

 ポケモン達が仲間と顔を見合わせて、みんな出すなんて何だろう? と首をかしげている。

 

「ねぇ、みんな。

 僕達も、ちょっとトレーニングして強くなってみようか」

 

 その言葉には、プラチナのポケモン達みんなが驚いた。

 糸目でうつむくケーシィですら、ぴくんと肩を跳ねさせるほど驚くリアクションを見せているほど。

 ポッタイシとガーメイルも互いに顔を見合わせて、うちのご主人がすごく珍しいことを言ってる、という表情である。

 

 中でもプラチナにとっての初めてのポケモン、幼少の頃からプラチナを見てきたピッピの驚きようは、他の三匹を遥かに凌駕している。

 目を丸くし、あのプラチナがこんなことを言うなんて、という表情を真っ直ぐ向けてくるピッピには、プラチナの方が照れ笑いを浮かべているほど。

 そうだよね、僕がこんなこと言うなんて君なら驚くよね、と。

 

「パールも鋼鉄島から帰ってくる頃には、今よりずっと強くなってるかもしれない。

 せっかくだから、僕達もそんなパールと並んで胸を張れるように、強くなっておこうよ。

 僕が弱いトレーナーのままで、いつまでも偉そうにパールに何か教える立場っていうのも、なんだか胸を張れないしさ」

 

 元々プラチナは、バトルにポケモン達を繰り出すことはしてきたし、その過程でポケモン達も能力を高めてきたことは事実である。

 しかし少なくともプラチナは、努めて自分のポケモン達を強くしようと、鍛え込むことを目的としたバトルに踏み込んだことは一度も無い。

 その辺りは、プラチナのポケモン達が一番よく感じていることである。

 強くなってくれと、と自分のポケモン達に求めることをしないプラチナとの気軽で柔和な付き合いを、プラチナのポケモン達は心地良く過ごしてきたものだ。

 そんなプラチナが今、初めて強くなって欲しいと訴えかけている。

 今まで求めてこなかった新しい命題を、自分の都合で頼む時特有の、頼み込むような目の色でだ。

 

「…………それに、ほら。

 パールあの性格だから、またいつかどこかでギンガ団にたまたまぶつかったら、思いっきり挑んでいきそうだしさ」

 

 あ~、うん、とポケモン達はみな一様に頷いた。寝てそうなケーシィですら。

 同時にみんな、ギンガ団と遭遇した最新の記憶である、サターンと戦った時のことを思い出す。

 特に実際にサターンのポケモンと戦ったポッタイシとガーメイルは、あれほど強い敵に挑まんとするであろう、パールの危うさもひしひしと想う。

 

「そういう時、無視して僕達だけ逃げたりなんて出来ないよね?

 強くなろう、今よりもっと。

 僕はパールを守りたい。力になって、くれないかな?」

 

 首を振るポケモンはいなかった。

 胸を叩いて微笑むポッタイシ、羽をはためかせて頭を下げて頷くガーメイル、小さくだが確かに顎を引いてくれたケーシィ。

 そしてピッピは、驚いていた顔をふにゃりとさせ、他の三匹より遅れて、いっそうの実感を込めた頷きを見せてくれた。

 

 快い返事をして貰えたプラチナは嬉しそうに笑い、みんなの頭を一匹ずつ撫でた。

 そんな中で、最後にピッピの頭を撫でた時、自分を見上げるピッピの眼差しには、いくつもの意味が込められていることをプラチナもわかっている。

 強いポケモントレーナーになろうだなんて、ある日を境に金輪際考えることは無くなったプラチナの半生を、唯一知っているピッピなのだから。

 

「……大丈夫だよ。

 今は心から、強くなれればいいなって思ってる」

 

 その言葉を聞いて、我が子が新たな道へと歩きだす姿を目の当たりにしたかのように、ピッピは今日一番の笑顔を見せてくれた。

 4匹のポケモン達をボールに戻したプラチナは、218番道路の、野生のポケモン達の群生地へと向かっていく。

 かつてならば、野生のポケモンを観察するための、フィールドワークとして足運びだったもの。

 今日のプラチナは、野生のポケモン達とのバトルに臨み、自分のポケモン達を今以上の実力へと昇華させるためにその歩を進めている。

 やがては218番道路に点在する、他のトレーナーに勝負を挑むことも辞さないだろう。

 

 ポケモントレーナーになるつもりはもう無かった少年。学者を目指したことも、それとは決して無関係ではない。

 自分のポケモン達を強く育てたいと思う日が来るなんて、きっと一年前の彼には想像も出来なかったはずだ。

 プラチナ自身が、内心、今はそんな自分になっていたことに、自分を一番よく知るピッピ以上に感慨深さを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「頑張って、もう一回!

 ミーナ、とびげり!」

「――――z!」

 

 さて、鋼鉄島ではパールも鋭意驀進中。

 やや強い鋼鉄島の頑丈なポケモン達に、ミーナとニルルをメインに繰り出すことの繰り返し。

 鋼鉄島は岩タイプ、鋼タイプのポケモンが非常に多い。ゴローンやイワークがその筆頭で、遭遇頻度では劣るがイシツブテやハガネールもいる。

 括りを変えれば地面タイプのポケモンとの遭遇率が最も高く、電気タイプのパッチには不利な相手が多すぎる環境である。

 格闘タイプの攻撃が出来るミーナや、水ポケモンのニルルの出番が多くなるのは、やや自然な流れであると言えるだろう。

 

「ふぅ……よしっ、一回戻って休もっか。

 ミーナ、お疲れ様」

 

 反撃一度は受けながらも、ゴローンを跳び蹴りで撃退したパールは、鋼鉄島入り口のキャンプ地に一度帰る足運びに移る。

 島から出ない前提なのでポケモンセンターに通えないが、ポケモン達もバトルせずひと眠りすれば、傷も治るし体力も回復する。

 ポケモンセンターを利用するより時間はかかるが、ポケモン達は人が思うよりも傷の治りは早いのだ。

 みんな、元を正せば野生暮らしである。生傷だって多かった。ポケモンセンターの世話にならなくたって、自ら傷を癒せる生命力は非常に高い。

 

 余談だがその一方で、タマゴから生まれた時から人の手で育てられたポケモンも、野生と同じだけの生命力を持っているのは、学者にとって興味深いテーマ。

 脈々と受け継がれたポケモン達の遺伝子、歴史的とも言える生態系の為せる業なのだろうか。まだまだポケモン達にはわからないことがいっぱいだ。

 

「――――!」

「えっ?」

 

 キャンプ地に向かって歩き出したパールだが、鞄の中から、正確には鞄の中のボールからピョコが飛び出してきた。

 思わぬタイミングで、普段はそんな勝手なことをしてこなかったピョコの行動に、パールは驚かされたものだ。

 そんなピョコは、くいくいと頭を動かして、俺の背中に乗れとばかりにパールに訴える。

 言葉を発せないポケモンの意志を理解するのは難しいものだが、付き合いの長いパールにはその意図もなんとなく伝わるようだ。

 

「えっと、いいのかな?

 じゃあ、乗せてもらうね? よいしょ、っと」

「――――♪」

 

 ハヤシガメの背中は、パールが跨るには充分に大きく、甲羅の上でパールがぺたん座りすると、ピョコは嬉しそうに鳴き声をあげた。

 こんな風に、自分がパールの役に立っている現状を幸せそうにしてくれるピョコが、今も昔もパールには愛おしい。

 背中を丸め、ピョコの頭を撫でてしまうパールの表情は恭しい微笑みに溢れ、温かい掌にピョコも口元をむずむずさせて喜ぶ。

 

 修行の過程でキャンプ地から随分離れた奥地まで来ていることもあり、帰り道をピョコの背に乗り歩かずに済むのは確かに楽。

 加えてパールを乗せた時のピョコは、普段より甲羅の揺れが穏やかな歩き方をしてくれる。

 硬い甲羅にお尻をつけて座っているのだ。気ままに背中を上下して歩かれるとパールも、腰やお尻が痛くなってしまう。

 ゆぅらゆぅらと柔らかく揺れる程度に収められた甲羅の上は、むしろパールも子供向け遊具に乗っている気分で心地よくすらあるほどだ。

 普段のピョコの歩き方、走り方を見てきたパールだから、意図してこう歩いてくれているピョコの気遣いだってわかる。それがいっそう嬉しい。

 

「ピョコ、ありがとうね。らくちんだよ」

「――――♪」

 

 敢えて言葉にすること、感謝の言葉を紡ぐことを、パールは大切にしたい。

 それで相手が喜んでくれるなら、の一心でそれを尽くすのだから、彼女がポケモン達を大事にしていることは疑いない事実なのだろう。

 そんなパールに、もっと自分のポケモン達を知るべきだとはっきり言ったゲンの言葉には、プラチナも首をかしげたものではあるのだが。

 

「……私、ピョコのことわかってない、かな?

 結構、ピョコとは長い付き合いになってるし、たくさんのこと知ろうとして、知ってきたつもりなんだけどな」

「――――?」

「あはは、ごめん。

 ピョコもこんなこと聞かれたって、困っちゃうよね」

 

 パールだって、自分がピョコのこと、パッチやニルルやミーナのことを、全部全部わかっているとは思わない。

 みんなについて、知らないことだってまだまだ沢山あるだろう。

 だけど、それをゲンに指摘されたのが、パールにとっては少なからずショックなことには違いなかった。

 

 だって、ゲンがパールにそう言ったことが正しいのであれば。

 ゲンが一日パールのポケモンを見ただけで気付くことを、パールがわかっておらず、しかもそれさえゲンの目には明らかだったということ。

 ゲンはルカリオの波導の力も借りていると言うし、そこまで気に病むべきことではないのかもしれないけれど。

 言いようによっては、悔しい。

 より正確に言うならば、私がピョコ達のことを一番よく知ってるんだよ、と自信を持って言えないのが、パールにとっては寂しい。

 それって少なくとも、パールが目指す素敵なトレーナーじゃない。

 

「――――」

「……大丈夫だよ、私は。

 ピョコは優しいね、そういうとこ、大好きだよ」

 

 くるるぅ、と進化する前に幾度も聞いたような鳴き声で、背上のパールを案じてくれるピョコ。

 パールの顔を見てもいないのに、声や気配だけで沈みかけた気持ちを感じ取り、気遣ってくれるピョコなのだ。

 私がこの子を大好きなように、この子もきっと私のことを大好きでいてくれてるはず、と、信じ合える一番のパートナー。

 そんなピョコの何かを知れずにいるという自分が、パールにとっては一番もどかしい。

 

 確かに、難しいのだ。

 知っているつもりで、実は想像以上だったら?

 求められていることに応えているつもりで、相手にとって不充分だったら?

 他者の気持ちに思い至ろうと誠心誠意努める者でさえ、一度それに陥れば、その先にある解に辿り着くことは困難を極める。

 パールは、それに陥っている。

 

「――――――――」

 

「はぁうっ!?!?」

 

 解決の糸口も程遠いまま悩んでいたパールだったが、事件一つ起これば全ての思考が吹っ飛ぶ。

 前方離れから飛来し、パールに気付いたゴルバットがこちらを睨みつけた姿に、ピョコの背上でパールはひっくり返りそうになる。

 前かがみだった体が一気に後ろに傾いて、そのまま背中から落ちそうになるのを両手突っ張って耐え、しかしその眼は前方から迫るゴルバットに釘付けだ。

 パールをびびらせるゴルバットを前にしたピョコは、相性最悪の相手だとわかっていても、身構え葉っぱカッターを撃つ直前である。

 

「ぱっ、パッチパッチっ、出てきてえっ!!」

 

 儘ならぬ姿勢で鞄の中のパッチのボールを手に取る余裕も無いパールは、お願い助けての想い全開で半ば叫ぶように。

 とあればパッチも素早く飛び出す。自分が呼ばれた時点で何が起こったかは、ボールの中で眼を閉じていたとしてもわかる。

 鋼鉄島におけるパッチの一番の仕事は、相性良好かつパールの天敵である、ズバットやゴルバットの撃墜だ。

 

 ボールから飛び出したパッチは、矢のような速度でゴルバットに突き進み、帯電した体で正面衝突するスパークでゴルバットと突き飛ばす。

 パールのポケモン随一の突進力たるパワーアタッカー、一撃で怯んだゴルバットがふらふらと後退し、これはたまらんとばかりに逃げ出す。

 まだ戦うだけの力が残っていても、パッチが威嚇する眼差しと、寄らば吠えるの眼差しがゴルバットに尻尾を巻かせるのだろう。

 ゴローンやイワークを撃破しづらいパッチでも、対ゴルバットにおいて無双的であるの一事のみで、パッチの存在感は只ならない。 

 

「はふうぅぅ~~~っ……

 パッチ、ありがとう……すぐに出てきてくれてほんとに助かるよぉ……」

「――――♪」

 

 ピョコの背中の上で力無くへろへろになり、ほっとする息を吐くパールの感謝に、パッチは得意気に鳴き声を発していた。

 ただ、パッチがそんな態度を見せたのも短い時間だ。

 ふと、こちらに駆けて戻ってきたパッチが、ピョコと目を合わせた瞬間に、パールに褒めて貰えた嬉しさに満ちていた目も冷静さを取り戻す。

 そしてピョコに真正面から向き合う形で、なんだか物憂げな顔をするのだ。

 それに対してピョコはどんなリアクションを返すかと言えば、首を振って微笑むだけ。

 ポケモン同士のちょっとしたこのやり取り、パールも目にはしていたが、そこにどんな真意が込められていたかなどそう簡単にはわかるまい。

 

「…………?

 パッチ、戻って……?」

 

 パールもこの二人のアイコンタクトには、普段は無い行動だと感じ取れただろう。だが、その真意にまでは想像が届きようがない。

 首をかしげ気味ながら、パッチのボールのスイッチを押して、彼女を戻して再びキャンプ地への帰還を再開する。

 これが、パールの知らない何かを知る大きなヒントでもあったのだが、この一幕一つで真理に到達するなど、酷だと言えるほど難しい。

 

「…………?」

 

 だけど、自分のポケモン達の、今まで知れなかった一面を知りたいパールが、些細なこの一幕を忘れまいとしていたのも事実である。

 ピョコの背上で揺らされながら、だけど無言で考え込んで、今のピョコとパッチのやり取りは何だったのかと考え込んで。

 甲羅の上でパールが物思いに耽っているかのような気配に、ピョコもこれまで以上に、揺れで彼女の思考を妨げない意識をいっそう強めながら歩いている。

 

 気付いて欲しいと思っているからだ。

 ピョコは、何度も思っている。パールに自分の思っていることを、言葉にして伝えられたらどんなにいいだろうって。

 そこには確かに、パールの知らない、パッチやニルルやミーナだけがわかる、ピョコの明かしたい想いが実在していた。

 

 

 

 

 

「元気だなぁ、みんな」

 

 キャンプ場に戻ってひと休みしたら、再び出発してまた野生のポケモン達とのバトルに勤しんで。

 ニルルやミーナの動きをよく見て、疲れが溜まってきたと見えたらまたキャンプ地に帰還。

 まだまだやれると跳ねてアピールすることもあるミーナだが、お願いだから言うこと聞いてとパールがお願いすれば、ミーナも渋々納得してくれる。

 強く言うとミーナは余計に反発するので、パールもミーナに適した接し方を選べているということだ。

 

 修行の場ながら、パールは焦って場数を増やすようなことをせず慎重である。

 捉えようによっては過保護と指摘されそうだが、ギリギリいっぱいまで戦い抜くことの繰り返しばかりが成長の秘訣ではないので、大きな問題ではないだろう。

 よほど急ぐならスパルタも選択肢だが、焦る必要が無いならまったりと育てるのも良い。ポケモン達は無理に育てなくてもしっかり成長してくれる。

 

「ピョコはみんなと遊んでこないの?」

「――――」

「わわ、なになに、くすぐったいんだけど」

 

 パッチとミーナが駆け回り、ニルルがそんな二人に威力を抑えた水の波動を撃っている。

 ニルルの気まぐれな水の波動という障害物を躱しっこしながら、二人で鬼ごっこするというたいそう活動的な遊びっぷりだ。

 今日はもう夜になってしまったし、もう次は無くて寝るだけとなってから、三人とも今日の余力を使い切ってもいいやの勢いで遊んでいる。

 さっきまで何度もバトルしていたっていうのに、パッチはともかくミーナとニルルの元気ぶりに、パールも微笑ましいばかりだった。

 

 本来ピョコもそこに交じりたがるのが普段なのだが、今のピョコはなんだか普段以上に懐っこい。

 パールの脇腹に頬ずりしてきて、パールの顔をふにゃりとさせる。

 懐いてくれるのは嬉しいけど、ここまでだったっけ? とパールも少し戸惑いすら覚えていた。

 まあ、嬉しさが勝ってしまうので、膝を曲げてピョコと目線の高さを合わせたら、首を包み込むようにぎゅっとして返すのだが。

 

「……ピョコのこと、ずっと大好きなんだけどな。

 今よりもっと、好きになれるのかな」

 

 抱きしめていた手をほどいて、しゃがんだパールはピョコと真正面からじっと向き合ってみる。

 ピョコは照れ臭そうにしながらも、しゃんとした顔を作り、だらしなく緩む顔を見せまいとするかのよう。

 俺はパールの最初の仲間、頼もしい仲間だよ、とでもその眼で語るかのような瞳には、パールも初めてピョコと出会った時のことを思い出す。

 可愛く見えるばかりだったナエトルが、いつの間にか大きくなって、こんなに強い眼が出来る頼もしいハヤシガメになって。

 進化という目にも見えてわかりやすい変化を経たこともあるが、ポケモン達の成長は、トレーナーに積み重ねてきた日々をしばしば実感させてくれるものだ。

 

 パールはちらっと、離れた場所で遊んでいるパッチとニルルとミーナを見る。

 湧いて出た感情を口にしようとしたが、これをあまり他の子には聞かれたくない。

 小さな声で言えば他のみんなの耳には入らなそう、と確認してから、パールはピョコとおでこがひっつきそうなほど顔を近付ける。

 

「……絶対、みんなには内緒だよ。

 私、他のみんなのことも好きだけど、ピョコのことが一番好き。

 だって、一番最初からずっと一緒だもんね。

 私、これだけは絶対ずっと変わらないと思う」

 

 内緒話のぼそぼそした声で、みんなには内緒だとまで念を押して、パールは今の想いの丈をピョコの耳に優しく届けた。

 最初のポケモンはやっぱり特別なのだ。

 ピョコよりも活躍が派手で、強くて、時にピョコ以上に頼もしいパッチが加わっても。

 波乗りで海を渡る力をもたらしてくれる、日々の活動においてもピョコ以上の活躍の幅を増やしつつあるニルルが加わっても。

 見た目の可愛さではパールの胸を一番きゅんきゅんさせ、その勝負根性もパールには魅力的でたまらないミーナが加わっても。

 

 大好きのレースをしたら、最後にほんの少しだけ、ピョコのことが一番好きだよの気持ちが勝ってしまう。

 それが初めてのポケモンだ。どうしたって、特別な唯一無二。

 口にすると他のみんなへの後ろめたさを感じるパールは幼いが、やむを得ない感情の一つにも違いあるまい。

 

「えへへ、なんだか告白してるみたい。

 でも、ずっと一緒だよ? 大人になっても、私ずっとピョコと一緒にいたいからね?」

「――――♪」

 

 きっと、お婆ちゃんになってもだ。そこまで言わないのはそんな先のことまで単に想像できないだけ。

 幼い想像力が及び至る最大限の未来まで、ずっとずっと一緒にいたいと告げられたピョコは、満面の笑みで頷いてくれた。

 それを見て、パールはいっそう嬉しくなって笑顔を溢れさせるのだった。

 

 キャンプ地にての一夜。

 毎日のようにしていた電話もせずに眠りにつく夜は、パールにとっては習慣一つ壊したようでなんだか新鮮ささえあった。

 でも、それが無ければ寂しいなという気持ちも、今は湧かない。

 ボールの中に戻った四人の鞄を、抱き枕のように抱きしめて眠るパールには、最も尊敬するジムリーダーさんよりずっと好きなみんながそばにいる。

 野宿にも近い環境で、パールは決して寂しくもなく、深く安らいだ眠りに意識を落としていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっとした異変があったのは翌朝である。

 目を覚ましたパールは、鏡が無い中でなるべく寝ぐせを直し、直りきっていなさそうな場所は帽子で隠して妥協して。

 どうせ人と会うことの少ない合宿中である。身だしなみもちょっと雑。最低限は果たさずいられない辺りは流石に女の子だが。

 もっとも、彼女と同様に島を訪れるトレーナーと会うことも無いではないのだから、この辺りの習慣は全く無駄ではない。

 

「みんなっ、出てきて!

 今日も頑張るよ!」

 

 目覚めたばかりの寝ぼけた目では、見慣れない朝起きの風景に一瞬戸惑ったパールだったが、合宿修行中だと思い出せば、自分の顔をむぎゅむぎゅ揉んで。

 ぱちっと頭と目を覚ましたら、鞄の中に入ったボールのみんなに呼びかける。

 みんなと顔を合わせて、今日も頑張ろうのご挨拶から一日が始まる。

 

「……あれ? ピョコ?」

 

 しかし、パッチとニルルとミーナが出てきたのはいいが、ピョコがボールから飛び出してこない。

 まだ寝てるのかな? と思ったパールは、鞄の中のピョコのボールに手を伸ばそうか一瞬迷った。

 寝てるんだったら無理に起こしたら悪いかな、とも考えてしまったのだが、そうは言ってもやはりピョコだけいないのは少し寂しい朝。

 寝てたら申し訳ないけど起こそう、と思い改め、葉っぱのシールが貼られたピョコのボールを手に取りスイッチを押す。

 

 だが、出てこない。

 かちかちっとスイッチを押してみたが、中からピョコが出てこないのだ。

 うそ、故障した? とばかりにボールをぺちぺち叩いてみたり、改めてスイッチを連打してみたりするパールだが、一切の反応が無いのである。

 まるで、中身が無いかのように。

 

「えっ……えっ……?

 あれ、ピョコ……あれっ……?」

 

 ボールの故障なら別にいい。ピョコが自分で出てくることも無理じゃない。

 しかし、ボールを叩けばピョコにもそれが伝わって、中でピョコがもぞもぞすればボールも多少は揺れるはず。

 二度三度、今度は強めに三度四度ボールを叩いても、ボールからの反応は一切返ってこない。

 そして、中身の入ったボールを毎日握ってきたはずのパールが、少しずつ冷静にそのボールを握る手応えを確かめれば、応えに辿り着くのもまた早い。

 このボールの中には今、ピョコが入っていない。

 

「なっ、なんで……!?

 ピョコ、どこ行っちゃったの!?」

 

「――――z!」

 

 この時のパールの狼狽えぶりは凄まじいもので、一瞬で曇っていくパールの表情を見て、これはまずいとばかりにパッチが吠えた。

 パールの気を引き付けたら、パールに背中を見せて小走り気味に歩き出し、振り返ってくいくいと頭を動かす。

 このまま何の声もかけずにいたら、パールは間違いなく大パニックを起こすだろう。パッチも気遣いが早い。

 

「――――、――――!」

「――――――」

 

「い、行ってみようってこと……?

 わ、わかったっ……!」

 

 ニルルとミーナも同じ想いらしく、パッチについて行こうと促してくれる。

 混乱の渦中にありながら、その先に解決があるのかもしれないと縋るパールは、パッチを追うように走り始めた。

 

 昨晩、ずっと一緒だよって誓い合えた気がしたのに。

 そんなピョコが朝になったら突然いなくなっているという初めての出来事に、パールの頭は最愛の彼の名を呼ぶ声でいっぱいだった。



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第76話   パールとピョコ

若干プロットを組み直したため、前話の展開が微々ながら変わっています。
本筋に大きな影響はありませんが、必要だと思ったので改変しました。
気付いてしまった人はご了承下さいませ。


 

 

 パールの前を駆けるパッチは、耳が良くて遠くの状況がわかるのか、そばにいないピョコの位置を確信しているかのような走りだ。

 当然パールより速く走れるパッチ、加減した足でちらちら後ろを見ながら走っているが、今日のパールは普段以上に全力疾走。

 急にいなくなったピョコに早く会いたくて、寝起きすぐの頭と体で息を切らしてパッチの足に食らい付いてくる。

 

「――――z!」

 

「ああんっ、もう……!

 ニルル、お願い!」

 

 パールの今の事情なんてお構いなしに、野生のポケモン達は立ちはだかる。

 先を急ぎたいこの状況、ゴローンの出現にパールはニルルをボールから繰り出して。

 案内役をしてくれているパッチを、わざわざボールに戻さない。

 構図だけは2対1になってしまうも、パッチに手招きして退がってきてと指示を出し、ニルルVSゴローンの一騎打ちの図を作る。

 これだけ急いでいて、一秒でも早く勝ちたいであろうに、手段を選ばず2対1なんてことはしない辺りが根っから真面目である。

 

 とはいえ、速攻勝利が出来るチョイスはしている。

 ニルルに指示する水の波動は、ゴローンには特段有効な必殺技に近い。

 真っ向からそれを直撃させられたゴローンはたまらず逃げ出し、一戦終えれば目の前の道が拓ける。

 

「――――z!」

「うんっ、パッチ、よろしくね!」

 

 再び駆けだすパッチを追って、パールは再び全力疾走。

 ゴローンとのバトルで一度立ち止まり、また急激な全力駆け。足と胸が一番苦しい走りぶりである。

 寝起きにこの激しい運動はきつい。気分が悪くさえなってくる。

 それでも止まらずいっそう加速しようと努め続けるのだから、ピョコに会いたい一心で本当に気合入れてるなぁと、パッチも振り返りながら感嘆気味。

 

 幾度かの野生ポケモンとのバトルを経て。

 イシツブテはミーナに蹴飛ばして貰って、ゴローンやイワークをニルルに叩っ返して貰って。

 ゴルバットが現れれば短い悲鳴をあげ、急に立ち止まったら疲れた足がもつれて尻餅をつき、それでも息切れした掠れた声でパッチに撃退を頼み。

 瞬殺目標の必勝戦法を繰り返し、パッチに導かれて突き進んでいくパール。

 やがて遥か前方に、見慣れた友達の後ろ姿を目にした瞬間の、パールの目の見開きようときたらない。

 

「ピョコ……っ!!」

 

「――――!?」

 

 どんなに息が苦しくても、乱れた呼吸の中でパールは精一杯の息を吸い込んで、ピョコの名を最大限の声で呼びかけた。

 発音二文字を発しただけで、息が詰まった彼女の呼び声に、ピョコも驚いて振り返ったものだ。

 ようやく見つけてほっとしたか、全速力の足からどっと力が抜け、へろへろの足で小走りとなったパールが、頼りなく体を揺らしながらピョコに近付いていく。

 

 張り詰めていたものが一度切れてしまったら、ここまでの無理が急激に祟り、パールは膝から崩れ落ちるかのように地に屈した。

 ぺたんと座り込み、うつむいた顔ではぁはぁと掠れ気味の呼吸を繰り返し、片手はお腹に、もう片方の手は頭に。

 寝起きすぐの猛ダッシュは脇腹が痛くなって当然のもので、しかも頭ががんがん痛むのだろう。朝起きコンディションでの激しい運動は本当に苦しい。

 そんなパールの姿を見て、パールがどんな想いでここまで駆けてきたか一目で察したピョコは、慌ててパールに駆け寄ってくる。

 

「はっ……はぁっ……

 ピョコっ……なにっ、してるのっ……

 ほんと、心配っ……したよぉっ……」

 

 顔も上げられず、感情をそのまま言葉にした切実なパールの訴えに、近付いたピョコも胸がずきりと痛んだ。

 ピョコだって何の考えも無く、パールが寝ている間にこっそり彼女から離れてこんな所まで来ていたわけではない。

 だけど、目が覚めたパールがここまで苦しい想いをして、自分を追ってきたのがわかってしまったら、やってはいけないことをした自覚も湧くというものだ。

 

「~~~~!」

「!?」

 

 急激な疲弊でろくに言葉を発せないパールだったが、思わぬ誰かさんがボールから飛び出した。

 ピョコのすぐそばに降り立ったニルルが、普段ののんびりした彼の姿からは想像もしづらいほど、激しく荒っぽい鳴き声をピョコに向けて発し始めたのだ。

 それも、一度吠えたらそれっきりではない。

 ピョコを真っ向から睨みつけ、まくしたてるように矢継ぎ早に強い鳴き声を発するニルルの姿には、意外が過ぎてパールも思わず顔を上げていた。

 

「~~~~、~~~~~~!!」

 

「――――……」

 

 どれだけ心配させたのかわかってるのか、と、強くピョコを叱りつけているのがパールにも伝わるほど。とにかく剣幕の凄さったらない。

 現にピョコが、ばつの悪さ全開の表情でたじたじ退がるほどなのだが、ニルルはずいずい詰め寄ってピョコを逃がさない。

 こんなに怒ったニルルの姿を見るのはパールも初めてである。びっくり。

 

 元々ニルルはパールのポケモン達の中でも、自己主張の少ない方だが優等生タイプである。

 バトルはそつなくこなすし、我の強いミーナを諫めることも多く、みんなで遊んでいる時でも楽しそうにしながらどこか落ち着いている。

 他の三人からの信頼も厚いのだろう。だからこそ、こうして珍しく怒るニルルには、ピョコは痛切な責められようにへこみ気味ですらある。

 実は四人の間では、最も纏め役に適した子なのかもしれない。パールが元々抱いていた"優等生"のイメージは、そうした意味でも的を射ているのだろう。

 

「~~~~!」

 

 パールの頭痛がおさまってくるぐらいの長い長いお叱りの末、ふんすと鼻を鳴らしたニルルが、にゅるりんと立ち位置をずらして道を譲る。

 がっくりと頭を下げたままパールにとぼとぼ歩いて近付いたピョコは、一度パールの顔を見上げてから、ごめんなさいとばかりに頭を下げた。

 目を合わせた時に見たピョコの表情からは、叱られてへこんでいるのではなく、パールに心配をかけたことを強く反省、あるいは悔いる色が最も濃かった。

 ただ相手をしょんぼりさせるのではなく、反省を強く促す言葉を選べるニルルなのだろう。ポケモン同士の言語はパール達にはわからないが。

 

「……ちゃんと反省してくれてるなら、いいんだよ。

 でも、こんなこともうやめてね? 私、ほんとに心配したんだから」

 

 ニルルがこてんぱんにピョコを叱ったこともあり、パールも重ねてピョコを強く批難する気にはなれなかったようだ。

 両膝をついてピョコと目線の高さを近付けて、赦しを含めた微笑みとともに、発する声色にもなじる強さは無し。

 もっとも、ピョコと再会できただけで心底ほっとする、汗だくのパールのその顔こそが、ピョコにいっそうの罪悪感を抱かせるのだが。

 こんなに自分のことを大事にしてくれる人を、こんなに心配させてしまったんだと痛切に思い知らされる方が、ある意味最も痛烈かつ覿面な報いである。

 

「もう……一人でどうしてこんな所まで来たの。

 とりあえず、ボールに戻って休……」

 

「――――ッ!

 ――――、――――――z!」

 

「え……ふえっ!?」

 

 一度ピョコをボールに戻そうと、葉っぱのシールが貼られたボールを取り出したパール。

 だが、すっかりしょぼくれていたピョコが一転、慌ててパールに何かを訴えるように声を出し、さらにはパールが手にしたボールを咥えて奪い取る。

 びっくりしているパールの手前、ピョコは自分のボールを咥えたまま数歩退がり、じっとパールの顔を見つめている。

 

「ぴ、ピョコ? えぇと……」

 

「~~~~、~~~~~~」

 

 にゅるるっとピョコのそばまで滑ってきたニルルが、そんな態度無いでしょとばかりに横からピョコに声をかけるかのよう。

 ただし、今度はニルルも強い批難の声や表情ではない。あんまり良くないよ、と諫めるようなその表情は、ピョコの行動に一定の理解を示しているとも見える。

 対するピョコも、言われる言葉には返す言葉が無いかのように弱い表情だが、それでも譲れぬ確固たる意思ありしの如く、小さく首を振っている。

 

「んんん……ピョコ、わかんないよ。

 と、とりあえずボール、返して? ね?」

「…………」

 

「――――!」

「わわっ!? 今度はパッチ!?」

 

 今日はパールのポケモン達も、みんな自己主張の激しい朝だ。

 ピョコに近付こうとしたパールだが、横から声を発したパッチにより足が止まる。

 しかもパッチはパールの前に立ちはだかって、今のピョコに無理に近付いちゃダメと言わんばかり。

 パールにはわからないことだらけだ。ニルルに諫められてパッチに擁護される、ピョコの真意を推察するのは、確かに相当難しい。

 

「~~~~……」

「――――――、――――」

 

 ニルルはパッチに近付いてきて、自分なりの意見を伝えるかのように静かに語りかけ、しかしパッチも反論するかのように鳴き声を返す。

 どちらも攻撃的な眼はしていないので、喧嘩しているわけではないのだろう。意見の不一致、ディスカッション。

 パールだけが置いてきぼりだ。本当に、ポケモンの言葉さえわかるなら、こんなにもどかしいことは無いのに。

 

「――――」

「――――?」

 

「――――――」

「…………」

 

 ピョコがパッチに近寄って、咥えたボールをパッチに差し出した。

 パッチはそれを口で受け取り、ピョコがパッチに何らかの意思を伝えるかのような声を発し、パッチも無言でそれに応じるのみ。

 そしてピョコは、パールの方にのそのそ近付いて、なるだけ近い距離でパールの顔を見つめ、口をもごもごさせてから。

 

「――、――」

 

「…………わかんないよ。

 ピョコが、何か、考えがあることだけは、わかるけど……」

 

 がぁ、がぁ、とパールに害意なく、嫌厭感ない声で語りかけたピョコだが、パールはそう返すので精いっぱいだった。

 自分のことが嫌いになっただとか、強い反発心を抱いているだとか、そんなわけでないことはパールにも伝わっていただろう。それだけは救い。

 一方で、ピョコの訴える何かがわからないもどかしさに、寂しさいっぱいの表情で返答するパールの表情は、ピョコの目尻を下げさせる。

 

 概ねピョコも、パールと同じ心境なのだろう。

 わかってもらえないこと自体への残念さより、言葉が通じ合えればどんなにいいかという、誰をも責めない儘ならぬ嘆き。

 人とポケモンだ。お互い、最初からわかりきっていたことのはずなのに。

 親しみ合い、かつてよりもずっとずっとお互いのことが好きになった今になってこそ、その当然がいっそう嫌になってくるのが、絆の生み出す功罪めいたもの。

 

「ッ――――!」

 

「ピョコ……!」

 

 それでも、自分の想いを誤解させたくなくて、ピョコはパールを真っ直ぐ見据え、力強い感情を込めた目で小さく首を一度縦に振る。

 そして、踵を返してパールに背を向けると、鋼鉄島の奥地へと向かう足をどかどかと駆けさせ始める。

 どんな言葉を彼に向けるべきなのか、わからぬままに思わず相手の名を呼ぶパールに、ピョコは一度立ち止まって振り返り、強い眼差しでもう一度頷く。

 

 見てろよ、と言う声がパールにも聞こえた気がした。でも、何を?

 わからないのに、そんなピョコの声が聞こえた気がするのだから、目は口ほどにものを言うというのは馬鹿にならない格言なのかもしれない。

 

「――――!」

「パッチ?」

 

 ピョコのボールを咥えたままだから、ややくぐもった声にはなってしまったが、パッチがパールに呼びかけて走りだす。

 前進するまま駆けるピョコを追う動き、そして振り返るパッチはパールに、ついて来なきゃと訴えるかのよう。

 

 儘ならぬまま棒立ちだったパールも、それに導かれるように走りだす。

 考えが纏まってもいないのに、大好きなポケモン達に促されると、迷い一つ無く行動に移れるのはパールの性格がよく現れたものだろう。

 そんな彼女を客観的に表すなら、信じる誰かには感情のままに従えるほど純真とも、未だポケモン達の後ろを追う頼りないトレーナーとも言える。

 解釈によって評価の分かれるポケモントレーナーだ。しかし、途上期とは得てしてそうしたものでもあろう。

 

「――――ひっ!?」

 

 駆けるピョコを追って走る形だったパールだが、遥か前方に見えた特徴的なシルエットを目にした瞬間、悲鳴じみた声とともに足が止まる。

 半生のトラウマ、あの羽の形、そして大きい。

 ゴルバットが真正面から飛来してくるその姿には、前のめりに駆けていた姿勢の重心が一気に後方にまで傾いて、足をもつれさせるパールの姿がある。

 

「あっ、あっ……!

 パッチっ、お願いぃっ!」

 

 パールの前にはパッチ、さらに前にはピョコ。ゴルバットは正面から。

 対ゴルバットの切り札とも言えようパッチに、迷わず、あるいは咄嗟めいて指示を出すパール。

 だが、ピョコのボールを咥えたままのパッチは、パールの指示に全く従わず、前方でゴルバットに対峙するピョコを見据えたまま動かない。

 

「――――z!!」

 

「ちょっと、パッチ!?

 何し……お願い行ってえっ! ピョコが危な……」

 

 毒タイプかつ飛行タイプのゴルバットとは、草タイプであるピョコにとっては相性最悪極まりない相手だ。

 ピョコだって、それはわかっているだろう。

 それでも俺がやる、という意図を明確に発した吠え声と共に、飛来してくるゴルバットに対して葉っぱカッターを発射する。

 

 やはりゴルバットに草タイプの葉っぱカッターは有効打ではない。

 羽を傷つけられて痛がる顔こそしたものの、むしろ怒らせたようでピョコへの飛来速度が加速。

 大口を開いてピョコに噛みつきにかかるゴルバットに、ピョコもまた体当たりするかのように突っ込んでいく。

 

「パッチ、ボール返して!

 ピョコを引っ込めなきゃ……!」

 

「――――!!」

 

 このままではピョコが傷だらけにされてしまうと、パールはパッチの咥えたボールを掬い攫おうとする。

 だが、パッチも譲らない。手を伸ばしてきたパールを跳び躱すようにして、ボールは渡さない。

 言い換えるなら、ピョコをボールに引っ込めることを許さない。

 

 パールにとっては緊急事態にも近いこの状況、まして言うことを聞いてくれないパッチに戸惑いを隠せない。

 対するパッチはボールを咥えたままで出せる限りの声を強く発し、首を力強く振るってパールの目を向けるべきものを示している。

 あれを見ろ、とばかりに促されたパールが目を向けた先では、ゴルバットがピョコに噛みついたところだ。

 あくまでただの"かみつく"攻撃だが、牙から毒素が流し込まれたらと思ったら、パールも血の気が引く想い。

 このゴルバットはレベルが高すぎないから良いが、確かに高レベルのゴルバットは"どくどくのキバ"の使い手も多いのだ。

 

 しかしピョコは噛みつかれたままで、洞窟壁面に向かって突っ走り、自分に噛みついたゴルバットを岩壁に叩きつけて振り落とす。

 地に足を着けた戦いが得意でないゴルバットは、なんとか身を浮かせて体勢を整える。

 だが、駆け寄ったピョコがゴルバットの羽に噛みついて、ぶんぶん振り回した挙句に放り投げて、洞窟の壁に叩きつけてしまう。

 痛そうなゴルバットに対し、さらに葉っぱカッターを飛ばしてばしばしと傷つける追撃だ。

 

 全身痛くてたまらないゴルバット、どんどん怒りを溜めてピョコを睨み返すが、強い眼差しを返すピョコの眼光には小さく舌打ちだ。

 苦々しい顔をしながらも逃げていくゴルバットは、これ以上は駄目、こちらの傷が深くなるだけだと、野生のポケモンの多くがするように賢明な判断を下した。

 その後ろ姿を見送って、ふんすと鼻を鳴らすピョコは、噛みつかれた首の痛みを少し意に介しつつ、それを顔に出さないようにしてパールの方を振り返る。

 その表情は、単に勝った誇らしさではなく、俺が勝ったところをちゃんと見たかと強く訴える想いの方がずっと強く表れていたものだ。

 

「ぴ、ピョコ……」

 

 唖然とするばかりのパールの目先、パッチがピョコの方へと駆け寄っていく。

 鼻を近付け、小さな鳴き声で会話するような二人だが、ややパッチの方がボールを咥えたままの口で、強い声を発していると見える。

 どんなやり取りをしているのかはわからない。だが、パッチがピョコに、パールの方に行ってあげてと促すような首の仕草は見せた。

 それに頷いたピョコが、パールの方にのそのそと歩み寄ってくる。

 

「――――」

「…………ピョコ、きずぐすり」

 

 パールに近付いたピョコはパールを見上げ、勝って得意気でもなく、心配させて謝るでもなく、見たかと言わんばかりの強く短い声を発していた。

 そして今のピョコの姿を、そばで冷静に見ればパールにもわかる。

 ゴルバットに噛みつかれた傷だけに限らず、甲羅も足も、よくよく見れば傷だらけ。

 ピョコに向ける言葉をすぐに見つけられなかったパールは、代わり、その傷を癒す行動に移るのでせいぜいだ。

 

 しゃがんでピョコの体に傷薬を吹きつけるパールは、生傷を前にしてふと思う。

 自分が目を覚ます前から、独りで鋼鉄島の野生ポケモン生息域をうろうろしていたピョコは、何をしていたのだろう。

 この姿を見て、確信できなければトレーナー失格だ。

 パールが眠っている間でも、自分だけで野生のポケモン達に挑み、強くなろうと努めていたに決まっている。

 相性最悪のゴルバットを相手取れば、交代する仲間もいないからそのまま頑張るしかない。傷も増えて当然だ。

 

 深い傷には薬が沁みるのか、しばしば小さく体を震わせるピョコだが、じっと踏ん張りパールを見つめる眼に普段の柔和さは無かった。

 ふとピョコの顔を見た時、パールの目に映ったのは、痛みに耐えてでも今より強くなりたいという意志を孕んだ男の子の表情だ。

 パールは同じものを、幼馴染のダイヤを通じて見たことがある。

 子供らしく無邪気に、いつかチャンピオンになるんだと陽気に語りながら、次第にその表情に子供ながらの真剣さが宿ってきた末の、あの表情。

 大人が見れば可愛いものかもしれないけれど。同い年のパールが見て、見てて心から応援したくなるような、強き意志に溢れたものだったはずだ。

 

「…………」

「……………………」

 

「――ピョコ、まだいける? まだ、頑張れる?」

「!!

 ――――――z!!」

 

 言葉を探して、探して、ピョコの求めていたものに辿り着いたパールの言葉に、ピョコは力強い鳴き声で応えた。

 ピョコの眼差しに、大きな変化はなかったけれど。

 そう言ってくれることを待っていたかのように、ピョコが発したパールもびくっとするような大きな声には、間違いなく歓喜の感情が溢れていた。

 

「…………ごめんね、ピョコ。

 わかったかも、しれない。

 あなたがどうして、そんな無茶をしちゃったのか。

 私のせい、だったんだよね」

「――――、――――――!」

「ううん、やっぱりわかるよ。わかったかも、じゃないよね。

 ピョコが私のせいにしたがらない子なのも、私知ってるもん」

 

 パールはしゃがんでいた姿勢から、両膝をついてしまう姿勢に変わり、ピョコの首に腕を回して頭全体をぎゅっと抱きしめる。

 やっぱり大好き。わかってしまえば尚更に。

 自分のせいで、ピョコがこんな無茶をしてしまったのは明らかなのに、お前のせいじゃないよと必死で繕う嘘つきさんが、愛おしくてたまらなくなる。

 

 昨日、丸一日鋼鉄島での修行に明け暮れた長い長い時間、幾度もの野生のポケモンとの遭遇、そんな中でパールは果たして何度ピョコを繰り出しただろう。

 ゴルバットにはパッチ、イシツブテ系統やイワーク系統にはニルルかミーナ。

 ピョコを出すのは、ニルルとミーナの両方が疲れていそうだという時、岩タイプの相手に遭遇した時程度である。

 それは何故なのか。鋼タイプのポケモン使いであるトウガンとの再戦を意識した時、軸になるのがその二人だからだ。

 トウガンとの再戦で勝利するためなら、鋼タイプに強く出られるニルルやミーナを強くなって貰うのが一番現実的なのも確かである。合理的な発想だろう。

 そしてその理屈を肯定することは、トウガンとの再戦において、鋼タイプに不利な草タイプのピョコは用無しと断じるにも等しい。

 

 決してパールはそんなつもりはなかったのだろう。

 だけど、ピョコだって敏感だ。

 パールが自分のことを要らないと思っているだなんて疑いはしない。それでも、絶対勝ちたい再戦において、自分の力を求めていないことはわかってしまう。

 悔しいじゃないか、そんなの。力になれないだけなら諦めもつくが、求められてすらいないなんて。

 最悪、トウガンとのバトルで出番が無くたって、ピョコにだって理屈はわかるし、パールの賢明な判断を批難することはしないだろう。

 だが、それが終わって新たな旅に出発する時、もしも集中的に育てられた仲間に置き去りにされ、広がった力の差を漫然と受け入れるなんて嫌だ。

 ニルルやミーナがパールにとって最も頼もしい枠に収まり、自分は最初のポケモンだからって可愛がられるだけ?

 そんな可能性、想像しただけで胸がじくじくするというのがピョコの本懐である。

 

「――――、――――……」

「昨日はごめん。

 ピョコは、頑張り屋さんだもんね。

 みんなが頑張ってる時に、自分だけじっとしてるの、嫌だよね」

 

 パールは抱きしめていた腕を離し、ピョコと真っ直ぐ向き合ってそう言った。

 ゲンの言うとおりだ。パールはつくづく、私はこんなに長くこの子と一緒にいたのに、ピョコのことをわかっていなかったんだと痛感する。

 

 だって、忘れ得ぬ数々のピョコとの日々を思い返せば、ピョコがどれだけパールに尽くしてくれる子なのかは明らかじゃないか。

 ナタネとのジムバトルにおいて、あの土壇場で進化して、ロズレイドを打ち破る勇姿を見せてくれて。

 スモモのアサナンを打ち破り、傷の残る体でゴーリキーの力強い攻めに打ちのめされながらも、根性を振り絞って二連勝を獲得してくれて。

 マキシのフローゼルに敗れた後も、完全に戦えなくなって尚も立ち上がろうとして。

 マーズと遭遇してしまったあの日、パールを傷つけさせることは絶対に許さないとばかりにボールから飛び出してきてくれて。

 ミオシティまでの道中でさえ、パールを背中に乗せて楽をさせてくれようとしてくれて。

 それだけパールに、尽くして尽くして尽くし尽くそうとしてくれてきたピョコなのだ。

 自分にこれほど献身的であろうとしてくれる誰かがいる。それは果たして傲慢な認識だろうか。事実を事実と認識して傲慢も何もあるはずがない。

 

 逆の立場だったらパールならどう感じるだろう。

 尽くしたい相手に、たとえ一時的にでも今日はいらないよと見限られるなんて、とても寂しくて悔しいことじゃないか。

 それは、この子達のためだったら何だって出来ると心から思えるパールだからこそ、パールのためなら何でも尽くすピョコと通じ合えるシンパシー。

 ここに確信を持てる間柄、無償の献身の意を心から信頼できる絆など、百年生きても果たして出会えるかどうかわからないほどの縁である。

 それを、人と人以上に、現実的に人とポケモンの間で誓ってくれるのが、純粋なポケモン達に出来て、考え過ぎてしまう人間には難しいこと。

 人とポケモン達が数百数千年の共生を歩んでこられた根拠とは、勘繰らぬポケモン達の純真さあってこそのものだと、一部のポケモン博士は力説するものだ。

 

 好意を向けてくれるポケモン達の感情を信じ通すこと。

 それこそが、トレーナーが持つべき心がけの中で、最も大切なものと言ってなんら過言無い。

 パールに才なるものがあるとすれば、一抹の疑いも無く、ピョコが自分のことを好きでいてくれることを信じられるその純真さなのだ。

 二流は気付けない。

 一流半は気付きかけても、そんな都合のいい話があるだろうかと疑う。

 三流はそんな絆なんて存在するわけがないと、他者の関係まで否定する。

 幼くも無垢な少年少女のトレーナーが、育成知識も人生経験も豊富なはずの大人のトレーナー相手に、どうしていつの世もどの地方でも勝ててしまうのか。

 確たる事実を正しく認識、信頼することが出来るか出来ないか。ポケモンバトルに限らず、それは常にそこへ分水嶺を生み出すほど重要なこと。

 

「――――」

 

「パッチ?」

 

 おでこでつんつんパールを横からつついてくるパッチが、咥えていたボールをパールに差し出した。

 もう大丈夫そう、とパッチなりに判断したのだろう。

 今のパールならボールを返しても、まだまだやりたいピョコの意に反して、彼をボールに戻したりしなさそうだから。

 

「うぅ、そっか……パッチも同じ気持ちだったんだ」

 

 思い返せばパッチだって、昨日はあんまり出番を与えられていない。パールも胸がちくちくする。

 まあ、こっちに関しては仕方ない。ゴルバット以外の生息ポケモンは地面タイプだらけなので、パッチにとっては相性最悪が過ぎるので。

 根本的に鋼鉄島は、電気タイプのポケモンを育成するのにだけは極端に向いていないのである。これは本当にどうしようもない話。

 もっとも対ゴルバットとして最右翼という形で面目は立っているパッチなので、彼女もそこまで気にしてはいないのであるが。

 

 むしろ特筆すべき点があるとするならば、パッチがピョコの意を汲んでの行動にまで移ったぐらい、彼に肩入れしたことだろうか。

 今もパッチはパールにボールを返したら、わかって貰えてよかったね、とピョコに鼻を擦り寄せて伝えつつ、前足でピョコの頭をぺちっぺちっ。

 私だって協力したぞ、感謝してね、と微笑むパッチに、ピョコも照れ笑い気味に会釈して感謝の意を返すかのよう。

 お互い、パールのポケモンになってから、初めてのポケモン同士の友達だ。特段、仲睦まじい二人である。

 

 パッチがパールの鞄に頭を突っ込み、自分のボールを咥えて出してきた。

 やりたいことはもうやった、ボールに戻って休みたいという意志表明だろう。

 パールは感謝混じりに微笑み頷いて、パッチをボールの中に収めた。

 

「ピョコ、行こっか。

 でも、もうそろそろ疲れてきたなぁって思ったら引っ込めるよ?

 それに、ゴルバット相手にもう無茶しなくていいからね?

 やっぱり相性が悪い相手に無理しても、ケガが増えちゃうばっかりだからさ」

 

「――――z!」

 

 もう大丈夫だろう。

 意を理解したパールには、トウガン対策にニルルとミーナばかりを育てるようなことはもうするまい。

 合理性を言い訳にした偏った育成なんて、自分達にとって嬉しくないものであるとわかってくれたパールの姿に、ピョコはようやく笑顔で応えてくれた。

 うん、行こう、と前に進み始めたピョコは、まだちょっとボールに入らず先鋒の位置で進んでいきたいみたい。

 まだまだやる気満々なピョコの後ろ姿に、パールも頼もしい彼の姿を改めて思い返しながら、追従するように前進していくのだった。

 

 ゴルバットに遭遇するまでは、ボールに戻らずバトルし続けるピョコ。

 メガドレインの使い手だ。そう簡単には引っ込まない。イシツブテやゴローンやイワークをむしろ体力回復の糧にして、ずんずん進んでいくばかり。

 トラウマコウモリが飛来して、わちゃわちゃ悲鳴を上げてたパールが、ピョコを引っ込めパッチを出すまで、実に長くピョコは戦線に居座っていたものだ。

 草ポケモンの育成環境としてはその実、鋼鉄島は有力な環境である。

 昨日までとは違う形で、パールは四人のポケモン達を、正しい形で育成する一日を歩み始めていた。

 

 果たして鋼ポケモン使いのトウガンとのリベンジにおいて、草ポケモンのピョコに日の目が当たるかどうかなんてわからない。

 そんな打算はしなくていいのだ。トウガンを打ち破った後だって、長い旅はまだまだ続いていく。

 今に限り最大の障害であり最終目標でめいている6つ目のジム攻略とて、本質的にはあくまで通過点に過ぎないのだ。

 目下の目標達成のために絞った育成に拘らず、みんな育てておいていい。必ず、何らかの形で結果に結びついてくるはずだから。

 

 間違いなくこれまで以上に自分のポケモン達と向き合い始め、鋼鉄島での泊まり込んでの修行に明け暮れるパール。

 夜長もまるで外界との電話する時間を、自分のポケモン達と語らう時間に置き換えるかのように、みんなと触れ合い、言葉を向けて過ごすようになった。

 やっぱり、ポケモン達の言葉を理解することは出来ないけど。

 パールの問いかけに頷いたり、首を振ったりしてくれるポケモン達の反応で、幾許だって心を通わせ合うことは出来る。

 習慣的だったプラチナと過ごす日々や、夜に誰かとの電話を楽しんでいた日々とは違う、貴重な時間を過ごせてはいるはずだ。

 昨夜は人と関わらない一日に多少の寂しさも感じていたパールだったが、もうそんなことも気にならなくなった。

 改めて、私にとって一番大切な誰かっていうのは、この子達をおいて他にはいないんだなと確信してしまえば、寂しさなんて感じようもない。

 

 

 

 パールが鋼鉄島での修行に見切りをつけ、明日帰るよとプラチナに電話したのは、鋼鉄島に来て7日目の夜である。

 ちょうど一週間だ。その期間でパールは、果たしてどれだけのものを得られただろうか。

 きっと、以前よりも強くなった自分のポケモン達、それ以上のものもある。

 電話越しに久しぶりのパールの声を聞いたプラチナは、見違えた顔つきになっていればいいなと、明日のパールとの再会が楽しみだった。



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第77話   パールのリベンジ

 

「っはー! さっぱりした!

 気持ち良かったぁ!」

「帰ってきて最初にやることがそれなんだね」

「プラッチも一週間、鋼鉄島にこもってみたらわかるよ。

 やっぱ全然違うんだから」

 

 ミオシティに帰ってきたパール。

 朝の定期船に乗って船着き場に降り立ったパールと、早い時間から彼女を待ってくれていたプラチナは、一週間ぶりに再会した。

 お互い久しぶりの親友との対面にテンションが上がったものだが、まず真っ先にパールが行きたがったのはポケモンセンターである。

 医療施設を頼らない、休息によるポケモン達自身の治癒力に頼っていた島暮らしを明け、まずはポケモン達をリフレッシュさせるのが第一だ。

 

 が、パールがポケモンセンターに行きたがったのは、もう一つ大きな理由がある。

 お風呂に入りたかったらしい。ポケモンセンターのお風呂じゃなきゃ嫌と。

 鋼鉄島とて、キャンプ地に体を洗える場所がちゃんと用意されていたのであるが、パールいわくどうしても満足できなかったそうな。

 キャンプ地は外に近いから潮風がねばつくし、そもそも海に囲まれた島全域の湿度が高め。

 寝る前に体を洗っても、起きた頃には髪も妙にべっとりしていて、朝から体を洗わなきゃ落ち着かなかったそうだ。

 そして実のところ、キャンプ地の湯浴み場に置かれた石鹸やシャンプーは安物であって、最低限体を綺麗に出来ても少しべたつくという困りもの。

 無償で使わせて貰えるものだし、無いなら無いでもっと最悪なのでパールも苦言は躊躇っていたが、結局子供って素直だから思ったところは言っちゃう。

 鋼鉄島から帰ったら、ポケモンセンターのインフラ充実したお風呂で綺麗になって、さっぱりしたいとは早期から思っていたらしい。

 

 そんなわけでパールはよほど久しぶりのお風呂がたまらなかったらしく、かなりプラチナを待たせる長風呂っぷりだった。

 上がってきた頃には、ポケモンセンターに預けたピョコ達も、とっくのとうに完全回復済。

 ポケモン達のリフレッシュよりもトレーナーのリフレッシュの方が時間がかかるとは、まあまあ少ない珍事である。

 

「行こ、プラッチ!

 今度は勝つからね! 応援しててよ!」

「ん、楽しみにしてる。

 ずっと楽しみにしてた」

「……えへへっ♪」

 

 一週間の修行の成果を見せるんだと息巻くパールに、プラチナは一番嬉しい言葉を向けてくれた。

 見せたい相手は誰? トウガンに勝つことで、私達は強くなりましたと示したい? それもある。

 しかしパールにとって、私達これだけ強くなったよって姿を見せたい相手は、ずっと自分を応援し続けてくれたプラチナに他なるまい。

 前回の敗戦で、残念そうに慰めの言葉を向けてくれたプラチナに、あんな風に気を遣う顔をさせたくはない。勝った喜びを二人で共有したい。

 そんなプラチナの、この日を楽しみにしていたよと言ってくれる言葉は、今のパールを最も囃し立ててくれる最高のエールであろう。

 

 意気込み充分、体調万全、心身共に充実極まりなく。

 心も体も最高のコンディションで、煌めくほどの笑顔をプラチナに返したパールが、ミオジムに向かって歩き始める後ろ姿をプラチナは追う。

 一週間経って、前より強いトレーナーになって見違えたりするかな? なんて妄想もしていたプラチナだが、現実はやっぱりそうはいかないらしい。

 パールはいつものパールである。何も変わらない。

 子供は成長が早く、たった一週間とて特別な経験を経て、胸の内で何かが大きく変われば、顔つきだってどこか変わることは案外珍しくもないのだが。

 根っから感情に素直で、心情が表に出やすいパールをして、何も変わらぬ外面というのは、果たして成長したのか疑わしいという見方も無いではない。

 

 まあ、無理からず。

 パールの表情に最も先立つのは、友達が好き、ポケモン達が好き、大好きな誰かと一緒にいられればいつだって元気。それに尽きる。

 プラチナやピョコ達と一緒に楽しい旅路を歩んでいる限り、彼女は変わりようなど無いのである。

 ポケモントレーナーとしての顔つきが変わるのは、バトルフィールドの上だけで結構だ。

 

 

 

 

 

「あっ」

「あっ」

 

「ギャラドス!」

「ギャラドスデース!」

「誰がギャラドスかー!」

 

 ミオジムに訪れたパール。

 なんだか見知った二人を発見するや否や、向こうが揃ってパールを指差してギャラドス呼ばわりしてきた。

 モップを両手にジムを掃除していた男二人は、鋼鉄島でパールやゲンと遭遇した、元ギンガ団員の二人である。

 

「……ぷくくっ」

「あっ、プラッチ!? なに笑ってるのっ!」

 

「やっぱりギャラドスデース」

「すぐ怒りマース、暴れマース」

「うるさいだまれ~!

 あなた達が私を怒らせてるんだ~!」

 

 ギャラドス呼ばわりされて一秒で怒るパールの反応早さときたら、もはや打ち合わせ済みのコントのようでさえあり、しかもパールは素でやってる。

 妙に可笑しくなって、思わず笑ってしまったプラチナ。そこにも速攻で噛みついてくる。

 あの二人には鋼鉄島以来、すっかりギャラドスガールと覚えられてしまったようで、今後もその名で呼び続けられそうである。

 

「おおっ。

 なんだなんだ、騒がしいと思ったら久しぶりの顔だな」

 

「あっ……トウガンさん、おはようございます!」

 

「はっはっは、うむ、おはよう。

 ほんのついさっきまで吠えるようにわめいていたのに、その切り替えの良さは立派だぞ」

 

 騒いでいたら、ジムの奥からトウガンが姿を見せた。

 ご指摘のとおり、トウガンの姿を見ればすぐに気持ちを切り替えて、自分から駆け寄ってきちんと挨拶が出来るパールは立派であろう。

 ただ、二人やプラチナを相手にきゃんきゃん騒いでいた声は、生憎トウガンにも聞こえるほどのものだったようで。

 恥ずかしいところを聞かれていたことを突きつけられたパールは、うぐっと言葉を失って、耳まで真っ赤になってしまう。

 

「おーい、掃除は終わってるのか? まだだろ、遅刻の常習犯。

 きっちり終わらせるまで稽古はつけんぞ、よく励めぃ!」

 

「イエッサー! すぐに終わらせマース!」

「今日も色々教えて貰いマース! 楽しみデース!」

 

 パールが小さくなっている間に、トウガンはモップを持った元ギンガ団員の二人に呼びかける。

 良い返事。ちょっとお調子良ささえ感じる声ではあるが。

 しかし掃除を再開し、手際も真面目であるところを見るに、前向きな気持ちで掃除とやらに励めているのも確かと見える。

 

「あの二人、どうなったんですか?

 元ギンガ団員ってことで、捕まったりしてるんじゃないかなとも思ってたんですけど」

「騙されて使役されていたも同然の境遇を鑑みて、情状酌量の余地も有りと警察の皆様にも温情を頂けてな。

 執行猶予は免れなかったが、うちのジムで引き取って修行中だ。

 これで正しい道を歩めるようになってくれれば、人生やり直しは成功だな」

「ん~、よくわかんないけど……

 悪いことしないようになってくれるんだったら、それでいいのかもですね」

 

 悪いことして警察に捕まったら、牢屋にポイされるものだとしか思っていない子供のパールには、執行猶予の概念がわかりにくいようだ。

 とはいえ案外、悪人なんてみんな牢屋にずっと閉じ込めちゃえってなほど、一偏寄り思考はしていないようで、この司法判断にも首をかしげてはいない。

 反省し、更生するならそれが最も望ましいと考える社会の造りに対し、パールの考え方は相性が良さそうだ。

 

 あの二人がジム生入りを希望していることと、トウガンが人格者であると社会的に信頼されていることも踏まえ、引取人としても都合は良かったらしい。

 元々あの二人は外訪者かつ、ギンガ団を寄る辺にしていたため、ギンガ団を抜けてしまうと住所すら不定の身分。

 正しい社会常識を改めて身に付けることと、下宿させて貰える場所の確保という両方の面においても、ミオジムは最適解であったと言える。

 執行猶予の身分なので、馬鹿をやらかせば今度は本当に実刑送りだが、トウガンのお膝元にいる限りはそんなことも起こるまい。

 仮に変な気を起こしたとて、何があろうとトウガンがそうはさせないだろう。トウガンとて、責任を以って二人を預かる覚悟を決めている。

 見方を変えると、かつては社会悪であった者達であっても受け入れて、正しい道へと導こうと決意したトウガンの器も窺えようというものだ。

 

 今あの二人は、ジム生の見習いとして掃除係などの当番をこなしながら、トウガン直々に基礎的なことを教えて貰っているようだ。

 他ならぬ二人が望んでいたことは叶えられているのだ。今、二人は満たされている。妙なことなど起こすまい。

 時を経て、かつての罪を本当の意味で悔い、真っ当なポケモントレーナーとして再起できた時、更生は果たされたと社会にも評価されるだろう。

 トウガンも二人が社会に少しでも早くそう認めて貰えるよう、追って彼らと共に街の公共事業の手伝いに取り組もうとするなど、プランは立てているそうだ。

 一度道を間違えた二人の元ギンガ団員だが、いつか真っ当なシンオウ地方の住人へとなっていけるのであれば何よりである。

 

「さて、今日は何の用だ?

 君の口からはっきりと聞かせて貰いたいな」

「はいっ! リベンジに来ました!

 今日は負けませんよ!」

「うむ、いい声だ! 自信に満ちている! 楽しみだな!」

 

 一週間ぶりにパールと会ったトウガンだ。

 その間、勝つための努力をしてきたであろうことは間違いなく、果たして今日はどんな策を引っ提げてきたか。

 背の高いトウガンを見上げ、ぎゅっと握った右拳を胸の前に、必勝を志すパールの眼差しと強い声は、トウガンに強い期待を抱かせる。

 ジムリーダーにとって、強い挑戦者との邂逅に勝る喜びは無い。

 

「そこの二人も掃除は中止だ! 観戦席に来い!

 お前達がからかっている女の子が、どれだけ強くて立派なトレーナーか、その目に焼き付けて勉強させて貰うことだな!」

 

 一度こてんぱんに負かした相手に対して、いかんせん買いかぶるような発言に、パールはちょっと委縮して表情が硬くなった。

 だが、トウガンはパールを信頼している。彼女がこの一週間、どこに赴いていたのかぐらいは、友人であるゲンにも聞いているのだ。

 そして一週間の修行を経て、一度あれだけ敗れた相手に、今日は勝ちますと言ってのけたパールには、その自信を裏付ける何かがある。

 前回のような一方的な展開にはならないはずだと、勝負する前からトウガンはほぼ確信しているのだ。

 

 今日こそはパールが勝つ姿が見たい、と期待を高めるプラチナがいる。

 トウガンもまた同様に、あるいはそれ以上に、一皮剥けた彼女とぶつかり合うこの後が楽しみで仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの子、前にトウガンさんに負けているのでショ?」

「今日もきっとけちょんけちょんにやられマース。

 だってトウガンさんは、すごく強いデース」

 

 観客席でプラチナの隣に並んで座る元ギンガ団員の二人は、割とパールを見くびっている模様。

 あなた達そのパールにボロ負けしてたでしょ、とでも突っ込みたくなるプラチナだが、流石にそうは言わないよう言葉を呑み込む。

 あんまり進んで人の自尊心を傷つけるものではない。プラチナって根本的に、誰に対しても優しい子。

 

「でもパール、リッシ湖でギンガ団の幹部さんを退けてますよ。

 サターンでしたっけ? 仮面かぶった金髪の人」

 

「なにッ!? 流石にそれはウソでしょ!?」

「サターン様はトウガンさんよりきっと強いはずデース!

 何かの間違いのはずデース!」

「間違いじゃないよ、僕それ見てましたから。

 あんまりパールのこと甘く見てると、これから腰抜かされますよ」

 

 マキシとも戦った後のサターンのポケモンたった一匹を、なんとか二人がかりで退けただけなのだが。

 別にパールが一対一で勝ったとは言ってない。そこは伏せて凄そうに語る。

 二人だけでざわめくギンガ団の驚嘆した顔を見られて、パールを馬鹿にする口を止められればプラチナは満足のようだ。すかっとした。

 

「ジムバッジは変わらず5つだな?

 3対3のバトルだ、準備はいいか?」

「はいっ! 最初の子はもう決めてきてます!」

 

 広く、四本の太い柱をそびえ立たせたバトルフィールドを挟んで対峙するパールとトウガン。

 お互いの手には、既に先鋒のモンスターボールが握られている。

 どちらもどこか、体勢は前のめり。開幕が待ち遠しい。

 

 一度敗れた相手に今日は勝つという、最高の結果を得られるはずであろうだけのものを培ってきたパール。

 それが、早く見たくてたまらないトウガン。

 ギャラリーがどれだけこの勝敗に強い興味を持とうとも、論ずるべくもなく、バトルの当事者が抱く想いの熱さを越えられはしない。

 さあいくぞ、と、パールがはあっと強い息を吐き出したその姿を、トウガンは挑戦者の熱が最高に高まった瞬間と受け取った。

 

「いきます! トウガンさん!」

「おお、かかってこい!

 その熱き魂、ジムリーダーとして全身全霊で受け止めよう!」

 

「頼んだよ! ミーナ!」

「行くぞ! トリデプス!」

 

「!?」

「うそっ!?」

 

 互いが先鋒の名を発し、ボールのスイッチを押したその瞬間は、プラチナもパールもまず驚愕だ。

 バトルフィールドでは、小さなミーナと大きなトリデプスが対峙する。

 前回のバトルでは二番手に登場、そしてパールのポケモンを三人纏めてなぎ倒したトリデプスは、パールもそれがトウガンの切り札だろうと考えていたはず。

 それが、まさかの初手登場である。まずここから想定外の展開が始まっている。

 

「今回も二匹目か三匹目だと思ったか?

 そうだと思っていたなら、この時点で君のプランは総崩れだな!」

「うぐぐっ……!

 リベンジの時はそういうのもあるんだ……!」

 

 前回のバトルとは違う流れを作り出し、相手の裏をかくという戦法を、繰り出すポケモンの順番で編み込むのは二戦目以降にしかないこと。

 そして、最初のポケモンはそれが出来る最大の好機である。

 やはりトウガンは一筋縄ではいかない。パールのような、態度や表情から裏を読みにくいタイプのトレーナーにも通用する駆け引きを選び取っている。

 

「さぁて、どれだけ強くなったかお手並み拝見といこうか!

 トリデプス、お前らしく出迎えてやれ!」

 

「っ、ミーナ! 一気にいっちゃえ!

 ぶっこわせえっ!」

 

 トウガンの指示を受けたトリデプスがぶるっと体を震わし、ミーナが力強く地を蹴ってトリデプスに迫る。

 迷い無き最速の走りから跳んだミーナによる、足を突き出した跳び蹴りは、広いトリデプスの顔面に勢いよく直撃だ。

 トリデプスには痛烈に効く一撃である。トウガンもよろめくトリデプスも、あまりに猪武者な戦法を真っ先に打ってきたパールには少し驚きだ。

 

「ほほう、思い切りがいいな。

 だが、何度も通用すると思わない方がいいぞ!」

「わかってます、結構どきどきしましたから……!

 でも正解でしたよね! ミーナっ、いいよいいよー!」

 

 トリデプスが初手で選んだ技は"てっぺき"だ。守りを固める技の一つ。

 全身の硬度と強度を高めるこの技を繰り返せば、物理的な攻撃ではまったく沈まない、まさしく要塞めいた守備力を誇るトリデプスとなろう。

 先鋒にトリデプスを選んだトウガンは、物理的な攻撃手段しかないミミロルを相手に、今のうちにこの技を積んでおこうという目論見もあった。

 

 一方パールだって、この日のためにトリデプスというポケモンが、どんな技を得意とするかは充分に研究してきているのだ。

 鋼鉄島で外界との連絡を取り合わない合宿生活でも、ポケッチを頼りに調べものは出来る。

 前回あれだけ煮え湯を飲まされたポケモンに対し、何の調べも加えてこないことの方が、むしろあり得ないぐらいだろう。

 自分と相手のポケモンを見比べた時、"てっぺき"を使われ得ると見て、思考時間も最速に初手特攻を指示したパールは、どんぴしゃの判断力である。

 ましてや前回、メタルバーストというカウンター技の脅威性をあれだけ見せつけられたにも関わらず、その判断はかなりの勇気が要ったであろうに。

 それも含めて、トウガンは感嘆しているのだ。駆け引きに打って出て、しかも成功する挑戦者になっているではないか。

 

「調子に乗らせるわけにはいかんな……!

 トリデプス! こちらも攻めていくぞ!」

「ミーナっ、当たらないように頑張って!

 そんで、好きな時に跳び蹴りしちゃって!」

「ほう……!? 指示放棄か……!」

 

「ええっ、パール!?」

「なんですか、あの指示は~!?

 勝つ気があるんデスカ~!?」

「やはりあの子がトウガンさんに勝てるとは思えまセーン!」

 

 到底ポケモントレーナーらしくない発言にプラチナもびっくり。

 野次めいた声を発している元ギンガ団員の二人も、正直なところ意図不明の指示には驚きの方が勝っているだろう。

 

 攻めろと言われてラスターカノンを発射するトリデプスに、それを跳んで跳ねて躱すミーナの姿が、バトルフィールドには展開される。

 その光線はやはり速い。ぎりぎり躱したミーナだったが、目で追い続けざまに二発目を撃ってくるトリデプスのラスターカノンには足を焼かれる。

 あぢぢとばかりにぴょんぴょんしながら、いっそう闘志に火をつけるミーナは、衰えの無い跳ね足でトリデプスとの距離を詰めていく。

 言葉こそ発しないながら、まばたき一つせず戦況を見つめて拳を握りしめたパールの姿には、指示を捨ててでも何かを掴もうとする意志が垣間見えている。

 トウガンもまた、戦況そのもの以上に、そんなパールの姿に着目して訝しさと警戒心を強めている。

 

「ッ……、――――――z!」

 

 三発目のラスターカノンをヘッドスライディング気味に潜り込んで躱し、耳をじゅうと焼かれるような痛みに耐え、くるんと立ち上がったミーナ。

 両足が床に着いた瞬間に、蹴ってトリデプス目がけて跳んでいくミーナは、宙で身体を回して足をトリデプスに向けている。

 どんな体勢からであろうと、足を下に着地さえ出来れば攻撃に移れるこの身のこなしは、ミーナの有力な武器の一つだ。

 

「ッ、ッ……!」

「撃て! トリデプス!」

 

「ミーナっ! まるくなって!」

 

 トリデプスにはダメージも深刻であろう跳び蹴りは、屈強なあの体がのけ反りそうになるほどきつい。

 だが、その顔面に飛び蹴りを突き刺して大きく離れるミーナに対し、トリデプスが選ぶ最も強烈な反撃手段。

 受けた衝撃をぐっと自らの内に溜め、彼方より聞こえる地響きめいた重い轟音を発して震えるトリデプスは、回避不可能のリターンショットを撃つ二秒前。

 

 その身に受けたダメージを拡散放射するメタルバーストの衝撃波は全方位に及ぶもので、到底躱せるものではない。

 いっそ回避を諦めた割り切り、ミーナに防御体勢を促すパールだが、トリデプスが発したレーザー状の衝撃の一つが、丸くなったミーナに突き刺さる。

 ガードしたってこの衝撃は、対象の体の芯まで突き刺さる強烈なものだ。

 蹴飛ばされたかのように吹っ飛ばされたミーナが、受け身ままならずの腹這いに倒れた姿には、パールも表情が歪みそうではあった。

 

「っ……ミーナ! 頑張って!

 信じてるよ! ミーナはまだまだやられる子じゃないもんね!」

「ッ……、――――――z……!」

 

「なるほど、掴んできたようだな……!

 トリデプス、容赦するな! 畳みかけろ!」

 

 ミーナがパールの言葉を聞いて、わかってるよ何くそと意地っ張りな表情あらわに、ぴょいんと立ち上がった姿がトウガンには厄介に映った。

 立った瞬間のミーナが少し後ろにふらついた姿からも、それなりに足にまでくるダメージがあったのは確かであろうに。

 痛烈なダメージを受けた直後のミーナが、意地っ張りな、言い換えれば最もテンションを回復させて再起する言葉をパールは選べているということだ。

 間違いなくパールは前回とは違う。違い過ぎる。トウガンの指示にも力が入る。

 

 ラスターカノンを容赦なく撃つトリデプスに、ダメージを受けて少し動きの悪くなったミーナの回避は不完全だ。

 光線のように速いラスターカノンは、最速でないミーナに回避を許さず、ばちり、ばちりと撃つたび逃げ回るミーナを焼く。

 蓄積するダメージに表情を歪めながら、それでもミーナはトリデプスとの距離を少しずつ近付けていって。

 ここまで近付けば一番いい威力の跳び蹴りを当てられる、という場所まで再び到達するのもまた早い。傷負えど目を瞠るステップワークである。

 

「甘いな、そうはいかんぞ……!」

 

「――――――!?」

「うぁ……!? ミーナ!?」

 

 さあ行くぞ、とトリデプスを真っ向見据えたミーナの側面から、突如ラスターカノンの光線が突き刺さる。

 トリデプスが発射したラスターカノンが、鋼の大柱から反射して、思わぬ角度からミーナに襲いかかってきたのだ。

 急所に当たるにも等しい直撃、さらに当たるたび敵の体力を殊更削ぎ落とすラスターカノンの性質上、今のミーナにとっては痛烈だ。

 倒れまいと、横倒れになりかけた体をなんとか、開いた足に力を入れてぎりぎり踏ん張ってこらえるミーナの姿がある。

 

「鉄壁だ!」

 

「ミーナっ、頑張れえっ! とびげり!」

「……ッ、――――z!」

 

 今こそそれだと見極めて、二度目の鉄壁で防御を固めさせるトウガン。

 指示を隠さなかったトウガンの声は、パールの焦りを誘い出すためのものだ。

 そしてトウガンの思惑どおり、パールの指示を受けたミーナが、ぐっと地を蹴りトリデプスの顔面に飛び蹴りを突き刺してくる。

 

 今度も真正面から受けたトリデプスだったが、身体の傾きは先程より小さい。

 二度目の鉄壁が成功している証だ。いっそう強くなっている。

 反面、無茶な体勢から急いた一撃を食らわせたミーナは、相手を蹴って後方跳びしたその場所で、苦しそうに腰を沈めるほど消耗しきっている。

 

「トリデプス、リフレッシュするぞ」

 

「ううぅ……!

 ミーナっ、もう一度とびげりっ……!」

「――――z……!」

 

 躊躇いめいた声が僅かに入ったが、パールは正しい指示を下していた。

 トリデプスの言うリフレッシュとは、"ねむる"に続いてカゴの実で目を覚ますという、一回限りの完全回復手段。

 目を閉じたトリデプスの無防備な身体を前にした短い時間を、一矢報いねば儘ならない局面である。

 

 パールの指示どおり、ぐっと足元を踏みしめて地を蹴ったミーナは、ぱちりと目を開けた直後のトリデプスに、特効の跳び蹴りを直撃させることに成功した。

 だが、"てっぺき"二回で頑丈になったトリデプスには、当初ほどの大きなダメージが通らない。

 そして苦しいコンディションで、ただでさえ頑丈な敵を蹴り続けて足がじんじんするミーナの真正面、覚醒したトリデプスが攻撃体勢に移っている。

 

「とどめだ! ラスターカノン!」

 

 もはや躱す体力も無かったミーナは、真正面から放たれるトリデプスの光線を胸に受け、焼かれるような痛みとともにフィールドに倒れた。

 パールは自分の胸を、服ごとぎゅうと握らずにはいられなかった。いたたまれないほどの姿だ。

 無茶をさせた自覚があるからだろう。だが、それも確たる意図あってのことだ。

 自分は間違っていないはずだという、そんな願いに縋るような想いで、パールはミーナのボールのスイッチを押す。

 

「……ありがとう、ミーナ。

 絶対、絶対、勝つからね」

 

「……らしくないな、パール。

 犠牲戦術なんじゃないの……?」

 

 ミーナを強攻的に戦わせるパールの戦法は、そんなミーナの戦いぶりを通じて、トリデプスの何かを見極めようとしていたものだとプラチナにも察せた。

 だが、そんな捨て駒めいた戦い方って、パールの好むバトルスタイルだろうか。

 絶対に違う。少なくとも、プラチナの知るパールはそんな子じゃない。

 鋼鉄島で特訓してきたパールだが、その一週間で、彼女もプラチナの知らない別の一面を得てしまったということなのだろうか。

 

「可哀想デスねぇ、あのミミロル。

 まるで捨て駒デース」

「そこまでして勝っても……」

 

「うるさいよ、二人とも……!」

 

 冷ややかな声を発する元ギンガ団員の二人に、プラチナは黙れと言わんばかりの声を強く発していた。

 お前らが言うなの感情もあったが、元々プラチナはパールに対して思い入れも強い。馬鹿にするようなことを言われれば腹も立つだろう。

 加えて、そんな二人の言い分も理解できなくはないだけに、もやもやした感情もあるというものだ。

 プラチナも心乱されるパールの戦い方が繰り広げられているが、当のパールは次鋒の入ったボールを手にし、既にトウガンに力強い眼差しを向けている。

 

「……トウガンさん。

 私達、絶対に負けませんから」

 

「ふふふ、どうかな?

 そう簡単には……」

 

「ぜったい、絶対、ぜえったい……! 負けませんからね!!」

 

 それはまるで、性分とは違う犠牲戦法を取ったことにより、ここまでした以上は負けられないとでも言わんばかりの強い主張。

 仮に本当にそうであれば、この先の展開は精神的な余裕の無さにより、パールが劣勢と言ってもいいぐらいの一幕である。

 "らしくない戦い方"というのは、潜在的に、そうしたリスクを孕むものにも違いないのである。

 

 だが、この時のパールの眼はそうではなかった。

 充分に、勝ちの目を信じて希望溢れるパールの、絶対に勝ちますからというパールの声には、自信が溢れていたのである。

 これは、らしくない戦法を取った後ろめたさによって怯むトレーナーの瞳ではなく、先鋒の紡いでくれたものの価値を信じてやまぬ希望の眼。

 プラチナも、無性に、自らの心配は杞憂であったと思わされる心地だ。

 

「いくよ! ピョコ!

 びっくりさせてあげようね!」

 

 この時、パールは珍しく、スイッチを押したモンスターボールを頭上に投げ上げた。

 いつもボールからポケモンを出す時は、手放さないままスイッチを押していた彼女がだ。

 放り投げられた高所から飛び出してきたピョコが、勢いよくバトルフィールドに降臨し、中身が空になったボールは落ちてきて彼女の手元に収まる。

 そこには確かに、プラチナもトウガンも、びっくりするような光景があった。

 

「――――――――――――z!!」

 

「うそ……!? 進化してる!?」

 

「ドダイトスか……!

 前回のバトルで出してこなかったところを見ると、この一週間で新たに進化したというところだな!?」

 

 その姿に進化して、初めてのジムバトル。

 気合充分のピョコは、その意気を自らに、敵に、そして何よりパールに主張するかの如く、長く大きく強い声で吠えていた。

 それは鋼色で重々しいこのバトルフィールドさえ、びりびり震えるほどの咆哮だ。

 ほんの十数秒前にはパールを小馬鹿にしていた元ギンガ団員の二人など、その咆哮ですくみ上がるほど。

 

 鋼鉄島の特訓で、ハヤシガメからドダイトスに進化していたピョコ。

 大きくなったその体は、巨躯のトリデプスと対峙して何ら遜色ない、まさしく今のパールにとっての切り札たる風格を醸し出している。

 その立ち位置に恥じぬよう、無様な戦いぶりなど絶対にしてなるかと昂るピョコは、ぎらりとした眼でトリデプスを睨みつけていた。

 只ならぬ闘志の持ち主であることを感じ取るトウガン。あの眼差しを見てそう感じられぬようでは、ジムリーダーなど一生務まるまい。

 

「いいだろう、かかってこい!

 培ってきたその力、余すことなく見せてみろ!」

 

「ピョコ! 信じてるよ!

 一緒に頑張ろうね!」

「――――z!」

 

 パールの声に応えるピョコの声は、短いながら先の咆哮にも劣らぬほど大きかった。

 打ちのめさんばかりの敗北をパールに刻み付けた最大の立役者たるトリデプスを前に、ピョコの闘志は底知れぬほど高まっている。

 あの日と違う結末を、俺の手で。そう心に刻みつけてバトルフィールドに立つピョコの決意は、この場にいる全員に伝え果たすほど強い。

 トウガンにも、プラチナにも、無論パールにも。

 そしてポケモンの感情など読み取るには乏しいほどトレーナーとしては未熟な、元ギンガ団員の二人にさえもだ。

 

 一度敗れた相手に雪辱を果たさんとミオジムに訪れた、パールにとっての最大の勝算。

 自身がそうだと信じられているのだと、過去最も実感するピョコの眼光は、間違いなく今までで最も燃え盛っていた。



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第78話   切り札ピョコの檜舞台

 

 

「ピョコいくよー! じしん!」

「――――z!」

 

「早速か、っ……!」

 

「うわわわわっ……!

 出し惜しみしないね……!」

 

 パールのピョコへの第一指示は、ドダイトスに進化したことで得た、いま最大級の大技だ。

 前脚ふたつを振り上げて、鋼の床をもへこません勢いで振り下ろしたピョコの太い足が、バトルフィールドいっぱいに衝撃波を走らせる。

 次に起こるフィールド全体の大きな縦揺れは、観客席にまで及んでプラチナや元ギンガ団員の二人もわたわた。

 トウガンさえもがまともに立っていられず、シャベルを杖代わりにした上で片膝をついたほど。

 パールははじめっから立ったままでいることを諦めており、進んでその場でぺたん座りである。潔い。

 

「ピョコいっけ~!」

「――――!」

 

「むうぅ……!」

 

 大きな揺れに動じないのはピョコとパールだけだ。

 激しい振動の中にあって、自分だけ揺れを無視する脚の如くどかどか勢いよくトリデプスに突っ込んでいくピョコに、相手は回避行動を取れない。

 がたつく足元に膝さえつきそうな中で、回避行動はおろか踏ん張りすら利かない中で、巨体のドダイトスに迫られるトリデプスの危機感たるや。

 このままぶつかられたら甚大なダメージを受けることを、他ならぬトリデプス自身が一番意識しているはず。

 

「っ、ピョコやっぱりギガドレイン!」

「――――!」

 

「なにっ!」

 

 だからこそ、メタルバーストで構えているのだ。

 トウガンはそんな指示を出していない。それでも、絶対やってる。

 このいかにもな好機を棒に振ってでも、パールが指示したことにピョコは迷わず駆け足にブレーキをかけ、吸収技に切り替えた。

 威力は高くない。しかし、岩タイプを複合するトリデプスに効き目はまずまず。

 んぐっ、という程度に目元を歪めたトリデプスは、仕方なく低い威力へのカウンターとして、メタルバーストを発動させるしかない。

 大きなエネルギーを敵方から蓄えられなかったメタルバーストは、全方位に放射するその光線状の反撃エネルギーも、太さが足りず威力不足である。

 

「正しい判断だったようだが、少々用心が過ぎるんじゃあないかね……!

 そんな逃げ腰が続くようなら怖くはないな!」

「いーえ! ぜったい今のはメタルバースト待ちでした!

 トウガンさんのトリデプスはそういうやつだっ!」

「ほほう、確信があったというのか……!?」

「指示なんか出さなくても、トウガンさんのトリデプスは賢いから自分で判断するんでしょ!

 私もそういう子達ばっかりだから、よ~くわかります!」

 

「パール、せめて立とうよ……得意気な顔するのはいいけど……」

 

 もうわかってるんだぞ、と確信を口にするパールは強気の声と表情だが、揺れがおさまった今も立たずに座ったままだから微妙に格好ついていない。

 この後もどうせ何度も揺らすつもりなのだろう。その都度立って座ってを繰り返すのを放棄しているらしい。

 今後も毎回、ピョコを出した公式戦はこうしているつもりなのだろうか。はてさて。

 

「まあ、正しいんだが……」

 

 強気の態度と体勢がアンバランス過ぎてトウガンも苦笑気味だが、頭をかいてそう発する声は、厄介なところをしっかり見抜かれたなという表れだ。

 トウガンへのリベンジを意識していた鋼鉄島でのパールは、あのメタルバーストに関しても、あれこれ考えたものだろう。

 何せ最重要警戒対象のカウンター技である。いつあの構えを取られるか、見極められなくてはトリデプスを攻略しづらい。

 しかしどれだけ前回のバトルを思い出しても、トウガンがトリデプスにメタルバーストを指示していた場面が一つも見つからなかった。

 トウガンの指示による、メタルバーストの発動タイミングを何とか割り出そうとする挑戦者は、この時点で詰みである。

 だって実際、トウガンはメタルバーストの指示なんて出していないのだから。

 

 パールも正直なところ、確信ではなく仮説止まりだったが、トウガンがメタルバーストの発動を、トリデプスの自己判断に一任しているのが実状なのだ。

 それは、そもそも自分から攻めに回ることを、あのトリデプスは得意としていないことに端を発している。

 つまりあのトリデプスにとっての最大の攻撃手段とは、受けたダメージを膨らませて返すメタルバーストに他ならないのだ。

 堅牢なトリデプスをどうにか打ち崩そうと、相性なども意識して高い威力の技を繰り出そうとするトレーナーの多いこと多いこと。

 トリデプスの頑強さそのものが、メタルバーストの好機を作り出す撒き餌にもなっている。それがトリデプスの"型"ということだ。

 だったら、指示を発してそれを聞く一秒未満の時間すら惜しみ、バトルフィールドにて最速の自己判断を下せるトリデプスに全て任せた方が確実だ。

 あのトリデプスは、戦略と自らの型を理解し、それが出来る賢さがある。トウガンとトリデプスには、その信頼に基づいた戦略が成り立っている。

 

「とはいえ、それでメタルバーストを攻略したつもりになっているなら面白いな!

 私のトリデプスは、君のドダイトスの強力な一撃を何が何でも撃ち返すぞ!

 まして"じしん"など、次の攻撃が見え見えだからな!」

 

「わかってます……!」

 

 しかし、パールは真実に辿り着いた一方で、メタルバーストによる反撃を防ぐ明確な対策を編み出せたわけではない。

 むしろ賢いトリデプスの自己判断による最速メタルバーストは、完璧に封じることの方が難しいという事実に気付かされただけである。

 そしてピョコがトリデプスに対し、最も大きなダメージを与える"地震"は、メタルバーストとの相性が最悪と言っていい。

 揺れだけでダメージを与えられるならまだしも、そんなわけがないんだから。

 

 そもそも"じしん"という技は、激しい揺れによって相手の踏ん張りを利かなくさせて、殆ど無防備の状態に物理的な攻撃をぶちかますことで高い威力を出す技。

 どんなに屈強なポケモンだって、例えば片足で立ってふらふらの状態で攻撃を受ければ、ただの体当たりであっても踏ん張りが利かず吹っ飛ばされる。

 だから自身の体重と重心を日頃から意識する、中身の詰まった岩タイプや鋼タイプのポケモンは、地震で重心をめちゃくちゃにされると殊更にきつい。

 要するに、地震は次の攻撃を必中かつ高威力にする技とでも考えればいいものであって、揺れている間の"次"が必須である以上、カウンター技との相性が悪い。

 今からいくぞ、と予告するも同然の揺れは、相手に構える時間を与えることを避けられないのだ。

 

「だからピョコっ、ギガドレインだよね!」

「――――!」

 

「かぁーっ、やはりな!

 風向きが悪くなってきたぞ!」

 

 ピョコは後退してトリデプスから距離を稼ぐと、離れた場所からでも相手の体力を吸い取る技を発動だ。

 トウガンも大声で参ったねぇの声を出すが、ややその表情は笑みを含む。

 同じことをする挑戦者は多いのだ。メタルバースト対策を捨て、遠距離特殊攻撃に切り替えるチャレンジャー達。

 パールがそれらと一線を画すのは、対策未解決のままその戦法に逃げるのではなく、本質を見抜いた上でその戦術を選んだこと。

 諦観でも暫定でもなく、それが正解と確信した戦い方は、迷いあるままその手段を取った相手より何倍も怖い。底が見えないからだ。

 

「だが、甘く見てくれるんじゃあないぞ!

 トリデプス、今度は攻めだ! お前の力を見せてやれ!」

「――――!」

 

「来るよピョコ! なるべく当たらないように頑張って!」

「――――!」

 

 さて、こうなるとトリデプスも待ちの姿勢を一度崩し、攻めに回らねば勝てない図式。

 じっとしていたら吸われるだけ吸われて終了、ましてメタルバーストで反撃したところで、相手は吸収で体力を得ているからダメージレースで不利も不利。

 ラスターカノンの出番である。大柄になって的の大きくなったドダイトスへ、トリデプスはその広い顔から鋼色のレーザーを発射する。

 

 どかどか激しい足音を鳴らしながらバトルフィールドを駆け、ラスターカノンの直撃を躱さんとする。

 鈍重そうに見えたって、歩幅の大きくなった巨体である。走れば亀の見た目よろしく遅くなんてない。

 駆けるピョコに顔を向け、狙い目つけて撃つトリデプスのラスターカノンを完全回避するのはそもそも難しく、甲羅や足を焼かれる場面もある。

 しかし止まらないピョコにレーザーが当たり続け、じゅううと熱に焼かれる致命的な場面は訪れない。ダメージは決して大きくない。

 

「ピョコいける!?

 走りながらでもギガドレイン、出来るよね!」

「――――z!」

 

「我慢比べの様相だな……!

 その代償は高くつくぞ!」

 

 ラスターカノンを発射しながら、ピョコを追うように顔を動かすトリデプスの光線は、ピョコに躱されるたび鋼色のフィールドにぶつかり乱反射。

 ぴかぴかと眩しいフィールド一帯の発光に、パールはもちろん観客席の三人も目が痛い。慣れているのはトウガンだけ。

 左目をぎゅっと閉じて、右の薄目でなんとか戦況を見極めようとするパールは、それだけでかなり必死になる。

 ピョコの激しい足音が響き渡り、ラスターカノンのフリッカーが猛威を振るうバトルフィールドは、見る者もやり合う者にも試練を与える戦場だ。

 

「――――z!」

「わかってる!

 ピョコ、絶対勝つんだよね! 続けて! ギガドレイン!」

 

「トリデプス、逃がすなよ!

 攻めに回っても強いお前の姿を見せてやれ!」

「――――z!」

 

 観る者にとっては眺めるだけで目が痛むバトル。

 その舞台に立つ者達は、その苦痛を乗り越えてでも、勝ちを掴み取るんだという情熱をいっそう燃え上がらせて戦っている。

 眩しいだろうけど頑張ってくれ、と吠えて訴えるピョコに、パールも応えて強い声。

 本来得意ではない攻め一辺倒の戦術を強いられても、だからって易々と負けるお前だと舐められたくはないと訴えるも同然のトウガン。

 咆哮を返すトリデプスも同じ気持ちだということだ。俺だってジムリーダーの切り札だ。

 どんどん大きくなるピョコの足音、いっそう強くなるラスターカノンの光。

 二人のトレーナーの切り札同士が、目眩もするような眩しいバトルフィールドで意地を燃やしていることは、目を閉じていても瞼を突き抜けてわかるほどだ。

 

「よしっ、いくよピョコ! じしん!」

「――――z!」

 

「っ……! 決めにかかってくるか……!」

 

 勝負の節目をもたらすのはパール陣営だ。

 ギガドレインとラスターカノンのダメージがお互いに蓄積した末に、駆け足のピョコが踏み切って跳び、着地と同時に激しい地震を起こす。

 地震の多いシンオウ地方のミオジム、揺るぎなどしない。だが、凄まじい揺れにはトウガンも再び膝をつく。

 そんな中でトリデプスに駆け始めたドダイトスの姿は、トリデプスに勝負所を意識させるには充分だ。

 

 受けたダメージを膨らませて返すメタルバーストとて、相手の一撃で力尽きては返すものも返せない。

 揺れによって踏ん張りの利かない我が体、それでも耐えて返すものを返してやると眼光を光らせるトリデプスは、まさしく背水の陣の構えだった。

 

「はっぱカッター!」

 

「むぅ……っ!?」

 

 トリデプスに駆け迫りながらピョコが放ったのは、駆ける勢いも乗せて撃ち込む散弾砲撃だ。

 踏ん張る姿勢の不充分な、顔の広いトリデプスにとって、それは充分に痛烈な一撃には違いなかった。

 がすがすと顔面を傷つけるそれに、押され、よろめいたトリデプスは、既に構えていたメタルバーストを発動させてしまう。

 構えた以上は受ければ発動してしまう。それがメタルバーストの弱点だ。

 

「ピョコ~っ!

 がんばれえっ! いけえっ!」

 

「ッ…………、――――――z!!」

 

 葉っぱカッターによって受けた衝撃とダメージを、反撃レーザーに変えて発射したトリデプスの反撃を、ピョコは駆けつつ真っ向から受けている。

 ばちんと顔に、それも目元に受けたそれに頭を振り上げながらも止まらない。

 揺れはおさまっていないのだ。トリデプスの体勢は崩れている。

 今ぶつかっていけば、メタルバーストさえ発動直後でもう次が無いトリデプスの、無防備なその状態に体当たりを叩き込めることを確信しているのだ。

 やばい、これはまずい、と、迫るピョコを歯を食いしばった目で睨むトリデプスの表情が全てを物語っている。

 最初に一度地震を見せつけられ、二度目の地震でメタルバーストの発動を焦ったことが、間違いなく仇になっていたと言えるのだろう。

 

「トリデプス……!」

 

 凹凸の多いトリデプスの顔面に、ピョコは激突直前に頭を引っ込め、半ば甲羅でぶつかっていくような強烈な全力体当たりをぶつけた。

 激しい縦揺れの中で地に足が着いていないも同然のトリデプスは、その突進で大きく後ろに押し出され、腹這いのままフィールドを擦る結果に。

 あの巨体がそれほど突き飛ばされるというのだから、巨躯のピョコの体当たりの強さと、地震で足元を崩された弱みの大きさが共に顕れているというものだ。

 

「っ、ピョコ! メガドレイン!」

「――――z!」

 

「参ったな、気を抜かんか……!

 よくやったぞ、トリデプス! ここまでだ!」

 

 それでもぎりぎり、戦闘不能にならずに踏み止まったトリデプスが、立ち上がろうとしていたのだから油断ならない。

 決して気を抜いていなかったことは評価すべきだが、パールも焦り気味にとどめの一撃を指示していたほどである。

 一週間かけてトリデプスの撃破手段を考えてきて、それが実を結んでそれを討ち破った挑戦者にも、最後に焦りを覚えさせる意地をトリデプスは見せた。

 現にトウガンがトリデプスをボールに戻しても、よかった、やっと勝った、と胸を撫で下ろす姿を見せただけでも、トリデプスはそれだけのものを遺したのだ。

 

「見事だ! 私の切り札を打ち破るとはな!

 だが、私はまだ二匹の札を残している! 勝ったと思ってくれるなよ!?」

 

「わかってます……!

 まだまだここからです! ピョコ、そうだよね!」

「――――z!」

 

 勝利の余韻になど浸らせないトウガンだ。意図して、そうしている。

 調子に乗らせて浮かれさせてもいい。そういう心理戦もある。

 前回のバトルでは、パールに泣きを見せたトリデプス、その撃破が果たされたこの局面だ。それが出来る余地も充分にあった。

 そもそもトウガンには、展開次第ではそうした心理戦運びにすることも視野に入れて、切り札トリデプスを先鋒に選んだというしたたかさもあったぐらいだ。

 

 しかし、もうトウガンにはこの一戦でわかっている。

 パールは調子に乗らせて甘い判断を引き出そうとしたって、浮かれるような子じゃないことが。

 立ち上がろうとしたトリデプスを見て、その怖さにひりついて、慌てて追撃指示を出すほど、その緊張感に途切れは無い。

 だったらトリデプスが最後に示した意地を礎に、いっそうのプレッシャーをかけて精神的な負担をかけにかかる方が有効だ。あれは、そういう相手である。

 トリデプスが遺してくれたものを、トウガンはしっかりと活かしている。

 

「いくぞ! ドーミラー!」

 

 間を置かずして次鋒を繰り出すトウガンだ。パールに落ち着く暇を与えない。

 それでいて、"ふゆう"していて地震攻撃を受け付けないポケモンを即座に選べるトウガンは、パールへの揺さぶり方がわかっている。

 進化して地を揺らす力を得たドダイトスに対し、その大技を封じる一枚札を最速で切り出せる判断早さも、まさにジムリーダーのそれと言えるだろう。

 

「ピョコっ!

 がんがんいくよ! つっこんで!」

「――――z!」

 

「ドーミラー!

 まずは惑わせ! 恐れるな!」

 

 しかし、トウガンの希望的観測は流石にはずれている。

 地震が効かない相手にまずどうしよう、と一秒でもパールが悩んでくれればしめたものなのだが、パールは最速で最善手を選んでいる。

 流石にそこまで甘くはないか、と内心で思いながらも、トウガンは甘くないこの展開にも沿った指示を発していた。

 元よりこのつもり。理想形ではなかったというだけ。

 せいぜい立ち上がったパールの姿を見て、地震を使うつもりはやはり無い模様、流石にそこまで知識すっからかんではないなとわかった程度。

 

「ッ、ッ――――!」

 

「ピョコ~っ!

 しっかりっ、食らいついてえっ!」

 

 ドーミラーが発した"あやしいひかり"で惑わされ、目の前の光景が歪むような現象に襲われながらも、ピョコはドーミラーにかぶりついた。

 "こんらん"させられた上で、回避行動にも移っていた相手への噛みつき成功だ。

 仮にもう一度同じことをやれと言われて、必ずしも上手くはいくまい。運には見放されていない。

 

「~~~~……ッ!」

「じんつうりきだ! ドーミラー!」

 

 ピョコに噛みつかれたドーミラーには、ばきりとひびが入るほどの力が込められている。

 単なる噛みつく攻撃ではなく"かみくだく"一撃なのだろう。

 緊急回避手段を口にするのが先、ドーミラーの名を呼ぶのが後、そんなトウガンの指示からもこの状況の逼迫ぶりは明白だ。

 激痛に両目をぎゅっとしながらも、神通力を発動させてピョコの顎の力を弱めたドーミラーは、牙から逃れてくるりと翻るように身を回し宙に逃れ果たす。

 

「ピョコはっぱカッター! 頑張って!」

 

「よし……!

 ドーミラー、さいみんじゅつだ!」

 

 逃げた相手を好きにはさせまいと葉っぱカッターを指示したパールだが、景色がぐにゃつく混乱したピョコは、ドーミラーに葉っぱカッターを当てられない。

 当ててもダメージは小さいが、少しは相手の行動を遅らせることは出来たはずだ。

 それが当たらなかったことに笑みを浮かべたトウガンの指示は、ドーミラーがピョコを追い詰める技の発動を促している。

 

「ッ――――!?」

「あっ、あっ……! ピョコ……!?」

 

「今だ、ドーミラー!

 ラスターカノンを叩き込め!」

 

 ドーミラーの"さいみんじゅつ"を受けてしまったピョコは、目を閉じていないものの意識朦朧だ。

 "ねむり"と言われる症状だが、そうは言っても本当に眠りこけてしまうわけではない。

 とはいえ、朦朧とした意識でまともに反撃出来なくなってしまう症状には違いないのだ。

 まあ、そういうわけなので命中率の低い技、大味な攻撃はしばしば躱せることもあるのだが。

 とはいえラスターカノンは命中率の高い技である。まともに反撃できなくなったピョコを焼く直撃、熱さに目が冴えそうになってもピョコは反撃に移れない。

 

「ううぅぅ……!

 お願いピョコ、頑張って頑張って……!」

 

「祈ることしか出来んというわけだ……!

 苦しい状況だな! さあどうする!」

 

 少し待てばピョコも意識を回復させ、反撃に移れるだろう。

 そうなる前に倒されてしまっては元も子も無いが、元々ドーミラーは攻撃力には秀でない。

 ドダイトスの目が冴える前に仕留めきる、という目測はトウガンも立てていない。それまでにどれだけダメージを積めるか、というのが本懐だ。

 しかし口撃によりパールに迫り、冷静さを欠かせようとする揺さぶりは怠らない。ジムリーダーってこういうところがしたたかである。

 パールがいかにもそうした揺さぶりの効きそうな、素直で感情的な子だと見抜かれやすいのも問題なのかもしれないが。実際、効いている。

 

「ッ――――!」

「ピョコ~っ! がんばれえっ!

 食らいつけえっ!」

 

「まったく、がむしゃらだな……!」

 

 やっとピョコの目に光が戻ったのを見て、すかさず"かみくだく"の指示を出すパールの戦い方の単調なこと。

 まあ、それしか無いのでベストの選択だが。

 余裕が無くてそれしか言えないのか、それしか無いとわかってそれを貫いているのか、判断つかないのがパールの厄介なところだが。

 恐らく両方なのだろう。がんばれ、とか意味のない指示も出しているぐらいなので。言われなくてもあのドダイトスは頑張りそうだし。

 こういう挑戦者には心理的駆け引きを仕掛けにくいな、とトウガンは思う。

 だってどう仕掛けようとも、結局当人の思ったままに動きそうだし。こっちの掌の上で心理を転がせない相手というやつ。

 

「ラスターカノンだ!」

 

 催眠術で意識を乱されていた間に、混乱していた目は正されていたのだろう。

 迷いなき目で真っ直ぐドーミラーに噛みついたピョコは、再びばきばきとドーミラーのひびを伸ばす。

 食らいつかれたまま、ドーミラーは全身から強い光を発し、至近距離でピョコに光線をぶち当ててくる。

 "じんつうりき"による脱出を捨てた最後っ屁。ダメージの蓄積を優先した一撃だ。

 

「ッ、ッ――――!

 ~~~~~~!」

 

 執念を燃やして牙に力を入れるピョコは、いっそうの力で以ってドーミラーの全身を走るひびを広げた。

 これ以上はまずい、とトウガンもドーミラーのボールのスイッチを押しかけたが、それより早くピョコが首を振るい、ドーミラーを放り投げた。

 それも、トウガンの足元に向けてだ。亀裂まみれになったドーミラーが、特性"ふゆう"の力も発せぬコンディションで、床にがつがつと転がる。

 こいつもう限界だろ、殺したいわけじゃない、と、トウガンを睨みつけるピョコの眼差しに、トウガンも参ったという表情を返す他無い想い。

 

「……ドーミラー、よくやった。

 いいはたらきだったぞ」

 

 実際のところ、これ以上戦わせられない状態になったドーミラーをボールに戻したトウガンの判断は、ピョコの眼差しに絆されたわけではない。

 あくまで、ジムリーダーとして。それは発言もそうだ。

 ドーミラーは、あの難敵ドダイトスに充分なダメージを与える役目を果たしてくれたのだ。良いはたらきという言葉に偽りは無い。

 催眠術で動きを縛ったピョコが、数発のラスターカノンを受けた光景には、パールもこの後が大丈夫だろうかとはらはらしている姿を見せている。

 ピョコが二連勝した中で、喜びの態度一つ見せず、胸の前で両手を握りしめている姿からも、それは明らかなものであろう。

 

「――――――――z!!」

 

 きっと、そんなはらはらしているパールを意識してのことなのだろう。

 ドーミラーの撃破を果たしたこの局面で、ピョコはバトルフィールドに降り立った時以上の咆哮を発していた。

 それはまるで、パールに対し、しっかりしろと訴えかけるよう。

 俺はまだ戦える、指示を頼むぞ、お前がしゃんとしてくれなきゃ困る。

 吠えた直後にパールを振り返るピョコは、幾度もラスターカノンを受けてダメージの残る体を息遣いで上下させながら、その眼は闘志に溢れているのだ。

 唐突な咆哮にびくっとしていたパールも、そんな目を向けられては、応えずにはいられないポケモントレーナーである。

 

 あんな彼の心意気に応えられずして、何がピョコのトレーナーか。

 ぷるぷると首を振り、ばちーんと両手で自分の顔を挟むようにして叩き、気合を入れるパールの姿がある。

 むしろその姿には、プラチナが一番びっくりしたぐらいである。

 

「っ、ピョコ! 頑張ろうね!

 私ぜったい、ピョコの足は引っ張らないよ! 力になってみせるから!」

「――――z!!」

 

 その一幕を見届けていたトウガンは、ふっと笑わずにはいられなかった。

 ジムリーダーは、数々の挑戦者を迎え撃ってきた身だ。

 色んなトレーナーがいた。パールのような、自分のポケモンをコントロールすることを至高としない挑戦者も、決してこれまでにいなかったわけではない。

 しかし往々にしてその手のトレーナーは、結局最後は力及ばず、大きな壁にはね返されて敗北を喫することも、トウガンはよく知っている。

 ポケモンを信頼して全てを委ねるのは結構。

 だが、それに傾き過ぎたって、ポケモンの能力そのものを育てきれず大一番に臨むのが殆どで、結果がついてこないのが殆どというのが実状だ。

 伊達にシンオウ最年長のジムリーダーではないトウガンだ。見てきたものの数は他のジムリーダーに勝る。

 ポケモン任せのトレーナーは、必ず5つ目6つ目のバッジで止まるのだ。

 

 今日の挑戦者は違う。

 心根ではポケモン頼りであり、それは言動の端々にも垣間見える。

 その一方で、頼りのポケモンが勝ってくれることを単に祈るでもなく、なんとか頼もしいポケモン達に追い付こうと、その姿勢がある少女のそれだ。

 トリデプスを破ったあの戦法の数々は、間違いなくパール自身が考え至り、あのドダイトスを導いたものに違いない。

 パールは自分のポケモンを頼っている。だが、そんな彼ら彼女らの力になれるよう、立ち止まらんとする気概に溢れている

 それが、信頼し"合って"高め"合う"ということなのだ。理解してそうなのか、それとも地か、パールはそれを叶えられている。

 恐らく後者だと思うからこそ、トウガンも心躍るというものだ。

 未成熟ゆえ、だからこそ純真、そしてそれゆえにある爆発力。この未知を迎え撃つ楽しみは、幾多の挑戦者を迎え撃つジムリーダーだからこそ出会える縁。

 

「――パール君! 君は今、こう考えているだろう!

 私の切り札とも言えるトリデプスを破った今、しかし私が最後に繰り出すポケモンが、その切り札にも匹敵するカードだとどうすればいいか、とな!」

 

「う……!」

 

「確かにトリデプスは私の切り札と呼ぶに値する一匹だ!

 だが、それを先鋒に選んだ以上、私もその後続をだらしない消化試合にするつもりは無い!

 それぐらいの現実は、あらかじめ理解して頂きたいな!」

 

 なんだか楽しくなってくるトウガンである。

 一言一句に振り回され、図星を突かれればあっさり怯むパールなんだもの。

 心理戦を仕掛けづらい相手とは思ったが、揺さぶりがいはある。あくまで、バトルの駆け引きとは別の楽しみの一つとして。

 

 しかし、発する言葉そのものは強がりでもなければ作り話でもない。

 あくまでそこには、明確な自信がある。

 ここから先に何の逆転見込みも無い中で、強気の発言で揺さぶって少しは苦しませてやろうなんてつもりでパールを揺さぶっているわけではないのだ。

 そんな小さなジムリーダーは、シンオウ地方に一人もいない。

 

「先のバトルでは、3対2の状況からストレート負けをした君だ!

 今は2対1! さあ、巻き返すぞ! 覚悟しろよ!」

 

「……はいっ!

 ピョコも私も、絶対負けませんよ!」

 

「いくぞ! ハガネール!

 お前の力を見せてやれ!!」

 

 最後のポケモンが入ったボールを投げたトウガンによる、もう一体の切り札の降臨。

 広いバトルフィールドを一気に狭くする巨体が、ずしんと地を揺らすほどの衝撃と共に降り立った光景は、パールは再びひりつかせるには充分だった。

 間違いなく強敵。そう感じたのはパールだけではない。

 他ならぬ、それと対峙するピョコが、ジム生の繰り出してきたハガネールとは全く次元の異なるそれであると、確信して重心を下げるほどだ。

 

「――――――――z!!」

 

「ジムリーダーの切り札が一体だけだと思うなよ……!」

 

 雄叫びをあげるハガネールと共に、強い声でそう発するトウガンの声に偽り無し。決して、はったりではない。

 それをパールが真の意味で思い知るまで、そう時間はかかるまい。

 

 因縁深きトリデプスを破り、ドーミラーをも撃破して、残り札一枚というところまでトウガンを追い詰めたパール。

 2対1のリードは安心できるものだろうか。現実は果たして。

 真のジムバトルは、まさしくここからだ。



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第79話   怪獣対決

 

「さて、ハガネール! 挨拶代わりだ!」

 

「わわわっ、ピョコっ、なに来るかわかんないけどとりあえず避けて~!」

 

 これまでのジムリーダーと同様に、技の名を明かさない指示を出すトウガンと、それを受けて何が望まれているかしっかり理解しているハガネール。

 対するパールの、よくわかんないけどとりあえず避けての指示を出す稚拙さたるや、バッジ5つ集めてきたトレーナーの姿かね、と。いっそ潔いが。

 こんなパールと一緒に戦ってきたピョコも慣れっこであり、相手の大振り"アイアンテール"を見極め、駆けて鋼の尾先をぎりぎり躱す位置取りまで移っていた。

 少々掠って痛いとは思ったが、大きなダメージにはなっていなさそうだ。

 

「っ、はっぱカッター!」

「――――z!」

 

「ハガネール! わかるな!?」

 

 巨躯による大迫力のアイアンテールと、それをあわやで躱すピョコの姿には、パールも背筋が冷たくなるのだけど。

 怯まず指示、勝つために。ちゃんとピョコの力にはなれている。

 ハガネールは頭と体を動かして、自らの胴体を頭部を守る盾のようにして葉っぱカッターの乱射を受け切っている。

 

 核とも呼べる頭部に比べて、胴体は余程に痛烈な攻撃を受けない限りは致命的にならないのだろう。

 しかし鋼タイプで草タイプの攻撃に耐性を持つハガネールながら、地面タイプを複合しているため、ドダイトスの草技に対する耐性を過信することは出来ない。

 自らの強靭さに驕らず、大切な頭部をきっちりと庇う姿に抜かりは無し。

 

「怖い挑戦者だな……!

 ハガネール、ここは落とさんぞ! 破れば自慢できる相手だ!」

「いけるよ、ピョコ! 頭、狙っていこう!

 はがねタイプがなんだっ、ピョコなら絶対勝てるよ!」

 

「「――――――――z!!」」

 

「キてるな、お互い……!

 気合入ってる……!」

「あわわわ……と、トウガンさんは負けまセーン!

 我々を指導するあの人の強さは本物デース!」

「トリデプスを破ったからって調子に乗り過ぎデース!

 ここから巻き返すのが、我らがトウガンさんデース!」

「さあ、どうかな……!

 パールとピョコのこと、そんな風に甘く見ない方がいいですよ……!」

 

 今の一往復の攻防だけで、ジムリーダーと挑戦者も、そしてバトルフィールドで対峙する巨躯の主役らも、収まりつかぬほどの情熱を燃え滾らせていた。

 未だ未熟さの目立つパールだが、まるで年長者のように自立したドダイトスの戦いぶりは、その頼りなさを問題にせず、むしろ自ら引っ張るほど。

 そしてパールも、ハガネールの弱みの一つが頭部へのダメージだと、推察し、見極め、導き果たさんとしているではないか。侮れようものか。

 

 ピョコも、ハガネールも、これを打ち破れば誇れる強敵であると、重々互いを強く認識したことだろう。

 トウガンとパールの声に対し、空気が震えるほどの咆哮で応えたピョコとハガネールの闘志たるや、観客席の三人に鳥肌を立たせるほどのものがある。

 師たるトウガンの勝利を信じてやまぬ元ギンガ団員の二人や、そんな二人を煽り返すプラチナが、胸を熱くした言葉を交わす根拠と言って何ら相違ない。

 

「いくよピョコ! はっぱカッター!」

「打ち返せ! ハガネール!」

 

 再び飛び道具を放たせるパールとピョコに、ハガネールはその葉っぱカッターを振り抜いた尾ではじきつつ、それをピョコ目がけて振り抜く動き。

 攻防一体、"たたきつける"とも"アイアンテール"ともつかぬ一撃を、ピョコは歩幅の大きな駆け足で避けている。

 元々回避されやすい大味な一撃は、巨体に似合わず反射神経に秀でて駆けるピョコには躱しやすい方だ。

 そしてハガネールの側面位置へと身を移せば、再びハガネールの横顔めがけて葉っぱカッターを発射する。

 ハガネールも前進するように頭を動かして躱しにかかるが、がすがすと数枚のカッターは頬に直撃し、少しハガネールも目を細めている。効いてはいる。

 

「ピョコ、じしん!」

「――――z!!」

 

 すかさず畳みかけるパールの指示に、ピョコが両前足を振り上げてフィールドを力強く叩いた。

 ジム全体を揺らすその地震は、観客席の三人が息を詰まらせるほどの揺れを起こし、パールははなから立つことを諦めて自ら座り込んで。

 屈強かつスコップを杖代わりに出来るトウガンだけが辛うじて中腰で立てるほどの大きな縦揺れは、巨体のハガネールすら全身浮き足立つ。

 

 地に足を着けていないようなこの状態であの大きなドダイトスにぶつかられれば、自身の重さがあり過ぎるハガネールにとっては相当痛い。

 これが"地震"の恐ろしいところだ。地に足着けた戦い方を主流とする、どっしりとした岩ポケモンと鋼ポケモンの打たれ強さを削ぎ落とす技。

 

「いっけえっ!」

 

「ハガネール、こちらもだ!」

「――――z!」

 

 そしてトウガンも、鋼ポケモンのエキスパートとして、元より知れたそのような策に何の対策もしていないはずが無い。

 この揺れの上で人が立てぬように、身体を落ち着かぬほど上下させられた中で、ハガネールはその顎を振り下ろして床を全力で叩いた。

 それによって生じた衝撃波は、フィールド全体に波紋のように勢いよく広がって、ピョコの発した地震にいっそうの揺れを加える。

 それは自身の生み出した揺れの中でなら走れるピョコの足を取り、さらにハガネールの体を揺らし過ぎる振動を一部相殺し、ハガネールの身構えを許す。

 止まってたまるかとそのまま駆け込むピョコの体当たりが、顔面直撃を避けて頭を上げたハガネールの首元に、凄まじい音を立てて激突だ。

 激突の瞬間に頭を引っ込め、甲羅でぶつかる形に切り替えるピョコの判断力も的確であろう。頭をぶつけていくには相手が硬すぎて自分も痛い。

 

「ハガネール、噛み砕け!」

 

「っ……!?

 ピョコだめ~っ! 絶対避けてえっ!!」

 

 激突の衝撃で、ハガネールも身を引きピョコも反動めいた痺れに一歩退がったが、ハガネールが大口を開けて食らいつきにかかる反撃だ。

 あくまでただの"かみつく"か"かみくだく"でしかない一撃に、パールは背筋がぞわっとするような直感を覚え、思わず必死の回避を指示していた。

 甲羅にこもって凌ぐことも考えていたピョコも、あれほど必死なパールの叫びにはすぐに気持ちを切り替えて、素早く後方に退がってハガネールの牙を躱す。

 目の前でがちんと金属音めいた牙の音を鳴らしたハガネールと目が合うピョコ、間近で見たハガネールの殺意めいた目には、ピョコも戦慄を感じていた。

 

「まだだ! ぶつかれ!」

 

 牙の一撃を躱されたハガネールに、近い相手だぞと秒も置かぬ追撃を命じたトウガンにより、ハガネールがその頭を突き出してくる。

 あくまでただの"たいあたり"か"ずつき"に過ぎない一撃だが、大きく重いハガネールのその一撃は、巨体のピョコでも額で受け止め後退するほど。

 そのまま何歩も後退を足して、ハガネールから距離を取るピョコの判断はやや臆病だろうか。

 眼前で、必勝さえ意識して噛みつきにかかってきたハガネールの眼差しを間近で見たピョコが、慎重に距離を取るほどその眼は迫真だったということだ。

 

「ハガネール! そろそろいくぞ!」

「――――z!」

 

「えっ、えっ……!?

 ちょっと……!?」

 

 ピョコが強い警戒心を抱いたことを見受け、トウガンは次の作戦にシフトする。

 ハガネールがバトルフィールドにそびえ立つ四本の太い鋼柱、その中でも今のピョコに最も近い位置のものに直進だ。

 そして蛇が樹木に巻き付いて這い上がるかのように、らせん状に頭を天井に向けて登らせる。

 朝顔の蔓のように全身と鋼柱を一つにしたハガネールが、ぐいと顎を引いて高所から地上のピョコを睨み下ろす。

 

「狙い撃て! ハガネール!」

 

「ピョコ避けて!

 きっとレーザー……って違うぅぅっ!?」

 

 口を開いたハガネールから、てっきりラスターカノンでも撃たれるのかと思ったら、ピョコ目がけて放つそれは紫色の炎。

 正しくは"りゅうのいぶき"。しかし、赤い火よりも強い熱を含んでいそうな炎色ブレスは、パールを大慌てさせるには充分だ。

 ピョコは炎に弱い。竜の息吹が炎に見えれば焦る。

 あれが炎技じゃないことぐらい一目でわかるプラチナからすれば、パールの慌てようにはもうちょっと勉強しようよ感溢れる溜め息が出る一幕でもある。

 まあ、テレビで見る最高峰のポケモンバトルにおいても竜の息吹が繰り出される機会は少ないので、実戦で初見となるトレーナーも多い技ではあるが。

 

「さあ、こちらのターンだ!

 逃がすな、ハガネール!」

「――――z!」

 

「あわわっ……!

 ピョコ、避けて避けて! 今はとりあえず!」

 

 岩場の高所から炎を吐き下ろす竜のように、ハガネールは高い場所に陣取った頭部と口から竜の息吹を発してくる。

 駆けて躱すピョコだが、狙いの良いハガネールの攻撃はピョコの後ろ足など、身体の一部を焼く成果は残している。

 対象からやや距離があるゆえ、回避に徹されると命中精度に多少の粗が出るのだろう。

 その一方で、最も狙いたいハガネールの頭が高く離れた場所に構えているせいで、ピョコの方こそ反撃の手立てに悩ましい。差し引き、状況は悪い。

 

「離れれば安全圏だと思うか!?

 ハガネール、移れ移れ! 追い詰めろ!」

 

「えぇっ、ちょっとぉ!?!?

 そんなでっかいのに身軽なの!?」

 

 逃がさないハガネールだ。

 柱から柱へと跳び移るかのように頭を伸ばし、そのさなか空中で、柱からは遠かったピョコの上空にあたる位置から竜の息吹を吐き散らかしてくる。

 大蛇が樹から樹へと跳び移るかのような挙動にして、宙空でブレスを発して獲物を焼かんとする姿は、さながら伝説上の飛竜の如し。

 跳び移った先の柱にもぐるぐると巻き付いて、守るべき頭部をピョコから遠い場所に保って隙を見せない。

 

「駄目だこれ……!

 なんとか引きずり降ろさなきゃ……!」

 

「ハガネール、まだだぞ!

 徹底的に追い込め!」

 

 広いバトルフィールドだが、これではどこに逃げてもハガネールの射程圏内から逃れられない。

 駆けて竜の息吹によるダメージを最小限に抑えながら逃げ回るピョコも、ぐいと首を上げてハガネールの頭部を睨みつけている。

 はっぱカッターを撃ち込んでも、相手がくいっと頭を動かすだけで凌がれるだけだろう。

 焦ってそうした指示を出さないパールは正しく、トウガンも今は手を緩めるべきではないとハガネールに念を押している。

 対抗策を導き出されるより前に、少しでもダメージを積んでおかねば。

 

「ピョコ、じしんやってみて!」

「――――――z!!」

 

「やはりな……!」

 

 駆け足のまま低く跳躍し、四本脚で地面を打ち鳴らして地震を起こしたピョコに、トウガンも強き挑戦者と戦っている今に心躍る笑みがこぼれる。

 すぐにこの解答に辿り着くだろうとは思っていたのだ。幼く臆病と見える割に、風向きが悪くなったこの戦況を打破する技を選び抜ける強者ではないか。

 

 引っかける所も無いすべすべの鋼柱に巻き付いているハガネールは、いわば全身の握力で柱にしがみついているような状態なのが実状だ。

 人がその手で登り棒にしがみつくのと同様に。

 そんな中でしがみつく柱ごと揺らされては、どんなに力を入れたって隙間が空くたびずり落ちる。

 激しく揺れるフィールド上にあって、いびつな形ながら強引に柱へ巻き付いていたハガネールが、高度を保てず床に近付いてくる姿へ既にピョコは駆けている。

 

「いっけえっ! ぶつかって!」

 

 柱にしがみつけず頭を下げてきたハガネールの頬に向かって、ピョコが地を蹴り跳びかかるような体当たりだ。

 頭を引っ込め、甲羅という名の砲弾でぶつかっていった一撃に、受けたハガネールものけ反るように頭を反らしている。

 地震による揺れでハガネールの踏ん張りが利かなかったこともあり、これは痛烈なダメージとして通ったはず。

 

「まだだ、ハガネール! 尻尾を引け!」

 

 それでもトウガンはハガネールに反撃を急がせた。いま相手に好き勝手な追撃を許してはまずい。

 柱に巻いていた胴体をほどき、太い尾先を操って、強烈なアイアンテールをピョコの側面からぶつけてくるハガネール。

 さすがに痛烈だ。硬い甲羅と鋼の塊の激突音は、交通事故のような激しい音で、パール達の耳の奥まで揺さぶってくる。

 

「焼き払え! もう一度行くぞ!」

 

「ピョコ大丈夫!? 頑張ってえっ!」

「ッ――――!」

 

 竜の息吹を吐いてくるハガネールの追撃を、ピョコは少々足にくるほどのダメージでも、駆けてしっかり躱している。

 そのままハガネールは、ピョコから離れた方の鋼の柱へと突き進み、ぐるぐるそれに巻き付いて上がるようにする。

 再び高所からピョコを見下ろす形になり、息を吸うような仕草はブレス放射の予備動作。

 

「もう一回地震!」

「――――z!」

 

「ハガネール! わかるな!?

 ブレスもだぞ!」

 

 登られれば引きずり下ろす、パールの判断に間違いは無い。

 だから、トウガンもそう来るだろうと最初からわかっている。そして、ハガネールも。

 具体的ではないトウガンの指示、それでもここでどうすべきなのか、最短の指示と自己判断で見定められる、ハガネールの賢さが最も脅威的。

 

 柱にしがみつけなくなった体を早々にほどき、長い体の尾先でピョコを突くかのように下半身を伸ばしてきたのが第一の反撃。

 地面を揺らされ降りてくるハガネールに向かって突き進もうとしていたピョコを、真正面から迎撃するかのような一撃だ。

 これをなんとか躱したピョコはなおも突き進むが、高い位置からずり落ちてきつつある中で、ハガネールは竜の息吹をピョコへ放つことを怠らない。

 二枚重ねの迎撃に、竜の息吹こそなんとか横っ跳び気味に凌いだピョコだが、ずしんと一度顎を床に降ろしたハガネールへの接近が止まってしまう。

 

「捕えろ! ハガネール!」

 

「えっ!? あっ!?」

 

 ピョコの当たらなかったハガネールの尾、しかしそれはなおも進み、動き、ピョコの周囲広くに輪を作るように曲がっていく。

 そして獲物を捕らえる投げ縄の輪のように、ピョコを中心に一気にその輪を縮めてくるのだ。

 長い鉄蛇ボディでピョコに巻き付き、動きを止めるための行動だとパールが気付いても、回避手段を閃くには時間が無さすぎる。

 ピョコの巨体と低い跳躍力で、ハガネールの太い体は飛び越えられない。

 

「っ、ピョコ~! なんとか……」

「――――z!」

 

「なに!?」 

 

 じゃらららと激しい音を立てて自らを締めにかかろうとするハガネールの胴体を、自ら駆けだしたピョコは思いっきりかち上げた。

 頭を下げ、鋼の大蛇の体を頭で殴り上げるようにして、甲羅に映える樹木の高さ以上にまで跳ね上げると、その下へ潜り込むようにしてくぐり抜ける。

 ハガネールの胴体が作った輪から免れると、パールの方を一瞬見て、すぐにハガネールの頭部を睨みつけるピョコは、パールを導くことも忘れない。

 

「っ……! じしん!」

「――――――z!!」

 

 そうそう、待ってたその声を、とばかりに低く跳んだピョコが、四本足で着地した瞬間に全方位へ放つエネルギー。

 激しい揺れがハガネールの全身を、頭部も含めてバランスを保たせず、そのまま突き進んでいくピョコの体当たりがハガネールにぶち当たる。

 顔面直撃はまずい、と辛うじて頭を振り上げたハガネールだが、喉元にあたる場所へ頭を引っ込めたピョコの甲羅が激突する衝撃は痛烈だ。

 揺れる地面のバランス悪さも手伝って、真上を向いたハガネールの体が後方にぐらつき、そのまま後頭部から地面に倒れ込んでいく寸前ですらある。

 

「ピョコ来るよ! 退がってえっ!」

 

「しっかりしろ! 反撃だ!」

「――――ッ!!」

 

 やったか、と思ったのは苦しい戦いの中にあるピョコだけだ。早く勝ちたい、希望的観測が少し湧く程度にはピョコだって苦しい。

 それでもハガネールの目と身体が死んでいないことをちゃんと見ているパールの指示が早い。トウガンの指示よりもだ。

 それによって正しい現実を突きつけられるピョコの眼前、ぐいっと顎を引いてピョコを見下ろすハガネールは、竜の息吹を吐き出してくる。

 

 近すぎて元々完全回避は出来ない。紫色の炎がピョコの全身を焼き包む。

 それでも、一瞬でも早く逃げるべき局面だと思い出していたピョコの初動が早く、焼き続けられる時間は最小限に抑えられたとも言える。

 竜の息吹から逃れたピョコが、げはっと苦しそうな息を吐く中、ハガネールもブレスを吐き続けるのは苦しいかのように、べはっと荒い息を吐いてしまう。

 こちらも喉元に痛打を受けた身だ。その上で竜の息吹をすぐさま吐き返したというだけでも、充分過ぎるほどの根性を見せている。

 

「っ、ギガドレイン……!」

 

「5度目だな……!

 最後のギガドレインだろう!?」

 

「やっぱりバレてるか……!

 頑張れ、ピョコ……! パール……!」

 

 甲羅が目に見えて上下するほど息が荒くなっているピョコに、パールが少しでも立て直せるようにと指示を出す。

 ギガドレインは、一度のバトルで何度も使える技ではない。5回が限度、というのが一般的な目安だと、トウガンもプラチナも知識で知っている。

 一番それをよく知っているパールにとって、見抜かれていること以上にその事実は重い。もう、ピョコの体力を回復させる有力手段が無いのだから。

 

 メガドレインでは効果不足だ。そして"こうごうせい"も、このバトルでは使いものにならないであろうという事情がある。

 光合成は、技の完遂までしばらく動かずじっとしなくてはならないからだ。

 危険な大技を一つ持っている気配のあるハガネール相手に、今日この技は使えない。

 

「行け! ハガネール!

 勝負を決めにいくぞ!」

 

「ピョコ駄目だよ! 絶対それだけは受けちゃ駄目えっ!」

 

 ぐばぁと荒い息一つ吐いて体勢と呼吸を取り戻したハガネールが、それに際して開いた口のままピョコに襲いかかってくる。

 ただの"かみくだく"ならまだ良いが、あれは単なるそうした攻撃ではないと、パールはなんとなく察している。

 ピョコが弱っている今のように、当てられそうだという時にしかあの攻撃を仕掛けてこないのだもの。必殺技の気配がしてならない。

 かろうじて身を逃がすピョコのすぐそばで、ばきんと顎を噛み鳴らすハガネールの、これさえ当てられればと惜しむ眼もそれを物語る一幕か。

 

「まだだぞ! 撃ち込め!」

「――――z!」

 

「はっぱカッター! 頑張れピョコ!」

「ッ、ッ――――!」

 

 噛みつく攻撃がはずれれば、すぐに首を動かしてピョコへ竜の息吹。

 近いがそう来るとわかっていれば、ピョコも動いて半身を焼かれるだけのダメージになんとか抑える。それでも熱く、きついのだが。

 その眼は闘志を失っていない。葉っぱカッターでがすがすとハガネールの顔面を打ち据え、畳みかけんとするハガネールの猛攻を挫きつつダメージを積む。

 

「じしん!」

「こちらもだ!!」

 

 両前脚を振り上げたピョコが地面を叩くのと、ハガネールがその顎を振り下ろして地面を叩くのはほぼ同時だった。

 両者が起こす、地を揺らすエネルギーは今日最大に地面を揺らし、スコップを杖代わりに出来るトウガンさえ片膝をつくほど。

 そんな互いが起こした凄まじい揺れの中、敵に向かって突き進むピョコの全身とハガネールの頭部が、真正面からぶつかり合う。

 直撃寸前に頭を引っ込めたピョコの甲羅と、石頭以上の頑丈さを誇るハガネールの正面衝突は火花すら起こし、激突音だけで肌がびりびりするほど壮絶だ。

 

「~~~~~~ッ……!」

「――――ッ、ッ……!」

 

 両者たじろぐように後退するが、頭を出したピョコも、のけ反りかけた頭部をぐいと引き戻すハガネールも、再び相手を睨みつける。

 どちらも痛過ぎて片目が開けられていない。両目開いた眼光半分の迫力。

 それでいて、きっとパールがそれに真正面から睨まれでもすれば腰を抜かすであろうほど、その眼力が放つ不屈の闘志は凄まじい。

 両者の横顔を見ただけで、観客席のプラチナがぶるっとするほど、この一戦に懸けるピョコとハガネールの執念には只ならぬものがある。

 

「「――――――――z!!」」

 

「ピョコ……!」

「むうぅ……っ!」

 

 大気まで震わすほどの咆哮をあげたドダイトスとハガネールが、トレーナーの指示も仰がずして、両足や顎を振り下ろして再び地を揺らす。

 一度目の余震が残る中で、再度加えられた地震エネルギーはいっそう地を揺らし、ピョコとハガネールが再び全力駆け。

 額と甲羅の頭の部分をぶつけ合う二人は、開いた片目で至近距離で一瞬睨み合い、折れぬ闘志を突きつけ、受け止め合う。

 

 意地めいた消耗覚悟のぶつかり合い、己の甲羅か顔面にヒビでも入ったかと思うほどの苦痛に表情を歪めながら、よろよろと退がった両者の目。

 一瞬のみ、気絶しかけたかのように遠い目すらしたものの、その執念で意識を引き戻し、ばちりと両目を開いて相手を睨みつける。

 絶対に負けたくないのだ。

 自身の敗北がトウガンの敗北そのものであるハガネールも。

 悔しい悔しい敗北を一度経験したパールに、あの日のことさえ良い思い出に出来るぐらい、今日は最高の結末を掴ませるんだと腹を括ったピョコも。

 負けられない気持ちに戦況など関係ない。ひとつひとつの戦いが当事者にとってはすべてだ。後があるかどうかなんて関係ない。

 

「負けたくないんだな、ハガネール……!

 嬉しいぞ……!」

 

「っ、っ……ピョコ!!

 勝とうね! 絶対! ぜったい、ぜったいに!」

 

 自分達の指示を無視して、意地っ張りの地震と激突を重ねたポケモン達を、咎めるトレーナーは一人もいなかった。

 勝ちたい、負けさせたくないと、これほどまでに強く想ってくれるパートナーの気持ちを見せつけられて、嬉しくないトレーナーがどこにいるだろう。

 年甲斐もなく熱くなる目頭を押さえるトウガンも、この揺れの中にあって、なんとか立ち上がろうと努め始めたパールも。

 単なる自分の勝利ではなく、パートナーと一緒に勝利を掴み取りたいという想いをいっそう強め、持てる全てを尽くさんとする想いに駆られるというものだ。

 パールのような経験の浅いトレーナーに限った話じゃない。時にポケットモンスター達は、ジムリーダーのような練達者さえ導くほどの力がある。

 

「いくぞ、ハガネール!

 一気にカタをつける!」

「――――――――z!」

 

「うぁ……!? な、なに、なに……っ!?」

 

「"すなあらし"か……!」

 

 天井を見上げて今一度の大きな咆哮を発したハガネールの周囲から、多量の砂がまき上がって渦を巻く。

 それがバトルフィールドいっぱいに拡散し、あっという間にフィールド全体が砂嵐の吹き荒れる世界へと一変だ。

 揺れがおさまってきてなんとか立ち上がれたパールも、腕で顔を覆うようにして吹き荒れる風と砂を防がずにいられない。無論、トウガンもだ。

 そんな砂嵐のど真ん中にいるピョコとハガネールが、パールやトウガン以上に視界最悪の、過酷な世界に身を置いていることなど語るべくもない。

 

 ピョコもハガネールも、間もなく限界が近付いているほど消耗しているのは、誰の目にも明らかだった。

 そんな激しい消耗戦を経て辿り着いた、さらなる苛烈な砂嵐に支配されし戦場。

 これが、6人目のジムリーダーとの戦いだ。この苦境を乗り越える強さを問われし、過去最高の試練である。



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第80話   ベストパートナー

 

 

「な、なんだかすごい技デース!

 これがトウガンさんの切り札、大技デスか!?」

「だとしたら、もうトウガンさんの勝ちデース!

 本気を出したトウガンさんに、あんな子供が勝てるわけありまセーン!」

「"すなあらし"って、ドダイトス相手に有効じゃないはずなのに……?

 これって……」

 

 観客席の元ギンガ団員の二人は、やはりトウガン親分の勝利を疑っていない。

 プラチナは冷静に、砂嵐の真意を考察中。砂嵐は、耐性の無いポケモンに対し、バトルフィールドにいるだけでダメージを蓄積させる技だ。

 しかし使い手のハガネールは勿論としても、ドダイトスであるピョコも砂嵐に対する耐性は持っている。

 この砂嵐は、ハガネールだけに大きな優位性を持たせるものらしくはない。バトルフィールド上のぶつかり合いにおいてのみは。

 

「いくぞ、ハガネール!

 まずは狙い撃て!」

 

「うぅっ……ピョコ、相手は見える!?

 なんとか避けてっ……!」

「…………!」

 

 やっぱり、とプラチナも感じたが、パールの視界の悪さが鍵なのだろう。

 砂嵐の範囲外である観客席からは、砂塵に溢れる中にもピョコとハガネールのシルエットは何とか視認できる。

 一方で、自身も砂嵐の渦中にあるパールの視界は非常に悪い。ピョコとハガネールの位置だけでも、薄目の間から確かめるので精一杯。

 漠然として、具体性に欠き、自信の無い指示を発する声からも明らかだ。

 砂嵐の中に身を置いているトウガンも同様の状況であるはずだが、使い手側の彼は元より慣れと心構えもあり、視界が悪くても的確な指示が出せるのだろう。

 敵にも味方にも自分にも悪影響を与える技は、断じてアドバンテージ双方プラスマイナスゼロの戦術ではない。

 的確な場面でその戦術を選べるなら、選択権の無かった相手にのみ大きな不都合をもたらせる。使い手の腕を問われる戦法であり、トウガンにはその腕がある。

 

 竜の息吹が放たれる音はパールの耳にも届いたはず。

 砂嵐の中にあっても、ハガネールがピョコを見て攻撃できるように、ピョコも相手の動きを見て凌いでいる。

 だがその竜の息吹はあくまで牽制。ピョコに回避行動を強いながら、再びハガネールは"まずは"の次に暗喩された指示に従い、柱に巻き付き登っていく。

 がらがらじゃらじゃらという音が、地を這うものでなく高さを得た気配から、パールも何とかその実状を聞き取ることは出来ているはず。

 

「ピョコ、じしんっ……!」

「――――z!」

 

「やっぱり、指示が……!」

 

 パールの指示自体は間違っていない。だが最速でなく、僅かにベストスピードではないのだ。

 この遅れが良くないことはプラチナも感じているようで、ピョコも風向きの悪さを感じ取っているだろう。

 地震発生が遅れれば遅れるだけ高い位置に登れたハガネールは、ピョコの起こした地震で柱が揺れだすや否や、あっさり体を柱からほどいた。

 そのまま全身で地面に落ちてきたハガネールは、体全部で地面を打ち鳴らす形で、ピョコの地震に対抗する揺れを返す。

 ピョコだって、自分が起こしたものでない地震の反撃には足を取られるのだ。それも、自分が起こしたものより大きな揺れ。

 揺れに身構えられずに足をとられ、お尻を打ち付けたパールの小さな悲鳴も、ピョコの意識を引きつけてしまう。

 

「いっ、た……!

 ピョコ来てる、来てるからあっ!!」

 

 それでもパールは、砂嵐で目元を庇いながらもしっかり戦場から目を切っていない。

 揺れに足を取られたピョコに襲いかかるのは、牙を光らせ噛みつきにかかるハガネール。

 なんとか躱そうとしたピョコだったが、とうとう最も恐れていたその牙に、甲羅に噛みつかれる結果へと相成ってしまう。

 

「…………!?

 ~~~~~~~~z!!」

 

「よし……!」

 

「ああっ、ううっ、ピョコ……!」

 

 草ポケモンのピョコに対して、異常なほどの自信と共に繰り出されていた牙を、パールは"ほのおのキバ"だと最悪想定さえしていたのだが。

 現実はもっと最悪だ。ピョコの甲羅に噛みついたハガネールの牙は、内から溢れる冷気を流し込み、ピョコの全身の体温を奪い付くさんとし始める。

 その"こおりのキバ"は、草ポケモンであり地面ポケモンでもあるドダイトスにとって、炎以上に大きなダメージとなる究極的な切り札だ。

 

「~~~~~~~~ッ!」

 ~~~~、~~~~……!」

 

「ハガネール、絶対に離すなよ!

 そのまま決めてしまえ!」

「――――――――z!」

 

「んんっ、うっ……!

 ピョコ、がんばっ、てえっ……!」

 

 砂嵐の向こうでもがくピョコが発する悲鳴めいた咆哮は、パールでさえ一度も聞いたことのないほど悲痛なもの。

 悶絶する叫び声に、耳さえ塞ぎたい衝動に襲われながら、パールは余震の残るフィールド上で必死に答えを導こうとする。

 激しく揺れる中で立つこともままならず、頑張れと叫ぶ口に砂が入っても、必死でピョコを生き残らせる手段を必死で探す口は乾かない。

 答えを導き出すのが遅れれば遅れるだけ、ピョコの体力は急速にゼロへと近付くこの窮地である。

 

「っ……ぶつかれえええぇぇぇっ!!」

「ッ――――!!」

 

 時間が無いのだ。これしか閃けなかったけれど。

 必死なその声を受け止めたピョコは、ハガネールに噛みつかれたままにして、駆けだし柱へ直行だ。

 食らい付いた重いハガネールの頭部を引きずり、冷気を流されながらにして、血走った眼で柱へぶつかる寸前、ピョコはぐいっとハガネールの頭を柱の方へ。

 走る勢いそのままで、自身の体と柱で挟むようにしてハガネールを叩きつけたピョコの一撃は、ハガネールの目の前に星を飛ばすには充分な威力だ。

 

「ハガネール……!」

 

 目の前が白くなりかけながらも牙を抜かなかったハガネールの執念を後押しするように、トウガンもまた離すなという意を含めてその名を呼んでいた。

 だが、ぎらりと眼を光らせたピョコが、少し身を捻って柱からハガネールの頭を離すと、すぐさまもう一度体を捻ってハガネールの頭を柱に叩きつける。

 たまらず口を開いてしまったハガネールに、牙から免れたピョコは頭をハガネールの顎の下に潜り込ませ、そのまま振り上げ顎を殴りつけた。

 がぢん、と金属音の牙音を鳴らしてのけ反るハガネールから、ピョコは力の抜けそうな足をぐっと踏ん張り、なんとか距離を取る。

 

「メガドレイン、っ……!

 ピョコお願い、頑張ってえっ……!」

 

 砂嵐に苛まれる中、足を震わせながらなんとか立っているパールの声に、ピョコは歯を食いしばって戦う意志を貫いてみせる。

 確かにもうギガドレインは使えない。メガドレインの回復量では足りない。

 それでもパールが自分をボールに戻そうとせず、戦って欲しいと訴えてくれているのがピョコには嬉しかった。心が漲ってくるほどに。

 一度目のトウガンとのバトルではお声もかからず、鋼鉄島での特訓の中でさえ、最初からアテにされていなかったようにさえ感じたあの日。

 パールの勝敗を左右する大事な局面で頼られる今再びは、どんな百の励ましにも勝り、ピョコの闘志を再び燃え上がらせてくれる事実に他ならない。

 俺がパールの最初のポケモンなんだ。親しいパッチやニルルやミーナにさえ、絶対に譲りたくない何かがピョコにはある。

 

「――――――――z!」

 

「ハガネール、撃て!

 負けられんぞ!」

「――――z!」

 

 取り戻した体力を、砂嵐の中で大量の息を吸って吐く咆哮に費やすことさえ、今のピョコは厭わない。

 パール、指示頼むぞ、絶対に勝たせてやる。そんな意志を、打ち付けたお尻の痛みで中腰になっているパールに向けて発しているのだ。

 砂嵐に苦しむ表情でありながら確かに小さく頷いたパールの姿さえ確かめられば、それだけでピョコの気力はギガドレイン以上に回復する。

 再び自らに差し向けられる竜の息吹、それを凌ぐも足を僅かに焼かれる苦痛さえ、今のピョコには気絶を遠のかせてくれる痛みでさえある。

 

「じしん、っ……!」

 

 そしてパールも、これ以上ピョコが長く戦えないことはわかっているのだろう。

 早く勝負を決めるしかない。守りを捨てた猛攻の戦法へ。

 そんな無茶を言ってくれることさえ、勝たせようとしてくれるパールの想いと正しく受け取り、地面を踏み鳴らすピョコの脚の力も漲ってくる。

 揺れるフィールドと安定感を崩されるハガネールに、近い距離から突き進んでぶつかっていくピョコの一撃が、ハガネールに痛烈な打撃を与えている。

 

「ぐうぅ……! なんという……!」

 

 氷の牙で致命的なほどのダメージを受けながら、なおもあれほど戦い抜けるドダイトスの執念には、トウガンも驚愕の念を禁じ得ない。

 そして、パールに対してもだ。せっかく立っても自分のポケモンの地震で転ばされ、今度は膝を打ち付けたパールの影が見える。

、それでも揺れる中でなんとか立ち上がろうとする姿こそ、トウガンの目には脅威的に映ってやまない。

 意地でも立って、ドダイトスと同じ土俵に立つことを望み、たとえそれで自分が痛い想いをしても、絶対勝ちたいという想いはあまりにも不器用だ。

 それだけ必死なことだけは、間違いなく、痛切なほど伝わってくるのだ。砂嵐越しにでも伝わる勝利への執念など、恐れるべきもの以外の何ものでもない。

 

「ハガネール!!」

「ッ――――!」

 

 持ち直したハガネールの名を呼ぶトウガンの声は、今日一番の大きさだった。

 応えたハガネールが口を開き、氷の牙でピョコに噛みつこうとする。

 もうこれ以上は絶対にそれを受けられないピョコは、決死の想いでどうにか躱したが、躱したその先で足が次の動きに移れない。

 ぐいっとそんなピョコに顔を向けたハガネールの吐き出す竜の息吹は、回避行動に移れなかったピョコの全身を焼き包む。

 

「はっぱ、カッターっ……!」

 

 ピョコがすぐに動けないことを、砂嵐の向こう側の景色からでもはっきり見極められるパールの指示は、きっとこの場で最善だったはず。

 動けなかったピョコは、竜の息吹を突き抜けてハガネールの顔面に向けて葉っぱカッターを放ち、その顔面を散弾銃のように打ちのめす。

 流石に怯んでのけ反ったハガネール、竜の息吹がこれによって中断されたことで、ピョコはぎりぎり力尽きる前に踏ん張ることが出来た。

 どちらもいよいよ限界間近だ。あと一撃で勝負が決まってもおかしくないと、パールもトウガンも切実に感じているだろう。

 

「ハガネール、捕らえろ!

 ここがチャンスだ!」

「――――!」

 

 なんとか顎を引いてピョコを睨み返したハガネールは、トウガンの言葉にヒントを貰うとすぐに我が身を操った。

 地面に広く横たわる自分の体が、今まさに輪を絞ればドダイトスを絞め上げられる形になっていることに気付いたハガネールの動きは早い。

 それは意図して配置していた体ではなかったからこそ、戦場真っ只中のピョコですら気付くのが遅れ、ハガネールの身体が迫ってきたことで初めてはっとする。

 そして砂嵐のせいで視界の悪いパールもまた、ピョコがそれに捕えられる直前までそれに気付けず、長い鉄蛇がピョコの身体に巻き付く結果がその後に続く。

 

「あぁっ……!

 ピョコ、っ……!」

 

「とどめだ! ハガネール!」

「――――z!」

 

 一度目は躱されたものの、ピョコに巻き付き縛り上げる形を求めたハガネールの狙いなど明らかだ。

 動きを封じられたピョコに確実に当てる必殺技など、どの局面でも氷の牙しかない。

 大口を開いてその頭をピョコに向かわせるハガネールは、血走った眼も合わせればまさに死神の形相そのものだ。

 

「っ、ピョコーーーっ!!

 はっぱカッターっ!!」

「ッ……!」

 

 他ならぬピョコさえもう駄目かとさえ思った中で、諦めないで戦うよう訴えてくれるあの声は、その絶望を吹き飛ばしてくれる希望の鬨。

 迫り来るハガネールの顔面に葉っぱカッターの乱射を撃ち込むピョコの反撃が、窮鼠の一撃としてハガネールを打ち据える。

 確かに痛烈だ。だがハガネールだってここで引き下がれようものか。

 突っ込む速度が僅かに落ちただけで、その眼の闘志を一切失わなかったハガネールは、ピョコの顔の横にかぶりつく牙を閉じるその寸前だった。

 

 だが、ほんの一瞬直進速度が落ちたことが、この局面では小さくなかったのだろう。

 顔への痛みでハガネールの身体の力が弱まり、僅かにその締め付けが緩んだことにより、ほんの少し強引に動ける瞬間があったピョコ。

 まさに自らにかぶりつかれる寸前、ぐっと頭を下げたピョコがその首を振るい、さらに振り上げハガネールの顎を下から殴り上げたのだ。

 頑丈な鋼の顎を頭突きでかち上げるのは、ピョコの方こそ頭と首が痛くなるものではあったけれど。

 結果、ハガネールはピョコに噛みつくことを叶えられず、その無防備な首元がピョコの目の前にして口を閉じている。

 

「がっ、頑張ってえっ……!

 ピョコっ、かみついてえっ!」

「――――z!」

 

 きっとパールは、自分の指示通りにしてくれたとして、その後どうするかまで思考が追い付いてなどいなかったのだろう。

 がんがん攻めて、なんとか勝って欲しい。その一念。

 ハガネールの喉元にばくんと噛みついたピョコに、次の指示が飛んでくる気配をピョコ自身感じてなどいなかった。

 大丈夫、それでもいい、俺に任せろ。それを補うのが俺だから。

 

「ハガネール!?」

 

 ハガネールの喉元に噛みついたピョコは、そのまま敵の頭を振り回すようにして、ハガネール自身のボディにぶつけにいった。

 頭部も身体も頑丈なハガネールだ。自分の体への頭突きなど、凶器で殴られるのと変わらない。

 それによって意識が飛びかけたハガネールの身体からは、ピョコを締め上げる力がいっそう緩み、ピョコはハガネールに食らい付いた口を放さぬまま抜け出る。

 柱は遠くない。渾身の力を脚に込め、頑丈な柱へと突き進んだピョコは、力いっぱいハガネールの頭部をその柱に叩きつけた。

 

 その一撃で力の殆どを使い果たしたかのように、顎から力の抜けたピョコはハガネールを離してしまうが、よろめくようにハガネールから離れるように後退。

 今の連続攻撃で仕留められたならいいけれど。きっと、そうじゃないんだから。

 あれだけ負けてなるかの感情を間近でぶつけ合った好敵手に敗北を突きつけるには、あと一撃は決定的な一打が必要だとピョコもわかっている。

 パールに次の手を促す立ち位置に移っている。なんなら指示が無くても次の行動は決めている。

 

 地震、と叫んでくれたパールの声と、ピョコが前脚を振り上げたのは全く同時だった。

 完全にシンクロしたそのバトルフィールドの一幕の中に、ハガネールの名を叫ぶトウガンの声もあったのだが。

 激しく揺れる地面の上、朦朧とする意識の中でバランスを失ったハガネールが、半ば倒れるように地面に顎から落ちていく。

 地震を起こし返す余力も無かったハガネールの頭部が、自分と同じ目線の高さに下りてきたところへ、ピョコは最後の力を振り絞って突き進む。

 最後の一完歩に全身全霊の力を込め、激突の瞬間に頭を引っ込めたピョコによる、砲弾めいた甲羅の一撃がハガネールの鼻先に激突だ。

 

 頑丈なハガネールの鼻先が、びしりと明確にひび割れたほどの一撃は、ぐるんとハガネールの両目を剥かせるには充分だった。

 その一撃でのけ反るように頭部を浮かせたハガネールの頭部含む全身が、力を失って横たわると同時、バトルフィールド全域の砂嵐も収まっていく。

 誰の目にもはっきりと明らかなハガネールの失神を以って、トウガンのポケモン三匹全員が戦闘不能になるという結末が迎えられたのだった。

 

「無念だ……!

 すまない、ハガネール……!」

 

 歯ぎしりしたいほどの想いと共に、トウガンはハガネールをボールへ戻した。

 あれだけ勝ちたいという気持ちを見せてくれたハガネールを勝たせられなかったのは、トレーナーとしてこれ以上なく悔しいこと。

 気絶したハガネールが収められたボールを握る手を見下ろして、せめてもの労いめいた、小さな苦い笑みを向けるトウガン。

 まるでこの敗北は、お前のせいではないと言わんばかりに。お前は今日も頼もしかった、という想いがその表情には溢れていた。

 

「ピョコっ……!」

 

「!!

 ――――――――z!!」

「ひゃ……!?」

 

 砂嵐がやんでいった末の光景、ハガネールが気絶した姿を見てピョコの勝利を理解し、トウガンがハガネールを戻したことで完全に確定した事実。

 歓喜の想いをピョコの名を呼ぶ声に表したパールだったが、ぐるっとパールを振り向いたピョコは、何やらもの凄い声で吠えた。

 怒鳴り声めいていて、パールもびくりとするものであり、ピョコに駆け寄ろうと前に傾いていたパールも身がすくむ。

 

 ふぅ、とほっとしたように息を吐き、ピョコはどかどかとパールの方へと駆け寄っていく。

 正直、しんどいのだけど。頭はくらくら、焼かれまくった脚は今でもひりひりする。

 でも早くパールのそばに行ってあげねば。あの子は勝利の喜びを、肌を合わせてでも表現したがる子なので。

 

 激しい揺れの中でも無理に立とうとして、転ばされて、お尻を打って、あるいは膝を打ち付けて擦りむいて。

 そんなパールの、傍目には真意のわかりにくい行動を、語られずしてどんな気持ちだったのか理解している辺りも、流石はピョコというところ。

 気持ちは嬉しかった、でももうあんな無茶しなくていいから、などなど、ピョコが喋れたら言いたいことは沢山あったけど。

 ピョコはパールに駆け寄ると、パールの膝をぺろっと舐め、とりあえず一番大事なことだけお伝えしておく。

 そんな脚で駆け寄ってこようとしちゃ駄目だぞ、という、パールを見上げてぱっと笑うピョコを前にしたら、彼女にもそれは伝わっただろう。

 

「っ~~~~~!!

 ピョコ~っ! やったぁ~~~っ!!」

 

 胸いっぱいの想いでピョコを抱きしめるパールの胸元で、ピョコは今までで一番満足する笑みを浮かべていた。

 本当に嬉しかった。自分の力でパールをここまで喜ばせることが出来た。

 きっとこれまでの生涯の中でも、今日ほど自分が誇らしいことは無かっただろう。

 ぎゅうっと抱きしめられる強い力は、戦い疲れた今の身体には少し苦しいが、そんなの今のこの喜びでお釣りが払えるぐらいである。

 

「一匹残しで私に勝ち切った、か……

 実績もさることながら、あのドダイトスの意地だったのだろうな。

 まったく、敵ながら天晴れだ」

 

「どうしても、三連勝したかったんだな……

 パールがこの間、それで負けたから……」

 

 喜びいっぱいのパールとピョコの姿を眺める中、トウガンもプラチナも、今は無邪気に喜ぶピョコに嘆息するばかり。

 ピョコの後ろにはもう一匹控えていたのに。あんなに無茶して一人で戦い抜かなくたって、最終的なパールの勝利は揺るがない図式は作れていたピョコである。

 それでも意地でも最後まで根性を振り絞り、自分の手でハガネールを撃破することに諦めなかったピョコの、本当の想いとは何だろう。

 後続に任せられないなんて思うほど、ピョコはニルルやパッチを信用していないわけでは決してないはずなのに。

 

 トリデプス一匹に三人抜きされた、完膚なきまでの敗北は、きっとパールにとってショックだったと思うから。

 あの日のことを忘れられるぐらい、気持ちのいい、すかっとする、完璧な勝ち方をさせてあげたかった。ただただその一存だったのだろう。

 それが果たせたピョコの、嬉しい一方でどこかほっとする横顔は、単に勝つより難しい何かを果たせて安堵する、そんな感情も僅かに漂わせている。

 ジムリーダーとしては褒められたものではない負け方をしたトウガンも、自らを律するよりまず先に、相手を賞賛したくなるというものだ。

 本当にたいした奴だ。その一言に尽きる。

 

「本当にありがとう、ピョコ……!

 私、ピョコのこと一番好きだよ! 絶対、これからも、ずっとそう!」

 

 みんな聞いてる。でも、パールは言っちゃう。

 もっとも、出番の無かったパッチもニルルも、やっぱりそうだろうなと微笑ましくその言葉を聞くのみである。

 私も頑張ったんだけどな~、とボールの中で頬を膨らませるミーナもいるが、彼女も案外そこまで拗ねてはいない。

 流石に一人で三人抜きしたピョコの勇姿に免じて、今日ぐらいはいいかと苦笑い気味に溜め息をつくミーナも、普段は我が儘でも意外と話は分かる方らしい。

 特別なほどの好意を一身に、抱きしめる腕と言葉から受け止めて胸いっぱいのピョコの鳴き声に、ただただ祝福の感情を向けるほどには、他の三人も仲良しだ。

 

 6つ目のバッジ獲得。

 長い旅の中で、このバトルの結末を飾る端的な言葉とは、そうした大きな節目を表す言葉で言い表せる。

 だけど今、パールとピョコが共有する喜びは、まるでチャンピオンとなるためのバトルを制した瞬間であるかのほどに格別だ。

 最愛のパートナーと共に、雪辱戦を最高の結末で飾る。

 その格段の喜びを言い表す言葉など容易に見つからぬことは、ピョコに拙い言葉で今の感情を伝えんとする、パールの姿に象徴される事実である。



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第81話   銀河色のモンスターボールのかけら

 

「おはよ~! プラッチ!」

「おはよう……って、パールすっごいテンション高いね。

 元々こんなんだっけ?」

「何だろ、今日はもう朝からエネルギー有り余ってる感じ!

 なんでかわかんないけど今日の私はすんごい元気だよ!」

「う~ん、どうしてなんだろう。

 考察してみる価値あるかも……」

「こらっ! ポケモンを観察するみたいな目で私を見るな~!」

 

 トウガンに勝利した翌朝、ポケモンセンターで一夜を明かしたパールとプラチナである。

 朝一番からパールのテンション高さが尋常じゃない。プラチナとの会話でも、身振り手振りがやたら多くて声も大きめ。

 異様に元気である。当人も、なんでこんなに元気なのかわかってない。

 

 真相を明かすと、一週間ほど鋼鉄島で過ごしてきた日々は、不快ではなかったけど快適でもなかったということである。

 寝床は寝袋、シャワーのみのお湯浴み、シャンプーは安物でねとねと、外界との通話も無いので夜長のお電話も無し。

 そんな環境から昨日はミオシティに帰ってきて、ジム戦を攻略し、余った時間で街をプラチナと一緒に楽しく歩いて、ポケモンセンターにお泊まり。

 美味しいごはん、お風呂を満喫、夜は一週間ぶりにナタネお姉さんに電話、ジム戦で勝ったことを嬉しく報告して、褒めて貰えて幸せ幸せ。

 最高の気分でふかふかのベッドですやすや。そりゃあ寝て覚めたら、久しぶりに体力120%まで回復というものだ。

 今は元気が爆発している。明日の朝はきっと普通に戻る。

 

「さぁ~て、今度はキッサキシティのキッサキジムだっ!

 この調子で7つ目のバッジ獲得するぞ~!」

「あ、ちょっと待ってパール。

 今日はちょっと用事があるんだ」

「がくっ。

 いきなり出鼻挫いてくるねプラッチ」

 

 さあ行くぞーのテンションでコトブキシティ方向へと歩き出したパールだが、ちょっと待ってと言われてガクッ。

 そのリアクションもいちいち大きい。元気あり余りすぎ。

 

「で、どんな用事?」

「うーん、僕一人で行ってこようかなとも思ってるんだけど。

 パールを待たせちゃうけど」

「え~、何それ水くさいやつだ。私も一緒に行く~。

 あ、それとも私いない方がいい系のちょっと複雑な用事?」

「いや、ついてきてくれても別に僕は困らないけどさ」

 

 絡む、甘える、でも遠慮も少しは考える。頭の回転が早い。

 本当に健康的な朝起きぶりである。よほど昨晩が快眠だったと見える。

 

「ナナカマド博士が今日、ミオシティに来るんだ。

 図書館で待ち合わせることになってる。パールも来る?」

「うっ、緊張しそう。

 コワい人じゃないのはもうわかってるんだけど」

「まあ、それはわかる。

 博士のしかめっ面、ちょっと委縮するよね」

「あ、言いつけてやろ~っと。

 プラッチがそんなこと言ってましたよって」

「やめて。

 っていうか何なのパール、テンション狂ってない?」

「狂っ……そ、そこまで言われるぐらいオカしい?

 や~、まあ、昨日は嬉しかったし、ナタネさんとも電話したし、よく寝たし、なんか今日もご機嫌なのですよ」

 

 流石に指摘されると少し恥ずかしくなってきたか、少々程度に顔を赤くしてパールが少しおとなしくなる。

 ご機嫌で元気だった自覚はあったようだ。ようやく普通程度のテンションに。

 

「まあ冗談はさておいて、パールどうする?

 ほんと、緊張するなら僕一人でもいいかなって」

「ううん、私も行く。

 せっかく一週間ぶりに一緒なんだよ? 単独行動なんて時間もったいないよ」

「もったいない、って」

「プラッチは私と一週間別行動になって、ちょっとも寂しくなかったというのかね。

 私はちょ~っとぐらい、プラッチにも会いたいな~とか思ってたんだぞ?

 ピョコ達がいるからほんとに寂しくはなかったけどさ」

「ま、まあ……そりゃ……」

「というわけで一緒に行動するのだっ!

 失われた一週間を取り戻すぞ~!」

 

 ミオの図書館という待ち合わせ場所を先に聞けたことを幸いに、ずいずいその方向へと率先して歩いていくパールである。

 根っから人懐っこい。一週間も親友プラッチに会えなかった、話せなかった反動で、しばらく一緒にいる時間を増やしたい症候群にかかっている。

 恐らく対プラチナに限らず、例えば何らかの形でピョコと一週間離れ離れになったりしたって、同じものを発症するのがパールという子なのだろう。

 そうだとはわかるし、男の子として意識した自分となるべく一緒にいたい、という真意ではないことは明らかなので、プラチナは苦笑いしきりである。

 本当、勘違いさせられそうで怖い。あの罪作りめ、人の気持ちも知らないで。

 

 でも、自分と一緒の時間を増やしたいと無邪気に言ってくれるパールの態度は、やっぱりプラチナにしてみればたまらない。

 男女とまでは言わない。ただの友達にしたって、あんなに好意を向けてくれるんだもの。

 恋なんてしたことのなかったもっと幼い頃は、『告白するのが怖い』なんて言うテレビドラマの役者が発する言葉の意味が、よくわからなかったプラチナだ。

 好きなら言えばいいじゃん、としか思わないのが子供なので。

 告白して、拒絶されて、今の心地良い関係が壊れてしまったらすごく嫌だな、と思って初めて、昔見たドラマの登場人物の心理がよくわかる。

 

「プラッチ~? どうしたの?」

「いや、別に。

 急いだ方がいいかもね、もう博士も着いて待ってるかもしれないし」

 

 すたすた行っちゃうパールが、色々考えてしまいながらゆったりとした足取りになっているプラチナを、立ち止まって振り返って呼びかけてくる。

 プラチナも小走りになってパールと横並びになり、いつもの二人並んで歩く形に落ち着いて。

 マイペースに歩いたらパールの方が自分より少し早足なのは知っているので、彼女に合わせた歩幅で並び歩くプラチナ。長旅の中で慣れたものである。

 

 一緒にいるだけで楽しくって、横並びに歩けばいっそうそれが実感できて。

 特に会話ひとつするわけでもないのに、なんだか楽しそうな顔をしているパールの横顔を見て、プラチナも心が弾む想いである。

 やっぱり、特別で、代わりのいない親友だ。それ以上を望みたくなるぐらい。

 自分のそれほどではないにせよ、パールも自分を大事な友達だと思ってくれているのがわかる、この空気そのものがプラチナにとってはたまらなく幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「博士、お久しぶりです」

「ウム」

「えぇと……お久しぶりです、ナナカマド博士」

「ウム」

 

 行動が朝早く、図書館に着いた時間もかなり早いものだったため、しばらく図書館で待つ側となっていたパールとプラチナ。

 遅れ馳せのナナカマド博士を迎えた二人は、時間潰しに読んでいた本を置いて、立ち上がってのご挨拶だ。

 目上の人には立ってのご挨拶が推奨される、なんていう礼儀をちゃんと意識してやっているのはプラチナのみ。彼は特段しっかり者。

 子供には難しいそんな礼儀など知らぬパールでも、ついつい立ってご挨拶しちゃうのだから、ナナカマド博士の放つ貫禄はそれなりに凄いのだろう。

 怒っているわけでもないのに無表情あるいは仏頂面の普段顔。ちと怖い。

 

 プラチナが、自分がさっきまで座っていた椅子をナナカマド博士に差し出して、自分はパールの隣の席に座る。

 博士と二人が対面する形の席となった。

 しれっとパールと肩が触れ合いそうな隣り合いとなっているプラチナだが、今はそんなこと気にしない。

 博士の大事な話を聞く構えだ。今のプラチナはパールを意識してやまぬ男の子ではなく、博士の助手たる学者の卵である。

 

「概ねの話は、プラチナには電話で伝えてあったと思う。

 パール君もいるのなら、はじめから説明した方がよいかもしれんな」

「あ、そっか。

 それじゃあ博士、まずは僕が聞いてる範囲のことは説明しますね」

「ウム」

 

「あっ、プラッチによる説明タイム?

 学者さんらしくよろしく! 頑張って!」

「別にそんな……

 あぁ、でも学会の練習だとでも思ったらそうかもね。

 じゃ、ちょっとはそれっぽく頑張ってみようかな」

 

 プラチナは、今日ナナカマド博士がミオシティに来ることを知っていたことからもわかるとおり、事前にナナカマド博士と連絡を取っている。

 彼だけ先にナナカマド博士に聞いていることもあり、パールの知らないその部分については、先に話しておいてもよさそうだ。

 プラチナは隣のパールから少しだけ椅子を離し、彼女の方を向く。パールもそれに合わせてプラチナの方に向き合った。

 こほん、と咳払いするプラチナ。少し緊張してる? と感じるその態度に、パールはくすっと笑っていた。

 

「先日のリッシ湖騒動……

 あ~、いや、そこまで堅苦しい言葉遣いしなくていいか」

「学会っぽい! その感じでいこうよ!」

「や~、やっぱやめとく。なんかヘンだよ」

 

 遊びが入ってきた。

 博士の前で、仮にも助手なりの仕事をしている割に、肩の力が抜けているプラチナである。

 真面目な性分で、博士の前では遊び一つせず助手としての仕事に徹していたプラチナを、ナナカマド博士は知っている。

 パールと旅する中で得たものにより、良い方向に余裕が出てきたと見える。無表情のナナカマド博士だが、内心では微笑ましい。

 

「普通に話すね。

 こないだのリッシ湖でギンガ団が暴れた騒動の後、警察の現場検証で少し変わったものが回収されたんだ。

 それが何なのか解析するのも警察の仕事なんだけど、なんだかモンスターボールと材質が似てるって話になったらしくてね。

 シンオウ地方に籍を置くポケモン博士のナナカマド博士に、その物体の解析が依頼されたんだ。

 えぇと、博士、今その破片ってありますか?」

「ウム。

 これだ」

 

 ナナカマド博士は、シルバーカラーの破片めいたものを懐から取り出して見せてくれる。

 ほんの小さな破片だが、これを異質な物体と判断して回収し、モンスターボールの素材だろうと判断した警察も、なかなかに優秀な化学班を擁している。

 とはいえそこまでわかって頭打ちとなったため、民間のナナカマド博士に究明を依頼した、ということらしい。

 信頼できる知識人に複雑な手順と許可を経て協力を求める警察の柔軟性と、警察にも頼られるナナカマド博士の社会的信用、共にうかがえる一件である。

 

「博士の解析の結果、やっぱりこれは特殊なモンスターボールの破片っていう結論になった。

 ギンガ団が作ったんだろうね。今のところ、博士は仮にだけど"ギンガボール"って名付けてるんですよね」

「ウム。

 忌まわしいが、一つだけサンプルも復元した。

 実物と全く同じように、とはいかぬがな」

「わ、すごい……やっぱりナナカマド博士って、すごい人なんだ……」

 

 リッシ湖に残された小さな破片から、ギンガ団が使っていたボールを再現してしまう技術。

 パールも思わず驚いた呟きを漏らすが、やはりナナカマド博士は偉大なポケモン博士なのだ。

 ただ、プラチナに語り手を引き継いだナナカマド博士が、普段の仏頂面以上に少し不機嫌そうな顔をしているように見えるのが、少しパールを委縮させる。

 どうも機嫌は良くなさそうである。

 

「市販のモンスターボールとは全く違うボールをわざわざ作って、ギンガ団は何をしようとしていたのか。

 リッシ湖には、シンジ湖や北のエイチ湖と同じく、古くから神秘的な逸話もたくさんある。

 パールもシンジ湖のおとぎ話ぐらいは聞いたことあるんじゃないかな」

「ん~、詳しくは知らないけど、絵本で色々読んだことはあるなぁ。

 神秘的なイメージは私もある。リッシ湖もそうなんだね」

「ギンガ団は、そんなリッシ湖にいる、何か特殊なポケモンを捕獲することが目的だったんじゃ、っていうのが警察と博士の見解。

 湖の水を全部抜いて、湖底のほこらみたいな所でギンガ団の幹部と戦ったよね。

 あの時はもう、そこにいたポケモンを幹部が捕まえた後で、僕達は撤退前のそいつと戦った、ってことなんじゃないかな」

 

「特殊なポケモンって、えーとつまり、幻のポケモン、的な?」

「そうなのかもね。

 だとしたら、ギンガ団もそう簡単には捕まえられないだろうし、でも絶対に捕まえたい。

 特殊なモンスターボールを作ったギンガ団の意図にも説明がつくんだ」

 

 普通に過ごしている限りでは、一生関わり合いになることなんてなさそうな、幻のポケモンとでも呼ばれる個体がこの世界には実在する。

 シンオウ地方は他の地方に比べ、そう語り継がれるポケモンがやや多い方だ。

 ほんの数か月前にはトレーナーですらなかったパールでさえ、幻のポケモンという言葉になじみがある程度には、シンオウ地方はそんな逸話が溢れている。

 

「用途を顧みる限り、ポケモンを捕まえやすい特殊なボールっていうことなんだろうね。

 博士、僕が聞いたことと思ったことは全部お話ししました。

 ここからは、博士に説明して貰っていいですか?」

「ウム。

 私はこのギンガボールを、はっきり言って人道に悖る創造物だと感じている」

 

 ここからは、プラチナも聞かされていない話だ。

 無表情のナナカマド博士は相変わらずだが、少々声に不機嫌が混じったかのような違和感を二人も感じている。

 ギンガ団にまつわる話だけあり、楽しい話ではなさそうだ。

 

「このボールは、中に閉じ込めたポケモンに、苦痛を与える強い磁場のようなものを与え続ける作りになっている。

 わかりやすく言うなら、中に入れたポケモンに、絶え間なく強力な電気を流し続けるようなものだ。

 つまりこのボールを当てられたポケモンは、その時点から強い苦痛を与えられ、出てこられたとしてもダメージが残る。

 ポケモンを捕まえやすいボール、という解釈は正しいだろうな」

 

「えっ……そ、それって……」

 

「そんなボールに捕らえられたポケモンはどうなるか。

 そのようなボールを用いてでも捕獲したいと思われた対象は、捕獲されたが最後、もうボールからは出して貰えない。

 そのボールの中に囚われたまま、朝も昼も夜も、ずっと苦痛を与え続けられ、決して解放されることはない。

 例えるならそれは、電気椅子に縛りつけられたまま、24時間ずっと電流を流し続けられるようなものだ」

 

 博士が無表情の奥に義憤を抱いていることは、そしてその所以も、パールとプラチナには伝わっただろう。

 本来モンスターボールは、ポケモンを捕獲し、その中に収めるものとして、内部はポケモン達にとって居心地が良いように作られている。

 ギンガボールは真逆なのだ。中のポケモンを苦しめる構造であり、捕獲対象の抵抗力を削ぎ、捕獲後にその苦しみを和らげる配慮も無い。

 サンプルを復元しながらも、忌まわしいと口にしたナナカマド博士の真意は、もはや語るべくもない話である。

 

「捕獲しやすいのは当然だ。

 ボールそのものに、ポケモンを痛めつけて弱らせる機能があるのだからな。

 そして最も忌まわしきは、捕獲したその後も中のポケモンを苦しめるその構造が、何ら顧みられていないところだ。

 このようなボールに囚われたポケモンと捕獲者の間に、心ある者同士の正しい繋がりが生じようとは、到底想像できるはずもない」

 

 決して表情こそ改めず、声もまた平常のままに語るナナカマド博士だが、復元したギンガボールのレプリカを握りしめる手には強い力が入っている。

 博士が手にしているボールは、機能まで現物を再現したものではない。あくまで外面だけを再現したレプリカだ。

 それだけでも怒りが込み上げてくるものであるとも、機能まで再現するのは信念を以って拒むほどの嫌悪感があったとも言える。

 許されざるべき産物。ナナカマド博士はそう訴えている。

 

「プラチナ。そしてパール君」

 

 ナナカマド博士は、言葉を失っている二人の子供に呼びかける。

 博士と同様、ギンガ団の良心無き賜物にふつふつと怒りを溜めるプラチナ。

 そして、そんなボールにもしも自分が閉じ込められたら、とさえ想像して青ざめる、感情力と想像力に秀でて震えるパール。

 そんな二人を見て、正しい心を持つ二人であると僅かな安心を得るとともに、ナナカマド博士は伝えるべき言葉を努めて紡ぐ。

 

「ギンガ団という組織は、このような悪逆非道を厭わぬ者達だ。

 君達が、過去にこれらに抗ったという話は聞いている。

 だが、これ以上関わろうとすることがあってはならない。

 君達のご両親も、このような者達に関わる君達が引き返せない結末を迎えては、只ならぬ悲しみに見舞われる。

 引き返せぬ結末とは、考え過ぎではない。それほど道理無き者達だ」

 

 今までと何ら変わらぬ仏頂面と声に過ぎぬながら、ナナカマド博士の言葉は二人に重いものだった。

 正義感に忠実に突き進み、幾度もギンガ団に立ち向かってきたパールとプラチナ。

 それが、かつてサターンに言われたとおり、最良の結果を掴めねば永遠の闇たる結末に繋がり得ることを、二人は改めて思い知る。

 ギンガ団とはポケモンの捕獲のために、そんな非人道的なボールを開発し、使う、そんな連中だとナナカマド博士は強調しているのだ。

 

「今後、どんなことがあろうとも、ギンガ団に関わることはしないように。

 本当に、君達が想像していた以上に、恐ろしい結末に辿り着くことにさえなりかねないのだからな」

 

 痛烈な忠告だった。

 ナナカマド博士がわざわざここミオシティ、パールとプラチナがいると知れた場所まで赴いて、電話越しでない強い声を届けた真意はまさしくここにある。

 今まではたまたま運が良かっただけで、今後もギンガ団に関わり続けようとすれば、本当に取り返しのつかないことにさえなり得るという警告。

 パールとプラチナだってわかっているはずだ。

 ナタネがいなければジュピターのスカタンクにより、パールが全身を火で包まれていたかもしれないあの日。

 あるいはサターンを退けられねば、八つ裂きにされていたかもしれないあの日。

 二人はそれを今改めて思い返し、ぞっとするばかりである。

 

 組織の本質をよく知らされぬまま手駒にされていた元ギンガ団の二人が、今の話を聞いて、言葉を失っていたことはせめてもの救いだろうか。

 自分達はそんな組織に従い、非道に手を染めていたのだと、異国から常識を与えられぬまま操られていた二人。

 そして自分達がそうだと知れば、仮にも忠義を貫こうとしていた組織に対してさえ、今や嫌悪と後悔さえ抱く二人の姿がここにある。

 どうやらギンガ団に属していた者達とて、性根まで腐り果てた者ばかりではないのだろう。

 それは人類史の明るさを、僅かにでも明るく物語ってくれる救いであるのも確かである。

 

「パール君、プラチナ。

 わかったかね」

 

「……わかりました」

「…………はい」

 

 渋々の返答を見せるプラチナと、心から湧く恐怖心から頷くことしか出来なくなったパール。

 ナナカマド博士は、二人から言質を取ることに成功した。

 せめてこの言葉を聞かぬ限り、帰れないとさえ思っていたところである。

 

 ナナカマド博士は、本当に二人のことを心配しているのだ。

 ジム巡りをするというパールの事情さえなければ、警察に保護してもらうという名の拘束さえ叶えたいほどに。

 ご両親という言葉を使って語ったが、それを抜きにしても、純然とポケモンを愛する子供達は、ナナカマド博士にとって尊ぶべき子供達。

 その未来が、悪しき者達に積極的に関わることで閉ざされてしまうなど、絶対に避けたい、最も悔いかねぬ結末に他ならないのだ。

 

 ギンガ団。

 許すまじ者達にして、パールやプラチナのような子供が関わりを持ってはならぬ連中だ。

 そんなナナカマド博士の表明した現実は、少なからず二人にも伝わっていた。あるいは、知らしめていた。



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第82話   プラチナの昔話

 

 

「まさかプラッチまで修行してたなんて」

「トレーナーは僕の本業じゃないけどね。

 でも、最近はそういう力があってもいいかなって思うようになったからさ」

 

 ナナカマド博士と別れたパール達は、ミオシティを離れ、コトブキシティへと向かうために218番道路を邁進中。

 お互い波乗りが使える自分のポケモンの背中に乗って、海を進んでいた。

 

 ちなみにナナカマド博士はと言えば、ミオシティに残っている。

 博士はプラチナ達がミオシティにいると知り、ギンガ団の恐ろしさと警告を面と向かって告げるために向かったのもあるが、それはあくまで目的の一つである。

 加えて、元ギンガ団員の二人がミオジムにて更生中というのを知ったナナカマド博士にとって、彼らと話すこともミオに向かった理由の一つ。

 どうやらギンガ団の悪質さをよく知らないまま荷担されていたらしき彼らに、真実を告げ、己が何に与していたのか悔いさせることも目的だったのだ。

 ギンガボールのサンプルは、彼らにそれをわかりやすく伝えるために作ったという側面も強かったのだろう。

 根っからの極悪人ではないあの二人、今頃はナナカマド博士に事の真相を聞かされて、反省しきりというところ。とんでもない奴らに加担していたんだと。

 いつの世も、無知は悔いを残す。罪ではないが、それで罪を犯した時に苦しむのは、被害者のみならず他ならぬ当人すらそうだということだ。

 

「いつぐらいに進化したの?

 私と離れて何日目?」

「3日目ぐらいだったかなぁ。4日目だったかもしれないけど。

 多分その辺りかな、あんまり覚えてない」

「え~、どっちにしたってピョコより早い。

 プラッチやっぱり、ポケモン育てるの上手いよね」

「そ、そうなのかな?

 僕の力じゃなくって、エンペルトの力だと思うけど……」

 

 さて、ニルルの背に乗るパールだが、プラチナが乗っているのはエンペルトの背。

 ミオシティに着いた時はポッタイシだった彼は、パールと離れて数日間のプラチナのもと、エンペルトに進化していた。

 ピョコは鋼鉄島合宿5日目にドダイトスに進化しており、エンペルトの方が一日か二日ほど先に進化していたということである。

 

「前々から思ってたんだけど、プラッチって知識いっぱいあるだけじゃなくって、ポケモントレーナーとしてもすっごい上手いよね。

 本格的にトレーナーとして頑張ってみようと思ったことって無いの?」

「あ~、えぇと、それは……

 うぅん……」

 

 何気ない会話で素直に思うところを発したパールだが、プラチナが次の言葉に困ったかのように、考え込んで返事に迷っている。

 パールの言葉を意訳すると、トレーナーとしての才能抜群に見えるけどトレーナーにはならないの? というところ。

 それがプラチナに対し、少々デリケートな話題であることなんて、パールに知る由もない話である。無知は罪、というのはしばしば極論であると示す好例だ。

 

「プラッチ?」

「……せっかくだから、打ち明けておこうかな。

 僕、トレーナーとして評価されるのってあんまり嬉しくないんだ。

 僕は学者を目指したいからさ」

「えっ、そうな……ご、ごめん、私もしかして無神経なこと言った?」

「いや、いいんだ。気にしないでいいよ、ほんとに。

 僕も初めて話すことだしさ」

 

 褒め言葉が相手の心の傷に触れてしまうなんてそう多くない話であるし、到底あらかじめわかる話ではないのは、プラチナ自身が一番よくわかっている。

 一方で、あまりこの話は他人にしたがらないプラチナが、今パールにそれを打ち明けるのは、昔よりもずっとパールと親密になった証拠でもある。

 余程に心を許した相手にしか、プラチナはこの複雑な話をしない。

 話して理解されなかったらそれはそれで寂しい、彼にとっては重大な話なのだ。たとえ、他人にとってはたいしたことのない話に聞こえようとも。

 だから、わかってくれそうなパールのような子にしか話さない。

 

「父さんとも、それで喧嘩してるんだよ。

 僕の父さんは昔から学者をやってて、その仕事の大変さをよくわかってる。

 何日も家に帰れない日も多いし、僕あんまり小さい頃の父さんとの思い出がないんだ。

 他にもいっぱい大変なことがあって……そんなわけで、父さんは僕に学者にさせたくないんだって」

「お父さんは学者してるのに?」

「ねぇ、ヘンだよね。

 自分はやり甲斐感じてるはずのことを、僕にはやるなって言ってくるんだもん。

 まあ、色々あるんだろうけどさ」

 

 今の自分の仕事の大変さを身を以って知っているから、大切な我が子に自分と同じ苦労をして欲しくない。

 一つの親心の形なのだが、奇しくも本人の意志で学者を目指したいというプラチナとは、真っ向から意見が対立することになってしまっている。

 プラチナも父には反発しつつ、向こうの苦悩をある程度想像で補っており、決定的な親子関係の溝にはなっていないようだが。

 一方で、現在ナナカマド博士の助手を務めているだが、その始まりは半ば家出同然でナナカマド博士の助手に転がり込んだというものに近い。

 当時の今より幼いプラチナは、自分の夢を否定してくる父に対し、相当な反発心を抱えていたということだ。親子関係がそれだけ最悪な頃もあった。

 今でこそ学者の助手として、学者の苦労の片鱗を知りつつあり、そんな成長したプラチナだからこそ、父の気持ちも少しはわかるようになったのだろう。

 

「僕、地元じゃポケモンバトルで負けたこと無かったんだ。

 僕を学者にさせたくない父さんは、僕にトレーナーの才能があるってよく褒めてくれたよ。

 まあ、そっちに行かせたくて言ってるのが、子供の僕にもわかるから何だか気持ち悪くてさ。

 褒められるのは普通嬉しいけど、なんか明らかに裏あるな~って思ったらなんか嫌じゃない?」

「ん~、わかるような……

 でもプラッチ、もしかして小さい頃からバトルしてた系?

 私、11歳になって初めて自分のポケモン持ったんだけど」

「僕の最初のポケモンはピッピで、僕が3歳の時に父さんが、友達だよって僕にくれたんだ。

 同じようにお父さんやお母さんにポケモンの友達を貰った子と、時々バトルしてたんだよ」

 

 自分でポケモンを捕まえるのは11歳になってから、としている風潮はシンオウ地方全体で根強い。

 幼ければ幼いほど、野生のポケモンの抵抗によって、ひどい怪我をしてしまう可能性が高いからだ。

 11歳になれば保護者と一緒に初めてのポケモンを捕獲して、望むならばそのままトレーナーの道へ進むこともよしとする。よく聞く話である

 シンオウ地方で11歳未満かつ自分のポケモンを持っている子供というのは、自分で捕まえたのではなく、親に貰ったというのが九分九厘ということだ。

 そうした家庭に育った子供同士で、幼い子同士のポケモンバトルという光景もそんなに珍しくはない。

 子供が幼ければ幼いほど、バトルも保護者同伴のケースが多いそうな。

 

「なかなか家に帰ってこれない父さんなりに、僕を寂しくさせないようにしてくれたんだろうなとは思ってる。

 でも、そのピッピの活躍をいいことに、学者じゃなくてトレーナーになった方がいいよって、エゴ押し付けてくるのは別の意味でちょっとねぇ。

 父さんのこと今はもうそんなに嫌いじゃないけど、ああいうズルいところはまだちょっと許さないことにしておいてる」

「あはは……なんか複雑だね。

 プラッチが、本気でお父さんのこと嫌ってるわけじゃないのはわかるから、なんだかほっとするけどさ」

「今はもう、ね。

 でもちょっと前は険悪だったなぁ」

 

 トレーナーとしての才能があると評価されること自体は、プラチナにとって不快でもないけれど、大抵それを自分に言う人はプラチナの望まない言葉を重ねる。

 ポケモントレーナーとして本気で頑張ってみたらどうか、と。人は才能ある者をその才の道に進めたがる者が非常に多いからだ。

 何だったら、学者になりたいというプラチナの主張を聞いて、だったら両方目指してみたらどうかなんて言う人もいる。勝手に妥協案出されても。

 別に全然強いトレーナーを目指したいとも思っておらず、学者の道を真っ直ぐ進んでいきたいという本懐を持つプラチナなのに。

 そういう経験が多すぎて、プラチナは本来素直に嬉しいはずの『トレーナーの才能があるね』の言葉に、いちいちむずむずしてしまうようになってしまった。

 相手に悪意なんか無いのは明らかなぶん、余計にプラチナからすればもやもやするのである。

 褒められてへそを曲げるなんて僕は変なのかな、なんて悩んだこともあったぐらいなので、プラチナにとっては本当に根深い話なのだ。

 

「パールは僕のこと、立派な学者になるよう応援してくれるから、パールにトレーナーとして褒められても嫌な気分にはならないよ。

 でも、一応話しておきたくなった。本当に、気にしなくていいからね」

「あはは、だって知ってるもん、プラッチが一番なりたいのは立派な学者さんだって。

 自分のやりたいことやるのが一番いいに決まってるよ」

「うん、そう言ってくれるのが僕にとっては一番嬉しいんだ」

 

 ざぶざぶと波を越えて並び行く二人は、明るい笑顔を交わして海路を行く。

 よく晴れた日の、プラチナの本当に嬉しそうな笑顔は、パールも胸がきゅんきゅんする。

 プラッチが喜んでくれると本当に嬉しい。互いの笑顔が相乗効果でいっそう笑顔のきらめかせる関係って、本当に、本当に何にも代えがたいものだ。

 

「でもプラッチ、それなのにここ最近特訓してたんだよね。

 強いトレーナーちょっと目指してみようかな感も最近あったりするの?」

「いや、それはね……あ~もういい、言っちゃおう。

 ぶっちゃけそれはパールのせい」

「えっ、私?

 あ、わかったぞ。私がトレーナーとして……」

「立派にやってる姿を見て触発されて僕も、とかじゃないからね」

「いや、あの、100パー冗談なんだけど、そんな食い気味に打ち消さなくても……」

 

「パール危なっかしいんだよ。

 ギンガ団みたいな危ない連中に何回今まで立ち向かっていったのさ。

 リッシ湖でのこと、なかったことにはさせないからね」

「うぐぐ……そ、それ蒸し返されたくなくて冗談ルートに行こうとしたのに……」 

「そういうパールのフォローしようと思ったら、僕だって強くなきゃいけないじゃん。

 そんなわけで最近、エンペルト達と一緒に特訓してたってわけ。

 おわかり頂けただろうか」

「すーん……」

 

 気まずさ全開の顔でそっぽ向くパール、ぐうの音も出ない心境である。

 ギンガ団の怖さをわかっていなかった発電所や、ナタネという保護者がいたハクタイビルはともかく、ニュースを聞いてリッシ湖へ自転車爆走は流石に。

 あの一件がある限り、パールって本当危なっかしいというプラチナの主張に対し、パールは一切の反論の余地を見出せないようで。

 

「どうせ今後も、手が届く範囲でギンガ団の活動を見かけたら、今までのこと全部忘れて突っ込んでいきそうだし。

 パールってそんな子だし」

「し、しんらつすぎる……ねぇプラッチ、私だって……」

「博士にあれだけ釘刺されたんだから、今後はもう駄目だよ。

 リッシ湖で戦った幹部、本当に怖かったでしょ。

 なんとか退けられたから良かったけど、あれもし負けてたらどうなってたかわかんないよ。

 本当に殺されてたかもしれないんだからさ」

「確かにあれは怖かったけどさぁ……

 ギンガ団、あんなボール作るぐらいひどいやつらだし……」

 

 関わってきた数やナナカマド博士に聞かされた逸話から、さしものパールもギンガ団の怖さは身に沁みている。

 普通、ここまで知れたら今後はもうギンガ団に関わろうとはするまいとするものなのだが。

 現にパールも今、回想して身震いしているので、正義感による向こう見ずな暴勇の危険性は認識しているはずなのだが。

 それでもあの感情真っ直ぐな日々を見てきたプラチナに言わせれば、あれが再犯されないとは甘く見られないのである。

 

「ともかく、もう二度と駄目だからね。

 チャンピオン目指して、思い出の人に呼びかけて、お礼を言いたいんでしょ。

 その前に悪い奴らに捕まって死んじゃったりしたら元も子もないんだから」

「わ、わかってる……

 うぅ、今日のプラッチはなんだか厳しい……」

「博士の忠告、忘れられたら困るからね。

 僕、一応博士の助手だから」

「そんなとこまでサポートするのって絶対助手の仕事じゃないよ~」

 

 げんなりしながら嘆くパールを、溜め息混じりにプラチナは眺めていた。

 念を押した甲斐は充分にあり、よくわかってくれたはずである。感情がすぐ顔に出るパールなので、今は本当に自戒してくれているのだと信頼できる。

 今は、だが。

 何らかの形でスイッチが入ってしまったらまた暴走しそうなので怖い。前科ありあり。

 

 一方で、突っ走り始めたら結局止まってくれないパールだと薄々わかっているから、プラチナもトレーナーとしての特訓を重ねていたとも言える。

 嫌だけど、半ば諦めているのだ。

 感情のままに動いたパールが身を危ぶめた時、それをどうにかして守り通そうとするなら、自分自身の実力が必要になってくる。

 起こり得る万が一の日にはパールを守れるように。

 一度は忌避すらした"強いトレーナー"の道を、いま初めてプラチナが目指している理由とは、その理念にのみ集約されている。

 

 だからってプラチナは、『どうして急に特訓なんてし始めたの?』と聞かれようが、『万が一の時はパールを守れるように』なんて絶対に答えない。

 口にするのは恥ずかしいというのもあるが、それを言って"万が一"を許容していると思われたら非常に困る。パールの再犯率が上がりそう。

 プラチナって本当にお利口さんである。

 パールが望まない道に進まないよう、上手く気付かれないよう駆け引きを果たしている。

 息子を学者にしたくないからトレーナーを目指すようその方面で褒めよう、という策をその息子に看破された人物がプラチナのお父さんなのだが。

 そんな親からこんな策士が生まれているんだから、トンビが何を生むのやら世の中わからないものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちょっと、遅いわよ。

 随分待ったじゃないの」

「自由に動ける身分じゃないからねぇ。

 多少の遠回りを経ての遅刻ぐらいはご容赦願いたいわ」

 

 シンオウ地方の名も無き山林の奥。

 

 相棒のブニャットを背もたれ代わりにして地べたに座り、待ちくたびれた欠伸をしていた赤髪マーズの元へ、紫髪のジュピターが訪れたところだ。

 言葉のとおり、かなり長い時間を待たされたようで、立ち上がったマーズは軽く体をひねる体操をして、硬くなった体をほぐしている。

 悪びれる態度は特に無いジュピターである。

 

「へぇ、あなたそういう格好で普段は逃げ延びてるんだ。

 いいじゃないの、完成度の高いおしゃれだわ」

「ギンガ団として活動する日以外ぐらい、着たいもの着て過ごしたいわよ。

 スカート状を認めてあつらえてくれたあのコスチュームも、根本のダサさはさておいてちょっとは愛着も出てきてるけどさ。

 そういうあんたはあんまり着飾ってる感じしないのね。

 カジュアルで悪くはないと思うけど」

「動きやすさの方があたしは大事だと思ってるからね。

 まあ、それでも最低限には見た目も気にしてるし、悪くないと言って貰えるのはちょっと嬉しいわ」

 

 別行動の多いマーズとジュピター、顔を合わせること機会そのものが少ない二人だが、久々の会話で何を真っ先に語るかと言えばお互いのファッション。

 逃亡生活中の二人なので、ギンガ団の団員服を着てうろつくわけにはいくはずもなく、自前の一張羅が普段着である。

 

 マーズは黒のレザージャケットを羽織り、ソックスも紫色でどことなく暗色寄り、気の強い性格にもどこか通じるパンクスタイルだ。

 着揃えるには結構なお金のかかるものだとはジュピターにもわかるし、それを虫や草木にも触れることの多い隠遁生活でぼろを増やすのは少々勿体ない。

 それでも着るものにこだわりたい程度には、マーズも若い女の子ということなのだろう。

 対するジュピターは安物のシャツにボトムス、せめてもの防寒着にマフラーを首に巻いたものという、逃亡生活の合理性に秀でた着こなしと言える。

 お洒落っ気は足りないが、それでも色合いがきちんとしているため、カジュアルな割にセンスの無さはマーズ目線でも感じさせられない。

 

 人に自分の姿を見て見てと言えない逃亡者身分に関わらず、二人ともきちんと着こなしを意識している辺り、女であることまでは捨てていないようだ。

 現に二人とも、毎日野宿めいた暮らしをしている割に、久々の同士との再会の前に水場で身体を洗ってきたのか、汗や垢の匂いは漂わせていない。

 悪の組織に属する身分であろうとも、やはりプライベートではうら若き女性である。細かいところでしっかりしている。

 

「さて、次の任務は大仕事よ。

 シンジ湖のターゲットを捕獲するミッション、失敗は許されないわ」

「仕切らないで頂戴、それってまるで部下に対する警告じゃないの。

 あんたとあたしはあくまで対等でしょ」

「突っかかるわねぇ。

 あなた、そんなに私のこと嫌い?」

「嫌いよ、あんたつまらないもん。

 あたし、あんたみたいな大人にだけは絶対なりたくないわ」

 

「悪の組織に身を堕とした同じ穴の狢じゃないの。

 あなた、とっくにあたしと同じ汚い大人なのよ?」

「一緒にしないで。

 それともお仲間が欲しいの?

 孤高の極悪人を気取る割には案外寂しがりなのね」

「やれやれ、とことん嫌われたものね。

 まあ、そういうあなたの幼さってあたしから見れば可愛いけど」

「はいはい、上から目線どうも。

 達観したふり決め込んでマウント取るだけのクズのくせに」

 

 互いの服装を認め合って、やや和やかな会話を交わしていた短時間とは一変、マーズのジュピターに対するとげとげしさは尋常ではない。

 余程にマーズはジュピターを毛嫌いしている。

 それほどの侮辱を浴びせられても、肩をすくめて笑うだけのジュピターの態度が、いっそうマーズを不愉快にさせる一因でもある。

 水と油の二人。こうしてギンガ団幹部同士で再会し、次なるミッションには手を組んで挑もうという中にあって、仲良くするつもりは一切無し。

 一つの目的のために私情を殺し、さながらビジネスと割り切って接点を強調する二人の姿は、悪の組織の幹部らしいといえばらしいのだろうか。

 

「ともかく、絶対にしくじれないミッションなのは確かよ。

 あなたがあたしのこと嫌いなのはわかったけど、きちんと連携は合わせて頂戴ね。

 こちらもあなたに合わせるようにはするから」

「ええ、それぐらいのことは弁えてるわ。

 私情に乱され躓いてなんていられないもの。

 あたしだって、もう引けないところまで来てるんだから。

 任務達成、その果てにある宿願のためなら何だってやるわ」

 

 ジュピターから顔を背け、そばにいるブニャットを見つめ、その頭を撫でるマーズ。

 その横顔に表れた、かつて失った大切なものを思い浮かべる寂しさと、それを取り返そうとする決意の眼差しは、ジュピターにも理解できた。

 マーズが何を目的にギンガ団に与し、ここまで悪行をも厭わなかったかを知るのは、ギンガ団幹部のジュピターとサターン、そしてボスのみだ。

 その想いには、マーズとは異なる目的を持つジュピターも、少なからず共感めいたものも覚えている。

 

「そのブニャットのことは好き?」

「……………………好きよ。今はもう好きになれた。

 今のあたしの、ベストパートナー」

「そう。

 だったら、いいじゃないの」

「あんた、そういうのはちゃんとした顔で言えるのね。

 馬鹿にした顔で笑うかなとさえ思ってたけど」

「あなたの中であたしってどれだけクズなのよ。

 腐ってもあなたのことは同胞だと思ってるんだからね?

 ベストパートナーと仲良くやれてる姿を見れるなら、それはそれで微笑ましいわよ」

「……それがいいことなのかは、わからないけどね」

 

「――――」

「ふふっ、ごめんねニャムちー。

 あなたのことは大好きなの。本当よ?」

「~~~~♪」

 

 ニャムちーと名付けられたマーズのブニャットは、憂いがかったマーズの表情を窺うや否や、気遣うような声で頬を擦り寄せてくる。

 "今の"マーズにとっては、まさしくベストパートナーだ。大事なポケモンは他にもいるマーズながら、このブニャットだけは特別である。

 それこそ、パールにとってのピョコと同じように。掛け替えの無い友達とさえ言っていい。

 

「あなた、本当はギンガ団に向いてないと思うわ。

 自身の宿願のため、最愛のポケモンにも悪行に荷担することを求める。

 それって他ならぬあなた自身にとって、面白いことじゃないでしょうに」

「これから大事なミッションに挑もうって時に脱退推奨?

 あなた本当、どこかイカれたとこあるわよね」

「あたし、関係無い奴らが泣こうが喚こうが苦しもうが、最悪死のうがどうでもいいんだけどね。

 これでもあんたにはある程度の親近感や愛着は持ってるのよ。

 ちょっとは忍びないなって思う程度にはね」

「愛着、ねぇ。

 顔を合わせることも殆ど無くって、トランシーバー越しの会話もそんなに多くなかったのに?」

「そうでなければあたしだって、あたしがギンガ団に与した理由をあんたに教えたりしないわよ。

 馬鹿な夢だってどうせ思うでしょう。あたしだってそう思う。

 それを打ち明けるぐらいには、あなたには恥を晒してもいいとさえ思ってるのよ。

 親しみを感じる相手への誠意と感じてはくれないのかしら?」

 

「……知ったこっちゃないわよ。

 でも、あんたのを馬鹿な夢だとはあたしにも言えた口じゃないわ。

 愚かだとは思ってるけどね。あたしも、あんたも」

「いいじゃないの、やり直したいって思って何が悪いの?

 誰でも一度は考えることよ、あの時ああしていれば、あの時ああしていなければ。

 それを改められる手段があると知った時、どうして諦められる?

 あたし達の夢を嗤う連中がいるとすれば、さぞかし悔い一つ無い清廉でつまらない退屈な人生を歩んできたんでしょうねって思うぐらい。

 エゴから目を逸らす人を辞めた連中の批判など知ったことではないわ」

「クズの典型ね」

「あら、あなたまでそんなことを言う?」

「開き直ったらそこまでよ。

 あたしはあんたとは違う。罪深いことをしている自覚がまだある」

「下らないわ。

 罪深さを自認しても、結局やることはやるんじゃないの。

 あたしと何が違うの?」

 

「あたしは少なくともあんたみたいに、自分自身を正当化する言葉を振り撒いて、対立する思想の持ち主の憤りを煽るようなことはしないわ。

 あんたは自分の正しさを説くことで、積極的に人を不快にさせたがる。

 だからあたしはあんたをクズと呼ぶの。口を開くだけで迷惑、行動でも迷惑、悪影響しか撒き散らさない奴をクズって呼ぶの」

「自分を否定してくる奴が不愉快になろうと知ったことではないわ。

 僅かでもこれに共感できる奴が、あたしを否定する資格は無いと思うけど」

「人を不快にさせることをモチベーションの糧にし始めたら人間おしまいよ。

 それでしか自分を保てない奴なんて、ずっとそれを繰り返し続けるしかなくなって、呆れて誰にも相手にされなくなった時に何も残らず、破滅するだけ。

 あたし、何度も言ってない? あんたみたいな大人にだけはなりたくないって。

 あんたみたいな人生の果てには、寂しく独りぼっちで死んでいく破滅の未来しかないと思うし、そうはなりたくなっていうだけ。

 あたしはそうはなりたくない」

「でもあなた、あたしと同じことして生きてるのよ?

 どんなに強がったって、あなたとあたしは同じ穴の狢。

 最後に迎える結末は一緒よ」

 

「…………あたしには、ニャムちーがいる。バットンとブルーがいるわ。

 この子達がそばにいてくれるなら、あたしは一人じゃない。

 世界中すべての人に見限られたって、この子達に見放されずに生きていけるなら、それだけでいいわ」

「ふぅん……もし見放されたら?」

「自分から死んだっていいわ。

 あたし、孤独には耐えられないから。思い知ってることよ」

 

「――――z!!」

「……あはは、ごめんね、ニャムちー。ほんとにごめん。

 あなたのこと、信じてるつもり。でも、あたしから離れていかないでね?

 あたし、弱い人間なのよ……」

 

 自殺さえ仄めかすようなことを言うマーズに、何てこと言うんだとばかりに声を荒げるブニャット。それだけ、マーズのことが好きなのだろう。

 ジュピターと強い言葉を突きつけ合っていたマーズも、憔悴したかのように息を吐いて、ブニャットの頭を撫でて微笑みかけるのみ。

 さっきまでよりも、元気の無くなった表情だ。作り笑顔であることが明らかなほどに。

 それに伴い、これ以上マーズをいじめるなとばかりにジュピターをひと睨みするブニャットには、ジュピターもばつの悪い顔でお手上げの姿を見せるのみ。

 思わず熱くなって問答を重ねてしまったが、流石にマーズを追い詰め過ぎたかと、ジュピターも反省する想いである。

 

「少し言い過ぎたわね、謝るわ。

 任務に支障をきたし得るようなやり取りなんて、私もまだまだね」

「馬鹿にしないで。

 任務においては、あたしも大嫌いなあんたと手を結び、叶え得る最高の連携を果たすことになんの異存も無いわ。

 あんたのためじゃないわ、あたし自身のためにも。

 あたし達はもう、引けないところまで来てるんだから」

「ええ、それを聞いて安心したわ。

 すべてはギンガ団のために。そして、あたし達の望む新世界のために。

 あなた、頼もしいわ。この志を、信頼して共有できるんですもの」

「あんたとあたしは相容れない。

 でも、何においても譲れない夢のために、過ちとされる道を辿ることを選んだ同志としては、この上なく信頼できる。

 あんたこそ、分水嶺の時に日和ってだらしない仕事ぶりをするようなら絶対に許さないからね。

 むかつくけど、あたしの夢はあんたの手にもかかっているんだから」

「ふふ、ご心配なく。

 あたしはあんた以上に、ずっと昔から割り切ってるから」

「クソババア」

「悪の組織の幹部には褒め言葉よ」

 

 いびつな信頼関係だ。だが、その結束性は途轍もなく固い。

 自分達が決して賞賛されぬ、批難されて然るべき道へ、そうだとさえ知って邁進する者達は、もはや後戻り出来ない自覚とともに、全身全霊でその道を征く。

 

 高潔な精神で悪を挫かんとする、正義の志を持つ者達の結束は固く、それは疑いようもない信念に基づいて極めて強固である。

 悪の道に進んだ者達の結束もまた、形は違えど、退くことあらじと断じし信念に基づいて、絶対の不撓とも呼べるほど強固たる。

 争い合うかのように火花を散らす眼差しを向け合うマーズとジュピターながら、その本質は、結束の瓦解とはもっともかけ離れた関係にある。

 

「ただ、失敗できないミッションだから発破をかけさせて貰ったけれど、正直失敗するビジョンは無いのよね。

 シンジ湖には近隣にジムも無いし、リッシ湖のそばのノモセジムリーダーのような練達のトレーナーもいない。

 邪魔立てするような有力者もいなければ、田舎の警察はリッシ湖近辺のそれにも劣る。

 入念にあたし達二人で臨む形を取っているけれど、本来はそこまでするほどの任務ではないはずなのだけどね」

「……まあ、表舞台にあたし達が顔を出すリスクは否定できないし。

 あたしかあんた、片方が部下を率いるぐらいが丁度いいんでしょうけどね」

 

 基本的にマーズもジュピターも、トレーナーとしては有能極まりなく、邪魔立てさえ入らなければ今回の任務も問題なく果たせると見込まれる器だ。

 マーズも言うとおり、指名手配中の二人が揃って人前に顔を出す、それによるデメリットも意識すべき局面には違いない。足がつき得る。

 二人で挑むべし、とサターンを介してボスに命じられた今回のミッションは、入念ゆえに背負うリスクが実在するのも確かである。

 

「敢えてボスがあたし達に入念策を命じた真意って何なんでしょうね。

 失敗できないミッションだから、と言えばそれまででしょうけど」

 

「……今まで幾度となくギンガ団のミッションを妨げようとした二人の子のことは覚えてる?」

「あら、勿論それなら覚えてるわよ。

 あたしもハクタイシティで見たし、リッシ湖でもサターンに挑んだそうね」

「パール、って言ったかしら。

 あの子、シンジ湖のそばのフタバタウン出身だそうよ」

「へぇ、そうなんだ。

 で、その子がどうしたの?」

「…………」

 

 だから何? とでも尋ねたげなジュピターに、マーズは少し考える。

 正直、今から自分が言うことは、考え過ぎな気もしている。

 言ったらむかつくジュピターに笑われるかもしれないし、言わずに終えてもいいのだが、マーズは少々の思索を経て話すことを選ぶ。

 彼女にとっては、小さくない懸念に感じられるのだ。

 

「居合わせるようなことはないと思うけどね。

 ……ただ、万が一居合わせれば厄介よ。

 仮にもサターンのミノマダムを、二人がかりとはいえ退けた子達だから」

「あの子達、ジム巡りの旅か何だかでシンオウ各地を回ってるんでしょう?

 そもそもあたし達のシンジ湖攻略にかち合うこと自体、可能性は低いわよ」

「ええ、そうでしょうね。あたしも無いだろうとは思ってる。

 …………でも、ミッションって最悪を想定するものでしょう?

 胸騒ぎ、してるのよ」

「そんなにあの子達が怖い?」

 

「発電所、ハクタイビル、リッシ湖。

 形はどうあれ、あたし達の大きな仕事の時には、偶然とも運命とも言えそうなほど、必ずあの子達は姿を現してきたわ。

 すべて、偶然なんでしょうね。でも、たった三度のそれに三度ともぶつかる?

 二度あることは三度あったのよ。あたしは四度目があるような気がしてる」

「オカルトが過ぎるわ。

 ……まあ、絶対に無いと楽観的な見方もすべきではないけれど。

 でも、そんなこと言い出したらきりが無いんじゃない?」

「オカルト、ね。確かにそうかもね。

 でも、あたしの勘が騒いでるわ。

 あの子達はきっと、手の届く範囲であたし達の行動を認知したら、駆けつけてくるだろうっていう確信めいたものがね。

 まして故郷のそばにある、"思い出の湖"なら尚更だわ」

 

 実のところ。

 パールはリッシ湖での騒動をニュースで知り、ヨスガシティから自転車を借りてまで駆けつけた実績がある。

 彼女がそうしたことは、実はサターンも知っている。彼には、特殊な情報網があるのだ。

 パールがレンタルした自転車がヨスガのものであるとサターンは知っており、それだけのことをする少女だとマーズにもジュピターにも伝えている。

 だからって、と思うのがジュピターであり、基本的にこの想定の方が正しい現実視だろう。

 

「でも、だとしてあの子達と遭遇して、そこまでの脅威かしら?」

「どうでしょうね……あたしと戦った時、あんたと戦った時、そしてサターンと戦った時。

 日を追うごとに強くなっているのは確かよ。子供は成長が早いしね。

 万が一遭遇したら、ジムリーダーに道を阻まれたと同じほどの警戒を抱いて損はないと思う」

「ふむ……まあ、一理あるわ。

 見方を変えると、他の層が薄い田舎町において遭遇し得るなら、相対的には最大級の障害になり得るのも確かでしょうしね」

「まあコウモリが苦手なようだし、あたしのバットンやあんたのゴルバットでびびらせてやればそれなりに効くでしょう。

 具体的な対策としてはその辺りってとこでしょうね」

 

「……あなた、あの子に対して妙に詳しくない?

 フタバタウン出身であることといい、思い出の湖? っていうのもあたしは初耳だし、コウモリが苦手っていうのもそうだし」

「これでも色々とリサーチしてるのよ。

 出所はどうでもいいでしょ。まあ、全部信頼できる事実だから気にしないで」

 

 ジュピターが訝しむほど、パールの情報を多く掴んでいるマーズ。

 積極的なリサーチの果てに掴んだ情報という辺り、マーズはパールのことを少なからず普段から意識してきたのだろう。

 リッシ湖で一度対面したこともあるが、今現在のギンガ団幹部の中では、パールと最も接点が近いマーズ。

 パールがプラチナとともにサターンのポケモンを一匹退けたという実績も踏まえて、パールのことは軽視しないようにしているようだ。

 

 もしもマーズが、再びパールと相見えることあらば、きっと彼女は子供相手とて決して油断せず、その全力を以って迎え撃つだろう。

 見くびられやすいパールの幼さは、対マーズにおいて強みにはなり得ない。

 

「杞憂で済めばそれはそれでいいわ。

 ただ、失敗できない仕事だし、なるべく入念にいきましょう。

 あらゆる可能性を考慮してね」

「ええ、ボスもあたし達二人を差し向けるほど入念なようだしね。

 それなりに気を引き締め直すとしましょうか」

 

 次なるギンガ団の大仕事は、リッシ湖襲撃に続くシンジ湖襲撃。

 落とせないミッションゆえ、マーズもジュピターもどんな小さな失敗へのきっかけとなり得る障害も見落とさんとする。

 部下をどのように動かすかの想定のみならず、ありとあらゆる観点から、そのミッションの成功率を高めんとするのみ。

 明日の大仕事を控えたギンガ団幹部に、一切の驕りや気の緩みが無い。

 口ぶりでは失敗することなどあり得ない構図だと言うジュピターでさえ、その心奥底でまで気を抜いているわけではないのだ。

 

 決戦は明日。舞台はシンジ湖。

 ギンガ団が再び動きだす。その後に控える、さらなる大いなる目的に向かうための、通過点にして不可避の成功を求めしターニングポイントだ。

 シンオウ地方が再び揺れる日は、もはや目前に迫っていた。



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第83話   初めての喧嘩

 

 

「おはよ、プラッチ」

「はい、おはよう。

 今日は普通のパールだね」

「今日も元気なんだけどね。昨日が元気すぎたっぽい」

 

 ミオシティを離れ、コトブキシティに着いたパールとプラチナは、ポケモンセンターで一晩お休み。

 朝になって、さあ出発だというところである。

 

「どうしようか。

 クロガネルートでいく? それともソノオルート?」

「ソノオルートかな~。

 クロガネルートだと、クロガネゲート通るじゃん。ズバットがヤだ」

「ソノオルートでも荒れた抜け道があるんじゃなかったっけ」

「そこさ、プラッチのケーシィのテレポートでショートカット出来ない?」

「なにぃ。そんなアテのし方をしてるのか」

「お願いお願い。ちょっとはいいじゃん、ね?」

 

 パール達が次に目指すのは、7つ目のジムがあるキッサキシティ。

 コトブキシティからキッサキシティを目指すなら、有力なルートが2つある。

 一つはクロゲネゲートを経てクロガネシティへ行き、そこからサイクリングロードの206番道路を北上してハクタイシティへ向かうルート。

 もう一つはソノオシティを経てハクタイシティへ向かうルートだ。

 ハクタイシティにまで辿り着いたらあとは一緒で、テンガン山を越えてキッサキシティへ向かうのみである。

 

 東西に長いクロガネゲートは、中を通らずやり過ごすことが出来ないが、ソノオルートの荒れた抜け道は、入口と出口が近い位置取りにある。

 抜け道内で坂を経て登り、断崖の上に出口という階段洞窟のようなものである。

 それぐらいの距離ならプラッチのケーシィにテレポートで、抜け道自体をやり過ごしちゃおうというのがパールの発想のようで。

 谷間の発電所に侵入する際、離れた場所からその屋上にみんなでテレポートした実績があるので、そう難しくはない話だろう。

 

「まあ、いいけどさ。

 それじゃあソノオルートで……」

「あっ、待って待ってプラッチ。

 えぇと……ちょっとだけ、寄り道してもいいかな?」

「フタバタウン?」

「あっ、バレてる」

「言うと思ってたもん。

 正直、ミオシティに向かう時に、フタバタウンに寄らないってパールが言った時にもちょっと驚いたぐらい。

 せっかく近くまで来たっていうのにさ」

 

 そう言ってプラチナは、はじめからキッサキシティに向かう気はなかったかのように、さっそく街の南へと歩き始めていた。

 どうやらプラチナ、はなからパールが故郷に寄り道したがることぐらい、想定内だったようだ。

 いいかな、の問いに返答もせず、その道を選んでくれるプラチナに驚き、でも嬉しくて、パールもぱたぱた駆けてプラチナと横並びの位置に落ち着く。

 

「でも、どういう心境?

 寄り道はちょっと控えて頑張りたいって言ってたのに」

「いやぁ……鋼鉄島でしばらくじっとしてた時、なんか急に家が恋しくなっちゃって」

「あ~、なるほどね。

 野宿しまくってたらちょっとね」

 

 鋼鉄島での合宿生活をしているうちに、ちょっとホームシックに陥ったとな。

 確かにポケモンセンターのベッドで休む日々と比較して、備え付けの寝袋で寝る生活は、不快じゃないけどやっぱり恋しいものも出てくる。

 そこで我が家のベッドをふと思い出してしまうぐらいには、やっぱりパールもまだまだ子供である。

 

「まったり進んでも夕方ぐらいには着くよね?」

「プラッチ、うちに遊びにこない?

 お母さんも、きっとダメなんて言わないよ」

「え、いいのかな。

 ……よかったら、お邪魔してみてもいいかな」

「えへへ、もし違う顔されても必死で頼み込むからね!

 普段はポケモンセンターでも別の部屋で泊まってるでしょ?

 今日はいっぱいお話しよ! 私、夜のお話長いよ!」

「っ……毎晩どんだけナタネさんと長電話してるのさ、それ言うぐらいって」

 

 あれ? 僕女の子の部屋に入るの? なんて思ったら少しどきっとしてしまうプラチナだが、その動揺は隠し通してなんとか平静を装いきっている。

 パールが久しぶりの里帰りで喜んでくれればいいな、ぐらいにしか思っていなかったプラチナだが、その先に待つのは人生初レベルの特別なイベントらしい。

 意識すればするほどそわそわしそうなので、プラチナはパールとのお喋りを弾ませて、気を紛らわせるのである意味必死だった。

 

 そんな、ちょっと普段とは違う、楽しい一日になりそうだって、パールもプラチナも思っていたはずだったのだ。

 結論から言うと、この日も、明日も、パールはフタバタウンの土を踏むことは叶わなかった。

 まさかあんなことになるなんて、今の二人に想像できるはずがなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コトブキシティから南下するとマサゴタウンに辿り着く。

 そこから西へと進み、南へ分かれる道を南下することで、フタバタウンに到着する。

 今日のパール達にとってのマサゴタウンは、お昼ご飯を食べてフタバタウンに向かうための通過点というところ。

 

「あっ、見て見てプラッチ!

 明日は晴れだって! シンジ湖の眺めが一番良くなるよ!」

「今日は曇ってるもんね。

 やっぱり晴れの日の方が綺麗?」

「青くてぴか~ってなってるよ! 朝なんかは特に!

 明日は絶対、シンジ湖を見に行こうね!」

 

 ポケモンセンターでご飯を食べながら、テレビを眺めるパールとプラチナ。

 今日はフタバタウンでゆっくり過ごして、明日の出発ついでにシンジ湖へ寄っていこう、というプランが、ここまでの道のりで既に語られている。

 テレビで報じられる晴れ予報を見れば、パールはいっそう明日が楽しみ。

 今日が既に、久しぶりに実家に帰ることが楽しみな日なのに。

 まだ何一つ叶えていないうちから本当に幸せそうで、そんな彼女を眺めるプラチナの方が、無条件で頬が綻びそうである。

 

「ちなみにだけどパール、リッシ湖でギンガ団と戦ったじゃん?

 あれ、テレビに映っててナタネさんにも叱られたそうだけど、家の人は知ってたりするの?」

「うっ……ど、どうでしょうね?

 電話とかはかかってこなかったけど……バレてたら電話ぐらいかかってきそうだし」

「多分これ、黙ってた方がいいやつだよね?」

「はいっ、お願いします!

 多分おこられる!」

「怒られるようなこと、最初からしちゃ駄目なんだぞ」

 

 旅の中でポケッチを入手したパール、入手後さっそく実家にお電話はかけており、通信コードはお母さんにも知らせてある。

 家から電話がかかってくることは充分あり得る話。特に、リッシ湖乱入の件なんて、お母さんが知ったら速攻で電話かけてきそうなところ。

 かかってこないということは、運良くその場面は母の目に触れなかったと思いたい。

 あれが人に心配をかけて、しっぽり怒られるようなことであるのは、ナタネさんの激おこ電話からわかったパールである。今更びびってる。

 絶対お母さんには言わないで、と手を合わせる力の強いパールの必死さに免じて、向こうが知らないならもうこれは秘密にしておこうとプラチナも決めた模様。

 冗談交じりのお小言も添えておくが。あんなこと、二度と無い方がいい。

 

「わ、わかって……あれっ?

 緊急速報だって、ねね、プラッチ」

「はいはい」

 

 風向きの悪い話題になりそうだったので、テレビが緊急速報画面に切り替わったこと幸いに、パールは無理くり話題を逸らしにかかる。

 まあ、いいけど。プラチナもねちねち責めるつもりはなかったので、パールと一緒にテレビを眺めることに。

 

 恐らくこの緊急速報は、今の二人にとって最低最悪のものだったはずだ。

 ドローンでも使って撮っているのか、空中カメラから大きな湖を見下ろす映像が、風に揺らされるカメラに合わせて少し揺れ揺れ。

 緊急速報を伝えるキャスターの発する言葉に含まれる、ギンガ団という強烈なワード。

 そしてその空中カメラに見下ろされる湖の名が、シンジ湖と呼ばれるものだとわかるや否や、食事中だったパールの手が止まり、まばたき一つしなくなる。

 

「えっ……今、シンジ湖って言った……?」

「っ、パール!」

 

 あの日、リッシ湖をギンガ団が襲撃した時の速報を、ヨスガシティで見た時と同じ感覚。

 幼い頃から通い慣れたはずのシンジ湖とて、空中から見下ろした眺めなど見慣れないパールは、映された湖がシンジ湖であるとはすぐにわからなかったけど。

 シンジ湖での出来事だと報道の声で知ってなお、信じられない、信じようとしない呆然とした横顔に、思わずプラチナはパールの名を強く呼んでいた。

 

「ぷ、プラッチ……!

 シンジ湖が……」

「パール、ちょっと待って。

 とりあえず落ち着こうか。ご飯、全部食べようね」

「で、でもでも……えっ、えっ……」

「何が起こってるかはもう僕がわかったから。

 ……いいからまず、ご飯全部食べよう。食べ残さないでよ。

 お腹空いた、ってパールも言ってたよね」

 

 あの日、リッシ湖をギンガ団が急襲した時と同様に、再びギンガ団が表舞台に姿を現したのだ。

 そして今、ギンガ団が襲撃しているのは、パールの故郷フタバタウンのそばにあるシンジ湖。

 かつてのように、湖の水を全て吹き飛ばすようなことこそしていないものの、幾人ものギンガ団員が湖に群がっていることは、上空カメラ映像からも明らかだ。

 

 事態はシンプル。報道内容を十秒聞けば、どこで、何が起こっているのかなどプラチナにも明白だった。

 それが故郷のそば、思い出深い特別な地での出来事だと知ったパールは、頭が追い付かずうろたえるばかり。

 思い出の地が悪党集団の襲撃を受けて荒らされる。さながら、実家が火事だと知らされる感覚に近いものがあろう。

 頭が真っ白になっていたパールは、プラチナの強い言葉を頭に刷り込まれ、操り人形のようにご飯を食べる手を動かし始める。

 思考力を失った頭に命令を叩き込まれ、無思考に従うパールの姿は、まさしく催眠誘導されて操られるそれと何ら変わらない。

 それほどまでに、この報道が彼女に与えたショックは大きかったのだ。

 

 さあ、苦虫を噛み締めるような想いなのはプラチナの方だ。

 ごちそうさまを告げ、ポケモンセンターから出た外で、パールが何を言いだすかなんてわかりきっている。

 少しは冷静さを取り戻し、つまり、湧き上がる感情を言葉にしてはっきりと主張するパールが、プラチナの望まないことを訴え始めると見えているのだ。

 止められるのだろうか。心底プラチナは、頭を抱えてしまいたいほどの衝動に駆られるばかりであった。

 

 

 

 

 

 マサゴタウンからシンジ湖まで駆ければ、夕時を迎えるよりもずっと早く着くことが出来る。

 報道によれば、ギンガ団が徒党を組んでシンジ湖に乗り込んできたこと自体は、昼前の出来事のようだ。

 乱暴な言動でシンジ湖を訪れていた人々を追い出して、警察が駆けつけるも、ギンガ団員達による徹底抗戦の構え。

 わざわざ報道陣がこれを言うことは無いのだが、田舎町のフタバタウンの警察は、都会の警察に比べて人数が多くない。

 同じ田舎町のマサゴタウンの警察も駆けつけてはいるのだが、合わせてもやはり戦力としては心許なく、湖の占拠を現状許してしまっている。

 少し遠いコトブキシティからの応援要請も発せられているらしく、今日まる一日ギンガ団の占拠を許すことはなさそうだが、撃退までは時間がかかるだろう。

 見方を変えると、恐らく湖を占拠しているギンガ団に何らかの目的があるとして、それが達成されるまでの時間は与えてしまう算段が高いということでもある。

 

 ギンガ団のシンジ湖を占拠してから、現時点ではそれほど時間が経っていないことを鑑みれば、その目的とやらを妨げるなら今しかない。

 だが、空中カメラや現地映像から、ギンガ団の幹部と思しき者が二人、ギンガ団らの中にいることも判明しているのだ。

 そのギンガ団幹部の強さは、パールとプラチナもよく知るところである。

 子供が触れるべきヤマではないことぐらい、二人にだってわかるはずだ。

 

「パール、僕が何を言いたいかわかってるんじゃないかな」

「わ、わかってる、わかってるけど……」

「絶対に駄目だよ。

 博士の忠告、忘れたの?

 しかも今回は、ギンガ団幹部が二人もいる場所だよ」

 

 わかってるよね、と尋ねるプラチナこそ、パールが今どうしたいかをわかっている問い方だ。

 思い入れの無いリッシ湖を荒らすギンガ団さえ許せず、離れた街から駆けつけることを厭わなかったパールである。

 特段の思い入れのあるシンジ湖を荒らすギンガ団が、足の届く場所にいるこの状況。

 指をくわえて事件解決を待てるパールであるはずがない。

 マサゴタウンのポケモンセンターを出たすぐそこで、シンジ湖方面を背にしたプラチナが、さながら自らを壁としてパールと睨み合う形を取る。

 

「でもプラッチ、私……」

「確かにリッシ湖は何とかなったよ。

 マキシさんと戦ったギンガ団幹部と、二人がかりで戦って、ぎりぎり。

 今日はギンガ団の幹部を抑えてくれる、強いジムリーダーさんもいない。

 まして、相手は二人だよ。僕ら二人でどうにかなると思うの?」

 

「でも、シンジ湖は……!

 わ、私にとって……私にとって、特別なっ……」

「負けたらどうなるの?

 殺されたっておかしくない、って話、僕したはずだよね」

「うぅ……」

 

 会話になっていると見做せるか否か、果たして難しい局面である。

 パールの言いたいことを総括すれば、危険かもしれないけど行きたい、出来ることを全部やりたい、というところに尽きる。

 プラチナはその主張を退けるため、矢継ぎ早に、彼女の言葉を遮りがちなほど、いかにそれが危険なことであるかを畳みかけて説く。

 パールの少ない言葉に対し、これだけきつく念を押して、初めてパールも言葉を失い一度黙ってくれる。

 感情が先走っているのだ。何とかブレーキをかけさせるだけでも一苦労。

 そして、それでも納得していない眼を保つパールだから始末に負えないのだ。プラチナが一番よくわかっている。

 

「……今までだってギンガ団のやることを、邪魔しようとしてきた僕達だよ。

 負けたら絶対、大変なことになる。見逃してなんて貰えない。

 その場で殺されたりしなくたって、必ず捕まる。

 ポケモンを捕まえるために、そのポケモンを傷つけるボールまで作って、痛めつけるような悪の組織に捕まるってどういうことかわかってる?」

「そ、それ……は……」

「僕達が行っても、必ずそうなる。勝てる相手じゃない。

 そして負ければ、本当に、その場で殺されたっておかしくないんだ。

 ハクタイシティのビルで、パールに向かって炎を放ったジュピターがいるんだよ」

 

 静かながらも強いプラチナの言葉が、パールの顔を青くさせ、彼女が一歩たじろぐほどの効果を見せている。

 シンジ湖に現れたギンガ団幹部というのが、その髪の色から、マーズとジュピターであることは判然としているのだ。

 両者とも指名手配の身。報道の時点で、その二人の存在は示唆されていたことだ。

 

「警察が、必ず何とかしてくれるはずだから。

 コトブキシティからも応援が来るっていう話なんだからさ。

 僕達は……」

 

「わ、私っ……それでも、行く……!」

「っ……!」

 

 駄目だ、押し切れたと思ったのに。

 あれだけびびらせたって、思い出の地を荒らす者達を許せないというパールの想いは、足が震えるほどの恐怖でも塗り潰せないほど強い。

 これだけ言っても行くんだと訴えるパールに、プラチナも言葉を詰まらせるほどなのだから、付き合いの長い彼でもパールを知り尽くせてはいないということ。

 一度その感情に真っ直ぐに定めた想いは、恐怖というもう一つの感情で以っても潰えぬほど、今の彼女は行動すべてを感情に殉じている。

 プラチナの話を聞いていなかったわけではあるまい。殺されたって構わないとでもいうのか。

 そう問えば首を振るだろう。しかし、じゃあやめろ、と言っても首を振るだろう。だから理念より感情を優先する者は、理屈で言うことを聞かせられない。

 

「……パール、僕と約束したはずだったよね。

 もう、あんなことはしないって。

 僕との約束、破るんだね?」

「っ……!

 だ、だって……だって……!」

「破るんだね……!?」

 

 プラチナもむかついてきた。

 説得するための言葉は他にもあったのだ。

 そんな無茶をしたら、お母さんが心配するよ。ナタネさんだって心配するよ。怒られるのはだからでしょ、という大人びた理論。

 それ以上に、プラチナ自身がパールを心配してやまないのに。彼に言わせれば、身近だからこそ他の誰にだって負けないぐらいに。

 そんな僕が、パールが最悪の結末を迎えるのが嫌だからこそ、ここまで言っているのに通じない。

 本当に腹が立ってくるのだ。僕の感情をわかってくれないのか。

 

「プラッチ、お願い……

 最後に、一回だけ……本当に、今回だけ……」

「あぁそう、約束破るんだね!?

 僕がこれだけ言っても、パールにひどい目に遭って欲しくないって訴えても、パールはそれを無視するんだね!?」

「ぷ、プラッチぃ……っ……」

 

「じゃあ、もう絶交だよ。

 僕はパールに、死んで欲しくないって本気で思ってる。

 それもわかってくれない友達となんて、これからもずっと信頼し合える気がしないから」

 

 過去一番、パールがプラチナの前で見せる、悲しさに溢れた感情で顔を染めてしまう。

 ずるい言い方だとはプラチナだってわかっているだろう。人間関係を武器にした交渉なんて。

 だけど、他ならぬプラチナこそ、パールと絶交なんてしたくないはず。

 身を切る想いで、胸を締め付けられる想いでありながら、毅然とした顔でパールに言い放つプラチナの姿は、悲壮な覚悟を擁しているとさえ言っていい。

 11歳の子供にとって、一番親しい親友との絶交なんて、自分が泣きそうなほど耐え難いことに違いないはずなのだ。

 

「ううぅ……プラッチ……」

「……行かないでくれれば、それでいいんだよ。

 だから、今日だけ我慢してよ。

 僕だって、心から、パールと絶交したいわけじゃないんだからさ」

 

 女の子の涙は、男の子に対して凄まじい威力だ。

 泣き落としの意図無き、プラチナとの絶交を迫られて、心からの悲しさから涙目になるパールには、プラチナもこれ以上強く出られない。

 言い過ぎたかとさえ思うほど、現にこれ以上の言葉は用意していないのだ。

 あとはもうプラチナも、踏み止まってくれることを願う他ない。

 

 二人の間に沈黙が流れる。

 時間にして、約十秒というところだ。長くて、短くて。

 鼻をすすって、ぐしっと涙目を拭うパールの姿に、望む言葉よ彼女の口から紡がれて、と願うプラチナの想いは、過去最も強い。

 

「……………………ごめん、ね、プラッチ。

 私、どうしても、立ち止まれない」

「っ……!

 パールっ!」

「私、こういう時にどうしてもじっとしてられない……!

 私にとっては、リッシ湖は大事な場所なの……!

 プラッチにも話したよね……?

 あそこは、私が旅立つきっかけも作ってくれた、すごく、すごく大事な思い出の場所なの!」

 

 この時のプラチナの嘆きたるや、到底言葉では言い表せるものではなかっただろう。

 説得は失敗している。そしてパールはその選択を、プラチナとの友情を天秤にかけてでも、選ぼうとしているのだ。

 自分を大事にしてくれないパール、そして何よりもプラチナにとっては、切り捨てられたにも近い悲しみがある。

 そんなプラチナの表情を歪むのを見て、パールが次の言葉を紡ぐのを躊躇いがちになる姿も、はっきり言って罪深さそのもの。

 口にして初めてわかったにせよ、それでも貫くというのなら、判断能力ありしまま悪行に踏み込む犯罪者の業とさほど変わるまい。

 

「だ、だから……だから……

 私、行く、から……プラッチ、とは……」

 

 絶交。その言葉を口にすることは、パールには出来なかったけど。

 代わりに、一度は拭ったはずの目からぶわりと涙が溢れ、頬をつたうほどではあったけど。

 自分で選んで自分で絶交するのだ。もう、その事実から逃げようがない。

 子供は自分のせいで何か悪いことが起こった時、言い訳を作って自分のせいじゃない風にして自分の心を守ろうとする。

 どう足掻いたって自分のせいだと逃れられないつらさは、子供にだってわかる話だ。

 

「い、今まで、ありがとう、っ……

 ごめんねプラッチ……っ……!」

 

「パール!!」

 

 顔を伏せたパールが駆けだして、プラチナの横をすり抜けて、シンジ湖の方へと向かっていく。

 決して、唖然としたわけではない。だが、手を広げて止めることも出来なかった。

 やはり、プラチナにもパールを止めることは出来ないのだ。

 友情を天秤にかけさせたって止まらないパールの、ほとばしる感情に自らの行動を委ねる性分は、きっと誰にも止められない。

 せめて舞台が、パールにとって無二に思い出の地、シンジ湖でさえなければ。

 駆けていくパールの背中を、振り返って立ちすくみ、見送る形のプラチナが思わず手を伸ばすほどには、この展開は悔やんでも悔やみきれない。

 

「――くそっ!!」

 

 恐らく今までの人生で初めてのことだ。

 汚い言葉を発して、八つ当たり気味に地面を蹴り上げ砂を舞い上げるなんて。

 それほどまでに、自分にも、パールにも、儘ならなさと憤りを感じてやまぬやりきれなさは、プラチナにその自制を利かせなくするほど強い。

 

 それでも、プラチナは賢かった。

 パールはひどい決断をした。自分だって、後悔するほどのことを言った。

 だけど、自分もパールも間違っていないことは、誰に何と言われようとわかっている。

 悪事を許せないという想いを抱くパールって間違ってるんだろうか。彼女を案じた自分って、そんなのおかしなことだろうか。

 間違ってるのはギンガ団だ。それを見失うから、不毛な議論になる。

 しばしうつむき、興奮した頭でもぎりぎりその結論を導きだし、かろうじての冷静さを取り戻したプラチナ。

 顔を上げた彼の強い眼差しは、自分が何をすべきかわかっている。

 少し考えれば、理屈でも、感情でも、自分がとるべき行動は一つしかないのだ。

 

 走りだしたプラチナは、真っ直ぐに、叶えたい何かに向かって突き進んでいる。

 それは彼自身が愚かとした行動に、自らを導くもの。

 だが、そうでなければ勝ち取れないものもある。理念と本質、そして現実は、必ずしも未来と直結しないのだ。

 不条理な現実は、座して賢しく待とうと決して何ら変わりはしない。

 求むるものに手を伸ばすために戦うこと。それが儘ならぬ現実に満たされた人生の中で、望む未来を勝ち取るために必要なことなのだ。



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第84話   シンジ湖

 

 

「ふぅ~! 警察も油断なりまセーン!

 仲間がまた何人か捕まったようデース!」

「問題ありまセーン! 我々は無事デース!

 捕まったヤツらのことなんか知ったこっちゃありまセーン!」

「ちょっと冷たいデース!

 しかし、それが正解デース!」

「もう助からない仲間のことを気にしていては、我々の任務に支障が出マース!」

 

 シンジ湖に陣取って、テンションの高い会話を交わすギンガ団員達である。

 異国から連れてこられた者達の集団である、悪しきギンガ団の下っ端達。片言なのがその証拠。

 彼ら彼女らは個々の性格によって、三人のギンガ団幹部の誰の部下に配属されるかが定められるらしい。

 マーズもジュピターもサターンも、自分の性に合う部下の方が使役しやすいからだ。

 

 高い指揮能力に秀で、自負するサターンは、自分の指示に忠実な者であればそれでいいという考えだ。

 大きなことを成し遂げんとするギンガ団に浪漫と憧れを感じ、強くカリスマ性ある指導者の言葉に従いたがる者がサターンの下に配属される。

 ジュピターは手段を選ばない。トレーナーへの火炎放射も厭わない悪女である。

 人道に悖るような指示にさえ躊躇いなく従う、道徳観に欠けた者達が駒であってくれれば都合が良い。

 破壊活動をも楽しめるような粗暴な性格をした者達は、優先的にジュピターの部下に配属される。

 

 そして、特段どちらにも属さないと思われた者達はマーズの部下に配属される。ここが一番、団員数が多いところ。

 何でもいいから部下の頭数さえあれば、指示して適当に動いてくれればその中であたしが適正に仕事をする、というマーズには、駒の多さが重要なのだ。

 若くて強く、そして何気に美人でもあるマーズ、そんな彼女の下に配属された者達も全幅の信頼を寄せて付き従っている。

 たまに勝手な行動をする者も一定数いるが、お咎めしないマーズなので団員も気楽であり、不平も出づらいという形に落ち着いているようだ。

 幹部の性格に合わせた人事である。結果として、二人の性に合う幹部の指示に従うギンガ団員達は、よく機能する駒として成立しているようだ。

 

「ともかく田舎の警察は弱いデース!

 これならまだまだ持ちこたえられそうデース!」

「仲間が何人か連行されたって、こちらはまだまだ兵力いっぱいデース!

 向こうも消耗してますし、余裕で耐えられマース!」

「コトブキシティからの応援が来てからが勝負デース!

 逆に言うと、それまではまだまだ大丈夫デース!」

 

 ギンガ団の下っ端達は、個々の実力はそこまででもないが、とにかく頭数が多いので総力戦になると馬鹿にならない団体力を持つ。

 人口の少ない町の、他の街に比べて人員の少ない警察には厄介な相手である。

 じわじわとギンガ団の戦力を削いではいるものの、なかなか押し切れないのが現状というところ。

 シンジ湖の中心地において任務に回っているマーズとジュピターは、おかげで何の邪魔者もなく最重要ミッションに取り掛かれている。

 ギンガ団にとっては理想の展開であり、正義の組織にとっては悪い流れだ。

 極論、ギンガ団の下っ端連中を一人残らず検挙できたとしたって、肝心の幹部を取り逃がし、その目的を達成されては正義の敗北である。

 

「この調子デース!

 でもマーズ様とジュピター様も、少し急いで欲しいデース!」

「我々も捕まりたくはありまセーン!

 ミッションコンプリートの報告を受け、さっさと撤退したいところデース!」

 

 防衛線を担うギンガ団も、風向きが悪くなる前に早く逃げたいところ。

 とはいえ逃げ足が早過ぎて、防衛線を警察に突破されると、今度は逃げることすら儘ならなくなるともジュピターに命じられている。

 早く逃げたいけど今は全力で戦う。烏合の衆ながら、指揮官に明確な方針を与えられた暴徒達の統率性は、決して弱いものではないようだ。

 

 ぬかりのない悪党集団である。落とせないミッションに臨むマーズとジュピターの迫真さは、団員達にも伝わっていると見てよいのだろう。

 シンジ湖いっぱいに陣取ったギンガ団員達は、どの方向から警察が奇襲してきたとしたって迎え撃てるよう、警戒の目を光らせていた。

 

 

 

 

 

「すごい数……」

 

 警察の侵入を一切許していないシンジ湖のほとりは、ギンガ団員でいっぱいだ。

 とある高所の木陰から、その状況を見下ろし覗き込むパールは、今からここへ一人で飛び込んでいくことに、怖さで身体が震えそう。

 しかし、それが視認できるほど湖のほとりに近い場所まで至りながら、彼女を見付けたギンガ団員はまだ一人もいない。

 上手く隠れてここまで来られたものである。

 パールのそばにはミーナがいて、誰かが近付いてくればすぐ教えてくれるよう保険もかけているのだが、今のところミーナの耳にかかる接近者もいないようだ。

 

 幼い頃から何度もシンジ湖に通っていたパールは、シンジ湖周囲の地理については知り尽くしている。

 どの方向から湖に近付けば、あれほど沢山の敵にも見つからない、隠れて近付ける獣道があるかもわかっているのだ。

 集団で行動する警察が、パールと同じ道を選んだとて上手くいかないが、奇しくもパールは一人だからそれも上手くいく。

 一方で、一人でこの集団に飛び込んでいくことの厳しさは言わずもがな。

 下っ端連中は最悪どうにか出来るかもしれない。しかし交戦を避けられぬ末に、マーズやジュピターと戦う余力なんて残るだろうか。

 そしてそこまで思い至って、パールは改めて、この戦いの厳しさを突きつけられるというものだ。

 ギンガ団幹部が二人。自分一人でどうにか出来る相手なのだろうか。

 

「……………………ミーナ」

「――――z!!」

 

 迸る感情のままここまで来たパールも、不安な声と表情をミーナに向けずにいられなかった。

 対するミーナは、べしんとパールの背中を叩いて、ふんぞり返るように胸を張って笑ってみせる。

 私がついてるだろ、と。そしてパールの鞄を、ピョコとパッチとニルルのボールが入ったカバンを叩いて、みんなもいるんだぞと勇気づけてくれる。

 あのプラチナの静止を振り切ってまで来たパールが、もう引き返せない心持ちであることぐらい、ミーナ達もわかっているのだ。

 ポケモン達は、どんな誰よりもトレーナーの心情には敏感だ。まして、わかりやすい性格をしたパールなら尚更。

 プラチナでも、パールの旅を共にしていないお母さんですら、今のパールに対して深い理解は示せまい。

 

「うん……頑張ろう……!

 頼りにさせてね、みんな……!」

「――――!」

 

 鞄も僅かに揺れたことから、鞄のボールの中からみんなも、意気込み充分とばかりにボールを揺らしてくれたのだろう。

 パールは改めてシンジ湖に目を向け、何とか最小限の交戦の末に、マーズ達のもとへ辿り着くプランを組み立てようとする。

 

 シンジ湖の地理や全景は、その目で見ずともパールの頭には入っている。

 ここに来るまででも湖の様子を木陰からかすかに窺ってきたパール、マーズとジュピターは目撃できなかった。

 となれば湖のほとりの中心部、あそこかあそこに奴らはいるはずだという見立ても消去法で立てられる。

 あとはそこまで、どのようにして迫るか。地元の利を最も持つ少女は、一世一代の乱入劇のため、汗ばむ手を握りしめて必死で考える。

 

「パール」

 

「ひぁ……!?!?」

 

 後ろから声をかけられて、つまりすぐ近くに誰か来たその事実に、パールは大声こそなんとか封じ込めたものの悲鳴が出る。

 ミーナの耳で誰か近付いてきてもわかるようにしていたのに、ミーナから何のアクションも無く、あまりに突然の接近者。

 背後すぐの所まで敵の接近を許したかと思ったパールは、大慌てで体ごと振り向きつつ、足がもつれて尻餅をつく始末。

 

「そんなに怖がりなら、こんなことするべきじゃないんだけどな」

 

「っ、っ……ぷ、プラッ、チ……?」

 

 ミーナがパールに何も教えてくれないわけである。彼の接近音は聞いていたであろうにも関わらず。

 だって、敵じゃないんだから。

 パールの後を追って、ここまで駆けつけてきたプラチナは、振り返った瞬間のパールの恐怖に染まっていた表情を脳裏に焼き付け、はぁ~と溜め息つくばかり。

 心臓が止まりそうなほど驚きぞっとしたことを今も表すかのように、はっはっと息を乱したパールの姿ったら、本当に頼りないんだから。

 

「……見捨てて一人で行かせるほど、僕だって冷血漢じゃないから。

 パール、本当にあいつらに捕まって二度と帰れなくなるよ」

 

「ぷ、プラッチぃ……」

 

「言っとくけど許したわけじゃないから。

 その辺、勘違いしないでよ」

 

 孤独な戦いを覚悟していたパールにとって、泣きたいぐらい嬉しい救援者は、心から縋るような声をパールに発させていた。

 でも、そんな風に頼りにされたって、プラチナはまだ怒っている。

 たとえこの後上手くいったって、さっきの喧嘩を無かったことにはさせないぞというプラチナの重い声は、突っぱねられたパールを黙らせる。

 

「でも、やるからには全力でやる。

 パールはシンジ湖には詳しいよね?

 どうやって攻めるか、考えはある?」

「っ、ある……!

 ギンガ団の幹部が、どこにいるかも探せる……!」

「よし。

 パール、その話を聞かせてよ。

 僕もそれに合わせて動くから」

 

 助けに来てくれたことは嬉しかったが、やはりプラチナは許してくれなさそうだ。パールにも、はっきりそう伝わったようだ。

 その上で、それでもあと一度だけは助けてくれると言ってくれるプラチナの存在そのものが、パールに並々ならぬ勇気をもたらしてくれる。

 さっきまで考えかけていた案だって、一人じゃなく、プラチナと一緒なら、ずっと成功の見立ても高まるのだ。

 その喜びを顔にも出さず、むしろ頭から締め出して、決意ごもった表情で返答したパールに、プラチナも強い眼でうんと頷いてくれる。

 これが、プラッチと一緒に行動できる最後の機会。

 きっとそうだと覚悟したら、パールの胸はぎゅうと締め付けられ、息も苦しくなるほどだけど。

 それでも自分なりに考え至った戦い方を、懸命にプラチナに説明するパールの言葉を、プラチナはずっと真剣な表情で聞き続けてくれていた。

 

 一世一代。

 マーズやジュピターにとって、幹部二人集ってのこのミッションがそうであるように、パールにとってのこの戦いもまた、その言葉に相応しいものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 肝要なのは、攻め込むルートとタイミング。

 マーズとジュピターがどこにいるのか、ある程度の当たりをつけ、いよいよ見通しの良い湖ほとりに踏み込んでから、それを見付けて敵将の位置を確定させる。

 ほとりに出てから、敵の幹部発見までの時間は短ければ短いほどいい。

 もたもた幹部発見までの時間をかければ、それだけギンガ団員との交戦機会も増えて消耗する。

 敵に見つかりにくく湖のほとりに出て、かつ当たりをつけた場所に早く到達できる、それが意図して絞り出せる限りでは理想的な展開である。

 

「ねぇプラッチ……まだ、かな……?」

「あと少し。

 好都合な条件は揃ってるんだ。

 甘えさせて貰わない手はないからね……」

 

 ひとまず獣道をこそこそっと進み、思う限りの理想的な侵入ルートを辿ってきたパール達。

 草木の陰に身をかがめて、湖のほとり全域に陣取ったギンガ団員達の一部を遠目に見下ろしている。

 思わぬ方向からの警察の奇襲を警戒するギンガ団員達の、警戒網は盤石だ。どこから突入しようが、交戦完全回避は流石に不可能だろう。

 ある程度の戦いは覚悟して敵勢を目下にする中、プラチナがパールの肩を握り、はやる彼女をまだだよと諫めている。

 

 逆の手でプラチナは、手首のポケッチを自分の耳に近付けている。

 そばにいるパールでも聞き取りづらいほどの最小音量で、シンジ湖事件についての中継を続けているラジオ番組を聞いているのだ。

 その報道は、ギンガ団と戦っている警察の動きを逐一語ってくれるものであり、少し前に警察が突入し、今はそれが少し退がった直後であることも報じている。

 つまり、再突入は間もなくであろうというところだったのだ。

 あと少し、とパールに告げたプラチナの耳に、ちょうど警察が再突入を始めたという報道が聞こえてくる。

 

「……警察が動いたよ。

 ギンガ団は、迎撃に動くはずだ。

 そのぶん、見張りは残ってもここのギンガ団員達は手薄になるはずだ」

「警察の動きを利用しての作戦……

 プラッチもなんだか策士だね……」

「僕いま冗談で笑えるテンションじゃないんだけど。

 真剣にやってる? 僕かなり真剣にやってるつもりだけど」

「い、痛い……ごめん、ごめんプラッチ……

 でも、ふざけてるわけじゃないんだよぅ……」

 

 パールの肩をぎゅうと握って、今までのような冗談口をここで吐いてくれるな、付き合えないから、と力ずくで伝えるプラチナである。

 空気の読めない発言をしてしまったパールだが、やっぱり心のどこかでは、プラチナとの関係を諦められずにいるということだろう。

 いつものように話がしたい。こんな迫った状況でも。あるいは、だからこそか。

 突き詰めて言えば、厳しいかもとは思いつつも、どうにか無事にこの戦いを終えられたら、プラチナとの関係を修復したいという気持ちは残っているのだ。

 

 突っぱねられて、やっぱり無理なんだろうなと思い知らされる心地のパール、心に暗い陰は落とすけれど。

 弱い声を発しながらも、やがて踏み込む戦場に目を向けて、やるべきことをやろうと心構えを構え直す程度には彼女も真剣だ。

 ちょっと涙目になっているが。やっぱり絶交はつらいつらい。

 

「……シンジ湖南の入り口に向かって、何人か移動しているね。

 もう少しすれば、攻め込みやすい状況になると思う。

 いつでも行けるよう、準備しておいてよ」

 

 ぞろぞろとギンガ団員達が、少数の見張りを残して持ち場を離れ、警察の迎撃へ人員を動かしていく様子を見て、プラチナは突入間近の実情を静かに伝える。

 パールからの反応はなかった。声による返事が無いだけならまだしも、うなずくといった反応も無い。

 彼女の肩を握ったプラチナには、震えのない柔らかい女の子の柔肌の感触が伝わるだけで、怖がりパールの不動さに少し違和感すら得るほどだ。

 

「パール?」

「……そろそろ行く?」

「ん……そうだね、頃合いだ」

 

 返事が無いのでパールに呼びかけてみたプラチナだが、求めた会話とは無関係な問いかけが返ってくる。

 やや落ち着いた声に聞こえた。見方によっては、腹を括った声とも。

 パールもようやく、ここからの戦いに集中してくれたかと感じて、プラチナも気を引き締めるばかりである。

 

「プラッチ」

「ん……?」

 

 しゃがんだままの二人だが、パールが体ごとプラチナに向き合って、彼の名を呼ぶ。

 これから突入というタイミングでこれだ。

 プラチナからすると、少し出鼻を挫かれたような気分。

 

「ありがとう。

 私、プラッチのこと、ずっと忘れないからね」

「…………そう」

 

 駄目だこの子、本気で絶交を覚悟してる。

 ヒロイックな気分に浸ってるんじゃなく、本当にこれが自分と関われる最後の時間だって、腹を括っちゃったらしい。

 だって、最後の感謝を告げる表情、笑顔を作ったその顔があまりに重たい。

 精一杯の、心からの感謝を伝えるために笑顔を装って、悲しげに沈み切った目尻ときたら今にも泣きそうだし。

 これ絶対に演技じゃない。永遠の別れすら意識してる悲壮感えぐい。

 まあ、それほど自分との友情の決裂が悲しいのだと、ここまで隠しきれず表明されたら悪い気はしないし、プラチナも怒っていた頭も冷えるけど。

 

 でも、プラチナもあそこまで言ってしまった手前、色々覆せないものもある。

 ふぅ~、と長い息を吐いて、心を一度無にするよう努め、改めてパールと眼差しを向け合って。

 対パールの感情も、今だけは最も大切なことじゃない。強い敵に挑み、勝利し生きて帰ることが、今求められる命題だ。

 

「全力を尽くすよ。

 最後ぐらい、僕達の今までの集大成を、最高の形で発揮しよう」

「……うん!」

 

 プラチナも不器用だ。最後ぐらい、なんて言わなくたっていいのに。

 彼自身、パールと二度と口を利かない絶交なんて、恋心抜きにしたって心から望むことではあるまいに。長く一緒に旅してきた友達じゃないか。

 意地になってしまい、生涯最後の一緒に行動する時だと宣言するプラチナは、本心じゃないことを口にして胸がずきずき痛むほど。

 子供にとって絶交とは、相手が自分にとって大事な友達であればあるほどに、死に別れるほどの永遠の別れのようにさえ感じられるほど重いはずなのに。

 

 胸の痛みは双方にあった。

 だけどこの戦いに対する想いの強さだけは、奇しくも最も強い形で共有し合えていると言える。

 せめてこの戦いは、パールがギンガ団の手にかからないよう、最悪負けても何としたって逃げ延びられるように。

 せめてこの戦いは、ここまでしてくれるプラッチの気持ちを無駄にしないよう、出来る限りの最高の結末で終えられるように。

 負けられない戦い。誇張無く、どんなジム戦よりもだ。



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第85話   ギンガ団幹部との対決

 

 

「今よマーズ! ここしかない!」

「わかってるわよ!!」

 

 切り札であるスカタンクを駆るジュピターが、その攻撃によって弱らせた小さなポケモンに向け、ボールを投げろとマーズに命じている。

 好かぬ相手に指図されるマーズにとっては激昂ものだが、マーズ自身もそう判断していたように、まさに今こそ絶交の機。

 脚を開いてサイドスロー気味に投げたマーズのボールが、凄い回転と勢いで対象めがけて飛んでいく様からも、気合の入った一投だ。

 

 そのボールとはただのモンスターボールではない。

 ナナカマド博士がサンプルを復元し、パール達に見せたものと同じギンガボールだ。

 いかに捕獲し難いポケモンであろうと、一度当ててその中に捕らえれば、強烈な苦痛を与え続けることで抵抗力を削ぐ悪魔的科学の賜物。

 そんなボールの中に捕らえられたとある個体は、絶対嫌だとばかりに必死で足掻き、しばらく地面に転がったボールを揺らしてはいたものの。

 やがてはもはや抵抗できぬほど力尽き、ボールの揺さぶりが止まったところで捕獲が完了する。

 マーズとジュピターが、二人がかりでとある一匹のポケモンを袋叩きにし、とうとうそれを手中に収めた一幕だ。

 ふぅ、と息を吐くマーズが、今しがたまで戦線に立っていたブニャットをボールに戻し、ほくそ笑んだジュピターもまたスカタンクをボールに戻していた。

 

「まったく、とんでもない強さだったわ。

 サターンの奴は、こいつと同等の個体を一人で捕まえたっていうんだからびっくりよ」

「何言ってるの、あいつは若かりし頃のシロナにも何度も勝っているのでしょう?

 あたし達と対等な立場の幹部格とはいえ、流石にあれは私達より一枚上手よ」

「まあ、あいつのドクロッグが反則級なのもあたしは知ってるしさ。

 癪だけどそれは認めるしかないわ。味方にすれば頼もしいしね」

 

 捕まえたポケモンの入ったギンガボールを拾い上げたマーズは、それをひょいっとジュピターの方に投げ渡して小話を挟む。

 シンジ湖に眠っていた古きもの。とある手段でそれを目覚めさせたマーズ達にとって、その存在はまさに強敵だった。

 恐らくギンガボールという特別製のボールが無ければ、こいつを捕獲することは叶わなかっただろうと、腕利きトレーナーの二人でも思うほどに。

 ともあれ最重要任務は達成できたので、両者とも一抹の時ながら、ほっとする想いである。それだけ、任務失敗も覚悟するほどの難敵だったのだ。

 

「さて、撤退するわよ。

 部下もいつまでももたないでしょうしね。

 逃げ切ったと思える場所まで逃げきれたら、撤退信号を出して任務完遂よ」

「だからもう、わかってるわよ!

 あんたがあたしに指図しないで、むかつくから!

 バットン! 出て来……」

 

「まてぇ~~~っ!! わるもの~~~っ!!」

 

 目的は果たした。後は不測の事態が何か起こる前に迅速な撤退を。

 とりわけ、捕獲対象を手中に収めたマーズとジュピターは、撤退完了までが重要なミッションだ。

 近くに脅威の一つも無い中、充分最速の次なる行動に移ろうとしていたマーズとジュピターだったが、それでもぎりぎり間に合っていなかったらしい。

 離れた場所からびんびん響いてくる大声。距離があってもはっきり聞こえてくる、あんなでかい声出せる子いるんだレベルの叫びである。

 

「はぁはぁはぁ……!

 にっ、逃げるなあっ! おとなしくつかまれえっ……はぁはぁっ……!」

 

「うっわ、マジで出たわ。

 ジュピターごめん、あんた天才だったかも」

「いや、まあ……

 あたしも本当に直面するとなれば正直びっくりだけど」

 

 ギンガ団ハンターあらわる。まあ、本当にハントし果たした実績は無いが。

 しかしながら、マーズ、ジュピター、そしてサターンまでもが、表舞台に上がった数少ない機会、そのすべてに立ち会ってきた少女がまた現れた。

 息切れしながら、自分よりも強いはずのトレーナー、大人に対して啖呵を切るパールの姿。

 それを目の当たりにすれば、マーズもジュピターも運命的なものすら感じるというものだ。

 よくもまあ、毎度毎度ギンガ団の大事な局面に、こうして直面してくれるものだなと。偶然が偶然に感じ難いほどの率である。

 

「ギンガ団……!」

 

「腰巾着の少年もやっぱり一緒なのね。

 どうするマーズ? 叩き潰しちゃう?」

「らしくないじゃない、あんたなら無視して逃げろ派じゃないの?」

「確かにね。

 でも、流石に何度も何度も邪魔立てしてくるクソガキ、そろそろへし折ってやらなきゃつまらなくない?」

「……まあ、そうかもね」

 

 このまま撤退する手筈だったマーズもジュピターも、気変わりしたようで逃げる方へと足を向けることはせず、モンスターボールを各々の手に。

 多少はここでもたついたって、警察がここまで踏み込んでくるにしてもまだまだ時間がかかるはずだ。

 猶予あるその時間を使って、パールと彼女の後ろから戦場に姿を現すプラチナを、ここで迎え撃つ暇は充分にある。

 

 いい加減、舐められっぱなしは面白くないものである。

 挑むだけでも危険な相手だとわからせて、泣かせてやりたい衝動がジュピターにはある。

 邪悪に笑うその口元には、こいつに負けたら大変なことになると、パールもプラチナもぞっとするだけのものがある。

 

「悪を穿つ正義の仲良しカップル、ってつもりかしら!

 見せつけてくれちゃって! むかつくわ!

 二人揃って泣かせてやるわ! 覚悟なさい!」

「えっ、そういう怒り?」

 

「カップ……」

「……悪いけど僕ら、いま絶交中なんで。

 カップルとか絶対あり得ませんから」

 

「あらら?」

「きーっ、何よそのプレイ! ツンデレごっこのつもり!?

 いいわ! ギンガ団幹部を前にして遊んでられるなんていい度胸!

 もう泣かすに留まらないわよ、大怪我させて湖に放り捨ててやる!!」

 

 毎回二人で力を合わせてギンガ団の野望を挫こうとしてきた二人を知るジュピター、どうも今日のパールとプラチナには溝のある態度と見える。

 素直にそう見て正解なのに、マーズは勝手に変な邪推をして、勝手にぷんすこぴーである。

 うちのマーズも何だか若者かぶれし過ぎてるなぁ、とジュピターは呆れているが、パールとプラチナはマーズの恫喝に鳥肌を立てている。

 負けたら本当にそうなるかもしれない。死んだっておかしくない。恐れが強い緊張感に繋がる。

 びしばしと火花を散らして睨み合う、マーズとパール&プラチナ。一人だけしらーっとしてるあたしの方がおかしいの? とジュピターも首をかしげる一幕だ。

 

「っ……!

 いくよ! パッチ!」

「さあ行くぞ! エンペルト!!」

 

「やるわよ! "ブルー"!」

「行きましょうか、ドータクン!」

 

 それぞれがポケモンを繰り出して、2対2の様相を形成する。

 だが、この中にあってプラチナの投げたボールだけが、他の三人の意図を大きくはずしている。

 プラチナはエンペルトの入ったボールを、湖の方に思いっきり投げ付けたのだ。

 宙でボールから出てきたエンペルトが、シンジ湖の水面にざばあと水しぶきを上げて着水だ。バトルフィールドの外である。

 

「エンペルト! なみのりだ!」

 

「ええっ!?

 ちょ、プラッチぃ!?」

「嘘でしょ!? これあたし達も巻き込む気!?」

「チッ……!

 人畜無害そうな顔して……!」

 

 なみのりは、多量の水で対戦相手のポケモンに対し、重い水圧と水流でダメージを与える技。

 それをプラチナのエンペルトは、湖水を味方につけ、四人が睨み合うフィールドに津波のような水を一気に襲いかからせてきた。

 ビッグウェーブの上で獲物を見下ろすかのようなエンペルトに、危機感を感じたパールもマーズもジュピターも、各々の逃げ足で散開だ。

 そして一度は2対2のバトルフィールドになりかけていた場所は、水に押し潰されて一度誰もいない空間と化す。

 

「――パール! そっちは任せたよ!」

 

「プラッチ……!

 うんっ、わかった! プラッチも頑張ってね!」

「もちろん!!」

 

 そのまま浴びれば潰されるか流されるかの波乗りを駆けて躱したマーズとジュピター、その立ち位置は大きく離れた。

 プラチナは、そうしてマーズと距離が出来たジュピターの方へと位置を移し、彼女をマーズに近付けさせないようポジション取っている。

 そんな彼の発した声の意図は、パールにだって伝わるというものだ。

 比較的近い位置にいるマーズをぎっと睨み、既に場に出していたパッチと共に対峙する。

 

「へぇ、あなた達一対一であたし達に挑むつもり?

 おバカさんねぇ、勝ち目があるとでもお考えかしら?」

「二人一緒に手を組ませて戦わせるよりはマシでしょ……!」

 

 ジュピターと睨み合うプラチナは、一人であたしとやり合うつもりかと嘲笑する相手に、この戦い方で正しいと強く返した。

 マーズとジュピターに手を結ばれ、コンビネーション含みで攻め立てられては、それこそ勝ち目が無いとプラチナは踏んだのだ。

 だったら分断する方がいい。自分達より格上二人に挑むプラチナが導き出した、最低限の土俵を作り出した図式である。

 

「まあ、それはそうかもねぇ。

 だけど、あたしを一対一で破るつもりでいるのかしら?

 舐められたものよね」

「あなた達が何をしていたかは知らないですけど、任務であなた達のポケモンも疲れてるんじゃないですか?」

「へぇ~、希望的観測も正解してるのなら嗤えたものではないわね。

 ……で? だから勝てる、と?」

 

 シンジ湖の古きものを捕獲するため、ポケモン達に仕事をさせていたジュピターの手札は、確かに万全ではないだろう。

 それが勝てる根拠だと言うなら、力量差を覆す重大ファクターになると思っているなら、舐めたものだとジュピターはやはり嘲笑気味。

 たかだか子供の育てたポケモンと、ギンガ団幹部の握る札の力量差は、その程度のもので埋まるものか主張する含み笑いに、プラチナだって不安は感じるとも。

 

「……逃がしませんよ。

 それが僕の勝利条件です」

 

 完勝といかなくたっていい。逃がさなければいい。

 プラチナの勝利条件は、ポケモンバトルの完全勝利そのものよりもやや緩い。

 水でギンガ団幹部を分断する仕事を終えたエンペルトをボールに戻し、新たにガーメイルを出したプラチナは、既に死に物狂いで食らいつく覚悟を決めている。

 

「さて、それすら叶うものかしら?

 せいぜい震えなさい、追い詰められ、地獄へと一歩一歩後ずさりさせられるばかりの、ここからの戦いにね……!」

「ガーメイル、行くよ……!

 ここだけは、絶対に負けられない!」

「――――z!」

 

 ガーメイルが羽音に混ぜて大きな声を発したのは、大人のジュピターやそのドータクンの貫禄に、かつてない強敵との戦いに我が身を奮わすためのもの。

 プラチナとジュピターの一騎打ちが始まる。

 両者とも、離れた場所のパールとマーズの対峙する場に、水を差す余裕も無い激戦の幕開けだ。

 

 

 

 そして、パールは。

 

「ふふっ、一騎打ちがお望みなのね。

 あたしにとっても望むところよ、あいつ嫌いだし」

「パッチ、頑張ってね……!

 絶対、すごく強い相手だよ!」

「――――z!」

 

 パールと一対一の構図となったことにほくそ笑むマーズだが、対するパールは初めから必死である。

 かつて発電所でやり合った時でも、自分よりもずっと格上の相手だと、子供でもわかった相手だ。

 こちらも随分あの時より強くなったつもりだが、相手だってあの時と同じだとは思えない。

 現にパッチと睨み合うマーズのポケモンは、あの日から進化した姿でここに立っているのだ。

 

 マーズが"ブルー"と呼ぶ自分のポケモンはヘルガーだ。

 思い返せば谷間の発電所でも、マーズはブルーと呼ぶデルビルを使っていた。あれが進化して今の姿なのだろう。

 お互いコリンクとデルビルであった時に一度戦った者同士、パッチもブルーもその眼差しに抱く闘志は殊更に強い。

 

「……それにしてもあんた、あたしのこと結構ナメてない?

 あんたもここに至るまでに、全くバトルしてないわけじゃないでしょ。

 手薄な所から来たように見えるけど、見張りも少しはいたわよね?」

「うっ……で、でも、負けないから!

 そっちだって何してたか知らないけど、ポケモン疲れてるでしょ!」

「まあねぇ……

 確かにあたしの子達も万全とは言えない状況ではあるけれど」

 

 パールも、マーズも、手持ちのポケモン達が、無傷で元気いっぱいという状態でないのは確かである。

 パールは彼女がプランした、最短最速でマーズ達を見付けて迫れるルートでここまで来たが、ギンガ団の下っ端達に道を遮られる局面はあった。

 対するマーズも、つい先程までシンジ湖の古きものを捕獲するために戦っていたこともあって、ヘルガー含む自分のポケモン達に蓄積したダメージはある。

 双方、負けても言い訳できる状況とは言えるし、相手もそうであろうことを考えればイーブンとも言える状況であろう。

 

「で、あんたはあたしに勝つつもりでいるんだ」

「ぅ……」

 

「あんたむかつくわ、やっぱり。

 ジュピターじゃないけど、あんたのポケモン達をギタギタにした後、あんたのこともちょっと痛めつけさせて貰うわね。

 大人を相手に舐め腐った態度取ってるあんたには、丁度いい薬になるでしょうよ」

 

 やや感情的に声を荒げることも多いマーズだが、今は感情の赴くまま、しかしながら静かに冷徹な目でパールを恫喝する。

 怖い。パールも足が一歩退がりそうだ。

 怒った大人はやはり怖いのだ。怒気を孕んだ声と表情と眼差し、それだけでパールをすくみ上がらせるほどの気迫をマーズは放つことが出来る。

 パッチがパールの前に位置取って腰を沈め、パールに何かするなんて絶対に許さないと表す態度が、僅かにパールに勇気をくれるから持ち堪えられるのみ。

 

「ま、それ以前に?

 あんた達子供の浅知恵なんて、そもそも上手くいってないんだけどね」

「え……」

 

「――ムムッ!

 マーズ様が見慣れない子供と戦ってマース!」

「きっとウワサのギンガ団に歯向かう子供って奴デース!

 我々も加勢して、けちょんけちょんにしてやるデース!」

 

 しかしマーズはパールを迎え撃つことを急がなかった。

 余裕の表情を浮かべてすますマーズの態度に続き、パールの後方、湖東部から聞こえてくる厄介な声。

 湖に散開しているギンガ団の下っ端どもが、プラチナのエンペルトが起こした波乗りの激しい音に反応したか、異変を察して駆けつけてきたのである。

 警察を迎え撃つのが仕事の連中とは異なり、幹部の仕事を妨げる者を阻むための見張り役を仰せつかっていた者達だ。

 マーズだけでも勝てるかどうかわからないのに、ここに敵の加勢が入る顛末を突きつけられたパールの絶望感は只ならない。

 

「あっ、あっ……うあぁ……」

 

「あたしに挑む前からもう駄目ね。

 ほらほら、せいぜい頑張ってみなさいな。

 部下を全員ぶっ倒すまでは待っててあげるから、それからあたしにかかってきなさい。

 ゆっくり、じっくり、料理してあげるから」

 

 やっぱりプラッチの言うとおり、やめておくべきだったんだろうか。さしものパールもそう思わずにいられないほどの局面だ。

 数人がかりで迫ってくるギンガ団の下っ端達を、全身全霊で迎え撃てばそれらを撃破することも出来るかもしれない。

 そうして消耗した上で、マーズに勝てるとは思えない。現時点の限りの全力で挑んで、それでも勝てるかどうかという相手なのに。

 泣きそうになる。プラチナに絶交を突きつけられた時とはまた違う絶望感。

 敗北の末、公言されたとおりにいたぶられ、痛めつけられる、そんな恐怖がパールの胸をいっぱいにする。

 状況的にも精神的にも、もう勝ったとマーズが確信するには充分過ぎるほど、その一幕は大勢決したと言えるものだった。

 

 しかしながら。

 この直後に起こった出来事は、パールにとっても、マーズにとっても、そしてすべてのギンガ団員にとっても、全く予想外の展開だった。

 木陰から飛び出した小さな影が、パールに駆け迫るギンガ団員達に向かって、矢のように突き進んでいったのである。

 

「ホアッ!?」

「あいたあっ!?

 な、なんデスか~!?」

 

「え……!?」

 

「うそっ……!?

 アイツ、もしかして……!?」

 

 それは、一匹のニューラだった。

 赤い左耳が虫食いのように欠けたそれが、ギンガ団員達に襲いかかると、そいつらのモンスターボールを両の爪先でくすね取る。

 そしてそれを全力でぶん投げて、湖を取り囲む林の中に投げ捨ててしまうのだ。

 これで少なくとも、ギンガ団員達が繰り出せるポケモンが二匹、そう簡単には探して見付けられぬ林の中に捨てられて戦闘不能ということだ。

 痛いと叫んだギンガ団員は、びっくりして足をもつれさせて転んだだけで、ニューラの爪に斬りつけられたとかそういう話ではない。

 

「――――z!」

 

「えっ、えっ……!?

 なに、なんなの……? み、味方なの……?」

 

 ニューラはパールの方を睨みつけるように一度見て、さっさと戦えとばかりに首をくいっと動かした。

 突然の乱入者にうろたえるギンガ団員らとパールの間に立ち、パールに背中を見せて再びギンガ団員に向き合うニューラ。

 まるで、こちらは任せろと言わんばかりだ。

 いきなりの出来事にこちらも混乱気味のパールだが、それでもこの状況をポジティブに、あるいは都合よく解釈したくなるほどには追い詰めていたのだろう。

 だが、正解には違いない。ニューラがギンガ団員を睨みつける目は、強い強い敵視の眼差しであり、敵の敵は味方という理屈に則ればパールの味方に違いない。

 

「なんですかこのニューラはっ!

 我々に逆らう気のようデース!」

「たいへん生意気デース!

 ぎったんぎったんにしてやるデース!」

 

「っ……!

 ミーナ、行って! あのニューラのこと、助けてあげて!」

 

 立ちはだかったニューラに対し、ギンガ団員達は次々に自分のポケモンを出す。

 一匹のポケモンに対し、五人がかりで一匹ずつポケモンを出せば、多勢に無勢の出来上がり。

 これは良くない、と見たパールが、最速判断でミーナの入ったボールのスイッチを押し、外界に促されたミーナは勢いよくニューラのそばまで飛んでいく。

 いつ呼び出されても臨戦態勢の血気盛んなミーナ、ニューラと小さな背丈を並べたその瞬間から、ギンガ団員達と戦う腹は据わっている。

 

「――――z!」

 

「任せるよ、ミーナ……!

 指示は出せないかもだけど、頑張ってね……!」

 

 こっちは任せろ、とばかりにパールに強い声を発したミーナに、不安含みながら強く懇願する声を発していたパール。

 ミーナを心配している余裕なんて無い。自分はこれから、とんでもなく強いとわかっている相手に挑むのだ。

 それもジムリーダー相手のポケモンバトルではない。その勝敗が、自分が明日歩ける体でいるかをさえ左右する、まさに戦いの舞台なのだ。

 改めてパッチとともに、マーズとそのポケモンと睨み合うパールは、もたついているギンガ団員の事さえ、一度頭から締め出して一対一に集中する。

 

「つくづく、むかつくことばかりだわ……!

 あんた達だけじゃなく、あのニューラまで……!

 どこまであたし達のことを舐め腐れば気が済むのかしらねぇ……!」

 

 マーズの口ぶりは、あのニューラのことを知っている風だ。

 そして、自分達の敵だと認識している。今ギンガ団員の妨げをしているからではなく、元々そんな個体であると覚えがあるのだろう。

 今の彼女にとっての予想外とは、よりにもよってのこのタイミングで、あれが姿を見せたということのみに過ぎないのだ。

 

 いや、あるいは必然だったのかもしれない。

 ギンガ団が大きく前進すべきこの日、あのニューラはそれを狙い澄まして飛び込んできたのだろう。

 ギンガ団を強く憎むニューラなのだ。動くとしたら、まさにこんな日だったのだ。

 そして、ギンガ団幹部にパールとプラチナという、強さを感じるトレーナーが迫ったこの瞬間を目の当たりにして、いっそうに。

 今こそのタイミングを見極めて、自分の為せること最大限の仕事を見付けるしたたかさは、野生のそれとは一線を画すほどに賢い。

 

「――――!」

「――――――z!」

 

 ミーナと目を合わせ、加勢してくれるなら助かると頷くニューラ。

 私に任せろ、あんたも頑張れ、と発破をかけるような力強い笑みを返して声を出すミーナ。

 やいのやいのと騒ぎ立てるギンガ団員達が、自分のポケモンに指示を出して、そんな二人を袋叩きにしようとする光景がそこに続いた。

 

 機敏さが最大の武器である二人が、敵勢の集中砲火めいた攻撃を躱し、反撃の脚と爪を繰り出す戦いが幕開ける。

 そしてそこから離れた後方で、パールとパッチ、マーズとヘルガーが、邪魔立て入らぬ一騎打ちを認め合って視線をぶつけ合っていた。

 不都合続きにいらいらしているマーズの形相に、パールは心底震え上がりそうになりながら、ぎゅうと拳を握りしめて逃げないよう耐えている。

 過去最強の敵と呼べるかはわからない。だが、過去最恐の敵には違いない。

 

「ブルー! 行くわよ!

 あの生意気な顔を、泣いて謝っても許して貰えない絶望の顔に染め上げるわ!!」

「っ……パッチ! 勝とうね!

 絶対、許しちゃいけない相手なんだから!!」

 

 大事な大事な思い出の地を、故郷のみんなも大好きなシンジ湖を荒らし回る者達への怒りを、今一度胸の奥から呼び起こして。

 恫喝混じりのマーズの怒声に、パールは声量のみならず、気力でも全く劣らない芯の強さを取り戻し、勝利を勝ち取らんとする魂を燃え上がらせる。

 そんな二人の気迫に応えるように、パッチもヘルガーも大きく吠え、対峙する相手を叩き潰してやるという闘志を、これ以上ないほど表すのだ。

 

 ギンガ団の幹部に初めて単身で挑むパール。

 後で思い返せばぞっとするほどの挑戦の真っ只中にあるパールにとって、これまでの人生最大級の戦いが幕を開けていた。



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第86話   VSマーズ 真剣勝負

 

「ルビー! かえんほうしゃ!」

「パッチ気を付けて!

 絶対に食らっちゃ駄目だよ!」

 

 先制攻撃を仕掛けようとヘルガーに駆け迫るパッチだが、火を吐くヘルガーの遠距離攻撃がパッチに迫る方がやはり早い。

 パッチもそんな攻撃が来ることは織り込み済みだったようで、走る軌道を折って火炎放射を回避しにかかる。

 しかし前方に燃え広がるヘルガーの激しい炎は、パッチの素早さでも完全に躱しきるのが難しい。

 後ろ足を少し焼かれたようだ。しかし、痛いが走りが陰るほどではない。

 

「ううっ……!

 パッチ、スパーク!」

 

 ヘルガーの炎は湖のほとりの草地を燃え上がらせ、戦場の光景をパールに見づらくさせる。

 パールは火の手から逃げつつも、きちんとパッチとヘルガーの位置を見て確かめて指示を出す。

 その表情が緊張感以上の恐怖に引きつっているのは、自分の方に火炎放射をされるんじゃないかと深刻に恐れているからだ。

 相手は悪の組織の幹部である。現にジュピターがその前科を持つし、いよいよとなればマーズとてトレーナーへの直接攻撃をも厭わないかもしれない。

 

「ちっ……! あのコリンクもここまで強くなったのね!

 ヘルガー、少しは慎重にいきましょうか!」

「ッ――――!」

 

「わわ!?

 パッチ、触れちゃ駄目だよ! 毒に侵されるっ!」

 

 パッチの電撃体当たり、スパークを受けて大きくよろめき退がったヘルガーが、黒い煙を吐き出した。

 技の名前こそ伏せたマーズだが、吸えば毒に侵される"スモッグ"であることはパールにもわかったようだ。接近戦を仕掛けづらくなる。

 そしてヘルガーは自分が吐き出したスモッグの範囲内に陣取り、口の端から溢れるほどの炎を牙の奥に含んでいる。

 

「パッチ見えるよね!? 絶対来るよ!」

「――――z!」

 

「しっかり狙って! 放て!!」

 

 広がるスモッグで身を包むヘルガーの姿は見えにくいが、口に含んだ炎が溢れて発する光が、辛うじてヘルガーの位置を見やすくしてくれる。

 霧の中の砲台だ。ヘルガーの放つ火炎放射が、先程よりも溜めの利いたいっそう広く熱く燃える炎としてパッチに襲いかかる。

 野を焼き尽くす豪火が爆音めいたものさえ映えさせる中、跳んで躱したパッチの判断は正解に最も近い。

 広範囲すぎる炎は左右に避けてどうにかなるものではなく、跳んで躱して正解だったのだ。

 だが、炎と熱は上に向く。宙空で表情を歪めるパッチは、炎に直接焼かれることこそ免れながらも炙られるような痛みは覚えているはずだ。

 

「頑張れパッチ、撃てーっ!」

「…………ッ!

 ――――――――z!!」

 

 着地を待たずしてパッチが全身から発したのは、スモッグの中に身を隠すヘルガー目がけて放つ強烈な電撃だ。

 高い突進力を持つパッチが接近戦を得意としているのは、パールが一番よくわかっている。

 それでもヨスガジムでの戦いなどを経て、接近戦を好きには仕掛けさせて貰えない状況もあると学べば、パールもパッチに遠隔攻撃を教えるというものだ。

 火炎放射でパッチに確たるダメージを蓄積させるヘルガーだが、"10まんボルト"の反撃を受けるこちらもまた無傷とは程遠い。

 

「怯まない! 好機よ、行きなさい!」

「――――z!!」

 

 決して小さくないダメージを受けたはずだが、スモッグの自陣圏内に身を置いていた中から一転、飛び出しパッチに襲いかかるヘルガーだ。

 スモッグの砦を固めて砲撃戦の構えと見せる、さすれば敵も遠距離攻撃を使ってくる、接近戦を嫌って見せたかのような姿から虚を突いて接近戦。

 慎重にいこうという指示さえも本質を煙にまく心理戦の言葉遣いであり、着地直後のパッチにヘルガーが勢いよく噛みついた。

 先がぎらりと光るほどの鋭い牙がパッチの胴元に突き刺さり、穴を開けられた体からぶしっと血が噴き出す痛々しい光景が、パールの目の前で展開される。

 

「うあぁ……っ、パッチぃっ、こっちも、かみついてえっ!」

 

「しっかりしてるわね……!

 ブルー! 内側から焼き切ってやりなさい!!」

 

 ショッキングな光景を前にしても、ぎりぎり今すべき最善策を導き出すパールに、マーズも気が抜けない状況だ。

 暴れて振りほどけるヘルガーの"かみくだく"攻撃ではない。苦痛を耐えて口を開き、ヘルガーの胴に噛みつくパッチの反撃こそ正解である。

 体内に地獄の炎を擁すると言われるヘルガーの牙は、食らい付いた相手を内側から焼く恐ろしい武器。

 対するパッチの"かみなりのキバ"もまた、相手の体内に痛烈な電撃を直接通す強力技だ。

 蛇と蛇が互いの尾を呑み込まんとする構図の如く、ヘルガーとパッチが互いの胴に噛みついて、内から発する強い力で体内から相手を苦しめる。

 双方壮絶な苦痛にのたうち回るかのように食らいつき合ったまま地面を転がり、しかし決して己の牙を抜こうとはしない執念。

 煉獄熱が生み出すヘルガーとパッチを包む陽炎と、かみなりのキバが発する電撃が溢れる強い発光の中、どちらも凄惨なほどの苦しみの中戦っている。

 

「っ、っ……パッチ、湖! 引きずり込んじゃえ!」

「ッ……!

 ――――z!!」

 

「ちょっと!?

 ブルー、まずいわ! 踏ん張れない!?」

 

 体の小さいパッチの方が、転がり合い引っ張り合いでは不利だろうか。いや、決してそうではない。

 どちらも相手の上を取れずに拮抗した転がり合いの中、力比べなら分があると見たパールの声に応え、パッチは牙を抜いて四本足で立つと走りだす。

 決して軽くないヘルガーに噛みつかれたまま、それを引きずりながらだ。

 踏ん張ってそうはさせまいとするヘルガーだが、一気に湖面へと自分を引きずっていくパッチを食い止めることは出来ない。

 駄目、と叫んだマーズの指示に従い、パッチから牙を抜いて、あと二完歩で湖へと飛び込めたパッチから地を蹴って離れる。

 

「頑張れパッチいっ! 撃ってえっ!!」

「――――z!!」

 

「く……!

 ブルー、負けるんじゃないわよ!!」

「――――ッ!!」

 

 炎ポケモンのヘルガーは水の中に引きずり込まれたら終わりだ。

 必ず逃げる。そう見立てたパールの作戦勝ち、そしてパッチも身軽になったことで作戦成功に目を光らせ。

 湖に飛び込みかけた岸ぎりぎりで踏み止まって振り返って、ヘルガー目がけて全力の10まんボルトだ。

 対するヘルガーも大きく息を吸い、パッチ目がけて今日一番の火炎放射を放つ。

 

 確実に仕留めるため、僅かな溜めを作ったヘルガーの炎より、パッチの電撃がヘルガーに届く方が早い。

 しかし、電撃に身を裂かれるほどの痛みを覚えながら吐き出したヘルガーの炎は、逃げ場の無かったパッチを呑み込んだ。

 炎の勢いは、まさに凄まじいの一言だ。

 踏ん張れず、と言うよりは、踏ん張って全身焼かれ続けては本当に死んでしまうパッチが自ら地を蹴り、後方の湖に身を投じんとして押し出される。

 

「パッチ、っ……!」

 

 しかしパッチが炎に包まえた瞬間には、我慢できずパールがパッチのボールのスイッチを押していた。

 一秒を超え、二秒に満たぬ時間を全身炎で焼き尽くされたパッチは、辛うじて死に至らぬ程度に痛めつけられたに留まったと言える。

 モンスターボールの中に身を免れさせれば、全身を焼いていた炎とも切り離すことは出来るのだ。水に飛び込むよりも良い。

 だが、ぎゅっと握りしめたボールの中に入ったパッチが、もはやぐったりとして立つことも出来ないほどの様態であるのは、パールにも感じられることだ。

 ボールは中を透かして見ることこそ出来ないものの、中のポケモンの息遣いを感じられるゆえ、長く連れ親しんだポケモンの状態は誰にでも読み取れる。

 

「なぁに? 睨んじゃって。

 あんたが乗り込んできたからでしょうが、あたしを責めるのは筋違いよ」

 

 次のボールを手にしてマーズに強い眼を向けたパールに、すかさずマーズはきつい一言を突きつけておく。

 パッチがやられたこと、それでも負けるかと相手に眼差しを向けただけのパールの態度を、大事なポケモンを傷つけられた怒りだと拡大解釈しての言葉だ。

 あながち全くの的外れでもないところだ。やっぱり自分のポケモンをこてんぱんにされると、よくもという感情は湧きがち。マーズも共感できる感情である。

 

 あんたが自分の意志でギンガ団に喧嘩を売るようなことをしなければ、あんたのポケモンが今そんな目に遭うこともなかった、という姦言だ。

 バトルに熱の入っているパールに対し、戦局を左右させるほどの動揺を期待するには少々状況不足である。

 それでも多少なりとも精神的に揺らいでくれれば儲けもの。そしてそれ以上に、展開次第では明日以降にも響き得る揺さぶりだ。

 マーズはそこまで計算して口にしている。ジュピターも大概の口八丁だが、マーズも心理戦を仕掛ければ流石の大人である。

 

「……ニルルっ、お願い!」

 

 抱きかけた動揺を、敵の言葉に惑わされて調子を崩しちゃ駄目だと、パールは取るべき行動を適切に選んだ。

 流石にこの鉄火場で、言葉遊びで心を崩すほど弱くはないようだと、今一度マーズは気を引き締める。

 発電所では大したことのない初心者だったパール。だが、子供は成長が早い。マーズ自身も過去にはそうだった。

 子供相手だからといって、心底侮るほどマーズも驕らない。

 

「――――z!!」

「ニルル! みずのはどう!」

 

「ブルー、ラストスパートいくわよ!

 根性見せなさい!」

「ッ――――!」

 

 戦場に降り立ったニルル、間髪入れぬパールの指示、一秒も待たず撃つニルル。

 パッチの仇を、そして何よりもパールの大好きな湖を荒らす悪党なんかに絶対負けられない、そんなニルルの想いはその一撃にも溢れていた。

 対するヘルガーは、ラストスパートというキーワードを耳にして、腹を決めたかのように目を閉じる。

 一手早く"ねむる"ことを選んで体力回復したヘルガーに、ニルルの全力の水の波動が直撃だ。

 

「ブルー! かみくだく!」

 

 効果は抜群、ただでさえ強烈でさえある一撃、押し出されて倒れたヘルガーだったが、倒れると同時にばちんと目を開け、素早く立ち上がる。

 "はやおき"が得意なヘルガーは、癒した体に水の波動一撃ぶんのダメージを擁しながら、すぐさまニルルへと飛びかかった。

 寝起き頭にもはっきりわかるよう、ポケモンの自己判断に頼らぬ、はっきりと技の名を口にするマーズの指示。

 柔らかいニルルの首元に食らい付いたヘルガーの牙は、苦手な水を浴びて弱った体でも、全身全霊の顎の力と体内熱でニルルに確かなダメージを与えていた。

 

「もう一回……!」

「……ッ、――――z!!」

 

 神経にまで刃で触れてくるような牙のもたらす痛みに苛まれながらも、ぎらりと眼を光らせたニルルがヘルガーに至近距離の水の波動を叩き込む。

 食らいつく力を失うほどの痛烈な一撃に、水の波動に吹っ飛ばされたヘルガーは地面に転がった。

 なんとか立ち上がろうとはしていたものの、限界を迎えているのは明らかなようで、マーズは冷静にヘルガーをボールに戻した。

 

 充分、役目は果たしてくれたのだ。

 ルクシオを破り、絶対不利な相性の相手に、一撃耐え抜いて一矢報いてダメージを与えることは果たしたヘルガーだ。

 ねむる、はやおき、それによってどうにか一撃耐え、転んでもただでは起きぬその戦いぶりを、マーズはヘルガーのボールを一度撫でて労っている。

 

「あんたの気持ち、わかるわ。

 大事なポケモンをこてんぱんにされたら、むかつくわよね」

 

 ヘルガーのボールを腰元に戻す寸前、赤と白であるはずのそのモンスターボールが、白い部分を青く塗られていることにパールは今初めて気が付いた。

 ブルー、と名付けているからなのだろうか。些細なボールへのデザイニングだが、ポケモンに対する思い入れを匂わせるマーズだ。

 そんなマーズが、パッチをひどく痛めつけたマーズを睨みつけた時のことを蒸し返し、しかしながらその眼は先程までより据わっている。

 大事なヘルガーをやられて悔しい、むかつく。マーズもまた、自分のポケモンが大好きなトレーナーであるのは確かなのだ。パールにもそう伝わった。

 

「もう手加減しないわよ……!

 あたしの切り札! 今日は本気であんたを叩き潰すわ!」

 

 大人のマーズが賢しいのは、パールに反論される前に、次の言葉を畳みかけるように発したところにある。

 自分達の行動に道徳的な大義など無い。そんな自分が、己の大切なものを傷つけられたからといって怒るのは筋に合わぬことだ。

 自覚があるからパールに感情的な反論を突き返される前に、戦いに集中せざるを得ない言葉を紡いで思考を遮断するのである。

 マーズの煽りに思わず怒りがこみ上げそうになったパールが、言い返そうとした言葉も呑み込んで、眼前の敵に集中せざるを得ないのは少なからず厄介。

 胸のむかつきを発散できず、熱くなったままの頭では冷静さも欠きかねないのだ。マーズの狙いはそこにある。

 

「ニルル、いばっちゃ駄目だよ……!

 ブニャットは、混乱しないこともあるって聞いたことあるから!」

 

「へぇ、よく知ってるじゃないの。

 だけど、果たしてどうかしらね?」

 

 マーズが切り札と称して出してきたブニャット。

 元々ブニャットは、テレビで放送される大きな大会でも、多くは無いが出番を見せるポケモンである。

 ふくよかな身体に似合わぬ俊敏性と、搦め手の豊富な戦いぶり、そしてしばしば"マイペース"で混乱しない強みを持つ個体がいると一部で定評だ。

 

 パールがそれを知っているのは、プラチナがそれを教えてくれたからである。

 知識豊富なあの友達は、発電所でギンガ団幹部の一人の切り札がブニャットであると知り、パールにもその怖さを教えてくれていた。

 いつ? シンジ湖突入の直前、パールを追って合流した後だ。

 絶交宣言までしたにも関わらず、きちんと大事なことは教えてくれる辺り、やはりプラチナはパールに対して冷たくなりきれなかったようだ。

 

「舐めるんじゃないわよ、ギンガ団幹部を。

 あんたに、この道を敢えて選んだ大人のおっかなさっていうのを、嫌ってほどわからせてあげるわ!」

「――――――――z!!」

 

「っ……!

 ニルル、みずのはどう!」

 

「ニャムちー!!」

 

 死闘を予感させる言葉でパールを揺さぶるマーズと、それに応じて大きくいななき、自らの強さを主張するかのようなブニャット。

 "いかく"にも匹敵するような威圧感に気圧されかけながら、ニルルに指示を出したパールの根性は充分に据わっている方だ。

 しかし、水の波動を撃とうとしたその瞬間、ブニャットが両前脚で地面を叩いたその仕草が、音波のような衝撃波を発する。

 それは技を撃とうとしたニルルが怯むほどのもの、パールもびくりとして一歩退がるほどのもの。

 ブニャットの"ねこだまし"がパールとニルルの出鼻を挫き、さらに地を蹴ったブニャットが先制攻撃を勝ち取る結果を残している。

 

 具体的な指示一つ受けぬままにして、ブニャットはその爪でニルルを"きりさく"ことで第一撃。

 勢いのあるその一撃の威力は充分だ。進化して、脂肪と筋肉をたくわえたブニャットの攻撃力は、見た目に似合わぬ速度も相まって非常に強いのだ。

 

「っ、どろばくだん!」

 

「迷いが無いわね……!

 あんた、やっぱり弱くないわ……!」

 

 ブニャットの切り裂く攻撃がニルルを捉えたのと、パールの声が放たれるのはほぼ同時だった。

 躱せない、だったら受けてでも至近距離の一撃を、と咄嗟に判断できている。

 でっぷりとした体ながら瞬発力に秀でるブニャットが、ヒット&アウェイの要領ですぐニルルから離れても、撃ち返された泥爆弾を躱しきれなかった。

 半秒でもパールの指示が遅れていたら躱せていたかもしれないところを、直撃を浴びざるを得なかったのはトレーナーの指示が的確だったからと言う他ない。

 

「みずのはどう!」

 

「こっちもよ! 撃ち返せ!」

 

 泥爆弾を受けて退いたブニャットに向け、水の波動を撃つニルルだが、ブニャットもまた吠えるようにいなないて、同様の技を返して相殺する。

 ブニャットも水の波動を撃ったのだ。おおよそ、ブニャットの風体からは想像し難い技の一つ。

 互いの水の波動が双方の中間点で衝突し、炸裂して場全体に水飛沫を散らせる中、ブニャットはふふんと鼻を鳴らして得意気だ。

 ここまで飛んでくる水飛沫の冷たさを実感するパールの体だが、彼女が感じる肌寒さはブニャットの底知れなさに対する想いの方が強い。

 

「ねこのて……!」

 

「ふふっ、物知りね。

 でも、あたしのニャムちーの"ねこのて"は、ちょっと一味違うわよ?」

 

 パールがプラチナに教えて貰っていたことはもう一つある。

 ブニャットの"ねこのて"に用心するようにという強い忠告だ。

 トレーナーの持つ他のポケモンの技を借りるという、自分が本来覚えられぬはずの技さえ使えるようになるという強力な技、それが"ねこのて"。

 もっとも、どんな技を借りられるかは選べないため、博打要素の強い技だ。

 追い詰められれば使ってくるかも、それで戦況をひっくり返されないように、というのがプラチナのアドバイスだった。

 

「少し自慢してみましょうか。

 ニャムちー、かえんほうしゃ」

 

「え……っ!?

 ニルル、来……」

 

 なんとブニャットはマーズに指示されるまま、息を吸い込むと膨らませた口に炎を含み、それをニルルに吐き出してきたのだ。

 ヘルガーの放った火炎放射よりは、確かに威力も劣るものなれど。

 本来覚えられない技を"ねこのて"で利用するブニャットが、マーズに指示されたとおり、借りる技を選べることの方が大きな問題だ。

 自分の知っている"ねこのて"とは違う現実に驚愕するパールに対し、余計な前知識の無いニルルは素早く地表を滑り、単調な火炎放射を回避するに至っている。

 

「ほらほら、どんどんいくわよ!

 その程度で動揺するあんたに、あたしのニャムちーを倒せるもんですか!」

 

 自慢のブニャットの凄さをお披露目して得意気な風のマーズだが、"どんどんいく"とは即ちブニャットへの指示。抜け目ない。

 火炎放射を躱した直後のニルルへ、やはりその瞬発力で迫ったブニャットは、躱す暇も与えず"きりさく"一撃だ。

 

 一撃一撃が重い、ヘルガーの"かみくだく"攻撃とブニャットの"きりさく"攻撃、これらを立て続けに受けてきたニルルも苦しい。

 動揺で指示が遅れるパールの声を待たず、自己判断で得意の泥爆弾をブニャットに撃ち返す。

 これが出来るのがニルルの賢さであり長所だ。充分トレーナーとして成長し果たしているパールだが、今でも彼女のポケモン達はパールを引っ張っている。

 

「ニルル……!

 っ、みずのはどう!」

 

「遅い遅い!

 ニャムちー、撃ち返しなさい!」

 

 泥爆弾を受けて怯み、前足で目元を拭いながらも、ブニャットはニルルの発してきた水の波動に同じ技を返す。

 またも相殺だ。きっとニルルの水の波動の方が、敵に当てた時の威力では勝るだろう。

 それでも同じ技のぶつけ合いとなれば、充分に威力を持つブニャットの水の波動は、相手の攻撃を我が身に届かせない防衛手段として成り立っている。

 二つの水の波動が激突し合って炸裂し、はじけた水しぶきを浴びるパールも、能動的な攻めが形にならぬこの状況に焦りが先立ちそうになる。

 

 そしてブニャットは相手の攻撃を凌いだと見れば、マーズの指示も待たず動くのだ。

 大きく跳躍し、ニルルに跳びかかるその行動に迷いは無く、マーズもまた敢えて何も言わずブニャットの判断を肯定するのみ。

 指示などなくともベストの判断をしてくれると、マーズもブニャットを信頼している。

 再び切り裂くかのように直線的な接近と見せかけ、飛び道具で迎え撃とうとしたニルルの虚を突き跳躍、そして大きな体で"のしかかり"だ。

 

「ああぁっ……!

 ニルル頑張って、なんとか反撃し……」

「ッ、ッ~~~~!

 ――――――z!!」

 

 進化して体が大きく重くなったブニャットにとっては必殺技に近い。

 全身をブニャットのお腹に下敷きにされたニルルが、頭を上げていられず顎を地面に打ちつけるほど、その軟体が耐えきれず潰される形となった一撃。

 大きなダメージを与えたと確信すればすぐに動き、反撃を食らわぬよう離れるブニャットの機敏さに、パールの指示は追い付かない。

 頑張って、の気持ちさえ伝えてくれれば充分だ。ニルルは自分で手立てを見付けて、決死の反撃に移らんとする。

 

「ニャムちー、来るわよ!

 しっかり凌ぎなさい! あんたなら出来るわ!」

「――――z!」

 

「ニルル……!」

 

 正直な所、ニルルはのしかかりを受けた時点で限界だった。

 あのブニャットは強過ぎる。攻撃力が今まで戦った誰よりも強い。

 もう頭を上げることも難しいほど傷付いた中、水を生み出し自らそれに乗り、急場凌ぎの"なみのり"によってブニャットの方へと迫っていく。

 やや広い攻撃範囲を多量の水で押し込むその決死の一撃を、ブニャットも気を引き締めた跳びでどうにか凌いでみせる。

 

「――――z!!」

 

「ニャムちー!」

 

 最後の力を振り絞り、波から逃れたブニャットに顔を向けたニルルは、開いた口から土色の水を砲撃のように発射した。

 使い慣れていない"だくりゅう"だ。まして、足元の不安定な波の上で撃つべき技ではない。

 元より余力を失っていたニルルは、自身の発した砲撃の反動で体勢を崩し、波の上から転がり落ちるように地面に叩きつけられる。

 

 こうなることはわかっていたはずなのだ。自傷覚悟の慣れない大技。

 そこまでしても、マーズの強い声に応えたブニャットのさらなる跳躍は、ニルルの濁流を躱しきっている。

 着地したブニャットが、危ない危ないとばかりに息を吐く姿を顧みるに、それなりに肝を冷やさせることは出来たのだろう。

 意地は示せたと言える。しかし、それで満足できようはずもないニルルは、地面に叩きつけられていっそう重傷ながら、体を震わせなお起き上がろうとする。

 頭を上げることは出来ていない。やはり限界なのだ。

 

「結構よ、ニャムちー。

 もう勝負ついてるから」

 

 まだやるのか、と身構えたブニャットだが、マーズに制止されれば小さく頷いて素直に従うのみ。

 パールがニルルをボールに戻すのと、マーズの声はほぼ同時だった。

 自ら傷付くことをも厭わぬ想いを目の当たりにしたパールの、無言でニルルをボールに戻す表情たるや、己の無力感への悲しみに溢れていたものだ。

 ニルルの収まったボールを握って見下ろし、涙目にさえなっているパールは、ねぎらいの言葉ひとつもかけられない。

 未熟な自分がニルルにここまでの無茶を、自らの意志で踏み込ませるに至った現実を前にすれば、お疲れ様なんて言えた口にはなれないのである。

 

「…………ピョコ」

 

「次で最後かしら?

 それとも、あたしが知る以上の5匹目がいる?」

 

 ピョコのボールを手にしたパールに、マーズは探りを入れてみる。

 元々パールは、マーズとの一度目の交戦やリッシ湖での邂逅、サターンとの戦いで手持ちが4匹とも割れている。

 それ以上の個体が新たに加わっているだろうか。いや、次で最後かと突きつけられたパールが、ぎゅっと唇を絞った表情から、あれが最後のポケモンだろう。

 元より顔に出やすい上、追い詰められた今ではなお顕著、そんなパールから情報を引き出すのはマーズにしてみれば容易いことだ。

 

 ならば最後のポケモンはわかっている。リッシ湖でもブニャットと睨み合っていたハヤシガメ、あるいはその進化形態だ。

 マーズはちらりと部下の方を見て、ニューラとミミロルに苦戦しっ放しの下っ端の様子を窺っておく。

 あのニューラが強いことは知っているし、あのミミロルもよく育てられた強い個体のようだ。下っ端連中には荷の重い相手だとは確信できた。

 このぶんでは、部下を一掃したあの二匹が、こちらに加勢してくる展開まで透けて見える。決着は急いだ方がよさそうだ。

 

「お願い、ピョコ……!

 勝たせて……!」

 

 両手で握ったボールのスイッチを押したパールに応え、ピョコが大きな地響きと共に大地へ降り立った。

 低く、小さく、うなり声をあげ、任せろ絶対に勝たせてやるとばかりに意気込むドダイトスの姿には、マーズもブニャットも気を引き締め直す。

 以前会った時よりも強くなっていること、進化していることなんて、想定外でも何でもない。

 だが、いざ目の当たりにしてみれば、あの血走ったような目が放つ眼光は、追い詰められたご主人を守るためなら何でもするであろう、敵に回せば危険な眼。

 自傷覚悟の決死行を見せたニルルの記憶も新しい今、最後のポケモンとしてパールを守るため、命さえ投げ打ってでも戦い抜く決意さえ窺えるほどだ。

 

 マーズはあの眼が出来るポケモンを他にも知っている。

 他ならぬ、自分のベストパートナーであるブニャットだ。

 だから、誰より頼もしい。だから、そんな奴が敵に回ると一番怖い。

 

「ニャムちー、いくわよ!

 リッシ湖で睨み合った相手、ここで白黒はっきりつけてやりなさい!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 マーズに応え、同時にドダイトスへの威嚇を兼ね、長く大きな鳴き声を発したブニャット。

 それに対するピョコの咆哮も相応だ。足を踏み鳴らせば地を揺らすドダイトスは、その咆哮もまた敵対者の体を震わせるほど大きく、強い。

 マーズは肌がびりびりとするような感覚に襲われ、他ならぬパールですらピョコの本気の声には身をすくませるほど。

 だが、ピョコのボールを両手で握りしめたまま、祈るようにそれを強くぎゅうとするパールの必死さもまた、ピョコは見ずしてしっかり受け取っていた。

 長い付き合いだ。どんな時にパールが一番勝ちたいかも、それが今であることも、そんな時にどれだけパールが強く祈るかも、すべてピョコはわかっている。

 それを託されている。絶対に負けられない。

 

 本気を出したギンガ団幹部という、過去最強の部類に入る敵との本気の果たし合い、戦える仲間も今やたった一人。

 もう後が無いパールの命運は、奮い立つピョコの手に懸かっている。



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第87話   切り札対決

 

「ニャムちー、かえんほうしゃ!」

 

「あっ、あっ……ピョコ……!」

 

 炎は草ポケモンの最たる弱点だ。

 ドダイトスと対峙したマーズの第一指示も当然それになる。お手並み拝見を兼ねた有効打だ。

 "ねこのて"で借りる技を選べるブニャットにとって、初手はこれ以外にあり得まい。

 対するパールも、これへの明確な対策となる指示など出せないのだ。燃え広がるように吐き出されるブニャットの炎を、避けてと頼むことさえ出来ない。

 

「――え、うそっ!?」

 

「――――ッ!!」

 

 どうせ避けられないのだ。ピョコの割り切りは潔かった。マーズも驚くほど。

 炎に弱い体で火炎放射に真っ向から突っ込んでいき、炎を突き破ってブニャットに体当たりである。

 でっぷり太って踏ん張りも強いブニャットだが、流石に自分よりも大きくて重くて硬いドダイトスの体当たりには耐えきれず吹っ飛ばされる。

 半ば虚を突かれ額をごっづんされて、吹っ飛ばされながらも宙返りし、きちんと着地している身のこなしは、図太い図体に似つかわしくなく身軽だが。

 

「ピョ……」

「――――――z!!」

 

 パールの指示なんて待たない。すかさずブニャットに葉っぱカッターの連射を放つピョコ。

 面食らうほどの猛攻ながら、即座に駆けだすブニャットはそれらを躱すほど機敏だが、ブニャットの駆ける先に走るピョコの動きに迷いは無い。

 自分よりもでかい強敵が、火をも噴ける自らに恐れ知らずに突っ込んでくる気迫は凄まじく、ブニャットは跳躍してその体当たりを一時凌ぎ。

 ピョコの背中の甲羅の樹木も飛び越えるほどの跳躍で、ひとまず体当たりを躱して離れた場所に降り立つ。

 

「――――!」

「っ……はっぱカッター!!」

 

 ピョコは追撃に踏み込まず、睨みつけるほどの強い眼でパールを見据え、大きな声でいなないた。

 何かを伝えようとする行為だ。言語の通じない相手にその真意は伝わるか。

 腹を括ったかのように指示を発したパールに、恐らく彼が伝えたかったことは通じている。

 

「捨て鉢ね……!

 ニャムちー、かえんほうしゃ!」

 

「走って、ピョコ!」

 

 マーズにもわかるぐらいなのだ。伝わっているに決まっている。

 それを挫くためにブニャットに出す指示も的確だが、パールはピョコに即座の反撃でなく駆けて炎を躱すことを指示した。

 ピョコも従うかどうか迷った末に、パールの言うとおりに駆ける。

 大きくて鈍重そうに見えるピョコだが、歩幅が大きいだけあって走れば意外に遅くはない。

 しかし燃え広がる火炎放射を回避しきるのは困難であり、身体の後部を一瞬ながら確かに火に焼かれる結果を残してしまう。小さくないダメージが蓄積する。

 

「じしん……!」

「――――z!!」

 

「くう……っ!

 ニャムちー来るわよ、迎撃してやりなさいっ……!」

「いっけえっ!!」

 

 低く跳びつつ四本の足で、全力で地面を踏みしめたピョコが、ブニャットはおろかマーズの足をも崩すほどの揺れを起こす。

 発動のタイミングがわかっていたパールだけは、内股気味に腰を落とし、片手を地面に着いて腰砕けを防いでいるのだが。

 足腰に力を入れ、尻餅ついてピョコに心配されるようなことだけは絶対にすまいと突撃を指示するパールに、ピョコもその想いに応じるかの如く駆けだした。

 

 地震はピョコの切り札だ。まともに立てないほどの揺れの中で、巨躯のドダイトスの体当たりを受けるダメージは計り知れない。

 地に足を着けたポケモン達は、どんな攻撃を受けるにせよ、耐えるにはその足でぐっと踏ん張ることが前提になっている。

 それが根本から揺れによって覆されているのだ。

 人間に例えるなら、真正面から自転車が突っ込んできて、せめてぐっと力を入れて踏ん張り受けるか、踏ん張りひとつ出来ずに受けるか、その違い。

 足を取られていることで回避すら出来ないことを思えば、地震から繋げるドダイトスの体当たりの脅威性は言うに及ばずだ。

 

 もはや回避不能と割り切って、ブニャットは自らに迫ったピョコの顔面に爪を振るった。ただで自分だけ痛い目を見せられてたまるか。

 痛烈な体当たりにぶっ飛ばされる形となったブニャットだが、目元を傷つけられたピョコが表情を歪める程度には一矢報いている。

 そして、まだ戦えるブニャットだ。きちんと宙返りして、足を下にした着地を果たしているのだ。

 呼吸は荒い。蓄積したダメージは、並々ならぬところにまで達しているのだ。

 

「ギガドレイン!

 ピョコ頑張ってえっ!」

「――――z!」

 

「ニャムちーいける!? かえんほうしゃ!」

「ッ――――!」

 

 良くない流れだ。マーズも歯噛みする想いで、悪しき流れを断つためブニャットに厳しい指示を出す。

 苦しそうなのは明らかだ。だが、それでも撃って貰わねばもっと苦しくなる。

 動いたピョコに火炎放射の当たりは浅いが、ギガドレインを中断させることの方が先決。耐久戦に持ち込まれると確実に分が悪い。

 こちらが炎タイプの技を使えるのにだ。

 

「ああもう、やってしまったわ……!

 自慢なんてするべきじゃなかったのね……!」

 

「ピョコもう一回! じしん!」

「――――z!!」

「ニャムちー! 距離を作って!」

 

 再び地面を揺らすピョコに、先んじて地を蹴るよう指示したマーズにより、跳んだブニャットはピョコから大きく離れた場所で地震に足を取られる。

 充分に距離を作ったことにより、地震から繋げて次に選ばれる痛烈な体当たりからは、回避の手立てがある状態だ。

 地震はすなわち、次の攻撃が体当たりだと明かすようなものだ。これは確かな弱点である。

 敵がぶつかってくるまでの時間を稼げる距離さえ作れれば、どうにかポケモンの膂力で以って、辛うじての回避は不可能ではない。

 マーズも地震攻撃への対策法は知っているのだ。正しい判断である。

 

 だが、今はその適切解ですら、ドダイトス対策として最適解ではない。

 マーズが思わず苦々しく発したとおり、パールのびびらせるために"ねこのて"の脅威性を明かしたことが、今となっては思わぬ形で仇となっている。

 

「ピョコ! はっぱカッター!」

 

「ニャムちー、躱して!

 まだ動けるわよね!?」

「――――ッ!」

 

 とにかくパールとドダイトスの攻撃の手に緩みが無い。

 ただでさえ強敵だとわかっているブニャットが、火炎放射まで使えるという、パール達にとって最大級の逆境。

 これで子供なりにびびってガタガタに崩れることを狙って、"ねこのて"の特段の強さを"自慢"したのに、あいつらときたら開き直ってやがるときたものだ。

 攻めて攻めて攻めて短期決戦狙い。ノーガードも厭わぬほど。

 しかし、妙手である。シンジ湖の古きものを捕獲するための戦いに加え、ニルルとの戦いでも消耗したブニャットだ。

 草ポケモンのドダイトスにとって、火炎放射使いの強いブニャットを倒すには、ダメージレースを制する勢いで押し切らんとする方がむしろ得策なのだ。

 

「あなた達、素敵よ……!

 部下に……いや、対等に語れるパートナーに欲しいぐらいだわ!」

 

 そんな高度な判断が出来ないパールに対し、攻め臨む姿勢を見せつけての目配せで最適解を示唆し、ドダイトスがこの戦い方に導いてみせたこと。

 それを受け取り、がんがん攻める素早い指示を意識しつつも、可能な中でギガドレインを指示することで、攻撃一辺倒の脆さを補うパール。

 今の最適解に辿り着いた上で、トレーナーがポケモンを最も戦いやすく、勝ちやすくするためにその能力を引き立たせる指示を叶えている。

 そんじょそこらの子供相手なら、間違いなく必勝へと繋がっていたはずの揺さぶりが、いま最も脅威的な敵を眼前に作り上げてしまったのはマーズの失策だ。

 マーズははっきりと認識を改めた。舐めていたのは自分の方だったと。

 

 そんな相手が敵に回っているというのに、マーズはぞくぞくする想いに肌を震わせながら、間違っていない笑みを抑えられなかった。

 強いトレーナーとポケモンを前にして、燃えないポケモントレーナーがいるだろうか。

 雑魚相手のポケモンバトルでは断じて見出せない、理屈のつかない高揚感は、何歳になっても決して色褪せない。

 

「ニャムちー! エアカッター!」

 

「え!?」

 

 劣勢だったはず。マーズとブニャットには、その劣勢を覆す手管がある。

 地震からの体当たり、あるいは葉っぱカッター、それを躱せるだけの距離を作れば、こちらの火炎放射を躱される猶予も生じる。

 決定打のある飛び道具を封じられた状況だろうか。いや、"ねこのて"で借りられる技はそれだけではない。

 前足を振るったブニャットの飛ばす、三日月型の真空の刃がピョコを狙い撃ち、目を閉じ顎を引いたピョコの顔と甲羅を傷つける。

 火炎放射よりも速く敵に迫り、遠距離からでも確実に敵を傷だらけにする、そして草ポケモンに対して強い効果を持つ技だ。

 

「ニャムちー、そのままよ!

 距離を保って、傷だらけにしてやりなさい!」

 

「っ……!

 ピョコ、じしん!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

 遠距離戦となれば火炎放射を最低限のダメージで凌ぎ、葉っぱカッターで一方的なダメージさえ与えられる、ピョコのアドバンテージはこれで失われた。

 となればパール達は、どうにか距離を詰めた戦い方に持ち込むしかない。

 足を踏み鳴らしてブニャットの足を止めるピョコと、それを指示したパールの思惑はマーズも想定済。

 

「あやしいひかり!」

 

「ッ……!?」

「うぁ……!?」

 

 ピョコの起こした地震の中で、なんとか踏ん張っていたパールも腰砕けに崩れるほどの、ブニャットが全身から発する禍々しい光。

 出す技を選べる"ねこのて"はつくづく厄介だ。パールとピョコ、両者の平衡感覚を失わせるほど、"あやしいひかり"がもたらす影響は強い。

 地震を起こしてブニャットに突き進み始めていたピョコが、足をもつれさせるほどのものであり、パールも尻餅ついた姿勢で戦場の様子を見極め難くなる。

 

「ニャムちー、勝負所よ!

 引き付けて引き付けて、跳べえっ!!」

 

 火がついたマーズの指示の声も強い。

 己もしゃがみこむほどの地震の中、足を取られているブニャットに対し、引き付けるだけ引き付けて体当たりを避けろという難しい指示。

 応えてくれるニャムちーだと信じているのだ。無茶なこと言うご主人だよ、と苦笑いしながら、四本脚に全力を投じるブニャットの肝っ玉も大したもの。

 

 足がもつれそうになりながらも、必死で敵を逃さぬ体当たりに挑んだピョコ。

 どうにか地を蹴り、その体当たりを躱したブニャット。

 そして対象の無くなった場所への体当たりを空振って、もつれた足でずしゃあと腹を擦る形に体勢を崩したピョコ。

 わけもわからず自分を攻撃したに等しいダメージがピョコに生じた中、既にブニャットはいつでもマーズの指示に従える姿勢が出来ている。

 

「かえんほうしゃ!!」

 

「ピョコ、っ……じし、ん……!」

 

 すぐさま立ち上がってブニャットの方を向いたピョコだが、相手が発する火炎放射を回避するだけの動きを見せる猶予が無かった。

 そんな中でパールが、妖しい光を受けて目の前がちかちかするほどの目眩に襲われながら発した指示に、一瞬の戸惑いも封じてピョコは従った。

 パールがそう言っているのだ。勝たせてくれようとしているのだ。その場で低く跳び四本足で地を揺らす。

 例え回避を一切叶えぬその動きにより、直後ブニャットの発する炎をもろに真正面から受けようが、きっと良い結果に繋げてくれるはずだと信じている。

 

「ニャムちーまだまだ! 焼き尽くせ!!」

「――――――――z!!」

 

「ゔうぅ……!

 っ、ピョコーーーっ!! 頑張れえっ、つっこめえっ!!」

 

 揺れる地面とふらつく頭、四つん這いのような姿勢になってもパールは、絞り出すような声でそう叫んでいた。

 "こんらん"しているのだろうか。冷静さを欠いた猪武者の指示だろうか。

 炎に全身包まれた中にあって、その出所へ向かって突き進むピョコは、パールを断じて疑っていなかった。

 

 パールを引っ張ることさえあるほど賢いピョコでも。

 今、この状況でこの逆境を覆す策を閃けなくたって。

 パールが何かこの状況を打破する何かをくれるはずだって信じて。

 もしも何も無かったら? それでもいい。それが献身だ。

 

「っ、かみついてえっ……!!」

 

「え!?」

 

 火炎放射を突き破って迫ったドダイトスが、体当たりではなく噛みつく形でブニャットに一撃くらわせた姿に、マーズも驚愕の想いである。

 地震で足元を崩した相手に体当たりするからこそ、地震の威力が活きるのだ。

 噛みつくだけでは足元を崩したアドバンテージが活きない。回避させない、という一点においては強みだが、それしかないため悪手にも見える。

 

「ピョコ、っ……!

 絶対、離さな……」

「――――――――z!!」

 

「ニャムちー!?」

 

 だが、マーズとパールでは"かみつく"攻撃に対する認識に大きな差がある。

 ピョコはブニャットの腹に噛みついた頭を上げ、重い相手の体を振り上げると地面に叩きつけた。

 その一撃だけでも充分な威力を持つものであり、そしてなおもピョコはブニャットを咥えた口を、相手に食い込む歯を抜かない。 

 

 クロガネジムでも"かみつく"攻撃は、見方を変えればノモセジムでの"のしかかり"は、即ち相手を捕らえて離さぬ技は、勝利を掴む大技たり得たのだ。

 あの日パッチやニルルがパールに勝利をもたらした勇姿を、ピョコは断じて忘れてなどいない。

 ぎりぎりとブニャットの"あついしぼう"に食い込む牙を抜かず、もう一度首に力を入れて頭を振り上げ、重い敵を再び地面に叩きつける勝利への執念がある。

 

「く……っ!

 ニャムちー、かえんほ……」

 

「ピョコっ、あの木に投げつけてえ……ッ!」

「――――!」

 

 噛みつかれたまま二度も地面に叩きつけられ、その都度げはっと息を吐いていたブニャットも、マーズの指示を受ければ眼をぎらりと光らせて。

 自分に噛みついたドダイトスに顔を向け、炎を吐き出そうとしたその瞬間である。

 ぐわんぐわんする頭で、四つん這いどころか両肘を地に着け、ピョコに指定の樹木を指差すや否や、バランスを崩して地面に打ちつけるパール。

 そんな姿を振り返って目にする暇は無かったけれど、息の詰まった彼女の声を語尾に聞けば、それだけ必死なパールの想いも窺えよう。

 指差された木と、その指先も見ずピョコがブニャットを投げ付けた木は同じだった。要は一番近い樹木、それだけの話。

 

「たいあたりぃ、っ……!!」

 

「っ、ぐ……!

 ニャムちー、ごめんね……!」

 

 放り投げるように木に叩きつけられたブニャットと、それに向かってピョコにぶつかれと指示したパール。

 既に走り始めていたピョコだったが、マーズはブニャットがその体当たりを受けるのを待つことなく、ボールのスイッチを連打してボールに戻した。

 標的がいなくなったことでピョコはどうにか止まり、胸を打ちつけて苦しい中でもパールは転がって体を起こし、焦点の定まらぬ目で戦況を見極めんと努める。

 炎とエアカッターを受けて息も絶え絶えのピョコ、それ以上にちかちかする目の前に耐えつつ、眼力を失うまいとしながら体がついてこないパール。

 ちくしょう、こんな奴らに切り札のニャムちーをやられるなんて。マーズの悔しさは尋常のものではない。

 

 確かにこのバトルの前からブニャットが抱えていたダメージの甚大さは、負けた言い訳には充分なほど大きかった。

 シンジ湖の古きものとのバトル、ニルルとのバトル、さらにVSドダイトス。

 最初からドダイトスとの一対一なら、絶対に負けてなかったとマーズは信じて疑わない。それだけ自分のベストパートナーを信じているとも。

 それでも樹木に叩きつけられ、さらにそこへあの重量級の体当たりを受ければ、完全敗北であったのを確信してボールに戻したのは、降参宣言と同様だ。

 自慢のブニャットが、かつて遊びながらいなした子供に敗れた。

 それはマーズに屈辱的な感情を芽生えさせるには充分すぎるものだったはず。

 

「っ……!

 パール!!!!!」

 

「ぅぁ……!?」

 

 苦い感情を全て噛み殺し、マーズがパールの名を凄まじい大声で呼んだ。

 怒りと悔しさ、全て乗せた強い声は、ようやく立ち上がりかけていたパールがびくぅとして、情けなく尻餅をつくほどの気迫である。

 これは、本気で怒ったお母さんに怒鳴られた時でも体感し得なかった、感情迸る大人の憤怒をぶつけられた戦慄。

 恐らく至近距離にいれば顔を殴られていただろうと思えるほどの、並々ならぬ感情を擁する大人の剣幕は、やはり11歳の少女には恐ろしいものだ。

 

「今日の屈辱、絶対に忘れないわ……!

 あんたには、いつか必ず借りを返す……!」

 

「ひっ!?」

 

 マーズが最後のポケモンとばかりに、ボールのスイッチを押して表に出してきたのは、彼女の最後のポケモンゴルバットだ。

 あらゆる理屈を踏み潰して、パールにとっての最大の恐怖対象である。

 ただでさえ精神的にも余裕の無い、気構え無き中では裏返った恐怖声を発するのも当然だ。

 そんな彼女の声を聞いて、ピョコはぐっと足に力を入れて、息も絶え絶えの体に鞭打って気を引き締め直すのみ。

 戦い抜ける限り、死んでもパールを守るために戦い抜く覚悟はとうに出来ている。

 

 だが、捨て台詞めいたその言葉を最後に、マーズはパールに背を向け撤退の足を駆けていた。

 ゴルバットは、あくまで最後の護衛の一匹に過ぎないのだろう。

 そもそも今のマーズにとって、パールに勝利することは最たる目的ではない。

 捕獲したものを組織の手中に収めるため、己が確保されぬよう逃げ延びること自体が、マーズに課せられた最後のミッションなのだ。

 

「ジュピター! あたしもう帰るからね!

 あんたも遊んでないで、さっさと引き上げなさい!」

 

「そう、潮時なのね……!

 オッケー、スカタンク! こっち来なさい!」

 

 マーズが合流する先は、当然別のトレーナーと戦っていたジュピターだ。

 彼女も同志。普段はいがみ合っていようが、いよいよとなれば共に引き下がらねばならぬ仲間だとマーズもわかっている。

 自身がパールのような子供に一矢報いられた記憶に則り、同志もまた同じ苦境にあるなら助ける心構えは出来ている。

 

「く……!

 待て、ギンガ団め……っ!」

 

「おさらばよ、無力なクソガキ。

 無力を噛み締め、せいぜいあたし達の見てない所で女々しく泣くといいわ」

 

 マーズがその気で戦えば、ゴルバットという最終戦力で、ピョコを仕留めて完全勝利を収めていたであろうことと同じように。

 切り札たるスカタンクに余力を残したまま、逃亡用のゴルバットを表に出したように。

 ジュピターもまた、プラチナに対し、実質的に勝利確定と思わせるだけの結果をその戦いに残していったのだろう。

 最後のポケモン、ピョコと同様に満身創痍のエンペルトを控えたプラチナも追えぬ中、マーズとジュピターは去っていくのだった。

 

 リッシ湖を襲った、後に語るなら歴史的な出来事とも言えよう騒動。

 ギンガ団幹部を遊撃した二人の少年少女の行動は、結果的にその二人を制圧することは出来なかった。

 間もなくして警察の強い勢力が突入し、ギンガ団の下っ端多くを検挙する結果には繋がったけれど、それは二人の活躍とは別の話である。

 パールとプラチナは、彼ら彼女らが望んだものは獲得できなかった形である。

 

 

 

 二人が戦うフィールドに、邪魔立てする者を許さなかったミーナと、乱入者であるニューラも双方無事のまま、騒乱を終えたことはぎりぎりの幸いだったか。

 しかし、二人にとっては敗北である、肝心の、直面した、幹部は確保できなかったのだから。

 一方で、プラチナにとっては勝利である。ただの敗北には遥かに勝る、より最悪な結末からはパールを守れたのだから。

 

 果たしてパールにとっては、この戦いはどうだったか。

 敵が去り、ピョコに頬を擦り寄せられ、そんな彼をねぎらう中で、パールが仄暗い顔をしていたことが、間もなく彼女を襲う闇を象徴していると言えていた。



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第88話   戦後の傷跡

 

 月の重い夜だ。

 一日一度は見るはずの見慣れた夜空が、今日はその暗さが己の心を映し込んだように真っ黒に感じる夜。

 シンジ湖でマーズ達と戦ったパールはその日の晩、故郷フタバタウンの隣町、マサゴタウンのポケモンセンターに泊まっていた。

 

 ご飯も食べた。お風呂にも入った。

 厳しい戦いを乗り越えた末、自信の身体を内も外もリフレッシュさせ、あとは枕を高くして眠るだけのはずの時間だ。

 そんな中でパールはベッドに寝そべり、ぼうっと天井を見上げたまま、寝付けぬ瞳をずっと閉じられずにいた。

 まるで、魂が抜けたような表情でだ。何も、考えられていない。

 

「――パール、ちょっといいかな。

 入ってもいい?」

 

「……………………ん」

 

 部屋の外からノックして、パールの泊まった部屋を訪れる友達の声がした。

 ノックに加えて声を発されて、パールがたった一文字ぶんの反応を見せたのが三秒後。

 聞き慣れたはずの友人の声を耳に入れ、頭が認識し、反応を見せるまで、それほどの時間がかかるほど、パールは茫然としていたと言っていい。

 

 体を起こしてベッドに座り、両手で顔を洗うような仕草できゅっきゅっと表情を整えてから、パールはいいよと返答した。

 扉を開け、パールと二人きりの部屋に入ってくるプラチナ。

 好きな女の子が一夜を過ごす個室に、夜に訪れるようなことは、本来プラチナにとって強く遠慮することだ。節操があるのだ。

 だが今日のプラチナは、パールと一言も交わさずに寝ることが出来なかった。

 それはパールの前に顔を見せたプラチナの表情が、最初から神妙であったことにも表れている。

 

「元気ないね」

 

「ま、まぁ……色々あったからねぇ……」

 

 頬をかいて、にへらっと笑うパールの元気の無さといえば、これを作り笑いだとわからぬ者は目が腐っていると断言できるほど。

 夕時の201番道路を彼女と共に歩いてきたプラチナには、半ば生気を失ったパールの心境も根拠もわかっている。

 

「お母さんにはもう電話した?」

「……………………まだ…………」

「パール」

 

 間を置いて、うつむいて返答したパールに、プラチナは今までで一番低く、重く、しかし強い声でパールを短く批難した。

 静かなる、しかし深々しい憤慨を孕んだその声にさえ、パールはびくりとする素振りも無い。

 怖がる余裕も全く無いほど、心に風穴が空いている。

 

「僕、女の子に手をあげたことなんて一度も無いけど、殴るよ。

 心の準備が出来てないとか、もうそれで済まされることじゃないでしょ」

「…………うん」

「僕が帰った後でも、絶対それだけはするんだよ。

 それさえしないパールだったら、絶交どころの騒ぎじゃないからね。

 僕、心底パールのこと軽蔑して一生許さないから」

 

 ぎゅうっと絞り出すような声で返答するパールの表情は、座ってうつむく彼女を立って見下ろすプラチナには一切窺えない。

 だが、パールの内心が自分以外の誰かをなじっていることなんて、絶対にないとプラチナは信頼できる。

 彼女が責めているのは彼女自身だ。きっと、泣きたいぐらいに。

 しかしプラチナも、こればかりは絶対に、泣いたって許さないと腹に決めてここへ踏み込んでいる。

 女の子の涙は優しいプラチナには強烈に効くはずだ。それでも許さない。

 

 

 

 マーズとジュピターは逃亡した。

 バトルに敗北すること自体は免れたものの、パールは故郷の湖を荒らすギンガ団幹部に、目的を達成した上での逃亡を許した形である。

 勝利条件を満たした結末ではなかった。一矢報いた、と喜べる勝利ではない。

 プラチナとの絶交と天秤にかけてでも、己が感情に従って挑んだ戦いは、パールに何一つ残さなかったと言う他ない。

 勝ち得た勝利など一つも無かったのだ。それが結末であり現実である。

 

 パールがマーズを形だけでも退けたのと同様に、同じ形でジュピターを退けたプラチナも、流石にパールを心配して合流してくれた。

 本心とは裏腹の絶交宣言など、案じる想いに勝るはずがない。当然のことだ。

 とにかく休める所に帰ろう、と言ってくれたプラチナに、パールはうなずき、二人で歩き出した。

 そんな中でパールの足が向かったのは、最も近い故郷フタバタウンではなく、マサゴタウンだったのだ。

 

 どうして、と問うプラチナに対してパールはしばらく濁していたが、そのうちプラチナにも根拠がわかったというものだ。

 マサゴタウンに向かう中で、パールのポケッチが着信音を鳴らした時、パールはポケッチに表示される相手の名前を見て、すぐにマナーモードに切り替えた。

 誰? と問いかけたプラチナに、パールは知らない番号、間違い電話かも、と返答した。

 知らない番号からの着信に敢えて出ないのはわかる。本当にそうならば。

 だが、パールが無視するポケッチが、一度着信の振動を止めてからも、何度も何度も鳴り続けることから、プラチナも流石に察したというものだ。

 真相に気付くまでには確かに時間がかかった。マサゴタウンに着いたちょうどその頃だ。

 もしかしてお母さんじゃ……? と尋ねたプラチナに、パールがそれ以上の嘘をつかず、小さく頷いた姿は、ぎりぎり潔い方とでも言えるのだろうか。

 

 シンジ湖での騒動は、上空カメラからしばしば報道されていた。

 そしてリッシ湖でパール達がサターンと戦った時と異なり、今回はずっと天井の無い場所での戦いだった。

 以前はパール達の姿が映っても、湖を駆ける短時間の小さな影では、話題になることはなかったのだ。

 リッシ湖底の洞穴内で二人に居合わせたはずのマキシに対し、鼻の利く記者が問うこともあったようだが、マキシは核心を誤魔化して応じていたのだろう。

 おおごとにして欲しくないパールに、私達のことは秘密にしておいて下さい、と、しれっと頼まれていたからだ。

 マキシも黙秘が正しいかは大人として悩ましかったところだが、助けられた身分としては裏切れなかったのだろう。

 たとえ賞賛されるべき志を胸に悪に挑んだ好漢であろうとも、格好つけられなかった大人というのは、その後どう転んでもつらいものである。

 結果がすべて。大人の不文律。己を律して正しい道を選ぶ者にも、欲のまま暴れる悪人に対しても平等に言われること。

 清廉に生きるほど大変と言われる根拠である。

 

 だが、空の下でずっと映されて報道されたパールの姿は、リッシ湖の時のようにはいかない。

 少年少女がギンガ団幹部を相手に、たった二人で挑んでいる姿は、お茶の間に報じられてセンセーショナル極まりない内容だったはずだ。

 まして地元のシンジ湖での出来事に、パールのお母さんが目を離せずテレビを観続けていたことなど当然のことである。

 そこで愛娘が指名手配犯と戦っている姿を目にした母親の心情など、言葉で言い表せる程度の衝撃ではないことなど明白だ。

 今すぐに安否を問う電話、いや、たとえ殺されようが現場に駆け付けたい親心さえぐっと耐えた、パールのお母さんの理性は驚愕に値する。

 まさに今、極悪人とされる者と愛娘が戦っている中、そこに電話でもして気を散らしたら、とぎりぎり判断できる母親がどれだけいるというのか。

 我が子が犯罪者と戦っている現実を、手の届かないテレビ越しに見てパニックを起こさなかった実母など、ただそれだけで賞賛に値するほどであろう。

 

 パールが悪人に身柄を囚われることなく戦いを終えた時、それを見届けた母の表情が、どれほど形を失ったことかなど想像に難くない。

 戦いを終えたパールは、故郷に向かわなかった。母は時間を置いてから、愛娘に電話をかけた。

 パールは出てくれなかった。何度もかけ直した。

 それが悲しくなって、涙がようやく止まってから電話をかけたはずの母も、再びこみ上げてくるものがあったはずだ。

 親の心子知らずとは、まさにこんな時を表すに適した言葉である。

 

 

 

 そもそもパールがフタバタウンではなく、マサゴタウンに向かったこと自体、彼女が自分の行動を後ろめたく感じていた証拠である。

 自分の感情の信じるままに動いたはず。それが正しいことだったはずだって、肯定したいのが子供心のはず。

 シンジ湖に向かう前、強く否定してくれた親友の言葉は、パール自身に己の正当性を疑わせる充分なきっかけになっていたはずだ。

 だから、電話がかかってくる前に、向かう先はフタバタウンではなくマサゴタウンにしたのだ。

 家に帰れば、きっとテレビを見ていたはずのお母さんに、どんな怒られ方をするかも想像できたということなのだろう。

 

 旅に出ることは、そもそも親に許されてすることだ。

 11歳になったというだけで、誰でも彼でも無条件に好き放題旅に出る権利が与えられるほど、シンオウ地方は子供達の未来に無責任ではない。

 お母さんにあれだけの心配をかけた自分が、お母さんの前に顔を出せば、もう旅することを禁じられる。

 だからパールは、故郷に、家に帰ることを拒んだ。

 あれほど今朝は、プラチナと一緒にフタバタウンに帰ることを楽しみにしていたのにだ。

 それを捨ててでも、旅を終えることを拒んだパールの一時しのぎの浅知恵。

 

 それがわかったプラチナにも、親から逃げるパールを咎める言葉を紡ぐことは出来なかった。

 自分の選びたい道を進みたい、そんな同い年の気持ちを無条件で否定できるほど、プラチナだって大人じゃない。

 そもそも彼とて、親の反対を振り切って、学者の道を選んだ反抗期の少年だ。

 そんな自分を棚に上げて、親に心配かけるなとパールに説教できたものではあるまい。

 棚上げを躊躇する11歳というだけでも、プラチナは本当によく出来た子であるというのも確かなのだが。

 

「ねぇ、パール」

「…………」

 

「お母さんに、一回でいいから連絡しなきゃ駄目だよ。

 家に帰って、顔を見せろとまでは言わないからさ」

 

 それでもプラチナは、改めて、これだけは、突きつけた。

 決してプラチナとて、旅の中で、あるいはナナカマド博士の助手としてはたらく日々、定期的に父に連絡していたわけではない。

 自分の進みたい道を否定する父に、いちいち安否の電話をする男がいるものか。

 思えばそんな自分が、どれだけお父さんに心配をかけていたか、パールの振る舞いを見て思い知れたことは、説教を垂れるプラチナの胸を苦しめている。

 よく僕がこんなこと言えたもんだ、というものである。

 

 己が強く信じて突き進んだ道、その本質が愚かしいことなどごまんとある。

 一方で、それに気付くきっかけが、自分自身を見つめ直すことのみによって、なんてことがどれだけあることやら。

 人の振り見て我が振り直せ、なんて言葉を作った人は良いことを言うものだ。

 所詮、人が独りで、正しい意味で大人になっていくことなど現実的ではない。

 

「……………………絶交は取り消させて欲しい。

 僕だって、やっぱり本当は嫌だよ。

 だから、その……」

 

 少年なりに、腹を割って話している。

 折れたくない意地を折って。ここだけは絶対に負けたくなかったけど。

 絶交宣言したにも関わらず、マサゴタウンまでは一緒に来た時点で、そんな絶交宣言は形骸化していたと言うべきものだろうか。

 子供達の、その時その時ごとに迫真であったその想いを、ただ馬鹿にするような大人になってはいけない。

 

「パール、お願いだからお母さんに電話だけはしてあげようよ。

 僕、それさえ出来ないパールとは、一緒にいづらいよ」

 

「…………」

 

 ギンガ団に挑もうとしたパールを引き留めるための脅しとは次元の異なる、心からの言葉はパールにも通じただろう。

 越えてはいけない一線。パールにだってわかるはずだ。

 絶対、間違いなく、疑いようもなく、世界一自分を心配してくれているお母さんに、あれだけのことをして連絡の一つさえ出来ない自分。

 それすら出来ない自分のことなんて、プラッチに嫌われるまでもなく、自分で自分を嫌いにならなきゃいけないはずのことだ。

 それがわかるぐらいには、パールだってやはり、5歳6歳の子供じゃない。

 

「ごめん、プラッチ……」

「僕にじゃないよ」

 

「お母さんに、電話してみる。

 でも、あの……」

「うん、信じるよ。

 勇気は要るだろうけど、頑張ってみよう。

 ……おやすみ、パール」

 

 言いたいことが沢山あり過ぎるだけに、プラチナは早過ぎるほど、部屋を去った。

 ちゃんと、パールを信頼する微笑みを浮かべてだ。

 自分が好きになったパールは、躊躇いがちながら宣言した、大事な大事な約束を破るような子じゃないって、心から信じてだ。

 本当に心から絶交した相手のことを、こうして信じられるはずがない。

 

 プラチナが自室に戻り、再び一人になったパール。

 ポケッチで、お母さんの電話番号に触れるまでは、少し時間がかかったけれど。

 親不孝な未熟な女の子なりに、勇気を振り絞り、パールは為すべきことを果たした。

 何のフォローにもなるべきではないのだが、怒られるとわかっている相手に電話をするというのは、並々ならぬ勇気が要ることである。

 

 電話して3秒も待たずして電話に出てくれた母と、パールの会話がどのようなものであったかは、血を分けたたった二人の親子だけの秘密である。

 穏便なものに済んだわけではないことなど、到底言うまでもないことだ。

 それもパールの心に、数秒前に己の心に刻んだ傷を、いっそう血が流れるほど深く広げるほど、耳にするだけでつらくなる言葉を向けられたことも含めて。

 それが憎しみではなく慈しみの心からくる、お母さんの強い強い涙声の声の連続あったからこそだ。

 

 母の想いを真っ向からぶつけられ、悔恨の涙に暮れるパールを擁護できる言葉は存在しない。

 自分が悪い。一番つらいのはそんな時だ。

 誰しもかつては大人になる前、一度は経験する後悔の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、思ったよりも手こずったわ。

 やはり、子供だからって甘く見るものではないわね」

 

 同じ夜、シンオウ地方の山奥に身を隠したマーズとジュピターは、ようやく一息ついていた。

 そう簡単には指名手配犯を追う正義の目も届かない、広い広いシンオウ地方の一端だ。

 そばに最も頼もしいブニャットとスカタンクを置き、夜の世界で野生種に紛れるゴルバットを出し、危うい影が接近しようものならすぐ気付ける布陣を敷いて。

 野宿も可能である。万が一追っ手が迫ろうものなら、頼れる腹心達の報せにより、いつでも逃げに回れる構えということだ。

 

「さすがに二人とも寝てしまうのは不用心ね。

 マーズ、どっちが先に寝る? じゃんけんでもする?」

「…………」

「なぁに、追っ手にびびってるの?

 お話ししましょ……」

 

「そんなに寝たいならあんたが先に寝なさい。

 うざいわよ、黙ってて」

「あら怖い、あなたが私のことを嫌いなのは知……」

「黙れっつってんのよ、抜け殻が」

 

 こんな時でも、マーズはジュピターに食ってかかるほど彼女のことが嫌い。

 とはいえ、ここまで積極的に突っかかるのは、流石に癇に障ることを口にされた時だけだ。

 慣れたものとはいえ、今度は何が癪に障ったのやらと、やれやれと肩をすくめるジュピターは"大人"である。

 

「ま、あんたがそう言うなら結構だけど。

 遠慮なくおやすみさせてもら……」

 

「よく寝れるわね。

 あたしはあんな子供相手に一矢報いられただけでも、悔しくて悔しくて寝付けないっていうのに」

 

 マーズがジュピターを見る目は、尖った目つきゆえに攻撃的でありながら、そこには明確な軽蔑の意を孕んでいる。

 同時に言葉どおり、ギンガ団幹部として当然果たすべきだったわかりやすい勝利を示せなかった己に対する、耐え難いほどの屈辱も孕んでいる。

 はぁ、と息を吐くジュピターは、そんなものは下らないとさえ言いたげだ。

 

「あのねぇ、あたし達は"エムリット"を捕獲するために一戦交えた後だったのよ?

 思うように一方的な蹂躙が果たせないのは仕方がないわ。

 それだけの余力が、あれほどの難敵を相手にした後に残っていた?」

「自分を慰める口上ばかり一丁前なのね。

 あなた、ポケモントレーナー何年目?

 そうやって、見下すプライドを以って然るべき年下を相手に劣っても、そうして逃げ続けてきたんでしょうね」

 

「チンピラみたいなこと言うのね、あなた。

 安いプライドだわ」

「結果主義の悪の組織の犬を謳うくせに、結果を出せなかった自分に甘いんだ。

 そりゃあトレーナーとしてもブリーダーとしても半端者なわけだわ」

「あ?」

 

 ちり、と二人の間の空気が明確にひりついた。

 いかに仲間同士とはいえ、互いの過去の瑕をつつくのはご法度だ。

 

 悪の組織に身を堕とした者達には、そこに至るまでの根拠や過去というものがある。

 決して、他者に、軽々しく触れてほしくない、苦々しくて忘れ難い過去を持つ者も決して少なくない。

 それに土足で触れようものなら、喧嘩になることは避けられない。特に、結果主義の組織において、仲間割れなど絶対にあってはならないこと。

 脛に傷を持つ者同士において本来、相手の過去を抉ることなど言語道断だ。

 

「言うじゃないの、クソガキ。

 いくら同胞とはいえ、舐めた口を叩く奴は只じゃおかないわよ。

 あたしが属してるのは、正義感や道徳がお好みの組織だったかしら」

「舐めた口と態度で挑んできた、あたしよりも年下の子供も制しきれなかったくせに。

 手段を選ばぬ暴力で、逆らう者には容赦しない極道めいた己を謳えるほど、あんたの仕事は出来たものじゃない。

 未熟な頃の子供相手に火炎放射を放つ自分の非道さをさぞ楽しげに自慢してたけど、それってザコ相手に粋がれてましただけに過ぎないってこと?」

 

 本当に嫌いな相手との口喧嘩となれば、マーズも痛い所を突いてくる。

 ジュピターのような、手段を選ばぬ悪党を自称して憚らない者は、なればこそ結果を出すことを一度でもしくじってはならない。

 彼女が戦ったプラチナ。ギンガ団に歯向かう少年。

 それをジュピターは、二度と逆らう気力を無くすほど打ちのめすか、それが出来ぬほど滅茶苦茶にするか、あるいはせめて確保すべきだった。

 彼女が言う『舐めた口を叩く奴は只じゃおかない』という言葉に対し、あんたがその言葉を向けるべき最たる相手はあたしじゃない、とマーズが言うわけだ。

 

「あれが、あたしの想定を上回る相手だったことは認めるわ。

 温厚そうな面構えのくせに、才覚は……」

「言い訳、言い訳、言い訳。

 そうやって自分を慰めてればいいわ、今までのように。

 また逃げれば? 自分に才能が無いって勝手に見限って……」

 

「ねえ、本当に殺そうか?

 誰にそんな口利いてるの?」

「かかってきなさいよ。

 あんたがそのつもりなら、あたしあんたの喉元食い千切ってやるわ。

 死ぬのはあんたよ」

 

 瞳孔の開いた目でマーズに歩み寄ったジュピターに対し、マーズも一歩も退かず胸を突き合わせ、殺意すら匂わせる眼を返している。

 鼻先が触れ合うかという至近距離で、今にも殴り合いが始まりそうな空気。

 双方のベストパートナーであるブニャットとスカタンクの方が目で示し合わせ、まずいと思って二人の服を咥えて引っ張るほどだ。

 

「結果がすべて、って仰る割には志が低いわよね、あんた。

 あたしはパールに負けたわ。あの子を本当の意味で叩きのめした上で勝つことが出来なかった。

 あんたに対して偉そうな口を利けるほどじゃないことは自覚してる」

「自覚してて言うって相当な恥知らずよね。

 あんた、いつから自分の仕事の出来なさを棚に上げて人のことを批判できるお偉方になったつもり?」

「あたしはあんたと違って、悔しくて眠れない。

 勝ちましたなんてツラ飄々と浮かべて、のんのんと眠れる風のあんた何なの?

 あたしのことチンピラって言った? よく言うわ」

 

「あんた、本気で喧嘩売ってるわね。

 ギンガ団の大願のため、その主要戦力であるあたし達の仲違いを積極的に生もうっていうの?

 組織の幹部としてもあんた落第級だわ」

「そうやって人の粗探しに躍起になって、口喧嘩に勝つことに熱中して、何も為せない自分の小ささから目を逸らしてりゃいい。

 人をクソガキ呼ばわりするあんた、いつまで子供なの?

 大人と呼ばれる年齢になるまでにあんたが培ってきたものって、しょせん何者にもなれなかった自分を守るための語彙力でしかないのかしら」

 

 もうやめようよ、これ以上は絶対駄目だよ、と、二人を引っ張るパートナーの力が強くなる。

 手の届く、あるいは体をひねっただけで肩をぶつけ合える距離で睨み合っていた二人も、流石に引っ張られて後ずさり距離を作らされる。

 本当に、今にもどちらかの手が出そうだ。手の届き合わない距離を作れたブニャットとスカタンクは、ただそれだけで一つの達成感を得る。

 

「…………ニャムちー。

 負けたのはあたしのせいよ。あんたのせいじゃない。

 あんたはあたしの望みに全力で応えてくれる、"今の"ベストパートナーよ」

 

「さんざん粋がっておきながら、身内へ話しかけて話を切ろうっての?

 言うだけ言って勝手に満足して終わりとでも言うつもりなのかしら。

 本当に人のこと舐め腐ってるわね」

「舐められるのが嫌ならそれだけのもの見せなさいよ! 中途半端の悪人かぶれ!

 あんたみたいなカス同然の奴と同列に語られることが、ギンガ団に入って唯一、最大の後悔だわ!」

 

「……覚悟、できてんでしょうね」

「やってやるわよ、半端者!!」

 

 駄目、絶対駄目、ブニャットもスカタンクも洒落にならないと判断し、両者の間に回り込んだ。

 拳を握りしめたジュピターとマーズを自分達の体でぐいぐい押し、両者が絶対に触れ合えないよう力ずく。

 相手の鼻骨を折ることも厭わない殴り合いになる予感しかしないのだ。

 ポケモンの力が人間よりも強く、力ずくが通用することを、ブニャットとスカタンクがこれほどありがたく感じたことは過去に無い。

 

「あんたって本当にクソガキだわ……!

 ギンガ団の同胞としてじゃなく、個人としてあんたとは本当に相容れない……!」

「友達探ししたいなら余所を当たりなさいよ!

 あんたみたいな、悪の組織に居場所を求める小悪党を慕う奴なんてどこにもいないわ!

 結果も出せない、そのくせヘラヘラする自称悪党、あんたは大人でもないし子供以下のクズそのものよ!」

 

「スカタンク、邪魔しないで……!

 あいつだけは、目玉くり抜いてやらないと気が済まないわ……!」

「ニャムちーお願い、今だけ好きにさせて……!

 あいつの口、引き裂いてでもやらなきゃ我慢ならないの……!」

 

 自分よりも力の強いポケモンを押しのけてでも、相手をぶちのめそうとするご主人を、ブニャットもスカタンクも必死で制していた。

 怒号は大きかった。山奥のさらに奥ゆえ、きっと人里にその位置が知れることはそうあるまい。

 だが、不用心だ。指名手配犯二人の居合わせた場にしては。

 それでも耐えきれぬほど、二人がぶつけ合う憎しみの感情は強い。

 

 二人の手元には、苦労して捕まえた"感情を司る存在"がいる。

 その影響が何かしらあるのだろうか。いや、そうではない。

 その一個体は、ギンガボールと呼ばれるものに拘束され、今なお苦しみの中にあって己の力を外界に溢れさせる余力など欠片も残っていない。

 積もり積もったものが爆発しているだけだ。それほどまでに、一度火のついてしまった感情の炎というものは、収まりつかぬものなのだ。

 

「何が大人よ! 偉そうな口利くだけのカラッポ年長者!

 悪の組織に身を堕としただけで強くなれた気になってんじゃないわよクソババア!」

「殺すわ……!

 悪の組織らしくあってやろうじゃないの……!

 身内がどうとかもう関係ないわ!」

「あんたはクソガキって呼びたがるような子供に負けたのよ!

 いつまでも適当に理屈つけてヘラヘラ笑って、余裕あるフリして取り残されていくがいいわ!」

 

 仕舞いにはベストパートナーに押し倒されるほどになってでも、血走った眼で罵り合う二人の怒号は終わりを迎えなかった。

 息も絶え絶えになるほど声を荒げ合って、それでようやく静かになった中で、二人はようやく殺し合い寸前の喧嘩をやめにした。

 だが、その後は誰も眠れなかった。煮えたぎるような怒りは睡眠欲を凌駕するのだ。

 結果的に二人は、指名手配犯を追う者達への警戒心からではなく、互いへの憎しみの心で明日の朝まで目が冴えたまま過ごすことになるのだった。 

 

 悪に失敗は許されない。

 ある意味で、正義以上にだ。

 それは明確な処罰という形で表されなくたって、悪には悪のプライドがある。

 あるべきはずの道徳や倫理を捨ててまでこの道を選んで、結果を残せなかったとなれば、それが苛むのはその者達自身に他ならないのだ。

 そこで己のプライドに本当に蓋をして、適当な逃げ口上を作って何一つ成し遂げられなかったことを赦す者に、"次"など回ってくるはずもない。

 所詮は悪。そんな彼女らの胸三寸を握るのも、より上の非情なる悪なのだ。

 

 ジュピターだってわかっている。

 表面上の態度はどうであろうと、想像以上の実力者であったプラチナに、悪の組織らしい"とどめ"を刺すことが出来なかったのだ。

 二人のプライドは深く傷つけられている。それは、パールとプラチナが、仮初めでも勝利を収めたことに起因する。

 これほどまでに言い争おうが、明日には己の本分を取り戻す"大人"の二人に、致命的な対立を刻み付けることは誰にも出来ないけれど。

 暴力的な手段により、何かを成し遂げようとする者に対し、退けきることそのものが、大いなる屈辱を与えるのも間違いではないはずだ。

 

 敗れたことに何とも思わないような悪人など、はっきり言って脅威に値しない。伸び代が無いからだ。

 一度失敗した仕事を、どんなに心機一転して挑もうが、次も必ずまた失敗する。

 マーズとジュピターはそうではない。

 露骨に表すマーズも、内に秘めんとしていたジュピターも、今日の敗北にははらわた煮えくりかえっている。誰よりも、自分自身に対してだ。

 いつか再びパール達と相見えることあらば、この日の屈辱を断じて忘れてはいまい。



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第89話   悲劇

 

「で、旅は続けていいって言って貰えたの?」

「な、なんとか……

 それ以上に、こってりたっぷり叱られたのですが……」

「まあ、許されたんならいいけどね。

 僕も、旅はダメだって言われてるパールと一緒に行動し続けるなんて、流石にやりづらくって出来なくなっちゃうしさ」

「ぬぇへへへ……」

 

 マサゴタウンのポケモンセンターで朝を迎えたパールとプラチナ。

 朝ごはんを食べながらの話題はやはり、パールちゃんとお母さんに電話した? というプラチナの確認から始まる。

 どうやら電話はちゃんとしたようで、当然のお叱りを受け、しかしながらもう旅をやめなさいとまでは言われなかったようだ。

 相当色々言われたらしく、大好きなお母さんやプラッチに心配かけまくったことへの反省は、さしものパールも深い様子。

 苦笑いで出る声が、今までに聞いたことのないものである。ぬぇへへって。

 

 もっとも、旅を続けてもいいという言質を母から得たパールだが、それも実は安く得られたものではなかったりする。

 向こう見ずな行動をする愛娘に、旅なんてやめて帰ってきなさいとお母さんが言うのも当然で、それはパールの最も恐れていた言葉の一つ。

 パールは食い下がったらしい。有り体に言って、ワガママ全力投球だが。

 いくら言っても駄目! とお母さんに言われても、とにかくとにかく食い下がった。

 電話を切られてもかけ直して。出て貰えなくても、何度も何度もかけ直して。

 やり取りするたびごくごく真っ当な痛烈な言葉を浴び、それでもやだやだで駄々こねて、泣きじゃくりながら旅はやめたくないの一点張り。

 何時間もそんなやりとりを繰り返して、ついにどうにかお母さんからお許しを勝ち取った次第であったりする。

 まったく厄介なじゃじゃ馬っ子。勿論パールは、この辺りのことまでプラチナに話さない。いかにも呆れられそうだとは自覚しているようで。

 

「……あのぅ、プラッチ。

 一つだけ確認していい?」

「ん、なに?」

 

「えぇと……絶交は、取り消しでいいんだよね……?」

 

 コイツは、というにも似た想いに、プラチナが溜め息をついたことは言うまでもない。

 これ見よがしな溜め息に、やばい怒らせたかも、とパールが緊張するところである。

 怒っちゃいないが、呆れさせられるプラチナとしては、どう返答するかちょっと考える。

 甘い反応は見せたくないし、だからって意地悪すると洒落に済まぬ落ち込み方をさせるかもしれない。本当、厄介な親友。

 

「はいはい、取り消し取り消し。

 今日も明日も僕はパールの友達で、親友だよ。

 これからも一緒に旅しようね、今までとおんなじように」

「ありがとう……!

 プラッチ、これからもよろしくお願いしますっ!」

 

「言っとくけど、もう絶交宣言させるような滅茶苦茶はしないでよ!

 僕ほんと色々としんどかったんだからね! わかってる!?」

「わ、わかってる、わかってる……」

「わかってない顔してるっ!」

「だ、だって~……」

 

 ああ、ちょっとむかつくぞ今のパールの顔、とはプラチナの心からの想い。

 反省の姿勢とうつむいた顔で、心底反省はしているのは間違いないだろうけど、ちょっと頬が緩んでいるんだもの。

 絶交せずに済んで、これからも一緒にいられるんだと言質を取れて、どうしても顔に出るのを抑えられないほど嬉しいのが見え見え。

 好意を向けて貰えている当事者として、ちょっと嬉しく感じてしまう自分に、パールに甘くしちゃ駄目だと理性を求められるプラチナである。

 もはや保護者みたい。実際、当分プラチナに頭の上がりそうにないパールなので、兄と妹か父と娘ぐらい、両者の間にヒエラルキーが生じ気味。

 

「もう、ほんとに反省してるよね!?

 振り回される方だって大変なんだから!」

「わ、わかってるよぉ……

 今回ばかりは、本当に反省したから……」

 

 心からそう言っているのがわかるのと、いつか感情が暴走すれば、今回のようなことはまた起こりそうだと予見してならないプラチナ。

 その時々では本気で反省し、しかしながらいよいよとなればその反省も吹っ飛び、再暴走するパールだと彼女の人間性が見えてきたプラチナの気苦労ぶりよ。

 タチが悪いとさえ言えるほど手のかかる親友である。

 その感情論に正しい意味での正義感が伴っていなければ、本当に見放したくなっちゃう厄介ぶり。

 

 ともあれ旅は再開だ。

 後腐れありまくり、しかしながらしがらみなく、ジムバッジを集めるパールの旅は、今後も今までと変わらぬ形で継続される。

 今までと変わらぬ形。プラッチも一緒。

 失えば耐えられぬものを失わずに済んだパールの、強く反省しながらも隠しきれぬ安堵を匂わせる表情の機微にこそ、プラチナは頭を抱えたい想いだった。

 

 本当、惚れた側というのは損である。さっさと見放せてしまえばどれだけ楽か。

 ただ、プラチナだって恋心抜きにしても、長らく一緒に旅してきて、情も親愛感情も募り重なった親友とは、そうそう離れたいと心からは思えまい。

 友達というのはそういうものだ。良いことも悪いこともある。

 人間関係に利害を意識するようになった大人がいつしか忘れていく、純真な子供達の掛け値無き人となりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『もしもし』

 

「うざっ。

 何なのよ、昨日の今日で」

 

『いきなり喧嘩腰は勘弁なさいよ。

 あたしだってそこそこ躊躇したのよ、昨日の今日なんだから。

 流石に世間話であんたをからかうようなことはしないわ』

 

 時は昼過ぎ。

 特殊なトランシーバーを耳元に、同胞ジュピターからの通信を受けたマーズは、さっそくたいそう不機嫌である。

 ギンガ団特製の、決してその通話を傍受されぬトランシーバーは、ギンガ団幹部同士の通話を懸念無く果たせる神器とさえ言えよう。

 しかしながら道具の都合上、会話に若干のストレスを感じさせるノイズはつきもので、まして通話相手が心から嫌う相手となれば。

 大嫌いなジュピターとの会話にさっそく不愉快を隠さぬマーズに、通信相手も溜め息を堪えて冷静な語り口を貫いている。へそを曲げさせると話が長引く。

 

「ちゃんとエムリットはサターンに引き渡したんでしょうね。

 あんたの仕事よ、簡単でしょ」

『無茶言わないでよ。

 そりゃ最後にはきちんと引き渡すけど、こんな隠遁生活しながら一日でアジトまで行けるわけないでしょ。

 絶対に失敗できないんだから、人に任せるわけにもいかないのだし』

「はいはい、言い訳言い訳」

『もう、あんたあたしのこと目の敵にし過ぎじゃないの。

 煽り癖なんてつけるものじゃないわよ、あたしみたいになりたいの?』

「機嫌悪くなるのよ、どうしてもあんたの声聞いちゃうと。

 なかなか折り合いつけにくいわ」

 

 昨日、あれだけの喧嘩の後に別れたマーズとジュピターだが、やはり関係は最悪レベルである。

 しかしながら、喧嘩を避ける対話を敷くジュピターに、マーズもいちいちいがみ合っても仕方ないという意識をどうにか回復させ、落ち着こうとしている。

 大嫌いな相手とはいえ、協力体制であるべき相手と認識すれば、我慢を重ねて付き合いを保つ。

 目的第一のビジネスライクな、大人同士の関係だ。理屈要らずに手を繋げる、子供達の友情とは対極のものであると言えよう。

 

『今、どうしてもサターンは身動きが取れないからね。

 迅速な連携が難しい状況にあるのよ。

 向こうからも来てくれるんなら、今日中での引き渡しも出来るんでしょうけど』 

「まあ、それはあたしにだってわかるわよ。

 あいつ、あの一番大変な立場をよく上手に立ち回れるものだわ」

『来たる次なるファイナルミッションでは、どうにか都合をつけて力を貸してくれるそうだしね。

 あいつに関しては信頼して待ちましょう。

 あたしの本題としては、そんなところよ。

 逃亡生活続きのあたし達、気は急くかもしれないけれど、もう少しの辛抱よって話』

「言われなくたってわかってるっての。

 ……気を回してくれたのは理解するけど、個人的には正解じゃないから、それ。

 あたしあんたのこと、本当に苦手なの。声、聞かせないで欲しかったわ。熱くなるからさ」

『話のわかる声で言われると流石に困るわねぇ』

 

 あれだけ言い争った翌日ながらも、恩着せがましくでもなく配慮を回してくれるジュピターの態度には、流石にマーズもこれ以上の牙は剥かない。

 正直なところは言ってしまっているが、喧嘩腰ではない声色なので、簡単にはコントロール出来ない感情なのだという、譲歩願いの訴えに近い。

 ジュピターは腹を立てない。理解はしているのだから。自称悪が嫌われることを厭うなど、むしろジュピター自身がちゃんちゃらおかしいと嗤う話。

 

「話は終わり?

 一応、気を遣ってくれたみたいなのは理解したわ」

『……もう一つ、報告がある。

 同胞として、あなたの耳には入れておくべき内容だと思うわ』

「何よ、もしかしてそっちが本題なんじゃないの?」

『いや……どう、でしょうね……

 知ろうが知るまいが私達の今後の行動に影響の無さそうな話なんだけど……

 少し、インパクトの強い話ではあるから伝えないのもおかしいし……』

「…………?

 はっきりしないあんたって珍しいわね。

 まあ一応聞いておくわ。必要な情報かはこっちで判断するから」

 

『サターンと、一度だけ通信で連絡を取ったのよ。

 こちらとしてはエムリットの捕獲成功を伝えるだけのつもりだったんだけど、あいつからも報告があって――』

 

 歯切れの悪いジュピターの態度には、マーズでさえも怪訝さを覚える。

 敵対する者には好き放題に饒舌な皮肉を垂れ、組織の同胞にも開き直った語り口で常に堂々。

 たかだか報連相で言葉を濁しかけるジュピターの態度はおおよそ彼女らしくなく、ジュピターは言葉を選びながら、重い事実をマーズに打ち明ける。

 

 いかにも、悪の組織らしい報告だ。だが、しかし、それは。

 今までの悪行とは一線を画す、あるいは一線を越えたとも断言できるその報告には、マーズもトランシーバーに耳を寄せた表情が強張る。

 あり得ない話ではないとも、覚悟はしていたことでもあるけれど。

 ついに、そんなことが実行に移されようとしている現実を突きつけられれば、いよいよ自分達も後戻り出来ない所まで来たのだと再認識する。

 

『――以上よ。

 首尾よく運べば、今日の夕頃にでも実行されると思うわ』

 

「…………それは、誰が発案したことなの?

 ボス? それともサターン?」

『ごめん、それはわからないの。

 ……ちなみに、発案者はあたしじゃないからね。

 あたしがやりそうなことだって思われるかもしれないけど、あたしもわざわざ能動的にそこまでする胆力は無いのよ』

「……………………」

 

『誰でもいいじゃない。あたし達は悪の組織よ。

 必要とあらばそんなこともする、ボスにせよサターンにせよ、ブレーンがそうすべきと判断してのことなら……』

「ねえ、それ意味あるの?

 例えばシロナならわかるわ。そいつに手をかけて何になるっていうの?」

『それはあたしもサターンに聞いた。

 あいつは、必要なことだからだ、とだけ答えたわ。

 サターンがそう判断して発案したこととも、ボスの言うことだから意図が読めなくても必要なことだと汲んだとも取れる。

 正直、真意はあたしにも計りかねるわよ』

 

「……………………」

『ちょっと、マーズ。

 大丈夫なの? あんた……』

「役立たず」

『ちょっと――』

 

 捨て台詞めいたものを吐いて、マーズは一方的に通信を断ち切った。

 悪行も厭わぬ覚悟でギンガ団幹部となったマーズの志そのものは、ジュピターにも信頼されるところだ。

 それでもマーズは二十歳にも満たない。あまりに一線を越えた蛮行に対し、理性では受け入れようとしても感情がそう受け入れ難い側面もあろう。

 サターンがジュピターに伝えた"凶行"は、マーズにとっては現実を受け入れ難きほど、あまりに残酷で悪辣な実行である。

 

 一人になりたい。

 薄暗い山奥、山林の中で鬱蒼とした木々の合間から空を見上げるマーズは、どこで私は道を間違えたんだろうと今改めて思う。

 ささやかで、しかしながら叶え難き、ゆえにこそ悪の組織に属してでも果たしたかった夢が彼女にはあった。

 そのための道のりの中で、仲間と呼ぶべき者達が為す、万死に値する非道を耳にして、その同胞たる己への自己嫌悪たるや並々ならない。

 

「――――……」

「……………………ニャムちー」

 

 ご主人が気落ちしていると見れば、ボールの中から飛び出してでも、気遣うように鳴き声を出してくれるブニャットだ。

 マーズは目眩すら覚えるような気分の中、その場に座り込んでブニャットに背を預け、両手で目を覆って上天を向かずにいられない。

 涙など出るものか。それ以上に溢れ出る悔恨の想いには、呆然とするばかりで感情を抱く胸すらはたらかない。

 

「おかしくなりそう……

 取り返しがつかな過ぎるわよ……」

 

 ジュピターがスカタンクに、パールへの火炎放射を撃たせた話も知っている。

 だからマーズはジュピターのことを心底嫌っている。悪党にせよ、越えちゃいけない一線というものがあろう。

 邪魔者は消す。悪の組織らしい発想。

 だけど、本当に殺してしまうのは駄目だ。それだけは絶対に駄目。

 どうして駄目なのか、そこに根拠を必要とする奴は壊れている。

 マーズがぎりぎりジュピターとの関係を保てているのは、あくまでジュピターが殺人未遂犯で留まっているからに過ぎないのだ。

 

 まさか、人殺しなんて。

 サターンの語る策が招き得る結末を耳にしたマーズは、そんな奴らに荷担している自分をどう見ているのだろう。

 彼女の目も、頭も、そこに実在する己周囲の世界を一つも認識していない。

 堕ちた自らへの、やがて大願果たせたとて誇れぬ自らの、血に濡れた両手に呆然とするばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「痛、っ……!?」

 

「パール、大丈夫?

 昨日から、ちょくちょくそうなってるけど……」

「だ、大丈夫大丈夫、すぐやむと思うから……

 昨日もそうだったしさ」

 

 翌日の朝。

 昨日、マサゴタウンを出発したパール達は、コトブキシティをそそくさと通り抜け、ソノオタウンのポケモンセンターで一夜を明かした。

 この、真昼のコトブキシティ通過がパール達には関門であり、かなり神経を遣う行動で、二人を相当に疲れさせた。

 

 何せシンジ湖で、指名手配犯相手に果敢に戦った子供達二人というのは、それなりにお茶の間を騒がせるセンセーショナルな報道だ。

 あの子達は何者なんだろう、というマスコミの強い強い興味は、パール達でも決して自意識過剰でなく容易に想像できるものである。

 そしてシンオウ地方最大の都であるコトブキシティは、テレビ局もある大都会。要するに報道陣の本丸。

 とにかくパールとプラチナは、そんな報道陣に見つかりたくはなかった。

 見つかったら取材とインタビューの集中砲火間違いなし。特にパール、こんな形でまたテレビに映されたら、またお母さんのカドが立つかもという恐れがある。

 幸い、シンジ湖での戦いは上空撮影から撮られていたものの、二人の顔までは割れていないのが救い。

 さりとて帽子は撮られていたので、子供知恵ながら二人は帽子を脱いでパールの鞄に隠し、なるべく目立たないようコトブキシティを抜けきった。

 上空映像から得られる、少年少女の唯一にして最大の特徴さえ隠し通せば、どうにかコトブキシティをくぐり抜けられたようである。

 それなりに神経を遣ったぶん、パールもプラチナも精神的にすごく疲れたが。

 

「でも、そこまでの頭痛って少し心配だよ。

 リアクション見る感じ、それ尋常じゃないでしょ」

「だ、大丈夫だって~。

 多分、ただの冷房病だよ」

 

 それに加えて、二人を疲れさせたものがもう一つある。

 マサゴタウンを出発し、コトブキシティを通過し、ソノオタウンに至るまで道のりの中において。パールが何度も頭痛を訴えたことである。

 一時間に数度、断続的に襲い掛かる頭痛はパールにとっても当然つらく、それを目の当たりにするプラチナの心配も強い。

 

 パールはプラチナに負い目がある今、あまり体調不良を表に出して、心配かけるようなことは避けたがる性格だ。プラチナも概ねわかっている。

 その上で、頭痛のたびに思わず片手をこめかみに持っていき、つらい顔を隠しきれないパールなのだから、その頭痛とやらは相当に重いのだろう。

 当事者のパールもきついし、体験者じゃないゆえにこそ、想像しか出来ぬながらつらそうなことだけわかるプラチナも気が気でないというもの。

 空調を利かせ過ぎて、翌日頭痛に苛まれるということは珍しくないため、冷房病だと解釈するパールの発想は決してずれたものではないのだが。

 些か断続的に長続きする頭痛に、そして苦しむ彼女を一日中見続けるプラチナも、昨日は疲れが溜まったものである。

 

 おかげで二人は、ポケモンセンターで晩ごはんを食べたら、疲れも相まってすぐに寝てしまったのだ。

 夜に緊急速報されたニュースを見ることもなく、である。

 その時、シンオウ地方を揺るがした凶悪事件が報じられていたことを、昨日パール達は知るよしも無かったのだ。

 

「それよりさ、プラッチ。

 相談があるのですけれど」

「相談? なに?」

「昨日の夜、ナタネさんに電話したんだけど、全然出てくれなかったの。

 これは、その……アレかなって……」

「あー、多分そうだね。ナタネさんキレてるね」

「ちょっと~! 真面目に相談してるんだってば~!

 そんなノータイムでテキトー返事するのやめて~!」

 

 ソノオタウンを出発し、ハクタイの森へと向かう205番道路を歩くパール達。

 昨晩の話をするパールに、プラチナはややからかい気味の反応である。

 

 パールはナタネさんに、危ないことはしちゃダメって言い聞かせられている。

 リッシ湖騒動の時も、パールがギンガ団に真っ向挑んだことを知ったナタネから、電話越しにそれなりの説教をされたものだ。

 今回のシンジ湖騒動とて、広く報道されたところであり、ナタネも恐らくパールがマーズらと戦ったことは知っているだろう。

 完全に怒っちゃったナタネさんが、自分の電話をガン無視しているのではないかとパールは不安なのである。

 不安になれなれ、いい薬だ。プラチナのちょっとした本音。

 

「無視するほど怒ってても仕方ないレベルだと思うよ。

 二回目でしょ、これで。僕がナタネさんならキレる。

 ついでに言うと、三回目があったら僕もキレるかも」

「うぐぅ……ついでに釘を刺される……やぶへびぃ……」

「どうせキッサキシティに向かう途中でハクタイシティは通るでしょ。

 ナタネさんに会って、なんで電話に出てくれなかったから聞いてみようよ。

 場合によっては土下座も辞さない覚悟で」

「ど、土下座したら許して貰えるかな?」

「さぁ……そもそも土下座したら許して貰える、って感覚が僕もよくわかんないし」

 

「土下座ってなんなんだろうね。

 アレってそんなに意味あるの?」

「ん~、僕も正直よくわかんないんだよね」

 

 子供にはちょっと難しい話かもしれない。

 土下座すればどうにかなると思っている大人がいても、それはそれで問題だが。

 実際、土下座が有効な局面なんてのは限定的なのが現実だったりするし。

 

「まあ、ナタネさんがパールの暴走を知ってる前提で考えた方がいいと思うよ。

 とりあえず、嫌われたくないなら謝る準備はしておいた方がいいんじゃない?」

「あたま、いたい……」

「どっちの意味で?」

「頭痛じゃない方。

 も~、どうしよう……嫌われたくないよぉ……」

「頭痛の方は大丈夫なの?」

「あ、うん。今はおさまってる」

 

 他人事プラチナと真剣に悩むパールだが、会話の内容自体は他愛無く。

 まったりとした足取りでハクタイの森を抜けるなら、ハクタイシティに、ハクタイジムに着くのはおやつ時になりそうだ。

 パールはハクタイシティに立ち寄った以上、敬愛する人に会いにハクタイジムまで足を運ぶのは確定事項である。

 さて、明らかに怒られる根拠を持つパール、それでも会いに行くのだろうか。行くのだろう。

 無視していくなんて、そっちの方があり得ない。

 なんとか許して貰えるように、必死で謝る心構えを今から作っておかねばいけなさそうである。

 

「とりあえずラジオでも聞きながら森を抜けようか。

 パールってあんまりうんうん悩み込んでも、一発逆転の解決策を閃いたりするタイプじゃないでしょ。

 リラックスして考えようね」

「ねぇ、最近プラッチの中で私、まあまあお馬鹿さん扱いになってない?

 けっこうド失礼なこと普通に言ってるよね? おん?」

「一昨日バカなことしたばっかでしょ」

「それを引き合いに出すのはずるい!

 過去のことずーっと言い続けるのはダメだぞっ! 意地悪だぞっ!」

「まだ風化には早いでしょ。

 僕もうしばらくはコレ言い続けるよ。ずーっとじゃないけど、しばらくは」

「うぎーっ!」

 

 やらかした後、人を多大な世話をかけた後というのは立場が弱くなる。

 まあパールの言うとおり、いつまでも人の失敗をねちねちつつきまくるのは陰湿だし、良くないことには違いないので正論か。お前が言うな感はさておいて。

 ある意味で、やらかしたことをいつまでも引きずらず、絶交を免れたプラッチと早く対等に話したがる、そんな気持ちが滲み出た態度でもある。

 何のかんのでパールは結構、プラッチに対しては甘えるのである。それだけに、彼に本気で叱られると、親に叱られた時と同じぐらいへこむけれど。

 別段パールが甘ったれと言うよりは、年の同じ子供同士の友達関係、よくある話である。

 見方によってはプラチナだって、はちゃめちゃされても何だかんだでパールと一緒にいたがるのだから、彼がパールに甘えている部分とてゼロではない。

 なんだかんだで人と人とは、その字の由来が表すとおり、寄りかかり合って生きていくものである。

 

「あ、よかったねパール。

 今日のラジオは昨日みたいに、シンジ湖事件一色じゃないっぽいよ」

「いじるなっ! ゆるさんぞ~!」

「え~と……ハクタイシティでの通り魔事件?

 うわ、怖……またギンガ団が何かや……っ……?」

 

 昨日は一昨日のシンジ湖事件が最新の事件だったため、どこのテレビ番組もラジオ番組もこの話題で持ち切りだった。

 悪のギンガ団が関わっていることもあり、まして勇敢な子供達二人という、パンチの利いたパワーワードもあれば話題性は非常に高い。

 加えて悪のギンガ団が大きな行動を起こしたことにより、それとは無関係を一貫して主張するトバリギンガ団のオーナーによる、記者会見も昨日はあった。

 コメンテーターによる考察も広がる余地が大きく、何か新しい大きな話題でもない限り、数日は報道番組で毎日扱われそうな話題には違いなかっただろう。

 

 そう、あの大事件を上回るような衝撃的な事件でもない限り、今日の報道が新たな話題一色に塗り替えられるなどまず無いことだ。

 昨日の夕方、ハクタイシティで起こった、過去に例を見ない大事件。

 通り魔事件という響きだけでも充分だが、それにまして、被害者の名は。

 その衝撃性たるや、悪の組織がシンオウ地方の名所を襲撃したという事件でさえ、肩を並べられようはずもない。

 

「う、うそ……?

 い、今の聞き間違……」

「っ……僕もそう思った。

 二人ともそう思うってことは、信じられないそれがそうだったてことでしょ……!」

 

 事件発生は昨日の夕方。

 そして、夜の報道ではテレビでもラジオでも、その事実は速報としてシンオウ地方に響き渡ったはずである。

 たまたま昨日、人目を避ける歩みを一日中貫いて疲れていたパールとプラチナが、メディアに触れなかったことは何の因果か。

 二人がほんの半日ぶん、世間の流れを見落としていたその時に、パールにとって大切な人は生死の境をさまよう立場にあったということである。

 

「ごめんプラッチ、走らせて!

 置いていっちゃったらごめん!」

「うん、急ごう!」

 

 今朝、ナタネさんが電話に出てくれなかったのは、怒っているからだと思っていた。

 出なかったんじゃない。出られなかったのだ。

 たとえ39度の熱が出ていたって、電話に出るぐらいのことは誰だって出来るだろう。電話に出るなんて簡単なことだ。

 それすら出来なかった状況に陥っていることを知ったパールは、気が気でない想いでハクタイの森を駆けだしていた。

 

 この時ばかりは二人とも、多くのことがあった一昨日のこと、シンジ湖の悪に立ち向かった時のことなど、露ほども頭には残っていなかったものである。

 パールは本当の全力駆けだった。プラチナでも、全力で走ってなお置いていかれそうなほどの。

 そして彼が追う形となるパールは、その後ろ姿からでも、敬愛する人と二度と話せなくなることに恐怖する、その青ざめた顔色が感じ取れてやまない。

 最悪を想像しただけで涙さえ出そうなほどの現実は、過去を振り返る余裕すら人から剥奪するのだ。

 

 昨夕、悪しき凶刃に深く傷つけられ、大量の血を流し、今や意識不明の重体でハクタイシティの病院で目を閉じている被害者。

 それはハクタイジムのジムリーダーであり、パールにとっては最も敬愛する先輩トレーナー、ナタネに他ならなかった。



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第90話   ナタネの贈り物

 

 ハクタイシティに辿り着いたパールは、真っ直ぐハクタイジムへと駆け込んだ。

 森を駆け抜けてきて、街の入り口に到達した時点で、汗びっしょりの息絶え絶え。それだけ、必死に、最速でここまで来た。

 

 ナタネが不在のハクタイジムは、当然現在は休業中である。

 挑戦者を受け入れられず、ナタネも不在では進入希望のジム生がいたとしても決められず、好奇心から事件について知りたがる野次馬など当然門前払い。

 流石にこれほどの大事件、ジムに取材を申し込んだ記者などもいたのも自然なことであったが、それらもハクタイジムは丁重にお断りしている。

 事実上、今のハクタイジムは現在のジム生を除く、関係者以外立ち入り禁止に近い状態ですらあった。

 

 そんなハクタイジムに真っ青な顔で姿を見せたパールを、はじめ受付の女性もお引き取り願うことを意識したものだ。

 だが、そんな受付に待ったをかけ、パールをジムの奥へと歓迎してくれた大人の女性が一人いる。

 ナタネよりも一つ年上ながら、彼女と最も親しい友人の一人である"ヨウコ"は、ジム生の中では年長者にあたるそう。

 ナタネが不在の今、彼女がジム生達を指導する第一人者であり、対外的な対応の責任者をも担っているらしい。

 公式的な肩書きではないが、ハクタイジムにおいては師範代のような、副ジムリーダーのような立場にある女性である。

 

 ジム生としてのみではなく、プライベートでもナタネと親しいヨウコは、パールのこともよく聞かされているのだ。

 毎晩パールと電話していたナタネだ。昨日あの子ったら――と、楽しそうにパールの話をするナタネとお茶したことは、ヨウコにとって一度や二度ではない。

 新しいジムバッジを獲得するたび、それを電話で聞かせて貰えるほど懐いてくれるパールと、ナタネの親交の深さは彼女も知るところである。

 ただの興味本位や好奇心でなく、心の底からナタネのことが心配で心配で駆けつけたパールの想いは、ヨウコにも元より知れていたことなのだ。

 

 事情を知りたがるパールを、彼女と共に姿を見せたプラチナを、ジムの休憩所へと案内したヨウコ。

 知りたい二人の想いに応えるために。ともすれば、残酷な現実を突きつけることになることに、既に胸を痛め始めつつあって。

 ヨウコはパールとプラチナに、事件発生から現在までの顛末を、少しずつ順を追って明かしてくれたのだった。

 

 

 

 ナタネは昨日、ハクタイジムのガーデンに植える花の種の買うために、夕頃の街を歩いていた。

 彼女と共に歩いていたヨウコは、事件の全てを最も近くで目にしている。

 ナタネを傷つけた"通り魔"というのが、人ではなく、一匹のマニューラであったこともだ。

 

 マニューラが発していた濃厚な殺気めいたものは、ふとした瞬間にヨウコも背筋がぞわっとしたものである。

 まさにそんな悪寒を感じた瞬間、ナタネがはっとして振り返ったその先から、抜き身刀の如し爪を光らせたマニューラが、矢のような速度で迫ってきた。

 被害者でもないヨウコですら第六感がはたらいたかのような殺気だ。

 それを向けられた当事者のナタネを襲った戦慄は、きっとそれ以上のものだったのだろう。

 殺意に一瞬早く気付くことが出来たことは、後から思えば、この事件において唯一の救いであったと言えるかもしれない。

 

 咄嗟に身を捻ったナタネの横腹を、マニューラの鋭い爪が、深く抉り裂いた。

 衝撃的な出来事を唐突に目の前にした時、人は目の前の光景がスローモーションのように見えることがあるという。

 ヨウコはその時、爪を振り抜いたマニューラの爪先が、攫ったナタネの身体の元一部を、地面にべちゃりと投げ捨てる光景をはっきりと見た。

 それにぞっとする間もなく、ナタネの切り裂かれたへその横から、ぶしっと血が噴き出た光景もだ。

 あまりに非日常的な一幕に頭が真っ白になったヨウコだったが、傷付けられたナタネはすぐさま、腰元のボールを叩いていた。

 それと同時に再びナタネに襲いかかったマニューラは、とどめの一撃とばかりに振り上げた両手の爪をナタネに迫らせていた。

 

 腕全体で顔と頭を庇うようにしながら、自ら後ろに尻餅ついて転ぶように退いたナタネを、マニューラの両爪は容赦なく引き裂いた。

 顔や首といった致命的な場所こそ傷つけられなかったものの、ナタネの腕に幾筋もの赤い線が刻み付けられた光景が、呆然としていたヨウコを目覚めさせた。

 彼女の悲鳴が響き渡ったのと、ナタネの窮地にボールからロズレイドが飛び出してきたのが全くの同時である。

 地上に降り立つや否や、マニューラに向けてマジカルリーフを放ったロズレイドと、それを躱したマニューラの戦いの幕開けか。

 いや、戦いになどなろうはずもなかった。飛び出してきたのはロズレイドだけではなかったのだから。

 ナタネが連れ歩いていた他のポケモン、チェリムやドダイトスまで飛び出してきて、矢継ぎ早にマニューラを攻撃し始めたのだから。

 

 事例が少ないため一般にはあまり周知されていないことだが、心からトレーナーに懐いているポケモンが、トレーナーを傷つけられた時の怒りは底知れない。

 晴れてもいないのに開花したチェリム、吠えたけるドダイトス、そして我を忘れてマニューラに襲いかかったロズレイド。

 血走った眼の三匹のポケモン達は、たとえ刺し違えてでもマニューラを八つ裂きにしてやるという凄まじい覇気を放っていたものだ。

 悪賢いのかマニューラは一手早く逃げを選んでおり、三匹の猛攻に僅か傷つけられながら、どうにか逃げおおしていた。

 チェリムのソーラービーム。

 ドダイトスの地震。

 ロズレイドのリーフストーム。

 我を失ってマニューラを強襲した三匹の放つ技の余波や流れ弾により、破壊された建物や公共物もあったほど。

 結果的に日中堂々の凄惨な通り魔事件は、周知されて大きな騒ぎになるのも非常に早かった。

 

 ヨウコをはじめ、居合わせた街の人がすぐさま病院に電話したことで、ナタネが医療機関へと繋がるまでの時間は、想定し得る限りの最短だった。

 だが、傷付けられたナタネの姿を最も近くで目の当たりにしたヨウコは、その場で目を潤ませずにはいられなかったほど。

 深く抉られたお腹からはどくどくと血が流れ出て、おびただしいほどの血が滴り落ちる地面に大きな沁みを作り。

 上半身を庇って引き裂かれた腕は、溢れる血で塗り潰したかのように真っ赤。

 ドラマで見た殺人事件の演出ですら、血糊こそ使えども人の身体をここまで赤く染めきりはしまい。お茶の間に流せる範疇を超えてしまう。

 生涯初めて見る、全身血みどろの、それも友人の姿を前にして、助かる未来より最悪の悲劇を想定する想像力は、不謹慎でも何でもない。

 激痛と失血で、既に顔色が青ざめ始めているナタネが、脂汗まみれの顔で、にへらと笑って発した短い言葉が、ヨウコは今も脳裏に焼き付いている。

 

 大丈夫だよ、きっと、って、血みどろの身体で口にしたナタネの胸中にあった想いなんて、きっと当人にもはっきり定義できないものなのだ。

 きっと助かるからそんな顔しないで、と友人を気遣ったのだとも。

 まだ死にたくないよという想いを、希望的観測で口にしたのだとも。

 あるいは単に、あまりにも想定していなかった出来事に、頭が現実に追い付いていなかっただけであるとも。

 どうとだって解釈できる。ただ、その言葉がヨウコと、そして彼女のポケモン達の気持ちを、一つにさせたのは確かである。

 マニューラを追い払ったポケモン達がナタネを取り囲み、ドダイトスが大きな声で吠えて。

 そんなドダイトスと全く同じ意図で、誰か早く、早く来てと必死に叫ぶヨウコの姿が、痛ましい事件の真ん中にあった。

 

 救急車がようやく現場に到着したその時、疲弊と失血と苦痛が限界に達していたナタネは、既に気を失っていた。

 もう死んでしまったのかとさえ見えるナタネを抱きしめるヨウコの腕から、ナタネを預かった救急隊員が、彼女を乗せて病院に急いでくれた。

 きっと、救急車の中でも入念な応急処置を重ねてくれていたはずだ。

 そうでなければ、今日の今頃彼女の訃報が、ハクタイシティに報じられているはずである。

 

 ナタネの身体から溢れ出た血に、自らの服と肌を濡らしたヨウコが、子供のように大きな声をあげて泣いていた姿を、誰もが胸を痛めて見ていたはずだ。

 友人が目の前でずたずたに切り裂かれ、もう二度と話すことも、笑い合うことも出来なくなってしまったかもしれない絶望と恐怖。

 通り魔事件。たったそれだけの短い言葉で語られる事件の悲劇性は、その程度の言葉で語り尽くせるはずもない。

 

 

 

「――ナタネは、一命を取り留めてくれたわ。

 だけど今も、意識は回復していない。

 失った血が多すぎて、必ず目を覚ますはずだって病院の人達も断言できない状態なの。

 もしも意識を取り戻しても、大きな後遺症が残るかもしれない、とさえ言われてるわ」

 

 一夜明け、ある程度の冷静さを取り戻しているヨウコは、パール達に大人の顔と言葉ですべてを話してくれた。

 想像を遥かに上回っていた現状に、パールもプラチナも言葉一つ出てこない。

 いや、あるいは今なお、そんなことに現実に起こったなどとは、心が認めたがらずにいるのかもしれない。

 ヨウコの表情を前にしつつ、目の焦点が合っていないパールが茫然と、相槌のみ打ち続けるかのようにしばしば頷く姿に、プラチナが気付いて揺さぶるほど。

 それではっとしたパールだが、耳に入って頭に残っている言葉の数々を反芻し、やがては両膝に置いて握った手ががたがたと震え始める。

 

 二度とナタネさんには会えないかもしれない。声も聞けないかもしれない。

 心を黒く塗り潰すこの恐怖は、いま死の淵にいる彼女と親しければ親しいほどに大きい。

 陰惨な事件に胸を痛めつつ、凶行への憎しみを抱くプラチナなど、パールに比べれば心にぎりぎりの余裕が残っている方である。

 思考能力をまるまる失い、ただただナタネが生き延びてくれることしか祈れないパールこそ、真に親しい人を斯様な形で傷つけられた少女の様相そのものだ。

 

「警察は、野生のマニューラの仕業じゃないって断定してる。

 だけど、あのマニューラの持ち主らしき存在の痕跡は、事件現場にも、このハクタイシティ全域に渡っても未だ発見されてない。

 必ず突き止める、って警察の人達は言ってくれてるけどね」

「……やっぱり、野生のはずがないですよね」

「私だってそう思ってる」

 

 野生のマニューラがナタネを襲った。そんな仮説を立てる者がいたら鼻で笑われるだろう。

 ハクタイジムのジムリーダーという、社会的に重要な立ち位置にいる人物一人を狙い撃ちにした強襲。

 野生のポケモンが基本的に人里に乗り込んでくること自体、極めて稀有なことだと言うのに、狙ったターゲットがそれという時点で話が出来過ぎている。

 何らかの動機でナタネを亡き者にしようとした何者かが、マニューラをナタネに差し向けたと考えるべき。

 そのマニューラの持ち主の痕跡が、現在まったく発見されていない現状にありながらだ。

 

 ポケモンを使役しての殺人未遂事件。

 たとえ今後もハクタイシティ内で、マニューラの主たる存在を匂わせる痕跡一つ発見されなかったとて、この捜査本線は絶対に揺るがない。

 余程賢いマニューラに、ハクタイシティの外から指示を出した何者かが、ナタネを亡き者にしようとした。そんな可能性さえも絶対に捨てない。

 万死に値する極悪人が、このシンオウ地方のどこかに潜んでいる可能性を提唱し、人々の猜疑心を煽ることも警察は厭わない。

 これは、それほどの凶悪事件なのだ。

 

「……ナタネ、あなたのことよく私に話してくれたわ。

 最近、ミオジムで勝ったんですってね。嬉しかった?」

「あっ…………は、はい……」

「ナタネの喜びようったら、すごかったんだから。

 まるで自分のことのように嬉しそうに、その日はあなたのことばっかり。

 たまにあなたからの電話が無かった日なんて、心配でそわそわして色々だらしなかったりすることもあったのよ。

 本当に、あなたとナタネって、すごく仲が良いんだなって誰でもわかるぐらい」

 

 駄目、それはやめて、そんな話を聞きたくない。

 まるで遠い過去のように話されたら、続きを作ることの出来ない思い出話のようにも聞こえてくるじゃないか。

 生死の境を彷徨うナタネを差し置いてそんな話をし始めたヨウコの、昨晩は憔悴したであろう疲れた表情が、今になって急にはっきりとわかる。

 

「…………ちょっと待っててね」

 

 ヨウコはパール達に背を向けて、ジムの奥へと一度去って行った。

 目を拭うような後ろ姿を見せて去る彼女を見て、パールは震えが止まらない。

 本当に、ナタネはもう帰ってこないのだろうか。どんどんそんな結末も現実感を帯びてくる。

 走ってもいないのに、風邪を引いているわけでもないのに、胸がばくばくいって息が荒くなるパールの背中を、プラチナはさすってあげることしか出来ない。

 かける言葉なんて見つからないのだ。

 

 やがて、ヨウコが戻ってくる。

 その手に、綺麗に折りたたまれた服を持ってだ。

 

「あなた、きっとこれからキッサキジムを目指すのよね」

「は、はい……」

「これ、ナタネがあなたのために見繕って買ってたものよ。

 寒い寒いシンオウ地方の北部、キッサキシティにあなたが向かうだろうってね」

 

 あなたにあげる、と手渡されたそれを、パールは思考の追い付かない頭で受け取ることしか出来なかった。

 ナタネが自分のために。そんな簡単な、子供でもわかる内容の一文を、パールはすぐには理解できぬ心境だ。

 

「いつ渡すのよ、って私も聞いてみた。

 ミオシティからキッサキシティを目指すなら、必ずハクタイシティを通って自分に会いにきてくれる、ってナタネは豪語してたわ。

 もし立ち寄ってくれなかったらどうするのよ、って私が言っても、いーやあの子は絶対に会いに来てくれる、って答えたぐらい。

 ……あなたはきっと、こんな事件が無くたって、この街に、ナタネの所に立ち寄ってくれていたわよね」

 

 それだけナタネは、パールと強い繋がりがあると信じてくれていたのだ。

 もしもパールがハクタイシティに寄らず、キッサキシティを目指す道のりを選んでいたら、渡す機会も無くなってしまうというのに。

 決して安くもない、雪も降る寒いキッサキシティを歩くための温かい服を、パールのために先に買っていてくれていたのである。

 

「ナタネ、さんが……」

 

「あの子、自分の手で渡したかったでしょうね。

 私が勝手に、あなたに届けてしまうのは残念だけど……

 どうか、受け取って頂戴。それで、いつかナタネが目を覚ましたら――」

 

 僅かな間を置くヨウコ。

 ナタネが目を覚ましたら。叶うかどうかわからない希望なのだ。

 口にするたび、その逆も脳裏をよぎってしまうほど、希望と絶望は裏表。

 先のことなど誰にもわからない。ただ、祈ることしか出来ない。

 

「またナタネに会いに来て、その服の着心地を話してあげて?

 良い返事でも、良くない返事でも、きっとナタネは喜んでくれるわ。

 あなたが受け取ってくれるならそれだけでも……」

 

「………………っ、ぅ……」

 

 やっと、頭が追い付いてきた。つらく、儚い現実にだ。

 ナタネが自分のために用意してくれていたというものをぎゅっと抱きしめ、とうとう溢れ出るべきものが溢れ出すパール。

 その気持ちに対して心いっぱいの感謝の想いを伝えたい相手さえ、今は手の届く場所にいないのだ。

 

「パール……」

「うぅ~~~っ……ひぐっ、ううぅぅ……」

 

 遺品になんて、ならないで欲しい。

 話せるようになったナタネさんに、電話じゃなくって直接あって、たくさんのお礼を言いたい。

 いま預かった、この服のことだけじゃない。

 成功ひとつひとつを報告してきたあの電話の数々、その都度一緒に喜んでくれたあの人の温かさが、今さらになって何倍も尊く感じる。

 大切なものは失って初めて気付くとよく言われる。はじめから大切だとわかっていたものにさえ、その通説は該当するのだろうか。

 自分が思っていた以上にずっと尊いものだった、と改めて気付くことなんて、こんな時に限らずともありふれている。

 

 チャンピオンになること。思い出の人に会うこと。

 これまでの半生において、パールが何よりも強く願い続け、追い求めてきた夢。

 時にそんな数年越しの夢がすべて叶わなくてもいいから、代わりに叶って欲しい新しいことが、ふと生まれることだってある。

 泣きじゃくってしゃがみこむパールの胸は、ただただあの人が助かって欲しいと強く望む想い、その一色に満ちていた。



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第91話   その先へ

 

 

「お待たせ」

「うわ、プラッチだいぶ様変わりしたね」

 

 キッサキシティを目指す旅を再開するパール達。

 しかし、ハクタイシティを出発する前にお買い物だ。

 何せこれから向かうキッサキシティは、テンガン山を越えて至る、シンオウ地方でも最も寒い地域。

 秋も半ばを迎えようというこの頃、キッサキ周辺は既に雪が降っているらしく、あの地域はもはやシンオウ地方の特異点だとさえ言われるほど。

 今まで旅してきた服装、半袖で突入していくなんて死ねる罰ゲームである。

 

 パールはヨウコを介してナタネから貰った分厚いコートがあるからいいのだが、プラチナは自分の服をハクタイシティで見繕うことに。

 お店の外で待っていたパールだったが、買い物を終えて出てきたプラチナは、彼女の言うとおりかなり様変わりしていた。

 ジャケットにインナー、ズボンも厚みのあるものに変えて、防寒仕様としてはかなり完成度が高い。

 今までの格好にコート一枚増やしただけのパールと比べると、今までと全く違う服装になったとさえ言える。

 

「普通、女の子のパールの方が服買ったりするものなんじゃないの?

 これって先入観?」

「ん、んん~……私も新しい服買おうかなとも思ったんだけど……

 どうせ着る気しないしね、今は」

「ナタネさんに貰ったそれしか着ないつもり?」

「特別だもん。脱げないよ」

 

 ハクタイジムでたくさん泣いて、心の底まで溜まっていた悲しみやつらさを多少は発散できたか、パールはやや落ち着きを取り戻している。

 ただ、胸元に手を置いて、いま着ているこれは本当に特別な一張羅としみじみ訴える姿には、やはり強い想いが溢れている。

 おしゃれ好きで色んな服を着たい年頃の女の子ながら、今の彼女にはこの服以外のものに、袖を通す気にはなれないのだろう。

 

「せめて下に履くものぐらいは買ってきたら?

 寒いよ?」

「プラッチわかってない。

 女の子のお洒落は寒さになんて負けない。

 戦うよ。そんでちゃんと勝つ」

「知らないよ、後悔しても……」

 

 去年も一昨年もそうだったのだが、パールは冬でもスカートである。

 こだわりのおしゃれを貫き通そうと思ったら、寒いからやめようなんて言ってちゃ負け、というのが彼女の持論。

 ふふんと強みを見せた顔で鼻を鳴らすパールに、くそ寒いキッサキシティ近辺まで到達した頃、パールが泣きを入れてこないか早速心配である。

 

 一方で、こうしていつもの調子で話が出来るようになったパールには、プラチナも少しほっとする。

 パールがナタネにどれだけなついているかは、プラチナが一番よく知っているのだから。

 やはりそんな人が未だ予断を許されない状況にある中、多少の陰りはパールの表情にも垣間見えるが、これぐらいにまでは心を持ち直してくれている。

 友達が悲しみに暮れるばかりであれば、プラチナだって悲しくなるのだ。

 

「さっ、行くよプラッチ!

 目指すはキッサキジム、7つ目のバッジだっ!」

「うん、行こうか」

 

 こうして強い声を出して、自分を囃し立てようとする姿には、やっぱり少し無理してそうでもあるな、とプラチナも思ってしまうけれど。

 なんとか前を向いて歩きだそうと、強くあろうとしている姿であるのも確かである。

 泣いてもナタネが意識を取り戻す可能性は少しも上がらないし、パールはパールの歩むべき道を歩み続けるしかない。

 助かって欲しいあの人が良い未来の方へと向かうことに関しては、パールもプラチナも出来ることと言えば祈ることぐらいしか無いのだ。

 

 せめて、いつか再びあの人と話せる時が来るなら、よりよい今を過ごしている自分のことを報告できるように。

 きっと、喜んでくれるから。あの人は、そういう人だから。

 だから前を向いて歩いていこう。正しい心構えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トランシーバーが受信を知らせた。

 これはいい機会だ。多少の面倒はこうむるが、向こうからわざわざ通信を寄越してくれたのは好都合。

 今の近況でこちらから連絡を入れるには、少々気難しい相手だからだ。

 ギンガ団幹部の一人である男は、短い時間で通信相手に向ける言葉の数々を、すぐさま組み立ててからトランシーバーの通話ダイヤルを回す。

 

「サターンだ」

 

『こちらマーズ。

 あんたに聞きたいことがあるんだけど、ちょっと時間取れるかしら』

「ああ、今はもう大丈夫だ。

 時間はいくらでもある」

 

 ギンガ団のボスの補佐を務めるサターンは、事実上のギンガ団ナンバー2。

 団員の中でも最有力者の一人であるマーズを、より高いモチベーションで任務に臨めるようにするのも、サターンにとっては望むところの仕事である。

 マーズの性格はわかっている。今、心底煮え切らない心地なのだろう。

 それをどうにか解きほぐしておかないと、先々面倒なことにもなりかねない。

 

『昨日、ハクタイジムのジムリーダーが襲撃された事件はご存じよね。

 あれ、あんたの仕業?』

「いや、ボスの意向だ。

 僕は関わっていない」

『ジュピターはあんたからそういう段取りを聞いたって言ってるけど』

「僕がボスから、ハクタイジムのナタネを始末するという旨を聞いていただけだ。

 こちらからわざわざ伝える必要もあるかどうかの話だったが、たまたまジュピターと通信する機会があったからな。

 その折に、せっかくだから伝えさせて貰っただけだ」

 

 やはりマーズの要件は、サターンの予想したとおりのものだった。

 返答は早い。用意してあった言葉をそのまま連ねるだけだ。

 

『どこまで信じていいの。

 あんたならやりかねないでしょうよ』

「やめろ、水掛け論になるぞ。

 悪いが本当に僕じゃないんだ」

『じゃああんたはどう思ってるのよ、今回のこと。

 やる必要あったと思えるの? あたしにはそう思えないわ。

 倫理を抜きにしても、デメリットの方が多いじゃない』

 

 さて、難しい問いかけが来た。

 サターンはギンガ団ボスの側近として、その行動や決断を支持する理屈を用意しなければならない立場にある。

 ボスの行動に疑問を持った部下や幹部に、その正当性を伝えねば、組織の結束やボスへの忠誠の揺らぎに繋がる。

 悪の組織にも中間管理職というものは必要なのだ。

 

「正直なところ、僕もその真意は計りかねている。

 あのような事件が起こったことで、各地の厳戒態勢は強まるばかりだ。

 あらゆる行動が取りづらくなり、次のミッションまでの下準備も儘ならない。

 このタイミングであれほどの大事件を起こしたボスの行動は、僕達に厳しい試練をもたらしているとも言える。

 言葉は選んで話していることは考慮してくれ」

『……なんだかんだでボスの行動を常に支持してきたあんたが、今回ははっきり"わからない"って言うのね』

「君の言ったとおり、デメリットの方が目立っているからね。

 誤解を恐れず言わせて貰うが、仮にターゲットがシロナ辺りであったなら、ともすればある意味で別の見方で支持は出来るかもしれない。

 正義感に満ち、今やギンガ団の動きに目を光らせ始めている、あれほど強い存在を消したかったと言うなら、まあ釣り合いも取れるのかもしれないな。

 たかだか活動的でなく、今後の我々の行動を阻むであろう見込みも無いジムリーダー一人を狩ろうとし、シンオウ全土の警戒心を煽るのは悪手にさえ感じる」

 

『あたし達、そんなボスについて行って大丈夫なの?

 あたし達を結び付け、あんたを介しての的確な指示で、悲願目前ってところの今まで持ってきたボスの手腕は疑ってないけどさ』

「疑問を感じるのは勝手だが、忠義を覆すことを意識するのは頂けないな。

 お前も今言っているじゃないか、これまでどれだけボスの指導に従っているだけで、ここまで苦も無く来られたと思ってるんだ?

 さんざ今まで順調だったのに、逆風一つで大丈夫なのかって冗談だろ。

 常に安全策や安定策が目に見える形で用意されてなきゃ前に進めないぐらい、今までのぬるま湯進行で意識もなまったか?」

『うるさいわね!

 悲願が目の前だからこそ、神経質にもなるでしょうが!

 ここまできたのに、あれだけこの手を汚してきたのに、最後の最後で叶えられませんでしたじゃ堪らないのよ!』

「だったら尚更、はじめから答えは出ているだろう。

 突き進むしかない。ボスはそれを叶えさせてくれる人物だ。

 真意を推察しきれないからと言って、これまで歩んできた道のりを放棄することの方が、僕からしてみれば意味がわからない。

 今さら引き返すぐらいなら、初めから何もしなかった方がマシだろう」

『っ、ぐ……』

 

 サターンにとってもこの問答は難しかった。

 マーズをいっそう煮え切らなくさせてしまった手応えはある。だが、成功だ。

 要はボスの真意を計れなくなったマーズが、もうついていけないと思い至る最悪さえ阻止できればそれでいい。

 今さらこれまでやってきたことを水泡に帰してまでの後戻りなんて出来ない、そうマーズに思わせられればそれでいいのだ。

 それがサターンの使命なのだから、彼女を納得させられるか否かそのものは最も重要なことではないのである。

 

 それに実のところ、サターンはボスが今回どうしてナタネという場所を狙ったのか、確信こそ持てないものの仮説程度にだがその真意は想像できている。

 だが、それをマーズに話していないのがサターンの上手いところだ。

 話せば話がややこしくなりかねない。ボスのフォローこそ真意不明と言って果たさないが、持論を話して相手の感情を拗れさせるようなこともしない。

 これもサターンの手腕である。

 

「時空を操る力を得たボスの恩恵に肖り、会いたい誰かがいるんじゃないのか。

 それでここまでやってきたんだろう?」

 

 マーズの問いには答えたし、ここで通信を切ってもよかったサターンだ。

 だが、敢えてもう少し話を伸ばす。無論、ただ世間話をするためじゃない。

 マーズがボスに疑問を感じている今、サターンは自分とマーズとの間に、改めて上下関係めいたものを確立しておきたい。

 ボスの代弁者として、あるいは自分の意志でも指示を下す参謀格、組織のナンバー2にも相応の権威が欠かせないのだ。

 特にマーズのような、大人びた屁理屈だけで従わせられない感情的な相手には、理屈を超えたそうした意識を根付かせないと、思うようには動かせない。

 

『あんたに言われるまでもないわ。

 それにそんなご高説垂れてくれるのは結構だけど、じゃああたしにも聞かせてよ。

 あんたそこまでボスに付き従って最後には何を叶えたいの?

 あたし、今まで一度も聞かせて貰ったことない気がするわ』

 

 さて、薮蛇だろうか。

 ギンガ団に入ったマーズが、最終的に何を叶えたいのか知っているサターンは、それを突きつければマーズが自分達に従う他ないことをわかっている。

 しかし今日のマーズは不機嫌だ。サターンの言葉をきっかけに、こちらに食ってかかってくる。

 そして、マーズは話しているのにサターンは教えていないことがある、というこの事実は、名目上は同格幹部の二人において、真っ当な問いかけでもある。

 

「別にそれは、いま重要なことじゃないだろう。

 それを聞いたところで、お前の行動が変わることもないだろうに」

『興味本位で聞いてるだけなんだけど。

 知っちゃ駄目なの? 話すと不都合?』

「そうではないさ。

 だが僕だって男だ、女々しいことは話したくない。

 これから最も大事な時期に入っていくっていう時に、話したくないことを話すようなことをさせないでくれよ」

 

『……嘘臭いわ。

 あんた、話せば損することは上手にはぐらかして話さないことも出来るでしょ。

 あたしが知ってるあんたって、それが出来る奴だから』

「何とでも言ってくれ、侮辱されるならその方がましだ。

 僕にだって、個人的な事情のみで話したくないことの一つや二つはある。

 どうしても信用して貰えないというのなら、それは僕の人徳に悖るところなんだろうよ」

 

 足の掬い所を見たサターンは、トランシーバー越しにでもかすかに伝わる程度に、その声色や言葉遣いを不機嫌なものにする。

 すべて、計算してのことだ。

 マーズに喝を入れるために、彼女の過去に触れてみたところ、腹の虫の収まらない彼女は絡んできた。

 それは確かに薮蛇だったが、この展開もまたサターンは、最終的に都合の良いものを残す形に結ばんとする。

 

「せっかくだから僕も問わせて貰うがね。

 さっきも聞いたが、お前はお前なりにどうしても叶えたいことがあって、僕達ギンガ団に与することを決めたんだよな。

 僕は初めに入念に、その手を汚すこともある、その手を血に染めることもある、ってお前に念を押したよな?

 わかっていてギンガ団に入ったんだよな? 今さら日和るのか? 覚悟はしていなかったのか?」

『何なのよ急に……!

 覚悟は決めて入ったし、今までもこれからもそうよ!

 その都度イヤな想いしながらも、耐えてここまできたでしょうが! 何か文句あるの!?』

「お前、ボスについていって大丈夫なのかってさっき言っただろう。

 何を恐れてるんだ?

 大願果たせず捕まることか? ここまで手を汚してきたのに、道半ばにしてゴールを辿り着けないのが嫌なのか?

 それは所詮、お前の力量次第だよな? そんな話は最初にしたよな? それを承諾してくれたお前の覚悟を受けて、お前を幹部に据えたはずなんだが」

 

『……本当、何なの?

 あんた、急にキレてない?』

「お前、喧嘩を売った自覚は無いのか?

 腐っても同胞に、あんたのことは信用ならないってはっきり言ってのけたんだぞ。

 うざったそうな返答してくれるが、まさかここで通話切ったりしないよな?

 お前、あれだけ大きな口を叩いておきながら、答えもせずに逃げるジュピターのような腐った大人じゃないはずだよな?」

 

 かつてないほどの剣幕で、通信機越しでもそうだとわかる声を発してくるサターンに、気が強いマーズですら怯む。

 ナタネが襲撃された事件、それによって起こる余波も含め、マーズを不機嫌にさせる要因はいくらでもあった。

 だからこそ、サターンもまた不機嫌であってもおかしくないと、後はマーズが勝手に想像してくれる。

 相手に見せないその素顔は、特に感情的にも何にもなっていない表情でありながら、通信機の向こう側に己の不機嫌を演出してみせるサターンだ。

 

 根本的なところ、マーズはギンガ団のボスがジムリーダー殺しも厭わなかったことに対して、有り体に言えば相当引いている。

 話のわかる人物なのは確かなのだ。良心の箍がはずれているジュピターよりも、ずっと。

 だからこそ、自分の軽はずみな発言によって身内が気を悪くしたとなれば、それを蔑ろにする彼女ではないとサターンも確信しているのだ。

 

『……わかった、わかったわよ。私が悪かった。

 感情的になってて、言い過ぎたことは謝るわ』

「あまり苛つかせることをしてくれないでくれ。

 残るはエイチ湖を目指すラストミッションだけという大詰めまで来てるんだ。

 この重要な時期に、仲間内での下らない言い争いで士気を乱したくはない」

『わかったってば……反省するわよ。

 あんたも、エイチ湖のミッションには参加してくれるのよね?』

「ああ、恐らく僕がお前達と顔を合わせて力を貸せる最後の機会だ。

 難しい状況にはあるが、何としても駆けつける。

 必ず成功させよう」

 

 この一言で結び終えたことで、非常に重要な次のミッションに向けて、マーズの腹を決めさせることは出来ただろう。

 同時に、この流れにおいてマーズから謝罪を引き出した上で。つまり、はっきりと自分に口答えしづらくなる貸しめいたものを作って。

 ジュピターでは手を焼くマーズとて、サターンの手管さえあれば、御して従わせることも難しくはないのだ。

 

「それじゃあ切るぞ。

 もう、聞きたいことはないな?」

 

『あ……サターン、待って。

 あと一つだけ』

「なんだ?」

 

 充分こちらにとって都合の良い展開にはなった。

 あとは通信を切るだけ、という流れに向けたサターンだったが、マーズが少し食い下がってきた。

 綺麗に完璧な形で落としたかったところだが、こう食い下がられたことは少し予想外である。

 どんな話題を振られようが、上手く良い結末に転がせるよう、静かな返答の裏であらゆる想定と返事を組み立てるサターンでもあるが。

 

『あたし達は、もう戻れないの?』

 

 しかし、駆け引き抜きで切なる想いを告げられた時が一番困る。

 相手よりも優位に立つことを目的とした弁舌を立てられる方が、むしろサターンには好都合ですらあったのに。

 それで来られるなら、容赦なく辣腕を振るって黙らせ、子飼いの域を逸せない心境に陥らせる。その方がサターンにはやりやすいぐらいである。

 

 暗殺事件めいたものまで起こしたボスに対し、そしてそれを必要なことだったと肯定する組織に身を委ねるマーズが、自身に疑問を持っている。

 この道を突き進むことの苦しさを、今まさに吐露しているのだ。

 ボスや自らの反発心ではなく、倫理観から降りる危惧さえ感じざるを得ない、サターンにとっては一番聞きたくない反応であろう。

 それで本当にマーズがドロップアウトしたら、本当に困るのはサターン含むギンガ団だ。

 今さら欠かせやしないほどには、マーズはギンガ団にとって最強戦力の一つであり、今さら去られては困る人材である。

 

「諦めろ。

 肯定すべきは、自分自身だ。過去の自分に嘘をつくな」

『……わかった。

 あたし、最後まであんた達についていくわ。

 その代わり、約束だけは絶対に果たして頂戴ね』

「ああ、いま改めて約束する」

 

 その言葉を最後に、マーズが向こうから通信を切った。

 ふう、と息をつくサターンは、最後の問答もなんとか上手くまとめられたと、安堵混じりの想いである。

 過去の自分に嘘をつかず、自分自身を肯定しろ。

 それは悪行も厭わぬ覚悟でギンガ団に入団したマーズに、あの日の決断を下した自分を忘れるなという意味だ。

 マーズのような、理より情を判断基準とするタイプには、屁理屈や詭弁を述べるより、こうした言い方の方が効くとサターンはわかっている。

 

 ジュピターのような、開き直って悪行に手を染める純悪党を嫌うマーズは、やはりその態度が表すとおり、進んで非道に手を染めたがる性格をしていない。

 悪の組織に属しているという自覚や覚悟はありながら、人として当然持ち合わせるべき倫理観を捨てていない。

 ボスが自ら動いての暗殺に対し、サターンにこうして自分から通信を通してくるほどなのだから、こんなことを彼女が望んでいないのは明白である。

 ジュピター辺りに言わせれば、彼女のこうした一面は、悪の組織に従う者として覚悟不足なんじゃないの、なんて皮肉も垂れ得る姿である。

 

 ただ、組織のトップに最も近いサターンが、そんなマーズのことは評価しており、だからこそ良いとまで内心では考えている。

 正しい倫理観を持ち、味方の非道に嫌悪感さえ感じて厭わぬその姿は、一見悪の組織の一員としては失格素養とさえ思えるかもしれない。

 しかし、マーズは絶対に裏切らない。叶えたい何かがあるからこそギンガ団に与し、嫌悪対象である悪党と共に、何年もその夢を追ってきた。

 ここでやめてしまったら、様々なことを我慢してきた数年間が無駄になってしまうではないか。

 耐え忍んで追ってきた夢とは、時が経てば経つほど捨てられなくなってしまうことを、サターンはよく知っているのだ。

 

 それに、良心を捨ててしまった者というのは、組織にとっては案外厄介である。

 箍のはずれた手段を選ばぬ奴らというのは、上の指示以上に暴走する危険性を常に孕むものであり、想定外の"やり過ぎ"で青写真を崩してくることもある。

 最悪、そんな奴らこそつまらない不満から過剰なほど野心を膨らませ、反乱あるいは下剋上、組織の乗っ取りすら企みかねないというものだ。

 どんな悪行にも手を染めてくれる割り切りがあって、しかしながら馬鹿ではなく、配下を服従させてくれるジュピターのような幹部は、代えの利かない人材だ。

 同時に、本音では一線を越えたがらない倫理観を未だ持ち合わせながら、実力充分のマーズという幹部もまた、稀有でありかつ優秀極まりない。

 暗殺だの、あるいはそれに準じるレベルの極悪行為をマーズに指示でもしない限り、彼女がそれは嫌だと反目をあらわにすることはないだろう。

 感情的かつ悪の組織の一員としては人情が残り過ぎているマーズを、自分とボス以外の誰にも命令できない"幹部"に、サターンが抜擢した根拠もここにある。

 日頃から悪の組織に属している自らに対し、本心では自己嫌悪すら抱いている彼女に、これ以上のストレスを与えないために幹部職は適切ですらあるのだ。

 

 強く、優秀で、裏切らず、いよいよとなれば少なくとも自分の指示にだけは、夢の達成に向けて従ってくれる同格の幹部。

 サターンは、マーズの能力を最大限に発揮させられる素養を保ったままにして、気難しいはずの彼女をしっかり管理下に置いている。

 良く言えば優秀な中間管理職。見方を変えれば部下すべて掌の上。

 曲者が集い得る悪の組織の参謀格など、そうでなければ務まるまい。

 

「……あと少しだ。

 僕も、もうひと頑張りというところだな」

 

 それなりに疲れる立場でもある。

 誰にも弱みを見せずに済む場面では、腰を深く沈められるソファーに全体重を預け、溜め息にも似た苦労の息を吐くことも珍しくない。

 元より苦労の絶えない立ち位置かつ、今は悲願達成を目前に控えた、最もしくじれない大事な時期でもある。

 サターンも神経を遣う日々をしばし重ねてきた身であり、今後は尚のことこれが続いていく。

 片時も気を抜けぬ日々が長く続くということを自覚し、覚悟するサターンも、腹を括り直すというものだ。

 奢らぬ悪の参謀というものは、それを挫かんとする正義の側からすれば、つくづく難敵に他ならない。

 これだけシンオウ地方全土を騒がせてきたギンガ団、本気でその足跡を追う警察も、未だその水面下の企みすら阻止できない実状が、それを証明している。

 

 闇は晴れない。シンオウ地方を包み込む、ギンガ団の野望という闇は。

 ナタネが死の淵をさまようことになった今、いよいよ恐ろしいことが起こっているという認識を世間も強めているが、それもまた序の口に過ぎないのだ。

 所詮、情報不足の庶民には、災厄の気配こそ感じ取れることあろうとも、その規模の本質まで計り知るのは到底困難という好例か。

 情報不足の中、知った風な口で予期される災いを大きく仮定し、危機感を煽ろうとしても説得力に欠けて風化する。それが世の常。

 緻密な悪の恐ろしさとは、まさにそこにあると言える。戦う意志を持たぬ者など、無力な烏合の衆に留めて何の力も持たせない。

 

 ギンガ団を指揮するの参謀格、サターンの運びは極めて優秀である。

 彼を挫ける者がいるとするならば、それは傍観者の枠を超え、真っ向からギンガ団に立ち向かう実行力がある者だけだ。

 世論や衆愚を寄せ付けない下地を組み立てられる巨悪の恐ろしき所以である。



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第92話   さらにプラッチといっしょ

 

 

「ふるるる……さむさむ……」

「擬音でコミュニケーション取ろうとするのやめない?」

「これあったかい格好してこなかったら絶対ムリだったね。

 ナタネさん本当にありがとうございました、超助かってます」

「本当に、北に向かえば向かうほど気温が下がっていくんだね。

 ハクタイシティやカンナギタウンからそこまで大きく離れるわけでもないのに……

 キッサキ方面の寒冷地ぶりは本当に不思議だな」

 

 ハクタイシティの東の洞窟から、テンガン山内部へと踏み込んだパール達。

 この洞窟を真っ直ぐ東へと抜けきれば、山を隔てた反対側のカンナギタウンに渡ることが出来る。

 しかし、その道を途中で北へと進めば、シンオウ最北の街キッサキシティへと到達するルート。

 少し前には土砂崩れにより、北への道が塞がっていたそうだが、今は近隣住民の尽力の甲斐もあって道が開いている。

 道の脇にしばしば散見する、大きな岩を砕いた残骸らしきものは、数日前の作業の名残であろう。

 

「うひえ~、今度は霧?

 山の中にまでこんな濃い霧って凄いね」

「うーん、霧ってつまりは露点に触れた大気が水滴化したものだから……

 外ならともかく洞窟内で……もしかして気圧が……」

「エンペルトさん、"きりばらい"よろしくお願いしまーす!」

 

 パールがプラチナのエンペルトに指示を出している。

 そして出てきてくれるエンペルトさん。ちゃんと霧払いして、洞窟内の視界を最悪にしていた濃霧を吹っ飛ばしてくれる。

 

「なんでパールが指示してるの。

 エンペルトもなんで出てきて従ってるの」

「考察より先に霧払いだから! 濡れるでしょ!」

「――――」

 

「エンペルト、今日ごはん少なめね」

「!?」

「あっ、パワハラだ!

 エンペルトさん、ひどいご主人に愛想尽かしたらうちにおいで!

 うちはホワイトだよ!」

「~~~~」

 

 お馬鹿なやり取りをお楽しみである。

 ごはん少なめと言われて大げさに驚いてみせるエンペルト、勧誘するパール、そしてあっさりパールの方に歩み寄って鞍替えを演じるエンペルト。

 どうやらパールは、プラチナのポケモン達ともすっかり打ち解けており、こんな茶番を演じられるほど仲良しらしい。

 

「おーい、ミーナ。

 君もパールに不満が溜まってるんじゃないか?

 うちのエンペルトと交換する形でウチにこない?」

 

「あっ!?

 こらミーナ、ほんとに出てきてそっちに行っちゃうやつがいるかっ!」

「~~~~♪」

 

 プラチナも茶番で反撃だ。

 こういう時にパールを困らせる役回りをするのが好きなミーナの性格はよく知っている。

 プラチナの声に反応してボールから出てきて、プラチナの方に駆け寄ってすり寄れば、抗議するパールにお尻ふりふりしてからかってみせる。

 プラチナもプラチナで、パールのポケモン達ともしっかり打ち解けているのだ。

 トレーナーとポケモンを一世帯に例えるなら、ずっと一緒のパールとプラチナなんてお隣さん同士のようなものだし、付き合いも家族ぐるみみたいなものだ。

 

 実のところ。

 パールのポケモン達はみんなそうなのだが、パール以外にそのニックネームで呼ばれたりしても、びっくりするぐらいガン無視する。

 パールに貰ったパールと繋がる大事な大事な名前、他の誰に呼ばれても癪に障るらしい。あの温厚なニルルでさえそうなのだから、案外みんな我が強い。

 以前シロナと一緒に行動していた時、シロナが試しにピョコ君と呼びかけてみた時、露骨に無反応を見せた時は流石にパールも驚いた。

 例外はプラチナだけなのだ。それだけこの二世帯の繋がりは強い。

 

「ぬぐぐっ、エンペルトさんの力を借りてミーナにお仕置きしてみたい」

「後からミーナに直接仕返しされるよ」

「ほらもう、ミーナ戻っておいで。

 敵対ポジションにいられるとなんだかな~って気分に……っ、い゙っ!?」

 

 おふざけ茶番の落とし所を探っていたところ、パールが急に目も覚めるような声を発し、その手で頭の横を押さえた。

 蜂にでも刺されたかのようにだ。

 くすくす笑っておふざけしていたミーナも、すぐにやめてパールに駆け寄り、大丈夫かとばかりに彼女を見上げる。

 

「また頭痛?」

「う、うん……なんだろう最近、急にくるんだよね。

 すぐにおさまるんだけど……いたたたた……」

「やっぱり気圧が低いのかな?

 それだと霧が出るほど露点が下がるのも……」

「プラッチうるさい、それいらない、余計アタマ痛くなるんですけど」

 

 くっそ真面目に頭痛の原因を考察し始めてくれるプラチナに、パールも半分は冗談と理解して苦笑いであしらっておく。

 表情が苦さ含みなのは、すぐにはおさまると言いながら、今は相当にきつい頭痛ということなのだろう。

 低気圧が頭痛を引き起こす例は無いでもないが、パールの頭痛には無関係だろう。先日から断続的に生じている頭痛だ。だからプラチナの考察も冗談である。

 

「少し休む?」

「んや~、このまま歩いていこ。

 どうせちょっとずつおさまっていくし、じっとしてたらよくなるカンジでもないし。

 ありがとミーナ、心配してくれて」

「――――!」

 

 ぷいっとパールから顔を逸らして腕を組むミーナである。

 別にあんたのことなんか心配してないし、という仕草。どツンデレ。

 素直になれないミーナの不器用さなんて百も承知のパールは、胸を温かくした上でミーナをボールに戻すのみである。

 プラチナもエンペルトをボールに戻して、二人で再び北へ向けて歩きだす。

 

「ふへー、おさまってきた。

 プラッチありがと、おさまるまで敢えて黙っててくれてるでしょ」

「まあ、本当にしんどそうだから。

 自分のことでもないのに伝わってくるぐらい、パール結構つらそうな顔してるよ」

「え、ほんと?

 じゃあ次はもっと平気なフリしてみよ」

「何それ、いらない努力でしょ」

「ただ苦しめられるよりも何かにチャレンジするきっかけにして、自分を成長させてみようぜ精神? 的な?」

「たくましいけどいらないやつ」

 

 頭痛がおさまってくると、パールもしばらく黙っていたのを取り返すかのように饒舌になる。

 頭痛に苛まれている時のパールは本当につらそうなのだ。何せあのおしゃべりパールが無口になるのだから。

 今日も一旦おさまったと見て、プラチナも一安心。

 出来れば明るい話題を振って、彼女の労をいたわってあげたいところでもあるが。

 

「あのさ、パール。

 言おう言おうと思ってて、なかなか言えなかったことがあるんだけどさ。

 きっかけが無くって」

「え、何?

 もしかして告白とか貰えちゃったりする?」

「いや、違うから……」

 

 それは別の機会にやりたい本音があるプラチナだが、今はそれではないので。

 寒くなりつつある中、パールは両手を口元に近付けてはぁ~っと息を吐いて温めつつ、プラチナの方を向きもせずそんなこと言ってくる始末。

 絶対無いだろうと思ってるからこそ、冗談でそれを言えてしまうパールということである。罪作りだこと。

 完全に冗談で冗談でそんなこと言われる辺り、なんだか脈が無い気がして内心テンションの下がるプラチナである。

 

「ギンガ団の話。

 パール、次に手の届く場所であいつらが動いた時、どうする?」

「……………………先のことはわかりませんねぇ」

「絶対行くでしょ。

 前科何犯あると思ってんの」

「でへへへ……」

 

 口ぶりこそふざけまくっているパールだが、相当気まずそうな顔をしている。

 リッシ湖に乗り込んで、シンジ湖に突っ込んで、プラチナに絶交寸前までされて、お母さんにもこってり絞られて。

 蒸し返されると風化できないレベルの自覚はパールとてある模様。

 

「これから行くキッサキシティのそばには、エイチ湖と呼ばれる湖があるわけですよ。

 シンジ湖やリッシ湖に並ぶ、シンオウ地方の三大湖ですね。

 ところでギンガ団はリッシ湖に続いてシンジ湖も襲撃したわけですが、エイチ湖にも襲撃をかけてくる想定は出来ないでしょうか」

「プラッチ、敬語で詰めてくるのやめて。

 なんかこう、既にめちゃくちゃ叱られてるみたいで胸がきゅうっとする……」

「別に怒ってるわけじゃないんだけどさ。

 仮に、仮にだよ? 僕らがキッサキシティにいる間に、もしも今までのようなことがあったら、って僕は思わずにいられないんだよ。

 パール絶対に飛び込んでいくだろうから」

「ハイッ」

「は? 開き直ったら許されると思ってる?」

「すいませんごめんなさい調子乗りました許して下さい」

 

 優劣確定の話題である。

 ちょっとプラチナが強めに出れば、あっという間に降伏して腰を曲げてしまうパール。反省しているのは本当なのだろう。

 あんまりいじめても可哀想なので、プラチナも小さく笑う息遣いをあらわにして、大丈夫だからという空気は出してあげておく。

 

「でもパール。

 ナタネさんにあんなことをするのが、本当の悪党っていうものだよ。

 マニューラを差し向けたのが誰なのかはわからないけど、ギンガ団だって同じことをやってくる連中の集まりなのは確かだしさ」

「それは、うん……

 ハクタイシティのビルでもそうだったし、リッシ湖でも多分そうだったし……」

 

 ナタネを襲撃したのはギンガ団ボスの差し金だが、その事実を知り得ないパール達とて、ギンガ団はそれと同等のことをしかねない者達だという認識はある。

 ギンガハクタイビルでのジュピターはスカタンクに、パールに向けて火炎放射を放つ指示をした。

 リッシ湖でのサターンはパール達に対し、ギンガ団を妨げるつもりであるなら闇に葬ることも厭わないと恫喝した。

 ギンガ団に立ち向かうことの危うさは、現にナタネという親しい人が血みどろにされた今、改めて無視できぬほど浮き彫りになっている。

 

「そこまでわかってても、パールはいよいよとなれば挑みたがるの?

 本当に殺されるかもしれないんだよ?

 もしもそんなことになったら、お母さんだって凄く悲しむと思うよ」

「……………………」

 

 お母さんを引き合いに出されるとパールも苦しい。

 大好きなお母さんだ。一番、悲しませたくない人。

 先日、その切実な声を電話で聞いたばかりだからこそ、パールもプラチナのきつい詰問にすぐには返答できない。沈黙も生じよう。

 

「好きにすればいいよ、パールは。

 やりたいようにやればいい、ちょうどそれをサポート出来る友達もすぐそばにいる。いつだってね」

「プラッチ……」

「僕が、パールを守ってあげればいいんでしょ。

 結局、僕はあれだけ言っておきながら、パールと絶交できなかったんだしさ。

 パールはどうせ、その時が来たら立ち向かっちゃう自分が見えてるでしょ。

 僕だって、そんなパールに振り回されて、結局見捨てられない自分が見えてるよ」

 

 なんだかとげとげしい言い方になっているが、要は"何があっても僕がパールをサポートするし、絶対に守ってみせる"という内容でしかない。

 素直にそう口に出来ないのは、ミーナとは違う意味での不器用さ。

 だって暴走パールのフォローは本当に大変だもの。守ってあげるから好きにしていいよ、なんて明け透けに言って、調子に乗られてもそれはそれで本気で困る。

 プラチナも自分の腹の内を打ち明けるためだけに、妙な駆け引きを余儀なくされる話題である。

 自分で始めた話題なのであまり文句は言いづらいが、この面倒さの全ての根源はパールなので、ちょっとは意地悪な言い方して困らせてやりたくもなる。

 

「だから、お好きにどうぞ。

 ……何があっても、僕が全力で何とかしてみせるから」

 

 この言葉を、露骨にパールから顔を逸らして言うプラチナ、思い切ったことを言っている自覚はあるのだろう。

 覚悟の問題ではない。そんなものは、彼女と絶交しなかった時からずっと決めている。

 男の子というのは、女の子にきざったらしい言葉一つ言うだけでも、小恥ずかしさで大変だという好例である。

 

「……………………ありがとう、プラッチ」

「別にいいよ。

 僕が勝手に決めてることだから」

 

「……私、本当にプラッチに甘えてばっかりだよね」

「……別にいいよ、それも。

 僕も、パールに頼りにされるのは悪い気してないから」

 

 友達だからね、とプラチナは続けるつもりだった。

 でも、それはぎりぎりのところで"感情"が封じ込め、口にできなかった。

 友達で終わりたくない本心がある中で、たとえ照れ隠しでも、それを口にしてしまうのは嫌だったのだ。

 本当にプラチナは大変な立場である。照れ隠しすら儘ならないんだから。

 

 見返り無き献身を誓ってくれるプラチナに対し、そもそも今までですらそうであってくれた、プラチナという親友の尊さを今改めて思い返すパール。

 身の丈に合わぬかもしれぬ誓いを口にして、しかし必ず最後までやり遂げる意識を強め、同時に、自分のパールに対する想いを再認識するプラチナ。

 きっと、初めてのことだ。

 二人ともが、お互いを意識した上で生じる、同じだけの、強い、とくとくと胸を打つ鼓動に息苦しくなる時間。

 今ばかりは、パールもプラチナもお互いのことで頭がいっぱいになり、無機質な足運びで北へ進む中で胸のざわめきにばかり意識が向く。

 今までのそれとは少しずつ移り行きつつあった、互いの大切さ、掛け替え無さを、テンガン山を進む二人は意識せずにはいられなかった。

 

 北上するにつれて下がるはずの気温。

 二人はその事実とは裏腹、顔が熱くなるほどの胸の高鳴りに集中力を奪われ、やがては無言で横並びに歩き続けるのみとなっていた。

 寒ささえ意識できなくなるほどなのだから、それだけ自分と、相手のことで頭がいっぱいになっていたということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひいっ!? さっむぅっ!?!?!?」

「いや~……

 いざ目の当たりにすると震えるねぇ……」

 

 そしてテンガン山を抜け、キッサキシティへと繋がる216番道路へと足を踏み出した時のこと。

 すっかり忘れていた気温の下降ぶりも、目の前の景色を見ればもう忘れてなどいられない。

 暦はまだ秋半ばだというこの時期、すっかり雪の降り積もった216番道路は、シンオウ地方の寒冷特異点の玄関口の有り様を、洗礼じみて見せつけてくれる。

 

 シンオウ地方は元より北国であり、真冬になれば地方全土で雪が降る程度には、地方全体が寒冷地であるのも確かである。

 しかし、それにしたってキッサキシティ近郊のシンオウ地方最北部は、雪が降るのもかなり早い。

 具体的に言うと、毎年10月には必ず雪が降り、5月を迎えてようやく雪がやむ。

 お空様の機嫌によっては、9月にはもう雪が降り始め、5月になっても未だ銀世界という年もあるほどだ。

 シンオウ地方の寒冷特異点と言われるだけのことはある。本当に、ここだけ異国かの如く寒さが別次元なのだ。

 

 今日は中秋。シンオウ最北部はとうに雪の降る時期に至っている。

 216番道路は既に、分厚く積もった雪で真っ白だ。

 足跡をつけずに歩くことは絶対に不可能だろう。こんな景色を目の前にすれば、忘れていた寒さも一気に無視できなくなる。

 

「ぷぷぷプラッチ……

 スカートは失敗だったかもしれませぬ……」

「あー、うん……だから言ったでしょ、とは言わないよ……

 僕もここまで寒いとは思わなかったしさ」

「心の準備が出来てないよ~!

 こんなにも寒いなんてぇ~!」

 

 ちょっとぐらい、あるいは思ったより寒くたって、根性出して脚を晒したお洒落を貫くのだと豪語していたパールである。

 こいつぁ厳しい。想像以上が過ぎる。

 肌寒さこそあれど、ひやっとする程度のハクタイ以南の世界から、山を越えれば雪国というここへ足を踏み入れれば覚悟もへったくれもない。

 体感温度20℃近く下がる世界へ、転移されてきたようなものである。

 今も空から雪がしゃんしゃん振ってくる寒冷地、風晒しの太腿を両手ですりすりして温めるほどパールへのダメージは大きいようだ。

 

「…………」

「なにプラッチ! 人のことじろじろ見てっ!

 そんなに弱ってる私を見るのが楽しいかっ!」

 

「怒られるかもしれないけど、はっきり言っていい?」

「怒るよ! さあ言え!」

「女の子がそんな風に生足さすりまくってる姿、かなりはしたないよ……」

「っ、かっ……

 このっ、どスケベ~~~~~っ!!」

 

 赤ら顔でパールから目を逸らして言うプラチナって紳士的な方。

 身をかがめて自分の太ももを両手でさすっていたパールだが、指摘されるとプラチナに脚を見られていたことに気付き、急に恥ずかしくなってくる。

 後ずさって股の間に両手を挟み、こっち見んなと恥じらうパールの真っ赤な顔に、そんな顔するぐらいなら元から気を付けてくれよと心底思うプラチナ。

 大抵この手の事案では女性優位だが、きっとこれは男の子の意見が正しいケース。

 

「あのさ、パール、大きな声はやめよう?

 雪崩が起こるよ」

「うぐぐっ……!

 雪山を味方につけて反論とは卑怯なっ……!」

 

 取り乱したパールを制する言葉のチョイスが絶妙なプラチナである。

 プラチナが指差すのは、今しがた自分達が出てきた洞窟入り口の遥か背面、高々とそびえ立つテンガン山。

 雪の降るこの近辺の山肌は既に真っ白に染まり、大きな声を出すと雪崩が起こるかもしれないよと言ってパールを黙らせる算法である。

 実際のところは、大声によって雪崩が起こり得るか否かなんていうのは眉唾ものだが、北国のシンオウ地方ではよく信じられる俗説である。

 

「あれが"やりのはしら"かな?」

「こらプラッチ。

 話を逸らすんじゃない」

「ごめんって、僕が悪かったですよはいはい。

 いいじゃん僕もこっち側からあれを見るのは初めてなんだから」

「ん~、確かにこっちから見ると近くてはっきり見えるね」

 

 ちょうどテンガン山を眺める形になったので、プラチナから世間話が振られる。

 自分の生足をさするパールの仕草を見ていたことで、ちょっとどきっとさせられたのを看破される空気をさっさと流してしまいたいらしい。

 パールも話を逸らすなとは食い下がるが、プラチナの指差す方を見て、地元じゃ見られなかった眺めを前にすればその話題に付き合う頭になる。

 何だかんだでパールもわざわざ積極的にプラチナと喧嘩はしたくないし、争いを避ける流れをプラチナが主張したら、だいたいのことは水に流せるらしい。

 

「普通、ああいう山っててっぺんほど白いものなんじゃないの?」

「標高の高い所ほど気温が低くなるし、雪も残りやすいからね。

 テンガン山の標高が高い所は、真夏以外は年中白さが残ってるよ」

 

「プラッチさぁ、そういう小難しい解説はどうかって思うよ。

 つまんないとまでは言わないけどさ」

「うっ……よ、良くなかった?」

「悪いとは言わないけど、なんだかな~。

 勉強させられてるみたいでヤだ。

 もっとこう、すごいよねぇ、ぐらい言ってくれる方が楽しい」

 

 景観を二人で眺めて、プラチナの発するコメントが小難しくて、パールもついつい苦笑い。

 これが彼の個性なのであって、別に罪でもなんでもないし、パールも別に退屈はしていないのだが、かすかでも情緒を含むことを仰ってもらいたいものだ。

 とりあえず、モテるコメントではあるまい。そういう話である。

 デートしている時にこういうコメントを発するより、もう少し考えて適解を求めるぐらいの方が、恐らくプラチナには丁度いい。

 

 別にデートでも何でもない今、そういうことを突っ込まれるのも少々酷ではあるが。

 でも、プラッチと共に過ごす時間に、自身も気付かぬうちにもっとあれこれ彼へ何かを求めている事実は、ある意味貴重な予兆なのかもしれない。

 今は二人とも、そんな本質に気付きようはないけれど。

 

「でも、理屈はときどき大事だよ?

 あんな風に山のてっぺんだけ、あんな風に雪が積もってないっていうのは、本来やっぱり異常なことだからさ」

「それはわかる。

 やっぱりあそこって、テンガン山の特異点ってやつなんだよね」

 

 さておきプラチナの小難しい話が表すとおり、二人が遠方に見上げる山の頂上は、理屈に合わぬ色模様だ。

 てっぺんは雪を纏わぬ岩肌色、その僅か下は雪に覆われて真っ白、そして標高が下がるにつれて山本来の色を取り戻していく巨峰が一つある。

 てっぺんほど気温が低く、雪も残るはずだという理屈に反するそれは、その山の頂上に神秘性を感じるには充分であろう。

 テンガン山の北寄り位置にある、最高峰を誇る巨山の最上部、それが"槍の柱"と名付けられて特別視される聖地の如き場所。

 踏み入れば、そこには古代遺跡の祭壇めいたものもあり、シンオウ神話の真核を司るのがそこであるのではないか、とさえ囁かれる場所だ。

 神話の多いシンオウ地方だが、特段あの場所ははっきりしていないこともあり、考古学者にとっては永遠の注目対象である。

 

「ねぇねぇプラッチ、いつか二人であそこ目指して登ってみない?」

「え?

 まあ、僕も一度は行ってみたい場所ではあるけど……」

「あはは、そうだよね。

 私がもしもバッジ全部集められたら、一緒に行ってみようよ!

 きっと楽しいよ!」

「ぼ、僕は願ったり叶ったりだけど……

 意外だな、パールがあんな場所に行きたがるなんて。

 遺跡みたいなものだよ? そんなに行きたい?」

「プラッチは行きたいみたいな顔してるもん。

 二人で行けば楽しいよ、ぜったい!」

 

 学者の卵であるプラチナは、一度は槍の柱に行ってみたいという願望もある。

 そんな彼の気持ちを語り口などから推察し、じゃあ行ってみようと言ってくれるパールなのだと、プラチナも今わかった。

 二人で行けば楽しい。そう、パール自身が言っている。

 プラチナの行きたそうな場所に、一緒に行ければ私も楽しい、と言っているに等しい。

 親しい友達との旅行なら、行き先がどこであっても楽しいものだ。それだけパールにとって、プラチナはそんな親友であるということだ。

 ついついプラチナも、胸が温かくなるものである。

 

「……じゃあ、パールも頑張ってよ?

 バッジ全部集めてくれなきゃ、いま言ってくれたことも叶わないでしょ」

「任せなさいっ!

 私にはピョコもパッチもニルルもミーナもついてるのだっ!

 トウガンさんにはすごく苦戦したけど、ここからもっと頑張るよ!」

 

 嬉しいプラチナだ。

 返す言葉は素直じゃなかったけれど、パールはそんなこと気にしない。

 バッジは集めきりたい。大変かもしれないけどやりきってみせる。

 そしたらプラッチの行きたそうなあそこに、二人で遠足するきっかけも出来た。

 それを嬉しそうに口にするパールの姿が、自分との時間を大事にしてくれてこそのものだと、鈍感に見過ごすプラチナではない。

 

「それじゃあ、キッサキシティを目指していこうか。

 すごく寒いけどね」

「うっ……さむさむさむっ!

 思い出させないでよプラッチ! 急にさむくなってきた!」

「やっぱりスカートは無防備だったんじゃないの」

「ちょ、ど、どこ見てんのっ!

 こっ、このエローーーーーっ!!」

「だから大きな声は駄目だって……雪崩が起こるよ」

「うるさいっ!

 どすけべプラッチっ! いつかセクハラで訴えてやるっ!」

「はいはい、その時は全力で戦いますよ」

 

 お馬鹿さんなやりとりに苦笑しながら、キッサキシティ方面に向かって歩きだすプラチナに、パールはぷりぷり怒ってついていく。

 生足に吹き付ける雪風が冷たくて、常に唇をきゅっとしながらだ。

 きっちり防寒完備の服でここまで来たプラチナと、ナタネさんから貰えたコートだけに甘えたパールの差は、やはり小さくないらしい。

 プラチナは堅実だ。パールは感情に忠実ゆえ、しばしば不安定。おしゃれこだわりでスカート一枚の下半身で雪地に踏み込むのは、やはりかなりの冒険としか。

 

 同じシンオウ地方であっても、山を越えて辿り着いたキッサキシティ近辺の地方北部は、さながら外国の北国のように寒さが一変する。

 パール達は、まるで新天地か外国にでも訪れたかのように、今まで歩いたことのない新天地を歩いている心地だったものだ。

 ここだけこんなに雪が降って別世界みたい。

 旅路の中で巡り会う、新鮮で今までに経験したことのない体験というのは、広域を旅する冒険者が味わえる最高のスパイスである。



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第93話   216番道路での再会

 

 

「さむさむさむさむさむ……」

「お経みたいになってきたね」

「言ってると気が紛れる気がするって信じてる。

 黙って寒がってるとつらい」

「実際は紛れてるの?」

「ぜんぜん。さむさむ」

 

 テンガン山の北の出口から出て、キッサキシティへ向かう216番道路。

 雪が降る中、内股気味に歩くパールである。上半身は帽子と厚いコートである程度防寒が利いているが、いかんせん太ももから膝にかけてが冷たい。

 寒冷の中で耳が冷たくなってたまらないのと同じように、より広く肌晒しの脚がパールに訴えるダメージは相応だ。

 そんなに寒がるならズボン履けばいいのに、なんて思っちゃう男の子には理解し難い我慢である。

 しかし世にはこうした苦行にも耐え、しっかり望むおしゃれを果たす女の子も決して少なくはない。誇張なく、女性の偉大な強さである。

 

「こんなに寒いのに、結構トレーナーさんがいるっていうのに驚くよね。

 私だったら、家でじっとしていたくなっちゃいそう」

「地元の皆さんっぽいし、慣れてるんじゃないかな?

 っていうかパール、寒かったら外出できなくなるタイプ?

 冬でも元気に外で遊んでるイメージだけど」

「プラッチの中では私は、やんちゃな男の子みたいなものなのかい?」

「幼馴染のダイヤに引っ張り回されて、結局外で遊ぶのに付き合わされてそうなイメージはあるね」

「あーうん、そうそう。

 私が寒いからヤだって言っても家に上がり込んできて、行こーぜ行こーぜって引っ張り出すの。

 冬のあいつは寒空に私を連れだす敵だ」

 

 冬でも外で遊ぶのが短パン小僧扱いされたような気がしてパールがむっとしかけたが、プラチナは上手に話題を転がして怒らせない。

 パールの扱いが随分と上手になってしまっているプラチナである。

 

「なんだかんだで外で遊ぶには遊ぶんだね。

 風邪ひいたりはしないの?」

「私はそんなでもないかな~。

 なんだかんだで暑くなるぐらいは走って遊べるし、人数揃ったら球技で遊ぶのも私は得意だし。

 けっこう私ってプラッチが思うより、運動能力あるんだぞ?」

「まあ、確かに風邪ひかなそうではある」

「ん? 何かいま含みなかった?

 なんとかは風邪ひかない的な?」

「寒そうにしてるから風邪引いたら心配だなって話してるだけだよ。

 それで旅が遅れたらパールも嫌でしょ」

「それはまあ……

 ん~でも、なんかごまかされてる気がするなぁ」

 

 むしろプラチナは、パールをちょっぴりいじってからかってしつつ、パールが怒るのだけは上手く躱す遊びを楽しんでいるふしさえある。

 パールがあまりにもわかりやすくって、しかも自分の言葉でころころ顔を変えてくれるのが楽しいから、ついついプラチナも彼女を掌ころころしたくなるのだ。

 今のは少し危なかったが。ちょっと冒険し過ぎたな、と内心で胸を撫で下ろすプラチナである。

 

「走ってみる? 温かくなってくるかもしれないよ?

 それに、あんまりのんびりし過ぎてこういう場所で夜になると、色んな意味ですごく嫌な気がするし」

「あ~うん、暗くなる前には絶対キッサキシティに着きたいよね。

 走ってみる? 雪に足を取られないように気をつけなきゃだけど」

「うん、それじゃいってみようか」

 

「あれ? プラッチ行かないの?

 言い出しっぺなのに」

「パールが前を行くんじゃないの?

 今までだって大抵そうだったじゃん」

「え、絶対やだ。雪に足とられて転んだらスカートの中見えるかもだし。

 あっ、まさかプラッチ……」

「はいちょっと待って! それは心外!

 その誤解だけは全力で阻止したいっ!」

 

 なんでもない所にも地雷があったりするので、やっぱり常に思うがままにパールを転がせるというものではない模様。

 パールを前に置きたがったプラチナを、お尻を押さえてじとーっとした目で見つめるパールである。

 大きめの声を出して抵抗するプラチナだ。全然そんなつもりなんてなかったのに、そんなゲスケベ野郎だと思われては堪らない。

 

「わかったよ、僕が前行くから。

 置いていくようなことはしないけど、ちゃんと転ばずついてき……」

「あっ、待ってプラッチ」

「へぐっ!?」

 

 この話題に長続きして欲しくないプラチナは、さっさとパールに背を向けて、さあ行こうという流れに移りにかかる。

 が、急にパールに長いマフラーの端を握られ、首が絞まってぐええ。

 詰まったプラチナの声を聞いて、思わず掴んだものがまずかったことに慌てて手を離すパールである。

 

「げほっ、かはっ……!

 パぁ~~~ルぅ~~~……!」

「ご、ごめんプラッチ、でもちょっとだけ待って?

 ほらあれ、あれ」

 

 流石に申し訳ないことをしたと思って、ごまかし気味の笑顔ながら申し訳なさそうに両手をすり合わせるパールである。

 謝ったら、自分がプラチナを引き留めた根拠を指差して話題を転換。

 自分に都合の悪い話題が続きそうだと、さっさと次の話題に移して逃げる手法は、パールもプラチナもどっこいどっこいで多用するらしい。

 

「けほっ……あれ、フワンテ?

 もしかして……」

「そうそう、多分そうだと私は思ってる!

 こっちおいで!」

 

 パールが指差す方向の空に、彼女を見下ろすポケモンが一匹ぷかぷか。

 丸くて小さくて可愛いフワンテだ。恐らく、こんな地方に生息しているポケモンではない。

 知り合いのあの子だ、と思えてならないパールに対し、自分に気付いてくれたのが嬉しかったか、機嫌のいい目でふよ~っと近付いてくるフワンテだ。

 

「あははっ、やっぱりあの子だ!

 プラッチも覚えてるよね?」

「発電所で助けてあげたフワンテ?

 なんか久しぶりに会う気がするね」

 

 マーズが谷間の発電所を占拠していた時、その屋上でパール達が傷を癒してあげたフワンテだ。

 あれ以来、パール達を追いかけながらシンオウ地方をぷかぷか巡っているようで、時々こうしてパール達に関わり甘えてくる。

 パールの胸に飛び込むと、ぎゅっとされて嬉しそうにパールにすりすり。

 怪我を治してくれたあの時の恩は、今でも忘れていないようだ。

 

「ほんとに結構久しぶりだね。

 だからかな、私いますっごい嬉しい気分」

「ミオシティ方面に行ってる間は全然見かけなかったよね。

 テンガン山からはあんまり離れたがらないのかな?」

「あ~、そうなのかも。

 前に会った時って、全体的にこっち寄りの時だもんね」

 

 210番道路であったり、ヨスガシティであったり、パールも存じない範囲では212番道路であったり。

 パール達がフワンテと再会したのは、概ねシンオウ中央区だ。

 テンガン山から西に遠ざかったミオシティ近辺では影も形も見せなかった辺り、このフワンテとてそこまではついて来ないのだろう。

 すっかりパールになついている態度であるが、あくまで未だ野生のポケモンだ。

 棲みやすい環境から大きく離れ過ぎる遠征は流石に好まないらしい。

 

「ねえねえ、あなたのこと捕まえてもいい?」

「?」

「一緒に旅しようよ。

 私、五人目の仲間はあなたがいいって思ってるの。

 だめかな?」

 

 胸元で自分を見上げるフワンテからそっと腕の力を抜くパール。

 少し離れてパールと同じ目線で浮遊するフワンテに、パールは空のモンスターボールを見せる。

 バトルという過程の無い勧誘だ。ポケモントレーナーとしてはやや珍しいスカウトの形である。

 

「~~~~……」

 

「あ、あれ? お気に召さない?」

「バトルして捕まえればいいのに、って言われそうなもんだけどね。

 もパールはそうしたくないんだね、なんとなくはわかるけどさ」

「いや~、なんかすっかり気持ちが移っちゃってまして……

 傷つけてのゲットも胸がちくちくしそうだし、出来れば同意でお友達になりたいな~と」

「情が移っちゃうと色々と大変だね」

 

 それこそ思い入れのない初対面の野生のポケモンだったら、捕まえるためにバトルすることに心痛めるトレーナーはいないし、パールもそうだけど。

 このフワンテに関しては、べったり甘えてくれるほどなついてくれているだけに、べちべち叩いたあとボール投げて捕まえる、というのが心情的にやりづらい。

 なんとか自分の申し出にうなずいてくれれば一番嬉しいのにな、と思っちゃうパールである。

 しかしフワンテは、細い二本の手を腕組みするかのようにして、悩ましげに体を傾けて考え込む姿。

 見せる素振りが明らかに嫌がったものではないため、満更でもなさそうなのは明白はのだが、どうも頷いてくれる気配ではない。

 いい返事をお願い、とフワンテを見つめるパールだが、考え抜いた末にフワンテは、ちょっと申し訳なさそうに首を振った。

 パールもがくっと肩を落とす。今日こそ友達になれたらと思ったのに。

 

「嫌われてるわけじゃないと思うんだけどなぁ。

 なんか申し訳なさそうにはしてくれてるし」

「ん~、いいよ、我慢する。

 でも私、諦めないからね? いつか絶対、私の友達になってね?

 私、あなたが友達になってくれるまで6人目の仲間は捕まえないからさ」

「~~~~♪」

 

 熱烈なラブコールに、片手で頭の後ろをかくような愛嬌ある仕草で嬉しがるフワンテである。

 こんなにパールに好意をあらわにするぐらいなら、いっそ素直に仲間になってくれてよさそうな気もするけど、というのがプラチナの私見。

 それでもまだパールの手持ちになることを受け入れないのは、フワンテにもフワンテなりの事情が何かあるからなのだろうか。

 それに疑問こそ感じつつ、背を向けて去っていくフワンテを、いつか必ずと待つ思いで静かに見送るパール。

 6人のポケモンのうち一枠をあのフワンテに割くことを確定させた上で、焦らずただただ待つことを決めた姿勢も、彼女なりのスタンスであろう。

 

「…………あれ?」

 

「~~~~、~~~~~~」

 

「何だろう?

 こっち来て、ってことなのかな?」

 

 背を向けてパール達から去っていくフワンテは、そのまま遠くに行ってしまうのがこれまでの常だった。

 しかし今日のフワンテは、パール達から離れた場所でこちらを振り返り、来て来てとばかりに両手で手招きの仕草を見せる。

 明らかにその意図がわかりやすいジェスチャーに、パールも迷わず小走りでついていく。

 パールがそうしてくれることを見受ければ、フワンテはパール達をどこかへ導くかのように前進浮遊するのみだ。

 

 キッサキシティへ向かうルートからは少しはずれ気味の方向で、いいのかなとも思うプラチナは、パールとフワンテについていきながらしばしば後ろを見る。

 元のルートにいつでも戻れるよう、道はしっかり覚えておく。しっかり者だ。

 

「――あっ!?」

「パール、どうし……」

 

 フワンテに導かれた先で、パールは思わぬもう一つの再会を果たす。

 一目見て、それが再会であるとすぐにわかったわけではないけれど。

 思わず駆け寄ってそばで見れば、特徴的なその耳が、パールの記憶をばちりと呼び起こしてくれたのだ。

 

 耳の一部が欠けたニューラが、傷ついた体で樹の根元に座り込み、荒い息でぐったりしている。

 見るからに苦しそうな姿がパールの胸をじくりとさせるが、同時に目につくのは短い赤耳、それが虫食いのように欠けていること。

 記憶に新しい個体の特徴だ。

 先日、シンジ湖でギンガ団と戦ったパールだが、そこで乱入してきて、ミーナと共闘してくれたニューラの特徴と完全に一致する。

 パールがマーズを退けた頃には、いつの間にか逃げるように去ってしまっていたが、こんな所での再会となろうとは誰も予想だにしなかっただろう。

 

「だ、大丈夫……?

 うあぁ、ひどいケガ……」

「――――!?

 ――――――z!」

「ひゃっ……!?」

 

 ニューラのお腹には、血が流れ落ちるほどの深い傷があった。

 思わず手を差し伸べようとしたパールだったが、ニューラは敵の接近への対応の如く、爪を一振りしてパールを威嚇する。

 彼女に届かず、傷付けるための攻撃でなかったのは確かだが、驚いたパールが手を引っ込めて腰が引けるほど、その威嚇には迫力があった。

 

「~~~~……!」

 

「ど、どうしようプラッチ……

 ほっとけないんだけど……」

「流石にこれはね……!

 でも、どうするのが正解なんだろう……!?」

 

 立ち上がったニューラは樹に背中をつけ、さながら背水の陣の構えで臨戦態勢を取る。

 攻撃的な姿勢を向けられるパール達だが、それでも二人はこのニューラを本気で迎え撃つ気持ちにはなれない。

 それだけお腹の深手が過ぎるのだ。前かがみになって身構えたニューラのお腹の傷からは、それによってぶしっと血がまた溢れるほど。

 苦痛に表情を歪め、視界も霞んでいそうな目で、パール達を必死で弱々しく威嚇しようとするのだ。

 

 ボールに手をかけるプラチナだが、判断の難しい局面だ。

 いつ本当に斬りかかってくるかわからないから、ポケモンを出して身構えるのは必須だ。

 しかし、こんなにも警戒しているニューラの前に戦力を出せば、余計に追い詰めてしまうのではという懸念もある。

 パールに目配せと手の動きで、少し退がろうと提案してくるプラチナに、パールも従い三歩退がる。

 

「ッ――――!」

 

「ああっ!? ちょっと……!」

「くそっ、駄目か……!」

 

 並々ならぬ警戒心を抱いているらしきニューラは、パール達が距離を作って隙が見えたと感じるや否や、雪の上を駆けて一気に逃げの足を取った。

 傷ついた体で俊足だ。全力を発揮できる容態でないにも関わらずである。

 これはプラチナが、パールや自分が傷つけられる次に嫌った展開である。

 あんなにも痛々しい傷を負った、それも知らぬ間柄でもなさそうなあのニューラを、このまま放っておけるはずがない。

 少なくとも、傷ついたフワンテに傷薬を使うことを厭わなかったパールが、この後どんな行動を取りたがるかなんてプラチナにはわかりきっている。

 

「プラッチ……!」

「うん、追いかけよう!」

 

「~~~~~~~~!」

 

「わわっ!? 追いかけてくれるの!?」

 

 なんとか追い付いて、あの怪我をなんとかしてあげたいと思ってやまぬパールの提案を、プラチナも迷わず頷いて肯定する。

 するとフワンテが、ぴゅーんとニューラの駆けていった方へと飛んでいく。

 ニューラを追いたいパール達を手伝って、見失わないよう探してくれるつもりなのだろうか。

 ぷかぷか浮遊していた時とは違う飛行速度で飛んでいき、来て来てとパール達に改めて手招きする姿は、やはりそういう意図なのだろう。

 

「結局走ることになりそうだね……!

 ちょうど温まりそうでいいんじゃないかな!」

「んーん全然!

 なんかもう、寒いのとか気にならないから!」

「そっか……!」

 

 どうしても叶えたい何かが目の前にあって熱くなってしまうと、身を震わせるこの寒さも一時的に忘れられてしまえるものだ。

 それだけ、あのニューラを何とかしたいという気持ちが強いパールと共に、プラチナは雪の積もった216番道路を走りだす。

 ニューラを追ってくれる、あのフワンテの後ろ姿を見失わないように。

 ちょうど向かう先も北のキッサキシティに向かう方向とほぼ同じで、道からはずれずに済むから何一つ問題無い、と瞬時に断じたプラチナも頭の回転が早い。

 

 しかしいよいよ追い付いたとて、あの警戒心の強いニューラの傷を、荒事無く癒してあげることなど出来るのだろうか。

 プラチナの思考は、既にそれに移っている。

 今はまだそこまで考え至れないパールは、絶対に見失わないよう必死なばかりでそれしか考えられないが、それもまた重要な必死さだ。

 もしもフワンテごと見失ってしまったら、あのニューラには二度と会えなくなってしまうかもしれない。

 それで本当に、あのニューラが深手を原因で人知れず命を落としたりしら、なんて考えたが最後、絶対にここで見失うわけにはいかないのだ。

 

 友達でも仲間でもない。

 だけど、死んでしまうかもしれないほどの大怪我をした誰かを見て、放っておくことが出来なくなるのもまた人情というものだ。

 今のパール達は特筆すべきほどお人好しだろうか。きっと、そんなことはないはず。

 二人と同じ状況に身を置かれた時、彼女らと同じぐらい頑張って走り始められる人は、存外少なくもないはずだ。

 命の危機に瀕した誰かを見捨てられない、それが特段のお人好しだとわざわざ感じるような社会では、いずれ必ず良くないぐらいである。



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第94話   217番道路での邂逅

 

「ひやーっ!?

 なんか雪すごくなってきたんだけど!?」

「パール大丈夫なの……!?

 僕ですらだいぶ寒くなってきてんだけどっ……!」

「それは大丈夫!

 でも視界が悪いことの方が問題!」

 

 逃げたニューラとそれを追うフワンテを追いかけて、いつしか217番道路にまで足を踏み入れていたパール達。

 この大事な時に、お空の気まぐれが二人を困らせる。

 しんしんと降っていた程度の雪が、いつの間にやら夕立のような豪雨に。

 強風が無いので吹雪と呼ばれそうなものではないのだが、どかどか降ってくる雪はすこぶる眺めを悪くする。

 ニューラやフワンテを見失わないよう必死だったパール達だが、今はもはや一番近くにいるお互いさえ、見失って独りぼっちにならないよう気を遣うほどだ。

 

「どうしよう~!

 もうあの子の姿が見えないよー!」

「まずいな、こうなったら……!

 ピッピ、ガーメイル! 頼むよ!」

 

 早くあのニューラをなんとかしてあげなきゃいけないのに、遠くがもう見えない大雪のせいで、フワンテすらももう見失っている。

 こうなってしまうとフワンテの方さえ、仮にニューラの元へパール達を案内しようとしても、呼ぶ相手を見付けられなくなりがちだ。

 何とか打開策が必要である。プラチナが呼び出した二匹のポケモンは、命じられるよりも早く全身から強い光を放つ技を行使。

 本来、暗い洞窟の中を進む時に便利な技、フラッシュである。

 

「これならお互いの位置もよく見えるだろうからね……!

 パールも!」

「わかったっ!

 パッチ、お願いするね!」

 

 自分の手持ちの中で最もフラッシュが得意なパッチを呼び出したパールに応え、パッチも非常に強い光を放って協力をアピールだ。

 厚い雲と大雪に阻まれて、昼ながら日光の届かぬ雪原はやや暗く、かえってフラッシュの強い光は目立つのだ。

 視界最悪のこの状況下にあって、強い発光能力のあるフラッシュ使いは、歩く灯台の如くパール達の標にならんとする。

 

「ピッピもガーメイルも、ニューラでもフワンテでもいいからどちらかを探してみて。

 ただし、仲間の光を見失わない程度に! 迷子が増えると困るからね!」

「パッチもお願い!

 でも、あんまり離れ過ぎちゃ駄目だよ! 遭難しちゃうからね!」

 

 プラチナとパールの、強い忠告含みのお願いを受けたポケモン達は、わかったと力強い鳴き声で返事して散開する。

 それぞれ別の方向へ。217番道路は広々とした場所であり、こうして人手の多い形で散策しないと、砂漠の一滴を見付けるのは難しい。

 パール達もきょろきょろと首を回して、自分達でも探すことをやめてはいないが、やはり基本はポケモン達任せにならざるを得ない。

 むしろ下手に動き回らず、いざ目的のものを見付けたポケモン達が、戻ってきやすい状況を保つことも重要ですらある。

 

「流石にピョコは駄目かな……」

「んんん、それは流石に……

 氷に弱いピョコをこんな中で出しちゃうと……わわっ!?」

 

 猫の手も借りたいこの状況、つい思うままのことを呟いてしまったプラチナ。

 パールも一度はそれを考えたようだが、草ポケモンで地面ポケモンでもあるピョコを、こんな吹雪の中で外に出すのは憚られる。

 が、自分の力が役に立つのかもしれない、と耳にしてしまったが最後、勝手に出てきてしまうのがピョコという子。

 ずしんと雪に大きく沈む巨体を見せたかと思えば、パールに顔を近付けてくいくいと顎を上げるジェスチャーだ。

 

「の、乗れってこと……?

 いや、あの、ピョコそもそも大丈夫?」

「――――!」

「ううぅ、すごい心配……

 ピョコ頑張り屋さんだもんなぁ……無茶するぐらい……」

 

 君が言えたことじゃないでしょ、とはプラチナの内心の嘆きである。

 確かにピョコも無茶するタイプではあるけれど。パールのためならミオジムでの戦いに、一人で三連勝することに固執して頑張りまくったほどだし。

 今でこそ気合充分、平気だっつうのと吠えるピョコだか、豪雪の中でいつまで元気いっぱいでいられるかは心配なところである。

 

「――――」

 

「え? 僕も?」

「ほらプラッチも!

 遠慮しなくていいから!

 ピョコが許す相手なんて多分すごく少ないんだよ!」

「ん、ん~……じゃあ、まあ、お世話に……」

 

 パールはピョコの背中に乗り慣れており、その甲羅に跨るまでの動きからして身軽で素早い。

 今日はピョコがプラチナにも、背中に乗れと声と首の動きで促してくれる。

 パールの言うとおり、ピョコがパール以外の誰かを背中に乗せることを許すなんて、間違いなくプラチナただ一人だけだろう。

 基本的にパールの特等席である。余程の相手にしか許さない。

 

「えーと……」

「ちょっと、ちなみにこっちはダメだよ。

 なにその手、抱きつこうとなんてしてないよね?」

「そ、それはしてないけど……

 この後ピョコ、知らせがあったら走るんでしょ?

 掴まる所がないんだけど……」

 

 パールがピョコの甲羅の上に乗る時、場所は必ず決まっている。

 ドダイトスの甲羅前方には灰色の六角形に近い形状のものがあるのだが、パールはその後方位置に座り、その六角形のものに両手をかける。

 こうすると、多少はピョコがどかどか走ったとしても、手綱を握っているような形で彼女も落ちずに安定するのだ。

 ハヤシガメの頃は背中の真ん中に乗せて貰っていたが、ドダイトスになってからはここがパールの所定の位置として定着しつつある。

 

 さて、しかしプラチナはどうしたものか。

 各方面にフラッシュを焚いて散会したみんなのうち、誰かが目標を見付けたら、お呼びがかかってピョコはそちらに走ってくれるつもりだろう。

 となればプラチナも、何かしらに掴まっておかないと振り落とされかねない。

 一番手っ取り早いのは、安定確実のパールにぎゅっとしがみつくことなのだが、流石に異性と意識し合い始めている間柄でやるには勇気が要り過ぎることだ。

 もっとも、それ以外の観点からでもプラチナにしてみればそんなことしたくないのだが。

 彼氏の自転車の後ろに座った女の子のようにしがみつくなんて、なんで男の僕がそんなことしなきゃいけないんだっていうのも正味のところである。

 

「……まあ、これしかないかなぁ」

「ぷぷっ、おサルさんみたい」

「くそ~、絶対言われると思ったんだよ。

 覚えてろよパール、いつか絶対似たような言い返ししてやるからな」

「私そんなことしないもん。

 木登りは得意だけどさ、ダイヤに振り回されて育ったせいで」

「おサルさんじゃん」

「誰がおサルさんかーっ!」

 

 仕方ないのでプラチナは、ドダイトスの背中に生えている木に、横身を預けるような形で両手を回してしがみつく。

 あんまり格好いい姿じゃない。プラチナも自覚はあるようで。

 お前だけは俺の背中に乗ってもいいんだよ、という友好表明も込めて乗れと言ってやったピョコだが、結果的に少々恥をかかせてしまったようで少し気まずい。

、まあ、パールと小喧嘩気味ながらきゃんきゃん楽しそうに喋っているので、微笑ましくもあるが。

 やっぱりうちのご主人の方が子供だなぁ、と笑えてくるからピョコも楽しい。

 

「――――z!」

 

「!!

 ――――z!」

「――――z!」

 

「わわ、誰かの呼び声?」

「最初の声が僕のピッピみたいだから、他のみんなは呼応した形かな。

 見つけた、って言ってるのかな?」

 

 ピョコに問いかけるように尋ねたプラチナに、ピョコが頭を頷かせる形でイエスの返答だ。

 ポケモンの言語は人間にはわからないが、ポケモン同士なら種族の垣根を超えて、概ね誰と誰でも疎通が出来るものだ。例外は多少あるようだが。

 見つけたよー、と声を出してくれたピッピに、パッチやガーメイルも今からそっちに向かうと返事したようである。

 となればピョコも、ピッピが強くフラッシュの光を発する方に体を向け、ざしざしと雪を前脚でかいてみせる。

 走るぞ、ちゃんと掴まっていろよと背上の二人に首の動きと短い鳴き声で訴え、二人の頷く動きを甲羅越しに感じ取れば、ピョコが雪原を走りだす。

 

「うわわわわ!?

 わかってたけどピョコやっぱり速いなぁ!?」

「当たり前でしょ~!

 私の自慢のピョコなんだぞ~! 何やらせても一等賞だっ!」

 

 ポケモン同士の全力駆けっことなれば、負けることも多いドダイトスだが、走行速度の地力はやはり高い。

 大きな体で歩幅も大きいのだ。人間が走るのよりも遅いなんてことはない。

 背上に座る者に伝わる振動と、真正面から受ける風の強さときたら、駆けるドダイトスのスケールや迫力を肌で感じ取るには充分だろう。

 驚嘆の声を発してくれるプラチナに、一番好きな子の凄さが伝わっている気がして、パールの嬉しそうなこと嬉しそうなこと。

 そんなことで嬉しがってくれるパールの声に、ピョコも雪の冷たさや寒さを一時でも忘れて、気持ちのいい全力駆けが出来るというものだ。

 

「――――!」

 

「あっ、フワンテちゃん!

 あっちにいるんだね? よーしピョコ、行こう!」

「――――z!」

 

 ピッピが雪の中で見つけてくれたのは、まずはニューラの行き先をしっかり追っていたフワンテである。

 駆けつけてきたパール達の姿を見るや否や、こっちこっちと指差す手つきで行き先を示してくれる。

 ピッピならびに一緒に駆けつけていたパッチやガーメイルを、パールとプラチナはボールに戻し、ピョコの背に乗ってフワンテの案内する方へ進んでいく。

 

「――――――ッ!?」

 

 ニューラはすぐに見つかった。

 深い傷が相当に体力を蝕んでいるのか、雪原の中にそびえ立つ一本の大樹の根元で、それに背を預けるようにしてぐったりと休んでいた。

 

 未だ血の流れるあの傷を抱えて、雪が降りしきるこんな場所であんな風に倒れていれば、人間だったら間もなく死んでいる。

 氷ポケモンのニューラだからこの豪雪と極寒の中でも、それが命を蝕むことにならないというだけだ。

 それでもあの傷では、どこまで命が保つものだかわからない。

 それでいてニューラは、駆けつけてピョコの背中から雪原に降り立ったパール達を見て、大樹に爪を立てて辛うじて立ち上がる姿を見せた。

 爪を構えての臨戦態勢だ。ともすれば、逃げる体力がもう無いのだろうとも見える。

 

「うぅ、どうしよう……!

 どう考えても歓迎されてないよ……!」

「どうしても助けたいなら捕まえるしかないんじゃないかな……!

 そうすれば、ポケモンセンターにも連れていけるしね!」

「それしかない、よね……!

 うん、そうする! お願い、ニルル!」

 

 ピョコをボールに戻すと同時に、パールはニルルのボールのスイッチを押して、ニューラを迎え撃つ構えを取る。

 えっ? とパールの方を見るプラチナ。君がやるの? という気分。

 既にプラチナ、極力ニューラを傷つけずに弱らせて捕まえるために、ピッピを再びボールから出す構えに入っていたのだが。

 

「ニルル、あんまり強過ぎる攻撃しちゃ駄目だよ……!

 ほんとにあのニューラ、死んじゃうかもしれないから……!」

「――――z!」

 

 任せろ、とばかりにいななくニルルである。

 パールがどうして自分を選んでくれたか、ちゃんとわかっている賢い子。

 ピョコはこの極寒の中では戦わせにくく、パッチは攻撃力が高すぎて、不器用なミーナは手加減が得意じゃない。

 取り返しのつかないような攻撃をしないで欲しいというパールに応えるための戦術は、とうに閃いているニルルである。

 

「~~~~!」

「ッ――――!」

 

 雪上をにゅるーんと滑ってニューラの方へと前進するニルル。

 スキー板のようにつるーっと進んでいく。どこでもあんな風に滑れるらしい。

 しかしニューラからすれば脅威の接近である。撃退せねば。

 息も絶え絶えのコンディションにありながら、足に力を入れ、待たずニルルへと自ら突き進む動きを見せる。

 あれだけ弱っているにも関わらず、追い詰められた獣のような果敢さには、パールもプラチナも驚愕する想い。

 

「――――z!」

 

「レベルが高い……!」

「わわっ、ニルル、だいじょ……」

 

 ニューラがニルルに繰り出したのは"きりさく"攻撃だ。

 ただの"ひっかく"攻撃とは違う、爪先を一点に集わせるようにして、一筋にして力強い一刀両断を為す一撃だ。

 "ひっかく"複数の爪先による浅い傷を数本刻むより、深く相手を抉るその一撃は、本能的なだけの引っ掻く攻撃よりも相手に深手を与える技。

 そんな技を使えるニューラを見て、有象無象の野生の個体とは違うレベルの高さを感じ取る、そんなプラチナの分析は的を射ているのだ。

 

「~~~~~~!」

「――――!?」

 

 しかし、そんなやや強烈な一撃を受けたニルルだが、彼が仕掛ける技に変更は無い。

 パールに案じられかけはしたものの、彼女に心配させる暇も与えず、襲い掛かるようにニューラに飛びついていく。

 まあ、単なる"のしかかり"なのだが。

 ニューラはニルルにのしかかられて雪上に倒れ、ぎゅうっとその軟体で締め上げてくる重みにけはっと息を吐く。

 ただでさえ弱っているところに、組み伏せられて全身を重く押さえつけられてはかなり厳しい。

 

 ばたばたと足掻きながら、ニルルを爪先でびすびす斬りつけて抵抗するニューラだが、苦し紛れの爪先がニルルの身体に刻む傷は浅い。

 切られるたびに痛いニルルだが、苦痛を顔に出さずにニューラを見下ろし、たいしたことないぞ、そんなものかと挑発気味ですらある。

 重い体に組み伏せられて、抵抗だけで精一杯のニューラにとって、なけなしの力を振り絞っての抗いも相手にたいしたダメージじゃないという図式。

 ぎゅうぎゅうと軟体に体を搾り上げられる苦痛を伴う中、必死の抵抗も相手にダメージを与えるに至らぬと思えてならぬ状況の絶望たるや如何に。

 案外ニルル、可愛い顔して肉体的にも精神的にも、相手の心をばっきばきに折る戦術を組み立てられるようで。

 

「~~~~~~!」

 

「に、ニルルすごいね……

 でも、わかったっ! いけえっ!」

 

 まさにニューラの瞳が、もう駄目だ私はここで終わりなんだと力尽きたその瞬間に、今だとニルルがパールに鳴き声で以って呼びかける。

 あっさりこんなに早く、それもほぼ自己判断のみで好機を作ってくれたニルルの賢さに驚かされながら、パールはモンスターボールをニューラに投げつける。

 当たった瞬間、心も身体も屈服したニューラを取り込んだボールは、大きな抵抗を動きに表すことなく、あっさりカチリと音を立てた。

 捕獲完了の合図である。元々ニューラが弱っていたことも一因であるが、今までにパールが捕まえてきたどのポケモンよりも、容易な捕獲と相成った。

 

「捕まえたっ! ありがとうニルル!

 ごめんね、後でいっぱい感謝するからね!」

「えぇと……」

「プラッチ、キッサキシティはどっちかわかる!?

 はやくこの子をポケモンセンターに連れていかないとっ!」

「わかってるってば、だからポケッチのGPSで……」

 

 本当に仕事が出来るタイプのプラチナ君。

 ニューラを捕獲したパール、彼女が次に行きたがる場所をわかり果たした上で、即座にポケッチで方角を調べて。

 ニルルへの感謝を苦々しく後回しにするパールが何に焦っているかを、はなっから理解している行動の早さである。

 そしてプラチナにベストパートナーの立場を奪われたくないピョコときたら、この場面で即座にボールから再び飛び出してくる。

 

「ほらパール、乗って乗って!

 ピョコ、キッサキシティはあっちだよ! 急いであげて!」

「――――z!」

 

「あ、あれぇ……?

 ピョコって私のポケモンだよね……?」

 

 出てきたピョコにパールより先に飛び乗って行く先を伝えるプラチナと、それに応えて任せろとばかりに声を発するピョコ。

 なんだかプラチナのポケモンみたい。息ぴったりじゃないの感。

 急いで急いでの一心だったパールも、男二人が仕事も行動も早過ぎて、ふっと冷静になって置いてきぼりを食らっている。

 

「――――?」

「あっ、ハイ、すみません。

 乗りまーす」

 

 気持ちばかりが急いてせっかちさんと化していたパールも、ちょっと冷静になってピョコの背中に乗る。

 気の抜けてしまった返事になっているが、乗り慣れたピョコの背に跨るまではやはり早い。

 すぐさまプラチナに指し示された方向へと走りだすピョコの甲羅の上で、ぐっと持ち手に力を入れて振り落とされないようにする。

 さっきより速いピョコの走りだ。急いでくれている。

 

「…………ねえ、パール」

「なに?」

 

 揺れの激しいピョコの背上だが、プラチナは舌を噛まないように気を付けながらパールに話しかける。

 振り返ったパールの涼しい顔を見るに、ピョコの背に慣れているか慣れていないかの差が二人の間に如実である。

 こんなにどかどか走るピョコの上で、よくそんな顔で平然としてるなぁとはプラチナの所感。

 

「昔パール、友達になるポケモンしか捕まえないみたいなこと言ってたよね。

 ニューラを5匹目……あ、いや、5人目の友達にするの?」

「ん、んん~……どう、でしょ……

 この子が私に心開いてくれるかどうか、今んとこ自信ないのですが……」

 

 パールは元々、捕まえたポケモンはみんな等しく大事にしてあげたいタイプであり、6匹以上のポケモンを捕まえたがらない性格をしている。

 トレーナーが連れ歩いていいポケモンは最大で6匹。7匹目以降は、所有権を有したまま余所に預けることになる。

 大事な友達はそばに置いておきたいパールなので、7匹目以降の友達というのはあまり考えていないのである。

 

 友達になりたいというインスピレーションを抜きにした、ほぼ成り行きに任せての捕獲だったが、さてこのニューラをどうしよう。

 6匹のポケモンしか有さないスタンスを想定していたパールにとって、このニューラを5人目の友達とするか、あるいは逃がすのか。

 あくまで傷を治せる場所まで連れて行くための捕獲だったので、元気にしてあげればお別れという選択肢も無いではない。

 特にパールは、あのフワンテを友達候補に確定させているふしがあるので、残る枠は彼女の中で一つしかないのだ。

 プラチナに対する返答を深読みすると、親しくなれるならなりたいという気持ちは漏れているようだが。

 

「怪我が治ったらニューラとお話ししてみたらいいんじゃないかな。

 気が合いそうだったら、5匹目……あ、いや、5人目の友達でもいいかもね」

「考えとく……!

 やっぱり、何かの縁でこうやって繋がったんだしね!」

 

 初めてのポケモンだったピョコ。

 この子強そう、頼りになりそうと目をつけて捕まえたパッチ。

 二人に新しい友達をと思い立ったが吉日、その日初めて遭遇した野生のポケモンを早速という形で捕まえたニルル。

 可愛い見た目に一目惚れして、熱意いっぱいで捕まえたミーナ。

 今までの友達とは全く異なる事情での捕獲となったニューラである。

 

 それでも、これも何かの縁といえばそうなのだろう。

 パールは前向きに、今後もニューラと一緒に旅をしていければいいなと思いつつある。

 強く拒絶されているのが明らかな上での捕獲だったため、はなっから嫌われているかもしれないという懸念だけがパールを不安にさせる。

 逆に言うなら、それさえクリア出来るならパールの気持ちとしては、このニューラを5人目の友達として受け入れたいということだ。

 

 ふとパールが横を見ると、すいーっとピョコの走りに並走するように浮遊してついてきていたフワンテが、ふよ~っと離れる方向へと飛んでいく。

 ばいば~い、またね~、とでも言いたげに手を振ってだ。

 パールが心に決めている、いつか友達になりたい相手とは今日も繋がりきらなかった。

 だけど、いつかまた会えるはず。そしたらもしかしたら今度こそは。

 名残惜しいがパールも手を振り、またねとご挨拶するのみだ。

 ピョコの背中の樹にしがみつくプラチナは、よくこの揺れる背中の上で片手を離せるなぁと感じる次第。やはり慣れの差か。

 

 今はただ、傷ついたニューラの命が助けるために、一秒でも早く街へ。

 フワンテと別れたパールは豪雪の中で向かう先を見据え、先決のそれへと気持ちを切り替えるのだった。

 街に着いたらポケモンセンターへダッシュ。今一度、そう心に決めていた。



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第95話   キッサキシティ

 

 氷、煌めく冬の街。

 もっとも簡潔にキッサキシティを語るフレーズであり、一年の殆どを雪に包まれて過ごす街である。

 よほど暖冬の年でもない限り、10月から翌年の4月までは常に雪が降るほど寒く、同じシンオウ地方の中でも浮いた異色の土地柄だ。

 長い歴史上においては、最速で9月半ばに雪が降った年もあり、最も長引いて5月末まで雪が降り続いた年もあるそう。

 万年凍土の地は外国に行けばあるが、同じシンオウ地方内において、ちょっと最北地だからというだけでここまでの寒冷地というのはやはり特筆点だろう。

 

 他の街ではちょうど秋も後期というこの時期、キッサキシティはとうに真っ白。

 シンオウ地方で一番雪が降るのが早い街として有名なこともあり、他の街には雪の気配一つ無いちょうどこの時期は、観光客もそこそこに増える。

 夏の避暑地としての需要には劣るが、今年の雪を一足先に楽しみたい人達の需要を満たすということだ。

 ジム挑戦を目的としてキッサキシティを訪れたパール達だが、結果的に、今年の雪を他の街で過ごすより一足先に堪能する機会でもある。

 個性的な街の多いシンオウ地方は、旅そのものが目的とは別に楽しく、刺激的。それを最も象徴する街の一つが、キッサキシティとも言えるかもしれない。

 

「んん~、さむっ。

 もうちょっと涼しい程度に抑えてもらいたい気分」

「この風景でちょうどいい涼しさは期待できないねぇ」

「でも建物の中にいると暑いよ。

 運動しすぎたっぽい」

「色々と急いだもんね」

 

 ポケモンセンターに駆け込んだパール達は、ニューラは勿論、他のポケモン達も預けて一度外に出ていた。

 ほんのついさっきまで、一秒でも早くニューラを何とかしてあげなきゃの精神で、一貫どたばたしていた二人。

 寒い寒い豪雪の中であったとはいえ、あれだけ激しい運動と急ぐ行動を重ねていれば、流石に身体も内からぽっかぽかである。

 ピョコの背中に乗せて貰い、自分の脚では走っていない時間も多かったが、あれはあれでしがみつくのに力が入るから、案外体が冷えもしないのだ。

 

 ポケモンセンター内は、中の人が風邪を引かないよう暖かくされているため、今のパール達にとっては防寒着の下が汗で滲むほど暑い。

 コートの下がじわぁっときているパールなんて、先にシャワー借りない? なんてプラチナに提案していたぐらいである。

 こんな時間にシャワーなんて浴びたら、湯冷めして風邪を引きかねないから今日はもう外に出づらくなる、という理屈で却下されたのだが。

 

「あ~でも身体が冷めていく感じがすっごいする。

 やっぱりひえっひえだね、キッサキシティ」

「そりゃパールそんな格好だし」

「ちゃんと長いの履こうかなぁ。

 ハイソックスぐらいなら検討してみたい」

 

 こってり厚着しているプラチナと違い、スカートなので脚が風晒しのパールは、やはりプラチナより寒さの痛感が早い。

 おかげで汗が引くのも早そうだが。

 そして、ある程度のところで見切りをつけて建物の中に入らないと、今度は汗が冷えて風邪を引くかもという懸念もあったり。

 雪とは無縁の地から山を越え、一転寒冷地へと参じた初日などは、体調管理に気を付けすぎるぐらいで丁度いいぐらいかもしれない。

 

「ちょっと早いけど戻る~。

 プラッチはもう少し涼んどく?」

「いや、別にいいよ。普通に寒いし。

 耳がひえひえ」

「耳たぶぺちんすると痛いぐらいには寒いよね」

「しなくていいじゃん、わざわざそんな」

 

 自分の耳を指先で弾いてみるパールの行為にプラチナが笑いながら、二人はもう一度ポケモンセンター内へ。

 ニューラの傷はやはり深かったようで、治療に少し時間がかかるかもしれないとポケモンセンターのお姉さんには言われている。

 温かい飲み物を買って、まったりとしながらお喋りし、終わりましたよの声をしばらく待つのみだ。

 

 やがてパール達の名が呼ばれ、預けていたポケモン達の入ったボールを受け取ったら、二人は改めてポケモンセンターの外へ。

 怪我が治ったであろうニューラのボールだけは鞄に入れず、手にしたままでポケモンセンターの玄関口をくぐるパール。

 ご挨拶の時間だ。パールはニューラのボールのスイッチを押す。

 

「…………」

 

「怪我はもう大丈夫?」

 

 雪上に姿を現したニューラは、深手があったはずの今は綺麗になったお腹をさすり、少し気まずげにパールの顔を上目遣いで窺っている。

 好意的でない態度にも見えそうだが、ばつの悪い表情から察するに、助けて貰ったことへの感謝自体はありそうだ。

 どちらかと言えば、こんな風に優しくしてくれる人に、あんな風に抵抗した自分に対する自責があると見える。

 

「なんだか、成り行きであなたのこと捕まえちゃったけど……

 よかったら、これからも私達と一緒に来ない?

 どうしても嫌だって言われたら寂しいけど、私はあなたと一緒にいたいな」

 

 いい返事が聞けますように、と少し緊張気味のパールが、膝を曲げてニューラに握手を求めるように手を伸ばす。

 ようやく顔を上げ、パールの顔を真っ直ぐ見据えてくれるニューラが、少し悩むかのように足先をもじもじさせる時間が、パールにとってはどきどき。

 拒絶的な反応をされたら、と思えば怖いところだ。

 

「…………――」

 

 しかし、不安はすぐに晴れた。

 ニューラは照れ臭そうにようやく表情を緩め、傷のあったお腹をさすりながら、短い鳴き声と共にパールに向けて頭を下げる。

 お礼を伝えたいのだろう。友好的な態度。

 ぱあっとパールの表情が明るくなる中、ニューラはパールの手を握ろうとその手を伸ばしてくれた。

 

 しかし、爪の鋭い自分の手ではパールを傷つけるかも、とでも思ったか、手首を返したり指先を曲げたり、ちょっと悩む素振りも見せる。

 こんな風に気を遣ってくれる優しさが嬉しくて、パールはそっと自らニューラの手を握ってあげた。

 氷タイプのニューラの手はやや冷たい。そしてそんなニューラにとって、パールの手は温かい。

 これからよろしく、という想いを、微笑むパールとはにかむニューラが言葉無く交わし合い、良い間柄として二人の関係は始まりを迎えられたようだ。

 

「――――z!」

 

「わわっ?

 なんで? ミーナ?」

 

 パールに5人目の友達が出来たことが確定した瞬間、鞄の中のボールからミーナが飛び出してきた。

 元々呼ばれなくても勝手に出てくることも多い子、タイミングも神出鬼没。

 何のつもりかわからず戸惑うパールだが、ミーナは新しい友達ニューラに歩み寄ると、まずは握手を申し出る仕草。

 ニューラも社交的な方ではあるのか、上手にミーナの手を傷つけないよう握手して、友好的な意志を表明する。

 

「――――、――――――」

「――――――?」

「――――!

 ――――――!」

 

「ミーナが先輩風を吹かせている」

「後輩が出来たみたいで嬉しいのかな?

 確かにミーナにとっては初めての、自分よりも後にパールが捕まえたポケモンだもんね」

 

 ニューラに話しかけるミーナは、ポケモン同士の言葉で語らいつつ、身振り手振りもあれこれ多い。

 どんな会話かはわからないが、どこかしらエラそうである。胸を張ってぽんと叩き、私のことを覚えておきなさいよという態度たるやまさにそんな感じ。

 ニューラはニューラで、愛想良く笑って応じており、好意的な対応だ。

 子供っぽい所が目立つミーナに対し、ニューラの方がどことなく大人っぽい。

 

「ミーナ、おいで。

 ここじゃなんだから、街の外に行こ。

 そこでみんなと一緒に、ニューラと遊ぼっか」

「――――!」

 

 街の真ん中でみんなをがやがや呼び出すのもしづらいため、パールの提案でキッサキシティの入り口付近まで行くことに。

 街から出た場所でみんなボールの外に出て、親睦会というところだ。

 結果的にここまでの旅足が急ぎ気味であったせいもあり、夕暮れ時までまだ時間がある。

 パールの嬉しい提案にぴょんと跳ねて喜びを表したミーナは、ニューラの手を握り、行こう行こうと駆けだすのも早い。

 ぐいぐい来られて足がもつれそうになりながらも、しっかりすぐに足をついて行かせて走れる辺り、良い足捌きをするニューラである。

 

「は、早いね~……プラッチ、急ごっ!」

「今日は走ってばっかりだなぁ」

 

 置いていかれてしまいそうなので、パールとプラチナも駆けてミーナ達を追う。

 しょうがないなあの子は、なんて気分にさせられながらも、その内心では二人ともわくわくしている。

 新しい友達が出来て、みんなで遊ぼうというこの瞬間のわくわくは、ちょっと他ではそうそう経験できないほど胸を満たしてくれるものだ。

 

 ポケモントレーナーは、最大6匹のポケモンを連れて歩ける。

 その一枠をあのフワンテと決めているパールにとって、5人目の友達となったニューラは、未定だった最後の枠。

 パールの思うフルメンバーは、この日どうやら確定した。

 きっと、一生涯の友達になる。チャンピオンになりたいという大きな夢を、共に追い求める仲間達への思い入れは、これからどんどん膨らむ一方なのだから。

 今ですら、充分すぎるほど思い入れのあるみんな。それでも、今よりもっともっと大好きになっていける。それがポケットモンスターだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのニューラって、女の子?」

「赤い耳が短いからメスだろうね。

 オスだったら赤い耳が長いはずだから」

「うちの子達、いま女の子比率が勝っちゃってるのかぁ。

 あ、プラッチ、ポッキンいる?」

「ありがと」

 

 キッサキシティを西に出てすぐのところで、パールとプラチナのポケモン達全員が、ニューラを中心に遊んでいる。

 ピョコだけはこの寒さの中では活動的に遊ぶ気にはなれないらしく、パールやプラチナと一緒に、遊んでいるみんなを眺めている立ち位置だ。

 正直、雪の中を走るのは足が冷たいので好みではないようで。パール達を乗せて走ってくれた時のように、必要とあらば仕事はするというだけで。

 

 ピョコの背中に座らせて貰っているパールとプラチナは、早くもみんなと打ち解けて楽しそうに遊ぶニューラを見て、ともかく微笑ましい。

 ちゃっかりポケモンセンターでお菓子を買っていたパールと、二人でそれを美味しく食べながら、あの微笑ましい光景を眺めるのみ。

 見ているだけで楽しい。至福の時間である。ちょっと寒いのも気にならない。

 

「あの耳がちょっと欠けてるのは、ケガじゃなくて個性なのかな。

 ケガだったら、ポケモンセンターで治せて貰えてるよね?」

「あるいは、野生の時に欠かしてから、古傷になってて今はもう治せないのかもね。

 僕達も人間も深い傷が出来てずっとほったらかしにしてたら、傷跡になっちゃうし」

 

 ニューラの雌雄を見分ける指標にもなり得る赤い耳だが、あのニューラの赤耳は、ネズミにかじられたかのように少し欠けがある。

 別段、生きていくために困るほどの傷ではなさそうだが些か特徴的。

 他のニューラに交じっても、一目で彼女が探せる個性である。

 

「それにしてもあのニューラ、能力かなり高そうだよね。

 ニルルとバトルした時も、レベルの高い個体じゃないと扱えなさそうな"きりさく"攻撃を使えてたし。

 何よりミーナより脚が強そうってのは凄い」

「反復横跳び対決してるね。

 ミーナあれ得意なんだよね。でも、ニューラちゃんも負けてない」

「元々ニューラは足が速いポケモンではあるんだけどね。

 でも、パールっていうトレーナーにきちんと育てられてきたミミロルに、今の時点で既に匹敵する脚があるってかなりレベル高いと思うよ」

 

 基本的に、トレーナーにしっかり育成されたポケモンというのは、そう簡単に野生のポケモンに劣らないほど能力を得ているものだ。

 逆に言えば、捕まえたばかりのポケモンが、長らく連れ添った自分のポケモンに匹敵するほど高レベル、というのは比較的稀である。

 しかし、しばらく観察してみたところ、あのニューラの能力高さは明らかだ。

 脚が自慢のミーナに機敏さで勝るとも劣らず。

 また、数分前にはエンペルトと力比べごっこをしていたが、勝てはしないもののぐぐっと耐える時間があった程度には力も強い。

 近日中にキッサキジムに挑む予定があるパールだが、あれだともしかすると即戦力なんじゃ? という印象すら抱かせてくれる。

 苦戦必至の予感がする7つ目のジム、普通は手塩にかけて育てた仲間達で万端の挑戦と臨みたいところだが、あれだと話も変わってくるかもしれない。

 

「……っていうかさ、プラッチ。

 私、あのニューラちゃんって、ただの野生のポケモンじゃない気がするんだよね」

「ん? どういうこと?」

「昔、テンガン山でアカギさんに初めて会った時のこと覚えてる?」

「うん、それはまあ」

 

「あの時、私アカギさんとちょっとバトルさせて貰ったじゃん。

 ……あの時にアカギさんが出してきたニューラも、赤い耳が欠けてたような気がするんだよね」

「……………………そうだっけ?

 じゃあ、だとしてあのニューラは、元はアカギさんの育てたポケモンかもしれないってこと?」

「ん~……」

 

 正直、今となってはかなり前の話なので、その時の記憶も薄れている。

 あの時のアカギのニューラの耳が欠けていたかどうかなんて、細かいところまで思い出せる自信はパールも無い。

 だけど、どうもそんな気がするのだ。そして実際、それは正しい記憶である。

 

「それに、アカギさんに関連付けて思い出すと、もう一つ気になることがあるだよね」

「えぇと、もしかしてカンナギタウンでのこと?」

「そうそう。

 プラッチあの時のニューラの耳、どうだったか覚えてる?」

「いや~、流石にあの時そこまでは見てないよ」

「駄目かぁ。まあ私も全然覚えてないしね」

 

 次に思い出すのは、カンナギタウンでアカギと行動していたパール達を、野生と思しきニューラが急襲してきた時のこと。

 あの時アカギは、マニューラを出して対抗していた。

 あのマニューラは、テンガン山でバトルしていたニューラが進化したものなのかなと、その時のパールは考えたりもしたのだが。

 今こうして、あの時のニューラはアカギの手を離れ、野生のポケモンとして自分に捕まえられたのではという仮説があると、話も変わってくる。

 何らかの形でアカギと別れたニューラこそが、あの時アカギを襲撃した個体とイコールなのでは、という発想にも繋がってしまう。

 動機も何も想像つかないため、現実的な推察だとは現時点で考えにくくもあるが。

 

「思い返せばニューラっていうと、シンジ湖でもなんか乱入してきたニューラいたよね。

 ちなみにパール、あの時のニューラの耳どうだったか覚えてる?」

「無理無理、私あの時いっぱいいっぱいでそんなとこ見てる余裕なかったし。

 あの日は色々ありすぎたからさぁ」

「あぁ、そう言えば僕ら当時は絶賛絶交中だったんだよね」

「そーいうのもあって私はとっても追い詰められてたわけなのですよ。

 プラッチはどう? 覚えてない?」

「言っとくけど僕は僕で気苦労すごかったんだからね?

 余裕が無かったって仰るなら、当時の僕の余裕の無さも察して貰いたい」

「やぶへびだっ!

 はいはいっ、その話は終わりっ! 永遠に封印!」

「早いね、撤退が」

 

 蒸し返されると気まずさしかないのでパールは即逃げ。

 まあ、プラチナもわざわざあの日のことを深くつつく気は無いので結構というところ。

 その話になるとパールは何も言い返せなくなってしまうので、積極的にその話をするというのは、プラチナ目線ではパールをいじめている気分になってしまう。

 

「ニューラってこういう寒冷地にしか生息してないポケモンだから、この辺り以外でこんなにニューラと接点持ってる僕らって少し特殊だよね」

「まさかそれが、全部あのニューラちゃんっていうのは偶然が過ぎるから、無いだろうなとは思うけど……

 どれか一つぐらいは、実はあの子でしたっていうパターンあるのかな。

 ちなみに私は、やっぱアカギさんのニューラは耳欠けてたと思うし、あの子のような気がしてるんだけどな」

「まあ、一度は人の手で育てられてたなら、あの能力の高さも辻褄合うしね。

 それはもしかしたらあるのかもしれないな。

 そうならそうで、どうしてアカギさんと別れたんだろうな、っていうのは気になってもくるけれど」

「……ニューラちゃんに聞いてみたいけど、どうせポケモンの言葉はわかんないしなぁ。

 それに、もしもそこに良くない思い出があったんだとしたら、わざわざ思い出させるのも良くないかもしれないし」

「それは……うーん、あるのかもね。

 気にはなるけど、わざわざ尋ねたりしない方が、確かにいいかもしれないな」

「まあ、全部想像だしね」

 

 好奇心こそありながら、ニューラを慮って過去を詮索しないことを考えるパールに、出来たばかりの友達に心遣いの届くパールだなとプラチナも感じつつ。

 あくまですべて推測に過ぎず、自信の程も知れている空想に近い。

 思い至った今日のみこそ色々と気になるが、明日になる頃にはもう忘れていそうな話題に過ぎまい。

 この日限りの与太話として、パール達の意識からこの話題は流れていく。

 

「それはそうとパール、さっきからあの子のことニューラちゃんって呼んでるけど」

「ん? なにかヘン?」

「ニックネーム、つけないの?

 今までなんか、捕まえて挨拶したらすぐに付けてたよね?」

「あ~、えぇと、考え中で……

 あの子、けっこうムズかしいんだよねぇ……」

「そうなの?」

「一番最初に閃いて、絶対駄目で没にした名前が邪魔する」

 

 頭に葉っぱがあるからピョコ。

 ぱちぱちと静電気を放っていたからパッチ。

 にゅるにゅるする体だからニルル。

 大きくて可愛らしい耳が目立つミーナ。

 そうしたニックネームを、捕まえてすぐに閃いてきたパールにしては、今回あのニューラにニックネームを閃くまで時間がかかっている。

 

「やっぱりさ、ちゃんと可愛い名前を付けてあげたいじゃん?

 女の子だってわかったら、余計にさ」

「うん」

「それで、出来れば短くパッと呼べる、呼びやすい名前がいいじゃん?」

「二文字か三文字ぐらいってことね」

「ニューラ、って最初から(発音上は)三文字でしょ?

 出来れば二文字ぐらいの名前だといいんだろうなって思ってる」

「より呼びやすくするためには、ってことね」

 

「ニューラ。

 はい、短く二文字にしてみて」

「…………」

「…………」

 

「ニラ?」

「絶対駄目でしょ。でも私も一番最初にフッと頭よぎってる。

 ボツにはしたけど、頭の中でニューラ、ニューラ……って繰り返して考えてると、時々チラッと邪魔してくる二文字。強敵」

 

 流石に野菜の名前を大事な友達のニックネームには出来ない。

 もっとも、韮は胃腸の不調に対する改善作用があったり、高い薬効を持つ野菜なので、ニラという単語自体は思いのほかポジティブなのだが。

 まあそういう問題ではないので。

 

「"ニーナ"だとなんとなくミーナとかぶっちゃってるし。

 "ラーニャ"っていうのも考えたけど、それだとニューラって呼ぶのと気分的にそんなに変わらないし。

 今のところは"ユラ"が候補に残ってるけど、これはこれでニューラの面影少ないし、あの子の特徴の何かを拾ってる感じもしないしな~」

「けっこう苦戦してるんだね……」

「でも、絶対なにかいい名前つけてあげたいんだよね。

 っていうか、他の子達はニックネーム持ってるのに、あの子だけ無しとか絶対あり得ないし」

 

 思い付かずになし崩しに、ニューラちゃんと呼び続けるのだけは絶対に無い選択肢だ。

 悩ましくもあるが、パールにとっては絶対に解決したい問題。

 一人だけニックネームの無い、仲間外れみたいなことには断じてさせたくない。

 

「出来れば早く呼び始めて、あの子に馴染んで欲しいしねぇ……

 みんなが遊び終えるまでに、なんとか頑張っていい名前決めるつもりだよ」

「ごめん、僕そういうの得意じゃないから、あんまり力になれそうにない」

「いいよいいよ、こういうのは私が、私の力で頑張らなきゃいけないんだし。

 ニューラちゃんは、私の友達なんだからね」

 

 自分のポケモンのことだから、人任せにはしたくない。普通の発想だ。

 一度付ければ、何らかあって変えない限り、ずっと付き合うニックネーム。

 それこそ人に頼らずに、自分で考えて答えを出した方が愛着が出るというのを、パールだってわかっているのだろう。

 こんな大切なことを人任せに出来ないというのは、使命感とは別の感情である。

 

 悩んでいたパールだったが、どうにか最後には自分の中でも納得できる語感を選び取り、ニューラのニックネームを決めることが出来た。

 空が赤らんで、そろそろ帰ろうかとみんなに声をかけ、ニューラ以外の全員をボールに戻して。

 そしてニューラと膝を曲げて向き合って、あなたの名前は今日から――という旨を告げる。

 ニューラも喜んでくれていた。それが、パールにとっても嬉しかった。

 時間はかかったが、やっぱり人の力を借りず、自分で考えるのが一番だなってパールは改めて感じるのだった。



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第96話   スズナ

 

「ようこそ、キッサキジムへ!

 今回は可愛い女の子が挑戦者ね! 気合入ってる!?」

「あっ、はいっ!

 気合入ってます! 絶対負けないつもりマンマンです!」

「あははっ、よろしい!

 ちょっとは怯むかなって思ったけど、即答してくれるならほんとに気合満点ね!」

 

 その日、パールは朝一番から意気込み充分に、キッサキジムを訪れていた。

 受付の人に挑戦者であることを告げれば、話が通ってジムの奥から、この街の最強トレーナーであるキッサキジムリーダーが姿を見せてくれる。

 ツインテール状の二筋の髪に、いくつかの結び目を作って連結したお団子状に纏めているのが特徴的な、パールから見て年上お姉さんなジムリーダーである。

 

「あたしは"スズナ"。

 あなたのお名前は?」

「パールです、よろしくお願いします。

 さっそくなんですけど、どうしても気になることがあってお聞きしたいです」

「あら、何かしら。

 そんなにせっつくほど気になることがあるの?」

「はい。

 とっても寒そうな格好してますけど大丈夫なのでしょうかっ」

 

 はじめのご挨拶こそ挑戦者の気合を確かめようと、敢えて強い第一声で迫ってきたスズナだが、自己紹介が始まれば普通のトーンである。

 話せる雰囲気だと感じたら、パールは無視できないことを早めに消化したくて、話の主導権を渡さない勢いで質問だ。

 キッサキジムは建物内でありながら、氷のフィールドが保たれていることからもわかるように、暖かい空調など利かせていない。

 外と同じぐらい寒いし、夏でも氷のフィールドが保てるよう、特別仕様の冷房めいたものでガンガン冷やしているぐらいである。

 そんな中にあって、スズナの薄着っぷりは見ているだけでこっちが寒くなる。

 白い制服風の薄い服一枚を纏い、袖も短くして腕も半分肌晒し、雪の中を出歩く際に着ると思われる上着も腰に巻き付けて今は身に纏わない。

 そしてミニスカートである。この寒い中でこんな格好に着替えろと言われたら、パールだって勘弁して下さいの一言であろう。

 

「ふふふ、それはあなたの心の中にも答えがあるのだ」

「私の心の中にですか?」

「あなたはどうしてこの寒い寒いキッサキシティに、スカート姿で訪れているのかな?

 脚を包むあったかいズボンを履きたいとは思わないのかな?」

「わかりました!

 すなわち、オシャレなのですねっ!」

「そう! オシャレもバトルも恋愛も全部、気合っ!

 私は着たい服を着て、したい格好を貫く女の子!

 寒さなんかには負けません!」

「すごい! リスペクトします!」

 

 腕を組んでふんすと鼻を鳴らし、どやっとした顔を見せるスズナを、パールはぱちぱち手を叩いて心からの絶賛である。

 二人のやりとりを見るプラチナからすれば何のこっちゃの盛り上がりだが、女の子同士でしか通じ合えない何かがあるのだろうと思考放棄。

 もっとも、この二人はそのベクトルに対して極端なタイプだが。

 困ったら根性で頑張ろう系。気の合いそうな二人だこと。

 

「ご存じかもしれないけど、あたしは氷ポケモンのエキスパート。

 連れてるポケモンもみんな寒い所が大好き、私もこの子達と一緒にいるのは大抵が寒い場所。

 小さい頃は我慢してたこともあったけど、何年もそんなこと続けてると慣れてきちゃうのよね。

 人間だって進化するのよ?」

「私は超人に挑もうとしている……!?」

「だけど暑さに対する耐性は著しく退化してる気がするのよね~……

 たまに何らかの用事でキッサキシティを出て、余所の街や地方に出かけると、どこに行っても暑くて暑くて。

 夏場に南のノモセシティに行った時なんて、この薄着でも汗だくになっちゃって大恥かいたんだから」

「ありゃりゃ……

 進化もいいことばっかりじゃないんですね。

 イワークが進化してハガネールになったら動きが遅くなっちゃった的な」

「そんなあたしだから、実は見た目ほど寒くも感じてないわ。

 気になるかもしれないけど無視してくれて大丈夫よ?」

 

 ジムリーダーと挑戦者の会話とは思えないような、お軽く弾む会話である。

 パールも初対面の人と打ち解けやすい会話をするタイプだが、スズナも受け答えが饒舌で社交的な性格が垣間見える。相乗効果だろう。

 そんなことよりプラチナは、自然にイワークとハガネールの進化前と進化後の素早さを例えに出せるパールの姿に、ちょっと驚きつつ感慨深くなっていたり。

 出会った頃にはまごうこと無き素人だったパールが、旅を経て当たり前のようにこんな例えを出せるようになるほど成長しているのだから。

 トウガンさんのハガネールは素早かったのに、あれを忘れていようはずがないパールがこれを言えるのは、地の知識量が増えている証拠である。

 

「それにしても、パール、ね。

 あたし、あなたのこと、いつ来てくれるかなって待ってた感ある」

「え?

 私のこと知ってるんですか?」

「そりゃそうよ、シンオウジムリーダーの女性陣は、よくチャットでお喋りし合うぐらいの結束力なのよ?

 あなたのことをすご~く楽しそうに話す、シンオウジムリーダーのお姉さんに心当たりは無い?」

「あっ、すぐわかった。

 ……あの人、そんなに私の話するんです?」

「どんだけ気に入ってるのよってぐらい、あなたと電話して聞いた新しい情報、あたし達と通話するたび必ず話すんだから。

 あたしあの子に言ったことあるもん、コトブキのテレビ局に直談判してラジオ番組でも持たせてもらったら? って。

 番組名は"今日のパールちゃん"。ナタネがパールの話を毎日15分喋りまくるだけの番組。

 笑いながら『やるわけないでしょ、出来なくはないかもしれないけど』って返事してくるあの子の声聞いたら、筋金入りだなぁって思わずにはいられない」

 

 シンオウ地方のジムリーダーは、綺麗に男女比率が4対4に分かれているが、中でも女性陣4名の繋がりは非常に強いらしい。

 一番年下のスモモ、年長者のメリッサ、その中間にあたり年の近いスズナとナタネ、という年齢差がありながら、よく電話やチャットで語らうほど親しい。

 スモモが年上の三人を強く敬い、メリッサは礼儀正しく器量のいい年下の三人が可愛くてしょうがない。

 上にも下にも優しく敬意があり、年が近くて気も合うスズナとナタネを中心とする、女の子トレーナーサークルとでも言えよう集まりである。

 

「ナタネのことなら心配しなくたって大丈夫よ。

 私だってニュースを聞いた時はびくっとしたけど、ちょっと経ったらあの子の快復はすぐに信頼できるようになったわ。

 ああ見えて、あの子だって強いんだから」

「……そうなんですか?」

「あなたのこと知ってるわよ~?

 危険も顧みずギンガ団に挑む、無鉄砲な子なんですってね。

 怪我とかしなかった? 怖い想いしなかった?」

「うっ、そ、その話は……

 後ろの友達に、さんざん迷惑かけまくった行動でもあったので……」

 

 途端に気まずさを呼び起こされ、後方のプラチナをちらちら気にしながらしどろもどろするパール。

 もっと言ってやって下さいとプラチナは無表情を貫いておく。いい機会なので。

 

 しかしながら、ナタネのことを思い出すや否や、表情が暗くなりかけたパールがこうして、一時でもそれを忘れた感情に染まれるのはスズナの手管である。

 深い傷を負って、意識不明の重体で未だ入院しているナタネだ。思い出せばパールだって、心配する気持ちが蘇ってしまう。

 実際、毎晩そう。習慣付くほど電話をかけていた相手に、今かけても……と思い出すたび気が沈むのだから。

 ナタネの話題になった瞬間から、言葉を増やして別のことをパールが考えられるようにしているのも、立て板に水で語れる口を持つスズナなりの気遣いだ。

 そして最後は、少しでもパールが安心できるよう、筋道立てて話題を移り変わらせていく。

 

「あなたも無茶な子のようだけど、ナタネやあたしだってそんなに負けてないのよ?

 もっと草ポケモンのことを知りたいあの子と、もっと氷ポケモンのことを知りたいあたしで、レンティル地方まで行ったこともあるんだから。

 あの頃のあたし達っていえば、あなたよりもちょっと年上ぐらいだったかな?」

「レンティル地方!?

 だ、大丈夫だったんですか!?」

「ケガしたケガした。

 あたし達もあの頃はけっこう無鉄砲の怖いもの知らずでさぁ。

 自分達なりに気を付けてはいたけど、ちょっと調子に乗っちゃって深入りしちゃって、野生のポケモン怒らせて大怪我したんだから。

 あたしは骨折したし、ナタネだって全身打撲で大変だったんだから。

 現地の博士にだってすごく怒られたし、自業自得とはいえあの時は踏んだり蹴ったりだったなぁ。あははは!」

 

 名前だけはまあまあ有名、だけどどういう場所なのかはそんなに有名じゃないレンティル地方。

 それもそのはず、未開の島が多い地方であり、環境的にもかなり特殊で、軽い気持ちで旅行できる地方ではない。

 手つかずの自然が多いので、ポケモン達を観察するには魅力的な地方でもあるが、同時に大きなリスクも伴うと専ら名高い地。

 スズナの言うとおりその地方にもポケモン博士はいるが、ごく限られた居住区のある唯一の島に暮らし、調査活動も非常に慎重に行っている。

 

 何せ人の手つかずの自然に暮らすポケモン達は人間に慣れておらず、神経に障れば牙を剥いてくることも何ら珍しくはない。

 シンオウ地方がかつてヒスイ地方と呼ばれていた遥か昔とて、人に慣れぬ野生のポケモンが、人間を襲った例に枚挙の暇が無い史実からも明白である。

 そんな地方で、いくら腕に覚えがあるからと言っても、現代っ子が調子に乗ったことをしてしまったら、痛い勉強をさせられることも自明の理というわけだ。

 今はもう昔のことだから、スズナも笑って語れるが、聞かされる子供からすれば壮絶な話にしか聞こえないというものである。

 

「まあ、そんなこともありましたけれど、あたし達は今日も元気に生きてる。

 あんまり自慢できることでもないけどね、調子に乗ってケガしましたっていう話でもあるからさ。

 ナタネは必ず元気になって、初めてあなたと出会った時のような、明るい快活な姿で話が出来るようになる日がすぐに来るわ。

 信じるとか願うじゃなくって、確信してるのよ、あたし。

 あなた達が知らないナタネを知ってる、あたしにしか言えないことね♪」

 

 強がりでも虚勢でもない、不動の自信を態度に表し、はっきりそう告げてくれるスズナの姿は、パールにもそんな未来を信じさせてくれるほどの貫禄だ。

 もしも内心で、最悪の結末もあるかもしれないという不安があったとしたって、スズナは欠片もそれを匂わせることはしない。

 ナタネのことが大好きなこの少女を、そしてナタネが可愛がっているこの子を、心を重くする不安から解放させるために手を尽くしてくれている。

 そうだとさえ感じさせない、ただ自分の思うところを語っているに過ぎぬ姿としか感じさせぬその姿こそ、完全無欠のスズナの手腕である。

 

「……なんだか、そう言ってくれると安心しちゃいます。

 わ、私って単純ですか?」

「お姉さんを信じなさい! あなたよりも人生経験豊富なんだからね!

 そして今! あなたはそんな偉大な私に挑もうとする挑戦者なのだ!」

「うっ、そうだった……!

 今すっごいスズナさんがおっきく見えてます……! これは強敵だっ!」

「そうでしょうそうでしょう!

 7つ目のバッジ、そう簡単に獲得できると思わないでね!

 だけど、あたしに勝てれば目覚めたナタネと話せた時、すっごく誇らしく自慢できるわよ!

 あたし、ナタネには全然負けたことないんだから! あの子もあたしの強さは知ってるわ!」

「それは相性のせいじゃ」

「そうなのよ~、だからあたし、あの子とフェアなポケモンバトルが出来ないっていう悩みをず~っと抱えてるの。

 スモモに対しては逆の意味でそう。

 シンオウジムリーダー女子会で、あたしだけがなんだか損な立場なの」

 

 強いタイプにはめっぽう強く、弱点も多い氷タイプだ。

 親しい上に強いジムリーダー同士、お手合わせしたくなることだって多いのに、得意とするタイプの問題で切磋琢磨にも障害ありとは確かに損。

 ポケモントレーナー同士はバトルで語り合えることが沢山あるのだ。誰よりもそれを知っているジムリーダーをして、確かにそいつは悩ましい。

 

「さあさあ、そんな話もほどほどに!

 そろそろ挑戦者として気合を取り戻して貰わなきゃね!

 ジム生のみんなを撃破して、あたしへの挑戦権を勝ち取ったら、ポケモンセンターでじっくりポケモン達を休ませて挑んできなさいっ!

 待ってるわよ! 楽しみにしてるからね!」

「あっ、はいっ!

 負けませんよ、スズナさん! 一回で勝てるよう、全力を尽くします!」

「あははっ、いい意気だわ!

 ジム生のみんなと、あなたのこと、おんなじぐらい応援するからね!」

 

 発破をかけるために強い声と言葉を向けてくれるスズナに、パールも物怖じ一つない返答を見せていた。

 ナタネのように快活でパールにとっては話しやすく、情熱的なスズナの姿は、もしかすればナタネ以上にパールと馬が合うかもしれない。

 とりあえず、もしもパールがスズナに勝てれば、バッジを受け取ると同時に連絡先の交換を申し出ることは間違いあるまいというところである。

 

 パールとの対戦が楽しみであることが目に見える足取りでジムの奥へ去っていったスズナ。

 代わって、パールとジム生達とのバトルが始まる。

 これまでの旅の中では、あまり多く遭遇することのなかった、氷ポケモンの使い手とのバトルの繰り返しだ。

 これによって、パールは氷ポケモン相手の戦い方を、肌で実感して習得していくことも叶えられている。

 今までのジムもそうだったが、ジム生とのバトルは、ジムリーダーの扱うタイプのポケモンとのバトルに向けて、挑戦者のチュートリアルの側面も兼ねている。

 キッサキ近辺以外に数の多くない氷ポケモン達なので、とりわけキッサキジムではそれが浮き彫りになりやすいということだ。

 

 ジム生達だって腕利きだ。繰り出すポケモン達は、野生のポケモンの強さと一緒に出来るものであろうはずもない。

 強い氷ポケモン達とのバトル、しばしば降り始めるあられ。

 翻弄されることもありながら、パールは頼もしい仲間達と共にジム生達に勝利を重ね、やがてスズナへの挑戦権を獲得する。

 後は、一度ポケモンセンターに行って、万全を期してバッジ獲得を目指す戦いに挑むのみだ。

 

 7つ目のバッジへ向けて。

 一途に情熱を燃やすパールも、親友の推しを迎え撃つスズナも、開戦を数時間後に控えたままにして、その胸は熱きものに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う~ん、立ち入り禁止なんて残念」

「なんとなく予想はついてたけどね。

 説明されたことまで含めてドンピシャで」

「やっぱりか~、って感じだったよね」

 

 ポケモンセンターに行って仲間達を預けたパールは、待つ間の時間潰しに、キッサキシティのすぐそばにある"エイチ湖"を訪れようとしていた。

 元より地元のシンジ湖に愛着が強く、そんなシンジ湖と並んで"シンオウ三湖"と呼ばれるうちの一つ、エイチ湖は是非一度お目にかかりたいものだ。

 だが、残念なことに今のエイチ湖は立ち入り禁止である。

 警察の方々が常に警邏し、パール達がエイチ湖のほとりへ向かおうとしても、悪いが今は我慢してくれと丁重にお断り。

 理由はパール達にも予想できていたことだ。ギンガ団への警戒に決まっている。

 

 ギンガ団は既に、三湖のうち2つ、リッシ湖とシンジ湖を襲撃している。

 とりわけ人々を強く警戒させるのは、多数の団員を出動させての大掛かりなものであったことと、その目的が未だに判然としないこと。

 どちらの事件もそうだったが、あれほどの団員と幹部を出動させての大作戦、どう足掻いたってニュースとして社会全体に知られてしまう。

 悪事なんて隠し通した上で実行した方が絶対にいいはずなのに、隠す気が無く、それだけ失敗したくないほど重要な目的があってのことと推察される。

 それでいて、どんな目的があったのだかわからないときたものだ。

 2つの湖を襲撃したギンガ団の動向は不気味で、それほどの執念を燃やすギンガ団が、エイチ湖だけはターゲットじゃないなんて楽観的な推測はあり得ない。

 

 ギンガ団によるシンジ湖襲撃が報道されたその即日から、キッサキシティの治安を守る組織による、エイチ湖防衛網は迅速に敷かれていたようだ。

 朝も、昼も、たとえ深夜でも、いつギンガ団が襲撃してこようが、万全の構えでその悪意を挫くため迎え撃つ構えは完成しているのだ。

 この厳戒態勢がいつまで続くのかはわからない。少なくとも、年内には終わらないだろう。

 特に今は、その堅固な構えが出来上がって日が浅い時期ということもあり、パール達のような子供でさえ湖には立ち寄らせて貰えないほど徹底した厳戒態勢だ。

 

「流石に私達みたいな子供が、ギンガ団みたいなワルい奴らだとは思われないと思うんだけどなぁ。

 そんな私達でも湖には立ち入り禁止って、ちょっと厳し過ぎる気も。

 警察って厳しくなきゃいけないものとか、そういうことなのかな」

「それはねぇ、多分パールのせいだと思うだよ。僕は」

「へ? 私?」

 

「こんな状況でも、子供なら湖のそばに寄っていいとでも思われたら、警察の人達は困るってことなんでしょ。

 ギンガ団許せない! って思った子供が、いざという時に乗り込んできたら、守らなきゃいけなくなるし、有り体に言えば邪魔だし」

「うぐ」

「最近そんな風に湖騒動に首突っ込んでニュースになった女の子いたし」

「うぐぐぐ」

「何がうぐぐぐだよ。

 反省してないんだなコイツ」

「いだだだだだ!?

 ぼっ、暴力はだめぇっ!?」

 

 プラチナが両手でパールの両耳の上を挟み、ぎゅううっと頭を締め上げる力を入れる。

 ぐうの音も出ないので、冗談めいた反応を返すので精一杯だったパール、残念ながらプラチナの癇に障ったようで。

 女の子を物理的に攻撃するなんて、プラチナも初めてだし、こんなことする自分をかつて想像しなかったものである。

 パールの態度にカチンときたわけではないが、冗談で済まされてはたまらないという想いから手を出さずにいられなかった。親心か何かみたい。

 

「警察の人達も、ギンガ団の襲撃を想定する布陣に、万が一にも子供に関わって欲しくないってことでしょ。

 ぶっちゃけパールが乗り込んだ前例って、無関係じゃないと思う」

「ううぅ……

 プラッチ昔は警察不信みたいな顔してたくせに、急に警察の肩持って私を責めるなんて何かずるい……」

「僕、パールのことだいぶ心配なんだよねぇ。

 子供に危ない場所に踏み込んで欲しくない大人の気持ちがわかっちゃった。

 まだわかりたくなかったのに。全部パールのせいと言ってよろしいか」

 

 プラチナの仰るとおり、要は警察、いつ戦場になるやわからぬエイチ湖に、子供を立ち入らせ、あぁ別にいいんだと子供達に思わせたくないのだ。

 見方は変わるが、まさに子供がエイチ湖観光で楽しんでいるその時、万一ギンガ団が攻め込んできたら実状は最悪である。

 警察は子供達を守らなければならない。守るべきものを抱えて巨悪に挑むわけである。はっきり言って邪魔。

 子供が戦禍の中で怪我したら責任問題になるから? そうではない。

 泰平と秩序、無辜の人々が安寧のままに過ごせる世を心から望む警察の皆様である。罪無き子供が悪意に巻き込まれて深手を負うなど、心の底から望まない。

 色々とかき回すパールと行動し続けてきた期間の長さのせいで、プラチナだけがやたらそんな大人の気持ちに共感できるように育ってしまいつつある。

 年の割には元々大人びている方のプラチナだが、パールのせいで変に成長させられて、純真な幼さを卒業するのが早過ぎるのも問題である。不憫。

 

「実際パール、もし明日の朝ぐらいにギンガ団がこの湖に乗り込んできたら、警察の人に交じって戦いにいくでしょ」

 

 プラチナの頭絞め上げの手から解放されたパールは、五歩ぶん退がってプラチナから距離を取った。

 暴力の届かない範囲へ。だって正直なところを口にしたら、いかにもシメられそうだし。

 

「…………ハイッ」

「ごめんねパール。

 女の子にこんなことするの最低って思われるかもしれないけど、もういいや。

 なぐる」

「ひえーっ!? ごめんなさいっ!?

 素直すぎましたっ!?」

 

 つかつか歩み寄ってくるプラチナに、背中を丸めて両腕全体で顔と頭をガードするパール。

 逃げない辺り、制裁されても仕方ないとは思っているのだろう。なにせ前回のシンジ湖騒動で、プラチナに多大な迷惑と心配をかけた自覚はあるので。

 まあプラチナも、こつんと握り拳でパールの頭を小突くだけだが。

 いてっ、てな程度の痛みを覚えつつ、びくびくしながら顔を上げてプラチナの顔を伺うパールを、流石にこれ以上は責め立てられない。手は出したのだし。

 

「前々から言おうと思ってたんだけど、パール、僕は……」

 

「――あっ!?

 パーーーーールーーーーー!!」

 

 ここらで今一度、腹を割った話をしようとしたプラチナだったが、思わぬタイミングでとんでもない邪魔が入った。

 離れた場所から、ものすごくデカい声でパールの名を呼び、手を振る男の子の姿がある。

 あまりの声に振り返ったパールとプラチナに、自分のことが認知されたとわかるや否や、せっかちに駆け寄ってくる声の主。

 

 お久しぶりの再会なのだが、あの大声は昨日も聞いたものにうんざりするかのように、少なくともパールにとってはげんなりもの。

 しかし今のパールにとっては救い主。プラチナに頭の上がらない話題になっていた今、話題の矛先を変えて今の空気をなし崩しに出来そう。

 

「やっぱりパールだ!!

 パーーールーーーーー!! 久しぶ……」

「だまれーーーーー!!

 うるさーーーーーーーーーーいっ!!!!!」

 

 駆け寄ってくるダイヤをうざがるかのように、しかし本質はプラチナとの間にあった空気を吹っ飛ばす意図を込めて、大声を出して。

 手を振って近寄ってくるダイヤも驚いて足を止めるほど、大声比べになったらパールの方が声が大きい。

 常にアベレージの声量が大きいパールの幼馴染だが、本気を出した瞬間的な大声比較では、やはりパールが勝つようで。

 

「久しぶりだなっ! パール!

 プラッチも一緒なんだな! 久しぶり!」

「あ、どうも……お久しぶりだね、ほんとに」

 

「うるさいぞダイヤっ!

 だまれっ! しずかにしろっ! しずまれっ!」

「えー、なんでそんなに怒ってるんだよっ!

 今日はすごく機嫌の悪い日なのか!?」

「しるかーーーっ!

 いいからだまれっ!」

 

 別に怒ってもいないパールである。

 でも、大きな声とダイヤとの絡みを強調し、プラチナのお叱りタイムを有耶無耶にしようという心算をプラチナも感じなくはない。

 事情抜きにしてそもそもダイヤのうるささに、一定のうんざり感を覚えているパールによる、リアリティを味方につけた逃げ口上とも言えよう。

 その真意をだいたいわかってしまいながら、元々今の話をそこまで詰める気もなかったプラチナは、まあいいやという想いで二人を傍観するのみ。

 本当にプラチナは、パールには甘いところがある。これもその一幕だろう。

 

 エイチ湖をそばに控えた、キッサキシティの入り口近くの217番道路での出来事。

 パールと同様に故郷を出発した、幼馴染との再会にはパールも内心では驚いてもいる。

 体よくプラチナの説教から逃げるために態度を作っているパールだが、本心ではやはり、久しぶりの友達との再会に浮き足立つ想いだった。

 

 昨日はフワンテと、加えてニューラとの再会。

 そんなニューラとお友達になれた昨日を経て、今日はジムリーダーのシロナと既に親交を含めつつあり、さらに今、幼馴染との再会。

 出会いや再会は果て無き旅の醍醐味。さりとて昨日と今日だけで、テンガン山を越えてシンオウ最北部に来てから、思わぬ邂逅の多いことである。



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第97話   キッサキジム

 

 

「エイチ湖に入れて貰えないんだよー!

 お前がシンジ湖に突入したからじゃないのかー!?」

「うぐぐっ、あんたにまでそれを突っ込まれるなんてっ……」

「気持ちはわかるけどな!

 俺達の故郷のそばで、あんな風に暴れる奴らのことなんて許せねーし!

 パールはあれでいいんだぞ!」

「こらこらダイヤ、パールを甘やかさないで。

 正義感は褒められてもいいのかもしれないけど、やっぱあの行動は褒められたものじゃないから」

 

 久しぶりに会ってみればやはり、ダイヤのうるさいことうるさいこと。

 普通の話し声がでかい。でもパールは慣れっこで、プラチナもダイヤはこういう子だって受け入れているのか問題視していない。

 会話も普通にこなしている。パールのシンジ湖突入を肯定されるのは絶対に嫌なので、そこだけは強く突っ込んでいくプラチナだ。

 苦労したし、一番心配したのは僕やお母さんであって、君じゃないんだぞという話。

 

「えー、いいじゃん!

 悪い奴を許せないって思うのは当たり前のことだろ!

 俺がもしそこにいたら、絶対俺だって乗り込んでいってたよ!」

 

「ほらパール、わかるでしょ。

 パールが主張してたこととそんなに変わらないよコレ」

「は、反省する……私、こんなヤツだったんだ……

 ダイヤと一緒の思考回路で暴走してたなんて最悪……」

「やっとわかったか」

「なんだってんだよー!?

 パール俺お前の肩持ってるんだぞ!? なんてヘコんでんだよー!」

 

 自分が猪突猛進単細胞のダイヤと同じ発想の持ち主だと突きつけられ、パールは肩を落としていじけてしまった。

 こうも見えて普段はダイヤとも、実のところ仲良しのパールであるが、こういう所は一緒にされたくないらしい。

 残念ながら当人の想いとは裏腹、パールも大概の突っ走りガールだが。

 

「ねぇねぇプラッチ、ちょっと本気で教えて?

 私って何パーセントぐらいダイヤに似てる?

 100%一緒とかじゃないよね?」

「150%」

「なにその数字!?」

「普段はきちんと物事考えられるし、やっていいこと悪いことの区別はついてるでしょ、パールは。

 だから普段はダイヤと比べると50%ぶんぐらいの突っ走り気味。

 でも感情が昂ったら、冷静に考えればダメだって自分でもわかることでも、言い訳作って人の言うことも無視して暴走するじゃん。

 そしたらダイヤと100%一緒。残りの50%は普段持ってるはずのものを捨ててる差分」

 

「なんだよプラッチ~!

 俺だってやっていいことと悪いことの区別ぐらいはつくぞ~!」

「あ、いや、ダイヤがその辺わかってないっていう意味じゃないんだ。

 ダイヤはやっちゃいけないことは、いくら感情が昂ってもやったりしないでしょ?

 パールはそれをやっちゃうタイプだから、ダイヤよりも始末に負えないよって話をしてるだけ」

「あ、なんだ、そーいうことか。

 ぷぷぷ、パールいっつも俺のこと偉ぶって叱ってる割に言われてやんの」

「わらうな~!

 なぐるぞ~!」

「ふへっ」

「プラッチもわらうな~!」

 

 めちゃくちゃにいじられ過ぎて、顔を真っ赤にしたパールがプラチナに襲いかかる。

 暴力は駄目だって普段は言うし心から思ってるくせに、感情が昂っちゃうとこうなってしまう。今まさにそれを証明してどうする。

 掴みかかろうとしてくるパールの手を、きちんとその手首を掴んで止めて、ぐぐっと前からパールを制するプラチナ。

 彼女の扱いに慣れ過ぎ。怒って暴れても手綱で捌かれ無力化されるなんて、なんて哀しい子。

 未だにダイヤにすらプラッチ君と思われているプラチナも哀しい子。

 

「こらこらパール、暴力はダメだぞ」

「はなせ~! せくはら~!」

「ほらパールっ、そういうところだぞ!

 感情をコントロール出来ないんだったら、150%から200%に上げるからね!」

「うぐぐぅ~……! それはやだ……!」

 

 話がまとまりそうにないので、ダイヤがパールを羽交い絞めにしてプラチナから引き離す。ダイヤは久しぶりのパールとの絡みで楽しそうだが。

 落ち着きそうにないパールを、おとなしくさせる呪文をすぐに紡ぎ上げられるプラチナも流石である。

 ダイヤの倍ほどどうしようもない奴認定は、パールの自尊心にぶち刺さる。

 羞恥と屈辱を歯を食いしばって耐え、がまんがまんと鼻息ふんすふんすさせながら動きを止めるパールから、ダイヤが離れて解放する。

 今にも再び暴れ出しそうな興奮状態ながら、どうにか踏ん張っているパールである。まあなんとか大丈夫そう。

 

「落ち付いた?」

「私をいじるなっ!」

「そんなこと言われても、ねぇ?」

「な? パールって面白いだろ」

 

 楽しかったプラチナとダイヤ、なんだか意気投合している。

 パールを介して繋がる新しい絆。ダシにされたパールとも言う。

 

「そんなことよりパール、バッジはいくつ集めたんだ?

 俺はもうスズナさんにも勝って、バッジ7つ目だぞ?」

「えっ!?

 私これからスズナさんに挑むんだけど……」

「よしっ、勝ってる!

 今日パールが負けたら、当分このリードはもったままだな!」

「なにをー!?

 絶対勝つんだから今だけだぞ! すぐに追いつくんだから!」

「あははは! 頑張れよパール!

 張り合ってるお前がそうあってくれなきゃ、俺も張り合いがないからさ!」

「くぅ~! 上から目線~! むかつく~!」

 

 勝手に新しい話題に切り替えたダイヤだが、ここでもパールがマウントを取られる内容になってしまった。

 いじられまくって、ライバルにリードされて、パールの顔真っ赤ぶりがずっと続いている。

 興奮のし過ぎでそろそろ頭の中の太い血管が、一本か二本ぐらいぷちっと切れてクラッときそうである。

 

「まあいいや!

 俺はまだしばらくこの辺で修行しとくから、パールも頑張ってこいよ!

 勝ったら報告してくれよ! 勝ったらでいいけど!」

「うるさいっ! 勝つんだから絶対!」

「負けたらわざわざ報告しなくていいぞ!

 そこまでやれっていうほど俺も意地悪じゃないからさ!」

「だまれ~!

 ここまで言われて負けてたまるか~!」

「あはははは! じゃーなパール!

 頑張れよー!」

 

 言うだけ言って、ダイヤは修行目的なのか、217番道路へと突っ走っていった。

 憎々しげにがるるると怒り心頭のパールだが、あれもあれでダイヤなりの発破のかけ方なのかなぁとプラチナには感じる。

 結果的にパールはきっと、過去最大級にジム戦に向けて、絶対負けるかこんちくしょうの精神で燃えまくっている。

 彼女のモチベーションを焚き上げるのが目的であったと仮定するなら、ダイヤの言動はこれ以上無いほど完璧極まりない。

 

「プラッチ、帰るよ!

 すぐジム戦! あいつの鼻、ぜぇったい明かしてやるんだから!!」

「あー、うん、それはいいんだけどね、パール……

 ちょっと待って、その……えーっと……」

 

 さて、しかしながらダイヤとは違う形でパールを応援する立場のプラチナとしては、ちょっと待ったをかけておきたい。

 興奮し過ぎ。冷静の対極。熱くなるのはいいのだが燃えすぎ。

 これは勝ちたいあまり、冷静な指示が叶えられなくなって、躓くことさえ想定してしまう。

 最悪、負けるまであるとさえプラチナは考える。ジム戦というのは毎回そうだが、過去最多のバッジ数を手に、前のジム戦より強い相手と対戦する。

 一つ前のトウガン戦でも、あれだけ苦戦したのに。ピョコが進化するという大きな進歩があったから、どうにかなった側面も強いのに。

 今回そんな、大躍進要素も無く、相手がいっそう強くなり、まして冷静さを欠いているとなれば――プラチナは、パールの負ける姿を見たくない。

 

「……これ、重要な話だからよく聞いてね?」

「なに!?

 出来れば手短にお願いしたいっ!」

 

 もう少し冷静に、とはっきり口にしようかなとも思ったプラチナだが、ここまで興奮状態のパールにその言い方で伝わるかどうか、ちょっと怪しいと思った。

 わかってるよ! とか、冷静だよ! とか言い返してきそうな気がする。それじゃ駄目。

 短いシンキングタイムを挟んで、プラチナは、これは少し反則だけどとは理解しつつ、パールのために心を鬼にして魔法の言葉を紡ぐ。

 

「パール、今すごく興奮してるよね?

 かっかしてるよね?」

「してます! それは認める!」

「けっこう汗だくになってるのわかる?

 寒さとかあんまり感じてないでしょ?」

「確かに今はね!」

「……言いにくいことだけど、はっきり言うよ。

 ここまで、パールの匂いが届いてくるんだよね」

「ぇ……」

 

 一瞬でパールが冷めた。それ、相当ショックなやつ。

 年頃の女の子が言われて、一瞬で他のことなんかどうでもよくなる。

 まして、内心では懇意の異性であるプラチナに言われてしまっては最悪だ。

 

「く、くさい……?

 そう言ってる……」

「うっ……く、くさいとまでは言わないけど……

 パールの匂いがするなぁってだけ……」

 

 ああ、目に見えてパールの表情が暗くなっていく。さっきまでの熱なんて一瞬で吹っ飛んだらしい。

 もちろん、出まかせである。昨晩もしっかりお風呂に入って寝たパール、綺麗な体で一日を始めて、昼過ぎの今頃にもう匂うほど代謝は激しくない。

 こう言えば、とりあえずパールを一度立ち止まらせられると思ったから言っているだけだ。嘘も方便。

 しかしここまでショックを受けた顔で、自分のマフラーに鼻を近付けてすんすんするパールを見せつけられると、プラチナも罪悪感で胸がちくちくする。

 

「だ、だからとりあえず、シャワーでも浴びてからジムに行こう?

 スズナさんにも同じこと言われたら嫌でしょ?」

「……………………」

「パール?」

「ハイ」

 

 実は、これがプラチナの本題だったのだ。

 このままジムに突入されると、冷静さを欠いたままのバトルになりそうなので、シャワーでも浴びて時間を空けてから挑もう、という算段だったのである。

 ここに繋げるためにあんな芝居を打ってみたプラチナだったが、ここまでへこまれるとはプラチナも想定外だったというところ。

 

 すーんと沈んだ返事をしたパールは、ゆらーりふらふらとぼとぼと、プラチナのことなどほったらかして街の方へと帰っていく。

 これは駄目だ、女心を軽く見過ぎた、と猛省するプラチナであった。

 事実だったなら言ってもいいだろう。でも、嘘であれを言ったのが気まずい。

 あんなにメラメラしていたのに、今やしょんぼりした背中で、襟元と引いて自分の胸元を嗅ぐパールの哀愁がひどい。

 私そんなに臭いのかなぁ……と嘆くパールの内心の独り言が、プラチナの耳にまで届いてくるかのようである。

 

 あまりに申し訳なさすぎて、ごめん嘘、嘘だから、こうこうこういう理由で作り話しただけだから、と弁解したくなるプラチナ。

 でも、それを言っちゃうとパールは怒るだろう。間違いなく怒る。

 ここまで目に見えて落ち込ませたことが明らかな今、どんな怒られ方をするかまったくの予測不可能。流石にプラチナもこの地雷は怖くて踏めない。

 結局この日のことは、プラチナも墓まで持っていく秘密だと腹に決め、密かに心の中で、パールごめんと訴えかけておくのみである。

 

 関係無いが、この日と明日ぐらいは、プラチナがパールに対していつもよりさらにちょっとだけ優しくなる。

 パールの全くの存じないところで、プラチナは負い目からパールに借りを作った意識であったようだ。

 世の中、知らない方がいいことだって沢山ある。なんでもかんでも無闇に明るみにしないのも、一つの調和の秘訣である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「改めてようこそ!

 キッサキジムのバトルフィールドへ!」

「はいっ!

 よろしくお願いします、スズナさん!」

「うんうん、気合充分!

 それでいてどこか落ち着いててクール! ベストコンディションね!」

 

 一度ポケモンセンターに戻って、シャワーを浴びて、そしてプラチナにあらかじめ言われたとおり、湯冷めして風邪を引かないよう長めに体を温めて。

 大一番を控えた身とて、そうして時間をかけてのリフレッシュを挟めば、心が落ち着いて冷静なメンタル状態を取り戻せる。

 お風呂上がりにプラチナに近付いてきて、もう臭くないよねって少し恐る恐るパールは、大丈夫だよという太鼓判を貰って元気を取り戻した。

 へこんでいた気持ちは回復し、へこむ前の過剰な熱は冷め、心身共に最高の状態でキッサキジムに訪れたパール。

 

 本当にプラチナは、パールのマネージャーか何かだと例えるなら、彼女をベストのコンディションへと持っていく辣腕が半端ない。

 今日も観戦席でパールの応援に回っているプラチナだが、彼が応援してくれることで元気が出ることも含めて、プラチナの存在はパールにとって本当に大きい。

 ベストコンディションとスズナに言われて、嬉しそうに笑って応じるパールは、プラッチのおかげでもあるということを心のどこかでわかっているのだろう。

 観戦席のプラチナをちらっと見るパールと、手を振って応えるプラチナの間にある、確かな絆はスズナも間近に見て快い。

 あなた達どういう関係なの? と、興味本位の問いかけをしたくなるスズナだが、挑戦者にとっての大一番の前、そんな無粋は敢えて堪える。

 

「ジム生のみんなとのバトルで、氷ポケモン達との戦い方はわかった?」

「はい、あんまり氷ポケモンとバトルする機会って今までなかったですけど……

 なんとなく、私なりに、スズナさんに勝つための戦い方は考えてきました」

「ええ、いい返答だわ。

 知ってのとおり、私は氷ポケモンのエキスパートとしてジムリーダーの名を背負わせて貰ってる。

 弱点の多い氷ポケモン達だけど、容赦なくその隙を突く心構えでかかってきて。

 それぐらいなりふり構わずかかってこなきゃ、あたしに勝つのは難しいかもしれないわよ?」

 

 氷タイプのポケモン達は、スズナの言うとおり弱点の多さで有名だ。

 炎に弱く、岩に弱く、格闘に弱く、鋼タイプに弱い。対して、自身が受けて耐えやすい技と言えば同じ氷タイプの技のみ。

 耐性の少なさと弱点の多さがよく語られる、それが氷タイプのポケモン達。

 氷タイプのポケモンの使い手と知られるスズナ、見方を変えれば彼女とのバトルは、他のジムと比べて弱点を突きやすいバトルとも言えそうだ。

 

「氷ポケモンって弱点ばかり。

 弱いポケモン達だと思う?」

「え?

 いや、そんな気は全然しないですけど……」

「ふふっ、そうよね。

 毎週末にはテレビで放送される、トップトレーナー同士の試合でも、氷ポケモンの登場率ってそんなに低くないでしょう。

 みんな、ただの酔狂で弱いポケモンを使ってると思う?

 勝つために最高のメンバーを作ろうとしたトップトレーナー達が、氷ポケモンの採用を躊躇わないことが、氷ポケモン達のポテンシャルを表してるわよね」

 

 弱点の多い氷ポケモンは弱い部類なのか。

 そんな短絡な理屈は、過去に幾千幾万のポケモントレーナー達が刻んできた、最高峰のポケモンバトルが容易に否定する。

 いつの時代とて氷ポケモン達は、一定以上の活躍を見せてきたのだ。きちんと育てれば、ハイレベルのバトルでも戦果を上げる精鋭たち。

 弱点の多さは玉に瑕だ。それを補って余る強さが、氷ポケモンにはある。

 

「脆くて、危うく、しかして強い。

 あたしが愛する氷ポケモン達に向けて唱えられる、最大級の賛辞よ。

 そしてあたしは、氷ポケモンのエキスパートとして、シンオウ地方に8つしかないジムのリーダーを任せられている。

 さあ、パール? この意味がわかる?」

「えっと……!

 スズナさんは、すっごく強いっていう意味ですね!?」

「ふふっ、ご名答。

 勝ちたいならば、全身全霊を賭してかかってきなさいね。

 でなきゃ、善戦さえ許さずにこてんぱんに負かしちゃうからね!」

 

 開戦前の最後の挨拶とばかりに強い声を発し、握手を求める手を差し出すスズナ。

 パールも迷わずその手を握った。そして、ぎゅっと力を込める。

 背丈で勝るシロナを見上げて、決意ごもった目で、恥ずかしくないバトルを見せますと表すパールの眼が、寒さに強いはずのスズナをぞくぞくさせる。

 

 ジムリーダーは、挑戦者の全身全霊を望むものだ。スズナだってそれは同じ。

 だけどパールが勝利してきた前例とは違う、知らぬ者ではない彼女を迎え撃つスズナは、パールの眼差しがたまらないほどわくわくする。

 親友が推しとする若駒。話に違わぬ情熱と純真さを兼ね備えた挑戦者。

 しかも、しっかりバッジを6つ集めてここに至る挑戦者だ。彼女は長旅の中で、それを果たせるほど強くなってここに至っている。

 身震いするほど楽しみな一戦。スズナの想いはただそれに尽きる。

 

「勝負は4対4!

 破ってみせなさい! 挑戦者パール!」

「はいっ!

 絶対、勝ってみせますから!」

 

 お互いの手が少し痛くなるぐらいの力を入れた握手を最後に、スズナとパールはバトルフィールドの立ち位置へと歩んでいく。

 キッサキジムのバトルフィールドは、真っ白な床に氷をまぶしたかのような、平坦かつ煌めく舞台で戦う世界。

 パールも靴でそこを踏んで、足を擦ってみるが、ダイヤモンドダストのように輝く割には滑らない床である。

 

 氷のジムリーダーとのバトルだから、スケートリンクのような氷のフィールドさえ想像していたパールだったが、実質平坦さだけが際立つだけの戦場だ。

 そりゃあつるつるする氷の床でもあれば、氷のジムリーダーに挑む舞台としてそれらしいかもしれないが、それはそれでジムリーダーが有利すぎる。

 氷の上でバトルすることに慣れているポケモンの方が稀だ。そんな地の利の取り方をするスズナじゃないし、それをやられたらきつ過ぎる。

 ただし、そんな床に散りばめられた氷晶が溶けて消えないよう、バトルフィールドの気温そのものは、特注の空調設備を以ってしてかなり低い。

 雪国の野外のように寒いこの舞台、それによって起こり得ることがあるとするならば、それもまたスズナのホームグラウンドゆえの何かになり得る。

 さあ、パールはよく考えて挑もう。元より相手の得意とするタイプが知れているジムリーダー戦、そのアドバンテージを覆されぬよう心構えるのも挑戦者。

 

「さあ! パール!

 あなた、ナタネに勝ったのよね!?」

「はいっ!

 危なかったけど、勝てました!」

「その底力、ここでも見せて頂戴ね!

 だらしない負け方して、あたしをがっかりさせたらナタネにチクっちゃうから!」

「……任せて下さいっ!

 ナタネさんには、私が、あのスズナさんにも勝ちましたよって報告するんですから!」

「あははっ、その意気よ!

 最高のバトルにしましょうね!」

 

 お互い、バトルフィールドを挟んでの立ち位置に着き、先鋒のボールを手にしたスズナ。

 発せられる言葉は情熱に満ちたもの。氷のポケモン使いという肩書きから想像される、クールあるいは冷徹さとは対極たる彼女。

 きっと彼女の素の性格は、炎ポケモンの使い手であったとしたって、それらしいなと言われるほどの熱い。

 極寒の地に生まれ育ち、しかし雪の中にあろうと、この寒いバトルフィールドにあっても、決して凍てつかぬ熱血に満ちたジムリーダー。

 そんな熱きものに触れてしまえば、意識しようがしまいが同じほど燃えてしまう感受性豊かなパールは、冷静さこそ失わぬままにして燃えずにはいられない。

 

 舞台は整った。

 最高の挑戦者との最高のバトルを望むジムリーダーと、それを求められていようがいまいが熱くおらずにはいられぬ挑戦者。

 双方が握りしめたボールを介し、その想いは彼女らの先鋒にも伝わっている。

 

「行くわよ、ユキカブリ!

 大事な緒戦、あなたに託したわ!」

「ミーナ、頼むよ!

 あなたのこと、すっごい頼りにしてるからね!」

 

 スズナのユキカブリと、パールのミーナがバトルフィールドに降り立った。

 双方、気合の入った眼差しだ。この寒い中で、威嚇するような鳴き声まで発し合って。

 ここをまず私が勝って、良い流れを作るんだという気概が、身内よりも対戦相手のトレーナーにこそ強く伝わるその声が、この場の空気を象徴している。

 冷えた気温など関係ない。燃え滾る戦意の前に、所詮人造の寒冷地など心まで凍らせられやしないということだ。

 

 7つ目のバッジ獲得に向けて。

 一つ前のジムで、敗北という大きな挫折を味わい、また、それを再戦による勝利によって過去のものとすることを果たしたパール。

 さあ、今日はいずれの結末か。

 一戦一勝以外の結末を望まぬパールの真剣な眼差しを対極点に見据えるスズナは、寒さとは無縁の震えに体を襲われていた。

 きっと、最高のバトルになる。そう確信したジムリーダーの歓びは、他7人のジムリーダー達全員が共感を覚えずにいられず、羨ましくさえあるものだ。

 

 今、あたしはそれを迎えた。そう心躍るスズナの想いに、果たしてパールは応えられるだろうか。

 6つものバッジを手にしてきたトレーナーがそれを果たせずして何とする。

 7つ目ものバッジに挑むとは、それだけ高次元の実力が当然に認められるほどの身分であるということだ。

 

 かつては素人あるいは初心者。今はもう初心者ですらない。今やもう、そう名乗るべきではない。それだけの道を歩んできたのだ。

 果たしてパールは、恥ずかしくない戦いぶりが出来ることを証明し、名実ともなるトップトレーナーへの仲間入りを果たせるか否か。

 この戦いには、それさえもが懸かっていた。



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第98話   あられの中の戦い

 

「さあ! 行くわよユキカブリ!

 スイッチオン!」

 

「やっぱりさっそく"ゆきふらし"だっ……!

 ミーナっ、頑張ろうね! ミーナの根性信じてるよ!」

「――――z!」

 

 スズナがスイッチオンの言葉を発するよりも僅か早いぐらいに、バトルフィールド全域に、大きな氷の粒が雨のように降り始めた。

 ユキカブリはその姿を見せたその瞬間から、大気を揺るがし、周囲を"あられ"の降り続ける環境に変える力がある。

 俗には"ゆきふらし"と呼ばれる能力だ。

 パールもユキカブリの姿を見た時点から、あるいはスズナに挑む前から、この展開は想定済みだ。ジム生のユキカブリだって、同じことをしてきたのだから。

 まして氷ポケモンのエキスパートたるスズナ、これぐらいのことはやってくるだろう。パールだって、事前に様々の想定を抱いてからここに挑んでいる。

 

「ミミロルね……!

 "とびげり"には注意しなきゃ……!」

「ミーナ、先手必勝! いけえっ!」

「ユキカブリ! まずは迎え撃ちましょ!」

 

 パールの指示を受けて駆けだすミーナ、ユキカブリに警戒を促す指示をさりげなく下すスズナ。

 流石にジムリーダー、対峙したポケモンが自分のポケモンの弱点を突く技を持っているであろうことを、技を見ずして察し取っている。

 跳び蹴りを撃ってくるにせよ助走を挫くべく、ユキカブリが放つ技は"はっぱカッター"だ。

 鋭く飛来する無数の刃に、敵との距離を詰めるべく駆け迫るミーナは、駆けながらにしてびすびすと全身を傷つけられる。

 

「ミーナ、アタック!」

 

「ユキカブリ! よく見て躱しなさい!」

 

 だが、首を引いて耳を下げ、腕で目元を隠して顔を傷つけられることを防ぎながら、その駆け足を止めないミーナの根性がパールには頼もしい。

 葉っぱカッターがいかに痛いか、その使い手が一番親しんだ仲間であり、対戦相手を多々怯ませるほど強力な技かは、パールが一番知っているはず。

 それに怯まず足を止めないミーナの後ろ姿には、パールも強い指示を出せるというものだ。

 飛びつくようにユキカブリに跳躍して飛来したミーナに、スズナもユキカブリに回避を最優先した強調指示を発している。

 "とびげり"は対象を捉えられなかった時、地面に激突して痛い目を見るのは使い手の方だ。格闘技に弱い側が果たせる最善手は躱すことに相違ない。

 

「――あらっ!?」

 

「よーし!

 ミーナっ、ぶん殴っちゃえ!」

 

 確かにユキカブリは素早く身を捻ってミーナの飛来を躱した。

 だが、ミーナが狙っていたのは跳び蹴りでも何でもない。それに似た軌道で、単にユキカブリに向かって飛びついていただけ。

 そして躱されれば、ただ着地し、すぐそばに敵を捉えられる位置。躱されること、警戒されていたことを始めから織り込んでいた動き。

 そしてミーナは、引いた拳を力強くぶつける一撃を繰り出すのだ。

 ユキカブリの頬にあたる位置へと直撃したその一撃は、どうやら相手がふらつくほど強烈だ。

 

「しっかり! ユキカブリ!

 カウンターよ!」

「――――z!」

 

 どうやら"ピヨピヨパンチ"。受けたユキカブリは"こんらん"しなかったようだが、まともに受けては多少ふらつくのもそのせいだろう。

 活を入れる一言をスズナが挟んでいることは、ちゃんと初見でミーナの繰り出した技が何なのかをわかっている証拠だ。

 持ち直したユキカブリが、両手で地面を掬い上げるかのような仕草を見せれば、そこから魔法のように大量の雪が舞い上がる。

 砂塵の波のようにミーナに襲いかかるそれは、背丈の小さいミーナを押し潰すかのように襲い掛かるのだ。

 

「あわわっ、ミーナっ、ジャンプー!」

「ッ――――!!」

 

 縦にも横にも攻撃範囲の広い、ユキカブリによる"ゆきなだれ"。

 ミーナも近い距離でいきなり繰り出されているのだ。逃げきれない。

 それでも活路を、と願ったパールの声に応えたミーナは、その場で真上に高く飛び、自身を押し潰そうとしていた雪の波を突き破る。

 

「わっ、マジで!? 突き破っちゃうの!?」

 

「ミーナいっけ~!

 跳び蹴りアタック!」

 

 かなり痛かったし上向きの力もかなり削がれたが、それでもミーナの強い強い跳躍力は、雪を破って高い場所までミーナが跳ぶ結果を残した。

 それも、天井までミーナが届くほどの力をしっかり残してだ。

 自慢のミーナがスズナも驚くほどの脚力を披露したことに、パールはひとまず今日一番の興奮で、続いてミーナに発する指示も早くて強い声。

 体を回して天井を蹴ったミーナが、自らの向かう先をユキカブリに定め、重力による加速も得て弾丸のような速度で迫る。

 

 見上げることに続いての回避行動では一手多い。

 ミーナの"とびげり"ではない"とびはねる"ことによる一撃は、空中から痛烈に突き刺す一撃としてユキカブリに直撃した。

 ノーマル技でもなく、格闘技でもなく、飛行技として有識者には認定されるような一撃だ。

 氷ポケモンでもあり草ポケモンでもあるユキカブリには痛烈極まりないだろう。

 地に足着ける根のように下半身が発達している一方、今ミーナに蹴り刺された頭部に強みの薄いユキカブリに、上空からの攻撃はかなりの有効打なのだ。

 

「~~~~……っ!」

 

「ミーナ、メガトンキック!」

 

 ほぼほぼ戦闘不能になりかけていたユキカブリだったが、やはりジムリーダーの先鋒を務める気概あってか、どうにか倒れず踏ん張っていたものだ。

 しかしやはり、悪あがき。指示されるまでもなく自己判断で葉っぱカッターを放とうとしていたが、接近するミーナの撃つ蹴りよりも発射が遅い。

 どうにか倒れず堪えても、これではやはり戦果は残せないのだ。

 ミーナの強烈な蹴りを受け、吹っ飛ばされて倒れたユキカブリは目を回し、今度こそ完全に戦闘不能確定である。

 

「ありがとう、ユキカブリ……!

 ガッツは見せて貰ったわ!」

 

「ミーナっ、次が来るよ!

 油断せずにいこうね!」

「――――z!」

 

 得意気にパールを振り返ってみせたミーナだが、褒めるよりも戒めてくるパールに、むすっとして強い鳴き声を返してくるミーナである。

 わかってるわよ! とばかりの荒声に、パールも困った心境を顔に出さないよう頑張る。

 パールだってわかってるけど。褒めて欲しいんだろうなとは思うけど。長い付き合いでそういうミーナの性格は知っているんだけど。

 気難しいミーナに振り回されないよう、大事なことを教え諭すトレーナーの姿になってるな、と、観戦席のプラチナは感じる次第である。

 

「さあ、ユキカブリの仇討ちよ!

 わかってるわね、チャーレム!」

 

「……へえっ!?!?」

 

 スズナが放り投げたボールから飛び出してきたのが、氷ポケモンでも何でもないチャーレムであることに、パールは素っ頓狂な声を出してびっくり。

 存外、珍しい話ではないのだが。格闘タイプでありエスパータイプでもあるチャーレムは、氷ポケモンの弱点を突く岩タイプや鋼タイプ、格闘タイプに強い。

 氷ポケモンのエキスパートだからこそ、氷ポケモンの弱点を突いてくる相手に対する、対策ポケモンを一匹は用意するのも存分にあることだ。

 

「――――!!」

「わっ、わ、だめっ、だめっ、ミーナ戻ってっ!」

「!?」

 

 そして、格闘タイプのチャーレムは、ノーマルタイプのミミロルに対して痛烈に刺さる個体でもある。

 気合充分やってやる、という意気込みだったミーナだが、パールが慌ててミーナのボールのスイッチを押して彼女を引っ込める。

 "とびはねる"で殴り合いに持っていくことも出来る相手には違いないが、流石にそれは勝負が過ぎるというものだろう。適切な判断である。

 

「あわわっ、み、ミーナ待って待って! まだ出てこないで!

 後で絶対出番あるから! 今は休んでて! お願いだからっ!」

 

「ポケモン交代ね!

 7秒ルールは知ってる!?」

「し、知ってますけどぉ……!

 スズナさん、チャーレムって氷タイプじゃないですよねぇ!?」

「この辺、あたしとナタネって意見が分かれるのよね~!

 あたしは勝利のために、氷ポケモンのみんなを守るナイトを育てることも辞さない!

 あの子は意地でも草ポケモンしか使わない! スタンスは人それぞれね!」

 

 ポケモンバトルの公式戦には、自分のポケモンを引っ込めてから次のポケモンを出すまでに、7秒の時間を挟まなければならないというルールがある。

 パールもテレビ越しに公式戦は見てきたし、それぐらいは知っているようだ。

 トレーナー双方、対戦相手の後方高い位置に設置された電光掲示板を見ることが出来、自分のポケモンを引っ込めた瞬間から7秒のカウントダウンを見る。

 これが0になったら次のポケモンを出していいということだ。

 どうしてこんなルールがあるかと言えば、相性の悪いポケモンと対峙した時、誰でも自分のポケモンを交代したくなるからである。

 それ自体は戦略的行為として当然許容されるべきながら、このルールが無かったらたまに困ったことになる。

 

 例えばの話、パールがフワンテを持っているとして。

 チャーレムが出てきたのでフワンテに交代する。スズナもフワンテにチャーレムをぶつけるのは相性最悪なので、氷ポケモンに交代する。

 そしたらパールも、飛行タイプのフワンテは氷に弱いので、ミーナに戻す。そしたらスズナも、氷ポケモンを引っ込めてまたチャーレムを出す。

 この繰り返しが連続する。7秒ルールが無かったら手の速い方が勝ちになる。

 それってポケモンバトルに求められる技量じゃない。ジャグリングの練習でもすれば相性問題を克服できるなんて、そんな。

 そこに7秒という制限がかかるとどうなるかというのは体験してみないとわからないが、逆に体験してみればすぐわかる。

 

「ううぅ……7秒って長い……!

 あのチャーレム、絶対"ビルドアップ"してるっ……!」

「あら、見てわかるんだ?

 そうよ~、あたしが指示しなくてもやってくれる優秀なチャーレムよ!

 すごいでしょ! もっと褒めてくれていいのよ!」

 

 特にジムリーダーのような、時間を与えれば与えるだけ強くなれる技を、しっかり自分のポケモンに教えている相手の時には尚更だ。

 相手が場にいようがいまいが積み技は使える。一匹撃破して次の相手を待つ時は、マナーの問題でその間は使わないようにするのが不文律なのだが。

 自分のポケモンを引っ込めて、相手に時間を与えてしまうこの事実により、ひょいひょい都合に合わせた迅速な交代を防ぐための7秒ルールである。

 5秒では短く、10秒では長い。試行錯誤を繰り返し、公式大会でも7の数字が使われたのが、現代の到達点であるとかないとか。

 

 あのチャーレム、身体がびりびりっと震えるほど全身に力を入れて、攻撃力と守備力を高めた体を作る"ビルドアップ"の真っ最中。

 特筆すべきは、スズナがそんな指示をしなくても、相手が引っ込んだ瞬間からそれを始めていることだろう。

 もっとも、チャーレムを出す時の"わかってるわね"というスズナの声は、"相手が引っ込んだらビルドアップ"の暗喩でもあったのだが。

 きちんとわかっているチャーレムが賢いとも、具体的な指示などなくても最善手を選べるチャーレムを演出し、パールを怖がらせるスズナの小技とも言える。

 

「――よしっ!

 いくよ、パッチ! 気を付けてね! 出た瞬間に来るよ!」

 

「チャーレム、先手必勝よ!」

 

 また、"相手を撃破して次に出てくるポケモン"は、出てきた瞬間に攻撃することをしないのが不文律。

 出所のわかっている相手のポケモンなんて狙い撃ちし放題である。誰も彼もが"カウンター"や"ミラーコート"のような後の先の技を使えるでもなし。

 攻撃力に秀でるトップトレーナー同士の公式戦でそんなことやっていたら、一方的な展開ばかりになりやすい。

 それこそが頂上決戦のあるべき姿になんてしていたら、トレーナーを志す子供達も減りかねない。勝ってる側はいいかもしれないが、いじめられる側はつらい。

 真剣勝負という名目には反するが、競技というのは"つまらない"と歴史が終わってしまうため、ルールが整備されている側面もあったりする。

 

 その点、交代で出したポケモンへの速攻は認められている。

 これも、相手を見て自分のポケモンを引っ込めた側に付き纏うリスク。

 機敏かつ相手が来ることもわかっていたパッチは、両足でバトルフィールドに降り立った瞬間に地を蹴って回避行動を取ったが、やはり完全には躱せない。

 チャーレムの繰り出した拳がパッチの後ろ足を掠め、そこに氷が纏わり付くほどの冷気に包まれた痛みに、パッチも僅か苦悶の表情を見せている。

 

「うわ、"れいとうパンチ"だ……!

 やっぱり氷のエキスパートだっ!」

「当然!

 苦手な飛行タイプにだって、そう簡単には負けないんだから!」

 

 飛行タイプとゴーストタイプしか弱点の無いチャーレムにとって、その片方への有力な対抗手段となる氷技は、スズナも教え甲斐があっただろう。

 氷ポケモン対策への対抗策に、チャーレムというポケモンを選んだ根拠は、そんなところもあるのかもしれない。

 体勢を整えたパッチの、睨みつけるような眼による"いかく"に少々身構えるチャーレムだが、腰が引けるどころか前のめりの姿勢で睨み返すほど。

 胆力はありそうだ。強敵だと見做したらしきパッチも気合充分である。

 

「パッチ! 10まんボルト!」

 

「チャーレム、凌げるわね!?」

 

 さて、観戦席のプラチナの目にもよくわかる、対戦世界における力強い対話。

 ビルドアップで物理的な攻撃に対して耐えやすくなった肉体を持つ、チャーレムに対してパールが選んだのはそれを踏み倒す技。

 対するスズナも、パールが如何なる攻撃をしてこようとも凌ぐ"みきり"を示唆し、相手の一手を無傷で躱して情報を得る手法。

 パールが状況に応じた的確な指示が出来ることも含め、スズナとチャーレムがパッチの手札を一枚知り、果たしてここからどう動くか。

 

 こうなってくるとプラチナも、パールを応援する想いとは別に、ただこのバトルを眺める楽しさが胸の内に湧き上がってくる。

 まるでテレビで毎週放送されていた、熱いポケモンバトルを楽しみに見ていたあの頃のように。

 その舞台の半分を親友が形作っているという事実が、いっそう胸を熱くする。

 

「捕まえるわよ、チャーレム!」

 

「パッチ、もう一か……や、かみなりのキバ!」

 

 接近戦を仕掛けようとするチャーレムの駆け足が思ったよりも早く、パールは10万ボルトの指示を取り止めて反撃を指示した。

 距離を保って強い遠距離攻撃を活かして戦いたいところだが、溜めた電気を放つより先に触れられてしまうという判断だ。

 だったら受けてでも反撃を。これも正しい判断の一つ。

 

 掌底じみた一撃で"はっけい"を打ち込んでくるチャーレムの攻撃を、パッチは自ら額を突き出して迎え撃った。

 中途半端に躱して頬や顎、肩を打ち込まれるよりは意識が飛ばずに済むからだ。喧嘩の仕方をよくわかっている女の子。

 もちろん痛い。だが怯まない。がっと口を開いてチャーレムの右肩に噛みついたパッチが、肌の下まで食い込んだ牙から一気に電流を流し込む。

 パッチの全身が発する雷光のような光に包まれる中、チャーレムも全身にぐっと力を入れ、痛烈な痛みに屈しない精神力を強く保たんとする。

 

「しっかり! もう一撃よ!」

 

「っ、パッチもう一回! がんばれえっ!」

 

 電流を流し込まれながらも倒れず、パッチの横っ腹を挟み込むように両掌を打ち込むチャーレムに、流石にパッチもけはっと開いた口。

 牙が抜ける。パールがもう一度と無茶を言う。応えられるパッチだ。

 チャーレムの左腕に噛みつく先を変え、再び突き立てた牙から電流を流し込む。

 再びの発光と痛烈な電撃だが、チャーレムはぐっと耐えて倒れない。

 

「チャーレ……」

 

「オッケー! 離れてパッチ!

 大丈夫、勝てるよ!」

 

 大抵の場合は"噛みついたら離さない"で勝ってきたパッチにとって、自ら離れろと指示してきたパールの声には少し驚いた。

 だが、その指示に際して自分の太ももを、大きな音が出るほど二度叩いたパールの行動に、パッチはなるほどと感じながら牙を抜いた。

 次の瞬間にチャーレムの掌底、発勁狙いの一撃が振り上げられるが、逃げの判断が早かったパッチはそれを躱しきることに成功する。

 

「パッチ、よく狙って!」

「チャーレム、凌ぐわよ!」

 

 離れたパッチからの10万ボルトを警戒したスズナとチャーレムが、見切って凌ぐ構えに入る。

 だが、身構えたチャーレムの想定に反し、パッチは放電攻撃を撃ってこない。

 それもそのはず、パールが指示しているのは10万ボルトではない。別の技の指示を既に伝えてあるのだ。

 よく狙って、は完全なブラフであり、パッチに離れることを指示した際に見せた、脚が痛いほど強く太ももを二度叩いた仕草こそ、真意を隠した指示である。

 

「――――z!」

「えっ!? ちょっと、チャーレム!?」

 

「パッチ、勝負所だよ……!」

「――――!」

 

 10万ボルトを発しもせず、ふんと鼻を鳴らして口の端を上げたパッチの挑発的な表情は、たまたまパッチを後ろから見る位置のスズナには見えなかった。

 代わりにスズナが見たのは、明らかにかっとした表情で、指示されてもいないのにパッチへと襲いかかろうとするチャーレムの姿だ。

 冷静沈着なチャーレムらしからぬ行動にスズナが驚く中、先程以上の猛襲ぶりを見せるチャーレムと対峙するパッチも、ここが山場だとわかっている。

 

 勢い任せの力任せ、乱暴な発勁による一撃を、パッチはぎりぎりまで引き付けて辛うじて躱した。

 余程に前のめりな一撃だったのか、躱されたチャーレムは足をもつれさせ、過剰に数歩前に出てしまう。

 膝を着いたのは、踏み込む足を挫いたせいだろうか。見た目に反して滑りやすくはない床だが、そこで足を痛めるとは余程冷静でない足使いだったということ。

 

「よーしパッチいけえっ! 10まんボルト!」

「――――z!」

 

 心底はらはらしながら見守っていたパールは、回避の成功に思わずガッツポーズさえ見せた。それだけ受けてはならない一撃だったのだ。

 地を走るほどの電撃を放つパッチによる放電攻撃がチャーレムに直撃し、痛烈な感電にチャーレムの全身が軋む。

 どうにか倒れずに耐えきったものの、背中を丸めて足元が覚束ない姿たるや、なんとかパッチを睨み返しはするものの後が続く姿ではない。

 

「スパーク!」

 

 帯電した体で駆けだしたパッチによる、力強い突進がチャーレムを突き飛ばす。

 受け身も儘ならずに倒れたチャーレムが、これ以上戦える状態ではないのは明らかだ。

 スズナはチャーレムをボールに戻して、労うようにそっとボールを撫でた。

 

「あなたのルクシオ、もしかして威張ってた?」

「そ……さ、さぁ~、どうでしょう!?」

「ふふっ、そっか。じゃあ、そういうことにしておきましょ。

 ごめんね、チャーレム。あたしより、相手の方が一枚上手だったわ。」

 

「なんだかパールも、それらしく戦えるようになってきたなぁ……

 まあ、細かい所でパールらしい駄目さは残ってるけど……」

 

 太ももを二回叩いたパールの仕草は、技の名前を言わずにパッチに"いばる"ことを指示する秘密の暗号だ。

 これまで何度も、技の名前を言わずに指示を出すジムリーダーとやり合ってきたパール、いよいよ彼女もそんなことをやり出した模様。

 特に"いばる"といった、先に技名を口にしてしまうと相手に重要な情報を与えてしまう技は、確かに技名を発さず指示できるに越したことはない。

 相手を混乱させることは出来るものの、怒らせることで攻撃力を上げさせてしまう副次効果もあるため、常に勝負手となる技には違いないのだから。

 

 隠し通した"いばる"でチャーレムとスズナを翻弄し、撃破にまで至れたことはパールにとっても会心の成功だったらしく、余程嬉しかったのだろう。

 『あれは"いばる"だったの?』と聞かれて、素直に答えずポーカーフェイスを返せれば100点満点。

 そこまで出来ずに顔に出てしまった、ならある程度仕方ないが、嬉しさが勝ち過ぎて一瞬白状すらしているのは赤点まで落ちる。こういう所はまだまだ。

 最も褒めるべきは、きちんとチャーレムの攻撃を躱しきるという、勝利のために不可欠のそれを叶えたパッチの能力に落ち着くだろう。

 チャーレムが雷の牙を突き立てられたのは右肩、そして左腕。どちらの手で攻撃を放とうが、僅かに100%に劣る傷を負わせていたことも大きかった。

 元々パッチは、とどめの一撃以外の牙は、そうして相手を弱らせる場所を選ぶ傾向にもある。

 喧嘩の仕方をわかっている女の子。パールやプラチナが思う以上に賢いのである。

 

「それにしても2対4か……!

 順調ね、可愛い挑戦者さん! このままの勢いで押し切っちゃう!?」

「全然そんな気してないです……!」

「あははっ、謙虚じゃない!

 でも、そうね! 勝負はここからなんだから!」

 

 一度はリードを作りつつ、一気に巻き返されるなんて、パールも幾度かのジム戦で経験してきたことだ。

 ここまでは順調。だが、油断すれば一気にひっくり返される恐怖もある。

 現にミオジムでは、3対2の優勢から一気に負けたほど。あの苦い経験は鮮烈で、今でも心のどこかでは引きずってしまう。

 

 そしてパールも決して忘れていないが、フィールド上にずっと振り続けているこの"あられ"。

 大きな氷の粒が、今もびしびしとパッチの身を打っているが、果たしてパッチは平気なのだろうか。

 じわじわとダメージが蓄積しているであろうこの中で、残りの2匹をこれまでのように破り果たせるだろうか。

 トウガンにとってのトリデプス、スモモにとってのルカリオというように、一目でわかるスズナの"切り札"もまだ姿を見せていない。

 浮かれようが無い。パールの緊張感は高かった。

 

「それじゃあ、行くわよ!

 ユキノオー! 一気に巻き返すわ!」

 

 元より情熱に満ちていたスズナの表情が、いっその灯をその眼に宿して、今日一番に力強くボールを投げた。

 そしてボールから飛び出してきて、ずしんと大きな音を立ててフィールドに降臨したその姿は、強敵であることをはっきり見せつける貫禄に溢れている。

 最後の一匹ではないながら、もしかしてこれがスズナさんの切り札なのか、と、パールが思わず身構えるほどの存在感がある。

 

「――――――――z!」

 

「わわわっ、あられが強く……!」

 

 ユキノオーが吠えて両手を振り上げると、先程からずっと振り続けていたあられが、より大きな氷の粒を振らせるようになった。

 バトルフィールドに立つパッチらにとっては、粒の大きさ自体はそれほど問題ではなかったりする。どっちにしたって痛い。

 だが、ユキカブリが振らせ始めた霰よりも大粒と化したそれは、格の違う存在が現れたことを示唆するにはあまりにも充分。

 それ以上に、ユキノオーの咆哮そのものの大きさも、気の強いパッチがぐっと両足に力を入れて身構えるほど、その迫力は満点である。

 

「見せてみて、あなたのポケモン達の底力!

 でなきゃ、あたしのユキノオーは打ち破れないわよ!」

 

 数の上では優勢のパール。

 そんな状況下で、100%の力を振り絞らぬ限り倒せない強力なユキノオーだと、スズナは力強く豪語する。

 嘘ではないのだろう。それがパールを緊迫させる。

 2対4という確実な劣勢の中、スズナは嘘偽りのない強気で、精神的には完全なイーブンの状況を確立させている。

 油断させる好都合より、びしばし互いにひりつくような緊張感の下、絞り尽くした全力をぶつけ合うバトルをスズナはご所望ということだ。

 

 熱戦を望む先輩トレーナーに、果たしてパールは応えられるだろうか。

 勝ちたい、それ以上に、恥ずかしい戦いぶりは見せたくない。

 そう決意した眼差しのパールに、きっとスズナの真意は伝わっていたはずだ。



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第99話   VSユキノオー

 

 

「さあユキノオー! まずははっぱカッターよ!」

 

「パッチ、怯まないよね!?

 がんがん行くよ!」

「――――z!」

 

 巨体のユキノオーは大粒のあられが降る中でどっしりと構える、寒冷世界の王の如き存在感だ。

 見るからに強敵でパールは腰が引け気味だが、戦うパッチに物怖じして欲しくなく、ぎゅっと拳を握ってパッチを奮い立たせようとする。

 無用の心配だ。誰が相手だろうがやってやる、の気が強いパッチ、間違いなく強敵であることを理解した上でなお闘争心全開だ。

 飛来する葉っぱカッターの数々を躱しながら敵に迫り、しばしば凌ぎきれず身を掠める葉による傷を負いながらも、その駆け足に陰りは見られない。

 パッチが選ぶべきは接近戦。遠距離攻撃はすべて電気技、そしてユキノオーはユキカブリと同じく、草タイプの複合で電気技には強い。

 

「かみくだいて!」

 

 本来の相性悪さの間隙を突いてユキノオーを攻めるには、電気に頼らぬ物理攻撃を仕掛ける他ない。

 言われる前からわかっていたかのように口を開けていたパッチは、体毛豊かなユキノオーの横っ腹に牙を突き立て、ぶちんとその一部を引きちぎっていく。

 氷結の粒を纏う体毛は霜柱のようであり、肉体でないそれを食い千切るだけでも、それなりに強い顎の力が必要だったものだ。

 そしてパッチは、すぐにユキノオーから離れている。あの巨体のそばに身を置き続けるのは相当に危うい。

 

「パッチ駄目! もっともっと離れてえっ!」

 

「ユキノオー! ぶっ飛ばせえっ!」

「――――――――z!」

 

 あの巨腕に殴り飛ばされることを警戒して、ヒットアンドアウェイで一定の距離を作ったパッチだったが、それでも不充分なのだ。

 吠えてその片腕を、豪快に地面をめくり上げるように振り上げたユキノオーは、パッチ目がけて凄まじい量の雪を生み出して放ってきた。

 力強く掬い上げるアンダースローめいた腕の動きから、魔法のように多量の雪を生み出し、津波のように敵へと襲いかからせる"ゆきなだれ"。

 それはユキカブリのそれを見ていたパッチの想像以上の凄まじさで、パールの声を聞いてすぐにユキノオーから距離を稼いで尚、逃れ得ない。

 横に広く、縦には見上げるほど高い、ユキノオーの放った大量の雪がパッチを押し潰し、生き埋めにしてしまう光景が続くのみである。

 

「あっ、あっ、パッチ……!」

 

「ユキノオー、葉っぱカッターの準備よ!

 絶対、あいつは立ち上がってくるわ!」

 

 自分のポケモンが生き埋めにされるというのは初めてのことなので、大丈夫なんだろうかとパールが動揺するのは仕方ない。

 一方スズナは、大きなダメージを与えただろうとは思っていつつも、パッチの復活はほぼ確信している。

 バッジを6つも集めてきたトレーナーが、この大一番に選んだ一匹なのだ。弱いはずがないとわかっている。

 パールの心配をよそに、雪の中でもがいて掘って、ぷはっと雪から顔を出したパッチは、後ろ脚に力を入れてすぐさま雪に埋もれた下半身も脱出させる。

 全身を大量の雪で押し潰されたダメージに表情を歪めつつも、ざくっと雪を踏みしめて走り出す姿は、弱りかけたパールに発破をかけるかのようだ。

 

 スズナが無言で頷く仕草と、ユキノオーがパッチに葉っぱカッターを放つタイミングは殆ど同じだ。

 雪なだれを受けて軋む体が重いのか、飛来する葉を躱そうとするパッチの動きに余裕は無い。被弾も先程までより明らかに多い。

 それでも前進速度を一切緩めず、その猛襲の意を微塵も淀ませない意地を見せる。

 半ば捨て身、安全性を捨ててでも、元気いっぱいだった時と同じだけの接近速度でユキノオーに迫るパッチは、既にバトンを繋ぐ決意を固めているのだ。

 

「っ、っ……! パッチっ、頑張れえっ!」

 

 出せる指示は何も無かった。

 今のパッチが仕掛けられる戦術は接近戦しかないのだ。10万ボルトも通用し難い今、噛み砕く以外の有効打を出しようがない。

 せめて一矢でも報いようと、足に力を入れて飛びついたパッチは、ユキノオーの右肩辺りにその牙を突き立てた。

 ただの体毛に見えて触れればじゃくりと音がする、それに力強く噛みついてすぐには離れない。

 自らに噛みついたパッチを、ハエを叩くように左手で叩こうとしたユキノオーだが、ぎりぎりのところでパッチは牙を抜いてユキノオーの身体を蹴り離れる。

 

 打撃を受けずの着地が出来た、まだ戦える。

 パッチを睨みつけるユキノオーに、今度は真正面から飛びかかっていき、その右胸の毛深い所に牙を突き立てる。

 ばりばりと霜柱のような白い体毛を噛み砕くが、過ぎた捨て身の代償に、ユキノオーの両手で胴を掴まれる結果になってしまう。

 ぐいっとその剛腕でパッチを自らの顔の前まで持ち上げたユキノオー、それでもパッチは噛みついたユキノオーの体毛を噛み離さず、それを引きちぎった。

 

「わ゙~ちょっと待って待って待って!!

 ギブアップ、ギブアップするからやめてー!」

 

「えっ?」

「えっ?」

 

 突然の絶叫。パールがすごい必死。

 スズナもプラチナも、ユキノオーとパッチさえもが驚いて、フィールド全体の空気が凍り付いた。

 氷使いのエキスパートを相手にした舞台で、敵も味方も凍り付かせるとは恐れ入る。

 

「えっと……ギブアップね? ルクシオは戦闘不能でいいのね?

 もう引っ込めたら出しちゃ駄目よ?」

「あっ、えっ、そ、それは……

 ああぁぁ、でももう仕方ないのか……! わかりましたっ!」

「――――、――――z!?」

「パッチごめんー! 戻ってー!」

 

 ギブアップ宣言が正式に受諾されてしまう流れになり、はっとしたパールは、やっちまった感いっぱいの顔。

 でもギブアップって言っちゃった。それでバトルにまで影響を与えてしまっては、もう待ったをかけられる流れじゃない。

 嘘でしょ私まだやれるよ、と、ユキノオーに捕まったまま足をばたばたさせてパールを振り返るパッチを、パールはたいそうばつの悪い顔でボールに戻した。

 

「何されると思ったの?」

「うっ……

 ぱ、パッチが頭からがぶーされるかと思って……」

「そんなことするか~!!

 あたしのユキノオーは強くて逞しくてカッコいいけど、対戦相手を殺しちゃうようなことするわけないでしょー! 失敬なっ!!」

「ひゃあっ、ごめんなさいぃっ!?

 さ、最近怖い人達と戦ってきたせいで、想像力が豊かになってましてえっ!?」

 

 スズナが問うてみたところの回答たるや、わかるようなわからないような。

 ほぼ死に体だったパッチが怪獣みたいなユキノオーの両手でがっちり捕まえられ、顔の前に持ち上げられた姿を見たら、怖い結末を想像してしまったか。

 まあ実際のところ、あの後ユキノオーは氷の粒を纏った額でパッチに頭突きして、あとは殴り飛ばすだけだったので、それで勝負は決まっていただろう。

 どの道すでに負けていたような図式だったので、先走ったギブアップによってパールが損をしたということはなさそうである。

 

 パッチは不完全燃焼になってしまったのだが。

 ボールに戻された身ながら、すぐに自分でボールから出てきて、パールをじぃ~っと睨みつける。

 あんな幕切れすごく釈然としないんだけど、という顔なのはパールにもわかるし、スズナを見てパッチを見て双方にたじたじするパールの弱り目がひどい。

 仕舞いにはプラチナの方まで見てきた。たすけて、って言われた気がしたプラチナも、はぁ~っと溜め息ついて返答するのみ。僕に出来ること何も無いよと。

 

「ご、ごめんパッチ~……

 埋め合わせは何か必ずするから、今は戻っててぇ……」

 

「怖い人達ってどうせギンガ団よね!

 あたしがあんな奴らと一緒のヤツだと思ってるんだ!

 こいつぁ聞き捨てならないわ!」

「わ~違う違う違う、違いますうっ!?

 そ、そんなつもりじゃっ……」

「いーやもう許さん!

 ユキノオー! あいつらぎったんぎったんにしてやるわよっ!」

 

「あーあー、パールまたいじられて……

 まあしょうがないよね、アレ結構いじり甲斐あるもんね……」

 

 えらい剣幕でまくし立ててくるスズナにパールはあわあわ。パッチにも責められてあわあわ。

 そんな風に慌てふためいていないで、冷静にスズナの方を見れば、楽しそうに笑ってるスズナの顔が見えると思うのだが。

 からかって遊ばれている。スズナさん、まだ2対3で巻き返しきれていないのに余裕あるなぁとプラチナは思う。

 

「さあ! 次の子来なさい!

 それともやられるのが怖いからギブアップしちゃうのかしら!?」

 

「うぐっ……! そ、そんなわけないです!

 勝つのは絶対、うちの子達なんですから!

 頼むよ! ミーナ!」

 

 ずっとおろおろさせててもしょうがないので、スズナはパールが気を引き締め直せるように煽りも加えておく。

 ナタネと親友のようだし、そこからパールがどんな子なのかもよく聞いているのだろう。パールの扱いがお上手なものである。

 ざっくり気持ちを切り替えたパールの繰り出したミーナが、バトルフィールドに降り立てば、両拳をしゅっしゅっと前に繰り出す形でファイティングアピール。

 不本意な形で一度引っ込められた鬱憤を晴らすべく、気合満点というところ。

 

「ちょっと待って、あなたのルクシオそのまま残ってるの?」

 

「あ、あの~、私も戻すべきだとは思ってるのですが……」

「!!」

「はうっ!

 い、威嚇されております……戻そうとすると……」

 

 パッチはパールの横に居座っている。

 せっかく出てきたので、このままミーナら後続の戦いぶりを観戦したいらしい。

 叩きのめされて負けて引っ込んだ時は、ボールの外で観戦なんてしたらしんどくて仕方ないので、傷が浅く負けたこの現状を奇貨としたい模様。

 パールがパッチを戻そうとボールを握ったら、ぎらっとした眼でパールを睨みつけ、彼女の身をすくみ上らせてしまう。

 流石はどんなポケモンが相手でも、強い警戒心を抱かせて攻撃性を薄めさせるパッチの"いかく"である。パールがそれを向けられてはひとたまりもない。

 

「うーん、まあ別にいいけどね!

 ルクシオさーん! そのままそこにいてもいいけど、絶対バトルに介入しちゃ駄目よ!

 ついでに鳴き声あげたりもしちゃ駄目だからね? ポケモン同士でしかわからない会話で、サポートされちゃ私が不利だから!

 黙って、そこでじっとして眺めてるだけならオッケーよ! わかる!?」

「――――z!」

 

 わかった、とばかりにパッチはおすわりの姿勢になって、ぺこりとスズナに向けて頭を下げた。まあ礼儀正しいこと。

 そのままこの後、じっとして動かなくなるのだから、きちんとルールを順守する賢い子である。

 ただ、開戦前にミーナがパッチに振り返り、見ててよ! とばかりにぐっと拳を握りしめて笑う姿にだけは、パッチも頑張れとばかりに頷いてみせた。

 女の子同士のパッチとミーナ、なにぶん二人とも気が強いこともあって、元よりたいへん仲良しである。

 

「残念だけど、あなたのミミロルが格好いい所を見せる機会は無いわよ!

 さあユキノオー! まずは撃ちのめしてやりなさい!」

 

「ミーナ頑張って! 突っ込めえっ!」

 

 やはりまず離れた相手に対するユキノオーの第一手は葉っぱカッターだ。

 ミミロルにせよルクシオにせよ、接近戦こそ本懐の相手には、遠距離攻撃でその出方を炙り出す出方である。

 ミーナもやはり、その健脚で駆けだしてユキノオーに迫り、まずは飛来する葉っぱカッターに傷つけられながらも距離を詰める。

 最も狙うは"とびげり"だ。そしてそれは、スズナから見ても知れていること。

 

「大丈夫よ、ユキノオー! あなたなら大丈夫!

 構えなさい!」

 

「っ……!

 ミーナ、いっけえっ!!」

「――――z!」

 

 その上で、スズナは回避やいなすことを目的とせず、来ることがわかっている跳び蹴りを受けることを促していた。

 どのみち鈍重で機敏でないユキノオーに、フットワークに秀でるミミロルの跳び蹴りを回避させるのは無茶振りなのだ。

 そんな指示を大きな声で発するスズナは、ミーナやパールに対してさあ来なさい、でも思い通りにいくかしらと宣戦布告するかのよう。

 そう感じながらも、パールはミーナに指示すべき跳び蹴りの指示を揺るがせず、行けの一言で後押しするのみ。

 一瞬の動揺を得ながらも、正しい指示を貫けたことは、心理戦に惑わされずにあるべきものを貫けた証とも言える。

 

 流石ミーナが賢いのは、地を踏み切って"とびげり"に臨んだ彼女の狙いが、ユキノオーの右胸だったことであろう。

 パッチが体毛を食い千切り、毛が生え揃う明日まで禿げてしまった、露出した肌を狙う一撃である。

 ユキノオーの体毛は、自身の発する冷気により纏う氷結も相まって、少なからず自らへのダメージを軽減する鎧として成り立っているものなのだ。

 ミーナの跳び蹴り自体はユキノオーが咄嗟に構えた両手で防がれたが、見方を変えればユキノオーにとっても、そこへの一撃は避けたかったということ。

 そしてミーナの跳び蹴りを受けたユキノオーの両手も、凍結した体毛を砕かれて地肌が僅かに覗き、両手に纏う小手を半ば砕かれたような結果に陥っている。

 やはり氷タイプのポケモンに、格闘タイプの一撃はよく効く。

 

「ユキノオー! ぶっ飛ばせえっ!」

 

「ミーナっ、跳んでえっ!」

 

 跳び蹴りを防いだユキノオーから、蹴った反動で離れて跳び着地したミーナは、気を抜かずすぐ後方に跳ぶことで、ユキノオーから距離を稼いでいる。

 接近戦を仕掛けてきた相手へのカウンターとして、逃がさず高威力の"ゆきなだれ"に対する最適な動きであろう。

 地を掬い上げる腕の動きに伴い、波のような雪を生み出して敵を狙い撃つユキノオーに対し、ミーナは全力で高く跳び上がった。

 轟音とともに、ミーナがいた位置を雪で押し潰す"ゆきなだれ"は、上空に回避したミーナの"とびはねる"行動によって空振った形である。

 

「粉雪を浴びせてやりなさい!

 "素早い相手"よ、よく狙って!」

「――――z!」

 

「ミーナよく狙って! いっけえっ!」

「ッ――――!」

 

 天井まで届くほど跳んだミーナだが、自らが上昇するということは、上から降るあられに自分からぶつかっていくのと同じ。

 粒が大きくなったあられはさっきまでよりも痛い。気は強くてもパッチほど体がタフでないミーナには少々つらい。

 そんなミーナを見上げて両手を振り上げ、氷の粒を伴う冷たい風を浴びせるユキノオーの追い討ちは、ミーナにいっそうのダメージを蓄積させる。

 しかも、それは実は"こなゆき"ではない。空中で軌道を変えられない相手に"素早いからよく狙って"という指示は少しおかしい。裏がある。

 

 痛い氷の粒を上下から浴び、凍えるほど寒い風に晒されてなおミーナは、天井を蹴ってユキノオーに真っ直ぐ矢のように向かった。

 重力を味方にして勢いを得たミーナの蹴りを、ユキノオーは再び両腕を構えてガードする。

 ユキノオーの両腕の体毛に付着している氷の粒が、まるでダイヤモンドダストのようにはじけて煌めく。

 それだけユキノオーの腕全体に、その重さが響き渡るほどの衝撃だったということだ。

 草ポケモンでもあるユキノオー、その理屈とは直結しないが、やはり重力を味方に付けて上空から迫る重い"ひこう"技は特効なのだろう。

 

「ぶん殴れえっ!」

「――――z!!」

 

 腕が軋むほどのダメージを受けてなお、やはりユキノオーは頑丈だ。

 受ける直前にちゃんと腕を引き、自分を蹴って離れようとするミーナの反発力を僅かにでも殺して。

 思ったよりもユキノオーから離れられなかったミーナへと、大きな一歩で距離を詰めると、痛むその腕と拳に力を入れてぶん殴る。

 ミーナもミーナで、華奢な両腕でのガードだけでなく、耳まで降ろして防御態勢を取るが、それでもユキノオーの殴り飛ばしには軽い体が耐えられない。

 

「ミーナ……!」

 

 それも、ユキノオーという個体の能力を活かす"れいとうパンチ"だ。

 受けた腕と耳が一瞬で氷に包まれるほどの冷気、そしてユキノオーの剛腕の一撃に殴り飛ばされたミーナは、バトルフィールドに背中から叩きつけられる。

 思わず心配したパールがミーナの名を呼ぶが、すぐにぴょいんと飛び跳ねるように起きるミーナは、まだまだ戦えるという姿を表明する。

 溶けきっていない氷を纏った腕と耳は痛々しいが、がすがすと足で二度地面を踏みしめる姿は、彼女なりの継戦能力アピールである。

 元々私の武器はこの脚と蹴り、だから心配せず任せろという熱意はパールにも伝わるはず。

 

「素敵よそのガッツ! いい相手に巡り会えてるわ!

 ユキノオー! 敬意を表して徹底的に討ち倒すわよ!

 あたし達の真髄ってやつを見せてやりなさい!」

「――――z!!」

 

 あんな小さな体で、ユキノオーの冷凍パンチを受けても屈しない姿は、スズナにとっても熱くなれる挑戦者だ。

 発した敬意は本心である。その一方で、今ここで撃つべき技を文脈だけに示唆し、技の名だけはパールの耳に入れさせないのがスズナのしたたかなところ。

 心からの主張と理知に富む戦術を両立するのは、さすが歴戦のジムリーダーだ。

 ユキノオーがスズナに応え、離れた場所のミーナに向けて放つのは、粉雪以上吹雪未満の強い風、大気から氷の粒さえ生み出すほどの冷たい風である。

 

「つめた……っ!?

 がっ、頑張ってミーナ、もう一回いくよ!」

「ッ――――z!」

 

 ミーナの後方位置にいるパールが、そんな冷たい風の余波を受けて脚をきゅっと縮めている。

 バトルフィールドで技を受けているミーナの感じる寒さよりも遥かに劣る。それでも太ももや顔、露出した肌が一瞬できんきん冷えて痛むほどの冷気だ。

 ミーナはそれに耐え、パールに言われたとおり、あるいは言われなくても行ってやるわよの精神でユキノオーへと突っ込んでいく。

 

 差し向けられる"こごえるかぜ"を突っ切ってだ。

 だが、身体の芯まで冷やすその風は、今のミーナが全力駆けをしているつもりでも、元気な時の彼女ほどの機敏さを叶えさせない。

 "こごえるかぜ"は、冷気で以ってダメージを与えるだけに留まらず、相手を内から冷やすことに特化した技。

 どんな生き物でも、たとえ寒冷地に住み慣れたポケモンであろうとも、内側から凍えさせられれば動きが鈍ることを免れない。それは生物の宿命だ。

 

「だっ、だめっ、ミーナっ、ジャンプ!!」

「――――!?」

「いいから跳び越えてえっ!!」

 

「む……! やるわね……!」

 

「いいね、パール……!

 それでいいはず……!」

 

 地を踏み切ってユキノオーへと飛び蹴りを放とうとしていたミーナに、慌ててパールが違う指示を発していた。

 明らかな動揺がミーナにも見えたが、その切実さには己を曲げたか、パールに言われるまま跳躍した。

 既に迫るミーナを冷凍パンチで真正面から迎撃する心積もりだったユキノオーも、そうするだろうと無言で信じていたスズナも、狙いを挫かれた形である。

 

 ミーナが普段の素早さを欠いていることを、その後ろ姿からも確信したパールは、このまま突っ込んではまずいと直感したのだろう。

 具体的に相手の狙いを推察できていなかったとしても、カウンター気味の一撃から敗北確定だった未来を避けた事実は確かな功績だ。

 自分のポケモンのことをよくわかっているからこそ、思わずながらも出せた指示。プラチナもぐっと手に力が入る。

 跳んだミーナはユキノオーの背後位置に着地する放物線を描き、その動きを目で追うユキノオーも当然振り返る。

 

「一気にいけえっ! とびげり!!」

「――――z!!」

 

 そう、そういう指示が欲しいんだ。

 まだ着地していないミーナに対して発するパールの声は、着地と同時にユキノオーに突っ込んでいけという無茶振り混じりの指示であろう。

 私は出来る子なんだ、信じて無茶を言え、絶対やってやる。

 意地っ張りかつ、あんたの指示に従えば勝たせてくれるんだよね、というパールの攻める姿勢の指示がミーナの性分にはよく刺さるのだ。

 冷え切った体の真ん中に、私の勝利を望んでくれるパールの気持ちに燃える情熱を滾らせて。

 着地の瞬間の一蹴りで、弾丸のようにユキノオーへと迫り、突き出した足で飛び蹴りを刺しにかかるミーナは、100%パールの求めたものに応えていた。

 

「ユキノオー!」

 

「ッ~~~~……!

 ッ、ッ……!」

 

 比較的自らに近い位置から踏み切ってきたミーナに、その飛来速度が全開で無いながらも、ユキノオーがガードする両手は僅かに間に合っていない。

 門を閉じるように胸元を守ろうとしたユキノオーの腕は、ぎりぎりミーナを挟み込むようにこそ出来たものの、その飛来速度を殺しきれない。

 自らの身体を挟み込んだユキノオーの腕に潰されかけながらも、勢いそのままに門を抜け、体毛の禿げたユキノオーの右胸にミーナが足先を突き刺している。

 ある程度は飛来速度を削げたとはいえ、これは間違いなく痛烈な一撃だ。

 巨体のユキノオーが、息を詰まらせるその表情からも明らかである。

 

「っ、押し潰しなさい!」

 

「え゙!? ちょ……」

 

 しかし、転んでもただは起きないのがジムリーダーとそのポケモンの強いところ。

 ユキノオーは自ら前に倒れ、その大きな体でミーナをべちょんと潰しにかかってしまう。

 でかくて重そうなユキノオーである。その胸かお腹か、ボディプレスの下敷きにされたミーナが無事では済まぬことぐらい、パールの目にも明らかであろう。

 

 まあ、本当に全体重を浴びせてしまったら、小さなミーナの体が全身ばっきばきの大怪我をしてしまうので。

 ユキノオーはさりげなく、両手をついてちょっとだけお腹と地面へのスペースを作って、全体重でぶちっと潰すよりは衝撃を弱めているのだが。

 大きな体で力持ち、でも根は優しい。流石は挑戦者を二度と戦えない体にすることなど本意ではない、スポーツマンシップに溢れたジムリーダーが育てた子。

 ミーナがぺちゃんこにされたかのような光景に青ざめるパールの前、立ち上がったユキノオーが、ミーナを持ち上げてパールの方に向ける。

 ご丁寧にミーナの両腕を両手で持ち、十字架のような体勢でパールに見せつけるのだ。もうだいたい俺が勝ってるぞ、と。

 

「さあ! どうするかしら!?

 ギブアップした方が賢明なんじゃない!?」

 

「ううっ……そ、それは、その……」

 

 全体重を浴びせられたわけではないとはいえ、豊満なユキノオーと地面に挟まれたミーナに、一定のダメージはあったはずだ。

 弱っているミーナ、両手を持たれて地面から離された今、痛む体でまだ抵抗しようとするけれど、足をばたつかせるので精一杯。

 倒すべき相手も後ろの位置で、手も足も出ない。振りほどくほどの余力も無い以上、今のミーナは詰んでいる。

 

「じゃ、しょうがないわね。

 ユキノオー、その子をもぐもぐしちゃいま……」

「わ゙~だめだめだめ!!

 ギブアップしますっ! ミーナはもう戦闘不能ですっ!」

「うんうん、よろしい。

 ユキノオー、ポイしてあげて」

 

 正直スズナからしても、今からミーナを戦闘不能にするというのは、抵抗できない相手をげしげし痛めつけるだけなのでそんなに気は進まない。

 というわけで、勝敗明らかな構図を示しつつ、ちょっと大袈裟な脅し文句を述べてパールをギブアップに追い込む手法を取る。

 ギブアップなんてしたらミーナのプライドを傷付けちゃうかも……という苦悩の中にあったパールも、これをされると逆らえない。

 敗北宣言を受け取ったスズナは、ミーナをぽーいっとパールの目の前までユキノオーに放り投げさせる。

 下手投げ気味に大きな放物線を描かせた投げ方だっただけに、ミーナもなんとか着地できたが、弱った体には普通の着地もつらいのか少し膝砕け気味。

 でも、ギブアップなんてして勝手に自分の敗北を決定させたパールを、じとーっとした目で見上げることだけは忘れない。そういう性格だからしょうがない。

 

「み、ミーナ、ごめんね……?

 でも、流石にどうしようもなかったと思ったし……」

 

 謝るパールに、ミーナはぷいっと顔を逸らして、お前のことなんか許さんとばかりの態度である。

 胸をずきっとさせられるパールだが、案外ミーナもギブアップされるのは仕方ないシチュエーションだと一定の納得をしているのか、それ以上の抗議はしない。

 本当に不満爆発だったら、パールに襲いかかるぐらいのことはする。それがミーナなので。

 おとなしくパッチの隣に歩いていって、ちょっと目を潤ませている。負けたのがよっぽど悔しかったらしい。

 負けたポケモンはボールに戻すのがトレーナーであり、負けた直後の悔しい顔なんて見る機会には乏しいものなので、パールもこれは初めて見る。

 負けた時のミーナって、こんなに悔しい顔をするんだなって。

 

「観戦者が増えたんだけど」

「あ、あのぅ、ミーナもここにいさせてあげていいですか?」

「ルールを守れるなら構わないわよ!

 ミミロルさん! ルクシオさんにも言ったけど、口出しせずにじっと……」

 

「――――z!」

 

 うるさいわかってる、話しかけるなとばかりに叫ぶミーナには、幼さ混じりの悔しさがよく現れていた。

 スズナも苦笑い気味に、これ以上はあの子に話しかけまいと決める。

 本当、ナタネに聞いていたとおり、パールという子は感情的であり、そんな彼女に育てられた子もそれに似るんだろうなとスズナは感じてしまう。

 まあ、ミーナはパールに影響されるまでもなく元々そういう性格だが、それを甘受してくれるパールに育てられたからこそありのままという見方もあろう。

 

「さて、次はどうするのかしら!?

 もう2対2のイーブンよ! 追い詰められてるのはあなたの方なんじゃない!?」

 

「うぅ、相手が追い上げムードだ……

 でも、どうしよう……」

 

 ユキノオーにもダメージが蓄積しているため、本当の意味でのイーブンではない。2対1.5ぐらいにはまだ有利かもしれない。

 しかし、勢いに乗る相手に対し、巻き返され気味の自分を鑑みれば、流れは相手にあると感じさせられてしまうのも事実。

 一度明確なリードを得た側には、なればこそ避けられぬ、追われる側の怖さというものがあるのだ。

 勝負事には流れというものが確かに実在する。そんな真理を知らない子供でも、いざ勝負の世界に立てば漠然とそれを実感するぐらいには確かなのだ。

 

 特にパールのような、3対2のリードから0対2まで巻き返されてのストレート負けの経験がある身には、二連敗のこの事実は悪寒すら覚える展開だ。

 見るからに腰が引けて弱気になっているパールの姿には、励ましの言葉でも向けたい一方、それはフェアじゃないので耐えるプラチナには少し苦しい戦況だ。

 一方で、そんなパールの隣でパッチがおすわり、ミーナが正座して次のバトルを行儀よく見守ろうとしている絵図がまあまあシュールなのだが。

 

「……………………」

 

「ふふ、悩んでるわね。

 いいわよいいわよ、よく考えて次のポケモンを出して!

 あなたのそうした決断、勝ちたいという気持ちで臨んでくれる、そういうバトルをあたしは望んでるんだから!」

 

 苦しむパールに、塩を送ることを厭わないスズナだ。

 勝つことだけを至高の目的とするなら、こうして発破をかける言葉は最適解ではない。より追い詰める言葉の使い方だってスズナは知っているだろう。

 スズナはそうしたくない。いや、ジムリーダーはみんなそうだ。

 最高の挑戦者と最高のバトルを。それを望む者達がジムリーダーという地位に望んで立っている。

 

 ジムリーダーは負けることが仕事だと、パールにも聞こえるよう、半ばそう教えるように言ってのけたのはスズナの親友だ。

 一番強い状態の強い相手に勝ってこそ嬉しい。負けるぐらいなら全身全霊を賭した戦いで負けた方がすっきりする。

 どんな形であれ、挑戦者を最高のコンディションで迎え撃ちたいと思えてならぬ者達こそが、チャンピオンを目指す者達に目指すべき姿を体現できるのだ。

 

「……あなたに、任せるよ。

 強い子だって感じたあなたのこと、私は信じるから……!」

 

 パールは黒いハート型のシールを貼ったモンスターボールを握った。

 元より、この戦況において繰り出せる手は一つしかない。

 氷ポケモン揃いのスズナに対し、氷に弱すぎるピョコは出せない。

 そして草タイプの技の使い手であるユキノオーにニルルも出せない。

 残る選択肢は、こうしたバトルで繰り出したことのない、底の見えない新しい友達という唯一しかないのだ。

 

 不安はある。この子はどこまで頑張れるのだろう。

 だけど、強い子だとはわかっている。パールは、それを信じると腹を括った。

 

「お願い、"ララ"!

 私も、力になれるよう頑張るからね!」

 

 力強くボールのスイッチを押したパールにより、この佳境を任せられた新しい友達がバトルフィールドに降臨する。

 先日、パールに捕まえられたばかりのニューラだ。

 ララという名を与えられ、自分を大事にしてくれることを予感させてくれるパールの笑顔に、はにかむように照れ臭く笑っていたニューラ。

 その決して大きくない体格、その背中、後ろ姿は、今のパールに果たして頼もしく映るだろうか。

 ジム生達とのバトルでも多少は出番を与え、パールもこのニューラの戦わせ方はわかっているつもりだが、ジムリーダー相手のバトルでは果たしてどうだろう。

 親しみ慣れて、戦い方はおろか性格まで熟知した他の仲間達に、安心感で劣るパートナーであることは致し方ない。

 

 ララは、パールに振り返って、無表情ながら小さくうなずいて見せた。

 付き合いが短く、どんな子なのかはまだ、知り尽くしていない身内だけど。

 それでも、この大事な局面で頼られていることを理解し、不安がるパールの気持ちに感応し、進んでそんな姿を見せてくれるのがこのニューラだ。

 それがパールに与えてくれる勇気は、そんな小さな挙動一つから得られるものだとは周りには理解し得ないほど、決して小さなものではない。

 

「――ララ! 頑張ろうね!

 あなたのかっこいい所、私も見せられるよう頑張るよ!」

 

「ふふっ、まったく……!

 ナタネから聞いてたとおりの子なんだから……!」

 

 本当に、自分じゃなく、自分のポケモン達の勝利を、我が事のように喜ぶことこそがこの子の本質なんだとスズナも感じたものだ。

 パッチを破られて怯んでいたパールを煽った時、パールは何と応えたか。

 勝つのは私です、と言っただろうか。勝つのはうちの子達です、と言ったのがパールだったではないか。

 ポケモントレーナーはバトルで勝った時、ポケモン達を勝利に導いた自らの指示や、育てた自らの勝利であると誇る。それでいい。

 だけど、痛みに耐えて戦い抜いて、そんな勝利を勝ち取っているのはいつだってポケモン達だ。

 当たり前のようでいて、大切なこと。そうしたことを忘れずにいることこそ大切なのは、ポケモンバトルに限らずどんな世界でも、どんな業界でも変わらない。

 初めてのポケモンと一緒に、勝たなきゃいけない大事なバトルで勝った時、なんてこの子は頼もしいんだと感激した幼心は、かつて誰もが得たもののはず。

 大人になっても忘れたくないそれを、今まさに体現しているパールのようなトレーナーに出会える頻度が高まることもまた、ジムリーダーの特権だ。

 

 ジムリーダーはみんな言う。ジムリーダーはやめられない。

 嫌な奴の挑戦を受けることだってある。それ以上に、胸を熱くさせてくれる挑戦者との出会いが、嫌な思い出なんてすべて帳消しにしてくれる。

 

「パール! やるわよ!

 ナタネがあなたのことを大好きになったほどの戦いぶり、あたしにもしっかり見せてよね!」

「っ……はいっ!

 頑張ります! それでっ、絶対に勝ってみせます!」

 

 絶対、パールは、勝とうが負けようが、このバトルが終わったらスズナさんとも連絡先を交換して、仲良くなっていくんだろうなとプラチナは感じていた。

 情熱がぶつかり合っている。ポケモン同士の衝突を介さずして。

 ポケモンバトルに魅せられてトレーナーという道を歩み続けた者達の語らいなど、ただその対峙を以ってしてで充分であるという好例だ。

 誰もが勝つために、バトルに臨む前からポケモン達を知恵いっぱい絞り尽くし、育てて、この華舞台へ。

 通じ合えるのも道理というものだ。

 

 付き合いの短さなど関係ない。

 パールはララを信じ、勝利を託した。親しみ慣れた他のみんなに勝負を懸ける想いと、何ら変わらぬほど強い想いでだ。

 勝ちたい勝負がそうしてくれる。だから8度を想定させるジム戦は、その道を歩むトレーナー達を成長させてくれる。

 チャンピオンを目指すならば8つのジムを回ってバッジを集めよ。それを定義した原初の発想は極めて偉大である。



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第100話  氷山を突き崩せ

 

「さぁ~、燃えてくるわ!

 あなたも氷ポケモンの使い手だったってことだもんね!

 この勝負は絶対に負けられないわ!」

「あははっ、スズナさんはそれで燃えちゃうんですね……!」

「さあユキノオー! お手並み拝見よ!

 まずははっぱカッター!」

 

 ニューラは悪ポケモンであると同時に氷ポケモンだ。

 氷ポケモンを愛してやまぬスズナにとって、熱い挑戦者だと見初めたパールが、氷ポケモンを繰り出してきたというのは、無性に燃える展開らしい。

 指示の中で技の名前を口にしないことも多いジムリーダーでありながら、葉っぱカッターを唱えてしまうのはもテンションが上がっている証拠。

 

 ユキノオーが腕を振るって放つ、葉っぱカッターの数々が、パールのニューラ、ララに差し向けられる。

 ミーナと同様に身のこなしが軽いララだが、ミーナとの最大の違いはその爪だ。

 素早いステップで飛来するカッターを躱すも、何枚も飛んでくる刃を全て回避しきることは難しい。躱しきれない数枚は、振り抜いた爪ではじき飛ばす。

 パールもびっくり。特撮のヒーローなんかがやってのける、敵の銃弾を武器で弾き返すような芸当を果たすララだ。

 スズナも同様、やるわねと口の端を上げ、ユキノオーもまた腰を低くして、こいつ出来るなとばかりに鼻息を鳴らす。

 

「…………」

 

「っ……うん、ララ! 絶対勝とうね!

 今度は攻めるよ! きりさく攻撃!」

「――――!」

 

 爪をぺろりと舐めながら、挑発的な仕草でユキノオーに睨みを利かせつつ、ララは自ら攻勢に移ることをしない。

 ちらりとパールを振り返り、指示はまだかと待ってくれている。

 トレーナーの視点と指示を借りず、独力の自己判断だけで勝てるような相手ではないと、ララもまたこの強敵を認めている証左だ。

 そしてパールの指示を貰った瞬間、笑みとともに頷いて駆けだすララの本懐は、きっとパールにも伝わったはず。

 私が勝つんじゃない、私達で勝つんだ。パールも、ララも、同じ想いを胸に、ユキノオーという大敵に挑まんとする。

 

「ユキノオー、わかるわね!?」

「――――z!!」

 

 さあ、スズナも本領発揮である。

 迫るニューラに対し、自らの指示を言葉によっては悟らせない。

 手始めに葉っぱカッターを放つユキノオー。そして次の行動も、相手の出方次第で概ねパターンを決めている。

 

「ララもっと速く! いっけえっ!」

 

 最高速とも思えるほどの駆け足でユキノオーに迫っていたララが、自らを傷つける葉っぱカッターを躱し、打ちはじいて一気にユキノオーに迫る。

 触れられるまで2メートルの距離からさらに加速し、ユキノオーの剛腕による反撃を浴びる隙もなく、その脇腹を切り裂いて離れる。

 一気にユキノオー後方位置まで駆け抜けていくララに対し、ユキノオーが振り返るのも反撃も早い。

 

 吠えたユキノオーは振り向きざまに、足元を掬い上げるかのような腕の振り上げにより雪なだれを放つ。

 生じた多量の雪が津波のような勢いで、広く高い壁と化してララを押し潰さんとする。

 ララは振り返りもせず離れ駆ける一方だ。充分離れたようにさえ感じてもなお離れる。

 そして後方から迫るものの冷たい気配を感じるや否や、さらに踏み切って前に飛び込むように転がっていく。

 ここまでしてようやく、広範囲かつ遠方まで届き、敵を逃がさぬ雪なだれの射程外に逃れ、己が後方で山積みとなった雪から無傷で逃れられるのだ。

 

「ララ来てるよ! 立って立って!」

「!!」

「――――z!」

 

 危ない危ない、と流石に嘆息していたララだったが、パールの声とともに跳ね起きるように立った直後、雪の山をばこんと突き破ってユキノオーが迫ってきた。

 追撃しろというスズナの指示は無かった。ユキノオーが自己判断で駆けている。

 巨躯にして大股、ユキノオーとてピョコと同様、その気になれば敵への接近速度も相応だ。

 自らが振り撒いた雪の上を歩くことで、どかどかと鳴るはずの足音も消して迫ったユキノオーが、ララを殴りつけようとその腕を振るう。

 一発、二発と振り抜かれた腕を、かがんで躱し、ジャンプしユキノオーを飛び越えて敵後方まで身を逃がすララの素軽さは見事であろう。

 だが振り返りざまに振り抜いた腕から撃つ数枚の葉っぱカッターは、空中で軌道を変えられぬララへと次々に飛来する。

 二枚の葉っぱをばちばちと爪ではじいた後、身を縮めて爪を構えて防御態勢を取るララを、残りの葉っぱカッターは容赦なく斬りつける。

 

「返して!」

「ッ――――!」

 

 宙空で傷つけられるさ中にあったララの耳に、パールの短くも強い声が届いた。

 着地して立て直してから次の行動か? いや、そんな悠長な戦い方でこの難敵を仕留められるものか。

 傷つけられる痛みに片目を閉じていたララも、そうだその通りだと即座に悟り、顔の間で交差していた両腕を一気に前方へ振り抜いた。

 宙の彼女が発した"こごえるかぜ"は、着地した瞬間のララを狙おうと一歩前に踏み出しかけていたユキノオーに、ダメージを与えつつその足を止めさせる。

 

「いいわ! ぶっ飛ばせ!」

「――――z!!」

「ララーっ! もう一回跳んでえっ! 頑張ってえっ!」

 

 動きを遮断させられたその瞬間、次の一手に迷う間さえ補って、スズナが最適解を伝えてくれるのだ。

 前方離れた位置で着地したララ目がけ、豪快な腕の振り上げと共に雪なだれを放つユキノオー。

 傷を受けて、反撃までして、不完全な体勢で着地したララは、両足を下にした着地を叶えただけでも上出来だ。

 すぐさま高く跳ぶなど難しいほど膝が痺れている。それでも跳ぶしかない。

 歯を食いしばって無茶振りに応えて跳ぶララは、前方から迫る豪雪の津波を飛び越えて、またも窮地を逸する身のこなしを披露する。

 

「っ、叩きつけて! 思いっきり!」

「――――z!」

 

「まずい……!」

 

 そんな中でもララが跳躍によって描いた放物線は、しっかり自らがユキノオーに頭上から襲いかかれる軌道を描いていた。

 そうだと悟ったパールの指示は、今ここで湧くとは思っていなかった好機に、閃き任せに発した一声だ。

 ララは嬉しかっただろう。脚が痛い中でも全力で跳び、さらには次なる一手に繋がるよう計らった自らの意を、しっかりパールは汲んでくれたのだ。

 

 ララを見上げたユキノオーは、咄嗟に両腕を上に構え、迫るララの攻撃に対して防御態勢を取っていた。

 だが、両腕を振り上げてユキノオーに向けて高みから迫るララが、その両爪を振り下ろす一撃はユキノオーが思う以上に痛烈だ。

 霜と氷晶を纏う体毛に包まれたユキノオーの両腕が、纏う氷を全て砕かれたかのように氷の粒を煌めき散らせる。

 そしてその一撃は、ユキノオーの頑強な腕にも相当なダメージを与えたか、頭を殴る結果こそ防いだもののユキノオーの腰が深く沈むほど痛烈さを顕す。

 

「ぶっ飛ばせ! 頑張れえっ!」

 

 スズナもわかっている。あれが氷ポケモンであるユキノオーには痛烈である、ニューラの"メタルクロー"の一撃であることぐらい。

 それに腕を打ちのめされた直後、殴り返すことが過酷であることも。

 それでも痛打に怯みかけていたユキノオーに発された指示は、今はその無理を押さねばならぬ時なのだと、ユキノオーに勇気を与えてくれる。

 戦う者達は積極性と暴勇を、リターンとリスクを常に天秤にかけねばならない中にある。

 この場における殴り返しは、蛮勇ではなく果敢の一撃だと確信したユキノオーは、目前に着地したララを容赦なく殴り飛ばした。

 

「ララ……!」

 

「ッ、ッ……!」

 

 ユキノオーの"ウッドハンマー"は強烈だ。

 咄嗟に爪を前に交差させて構え、殴られるに際して後ろ跳びしたララも、一気に腕全体が熱くなるほどの痛烈さに表情を歪めている。

 首を引いて背を丸め、背中から地面に倒れる痛さからは免れたものの、両足で着地してずざぁと後方に退がった末、膝に溜まる重みと痺れがきつい。

 一度は片膝を着いたララだが、爪を構えて伏せた目、相手の方から表情の見えぬララは、くはぁと苦しげな息を吐きつつその眼は燃えている。

 

「――――z!」

「ララ!?」

 

「根性すごいわ、あの子……!

 ユキノオー! あなたも!」

「ッ――――、――――――z!!」

 

 殴り飛ばされた自分に対し、心配そうな声を発するパールの不安を払拭すべく、ララは両腕を振り抜いてユキノオーに凍える風を放っていた。

 心配するよりも指示をくれとばかりに、一瞬ながらも強い眼差しをパールに向けているララの闘志には、パールも生唾を飲むほどの気迫がある。

 目の当たりにさせられるスズナも、痛めた腕で相手を殴り、さらに腕を痛めてひと呼吸置きたいユキノオーにも、優しく出来なくなってしまう。

 敵も味方も休む暇無きこの勝負だ。ユキノオーもまた苦しい中で、スズナが訴える行間から真意を受け取り、望むところだと咆哮と共に凍える風を放つ。

 双方の放つ凍える風はぶつかり合い、纏まりの無い冷たい風はバトルフィールド全域へと拡散し、両者戦場から距離のあるトレーナー両名の肌まで届いた。

 

「ひぅ゙、っ……!?

 痛っ、た……!」

「んっ、ゔ……!!

 ユキノ、オー……!」

 

 一瞬で耳がきんとして痛むような感覚に、思わず引きつった顔で両手で耳を覆ったパール。

 肌の露出の多い体でそれを浴びた結果、冷水を頭からかぶったような全身が凍えるような渦中に放り込まれるスズナは、拳と歯を食いしばって目を見開いて。

 余波だけでこの壮絶さ、バトルフィールドでこんなものの本流に晒されるララとユキノオーは、どれほど過酷な中で気力を振り絞っているのだろう。

 己の身が浴びた苦痛を介し、いま最も頑張っている味方の痛みとガッツを想起して、私だって負けてられるかと即座に気力を立て直すパールとスズナで。

 よく似た二人だ。体をどれだけ凍らされようが、魂に宿った火は鎮まることを知らない。

 

「っ、ララ! もう一回いこう!

 大丈夫、ララならやれるよ!」

 

「ユキノオー! 素晴らしい挑戦者揃いよね!

 勝って、今までで一番胸を張りましょう!」

 

 シンプルなエールだ。

 だが、自分のポケモンの強さを心から信じているトレーナーのその言葉は、単なる気休めになど留まるまい。

 敵が強いと実感するたび、それに比例して勝てるかどうかの自信に陰りが、不安が心に芽生えるのは余程の哲人でも無い限り免れない。

 あなたは強い、勝てる器だと、心からの想いで発してくれる誰かの声がもたらす勇気は、自らの鍛錬により築き上げてきた自信によるものにさえ比肩する。

 互いに発し合っていた凍える風が収まり、片時も敵から目を切れぬ中、ララとユキノオーが相棒に振り返ってうなずく仕草は、決して無駄な動きではない。

 これほど自分を信じてくれる誰かの実在への認識が、冷気に親しんだ体の奥底にある、熱きものを呼び覚ましてくれるのだから。燃えてくる。

 

「ユキノオー! 全力全開!」

 

「ララ……っ!」

「――――z!」

 

 駆け迫るララに対し、迎え撃つユキノオーが発したのは、葉っぱカッターではなく雪なだれだ。

 傷ついた腕では威力が劣るか、あるいは力を溜める暇が無かったか、その雪の壁めいた波は僅かにスケールを落としている。

 だが駆ける真正面から回避しようのない雪崩の一撃は、パールも最適解たる指示を一瞬では下せない。

 ならば問われるのは自分の地力なのだ。果敢な己の判断で、怯まず雪崩に突っ込んでいくララは、生き埋め覚悟でそれを浴びる形となった。

 

「ユキノオー……!」

「――――!」

 

 ララが雪崩に生き埋めにされていく後ろ姿を見届けるだけだったパールは、きっと生きた心地がしないほどぞっとしたはずだ。

 それでも足を止めなかったララの判断を信じ、自分の胸元をぎゅっと右手で握り、目の前のバトルフィールドから目を逸らさない。

 ララがアクションを見せるなら、必ず自分なりの最速で力を貸せるように。

 かつて自分のポケモンが傷つくたびに狼狽えていた、トレーナーと呼ぶには幼い、ただの女の子の姿はそこに無い。

 

「――――ッ、――――――z!」

 

 自らを押し潰した雪を掘り進み、積もった雪から飛び出すように跳躍したララは、高い位置からユキノオーに凍える風を放って敵の出鼻を挫く。

 氷ポケモンは氷技に強い。だが、草タイプ複合のユキノオーに限っては、氷技の凍える風はやはり、受けて涼しい技ではない。

 パールにまだ戦える自分の姿を見せつけるララの動きが、着地までユキノオーの反撃を許さない間を作ることまで成功している。

 

「っ、でんこうせっか!」

 

「ユキノオー、構えて!」

 

 勝利に向けての構想を組み立てながら発するパールの指示に、ララは応えて今最速の足でユキノオーに迫る。

 メタルクローの一撃を警戒して腕を構えるユキノオーへ、矢か弾丸のような勢いで迫るララに、スズナも勝利への道筋を構想しているだろう。

 どれだけ相手の構想を崩せるか。切り札であろうメタルクローを如何に凌ぐか、それが出来るスズナとユキノオーを如何に乗り越えるか。

 相手の読みを超えること。どんな勝負でも求められる能力だ。

 

「ん……!?」

 

 ユキノオーの構えた腕に、爪を突き出しメタルクローで貫きにかかるような動きを見せていたララは、直前その爪を引っ込めて腰を振り上げる。

 パールの指示が意図するところはメタルクローじゃない。ララとて、それでいいのかとは一瞬疑いそうになった。

 それでも信じて、勢い任せの蹴りでユキノオーの腕を蹴るようにして、打撃を与えつつヒット&アウェイの形で再び距離を作る。

 ミーナの跳び蹴りのようにユキノオーの氷結体毛へ重いダメージを与えられる一撃ではない。与えたダメージも決して大きくはあるまい。

 

「ララもう一回! 決めるよ!」

 

「く……! 雪なだれ!」

 

 メタルクローを防ぐ、至近距離のニューラをウッドハンマーで殴り返す、そう想定していた流れを空白にされたスズナとユキノオー。

 手の届かない位置から一気に再び迫るララへ、迎え撃てる技はこれしかない。ここで葉っぱカッターでは弱すぎる。

 だが、これはスズナが望んだ展開に撃つ技ではないのだ。

 半ば"撃たされた"形で已む無く選ばされた行動は、決して最悪ではなくとも、劣勢に陥るほつれの始まりにもなり得る。それを知るからスズナの表情も苦い。

 

 決めるよ、の一言が意味するところは、ララも理解しているのだ。

 爪を後ろに下げ、自分が一番速く走れるフォーム、しかしそれは攻撃に移り難い、移動速度だけに特化した駆け方でもある。

 言うなれば自らの速度上昇にのみ全力を投じ、攻撃技たり得ない"こうそくいどう"にも言い換えられる挙動。

 それでいい。振り上げた腕で雪なだれを起こすユキノオーに、気付けばその眼前まで一瞬で迫るほどの速度で駆けたララは、ユキノオーの懐に潜り込む。

 そして雪なだれを起こした瞬間のユキノオーの股下を、這うほど身を低くして滑るようにくぐり、大技を発した直後のユキノオーの背後に回り込む形となる。

 

 ユキノオーが発生させた雪なだれは、交戦するララとユキノオーの姿を、パールに見えなくさせる時間を作っていたはず。

 それでもパールは、ララがユキノオーの下をくぐる姿だけはぎりぎり見届けたのだ。

 回り込んだララに攻撃を指示するパールの声に、ララもまた、自分を目で追い切れずして正しい指示を出してくれるトレーナーの頼もしさを実感する。

 

 立ち上がりざまに振り抜いた後ろ手の爪で、ユキノオーの足を後ろから斬りつけたララ。

 "決めるよ"の一言が合図だった、敵の虚を突き、確実な当たりを重視する"だましうち"。一撃は、巨体を支えるユキノオーの脚には痛烈だ。

 体が傾きそうになる。だが、後ろに傾きかけた自らの体をいっそ利用し、振り返りざまに腕を振るうユキノオーの判断も速い。

 脚を切り裂かれたのだ。自ずとユキノオーの腕の一振りは、低い位置を薙ぎ払うウッドハンマーとなる。

 だからララも、高めの跳躍含みでユキノオーから離れる動きをいち早く叶え、受ければ終わりの一撃を無傷で凌ぎ果たす。

 脚を傷つけられた瞬間、反撃に転じたユキノオーの判断も早かったが、ララの判断と読み、そして行動がユキノオーを上回っている。

 

「思いっきり、いっけえっ!」

 

 ララが嬉しかったのは、自分が地を蹴り回避行動を取ったのとほぼ同時、パールがそう叫んでくれたこと。

 もう迷いは無い。着地する前の極めて短い時間の中で、次の一手を確定させて貰えた。

 自分なら躱せると信じて、先んじたとどめの一撃の指示を発してくれたパールの信頼に、応えたくて仕方ない。

 ほら、目の前にはウッドハンマーを空振って、傷ついた脚でバランスを崩しかけ、踏ん張ることに注力する無防備なユキノオー。

 そしてその胸元には、パッチが体毛を食らい毟ったユキノオーの体皮。

 それを的と見定めたララの瞬発力は、迷い一つ無き直進は、もはやユキノオーに回避も防御も叶えさせやしない。

 

 鋭い爪を突き出して、我が身ごと突っ込んでいくララのメタルクローの一刺しは、矢は矢でもバリスタのそれの如く重く、速く、鋭い。

 我が身を守るもの一枚も纏わぬユキノオーの胸元へのそんな一撃は、まさしく急所に当たったという表現がよく似合う。

 ララの突進めいた重みも浴びせられ、後方にぐらりと傾き倒れそうになりながら、ユキノオーは踏ん張ったものの、そこまで。

 持ち直してララを両手で掴むよりも早く、爪を引き抜いたララは、逆の爪を振り上げながら跳び、もう一撃のメタルクローで再びユキノオーの胸を裂く。

 後方に宙返りして離れるララの爪が描いた軌跡は、まるで美しい三日月のような形を描き、ユキノオーにこれ以上ない追い討ちを加えたのだ。

 

「ユキノオー……!」

 

 切り裂かれた胸を押さえ、膝をついて崩れたユキノオーは、ララを睨みつける眼と顔を落とさなかった。

 まだまだだ、と気迫を発するユキノオーにララも身構えるが、スズナは既にユキノオーのボールのスイッチに手をかけている。

 確かに戦い続けることは出来るだろう。命を削りながら、ならば。

 そこまで追い込まれるほどの傷を負わされた時点で、これ以上の戦いを強いられないスズナからすれば、勝負はついたと断じざるを得ないのだ。

 

 指示を求める目を向けてくるユキノオーに、スズナは無言でボールを見せ、あなたはここまでということをはっきり表明した。

 無念とばかりに一度目を落としたユキノオーだが、再び目を上げ、小さく頷いた。スズナの判断なら従う、と。

 きっと悔しいだろうに、あのニューラに一矢でも報いたいであろうに、この意を汲んで応えてくれるユキノオーに、スズナは無言でボールのスイッチを押す。

 ユキノオーが戻っていったボールを握りしめ、手の中のそれを見つめたスズナは、最大限の賛辞と労いを小さく微笑む表情に表していた。

 

「大丈夫よ、ユキノオー。

 あなたが手繰り寄せてくれた勝利への道筋、あたしが導いてみせるから」

 

 2対4の状況から、ルクシオとミミロルを打ち破り、あのニューラにだって充分なダメージを与えたユキノオーだ。

 勝負をイーブンにかなり近付けた活躍である。無念そうにボールに戻っていったユキノオーだが、己を恥じる必要などない。

 冷静からここまで持ってきてくれたユキノオーに対するスズナの言葉の使い方には、しっかりその意も含まれているのである。

 

 一方、パールのすぐそばでおすわりして戦況を見守っていたパッチとミーナは、ユキノオーの撃破を見届けるや否や、手と前足でハイタッチ。

 ただ身内が勝っただけでなく、ララが私達の仇を取ってくれた、というのも含めて非常に嬉しそう。

 パッチもミーナもララも女の子である。女子組の結束力や流石流石。

 敵の撃破にほっとしたように一息吐いて、しかしすぐにパールに近い位置まで戻ってきて、スズナに向き合うためパール達に背を向けるララ。

 そんな中で、ちらっと得意げな顔を作り、パール達に振り返って爪を光らせるララの表情には、彼女の熱い情熱がよく顕れている。

 前足で足元を二度叩くパッチも、ぱちぱちと拍手するように手を鳴らすミーナも、ララの勝利に対する賞賛を惜しまない。

 

「……ララ、まだいける?」

「――――!」

 

 しかし、パールも浮かれず冷静だ。

 肩を上下させているララの姿からも、息切れが隠せぬほど疲弊しているのは明白である。

 とにかくウッドハンマーの一撃が、小柄で打たれ強くないララにとっては、特に効いていたはずであろう。

 他にも数々の技を受けていたララ、その消耗と疲弊は無視できる程度のものであるはずがない。

 

 だけど、ララは大きく首を下げ、絶対に伝わるように頷いてみせた。

 まだ戦える、いや、戦いたい。

 可か不可か、そんな問いを越えた熱意に満ちた返答を受ければ、パールも今ここで彼女を休ませてはいけないと確信を得ただろう。

 自分の手持ちになってから日が浅く、バトルで負けたことがまだ無いララは、その限界を見極めるのが今は難しい友達だ。慎重になりたくもなる。

 ララにも限界はあるはずだ。だが、それは今じゃない。そう信じさせようとしてくれるララの姿に、パールの回答は一つしかない。

 

「パール! 追い詰めた気にでもなってるかしら!?

 傷だらけのその子と一緒に、2対1なんて甘いわよ!」

「うっ……!

 だ、大丈夫です! ララはまだ戦えますから!

 この子なら、スズナさんの最後のポケモンだって倒せるかもですよ!」

「へぇ~、あたし舐められてるわね!

 満身創痍の相手に、二連勝を許すようなジムリーダーだと思われてるんだ!」

「そっ、そうじゃないけど……」

 

「スズナさん、楽しんでるなぁ……」

 

 客観的な立場から、観客席から見守るプラチナには、今の流れというものがパールよりもよく見えている。

 あのユキノオーの強さ、恐らくスズナの切り札だったのだろうとは、プラチナ目線でも想像してやまないところ。

 流石に次に出てくるスズナのポケモンが、ユキノオー以上の化け物なんていうことは無いだろう、とは思う。

 二体残しでユキノオーを撃破できたパールが、いよいよ勝ちが見えてきたという中にあることは、プラチナ目線では強く感じられる局面である。

 まあ、強いゲンガーに次いでムウマージを出してきたメリッサ、強いトリデプスの後にハガネールを出してきたトウガンの前例もあるから、気は抜けないが。

 勝負はまだまだわからない。ただ、天秤はパールに傾いているはず。

 

 そういう展開を示唆してパールをびびらせようとするスズナの口撃は、いかにも狼狽え、強がりと透けた強がりを発するパールによく効いていると見える。

 相手を好調の波に乗らせない心理戦というものもあるが、多分スズナさんはパールをおたおたさせるのが楽しいだけなんだろうな、とプラチナは感じる。

 どうにもこの場では年長者ながら、いたずらっぽさが隠れないジムリーダーさんだ。ナタネの親友だそうだが、あの人よりは攻めっ気が強そうである。

 

「氷ポケモンのエキスパートとして、あなたのニューラには負けられないわ!

 さあ、行くわよ! あたし達の底力、見せてあげる!」

 

 最後のポケモンが収められたボールのスイッチを押したスズナに応じ、バトルフィールドにスズナの勝敗を懸けた主将が降臨する。

 あなたのニューラには負けられない。そんなスズナの発言の意図が、そのポケモンの姿を見ればパールにも伝わったはずだ。

 何せスズナが最後に繰り出したのは、ララと同じ個体であるニューラだったからだ。

 

「っ、ララ……!」

「――――z!」

「うん、勝とう……!

 あなただったら、絶対できるよ!」

 

「ふふっ、気合充分ね!

 やっぱりニューラ同士の戦いじゃ、熱くならざるを得ないでしょ!

 さあニューラ! 勝ちにいくわよ!」

「――――z!」

 

 ニューラとニューラの激突だ。

 後ろにもう一人を控えるパールと、後が無いスズナとでは状況も違う。

 ダメージの残るララと、無傷の全力を発揮できるスズナのニューラとでも状況は違うだろう。

 そんな冷静で客観的な判断は、トレーナー同士の都合でしかないのだ。

 同種と対峙したララとニューラが睨み合う眼差しは、相棒の勝利のために勝利を目指す、それ以外の雑念を一切抱えてなどいない。

 

 傷ついたこの身体で果たせる限りの全力を。

 

 傷ついたこの敵を退け、続く敵もまた屠り、声高に勝利宣言を掲げるために。

 

 同種を前にした二匹のニューラが胸に抱く勝利への渇望は、優れた個体がいずれなのかを比べるような、意地めいたものを超越したところにある。

 観戦席のプラチナが意識せざるを得ない、ニューラ同士の戦いとなればどう転ぶのだろう、という第三者の興味など、戦場の者達の意識とはかけ離れたもの。

 息切れしながらも爪を構えるララに対し、ここから私が巻き返すんだとより強い眼で爪先を光らせるスズナのニューラの姿が、何よりもそれを物語る。

 

 完全に大勢決した勝負でもない限り、あるいはそうであってもさえ、勝負というものは最後までわからないものだ。

 それをまさしく、パールとスズナは、味方のニューラから、そして敵のニューラの姿から、それを痛感しているはず。

 奇しくも同じポケモンを扱う者同士だからこそ浮き彫りになる大詰めに、バトルフィールドを中心に渦巻く両陣営の意識は混沌とする。

 そんな不可避の空気を退け、如何に勝利へとその手を紡ぎ上げられるか。

 それが問われる副将VS大将の図。

 キッサキジムの戦いは、かつてパールが経験したどの激戦とも異なる特殊な構図の中、いよいよ終盤戦へと雪崩れ込む運びとなっていた。



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第101話  これが私の戦い方

 

 

「ララ足踏み! 勝ちにいくんだからね!」

「――――z!」

 

「いい判断ね……!

 でも先手は貰うわよ! ニューラ!」

 

 パールがララに指示した足踏みとは、芯まで冷やされて動きの悪い脚で、数度地面を叩いて脚に活を入れる技。

 ユキノオーの凍える風によって落ちた動きを、"こうそくいどう"で取り返すための挙動である。

 そのぶん、先手を相手に譲らざるを得ない。ララにも劣らぬ素早い駆け足で、一気に迫ったニューラの爪がララを捉えんとする。

 辛うじて、凍える風に身の芯を冷やされる前ほどには脚の動きを取り戻したララは、力強いステップでニューラの切り裂く攻撃を躱した。

 だが、掠めている。ユキノオーとの戦いでも重いダメージが蓄積しているララにとって、脇腹をぶしっと傷つけられる痛みは痛烈だろう。

 

「ララいける!? 反撃!」

「ニューラ! 迎え撃ちなさい!」

 

 怯まない"せいしんりょく"を持つララだ。そしてそれは敵対するニューラも同じ。

 痛みなど始めから意に介していないかのようにニューラに迫った、ララの切り裂く攻撃が、爪を構えたニューラの防御と激しい衝突音を鳴らす。

 相手が防御態勢を取ったと見れば、ララは連続で切り裂く爪を振り抜いて連続攻撃だ。

 ばきん、がづんとララの爪がニューラの爪とぶつかり合う音の連続は、さながら二刀を持つ者同士の殺陣のように激しく響く。

 子供のパールやプラチナには、これだけではらはらするような展開だろう。だが、こんなことで冷静さを欠くようではまだまだ。

 

「そこ!」

 

 パールには目で追うことも難しいようなララの猛攻を、スズナはその眼で隙さえ見出している。

 元々息切れ著しいララだ。体力が厳しい中での必死の連続攻撃。

 ニューラが反撃に転じる好機は少なくない。ニューラはスズナの声を聞くのとほぼ同時、あるいは一瞬早く、ララの振り下ろしてきた爪を力任せに打ち上げた。

 肘まで痺れるほどの衝撃を返されながら、一歩後ろに退いたララに、ぎらりと眼を光らせたニューラが体を前に傾ける。

 

 踏み込んだニューラの爪による連続攻撃は、ララのそれを遥かに上回る速度と手数で、守勢に回って爪で防御するララを追い詰め始めた。

 "きりさく"攻撃の連続攻撃ではなく、長続きの"みだれひっかき"だ。

 一秒に5度以上は鳴る金属音めいた爪と爪のぶつかる音と共に、一歩二歩と後退するララの劣勢は見るも明らかだ。

 ララの連続攻撃の時点で目で追い切れなかったパールが、それ以上の手数と速さのニューラの乱れ引っ掻きから、隙など見いだせようはずもない。

 

「ニューラ、とどめの一撃よ!

 わかってるわね!?」

「――――z!」

 

 ニューラの猛攻に腰さえ沈み始めているララに、ニューラは力強い鳴き声と共に全力で爪を振り下ろした。

 それも、両爪だ。ララもまた、両手の爪を交差させる形で防御態勢を取り、その一撃を受け止める。

 重く、体重を乗せた全力の一撃は、防いでなおララの腰まで響く痛烈打。

 根性を振り絞って、お尻が地面に落ちるような無様を耐えきったララだが、耐えきればそれだけ脚と腰で受け止めた衝撃が身体の内側をひび割れさせる。

 苦しそうな表情のララだ。だが、勝負を諦めてなどいない闘志がそこにある。

 

「ッ――――!?」

「――――♪」

 

 だが、この追い詰められた状況さえ好機に変えんとして、ララはその足を振り上げてニューラの顎を蹴り上げようとしていた。

 その一撃が、手応え無くすかっと空を切ったララが動揺したのは、これだけ自分を追い詰めているにも関わらずニューラがあっさり逃げたから。

 ニューラはしてやったりの顔だ。追い詰められたフリをしての"だましうち"などお見通しだ、とばかりに。

 そんな演技、"わかってるわね"と言ってたうちのご主人にだって見抜けていたことだぞ、という、相棒の優秀さを誇る想いも含まれている。

 とどめの一撃、という言葉に騙されたのはララの方だ。

 

「ララだめっ、退がってえっ!!」

「必殺よ!」

 

 次の展開はパールにもわかった。スズナの指示よりパールの声の方が早かった辺り、パールもぎりぎり冴えている。

 おかげで後方に大きく跳び退がることが出来たララだったが、ニューラが地面を掬い上げるように爪を振り上げて。

 それが生み出すのは、魔法のように雪を大量に生み出し、前方の敵を逃がさぬ広範囲攻撃の雪なだれ。

 ニューラ同士のバトル、使える技が似通う両者であっても、ララには使えずニューラには使える、スズナにとっての強い札の一つである。

 

 駄目だ、これは免れない、と覚悟を決めたララは、襲い掛かる雪の津波を前にして、その両手で頭を抱え込むようにして防御態勢を取った。

 その後に続いた、ララが雪に生き埋めにされる彼女の光景は、今日二度目とて改めてパールをぞっとさせるもの。

 もう駄目か、という、単にバトルで一人破られたかと思う怖さじゃない。生き埋めなんて本気で心配になってしまう。

 

「ララ……っ……!」

 

「へぇ、まだ信じてるんだ……!」

 

 今にもララのボールのスイッチを押してしまいたくなるのを、パールは必死で耐えていた。

 すぐにでも引っ込めて休ませるべきなのだろうか。それともまだ戦えるララを勝手に引っ込めるという、勝てる勝負を自ら捨てにいく愚策だろうか。

 果敢と引き際。勝負の世界では必ず常に問われること。

 こう見えてパールも、まだ戦える状態にあったはずのパッチやミーナを、動転のあまり勝手にギブアップさせたことを今すでに反省しているのだろう。

 いかに詰んで見えていようとも、負けが確定したわけでもないのに勝手に諦めてしまうことは、並々ならぬ後悔を生み得るものだ。

 

「……………………ッ、――――――z!」

 

「ララ……!」

「ええ、わかってた……!

 そのファイティングスピリッツ、あたし達にだってとっくに伝わってる!」

 

 雪の中を掘り進み、積もりし雪から飛び出したララが、ニューラに凍える風を浴びせていた。

 ララの数少ない飛び道具だ。虚を突きダメージを与えるならこの程度しかない。

 そしてそれは、氷ポケモンであるニューラに対し、大きなダメージにはなり得ない。逆転を目指す打点を稼ぐには、焼け石に水と言って過言ない。

 

「ッ――――、ッ――――……!」

 

「!?

 この子は……っ!」

 

 雪なだれに押し潰されたダメージに加えて積もり積もった疲労、もはや背中を丸めて息も絶え絶えのララだ。

 そんな中でララは、両手の爪をがちんがちんと鳴らして、ニューラを睨みつけて挑発している。

 挑発しているのだ。相手も同じニューラである以上、ララはどんな仕草が相手に有効な挑発となるかをしっかり理解している。

 そして、パール以上にニューラという個体についてよく知るスズナは、ララが見せた行為の意味と、それが如何にまずいかを即座に感じ取る。

 

 これはパールの指示なのだろうか。いや、きっとそうじゃない。

 指示や合図の一つも得ず、自らの意志と判断でこんなことをしているララ。

 そう確信した瞬間にスズナが実感した、敗北がすぐ背後に迫っていることへの悪寒は、あまりに現実味と実感を帯びたものだ。

 

「ニューラ、仕留めるわよ!

 速攻で畳みかけなさい!!」

 

「ララいけるの!?

 やれるなら……」

「――――――――z!!」

「っ……頑張ってえっ!!」

 

 ニューラもララの真意を理解していただろう。

 その"ちょうはつ"に本能を刺激され、己では制御できぬ攻撃的な衝動に心身を蝕まれながら、思考そのものは聡明である。

 弱ったララに一気に距離を詰め、"みだれひっかき"の連続攻撃でララを追い詰めにかかる。

 

 パールの問いかけを最後まで待たずして、絞り出すように大きな鳴き声を返したララは、その声で以って自らに最後の活を入れて。

 襲い掛かるニューラの連続攻撃をどうにか爪で防ぎつつ、相手が駆け迫る速度とそう変わらぬほどの速度で後退し。

 決して演技ではない、限界間近の苦悶の表情で爪を痛め、反撃の手立てもないままサンドバッグも同然の様相だ。

 さらに言えば、凌ぎきれないニューラの爪先を腕や胴に掠めさせ、血を流すたび急速に抗戦能力さえ失っていく。

 

「ッ、ッ…………!」

 

「ニューラ退がらないで! 凌ぎようがないわ!」

 

 力を振り絞ってジャンプしたララは、ほぼ同時に振り抜かれていたニューラの爪に、かなり深くお腹を斬りつけられている。

 嫌な熱さを覚えるほどの傷の痛みに苛まれながらも、高所に逃れて一瞬ニューラの攻撃から免れたララは、地上いっぱいに"こごえるかぜ"を放出する。

 ダメージは小さい。それでもそれを浴びせられるニューラの体が、芯まで冷やされその機動力に楔を打ち立てられる。

 凍える風の副次効果は、ダメージ以上の後に響くものがあるのだ。

 やや敵から離れた位置に着地できたララへ、逃げる動きなどせず一気に迫るニューラも、確かに数秒前の全速力より僅かに速度が劣っている。

 

 それでもララに対し、爪先を槍のように突き出したニューラの一撃は、全力の重みを失わぬ力強い一撃だ。

 交差させた爪の交点で、ニューラの正拳突きめいた爪の重い攻撃を受けたララが、よろよろと後退して腰砕けに尻餅つきそうにさえなる。

 いや、実際にもはや限界であることを誰の目にも明らかとさせる挙動だ。

 片膝をつき、足の裏だけではもう立てなくなった身体であることを隠せなくなったかのようなララには、もはや自らの足で敵に迫り攻撃する余力も無い。

 出来ることがあるとすれば、凍える風を放ち、このニューラに挑む次の誰かを、少しでも戦いやすくする程度のことだけだ。

 

 ララは最後の抵抗だとばかりに、がちん、がちんと爪を打ち鳴らして、ニューラをもう一度"ちょうはつ"した。

 私の"こごえるかぜ"で弱ったあなたの身体を、"こうそくいどう"で回復なんてさせるものか。

 私だってこれをされたらむかついて高速移動が出来なくなるんだ、あんたはどうだ、攻撃したい衝動に支配されてもう出来なくなるだろう。

 力尽きる直前のララは、ニューラにそんな挑発的な表情を向けると共に、パールにもまた、これが私のやり方だとばかりに自嘲的な笑みも向けている。

 

 私の真意はパールに伝わるのかな。それだけが気がかりだ。

 

「ニューラ……! 決めなさい……!」

「――――z!」

 

「っ……ふぐぅ、っ…………!」

 

 確信した。

 ああ、この子に捕まえられてよかった。あなたと出会えて本当によかった。

 あのニューラが迫ってくる中、これから血祭りにあげられるようにしか見えない私を前にして、あんなに今にも泣きそうな顔をして。

 それでも、私が訴えたことを理解してくれたからこそ、その手で口を覆ってまで、"何も言わないこと"を選んでくれたんでしょう?

 そうだよ、私はあなたに沈黙を貫いて欲しかったんだ。それも、まだやれることがあるんだって信じる私を信じて、引っ込めずに。

 

 傷ついた私を、あんなに哀しそうな目で救おうとしてくれた優しいあなたが、今は私のしたいことを許して、傷だらけの私を戦い続けさせてくれる。

 ありがとう、耐えてくれて。必ず、希望を繋ぐから。

 

「――――!」

「!?」

 

 最後の力を振り絞って、迫るニューラの爪を両手の爪でかち上げた。

 こんな力がもう残っているはずもないと相手に思わせ、あるいは気付いていようが攻めざるを得ない状況を作り上げ、この展開を不可避とした乾坤一擲の策。

 とどめの一撃を凌がれたニューラが一転、間近の敵に一瞬の隙を晒したこの一瞬こそ、ララの"だましうち"が完成させた最後の好機である。

 

 渾身の力を込めた、ララの爪による一突きが、ニューラの胸元を捉えていた。

 それは自らが氷ポケモンであるがゆえ、氷ポケモンの相手に最も痛烈に効く、メタルクローの一刺しだ。

 ただでさえ屈強とは言い難いニューラの胸元に突き刺さったその一撃は、げはっと息と唾を吐いたニューラのリアクションからも明白だろう。

 それによってふらつくように退がるニューラを前にして、ララは最後に、精も根も尽き果てた顔色ながら、してやったりの笑みを浮かべていた。

 

「ララあっ!」

 

 今にも崩れ落ちそうだったララを、ここでパールがボールのスイッチを押していた。

 やるだけのことをやり遂げたこの瞬間、ただちにララを引っ込めるパールの挙動に、ララは心の底から感謝していた。

 自分のポケモンが、仲間がここまで傷だらけになることをつらいと感じるその優しい性根にありながら、よくぞここまで我慢してくれたんだなって。

 酷使された覚えは無い。それだけ頑張らせて欲しいと訴えたのは自分の方だ。

 果たすべきことすべてを果たさせて貰えたと感じてやまぬララは、その消耗した心身と裏腹、心からの安らぎに満ちた微笑みを浮かべてボールへと戻っていく。

 

「ギブアップ、です……!」

 

「……最後のポケモンをどうぞ」

 

 スズナの表情は明るくなかった。

 パールのニューラは撃破できた。残るは一対一。

 だが、スズナはもう、一つの決意を固めている。きっと、パールが予想だにしない決意だ。

 それこそ、観戦席のプラチナだけが、もしかしたらそんな展開もあるかもなと、他人事だから想像できる展開である。

 

「ニルル! もう一押しだよ!

 絶対勝とうね!」

 

 パールが最後に選んだ一匹は、やはりドダイトスのピョコではなくトリリドンのニルル。

 地面タイプを複合するニルルは、水タイプながら決して氷に対する耐性が強いわけではない。それでもピョコよりは適性だろう。

 そして、ニルルを大将まで残していたパールには、もう一つの意図もある。

 

「あまごいだよ!

 あられを吹っ飛ばして!」

「――――z!」

 

「く……!」

 

 バトルフィールドにニルルが降り立つや否や、パールはフィールド全体にあられが降る状況を、ニルルの"あまごい"で上書きした。

 ララVSユキノオーが始まった時からララVSニューラまで、場にいるポケモンがすべて氷ポケモンだから意識されなかったが、あられはニルルに都合が悪い。

 降りしきる大粒の氷は、ニルルの身体を傷つけてしまう。あれを意に介さず戦えるのは、氷ポケモン達だけだ。

 ずっと振り続けていたあられが雨に代わり、どこからともなく降りニルルだけを傷つけるものはこれで排除された。

 

 あとは、ニルルとニューラの一騎打ちだ。

 ララの置き土産、メタルクローの直撃を受けたニューラは、傷を押さえてかなり苦しそうだ。

 雨が降る中、ニルルの放つ水技の威力は高まり、ニューラに天候を変える力は無い。

 はっきりとニルルが優勢の中で始まる大将戦ながら、パールとニルルの眼差しに、一切の油断の色は無いときたものだ。

 

「……ニューラ!

 最初の行動はあなたに任せるわ!」

 

 そして、それらすべての劣勢要素以上に。

 ララの"こごえるかぜ"で機敏な動きを果たせるはずの身体を縛られ、しかも去り際近くの"ちょうはつ"で、敏捷性を取り戻す手段も一時奪われて。

 これだけのダメージを負いながら、ニューラという個体の最大の武器である素早さすら、しばらくの間は万全ではない。

 

 パールのニューラが、スズナのニューラを自分の手で撃破することではなく、次に出てくる仲間が確実に勝てる図式を描いていたことをスズナは知っている。

 パールに指示されたからじゃないのだろう。彼女が自分で考え、選んだ、パールに勝利をもたらすための最善手。

 ユキノオーとのバトルで蓄積したダメージを根拠に、相手のニューラに勝つことまでは難しいと判断してその手を選んだララ。

 今はニューラが、ララとのバトルで蓄積し過ぎたダメージを背負い、ニルルをどう倒すか答えを導かねばならない境遇にある。

 そしてこのニューラにはララと違い、後続の仲間もいないのである。

 

「――――」

「ええ、そうよね。

 お疲れ様、ニューラ。恥じることはないわ」

 

 その場にぺたんと座り込み、大の字に寝転がったニューラを見て、スズナは皮肉の無い笑顔を浮かべてニューラをボールに戻した。

 もう巻き返せないだろう。確かに、最後まで勝負を諦めずに戦い抜くことは美徳であるけれど。

 引き際というものも確かにある。ニューラ自身も確信してやまぬ、戦ったところで結末が見えている勝負とあれば、スズナも潔くそれを受け入れるまでだ。

 

「えっ!?

 スズナさん、最後のポケモン……」

 

「ギブアップ! あたし達の負けよ!

 あなたの勝ち! 実感沸きにくいかもしれないけど、そういうことだから!」

 

 パールは微塵もこんな幕切れは予想していなかっただろう。

 あれだけ相手のニューラを追い詰めた中にあっても、油断すれば足を掬いにかかられて、巻き返されての敗北もある。そんな想定だったのだから。

 今までのジム戦すべてが、最後の最後まで僅かな油断も許されないバトルだったものだから、ジム戦とはそういうものだと意識に沁みついているのだ。

 だからスズナが言うとおり、勝利が確定した今も唖然とするばかりで、まったく実感できていないのが顔に出ている。スズナにああ言われるわけだ。

 

「――――z!」

「――――、――――!」

 

「へっ? あっ、勝ち? 勝った?

 んっ、んんんんん~~~……やったぁーっ!!」

 

 ちょこんとおすわりしていたパッチと正座していたミーナが立ち上がり、パールの両横に回り込んで声を発してくれた。

 何ぼさっとしてるの、勝ったんだぞ、もっと喜びなさい、って。

 予想外すぎた勝ち方に頭がついていけなかったパールも、満面の笑顔で自分を見上げてくれる二人を見れば、やっと現実が見えてくる。

 ふつふつと、じわじわと、湧き上がってくる喜びの感情は、ある一定の温度を超えた瞬間に蓋を吹っ飛ばすかのように大爆発だ。

 握った両手を振り上げて、歓喜の声をあげるパールを、スズナは微笑ましい想いで見守るのみ。

 

「――ニューラ、悔しいんでしょ?

 明日からはまた、もっともっと頑張っていこうね。

 あの子のニューラにも負けないぐらい、強くなっていきましょう」

 

 主将として勝利を掴み取れなかったニューラに、スズナはボール越しに優しく声をかけていた。

 負けたことが悔しい以上に、ニューラ同士の戦いで、あのビハインドをここまでひっくり返されるなんて。

 ユキノオーを相手に消耗した同族なんて、スズナのニューラにしてみれば、勝って当然でなくてはいけない相手とさえ意識されるだろう。

 パールのニューラは破ることが出来た。だが、次のバトルを乗り切れるほどの体力は到底残せなかった。スズナのニューラにとっては敗北も同然だ。

 それが一番悔しいはずだという、自分のポケモンの気持ちを、スズナはちゃんとわかっている。

 

「――――、――――z!」

「――――――!」

「え、えぇ、いいのかな……

 ララもすごい疲れてるはずなんだけど……」

「――――!」

「んんん~……や、優しくしてあげてね?

 みんなスキンシップ激しいんだから……」

 

 パールがパッチとミーナに、ついでにニルルにも纏わりつかれている。

 何かを求めてきゃんきゃん騒ぐ三匹のポケモン達の意図を、どうやらパールは理解した上で困っている様子。

 だけど根負けしたかのように、ララの入ったボールを取り出し、スイッチを押して中の彼女をそばに出す。

 やりきって倒れるほど精も根も尽き果てていたはずのララは、今やへっとへとのふらっふら。出てきても立てず、ぺたんとその場に座り込むのみ。

 

「――――――z!」

「~~~~!」

「――――、――――――!」

 

「あわわわ、みんなそんなもみくちゃにしちゃ駄目だって……

 ララだって疲れてるんだよ……」

 

 おめでとう、私達の新しい仲間。

 ありがとう、君のおかげで勝ったよ。

 すごいね、あなたとってもかっこよかったよ。

 

 今日一番の活躍と戦果を勝ち取った友達を、心から祝うミーナ。

 あまごいであられを排除しただけで、相手が戦意喪失するほどの場を作り上げた副将を、君こそ勝利の立役者だと感謝するニルル。

 あのユキノオーに果敢に挑み、傷だらけになりながらもニューラさえも追い詰めたララに、賞賛を惜しまないパッチ。

 そんな三人の熱烈な感情表現は、疲れてもう身体も起こせないララを全方向からむぎゅむぎゅに潰しちゃう。

 やめてやめて、嬉しいけど苦しい、と、ちょっとつらそうだけど満更でもなさそうなララを見ると、三人を本気で止めるべきかパールも迷う迷う。

 

 俺も俺も、とパールに許可を求めて自分の入ったボールを揺らすピョコを、待って待ってあなたは後で、と撫でて制するのでパールは手一杯だった。

 ピョコは大きいので、みんなと同じようにララにスキンシップしたらばっきばきにしてしまうかもしれない。でっかいピョコがたまに損する一幕である。

 

「でも……あんな子よりも強くなるのは大変よねぇ。

 頑張りなさいよ、ニューラ」

 

 仲間達に苦しめられながら幸せそうな、目つきは悪いのに可愛らしいララの姿からは、ほんの少し前まで死力を尽くして戦い抜いていた面影はどこにもない。

 だけど、スズナと彼女のニューラの目には、戦い抜いたララの姿と、腹の据わりようが焼き付いている。

 ユキノオーとのバトルで消耗し、もはや自分の力ではあのニューラを撃破するほどの力は無いだろうと割り切って。

 "こごえるかぜ"で速度を削ぎ、"ちょうはつ"で高速移動による速度回復を封じ、あわよくば狙っていたメタルクローでも大きなダメージを与え果たし。

 勝てば最高に格好がつく一騎打ちに勝つことを捨て、次に託せる誰かが確実に勝てるよう、それだけのために全力を尽くしていた。

 

 あの幼くて、自分のポケモンに優しくしたくて仕方ないであろうパールが、そんな戦い方をララに教えることも、強いることもまずないだろうとスズナは思う。

 それがララの戦い方なのだ。みんなが最高の形で喜び合えるなら、自身にわかりやすい功など求めない。

 人間でも、チームのためにそうした役回りを献身的に果たせる者など、きちんと誰かにその重要性を教え込まれない限りなかなか難しいぐらいなのだ。

 ほぼ間違いなく、パールにそんなことを教え込まれてもいないであろうに、それが出来るララだと確信できれば、スズナも敵わないなと思うばかりである。

 

「~~~~……♪」

 

「ララ、嬉しそう……?

 心配しなくてよかった、かな?」

 

 ミーナに抱え上げられ、自らひっくり返ったニルルのお腹の上にべちゃあと寝そべらされ、パッチとミーナに頬ずりされるララ。

 姿勢を変えてまた、三人がかりでもぎゅもぎゅされる。疲れた身体にはやっぱり少し重いだろう。

 それでも讃えられ、感謝され、祝われる喜びに、ララが穏やかに微笑んでいる姿に、パールもまた温かい気持ちになる。

 ララに歩み寄ってしゃがみ、そっと優しく頭を撫でるパールは、恭しいほどの笑顔を向けていた。彼女に向ける言葉も表情も、本心からのただ一つしかない。

 

「ありがとう、ララ。

 ほんとに、強くて、かっこよくて、凄かったよ」

 

 ララの献身が、どれほど勝利に貢献したかなど、パールにわからないはずがない。

 確実な勝利のために、身を粉にして戦い抜いた者が最も報われるのは、その本懐を理解してくれる誰かがそれを伝えてくれた時。

 感謝を伝えるパールに対し、ララもまた、微笑み返して発する小さな声で、パールや仲間達に対する感謝の意を発していた。

 わかってくれるのってすごく嬉しいよ、ありがとう、って。

 

 いよいよポケモンリーグへの挑戦権を得ることも、本格的に視野に入ってくる、嬉しい嬉しい7つ目のバッジ獲得だ。

 そうだとパールが実感するのも、この後スズナにバッジを貰ってから。

 今はただ、新しい友達の頼もしさや、彼女が勝利を誇らしく思ってくれていることへの嬉しさだけで、パールの頭はいっぱいだった。

 大好きな仲間達と何かを叶えていくこと、それそのものの嬉しさに勝るものなんてそうそう無いのだから。ポケモントレーナー達の原点だ。



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第102話  エイチ湖

 

 

「はい、これがグレイシャバッジよ。

 おめでとう! これで7つ目のバッジなのよね!」

「えへへへ、ありがとうございます~」

 

「よかったね、パール。

 本当、来るところまで来たね」

「うん、あと少し!

 すっごい浮かれそうだけど、まだまだ気合入れて頑張っていくよ!」

 

 スズナからジムリーダーに勝った証であるバッジを受け取ったパールは、片手で収まる小さなそれを、ぎゅっと両手で握りしめていた。

 いよいよ、あと一つ集めればポケモンリーグに挑戦という所まで来たのだ。

 とうとうここまで、という想いが、バッジを収めた手に込められているというところだろう。

 プラチナにも祝福して貰えて、力の入る手だけじゃなく心まで温かくなるパールは、普段以上の明るい笑顔である。

 

「ナタネが目覚めたらすぐに教えてあげなきゃね。

 7番目のあたしに勝てるって、実は結構すごいことなのよ?

 あたしを7番目か8番目に残したトレーナーの夢、けっこう砕いちゃうんだから」

「そ、そうなんですか?

 そういう言い方しちゃうとスズナさんってドリームブレイカーですね……」

「キッサキジムはシンオウ地方最北端だし、通りがかりで寄れる地理じゃないからね。

 来ようと思ったらあのテンガン山を越えてこなきゃいけないしさ。

 地元の生まれでもない限り、あたしとのバトルが最後の方になる人が割と多いのよ。

 あたしは手加減の少ないバトルで目いっぱいやれる機会も多いってわけだから、他のジムのみんなよりお得な気もしてるけどね」

 

 挑戦者の持つジムバッジの数によって加減を変えるジムリーダーだが、スズナを後回しにして泣きを見るトレーナーは結構多いらしい。

 もっとも、7人目8人目のジムリーダーを担当する者達といえば、どこの誰もがトレーナー達にとってはとびきりの強敵になってしまうのだが。

 地理的な関係で後回しにされることの多いスズナだから、後回しにしてしまった彼女の強さにトラウマを刻み付けられる者も多くなる、というのが実態である。

 おかげで結果的に、スズナというジムリーダーは本当に強かったという、草の根俗説が上がることも多いそうな。

 

「ともかく、あと1つでリーグ挑戦ね。

 ナタネから聞いた限りだと、本当に右も左もわからない感じの子だったみたいだけど、それが今やこんなに強いトレーナーになっちゃって。

 本当、あたしも年下の子達に追い抜かれないよう気が抜けないわ」

「むむむ、ナタネさん私のことそんな風に言ってたんですか」

「あら、違うの?」

「いや~、違わないです。

 思い出すと恥ずかしいなぁって思うぐらい」

 

 バトルで思わぬ展開に遭遇したら、追い詰められかけでもしたら、わたわた、あわあわ、どったばた。

 色々な経験を積んできて、今はもうそんな自分を激戦の中でも晒すことは少なくなったものの、あの頃の慌てる頻度は相当なもの。

 未熟だったことを恥ずかしがると言うよりも、当時の情けない自分の振る舞いを思い出すに、なんだかむずむずするというところなのだろう。

 

「事実だったならいいじゃないの。

 あたしだって最初は弱かったのよ?」

「や、まあ……別にそれは……」

「ははあ、なるほど。

 ナタネとか強いジムリーダーとのバトルで、慌てふためいてた自分のことが恥ずかしい的な?

 そうかそうか、ナタネからも結構その辺聞いてるわよ~?」

「わ~やめてやめて!

 それが恥ずかしいんですよ~!

 もうナタネさん、そんなことまでぺらぺら話してたなんて~!」

 

 今はパールも、ナタネがいつか目覚めることを確信しているスズナに触れたおかげか、ナタネのことを思い出しても暗い気分になっていない。

 本当に、ナタネが深い傷を負って昏睡状態と知ってからしばらくは、あの人のことを思い出すだけで、心配で心配で気が沈むばかりだったのだけど。

 こうしてナタネのいないところで、あの人のお喋りっぷりをなじるぐらいには、パールもポジティブな未来を信じられるようになっているようだ。

 

「連絡先、交換しない?

 ナタネと三人でグループトークもしてみたいしさ」

「はいっ、ぜひぜひ!

 えぇと、私の連絡さ……っ、いだっ!?!?」

 

 ああやっぱり連絡先交換するんだ、と、プラチナからしてみれば確信していた未来にそのまま繋がった。

 これにてパール、シンオウ地方の女性ジムリーダー全員との連絡先交換コンプリートである。

 一介のポケモントレーナーが、ジムリーダーの半数と個人的な親密さを持ってしまうなんて、こんな女の子は今後もそうそう現れまい。

 

 だが、連絡先を交換しようとした矢先、楽しい気分を唐突に打ち砕く激痛が、パールを内から貫いた。

 思わずその手で右手で頭を横をぐっと押すパール。

 あれだけ楽しそうにしていた目の前の可愛らしい後輩トレーナーが、一瞬で苦痛に満ちた表情に豹変したことにスズナも動揺する。

 

「ど、どうしたの?

 頭……?」

 

「パール、頭痛……?

 また……?」

「きょ、今日の、きっつい……!

 あたま、割れそう……っ……!?」

 

 ここ数日、不規則なタイミングでパールを苛んでいる頭痛は、この時かつてないほどのものとしてパールを苦しめていた。

 普段のパールなら片手で頭を押さえて、大丈夫、そのうちおさまるからと、苦い笑顔を作って強がりを言っていただろう。

 

 だが、今日の頭痛は違う。この苦しみへの表現力が豊富でないパールだから、頭が割れそうという月並みな表現になっているが。

 たまらず両手で頭を抱え込んで、背中を丸めて呻きだすパールの様相からも、その苦しみは尋常ではない。

 まるで頭の中にまで忍び込んだ万力が、脳をぎちぎちと締め上げるかのような、吐き気さえ覚えるような壮絶な痛みである。

 気丈なパールがそれを演じる余裕も無いほど、足先で地面をかりかりして悶える姿には、思わずプラチナも彼女の後ろから肩を持って寄り添ってしまう。

 

「そ、そんなに!?

 パール、大丈夫なの!?」

「ゔうぅぅ……っ……!

 だ、だいじょうぶじゃ、ない、かも……!」

「相当ひどそうね……!

 病院に行きましょ! いい所知って……っ!?」

 

 スズナが急患の電話をかけようと、ポケッチを取り出したところ、まさにそのタイミングで着信が入った。

 スズナにとってはまさに、最悪なほど間が悪く感じられる着信である。

 無視してぶちっと切って、病院に電話したい衝動をどうにか堪えて、ポケッチを操作して通話状態にする。

 

「もしもし、ごめん、後にして!

 今こっち取り込み中……」

『え……っ、じゃ、じゃあ要件だけ……!

 スズナさん、来ました! エイチ湖です!』

「はああぁぁ!?

 こんな時にっ……!」

 

 これは、スズナも感情的な声を返さずにいられない内容だ。

 急ぎの用だと取り込み中の相手にも伝わる、必要最低限の言葉を用いた通話は、傍からそれを聞くプラチナには内容を理解しづらいものだろう。

 だが、直感的にプラチナには、その内容を概ね想像できていた。

 エイチ湖に何かが来て、スズナにそれを急いで伝える内容。それはもしや。

 

「っ、っ……わかった、すぐ行くわ……!

 とりあえず、ベストを尽くしておいて!」

『お願いします!』

 

 それだけ言って、スズナはすぐに通話を切った。

 急いでいるというのもあるが、彼女なりに機転も利かせている。

 この内容、あまりパールに聞かせたいものではないからだ。

 リッシ湖、シンジ湖での"前科"があるパールは、きっとこの内容を理解したら食い付いてくる。

 だからスズナは、それが相手の口から溢れる前に話を打ち切っている。

 

「……ごめん、あたし急用が出来たわ。

 パール、心配だけどあたしもう行かなきゃいけないの。

 ジムの入り口で受付をやってる人に、病院の場所を聞いて行きなさい。

 そんなにひどい頭痛なら、何か危ない病気かもしれないんだからね」

 

「す、スズナさんっ……今の、電話ってもしかして……」

 

「…………エイチ湖のそばで、ちょっと雪崩があってね。

 近隣の野生ポケモン達の生活にも影響が出るし、早急に対処しなきゃいけないのよ。

 あたしはジムリーダーであると同時に、そういうことが起こったら協力しなきゃいけない立場だからさ」

 

 だが、もう手遅れかもしれない。

 パールが勘付いている気配を感じ取ったスズナは、とっさに作り話を練り上げて嘘をついた。

 目に見えて苦しんでいる中でも、涙目の顔を上げてスズナに問いかけるパールに真実を言えば、きっと彼女は暴走する。

 出会って間もない相手でも、親友のナタネと共に正義感のみで突き進んだ彼女の過去を知るスズナをして、それは確信できる展開なのだ。

 

「いい? 絶対に病院に行くのよ?

 そういうのって、甘く見たらどうなるか本当にわからないんだからね」

「スズナさん……っ」

「いいわね!? 絶対よ!

 お姉さんの言うこと、ちゃんと聞いてよね!」

 

 笑顔を作ってパールの肩をぽんと叩く、そんなスズナから垣間見える必死さ。

 病院に行けというのは半分が真意。もう半分の真意は、来るなの一言。

 余裕を無くしている今のスズナは、ジム戦でパールを翻弄していた時のような、相手を掌の上に乗せる技量に著しく欠ける。

 精一杯の、あなたが心配するようなことは何も起こってないよ、という態度を作り、スズナは走り始めジムから飛び出していった。

 

 残されたパールとプラチナは、果たしてスズナの思うとおりに動いてくれるだろうか。

 そんな気がしないからこそ、スズナはあれだけ必死だった。

 子供だからって察しが悪いとは限らない。むしろ子供は敏感だ。

 

「っ……パール、病院に……」

「私、行かないよ……!

 エイチ湖に行くよ……!」

「ああっ、もう!

 そんな状態でもまだ言うの!?」

「ぜったい、ギンガ団でしょ……!

 プラッチもそう思わない!?」

「思うけど!」

 

 やはり、誤魔化しきれるものではなかったようだ。

 三湖の2つがギンガ団の襲撃を受けた事実を鑑みて、エイチ湖の警備が強化されているのも二人は見てきている。

 そしてスズナという、シンオウ最強クラスのトレーナーに、エイチ湖に何かが来ましたという急ぎの電話。

 これだけ推理要素が揃っていたら、気付かないふりをする方が難しいぐらいだろう。

 

「ピョコも、ニルルもいるんだから……!

 私達にだって、出来ることは絶対あるはずだよ……!」

「ああぁ、もう……っ!

 どーせ言っても無駄なんだろうな……!」

 

 両手で頭を押さえる手を離せない中でも、背を丸めたままとてプラチナの顔を見上げて言うパールは、過去に幾度か見た、言う事聞かないモードの彼女である。

 この寒い北国で汗を流すパールは、脂汗が出るほどの頭痛に苦しんでいるのが見て取れるというのに。

 それでも行くって言い出して、しかも絶対に折れない顔。

 こうなってしまったらもう駄目だ。嫌というほどプラチナも知っている。

 

「……パール、一つだけ約束して!

 僕よりも前には絶対に出ないこと! これだけ守れる!?」

「っ……わ、わかった……」

「絶対だよ! 破ったら、えぇと……」

 

 せめてパールを、少しでも守りやすいように妥協案。

 絶対にこの約束を破らせないよう、太い釘を刺したいプラチナだが、脅し文句に困るところ。

 約束破ったら絶交だからね、は何となく使いたくない。以前それをやって、自分もなんだかつらかったし。

 

「…………なぐる!」

「えっ!?

 ど、どこを……?」

「えぇ~っと……お、お腹?」

「そ、それは流石に、ちょっと……」

「うるさい! パールが約束破らなきゃいいだけでしょ!」

 

 どうやらパールはプラチナより前に出たら、腹パンされることが決定したらしい。

 若干引いているパールだが、そもそも彼女が我が儘言うのが発端なのであって。

 なんで僕がそんな目で見られなきゃいけないんだと、プラチナは顔を真っ赤にして声を荒げるばかり。

 

「あーもう、行くよ!

 パール走れるんだよね!? 置いていくよ!」

「あっ……ま、待ってぇプラッチ~!」

 

 時間が無駄な会話になってきたので、プラチナの方から率先して駆けだし、痛む頭を帽子ごと手で押さえたパールが追走する。

 変な約束を作ってしまった、これでパールがもし約束破ってきたら僕どうしたらいいんだのプラチナ。

 殴るしかないのかなぁと思うと気が滅入る。そんなことしたがる子じゃない。

 いよいよとなると突っ走ってしまう自分の性分は生憎わかっているため、気は付けるけど万一うっかり前に出ちゃったら覚悟しようと腹を括るパール。

 覚悟の決め方を間違っている。明らかに。

 

 そう、二人の推測どおり、ギンガ団という悪党のひしめくエイチ湖に、これから乗り込む局面だというのに。

 どうにも悩むところがずれている二人である。

 何度もこんなことばかりしてきたせいで、妙な胆力が身についてしまっているようだ。良いことなのやら悪い傾向なのやらよくわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ジュピター、首尾はどうだ?」

『現状、想定外の展開は無いわ。

 あとはマーズがどれだけ早くミッションを片付けてくれるかが肝よ』

 

「何かあればすぐに伝えろ。

 お前は能力が高いぶん、傍からは自信と傲慢の見分けがつかず気にかかる。

 説教臭いがしくじれないミッションだ、隙を見せるなよ」

『ええ、わかってるわ。

 あたしは大丈夫よ、あんたはもっと他の所に目を配ってくれて結構よ。

 上司を楽させるのも部下の務め、気苦労はかけさせないわ』

「助かる」

 

 リッシ湖やシンジ湖に続き、いつかギンガ団がこのエイチ湖にも乗り込んでくることを想定し、湖の防衛を日頃から固めていたキッサキシティの警察団。

 苦い話だが、今やエイチ湖はギンガ団に占拠されていると言って差し支えない状況だ。

 守るべき領地を一度制圧され、それを奪還するために再侵攻している戦況、というのが警察陣営から見た苦々しい実状である。

 

 警察陣営の名誉のために語るなら、決して彼らとて頼りない武力の持ち主ではない。

 今回ばかりは、ギンガ団が強過ぎるのだ。

 警察の防衛線が堅固であることは想定していたのか、率いるギンガ団員の数は警察総員を遥かに上回る兵力を揃えており。

 それらに貸し与えるポケモンも相当な大盤振る舞いをしたようで、今回のギンガ団は末端構成員からして、個々が戦力としてやや強い。

 そこに、ギンガ団幹部たるマーズ、ジュピター、サターンという最強格の将格が揃い踏みだ。

 間違いなく、ギンガ団は過去最大級の戦力を終結させ、この一大決戦に臨んでいる。

 急襲、そして数の暴力を含めた勢いに任せ、湖を防衛せんとする警察を撃退することに、多くの時間はかからなかったようだ。

 

「マーズ、まだか!

 私やジュピターが耐えているとはいえ、そう時間は無いぞ!」

『わかってる……! だけどコイツ強いのよ!

 負けはしないけど、早期捕獲は難しいわ!』

「泣き言はいい、とにかく急げ!

 大役を任せているのは承知している!

 だが、警察に増援が来たらいよいよ長くはもたんぞ!」

『ええ、わかってるわよ……!

 やるしかないってわかってるわ!』

 

 一方で、占拠したエイチ湖を自陣として守り通そうとするギンガ団にも、さほど余裕を感じられる状況ではない。

 猛襲によって一度は陣を確保したものの、警察の真骨頂はその執念だ。

 無理押しなギンガ団の構成に退けられる中、その実警察が捕縛したギンガ団員の数は、警察陣営の戦闘不能者よりずっと少ない。

 何が何でも最後には勝たねばならぬ警察、強固な結束力を持つ組織としての連携力は、長い継戦能力を保つ地力に秀でている。

 反撃の猛攻を加え続ける警察が、今も少しずつギンガ団員を押さえ込み、巻き返す流れを引き寄せていることは確かな事実である。

 所詮は幹部達を除けば、余所の地方からかき集めてきた烏合の衆たる、エイチ湖襲撃のギンガ団員連中だ。

 はじめは勢いに押されて退かされた警察とて、戦いが長引けば長引くほど、最終的な勝者となるのは間違いない話だ。

 

 ギンガ団側の総指揮官であるサターンは、仮面の奥から発する合成音声で、無線を介してジュピターや部下に指示を発している。

 エイチ湖中心の洞穴を擁する小さな島、そこに陣取って全方位の戦況を見極めつつ、現状の優勢を出来る限り長く保てるよう采配している立場。

 洞穴の中ではマーズが、このエイチ湖を襲撃した目的そのものである、ある存在の捕獲に単身挑んでいる。

 そこに邪魔者が入らぬよう、最後の防衛線を張る立ち位置であると同時、サターンは戦闘要員としての辣腕を振るえず指揮に徹するしかない。

 この役目が出来るのは、ギンガ団のブレーンであるサターンしかいないのだ。

 ジュピターという最強格の兵が、再び攻めてくる警察を退けるための頼みの綱のようなもの。

 戦力の三本柱のうち二柱を、警察への対抗力として機能させられない中、サターンもこの"時間稼ぎ"には限界を感じざるを得ない。

 マーズが目的を達成してくれるまで、邪魔者を退け続けて粘り通せるかどうか。それがサターンの背負った重い責務である。

 

『――――む!』

 

「キッサキジムの連中か!?」

『いいえ、違う。

 そうではないが……まあ、あなたに伝えるほどの話ではないでしょうね』

「……お前がそう言うなら信じるぞ。

 下手を打つなよ」

『ええ、問題なく解決するわ。

 あんたは全体の把握に務めておいて頂戴』

 

 通信機の向こう側で、ジュピターのもとに何らかの異変が起こったことを感じ取ればサターンも敏感だ。

 指揮官を代わりに務めてくれる誰かさえいるなら、自分が戦力として動くことにより、もっとやりようがあるというのに。

 儘ならぬものだ。人の上に立つ者の苦悩であり、それを果たせる人材や人物の少ない組織は、こうした正念場で本当に苦しい。

 

「運命は我々に味方するか、否か――

 ここがまさに、分水嶺だな」

 

 今のギンガ団には、勝利と敗北、その可能性がどちらも等しくあった。

 この任務を達成できなければ、長きに渡って目指してきた宿願も潰えるだろう。すべてが水泡に帰す。

 過去と未来を含む歴史が、ギンガ団の目指すそれを、あってはならぬものだと断ずるなら、運命がギンガ団を敗北に導くだろうとサターンは考える。

 その時はそれまでだ。ギンガ団の目的は、果たされてはならないものだと天意に拒まれたものだと受け入れる他あるまい。

 

 だが、もしも果たされるなら。

 ここが運命の分岐点であると、サターンは静かな独り言に強く含めている。

 シンオウ地方のみならず、世界をも揺るがすその宿願は、辿り着いたその日、多くの死者さえ生み出しかねない、呪われるべき到達点へと至るための道。

 この日天命に支持されて、その道を征くことを許されたなら、もうサターンは鬼門さえ恐れず突き進むことを厭うまい。

 彼にとっても、この戦いはそれほどまでに、強い覚悟で臨む大一番なのだ。

 

 無線を握り、ジュピター以外の配下にも指令を発し、劣勢に陥っていない戦況を保つための知恵と発破を与え続けるサターン。

 勝っても負けても、その先にあるのは修羅の道か、滅びの一途のいずれかでしかない。

 合成音声に隠されたサターンの声の奥にある、破滅的な思想など、従わせられるギンガ団員の耳には決して届かないだろう。

 いつの世も駒は道化だ。想像だにしない激動に呑み込まれつつあることを、知らされもせずただ踊らされるのみ。

 悪の組織の手先になどなるものではない、ということだ。社会のためにではない。己のためにもだ。

 

 

 

 

 

 

「やっと見つけたぞ!

 お前がギンガ団の幹部だな!」

 

「へぇ~、随分やるじゃない。

 ザコとはいえ、うちの部下を蹴散らしてここまでくるなんて」

 

 この混戦模様の戦場の中にあって、"変わり種"を目にしていたジュピター。

 目にした瞬間に思わず漏らした声が、サターンの耳にも届いてしまい、少々の心配をかけてしまったのだが。

 目をつけたこと自体は賢明であったとジュピターは感じる。それだけ、その動きは無視し難いものだったからだ。

 

 その名をダイヤモンドという少年は、相棒のゴウカザルとともに、ギンガ団の下っ端どもを次々と打ち倒し、ジュピターを見付けるや否や突っ走って迫る。

 子供であることは侮るべき根拠にはなり得ない。

 むしろ警察の連携とは独立した動き、つまりは独力でジュピターに迫り、打ち倒すべきと見定めて挑まんとする鼻の良さは、いっそ厄介な部類でさえある。

 

「お調子に乗ってここまで来るのはいいけど、喧嘩売る相手を間違ってるわよ。

 あなた如きのお子様が、あたしをどうこう出来るとお考え?」

「お前なんかに負けるか!

 シンオウ地方を荒らし回ってるギンガ団だろ!

 そんな奴ら、俺と俺のポケモン達がぶっ飛ばしてやる!」

 

 正義感に満ちた少年であることは瞳を見るからに明らかで、その言動もまた短絡なほど単純で、かつ真っ直ぐ。

 警察が子供を兵力として受け入れるはずがないので、本当に誰の力も借りず、正義感だけで単身ここまで乗り込んできたのだろう。

 我が傍に常に置くスカタンクを一瞥するジュピターに、スカタンクもまた、任せろこんな奴さっさと片付けてやると頷いている。

 どうやら、戦いは避けられないようだ。

 

「随分と生意気な子ね。

 まあ、ここまで乗り込んでくる力量はあるんでしょうから、打ち倒してやるべき相手には違いないんでしょうね」

「いくぞ、ゴウカザル!

 スカタンクなんて、ボッコボコにしてやるぞ!」

「会話の出来ないガキ、か。

 まあ、躾け甲斐はあるわ」

 

 ダイヤと対峙するジュピターは、静かな語り口に隠した心の奥底、その実内心穏やかではなかった。

 自分の敗北や失敗、挫折を想像だにしていないダイヤのこの能天気な態度。

 ジュピターにとって、最も癇に障る相手である。

 

「スカタンク、遊んであげなさい。

 あなた一匹で充分よ」

 

 ジュピター対ダイヤ。ギンガ団の尖兵と警察が激しく各地でぶつかり合う中、やや特異点じみて生じた一騎打ち。

 自身が敗北すれば、自陣営の指揮低下にも繋がることは明白であり、本来ジュピターにとっては避けたいはずの一戦だ。

 それでもジュピターが、部下を呼んでこの少年の相手を任せること、ひいては自身の力を温存することを選ばなかったことにはそれなりの理由がある。

 彼女は世間知らずの子供が一番嫌いだ。

 任せられた仕事、戦況の維持というミッションの優先度を下げてでも、この少年を心折れるほど打ちのめしたいという衝動からジュピターは逃れられない。

 

「さあ、見せてみなさいよ、あなたのゴウカザルの実力を。

 ギンガ団幹部の力、あなたが泣きたくなるほど見せてあげるわ」

 

 落ち着き払った態度の奥底、苛立ちに満ちた本性たるジュピター。

 挑むダイヤは、そんなジュピターに一矢報いられる若武者たり得る少年か。

 それが問われる一騎打ちだ。死闘となることは免れない。



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第103話  ジュピター

 

 

「……騒ぎが大きくなってきたな」

 

 エイチ湖上空にヘリが三機飛ぶ姿に、サターンはその顔を隠す白面を整える。

 メディアが動きが事件に追い付いた。恐らくヘリからは地上の様子を撮影しているのだろう。

 全国のお茶の間にこの事件が報道される展開そのものは、サターンにとっても想定済みだったことだ。

 万が一にもこの時点で素顔を報道されぬよう、どんなはずみでも仮面がはずれないよう入念に整えること自体は、サターンにとってたいした苦労ではない。

 

 しかし、メディアの動きがここまで追い付いているというのは悪い展開だ。

 元より湖に張り込んでいる警察との衝突はともかく、事件発生から後発でヘリを出動させたメディアがここに来るまでに、それなりの時間が経っている。

 エイチ湖中心の洞穴内で、任務に全力を尽くしているマーズからは未だ、完遂の通信が入ってこない。

 早くミッションを達成して撤退しなくては、良くない展開が待っている。

 この時間経過そのものに僅かな焦りを覚えるサターンも、推奨されるべき行為でないと理解しつつ、通信機に向けて小声を発する。

 

「マーズ、首尾はどうだ」

『あと少しよ……!

 悪いわね、なるべく急ぐから……!』

「外は問題ない。私がいる限り、決して不都合は起こさせん。

 お前にとって最善のペースでしっかり果たしてくれればいい」

『頼もしいわ、よろしくね……!』

 

 洞穴の中では、難敵相手にマーズが単身でミッションに挑んでいる。

 荷の重い仕事だとは思っている。サターンもリッシ湖では単身で、今の彼女と同じようなミッションに挑んでいた身だ。

 はっきりとマーズよりもトレーナーとして格上のサターンでも、あのミッションでは手を焼いた。

 シンジ湖ではマーズとジュピター、二人で似たようなミッションに挑んで最善の結末を掴ませたが、今回は状況的に人手がこれで限界なのだ。

 

 時間がかかってしまうのは仕方がない。想定内だ。しかし、苦しい。

 急かす通信を入れることは現場で苦心するマーズに対する得策ではないが、それをせずにはいられぬほど、サターンも内心では焦燥感がある。

 それでも通信上のやりとりでは、お前は焦らずミッションを達成することが重要だと、ただ急かすだけに留まらぬ言葉を使うようサターンも配慮している。

 その上で、マーズも空気を読んで急ぐべきであることは察してくれているはずだ。両者の間にはそれなりの信頼関係があり、行間にもそれはある。

 

「さて……覚悟はしていたがここからだな」

 

 時間がかかると何が不都合なのか。

 警察連中よりもずっとずっと強い、こちらの敷いた最大限の布陣を、根底からひっくり返しかねない最強の存在がここに駆けつけてくる。

 当然、想定はしていたことだ。だが、いざ直面すると腹を決めざるを得ない強敵。

 エイチ湖の湖面を、一本道のように凍らせながらここへと迫る一匹のポケモンと、そのトレーナーと思しき存在の姿が見えた時がサターンの正念場の始まりだ。

 

「流石は氷のエキスパートだ。

 ただの靴でもスケート競技に出られそうな巧さだな」

 

「気持ち悪い声……!

 あんたがギンガ団のボスって奴なのかしら?」

「生憎、そんな畏れ多い称号は賜っていない。

 あくまで幹部の一人だよ。ジムリーダー様をお相手するには少々の名不足だ」

 

 己が進む湖面を凍らせ、トレーナーであるスズナも走れる道を作りながら、湖中心の島まで浮遊して到達したユキメノコ。

 ブレードも無い靴で、純なる氷の道を滑ってここまで駆けつけたスズナの足使いには、サターンも冗談口で迎え入れるのみ。

 

 湖周辺の下っ端連中など、彼女の前では壁役にもならなかったのだろう。

 時間をかければかけるだけ、こんな強いトレーナーが事件終結のために駆け付けてくるであろうと、サターンだってわかっていたのだ。

 想定内にして忌むべき展開。合成音声で感情の程を露呈させぬサターンながら、覚悟はしていたが嫌な展開に至ってしまったというのが本懐である。

 本気を出したジムリーダーは、チャンピオンにさえ匹敵する最強クラスの敵であると、サターンは実感を持って知っている身だ。

 

「あなた達の狙いは"ユクシー"ね?

 洞穴の中では、お仲間さんが奮戦中かしら?」

「道を空けろとでも言いたげだが、意味の無い問答は省かせて貰いたいな。

 それに対して、私が首を縦に振るはずが無いのはご存じだろう?」

「ええ、ごもっとも。

 力ずくでもそこを通して貰うまでよ」

「話が早くてよろしい。

 ではミノマダム、相手をしてやってくれ」

 

 サターンのそばにはユンゲラーが立っている。

 ユキメノコと共に身構えていたスズナだが、サターンが繰り出したのは"ゴミのミノ"を見に纏うミノマダムだ。

 あのユンゲラーは戦闘要員ではなく、いよいよとなれば撤退に力を発揮するための要員なのだろう。

 それをバトルに出さぬ真意を察したスズナは、ユキメノコと共にミノマダムとの戦いに挑む心構えに移る。

 

「正真正銘、本気のジムリーダー様とのお手合わせとは誉れ高いことだ。

 勝たせて貰うぞ。自慢になるからな」

「……あんた、マキシさんを打ちのめした辣腕の幹部よね。

 悪いけど、仇討ちだから。ただで済むと思わないで頂戴」

「さて、どうかな?

 勝って当然だと思われたジムリーダー様の傲慢を打ち破るのも一興だ」

 

 ポケモンリーグを目指す者達に、バッジを懸けた一騎打ちを迎え撃つジムリーダー達は、いずれも全力ではない。

 本気を出した彼ら彼女らは、シンオウ地方ではチャンピオンや四天王と並び、十指の席を競い合うトップトレーナー達だ。

 確かにこれに勝利できるなら自慢になるだろう。だが、それはあくまでこんな舞台ではなく、正義と悪意がぶつかり合うことのない公式戦でこそでもある。

 

 今のスズナと同様に、全力で悪党を止めようと挑んだマキシ。

 それを打ち破ったとされる白面のギンガ団幹部の実力はスズナも聞き及ぶところだ。

 スズナ側の不本意含みながらも実力を認め合う者同士、間違いなく今のシンオウ地方において、最上級の実力者同士のぶつかり合いであろう。

 

「いくわよ、ユキメノコ!

 絶対に負けられないわ!」

「ミノマダム、華舞台だぞ。

 お前の実力を、過去最強の相手に見せつけてやれ」

 

 情熱のこもった鬨の声、合成音声越しの静かな発破。

 温度差のあるトレーナー両者の声ながら、双方が内心に燃え滾らせる必勝への想いは何ら燻ってなどいない。

 悪を挫かんとするスズナと信念を貫き通さんとするサターンの戦いは、上空カメラにその様相を全国に報じられる中で幕を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――えっ!? ダイヤ!?」

 

「あらあら、今日は生意気な乱入者の多い日ね。

 子供ばっかり来るんだから」

 

 一方、スズナとサターンが衝突したその瞬間から僅か遅れたタイミングで、パールとプラチナもエイチ湖に到達していた。

 二人が直面したのはジュピターだ。かつて戦場たる舞台で直面した強敵を前に、二人の緊張感は一気に高まったことだろう。

 

 だが、それ以上にパール達を驚かせたのは、ジュピターの前で立ちすくむダイヤの姿である。

 今やもう、ジュピターを前に繰り出したポケモンの姿もなく、スカタンクを従えたジュピターに為すすべなく立ちすくむだけの彼がそこにいたのだ。

 無力感を漂わせるその後ろ姿には、せっかちで向こう見ずな彼の面影は無く、思わず彼の前にプラチナが、彼を守るために躍り出るのも已む無きほど。

 

「――"ガキども"が来たわ。どうすればいい?」

『……ちょうどいい、退がってこい。

 こちらも洒落にならん』

「了解」

 

 パールとプラチナの姿を見るや否や、ジュピターは冷静に通信機に口元を近付け、静かながら確かにサターンへキーワードを伝える。

 ガキども、とジュピターが表現するのは、シンジ湖でその成長目覚ましさを彼女らの前に晒した、パールとプラチナの二人を短く表すキーワード。

 強敵だとはジュピターも認識しているのだ。サターンへの最重要報告内容として、キーワードとして定義しているほどに。

 対するサターンの応答も神妙で、今すでにスズナとの交戦中である中で、慎重な指示を返すほど。

 たとえお前でも一人でそれらを相手取るのは得策ではあるまい、というサターンの指令に、ジュピターもまた異論無き即答を返すのみである。

 

「だ、ダイヤ!?

 なんでこんなとこに……」

「…………」

 

「よかったわねぇ、男の子。

 救援が来てくれたおかげで、あたし引き下がらざるをえなくなっちゃった。

 そこの二人が来てくれなかったら、今頃あなたなぶり殺しよ?」

 

 ダイヤを気遣うパールだが、短い通信を終えた直後のジュピターは、普段の調子を取り戻した言葉を発してくる。

 今しがた、スカタンク一匹でダイヤのポケモンすべてをなぎ倒したばかりのジュピターに、敗者が意地を以って返せる言葉など一つも無い。

 惨敗の直後であるダイヤは、その現実に打ちのめされて言葉も無いかのように、パールの言葉にも返事を見せられずにいる。

 

「雑魚はお帰りなさい。

 あなたのポケモンがどれだけ強かろうが、親のあなたがそんな能無しではね。

 あなたなんかより、そこの二人の方がよっぽど怖いっていうものだわ」

「お前……!」

「それじゃ、あたしは本陣まで撤退させて貰うわ。

 来たけりゃ来なさい、地獄を見たいならね」

 

 ジュピターはスカタンクをボールに引っ込めると同時、ゴルバットをボールから出して、その足で自らの両肩を掴ませる。

 翼ある身内に、エイチ湖中心の島まで自らを運ばせる動きだ。

 去っていくその背を、パール達は今のところ見送ることしか出来ない。

 

「く……!

 パール、追いかけるよ……!」

 

「ダイヤ、どうしたの!? 何があったの!?

 怪我とか……」

 

 去っていくジュピターの行く先から目を逸らさないプラチナにとって、怪我一つ無い姿のダイヤは案じる相手ではない。

 だが、パールはダイヤに強く呼びかけずにはいられなかった。

 敗北感に打ちのめされ、言葉無くそこに立ちすくむだけの彼の姿は、幼馴染のダイヤがパールに見せたことのない、沈黙という形で傷付いた姿を晒すものだ。

 あまつさえ、彼の両肩を持って揺さぶるパールに、やりきれないようにその手をぱしんと払う、幼いダイヤの挙動だけがそこにある。

 

「いた、っ……!?」

 

「…………パール、行ってくれないか。

 あいつら、とんでもないことをしようとしてる」

「だ、ダイヤ……?」

「聞こえるんだ、あいつらが捕まえたポケモンが苦しんでる、すごくつらそうな声……

 俺、何も出来なかった……俺が弱いせいで、何も……」

 

 今までに聞いたことのない、弱くて、消えそうなダイヤの声だ。

 あまつさえ、八つ当たり気味にパールの手を払いのけて。

 どんな時でもせっかちで、多少の困難にぶつかったって、負けるかこなくそと突っ走る声をあげていた幼馴染の今の姿。

 それに衝撃性すら感じるパールに留まらず、プラチナですら彼なりに知るダイヤの人物像から、今の態度がらしからぬことは切に感じ取れるはずだ。

 

「……頼むよ、パール。

 あいつらのこと、止めてくれ。俺には、なんにも出来なかったけど……」

「――ニルル!」

 

 湖の中心に向かって去っていったジュピターを追うべく、湖面を走れる波乗り使いのニルルを繰り出すパール。

 それを見受けてプラチナも、無言でエンペルトをボールから出している。

 急ぐべきと察する中、ダイヤを案じるパールを急かすこともせず、黙って取るべき手段だけ取るプラチナは、冷静かつその慮りは普段どおりだ。

 

「任せて! 私とプラッチが、何とかしてみせる!

 ダイヤも頑張ってくれてたんだよね! ありがとう、後は任せて!」

「…………頼む」

 

 弱い声、しかし意志ごもって強く請う声を発したダイヤの声に応じ、パールはニルルに跳び乗った。

 彼女の意志に応えるかの如く、ニルルはすぐに湖面へと乗り出し、湖中心に臨める島へと向かっていく。

 遅れて、既に湖面に背中を浮かせていたエンペルトの背に飛び乗ったプラチナも、ダイヤを振り返って一度彼を案じたというものだ。

 自らを一瞥し、敵地の真ん中に参じていくパールとプラチナの後ろ姿を目で追うダイヤは、やはり立ちすくむままにしていたのみ。

 

「…………ごめんな、みんな。

 俺、もっと強くなるから……今よりずっと、絶対に……」

 

 5匹のポケモン達とともに、ジムバッジを既に7つ集めてきたダイヤ。

 順風満帆にこれまで旅を進めてきたはずの彼は、ジュピターのスカタンク1匹に、5匹すべてを撃破されたのだ。

 相手が悪かったのは確かだろう。それだけ、ジュピターのスカタンクは強いのだ。

 しかし、これまで苦難あれど成功を勝ち取り続けてきた少年にとって、これはあまりにも重い挫折と敗北である。

 ポケモン達は強いけれどあなたは能無し。打ちひしがれている中でジュピターに投げつけられた言葉は、ダイヤにとってあまりにも重い。

 

 パールとプラチナにこの先のことを頼み、任せ、悔しさで涙すら浮かぶ目でエイチ湖を去るダイヤ。

 一生、忘れ得ぬほどの屈辱だろう。傷付いて戦えなくなったポケモン達の痛みと比較しても、決して負けないほどの心の傷。

 誰しも大きな壁にぶつかって、立ち直ることさえ危ぶまれるほどの挫折を感じることはある。ダイヤにとっては、まさにこの日がそれだった。

 

 

 

 

 

「いぅ゙……っ!?」

「パール、また……!?」

「へっ、平気いぃぃ、っ……!

 今は、根性で我慢するべき時なのだ、っ……!」

 

 背上で再びの唐突な頭痛に見舞われたパールの悲鳴に、ニルルも思わず案じて減速した。

 プラチナを乗せたエンペルトがニルルを一度"追い抜いて"、ニルルの速度に合わせて湖面を並走するスピードに落とす。

 この位置関係、あとで揉めそうだが、それはさておいて。

 

「……そんな状態で本当に戦えるの?

 絶対、行き着く先では激闘だよ」

「大丈夫……!

 めちゃくちゃ、頑張る……っ!」

 

 左手で頭を押さえながら、ニルルの背中の甲羅を握る手に右手にぎゅうと力を入れるパールは、頭痛に負けず顔を上げている。

 行く先をはっきりと見据え、退かない魂を表すその姿は、やはり今からでも帰ろうとプラチナが提案しても聞きやしないだろう。

 つくづく心配させてくるばかりの親友だ。もう慣れた。プラチナは、絶対に守るという決意を強く固め、不安をそれで上塗りするのみである。

 

 だが、そんな折に、パールのポケッチが着信音を鳴る。

 このタイミングで、とパールも苦い顔でポケッチを見るが、着信相手の名前を見た瞬間さぁっと血の気が引く。

 ニルルの甲羅を握る手をぐいっと引き、それに応えてニルルが湖面上で前進速度を落として止まる。

 あれだけ勢い任せに行こう行こうのパールがニルルを止めたことに、エンペルトとプラチナもUターンする形でパールの正面位置に止まる。

 

「パール?」

「ご、ごめん……ちょ、ちょっとだけ待ってね……?」

 

 頭痛は今でもずきずきと響いている。

 だが、それにまして今のパールは着信音を鳴らし続けるポケッチを恐れている。

 無視できない相手だ。ふと上空を見上げるパール。

 ヘリが飛ぶこの状況、きっとあのヘリから撮影された光景が、今は全国に生中継されているんだろうと察し取れた。

 つまり今、自分がどこにいて、何をしているのか、家でお母さんがテレビを見ていたとしたら、それも筒抜けであろうということ。

 

 鳴り続けるポケッチの音が、既にパールの耳には、一番怒られたくない人の怒号に聞こえてならない。

 恐怖心いっぱいの心持ちで、パールはポケッチのスイッチを押す。

 

「も、もしもし……」

 

『パール!! あなた、また……!』

 

 ポケッチから開口一番の荒げた声が発されたのを聞いて、プラチナもすべてを察したというものだ。

 このタイミングでお母さんからの着信とは。これはもしかすると、パールを止めてくれるんじゃないかという淡い期待がすぐに立つ。

 

「ご、ごめんなさ……」

『それはいいから!

 ごめんなさいするぐらいなら、今すぐそこから引き返しなさい!

 テレビで見てるのよ!?』

「ううぅぅ~~~……!

 そ、それはっ……出来ないんだけどっ……!」

『でしょうね!

 あなた、そういう時に絶対に言うこと聞かない子だからね!

 本当に、帰ってきたら覚えてなさいよ!』

 

 あっさりプラチナの期待は裏切られた。

 流石はお母さん、パールの性格はよくわかっているようで。

 止めても無駄なのをよくご存じである。時間の無駄なのでその話はもう終わった。

 

『…………パール、そのまま、通話したままの状態にしておいて。

 あなたが行くならもう止めないから、それだけお願い』

「えっ……お、お母さん?」

『いいから、お願い……!』

「……わ、わかった」

 

 真意のわからぬ頼みごとをされたパールは、どうして、と問いかけようとしたのだが、お母さんは強い声で回答すら遮るかのようでいて。

 パールはうなずく返事をするのみだ。逆らわない。

 これ以上怒られずに済むのであれば、相手の言うことには絶対服従である。子供なりに世渡り上手。

 

「パール、大じょ……」

「…………、………………!」

 

 改めて、行こうとニルルを促すパールに、プラチナは今一度改めて大丈夫かと問いかけようとしたが。

 だめだめ、余計なこと言わないでとパールはぱたぱた手を振ってプラチナを黙らせる。

 ええそうですとも、頭痛ひどいですよ、でもお母さんに聞こえるようそれを言うのはやめてのジェスチャーである。

 我が儘な上に注文の多い子だ。心底、溜め息の出るプラチナである。

 

「……行くよ、エンペルト!」

「ニルルっ、行こう!」

 

 お母さんに言われたとおり、ポケッチの着信を切らないままにして。

 エンペルトとニルルが、プラチナとパールがエイチ湖の中心の島に向かって突き進む。

 そこに、ギンガ団の幹部が待っていると知った上でだ。腹はもう、決まっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくやった、ミノマダム。

 充分、胸を張れるほどの活躍だったぞ」

 

 リッシ湖中心の島では、サターンがミノマダムをボールに戻していた。

 対するスズナが構えているのは、既に傷付いたグレイシアだ。すなわち、ユキメノコは撃破された後である。

 ミノマダムは、本気のジムリーダーが繰り出すユキメノコを打ち破り、その上で新たに出されたグレイシアにすら一定のダメージを与えて引っ込められたのだ。

 サターンの言う言葉は何ら過言無く、ミノマダムが自慢できるほどの功績を正当に讃えるものである。

 氷タイプに有利な鋼タイプだったからとはいえ、これは確かに誉れに値するだけのものを残した戦いぶりであっただろう。

 

「次はそのユンゲラーかしら?」

「いや、こちらも切り札を出そう。

 任せるぞ、ドクロッグ」

 

 新たにドクロッグを繰り出してきたサターンに、スズナも肌がちりつくほどの感覚を覚えていた。

 この白面のギンガ団幹部が、マキシのポケモン達をこのドクロッグ一匹で完封してみせたという話はあまりにも有名である。

 切り札と称したのは真実なのだろう。彼女のそばに一度身を下げたグレイシアも、対峙してすぐに全身の毛を逆立てるほど、これは強敵だと身構えている。

 

「がっかりさせてくれるなよ?

 一矢も報いられぬでは、ジムリーダーとはこんなものかと失望するばかりだからな」

「上等……っ!?」

 

「悪いけど、そんなクリーンな一騎打ちに興味は無いわ!

 ドータクン、サイコキネシスよ!」

「グレイシア!

 身を逃がして!」

 

 サターンとの一騎打ちに集中していたスズナだったが、槍入れしてきた存在の気配を察し、自らとグレイシアの位置をずらしてサイコキネシスを回避する。

 対象を捉えれば操ってしまうサイコキネシスは、人もポケモンもそれに囚われれば致命的な技だ。

 免れたスズナとグレイシアは、サターンのそばにゴルバットと共に降り立ったジュピターが、ドータクンを従えた姿と対峙する。

 

「どうかしら、サターン。

 やっぱりジムリーダーは強敵?」

「お前よりは強い」

「つまり、洒落にならないほどの強敵ってことね」

 

 ジュピターのプライドを傷つける言葉を進んで使うサターンだが、それは彼女に今の緊急性を的確に伝えるものとして最適だからだ。

 同時に、サターンのプライドを守るためのものでもあるのだが。

 それほどの相手なのだ、と断言するほどでなければ、これに苦戦している自分がジュピターに舐められかねない。

 それも組織のナンバー2には重要なことなのだ。

 ジュピターは正しくそう解釈してくれたようだし、逆に言えばサターンも、それだけ理解の良い彼女でなければ幹部として信頼していない。

 

「2対1で妥当?」

「不本意だが妥当だ。

 失敗できない任務だからな」

「見境ないわね、悪党連中は。

 だったらこちらも……」

 

「ニルルっ、みずのはどう!」

「エンペルト! ハイドロポンプ!」

 

「おっと……」

 

 島に上陸し、ここまで自分達を乗せてきてくれたパートナーと共に駆けてきた二人は、その推参を主張するかのように技を撃たせていた。

 離れた場所からの狙撃だ。サターンのドクロッグも、ジュピターのドータクンも、ハイドロポンプと水の波動を容易に躱す。

 技の出所に注目するギンガ団幹部の二人、そして振り返ったスズナの目が、幼くも勇敢な二人の姿を捉えていた。

 

「あなた達……!?」

 

「一転、2対3か……

 マーズはまだなのかしら」

「問題にはならん。

 お前が一人ぶんのはたらきをしてくれるなら、私が二人分のはたらきをすれば帳尻が合うだろう」

「相変わらずの自信家ぶりね……頼もしいけど」

 

 あれだけ来るなと念を押したのに馳せ参じたパールの姿に、スズナは驚愕半分、諦観半分の想いだ。

 あんな子だとはナタネからも聞いていたから。こうなることも予想しなくはなかった。帰れと言っても無駄なのだろう。

 ギンガ団幹部二人と対峙する、スズナにとっても苦しくなり始めた状況だ。

 何も出来ない子供達ではない。救援である、と認識を改めて、スズナは改めて敵の方を向く。

 

「ゔあ、っ!?」

 

 だが、ここに来て過去最も頭を鋭く貫く痛みに見舞われたパールが、思わず両手で頭を抱え込む。

 ギンガ団幹部を二人も前にした状況、相手から目を逸らすことこそしなかったけれど。

 そうでなければ今すぐ膝をついて、背中と頭を丸めてうずくまりたいほどの唐突な激痛は、パールに悲鳴をあげさせるほど凄まじいものだった。

 

「あらあら……?

 様子が変ね、あの子……」

「…………ふむ。

 もしや、これのせいか?」

 

 サターンは、自らの懐にちらりと目線を落とした。

 そこには意図あって彼がここに持ち込んだ、とあるポケモンが囚われたギンガボールが二つ入っている。

 頭痛に見舞われる挙動のパールを見て、その原因が何なのか、サターンには心当たりがあるようだ。

 

「パール……!」

「へい、きいぃぃ゙っ……!

 ぜったい、だいじょうぶっ……!」

 

 寒空の下での脂汗、潤んだ瞳に眉間の皺、尋常でない頭痛に喘ぎ苦しんでいるパールを目の当たりにするプラチナは気が気でない。

 着信はそのままのはずだ。お母さんの耳にも、今のパールの異常は伝わっているはず。

 パールが頭痛を訴えていたことを知っているスズナも、一度だけパールを案じて振り返ったが、すぐに目線を敵の方へと向け直す。

 

「頑張りなさい! 来た以上はやるしかないのよ!

 あなたが選んだ道でしょう! 根性見せなさい!」

「っ……はい゙っ……!」

 

「どうやら、やるようだな。

 ジュピター、油断するなよ? トレーナーがあの調子でも、ポケモン達の動きが鈍るわけではないからな」

「わかってるわよ。

 どうやら万全でない舐めたコンディションで来てるようだし、後悔させてやりましょう」

 

 サターンのドクロッグ、ジュピターのドータクン。

 スズナのグレイシア、パールのトリトドン、プラチナのエンペルト。

 2対3の変則的な多人数バトル。数の上では有利でも、スズナをはじめパール達には一切の予断を許されない状況だ。

 たった一匹で、本気のマキシのポケモン達を叩きのめしたと言われる名高きドクロッグの存在は、とりわけそんな空気を強く漂わせている。

 

『――"ジュン"ちゃん!』

 

「…………!?」

 

 だが、いよいよ戦いが始まるというその時、思わぬ第三者の声が場に響き渡る。

 声の主は、パールのポケッチの向こう側だ。

 そして、割り込んだその声に最も動揺したのはジュピターである。

 

『あなた、ジュンちゃんでしょう!?

 どうしてそんな所にいるの!? あなた、ギンガ団なの!?』

 

「ジュピター、お前のことか?」

「ちっ……!」

 

 ジュピターも、サターンも、マーズも、その名はギンガ団の幹部としてのコードネームに過ぎない。

 彼ら彼女ら、当然親から賜った本当の名前というものがある。悪の組織に属する中、名乗ることはもう無くなっていただけだ。

 しかし、その過去と顔を知る者と直面することあらば、その名を呼ばれることもある。

 ジュピターの本名を呼ぶ人物が、ポケッチの向こう側の自分のお母さんであることに、パールは頭を押さえたまま手首を見上げるほど驚きだ。

 

『私よ、アヤコ!

 お願いジュンちゃん! そんなことはもうやめて!』

 

「……あんたは、こんな所でもあたしの邪魔をするのね。

 つくづく、忌々しいわ……!」

 

 過去は、捨てても、忘れようとしても、決して無くならない。

 ギンガ団に身を置いたあの日から、過去と決別し、風貌を変えるため、髪の色や形まで変えたジュピターだ。かつてよりも歳月が経ち、顔も変わったはず。

 今や彼女が、ジュンと呼ばれた少女と同一人物であろうとは、わかる者など殆どいなかったはずなのに。

 

 それでも、幼い頃から知り合っていたライバルの直感は、テレビ越しに見てもジュピターの正体を言い当ててみせたのだ。

 縁は断ち切れない。忘れようとしても、ある日突然繋がる。

 悪の道へと進むようになったきっかけの一つ、苦い過去を回想せずにはいられぬジュピターは、隠しようもないほどの不快感に表情を歪めていた。



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第104話  ジュン

 

 誰にだって、子供だった頃がある。

 田舎村にて余生を過ごす老夫婦にも。

 最愛の娘が生まれ、今は落ち着いた日々を過ごす母親にも。

 そして、幼い頃にはいつか自分そんな風になるとは思いもしなかった、悪の組織に身を堕とした大人にもだ。

 

 パールのお母さん、アヤコは今のパールと同じくらいの年頃から成人するまでにかけて、ポケモンコンテストの参加者として活躍していた。

 彼女ははじめ、決して、わざわざ非凡と言われていたわけではない。

 初めてのリボン、ノーマルランク優勝者に授与されるそれを獲得するまで、実に一年以上かかった女の子だった。

 しかし、大好きなその道を貫いた彼女は、やがてハイランクコンテストの常連となり、マスターランクでの優勝戦での常連とまで上り詰めた。

 良縁に恵まれて引退するその時まで、最高峰のリボンをいくつも獲得し、当時を知るその業界の人々に、アヤコの名は良き思い出として刻まれている。

 

 きっと当時のアヤコを回想する人々は、もう一人の女の子を同時に思い出さずにはいられないはずだ。

 彼女の親友であり、幾度となくコンテストでは二人の独壇場の優勝争いを演じていた、認め合ったライバルと公表さえしていた同い年の女の子がいた。

 公式戦において、彼女がアヤコに勝利することは、ついぞ一度もなかったけれど。

 コンテストの舞台で対の位置に立ち合えば、絶対に負けないよといつも熱く火花を散らし合う二人の眼差しを、当時の観客は今でも思い出せるはず。

 

 二人は本当に親しかった。

 コンテストが終われば、一緒にご飯を食べに行って、お互いの駄目出しをし合う反省会なんてして。

 語り合うことが無くなれば、他愛も無い話でお喋りして、笑い合い、最後はまたいい勝負をしようと固く誓い合って帰路に着く。

 そんな二人が、コンテスト会場最寄りのカフェで目撃されることなど恒例の姿だったのだ。

 ぶつかり合うたびに互いのレベルを高め合い、切磋琢磨してコンテストに挑む先人を追い抜いて、燦然と活躍する二人の姿は多くの人々を魅了したものだ。

 大人達は、ライバルと共に成長する若き志に、無限の未来を想像して心躍らせ。

 幼い子供達は、大人相手でもコンテストで勝ち抜いていく二人のお姉さんの姿に、いつか僕も私もあんな風にと夢を抱く。

 決して二人は、常にコンテスト業界の中心人物であり続けたわけではない。二人を纏めて打ち破るスターも決して少なくない、競争の激しい厳しい世界。

 それでも、若き日のアヤコとその親友が共に輝いたその日々を、目で追い続けたファンもまた多い。

 群雄割拠の世界の中、無数のスター達の中にあり、並び立つ輝きを放つ一等星として、アヤコと彼女の親友は確かに煌めいていた。

 

 アヤコは"ジュン"と、ずっと親友でいられると思っていた。

 いつしか、ふとコンテスト会場で会うこともなくなって、電話してもはぐらかされることが多くなって。

 何がきっかけだったのかもわからぬまま疎遠になり、連絡も途絶え、今でも時々昔のことを思い出せば、いま何をしているんだろうとつい思い耽ってきた旧友。

 もしも再会できたなら、たくさん、たくさん話したいことがある。

 青春時代、最も多くの時間を共にした親友とは、生涯にかけて忘れられない特別な人。

 夫に巡り会え、愛娘に恵まれ、そんな二人と並べ立てても、特別な人だという意味のみにかけては、決して劣らないはずだ。

 

 あれから十年経ったって、大人の顔になって髪型を変えたって、アヤコはジュンの顔を見て確信することが出来たほどには、特別な親友だったのだ。

 悪の組織の幹部として暗躍するジュンのことを知ったその時、アヤコの胸が悲痛なほど締め上げられたことは想像に難くない。

 

 

 

 

 

「ジュン……お母さんの……」

 

 パールはアヤコに、ポケモンコンテストに挑んでいた昔日の話を幾度も聞いている。

 母親の言葉が娘にとって特別なものになり得ると知っていたアヤコは、娘の人生を狭めないために、あまり自分からその話をしてこなかった。

 だけどお母さんが今もポケモンコンテストを観るのが好きで、時には審査員に招かれるとあれば、やはり幼いパールもお母さんの過去に興味津々だ。

 せがまれ、昔話をするアヤコは、五年以上に渡るコンテストと関わり続けた現役時代の思い出を、愛娘に聞かせることもした。

 

 当然、ジュンの名前を出したことだってある。

 そしてパールも、子供心に、その名を思い出して語るアヤコの目が、楽しかった日々を懐かしむと同時、寂しさを抱いていたことも感じ取ってきた。

 今はもう会ってないんだけど、とは聞いていた。どうしているのかも今はもうわからない、とも聞いた。

 詮索しない、出来ないパールには、お母さんにとって大切な人だったんだなという印象しかない。

 だからこそ、強く記憶に残っているのだ。

 ギンガ団のジュピターをその名でお母さんが呼ぶことに、衝撃性を覚えるパールが茫然とするのは、決して母のショックにも劣ってはいない。

 

「……つくづくあなたは、私の人生の障害物そのものだわ。

 コンテストではあたしに一度も勝利を譲らなかったあなた、今はそんなあなたの娘があたしの邪魔をする。

 どこかで何とかして殺してやっていた方がよかったのかもねとさえ思うわ」

『どうしてそんなこと言うの!?

 私は、あなたのこと……』

「どれにしたって聞きたくないわ。

 親友? ライバル? それとも引き立て役?

 上から目線で来られても、事実を語られても、あたしは惨めにさせられるだけよ」

『ジュンちゃん……っ!』

 

 只ならぬほど歪んだ感情がそこにあることは、パールやプラチナにも、スズナにも、サターンにも聞くに明らかだった。

 聞くに耐えぬ卑屈と暴言にただただ不快感を覚えるプラチナ。

 あれほど想い案じていたはずの親友に罵倒され、母が悲しんでいることを声だけで感じ取れ、我が事のように胸が苦しくなるパール。

 性根からくる嫌悪感こそ抱きつつも、ただ冷静であらんと努め、静かにこの場を聞き守り徹するスズナ。

 ただ黙って、溢れる同志の感情に耳を貸すサターンは、己と同じ悪の道へ堕ちた同胞の言葉を、ともすれば共感を約束された予感すら抱いて沈黙する。

 

『ねえ、どうしてなの!?

 どうしてあなた、そんな風になってしまったの!?

 会えなくなってからの長い時間の中で、何があったの!?』

 

「別に、何も?

 あたしをこの道に進ませたきっかけが何かと言えば、あなたと過ごしたあの頃すでに芽吹いていたからね」

 

 へらっと自嘲気味に笑うジュピターの表情は、通話越しのアヤコの目には映っていない。

 だが、その声をかつて何度も聞き、親しんだその声からアヤコの耳は、目ほどに今のジュピターの様相を感じ取れてしまう。

 対話の余地も、歩み寄る余地も無い、そう表明しているジュピターの本懐は、耳を逸らしたいほどアヤコにとってつらい。

 

「あの頃から、あたしが陰口叩かれてたのは知ってるでしょう?

 あいつはバトルの方が上手い、トレーナーになった方が余程いいって。

 コーディネーターとしての才能は無いってさ」

『そんなこと!

 だってあなたは、ちゃんといくつものコンテストで優勝してみせた、誰にだって胸を張れるコーディネーターだったじゃない!

 無責任にあなたを評価して、あなたの気持ちも考えずに勝手なことを言う人をコンテストで負かして、見返せたって誇らしくもしてたでしょう!?』

「あははは、そうね。あれは本当に胸がすっとしたわ。

 思えばあたしって、あの頃から負けん気は強かったのよね」

 

 ほんの僅かな時間だが、過去を懐かしみ笑うジュピターの声は、その言動に不快感を覚えていたパールやプラチナを驚かせた。

 確かにこの瞬間だけだったけど、敵対する悪の組織の幹部から、人情的な不愉快でない人となりが垣間見えたからだ。

 だからと言って見直せやしないけれど、極悪非道の悪党だと思っていたこの人物でさえ、嘘の無いそんな表情と言葉を見せられるのかと感じずにはいられない。

 

「だけど、頂点を極められなかった。

 常に、あなたに阻まれて。

 あなたが相手でない時でも、誰かに敗れて。

 あたしが一度も、マスターランクのリボンを獲得できなかったことは知ってるでしょう?」

『それは……!』

「ふふ、結構よ。そんなあたしを、あなたは一度も哀れまなかった。

 何度も何度もあたしを負かして、たったの一度も勝たせてくれなかったくせにね。

 ……あなたに負けるたび、またか、またなのかって悔しくて仕方なかったけど、あなたのそういう所は好きだったわ。

 あなた、優しかったもの。それでも、叱咤と激励に徹してくれたでしょう?

 勝者に哀れまれるなんて、敗者にとっては屈辱以外の何ものでもないもの」

 

 二十歳にも至っていない当時のアヤコが、そんな難しい真理を既に理解していただろうとはジュピターも思っていない。

 ただ、親友だから。一緒に高め合える間柄が、アヤコにとっても温かくて、ずっとそばにいて欲しくて、エールを贈りたくて。

 そして、ごめんねと言われるよりも、頑張れかかってこいって言われた方が燃えるジュンの性格をよくわかっていて。

 だからジュピターも、あの日のアヤコのことは、理屈ではなく心から湧き出る素直な感情に従って、今でも嫌いになることが出来ない。

 自称するに等しく捻くれた今なお、好きだったという言葉を皮肉無しに告げられるほどには、やはりジュピターもアヤコを親友だと思っていたのだ。

 

「でもね、アヤコ。

 あたしは、一番になりたかった。それが、一番の目標だった。

 善戦や、敢闘を讃えられる惜敗じゃ、満足できないあたしの性分は知ってるでしょう?」

『ジュンちゃん……!』

「一つの道を極めようとすれば、辿り着くか、道半ばにして倒れるかしか無い。

 あたしはあたしの望んだ道の到達点に辿り着くまで、ずっと歩み続けられる強い心の持ち主じゃなかった。

 だって、あなたにはどうしたって勝てなかったから」

『あたしの、せいなの……?』

「ふふ、そうかもね。

 でも、あたしを負かしていたのはあなただけじゃない。

 別にあたしが一番になれなかったのは、あなただけのせいじゃないわ。

 そして、あなたは常にあたしを負かすため、正しく全力を尽くして、真摯にあたしとの勝負に臨んでくれていた。

 ……別に、気に病むことはないんじゃないかしらね」

 

 険の抜けた表情と声で語る女性の表情は、ギンガ団幹部ジュピターのそれではなく、アヤコの旧友ジュンのそれだったと形容して過言無い。

 同窓会で久しぶりに再会した大人同士は、語らうにつれ、互いの顔が徐々に若かりし頃のそれに見えてくることがあるという。よく聞く話だ。

 罵声と皮肉をばらまいて、敵対者の心を搔きむしる悪意を振り撒くことを得意とするジュピターが今、悔恨に陥りかけた旧友を救わんとさえする。

 ポケモン達が睨み合う中、一触即発が本質であるこの状況、誰も開戦への指示を発せないほど、今ここにはアヤコとジュンだけの世界がある。

 

「あたしは、コーディネーターとして一番になる道を追えなくなった。

 だから、トレーナーに転向したわ。

 あなたと会えば、また未練が目を覚ますかもしれないと思って、余所の地方に移ってジムを巡ったりしてね」

『……………………』

「でも、遅すぎたんでしょうね。

 あたしはもう、トレーナーとして大成し、頂点を追うことも叶わなかった。

 そりゃあそうよね。トレーナーとして強くなるため、幼い頃から努めてきた連中に、今さらのあたしが一番を目指せるほどこの世界もまた甘くはない。

 あなたの愛娘さん、トレーナーになって何ヶ月? 一年も経ってないでしょう?

 それが、今はこうして悪の組織たるあたし達に立ちはだかり、あたし達が脅威の一抹だと認識するほどに強くなっている。子供達の成長力って凄いのよ。

 あたしも、もっと早くコーディネーターとしての自分の才能を見限り、トレーナーに転向していれば違う未来があったのかなって思うほどにね」

『……でも、頑張ったんでしょう?

 あなたのことだもの、絶対、誰に話しても恥ずかしくないぐらいの結果は出してるでしょう……』

「それでも、ジムバッジ6つが限界よ。

 それが、清純なる世界での、トレーナーとしてのあたしの限界。

 トレーナーとしても、コーディネーターとしても、何者にもなれなかった中途半端な大人。

 それがあたしよ」

 

「…………それであなたは、悪の道に進んだとでも言うの?」

 

 聞き捨てならなかった。

 二人だけが語らう世界に、スズナは口を挟まずにいられなかった。

 陽気に自分と語らっていた時とは違う、低く、重く、怒りを秘めたその声に、そばのパールがびくりとしたほどだ。

 

「あなたは、ハクタイシティで全力のジムリーダーと渡り合えたほど、強いトレーナーとして大成しているはず。

 あなたをその境地に至らせたのが、悪の道に進んだことだとでも言いたいの?

 清純なる世界での限界、ってどういう意味なの?」

「別に、悪の道に進んだからといって、あたし自身が強くなったとは思ってないわ。

 手段を選ばないようになってから、お行儀のいい奴らの鼻っ柱をへし折れることは多くなったけどね。

「非道を正道にさえ含む輩の世界において、小悪党は巨悪に呑まれるのみよ。

 今のあなたが、悪の世界で頂点を極められるだなんて、その賢しい頭でまさか夢見てはいないでしょう?」

「ええ、ごもっとも。

 所詮、あたしはこの世界でも半端者よ。

 ボスには及ばず、サターンにも劣る。

 心配しなくても、あたしはこの道に進んだからといって、こちら側で頂点を極められるとは思っていない」

 

『だったら、やめてよ……!

 そんな世界で、ジュンちゃんは何を目指してるの……!?』

 

 シンオウ地方のことではないと言っても、ジムバッジを6つ集められるなら、どこの地方でも胸を張れるほどの実績だ。

 それだけの地力がジュピターにはあるのだ。悪人にならずとも。

 間違いなく、誇れるほどの、卑下するに値しないほどの、才なるものがジュピターにはあるはずと断言できる、それだけのことを彼女は成し遂げているのに。

 それにさえ届かず、道半ばにして夢路を断った者達を、ジムリーダーとして正しく見届けてきたスズナに、ジュピターの言は許容したくない。

 彼女が語った言葉の数々に、悪に身を堕とす大義と見做していいものは、やはり一つも無いはずなのだ。

 

「誰でも、一度は考えるものじゃない?

 昔に戻って、人生をやり直したいって。

 あたしはコーディネーターとしてではなく、最初からトレーナーを志していた自分を試してみたいわ」

 

「あなた……!?

 いや、あなた達、まさか……!」

 

「少々喋り過ぎではないかね、ジュピター」

「別にいいじゃないの。

 三湖を回るあたし達の意図なんて、そのうち誰かが勘付くわ。

 今のシンオウには、ポケモン学会の権威たるナナカマド博士もいるんだしね」

「まあな。

 もっとも、我々の真意が察されようが、今さら何も変わりはしまい」

 

 人生をやり直したい。

 幼い頃の自分に戻り、今よりわかる頭でよりよい人生を描きたい。

 誰しもが考え得る、ごく一般的な発想の一つに過ぎないそれを耳にした瞬間、スズナの顔色が一変する。

 

 まさか、ギンガ団の真意とは。

 口を滑らせた、いや、今さらそれを隠す時点でもないと明け透けに語ったジュピター。

 時を遡るなどという、絶対に叶えられないはずのことを現実的に夢見て語るかのような発言に、スズナは戦慄さえ覚えていた。

 リッシ湖、シンジ湖、そしてここ、エイチ湖。

 妄執さえ感じるほど強行的に、シンオウ三湖を襲撃するギンガ団の動向は、スズナに一つの仮説を抱かせるには充分だ。

 そしてそれは、一つ間違えば、この世界の理さえも歪め得る、恐ろしいほどの想定に他ならない。

 

「あたしは、あたしの望むもののためにギンガ団に与した。

 ただの一度の失敗も許されない、夢へと迫る旅路は確かにひりつく。

 だけどその果てにあるものが、手の届かないものだと思っていたあたしの希望であるなら、あいにく手段は選んでられないのよ」

 

 ジュピターの声と、表情と、そして眼差しが、アヤコと語らっていたジュンの色を失っていく。

 挑発的な口元の歪み、目的達成のためなら手段を選ばぬ目の開き、そして己の思想を理解し得ぬ者をただ蔑むかのような傲慢な声。

 鳥肌の立つパールとプラチナだ。恐怖や戦慄によるものではない。

 ほんの少し前までは、せめて人情的でさえあったジュピターが変貌しつつある様に、忘れかけていた悪の組織幹部への嫌悪感は倍ほどでさえある。

 

「ねえ、アヤコ?

 さっきあたし、言ったわよね?

 かつてはあなたがあたしの夢を阻み、今はあなたの子供があたしの夢を阻もうとしてる。

 あたしがこの子をどう思ってるか、あなたならわかるんじゃない?」

『ジュンちゃん!?

 待って、あなた、まさか……!』

「この子、どうしたって構わないわよね?

 ちょうどすぐそばに、落ちたら凍え死ぬほどの冷たい湖もあるわ」

『やめて!! 嘘でしょう!?

 パールは、私の……』

「悪いけど、容赦しようがないわねぇ。

 だってこの子、生かしておいたら何度だって邪魔してくるんだもの」

『いやあっ、やめてえっ!!

 私の大切な子なのよおっ!!

 何でもするから、あなたの言うことなら何でも聞くからあっ!!』

 

「グレイシア!」

「――――z!」

 

 もう我慢ならない。いや、一瞬で我慢ならなくなった。

 泣き叫ぶように愛娘の無事を乞う母親の声に、スズナは強い情念を込めて相棒の名を呼んだ。

 それに応えたスズナのグレイシアは、いななくような声とともに、両陣営が対峙する戦陣の中央に吹雪を巻き起こす。

 

 ジュピターとサターンを、そしてスズナ自身とパールとプラチナにまで身も凍えるような冷気の余波を浴びせるが、スズナはジュピターを睨みつけ動じない。

 ジムリーダーとしての矜持でぎりぎり耐えたが、あの腐り果てたジュピターを、グレイシアの冷凍ビームで狙撃したかったほどだ。

 大事な一人娘を喪わせることをちらつかせ、何も出来ない母親の心を引き裂く極悪人に対する、スズナの怒りは沸点を越えている。

 

「あんた、調子に乗り過ぎよ。

 昔馴染みとの語らいに耽り過ぎて、足元見失ってんじゃないの?」

「あらあら、怖いわねぇ。

 怒ればジムリーダー様、倍ほど強くなるのかしら?」

「さあ、どうかしら?

 どっちにしたってあんた、怒らせちゃいけない相手怒らせたわよ」

 

「…………お母さん」

『パール、お願い、逃げて!

 私、あなたに何かあったら……』

「お母さん!」

 

 大事な大事な一人娘と、もう二度と会えなくなる恐怖に囚われたアヤコの、パニック状態に近い声に、パールは強い声で今一度呼びかけた。

 敵を睨みつけるスズナと、難敵を目前としたサターンやジュピターの、張り詰めた空気を遮れる声ではない。所詮は子供の大声。

 だが、ただただ動揺する母の言葉を遮って、己が声を届けるだけの短い沈黙は作れた、強い、強い声だ。

 

「私、絶対に負けないよ。

 お母さんのことを泣かせようとする、あんな人のこと絶対に許せない……!」

『パール……!』

「絶対勝って、また電話するよ。

 …………心配かけて、ごめんなさい。お母さん」

 

 パールはポケッチを半ば叩くようなほど、強い手つきでぶちんと通話を断ち切った。

 乱暴な手つきには、彼女が口にしたとおりの、ジュピターに対する強い憤りが表れている。

 いかにパールが怒っているかなど、それに感応するニルルが、あの穏やかな性分のニルルが、敵を力強く睨んでいる目つきにも表れていると言えよう。

 元より負けられぬ戦い。それ以上に、許せない。

 

「パール。

 引き分けも、なし崩しも駄目だよ。

 あいつら、全力でぶちのめそう」

「……あはっ、プラッチらしくない」

「かもね。

 僕、今までで一番むかついてるかもしれない」

 

「あははは、みぃんな怒り心頭ね。

 そんなあんた達があたし達に敗れて這いつくばる姿なんて、たまらない見世物になりそうだわ」

「そうね、上空カメラからの全国放送ですもの。

 自分を笑いものにされる心配でもしておいた方がいいんじゃない?」

 

 パールも、プラチナも、そしてスズナも、火がついた闘志は雪の積もったエイチ湖でも冷めやらぬ。

 勝利しかない。ギンガ団の幹部を無力化して捕らえる完全勝利、それ以外に三人が目指すものはない。

 へらへらと挑発を続けるジュピターとて、対峙する者達が抱く凄まじい熱には、この寒空の下で汗を流すほど震えるものがある。特に、スズナに対してだ。

 

「久しぶりに本気で戦えそうな相手だな、ドクロッグ」

 

 ただ一人、この緊迫した開戦前の状況下、仮面の下では笑みすら浮かべて冷静な人物もいる。

 サターンだ。そしていかに憤慨に心を満たそうが、ジュピターへの憤りを隠せまいが、スズナが最も警戒する相手。

 あれが従えるドクロッグの強さは、間違いなく尋常なものではない。

 マキシのポケモンをなぎ倒した実績が、それそのものは充分に物語っているものの。

 対峙してみれば、野生の個体となんら変わらぬはずの風体ながら、異常な、異様な、強者の気質を纏っていることを意識せざるを得ない。

 

 まるで、チャンピオンの切り札と対峙した時のような戦慄がある。

 シロナとバトルした経験もあるスズナをして、あのドクロッグにはそれにも等しいものを感じずにいられないのだ。

 

「我らギンガ団、過去最強の客人と見做し、もてなそう。

 期待は裏切らぬ。そちらも、期待を裏切ってくれるなよ?」

「さあ、ドータクン。

 正義は勝つと信じる世間知らずに、現実の厳しさを教えてやりましょう」

 

「グレイシア! 加減を忘れなさい!

 あなたの全力、見せて頂戴ね!」

 

「エンペルト! 絶対に負けられない!

 あいつらだけは、絶対に許しちゃならない!」

「ニルル……!

 勝とうね、絶対に……!」

「「――――――――z!!」」

 

 ギンガ団の幹部二人が揃い踏み、味方は誰よりも頼もしいジムリーダー。

 そんな不安と頼もしさが両立されたこの場において、パールもプラチナも、そんなことは意識にもかけない。

 その心に刻み付けた、必勝以外を望まぬ気迫を、相応の強い声に乗せて相棒に訴えかけるのみ。

 それに呼応し、大きな声を発してくれる、スズナ以上に身近かつ頼もしい仲間達とともに、最年少の二人は改めて難敵を見据えるのだ。

 

 過去最強の敵との戦いだ。それも、対ジムリーダー以上の。

 そうだと理解した上で逃げなかった子供達の覚悟の強さは、きっと大人にも劣らない。

 果たして、それは結実に至るか。二人が培ってきた力が、信じる道を突き進み、叶えるに値するものかが問われる戦場だ。



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第105話  VSサターン&ジュピター

 

 

「グレイシア、まずはわかるわね!?」

 

 スズナがグレイシアに暗喩して伝えたのは"こごえるかぜ"だ。

 相手は二体、しかも片方はスズナのユキメノコを単身撃破し、今なお体力の有り余る超強敵。

 まずはどうにか、その体力や能力を削ぎ落とし、確実に撃破しなければならないというスズナの意図を、グレイシアは理解して技を発している。

 

 対するジュピターのドータクンは甘んじてそれを受けるが、問題はサターンとドクロックである。

 グレイシアが凍える風を放つ前から、ふいと手を一振りする仕草を見せたサターンは、回避に徹しろと命じている。

 ドクロックもまたそれに応え、前方広範囲に放たれるグレイシアの凍える風の、範囲外まで素早く逃れるのだ。

 初動の早さからして、状況から完全に相手の初手を読み切っている動きだ。

 

「行って!」

 

「打ち返せ」

 

 "でんこうせっか"で飛びかかるグレイシアの直進攻撃を、ドクロッグは両腕でガードする形で受け止める。

 踏ん張り、食い止めさえすれば、ぎらりと眼を光らせたドクロッグがその拳を振り上げて、グレイシアに毒針付きの打撃で反撃しようとする。

 グレイシアも引き下がるのが早い。あわや殴られるか毒針で肌を傷つけられるかの瀬戸際、跳び退いたグレイシアは無傷だ。

 ドクロッグは舌打ちしながらも、サターンを振り返ってぽりぽり頭をかく仕草。

 ゴメンこいつ素早いからカウンター難しいっすわ、と苦笑い気味に失態を弁護するその表情、戦いの真っ只中にあって余裕を見せ過ぎだ。

 

「まあ気にするなドクロッグ。

 最後に勝ってくれればそれでいい。難しい話ではないだろう?」

「――――♪」

 

「二人とも! こっちは……」

「パールいくよ! ニルルとエンペルトで!」

「オッケー! ニルルっ、ドータクン狙って、いっけえっ!」

 

 ドクロッグはこちらが何とかするから、あなた達はジュピターのドータクンを。

 そんなスズナの意図を理解していたようで、パールとプラチナがニルルとエンペルトに指示したのは"なみのり"だ。

 水ポケモン二人、大量の水を湖水を招き寄せつつも自ら生み出して、相乗効果で高め合った二人ぶんの波乗りは高波を作ってドータクンに襲いかかる。

 少し離れた場所で戦っているグレイシアを巻き込まないようにしてだ。ドクロッグも攻撃対象に含められないが、器用に水を操る二人である。

 "ふゆう"するドータクンもこれを躱せず、波の上にニルルとエンペルトが乗る波をもろに受ける形となる。

 

「ったく……! ドータクン、光の壁よ!

 今からでも遅くはないわ!」

 

 初手の重い一撃を受けはしたものの、波から飛び出してきたドータクンには、それでも致命的なほどのダメージは入っていない。実に頑丈だ。

 まだまだ余力のある中で、今後もいくらでも飛んでくる水の技に対する、防御を固める価値は充分にある。

 耐性の多い鋼タイプのドータクン、だがその多い耐性を掻い潜る水技を多用してくるであろう相手に、"ひかりのかべ"は非常に有用だ。

 

「まずはエンペルトよ!

 あなたの十八番、見せてあげなさい!」

 

 返じる声を発さないドータクンだが、ジュピターの声には敏感に反応し、エンペルトの方を振り向いて目を光らせる。

 当然エンペルトもドータクンの方を見ている中でだ。目を合わせた相手を惑わす特殊な光により、まずはエンペルトがくらついたように一歩たじろぐ。

 

「"あやしいひかり"か……!」

「ニルル、焦って泥爆弾は駄目だよ! 水の波動!」

 

「まったく、小賢しいわ……!」

 

 "ひかりのかべ"で守備力を高めたドータクンには、物理的な攻撃方法で攻めたいところである。

 泥爆弾の一撃でも当てれば、光の壁を貫通してドータクンに大きなダメージを与えられるはず。相性的にも最も効く技の一つ。

 だが、"ふゆう"能力に秀でるドータクンに、泥爆弾は当てにくい。重い塊を発射する技なので、相手を見上げる形で撃っても威力が落ち、そもそも当てにくい。

 光の壁で威力を半減されようが、確実なダメージを与えるべきだというパールの判断は正しい。あわよくばミスを誘うジュピターの手には乗らないのだ。

 

「だったらまずは賢い子を追放しましょうか! ドータクン!」

「エンペルト! バブル光線……!」

 

 追放のキーワードに応じて、水の波動を受けつつもドータクンがニルルを睨みつける。

 それに伴いニルルの身体が浮き上がったのは、ドータクンが"サイコキネシス"を発動させたからだ。

 敵を念動力で操る力で、ニルルを空高くまで放り投げるような攻撃を為すドータクンに、それをやめさせるべくプラチナも指示を出す。

 だが、妖しい光で目を眩まされたエンペルトのバブル光線は、しれっと自分が狙われる位置から身をずらしたドータクンに当たらない。

 しかも、自らが放った技の反動に足が耐えられず、尻餅をついて体を痛めたほどだ。前後不覚の"こんらん"状態の怖いところである。

 

「撃って! グレイシア!」

「む……!?」

 

「ドクロッグ、叩き割れ」

 

 遮られぬ限り、いくらでもニルルを念動力で振り回していたはずのドータクンだが、離れた位置でドクロッグと戦っていたグレイシアから思わぬ狙撃を受ける。

 その"れいとうビーム"がドータクンに与えるダメージは小さいが、ニルルを操っていた念動力がそれにより途切れ、宙で解放されたニルルが落ちてくる。

 それがなければ、もっと高い場所まで放り上げられていたのだ。地面に叩きつけられたニルルへのダメージは大きいが、それでもマシな程度に収まっている。

 

 ドクロッグとの交戦中の脇見、隙を見せたグレイシアに駆け迫ったドクロッグの振り下ろす手刀が、グレイシアの脳天に直撃だ。

 重く鋭い"かわらわり"の一撃は、グレイシアが耐えきれず顎から地面に叩きつけられるほどのインパクトを残している。

 そんなグレイシアの名を強く呼ぶスズナに応じ、失神も力尽きもせず後ろに跳び退がるグレイシアは、こんな時に撃ち返すべき技をわかっている。

 やや近い位置のドクロッグに向け、躱しようもない"ゆきなだれ"を放つのだ。

 すぐさま後退するドクロッグだが、その全身を雪が埋め立て、僅かでも動きを封じた上でダメージを与えることには成功している。

 

「っ……!

 エンペルト、水鉄砲だ!」

「んん……!?」

 

 ふらつく頭で立ち上がったエンペルトに、プラチナが指示した技にはジュピターも怪訝にならざるを得ない。

 確かに水鉄砲。エンペルトが発射したそれはドータクンに直撃するが、ハイドロポンプには明らかに劣る、水鉄砲と表向きに指示された大技でもない。

 ドータクンに通ったダメージは小さい。なぜその選択なのか。

 プラチナがパールをじっと見て、パールと目を合わせたそこに、口にせぬ何らかの疎通がありそうだという様相の方がジュピターには重要である。

 

「ニルル! もう一回波乗り行くよ!」

「ドータクン! 撃墜するわよ!」

 

 果たしてパールはプラチナの意図を受け取ったのだろうか。

 この場で波乗りを指示したパールの行動は、命中率を重視した高い威力を示唆するものでしかなく、プラチナにも不安が残る動向である。

 ジュピターも、躱し難い波をドータクンに迫らせられる中、ただでそれを受けるだけとはしない。

 ドータクンが眼前に生み出した、球状エネルギーの塊を、波の上に乗るニルルに発射する。

 

 ドータクンの数少ないアグレッシブな攻撃手段として名高い"ジャイロボール"が、波の上にいたニルルに直撃して叩き落とす結果に繋がる。

 だが、ニルルが生み出した大量の水と波はドータクンを襲い、こちらにも大きな水圧によるダメージが入る。痛み分けと言える結果か。

 ただ、光の壁でダメージを抑えているドータクンと、鉄の塊たる砲弾めいたエネルギーの直撃を受けたニルルでは受けたダメージにも差はある。

 着地したニルルは苦しそうに頭を上げるが、波を耐えて姿を見せたドータクンの浮遊する姿にはまだまだ余力がある。

 

「ニルルっ、水鉄砲!」

「また!? 何なのよあんた達!」

「よし……っ!」

 

 通じていれば。そう祈っていたプラチナは、しれっとエンペルトをボールに戻しながら、逆の手でガッツポーズ気味に拳を握りしめていた。

 ニルルが発射する水鉄砲がドータクンに直撃する。強い水圧だが、本来ドータクンに有効だとは思えぬほどの攻撃。水の波動にも劣るはず。

 だが、それを受けるドータクンが、苦手な炎を受けたかのように身をよじり、ぶんぶんと身を振りながらその水鉄砲から逃げようとする。

 誰の目にも効いていることが明らかで、ただの"みずでっぽう"でないことは瞬時にジュピターも察したが、その正体まではわからない。

 

「く……!

 ドータクン、押し切りなさい!」

 

 それがニルルの"しおみず"であることこそジュピターには見切れなかったものの、ジャイロボールを撃ち返すことで劣勢を打破する指示は理に叶っている。

 マキシとパールの勝負を見届けたプラチナは、エンペルトにその技を教えていたようだ。いつか、使い所があるかもしれないと見て。

 そしてそんなエンペルトと付き合いがあったからなのか、ニルルもその技を習得している。賢いニルルのポテンシャルを表す一幕だ。

 ジャイロボールの反撃を真正面から受け、首ごと体をのけ反らせながらも、ぐいと顎を引いて相手を睨みつけるニルルは体力にも秀でている。

 勝ちたい勝ちたいで必死なばかりのパールだが、賢く多芸でしかもタフなトリトドンが、どれほど頼もしいかは今の彼女の想像以上であるはずだ。

 

「ピッピ! "じゅうりょく"だ!」

「――――z!」

 

「な……!?」

「パール、今だ! 今しかないよ!」

「ニルル、泥爆弾!」

 

 プラチナが、戦闘不能に陥っていないエンペルトをボールに戻し、新たにピッピを繰り出した姿はジュピターも見ていた。

 ドータクンへの有効打を持つ炎ポケモンを出してくるかと思えばピッピで、意図を計りかねるチョイスと感じた矢先にこれ。

 ピッピの魔力が生み出す重力により、浮遊していたドータクンが、両手をばたばたさせながらも高度を下げていく姿にはジュピターも危機感を感じよう。

 位置が低くなればなるほど、高所の敵には当てにくい"どろばくだん"の射程圏内だ。

 

「ドータクン……!」

 

 光の壁を突き破ってドータクンに直撃した泥爆弾は、いかにも重々しいその体が後方に傾くほど劇的なダメージを与えた。

 "しおみず"が効くほど弱った体に弱点の一撃。それで落ちても自然なほどだ。

 それでものけ反ったドータクンが、ぐいっと体を前に傾け直し、まだまだ戦えると見せつけるタフさにはパールとプラチナもうっとなる。

 やはりギンガ団幹部のポケモンだ。二人がかりでここまで追い詰めても、まだまだ落ちない強さがある。

 

「グレイシア、ありがとう……!

 よく頑張ってくれたわ……!」

 

「スズナさん……!?」

 

 だが、状況は好転しつつあるとは言い難い。

 ドクロッグとの戦いで力尽きたグレイシアを、スズナがボールに戻している。

 パール達を助けるために、隙を見せて瓦割りの一撃を受けたのが響いたか。いや、それが無くても結末は同じであったか。

 何せ過去に、ジムリーダーをたった一匹で制圧した強いドクロッグだ。

 グレイシアやその前に戦ったユキメノコに受けたダメージに、少しは息が切れているものの、まだまだ余力充分なドクロッグがほくそ笑む表情を見せている。

 

「ごめんね二人とも、あたしも切り札を出すしかないみたい。

 あなた達に迷惑かけるかもしれないけど、ここは許容して貰うしかないわ」

 

「っ、大丈夫です!」

「頑張ろう、ニルル!

 すっごく頼もしい人が、全力出してくれるよ!」

「――――z!」

 

「いくわよ、ユキノオー!

 全力全開で畳みかけましょう!」

 

 スズナも、サターンのドクロッグ一匹にユキメノコとグレイシアを破られている。

 ジムリーダーが手塩に掛けて育てた、本気の戦いで引っ張り出すような二匹なのだ。決して三下や前座であるものか。ましてこのような許し難き相手に。

 そんなドクロッグを打ち破るには、共闘する味方にも悪影響を及ぼすことを覚悟の上で、最強の切り札を出すしかないとスズナが判断しているのだ。

 

 スズナが曇り空に向けて放り投げたボールから飛び出したのはユキノオーだ。

 それも、制限のあるジムバトルで繰り出す個体ではなく、彼女がいざという戦いの時に出す最強の個体。

 ナタネがジュピターとの戦いで、パールとのバトルで見せたロズレイドではなく、本気の勝負で出した別個体のロズレイドと同じ理屈だ。

 

「――――――――z!!」

 

「うぁ……!?」

「ピッピ、頑張れ……!

 耐えるしかないよ……!」

 

「やはり、一筋縄ではいかんな……!」

「くうぅ……!

 これほど、とは……!」

 

 姿を現したユキノオーが、湖いっぱいに響き渡るほどの咆哮を上げると共に、元よりの曇り空がいっそうの黒雲に満たされる。

 次の瞬間に生じるのは、ユキノオーの"ゆきふらし"の力により、遥か高き上天から降り注ぐ大粒のあられ。

 いや、雹の天候で言い表されるほどの生易しいものではない。雹は決して生易しくないが、自然に降り注ぐ雹さえ甘く見える苛烈な世界がそこに訪れる。

 まるで吹雪とでも言い表すべき豪風が吹き荒れる中、身体に当たれば痛いと強く感じるほどの、氷の塊が斜めに降り注ぐ世界が間もなく完成する。

 パールやプラチナ、ジュピターでさえ、散弾のように降り注ぐ"あられ"に顔を腕で覆うほどだ。

 サターンとて仮面が無ければ同様だろう。びすびすと固い雹に身を打たれながら、動じもせず立つその姿の不気味さは何ら変わりないが。

 

「なぎ倒せ!」

「――――z!!」

 

「ドクロッグ」

 

 友人二人をやられた末にこの場に喚ばれたユキノオーが、あられ降りしきる世界に降り立つや否や発するのは、敵勢に向けて放つ凄まじい"ふぶき"。

 極寒世界において敵に逃げ場を許さないその攻撃は、ドクロッグやドータクンは当然のこと、サターンやジュピターさえ巻き込むほどの氷結大気の嵐である。

 そんな中において、ドクロッグはドータクンの後ろに隠れる位置へ移り、冷気の風よけとして凌ぎきる立ち回りを見せる。

 パール達の猛攻を受け、どうにか耐えきった直後であったドータクンも、その吹雪を受けて耐えきれず後ろのめりに倒れるほどの吹雪だ。

 ドクロッグは、盾が自分に向けて倒れてくることを冷静に躱し、結果的にあれほどの吹雪を凌ぎきって、ほぼダメージの無い姿でほくそ笑んでいる。

 

「容赦の無いジムリーダー様もいたものだな。

 勝負に勝てぬと見れば、我々を殺して勝負を制することも厭わぬか」

「ええ、あたしもまだまだ未熟者。

 自分のポケモンの擁する怒りを、理解しきれずに発散させようとしてしまったことは反省すべきなんでしょうね」

 

 壮絶な吹雪を発したスズナとそのユキノオーの姿に、パールとプラチナは絶句するばかりだ。

 自分達があれほど苦戦したドータクンを、いかに弱らせてあったとはいえ、氷に強い鋼タイプのそれを吹雪で撃沈させてしまうなんて。

 ましてトレーナーである相手まで巻き込むことも厭わぬかのような指示であったことに、スズナの気の荒さをも感じて怖さすら感じるほどである。

 

「まあ、それでも甘いがね。

 真の殺意とは程遠い。所詮は正義を謳う側だ」

「一緒にしないで頂戴。

 クズと呼ばれて否定もしないような腐り果てた連中に、一緒にされちゃあ堪らないわ」

 

 勿論、本来相手のトレーナーを傷つけるようなことをしないスズナが、それだけの指示をしたことには根拠もある。

 サターンのそばにはユンゲラーがいる。ユキノオーが"ゆきふらし"をした瞬間に、勝負とは無関係に別にボールから出した一体だ。

 万一の余波に備えてユンゲラーを出したサターンの姿があったからこそ、スズナは相手のトレーナーをも巻き込む危惧のある技を容赦なく指示している。

 現に、ユンゲラーの作り出した光の壁によって、サターンとジュピターは吹雪の渦中に晒されながら凍り付かされてはいない。

 特殊な駆け引きだ。ポケモン同士のダメージの与え合いこそあっても、相手のトレーナーに傷をつけることなど潔しとしないスズナも、線は引いている。

 

「ジュピター、どうだ?

 お前の嫌う偽善者だぞ」

「……スカタンク、やるわよ。

 調子に乗った正義の味方とやら、完膚なきまでに叩き潰しましょう」

 

 ドータクンをボールに戻したジュピターを、サターンは彼女に最も効く言葉で煽っていた。

 継戦を迷いかけていたジュピターも、これを言われては引き下がれない。掌の上で転がされているとわかっていても構わない。

 彼女が放り投げたボールから飛び出したスカタンクは、出てくると同時に喉奥に頬張っていたオボンの実を、がりっとかじって呑み込んでいる。

 ここに至る前、ダイヤのポケモン達との戦いで消耗した体力を回復させるためだ。

 たった一匹でダイヤのポケモン達を軒並み叩きのめしたスカタンクだが、やはり無傷とはいかなかったという話である。

 

「スズナさん……!」

「ええ、わかってるわ。

 あいつ、火炎放射の使い手よね」

 

 出てくるや否や、オボンの実での体力回復を計るほど、既にある程度の消耗を抱えているスカタンクには違いない。

 それでも、ユキノオーがとりわけ苦手とする炎技の使い手だ。パールが心配するのも当然である。

 だが、スズナもあのスカタンクがそんな個体であることはわかっている。ハクタイビルでジュピターと交戦した親友から、その程度の話は聞き及んでいる。

 あのスカタンクが、その親友を炎で狙い撃ったことも含めてだ。

 

「ひかりのかべ!」

 

「……あたしは一人で戦ってるわけじゃない。

 ポケモン達という仲間だけじゃない、あなた達も一緒にいるんだから」

「スズナさん……」

 

 望外には違いない。

 ピッピに光の壁を指示し、ユキノオーが苦手とする炎のダメージを、少しでも緩和させようとしてくれるプラチナ。

 そして、力及びもしないひよっこの時から既に、ナタネと共に悪へと挑むことを決意して突き進んだ、正義感溢れるパール。

 自分や、自分のポケモン達の力だけで、サターンとジュピターを相手取るこの厳しい戦いを、勝利で飾れる自信はスズナも得難いものがある。

 そんな不安を補ってくれる味方がいることに、勇気を貰っているのだと宣言して笑うスズナに、パールも応えねばならぬ想いが強く湧く。

 

 はじめから強く意識していたことだ。負けられぬ戦い。

 目まぐるしい戦いの中を経る中で、その時ごとの指示や状況判断により、思考に遮られてじわじわと薄められる、心の奥から沸き立つ感情というものがある。

 スズナの言葉は、パールやプラチナの、そして彼女と彼が共に駆けるポケモン達に、原初の感情を蘇らせてくれるものだ。

 

「……ニルル! 頑張ろうね!

 絶対、ぜったい負けられない戦いなんだから!」

「――――z!」

「頼もしいわ……!

 よろしくね、ナタネの一番弟子みたいな子!」

 

「ジュピター、気を引き締め直せよ。

 よもやこいつら相手に、遅れを取ることなどあるまいな?」

「当然よ……!

 スカタンク! 世間知らずどもを八つ裂きにするわよ!」

 

 スズナも、サターンも、ジュピターまでもが切り札を繰り出した、恐らくパールがこれまでに居合わせた全ての世界の中でも、最高峰にあたる勝負の世界。

 たかだかジムバッジを7つ手にしたばかりの、トップトレーナーと呼ばれる前夜の少女には、参じるにも荷が勝ち過ぎる死闘の世界である。

 既に一度は頂点を極めたと評するに値する者達が、信念を懸けて全力でぶつかり合う世界に身を投じるには、未だパールはその境地には達していない。

 プラチナもそうだ。彼はパールより賢しいぶん、いっそうそれを感じているはず。

 

 それでも、誰も退けないのだ。パールも、プラチナも。

 負けられないと口にしたパール。ニルルに対してではなく、自分に言い聞かせるように。プラチナにさえ、そう聞こえた。

 逃げないならば、戦え。それしかないのだ。勝利はその先にしかない。 

 

 自分達では役不足なこの戦いの中、勝利のために何を為すべきか。

 真なる意味でそんな世界の渦中に身を置く、あるいは自ら身を置くことを選んだ少女と少年に、命運はそれを問うている。

 パールとプラチナが、かつてない苦闘の中、培ってきたものが信念を貫くに値するものかどうかを問われる。ここに続く死闘とはそんな戦いだ。



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第106話  VSスカタンク

 

「仕方あるまい。

 行け、ドクロッグ」

 

 懐を指先で、こつこつと三度叩く仕草を見せたサターンの声に応じ、ドクロッグがユキノオーに勢いよく迫った。

 胸元のトランシーバーを三度叩いたサターンは、マーズに急げと命じている。

 苦戦しているであろう彼女を急かし、精神的に追い込むことは得策でないが、これ以上長引くとそろそろまずい。

 サターンらの支援を受けられず長い下っ端団員達の限界も近かろうし、何よりこの戦況そのものも、楽観視できるものでないのが実状だ。

 

「スカタンク! 狙いはユキノオーよ!」

「だくりゅう! いっけえっ!!」

 

 鋭い毒針を突き刺す"どくづき"でユキノオーが後ずさる姿へ、ジュピターのスカタンクが追い討ちの火炎放射を放つ。

 ユキノオーにとっては絶大な効果を持つ弱点だ。それを補う、パールによるニルルへの指示。

 泥を含む多量の水を吐き出したニルルが、スカタンクの吐き出した業火にぶつけ、炎をユキノオーまで届かせない。

 寒冷地にて蒸発した水が霧のように一気に広がり、結晶を含む煌めきを放ちながら美しくも視界を悪くする。

 

「よし、ピッピ!

 君のいたずらごころ、見せてやろう!」

 

 偶発的ながら両トレーナーから戦況を少しでも見極めにくくなった矢先、プラチナが発した指示はピッピを張り切らせる。

 すでに味方を有利に戦わせるための"おまじない"を済ませていたピッピだ。

 仲間をサポートする技に秀でるプラチナのピッピだが、それだけで終わらせるものかと、ひっそりと別の技を発動させ始めた。

 

「小さくなったぞ。見失うなよ」

「わかってるわよ……!

 小兵に見えて、ああいう奴って見くびると本当厄介なのよね!」

 

「ぶっ潰せ!」

 

 "ちいさくなる"ことで敵の目から免れやすくなったピッピを、サターンもジュピターも見逃していない。

 スズナの指示に応じて豪快な"ゆきなだれ"を放つユキノオー、それに狙われたドクロッグへの指示よりも優先するのだから、念を押す価値があるのだろう。

 ドクロッグはと言えば指示など無くても勝手に退がり、回避こそ出来ず生き埋めにされたが、余波の弱い場所まで免れて最小限のダメージに抑える。

 それでも雪の中から飛び出してきたドクロッグは、ぺっと苦々しい顔で唾のように毒液を吐くのだから、それなりに痛かったことは間違いなさそうだ。

 

「ニルル! ドクロッグに泥爆弾!」

 

「賢いな、部下に欲しいぐらいだ」

「スカタンク、狙いはあんたよ!」

 

 しれっとドクロッグとスカタンクを直線状に捉えられる位置へと滑り込んでいたニルルに、パールも騙し言葉一つ含めて指示を出す。理解し合えている。

 流石に歴戦の猛者相手は騙せなかった。躱すドクロッグ、躱された泥爆弾はスカタンクへと飛んでいき、スカタンクとて横っ跳びに躱す。

 弱点の少ないスカタンクにとって、その数少ない弱点を突く地面タイプの技だ。こちらの警戒心も強い。

 

「撃て!!」

 

 プラチナも、小さくなって岩陰に隠れているピッピの位置を知りながら、敢えてそこに目を向けずスカタンクを真っ直ぐ見据えての指示だ。

 自分の目の動きでピッピの位置を悟らせることを避けつつ、狙いはそこだと目線で示して。

 たった二文字の短い指示で、スカタンクへと10万ボルトを撃てという意図を理解したピッピの電撃が、泥爆弾を躱した直後のスカタンクを狙撃する。

 

「ちいっ……!

 羨ましいほど才能に溢れた子だわ、バトルの才能にばかりね……!」

「まずい!

 ピッピ、退がって!」

「ベノムショックよ!」

 

 博識のプラチナですら初めて聞く技の名前、熟練トレーナーのスズナでさえ、一度は聞いたことがあるような気がするが、どんな技かすぐに思い出せない。

 それでも悪い予感を得たプラチナが叫ぶ中、スカタンクは空を向いて、ぶばっと紫色の液体を大量に吐き出した。

 すぼめた口から勢いよく吐き出されたそれは、紫色の霧状となって拡散して周囲に降りかかる。

 慌ててスカタンクから距離を稼ごうとしたピッピだが、降り注ぐ紫の霧からは逃れられず、浴びれば肌を焼く酸のような痛みに足がもつれている。

 

「ピッピ……!」

「そこね!

 焼き払いなさい!」

 

「にっ、ニルル……」

「ユキノオー!!」

 

 普段よりも小柄なピッピへの火炎放射を指示されたスカタンクへ、パールより早くスズナがピッピを守る指示を発する。

 名を強く呼ばれただけで全てを理解したユキノオーによる"れいとうビーム"は、最速の攻撃手段としてスカタンクへ迫っている。

 受ければ只で済む威力ではあるまい。やむなく火炎放射を取り止めて跳び、回避に徹するスカタンク。遠い場所からの狙撃は、わかっていれば躱しやすい。

 指示一つ出されぬままにして、今の狙い目はユキノオーだと判断したドクロッグは、既にユキノオーの側面から迫っている。

 

「ニルルあっち! どろばくだ……」

「――――z!」

 

「だろうな」

 

 パールもすぐに思考を切り替え、ニルルにドクロッグを狙い撃つよう指示を切り替える。

 方向を示されるや否や、振り返りざま最速で泥爆弾を撃つニルルの行動は、パールの判断とニルルの対応速度の合わせ技というところ。

 だが、サターンもドクロッグもそう来るであろうこと、それが出来るパール達だと、はなから見抜いていたかのような態度と行動だ。

 ユキノオーを守っていた"ひかりのかべ"を毒針付きの拳でぶん殴り、深追いせずに後退したドクロッグに泥爆弾は当たらない。

 

「さて」

「焼き尽くせ!」

「ピッピ、頑張って! なんとか、どうにかして……!」

 

 サターンのドクロッグによる"かわらわり"で、光の壁が砕かれたユキノオーへ、ジュピターはすかさずスカタンクに火炎放射を撃つことを命じた。

 光の壁の張り直しは間に合うか。小さな体ゆえ普段以上に、全身くまなく毒液を浴びせられて悶えうずくまるピッピには酷な指示。

 懇願するように声を絞り出したプラチナに、ピッピも全身の激痛に耐え、ユキノオーを指差して力を投じている。

 

「あっ、ああっ……!」

「ユキノオー! 負けるな!

 全力全開よ!!」

 

「ッ、ッ……、――――――z!!」

 

 "ひかりのかべ"は間に合ったのだろうか。スカタンクの吐く火炎放射に全身を包まれるユキノオーの姿から、それは判別し難くさえある。

 頼れるスズナの切り札の窮地にパールが動揺する中、スズナは心も体も一歩も退かぬ勢いで強い声を発するのみ。

 その声により、炎に全身を包まれた中でも目を光らせたユキノオーは、冷たい体の内で冷めやらぬ闘志を燃やし、その両腕を振り上げる。

 

 あられが降り注ぐ中での"ふぶき"は、ドクロッグとスカタンクに纏めて襲い掛かるものであり、それを受けたスカタンクが火を吐けなくなって吹き飛ばされる。

 パールとプラチナもその激しい吹雪の余波に両腕で顔を覆い、凄まじい冷気に肌が痛く感じるほどの極寒冷気だ。

 そんな吹雪がようやく晴れた中、身纏いの霜が溶け、体毛が焦げたユキノオーは、まるで無傷であるかのように堂々と胸を張って立っている。

 "ひかりのかべ"はそこにあった。だが、それにしてもその貫禄ある姿は、確たるダメージを受けてなお屈さぬ王者の風格の如く雄々しきもの。

 

「く……!

 スカタンク、まだ戦える!?」

「ッ…………!」

「いいわ、その調子!

 あんたの頼もしいところよ!」

 

「それだけトレーナーとしては見上げたものなのに、どうしてろくでもないことにばかり力を費やすのかしらねぇ……!」

 

 吹雪を受けたスカタンクへのダメージは大きい。一度は地面に腹をつけて、倒れたにも等しい姿勢だったほどだ。

 そもそもスカタンクは、ここに至る前にダイヤとのバトルで、ダイヤのポケモン達を軒並み打ち倒している。

 複数の相手をたった一匹でなぎ倒した実力は特筆ものだが、その戦いの中で負ったダメージや疲労も決して小さくはない。

 流石にスカタンクも限界が近いのだ。それでもジュピターの声に応えて、立ち上がる姿には不屈の精神さえ感じさせる。

 

 スズナだってわかっている。

 自分達との戦いの前から疲労を溜め、その上でここまで戦い抜いているスカタンク。きっと、ドータクンだって同様に疲れていたはず。

 それでも高威力の吹雪を耐えきって、まだ戦おうとするスカタンクの強さは疑いようもない。本当に、本当に強いポケモンだ。

 そんなスカタンクを育て上げたジュピターなのだ。こんな形で敵対する相手でなければ、敬意すら払えるトップトレーナーには違いないはずなのに。

 やりきれなさ混じりの怒声を発するスズナの感情は、そばでその声を聞くパールに、スズナへ振り返らせさえする。

 

「あははっ、正義のジムリーダー様の世間知らずな所が出たわ!

 あたし達があたし達の力をどのように振るおうが勝手でしょ!」

「余所の地方を回ってジムバッジを集めていたんですってね……!

 さっきの技はその中でスカタンクに覚えさせた技でしょう?

 シンオウ地方のスカタンクが見せた例なんて一度もないものね!」

「ええ、習得させるには苦労もしたけどね。

 あたしのスカタンクってば優秀でしょ?

 あたしの言うことなら何でも聞いてくれる、そして応える地力がある。

 こんな強いパートナーにあたしが恵まれたということは、天意もまたあたし達の味方をしてくれてると思えない? 薄っぺらい正義を振りかざすお子様達?」

「……悪党ぶっても、自分のポケモンは大好きなのね。

 どうしてそれで、あたし達とわかり合えないのか不思議で仕方ないわ」

 

 スズナが言葉を発すれば、応じる形で煽る言葉を返すジュピターは、これ幸いとばかりに口が回る。

 しかし、スズナは返す言葉も強い。皮肉だって含む。優しい性分が勝ってしまうナタネとは違うのだ。

 

 腹立たしい目でジュピターを睨みつけながらもスズナは、積もった雪から顔を出したドクロッグを見て、こいつこそ厄介だと見定める洞察眼も怠らない。

 広範囲攻撃で逃げ場の無い吹雪から、雪なだれによって出来た積雪に自ら潜り込む形で、冷気の風圧から身を逃がす知恵がある。

 雪の中に自ら潜り込んで身体が、ここからの戦いにまったく無関係とはいかぬほど冷えたことは確かだろうが、それでもダメージを最小限に抑えているのだ。

 スカタンクは難敵だ。だが、それ以上にあれは。その認識も失ってはいない。

 

「あははは、わかり合えるものですか!

 その培ってきた圧倒的な力を、付き合うのも馬鹿らしく感じるような綺麗事に尽くさんとするジムリーダー!

 あたしに一度怖い目に遭わされながら、また立ち向かってくる世間知らずのクソガキ!

 それに加えて、これだけトレーナーとしての才覚に恵まれながら、学者を目指そうなんて考えてる世間知らずの子供!

 相容れるわけがないわ!」

「っ……!」

 

 ぶわ、とプラチナの体温が上がるような煽り言葉だ。

 ジュピターも賢しいもので、自分の煽りに対等に渡り合う言い返しが出来そうなスズナと争うより、煽る矛先を未熟な子供達に切り替える。

 口喧嘩で絶対に負けない相手だ。言いたいこと言いたい放題の悪、高潔な思想を論駁しようとすれば言葉に制限のかかる正義の側。

 屑と正義の言い争いなど、失うもの無しの悪が絶対的に有利なものだとジュピターは知った上で、煽る相手を未熟な子供に変えている。

 

「プラッチ……!」

「……悪の組織って、つまらないことをいちいち調べてるんだね」

 

「あははは、その程度の返ししか出来ないのね!

 誰にも支持して貰えない、学者の夢! 肉親にさえ!

 だってあなた、トレーナーとしての大成を目指した方がよほど有望だもんね!

 みんな周りはわかってるわ! 愚かな夢だとみんな思ってる!」

 

「……ユキノオー」

「スカタンク、頑張って?

 火炎放射よ」

 

 プラチナの事情を知らぬスズナでも、ジュピターがプラチナの何かを知り、いじめていることだけはわかる。

 戦いを強引に再開させる指示を発するスズナに応え、ユキノオーはスカタンクに冷凍ビームを撃つが、スカタンクの火炎放射がそれを相殺する。

 

「っ、ニルル!」

 

 くい、と顎を動かしたサターンが、ドクロッグをユキノオーに差し向ける。

 名を呼ばれたニルルは、ドクロッグに泥爆弾を発射して、退かせる形で水を差させない。

 いっそ、当たれば大きなダメージなのに。パールもニルルも、すっと退いて無傷で泥爆弾を躱すドクロッグの脅威性を肌で感じつつある。

 声高のジュピターとその相棒たるスカタンクに視線や耳が集まるこの状況下でなお、ドクロッグの存在感は色褪せない。むしろ、静かなのに、強くすらある。

 

「自身の才能を見誤って、無駄な道に進む気持ちってどう?

 あなたとあたし、いつかわかり合えるかもしれないわよ?

 それとも夢破れてなお、子供っぽい理屈を貫いて、お前とは違うんだって唱え続ける?

 それこそ泥沼よ?」

 

「っ……うるさ……」

「うるさい!! 誰にもじゃない!

 私が信じてるし応援してる!!」

 

 きっと、傍目が思う以上にプラチナには心乱されるジュピターの言葉だったはずだ。

 学者になりたい夢。親にも反対された夢。

 それでも突き進んできた道なれど、それで大成できなかったらどうしよう。

 挫折し、夢潰えた時、費やしてきた努力や時間はすべて無駄になるのではないか。夢を追う者が誰しも不安に駆られる、最も恐ろしい結末だ。

 奇しくもジュピターの過去を聞いて間もないプラチナだけに、元からあったその不安がいっそう身近にも感じられるそれ。

 賢いはずの彼をして、うるさい黙れ、という乱暴な言葉でしか咄嗟に対抗できぬほどには、当人が思う以上に心かき乱されるつぼを突かれていたはずだ。

 

「パール……」

「私はずーっとプラッチの味方だよ! プラッチのやりたいこと、全部応援する!

 バカな私のやること、怒りながらでもずっと支えてきてくれたプラッチだもん!

 つらくなっても絶対、ぜったい私が立たせる! 諦めさせない!

 立派な学者さんになるまで、私がずうっと支えてみせる!」

 

「あははは! バカはどこまでいってもバカよね!

 あんたの非力な腕で、あんたよりずっと賢い子の夢をどれだけ支えられるの!

 どうせ道を間違えてる方向に引っ張るだけよ!」

「っ……!」

 

 ジュピターの姦言は徹底的だ。

 我慢ならず横入り気味に入ってきたパールにも、彼女が最も弱る言葉を的確に選んでいる。

 未熟さ、劣等感、それを痛烈に突く。それだけでいい。

 痛がるプラチナを守るために言葉を紡ぐパールが、彼を敬い、見上げていることを見受ければ、突くべき弱みはそこだとジュピターも確信できる。

 

「二人一緒なら夢だって叶えられるとでも? 馬鹿が考えそうなことだわ!

 結局そんな理想論って、お馬鹿さんが足を引っ張って共倒れになるのよ!

 どうせ今だって、あんたのわがままでその子まで巻き込んだんでしょ?」

「うぐぐぐ……!」

「よくその口で言えたものね!

 あんたがオトモダチの夢を支えるなんて、とんだ夢見がち……」

 

「っ、っ……うるさぁーーーーーーーーーーいっ!!!!!」

 

 おやおやびっくり、スズナもプラチナもジュピターも。サターンですら少しびっくり。

 全力で大きな声を出せば、あのうるさいダイヤにも勝てるほどの大声を出せるパールだ。

 怒鳴り声一つで、一瞬の沈黙世界を作れるのは強みかもしれない。発する言葉は稚拙だが、案外馬鹿にできたものでもない。

 

「わっ、悪者のイジワルに言われたぐらいで諦められるかーっ!

 やめろって言われてやめちゃうほど、私だって軽い気持ちで応援してないんだっ!

 プラッチに手伝ってって言われたら何でもするし、あなたみたいなひどい人がプラッチいじめるなら絶対ぶっ飛ばしてやるっ!

 邪魔なんてしない! 絶対、プラッチのこと全力で支えてみせる!」

「……話が通じないわ、この子」

「通じるかーっ! あなたのことはもうわかってるんだぞっ!

 意地悪なこと言って、私達を困らせて、都合よく勝てればそれでいいんだっ!

 ワルモノめっ!」

 

「ぷっ、くくくっ……」

 

 スズナは思わず吹き出してしまった。

 めちゃくちゃなことを勝手に口走りまくるパールだが、主張の芯は正しいところを突いている。

 心乱さんとする言葉で煽ってくる奴の言うことなど無視するが最善、要するにスルーが一番。

 誰でも知っていること。それでいて、言われて嫌なことを的確に言われてしまうと難しいこと。まして、子供にはかなり難しいことのはずだ。

 痛い所を突かれたのに、この結論に辿り着けたパールの姿は、挑発に乗りかけていたスズナには自嘲の想いすら湧く。

 

「困ったな、ジュピター」

「あたしが思った以上に単細胞で脳足らずの子だったみたいね。

 皮肉や煽り抜きで、あんな子に付き纏われるなんて、男の子の方も苦労が絶えないでしょうねって同情するわ」

「うるさいっ! 聞こえないっ!

 ワルモノでウソツキでひどい大人っ! あなたの言うことなんて聞くかーっ!」

 

 煽り抜きなんて言っているが煽っている。ちゃんとパールが不安になりそうな言葉を選んでいる。

 でも、もう効かない。ふしゃーと鳴きまくるパールの耳は、もうジュピターの言葉は真に受けるに値しないものだと完全認定している。

 サターンが仮面の下でちょっと笑っているぐらいだ。ジュピターの十八番が、あんな一番頭の弱そうな子に破綻させられるとは、と。

 むしろジュピターが身内に対し、なに笑ってるのよと少し頭にきているぐらいである。

 

「プラッチー! なんか頼りないぞっ!

 もっとがんばれー!」

「……なんかもう、パールに説教されてちゃ僕もおしまいな気がするなぁ」

「なんだと!」

 

「はいはい、そこまで!!」

 

 ニルルがなんだか得意気に、"いばる"素振りでふへっと笑ってジュピターを煽っている。この子もこの子で優勢を見ればしたたかなもので。

 どうだうちのご主人、頼りないとこもあるけど今日はお前にとって厄介だろ、というその顔、ジュピターの癇に障る。

 この流れは断ちたくない。したたかなのはスズナもそう。

 手を叩いて大きな音を立て、大きな声で、苦笑気味のプラチナと壊れたオモチャ化しているパールを、戦いに集中するようタクトを操る。

 

「迷いが晴れたんならしっかり頼むわよ!

 絶対あいつら、叩きのめして警察に突き出すんだから!」

「はいっ! 絶対負けません!」

「うん、吹っ切れた……!

 余計なこと考えるのはやめにします!」

 

「サターン……!」

「応答はあった。あと少しだ。

 粘りきるぞ。私もそれなりの立ち振る舞いをしよう」

 

 精神的に持ち直してしまった相手を前に、ジュピターが気にしているのは、ミッションに挑んでいるマーズの現況だ。

 トランシーバー越しの言葉による返事は、サターンの手元に返ってきていない。それだけ余裕が無いのだろう。

 それでもあと少しという明確な返答はあった。マーズもトランシーバーを叩いて、そうした返答は逐一返している。

 

 サターンはその実、余裕のない状況だとわかっている。

 ジュピターのスカタンクは連戦の末にかなり消耗している。スカタンクを倒されればジュピターの手元にはゴルバットしいない。

 スズナのポケモンには相性が悪すぎて、最後の一匹ながらあてにならない。

 サターンもまた、ドクロッグの後にはユンゲラーしかいないのだ。

 自分のドクロッグが倒される心配はしていないが、流石にジュピターが戦えなくなり、1対3の構図では楽観的な見方は出来なくなる。

 スカタンクが戦えるうちにマーズが任務を果たしてくれないと、いよいよ風向きが悪くなるという実状は否定しようがない。

 

「ドクロッグ、もう少し積極的に戦って貰うぞ。

 多少の怪我は我慢して貰うからな」

「――――♪」

 

 待ってましたとばかりにドクロッグは喉を鳴らした。

 時間稼ぎが目的であるこの戦い、積極的に勝負を決めにいくべき場面ではないと、ドクロッグはサターンの意を汲んで従ってきた。

 だが、もう我慢する必要はないようだ。暴れていい。

 我が身のリスクが高まると同時、腕の見せ所だと燃えるドクロッグの眼差しは、スズナ達に強い緊張感を持たせるには充分なものがある。

 

 スカタンクは難敵だ。だが、底を見せていないこのドクロッグの怖さはその上だ。

 スズナと、プラチナと、パールの共通認識。

 形の上ではこちらの頭数が多い戦況でも、この優位さえ覆されるのではという危惧を抱かせる気迫めいたものを感じさせてくる強者である。

 

「ニルル、頑張ろうね……!

 きっと、あなたが切り札だよ!」

「――――z!」

 

 ドクロッグとスカタンクの弱点を突ける地面タイプのポケモン、トリトドン。

 この勝負の鍵はそこにあり、すなわちそのトレーナーの自分が重要な役割にあることを、パールは正しく認識している。

 嫌な意味で心臓がばくばく鳴る。プレッシャーを感じもする。

 パールの正念場だ。啖呵を切ってみせた己の熱が逃げないよう、パールはぱちんと両手で自分の顔を叩いて気合を入れ直していた。

 絶対に勝ちたい。悪者達の想い通りの結末なんて嫌。そこにあったのはただただ純真なその想いだ。



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第107話  VSドクロッグ

 

「ニルルあっち! 撃って!」

 

 ダブルバトルに慣れていないパールでも、展開が一変したことはすぐにわかった。

 果敢な勢いでユキノオーの方へと突っ込んでいったドクロッグが、仕留める意識の強いいっそう前のめりな"どくづき"を連続で放っている。

 ユキノオーとて初撃こそ躱し、"かわらわり"めいた腕の一振りを返してはいる。巨躯にして接近戦の身のこなしは良く、流石にジムリーダーの切り札か。

 それを躱しきることをせず、身を捻りながら腕で受け流すドクロッグは、多少のダメージは覚悟の上で、続けざまの一撃を食らわせることを狙う構え。

 続けて放たれる毒突きが、ユキノオーの胸元に突き刺さり、表情を歪めるユキノオーに大きなダメージが入ったことは明白。効果は抜群なのだ。

 

 スズナの頼もしいユキノオーとて、猛攻の姿勢を見せるあれとの一騎打ちをさせては分が悪い。

 パールでさえそう感じて"どろばくだん"の矛先をドクロッグに向けさせる。

 何が問題かって、あれだけユキノオーと間近に戦っていながら、ドクロッグはまるでその狙撃を予知していたかのように跳躍して躱してしまう。

 それも退がるのではなく、ユキノオーを飛び越えてその後方少し離れた場所へ着地する、前進退避の機敏な戦いぶりだ。

 

「スカタンク!」

「ニルル頑張って! 間に合わせてえっ!」

「――――z!!」

 

 ユキノオーに火炎放射を放つスカタンクに、ニルルはその炎を遮るように"だくりゅう"を放つ。

 忙しい戦いぶりだ。ユキノオーを守るという目的のためとはいえ、ドクロッグへの攻撃、スカタンクの攻撃の遮り。

 敵二人の戦況で、一人であれもこれもというのは大変だ。果たせているニルルの基礎能力は相当に高い。

 パールの指示についていくだけで、これを果たすことは出来まい。自分でも、次の行動を考えていて、言われて即座に反応できる知性があるゆえだ。

 

「ドクロッグ、柔軟にな」

「――――♪」

 

「!?

 ニルルっ、来るよ!?」

 

 むしろ、自己判断含みの行動に続けては、パールの声に応えられないほどだ。

 ドクロッグが突き進んできた対象はニルル。ユキノオーを迫撃していた直後、矛先を唐突なほど切り替えての接近攻撃に、ニルルも万全には迎え撃てない。

 曲刀じみてさえいるその両手の毒針を振り下ろす、"シザークロス"の一撃を真正面から受ける形となったニルルのダメージは小さくないだろう。

 得意の"どくづき"でなく、地面タイプを含むトリトドン相手にその技を選ぶドクロッグの賢さも、静かに光る一幕だ。

 

「今よ! 狙い撃ち!」

 

 スズナの声だ。

 プラチナが敢えての無言でドクロッグを指差す手の動きで示す指示。それに応じてピッピもドクロッグに"10まんボルト"を撃っている。

 果敢にニルルの懐へ飛び込んでおきながら、あっさりと後退する動きのドクロッグは、電気の効かないニルルを巻き込む電撃も躱しきっている。

 それも含めて、スズナは今よと言っている。応えたユキノオーによる"れいとうビーム"の狙撃。

 10万ボルトを躱した直後のドクロッグに、それを凌ぐ余裕は無い。

 それでも右手を構えてそれを受け切ってから身を逃し、右腕全部を凍らされる結果ながら、全身を凍りつかされる結末を免れている。

 痛くないはずはない。だが、ダメージは最小限。

 

「仕留めるわよ! スカタンク!」

 

「うえぇ!? にっ、ニルルっ……!」

 

 スカタンクによる、ニルル狙いの"あくのはどう"だ。

 ふっくらとしたお腹で地面を叩くような仕草と共に、全方位へ暗い色の波動を放つスカタンク。狙ったニルルの方へと走る波動のみ、とりわけ暗さが濃い。

 受けたニルルが、えずくようにげはっと息を吐く。悪意に満ちた波動は、受けた者を体の奥まで浸透し、身体を内から捩じるような苦しみを与えるのだ。

 

「まずいな……!

 頑張れニルル、ここが勝負所なんだ……!」

 

 ニルルにやや強いエールを送っているのはプラチナだ。

 悪の波動は厄介なもので、余波でも微弱なダメージで以って、物陰に隠れていた小さなピッピも軽く怯ませている。

 隠れて"つきのひかり"で立て直しているところに少し辛い邪魔だ。白い月が日中の空に浮かんでいるものの、回復量も大きくはない。

 それでもプラチナはピッピをバトルフィールドに残している。重要な役割を果たせる相棒だと信じているからだ。

 

「そんなものじゃないだろう?」

「――――♪」

 

「あいつ、っ……!」

「ニルル撃って! ドクロッグ!」

 

 サターンの言葉は、戦う相手を煽るものではない。相棒ドクロッグに自信を持たせる、信頼しているぞという一言である。

 勿論だ、とほくそ笑んで見せるドクロッグは、片手が凍ったままにしてユキノオーへと一直線。

 凍った方の手で振り下ろす一撃で、こっそりピッピが味方全員に改めて張っていた"ひかりのかべ"を粉砕する。"かわらわり"の一撃だ。

 それで以って自身の手を蝕んでいた氷を砕くのだから、頑丈な敵の守りさえ自分が立て直すための道具に利用する悪賢さがある。

 

「焼き尽くせ!」

「全力全開よ! 狙いはスカタンク!」

 

 ニルルが放った"どろばくだん"を、ドクロッグは後退して危なげなく回避。

 ニルルは賢い。ドクロッグが瓦割りで光の壁を叩き割った立ち位置を、先んじて狙い撃っていたはずなのに。それでも躱されるのだ。

 しかしドクロッグからの追撃を免れたユキノオーには、新たな選択肢も生まれている。

 地面を掬い上げるような腕の振りから発する"ゆきなだれ"の狙いはスカタンクだ。

 強力な火炎放射も、津波のような雪に阻まれてユキノオーには届かない。流石スズナの切り札ポケモンの大技、生半可な炎技にさえ対抗し得る豪快さだ。

 距離があったため駆けるスカタンクには躱されたが、防御は果たせた。ドクロッグはといえば、その余波から逃れるためにまた雪に飛び込み潜って凌いでいる。

 そんなドクロッグがどこに潜ったかをちゃんと見ていたニルルが、ぷはと雪から顔を出したそいつに泥爆弾を撃つが、それさえドクロッグは跳んで躱している。

 

「どうしようプラッチ……!?

 あいつほんとにやばいよ……!」

「悪い流れだよね……!

 それを作ってるのは間違いなくあのドクロッグだよ……!」

 

 ドクロッグが積極的な攻撃役に回り、スカタンクが相手から距離を取っての遠距離射撃に徹している。

 息を荒げているスカタンクが弱っているのは確かで、余力のあるドクロッグが接近戦を担うのは理に叶っているのだろう。

 そのぶん、ドクロッグにはリスクが集まるはずなのだ。しかし現実はどうか。

 この短時間の攻防とて、こちらにじわじわとダメージが溜まる一方、相手にダメージは殆ど入っていない。

 冷凍ビームは確かに当たった。だがそれだけだ。それ以外にも何発技を放った? 明らかに与えるダメージの期待値に追い付いていない。

 

 これまでパールが直面してきた強敵は、強い技を受けても倒れないタフさを持ち、これは難敵だとパールに強く感じさせてきたものだ。

 確かにそれこそ、華のある強さである。あのドクロッグは違う。

 そもそもこちらの攻撃がろくに当たっていない。いなして、躱して、凌いで、小さなダメージで立ち回り、そのタフネスの底を見せる気配もない。

 どれだけ攻めればあれを倒せる? もはや戦慄すら感じる域。なんとか冷凍ビームで腕を凍らせても、それを解消する不屈の継戦能力さえ匂わせる。

 凶暴さや悪辣さを滲み出す鋭い目つきにも肝が冷やされる、戦闘モードに入ったドクロッグの形相だが、パールの言う"やばい"は"怖い"の意さえ含んでいる。

 本気を出したマキシのポケモン達を、あのドクロッグがたった一匹ですべて撃破したという、未だ信じられないような話も今なら信じられるというものだ。

 

「弱い!!

 それでもあたしに勝ったトレーナーなの!?」

「ひゎ……!?」

「あなた達の正義の心を見せなさい!

 だらしない大人達に翻弄されるほど、あなた達の想いは小さなもの!?

 強い相手に勝ってきた、あなた達の強さを信じなさいよ!!」

「――――――z!!」

 

「ドクロッグ! 賢明にな!」

「凌げるわね!? スカタンク!」

 

 敵の怖さに腰が引けていたパールとプラチナに活を入れるのは、スズナと、その声に強い共感を得たユキノオーだ。

 あられが降り注ぐこの世界、激しい吹雪を敵勢に向けて放つユキノオーの攻撃は、二人の目の前を大粒の雪が敵に牙を剥く嵐の様相を呈す。

 あまりに激しい吹雪で目の前がいっぱいになる二人の目に、雪に潜るドクロッグと火を吐き吹雪を凌ぐスカタンクの姿は映らない。

 大技を凌ぐ敵の姿さえ吹雪に隠してしまうユキノオーの姿は、パールとプラチナに、敵より味方の方が怖いことを、言い換えれば頼もしいことを思い返させる。

 

「薄汚れた大人達よ! あなた達はそんな奴らに負けちゃいけない!

 そういう想いでここまで来たんでしょう! 背筋を伸ばしなさい!」

「はっ、口だけ達者ねジムリーダーさん!

 大口叩いてあたし達に屈した時の言い訳は用意できてるのかしら!」

 

 子供達は純真だ。頼れる誰かの頼もしい言葉を聞けば、それだけで持ち直せてしまえる時も多い。

 スズナのそれを容易に叶えさせまいと口を回すのがジュピターだ。

 現にプラチナが、声無き手振りでピッピに指示し、味方に再び"ひかりのかべ"を纏わせる姿があるではないか。呑まれかけていたところを持ち直している。

 ジュピターがユキノオーを指差し暗喩した、スカタンクによる"かえんほうしゃ"が、氷が大弱点のユキノオーに直撃するも威力を半減させられている。

 

「ちっ……やはり聡いな、あのトリトドンめ」

 

「負けてられないのよ! 己の悪を自ら肯定する腐った大人なんかに!

 あたしも、あたしのユキノオーも、そんな奴らを前に膝を着いたりしない!」

「あははは、あんたも大人でしょうが!

 汚い現実、一つも知らない世間知らずを演じようってわけ!?

 強い言葉であたし達を罵るあんたこそ、あたし達と同じ穴の狢だわ!」

 

 多少は持ち直したパールとて、この苦境を打破する的確な指示など閃けず、苦悩する局面だ。

 そんな中でニルルが、ドクロッグに向けて連続で泥爆弾を撃っている。ドクロッグとてこれは受けられない。わかりやすく弱点だ。

 回避に徹するドクロッグを強いるニルルの自己判断をサターンが評価する中、ユキノオーはスズナの言葉に隠された真意、"ギガドレイン"を行使している。

 弱ったスカタンクをさらに弱らせる。ダメージも回復量も小さい。その生き汚さに、不屈の精神が確かに現れている。

 

「大人がみんなあんたみたいな奴じゃないってのよ!

 そうやって悪しきに身を置く自分を正当化するあんたのことを、あたしは腐った大人って言ってるのよ!

 一緒にしないで頂戴!」

「あははは! 言うに事欠いてそれかしら!

 世の中こんなもんよ! 多かれ少なかれ大人なんてのはこんなもの!

 汚い世の中に罵声を浴びせずいられないあんたと同じ!

 そんな大人に支配された世界で子供達は黙って敗者であり続けるしかない!

 この世界を仕切るのは、誰がなんと言おうがあたしたち汚れた大人達よ!」

 

 飛び交う言葉は、理想論と現実論だ。

 パールとプラチナの正義感を強く正当化したい本心のスズナと、そんなものは所詮絵空事だと踏みにじるジュピター。

 理想論は現実論に弱い。現実の方が身近だからだ。

 強い言葉を発するジュピターの本心が、スズナの言葉でパール達が勇気を得るのを阻むものだと明白であっても、子供達にさえその言葉は重い。

 

 火炎放射を放つスカタンクに、冷凍ビームを撃ち返すユキノオーだが、その衝突点から溢れる熱は明らかに、障害物を乗り越えてユキノオーを襲っている。

 熱に晒されて表情の歪むユキノオーの姿からも、その劣勢は明白だ。

 子供達には親を含め、全力で大人達に抗っても敵わなかった記憶がどうしてもある。反抗期の年齢になっても、大人が強敵である記憶は拭えない。

 負けたくないと強く想う傍ら、敵対する大人が頼れる味方を追い詰めるこの一幕は、パール達の心を追い詰めるには充分だ。

 

「パール! 今の、聞いたわね!? あいつの言葉!」

 

「……ジュピターめ、しくじったな。

 ドクロッグ、行け」

 

「!!

 ――――z!」

「ニルル!?」

 

 俯瞰的にこのやり取りを聞いていたサターンは、風向きの悪さを察せずにいられなかった。

 攻撃を急ぐ指示だ。ドクロッグに、ユキノオーを"どくづき"で仕留めろという、捨て身でもいいからそれを果たせという指示。

 それだけ、敵の切り札を急いで仕留めることが、それによる優勢の空気を確定付けることが、サターンには重要に感じられたということだ。

 

 雪の上を滑って駆けたニルルが、それだけはさせてたまるかとばかりに、ドクロッグとユキノオーの間に割って入ったのだ。

 これにはドクロッグとて予想外の行動に驚いたが、ならばと痛烈な毒突きをニルルに突き刺すまで。

 ユキノオーを庇う形でそれを受けたニルルには、ここまでにも多くの技を受けて積もったダメージも相まって、ほぼ致命的な一撃でさえあったはず。

 喉元を突かれて毒を流される、人に例えるなら首を刃で刺されて毒物を流されるにも匹敵する攻撃を無防備に受け、意識が飛びかけさえしたニルル。

 それでもぐいと顎を引いて、血走った眼で開いた口が、至近距離のドクロッグに泥爆弾を撃つ。

 それさえも、ドクロッグは大きな跳躍で退がる形で避けてしまうのだ。この至近距離での攻撃でも駄目。信じ難きほどの"きけんよち"能力だ。

 

「ジュピター!」

「ええ! もう知ったことではないわ!

 殺しなさい!」

 

 刺激しすぎたのだろう。悪に身を染めた者達を。

 ジュピターが指差したのはスズナであり、それはスカタンクに火炎放射を撃てという指示。

 振り返ったスズナの眼前遠くから迫るのは、彼女を火だるまにせんとする最低最悪のトレーナーアタックだった。

 

「ッ、ッ…………ッ、――――――z!!」

 

 さしものスズナも、背中を丸めて両腕で顔を覆い、されどここまでかと目をぎゅっと閉じた。

 ユキノオーが、スズナのそばに立ちはだかって手を広げ、全身でその火炎放射を防ごうとした姿を見ることも出来ず。

 それはそれで、ジュピターの思うつぼだったのだ。

 それを阻んだのは、もはや最後の力を振り絞った泥爆弾さえ躱され、今にも倒れる寸前だったニルルによる"だくりゅう"の放射である。

 何もせずとも三秒後には倒れていた中、決死の力をもう一度だけ搾り出し、ユキノオーを、いや、スズナを襲うはずだった炎を防いだのだ。

 悪意は阻まれた。防いだのは、死力を尽くしたトリトドンだ。

 

「ニルル、っ……!」

 

 力尽きたトリトドンが、頭を前に落とす仕草ではなく、濁流を吐き尽くした後に横倒れに崩れ落ちる姿。

 怪我をしない倒れ方を選べないほど、意識を失い崩れ落ちた姿だと、彼と長い付き合いになってきたパールにもよくわかる姿だ。

 ニルルをボールに戻す中、パールが胸がじくりと痛むほど、ニルルが最後の最後まで力を振り絞ってくれたことはよく伝わっている。

 

「……やってくれたな、ジュピター」

「認めるわよ、とんでもない失策だったわ……!

 ここまでやって結果が残せなかったなんて最悪よ……!」

 

「――――――――――――――――z!!!!!」

 

 トレーナーに対する攻撃は、手段を選ばぬ悪党にとってさえ最後の手段に近い。

 それは、スズナを狙い撃たれたユキノオーが目の色を変え、敵対する者の肌や大気さえ震わせる、凄まじい咆哮をあげたことからも明らかだ。

 大好きなトレーナーを殺されかけたポケモン達は、果たしてどのような感情に見舞われるのか。

 人であっても、最愛の家族、親や我が子を殺されかけようものなら、刺し違えてでも相手を殺してやるという激情や憎悪に心を満たされるものだ。

 スズナを殺そうとした敵だとサターンやジュピターを認識したユキノオーの咆哮は、降り注いでいたあられが粒を大きく多くするほど、世界を一変させている。

 シンオウ地方を離れた過去、メガシンカという概念を見て触れてきたジュピターとて、今のユキノオーの姿はそれさえ上回るほど恐ろしきものだ。

 

 ポケモン達は優しいのだ。どんな個体であってもだ。

 天候を変えてしまえるポケモン達も、音速を越える速さで飛翔できるポケモンも、強い毒素で人間如き一秒で殺せてしまうポケモン達も。

 この星で共存する人間たちを、その本気で以って襲い掛かることはしない。いくらでも殺せるのに。徒党を組めば絶滅させることさえ可能でも。

 絶対にこいつらだけは許さんと、リミッターをはずしたユキノオーの恐ろしさは、言うに及ばぬ境地であろう。

 サターンも、ジュピターも、生きるか死ぬかの舞台に引きずり上げられた。不要なリスク。トレーナーへのダイレクトアタックとはそういうことなのだ。

 ナタネにそれをされたとて、彼女が導きたがっている子供達に狂暴化した自らを見せまいと我慢しきったロズレイドのような、話のわかる個体は少なすぎる。

 

「……あなた達は、絶対にあんな大人にならないで欲しい。

 世の中そんなものだ、なんて言う大人、あたしは大っ嫌いなの」

「スズナさん……」

「口喧嘩に勝ちたいからって、世の中腐ってるって言い放つ奴なんて、そんな世の中であることを望んでいるようなものなの。

 そんな奴らに、そいつらをそう思わせた厳しい現実とやらを変える力なんて決して宿らないし、そいつらの心根はこの世界を腐らせていくだけ。

 嫌なことがいっぱいあるこの世の中を、少しでも良い世界に変えようとしたいなら、半端に清濁を謳って悪に身を浸すことを肯定しちゃいけないのよ……!」

 

 きっとそれも、若い思想というものなのだろう。

 それでも、間違いなく、正論の域を逸してなどいない。

 世の中そんなものさ、こんな世の中悪いもので満ち溢れているよ、なんて、たとえ一時の想いで言い放っていたとしたって。

 口喧嘩でそれを言い放つということは、今だけでもその現実を認められたいと望んでいることに他ならない。

 汚れた世界をたとえ一時でも、己の都合で肯定し、望む志になどに、その逆の世界を叶える力など決して根付かない。

 だから、世界はなかなか"これ以上は"良くならない。汚れたままの世界の方が"ときどき"都合がいいやと思う者達が、どうしようもなく絶えないから。

 掃き溜めの微かな鶴に身を預け、世の中捨てたものじゃないと必死でこの世界を肯定するしかない、本心に蓋をして生きざるを得ない大人が多いのも現実だ。

 

「……お願いよ、二人とも。

 あなた達の望み、信じる、美しい世界をネバーランドだと思わないで。

 夢の世界は、叶えられないかもしれない。でも、それを心から信じる人が絶えてしまったら、そこには楽園が失われていく結末しかないの。

 だからあたしは……ナタネは、あなた達のような純真な心を持つ子供達のことが大好きなのよ」

 

 スズナは短いスカートでありながら、大きく脚を開いて立っていた。

 今しがた、炎に焼かれて死ぬ寸前だった恐怖は、今も心に焼き付いている。脚を開いて力強く雪を踏みしめねば、その脚が震えそうなほどにだ。

 自らに向けて火炎放射を放たれても、ロズレイドが守ってくれると心から信頼し、直立の姿のまま震え一つ見せなかった親友の胆力には敵わないとさえ思う。

 だから、思わず彼女の名が口から出た。決して、パールに身近な名を出して、共感を強めようとした本意は無かったのだ。

 大人になれば、嫌な現実も沢山知る。それでも、理想を捨てないことを誓い合えた、スズナにとっては唯一無二の親友だから。

 大人になってからでは口にするのも相手さえ選ぶ理想論、それを何の気兼ねもなく語れる相手など、長い人生で一人出会えれば余りある幸運なほどだ。

 

「――パール!」

 

 心の底を訴えるスズナの姿に圧倒されていたパールの意識に、割って入ったのはプラチナの声。

 その声に振り返ったパールには、長らく無理して出していたピッピをボールに戻し、次のボールを敢えて高く放り投げた彼の姿が映る。

 ピッピに代わってプラチナが出したのはガーメイルだ。翅を広げて空に舞うその姿。

 

「思いっきりいけ! 絶対に負けられない戦いなんだ!

 遠慮も手加減も、するなあっ!!」

「っ……!」

 

 パールは最後の仲間が入ったボールを握り、スズナの顔を顧みた。

 プラチナにしては珍しい、本当に珍しい、荒げた声での命令口調。それだけ彼も、負けられない戦いだと強く訴えてくれているのだ。

 スズナの言葉に発破をかけられたのは事実だろう。それはきっと、ここまでは行動でそれに応えられなかったパールも同じ。

 

 力になりたい、想いを形にしたい。

 スズナとのジム戦で、パッチも、ミーナも、ララも疲れが残っている中、最も勝ちたいこの勝負を託す仲間は誰か。

 パールにとっては、そのボールを手に握っただけで、自分のすべてをこの子に託そうと無心に決意できるほど、その存在は大きい。

 結果的に消去法でも。

 最後の一人であろうとも。

 それが、ベストパートナーというものだ。

 

「…………ピョコ」

 

 完全に、眼差しに折れぬ心を取り戻した少女の姿に、サターンもジュピターも心を構えざるを得ない。

 信念を貫き通すと決めた子供達ほど、挫き難きものはないのだ。なぜなら、純真だから。

 こうした場に正義感のみで、我が身の危険も顧みず飛び込んでくるほど己の感情に真っ直ぐな少女がああなれば、もはやどんな屁理屈でも折ることは出来ない。

 心理戦はもう終わった。それを仕掛けたジュピターはもう敗北している。

 

「――絶対勝つよ!

 いっけええっ!!」

「ユキノオー!

 ぶちかませ!!」

 

 パールは高く、そのボールを放り投げた。

 宙空で中身を外界に解き放ったそのボールは、高い位置から着地に至るピョコを叶える。

 そしてパールの言葉に応えたピョコは、着地と同時にその足で大地を揺らすのだ。

 きっと特筆すべきは、パールの最後のポケモンがそれだと知っていたスズナが、ユキノオーにも"じしん"を指示していたこと。

 パールの切り札がドダイトスなのは、ナタネの親友たるスズナが知らぬはずもない。

 

「「――――――z!!」」

 

 巨躯の怪物二人が地面を踏みしめ、それが起こす揺れはこのバトルフィールドを、いや、エイチ湖全域を大きな縦揺れに満たす。

 ドダイトスの姿が見えた瞬間に、腰を低くしていたジュピターも、踏ん張りきれずに地面に片手を着いたほど。プラチナでさえだ。

 きっとエイチ湖全域で抗争を繰り広げる、ギンガ団員も警察も、それらが繰り出したポケモン達に至っては、唐突な揺れに腰が砕けたほどだろう。

 

「なるほど、得心がいく……!

 ボスが目をかけるわけだ……!」

 

 そんな中にあって、激しい揺れの中、意地でも座らず、手さえも着かず、脚を広げて敵を見据えたまま立つパールとスズナの姿があった。

 そしてそれは、サターンも同様。仮面の奥でまばたき一つしないその瞳で、脅威たる存在から一刻たりとも目を切らぬ意志を固めてだ。

 激しく揺れるエイチ湖の中心で、断じて落とせぬ戦いだと意識し合う者達の迫真の想いは、この揺れの中にあろうとも決して揺るがない。

 消耗戦の果て、決着はもはや目前だ。その幕切れを間近にして、戦う者達の闘志は霰降る空の下でも冷めぬほど燃えていた。



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第108話  頭痛の原因

 

 

「く……!」

「スカ、タンクっ……!」

 

 ピョコとユキノオーが同時に起こした大地震は、立っていられずプラチナが尻餅をつき、ジュピターが腰砕けに座り込むほど凄まじい。

 スズナでさえ、開いた脚で腰を沈め、地に手を着けて踏ん張っているほどだ。

 内股気味ながらもパールがしっかり耐え踏ん張っている姿は驚愕に値する。最愛の相棒の大技に身を寄せる中、慣れを習得したのだろうか。

 対して、サターンもだ。背中を丸めて大股開きで踏ん張り耐える姿は、初めて人間的な姿勢を見せたものではあるも、これほどの揺れを耐えている。

 

「「――――――――z!!」」

 

 自分達が起こした揺れに、まったく動じないのはピョコとユキノオーだけだ。

 ドクロッグやスカタンクも、倒れず踏ん張るので精一杯の中、そこへ突き進む両者の勢いは平地を駆ける速度と変わらない。

 ピョコはドクロッグへ、ユキノオーはスカタンクへ。

 ニルルの仇を。スズナに火を放った憎き敵への鉄槌を。示し合わせもせずして怨敵を狙い撃つピョコとユキノオーは、その一撃で敵を葬る勢いだ。

 

「ッ、ッ――――!」

 

「うそ!?」

 

 げに恐ろしきは、これほどの揺れの中で足を取られていながらも、ピョコの巨体の体当たりを跳躍したドクロッグの姿にある。

 敵が真正面から迫っている光景を前にしながら、脚を取られて躱しも出来ず、ユキノオーの剛腕で殴り飛ばされたスカタンクと比較すれば如実であろう。

 それが普通なのだ。"じしん"は地に足着けた敵を、立っているので精一杯の状態にし、回避も防御も儘ならぬ様へクリティカルヒットをぶちかます技。

 細い脚のドクロッグなど、最もそれを不可避とする個体なのに。なのにだ。

 

「ジュピター! 出し惜しむな!

 凌ぎきるしかないぞ!」

「ぐ、っ……!

 ゴルバット、頼むわよ……!」

 

 疲弊した中、ユキノオーの剛腕を無防備で受けたスカタンクに、もはや継戦能力が無いのは明らかだ。

 頑張り過ぎていたほどである。ダイヤのポケモンを一人で全て打ち倒し、蓄積したダメージと疲れがある中でここまで戦い抜いてきたのだ。

 右手のボールでスカタンクを戻し、左手のボールのスイッチを押しながらそれで自らの肩甲骨辺りを叩くジュピター。

 ボールから飛び出してきたゴルバットが、ジュピターの両肩をはじめから掴んだような形で姿を現し、翼を動かし彼女を宙へと持ち上げ浮かす。

 

「ひぐ……っ!」

「頑張りなさい! 苦手なのも聞いてるわ!

 だけど、ここだけは踏ん張らなきゃいけない場面よ!」

「は……っ、はいっ……!」

 

 幼き頃のトラウマから、恐怖対象でさえあるゴルバットの登場に息を詰まらせるパールだが、すかさず喝を入れてくれるスズナに助けられてなんとか持ち直す。

 体が勝手に逃げ出しそうだ。だけど、踏ん張れるぐらいにはパールも、克服に至らずとも恐怖を押さえつけられるほどには心を鍛えてきた。

 鋼鉄島をはじめ、コウモリ嫌いを克服しようと頑張ってきた甲斐は、この場で少なからず芽吹いている。

 

「ガーメイル! 逃がすな!

 撃てえっ!」

「ちょっとぉ!? 殺す気!?」

 

 空に身を逃したジュピターとゴルバットだが、プラチナの指示は全く容赦が無い。

 ゴルバット目がけてサイケ光線を撃つガーメイルは、まるでそのゴルバットが掴んでいるジュピターへの誤射も厭わぬかのようでさえある。

 流石にジュピターも戦慄ものだ。ゴルバットが旋回飛行して躱してくれるが、当たったらどうするんだと正直思わざるを得ない。

 

「っ、可愛い顔してえげつない子よね……!」

「黙れ! 邪魔するなら容赦しないってだけだ!

 ガーメイル、もう一撃!」

 

 勿論プラチナはガーメイルに、あわよくばジュピターを撃ってしまっても構わないとは微塵も思っていない。

 ジュピターは極悪人だ。でも、だからってポケモンの技を人に当てるなんて、そんな極悪非道を肯くプラチナであるはずがない。

 ガーメイルが撃つ二発目のサイケ光線もゴルバットに躱されるが、ぎりぎり避けやすい程度に狙いを甘くした牽制に過ぎないのだ。

 ガーメイルはその意図を汲んでくれるとプラチナは信じている。そして彼のガーメイルには、それに応えられる力量がある。

 あのゴルバットを放置すれば、ジュピターを抱えたままでも"エアカッター"の支援射撃ぐらいはしてくるだろう。

 回避に徹させ、ドクロッグと戦うピョコやユキノオーへの邪魔など絶対に叶えさせない。

 

「やれるな? ドクロッグ」

「――――!」

 

「ユキノオー! 構えて!」

 

 プラチナに翻弄されている以上、もはやジュピターとゴルバットは戦いに参加できる状態ではない。

 ドクロッグは一人で戦い抜こうというのだろうか。ジムリーダーの切り札ユキノオーだけでなく、毒に強い地面タイプのドダイトスさえも同時に相手取って?

 正気の沙汰でない死地に自ら飛び込まんとするかのように、毒突きの手を引いてユキノオーへと突撃するドクロッグの表情に恐れは無い。

 強敵相手に1対2。物怖じしないほどの自信があのドクロッグにはある。

 

「ピョコ! もう一回!」

「――――z!」

「ナイス! ユキノオー、渾身で!」

 

 両腕を構えて毒突きを防いだユキノオー。打って離れるドクロッグ。

 ユキノオーがその痛烈な毒突きを受けた瞬間、強く地面を両前脚で叩いていたピョコが、着地の瞬間のドクロッグの足を取る地震を起こしている。

 さしものドクロッグも腰が少し低くなるほどだ。これ以上ないほど、最高のタイミングで敵の足元を崩す揺れ。

 構えて、という言葉から受けた指示に加え、渾身という強い言葉に応えるべくユキノオーが放つのは、傷ついた身体の痛みを攻撃性に変える大技。

 すなわち雪なだれ。攻撃を受けて砕ける氷結の体毛、それに宿る我が身の氷の力の片鱗を加えて放つそれは、カウンターの時にこそいっそうの威力を発揮する。

 

「甘いぞ」

 

「ちょ……!?」

「ほんと、一筋縄じゃいかないわね……!」

 

 確実に、ピョコの地震で足を取られていたのだ。

 ろくに立つことも難しい状態で、身構えも不充分で躱せず雪なだれを受けていたら、一撃必殺級の甚大なダメージを与えられていたはずだ。

 ドクロッグに対する"じしん"と"ゆきなだれ"の連続直撃など、間違いなくそうであったはずだと断言できるだろう。

 その思惑は、空を逃げ回るジュピターのゴルバットよりも高い場所まで跳躍したドクロッグにより、高波めいた雪なだれさえ回避する行動に打ち崩される。

 

「ユキノオーだぞ」

「――――♪」

 

「っ、ピョコ捕まえて! 今がチャンス! のはず!」

「――――z!」

 

 高く跳んでしまえば落ちるまでは無防備だ。狙撃を凌ぎようがない。

 ユキノオーの冷凍ビーム辺りに狙撃されることへの対策として、そこへ"ヘドロばくだん"を生成して投げ付けるドクロッグは、狙撃手一人を一時無力化する。

 ちらっとガーメイルの方を見てほくそ笑んでいる辺りも抜け目ないものだ。

 プラチナもガーメイルも、ゴルバットにかかりきりだった中で、今さらこの好機とてサイケ光線をドクロッグに調子良くは撃てない。知っている顔だ。

 

 だが、あと一匹いる。ドクロッグの着地予想点に向かって突き進んだピョコは、相手の足が地に着く前に敵を捕える構えだ。

 サターンは何の声も発さない。その不気味さを一番感じているのは、熟達ゆえその姿も視野に入っているスズナだ。

 間違いなくドクロッグはピョコの攻撃を受けることになる図式だ。恐らく、それを想定外の展開だと含めていない。

 

「いっけえっ!」

 

 パールの声に応えて口を開いたピョコが、着地寸前のドクロッグにその大口で噛みついた。

 草タイプの技ではドクロッグに大きなダメージを与えられないピョコだが、この"かみくだく"攻撃なら話は違う。

 ボディをがっつりとその口に捉えられ、顎の下の毒袋や背中に牙を突き立てられるダメージには、さしものドクロッグも苦悶の表情を一瞬浮かべていた。

 

「いいよピョコ! 投げ付けちゃえ!!」

 

 それでもドクロッグが、両手の毒針を突き返し、ピョコの顔面に毒針二本の"どくづき"を撃つ反撃は痛烈極まりない。

 元より草ポケモンのピョコに、毒技の特効性は子供でも知っていること。

 だからパールも、無理に頑張って絶対放すななんてことは言わない。やれることはいくらでもある。

 ドクロッグを咥えたまま首を振るい、口を放してそれを投げ捨てるようにしたピョコは、ドクロッグを頼れる相棒の方へと放り投げている。

 すなわち、ヘドロ爆弾を受けた顔を既に拭い、素早く技を撃てる構えに入っているユキノオーだ。

 

「決めるわよ! ユキノオー!」

 

「ドクロッグ! 風を切れ!」

 

 さしものサターンも強い声だ。それだけ、他に手が無かったとも言える。

 だが、自らの方へと投げ付けられたドクロッグに向け、逃げ場無き真っ向からの"れいとうビーム"を撃つユキノオー。

 それを、宙で身を回したドクロッグが両手の毒針を小太刀のように交差させる振り抜きで、まさに風を切り裂くかのように冷凍ビームをバツの字に割り裂いた。

 

 ドクロッグに着弾するはずだった冷凍ビームはそれによって割られたが、継続して放たれるそれの後続砲撃は、やはりドクロッグに直撃する。

 それでもいいのだ。浴びせられる時間が一秒減っただけでも、この局面においては例えようもなく大きい。

 全身を氷が包み始めるほどの極寒の感覚を得ながらも、飛来するままユキノオーに迫る形だったドクロッグは、全身凍結の最悪を呈していない。

 そのまま敵に触れる距離まで辿り着いた時に、腕か脚が動くならそれで充分なのだ。

 体温を奪われる苦しみに少々程度に表情を歪めるやせ我慢ぶりこそ晒しつつ、ぎらりと眼を光らせたドクロッグはユキノオーにその拳を突き刺した。

 

「っ……!

 ユキノオー! ぶっ飛ばせえっ!」

「潜り込め! それしかない!」

 

 "どくづき"にも見えたその一撃、本質は"リベンジ"だ。敵に受けたダメージ、その痛みを活にしていっそうのダメージを与える反撃技。

 まして氷タイプのユキノオーには痛烈なその一撃を、最高の形で突き刺したドクロッグであるが、なおもユキノオーは倒れない。

 その不屈さも、そして今の一撃で相手が倒れていない想定で指示したサターンも、上り詰めた者同士の戦いを為すポケモンとトレーナーの様相そのものだ。

 

 受ければ反撃、"リベンジ"と同様に相手から浴びせられた痛みを威力に変える大技、"ゆきなだれ"を放つユキノオーの腕の動きは可能な限りの最速だった。

 だが、痛烈すぎる一撃を受けた後の、一瞬の動きの遅れは、これほどの相手には致命的。

 迷わずドクロッグはヘッドスライディングするかのようにユキノオーの股下へ潜り込み、敵の後方へと身を逃す。

 跳んでも退がっても逃れられない大技を凌ぐにはこれしかない。刹那の窮地、敵の方へと飛び込んでいくこの判断は、指示あったとて相当できるものではない。

 最適な行動を示せるサターンも、それを迷わず選べるドクロッグも、やはり高いレベルにある指揮官と強兵であることを証明する器にあるのだ。

 

「いっけえっ!」

「"シザークロス"だ……!」

 

 何もなければユキノオーを背後から、刺すも殴るも斬りつけるも自由だったドクロッグを阻むのがドダイトスだ。

 突き進んできたピョコの巨体にすぐさま立ち上がって向き合ったドクロッグは、流石にその突撃を躱すには至れない。

 だが、弧を描く毒針を刀のように交差させて斬りつける一撃で、ピョコの両目の上をざっくりと切り裂く。

 それは先刻、冷凍ビームという大気を切り裂いたほどの鋭い斬撃。

 ましてピョコが自己判断で顎を引いていなければ、両目を傷つけられて永遠に光を失っていたであろう一撃に相違ない。

 なまじこれほどの戦いの中であろうと、目を逸らさずに戦える胆力が身についていたパールにとって、今の一幕はぞっとするほどの光景だったはずだ。

 

 だが、ピョコの重い体当たりはしっかりとドクロッグを捉え、大きくそれを突き飛ばすことに成功している。

 それでも宙にて身を回し、しっかりと地を踏みしめる形で着地するドクロッグのしぶとさは並々ならぬものだ。

 器用にひらひらとこちらの攻撃を凌ぎ続けていた怖さにさらに上乗せされる、あれだけのアタックを受けても膝すらつかず強気な顔を崩さぬ頑強さ。

 パールだけじゃない、ピョコさえ本能的に怯んでいたものだ。冷凍ビームの直撃に続いて、全力全開の体当たりを当ててもあれだ。

 どうすればこいつを力尽かせられる? 当てるも困難、これだけ当てても尚あの頑強さ。過去に戦ってきたどの相手より強い。

 強さは数値化できない。比較が難しい。それでも間違いなくあのドクロッグは、過去最強の敵だと確信せしめるに充分すぎるものだ。

 

「ニャムちー! かえんほうしゃ!」

 

「む……!」

 

 それでも、押し切る想いを捨ててはいなかったパールとピョコ。スズナもそうだろう。

 そんな想いを打ち砕いたのが、この場に参じた新たな強い勢力だ。

 エイチ湖真ん中の洞穴から姿を見せたマーズ、そして彼女が指示したブニャットが、ユキノオー目がけて全力の火炎放射を発したのだ。

 

「ユキノオー、っ……!」

「ッ、ッ……、――――――――z!!」

 

「倒れない、か……っ!」

 

 草タイプであり氷タイプであるユキノオーにとって、不意打ち気味に浴びせられた炎は防ぐすべもなく、それをまともに受けた姿にはスズナも青ざめる。

 それでもユキノオーは一度振り上げた両腕を、全力で振り下ろす形で"ふぶき"を撃ち出し、敵勢すべてを襲う氷結の嵐を浴びせる。

 自らの全身を焼く炎を、その荒れ狂う風で以って吹き払うことも兼ねてだ。

 

 吹雪がドクロッグを、参じて炎を吐いたブニャットを、そして空のゴルバットやそれが掴んでいるジュピターまでもを襲っている。

 トレーナーアタックになってしまっているが、こればかりは仕方ない。

 怒りが冷めやらぬユキノオーだが、決してジュピターがスズナに火炎放射を撃つことを指示した、あの時の仕返しというわけではないだろう。

 現に攻撃範囲が広すぎて絞りようもない吹雪は、スズナもパールもプラチナも巻き込んでその身を凍えさせている。

 ぎりぎりピョコやガーメイルという戦う仲間にだけ、辛うじて襲い掛かる吹雪が少なくなるよう細心の操作をするので精一杯なのだ。

 

「えげつない、っ……!

 悪かったわね二人とも、こんな相手に粘らせて……!」

「構わん! まずはジュピターだ!」

 

 翼を凍らされたゴルバットが、ジュピターを空に留めさせられず落ちてくる。

 それでも凍った翼を必死で動かし、自由落下で自分やジュピターが地面に激突することが無いよう、踏ん張るゴルバットの根性も中々のものだ。

 サターンはそんなジュピターの方に、ユンゲラーが入っているボールを強く投げ、彼女のすぐそば空中にユンゲラーの姿を出す。

 ジュピター自身もクロバットももう限界だ。凍えた全身で、覚えてなさいよとスズナを睨みつけるのが精一杯のジュピターは、ユンゲラーとともに消えていく。

 テレポートによる緊急脱出だ。決して遠くではないが、この危険な戦場からまずはジュピターを救出する。

 

「あなた達は逃がさないわよ……!

 ユキノオー! もうひと踏ん張り!」

「――――――z!!」

 

「ニャムちー! ブルー!

 頼むわよ! ここ一番!」

 

 マーズが出てきて撤退の流れに移り始めたギンガ団幹部の動きに、スズナも遮二無二な最速の、そして最高威力の攻撃で逃がすまいとする。

 マーズも必死の抗戦だ。禁じ手承知、ヘルガーをもボールから出して、二匹ぶんの火炎放射でこちらへ迫る吹雪を阻み、ドクロッグやサターンも守り抜く。

 もうバトルじゃない。生還を懸けた逃亡戦だ。サターンも氷結の纏わり付く身体で、俊敏に駆けてマーズのそばへ位置を移す。

 ユンゲラーが帰ってきた時、すぐに二人同時に撤退できるようにだ。

 

「ピョコ! じしん……っ゙!?!?」

 

 逃がしたくない、逃げられたくない。必死にパールが指示した声に応え、地面を揺らすピョコがサターン達の足を取る。

 転ばされかけたマーズの手を取り、ここで脚を痛めるなとばかりに支えたサターンは、自らも逆の手を地面について腰を沈めた。

 辛抱の時間だ。ユンゲラーが帰ってきて、緊急脱出した後も、警察の手から逃れるために走る時間が長く続く。ここで走れなくなるのは致命的だ。

 

「ガーメイル……!」

 

 だが、そんな逼迫した状況の中にあるサターンやマーズ以上に、この期で只ならぬ苦しみに襲われた少女がいる。

 吹雪と火炎放射が絡み合い、溶けた雪とあられが大量の水蒸気となり風に拡散する、濃霧じみたその中を駆けてユキノオーに迫っていたドクロッグ。

 それに向けてサイケ光線を撃つことを指示しながらも、プラチナはパールに駆け寄らずにいられなかった。

 両手で頭を抱え込んで、その場で膝から崩れ落ち、うずくまっているパールの様相は尋常ではない。

 

「い゙っ、痛い痛い痛いい゙ぃぃっ……!

 だめっ、これっ……耐えられないぃ……っ!」

「ぱ、パールっ……!

 しっかり……ギンガ団がっ……!」

 

 状況が状況だ。パールだって多少の頭痛なら、いや、ある程度はそれがひどくたって、これほど相手を無視した苦しみようは見せないだろう。

 それでも耐えられないのだ。頭蓋を叩き割られた挙句、それを力任せにヒビからこじ開けられるかのような、抗いようのない壮絶な痛み。

 額を雪の満ちた地面に押し付け、ぎゅうっと目を閉じた瞼から涙を溢れさせるパールの苦しみは、傍目から見ても只事ではないのが明らかだ。

 

「……そうか、なるほどな。

 ボスがあの少女を妙に目をかけるわけだ」

「ちょっとサターン、冷静に分析してないでよお!

 ユンゲラーいつ戻ってくるの!? ニャムちーもブルーも余裕ないのよ!」

「なるようにしかならん」

 

 マーズも流石に余裕がない。やばいやばいやばい、その一心。

 そんな中で、サターンは懐に入っている二つのギンガボールと、マーズが既に懐に入れたギンガボールを意識する。

 

 このエイチ湖に眠っていた"ユクシー"。

 シンジ湖やリッシ湖で捕獲した"エムリット"と"アグノム"を、サターンがここへ連れてきたのは、仲間が捕えられたことをユクシーに知らしめるため。

 それに感応したユクシーが姿を見せたところを、マーズに捕獲させるミッションは完遂することが出来た。

 そしてこの状況が生み出したもう一つの事象とは、己の懐で苦しむエムリットが、パールに対して何かを訴え、彼女が頭痛を覚えているというもの。

 エムリットの入ったボールに触れているサターンには、僅かながらその思念が感じられるのだ。

 

「そうだ、ドクロッグ。戻ってこい」

 

 ドクロッグに、ガーメイルのサイケ光線は当たらなかった。

 濃霧の中を突っ切るドクロッグに迫るそれは、霧の向こうから飛んでくる、自らに迫って初めて気付くほどの、ほぼ至近距離からの狙撃に近かったのに。

 それでも免れ、弱っていない脚でサターンのそばへと駆け戻る姿は、未だあの脅威の回避力を見せつけるものだ。

 

「よし、ここまでだ」

「助かった……!

 ニャムちー、ブルー、ほんとにお疲れ様!」

 

 ジュピターを一度安全な所まで運んだユンゲラーが、再びサターンのそばへとテレポートで帰ってきた。

 サターンはドクロッグをボールに戻し、マーズも同様だ。

 ユンゲラーがその両手でサターンとマーズの肩に手を置き、あとは離れた場所へ一緒にテレポートするだけだ。

 この形が完成した時点で、もう追っ手に出来ることは残っていない。

 

「待ちなさ……」

 

「流石はジムリーダーだ。私も肝が冷えた。

 薄氷の勝利を得た実感を、暖かい場所でゆっくり満喫することにするよ」

 

 スズナの叫びもむなしく、ユンゲラーが先導する形でギンガ団の二人はその場から姿を消してしまった。

 決して遠くまで行ったわけではないはず。テレポートの移動距離には限度がある。

 それでも、今からスズナ達が追うには消耗が激し過ぎた。

 逃げた先でサターン達を警察が捕えてくれることを祈るしかなく、そんなことを易々と叶えさせる逃げ方を、あれがしてくれるはずもない現実も重い。

 

 追い詰めることは出来た。だが、やはり敗北だ。

 胸がぎりぎりと痛むほどの悔しさを耐え、強く鼻から息を吐くスズナは、悔し涙さえ出そうな想いをいったん封じ込める。

 もうこれ以上あいつらを追えないなら、気がかりなものがまだここにはある。

 

「――パール! 大丈夫!?」

 

「い、いた……いたい、っ……

 泣いてる、あの子っ……たすけて、って……」

「パール、しっかり……!

 えぇと、どうすれば……なんとかしてあげたいけど……」

「わたしじゃ、ない、っ……」

 

 うずくまって頭を抱えているパールが発する、助けての声にプラチナも反応し、どうにかパールを助けたい想いを口にした。

 だが、パールが訴えかけているのはそうじゃない。確かに今、頭が割れるような痛みに苦しんでいるのは事実だ。

 そんな彼女が強く発する声と、痛みによって溢れる涙に混ざったもう一つの想いは、己を襲う苦しみだけによるものではない。

 

 頭の中に、がんがんと響く叫び声は、これほどの頭痛以上にパールの胸をも締め付けるほど悲痛だった。

 鞭で何度も打ちのめされる子供が、助けて、助けてと泣き叫ぶような、聞いただけでもつらくなるような声だ。

 しかも、パールはその声の主が誰なのかもわからないのに、ずっとそばにいた親しい誰かのような声にさえ聞こえるのだ。

 共に歩み続けてきたポケモン達のように。家族のように。ピョコ達の声を聞く普段のように、その声は身近で、他人事には思えなくて。

 一人っ子のパールが今まで経験しようのなかった、まるで妹か弟が目の前で苦しめられ、泣き叫ぶ声を耳にしているかのような苦しみがパールの胸にある。

 何も出来ないことの苦しみがそこに乗り、まして頭痛までもがパールを苦悶させる。立ち上がれようはずもない。

 

「パール……!」

「助けて、あげなきゃ……!

 あの子達、本当に……苦しんでる、っ……!」

 

 見聞きもしない誰かを案じる、パールの不可解な主張に動揺するプラチナのそば、スズナはパールの背中に手を添え、ゆっくり撫でて彼女に寄り添っていた。

 プラチナよりも冷静でいられる大人だ。きっと彼女の言葉には、彼女にしかわからない何かがある。

 詳しい話は後で聞けばいい。今はただ、苦しむこの子のそばにいて、どうにか支えてあげなくては。

 何も出来ないのはスズナも同じ。離れることを選ばないのは、せめても彼女達に出来ること。

 

 一縷の望みを懸けてサターン達を追う、その選択をしなかったこと。

 望みが薄いからなのは事実だ。だけどやはり、戦い抜いてくれた勇敢な少女が苦しむ中、放っていくことが出来ない感情の方がやはり強い。

 勝つことは出来なかった。だけど、本当によく頑張ってくれた。

 ただただパールのそばで狼狽えるプラチナ共々、スズナは二人に感謝と敬いを含む眼差しを向けるのみだった。労いの言葉はまた後で良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「走れるようで何よりだ」

「ったく……! 冗談じゃないわよあの雪女……!

 死ぬとこだったわ……!」

「あたし達に文句言う資格ないでしょ、特にあんたは……」

 

 エイチ湖から少し離れた場所にテレポートで逃げ込んだサターン達三人は、いっそうの北に向かって駆けていた。

 キッサキシティの北は、雪が降り積もる山林地帯だ。遭難の恐れもある森であり、誰一人として近付かない未開の地だ。

 悪党にしてみれば隠遁し、一夜を過ごして立て直すには絶好の場所である。

 雪の積もるほどの寒さとて、三人には炎を扱えるポケモンもいるし、一晩ぐらいなら過ごし通すことも出来るだろう。

 下山時が大変ではあるが、それもどうにか乗り切る算段はある。それが出来る三人だから、未だに隠れる場所を的確に選び、逃げ延び生き延びられたとも。

 

 "ふぶき"で身体の芯まで冷やされたジュピターは、正直なところ走るのもつらい。

 とはいえ、ここで走らずへこたれていれば警察に捕まるだけ。今日一日だけでも死力を尽くさねば。それだけの根性はある。

 ご承知レベルの皮肉をマーズに垂れられても、言い返す気力は無いのだが。

 流石にマーズもジュピターのコンディションを前に、普段のように強く絡む声ではないので、そこはジュピターにとっても救いである。

 

「……ねぇ、サターン。

 あいつがボスに目をかけられてるってどういうこと?」

「なに、特に重要な話では……いや、この際だから話しておくか。

 ただ、走りながらでは少々骨だ。もう少し進んで、ひと休みしながら話すことにしよう」

 

 マーズはジュピターとの会話をやめ、引っかかっていたことをサターンに尋ねた。

 ジュピターも初耳なのか、興味を持った目をサターンに向けている。

 逃亡の脚を止めぬまま、冷淡な声を発するサターンは、ただ前のみを向いて二人に顔を向けもしない。

 素顔を隠した仮面と合成音声もさることながら、相も変わらず心情の読めない同胞だとマーズもジュピターも常々感じる。

 

「ここまで、随分と無理に付き合ってきて貰ったからな。

 たまには私も、腹を割って話そう。

 こうして力を合わせて一つの夢に向かう道のりも、そろそろ終わりが近付いているのだからな」

 

 それでもこの言葉を発するサターンの声には、感慨らしきものを感じ取れた。

 合成音声に感情は宿らない。だが、息遣いはある。

 そんな小さな機微に、感じ取れるものだってあるのだから、人の耳が持つ鋭さも馬鹿にできたものではない。

 

 サターン、マーズ、そしてジュピター。

 ギンガ団の名のもとに集い、己の掲げる夢を叶えるため、遠くも近くも力を合わせてきたギンガ団幹部の三人だ。

 慣れ合う意識は誰にもない。それでもそこには、きっと数十年後になっても互いのことを忘れていないであろう、縁というものが確かに存在する。

 仲間という概念は、悪の組織にも確かに存在するのだ。それを、彼ら彼女らがわざわざ認めようとしなくてもだ。



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第109話  UMAの声

 

 

「大丈夫? おさまった?」

「ぐうぅ~、なんとか……

 まだちょっと頭ずきずきしますけど……」

 

 サターン達が去ってからしばらくして、ようやくパールも顔を上げた。

 頭痛はおさまったようだ。ぐしぐし目を拭うパールの目は真っ赤っ赤。

 あの苦しみようからしても、凄まじい激痛であったことはわかるのだが、泣くほど耐え難いものだと知ればスズナもプラチナもいっそう気の毒に思う。

 

「ねえ、パール。

 さっき言ってた、あの子達が苦しんでる、って……?」

 

 話せるようになったパールに、プラチナは先程のパールの言葉の真意を問うてみる。

 誰かが苦しんでいる声が聞こえる、そう主張するかのようなパールの言葉だったが、傍目からは今ひとつ要領を得ない。

 頭痛と無関係でなさそうなことは、プラチナも直感的に想像できているようだが。

 

「……ここエイチ湖と、シンジ湖と、リッシ湖にはそれぞれ、シンオウ神話に深く関わる三匹のポケモン達が眠っているとされているわ。

 ギンガ団達が三つの湖を襲撃したのは、それらを狙ってのことだったんじゃないかって言われてる」

 

 パールが言葉を考えている間に、スズナが先に言葉を挟んできた。

 ギンガ団の目的については、一連の事件が続いたことで、テレビなどでもよく考察されてきたものだ。

 スズナが挙げたのは、現在最も有力視されている説である。

 

「あいつらの狙いが、このエイチ湖に眠っていたユクシーだったとしたら……

 パールが聞いた助けを求める声っていうのは、もしかして?」

「………………そうだけど、そうじゃない気がします。

 私の頭の中に響いてきた声は、もっと身近で……知らないはずなのに、どこか……」

 

「パールは、フタバタウン出身だったかしら?

 近くにシンジ湖のある」

「え? あ、はい……」

「エムリット、っていう名前を聞いたことはある?」

 

 頭の中に見知らぬはずの誰かの声が聞こえるという超常現象の後なので、パールも考えや結論が纏まりきっていない。

 ある限りの知識で以って、パールをリードしてくれるスズナだ。

 ナタネら友人を介して知る、パールの出身地などから想定される別の単語を口にした時、パールははっとしたようにスズナの方を向く。

 

「その名前、知ってる気がします……!

 一度も聞いたことはないけど、なんでか知ってる気がする……!」

「シンジ湖に眠るとされるポケモンの名前は、エムリットだと言われてるわ。

 そんなシンジ湖と関わりが深いあなたなら、もしかすると何か縁があったのかもしれないわね」

 

 地元の湖に眠る、幻のポケモンの名というものは、わざわざフタバタウンでもおおっぴらに語られはしないものである。

 少し調べれば誰にでも知れることであるが、勉強好きでもなくまだまだ子供のパールには、初めて聞く名であるのも無理はない。

 それでも、初めて聞いた名じゃない気がすると言うパールには、スズナも関係性を想像せずにはいられないというものだ。

 

「エムリットは、感情を司る神とも言われてる。

 あなたにとってシンジ湖は特別な思い出のある地で、何度もその情念を胸に足を運んだ場所なのよね。

 きっとそれが感情を司るエムリットと、何らかの繋がりを持たせてくれていたのかもしれないわ」

「もしかして、ナタネさんから聞いてます?」

「ええ、命の恩人さんを探したくて旅を始めたのよね」

 

 最近は、大好きなポケモン達と一緒にジムを攻略していくこと自体に、楽しさや喜びを得られるようになったパールだが、元はそれも一つの手段に過ぎない。

 元々パールがチャンピオンになりたいと願ったのは、有名人になってテレビ等で、幼い頃に自分の命を助けてくれた人に呼びかけたかったからだ。

 ズバットに襲われて湖に落ちてしまい、溺れて死んでしまうところだった自分を助けてくれた、顔も思い出せない命の恩人。

 ズバット恐怖症も、旅立つきっかけも、パールにとってはすべてあのシンジ湖に詰まっている。

 

 いや、むしろあの日から、ポケモントレーナーとして旅立てる日をずっと待ち望んでいたパールであるという事実を鑑みればその程度ではない。

 彼女のこれまでの人生の半分以上を形作った要因に、あのシンジ湖が関わっているとさえ言って過言ではないだろう。

 美しいシンジ湖を前に感動する観光客や、地元の絶景をこよなく愛す人々の思い入れと、パールがシンジ湖に抱く情念の程は比較にならないはずだ。

 感情を司る神とされるエムリットが、パールという一人の女の子の想いに何らかの縁を結んだのだとすれば、根拠らしきものは確かにある。

 

「パールが聞いた助けを呼ぶ声っていうのは、やっぱりエムリットのそれだったのかしら?」

「そんな気が、します……

 きっと、あの場にもいたんだと思います。

 つらそうな声で泣いてて、ほんとに苦しそうでした……」

 

 ユクシーを捕獲するためにエイチ湖を襲撃したギンガ団だが、既に捕獲済と思われるエムリットを連れてきていたのだろうか、とはスズナも思う。

 だが、湖の水を干上がらせるほどのことをしなければ、そもそもリッシ湖のアグノムを目覚めさせること自体が困難だったであろうことは推察されている。

 いくら組織立ったギンガ団でも、あんなことを何度も出来るものではなさそうだ。

 となれば、エムリットやユクシーを目覚めさせる鍵として、既に捕獲した彼らの同胞を利用した、という説は考え得る。

 わかっていないことの方が多い守り神達なので、推測で補う形でしか真相を求められないが、かえって仮説はいくらでも立つのだ。

 

「……その助けを求めるためにパールに呼びかけていた思念の結果が、パールの頭痛だったってことなの?

 なんか複雑だよ、僕。パールは大丈夫なの?」

 

 パールはきっぱり首を振った。あれはもう二度と経験したくないほどつらい。

 プラチナも、エムリットの境遇は可哀想だと思うけれど、だからと言って一番大切なパールが苦しむ姿を何度も見せられてきては、やはり想いも複雑だ。

 

「でも、わかる気がするんだ。

 あの子はきっと、私なんかよりもずっと、長く、今でも苦しんでる。

 ギンガボールっていうものに囚われているんだったら、きっと今もだよ」

「……そうか。そうなんだよね……」

 

 しかし、ギンガボールの性質を改めて思い返すと、囚われたポケモン達の想像するだけで胸が痛くなる。

 捕獲されたものに安らぎではなく苦痛を与え、抵抗する力を削ぎ落とす、拷問危惧と捕獲装置を兼ねたようなものだ。

 複雑な想いこそ晴れはしないが、やはりギンガ団は憎むべき悪だという認識をプラチナも強める。

 

「絶対助けてあげなきゃいけない気分だよ!

 悪いけどプラッチ、私まだまだ頑張るからね!」

「くそっ、まだまだこれが続くのか。

 もう、別に今さらいいけどさ」

 

 どうやらパール、今後もギンガ団と関わる機会があれば、またいくらでも飛び込んでいきそうである。

 プラチナも正直げんなり。でも、今回のパールの冗談めかした声には、批難に偏った反論はしたくなかった。

 ばつの悪さ含みなのか、軽い言葉を使ってはぐらかしているが、エムリットの苦しみに強く共感し、どうしても助けたいという気持ちの強さは本物だ。

 無謀な正義感から蛮勇を振るうばかりだった、今までのパールと比べれば、今のパールはプラチナもいくらか共感できるのだ。

 そもそも、今さら止めても今さらだし、という哀しい慣れもあるのだが。

 

「まあいいや。

 とりあえずパール、ちょっとおいで」

「え、なに? なんかよくない予感するんですけど」

「パール、ここに来るまでの中で一回僕のこと追い抜いたよね?

 約束してたよね、僕より前に出たら殴るって」

 

「……その話はなかったことになった」

「なってないよ。はいお腹こっちに向けて。なぐるから」

「やだー! スズナさん助けて!」

 

「どんな約束してるのよ、あなた達。

 暴力は良くないぞ、特に女の子に手を上げるなんて」

「いいえスズナさん、申し訳ないけど外野には黙っておいて頂きたい。

 僕はアレなんです、パールにはいっつも苦労させられているのです。

 たまには仕返ししてもいいと思うんです。ナタネさんからエピソード聞いてません?」

「それはなんとなく予想がつく。いっぱい聞いてるし」

「やだー! スズナさん私を守ってー!」

 

 ずかずか歩み寄ってくるプラチナに、パールはスズナの陰に隠れるようにして逃げる。

 プラチナが追うとスズナの回りを二人でぐるぐる。一本の柱を挟んでの追いかけっこである。

 まあまあ、とプラチナをなだめるスズナも楽しそうであり、同時にすこしほっとする。

 あれだけの戦いの後なのだ。怪我もなく、こうして子供らしい姿を見せられる形で戦いを終えられただけでも御の字なのは確か。

 ギンガ団を逃がしたのは無念だが、もっと最悪な結果は避けられたのだ。大人のスズナにとって、胸を撫で下ろせる結末には違いなかった。

 

「プラッチしつこいぞー!

 しつこい男は嫌われるぞー!」

「なに逆ギレしてんの、約束どおりのことやってるだけじゃん。

 はい捕まえた、さあおいでおいで」

「いーやー! たすけ……って、うわっ!?」

 

 とうとうプラチナに手首を掴まれ、ずりずりスズナという盾から引きずり離されるパール。

 スズナも苦笑い気味で歩み寄り、なんとか許してあげましょとプラチナをなだめる心積もり。

 プラチナも適当に許す予定である。本当に殴っちゃうのは流石にちょっと。

 でも本当に殴られると思っているパールは必死であった。

 

 そんな折に、パールの手首のポケッチが着信音を鳴らす。

 慌ててパールは、プラッチと遊んでる場合じゃないとばかりに、掴まれていた手を振り払った。

 なにやら焦っている。相当びびった顔してる。

 

「さてはお母さん?」

「た、多分そう……今からごっつい怒られる予感がする……」

「はい、行っといで。

 殴られるより怖い想いしてきなさい」

「はーい……」

 

 エイチ湖での戦いも、上空カメラから全国放送されていたので、戦いの終わりはパールのお母さんもテレビで見届けていたはずだ。

 終わりを見届ければ電話してくるのは予想できたことであろう。着信相手を見なくてもわかりきっている。

 『お母さん』という着信表示を見るのも怖いのか、ポケッチに目も向けずして確信した風のパールは、しょぼしょぼした足取りでプラチナから離れる。

 幸いプラチナに殴られる流れは有耶無耶になりそうだが、これからめちゃくそに叱られる予感しかしないので、へこみが別のものに変わっただけだ。

 友達の前でぎゃんぎゃん怒られるのは恥ずかしいので、ちょっと離れた場所で通話するつもりらしい。スズナもプラチナも微笑ましく見送った。

 

 二人からちょっと離れた場所で、はぁ~と溜め息を吐いてポケッチに目を向けるパール。

 覚悟は決めた。お母さん、と表示されたポケッチに触れ、通話状態にする一瞬前。

 そこに表示された名前が、お母さんではなかったことに、パールはポケッチを操作しようとした手が一秒ばかり止まった。

 

「――もしもし!?」

 

 だって、あまりにも予想だにしなかった名前だったから。

 そしてそれは、パールがずっと、心の奥底で、もう一度話がしたくてしたくてたまらなかった、待ち望んでいた相手からの着信だったのだ。

 

『もしもし、おはよー♪

 テレビで見てたよ、相変わらず無茶してるんだから』

「お、おはようござ……ナタネさんっ、もう大丈夫なんですか!?」

 

「んあっ!?」

 

 パールの声を聞いて、スズナは迷わず彼女の方へと突っ走っていった。

 数日前、凶刃に倒れて意識不明の親友が心配でならなかったのは、パールだけでなくスズナもそうなのだ。

 どれだけ表向きには、あの子のことだから必ず目覚めると豪語していたって、心配でたまらなかったことなど当然である。

 

『あはは、ご心配おかけしました~……

 ほんとあたし、けっこう長い間目を覚まさなかったらしいわね。

 入院中だけど、ようやく目が覚めました~』

 

「あっ、ああっ……あぁ~~~……」

「こぉらあ~! ナタネぇ!

 目が覚めて一番最初に電話する相手があたしじゃなくてこの子!?

 真っ先に電話かける相手はあたしでしょー! 親友でしょうがっ!」

『ごめんねスズナ~、見てたわよテレビ。

 強かったじゃない、流石あたしの親友ね! またバトルしましょ!』

「ばーーーか!!

 まずは謝れっ! 本当に心配したあたしに謝れっ!」

 

 本当にナタネさんが二度と目覚めなかったらどうしよう、という不安を毎日抱えていたパールは、安堵のあまりえぐえぐ泣きだした。

 スズナも声を荒げて照れ隠ししているが、目元を拭うぐらいには、張り詰めていたものが切れたほどほっとしたのは同じ想い。

 死の淵から生還してくれた親友の、元気そうでマイペースな態度も、失われていた日常がやっと帰ってきたことの象徴としていっそう温かい。

 

『パールっ、あたし、目が覚めて一番最初に電話した相手、あなたよ?

 絶対あなた、あたしのことすっごく心配してくれてたって信じてるもん。

 そこで戦ってるあなたのこと、テレビで観ててあたしも心配だったけどね?』

「ぁぅぁぅ……」

『ありがとう、パール。声を聞いたら、あたしも安心したわ。

 あなたのこと大好きよ。あたしのことも好き?』

「ぁぃぁぃ……」

『あははっ、嬉しい。

 これからも、素敵な友達でいてね。年の差なんて関係なくさ』

 

 トレーナーとしては先輩後輩の関係だが、あれだけ毎晩電話する仲だ。

 片方が敬語を使う関係であろうとも、とっくに親しいお友達。

 人なつっこく、電話越しでもナタネさんナタネさんと慕いやまぬパールのことは、ナタネだって可愛くて仕方ないのだろう。

 涙声で辛うじての返事をするパールの声に、ナタネもちょっと涙腺が緩みそうである。

 

『スズナもね。心配してくれてありがとう。

 元気になったら、ジムをお休みにしてキッサキシティまで会いに行くわ。

 おいしいご飯のお店、また紹介してね?』

「ええ、ばっちり調べとく!

 あんたもちょっとはあったかい格好して来なさいよ!

 こっちで会ったらあんたの格好、見てるだけで寒いんだから!」

『それはスズナに言われたくないなぁ』

「あたしは平気だもんね!

 北国生まれを舐めるんじゃないわ!」

 

 涙を拭ったスズナは、嬉しい気持ちをいっぱいに表すかのように声も大きい。

 それが、スズナなりの感情表現だとナタネも知っている。

 生還を喜んでくれる想いを、電話越しでもひしひしと感じさせてくれる親友には、ナタネも胸が温かいもので満たされるばかりだ。

 

『プラッチ君、そばにいる?』

「はい、います。

 ……よかったです、ナタネさんが無事で」

『あははは、もしかして泣いてくれてる?』

「えーと……それはぎりぎり我慢してます。

 男の子ですから、あんまり人前で泣きたくないんで」

『うん、ありがとう』

 

 滲む目をしぱしぱさせ、涙を流すことこそ耐えきっているプラチナは、それを隠さずちゃんと伝えた。

 やはり嬉しいこの気持ちは、全部伝えたくなるというものだ。

 案じてくれていた少年の想いは、鼻をすするナタネにしっかり伝わっていたはずだ。

 

『パール、ごめんね。

 電話をかけたい相手が他にもいっぱいいるの。

 あなたには、今晩もう一回かけるから、今はもう切るわね?』

「ぁぃ、っ……」

『スズナも、プラッチ君も、ありがとう。

 目が覚めたばかりで身体もだるいけど、あなた達のおかげで元気出たよ。

 心配してくれて、本当にありがとう』

「ゆっくり休みなさい。

 あたしの方からも、明日ぐらいにまた電話するわ」

「本当によかったです。

 またパールのこと、可愛がってあげて下さいね」

 

『みんな、大好き。

 それじゃあ、またね』

 

 少しの間をおいて、向こうからの通信が切れた。

 積もる話も沢山ある中、短い通話だったとも言える会話だったが、それでも三人にとっては充分すぎた。

 自分達の手では最善を掴み取れない、天運に任せて祈るしかない命運が、良き形に落ち着いてくれたことを知らせる天使の鐘。

 親友の、敬愛する人の無事を知らせるその一報に勝る、幸福の調べなどそう多いものではあるまい。

 

「スズナさん゙~~~!」

「おーおーよしよし。

 不安だったのね~、あたしも実は、たまに不安だったのよ~」

 

 感極まる想いでスズナに抱きつき、胸に顔をうずめてぎゅーっとしてくるパールを、スズナも片手で抱きしめて頭なでなで。

 なるほどな~、ナタネが可愛がるわけだな~、と思った。

 聞いてた以上に、ナタネは懐かれているんだなぁとしみじみ感じるばかりである。

 

 元から有耶無耶にする予定だった、パールにパンチするという話も、プラチナの頭からは完全に吹き飛んでいた。

 嬉しさのあまりぐずるパールを見ていると、全部どうでもよくなるのだ。

 訪れたハッピーエンドに、プラチナはただただパールの姿を通していっそうの実感を得、文字通りに胸を撫で下ろすばかりだった。



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第110話   Desire

 

「ちょうどいい所に洞穴があるもんよねぇ。

 おかげで今夜は凍えずに済みそうだけどさ」

「……サターン、あんたもしかして下調べ済み?

 あたし達をここまでリードしてきたのもあんたよね?」

「さて、どうだろうな」

 

 キッサキシティよりさらに北上した先の山々の奥、未開の山林の中にひっそりと佇む洞穴に、ギンガ団幹部の三人は腰を落ち着けていた。

 標高が上がるにつれて気温は低くなるもので、洞穴の外で降る雪風もやや強く、外で野宿なんて絶対に出来そうにない。間違いなく凍死する。

 薪代わりになるものを集めてきて、ヘルガーとスカタンクが吐き出した炎による焚火を囲み、火が絶えぬ限り朝まで過ごすことも可能だろう。

 今は夜。野外で焚火などしようものなら、彼らを追って山狩りに赴いた警察の目にも触れかねないところだ。

 隠遁者としてもキャンパーとしても、この洞穴は絶好の宿である。

 

 エイチ湖からの逃亡に際し、サターン達は逃亡の行き先を南部に向けることは出来なかった。

 キッサキシティに近付く走りということは、正義の組織の庭へと自ら飛び込むことに他ならない。消耗したポケモン達とともに、そんなリスクは冒せない。

 山林向かいの北上逃走路を選んだサターンは、マーズとジュピターを導くように先頭を駆け、程よくエイチ湖から離れた場所であるこの洞穴に辿り着いた。

 適当に走ってこんな絶好の隠れ家に辿り着くとは思えないのだ。ジュピターには、こうした場所すら下調べしていたサターンを想像せずにいられない。

 はぐらかすように鼻を鳴らすサターンだが、それはマーズにさえ、肯定の返答にしか聞こえなかった。

 

「どうする? ちょっとは寝ないと朝になってからも大変そうだけど。

 見張りはいるのかしら?」

「必要だな。

 警察連中の山探しで、一夜のうちにここが見つかるとは思えんが、万が一があった時に全員が寝こけているわけにもいくまい。

 あの少女なら、無理を押してでも我々の追跡に手を貸しかねんしな」

「なに、あんたの言う"万が一"って、あの少女ってかパールのことなの?」

 

 ふかふか体毛のブニャットに背中を預け、身体をその体毛に包んでもらってぬくぬくのマーズ。

 マーズに借りたヘルガーが座る体に背を預け、熱のあるそれに触れることで暖を得ているジュピター。

 寄り添うものなくあぐら座りで焚火のそばに身を置くサターンは、未だはずさぬ白い面が炎にゆらめき少々不気味な出で立ちだ。

 

「パールという名のあの少女は、フタバタウンの出身だ。

 そして、幼少の頃の取るに足らぬ、当人にとっては人生を変えるほどの出来事により、フタバタウンのそばにあるシンジ湖にはとりわけ強い思い入れがある。

 恐らく、事あるごとに通い詰めるほどにな。それも、その都度強い情念と共にだ。

 そのせいか、リッシ湖に対して強い"感情"を抱くあの少女には、このエムリットにさえも縁を感じさせているのだろう」

「……情報通よね、あなた。

 あの子にそんな過去があるなんて、あたしだって初耳よ?」

「信頼できる情報筋がある。伊達にギンガ団の最高幹部は務めていないさ。

 情報は、それに踊らされぬ知性があるなら、あればあるほど越したことはない」

 

 エムリットを捕えたギンガボールがある胸元をぽんと叩くサターンが語るのは、親しい相手にしかパールが語らない彼女だけの秘密のようなもの。

 いったいどこからそんな情報を仕入れているのか、マーズやジュピターには想像もつかないだろう。

 誰の口からその話を聞くにしたって、それを知っている人物自体がそう多くはないというのに。

 

「エムリットは、パールという少女が近くに来れば、思念を飛ばして彼女に助けを求めるだろうな。

 まさかあれだけの消耗戦の後で、夜の山狩りにあの少女が参加することはあり得まい。

 よもや自分が我々を探せる切り札であろうとは予想もつくまいし、仮に何の気まぐれで自己主張しようが大人達が受け入れるはずもない。

 あのような子供を、凍える夜の山奥へ連れ込む警察ではないと信頼できるよ」

「頭を痛めるような素振りを見せてたのも、そのせいなのかしら?」

「恐らくそうなんだろうな。

 いかにこのエムリットがパールに対して一定の好意を寄せていようが、こいつはこいつで神にさえも並び、絶大な力を持つ存在だ。

 苦痛に喘ぎ、余裕なく必死に叫ぶこの力が発する思念と波動は、所詮人間に過ぎぬ少女が受け取るには重過ぎる。

 あれだけ苦しむほどの頭痛を覚えるのも、ぞっとしないが想像に足る話だ」

「一定の好意、ねぇ」

「感情の神、エムリットだぞ?

 己が庭たるシンジ湖に、打算も害意も他意も無い強い愛着と情念を常に抱き、幾度も足を運ぶ純真な感情の持ち主など共感の対象にさえなるというものだろう。

 私達のような、常に理性が感情に勝る大人の抱く濁った感情などに比べれば、幼き子供の純粋な想いなど、さながら棲んだ湖水の如く美しいだろうさ」

 

 捕獲されるに際してマーズやジュピターにより徹底的に打ちのめされ、ギンガボールという苦痛の監獄に囚われ、身体を休めることも癒すことも叶わない。

 そんなエムリットは、ボールを携帯したサターンにその力で抗う力すら出せず、唯一接点を持ち得たパールに呼びかける以外のことが何一つ出来ない。

 力を調整する余裕も無いのだ。そんなエムリットの叫びは、泣き声は、ただの少女が受け取るには脳を乱すような念波を飛ばすことで精一杯のもの。

 ギンガボールに懐越しに触れている、かすかにエムリットが発する思念を感じ取れたサターンだからこそ、この仮説を確信めいて語ることが出来るのだ。

 

「……思えば我々も、幼く純真だったあの頃からは、遠く離れたこの地まで長い旅を続けてきたものだ。

 お前も、お前も、そしてこの私もだ。

 私達では、我々が捕えてきたこの三柱の神との理解など、本来ならば到底果たしようもないのだろうな」

「珍しいじゃないの、そんな感傷めいたことを口にするなんて。

 そういうのって、その気色の悪い声で話されても反応に困るけどね」

「あたし達、あんたに本名さえ教えてるのに、あんたは未だにその顔も名前も教えてくれないの~?

 まあ、悪の組織の最高幹部が正体を隠したままっていうのも、なんかそれっぽくていいけどさ」

 

 らしくないことを仰るサターンに、ジュピターは笑い、マーズもいたずらっぽい笑みとともに軽口を叩く。

 言葉を選ぶべき上司のような相手だが、二人も存外サターンには心も許しているようだ。

 くせのある自分達だと自覚している二人にしてみれば、何のかんので邪険にせず、組織の若頭として二人を信頼した仕事を任せてきてくれた上役だ。

 口を滑らせたことで怒らせてしまったら、畏怖や恐怖を抜きにした想いで素直に頭を下げられるほどには、二人もサターンを敬愛している。

 だから、肩の力を抜いた語りが出来るのだ。

 

「……そうだな。

 "僕"もいつまでも、お前達にまで顔を隠したままでは失礼かもしれないな。

 お前達が僕の指示に、疑うことなく従い続けてきてくれたことで、いよいよ我ら悲願も目前に至れた事実を軽視するわけにもいかないな」

「え……」

「ちょ……」

 

 おもむろに、サターンはその仮面をはずしてみせた。

 合成音声を発する機能を搭載した仮面をはずせば、その肉声もマーズとジュピターの前で明らかになる。

 そして、長い髪を携えた仮面で自ら本来の頭髪をも隠していたサターンの素顔は、名乗るまでもなくマーズとジュピターも存じた人物のもの。

 唐突に仮面をはずす行為にも驚いたが、ギンガ団最高幹部サターンの正体が"彼"であったことには、二人も驚愕のあまり一度言葉を失ったものだ。

 

「ボス以外では、お前達二人にしか見せていない素顔だぞ?

 まだ秘密にしておいてくれよ?」

「あ、あははは……

 うっそぉ、あんた、そんな大物だったの?」

「ギンガ団最高幹部、ね……

 表も、裏も……よくもまあ、白々しく二つの顔を使い分けていたものだわ……」

 

 表のギンガ団。

 オーナーと呼ばれる"コウキ"という名の指導者に導かれ、トバリシティに拠点を置く財団法人めいた、高出力エネルギーを産出する大企業。

 裏のギンガ団。

 世には影も形も見せぬボスの一つ下、世間に知られる限りでは最高幹部たる"サターン"が導く、不可解な思想と目的とともに咎ある行為に臨む無法集団。

 

 二つの組織は別物だと、表のギンガ団の最高指導者であるコウキは常に唱えてきた。

 確かにそれは事実なのだろう。トバリシティに根差すギンガ団に属する労働者達は、決して悪のギンガ団として行動しているわけではない。

 悪のギンガ団が率いる兵、下っ端連中は、他方から寄せ集めたモラルの欠けし無法者どもに過ぎない。

 トバリシティで立派な社会人として、ギンガ団員として社会貢献している大人達に、悪のギンガ団として暗躍する者は一人もいないのだ。

 だからオーナーたるコウキの訴える、我らギンガ団と悪しきギンガ団は別物だという主張を、トバリのギンガ団員達は誰一人疑わず肯定してきたものだ。

 

 身内さえ欺き、表ではトバリのギンガ団を導きながら、裏では悪しきギンガ団を導いてきたコウキ。

 コウキの名とサターンの名を等号で繋ぐことが出来る現実を知ったマーズとジュピターは、流石に驚きを禁じ得なかった。

 

「去年、トバリシティで行われたアンケートを知っているか?

 子供達が尊敬する大人、ベスト5なんてものをテレビで特集したんだがな。

 そのトバリシティ部門で、まさかの堂々の一位を取ったのは誰かわかるかな。

 まあ、お前達はテレビなんて見られる時間が少ないだろうから知らないか」

「見てなくたって、今の流れだったらわかるわよ」

「あたし見てたわよ、その番組。

 それはギンガ団オーナー、コウキさん!」

「いやー、びっくりしたね。

 よその街では殆どがチャンピオンシロナ、違う結果になるとしたらせいぜいご当地ジムリーダー様だよ。

 それがトバリシティ部門では、シロナはおろかスモモも抑えて僕がトップだ。

 尊敬できる大人ナンバーワンだぞ? それだけみんなにわかるほど、社会貢献し、敬われる人物になっていたってことだ。

 正直、誇らしかった。本当に嬉しかったよ。何年もかけて頑張ってきたことが報われた、そう感じられてたまらなかった」

 

 手を広げ、心からの笑顔を浮かべ、今思い出してもあの時の感動は忘れられない、という無邪気な顔のサターンだ。

 仮面の奥から冷徹な指示を下していたサターンと見比べれば、まるで別人。

 しかし、世間の前に顔を出す時のコウキの表情として、その姿は何ら違和感なく彼らしいとさえ言える。

 どちらが本当の彼なのだろう。二つの顔を共に知るマーズとジュピターには、それがわからなくなってしまう。困惑さえする。

 

「……ねぇ、サターン。

 いや、コウキって言うべき?」

「サターンでいいよ。

 お前達にはそう呼ばれ続けてきたからな。あだ名のようなものでその方が耳に馴染む」

「……………………あたしには、あんたのその顔、気立てのいい大人の顔を演じてきたものには見えないわ」

「…………」

 

 マーズの言葉に、ジュピターは沈黙を以って同意する態度を表すことしか出来なかった。

 単なる自慢話なのだろうか。立派な大人だと胸を張れない自分達を前にした、僕はこれだけ立派な社会貢献者だぞというマウント理論なのだろうか。

 そうは思えないのだ。その程度の器たる人物が、ならず者集団たる悪のギンガ団を纏め上げ、ここまで導いてこられたものだとは到底想定できやしない。

 サターンが導いてきた悪の組織の構成員とは何者か。すべて、大人だ。

 一人一人が、酸いも甘いも二十年以上経験し、苦い経験を恐れて無意識にでも、本能的にでも、他人の嘘や落とし穴には敏感にならざるを得ない者達。

 そんな者達百人以上を、底の浅い指導者が率いるなど出来るはずがないのだ。大きな組織を率いる若頭に、悪に通ずるカリスマたるものは絶対に必要だ。

 相手の境遇を暈に着たような自慢話で鼻高々になるような、自ら反発を買うようなことをするような者に、そんな器が宿っているはずがない。

 

「ああ、勿論だよ。

 僕はギンガ団――トバリシティを地盤とするギンガ団の方だな。

 それを導き、トバリシティの人々の暮らしを豊かにしていくために尽力する日々には、充実したものを感じていた。

 その裏で悪のギンガ団として、暗躍するための力を蓄えていたことも事実ではあるけどね。

 だが、そのためにはまず街に貢献し、社会的な信頼を得ることが肝要だという目的に対し、心から前向きに臨めていたことも事実なんだ。

 一つの成果が、大きな発展に繋がり、豊かな暮らしに喜ぶ人々の笑顔に繋がり、それを僕は地元民として身近に触れることが出来た。

 それによって仕事を奪ってしまった相手もいたけれど、時間をかけ、話し合い、なんとか折り合いをつけ、共に街のために知恵を搾る同胞として認め合えて。

 何歳も年上の敬うべき大人達が、僕を飲みに誘ってくれたあの日々なんかは、商売敵だった僕をも認めてくれたんだなって嬉しかったものだよ。

 本当に、トバリシティのために働くこと、結果を出していくこと、その結実によって満たされる街に僕もまた満たされていたんだ。

 これは本心だよ。尊敬する大人の一番に選ばれた日は、本当に嬉しかったんだ」

 

 わかるとも。それを自慢するように語るサターンの、いや、コウキの顔は、嫌味一つなく本当に誇らしかった。

 僕は優れた人間だと言いたいわけじゃないことも、お前達なんか僕の足元にも及ばない落伍者だという含み一つ無かったことも、マーズ達は信頼できる。

 たまらなかったんだ、聞いてくれ、誰かに話したいぐらい嬉しいことだったんだという、純真な想い一つだった表情と声だったと、大人の目で理解できたのだ。

 

「それだけ、満たされていたんだ。

 そんな僕でさえ、叶えたい何かのためには、悪に身を堕とす道さえ断つことが出来なかった。

 ……きっと僕が、十代のまだ純粋な心の持ち主のままで同じ境遇にあれば、この道を突き進むことなどなかっただろうさ。

 充実した日々に身を置くことを選び、悪の道から足を洗い、裏の悪しきギンガ団に与し、率いることなどどこかでやめることが出来ていたんだろうな」

 

 いくつもの含みがあった。

 子供の頃なら選べた正しい道を選べなくなった、純真さを失った大人という存在の業の深さ。

 そして、それだけのものに満たされていながらも、この道を進むことをやめられなかった己の愚かしさ。

 加えて言うなら、それは世間に否定される道であり、自らでさえ愚かしいと断じ、否定さえする魔道に身を置く救いようの無さ。

 さらには、自身を最も尊敬する大人だと評価してくれた、トバリシティの人々に対する裏切りに手を染めている罪深さ。

 自嘲気味に笑うサターンの、コウキの表情の声には、マーズもジュピターも受け取るものが多すぎて言葉も無い。

 

「マーズ。

 君は幼い頃に喧嘩して、別れ、二度と会えなくなってしまったニャルマーに再会したくて、僕達に手を貸している。

 君にはもう、新しいブニャットというベストパートナーがいるのにな。

 それでも、その夢を追わずにはいられないのだろう?

 きっとそのブニャットは、自分よりも大事なニャルマーがいると君が訴える姿に、私じゃ駄目なのかってずっとやきもきしているぞ」

「……お前、って呼びなさいよ。

 あんた、あたし達のことはずっとそう呼び続けてきたじゃないの」

「すまないな。

 素顔で好き勝手に話させて貰うと、抑えていたものが全部溢れるんだ。

 ずっとサターンとして、理だけを重んじたつまらない大人を演じてきたからな」

 

 からっとした笑いを浮かべる男前のサターンの表情を前に、マーズは頭が痛くなってくる。

 同時に、自分が背中を預けている今のベストパートナー、ニャムちーの頭を撫でて許しを請うほど胸をじくじくとさせて。

 わかっている。たった一つの己がわがままのために、許されじことをいくつもやってきた。

 サターンが自身の経歴を引き合いに語ってくれた、歪んだ大人がいま歩む身勝手な道を、自分もずっと歩き続けてきたのだ。

 

「空間を支配し、この世すべての隔てた距離をゼロにさえするその力を統べ、私をあの日失った友達の元へと導いてくれる。

 ……あたしは、神の力を得んとするボスの夢を支え、それを叶えさせて貰えると信じていいのよね?」

「ああ、勿論だ。

 ボスには、それが出来る器がある。

 だからこそ僕も、ボスに力を貸している」

 

 シンオウ神話に語られる大いなる神。それは、空間を操る力を持つ。

 マーズは、その力を求めている。失われた縁を、若き自らの過ちが失った掛け替え無き絆を、悔いてやまぬあの日々を取り戻すために。

 

 マーズは二十歳になったばかりだ。大人と呼ばれるようになったばかり。

 いや、成人の定義にわざわざ愚直に従わなければ、一年か二年前から大人の仲間入りと称されて然るべき年齢だろう。

 そして大人になれば、いくつものものを、賢く、賢しく、諦めていくことをも求められる。それが大人というものだ。

 もう八年も前、12歳の時に喧嘩別れして一度も再会を果たせていないニャルマーとの再会なんて、もはや諦めろと誰だって言うはずだ。

 それを諦められなかったマーズだからこそ、普通の手段では叶えられない夢を果たすため、ギンガ団に与している。

 今さら、後戻りは出来ない。それだけのことをやってきたのだ。

 

「ジュピター。

 君はポケモンコーディネーターとしての自らの才に見切りをつけ、トレーナーとしての自らの才を信じ、過去に戻って人生をやり直したいんだよな。

 果たしてそれが、今の知識や経験を以って生まれ変わった自分であってなお、頂点を極められる人生となるかはわからないぞ。

 そこまでして尚、頂点を極めることが出来なければ惨めだという怖さがあることも君は知っているはずだ。

 それでも、時を遡る力を君は求めてやまないんだよな?」

「……果たせるものなら、次の人生ではすべてを懸けるわ。

 あたしだって、今の汚れたあたしじゃなく、胸を張って誰にだって誇れる道を歩みたかった。

 人生をやり直すだなんて反則だけど、その反則を実現するためにすべてを尽くす今のあたしを、次の人生のあたしは絶対に否定しない。

 必ず頂点を……いや、シンオウ地方のチャンピオンじゃなく、全世界のチャンピオンにも勝る最高のトレーナーになってみせるわ。

 それを今の時空であたしに傷つけられ、踏み台にされた者達へのはなむけとさせて貰うわ」

 

 シンオウ神話に語られる大いなる神。それは、時空を操る力を持つ。

 ジュピターは、その力を求めている。かつて見誤った自らの才、それによって歩んだと思えてならぬ、挫折と悲観に満ちた悔い多き人生を改めるために。

 

 あの日、ああしていれば。あの頃、あんな道に進まなければ。

 大人になっても、そんな後悔はいくらだってある。いや、大人であればこそ、時を経ればこそ、そんな悔いのきっかけはいくらでも増えていく。

 時を遡り、こうであってほしくなかった人生を描き換えたくなることは、子供じみた悔いなどでは決してない。

 そんな後悔を、賢しい大人達は愚かなことだと結論付ける。不可能だから、考えても仕方のないことだから。だが、叶えられるならば?

 数ある選択肢の正解を知った大人になった今、その知識を抱えたまま幼き日々に生まれ変わり、すべてをやり直したいと願うことは愚かな夢妄想なのだろうか。

 そんな妄執に取り憑かれたジュピターだからこそ、時を遡る前の今の"前世"で、手段を選ばず非道に手を染めることも厭わない。

 今の自分が、幼く純真な頃の自分が見れば、最低最悪な大人だと軽蔑するような自分であるとわかっていても、なお。

 今さら、後戻りは出来ない。それだけのことをやってきたのだ。

 

「僕達が子供だった時、大人達の姿はどう映った?

 口やかましく僕達を躾ける親、身勝手な子供達を叱る大人達、それらが唱えるのは美しく社会的に肯定される正義の数々。

 おもちゃを買って欲しいからって泣き叫ぶな、周りの人の迷惑だから。

 いくら楽しかったからって夜遅くに帰ってくるな、心配だから。

 どれだけむかついても暴力を振るうな、自分が同じことをされたら嫌だろう。

 鬱陶しくも感じた小奇麗な言葉の数々が、大人になった今では、自らを律し、他者を幸福にさせことが出来る正しい生き方を説くものだったとわかる。

 幼い頃に見渡す中で目に入った、毎日靴底をすり減らし、寝坊もせずに朝起きて、出勤する大人達の姿に、今では敬意さえ覚えることが出来るじゃないか。

 大人達って凄いんだ。勝てない人達だ。子供心に僕達は、力や背丈で勝る大人達に、そうした感情を無意識にでも抱いていたはずなんだ」

 

 親に起こされるでもなく毎日きちんと起きて、遅刻もせずに仕事に行き、それを一年も十年も繰り返し続ける大人達。

 そんな苦労を我が子に理解して貰えるはずもなく、反抗期の我が子にさんざん生意気に罵られても、家族の生活を守るため出勤を繰り返して。

 誰にでも出来ることだと評価されにくい家事や炊事を、自分のためだけでなく家族のために、朝から晩まで毎日、毎週、毎年休みなく繰り返して。

 理解し合えぬこともあり、殴りたくなるほどの憎しみを胸に妻や夫と喧嘩することさえあれど、家族の日々を守るため、明日も渾身の想いで生き続けて。

 苦労のかかる我が子に手をかけながら、口うるさくも見捨てられない自らの親を養い、忘れられず、喪い弔うその日まで上にも下にも献身して。

 孫が可愛くて我が子を躾けていた時の牙が抜けた老人もまた、そんな日々に辿り着くまで何十年も、社会人として休む間も無く力強くき続けてきて。

 

 かつてわかっていなかった大人達の凄さは、自分達が大人になって初めてわかる。

 本当に、みんな、みんな凄かったのだ。武力なるものが否定されるこの時代にあってなお、ずっと、ずっと戦い続けてきた、戦い続けているのだ。

 サターンも、ジュピターも、マーズも、子供達であった自分達が様々な想いで見上げていた社会人達に対する印象は、大人になった今その想いに尽きる。

 

「まさか大人になった僕達が、かつて敬った大人達の姿とは似ても似つかない、身勝手で、傲慢で、他者の犠牲も顧みない悪党になっていると思ったか?

 そして僕達が率いる悪しきギンガ団もまた、年だけ重ねて体だけ大人になり、非道も顧みぬ心は子供のままのならず者達だ。

 僕達が、力だけ得てその力を振るい、他者の血や涙を糧に我が儘な道を叶えんとする、たちの悪い子供達のままであるのと同じようにだ」

 

 だから、いくら己の心に蓋をしようとも、決して逃れられない負い目がある。

 自分達は、退屈なようで正しかった、平凡なようで誰にも恥じることなき形でこの社会を支えていた、あの大人達のような立派な大人にはなれなかった。

 受け入れ難き現実を拒絶し、それを塗り替えるためなら、誰かを傷つけることさえ厭わない。

 きっと幼き頃の自分達が今の自分を見れば、軽蔑の眼を向けてくるであろうことをわかっていて、なお。

 どれだけ今の自分の価値観で己を肯定しようとしても、かつてと今を含めた自分自身を、嘘で騙したり誤魔化したりすることは出来ないのだ。

 出来た気になっているなら、それはただ現実から目を背けているだけだ。

 

「いくつになっても、大人は迷子だ。

 今になれば敬える、かつて僕達が見上げてきた大人達も、今の僕達のように誰にも語れぬ苦悩を胸に戦い続けてきた。

 だから、僕達が率いるような歪んだ下っ端達のような、幼い頃の僕達が軽蔑するような大人達もまた絶えない。

 正しき戦い続けることをほんの少しやめ、転げ落ちた末に悪としか呼べぬ存在となった大人の姿もまた、僕達は見届けてきたはずだ」

 

「……悔い改める道があるとでも思ってるの?」

「愚問だな。僕達は、それを捨ててここまで来た。

 今さら引き返せないことは、君達が誰よりもわかっているはずだ。

 決して悪の組織の最高幹部として、逃げれば只ではおかぬと脅す意図はないぞ。

 君達が、やはりと引き返すならば、僕は咎めも引き止めもしないし、今の地位にある権力を以ってして制裁を課すことも断じてしないさ。」

 

 サターンは、誤った道へと進んできたマーズとジュピターを、そして自らを否定する論駁を厭わない。

 正しいことを言うのが大人だ。そして、その上で叶えたい何かを果たす能力を持つのも、二十年以上生きてきた大人の知恵の賜物。

 真実を突きつけるサターンとて、マーズやジュピターと同様に、数多くのものを傷つける組織の最高幹部としての指揮を繰り返してきた。

 己が手を下してきたかどうかなど関係ない。その手引きをしてきたという自らに対して目を逸らすほど、彼とて現実逃避する器ではない。

 今さら、後戻りは出来ない。それだけのことをやってきたのだ。

 

 人は、費やしてきた日々や犠牲、道徳を、道半ばにして諦めて無駄にすることなど相当に出来はしないのだ。

 それは、失ってきたものが掛け替え無きほど、尚更に。

 さながら大金を失ってなお、これ以上の喪失は自滅に破滅にさえ繋がると自覚しながら、崖の向こうへ跳ぶことをやめられない博打好きの如く。

 

 便利な言葉だ。『今さら後戻りは出来ない』

 かつては子供だった大人達の心がどれだけ濁っても、必ず、ひとかけら以上の良心はそこに残っている。

 悪党を自称し、良心のひとかけらも残らぬ自らを謳ういかなる者とて、己を正当化せんとする時には"正論"を吐きたがる姿がそれを物語っているではないか。

 そんなマーズやジュピターの、かすかに残る良心を抉るサターンの言葉も、二人を今さら後戻りさせぬことを彼は知っている。

 不都合は無い。好きなように語ろうとも。だから、彼はギンガ団最高幹部として、数々の部下を束ねてきた器としてこれまで在ったのだ。

 

「ねえ、サターン」

「ん?」

「あんた、あたし達にそんな小奇麗な話をして、何が言いたいの?」

 

 耐えかねたジュピターの、直球の問い。

 サターンは今もまた改めて、自嘲するような笑い。

 その態度には、本当に、相手を小馬鹿にするような意図や気配は無く、自分自身の弱みを隠さぬ姿そのものだ。

 

「いや、何だろうな……

 僕にしてみれば、君達はしっかりしていると思うんだ。

 かつて離れ離れになった親友に会いたいという未だ無垢な想い。

 かつての過ちを正したいという、共感さえ覚える人間的な望み。

 皮肉じゃなく、尊敬しているんだ。そのために、胸を痛める本心を抱えて、我が道を突き進めるその姿がね」

 

「……本当に、はぐらかしてるわけじゃなさそうね」

「じゃああんたは、何がしたくてギンガ団にいるのよ?」

 

「…………」

 

 核心を迫るマーズとジュピターに、サターンは僅かな沈黙を作った。

 話術の一端として、沈黙や間を作ることは出来るサターンだ。

 この沈黙は、何らかの目的があって作ったものではない。ただ、彼が言いづらいことを躊躇う間だ。

 先の言葉に嘘が無いものだと信じられる表情と声のサターンだからこそ、マーズとジュピターもそうだと確信することが出来た。

 

「……大きなことが、したかったんだ。

 ただ、それだけだよ」

「抽象的ね」

「申し訳ないが、これ以上は問い詰めないでくれ。

 ……僕も、これ以上を上手く語れる言葉が見つからないんだよ」

 

 少々力無く笑うその表情は、身内からすれば踏み込みづらくなる顔だ。

 ずるさはある。流石に悪の組織の大幹部だ。

 ジュピターは舌打ち気味に、マーズは溜め息混じりに、それを受け入れこれ以上は追及しないのだから、それもまたサターンの築き上げてきた強み。

 二人が身内として認めさせてきた実績と、それを叶えたサターン自身の、二人を親近感ある身内として捉え語り合ってきた日々の賜物だ。

 

 つくづく人の上に立つ者のうち限られた一握りというのは、計算し尽くされた態度や言動のみに留まらず、他者をたらしこめる才に溢れたものである。

 尊敬できる大人の第一位とさえ称されたコウキが、悪の組織の重鎮サターンたるというこの現実は、社会的に見て本当に嘆かわしいことだ。

 

「それより、マーズ、ジュピター。

 ひと休みする前に改めて確認しておきたい。

 ギンガ団幹部として、君達に課すラストミッションだ」

 

「ええ、わかってるわ」

「……わかってる」

 

 エイチ湖のアグノムを捕獲するという、悲願に向けて必要なことを果たす、最後の山場は乗り越えた三人だ。

 後はもう、三人は定められた未来に向けて、組織の最高戦力として立ち回るのみ。

 その中で、マーズやジュピターの能力を活かす最後の仕事を、サターンは二人に課そうとしている。

 

 そして、その内容は二人も理解している。

 ジュピターは、ただ頷いて。

 マーズは、心にもやのかかった表情で首を動かさず肯いて。

 

 そんなマーズの心境も、サターンは当然理解している。

 ジュピターと異なり、悪の組織としては甘さが、人としては正しく良心の残るマーズに、このミッションは心に引っかかるものがあろう。

 だが、彼女にこそ最適な役割だ。マーズの性格を鑑みれば、ジュピターではなく、マーズにしか任せられないこと。

 それもまた、コウキとしてではなく、サターンとしての非情な指令だ。

 

「……頼んだぞ、マーズ」

「…………うん」

 

 追われる身。緊張感があるはずの境遇。

 それを忘れさせたサターンの語り口は、マーズを心からラストミッションに集中させ、雑念を抱かせない。

 それもまた、ギンガ団最高幹部として、部下や同僚には悟られぬままにして、心を操る手腕の一端だ。

 サターンの長い話には、間違いなく意図的に、マーズにそれを強く認識させる目的があったことに疑いはない。

 やはり、サターンはサターンなのだ。悪のギンガ団として身を置く限り、社会的にも敬われるコウキとしての姿がすべてではないということだ。

 

 

 

 ギンガ団の悲願が果たされるとしたその日はもはや、目前にまで迫っている。

 それを阻まんとする者達との戦いは、必ずこの後にも訪れる。

 そしてそれは、悪を挫かんとする者達もまた、これ以上は負けられないと強く意識してのものとなることが確約されている。

 迎え撃つ者達もまた全身全霊だ。戦いは、片側の強い想いだけで成り立つものではない。

 憎まれるべきことを重ねてきたからこそ、時を追えば追うごとに、戦いが熾烈になることはサターン達こそ自明の理と認識してやまない。

 それは、リッシ湖、シンジ湖、エイチ湖のミッションと、時を追うごとに敵の数が多くなったサターン達が、身を以って経験してきたことでもある。

 

 宿願まであと少し。だからこそ、ここからが大詰めだ。

 作戦の全容を知るギンガ団幹部の三人は、そう確信している。

 シンオウ地方のすべてを巻き込み得る、運命の日が近付いているのだ。

 歴史の節目、そう言い表して何ら過言無き日が、間もなく訪れる。



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第111話  最後の旅路へ

 

『マーズ、首尾はどうだ?』

「ええ、順調よ。

 手厚いサポートのおかげで、対象との接触は叶いそうだわ」

『何よりだ。

 そのまま頼むぞ、ボスからの勅令だからな』

「……ええ、わかってる」

 

 カンナギタウンから東や南の街へと続く210番道路。

 整えられた道をはずれれば、やや険しい山岳地帯たるその北部に、俗世から身を隠す指名手配犯が潜んでいた。

 赤毛のマーズは悪のギンガ団幹部として今や相当に名高くなっており、人里に降りることなどもはや叶わない身分だ。

 ギンガ団としてのミッションに関わらぬ隠遁生活の今、ギンガ団幹部としての正装は片付けており、レザージャケットを羽織るカジュアルな着こなしだ。

 髪型もツインテールに纏めており、赤毛と顔にさえ目を瞑れば、ギンガ団員だとは到底見えぬ私服姿である。

 

 エイチ湖での騒動から二日経った。

 キッサキシティの北の山々を抜け、追っ手を撒く回り道を経てテンガン山を越えた、サターンを筆頭とするギンガ団幹部の三人。

 サターンとジュピターは、長らく正義の目から隠し通してきた、悪のギンガ団の総本山たるアジトへともう移っている。

 マーズだけが単独行動だ。彼女にしか出来ない任務が一つある。

 そのためにマーズは仲間達とは別行動で、この第210番道路に身を隠しているのだ。

 

『乗り気でないのはわかる。

 何だかんだで、お前は非道に徹しきれない奴だからな』

「……だって、今回の仕事はあんまりよ。

 あんな可愛い子達を嵌めようっていうんでしょう?

 それも、あの子達の正義感に付け込んでさ」

『可愛い、か。情が移ったか?』

「どう、かしらね……やっぱ邪魔してくる奴らだし、いざ敵対したら鬱陶しいし。

 でも、正しいことをしようとしてるのはあの子達よ。

 良くない手段で叶えたいことを叶えようとしてるのは、やっぱりあたし達だから、さ」

 

 トランシーバーを介してサターンと通話するマーズの表情は暗い。

 万が一この会話を、そばにいる誰かに気付けずマーズが傍受されることになってはまずいので、サターンの声は合成音声によるものだ。

 その淡々とした無感情な声が、今のマーズにとっては嫌だった。

 元より血も涙も無いようなミッションを自分に任せてきたサターンの、人としての感情を読み取れない声は、いっそう冷血に聞こえるからだ。

 

「……本当に、これって必要なことなの?

 関わらせなくたって、いいじゃない」

『ボスの意向だ。

 正直なところ、私にもボスの考えているところはよくわからない。

 だが、わざわざ私を介してこのような勅令を下すということは、意味があり、必要なことだということだろうな』

「あんたが考案した作戦を、ボスの名を借りてやってるわけじゃないのよね?」

『いくら私でもそんな小賢しいことはしないよ。

 確かにお前が嫌がりそうなこのミッション、あくまで対等な僕からの指令であれば、お前にも拒否権めいたものが生まれてしまうがな。

 だからと言ってボスの名を勝手に使うような、一線を越えることは流石に私もね』

「…………信用するけどさ」

 

 それだけ、マーズは嫌なのだ。

 最高幹部とされるサターンだが、あくまでたった三人のギンガ団幹部として、マーズと立場は対等である。

 サターンからの指示であれば、マーズは断っていただろう。あたしは嫌、あなたが自分でやってよ、と絶対に返していた。

 ボスからの指令だから、完全なる上役からの指示だから、マーズは己を殺してでもその指示に従っているだけだ。

 

「あたし、あんまりこんなこと考えたことなかったけどさ」

『うん?』

 

「きっと、地獄に落ちるわよ。

 あたしも、あんたも、ボスだってそうよ。

 それだけのこと、しようとしてるわ」

 

『元々我々は、悪の組織だろう。

 褒められたものではないことを積み重ねてきた身分だ。

 今さらとしか言いようがない』

「今までやってきたことと、今回のことが一緒だと思うの?」

 

 サターンは、沈黙を作った。

 いくつもの悪行を重ねてきたギンガ団。今さらだと言うのは簡単だ。

 それでも、そう簡単に言ってのけられるものではないでしょうと訴えるマーズに、サターンも相応の思考時間を短くも設けて。

 

『同じだ。

 これ以上、余計なことを考えるな。己の心を自衛しろ』

「……………………わかった」

 

 言葉とは裏腹に、同じではないと言うも同然のサターンの返答だった。

 それでも、同じことだと思えと。そうして、苦しむ自分の心に蓋をしろと。

 心中察して慮る言葉を向けられては、マーズもこれ以上の追及が出来ず、トランシーバーの通信を切る。

 話の途中だったかもしれない。だが、今はこれ以上、誰とも話したくなかった。

 

 自分自身が自分自身を苦しめる。ずっと努めて目を背けてきた良心の呵責。

 度の過ぎた悪意を形にする任務を目前とし、マーズは自分の胸をぎゅうと握りしめ、痛む胸の内側に耐えるばかりだった。

 これから自分が担ぐ片棒は、それほど罪深いものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初めて来た時より、なんだかだいぶ歩きやすい気がするね~」

「一度歩いた所には違いないしね。

 でも、あんまり調子に乗ってると足を滑らせるよ」

「わかってるわかってる~♪

 よっ、ほっ、とりゃっ」

 

 昼過ぎの210番道路には、山を下るパールとプラチナの姿もあった。

 初めて通る時はその険しさもあって、少々歩くのにも苦労した山道だが、一度往復した経験があると、以前よりもだいぶ歩きやすい。

 それにそれ以降も、パール達はテンガン山やキッサキシティ近辺の雪道、あるいは鋼鉄島と、それなりの荒い道を歩く経験も積んできた。

 今朝カンナギタウンを出発し、山を下ってトバリシティ方面へ向かうパールとプラチナの足取りは軽い。

 

「あぁもう、これ絶対失敗するやつだ。

 パールが調子に乗るとろくなことがないからなぁ」

「うるさいぞプラッチぃ!

 確かに私そういうとこあるけど、だからって毎回そんな、っ、あわわわっ!?」

「凄いね。

 そんなすぐ回収できるんだ」

 

 斜面と凹凸が共存して広がる山道は、一歩ごとに足を捻らないよう気を付けるぐらいで丁度いい。

 今はもうこれぐらいの道も平気平気、と、ぴょんぴょん跳ぶようにして進んでいくパールは、身軽でバランス感覚が良い。運動神経は良い方なのだ。

 が、調子に乗っていたらプラッチ君の仰ったとおり、窪みに靴の裏を取られて転びそうになっている。

 前のめりに転びそうになって、そのまま両手を前について倒れてもいいが、それはそれで後ろのプラチナにスカートの中身を晒しそうで。

 左手でさっとスカートを押さえて、わたわた前のめりに急ぎ足を進めてバランスを取り、どうにか平坦な場所に足を着けたらぐるっと体を回して立つ。

 やはり運動神経は良い。ただ転ばないだけでなく、身体の使い方が上手い。

 

「見たな?」

「ちゃんとスカート押さえてたじゃん、見えるわけないじゃん」

「そこちゃんと見てたってことは、さてはめくれるの期待してじろじろ見てたってことだな?

 すけべー! プラッチがすけべー!」

「ダメだこれ、なぐろう。

 最近パールのことは殴ってもいい気がしてきた」

「寄るな触るな近付くな~! けだものめっ!」

 

 歩み寄るプラチナから逃げ回るパール、追うプラチナ、遊びながらの下山道。

 言葉遣いは喧嘩のそれでも、笑顔がこぼれる二人の表情は、お互い楽しんでいることを疑い合う余地もなかった。

 慎重に進むことを好むプラチナとて、軽快な足運びですいすい逃げていくパールを追う足取りは、彼らしくなく素軽かった。

 

「あ、パールそっちは駄目だよ。

 道が逸れるしガケ方面だし」

「ありゃ、ごめん。

 軌道修正、軌道修正、っと、とと、あわっ?」

 

 だからお馬鹿なやりとりをしながらも、プラチナが真面目なトーンで注意すれば、素直に従うパールである。

 進む方向を改めるに際し、ちょっとの悪路に足を取られ、身体が傾きそうになるパール。

 充分自分の足で踏ん張って転ばずにいられていたが、近くにいたプラチナは危ないと思って、思わずパールの手を握って引き留める。

 

「ほら、危ない危ない。

 自信あるのはわかるけど、怪我すると後が大変だよ?」

「えへへ、ごめんごめん……」

 

 今のは助けて貰えていなくたって転ばなかったけど、心から心配して咄嗟に手を伸ばしてくれたこと自体がパールには嬉しかった。

 手を離したプラチナに照れ臭く笑うその表情が、プラチナにとってはちょっと誇らしい。

 ついつい口うるさくなってしまいがちな自覚はあるし、だけどそれを本音では嫌がらずに聞いてくれる、そんなパールとの親しい間柄は自慢さえしたい。

 好きな女の子と悪くない関係なのだ。嬉しいに決まっている。

 

「もうそろそろ分かれ道だよ。

 行き先はトバリ方面でいいんだよね?」

「うん、そっちの方がナギサシティに近いしさ。

 最後のジム戦、今から想像するだけで気合入ってくる!」

「うん、その調子だよ。

 大丈夫だよパールなら。今までも、そんな感じで乗り切ってきたんだからさ」

 

 間もなく山道も終わりを迎え、トバリシティへ向かう215番道路への分かれ道が近付いてきたところで、二人はルートを確かめ合う。

 パールが目指しているのはナギサシティだ。8つ目のジムがある、バッジ集めの旅の最終目的地。

 トバリシティへ向かい、そこから南下し、やがてはナギサシティへ到達するその道は、二人の旅の終わりが近付いていることをも物語る旅路だ。

 最後のバッジを手にすれば、あとはポケモンリーグに挑むだけ。

 シンオウ地方を巡り歩いてきた長い旅も、いよいよ大詰めというところである。

 

「楽しかったよね、これまでの旅、ずっと。

 プラッチに色んなこと教えて貰いながら、二人でさ」

「まだ終わったわけじゃないんだから、今から纏めみたいなこと言わなくても。

 ……まあ、終わりが近付いてるのは僕もわかってるし、それを想像しちゃうと寂しいけどさ」

「あはは、私も実はそれちょっとあったりする。

 ほんとに、楽しかったからさ」

 

 並んで歩く二人も、それを意識し始めているのだ。

 ナギサジムでのバトルを、そうそうあっさり通過できるとは思っていないけれど。

 やっぱり、挑戦一発目でクリアするぐらいの、気持ちのいい勝ち方が望ましいとは感じるし。

 だけどそうなれば、旅の終わりはいっそう近付き、二人でこうして旅する日々の幕切れもそれだけ早まる。

 これまでの日々が楽しければ楽しかったほどに、今まで遮二無二目指してきたはずの"前進"に、少しの躊躇いさえ覚えるだけのものがある。

 

「プラッチ、ありがとう」

「今?」

「早いかもしれないけどね。

 まだまだお礼を言いたくなることって、これからもあるかもだけど。

 でも、一回ちゃんと言っておきたいな。本当に、今までだけでも、たくさん、たくさん、お世話になってきたよ」

「いいよ、別に。

 友達でしょ、パールが困ってたら何だってするよ。

 今までもそうだったし、これからもずっとそうだよ」

「えへへへ……!」

 

 口にしてから、少し格好つけ過ぎたかなとプラチナは考えもしたけれど。

 すぐに、どうでもよくなった。パールの嬉しそうな顔を見たら。

 それに、今一度自問自答してみたとしたって、自分の口にしたことは本心だ。

 照れ臭く感じる必要は無い。堂々とした笑顔をパールに向けるプラチナの表情が、いっそうパールには頼もしく、嬉しかった。

 

「旅が終わっても、僕達はずっと友達でしょ。

 機会があったら、また色んなとこに二人で行ってみよう。

 バッジを全部集めたら、各地のジムリーダーさん達と"本気"のバトルも出来るしさ」

「あははっ、それいいかも。

 そしたら真っ先にハクタイシティに行きたい!」

「だろうね、言われなくてもわかってた」

 

「プラッチ、応援してね?

 ナギサジムでも、絶対に勝ってみせるから。

 それからも、ずっ、と……」

 

 改まって口にしようとしたところで、パールは思わず口ごもった。

 パールだって女の子だ。今、自分、けっこう思い切ったことを言おうとしてることに気が付いてしまって。

 でも、言いかけたことはやはり誤魔化せない。

 それに、プラチナがそうであったように、心からそう思って口をついたことを恥じるべきではないという信条は、奇しくもパールも持ち合わせている。

 プラチナは、ずっと、という少し特別な言葉にどきっとしたが、赤ら顔で足を止めたパールを前に、その言葉の続きが待ち遠しくなる。

 

「えっと……その、ね?

 今までみたいに、その……ずっと、そばにいてくれると嬉しいな、って……

 め、迷惑? じゃないよね? じゃないって言って欲しいとこなんだけど……」

「……大丈夫だよ。

 僕も、そうさせて貰えたら、嬉しいなって思うぐらい」

「あ、あはははは!

 約束だよ! まだまだ一緒にいてね!」

 

 耳まで真っ赤にして、誤魔化すように大きな声で笑うパールに、プラチナも色に染まった頬をかきながらパールを直視できなくなった。

 胸が苦しい。でも、幸せな痛みだ。

 きっとパールも同じ想いでいてくれることが、ただわかるのではなく、確信できる。

 心と心が繋がって、しかも好意を、それも単なる友達以上の、異性として意識し合っていることを理解し合えているのだ。

 初々しい笑顔を目を合わせられずに浮かべ合い、ちらちらと見逃したくない相手の今の顔色を伺う目の動きもまた、恋に未熟な子供同士の幼い挙動である。

 

 きっと、大人になってもこの日この時のことを、二人は絶対に忘れないだろう。

 旅の終わりが近付く中、今までと違う二人の関係が始まりつつあった日だと信じられる、特別な瞬間だ。

 きっと、いや、間違いなく。

 パールとプラチナは、二人で旅をするようになってから、今まででは一番幸せな瞬間を噛み締めていた。

 

 

 

 傍目から見ても、そうだと明らかな二人の横顔だったのだ。

 それを、これからぶち壊す大人は、今一度胸元をぎゅうと握りしめ、騒ぐ良心に静かにしてくれるよう乞うていた。

 

 満たされた子供達を見て抱く感情は嫉妬であって然るべきだろうか。

 満たされない大人たる自らの前で、あんな幸せな顔をする子供達なんて、不幸になってしまえと思うのも人情だろうか。

 子供じゃないか。純真で、穢すことさえ無粋な、今この瞬間にしかない日々に一喜一憂する、自らにもそんな日々があった映し絵だ。

 未熟だからこそ、幸せなこともあれば、噛み砕けぬ理不尽な現実の前に苦しむことだってこれから何度だってあろう。

 今は大人である自分が、かつてそうだったように。つまらない現実を押し付けてきて、純真だった自分をそうでないようにする大人を憎んだ日もあった。

 

 これから、自分が、あんな幸せそうな子供達を、不幸のどん底に落ちるきっかけを作る大人になるのだ。

 胸元を握る手を離した大人は、意を決して、あるいは自らの心を殺し、遠巻きに二人を伺っていた山の陰からその姿を現すべく歩き出していた。

 

 

 

「楽しそうね、お二人さん。

 あたしも混ぜてよ」

「え……」

「っ……!?」

 

 夢心地だった気分も一瞬で目が覚める、怨敵とも言うべき人物が語りかけてきた声。

 思わずプラチナは、敵と認識するその存在を目にするや否や、パールの前に立ちはだかるようにする。

 そばに余人無き210番道路の僻地にて、ブニャットを引き連れて二人の前に姿を現したマーズは、悪の組織の大物として警戒せず接しようもない存在だ。

 

「大丈夫よ、今日は争うつもりで来てないから。

 ちょっとだけ、あなた達に伝えたいことがあるだけ。

 ギンガ団の一員として、あなた達に言伝を預かっているのが今のあたしの立場ってことよ」

「……あなたにそのつもりが無くたって、僕達は手加減できませんよ。

 指名手配犯なのはわかってるんですから」

「話も聞いてくれないんだったら逃げるわ。

 流石にあたしも、あなた達二人と1対2なんて厳しそうだしさ。

 出方はそっちが決めてくれてもいいわよ?」

 

 マーズは自分の横に身を置いているブニャット――前に出すでもなく後ろに控えるでもないその頭を撫でる。

 明確に意図されたブニャットの立ち位置だ。相手に先手を取らせず、しかし戦意がないこともぎりぎり伝えられる位置取り。

 マーズ自身も、パールやプラチナから数メートルの距離を取った場所で立ち止まり、戦意が無いことを伝えながら声を届けられる、絶妙な距離感を保っている。

 

「あなた達に、あたし達ギンガ団のアジトの在り処を教えてあげようと思ってね」

「な……!?」

「場所はトバリシティよ。

 真っ当に街に貢献するギンガ団と、あたし達ギンガ団は同じ街にいる。

 もっとも、あたし達のアジトはトバリのギンガ団とは全く違う地下空間に作られているのだけどね」

 

 プラチナやパール、特にプラチナのような頭の回転が早い少年を前に、マーズは相手の出方を伺うよりまず核心を口にする。

 それは、驚愕するプラチナの思考を止めさせるには充分なものだ。

 悪のギンガ団、そのアジトの所在など機密事項に他なるまい。

 それをマーズは、聞かれてもいないのにパール達の前に晒している。

 

 仮に事実だとするならば、悪を一網打尽にすることも叶えられるほどの有力情報だ。

 そんなうまい話があるはずはないと、プラチナだって当然考える。

 それはこの唐突な出来事を前にして、頭がはたらききっていないパールですら、鵜呑みにしていい話じゃないとはすぐ感じるほど。

 

「疑わしいかしら? でも、本当よ。

 あなた達がそれを確認したいなら、それを確かめる手段もあるわ」

「…………?」

 

「ねえ、パール。

 あなた、シンジ湖のエムリットと何らかの形で通じ合っているでしょう?

 あなたの頭痛の原因がそれであることも、もう知ってるんじゃないの?」

「ぅ……」

 

 たじろぐパールの声に、プラチナはぎっと目つきを鋭くしてマーズを睨みつける。

 なぜこいつらがそんなことを知っているのか。それに対する緊迫感もある。

 だが、それ以上にパールを姦言の矛先にし、惑わし、苦しめ得るその語り口にまず、プラチナは敵意を感じずにはいられない。

 

「あたし達は捕らえたエムリットを始めとする、三匹のポケモン達をアジトに抱えている。

 パール、今のあなたがトバリシティへ足を踏み入れれば、助けを求めるエムリットの声を聞くことが出来るんじゃないの?

 それを以って、あたしが今言ったことを証明することは出来るはずよ」

 

 それは、確かな真実だった。

 マーズの言葉が疑わしいと思うなら、それを確かめられるのはパールに他ならない。

 逆に言えば、それによってマーズの言葉が真実だと確定させられるなら、マーズの明かした情報の価値もまた明らかになるということだ。

 悪しきギンガ団のアジトの所在という有力情報、それを確かめられるキーパーソンが、今はパールという少女に他ならない。

 特異点と化した彼女は今、プラチナの後ろで両手をぎゅっと握りしめ、マーズの言葉に信憑性を感じている気配を漂わせていた。

 

「あたしが伝えたいのはそれだけ。

 エムリット達、三柱の神の力を借りてあたし達が叶えたいことは、明日にはもう果たせるところまで来てる。

 これを聞いて、あなた達がどうしたいかは勝手に決めて頂戴」

 

 思考を巡らせる暇も無いまま、パールとプラチナには一方的な言葉の数々が向けられている。

 マーズは言うだけ言ってブニャットに跨ると、話は終わりだと去らんとする構えを見せる。

 やり合うつもりはない、と言ったはじめの宣言に嘘は無いようだ。

 

「……お前達、本当に最低だな」

 

 そんなマーズの撤退の足を止めたのは、プラチナの痛烈な一言だ。

 大事なご主人を罵倒されたブニャットが、プラチナを睨みつけるように振り返る。

 それに際してブニャットに跨るマーズもプラチナと向き合う形になるが、少年の眼差しに宿る憤りの深さには反論する想いも抱けなかった。

 

 マーズ自身が一番よくわかっているのだ。

 自分がプラチナやパールにこのことを告げることが、この後どんな顛末を招くのか。

 それを予見した怒りを抱くプラチナに、あんた達は逃れようもなくあたし達の掌の上、とほくそ笑めるほど、マーズの心は下衆に染まりきっていない。

 

「今の話を聞いて、パールがどうしたがるかわかってるんだろ」

「……そんなの、あんた達の勝手でしょ」

「自分達のアジトにおびき寄せて何を企んでるんだよ。

 今度こそ、パールを八つ裂きにしようとでもしてるのか」

 

 どんなにマーズが詭弁を並べ立てたとて、それは言い逃れようのない事実だ。

 ギンガ団に幾度となく立ち向かったパールとプラチナ、だがその二人のうち、率先して友達を巻き込んできたのは誰なのか。

 明確な解答としてそれを知っているのは確かにプラチナだけだろう。

 だが、観察力に秀でる大人の目を以ってすれば、当事者でなくたってそれは読み取れるはずだ。

 まして二人を迎え撃ってきたギンガ団、マーズ達の目線からすれば、自分達と対峙する二人の子供のうち、どちらが率先者かなど見るも明白だったはずだ。

 

 まして自分達の言葉が嘘か真か確かめたいなら、エムリットとの繋がりがあるパールに問えとさえ言うマーズだ。

 元よりギンガ団のような悪事をはたらく連中に、先頭切ってでも立ち向かうことを選ぶ眼差しを持った少女パール。

 そんな彼女がエムリットとの繋がりがあると確信する中で、今の情報を授けられたパールがじっとしているとは誰にも思えない。

 プラチナにもだ。マーズ達が確信しているのと同じほどにだ。

 

「ぷ、プラッチ……?」

「うるさい、黙ってて!」

 

 今までに見たことのない、後ろ姿からでも親より怖い怒気を発するプラチナに、恐る恐るパールは語りかけながらも、荒い返答にびくっとする。

 それだけ、プラチナは怒っているのだ。

 幾度ものギンガ団の悪行の数々が、たまたまそこに足が届く場所にいたパールを呼び寄せ、彼女を危険に晒したことはこの際、百歩譲って良しとしたとしても。

 マーズは今、明確に、パールの性格を加味した上で、彼女を危険な世界へと招き寄せようとしているのだ。

 

「お前の話を聞かされて、僕達が……いや、パールがどうするか知ってるんだろ」

「…………」

「それで、何をするつもりなんだ……!

 悪党を集めたそこにパールをおびき寄せて、何を企んでるんだって聞いてるんだよ!

 答えろよ!!」

 

 問うたところで、自分の望む回答が得られることなどないとは、プラチナだって理性的な頭ではわかっているはずだ。

 それでも、声を荒げて問わずにはいられない。いや、訴えずにはいられない。

 お前達のような大人が、こんな無鉄砲な女の子に目をつけて、その性格に付け込んで。

 悪の巣窟に誘い入れて八つ裂きにでもしようというのかという、強い嫌悪感を含む声でマーズを批難することしか出来ないのが今のプラチナなのだ。

 

 大事な親友、今は誰よりも大好きな女の子を、そんな死地に招き入れんとするのが明らかな敵を睨みつけるプラチナの表情からは、マーズも目を逸らせない。

 大人だからわかるのだ。ああ、この子は本当にパールを大切に思っているんだなって。その好意を向けられるパール以上に。

 胸がずきずきす想いを封じ込め、マーズは努めて冷徹な表情を、悪の仮面をその面持ちに纏うことで精いっぱいだ。

 

「……そう思うんだったら、来なけりゃいいじゃないの」

 

「だったらこんな話、僕達の前に持ってくるなよ!

 来いって言ってるんだろ! 僕達がそうすることもわかってて!

 卑怯者の大人! 都合のいい言葉ばかり使って、責任逃れして!

 だから大人は汚いって言われるんだよ! お前達のような大人のせいで!」

 

 流石にマーズも表情が歪んだ。

 全部わかってる。だから嫌だったのだ。こうして指摘されるまでもなく、その本質はわかっていたから。

 血に染まる沼に少年少女を招き入れる策謀の、片棒を担ぐ自らの悪辣さ。

 悲願のためなら悪行も厭わぬとかつて決意した身とて、こうして目の前で眩しいほどの純真な子供達を前にして。

 そんな二人を、二度と日の光を拝めぬ末路へと誘い入れようとする自らに、幼少の頃から確かに実在する良心が痛まぬならば、そんな人間は手遅れだ。

 

 未来を断たれず、今のまま正しい道を見誤らず大人になっていけば、きっと自分とは違う、立派な正しい大人になっていくだろうと思える二人の少年少女。

 その犠牲の上にしか成り立たない自らの悲願に、苦悩にも近い疑問を抱かずにいられないマーズ。

 そこまでわかっていて、引き返せないマーズは、尚更のこと、自分が手遅れなのだと感じずにはいられない。

 

「……うるさい」

「パールをいじめるなよ、これ以上!

 そこまでして、あんた達は何がしたいんだよ!」

 

「黙れ……!」

「黙るもんか! くそったれの卑怯者!

 お前達のような大人なんて絶対に許……」

「黙れええぇぇぇっ!!」

 

 プラチナの言葉を遮るように発したマーズの声に応じるかの如く、ブニャットがプラチナやマーズに向けて"かえんほうしゃ"を放った。

 殺しも厭わぬかのようなその行為に、パールは顔面蒼白になって身動き一つとれず、死を予感する前方光景に頭が真っ白になったけれど。

 そんな彼女の前には、あまりの光景を前にして両手を広げ、パールを守り抜こうとするプラチナの後ろ姿だけがあった。

 

 ブニャットが"ねこのて"を以って発した火炎放射は、結果的にプラチナの前方に着弾し、激しい火柱を上げるだけに留まった。

 それは、仮にプラチナを焼き殺していれば、彼のポケモン達が一斉に飛び出してきて、殺傷も厭わぬ想いで襲い掛かってくるだろうという打算のものだろうか。

 ブニャットとてわかっているのだ。プラチナの訴えが、マーズの胸を引き裂くものであるとて、正しい主張であることを。

 だから、マーズを苦しめる言葉を発するプラチナの口を閉ざさせる攻撃を発しながら、敵対者を焼き殺せない良心を決して手放さない。

 

「っ、ぐぅ……!」

「プラッチ……!」

 

「っ……あんた達の好きにすればいいわ!

 あたしは知らないから! 死にたかったら、かかってきなさい!」

 

 火柱を前にして後ずさるプラチナと、そんな彼に寄り添うパールに、吐き捨てるように発したマーズの声が届いた。

 踵を返して駆けだして、二人のそばから離れるブニャットと共に、マーズは二人から離れていく。

 追うこともままならぬプラチナとパールは、火柱が消えたその時、対峙していた者がいなくなった野山を前にするのみである。

 

 二人から離れたブニャットの背中に跨っていたマーズ。

 そんな彼女が、パール達から大きく離れた場所で、駆け続けるブニャットの背上で、胸をその背に預けるように身を預ける。

 まるで、最愛のパートナーをぎゅっと抱きしめるようにだ。

 跨ることに慣れたパートナーの背上、お腹と胸をその背に預けて身を震わすその姿を、駆けながらにしてブニャットは感じ取っている。

 

「ねえ、ニャムちー……

 あたし、どうしたらいいの……もう、わかんないよ……」

 

 震える声で訴えるマーズの声に、ブニャットは声で応えずして走るのみだ。

 叶えたい何かのために、悪行に手を染めることを貫くと決めたご主人のことは、ブニャットだってわかっている。

 自分達に対しては温かく接してくれる、身内に優しい人なのは知っているのだ。

 そんな彼女が、とうとうその古き決意を揺るがしていることに、彼女の安否のために走るブニャットの脚は応えられない。

 声で何らかの返答をしようにも、ポケモンの鳴き声が人に真意のすべてを伝えきらぬことを、ブニャットだってわかっている。

 誰よりも大切なご主人の吐露に、返す言葉も無く駆け続けることしか出来ぬブニャットの胸の苦しみなど、決して誰にも理解し得まい。

 

「…………――――――z!!」

 

 野山を駆け、マーズを安全圏まで運ぼうとするブニャットが、マーズの声に数秒遅れて鳴き声を発した真意は、きっと誰にも伝わらない。

 今や後には引けないマーズにぎゅうと抱きしめられたブニャット自身も感じる、不退転の運命。

 大いなる流れによって決定づけられた、後に起こる事象の数々は、今や誰にも変えることの出来ないもの。

 マーズも、そしてブニャットも。

 それをわかっているから、やりきれない。

 

 パール達を取り巻く運命は、もはや悲劇を擁する未来に向けて動き始め、留まることを今や知らない。

 シンオウ地方すべてを巻き込む激動の命日が、今や目前に迫っている。

 パールとプラチナはその渦中に、己も与り知らぬうちに身を置かされ、抗いようのない過酷な道を辿らせられる命運にあった。

 

 理不尽にして残酷。世の中とはそんなものだろうか。

 それを大人達が自分の都合に合わせて肯定するから、"そんなもの"のままなのではないだろうか。

 そんな世界に必要以上に苦しめられるのは、いつだって、正しいことを唱えられるはずの純真な者達、特に子供達だ。



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第112話  二人の夜

 

 何事も無ければ、今日はトバリシティに到着し、一夜を過ごしていたはずのパールとプラチナ。

 だが、ギンガ団マーズとの遭遇、それに聞かされた話によって、トバリシティで一夜を過ごすことを敬遠するかのように、二人の足はソノオタウンに向いた。

 マーズの言っていることが事実なら、トバリシティは蛇の巣だ。

 悪のギンガ団のアジトがあるという時点で、そんな街で一晩を過ごすなんて、そわそわして眠れなくなるに決まっている。

 幾度となくギンガ団の任務を妨げようとしてきたパールとプラチナなのだ。逆恨みだろうが何だろうが、悪の組織に恨まれ、目を付けられている可能性は高い。

 

 ソノオタウンのポケモンセンターを宿に一夜を過ごすパールは、お風呂上がりの身体でベッドに座り、無言で天井を見上げていた。

 普段ならば、ナタネ辺りにでも夜の長電話をするような時間帯だ。

 そんな気が起きないパールというのは珍しい。それだけ、一人での考え事に耽らずにいられないのだ。

 心は決まっているだけに。自分の性格は自分が一番よくわかっている。

 

「――パール」

 

「……へっ?」

 

 そんなパールの部屋をノックするプラチナの声が、自分の世界に入り込んで悩んでいたパールの耳には、虚を突いたように届く形となる。

 同じ建物に泊まる二人とはいえ、夜にプラチナがパールの部屋を訪れるというのもまた、かなり珍しいことなのだ。

 それは普段プラチナが、パールはナタネさんと長電話しているだろうなと気を遣い、ちょっとお喋りしたく思ってもやめるようにしているからでもあるが。

 

 珍しい出来事に意外さを感じ、しかし今パールを悩ませていることを思えば、不思議なことでもないような気がして。

 パールは戸惑いより、今の悩みを共有できそうな親友の来訪に、少し足早で部屋の扉を開きに行く。

 

「もうお風呂上がったんだ?」

「わかる?」

「髪、乾いてないよ」

「え、そ、そう?

 見てわかるぐらい? もしかしてぺちゃっとしてる?」

「そんなことはないけど、雫ついてる」

 

 ドアを開けたパールの顔を前にして、観察力に秀でるプラチナの気付きは目ざといものだ。

 流石にポケモンの観察が本業である学者の卵。友達相手であったって、ちょっとしたことでもすぐ気付く。

 身だしなみにも若干行き届かないメンタルだった自分を自覚して、パールは気恥ずかしく誤魔化す笑いを浮かべるのみだ。

 

「…………あの、さ。

 大事な話があるんだけど……」

「な、なに? 入る?」

「いや……うちの部屋、おいでよ。

 流石に僕も、女の子がこれから寝るような部屋に入り込めないよ」

「あっ、響きがなんかスケベ」

「僕まだお風呂入ってないんだよ。

 これからパールが寝る部屋でゆっくりするのヤなんだよ」

 

 部屋に入ってすぐお風呂に入ったパール、シャワーを浴びるなら寝る前のプラチナ。

 入れるなら一秒でも早い方がいいパールと、寝る前にさっぱりしたいプラチナでは、入浴のタイミングは全く違うらしい。

 

 照れ臭く頬をかくプラチナに顔を近付けて、別に臭くないよ? と笑って励ましてくれるパールに、ちょっと体を後ろに傾けてどぎまぎするプラチナだけど。

 手前勝手な男の子なりの悩みなんて、今日は意識したくない。

 大事な話があるのだ。本当に、大事な話。

 

「……来てくれる?

 ほんとに、大事な話なんだ」

「うん、聞く聞く。

 ……もしかしたら私も聞いて欲しい話があるかもしんない」

「何それ、そこに"かも"が付くのおかしいでしょ」

「言うか言わないかは後から考えるのだ」

 

 ちょっと神妙な顔で大事な話を持ち掛けるプラチナに、パールは親愛なる親友の誘いを喜ぶかのように、仄暗く明るい表情で彼についていく。

 笑顔のパール。だけど陰がある。

 どんな悩みがあってそんな顔になっているのかは、プラチナだってわかっているだろう。

 二人はプラチナが泊まる部屋に向かう中、夜だし他の部屋の迷惑にならないよう静かな声で、他愛ない冗談を交わし合いながら歩いていく。

 

 二人とも、わかっている。明日は、きっと只ならぬ一日になる。

 その前夜、今はまだ傷一つ無い心と身体で語り合うことが出来ると保証された、掛け替え無いとさえ言える最後の夜。

 少なくともプラチナは、そう意識していた。

 

 

 

 

 

「えーと……その辺座ってよ。

 椅子、二つ無いからさ」

「お邪魔しまーす」

 

 ポケモンセンターの泊まり部屋は大抵が一人部屋なので、ベッドだけじゃなく椅子と机もあるものの、それが一つしか無い。

 人を連れ込む想定はされていないのである。一人用のベッドを椅子代わりに勧めたプラチナに、パールはちょっとおずおずしながら座らせて貰う。

 流石に今晩プラチナが寝るベッドである。皺をつけてしまうと良くないよね、とパールも気を遣うようだ。

 

「ん~と……じゃ、僕こっち座ろ」

「部屋主プラッチなんだからそんな気を遣う感じにしなくても」

「いや~、色々あるでしょ。色々と。

 僕をスケベ呼ばわりしたパールならわかってるはずだ」

「なるほど、実はプラッチは紳士だったのだな」

「実はって何。僕ふしだらじゃないからね」

 

 プラチナはパールと同様、ベッドに座った。

 パールとの間の距離が若干遠いが。間に二人ぐらい座れそう。

 彼なりに色々考えて距離感を作っているようだ。二人とも耳年増になってくるお年頃だし、流石に全然知識が無いわけではない。

 その上で、万に一つでも嫌らしい考えの持ち主だとは思われたくないので、念には念を入れた距離感を保つプラチナの努力はいじらしいものだ。

 好きな女の子に嫌われたくない男の子、いっぱい考えている。パールと笑い合って冗談を交わせている現状に、ほっとしているぐらいだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 座った二人、お互い言葉が出てこずに、短い沈黙の時間が生じた。

 大事な話があると言ったのはプラチナの方だ。パールは言葉が出てこない自分に、今は待ってみようという思考へシフトして無言を貫いてみる。

 その間、プラチナは最初の一言をよく考えて、発するのみ。

 ずっと黙り込んでしまって、痺れを切らしたパールに第一声を発させるほど、プラチナは頭の回転が鈍い少年ではない。

 

「……パール、どう?

 今日、寝れなくなりそうなんじゃない?」

「あ~、えぇと……そう、だねぇ……

 なかなか寝れない気がするなぁ……」

「明日のこと考えたら、怖いもんね」

 

 少しばつの悪そうな苦笑いを浮かべるパールだが、そんな顔する理由もプラチナはわかっている。

 そして、受け入れている。言い方を変えれば、諦めている。

 長い付き合いなのだ。パールの性格なんてわかっているし、未だにわかっていなかったらむしろプラチナの方が寝ぼけている。

 

「……あのぅ、プラッチ。

 明日のことなんだけど……」

「いいんだよ、僕だってもうとっくに覚悟してる。

 一人で勝手に行っておいでなんて言うわけないじゃん。

 ちゃんと、パールのことサポートするよ」

 

「あ、あははは……ごめんねぇ……」

「謝るぐらいなら最初からしないっ!」

「すいませんっ!」

 

 やはりパールは、ギンガ団アジトに乗り込んで、エムリット達を助けに行くのだという決意を固めている。

 いや、厳密に言えば今でも迷っているのは事実だろう。散々、プラチナを振り回してきた自覚はあるし、本当にいいのかなという呵責はあるはずだ。

 それでもどうせ、明日までにはやるぞの道に突っ走る結論が出るパールなのは明らかだ。パール自身よりプラチナの方がよくわかっていることである。

 だったらもう、さっさと今日のうちに結論を出させてもいい。これはこれで、問題解決を先送りにしないプラチナの賢いところである。

 

 パールに謝られたが、とりあえず叱っておく。敬礼ポーズで身を下げて謝るパールのリアクションも含め、すべて冗談の範疇だ。

 そういう子であることも含めて、親友でいたいと思っている。友達ってそういうものだ。好きが勝れば、目を瞑れることだって増えるとも。

 嬉しそうにではなく、恭しげに声を出さずに笑うパールも、こんな自分の我が儘を認めて微笑んでくれるプラチナには、親愛感情が膨らむばかりというものだ。

 

「……怖がらせない方がいいかもしれないとは思うけど、やっぱり大事なことだから言っておくよ。

 今までに挑んできたギンガ団との戦いとは、比べものにならないほど危険だよ。

 手段を選ばない奴らがひしめく根城に、こっちから乗り込んでいくんだから」

「うん……わかっ………………えぇと……」

「ふふっ、わかってる、って言っていいんだよ。

 わかってないつもりじゃないんでしょ?」

 

 わかってるくせに行くのか、なんて突っ込まれるのが怖くなって、わかってる、とは言えなくなるパールだ。

 案外頭の回転は早い方かもしれない。あるいは叱られ慣れ過ぎて、叱られ得る失言には敏感になってしまっただけかもしれないが。

 目を泳がせるパールを微笑み見守るプラチナの優しさは、人に心配をかける罪悪感も擁するパールの心を、優しく包み込んでくれるものだ。

 

「とにかく、覚悟を決めて挑まなきゃね。

 ぶっちゃけ、僕達が事前に出来ることなんてそれぐらいでしょ。

 ギンガ団のアジトがどんな場所なのか、敵がどれぐらいいるのかも全然わかんないんだしさ」

「……うん。それだけは、ちゃんとする。

 本当に、今までで一番危ないんだもんね」

 

 敵地の詳細も無く情報不足、今から具体的な現地での算段なんて立てられようはずもない。

 出来ることと言えば腹を決めることだけだ。子供らしい理屈ではあろう。

 とはいえ、恐怖を先んじて克服することに注力することも決して小さなことではないので、馬鹿には出来ない理屈でもあるのだが。

 覚悟や心構えの足りぬまま実戦に踏み込み、ちょっとのことで動揺して足元をガタガタにする、そんな未熟な心で死地に挑むなど問題外である。

 

「パール。

 シロナさんとスモモさんの電話番号、教えてくれないかな」

「え?」

「僕達二人だけで挑むなんてやっぱり無謀だよ。

 頼れる人に、ちゃんと協力して貰えるように頼もう」

 

 パールに連絡先を教えたシロナやスモモ、その連絡先を横から貰うのは、本来マナー違反だとプラチナだってわかっている。

 それでも、今回ばかりはそんな恥知らずを果たしてでも、連絡を取り合うべき相手だと彼も確信している。

 子供二人で挑むには、荷が勝ち過ぎる戦いだとわかっているのだ。

 

「わ、私が電話するよ?」

「パールは自分のことでいっぱいいっぱいでしょ。

 僕が連絡して、事情をしっかり説明しておくよ。

 なんて言ったって、僕はパールのマネージャーなんだから」

 

「……ふふっ、何それ。初めて聞いたんだけど」

「実際そうでしょ?」

「うん、そうだね。

 プラッチがいてくれなかったら、私ここまで来れてないかもしれないもんね」

 

 未熟なままにしていくつものジムを巡ってきたパールのそばで、色んなことを教えてきてくれたプラチナの姿が実在する。

 彼に教えて貰えたことの数々が、パールの果たしてきた成功の大きな一因となってきたことは、一度や二度ではないだろう。

 対ギンガ団の日々も含めるなら、それこそもっとそんな経験は増える。

 僕はパールのマネージャーだとジョークを発するプラチナの言葉は、言い得て妙だとパールが初耳にして納得するほどのものが充分にある。

 

「ちゃんとプラッチ、こうこうこういう理由で連絡先知ってるっていうの、伝えてよ?

 私が勝手に、たいした理由も無く人の連絡先教えるような子だって誤解されたら、プラッチのことビンタするかも?」

「わかってるってば、怖い怖い。

 なんかパールも暴力的なこと言うようになってきたね最近」

「それはプラッチの方が早かった気がする。

 なぐるとか言ってきて」

「あ、そう言えば多分まだ殴ってない。今やっとこ」

「やぶへび! ゆるさん!」

 

 元々手の届かない距離からプラチナがパールににじり寄ったところで、パールも同じだけ離れて自己防衛して。

 笑い合ったらポケッチを介して、プラチナの要望どおり、シロナとスモモの連絡先をプラチナに教えるパール。

 流石にジムリーダーやチャンピオンの連絡先という、私的にも公的にも軽視されがたい情報だとはパールもわかっているはずだ。

 それを預けられる相手だと彼女がプラチナを信頼している証拠である。

 最悪、どうして勝手に教えるのと件の二人に批難されたとて、きちんと謝る覚悟も固めた上でだ。パールにとってのプラチナは、それが出来る相手である。

 

「……後で僕から、シロナさんやスモモさんには連絡しておくよ。

 明日はトバリシティに向かって、詳しい話はそこでしよう。

 万全の状態で、可能な限りの情報を手に、挑もう」

「うん……ありがとう、プラッチ」

「いいんだよ、今さらなんだから。

 パールのワガママに振り回されるのも僕もう慣れてきてるから。

 ……そういうパールの正義感、僕けっこう好きだしさ」

 

 慣れてきてるから、と言ったところで、迷惑かけてる自覚のあるパールの表情が曇ったことを、プラチナは絶対に見逃さない。

 だから、無謀とも蛮勇とも言われるパールの正義感を、肯定する言葉を重ねて気に病まないよう勇気づける。

 

 本当に、無茶する子だ。そばにいて、苦労する。

 だけど、そんなパールだからこそ、否定すべきものから逃げないパールだからこそ、きっと僕は彼女のことが好きなんだとプラチナは結論付けている。

 賢しい理屈で不都合からほおっかむりするような大人より、賢くも純真さの残るプラチナからすれば、パールの方がずっと魅力的なのは確かなのだ。

 子供同士だから認められる純粋さというものが実在する。大人には認められなくなった、認められなくなって寂しくなる真っ白な心というものだ。

 

「明日は、頑張ろう。

 僕が、その、パールのことは……フォローしてみせるから」

 

「……うん」

 

 弱い子だ。プラッチ君も。守ってみせるから、ぐらいのことは言ってみせていい局面であろうに。

 いよいよとなれば、過去に口にしたはずのその言葉さえ、ここで改めて言うには勇気が足りなかったようだ。

 

 純真すぎる男の子というのも考えものである。

 なまじ賢いだけに、パールが今、自分に対して好感の目を向けてくれていることも、プラチナだってわかってしまっている。

 ワガママな自分を肯定し、それでもそばにいてくれるプラチナに対する、パールの心情など第三者目線で見ても明らかすぎるほどなんだから。

 そこに口説き文句めいたものを投げるのは少しずるいような気がして、そんな言葉を使えなくなるプラチナの気難しいこと気難しいこと。

 恋愛とは美しいもので、駆け引きなんて無粋だと無意識に考えてしまう、幼い恋心の複雑な想いはこの年頃特有のものだ。

 

「プラッチ、ありがと。

 頼りにさせてね?」

「あ……うん……」

 

 締め括るような言葉を口にしたプラチナの言を受け、パールはベッドから立ち上がった。

 不安こそ擁するも、親友の頼もしさに救われた色をも含むパールの笑顔を見上げ、プラチナは少し言葉が詰まる。

 言うべきことは全部言った。でも、今宵の彼女との別れが名残惜しくも感じて。

 果たしてパールがそこまで考えてくれているかどうかはわからないが、プラチナは、明日の夜もこうして元気な顔を合わせられる保証は無いと思っているのだ。

 

 ナタネは恐らくギンガ団の毒牙にかかり、何日も目覚めない大怪我を負った。

 自分か、あるいはパールが、明日そうなってしまったら?

 まだ話すべきことは無いか。今日のうちに話しておけることは他に無いか。

 部屋の出口に向かっていくパールの背を目で追うプラチナは、思わず立ち上がってパールに駆け寄っていた。

 

「っ、パール……!」

 

「へっ……ぷ、プラッチ?」

 

 ドアを開けたパールの手を、後ろから握るようにしたプラチナが、言葉だけでなく行動で引き留める。

 驚いて振り替えったパールの前には、さっきまでより近い位置で、思い詰めたようなプラチナの顔がある。 

 

「……………………ねえ、パール。

 ずっと、言おうとしてたことが、あって……

 き、聞いてくれる、かな……?」」

「え……な、な、なに?

 ずいずいされるとちょっとどきどきするよ……?」

 

 これは、もしかして、もしかしちゃうんだろうか。

 パールは騒がしいほどの胸の高鳴りを、無意識に握られぬ方の手で胸元をぎゅっとして抑えることで精いっぱい。

 この空気、この場面、プラッチに何を言われたら自分が一番嬉しいか、それをわかっている女の子である。

 顔が熱くなる自覚のあるパールは、自分と同じ顔の色をしているプラチナを前に、しどろもどろになりそうな目を泳がせぬよう、彼の顔を見つめていた。

 

「………………パール、さ。

 僕のことずっと、プラッチって呼んでるよね」

 

「……へ? ん? えっ?

 そ、そう、だね……? えぇと、うん、そうですね?」

 

 予想していたものとは違う、期待していたものとは違うプラッチの言葉。

 あれれ、おかしいな。色んな意味で覚悟を決めたはずなのだが。

 普通の意味で戸惑うパールが、普通の意味で目がきょろきょろする。意味わかんなくて。

 

「パール、よく聞いてね。

 今から、すごく大事なことを言うから」

「……あぃ?」

 

「僕、"プラチナ"っていう名前なんだよ。

 プラッチっていう名前じゃないからね」

 

「……ほほー」

「ほほー、じゃなくて」

 

 確かに、大事な話だった。それもすごく大事な話。

 出会って間もない頃の誤解から、ずっと、ずっと、ずーっと彼の本名を"プラッチ"だと思っていたパール。

 プラチナに対するあだ名でプラッチ、というわけではなかった。全くもって。

 長らくそうだと知りつつも、訂正してこなかったプラチナは、とうとうパールにこれを打ち明けた。なぜこのタイミングで。

 

「プラッチ」

「なに」

「プラッチ君」

「僕はプラチナだよ」

「プラッチさん」

「僕はプラチナですよ」

 

「えっ、え……えーと……

 それは冗談なのでしょうか? それともマジ?」

「マジだってば。

 僕プラチナだから。プラッチじゃないよ」

 

「……ぷふっ」

「あっ、何がおかしいの」

「いや、その……ぷっ、くふふふ……

 ごめん、ちょ、これ……ぷふふふふふ……!」

「まあ、今まで訂正してこなかったのは僕が悪いんだけどさ」

 

「くふふっ、えふっ、あはは……!

 ごめんプラッチ、我慢できな、っ……!

 あはっ、あはははははは……っ!」

 

 もう、可笑しい。可笑しくって可笑しくって、笑いが止まらなくなった。

 さっきまで、緊張感でいっぱいだったことも相まって、急にこんな馬鹿らしい話を真面目に聞いたら、可笑しくってたまらない。

 誤解しててごめんの流れじゃない。訂正してこなかった方もヘンだもの。

 明日のことや、プラッチに気苦労を背負わせていた心重さで気が重かったパールにしてみれば、半ば不意打ちで心が緩んで笑いが止まらない。

 

「あー、ウケてるねぇ。

 そんなに笑われるとは思ってなかったわけですけど」

「あはっ、あはははは……! だ、だってえ、っ……!

 私っ、ずっと、マジでプラッチのこと、そう思って、っ……!

 あはははははっ、もうだめっ、苦しい、お腹痛いぃっ!」

 

 手を離してくれたプラチナにより、両手が自由になったパールは、その両手でお腹を押さえて背中を丸くするぐらい。

 明日のことを思えば思うほど、張り詰めるほどに苦しかったのだ。

 そんな矢先、こんなよくわからない冗談めいた話を聞かされて、一気に気持ちが緩んだらもう止まらない。

 夜なので他の人の迷惑にならないよう声を抑えて笑おうとするパールだが、つぼに入ったように、声を出して笑わずにいられないようだ。

 

 これは良くない、迷惑になっちゃう、と、パールは扉を閉めてプラチナの部屋の中に一旦留まる。

 そのままずっと止まらぬ笑いを溢れさせるパールを、プラチナはほっとしたような顔で見守るのみ。

 やーっとこの誤解を解くことが出来た。引きずり過ぎて、いつ話そうかとも思っていたことがようやく解決した安堵感。

 そして、精神的に追い詰められた風だったパールの表情が、ようやく崩れてくれたことへの言い知れぬ安らぎ。

 パールが笑う時間は長かった。その時間を、プラチナはただただ穏やかな表情を心境で眺めるばかりだった。

 

「は~……笑った笑った、笑っちゃった。

 プラッチなんでずっと黙ってたのさぁ。

 もっと早く教えてくれてよかったでしょ」

「や~、なんかタイミングなくて……

 まあ別にプラッチって呼ばれるのもあだ名っぽくて不自由しなかったしさ」

 

 いやはや、もっともらしい返答で流しているが、プラチナも本当のところは話せないし話したくない。

 幼い頃からあだ名なんて貰ったことのないプラチナ、プラッチというあだ名っぽい呼び方で、パールと親しく接して貰えた初期はそれが嬉しかったのだ。

 だから早期の訂正が出来ず、やがては話すタイミングを逃して、ここまでずるずると。

 そんな真相まで明かしたら、余計に笑われそうだ。今度こそプラチナは耐えがたいほど恥ずかしく笑われることになっちゃう。話せません。

 

「え~、じゃあこれから私はプラッチをどう呼べばいいのさ。

 もうプラッチで馴染んじゃってるよ?」

「それはもうそのままでいいよ。

 僕ももうあだ名みたいな感じで馴染んじゃってる」

「そっか~、じゃあこれからもよろしくねプラッチ。

 いいでしょプラッチ? ね? プラッチ?」

「連呼されるのも、それはそれでヘンな気がしてくるなぁ」

「えへへへへ、プラッチはプラッチだもん。

 私の中では、ずっとね」

 

 明かしたところで、これまでの付き合いとこれからは何も変わらない。

 明日もまた、昨日までと変わらない二人の関係だ。

 求められるのは、大事なく明日を終えられるかどうか。

 ふにゃふにゃの顔で笑うパールを目の前に、親しみ慣れたこの関係が終わらないよう、プラチナは今一度改めて明日に向けての決意を固めんとする。

 

「シロナさんとスモモさんには僕が連絡しておくからさ。

 パールも、今日はナタネさんといつものようにお電話しておきなよ。

 明日のこと話してもいいし、話さなくてもいいからさ。

 なんだったら、心配かけたくないならシロナさん達には、ナタネさんにこの話はしないで下さいね、って言っておくよ?」

「ん~……いや、いいよ。

 ナタネさんに隠し事、あんまりしたくないからさ」

「怒られるかもしれないぞ?」

「あはは、それはそうかもだけど……」

 

 隠し事の一つや二つや三つ、別に親しい間柄であろうとあって構わないものだ。

 それでも秘密を作るのは、相手との信頼関係に瑕を作り得るものだと、潔癖に考えてしまうのもまた子供心。

 なんでもかんでも明け透けに話すことが誠意というのは厳密には誤りなのだが、それは今のパールには難しい話なのだろう。

 

「明日は本当に頑張ろう。僕も全力を尽くすから。

 パールのことは、絶対に僕が守ってみせるから」

「っ……う、うん。

 頼りにさせて、貰うね?」

 

 本当、人の心というのは読めないものだ。

 さっきはそんな歯の浮くような台詞、頭に浮かんでも口に出来なかったプラチナなのに。

 明日を生き延びる覚悟が強まれば強まるほど、彼女を守りたいという気持ちはずっと強くなって。

 何も考えず、無思考で発する言葉の最後に、自然とその言葉は発せられたのだ。

 

 パールがどきりとしたように身を揺るがす姿を前に、いま自分が言ったことにはっとしたプラチナも、ぼっと顔が赤くなったけど。

 すぐに、気持ちと背筋を正す。恥ずかしがることじゃない。本心なのだから。

 格好つけての言葉じゃないのだ。赤ら顔ながら、これが僕の本心だと胸を張るプラチナの姿が、今のパールには誰よりも頼もしい男の子として見えたはずだ。

 きっと、チャンピオンや、ジムリーダーよりも。ずっと長い時間、一緒に旅をしてきた、何度も我が儘な自分を助けてくれた、掛け替えの無い親友だ。

 困った時の自分を何度も支えてくれた実績を持つ親友の頼もしさは、ただその強さや賢さが名高い大人になんて絶対に負けない。

 

「ありがとう、プラッチ。

 ほんと言うと、すっごい不安だったんだ。

 プラッチのおかげで、なんだか勇気出てきた気がする」

「……そっか。

 今日はよく寝て、明日に備えようね」

「うん。

 プラッチ、ほんとにありがとうね。

 プラッチがそばにいてくれて、私ほんとによかった……!」

 

 不安を封じる作り笑顔ではなく、親愛感情に溢れた笑顔を浮かべるパールを前に、プラチナもまた救われる。

 大好きな親友の心の軽く出来たような気がすれば、ただそれだけで嬉しいものだ。

 パールがプラチナをそう感じるように、やはりプラチナにとってのパールも、代わりのいない唯一無二の人なのだ。

 

「おやすみ、パール。

 何度も言うけど、明日は本当に頑張ろうね」

「うん!」

 

 自分の部屋に戻っていくパールを見送ると、プラチナはすぐにポケッチに目を落とし、シロナやスモモへの連絡を始める。

 何を、どのように、どう筋道立てて話すかも決めてある。

 ギンガ団幹部からもたらされた情報の信憑性なるものを、自らがどう解釈したか、それを伝える言葉までもう紡ぎ上げているのだ。

 すべては明日、最善の形でギンガ団アジトと呼ばれる場所へと乗り込むため。

 すべては明日、パールをひしめく悪意から守り通すためだ。

 

 運命の日。

 遡ってパールが幼い頃からエムリットとの縁を結んでいたことも鑑みれば、ここしばらくのギンガ団との戦いの日々を抜きにしても、因縁深き敵との決戦だ。

 囚われたポケモン達を救うため。

 そして何より、それを心から果たしたい自分達の本心に従って。

 大人と呼ばれる二十歳への道、その半ばを僅かに過ぎた程度の年頃の少年少女は、たった二人で決意を固め、悪しき大人達に挑む決断を選んでいる。

 

 人生最大の戦いだ。

 二人がそう認識しているのと同様に、現実もまたその認識に一致する。

 パールとプラチナは確固たる想いと意志を胸に、明日の死闘から目を逸らさず、光ある未来を勝ち取るべくその想いを高める夜を過ごしていた。

 一人で眠る一室にあり、隣の部屋にいてくれる親友の存在に、心を支え合わせて貰いながら。

 一人じゃない。それが命さえ懸かるかという戦場に赴かんとする二人にとって、最大の救いであり心の拠り所だった。



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第113話  トバリの陣

 

 

 その日の朝。

 

 トバリシティに根を張るギンガ団――社会貢献が世に認められた、トバリの民に愛されしギンガ団のビルに、一人の客人が訪れていた。

 恐らく彼女はシンオウ地方で最も有名な人物の一人であり、このギンガ団のオーナーと旧知の仲であることも身内には知られている。

 彼女の訪問に、話は聞いていますと滞り一つ無く、ビルへと招くギンガ団員。

 それに導かれ、気が急くような足でエレベーターに乗り込んだ彼女は、オーナーが待つ最上階の一室へと瞬く間に辿り着く。

 

「コウキ」

「おはよう、シロナ。

 待っていたよ」

 

 ギンガ団のオーナーであるコウキは、大企業の総取締役という立場であることを鑑みれば非常に若い。

 客人を、一般企業に例えるなら社長室に相当するこのオーナールームへ、客人を招けば相手が年上のことが多いのだ。

 年上相手に敬意を払った歓待がしやすいよう、応接間のような大きなテーブルとソファーを擁するこの部屋は、そんな確たる目的を持ってそうなっている。

 

 ただ、今日は年を同じくするコウキとシロナの対面であり、オーナーとしてのかしこまった態度はなりを潜めている。

 座りなよ、と気心知れた声をかけてくれるコウキに、シロナはありがとうと一言述べて、コウキより先にソファーに座る。

 子供の頃からよく知る相手とはいえ、二人とももう大人なのだ。

 お客様に先に腰を下ろして貰う癖がついているコウキ、その気遣いに礼を言うシロナ、幼い頃にはあり得なかったやりとりもすっかり板についたものだ。

 

「眠そうね」

「正直、目が痛い。殆ど徹夜になってしまった。

 うちの団員にも、それなりの残業手当を出してやらなきゃな」

「ごめんね。でも、本当にありがとう。

 あたしも、なりふり構わずあなたを頼る他なかった」

「ああ、構わないさ。

 君がそこまで必死になるほど、窮に迫るほどの事態だとは僕も感じている。

 まあ夜通し作業したうちの団員に申し訳なく思うなら、それも別に気にしなくていい。

 従業員である彼らは、僕の命令には従わなきゃいけないってだけの話だ。僕は偉いんだぞ?」

「ふふふ、あなたのそういうとこ、今でも好きよ」

 

 静かだが、情熱のある男性。

 不遜な言葉遣いをすることもあるが、それは全て冗談であると信頼できる、謙虚な幼馴染。

 そしてそんな本質が彼をここまで上り詰めさせたのだと疑いようのない、たゆまぬ努力の末に今の地位にある大人。

 敬愛し、ずっと友達でいさせて欲しい、そう思わせてくれる親友だ。

 

「悪のギンガ団のアジトの所在だったな。

 それを探すよう求められた立場として、正直なところ自信と不安は半々だ。

 トバリシティは僕達ギンガ団にとっては地元であり、庭のようなものだ。

 一方で、少なくとも地上にそのような場所があるはずがないことは、とうの昔に結論付けている。

 悪のギンガ団が跋扈し始めたあの頃から、既に何度もこの街を調査することは繰り返してきたからね」

「元々、悪のギンガ団がどれほど大胆不敵でも、あなた達と同じトバリシティに身を隠すという仮説は少し考えにくい部分もある。

 現にあなた達ほどこの街をよく知る大きな組織で以っても、その尻尾は掴めてこなかったのだから」

「だが、僕達もその仮説を捨てきってはいない。

 まさかそんなこをとするはずもあるまい、という思考の裏をかいてこそ、真実を隠しおおせるという理念もある。

 忌むべきギンガ団をシンオウ地方から排斥したい僕達としては、どんな可能性とて見落としたくはない」

 

 ギンガ団を名乗る悪党集団の行動が衆目に晒されるたび、同じ名を名乗る団体との関係を疑われ、記者会見も開いてきたコウキである。

 潔白を訴えるため、庶民にもわかる形で、しかし極力迷惑にならぬよう、街を捜索したことも一度や二度ではない。

 地上に悪のギンガ団のアジトなどとなり得る施設がないことは、断言してもいいだろう。

 

「あるなら地下だ。当然、僕達もその可能性は追ってきた。

 それが、今まで芽を吹いてこなかった。

 正直、行き詰まっていたからね。自信を持てと言われても難しいな」

「……結果は、良くなかった?」

「いや……約束は出来ないが、可能性は一つ突き止めてある。

 気は熟した、というところなのかもしれないな」

 

 シロナは昨晩、パールに連絡先を聞いたプラチナから電話を受け、事情を聞くとすぐにコウキに連絡した。

 ギンガ団のマーズがパールという少女に接触し、ギンガ団アジトの所在はトバリシティだと告げたことも含めてだ。

 何度も調査してきたであろうことは承知の上で、時間がないかもしれないことを強く推し、シロナはコウキにギンガ団の総力を挙げての再捜索を頼み込んだ。

 二つ返事で快諾してくれたコウキが、団員達と夜通しで徹してくれた甲斐あってなのか、僅かな成果があったことをコウキは匂わせる。

 

「元々、この街にギンガ団が潜んでいるのだと仮定すれば、地下しか無いという説は動かない。

 僕達もかつては、幾度も地下探索用の波動装置を使って、不自然な地下施設が無いかの調査は繰り返してきた。

 ただ、まあ……トバリの地層に関しては君も知っているだろう?」

「地下にも巨大な岩石が多く、それによって広い空洞がいくつもあったって地盤が沈まない。

 それがトバリシティの地層なのよね」

「空間の存在は探知できるよ。

 それこそ、怪しくも何ともない空洞が無限に、逆に言えば疑ってかかればいくらでも疑わしい空間など無限にある。

 それらすべてを、ギンガ団のアジトかもしれないとしらみ潰しに掘って進んだら、それこそこの地層でも耐えきれない地盤沈下だって起こるだろう。

 それなりの確信――いや、一定程度の疑念でいい。それが無いと手が出なかったんだ」

 

 それは確かに道理である。

 確証も無く、むやみやたらに地下を荒らせば、必ずどこかに歪みが生まれる。

 それこそ、地下への入り口の一つでも見付ければ話が大きく動くのだが、それを発見することもまた地上の捜査の目的であったのだ。

 それが結果に繋がってこなかった以上、暗礁に乗り上げていたというのが実状、というのがコウキの語る行間である。

 

「それでも、手を出せるきっかけを得られた?」

「中で、動きのある空洞が感知されたんだ。それも、多数の動きだ。

 確証は持てないが……それが、アジトに集ったギンガ団員達の動きなのだとすれば筋は通る」

「……今までには無かった動きなのね」

「それがギンガ団のアジトなのだとすれば、という前提だが、僕なりにも仮説を立ててみた。

 ――恐らく、これまではギンガ団アジトと呼ばれるものがこの街の地下にあったとて、わざわざ何人もの人が出入りはしてこなかったのだろう。

 そんなことが多々あれば、些細な目撃者を経て露呈する可能性もそれなりに高まるからな。

 元々これは、今回の話が立ち上がる前から考えていたことと掛け合わせた結論のようなものだがね」

「それが今は、あなた達の捜索の目に留まるほど、多くの悪党が集い、地下での動きが活発になっているということ?」

「君も言っていたことだ。

 ギンガ団は、捕らえた三柱の神の力を借りて、叶えたいことを今日叶えられるところにまで至っていると。

 だから君は、申し訳ないと思いつつも、僕達に捜索を急ぐように訴えたんだろう?」

 

 マーズがパールに伝えたこと。

 悪のギンガ団のアジトは、トバリシティの地下にあること。

 そして、パール達にそれを教えた日にとっての明日、つまり今日、ギンガ団がエムリット達を捕えて為したかったことは果たせるということ。

 

 あくまで、悪人の姦言だ。信頼に値するものではない。

 だが、もはや今日悪のギンガ団の目的が達成されるかもしれないという、不敵な発言を無視することは出来ないのだ。

 実際に三つの湖をあれほど衆目を恐れず、言い換えれば渇望的に襲撃し、湖に眠っていた神を、ならず者の手法で捕えたギンガ団。

 何を目指しているかなど想像もつかない。だからこそ恐ろしい。神の力という人の想像に及べぬやもしれぬものを手にして、果たして何を目指している?

 世界の在り方さえ変えてしまう、途轍もないことを起こしかねないのだ。絶対に阻止しなくてはならないという危機感を拭いようもない。

 

「目的の達成が目前であるなら、今さらアジトが見つかるリスクを踏んででも、総力を挙げて動き出すという可能性はあるんだ。

 叶えたいことさえ叶えてしまえば、隠れ家なんてもはや用済みという可能性は充分にある。

 見つかる可能性よりも迅速さ。あり得る話だ」

「…………」

「これによって本当にギンガ団のアジトを突き止められたとすれば、昨晩君が寄越してくれた要請は天啓に近いよ。

 昨晩という機に捜索していなければ、まだ間に合うのかもしれない今日のうちに仮説を立てることも出来なかった。

 ……一方で、その情報の大元はギンガ団幹部とやらの発言というのも些か不気味でもある。

 何らかの形で"囮"を用意して、僕達が足踏みしている間に、全く異なるどこかの拠点で赤い舌を出して目的達成に励んでいる可能性だってあるんだ。

 僕達が掴んだのは怨敵の尻尾なのか、それとも始めから切られていた尻尾なのか、仮説を信じて進むことが勇断なのか蛮勇なのかはわからない」

 

 手がかりを手にしていながら、話は簡単なものではないと訴えるコウキの表情は神妙だ。

 一晩のうちに、考え抜いてきたことを発する口。

 そして、一晩のうちに多くを考え抜いてきたのはシロナもそう。

 これは罠かもしれない、という懸念は当然、シロナにだってあったはずだ。

 コウキが話しているのは、手がかりが無かった過去とは違い、手がかりらしきものこそあれど、五里霧中には変わりないという確認に過ぎない。

 

「だが、ここまで来た以上はもはや行動を起こさぬのも愚の骨頂だ。

 警戒はしているさ。だが、ここで何もせずに静観を敢えて選び、それが後に英断だったと思えるビジョンも無い。

 何かが起これば、後悔だけが残るビジョンの方が際立つぐらいだ」

「ええ、あたしもそう思う。

 あたしに手伝えることがあるなら何でも言って頂戴。

 何だってするわ、あなたの頼みなら」

「ありがとう、頼もしいよ。

 悪の巣窟と化している可能性のある、只ならぬ危険性が想定されるような場所に、僕も部下を送り込むことは出来ない。

 向かうのは僕自身だ。シロナ、君も来てくれるか」

「勿論よ」

 

 シロナは、そのためにここへ来た。

 もしも、もしもコウキが何らかの手がかりを見付けてくれるなら、彼に寄り添える相棒として、あるいは手駒になったっていい。

 悪のギンガ団を憎み、正しき行いを積み重ねてきたギンガ団の威信に基づき、必ず何かを成し遂げんとしてくれる人物だと信頼しているからだ。

 そんな彼の信念に従える形であれば、極論チャンピオンが顎で使われる形になろうと構わないのだ。彼の言葉になら従える。

 

「疑いのある地下空間を起点とし、それに距離を近くする地下空間を繋いでいけば、ある一つの施設の地下深くに到達する。

 多くの人が出入りして、たとえその中に悪党どもが紛れていても、森の中の木のように決して目立たぬ場所だ。

 僕は、ここがギンガ団のアジトへの入り口があるとすれば得心がいく、と結論付け、昨晩無理を言って捜索の手を入れさせて貰った」

「それは?」

 

「トバリデパートだ。

 その地下倉庫を入念に調べさせて貰った結果、地下へと繋がる細い道を突き止めた」

 

 果たして、それは核心か。

 シロナの命運を問う長い一日、運命の日が、コウキの明かした道筋によって、真の意味で幕を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「プラッチ、シロナさんへの連絡、どうだった?

 信じてくれてそうだった?」

「うん、必ず何かを掴んでみるって言ってくれてたよ。

 パールの言葉を信じてくれてるよ」

 

 ソノオタウンを朝早くに出発し、トバリシティに辿り着いたパール達。

 街の入り口でパールが気にしているのは、プラチナが電話してくれたというシロナの反応だ。

 自分の言葉を信じて貰えるか不安というより、敵の言葉から得た情報をシロナが受け取ってくれるのか、という不安の方が大きいのだろう。

 ギンガ団幹部の言葉を鵜呑みに出来ないことなど、パールのような子供にだってわかる話だということだ。

 

「スモモさんは……」

「待ってくれてるはずだよ。そう約束してくれた。

 あの人も、自分なりに探りは入れるって言ってくれて……あっ、ほら」

 

「パールさん、プラッチさん!

 お久しぶりです!」

 

 まずはスモモに、プラチナが連絡を入れてくれていたもう一人に会うため、トバリジムへ行こうとしていたパール達。

 だが、スモモは街に入ってすぐの所で、二人を待ってくれていた。

 大きく手を振り、ここにいますよと二人の名を呼んでくれるスモモを見て、パールはぱたぱたと駆け寄っていく。

 プラチナもそれに続く。複雑な顔をして。あぁそういえば僕の名前……

 

「ご無沙汰しております。

 お二人をお待ちしておりました」

「え? え~と……はいっ、その、あ~……

 きょ、今日はお世話に、なります?」

 

 たいへん礼儀正しく努めんとするきらいがあって、時々いき過ぎたほどのご丁寧さの挨拶をすることのあるスモモ、と言われる。

 もっともスモモとて、いつもいつもこうではないのだが。

 彼女なりに、過剰と思われるような挨拶をする時というのは、それなりの気概を込めてである。

 例えばそれは、ジムリーダーとして挑戦者に最大限の礼を尽くしたい時、など。では、今日は?

 

「はい、すいません。

 それよりもまず、スモモさんにお話ししたいことがございます」

「ん?

 はい、なんでしょうか?」

「僕はパールに、自分の名前がプラチナであることを明かしました。

 ですから今後は僕のことを、プラチナと呼んで下さって大丈夫です」

「あら、そうですか!

 これは大変失礼致しました、プラチナさん」

 

「え? なに?

 プラッチの本名、スモモさんは知ってたの?」

「うっ……そ、それは、その……

 なんか、色々あってさ……」

「え~、なんで私にだけ知らされてなかったわけ?

 親友なのに。なぜ私だけハミ出し者にされているんだい?」

「そ、それはほら、昨日も言ったじゃん?

 なんとなく、話すタイミングが無くってさ……

 べ、別に不自由しなかったんだしさ、勘弁してよ」

「まあ、私の中では今でもプラッチはプラッチだけどね~。

 な~んか引っかかるなぁ……」

 

 ちょっと程度に不信の目を向けてくるパールにプラチナはたじたじ。

 プラチナは、ナタネをはじめとし、パール以外の多くの人には自分の本名を教えている。

 というか、ナタネに知らせてある時点で、シンオウジムリーダーの女性陣が仲良しであることを後から思えば、少なくともその四名の全員は知っているだろう。

 ナタネはお喋りだし。

 しかも理由が理由だ。あんなの、ナタネがお喋りに話したくなって仕方がない理由であることも、プラチナだって自覚している。

 

「そうですかぁ~……もう教えちゃったんですねぇ~……

 もうトクベツなアダ名ってやつが定着しちゃって、隠しておく必要が無くなったっていうところですか?」

「勘弁して下さい、いじらないで下さい……

 今にして思えば僕マジで恥ずかしいことしてる……」

 

 プラチナに身を寄せて、ないしょ話でにまにまと語りかけてくるスモモ。

 プラチナは顔から火が出そうである。

 非常に礼儀正しいことで有名なスモモだが、やっぱり年頃の女の子である。明らかに色恋が絡んでいるこの話、ちょっとぐらいはつついて楽しみたくもなろう。

 

 そもそもプラチナが本名をパールに隠し通そうとしたこと自体、はじめは明確に意図あってのことだったのだ。

 プラチナは幼少の頃から、友達にあだ名らしきものをつけてもらったことがない。

 たまたまだが、そうだったのだ。プラチナ、という名前は、彼のこれまでの友達にあだ名を思い付かせにくいものだったのだろう。

 子供心のないものねだりだが、あだ名で親しく呼び合う友達を見て、僕もあだ名で呼ばれてみたいなぁと思ったこともあったそうな。

 

 きっかけこそ聞き間違いだったが、パールはプラチナを本名ではない名前で呼び、それが定着し、そのまま親しくなった。

 今ほどでなくたって、好感の持てる、仲良くしたくなる女の子に、思わぬ形であだ名めいたもので呼んで貰えて仲良しに。

 なんだか嬉しいじゃないの。捨てがたいほど楽しい毎日じゃないの。

 そんなわけでプラチナは、本名を明かすことによって、プラチナと呼ばれる"正しい形"に戻ってしまうのがなんだか嫌だったわけで。

 簡潔に言い換えると、パールにプラッチと呼ばれ続けたいから本名を教えてこなかったわけで。

 こんなの絶対パールに知られたくない。パール以外に知られてる時点でまあまあ恥ずかしいのに、ご本人に知られてしまった日にゃあ、もう。

 そこまで知ってるナタネからすれば、仲良しのスモモにもメリッサにもスズナにも、その詳細をきちんと伝えて見守りたくなるのも致し方あるまい。

 単なる野次馬遊びだけじゃなく、プラチナの希望を汲んで、みんな結束してプラチナをプラッチと呼ぶよう計らっているのだから節度もある。

 プラチナは、今まで色んな人に微笑ましく見守られてきたのだ。改めて考えるとプラチナはいっそう恥ずかしくなってしまうのだが。

 

「何こそこそ話してるんですか。

 また私だけハミ出しですか」

「ああ、いえいえ。作戦会議ですよ。

 プラチナさんからの電話を受けて、得られた情報とのすり合わせです」

 

 上手にかわすスモモさん。

 別に、一生バトルのことばっかり考えているジムリーダーではございません。

 オフの時には、同じ年頃と比べれば己を高めることに時間を費やす人物ではあるが、親しい先輩に巡り会えたこともあり、やはり今でも女の子なのだ。

 

「あたしもパールさん達からの連絡を受けて、自分なりに調べてみたんです。

 怪しい人が入っていく施設は無いか。妙な動きをしている人はいないか。

 恐れ入りますがジム生の皆様にも協力して貰って、昨晩はそれなりに動いてみたつもりです」

 

 そして、話を本題に移していく。

 遊びは終わりだ。この切り替えの早さも年長者らしい姿。

 悪のギンガ団という、野放しにしてはいけない者達を何とかしたい、その気持ちが根幹にあるからこそ、本題に移るや否やのスモモの表情も変わり映える。

 

「お伺いした限りですと、今日、ギンガ団が何らかの目的を達成しようとしているのであれば、それなりに動きもあるでしょうと見込みました。

 果たしてその推察が正解なのかはわかりませんが……あんな所にどうしてあんなに多くの人が何度も? という場所には一つ思い当たります。

 あたしは、その直感を追ってみたいと思っています」

 

 概ねのところは、スモモもコウキと似たようなことを言っている。

 限られた短い時間で、あるかどうかもわからないギンガ団のアジトを探す者達の思考は、おおよそ似通ってくるというところだろうか。

 もしも、万が一、こうした"ごもっともらしい"答えを"演じて"ぺらぺら語れる者がいたとしたら、相当に理屈の組み立てが上手いと言えるだろう。

 

「パールさん、プラチナさん。

 あたしはこれから、そこへ乗り込みます。

 未熟なジム生を伴って行くことなど決して許されない、悪の巣窟を彷彿とさせる危険な世界です。

 あたしはジムリーダーとして、無限の未来を担う若きトレーナーであるあなた達を、本来ついて来てはいけないと制すべき立場にあります」

 

 そう、安全の保証されない場所。

 容赦の無い悪党に敗北した時、辿る末路は暗黒世界。

 そこに子供二人を引き連れて挑むことなど、トレーナー達を導くことこそ本業のジムリーダーとして、あり得べからざることである。

 二人のことはこの身に代えても守る、と絶対的な決意を固め、現に守り通したナタネと同じことが出来なければ、それはジムリーダーの資格にも響くことだ。

 

「……一緒に、来てくれますか?

 共に、戦って下さいますか?」

「はいっ!」

「勿論です」

「ありがとうございます。

 あたし、誠心誠意、お二人の御心にお応えさせて頂きます」

 

 パール達を迎えた時のスモモが、ジムリーダーとして挑戦者を迎える時のように、お堅い挨拶だったのは何故なのか。

 プラチナが本名を明かしたことを伝えたことで、一度空気は切れたけれど。

 スモモははじめから、二人にこの言葉を向けようと思っていたからこそ、ひたむきな礼を尽くさんとその背筋を正していた。

 

 "あく"を打ち破る"かくとう"の精神の源泉とは何か。

 悪しき者には屈してならぬ、正しく在るべきものを守らんとする正義の心だ。

 スモモは、プラチナとパールという二人の少年少女に、そんな心が宿っていることを信頼している。

 それはきっと、来るなと言っても首を振るであろうほど、強い強いものだとだ。

 親しい三人の先輩ジムリーダー達が心の根底に持つその心。それを心から敬い、その本質と真髄を追及してきたスモモだからこそ眼を見ればわかる。

 ほら、二人は迷わず頷いてくれたじゃないか。それも、一瞬の迷いも無くだ。

 胸の前で握りしめた両の拳と、いつものように一礼するスモモの挙動には、慣れたその行動のみに留まらぬ、最大限の敬意が込められている。

 

 己の危険も顧みず、果たしたい何かに向かって突き進むこと。

 自己犠牲は美談だろうか。手放しで賞賛できるものだろうか。

 真の善意さえ偽善と嗤われ、叶わなかった信念など評価もされない、厳しい現実というものがこの世界には蔓延っている。

 そんな中でも悪意や屁理屈を退け、時に打ちのめされ、それでも正しき道を切り拓いていく過酷さと厳しさ、儘ならなさ、付き纏う耐え難き痛み。

 それを知れば知る程に、傷つくことを恐れず戦うことの尊さはわかるはずだ。

 

「トバリシティに親しむギンガ団、それが構える一つの倉庫。

 そこに、悪しきギンガ団が潜むアジトへの道筋があると、あたしは推察しています。

 ……いざ、参りましょう」

 

 出立の声を発するスモモの声が僅かに曇ったのは、彼女自身も否定したい邪推がそこにあったからだ。

 スモモはトバリシティの生まれ育ちだ。幼い頃から、トバリシティの発展に貢献してきたギンガ団への愛着は強い。

 確かにゲームコーナーの設立によって、少し柄の悪い人が街に増えたこともあった。何でもかんでもギンガ団の行動を肯定するほど妄信はしていない。

 だけど、確かに街の為に尽くさんとし続けてくれた大人達が集う、愛着があり地元の誇りでもある組織あるいは企業なのだ。

 そんなギンガ団が、各地で悪行をはたらきギンガ団の名を騙る連中と繋がりを持っているなど、推理以前に感情が否定したくなる。

 それだけスモモにとっても、いや、トバリシティの多くの人々にとって、街に根差したギンガ団とはそうした人々の集まりなのだ。

 スモモがジムリーダーに就任した日、この街の誇りあるジムの新たな門出だと、ギンガ団が祝ってくれた日の嬉しさなど、スモモは一日も忘れたことがない。

 

 そんなギンガ団の所有する建物の一つに、悪の気配を僅かにでも感じるスモモの、とげの刺さった胸中はパールにも僅かに感じられた。

 パールにはわかったのだ。彼女とて、地元に、シンジ湖に、只ならぬほどの、同じ町に住まう誰にも負けないほどの愛着を持つ少女。

 愛するそれに汚名がかかるやもしれぬ、隠しきれぬ不安が僅かに声に乗ったスモモに、私が同じ立場だったらというところまで心が辿り着く。

 感受性とは想像力だ。人に優しくなるためには、想像力が不可欠だ。

 

「スモモさん」

「え……」

 

 二人に背を向け、向かうべき場所に歩みだすと同時、パール達に見えぬ中で唇を噛み締めていたスモモ。

 後ろからその手を握り、スモモに呼びかけるパールに振り返る。

 自分よりも背の低い少女の顔を見下ろせば、そこには強くも儚く、年上を案じるパールの恭しい瞳がある。

 

「私達、間違ってませんよね?

 私も、プラッチも、スモモさんも」

 

 正しい道を進まんとすれば、必ずいつか成功と失敗を問われる。

 歩み続ける限り人は、どこまでだって不安と付き合っていかねばならない。

 自分の信念を信じようとしてくれる誰かがそばにいてくれることは、そんな時にどれほど頼もしく、温かく、救われるか。

 信じてきたものに裏切られる恐怖に駆られたスモモの心の暗い霧に、パールが手をかけ振り払おうとしてくれる。まして、年下がだ。

 

 ここまでされて、背筋を伸ばせなくてはどうするのだ。

 スモモは一度、ぎゅっと目をつぶり、ぱっと開いたその両眼には、自らの信念により心の靄を振り払った光を宿している。

 本当に、救いとは、いつだって、思わぬところからしか降ってこない。だからこそ世知辛い。だからこそ、巡り会えたその日は何よりも貴い。

 

「…………はい!

 信じて、突き進みましょう!」

「えへへ……!

 プラッチ、行こう! 頑張ろうね! それも、全力、全開で!」

「ああ!」

 

 三つの若き志は、決して絶えぬほどの熱き炎を宿し、死地と覚悟したその世界へ向けて歩を進める。

 苦難はあろう。それも、必ずだ。

 そう覚悟した上で、もう迷わぬと決めた三人は、何が起こっても折れぬ想いを胸に、清純なる世界を勝ち取るための戦いに乗り込んでいく。

 

 間もなく訪れる、トバリシティの日の光当たらぬ場所での苦闘。

 少女にとって、少年にとって、この日この時に関わりさえしなければ想像だにしなかったほど、後の人生すら一変するような世界へ。

 運命の日はいつ訪れるかわからない。訪れたとしても、それがそうであったことなど、後から思えばでしかわからない。

 そんな日が、それもこの日がそうであったとすぐに確信できるような一日が、いま始まる。

 パールとプラチナにとって、一生忘れられない一日がだ。



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第114話  ギンガ団アジト

 

「よかった、塞がれてはいないようだな。

 さあ、シロナ。行こうか」

 

 トバリデパートの地下倉庫。

 商品を保管するための倉庫に過ぎず、そこに別の使い途があろうとは、誰も長らく疑ってこなかった。

 だが、長らく動かされてこなかった棚を動かし、その裏の壁を暗い中で手探りすれば、鉄壁の繋ぎ目の窪みに小さな出っ張りを確かめられる。

 それを押すでなく、指をかけてぐっと引くことにより、引き戸のように壁の一部が開いて、人一人が通れるような小さな穴が開くのだ。

 昨晩、コウキ達ギンガ団の捜索の結果ようやく見つけた、か細くも確かな悪のギンガ団の地下世界への手がかりである。

 

「コウキさん、シロナさん……

 お二人の実力は存じておりますが、何卒お気を付けて……」

「ああ、ありがとう」

「ご協力、感謝するわ」

 

 デパートの責任者に見送られ、二人はその穴に潜り込んでいく。

 細いパイプのような道を這って進んで行けば、間もなくしてそれを抜け、広い地下アジトらしき場所へと到達だ。

 狭い中を潜り抜けるのは短時間でも窮屈で、立って両手を伸ばせる場所に着けば、シロナはすぐにうーんと身体を伸ばす。

 

 よく出来た地下施設の通路のような場所で、電気も通っていて蛍光灯で照らされた明るい道だ。

 辿り着いてみれば、やはりいかにも地下に潜伏する組織のアジトと見るには充分である。

 こつ、こつ、と二人の足音が静かな中に響く道、いつどこから敵の急襲があっても困らぬよう、シロナも神経を尖らせている。

 

「……よく見つけたわね、こんな場所」

「運には恵まれていた。

 見つけたのは僕自身だ。きっと、他の団員があの地下倉庫を探っていても、これは見つけられなかったかもしれない」

「そうなんだ?」

 

「そもそもこうした一般の企業の施設を、僕達のような法的機関でも無い組織が、ここまで腹の奥まで探るような調査はハードルが高いんだ。

 元より懇ろにさせて貰っているデパートのオーナーに、無理を言って夜間の立ち入りを許可して貰ってさ。

 ついでに、搬出・搬入の多い荷物はあるか、長く動かしていない資材はあるか、なんてことまで尋ねさせて貰ってるんだよ。

 そんなわざわざ企業が情報を流出するようなこと、誰だって好んでやりたがるはずがない。

 僕自身が赴いて交渉して、それでも渋い顔をされて承諾を得ての調査だよ。

 まあ、結果が出たからデパートのオーナーには舌を巻いて貰えたけどね。

 それも含めて、僕自身が踏み込んだこの場所に、この大きな手掛かりがあったっていうのはツイてると思ってる」

 

 敵の気配を特に感じない、静寂の通路を進む中で、二人は小声で対話する。

 トバリシティにおけるコウキの人徳と人脈は本当に確かだ。

 当人も無理を押したと自覚する要求を、デパートのオーナーに認めさせている時点で明白である。

 とりわけこのデパートは、コウキ達ギンガ団が街を発展させた過程で出来た街の名物ということで、コウキにとって縁浅からぬものなのも幸いだっただろう。

 本来ならば門前払いするような要望も、ギンガ団オーナーが言うならな、と渋々でも認めさせたのは、街を発展させたコウキの実績と地位あってこそのものだ。

 

「このデパートの人達は、悪のギンガ団とはグルなのかしら?」

「どうだろうな、可能性は否定できないけれど。

 ただ、デパートのオーナーとは付き合いも長いし、少しやかましい人だけどおおらかで人は悪くないしな……

 人の内面はわからないけど、悪事に関与するタイプには見えない、と、僕は思ってる。信じたい、とも言うけどね」

「まあ、構造上デパートの関係者じゃなくたって利用できる地下通路ではあるものね。

 元々人の出入りは多いし、人の流れに紛れて倉庫に向かえば、一般人でも利用できてしまうわ。

 セキュリティも、ある程度の手を込めばどうにかなるものね」

「倉庫の扉のロックなんて、相手が強い技術を持っている犯罪組織であることを加味すれば、どうとでもなってしまいそうだからね。

 ……もちろん、デパートの関係者の中に間者が紛れ込んでいたっていう可能性も充分にあるけどね」

 

 デパートの地下にここへの道があった時点で、デパート関係者に悪のギンガ団員が紛れ込んでいる可能性はどうしても睨みたくなる。

 トバリの民に、そんな奴がいるとは信じたくなさそうなコウキの態度には、シロナもこれ以上を追及することをやめにする。

 もしろ途中から、デパートの関係者にそんな奴がいなくたって成立する話だ、という論調に移しているぐらい。

 シビアな話をしようと思えば、いくらでも出来るにも関わらずだ。

 嫌な現実を望んでいないコウキを慮る程度には、シロナにとってコウキは大切な友人である。

 

「栓無いこと話しても仕方ないわよね。

 それよりコウキ、随分と静かね。敵の気配が無いわ」

「そうだな。

 もっとも、どこで敵が飛び出してくるかもわからないし、待ち構える敵がいるとするならその力量も未知数だ。

 何せ、敵の根城真っ只中と見えるには充分の伏魔殿だからね」

 

 ここが悪のギンガ団のアジト、すなわち敵の総本山だとするならば、幹部級の敵が待ち構えていてもおかしくないとコウキは言っている。

 踏み込んだ以上は蛇の道だ。敵の胃袋の中に飛び込むも同然。

 マーズやジュピターをはじめとする、シンオウ全土で正義を翻弄したほどの実力者さえ、ここには潜んでいるかもしれない。

 いかにチャンピオンと、それに匹敵する実力者という最強めいた二人の組み合わせでも、決して油断できない魔境である。

 

「シロナ」

「なに?」

「僕は必ず、討つべき敵を討つ覚悟でここに足を踏み入れている。

 君もそうだろう?」

「ええ、勿論よ」

 

「だが、迫真の危機を感じたなら、君とて逃げることを意識して欲しい。

 本当に、どんな敵が待っているかわからないからね。

 正義に殉じることをも厭わない君だと知っている身としては、君は……」

 

「こぉら」

「いたっ……」

 

 要約すれば、想定外の危機的状況に追い込まれることあらば、命を大事にして欲しいというコウキの言葉。

 シロナはぴんとコウキの額を指ではじき、黙らせる。

 不意打ちに片目を閉じてたじろぐコウキの前、頬を少し膨らませて不機嫌そうな顔を敢えて見せつつも、シロナは顔の力を抜いて微笑みを浮かべる。

 

「水臭いこと言いっこなしよ。

 あたしはあなたを信頼して、共に再び戦えれば、誰にだって負けない最高のパートナーとしてここまで来た。

 挑む時に、負けることを考える人がいる? そんなの、もしも追い詰められた時に初めて考えるぐらいでいいわ」

「…………」

「あたしは逃げないわ。あなたのためでもあるんだから。

 あなたが半生を費やして大きくした、街の誇りとも言えるギンガ団の名を穢そうとする悪党がこの先にいるかもしれない。

 あたしがそいつらを許せない一番の理由って、きっとそれなんだから。

 絶対に、負けたくないし、逃げるなんてもっと嫌よ」

 

「……そうか」

 

 コウキは元々、あまり感情を顔に出す方ではない。

 だが、シロナの言葉はやはり嬉しくて、彼にしては柔らかすぎるほど頬を緩め、笑った。

 今この時ばかりは、幼少の頃に無邪気に笑い合ったあの頃のように、互いに心を触れ合わせることさえ快く思う、親友同士の掛け値無い顔合わせがある。

 

「強くて、頼もしくて、かっこいい。

 僕は本当に、いい幼馴染に恵まれていたんだな」

「あたしも一緒よ。

 あなたのためなら何でも出来ると思える友達なんて、ほんとあなた以外に殆どいないんだから」

 

 やがて待ち受けるであろう、悪の巣窟の奥地における厳しい戦い。

 それを控える中、二人は胸に抱く不安を上塗りするかのように、親しく幸せなやり取りで蓋をする。

 

 こんな風に笑い合えるのも、これが最後になるかもしれない。

 死地に飛び込むというのはそういうことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カイリキー! 漆の型!」

 

 方やシロナやコウキが物静かな地下通路を進む中、片や別なるトバリの地下通路では、トバリ最強クラスのトレーナーが先陣を切って大暴れだ。

 壁面を整った金属で誂えた幅広の地下通路、巨躯のカイリキーが立ちはだかる悪の手先をなぎ倒していく。

 何人ものギンガ団員が、個々一匹ずつ合わせて何匹ものポケモンを同時にカイリキーに差し向けるが、四本腕のカイリキーはものともしない。

 迫り来る敵を次々と、掴んで、投げて、殴り飛ばして、生半可な実力の持ち主では接近戦を仕掛けること自体、愚かであることを見せつけ続けている。

 

「こんなの反則デース!

 侵入者というだけならまだしも、ジムリーダーなんて聞いてまセーン!」

「しかも超本気デース!

 こんなのお借りしたポケモンではどうにもなりまセーン!」

 

「相手が退がってますよ!

 パールさん、プラチナさん、一気に進みましょう!」

「頼もしい~……!

 本気のスモモさん超かっこいいよぉ……!」

「僕のエンペルトやパールのニルルに出来ることが殆ど無いよね……!」

 

 本気を出したナタネのポケモンが、炎さえ扱うギンガ団幹部ジュピターのスカタンクとさえ対等に渡り合っていたのと同じように。

 やはり本気を出したスモモもまた、シンオウトップクラスの実力者たることを、短い時間で証明している。

 一目でわかる悪のギンガ団員、異国より雇われた片言混じりの者達が逃げ惑う姿からも、雑兵が束になっても敵う相手ではない。

 

 トバリシティに根差す、悪とは無縁とされるギンガ団。

 それが所有する倉庫のうち、近年はあまり使われていない物置と化したものが一つある。

 トバリデパートが建てられた頃は、それと供託する形で支援し合うことの多かった倉庫らしいが、双方大きくなって供託の必要がほぼ無くなったのが現代。

 両者の良好な関係を築き上げたきっかけとして、取り壊すのも寂しいと、用途の少なくなった現在でもひっそりと佇んでいた倉庫なのだ。

 多少なりとも機会があれば活用もされたようだが、ギンガ団も本部のそばに倉庫を新たに作った今、やはりその使用頻度は低かった。

 

 せいぜい定期的な棚卸が行われる時しか、ギンガ団さえ深くは関わらないこの倉庫、悪の組織のアジトへの入り口を作るにはうってつけだったのかもしれない。

 スモモは昨晩、眠い目を押して、トバリシティいっぱいを歩き、ルカリオと共に怪しい場所が無いかを調べ回っていた。

 所々で地面に手を当てて放つルカリオの波導により、この街のどこかに悪しき者が潜伏する空間が無いかを、何時間もかけて調べ渡っていたのだ。

 理屈は昨晩、コウキ率いるギンガ団がしていたこととほぼ同じである。

 そしてコウキの言葉を借りるなら、計画の大詰めになってアジトで悪党どもの行動が活発になったためか、ルカリオの波導にもそれが引っかかった。

 それが感じられた唯一の場所が、古びたギンガ団倉庫だったということだ。

 

 はっきり言って今回スモモは、パール達と共にギンガ団の所有する施設に忍び込んでいる。

 褒められた行動ではないし、確信が無ければそんなことは絶対にしていないだろう。

 道理を弁えたその性格と、この機を逃せば次など無いかもしれないという決断を迫られた中、葛藤たるものもあったはずだ。

 だが、結果的に忍び込んだ倉庫の中で、コウキ達が見つけたものと同じように、隠し扉を見付けてしまったらもう迷わない。

 そしてその細い道を抜け、広い地下道に出て間もなくすれば、侵入者にぎょっとしたギンガ団員達による熱烈な歓迎が間もなく。

 悪しき者達のアジトであると半ば確定した中、もはや引き退がるという選択肢は三人にはない。

 

「ええい、退がるな!

 ギンガ団の悲願が果たされるのは目前だぞ!

 ここまで来て、湧いて出たような窮地に躓いてたまるか!」

「リーダー……!」

「行け! フーディン!

 サイコキネシスだ!」

 

 しかし、駆け進む中で立ち塞がるのは、やはり有象無象の雇われギンガ団員ばかりではない。

 身に纏うものこそ下っ端と同じものながら、饒舌な言葉遣いで団員を囃し立て、繰り出したフーディンにスモモのカイリキーを狙い撃たせる。

 使う技も強力だ。我が身の地力を戦う力の源泉とする格闘タイプにとって、不可思議な力であるエスパータイプの技はよく刺さる。

 敵の身体を捕えて操るその力により、巨岩をぶつけられても踏ん張る屈強なカイリキーの身体が浮かせられ、スモモの方へと投げ飛ばされる。

 

「伍の型……!」

「ッ――――!」

 

「ニルルっ、撃てぇーっ!」

「エンペルト、ぶちかましてやれ!」

 

 突然の奇襲にも機敏な反応で、スモモは素早い横っ跳びでカイリキーの巨体をぶつけられる大怪我を免れている。

 指示も的確。叩きつけられた瞬間に受け身を取り、すぐに立ち上がることを示唆し、次なる行動まで指定するスモモの指示にカイリキーも従えている。

 その間に、ニルルの泥爆弾がフーディンに直撃し、怯んだフーディンに接近したエンペルトのメタルクローが、物理防御に秀でないフーディンを殴り飛ばす。

 

「く……!

 フーディン、もう一度だ! カイリキーを狙え!」

「ッ、ッ……!」

 

「無駄です!

 さあ、パールさん、プラチナさん!」

「ニルルっ、もういっぱぁつ!」

 

 あの二連撃を受けてなお倒れなかっただけでも、フーディンのレベルが高いことは伺える一幕だ。

 三匹の強敵を前に、倒れる前に少しでも一番厄介で強そうなカイリキーにダメージを。誰だってそうする場面だろう。

 だが、"みきり"を構えてサイコキネシスの念動力が自らを捕える瞬間を見切ったカイリキーは、交差させた四本の腕を一気に振り抜く。

 見えない力も捉えさえすれば対処できるのだ。フーディンの力をその力強い腕の振るいで打ち放ったカイリキーに、フーディンの攻撃は無効化されている。

 行動一つ潰されて逃げ足も踏めぬフーディンに、強烈な泥爆弾がもう一撃当たればもうたまらない。

 壁まで吹っ飛ばされたフーディンは力尽き、戦う限りは手放さぬ両手のスプーンも、からんからんと音を立てて床に転がった。

 

「ひえええ……!

 リーダーでさえ瞬殺なんて……!」

「や、やっぱりどうにもなりまセーン!

 これ以上戦えるはずがありまセーン!」

「く、っ……!

 逃げるなお前達! 総力を挙げて挑まねばどうにもならんのだぞ!」

 

 下っ端ギンガ団員にリーダーと呼ばれているこの男性、幹部格ではなさそうだが、彼が駄目ならもう、と下っ端が感じるほどには見上げられているのだろう。

 現にあのタフなフーディンのレベルは高く、恐らくパールやプラチナとて、一対一でこの男のポケモンよやり合うならそれなりに苦戦しそうだ。

 短時間でフーディンを撃破することは出来たが、ほぼ3対1の状況だったからというのも考慮すべき実状である。

 フーディンをボールに戻し、次なるポケモンを繰り出そうとする姿からも、これだけの劣勢で一歩も退かぬ胆力と自信も持ち合わせている。

 

「もう無理デース! おしまいデース!」

「一蓮托生なんて出来まセーン! 勘弁デース!」

「お前達! 逃げるんじゃない!

 数で押すしか……」

 

 しかし継戦の意を揺るがさぬリーダーの発破も虚しく、下っ端達は逃げていく。

 彼とて部下に慕われ、頼りにされる実力者であろうが、本気のジムリーダーを前にしたこの苦境には、頼れる兄貴分の言葉にも身を寄せられない。

 やはり寄せ集めの烏合の衆なのだ。心が折れれば、どんなに普段頼りにしていた仲間がいても、あっという間に瓦解する集団戦力に過ぎない。

 

「――――――――――――――――z!!」

 

「ヒ……!?」

「ハゥ、ッ!?」

 

「ひゎっ!?

 ぷ、プラッチ、スモモさん……!」

「わかってる、これは只者じゃない!」

「いよいよ、真打登場というところなのかもしれませんね……!」

 

 部下を引き留められぬリーダーが無力感にさえ苛まれる中、突然その通路に響き渡ったいななきは、その場にいる全員の背筋を凍らせた。

 闇の深淵より響くような、低く、おぞましい何者かの声は、獰猛なポケモンの"いかく"にも匹敵するほど、耳にしたものの心臓をわしづかみにする。

 すくみ上がるギンガ団員らの一方、パール達とて身を震わせ、ここまで容易に敵を討ち破ってきた展開、その終幕を確信せざるを得なかった。

 

「おお……!」

 

「――――z!」

「えっ、ちょ……ぎゃーっ!?」

 

 ギンガ団のリーダーが歓喜に近い声とともに迎えたのは、一匹のドンカラスだ。

 それは逃げ惑っていたところで足を止めたギンガ団下っ端の一人に向かって突き進み、その足の爪で肩をずばりと斬りつけた。

 来た方向からして、間違いなくギンガ団側のポケモンであるはずなのに。

 一切の迷い無く人間の肌を傷つける残忍さをその行動一つで見せつけ、ましてそれが味方への攻撃だとすれば尚更だ。

 

「ぜ、絶対私達の味方じゃないよね!?

 なのに……!」

「悪の組織の手先って感じがするよ……!

 ちゃんと仕事しない部下はこうなるんだ、ってことでしょ!」

 

「――――」

「さあ、戦えお前達!

 逃げ道は無いんだぞ! どのみち同じことだ!」

「うぐぐぐ……! 仕方ありまセーン!」

「逃げても殺されてしまうかもしれまセーン!

 こうなれば、やるだけやってやるしかありまセーン!」

 

 ギンガ団員達の後方に羽ばたいて陣取るドンカラスは、まるで団員の人間さえ自らの配下と見るかの如く、威嚇的な鳴き声を発して睨みを利かせている。

 戦わずして逃げるならばこうなる、という脅しを効かせられた下っ端達は、次々にポケモンを繰り出して、無謀の戦いへ身を投じざるを得ない。

 肩を傷つけられて血を流すギンガ団員でさえ、恐怖のあまりに立ち上がらざるを得ず、ポケモンを繰り出して臨戦対戦へと入る。

 大の大人が痛みと恐怖で涙目になって自分達に向き合う姿には、パール達ですら思わず哀れみを抱くほどだ。

 

「……許すわけにはいきません」

 

 ぽつりとつぶやくようでいて、はっきりとパールとプラチナにも聞こえた小声。

 大きな声でなくたって、その声に込められたむき出しの感情は、聞き逃しようもないほど声に現れるほど強かったのだ。

 味方の怒りにぞくっとして、思わずスモモを振り返った二人が、眉間に皺を寄せて歯を食いしばるスモモの形相に再びぞくっとしたほどだ。

 

「パールさん、プラチナさん、どうかお力を……!

 あたし達は、絶対に負けるわけには参りません!」

「――はいっ!

 あんな奴に、絶対負けたくないです!」

「打ち破りましょう……!」

 

 パールも、プラチナも、ギンガ団員達やそれらが繰り出したポケモン達より、その後方に羽ばたくドンカラスを見据えて。

 悪の象徴。意に沿わぬ者なら味方とて傷つけるをも厭わぬ、利己の権現にして悪意の塊。

 二人にとって、決して屈したくない存在が目の前にある。

 

 くく、と嘴の端を上げるようにして嘲笑するドンカラスは、人とポケモンの壁を立てて余裕を崩さない。

 敵陣に飛び込んだパール達にとって、これが最初にして大きな関門だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

「大層なゲートね。

 いかにもこの先に、何か待ち受けていそうだっていう感じだわ」

 

 地下通路を進んできたシロナとコウキの前にあったのは、半円状のゲートを鋼の扉で閉じたような開閉式の入り口だ。

 その脇には、扉を開くためと思しきスイッチもある。これを押せば開くのだろうとは、電灯のスイッチのように明らかに察せる。

 そこに歩み寄り、スイッチに手をかけるコウキは、それを押す前に一度手を止めた。

 スイッチに触れたまま、押さずシロナに一度振り返る。

 

「引き返すなら、今のうちだぞ」

「なんちゃって?」

「……ふふ、僕がそんな言葉遣いをするわけないだろ」

「冗談やめてよね、あたしだって少しは怖いのに、笑っちゃうじゃない。

 さあ、迷わずに」

「……………………ああ」

 

 コウキは寂しげに微笑んで、そのスイッチを押した。

 それが、友人の背を押すものでもなく、不安を共有する仲間を励ますためのものでもなかったことに、シロナは一瞬気付きかけてはいたけれど。

 目の前でゲートが開く光景に、思考は一瞬で次なる情報で塗り重ねられ、一秒でも早く気付くべきことに気付く機会は失われてしまった。

 

 それは、本当に、少しでも早く気付くべきことだったのだ。

 ここに踏み込む前に、という意味ではない。だとすれば、もっと良かったとしても。

 つらい現実というものは、気付くのが遅くなればなるほどに、心に刻みつけられる傷は深くなるものなのだから。

 

「待っていたぞ」

 

「っ……!?」

 

 ゲートが開いてシロナの前方に広がっていた光景は、巨大なモニターを背面に構える、半円状の大きなテーブルだ。

 広い一室に、只ならぬ地位を持つ者が構えるに相応しい形状のテーブル。

 ここに座す者は相応の存在だとその光景だけで物語る広い空間で、シロナ達の来訪を待ち構えていた人物がいる。

 そのテーブルの中心の傍ら、椅子から立ち上がったその男性は、シロナにとっても顔馴染みだ。

 

「アカギ、あなた……!」

「期待通りだ。

 さしものチャンピオンも、私情に振り回されるようでは傀儡だな」

 

 ここがギンガ団の重鎮の王室であろうというのは、直感的に気付けること。

 そして、その王座に腰かけていたアカギの発言は、敵地に乗り込んだシロナの行動と正義を評価するものとはかけ離れている。

 シロナがここで邂逅せし人物に対し、その正体を悟るには充分なものが、ここには揃い過ぎていた。

 

「……あなたは、ギンガ団の何?」

「最高指導者だ」

「……………………そう、なのね」

 

 尋ねる前からわかっていた解答。

 このアカギこそが、ギンガ団のボスだったという事実。

 そこから導き出さざるを得ない一つの結論から、とうとう目を逸らせなくなったシロナは、自らの後ろで無言でいたコウキに振り返る。

 

 ギンガ団の設立に際し、アカギが深く関わっているのは周知の事実だ。

 ゆえにコウキは、人付き合いを好まないアカギと縁を認め合う、数少ない人物の一人。

 アカギが悪の組織の首魁であると判然とするこの状況、彼が一言も発さない、動揺の色も見せないというのはおかしい。

 

 コウキに振り返ったシロナの目に映る、冷ややかで、しかし僅かに哀しみを帯びたコウキの眼。

 そして、彼が壁のスイッチを押し、今くぐってきたゲートを閉じ、開かぬようにした行動が全てを物語っている。

 策謀に踊らされ、最強の敵が待つ敵地の中心におびき寄せられた哀れな蝶から、退路を剥奪するその行動の残酷さは計り知れない。

 

「……あなたも、そうなのね」

「……だから、引き返すなら今のうちだと言っただろう」

 

「サターン、いくぞ」

「ええ、ボスの仰せのままに」

 

 正義と悪。

 袂を分かつことを余儀なくされた二人の惜別の間すら、アカギの指示は許さない。

 アカギとサターンがスイッチを押したモンスターボールから、クロバットが、ドクロッグが姿を現す。

 涙目にさえなりながらも、敵地に乗り込んだその手に握りしめたボールのスイッチを押すシロナもまた、戦うための仲間を呼び出すのみ。

 

 シロナが繰り出したのはガブリアス、そしてミロカロス。

 とりわけ、彼女にとって一番のパートナーであるガブリアスを呼び出すその仕草を、これほどの悲しみに満ちた想いで果たすことは、後にも先にも無いだろう。

 

「ガブリアスでいいのか?」

「……あたしのベストパートナーよ。

 どんな苦境も、この子と一緒に切り抜けてきた」

「お前のガブリアスは、僕のドクロッグにだけは勝てない。

 わかっているんだよな?」

「…………そうは、ならない!」

 

 幼い頃からよく知る仲、ポケモントレーナーとして腕を高め合った間柄。

 コウキは、サターンはシロナの手の内を全て知っている。シロナもだ。

 時を経て、互いにバトルし合わなくなった今でも、お互いのバトルスタイルの根底にあるものを誰よりも知る者同士、その延長線上にあるものは推して知れる。

 それだけシロナとコウキは、他の誰よりも、家族同士以上に、互いの懐を知り合える無二の親友だったのだから。

 

 それを、過去のものにはしたくなかった。

 だから、きっと、気付けなかったのだろう。気付きたくなかった。

 確定した今、追い詰められてなお戦える力を持つからこそ逃げてきたシロナを、アカギが私情に振り回された傀儡と皮肉したこと。

 シロナは、一抹も後悔などしていない。信ずるべき誰かを信じて何が悪い。

 裏切られてなどいない。信じるというのはそういうことだ。

 

「葬るぞ、クロバット」

「ドクロッグ、容赦は要らない。

 八つ裂きにするぞ」

 

 味方無き敵地の中枢。

 それも、一対一でも勝ち切れるかどうかわからぬ相手を、二人同時に相手取る駄目詰まり。

 さながら挟み撃ちにされる中、シロナは一度目を閉じて、開いた目には渾身の闘志を宿していた。

 悪を挫き、正義が志す勝利を勝ち取らんとする、初志を取り戻した彼女の眼差しは、もはや傷つけられた女性のそれではない。

 チャンピオンまで上り詰めた人物の強き精神は、人生最大級の心の傷を負うほどの苦境の中において、何ら色褪せぬほど燦然と輝いている。

 

 彼女がここまで辿り着いたのは、ギンガ団の掌の上での出来事だ。

 それを、ただそれだけの結末にせぬために。

 結果的にシロナはこの後、その想いを結実することになる。

 只ならぬ犠牲の上にだ。やはり、無傷で切り抜けられる苦境ではなかったのだ。



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第115話  諸悪の根源

 

 

「カイリキー、陸の型! 次いで捌の型へ!

 チャーレム! あなたは参の型!」

「狙って! はっぱカッター!」

「サイケ光線! グレッグルだ!」

 

 スモモのカイリキーを先頭とする、パール達とギンガ団員らの戦闘は、混沌を極めていたと言っていい。

 いつしかパールはニルルを引っ込めてピョコを、プラチナはエンペルトを引っ込めてガーメイルを繰り出している。

 ニルルやエンペルトが撃破されたわけではない。疲れが溜まりそうだと見て途中で交代したのだ。

 それだけ、長丁場の戦いになっているのということ。

 

「あわわ、私のグレッグルが……!」

「最後のポケモンですよね! 逃げてくだサーイ!

 流石に手持ちが無くなれば、ボスカラスさんも見逃してくれマース!」

「ううぅ……申し訳ないデース……!」

 

 何人もいるギンガ団の下っ端達、それら一人一人が一匹ずつポケモンを繰り出してくるため、パール達の計4匹よりも敵の数が多い。

 複数のポケモンを出したところで、状況に合わせた指示が難しくもあり、力量の伴わないギンガ団下っ端が一匹ずつしかポケモンを出せないのは助かる話だ。

 一方で、技量の伴うスモモがカイリキーだけでなくチャーレムも出して、敵数の多い戦況をやや押しているのは大きい。

 

「手持ちが無いなら下がって構わん!

 ある限りは全力を投じろ! 借りた力に不誠実を果たすな!

 ゴルバット、エアカッター! ドーミラーはガーメイルにサイケ光線を撃ち込め!」

 

「パール、大丈夫だよね!?」

「平気平気っ、怖がってなんていられないっ……!

 ピョコ! 思いっきりかみくだけえっ!」

「――――z!!」

 

 そんな中で、ゴルバットとドーミラーの二匹に的確に指示し、少しでも戦況に兵力を足しているギンガ団の"リーダー"たる男性の力量も光っている。

 パールやプラチナにはまだ難しい、二体以上のポケモンを出して、己の指示で以ってその力を引き出すこと。

 やはり只者ではない。スモモには及ばないというだけ。

 ギンガ団員らの支援を受け、数で押す構図を保たんとするその中で、彼の存在はスモモにさえ予断を許さぬ状況であると感じさせているはずだ。

 

「――――z!」

 

「来ますよ! プラチナさん!

 あなたのガーメイル!」

「ガーメイル、っ!」

 

 それでも相手の個々の能力は、決して打ち破れぬほど高くない。

 最も難敵たるギンガ団リーダーのドーミラーさえ、ピョコが噛み砕いて放り投げて戦闘不能に追い込んでいる。

 こちらも無傷とはいかないが、こちらが敵勢を削り取る速度の方が早いはず。

 そんな順調に進むはずの戦況をそうさせてくれないのが、敵勢奥地から"やみのはどう"を撃ってくるドンカラスの存在だ。

 

 遠い位置からの悪の波動だったからこそ、ガーメイルも回避することが出来たのだが、そのせいで次の行動に移るのが遅れてしまう。

 下っ端ギンガ団のグレッグルを撃破した勢いで、他のニャルマーへ撃ち込もうとしたサイケ光線が撃てないのだ。

 さらにはそんなガーメイルに向け、ズバットによる強襲やスカンプーによるスモッグの狙撃が飛び、逃げ回るように飛ぶガーメイルの行動に制限がかかる。

 躱しきれなかった攻撃によって受けるダメージもあるのだ。

 "やみのはどう"のみならず、"シャドーボール"や"ナイトヘッド"といった、支援狙撃で以って場を乱すドンカラスが、パール達の順調を阻んでいる。

 敵勢後衛からの攻撃ゆえ、直撃こそ免れるも容易ではないが、その回避を強いられた後に続く望ましくない展開が、戦いを長引かせる大きな一因だ。

 

「ピョコ狙って! ちゃんと当てるつもりでいくよ!」

「いいですね、パールさん……!」

 

 パールの指示に応えてピョコが、ドンカラスへの葉っぱカッターを撃つ。

 鋭い速度だ。相手は遠すぎるし、躱されてしまうのは仕方ない。

 しかし、ドンカラスとて見くびっていては刺さる速度だ。回避しつつも舌打ち気味の表情は、追撃を阻まれる疎ましさを表している。

 親分格のあれが好き勝手に出来なくなれば、それだけで随分と展開は変わるのだ。そして、こちらの最強格たるスモモのポケモン達の道は拓ける。

 

「カイリキー、チャーレム、打ち破りますよ!」

「――――z!」

「ガーメイルも! ぎんいろのかぜ!」

 

 カイリキーがクロスチョップで、チャーレムが飛び膝蹴りでそれぞれ敵勢一匹を撃破し、ガーメイルも銀色の風でピョコを狙っていた敵を退ける。

 着実な運びである。こちらの大駒で小兵を複数制し、自陣営に大きな被害を重ねることもなく。

 怯みかけるもリーダーの号令に従って、再びポケモン達に攻撃を指示するギンガ団達だが、スモモのカイリキーもチャーレムも流石戦い慣れている。

 恐るるに足らぬ攻撃は打撃で打ち返し、怖い攻撃は"みきり"や"まもり"で凌ぎ、ガーメイルもまた機敏な動きで狙撃を躱し切る。

 

「――――――z!!」

 

「えっ!?

 プラッチ、ガーメイルに……!」

「ガーメイル! 来てる……」

 

 この風向きは良くないと思ったのだろう。

 執拗に自らへ牽制の葉っぱカッターを撃ち続けられていたドンカラスが、埒が明かぬとばかりに回避をやめ、一気にガーメイルの方へと飛来した。

 葉っぱカッターを何発も浴び、羽毛の下の地肌まで斬りつけられつつだ。防御を捨てた特攻である。

 飛行タイプに草タイプの当たりが強くないことを踏まえても、葉の一枚に目元を傷つけられるドンカラスは、並々ならぬリスクを覚悟しての行動に違いない。

 

「ぅぁ……!?」

「っ……! ガーメイル、戻って!」

 

 パールが悲鳴じみた声を発するほど、ドンカラスの一撃は残忍だった。

 突き出した嘴が直撃する瞬間、首をひねり抉るように敵を貫く"ドリルくちばし"が、躱そうとしたガーメイルの翅を一枚根元から引き千切ったのだ。

 身内の片腕をもぎ取られるような光景に、パール以上に青ざめながらも、すぐにガーメイルをボールに戻したプラチナの判断は良かった。

 頭が真っ白になってもおかしくない一幕には違いなかったはずなのだ。

 

「――――――――z!!」

 

「両者、参の型! 狙いはドンカラスです!」

 

 俺様が一匹仕留めたぞ、さあお前達も続け、とばかりにいななくドンカラスを、スモモのカイリキーとチャーレムは逃さない。

 わざわざ指揮官格が自陣まで飛び込んできてくれた好機、すぐさま後退したドンカラスに跳躍して迫るカイリキーのクロスチョップは鋭い。

 あわやという所で躱すドンカラスだが、それもまた布石である。床を蹴って跳ぶチャーレムの攻撃を、ドンカラスは躱し切るに至れない。

 痛烈な"とびひざげり"による直撃は、悪タイプでもあるドンカラスには激烈に効く一撃であろう。

 

「逃がしません! 漆の型……っ!?」

 

「え!?」

「スモモさ……」

 

 げはっと息を吐いたドンカラスがぐらついた光景は、またとない撃破のチャンスだとスモモも息巻いていた。

 だから、まさかこんな返しの刃が自らを狙っていたとは想像だにしなかった。

 それはカイリキーとチャーレムがドンカラスに迫り、スモモを守れる立ち位置にいなかった隙を突いた、敵も味方も誰一人予想だにしなかった奇襲である。

 

 いや、一匹だけ。ギンガ団員らの遥か後方より、矢のような速度で飛来したその存在を認識した瞬間、ドンカラスはほくそ笑んでいた。

 今だ、引き付けるぞ、と同胞に訴えたあの鳴き声。やはり応えてくれたのだ。

 ギンガ団員やそれらのポケモンという集団を、減速せずに垣間抜けたクロバットが、一気にスモモへ接近してその四枚翼のうち二枚の先端で斬りつけにかかる。

 

「はっ、ぐうっ……!」

 

 スモモも流石は、トレーナーである以前に自身の鍛錬を怠らぬ少女だ。だからこそ、この程度で済んだとも言える。

 咄嗟の横っ跳びでクロバットの翼による攻撃を躱したスモモの脇腹を、悪の強靭が深々と傷つけたのだ。

 服が裂け、その下の柔肌がばっくりと割れ、ぶしっと噴き出した血を手で覆うスモモの指の間から、溢れる多量の血がどくどくと流れ止まらぬほど。

 深すぎる傷は肋骨にまで届いて傷までつけたのか、血を多く失っていない今の段階でさえ、スモモの顔色と噴き出す脂汗はただちに深刻だ。

 

「――――z!!」

 

 愕然の展開にカイリキーとチャーレムがスモモに振り返った瞬間、クロバットとドンカラスは既に次なる行動へ移っていた。

 ピョコがすぐさま我が身を盾にパールを、ボールから飛び出してきたエンペルトがプラチナを守る中、両翼が狙い澄ましたのはチャーレムだ。

 ドンカラスの悪の波動がチャーレムを背後から狙撃し、がはっと息を吐いたチャーレムの真正面から、羽ばたき放つ真空の刃で追い討ちだ。

 エスパータイプを持つため悪の波動が充分に効くチャーレムに、その"エアスラッシュ"は痛烈な駄目押しであり、崩れ落ちないだけでもチャーレムは強い。

 だが、それでも顔を上げてクロバットを睨みつけた矢先、飛来したクロバットの"つばさでうつ"攻撃により胸を×の字に斬りつけられて倒れる。

 翼の尖った先端で敵を切り裂く、あのクロバットの"つばさでうつ"攻撃は、もはや打撃ではなく斬撃だ。

 

「い、いけない……!

 チャーレム、戻って下さい……!」

 

「スモモさん……!」

「二人とも、あたしの後ろに!

 大変な、ことにっ……!」

 

 思わずスモモに駆け寄ったパールだったが、スモモは自らを案じられるより、二人のことを案じてやまなかった。

 スモモのボールから、ルカリオが自分の意志で飛び出してきた。それは間違いなく、スモモの意志とは関係ない行動。

 そして、バトルフィールドに立ちすくむカイリキーが四つの拳を握りしめ、わなわなと全身を震わす姿が既にある。

 

 惨劇が幕を開ける予兆は確かにここにあった。

 いや、チャーレムがクロバットに向けた眼差し。既にその一幕から、予兆と呼べるものはあったのかもしれない。

 これから何が起こるのか、経験則で以って知るギンガ団員リーダーの焦燥感は生半可なものではない。

 

「く……! ドクロッグ、行け! 毒突きだ!」

 

 既に繰り出していたドクロッグに発した指示は、傷ついて膝をつくスモモの方を向いているカイリキーを狙えというもの。

 大幹部サターンの切り札ドクロッグの強さに憧れてか、これがリーダーの切り札だ。

 借り物ではなく、自らの力で育てた個体であり、こうした悪の組織に荷担する男に従う立場でなければ、悪意無きポケモンバトルでも充分通用する強さである。

 それほどの個体が、悪しきギンガ団の野望の尖兵としてはたらく現実もまた無情。

 

 そして、背後からカイリキーに毒突きを直撃させたドクロッグが、微動だにせぬ巨人の腕一本で、頭をわしづかみにされる光景もまた無情。

 きっとこのドクロッグは、振り返ったカイリキーの血走った眼差しを、生涯忘れることはないだろう。

 最愛のトレーナーであり、何年にも渡って自らを育て上げてくれたスモモを傷つけられたカイリキーの胸中は?

 捕まえたドクロッグを引き寄せ、その腹部に膝を突き刺し、げはっと唾と毒液を吐き出したドクロッグを、アッパーカットで天井まで殴り飛ばして。

 落ちてきたそれを、容赦無き拳で殴り飛ばしたその後には、トレーナーであるリーダーの遥か後方でひくついたドクロッグの姿があるのみだ。

 

「ッ――――ルゥアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 よくもスモモを。よくも俺達の大切な人を。

 ルカリオが、カイリキーが、ギンガ団とそれらを束ねるリーダー、そしてその後方に身を移して控えたドンカラスとクロバットを見据えて発した咆哮。

 激情の中で残るかすかな理性は、それを同じ憎しみを持つ同胞と共有するために注ぎ込まれ、同時の怒声を発する目的を果たして役目を終えた。

 後に残るのは、スモモを傷つけ得るすべての敵を殲滅せんという、野生的な殺意を取り戻した思念無き本能的な衝動のみ。

 

 ギンガ団員達もそう。パールとプラチナでさえそう。

 身の毛もよだつような、敵の血を望みやまぬほどの殺意を前に、全身がすくみ上がって脚が震え始めたほど。

 この展開を予見していたドンカラスとクロバットのみが、ギンガ団員らの後方でぎらりと対抗眼力を光らせて。

 傷ついた自らのために暴力的衝動に精神を堕としたルカリオとカイリキーに、スモモのみが哀しみに涙ぐみさえする。

 もう、止められない。パールとプラチナが初めて目にする、一生目にする機会無き方がよかったはずの光景が、間もなく目の前に広がることとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、何もかもが思い通りとはいかんな」

 

 ギンガ団アジトの最奥点。

 広く、薄暗い部屋に三つの捕獲ポッドがあり、それらに一匹ずつ――いや、一柱ずつのポケモンが囚われている。

 ユクシー、アグノム、そしてエムリット。

 衰弱しきったそれらは、常時強い電流を流されるかのような苦痛によって縛り付けられ、抗う力もなく苦しみ、震え、喘ぐのみ。

 

 そんな牢獄めいた非情な一室、メインコンピューターを操作するアカギのそば、サターンはボスの独り言を黙って反芻する。

 目的としていたものは間もなく手に入る。計画に一切の狂いは無い。

 パールやプラチナ、スモモやシロナという邪魔者がこの拠点まで乗り込んできた展開は、アカギにとって何ら障害になっていなかったはずだ。

 

「シロナですか?」

「そうだ。

 奴のことだ、もう少し逃げるのを躊躇うはずだと想定していた。

 だが、奴は最速で逃げの一手を打ってみせた。

 流石はチャンピオン……と言うよりも、流石はシロナだと言うべきなのだろうな」

 

 アカギとサターン、そんな実力者に挟撃される形となったシロナは、一刻の迷いもなく敵から逃げるための戦い方を選んだ。

 単なる我が身可愛さなのだろうか。

 戦い始めるその瞬間、つまりその方針を固めたその瞬間、シロナが血が出るほど唇を噛み締めていた表情をサターンは見て確かめている。

 どうして彼女がそんな顔をしていたのか、サターンだってわかっている。

 

「…………ボスはそのために、あの二人の子供をここまで放置したのですか?」

「ん?」

「マーズにかの少女へ情報を渡し、この舞台へと赴くように仕向ければシロナが釣れる、と。

 若き芽を大切にしたがる彼女のことだ、無限の未来があるはずの子供がギンガ団に挑み、昏き闇に堕ちることを阻むため、彼女もここへ挑んでくるだろう、と。

 そして、彼女らの護衛をトバリのジムリーダーに任せ、自身は私との関係を活かすことで別方面からギンガ団の狙いを突き崩そうとするだろう、と」

 

 今日はすべてが、アカギ達にとって都合よく回っていた。

 マーズから情報を得たパールは、関わりがあり所在の近いスモモに連絡を取り、その話はシロナにも届き。

 報せを聞いたシロナはその時、実はこの街からかなり離れた場所にいたのだが、そうと聞けば夜通しの急ぐ足でトバリシティまで駆けつけて。

 ギンガ団の目的を阻むため、パール達のことはスモモに任せ、自身は別方面から単身ギンガ団に挑むことを選び。

 そんなシロナをアカギとサターンは、二人がかりで待ち構えて絶対に負けない布陣を敷くことが出来た。

 

 こうなってしまった以上、最終的には撤退するしかないにせよ、敵の強大さを知ったシロナは、パール達が心配で堪らなくなっただろう。

 だが、アカギやサターンを筆頭とする組織など、自身が倒れてはもはや止められる者もいないことを、シロナだってわかっている。

 逃げるしかなかった。パール達を助けに行くことも出来ずだ。

 苦渋の即時撤退にして、それでもなお深手を負ったシロナの判断は、決して間違ってなどいない。

 そうしていなければ、深手どころか致命傷を負い、今頃は二度と立ち上がることの出来ない、変色した血を流した姿でこの地下に倒れていたであろうからだ。

 

「我々は、子供と言えど侮れぬ二人であると、何度もボスに報告してきました。

 ですがボスは、あれを始末しないよう我々に指示を下していた。

 ……それはこの運命の日に、最も難敵たるシロナの行動を掌の上とするためだったのですか?」

 

 パールはシロナと繋がりがある。スモモとも良い関係を築いている。

 アカギは全て知っている。わざわざ調べたことではない。カンナギタウンでのパールとシロナの関係は見ればわかる。

 そしてパールの人格を見れば、真摯なトバリのジムリーダーとは年も近く、気が合い良い関係になっているであろうとは推察できる。

 それも、確信に近いものを得てだ。

 

「そうだ」

 

 サターンは、アカギがこちら側で本当によかったと思う。

 いつからパールという少女を、ギンガ団と関われる場所にいれば必ず挑んでくる、正義感の強い少女を、シロナを操る糸にしようと見立てていたのだろう。

 あの二人の始末を推した自らの判断が、浅慮なものであったとはサターンも決して思ってはいない。

 いつでも始末できたあの二人を泳がせて、肝心要のこの日に対抗勢力の動きを操作する駒とした、アカギの計略が何枚も上だったというだけだ。

 その結果、最たる邪魔者であるシロナを逃がしこそしたものの、彼女の身体は今やもう、一日や二日では癒えぬ深刻な状況に陥っている。

 

「お前のドクロッグの毒は、シロナにどれほど効いていると見込める?」

「走れて逃げていた時点で、それなりに対策はしてきたのでしょう。

 ただ、私のドクロッグの毒は"ばんのうごな"如きでそう簡単に快癒するものではありませんからね。

 しばらくは適切な治療を受けて安静にしておくべき、と診断される程度には重症でしょうね」

「ならば、最大限の結果だ」

 

 シロナの故郷カンナギタウンでは、怪我人や病人に効くカンポー薬の調合が出来るご老公も多い。

 山を挟んだハクタイシティのように、市販で出回るほど日頃から作っているわけではないようだが、シロナも薬の入手がしやすい立場にはある。

 長旅の多い彼女、常に故郷の薬は持ち歩いているのである。

 

 ドクロッグの毒は本来、人が浴びれば即死もあり得るとされるほどの強力なものだ。

 アカギと結託したサターンのドクロッグの強襲により、その毒の刃で斬りつけられたシロナ。

 それが逃亡せしめたということは、あらかじめ毒に抗うための保険を自らの身に投与してきたということだろう。

 それは、人間に手をかけることも厭わないであろう、悪の組織の本陣へと乗り込む身として当然の対策だろうか。

 それともコウキという人物を信用しきれなかったゆえ、彼が敵に回った時への不本意な備えだったのだろうか。

 考えたところで仕方のないことだ。

 

「これで明日は、シロナも万全の力で私を阻むことは出来ん。

 この"あかいくさり"を手にした私をな」

 

 少なくともアカギにとって、シロナがそうした対策を踏んでくることは想定内で、その上で毒が充分に効いているなら最善、という結論に至るらしい。

 エムリット達を苦しめる機械、それによって力を集めるメインコンピューター上に、この世の神秘が降臨する。

 赤い鎖とアカギが表現したとおりのものが、彼の手に収まって消えていく。

 まるで超常的な物体が、彼自身の身体に取り込まれていくかのようにだ。 

 

「ボスはこれから、真っ直ぐにテンガン山へ?」

「いや、クロバットやドンカラスに面倒を見させている、あの子供二人を一度見てくる。

 流石に迎えにもいかぬでは、あの二匹もへそを曲げるかもしれんからな」

「私もお付き致しましょうか。

 トバリのジムリーダーもいますよ」

「結構だ。

 どうせそいつはクロバットかドンカラスが片付けているだろう」

 

 シロナを逃がしたと確定するや否や、クロバットをパール達の方へ差し向けたアカギ。

 その実力は、彼が一番よく知っている。スモモを手にかけることが出来るほどのものであるということも。

 アジト内の出来事はモニターで確認することも出来るはずながら、アカギは確かめもせずしてスモモの無力化を確信している。

 それだけあのクロバットの実力は、アカギも認めて疑わぬところなのだ。

 

「それに、敢えて一度はあの二人には顔を合わせたい。

 お前は好きにしてくれ」

「……始末する予定は無いと?」

「脅威と判断すれば手を下す。

 恐らくそうはなるまい」

 

 顔を合わせたい、という含みある言葉に、サターンはアカギの真意を計りかねる。

 もう充分利用させて貰ったあの二人を、わざわざ野放しにする必要はなさそうなのだが、始末するために行くというわけではないと聞こえた。

 ボスのことだから意図はあるのだろうとは信頼するが、正直サターンは首をかしげたい。

 

「ボス」

「ん?」

「ボスが彼らを見過ごすことあらば……

 始末は私がつけても構いませんか?」

 

 もしかすると、ボスの深い真意には反しているかもしれない。

 だが、サターンはあの二人に、現時点で脅威的でないとしたって、放置するのも無頓着な二人だと認識している。

 ボスの許しが出るならば、抹消してしまうことこそ最善だと考える。

 悲願を目前にした人間は、それが大きければ大きいほど、目的達成のためには良心すら顧みなくなっていく。

 

「結構だ」

 

 別にその必要は無い、というニュアンスではなかった。

 無表情で声色の変わらないアカギ。人工音声で仮面越しに語っていた時のサターン以上に、アカギの表情や声からは内心が読み取り難い。

 だが、この"結構"は"構わないぞ"という意味で発せられている。

 

「よろしいのですね?」

「ギンガ団の利となるよう、あの二人を泳がせる段階はもう終わった。

 あとはどうなろうと私には関係ない。

 消してよろしい」

 

 アカギはもう、この後パール達と顔を合わせた後であれば、あの二人がどうなろうと構わないと断言した。

 泣こうが喚こうが、大怪我をしようが、最悪死に至れども。

 何の感慨も無く人の死を促すも厭わぬ声とは、ここまで肌寒く聞こえるものだろうか。

 

「かしこまりました」

 

 ギンガ団アジトは、入り口こそ二つあれど地下では繋がっている。

 アカギはパール達がクロバットらと戦っているであろう方向へ、静かな足取りで歩いていく。

 その後ろ姿を見送るサターンは、この暗室から出ていったボスを見届けると、囚われの三柱を一通り見渡す。

 

 あとは好きにして構わないと言われている三柱。

 もはや戦う力を取り戻すには時間を要すほど衰弱したそれらは、たとえ解放したとて脅威たり得ない。

 哀れなそれらを見渡して、サターンの目は憐憫を抱くそれではなく、ただただ胸の内に抱く短い言葉に

 

「狂気だな」

 

 正気の沙汰でないと感じたのは誰のことなのか。

 このような設備を嬉々として作り上げたギンガ団か。

 感情の気配一つ無く、人の死を促さんとさえするアカギか。

 それとも、あるいは自分自身か。

 この暗室は、私欲のためなら他者の命や尊厳さえ顧みぬ、おおよそ人の道を忘れた者達が作り上げたもの。まさしく悪意と狂気の象徴だ。

 

 この世界は、いや、どんな世界も、いつか必ず自らの行いに報いが訪れるようになっている。

 果たしてこのような道を歩き続けた果てに、自らを待つものは何だろう。

 栄光か、虚無か、歓喜か、後悔か。

 あるいは、想像だにしない破滅か。

 サターンの目は何も見据えてはいない。この道の先に何が待ち構えているのか、彼にもわからないからだ。



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第116話  悪と人情

 

 

 ポケットモンスター達に対してこれほどの恐怖を覚えたことは、未だかつてパールもプラチナも無かった。

 コウモリを最も恐れるパールをして、ゴルバット以上に攻撃的な眼で、スモモを斬りつける残虐性まで示したクロバットは、確かに恐怖対象である。

 それ以上に、今はスモモのポケモン達の方がずっと怖い。恐ろしい。

 身を縮めてかたかたと脚や全身を震わせるパールの横では、プラチナもまた喉奥が凍るかのような恐怖で身動きが取れずにいた。

 

 制御の効かないポケットモンスターとはここまで凄まじいものか。

 スモモを傷つけられた只ならぬ怒り、その激情のまま暴れるカイリキーとルカリオに蹂躙される、相手のポケモン達こそ悲惨でならない。

 カイリキーはヤミカラスに翼で打たれても、怯むどころか振り抜いた腕で殴り飛ばし、壁面に叩きつけられたヤミカラスが一撃で失神する。

 ルカリオはグレッグルによる瓦割りを受けても、波導によって生み出した棍状武器を振るうボーンラッシュで、顔の形が変わりそうなほど敵を叩きのめす。

 ギンガ団員らの差し向けてくるポケモン達など、一つの技であっさりと戦闘不能にし、さらなる敵へと突き進んでまた倒す。

 叩きのめした敵の割れた額から噴き出す血飛沫、それで顔や全身を濡らしながら吠えるカイリキーとルカリオは、まさしく狂戦士の如き様相だ。

 何よりも、敵を一匹打ち倒すたび、こんなもので気が済むかと大気が震えんばかりの咆哮を発する二匹には、パール達でさえ戦慄せずにいられぬほど恐ろしい。

 

 二匹が突き進んでいく後ろには、死屍累々とも言うべきほどの惨状が広がっていた。

 ルカリオのボーンラッシュで顎を殴られて口の中を深く切ったのか、横たわる口からおびただしい量の血を流すスカンプー。

 カイリキーの剛腕で殴り飛ばされたニャルマーが、どこかの骨を折ったのか呻いて喘ぐ姿。

 ルカリオの発勁で殴り飛ばされて壁に叩きつけられたのち、壁に挟まれてもう一度それを受けたドーミラーは、全身ひびでいっぱいになってもう動かない。

 そして、カイリキーの両腕で翼を握り潰されたゴルバットが、涙を流して床を這いずっている。

 

 ルカリオとカイリキーの凶暴さを前にしたギンガ団員達は、とうに命の危険さえ感じて尻尾を巻いて逃げ出していた。借り物のポケモン達など見捨ててだ。

 心も体も折れて戦えなくなり、誰にも助けて貰えず泣くポケモン達の姿は、あまりにも哀れで目を背けたくなる。

 あんなに苦手で、嫌いなゴルバットでさえ、痛い痛い誰か助けてと泣くその姿を前にしては、パールでさえもが胸を引き裂かれそうな想いに駆られるものだ。

 パールとプラチナを守るため、二人の前に立ちはだかって壁となっているピョコとエンペルトは、この光景を二人に見せたくない想いとて抱いている。

 

「――――z!」

 

 敵勢に残るのは、親分格と見えしクロバットとドンカラスのみだ。

 そのドンカラスがカイリキーに直進し、その四本腕の右の上側、肩口にくちばしを突き刺すと同時に首をひねる。

 太いくちばしを根元まで突き刺し、さらに首ごとくちばしを回転させてドリルのように抉る一撃は、カイリキーの太い腕の根元半分をえぐり取る。

 身体の一部を大きくえぐり取られれば噴き出す血も膨大で、ドンカラスの顔と白い胸元の体毛が返り血で真っ赤に染まる姿は、その残忍さを強調するかのよう。

 

「ッ……ガアアアアアアアアアッ!!」

「――――っ……!」

 

 それほどの深手を負っていながら、左の腕でドンカラスを殴り上げるカイリキーは、もはや痛みで怯むという概念を喪失している。

 天井に叩きつけられたドンカラス、その鼻っ柱めがけて波導の棍を投げ付けるルカリオ。相手の顔面の骨が粉々になっても構わないのだ。

 素早くそこに割り込むように飛来したクロバットが、翼で打つ要領で棍をはじき飛ばし、さらにはカイリキーへと迫ってすれ違い様に翼で腹部を斬りつける。

 高い攻撃力を持つドンカラスに対し、機敏で小回りも効き味方を守る能力にも秀でるクロバット。よく噛み合った二匹だ。

 体勢を立て直したドンカラスはルカリオに悪の波動を放ち、自身は攻めに徹する役割を貫いている。

 

 クロバットがカイリキーの背後からエアカッターを飛ばし、その全身に傷をつけ、さらにはルカリオの方へと突っ込んでいく。

 切っ先の尖った翼で打つ攻撃と、ルカリオの生み出した波導の棍が激しく火花を散らし、ぶつかり合った両者が離れるや否や、迫るルカリオのボーンラッシュ。

 高度を上げて逃れるクロバットだが、羽の一枚を殴られて体勢が崩れかけ、そこに跳躍したルカリオの発勁の一撃が飛んでくる。

 口を閉じて歯を食いしばったクロバットはそれを受け、しかし二枚の羽で上から殴りつけるようにしてルカリオを床に叩きつける。

 ルカリオは両手両足を使って上手く着地すると、棍を投げ付けてクロバットを打ち据える。ダメージは小さい。冷静さを欠いたルカリオを引き付けている。

 そして、腕の一本が駄目になっているカイリキーへ、高所から急降下したドンカラスが、その延髄を翼で打ち据える痛打を叶えている。

 

 意識が飛びそうなその一撃にも失神せず、カイリキーの振るった拳はドンカラスを逃がさなかった。

 手刀の形で振るわれた手は"からてチョップ"の体を為し、ドンカラスに決して小さくないダメージを与えている。

 胴の横を殴りつけられ息を吐くドンカラスだが、すぐに体勢を整えて悪の波動をカイリキーに放つ。

 よろめくカイリキーに、ぜはぁと息を吐いたドンカラスが再び飛来し、その胸元に首をひねりながら突き刺す"ドリルくちばし"の一撃だ。

 筋肉の鎧に包まれたカイリキーの胸だが、それさえ深く抉ってカイリキーを後ろ倒しに突き飛ばすドンカラスの攻撃力はやはり高い。

 背中から倒れたカイリキーを前に、ドンカラスも苦しげに翼をはためかせて身を浮かせており、苦闘の中にあることを隠せない。

 

「ッ――――z!!」

 

「はぇ……!?」

「嘘でしょ!? あのカイリキー……」

「っ……か、カイリキー、っ……!」

 

 倒れたカイリキーは、確かに二秒そのまま倒れ、もう戦闘不能だと思えるほどの姿だった。

 千切れかけた腕一本、胸を抉られてどくどくと血を流した姿。あるいは死んでしまったんじゃないかとさえ思ったパールの印象は、決してずれたものではない。

 そんなカイリキーがまるで突然、がばりと腹に入れた力だけで状態を一気に起こし、ずん、ずんと両足で床を踏みしめて立ち上がるのだ。

 この程度でくたばるか、スモモを傷つけたお前達を殺すまでは寝てもいられぬと、血走った目で睨みつけてくる眼差しにはドンカラスも吠えて威嚇を返す。

 そうして意地を返さねば、精神的に呑まれてしまうとドンカラスさえもが感じている証拠だ。

 

「戻って、下さい、っ……!」

「――――z!?」

 

 それでもスモモは、カイリキーをボールに戻した。

 このまま戦い続けたら、本当に死んでしまうほどの負傷なのだ。それだけの深手である。

 息切れし始めているドンカラスを前に、あと少し頑張って貰うなんてことをスモモには選べない。仮に勝っても、カイリキーの命が危ない。

 

「――――――――z!」

「ッ――――z!」

 

 クロバットが甲高い鳴き声を上げるや否や、ドンカラスもそれに応じるかのように鳴き、二匹はスモモやルカリオらに背を向けて翼を広げた。

 撤退を促したクロバットに従い、ドンカラスも共にルカリオから逃げていくかのように。

 逃がしてたまるか、と真っ赤な眼で踏み出そうとしたルカリオだが、そんな彼に背後から抱きついたのは、他ならぬスモモである。

 

「ルカリオ、いけません……!

 これ以上の深追いは、っ……!」

「ッ……、――――――z!?」

「あたしは、大丈夫ですから……

 どうか……どうか、落ち着いて、下さい……」

 

 深い傷を負った脇腹からどくどくと血を流すスモモを、ルカリオは振り払うことなど出来ない。

 あのクロバットとドンカラスを、スモモにこんな傷を負わせた奴らを、地獄の果てまで追いかけて殺してやりたい衝動が確かにあってもだ。

 身を呈し、行くなと訴えるスモモが自分の顔を見上げる表情を、ルカリオは荒い鼻息で納得いかず見下ろして、わなわなと全身を震わすのみ。

 握りしめた拳は、今にもスモモを振り払ってでも、あいつらを追いかけたいという衝動を封じ込める、ぎりぎりの理性の象徴だ。

 

「駄目なんです……憎しみに、支配されては……

 あたしが、皆さんに顔向けできなくなります、からっ……」

 

 血がとめどなく流れ落ちる傷を押さえることもせず、スモモはルカリオをぎゅっと抱きしめていた。

 お願い、行かないで。行っちゃ駄目なんだって。

 その先には、一線を越えてしまう未来しかないのだ。きっと誰も幸せにならず、そこには取り返しのつかない後悔しか待っていない。

 

 そんなスモモの想いに反してか、それともあるいは応えてなのか。

 戦闘不能級の傷を負い、ボールに戻されたはずのカイリキーとチャーレムが、自らの意志でボールから飛び出してくる。

 傷ついたスモモを振り返り、顔色の悪くなり始めた彼女の姿を見て、カイリキーはクロバット達が逃げていった彼方をぎらりと睨みつける。

 追いかけて、たとえ自分が殺されようと、あの翼を引きちぎってスモモを傷つけた愚行を後悔させてやりたい衝動があるのだ。

 そんなカイリキーの前に立ちはだかり、手を広げ、行っちゃ駄目だと強い眼で訴えるチャーレムは、スモモの意志を汲んでくれている側だ。

 

「ッ……ッ……!

 グゥガアアアアアアアアアッ!!」

 

 わかってる、カイリキーだってわかっている。

 スモモに育てられてここまで強くなってきた彼だ。今なぜ奴らを追ってはいけないのか、理屈ではわかっているのだ。

 一度ボールに引っ込められて、ほんの少しだけ頭を冷やせたから、必死でなけなしの理性を振り絞り、敵を八つ裂きにしたい衝動を抑えられる。

 きっとチャーレムもそうなのだと、相対するカイリキーが一番よくわかっているはずだ。

 唇を噛み締め、真っ赤になった眼でまばたき一つせず身を震わせるチャーレムだって、殺意に近いものを必死で抑え込んでいるのだ。

 

「……ありがとう、ございます、二人とも。

 いいんです、それでいいんですよ……」

「ッ――――z!」

 

「スモモさん!?」

「血が……!」

 

 ルカリオに抱きついていた、言い換えればしがみつくようにルカリオに支えて貰っていたスモモの肩が、今にも全身崩れんばかりにずるりと落ちかけた。

 ルカリオが慌てて支えたことで倒れる結果にはならず、なんとか両手をルカリオに沿え、自分の足で改めて立つスモモ。

 これは良くない。絶対に危ない。

 一秒でも早く、きちんとした治療を受けられる場所に行き、止血し、失った血を補わねば命にさえ関わりかねない。

 彼女に駆け寄るパールとプラチナも、言葉にせずともそう訴えんばかりであることを、その表情が雄弁に物語っている。

 

「はぁ、はぁ……パールさん、プラッチさん……

 悪の組織に使役される、ポケモン達を憎んだりしないであげて下さいね……

 真の悪の何たるかを問うた時、決してその解答はこの子達ではありませんから……」

「スモモさん、それよりも……」

「聞いて下さい、大事なことなんです……!

 あなた達の正義の心、あたしが敬うその志の矛先を、誤ったものへ向けてほしくないんです……!」

 

 青ざめ始めているのではないかという顔色になりながら、スモモがパールとプラチナを見据える眼差しは本当に強かった。

 一刻も早く病院に駆け込むよりも大切なことがあるのだ。

 ルカリオに支えられ、自分一人では立つこともつらい中、これを伝えずして二人を見送ろうものなら、きっと間違いなく過ちを犯してしまう。

 スモモは二人に、そんな道を絶対に歩んで欲しくない。

 

「ポケモン達は、本当は、みんな優しいんです……

 シンオウ地方に生まれ育ったあなた達なら、知っているでしょう?

 "あく"ポケモンは、生まれつきの悪意の持ち主だと思いますか……?」

「それ、は……」

「いいえ、そうではないはずです……

 悪意に満ちた行動に、非道と認められる行為に手を染めるポケモン達には、必ず悪意に従うよう育てた、トレーナーの存在があるんです……

 ポケモン達が、わがままで、身勝手で、優しさを持たぬ存在であったなら、人とポケモンが共存できるこのシンオウ地方なんて存在し得ないんですよ……」

 

 たった一匹の野生のゴーストが、殺意と悪意を以って奔放に人里の夜に溶け込めば、二度と目覚めぬ人間など何人だって生み出せる。

 野生のルクシオやムクバードが、自らの縄張りに踏み込んできた人間を、追い返すだけでなく本気で命を奪おうとすれば、難しいことでも何でもない。

 ポケットモンスターとは人間よりもずっと数が多い上で、個々が人間一人の能力などゆうに上回る存在ばかりなのだ。

 どうしてその上で、人間達はポケモン達と共存できるのか。

 いたずら好きなポケモンは多いだろう。はずみで人間に大きな怪我をさせるポケモンがいることも事実である。

 それでも、むやみやたらに人間を襲ったりも捕食したりもしないポケモン達でいてくれるからこそ、人は手を繋いで共に生きていくことが出来ている。

 謙虚に論じるなら、生かされていると言っても過言ではない。仮に、本気で科学の力を結集させて闘っても、最後に負けるのは確実に人間の側だ。

 人類の力ではどうにも出来ない力を持つ存在なんて、幻のポケモンや伝説のポケモンに限らずともごまんといる。

 

「わかるでしょう……?

 身勝手な人間に振り回されて、傷つき、耐え難い不幸の中にあるこの子達を見れば……

 こんなことになるぐらいなら、あんな人達の言うことを聞くんじゃなかったっていう声が、聞こえてきませんか……?」

 

 パール達に、そしてルカリオとカイリキーにも向けたスモモの言葉は、ようやくカイリキーに握りしめた拳の力を解かせた。

 立ち上がれないほど打ちのめされた、何本もの骨を折って泣くポケモン達もいれば、未だ目を覚まさず死んでしまったのかとさえ思えるポケモンもいる。

 強い自分達が、憤怒と憎悪の衝動に身を任せて暴れ回った末に導いた結末だ。誇張無く、同胞の命を奪っていたかもしれないのだ。

 

 ルカリオとカイリキーの眼に再び宿る怒りの感情は、もはやスモモを傷つけた仇ではなく、自らを律せず他者をここまでの不幸に陥れた自らに向いている。

 スモモという大好きな人が、弱かった頃の自分達をここまで育ててくれた尊敬する師が、こんなことのために力を振るうことを望んでいたはずがないのに。

 傷ついた身体であったからこの蛮行に荷担しなかったに過ぎぬチャーレムですら、同じ想いだった自分を恥じるばかりにうつむく限りである。

 

「あなた達の正義の心が憎むべきは、きっとこの後も立ちはだかる、悪の組織に従うポケモン達ではありません……!

 それを、自らの都合のために、悪行に手を染めることも厭わぬよう育て上げ、良心の呵責さえ奪い去った人間達なんです……!

 絶対に……ぜったい、それを、忘れないで下さいね……」

 

 スモモはぽんぽんとルカリオの胸を叩いて、手を離すように促すと、自分の足と身体だけで立つ。

 流れ落ち続けている血は、平たい床に広い血溜まりを作り始めている。

 それでもスモモは、愚行に及んだ自分のポケモン達を、そして単に愚行であったとは感情的に責めたくない身内に、微笑みを以って向き合うのみ。

 

「帰ったら、また修行ですね……!

 お母さんが、いっちょ最初から鍛え直してあげなきゃです……!」

 

 謙虚な彼女をして、身内にだけはよく見せる、間違いは間違いだとはっきりと告げる厳しい態度の片鱗だ。

 それでもその表情に、自分のためにあれだけ怒ってくれたルカリオやカイリキー、同じ感情だったチャーレムの想いには、その笑顔で以ってのみ明確に伝えて。

 鼻息を鳴らして頭を冷やしたカイリキーと、拳法家の一礼の如く頭を下げたチャーレムを、スモモはボールに戻していく。

 

「パールさん、プラチナさん、あたしはここまでです……

 街に戻ったら、大人の人達に事情を話して、この子達のことも迎えに来て貰えるよう伝えます……

 後のことはあたし達に任せて、二人は望む道を進んで下さいね……」

 

「……はい」

「わかりました、スモモさん。

 絶対に、死んじゃったりなんかしないで下さいよ……」

「へへへ、あたしは大丈夫ですよ。

 山で修行してた時、これよりずっと大きな怪我をしたこともありますから」

 

 スモモはパール達に今あらためて微笑むと、背負うために彼女の前で腰を下ろしたルカリオに身を預ける。

 自分の足で歩いて帰るには厳しい距離だ。意識だって混濁し始めている。

 自分達のことを見ているスモモの目の焦点が、自分達に合っていないのがパールにもわかるのだから、目は口ほどにものを言うというのも信憑性の増す一幕だ。

 

「――ファイトです!

 心も、身体も、負けちゃ駄目ですよ!」

 

 最後に大きな声を出したスモモは、ルカリオに背負われて、パール達が進むべき方向と逆の方へと去っていく。

 見送り、振り返ったパール達が見据えるのは、クロバット達が去っていった、悪しき存在が待つであろうアジトの奥。

 だが、その目先の最も近い場所には、傷ついたポケモン達が横たわる陰惨な光景もまた広がっている。

 呻き、苦しみ、喘ぐ声に満ち溢れたその空間は、改めてパール達には胸の奥が締め付けられるほどのものだ。

 

「…………」

「え……パール……?」

 

「――――z!?

 ――――――、――――z……!」

 

 そんな中でパールが歩み寄ったのは、傷ついたニャルマーでも、スカンプーでも、グレッグルでもない。

 カイリキーに握り潰されてた翼がひしゃげて、床に叩きつけられたせいで片脚も折れた、うすのろく這う程度でしか動けない一匹のゴルバットだ。

 苦手で、怖くて、遭遇しただけでパニックを起こしてしまうほど、パールにとってはトラウマの存在であったゴルバット。

 自らに歩み寄るパールに気付くや否や、来ないで、これ以上いじめないでと泣いて懇願するように鳴くこのゴルバットを、どうして恐れられようか。

 手足をもがれて逃げることも抗うことも出来ぬ子供が、そばにいないお母さんか神様に助けを求めるかのような、哀れで無力なゴルバットしかそこにはいない。

 

「大丈夫、いじめたりなんかしないよ。

 沁みるけど我慢してね……少しぐらいは、楽になるかもしれないから……」

 

 敵意が無いよう、微笑んで近付いてあげるべきなんだとは、パールも心の中ではわかっていた。

 だけど、表情はそうなれなかった。だって、あまりにも可哀想で。

 自分が両腕の骨を、このゴルバットのようにぐしゃぐしゃに砕かれたら、どんなにつらいかなんて想像もつかない。

 泣き叫んでしまうだろうほど痛くて、治るかどうかもわからない。二度と腕は使い物にならないかもしれないのだ。

 そう我が身に置き換えて想像してみれば、このゴルバットは最速で傷を癒して貰ったとしても、もう二度と飛べなくなるかもしれないのだ。

 痛みと恐怖で涙を流すゴルバットとは異なる感情で、パールこそその姿に目が潤み、笑顔を作る余裕一つ無くなってしまう。

 

 ゴルバットのそばで両膝をついたパールは、鞄の中から取り出した傷薬をゴルバットに噴きつける。

 やはり沁みるのか、ゴルバットは歯を食いしばり、ぎゅっと閉じた目から溢れるものも多くなる。

 苦しむ姿を目の前にして、自分の施した処置が正しいのかどうか、パールにだってわからない。

 わからないけどやらずにはいられないのだ。いつか迎えが来てくれるかもしれないからと言っても、何もせずにこの子達を見捨てて前に進めるものか。

 実際に手を差し伸べるかどうかは人にもよるだろう。だが、出来ることがあるなら何かしたくなるのも、わざわざ美談とするまでもなき普通の人情だ。

 傷つき、喘ぎ、苦しむ者達が目の前にいくつも横たわる姿を前にした時、ほんの少しも胸が痛まないようでは、きっとその心は人をやめている。

 

「……うん」

 

 きっと今は、ギンガ団の目的を阻むためなら、急ぐべき場面だとプラチナもわかっている。

 それは大人の発想だ。目的達成のためなら無駄な行動は一切を切り捨てるべし。

 その果てに、情に振り回されて足踏みするようなことはあってはならぬという、やがては悪の組織の思想にさえ通ずる利己的な発想もある。

 今この局面で、パールの行動は正しいものなのかどうかは、プラチナだって結論付けられないだろう。

 それでも、僕はこうでありたいと感じた己の想いに従って、プラチナもまた傷付いたポケモン達に駆け寄って、一匹一匹に傷薬を与えに回る。

 

 敵対者は、自らの道を阻む者は、自らに敗れた果ての末路がどうなろうとも構わないと思うべきなのだろうか。

 きっと、その方が都合がいい。そう思えるようになった方が必ず楽になる。成功することも増えるかもしれない。

 しかして世の中は世知辛いことに、楽な方へ楽な方へ流れれば、いつか必ず手痛いしっぺ返しを受けるようになっている。

 失ってはならない何かを、子供達は失いたがらない。だから若者は尊く、無限の未来を担う希望だと唱えられる。

 それを捨ててきた大人達に、鼻につくと否定されて心折れた子供達がそのまま成長し、心荒んだ大人ばかりの社会が形成されようものならまさしく暗黒時代。

 その捨ててはならぬものを、理屈ではなく本能的にさえ己に訴えかけてくれる感情に従うことは、誰にも腐されるべきでも穢されるべきでもないものだ。

 

「……プラッチ」

「うん、行こう。

 絶対、勝とうね」

 

 何分もかけ、その場で力尽きていたポケモン達すべてに傷薬を与えたパール達は、再び進むべき道へと足を向けた。

 駆けだす前に振り返ったパールは、立ち上がれないポケモン達を一度振り返る。

 つらいコンディションで息を荒くする声は、未だにその場に広がっている。

 だが、耐え難き苦痛に喘いでいた呻き声は無くなって、苦痛と悔恨に満ちた地獄絵図よりは幾許もましにはなった。

 傷薬は一定の効果をもたらしてくれたのだろう。その痛みを、一時的にでもやわらげてくれる程度には。

 

 それでもパールは、惨劇の記憶が残るその場から目を逸らすように、悪の組織の最奥に向けて駆けだしていた。

 最速の前進のためと言うよりも、見るにも耐え難き光景から逃げるかのように。

 そして、こんな光景が二度と目の前に訪れぬためには何が大切なのか、パールはスモモに言われたことを頭の中で噛み締める。

 憎むべきは何か。戦うべきは、悪の組織が率いるポケモン達だ。

 

 "あくタイプ"と人間に名付けられれば、そのポケモンは悪党なのだろうか。

 悪意に満ちた人間に育てられれば、可愛くて愛くるしい姿のポケモンでさえ人に癒しを与えてくれるばかりの天使なのだろうか。

 すべて、人間の都合で定められた勝手な理屈である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり、感情というものは捨てて正解だ」

 

 壇上の存在が何十人もの部下を広く集め、演説を行うことも出来る大きな空間。

 ギンガ団のボスが団員の前に顔を出すことは無かったため、ここで部下を導く言葉を説いていたのは幹部達の役目だった。

 仮面と人工音声で正体を晒さず語るサターンがその役目を担うことすら稀で、専らその役目を担っていたのはマーズとジュピターである。

 それすらも、年に一度か二度程度のものであり、この地下アジトが秘匿されてきた長い期間を思えば、この大きな一室が活かされた機会は相当に少ない。

 

 ギンガ団のボスがこの部屋を訪れたのは、完成したアジトの全容を見て回ったかつての一度と今回、たったの二度だけだ。

 このアジトに足を運ぶこと自体少なかった彼は、使い慣れていないはずのこの部屋のコンピューターを容易に操作し、大きなモニターを眺めている。

 アジトの各所に設置された隠しカメラを介し、侵入者の様子を把握するためのモニターだ。

 万が一、正義を謳う者にこのアジトの所在が発覚した時、乗り込んできた敵に対応するための設備である。

 ギンガ団にとっては幸いなことに、そうした目的でこの部屋のモニターが活用されることは一度も無かったようだ。

 

「人の身を傷つけることをも厭わぬ胆を持つお前のような敵もいると知りながら、情に流され、万が一の備えであったであろう傷薬も溝に捨てる。

 それで取り返しのつかぬことになれば、どれだけ後悔するかなど子供とて理解しているであろうはずなのにな」

 

 モニターを眺め、パール達が傷ついたポケモン達を癒していた姿を見ていたギンガ団のボスは、自らのそばで翼をはためかせて浮くクロバットと語らっている。

 ふん、と鼻を鳴らすクロバットの返答は、パートナーの言葉を肯定するものでも否定するものではない。

 俺は俺、あいつらはあいつら、とばかりに、それこそどうでもいいとでも言わんばかりの態度である。

 主人と心を通わせてこそ、ゴルバットからこの姿に進化するのがクロバット。

 その態度から言わんとすることは、パートナーにも概ね理解できるところである。

 

「間もなく、あの子供達がここに来る。

 お前の出番が回ってくるようなら、サターンには私が話をつけるとしよう」

 

 クロバットは、ギンガ団のボスにとって切り札とも呼べる存在だ。

 パールとプラチナの実力を、決して彼は高く評価していない。

 自らの目的を阻もうとする存在として、取るに足らぬものと現時点では断ずるのみ。

 

 だが、クロバットまで出番が回ってくるなら、認識を改めるべきだろうとも考えている。

 その時が訪れれば、彼はパールとプラチナをどうするのか。

 サターンに話をつける、という言葉の含みを理解して、クロバットは今一度鼻を鳴らす。

 お好きにどうぞ、とばかりの態度のクロバットをボールに戻し、ギンガ団ボスはこの場所へ向かう少年と少女を待つ構えとなる。

 

 そして、その時だ。

 広いこの場所に差し掛かったパールとプラチナの前に、ギンガ団のボスが姿を見せる形となる。

 

「っ……!」

「アカギさん!?」

 

 その姿を遠目とて見るや否や、パールとプラチナは足を止めずにはいられなかった。

 敵地の真っ只中だ。遭遇する相手は、まず敵かもしれないと警戒する。

 その一方で、顔見知りとの邂逅そのものには驚きが勝り、思わずアカギの名を呼んだパールの胸中はまず、その驚きの一色でしかない。

 

 プラチナは違う。

 緊張感のある敵地にて知り合いの大人を目にして、少し頬の緩んだパールの前に立ち、僕より前に出るなと右腕でパールの前に柵を作る。

 思わずアカギに歩み寄ろうとしていたパールだったから、この咄嗟の挙動は正解だったのだろう。

 え、と立ち止まるパールの前、プラチナは厳しい目つきでアカギを見据えている。

 

「久しぶりだな」

 

「ぷ、プラッチ……?」

「……アカギさん、一つお尋ねしていいですかね」

 

 自分達がギンガ団のアジトへ乗り込んできた意図と同じくして、アカギがここに来てくれていたのなら、これ以上ないほど頼もしい味方だ。

 シロナに協力を望んだパール達だから、シロナと知己たるアカギがそうした立場であってくれたことを、全く期待できないわけではない。

 だが、直感的にそうではないのだ。

 

「あなたは、ギンガ団の何なんですか?」

 

 真正面切ってこちらを待ち構えていたかのようなアカギとの遭遇には、それとは逆の想定をしてしまう。せずにはいられない。

 そうであっては欲しくないと、かつての彼の強さを見たプラチナには思えてならないのだけれども。それでも。

 望ましい言葉を向けられたとて、騙すために嘘をついていることさえ想定するほど、プラチナの危機意識は最悪の展開を想定してならなかった。

 

 きっと、パールもそうだったのだろう。

 一度、稽古をつけてくれた、その強さには憧れさえした大人である。

 それにこの状況で対峙したシチュエーションそのものに、不穏な気配を感じ取れぬほど彼女も楽観的ではない。

 

「ギンガ団の首領だ。

 君達が挑まんとし、打ち破ろうとする最終目標そのものと言っていいだろうな」

 

 この場で相対したが最後、覚悟すらしたその回答。

 そして、聞きたくなかった解答だ。

 素性を明かしてなお、表情や声色一つ揺るがさぬギンガ団ボス、アカギを前に、パールとプラチナは身構えつつも言葉を失うばかりだった。



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第117話  VSギンガ団ボス

 

 

 シンオウ地方のあらゆる地に混乱を招き、湖に眠っていた三柱を、人道にも悖る手段で捕えて利用せんとしたギンガ団。

 それを率いる者とはいったい、どれほど血も涙もない人物なのだろう。

 その答えが顔見知りであり、まして一度は敬意さえ抱いた人物であったこと自体、子供達にはショックな出来事だ。

 

「…………アカギさん」

「訊きたいことがある顔だな」

 

 勿論ある。山ほどあるとも。

 右腕を広げ、僕よりも前に出るなと態度で訴えるプラチナの腕に手をかけ、パールはプラチナと並ぶ半歩後ろの位置まで踏み込んでいる。

 目の前の現実を信じたくないパールの横顔を確かめたプラチナの眼は、彼女にそんな顔をさせたアカギに対して一気に鋭くなる。

 

「アカギさんが、ギンガ団のボスっていうのは本当なんですか?」

「くどいな。

 同じことを二度語ることを私は好まない」

「…………何が、したいんですか?」

 

 部下を操り、三湖を荒らし、三柱を捕えて、ギンガ団は、ギンガ団を率いるアカギは何を目的としているのか。

 単なる興味ではない。それが挫くべき悪意に満ちたものであるなら、戦う決意を固めてここまで来ているのだ。

 まともな答えが返ってくるかどうかはわからない。だが、一触即発の空気が漂う中、問答の間にパールは自らの動揺を鎮めようとも努めている。

 突然の邂逅で頭がぐちゃぐちゃ、そんな今のままではろくに戦えないかもしれない。それを懸念しているパールは思いの外冷静だ。

 

「カンナギタウンで語り継がれている、時間と空間を操るという二柱の神のことは覚えているか?

 私はあの力を、我がものとするためにギンガ団を率いてきた」

 

 無表情で淡々と語るアカギの口調には、嘘や隠し事の気配が無い。

 パールの問いかけに、虚言を交えず応えている。

 それは今や目的達成を目前とし、表沙汰にしてこなかった己や組織の真の目的を語ろうと、もはや問題にならぬという確信を含んでいる。

 どんな情報でも、敵対勢力に渡せば少なからず不利を招くものだ。今のアカギは、それが自分の目的を遮る展開には繋がらない自信があるということだ。

 

「時間と空間を操るということは、この世界を意のままに操ることが出来るということだ。

 言わば、新たな世界を作ることにも等しい。

 この不完全な世界を一度無きものにして、私の望む完全なる世界を創造することが出来る」

「そんなこと……!」

「時を操るということは、過去の誤りを正すことが出来るということだ。

 空間を操るということは、今ここに無いものに触れることが叶えられ、世界の全てに手を届かせられるということだ。

 その力を手にするということは、世界を支配する力を得るにも等しい」

 

 あまりにもスケールが大き過ぎる話を唐突に聞かされて、パールは思わず反論しそうになるも遮られる。

 まるで世界征服だ。そんなこと、出来るものかって思ってしまう。

 だが、アカギが連ねる言葉のリアリティは、不可能を可能にする力の実在をパールに突きつける。

 圧倒されるように一歩退がるパールの前、プラチナは少し腰を落としてたじろがぬよう耐えている。

 

「……それで、自分の望む世界を創って何が望みなんですか」

「おかしな質問だな。

 私の目的は、完全なる世界を創ることだ。

 それが完成さえすれば、私の役目は終わりだ」

 

 プラチナの問いかけに、変わらずアカギは無表情のままでこそありながら、その声色には僅かな嘲笑めいた意が含まれていた。

 思想を理解し合えない、疎通の叶わぬ子供だとでも見限るかのように。

 世界を創造した後に何が望みか? そんな問いかけをされること自体、君には理解できぬ思想のようだなと行間に語るかのようだ。

 

「………………アカギさんは……この世界が、不完全だって言うんですか?」

「やはり子供は愚かだな。

 君は、自分自身が完全なる存在であると思うか?」

「それ、は……」

「君は、あのエムリット達とは何の関係もないのだろう?

 それを哀れみ、助けようとする想いでここまで来たようだが、後悔する末路を辿ることになろうとは一度も考えなかったのか?

 現に今、君達は私と対峙し、私が君達を叩きのめそうとすれば、這いつくばって倒れるしかない状況に身を置いている。

 それは君達の愚かな感情が、君達を破滅に招いた証左そのものだ」

 

 パールを突き刺すアカギの言葉が、嫌な胸の高鳴りでパールを苦しめる。

 アカギの強さは知っている。一度、稽古をつけて貰った限りでも、とんでもなく格上のトレーナーだとは感じたのだ。

 今の自分も、あの時の自分よりはずっと強くなっていると思うけれど。だけど。

 これからそんな、自分が知る中でも最強クラスの敵と戦わねばならぬ状況を今一度認識すれば、パールの頬をつたう冷や汗も一筋で済まない。

 

「心という不完全なものが生み出す感情、優しさや哀れみといったものが、今まさに君達を追い詰めている。

 そんな曖昧なものに突き動かされここまで来たことを、君達はこれから後悔するわけだが。

 じきにわかるだろう。その後悔を以って、感情が人を支配するようなこの世界が、如何に不完全で愚かしいものかというのがな」

「か……っ、感情があるから不完全で愚かだなんて、そんなのおかしいです……!」

「ふむ?」

「私は、大好きなこの子達に、いっぱい幸せにして貰えてきました……!

 感情があるこの世界が不完全なんて……それを、否定されたくありません!」

「わからんようだな。

 言い返すほどには、これまでが余程に幸せであったと見える。

 だが、これからそれを覆すほどの不幸を君は背負うことになるのだぞ?」

 

「か…………ま、負けません……っ!」

 

 勝ちますよ、とはパールも言えなかった。言いかけて、言い切れなかった。

 知る限りの実力のみならず、自分達を八つ裂きにする意を淡々と語るこの冷徹さが、パールの恐怖心を強く煽っている。

 きっと、仮に今すぐ戦いが始まったとすれば、パールは腰が引けて全力を発揮できないだろう。

 強い声を発する態度とは裏腹、かなり精神的な劣勢に立たされている。

 

「……あのクロバットは、アカギさんのポケモンですか」

「そうだ」

「どうしてスモモさんに、あんなことを」

「彼女はこの舞台に立つべき器ではない。

 無粋な邪魔者は排除するだけだ」

 

 プラチナの問いかけは、気圧されかけていたパールの心模様を一変させるには充分な回答をアカギから引き出した。

 スモモに重傷を負わせたことを悪びれもせず、まして仮に彼女が命を落としていたとしても顧みもせぬ、冷血極まりない反応である。

 プラチナもかっと頭に血が上ったが、パールのそれはプラチナの比ではない。

 

「アカギさん……!

 まさか、ナタネさんを傷つけたっていうマニューラも……」

「私のポケモンだ。

 よく想像だけで辿り着いたな」

「っ、どうして!?

 ナタネさんも、スモモさんも、死んじゃっていたかもしれないんですよ!?」

「彼女らがどうなろうと私には関係ない」

 

 たじろいでいた心模様は、あっという間に闘志に変わった。

 障害になり得ると見れば、命を奪うことも厭わず、それを罪深き行為だと認めもしない。

 パールとプラチナが想像する、悪の思想そのものだ。

 こんな奴との勝負に負けるわけにはいかない、負けて野放しにすればもっと大変なことがいくらでも起こるだろう。

 正義感と呼ぶには生ぬるい、悪に対する嫌悪感が二人の心を過去最も奮い立たせている。

 

「……あなたに新世界の創造なんてさせたら、僕達が大切にしているものも全部ぶち壊しにされそうですね」

「だろうな。

 感情で動く君達が大切にするものなど、私の理想とする完全なる世界には不必要なものであろうとは想像に難くない。

 跡形も無く消えて貰うのが最も望ましいな」

 

「パール……!」

「うん……!」

 

 二人はボールを手に取って、並び立つ形でアカギと今再び対峙した。

 絶対に、負けてはいけない相手だ。

 この人物への敗北は、悔しさや悲しみを伴うただつらいだけに留まるものではなく、大切なもの全てを消し去られる絶望の未来にさえ繋がり得る。

 自分達の尊厳、そして命や存在までもを懸けた戦いであることを認識したパールとプラチナは、過去最もの不屈の魂に火をつけて難敵と睨み合う。

 

「君達は所詮、私の障害にはなり得ないだろうと見立てている。

 だが、仮に今ここで私を追い詰めるほどの力を見せつけるなら、念の為にここで葬り去ることも視野に入れるべきなのだろう。

 なまじ中途半端に力を見せつければ、許された僅かな余生まで棒に振ることになるが、構わないという表情だな」

「っ……!」

「それもまた、愚かな感情が君達を破滅に導くという証明だ。

 よろしい、そこまで退かぬというのなら――」

 

 アカギがボールを手にした。戦いの始まりだ。

 パールとプラチナは目を合わせ、確かに小さく頷き合った。

 互いが恐怖心を胸に抱いていることも、それ以上に負けたくないと感じていることも、己の感情を鏡で覗いたかのように瞳を介して通じ合い。

 ぐっとボールを押す二人の指は、勝利に対する意志に満ちていた。

 

「相手をしてやろう。

 行くぞ、ドンカラス」

 

「ニルル! 絶対勝つよ!」

「エンペルト! 頼んだよ!」

 

 2対1の構図。

 そして姿を見せたドンカラスは、けほっと一度だけ咳き込んで身を浮かす。

 スモモのポケモン達に受けたダメージがまだ残っているのだろう。見るからに万全ではない。

 はじめから全てが有利だ。躓けぬ緒戦である。

 

「必要な指示だけ出す。

 好きなように戦え」

 

「みずのはどう!」

「エンペルト、水鉄砲だ!」

 

 テンガン山でアカギが見せた戦い方と同じ、ポケモン達の自己判断に委ねた戦い方だ。

 この1対2でさえ、アカギは自分のポケモンの思考力を養う鍛錬の場に、通過点に過ぎぬ戦いにするかのよう。

 必勝を切望するパール達の想いさえ相手にしないかのような振る舞いに、ニルルとエンペルトの最初の攻撃も力が入る。

 特にエンペルトは、水鉄砲という指示に隠された"しおみず"を選び、傷ついた相手に大きなダメージを与える手法を選べている。抜かりはない。

 

 恰幅のある容姿で素早そうには見えないドンカラスだが、単調な狙撃程度なら躱し切るだけの飛翔能力など当然のように持ち合わせている。

 水の波動と塩水を回避して位置を変えると、いななくと同時に発する"あくのはどう"でまずニルルを狙い撃つ。

 慌ててにゅるりんと身を滑らせてそれを躱すニルルだが、ドンカラスのしたたかな所は、ニルルが躱した悪の波動がそのままエンペルトに向かっている点。

 敵を直線上に見据えられる場所に移り、一つ目のターゲットに技を回避されようとも二つ目のターゲットを狙える、そんな技の使い方が出来ている。

 

「――――z!!」

 

「ニルル!?」

 

 エンペルトが両手で悪の波動を防いで耐える中、ドンカラスがくちばしを突き出してニルルへと襲い掛かる。

 回避と移動の速度を上回る急加速を経て迫るドンカラスの攻撃を、身をよじって躱そうとしたニルルだが回避には至れず。

 浅いが首の根元辺りを、直撃と同時に首をひねったドンカラスによるくちばしの一撃により、身の一部を抉られるという結果になる。

 かなり痛いはずだ。それでも、傷は浅く済んでいる方である。

 

「エンペルト! なみのり行くよ!」

 

 悪の波動を受けていた状態から持ち直したエンペルトは、両手を振り上げると同時に水の壁めいたものを足元から噴き上げさせる。

 左右広く敵を逃がさぬ波の壁で敵へと迫る、回避を許さぬ攻撃だ。

 ニルルを巻き込むことは免れないが、プラチナは一瞬パールの目を見て何かを示し合わせている。

 うなずくパールの姿がある。きっと通じている。

 

「恐れるな」

「――――z!」

 

 具体的な技の指示を出さないアカギ。

 どうせ躱せないならそれなりの動きを取れ、そんな指示。

 言わずもがなとばかりにドンカラスは、自ら迫る波に突っ込んでいく形で、その翼で以ってエンペルトを打ち据える。

 鋼の翼でそれをガードすると同時、さらに波の高さを上げたエンペルトの力により、ドンカラスは多量の水を正面からぶつけられる形に。

 痛みを伴いつつも、波の向こうに抜けたドンカラスは体勢を整えて、次の行動に移り始めている。

 

「ニルルいっけえっ! 狙い撃ち!」

 

 翼が濡れたドンカラスの動きが鈍ったところに突き刺さるのは、ニルルが放った水の波動。

 ニルルの方へと向き直っていたドンカラスは、翼を顔の前で交差させる形でそれを防ぎ、ある程度に留まったダメージに抑える。

 それでも小さくないダメージはあったであろうに、ドンカラスはいななくや否や、すぐに真っ直ぐニルルへと飛来する。

 

 くちばしを突き出す"ドリルくちばし"を警戒したニルルは身を逃すが、動いたニルルの元いた場所にぐっと両足で立ち留まったドンカラス。

 降り抜く翼は至近距離で、思わず顎を引いて身を丸めたニルルの頭部を深く斬りつける。

 一度見せたドリルくちばしでは捉えられまいとし、"つじぎり"の一撃に切り替えたドンカラス、そして自身の後方にはエンペルト。

 狙撃をためらうエンペルトの姿があった。水鉄砲にせよ塩水にせよ、ドンカラスにそれを躱されるとニルルに当たってしまうからだ。

 その躊躇を招く位置取りをさりげなく叶えていたドンカラスは、追撃を免れて再び飛び上がり、地に足を着けぬ戦いやすい体勢を取り戻す。

 

「ニルル頑張れえっ! 逃がしちゃ駄目!」

「ッ……、――――z!!」

 

 ぐいっと顔を上げて頭上のドンカラスを見据えたニルルは、跳躍する形でドンカラスに飛びかかった。

 "のしかかり"を意識したその飛びつきに、やや面食らいながらもドンカラスは身を逃す。

 だが、逃げた先を見据えるニルルの口は、躱されることなど想定内と言わんばかりに水の波動による狙撃を叶えている。

 アクアリングを彷彿とさせる水の波動の一撃はドンカラスに直撃し、溜まりきったダメージによりさしものドンカラスも空中姿勢が乱れている。

 

「プラッチ……!」

「エンペルト、撃てえっ!」

 

 "しおみず"によるエンペルトの追撃は、辛うじて身を翻したドンカラスの右翼に当たった。

 直撃とは言い難いが、傷付いたその体には痛烈に効いたはずだ。

 苦悶の表情を浮かべるドンカラスだが、ふらつくように高度を下げながら、ぎらりと獲物を見据える眼差しをすぐに取り戻す。

 

「――――――――z!」

 

「うぁ……!? にっ、ニルルっ……!」

 

 ドンカラスが吠えるような声とともに放つ、悪の波動がニルルに直撃だ。

 ふらつくように頭の動きが力無く揺れるニルル、そしてドンカラスはその隙を見逃さない。

 力を振り絞って一気にニルルへと襲い掛かると、床に体が擦りそうなほどの低空飛行で、ニルルのすぐそば横を通過していく。

 その瞬間に、翼の振り抜きによる"つじぎり"でニルルの半身を深く斬り裂きつつだ。

 

「だ、駄目……! 戻って、ニルル!」

「エンペルト! 撃てえっ!」

 

「踏み切れ」

 

 斬りつけられた瞬間に、ニルルの目から力が失われたことをすぐさま察し、パールがニルルをボールに戻す判断を下した。

 プラチナがエンペルトに塩水を指示するが、アカギが発した指示は、地に足が着くほどの低空飛行をしているドンカラスに、地を蹴り急上昇しろというもの。

 命じられたとおりの動きで、軌道をほぼ折るかのように急浮上したドンカラスは、勝負を決めたかったエンペルトの攻撃を躱し切るに至っている。 

 

「ララ! こごえるかぜ!」

「ッ、――――z!」

 

「――――ッ!?」

 

 追撃はやまない。

 パールが次に繰り出したララは、出てくるや否やの凍える風でドンカラスを狙い撃つ。

 ただでさえ翼を持つ者には効果の高い一撃にして、全身を氷結させることで機敏さを奪う副次効果も両立する技。

 ダメージに加えてそれを受けるドンカラスの体勢が崩れ、しかし落ちまいと宙で踏ん張る姿がそこにある。

 

「エンペルト!」

「――――――――z!!」

 

 ここしかない。

 エンペルトが全力で発射した水鉄砲の類は、ダメージの蓄積したドンカラスにいっそう効く塩水ですらない。

 あれほど素早い相手には当てることも難しいと見切り、撃つことを控えていた"ハイドロポンプ"だ。

 多量にして高圧の水の砲撃は、逃れる翼の力を削がれていたドンカラスに直撃し、天井めがけて斜めに叩きつけるほど強烈。

 それはもはや、カイリキーのような剛腕の拳で殴られるにも等しい、超高圧の決定打たる一撃としてドンカラスを捉えたはずだ。

 

「上出来だ、よくやった」

 

 力無く床に落ちるだけとせず、辛うじて翼を動かして地面に叩きつけられる結果を防ごうとしたドンカラスを、アカギは未練なくボールに戻した。

 元よりスモモのポケモン達との戦いを経て、ダメージが溜まっていたドンカラスなのだ。

 まして1対2の状況、ここまで奮戦したのであればアカギも責めはしない。

 むしろ、そんな相手一匹にニルルを撃破され、エンペルトに決して小さくないダメージを浴びせられたパール達の方が、精神的には後ずさらせられそうだ。

 

「なるほど、少しはやるようだな。

 だが、傷一つ無く戦える私の次鋒を、君達はどう捌けるかな?」

 

「プラッチ、ここからだよ! ララも!」

「エンペルト、構えて! 勝負は始まったばかりだ!」

「「――――――――z!!」」

 

「仕留めてこい」

 

 ひょいと下手の投げでボールを手放したアカギから放たれる第二の矢。

 それは、ボールから姿を現すや否や一瞬たりとも地に足着けぬかのように、一気に地を蹴りエンペルトに迫った。

 もはやそれが、何のポケモンであるのかさえパールやプラチナが視認できなかったほどの速度でだ。

 咄嗟に鋼の翼を構えてガードしたエンペルトに、それが振り下ろした手刀めいた一撃が、金属をひび割れさせたような激しい音を認識するので精一杯だ。

 

「は……!?」

「プラッチ!?」

 

 その一瞬の衝突の瞬間、アカギの繰り出したマニューラによる速攻の"かわらわり"が、エンペルトを急襲したことを辛うじて見て取れたパール。

 そんなマニューラが怯んだエンペルトの脇を駆け抜けて、一気にプラチナへと迫った姿が何より、パールの背筋を凍らせた。

 

 振り上げた爪。一歩後退したプラチナ。

 腕で首元を含めた急所を守るかのように、本能的に構えたプラチナに振り下ろされた一撃は、両者の交錯する瞬間をパールの目の当たりにさせる。

 スモモが傷つけられた光景を彷彿とさせる一幕に、パールの表情は一瞬で蒼白に染まる。

 そして、そんなパールが次の思考を巡らせるより早く、そのマニューラは床を蹴ってパールの方へとまで迫っている。

 

 ララがパールとマニューラの間に割り込んでくれなければ、身構える暇もなかったパールは命すら保証されていなかったかもしれない。

 ララの振り上げた両の爪が、マニューラの振り抜く爪をがちんと弾き返し、ちっと舌打ちしたマニューラは一歩退がると跳躍する。

 一度、アカギの前方に立ってララとエンペルトを見据えられる位置取りとなり、仕切り直しとばかりの立ち位置へと戻る。

 

「ぷ、プラッチ……!」

「やばい、かも……」

 

 斬りつけられた所を手で押さえるプラチナ。それは首元の僅か下、鎖骨の辺り。

 ニューラの爪は骨まで届いたか、瞬く間に顔を脂汗でいっぱいにしたプラチナが、傷口からぶしっと噴き出た血を指の間から流す。

 決して敵を見据える目に力を失っていないプラチナだが、それほどまでに血が溢れる傷の深さは如何ばかりか。

 傍目に見てもそうだと確信できるほどの傷を負ったプラチナの姿に、彼以上に血色を失った顔となるパールも無理は無い。

 

「まったく……お前は手がかかる奴だ」

「――――♪」

 

 プラチナの血が付着した爪を舌で舐め、アカギを振り返るマニューラの表情は得意気ですらあった。

 知能の高いマニューラだ。トレーナーへの直接攻撃が、どのような展開を招くかも知っているはず。

 話が早くていいだろ、とにやつくその表情は、プラチナを傷つけられたことによって強い感情を抱く者達に対し、劇的なほど挑発的な表情にも他ならない。

 

 プラチナのボールから、ピッピとケーシィは呼ばれることもなく飛び出してきた。

 そして、既に戦場にいたエンペルトの表情もまた、出てきたピッピとケーシィと同様の色に染まり。

 スモモを傷つけられたカイリキーとルカリオがそうであったように、そこにはもはやリミッターを失った三匹のポケモンの姿がある。

 

「ギャラドス、支援しろ」

 

「ギュアアアアアアアアアアッ!!」

 

 パールも、プラチナでさえ一度も耳にしたことのない、エンペルトの凄まじい咆哮が響き渡る。

 プラチナを傷つけた敵を断じて許すまじとするその声に、怯むどころか共感さえ覚えて、野生の獰猛な獣の如き殺意をむき出しにするのは二匹の身内。

 ピッピとケーシィの不思議な力を操る能力が、まるで制御を失ったかのように大気すら歪ませ始める光景に、パールは恐怖すら抱いている。

 プラチナが傷つけられたという、言葉にならぬショックに続いて、身内の側が敵よりも恐ろしく感じるほどのこの一幕。

 流石にマニューラ一人では荷が重いとし、ギャラドスを出してきたアカギの巨大な手先を前にした慄きさえ、この恐怖には敵わない。

 

 取り返しのつかないことになった。

 きっとそれが、ここからさらにそれは加速していくようにしかパールには感じられない。

 初めてパールは、許すべきでない何かに挑まんとした自分の信念にひびを入れられて、抜き差しならなくなった光景を前に立ちすくんでいた。

 深手のプラチナ、憎しみに満ちた身内同然のポケモン達の気迫。

 今までと同じ明日を迎えられなくなるやもしれぬ只ならぬ予感は、自分が傷つき倒れること以上の恐ろしく、悔恨すらも抱かせる。



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第118話  メモリーズ

 

 

 プラチナのポケモン達が、怒りのあまり理性を失っているのは見るも明らかだった。

 ケーシィがマニューラに向けてサイケ光線を撃っている姿にこそ、最も如実にそれが表れている。

 躱しもせずにそれを受け切ったマニューラは、一切の痛みも無い面構えでピッピへと襲いかかるのみだ。

 

「――――z!」

 

「ほう、私のニューラか。

 思わぬ所で再会するものだな」

 

 そんなマニューラとピッピの間に割り込んだララが、マニューラの振り下ろした爪を、交差させた自らの爪で受け切る。

 私のニューラ。アカギの言葉が意味するところは、パールにもすぐ理解できた。

 むしろ、合点がいったと言ってもいい。

 耳の欠けたララ、どこかで見たものだと思ったら、やはりテンガン山でアカギが稽古をつけてくれた時のニューラだったのだ。

 

「アカギさん……!?

 どうして……」

 

「そいつは私の思想についていけず、自らの意志で私の手の元を離れた愚か者だ。

 あまつさえ、カンナギタウンで私に襲いかかるほどにな」

 

「ピッピ……!

 みんなに、"リフレクター"を……!」

「っ、ッ……――――!」

 

 エンペルトも、ギャラドス目がけて自分の最高威力の技、ハイドロポンプを発射するほど、その行動は理性的でない。

 ギャラドスに対して有効な攻撃ではないはずだ。

 だが、それでも並々ならぬ怒りに任せた水砲はギャラドスの顔面に直撃し、怯ませるほどの威力は発揮している。

 パールに寄り添われ、血の溢れ出る自らの傷口をぐっと手で押さえながら、プラチナは自分の声を一番聞いてくれるはずと信頼する友達へ最初の指示を出す。

 

 幼い頃からずっと一緒のピッピなのだ。自身最強のエースたるエンペルトに対する強い信頼とは、また異なる信頼を寄せる相手。

 かろうじてプラチナの声を耳に入れたピッピのリフレクターは、きっと間に合っていたのだろう。

 ハイドロポンプを受けて怒ったギャラドスが勢いよく突っ込んできて、尻尾を振り抜く全力の一撃がエンペルトを殴り飛ばす。

 その"ギガインパクト"を受けた一撃の重み、壁面に叩きつけられる衝撃、それを耐えきり両の足で立つエンペルトには確かにリフレクターの恩恵がある。

 ぶち切れてまばたき一つしない眼差しのまま、再びギャラドスに向けてハイドロポンプを発射する。即座にだ。

 

「マニューラ、お前の見せ場だぞ」

「――――♪」

 

 アカギとそのポケモン達に焦りの表情は無かった。

 マニューラは力任せにララを斬りつける爪の一振りで、相手のガードを誘発する。

 力では勝っている。後ずさるララを尻目に、ピッピに改めて一直線だ。

 振り下ろす爪は"つじぎり"の一撃。怒りが勝っていて相手に向かいかかろうとするピッピのノーガードの肌に、それは血が噴く深い傷を刻む。

 

「ケーシィ、っ……!

 ドレイン、パンチ……!?」

「え!?」

 

 パールが驚くに値するプラチナの指示に導かれ、かろうじてその指示に従ったケーシィがマニューラの背後に自らをテレポートさせる。

 瞬時に気配を察したか、振り返りざまにマニューラは爪を一振りだ。

 立ち上がった姿のケーシィが突き出した拳が、鉈のように鋭いマニューラの爪とぶつかり合うが、ケーシィの念を込めた拳は切り裂かれない。

 むしろ、悪しき者を打ち破ろうとするケーシィの信念が悪の刃に勝るかの如く、爪先をはじかれたマニューラが交代するほどだ。

 

「エンペルト、っ……!

 マニューラに、"はがねのつばさ"……!」

「ッ――――――――z!!」

 

 どれだけ怒りに心を支配されていようが、その声だけはやはり届くのだ。

 ハイドロポンプを受けて首を振っているギャラドスに飛びかかろうとしていたところを切り替え、マニューラの方へと突き進むエンペルト。

 相手に一番よく効く攻撃を指示してくれるプラチナの言葉を信じ、雄叫びにも近い声をあげて襲いかかる。

 

「やはり所詮、感情は力を奪う枷にしか過ぎぬということだな」

 

 どれだけトレーナーの指示が優秀でも。

 それに従うポケモンがそれだけの理性をぎりぎり保っていても。

 思考力を失ったポケモンが、トレーナーの指示に従うだけの傀儡となっているようでは。

 そんな白けた声を発するアカギの態度が示したかのように、ドレインパンチを受けて後ずさっていたはずのマニューラは、簡単にその一撃を躱してしまう。

 

 ほら、ろくに次が続かない。

 大きく距離を取る躱し方をしたマニューラに、エンペルトは離れた相手への飛び道具としてハイドロポンプを撃つ。

 ただでさえ命中率の悪いそれを感情任せの一撃に乗せては、図体の大きいギャラドス相手ならともかく、マニューラには容易に躱せる攻撃だ。

 

「っ、ララ! こごえるかぜ!」

 

「遅い」

 

 ならばせめて敵の動きを制限しようというパールの指示は正しかった。

 だが、ララがマニューラとギャラドスに向けて凍える風を放つ中でも、マニューラは素早く地を蹴ってケーシィに迫っている。

 そして放つ"つじぎり"の一撃は、元より物理的な攻撃に弱いケーシィに対してあまりにも痛烈だ。

 立ち姿であったケーシィが、深く斬りつけられて背中から倒れる姿には、プラチナもすぐにケーシィのボールを握っている。

 

「っ、く……ケーシィ、戻っ……」

「――――ッ!」

 

 プラチナがケーシィをボールに戻そうとした、まさにその瞬間のこと。

 天井に向けて手を伸ばしたケーシィが、最後に仲間達に何かを残そうと力を振り絞った。

 スイッチを押したプラチナのボールにケーシィが戻っていくが、確かにその力はこの場に残されたのだ。

 あれだけ頭にきていたにも関わらず、最後の最後に理性を取り戻し、仲間達の力となれるよう力を尽くすのは、流石プラチナに育てられただけはある。

 

「何の問題にもならんな」

 

 言及する程度には、ケーシィの最後の意地に、アカギも一定の評価を下したと言ってもよい。意義のある行動ではあったと。

 しかし、その上で問題にならぬと形容する言い方もまた本意。

 指示など貰わなくともピッピに急接近したマニューラは、爪の刃で斬りつける動きではなく手の甲を返し、打撃を繰り出す一撃を振り抜く。

 

 例えるなら、刀で斬りつけるのではなく、刃の無いミネで打つ一撃の如く。

 それはアカギのマニューラが得意とする、リフレクターや今しがたケーシィが張った"ひかりのかべ"を粉砕した上で敵を討つ、"かわらわり"の一撃だ。

 なんら"みねうち"でも何でもない、木刀による全力の振り抜きめいた一撃に殴り飛ばされたピッピが、壁まで殴り飛ばされるほど痛烈な攻撃である。

 

「っ、ぐう……! エンペルト、っ……!」

「ギュアアアアアアアアァァッ!」

 

 プラチナがピッピをボールに戻し、搾り出すような声でエンペルトに呼びかける。

 アカギは何の指示もしなかった。

 "はがねのつばさ"を振るって迫るエンペルトが、マニューラに対して襲いかかっても。

 どうせもう躱せる間ではない。交差させた爪でその一撃を受けるしかないマニューラに、指示することは何一つ無い。

 ならば自身の声に耳を傾ける一瞬を作るより、本能的に、あるいはそうした自己判断が出来るよう育てたマニューラの、防御する判断に一任する方が最適解。

 敢えて指示を出さぬ選択が出来るアカギの態度は、ただ彼の傀儡でのみあらぬポケモン達という事実に裏打ちされるものだ。

 

「ララあっ! いっけえっ!」

「――――z!!」

 

「む……」

 

 アカギはやはり指示を出さなかった。少しまずそうだとは思いながらも。

 マニューラの自己防衛にすべてを一任する判断だが、パールの力強い声とララの決死の声は、マニューラに大きなダメージを与えるだろうとは思った。

 すなわちそれは、ニューラによる"かわらわり"の一撃。

 指示されるまでもなく、今さら躱せもしないし防御するしかないと爪を交差させて構えるマニューラに、ララの小手返しの一撃が振り下ろされれる。

 

 流石にマニューラも受けて腰が沈みかけた。爪にひびでも入ったかと思うほど、腕まで痛い痛烈な一撃には違いなかった。

 踏ん張って、受け切って、それを振り払うマニューラの地力の高さは誰しも認めるところだが、小さくないダメージを与えたことは確かである。

 

「ギャラドス」

「――――z!!」

 

 名を呼ばれただけでこの場における最適解を導き出すギャラドスもまた、アカギに育てられた優秀な個体であろう。

 ただの"たいあたり"に見えて、敵へ頭から直進した挙句に長い全身を伸ばし、その全体重を乗せるよう計った"ギガインパクト"。

 それをエンペルトにぶつけるのだ。確かにとどめの一撃にはならないだろう。

 しかし相手を吹っ飛ばし、隙のあったマニューラを横殴りさせることを阻み、突き飛ばして壁面に叩きつけることで動きを封じる。

 そしてその一幕を見たマニューラは、自分に大きなダメージを与えたララに報復することより、踏ん張って立つエンペルトに突き進む。

 

「それでいい」

「エンペルト……!」

 

 マニューラの振り下ろした爪がマニューラの脳天を叩き伏せ、その"かわらわり"の一撃はリフレクターをも粉砕した上で頭蓋まで響く。

 目の前に星が飛んだエンペルトの動きが止まる中、さらにマニューラはくるりと身を回し、爪の一刺しをエンペルトの胸元に突き刺す。

 技としてではなく実質的な"追い討ち"だ。

 頭を割られようが、プラチナを傷つけたこのマニューラだけは刺し違えてでも、というエンペルトに対する、悪賢いマニューラの駆け引きがここにある。

 

「っ、ぐ……」

 

 駄目だ、これ以上エンペルトを戦わせては。

 心臓に近い位置の胸をあれほど深く突き刺され、なおも戦い続けようとするエンペルトの目を見て、プラチナはそう判断せざるを得ない。

 とうに戦闘不能級の傷を負っているのに、あれ以上怒りに任せて限界を超えさせては、本当にエンペルトが死んでしまう。

 勝ちたい意志より大切な友達の命を。涙目になりかけながら、最後のポケモンをボールに戻すプラチナは、これで戦えるポケモンをすべて失った。

 その判断を最速で促したのもまた、あの悪辣なマニューラだ。エンペルトの命を人質に取るかのような判断を、指示されずとも取れるということである。

 

「ララ……!」

 

「弱い」

 

 寄り添うプラッチ、エンペルトの深手、パールにとって無視できない光景が幾度も続く中、ララは指示の無い中でしっかり動いていた。

 せめてこのマニューラを。だが、"かわらわり"を放つララの一撃をかろうじて躱したマニューラ、そして迫るギャラドス。

 長い尻尾を振り抜いて、少しは遠い相手にも届く"アクアテール"の一撃で確実な命中を叶え、フィジカルに秀でないララを殴り飛ばす。

 床に転がってすぐに立つララではあったが、立ち上がりざまにマニューラの"かわらわり"で叩き伏せられる。

 

 咄嗟に構えた交差の爪も、自分の爪で額を打つほど押し込まれて。

 腕の力を奪われた直後、身を回したマニューラの振り抜いた小手返しの爪により、胴を横殴りにされてしまう。

 横薙ぎの"かわらわり"をまともに受けたララは、無力に殴り飛ばされて床に転がり、もう立ち上がる力もない姿で横たわる。

 

「戻って……!」

 

「勝負あったな」

 

 パールがララをボールに戻す中、それとほぼ同時にアカギはマニューラをボールに戻した。

 プラチナとパール、二人のポケモンが一匹も戦場に出ていない状況下、今この場に残ったのはギャラドスのみ。

 そしてアカギは、プラチナの駒が尽きたことを確信しているのだ。

 トレーナーが傷つけられたプラチナのポケモン達が、それに伴い全員たまらず出てきたことは見て取れている。それでこその先程までの多勢だ。

 アカギがマニューラを引っ込めたのは、戦いが続くのであれば自分とパールの一騎打ちに他ならぬと、表明していることを兼ねている。

 

 ギャラドスと対峙する中で、パールは既に雷のシールが貼られているボールを握りしめている。パッチのボールだ。

 だが、すぐにそのスイッチを押せないのは逆風の展開を目の当たりにしているからだ。

 果たして、プラチナのポケモンがゼロになった今、自分一人の手持ちでこの人物に立ち向かい、打ち破ることは出来るのだろうか。

 勝負あった、と一言で確信的な戦況を宣言したアカギの態度もパールの心を揺らしたが、戦い続けるべきか否かをパールも考えざるを得ない。

 

「まだやるつもりなのか?」

「う、ぅ……」

 

「パール……! 頑張って……!

 ここだけは、絶対負けちゃ……」

「……………………ピョコ!!」

 

 だけど、目前の勝敗よりも大切なことが、血を流すプラチナを支えるパールにはあった。

 ギャラドスを前にして、パールが繰り出したのはドダイトスのピョコだ。

 決して、有利に戦える最高の選択ではない。ルクシオのパッチを出すという、もう一つの選択肢に比べれば確実に劣る。

 

「ピョコ……!

 プラッチを乗せて安全な場所まで運んで……!」

「――――!?

 ――――――、――――z!!」

「お願い、一生のお願いだから……!

 私、プラッチに死んで欲しくないの……!」

 

「ぱ、パールっ……!

 僕のことは、いいから……」

「うるさぁいっ!! 怪我人黙ってろっ!!」

 

 支えていたプラチナを突き飛ばしたパール。

 よろめいて膝をつくプラチナだが、それだけ彼も血を失って、足元が覚束ない状況なのだ。

 極めて乱暴なやり方に、ピョコも思わず驚いてパールの方を見たが、目で訴えるパールの眼差しは真剣そのものだ。

 プラッチが本当に危ない状態なんだ、と訴える目は大きく見開いたもので、ピョコの反論など受け付けない、受け付けないものに相違ない。

 

「ピョコ……っ!」

 

「ッ……、――――z!!」

「ぇぁ……!?

 ちょ、ピョコ、待……」

 

 きっとピョコも、パールの指示に従うことには強い抵抗があったのだろう。

 アカギという脅威的な敵を前にして、戦力の一角として自認する自らが、彼女の言うとおりプラチナを助けるためにこの場を去ることへの抵抗が。

 ピョコはプラチナとも友達だ。パールと同じぐらい大好き。

 それでも、パールを守るために戦える、彼女のそばを離れることが、ピョコにとってどれだけ応えがたい要求だったか。

 決して比較ではないが、究極の選択でパールとプラチナのどちらを取れと言われれば、きっとピョコはパールを選ぶはずだ。

 

 そんなピョコは、パールの望みに応え、プラチナの身体を鼻先で突きあげて、自分の甲羅の上へと強引に放り乗せた。

 戸惑うプラチナの態度をパールは顧みない。背に乗せたプラチナを顧みもせず、パールを振り返るピョコと目を合わせるのみ。

 恭しい目でうなずくパールと、借り一つ寄越す勢いの眼差しを向けるピョコ。

 言葉無く意志を交わした両者は理解り合っているが、そこにあった確かなやり取りの真髄など決して他者に読み取れるほど浅くはない。

 それを最後に、ピョコはパールに背を向けて、プラチナを背に向けてこのアジトの出口へ、彼を安全圏へと向けて運ぶ足をどかどかと駆けさせていくのだった。

 

「やはり、愚かだな」

 

 去るピョコの背を見送りながら、アカギとギャラドスからも目を切っていなかったパール。

 彼女の行動を見届けていたアカギの一声に、パールは体ごとそちらに向き直り、パッチの入った雷シールの貼られたボールを握りしめる。

 心臓が高鳴っている。恐怖でだ。

 ピョコという最も頼もしい仲間を失った今、悪の組織のボスかつ過去最強の敵を前にして、自分はこの苦境を切り抜けられるのか。

 脚さえがくがくと震えそうなところ、力を入れて踏ん張って、なけなしの気力を振り絞ってアカギを睨みつける目は、彼女が望んだほど強くはない。

 手元に残るはパッチとミーナ。アカギのギャラドス、そしてマニューラやクロバットを撃破するためのビジョンを描こうとして、それが出来ない。

 

「取るに足らない少女だと、再認識させられるばかりだ」

 

「ぇ……」

 

 パールがパッチを出すためにボールのスイッチに指の力を入れるより早く、アカギがギャラドスをボールに戻した。

 死線さえ意識したパールは、戦いそのものが終わったかと思えるような僥倖的展開に、望外の細い声を溢れさせるのみだ。

 身構えた姿勢のまま硬直し、表情だけを予想外の展開に唖然とするパールを前に、アカギは溜め息じみた息を吐くのみである。

 

「君は、私の野望を打ち砕きたいと切望していたのだろう?

 そんな中、どうして貴重な戦力をあんな形で手放す?」

 

 離れた位置からアカギが問いかけるその言葉に、パールは返答するまで三秒もの時間がかかった。

 即答できるはずの問いだ。彼女の性格ならそうだ。

 それでも答えが遅れたのは、思わぬ展開に思考が追い付かず、ようやく実状に則って返答が出来るまでに時間がかかったに過ぎない。

 

「だ、だって……プラッチが……っ!」

「感情に左右され、いま最も手放してはならぬ戦力をこの場から手放す。

 やはり君は感情によって愚に徹する少女に過ぎず、私の障害にはならぬと断言できる」

 

 気圧されているパールが言葉半ばに詰まる中、アカギは心底からの主張を口にしながら、こつこつと静かな足音を立てながらパールへと歩み寄る。

 パールが小さく後ずさる中、アカギは何ら普段と変わらぬ歩調で三歩近付いて。

 恐怖心に押されて後退していた彼女の眼前、アカギが辿り着いて足を止める中、腰の引けたパールがアカギを見上げる図式が成り立つに至る。

 足が動かなくなったパールの目の前に、背の高いアカギがそびえ立つその姿は、顎を上げたパールがいよいよ全身を震えさせるほどの圧倒感がある。

 

「君はギンガ団との戦いの中で、何も学んでこなかったのか?

 我々は、遮る者達を葬るに際して何ら躊躇はしない」

「いた、っ……!?」

 

「君を傷つける可能性があるのは、私達ギンガ団のポケモン達だけだと思っているのか?

 君以上の力を持つ大人に、君を傷つける力が無いと思っているのか?」

「や……ゃ、っ……!

 

 アカギがパールの手首を掴み、ぐいと自分の目線の高さより上まで引っ張り上げる。

 か細い女の子の腕を力強く掴み、望まぬ高さまで力ずくで引く動き。

 握力で締め上げられる手首の痛みのみならず、乱暴な力で引き上げられて二の腕が攣る痛みは、パールに悲鳴を上げさせる。

 それだけの痛み、それを与えられる恐怖に怯えながらも、無表情で、冷たい眼差しで自らを見下すアカギを前に、パールは後退することも出来ずにいる。

 

「ッ――――!」

「――――z!!」

 

 パールの窮地だ。それも、只ならぬ危機。

 喚ばれずとも、パッチとミーナがボールの中から飛び出してくる。

 それも、アカギを両横から挟むような形で降り立つようにだ。

 それと同時に、アカギを守るべくボールから飛び出してくるクロバットが、アカギの背後でぎらりと眼を光らせる。

 

「なるほど、君を守るために自らボールから出てきたというわけか。

 それもまた、君が彼ら彼女らを可愛がってきた、その優しさによる賜物ということだろうな」

「ぅ、ぅぅ……」

「だが、この二匹は未だ私に手を出すことも叶わない。

 感情的に出てきたはいいが、なにも為すすべなくこの一幕を睨みつけるほか無いというわけだ」

 

 アカギは自身の左右に獰猛な眼で降り立ったパッチとミーナを一瞥しつつも、まるで意に介さぬようにパールを見下す目に戻した。

 パールの手首をぐっと握ったその手は、彼女の命脈を握るもの。

 すなわちアカギは今、パールを人質に取っているも同然なのだ。

 

 たとえパッチやミーナがアカギに速攻の一撃を下し、彼の肉体を破壊したとしても、アカギがたった一瞬でその手に力を入れればどうなるか。

 きっとパールは、二度とボールを握れぬよう、手首の骨を折られるだろう。パッチもミーナもそれがわかっているから動けない。

 現実、11歳の女の子の細腕と骨など、容赦ない大人がその気になって力を入れてしまえば、折るも容易き脆いものなのだ。

 まして、涙目で動けずにいるパールの姿を前にしたパッチとミーナは、アカギに先んじて彼に攻撃することなど出来ない。

 クロバットに攻撃される懸念ではなく、自分達の前のめりな行動がパールの命さえ危ぶめてしまうかもしれないという恐怖は、行動を縛るには充分だ。

 

「君に選択を問おう。

 私と刺し違えるか、それともこの二匹を引っ込めるか。

 君に覚悟があるなら、私もそれなりの覚悟をしよう」

 

 それをパールに求めるアカギの眼差しは、幼い少女にはあまりにも恐ろしいものだ。

 今ここでポケモン達の圧倒的な攻撃により、取り返しのつかない傷を負うことも何ら恐れていない無感情な目。

 確かな駆け引きが実在するはずの局面で、どのような結末も受け入れた上で、どう応えてくれても一切構わないという冷静な眼力。

 そして見上げれば魂まで鷲掴みにされるかのような、瞳の奥まで潜むかの如く深い闇。

 

 今までこんな、冷徹で、何も読み取れず、どんな言葉や態度でも揺るがぬであろう、凍り付いた瞳を目前にしたことのない少女にとって。

 捕まった今、逆らえば、殺されてしまうのではないかと感じさせるその冷たい眼には、パールの全身ががたがたと震えるのも無理の無いことだ。

 まばたき一つ出来ないまま、パールは握りしめていたパッチのボールのスイッチを押し、彼女をボールへ戻さずにいられない。

 そんな彼女に、残されたミーナはパールへ、屈しちゃ駄目だと訴える鳴き声を発したけれど。

 自身を見下すアカギから目を逸らすことさえ出来ず、すなわちミーナの声に向き直ることも出来ないパールは。

 ミーナのボールを取り出して、彼女をボールに戻すことで精いっぱいだった。

 

「やはり、そんなものだな」

「ぅぁ……」

 

 パッチとミーナが場から消えた中、アカギはパールの手を離す。

 決して突き放されたわけではない。だが、パールは二歩も三歩もアカギから離れ、怯えた瞳と震える体でアカギと対峙するので精一杯だ。

 目の前の相手が、ギンガ団のボスという討つべき相手だと認識し、立ち向かわんとしたその眼差しや姿勢とは、断じて程遠い少女の姿がある。

 

「義憤を胸にに乗り込んできて、いよいよとなれば恐怖で怯え竦む。

 所詮、感情に左右される者などその程度ということだ」

 

 言い返すべき局面で、恐怖のあまりまた一歩退がるパールは、何ら反論できぬ一幕だ。

 呑まれている。それも、恐れの感情に支配されて。

 呼吸すらもひきつりそうな恐怖に胸を締め付けられ、疲労とは違うはぁはぁという息を繰り返し、縮めた身体を震えさせるパールの姿はそれを体現している。

 

「やはり私は、感情を捨てて正解だったと思うばかりだ。

 そんなものに自らの行動を制限されていては、果たすべき大願からも遠ざかるばかりだったからな」

 

「か、感情……それは、っ……!」

 

「思い返せば、シンジ湖に沈みかけた君を助けたあの時からそうだ。

 良心の呵責に見舞われたあの日の私の行動が、私の悲願の実現を何年も遅らせたのだからな」

 

 感情を否定するかのようなアカギの宣言に、パールはなけなしの気力を振り絞って反論しようとした。

 感情を捨てて正解だったと宣言する理屈を甘受することは、悪の組織のボスの思想を肯定することのようにさえ感じられたから。

 だから、パールも全力の勇気を以って、言い返そうとしたのだけど。

 

「………………ぇ……?」

 

「つくづく私は君をあの日、見捨てるべきだったと悔いてならない。

 あれもまた、感情を捨てるべきだと強く私に感じさせた日だったよ」

 

 すべて、吹き飛んだ。

 パールの思考力を奪う、アカギが発したあまりにも予想外な真実。

 正義も、信念も、あるいは恐怖も怯えも、すべて、すべて、パールが一時失ってしまうほどの現実がここにあった。

 

 呆然となるパールの前、不動のアカギは無表情で立ちそびえるのみ。

 夢にまで見た理想の実現は、必ずしも望んだ形で叶えられるとは限らない。

 現実とは時に、劇的で、思いもよらず、そして、残酷だ。



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第119話  籠の中の少女

 

 フタバタウンで生まれ育ったパール。

 彼女は三歳の時、シンジ湖のほとりで遊んでいた。

 野生のポケモンが生息する草むらから離れた、子供達だけで遊んでいても大丈夫だとされる場所でだ。

 花が咲く場所にちょこんと座り、最近花で編んだ髪飾りの作り方を覚えたばかりのパールは、お母さんにあげる何かを作るために一生懸命だった。

 拙かったし、完成まで至れたとしても、小奇麗なものにはならなかったかもしれない。

 それでもお母さんを喜ばせたくて、あるいは自慢したくて、周りも見ずに、せっせと花と茎を編んでいたパールの、無邪気な姿がそこにあった。

 

 本来シンジ湖周辺には生息しないはずのズバットが、彼女の気配に気付いて近付いてきた。

 そのズバットにとっては、野生のポケモン達とは何か気配が違う人の匂いを感じ、何だろうと接近して確かめようとしただけだったのだが。

 近付いてくる羽の音に振り向いたパールは、牙をちらつかせるズバットの接近に恐怖し、さっきまで作っていたものも放り投げて逃げ出した。

 小さなズバットとて、幼い子供から見れば充分に大きいのだ。子供と大人では、天井の高さが全く違って見えるのと同じように。

 ズバットは、驚かせてしまったことを申し訳なく思い、パールにごめんよと気持ちを伝えるために彼女を追った。

 決して攻撃的な想いで迫ったわけではない。ズバットも、当時は若く、あるいは幼かったのだ。

 そんなズバットが追いかけてくる姿に、その真意をパールが悟れるはずもなく。

 追い付かれちゃったら噛みつかれて大怪我をする、その恐怖から半泣きで逃げるパールは、自分が行く先さえよく見えていなかった。

 

 湖の岸から足を滑らせたパールが落水したことにより、ズバットは本当にまずいと思ってご主人のそばへと急いで戻った。

 そのズバットのトレーナーは、只ならぬ態度で自分をある方向へと導かんとするズバットに応え、湖のほとりへ向かっていく。

 現場に辿り着いたその人物の見下ろす先には、波紋が広がる湖面しかなかった。

 泳げぬ少女はもがけど、足掻けど、じたばたすればするほど沈む一方で、既に足のつかぬ水面下へとその身を沈めていたのだ。

 そんな湖面を見て、事情を察して湖へと飛び込んだ彼の聡明さが無ければ、間違いなくパールは命を落としていただろう。

 

 息が出来ない苦しみの中、パールは齢三歳にして死に瀕する実感を得ていた。

 薄れゆく意識、もう助からない現実、涙も湖に溶けていく。

 飲んだ水で身体が奥から冷やされ、鼻から入った水による痛みも感じられなくなり、最後の空気も大きな泡にして吐き出してしまって。

 その日、彼女が最後に感じ取れたものは、沈みゆく自らの身体を誰かがぎゅっと抱きしめ、息が出来る水の上まで引き上げてくれたことのみ。

 とうに虚ろな目になっていた彼女は、自身を救い上げてくれた誰かの顔も視認できぬまま、ぐっと胸を押された力で水を吐き、意識を失ってしまった。

 その後、目覚めた時には大人達が自分を囲み、愛娘が助かったことに涙して抱きしめてくれるお母さんの温かさを得る時まで、彼女の記憶は失われている。

 そうなってようやく、死なるものさえ意識した恐怖に大泣きし、大人達の胸を撫で下ろさせたのが、その日のパールの顛末である。

 

 パールに残された強い記憶は、ズバットに襲われ、逃げて、湖に落ちて、名も知らぬ誰かに助けて貰えたこと。

 死さえ意識したきっかけを作ったコウモリに対し、トラウマめいた恐怖心が芽生えたのも。

 あの日、自分を助けてくれた命の恩人に、どうしても再会してお礼が言いたいとやがて思うようになったことも。

 そのためにチャンピオンを目指そうと、トレーナーになろうと志したことも。

 パールの人生の半分以上を形作ったのは、間違いなくあの日の出来事だったのだ。

 もしもあの日、あんなことが起こらなかったとして、今の自分がどんな人生を、どんな考え方で生きていたかなんて、今やパールには想像も出来ない。

 

 特段の苦手意識も。

 生涯をかけてでも追い求め、惜しみないほどの感謝の想いを伝えたいと強く感じる恩人への想いも。

 そのために歩みだした旅路の中で出会えた、掛け替え無き家族とも言えよう最愛のポケモン達との日々も。

 すべてのはじまりとなったのが、その日だったと言って過言無い。

 

 

 

 

 

「意識が混濁していて、覚えていないのだろうな。

 あの日、君を湖から救ったのは私だ。

 恩を感じて私の道を阻むことをやめて貰えれば最も有り難いが、今さらそうはいかんのだろうな」

 

 ずっと、追い求めていた人。

 シンジ湖に沈みゆく自らの命を救ってくれた恩人。

 その人に会うために、シンオウ地方のチャンピオンという、一等級の有名人となることを目指してきたパール。

 インタビューでも受けられるようになれば、テレビを通してあの日自分を助けてくれた人へと呼びかけるんだと、強く決意していた幼心。

 その必要はもはや無くなったのだと意味する、目前に見上げるアカギの発する言葉が、パールの思考をほぼ停止状態へと陥れる。

 

「あ……………………アカギ、さんが…………?」

「あの日、君が湖に落ちたきっかけを作ったのは、恐らく私のズバットなのだろう。

 今はクロバットに進化し、私の切り札となっている個体だがな。

 面影からも感じ取れるものはあるのか、どうやら君の顔にも覚えがあるらしい」

 

「ひ……!?」

 

 アカギの言葉に反応するかのように、アカギのクロバットがボールから飛び出し、彼の後ろに姿を現した。

 長い羽はそのシルエットを大きく見せるもので、そしてパールは幼心からくるコウモリへのトラウマに、短い悲鳴をあげて後ずさる。

 穏やかに羽を動かして宙に身を浮かせるクロバットは、じっとパールの目を見つめるも、感慨めいたものを匂わせる表情は見せない。

 だが、こうして改めてボールから出てきて、直接パールの顔を見ようとした態度からも、彼女に対して何らかの思うところがあろうことは明白だ。

 

「あの日、私はシンジ湖に眠ると言われる幻のポケモン、エムリットの手がかりを求めるため、このズバットとともに湖を調べていた。

 だが、湖に落ちた誰かという事実に気付いてしまった私は、衝動に駆られて君を救ってしまった。

 そんな衝動に、感情に身を任せた行動が、その後の私の調査に大きな遅れを招いてしまったのだから、あれは重要な教訓でもあった。

 捨てるべきだと思っていた感情とは、やはりそうだったのだなと確信するには充分だったからな」

 

 ぶわりと脂汗めいたものを噴かせ、はっはっと短い呼吸を繰り返し、まばたき一つ出来ないパールは言葉も発せない。

 トラウマのコウモリの中でも最上位にあたるクロバットを前にして、しかもアカギの紡ぐ言葉に頭が追い付かず、思考も殆ど不充分で。

 かろうじてアカギの言葉を耳にして、半数した末に数秒遅れて意味を理解し、その時にはアカギの次の言葉が始まっている。

 頭が真っ白なパールは、待ちもせずに次々に投げつけられる言葉を、スポンジのように吸収していく一方だ。

 

 そこには、認めたくない現実をどうにか思考能力で以って退けたり、別解で凌ぐ抵抗力は無い。

 追いかけていた夢、世界一の恩人だと信じていた人物が、いま目の前にいる憎むべき敵に他ならぬという事実を無防備に受け入れさせられること。

 それは純真な夢が穢れにより塗り潰され、心に毒とも言えよう黒い異物を流し込まれるにも等しいことだ。

 

「君を助けたことにより、フタバタウンは君の証言から、ズバットが君を湖に落としたという事実を認識した。

 子供が湖に落ちて溺れかけたという事実だけでも、大人達は安全面で不備があったと強く反省したのだろうな。

 君が生きていようが死んでいようが、それが周知されたなら、湖を見回る大人達が増えていた事実にそう変わりはなかっただろうとは思う」

 

 クロバットへの恐怖心から身を縮めているパールが、自分の胸元を、服だけじゃなく肌まで指を突き立てるほど握りしめるのは何故か。

 言い知れぬ痛みがある。身体がはっきりと訴えかけてくる苦痛だ。

 信じていたもの、尊敬していた人物が、最も憎むべき存在であったとゆっくり認識するにつれ、吐き気さえ覚えるほどの苦しみが胸を渦巻いている。

 心臓を握りしめられて、ぎゅうとねじられるかのようなこの苦しみは、精神的に過剰とも言えようストレスによる、逃れようも無い痛みに他ならない。

 

「だが、日中のシンジ湖に本来生息しないズバットの存在が、異なる者が湖を嗅ぎ回っていると大人達に認識させるにも充分だったのだろうな。

 あまつさえ、それが子供達への恐怖を与える存在たり得るものでもあろうと感じれば、フタバタウンの者達の警邏の目もいっそうに強くなる。

 あれ以来シンジ湖の周辺は、フタバタウンの有志はおろか警察まで定期的な巡回をするようになり、余所者が立ち入れる環境では無くなった。

 私は君を助けたことにより、シンジ湖の、エムリットの調査を進めることが困難になってしまったというわけだ」

 

 自分の命を助けてくれた、その行為には高潔ささえ感じていた命の恩人。

 それが今、目の前にいて。

 自分を助けたことを後悔しているとさえ断言し、さらにはそれを、パールには理解できぬ思想を深める重要なきっかけになったとさえ名言している。

 金色の思い出は錆の色に染まり、信じていた何かは崩れ落ち、心は闇の奥底まで吸い込まれていくかのよう。

 頭が真っ白という表現には収まるまい。毒に侵されて真っ黒に染め上げられていく心の苦しみに、パールは足腰をふらつかせてさえいる。

 

「君を助けたことを恩に着せるつもりはない。

 むしろ、私が君に感謝すべきなのだろうな。

 君は、私に重要な教訓を授けてくれた人物に他ならない。

 この場を借りて改めて、私の糧となってくれたことに感謝の意を示そう」

 

「よ…………よく……わからない、です……」

 

 違う、違う、絶対に間違っている。

 憎むべき悪、スモモやプラチナを傷つけるポケモンを操り、我が目的のためにはそうした血が流れることさえ顧みぬ極悪人。

 そんな大人が目の前にいて、自分に感謝の意を告げる。

 何をどう考えても理に合わぬ現実を前に、パールはようやく搾り出すような声を発することが出来た。

 

 アカギはクロバットをボールに戻し、今一度パールと一対一の形で向き合う。

 堂として胸を張って敵対者を見下す大人と、腰が引けて今にも座り込んでしまいそうな少女。

 ギンガ団の野望を打ち砕かんとしてここまで踏み込んできた、正義感に溢れた少女の姿はもはや失せ、追い詰められた無力な少女の姿だけがそこにある。

 現にパールは、頼れる誰かに呼びかけることも忘れ、ボールに手を伸ばすという発想さえ今は失っているのだ。

 

「理解して貰えなくても構わない。

 だが、確かにあるのは君という存在そのものが、私をこの道へと迷い無く歩みだす大きな一因となったという事実だけだ。

 君のおかげで、私はこの信念を貫く意義を貫き、今こうして大願の成就を目前とするところまで至れているのだからな」

 

「わ、私……が……?」

 

「あとは、綺麗に失せてくれ。

 君のことは、きっと忘れない。

 新世界を築き上げるに際しては、君は私の思想に反する愚かな反乱分子であると同時に、礎と呼ぶには値ある少女でもあったと数奇に記憶しよう」

 

 そう言ってアカギはパールに背を向け、このアジトから去るための道への歩みを始めていく。

 置き去りにされるパールはもはや、前にも後ろにも進めない心模様だ。

 アカギを追うことも出来ず、しかし、引き返すことも出来ず。

 揺るがぬ信念を貫いて、それが苦境ありし道だとさえも覚悟して突き進めば、想像以上の壁にぶち当たった時、人は身動きが取れなくなる。

 目の前にも壁、一歩後ろにも壁の袋小路。信念を貫けば貫くほど、伏魔殿の奥底で道を失えば、奈落の底で身動きが取れなくなる。取り返しのつかない暗黒だ。

 

「君はエムリットを、ユクシーを、アグノムを救いにきたのだな。

 私にはもう、あれらは必要ない。今さらあれらが解放されたとしても、今や私の障害にはなり得ない。

 君が引き取って貰えるなら、処分する手間が省けるというものだ」

 

 歩く力を失ったパールに、アカギは立ち止まって振り返り、彼女に最後の言葉を手向けていた。

 目に見えて、思考力を失っている少女。

 そんな今のパールに対して言葉を向ければ、拝聴の想いの信者の耳にも勝り、それは心の奥底まで浸透する言葉とさえなり得る。

 抗う力を持たぬ心は、すべての言葉を無防備に心へと沁み込ませてしまう。もはや、催眠術にも近いメカニズム。

 アカギの言葉に、ここへ足を踏み入れた当初の目的を思い返させられたパールの心は、何の疑問も無くその言葉に一心を支配されてしまう。

 

「あちらへ進めばエムリット達を捕獲してある地下施設へと通じている。

 あとは、好きにすることだ」

 

「あっ…………あ、っ……………………」

 

 去っていくアカギの後ろ姿に、パールは何らかの反論をしようとしたのだろう。

 だけど、言葉が紡げない。考える力を失った少女には、自身の想いを相手に伝えるための言葉さえ作れない。

 いや、その想いすら形になっていないのだ。

 かすかに残っていた、敵をこのまま見逃してはいけないという想いの残滓が、未完成の言葉を口から発させる程度というところである。

 

 アカギが目の前からいなくなり、遠く離れたその時になって、ようやくパールは足を動かすことが出来た。

 それは、歩きだすためにではない。よろよろと身をふらつかせ、壁面に背中を預けるためにだ。

 今にも力を砕けて座り込みそうな腰を辛うじて支え、天井を仰ぎ、ゼロにも等しかった思考能力に今一度の火を灯す。

 何のためにここに来たのか。エムリットを助けるためじゃないのか。

 頭にこびりついて然るべきはずのアカギのことさえ頭からは締め出され、パールはそれ一心に染まった頭で前を向く。

 そうして踏み出した第一歩は、確かに前進の意志こそ孕みつつ、傍から見ればよろよろと道に迷うように進む足取りにしか見えないほど。

 

「……………………行かなきゃ」

 

 少しずつ、その一歩一歩は、加速を得る。

 よろつくような歩みから、普通に歩けるような速度になり、やがては駆け足に。

 しかし、かつて何度もギンガ団に挑む日々のように、確固たる意志を叶えんとするための、跳びのある勢いに満ちた走りではない。

 茫然自失となる一歩手前、取るべき行動という旗印を辛うじて得たことで、身体をそれに従わせているだけに過ぎなかった。

 

 パールの頬をつたうものを、彼女は拭うことすらしていなかった。

 涙を流している自覚すらなかったのだ。

 何年も、何年も、大切にしてきたものを打ち壊されたことで、心にさえもひびが入った今の彼女は、忘我と言うにも等しい心持ちで駆けている。

 傷ついた心が癒されるには時間が必要だ。そんな時間すら与えられていない今のパールは、壊れかけの心のまま死地に向かっている。

 

 パールが自分の指し示した方へと走り抜けていく姿を、アカギは振り返りもせずその足音で察していた。

 愚かな娘だ、と小さく呟いたアカギは、パールの行く先で何が待っているかを知っている。

 感情に愚直な彼女が辿るであろう末路を想定したアカギは、憐憫の一つも感じ得ぬまま、次なる目的地へと歩み続けていくのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……?」

 

 見たこともないような機械が並ぶ異質な光景を目の当たりにし続けるも、一本道のそれをパールは進み続けてきた。

 突き当たりに見えたのは、半円状の大きなゲートであり、左右に開く機械式の扉であると見える。

 どうやって開ければ、という疑問が解決されるのも早く、ゲートの脇にあるスイッチに手を伸ばすパール。

 スイッチ一つで開いたゲートの向こう側は、薄暗く広い一室だった。

 

 一目見れば明白であった。

 エムリットと、ユクシーと、アグノムが、カプセル状の特殊な機械に囚われている。

 思わず駆け寄ったパールの前で、三柱のポケモン達は、いずれも苦しみの中にあるのが一目瞭然だった。

 尻尾を引きつらせるエムリット、身体を震わせるアグノム、ぎゅっと目を閉じているユクシー。

 愛嬌のある姿をしたそれらが苦痛に喘ぐ姿は、見ているだけで胸を締め付けられるかのような想いに駆られるというものだ。

 

「待っててね……何とか、するから……!」

 

 この部屋の奥にもう一つ、パールの目を引く大きな機械がある。

 恐らくエムリット達を捕えている三つの機械の操作を司ると見える、大きなスーパーコンピューター。

 その前に立ったパールは、無数のスイッチやレバーのある巨大な機械を前にして、一度は立ち往生するばかりの後ろ姿となる。

 

 初めて見るこんな機械の操作方法が、パールにわかるはずもない。

 だが、一つ一つのスイッチやレバーのそばに書いてある文字を読み、どこかにエムリット達を解放するための手がかりがないか熱心に探し求め始める。

 出来るか出来ないかじゃない、何とかしてあげたいのだ。

 間違った操作をして状況が悪化するかもしれない、そんな恐怖にも駆られながら、薄暗い部屋で必死にその目で手探りする。

 

 そんな彼女の後方で、音がした。

 この部屋の入り口であったゲートが閉まる音だ。

 はっとして振り返ったパールは、誰かがゲートを操作したのだという事実に青ざめ、思わず身構える。

 ここは敵地だ。邪魔をするギンガ団員が現れてもおかしくない。

 

「いつもながら、ボスの考えはわからない。

 お前のような、役目の済んだ邪魔者を今なお放置することもそうだが、この三柱を解放することさえ容認する。

 念のため、目的が果たされるその時まで捕らえておいた方が、万に一つの都合の悪い展開をも防ぎ得ると私は思うのだが」

 

「ぁ……」

 

 そして、パールが目にした敵の姿というのは、想定され得る中でも最悪のものだった。

 ただのギンガ団員なら一番よかった。

 ギンガ団幹部たるマーズやジュピターであれば最悪の次に悪い。

 それさえ上回ったこれ以上無いほどの現実とは、仮面をはずした青い髪の、ギンガ団幹部の出で立ちをした一人の男性だ。

 

 パールは表のギンガ団のオーナーと呼ばれるコウキの顔を良く知らない。

 たとえば有名な大企業の社長であろうと、故郷から遠く離れた地で活躍する有名人の顔を知らぬことなど、子供にとってはよくある話だ。

 だが、初めて見た顔であっても、人工音声を介さず初めて聞くその声であっても、仮面に付随するウィッグに隠れていたその髪を初めて見たとしても。

 彼が悪のギンガ団においての何者であるのかは、パールにさえも直感的に理解することが出来た。

 このような場所に単身現れる、下っ端どもとは違う幹部服の男性など、パールの知る限りでは一人しかいない。

 それが、自分の知らない別の幹部であってくれればと思わず脳裏によぎるほどには、そのたった一人は今のパールが会いたくない怨敵だ。

 

「リッシ湖でも、エイチ湖でも、お前には感心させられたものだ。

 素顔で対面するのは初めてだったな。

 ギンガ団の最高幹部を仰せ預かるサターンだ。冥途の土産にはなるだろう」

 

 ニルルとララは戦闘不能、ピョコはプラチナを助けるためにここにはいない。

 パッチとミーナだけが、たった二人だけの戦う力しかないパールにとって、その現実はあまりにも重い。

 マキシを、スズナを、本気を出したはずのジムリーダーと相手に、相棒ドクロッグと共に対等以上に渡り合っていた大幹部が目の前にいる。

 そしてこの部屋のゲートが閉じられてしまい、逃げ道を失った籠の中に囚われたパールを襲うのは、自分一人でこれに立ち向かわなねばならぬという現実だ。

 

 どんな時も、自分よりも強い相手にさえ、恐怖心を押さえ込んで果敢に立ち向かっていたはずの少女は今、一歩でも敵から離れんと震え後ずさるばかりだった。

 冥途の土産。子供でも意味の分かる言葉だ。

 あまつさえ万全の戦える状態でない今、最強にして最恐の敵と袋小路で対峙するパールの恐怖は言葉では言い表せない。

 足が震え、身をすくませ、今にも泣きだしそうな怯えを表情に表すパールを前に、サターンはふっと笑うのみだった。

 冷徹で、残虐ささえ匂わせる笑みだ。仮面をはずしたサターンの姿は、かつて対峙した表情の読めぬ姿より、何倍も恐ろしくパールの目に映っていた。



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第120話  絶望の闇

 

 

「君の役目は終わった。

 充分、ギンガ団の役に立ってくれたよ。

 もう、安心して眠ってくれて構わない」

 

「ギンガだ……ど……どういう、意味……?」

 

 パールは今、絶望的な状況下にあって尚、どうにかこの窮地を切り抜けられないか、ぎりぎりの気力を保つので精一杯だった。

 そんな中で、サターンが発する理解不能な言葉は、痛烈なノイズとしてパールの意識に割り込んでくる。

 ギンガ団の野望を阻むためだけに、何度も何度も危険を承知で挑んできたパール。

 自分がギンガ団の役に立っていた瞬間が、一度でもあったと言われれば心外も甚だしい。

 

「君のような正義感だけで行動する、思慮の浅い子供のことだ。

 何らかの形で、ここに我々が潜伏していることを知りさえすれば、乗り込んでくることは明白だった。

 それが敵方からもたらされた情報であったとしても、じっとしていることが出来なかったのだろう?」

 

 すぐにパールは、マーズのことを思い出した。

 そもそもパール達に、トバリシティ地下にギンガ団のアジトがあるという情報をもたらしたのは、本来敵方であるはずのマーズである。

 罠かもしれない、と警戒こそしつつも、その情報に踊らされることを敢えて選んだパールの背筋を、言い知れぬ悪寒が襲っている。

 

「君が協力者として、知人のスモモやシロナに助力を求めることなど、我々からすれば容易に想像がつく。

 そうして君が連れてきてくれたスモモは、アカギ様の手により再起不能となり、君の友人も傷つけられて病院送りだ。

 既に大願を叶えるため、アジトを離れたアカギ様を追う刺客として、その二人は無力化できたというわけだ」

 

 パールは思わず、恐怖とは違う感情でよろりと後ずさっていた。

 すべて、ギンガ団の掌の上で。

 パールと、その協力者を、纏めてギンガ団の本拠地におびき寄せることで、今よりも重要な明日において邪魔者とならぬよう排斥し。

 ギンガ団は自らを妨げる障害を少なくした上で、アカギの本願を叶えんとすることが出来る下地が出来ている。

 

 それがマーズにパールへ情報を与えさせることによって敷いた"罠"の本質だとするならば。

 そんな思惑に釣られて行動を起こした自分をきっかけに、スモモも、プラチナも深い傷を負ったのではないか。

 おびただしいほどの血を流し、血色の悪くなった二人の顔を思い出すと同時、それが自分のせいだと感じさせられるパールの顔からも血の気が引く。

 脂汗を流し始め、息をすることすら難しいかの如く、はっはっと細切れの呼吸を繰り返すパールの心が、闇の底へと吸い込まれつつある。

 

「シロナもここへ来たよ。君達とは別行動でね。

 流石にチャンピオンだ、アカギ様と私の二人がかりで迎え撃っても、やはり気の抜けない相手だった」

 

「…………!?

 し……っ、シロナさん、は……」

 

「ドクロッグの刃で貫かせて貰ったよ。

 今頃、その毒で死んでいるかもな。

 お節介なあいつが、明日以降もはや我々の障害となり得ないことを思えば、今回の戦果は我々にとっても計り知れないものだ」

 

 自分が自分じゃなくなりそうだ。

 シロナに協力を求めたのは自分だ。実際に電話してくれたのはプラチナでも、それを望んでいた自分の意を汲んでくれただけだ。

 そんなシロナが、サターンのドクロッグの凶刃に貫かれ、人の身には致死たる毒を流し込まれたという話を聞けば、彼女は何を思うだろう。

 ギンガ団の野望を食い止めたいという、自分の正義に振り回されたあの人は、もはや今は物言わぬ亡骸となっているかもしれないという仮説。

 

 そんな、まさか、そんなことって。

 ふらつくように二歩後ずさったパールは、躓くもののない平坦な床で、脚に力を失った上での動きにより、足をもつれさせてしまう。

 尻餅をつくように座り込んだ彼女は、もう足腰に力も入らない。

 ここへ乗り込むことを選んだ自らの決断により、敬愛する人達が三人も死に瀕しているこの現実は、幼い少女にはあまりにも重過ぎる。

 

「君は、本当に役に立ってくれた。

 我々の撒いた餌にまんまと食い付き、目障りな正義感を振りかざす者達を引き連れて、彼ら彼女らを自ら敗北者の立場へと辱めてくれた。

 おかげで我々は、もはや戦う力を失った連中への懸念をゼロにしたまま、本願に向けてあとは突き進めるのみだ。

 すべて、敵の言葉に愚かにも踊らされ、正義の失策の端を発してくれた、君のおかげだよ」

 

「ぁっ、ぁ……ぅぁ……」

 

「何度も、何度も、我々の邪魔をしようと立ちはだかってきた無礼も、今となっては帳消しにしていいほどだ。

 現に君は、発電所でも、ハクタイビルでも、湖でも、私達に挑みこそすれ我々の目的を完全に妨げることは一度も果たせていない。

 君を放置したアカギ様の本心は長らく計りかねていたが、泳がせてきたことで最後にこの利を生み出してくれたなら、流石はボスの慧眼だと感服するばかりだ」

 

 完全に心が折れ、腰を抜かしたパールを離れて見下しながら、なおもサターンは彼女の心をずたずたにする言葉を紡ぎ続ける。

 悪しきギンガ団の野望を打ち砕こうと、何度も何度もギンガ団に挑んできたパール。

 現実はどうか。

 リッシ湖ではアグノムを救えず、シンジ湖ではエムリットを守れず、エイチ湖ではユクシーを助け出せず。

 ギンガ団幹部に渋い顔をさせた実績こそ積み重ねつつ、悪の組織の最終目標を阻むことは一度も出来ていない。

 

 だから泳がされていたのだという指摘に、パールの無防備な心は説得力を擦り込まれ、最初から最後まで脅威でも何でもなかったと信じさせられる。

 その果てに、何らギンガ団の悪意を阻む力の無い無力な自分は、シロナを、スモモを、プラチナを始末するためのきっかけに利用されたのだ。

 あれだけ必死に、あれだけ何とか出来ないかと頑張ってきたのに。

 それが無駄な努力であったどころか、何もしない方が余程よかったのだと突きつけられた時、心を蝕む悔恨の想いは底知れない。

 

「重ね重ね、ご苦労だった。

 君のおかげで、我々は目的を達成できそうだよ」

 

 慇懃無礼な一礼を見せるサターンは、もはや充分だと確信した表情だ。

 サターンでなくたって、今のパールの姿を見れば誰にでもわかる。

 その表情からは恐怖の感情すら消え、色を失った顔でその目は虚ろで光を失っている。

 離れた位置のサターンの方を見ているようでいて、その焦点は相手に合わず、今にもぐるりと裏返って意識を手放してもおかしくない。

 絶望のあまり感情そのものさえ失った放心状態、そう形容するに誰の目にも明らかなパールの姿がある。

 

 絶望に底などない。

 心が、壊れた。ただ折れたのではなく、粉々に。

 腰が抜けているのではない。もう、立ち上がるための力を呼び起こす意識も無い。

 彼女の心を八つ裂きにするための言葉を連ねていたサターンが、締めの一言を発したのは、もはやこれ以上は彼女の耳にも届くまいと確信したからだ。

 恩人の正体、利用されていた事実、そんな自分のせいで血を流した親しい人達の数々。

 一人の少女が受け止めるには一つでも重過ぎるものが、これだけ一気に降りかかって正気でいられるはずもない。

 

「もう…………やだ…………」

 

 サターンは、ふっと笑わずにいられなかった。

 はくはくと動いたパールの口から溢れた、小さな、掠れた、今にも消え入りそうなか細い声。

 その一言で、彼女が何を思っているかなど、サターンには手に取るようにわかる。

 彼女は今までの人生で、死にたいだなんて思ったことは一度も無いだろう。普通の、普通の女の子だ。

 それが、己の愚かしさ、罪深さに心を圧し潰され、自分のせいで傷付いた人へ、せめてもの罪滅ぼしにここでの死さえ受け入れんとするほど壊れている。

 未来を閉ざされ、過去に悔恨しか無い。人が自殺さえ考える時というのはこんな時だ。

 

 純粋で、正義を信じ、貫いてきた者であればあるほどに、それが覆された時の自責は絶大。

 きっと今のパールは、喉元にナイフを突きつけられたとしても、抵抗はおろか死への恐怖心さえ抱くまい。

 自らに引導を渡されることを半ば望む少女という、葬るには赤子以上に容易い少女を前に、サターンは相棒の入ったボールを握る。

 

「せっかくここまで来てくれたんだ。

 我々も、ギンガ団なりのもてなしをしよう。

 ようやく己の愚かしさを理解し、苦しむ君を楽にしてあげることこそが、我々に出来る最大の手向けとなるだろうからな」

 

 サターンがボールのスイッチを押し、ドクロッグが姿を現した。

 戦うべき敵。その存在こそパールの目は認識しつつ、闘志はおろか思考一つはたらかない。

 いや、むしろ彼女の視線はドクロッグの毒針に注がれ、それが自らの命を奪う凶刃たり得ることだけ認識している。

 

 忌避すべきそれを、恐れるどころか差し向けられることさえ受け入れて。

 ほんの少し、かすかに残っていた、血が流れるほど痛いのは怖いという、幼い女の子として当然の恐怖心だけが彼女の口元を動かして。

 ぎゅうっと唇を搾るように、葬られることより痛みへの怖さを耐えるようにして、目を閉じ顔を伏せたパールは、自らその人生を閉じようとさえしていたのだ。

 

 

 

『――パール!!』

 

 

 

「ぅ゙…………!?」

 

 忘我の中にあったパールが、思わず目を覚ますほどの痛みが、彼女の頭の奥底まで響く。

 その時、同時に聞こえた気がした、確かに自らの名を呼ぶ声。

 それが誰の声なのかもわからぬ、初めて耳にした誰かの声だ。

 鋭くもあり鈍くもある痛みに、目の前の光景を刮目できる程度には意識を取り戻したパールの前に、自分の意志でボールから飛び出してきたミーナの姿がある。

 

「――――、――――――z!!」

 

「ミー、ナ…………」

 

「ッ――――!」

 

 パールを振り返り、とびきり大きな声でわめき、彼女に何らかの言葉を伝えんとするミーナがそこにいた。

 目覚めて初めてパールが目の焦点を合わせたミーナの表情は、少し悲しそうでもあるかのように目尻が下がっている。

 その上で、叫びめいた鳴き声を発し終えると同時、ぎっと鋭い目を作り上げ、ドクロッグを睨み合う背中をパールに見せつける。

 

 パールの知る限り、誰一人として撃破叶わなかったドクロッグだ。

 マキシでも、スズナでも、それらと一緒に戦った自分やプラチナでも。

 勝つことさえも前人未踏にさえ思える最強の敵を前に、パールのポケモン達の中では、打たれ弱くて泣き虫ですらあるミーナが対峙する。

 この現実を前にして、思考力が目覚めたパールは、この後に予想される惨劇を想像し、光を失っていた目に新たな恐怖の感情を宿す。

 

「だ……だめだめやめてえっ!

 ミーナ戻って、殺されちゃ……」

 

『うるさい!! だまれ!!』

 

「い゙……っ!?」

 

 また、頭を割るような頭痛とともにパールの頭の中に響く声。

 今度は思わず右手で頭の横を押さえるパールの行動が、サターンの目を引いた。

 殺されるかもしれない、戦わないでと訴えかけたパールに対し、再び振り返ったミーナが怒鳴るように声を荒げたことは、サターンだって目にしていた。

 それが、どうしてパールが頭を押さえる挙動に繋がる?

 怯んでもいい、びくついてもいいとも。なぜ頭痛に襲われたかのような行動が表れたのか、その不自然さを見逃すサターンではない。

 

「――――?」

「……良い展開とは断言できないな」

 

 ドクロッグとて、サターンと同じ光景を前にして、その不可解な現象に怪訝さを覚えている。こちらもサターンのベストパートナーだけあって聡いものだ。

 サターンが口にするのは、独り言のようでいて、ドクロッグに油断を許さぬ心構えを促すためのもの。

 少なくとも、状況が良化しているとは絶対に言えないのだ。

 言葉で徹底的に追い詰めてやったパールは、戦うことはおろか抵抗することさえ出来ない、魂の抜け殻になっていたはずなのだ。

 それが、ミミロルに逃げることを促す思考力を取り戻している。それが事実。

 

 それが、彼女に戦うほどの気力を取り戻させたのだとは、断じてサターンも想定しないのだけど。

 ゼロから須臾にでも、失ったものを取り返した彼女となったことを、サターンは軽視していない。

 きっとそれは、ミミロルが勝手に飛び出してきたという、その一事のみで生じたものではないとサターンには思えてならないからだ。

 確かに目視した、パールの異質な挙動を、敢えて見過ごしさえしなければ。

 脳内に謎の声が響いたパールと同じ経験をしていないサターンにも、今の己には想像も及ばぬながら、何か特殊な事象があったのだと目を背けられない。

 これを甘く見ぬからこそ、サターンはギンガ団のボスに次ぐナンバー2として、その確固たる地位を築いてきた器の持ち主だとさえ言い切れる。

 

「ドクロッグ」

「――――?」

「葬れ。無様な戦いぶりを見せるんじゃないぞ」

「~~~~♪」

 

「ま、待って待って、やめてえっ!!

 ミーナっ、お願いだから戻っ……」

「ッ、――――――――z!!」

 

 サターンにミーナを傷つけぬよう、ミーナに戦うことをやめるよう訴えるパールの叫び声を、息を吸ったミーナが全力の大声でかき消した。

 退けるものか。ここで私が戦わなければパールはどうなる。

 何が何でもお前になんて負けるものかと眼をぎらつかせるミーナに、対峙するドクロッグはにやりと笑った。

 

 なるほど、サターンの言うとおりだと。

 相手を見くびるかに見えるドクロッグのようなほくそ笑んだ表情とは裏腹、その内心から油断や慢心は完全に失せている。

 殺戮ショーさえ厭わない。目の前の小兎を見据えるドクロッグの抱く想いは、まさしく獅子搏兎に他ならない。

 

「やめ……」

 

「行け! ドクロッグ!」

「――――z!!」

 

 もはやパールの悲鳴めいた声など、闘志溢れる者達の世界では部外者のそれでさえあった。

 サターンの号令と共に駆けだすドクロッグと、それ以上の走力で以って正面衝突さえ厭わぬ勢いで突っ込んでいくミーナ。

 自慢の毒針を突き出す"どくづき"を突き出すドクロッグと、敵を射程圏内に捉えた瞬間に拳を突き出すミーナが、交錯するようにすれ違う。

 

「――――♪」

「~~~~ッ……!」

 

 ドクロッグの毒突きはミーナの横っ腹を僅かに掠め、ミーナの拳はドクロッグに当たっていない。

 初手を優勢の形に纏め上げたドクロッグは休む暇も与えず振り返り、ミーナに一歩近付いて手刀を振り下ろす。

 "かわらわり"の一撃がこの相手には抜群の威力を為すことを、ドクロッグはサターンに教えられずともわかっている。

 それに対して足を振り上げたミーナの抵抗は、痛烈な瓦割りの一撃を、自慢の俊敏さの根幹を為す足を傷つけてまでの防御という、諸刃の剣と言い得て妙。

 

「ッ、ッ……、――――z!」

「――――!」

 

 ミミロルの脚力は非常に強く、その足に瓦割りの手刀を打ち返されたドクロッグも、その手がじんとするだけの衝撃は得ただろう。想定内だ。

 だが、ミーナはそんなドクロッグが抱いた痛み以上のものをその足に得ながら、果敢に敵へと踏み込んできた。

 かつては脚だけで戦うしかなかった自分が今は得た、その一撃さえクリーンヒットさせられれば戦局をも変え得る"ピヨピヨパンチ"。

 一見がむしゃらに、しかし決しておざなりではなく的確に、ドクロッグにそれをぶち当てるべく拳を何度も突き出してくる。

 思った以上に前のめりで、しかしながら冷静に捌かねば危うささえ感じる気迫に、ドクロッグは後退しながらミーナの拳をガードする。

 

 退がって距離を作ろうとしても、"インファイト"さえ彷彿とさせるほどがんがん踏み込み、"れんぞくパンチ"かと思えるほど拳を繰り出してくるミーナ。

 一撃一撃を構えた拳で防ぐドクロッグも、気持ちの入った一撃ごとの重さには、目にも腕にも力が入る。

 格下だろうと全力で狩ろう、ではない。これは万に一つであれど、金星をも許し得る相手だという認識が、ドクロッグの中ではっきりと確立されていく。

 

「ミーナぁっ……!」

 

「ッ……!!」

 

 上手な勝ち方ではなく、一秒でも早く敵の息を止めるが最善と戦い方を改めたドクロッグにとって、防戦一方の展開など愚の骨頂だ。

 鋭い拳の一撃を、額を掠めるほどぎりぎりまで引き付けた上で頭を下げて躱すと、カウンターの毒突きをミーナの胸元へと繰り出す。

 戦うのをやめて欲しいと訴えるパールの声に、思わず力が入っていたミーナは、カウンターへの反応が遅れてしまう。

 咄嗟に両膝を胸元まで引っ込める、空中で丸くなるような姿勢で受け切って、どうにかボディを毒針に貫通させられる結末だけは免れるのだが。

 ドクロッグの毒針がミーナの脛に突き刺さり、ぶしっと血を噴かせた脚でよろめき退がるミーナの姿は、ただ倒れるよりも痛々しい。

 

「あっ、ああぁぁぁ……!

 お願いミーナ、もう……もう、っ……!」

 

『だまれえええええっ!!

 これ以上、あたしに、自分で自分をキラいにさせるようなことを言うなあああああっ!!』

 

「あぐぅ、っ……!?」

 

 そこにあったのは、血が滴る脚で立ちながらも、天井を見上げて大声を発するミーナの姿。

 サターンもドクロッグもそれを見届けていたとも。敵ながら天晴れと思うほどの気迫だったとも。

 だが、その大声に反応するように、頭痛を覚えたことが明らかな、両手で頭を抱えたパールの挙動がやはり異質なのだ。

 

 いったい、何が起こっている?

 当事者のパール自身にも理解できぬこの事象を、彼女が得た痛覚や聴覚を共有できぬサターンに、その本質を解析するには情報が足りなすぎる。

 だが、サターンはそんな中でさえ、最も見落とすべきでないものをしっかり見据えている。

 

 パールは未だ座り込んだまま、立ち上がる力を取り戻していない。だが、一度は完全に奪い去ってしまったはずの、意志と思考力を取り戻し始めている。

 ミーナに対し、やめて戦わないでと訴える臆病な姿、戦意を失ったと見える脅威に足るものだろうか。

 足りるに余ってならないのだ。目に見えるほど心を粉々にしてやったはずの少女が、少しずつだが、確実に、彼女本来の感情を取り戻しつつある。

 それがミミロルの足を引っ張ってくれるのか? いや、反発してでも戦う、彼女を守るために身を呈すミミロルの枷にはなりようもない。

 そして、どんなに臆病でも感情を取り戻すことさえ能えば、たとえサターンとて彼女を侮ることは絶対に出来なくなる。

 

「み……ミー、ナ……っ……」

「――――――――z!」

 

 絶対に忘れてはならない事実がある。

 あの少女は、チャンピオンに挑むべく、いくつもジムを回り、バッジを集めてきた若き芽であり、獲得すべきものを手にしてきた少女なのだ。

 だからナタネが、スズナが、シロナが――ジムリーダーが、チャンピオンが、彼女と共にギンガ団に挑むことを潔しとするほど一目置いている。

 必勝を期すならばサターンが取るべき最善手とは、彼女の心を戦うことすら果たし切らぬほど、その心を粉砕することに他ならない。

 それが、ポケモン同士の戦いを介さずに出来るサターンの最善手なのだ。

 

 どんなに頼りない少女に見えても。

 どんなに立ち直りきっていないように見えても。

 パールはサターンが目指したかった、心を失い生きた屍も同然の姿に一度陥りながら、掛け替え無い家族を案じてやまぬ彼女本来の心を取り戻している。

 ぼろぼろと再び涙を流し始めたその姿に、それは象徴されているのだ。

 ここからもしも、新たなきっかけを得て、その腰を上げるほどまでに立ち直ってしまったら?

 長らく不敗にも近い戦歴を築き上げたドクロッグというパートナーを持つサターンは、誰が相手でも負けぬという自負こそ当然あるだろう。

 だが、何度も何度もギンガ団に挑み、マーズを、ジュピターを退け果たしてきた現実的実績を持つパールの立ち直りは、サターンと言えど絶対に軽視できない。

 今、どんなに弱き少女に見えたとて、精神を侵されていない彼女が築き上げてきたものを見失うようでは、ギンガ団の最高幹部は務まらない。

 

「ドクロッグ、わかるだろう。

 もう一度言う、無様な戦いぶりは絶対に許さんぞ」

「――――!」

 

 無様な戦いぶりとは何か。単に負けることを指すのではない。

 敵の強さの本質を見失い、勝てるはずの勝負を落とすなということ。

 喝を強調するサターンの言葉に、わかっていながらその言葉を重く受け止めたかのように、ドクロッグは声を返す。

 

 長く、長く、彼が幼い頃からの、グレッグルだった頃からの相棒だからこそ、ドクロッグにもわかるものがある。

 負けるな、とも言ってくれている。勝てるはずの勝負だから落とすなと。

 どんなに厳しい言葉での発破があろうと、自分が誰にも負けない最高のパートナーであるのだと信じてくれていると、ドクロッグもまたサターンを信頼する。

 それは今も具体的な指示が殆ど無く、自身の判断に多くを委ねてくれている、サターンと己の今までどおりの関係が裏付けてくれているのだ。

 彼は勝利のためなら妥協を許さない。か弱き少女を言葉でいじめるほどに。

 そんなサターンが今、自分への具体的な指示が少ないことそのものさえ、ドクロッグにとっては自分の実力を信じられている証左に他ならないのだ。

 

「ミーナ……!」

 

 ミーナは今一度、涙声で自分の名を呼ぶパールの方を振り返った。

 パールの目がそうであるように、今の彼女を再び見たミーナもまた、その目に涙を滲ませて。

 果たしてそれは、傷ついた身体の痛みによる涙目なのだろうか。

 いかに泣き虫なミーナだと知り尽くしているパールとて、今ここで、自分の姿を見た直後、悲しみに目を歪ませるミーナをそうだとは感じられようはずもない。

 そこには、確実に、今までパールには知り得なかったミーナの感情がある。

 

 ふとした時に溢れ出る感情とは何か。

 突発的な、真の感情など存在しない。

 表面化するかしないかに関わらず、それが元よりその者の心に根付いたものでない限り、それは断じて感情とは呼べない。それは単なる"衝動"だ。

 ミーナが見せた潤みし瞳からパールが感じ取ったのは、気まぐれでもない、この時限りでもない、彼女の心に元より深く根差す"感情"に他ならない。

 

『……パール』

「ゔ、っぁ……」

『見ててよ、絶対……!

 あたし、ぜったい、あんな奴らに負けないから……!』

 

 頭を押さえるパール。

 少しずつ、彼女は脳裏に響き渡るその声の正体を、まさかと思い始めている。

 その仮説は、半ば確信めいてすらいて。

 今一度、刮目したミーナの涙目が、胸の内まで傷ついた彼女を心から案じるように、優しく微笑んだことをパールは見逃さなかったからだ。

 

 あなたを追い詰めるあいつらを、あたしは絶対に許さない。

 鳴き声にも、パールの脳裏に響く不思議な声にも表されずして、再びドクロッグを見据えたミーナの背中に、その意志は無言にして雄弁に顕れている。

 

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

 地下施設の遥か彼方まで届くような、過去最大の大声を発するミーナの咆哮、可愛らしくも決意に満ちたそれが、歴戦のドクロッグさえをも身構えさせる。

 サターンもだ。負けるはずのない相手だと認識しながらだ。

 何よりも、その声に身を震えさせられるパールが、思わずぎゅっと両手を握りしめたことこそ、この苦境の中では例えようもなく大きい。

 その手を握りしめるパールの所作は、かつていくつもの苦境に直面するたび、勝ちたくて拳をぎゅっとしたあの日々に、実に近しいものだったのだから。

 ミーナが呼び覚まさんとしているもの。ミーナ自身はそう意図していなくても。

 勝ちたいという意志、そのために声を紡ぐ知識、そしてそのすべてを為すためのパールにとっての根幹を為す感情。

 消えるどころか絶望の灰に埋もれ、二度と灯されることはなかったかもしれぬパールの精神の灯は、少しずつ、確かに、蘇りつつあるのも確かなのだ。

 

 絶望的な状況は何一つ変わっていない。

 パールを滅さんとする敵は、ほぼ無傷にも等しい身体で慢心すら捨て去り、心身ともに付け入る隙一つ無い。

 それでもこの死線を打破するために、立ち向かわんとする家族がパールのそばにはいる。

 座して戦わぬ者に希望は訪れない。希望というものがあるとすれば、立ち向かうものにしかもたらされない。

 今だ立ち上がれぬ少女を守るため、決死の覚悟で戦わんとする者がいる。それが命運の分水嶺たり得るそのものだ。



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第121話  VSサターン 生存闘争

 

 ミミロルであるミーナの最大の強みはその敏捷性だ。

 片脚を傷つけられてももう片方の脚に力を入れ、横っ跳びにドクロッグの毒突きを躱す瞬発力はやはり優秀である。

 着地も片足、傷ついた方の足先は床に添える程度、軽い身体の勢いはそれで殺せて止まれる。

 蹴り出す片足の力でドクロッグ目がけて矢のように迫り、血の噴き出る脚を突き出して跳び蹴りを撃つ。

 交差させた両腕でガードするドクロッグであるが、つまり躱せぬほどクイックショットだったということだ。

 

 激突の衝撃を一歩ぶん退がることで逃がすドクロッグだが、お腹に力を入れたミーナはぐいっと体を曲げ、ドクロッグの両肩を長い耳でぎゅっと掴む。

 逃がさず、引き寄せ、あるいは自ら相手の身体に密着しにいって、縮めた両足をドクロッグの腕に押し付けて。

 全力で蹴ると同時に耳を離し、自身最高の力で蹴り飛ばす。

 たじろぐドクロッグと後方に跳ぶ形で宙返りするミーナ、相手によってはこれでも充分とどめにもなり得る強力な一撃には違いない。

 

「――――♪」

 

「ミーナっ、ミーナっ、だめっ、逃げてえっ!」

「…………ッ!」

 

 しかし、相手は格上だ。腕が痺れこそしたものの、すぐさまミーナに差し迫り、着地直後の敵めがけた毒針による一突きを撃つ。

 額を貫かんとする一撃をかがんでかわすミーナの動きは、小柄な相手の常套手として、歴戦のドクロッグにも見慣れたもの。

 フェイント同然の毒突きに続き、低姿勢となった敵が次の攻撃に移るより早くドクロッグの本命打は、すかさず逆の手を振り下ろす"かわらわり"だ。

 これは躱させない。一撃で確実に仕留める狙いですらある。

 

 ミーナは躱さなかった。

 しゃがむために縮めた脚を、跳び上がるかのように力強く伸ばし、自身の脳天を叩き割らんとするドクロッグの手刀に自ら向かったのだ。

 両手をその手刀に向けてだ。腕の力ではなく、自分の一番の自慢の力が出る脚による、殆ど拳を突き出す体当たりめいたピヨピヨパンチ。

 2対1の両者の拳は、骨が軋むような鈍い音を響かせ、苦悶に表情を歪めるミーナと眉をひそめるドクロッグ双方にダメージがある。

 だが、涙目片目をぎゅっと閉じて歯を食いしばったミーナと、ちっと多少の手こずりに舌打ちする程度のドクロッグ、ダメージの大小は明白だ。

 

 よろめくミーナを、振り抜くミドルキックでドクロッグが蹴飛ばした。

 受ける直前、なんとか"まるくなる"ことで防御態勢を取れたミーナだが、壁面まで蹴り飛ばされて背中から叩きつけられる。

 "けたぐり"にも"まわしげり"にも見える一閃の蹴りだが、相手にダメージを受けた怒りを込めた"リベンジ"の一撃というのが本質だ。

 蹴られた瞬間と壁に叩きつけられた瞬間、その二度に渡りパールの耳には、ミーナの骨が砕けた音が聞こえたような気がした。

 

「あっ、あ……っ!」

 

『だめ……! ぜったい、だめえっ!』

 

 もう無理、これ以上粉々にされていくミーナを見ていられなくなったパールは、彼女を戻すためのボールを手にしていた。

 だが、パールの頭の中に響いた声、そしてそれに伴って生じる凄まじい頭痛が、思わず彼女に両手で頭を叶えさせる。

 それと同時に落としてしまったミーナのボールは、かつん、かつんと床を転がりパールから離れている。

 

「何だと……?

 まさか……」

「――――z!」

 

 完全に異常な挙動だ。

 涙が溢れた目でミミロルのボールを手にしたパールの心情など、サターンの目にも明らかだったはず。

 その必死な行動を遮った、頭を抱え込む挙動は頭痛の伴いにしか見えず、それはミミロルを戻すというサターンにとって有利な行動をふいにさえした。

 何かがおかしい。それも、サターンにとっての都合の悪さが確実にある。

 仮説ひとつ想定し、警戒心を強めたサターンの心情を察したか、弱ったミーナを猛襲するドクロッグの接近は相当に速かった。

 

「ッ、ッ……!」

 

「ドクロッグ」

 

 串刺しにする勢いで毒針を差し向けたドクロッグの一撃を、軋む全身で必死で地を蹴ったミーナが跳躍で以って躱す。

 ミーナの跳躍力からすれば低くすらある天井、そこに辿り着くまでに身を回し、天井に両足を着ける。

 直後にそこを蹴り、重力を味方に付けた弾丸めいた突きの蹴りを繰り出すミーナは、壁面に毒針をがちんと当てて手を引いたドクロッグに迫る。

 

 具体的な指示こそ無かったものの、上から飛来するミーナの攻撃をドクロッグは素早く跳び退がることで躱した。

 はずした蹴り、強い勢いでの着地、健康な脚ならともかく片脚の傷ついた今、この着地だけでもミーナにはつらい。

 動きの止まったミーナへ即座に距離を詰めたドクロッグによる毒突きを、ミーナは辛うじて身を逃すことで直撃を免れはするけれど。

 

「ミーナ、っ……!」

 

『そうじゃない!

 そんなの、聞きたくない!』

 

 ドクロッグの毒針はミーナの腕を掠め、続けざまに連続で放つ毒突きを、ミーナは躱そうとするもまた耳を掠める。

 直撃こそしないだけで、一突きごとに身体のどこかから血が噴き出る光景は、パールにとっては拷問のようだ。

 反撃の隙も与えぬ連続攻撃を繰り出すドクロッグの狙いどおり、反撃すら叶わず逃げ惑うミーナ。

 失う血だけに留まらず、毒針が皮膚の下に触れるたび、その毒によって体力も消耗するのだ。

 肉体が限界を迎えるにつれて、元より傷ついている片脚の痛みも、そこに流れた毒の回り、ミーナの動きも鈍くなりつつある。

 喧嘩することもあったけど、大事な時にはよく頑張ってくれた、可愛い、愛着いっぱいポケモンが、なぶり殺されゆく光景のつらさは語るに及ばない。

 

『あたしを……っ、勝たせてくれるんじゃないの!?

 パールって、そういう人だったよ! ずっと!』

 

「あっ……うっ……」

 

 ドクロッグの毒突きが、ミーナの脇腹に深く突き刺さった。

 弱った小さなミミロルに対しては、とどめの一撃と見るには充分でさえある。

 それでも、ぎらっと目を光らせたミーナが振り上げた足を、逆の腕で防いで顎を蹴り上げられることを防いだドクロッグだ。

 それによって後退したミーナが、自らに刺さっていた毒針を引き抜く姿を前にして、目を光らせるドクロッグに油断など一抹もない。

 

『あたし、勝ちたいんだよ!

 あたしがパールに言って欲しいのって、そんなのじゃない!』

 

『コウキ!!』

 

「ぐ……っ!?」

 

 床を蹴って跳躍したミーナは、"とびはねる"行動の末に天井まで飛びついた。

 その時、サターンもまた事象の本質に触れていたのだ。

 脳裏に響いた誰のものとも知れぬ声、そして伴う強い頭痛。

 聡明なサターンであれば、何度も目の当たりにした頭を抱えるパールの姿から、そして我が名を呼ぶその声の主も、これですべて確信できただろう。

 

「………………が……っ……」

 

 天井を蹴ってドクロッグに差し迫ったミーナ。

 決死のその一撃も躱し切ってしまうドクロッグ。

 ぼろぼろの身体での着地、その直後ですぐには動けない小さなミミロル。

 これで終わりだ、いや、これで終わらせねばならぬ厄介な敵だと、とどめの一撃を振り下ろすドクロッグ。

 今のミーナにはもう、"かわらわり"を躱す余力は残されていなかった。

 

「がんばれぇーーーっ!!

 ミーナぁーーーーーっ!!」

 

 そう、それが聞きたかった。

 指示なんかじゃなくたっていい、ただそれだけでいいんだ。

 あなたを守るために死んだって構わない気持ちで挑んでるあたしを、逃げろと訴えるんじゃなく、勝って欲しいと願ってくれるあなたの声。

 

「ッ~~~~~~!!」

「…………っ!」

 

 大事な場面では、やっぱりパールにとっては、ピョコやパッチ、ニルルの方が頼もしかったんでしょう?

 あなたにとって一番頼りになるどころか、一番頼りないような気がする自分のことが、ずっと、ずっと嫌いだった。

 だけど、あたしだって、あなたと一緒に、みんなと一緒に、頑張ってきた家族なんだよ。

 これだけ強い相手にだって勝って欲しいって心から願ってくれるんだったら、きっとあたし、今までで一番自分のこと好きになれる自信がある!

 

「ドクロッグ……!」

 

 両手を構えてドクロッグの瓦割りを受け切ったミーナは、全身全霊の底力を振り絞って"こらえて"みせた。

 決死の一撃を放っていたドクロッグを逃がす間を許さず、そのままミーナは両脚で足元を蹴り、頭を床に打ち付けることも厭わず体を逆さまにする。

 その末に突き出す両足の蹴りは、パールが"メガトンキック"と称してきたミーナの一番の必殺技であり、"かつては"メリッサにやつあたりと呼ばれていた技。

 

 彼女が繰り出せる最高の威力で顎を蹴り上げられたドクロッグは、身体が浮くほどの衝撃を受けながら、辛うじて両足での着地を叶えていた。

 すぐにぐいと顎を引き、蹴った反動で後頭部を固い床に打ち付けたミーナが倒れている姿を前にして、その目には痛みに対する怒りより賞賛の色が勝る。

 なおも立ち上がろうと、力の入らぬ手で床を引っかこうとするその姿を前に、よくもという想いよりその執念への賛辞が先立つのだ。

 

「ッ……!」

 

「だめえええっ!! もうやめてえっ!!」

 

 倒れた相手への死体蹴りの如く地を蹴ったドクロッグだが、飛びつくようにミーナのボールを拾い上げたパールが、そのスイッチを最速で押していた。

 動けないミーナの心臓を毒針で貫くことさえ厭わぬ勢いだったドクロッグの前から、ミーナはボールへと戻され消えていく。

 仕留め損ねたドクロッグも、当て逃げされたことへの怒りの感情は一切無い。

 小さく未熟な身体ながら、類まれなる執念を見せた窮鼠を、戦闘不能にして戦場から排斥できたその一事で、ドクロッグにとっては充分満足なのだ。

 

 ミーナのボールを両手で握りしめ、座り込んで泣きじゃくる少女の横顔に、強さが取り戻されたとは思えない。

 だが、サターンは今の現状を、断じて楽観視できたものではない。

 それを強調するかのように、彼女がその手で次のボールを手にせずとも、鞄の中のボールから飛び出してきたもう一匹がいるではないか。

 これまでに知り得た情報の数々から、あれが恐らくパールの最後の一匹であろうとは推察できたとしても。

 それが決して大物とは見えぬルクシオであったとしても、ミミロルを自分のドクロッグに一矢報いさせるほどの、彼女のポケモン達を甘く見られようものか。

 

『パール』

「ううっ、えぐっ……

 パッチぃ、っ……!」

『怖がらなくたっていい。あなたには、私達がいる。

 こんな奴らに、大事なあなたを傷つけさせたりなんかしない……!』

 

『コウキ! 手をこまねいてる場合じゃない!

 あたし達の力を最大限発揮しなきゃ、本当に足を掬われるよ!』

「っ、く……!

 エムリットの、力か……!」

 

 パールを、サターンを苛む頭痛と同時に、彼女を、彼を勝利へと導かんとする、強い感情が迸る声が脳裏に響き渡る。

 囚われの身であるエムリットが、苦しみに耐えて目を閉じず、全身に力を入れている姿をサターンは振り返る。

 自分達をここまで助けにきてくれたパールのために、自分達が助かるためではなく、彼女が敗北し血の海に沈むことを阻みたい一心で。

 今だ常に与えられる苦痛と、長らくそれが続けられて弱った体では、きっとその力は望むままには扱いきれないのであろうけど。

 それでもエムリットの力が、本来決して実現され得ぬはずの、人ならぬ者の感情を言葉に代え、それと心を通じ合わせるに値する者に言葉を伝えさせている。

 

 パールにとってのミーナとパッチがそうであることを信じ。

 そして制御の不完全なその力は、サターンとドクロッグがそうであるゆえに彼らにも同じ現象を実現させ。

 決してパールだけの利と出来ぬ不完全さが、サターンに今起こっていることを確信させてしまう塩さえ送っている。

 これが神話に名を連ねるエムリットの力なのか、と感じる衝撃性さえ、目前の難敵を意識するサターンは心の奥に封じ込む。

 

 人と、ポケモンが、心をこうして完全に通じ合わせたら。

 前例の無かった出来事とは、それが起こる前には絶対にあり得ないとさえ断じられたはずの、そんな結末をも招くきっかけにさえなり得るものだ。

 ドクロッグというベストパートナーを持つサターンの、絶対的な勝利への自負も、この異常事態の前では絶対的ではなくなってしまう。

 

『応援してくれるよね、パール。

 ミーナもそうだよ、あなたが私達に勝って欲しいと望んでくれるだけで、私達はどこまでだって戦える!』

 

「パッチ……」

 

『あなたが私のトレーナーでよかった。

 ずっと大事にしてくれて、私をここまで強くしてくれた、世界で、一番、大好きだって思わせてくれる人で……!』

 

 パールを一度振り返り、この苦境の中で、本当に穏やかな表情で微笑み、彼女への親愛"感情"を心いっぱい表した。

 そうして再びドクロッグを、そしてパールの命さえ奪わんとするサターンを前にして、ぎりとパッチは歯を食いしばる。

 たとえ明日以降、一度も勝利することが出来なくたって。

 この日だけは絶対に勝つんだと心から決意したルクシオの全身が、かつてないほどの光を放ち、薄暗いこの一室を光でいっぱいにする。

 サターンが腕で目を覆い、ドクロッグが目を細め、その眩しさに敵の姿を見失う、悪の巣窟の中心で太陽のように輝く"意志"がそこに煌めいている。

 それは、今この場で自分が最高以上の力を発揮するために、何が必要不可欠か、歴戦のルクシオにもたらされた"知識"がこの世に顕現した象徴だ。

 

 その強い光を前にした中で、パールだけが目を閉じていなかった。

 目を刺すほどの眩しい光が、彼女だけを傷つけななかったのは、彼女の勝利を望む三柱の力の余波がもたらした奇跡のようなものだろうか。

 その光の中で、ゆっくりと姿を変えていくパッチの一部始終を、パールはその目ではっきりと見届けている。

 きっとそれは、絶望の中にあった彼女の心に、救いの手を差し伸べてくれる大切な家族の姿そのものだったとさえ言える。

 立ち上がることさえ叶わなかったパールは、その光景を前に、ぎゅっと握りしめた拳を床につけ、ゆっくりと立ち上がることを実現していたのだ。

 

「ドクロッグ……!」

 

『シロナとやり合うつもりでいこう……!

 たとえ今日限りであったって、こいつらはそれに値する連中だ!』

 

 チャンピオンにも匹敵する相手だとさえ認識した上で戦え、という過剰にも聞こえるドクロッグの主張に、サターンは迷いなく頷いた。

 やがて、光が消えていって、敵の姿が目前に晒された時。

 そこにあったたのは、小さな体ながらもミミロルの前例を見る限りでは侮れぬとした、ルクシオの姿ではない。

 勝ちたいという感情、それを絶対に果たすという意志、そして今までの自分では勝てない相手だと認めてこの姿となった知識を併せ持つ、脅威に値する存在だ。

 幼かったコリンクの姿から、長い時と並々ならぬ修練と成長を果たし遂げた最後の姿、レントラーを前にしたサターン達の戦慄は尋常ではない。

 その後ろで、あれほど打ちのめされて力を失っていたパールが、ついに立ち上がっていた姿も含めてだ。

 

「パッチ……っ」

 

『……あなたには、私達がついてるわ。

 忘れないで。今も、これからも』

 

 こんな所であなたを、あんな奴らに奪わせはしない。

 そう具体的に言葉にする以上に、ずっと強い感情で訴えるパッチの言葉に、パールはぐしっと涙を拭った。

 勝つしかないのだ。そして、それを叶えようとしてくれる仲間がいるのだ。

 都合のいい時に現れて救出してくれる名も無きヒーローではなく、ずっと自分のそばにいてくれて、共に勝利を掴み取ってきてくれたひと。

 信じられなくてどうするのだ。自分自身以上に信じられる、信じたくてしょうがない誰かがここにいてくれているじゃないか。

 今ようやく、パールは、あるべき正しい答えに辿り着けた。希望を繋いでくれたミーナ、そして目の前の彼女によってだ。

 

「お願い、パッチ、頑張って……!

 私……私まだ、みんなと一緒にいたいよ……っ!」

 

 一度は死さえも覚悟した彼女が、心からこの窮地から生き延びることを望んでくれることが、どれほどパッチの力になったことだろう。

 百人力という言葉で足りるようなものじゃない。培ってきたこれまでの力を、進化という特別な現象にまで繋げ果たしてくれたほどの力。

 人にだって、誰にだって、一生に一度は、ここだけは絶対に落とせない、落としたくないと強く望む局面が必ずある。今が、その時だ。

 

「――――――――――z!!」

 

 彼女が望んだ、大好きな家族と一緒に過ごせる明日を迎えたいという想い。

 それを叶えんとするパッチの決意を象徴する咆哮は、サターンやドクロッグの耳を劈くほどのものとして響いた。



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第122話  すべてを懸けて

 

 パッチは攻撃手段のバリエーションに富むタイプではない。

 身体でぶつかるか、噛みつくか、10万ボルトの遠距離攻撃か。

 殆どが電気タイプの技で構成されており、せめて"かみつく"攻撃が相手の心を折る痛苦の必殺技であるという程度。

 迎え撃つ側からすれば、相手の出方が概ね読めるとおりであり、対処方法は考えやすい方であるといえる。

 

「ドクロッグ……!」

「――――!」

 

 それでもサターンは、レントラーと化したパッチに対しては、御しやすい相手だという印象は一切抱いていない。むしろその逆。

 血走った目でドクロッグに跳びかかるレントラーの気迫は凄まじく、その牙や爪を自らに向けられていないサターンでさえ戦慄を覚えるほど。

 激しく発光するほど全身を帯電させ、"スパーク"の突撃を為すレントラーの姿に、絶対まともに受けるなと言うにも等しくドクロッグの名を呼んでいる。

 

「――――、――――――z!!」

 

 躱して返す刃の毒突きを放つドクロッグの反撃を、振り返りざまにパッチは開いた口を振り上げ、その下顎の牙で毒針の一突きをかち上げる。

 この一幕だけで脅威性をサターンやドクロッグに、はっきり知らしめるには充分だ。

 顔面狙いの速い一突きを、接点の小さな牙で的確に弾き上げるなど、刹那の勝負に慣れたバトルセンスを物語るには余りある。

 

 片腕を振り上げられて胸元ががら空きとなったドクロッグだが、もう片方の手は引いている。

 隙だと見誤って突っ込んでくるなら、ダメージ覚悟でもカウンターの毒針を突き刺すためだ。

 しかし、パッチが跳び付くように口を開けて襲い掛かったのは、今しがた自分で叩き上げたばかりのドクロッグの手。

 毒針を擁するその手を"かみくだき"、完全に使い物にならなくさせる目的と、相手の胸元の隙が罠であることを看破しての瞬時の判断だ。

 想像以上に鋭い勘を持つ相手だと思い知らされ、ドクロッグも背筋がひりつくような感覚と共に大きく退がる。

 跳ぶようにして相手から必要以上の距離を稼ぐのは、策を潰され立て直さざるを得ない苦肉の策。

 

 がちんと牙を鳴らすや否や、吠え声あげて突っ込んでくるパッチにドクロッグも即時判断を強いられる。

 躱すべきか。いや、それの繰り返しは逃げ回るだけの防戦一方。

 俊敏なレントラーの突撃を躱し続けたところで、有利な迎撃機会を作る暇もなく追い回されるだけだと、ドクロッグの積み上げた経験則が訴える。

 眉間を貫く狙いで突き出す毒針で、相手が理性を失った猪なら致命傷となるであろう反撃を突き返す。

 しかし顎が地面に擦るのではないかと思うほど頭を下げたパッチは、額の上を毒針に掠めつつ、ドクロッグの膝元を顔面で救い上げる突進に切り替えている。

 

「撃て! ドクロッグ!」

「――――z!」

 

 ドクロッグは跳んでいた。

 放電するパッチの体毛に足先を掠め、びりりとする"スパーク"の余波に微弱なダメージを受けはしたものの、パッチを飛び越えその後方へ着地する動き。

 そしてサターンがドクロッグに出した指示は、それが踏み切ってジャンプするよりも僅かに速い。

 自慢のドクロッグがその最適解を、刹那の自己判断で下してくれることを踏まえた上で、その次の技を命じている。

 だからドクロッグは空中で胸の前に両手を近付け、生まれさせた泥の塊を着地と同時に蹴っ飛ばし、"どろばくだん"として発射する。

 振り返った直後のパッチの顔面に直撃したそれは、電気タイプのレントラーには痛烈な飛び道具だ。

 

「パ……」

「――――――――z!」

 

「く……!」

 

 顔の骨が歪みそうなほどの衝撃でも、その目に泥が入っても。

 頭の内外の痛みなど意にも介さぬかのように天井を仰いで吠えたパッチが、周囲一帯を駆け抜ける"10まんボルト"を放射する。

 敵がどの方向にいようが関係ない、全方位の攻撃に狙いは必要ない。

 パールにだけは当てないよう、記憶の限りにある彼女の方向以外の340度へ放たれた放電は、両手を交差させて身を守るドクロッグを襲っている。

 

「行け!」

「――――z!」

 

「パッチ! 来てるよおっ!」

 

 だが、それは目が万全でないことを半ば自白する攻撃手段。

 それを好機と確信するのはサターンもドクロッグもほぼ同時。

 浴びせられた電撃に身を焼かれながらも駆けだしたドクロッグは、頭を下げて敵を睨むも目が開き切っていないパッチを狙い澄ましている。

 毒突きを放たんとするかのようなフェイントを一度挟み、不完全な視界でも頭を動かし致命傷を避けようとするパッチを誘発して。

 その上で放つのはパッチの顎を蹴り上げる、受けた痛みのダメージを怒りとパワーに代えて痛打と為す"リベンジ"だ。

 

「ガ、ッ……!」

「パッチぃっ!」

 

「ッ――――、ッ!」

 

 意識の飛びかけるような一撃だった。それでも聞こえた。

 勝って欲しい、頑張って欲しい、助けて欲しいと涙声で訴えるあの声を聞くだけで、たとえ死んでも蘇れるような気さえする。

 血走った目で顎を下げ、間近のドクロッグを獲物と捉えたパッチの眼光は、"いかく"の恐ろしさを超越している。

 飛びつき開いた口でドクロッグの右肩へ食らいつき、押し倒すようにしながら骨肉を粉砕する力を入れるパッチが、ドクロッグを一気に窮地へ陥れる。

 

 毒針をパッチの目元へ突き刺そうとしたドクロッグより、全力の電撃を"かみなりのキバ"を介してぶち込むパッチの方が早い。

 眩しいほどに発光するパッチが、パールとサターンの目を焼き、ドクロッグの姿を人の目では捉えられぬほどの世界へ落とし込む。

 ばりばりと鳴る放電音はドクロッグが本来あげるべき悲鳴にも等しいものであり、意識が飛びかけたドクロッグは声すら出せていない。

 それでも骨まで届いた牙の切っ先の痛みに目を覚まし、こちらも呼び醒まされた闘志に突き動かされ、いま改めて毒針を突き出した。

 まぶたを貫き眼球を一生使い物にならぬよう繰り出されたその一撃は、生存戦争の中で殺生をも厭わない、野生の血が為す獰猛な本能的一撃に匹敵する。

 

 それを退けるのもまた本能だ。

 ドクロッグを床に押し付けたまま、いっそうその身を潰す動きで頭を下げたパッチは、かろうじて狙われた右目の位置を沈められた。

 ドクロッグの鋭い毒針はパッチの目の上に直撃し、頭蓋の目の穴の淵をがつんと打つほど深々と突き刺さる。

 絶無の痛みはパッチの全力顎に込められた力を僅かに緩め、その瞬間にドクロッグの膝がパッチの腹を蹴り上げる。

 口を開くパッチ、それを寝かせられた状態から、もう一度毒針で顔面を貫くつもりだったドクロッグ。

 だが、期待以上に蹴りが押し上げたのかとさえ錯覚するほど、パッチは自ら地を蹴って跳び、ドクロッグから僅か離れた場所へ身を翻して立つ。

 

「ああぁぁ……! パッチ……」

 

『見てなさい!! 勝ってみせるから!!』

 

 目の上からおびただしい血を流すパッチ、それを見て涙が溢れるパール、すぐに立ち上がるドクロッグ。

 どんなに見たくなくたって、目を切るなとばかりに吠えたパッチは、血が流れて入った眼も閉じず、真っ向ドクロッグを睨みつけて放電する。

 敵を見定められぬ全方位攻撃ではなく、はっきりと敵の位置を見据えての10万ボルトで以って敵を撃ち抜くのだ。

 

「――――――――z!」

「ッ、ッ……!」

 

 痛烈な電撃を受けて身が軋むドクロッグへ、パッチは咆哮あげて捨て身さながらで突っ込んでくる。

 身構えるのも遅れてしまう。突進速度も、それに踏み込む判断もパッチが早過ぎるのだ。

 帯電した全身で額をぶつけてくるパッチの"スパーク"に、強打に加えて電撃を流される強力な一撃に、ドクロッグも吹っ飛ばされて足元が危うい。

 尻餅をついたり倒れたりこそせず、泥爆弾を瞬時に作り上げて発射する判断力も屈強さも流石だが、それを飛び越え開いた口で襲い掛かるパッチは止まらない。

 逃げからのじり貧を好まなかったドクロッグも、これには跳躍して真下でがちんと牙を鳴らすパッチを見下ろすしかない。

 

「お前なら出来る! 行け!」

 

 跳ぶとほぼ同時に発したサターンの指示は、無茶を示唆し、しかし今この状況で為すべき無茶とは何たるかも、ドクロッグにすべて伝え果たしている。

 宙で身を回して天井に足を向け、それを蹴ったドクロッグは、重力による加速と自らの脚力で、パッチへ流星のような加速で急接近。

 対応する暇も与えぬ即時反撃は、突き出したドクロッグの両手の毒針が、パッチの背中を深く貫く結果を導いた。

 それこそナイフの刃すべてが体の中へと入り込むような、深い二刃が肌と筋肉を引き裂く一撃は、命を失う意味での致命傷に繋がってもおかしくない。

 

「――――ッ!!

 ――――――――――z!!」

 

 痛みを奥歯で噛み潰すかのように歯を食いしばった直後、立ち上がるほど上を見上げて発したパッチの咆哮は、間違いなく今日一番大きかった。

 耳が痛んでサターンが眉をひそめた程だ。振り落とされるかと思ったドクロッグも、不屈の精神を間近に目色が鋭くなる。

 ぎゅうっとパッチのボールを両手で握りしめ、スイッチに指をかけ、押さないよう震えて耐えるパールの姿を見たパッチは、壁に向かって突き進み始めた。

 それも、全身から放電し、自分に触れているドクロッグに痛烈な電撃を流しながら。

 

 跳びの大きいその走りは、背中に毒針を突き刺して掴まっているドクロッグを振り落とさん勢いだ。背中に跨られた闘牛と何も変わらない。

 だが敵を捕えたこの好機を、ドクロッグとて決して逃さない。ぐっと腕と腰に力を込め、パッチの背中に食らいつく。

 深く突き刺さった毒針の切っ先は肌の下で筋肉を抉り、傍目から見る以上の壮絶な苦しみを与えているはず。

 それだけの痛苦の中にありながら、パッチは壁まで近付いた所で、跳んで自らの身体を横倒しにする。いや、むしろ背中を下にするほどの勢いで。

 横っ腹を床に擦りつけ、同時にドクロッグを床に走る勢いのまま叩きつけて。

 半身の皮膚を削り取られるような痛みに、ドクロッグも地獄へ道連れにされる形だが、毒針を抜かず踏ん張るその行為がパッチに与えるダメージはそれ以上。

 自分で身体を打ち付けて、背中を裂く毒針はいっそう深手に。それでもパッチはすぐに立ち上がり、目の前の壁に再び突き進む。

 

 額から壁にぶつかっていく勢いのまま跳んだパッチは、思いっきり顎を引き、空中で前回りする形で背中を壁に向けていったのだ。

 逆さまに映る後方の光景を前に、自分の背中と壁の間に挟まれ叩きつけられたドクロッグの手から、僅かに力が失われた瞬間をパッチは見逃さない。

 辛うじて前足二つで床に着地した瞬間、腰を勢いよく振ってドクロッグを投げ飛ばす。

 抜けた毒針、痛みに耐えて空中で体を回して体勢を整え、なんとか片手と膝と脚で着地するドクロッグ。

 四本足で降り立ってすぐ、背中の深い傷も忘れたかのように、すぐさまドクロッグに身体を向けて睨みつけるパッチの眼光は死んでいない。

 

「パッチ……パッチ、ッ……!」

 

『信じて……!

 私が勝つ! あなたを守ってみせる! 私にしか出来ない!!』

 

 再び咆哮を発してドクロッグに向けて10万ボルトを放つパッチの攻撃は単調で、跳び退がったドクロッグに比較的容易に躱される。

 激しい発光と炸裂音を伴うその一撃だったが、ここからがこれまでのパッチの放電攻撃とは違った。

 放電を終えたパッチの全身の発光はおさまらず、いや、むしろいっそうの光と、ばちばちと激しく火花散る音も、強く、大きくなる。

 それはまるで、天翔ける伝説の雷鳥が"かみなり"を放つ直前の、その神々しさに恐ろしさすら内包する発雷直前の輝きを彷彿とさせるものだ。

 

 伝えずともその"きけんよち"能力で迫真の危機感を得るであろうドクロッグを信頼し、サターンはユンゲラーのボールを握りしめている。

 あの矛先が自らに向くリスクさえ想定せずにいられないのだ。

 最悪、あの怒れるレントラーから、自身とドクロッグをユンゲラーの"テレポート"により逃れさせるという最終策さえ視野に入れざるを得ない。

 

『私は強いのよ……!

 ピョコと一緒で、最初の頃からずっとあなたと一緒だったもの……!

 あなたと長く、ずっと、ずっと一緒にて、あなたのに育てられて力を培ってきた!

 ニルルにも、ミーナにも、ララにも絶対負けない! 私が一番強い!』

 

「っ……ぅ……」

 

 四本の足で力強く床を踏みしめるパッチの全身が放つ光は、パールに伝わる迸る"感情"の強さを象徴するかのように、いっそう強くなっていく。

 誰も直視できない眩しい光。限界を超えんとする強き"意志"。

 自分をここまで強くしてくれたパールのポケモンだという、決して何者にも変えられぬ事実を胸に持つ"知識"は、悲願を果たせる自らを信じる最大の根拠だ。

 どくどくと背中の生傷から流れ続ける、ドクロッグの毒素が混じった赤紫の血さえ、パッチの放つ光はパールの目に映させない。

 それはまるで地上に顕現した太陽の如く、見る者すべての目を焼くと同時、その光で以ってパールの未来を照らさんとするかのよう。

 

『だから、私がやる! 私にしか出来ないこと!

 私が手にした最強の力は、あなたを守るためにある!!』

 

「な……!?」

 

 暗いこの部屋を照らしていた薄明りの蛍光灯が、点滅ののちに光を失った。

 そして、エムリット達を捕えている機械を制御する、メインコンピューターのランプの光もだ。

 日の差さぬ地下室、そこに光をもたらしていた電気がすべて消え、だがこの一室は闇になど包まれない。

 アジトの電気エネルギーが失われていくとともに、それを吸収しいっそうの強さで輝くパッチの全身が発する光は、未だ眩しくこの部屋を照らすからだ。

 

『パール!!』

「っ、っ……!

 が……っ、頑張ってえっ! パッチぃっ!!」

 

「く……! ドクロッグ、恐れるな! 行け!

 僕が必ず始末をつけてみせる!!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 パッチとドクロッグの迫真の雄叫びが響き渡り、両者が勢いよく敵へと突き進む。

 瞳孔の開いた眼のパッチ、光量に耐えられず目を細くしたドクロッグ。

 それでもドクロッグの狙い定められた毒針は、真っ向から迫るパッチの額の横を抉っていく。

 相手の足音、そして覚えた相手の顔の高さだけを頼りにだ。

 視界を限られてなお、パッチが首を逃がさねば眉間を貫いていた毒突きの一撃は、底知れぬドクロッグの力量高さを物語るものだ。

 

 こめかみの肉を削ぎ落とされる鋭い痛みにも耐え、すぐさま振り返り跳びかかるパッチの反撃を、ドクロッグは躱し切ることが出来ない。

 殺気のみを頼りに振り返って右腕でガードする体勢を取ったドクロックの右腕に、パッチの牙が深々と突き刺さる。

 "かみなりのキバ"を介して流し込まれる電流、それも施設の電気エネルギーを奪い集めての超電流は、目を閉じていたドクロッグもそれを開くほど。

 光の中に凶獣の形相を目にしたドクロッグが、もうひと踏ん張りの脚の力を込めたパッチにより、背中から床へと押し倒される。

 前足でドクロッグの左肩を押さえつけるパッチ、その接点と牙から100万ボルト級の電撃を流し込む追撃が、ドクロッグの意識さえ遠のかせる。

 

「ドクロッグ!!」

 

「…………ッ!」

 

 意識が飛ぶのを阻んでくれたのはサターンの、コウキの声。

 暗喩された指示が裏にあるわけではない、屈するな、しっかりしろという想いのみで自らの名を呼ぶ声。

 それだけで充分なのだ。負けられるものか、コウキを負けさせられるものか。

 目が潰れることも厭わず、意識を取り戻すためだけに目を開いたドクロッグがパッチの前足を振り払い、左手の毒針でパッチの眼球を突き刺そうとする。

 瞬時の判断で牙を抜き、顔を振り上げたパッチは目を貫かれることを免れるが、差し向けられた毒針は顎の下に突き刺さる。つまり、喉元だ。 

 

「お願いぃ……っ!

 頑張れっ、頑張ってパッチぃっ!!」

 

「ル……ッ、ガアアアアッ!!」

 

 眩し過ぎる光を前に目を開けられず、この惨状を目に出来ていないパールは、指示も出せず、パッチの勝利を信じることしか、祈ることしか出来ないのだ。

 それがいいのだ。パッチにとっては。

 血みどろの自分を見て、もうやめてと引っ込めることだけはして欲しくない。

 頑張れって言ってくれるその言葉が、こんな所であいつらに殺されたくないという想いが、死さえ見えかけた自分を奮い立たせてくれる。

 喉元に毒針を突き刺したドクロッグの手首をその両前足で掴み、全身全霊の電撃を流し込んで力を失わせ、力任せに引き抜いてしまう。

 再び開いたその口で、お返しだとばかりにドクロッグの首元にその牙を立てる。

 皮膚の下、ドクロッグに傷つけられた自らの脈から溢れる多量の血が、その傷口から噴いても関係ない。

 

「く……っ!」

 

「――――!?

 ッ、ッ……、――――――z!!」

 

 喉元に容赦なく噛みつかれた瞬間に続き、強すぎる電撃を流されたドクロッグは、意識を吹き飛ばされかけて死さえ意識したものだ。

 その恐怖さえも、自分を救うため、ボールに戻すか盟友ユンゲラーのテレポートによる逃亡を選ぼうとしたコウキの気配を感じ取れば。

 それだけは駄目だという意地によって闘志をかき集め、自らを組み伏せたレントラーの腹を、渾身の膝でかち上げる行動を実現させる。

 げはっと息を吐いたパッチの顎から力が抜けると、下半身を振り上げて大きな体のレントラーを頭の上まで押し出すようにして突き放す。

 失神寸前だったパッチが顔から床に転がって、しかしすぐに立ち上がるその中で、ドクロッグもまた身を転がして立ち上がる。

 

「あっ、ああぁぁぁ……!」

 

「っ……すまない、ドクロッグ。

 負けられないよな……!」

「――――――――z!」

 

 パッチの発する光が弱くなり始めたことで、パールはあまりにも痛々しいパッチの後ろ姿を目の当たりにしてしまった。

 背中から流れるおびただしい血、そして喉元からぼたぼたと流れ落ちる血。

 薄目でようやく視認できるその姿は、今にもパッチが死んでしまうのではないかという光景に他ならない。

 

 ドクロッグの右腕がだらりと上がっておらず、今日はもはや使い物にならない事実がそこにあっても関係ない。

 撤退を決断しかけたサターンがそれを詫びる中、そうだそれでいいんだと片腕失ってなお意気込むドクロッグは、決して自ら退くことだけはしないのだ。

 パールとパッチの間に、命懸けででも大切な人を守りたいという強い絆があるのと同様に。

 ドクロッグにも、たとえ明日は戦えぬ身体になろうとて、コウキを敗者になどしたくないという確固たる信念がある。

 

「も……もう、だめ……」

『パール!?』

「ごめん……ごめん、パッ……」

 

 

 

「グガアアアアアアアアアアッ――――!!」

 

 

 

「ぅぁっ!?」

 

「ぐ……!?

 これ、は……っ!?」

 

 もはやパールが、これ以上戦えば本当にパッチが死んでしまうという恐怖のあまり、ボールのスイッチを押そうとしたその時だった。

 激しく地面が揺れ動き、震える脚で辛うじて立っていたパールが腰砕けに転び、サターンも腰を沈めて手をつかずにはいられぬほどの大地震。

 パッチもドクロッグも膝を曲げて踏ん張る中、遥か遠くから響いてくる恐ろしげな咆哮が、この事象の正体をサターンに真っ先に悟らせた。

 

「っ……駄目だ!

 すまないドクロッグ! 撤退する!」

「…………!」

 

 今度は一縷の迷いもなくボールのスイッチを押すサターンに、ドクロッグも身震いして頷くのみだった。

 彼方より聞こえたあの咆哮はドダイトスのもの。その前の大きな揺れは、それが起こしたもの。

 プラチナを助けるために一度はパールのそばを離れこそすれ、使命を果たせばその足が向く先など知れている。

 ドクロッグをボールに収めると同時、ユンゲラーをボールから出したサターンの意に、ユンゲラーも次の行動は最初からわかっている。

 

「ここが正念場だ……! 頼むぞ!」

 

 ドクロッグに死力を尽くして戦って貰ったとして、あのレントラーを撃破し、パールの命を終わらせられる可能性は半々である。

 勝負を打つ価値のある率だ。しかし、ドダイトスがここに参戦することになろうものなら。

 疲弊したドクロッグが敗北する想定、そしてシロナとの戦いでミノマダムが力尽きている現実、残るはユンゲラーのみ。

 これでドダイトスを撃破できなければ一巻の終わりだ。撤退手段も無く、パールを亡き者にしようとした自分が無力化すれば、己の結末は知れている。

 ユンゲラーはサターンにとって、テレポートにより自分達を緊急退避させてくれる、決して力尽きさせてはいけない最後の保険なのだ。

 

 テレポートを行使しようとするユンゲラーが苦心している肩に手を置き、サターンは頑張ってくれと檄を飛ばす。

 ユクシーが、エムリットが、アグノムが、逃がしてなるかとユンゲラーの超能力を行使させぬよう、その目を向けているのがサターンを追い詰める。

 自分達をこんな所に閉じ込めた組織の連中が、一転追い詰められて逃げようとしている。させてなるものか。

 囚われの三柱の憤慨に満ちた眼を向けられたユンゲラーが、一つのスプーンを両手に握りしめ、念力妨害に抗うべく汗すら流している。

 

「ユンゲラー……!」

 

「ッ――――――――!!」

 

 そこにも確かな意地があった。

 並々ならぬ窮地に追い込まれた時、危機から逃れる最終手段として、戦列に立たせることを敢えて避けられた自分。

 培ってきた力はある。戦っても力になれる自信はある。それでも付き合いの長いドクロッグ達のように、戦陣に立ってコウキの力になることが少なくなった今。

 彼の撤退を叶えられずしていつ役に立てるというのだ。三柱だか何だか知らないが、弱った連中三人がかりの力に妨げられようが、絶対に果たしてみせる。

 

 ユンゲラーの強い念の力により、触れたるサターンとともに、ここではないどこかへとサターンを連れ自分達を転送する力を行使したユンゲラー。

 エムリット達のノイズを振り切って、それは果たされたのだ。

 

「パッチ……!」

 

 自らの命を脅かす悪辣な敵が去った中、パールはもはやそんな奴らのことなど眼中に無かった。

 逃げやがったなあいつら、と不満げに鼻を鳴らすも、その表情にはパールを守り切れた満足感をその表情にかすか匂わせるパッチ。

 そんな彼女が振り返ったその先から、守りたかった最愛の人が駆け寄ってくる姿を見て、最大限、得意気な顔で微笑んでみせるのみ。

 

 光源を失った暗い部屋の中で、淡い発光を保つパッチだからこそ、パールも目を潰されず駆け寄れるのだ。

 ああ、なんてめちゃくちゃな顔。あんなに泣いて、ぐじゅぐじゅの目元で可愛い顔が台無しじゃないの。

 パッチもそんなパールの顔を見て、作り笑顔ではない笑みが溢れてしまったものだ。

 放電するパッチに真正面から抱きついて、痺れて痛い電気を体に伝えられても、ぎゅうと抱きしめる手を離せない。

 

「あり、がとう……

 守って、くれてぇっ……」

 

「…………♪」

 

 一番、最も、聞きたかった言葉だ。すべて、報われた。

 私はやり遂げたんだ。そう、実感させてくれる最大の賛辞。

 それを耳にすることが出来て、パッチはパールを心配させまいと努めて作っていた表情も、心からの満足げな、穏やかな表情に変わる実感すら得ていたものだ。

 

 温かかった。

 心から守り抜きたかった誰かが、感謝とともに自分を抱きしめてくれる、至高の幸せ。

 野生であった頃からパールのポケモンになった後を含めても、今までの生涯の中で、経験したことのなかった喜びだ。

 それは脅威が去り、彼女を傷つけるものが無くなった今、ずっと張り詰めていたパッチの心を、ぷつりと切れさせてしまうほど心を穏やかにさせてくれた。

 

「……………………ぇ…………?」

 

 四本の足で立っていたパッチに前から抱きついていたパールの腕の中から、ずるりとパッチの体が抜け落ちていく。

 地に立つ力を失ったかのように座り込み、お腹を床につけ、それを追って座り込むパールの手でも追い切れず。

 痛くないようにゆっくりと頬を床につけたパッチの姿を前に、パールの頭は一度真っ白になってしまう。

 

『よかった……

 あなたが、無事で……』

 

 かろうじて目先だけはパールの方に向け、無事な彼女の姿を見届けたパッチの、力無くも穏やかに微笑んだ表情。

 それを目の当たりにしたパールの背筋を襲った悪寒は、もはや言葉では言い表せない。

 ぐったりとしたその身体の下に血溜まりを作る程、全身を穴だらけにされたパッチが、その痛みさえ忘れて悔い無く微笑む姿に、残された者は何を思うか。

 まさか、まさか、そんな、まさか。

 暗い部屋を照らすパッチの全身の発光が弱くなっていくにつれて、パールの心は恐怖でいっぱいになる。

 

「パッチ……!? ねえ、パッチ!?

 嘘でしょ!? そんな顔……ねえっ、パッチぃっ!!」

 

 血の色を失ったパールの表情を前にして、パッチが僅かに申し訳なさそうな顔をしながら、目を閉じたその表情がパールの恐怖を決定的にする。

 光が失われた真っ暗な部屋。だけど目の前に倒れて動かないパッチがいることだけは確かな今。

 パールは目に見えぬ、確かにいるパッチに手を伸ばし、座り込んだまま震える全身でその身体を両手で揺さぶっている。

 

「やだやだやだ……!

 パッチお願い、しっかりしてえっ!

 そんなのぜったい駄目だよおっ! ちゃんとしてよおっ!!」

 

 自らの死を意識して恐怖した瞬間は確かにあった。

 だが、大好きな誰かが死に瀕するという恐怖は、きっと彼女にとって自らのそれを遥かに凌駕する。

 いや、人によってはパールと同じ想いを抱く者も少なくはないはずだ。

 親か、祖父母か、妻か夫か、あるいは我が子か――家族の誰かが血まみれで今にも息絶えようとしている姿が目の前にあれば――

 命を賭してでも自分を守り抜こうとしてくれた、大切な、大好きな、掛け替え無き誰かの命の灯が消えゆかんとする現実を目前とすることは、それに匹敵する。

 

「ッ、ガアッ!!」

 

 この時パールは、後方で響く数度に渡る激しい激突音さえ、その意識には捉えられなかった。

 サターンが閉じてしまった、この部屋への入り口ゲート。

 それに何度も巨体でぶつかり、扉をひしゃげさせ、三度目の体当たりで足と頭をねじ込める隙間を作り、こじ開けてこの部屋に入ってくるもう一人の相棒。

 パッチがニルルやミーナやララと同列に扱わなかった、パールの最初にして最愛の相棒がようやく帰ってきてくれた姿にさえ、気付くのが遅れている。

 

 アジトに供給される電気エネルギーをパッチが根こそぎ吸い上げたことにより、真っ暗闇だったのはこの部屋だけではなかった。

 ここまでの通路でも自らの"フラッシュ"で視界を拓いてきたピョコは、背上の樹木の先々が光を発し、さながら果実が電球たり得るかのような姿。

 そんなピョコも、闇の中で座り込むパールと、そばに倒れた戦友を目の当たりにするや否や、地鳴らしさえ発する脚を急がせて近付く。

 

「――――z!」

 

「ああぁぁ……ピョコぉ……

 パッチが……パッチがぁ、っ……」

 

 一目でわかる。信じたくない結末が近付いている。

 穏やかな表情で目を閉じて横たわるパッチの姿に、彼女が大いなる何かを果たしたことはピョコにも理解できた。

 パールを守るために、死力を尽くして戦い抜き、敵のいないこの状況を鑑みれば、パッチはそれを達成したのだろう。

 立ちはだかった敵を退け、パールを守り抜いた。これだけ傷だらけになって。

 そしてその代償は、あまりにも大き過ぎたのだ。

 

「ピョコっ、なんとか……なんとか、してよぉっ……!

 パッチが……パッチが、死んじゃうよお……!」

 

「ッ…………!

 ――――――、――――――――z!!」

 

 絶望に満ちた表情で訴えるパールには、ピョコに今のパッチの命を救うすべなどないという、ごく当たり前のことさえわからない。

 それでも泣いて縋るしかないのだ。最悪の、決して認めたくない、一生後悔するこの結末だけは受け入れられないのだ。

 ピョコも何とかそれに応えんとして、パッチの顔に自らの鼻先を近付け、普通に話して聞こえる距離で大きく訴える声を発するばかりだ。

 しっかりしろ、とでも言うかのように。

 いや、きっと単純な言葉で例え表せるほど、命を失わんとするに見えるパッチを前にしたピョコの声はシンプルではない。

 

「――――z!! ――――――z!!

 ――――――、――――z!!」

「やだよおっ!! パッチお願いだから目を開けてよおっ!!

 いなくならないでよおっ!! あなたがいないの、絶対無理だよおっ!!」

 

 パールが泣いてるんだぞ、しっかりしなくてどうするんだ、こんな所でお前が消えてパールが幸せになれるものか。

 お前がいなくなったら悲しむのはパールだけじゃないんだぞ。

 ニルルやミーナやララだって、お前が思ってるよりずっとお前のことが好きなんだぞ。

 頑張れよ、ずっと俺と一緒に最初からパールと一緒にここまで来たじゃないか。

 こんな所でいなくなるなよ、お前は俺達の大事な仲間で家族なんだぞ。

 俺やパールを置いていくなよと、切実な想いで声をあげるピョコの目は、今まで一度もパールの前に晒したことのない涙を浮かべている。

 そんな彼を振り向く暇もないパールの必死な叫びもまた、ピョコのそれと同じほど重く、かろうじて意識の残るパッチの耳に届いているはずだ。

 

 生存を望むばかりの声に奇跡は起こせないのだ。

 果たすべきことを果たして満足げな、閉じた瞳で意識を遠のかせていたパッチの表情を、僅かに変えるだけだ。

 命懸けでパールを守り抜こうとした、自分の決意が間違っていたとは思わないけれど。

 こんなにも、息絶えんとする自らに親愛の想いと生存を訴える身内の声を聞き、出来ることなら、生き延びて胸を張りたかったという想いを抱かせて。

 唇を噛み締めて、閉じたまぶたの間から一筋の涙を流し、わずかな悔いを胸に抱くパッチの情念を呼び起こすことしか成せない。

 

「やだやだやだあっ!! こんなの嫌だあっ!! おかしいよおっ!!

 一緒にいてよおっ!! ずっと……ずっと私達のそばにいてよおっ!!」

「――――――――z!!

 ――――、――――――z!!」

 

 悲痛な叫びも、毒を巡らされた体から色の変わった血を流す、心優しき家族の命を繋ぎ足り得ないのだ。

 大切な誰かを守りたいという高潔な意志だけではなく、その上で生き延びて最愛の人の心の安らぎを守るべきだという、あまりにも困難で理不尽な命題。

 だが、どんなに無理に見えたって、それを目指すべきだったと今になって悔いるパッチは、ぎゅうっと絞っていた唇を僅かに開いた。

 伝えたい想いが、たった一つだけあったから。

 

「きゅ……キュウウウゥゥゥ……」

 

「あ…………

 あ、あああ……ああぁぁぁ……」

 

 ごめんね、と訴える心からの声を伝えられたパールが、まさに断末魔だとわかる声を前にして心を粉々に砕かれた。

 ピョコももはや、今のパッチに向ける言葉は紡げなかった。

 色を失った目のパールの前には、伝えるべき意志も失って、目を閉じて横たわるパッチの姿。

 決して自分達が受け入れたくなかった、大切な家族を喪いたくないという結末を、目の前の彼女が受け入れてしまったという現実。

 そうなれば最後、パールが震える両手をパッチの体に添え、力無くゆさゆさと揺さぶっても、血の温かみのある反応は決して返ってこない。

 

「ぱ……パッチ……?

 ねぇ……パッチ……………………」

 

 目覚めてくれれば、彼女の生還を満面の笑顔で受け入れるんだとばかりに。

 次々に溢れるものに目元と頬を濡らしながら、パールは理性とかけ離れた笑顔を浮かべ、横たわるパッチの体を揺さぶっていた。

 

 ピョコが沈黙し、ぼろぼろと涙を流し、他の誰よりも付き合いの長かったパッチの姿を見届ける中。

 どれだけ揺さぶられても、パッチはパールの手と想いに応えてくれなかった。



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第123話  未来へ

 

 

 精も根も尽き果てた足取りで、パールはギンガ団のアジトから生還した。

 墓の下から奇跡的に蘇ったかのような、そんな一日。

 日差しを浴びた時のパールは、死にも瀕した記憶から腰を抜かすように座り込み、えぐえぐと涙を流すばかりだった。

 

 トバリシティの顔役の一人でもあるスモモが、さらにプラチナまでもがピョコに担がれ、血まみれの姿を人目に晒したことで街は騒然となった。

 確たる何かが無い限り、思い切った行動に踏み込めない警察とて、二人の証言を受ければ重い腰を上げざるを得ない。

 パールがアジトから出るために歩いていた通路、ギンガ団の連中と交戦し、傷ついたポケモンが見捨てられて喘いでいたあの場所。

 そこへ到達する頃に、ちょうど踏み込んできた大人達に鉢合わせする形となり、パールは半ば保護される形で地上へ還る形と相成った。

 大人達に囲まれて、ようやく安心できる世界に帰ってきたところで泣く少女を前に、どれほど恐ろしい世界を味わってきたのかと大人でも身が震えたものだ。

 

 パールに目立った外傷は無かった。

 彼女が大人達に保護されて向かったのは、何よりもまずポケモンセンターだ。

 自分のことを、プラチナのことを、大切な人の命を守るため、己の命すら顧みぬ覚悟で巨悪に立ち向かってくれたポケモン達。

 ポケモンセンターに辿り着き、ボールを渡し、彼ら彼女らの傷が癒えるのを待つパールは、待合いの椅子に腰かけるや否や、呆然と天井を見上げるのみとなる。

 もう、余力ひとつ残っていなかったのだ。心が擦り減り過ぎている。

 敬愛するスモモやプラチナの深手、アカギに明かされた真実、サターンに浴びせられた精神を削り取る言葉の数々、何度も直面した絶望。

 半ば廃人のような姿に声をかけてくれる大人に、小さな口の動きとか細い声で、大丈夫ですと応えるだけで精一杯だ。

 その姿を見て、大丈夫そうだと思える者など一人もいないだろう。

 

 疲弊した心身で、今にもその辺りにでも倒れて気を失ってしまいたいところ、まだ寝ちゃだめだという使命感だけでパールは意識を繋いでいた。

 元気になったみんなに、すぐに、可能な限り一番早く、言いたい言葉が沢山ある。

 好意であったり、謝罪であったり、そして何よりも感謝であったり。

 今はまだ、意識を失ってはいけない。その一念で、パールは気を抜けばふっと飛びそうな意識を、ぎりぎりのところで保っていたのが実状だ。

 

 実際の時間にしても、彼女の中での感覚でしても、パールのポケモン達が完全に癒されるまでの時間はかなり長かった。

 それだけ、疲れもダメージも尋常では無かったのだ。ポケモンセンターによる治療や回復とて、それに比例して相応の時間というものがかかる。

 しかし、実際に永かった上にそれ以上に感じられたその長時間をパールは耐え、自分の名を呼ぶポケモンセンターのお姉さんの声に気付けば立ち上がる。

 一度目の呼ばれは聞き逃しかけたほどでさえあった。それではっとしかけたところ、二度目呼ばれたところで、目覚めたように大声で返事して。

 もつれる脚で少し躓きそうになりながら、早足でボールを受け取りに行く。

 

 葉っぱ、雷、水滴、ピンクと黒のハート、そんなシールが貼られた五つのボールを受け取ったパールだったが。

 本来、みんなをボールから出して顔を合わせるのは、ポケモンセンターを出てからだ。

 だけど、我慢できなかった子が一人だけボールから飛び出してきて、パールのそばに降り立った。

 どうしても、早くパールの前に元気な姿が見せたくて。

 賢い彼女だ、ポケモンセンター内で勝手に出てくるのはよくないとわかっている。それでも、我慢できなかったのだ。

 

「パッチ……!」

 

「~~~~~~~~♪」

 

「ああぁぁ~~~……!

 パッチっ、パッチぃっ……! ううぅぅ……」

 

 一度は本当に、永遠の別れを信じざるを得なくなった友達が、いま再びこうして笑いかけてくれる姿。

 膝を着いてパッチに抱きつき、顔を涙でいっぱいにするパールが嗚咽する姿。

 詳しい事情を知らない周りの人にも、只ならぬ事があったことも伝わるだろう。

 

 パッチもまた、あの世へ旅立つ寸前だった自分がパールをどれほど悲しませたかを痛感し、叶えたい何かを果たしきったと同時に心残りを覚えた身。

 一秒でも早く、元気になったみんなを迎えたかったパールと同様に。

 あなたの悲しむ結末にならなかった自分を一秒でも早くはっきり見せたい、そんな想いでパッチはパールの前に姿を見せたのだった。

 

 

 

 

 

 ギンガ団の地下アジトにおいて、パッチの命の灯は本当に消える寸前だった。

 何の誇張でもなく、意識を失った彼女はその後、失い過ぎた血と身体を蝕む毒で、二度と目覚めぬままとなるはずだったのだ。

 もうすぐ冷たくなっていくパッチの体にしがみつき、現実を拒絶するように泣き叫んでいたパールに、その悲劇を退けるすべなど無かったはずだった。

 

 そんなパールだったからこそ、そばでエムリットを捕えていたカプセルが割れた音など、意識することも出来なかった。

 彼女のそばに立つピョコだけが振り向けば、自身を縛りつけていた機械を、なけなしの力で内から破壊したエムリットが、パール達へと近付いてくる。

 目にも尻尾にも手足にも力は無く、かろうじての浮遊の力を振り絞り、よれよれと、ふよふよと。

 害意はおろか、慈しむ想いをその全身から醸し出すエムリットの姿に、ピョコは身構えすらしなかった。

 

『――――パール。

 ねぇ、パール……聞いて……』

 

 泣きわめいていた声も枯れ、荒い息に嗚咽を混ぜていたパールは、後ろから聞こえたその声に、光を失った目で振り返る。

 幼い子供が涙で顔をいっぱいにして、この世の希望を失った表情は、感情に敏感なエムリットでなくとも胸が痛くなる姿そのものだ。

 いかにこの少女にとって、このレントラーが大切で、掛け替え無くて、喪えばその後の人生に取り返しのつかぬ闇を落とす、希望そのものであったのか。

 その命が目の前で失われんとしていること、そしてパールの心が死んでしまうことを、エムリットはどうしても避けたかった。

 

『大丈夫だよ……私が、なんとかしてみせる……

 あなたの大切なお友達……必ず、助けてみせるから……』

 

 エムリットは、事切れたように眠るパッチの前へと身を移し、パッチの額の前で両手を握りしめる。

 祈るように、願うように、そして、絶対に叶えんとするかのように。

 ぎゅっと両手を強く合わせ、カプセルに閉じ込められたままエムリットの行動を見守るユクシーとアグノムに、力を貸して欲しいと請うかのように目を送る。

 

『私達を助けるために、危険を顧みずにここまで来てくれたあなたを――

 いや、あなた達を……!

 このまま、二度と立ち上がれない結末になんて導かせない!』

 

 自分には、死に瀕する者の命さえ救う"いやしのねがい"を果たせるという知識。

 たとえそれが己の命を削り得るものであると知りながら、一切の躊躇いもなく救いたい命を救わんとする意志。

 何に代えてもそれを遂げたいと、胸の奥から湧き上がる感情。

 カプセルに閉じ込められたままのユクシーとアグノムも、己の力だけでは足りぬエムリットに、消耗した自らの心身の力を振り絞って余力を添えている。

 合わせた両手に淡い光が生じさせるエムリットは、汗の滲む額の下で、じっとパッチを見つめる眼を開いている。

 

『……あなたは、こんな所でいなくなっちゃいけないんだよ。

 パールだけじゃない、あなたの友達も、みんなそう。

 元気になったあなたと触れ合って、遊んで、もっと、もっと一緒に過ごしたいって思ってる。

 だから、だから……』

 

「――――――――z!!」

「パッチ……パッチ、っ……!」

 

 喪われかけた命に呼びかけるエムリットの声を後押しするかのように、ピョコが、パールが大切な友達の名を呼んでいた。

 大きな声で、あるいは搾り出すような声で。

 それに応えるかのように、強い光を放つエムリットの力がパッチの全身を包み込み、今も血を流す深い傷を塞いでいく。

 

『お願い、帰ってきて……!

 あなたにとっても、一番大切なひと達の、そばに……!』

 

 エムリットの光とパッチを包み込む光は、そばにいるピョコにすらそれが見えなくなるほどで、それでいて眩しくなかった。

 優しく、何者をも傷付けない、希望と救いに満ちた光だ。

 それがゆっくりと消えていき、エムリットの身体が発する淡い光だけが暗い地下室を照らす中、パッチの身体は傷一つ無い綺麗な姿になっていた。

 

『……もう大丈夫だよ、パール。

 この子は、命を失ってなんかいない。

 疲れてて、すぐには目覚めないかもしれないけど、目を覚ます頃には元気になってるはずだよ』

 

「ぇ…………」

 

『ごめんね、もっと、もっと、いっぱい伝えたいことがあるんだけど……

 私ももう、これ以上は駄目みたい……』

 

「「ッ――――――――z!!」」

 

 すべての力を失ったかのように、身を浮かせていたエムリットの身体がぐらつくのと同時、ユクシーとアグノムもカプセルを破壊して自らを解放する。

 パッチがサターンやドクロックとの戦いの中で、ギンガ団アジトの電力を吸い上げ、施設内のエネルギーを枯渇させたことがもたらす影響は小さくなかった。

 ユクシーとエムリットとアグノムを捕えていた機械は完全に停止し、それを苦しめ拘束する力が失われていたのだ。

 すでに戦いようもないほど弱っていたエムリット達が、こうしてなけなしの力を振り絞り、カプセルを内から破壊できたのはそのおかげ。

 小さな体で床に倒れ込んだエムリットに、暗い中で淡く光を放つユクシーとアグノムが寄り添い、二人で抱くようにして身を浮かす。

 

『大丈夫、いつかまた会える。

 私達の方から、必ずまたあなた達に会いに行く。

 だから今は、あなたを守り抜くために戦い抜いてくれたみんなを、安全な所まで連れて行ってあげて』

 

 ユクシーとアグノムに支えられたエムリットは、かろうじての言葉を紡ぎ上げた。

 今のパールに、自分達の安否を気遣う余裕なんてないのはわかっている。

 だけど、日常に戻ればきっとこの子は、力無く去っていった自分達を案じてしまうであろうことも知っている。

 シンジ湖を何度も訪れたパールを、幼い頃から見続けてきたエムリットだからわかる少女の心根だ。

 

『ありがとう、パール。

 あなたが、あなた達が私達を助けてくれたこと、私達は決して忘れない』

 

 そう言ってエムリットは、ユクシーやアグノムとともに消えていった。

 容易には人の目に確かめること叶わぬ、本来の形へ。

 そして自分達を救わんとしてくれた少女と、その意志に応えて戦い抜いた勇者達に、奇跡とも呼べるものをもたらしてだ。

 

 開きかけていたロストタワーの門は、あわやのところで閉じられたのだ。

 正義感に突き動かされ、死地に飛び込んだパールへの報いだと言わんばかりに襲いかかった、数々の闇と絶望の果てにあったもの。

 絶望の詰まった箱を自ら開けたパールは、その底に残っていた僅かなる希望に救われ、すべてを失う結末を免れていた。

 捨てる神あれば拾う神ありだ。

 

 

 

 

 

「パール……っ!」

 

「あ……シロナさ、んっ……!?」

 

 パールはポケモンセンターから出ると、街角のちょっとした広場で自分のポケモン達を出して、みんなの姿を眺めていた。

 何と言ってもあれだけの出来事の後、みんなの中心にいるのはパッチである。

 進化というセンセーショナルな節目を迎えたというのもあるが、何せ奇跡一つ起きなきゃ本当に死んでいたほど頑張った彼女である。

 もうもみくちゃ。頑張ったな~、パールを守ってくれたな~、いいとこ見せたな~、と他の四人に囲まれすり寄られぺちぺちされて大変。

 肉体言語風ヒロインインタビューである。暑苦しいほど群がられて苦しいパッチも、照れ臭げにしながら困っていた。

 そんなみんなの姿を眺めて、ほろりとパールが涙を流すのも、この日常を目に出来る幸福ゆえ。

 ちょっと泣き虫すぎるきらいはあるが、感慨を得るほどには今日が激動過ぎたので、致し方ない側面は無いでもない。

 

「大丈夫……!?

 ごめんね、私が力になれなくて……!

 情けないチャンピオンで、本当にごめんなさい……!」

「ふぐぐぐ……く、くるちい……

 し、しろなさん、いきが、できないぃぃ……」

 

 そんなパールだが、実はポケモンセンターを出るに際し、シロナに電話を入れていた。

 電話をかけたい相手自体は、プラチナやらスモモやら他にも沢山いたのだが、最初に電話をかけた相手はシロナだったようだ。

 パール目線、ドクロッグの毒針に貫かれたという話をサターンから聞かされたことにより、最も安否不明だった親愛対象がシロナだったのである。

 結果的にその電話は、パールにとっては、プラチナとスモモの安否を纏めて知る結果にも繋がったので、たまたま一番いい選択肢だったのだが。

 

 実際に毒突きを掠めさせられ、深手を負って毒まで流し込まれたシロナだったのだが、今はパールに会うや否や、彼女を抱きしめ悔恨の言葉を連ねている。

 普通に元気そうである。いや、実際はある程度中和したとはいえ、我が身に残る毒でそれなりにつらい身なのだが。

 無事でいてくれたパールを力強く抱きしめ、胸でパールを窒息させようとする腕の力だけは元気いっぱいである。

 カンナギタウン育ちのシロナ、サターンが想定していたとおり、万一毒で死なぬよう対策してきたことも流石であり、深手の止血も長旅の経験か自力でお見事。

 苦し過ぎてぺちぺちシロナの背中を叩き、放して下さいと訴えるパールをなかなか解放しない程度には、思ったよりも元気そう。チャンピオンってすごい。

 

 アカギとサターンの二人を同時に相手取る形となったシロナだったが、どうにか逃亡は果たせた末、自力で病院に到達していたようだ。

 あらかじめ服用していた漢方薬によって毒による病死こそ免れていたものの、そのまま放置では何日も立てなくなってしまう。

 明日以降を見据えるシロナは、病院でドクロッグの毒に対して有効な血清を打って貰い、とりあえず安心というところまで立て直す。

 そして丁度そんな折、その病院にスモモやらプラチナが続けざまに担ぎ込まれてくるのだから、シロナも気が気でなかっただろう。

 

 まずやはりシロナもそんな二人の安否を気に掛けるものであるが、医者から二人が命に別状がないことを聞かせて貰えれば、そこはひとまずほっとする。

 だが、病院に辿り着く頃には意識朦朧だったプラチナとは異なり、近況をシロナに伝えてくれたスモモの言葉は、シロナをぞっとさせたものだ。

 パールは一人、未だギンガ団のアジトに残って戦っている。果たして無事なのだろうか。

 シロナだって何度もパールに電話をかけたくなったものだが、かけにくい。

 電話したその瞬間が、パールが敵との交戦真っ只中であれば、勝てるはずの勝負をも落とすノイズにもなり得かねないし。

 そもそもの話、絶対にその存在がばれてはならないギンガ団地下アジト、電波など遮断しているかもしれないし。

 何よりも、電話をかけてパールが出てくれなかったら、それってとうに死んでしまった後かもしれない、とさえ想定させられるのだから指が凍る。

 シロナは結局、自分からパールに発信することは出来なかった。

 彼女の最善を願うのであれば、何もしない方が正解であると踏み止まってだ。

 

 自分から何一つ出来ず、待つことしか出来ないというのもつらい。

 シロナの感じていた無力感は、チャンピオンという立場にある彼女をして、覆しようもない挫折に近いものですらあった。

 耐えて、耐えて、待っていた末、パールからの着信が入った時のシロナときたら、ただそれだけで涙腺が緩みそうになったものだ。

 憔悴したパールの声を聞き、彼女の所在を聞き、安全な場所に帰り着いた事実を聞いた時の、シロナの安堵は例えようもない。

 それに際し、シロナも自らの持つ情報、スモモやプラチナが命に別状がなかったことを告げて、パールにも同等の安堵を返していた。

 声だけで涙ぐんでいたことが明らかなパールと比べれば、似た感情を電話越しの声に表さぬ程度には、シロナはやはり大人なのだろう。

 ただ、純真な子供が、親友や敬愛する人の無事を知って鼻をすする声に、ちょっとシロナも貰い泣きしそうにはなったのだが。

 たとえ何歳になったって、感情を完全に制御して、抑え封じ込めることなんて出来はしないということだ。

 

 そうしてパールの所在を知れたシロナが、すぐさま彼女のそばへ駆け付けて、その姿を見るやいの一番に抱きしめて今に至っている。

 強い、強い、ぎゅ~。胸に彼女の顔をうずめ込んで、力いっぱいのぎゅ~。

 本当に、無事でいてくれてよかった。言葉に出来ない安堵があった。

 パールからすれば、いま窒息して死んじゃいそうな気もしたのだが、それもご愛嬌というところである。

 

「本当に、ごめんね……

 あたし、何も出来なかったわ」

「そんなこと……」

 

 落ち着いた二人は、パールのポケモン達を遠目に見守る場所で並び座り、ギンガ団アジトでの戦いを思い返す会話を始めていた。

 シロナはアカギやサターンを止められず、退けられてしまったチャンピオン。

 パールもまた、自分だけじゃなくパッチまでもが命の危機に瀕した。

 明るい内容にはなり得ない。

 

「あ……でもっ、シロナさんっ。

 私、パッチやミーナと一緒にギンガ団幹部のサターンを倒しましたよ!

 最後は逃げられちゃったけど、私の友達すごいでしょ!」

「本当? あれ、けっこう強いのよ?

 私も見たけど、只者じゃないわ。勝っちゃうなんてすごいじゃない」

「えへへへ、でもそれだって、きっとシロナさんがあいつのポケモンを、何匹か倒してくれてたからでしょ?

 シロナさん、何も出来なかったなんてことないですよ。

 シロナさんのおかげで、私達は助かったんですよっ」

 

「…………あはは。

 そっか……そうなんだ……」

「だから、えぇと……

 し、シロナさん、元気出して、欲しいなあって……わっ?」

 

 シロナは今度こそ、パールの安否を確かめられたその時以上に泣きそうになる。

 目に涙を溜めたシロナの表情にパールもあわあわする。

 シロナはなけなしの意地として、パールの頭を撫で、案じてくれる年下に対し、年上らしい行動を演じるので精一杯だった。

 

 実際、シロナが成し遂げたことは決して無意味なことではない。

 サターンは、パールとの戦いでミノマダムを出してこなかった。シロナとの戦いで破られて、戦う力が無かったからだ。

 ドクロッグだけでなく、その後ろにもミノマダムが戦力として控えていたとすれば、本当にパールには助かる道は無かっただろう。

 あまりにドクロッグがサターンの切り札として目立つが、あのミノマダムとてサターンの強兵の一角として、何ら恥じぬ実力を持っているのだから。

 アカギとサターン、そんな最強格の二人を相手にして、毒まで体に打ち込まれながら遂げた戦果は、パールの命を救った遠因として確かなものだ。

 

 パールはサターンの言葉の数々、シロナに毒を打ち込んでやったというその主張からも、シロナとサターンに交戦した瞬間があったのは知っているのだ。

 サターンの手持ちにミノマダムがいることだって、リッシ湖の一件で知っている。

 それだけの情報から、シロナのおかげでサターンの札がドクロッグ一枚だけであったのだと、パールはちゃんと推察しているのだ。

 無力感に打ちひしがれるシロナを案じ、きちんと自分が知っていることを頼りに、そんなことはないんだと言葉を紡いでくれるパール。

 何が最強のチャンピオンだ。導くべき子供が精一杯、傷ついた自分を癒そうとしてくれることは、傷に塩を塗られるより痛い。

 その一方で、ただの年下と見ていた少女を、こんなにも優しくて強さのある子供だと尊ぶ感性もシロナは持ち合わせている。

 敬意を感ずるべき相手には迷いなく感ずる。それも大人のあるべき姿。

 シロナの目を潤ませた最も大きな要因は、眩しい純心を前にしたことの方がよほど大きかったとさえ言えるかもしれない。

 

「……シロナさん、毒は大丈夫なんですか?

 サターンが、シロナさんにドクロッグの毒を刺したって言ってましたけど……」

「ええ、大丈夫。

 これでも伊達にチャンピオンやってないわ。

 ちゃんと対策して行ったし、アフターケアも万全よ」

 

 パールの問いに、シロナは握り拳で胸を叩いて応じた。

 目尻を拭い、元気で明るいお姉さんの表情で笑うシロナの姿は、パールをほっとさせるには充分なものには違いない。

 これ以上、この優しい子を心配させてなるものかというシロナの意地は、しっかり実を結んでいる。

 

「じゃあ、シロナさん……

 きっとシロナさんは、ギンガ団を止めに次の戦いに挑むんですよね?」

「ええ、勿論よ。

 このまま指をくわえて、あいつらの野望を見過ごすわけにはいかないからね」

 

 しかし、次の瞬間には嫌な予感もする。

 確認するようなパールの言葉。なんだか次に紡がれる言葉に予想がつく気がして。

 らしく、普段どおりに返答する中、シロナはざわつく胸の奥の感情を顔に出さぬ努めを果たしている。

 だが、それはパールがシロナの望まぬ言葉を発することを、遮ることには繋がらない。

 

「あの……私も、一緒に行っちゃダメですか?」

 

「…………大人達に任せなさい。

 あなたも、怖い想いをしたでしょう?

 今度は助からないかもしれないのよ」

 

 ほら、やっぱり。

 ギンガ団の野望を止めるために、シロナに協力を仰いできた子なのだ。

 今回だって恐ろしい想いをしたはず、だから少しは怖がって立ち止まってくれないかと淡く期待したのだが、やはりそうはいかないらしい。

 こういう子なのだ。ナタネやスズナから聞く限りの話で、嫌というほど知っていることである。

 

「でも、あいつらを放っておいたら、世界がめちゃくちゃにされてしまうんですよ。

 黙って待ってて、あいつらを止められなかったら、私達だって今までのようにはいられなくなっちゃうかもしれない。

 だったら私、大好きなみんなとずっと一緒にいるために、最後までそのための力になりたいですよ……」

 

 あぁ、もう駄目だ。とうに腹が据わっている。

 それも、ただの感情論や正義感に任せた主張でなく、理屈の上でもしっかりしている。

 巨悪に挑むということは、己の命さえもを危ぶめ得るということ。そんなことはやめておきなさい、と周りがそう言う最大の根拠はそれ。

 だが、ギンガ団の野望を食い止められなければ、どのみち世界は今の形を失いかねない。

 そうなってしまう時の恐ろしさと、挑んで破滅することの恐ろしさは、とどのつまりは同等だ。

 非道を厭わぬ悪に挑むことを引き留めるための、最も有力な理屈は今のパールに通用しようがない。

 

 自分達が危ないことをしなくたって、大人が必ずなんとかしてくれる。

 そうパールに信じさせてあげられない自分達の責なのだ。

 短くも濃密なパールの主張に、シロナは抗う言葉を紡ぐすべがない。

 どんなにシロナが屁理屈を作ろうが、決してパールはそんな言葉を使わないであろうが、大人なんかに任せられませんと言われれば鶴の一声である。

 ギンガ団の暗躍と、その悲願成就の目前たるここまで彼らを止められなかった大人達に、パールを思い留まらせる言葉など紡ぎようがないのだ。

 

「……わかったわ。

 でも、最後に一つだけ確認させて。

 あなたのポケモン達は、あなたのその決断に乗る覚悟がある?

 それだけ、ちゃんと確かめてからじゃないと駄目よ」

「わ、わかってます……

 戦うのは、みんなですもんね……」

「ほら、行っておいで。

 怖くてイヤだっていう子は、絶対に連れていっちゃ駄目よ」

 

 観念したシロナは、パールに最後の念だけを押した。

 あわよくばパールのポケモン達が、彼女のそれについていくのは怖いと躊躇ってくれて、彼女を引き留めることを期待してのものだろうか。

 そうはならないだろうなとシロナは半ば確信している。だって、今までが既にそうじゃなかったのだから。

 これから自分のポケモン達に、苦しい戦いに挑むことをお願いするため、おずおずとした足取りで近付くパールの背中に、そんな不安も杞憂だとさえ言いたい。

 シロナが求めたのは、パールの翻意ではなく、彼女の通すべき筋のみだ。

 パールの要望に快く応えてくれるであろう仲間達を確信し、彼女が何の後ろめたさもなく、望んだ道へと歩むための道を、いっそシロナは作ろうとしている。

 

 何が何でもパールを止めるためなら、豊富な大人の語彙力を以って論破すべきなのだろう。

 だが、理屈は感情を潰せない。それが通用するのは、理屈の正当性こどが感情が導く求心力を上回ると、そう信じてくれる大人だけだ。

 パールはそうじゃないし、そもそも理屈の上でさえ、自分が戦おうが戦うまいがギンガ団を止められなければ私達は破滅だという主張は理に叶っている。

 私達が何とかするから待っていて、と、これまでの実績で語れない大人にパールを黙らせる理屈なんて作りようが無いのだ。シロナに限ったことじゃない。

 勝てぬ口喧嘩を時間の無駄だと断ずるのも――はじめから負けを認めるのがいかに苦々しいものであろうと、引き下がるべき時は引き下がること。

 大人とは、そうあるべきなのだ。

 

 しゃがみこんで、五人の仲間達に何かを訴えかけるパールの後ろ姿。

 そんな彼女に笑顔で鼻を鳴らし、自らの頼もしさを主張するレントラー。

 水くさいよ、とばかりに身を揺らして頷くトリトドン。

 誰にそんな弱気で頼んでるのさ、とパールの腕をばしんと叩くミミロル。

 胸を張った立ち姿で、静かな眼差しで彼女の覚悟ごと受け入れるニューラ。

 そして、自分の方を見たパールと目を合わせ、挙動一つ無くその微笑みで以って彼女の意志を肯定するドダイトス。

 

 きっと、そんな仲間達と共に歩んできたからこそ、恐るべき相手にも守るべきものを守るために立ち向かえる、今のパールの姿があるのだ。

 人を形作るのは縁と出会いだ。自己完結した孤独な世界で形作られる人格は、最後の最後で自分のことしか考えない。

 自身だけでなく、自身を取り巻く世界そのものの安寧と幸福を祈り、願い、そのための行動に移らんとする尊ぶべき志は、人類が獲得し得る最大の財産だ。

 ポケモントレーナー達にとって、いつかそれを握りしめさせてくれ得る身近な存在とは、言葉の通じ合える人だけではない。

 自分達のことを心から愛し、可愛がり、優しくしてくれる人に応えんとする純真さに溢れた、ポケットモンスター達もまたそれに匹敵する隣人にして縁の象徴。

 心傷ついた大人達が道を踏み外し、非道に手を染めることもある世界、見落とすべきでないはずの出会いはこの世界にはいっそう溢れているはずだ。

 

 いつだって、忘れそうになる真理がある。

 自分の幸せは自分で掴み取るしかない。戦うことが必要な時さえある。

 だが、独りで戦い抜くようなの強さを、一時的でなくずっとずっと保ち続けられるほど、人間というものは強くない。

 迷える自分が信じる何かを肯定してくれる誰かが、いつか、必ず、必要なのだ。

 シロナはパールとその仲間達の姿を眺める中、ずっと自分を支え続けてくれたポケモン達のことを、いま改めて思い馳せずにはいられなかった。



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第124話  霊峰テンガン山へ

 

 

「パール、大丈夫?

 足元に気を付けて。気がはやるのはわかるけど」

「平気で……あわわっ!?」

「ほーら、言わんこっちゃない」

 

 パールとシロナは、カンナギタウンの西より至る洞窟を進んでいた。

 この洞窟を北に進めばキッサキシティ方面に、西へ真っ直ぐ進めばハクタイシティ方面へ出る、そんな洞窟。

 シンオウ地方を二分する、南北に広く横たわる"テンガン山"の地下を進む二人は、先述のどちらの道も選ばず南下を選んでいる。

 人里を繋ぐために均された地面とは異なり、ほぼ自然そのままに残る天然トンネルは足場が悪く、凹凸や細かな斜面も多い。

 気を付けないと躓いたり足を滑らせることも多く、足取りが焦り気味で足を滑らせたパールの手を、シロナがとっさに握って支えている。

 

「早く行かなきゃっていう想いは私も強いわ。

 でも、それで焦って大きな怪我をしちゃ、大事なところで本末転倒よ」

「す、すみません、シロナさん……」

「は~い、深呼吸。

 吸って~、吐いて~♪

 ちゃんと落ち着いて出来るまで放してあげないわよ~?」

 

 シロナはパールの両手を握り、向かい合って目の前で深呼吸してみせる。

 パールも同じようにするまで逃がさないという主張だ。

 自分よりも背の高いお姉さんの優しい姿を見上げるパールは、それだけでも心の安らぎをもたらされ、落ち着いた深呼吸を言われるがままに。

 すぅ、はぁ、と、長い呼吸を五度繰り返したところで、シロナは手を離して微笑みかけてくれる。

 

「さっ、急ぎましょ」

「シロナさん、言ってることめちゃくちゃ」

「ゆっくり落ち着いて急ぐのよ。

 頑張りましょ♪」

 

 急がせてくるような、それでいて冷静さを失うなと主張するような。

 でこぼこ地面をひょいひょいっと、軽快に進んでいくシロナの足取りは、傍目から見れば遊んでいるようでさえある。

 それも、余裕のある歩みを意識するようにと、背中で語る一幕であろう。

 そんなシロナにリードされ、きちんと足元に気を付ければ、こんな山道を小気味よく進める運動神経で、パールも洞窟を進んでいくのだった。

 

 

 

 ギンガ団の野望を阻むために、アジトを離れたギンガ団首領のアカギを、共に追う決意を固めたパールとシロナ。

 二人は昨日のうちにやや急ぎ足でカンナギタウンへ向かい、そこで決戦前夜とも呼べよう最後の一夜を過ごした。

 トバリの死闘で疲れ切った心身は、ベッドに潜り込んだ二人をあっという間に深い眠りへ陥れるほどのもの。

 朝一番の出発を意識していた二人が、共々予定よりも一時間ほど目覚めが遅かった程には、やはりあの戦いが二人に残した傷跡は深い。

 見方によっては、それだけ深い深い眠りの上で、さらに寝坊するほどの休息が無ければ、今日はまともなコンディションでいられなかったかもしれない。

 寝坊を悔やんだパールだったが、むしろこれぐらいでいいと笑っていたシロナの態度は、そんな想いを前向きに孕んでいたと言える。

 

 今日は間違いなく、人生最大の戦いの日となる。

 少なくともシロナはそう確信していた。

 悲願を目前としたギンガ団と、それを率いるアカギの野望を打ち砕けるか否か、その最終決戦となる一日だ。

 

 シロナに言わせれば、アカギが今日向かった先とは、テンガン山の頂上に他ならない。

 拓かれてなどいないテンガン山の獣道を越え、その果てに辿り着くテンガン山の頂上は、シンオウ地方随一の特異点がある。

 それは、到底人の足でなど容易には通い難い場所にわざわざ造られたと思しき、神秘的な石柱と祭壇の残骸が鎮座する神殿遺跡めいた場所。

 "槍の柱"と呼ばれるそこは、シンオウ神話の中においても、最も畏れ含みに語られる聖地とさえ言われる。

 そこに一度でも訪れた者はみな、神話の主役、二柱の神の息遣い、言い知れぬ神々の気配を感じ取らずにはいられないと口にするのだ。

 場所が場所ゆえ、幾度も足を運んでの遺跡の研究は進められておらず、シンオウ地方で最も有名ながら、最も謎の多いとされる場所。

 神話に対する信仰心が強いシンオウの民にとって、神のお膝元と感じられてならぬその場所に、探りを入れることを憚りがちだという事情もある。

 神の怒りは恐ろしいのだ。いたずらな好奇心で神々の庭を踏み荒らすことは、シンオウ地方では推奨されぬことである。

 

 神の力に固執していたと見えるアカギが向かう場所がそこであることを、シロナはほぼ絶対視している。

 彼を追うならテンガン山の頂へ。迷いはなかった。

 そんなシロナに導かれ、パールも彼女と共に、槍の柱を目指している。

 立ち塞がる敵がいることは予想されている。ギンガ団の残党の中でも、腕の立つ者達が必ず山に陣取って、ボスへ迫る敵を退けんとするはずだ。

 マーズやジュピター、サターンといった幹部格も必ずそこに名を連ねるだろう。

 予想されるそれほどの難敵をいくつも乗り越え、その果てに最強の首魁、アカギの捕捉しその野望を阻止する。

 人生最大の戦いを予感しているのは、シロナだけではないはずだ。

 

 もたもたしていたら、アカギに辿り着くまでに彼が目的を達成し、阻止するために戦うという土俵にも上がれないかもしれない。

 焦るパールの気持ちはもっともであり、しかしながら無理をして、足を挫いてしまっては最後の最後で万全でなくなってしまう。

 ゆっくり落ち着いて急ぐ。まったく、馬鹿馬鹿しい響きだ。

 此度の最大の挑戦は、そんな無理難題にも聞こえるほどの命題さえ求められる、極めて厳しくか細い勝利への道を辿る旅路だということだ。

 

 

 

「冷えてきたけど大丈夫?

 寒くない?」

「へっちゃらです。

 ナタネさんに貰ったこの服、あったかいんですよ」

 

 洞窟内はしばしばの上り坂を経て、標高の高い場所へと進み行く。

 頂上に近付きつつあるということであるが、標高が上がれば気温は下がるのが定説だ。

 外気の入らぬ洞窟内であればそうはならないかもしれないが、生憎テンガン山は洞窟至るところに風の通り道があり、洞窟内でも外と気温が大差無い。

 頂を目指す道のりは、山肌を進もうが洞窟内を進もうが、その過酷さは変わらないということだ。

 滑落の恐れがない洞窟内、一方で落盤もあり得ないでもない、それがテンガン山の頂を目指す天然洞窟内。安全な登山などそうそう無い。

 

「昨日もナタネと電話したの?」

「や~、実はやってたんですけど、私が途中で寝ちゃいまして……

 朝になってからごめんなさい電話しました」

「顔真っ青で?」

「べ、別にそんなことは……」

「あるでしょ」

「うぐぅ」

 

 トバリの地下アジトでの激闘は相当な疲れだったようで、パールは恒例の夜話もそこそこに寝落ちしてしまったらしい。

 目が覚めてから、自分から電話したのに何してるんだ私、と凍り付いたものである。

 単に好きなだけじゃなく、尊敬してやまないから絶対嫌われたくない相手なので、失礼かましてしまうと本当に焦るのだ。

 顔面蒼白であったことなんて、シロナには見なくてもわかる話である。

 彼女が誰ぞに懐き過ぎているのはシロナも、スモモからスズナからメリッサから耳にタコが出来るほど聞いているのだから。

 

「叱られたんじゃないの?

 結構あの子、無茶するあなたのこと心配してるんだから」

「いや、そうでも……

 私が、シロナさんと頑張りたいですって言ったら、頑張れって言ってくれまして……」

「あぁ、それで安心して寝ちゃったのね。

 電話する前はびくびく、温かくエールを贈られて心があったかくなって、笑い話しながらすやすやって感じ?」

「……シロナさん、カンニングしてませんよねぇ?

 先にナタネさんに色々聞いてるんじゃないんですか?」

「聞かなくたってわかるわよ、あなたわかりやすいもの」

 

 あらゆることが容易に想像つくほどの単純猪突猛進っ子であることを改めて突きつけられると、パールも顔を真っ赤にするほど恥ずかしくなる。

 私ってそこまでわかりやすいかなぁ? じゃない。

 私ってそんなにわかりやすいんだ……とへこむ。

 パールにはそれぐらいわかりやすい幼馴染がいて、散々そいつのことなじってきたくせに、自分もそうだとなれば途端に笑えない話である。

 

「あなたはそれでいいのよ、真っ直ぐなままでいい。

 簡単にわかられちゃう子っていうのは、裏表が無いっていうことよ。

 それって、素敵なことなんだから」

「そうかなぁ……

 私はシロナさんみたいに、優しいけれどどこかミステリアスな、大人の女性の方がカッコいいと思うんだけどなぁ」

「えっ、あなたそんなのに憧れてるの?

 クールな感じがお好み?」

「そ、それは……まあ、諦めてますけどね?」

「よろしい、賢明よ。

 あなたには無理だわ」

「も~! そんなにはっきり言わなくたっていいじゃないですか~!」

 

 険の無い話を重ねつつも、軽快な足取りは止まらず、二人は順調に洞窟を進んでいる。

 果てに死闘が待つであろう戦場への道のりの中で、少々緊張感に欠けるとも言える空気だが、シロナは望んでそんな空気を作っている。

 どうせほんの僅かな気の緩みも許されない、息も詰まるほどの覚悟で挑まねばならぬ舞台は、やがて必ず訪れるだろう。

 今からずっと張り詰めていては、パールの心はそれまでに擦り切れてしまう。

 ぷんすか怒るパールをからかって笑うシロナは、この調子でいければ最も良い、という手応えを感じているはずだ。

 

「――――z!」

 

「ひゃ!?」

「おっと、流石にうるさくし過ぎちゃったかしら。

 ルカリオ、頼むわよ」

 

 とはいえ、声のよく響く洞窟内できゃぴきゃぴ騒いでいると、野生のポケモンがそれに気付いて寄ってくることも。

 寝てたのにうるさいぞ、とばかりに、やや不機嫌な声で威嚇してくるゴルバットが飛来してきた。

 苦手なコウモリに腰が引けるパールをよそに、シロナは冷静にルカリオを呼び出した。

 

「サイコキネシスよ。

 怪我させないようにね」

 

 野生のゴルバットなど相手にならぬとルカリオも自信があるようで、シロナの言葉に小さくうなずくのみ。

 両手を前に出してルカリオが発する波導がゴルバットを捕え、勢いよく飛来していたはずのゴルバットが空中でぴたっと止まる。

 そのまま、ルカリオが小さく動かすその手の動きに合わせ、ゴルバットは空中でくるくる。

 縦回転二回、横回転二回。なんだなんだ、どうなってるんだとゴルバットの目には明らかな動揺の色がある。

 その末にルカリオがふっと波導を打ち切れば、急に空中で自分を捕えていた力が失われたゴルバットは、慌て気味に翼をはためかせて落ちることを拒む。

 

 構えたルカリオの眼光は決して攻撃的ではないが、来るなら迎え撃つぞと格下を威嚇するものとして充分だ。

 こんな奴に挑んでも怪我するだけだ、とゴルバットも賢明に判断したようで、しぶしぶの顔ながらルカリオに背を向けて去っていく。

 本当に、怪我ひとつさせぬままにして退けてしまった。

 やはりチャンピオンのポケモン、野生のそれとは格が違うというところ。

 

「パール、かなりコウモリが苦手だったんじゃないの?

 聞いてた話ほど怖がらないようになってる?」

「あ~、まぁ……今は前ほどじゃないんですよ。

 ズバットやゴルバットだって、他のポケモン達と一緒で、普通のポケモン達だなぁって思うようになりましたし」

「あら」

「こないだギンガ団のアジトで――」

 

 頬をかいて、ちょっと気恥ずかしげに笑うパールである。

 シロナからすれば、余裕のある心持ちで返答するパールの姿に、ちょっと意外性を覚える姿だ。

 元々ナタネとも親しいシロナ、その辺りの聞き得る限りの参考からすると、ゴルバットの急襲に対してパールの反応がこの程度で済むのは少々イメージ外だ。

 てっきり、もう少し怖がって震えて縮こまるかと思っていたのだが。

 なんなら少しぐらいはハグしてあげて、心落ち着くまでぎゅっとしてあげる想定もしていたシロナだが、別にそれは必要ないらしい。

 

 パールが思い出して語るのは、先日ギンガ団アジトにてスモモのカイリキーやルカリオが大暴れした時のこと。

 スモモに深い傷をつけられた両者の怒り狂いぶりは壮絶で、敵対するポケモン達を軒並み叩きのめした。血祭りにあげたとさえ言っていい。

 当人らですら、スモモに諫められて頭が冷えれば、やり過ぎたと悔恨するほどのものであり、打ちのめされた側の凄惨さは語るにも身の毛がよだつ。

 いくら自分達の道を阻む者達だからといって、あそこまで傷つけられ、むせび泣くポケモン達の姿を見れば、敵ながら哀れになるというものだ。

 まして、ギンガ団員らの命令に従って戦ったというのに、逃げてしまった連中に見捨てられ、打ち捨てられたままの姿はいっそうというものである。

 

 翼を折られ、足も挫いたか、飛びも歩きも出来ず泣きながら這って逃げようとするゴルバットもその中にいた。

 それは幼い頃のトラウマからパールが恐れていた、ズバットやゴルバットと同じ、恐怖の象徴なのだろうか。

 痛い、助けて、殺されたくない、そう呻くような鳴き声とともに逃げる姿を見れば、あんなに怖かったコウモリでさえ手を差し伸べたくなる。

 きっとそれはパールに限った話じゃない。誰しもの童心の奥底に必ず眠っているはずの、傷ついた誰かを見れば助けたいと感じる普通の人情。

 今でもパールは、コウモリに急襲あるいは奇襲されると、他の何かに迫られるよりはびくっとする程度には、トラウマの残滓めいたものは残っている。

 だが、あの日垣間見てしまった、ゴルバットとて心あるポケモンに過ぎないという一幕により、怖がるしかない存在ではないとある程度は思えるようになった。

 

「思い出しちゃうと、あの子達大丈夫なのかなぁって考えちゃいます」

「そんなあなたに朗報よ。

 ちゃんとスモモにあの後の顛末とか聞いてるし、保護してくれた警察の人達にも伝えたから、ギンガ団のポケモン達もポケモンセンターに運ばれたみたい。

 スモモも自分のポケモンが、それだけのことを仕出かしちゃったのは気にしてるみたいで、その辺りの顛末は関係者さんに問い合わせてたみたい。

 特に後遺症が残った子もいなくて、みんな今はもう元気になったそうよ」

「ほんとですか? よかったぁ。

 あっ、シロナさんありがとうございます、わざわざ」

「いえいえ、お気になさらず。

 使い手のギンガ団と再会することはもう無いでしょうし、しばらくはポケモンセンターで面倒をみてくれるみたい。

 野生に逃がされるか、あるいは新しいトレーナーに巡り会えるかはわからないけど、今後はあの子達も幸せになれるといいわね」

 

 心無いトレーナーに所有されるポケモン達は不幸だ。

 その命令に従った末でも、その意に応えられなければあっさりと切り捨てられることもある。

 "やつあたり"の威力が高くなってしまうほど、むごい仕打ちに毎日見舞われることもある。

 純真なポケモン達は人をそう簡単には憎まず、自分と常にそばにいる人間に少しずつ愛着を深め、時が経てば経つほど懐いてくれるのに。

 その想いに応えられない、応えるつもりもない情に欠けた者達に保有されることの不幸さは言うに及ぶまい。

 誰かを好きになった時、その誰かに好かれもしないことの歯がゆさ、つらさは、人でも想像に難くあるまい。

 

「……アカギのポケモン達は、幸せそうなんだけどね。

 あいつ、意外と自分のポケモンには優しいから」

「そうなんですか?」

「でなきゃあそこまで強いポケモンは育てられないわよ。

 自分のポケモン達のことをよくわかっていて、何を伸ばせばバトルで強くなれるか、それが育成の肝だとさえ言える。

 その理屈からもあいつは自分のポケモン達のことをよくわかってるし、そもそもクロバットって、トレーナーに余程懐いたゴルバットしか進化できないのよ?」

 

 強いトレーナー=ポケモンに優しい、という等式は必ずしも成り立たないが、アカギと旧知の間柄にあるシロナは、アカギのことをそう評している。

 パールに語るために理屈をつけているが、人となりを見てそう思うのだろう。

 アカギが自分のポケモン達に笑いかける姿ひとつ見たこともないのに、そう思うのだから、シロナにはシロナなりに見えるものがあるということである。

 

「ポケモン達にも色々性格はあるからなぁ。

 あのクロバットも含め、アカギについていってる4匹のポケモン達は、アカギのことは結構好きみたい。

 ……それが、あの子達にとって幸せなことなのかはわからないけどね。

 あいつに従い続けた末に、あいつの求める目的の達成が、あの子達の幸せに繋がる保証なんて無いんだからさ」

 

「…………やっぱり、もっと急いだ方がよくないですか?

 アカギさんが目的を達成しちゃったら……」

 

 足を止めていない二人だが、話題がアカギのことに移るや否や、やはりパールも気が急いてくる。

 アカギが目的を達成することは、世界の破滅にさえ繋がることだという話は、シロナにだって伝えている。

 その上で、どうしてこの人はこんなに余裕のある足取りなんだろうと、パールにとっては不思議なほどだ。

 

「大丈夫よ。

 無理のないペースで進むことが大事。

 それでも必ず、あたし達はアカギ達に追い付けるからさ」

「えぇ……?」

「種も仕掛けもあるのよ。

 詳しくはナイショだけどね♪」

 

 口元に指を立てて秘密を作り、いたずらっぽく笑うシロナの態度は、緊急性の高そうな今の状況に相応しく見えない。

 だが、焦るパールの気持ちを落ち着かせる、余裕に満ちた見返り美人の姿にもまた違いない。

 前へ前へ少しでも速く、という気持ちが逆立ち始めていたパールも、首をかしげ気味ながら落ち着いた足取りを取り戻せる。

 それでいいの、とばかりに頷いたシロナは、再び前を向き、パールにとって無理のないペースを保って獣道を進みだす。

 

 内心、余裕に満ちているわけではなくたって。

 パールが想像しているであろうとおり、急ぐべき局面には違いない。

 それでもシロナは、自分とパールが苦難に直面したいざその時、万全の状態で挑めるためにベストを尽くさんとする。

 それが叶えられるための策として、このリスキーな舞台に乗り出してくれるよう、声をかけた"協力者"もいる。

 信頼できる協力者だ。実力も、人格も。

 しかし今日は、敵もまた強大。いかにその腕を信頼できる友人とて、果たして無事に故郷の土を踏める保証は無い。

 チャンピオンである自分でさえ、そうであるだけにだ。

 

 最後は、必ず自分がこの手で何とかするのだと、シロナは強く決意している。

 だから、無理を踏み越えないで欲しい。

 この死地への参戦を快く引き受けてくれた気高き友人が、帰らぬ人になるなんて耐えられない。

 

 自分一人だけですべてをどうにか出来る力があればいいのに。誰しも、一度は思うことだ。

 シロナはパールに見せぬ顔で唇を噛み締めながら、脳裏によぎりそうになった妄念を、首を振ってでもその未練を断ち切った。

 

「シロナさん?」

「気圧が低いのかな、ちょっと頭が痛いような気がしてね。

 無茶しちゃ駄目ってことよ、もっとゆっくりでもいいかもね」

 

 パールに問われ、首を振ってしまった自分の本心を誤魔化すシロナ。

 全知全能の力。そんなものを本気で望んではいけない。

 そんなものを本気で望んだアカギが、同じ穴の狢になることだけはしたくない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作為的な霧だな」

「遭難や滑落すら視野に入りますね」

 

 雪の積もったテンガン山の高峰に辿り着くまではまだ遠いはずだ。

 目的地である槍の柱を彼方に、アカギとサターンは霧に溢れた山道を進んでいた。

 

 視界の悪い山道ほど危険なものはない。

 濃霧を退けることは前進するためには必須であり、現にアカギはドンカラスに"きりばらい"をさせている。

 だが、振り払ったはずの霧は間もなくして、すぐに再び立ち込め始める。

 払ったはずの霧であっても、気候や環境次第ではまた立つことも珍しくないが、いくらなんでも再発生が早過ぎる。

 これでは霧を払って進み、すぐに立ち止まり、また霧を払って進むことの繰り返しだ。

 追っ手を想定するアカギ達にとって、この歩みの遅さは望ましくないし、ドンカラスに溜まる疲労も面白いものではない。

 

「この意識の混濁、間違いなく何らかの精神攻撃を受けていますね。

 何度も下調べしたはずの山頂への道のりを進んでいるはずなのに、言い知れぬ自信の及ばなさそのものが不自然です」

「お前がそう言うのであればそうなんだろうな」

 

 そして、霧に包まれた不安という言葉では片付かぬ、過剰な警戒心とも恐れとも言える不安が、冷静沈着なサターンの胸にさえざわついている。

 これを自身の心の弱さではなく、外敵からの何らかによるものと結論付ける程度には、サターンもまた精神力が強い。

 その一方で、そもそも何ら精神的な負担一つ感じていないアカギの態度は、自ら以上だとサターンも畏れを抱く。

 底の読めぬボスだとは何度も感じてきたものだが、つくづくこの冷徹な顔の人物は内面にすら、本当に感情を失っているのではないかと信じてしまう。

 

「だが、これ以上もたつくわけにはいかん。

 シロナは、必ず私達を追ってくる。

 お前のドクロッグの毒で、その身を蝕まれたままであろうともだ」

「存じています。

 やるぞ、ドクロッグ」

 

 サターンはアカギの腹心だ。

 具体的に指示されずとも、彼の言葉の行間を読み、果たすべきミッションを想起できる。

 ボールから出てきたドクロッグもまた、多くを語られずして自身の為すべきことを概ね理解できる程度には聡い。

 

「この霧を生み出す狼藉者を退ける。

 まずは、その所在を暴き出せ」

「――――♪」

 

 ほんの5メートル先も見えぬような濃霧の中にあって、ドクロッグは自信満々の笑みを浮かべて駆けだした。

 環境が環境だけに、前も見えぬまま突き進んでは滑落もあり得る危険な状況にも関わらず。

 そんな状況下であっても、自らに降りかかりえるリスクを容易に回避し、万全の行動が出来るドクロッグは、この状況を打破する適材だ。

 

 テンガン山を舞台とする、世界をも掌握し得る力の獲得を目指して進むアカギと、それを阻まんとする者達の戦いが幕を開ける。

 見敵に至らぬこの時から既に、戦いは始まっていたとも言い換えられよう。

 シンオウ地方、あるいは世界の行く末さえ左右する、歴史的な一日の始まりだ。



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第125話  主役と脇役

 

 

 深い霧と、足を踏み外せば真っ逆さまの山肌という環境の組み合わせは恐ろしい。

 そんな中でも、危険予知能力に秀でるドクロッグの足は、まるで見拓かれた平地を走るかのように迷いが無い。

 3メートル先も見えない濃霧の中、もう半歩踏み込んでしまえば滑落という場所でも、見えていたかのように方向転換する。

 そしてその能力を知り、全幅の信頼を置いているサターンは、ドクロッグの踏みしめた足音の聞こえ所を追って踏めば、必ず地に足を着けて走ることが出来る。

 たとえ目を瞑っていたとしても、ドクロッグを先行させればそれを追うだけで、サターンはどこだって駆けることが出来る。

 

「ふん、所詮は小細工だな。

 甘く見られたものだ」

 

 きっとこの霧を作り上げている奴は、そのからくりにも気が付いたのだろう。

 上空から何らかを振らせ、地面をがすがすと打ち据える弾により、ドクロッグの足音に近いものをこの霧中に鳴り響かせる。

 相棒の足音の出所を頼りに駆けるサターンの、耳を惑わす戦法だ。

 しかし、二十年以上も共に戦ってきたドクロッグの足音を、そんな小細工で聞き違えるわけがあるまいと、ただただサターンは嘲笑するばかりである。 

 

「――――z!」

 

「いいぞ、叩きのめせ」

 

 声使いとその強さ、それだけでドクロッグが"やるぞ"と意気込んでいるのがサターンにはわかるのだ。

 静かな声で、迷わずやれと背中を押したサターンの声により、ドクロッグの踏み込みは勢いよく。

 この深い霧を生み出す一因である存在に向かって、"どくづき"の一撃を矢のような自らの射出速度で放つ攻撃は、視界の悪いこの中で敵に回避を許さない。

 

 濃霧を破って突然目の前に現れたドクロッグを、そのユキカブリは防御すらままならず、その胸元を深々と突き刺される。

 毒に弱く、それもチャンピオンの切り札クラスにハイレベルな個体の一撃を急所に受けたユキカブリは、即座にボールへと戻されていった。

 ユキカブリのトレーナーもまた、致命傷を受けた鋭い呻き声だけで、危険な状態だと悟る程度には勘が良い。

 

「観客席から芥を投げるのは、そろそろやめて貰おうか」

 

 雑魚一匹仕留めたぜと自慢げな表情でバックステップして、相棒のそばへと戻ってきたドクロッグ。

 そんなサターンの背後から吹く追い風は、目の前の霧を一気に吹き飛ばすドンカラスの"きりばらい"の風。

 濃霧を生み出していた一角が欠け、新たな深い霧を生み出すことの難しくなった立役者は、サターン達の前方の山の斜面で彼らを見下ろしていた。

 

「流石は噂に名高い悪党集団の参謀格ね。

 本気を出したマキシさんが敗れたっていう話もうなずけるわ」

「この寒い中で随分と気合の入った格好だな。

 肌を見せれば男が相手なら目を惹けるとでも思ったか?」

「お生憎様。

 あたしはいつでもこれが普段着で勝負服よ」

 

 標高が高く、雪国キッサキシティにも匹敵する寒冷地にありながら、短いスカートで袖も半ばの薄着のスズナは、自らの着こなしを今日も貫いている。

 低所から覗き込むような首の動きで、女性を辱める目線を演じるサターンの声は嘲笑含みで、スズナもスカートを押さえつつ不敵に笑う。

 強しと名高きジムリーダーに対し、激突寸前にして戦いには必要の無い所作。サターンが醸し出すその余裕。

 ジムリーダーとしてのプライドにも触りかねない舐め腐った態度ながら、スズナも敵の強さを認めているから心乱されない。

 僅かでも敵の冷静さを崩せれば儲けもの程度の心理戦では、やはり百戦錬磨のジムリーダーの精神を微動だに揺らすことすら叶わない。

 

「ご退場頂こうか、脇役二名。

 舞台に上がる資格も得られぬまま、観客席から野次は愚か礫まで投げられては迷惑だ」

「ふふっ、これでもシンオウ十指に入るだけのトレーナーだとは自負してるんだけど。

 そんなあたしでも役者不足?」

「観客はいつだって愚かだ。

 うすら浅い見識で以って、役者を批評し自分の言うとおりにすればもっと良くなると言わんばかりにご高説を垂れる。

 自身が舞台に上がれば恥をかいて泣くだけの木偶に過ぎぬのにな」

 

 スズナの脇にはユキノオーが立っている。

 スズナを毒突きで貫くことも厭わぬドクロッグが、彼女に直接手を出せぬのはそんな護衛がいるためだ。

 そしてアカギのドンカラスもご主人から離れたこの場所で、賢しくサターンの後方離れた位置に、迂闊に敵の攻撃を受けぬ空にて身を浮かせている。

 氷ポケモンの使い手を前にして、無用なリスクを踏まぬ位置取りだ。

 

「貴様らに出来ることは、芯の通った演者に無力な罵声を浴びせかけ、歓声に満ちた終幕の中で肩身狭く惨めに屈するのみだ。

 恥をかきたくなければ大人になることだな」

「あんた達は名優じゃないわ。

 誰も招いていない場所で勝手に場所を占有し、顰蹙を買いながら自己陶酔するだけのならず者よ。

 つまみ出す自治体の手を煩わせる迷惑な自分を誇らしげに思う子供の遊びは、そろそろ卒業して貰えないかしら?」

「まさに暴徒だ。

 チケットも買わずに乗り込んできて、身勝手な言動で舞台をぶち壊しにする。

 秩序の番人に罰せられるべきはどちらかね」

 

 互いに認め合わぬ主張を諧謔めいて語り合う二人の言葉の中でも一際聞き逃し難いのは、合間に挟むサターンの核心的言葉だ。

 脇役二名、貴様"ら"。

 ギンガ団に逆境を強いようとするのが、スズナ一人ではないと既にサターンは看破している。

 霧の晴れた明るい視界内にありながら、サターンは決して潜伏する者達を目で捉えてなどいないはずなのに。

 それこそが、この寒い中でスズナに冷や汗さえつたわせるほど、やはり恐るべき悪の参謀格だと感じる最大の所以である。

 

「まあ、せっかく来てくれたんだ。ギンガ団なりのもてなしをしよう。

 観戦料を徴収する程度のことはさせて貰って構わないはずだ」

「ふふ、思ったよりも良心的。

 気に入らない奴はつまみ出すようなことはしないんだ?」

「勿論だとも。

 命で支払ってくれれば結構だ」

 

 サターンを追い抜いて、一気にスズナの元へと駆け上がっていく一つの影。

 彼女を鋭い爪で貫き、心臓を抉り出すことも厭わない非情の凶刃だ。

 だが、ほんの僅かも怯みさえせず、腰の横でボールのスイッチを押したスズナの喚び出した存在が、その血塗られた刃を交差させた腕で受け止める。

 さらには返す刃で降り抜いた足で、カウンター気味に敵を打ち返さんとする。

 疾風怒濤の勢いの中では正体さえ視認しがたい速度であったそれは、反撃の蹴りを大きなバックステップで回避し、サターンのそばへと着地する。

 

 スズナの周りを固めるのは、ユキノオーとチャーレムだ。

 サターンのそばにはドクロッグとアカギのマニューラ。

 さらにはその後方に、いつでも支援狙撃を打ち込めるドンカラスがいる。

 図式は3対2。さしものスズナとて、三匹目を出してすべての力を引き出すほどの指示を下せるか否か、それは決して良い回答を得られるものではない。

 元よりご主人のそばを離れようとも任務を為せるよう、自己判断能力に特化されたアカギのポケモン達は、指示を必要とせず最善を果たせるのに。

 この状況の危うさを楽観視できるほど、スズナはレベルの低いトレーナーではない。

 

「演者を侮辱したんだ。

 せいぜい我々の目を楽しませてくれ。

 血の海に沈む貴様が泣いて謝る姿でも、下手な演劇よりは見栄えのいい物語になるだろうさ」

「そんな脚本しか書けないからあんた達は三流なのよ……!

 世を乱すことを歓楽だと勘違いした、風刺と悪行を混同した屑がこの世に憚ってはならない!

 ユキノオー! チャーレム! 正すわよ!」

「所詮、凡の正義感だ。

 いくぞ、ドクロッグ。現実を教えてやれ」

 

「「――――――――z!!」」

 

 ユキノオーとチャーレムが。ドクロッグが。

 ご主人の想いに応えて声高にする咆哮めいたものに応じ、マニューラやドンカラスも同様の声を発している。

 それはこの世界を歪んだものへと進めることさえ厭わぬ、ギンガ団の尖兵の狂気に染められた尖兵の声に、それを為させてならぬと吠える声が重なる不協和音。

 正義とは何たるや。勝った者が正義だ。敗者は意志を貫き通す道を断たれ、勝者のみが我が道を歩む権利を得る。

 己の正しさをこの世界に訴んとせん中で、死人に口無しという一つの真理はあまりにも重く、それは誰にも覆せない。

 

 わかっているから負けられない。わかればわかるほどにだ。

 気迫を露わにするスズナに対し、飄々と落ち着き払った素振りのサターンでさえ、その内心は何ら変わらぬはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ルビー! 捕まえるわよ!」

 

「ゲンガー、凌げますね!?

 フワライド、サポートを!」

 

 サターンとスズナの戦いが始まった場所からそう遠くない。

 浅雪の垣間から岩肌が覗く足場の悪い山肌で、ヘルガーがゲンガーを"かみくだく"べく襲い掛かる。

 かろうじて身を逃したゲンガーのそばで、がちんとヘルガーの牙が噛み鳴らされるが、狙い棲ましたその一撃はゲンガーのすぐそばで空振っているだけ。

 すぐに口を開いて首を回せば、ぎりぎりの回避で体勢が崩れかけているゲンガーに、痛烈な一撃を与えるに至れる局面だ。

 そこに上空から"かぜおこし"で支援攻撃するフワライドが、ヘルガーを僅かに怯ませると共に、ヘルガーから離れようとするゲンガーを押してくれる。

 上空から狭い狭いゲンガーとヘルガーの間に強い風を叩きつけたフワライドは、敵を退け味方を救う風を叶えることに成功しているのだ。

 

「スカタンク、驚かせてやりなさい」

 

 2対1の構図ではない。ヘルガーにも味方はいる。

 上空で支援に徹するフワライドに向けて、スカタンクが放つのは"あくのはどう"。

 ゲンガーを支援するために高度をある程度下げていたフワライドは、身を逃がそうとするも凌ぎきれず、直撃こそ免れたものの身の端を焼かれている。

 急所に当たらずとも痛烈なのだ。悪タイプのスカタンクが放つ自慢の一撃は、それを弱点とするゴーストタイプの相手には実に有効だ。

 

「コソコソ戦う奴に限って、いざ種が割れて直接対決となれば弱いのよね。

 ジムリーダーって言う割には大したことない感じ?」

「ふふ、マーズ、あまり言い過ぎてあげるもんじゃないわ。

 所詮は脇役、チャンピオンの腰巾着を高く見過ぎるものじゃないわよ」

 

「やれやれ、返す言葉もありません。

 実際、アタシはエキストラですからねぇ」

 

 トランシーバーを手にしたまま戦うマーズとジュピターの姿を前にして、メリッサは苦笑いでこの苦境への感情を誤魔化している。

 霧に紛れてアカギやサターンの足止めに手を尽くしていたが、想定よりもずっと看破されて居所を掴まれるのが早い。

 きっと、この二人が自力で気付いたわけではないだろう。メリッサも人を見る目はある方だと自負している。

 状況を冷静に見極めたサターンかアカギ、それがこの二人を自分に差し向けてきたのだと、確かめるまでもなく確信できるほどだ。

 

「脇役のままここで人生を終えたくなければ、さっさと回れ右して帰りなさいな。

 生きて帰ることさえ出来れば、みんながちやほやしてくれるじゃないの」

「フフッ、羨ましいですか?

 あなたの眼差しには皮肉に隠したジェラシーが見え隠れしますよ?」

「まさか。

 ジムリーダー如きの器に収まることを選び、その力を行進のために振るい自らのために用いないなんて、そんなつまらない人生はまっぴらだわ」

「あなたはそれが叶えられなかったから、自らに勝る力を持つ者の下につき、悪行を重ねることを選んだのでしょう?

 それもまた貴女の人生です。ダーティに輝いてますよ」

 

 ゲンガーがメリッサのそばへ、フワライドが高所に構え直す中、ジュピターとメリッサはお互いに強く揺さぶり合う。

 年の功かジュピターの痛いところを突くメリッサだが、ジュピターもまた自らの泣き所を突かれて怯むほどその芯は弱くない。

 腹は既に、遥か昔から据わっている。そうしてここまで来たのだ。

 

「ブルー! 行きなさい!

 どうせこのババアはジュピターに喋る時間与えても揺れないわ!」

「あらあら、ナイス判断かもね!

 スカタンク、あなたも行ってらっしゃい!」

「ゲンガー、フワライド、迎え撃ちますよ!

 アタシのことは気にせずファイトなさい!」

 

 舌戦が効果的でない相手だと感じるや否や、力でねじ伏せることを選んだマーズの判断もまた的確だろう。

 ジュピターもそれに合わせて強襲へと移り、火炎放射でゲンガーとメリッサを纏めて焼かんばかりの攻撃だ。

 トレーナーアタックはポケモン達を変貌させてしまい得る危険な一手でもある。それさえも厭わない。

 この日がギンガ団の悲願叶えられし運命の日と信じているジュピター達にも、明日のことなど考えない覚悟が備わっている。

 

「醜い……!

 これだけの力を身に付けながら、胸を張れることにそれを向けられないとは……!」

 

 短い一つの形容詞で以ってマーズとジュピターの凶行を断じ、火炎放射を右に躱したゲンガーとは逆の左へと身を逃がすメリッサ。

 自分が回避することも計算のうちで、殺意さえある自分達だと脅しをかけてきたのだとはメリッサも感じている。

 渦を巻くように迫った炎の砲撃が身のそばを通過し、肌が焼けるような痛みに表情を歪めながらも、その瞳には次第に激情が浮かび上がってくる。

 

「あんたの身勝手な価値観であたし達の思想を物語って欲しくはないわね!

 あたしは今でこそ満足よ! 果たしたい未来に向けてこの力を活かせる! たまらないわ!」

「同じことを過去の自分に言えますか……!

 失望した幼き自分に白い目で見られることを恐れずに!」

「ガキの安い感情なんぞ知ったこっちゃないわ!」

 

 ヘルガーの牙がゲンガーを捕えかけたところに吹くフワライドの強い風が、ダメージを避けるヘルガーを一度は翻弄する。

 ゲンガーから距離を取られ、その手を向けられたところでヘルガーも、ならばと口を開いて火炎放射だ。

 "ナイトヘッド"を放とうとしていたゲンガーは、迫る炎を目の前に両手から発する力を"サイコキネシス"に代え、炎を操り上方へと曲げる。

 まさに自らを呑み込もうとしていた炎を、すんでのところで両手を振り上げたゲンガーの力により、僅か指先を熱くさせる程度に炎は空の彼方へ消えていく。

 

「勝ち取ることでしか得られないものが欲しい時、あなたはどうするの?

 敵対する者の望みを踏みにじるのか、諦めるのか。

 自らの望みに蓋をして、相手の希望を潰さぬように退くのが優しさだと?

 つまらない人生の始まりよね!」

「ロジックで繕わねば正当化できない信念に正義などありません!

 フワライド!!」

 

「――――z!」

 

 いつの間にか"たくわえて"いたフワライドが、"はきだす"ことでヘルガーとスカタンク双方に、空気の塊のようなものを発射した。

 歪んだ大気の凝縮体は目に見えづらく、しかし危険な一撃だと本能的に察したターゲット両名も、追撃を遮断して退き躱す。

 地面に着弾したそれらは岩盤を破壊するほどの爆発を起こし、爆心地から離れたヘルガー達に岩の礫をぶつけるほどの威力を見せ示した。

 可燃性の強い気体の凝縮体に火をつけたかのような爆裂は、直撃していれば只では済まなかったことなど見るも明らかだ。

 

「ゲンガー!」

「スカタンク、撃て!」

 

 対象に恐ろしい幻覚を与えることで精神を著しく傷つけるゲンガーのナイトヘッド、それを差し向けられながらも悪の波動を放つスカタンク。

 ナイトヘッドを受けた瞬間、思わず振り返りそうになったかすかなスカタンクの首の動き。

 幻覚とは視覚的なことばかりではない。聴覚を揺さぶることもある。

 断末魔めいたジュピターの悲鳴を耳にさせられながらも、それは嘘だと振り切って攻撃を貫いたスカタンクの精神力は強い。

 その一撃がゲンガーを襲い、抜群の威力で以って三歩後ずさらせるほどのダメージを与えている。

 

「それが嫌で、アタシはシンオウ地方に逃げてきたんですよ……!

 心優しいポケモン達を、私欲を満たすだけに使い潰すことしか考えない、そんな世界はもう見たくない!」

「あははは、無力なあんたが去った国はさぞ薄汚れた世界だったんでしょうね!

 そして、今も! あなたにはそれを変える力が無かった!

 あたしだったら、望まぬ世界がそこにあるならそれを覆すために、手段を選ばず戦い抜くわ!」

「なにがそんな世界よ、トップコーディネーターなんでしょ?

 華やかな世界ばかり見てきたんじゃないの?」

 

「フフッ、栄えに栄えたそんな世界こそ、その裏には大きな歪みもあるんですよ……

 富を手にした一握りの者が、数多の涙も顧みず至福を肥やすだけの世界。

 ありふれたそんな国々を放浪した末に、ようやくアタシはこの楽園に辿り着いたのですから……」

 

 地方の中心に王都とでも呼べそうなほど栄えた都、華やかな世界。

 お金持ちが贅を尽くし、満たされた人生を謳歌する中、同じ都の中でさえ日陰を覗けば、貧しき者が明日の食べ物さえ約束されない下町という名のスラム。

 そんな国や地方の方がずっと多いのだ。自分自身の住まう国が、知らないだけで実はそう、なんて実状が大半を占めるほど。

 理想郷を目指して多くの世界を渡り歩いてきたメリッサにとって、格差無く人々が幸せに過ごせるシンオウ地方とは、まさに夢の世界のようだとさえ見えた。

 見たくもないものを嫌というほど見てきた大人達にとって、どれほどこの地が楽園に感じられたかなど、言うに及ばずとさえ断じられようというものだ。

 

「あなた達のように悪を自称する者達でさえ、こんなにもあなた達のポケモンに信じられ、好かれ、それに値するほどの愛情を注ぐことが出来る。

 それがシンオウ地方です! まさにユートピア!

 アタシはこの地に迎え入れられたことこそ、人生最大の幸福であると今でも信じてやみません!」

 

 両手を広げ、空を仰ぎ――いや、神おわすと信じられしテンガン山の頂を見上げ、メリッサは心いっぱいの大きな声を発していた。

 己の命も危うい激戦の中でだ。こんな時でさえ、今一度思い返せば、幸福と感謝の想いが際限なく溢れてくる。

 本当に嬉しかった、幸せだったのだ。片時たりとも忘れたことはない。

 自分のポケモンに盗みを命じ、上手くいっても収穫を横取りし、失敗して捕まった相棒が足蹴にされようとも見捨てて逃げる、そんな外道がここにはいない。

 

 あのスカタンクだって、あのヘルガーだって。

 悪行を命じられてそれに従ってしまうほど歪んだ倫理を持ちながら、常にトレーナーの立ち位置を気にしている。

 この激戦の中で、ご主人が傷つけられることだけは最優先で阻めるよう、ゲンガーやフワライドと睨み合いながら常に構えている。

 あれはビジネスパートナーを失っては困る眼ではない。

 仮にメリッサがジュピターをナイフで刺せば、スカタンクは使命感ではなく憎悪で以って、メリッサのことを死ぬまで引き裂くだろう。

 それだけ愛されるだけの情を、あの二人でさえもが身内には注いできたことが、決してメリッサには疑えない。

 きっと二人はシンオウ地方の生まれ育ちなのだ。優しい人々やポケモン達と共に幼き頃を過ごしてきたからこそ、きっとその性根には美しき魂も眠っている。

 家も無く信頼できる家族もいない、365日の垢と共に路地裏で育った幼き日々の末、大人になってしまった純粋悪とは一線も二線も画すはず。

 だからメリッサは、シンオウ地方が大好きなのだ。

 

「この理想郷をぶち壊しになどさせません……!

 あの日幼く、弱く、無力であったアタシには勝ち取れなかったものを、この楽園でまで失いたくはない!

 培ってきたこの力の使い時は、今を以って他にありません!」

「その結果、あんたが死ぬことになっても?」

「本望ですとも!」

「形無きものに身を預け、ましてその身を亡ぼすなんて愚の骨頂よ。

 年上のそんな姿、見ているだけで哀れになるわ」

「懸けられるものがある人生ほど、満たされたものはありませんね……!」

 

「……あんた、喧嘩なんて好きじゃなさそうね」

「フフッ、そうですね……

 こうせざるを得なくなってしまったこと自体、哀しいですが……」

 

 ジュピターとの言葉のぶつけ合いには熱を以って応じるメリッサも、ふっと口をついたマーズの言葉には、目尻を下げて静かな返答を返すのみ。

 戦いとは何か。己の意に沿わぬものを屈服させ、自らの望みを相手に強要する手段。

 醜いだろうか、野蛮だろうか。だが、戦うことをやめた時、戦うことそのものよりも醜い未来が待っていることもある。

 血を流すことでしか得られない平穏。それは、既に悲劇である。

 これほどまでに恵まれた地であるシンオウでさえ、そんな悲劇からは免れきれなかったこの現実が、メリッサにとっては何よりも悲しい。

 

「それでも今は大人になったのです……!

 戦うことを選ぶ勇気すら持てなかった、幼き頃の自分自身に胸を張り、あなた達に挑める己を恥や悔いなど一抹もありません!」

 

 動き出してしまった歯車はもう止まらないのだろう。

 だが、それを食い止めるためのかすかな欠片になれるのなら。

 たとえその結果、自らが磨り潰されてしまうとしたって。

 培ってきたこの力を振るい、これ以上の取り返しのつかない結末、愛してやまぬこの地が暗黒世界となる末路を阻めるなら。

 親しいシロナや、彼女と同じ志を持つスズナやスモモやナタネといった、年の離れた友人の望むであろうことに応えるためだけではなく。

 此度、たとえ及ばずとも全てを賭すことさえ躊躇わない。

 シロナに協力を求められた時にはっきりと決めた肚だ。メリッサの感情と信念が彼女自身を突き動かして今に至る、紛うことなき私闘である。

 

「さあ! お付き合いして頂きますよ!

 アタシのラストショー、見届けるまではご退場厳禁です!!」

 

 奮う魂、自ずと張らずにいられぬ声。

 敗北が死にも直結する戦いの中で、敗色濃厚の多勢に無勢。

 辿り着いた人生の終着点であると割り切ればもう恐れはない。

 きっと自分はこの日のために、苦いものを吐くほどすすりながら、長い長い旅を続けてきたのだ。

 故郷よりも深く愛せるこの地に今抱かれて。そして今なお脳裏によぎる、この地で巡り会えた眩しいほどの思い出に包まれて。

 冥利に尽きるとはこのことだ。

 

 襲いかかるヘルガーとスカタンクを前に、ゲンガーとフワライドに指示を出すメリッサ。

 じきに、ゲンガーが膝をついても、フワライドが倒れても。

 最後の切り札であるムウマージを出したその時、未だスカタンクとヘルガーには余裕が残る状況で、いよいよ絶望的な局面になっても。

 メリッサの胸の内は、表向きこそ必死の形相でありながら満たされていた。

 

 決して大いなる偉業を成し遂げられなくたっていい。

 己の人生を、いま最も信じられる、胸を張れるものに対して費やせること。

 それが、一握りの主役に選ばれなかった数多の者達が、その手に掴み得る最大級の幸福であり、決して誰にも辱められようもない偉業そのものだ。

 大人になって、メリッサが学んだことの一つである。



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第126話  冷たき山の中腹で

 

 

「まったく、食い下がるじゃないか。

 そろそろ引き上げた方が賢明なんじゃないか?」

「つまり、あんた達はさっさと引き上げて欲しいと思ってるのよね……!

 グレイシア! ぶちかましてやりなさい!」

「やれやれ。

 ミノマダム、わかっているな?」

 

 それは、体勢決したと言える戦況だった。残酷なほどに。

 スズナのグレイシアが発する吹雪は、あられの降りしきる環境下において必中の大技に違いない。

 全方位に向けてそれを放つグレイシアの決死の一撃を、サターンのミノマダムは"まもる"構えで無効化し。

 さらには主人たるアカギから離れて自己判断のみで戦うマニューラも、我が身とグレイシアの間にスズナを挟んで吹雪の放射領域から免れている。

 余波程度には冷気を受けても、元よりマニューラは氷ポケモンだ。

 それではたいしたダメージは受けないし、同時に、直撃を受けては流石に後々響きかねないダメージを、そうして傷を小さくする強かさを持ち併せている。

 

「ユキノオ……」

「――――z!!」

 

 そしてこの場にトレーナーのいないマニューラは、自身の判断で以って為すべき仕事を果たさんとする。

 指示を必要としないから行動も早く、スズナを傷つけまいと彼女のそばに構えるユキノオーへ急速接近し、"シザークロス"の一撃で痛打を与え。

 抜群の一撃を受けてたじろぎかけたユキノオーを前に、深追いせずにすぐさま後退だ。

 

「ッ、ッ――――z!!」

「~~~~♪」

 

 返しの撃退が来ることをわかっているマニューラだ。

 現にスズナのユキノオーは、腕を振り上げて"ゆきなだれ"の反撃を発している。

 それに対し、距離を稼いであったマニューラもまた、余裕の顔で爪先を振り上げて"ゆきなだれ"の反撃だ。

 傷を受けた怒りのエネルギーを込めたユキノオーの雪なだれと比較して、自分の発する同じ技が威力で劣ることも理解している。

 自身の技で半分相殺した、相手の雪なだれが勢いを欠いたところで、高く跳躍して迫る低い雪の波を凌ぐだけだ。

 

「――――♪」

「ッ…………!」

 

 そして、高所から撃つ"きあいだま"で以ってスズナを狙い撃つのだ。

 自身の窮地がポケモン達の足を引っ張るとわかっているスズナとて、不意より撃たれるその技を躱す足は追い付かない。

 逃げようとして凌ぎきれる確率は半々というところ。悪い方に確率が振れれば死ぬ、そんな窮地。

 とあればユキノオーが我が身を呈し、スズナの前に立ちはだかって手を広げ、その技を一身に受けるしかないのだ。

 

「とどめだ、ミノマダム」

 

 そして、ユキノオーの行動とぐらつく背中に已む無く気を取られる瞬間にも、ダブルバトルのもう一角では展開が進んでいる。

 ゴミのミノを纏うミノマダムの放つ"ラスターカノン"がグレイシアに直撃し、その足に踏ん張る力を失わせて吹っ飛ばす。

 ほんの少し前をも含めて、三発目の直撃だ。抜群の相性に加え、一度目と二度目の被弾で失ったものも含め、これはグレイシアへの致命傷となった。

 ラスターカノンには微々ながらもその光撃によって、相手の目を眩ませて耐久性を損なわせる効力があるのだ。

 持久戦に秀でることを誇る、そうと知って育てたサターンのミノマダムをして、じっくりと戦う戦略には非常に噛み合う技である。

 

「さて、いよいよ後が無いな。

 幾度もあったはずの引き際を完全に失った自覚はないか?」

「そんなもの最初っから無いからね……!」

「我々を最大限足止め出来ればそれで良し、か。

 自分がどうなろうとそれで良いと言うのなら見上げたものだ」

 

 この日スズナは間違いなく、発揮し得る限りの全力で以ってこの場に臨んでいた。

 本気を出したジムリーダーという強い表現が適切なほど、最も強く鍛え上げた手持ちを最大限に携えて。

 それでも、アカギとサターンというトップクラスのトレーナー両名の手駒に、さながら多勢に無勢で攻め立てられては分も悪い。

 今やスズナのそばに立ち、満身創痍の体で彼女を守り抜かんと息を荒げるユキノオーを除き、戦える仲間はもう残っていない状況まで追い詰められていた。

 

 メリッサと協力し、妖しい霧によって視界的にも精神的にもアカギ達を足止めしようとしていたスズナの思惑は、サターンとて既に見切っている。

 ギンガ団の宿願を阻む勢力の中にあって、最強の大駒はシロナに他ならない。

 毒を打ち込んでやった実績も記憶に新しいサターンをして、それでもあいつは必ず自分達を追ってくるだろうという確信がある。

 旧知の親友なのだ。理屈じゃない、あいつは必ず追ってくる。

 スズナ達は、シロナが自分達に追い付くための下ごしらえが出来ればそれで良いのだ。こいつらは、そのために命さえ張れる正義のともがらだ。

 

「だが、粋がった代償というものは支払って貰わねばな。

 他人事ではない現実だぞ?」

「……ええ、本望よ。

 こんな大切な時に、いざ参じればどうなるかが怖くて引きこもってる自分のことなんか、あたしは絶対許すことは出来なかったでしょうから」

 

 真正面からスズナとユキノオーを見上げるミノマダムと、側面位置から同様にスズナらを舌なめずりして狙い定めるマニューラ。

 余裕に溢れた敵を二体も前にし、自身の命を守るのは傷だらけで今にも倒れそうなユキノオーのみ。

 それが撃破されればもう丸裸だ。なすすべもなく引き裂かれるのみ。

 この現実に直面し、いよいよスズナも脚の震えを止めることが難しくなる。

 震えがこの寒さによるものではないことなど、頬をつたう冷や汗からも明白だ。

 

「あんた達の野望は、世界そのものの理をぶち壊しにさえしかねない。

 その果てには、あたし達が今まで過ごしてきた平穏な世界すら失われ、隣人と笑い合える日々さえ過去のものになりかねないものよ。

 あんたがあたしの立場だとして、じっとしてられる?」

「出来ないな」

「でしょ? だったら死ぬまで戦えるの」

「よろしい。

 敬意を払って、その覚悟に報いよう」

 

 いよいよ本当に自らの末路を意識せざるを得なくなって尚、スズナが強情に笑む姿にはサターンも頷けた。

 なるほど、説得力があるな、と。共感すら抱ける。

 発する言葉自体は狂言回しだが、決死の徒を情けにて見過ごす愚は犯さない、そんな表明でもある。

 覆しようもなく追い詰められたスズナとユキノオーへ、ミノマダムのラスターカノンとマニューラが突き進む構図は、決着までのカウントダウンを刻んでいる。

 

「撃てえっ! ユキノオー!!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

 ラスターカノンをその身で受け、スズナを庇うようにしてマニューラのシザークロスをも受け。

 力尽きる寸前に、最後の力を振り絞ってユキノオーが放つのは、受けたダメージの怒りをエネルギーに変えて放つ雪なだれ。

 どうにかスズナをこの死地から守り抜きたい、そんな想いも強く込められたその腕の一振りは、まさしく津波のような勢いで前方をいっぱいにする。

 

 そんな死力を尽くした反撃であっても、高々と跳躍するマニューラは雪崩をあっさりと躱し。

 ミノマダムはここまでの戦いで積もった雪の中に潜り込んで、ダメージを最小限に抑える。元々ゴミのミノ、氷の一撃には強い強度もある。

 決死の一撃を放って力を失いかけ、肩を落とした瞬間のユキノオーに上空から迫るのは、返り血の未来に昂るマニューラの爪先だ。

 

「ありがとう。今まで本当にね」

 

 脳天を貫かれるユキノオーの未来を阻んだのは、それをボールに戻したスズナの行動である。

 落下しながら振り下ろしかけた爪は矛先を失い、マニューラは舌打ちしながら着地する。

 だが、そう離れてもいない場所に丸腰の獲物、スズナを目の当たりにすればマニューラもすぐ上機嫌になる。

 その悪辣な笑みと共に、自らの爪を舌で舐めたその仕草は、スズナも一瞬息が詰まるほど恐ろしい。

 半ば本能的に一歩退がってしまった足、それでももう一歩は引き下がらぬよう、震える腰と脚に力を入れて、踏ん張って。

 生来のサディストであることさえ匂わせる悪しき刃を前に、情けなく逃げて喜ばせることだけはするまいという最後の意地。

 

「あたしは、使命を果たしたわ。

 あなた達の夢破れた時、あたしの功績を思い出して悔しがってね?」

「無力な者が言うことはいつもそんなところだ。

 ミノマダ……」

 

「――――――――z!!」

 

 胸を張りつつ、いよいよを覚悟したスズナを襲ったのは、前かがみになり襲い掛かる構えになっていたマニューラでも、ミノマダムのラスターカノンでもない。

 彼方よりの咆哮と同時に起こる、立つことも難しいほどの激しい地の揺れだ。

 短いスカートのスズナが、震えていた脚で踏ん張ることも出来ずはしたなく転び、マニューラも爪を雪に突き立てて杖代わりに踏ん張るほど。

 

「っ……!

 来るぞミノマダム! 凌いでみせろ!」

 

 この場で最も特筆すべきはサターンだ。

 はじめから意識的にそばに置いていた岩に手をかけ、転ばず踏ん張りミノマダムに指示を発する強い声。

 硬いミノの下方先端を雪で覆われた岩盤に突き刺して踏ん張っていたミノマダムは、サターンの指示どおり急接近する敵の猛襲を高く跳ぶことで躱してみせた。

 手足も無い小回りの利かなそうな外見をして、これほどの身軽さと瞬発力を見せるのは、流石トップトレーナーに育てられた優秀な個体というところ。

 

「やはり来たな……

 間に合わせてしまった辺り、ジムリーダーも健闘したと見做すしかあるまい」

 

「コウキ!」

 

「ミノマダム! 雪を撒け!」

 

 ミノマダムを急襲したのは、凄まじい速度で迫ったガブリアスだ。

 親友の代名詞とも言えようその個体の推参に、サターンの取る行動もまた早い。

 "サイコキネシス"で以って、周囲に積もった多量の雪を一気に舞い上げ、ほんの短い間ながら濃霧にも勝る雪のベールを作り上げる。

 吹雪の中では視界が悪くなるのと同様に。そしてその大量の雪は、ガブリアスを襲う雪の壁が倒れ込むような攻撃をも兼ねている。

 氷点下の攻撃には身体の芯まで冷やされてしまい、継戦能力を著しく削ぎ落とされるガブリアスは、舌打ち混じりに大きく退くしかない。

 

「スズナさーーーーーんっ!

 スズナさん大丈夫ですかーっ!?」

 

 ガブリアスをパートナーとするシロナ、そして彼女に並んで駆けるパールの声が、張り詰めていたスズナの全身から一気に力を失わせる。

 ぺたんと座り込んだまま、骨抜きにされたように肩を落とし、うつむきぎゅっと拳を握りしめる彼女に、パールとシロナは駆け寄っていく。

 いくら覚悟していたとは言っても、本当に死ぬと思っていた一幕から免れた緩和は、一人の女の子が足腰立たなくなるには充分だ。

 

「ちょっとスズナ、はしたないわよ……」

「えっ、あっ……あ、あはははは!

 恥ずかしいところ見られちゃったな……」

 

 座り込んで立てないまま、慌ててスカートを押さえるスズナを前に、パールもシロナも笑えない。

 シロナは敢えて呆れ気味の苦笑いを浮かべていたが、それも本心とは異なる、死に瀕した友人に危機は去ったことを実感させるためのものに近い。

 あの強い心根を持つスズナが、ここまで腰砕けになっている姿からは、只ならぬほど恐ろしい局面にあったからだとしか感じられないのだ。笑えない。

 

「あいつ、逃げたわね。

 しっかり追いかけてとっ捕まえてやらなきゃ」

「シロナ……

 やっぱりあいつ、あなたの……」

「ええ、元親友。

 ぶん殴ってでもあいつの凶行は止めてやらなきゃって思ってるわ」

 

 拳を握りしめ、冗談めかして笑うシロナを見上げるスズナは、シロナの胸中を慮ってやまない。

 スズナはサターンの素顔を見てしまっている。それが、トバリのギンガ団オーナーとして名高いコウキであることも。

 シロナと親しいスズナが、コウキとシロナの関係を知らぬはずもないのだ。

 気丈に拳骨を見せつけるシロナの姿が、棘の刺さった内心を隠すためのものに見えてやまぬのも、スズナの立場からすれば已む無きことである。

 

「シロナさんっ! 行きましょう!

 スズナさんをこんなにしたあいつをめっためたにしてやるんです!」

「…………ええ、そうね。

 スズナ、後は自分で山を降りられそう?」

「……あはは、大丈夫。

 こっぴどくやられちゃったけど、帰るだけの余力はあるわ」

 

 複雑な感情を胸に、互いに向け合う言葉が見つけられなかったその間を裂いたのは、思慮ゼロとも捉えられようパールの感情的な声と挙動である。

 ぎゅっと握った拳を二つとも振り下ろして、ふがーっとサターンへの怒りをありありと表明して。

 好きな人が傷つけられたら怒る。普通の感情だ。

 慮りを覚えた大人になればその表し方さえも、時と場合によって考え過ぎることもあろう。

 この率直さが、大人になると羨ましくなる時もある。最悪、羨むか妬む時さえも。

 まして、尊敬するスズナを傷つけられたことに怒りこそすれ、真の復讐や憎しみとは一線も二線も退いた、程度の知れた報復文句が二人を少し笑わせるほど。

 めっためた、って。憎い相手を殴りつけて立てなくする表現ながら、彼女はそこまでしないだろうなという甘さ幼さは、重い現実を意識する大人に無いものだ。

 

「スズナさん!

 ぜえったいカタキは取ってあげますからね!

 私、シロナさんほど強くないけど超がんばって力になりますから!」

「うん、信じてる。

 ナタネに誇って話せるぐらい活躍して、元気に帰って自慢話してね」

「はいっ! 任せて下さいっ!」

 

「ほらほらパール、行くわよ!

 あいつを逃がすわけにはいかないからね!」

 

 慌ただしい運びでスズナを置き去りにしていく二人を、スズナは目を細めて見送るのみだ。

 ジムリーダーとして、シンオウ地方で最も腕の立つトレーナーと目される立場の意地として、もっと爪痕を残したかったけど。

 望ましいほどの結果を残せず、片付けきれなかった苦難へ突き進む彼女らを見送ることしか出来ない、無力な自分が悔しいけれど。

 果たすべきことは果たした。そう割り切って、がくついた足で立ち上がり、下山への道を歩み始める他ない。

 

「もっと……もっと、強くならなきゃ……

 あたし自身が、みんなに誇れるぐらいにまで……」

 

 何十何百の後進を導くジムリーダーという立場を、誇張無く立派に果たせる大人になったとしても。

 あなたが勝てなかったなら仕方ないよ、という慰めの言葉を心から向けられるほど、世間に広く信頼される実力者として名高くあったとしても。

 ありふれた百勝とは比べようもない、ここ一番での一勝を掴み取れる力量が備わっていなかった己に対する悔しさは、童心のあの日と同じく未だ失えない。

 

 何歳になっても大人とて挑戦者だ。

 誰の目にも羨むほどの成功を収めた大人を見上げ、僕も私もこんな人のようになりたい、と子供達に敬われる大人でさえ、常に満たされているわけではない。

 人生は長いのだ。いくつになっても挫折はある。

 唇を噛み締めて山を降りていくスズナもまた、己の力が巨悪に及ぶか不安を抱えてサターンを追うパールと、その本質は何ら変わりはない。

 今よりももっと、最高の自分になりたい。高潔な志とわざわざ美化されるべきではない、誰しもが普遍的に望むありふれた渇望がある。

 大人も子供も変わらないのだ。背丈が大きくなったって、完璧な人間になんてなれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くは……っ……!」

 

 そして、もう一人。

 ブニャットの体当たりが人間に向けて差し向けられ、その素早く重い一撃は人の身に到底耐えられるものではない。

 突き飛ばされたメリッサが、山の岩場に倒れて頭を打ち、立ち上がれなくなったところへブニャットが駆け寄っていく。

 ぴょんと跳んで、メリッサの体の横に四本足を着地させ、大きなお腹でのしかかりだ。

 肺を潰さんとする一撃に、下敷きになった彼女は目を見開いて空気を全部吐き出すと、その全身からも力の全てを絞り出されてしまう。

 

「あははは、無様ねぇ。

 意気込んで来たくせに、なんてザマかしら」

 

「――――、――――――?」

「…………」

 

 スズナがサターンと戦っていた場所は、高所を挟んだ向こう側離れた場所。丘一つ隔てた遠くとでも言い換えられる。

 シロナ達がスズナの方へと合流し、彼女を救うことが出来た反面、もうこちらまで助けに来る余裕はないだろう。

 救援の見込めぬ絶体絶命の状況の中、抗いようもない絶対的な力を持つポケモンに組み敷かれるメリッサを、救ってくれる味方もそばにいない。

 

 すべて、マーズとジュピターのポケモンに打ち倒された後だ。

 元より極めて腕の立つ二人を一人で相手取るのも無茶なのに、ましてゴースト使いのメリッサにとってマーズ達のポケモンは相性が悪すぎる。

 ヘルガーとスカタンクは言わずもがな、そして"ねこのて"でヘルガーの技を借るブニャットは、ゴースト技が通用しないため余計に始末が悪い。

 厚い脂肪で押し潰されているメリッサは、コイツどうする? とマーズを見返して指示を仰ぐブニャットの下で身動きもとれない。

 泣いて悔いるか、観念して身を預けるかしかない局面だ。

 呼吸すら難しい中、メリッサはぎゅっと目を閉じて、とどめの一撃による絶大な痛みを覚悟し歯を食いしばっていた。

 

「…………ニャムちー、行くわよ」

「――――♪」

 

 マーズがブニャットをボールに戻す所作を見せ、ブニャットもまた、むしろ上機嫌そうに頷いた。

 ボールに戻っていくブニャット。自分を圧し潰していたものが消え、息をするためのお腹が上下できるようになる。

 恐る恐る目を開けるメリッサが顎を引けば、マーズの行動に意外さを覚えたジュピターの表情と、ブニャットのボールを撫でるマーズの姿が見える。

 

「甘ちゃんねぇ、あなたは。

 あなたがやらないなら、スカタンクに任せましょうか?」

「下らないこと言ってないでさっさと行くわよ!

 とっくにガラクタになった奴に技使ってもしょうがないでしょうが!」

「おおっと、怖い怖い♪」

 

 もの凄い剣幕でジュピターを制したマーズは、ジュピターから見れば悪党になりきれない、最後の一線を越えられない若者と映る。

 自分が手を下すこと自体ではなく、ジュピターが代わりに手を汚すことになろうが、その事象そのものを受け入れ難いのだ。

 やれやれ、と肩をすくめるジュピターを睨みつけて、先に行くことをしないマーズ。

 自分が先に行ってしまったら、ジュピターが一人でメリッサにとどめを刺してしまうことを危惧して見張っている。

 

「命拾いしたわね、弱くて無力なジムリーダー様。

 せいぜい打ちひしがれた身でとぼとぼ歩いて帰るといいわ」

 

 メリッサのプライドを傷つける言葉を吐き捨てて、ジュピターは先行しているサターンやアカギに追い付くべく走りだす。

 マーズもそれを見送ってから、メリッサを一瞥して駆けていく。

 結果的に、メリッサは命拾いすることになったのだ。

 一度は諦めすらした命であったが、どうやらそうでなくなったことを見受け、メリッサはやや茫然とした頭でありながらも体を起こしていた。

 これほどの出来事の直後で行動が早いのは、年の功であるとも言えようか。

 

「ふぐぅ、っ……!

 折れてるかも、しれませんねぇ……」

 

 最後にブニャットに体当たりされたダメージが、胸の下でびしりと響いている。

 気分と顔色が悪くなるのは骨折の症状だ。体を潰しているものが無くなった今でも息がしづらい。

 倒された時に腰を打ち付けたこともあり、寒い山肌の上で立ち上がれずにいるメリッサは、身体を震わせ耐えるしかない。

 

「……あら?」

 

「――――…………!」

 

 少し休んだら、なんとか耐えて立ち上がって帰ろうと思っていたメリッサだが、彼女のボールから一匹のポケモンが姿を現した。

 先ほどの戦いで、戦闘不能に追い込まれたムウマージだ。メリッサにとっては最も付き合いも長く、一番の相棒と言えるポケモンである。

 致命的な攻撃を受けた後でさえ、最後の一匹としてメリッサを守るため、限界を超えて奮闘せんとしたその身は傷だらけ。

 帽子のような形をした頭部の一部は欠け、下半身は虫食いのように所々が破れたり穴が空いたりしている始末。

 服や飾りではなく自分の体がそうなっているのだから、今でも痛みは甚大なものであるはずだ。絶対に戦えるような体ではない。

 

「――――z!!」

「ちょ……!?

 いたっ、痛い痛い痛いっ、やめ、やめてっ……!」

 

 ムウマージはおもむろに、メリッサの胸元に顔をうずめてきた。

 あばらが折れていそうな気がしていたメリッサ、そんなところにぐいぐい体を押し当てられるとたまらない。

 有り体に言ってやばいぐらい痛い。死んじゃうほど痛い。

 ようやくムウマージが体を離してくれた時、メリッサはブニャットにぶっ飛ばされた直後以上に、目の前が白黒して今にも意識が飛びそうであった。

 

 ムウマージが何をしたかと言えば、メリッサの懐から"ふっかつそう"を力ずくで抜き取ったのである。

 弱った体でそれをむしゃむしゃするムウマージ。恐ろしく苦い。吐きたくなるほど苦い。

 べえっとしそうになるのを耐えて、ごっくん呑み込んでなお顔面真っ青のムウマージの姿は、本来メリッサから見ても痛々しくすらある。

 まあ、折れたところをぐりぐり拷問された直後のメリッサ、ムウマージの顔色を窺う余裕は全くないのだけど。

 

「い……言ってくれれば、出しますのに……」

「――――z!」

 

 うそつきっ! と主張するようなムウマージの声。

 メリッサが旅の中での万一の備えとして、ふっかつそうを常に一つは持ち歩いていることをこのムウマージは知っている。

 荒んだ治安の悪い地方を渡り歩いた時期の長いメリッサ、その頃から一緒だったムウマージだけが知る、彼女のくせか習慣のようなものだ。

 とは言え平穏なこの地方に移り住んで以降、それを使う機会は殆ど無く。

 長い長い時間、使われずに熟成されていくそのカンポー薬たるや、本来以上に苦さを増して余程の味になってしまっている。

 

 そしてメリッサは、このムウマージが元々苦い食べ物が嫌いなのも知っているのだ。

 下山するためのボディガードとして、戦闘不能に陥った誰かにこの薬をついに与えるとしたって、絶対に自分じゃなかったとムウマージは確信している。

 あっても恐らく、苦いものを好む傾向にあったゲンガーだろうなと。

 そんなの嫌だ。私がメリッサを守るんだい。

 メリッサの切り札が、自分とゲンガーのダブルエースなのはわかってる。だけど、親しいあの仲間にも譲りたくないものだってある。

 ムウマージだって、メリッサの一番でい続けたいのだ。

 

「…………無茶しちゃ駄目ですよ」

「~~~~!」

 

 やだやだ、メリッサがいなくなるぐらいだったら、そうならないよういくらでも頑張る。

 傷ついた身体で涙目で首を振るムウマージは、今度はメリッサの傷に響かないよう、ゆっくりひたりとメリッサの後ろからその背中を温める。

 寒い場所で立てないメリッサの身体が冷えないよう、死んじゃったりしないでと懸命に訴える。

 

「あたしは、大丈夫ですよ。

 あなた達を置いて、どこかに行ったりなんかしませんから……」

 

 一度は明日を諦めてしまったことに、少し心がちくりとする。

 どうにもならなかったのは事実だけど。

 それでもここまで自分のことを愛してくれる身内を置いて、遠き世界へ旅立つ覚悟を決めていた自分のことは、少し罪深く感じるというものだ。

 真の意味での決死の覚悟というものは、やはりそれが言葉どおりであればあるだけ、あまり美化されるべきではないのだろう。

 

 効果抜群、ポケモンの回復能力を一時的に飛躍的に高め、どんな傷でも治してくれるふっかつそうの効果が効いてくるまでには時間がかかる。

 今はメリッサと一緒にじっとしているムウマージ。傷が癒えて再び戦えるコンディションになるまでは数分かかるだろう。

 "げんきのかたまり"にさえも言えることだが、それがバトルの真っ只中にはあまり有用ではない所以である。

 それでも今のような、じっと待てる状況であれば帰り道で自分を守ってくれる仲間の傷を癒してくれる、それがこの手の道具の魅力であろう。

 ムウマージの回復と自身の息を整える時間を過ごすメリッサは、曇天の空を見上げて無力の悔しさとは別の想いを馳せている。

 今、自分が生きていること。ゆえにこそだ。

 

「……やはり、シンオウ地方を離れたくはありませんね。

 ここに生まれ育った人々には、"こころ"がある」

 

 あれほど悪事に手を染めているマーズでさえ、最後の最後で自分の命を奪うことは、仲間を制してでも嫌った。

 メリッサは思う。自分が生まれ育ったあの地で、今と同じシチュエーションを迎えていたら、悪人は何のためらいも無く命を奪ってきただろう。

 きっと、マーズはこの地方の生まれ育ちだ。

 どれだけ自らの目的を果たすためにその手を汚しても、非情の一線を越えなかった彼女の良心は、きっとこの温かき大地で育まれたもの。

 シンオウ地方は優しい人々とポケモン達で溢れた地だ。そして、人格を形成するのは環境である。

 人が集まる社会には、悪人と呼ばれる者が生じるのは世の常でも、きっとシンオウ地方に真の極悪人は本当に一握りなのだろう。

 追い詰めたメリッサを、邪魔をしやがっての怒りや憎しみに身を任せず、命だけは奪わなかったマーズの姿がそれを物語っている。

 

 無力は悔しい。敗北は身を焼く。

 それでもメリッサは、この世界に、シンオウ地方という自らの終着地に救いを感じている。

 だからこそメリッサは、ギンガ団がこの世界の理を覆さんとしているこの日、温かみに満ちたこの地の在り方を変えて欲しくないとも切望する。

 思い至れば、やはりいっそうに悔しい。自分の力で、その悪意の根源を断つことが出来なかったことが。

 敗者の苦しみは、負けたことそのもの、力及ばなかったことそのものに限ったことではない。

 

 動けぬメリッサは空を仰ぎつつも目を閉じて、心の底から祈っていた。

 シロナの、そしてパールの勝利を。ギンガ団の悪しき野望が打ち砕かれんことを。

 漠然とした世界の崩壊に対する恐怖というものよりも明確に、この世界を心から愛する者達にとってそれは耐え難い。

 シンオウ地方を世界中のどこよりも愛するメリッサの祈りはきっと、危機的なこの状況を認識する現時点の誰よりも、世界一強いものだった。



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第127話  凍えそうな雪山の空の下で

 

「……妙だな」

 

 サターンは、先行しているアカギを追う中で違和感を得ていた。

 よもやボスは駆けているのだろうか。走る自分がこれほど長く追い付けないのはおかしい。

 確かにスズナとのバトルで時間を取られ、先に進んでいたアカギとの間に距離が出来ているのは確かだ。

 だが、これまでの付き合いでわかっていることだってある。

 すべてが思惑どおりに運んでいて、想定外の事態も無い今、あのボスが急ぐように足を駆けさせているとは考えにくい。

 あれはそういう人物ではないのだ。今の泰然とした足取りで歩いているであろうことは、サターンにしてみれば確信を以って言えること。

 

 山頂への順路はわかっている。

 自分はアカギが歩いている道と同じものを辿っているはずで、向こうが歩いている以上、走っている自分はそろそろアカギの背中ぐらい見えていい頃だ。

 漠然と感じられる。何かがおかしい。追いつくにはまだ遠い予感がする。

 まるで自分が、知らず知らずのうちに遠回りしているような――

 

 サターンは、未だシロナ達が追ってきているであろう現状を踏まえても立ち止まった。

 前進をやめてしまえば、追っ手に辿り着かれて余計な交戦を経てしまう、そんな見え透いたリスクをわかっていても。

 敢えて立ち止まり、神経を研ぎ澄ませて周囲に目を配るサターンは、この違和感の解決こそが最優先だと正しく判断したようだ。

 

「……………………そこか!

 撃て! ミノマダム!!」

 

 そして、見付けた。

 辿るべきはずの道を辿っていなかった自分、そうさせた存在。

 己が瞳が当然のように正しく認識しているはずのものが、一度冷静に立ち止まって周囲を見渡せば、想定していた景色と異なるものであったこと。

 自分の目をおかしくさせていた何者かの存在――具体的には"あやしいひかり"で以って、正しくない景色を見せていた何者か。

 異変にはっきり気付いてしまえば、後方の空に浮かんでいた小さな存在に向けて、ミノマダムのラスターカノンを命じるのもサターンは早い。

 

「メリッサめ、伏兵を忍ばせていたか……!

 二の矢に翻弄されるとは僕もまだまだだな……!」

 

 ラスターカノンに撃墜された存在が、ダメージを受けて落ちていく姿を見届けるも、サターンは深追いしない。

 今一度周囲を見渡し、ここがテンガン山のどこであるかを景色から見定める。

 見知らぬ山でそんなことをしようとしても遭難するだけだ。だが、ギンガ団幹部としてサターンは、テンガンの登山ルートなど幾度と下見を繰り返してきた身。

 ゴーストタイプの資格に感覚を狂わされ、あわや登山ルートを大きく狂わされる直前であったが、気付きが早かったのは幸いだ。

 少し進路を修正すれば山頂には向かえるだろう。充分、ボスには追い付ける。

 

「コウキ!」

 

「ちっ……!

 まあ、想定内ではあるがな……!」

 

 大局的に見れば多少程度に時間稼ぎさせられた程度だが、一番の脅威に追い付かれる結果を招かれたとあれば、やはり面倒な邪魔入りだったと感じる。

 ギンガ団幹部サターンをあの名で呼ぶような人物は限られている。

 姿を視認されてしまうほどまで近付かれたとあれば、逃げて交戦を回避することはもはや現実的ではない。

 

「お気に入りの後輩トレーナーを引き連れて、格好いい所でも見せたいか?」

 

「つまらない!」

 

 パールと共に姿を見せたシロナを、正確の悪い冗談で挑発するサターンだが、それをシロナはたった一言で切り捨てる。

 余計な心理戦は無用、とはっきり表明する態度。

 そしてその裏には、かつて親しかった旧友が、敵対者をこんな下らない言葉で煽る悪党に成り下がったことを、未だ受け入れ難きほど嘆いている本心もある。

 きっとそれは、サターンにも伝わっているはずだ。

 

「悪いが、お前達とのんびり対話してたい気分じゃないのでね。

 ミノマダム! 撃ち抜け!」

「!?

 ……――――z!!」

 

「パール!」

「ひぃゎ、っ!?」

 

 サターンが腕を振るう仕草と共に、ミノマダムにラスターカノンの発射を命じた矛先は、紛れもなくシロナとパールの二人だった。

 さしものミノマダムでさえ、嘘、いいの? というためらいを一瞬覚え、シロナ達に向けての砲撃が僅かに遅れたほどだ。

 パールとシロナは各々が思わず躱す動きを踏み、二人の立ち位置は離れてしまう。

 強力なミノマダムのラスターカノンが雪面を抉り、着弾点から氷結晶を霧のように舞い上げる中、パールは殺される寸前だったとばかりに心臓ばくばくだ。

 

 トレーナーを直接狙うことも厭わぬ極悪人相手を覚悟して臨んだシロナの回避は機敏だったが、ミノマダムの躊躇いがなければ本当にパールは危なかった。

 越えざるべき一線を超えたサターンを前に、ぎりと歯を食いしばったシロナは、握りしめたボールのスイッチを力強く押す。

 彼女に先鋒として選ばれたルカリオが雪山に降り立ち、鼻息を鳴らしてサターンとミノマダムを睨みつける。

 まるで、シロナの怒りを波導で以って享受し、それを己が感情のようにさえ感じ取って怨敵を憎むかのようにだ。

 

「はははは、甘い、甘いぞシロナ!

 冷静さを失ってるな!」

 

「く……!」

 

 人の癇に障る高笑いと、大きく開いた目と口で嘲るサターンがシロナを挑発し、懐を叩いてミノマダム共々その姿を消す。

 懐のユンゲラーが入ったボールに指示を出し、自分とミノマダムを少し離れた場所までテレポートさせるのだ。

 だが、それはシロナ達の視界内から完全に逃げるための一手ではない。

 すぐにシロナが視野広く見回した時、30メートルほど離れた場所にサターンとミノマダムは立っている。

 

「パール、行くわよ!

 あなたのパートナーを!」

「は、はいっ!

 絶対勝つよ、ミーナっ!」

 

 ルカリオを前にしてサターンへと駆け迫るシロナ、そしてミーナと共にそれに従うパール。

 自慢の健脚でルカリオをも追い抜かし、一気にミノマダムへと迫るミーナの速度は、味方を置き去りにする勇猛なものだ。

 稼いだ距離をあっという間に無にしようとするミミロルのスピードには、サターンもたいしたものだと感心する想いである。

 

「勇敢だ。

 だが、愚かだな……!」

 

 サターンが胸元のボールを取り出してスイッチを押し、ユンゲラーを我が傍に喚び出すと同時、ミーナの飛び蹴りがミノマダムに突き刺さった。

 決して軽くはない一打だ。それでいい。敵の第一撃はこれで凌げた。

 ミーナに続いてサターンの方へと迫るルカリオは、狙うべきはミノマダムかユンゲラーか、一瞬の思索のうちに結論を出している。

 チャンピオンに育てられた優秀な個体だ。指示で己の判断を曲げられぬ限り、自己判断でベストな選択を下せるだけの勘も培われている。

 

「ユンゲラー! やれ!」

「――――!」

 

「!?

 ――――――――っz!!」

 

 これはまずい。本当にまずい。

 思わず駆け足を立ち止まらせたルカリオは、広げた両手からいっぱいの波導を発していた。

 スプーンを握る手のみならず、両手を前に突き出したユンゲラーが発した"サイコキネシス"の狙いは、自身でもミーナでもない。

 シロナなのかパールなのか、その力に捕らえられては為すすべない人間を狙ったものと察し、その波導で以って念力を妨げる。

 それによってユンゲラーの発した技はほぼ無効化されたものの、ルカリオもまた打つべき初撃を挫かれた形となる。

 

「あ、あんた……!」

 

「これで詰みだ。

 ミノマダム」

「っ…………!」

 

 冷たい声で言い放つサターンの指示に、コウキの頼みにミノマダムはまた僅かなためらいを挟みはしたものの。

 長らく、ずっと、たった三匹のサターンのポケモンとして、苦楽を共にしてきた間柄。彼の求めるところは名言されずとも概ね理解できる。

 

 だから、こんなことをしていいのだろうかとは思ったけれど。非道を貫く主の行為に、よく知るシロナが憤慨の眼差しを向けているけれど。

 それが我が道を突き進むコウキの望みなら。

 ミノマダムはぐっとその目に力を入れ、自らに近く、ルカリオから遠い、波導の妨害力の弱いミミロルを"サイコキネシス"で捕える。

 

「~~~~――――!?」

「ミーナ!?」

 

「そうだ、それでいいんだ」

 

 ミノマダムの念動力で身体を浮かされたミーナがじたばたする中、ミノマダムはサターンを振り返りる仕草で、最後の躊躇を表した。

 無表情でうなずいたサターンの返答を受け、ミノマダムはこの状況下、最も非情な選択を取る。

 自身のサイコキネシスで捕えたミーナの軽い身体を、弾丸のような速度である方向へと一気に発射する。

 それはまさしく、パールの胸元めがけてだ。

 

 パールにそれは躱せなかった。

 何歩分も後ろとはいえ、後方が崖である意識が彼女の頭にはあったからだ。

 真正面から自分にぶつけられようとしているミーナ、躱そうとしてやめたその躊躇。すべてが致命的だった。

 時を止められ、熟考する時間が彼女に与えられていたならば、もっとベストな選択も出来ていたのだろうか。

 

「はがぅ、っ……!!」

 

「パール!?」

 

 5.5kgのミーナの身体という大きな弾丸は、少女の細身では受け止め切れない痛烈な砲弾めいて、彼女の体を浮かせて後方まで吹っ飛ばす。

 逃げないことを咄嗟に選び抜き、その両腕でミーナを受け止め抱きしめた行為こそ、彼女なりに取れた唯一の行動か。

 そんな腕の力も失われそうなほどの衝撃に、胸の内側の骨が軋むような衝撃とともに、パールはミーナと共に死への一途を辿らせられることとなる。

 

 崖を踏み外すより更なる後方、地面の無い場所へ投げ出されたパールの全身。

 失われかけた腕の力を、渾身の想いで以って取り戻し、ぎゅっとミーナの全身を抱きしめたパールの目の前には、曇天の高き空だけがある。

 浮いた全身、それが空から一気に離れていくかのような絶望的光景。

 滑落した自らに、全身の痛みさえ忘れて頭が真っ白になったパールは、そのまま奈落へと真っ逆さまに落ちていくのみだ。

 

「安心しろ、ミノマダム。

 お前一人を悪者になんてさせはしないさ」

 

 人一人を殺してしまったのではないかと身を震わせるミノマダムに、サターンは膝をついてその頭を撫でた。

 悪事に手を染める自分を裏切らず、ずっと従い続けてくれたこの子だが、その性根は優しくも幼いことをサターンはわかっている。

 ユンゲラーのこともだ。これでよかったのか、と自らに眼差しを送るユンゲラーに、サターンは一度の目配せと頷きを以って安堵をもたらそうとする。

 果たしてそこにどんな真意があったのか、ミノマダムにもユンゲラーにもわからない。

 だが、誰よりも信頼するコウキの言葉を信頼し、その目に再び前へと向かっていく光を取り戻す。

 

 思わずパールの投げ出された崖の方へと駆けていったシロナには、断崖下の山林に消えていったパールの姿が一切見届けられなかった。

 ほんの少し前までそばにいた女の子が、悲鳴ひとつ上げられず、この世から消え失せてしまったかのような感覚。

 そして彼女とは二度と再会できない、彼女もまた家族との再会は叶わない。

 その実感を突きつける崖下の光景に、一瞬でシロナの胸の内に真っ青な炎が燃え盛る。

 

 山林を見下ろしていた首を振り上げ、ばさりと踊った長髪に遮られず空を仰いだシロナの顔を想像し、さしものサターンも背筋がざわついたものだ。

 長い付き合いなのだ。彼女の性格は知り尽くしている。世間のイメージに反して、情熱家であり、さらに言えば激情をも宿し得る性格であることも。

 今が、最も危ない。

 

「コウ、キ……!」

 

「さあ! 邪魔者はたった一人だ!

 お前達とて数に任せれば圧し潰せるだろう! 恐れずかかれ!」

 

 声を上げて手を掲げたサターンが指令を下したのは、長らく連れ添って来た自分のポケモン達ではない。

 ユンゲラーに言葉無くテレポートを指示し、シロナの視界内から脱出すると同時、周囲に潜伏していたギンガ団員達が群がってくる。

 

 アカギを先頭にテンガン山を進んでいたのはサターン達幹部だけではない。

 ギンガ団の中でも有力な、それこそ幹部に名を連ねることこそ叶わずも、その実力は三幹部に準じる実力者達。

 追撃者に対応するために、各方面から自分達に追随する形で山を登らせていた部下達に向け、サターンはアカギを追う中で通信機を叩いていたのだ。

 自分の位置を知らせ、ここへ集うようにと。

 下っ端どもとは格の違うこの尖兵らは、シロナほどの実力者が相手でも、数さえ積めば相応の傷を残せるであろうと見込める人材達である。

 

「……ルカリオ。

 コウキがどこに逃げたかはわかるわよね」

「――――!」

「ぶち破るわ。

 こんな奴らに構ってる暇なんてない……!」

 

 ルカリオが波導の力を以って、サターンの行方をかろうじて探れることを確かめたシロナ。

 続いて一気に自分のボールすべてのスイッチを押し、6匹のポケモン達を喚び出した。

 集まってきたギンガ団員達の数はそれ以上だ。それも、すべてが自分のポケモンを全部出して、多勢に無勢の形でシロナを圧殺せんとしている。

 ギンガ団員らも腹を決めている。いかに多勢とて相手はあのシロナ。

 シンオウ地方最強のトレーナーを前に、総勢9人がなりふり構わず全力で叩き潰そうとする図式は、さながらシロナへの歪んだ敬意とも取れようか。

 

「怯むな! 行くぞ!」

「ボスの宿願は目の前だ!

 我々の全霊を尽くし、最大の障害を打ち破る!」

 

「っ……!!

 あんた達、絶対に、絶対に許さないわ!!」

 

 未来ある子供の命を奪ってでも、身勝手な欲望を叶えようとする絶対悪への憎しみを、シロナは山を揺らすほどの声に発していた。

 よその国から集わせた、言葉足らずのギンガ団下っ端とは一線を画す、はっきりした言葉遣いのギンガ団員達も、その声だけで肝が痺れるほど。

 だが、傭兵じみた集め方をされたギンガ団員下っ端を、教育、洗脳してきた地方生え抜きのギンガ団員らは、闘志を萎えさせることはない。

 サターンに、ジュピターに、マーズに、そして顔も名も知らぬボスに心酔し、ここまで従って来たエリート達なのだ。

 相手がチャンピオンであろうと、その全力を以って立ち向かうのみ。

 たとえここで自分達が敗れようと――そうなることが濃厚であっても、己らの断行が組織の最終目的の成就、その礎になることを妄信してだ。

 

「っ、恐れることはない!

 すべてはギンガ団のために!」

「すべてはボスの為にだ!

 ここで朽ちようが、我らの悲願は果たされるのだ!」

 

 果たしてその戦いは、何を結ぶのか。

 怒れる最強に敗れた末に己が破滅を結ぶとしても、自らが見届けられない世界に理想が築かれると信じて。

 また、たとえこの戦いに勝ったとしても、喪われた命との再会は果たせないことをもはや受け入れざるを得ず。

 勝者の存在が約束されない、敗北者だけが残ることが確実な戦いと形容して相違ない。

 

 決して普段のバトルでは出ない声、吠えるような声で相棒達への指示を発するシロナの形相は、広く敬われる美しきチャンピオンの姿ではなかった。

 それが象徴するかのように繰り広げられ始めた死闘、そして次々と無残に倒れる彼女の敵対者達。

 多くのトレーナー達が純真な目で臨む、ポケモンバトルと呼ばれるそれとはかけ離れた、血生臭いほどの戦いしかそこにはない。

 ポケモン達は兵器ではない。そうであってはならないのだ。

 親しみ深くあった少女の命を奪われ、涙目になりながらも戦いに身を投じるシロナの姿は、まるで戦争に自ら身を投じる民間兵。

 それも、復讐のために傷つくことをも厭わない狂人の部類だ。

 

 深すぎる悲しみの連鎖が生み出す争いは、その後に何一つ遺さない。

 あるとしても、こんなことをもう繰り返してはならぬという、はなからわかりきっている反省と悔恨のみ。

 たとえ双方の陣営が、どれだけもっともらしい大儀や信念を掲げようともその事実は変わらないのだ。

 血で血を洗う戦争の最も恐ろしくおぞましいこととは、戦う者達がその当然すら見失ってしまうことにある。シロナでさえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 落差は20メートル以上あった。

 落下先は森の中。木々の枝は太いものならず細いものでさえ、そんな高所から落ちてきた少女の体を粉砕する凶器。

 中でも上向きの枝に至っては、人体を貫き引き裂く刃とさえ言える。

 まず助からない。いや、絶対に助からないとさえ断定して良いほどだ。

 

「い……いた、ぁ……」

 

 そんな中でパールが殆ど外傷無く、生存しているのはまさに奇跡的な出来事だった。

 ミーナを抱いていた腕の力を失い、仰向けに倒れて途切れ途切れの呼吸を繰り返しているが、それでも生きている。

 立ち上がることはおろか、激痛に見舞われる全身をひくつかせるばかりで、打った後頭部に手を添えることさえ出来ないけれど。

 苦痛とそれによる涙目、身体が正しいはたらきを為すほどには、怪我人にして健全な様相とさえ言えるほどの生存劇である。

 

「あ……ありが、とう……

 あなた、もしかして……」

 

「…………♪」

 

 身体を起こすことも出来ないパールだが、なんとか首に力を入れ、仰向けのまま真上を向くようにして、その先に倒れているポケモンを見つめていた。

 しぼんで横たわる一匹のフワンテは、細い片手を震わせながら上げ、僕やったよと照れ臭そうに、そして誇らしげに笑っている。

 そのままぱたりと手を降ろす程度には、すべての力を使い果たしたのだろう。

 掛け値無く、まさに命の恩人であるそのフワンテに、パールはぎしぎしに痛む全身に力を入れ、胸を下にするとフワンテに這ってでも近付いていく。

 

 あの遥か高い場所から突き落とされた時、パールは本当にここが人生の終わりだと思った。

 そんな彼女を救ったのが、パール達を迎え撃つ直前のサターンに撃墜された、このフワンテだったのだ。

 空へ投げ出されたパールを見るや否や、ラスターカノンのダメージも残る中で彼女の下へと滑り込み、力いっぱい体を膨らませて。

 落下速度を得たパールの全身を受け止めると、必死で浮力を絞り出し、少しでも彼女の落下速度を抑えられるよう精一杯頑張って。

 木々の枝を折りながら、枝先に傷つけられながら、仕舞いには地面とパールの間に挟まれる形で潰されて。

 それでもパールに、すぐには立ち上がれもしないほどの全身への衝撃があったのだから、フワンテへのダメージなど計り知れたものではない。

 かろうじてパールの命を助けると引き換えに、あるいは彼女を死に至らしめるほどのダメージを、半分以上フワンテが肩代わりする形と相成ったのだ。

 

「み、ミーナ……お願い、できる……?」

「――――z!!」

 

 今はフワンテに這い寄ることで精いっぱいのパールは、具体的な言葉を選ぶ余裕もないまま、ミーナに一つのお願いをする。

 流石にパールとも長い付き合いだ。ミーナはその意を正しく汲んで、彼女の鞄から傷薬を取り出して持ってくる。

 パールが一番傷薬を使った相手はミーナであることが、その意を汲む早さにここで繋がったとも言えるかもしれない。

 

 立ち上がれもしないまま、パールはミーナから傷薬を受け取ると、そのフワンテに傷薬を吹きつけた。

 沁みるためひくひくと震えたフワンテだが、身体が反応しているならまだ死は遠いところにあるはずだ。

 痛くて震えるフワンテの姿は痛々しいが、それに胸を痛めるパールとは裏腹に、フワンテもここで命を失ったりはしないだろう。

 腹這いのまま両手を伸ばし、フワンテを自らの方へと抱き寄せると、パールは一番楽な姿勢である仰向けになり、その胸元に優しくフワンテを包み込む。

 

「ありがとう……

 あなた、こんな時でも私達のそばにいてくれたんだね……」

 

「…………♪」

 

 忘れるものか。だって、私が心に決めていた6人目の友達だ。

 サターンはこのフワンテを、メリッサが放った最後の一兵だと錯覚したようだが、そうではない。

 かつて谷間の発電所でパールに助けられて以来、棲みかを巣立ってシンオウ地方を漂い、パールを見付け、見失い、それを繰り返してきたフワンテである。

 そして此度、パール達に先んじて単身サターンを目にすれば、彼を前に進ませないことがパールの助けになるはずだと信じ。

 明らかに自身を遥かに上回る実力を持つ怖い相手に、勇気を振り絞って妖しい光で攪乱し。

 撃ち落とされてなお命の危機に瀕したパールを救うため、その身を呈してくれたのだ。

 

 ぎゅっと抱きしめたくなる想いで胸がいっぱいになりながら、パールは傷ついたフワンテを優しく抱くに留めていた。

 無理にでも腕に力を入れたかったぐらいの想いでありながら、慮る気持ちが勝ったのは正しい判断だ。

 

「ねぇ、ミーナ……」

「――――z!」

 

 ミーナはパールに目を向けられて呼ばれれば、具体的に何がして欲しいかを聞かずして行動に移ってくれる。

 動けないパールに代わり、彼女の鞄からモンスターボールを持ってきて。

 空っぽのそれは、いま最もパールが求めていたそれそのものだ。

 

「ありがとう、ミーナ」

「――――♪」

 

「……ねえ、いいかな?

 私、あなたとこれからも一緒にいたいよ」

「…………♪」

 

 長らく、先送りにしていたことだ。

 今のフワンテはもう、自分の力で動ける状態ではない。こんな場所に置いてなんかいけるものか。

 そんな事情もあっただろう。だが、今のパールには関係ない。

 あなたを助けたい、なんて言葉じゃない。あなたと一緒にいたいという想いの丈を、息もしづらいお腹に力を入れて、はっきり、優しく告げるのみ。

 フワンテもまたパールの胸の中で、いつかは自分もそうなりたかったんだとばかりに、柔らかく微笑んだ目で、小さく頷くように体を縦に揺らしていた。

 

 パールがボールでフワンテの体をこつんとすれば、胸の内に抱いていたものがボールの中に入っていく。

 一つも揺れない無抵抗のボールがかちりと音を立て、パールのモンスターボールを安住の我が家と受け入れたフワンテ。

 6人目、心に決めていた最後の友達が入ったボールを、パールは胸いっぱいの想いで両手に握りしめていた。

 

「……あはは、寒いね。

 服、めちゃくちゃになっちゃったし……」

 

 全身が痛くて体を起こすことも出来ない中、パールは苦痛とは異なる震えで身体をぶるりとさせていた。

 フワンテがクッションになってくれたとはいえ、骨が軋むかのような、筋肉が裂けたかのような全身の痛みは少女にはきつい。

 そして、ここもまたかすかに雪が残る高山の寒冷地。

 落ちてくる中、フワンテの体では防ぎきれなかった枝先に幾度となく引っかけてきたパールのコートは、もはや召し物としての体を為していない。

 引き裂かれ、綿が溢れ、袖の片方は既に果実から剥がれた皮のように、彼女の腕から離れて地面に降りているほど。

 もしもパールが立ち上がれれば、もはやこのコートは役目を終えたように、彼女の体から剥がれ落ちてしまうだろう。

 穴だらけで肌の一部を隠してくれる程度でしかない死んだ防寒着は、この寒空の下で人を襲う冷たい風から、今や少女を守る力が残っていないのだ。

 

 ミーナの方を向いて寒さを口にしたパールだったが、鞄の中から次々と彼女のポケモン達が飛び出してきた。

 パッチがそのお腹で吹き晒しのパールの脚を包み込んで。

 ララは鋭い爪でパールを傷つけないよう、コートの袖が剥がれたパールの右半身に寄り添って。

 濡れた身体ではパールを温められないニルルは、野生のポケモン達が寄ってこないよう周りを見渡して。

 そしてミーナはふかふかの全身で、そっとパールの胸の上に乗っかると、両手をパールの頬に添えて温めようとする。

 ここで寝てしまえば凍え死ぬほどの中、寄り添ってくれる友達の温もりが、パールの心も体も温めてくれる。

 

「……ありがとう、みんな。

 ちょっと休んだら、すぐ行こうね」

 

 何度だって思ってことだ。

 本当に、素敵な友達に恵まれてきたのが私なんだなって。

 感情に素直が過ぎるパールだからその目がうるっとしそうになるが、今は泣いて安らいでいられるような状況でもないから。

 くしっと空いている方の手で目を拭ったら、大きく息を吸って、吐いて、立ち上がれる自分を目指して気持ちを入れ直す。

 

「ピョコ、力を貸してね?

 私、たぶん走るのしんどいから……」

 

 パールの顔に鼻を擦り寄せられそうなほど近くで、彼女のことを見守ってくれている一番のパートナー。

 自分が何を求められているか、言われるまでもなく理解しているピョコは、声も無くパールの眼差しに対して頷いた。

 戦い続けることを選んだ少女と、彼女をずっと、ずっと支え続けることを、今よりずっと前から決意してきた相棒だ。

 

 しんしんと雪が降りる寒空の下、打ちのめされても、傷ついても、人生最大の戦いに身を投じる決意を固めてきた魂の炎は消えない。

 支えてくれる仲間達の温かさに心を癒されながら、空を見上げるパールの眼は、やがては戦場に舞い戻らんとする戦乙女のものへと戻っていく。

 何度だって立ち上がるべきだ。勝利があるとすればその先だ。

 幾度もの苦闘の中、どれほど打ちのめされても不屈の姿で立ち上がってきた仲間達が、それをパールに教えてきてくれたはず。

 パールもまた、かつてそんな姿を見せてくれたみんなの背中を追うように、立ち上がらんとすることに迷い一つ無い。

 トレーナーとはポケモン達を育てる者達のことを呼ぶ。そして多くの場合、逆もまた然りである。



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第128話  ざわめく山の八合目で

 

 山は、標高が高くなるにつれて気温が低くなる。

 高峰を遠くから眺めた時、山頂付近だけが雪で白くなっていることは、絵画でもよく表されるとおり理に叶う現実だ。

 テンガン山とて例外ではなく、高所に行くにつれて寒くなり、麓が温かくとも山頂付近には雪が降っているということも多々ある。

 北国シンオウ地方のテンガン山はその傾向がやや極端であるが、ともかくこの山とて、登れば登るほど寒くなる傾向は当然の理に倣っている。

 

 それでいて、山頂が近付くにつれ、あれほど寒かった山道が少しずつ暖かくなっていることに、アカギはわざわざ驚かない。

 テンガン山の頂に鎮座する、神おわす聖地とも呼ばれし"槍の柱"。

 一度、アカギもそこに到達したことがあるが、そこは北国シンオウの初秋のように、人が過ごしやすい温かい空気に満ちていた。

 寒冷高山の特異点、肌で触れるのみで誰もがわかる、只ならぬ場所だ。

 そこに近付くにつれて気温が上昇することを、アカギは目的地が近付いている実感として得るのみである。

 

「…………む」

 

 落ち着きのある進み、ペースを乱さぬ進行であったアカギが、その手に異変を感じて立ち止まる。

 この先で目的を達成するため、我が手に宿した実体無きものが、アカギの意志とは関係なくその手から溢れ出しかけている。

 立ち止まって手の甲に目をやったアカギが見たのは、赤い鎖がざわざわとアカギの手から浮き出るように、制御が利かぬ様だった。

 

「煩わしいな……

 ここまで至って尚、抗おうというのか」

 

 ちっ、と苛立ち混じりの舌打ちを鳴らすアカギ。

 ユクシー、エムリット、アグノムを捕え、その三柱の力を搾り出すことで生み出した"あかいくさり"。

 それらの力を宿したものだけあり、今のアカギに従うことを潔しとしない"意志"と"感情"、それを形にするための"知識"を持つ存在なのはアカギも察している。

 殊ここに至れどもアカギの目的を阻もうと、彼の意志に反してアカギから離脱せんとする赤い鎖の挙動を、アカギは強い意志で以って制してしまう。

 赤い鎖のざわめくような震えはそれによって押さえつけられ、再びアカギの手中に収められて消えていく。

 

「……………………なるほど、侮れん。

 だが、私はそのような力には惑わされぬ」

 

 そして、この時起こった小さな異変さえも、アカギは決して軽視せず、その上で制御を果たしている。

 余計な感情は目的を達成するに際し、邪魔になるものでしかないというのがアカギの持論である。

 湖に落ちたパールという名の少女を憐憫から救い、それによって状況が悪化したことからも学んだこと。

 だからこそ彼は、全ての感情を捨て去ったかのように冷たい瞳と言動を普段から貫き、今やそれが彼の本質であるとまで至っている。

 そのように、自らを作り変えてきたのだ。感情を、捨て去ってきた。

 

 そんな彼が、赤い鎖のざわめきによって、煩わしいとまで口にして舌打ちするほどの苛立ちを覚えたことは、間違いなく鎖に込められた神の力の余波による。

 人は己の持つ感情を完全にゼロにすることは出来ない。アカギもそれ自体はわかっている。

 かすかに残っているそれを増幅させ、苛立ちという感情を呼び起こされたことを自覚し、再びそれを自らの意志で鎮めてしまうのだ。

 

 感情の神エムリットの力が残る鎖から溢れる、アカギを止めたいという感情より溢れたものさえ、アカギは明確な意志を以って退けている。

 再び歩き始めたアカギの足取りは、急ぎも遅れも、躊躇いも焦りも無い、これまでの彼の歩みと何ら変わらない。

 いっそう如何なる力を以ってしても触れられぬ虚空の如きアカギの精神は、かすかに残された三柱の力では、もはや揺らすことさえ出来なくなっている。

 

「――ボス!」

 

「マーズか。

 思ったよりも早く追い付いてきたな」

 

 山頂へと向かうアカギの後方から、二人のギンガ団員が追い付いてきた。

 声のみを聞き、振り返りもせず前へと進むアカマーズと、そしてそれに並ぶジュピターにも、これが我が組織のボスであると自ずと確信させてくれる。

 あのサターンの上に立つ存在などそうそういないはず、そうとさえ思うほど彼を信頼していた二人をして、この人物なら唯一確かにと感じるのだ。

 

「あなたが、あたし達のボスなのね?」

「ジュピターか。

 如何にもだ」

「アカギ、様……か……

 なるほどね、納得だわ」

 

 シンオウ地方において、ジムリーダーやチャンピオンという立場にあらずとも、腕の立つ孤高の存在として、一部では名高くもあったアカギだ。

 決して街並みの中で一度見かけた程度では、斯様な組織の首領としての風格など、わざわざ醸し出していなかったはずの人物である。

 それがどうだ。今、自分達の存在のみを声で認識し、振り返りもせず前へ進んでいくこの背中から滲み出るもの。

 そこには間近で目にするだけで、その意を遮らんとする者をはね退ける、絶対的な強者の気質が溢れでているではないか。

 

 首領の貫禄。サターンと比べても、桁外れの。

 マーズもジュピターも、自分達でも気付かぬうちに、アカギから距離を取るように、離れた後方をついて歩くのみの足運びとなる。

 胸に湧き出るのは畏れ多さなる感情か、それとも恐ろしさか。

 過剰に近付いてしまってこの人物の機嫌を損ねようものなら、破滅さえ思い浮かぶ重苦しいオーラは、歴戦のギンガ団幹部さえ寄せ付けない。

 今や二人は思うのだ。よくもまあサターンは、このような人物と接触し、自分達とのパイプ役を務め果たしてきたものだとさえ。

 

「見届けるか?」

 

 足を止めず、一度だけ振り返ったアカギの冷たい眼差しが二人にもたらす悪寒は、彼の背中から感じていたそれを遥かに凌駕する。

 ここまで来たのだ、私が宿願を叶えるその瞬間を見届けていくか、そのつもりならついて来い。

 たったそれだけの言葉に対し、マーズは息を詰まらせて、ジュピターも生唾を飲み込んで、言葉なく頷くことしか出来なかった。

 格の違いとは、まさにこのような時のためにあるような言葉だろう。

 

 槍の柱はそう遠くない。いよいよ近付きつつある。

 運命の時もまた目前なのだ。

 夢が叶うまであと少し、そんな時に感じる胸の高鳴りとは別に、マーズもジュピターも胸の奥がざわめいている。

 

 自分達には自分達の夢がある。だからギンガ団に与してきた。

 だが、この底の知れぬ人物が果たしたい夢とはいったい何なんだろう?

 そう思い至ればたちまちに、胸のざわめきは大きくなる。

 何か、とんでもないことが起こるような気がしてならずしてだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………」

 

 サターンは、アカギを追うことを道半ばでやめていた。

 為すべきことを為すためにだ。

 自分がいま果たすべきことは、アカギに追い付き彼の右腕として、その覇道を支えることではない。

 

 マーズとジュピターは邪魔者を退ければ、必ずアカギを追って山頂に向かい、やがては合流するはずだ。

 ボスの配下としてと言うよりも、ギンガ団の悲願が果たされる瞬間、自分達の夢が叶う瞬間に立ち合いたいという想いから。

 もしもこれ以上、アカギの道を妨げる想定外の何かが立ちはだかったとしても、それを退けるのはあの二人でいい。

 今すでに判然としている、最もアカギの目的達成を妨げる最大の障害物となり得るものがあるとすれば、それを退けるのが自分の役目だ。

 

 迎え撃つならここがいい。槍の柱を未だ遠きとする、テンガン山の六合目。

 自分が勝とうが負けようが、アカギを追える力だけは削ぎ落とせば、もはや彼女は山頂へは辿り着けなくなる。

 それだけは絶対に果たしてみせる。それで完全なるチェックメイトだ。

 そのためであれば、歴史的な瞬間に立ち会うことなど求めない。それがギンガ団に最も貢献してきた大幹部、サターンという人物である。

 

「コウキ……!」

 

「お疲れ、シロナ。

 ウォームアップと言うには少々重かっただろう」

 

 息を切らして山道を突き進んできたシロナとの邂逅に、サターンは努めての無表情で迎える体を取る。

 サターンが確信していたとおり、やはりシロナはあれだけのギンガ団員、準幹部とも呼べよう実力者達に多勢で攻められても、すべて打ち破ってここまで来た。

 それでも、あれは精鋭達だ。一人一人が個として強く、チャンピオンという相手だからこそ驕りも無く、万全の連携で以って迎え撃ったはず。

 それを撃破して来たのだから、流石はチャンピオンだと賞賛すべきなのだろう。

 

 だが、彼女のポケモン達が受けた決して小さくないダメージのこともまた、サターンは確信、あるいは信頼している。

 捨て石のように使わせて貰った部下達だが、彼らが敗北と共に遺したものは確実にある。

 無駄にはしない。そんな想いも確かにあった。

 

「……あんたのことを、許すことは出来ない。

 無事で済ませてあげられそうにないわ」

 

「…………」

 

 悪を憎む正義の眼差しと呼ぶには相応しくない、怨めしいほどの眼で坂の上に位置するサターンを見上げるシロナ。

 サターンは、言葉を返すことが出来なかった。敢えて無言を選んだのではない。

 パールを崖下に突き落とした時に、シロナがこちらに向けてきた激情を燃え盛る赤い炎のようだと例えるなら。

 静かな言葉とともに怨念にも似た憎しみを向けてくるシロナの姿には、燃え上がらずして佇めど、触れしものを一瞬で灰にする蒼き炎のよう。

 絶対に落とせない勝利のために、戦いに投じる自らの判断のみ曇らせぬことに徹し、負の感情を抑えることに徹する、そんなシロナが目の前にいる。

 

「シロナ、聞いてくれ。

 ……今の君には、信じ難いかもしれないが」

 

 本当は、語りかけるつもりはなかった。

 再会、そして最後の戦い。それだけに徹するつもりだった。

 だが、追い求めるべきはずの理念からはずれ、あるべきでない感情とその姿の親友を前に、サターンは自らを愚かだと認めつつも語りかけずにいられない。

 

「パールだったな。

 あの女の子は、死んでなんかいないはずだ。

 僕は、そうだと計算してあの一撃を放っている。

 彼女をこの舞台から追放することは果たさねばならなかったが、同時に彼女が助かる見込みを含めた上であの行動に踏み込んでいたよ」

 

 底無しの愚かしさだと自分でも思う。

 自分が、自分らしくない、ギンガ団のサターンらしくないこともコウキは自覚しているとも。

 相応しくない局面で思わず感傷的に――いや、感情的になってしまっている自分が、何故そうなっているのかも推察は立っている。

 

 山頂へ近付きつつあるアカギ、あの遠さからでも、アカギが手中に収めている赤い鎖が抗わんとした気配は、サターンのもとまで届いているのだ。

 感情の神め、とサターンは、内心ではその尋常ならぬ力を憎々しく思う。

 向き合いたくない感情というものが、彼の中にも確かにある。

 

「……何のつもり?」

「細かく多くは語らないよ。

 だが、僕はそれだけの策を組み立てるだけの能力がある。

 君にならわかるだろうし、信頼して貰えると思うがな」

 

 ああ、嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。

 今こんな所で、どうしてサターンじゃなくてコウキの顔になるんだ。

 装ったものでもない、演じたものでもない、表情の機微には乏しくたって、自分にだけは内なる感情をなんとなくわからせてくれるかすかな表情。

 自信家な発言はいつものことだ。本当に、昔から変わらない。幼い頃から親しかった親友の、あるがままの姿そのものだ。

 

「嘘よ」

「嘘じゃない」

「嘘よ、絶対……!」

「嘘じゃないんだ」

 

 悪の組織の幹部のままの姿でいてよ。

 容赦なく叩き潰すべき存在のままであってよ。

 苦しみに苛まれるあたしを心から案じて、その不安だけでもせめて取り除こうとする、そんな想いを隠せないあなたにならないでよ。

 

 わかってる。あなたは今までにあたしが見てきた何人もの優秀な人達の中でも、一番賢くて、一番計算高くて、追い付けないと今でも思ってる人。

 あなたが本心のままにそう言う以上、あなたはパールを本気で殺そうとしたわけじゃない、助かる道を見越した追放だったって信じざるを得ないじゃない。

 心からの想いでそう言っているあなたを、信じずにいられないあたしはどうすればいい?

 

「…………でも」

 

 十年来の親友だったのだ。

 訣別を決意した今でもなお、心の奥底では、本音を吐き出せば、あの日のように笑い合える間柄に戻りたいと思える掛け替え無き人。

 周知の大悪人の言葉を、ちょっと本気の言葉を向けられたからって信じるなんて、馬鹿な女だと笑われても断じて動じない。

 自分と、あの人。その間にしかわかり合え得ないものがあると、シロナは考えるまでもなく確信しているからこそ。

 

「絶対じゃ……っ、ないでしょう……!」

 

「っ……」

 

 涙を流して訴えるシロナに、抗いようもなく表情が歪んだサターンにも、確かに同じものがあるのだ。

 立ちはだかるなら叩き潰す覚悟はしてきた。ギンガ団最大の脅威ともなり得る彼女を、いよいよとなれば殺すことさえ厭わない決意さえしてここまで来た。

 泣かせて構わないと断じる決意など、そのずっとずっと前のことだ。

 それでも、親友であった者の涙は重い。想像していた彼女の血以上にだ。

 

 誰よりも、親よりも、今でも心の底から本心を語れば、立てるべきギンガ団のボスたるアカギよりも、コウキにとっては最も尊敬できる人物なのだ。

 強くて、気高くて、大人になって嫌な現実をいくつも山ほど知ってなお、高潔な理想を叶えんと今なお抗い続ける女性を、どうして心底嗤えようか。

 それが、憎しみの大義も矛先も失って、どうにもならぬ想いを溢れさせる、心をずたずたにされた女性に過ぎない姿を晒して。

 そうさせたのは他ならぬ自分だ。そして、彼女をこのような形でそこまで追い詰められるのも、きっと世界で自分だけだともわかっている。

 ギンガ団アジトでパールを言葉巧みに打ちのめし、あれほどまでの心を打ち砕いてやっても良心一つ痛まなかったのに、シロナだけは、彼女だけは――

 

 いや、無垢な少女をあれほど打ちのめしても平然としていた自分が、根本的におかしいのだ。

 つくづく、至ってはならぬ境地へと至りきってしまっていた己を顧みて、サターンは今一度無表情に立ち返る。

 

「そうかもな」

「あたし、あんたをぶちのめさなきゃいけないの……

 恨むわよ、本当に……絶対、許せない」

「……返す言葉もないさ」

 

 涙を拭うシロナが、ボールを手にする姿がある。

 為すべきことを。そう、あれほど望まぬ戦いに身を置きながら、精神を立て直して行動に移れる姿に、改めてサターンは敬意を禁じ得ない。

 

 僕達は大人になった。子供であったあの時から、何年もの時を経て。

 正しくないと知りながらの道を突き進んできて、今さら退けぬの繰り返しで尚も悪を貫くしかない自分。

 諦めたくなるような現実に何度も直面したはずでありながら、気高き道を迷いながらも歩み続け、今なお望まぬはずの戦いに使命を以って挑まんとする彼女。

 あれこそが大人だ。ポケモンバトルで強い彼女の姿だけを見て敬うだけの群衆になんて、彼女の魅力を知っているなどとは言わせない。

 子供だった自分が大人になって初めて気付く、かつては疎ましく感じることもあった大人達の偉大さ。

 そんな大人に自分達もなっていくことがどれだけ難しいことであるかを知れば知る程、立派な大人になった親友の姿は眩しくほど映る。

 

「――――シロナ!!」

 

 すべてを吐き出せ。感情的でさえあれ。

 恥じるべき大人になった自分に、失ってきた数々のものを今一度思い出させてくれる無二の親友を前に。

 決して誇れはしないけれど、この道を突き進んできた自分自身が培ってきたものを、二十数年の生涯をかけてきたものとして顕せ。

 今でも世界で一番尊敬する、茨の道の果てに強くて優しい大人になった幼馴染に対する償いは、これを以って最大限だ。

 僕の貫いてきた愚かな人生に、すべてを知った上で君の結論を導き出して欲しい。

 今さら罪を改めて、横を素通りさせるほどの道を進んできてなどいないからこそ、ぶつかり合うことでしか、傷付け合うことでしかそれを示せない。

 歩むべきだった美しき道はもう歩めない。因果応報とはこのことだ。

 

「勝って当然だなんて驕ってくれるなよ、チャンピオン!

 君に勝ち越しているのは僕の方だぞ!

 今日も勝つのはこの僕だ! かかって来い!」

 

「……ええ!

 行きましょう! ミカルゲ!!」

「やるぞ! ドクロッグ!!」

 

 果たしたい何かを果たすためには、勝利の他に道を続かせるすべのない戦い。

 それをサターンは、コウキは、かつて認め合ったライバルとの私闘と塗り替えて。

 シロナは眼差しに彼女本来の強き光を取り戻し、いま改めて目の前の敵を、乗り越えるべきにして相当に越え難き最大の壁と認識して。

 それはかつて、賭けるもの一つ無くたって、意地一つ以って負けたくない相手に全身全霊で挑み合ったかつての日々と、きっと何ら変わらないものだ。

 

 幾度となくぶつかり合い、一勝に打ち震え、一敗に夜も眠れなくなるほど悔しがったあの頃は、今や遠き過去であり取り戻せないもの。

 それでも、過去幾度のそれに似て。

 きっとお互いの人生の中で、最後の真剣勝負。

 互いにそれを確信し合う二人は今、同じ年の数だけ生きてきた双方の自らの全てを懸け、この戦いに臨んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「マーズ。ジュピター。

 悪いがお前達は、この先の結末をそばで見ることは叶わない」

 

「え……」

 

 そばにいるだけで重圧を感じるボスがふと発した言葉に、マーズもジュピターも思わず息を呑んだ。

 貫禄がある者の発言は、すべての決定権を持つように感じられる。

 思わぬ何かが彼の神経に障り、自分達は彼の意志一つで叶えたい何かを、有無を言わせず断ち切られる。そうとさえ感じられたからだ。

 異を唱える言葉さえ出てこないのは、逆らったところで無駄な相手だと本能的にすら感じてやまぬからである。

 たとえジムリーダーを相手にしても、堂々と、あるいは飄々と戦ったこの二人がだ。

 

 だが、立ち止まったアカギの意図するところは、自らの意志で二人を切り捨てることではない。

 二人の後方を見据えるアカギは、ここに接近する存在を既に察している。

 その異常な慧眼にこそ遅れるものの、マーズもジュピターもアカギの見据える先を振り返り、迫る障害をその目で確かめるに至った。

 

「あーーーーーっ!

 見つけたぞギンガ団!!」

 

 でかい声だ。敵を見付けるなり、その気は無くても強い強い自己主張。

 一度はそれと戦ったジュピターは、うえっとうざったい顔を浮かべるばかり。

 どうやらジュピターのような大人にとって、ああいう子は鬱陶しいらしい。

 

「場違いが……

 わきまえを知らない子ね」

「ふふっ、そんなの見ればわかるじゃん」

 

 ここまでジュピターが露骨に嫌な顔をするのは珍しいもので、マーズも思わず笑ってしまう。じろ、と睨まれることにもなってしまったが。

 改めてマーズが声のした方を見れば、どこかで見覚えのある少年が駆けてくる姿が目に入る。

 

 ギンガ団と彼が衝突したのは、エイチ湖騒動の一度のみ。

 それでもマーズとジュピターは、彼のことを忘れずにいられた。

 破ること自体は容易な相手だったが、粗削りながらも腕の立つ少年ではあったという印象があったからだ。

 

「これ以上先には進ませねーぞ!

 お前らをこれ以上好き勝手にさせたら、大変なことになるらしいからな!」

 

「なんなのよ、あの語彙力のクソさは。

 あたし達の悲願叶えられし日に水を差すのが、あんな馬鹿な子なんてねぇ……」

「パールっていう子の幼馴染だっていう専らのウワサ」

「似てるわ。

 残念なぐらい忌々しいところまで」

 

 行動力の塊である少年、ダイヤは果たしてどこでこの決戦の日と舞台を知って駆けつけてきたのやら。

 ともかくとして、間もなくして槍の柱に到達するというところ、長き日々がついに報われる感慨すらあったジュピター達の前に現れた最後の義勇兵。

 アカギが自分達に何を求めるであろうことかなど知れたもので、ジュピターにしてみれば望むところであろう。

 

「二人で速やかに片付けて追ってこい。

 時間をかけるようでは、新たなる時代の始まりを見逃すぞ」

 

「ええ、仰せのままに」

「ごめんね少年、あたし達急いでるのよ。

 あんたに構ってるヒマ無いから、最初っから本気全開でボッコボコにさせて貰うわね」

 

 ダイヤを自らに手の届かない存在と認定し、アカギはこの場をジュピターとマーズに任せて進んでいく。

 こいつっ、と追いたいダイヤだが、既にボールを手にした二人のギンガ団幹部を前にすれば、やはり打ち破らぬ限りアカギを追えない。

 1対2の構図だ。それも、あんなに強かった二人を相手に。

 それでもダイヤに、物怖じするような気配は一切見られない。

 

「やるぞ! ゴンベ!

 あんな奴らぶっ飛ばして、さっさと親玉を追っかけるぞー!」

 

「わかってるわよね、ジュピター!

 いきましょ、バットン!」

「まあ、それがベストでしょうね。

 行っておいで、ドータクン……っ!?」

 

 ダイヤの繰り出したゴンベの前に並ぶのは、マーズのゴルバットとジュピターのドータクンだ。

 そして、もう一匹。

 ダイヤの後方から凄い速度で飛んできた一匹のポケモンは、ジュピターとマーズの足元めがけてサイケ光線を撃ってきた。

 はっとして立ち位置を離れ合うようにして躱したマーズとジュピターだが、動かなくても当たるものではなかったはず。

 かのポケモン、ガーメイルのトレーナーは、本当にポケモンの攻撃を人間に当てさせるような人物じゃない。

 

「挨拶代わりだ、ちょっと荒っぽいけどね……!

 2対2、これでイーブンだ……!」

「遅いぞプラッチぃ!

 根性出してでも急がなきゃって言ったのお前だぞー!」

「はいはい、これでもすごく頑張ってきたんだよ……!

 でも、追い付けた……!」

 

 ガーメイルと共にこの戦場へ駆け付けたプラチナは、先々行ってしまっていたダイヤを全力駆けで追って来たらしく、息が乱れている。

 顔色も悪い。トバリのギンガ団アジトで受けた傷は、まだ塞がっているはずがない。

 それでもギンガ団の野望を食い止めるため、入院していた病院から抜け出してまで、パール達にさえ黙ってここまで来た。

 ダイヤが誰からこの時と舞台を知ったのか、彼に助力を求めたのは誰か、その答えは今ここにある。

 

「あらあら、大丈夫なのかしら? お顔が真っ青よ?

 あたし達が何かしなくても勝手にくたばりそうじゃない」

「あたし達の強さ、知らないってことはないんじゃないの?

 そんなコンディションで、あたしとジュピターに挑む気なんだ?」

 

「結構しんどいよ……!

 お前達を倒したら、あとはダイヤに任せてゆっくり休もうかな……っ!」

「頑張れよプラッチ!

 きつくなってきたらすぐ下がるんだぞ!

 お前のことは、俺とみんなで絶対守ってやるからな!」

「頼りにさせて貰うからね!」

 

 じっとしていることなんか出来なかった少年達。

 子供は平気で、長い人生のうちのほんの短い時間にすべてを賭ける。一生のお願い、なんて言葉を軽々しく使う子供達のなんと多いことよ。

 ギンガ団の恐ろしい目的を阻むためにほんの僅かでも力になれるなら、明日のことなんてどうだっていいプラチナ。

 そして、一度は完膚無きまでに敗れた相手が待ち構えていることを知りながら、友の声に応えてこの場に馳せ参じたダイヤ。

 こいつらに敗れれば只では済まないことだって、向こう見ずなダイヤにだってわかっているはずだ。命懸けなのは百も承知だ。

 やっと夢が叶うという所まで至れたマーズとジュピターの足を止めたのは、そんな少年達の覚悟と意志に他ならない。

 

「せいぜい熱く燃えなさいな……!

 そんなもので、あたし達の目的が果たされる今日という日は決して覆らないわ!

 惨めに這いつくばって、ここまで来た自分達の愚かしさを悔いるがいい!」

「さあ、情熱見せてごらんなさい!

 それでもあたし達の方が遥かに強いわ! 思い知らせてあげる!」

 

 ジムリーダー達でさえ一目置く実力者、ギンガ団幹部の二人を同時に相手取るという、きっとこれまでの人生で最大の戦い。

 ダイヤとプラチナの、望む未来を勝ち取れるかを問う究極的な試練だ。

 神おわすと信じられしテンガン山の頂の膝元でもまた、決死の想いを賭して戦う者達の姿がここにある。

 輝かしき明日を目にすることが出来る者は何人いて、それは誰なのか。まさに、神のみぞ知るところだ。



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第129話  神の眼下の山庭で

 

「よくやった、ミノマダム!

 胸を張って休め!」

 

 サターンが戦闘不能になったミノマダムをボールに戻す。

 対峙するシロナのルカリオは余力充分という顔で、手元に残るポケモンはたったの二匹。

 少数精鋭、三匹のポケモンしか所持しないサターンは、一兵撃破されるたび窮地に追い込まれる急激さが尋常のものではないはずだ。

 それでもサターンがその目に宿す、さあここからだという炎に偽り無し。

 チャンピオンのポケモン6体相手に、彼は本気で勝ちにいっている。

 

「行くぞ、ユンゲラー!

 久しぶりの実戦だ、存分に暴れてやれ!」

 

「…………!

 いいの? コウキ……!

 その子が倒れたら、あんた本当に逃げ場無くなるのよ!?」

「構いやしないさ、君との最後のバトルなんだ!

 明日のことなど関係ない!」

 

 ドクロッグがシロナの先鋒であったミカルゲを撃破し。

 代わり登場したシロナのトリトドンに、サターンは迷いなくドクロッグを引っ込めて、ミノマダムを繰り出して。

 息の長い戦い方を得意とする者同士、辛抱強い戦いの果てに、サターンのミノマダムがシロナのトリトドンを破り。

 トリトドンに代わって参戦したルカリオが、ミノマダムを撃破した直後というのがこの戦況だ。

 

 確かにサターンも残り2匹だが、シロナも残り4匹だ。

 互いに戦力は交戦開始時点から見て3分の2。

 手持ちの絶対数が勝っていても、決してシロナにしてみれば、楽観視できる戦況の移ろいではないと言える状況でもある。

 そんなことは、誰よりもシロナがわかっているのだ。相手の強さを知っているからだ。

 

「さあユンゲラー! 戦い方はわかっているな!?

 虚仮にしてやれ!」

「ルカリオ、波導を全開に!

 見失わないことに全身全霊を!」

 

 付き合いの長い二人なのだ。お互いのことは、お互いのポケモンのことは、その手の内まで知り尽くしている。

 それこそユンゲラーがケーシィだった頃からシロナも、ルカリオがリオルだった頃からサターンもだ。

 テレポートを駆使した自らの位置の急変と回避で敵を翻弄するユンゲラーと、飛び道具よりもやはりその物理的な攻撃で以って致命撃を打つルカリオ。

 瞬間移動、さらにもう一度、その素早い移動で如何な攻撃の直撃を躱すユンゲラーを捉えるため、駆けつつルカリオも全身から発する波導で敵の動きを読む。

 

「甘いな! その程度で僕のユンゲラーを捕まえられると思うか!」

「必ず追い付く!

 そうよね、ルカリオ!」

 

 二人のトレーナーに、自分のポケモンに対する言葉による指示は無かった。

 迫るルカリオから逃れるため、テレポートで以って位置を変え、やや遠方か、あるいは一瞬でルカリオの後方離れに身を移すユンゲラー。

 目でも直感でも追い切れぬそれを、ルカリオは波導の揺らぎを感じ取り、何よりも自らの直感と気配を読む力で行く先を追い。

 敵が離れた場所に移ったと思えば"はどうだん"を撃ち、回避せんとテレポートしたユンゲラーに掠らせてダメージを積んでいく。

 必ず当たるほどの技だと言われる波導弾を、かろうじて掠める程度に抑えるほどには、ユンゲラーの素早い動きも特筆点であろう。

 

「勝つぞ! ユンゲラー!」

「――――z!」

 

 当然ユンゲラーも、敵を撃てる機会を見逃すことはない。

 電撃砲めいた光線を撃つ"チャージビーム"でルカリオを狙い撃ち、こちらも機敏な相手の動きにより、掠める程度で大きなダメージを与えられまいが。

 撃つに際して溜め込んだエネルギーの一部を自らに取り返し、次やその次の一撃の威力を高めるための力として蓄える、長期戦を意識した戦い方だ。

 持久戦を得意としないとされるユンゲラーが選ぶ戦法としては、一般的には愚の骨頂。

 撃たれ弱いユンゲラーを、卓越した機動力で補った高い回避力で長期戦にも対応できるよう育て上げた、サターンだからこそ取れる戦法である。

 

「そんな戦い方まで編み出してるのね……!

 何年もやり合ってなかったらわからないことだらけだわ……!」

「僕もそうさ、君のトリトドンがストーンエッジを使うとは思わなかった!

 さあ来い、もっと見せろ! すべて打ち破れる僕のポケモン達だ!」

 

 二人とも達人の域だ。たとえ初見の相手でも、繰り出してきたポケモンの姿を見れば、"あり得る"敵の手の内はすべて識っている。

 ユンゲラーがチャージビームを撃ち得ることなんてシロナは知っているとも。トリトドンがストーンエッジを使い得ることなんてサターンは知っているとも。

 耐久力に秀でないユンゲラーが、積み技を駆使して長期戦に持ち込んでくるという一般論からはずれた戦い方。

 保守的で打点に秀でないトリトドンに、堅実な戦い方を好むシロナがストーンエッジという博打技を教えているという事実。

 互いに深く知り合っていればいるほどに、深い知識の裏をかく卓越者同士の虚を突く技選びは、互いに感心すら抱き合えるほど熱くなる。

 

 どちらもこの日この戦いがあることなど、想像だにしなかったかつてのうちから、交わり合わぬ各々の道の中で編み出してきた新たな戦い方。

 この日のためだけに考えてきたものではないからこそ、双方ともに、知らぬ間でもライバルが高みを目指していたことに血が沸いてしょうがない。

 

「ルカリオ、もっと!

 あたしにもわかる、次は右よ!」

「ユンゲラー、甘いぞ!

 僕の指示を待つな、僕さえも裏切れ!

 欺くことが最優先だ、あとは僕が勝利に導いてやる!」

 

 ルカリオの位置、視線、意識の向ける方向、それを意識したユンゲラーによるテレポート移動。

 敵の虚を突いた位置への自己転送を繰り返すユンゲラーの動きを、ルカリオを見て、先読みしたシロナの指示がルカリオを導く。

 それによって敵の出現地点を察したルカリオの速い行動が、ユンゲラーに"ボーンラッシュ"の連撃を浴びせかける結果を叶えている。

 ユンゲラーはスプーンを構え、一撃をそれで防ぐも続く二撃を痛烈に受け、痛みに耐えて離れた場所へ自らをテレポートさせて追撃を逃れている。

 

「撃て!!」

 

 強いサターンの声が、痛みに腰を曲げかけていたユンゲラーの姿勢を正し、チャージビームを撃たせるに至っている。

 それだけの力があるのだ。信頼するトレーナーの、今が撃つべき時だと促すその強い声には。

 ユンゲラーの移動先を瞬時には見極められず、しかし振り返った直後のルカリオを襲うチャージビームの威力は、先程までのそれを上回っているではないか。

 

「そんなに強いユンゲラーなのに、未だに進化させずにいるのね……!」

「たとえ一瞬でも僕のポケモンを人に預けてたまるものか……!

 僕のユンゲラーだ! この世界で唯一にして無二、僕だけのな!」

「わかるわ、きっとあたしがあなたでも同じことを言う!」

「さあ、勝つぞユンゲラー!

 お前が世界一だ! 今でもずっと信じているぞ!」

 

 ボーンラッシュに受けた痛みも忘れられる。ユンゲラーの眼に炎が宿る。

 ケーシィだったあの日、幼かった頃のサターンに、"世界最強のユンゲラー"を目指して頑張るぞと言われたことは一度も忘れたことはない。

 最強たる存在にもっと近付くためにフーディンに進化しようとすれば、どんな手順が必要なのかを知ったその時からは尚更だ。

 ずっと僕だけのパートナーでいて欲しいと訴え、力を求めるべきこの道に進んで尚、それを貫き続けてくれた友人に報いを。

 ルカリオが撃つ"はどうだん"を、サターンに一度も教えられたこともない"みきる"目で以って回避したユンゲラーの姿には、サターンすらも驚嘆を禁じ得ない。

 

「ユンゲラー……!」

 

「ルカリオ、次が来る!

 全方位に……」

 

「――――――――z!」

 

 テレポートで自らの位置を移し、砲撃点を紛らわせたと思えば放つのは"サイケこうせん"だ。

 躱し切れなかったルカリオが両腕でガードするも、二度のチャージビームを経て高まったその威力は、ルカリオが後ずさるには充分な重いダメージが明白。

 波導で以って念動力に抗うすべに長じるルカリオに、決定力に秀でる"サイコキネシス"を使わなかったことも正しく。

 自身がまだまだ未熟だった時、ようやく大きな決定打ともなり得るその技を習得した時、心からコウキが喜んでくれたあの技をここで使ったことも。

 お前が僕にとって世界一だと言ってくれるサターンに対する、ユンゲラーの熱い想いが発した一撃の象徴だ。

 常に冷静沈着にサターンを支えてきたユンゲラーが発した、情熱に満ちた声は決してらしいものでなくたって、咎めぬサターンにはそれが伝わっている。

 

「……あなたは、そこまでして何を目指したいのよ。

 アカギが果たそうとしていることが、あなたの望む未来に繋がってるの?」

「……………………さあな。

 感情も何も無い、虚無の世界に僕も呑み込まれるかもしれない。

 僕の愛するポケモン達も、共に」

 

 防御のための交差していた腕を振り払い、サイケ光線を凌ぎきるルカリオ。

 その眼差しに貫かれ、次の動きに迷うユンゲラー。睨み合う。

 動けない両者の中、刹那の戦いに自分達の指示が介する余地が無い中で、シロナとサターンは想いの丈を交わし合う。

 どちらかが動くまで互いに動けないルカリオとユンゲラーだ。

 行けと言われれば動くだろう。それよりも言葉のやりとりを望んだシロナの切なる想いを、サターンも裏切れず思うがままを返すのみ。

 

「それが、あなたの望む未来なの……!?

 こんなにも、あなたに尽くそうとする子達を巻き込んでまで!?」

「よく話したつもりだよ、この子達とも。

 やろう、って言ってくれたと僕は感じ取っている。

 この子達のせいにするつもりはない、すべて僕のエゴだ」

「そこまでして何を果たしたいのよ!?

 あなたの望む世界が、結末が、そこにあるの!?」

「あるさ」

 

 シロナが声を荒げる理由はわかる。

 アカギがその野望を叶えてしまえば、この世界はきっとすべてが一変する。

 当たり前のように享受していた幸福も、ありふれたささやかな満たされし日々も、失われてしまうかもしれない。

 このユンゲラーと、ドクロッグと、ミノマダムと――たった三匹の、幼少の頃から連れ添った家族達との、温かい日々もその先には決して保証されないのだ。

 それを喪ってしまう可能性を本当に追っていいのかと、我が事のように訴えるシロナの主張は、サターンにとって軽々しく斬り捨てられたものではない。

 シロナが言うならば。幼い頃から僕達の絆を見守り続けてくれた、その関係を尊び続けてくれていた彼女だからこそだ。

 

「……大きなことを、果たしたいんだ。

 例えようもない、かつては想像だにしなかった、大きなことを」

「そんなものは浪漫じゃない!!

 あなたはもう大人でしょう!?

 子供みたいなことをもう言っちゃいけないのよ!」

「諦めきれないんだ……!

 何者でもないまま、老いて朽ちていくことはしたくない……!」

「誰でもそんなことを思うことはあるわよ!

 平凡なまま死んでいく無意味な人生でありたくない!

 この世界に自分が在った証明を歴史に刻みつけたい!

 それはただ平穏を望んだ人々を巻き込んでまで叶えようとしてはいけないことなのよ!」

「……それを顧みれば、何も成し遂げられはしない」

 

「っ……あなたは、っ……!

 もう、とっくにっ、たくさん成し遂げてきたじゃないのよおっ!!」

 

 目に涙を浮かべて叫ぶシロナの姿が、サターンの胸を焼くほど痛くさせる。

 多くの言葉を語らずしてわかってくれる親友だ。本当に、掛け替えない。

 

 僕は、私は、何のためにこの世界に生まれてきたのだろう。

 平凡な日々を送り続ける中で、本当にこれでいいのだろうかと思うことは誰にでもある。

 健全な青少年の日々を歩み、いつか誰かと結婚して、子供に恵まれ、家族を作り、平凡に幸せな日々を歩み、老後を過ごし、やがて安らかにこの世を去る。

 きっとそれでも、自分はそれなりに幸せなのだろうとは誰にだって信じられる。

 だけど、もっと、何か出来るんじゃないか。本気を出せば、全力で何かに臨んだら、もっと大きなことが出来るんじゃないか。

 大人達に勧められる平凡な幸せに身を委ねる二十歳以降ではなく、自分の力で未だ想像だに出来ない、胸躍るような自分だけの道を突き進みたい。

 誰しも一度は思い描き得る、幼くも情熱に満ちた、そこには誰一人口を挟む余地も資格も無い、命の数だけ燦然と煌めく意志の輝き。

 大人になるにつれ、己を取り巻く忙しい社会の中で忘れていく、敢えて世に出ない幼心の情熱は、かつて子供だった大人が否定する権利のないものだ。

 

 それでもあなたは、コウキは、清純なるギンガ団を率いるオーナーとして、大きなことを成し遂げてきたじゃないか。

 それよりも大きなことを成し遂げたいのか、この世を破滅に導き得るものにさえ手を出したいというのか。

 シロナも既に計り知っているだろう。コウキが表のギンガ団を運営していたことも、所詮はその裏でアカギの力となるためであったことを。

 それでも、たとえ偽りの善行でも、トバリシティで子供達に憧れられる人物の第一位になった、誇らしくて尊敬の想いを以って見つめられる幼馴染が。

 すべてを捨て去ってでも、アカギに与していることがシロナには耐えられない。

 

「……君は子供の頃から、チャンピオンになるんだって言ってただろう。

 大きなことを果たしたいっていう、僕の気持ちだけでもわかってくれないのか」

「応援できない……!

 多くの人が、掛け替えのないものを失う!」

「わかっている。それでも、果たしたい」

「どうして止まれないの……!」

「止まれるはずもない!

 僕はそのために、ここまで来た!

 失われるものなど顧みられようものか!」

 

 強い声は拒絶であり、否定であり、相容れない想いの表明であり、シロナの目からいっそうの涙を溢れさせるものであっても。

 サターンは、コウキは、今やもう戻れない場所まで到達しているのだ。

 後悔でもない、良心の呵責でもない。どんな犠牲も顧みずに追うのだと、男が一度決めたことは、果たされるか潰えるかまで絶対に止まらない。

 

「……世界が大きく変われば必ず、僕達の目に届こうが届くまいが、誰かがその恩恵や悪しき影響を受けるんだ。

 大いなる何かが果たさんとする時に、名も知らぬ誰かの犠牲までをも顧みて大願は成し遂げられはしない。

 僕はもう、立ち止まらないと決めたんだ」

 

 ユンゲラーは動かない。

 幼少の頃から知る友人の言葉を耳にし、その想いを反芻する。

 賢いユンゲラーには、それが必ずしも正しい思想でないこともわかっている。

 それでも、幼い頃から自分にだけ、自分達にだけ成し遂げたい何かがあった少年心を知るユンゲラーは、情念を以ってそれを否定しない。

 世界でたった一人の偉業を成し遂げたいと願った、そんな想いを捨てぬまま大人になった友人の想いを、単に愚かだと斬り捨てることはどうしてもしたくない。

 そのためだけに自分達が育てられてきたのではないと、絶対に信じられる人だから。彼から感じ取ってきた愛情は、絶対に本物だったから。

 

 ルカリオは動かない。

 他者の感情に他種族よりも遥かに感応するルカリオは、シロナの感情の揺らぎを感ずれば感ずるほど先手を取れない。

 目の前のサターンの言葉が、思想が、間違ったものだとわかっていても。

 シロナが迷っている以上、この戦いに勝利は無い。彼女の迷いが晴れるのを只々待つ。

 そして、シロナはこの過ちを突き進む友人を、正しい想いで糾弾し戦い抜くことが出来る人物だと、信じているからこそルカリオは待っている。

 

「……傷つけられたナタネやスモモもそうだっていうの?

 あるべき避けられぬ犠牲だったっていうの?」

「対立する以上は尚更だ」

「あなたの、ドクロッグやユンゲラーやミノマダムとの繋がりも、その大願の末に失われてもいいの?」

 

「今、ここにある。

 どんなものにも必ず終わりはある。

 ここにそれがあったという事実は、誰に認められずとも変わらない。

 ……僕と、この子達との絆は永遠だ。信じている」

 

 血を流した友人の姿を思い浮かべてシロナは、静かな怒りをこめて。

 それに対するコウキの冷たい返答にいっそうの怒りを得て。

 そして、彼が最も重んじてきた仲間達との絆さえをも切り捨てるのかと強い声で問いかけて。

 そして、それを問われた時にどう返すのか、彼があらかじめ用意してきたであろうという言葉を受けて。

 

 やはり、彼は今でも変わらないのだ。幼い頃から肩を並べてきたあの頃から。

 まかり間違っても、口喧嘩に勝つためなんかに、自分にずっとついてきてくれた仲間達との絆に対し、喪われても構わないとは絶対に口にしない。

 口が達者な親友の裏側、決して口にしたくない言葉を発さぬためには周到な旧友の真相に思い至れるのは、きっとシロナをおいて他にはいないのだ。

 

「ルカリオ!」

「ユンゲラー!」

 

「「――――――――z!」」

 

 今か今かと待ち望んでいた、迷えるご主人達のその声。

 単なる力比べで勝敗をつけるだけでは足りない想いを、嫌というほどわかるからこそ、その想いが最も高まった時にこそ力になりたい。

 負けたくないんだろう、シロナ。貫きたいんだろう、コウキ。

 そのためだったら俺達はなんだってやってやる、お前のためだもんな。

 ルカリオとコウキが吠えるその声には、信頼するご主人にだけではなく、敵対する旧知の友にさえ伝わる激情が溢れている。

 

「途絶えさせるわ、あなたの夢!

 あなたを、後悔させたくない!」

「やってみせろよ、シロナ! 僕達は強い!

 力でねじ伏せられて当然だと思うなよ、チャンピオン!」

 

 悪を挫くため、その尖兵を屈服させんと。

 己が野望を遮る邪魔者を排斥せんと。

 ただそれだけの言葉で表すには難い、シロナとコウキの衝突がそこにあった。

 

 負けたくない相手。ずっと、ずっとそうだった。

 何度バトルしたって、毎回そう思い臨み、負ければ悔しくて眠れなくて、勝てばその日の他の何よりも嬉しかった相手。

 あの日のように、勝ち負けそのものに一喜一憂できた純真な日々はもう無い。

 大人同士の喧嘩は、傷付け合うだけで何も生み出さないのだ。

 それを知るシロナも心もまた、戦う仲間達の身体と同じく血を流した。



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第130話  神々の眠るその聖地で

 

 

「くっそー! ムクホーク、戻れ!」

「大丈夫、落ち着いて……!

 勝てる目は充分あるはず!」

「ああ! わかってるってばよ!」

 

 3匹目のポケモンを撃破されたダイヤの声には、戦力半ばの焦りが表れて始めている。

 冷静さを失わないよう促すプラチナの掛け声は、浮き足立ちがちなダイヤのパートナーとして非常に噛み合っている。

 現にそんなプラチナの声を受けて、ダイヤはしっかりと冷静さを取り戻していた。

 次のポケモンに何を選ぶか、恐らく今日最も難しいこの局面で、冷静でいられることはきっと大きい。

 

「ドータクンがあと少し粘ってくれていればね……!

 思った以上にやるわ、こいつら……!」

「まさか臆病風吹かれてんじゃないでしょうね!

 あんたにだってスカタンクがいるでしょ! 最強なんでしょ、そいつは!」

「はっ、勿論よ……!

 こんなガキどもに後れを取るあたしのスカタンクじゃないわ!」

「巻き返していくわよ!

 これ以上、あたしのポケモン達を舐められてたまるもんですか!」

 

 対するマーズとジュピターも、決して優勢の流れの中にあるとは言えなかった。

 ジュピターは既に最後の一匹であるスカタンクを繰り出しており、マーズもゴルバットを破られてヘルガーを出している。

 こちらは元が少数精鋭であることもあり、残り3匹という数の上ではかなり切羽詰まった状況と言える。

 個の能力が高いポケモン達を使役するマーズ達だからこそ逆転の目を一切疑っていないが、余裕でいられる戦況でもないのだ。

 

 ダイヤの先鋒、ゴンベは最初に倒されてしまったが、"きあいパンチ"といった強力な攻撃でドータクンにダメージを積むなどよく頑張ったものだ。

 その甲斐もあり、続いて出てきたブイゼルや、プラチナのガーメイルによる集中攻撃で以って、ジュピターのドータクンを撃破することが出来た。

 続いてジュピターがゴルバットを出してきたことにより、マーズとジュピターはゴルバット二匹でダイヤ達を迎え撃つ形に。

 飛翔能力を持つ上に素早いそれら二匹の連携攻撃は激しく、ガーメイルとブイゼルが続けざまに打ち破られることになる。

 だが、ガーメイルに代わってプラチナが出したケーシィの奮戦、そしてブイゼルに代わってダイヤが出したムクホークがその仇を討つに至る。

 相性の上でも良いケーシィの念力攻撃や、空中戦で後れを取らないムクホークが、まずはマーズのゴルバットを撃破して。

 それに代わって登場したマーズのヘルガーによる猛攻を凌ぎつつ、ジュピターのゴルバットを仕留めることにも成功したのである。

 

 この段階でエースであるスカタンクを出さざるを得なくなったジュピターだが、その表情に焦りは無かった。

 一匹で三匹ぶんにも相当すると豪語できるほど、手塩にかけて育て上げてきた自慢のスカタンクである。

 その期待に応えるように、スカタンクはヘルガーと共にあっさりとムクホークを撃破し、どうだとダイヤ達にも実力を見せ示した。

 追い詰め始めたつもりになってくれるな、と言葉無く語るその姿は、やはりギンガ団幹部の切り札として相応しい貫禄を持つ。

 そして、次のポケモンを迫られるダイヤが、短い時間で考え抜いて選んだ一匹は、勢いを取り戻しつつあるジュピター達には意外なものだっただろう。

 

「いくぞ、ロゼリア!

 怯むなよ、お前なら出来るから!」

 

「はぁ……!?」

「甘く見られてる気がするチョイスよねぇ……!

 考えあってのことでなんでしょうけど……!」

 

 共々"かえんほうしゃ"の使い手であるスカタンクとヘルガーを相手に、草ポケモンを繰り出す冒険心。

 かなり苦しい選択だ。ダイヤの残り三匹のポケモンのうち、他の二匹のうち片方も炎の技には弱いため、そちらも選択肢としては厳しい。

 残るもう一匹は炎を凌げるが、ダイヤにとってはそれが切り札とも呼べる一匹。勝利のためには出すタイミングが非常に問われる。

 敢えてそれを選ぶことをせず、ここで選んだロゼリアだ。意図はある。

 

「ダイヤ……!」

「お前のケーシィも限界近いだろ……!

 でも、やってやろうぜ! 俺達の自慢のポケモンだ!

 援護がっつり頼むからな!」

「……そうだね!

 ケーシィ、光の壁!」

 

 ヘルガーの"かみくだく"攻撃やスカタンクの"つじぎり"といった、致命的な攻撃だけは避けつつここまできたケーシィだが、ここまで無傷なはずがない。

 "あくのはどう"といった回避困難な技の、直撃こそ免れつつも浅い当たりでも痛烈な攻撃を数々受け、まさに限界間近のコンディションである。

 それでも力を振り絞って、仲間への致命打となる火炎放射のダメージを抑えるべく、光の壁を今一度展開だ。

 相手は悪ポケモン二匹。どのみち自分の念力は、攻撃手段として機能しない。

 

「関係ないわ!

 スカタンク、焼き払いなさい!」

「ブルー、お構いなしよ! 決めにかかるわ!」

 

「ロゼリアーっ! 行けえっ!」

 

 たとえ光の壁で以ってその威力を半減させられようが、草ポケモンのロゼリナへの抜群性を思えば、プラスマイナスゼロの高威力。

 構わず自分のポケモン達の使い慣れた技を命じるマーズとジュピターに応え、ヘルガーとスカタンクが力強い炎を吐きだす。

 真っ向からヘルガー達に突き進んでいくロゼリアにだ。あまりにも無謀とも見えよう猪突猛進。

 二匹ぶんの火炎放射を一気に浴び、光の壁で熱こそ抑えられながらも全身焼かれながら前へと突き進むロゼリア。

 ダイヤも表情を歪めて拳を握りしめている。これしかないんだ。

 負けられない戦いの中、ロゼリアが敵に一矢報いるための、ダイヤが必死で知恵を搾った唯一策なのだ。

 

「ブルー!? あいつっ、まだ……!」

 

「ぶちかませえっ!!」

「っ、っ……!

 ――――――――z!」

 

 容易に焼かれてしまう葉の刃を飛ばす得意技も、溜めが必要で撃つ前にとどめを刺されてしまうソーラービームも、決して通用しないこの局面。

 丸焼きにされながらも体一つで炎の中を突き進んで抜けたロゼリアは、かっとその目を見開いて。

 花弁の多くが焼け落ちた両手の花から、双手の太い毒針を突き出させ、危機を察したヘルガーを逃がさずそれを打ち込んでいくのだ。

 火傷まみれになった身体で、"からげんき"の気合とともに。

 太く長い毒針は、凶器として突き出されたアイスピックのように、実に獰猛な一撃としてヘルガーに二本突き刺さる。

 

「ガ……ッ……!」

「ブルーっ、負けないで!

 あんたはそんな奴に負ける子じゃあない!!」

 

「ロゼリアぁっ! もう一撃だあっ!」

 

 筋肉を裂き骨にまで届くかのように深く突き刺された針、それも毒を纏うそれがもたらす痛みは絶大だ。

 それでもマーズの声に応えるべく、怯みかけた精神を闘志で上塗りすると、首を振るってロゼリアを頭で殴ると同時に身を振るって毒針から逃れる。

 ロゼリアにもダイヤの声は届いている。頑張れって言ってくれてる。それが嬉しい、こんな怪物みたいな奴との戦いで頼りにして貰えるんだもの。

 よろめきかけた足をそうさせず、ぐっと前へと踏み込む足とともに、ロゼリアが放つ針の"どくづき"は、身を捻ったヘルガーの肩に直撃してさらなる痛打。

 

「ッ、グ……!

 グルァァァッ!!」

 

 ブルー、と自分の名を再び呼んだマーズの声に、気丈なそれの裏に隠しきれていない彼女の不安を、このヘルガーは感じ取れてやまない。

 何年も彼女と一緒にいるのだ。わかってしまう。不安にさせてしまっている。

 冗談じゃねえ、俺のご主人を不安にさせるな、お前も俺も。

 夢を目前とするマーズの道に立ちはだかる者を打ち砕くべく、傷から流れる血では流しきれぬ毒に蝕まれた肉体で、ヘルガーは荒々しい吠え声を発する。

 その口でロゼリアを捉え、その牙で以って"かみくだき"、力強く振り上げるや否や、頭を振り下ろすと同時に地面に投げつけ叩きつけるのだ。

 

「ロゼリア、っ……!」

 

「まだだ! ケーシィ!」

「スカタンク!」

 

 抜け目ない奴がいるのだ。ロゼリアの撃破と同時に、流石にべはっと息を吐いて苦しそうにした姿を見せたヘルガー。

 その隙を突くかのように、その側面へと突然テレポートで現れたケーシィが既に拳を引いている。

 プラチナの声とジュピターの声は殆ど同時だった。ジュピターがよく読んでいた。

 はっとしたヘルガーが振り向いたところに、ケーシィがドレインパンチの一撃を叩き込む寸前であったその局面。

 矢のような速度で迫ったスカタンクの"つじぎり"が、攻撃寸前で守るも躱すもする余裕が無かったケーシィに、一種のカウンターじみた致命撃で捉えたのだ。

 

「っ……ごめんよ、ケーシィ……!」

 

「後でいいんだよプラッチ!

 ヘラクロス! ヘルガーをぶっ飛ばせえっ!」

 

「ブルー!?」

 

 正真正銘の瀕死に至らされたロゼリアをボールに戻すのと、次のポケモンを出すのがほぼ同時だったダイヤ。

 ケーシィの拳はヘルガーに届かなかったが、スカタンクを引き付け、ヘルガーの意識を惹くという意味では充分すぎる役目を果たしていた。

 休まる暇も無いままに、突き進んできたヘラクロスが振り下ろした角は、ヘルガーの脳天をぶん殴って顎から地面に崩れ落ちさせる決定打。

 怪力自慢のヘラクロスなりの"かわらわり"は、ヒットの瞬間にヘルガーの意識を飛ばしかけ、地面に叩き伏せる形で完全に意識を失わせるほどのもの。

 

「く……っ……!

 あたしの子達を、よくもここまで……!」

 

「俺だって後でロゼリアにはいっぱい謝らなきゃいけないかんな……!

 なんでも言うこと百個聞いてあげるつもりだよ!

 今は勝つぞ! でないと、みんなが報われないだろ!」

「……うん、っ……!」

 

 ケーシィを引っ込めて、次のポケモンが入ったボールのスイッチを押そうとしながらダイヤに応えたプラチナ。

 目の前の光景が歪んだ。脚がふらつきそうになった。意識が飛びそうになる。

 ギンガ団のアジトで深い傷を負い、その治療も済んでいない身で病院を飛び出し、ここまで走ってきた少年の身体にも限界は近付いているのだ。

 

 失血による意識の朦朧、気分の悪さは死さえ近付いているのではないかという恐怖を抱かせるには充分なものだ。

 駄目だ絶対、こんな所で怖がって立ち止まれるものか。

 ここまで来た意味を無にしてはならない。勝ち取れ、何かを。

 たとえ倒れて二度と立ち上がれなくなったとしても、そうなってしまうのはこの勝利をもぎ取ってからだ。

 

「プラッチ……!?」

「はっ……はあっ……………………ぁ……?」

 

 マーズがブニャットを繰り出した。

 ヘルガーよりもケーシィの方がボールに戻されるのが早く、ブニャットの方がプラチナの次のポケモンが出てくるより早い。

 元々最悪なコンディションでここまで来たプラチナが、いよいよ倒れてしまうのではないかとダイヤが不安な表情で振り返ったその目線の先。

 真っ青な顔で、重いまぶたを閉じぬように耐えているプラチナの、死相さえ匂わせる姿にはダイヤも背筋が寒くなったものだ。

 

「…………あはっ」

 

 だが、プラチナは。

 ジュピターやマーズの方を向いていたその目の先――彼女らの後方にあった、風景のような山の景観の一角に、特異点をふと見つけてしまった瞬間だった。

 本当に、意識が飛びかけていたその時に。

 そんな折にまさか、あんなものを見ることが出来るんだったら、もはやこれは天啓ですらあるんじゃないかって思う。

 心を奮い立たせて勝てって、神様に応援されているような気さえする。

 

「っ……ピッピ! やるぞ!

 僕達の全身全霊、見せてやるんだ!」

「――――z!」

 

「おおぅ、プラッチ……!

 なんか知らないけどすっげぇ燃えてるな! 頼もしいぞっ!」

「当たり前だろ……!

 こんなところで、倒れてなんていられるか……!」

 

 崖を駆け上がるドダイトスの姿が見えたのだ。

 "ロッククライム"さながらに、無茶なルートで、しかし最速で、山頂を目指そうとする勇猛なる姿。

 遠くて小さなその実影を眺める限り、その背中に誰かが乗っている姿までは見確かめることは出来なかったけど。

 必ずいる。あの子はいる。不屈の、負けない、どんな苦境にも立ち向かう、その姿をずっとこの目で追ってきたあの子が。

 きっと自分と同じぐらい血を失っていても、意識を失わぬ限りは前に進むであろうと信じられる親友の姿を目にすれば、自分だけが膝をついていられるものか。

 

 僕の限界はきっとまだ先にある。必ずそうさせる。意地でもだ。

 若く、幼く、迸る、今こそすべてとはっきり腹を括った少年にとって、明日や大人になった後のことなんて関係ない。

 いま果たしたいことを果たせるならば、死んだって構わないと本気で思えるのは、恐怖を乗り越えた子供達の特権だ。

 

「何を勝てるつもりでいるのよ、フラフラのくせに……!

 あたしのスカタンクを、そんな安っぽい根性だけで乗り越えられると思うな!」

「ニャムちー、行くわよ……!

 負けられないのは自分達だけじゃないってこと、思い知らせてやりましょう!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 正真正銘、自分達がご主人にとって最後の札。

 自分が力尽きればマーズが、ジュピターが敗北してしまうのだ。

 負けさせてたまるものが。長い夢を、清純なる世界から自ら離れて、遮二無二追いかけてきた私達の大事なご主人を。

 ブニャットとスカタンクが発する咆哮めいた長い鳴き声は、絶対に勝ちたい想いで立ちはだかる少年達に、決して劣らぬ気迫に満ちていた。

 

「ヘラクロス、やるぞ!

 最後まで絶対に気を抜くなよ!」

「ピッピ、僕達の戦いだ……!

 あんな奴らに、譲っちゃいけないんだ!」

 

 熟達のトレーナー二人を前にして、何年もキャリアで劣る少年達の放つ声は、経験の差を感じさせぬに値する。

 たとえ5年以上の先輩トレーナーを相手にしたとて、強くなるため一途に努力してきた道のりは、その差を決して逆転不能なものとはしない。

 それがポケモンバトルというものだ。大人のトレーナーを子供が真っ当に打ち破ってきた数々の歴史は、単に才の言葉で片付けられるものではない。

 

 どんな世界でもそう。強い者が勝つのではない、勝った者が強いと定義されるのだ。

 戦前の格下と格上、先輩と後輩など勝負の世界では何の価値も無い。

 子供の頃に大人に勝ったことがあり、大人になってから子供に負けたことのあるマーズとジュピターこそ、それをよく知っているはずだ。

 

 ギンガ団幹部という敵対勢力の無力化のために。

 意地と、そして何年も追いかけてきた夢の続きを追うために。

 プラチナとダイヤ、マーズとジュピター、確かに負けられぬという想いの強さに上下も貴賤も無い。

 それでも必ず、やがては勝者と敗者に分かれて、夢潰える者と光ある未来へと進める者に分かれる。それが闘争というものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……醜い疼きだ」

 

 シロナとサターンが、プラチナやダイヤとマーズやジュピターが、迸る想いと共に戦いの火花を散らす中、その戦場から離れた山頂は静謐だ。

 下界の民草が意志や感情の対立により諍いやしがらみに縛られど、神の世界はそれに繋がりを持たない。

 テンガン山の山頂、"やりのはしら"を目前とする中で、八合目の喧騒など異世界の出来事のように意識もしないアカギの態度はそれに近いものがある。

 

 今のアカギを害するものは、その手に取り込んだ赤い鎖のざわめきだ。

 不動の意志で以って押さえ込んだそれも、聖地に近付くにつれて抑えが利かなくなりつつある。

 偉大なる神を手中に収めんとする自らに対し、支配されることを拒む神の意志がアカギを拒絶しているのかのような、赤い鎖の激しいざわめき。

 私情を考察に含めぬアカギは、極めて冷徹にその一説を否認する。

 そうではない。このざわめきは、自らがすべてを掌握せんとする目的を阻まんとする、第三者の介入によるものだ。

 

「煩わしいが、やはり退けずして神への道は開かぬか」

 

 槍の柱に一歩目を踏み込んだその瞬間、彼の手に宿る赤い鎖は、全方位に赤い波動を発するかのように震えた。

 それはまさに、その鎖を生み出すために捕らえた、ユクシーとエムリットとアグノムの力が溢れ出たもの。

 そしてアカギの頭上に輪をかいて姿を現したのは、無法なる手段で自らから力を吸い上げた人間を見下ろす、三柱の姿である。

 

「その存在を容易には確かめられぬがゆえ、神という過大な称号を人に授かった程度の小さな存在。

 所詮は私の果たさんとする目的のために利用された矮小な生き物に過ぎぬというのに。

 それでも尚、私の邪魔をするというのだな」

 

 アカギがボールを手にするまでもなく、三柱を黙らせるなら我々だと飛び出してくる、ドンカラスとマニューラの姿がある。

 赤い鎖を利用して、槍の柱に眠る真の神の力を掌握し、この世界を望むままに創り変えようとするアカギを阻む三つの存在。

 ユクシーも、エムリットも、アグノムも、奪われた力を取り戻す暇も無かった万全ではない状態で、何としてもアカギを食い止めるべくここへ現れた。

 勝算の有無など関係ない。絶対に叶えさせるわけにはいかない。

 我々の愛したシンオウ地方を、歪んだ野望であり得べからざる形に書き換えられることなど、我が身を犠牲にしようとも阻まねばならぬ悪行だ。

 

「よろしい、かかってくるがいい。

 無力に朽ち、我が悲願叶えられしその日を眺めるだけの傍観者になる覚悟が出来たならな」

 

 挑発的な言葉を発する程度には、かすかにアカギもその煩わしさに"感情"的になっていると言える。

 それだけ、神がもたらす余波は大きいのだ。完全に感情を捨て去ったと豪語するアカギに、言行不一致を強いる程度には。

 だが、それで格好がついたとは断じて言い難い。それで得られるものなど、本当に得たいものとは到底かけ離れている。

 所詮この世界は、勝者のみが望むものを叶え、敗者は望まぬものを受け入れさせられるしかない。それが闘争というものだ。

 賭けられたものが大きければ大きいほど、その現実は残酷である。

 

「マニューラ、クロバット。

 容赦は不要だ、血祭りに上げろ」

 

 感情を司る神は、神敵に情をもたらすこと叶わず。

 意志を司る神は、歪んだ意志を改めさせること叶わず。

 知識を司る神は、もはや知識など必要とせず前に進むだけで夢叶えられし者から、剥奪するべきものを定めることすら叶わず。

 

 人が神を超える瞬間は、刻一刻と迫っている。

 それは、これまで何百年も平穏であった、言う人に言わせればユートピアとさえ評じられたシンオウ地方が。

 たった一人の人間の望みにより、希望無きディストピアへと変わる瞬間へのカウントダウンにも等しい。

 終わりの始まりを阻む存在は、未だアカギの前に存在していなかった。



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第131話  シロナVSサターン

 

 

「決めるぞ、ドクロッグ!」

 

「シャドーボール……!」

 

 サターンの声、突き進むドクロッグ。

 シロナのロズレイドが撃つ高威力のシャドーボールを、毒針ではなく拳で真っ向から殴りつけ、力任せに粉砕するドクロッグの眼は血走っている。

 最強の敵、私達にとっての最大の宿敵。

 負けられない理由が過去最も大きい今、ドクロッグもまた生涯最高の闘志と共に、この難敵に立ち向かっている。

 

 シャドーボールを乗り越えて敵の懐へ飛び込んだドクロッグの、必殺"どくづき"がロズレイドの胸元に深く突き刺さる。

 げはっと息を吐くロズレイド、毒針を引き抜くドクロッグ。

 続けざまに逆の拳でロズレイドの顎を殴り上げ、これを決定打とする。

 シャドーボールによって受けた痛み、それを糧に繰り出す拳の一撃は、毒突きによりダウン寸前だったロズレイドにとどめを刺す"リベンジ"だ。

 

「ロズレイド、ありがとう……!」

 

 倒れたロズレイドをシロナがボールに戻す中、サターンはぐっとガッツポーズを見せていた。

 握りしめた拳を少しだけ振り下ろす、小さな、小さな所作である。

 サターン自身にも自覚はあった。ああ、やはり僕は抑えられない。

 シロナに勝てそうなんだ。追い詰めているんだ。沸き上がるこの想いだけはどうしようもない。

 

 ドクロッグがミカルゲを破り。

 交代したミノマダムはトリトドンを撃破し、ルカリオには敗れたけれど。

 代わって参じたユンゲラーがルカリオを打ち倒し、ミロカロスには敗北した末ながら。

 ドクロッグがミロカロスを、さらにはロズレイドを打ち破り、今ここに至っている。

 総数3対6など大きな問題ではない。サターンのポケモン達は、数が少ないだけにそれだけ強い育成とともに、高いレベルに至っている。

 シロナも手持ちの数だけで優位性など感じることもない、それだけの強さがサターンにはある。そしてそれは、今まさに戦況に表れているのだ。

 

「さあ、シロナ!

 最後のポケモンを出せ! かかってこい!」

「コウキ、あなた……」

「負けたっていくらでも言い訳は立つだろう!

 気負わず挑んでこいよ! 僕が勝って当然の勝負なんだからな!」

 

 誰にも聞かせてこなかった強い声、両手で指を動かして、かかってこいと訴える姿。

 ギンガ団幹部サターンの肩書きを捨て、幼馴染との決死の戦いにすべてを投じる彼の姿は、らしくないものなのだろうか。

 いいや、これが本来。シロナと勝負する時はいつだって熱くならずにいられなかった。

 大人になって、求められる振る舞いが増えて、無邪気に勝負事に臨める日々から遠ざかり、こんな自分をさらけ出す機会が一度も訪れてこなかっただけ。

 

 緩和しているとはいえ、シロナの身体にはドクロッグが打ち込んだ毒も残っている。

 ここに至るまでの中で、ギンガ団の精鋭らに数の暴力で襲われ、決して小さくないダメージもポケモン達に積み重なっているのだ。

 フェアでないことなどサターンが最も認めている。それでも勝ちたい。

 どんな形であれ、ずっと親友であったシロナと、互いに絶対に勝ちたいと強く想う勝負なんて、今後もう出来はしないのだ。

 サターンの目は、コウキの眼はそう訴えんとするかのようでさえあろう。

 

「……あたしは最強なんかじゃないわ。

 あたしに一番勝ってきたのは、あんたなのよ。

 あんたの勝って当たり前なんて、一度だって思ったことない!」

「そうだな、今日も僕は勝つつもりさ!

 ずるいって後から誹られてもしっかり誇るぞ!」

「あはは……!

 悪者ぶり、板につき過ぎよ……!」

 

 最後のボールを握りしめたシロナに、初めてサターンと対峙して笑う瞬間が訪れた。

 策を弄して、たった一人のトレーナーをあらゆる手段で追い詰めて、最後の美味しい勝利だけ自分の手で掬い取る。

 まともな大人が誇れようはずのない勝利じゃない。シロナの知るコウキはそんな人物じゃなかった。

 貫き通してきた悪の道を今なお装い、全力でかかってくるよう促そうとする旧友の本質を、シロナはどうしても感じ取れずにはいられないのだ。

 

 自分だけが不利な状況でなんてあるものか。

 ポケモンセンターを頼ることも出来ないお尋ね者の彼のポケモン達は、ギンガ団アジトでの戦いの傷を今でも引きずっている。

 シロナが背負っているハンデらしきものがあって、ようやく二人は対等の戦いを幕開けられたとも形容できるのだ。

 謙虚でも謙遜でもない、他ならぬシロナが一番よくわかっている。

 息切れし始めているドクロッグを見れば、コウキの切り札であるあの子がそんな弱い奴じゃなかったことぐらい、シロナが一番知っている。

 

「行くわよ、ガブリアス……!

 お願い、あたしを勝たせて!」

 

 シロナの切り札にして最強のパートナー。

 公式戦でも、非公式戦でも、他の5匹と比べても並みはずれて、数々の対戦相手を沈めてきた個体である。

 時には相性の不利も覆して、チャンピオンに挑むほどの実力者が繰り出すそれさえも打ち破ってきた相棒に、シロナはこの戦いのすべてを託した。

 

「知ってるよな、シロナ。

 僕のドクロッグが、お前のガブリアスに対するエースキラーなのを」

「ええ、嫌ってほど知ってる……!

 あなたのドクロッグの極められた"きけんよち"、何度思い返してもあたしが今まで見てきたすべてのポケモンの中で最強よ!」

 

「……だってさ、ドクロッグ。

 お前、最強だってチャンピオンに言われてるぞ」

「――――!」

 

 ガブリアスを睨みつける眼をしたまま、ドクロッグは身を震わせて、誇らしげに大きな声でいなないた。

 そしてガブリアスもまた、少し妬くような口の動きで苦笑しながらも、ドクロッグの喜びをかすかに祝うように頷いている。

 絶対に負けられない戦いなのに、目の前の敵を断固として叩き潰すべく挑むべき戦いであるはずなのに。

 胸を貸し合う好敵手らしく、ガブリアスとドクロッグは強い眼差しを突きつけ合いながら、小さく微笑み合う口元を見せてきた。

 

 グレッグルとフカマルだった頃から。

 グレッグルとガバイトになってからも。

 ドクロッグとガバイトになってもずっと。

 ドクロッグとガブリアスになってからだって、いつだって。

 何度も、何度も、直接ぶつかり合い、勝って、負けて、あいつにだけは次だって、次こそ勝ちたいと意識し合ってきた宿敵なのだ。

 人間同士の思想の衝突する闘争など、純真なポケモン達に関係あるものか。

 長く袂を分かち交わり合えずにいたライバルとの邂逅に、今日は俺が私が勝つんだと意気込む二匹に、己の戦いに正義や悪を定義する余念など無い。

 勝利を目指すという、本能からくる根幹を揺るがすものは何一つ無いのだ。

 

「頑張りましょう、ガブリアス!

 コウキにだけは、やっぱり絶対負けたくない!」

「――行くぞ、ドクロッグ!

 必ず、勝たせてやるからな!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 シロナとサターンの声に応じ、ガブリアスとドクロッグの発した雄叫びは、きっと相手がこれでなければ出ないであろうほど大きい。

 とりわけ、気合と共に突き進んだドクロッグに対し、その咆哮は"すなあらし"を起こすものでもあったガブリアス。

 開幕の一手、相手に攻勢の先手を許すことも厭わぬほど、ガブリアス達にとってこの"すなあらし"の効果は高い。

 よく知る相手だからこそ、砂嵐こそが勝利への絶対条件だとよくわかっている。

 

 ドクロッグもそれを読み切っているのだ。

 砂嵐を発動させることに初手を選んだガブリアスに接近し、打ち込むその一撃は単なる"どくづき"ではない。

 戦いが長引けば長引くほどその影響力を高める"どくどく"を孕む毒針の一撃は、掠っただけでもその猛毒を相手に沁み込ませる凶刃だ。

 フィールド全体を包む砂嵐の渦中に身を置くガブリアスが、早速"すながくれ"の力を以って相手の攻撃をはずしに躱そうが、この一撃だけは確実に当てる。

 攻撃先手を譲ってでも砂嵐を選んだガブリアスと同様に、この"どくどく"を選んだドクロッグにとっても、これは勝利のための必要手なのだ。

 

「ガブリアス!!」

「ドクロッグ、跳べ……! 跳べぇっ!」

 

 降り抜かれるガブリアスの"ドラゴンクロー"、一度で良いはずの指示を繰り返すサターン。

 自らも砂嵐の中に巻き込まれたシロナとサターン、共々最悪の視界の中で、かすかに見える相棒の影を頼りに声を張る。

 口の中に砂が入っても吐き出す意識すら芽生えない。一声に込められた次の行動への求心を、ガブリアスとドクロッグは応えんとするのみ。

 跳躍したドクロッグの脚に僅か掠める爪先、大きく動いたドクロッグの位置、離れた両者。

 砂嵐の中において、戦う者同士が距離を作れば位置関係の把握が困難となり、トレーナーの指示力に求められるものは遥かに高くなる。

 

「撃てえっ!」

「突っ込め、ドクロッグ!」

 

 ダメージの大きさよりも必中性を求め、"りゅうのいかり"を指示したシロナ。

 "かえんほうしゃ"ではなくそれが来るだろうと読み、受けても構わず真っ向からぶち抜けと命じるサターン。

 どちらも技の名など口にしない。手の内を自らの声で明かす愚など踏むものか。

 

「下がって! 迎えて!

 左から来る! 広く!」

「潜り込むんだ! もっとだ!

 打てば離れろ、必ず次が来る!」

 

 迫るドクロッグの"リベンジ"を跳び退がる形でいなすガブリアス、視界の悪い中で息を挟むように敵の側面から迫る足取りを見せるドクロッグ。

 相手の利き腕も利き足も知っているのだ、シロナの読みを信じて首を回し、敵を先読みした方向へ火炎放射を放つガブリアス。

 逃げもせず姿勢を低くして熱の下方に潜り込んで一気に迫るドクロッグが、相手の懐へ飛び込んで打ち込む"リベンジ"の一撃。

 身をひねって当たりを浅くしたガブリアス、しかし確かなダメージを与えた一方でドクロッグはヒットアンドアウェイの後退だ。

 反撃のドラゴンクローを強振したガブリアスの広く薙ぎ払う一撃を凌げたのは、その速い後退があってこそ。

 

「気合入れて! もっと!」

「――――――――z!!」

 

「ぐ……っ!

 ドクロッグ、悪手だと思い知らせてやれ! 僕は気にするな!」

「――――――――z!」

 

 吠えて低く跳び、両足で地面を踏み鳴らしたガブリアスの"じしん"そのものは、ガブリアスの行動はドクロッグの脅威たり得ない。

 サターンに育てられたドクロッグの格別の"きけんよち"は、自らを最も追い詰める技の感知力が群を抜いている。

 足を取る地面技も、対応し難く痛打を免れない飛行技も、受けてしまえば抗いようのない最大の弱点たるエスパー技も。

 相手の発動の瞬間をコンマ1秒以上早く察知して、凌ぎ、絶対に受けない。弱点を完全に克服する、チャンピオンですら最強と評した究極的特性。

 最大の宿敵が自らにとって相性の悪い相手だったドクロッグが、血の滲むような修練の果てに極め果たした最大の強みである。

 

「ガブリアス! 真っ向から!」

「ドクロッグ! 来るぞ!」

 

 揺れる大地は立つことすら覚束なくさせ、踏ん張りが利かず動けない相手に次の一撃を致命的なものとする"じしん"。

 平地を"ロッククライム"の如く爪を突き立て、四足歩行の如くして一気にガブリアスへ迫るドクロッグは、その揺れにより受ける影響を押さえ込む。

 シロナもサターンも膝をつかずにいられない中、揺れなど意にも介さぬかのような両者の距離がゼロになるその直前。

 ドラゴンクローを振り下ろしに対し、ドクロッグが両手の攻撃だったゆえに、互角のぶつかり合いとなったのだ。読み合える両者ゆえの拮抗であろう。

 

「行け!!」

「踏ん張りどころよ、ガブリアス!!」

 

 一歩片足を退けて、体勢を整える両者を後押しするのは強い声だ。

 ドクロッグが一手速く相手の懐に飛び込んで、繰り出す"リベンジ"の毒針はガブリアスの胸元を貫きかけている。

 身をひねって躱したガブリアスだが、胸を抉られなかったというだけで毒針の先端という凶刃に、胸元の肌を抉られるほどの痛手は負っている。

 それでも相手がここまで近付いてくれた好機、口を開いたガブリアスが一気に迫り、ドクロッグの肩口を"かみくだく"。

 

「ぶち抜け! 負けるな!」

「全力で、振り抜けえっ!」

 

 肩を抉る牙の痛みなど知るものか。相手の顔の位置を完全に捉えられている。

 ドクロッグが逆の腕の毒針を、ガブリアスのこめかみに頭蓋まで届く勢いで突き刺す。

 毒塗りのナイフで側頭部を全力で刺されるかのような一撃が生み出す威力の壮絶さは、ガブリアスがその牙を抜いてしまうほど。

 いや、自ら抜いたのだ。こう来ることはわかっていたかのように。そして、躱さなかった。

 そして相手から牙を抜いて生じた僅かな距離、近過ぎぬ敵を"きりさく"爪の一撃は、離れる暇を与えられなかったドクロッグの急所を抉る一撃と為す。

 よろめいて一歩二歩退がり、すぐに足に力を込めて跳ぶことで、一度ガブリアスから距離を作ったドクロッグは、その行動一つで立て直している。

 

 側頭部に風穴めいた傷を負って血を流すガブリアスも。

 毒袋を裂かれて血混じりの毒液を零すドクロッグも。

 本来ならば意識すら遠のくようなダメージと疲労に目の前をちかちかさせながら、砂嵐の向こうにいる相手を見据えて目を逸らさない。

 

「狙って! ガブリアス!!」

「恐れるな、ドクロッグ! お前は強いんだ!!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 勝たせてあげたい、勝たせて欲しい。

 負けさせたくない、負けたくない。

 シロナも、サターンも、ガブリアスも、ドクロッグも、その一心。

 砂が舞う中どれだけ口が渇こうが、声を張らずには、咆哮をあげずにはいられない。

 自らと相棒に活を入れんとする声高は、吹き荒れる砂嵐の中にあっても掠れない。

 災害のように燃え広がる"かえんほうしゃ"を発するガブリアスと、死さえ恐れぬかのようにそれを真っ向から乗り越えんとするドクロッグ。

 炎を突き破ってきたドクロッグの"リベンジ"の拳と毒針を腹部に受けるガブリアスが、ぎらついた眼差しを同様の目のドクロッグとぶつけ合う。

 

「バック! 撃てえっ!」

「跳べえっ! 引き裂け!」

「迎えて! 全力よ!」

 

 引き裂ける距離を捨て、三歩ぶん後退する跳びとともに"りゅうのいかり"を撃つガブリアス。

 接近すれば爪の反撃を繰り出してくるだろうという読みをはずされながらも、相手の技のダメージを最小限に抑える機転を指示に表すサターン。

 跳んだドクロッグが振り下ろすシザークロスを、ガブリアスは爪で受けるのではなく両手のドラゴンクローで打ち返す反撃へ転じる。

 重力をも味方に、さらには痛みを糧にした"リベンジ"めいた重みさえ加えたその一撃は、ガブリアスの両爪の迎撃を以ってしてイーブンの力比べである。

 

「ギガインパクト!!」

「な……!?」

 

「――――――――z!!」

 

 着地した瞬間のドクロッグを襲ったのは、いきり立つような咆哮とともに全身でぶつかってきたガブリアスだ。

 瞬時に最高速に至る速度で以っての如し突撃、さらには両翼を構え、激突の瞬間に振り向く両腕の全力を乗せた捨て身の一撃は、ドクロッグにも耐え難い。

 せめて腕と毒針を交差させて受け切るガードの構えを見せるも、ガブリアスの全力の一撃はドクロッグを大きく殴り飛ばすに至っている。

 吹っ飛ばされて背中から地面に叩きつけられ、転がるドクロッグの姿は戦闘不能を思わせるには充分なものだったはず。

 

「っ……!

 ドクロッグ!! 今しかないぞ!!」

「ッ、ッ~~~~……!

 ――――――――z!!」

 

 ああ、駄目だ。その声を聞いてしまったら。

 いつだって冷静なあなた、声に感情を表すことをしまいとするあなた。

 それでも私に負けて欲しくないと心から望んだ時、そんな必死な声を出してくれるじゃないか。きっと私だけが、私達だけが聞けるあなただけの声。

 意識さえ飛びそうだったそのさなかに飛び込んできたサターンの声は、かっとドクロッグの目を見開かせ、軋んでいた全身を跳ね起こさせる。

 すぐさま両足に力を込め、矢のようにガブリアスへ迫ったドクロッグの、"どくづき"でも"リベンジ"でもあるその一撃は。

 捨て身の一撃による反動で体勢不充分なガブリアスの腹部に深々と突き刺さり、今日一番のダメージで以ってシロナ達の賭けに報いを返す一刃と為す。

 

「く……っ、ガブリアス……!」

「ドクロッグ……!

 

 流し込まれる毒と刃のダメージにふらつきかけながらも爪を振るい、ドクロッグの顔面を切り裂きながら後ずさるガブリアス。

 額と鼻先から血を噴き出させつつ後退するドクロッグ。

 ぜえぜえと息切れする両者は、どれだけ目の前の光景がぼやけようとも、未だその眼から闘志を失っていない。

 勝ちたいのだ。そしてシロナを、コウキを負けさせたくないのだ。

 あれだけ声高に勝ちたいと訴えてくれた相棒に、勝利を届けたい。負けて膝をつく屈辱は味わわせたくない。

 気合の声をあげる余力も無いことは、砂嵐向こうの確かでない視界であろうと、誰よりシロナとサターンがよくわかっているけれど。

 

「っ、行けえっ! ガブリアス!」

「来るぞドクロッグ! 正念場だぞ!」

 

 距離がある故の常套手段、炎や竜の怒りによる遠距離攻撃ではなく、接近戦へと持ち込まんとするシロナ。

 まさしく勝負手だと感じながらも、その背水の陣めいた猛攻にも耐えうる僕のパートナーだと信じているコウキ。

 吠え声あげて爪を幾度も振り下ろすガブリアスと、短刀のように毒針を駆使して防ぎ、受けながら下がりつつも勝機を見逃さんとするドクロッグの姿がある。

 獰猛な獣のような眼で敵を見据えるガブリアスとドクロッグには、ただその眼では語れない理性的な、勝利を渇望する感情的な想いが未だ宿っている。

 

「今だ! 潜り込め!」

「ステップ! 撃って!

 すぐ来る! 構えて!」

「曲げろ! いっぱいに沈み込め!

 恐れず飛び込むんだ!」

「脚も使って! ここしかないの!」

 

 攻め込んでくるガブリアスの一瞬の隙も見逃さず、ここだというタイミングで反撃を促してくれるコウキ。

 それに応えて懐に飛び込んできた敵を、シロナの指示に応じて横っ跳びの回避行動で一瞬の間を作るガブリアス。

 火炎放射を放つガブリアスに、余力の無い今は真っ向から突き進むなと言ってくれるコウキに応えたドクロッグは、炎を躱してガブリアスの側面から迫る。

 炎を凌ぐ癖なのか身を沈めた接近を踏み込んでくるドクロッグの攻撃を、追い付かぬなら硬い膝で受けることも視野に入れろとシロナは言う。

 ドクロッグの突き出してきた毒針による一刺しを、切っ先ではなく刃の側面を蹴って凌ぐガブリアスの姿がある。

 

「まだだ追い込め! 追い込めるぞ、絶対に!!」

「頑張れガブリアス! あなたなら凌げるから!!」

 

 短い曲刃のような毒針を二刀流の如く、一気に前に出てガブリアスを幾度となく斬りつけんとするドクロッグの猛攻だ。

 ガブリアスが後ずさりながらそれを凌ぐ。剣とも盾ともなるその両翼を駆使してだ。

 最強であるチャンピオンの、最強の切り札である最強種ガブリアスを、コウキのドクロッグは後退を強いるほど追い詰めている。

 

「頑張れドクロッグ……!

 ミノマダムもユンゲラーも頑張ったんだ!

 お前も頑張れ! ガブリアスを倒してみせろ!!」

「――――――――z!!」

「頑張れえっ! ガブリアス!

 あなたは負けない! 信じてるからあっ!!」

「――――――――z!!」

 

 一秒に何度も響き渡るドクロッグの毒針とガブリアスの翼の激突音。

 コウキの声に応えるドクロッグの気合と、シロナの声に応えたガブリアスの咆哮がそれを呑み込むほど混ざり合い。

 息を継がずに連続していたドクロッグの攻撃が一瞬緩んだ隙を見逃さず、両腕の爪を振り下ろしたガブリアスの反撃が、やむを得ぬドクロッグの防御を強いる。

 今日一番の激突音が響き渡り、たまらず一歩退がるドクロッグと、上げ切らぬ頭で上目遣い気味に睨みつけるガブリアス。

 どちらも苦しい。相手も苦しい。息を入れる暇などない、この宿敵に一息も入れさせるものか。

 

「「――――――――z!」」

 

「行っけえええええっ! ガブリアス!!」

「勝つんだ! ドクロッグ!!」

 

 あの頃のように。幼かったあの日々のように。

 その裏に隠された指示の意図も無き、勝って欲しいという想い一つで発せられた声は、大人同士のそれではなかった。

 勝利を望む全身全霊を表した相棒に続き、そんな声を発さずにいられなかった練達の大人達の声は、きっとこの瞬間だけ、この上なく純真であったはず。

 

 どれだけ腕が立つトレーナーでも、腕が立つトレーナーだからこそ、やがて必ず辿り着いて謙遜無く口にすることだ。

 僕達は、私達は、最愛のポケットモンスター達に導かれてここにいる。

 

 吠え声をあげて突き進み合うガブリアスとドクロッグは、防御を捨てた爪と毒針を振り抜く一撃と共に交差した。

 ドクロッグの毒針の切っ先がガブリアスの喉元を裂き、ガブリアスの爪はドクロッグの両肩を深く抉り。

 距離の生じた両者が振り返り、その眼差しをぶつけ合う中、その傷口からは痛々しいほどの血がぶしっと噴き出すほどの深手である。

 

「シロナ……!

 僕は、僕の信じる道を貫いてきたんだ……!

 たとえ、君に共感されなくたって……」

「…………」

「僕はこの道を貫いてきたことに悔いはないぞ!

 目指したいものがあったからこそ、ここまで力を付けてこれたんだ!

 お前をここまで追い詰めたこの力を、お前に否定させはしない!」

 

「…………出来ない、わよ……」

 

 があっと強い声を発し、ドクロッグを強く威嚇するガブリアス。

 傷つけられた肩の深手があまりに深く、だらりと両腕が下がった姿で負けじの眼だけを返すドクロッグ。

 継戦能力はあるだろう。どちらにも。だが、もはや。

 

「お前の方が常に僕の上だと思うなよ……!

 ほんの少しのアヤ一つで、僕が勝っていた可能性だってあったんだ!

 お前にあと少しで勝てたぐらいの仲間達と一緒だからこそ、僕はこの道を進んでこられたんだからな!」

 

 シロナの目に映るのは、敵対するギンガ団幹部のそれではなく、幼い頃から親しんだ旧友の顔に他ならなかった。

 お前が勝って当たり前の勝負だ、って煽ってきたくせに。

 ボールを握りしめる手も、その逆の空いた手さえも握りしめ、わなわなと震わせて負け惜しみを言う。

 

 あたしはあんたに負けた時、そんなことはしなかったけど。

 悔しくて悔しくてたまらない想いを、言葉も発せず恨めしくあんたを睨みつけるばっかりだったっていうだけ。

 そんな自分だからこそ、負けてあれほど悔しいのにあんなに口が回るあんたのこと、あたしには無いものを持ってるライバルだなあって何度も思った。

 悪の組織の大物ぶれないあなたの姿を見ると、今でもやっぱりあなたは私の無二の親友だと見限れない。

 シロナは砂嵐の消えていく中ではっきりと見えてくる、コウキの姿を前にして涙を目に溜めずにはいられなかった。

 

「僕のポケモン達は、強いんだ……!」

 

 これ以上の戦いは、最愛のパートナーを無用に傷つけるだけだと、苦々しくも敗北を認めてドクロッグをボールに戻すコウキ。

 それだけの誇り高さがある人なのに、どうして道を違えなくてはならなかったのだろう。

 頼れる仲間達と共に、大きなことを成し遂げたくなった、それだけだったら共感すら抱けたはずなのに。

 歪んだ道の偉業を夢見た親友との、今やこのような形でぶつかり合うしかなかった縁の末路には、戦いの幕が降りるとともに哀しみこそが立つ。

 

「コウキ……

 あたし、あなたと、もっと胸を張れる舞台でぶつかり合いたかった……」

 

 私達は、いつまでも、子供だった頃のように、手を繋いでいることは出来なかったのだろうか。

 涙するシロナのくぐもった声を前に、サターンは天を仰ぎ、彼女を直視することが出来なかった。

 

 誰しもいつかは大人になる。歳月は、時に極めて残酷だ。



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第132話  ギンガ団幹部VSダイヤ&プラチナ

 

 

「ニャムちー! とどめ!」

 

 マーズのブニャットが吐き出す火炎放射、"ねこのて"でヘルガーから借りる形で放つそれは、ダイヤのヘラクロスの全身を呑み込む。

 ヘラクロスも長く善戦した戦いぶりだった。

 スカタンクがピッピを辻斬りの一撃で仕留めて以降、その支援も受けられず。

 代わってプラチナが出したエンペルトの水技で、スカタンクやブニャットの放つ炎への対抗手で以ってダメージを最小限に抑えつつも。

 とうとうエンペルトとスカタンクが真っ向やり合う図式の隙、邪魔立てする者なくブニャットの炎が、弱ったヘラクロスの全身を焼き焦がす展開に至った。

 いかにブニャットが炎技を本職の技とせぬにせよ、ただでさえ踏ん張ってきたヘラクロスにも限界の二文字は免れない。

 

「ありがとな、ヘラクロス……!

 ほんとに、頑張ってくれて……!」

 

 力尽きて胸から倒れる寸前だったヘラクロスを、ダイヤがボールに戻す。

 6匹もいた手持ちが今や、ついに残り一匹だ。

 プラチナも既にそう。そして、マーズもジュピターも既にそう。

 誰一人、後の無い中で最後のボールを手にしたダイヤは、決死の想いでこの聖戦に挑む敵にも味方にも似通って、決意に満ちた眼差しだ。

 

「さあ、来なさい!

 あんたも最後の一匹でしょ!」

「マーズっ……!」

「うるさい! わかってるわよ!

 叩き潰せば文句ないでしょ!!」

「く……!」

 

 ダイヤを見据え、挑発的でありながら敵の本気を待つようなマーズの大声が、ジュピターにとっては最大の不安要素である。

 元々感情的だった同胞だ。それも、常には良い意味ではない方で。ジュピターからすれば、危うい幼ささえ孕んだその若々しさ。

 これは、吉と出るか凶と出るか。結果で以ってしか語れない。

 

「いくぞ! ゴウカザル!

 絶対勝とうな!!」

 

「――――――――z!!」

 

 たとえマーズやジュピターの思惑がどうであれ、ダイヤは只々己の切り札たる最後の仲間に、この戦いの勝利を託してボールから喚び出すのみ。

 負けられない、負けたくない戦い。

 そんなダイヤの切実な想いに応えるべく、ゴウカザルもまたボールから姿を現すや否や、咆哮めいたその声も大きく長い。

 

 自分が負ければダイヤの敗北、それも一生悔やむほどの敗北になってしまうとわかっているのだ。

 "もうか"を司るはずの個体でありながら、その眼光は"いかく"のそれとさえ見紛うほど強く、対するブニャットとスカタンクの身構えようにも表れていよう。

 

「エンペルトのこと任せるわよ!

 スカタンク! ゴウカザルを討つわ!」

「えぇ、結構!

 ニャムちー、一撃で沈めるわよ!」

 

「ゴウカザル、突っ込めえっ! 絶対逃がすな!」

 

 格闘技を得意とするゴウカザルを真っ向受け持つ役目は、ブニャットよりもスカタンクの方が適正だ。

 スカタンクがゴウカザル目がけて吐き出す、深緑酸液の塊のようなものは、シンオウ地方のトレーナーが実戦で見たことの無い技だ。

 "ヘドロばくだん"とも明らかに違うそれへの危機意識はゴウカザルも高く、機敏なステップで躱しながらスカタンクに駆け迫る。

 そしてゴウカザルは既に、身体の内から噴き出す炎を全身に纏い、渦巻く火炎流に包まれたかの如し姿で敵へとぶつかっていくのだ。

 

「"かえんぐるま"だ!!」

「ここしかないわよ! やってみせなさい!」

 

 炎の塊と化したゴウカザルの突進がスカタンクにぶち当たり、燃え移る炎に全身を焼かれながら退くスカタンクの意識も遠のきかける。

 間際に聞こえた相棒の強い声を、そんな遠のく意識の真ん中に引き戻して。

 敵が懐まで飛び込んできたのだ。急所さえ狙える好機はまさに今。

 ぎらりと眼を光らせたスカタンクが、利き足の爪を振りかぶり、獰猛な肉食獣のような勢いでゴウカザルに飛びかかる。

 

「ゴウカザル……!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

「な……!?」

 

 ゴウカザルは躱さなかった。スカタンクの"つじぎり"で深々と横腹を切り裂かれたダメージは甚大だ。

 それでも、躱そうと退いたゴウカザルにさっきも撃ち込んだ"アシッドボム"を叩き込むジュピター達の思惑を、大きくはずす行動である。

 ゴウカザルは敵の懐から逃げず、逆にスカタンクを自らの懐から逃がさず、攻撃直後のスカタンクを手が届く位置に捉えているのだ。

 

「っ……! いけえええええっ!!」

 

 ゴウカザルの膝がスカタンクの顎を蹴り上げ、ぐぁとのけ反りそうになったスカタンクに、打ち抜く拳を三発連続で顔面に叩き込む。

 守りを捨てた"インファイト"の連続攻撃は、今にもスカタンクが白目を剝きそうなほど打ちのめす。

 よろめくスカタンクの足取りは、ジュピターに決着の一秒前を悟らせるには充分なものだったはず。

 

「スカタンク! ラスト!」

「決めろ! ぶっ飛ばせ!!」

「――――――――z!!」

 

 最後の一撃、ゴウカザルの全力の右ストレートがスカタンクの眉間に激突し、脚に力が入っていないスカタンクを吹っ飛ばした。

 5メートルは離れただろうか。それでも、スカタンクは最後の力を振り絞る。

 腹を下に横たわった状態で、ぶくっと頬を膨らませたかと思えば、腹の中に溜めこんであったガスすべてをゴウカザルへ吐き出すのだ。

 水槽を倒したことで一気に水が外界に溢れ出るかのように、スカタンクの吐き出したガスはあっという間にゴウカザルの全身を包み込む。

 可燃性の強いガスが敵を捕えたことを確かめたスカタンクは、薄れゆく意識の中でがちんと歯を鳴らし、火炎放射の火を喉の奥から僅かかつ勢いよく発する。

 

 多量のガスが一気に引火し、生じる爆発はゴウカザルを中心に凄まじいものを見せた。

 毒にも火気にもなる自身の攻撃手段たるガスを全て吐き出して打つ、スカタンクの最後の一撃"だいばくはつ"だ。

 ラスト、の掛け声にその大爆発が起こることをわかっていたジュピターとマーズは腕で目を覆い。

 そんな技の予兆など知るも遅れたダイヤとプラチナは、その爆風に晒される。

 咄嗟に前かがみになり、重心を前にしたダイヤでさえ尻餅をついて後ろに一回転させられて。

 そして、失血によって気が遠くなりつつあるプラチナに至っては、その爆風に対応することも出来ず身を浮かされ、大きく後ろに吹き飛ばされた。

 

「っ、ぐ……!

 ゴウカザル……プラッチ……!?」

 

「ぅ……ぅぅ……」

 

「マーズ、絶対に勝ちなさいよ!」

「わかってるわよ……!」

 

 爆心地のゴウカザルも、うつ伏せに倒れたプラチナも、心配でたまらない。

 ダイヤの叫びにプラチナは呻くだけだ。ただでさえ気絶寸前のコンディションで、全身を硬い地面に打ちつけている。

 そして、そんなプラチナの姿を見てしまえば、彼の相棒の胸から沸き上がる怒りたるや語るべくもない。

 

「ッ――――!

 キュアアアアアアアァァァッ!!」

 

 おさまらぬ怒りは、既にここまでの戦いで気絶寸前まで追い込まれた肉体の痛みも忘れさせ、ブニャットに放つは"げきりゅう"のハイドロポンプ。

 大爆発の爆風から踏ん張っていた直後のブニャットにそれが直撃し、顔が、あるいは頭蓋がひしゃげそうな水の重みにはブニャットも目が開けられない。

 

「ニャムちー!!」

「ッ――――!」

 

 くたばるか、この程度で。

 地を蹴ったブニャットは跳躍し、ハイドロポンプの砲撃を飛び越えて一気にエンペルトへと迫る。

 血走った眼のエンペルトはその形相も恐ろしい。ブニャットは怯まない。

 主が傷つけられて怒り狂うエンペルトの眼に、僅かな共感さえ覚えつつも撃破を躊躇わない、歴戦の猛者の冷静な思考能力さえ残している。

 

「かみなりのキバ!」

 

 このブニャットの最大の武器は、親しい仲間の技を選んで借りる"ねこのて"だ。

 使える技が多すぎるため、借りる技の名はマーズが指定して導かねばならず、敵の耳にそれが入るデメリットも確かにあろう。

 それを補って余りある、本来ブニャットでは苦戦するはずの鋼タイプのエンペルトに、この上なく刺さる技を選べる強み。

 マーズのヘルガーが覚えているその技を借りたブニャットの牙は、エンペルトの肩口に突き刺さり、その発光で自らも敵も包み込むほどの電撃を流すのだ。

 決して雷の牙をお家芸とするレントラーなどと比較しても、その激しい電撃の威力は見劣りしない。

 

「ぅ……エン、ペルト……」

 

 これ以上は駄目だ。エンペルトは今の一撃で戦える状態じゃなくなっている。

 それでも戦い続ける可能性すらある。それこそ、死ぬまでだ。

 自身の痛みや目の前がぐにゃつく気分の悪さを、そんな悲劇への恐怖が上回ったプラチナは、最後の力を振り絞ってエンペルトのボールのスイッチを押す。

 光と電撃に包まれてなお抗おうとしていたエンペルトが、プラチナの手元に戻っていく。

 

「プラッチ……!」

「あと、頼んだから……」

「――ああ! 見てろっ!」

 

 プラチナに駆け寄っていたダイヤに、身体の内も外も傷だらけの少年は、決して死んでなどいない目で訴えかけてくる。

 勝つしかない戦い、最初からそうわかっていたことであっても。

 今一度、その想いを120%まで高めさせてくれる友達の意志を受け取ったダイヤは、膝をついていた状態から立ち上がったゴウカザルと共に敵を見据える。

 

「ニャムちー、いける?」

「~~~~♪」

「……ふふ、いい子。

 あたしには勿体ないぐらいのパートナーだわ」

 

 ゴウカザルと睨み合いながらも、マーズに心配されていると感じるや否や、振り返ってウインクしてまで猫なで声を放つブニャットだ。

 大丈夫、あたしに任せろ。勝たせてあげるから応援してね。

 ヘラクロスにも、エンペルトにも、強烈な技を幾度も受け、ブニャットだって明らかに限界間近なのだ。

 それでも空元気で微笑みを、本来無いはずの余裕を見せるほどには、このブニャットの精神力は並外れている。

 

 プラチナとジュピターのポケモンが尽き、ダイヤもマーズも最後の一匹。

 この一対一に、勝負の結末は委ねられたのだ。傷付いた身体の痛みなど、拳を握りしめたゴウカザルも、身を震わせるブニャットも今は忘れて。

 

「頑張ってくれよ、ゴウカザル……!

 本当に、今までで、一番強い相手だからな!」

「ニャムちー、やるわよ!

 あんたは負けない、誰にだって! 信じてるわ!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 弾丸のような勢いで地を蹴って敵へ迫るゴウカザルの最初の一手は、先手必勝のマッハパンチだ。

 跳んで躱すブニャットは、鈍重そうな体型に似合わぬほど高く跳んでいる。跳ね毬のよう。

 自身の後方に回ったブニャットをすぐさま振り返り、相手の着地点目指して一気に駆けるゴウカザルは、獲物を絶対に逃がさない眼だ。

 

「撃てえっ!!」

 

 技を指定しないマーズ。ここで放つべき技など一つしかないからだ。

 ブニャットもわかっている。猫の手により借りられるものを含め、十をも超える数多の技から、たった一つを選ぶことに迷わない。

 ゴルバットに借りた"エアカッター"数枚を、着地する前から放つブニャットの迎撃が、両腕で顔を守るゴウカザルを傷だらけにする。

 ブニャットの天敵は格闘タイプ。最大の対抗策だ。

 

「マッハパンチだ……!」

「――――z!」

 

 全身から血を噴かせながらも着地する瞬間のブニャットに迫ったゴウカザルは、指示に従い高速接近の勢い任せの拳を打ち込んだ。

 自己判断に任せられるなら"インファイト"で以って勝負を決めようとしていたかもしれない。それでもダイヤの判断を信じて。

 鼻っ柱を打ち抜かれて、鼻血を出しながらも自ら退がって距離を作るブニャットは、睨み返す眼力も弱まっている。意識が遠のきつつさえある。

 

「スモッグ!」

「ッ、ッ――――!」

 

 マーズの声がもはや頼りと言っても過言ではない。だが、聞けば奮い立てる。

 両目と口をがあっと開いたブニャットが、ヘルガーに借りた技でもって多量の黒い煙を吐き出した。

 煙幕と言うには薄く、敵の視界を完全に封じるものではない。吸えば毒、だがゴウカザルも息を止め、毒に身体を侵されることを阻んでいる。

 

「行きなさい! わかるわね!?」

 

「ゴウカザル! 構えろ! 返り討ちだ!」

 

 吠えて突っ込むブニャットを、すぐにファイティングポーズで迎え撃つ姿となったゴウカザルは、迫られた瞬間に返す拳でカウンターを狙う。

 だが、スモッグが目に入るのだ。眉間に皺を寄せ、細い目で視界の悪いスモッグ内で、しかし確かにブニャットの動きを捉え。

 突き返す拳はブニャットの動きが素直であれば、見事な迎撃として決まっていただろう。

 

 だが、減速とともに頭を沈めてゴウカザルの拳を潜り込むようにしたブニャットに、ゴウカザルの拳はたなびいた敵の尾を掠めただけ。

 歴戦の相手とて視界が悪ければ引っかかるフェイントで迎撃を凌げば、その横を駆け抜ける中で振り抜く爪でゴウカザルの腹を裂いていく。

 あくまでも"だましうち"だ。大きなダメージを与える技ではない。

 ブニャットが狙うゴウカザルへの攻撃の本命はこの直後。

 スモッグの中から抜け出て振り返るや否や、無数のエアカッターを飛ばしてゴウカザルの全身をいっそうずたずたにする。

 

「ゴウカザル……!」

 

 生身を武器に戦う格闘タイプにとって、型無く触れ難き刃に切り裂かれることは、当たる限り対処不可能に近くダメージも甚大だ。

 傷が開けばスモッグも沁みる。息を止めても体内に毒が沁み込む。

 もう駄目かとさえ思いかけながら、どうにか勝って欲しい一心のダイヤに呼ばれれば、いや、呼ばれなくたって。

 パールがピョコと親しんできた日々と同じ数だけ、ダイヤに寄り添い共に歩んできたゴウカザルは、言葉さえ要らずダイヤの"意志"を感じ取れる。

 

「!?

 ニャムち……」

 

 スモッグの中で僅かに傾いたゴウカザルが、次の瞬間ほぼノーモーションからブニャットへ矢のような速度で迫った姿は、誰の目にも追えぬ虚を突く初動。

 やばい、と思って身を逃がそうとしたブニャットだが、敵へ地面と平行なほどの軌道で跳んだゴウカザルの、痛烈な蹴りがブニャットに突き刺さる。

 身を逃がそうとしたその腹部にだ。げはっと吐瀉物めいたものを吐くブニャット。

 "あついしぼう"を貫通して内臓まで貫く衝撃にブニャットがよろめく中、地に足着けたゴウカザルは既に拳を引き絞っている。

 頭の炎は既に"もうか"で倍のように燃え盛り。それは同時に、彼の限界近さを物語るものであって。

 

「ぶっ飛ばせえっ!!」

 

「――――――――z!!」

 

 待ちわびていたダイヤの指示に、ゴウカザルは全力の拳をブニャットの顔面に打ち込んだ。

 一撃を目元に、二撃目を頬に、そして振り上げた拳の三撃目を顎に。

 一秒の間に三連続、次への動きも意識した"れんぞくパンチ"ではなく、捨て身の自らへの反撃を凌ぐ気も無い猛攻の"インファイト"。

 重心の強いブニャットの身体がぐらぁと傾いた中、最後の一撃をぶち込むべく拳を引くゴウカザルは、気絶寸前の敵へ容赦も加減も無い眼差しだ。

 

「っ、やめ……」

 

 傍目には目も死んだと思えるほどのブニャットへの追撃、思わず顔を青くしたマーズが制止の言葉を投げそうになっていたけれど。

 拳を打ち抜く直前に、ゴウカザルも聞こえはしたけれど。

 必勝を誓いし男が全力で繰り出した喧嘩拳は、ブニャットの眉間に突き刺さり、頭をのけ反らせたブニャットの胸が大きく浮かせている。

 あの丸い身体のブニャットが、一度は後ろ脚で立ち上がるかのほど身を反らせ、あとは力無く胸から地面に崩れ落ちるだけ。そう見えた。

 だが。

 

 ブニャットの両足が地面を踏みしめた音が、ずしっと重いものであったことを聞き取れたのは間近のゴウカザルだけだ。

 そこから、ブニャットがゴウカザルへ襲い掛かるまで一秒もかからない。

 ブニャットが倒れなかった事実にマーズさえもが驚いた瞬間には、ブニャットの大きな身体がゴウカザルを突き飛ばし、さらにはその腹で押し潰している。

 

「ヴッ、ギュ……!

 ヴニャアアアアアッ!!」

「ッ、ッ……!

 ――――――――z……!」

 

 仰向けに倒れたゴウカザル目がけて、ブニャットが幾度も爪を振り下ろしてくる。

 殺意さえ感じるその凶刃の連続攻撃は、倒れたゴウカザルがその姿のまま腕と拳を振るい、爪をはじきながら戦慄するほど。

 目の前のブニャットの眼から感じるものは狂気にさえ近い。

 猫の目でありながらもその度を過ぎた瞳孔の開きぶりは、自らの爪で引き裂いたものの命など微塵も顧みるものではない。

 

「ッ……!」

 

「ニィィ゙、ッ……!」

 

 肩を、腕を、胸を裂かれながらもゴウカザルが決死の想いで振り上げた膝が、ブニャットの顎に突き刺さる。

 舌の先端を噛んだようだ。赤くて小さな何かが宙を舞う。

 それでもゴウカザルの膝をぐいと下に沈めてでも、顎を引いて見下ろすブニャットの形相は得も言われない。

 両足を振り上げて、踏み潰すと同時に爪を突き立てるかのような一撃を、ゴウカザルは力任せにブニャットの顎を膝で押して後方に逃れる。

 

「ゴウカザル……!」

 

「にゃ、ニャムちー……」

「フゥー、フゥー……!

 ヴッ、ニャアアアッ……!」

 

 尋常ではない。言い換えれば、まともな状態ではなかった。

 ひしゃげた顔の形ながら、血走った眼でゴウカザルを睨みつけるブニャットの形相。

 図々しそうな顔立ちながら、それもまた一部の人には可愛らしくて愛くるしいのがブニャットだ。

 手負いの獣にして凶暴さのみをあらわにした、勝利と生存のためならば殺生をも厭わぬその面立ちに、人懐っこい愛嬌ある姿はそんな面影を何一つ残さない。

 マーズにさえも一度も見せたことのない、野生の危険なモンスターさながらの姿を見せるブニャットに、睨まれぬマーズでさえ背筋が凍りそうだ。

 

「マーズ! 何してるの! 指示を!

 これは好機……」

「っ、黙れ!! うるさい!!」

 

 ゴウカザルでさえ戦慄を覚えながら、しかしダイヤのために勝つのだと、平時ならば肩が上がらぬほどの腕で身構えている。これが精一杯の全力だ。

 弱った敵、思わぬ形で野性味にさえ届く獰猛さを得たブニャット、まさにトレーナーを傷つけられたポケモンの如く。

 僥倖にして勝利に繋がる天啓、そう訴えんとしたジュピターの声を、マーズは一喝にして封じ込む。

 お前なんかにあたしの子達のことを知った気になられてたまるか。

 

 嫌でも伝わってくるのだ。何があっても勝つというブニャットの意志。

 勝つまで戦う。降参など無い。この身が動く限り。

 きっとニャムちーは自分の意志では絶対に止まらない。動けなくなるまで。あるいは気を失うまで。

 あるいは、死ぬまでだ。

 

「っ、く………………ニャムちー、っ……!」

 

 身内にだけは優しいトレーナーであるならブニャットをボールに戻すべきだ。

 目的達成のためなら身内の命さえ顧みない、悪の志を貫くなら戦えと命じるべきだ。

 同じ葛藤をダイヤも感じていることを、マーズはダイヤと目を合わせて感じ取っている。

 

 猛火を携えたゴウカザルは本当に限界寸前なのだろう。

 勝利のためとてこんなブニャットを前にした今、このままゴウカザルが戦い続させるなら、その命すら危ない結末が真実味を帯びている。

 勝ちたい気持ちはマーズだってダイヤから感じられるのだ。鏡映しのように。

 そんなエゴと相棒の命を天秤にかけざるを得ない中、あんな子供が血で沼が生まれる死戦場にゴウカザルを勢い任せに駆り出せるものか。

 

 退くなら今しかない。マーズにもダイヤにも言えることだ。

 戦い続ければゴウカザルの死さえ予感するダイヤが涙目にさえなる中で、マーズは人に見せたくもない一筋の涙を零してでもダイヤを睨みつけていた。

 あんたが退くのよ、あたしとニャムちーじゃない。お願い、退いて。

 今にして思えば血みどろで痛々しいゴウカザルの姿でさえ、間違った道を突き進んできた愚かしさを、マーズが思い知るには充分な光景だった。

 

「ゴウカザル、っ……!

 頼むよ、頑張ってくれ……!

 俺、どうしても勝ちたいんだ……っ!」

「――――――――z!」

 

「っ、っ……馬鹿な子……!

 ニャムちー!」

「ゼェーっ、ゼェーっ……!」

「勝ちましょう!

 あなたのこと、信じてるから! あなたがあたしの最強なんだからね!」

「ッ……!

 ヴニャアアアアアァァァッ!!」

 

「ゴウカザル!!」

「ニャムちーっ!!」

 

 貫き通さねば得られぬ勝利というものがあるのだ。

 我が身で以ってのみでは勝利を勝ち取れぬ、ポケモントレーナー達の業。

 そして、そんなものが表面化する局面とは、誰かの死さえも礎として叶えたい非道ありし戦争の舞台のみ。

 

 何をしているのだろう、何をさせているのだろう、あたしは。

 ぐしっと目を拭って戦うゴウカザルから目を逸らさぬ覚悟を決めた11歳の少年が、そんな世界に身を置かざるを得ず。

 きっと彼は勝ったって負けたって、泣いて身内に詫びるしかない結末を迎えざるを得ない戦場に、対する位置で身を置く中。

 マーズは初めて、非道も厭わず自らの道を歩んできたことの愚かしさを真に迫られ、ブニャットに戦うことを強いる声で塗り潰すのが精々だった。



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第133話  山の頂にて

 

 

「なんでついて来るの」

「いいだろ別に。

 もう邪魔はしないよ」

「どうだか、悪の組織の大幹部」

「手段が無いっていうんだよ」

 

 サターンのポケモン達を打ち破り、山頂を目指す足を急がせるシロナ。

 彼女について走るのはサターンだ。戦えるポケモンなど手元に一匹もいない。

 アカギを追うシロナを邪魔するために追っているわけではないことは、どうやら確かなようである。

 

「そんなこと言って、あんたこっそり四匹目のポケモン隠し持ってたりするんじゃないの~?

 悪人だもんね、今のあんた。信用しきれないなぁ」

「無理なんだよ、僕は。

 進んできた道が道だけに、絶対的に信頼できる仲間しかそばに置けなくなった」

 

 彼は幼い頃から連れ親しんでいる、三匹のポケモン以外をそばに置かない。

 おかげで育成がその三匹に集中できるぶん、あれだけ強い個体が育つのだが。

 恐らく今までで、そしてこれからも、たった三匹のポケモンでシロナのポケモン六匹を追い詰めるトレーナーなど、彼の他には存在しまい。

 ただでさえトップクラスのトレーナーが、少数精鋭を極めると大変なものを育ててしまうという実例と言えるのかもしれない。

 

「それはそれで胡散臭いわね~……」

「まあ、今の僕を信用できないのはわかるけどな」

「いや、逆の意味でね。

 そんな理屈で三匹しか持てない、ってわけじゃなさそうってこと」

 

「…………」

「あたし一応、他の誰よりもあんたのこと知ってるつもりだから」

 

 悪の道を進むからには、身近の仲間は厳選すべきだという用心と周到性は確かに不可欠である。裏切りに満ちた利欲の世界だ。

 ただ、倫理観さえ投げ打って突き進んだ絶対に道半ばで屈せない道のりの中、それに並び立ち必要不可欠であったものが高い武力。

 それほどの道を歩みながら、未だユンゲラーのままであった彼の旧友を見てしまえば、やっぱり。

 得るべき今以上の力というものと天秤にかけようと、ほんの一瞬でも大切な身内を誰かの手に渡ることを嫌ったコウキの姿を想像してしまうと。

 幼い頃、何度自分に負けたって、大事なこいつらを君に勝てるよう育ててみせると、三匹体制を貫き通してきた彼の心根が今でも垣間見えるというものだ。

 理論武装して自分の行動理念を語る大人になっているが、変わっていない何かも確かにある。

 もっと言えば、いちいち理屈じみたこの言い訳癖だって、幼い頃から変わっていない所の一つであったり。

 

「それより、ついてきてどうするの?

 出来ることがあるからついてきてる感あると、やっぱり突っぱねるべき?」

「それを僕に聞くか?」

「もう、質問を質問で返さないでってば」

「見届けたいだけだよ、どんな結末になろうとね。

 せっかく足は動くんだ、見るだけでもしておきたい。

 君こそ、そのガブリアス一匹でボスに挑むなんて無謀だと思うけどね」

「あら、心配してくれるんだ」

「嬉しそうに……君のそういうところがなぁ……」

 

 ガブリアスを共に駆けるシロナの後ろで、サターンは言葉を見つけられないかのように口ごもる。

 本来ボールから出されたままの今のガブリアスは、万が一サターンが妙な動きをしようものなら、という見張りとシロナの護衛を兼ねる立場。

 そのガブリアスでさえ、サターンに対するマークは薄い。

 こちらも今さらサターンがシロナをどうこう妨げるつもりがないことを、半ば本能的にわかっているのだろう。シロナと同じだけコウキを知る仲である。

 

「子供達だけに任せて大人がじっとしてるわけにはいかないでしょ。

 勝算なんて関係ないわ、出来るかどうかじゃない、行くし、戦うのよ」

「まあ、君はそういう奴だよな」

「っていうかさぁ。

 あんたがパールのことあんな風にするもんだから、いっそうあたしがやるしかないっていう事情もあるのわかってる?」

「ちょ、ふがっ……!

 や、やめろっ、二十歳超えてからやるやり取りじゃないだろっ……!」

 

 薮蛇つついてくるサターンに、一度立ち止まったシロナは彼の鼻をつまんで顔を近付ける。

 まあまあ男前のサターンの鼻をつまむ大人なんて他にいまい。昔はよくやったものでもあるのだが。負けてぶすぶす言い訳するコウキの鼻をつまんで煽ったり。

 振り払って睨みつけてくるコウキの姿に、シロナは寂しく笑うのみだ。

 こんな時だけど、懐かしくてちょっと楽しいなって思えてしまったから。

 そう思うたび、こんなどうしようもなく敵対する間柄にはなりたくはなかったとも、ついつい感じてしまうから。

 

「あんた、帰った時の身の振りぐらいは考えておきなさいよ?

 いくら隠れて色々やってたって言っても、自分のやってきたこと無かったことなんて許さないからね?」

「……そうだな。

 僕達はもう、大人なんだからな」

「言質取ったわよ。約束だからね?」

 

 サターンの悪行の数々の多くに証拠は無いだろう。

 だが、自身の行動には責任を。大人達の不文律。

 それを確約させようとするシロナの言葉には、サターンだって反論のすべは無いというものだ。

 

「……まあ、再び山を降りられたならね」

「あたしがそうさせるわ。必ず……ん?」

 

 表は軽口、内心には揺るがぬ決意。

 両立させて駆けていたシロナの足が不意に止まる。サターンの足もだ。

 示し合わさずして二人の足が同時に止まる程度には、いま二人が肌にさえ感じた異変の予感は明確だ。

 

「……………………これは……!?」

 

「……言っただろ。

 山を降りられたなら、って」

 

 テンガン山が震え始めた。

 それは今この状況下において、かつてない何かが起こらんとする予兆に他ならない。

 こんな時に都合よく、ギンガ団が成し遂げんとする何かとは無関係に、大自然の気まぐれで地震が起こるなんて思う方が馬鹿馬鹿しい。

 

 アカギが叶えんとする新世界。

 それが果たされた時、きっと世界は元の形ではいられない。

 サターンが人間社会に降り、罪を償う機会が訪れるかどうかさえ、もはや保証されてなどいないということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴウカザルとブニャットの戦いは、あれから長く続かなかった。

 長く続きようがなかったのだ。元より両者、とうに限界を目前にして吠え合った最終局面。

 その上で、あのように原始的な消耗戦となってしまえば、長続きする戦いであろうはずもない。

 

 そこに、トレーナーが自分のポケモンを勝利に導くための、理知を以って下される指示など一つも無かった。

 襲いかかるブニャット、迎え撃つのではなく自らも飛びかかるゴウカザル。

 その咆哮だけで聞く者を身震いさせるような声と共に迫り合ったゴウカザルとブニャットは、ひたすら至近距離で傷つけ合ったのだ。

 距離を作ってのエアカッターで相手を弱らせる余力が足にないブニャット。

 接近戦に持ち込むしかなかったゴウカザル。

 双方ともに、"きりさく"爪と"インファイト"の拳で、けだもののように互いを引き裂き打ちのめす、見るもおぞましい獰猛な戦いのみがそこにあった。

 

 鼻が折れても、頬骨が割れても、耳が焼けただれても、一歩も退かずにブニャットは爪を振るい。

 胸を裂かれても、目元を斬られても、喉元を抉られても、血みどろになろうとゴウカザルは握り拳を振るい。

 並のバトルであれば一撃で致命傷になるほどの深手を、どちらも幾度も受けながら、同じものを敵に返し。

 壮絶なその戦いを選んだ両者に、トレーナー達に下せる指示など一つも無い。

 ゴウカザルの名を叫ぶダイヤ。ニャムちーと強く呼びかけるマーズ。

 自分が彼ら彼女らの立場にあれば、あれほどの傷と痛みの中でなお、戦い続けることなど出来るはずがないと、畏怖と恐怖を胸に覚えながら。

 ただただ身内の勝利を願う声しか発せないトレーナー達とは、つくづく無力な図がそこにあるのみだった。

 

 超え過ぎた末の限界が訪れるのは間もなくだった。

 ゴウカザルの十三発目の拳を眉間に受けた瞬間、ぷつりとふいに何かが切れたかのように、顔をのけ反らせたブニャット。

 "だましうち"を仕掛ける余地一睡も無き戦いの中、ゴウカザルもぴたりと十四発目の拳を止めたその目前。

 どろりと口の端から血を流しながら、目を剥いたブニャットが前のめりに崩れ落ちた姿を前に、ゴウカザルはよろよろと二歩退がった。

 死んだように動かなくなったブニャットを、マーズが震える手でボールに戻したのが決着の一幕だった。

 

 果たしたかった勝利、叶えたかった勝利。あれほど渇望したもの。

 そんな中で、ダイヤはガッツポーズの一つさえ叶えられなかった。

 勝者とは誰だったのだろう。ダイヤとプラチナだろうか。戦い抜いた二人のポケモン達だろうか。

 やったぞ、と腕を掲げて誇ることの出来ない、さながら戦争の後のような、血にまみれた身内の姿の上に掴み取った勝利。

 ゴウカザルをボールに戻したダイヤの手もまた、この勝利を誇るよりまず恐れに心を囚われて震えていたものだ。

 立てぬ状態でこの戦いを見届けていたプラチナさえもが、自身のぐらつく意識も忘れ、決着とともに立ち上がったほどである。

 まるで、この程度で立ち難いと脚に力を入れていなかった自分が、これほどの覚悟で戦いに挑んだ仲間の前では恥じるべきであったとさえ感じたかのようにだ。

 

 ダイヤは最後、無言でマーズとジュピターを睨みつけ、山頂への道を駆けだしていた。

 マーズはもう、戦意を喪失していた。見ただけでわかる。

 ブニャットのボールを両手で握りしめ、膝をついて、己の過ちを神へ懺悔するかのような姿で。

 ジュピターもまた、抗うすべを失った悪党として潔く、舌打ち混じりの顔ながらダイヤを見送るようにして。

 そして、立ち上がったプラチナは、ダイヤのあとを追うように走りだしていった。

 

 悪に潔さなど要らない。ジュピターには悪あがきの選択肢もあった。

 だが、所詮自らの痛みから逃げた者の覚悟など、眼前にて壮絶な覚悟を繰り広げた勇士らのそれを前にしては拙いものだ。

 子供達に完全敗北した屈辱。それさえも、ジュピターに抗う力などもたらさない。

 十年以上貫いてきた、悪の組織に仕える覚悟以上のものを一日で見せつけられたジュピターは、ただただ握りしめた拳を震えさせることしか出来なかった。

 マーズは、きっとそれ以上だ。

 

 

 

「プラッチ、ほんとに大丈夫なのか?」

「うん、なんとかなる。

 ラクではないけど、立ち止まりたくないんだ」

 

 山頂を目指すダイヤの隣を、プラチナも遅れずついてくる。

 先のバトルでは、ただでさえ弱っていた身体でスカタンクの大爆発の爆風を受け、地面に叩きつけられて立てずにいた少年だ。

 あの時は本気でもう立てなかったプラチナとて、道が拓ければ立ち上がり、体に鞭打って前に進まんとする。

 手持ちのポケモン達はみんな戦闘不能、自分に出来ることがあるかどうかもわからないけれど、じっとはしていられないらしい。

 

「それにほら、あのままあそこでじっとしてても、悪者に捕まって人質にされちゃったりするかもしれないし。

 ダイヤのそばが一番安全だよ」

「ん~、そっかぁ。

 それじゃ、絶対俺とゴウカザルがプラッチを守ってやるからな!

 なっ、ゴウカザル?」

「――――♪」

 

 見るも痛々しいほど傷だらけのゴウカザルだが、駆けだしたダイヤのそばに自らボールから出てくると、前を走って導かんとしてくれている。

 弱った態度など欠片も見せない。無傷の時のような、男気を表したかのような気風よい笑顔で振り向きさえする。

 内心、八つ裂き寸前のゴウカザルの姿にはダイヤも胸が苦しいのだが、大丈夫だと意地を張って前進と先導を兼ねるその姿に、ダイヤも思い切って甘えている。

 ギンガ団の野望を食い止められなければ、明日は無いかもしれないのだから。

 戦う意志を固めてここまで来たダイヤは、それ以上の決意を以って導き手たらんとする相棒を止める無粋をしない。それもまた信頼関係だ。

 

 こんなになっても歩を進めるゴウカザルの姿に、自分がへこたれていられるものかとプラチナが触発されたのも事実ではあるのだが。

 それが無くても、彼は歩ける限り前に進んでいただろう。彼自身が言っているように、あのままあそこに留まっていても良い予感はしない。

 年相応に感情的になることもあるが、基本的にプラチナはお利口さんである。

 無茶な行進をしているのは確かだが、賢明に休むよりは理で以って、より良い行動を選んでいるという側面も確かであろう。

 

「山頂まであとどのくらいなんだ?

 あんまりここから長いようだと、プラッチの方が先に死んじゃうだろ」

「死ん……あんまり縁起でもないこと言わな……えっ!?」

 

 流石にプラッチもしんどそう、と、ダイヤも彼なりの気配りか、冗談交えて軽口を叩いている。

 内容にエッジが利き過ぎで冗談きついのは、未熟ゆえに仕方ないとして。

 それでもプラチナにはちょっと苦笑い出来る程度に肩の力が抜けた会話であったのに。

 彼が思わず足を止めてしまうほどの、異変の予兆はもう始まりかけている。

 

「えっ、プラッチ?

 どうし……うわわわっ!?」

「っ、く……!

 まさか、これ……そんな……!?」

 

 時を同じくしてシロナ達も体感している、揺れ始めたテンガン山。

 今はまだ、小さな揺れだ。しかし、不思議と、そして嫌なことに、この揺れは徐々に大きくなっていくであろうと、無性に感じ取れてならない。

 転ばないよう耐えられる程度の揺れでさえ、震える大地がもたらす不安は只ならぬものなのに。

 きっと自分の予感ははずれないだろうと半ば確信させるような、激動の予兆から目を逸らさせない、この揺れの恐ろしさとは如何ばかりか。

 

「ちくしょう……!

 間に合わなかったってのかよぉ……!?」

 

 どんな時でも希望を捨てず、掴み取りたい何かに向かって、いつも突き進んできたダイヤでさえ。

 ジュピターに完膚無きまでに敗れた過去さえ乗り越えて、ここまで参じた彼の姿など、まさにその不屈さを体現するものだ。

 そんな彼をして、心を蝕み始める絶望感というものがある。唐突に生じ、一気に心を呑み込もうとするほど黒く、深い闇。

 

 神の力とは、それほどまでに絶対的なのだ。

 小さな、小さな、世界の一かけらでしかない一人の人間に抗えるものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これが、神の力か。

 その姿をこの世に顕さずして、ここまでの影響を世界に及ぼすとは」

 

 槍の柱。

 テンガン山の頂に鎮座する、かつては神々しかった神殿の跡地を思わせるような場所。

 朽ちた柱に囲まれた祭壇、幾星霜の時を経てなおその威厳を失わぬ、未だシンオウの民に古代の聖地と崇められる聖域だ。

 そこにただ一人立つアカギのそばに、もはや彼を妨げんとする存在は無い。

 彼がこの地で成し遂げんとしたことを阻むため、傷ついた身体を推して参じた三匹のポケモン達は、闇の使徒の手によって退けられてしまった。

 マニューラとドンカラスは、二匹でありながらユクシーとエムリットとアグノムを撃退し、いっそうの傷を負った三柱は空の彼方へ逃れるしかなかったのだ。

 

 祭壇の中心を見据えるアカギが歩を進めるにつれ、山の揺れは大きくなる。

 アカギ自身の足元も揺れているのだ。だが、彼の足はふらつきもしない。

 まるでこの揺れさえも、それを起こす神の力を我が物に収めたかの如く、その体幹は激しくなりつつある振動に微塵も揺るがされない。

 その不可思議な現象を、アカギは当然のこととさえ感じているかのように、無表情で足を進めていくのみだ。

 

「……美しいざわめきだ。

 この鎖を手にした私に、神が憎しみさえ抱いていることがわかる」

 

 足を止め、自らの右手の掌を見るアカギも、思わずその指が硬く曲がるほど力を入れずにはいられない。

 その手に、我が身に取り込んだ"あかいくさり"に、シンオウ地方の絶対神が反応している実感がある。

 激しい怒りだ。所以もわかる。人の身如きが三湖の神の力を手に、傲慢にも神の力を手中に収めんと聖域を穢していることへの憤怒。

 そこには、この聖地に眠る二柱の神にとって、同胞とも言えようエムリット達を傷つけたアカギに対する、感情的な憎しみが含まれていることもわかる。

 

「神ですら愚かだ。

 そうした感情に支配され、これより人の手に落ちることを夢にも思わず、私の前に姿を顕わさんとする。

 そんなものを絶対的な存在だと崇めるこの世界に、完全なる世界へ辿り着く見込みなど初めから無かったのだろうな」

 

 神に我が声が届く場で、天に唾を吐く行為。

 手中の赤い鎖を通じて、アカギの言葉にいっそう激しい怒りを覚えた神の感情が伝わる。

 それをアカギは、この神でさえ己の理想とする世界の主には、いかにも不的確だと見切りをつけるのみ。

 この世界の新たなる支配者として取って代わらんとする革命家の意志は、恐るべきほどの神の力の片鱗を前にしてなお、畏れるどころか強くなる一方なのだ。

 

「さあ、見せてみろ。

 その不完全な有り様で、黴の生えた世界に胡坐をかいていた旧き神よ。

 いや、かつては神であった愚かな偶像よ」

 

 両手を広げたアカギの掌から、一本繋ぎの赤い鎖がこの世界に顕現する。

 それは、エムリット達を傷つけることによって得たものを、神を支配するために利用せんとする、傲慢なる存在による挑発的行動だ。

 槍の柱に眠っていた神が、もはやアカギを赦す余地は一片たりともない。

 

「ディアルガ! そして、パルキア!

 お前達に、新世界の始まりに立ち合うことを許そう!

 愚かしくもその姿を我が前に晒し、時と世界の変わり目を示す礎となれ!」

 

 祭壇が歪む。祭壇上も、祭壇そのものもだ。

 世界が形を変え始める。何も無い空間上が、陽炎と呼ぶには足りぬほど曲がり、渦巻き、空間を裂いて。

 二つの渦から姿を見せ始めた、神話上に語られる壁画や石像に、色と例えようもない存在感を携えた本物の神。

 シンオウ地方の全てを――いや、世界の在り方そのものさえをも司る二柱の顕現に、揺れているのはここだけではない。

 

 テンガン山そのものも。そして、山から離れた下界にも徐々に。

 それは、終わりの始まりと形容して何ら違和感の無い、世界すべてを巻き込む大いなる激動の幕開けに他ならなかった。

 

 

 

 

 

「シロナ!!」

「え……!?」

「フカ公! シロナに寄り添え!

 絶対に離すんじゃないぞ!」

「ッ、――――z!!」

 

 揺れが激しくなっていくテンガン山の道半ば、サターンは思わずシロナの手を握っていた。

 続けて叫んだのは、親しみ長いシロナのガブリアスを呼ぶ声。さんざん自分をバトルで負けさせてきた、憎くもライバルであった旧友だ。

 ガバイト、ガブリアスに進化した後でも自分をそう呼び続けていたコウキの声に応えるように、ガブリアスはすぐにシロナとサターンを両手で抱きかかえる。

 

 大きな揺れは脅威の表れ。

 何が来るのか、何が来てもシロナ"達"は守ると身構えていたガブリアスが、サターンに導かれ二人を抱くように両翼で包んだのは間違いなく正解だった。

 ガブリアスの両翼で視界を囲まれた中でも、二人には外界が乱れている事実は感じ取れる。それも、どうしようもないほどに。

 

「ゆ、雪が溶け……」

「時の流れが狂っているんだろうな……!

 そして、空間も歪みつつある……!」

「――――――――z!」

「ああ、そうだフカ公! 絶対にシロナを離すなよ!

 こんな場所で離ればなれになったら終わりだ!」

 

 時の神、ディアルガがこの世界に顕現したことにより乱れる、テンガン山の時の流れ。

 降り積もっていたはずの雪は春を迎え、夏を迎え始めたかのように溶け始め。

 どくん、どくん、と自らの内なる何かが強く脈打つ実感を得るシロナもサターンも、まるで自分が今と違う何かに作り変えられていくかのような感覚だ。

 急速な老いだろうか。それともあり得ぬ若返りだろうか。

 自身の手が小さくなっていくにつれ、その手を握るサターンの手の力が痛く感じるシロナは、言い知れぬ恐怖を覚えるばかりだ。

 

「こ、コウキぃ……!」

 

「っ、く……!

 フカ公! 離すなよ! シロナを喪いたくはないだろう!?」

 

 思わずサターンは、シロナを引き寄せ胸の中に抱きしめていた。

 背丈が縮み、抱き寄せれば地面に足がつかないシロナだ。

 かつては幼くして、同じ目線で笑い合いも睨み合いもした、幼き頃の姿となったシロナを、サターンは唐突に軋み始めた両腕で抱きしめる。

 抱き寄せられたシロナが見上げる先には、急激に顔に皺を増やしたコウキの姿、十年か二十年先に見るはずだった彼の姿がある。

 

「か、神の、力……

 人の手に、余る……力、か……」

 

 時の流れが乱れている。シロナと、サターンが我が身に感じているように。

 そして、異変はそれだけではない。

 触れ合っているからこそ離れない、幼きシロナと老いたサターンとガブリアス。

 そのすぐそばで、びしり、ばきりと音無き音を立て、いくつもの空間が裂ける気配が確かにある。

 この世界に顕現したのは、時間を司る神だけではないのだ。

 

 神の目覚めしその場所から近いほどに、その影響は大きくなる。

 テンガン山はもはや人智を超えた現象に満ちた、聖域とは呼びようもない魔境と化していた。

 

 

 

 

 

「プラッチ!?」

「うあぁ、っ……だ、ダイヤ、っ……!」

 

 神の力が襲ったのは、シロナ達だけではない。

 思わずプラチナに手を伸ばしたダイヤ、それに手を伸ばし返したプラチナも、ともに手を握り合うには至れない。

 咄嗟に素早くダイヤに代わってプラチナに手を伸ばしたゴウカザルでさえ、その手を握ることは叶わなかったのだ。

 

 お互い、すぐそばにいたはずのダイヤとプラチナだった。

 両者の間に、ぴきりと硝子にヒビが入るような音がした瞬間に、ダイヤもプラチナも嫌な予感を覚えたのは確か。

 得も言われぬ嫌な展開への予感に、二人が手を握り合う暇さえ許されず、二人の間の近かったはずの距離は隔たれた。

 確実に、届き合えるはずの距離に違いなかったのに。

 手を伸ばしても相手に近付いている実感の無い、相手に届くより前に離れていく、目が映す光景とははっきり異なる現実との乖離。

 ダイヤとプラチナの間の空間が裂け、本来あるはずの距離が意味を為さなくなり、届き合わぬ隔たり合った世界として切り離された現実。

 生まれて初めてこのような現象に直面した二人には、何が起こったのか、どうすればよかったのかなどわかりようはずもない。

 

「っ、プラッチ!?

 おい、どこに行ったんだよ!? プラッチぃっ!!」

「――――――――z!

 ――――ッ、――――――z!!」

 

 そして、触れ合えなかった二人は、いつの間にか目の前からお互いを見失っていた。

 一歩先に見えるものを、一歩歩めば触れられる。それがこの世界の当然あるべき空間の形。

 その前提すら失われた世界下で、空間の裂け目に呑まれた者達は、己の位置さえ保証されない。

 ダイヤとゴウカザルはほんの数秒前まで立っていた場所とは違う場所にいることにさえ気付けぬまま、目の前からいなくなったプラチナを呼ぶばかり。

 

 そして、プラチナも。

 賢い彼だからこそ、突然に目の前からダイヤ達がいなくなったことも、自分がさっきまでいた場所と異なる場所にいることも。

 すぐに察せてしまうからこそ、人の手にはもはやどうにもならぬ現象に囚われ、為すすべ一つ無いことを悟らざるを得ない。

 誰一人としてそばにいない、雪解けの荒原の真ん中にいつの間にかいて、遭難に等しき状況に置かれた心を支配するものは何か。

 一つは絶望。そして、もう一つは諦観だ。

 

「ここまで…………ここまで、来たのに…………」

 

 山岳のどことも知れぬ一角にて、両膝から崩れ落ちるプラチナは、雪雲の厚い空を見上げることしか出来なかった。

 寒く凍死もあり得る霊峰にて、下山道もわからぬ死の孤独に恐怖するでもなく。

 あっという間に自らを、この絶望のどん底に追い詰めた、神の力なるものに触れてしまった実感が、何よりプラチナの心を粉々にする。

 どうにもならない。どうにも出来ない、何者にも。賢しいからこそ目を逸らせない現実。

 何が何でも食い止めたかった悪の親玉が、この力を目覚めさせてしまった事実から、お利口であればあるほど否定できないというものだ。

 

 自分達が今日まで当たり前のように過ごしてきた世界が終わり、今この時より新たなる世界の在り方が始まる。

 それはきっと、この世界を不完全だと否定し、それをいっそう悪しき方向へと改めんとしていた悪の親玉の意のままに。

 知識でもなく、推察でもなく、実感で以ってそれを知ってしまったプラチナの目元から溢れるものは、彼自身とて覚えが無い。

 力無く跪き、嫌なこともあったけどお別れしたくはなかった美しさもあったはずのこの世界が、もはや失われていくこの実感。

 真の絶望は、それによって溢れるものの自覚さえその者には抱かせないのだ。

 

 世界の終わりだ。

 少なくとも心の底から嫌いではなかった世界が去り、希望一つ無い世界へと変わっていく幕開け。

 灰色の空を見上げ、自覚無く流したそばから乾いていく涙を頬に伝わせながら、プラチナは忘我のうちに凍え死んでいくことすら拒めぬ心持ちにあった。

 寄る辺一つ無く、心まで凍る寒空の下に放り出された少年は、この日一度は目にし、希望を貸してくれた少女のことを想起する余裕一つ無かったのだ。



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第134話  やりのはしら

 

 

「これが神の力か。

 やはり大いなる力というものは、制御が容易ではないのだな」

 

 槍の柱の祭壇に姿を現し並び立つ二柱。

 時空の神、ディアルガ。

 空間の神、パルキア。

 多少の距離こそありながら、真っ向それに対峙するアカギの姿など、荘厳なる神の前では小さくすらある。

 

 咆哮一つで人間一人など消し飛ばしてしまうのではないか、それほどの気迫を持つ二柱の神は、アカギを見下ろしてぐるると喉を鳴らすのみ。

 間違いなく怒りに満ちているのに。神の力を我が物とせんとするアカギを、攻撃することに躊躇いなど抱きようはずもないのに。

 それはアカギの周囲にらせん状に渦巻き、彼を守るように宙に浮く"あかいくさり"が原因だ。

 

「三湖の精、ユクシー、エムリット、アグノムは、世界をも揺るがす力を持つお前達が道を過ちし時、それを鎮める使命を司っている。

 この赤い鎖は、その力を吸い出したものだ。

 これによって力を抑制されたお前達は、鎖を支配する私に抗うことは出来ない」

 

 長年に渡ってシンオウ地方の神話を解き明かしてきたアカギは、敢えてその理屈をディアルガとパルキアに説いている。

 自身の功績を誇るためではなく、立場をはっきりとさせるための意図。

 それが、人の身にありながら神の力を手にせんとする自らに対し、神々がいっそうの怒りを覚えることも見越してだ。

 

 赤い鎖が発する磁場めいたものは、ディアルガとパルキアの肉体と力を縛りつける強いものであり、二柱はともに身動きのとれぬ状況にある。

 苦痛を伴うそれは神々を震わせ、同時に行き場の無い激しい怒りが、抑えきれぬ神の絶大なる力を溢れさせているのだ。

 それは今、シロナやプラチナが体感しているように、テンガン山の上層に並々ならぬ影響を及ぼしており。

 時が経つにつれ、その範囲は広がっていき、やがてはテンガン山全土に、さらにはシンオウ地方全体へ、さらには世界へ広がっていくだろう。

 時の流れが、空間の有り様が、あるべき形で成り立たぬ状況が世界中に広がればどうなるか。

 それを、アカギは知っている。

 

「さあ、怒りのままに力を振りかざせ、ディアルガよ。

 あり得べからざる時の流れは、不完全な世界を朽ちさせ、一新された世界を育む。

 抑えられぬ感情と苦しみに身を任せ、私の望むままにその力をかざすのだ」

 

 時が極限まで加速すれば、命あるものは老いて絶え、形あるものは朽ち果て、世界中のもの全ては今ある姿ではいられなくなる。

 時が究極的に逆戻りすれば、今この世界にあるものの殆どは失われ、人類はおろか古代の生物さえしていなかった、まっさらな新世界が再び始まる。

 ディアルガの力の暴走は、今ここにある世界の滅亡に直結するものだ。

 

「パルキアよ、神の力を利用しようとする私が憎いか?

 不完全なるこの世界の根幹を支える理の最たる空間を、その力で以って滅裂と為せ。

 その憎悪を糧に、この世界を摂理そのものからまず改めるのだ」

 

 当然のように繋がっていた世界がそうでなくなれば、たとえ大気や光や音、形無きものさえあるべき形を保てなくなる。

 空間の断裂とは、大地や大陸のような大いなるものを破壊するに留まらず、海も、空も、すべての破壊を叶える絶対的な力。

 そんな力の影響が世界に及べば、既存の世界は崩れ去り、後には理の破綻した八つ裂きの世界しか残らない。

 

 ディアルガとパルキアの力が共に暴走した時、訪れるのは創世記ではない。

 世界の崩壊。それが、新世界が生まれるために必要不可欠な第一段階。

 不完全なこの世界を改めることを目的と説くアカギは今、目覚めさせた神の力で以って明確に、この世界の滅亡の引き金を引こうとしている。

 その結末において、自らの足が降り立つ場所さえをも求めてなどいないのだ。

 

「さあ、赤い鎖よ。神々を誂えろ。

 持て余す力を閉じた世界に自ら封じ、ただこの世界を見守る身分を気取っていた傲慢な神を、為すべきことを為す、正しき力の行使者へと。

 この世界を一掃し、新世界の礎とする破壊者へとだ」

 

 赤い鎖が禍々しい色の光を放ち、ディアルガとパルキアに同じ色、血走るような苦痛をばりばりと与える。

 怒りのままに力を行使すれば、赤い鎖に守られたアカギを傷つけること叶わぬまま、世界を崩壊に導いてしまうとわかっているディアルガとパルキアも。

 全身の内側を八つ裂きにされるような苦痛に歯を食いしばり、アカギを憎む想いを努めて封じ、自らの力を抑制せんと耐えるものの。

 自身の崩壊をも思わせる絶大な苦痛に、本能的に力が溢れ、それをもたらすアカギに対する怒りは膨らむ一方だ。

 

 たとえどれだけ理性を以って自らを律しようとも、溢れ出る感情そのものだけはどうしようもない。

 溢れる力、増幅する怒り、制御できぬ時間と空間を狂わせる力は、山の揺れがいっそう大きくなることからも明らかなように、もはや留まることを知らない。

 空が裂け、その空間の裂け目に吸い込まれる大気が地上に嵐のような風を渦巻かせ、乱れた時の流れが上天に雲をあり得ぬ速度で生成し。

 さらに進む時の流れが、空に留まれない雲を雨と雹に変え、水と氷が同時に降り注ぐ異常気象をも起こさせる。

 赤い鎖に守られしアカギの周囲を除き、揺れる大地も荒れる空も、まさしく世界崩壊を告げる兆候を顕していた。

 

「…………」

 

「ピョコ!!」

「――――――――z!!」

 

 終わりの始まりを特等席で見上げるアカギは、目的の達成を確信していただろう。

 まさか、ここに水を差す者が現れようとは想像だにしなかったほどに。いや、わざわざ想像などしたくなかったであろうほどに。

 それでも幼き少女がパートナーの名を呼ぶより一瞬早く、その接近に気付く程度には、感無量たるはずの中でなおアカギは冷静であった。

 

 振り返った先、崖を駆け上がってきたドダイトスが四本の足で地面を踏み鳴らし、槍の柱全域を大きく揺らした。

 激しい揺れだ。本来ならば立っていることも出来ないほどの。

 赤い鎖、神の力さえも退ける力を持つそれに守られているせいか、アカギの足元の揺れは小さく、彼は足を一歩退けて膝を曲げる程度。

 もはや今の自らにとって脅威たり得ない神に背を向け、アカギはドダイトスと、その背に跨る少女に真正面から向き直った。

 

「……来てしまったのだな」

 

「アカギさん、っ……!」

 

 アカギははっきりと、忌々しいものが来たと表情を歪めた。

 神の力の暴走は始まっている。もう止まらないはずだ。今さらどんな邪魔者が割って入ろうとしようが、後に待つ結末は変わらない。

 ましてシロナにもはっきりと劣る、実力及ばぬ小さな少女がこの場に至って、何を変えられようというのか。

 

 アカギは、ただそう楽観的に考えられないのだ。

 チャンピオンですら辿り着く運命に恵まれなかった歴史的瞬間に、代わって姿を現した存在がいるだけでも特異点に他ならない。

 ましてそれが、三湖の精の一角と縁深き少女という肩書きを意識すれば、ここに彼女が現れたことに一厘の脅威性をも意識するというものだ。

 

「すべてはもう手遅れだ。

 わざわざ絶望を拝むためにここまで来たというのなら歓迎しよう。

 この歴史的瞬間を見届ける証人がいるというのも、悪くはないかもしれないな」

「っ……

 もう、止められないんですか……!?」

「試しに私の命を奪ってみるか?

 たとえそれを果たしたとしても、もはや結末は変わらない。

 私の意志を遂行するこの赤い鎖がここにある限り、神々の暴走はもはや止められない」

 

「……ピョコっ!」

「――――――――z!!」

 

 世界が終わりに向かっていることはパールにも感じられている。残された時間がもう殆ど無いことも。

 一縷の希望を懸け、ピョコに請うパールの声が、葉っぱカッターを放たせる。

 狙うはアカギ、厳密には彼の囲う赤い鎖だ。

 神々を狂わせるのがあの赤い鎖だというのなら、それを破壊すればと狙い撃たれた十数枚の葉っぱカッターは、アカギを傷つけることなく鎖のみを打ち据える。

 

 激しい衝突音はあった。金属を金属で斬りつけたかのような。

 傷一つ、いや、こぼれや揺れ一つ無く佇む赤い鎖の佇まいが、それの破壊の不可能さを物語るのみだ。

 絶大なる神の力にも耐え、アカギを護る赤い鎖は、一介のポケモンの力では、あるいは兵器を持ち出そうと破壊できるものではない。

 

「ピョコ、もう一回……!」

「無駄な足掻きだ。この鎖は、君達に破壊できる代物ではない。

 私の意志で以ってしか、そのはたらきを止めることはない。

 そして、そんなこともあり得ない」

 

 力ずくでアカギそのものをねじ伏せても何の意味も無い。

 赤い鎖をどうにかしない限り、今も刻一刻と進んでいる世界の崩壊を止めることは出来ない。

 歪む空と引き裂かれる大地を脇に、只ならぬ焦燥感と共にピョコに攻撃を懇願するパール。

 応えて再び葉っぱカッターを先程以上に撃ち込むピョコだが、結果は何一つ変わらない。

 

「あ、アカギさんっ……!」

「聞こえんな。

 君の言葉に、私の意志を揺るがす力はない」

「ううぅぅ……!」

 

 もはやアカギの心変わりの他、この状況を改めるすべは無い。

 訴えても響かない。まるで手応えがない。

 びしばしと周囲の空間がひび割れて、加速する時の流れに石柱が風化を始めて上の方から砂に変わっていく。

 破滅の迫る現実だけがそばにある中で、手も足も出ないパールはピョコの上で両手を握りしめ、涙目だけで抗議することしか出来ない。

 そんなもので、アカギの心が揺さぶられるはずがないことを、冷徹な表情のアカギと対峙する彼女自身が誰よりもわかっていながらだ。

 

「世界と共に朽ちていくといい。

 その目で、終わりを見届けなが……」

 

『――――パール!!』

「え……っ!?」

 

 どうすれば、どうすれば、嫌だ嫌だ嫌だこのまま世界の終わりなんて。

 八方塞がりの想いのあまり、パールがぎゅうと目をつぶり神に祈るが如く、うつむいた瞬間のことだ。

 彼女の脳裏に響き渡る、記憶には新しく、しかし古くから知る友人のように懐かしみのある、不思議な声。

 そしてパールは、その声の主を知っている。思わず空を見上げたパールの挙動は、空の彼方から呼びかけた誰かに応えるかのようだ。

 

「く……! やはり……!」

 

「あなたは……」

 

 空高くから光の尾を引き、勢いよく流星のように降りてきた、あるいは落ちてきた小さな存在。

 自由自在に飛行する力を行使するのもつらい、傷つき疲弊した身体で、パールの目の前へと重力に身を任せるような速度で降りてきて。

 力を振り絞ってパールの目の前で止まったエムリットは、肩に力も入らぬだらりとした腕と血まみれの身体で、掠れた呼吸を繰り返す姿である。

 

『……ありがとう、パール。

 あなたがここまで辿り着いてくれてよかった。

 本当にもう、私達も、諦めかけていたんだけど……』

 

「ぬうううぅぅ……!」

 

 脳裏に語りかけるテレパシーのような力で、パールに言葉を伝えるエムリット。

 アカギにエムリットを止めることは出来ない。ドンカラスやマニューラを繰り出そうにも、赤い鎖の外側に味方を出すことが出来ないのだ。

 赤い鎖に守られていない範囲下にあれば、神の怒りは真っ直ぐにそこへ向き、見るも無残な形に変えられてしまうだろう。

 絶対安全圏にいるはずのアカギが今、破壊の余波に満ちたこの世界下で、エムリットを止めるための武力を放つことが出来ない。

 

『あなたの気持ちを、いっぱいにして……!

 この世界に壊れて欲しくない想いを、あなたにそう思わせてくれる思い出を、胸いっぱいに……!

 明日もまたこの世界を歩んでいきたいっていう"感情"を、私に、私の力に……!』

 

「っ……お願い、助けて……!

 私、まだ、みんなとこの世界で一緒にいたい!」

 

「やめろ! エムリット!

 この不完全な世界を創り返る二度と無い契機なのだ!

 幼い感情に従ってそれを棒に振る愚などあってはならぬ!」

 

 アカギもこの一幕が、確定したはずの未来が変わり始めている分岐点だと感じていたのだろう。

 だが、心いっぱいにこの世界の救済を願うパールの"感情"を受け止めたエムリットの全身が、はじめは淡く、そしてすぐに強く輝き始める。

 この世界に滅びて欲しくないという強い感情。誰しも持ち得るものだ。

 だが、それが目前に迫っている現実を目の当たりにし、絶望感すら抱くパールが抱くその想いは、漠然とした同心の誰よりも間違いなく強い。

 

 そして、そうでなくともだ。

 一生、死ぬまで、ずっとそばにいて欲しいという六人の仲間達と、明日も、来月も、一年後も、ずっと、ずっと一緒にいたいと誰より願う少女。

 何の見返りも必要ない、ただこの世界を喪いたくない。

 無垢な祈りを切実に抱くパールの感情の強さはきっと、他の誰とも比べ物になりようもあるまい。

 

『――――同胞よ! 今一度、私達に給われし使命を!

 創造主の偉大なる力がこの世界を揺るがせし時、それを律し、あるべき正しき世界を導く"誓い"を!

 そしてそれを望む命あるもの達の"情念"に応え、私達の使命を叶え果たす"叡智"を!』

 

「ならぬ! 考え直せ!

 争いに満ちたこの世界を幾千年に渡り見届けてきたお前達に、その愚かしき世界がわからぬというのか!」

 

 誓いという形で固められた揺るがぬ"意志"を。

 世界の破滅など望みもしない多くの命の"感情"を。

 そしてその望みを叶えるための"知識"を。

 パールだけでなく、アカギにさえ伝わるほどの念で強く唱えたエムリットに応え、空の彼方からユクシーとアグノムも降りてくる。

 いずれもやはり、アカギのポケモン達によって受けた傷により八つ裂きの体だ。

 それでも脂汗に満ちた身体で力強い眼のアグノムと、開きこそしない目でも眉間に込められた強い力で、眼光にも匹敵してその意志を表すユクシーの姿がある。

 

『……パール。私が過ごすシンジ湖のそばに、あなたのような子がいてくれて本当によかった。

 湖を愛してくれる温かい心に触れ続ける中で、あなたの優しい感情はなんて心地いいんだろうってずっと思ってた。

 あなたの想いにだったら、私は全てを懸けて応えられる……!』

 

「あなた……」

 

『私、感情の神様なの。だから、信じられない人には力が貸せないんだ。

 そんな気まぐれさん、たぶん神様失格だよね』

 

 振り返ったエムリットは、ぺろっと舌を出して自嘲気味ですらあった。

 感情次第で自分の乗り気が変わる、そんな主張も言い換えれば、乗った時にはどんな時よりも全力で臨めるということ。

 あなたの感情をこの一身に受けて生み出せる力は、私が思う以上のものをもたらしてくれるということを、照れ隠し気味に伝えているのだ。

 

『神様と赤い鎖は、私達が何とかする。

 あとは、あなたが頑張る番だからね』

「…………」

『信じてるよ、パール……!

 この世界を間違いだらけだっていう間違った信念の靄を、あなたが必ず打ち払ってくれるって……!』

 

 エムリットがユクシーとアグノムに、パールの強い感情を受け取ったことで回復したなけなしの力の一部を分け与える。

 一戦も出来ぬコンディションであった三湖の精が、かろうじての力を取り戻し、ディアルガとパルキアの周囲を取り囲んだ。

 次の瞬間、三湖の精が発する念波は、パールがずきっと頭を押さえるほど強い。

 

 パールも、アカギも、直感的に感じている。

 エムリット達が、ディアルガとパルキアに語りかけている。

 力を暴走させる神に対し、向ける言葉は説得か、懇願か、叱責か。あるいは三者三様にすべてか。

 それぞれが真っ直ぐに神々を見据える瞳に、訴えかけるその声を受け止めたか、歯を食いしばっていたディアルガとパルキアの目が穏やかになっていく。

 そして何よりそれに伴い、アカギを囲う赤い鎖にびしりとヒビが入ったことこそ、逆風に満ちた世界の存続に光が差し始めた吉兆だ。

 

「く……そんな、馬鹿な……!」

 

 今一度、ぎろりとアカギを睨みつけたディアルガとパルキアは、不届きな人間に対する怒りを忘れてなどいないことを示している。

 だが、怒りに任せて力を振るえば世界を滅ぼしてしまうことを説かれたことに応じ、苦々しくもそれを呑み込んだかのように。

 そしてエムリット達が自分の力を搾り出すことで作られた赤い鎖を破壊しつつあることで、苦しみから解放され。

 舌打ち一つするような表情こそ浮かべたものの、生じた空間の裂け目に自ら身を呑ませ、その場から姿を消していく。

 

 そして、ディアルガと、パルキアが、この世界から再び姿を消してしまうと同時。

 アカギを囲うていた赤い鎖は、激しい音を立てて粉々に砕け散ったのだ。

 それに伴い、荒れた空は徐々に静まりはじめ、所々の空間の裂け目は閉じ始め。

 槍の柱に満ち溢れていた世界崩壊の予兆は瞬く間に終息し、静かな無風たる世界を取り戻す。

 テンガン山全体に広がっていた異変も、追って次第に同じ収束へ向かうだろう。

 

「…………最後の最後で、邪魔をされたか」

 

 神々を取り巻くエムリット達に向き、呼びかけていたアカギの背中は、まるで目前の夢を打ち砕かれ茫然としているかのようにパールには映った。

 だが、違う。パールがそう感じるのもすぐのこと。

 無風、穏やかな大気の流れ、静かなる聖地。

 遮るもの一つ無い静謐な世界だからこそ、アカギの背中から漂う激情めいたものさえ、パールには肌がちりつくほど感ぜられてならない。

 

「私が間違っていた。今、認識を改めよう。

 お前は、私の夢を遮る最大の障害そのものだ」

 

 パールを振り返ったアカギの表情は、今までの無表情と変わらぬものでありながら、その眼に宿る激しい怒りを隠しおおせていない。

 触れ合える距離にあれば、今にでも殴りつけてきそうな激情に満ちた大人の表情は、パールがぞっとするほど恐ろしいものだ。

 誰よりも頼もしいピョコの背中に跨る中であっても、その恐怖心は抑えられようはずがない。

 

「っ、っ……ピョコ……」

「――――!?」

「……危なくなったら、助けてね?」

 

 それでもパールは、震えそうな手でぐっとピョコのボールを握ってスイッチを押した。

 お尻の下にあったピョコがボールの中に戻り、宙に浮いた中で足を伸ばしたパールが、その両足で地面に降り立つ。

 冷徹の奥に殺意めいたものさえ宿す大人を前に、今にも体が、いや、現に体が震えもするパール。

 それでも彼女は、今、そうすることを選んでいる。

 

「……………………アカギさん」

 

 ずっと追いかけてきた人。顔も名も知らず憧れてきた人。

 シンジ湖で溺れて沈むはずだった自分を助けてくれた恩人その人であり、同時に、この世界の破滅を招かんとした絶対的な敵。

 間もなくして傷つけ合う戦いが始まることは、パールとて直感的に感じているはずだ。

 それでもきっと、今が、言葉を交わせる最後の機会なのだ。

 

 彼と言う人間像を、パールは一言で言い表すことなど出来ようはずもない。

 どれだけ今は憎むべき敵であろうと、あの日の出来事が無かったら今の自分は無かったことを、パールは心の奥底でわかっている。

 ポケモントレーナーとなることを夢見て、旅立つこともなかった。

 ピョコやパッチ、ニルルやミーナ、ララやフワンテと出会うこともなかったのだ。彼女はそれを、認めている。

 

 ある一人の大人にとっては、取るに足らないある一日の出来事。

 ある一人の少女にとっては、それが人生すら変えるきっかけになった出来事。

 交わり合いようもなさそうな生まれ育ちの二人が、遥か昔のたった一度のかすかな繋がりを経て今、パールとアカギはテンガン山の頂にて対峙している。

 時を司る神も、空間を司る神も関与していない、極めて数奇な小さな縁が、神と世界をも揺るがすこの聖地と境地にて至り再び巡り会っているのだ。

 

 アカギは確かに言っていた。今こそが、歴史的な瞬間であると。

 きっとそれは、この状況を言い表す言葉として最も適切ではない。しかし、ある意味ではそうした言葉以上に重い意味を持つ再会だ。

 たった一度の縁が結び付けた、世界の行く末をも左右する聖戦で二人が対峙するこの現実は、運命が導いた邂逅と言い表して何ら過言ではない。

 運命的であるが故に歴史的なのか、それとも歴史的であるが故に後から運命的だったと史実に記されるのか。

 どちらでもあるからこそ、二人の縁は遡れば遡るほどに、運命的であり歴史的でもあろう。

 その出会いが、シンオウ地方のみならず世界の行く末をも左右するものであればあるほどに、尚更だ。



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第135話  アカギとパール

 

 

「ん……!?」

「あ、あら……?」

 

 世界が破滅に向かう中、幼い姿となってしまったシロナを、老けた顔立ちでぎゅっと抱きしめていたサターン。

 目にも耳にも肌にも感じる、時の流れが乱れ、空間の裂け目がいくつも生じる天変地異。

 それが凄まじければ凄まじいほどに、その異変が急激に収束へと向かっていく環境の変化もまた感じ取りやすい。

 サターンの肌に艶が戻り始め、縮んでいたシロナの体もむくむくと大きくなっていくから尚更である。

 

「時の流れが……裂けていた空間も……」

「……………………ちょっ、こらっ!

 いつまでぎゅ~してんのよっ!?」

「んっ?

 あっ、おっ、戻……うぶっ!?」

 

 あんな異常事態だったから、シロナを守るために彼女を抱きしめていたサターンだが、気付けば大人の体に戻ったシロナを抱きしめている図に。

 シロナは顔を赤らめてサターンの顔をぎゅむと押して離れる。

 世の殿方の中では最も敬意の払える男性には違いないけど、そういう意識をしたことのない幼馴染である。

 大人になってから、今さら肌を触れ合わせる関係にはなりたくない。絶対やだ。付き合いが長すぎて知り合い過ぎていると色々と複雑。

 

「……君、重くなったよなぁ」

「うるさいっ! っていうかこっち見ないでよ!

 ガブリアス、そいつぶっ飛ばして!」

「~~~~♪」

「こらこらこら、フカ公やめろ!

 お前にぶっ飛ばされたら怪我で済むか!」

 

 サターンとシロナを包み込むようにして守っていたガブリアスも、二人の姿が元に戻ったことが嬉しく思いつつ、サターンを威嚇するポーズでからかってくる。

 両手を広げたガブリアスの後ろ、シロナはサターンの視界から隠れた位置で何やらもそもそ。

 さっき一旦体が小さくなってしまったので、服の下で下着がずれているらしい。

 いくらそれが外から見えない乱れであったとて、そのままで人前で落ち着いて話をするなんて出来るわけがない。上手いこと服の上から直しておく。

 

「あぁ、大変な目に遭った……

 それにしても、どうしたのかしら……?」

「先の時間と空間の乱れは、時空の神ディアルガと空間の神パルキアが目覚めたことの証左そのものだろう。

 アカギ様が一度、それを目覚めさせたことは間違いないはずだ」

「それによる異変が収まったっていうことは、神は鎮められたということ?」

「さあな……だが、そう考える方が自然だろう。

 そんな手段が果たしてあるのか、想像もつかないから信じ難いが」

 

 馬鹿みたいなやり取りしていた割に、頭の切り替えの早い二人である。

 考察を手短に重ねるが、いま槍の柱で真に何が起こっているのかを、具体的に推し計るには情報不足だ。

 ただでさえ、想像だにしなかった神の力を目の当たりにした直後ゆえ、ここから先のことなど尚のこと想像もつかぬというものである。 

 

「ともかく、終わりは遠のいたのね。

 だったら……」

「待て、シロナ。もう行くな」

 

 前に進めるからには進もうとしたシロナを、サターンは落ち着いた声で制止した。

 判断力に秀でる彼の、冷静さを伴った声は、強い声よりもシロナの耳によく響く。

 良くも悪くも、つまり敵としてならこの上でも厄介ながら、敵対しない限りでなら信頼できる相手だからこそ、シロナにとっては無視し難い。

 

「たとえ一度、神の力が何らかの手段で鎮められたとしても、アカギ様はまだ槍の柱にいる。

 自らの目的を妨げた何かを排除し、再び神の力を目覚めさせようとするはずだ。

 いつ、さっきと同じことが起こるかわからない。

 そして震源地である山頂に近付けば近付くほどに、同じことが起こった時に僕達を襲う現象はさっきの比じゃないだろう。

 僕達はもう、前に進むべきじゃない」

「でも、だからってじっとしてるなんて……!」

「君ももうわかってるはずだろ。僕だってもうわかってる。

 僕達は、この歴史の節目で神のお膝元に招かれる、選ばれし存在ではなかったんだ。

 意味はわかるはずだ」

 

 回りくどく、サターンなりにシロナに気を遣い、進むべきじゃないことを訴えている。

 行間の真意は二つ。

 一つ目は、槍の柱には今、アカギと、それを阻む誰かがいること。

 そして二つ目は、それがシロナではなかったこと。

 

 あくまで感覚的なものだ。だが、重い。

 運命に選ばれなかったという実感はシロナにもあるはずだ。既に無力感に苛まれるには充分である。

 彼女に残された道は、座して物語の結末を待ち見届けるか、あくまでも悪あがきと知りながら前に進むかだ。

 

「……選ばれたのがあの子だとしたら、放ってなんておけないわよ。

 世界の終わりを阻もうとする戦いに、子供が一人で挑んでいるかもしれない時に、じっとしていろっていうの?」

「まあ、君はそうなんだろうけどな……

 そろそろ、体調も悪くなってる顔色が明らかだっていうのに」

「うるさいわよ、こんなのたいしたことないんだから」

 

 いや、たいしたことある。

 ドクロッグに受けた毒はある程度中和してここまで挑んできたシロナだが、それは完全に抜いたわけでもないし、今が恐らく一番きつい。

 何が最もそうさせるかと言えば、時間が経っているからではなく、先程の激動のせいで一度息を挟んでしまったからだ。

 山道を進む中はパールに心配をかけまいと、サターンとの戦いでは言わずもがな必死に、その後も山頂を目指して気を張って。

 世界崩壊から一度は免れ、どうしてもほっとしたあの瞬間に、一度緊張の糸を切ってしまったのはかなり痛かったのだ。

 自ら気力の熱を出し続けて、毒気の苦しみを隅に避けている間はどうにかなっても、一度糸を切ってしまうと張り直すのはかなり難しい。

 忘れようと努めていた毒による気分の悪さは、疲弊し、消耗した今の身体では尚のこと、彼女の足が少しふらつくぐらいには重篤である。

 

「わかったよ、そばにいてやる。

 その代わり、走るなよ。これ以上息が切れたら、本当に身体がついていかなくなるぞ」

「ふんだ、敵の指図なんて受けないわ」

「敵だって塩を送ることはあるんだよ」

 

 つんけんして意地を張るシロナだが、駆け足で前に進むことはしなくなった。

 出来ないのだ。視界が悪い。躓かないように気を付けるのも大変。

 彼女自身ライバルの手前、余裕のあるふりをしたくても、目指す山頂を見上げるように顎を上げるその顔色は、その後ろを歩くサターンには見ずともわかる。

 山頂を目指すように顎を上げながらも、荒い呼吸をはぁはぁと開いた口で繰り返す姿は、この寒空の下にありながら砂漠で水を請う行き倒れ寸前の旅人のよう。

 冷や汗がだくだくと溢れているのだって、白い息が溢れるこの気温では体の異常を表す警鐘そのものであろう。

 それでも立ち止まれないのが彼女だと誰よりも知っているから、サターンも折れて彼女の意志を尊重しているだけだ。

 

 きっとシロナはこの前進を報われ、自分の成し遂げたい何かを果たすことは叶うまい。

 意味の無い、苦しいだけの歩みである。コウキは彼女の行動を肯定できないが、それを否定することも出来なかった。

 これがシロナなのだから。信念や人生観、生き様を貫くことは、ただそれだけで無意味でなどない。

 あらゆるものをかなぐり捨ててでも我が道を進んできたコウキに、それを否定する言葉は持ちえない。彼自身が最もよくわかっている。 

 

 

 

 

 

「プラッチ!」

「あ……ダイヤ……」

 

 時間と空間の乱れが収束し、世界が元の形へ戻る過程で、一度離別したダイヤとプラチナは、お互い驚くほどあっさりと再会を果たせた。

 空間の絶離によって互いを目も声も届かぬ距離にさせられた二人だが、世界が戻ればお互いの位置は元通りということである。

 とはいえ、プラチナが仰向けに倒れているのでダイヤは二重の意味でびっくりしたのだが。

 厳密には倒れたのではなく、自分から寝そべったのだが。

 

「傷がやばいのかー!?

 どうしようどうしよう! 絆創膏あるけど要るか!?」

「や~、別にそれほどやばくは……

 えぇと、少しくらっときたから休んでただけだよ。ほんとほんと」

 

 体を起こしてプラチナは、咄嗟の作り話で真意を隠しておく。

 さっきは本当に絶望したのだ。それはそれはもう、心の底からどうしようもないほど。膝から崩れ落ちたほどなので本当に心底である。

 ここまで来たのに全部無駄だった、涙すら出ない、元々体調も最悪だし、膝立ちの姿勢すらつらくなって寝転がってしまったのである。

 死んだ目で裂けた空を見上げながら、家族のこととか思い出しちゃったりして、僕は親不孝だったなぁなんて悔いたりもして。

 世界の終わりを目の前にして、この世からのお別れに覚悟さえ決めかけていたところ、なんだか助かっちゃったので照れ臭いのである。

 

 彼は現在11歳。精神年齢的にはちょっとそれより上に至っているかもしれない。

 そのぐらいの年頃って、後から思い出すと恥ずかしくなってしまう達観をやってしまいがちな時期である。結構みんな通る道。

 ダイヤに寝転がって泣きそうになっていたことなんて知られたくないので、色々ごまかしながら立つには立つ。

 

「あわっ、わわ……」

「おっとと! 無理すんなってプラッチ!

 これ以上無茶しなくていいってば!」

 

 とはいえ、やはり血の少ない身体で無理に急に立つとふらついてしまう。

 ダイヤが肩を貸してくれて、寄りかかるプラチナはちょっとみっともなくて恥ずかしいが、自分の限界もそろそろ意識してしまう。

 流石にもう山頂は目指せそうにない。シロナと一緒で、こちらも一回糸を切ったばかりで、張り直すのが難しい状態に陥っている。

 無念だが、その割り切りもまた賢明であろう。シロナとは異なるスタンスだ。

 

「……パールが、頑張ってくれたのかな」

「だろうな! あいつ、ああ見えてすっごい根性ある奴だから!

 山のてっぺんで何か起こってて、それを止めたのが誰かっていえば、俺は多分パールなんだろうなって思うぜ!」

「見てた?」

「何を?」

「あ、いや、何でもない……」

 

 プラチナはマーズやジュピターと戦っている中で、一瞬パールの姿を目にしている。

 "ロッククライム"を思わせる勢いで崖を駆け上がるピョコの背に跨る、パールの姿をだ。

 だからプラチナには山頂で起こった出来事に、彼女が関わっているのかもしれないと推察できたのだが。

 どうやらダイヤは、そんなパールの姿を見てもいないのに、プラチナと同じ推察に至っているということである。

 

「シロナさんかもしれないけど……」

「い~や、違うと思う! 絶対パールだ!

 こういう大事な時のあいつって、チャンピオンにだって負けないガッツあるんだぜ!

 俺知ってるんだ! あいつの幼馴染だからな!」

「推すんだね、パールのことシロナさんより」

「当たり前だろ~!

 プラッチわかってないぞ、あいつのこと!

 あいつ、やると決めたら何がなんでもやっちゃう奴なんだからさ!」

 

 わかってないぞ、と言われるのが何だかプラチナには悔しい。

 確かにそうだ。一緒に旅をする中で、何があっても自分のやり遂げたいことを諦めず、時には我が儘ごねてでもプラチナに協力を訴えてきて。

 自分との絶交に怯えながらも、ギンガ団に挑むことを頑なに選んだことだってあった。それほど、彼女はやると決めたら止まれないのだ。

 そして、どんな時も、力及ばずの時でさえ、彼女は叶えたいことの概ねは叶えてきたじゃないか。

 ギンガ団の野望を完全に阻止するほどの成功は果たせなかったとしても。

 一度こてんぱんに負けたジムリーダーに諦めず挑み、先の敗北を帳消しにするほどの完勝劇をもぎ取ったことだってある。

 これまでの人生では最大級の挑戦であった、ギンガ団アジトへの潜入だって、おおよその勝利を獲得して生還したことは、今にして思えば快挙に違いない。

 そばにい過ぎて、近過ぎるからこそ忘れかけていたけれど、どんな試練も乗り越えてきたパールの不屈さは、プラチナが最も知るところだ・

 

 そんな彼女の最近の姿を目にしてもいないのに、幼い頃からの付き合いだけで、今のパールをシロナ以上に信じられるダイヤがプラチナには羨ましい。

 わかってないぞ、と言われるのが悔しくさえある。

 崖を駆け上がるピョコとパールを見ていたからこそ、パールが山頂にいることを想像できた自分。見ずして半ば確信しているダイヤ。

 負けているような気がしてしまうのは、それだけプラチナが、自分が一番パールのことをよく知っている男の子でありたいからということだ。

 

「大丈夫だよ、絶対に!

 パールならきっと何とかしてくれるってば!

 俺がそばにいてやるから、プラッチももう休んでおくんだぞ!」

「……うん、そうするよ。

 ありがとう、ダイヤ」

「おおっ? そんなお礼を言われるほどのことじゃないぞ!

 水くさいな~、プラッチは!」

「あははは……」

 

 大切な人が危険な戦場に身を置いているであろう現状、何も出来ない自分。

 信じて待つだけの身はつらいものだ。まして、敵の強大さを意識して、信じるべき人を信ずる想いを強く抱けなければ尚更に。

 プラチナがダイヤに感謝したのは、彼女を信じる根拠を熱弁してくれたことで、気持ちが少しでも楽になれたこと。

 悔しいけれど敵わない。パールにとっての唯一の男性になるには、僕はまだまだだと思い知らされるばかり。

 同時に、自分以上のパールの理解者がいること自体は悔しくはあれど嬉しく感じるのも、パールに特別な感情を抱く少年の複雑な想いによるものだ。

 

 もっと、もっと、パールのことを正しく知っていこう。

 プラチナはダイヤに支えられる体の真ん中、心の奥底で新たな、密かな決意を今一度固めていた。

 それは、この世界が明日以降を迎えられなければ出来ないこと。

 そして、明日以降のことを考えられる程度には、世界の終わりを導かんとする巨悪に立ち向かうパールの勝利を、彼も信じつつあるということだ。

 

 

 

 テンガン山に集った、世界一新を望む一団と、今ある世界の存続を望む者達は、いま槍の柱で対峙する二人を除き、とうとう全てが脱落した。

 世界の命運は、たった二人の人間の手に委ねられたのだ。

 この世界に運命というものが存在するのだとしたら、やはり運命は人を選び、それ以外のすべてを聖戦の舞台から退ける。

 シンオウ地方の聖域にて繰り広げられし、ギンガ団とそれに立ち向かう者達の戦いの千秋楽。

 いよいよ時は、最終局面を迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アカギは一歩、パールに歩み寄る。

 パールはそれを見て、大人の一歩と同じぐらい大きめに一歩退がる。

 互いの間にある、バトルフィールドになり得るスペースを確保して、その距離感を絶対に崩さない。

 戦いになることはもう定まっているのだ。

 挑む側たるパールの覚悟は、アカギもそれなりに感じ取れている。

 

 アカギの名を一度呼んだものの、続いてかける言葉を見付けきれず、対峙する怖い大人を前に身を縮めた少女だ。

 崖から突き落とされた時にボロボロになってしまったコートを脱ぎ捨てた姿。

 ぱんぱんに膨らんだ鞄の中に恐らくそれを丸めて入れている。大事なものだからどうしても棄ててこられなかったのだろう。

 そんな彼女の上半身が、遠目からもはっきりわかるほどかたかた震えているのは、決してこの冬山の寒さによるものではあるまい。

 テンガン山の聖地、槍の柱は高い標高にありながら、あれほどの薄着でも寒さを感じまいであろうほど暖かく、それもまた聖地の神秘性。

 

 思い返せば、出会うたびに姿を変えてきた少女だとアカギもふと回想する。

 一度目はテンガン山。バッジを集めて旅をする、どこにでもいるような無垢な少女であり、自覚のあるこの強面に少し怯える顔も見せていた。

 二度目はカンナギタウン。自分の何が気に入ったのか、初めて会った時よりも随分と人懐っこくなっていたものだ。

 三度目はギンガ団アジト。寒い季節に差し掛かり、厚いコートに身を包んだ少女は、衝撃の告白に心を傷だらけにしながら挑んでくる気概を持つ姿だった。

 そして、四度目の今。初めて会ったあの時と変わらぬ姿ながら、面構えだけは随分と強くなったものだと感じさせてくる、そんな風格を身に付けて。

 零度目の出会い、シンジ湖に落ちた幼い彼女の姿を今になってふと思い出せば、時の流れとはこうも人を変えるのかと、ただただ痛感するというものだ。

 

「…………ふっ」

 

「アカギさん……」

 

「いや、すまない。

 今は反省しているんだよ。私もまだまだだったということだ」

 

 初めてアカギはパールの前で、かすかにながら笑う表情を見せた。

 だが、好意的な笑顔でないのは明らかだ。パールもその笑顔には寒気すら覚えた。

 間違いなく自らを血祭りにあげようとしている人間の笑顔というものが、これほどまでに恐ろしいものだとはパールも知らなかっただろう。

 

「子供というものは成長が早い。

 私が十年以上かけて目指してきた神の目覚めを、君のような少女が一度は打ち砕いてみせたのだ。

 君は一年も前には、トレーナーですらなかったのだろう。

 君の一年未満が、私の十年以上を挫くものでさえあったのは事実であり、私はそれを見くびったおかげでこの失態というわけだ」

 

 無表情に戻って語るアカギの眼差しは、突き刺すような敵意や殺意に満ちたものではない。

 淡々と語る声が表すとおり、自身の野望を妨げた者へ抱く怒りのようなもの、そうした感情は一切感じさせない。

 怒りのままに大声で怒鳴られるのとはまた違う、不気味な怖さをパールは感じている。

 

「これを機に、詰めの甘かった私自身を悔い改めるとしよう。

 自らの障害たり得るものは、多少の手間や非効率に目を瞑ってでも、必ず排斥すべきだという教訓を得た。

 それも、徹底的にな」

 

 ああ、駄目だ。やっぱり恐ろしい。想像していたよりもずっと怖い。

 息も詰まるような恐怖心がパールの心臓を鷲掴みにする。

 呼吸が荒くなり、まばたき一つ出来ずに震えるパールと対峙するのは、やはり無表情が最も恐ろしいアカギの姿である。

 

「君は、ここで葬り去らなければならない。

 異論はあるだろうが、生憎それに耳を貸すわけにもいかん。

 君とて敗れれば相応の末路を辿ると、充分な覚悟でここに来たのだろう?」

「………………ぅ……」

「抵抗するなとは言わん。想定内だからな。

 一人、一人と仲間達が倒れていくのを、君の命のカウントダウンと見立てて、存分に楽しんでくれ」

 

 言葉を一つも発せないパールに、あとは始めるだけだとばかりにアカギがボールを持つ。

 パールもピョコの入ったボールを手には握っているのだ。

 どちらかがボールを押した瞬間に、決戦の火蓋は切って落とされる。

 

「わ……私を、殺して……それから、どうするんですか?」

「ん?」

「赤い鎖は、もう壊れましたよね……?

 またエムリット達を捕まえて、傷付けて、赤い鎖を作るんですか?」

 

「……面白い冗談だな」

 

 どうしても、どうしても心の準備が固まりきらないのだろう。いざ始まれば、無理にでも腹を括れるであろうパールでありながらも。

 相手のペースで急に始まってしまうのは今でも怖い。話を伸ばして、恐怖で委縮した自分の心と身体に空気を入れようとするパール。

 かと言って、発する言葉は駆け引きにもならぬ浅いものだから、アカギはまた一度嗤わずにいられない。

 

「砕けた赤い鎖だが、この力の残滓はまだ私の中に息づいている。

 エムリット達も最後の力を振り絞って、私の中に脈付く力ごと剥奪したかったのだろうが、それもどうやら叶わぬほどまで消耗していたのだろうな。

 集中し、意識を高めれば、今さらあれに頼らずとも鎖の再生は可能なのだ。

 いくら一度赤い鎖を作れたからと言って、エムリット達をもはや用済みと断じて君に開放を許した私が、再びそれの力を必要とすると思うかね」

 

 そもそもの話、アカギが三湖の精の力をもう一度借りねば赤い鎖を作り直せない、そんな前提ならとうにアカギの野望は完全に潰えている。

 今やアカギはギンガ団のボスとして正体が割れ、神の力を利用しての世界崩壊を目論む存在だとまで判明しているのだ。

 表立って人里を歩くことも、半壊状態のギンガ団の利用も儘ならず、再び三湖の精を捕らえることなどまず不可能だろう。

 パールの言うことは全くの的外れであり、未だ赤い鎖の生成と神の支配を諦めていないアカギは、自分の力で赤い鎖を取り戻せるという根拠を持っているのだ。

 

「そのためには、君が邪魔なんだ。

 私が赤い鎖を再生させようと意識を集中しようとしても、君はそれを許さないだろう。

 私は君を始末し、邪魔者もなく、ゆっくりと赤い鎖を再び生み出すことに努めるのみだ」

「わっ、私のことをどうこうしたって、シロナさんだって……」

「来ない。辿り着けたとしてもその時には手遅れだ。

 確信がある。言ってもわからぬであろうがな」

 

 理詰めで説明することもアカギには出来る。だが、そこまで彼女にわからせる時間を割く謂れもない。

 アカギがパールをもの言わぬ姿にすれば最後、彼の宣言通り、何者もアカギを止められる者はなく、再び赤い鎖がその手に握られる。

 その果てに起こることとは、先程の絶望に他ならない。

 

「今の世界が終わることを、君は望んでいないのだろう。

 だが、私の悲願が果たされる時、君はもうこの世にはいない。

 君は君にとって最も望ましくない結末を、目の当たりにせずに済むということだ。

 ここまで辿り着いたことだけは出来た君に対し、それぐらいの手向けはあってもいいだろうな」

 

「……………………どうして……」

「ん?」

 

「……どうして、そんなに滅茶苦茶なことばっかり言うんですか。

 アカギさん、おかしいですよ……普通じゃない……

 どうしてそんなに、この世界をぶち壊しにすることにこだわるんですか……?」

 

 パールの胸の内に宿り始めるのは、どうしようもないほどの悲しみだ。

 まるで話が通じない、人殺しに臨むことを躊躇いもしない、あまつさえそれが手向けだの救いだの宣って、まるで善行でさえあるかのように語る。

 理解できないほどの歪んだ悪に直面した時、人が抱く感情は大別して4つほどある。

 共感するか、怒りや憎しみを抱くか、諦観を覚えるか。

 あるいは、哀しみだ。憐憫や同情ではない。文句一つ聞き入れてくれず、人の命を奪い去る災害に対して抱く、儘ならぬ想いに似た想いに例えられるものだ。

 

「それを聞いて、君は納得できると思うのか?

 世界を巻き込んででも己が野心を満たそうとする者が、そう思い至ったきっかけや過去を、物語のように語れば君は理解が出来るのか?

 その涙目は、人の道を踏み外した私の過去を勝手に想像して抱く、身勝手な哀れみによるものか?」

「違います、そんなんじゃないです……!

 こんなの、私にだってわかんないですよっ……!」

 

 指摘された目をぐしっと拭うパールだが、また溢れてくるものをやはり止められない。

 彼女自身、決して認めたくはないけれど、やはりアカギに対する憧憬めいたものを、すべて完全に捨て去ることなんて出来ないのだ。

 あの日シンジ湖から救い出してくれた恩人がいてくれたからこそ、何年も、何年もパールは夢を抱き続け、今に至っている。揺るがない。

 今になって、それが自分の完全なる敵だと判然とした今なお、自分の人生の殆どを形作ってくれた存在は、あまりにも変えようがなく特別だ。

 八年という歳月は重いのだ。大人にとっての八年間よりも、子供にとっての八年間は、もっと、ずっと。

 

 憧れの人がこんな人物であったことを、知れば知るほどつらいのは当然だ。

 それでも彼のことを、もっと深く知りたくなる感情に、理念で以って語れる言葉などそう簡単には見つかるまい。

 自分がいっそう傷つくことをわかっていながら、アカギの真意を問い質すパールの心に、利口さや賢明さというものは確かに無縁である。

 

「簡単な話だ。それも、ごく普遍的な話だよ。

 この世界は、醜いものに溢れている。

 憎しみ、闘争、言葉や暴力で他者を傷つけることを、不道徳と定めながらもやめられない命の数々。

 君もその幼さとはいえ、争いや憎しみに溢れるこの世界の実情を、その片鱗だけでも知っているはずだろう?」

 

「汚いものばかりじゃ、ないです……!」

 

「私は幼い頃から、君の言う美しいものへの共感よりも、醜いものへの嫌悪感が勝ってきた人間というだけだ。

 この世界を変え、真の理想的な世界を創るにはどうすればいいのか、今の君の年頃よりも幼い頃からずっと考え続けてきた。

 あらゆる媒介から目と耳に入る、この世界の醜き実情に対する嫌悪感を育みながらな」

 

 大人達とて、昔は子供だ。アカギだって、生まれた時からこうだったわけじゃない。

 そしてアカギに限らずとも、この世界の美しいものよりも、醜いものにばかり目を奪われ、この世界は腐っていると謳う者は決して少なくない。

 生まれや育ちなど関係なく、誰もが一度は通り得る道だ。

 アカギの語る自らの道のりは、決して一般的な心理から逸脱していない。

 

「カリスマと呼ばれる指導者が歴史上に何千人生まれても、この世界は変わらず未だ醜い。

 善行に励み、己の信じる美しき世界を広げようと努める者がいても、それを根拠なく偽善と指差して糾弾する者は絶えない。

 所詮一人の人間がどれほど尽くしても、同志を集めて力を合わせても、どれほど大きな組織を形成しても、この世界を変えきるには至れない。

 ならばどうすべきか、どれほどの力が必要なのか、そんなことを追究し続けていった結果――」

 

 アカギは一度、言葉を止めて空を仰いだ。

 彼自身、己のことを、人の道を踏み外したと口にしている。

 自覚はあるのだ。そして、悔いも無い。歪んだ形で完成してしまったものは、二度と綺麗な形には戻らない。

 

「こんな、破れた人格が出来上がったというだけの話だよ」

 

「神様の力で、一度、この世界を真っ白に……?」

 

「そうだ。

 一度の変革を以ってして世界を改めんとしても、いつかは必ず、それも遠からず、歪みは再び清純な世界を曲げ、必ず醜い世界が目を覚ます。

 ならば一度すべてを一掃した、善も悪も存在しない真っ更な世界が、すべての始まりとして欠かせない。

 何百何千年という人の歴史で成熟された、正義と悪が常に裏表として存在し、常しえに対立が介在し続ける今の世界では、決して完全なる世界は叶うまい。

 人類には、生きとし生きる命には、この世界に存在するすべてのものには、そうした再出発が必要なのだ」

 

 理解したくなかった。だけど、別のことは理解できてしまった。

 アカギの目的とその根拠を知れば知るほどに、そしてどんな言葉も彼には届かないことだけが。

 

 この世界を一度ゼロにしてしまうことで、何が救われるというのか。

 今ある世界中の幸せ全てが理不尽に奪い去られ、深い悲しみの果てに世界が辿り着く暗黒に、理想郷があることを誰が信じられるのか。

 この世に真に絶望し、こんな世界は壊れてしまえと謳うならず者だけが喜び、それさえもアカギの理想とは異なる醜い存在。

 アカギの理想は誰にも理解できない。パールにだって理解できようはずもない。

 こんな理想を胸を張って唱え、恥も悔いも無いアカギの無表情を前にして、永遠に取り除けない心の壁をパールは実感するのみ。

 

 やめておいた方がいいような気はしていたのだ。こんな話を、アカギから聞き出すようなことなんて。

 かつて憧れの人だった人物から、理想とはかけ離れた人格を矢継ぎ早に聞かされ、失望と言うには生ぬるいショックを受け。

 涙さえ枯れて止まり、頬をつたり落ちていたものも含め、顔いっぱいをぐしゃぐしゃ拭うパールは、今一度アカギを真っ向から見据えている。

 やはり、そこにいるのは無表情の、理解し合えぬとわかったアカギのみだ。

 

「どうやら神々は、私の意に沿いこの世界を一新することを望んでいないらしい。

 この世界に神の意志たるものが実在するなら、君がここへ来たこともまた、私を妨げようとする神の試練のようなものなのだろう。

 私はそれを踏みにじり、前に進んでいくのみだ」

 

「っ、ふ……アカギさん……」

 

「君は、奇跡を起こせるか?

 思えば君とは、数奇な縁で結ばれていた気がするよ。

 君を救い、その情が私の計画を数年遅らせた経緯から、私は感情を捨て去ることが必要だという教訓を得た。

 私をここまで高めてくれたきっかけの一つである君が、今この最後の局面で私の道を阻まんとする、最後の試練となっている。

 ここまで良く出来た運命めいたものを前にすれば、私も些か熱が入るというものだ」

 

 静かで、無感情な声でありながら、アカギの胸の内にあるものは冷たいものばかりではなかった。

 数奇な縁。確かに"縁"と言ったのだ。

 敵対し、自らの夢をぶち壊しにしようとする者に対し、当然抱くべき敵対心の他に確かにある、言い表しようのない奇妙な想い。

 アカギはパールよりもずっと人生経験豊富な大人だ。こんな理解し難い感情を人の心が抱き得ることを、彼も経験上知らぬではない。

 それが邪魔になり得ることもあろうから、彼は感情を捨て去ろうとしたかつての決意を、未だ強く肯定するのみだ。

 

「~~~~っ……!!」

 

 パールは握りしめていたピョコのボールを鞄に入れると、その鞄を肩にかけて両手を自由にする。

 そして、その両手でばっちーんと自分の顔を挟むようにして叩いた。

 腫れそうなほど強く、目が覚めるほど痛く。

 これからバトルフィールドとなる場所を挟み、離れた場所に立つアカギの耳にもはっきり届く炸裂音は、誰よりパール自身の目を覚まさせる。

 

「アカギさん……!」

 

 勝つしかないのだ。この世界を守り通すためには。

 いや、大好きなみんなと一緒に過ごせる、明日以降の日々を取り戻すためには。

 世界の命運を懸けた戦いであることを薄々と感じながらも、彼女を突き動かす最大の動機とは、決してそんなものではない。

 

 ピョコと、パッチと、ニルルと、ミーナと、ララと、新しい友達のフワンテと。

 お母さんと、プラッチと、ダイヤと、たくさんたくさん優しくしてくれた大好きな大人達と。

 ケンカしたって、つらいことがあったって、二度と会えなくなるなんて絶対に嫌なひとが、この世界には溢れている。

 幼く純真な子供達が守りたいものとは、大き過ぎて見えない大世界なんかじゃなく、身近なるありふれた小世界。

 それを無くしたくない感情そのものこそが、使命感や正義感よりもずっと、遥かに、諦めてなるものかという想いを形にしてくれる。

 どんなに悲しくても、つらくても、それを上回るほどにだ。

 

「私、あなたの叶えたい世界を絶対に叶えさせたりなんかしない……!

 私の大好きなこの世界、あなたに壊させたくありません……!」

 

「君にとって、その迸るような感情は最大の武器なのだろうな。

 その感情によって得る絶望や悲哀によって、苦しむこともさぞ多かろうに。

 だが、結果として君は数々の艱難を乗り越え、私からの勝利さえ勝ち取れば悲願を叶える境地までは至れている。

 それでいて、その感情を利に果たせている姿は、感情とは不必要で愚かなものだと唱える私にとって、無視できない反論者そのものだ」

 

 アカギは今一度天を仰ぎ、空を見渡すように目線と首を動かしている。

 赤い鎖の力を未だ我が身の中に取り込んでいるアカギだ。

 仮にパールが空を見上げても見えないものが、アカギの目には見えている。

 

「今の私は饒舌な自覚がある。

 感慨深いものは感じているんだ。

 神の力を目覚めさせ、夢叶えし一歩手前で邪魔をされ、必要の無かった一戦を強いられる。

 つくづく疎ましいばかりだが、同時に最後の試練となるのが君であるのも、そう悪くはないという不可解な認識もある」

 

 感情を捨てたはずの男が使う感慨という言葉。

 "感情"という言葉だけは使わなかったものの、実に感情的なものを大きく含み、それを否定しない言葉の選び方だ。

 そして饒舌な自覚があるという言葉どおり、アカギはその根拠をわかっている。

 

「去ったように見えたであろうユクシー、エムリット、アグノムは未だ、私達のそばを離れてはいない。

 この戦いの結末を、世界の行く末を見ずして去ることなど出来ないのだろうな。

 感情の神エムリットから溢れる、私の捨て去ったはずの感情さえもが呼び起こされる感覚が、赤い鎖の力を介して明確に伝わってくる。

 君にも、小さくない影響を与えてはいるだろうな」

「……そうかもしれないですね。

 私、今までできっと一番、色んな気持ちで胸がぐちゃぐちゃですもん。

 アカギさんと、こんな形で戦いたくなかったんだなって、よくわかります」

「だが、私にとってはやはり感情というものは邪魔だ。

 それによって冷静な判断を欠き、目的を果たすためにベストではない行動を起こすことは瑕疵にしかならぬ。

 たとえエムリットの力の余波によって感情を呼び起こされようが、私はそれを封じて戦いに臨むのみだ」

「…………私にとっては、大事なものですよ。

 つらいことだってあったけど……みんなのことを大好きな気持ちは、絶対無くしたくありません」

「君の生き様は充分に証明しているよ。

 君は君、私は私だ」

 

 敵対するようになってから、初めてまともな会話が出来たことに、パールの心は少なからず救われていた。

 決してわかり合うための会話ではなく、譲り合うことのない意志を確かめ合ったものとて。

 かつては確かに尊敬していた人から、自分の生き様を賞賛されることは、たとえちょろくさい奴と笑われようとも胸が満たされてしまう。

 

 ここまで来たのだ。"あの人"に会うための旅路の果て。

 決して望むような再会ではなかったけれど、ここまでの道のりで出会ってきた素敵なものの数々。忘れ得ぬ、一生大切に出来る思い出はきりがない。

 そんなすべての原初のきっかけをもたらしてくれたのもこの人物だ。

 そんな人に幾許でも認められ、かの過ちを正すために力を尽くすことに燃えられずして何が誇れよう。

 今が人生最大級の大勝負だという想いで臨んできたことは、これまでにだって沢山あった。

 それでも、今までのそれを凌駕して今が一番その時だ。きっとこれからの人生でも、これ以上の時は無いであろうほどに。

 最初のボールを握ったパールの手には、その力の込めようだけで汗が滲むほどのぎゅっとしたものが込められている。

 

「君に利する、エムリットがもたらす"感情"の力。

 私が圧倒的な優位にある、ユクシーがもたらす"知識"の力。

 君も私も決して劣り合わぬであろう、アグノムがもたらす"意志"の力。

 どちらが上回るかで、明日の世界は定まるということだ」

 

「絶対、絶対、ぜえったいに負けません……!

 アカギさん、私達が絶対に勝ってみせますから!

 この世界は、あなただけのものじゃないんです!!」

 

 誇張無く、世界の行く末を決する最終決戦だ。

 完全なる世界を創るという使命に魂を焼かれた男と、喪いたくない大切なものを抱きしめて離すまいとする無垢な少女の戦い。

 その戦いが決する壮大な命運に反し、その闘争に臨む者の動機とは、必ずしもそれに匹敵するほど壮大とは限らないのだ。

 

「行くぞ、ドンカラス」

「頑張ろうね、ニルル!」

 

 結果が全てだ。勝利の他に、望む未来を得る手段など無い。

 ギンガ団の野望とそれを阻む者達の長き戦いを締め括る、最後の戦いがここに幕を開ける。

 結末がどうなろうと、揺るぎようなき歴史的な一戦だ。



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第136話  最終決戦① 先鋒

 

 

「ドンカラス、ゆっくりとだぞ」

 

「ニルルっ、撃ってくるよ!

 こっちも撃ち返して!」

「――――z!」

 

 ずんぐりとした体型のドンカラスだが、やはりアカギに育てられた強い個体、飛行速度は種本来のそれとは一線を画している。

 バトルフィールドの上空を旋回飛行しながら、地上に向けて"あくのはどう"を放つドンカラスと、上空に向けて"みずのはどう"を撃つニルル。

 軟体で地表を滑るニルルの回避行動も存外機敏であり、悪の波動の直撃を受けることなく凌げている。

 一方で、高所にて素早いドンカラスもまた、水の波動の直撃を受けていない。

 余波が多少程度のダメージと消耗をお互いにもたらしているが、決着へ繋がるには程遠い削り合いだ。

 

「ゲームメイカーはお前だ。わかっているな」

 

 アカギは具体的な指示を出さない。今のところ、ドンカラスに戦い方まで一任している。

 空を飛べないニルルに対し、少しずつ高度を下げながら、敵との距離を縮めて悪の波動を繰り返すドンカラス。

 近付けば近付くほど相手への攻撃は当てやすくなり、逆も然り。

 自分だけが空を飛べるドンカラスは、一筋縄では狩れぬ獲物を用心深く追い詰めるように、安全圏をなるべく確保しつつ的確に相手を弱らせる立ち回りだ。

 放たれる悪の波動を凌ぎながら、なんとか水の波動を撃ち返すニルルだが、相手のペースであることに危機感は感じている。

 

「――――z!」

 

「ッ、っ~~~~!」

「ニルルっ、しっかり……!?

 来るよ、次がきっと強いやつ!」

 

 ある程度まで高度を下げたところで、ドンカラスは攻撃手段を"ナイトヘッド"に切り替えた。

 相手の魂を揺さぶる霊的な力で、恐ろしい幻覚を見せることにより精神的なダメージを刻み付ける技。

 自身が八つ裂きにされたかのような幻覚的な痛み、加えて傷つけられたパールの絹を裂くような悲鳴を耳にする幻覚は、心身ともにニルルを苦しめる。

 現実とは異なるものだと心を強く保ち、ぎっとドンカラスを睨み返して水の波動を撃つニルルの反撃は、ドンカラスの想像よりも立ち直りが早い。

 

 ニルルに向けて飛来していたドンカラスは身をひねって躱そうとするも、その右翼を水の波動に打ち据えられる形となる。

 痛いがダメージは最小限。真っ向からぶつけられるよりは余程いい。

 敵へ迫る速度を落とさず、くちばしを突き出したドンカラスによる突撃は、慌てて頭を沈めて回避行動を取ったニルルの背中の甲を抉っていく。

 鋭いくちばしが敵に触れる寸前に身体を回転させ、貫通力と掘削の力を各段に高める"ドリルくちばし"だ。

 互いに焦れるほどの波動の撃ち合いより、やはり直接触れての攻撃の方が相手に致命的なダメージを通しやすい。

 

「ニルルっ、よく見て! 次が来るよ!」

 

「ドンカラス、揺さぶられるなよ。

 お前が戦局をコントロールするのだ」

 

 自身の後方へと飛んでいったドンカラスを振り返るニルルと、空で再びニルルを見下ろすドンカラスの目が合う。

 背中がずきずきするほどの痛みを抱えながら、そんなものか、僕を仕留めたければもっと来いよと、挑発的な目を向けるニルル。

 "いばる"ことでドンカラスの調子を崩そうとしているのだ。相手の性格と表情をしっかり見極め、そのプライドを刺激できる顔を作っている。

 カチンときそうだったドンカラスも、アカギの声を耳にすればその言葉にすぐ冷静さを取り戻し、不敵な笑みを返すのみ。

 バトルの概ねをドンカラスの自己判断に任せ、イレギュラーとなり得るものだけは自らの指示で取り除く、それがアカギの戦い方。

 それが最もポケモン達の能力を活かせるよう育ててあるのだ。

 

「ニルル、頑張れる……!?

 諦めないで、がんがんいくよ!」

「――――z!」

 

 負けてなるかと発破をかけるパールだが、内心ではかなり焦り始めている。

 再び始まる空のドンカラスと地上のニルルの、悪と水の波動の撃ち合いだ。

 黙って同じ展開を見過ごしていたら、やがて再びドンカラスのドリルくちばしがニルルを襲う展開に繋がるだろう。

 ニルルの方が受けたダメージの多かったこの展開を繰り返させては、間違いなくダメージレースでは不利。先に力尽きるのはこちらの方だ。

 打開策が欲しい。だが、そんなものがすぐに閃けるなら苦労はしないのだ。

 

「――――z!」

 

「ニルル来るよ! しっかりして! 迎え撃つの!」

「~~~~ッ!」

 

 高度を下げてきたドンカラスによるナイトヘッド。 

 翼をはためかせ、ニルルの方へと迫る予兆を見せたドンカラスによる、ドリルくちばしの特攻へと移る初期動作。

 ニルルも学習している、そう来る想定が出来ている。

 立ち直りは先の同じ展開より早く、水の波動をドンカラスに撃ち返すのもまた早い。

 早いが故に敵との距離が近付ききらぬままの発射となり、飛来に移る直前のドンカラスの身を躱す動きにより、水の波動はその後方へと去ってしまったが。

 

「いくよニルル!

 ぶっ放しちゃえ!」

「――――――――z!」

 

「無駄な足掻きだな」

 

 水の波動を凌いだ流れで、さらに勢いよく飛来するドンカラスに、ぷくっと頬を膨らませたニルルが力強い反撃で迎え撃つ。

 多量の水の中に泥をも含む"だくりゅう"は、前方をそれでいっぱいにする泥水の壁となり、正面きって迫るドンカラスに回避など許すまい。

 先の浅い水の波動の当たりよりも、これならドンカラスに与えるダメージも大きく、ダメージレースもイーブンかそれ以上だろう。

 それによってドンカラスが戦い方を改めてくれるなら、相手のセオリー一つを潰せたとも言える。

 パールもそこまで考えられる程には、トレーナーとして成長しているのだ。上手くいって、お願い、という想いで濁流の向こう側を見つめている。

 

「……あっ!?」

 

「――――――――z!」

 

 ドンカラスは冷静だ。

 確かに一度はドリルくちばしで相手を貫くのだという動きに踏み込んでいながら、濁流発射の初期動作を見た瞬間に直線戦法を捨てている。

 急上昇する翼の動きで、広範囲攻撃の濁流を下半身に浴びる程度に留め、すんでのところで直撃回避し後に残るほどのダメージとしない。

 さらには下方のニルルに向けて、逆V字の急降下で攻撃に移り、やはりくちばしを突き出した猛襲の動きへ再転換。

 見上げた先から迫る敵に、まずいと思って前に身を逃がしたニルルだが、回転飛行のドリルくちばしを突き出しながらUの字飛翔するドンカラス。

 そのくちばしはニルルの体の後方、お尻にあたる軟体部分をぶちりと引きちぎり、苦痛に喘ぐ声をニルルが耐えられないほどのダメージを刻んでいく。

 

「ああぁ、ニルル……!

 来てる来てる、次が来るよおっ!」

 

「ッ、ッ………ッ、~~~~……!」

 

 背を向け合う形となっていたドンカラスとニルル、敵を振り返るのもドンカラスが早い。

 遅れて振り返ったニルルの目には、遠距離からナイトヘッドを発したドンカラスにより、勝利を遠ざける幻覚が映る。

 ただでさえ貫禄のあるドンカラスの全容が、幾多の葬ってきた敵の血を死化粧のように顔に纏う、恐ろしき歴戦の死神にさえ映り。

 同時に全身に、実際の傷こそ伴わずとも三度も四度も深く斬りつけられたかのような痛みが走る痛烈な幻覚。

 これが草バトルなら、勝てなくたって痛くない勝負であるなら、ニルルの心が折れかけるには充分なほどのものには違いない。

 

「ニルルーっ!! お願いしっかりしてえっ!!」

 

 パールの声に応えて、いや、たとえその声が聞こえなかったとしても今日だけは。

 絶対に勝てそうにないほどの強敵に敵が見えようと、水の波動を返すニルルの心は揺るがない。絶対にだ。

 だが、その一撃は飛来するドンカラスの左翼の端を浅く打つに留まり、突き進んでくるドンカラスの速度を制することさえ儘ならない。 

 そして飛来したドンカラスの打ち込んでくるドリルくちばしは、かろうじて首を曲げたニルルの、耳のような形をした右触覚を抉り取っていく。

 人間でも耳を一つ引きちぎられたら、どれだけ壮絶な痛みに襲われるだろう。

 

「に、ニルル……っ……」

 

『――まだやれる! 勝たせてみせる!

 パール! 絶対に目を逸らさないでよ!』

「い゙……っ!?」

 

 ぎらりと眼を光らせてドンカラスを目で追うニルルと、片手で頭の横を押さえたパールの挙動。

 聞こえた。あの日と同じように。

 決して人の耳には届かないはずの、ポケットモンスター達の声。

 

「サターンが言っていたエムリットの起こす奇跡か。

 だが、結末を覆すほどの力にはならんぞ」

 

 去ったように見えて今なおこの戦いを見守る三湖の精、その一柱がもたらす感情に激しい波を起こさせる力。

 パールの挙動から何が起こっているのかを感じ取って尚アカギは動じない。だが、その言葉はドンカラスに向けたものでもある。

 ここまでと同じ展開だと思うな、と警告するアカギの真意を感じ取り、優勢の中にあっても気を引き締め直すドンカラス。

 アカギとそのポケモン達の強さの真髄は、この驕り無き精神にあると言っても過言無い。

 

「――――――――z!!」

 

 多量の水を生み出したニルルの"なみのり"、その津波めいたものは高所のドンカラスを呑み込み得ない。

 だがその波の上に身を乗せて進むニルルは、自らを高所に持っていくことでドンカラスとの距離を縮めている。

 前に進む波に乗りながら、ドンカラスに向けて水の波動を撃つニルルが、ドンカラスにあわやの回避を強いている。

 

『僕を勝たせて! 何でもする!

 今さら僕達の痛みや身体を気にしなくていいから!』

 

「ニル、ルっ……!」

 

『ぜったイ゙、っ……勝たなきゃ、いけない勝負だろ……っ!』

 

 小癪なとばかりに悪の波動を撃ち返してきたドンカラスの攻撃を背中に受け、ニルルの声はその瞬間のみ痛苦に呑まれそうになった。

 それでも声を、感情を振り絞ってパールに為すべきことを訴えたニルルは、波に運ばれるまま槍の柱の、石柱の側面へその腹で"着地"する。

 自らの"ねんちゃく"力で以って壁面に張り付いてみせたニルルは、今この瞬間のみドンカラスよりも高い位置にいる。

 

「――――z!」

 

「ッ……!」

 

 水の波動を撃ってくるニルルに、ドンカラスも上方からの狙撃には慣れていないのか若干の動きにくさを見せている。

 相手が飛行ポケモンならともかく、トリトドン相手に上を取られる想定は無かっただろう。致命傷こそ避けつつも被弾してしまう。

 反撃の悪の波動も、ニルルが柱を登っていく動きによって躱される。展開としては苦い。

 

「右の翼が鈍いぞ、意識しろ」

「――――!」

 

 相手をどう仕留めようか意識が偏りがちな中、冷静かつ客観的に戦況を見定めるアカギの指示がドンカラスの優位を失わせない。

 ニルルも強かだ。水の波動の狙いがドンカラスの翼、右と左それぞれに散らしている。

 最初のドリルくちばしを受けた直前、右の翼には強い当たりをぶつけられた。

 それ以降、狙いは左の翼に絞っている。両翼を駄目にしてしまえばドンカラスのスカイアドバンテージは削ぎ落とせる。

 そうしたニルルの賢い狙い、次々に変遷する戦いの場において相手に意識さえさせず積み立てているものを、アカギは一言で丸裸にする。

 浮力を奪わんとする敵の狙いを意識すれば、ドンカラスも痛む右翼にいっそうの力を入れる意識を持ち、知らず知らずの消耗を阻みおおしてしまう。

 

「ニルル、頑張って、頑張ってえっ……!

 お願い、勝って……!」

『それでいい……! 止めないでくれればいいんだ!

 僕達の勝利を望んでくれれば、それだけで!』

 

「――――z!」

 

 傍目にはわからぬ程度に飛行姿勢が僅かに乱れていたドンカラスが立て直し、ニルルに向けて悪の波動を連続で放ってくる。

 ニルルが石柱を昇るならその先を、さらには左右も、退路すらも塞ぐように。

 絶対に逃がさないという意志をむき出しにした悪の波動の乱射に、ニルルも石柱の裏側に身を逃がさざるを得ない。

 反対側に回ったニルルのお腹を介して、悪の波動の乱打が石柱に突き刺さり、その柱さえをも揺らす衝撃が伝わってくる。

 

「行け」

 

「ニルル!? 来……」

 

 アカギも、ドンカラスも、逃げ場無き悪の波動の連射は、ニルルにそうした行動を迫れることをわかっていたかのよう。

 アカギに命じられるまでもなく、自ら導き出した最善手として、ドンカラスは自ら石柱に突き進んでいく。

 減速の気配は微塵も無い。無策で石柱に激突すれば、自分の全身の骨が滅茶苦茶に壊れてしまうほどの勢い。

 しかし頭とくちばしを突き出したドンカラスの眼光は、自傷ではなく敵の撃破を目前とする、狩猟者のそれそのものだ。

 

 ぎんぎらの目で身を回して石柱に突っ込んだドンカラスのドリルくちばしは、格闘ポケモンの拳でも砕けなさそうな太い石柱を破壊した。

 激突点を中心にへし折れた石柱、かすかにその上部にいた裏側のニルルは、崩壊した石柱から身を剥がして地面へと落ちていく。

 自身のくちばしも痛む中、石柱を貫き破った勢いのまま僅かに上へ飛んだドンカラスは、すぐさま落下中のニルルに向けて滑空軌道を曲げる。

 空中にあって逃げようのないニルルを上からくちばしで捉え、突き刺して落下速度以上の自らの降下速度で以って、地面に向けて真っ逆さま。

 その果てに生じた結末とは、ニルルのお腹を深々と貫くドンカラスのくちばしが、がつんと地面に先端を打ち付けるという凄絶な光景だ。

 

「あ゙っ、あっ……ああぁぁ……!」

 

 地面に串刺しにされたニルルが、げはっと濁った血を吐いた姿が、パールの顔を真っ青にさせたことは言うまでもない。

 ショックで腰さえ抜かしそうな光景を前に思考が凍ったパールの前、ドンカラスは尚もぐりぐりとニルルを貫いたくちばしを捻じ込んでいる。

 それにより、白目を剥いたニルルが力無く痙攣する姿は、彼の死さえも想像させる残酷な光景に他ならない。

 

「に、ニルル……」

 

『…………まだ、だよ……パー、る゙……!』

 

「うぁ゙……!?」

 

 思わずニルルのボールのスイッチを押しかけたパール。絶対に正しい行動だ。そうしなければ、ニルルが本当に死んでしまうかもしれないのだ。

 それでも彼女が思わず頭を押さえた片手の指に、髪をかきむしるほどの力が入ったのは、ニルルの訴える声が響いたから。

 ひくひくと震えながらも、だらりと下がった首でパールの方を向いていたニルルの目は、霞んだ瞳ながら光を取り戻している。

 

『見テ、てよ……!

 勝って、ミせるガら……っ!』

 

「!?」

 

 この一撃で完全にくたばらせたはずだと思っていたトリトドンが、ぐいと顔を上げ自分を間近に睨みつけてきた瞬間、ドンカラスが抱いた戦慄は尋常ではない。

 至近距離で目にしたトリトドンの目は、憎しみでもなく、怒りでもなく、ただただ大切な誰かの勝利を願う、純真な瞳の色で。

 そのためならば、この命さえも惜しくないという決意に満ちた眼差しに、この至近距離で捉えられた側の危機感など只なるまい。

 

「ッ、ッ……、クアアアァァァァッ!!」

 

「ニルル!?」

 

 至近距離でニルルがドンカラスの顔面に向けてぶちかましたのは、パールでさえも知らない新たなる技。

 たまらずくちばしを引き抜いて、ばさばざと翼をはためかせて逃げるドンカラスの顔が氷結にまみれている。

 飛行タイプのドンカラスにとっての致命撃ともなり得る氷技、ニルルがそれを使えることなど知りもしなかったことも含め、パールも驚愕の声を発するのみ。

 

 ノモセのジムで、敵のギャラドスの"いばる"を見て学び、いつの間にかそれを自分の技としていたのと同じように。

 この技をいつ、"れいとうビーム"をいつ見て覚えたのか今のパールには想像もつかないのだが。

 エイチ湖でギンガ団と戦ったあの日、スズナのグレイシアのその技を見て学んでいたのだろうか。

 とっておきを身に付けていたニルルは、絶対にはずさないこの瞬間まで、あれほど追い詰められていながら隠し玉を秘めていたのだ。

 この一撃にはドンカラスも逃げるように距離を作り、戦況の立て直しを計る他ない。

 

「ッ…………!

 ハァーーーッ、ハァーーーーーッ……!」

 

「に、ニルル……」

 

『つな゙イで、みせル……!

 最後ニ勝つノは、僕達だ……!』

 

 お腹に風穴が空いた姿で、尚も血走った眼を見開くニルルが、逃げたドンカラスにもう一撃の冷凍ビームを直撃させる。

 顔面を凍傷にまみれ、いま冷凍ビームの直撃を浴びて右翼が完全に凍り付かされたドンカラスが、飛翔能力を失って地面に落ちる中。

 血とも粘液とも取れぬ薄濁った体液をぼたぼたと落としながら、跳躍するように跳ねたニルルがドンカラスの上から襲いかかる。

 ドンカラスの背中ではなく、その左翼に体ごと"のしかかり"、軟体で締め上げて骨を一本でも折ってしまうのだ。

 

 悲鳴を上げたドンカラスだが、それでも折れた左翼を振り上げて、ニルルを二度地面に叩きつけた。

 人に例えるなら、折れた腕に巻き付いた蛇を腕ごと地面に叩きつけるような所業だ。どれほどの壮絶な痛みを伴う行動だろう。

 それでも、それが必要な局面だとしてその行為に及ぶドンカラスの精神力は尋常ではない。

 しがみつけず、叩きつけられるまま地面に身を転がしたニルルがそれで気絶していれば、ドンカラスの勝利であったのは間違いない。

 

「ッ――――――z!!」

 

 それでもニルルは、体を起こせないまま顔だけドンカラスに向け、全身全霊最後の冷凍ビームを放っていた。

 今しかなかった。相手が立て直す前であるこの瞬間。

 真正面から胸元へそれを受けたドンカラスが、凍結エネルギーに突き飛ばされ、全身を氷結まみれにして地面に横たわる姿がニルルの望んだもの。

 ひくひくと全身を震わせるも、使い物にならなくなった翼は震えもしない。

 完全に戦闘不能になったドンカラスの姿を以ってして、ニルルの勝利がここに確定したのである。

 

「……忌々しいほどの意地だ」

 

 風穴を開けられた体のニルルの背中を見て、パールが今にもニルルのボールのスイッチを押しそうになっている。

 半泣きの表情でもスイッチを押さない姿、片手で頭を押さえる姿。

 あのトリトドンが、まだ押すな、まだ押すなと訴えているのが見てとれる。

 未習得、不完全な"じこさいせい"で、風穴の空いた身体の傷を癒すトリトドンの姿は、アカギが次のポケモンを出すまで逃げない姿の表れだ。

 

 先鋒の意地。

 それを見確かめたアカギは、苦々しくもドンカラスをボールに戻し、次のボールをその手にする。

 だらだらと待っていても、あのトリトドンは傷を癒していくだけだ。

 

「よろしい、次のポケモンだ」

 

 下手投げで二匹目のポケモン、ギャラドスのボールを投げたアカギに応じ、その巨体がバトルフィールドに降臨する。

 それを見届け、ニルルはほうと息を吐き、役目は果たせたとばかりに頭を下げるのみだ。

 まるで、精も根も尽き果てたかのように。

 

『僕、やったよ……

 あとは、みんなが勝ってくれること、信じてるからね……』

 

「ありがとう、ニルル……!」

 

 敵の二番手、ギャラドスを見確かめたパールは、ニルルをボールに戻してぐしっと涙目を拭う。

 野良バトルでもそう、ジム戦でもそう、こんな時でもそう。

 一番手を任せられたポケモン達は、その手で勝利を飾った時、自陣営に並々ならぬアドバンテージを生み出す。

 現に今がそうだ。パールは相手の二番手がギャラドスだと知った上で、自分の二番手を選ぶことが出来る。

 初戦を担ったポケモンが目の前の敵を撃破することが出来れば、後続の展開をどれほど有利に運べるか、それをニルルはよくわかっている。

 

 戦いの勝敗を決するのは多くの場合が大将戦だ。

 そこに繋がるまでの戦いにおいて、先鋒の役割が非常に大きいのもまた事実。

 迷わず二人目の仲間が入ったボールを手にすることが出来たパールは、それがニルルのもたらしてくれたものであるというのを痛感しているだろう。

 賢くて、弱点が少なくて、相手の出方も計りづらい初戦を任せるには一番だと信じて先鋒を任せられたニルル。

 意地でも相手の次鋒が姿を見せるまで踏ん張ってくれたニルルの後ろ姿にパールが覚えたのは、いま改めて彼の代わりなどいないという当然の実感だ。

 

 負けられない。元々感じていた想いが、尚のこと大きくなる。

 勇者とはただ勇敢な者を指す言葉ではない。共に戦う者達にまで勇気を奮い立たせてくれる存在のことだ。彼女のトリトドンは間違いなくそうだった。

 

「いこう! パッチ!

 絶対、勝つんだあっ!」

 

「――――――――z!!」

 

 開戦のその時よりも気合の入った声を発するパールに応え、バトルフィールドに降臨したパッチもそれ以上の咆哮を発する。

 世界の明日が懸かっている。そんなことよりも。

 勝利を願ってやまぬ身内の意志を、何が何でも無駄になどしたくない。そんな想いの共振が、槍の柱に響いていた。



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第137話  最終決戦② 執念

 

「わかっているな、ギャラドス」

「――――――――z!!」

 

「パッチ……!」

 

 巨躯を宙に浮かせたギャラドスによるファーストアタックは、開いた口から強烈な水の砲撃を放つもの。

 見るも凄まじい威力の水砲だが、冷静に跳んだパッチは危なげなく躱している。

 威力だけなら水技最大級の"ハイドロポンプ"が、パッチの立っていた硬い地面を抉り掘っていることからも、当たれば只では済まなかったのは間違いない。

 

 ギャラドスは自らが発射した砲撃の反動に身を任せる形で身を引いている。

 浮かせている体をこの聖地、槍の柱の高き石柱に近付けて、その身を巻き付けてパッチを見下ろす。

 高所を確保した上で据わりのいい首だ。口から発する砲撃を、いかに高威力でもぶれずに撃てる状態をギャラドスが確保する。

 

「怯まないで! 撃てえっ!」

「――――z!!」

 

 相手が高い位置にいて牙を突き立てられぬ状況になったが、ならば10万ボルトの放射が最大の攻撃手段となろう。

 据わり固めたギャラドスを襲うパッチの雷撃が、ギャラドスに痛烈なダメージを与えている。

 水に満ちた身体かつ地に足を着けぬ生態であるギャラドスに、電気技は抜群以上の効果をもたらす。

 よく育てられて屈強なギャラドスが、目を見開いて全身を強張らせる姿からも、絶大なダメージは明らかだ。

 

「ギャラドス」

 

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

 大量の水を下方に吐き出したギャラドスは、あっさりと自らの身を石柱からほどき、生み出した水が波となってパッチへと襲いかかるその上へ乗る。

 幅と高さのある波で以って敵を呑み込む"なみのり"による反撃は、確実なダメージを相手に与える有力手だ。

 逃げ場無き波が前方から迫る中、一瞬パールの方を振り返ったパッチに、握り拳で小さく頷くパールの硬い表情が見える。

 口にしづらい過酷な指示、それでもそれが最善手だと訴えてくれるパールの挙動は、同じことを考えていたパッチに自信と喜びをもたらしてくれた。

 どうせ躱せないなら。パッチは自らその波に直進し、水の壁を突き破る勢いの突撃だ。

 

 水圧と勢いに満ちた波を真正面から浴びたパッチが、その瞬間に受けたダメージは確かに小さくない。

 だが、帯電していたパッチが波の中に突っ込むに際し、いっそうの強い電撃を発したことが、波の上に鎮座するギャラドスにも電撃を届けている。

 波を突き抜けたパッチと波の上のギャラドスが背中合わせになる中で、電撃の痛苦に目を白黒させたギャラドスが、波を保つ力を維持できなくなる。

 パッチが振り返った瞬間に目に留まるのは、波が霧散し空中に身を巻くギャラドスが、苦しげな表情でこちらを睨みつける表情だ。

 

「撃てえっ!」

「――――z!」

 

 空中のギャラドス目がけて10万ボルトを放つパッチの追撃が、一気にギャラドスを瀕死状態へ近付けていく。

 いや、この一撃で終わってもおかしくない。それだけギャラドスというポケモンに対し、電気技とは抜群すぎるのだ。

 現に頭をのけ反らせ、高度を保てず地表へと落ちていくギャラドスは、気を失わぬようにするので精一杯であったと言える姿だった。

 

「ッ――――!!」

 

 だがそれは厳密には正しくない。

 身を浮かせる力を保てず落ちたのではなく、自ら高所よりその巨体を地面に落としたギャラドス。

 地面を叩いたその300kg超の肉体は、激しく地面を揺らす"じしん"を生じさせるのだ。

 ギャラドスの体が地面を叩いた場所を震源地に、聖地一帯が激しい縦揺れに見舞われる。

 

「ひぁ……っ、いだっ……!

 パッチ、パッチっ、来……!」

「ッ、ッ~~~~……!」

 

「そうだ、ギャラドス。決めてみせろ」

「――――――――z!!」

 

 さりげなく自らの立ち位置を大石柱のそばへと移していたアカギは、その手を柱に添えてこの揺れの中でも膝を着かず耐えている。

 そんな挙動を未然に見切れれば、ギャラドスの地震も読めていたのだろうか。アカギがパールの立場なら、敵のトレーナーの動きから読めていただろう。

 読み切れなかったパール達を襲う揺れは、膝を打ち付けて擦りむく少女と、足を取られて動けなくなったパッチの姿を叶えている。

 そして動けぬ獲物に突き進むギャラドスは、今この瞬間だけは多大なダメージを背負った肉体の弱みを忘れ、全力全開の特攻を果たす決死行そのものだ。

 

 突き出した額、パッチへの激突、それに際して真っ直ぐに伸ばした体は、体重すべてを衝突対象に乗せるための体の使い方。

 300kg超えの巨躯が持つエネルギーすべてを乗せた"ギガインパクト"は、パッチの全身の骨をばきばきに砕いて突き飛ばす。

 このたった一撃でげはっと血を吐いたパッチが、叩き飛ばされるまま石柱に背中から叩きつけられ、ずるりと地面に崩れ落ちる姿はあまりにも悲痛である。

 

「パッチ、っ……!」

 

 全身を滅茶苦茶にされたパッチは、今の自分の体のどこが駄目になったのかも、すぐには把握しきれない。

 痛みだけがある。気も遠くなりそうなほどの、目の前の光景が歪むほどの。

 それでも辛うじて動く右前足で地面を踏みしめ、胸を地面から離して顔を上げると、ギガインパクトの反動で身体が痺れているギャラドスを睨みつける。

 "いかく"の眼差しをぶつけ合う両者は、どちらも本来致命的なほどのダメージを受けながらも、決してその闘志は死んでいない。

 

「ッ…………、ッ~~~~……!」

 

 パッチの搾り出そうとた咆哮は声にならず、牙のちらつく口を開く表情を形にしただけだったけれど。

 発する雷撃が無防備なギャラドスに差し向けられ、地にその長蛇の肉体を着けたギャラドスが、空を見上げて悶絶する。

 足掻く余力も無いギャラドスは、レントラー渾身の10万ボルトによる放電が絶えたその時、乾いた息を吐いて目を剥くとその全身で地面に倒れ込んだ。

 

「よくやった。

 いいはたらきだったぞ、ギャラドス」

 

 無表情のアカギだが、手元のボールに収まったギャラドスを一瞥し、発した労いの意は本物だ。

 パールの5匹のポケモン達を知っているアカギである。このレントラーをどう捌くかが間違いなく勝負の分かれ目。

 ギャラドスを破られたことは決して小さくないが、逆に言えばあのレントラーを相手に、犠牲がギャラドスだけで済んだなら上出来過ぎる。

 パールの残り3匹のポケモン、そして自分の残る2匹を考えた時、あのレントラーが今ほぼ瀕死なのは例えようもなく大きい。

 

「ハァーーー……ハァーーー……!」

「ぱ、パッチ……まだいけるの……!?」

 

「始末してこい」

 

 3匹目のボールを放ったアカギ、ボールから飛び出してきたマニューラ。

 ギガインパクトによるダメージで、今にもバラバラになりそうな身体で踏ん張っているパッチは、もはや意地だけで立っている。

 ギャラドスよりも先に倒れてたまるか、ニルルが頑張ってみせたように、相手の次の手の内が明かされるまでは死んでも倒れない。

 そして、マニューラという次の敵の姿を目にしたらしたで、私の役目は終わりだなんて思えるか。

 一矢でも、ほんの掠り傷一つでも。仲間達の優勢に向けて、血の一滴まで搾り出す。

 

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

 

「無駄な足掻きだ」

「~~~~♪」

 

 悪あがきの10万ボルトをマニューラのいる前方広くに放つパッチだが、地を走るまばらな電撃をマニューラは軽快な動きで躱して敵へ迫る。

 力尽きる寸前の死に体で放つ電撃、狙いの定まりきっていない、言い換えれば規則性の無い読みづらさはある。

 それでも勢いを欠く電撃を差し向けられたとて、その足捌きに絶対の自信を持つマニューラにしてみれば御しやすささえ感じる。

 あっという間にパッチに手が届く場所まで迫ると、顎を引いて喉や首を守ったパッチの額を、鋭い爪でずばりと切り裂く。

 痛みで気が遠くなった無防備なパッチが、この時点で戦闘不能になったにも関わらず、逆の手の爪の裏でその顎を下から殴り上げる。

 型破りだが"かわらわり"にも相当するその一撃を受け、パッチは完全に失神してのけ反ると、そのままひっくり返されるように後頭部から地面に倒れた。

 

「っ、ううぅ……ごめん、パッチ……!」

 

 もっと早く引っ込めるべきだった後悔がどうしても残る敗北だ。

 まだ戦える、そんな主張に甘えてしまって、任せて、縋って、あの強いパッチが気を失うほどのダメージを受ける末路を辿らせて。

 わかっていたのに。いよいよとなれば命さえ捨てて戦い抜いてしまうパッチの姿は、あの日ギンガ団アジトで見たはずじゃないか。

 パッチの収まったボールを握るパールの手は、勝負での汗ではなく悔恨のそれにより肌寒く滲んでいる。

 

『いくよ、パール!!

 勝つしかないんでしょ!!』

「んっ、ぐ……!」

 

 頭に響く強い声、頼れる友達の感情の迸り。

 鞄の中、ボールから自ら飛び出してきた小さな体で、みんなの中でも随一の情熱を胸に宿す親友のひとり。

 残忍な眼差しのマニューラと対峙し、その"プレッシャー"に一度びくりと体を震わせつつも、ばふんとその両拳を胸の前でぶつける姿は果敢なものだ。

 一度パールを振り返り、後悔する暇があったらあたしを勝たせろと眼で訴えるミーナの姿が、パールの惑いを吹き飛ばしてくれる。

 

『さあ、勝つんだよ!

 ニルルも、パッチも、それを望んでる!』

「っ……!

 頑張ろうね、ミーナ! 絶対に負けない!」

 

「仕留めろ、マニューラ。

 現実を教えてやるといい」

「~~~~……♪

 ――――――――z!!」

 

 冷徹な瞳でにやりと笑い、がちん、がちんと爪を鳴らして威嚇するマニューラによる、なぶり殺し狙いを想像させる挙動の緩。

 次の瞬間、残忍に目を見開いて発する咆哮で、八つ裂きにさせる姿を獲物に想像させる急。

 臆病な相手ならばそれだけで身動き取れなくさせる、本気の狩猟時に見せる威嚇でパールとミーナを竦み上がらせると、マニューラは一気に駆け迫る。

 その気迫に呑まれたパールの思考が凍り付き、指示一つ出せぬ中でミーナに迫ったマニューラは、"つじぎり"の爪で以ってミーナを引き裂きにかかった。

 

 こんなにも負けたくない時に縮み上がってなんていられるものか。

 "とびはねる"ほどの跳躍を見せたミーナがマニューラの攻撃を躱し、跳んだ先、石柱の上部を蹴ってマニューラに向かう自らの軌道を作る。

 振り返ったマニューラも反応も早く、重力を味方に自らを斜方投射したミーナの突き出した蹴りを、最低限のバックステップで回避する。

 硬い地面に蹴りを突き刺すような勢いで着地したミーナは足先が痛むが、距離を作らず反撃体勢に移ろうとしたマニューラに隙を与えない。

 痛む足を踏ん張って堪え、前に踏み込みその拳を連続で突き出す。

 "れんぞくパンチ"のようにも見える、ピヨピヨパンチの連続攻撃だ。

 

 攻め気を急がず冷静に後退するマニューラは、ミーナの拳を爪で防ぎながら、カウンターの隙をうかがう目に変わる。

 そして隙を見出すのが早いことこそ、高い自己判断能力を養われてきたアカギのポケモン達の強みの一つ。

 人の目では傍目からなど見極められない小さな隙を、敵の動きを間近に見る戦いの中ではっきり見極め、半秒かかる指示すら待たない。

 たった三発目の拳を爪で打ち返した瞬間に、なおも前に出ようとするミーナの懐に隙を見出したマニューラの反撃は早い。

 

「!?

 退が……」

 

 言い知れぬ危機感にパールがその一言を発しかけようとも、ミーナの耳に届く頃には間に合わないのだ。それが指示を省いた刹那の戦いの重み。

 ミーナも危うさを感じて退がりかける素振りを見せたが、彼女の腹をずばりと切り裂くマニューラの爪の方が早い。

 ほんの少しだけ身を引いたことで、お腹の中身まで斬られる最悪の結末こそ免れたものの、その辻斬り一閃による深手は尋常ではない。

 斬られた瞬間に血が溢れなかったのは、それほど鮮やかに速く斬られたからであって、五秒後にミーナが血みどろになる未来は確定した。

 

「ッ~~~~、ッ……!」

「――――!」

 

 やばいと思った。死ぬかもしれない傷だとさえ感じたとも。あまりにも嫌な痛さ。

 それでもミーナは前に出た。拳を突き出し、マニューラの顔面を打ち抜くための一撃を放って。

 さらなる追撃に迫ろうとしていたマニューラも、即時防御に切り替えて爪を引き、致命打にさえなり得る一撃を防いでいる。混乱させられるのはまずい。

 ほぼカウンターであったその一撃をマニューラが防ぎきった一幕は、筋力をはじめとした身体能力でも、マニューラがミーナに勝っているという事実を物語る。

 押し込めないミーナ。だったら顎を引いてその耳を相手に突き出して。

 自身第二の腕とも言える耳でマニューラを捕まえた瞬間に、軽く跳んだ両足を縮めたミーナの仕草は逆転に繋ぐための十八番。

 

「っ、いけえっ!」

「――――z!!」

 

 メガトンキックという名で通ってきた、耳で捕らえた相手を両足で全力で蹴り抜く必殺技。勝たねばならない、今こそパールに恩を返す時だ。

 鼻っ柱に直撃させられては確実にノックアウトだと、歴戦のマニューラがその気迫から確信している。

 引き上げて交差させた爪でそれを受け、大きく後退するマニューラは、爪と手首と腕までもが軋む実感を得る。

 危なかった手応え、しかし怯まず。盛り返しかけつつあるミミロルを、勢いづかせず叩き潰す次の策は既にある。

 

「――――!」

「そうだ、それでいい」

 

 痛む腕を振るって"こごえるかぜ"を放つマニューラは、接近戦で勝る基礎能力にのみ頼る慢心をしない。

 激しい動きの中でミーナのお腹の傷は、既にばくっと開いておびただしい血を流し始めている。

 それだけでも気が遠くなりそうな中で、激しい冷気に晒されるミーナの体温は急激に奪われていき、冷気と霜でいっぱいの眼前はいっそう白むばかり。

 この時パールがミーナの名を呼んだ大きな声さえも、あわや聞き逃してしまいそうだったほどだ。

 

「…………ッ!!」

 

 ぐっと顔を上げたミーナが両手で自らの頬を力強く叩き、吹っ飛びそうだった意識を取り戻した。

 情熱を、魂を、勝利を渇望する精神をこの胸に。なるほど今はじめてわかった、これはいい。

 負けたくない時にパールがよくやっていた仕草だ。これでもかってぐらいに気合が漲ってくる。

 

『やらせてね、パール……!

 あたし、もうあなたに可愛がられるばっかりの、弱くて駄目な子じゃないよ……!』

 

「…………ミーナぁっ! がんばれえっ!」

 

『嬉しい……!!』

 

 血走る眼と甲高い鳴き声、可愛らしいはずの声をがらがらに濁したその声は、まさしく迫力に欠く"なきごえ"そのものですらあったけれど。

 その一声とともに地を蹴ったミーナが弾丸のような速度で迫るその気魄は、決してマニューラに敵を子兎だなどと認識させるものではない。

 元より獅子搏兎、いや、小動物の皮を被った凶獣だ。

 殆どノーモーションから自らを発射してきたミーナの突撃を凌ぎようのなかったマニューラは、爪で防いだ"とびげり"の重みにその確信を禁じ得ない。

 

 ハァッと荒く猛々しい息を吐いたマニューラもまた、瞳孔の開いた目でミーナに襲いかかる。

 切り裂く、辻斬り、シザークロス、どうとでも呼べよう一撃一撃が満身創痍の敵には致命傷になり得る斬撃の連続だ。

 踏み込むマニューラと退がるミーナ、離れようものなら一瞬で距離を詰めるマニューラは、今のミーナを逃がさない。

 腹の傷の激痛に喘ぐ表情のミーナに、一撃でも急所を捉えられれば確勝であるこの局面、マニューラは反撃の隙さえ与えまいとする。

 

 そして、追い詰められたネズミが最後はどうするかだってマニューラはよくわかっている。これまで何度も追い詰めてきた側だったからだ。

 五発目の爪の振り下ろしを、中途半端な回避で肩に傷を負いつつも、マニューラを射程圏内に捉えて目を光らせるミーナ。

 追い詰められた奴らが最後に狙うことなんて、いつだって一発逆転の近道だ。

 

「跳んでえっ!!」

 

 ミーナの回し蹴りめいたハイキックを、マニューラは実に冷静にしゃがんで躱した。歴戦の読みが冴えていたのだろう。

 だが、野生の強敵を狩る戦いとは異なる最大の要素が、ミーナの軸足めがけて爪を振り抜いていたマニューラの狙いを叶えさせない。

 ミーナが蹴りを放っていた瞬間には既に発していたパールの大声が、決死の一撃を躱されて次が無かったミーナをしっかり導いている。

 フットワークを武器とする獲物の脚を奪えば終わりだったはずの局面、"とびはね"たミーナをマニューラは舌打ちして見上げる他無い。

 

「ガード! でんこうせっか!」

 

 跳躍したミーナはマニューラ目がけて足先を突き出す蹴りを放つのみだ。

 躱すマニューラ、着地して腰を沈めざるを得ないミーナ、その背後で爪を振り上げた残忍な狩猟者。

 着地の前から発せられていた指示が、ミーナに取るべき行動を信じさせてくれる。

 両耳を掴んで"まるくなる"ミーナの背中をマニューラの爪が深く傷つけるが、その痛みさえ今のミーナの意識を奪うには至らない。

 次にどうすればいいのかわかっている彼女は、ただただかつては信頼していなかった友達の声に、命さえ預けて殉じるのみ。

 

 地面を蹴ったミーナが背中からぶつかっていく変則的な体当たりは、彼女の脚力により相応の威力でマニューラに激突する。

 小柄なマニューラが胸元にそれを受けてしまえば、踏ん張りきれずに一度倒れさせられるほどの一撃だ。

 仰向けに倒れたマニューラのお腹の上に、背中を預ける形で乗る形となったミーナ。

 次の指示はもう無い。だが充分だ。両耳でマニューラの両腕を地面に押さえつけ、お腹に力を入れて下半身を振り上げる。

 力を入れれば入れるだけ、ぶしっと血が噴くお腹の傷の痛みを伴うが、今ならそれさえ気を失わずに済むほどの刺激として助かるほどだ。

 

 がら空きのマニューラの下腹部に両足を振り下ろしたミーナが、その反動でマニューラの体の上から転がるようにその頭上方向へ。

 内臓が破壊されるかと思うほどの一撃にげはっと息を吐いたマニューラが横たわっている中で、ミーナは何とか敵よりも早く立ち上がる。

 だが、ぎらりとその眼に殺意を取り戻したマニューラは、倒れたままにして顎をぐいと上げ、ミーナへ凍える風を発してくる。

 全身の傷口が凍り、止血と同時に体内まで一気に冷やされていく感覚が、前かがみになって耐えるミーナの眼を剥かせかける。

 だめ、もう、飛びそう。助けて、パール、お願い、何でもいい。

 遠のいていく意識の中、心の底から戦い抜く力を望むミーナが望むものは、決して特別なものでもなんでもない。

 

「み……っ、ミーナあっ!!」

 

 そう、それだけでいいんだ。

 自分の名前を呼ぶ声だけは、どんな雑踏の中でも一際よく聞こえるように。

 現世を離れかけていた自分の意識を踏み止まらせてくれるものは、守り抜きたいあなたの声そのものだ。決して大逆転を導く卓抜した指示じゃなくていい。

 戦い抜くことが大切なのだ。勝利というものはその先にしか無い。

 

「ッ、ッ~~~~!

 ――――――――z!!」

 

「マニューラ!」

「…………!」

 

 跳ね起きたマニューラにアカギが大きな声を発するほど、事態は窮に瀕している。

 呼吸も難しいほど体の内側を痛めながら、マニューラは身構えた。いや、それだけでなく迫るミーナに自ら突き進む。

 死んでも勝つ気で襲いかかってくる獲物ほど恐ろしいものはない。そして、それに怯むマニューラでもない。

 死にたいなら殺してやるとばかりに爪を振るうマニューラの眼光は、窮鼠の決死行に物怖じするどころかいっそう燃えるほどの気性の表れだ。

 

 八つ裂きという言葉がぎりぎりの例えとして当て嵌まるほど、マニューラが連続で振るう爪はミーナをずたずたにする。

 それと同時に、死なぬ目のミーナが突き出す拳もまた、マニューラの胸や肩や腕を、そして顔面を窪ませる滅多打ちの猛攻だ。

 離れてじっくりと凍える風で料理するという選択肢は、もうマニューラには無いのだろうか。そんな機はとうに過ぎ去っている。

 逃げ回るにはもたぬダメージと呼吸のマニューラが選んだ殴り合いの勝負は、ミーナの望みでもありマニューラにとっても唯一の正着手。

 殺意と刃を共に携えたハンターと、生存ではなく目の前の敵を殴り飛ばすことのみが本懐の凶獣の戦い。

 繰り出される拳と爪の応酬は、急所への一撃のみを凌ぐばかりの捨て身の攻々に過ぎず、その凄絶さはまさに命のやり取りだ。

 

 血飛沫が舞う。ミーナの命の源そのもの。

 骨が砕ける。マニューラの顔の骨、その破片は内から体を傷つける異物。

 明日の健常な肉体など顧みぬ、勝利への渇望に魂を焼かれた者達の戦いは、11歳の少女には見るに耐えぬほど凄惨だ。

 それでも目を逸らさないパールがいてくれること。

 勝利を望んでくれるアカギがいてくれること。

 野良の命には決して得られぬ無限の活力にして、早死にさえ招くその原動力そのものが、吠えて啼いて雄叫び発して戦うマニューラとミーナを突き動かす。

 

「――――――――z!!」

 

 もう、長く戦える両者ではなかった。当事者でさえそう思っているからこそこの迫撃戦だ。

 その戦いの終わりを告げる一撃を繰り出したのはマニューラの方だ。

 ミーナの拳に鼻っ柱を叩き込まれながら、既に鼻血まみれの顔をぐいと引き、突き出した爪先がミーナの胸の真ん中に突き刺さる。

 それも浅い一突きではなく、あと少し踏み込めていれば背中まで貫通していた、急所直撃相当の"つじぎり"の刺突である。

 

「ひぅ……っ……」

 

『あ、と…………少し、ぃ…………っ…………!』

 

 パールがボールのスイッチを押しそうな気配はミーナも感じ取っていた。ずっと、そうではあったけど。

 自らの死を深刻に意識するこの一撃は、あのパールが我慢できなくなるには充分だって、ミーナもすぐに確信できた。

 まさに今、自分が死ぬかもしれないという時に、最も想うのは自分自身のことでさえ無いなどどれだけの人が出来ることだろう。

 ぶつんと自分の何かが切れてしまう直前、燃え尽きる寸前の火のような迸る想いを訴えるミーナは、今まさに一矢報いるためだけに"こらえて"いるのだ。

 

 胸を貫かれてのけ反りかけていた身体さえ奇貨として。

 思いっきり前に振るった頭で以って、耳を相手の両肩にかけ、ぐっとその耳に力を込めて。

 内も外もずたずたの身体、とうに口の中まで上ってきていた血を、ぶしゃあとマニューラの顔めがけて吐き出して。

 あまりにも予想外すぎる目潰しにマニューラが怯み、ミーナの胸を貫いていた手を引いてまで後退しようとして。

 敵を耳で捕まえて逃がさないミーナは、既に両足で地面を踏み切っている。

 

 前が見えないマニューラの胸元を、ミーナがパールへの"おんがえし"の想いいっぱいのメガトンキックで貫いた。

 殆ど無防備であったマニューラはその一撃で吹っ飛ばされ、ミーナは敵を蹴った勢いで後方に跳ぶ形となり。

 転がるように倒れたマニューラが、それでも血を吐きながら立ち上がろうとするところに。

 駆けて跳んだミーナが弾丸のように迫り、マニューラの鼻っ柱めがけてその膝を突き刺したのが完全なるとどめの一撃となった。

 ミーナの大技の一つであった"とびげり"、それを脚の最も硬い膝をぶつけることでそれ以上の破壊力を為す、無我夢中の中で繰り出した一撃だ。

 立ち上がりかけていたマニューラが後頭部から地面に倒れ、問うまでもなく失神した姿を以って、壮絶な一対一に幕切れが訪れたのだった。

 

「……たいしたものだ」

 

「…………ミーナ、っ……」

 

 時には自身の切り札格とさえなり得るマニューラが、既に瀕死だったレントラーを別として、一匹も撃破できず倒れたことは少なからずアカギには予想外。

 感情とは別に、パールとそのポケモン達に対する賞賛の意を口にするほどには、アカギも驚かされたということだろう。

 そして、パールはとうとう耐えきれず、ミーナのボールのスイッチを押す。

 声も無く、その感情を訴える余力もなく、小さく微笑むようにして倒れまいとするだけの血まみれのミーナを前にしては、もう我慢できたものではない。

 やったよ、と未練一つ無くした彼女の姿が、ギンガ団アジトで命さえ喪う寸前だったパッチの姿さえ思い出させる、それだけのものだったからだ。

 

『あんたは間違ってない。

 ここまでしなきゃ勝てない相手なんだ。

 あたしが一番よく知ってる』

 

「ぅ゙……!?」

 

『後悔なんてするな! 明日を勝ち取りなさい!

 振り返ってる暇なんて無いわ!』

 

 感情の神の力が渦巻く槍の柱、パールの脳裏に響く一つの声。

 八つ裂きにされたミーナの姿はやはり、たとえこの戦いに勝ったとて、明日はミーナのいない世界を歩まねばならない可能性をパールとて想像しよう。

 それを強いたのが自分だなんて感じて、心を弱くすることを潔しとしない仲間がいてくれるのだ。

 他ならぬミーナが望んだことなのだ。彼女には一つの後悔すら無いはず。

 パールの仲間になって日が浅くとも、同胞の想いをパール以上に知る彼女は、冷静の下に秘めた情熱の想いをパールに届けてくれている。

 

『最後の一匹よ! 勝ちましょう!』

 

「っ……うん!

 絶対勝とうね、ララ!!」

 

 ぐしっと目鼻を拭ってパールが高々と投げ上げたボールから飛び出したララ。

 耳の欠けたニューラだ。アカギも、彼女のことはよく知っている。

 かつては尖兵として使うためにある程度育て始めていた個体ながら、彼の思想についていけず離反した、感情と道理に満ち賢し過ぎたニューラである。

 感情など邪魔なものにしか過ぎぬという持論を持つアカギにとって、彼女はまさしく未練なく手放せた一匹であろう。

 

「よもや私の切り札の強さを知らぬわけではあるまい。

 それでもなお刃向かうというのであれば見上げたものだ。

 私達も、相応のもてなしを以って迎えよう」

 

 アカギが4匹のポケモンしか持たぬことは、彼の知己であるシロナからパールも聞いていることだ。

 サターンが、コウキがそうであったように、最も信頼できる者達しかそばに置かぬ、アカギがそうした人物であるのは旧知の者が誰しも知る事実。

 アカギが一時育てていた今のララも、ある程度まで育てれば部下が操る兵力にでもするつもりでしかなかったのだろう。

 そうなる前に逃げてしまい、ましてカンナギタウンでアカギの命さえ狙い、その野望を阻もうとする賢しさを持つ存在だったのは巡りが悪い。

 わざわざそれを問題視はしなかったアカギはむしろ、その一件で以って感情というものの煩わしさをいっそう深めたかもしれぬほどだろう。

 

「いくぞ、クロバット。

 すべてを葬り去る」

 

「っ……!」

 

 繰り出されたのは、正真正銘アカギの最後のポケモンだ。

 それは、かつてパールがシンジ湖に落ちたきっかけを作った当時のズバットであり、彼女にコウモリに対するトラウマを植え付けた張本人。

 今や最強の姿に進化したそれと対峙するパールは、かつてよりも薄れていた心の傷が蘇り、息が詰まるような感覚さえ覚えている。

 

 ばっちーんと両手で自らの頬を叩く仕草が、パールはいつもよりずっと早かった。

 一秒たりとも弱っていられるものか。

 ニルルが、パッチが、ミーナが、あれほどまでになってでもここまで繋いでくれたのだ。

 それに報いるには、労いでも感謝でもなく、勝利あってこそだとパールははっきりとわかっている。

 明日を勝ち取れ。それしかないのだ。

 

 2対1、そして空を舞うクロバットを相手に、氷の技を使えるララを元気な状態で送り出せた流れがここにある。

 希望はあるはず。そして同時に、ただその利のみですんなり勝たせてくれるような、一筋縄でいかぬ相手ではないことも自明の理。

 未来を託された戦いの大詰めだ。



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第138話  最終決戦③ 宿敵

 

 ニューラとクロバット。氷と飛行。相性の良い戦いには違いない。

 それでも一筋縄ではいかないだろうと、パールも覚悟はしていたはずだ。

 アカギの最後の切り札なのだ。弱いはずがない。今までで一番強い敵と戦うつもりで挑もう。

 彼女なりに最大限、腹を括っていたはずである。

 

 それで尚、いざ戦いが始まってしまえば愕然とするばかりだ。

 クロバットはその圧倒的な飛行速度が最大の武器だ。それぐらいのことはパールだって知っている。

 瞬発力と反射神経に秀でるララがそれを相手取る、この図式がパールにとっては最大の図式だった。

 むしろ、こうでなかったらどうすればよかったのか、今やパールには想像もつかない展開が彼女を襲っていた。

 

「ら、ララ……えぇと、えぇと……!」

 

 クロバットの動きがパールの目では追えないのだ。あまりにも速過ぎる。

 動きは実のところ単純だ。ララに急速接近、翼の先端で敵を切り裂く"つばさでうつ"攻撃を放ち、ララがそれを爪で防ぐ。

 反撃が及ばぬようすぐに離れたクロバットが、またすぐにララへ迫って同じ技を打つ。その繰り返し。

 これを、一秒間に三度は繰り返すのがあのクロバットなのだ。

 攻撃を防いだ次の瞬間には手の届かぬ場所まで離れたクロバットに、ララは追撃の暇すら与えられぬまま、また別方向から迫られて防御を強いられる。

 真正面から来たと思えば次は側面から、次は斜め上から、次は背後から、続いては真正面から。

 殆ど空中で軌道を折るにも等しい動きを高速で繰り返すクロバットは、防戦一方のララの体力を凄まじい勢いで削っていく。

 為すすべも無いララにとって最も苦しいのは、敵の動きを見極められないパールが、指示の出しようもなく何の支えにもなれない時間が続いていることだ。

 

「こ……っ、こごえるかぜ……!」

「ッ――――――z!」

 

 それでもどうにか、苦肉の策でも打開案を発するパールからは、なんとかララの窮地を救わんとする意気が表れていよう。

 ララとてわかっている一手だ。だが、リスクもある。

 それでもパールが指示してくれたことが、やっぱりそれしか無いよねとララの腹を括らせてくれる。

 足を止めて全方位に凍える風を発するララは、パールにまで肌が痛むような冷たい余波を浴びせながらも、クロバットを凍てつかせてることを叶えている。

 

「愚策だな」

 

 だが、技を撃つために足を止めざるを得ないということは、その瞬間がクロバットにとっては狙い目でもあるということだ。

 羽が根元から凍傷のように痛み、飛行速度が鈍る実感を得ながらも、ララが覗かせたその隙をクロバットは見逃さない。

 凍える風は敵の動きを鈍らせる技として有名だ。だが、そんな技はクロバットにとって、自分の速度に手を焼く敵が最も用いたがる常套手段。

 痛む羽では維持しきれないはずの自身の"最高速"を、要所で一瞬でも発揮できるほどの気概は培い尽くしている。

 "こごえるかぜ"を浴びせられながらも、まるで落ちぬ速度で迫ったクロバットに、地に足を強く着けたララが感じた危機感は相当なものだ。

 

「~~~~……ッ!」

「ララ……!」

「――――――――ッ!」

 

 ここだという局面でクロバットが選ぶのは"シザークロス"だ。

 迫った敵へ四枚の羽で"ほぼ"同時に斬りつける、一撃めいた瞬時の四連続攻撃は、腰を沈めて構えた爪でそれを凌がんとしたララに二刃の傷を刻み込む。

 右上の羽の斬りつけを爪で防ぎ、左下の羽の振り上げを頭を沈めて躱し、だがほんの僅かな時間差で迫った残り二撃が防ぎきれない。

 左の二の腕を、そしてまぶたの上をざくりと斬られたララが後ずさるように足を引く姿は、パールが思わずララの名を呼ぶほどには痛々しい。

 元より悪タイプの中でも打たれ強くないララにとって、シザークロスの斬撃は格段に効く技だ。それでも発した声は、心配ないと訴える意地の強さの表れか。

 

「!?」

「え……」

 

 ララが怯んだその瞬間のこと。

 くいと顎を動かして無言の指示を発したアカギの挙動を見逃さなかったララは、背筋がぞっとしたものだ。思わず、たまらず駆けたほど。

 やってしまえ、と指示されたクロバットが、迷い一つ無くパールに向かって飛来する姿をララが追う形。

 ただでさえ目で追えぬ飛行速度のクロバットが、よもや自分に向かってくるその一幕など、パールが現実についていけなくなるには充分なほどだった。

 

 まさに自分の目の前で火花が散り、パールを羽先で切り裂こうとしたクロバットと、追い付いて伸ばした爪でそれを叩き上げるララの姿が目と鼻の先。

 まるで銃弾が目前の見えない壁ではじかれ、死ぬはずだった自分が何故か生きているかのような心地。

 ひ、と短く裏返った悲鳴を溢れさせ、腰砕けに尻餅をつくパールの前に立つララは、上空に舞い上がってぎらりと自分達を見下ろす敵を憎々しげに睨みつける。

 ぶわりと脂汗の噴き出したパールは、殺人鬼を目の当たりにした臆病な少女の如く、立てぬまま息さえ出来ずにクロバットを見上げるのみだ。

 

「――――――――z!!」

 

「クロバット、ひとまず立て直せ。もう充分だ」

 

 憤慨に満ちた声で吠えたララに微塵も動じず、クロバットはアカギの言葉に従ってララ達の上空を離れ、アカギを後方に控えて高度を下げてくる。

 戦い始める直前のような、改めて睨み合うような構図は、仕切り直しのようでいてララの心に大きな楔を打ち込み済みだ。

 すなわち、俺はいつでもお前のご主人を仕留められるのだという、ララの支えを人質同然に取る痛切な脅迫である。

 

「もはや、お前は死んでくれて構わない。

 残るは二匹だろう? 今さらお前の仲間達が激甚な怒りで我を忘れて今以上の力を発揮したとて、私のクロバットは問題にしないのだからな」

 

「あっ、アカギさ……」

 

「こんな戦い方もあるということだ」

 

 クロバットが四枚の翼を振るい、"エアスラッシュ"を放ってくる。肌身を切り裂く真空の刃が四枚だ。

 後ろにパールがいるララは、距離のある場所から撃たれるそれを、躱せるはずでも躱せない。パールが八つ裂きにされてしまう。

 回避行動を封じられたララは、爪を振るってそれを打ち払うことで凌ぐしかない。

 速度と切れ味を併せ持つ真空の刃は、剣で斬りつけるにも等しい重みをも有しており、防ぎはじくだけでララの爪が軋む威力だ。

 

「ララ、っ……!」

 

『動かないで! 守ってみせる!

 じっとしてくれてる方がいい!』

 

 避けなかったララの挙動が、自分を守るために盾になってのものだと見て取れれば、パールも慌てて立ち上がる。

 自分の身は自分で守らなきゃ。エアスラッシュから逃げるための足はあるはず。

 だが、ララはクロバットの俊敏さをよく知っているのだ。かつてはアカギに育てられた身であり、同輩にして最強の仲間だったクロバット。

 パールが自分の負担になるまいとしていることは重々承知でも、下手に守るべきものに動き回られる方が困る。辛辣な言葉遣いも厭わない。

 

『必ずあなたを勝たせてみせる……!

 恩返しがしたいのはミーナ達みんなだけじゃない!』

 

 再び放たれる四枚のエアスラッシュを爪で凌ぎ、凌ぎきれなかった一枚の刃に腿を傷つけられる中、ララは両手を振り降ろして凍える風を放つ。

 言うまでもなく全力だ。仮にパールを本当に殺されたとしたって、その後と今が絶対に変わらぬほどの全身全霊。

 ニルルもパッチもミーナもそうだったはず。自分達が敗れればパールは血の海に沈むのだ。

 アカギはパールの手持ちを削るまで、敵の余計な力を引き出さぬため戦略的にパールを狙わずにいたが、ある意味では慎重すぎたとも言えよう。

 誇張無く大切なひとの命が懸かったこの局面、搾り出されるララ達の全力は状況の変遷になんら影響されはしないのだ。

 

 それだけ全力の、範囲も威力も広いララの"こごえるかぜ"を、クロバットは冷静かつ素早い上昇によって凌ぐだけだ。

 ララとの間に作った大きな間合いは、クロバットが意図的に用意したもの。

 お互いの飛び道具の躱しやすい距離感にして、パールを人質にして自分の攻撃だけ躱させず、自分を狙う凍える風だけは凌げる距離感。

 着実にララへのダメージを蓄積させ、自身は無傷で反撃を凌いだこの一連のみで、戦況はクロバットの優勢へといっそう傾いていく。

 

 さらに高所からエアスラッシュを撃ち下ろしてくるクロバットは、その狙いをララではなく、そのすぐ後ろにいるパールへ偏らせている。

 どこまでも、この野郎。その目に並々ならぬ怒りを擁したララが地を蹴って、ミーナ顔負けの跳躍力でクロバットへ迫っていく。

 空から向かい来る真空の刃を爪で打ちはじき、凌ぎきれなかった二枚の刃に胴と頬を傷つけられながらも、ぎらついた瞳でクロバットへ急接近だ。

 冷静に身体を右に逃がしたクロバットをしっかり目で追い、伸ばした腕で振るう爪が僅かにその羽の先を掠めている。

 深手にはなり得ない。わかっているとも、こんな急襲策一度で陥れられるような相手じゃないことぐらい。

 落下しながらも体をクロバットに向けたララは、地上にいる時よりも距離の縮まった相手に凍える風を放ち、回避を許さず冷気の射程圏内に捉えた。

 

 確実に小さくないダメージだったはずだ。

 だが、地に足を着けていない敵が如何に狙い目か、よくわかっているクロバットは反撃の好機を見逃さない。

 氷結にまみれた全身と翼を力強く振るい、空中のララ目がけて技を放つ。

 "かぜおこし"めいて起こした風が一気にララに直撃し、しかしそれがララの胸の真ん中で凝縮し、切り裂く真空の刃の渦を巻く。

 標的のすぐそばで何枚もの風の刃を渦巻かせることで、ずたずたの傷を刻み付ける"エアカッター"だ。

 決まれば急所への一撃として致命的なダメージを生みやすいそれにより、体の真ん中を音も無く八つ裂きにされたララが、血を吐きながら地面へ落ちていく。

 

「ララ!?」

 

『ッ、走って! 前に!

 あなたが狙われている!!』

 

 意識が飛びそうな中ででも、クロバットがぎらりとした目をパールに向けていたことをララは見逃していない。

 放たれるのはエアスラッシュだ。着地直後のララとパール、仕留めやすさで勝るのはどちらか。

 事実、ララの訴える感情の声で導かれたパールが、言われるままに思わず前へ駆けていなかったら、パールは今頃首を落とされていてもおかしくない。

 自身の背後の岩ばった地面に、クロバットのエアスラッシュががすがすと傷をつける音に、パールは心底の恐怖を覚えている。

 

「ぁっ、ぅぁっ……」

 

 改めて上空のクロバットを見上げたパールの目に映る、トラウマであったコウモリに対する恐怖心の蘇りようは尋常のものではない。

 殺意に満ちた目を自らに向け、エアスラッシュを飛ばす羽を振るうその姿たるや、幼少の自らを湖に追い落とした記憶のそれを遥かに上回る恐ろしさ。

 無我夢中で身体をひねりながら駆け足を止めず、降り注ぐ真空の刃が地面を抉るたび、紙一重で自分が真っ二つにされていた結末が脳裏を過る。

 たとえその凶刃がパールを仕留めずとも、彼女をただの臆病な少女へと変え、勝利への道筋を導かんとするトレーナーとして無力化するには充分だ。

 

 恐怖に歪んだ表情で逃げるパールが、再び空を見上げたその先から、クロバットが消えていたことは更なる恐怖を抱かせる。

 自分を殺そうとしている相手の位置すらわからない、そんな事実に背筋が凍り付いた瞬間には手遅れなのだ。

 素早いクロバットはとうにパールの背後上空に回り、自らが放つ真空の刃以上の速度でパールへ急降下している。

 振り返ったその瞬間、紫色の弾丸が自らに迫り来るような光景を前にしたパールは、それが極端なスローモーションのようにさえ見えた。

 死の直前にすべての世界が遅く見える経験、それそのものだ。

 

 どくどくと血の溢れる腹の傷の痛みをも度外視し、パールを後ろから追い抜くように駆けて跳んだララが、真っ向からクロバットに飛びかかってくれた。

 割り込んできた敵、だがそれは不意にはなり得ない。

 なぜならクロバットにとって、パールを守るためのララの行動は予測済みで、その動きだってはじめから目で追っている。

 パールを餌に釣っただけに過ぎない。

 四枚の翼を振るう"シザークロス"で迎え撃つ行動そのものが、はなからララに最も効く技を選んでいた証拠である。

 

 羽先四つぶんのクロバットの全力の一撃は、両の爪を振り上げてそれを受け切ろうとしたララのガードを破り、彼女の両肩に深い傷を抉った。

 半ば空中で叩き落とされるにも等しく、傷付けられて地面に背中から叩きつけられるララ、空中へ身を逃していくクロバット。

 げはっと息を吐くララの口からは血も混じり、深く渦状に抉られたお腹の傷からも、ぶしゃっといっそうの血が噴き出す。

 それでも目を見開いたララは、声も出せぬコンディションながら両手をクロバットに向け、空へ逃げた敵へ"こごえるかぜ"を放つ。

 三度目の直撃だ。流石のクロバットも即座の反撃が儘ならず、翼をはためかせて冷気の範囲外に逃げ、ばさばさと羽を動かして体勢を整えている。

 内まで凍てつかされるたびに、無理に活を入れた翼に溜まる疲労とダメージは只ならない。動きが鈍りつつもある。

 

「ララぁ、っ……!」

 

『まだ、やれる……! 止めないで、やらせて……!

 ここでやれるだけやらなかったら、私は一生後悔する!』

 

 顔色悪く大の字に倒れたララに駆け寄るパールを感情の声で突っぱねて、意地でも跳ね起きて継戦能力を主張するララ。

 体勢を整えて睨みつけてくるクロバット目がけ、掠れた吠え声を発してでも凍える風を撃つ。

 やるんだ、私が、繋ぐんだ。あいつに少しでも有利に戦える私が、なんとしても。

 自分が倒れたら次はどうなる? パールの最後のポケモンは?

 1対2だから今のところは優勢だなんて楽観的な状況でないことを痛切に理解し、むしろ危機感を抱けるほどにはララは賢いのだ。

 たとえ自分がここで朽ち果てようとも、傷一つでも、霜一つでも相手につけておくことがどれだけ重要なことか、すべてわかっている。

 いつだってそう、ジム戦でもそうだった。ララは、自身の手柄や勝利よりも、最後にパールが勝つために何が最も必要か、それを大切に戦っている。

 

「――――――――z!!」

 

 凍える風を凌いだクロバットに、大きく息を吸い込んだララが怒号めいた強い咆哮を発している。

 人の耳には理解できない、多くの感情を込めた言葉がそこにはある。

 私達のパールを傷つけさせはしない、絶対に許さない、お前だけは、お前達だけは。

 身内のパールさえもが身を竦ませる中、それに動じるどころか抗う者への敵愾心をいっそう燃やすクロバットは、エアスラッシュを撃ち返してくるのみ。

 煽って敵がより攻撃的になっただけ。それでいいのだ。狙いが自らに向くならば。

 四枚の真空の刃のうち、一枚しか爪ではじけず深い傷を三つ刻まれてなお、高度の落ちてきたクロバットへ跳躍するララは、もやは自らの命など顧みていない。

 

 半ば捨て身の特攻は今日最もクロバットへ迫り、渾身の"きりさく"爪先はクロバットの目元の上を深く傷つけた。

 だが、それさえもクロバットの側からすれば最も傷の浅い選択だ。

 右上翼を根元から切り落とそうとしたララ、そして逃げられぬ距離に迫られていたこと、ゆえにクロバットは体を傷つけられることを拒まぬ動きで。

 羽を一枚落とされる痛みよりも、肌を深く抉られる痛みを選んだクロバットは、継戦能力を最大限に保ったままでララを睨みつけるのみ。

 落ちていくララに翼を振るい、放つエアカッターがララの背中で真空の渦を巻く。

 強い風をその身に受け、もはや逃げられぬまま落ちていくララが歯を食いしばった直後、真空刃の乱気流がララの背中を幾度となく切り裂くのだ。

 落下するララの目が遠くなり、血飛沫が空に舞う光景にパールが思わずボールを握りしめたその瞬間、その気配を感じ取ったララが取る行動は。

 

 もう、受け身も着地姿勢も必要ない。

 無理矢理空中で身体を回し、クロバットに向けて両手を振るうララが撃つ最後の"こごえるかぜ"。

 全身を凍てつかせ、目元の傷から体の内までいっそう凍えつかせる冷気の波風に、クロバットは苦悶の表情を浮かべながら逃れていく。

 まさにそれとほぼ同時、ボールのスイッチを押したパールにより、ララはあわや地面に叩きつけられる寸前、ボールの中へ戻っていくことになった。

 あれだけ前も後ろも傷だらけの身体で、無防備に地面に叩きつけられては即死さえあり得たはず。

 得も言われぬ表情でボールを握りしめるパールの行動は、咄嗟のところで家族の自尽を防ぐことが出来たと言っても過言ではなかった。

 

 だが、こうしてララの命を救うことを叶えられたとて、あのクロバットを破れねば結末は何も変わらないのだ。

 新世界の創造、現世界の崩壊、アカギにとって邪魔者となる者の殲滅。

 なんら誇張無く、命を賭してパールの命を守り抜こうとしてくれたララの未来を掴むための勝利は、パールの手に委ねられている。

 それがわかっているからパールは、壊れそうなほどの力でララの入ったボールを握りしめながら、ぎっとクロバットを睨みつける。

 臆病な少女の目に涙は浮かばない。勝つしかない、それを迫真の想いで胸に刻み付けた少女は、最も恐るべき敵を前にしても退かぬ精神を宿している。

 

 たった11歳の少女が、これほどの覚悟を決めて臨まねばならぬ戦い。

 それがアカギの忌み滅ぼさんとする、争いに満ちた世界の象徴であり、一方で今ここに、それを導いたのもまたアカギ自身に他ならない。

 パールはつらいと思っている。怖いと思っている。こんな戦いは嫌だと、傷つき倒れていった仲間達の姿を顧みていっそう強く思っている。

 勝って、すべてを終わらせたい想いは、それに比例して強くなる。

 

「最後のポケモンを出せ。白黒はっきりさせようではないか。

 もはや今さら、座して死を待つほど愚かでもあるまい」

 

 ララの最後の凍える風を受け、すぐにはエアスラッシュを撃てない翼であるクロバットは、一度アカギを後方に控える位置へ退いている。

 パールに襲いかかることも出来る中、そうしないのはあと一匹のエースがパールに残っているのを知っているからだ。

 対峙する者がいなくなったからといって、速度が不完全な勢い任せにパールに襲いかかっては、彼女を守るものが飛び出してきて返り討ちに遭いかねない。

 残忍さを潜めているのではなく、クロバットの戦い方は非常に堅実だ。

 

「……………………ピョコ」

 

 わかっている。これまでの苦境とは比較にならない、極めて勝ち目の薄い勝負へ彼を駆り出すことも。

 毒と飛行の複合であるクロバットだ。草の攻撃には格別強く、地震攻撃に至っては通用もしない。

 これまで最も、間違いなく一番頼もしかったベストパートナーのことさえ、自信とは真逆の不安を胸に頼らねばならない。

 それでも、ピョコのボールを手にしたパールは、祈るようにそれを両手で握りしめ、親指二つをそのスイッチにかける。

 勝つしかない。勝たせて欲しい。それを託せる一番の親友を胸元に、切望する。

 

「みんなを、守って……!

 信じてるよ、あなたの強さ!」

 

「――――――――z!」

 

 世界の命運を、いや、大切な仲間達の未来を託されたドダイトスは、大地が揺れるほどの着地音と共に大きく吠えた。

 賢いピョコだからわかっているだろう。クロバットはまさしく、相性上ではこの上ないほどの天敵だ。関係無い。

 自分だけじゃなく、パールだけじゃなく、彼女を幸せにしてくれた数々の人々、それらすべての未来が懸かる戦いで、敗北の可能性など微塵も顧みるものか。

 

「ピョコっ……!」

「!?」

 

 気合充分のピョコの背に、駆けて飛び乗る親友の姿があった。

 クロバットも、アカギも少し驚かされる行動には違いなかったが、ピョコは他の誰よりもそうだ。

 これから傷だらけになることが確定している死闘、そんな自分の背に跨ったパールの行動は、自らの命を捨てる行動とさえ見える。

 

「ここが、一番安全だよ……! ピョコのすぐそば!

 あなたが、私の一番頼もしい友達なんだから! 信じてるよ!」

 

 理屈は強引でも一理はあった。

 ララとの戦いの中でクロバットがしたように、あれがパールを戦いの中で狙い撃てば、ピョコにそれを守りながら戦い抜くことはいっそう難しい。

 自分の背中の上は確かに危険地帯だ。だが、それはパールがどこにいたって変わらないのも事実なのだ。

 だったら、常にパールがどこにいるのかを意識せずともわかる、そこに彼女がいてくれるのもまたピョコにとってはやりやすい。

 

 戦いの中で動きを制限されるのは間違いないだろう。それでもだ。

 仮に自分が勝つことによって、世界そのものを救えたとしても、そこにパールがいなければピョコは嬉しくも何ともない。彼の仲間達もそうだろう。

 ピョコにとって一番大切なことは、パールを守り抜くことに他ならない。

 

「――――ッ!」

「絶対勝とうね、ピョコ……!

 私も、絶対あなたのこと勝たせてあげられるよう頑張るから!」

 

「そうした無鉄砲さに、私の部下達は敗れてきたのだな。

 いいだろう、覚悟を決めたというなら私には阻めまい。

 新世界の誕生を目することなく世を去るのもまた厭わぬというなら、その不遜もまたここまで至った君の特権だ」

 

 クロバットを見据えるアカギと、それを振り返るクロバットの間には、言葉無く暗黙の意志が交わされている。

 自ら危険域に飛び込む少女に遠慮することはない。機があれば葬ってよし。

 そこには、単に愚かな少女の末路など知ったことかという投げやりな想いではなく、葬るべき脅威として侮るべからずという意識の確認も含まれている。

 どんなに馬鹿馬鹿しい決断のように見えたって、それが出来る彼女がギンガ団の野望を幾度となく阻まんとし、生き残り、ここにいる。

 それを軽視する者が足を掬われるのだと、アカギもクロバットも考える。そこに慢心は一抹も無い。

 

 正真正銘、最後の戦いだ。

 クロバットを鋭い眼光で睨みつけるピョコと、ぎゅっとドダイトスの甲羅の出っ張りを握りしめて、かつてのトラウマから目を逸らさないパール。

 はためかせる翼の力で空に留まり、凍傷によって弱った羽に力を取り戻し始め、万全ではないにせよ充分に立ち直ったクロバット。

 冷徹な眼でパールとピョコを見据えるクロバットの後方で、勝利を微塵も疑わぬアカギの表情は未だ無表情だ。

 

 ピョコならきっと、きっと、この人生最大の苦境を乗り越えてくれるはずだと、ベストパートナーを信じるパールと同様に。

 相性の差こそあれ凍える風で翼を弱らせられたクロバットに、敗北の二文字は無いと確信しているアカギもまた、己のベストパートナーを信じている。

 命運や悲願を託せる相棒と共に最後の戦いを。ともに勝利の女神に微笑まれるに値するほど、運命に恵まれた二人と見て相違無い。

 

「行け、クロバット。

 すべて、お前に任せるぞ」

 

「行こう、ピョコ!

 私達、ずっとずっと一緒だよ! 今日で終わりになんて絶対させない!!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 アカギの声に、パールの声に、クロバットとピョコは自身いっぱいの声で応えた。

 それは同時に目の前の敵に、お前の叩き潰して明日を勝ち取るのは俺だという、この上ない意志の表明にも他ならず。

 金切声のようなクロバットの声と、その声だけで地をも揺らしそうなドダイトスの咆哮は、大気を震わせ互いの耳を劈く。

 それを最後に、羽ばたく翼と重々しい四本足が、双方を命懸けの戦いへと自らを投じさせていく。

 

 長き旅の最果てに待つのは天国か地獄か。

 明日を知ることは誰にも叶わない。

 多くの血が流れた戦いの日々に、ついに間もなく決着の時が訪れんとしている。



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第139話  最終決戦④ 明日

 

 

「ピョコ撃って! 追える!?」

「――――!」

 

 空を舞うクロバットへドダイトスが放てる攻撃手段は限られている。

 駆けるピョコは旋回飛行するクロバットを常に視界内に捉え、葉っぱカッターを撃つのみだ。

 だが柔軟に滑空軌道を曲げるクロバットに、直線的な弾丸はそう簡単には当たらない。

 そして葉っぱカッターを回避したクロバットは上空から、ピョコとその背に跨るパール目がけて空気の刃を撃ち返してくる。

 

「走って! 大丈夫!

 私は平気だよ! それより相手をよく見て!」

 

 大きな体躯だがピョコも走れば速いものだ。こちらの飛び道具と同じく、直線的な軌道の"エアスラッシュ"を凌げるほどには。

 後方の硬い地面をがきがきとエアスラッシュが斬りつける、金属が岩を欠かせる激しい音は、パールの恐怖心を煽るけれど。

 無傷の自分を強く訴え、ピョコが戦いに集中できるよう声を張る親友には、彼女を守るために馳せ参じた凶獣も奮い立つ。

 首を上げ、上空の敵を断じて見逃さず、発射する葉っぱカッターで勝利への活路を手繰り寄せることを諦めない。

 

 ララとクロバットの戦いは見ていたとも。あのクロバット本来の素早さも。

 確実に動きが落ちている。それでも速いが、ララが体を張って撃ち込んでくれた凍える風は決して無駄ではなかった。

 一度視界外に逃げられれば見失いさえしかねないクロバットの俊敏さが削げ、真後ろだけは目で追えないピョコが、しっかり体を回して目で追えている。

 繋がれたこの勝利への道筋を、決して無駄になどしてはならない。

 

「ぬるいぞ、クロバット。

 恐れは要らない」

「――――――――!」

 

 それゆえクロバットもしばし慎重だった。

 葉っぱカッターなど本来自分にとって怖い技ではない。だが、羽の根元に突き刺されば一枚を奪い得るだけの切れ味はある。

 慎重さにより犠牲になっていたのは攻撃性だ。回避に徹すれば攻めが鈍る。

 だがアカギの静かな喝を受け、クロバットが一度高い声で吠えれば、その眼差しは殺意に満ちる。

 

「来るよ来る来る!

 ピョコ右に曲がって! まっすぐ! えぇと、次は左……!」

 

 上空から降り注ぐ真空の刃が一気に数を増し、四枚の刃に次いで再びの四枚、息つく暇も無くさらに四枚。

 一撃一撃がピョコにとっては痛打だ。叶うならば一枚も受けたくない猛攻。

 クロバットから目を離さないパールは、飛来する風色の刃からピョコを逃れさせるため、必死の声を次々に張る。

 視界真っ正面から迫る、自分に当たれば首さえ落とされる恐ろしいものから目を逸らさず発する、勇気を振り絞っての指示。

 それでもピョコの大きな体、的は刃の数々を無傷で凌ぐには至れず、甲羅や足を浅くも斬りつけられる結果が次々に続いている。

 

「そうだ、それでいい。

 反撃を恐れるな、お前の勝ちだ」

 

「ううぅっ……! ピョコ走って! 諦めちゃ駄目!

 今もそう、ずっとそう! 撃って! 勝つんだっ!」

「ッ…………!」

 

 駆けてエアスラッシュを最大限凌ぎつつ、クロバットへの葉っぱカッターを放つピョコも、パールの声から伝わるものは感じている。

 殆ど自分自身に向けて発する言葉だ。自分の甲羅を握りしめる手の力が強く、震えを押さえようとする心情もすべて伝わっている。

 ずっとずっとパールの声を、一番近くで聞いてきたのだ。声そのものだって、強くピョコを支えようとする強い声に、恐怖が隠しきれていないのもわかる。

 彼女の心の拠り所はどこか。俺がそうでなくてはならない。

 

「っ、ピョコ!?」

 

「む……」

 

 追うように自らへエアスラッシュを放ってくるクロバットの攻撃を振り切りながら、ピョコは槍の柱の石柱へと一直線だ。

 パールも思わずピョコの向かう先を目で追ってしまい、ぶつかると思って目をつぶった直後、体が後ろに引っ張られてさらにびっくり。

 地面に対して垂直に立つ太い太い石柱に、力強い四本足で駆け上がるピョコが、"ロッククライム"の駆使で以って石柱のてっぺんに向けて駆け上がる。

 事態をパールが知るや否や、高所まで上り詰めてクロバット以上の高さに到達したピョコは、指示など待たずして柱を踏み蹴った。

 

「――――――――z!!」

 

「クロバット!」

「ッ――――!」

 

 自分よりも高い場所からドダイトスが口を開いて飛びついてきて、"かみくだく"勢いで迫る光景は、少なからずクロバットの度肝を抜いたはず。

 アカギも強い声でクロバットの名を呼んだほどだ。呑まれるな、という指摘。

 クロバットもまた冷静さを損なわず、空中戦など得意でもないドダイトスの変則的な噛みつき攻撃など、素早く身を躱して凌ぐのみ。

 落ちていく中で首を回して振り返り、的に向けて無数の葉っぱカッターを撃ってくるピョコの追撃も、一枚は翼に受けたが殆ど凌いでいる。

 

「好機だぞ」

 

「っ、ピョコぉ、っ……!」

「…………!」

 

 着地の間際、上空のクロバットからエアスラッシュの刃が幾枚も放たれていた中。

 ピョコの甲羅を握りしめるパールの両手が、ともに握った場所をぐいっと右に引っ張った。

 まるでハンドルを切るかのように。そして、ピョコもそれを感覚で得ている。

 着地すると同時に両足に力を込め、引っ張られた方向へ右に身を逃がした瞬間、地面を傷つける四枚の真空の刃の音。

 パールの導いてくれた無傷の道筋だ。甲羅に感じた直感に従ったことで得られたこの結果、ピョコも内心では驚かされてもいる。

 

「わかってくれた、っ……!

 ピョコ、大丈夫だよ、私がついてるから……!」

「ッ――――!」

 

 守るべきだと思っていた相棒から発せられる、声では間に合わぬ回避指示の精密さ、それを補う手ずからの指示。

 自らに跨るという死地にも等しい世界に身を投じた彼女が、それゆえにこそ出来るリードが、先導者たれと自らに戒めかけていたピョコを奮い立たせてくれる。

 そうだ、こんな子だったんだ。ずっとそうだったじゃないか。

 未熟を尽くし、活路を切望し、行動と声を精一杯であり続けてくれた彼女が今もそうあり続けてくれていることに、独力の概念は吹き飛ばされる。

 

「動きが変わったか?

 クロバット、動じるなよ」

 

「こっち、っ……!」

 

 声を発するより刹那でも早く伝わる、握りしめた場所を引っ張る行為で、パールがピョコの走るべき道筋を伝えてくれる。

 怖がりな己の心に蓋をして、クロバットから目を逸らさず、飛来する刃の数々が迫る光景から目を切らず。

 左に引いて、前に押して、後方に引っ張って減速を促し、再び左に引っ張って。

 乗り物のように手で動かされるように駆けるピョコにとって、今までで最も心強く、無意識のうちに心昂る走りだ。

 傷は浅い。パールのおかげなのだ。

 俺の友達はこんなに頼もしくて最高の相棒なんだと、敵のクロバットにさえ唱え訴えたいほど、最高の仲間に導かれるこの瞬間の高揚は只ならない。

 

「――――――――z!!」

「そうだよピョコ! 撃て撃て撃てえっ!」

 

 足を止めぬ中で葉っぱカッターを返すピョコが、回避を強いさせそのうち二枚がクロバットに小さな傷をつけるに至っている。

 舌打ち混じりの表情で身を躱し続けるクロバットは、エアスラッシュを撃ち返す。

 攻撃の瞬間に動きが僅かに鈍るその瞬間を狙い撃ち、駆けるピョコの頭頂部と脚に傷をつける反撃だ。

 展開の上向きを主張して士気を高めようとしてくれるパールの声とは裏腹、まだまだ戦況は厳しいものに変わりない。

 それでもパールとピョコの心は、内心で認めざるを得ない相性差や本来的劣勢を覆さんと、その戦意を高めさせていく一方だ。

 

「追い詰めろ、クロバット。冷静にだ」

「――――!」

 

「んっ、うぅ……っ!

 ピョコ……!」

 

 クロバットは決して動じていない。冷徹に、客観的に、優勢の現状を疑っていない。

 追わされる浅い傷に心乱されることなく、与えるべき深い傷を見失うことなく、飛来する葉っぱカッターを凌ぎながらエアスラッシュを放ち続けるのみ。

 普通に戦い続ければ先に崩れるのは敵の方だ。普通の戦い方を見失わない。

 即興じみて少しでも戦いやすい立ち回りを導き出すパールに脅威性のみかすか認識しつつ、ぶれない戦い方を貫き通す"せいしんりょく"。

 それこそがアカギがこのクロバットを最も信頼し、己が切り札と定義する最大の一因だ。

 

「ピョコいくよ……! わかってくれるよね!?」

「ッ――――!」

「大好き……!」

 

 飛び交う真空の刃が我が身のそばを掠めていく中で震えつつ、小さな声で衰えぬ勝利への意志を訴えかけるパール。

 応えるピョコ。無言で、だけどこの立ち止まれぬ中でなお頭を下げ、頷く仕草を以って示し。

 頼もしいの一言よりずっと嬉しい言葉を耳にして、ピョコは上空のクロバットの真下の位置へ向かって、勢いよく駆けていく。

 

「打てええぇぇぇっ!!」

「――――――――z!!」

 

「っ、クロバット!」

 

 只ならぬ気配を感じてアカギが発した大きな声は、ピョコがその技を形にするよりも一瞬早かった。

 甲羅に根付くドダイトスの樹が、凄まじい成長エネルギーを得たかのように一気に伸び、あっという間に一本の大樹となる光景。

 背上の樹の急成長で以って敵を突き上げる"ウッドハンマー"が、上空のクロバット目がけて襲いかかる一幕だ。

 葉に埋もれた枝の数々を頭にする大樹の急接近に、クロバットも戦慄を覚えてその身を逃がす。

 羽の先端を掠めた、葉々の重みを得た枝の一撃に飛行姿勢を乱されながらも、クロバットは体勢を立て直す。

 

「っ、大丈夫! 当たれば効くよ、絶対に!

 あいつもアカギさんもびびってたもん! 狙っていこう!」

「――――z!」

 

 隠し玉による渾身の反撃を凌がれたことは痛手だ。これで秘めていた手の内が相手に割れ、期待したかった深手も相手に与えられていない。

 その現実を振り切るかのように、勇気づけるための言葉を紡ぎ立ててくれるパールの声に応え、ピョコも力強く吠えている。

 急成長させた背中の樹の殆どが力を失って崩れ落ち、落石に近い固まりとなって降り注ぐ域から駆け逃れるピョコが、パールを大きな木片から守り通す。

 

「揺らぐなよ、クロバット。追い詰めるのみだ」

 

 脅威たり得る技一つ見せつけられたところで、それは所詮相手の手の内を一つ確かめられただけだ。

 焦るどころか好材料と正しく認識したアカギと、その声からその事実を再確認するクロバットのメンタルは一切揺らがない。

 弱者ならば慎重になり過ぎることもあろう突然の隠し玉に、一切動じずエアスラッシュ攻撃の再開へ迷わないクロバットの姿は歴戦のそれだ。

 甲羅を引っ張って操縦めいたことをしてくれるパールに応え走るピョコに、つくづく脅威たる真空の刃が再び差し向けられる。

 

「いいから、撃ってっ……!

 攻めなきゃ、勝てないからっ……!」

 

 好転しない戦況に、攻め気を失っちゃ駄目だと訴えかけるパールに応え、ピョコも駆けながら葉っぱカッターを発している。

 苦境の打破にはやはり防戦一方では駄目だ。正しい主張である。

 だが、葉っぱカッターの数々は上空を舞うクロバットに浅い傷をつけるのみで、返す刃のエアスラッシュがピョコを傷つける数の方が多い。

 続けばじり貧、まさにその構図。

 脚に傷の増えてきたピョコが最も実感している、このままではまずいという展開の脱却にはまだ手が届かない。

 

「ぬるいぞ、容赦はするな」

「――――!」

 

「ぇぁ……!?」

 

 立て続けに真空の刃を放っていたクロバットがそれを一度止め、翼の振るい方を変えたその瞬間。

 背筋まで寒くなるような空気の揺らぎを感じたパールが、思わず全力の力でピョコの甲羅を前に押していた。

 指示ではない、思わずの行動。

 切実に伝わる彼女の必死さに、思わず前へ全力駆けしていたピョコにより、最悪の事態は回避できていた。

 

「――――!?」

「だ……っ、だい、じょうぶ、っ……!

 気にしないでいいから狙って! 勝つんだよ、っ……!」

 

 大丈夫なものか、声だけで伝わる背上の危険な気配。

 クロバットが放った"エアカッター"は、ドダイトスの背上のパールを狙って放ったものであり、彼女のすぐそばに真空の渦を生み出して。

 ピョコが駆けることでパールの身を逃がしていなければ、真空の刃の渦が彼女の身体をずたずたに引き裂いていたはず。

 後方にたなびいた髪の先がざくざく斬られ、それに頭が引っ張られるような感覚を得たパールの抱いた恐怖は、尋常なものではないはずである。

 

 案じる暇も無く上空から降り注ぐエアスラッシュの連射が、駆けるピョコの周囲の地面を幾度となく斬りつける。

 金属音にも似た白刃と岩石のぶつかり合う音にパールが身をかがめ、刃の一枚が甲羅を傷つけた実感もピョコは感じている。

 ほんの少しそれがパール寄りであったなら、彼女はいったいどうなっていたのか。

 撃破すべきドダイトスのみならず、背上の彼女をも同時に狙うクロバットの飛び道具は、ピョコの怒りと焦燥感を同時に掻き立てている。

 

「落ち付いてえっ……!

 あいつが、来る……っ!」

「…………!」

 

 怒りに呑まれてはいけない場面なのだ。冷静さを欠き視野を狭める危険性。

 ぐっと甲羅を握る手を左に引っ張ったパールの指示は、そちらに逃げろというものではなかった。

 直感的にそう感じたピョコが振り向いたその先から、飛来するクロバットが一気に迫っている。

 四枚の翼をピョコとの交錯の瞬間に振るい、反撃せんと口を開いて前に出たピョコを寸前で躱し、敵の骨肉に残していく斬りつけ。

 ピョコの血には激烈に効く"クロスポイズン"の一撃は、甲羅側面に深々と傷をつけ、さらにその内側へと強い毒を沁み込ませる。

 幾枚ものエアスラッシュを根性で耐えきり、表情一つ歪ませなかったピョコさえ、この一撃には動きが止まりかけるほど歯を食いしばっている。

 

「走って、走って……!

 お願い、走ってえっ!」

 

 ピョコの後方へ飛翔していったクロバットは身を翻しながら再び浮上し、やはり放つはエアスラッシュ。

 ぐいぐい何度も前に甲羅を押すパールが、立ち止まっていたら八つ裂きだという焦りを必死に表している。

 内から蝕む毒の苦しみを奥歯で噛み砕き、駆けたピョコを後方から真空の刃が斬りつける。

 後ろ足を深々と斬られ、刃の一枚はパールを狙っていると想定したピョコが自ら身を傾け、親友の背中を傷つけられる結末こそ阻むものの。

 ひ、と短い悲鳴を溢れさせたパールのそばを、迫真の刃が通過していった事実は感じ取れる。

 

「ピョコっ、お願い頑張っ……ぅあ゙!?」

 

 背中の上で起こっていることはピョコの目では捉えられない。

 只ならぬパールの悲鳴を耳にした時、ピョコが抱く戦慄もまた凄まじい。

 その身に受ければ人の身体を、筋をも喉をも最悪首をも断つ危険な刃に晒され続けているパールが、どれほど危険な状況にあるか。

 悲鳴の直後、すぐに甲羅を掴んでいる手に力を込めるパールが、それを以って死んでいないことを伝えてくれても胸を撫で下ろせはしまい。

 

「っ、撃ってえっ! 私、勝ちたいよおっ!

 大丈夫だから、ピョコはあいつを倒すことに集中してえっ!」

「ッ…………!」

 

 搾り出すような声、何かをその大声で覆いかぶせるような叫び。

 わかってしまう。ずっと一緒に戦ってきたパートナーなのだ。

 エアスラッシュにより二の腕をずばりと斬りつけられ、すぐに血が溢れ始めたほどの痛みに耐え、それを盟友に悟らせまいとするパールが嫌でもわかる。

 ぎらりとクロバットを見据えて葉っぱカッターを乱射するピョコの感情が、色濃いもう一つのものに染まりゆく。

 

「凌げるな?」

「――――z!」

 

 広く、速く撃たれる葉っぱカッターはクロバットの回避を容易とはさせないが、致命傷を避けられるのがクロバットの判断力の強みだ。

 一度凍てつかされた翼は万全ではないが、それでも散弾のように飛来する葉の刃を躱し、凌ぎきれず当てられる場所は翼のみに絞っている。

 目や肉体、翼の根元を斬りつけられるよりはずっと良いのだ。強く痛むが継戦能力は削がれない。

 体勢を立て直し、振り抜く翼でエアスラッシュを、それが駆けて躱されればエアカッターによる真空の渦でパールを狙い撃つ。

 パールだけは、と必死で走り渦から逃れるピョコも、膨らむ刃の渦の余波で尾や後ろ足を傷つけられ、勝負の肝である機動力を削がれつつある。

 

 それでも苦しい表情で、怒りに満ちた眼差しで葉っぱカッターを撃ち返すピョコの気迫は、クロバットとて決して安く見ないものだったはずだ。

 乱暴な乱射に見えて、執念とも言える決して敵を逃がさぬ広範囲の連射は、クロバットが完全回避を早々に諦めるほど凄まじい。

 だからこそその冷静沈着な、判断力に秀でたクロバットがダメージ最小限の飛翔を選び、傷こそ増えつつ致命傷だけは受けはしない。

 痛烈に効く風の刃を幾度も受け、いよいよ甚大なダメージとも呼ぶべきほどダメージの積もりつつあるピョコと比較して、その衰弱は非常に緩やかだ。

 

「ん゙っ、ぅ……! ピョコ気にしないで! 戦って!」

「――――――――z!」

「あいつをちゃんと見……っ、んぁ゙ぅ、っ……!?」

 

 葉っぱカッターに応戦して放ってくるクロバットのエアスラッシュを、駆けて逃れる中で伝わるパールの声。

 どれだけ自分が傷ついても気にするなという無茶な叫びに続き、思わず頭を下げた瞬間に帽子が吹っ飛ばされたことによるくぐもった悲鳴。

 エアスラッシュの一枚がパールの帽子を直撃し、それが地面に落ちた瞬間をピョコははっきりと目にした。

 姿勢を下げたパールの重心とその重み、彼女が胸を甲羅につけるほど身をかがめたことが感じられる中、彼女がそうしなければどうなっていただろう。

 幾度も繰り返されてきたパールの死の危機、今なお。もう限界だ。

 

 いい加減にしろ、この外道どもが。

 

「む……!?」

 

 駆け足を止めて立ち止まったピョコが、四本の足に力を込めて小さく跳び、その身を浮かす。

 着地の瞬間に全身全霊の力を込め、地面を踏みしめたドダイトスが起こすのは、大地を揺らす"じしん"の挙動。

 その四本足で地面を叩いたピョコが、地を走る凄まじい波動を発したことは、アカギも少なからず動揺する行為に違いなかった。

 地震はクロバットに対し、何の脅威にもならぬはずだから。

 

「グゥガアアアアアアアアァァァァァッ!!」

 

「なに、っ……!?」

「ギ……!?」

 

 天を仰いで吠えたドダイトスの咆哮は、鉄面皮のアカギが驚愕し、クロバットもその秀でた聴覚を破壊されるかと感じて動きが止まったほど。

 その瞬間に、彼を中心として全方位に発された地を走る波動は、一気に膨れ上がったエネルギーと速度を得て大地を駆け抜ける。

 咄嗟に腰を低くして揺れに耐える構えをしていたアカギが思わず両手を地面につけるほど、激しい縦揺れは経験豊富のトレーナーの膝を挫くものであり。

 さらに、長く、長く続くピョコの咆哮に応えるように、大地を揺らすその波動はなおも加速し広がり、その揺れはこの槍の柱のみに留まらせない。

 

 

「うぁ……!?」

「この、揺れ……!?」

 

 プラチナに肩を貸して山頂を目指していたダイヤの膝が崩れ、前のめりに倒れたダイヤの背中にプラチナは覆いかぶさるように倒れてしまう。

 転んだ痛みと友達に乗られた痛み、彼にそうしてしまった申し訳なさ、二人はそうした感情より、この揺れに大いなる何かを感じざるを得ない。

 

「これっ、て……!?」

「ピョコだ……! パールが頑張ってるんだよ!

 今もきっと、山のてっぺんで……!」

 

 なおも激しく揺れるテンガン山全域の地震にダイヤも動揺する中、そう確信して口にするのはプラチナが早かった。

 わかるのだ。この揺れ、この地震、そこに込められた激情。

 何度も何度もパールと一緒に、あの子を勝たせたいがために心血を注いできた彼の姿を見続けてきたプラチナなのだ。

 立てないほどのこの揺れから伝わるのは、かつて幾度となく胸を貫いてくれた、パールのポケモン達の情熱の色を感じてやまないのだ。

 

「ゔぅっ……!?」

「シロナ、っ!」

 

 彼女に肩を貸し、ともに山頂への道を歩んでいたサターンも、その揺れに足を取られて身を崩している。

 なんとかその腕を彼女の背中に回し、共に倒れようとも彼女を守り、自分は後頭部を地面に打ちつける倒れ方になったとしても。

 思わずそうしてしまう彼の、幼心の蘇りに感慨を抱く暇も無いほど、シロナもまたこの揺れに目を逸らせぬものを感じ取っている。

 

「あの子が……!」

「っ、ぐうっ……凄まじい、な……!」

 

 共に倒れ、我が身の痛みさえ忘れるほど、地に添えた背中から伝わる大地の揺れに、シロナもサターンも心奪われる。

 これほど強い、勝ちたいと思う感情を感じ取れたことは只の一度も無い。

 チャンピオンが、悪の覇道を長年突き進んだ大人が、二十年以上の歴戦のトレーナー二人がそう思うほどのものだ。

 今日だけは、こいつにだけは負けたくないと、生涯最大の想いで勝ちたいと臨んだ戦いを経た二人でさえ、そう思わざるを得ない強き想いがこの揺れにはある。

 

「頑張れえっ、パール……!」

 

 苦境の中にいる幼い少女に手を差し伸べることさえ出来ない中、儘ならぬ想いを口にするシロナのそばで、サターンはすぐに声を発することが出来なかった。

 首魁を、アカギの勝利を願わねばならないのに。忠臣として、意地を張ってでもアカギの勝利を願う声を、ここで搾り出さねばならないのに。

 山頂付近のここにいてもわかる、テンガン山全域を揺らすこの大地震の根源、その感情に呑まれて言葉を失うこの感覚は、悪の敗北として認めざるを得ない。

 すべてをかなぐり捨ててここまで来た悪の腹心でさえ呑まれる勝利への執念が、この凄まじき揺れには表れている。

 

「アカギ様……!」

「っ、っ……!

 負けるなあっ! パールうっ!!」

 

 立ち上がることさえ叶わぬ中、山の頂に向けて声を発した二人の想いは、決して戦う者達の耳には届かない。

 聖戦の舞台に立つことが出来なかった者達は無力だ。たとえその舞台まで役者を導いた立役者達のそれであってもだ。

 それがわかっていても、声を張らずにはいられない。理を理解する大人の行動として、実に理に叶わないものであることもわかっていよう。

 その戦いが、世界の行く末を左右するものゆえだからだろうか。そうではない。

 一心不乱に未来を勝ち取らんとする者達の真なる想いが揺るがすものは、大人も子供も関係ない。

 

 シロナも、コウキも、プラチナも、ダイヤも。

 そしてこのテンガン山に残る、マーズも、ジュピターも、ギンガ団の者達も。

 山を揺るがすこの揺れに山頂を見上げ、凄まじい戦いとそこに己らの望む未来が懸けられていることを実感し、ただ一様に信ずる誰かの勝利を祈り願う。

 歴史の証人となっている瞬間、決して当事者は今がその時だと気付けない。

 まさに歴史を刻まんとする者達がその戦いに懸ける迫真の想いは、目と耳と肌でそれを感じる者達に、そんな雑念さえ抱かせないからである。

 

 

「ッ…………!

 グゥガアアアアアァァァッ!!」

 

 長い長い咆哮だった。山を駆けた地震波動が、ダイヤとプラチナに、シロナとサターンに一連のやりとりを強いてなお絶えなかった長い咆哮。

 それに次いで息を入れたピョコが、クロバットを改めて見上げて今一度の咆哮を発する。

 血走った眼は"せいしんりょく"に秀でたクロバットでさえ思わず怯みそうになる、どんな狂暴な野生のけだもののそれさえ超越した闘志。

 ただ大きいだけの声に心怯ませられるような精神力ではない。それ以上の凄みがこのドダイトスにはある。

 

「っ……! ピョコ!」

 

 ぐいと甲羅を押してくれるパールに応え、ピョコはその四本足を駆けさせる。

 歴戦の猛者達さえ怯む中、誰よりも先に勝利への行動に踏み切ってくれた親友が、己の背に跨ってくれているのだ。

 勝ちたいではない。勝たなくてはならない。守り通さねばならない。

 クロバットの下方へと潜り込む中、葉っぱカッターの連射で敵を打ち据えつつ、体勢を整えようとするクロバットに甲羅の樹木を差し向ける。

 

「打てええっ!!」

「――――――――z!!」

 

「ぬぅ……」

 

 クロバットの機敏さはまだまだ健在だ。樹木の急成長により突き上げるウッドハンマーを、どうにか無傷で躱してはいる。

 だが、打ち据えられ続けたその羽が弱っていることはアカギだからこそわかる。動きは徐々に落ちているのだ。

 まともにあのウッドハンマーを受けようものなら、打撃力ではなく太い枝に羽を、貫かれるか裂かれるか、最悪千切られるか。その恐れ。

 はずした巨木がすぐに崩壊し、大小木片が降り注ぐ中をピョコが駆け、背上のパールにそれが直撃しないよう努めている。

 クロバットを見逃さない。顔を上げて。自らの崩壊した巨木の欠片が目の上に直撃しても、まばたき一つせず敵に狙いを定めている。

 

「切り替えろ、クロバット。侮るな」

「――――――――!!」

 

 いよいよこれ以上長引かせてはならぬ戦いであると、クロバットの側も腹を括らざるを得ない。

 慎重な回避と確かなダメージを与え、それを繰り返す敵を弱らせる時間はもう終わりだ。

 これ以上の疲労とダメージで回避一つしくじろうものなら、ついに致命的な何かを得かねない。

 飛来する葉っぱカッターによる被弾を最小限に抑えつつ、エアスラッシュを撃ち返しながらクロバットの動きが急変する。

 

「来るよ! 速い!」

 

 側面から急接近するクロバットが、広げた翼でピョコのすぐそばを滑空していくその瞬間に放つのは、四枚刃によるシザークロス。

 パールを傷つけられることを嫌ったピョコが、一瞬のみとて前のめりに加速する中、その後ろ脚を深々と切り裂いていく。

 がくんとピョコの巨体の後方が下がり、引き裂かれた脚を曲げた彼の背でお尻を打ち付けたパールは、自らの痛みを顧みる暇も無い。

 

「ピョ……」

「っ、っ――――!」

 

「!?」

 

 充分な手応えを得てピョコから離れ、再び敵に向き直った瞬間のクロバットに、真正面から大きなものが飛んできた。

 自らの重みやクロバットのエアスラッシュにより砕かれていた地面、そこに転がっていた大きな石を、ピョコは駆ける中で一つくわえていたのだ。

 それを振り返りざまのクロバットに勢いよく、吹き出すように投げ付けた礫が、クロバットの右目に直撃だ。

 技らしい威力にこそ欠くものの、石弾丸をぶつけられた衝撃と痛みにクロバットが一瞬怯む中、続けざまにピョコが撃つ葉っぱカッターからの回避が遅れる。

 ここだと決め打ち、三十にも四十にも勝る数の刃を撃ち込むピョコに対し、クロバットは四枚の羽で身を守るようにして凌ぐしかない。

 翼が裂ける。血が流れる。あとどれだけ飛べる?

 

「ッ――――!」

「行け! クロバット!」

 

 刃の飛来が止まった瞬間、すべての翼を大きく広げ、絶えぬ闘志と継戦能力を示すクロバットは、自らの精神力に対しても活を入れている。

 勝負所だ。アカギがそう示してくれることが、いっそうクロバットが自らの判断を信じられる最大の根拠。

 エアスラッシュを放ち、歯を食いしばってピョコが回避行動を取る中で、彼の行く先へ凄まじい速度で滑空して迫る。

 あのドダイトスの動きも落ちてきているのだ。畳みかけるとしたら今だ。

 

「んっ、ゔぅっ……! ピョコぉ……!」

「――――、――――――――!」

「頑張って……がんばっ、てえっ……!」

 

 頭を下げた拍子に頭頂部をばっくりと斬られ、離れていくクロバットを追うように葉っぱカッターを放ち、しかしぐらつくピョコの背上。

 諦めないその戦いぶりそのものが、命を懸けてのものだというのは嫌でもパールに伝わっている。

 それでも戦えと指示するのだ。そんな自分にこそ背筋が寒くなる、血の気が引いていきそう。

 彼を勝利へ導くことでしか報えない少女もまた、必死の形相でクロバットを目で追い、掴む甲羅を引いて押す。

 

 再度迫るクロバット、跳ぶように躱したピョコの下をくぐるように飛翔し、その瞬間に下から柔らかい腹を切り裂いていく。

 げは、と血を吐いたピョコの姿に、指示とは違う意味でパールの手に力が入るけれど。

 それでも葉っぱカッターを撃ち返すピョコの反撃を凌ぎつつ、滑空飛行するクロバットが行く先をパールは見据えている。

 また来る、必ず来る、もうわかってる。わかるんだったら私が導け!

 

「ピョコーっ!!

 絶対、負けるなあっ!!」

 

 後方から矢のような速度で迫るクロバットの動きを伝えるべく、パールは腰を上げて全体重で思いっきり首ごと反り、ピョコの甲羅を引っ張った。

 ここしかないのだ。動きの読めない相手の動きが読めているこの瞬間。

 その切実さを感じ取ったピョコが、霞みかけた目に炎を宿し、接近するクロバットへとぐりんと全身を振り返らせる。

 背後から斬りつけんとした相手が次の瞬間には真正面の姿、怯みかけた心を精神力で正し、一瞬で腹を括ったクロバットも翼の刃を振り抜いた。

 もう躱す気などない。絶対に仕留める。

 

「ッ――――!」

「ギィ……ッ!?」

 

「クロバット!?」

 

 シザークロスは間違いなくピョコに甚大なダメージを与えた。

 元より傷であった右目の上をいっそう深く裂き、ぶしゅっと噴いた血がその片目を完全に潰すほど。

 だが、交錯の瞬間にピョコの牙が完全に捉え、クロバットから引き千切ったそれの方が致命的なものだ。

 飛行体勢をひどく乱してピョコから離れんとするクロバットの、右下の翼が根元から失われているではないか。

 

「っ、ピョコ! いける!? 頑張れる!?」

「――――――――z!!」

「お願い、きっと、あと少しだから……!」

 

「クロバット、立て直せ!

 お前なら出来るはずだ!」

 

 アカギの指示にも力が入っている。隠す必要も無い窮地だ。

 そして彼が言うとおり、クロバットはたとえ翼を一枚失ったとて、それで敗北が確定するような育て方はされていないのだろう。

 時間を与えれば三枚の翼でも充分に立ち直ってくる。パールもピョコもそれほどの相手だと直感的にわかっている。

 だからこそ、瀕死にも近い今の肉体であろうとも、全身全霊で以って駆けて撃ち、立て直す暇など絶対に与えまいとする。

 

 体勢を整えたいクロバットを襲う何十枚もの葉っぱカッターは、躱せば立て直すのが遅れ、躱し切れなかったものが残った翼を傷つける。

 どうにか足を下に出来たかと思えば、自らの下方に潜り込んだピョコが、樹木を急成長させた突き上げを放ってくる。

 ウッドハンマーの一撃をかろうじて躱すも、鬱蒼とした樹の頭に翼が掠り、葉の奥に潜む枝が翼を深く傷つける。

 一枚の羽を失い、自在の飛翔が難しくなった代償はあまりにも大きく、不完全な回避によるダメージの蓄積は急加速するのみだ。

 

「ッ、ッ……!」

 

「んぐうぅぅ……っ……!

 ピョコ、大丈夫だからっ……! 気にしないで、戦ってえっ!」

「――――――――z!!」

 

 苦し紛れの反撃でも、相手の嫌なところを突けるクロバットだ。真空の渦を生み出すエアカッターで、狙いはピョコではなくパールに据えて。

 駆けて跳ぶことでパールを八つ裂き空間から遠ざけるピョコだが、凌ぎきれなかった刃がパールの太ももをびすびすと斬りつけている。

 終わらせるんだ、この戦いを。パールを守り抜くにはそれしかない。

 なりふり構わぬクロバットの非道な反撃、少しでもピョコの動きを鈍らせたいという追い詰められた姿を前に、ようやく得られたこの優勢を手放してなるか。

 

「ッ、ギ……!」

「クロバット……!」

 

 容赦ない葉っぱカッターの乱射がクロバットをざくざくと斬りつけ、滴るその血が宙に飛び散るのをアカギもはっきりと目にしている。

 そうした深手の数々の中に、一枚の葉っぱカッターがクロバットの左目に直撃し、その視界片方を剥奪したものも含まれているのだ。

 あまりのダメージにいっそう体勢が乱れ、半ば落ちていくクロバットの姿へ、一直線に駆けて跳ぶピョコの行動は、クロバットの終わりを予感させるもの。

 

 それでもどうにか翼に力を込め、我が身を噛み砕かんとしたピョコを回避したクロバットは、苦しい中で力を振り絞っている。

 だが、着地の直後に前脚を振り上げ、背中を後方上空のクロバットに向けたピョコが、一瞬の安息も許さぬウッドハンマーを放っている。

 クロバットとて迫るそれには気付いていただろう。しかし、飛行姿勢も整わぬ中、逃がさぬの勢いで迫ったそれを回避することは叶わず。

 巨木の頂上で撃ち抜かれるかのように、その直撃で以って殴り飛ばされたクロバットは、目を剥いて空中に放り出される形と相成った。

 

「く……っ……」

 

 空を向いていたクロバットの表情さえ、その挙動からアカギには感じ取れていた。

 翼から力を失い、だらりとした姿で宙に突き飛ばされたクロバットは、もう意識を失っている。そう見えた。

 絶対に認めべからざる敗北とて、最後の仲間が力尽きれば現実だ。

 苦々しいという言葉では足りぬ無念の表情で、アカギがクロバットのボールを掲げ、そのスイッチを押しかけたその時である。

 

「……………………ッ……!」

 

 感じてはならぬ気配、起こってはならぬ結末。

 アカギが自らを引き下がらせようとした気配を、朦朧とする意識の中で感じ取ったクロバットは、ぎりと歯を食いしばって翼に力を込めた。

 見上げた先の、小さな小さな、確かなその挙動。

 ボールのスイッチを押しかけていたアカギの指が止まったその瞬間、ぎらと目を光らせたクロバットが顎を引き、地上のドダイトスらを睨みつける。

 潰れた眼さえもぐわりと開く、覇気に満ちた眼光に貫かれたパールが、その心臓をわしづかみにされたかのように身が震えたほど。

 

 不完全な体勢でありながら、クロバットが三枚の翼を振るってエアスラッシュを放ってくる。

 駆けるピョコにそれは当たらなかったが、落下任せに地表へと近付いて行ったクロバットは、一枚失った翼をはためかせてその滑空軌道を曲げた。

 真っ直ぐに、迷い無き飛翔でドダイトスへ。討つべき敵へと一直線だ。

 あまりの気迫に声が出なかったパール、不全の肉体で歪み一つ無い飛来に身構えたピョコ。

 シザークロスでピョコの右足を斬りつけていくクロバットの一撃に耐えたピョコは、そのまま空高くへと急上昇していくクロバットの背を目で追っている。

 

 終わってねえ、まだだ、まだ戦える、絶対に勝ってみせる。

 だからアカギ、止めるんじゃねえ。信じてみやがれ、俺の相棒!

 

「キイイイィィィィィ――――――――――z!!」

 

「ゔぁ……!?」

「ッ……!」

 

「クロバット……!」

 

 空高く舞い上がったクロバットが、天高くに向けて発した金切声は、決して先のドダイトスの大咆哮にも劣らぬほど凄まじいものだった。

 空気を震わすその激しい鳴き声は、波動めいたものさえ生み出しパールの全身を痺れさせ、耳の奥に穴が開くかと思ったほどだ。

 クロバットに敵対する二人がその声に怯む中、耳が痛くなるほどの声が響く中でアカギはただ見上げるのみ。

 お前のためなら今日だけは、何が何でも勝ってみせるというクロバットの感情は、自ら感情を封じた男の胸さえ貫く強いものだ。

 

「ッ……!」

 

「ピョコ、っ……! 来るよ!

 今までで、一番強い敵が、っ……!」

「――――z!」

 

 翼を一枚食い千切られた相手に向かって、一気に高度を下げたのち滑空軌道を折り、真っ正面から迫るクロバットの形相は決死のものだ。

 吞まれそうになり息さえ詰まるパール、動じるどころか気を奮い立たせて立ち向かうピョコ。

 もう一枚食い千切ってやる、その勢いで迫るドダイトスを恐れもせず、不全の三枚羽で斬りつけにかかるクロバットの行為は、本来アカギが好まぬ無謀である。

 

 ピョコはクロバットの羽に牙を立てられなかった。がちんと空を噛み砕いたピョコの顔面を、クロバットのシザークロスが×の字に深々と切り裂く。

 紙一重で勝負を決めていた交錯はクロバットの勝利だ。

 だが強引な回避と攻撃を重ねた身体は体勢を整えられず、クロバットはその速度のまま地面に墜落し、地面に自らを叩きつけて転がってしまう。

 羽も身体も、背中も顎も頭も擦り傷だらけになり、全身に刻まれている小さな傷が開く。凄惨な数秒後はもう約束されている。

 それでも地面を転がる中、足が下になった瞬間に食いしばった歯と眼に闘志を取り戻し、地を蹴り翼を広げて空へ飛び立つ。

 顔面を傷つけられてなお振り返り、葉っぱカッターを放っていたピョコの攻撃から逃れ、空に躱せばすぐさまクロバットもまた振り返る。

 

 体勢は整っていない。それでも撃つのだ、エアスラッシュを。

 三枚の真空の刃がピョコを正面から斬りつける中、どうにか体勢を整えんとするクロバットに、傷を負いながらも駆け迫るピョコが葉っぱカッターを撃つ。

 翼を立たんで丸くなるようにしてそれを受け切るクロバットが、それに押されて宙で身体を回される中、咆哮とともに口を開いたピョコはもう目の前。

 なるかと羽を開いたクロバットは、全力で自らを押し出す翼の力で以って、致命傷となるピョコの牙だけは回避してみせる。

 その瞬間こそ、ピョコの側面位置に身を逃したクロバットと、かの背上のパールが今日もっとも、距離を近くした瞬間だった。

 

 クロバットがその羽を振るえばパールの首をかき切れる、それほどまでに間近にあった一瞬の両者。

 どちらも予期していなかったその一瞬、気付き合ったように目を合わせた瞬間は、少なくともパールにとっては時間が止まったようにも感じられた。

 消耗し、目尻を下げ、大きく開いた口で発する激しい呼吸をあらわにした、今にも朽ち果ててしまいそうな表情のクロバット。

 これほどまでに衰弱して尚、勝利のために全身全霊を尽くす者達の姿を、パールは身近に何度も見てきたはずだ。

 一刃のもとに自らを殺し得るほどの存在が、こんなに間近にある瞬間にパールが抱いた感情は、戦慄でも恐怖でもない畏れめいたもの。

 負けられないのは相手も同じことだと、わかっているはずのことさえもこれほど痛切に感じざるを得なかったのは、きっと初めてで今後もこれ以上はあるまい。

 

「ッ…………!」

 

 ピョコはそれが如何に危険な瞬間であったかを理解していたのだろう。

 地を蹴り我が身をドダイトスに迫らせ、横っ飛びの形で甲羅側面をクロバットにぶつけに行く行為が、標的目前で殺意を取り戻したクロバットを退ける。

 殴り飛ばされるように離れたクロバットは、その反動で自らも後退する勢いでエアスラッシュを放ち、身を向けてきたピョコをまた深く傷つける。

 上も下もわからぬほど身体を回転させながらも、厳しい痛打を脚に受けて追えないピョコから離れ、どうにか翼を広げて体勢を整える。

 ようやく三枚の翼で、足を下にして空中で正しい姿勢を取ることが出来た。もう飛び方はわかった。

 一枚欠損した翼でありながら、四枚の翼であった時のように飛ぶ力を取り戻したクロバットが、高度を下げてピョコを真正面から睨みつける。

 その後方にはアカギがいる。勝たせたい誰かを己が後方に置き、勝利への執念をその全容で体現するかのようでさえあろう。

 

「……強いね、ピョコ」

「――――――――z!」

「わかってる、それでもピョコの方が強いよ……!

 私の、自慢の、世界一頼もしい友達……!」

 

 あれほど恐怖の対象でしかなかったズバット達の最強種に対し、恐怖ではない感情を抱く日が訪れようとは、かつてパールが想像だにしなかったことだ。

 本当に強いクロバットだ。敵ながら、その心身ともに気高き姿に敬服さえしそうなほど。

 たとえ己の勝利が、アカギの歪んだ野望を叶えるためだとしても、そこには一途な、大好きな人を負けさせたくないという"感情"が根底にあるとわかる。

 悪しきトレーナーは沢山いる。だがポケットモンスター達はイノセントなのだ。

 己が勝利の果てに世界と自らの破滅が待っているとしたって、愛し続けてくれた恩に報いるため、粉骨砕身戦い抜く姿に穢れなどあろうものか。

 いかにバトルフィールドの周りが間違いに溢れていても、戦う者達の姿と信念に嘘は無い。

 

「いこう、ピョコ……!

 一緒に戦おうね!」

 

「っ……やるぞ、クロバット!

 勝つのはお前だ! 自分の力を信じろ!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 吼える凶獣、哮ける狩猟者。

 葉っぱカッターとエアスラッシュを双方が放ち、それと同時に駆け滑空する両者は、力尽きかけた我が身に鞭打って最大限の速度を得る。

 持てる技はすべて見せ尽くした。あとに残るのは最後の消耗戦だ。

 膝を折り屈するか、翼を砕き墜ちるか、どちらかがそうなるまで戦い抜くのみの勝負。

 全身を血塗れにしたドダイトスとクロバットは、いっそうの傷で自らの身体が真っ二つになることさえ恐れず、勝利の為に肉をも斬らせる。

 このたった一撃さえもが致命傷になり得る極致において、勝負を賭けて再びドダイトスに急接近するクロバットの姿からもそれは明白なのだ。

 

 牙で捕らえられれば終わりの博打を再び勝ち、敵に深々と傷をつけて空へと逃げるクロバットに対し、とうに限界をはち切っているピョコが振り返るのも早い。

 発する葉っぱカッター、傷付けられるクロバット、撃ち返されるエアスラッシュ、駆けるピョコの後方地面を斬りつける真空の刃。

 槍の柱の一本をロッククライムの力で駆け上がり、己の高さがクロバットと同じになった瞬間、背中の樹を伸ばすウッドハンマーを放ち。

 真正面からのそれを、どうにか潜り込むように回避したクロバットは、次の瞬間に枯れて砕ける木片の数々が降り注ぐ中を掻い潜り。

 落盤めいたそれを躱し切って視界が広がったその瞬間、柱を蹴飛ばし着地した勢いのまま駆けてきたピョコの急接近に見舞われる。

 血に濡れ真っ赤になった眼を閉じもせず迫るその形相の恐ろしさにも怯まぬ精神力で高度を上げ、どうにかかぶりつかれることから免れて。

 そのクロバットが逃げた方向へ甲羅を引っ張るパールの力を頼りに、振り返りもせず最速で放つ葉っぱカッターを何発も浴びせるピョコ。

 クロバットはもう羽で身を守ることをしなかった。これ以上、飛ぶ力を失うわけにはいかないのだ。

 殆ど無防備の背中に葉っぱカッターを受け、歯を食いしばるクロバットはもはや、気力で意識だけは失わぬ戦い方への覚悟を決めている。

 

 何としても勝利を掴み取りたいクロバットの執念が、背中に葉の刃が突き刺さったまま振り返り、エアスラッシュを放ってくる姿からパールにも伝わる。

 痛いほどにだ。そして、同じだけの強い感情を持つパールもまた、決して呑まれず立ち向かう心をもはや揺るがさない。

 そんな彼女が導いてくれる、甲羅を握る手から伝わる力を頼りに、大地を踏みしめ駆けるピョコの脚にも力が入る。

 意図せず大地が揺れ、アカギが片膝をついて戦況を見守るほどの力。どれほどの感情が込められているか、アカギにだって伝わるはず。

 ましてエムリットをはじめとした、三湖の精の力の残滓が残る槍の柱だ。

 パールも、ピョコも、クロバットも、アカギでさえ、この場に集った者達の並々ならぬ渦巻く感情を、激戦の中でノイズじみて感じ取らずにいられない。

 

 いや、ノイズでなどあるものか。

 揺れる大地とそれを駆ける親友の背中で、勝利のために何度もピョコを囃し立てる声を発するパールと、それに応えて吠えるピョコ。

 伝わってくる。ニルルの、パッチの、ミーナの、ララの、フワンテの、力尽きてなお意識だけは失わず、仲間の勝利を祈らずにいられないその切望。

 それだけじゃない、ここではないどこからから訴えかけるように願われし、明日を掴み取ってくれることを望む強い強い想い。

 両の拳を握りしめて山頂を見上げるダイヤの、跪いて両手を握りしめて親友の勝利を祈るプラチナの、涙目で何度もパールの名を叫ぶシロナの姿が。

 テンガン山に集いし、ギンガ団の野望を打ち砕くパールの勝利を切願する者達の想いが、傷ついた身体の痛み以上にひしひしと感じ取れてならない。

 負けてはいけない戦いだと、伝わるすべてが信じさせてくれる。幼き少女とずたずたの勇者は、迎えかけた限界を力ずくで押し上げて戦い抜く。

 

「止まらないでピョコ……! あと少し、あと少しだから……!

 っ、撃ってえっ!」

 

「左の翼の力を抜け! らしくないぞ!

 力み過ぎるんじゃない! お前の正しい飛び方を忘れるな!」

 

 感情を捨て去ったはずの男が、ぐっとその拳に力を込め、何度もに勝利へ導くための声を発している。

 何が何でもこの勝負を落としてなるかという、長年連れ添った相棒の感情はずっと彼の心に届いているはずなのだ。

 それだけではない、ドンカラスも、ギャラドスも、マニューラも。

 戦線離脱したサターン、マーズやジュピターをはじめとした、果てしなき彼の大願の成就を見届けたかったギンガ団員達の想いも。

 決して己を信じ付き従ってくれた配下の想いに報い、それを糧とし勝利への力とするアカギでなどないはずであろうとも。

 負けられぬ戦いであることを改めていっそう強く感じ、らしくないほどの大声で相棒に呼びかける彼の姿が、ここに確かに顕れている。

 

 アカギの声を受け、かすかでも安定に近付いた飛行を取り戻してエアスラッシュを撃つクロバットの反撃は、いよいよ足が上がり始めたピョコに痛烈だ。

 怯み葉っぱカッターによる反撃が止まったその瞬間には、もう高度を下げて急接近するクロバットの姿が続いている。

 必死の叫びで迫る敵の存在を訴えるパールに朦朧とする意識を正し、引っ張る力に倣いクロバットの方を向いたピョコは葉っぱカッターを撃つけれど。

 ここにきて一級品の複雑な滑空軌道を描いてみせるクロバットは、傷も最小限にピョコへ迫り、その鼻っ面を斬り飛ばさんシザークロスを一振りだ。

 顔の一部、それも大きな塊を斬り飛ばされたピョコのそれが宙を舞う中で、それを目にしたパールの青ざめた顔色など言うに及ばずであろう。

 

 それでも、それでも、ここだけは。

 自分の為すべきことを見失わないパールが全力でピョコの甲羅を後方に引っ張り、全体重で以ってこの好機で為すべきことを訴える。

 

「打てえええええっ!!」

「ッ、ッ、――――――――z!!」

 

 後ろ足だけで立つように前身を振り上げたピョコが、己が後方に逃げていったクロバットに背中の樹を向け、注ぎ込む力が果たした決定打。

 はっとして振り返ったクロバットに迫るウッドハンマーは、逃げる間も与えずクロバットに致命的な一撃を浴びせた。

 なんとか上空に逃れようとしたクロバットだが、生い茂る樹木の葉に潜む太いY字の枝が、ついにクロバットの翼の根元を捉えたのだ。

 上方へ舞い上がったクロバットの左上の翼が千切れ飛び、片手と片足をもがれたような姿を目にしたアカギも、思わず発したことのない声が出たほどだ。

 

「ッ~~~~~~……!

 ――――z!!」

 

「ピョコ! まだ来る!

 お願い頑張ってえっ!!」

「…………!」

 

 それほどの致命傷を負いながらも、全身の力を振り絞ったクロバットが身体を回し、二枚だけになった翼で真空の刃を放ってくるのだ。

 パールにはわかった。ピョコにもだ。アカギが一番驚いたほど。

 駆けて躱したピョコではあったが、それに留まらず矢のような勢いで飛来するクロバットの姿は、いかに相手の執念を理解したパール達でも絶句する。

 

 もはやシザークロスと呼ぶことの出来ぬ不完全な斬りつけであろうとも、逃れきれなかったピョコの前脚の根元を深く持っていくほどの傷を刻み。

 速い自らの滑空の中で足りぬ翼で体勢が乱れようとも、食らいつくようにすぐに飛翔軌道を切り返し、再びピョコに急接近し。

 パールの手に導かれて振り返ったピョコの眼球を斬りつけんともう一撃だ。

 咄嗟に頭を下げたことにより血に沈んでいない片目を守り抜くことの出来たピョコだが、代わって側頭部に刻まれた傷は決して浅くない。

 それでも舌を噛んででも意識を失わず、狙うべき先を教えてくれるパールの力を感じ取り、さらなる一撃を加えんとしてくる敵へ葉っぱカッターを撃つ。

 真っ向から散弾銃のような刃の乱打を受け、既に肌の色さえわからぬほど血に染まった全身のクロバットが押し返される。

 そのまま背中から地面に墜落しそうな中で力を振り絞り、羽を動かし身を浮かせたクロバットが、顎を引いてピョコを見据えればエアスラッシュの砲撃だ。

 自らの技の反動で後方にのけ反りながらも、二枚の刃で両脚を傷つけられたピョコが前に出られない中、身を翻したクロバットは再び敵を真正面に見据える。

 

「キイイイィィィィィ―――――ッ!!」

「グゥガアアアアアァァァッ!!」

 

 懸ける想いを表すように、それ以上に、そのためには力尽きることなど許されない自らに楔を打ち立てるように。

 耳を破りそうなほどのクロバットの激しい金切声に、大気のみならず大地さえ揺るがさんドダイトスの咆哮が真正面からぶつかってこの小世界を揺るがす。

 神おわす槍の柱にてすべてを懸けて戦う者達の執念は、きっと大衆が想像する抽象的な神の力など容易に凌駕し、心砕くほど迫真だ。

 今だけは、まさに目の前で神の力を見た記憶に新しいパールとアカギでさえ、相棒の発する意志の力こそ神にも勝り得るものにさえ感じられていよう。

 

 駆けだすピョコ、空を駆るクロバット。

 きっと明日が迎えられたとしたって、パールも、アカギも、ピョコも、クロバットも。

 この戦いを、無我夢中で戦い抜いたこの日、どのように戦ったかなど決して思い返せはしまい。

 飛び交うエアスラッシュと葉っぱカッターの応酬、凌ぐ駆け足と翼の滑空、傷つけ合う身体の痛みを忘れ更なる攻撃。

 当事者達こそが最も我を忘れ、決死の想いで臨む戦いは、それを記す第三者がいない以上、歴史の大海に沈む昏き聖戦だ。

 シンオウ地方のみならず、世界の未来さえ委ねられた槍の柱の決戦は、絶えぬ闘志と裏腹に肉体の灯が消えんとした両雄、いよいよ終わりを迎えんとする。

 そして、きっと、誰にも振り返られない。

 

『パール、俺……

 お前の、特別なひとにはなれないけど……』

「…………っ!」

 

 真空の刃が迫る中、親友の身体が刻まれる中、パールの脳裏に響く声。

 問わずして誰の声なのかわかるその声は、無心で戦っていた彼女が我に返るほど。

 この壮絶な戦いの中にあって、穏やかで、切実で、伝えなければ後悔するほどの想いに満ちたそれは、今までで最もパールの胸を撃ち抜いた。

 

『お前が勝ちたいって思うんなら、全部、全部勝たせてやる……!

 お前が助けてって言ってくれるなら、絶対、何があっても守ってやる……!』

 

「ピョコ……」

 

『だから……だから、っ……!』

 

 放つ葉っぱカッターを受けて飛行姿勢のぐらついたクロバットへ、駆けたピョコが壮絶な気魄で襲いかかる。

 どうにかその牙から逃れたクロバットが空へ舞い上がらんとしたところへ、ピョコが逃がすまいとのウッドハンマーを打つ。

 樹木の突き上げがクロバットに掠り、二枚の翼しか残らぬクロバットは大きく体勢を乱し、地上に向かって落ちかけている。

 なんとか身を浮かせようと羽をばたつかせる中、踵を返して再び一気に迫るピョコに対し、逃れる動きが叶えられない瞬間が確かにあった。

 クロバットの名を強く呼ぶアカギの声が響くも、それがもはやこの窮地からクロバットを逃がすには間に合わぬのが明白だ。

 

 幾度も捕らえられなかったクロバットの身体を、とうとうピョコの"かみくだく"牙が捕えた。

 その牙の凄まじい咬合力と肌を貫く牙の威力だけでも、クロバットには致命的ですらあったけれど。

 既に幾度も限界たるものを超えているからこそここまで戦い抜いたクロバットに対し、ピョコは決して容赦などしなかった。

 噛み砕かれたダメージで意識が飛びかけ、それでも羽に力を入れて抗いかけていた宿敵を、首を振るう動きとともに投げ飛ばす。

 

『みんなと一緒にいられるだけで、幸せだって言ってくれるお前のまま……!

 俺達の大好きな、笑顔のお前のまま、ずっといてくれよ……!!』

 

 放り投げた先は槍の柱に立ちそびえる石柱の一つだ。

 投げつけられて叩きつけられたクロバットがげはっと息を吐く中、既にピョコは駆けだしている。

 討つべき敵へ、最後の一撃に向けて。

 その走りは、迷いが無く、そしていずれも八つ裂きにされた四本の脚でありながら。

 きっと今までで一番速く、全身全霊の、目前に確約された勝利へと突き進む、明日を勝ち取る大いなる前進に他ならない。

 

「っ、いっけえええええぇぇぇっ!!」

「グゥガアアアアアァァァッ!!」

 

 飛びかけた意識を必死に取り戻し、敵を見据えんとしたクロバットが最後に見たものは、全身で以って自らに突撃するドダイトスの姿だった。

 次の瞬間、ピョコの頭が石柱を背にしたクロバットの身体を全体重で打ち抜き、100kgを超える重みで以って叩き潰す。

 その全力駆けが生み出した凄まじいエネルギーはクロバットの背の石柱さえ粉砕し、それほどの威力で以ってクロバットを圧したのだ。

 剥いた目で上天を仰ぎ、口を開いたクロバットが石柱の残骸が降り注ぐ域からさえ追い出されて吹っ飛び、力無く地面に倒れる中。

 自らに降り注ぐ石柱の破片が背上のパールに当たらぬよう、ウッドハンマーですべて叩き飛ばすピョコが、ぐいと顎を振り上げて地に足を着けている。

 

 ひくつきもせず、仰向けに倒れたまま微動だにしないクロバットと、空を見上げて掠れた咆哮を発するピョコ。

 確定した勝利を訴える親友の姿を前に、勝った実感を得たパールは、手を挙げて喜ぶことなど出来ようはずもない。

 憔悴し、精も根も尽き果てた中、ぎゅうっとピョコの甲羅を握りしめて。

 うずくまり、潤む瞳で甲羅に額を当てるようにして、戦い抜いてくれた親友への感謝をその身で伝えることしか出来なかった。



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第140話  情動

 

 

「……………………認められるか」

 

 完全に気を失っているクロバットをボールに戻したアカギの発する声は、静かでありながら静寂に包まれた槍の柱ではよく響いた。

 荒い息を繰り返すピョコの声さえ、この場では大きな音として響かない。

 絶えそうな息遣いは掠れに掠れ、耳にも届き難いか細いものである。

 

「認められようものか……!

 神話の力を従えるのではなく、一度は我がものにしたというのに!」

 

 アカギのポケモン達はすべて敗れた。

 この世界を変えるという、途方も無いスケールの野望を叶えるには、相応の器の人物では儘ならぬということなど、誰しも自ずと理解できるものだ。

 それが、負けた。

 年端もいかぬ少女の挑戦を受け、押し切られ、敗北者となりて。

 自分自身がこの世界を変える器であると疑わず、ここまで至ったアカギの誇りを傷つけ、私はその器ではなかったのかと心を揺るがすには充分すぎる出来事だ。

 

「アカギさん……」

「貴様のような幼き少女が、我が悲願を打ち砕くとでもいうのか!

 この穢れ果てた世界の本質の一縷も知らぬ子供に破られるほど、運命は我が大願を拒むとでも言うのか!」

 

 彼は、決して感情をすべて失ったわけではないのだ。現に今、取り乱している。

 敗北が、この世界が彼の勝利を望んでいなかった現実が受け入れられない。

 屈辱と怒りに満ちた表情で大きな声を発するアカギの姿には、パールは身を竦めて震えこそすれ、心のどこかでほっとしている自覚もあった。

 

 あの人は、感情を否定していたけれど。

 捨て去ることは出来なかった。出来ずにいてくれた。

 それにほっとしている自分の感情が何によるものなのか、複雑怪奇な自らの胸の揺らぎの本質を理解するには、彼女はまだまだ幼過ぎるけれど。

 自然と胸の奥から湧いて来るこの感情を素直に受け止め、否定せず、思考を巡らせるほどには彼女は一途である。

 

「……ピョコ。本当にありがとう」

 

 パールの意志でボールに戻されぬ限り、ピョコは絶対に自分から退いたりしない。彼女を守り抜くことが自分の使命だ。

 だが、彼自身がとうに限界を迎えていることなんて、戦っている間からパールも痛切に感じていたこと。

 霞んだ視界はもはや形を捉えられず、前方のアカギに目こそ向けつつも視認できていない容態である。

 

 彼の背に跨っていたパールは、短くも深い感謝の言葉を発すると、葉っぱのシールが貼られたボールのスイッチを押した。

 抗う余力も無く、ボールの中へ戻っていくピョコ。お尻を置いていたものが消えたことで、パールは脚を伸ばして着地する。

 ずきりと痛む太ももの痛みで表情を歪めたパールは、いま改めてようやく傷の出来た自分の身体を顧みたものだ。

 柔肌が裂け、血が流れている脚、腕。心なしか髪も一部が短くなっていて、スカートの端に切れ目も入っている。

 エアスラッシュが飛び交いエアカッターに晒された戦場の真ん中で、この傷で済んだこと自体が奇跡のようなものですらあろう。

 私闘の中で傷を負った瞬間以外、忘れさえしていた痛みが今になってじくじくと蘇り、前に進もうと歩く脚が、嫌だ無理をさせるなよと激痛で拒んでくる。

 それもアカギの発した運命という言葉を借りるなら、彼女が命を失わず、アカギを打ち破ったことは世界そのものが望んだ結末だったということなのだろうか。

 

「……断じて認めぬ。私には、この力がまだ残っている。

 神をも捕らえ、その力を手中に収める赤い鎖の力はまだ残っているのだ」

 

 だが、諦めて引き下がることなど出来ない。十年近く追い求めてきたものが目前だったのだ。

 痛む脚を引きずりながら歩み寄ってくるパールを見据えながら、アカギはその行動を意に介さぬかのようにその手を握りしめる。

 三湖の精に遮られ、一度は砕けかけた赤い鎖、己の中にあるそれを再び蘇らせるために意識を集中し始めるのだ。

 

「駄目ですよ、アカギさん……!

 そんなこと、やめて下さい……!」

 

 よろよろとアカギの方へと歩み寄っていた足が、血が噴き出ても構わぬ無茶での駆け足になる。

 上天を見上げ、パールを無視して意識を集中させるアカギに、パールは半ばぶつかっていくような形でしがみつつ。

 子供とて勢いのある体の預け方だ。少し胸が詰まったが、不動のアカギは尚もパールを意識せず、自らの目的に対して集中を深めんとするのみ。

 

「どうして全然話も聞いてくれないんですか……?

 普通に、明日を迎えたいって言ってるだけじゃないですか……!

 私達から、みんなと一緒に過ごせる日々を取らないで下さいよ!」

 

 切実な意志を、懇願であり切望を。

 本当に引き返せなくなる最後の一線を超えて欲しくなくて強く訴える。

 アカギを止めるためには、彼自身に踏み止まらせる他にすべが無いのだ。

 それこそ、己か仲間の力を借りてでも、アカギを亡き者にする以外には。

 

「世界が終わっちゃったら、大好きなみんなといられなくなっちゃう!

 そんなの嫌なんです! そんな世界、なんにも素敵じゃない!

 どうしてただそれだけのことさえ、アカギさんは認めてくれないんですか!?」

 

「…………」

 

 世界のためなんかじゃない。只々自分自身の胸から無限に溢れる、世界の一新を拒む想いを吐き出す。

 誰かの代弁者であることでは決して表せない、切実な大きな声を、アカギにしがみついたパールが彼を見上げて発する。

 彼女がどれだけこの世界を、大切な誰かと共に過ごせる今を失いたくないのか、それだけはアカギにも伝わっているはずだ。

 

 そしてパールの強い強い感情に、最も耳を傾けずにいられなかったのは、彼女が見上げるアカギではなかった。

 敬愛する誰かと共に過ごし続けてきた日々に、掛け替えのないものを感じていた存在が、アカギのそばには四人もいる。

 ドダイトスに敗れたばかりで意識を失っている、アカギのベストパートナーの耳にだけは、パールの声は届かなかったけれど。

 傷ついた身体でボールの中に身を休め、大願に向けて念ずるアカギを見守っていた三匹のポケモン達。

 長年の目的のため、今なお諦めず運命に抗うアカギを、無心で肯定し続けてきた彼らの心に、嘘のつけない感情による迷いさえ芽生えさせ始めている。

 

「わかってっ、下さいよ……!

 みんなとお別れなんて、嫌なんです……!

 みんな、みんな、大好きな子達なんですよぅ……!」

 

「……………………」

 

 誰にも心を許さない、我の強い性格でありながらも、ここまで強い自分に育て上げてくれたアカギにだけは敬服し、忠誠を誓っているドンカラスも。

 弱いコイキングであった自分を見初め、必ず強くなるだろうと声をかけてくれて、手を差し伸べてくれたアカギのことが大好きなギャラドスも。

 かっとなれば見境のない攻撃性をあらわにし、同胞からも危険だと見放された自分を拾い上げてくれたアカギを、孤独でない半生の恩人と敬うマニューラも。

 掛け替えのない誰かとの永遠の別れが、どれほど全てを失った虚無の余生に繋がるのかなど、想像に難くないことなのだ。

 パールは敵だ。俺達のアカギを邪魔する許し難い敵対者だ。そんなことははじめからずっとわかっている。

 それでも、失うことを恐れるあまり涙声になっていく彼女の声を聞けば聞くほど、共感せざるを得ない想いが胸の奥底から湧き上がってくる。

 アカギとの別れを想像すればぞっとする、そんな彼らであるからこそ、パールの訴えに対して敵愾心ではない感情を抱かずにはいられなくなる。

 

 感情の神の力がかすかに残るこの聖域、言葉通じぬはずの相棒の心の声さえ聞こえ得るこの場、そんな彼らの芽生えた胸の棘の痛みは、アカギにも伝わる。

 そして、今それを感じているアカギもまた、決して彼らの感情を否定する非情には至れない。

 そんな彼らだとわかっているからだ。何年ずっと一緒に過ごしてきた。

 自身の目的のため、そうした想いなど胸の奥に秘め、蓋をし、新世界への道へ導かんとしてくれた四人の身内には、感謝こそしたとて不義など断じて思わない。

 感情というものを否定してきた自らが、配下達――いや、仲間達の感情が生み出す底力に助けられてきたことがあることも、アカギは自覚しているとも。

 

「アカギっ、さぁんっ……」

 

「……………………………………どけ」

 

 顎を引き、パールの顔を無表情で見下ろしたアカギは、彼女の両肩に手を添えて、乱暴な力で突き飛ばした。

 腕すべてを使って前からしがみついていても、非力な女の子が大人に突き放されれば為すすべもない。

 よろめくように離れさせられたパールと、握りしめていた手を開いて静かに立つアカギが、近くも遠い距離で目を合わせる。

 

 本当に、たいした少女だと思う。

 ポケモントレーナーとはとどのつまり、仲間達を育て、それを戦わせて勝利することで、ポケモン達を育てる能力を証明し、偉大とされていく。

 彼女もそうだ。ギンガ団の刺客を幾度も破り、生き抜き、ついには自分に真っ向勝負で打ち勝つ成果を現実のものとした。

 ましてや、ただ安全圏で戦うことだけでは破れぬと感じた相手に、自らドダイトスの背上という死地に身を置き、勝利のために貢献してみせたのだ。

 仲間達を育て上げたその能力のみならず、失いたくない何かを守るためにそこまでの覚悟を決めた少女に、アカギも敬意と呼べるものを抱いている。

 

 いま目の前にいる彼女が、誇るべき勝利を手にした直後とは似ても似つかぬ、涙目で救いを懇願するありふれた弱者の表情そのものであってもだ。

 無垢で、幼く、純真な、そんな彼女の想いが自らを打ち負かした事実を、アカギは目を閉じ受け入れるしかない。

 彼女に敗れたギンガ団の面々を、幼い少女に敗れた役立たずどもだと内心で蔑むことさえ、今後は二度と無いだろう。

 

「……認めるよ。

 私は、間違っていたのだな」

 

「ううぅぅ……アカギさん……」

 

 それが、新世界を変えようとしていた自らの過ちを認める宣言であればどれだけよかったか。

 パールの目にはそう映らない。冷徹な眼で言い放つアカギの言葉に続くのが、もうやめにしようというものでないことは、彼女も直感的に感じている。

 無感情でなくなってきたからこそ、アカギの目の奥から感じられる想いが、自分の望むものでないことがパールにも伝わってしまう。

 

「感情が無意味なもの、あるいは忌むべきものであると信じていた私は愚かだった。

 それが生み出した力、一年にも満たぬ歳月の中で君をここまで上り詰めさせたものが何であるかなど、今や理で問わずしてもわかることだ。

 それが私を打ち破り、君に勝利をもたらした現実を顧みれば顧みるほどに、それは奇跡をも起こし得る脅威的な力と訂正せざるを得まい」

 

「やめ、て……やめて、ください……

 私、まだ……まだ、みんなと……」

 

「――それが、私にとっては邪魔なのだ!」

 

「っ、やめて……!

 やめてえええええぇぇぇっ!!」

 

 再びぐっと拳を握ったアカギと、思わず彼に飛びつくように前のめりに踏み出したパールは、ほぼ同時であったと言えよう。

 だが、赤い鎖が再びアカギの手から生じ、彼の周りに螺旋を巻くように浮けば、もう彼に触れられる者は誰もいなくなる。

 赤き結界とも呼べるそれに弾き飛ばされ、硬い地面に倒れたパールは、傷だらけの肘と脚に更なる擦り傷を負う。

 

「……私の友が、私との永劫の別れを想像し、この道が正しいのか否かを問い始めた感情も理解は出来る。

 私自身も、それに迷いを生じかけていることも認めよう。

 そんな私の"感情"が、十数年の悲願をも自らの手で閉ざさんと訴えかけることもまた脅威だ」

 

「あっ、ぅ゙……はぁ、はぁ……

 やめてっ……やめてよ、やめてよぅっ……!」

 

「私にとって感情とは夢を閉ざす力だ。果たされるべき使命を断たんとする試練。

 私はそれを超え、果たすべきものを果たすことを、我が生涯の最後の使命としよう。

 そうせねばならぬこともまた、私の"意志"と"知識"が訴える最終命題なのだ……!」

 

 パールの覚悟と、その根幹を為す感情が、アカギという身の丈を超える存在から、勝利をもぎ取ったことは確かなのだろう。

 だが、それは彼女にとって対立する者の夢を断つという、本来為し難かったことを叶えた事実の求心力であったこともまた現実。

 がむしゃらに立ち上がり、赤き結界に駆け寄って、破れぬ壁を何度も両の拳で叩いて泣くパールを目の前に、アカギはその教訓を反芻する。

 

 感情とは害悪の象徴そのものだ。敵対者のそれが望ましくない奇跡を生み、自らのそれが悲願を否定する。

 己の歩んできた三十年近き人生を、まるごと否定せんとする二つの感情を、今ここで受け入れられようものか。

 新世界へ。その自らの原点を否定する感情に対し、もう一つの感情をいっそう大きくする形で、赤い鎖を再び顕現させるに至っている。それほどの想いだ。

 

「これが、最後だ。

 感情を捨てきることの出来なかった私は、新世界においてもまたこの愚を繰り返し、やがて過ちを犯すだろう。

 生まれ変わった真っ更な世界が、どのような新時代を歩むかだけでも見届けたいとは思っていたが、どうやらそれも正しくはないのだろう……」

 

「だめっ……だめぇっ……!

 そんなの絶対だめですよおっ!

 消えちゃ駄目なんです! 世界も、あなたも……みんな、っ……!」

 

「新世界の誕生を見届ければ、私も消えるとしよう……!

 過ちに満ちたこの世界が一新されたその事実、それさえ叶えられるのであれば、もうそれ以上は何も望むまい!」

 

 開かない扉に、開けて欲しいと必死で訴えるかのように、パールは握りしめた両手でアカギを取り巻く赤い結界を叩き続ける。

 小指の付け根が真っ赤に腫れても、たとえそのうち皮膚が破れて血が流れ始めたって、その手が止まることは無いだろう。

 だが、真の滅びを求める者に、救いを求める者達の声は届かない。

 何も要らない、空も海も大地も、空間も時の流れも、そこにあった命すべても。

 既存のものを全て消滅させ、自らがそこへ残り見届けるという欲さえ投げ捨てて。

 妄執が生み出した無敵の怪物は止まらない。止まれない。

 己が感情が否定する大願を、それ以上の感情で肯定して相反するものすべてを捻じ伏せてでも肯定する、もはや自己矛盾にさえ満ちた狂気の境地。

 

「さあ、神々よ! その姿を顕せ!

 私は屈さぬ! お前達の力は我が物だ!!」

 

 パールに背を向け、天を仰いで唱えたアカギに呼応するかのように、彼を囲う赤い鎖は強い光を発した。

 同時に生まれた強い力は、邪魔だとばかりにパールを突き放し、それは先程アカギが彼女を突き放した力の強さの比ではない。

 全身を前から強く殴られたような衝撃に胸と息を詰まらせ、それに突き飛ばされたパールは背中から地面に倒れ、後頭部を強く打ちつけて。

 彼女自身もいくつもの傷を戦い抜いた直後なのだ。目の前に星が飛ぶと同時に見上げた雲と空の色が混ざり、意識を失う一歩手前で歪んだ世界を視認するのみ。

 

 それでも、断じて受け入れたくない現実が訪れようとしている今、仰向けのパールは必死で顎を引き、アカギと彼が見上げた先を見る。

 空間の裂け目が生じたのがわかった。神が顕れる。

 ディアルガとパルキアが同時に姿を顕したあの時、世界が破滅へ向かった記憶の新しい今、それはパールに絶望をももたらす光景だ。

 

「く……!

 やはり、思い通りにはならぬか……!?」

 

 だが、パールが覚悟した最悪の展開と比べれば、いま目の前にあった光景は世界に対して希望を残していた。

 神々を呼ぶアカギの声に応え、姿を顕したのは一柱のみ。

 空間の裂け目に手をかけ、それをこじ開けるようにして顔を出し、巨大な両足で地面に降り立ったのはパルキアのみだ。

 

「怒りとは異なる眼だな……!

 だが、結末は変わらぬぞ……!」

 

 "あかいくさり"が持つ力の本質を知るアカギには、パルキアだけが姿を見せたその事実が、苦々しいものであることを否定できない。

 赤い鎖には神々の力を制し、縛りつける力がある。

 アカギがその力を振るえば振るうほど、異界に身を置く神々にまでさえその力は届き、そこでディアルガとパルキアは力を縛りつけられてしまう。

 そして神々が、異界にてとはいえ、時間や空間を操る力を抑制されてしまえば、当然のようにこの世界に存在してきたそれらにも必ず歪みが生まれる。

 世界を創造したと言われる絶大な力は、創世記に発揮されて独立した世界を生み出して終わり、そんな賜物ではないのだ。

 今もこの世界の理が当たり前のように存在しているのは、創造主たる神々が隔世の彼方からとて、この世界を離れず見守っているからだ。

 赤い鎖により神々の力が失われれば、どのみちこの世界は本来あるべき姿を失ってしまう。

 

 ゆえにこそ、それを叶えんとする悪しき意志がこの世に顕れたとなれば、パルキアやディアルガはこの世界に降り立ち、その神敵を滅さんとする。

 我らの創りしこの世界。それを亡ぼさんとする者など断じて赦すまじ。

 一度目はディアルガと共に、凄まじい憤怒を胸に顕現したパルキアだったが、三湖の精に諭されたこともあり、今は幾許か冷静だ。

 怒りはある。だが、それ以上に使命だ。

 この世界を創りし者として、この美しき世界を無にせんとする者だけは、何としても葬らんという気迫こそ最も色濃い。

 

 感情と意志。そして、敢えてディアルガの顕現を制し、我が手で決着をつけようとしたパルキアの知識。

 この赤い鎖の前においては、やはり二柱の顕現は世界を深く傷つけてしまう。

 赤い鎖の力が異界のディアルガに届くよりも早く、眼前の赤い鎖を纏いし怨敵を、我が手で葬らんとするパルキアの眼光は、アカギを圧倒するに値する。

 パールとの戦いで封じていた感情の蓋を開けさせられたアカギには、冷や汗を流す動揺も胸に抱いていよう。

 だが、それでも一歩も退かぬ意志力を取り戻し、その眼光で神を射抜くアカギは、ここに至ってなお不屈である。

 

『――――――――少女よ――――』

 

「ぅ……!?」

 

 そして、不屈はもう一人。

 一時的とて前後不覚になっていた状態、いや、未だ目の前の光景は歪み、吐きそうなほどの気分の悪さにある中で。

 パールはかろうじて立ち上がって、アカギの方へとよろよろと歩み始めていたのだ。

 そんな彼女の脳裏に響く、初めて聞く声は静かなものだった。

 それは、神を支配せんという大願に目前まで迫ったアカギを、一度は完全に打ち勝った少女に向けた、賞賛の意を含む声色でもあった。

 だからこそパルキアは、アカギに対する感情とは真逆、パールに対して抱く感情は、友好的なものでさえあったと断言できる。

 

『許せ――――!!』

 

 翼と見えるそれをパルキアが広げ、空を仰いだその瞬間、この場を駆け抜けた凄まじい力は誰の目にも捉えられなかった。

 だが、アカギもパールもそれを感じ取ることは出来た。出来ないはずが無いのだ。

 神の力という世界の在り方さえ変えてしまう程の力は、目や耳、肌といった五感で感じられなくとも、そばにいれば本能が目を逸らせない。

 

「く……!?」

 

 神の力を抑制する赤い鎖の力は、一度ひび割れたことからも不完全なのだろう。強引にアカギの意志の力で修復したものだ。

 パルキアがその力を振るったことそのものが証拠である。

 そして、空間を操るパルキアの力がこの域を駆け巡ったと同時、アカギを護る鎖がばきりという音を立てて揺らぐのだから、その矛先は明らかであろう。

 パルキアは、アカギを葬り去るためにその力を振るっている。

 

「っ……私は屈さぬ!

 葬れるものなら葬ってみろ、パルキアよ!

 貴様の力が鎖を砕いて私を滅するか、私の力が貴様の力を縛り果たすか、その力を以って問うてみるがいい!」

 

「ガギャアアアアアアアアアアッ!」

 

 赤い鎖はアカギを護り続けると同時、今もパルキアの力を抑制する魔力を発している。

 一度目の力を発するに続き、背を丸めたパルキアの姿からも、赤い鎖の力がパルキアを蝕んでいるのは間違いない。

 パルキアもまた、その力が完全に封じられるより早く、アカギを葬り去らねばならぬ状況にあるのだ。

 再び翼を広げて咆哮するパルキアが発する凄まじい力、神の力はこの場の空間を引き裂くほどのものとして、全方位に向けて駆け抜ける。

 

「ぁ゙…………!?」

 

 空間を断つ力。すなわち、どんな者もその力には抗えず断ち切られるしかない神の力。名を関するなら"あくうせつだん"。

 アカギという滅する存在に向けて放たれたそれは、赤い鎖を深く傷つけながらもはじき飛ばされ、あらゆる方向へその力を分散させ。

 その余波は、パルキアが、神の身にありながら幼く小さなその存在へ向け、詫びの言葉を向けた少女の身にさえ降りかかる。

 

 自分の右腕が、肘を境に切断され、切り離されたそれが宙に舞う光景を、一瞬の痛みの直後にパールは目にしていた。

 凄絶なる現実はパールの表情を一変させ、彼女が己の喉さえ焼き切らんほどの悲鳴を上げる一瞬前。

 その光景をも目にしていたパルキアは、苦々しい眼の色を一瞬匂わせはしたものの、己の行為への一切の躊躇いや悔いを封じてアカギを睨み下ろすのみ。

 こんな犠牲は避けたかったとも。それでも、儘ならぬのだ。

 

 世界を護るためであるならば、勇敢なる少女の命さえ。

 神は非情だ。その非情さこそが、かの少女が命を賭してでも守り抜きたかったこの世界を、アカギから奪還するための最大の武器でさえあったのも事実である。



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第141話  ワールドリヴァース

 

 

 空間を司る神、パルキアのみの秘技である"あくうせつだん"。

 空間ごと対象を断ち切ってしまうそれに斬れないものは本来無い。

 数少ない例外が並び立つ双神たるディアルガと、神の力にも匹敵するものを宿す赤い鎖だ。

 その技の前には、狙われたものの硬度たるものは何ら意味を持てず、空間ごと切り裂くその一撃によって容赦なく切断されてしまう。

 

 空間ごと対象を断ち切ってしまうとは果たしてどういうことか。

 例えばそれが人体を切り裂いた時、厳密な意味でそれは、対象を二つに切り離してしてしまったとは言い難い。

 断ち切ったものは対象そのものではなく、空間であるからだ。

 切り離したとてそれは空間の切断面を介して、未だ正しい意味では繋がっている。

 パルキアの亜空切断により片腕を斬り飛ばされたかのように見えるパールだが、その腕の切断面から血が溢れることが無いのはそれが理由である。

 空間の切断面を介し、血流は胴体から指先まで至り、逆も然り。

 望むなら、たとえ腕を斬り落とされたとしても、神経の通う腕の先にある指を、意のままに動かすことだって何ら不可能ではない。

 真の意味で斬り飛ばされたのとは異なって、その空間あるべき形に戻ることあらば、パールの腕は健康な状態のまま彼女のそばに帰ってくるはずだ。

 

「いやあああああぁぁぁっ!?

 あ゙ーーーーっ!! あ゙ぁーーーーーっ!!」

 

「恐ろしい力だな……!

 私とて、赤い鎖が無ければああなっていたということか……!」

 

 そんな本質を理解した上で、自らの肉体を亜空切断された者は現代に存在しないのだ。

 前人未到の力で腕を斬り飛ばされた、そうとしか認識できぬ事態に直面したパールは、まさしく本当に腕を切断されたにも等しい痛みに絶叫する。

 幻痛とも例えられようそれを、彼女の肉体が、経験が、腕を斬り落とされた緊急事態を彼女に痛みとして訴えるからだ。

 たとえ切り落とされた腕から血が溢れず、倒れてのたうち転げて泣き叫ぶ彼女に呼応するように、地面に落ちて転がった方の腕がばたばたと足掻いていても。

 空間ごと肉体を断たれたこと、それが本当に身体そのものを切断されたわけではないという本質を、経験のない肉体は理解できるはずがない。

 

「さあ! その力を振るってみせろ! パルキアよ!

 貴様の愛する世界の崩壊を望まんとする私を、この場で滅するためにな!」

 

「――――――――!

 ガギャギャアアアアアッ!!」

 

 パルキアは喚き悶えるパールのことも、苦々しい表情で一瞥していた。

 敵ではないともわかっている。果敢にアカギに立ち向かい、勝利を収めし勇者であることだってわかっているとも。

 アカギを葬るための技を赤い鎖にはじかれ、その余波が彼女を苦しめていることは、当然パルキアにとっても本意ではないことだ。

 だが、今は彼女を案じる時間も作れない。想像を絶する痛苦の中にある彼女を救うために、空間を繋げ直す時間すら惜しい。

 不完全な復活を遂げた形とて、赤い鎖の発する力は未だにパルキアを苦しめている。先にパルキアが膝をつけば、世界崩壊の半分だ。

 何としてもアカギを滅し、この世界を護り抜くことが先決としたパルキアは、少女に許しを求める意識すら封じて力を振るうのみ。

 翼を広げて発する力が、アカギを囲う赤い鎖を再び傷つける。

 

「ぬうぅぅぅ……!

 負けぬぞ、神々め……!」

「ガギャギャアアアッ!」

 

 パルキアの発する亜空切断がアカギを襲い、それが赤い鎖にいっそうのひびを入れ、しかしはじかれ周囲に拡散する。

 今にも砕けそうなほどの亀裂を得ながらも、赤い鎖は砕けない。

 アカギの意志と感情と、それがこの鎖の力となるという知識を持つアカギの精神力が、神の力にさえ抗って鎖を砕けさせないのだ。

 アカギに感情の力というものの大きさを見直させたパールとの戦いが、今もっとも鎖を強固に保たせる要因とさえなっているとは実に皮肉である。

 

「ッ――――!」

 

「む……!?」

 

 パルキアとの我慢比べに集中したいアカギにとって、悲鳴をあげてのたうち回るパールの声はノイズに他ならなかっただろう。

 だが、努めて無視していたその声の方向から、ずしんと地を鳴らす音が聞こえた時には、流石にアカギも一度振り返らざるを得ない。

 そこには、クロバットとの戦いで瀕死寸前まで追い込まれたはずのドダイトスが、自らボールから飛び出して地に降り立った姿がある。

 

「グガアアアアアァァァッ!!」

 

「ぬ、ぐ……っ!」

 

 片目が潰れたドダイトスにして、その凄まじい吠え声と形相から感じる殺気は、アカギを戦慄させるにも相当するものだ。

 赤い鎖に守られたアカギへと全力でぶつかり、パルキアの攻撃を受けて軋んだ鎖を揺らすほどの衝撃を食らわせて。

 ひび割れた鎖の一部から、からりと破片が落ちる光景は、不完全な赤い鎖に微々ながら軽視できぬダメージを与えたことを示唆している。

 血にまみれたその頭でぶつかって、赤い鎖の堅固さに押し返されて退きながらも、憎悪に満ちた眼でアカギを睨みつける迫真にはアカギも背筋が寒くなる。

 

「っ……! 好きなだけ足掻くがいい!

 神とそれに立ち向かう者の聖戦に、貴様のような獣の力など及ぶまい!」

 

「グガアアアアアッ!!」

「ガギャギャアアアアアッ!!」

 

 ピョコの葉っぱカッターと、パルキアの亜空切断が、鎖に守られたアカギに前後から襲いかかる。

 アカギにとって最も脅威なのは当然パルキアの攻撃だ。一撃でまた赤い鎖に大きなひびを入れ、意志と感情の力を振り絞って保たねば今にも鎖が崩壊する。

 だが、それに劣るとて後方のドダイトスの攻撃も決して楽観視できない。

 葉っぱカッターに続き、再び体当たりで鎖の結界に激突し、はじかれ後退するままにアカギに背を向ければ、前足を振り上げて背上の樹をこちらに向け。

 それを急成長させて打つウッドハンマーで以って、重い追撃を加えてくる。

 それらすべての攻撃を足してもパルキアの攻撃力には及ばぬが、手数を重ねてくるその行為が、確実に鎖を崩壊に向けて歩ませている。

 

「ガギャアッ!」

「ぬぅ、ぅ……!」

 

「い゙あ……!?」

 

 アカギの表情にも焦燥感がある。もう無表情でなどいられるものか。

 パールに自分のポケモン達をすべて打ち破られた今、赤い鎖で身を護ることは出来ても、このドダイトスを止める手立てが無い。

 このまま赤い鎖の持ち堪えさせられたとして、パルキアの動きを完全に封じられたとしても、ディアルガが続いて顕れれば受け切れるのだろうか。

 元よりただでさえ綱渡りであったアカギは、さらに自らを追い詰めるドダイトスに憎々しげな歯ぎしりを覚えるばかりであろう。

 

 そして、憎まれる以上に憎むのが、今パルキアの亜空切断がはじかれた余波に襲われたパールの、右の足首から下を斬り落とされたピョコだ。

 彼女の悲鳴、振り返った先、その光景を見て彼が何を思うかなど言うにも及ぶまい。

 大切な親友である彼女を今苦しめているのは神の力だ。神すら憎い。

 だが、すべてを招いたのは目の前のアカギだ。

 こいつさえいなければ……! お前さえいなければ!

 

「あ゙ぁっ、あぁーーーーっ!

 はぁっ、ああっ、うああ゙ぁっ……!」

 

「ッ……!

 グゥガアアアアアアアアアアッ!!」

 

 大切なひとを傷つけられたポケットモンスター達の怒りとはかくも凄まじい。

 赤い鎖に牙を立て、瞳孔の開いた眼のドダイトスを間近とするアカギは、神以上に恐ろしいものと直面している。

 泣いて喚き、あっという間に消耗して声が掠れるパールが死にも瀕するその声が、ピョコの激甚な怒りの炎を決して小さくなどさせないのだ。

 

 捨て去っていたはずの感情、その中にあった"恐怖"。動揺の声さえ溢れず、息を呑むばかりのアカギの精神を、神でもないドダイトスが追い込んでいる。

 それから目を切れなくなったアカギの背後から、パルキアの亜空切断が鎖を再び傷つける音と実感が、我すら忘れていたアカギの意識を引き戻す。

 

「っ……けだもの風情が……!

 私は屈さぬ……! 悲願はもはや、目の前にあるのだ!」

 

 恐怖がある。自覚もある。それが自分を敗北へ導くものであるともわかっている。

 だからこそ、果たさんとする大願を想起して、退けぬ意志を、屈してならぬという感情を、己を奮い立たせるかのように取り戻す。

 眼前の怪物は恐ろしい。神の力は畏ろしい。すべてわかっていたことだ。

 恐怖をも、戦慄をも、十数年に渡って願い望んできたこの渇望が凌駕する。

 パルキアの力とピョコの牙で、めきめきと音を立てて砕けかけていた赤い鎖は、アカギの不撓の精神力で以って未だ崩れ落ちない。

 

「先に死ぬのは貴様だ! 無念への覚悟をしろ!

 この聖戦に不届きにも踏み込んだ愚を悔いるがいい!」

 

「グッ、ガ……ガアアアアアッ!!」

 

 パルキアの亜空切断をはじき返す赤い鎖、それによって生じた余波がパールを苦しめるように、その余波はピョコをも襲っている。

 大樹の殆どは切り裂かれ、甲羅の一部を削ぎ落とされ、今は後ろ脚を一本斬り落とされた。

 己の重さを活かした体当たりはもう出来ない。だから鎖を噛み砕こうと続ける。

 空間ごと断ち切る力に自らをバラバラにされかけながら、その痛苦に喘ぎつつも食い下がる姿は壮絶だ。

 アカギの目にも、ピョコ自身の得る感覚にも、このドダイトスの死が時間の問題であることは明白であっただろう。

 怒りと憎悪で苦痛を忘れ、命に代えてもアカギを食い殺し、パールをこれ以上苦しめてなるかと命を削る凶獣は、やはり力尽きる寸前に違いないのだ。

 

「っ……ゔぅぅ……

 ピョコぉ、っ……」

 

「!?」

 

 誰の目にも明らかだったこそ。

 ただでさえ全身傷だらけで、片足を斬り飛ばされても食い下がる友達の姿に、これ以上耐えられなかった少女もあったのだ。

 片腕を失っている身でありながら、その痛みで涙と鼻水でいっぱいになった顔でありながら、葉っぱのシールが貼られたボールのスイッチを押し。

 絶句してボールに戻されていくピョコの姿が消え、そのボールを握りしめたパールが、鞄にそれを押し込めて。

 そして、残された腕と胸だけでぎゅっと鞄ごと抱きしめて、鞄の中に収められたボールから誰も出てこられないようにする。

 パッチも、ニルルも、ミーナも、ララも、フワンテも、ピョコさえも。

 彼女の体を突き飛ばしてまで、自らの意志でボールから飛び出しては、か細い彼女の身体を自分達が壊してしまうからだ。

 

「みん、なっ……ごめんねぇ……

 こんな、とこに……連れて、きちゃってぇっ……」

 

「愚かな……!

 かすかな勝機さえ自ら手放すとは……」

 

 ドダイトスの姿が消えたことで、アカギはパルキアに真正面から向き合う形を取る。

 パルキアの攻撃さえ耐えられれば。ドダイトスの追撃は無くなったのだ。

 未だ苦しいが状況は好転している。耐えきってみせる。

 アカギはパールのことを脳裏から締め出し、神との一騎打ちに集中する。

 

「あばれない、で……私、もう……だれか死んじゃうのは嫌だよぅ……

 かみさまが、きっと……なんとかして、くれるから……」

 もう、無茶は……しないでよぉ……」

 

 腕を失い、片足首を失い、それに相当する痛みの中にありながら、鞄を抱きしめて背を丸くするパールは、掠れた声で身内に訴える。

 鞄が揺れている。中のみんながパールを守るために、ボールから出たくてしょうがないのだ。

 エムリットの力の残滓が残るここにおいて、パールの友達六人の声もまた、彼女の脳裏に響いているはずだ。

 それは自分達を守るために、切り刻まれた我が身の痛みを耐えるパールの姿に、やめて僕達に俺達に――あなたをお前を守らせてと訴える悲痛な声。

 

 それでもピョコが神の力によって脚を一本失った光景を目にしたパールは、誰一人としてボールから出てくることを許さない。

 ギンガ団のアジトでパッチの死に直面しかけた彼女にとって、最も恐ろしいことは自分自身の死ではないのだ。

 己が今まさに体験しているこの痛み、だからこそそれをもたらすこの場に、誰一人として大切な友達を踏み出させることなんて出来ない。

 鞄の中の六つのボールがどれだけ騒いでも、そこから聞こえる心の涙声がいくら聞こえても、パールは鞄を抱きしめる自分の身体に弱めない。

 

「みんなっ……大好き……

 いなく、ならないでよぅ……」

 

「っ……黙れ! 私は間違ってなどいない!

 情に絆されて私を否定するんじゃあない!!」

 

 パルキアの攻撃に耐えつつも、脳裏に響く声を振り払うように叫ぶアカギが退けんとしているものは何か。

 ドンカラスの声だ。ギャラドスの声だ。マニューラの声だ。

 どれだけ自分が傷ついても、大切な友達を守るために身を呈す人間の姿を感じ、その姿に何も感じずになどいられようものか。

 アカギの想いを叶えたかった。穢れたこの世界を一新したいという彼の想いに、自分達を大切にしてくれた恩義からここまで従ってきた。

 今でもアカギを悲しませたくないとは思っている。彼が叶えたい何かを叶えられず、絶望してしまう姿を想像するだけで胸が痛くなる。

 自分達は今ここで、頑張れアカギ、負けるなご主人と心の声を訴えるべき局面だとも、彼に育てられた者達は理解しているはずなのだ。

 

 だけど、やはり、この世界は穢れ果ててなどいない。

 あんなにも、自分自身の苦しみを耐え忍んででも、大事な友達を守るために尽くせる人間がいるじゃないか。

 あんただってこの世界の一部だろう?

 俺達をここまで育て上げてくれたあんたそのものが、穢れし救いの無い世界という理屈に反する最大の根拠だったんだ。

 あんたの望みが叶っちまえば、この世界はゼロになってしまうんだろう?

 この世界には、きっと、無くしちゃいけないものがあるはずなんだ。

 あいつもきっとそうだ。あいつらはそういう奴らのはずだ。

 それに、あんただってそうだ。

 この世界をぶち壊し、そして自分も消えようだなんて寂しいこと言うなよ。

 俺達は、あんたにいなくなって欲しくなんかないんだよ。

 

「っ……黙、れ……!」

 

 嘘一つ無い、身内の切願する声も、今のアカギには正しく届かない。

 ずっと自らを肯定し続けてくれた仲間達でさえ、これほど望んでいる自らの道を阻まんと、強い心の声で以って制そうとしてくる声としてしか届かないのだ。

 感情の蓋を失ったアカギの、怒りではなく、嘆きを含む搾り出したような声が、十数年ぶりの悲哀に苛まれる彼の心情そのもの。

 そして揺らいだ感情は、彼を守る鎖に著しい影響を及ぼし、びしばしとひび入り始めたその様相にまで表れ始めていた。

 

「――――!

 ガギャアアアッ!!」

 

「ぐ、ぅ……」

 

 勝利を確信したのはパルキアだ。

 赤い鎖の魔力が自らの余力を削ぎ落とし続けてくる中、ここにきていっそうの力を込めた亜空切断を放つ。

 アカギの感情が揺らぎ、信念を貫き通さんとする意志にかすかででも陰りが出れば、赤い鎖が弱くなることなどパルキアには知れた話だ。

 元より時間をかけるべき勝負ではない。ディアルガが控えているとは言ってもだ。

 何よりもパール、その肉体に本質的な傷一つつけていないとて、幼くか弱いかの少女を己の力が苦しめている。

 この世界を護り通さんと奮戦してくれた幼き勇者を、一刻も早くアカギを葬り、空間を整えて苦しみから救うこともまたパルキアが自らに課す命題だ。

 

「こ……ここ、まで……なのか……?」

 

 パルキアの攻撃で鎖に刻み付けられる傷は、長く彼を囲いこむ鎖全体にばしばしと駆け抜け、崩壊寸前の様相を隠せなくなってきた。

 時間の問題だ。仮にパルキアの攻撃に耐えきって、パルキアを鎖の魔力で制し果たしたとて、続き顕れるであろうディアルガを凌げるのか。

 長く目指してきた夢の終わりをいよいよ意識し始めたアカギも、ぎりぎりの精神力で鎖を保っている。だが、それももう長く続かない。

 

「あ……アカギ、さん……」

 

「黙れ! 貴様の声など聴きたくはない!」

 

 向こう十年分の痛みにこの短時間で苛まれるパールは、もはや死相さえ思わせる顔だった。

 そんな彼女が瞳を上げ、心折れかけたアカギに呼びかける声を、語りかけられし者は夢砕きし者を憎らしく睨む眼で怒号を返すのみだ。

 その振り返った瞳に、痛苦の地獄の末にやつれ果て、大きく開けぬ目で顔面蒼白の少女の姿が映れば、あまりの姿に言葉を失いそうにさえなるけれど。

 

「この世界……無くしちゃ、駄目ですよぅ……

 アカギさんのことだって……大好きな子達が、いっぱい……」

 

「黙れと言っている……! ふざけるな!

 貴様に幼少の頃大切なものを取られた者の気持ちがわかるか!

 こんな世界は間違っている! 創り変えられねばならぬ!」

 

「間違ってなんか、ないですよぅ……っ!

 アカギさんが、美しい世界を創ってきたはずですよおっ……!」

 

 突き刺さり、引き裂く、アカギの心を乱す言葉。

 感情渦巻くこの小世界、ドンカラスやギャラドスやマニューラの魂の叫びさえ耳にするパールの口から搾り出される真意は、アカギの胸を劈いている。

 アカギを愛する彼の仲間達の感情の嘆きは、我が身を断ち切られる痛みの渦中にあるパールに、その痛みにも匹敵するものとして彼女の心を打ちのめす。

 いっそうの涙を溢れさせ、必死で叫ぶパールの感情が、アカギの感情に強い糸を繋いだかのように、その苦しみさえ共振させている。

 我が身の苦しみ以上に心に血を流すパールの痛みを感じさせられるアカギはもう、彼女の必死の訴えから意識を逸らせない。

 あれほどの姿になり、立つことも儘ならぬ中、残された身体だけで身内を守らんとし、なおもアカギの過ちを正そうと意志力を振り絞る少女の姿。

 これが自分の半分も生きていないはずの幼き少女の姿なのかと、信じられぬものを見る想いで息を呑むアカギの心境も当然というものだ。

 

「やめて……くださいよぉ……

 私……大好きなこの世界、無くなって欲しく、ないよぅ……っ……」

 

「む、ぐ……ぐううぅぅぅ……っ!」

 

「ガギャギャアアアアアァァァッ!!」

 

 パルキアの力が再び赤い鎖を激しく痛めつける。

 ばきん、と決定的な音が鳴る。鎖の限界だ。

 次の一撃で砕け散る鎖の気配を感じ取らせられたアカギに、いよいよ夢の終わりが確定する瞬間が訪れようとしている。

 

 神への敗北。それ以上に、かの因縁深き少女への敗北。

 先の一度の敗戦に続き、満身創痍のパールの涙目の訴えとその切実さに呑まれかけた自らに、アカギも理解せざるを得なかっただろう。

 新世界を創り上げる器は己には無かったのだ。

 

「……………………パール」

 

「アカギ、さん……」

 

 パールに背を向け、パルキアと今一度向き合うアカギは、憤怒に満ちた表情で自らを見下ろす神と再び直面する。

 恐ろしい姿だ。だが、アカギの心はそれに怯まない。

 もっと畏れるべきものを見た直後というものは、本来肝が縮み上がるべきものを見た時に抱く感情さえ、それに劣るものと映り怖くなくなってしまう。

 あれほど追い求めていた神の力でさえ、今のアカギにしてみれば矮小だ。

 

「……私の負けだ。

 だが、私は神の力に屈したわけではない。

 一度は完全に二柱を掌握し、勝利を目前としていた私が、神々の力に敗れし者だと認識されることは我慢がならん」

 

「ぅ……ぅ……」

 

「私は、貴様に敗れたのだ……! 神になどではない!

 新世界を創造せんとした私を阻んだのは他ならぬ貴様であり、私が超えるべき最大の壁とは、神などではなく貴様だったということだ!

 ああ! 今となっては私を破りし貴様が、神と呼ばれた卑しい獣の力ごときで、情けない姿を晒していることすら腹立たしい!!」

 

 アカギの感情に、再びの火が灯る。そして、それはすぐ炎に。

 折れかけていたアカギの心が燃え上がり、赤い鎖が再び力を取り戻す鈍い光を発し始める。

 敗北を認め、自らが新世界の創世者たり得る器ではなかったと認めた上で、赤い鎖を再び奮わせるその真意とは。

 砕けかけた鎖の最後の力を振り絞り、今のアカギが果たさんとしていることは、パールはおろかパルキアの想像さえ裏切るものに相違ない。

 

「パール! 貴様の名は忘れんぞ!

 必ず貴様を超えてみせる! この汚点を雪ぎ、私は己を創世主たる器を取り戻してみせよう!

 これで終わりだと思うなよ! 私は、必ず再び貴様に立ち向かう!」

 

「ガギャギャアアアアアァァァ!!」

 

「"ギラティナ"よ! 我が声に応えよ!

 その力を以って、この世界のあるべき形を取り戻せ!!」

 

 パルキアの放つ亜空切断が迫るその中で、アカギが呼びかけた神話においても語られざる一つの名。

 それを耳にしたパルキアの目には、はっきりと、人の身がその名を知っていることに対する動揺の意が表れていた。

 放たれた亜空切断が赤い鎖に激突し、ついにアカギを護るそれが、激しい音とともに砕け散った。

 自身の命綱を失ったアカギだが、両腕を広げて天を仰ぐ姿はすでに、パルキアに葬られるのとは別の、自らの末路を見据えていた。

 

 それはある意味で、死よりも恐ろしい顛末でありながら。

 はっきりと未来を見据えた言葉を口にするアカギは、絶望ではなくいっそうの野心を胸に、修羅の道を突き進まんとしている。

 

「ぁ……っ……?」

 

 アカギの見上げるその先を目で追ったパール。そこに彼女は、新たなる異変を目の当たりにする。

 空にばきりと亀裂が入り、空間の裂け目が生じるような光景自体は、パルキアがこの世界に顕現する時に空間を裂いて現れたのとよく似たもの。

 だが、それは美しくなかった。

 パルキアがこの世界への入り口を切り裂いた時の、一筋の裂け目をこじ開けるかのような異界への門ではなく。

 ガラスが乱暴に砕かれ、空の欠片が、空間の断片が宙に舞い、形を失い消えていくような、形容し難いその亀裂。

 空は砕けるものではない。だが、パールとアカギが見上げるその空は、確かに砕けているのだ。

 

「ギラティナ……!」

 

「ぅ…………ぁぁ、っ…………」

 

 割れた空の裂け目から、その眼を覗かせる存在を、アカギは再びギラティナという名で呼ぶ。

 垣間見えるその眼と気迫だけで、それがパルキアら神に比肩する存在であることは、誰の目にも明らかなものがあった。

 パルキアやディアルガは、いかに憤怒に満ちた表情でアカギを裁かんと気迫を発するとて、そこには神々しさや使命に基づく気高さめいたものが残っている。

 だが、割れた空の裂け目からアカギを見下ろす眼は、二柱の神が醸す威光には似ても似つかぬ、極めて俗かつ迫真のものに溢れていた。

 

 殺意と憎しみ、凄まじい怒り。

 それはこの世界という大切なものを奪わんとする者に対するパルキアらの怒りとは全く異質の、己に不遜な声を発する愚かな人間に対する純然たる憤慨だ。

 絶大な力を――パルキアに匹敵する力の持ち主であろうことなど、それを目の当たりにした者なら一目で感じるはず。

 それほどの存在が、感情のままに殺意をむき出しにした眼光は、差し向けられた者が為すすべなく死を迎える己を予期するにはあまりにも充分。

 さしものアカギも腰が引けそうになるのを必死で耐え、パールに至っては体の痛みさえ忘れ、息をすることも出来ずに凍り付くばかり。

 それほどまでにギラティナと呼ばれた存在が発する激情は、あの怒り狂うパルキアでさえ人類に対し温情があったのだと感じさせるほど恐ろしい。

 

「ギゴ、ガ……!」

 

「――――――――ッ!」

 

 あと一撃の亜空切断でアカギを葬れるパルキアが、天高くのギラティナを見上げ、もはやアカギのことなど意にも介さない。

 ギラティナの発する力の前兆を感じ取れば、アカギの撃破など最優先事項でも何でもない。

 大き過ぎるギラティナの力を、ただその意のままに振るわせて、傍観しているだけでは大変なことになってしまうからだ。

 

 ギラティナを見上げて、恐怖のあまり心臓が止まりそうな表情をした少女を、ほんの一瞬だけ一瞥して。

 パルキアは、アカギを仕留めることを諦めると同時、守るべき存在を強く意識して再びギラティナを見上げていた。

 

「ビシャアアアアアァァァ!!」

「ッ、ガギャギャアッ!!」

 

 ギラティナとパルキアが咆哮を発したのは、殆ど同時のことだった。

 果たしてギラティナがどのような力を発揮したのか、それはパールの目には理解することが出来なかった。

 ただ、アカギを仕留めんと亜空切断を何度も放ったパルキアにより、空間の有り様がずたずたになっていた周囲が、少しずつ正常化されていく。

 パールが最もそれを実感する身であり、離れた場所に落ちていた自らの腕と脚が、切り離された空間の正常化により、彼女に近付いていくからだ。

 

 神の力であるべき形を一時失った世界を、元のあるべき形へ。

 空間を司る神、時間を司る神。その絶大で他の何者も介入できない力に、どちらにも対抗できる唯一の存在がギラティナだ。

 パルキアが已む無く乱した世界の様相を、ギラティナの力が正しい形に修正していく。

 そんな中で、パルキアがそこに咆哮とともに己の力も投じるのは、正しき形に戻りつつある世界を、一寸違わず元の形に戻すための微調整を目的としたもの。

 切り離してしまったパールの身体をはじめ、すべてを完璧な形で本来の姿へ戻すため。

 空間を操る力はどうしてもパルキアの専売特許である。ギラティナの反物質の力はそれを修正するが、微細なズレは残しかねない。

 たとえばパールの身体が、ほんの1ミリでもずれた形で偽の原型に戻れば、それは彼女に只ならぬ傷を残してしまう。

 大義のために一度乱した小世界を、何よりもこの世界を守るために全身全霊を尽くした少女に果たせる、パルキアの最後の手向けである。

 

「…………ぁ……………………」

 

「…………これで、私のこれまでの旅路は終わりだ。

 だが、終わりではない」

 

 自分の身体が元の形に戻り、痛みが消えたことにパールの全身から力が抜ける。

 耐え難い痛苦からようやく解放され、ずっと苦しみの中で消耗し続けていた彼女の肉体も精神に、ようやくの安息が訪れるとともにぷつりと糸が切れる。

 心も体も限界だった少女、地獄の終焉、赤い鎖の消失による世界崩壊の阻止。

 張り詰めていたものが切れた少女は、薄れゆく意識の中で顔を上げたその瞳に、ずっと追いかけ続けてきた人の姿を最後に映す。

 

 アカギの背後の空間が、砕けるようにばきりと割れた。

 パルキアの空間を断つ力とは異色のもの。ギラティナが姿を顕した時の空間の割れ方と同じ、すなわちその力。

 ぼんやりと目に映るアカギの姿が、ノイズに乱されたテレビの映像のように歪み、それは人の形を保っているとも言えぬ光景だとパールには見えた。

 だが、そんな中でアカギが発した言葉は、パールの耳にははっきりと、今日一番、鮮明に届いた。

 

「改めて誓おう。私は、必ず還ってくる。

 お前を超えることで、これまでの至らぬ私を超えるために。

 お前が顔も名も知らぬ私をずっと追い求めてきたように――今度は、私がまだ見ぬ未来のお前を追う日々の始まりだ。

 何年かかっても、何十年かかっても、必ずお前に追い付いてみせる」

 

 アカギの表情は、感情的にパルキアと対峙していたその時とは異なり、再び鉄面皮の彼のそれになっていた。

 だが、元より彼が表情の機微に乏しい人物であったことを鑑みるならば。

 それがきっと、彼にとっては、最も彼らしく、真なる胸の内を明かす姿として真摯なそれであったとも言えるのかもしれない。

 

 だから、なのだろうか。

 ギラティナの切り裂いた異界へ取り込まれつつあるアカギは、もはや目視では表情はおろか、形状さえもアカギのそれだと認識し難いものとして現世にある。

 それでもパールには、はっきりと、アカギの表情と声が、人としての魂の形を感じ取るかのように、目と耳と心で感じ取ることが出来た。

 感情と、意志と、知識を司る精の力の残滓に満ちた槍の柱が起こした、長い因縁の末に衝突し、再び道を分かつ両者の間に叶えたささやかな奇跡。

 

「さらばだ、パール。

 また会おう――――――――」

 

 パールに背を向け、異界の向こうへと消えていくアカギ。

 彼の表情を見ることはもう叶わず、だが、完全に消えていく寸前、また会おうの言葉に続いて間を置き、アカギがぽつりと呟いた一言。

 アカギの姿を見失うその時まで、最後まで気を失わぬように必死で耐えた彼女だからこそ、最後の言葉を聞き逃さなかった。

 それもまた、良くも悪くも縁の深かった相手を最後まで見送らんとした、彼女の強い精神が勝ち取った栄光だ。

 

 命の恩人であり、彼の残影を追い続けたからこそここまで大きくなり、それでいて憎むべき世界の敵でさえあったあの人。

 もう一度好きになることも、尊敬することも出来ないかもしれない。だが、今でも嫌いになることが出来ない。

 短い言葉で表現しようもない、複雑な感情を幾重にも抱かずにはいられない奇妙な因縁、その人だった。

 世界を隔て、永劫の別れともなり得るその時、途切れかけていた意識を最後まで保たんと心を保った、パールの心情は彼女だけのもの。

 凄絶な痛みによる涙でいっぱいの顔に、既に枯れたかというほどもう流れなかった涙が、あと一筋零れ落ちて頬を流す。

 それだけ彼女にとって、この別れは得も言われぬものだった。改めて、彼女だけの感情だ。

 

「ぁ……………………アカギ…………さ、ん……」

 

 目を閉じる余力も無く、光を失った瞳を開いたまま、事切れたかのようにパールは意識を失った。

 長い、長い、パールとアカギの因縁の終結。

 世界は滅びなかった。明日はまた訪れる。

 それでも彼女にとってこの一日とその最後は、後から思い返しても何ら誇張無く、一度目の人生の終わりだと思える瞬間そのものだった。



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第142話  迎えられた明日

 

 

「――――――――はれ!?」

 

 夢を見る間も無かった。

 槍の柱でアカギが異界へ消えていく光景を最後に、ぷつりと意識を途絶えさせたパールは、その次の瞬間に目覚めたような感覚だった。

 精も根も尽き果てた彼女は、心も体も気を失った直後から、本当に夢ひとつ見る余力も無かったのだろう。

 さながら意識を失った瞬間から目覚めの瞬間まで、時が飛んだかのような感覚だと言って差し支えあるまい。

 

「へっ!? へっ!?

 ここどこ!? うち!?」

 

 ふっかふかのベッドの上で目を覚ました彼女は、その瞬間にがばりと体を起こして周りを見渡す。

 我が家ではありません。真っ白かつ殺風景な個室。

 清潔感はあるけれど、自分以外誰もいない静かな密室のようであって、目覚めの直後で状況が把握できない彼女にこの光景は意味不明。

 

「…………あれ!? みんなは!?

 わ、私の鞄……ど、ど、ど、どこどこどこ!?」

 

 元気な子だ。最愛のピョコ達、そのボールが入った鞄がそばにないことに気付くや否や大パニック。

 実際のところは、気を失ってからここに運ばれて、長い間目覚めなかった彼女なので、すっかり体力は回復しているようである。

 でも、パールの中では死闘を繰り広げた槍の柱から世界観が一新されていないので、そばに誰もいない状態だと途端に不安になるようで。

 ベッドから飛び降りるようにして立ち上がると、部屋をぎゅるぎゅる首を回して見渡して、部屋の隅の鞄を見付けたら駆け寄っていく。

 そうして、中にみんなが入っていないことを確かめたが最後、さあっと顔色を真っ青にするのである。

 本当に、目が覚めて早々に感情の起伏が激しい子だこと。

 

「――あっ! 目が覚めたのね!」

 

「ふえっ!? だっ、誰ですかっ!?

 ぎ、ギンガ団の刺客ですかっ!?」

 

「ち、違う違う違う!

 落ち着いて、ね? 落ち着いて落ち着いて、どうどうどう……」

 

 お静かな病院にて、目覚めて一人でばたばたしていたパールの音を聞きつけた、看護服を着た女性がその部屋へ駆け付けてきた。

 冷静さの欠片も無いパールは気絶前の環境に頭が取り残されているせいもあってか、どう見てもそうじゃない相手を敵認識。

 鞄の置いてあった部屋の隅で、その隅に背中を押し付けて小さくなると、縮こまって震えあがる始末である。困ったちゃん。

 

 埒が明かぬと早々に判断した看護服の女性は、素早くパールに駆け寄って抱きしめると、ぐいーと抱き上げてベッドの方に運ぶ。

 やめてー、たすけてー、と叫んで足掻くパールの迷惑なこと迷惑なこと。そこまで怖がらなくても。

 とりあえずちゃんと説明してあげないと話にならないので、看護服の女性はふんぬとパールをベッドの上に放り投げて寝かせて。

 ばふんとその首から下を掛布団で覆うと、目をぱちくりさせるパールのそば、ベッドの横に膝をついて目線を近付ける。

 

「大丈夫だから。ここは病院よ。

 あなたはもう、安全な所にいるの。

 だからとりあえず、落ち着いて?」

 

「びょ、びょーいん……?

 びょーいんってなんですか……?」 

 

「まずそこから?

 えーとね……ああもう、病院は病院だから……」

 

 かぶせられた布団で自分の身体全部を守るかのように、両手で布団を引き上げたパールが、目だけ出した状態で看護服の女性を恐る恐るの表情。

 苦笑する女性も、パールがどれだけ過酷な世界から生還したのかは聞かされているため、その対応も寛容だ。

 頭くちゃくちゃでバカになっているパールに呆れもせず、少しずつ、ゆっくりと、今の状況というものを紐解いて話してくれるのであった。

 

 物分かりが悪すぎるパールのせいで、長くゆっくりとした説明に反して伝わったことは少なかったのだが。

 ともかくようやく、パールにここが、ハクタイシティの病院であるということは伝わったようだ。

 ポケモンリーグのチャンピオン、シロナさんや、あなたの友達だっていう男の子二人がここまであなたを運んでくれたのよ、ということも。

 それに至った経緯はパールにも、詳細を自分から語ることを遠慮した女性の説明からは伝わらなかったけれど。

 ともかくパールは、危険な所からはもう救われて、安全な場所にいるということを理解できたようである。

 そうなればようやく落ち着くというもので、目だけ出していた布団から顔を出し、ぼうっと天井を仰ぐのだった。

 

 何回、死ぬかもって思っただろう。思い返すだけでぞっとする。

 幼心にも、今こうして生きていることが奇跡のようなものであることは、感じざるを得ないというところだろう。

 子供は奇跡という言葉をけっこう軽く使うものだが、彼女が感じている奇跡感は決して的外れのそれではあるまい。

 

「あ、あのぅ……私の友達は……?」

「ポケモン達のことね。

 ポケモンセンターに預けられて、長い治療を受けて、もう元気になってるわよ。

 本当にひどい怪我だらけだったから、後遺症が残ったりしないよう、今でもポケモンセンターで精密検査を受けてるところ。

 ポケモンセンターの医療技術は本当に凄いんだから、もう大丈夫だって信頼して大丈夫でしょうね」

「そ、そっかぁ……よかったぁぁぁ……」

 

 あっという間に目に涙を溜めてしまい、それが人前だと恥ずかしいと感じたか、布団を引き上げて顔を隠すパールである。

 なるほど、"あの人"が好きそうな純真な子だ。ポケモン達のことが、大好きで大好きで仕方のない子。

 まして自分が危機から逃れられた安堵でも浮かべなかった涙を、友達の無事を知って浮かべるのだから余程であろう。

 こんなもの、目覚めた彼女と初対面のこの女性でさえ、パールの人格がよくわかるというものである。

 

「………………っ!?

 パール!? 起きてるの!?」

「はぇ……?」

 

 そんな彼女のもとへ、この折に看護服の女性が思うところの"あの人"が訪れた。

 あの日からずっと、朝昼夕にはパールのもとへ訪れていた人である。

 布団に顔をうずめていたパールは、こそっと目元の涙を拭ってから顔を出すと、ここへ訪れたその人物の顔を目の当たりにする。

 

「ぁ……ナタネさ……」

「~~~~~~っ……!

 パールぅっ!!」

「はぐうっ!?!?!?」

 

 やっと、ようやく、目を覚ましてくれたパールを目にしたナタネは、ぶわっと涙いっぱいの目になって、あとはもう止まらない。

 感極まる想いでベッドに寝そべるパールに飛びつくようにして、か弱い彼女の身体を布団の上からでも抱きしめる。

 のしかかっている。スレンダーなナタネだが、パールにとっては重い。

 

「ぐ、ぐるぢぃ……な、ナタネさ……」

 

「ああぁぁ~~~……! ばかばかばかあっ!

 本当に心配したんだからあっ!

 目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと、ずっと……」

 

「た……だずげでぇ……し、しん、じゃうぅ……」

 

 一難去ってまた一難。

 大人の体重と腕力を浴びせられ、締め上げられるパールは身動きひとつ取れず、せっかく取り戻した意識がまた遠のいていくかのような心地。

 死地を切り抜けてきた末にまた死にかけるとは何事か。安全な病室じゃなかったんですか。

 看護服の女性が、どうどうどうとナタネをなだめて引き離してくれてようやく、パールは掠れた息を整えることが出来たようである。

 

 

 

 

 

 看護服の女性が部屋を去り、パールとナタネの二人きりとなった病室。

 ナタネは子供のようにむくれていた。ベッドで体を起こした状態のパールを、ベッドのそばの椅子に座って恨めしい目でじとーっと見つめて。

 まだちょっと涙目である。顔真っ赤。

 言わんとしていることはわかるので、パールも気まずげ一杯にごめんなさいと頭を下げるのだった。

 心配かけてごめんなさい、と。そういうのはまず保護者にやりましょう。

 そうして、涙を拭って水に流してくれたナタネの口から、事のあらましを聞けたことで、パールはようやくあれから何があったかを全て理解することが出来た。

 

 槍の柱で気を失ってしまったパールを発見したのは、サターンとともに山頂を目指し続けていたシロナである。

 テンガン山での彼女のいきさつは、ナタネもシロナからの伝聞でしか知り得ないので、不確かなことも多いのだが。

 倒れたパールのそばには、息も絶え絶えのエムリットが、ユクシーやアグノムとともに囲んでおり、シロナに気付くや否や空の彼方へ消えていったそうだ。

 満身創痍の三湖の精は、パールを麓まで運べる誰かが駆けつけてくれるその時まで、彼女のことを守ってくれていたのだろうというのがシロナの見解。

 パールの味方であるシロナが現れたことで、ほっとするような表情とともに、恭しく微笑んで去っていったという。

 シロナの傍にはエムリット達にとっての怨敵であるサターンもいたはずだが、警戒心無く離れていった姿は、もはや戦意無き彼の本質を見抜いていたのだろう。

 

 ガブリアスにパールを抱えてもらったシロナは、そこでサターンと別れたのち速やかにプラチナやダイヤと合流。

 山を降り、近い街へと下り、病院にパールを運び込んだという始末に至る。

 カンナギタウンかハクタイシティか、どちらが近くて早く着けるかは議論の余地があったものの、選ばれたのはハクタイシティだったようだ。

 たいして差は無い選択肢で、こちらが優先されたのは、パールの親しい間柄の大人がいる街であることが大きかったのではないだろうか。

 

 現にナタネも、パールが病院に運び込まれた旨をシロナから告げられた瞬間、ジムで手が空いていたこともあって病院にすっ飛んできたようで。

 死んだように目を覚まさないパールを前にしての、ナタネの取り乱しようといったら、命に別状がないことを知らさているシロナもちょっと胸が痛んだもので。

 それからナタネは、パールが目覚めるこの瞬間まで、朝に二度、昼に三度、夕と夜に一度ずつ、昨日も今日も通い詰めていたぐらいである。

 まあ、この辺りまではナタネもいちいちパールに話しはしなかったが。

 めちゃくちゃ心配したんだからね! と強い声で訴えるに留まった。パールもしょぼくれてごめんなさいと謝るのみである。

 

 話を総合するところ、パールは二日前の朝にここに担ぎ込まれてから、ずっと目を覚まさなかったということだ。

 今は、テンガン山の頂でアカギ達との私闘を繰り広げたあの夕前から、二日後の夜ということである。

 そんなに長いこと私目を覚まさなかったの!? と信じられなかったパールはポケッチをすぐ見たが、本当に日付がそうなっている。

 どれだけ心配したかわかるでしょ、と溜め息をつくナタネに、またもう一回パールはごめんなさい。なんだか話を聞けば聞くほど気が重くなる。

 同時に、この話がお母さんの耳に入ってやしないかと思ったらぞっとしたパールだが、都合の悪いことはさっさと頭から締め出した。

 無茶しまくってることがあのお母さんに知られたら、きっとめちゃくそにどやされる。耳に入っていないことを祈りましょう。

 

「あなた、何に挑んできたの?

 教えてよ、あなたがそこまで頑張った理由」

 

 さんざん心配かけて、という想いを溜め息で全部吐き尽くしたナタネは、疲れ気味ながら優しい顔でパールに問いかけた。

 たいした理由もなく、危険な世界に身を投じ続けることを好む子じゃない、むしろ怖がりな方であることぐらい、ナタネだってわかっている。

 おおまかな話はシロナからも聞いているにも関わらず、パールの口から聞こうとするのは、彼女の功績を自慢させる時間を与えているようなものだ。

 胸を張って話しなさい、と微笑みかけてくれるナタネに、ばつの悪かったパールも少しずつ救われていく。

 

 パールは話した。すべてのことを。

 ギンガ団の首魁たるアカギの望んだこと、誰かが止めねば世界が終わっていたであろうこと。

 それが決して過言でないと確信できた、槍の柱で垣間見た神々の力の大きさ。

 アカギに勝ったことは、あまり声高に誇ることが出来なかった。その代わり、ピョコ達が凄かったんだよという主張が色濃く出た。

 神話と親しいハクタイシティで育ったナタネにとって、パールが神様を目の当たりにしてきたという話そのものが、ナタネにとっては驚きそのものでもあって。

 自慢げでもなく、得意気でもなく、不器用に話の順番を組み立てながら、テンガン山の頂で起こったことをナタネに話すパールは、ただそれだけで嬉しそうで。

 まさにそれは、こうして再びナタネを含む大好きな人達と、話すことさえ出来なくなることを心底恐れていた裏打ちだとナタネの目には映る。

 聞けば聞くほどナタネには、パールが今日という時を勝ち取るために、一心不乱に戦い抜いた一日の情景が目に浮かぶというものだ。

 

「それで、えぇと、そのまま私は気を失っちゃって――

 あとはその、シロナさんに助けて貰ったんですよね?

 こうして、ここにいるというわけなのです。………………あい」

「あい」

「え、はいって言いましたよ」

「言ってない言ってない。

 急に話すこと無くなっちゃって困った感ありあり」

 

 締まらない幼さにくすくす笑うナタネの表情は、パールを恥ずかしがらせる一方で、彼女の胸をじんとさせるほど温かくしてくれる。

 テンガン山での死闘の時間は、まるで何ヶ月も何年も地獄の中にいたようだった。

 こんな他愛も無い日常さえ、遥か非現実的なかけ離れたものに感じるほど、あの日はずっと命の危機と背中合わせだったのだから。

 

 アカギとどんな風に戦ったのか、仲間達にどんな指示を出していたか、ピョコの背中で自分が何をしたか、具体的になんて一つも思い出せない。

 思い出そうとしても、怖かったことと必死だったことしか思い出せない、いっぱいいっぱいの時間がずっと続いていたのだから。

 回想すればするほどに怖い。今さらになってひしひしと、改めて、いつ死んだっておかしくなかったとパールは感じて身震いする。

 それだけに、こうして当たり前の安息ある時間に身を置いている時間の方がまるで夢のようにも感じ、幸せを感じるほどだ。

 平凡な安息のありがたみは、手放してみないとわからない。

 

「パール」

「あっ、はい。

 も、もう怒らないで下さいね? 私、結構がんばったんですよ?」

「ふふ」

 

 叱られることにびびり過ぎ。笑えてくる。

 もっと怖いものに立ち向かってきたばかりなくせに、大義がなければ本当に弱いんだから。

 

「お疲れ様。よく頑張ったわね。

 ……ありがとう、この世界を守るために戦い抜いてくれて」

 

 頭を撫でて、労いと、そして賛辞にも等しい感謝の言葉を貰えれば、パールも胸がいっぱいになるというものだ。

 彼女のすべての行動を肯定してあげることは出来ないけれど。たとえ、彼女がいなければ世界が終わっていたかもしれないという事実があったとてだ。

 上手くいったからよかったものの、というのもまた事実であり、子供達を導く大人はそれを見過ごしてはいけないのだから。

 

 だけど、一途に愛するもののために戦い抜き、大いなる結実を勝ち取った勇敢な少女には、与えられるべき報いもまた当然ある。

 敬う人から褒めて貰える、ただそれだけですごく嬉しい。顔を真っ赤にして、心から幸せそうに顔をふにゃふにゃにするパールは報われている。

 世界を救ったという途方もない成果に対する報酬が、ただそれだけで満足する無垢な子供を前にすると、ナタネもなんだか敵わないなと思う。

 共にギンガ団と戦った時、自分の後ろで泣いていたあの女の子が、いつの間にか果敢で無欲な、まさしく幼き英雄になっていたのだから。

 

「さっ、パール。

 身体は大丈夫? 歩ける?」

「はい。

 いっぱい寝たから元気で……いたたた!?」

「元気ではないでしょ、あなた結構体じゅう傷だらけなのよ?」

 

 元気アピールなのかベッドからひょいっと降りてみせたパールだが、すっかり忘れていた下半身の傷にびりびり。

 ピョコの背中に跨っていた時、あれだけエアスラッシュやエアカッターの渦中に晒されて無傷なわけがない。

 傷跡が残らないよう高水準の手当を施された上で、包帯ぐるぐる巻きにされた自分のふくらはぎを見て、パールは改めて危険なことしてたなぁと痛感する。

 

「みんなに会いたいでしょ?

 ポケモンセンターに行きましょ」

「はいっ!」

 

 痛くたって関係ない。歩けないほどじゃない。

 じゃあ、一秒でも早くピョコに、パッチに、ニルルやミーナやララやフワンテに会いたい。

 あんまり退院して欲しくない病院側も、事情はある程度聞き及んでいるだけに、ポケモン達との再会を遅らせるのは少し酷かなと便宜を図ってくれて。

 今の怪我した彼女をあまり歩かせるのも良くないという事情との折衷で、車を出してくれるほどである。

 

 この融通の良さは、ハクタイシティの顔であるナタネが同行しているからではない。

 神話に親しいこの街の人々だからこそ、パールの成し遂げたことに対する評価と恩恵を、疑うことなくもたらしてくれている。

 それだけ、パールが果たしたことは偉大だったということだ。

 彼女が彼女自身が思う以上に、これから世間に大きく評価されてしまうのは、まだもう少し先の話である。

 

 

 

 

 

「さあ泣くぞ泣くぞ、絶対泣くぞ~。

 パールは泣き虫だもんねぇ~」

「ぜ~ったい泣きません。

 そういう風に見てくる人がそばにいるんだったら耐えてみせる」

「無理無理、あなたは絶対大泣きする。

 付き合いの短い私でもわかる」

「泣きませんってば! 意地でも泣きませんよっ!」

 

 夜のハクタイシティを行く車がポケモンセンター前で止まり、パールとナタネは病院の人にお礼を言って。

 車が走り去ってポケモンセンターに向かう中、ナタネがパールをよくいじる。

 聞く限りでも相当な死闘であっただけに、パールのポケモン達が命の危機に瀕する局面に何度も直面したことぐらい、ナタネも想像に難くない。

 そんな彼ら彼女らの姿をそばで見ていたパールだけに、元気になったみんなの姿を見たら、即感涙なのは読め過ぎてつまらないぐらい。

 みんなに抱きついてぎゅーってして、戦い抜いてくれたことに何度も感謝して号泣、ここまで確定、鉄板、不可避、絶対。

 泣いたら余計にいじられるとわかっていれば、パールもむくれて絶対我慢してやると意地を張っているが、無駄な努力もいいとこだとしかナタネには思えない。

 

「ボールからみんなを出した瞬間が勝負よ?

 そこまで言って泣いちゃったらあなた、結構かっこ悪いわよ~?」

「だから我慢してみせますって。

 私ナタネさんが思うほど泣き虫じゃ……」

 

 ポケモンセンターのドアが開き、ピョコ達を預かってくれているお姉さんの方へと歩いていくパール。

 ナタネの方を向いて歩いていたから、前をあんまり見ていなかったけど。

 ポケモンセンターに入ったことで、早くみんなに会いたい想いで浮き足立ちそうな想いを抑え、普通の足取りを保ったまま前に進んでいこうとする。

 

「…………あ」

 

「パール……!」

 

 そこに、彼はいた。

 パールが病院に担ぎ込まれてから、ずっとこの場所で待っていた友達。

 パールが目覚めるまで、朝も、昼も、夜もここで待ち、彼女が目を覚ませば必ず来るであろう、この場所で。

 彼女が目覚めるまで病院に居座るわがままをせず、自ずと目覚めた彼女が姿を見せるその瞬間まで、この施設のエントランスで彼は待ち続けていたのだ。

 

「プラ、ッチ…………」

 

「よかった……!

 目を覚まさなかったらどうしようかって……」

 

「っ……プラッチ……!」

 

 不意打ちなんて駄目だ。

 まして、ギンガ団アジトでの戦いで大怪我を負い、あちらで入院しているはずだと聞いていたあの親友が。

 両足で立ち、パールの無事に少し涙ぐみさえして歩み寄ってくる姿に、もうパールは止まれない。

 ナタネと話していたことなんて一瞬で吹っ飛んだ。我慢できずに痛む脚で駆け寄って、躓きかけてプラチナに慌てさせながら、飛びつくように彼に抱きついた。

 

「プラッチ……!

 プラッチ、プラッチ、プラッチぃっ……!」

 

「ちょ、ちょ、ちょ、ぱ、パール……!?

 い、いきなりはびっくりす……」

 

「うぅぅ~~~~~っ……! プラッチぃぃ……!

 プラッチ……プラッチ~……っ……」

 

 抱きつかれた瞬間こそ、意中の女の子と身体を密着する不意打ちに、あっという間に顔を真っ赤にさせたプラチナだったけれど。

 己の肩に額をうずめて震え、涙声で幾度も名を呼んでくれる親友の姿には、雑念がすべて洗い流されていく。

 本来ならば、初々しい少年の慌てふためく顔を見て微笑ましい気分になるはずだったナタネも、見守る中ではそんな想いもすぐに捨て去った。

 この再会は茶化せない。たとえ数秒前に、泣いたらあれだぞとパールと談笑していたやり取りがあって、その矢先のことだったとしてもだ。

 死の淵を駆け抜けたパールを支えたのは、彼女のポケモン達だけではないのだ。今のパールを見ていれば、本当にそれがよくわかる。

 

「わたし……わたし、っ……がんばったよぉ、っ……

 プラッチ、おこらず褒めてよぅっ……

 よく頑張ったねって言ってよぉ……っ……」

 

 大人達に叱られたように、プラチナにまで小言を言われることを恐れての発言ではなかった。

 纏まらぬ頭で絞り出した本心は、尊敬する先輩トレーナーの前では礼儀正しく、最後の最後で調子に乗ったことを言わないパールにして。

 心の内を隠さず話せる、同い年の親友を前にして、幼い彼女が発する子供らしい言葉だったというのみだ。

 褒めてほしい、なんて誰が言えるか、誰に言えるか。言える相手は余程に特別だ。

 

 誰にも真似できないほど、パールは間違いなく全身全霊で戦った。恐怖を乗り越え、血に濡れてなお。

 大好きな人に、頑張ったねって褒めて欲しくもなるだろう。嫌なこと一つ言わず、ただただ頭を撫でて、甘やかして欲しい。

 パールが最もそれを求める相手がここにいる。ナタネじゃない。

 自分の悪いところも全部知っていて、それでも離れずずっとそばにいてくれた、長い旅の中では肉親以上に心委ねられる唯一無二の人だ。

 

「…………頑張ったね、パール。

 本当に……本当に、よく頑張ったよ。

 パールのおかげで、世界は壊れずに済んだんだ」

 

「みんなもっ……みんなも、頑張ったんだよぉ……

 死んじゃいそうになっても……傷だらけになっても……

 みんなのことも、いっぱい……いっぱい、っ……」

 

「うん。みんなのことも、いっぱい、いっぱい褒めてあげようね。

 大好きだもんね、パール。みんなのこと」

 

 人目もはばからず、照れ一つ無く、プラチナはぎゅっとパールを抱き返し、頭を撫でて彼女の一番欲しい言葉を迷いなく発していた。

 意中の女の子と抱き合うことに少年は、胸がときめく想い一つ無い。

 愛しさはあろう。きっと、これまでで一番。

 それ以上に、ただただ無二の親友が、闇を駆け抜け光に手を伸ばし、未来を勝ち取ったことに対する感慨と賞賛の本心がずっと勝る。

 そこに雑念など一つも混ざりようがない。最愛の親友の歓喜を胸を合わせて受け止めて、その感無量に我が胸までいっぱいになるばかりなのだから。

 

「大丈夫だよ、パール。

 僕は知ってるから、パールが守りたかったもののこと。

 やり遂げたんだよね。すごく、今までで一番、頑張ったよ」

 

「ううぅぅ~~~~~っ……

 プラッチ、っ……ありがとうぅぅ……」

 

 ピョコ達と再会したって泣かないぞ、なんて出来るはずもないことを息巻いていたパール。

 もう既にその前からぶっ壊れてるじゃないか。ナタネも苦笑せざるを得ない。

 でも、仕方ないよねって思う。ああいう子なんだから。

 からかえないなぁ、と思うほど、衆目に晒されながら二人の世界に入っているパールとプラチナに、ナタネも微笑ましく見守るものである。

 まあ、数年後にはいい思い出になっていそうだとも思うけど。

 二人がもう少し大きくなってから、今日のことを掘り返してやれば、二人そろって赤面させてあげられそうである。

 そんなことを考えるぐらいには、ナタネにもいたずら心は残っているようで。

 

 そして、そうしてずっと先のことを楽しみに思えるのも、明日が約束された平穏の中であってこそ。

 守り抜かれたものの大きさは、意識しなければわからないほどに大き過ぎるのだ。

 歴史的な出来事というものは、得てして意外とそうしたものである。

 

 

 

 

 

 さて、そんなやりとりの後、鼻をすすって涙を拭ったパールが、ポケモンセンターのお姉さんから6つのモンスターボールを受け取って。

 握り慣れたシールが貼られたボールを受け取ったその瞬間に、パールの横顔が喜びに満ちていたことなど、はなから誰しもの予想どおり。

 はやる足でポケモンセンターの外に出て、夜空の下の暗い中でも、パールの心は太陽に照らされているにも等しいほど明るい。

 鞄に入れもせず、両手で持ってきたボールを固めて置き、どきどきする胸の鳴りを抑えて数歩退がる。

 プラチナとナタネは、パールの後方でちょっと離れて見守っている。今ばかりは水入らずだ。

 

「ねえプラチナ君。

 パールまた泣くかな?」

「いや~、流石にもう枯れてるでしょ……

 あれだけ泣いた後にまだ出たらむしろ凄い」

「でもあり得る」

「あり得ますね」

 

 悪い会話してる。陰口でいじられるパール。

 みんなと再会したら号泣確定のパールの性格はわかっているけど、あいにくプラチナとの再会時に充分泣いてしまった。

 ではこの後、ピョコ達と再会したらどうなるであろうか。あれだけ泣いた後にまた泣くんだろうか。

 流石のパールもそこまでじゃないとプラチナもナタネも読んでいるが、あれはちょっとわからない。

 

「みんなーっ! 出てきて!」

 

 夜の街で近所迷惑になりそうなほど大きな声を発したパールに応じて、6つのボールからみんなが飛び出してくる。

 6つ同時にだ。誰もが、待ちわびたとばかりに。

 一秒でも早くパールの前に、元気な姿を見せて再会したかったであろうに、呼ばれるまでは誰も抜け駆けしなかったのだから本当にみんなお行儀がいい。

 

「ピョコっ! パッチ、ニルルっ!

 ミーナっ、ララ……えぇと……っ、"プーカ"!」

 

 みんなのことを一人ずつ名を呼び、最後に一人、まっすぐその目を見て、ずっと考えていた名を呼ぶ。

 パールの仲間に最後に入ったフワンテも、自分のことをそう呼んでくれたのだとはっきりわかった。

 名付けたその名が気に入って貰えるか、内心そわそわ緊張していたパールの前、初めて名前をつけて貰えた経験にフワンテは少し戸惑っていたけれど。

 すぐに嬉しい気持ちがこみ上げてきて、その嬉しさを全力でパールに伝えるべくか如く、ぴゅーんとパールの胸元に飛び込んでいく。

 ぶつかる寸前にきちんと減速し、相手の胸を痛めさせない配慮もちゃんとして。

 両手で抱きしめて受け止めるパールも、気に入って貰えたことが嬉しく、受け入れられるかどうかの不安が消えたぶん喜びも膨らむというものだ。

 

「みんな……っ、わわわっ!?

 ちょ、ちょと、ミーナララ……っ、うひゃあああっ!?!?」

 

 そして、プーカと名付けたフワンテを抱きながら、みんなを前にしたパールはもう、伝えるために用意していた言葉が全て飛んでいる。

 感謝だったり、再会できた喜びだったり、言いたいことなんて山ほどあるのだ。

 だけど、いざみんなを前にした途端にそれら全部で頭がいっぱいになり、最初の言葉が選び抜けなくなってしまう。

 はいはいわかってる、どうせそうだろうなって思ってるのはみんなそう。

 だから足の速いミーナとララが、しゅっとパールの両横に駆け込むと、彼女の腰とお腹を両手で捕まえて力任せに持ち上げる。

 担ぎ上げられたパールは攫われたように運ばれ、ぴょいっと彼女を放り投げたミーナとららによりピョコの背中の上へ。

 

 みんなわかってる。とっても悔しいし嫉妬もするけど。

 パールの一番はピョコなのだ。誰のことも等しく愛してくれるパールだし、あの子が序列なんてつけないのはわかっているけど。

 それでもピョコ以外の5人は全員、最もパールの心を奪えるのが誰なのか認めている。

 そこがあなたの特等席で、あなたが最初にぎゅってしてあげるべきはそいつだって、みんな微笑ましく甲羅の上で目をぱちくりするパールを見上げるのみ。

 しれっとララが、ぺちんとピョコの甲羅を横から叩いている。譲ってあげたんだぞ、という恩着せ混じりの笑顔と共に。意外とそういうところもあるらしい。

 

「……………………ピョコ。

 ありがとう、本当に」

「――――♪」

 

 パールはピョコの甲羅の上で座り直すと、お尻をずらして前に進み、ピョコの頭に手が届く場所まで移って。

 恭しいほど感謝のみならず、恩義と敬意さえ込めた声を静かに発して、最愛の恩人の頭をそっと撫でた。

 上から頭を撫でてあげて、心はずっとずっとピョコの下から見上げるようでいて。

 ピョコも奥ゆかしく、今パールがどんな顔をしているのか見たい気持ちを抑えて、振り向きもせず微笑んで喜びの声を出すのみだ。

 泣いてるかもしれないから。だとしたら見られたくないだろうな、って思うから。

 

「――――――!」

「~~~~♪」

 

「ひゃわわわっ!? 一気に来たぁっ!?」

 

 さて、感謝を告げられる一番手を譲ったらあとはもう遠慮しない。

 ミーナが真っ先にパールに前から飛びついて押し倒し、ピョコの甲羅の上で仰向けにさせられたパールの上に乗る。

 自分の両脚でパールの太ももを挟んで、彼女のお腹に顔をうずめてすりすり、ぎゅっと抱きしめてもう話さない。

 ララも飛んできた。爪を立てないように両腕でパールの頭を抱きしめ、ピョコの甲羅の上でパールをぎゅ~。

 ニルルもララの反対側からパールの顔のそばで甲羅に張り付くと、ぬるぬるボディでパールに頬ずり。

 身体の大きいパッチは大渋滞の甲羅の上に飛び乗りこそしなかったが、わたわたするパールの手に額を擦り寄せ、静電気でぱちぱちとパールに自分を伝える。

 撫でてよ、という訴えだというのはパールにもわかり、三人がかりでもみくちゃにされる中で、パールは抵抗する片手も奪われた。

 こんないじらしく甘えられたら、手探りででも頭を撫でてあげずにはいられないじゃないか。

 そんなパールを上から笑顔で見下ろしていたプーカも、ふわ~っと降りてきてパールの胸元にぽすりと降りる。

 抱き返してくれなくても構わない。大好きなパールの胸元はプーカのように、ベッドのように身を預けるだけで幸せな場所だ。

 

「っ、っ……みんな、ありが……っ……

 あははははもう駄目~! くすぐったい、我慢できない~!

 一回はなれて~!」

 

 感謝の意を言葉にする前、パールが言葉を詰まらせていたのは感極まってではない。単に超くすぐったい。

 ミーナにお腹すりすりされて、ララのふわふわ体毛に頬をくすぐられ、ニルルにぬるぬる首元を滑らされ、プーカに胸元でもぞもぞされて。

 背筋ぞわぞわするほどくすぐったくて流石にパールも抵抗しようとしたのだが、ミーナもララもニルルもそうはさせない。

 パッチはパールの手首を牙を立てないよう咥えて、抵抗できないよう押さえつける。もう片方の手はララががっちり押さえている。

 身体を逃がそうにもミーナがお腹をがっちり捕まえている。ニルルがくすぐるようににゅるにゅるパールの首元の撫ぜるから、パールの全身に力が入らない。

 そして手を伸ばしたプーカは、パールの両肩を押さえつけており、みんなと同じようにパールを逃がさぬよう一役買っている。もうすっかり仲間入り。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、やめてっ、しぬっ、あははははは!!

 たすけて~! プラッチ~! ナタネさん~! せっかく生き延びたのに~!」

 

「どうする?」

「ほっときましょう。たいへん幸せそうです」

「同感」

 

「だれか~! だれか~!

 ピョコもなんとかしてよ~! へはっ、えふっ、あはははは……!」

 

 だめだめ、逃がしません。ピョコもすんとした得意顔で微動だにしない。背中の上のみんなを邪魔しない。好きなだけ好きなようにさせる。

 みんなどれだけ待ったと思ってるんだ、今ぐらい好きにさせて貰うぞと、大好きなご主人に甘えるみんなの猛攻は止まらない。

 膝より下をばたばたさせるのが精一杯で、なんにも出来ないままこちょばされるパールは、有り体に言えばくすぐりの刑に処せられた拷問状態。

 悲鳴と笑い声の入り混じる声を、暗くなった町で人目も憚らずあげるパールのせいで、何事かと思って寄ってくる通行人もいるのだけど。

 大丈夫大丈夫、事件性とか無いからそっとしておいてあげて、と、プラチナとナタネがそれらの人々を退けて楽しんでいる始末。

 誰もパールを助けない。嬉し死ねばよろしい。

 

「だっ、だれかっ……たひゅけてぇ……

 うれしいけど、しんじゃうぅぅ……♪」

 

 何十秒もその猛攻に晒されて、足をばたつかせていたパールも余力を失い、糸が切れたようにその脚をぱたりと甲羅の上に横たわらせてしまっても。

 まだまだ続く。特にミーナが悪い顔をしている。

 まだまだみんな手を抜くなよ、と顔を上げて仲間達に呼びかけるような声を彼女が発したが最後、ニルルもララもプーカもパッチも猛攻継続。

 こちょこちょ、ぬるぬる、むにむに、もふもふ。甘えて甘えて苦しめる。肌を介して、体の芯まで、果ては魂にまで愛を伝えるかの如く。

 身動きひとつ取れないまま、やむどころか激しさを増していく総がかりのラブラブアタックに、もはやパールは全身ひくつかせて息も絶え絶えであった。

 はひっ、へあっ、たすけてっ、と消え入るような声でのみ解放を請うパールの声は、何ら救いも彼女にもたらさないのである。

 

 結局数十秒どころか、数分間に渡ってパールはいじめられまくって、ようやく気の済んだみんなが離れたことで解放された。

 甲羅の上でぐったりとしたパールはもう、腰が抜けて立てやしない。

 痙攣したように体を跳ねさせながら、途切れ途切れの息を整えることも儘ならず、見上げた夜空の月に目の焦点も合わせられないくたばりかけ。

 彼女自身も言っていたことだが、あの死闘を切り抜けて生還した今、なにゆえまた死にかけねばならぬのやら。それも仲間達の手で。

 

 ああ、でも、たまらない。心の底から。

 こんな馬鹿な遊びでみんなと触れ合える今日さえ、あの日槍の柱での戦いで敗れて世界が崩壊していたら、ここには存在していなかったのだ。

 何気ない日常。過激なスキンシップで非日常的と言われようが、日常。

 大好きなみんなと触れ合える今日は、それを喪いかけていたことを誰よりも痛感している彼女だからこそ、何にも代えがたい幸福であると心から理解できる。

 

「はっ……は……ひ……

 し……っ、しあわ……せぇぇぇ……♪」

 

 呼吸も儘ならない中で、パールは今の気持ちを最も表す言葉を、搾り出してでも口にしていた。明確な、意志を以ってだ。

 みんなに伝えたい言葉は沢山ある。"ありがとう"も"大好き"もそう。

 ちゃんと一人一人に計5回、しっかり伝えたがるパールだから、そんな余力も無い中では、骨抜きにされた今その選択肢が無いというだけ。

 目を拭うための手に力も入らない中で、頬を一筋つたうその雫は、この幸福を心と体でいっぱいに感じる彼女の心境をよく表しているはずだ。

 まだ溢れるんだね、と、プラチナもナタネも感心するばかりであった。

 

 "今日"は訪れたのだ。あの日にとっての"明日"。

 世界は、シンオウ地方は、仲間達のことが大好きな少女が、ただ大好きな誰かのそばにいられるだけの世界は、終わりを告げずに今ここにある。

 それを勝ち取った少女が最も、その幸せの価値を最もよく知っている。



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第143話  罪には罰を

 

 

「………………あっ、来た」

「いやいや、ちょっと……

 余計なものがついて来てるじゃないのよ」

 

 そこはテンガン山の一角だ。

 広大かつ、人の手で均されてない場所に満ちたテンガン山は、追っ手の目を避けたがる隠遁者達には絶好の隠れ場となる場所がいくつもある。

 マーズとジュピター、シンオウ地方で指名手配されている二人はあの日以来、この山に身を隠していた。

 

 アカギはパールに敗れ、神の力を手にすることも敵わぬまま姿を消してしまったことも、サターンから通信機を介して既に聞いている。

 ギンガ団の野望は潰えたのだ。シンオウ全土の人々を敵に回し、首魁は消え、神々に手を届かせる手段ももう無い。

 自分なりには大いなる悲願を掲げていた二人の夢も、もはや永遠に道を閉ざされた。

 これからのことを考える気分にもなれぬほどの喪失感に見舞われた二人は、意気消沈してこのテンガン山に潜んでいたというところである。

 

「すまないな、二人とも。

 こんな寒い場所で何日も待たせてしまって」

 

「そんなことよりあんたの後ろのそいつ何?

 警察みたいなもんでしょ」

「やるなら全力で抵抗するわよ。

 敵うかどうかなんて関係ないわ、あんたみたいなのの思い通りになるのだけは嫌だからね」

 

 夢断たれ、肩を落としていた二人をこのテンガン山に留めたのはサターンだった。

 ギンガ団の夢が破れたことを二人に伝えると同時、最後に顔を合わせて話そうという旨とともに、サターンは二人に山で待つことを頼んでいた。

 もしも二人が自棄になってしまい、山を降りてお縄につくことになってしまえば、きっと二人とは長く長く顔を合わせることも叶うまい。

 話せるうちに、最後に一度だけ。やけにならぬよう二人を促し、サターンは今再びマーズやジュピターとの再会を果たすことが出来た。

 

 が、マーズもジュピターもモンスターボールを手にして身構えている。

 何せサターンだけで来ると思ったら、シロナまで一緒ときたもんだ。

 これが味方はあり得ない。ギンガ団残党の筆頭をとっ捕まえにきた刺客の匂いがぷんぷん。

 しかしシロナは、マーズやジュピターとの対峙に渋げな顔こそしつつ、両手を前にして首を振る。

 

「心配しなくてもあなた達を捕まえて警察に突き出そうとしたりはしないわよ。

 こいつとそういう約束だから」

「いてっ。

 頭にグーパンって気安過ぎるぞ」

「あたしはこいつのそばを離れられないからね。

 それでもこいつがあんた達と最後に会いたいって言ってるわけ。

 あんた達には色々と思うところありまくりだけど、少なくとも今日はそういうつもりないから」

 

「……ど~かなぁ。

 サターン、信用していいの?」

「あんたあたし達をシロナに突き出して、司法取引で減刑なんて企んでないわよね」

「企んでないっつーんだよ。

 君達の中でどんだけ僕は策士なんだ」

 

 信用ゼロ。サターンも織り込み済みのようで、苦笑気味に笑うのみで不快に思っていない。

 それだけしたたかな可能性もあると今なお思われているのなら、ギンガ団参謀としてそれだけ頼りにされていたという証明でもあろう。

 我の強い二人だけど、それでも自分を同士として信頼してくれていたんだなという実感と共に、サターンは感慨深くなるのみだ。

 そうした関係も、もう今日で終わりだから。

 

「シロナ、少しだけいいかな。

 二人が怖がるからちょっと離れておいてくれ」

「まったく……裏切ったら桁外れにひどい目に遭わせるからね」

「怖すぎるだろ。

 そんな君を今さらまた敵に回してたまるもんか」

 

 ぶすっとしながらシロナは何歩も後退し、サターンから、ひいてはマーズやジュピターからも距離を取った。

 離れた場所からサターンのことをじっと見つめる目線からも、監視しているような姿勢そのものには変わりないけれど。

 ちょっとサターンが本気になってしまえば、彼も逃げ得る状況を許すぐらいにはサターンを信用している行動に他なるまい。

 サターンは目尻を下げた笑みを、親友の心遣いに感謝を告げる想いと共に浮かべて振り返り、改めてマーズやジュピターと向き合う。

 

「――さて、後始末だ。

 まずは二人とも、すまなかった。

 あれだけ組織に貢献してくれたにも関わらず、君達の願いに応えてギンガ団の目的を果たすことが出来なかった。

 ギンガ団の参謀として詫びる。本当に申し訳ない」

 

「…………別に、仕方ないわ。

 ボスもあんたも、やるだけのことやってくれたんでしょ」

「あたし達よりも腕の立つ、賢い奴らが、やるだけやって駄目ならしょうがないわ。

 いい夢見させて貰った数年間、別に悪くなかったしね」

 

 深々と頭を下げるサターンに、二人は批難の声を向けなかった。

 確かにサターンやボスの命じるまま、汚れ役も一手に引き受けてもきた。結果、今では指名手配犯。

 夢潰えた挙句、社会復帰も困難な状況だけが残った今の二人の境遇は、今までのどんな苦境にも勝って過酷だ。

 それも、あくまで身から出た錆。望んでこの道を進んできた二人は、詫びられることではないと、苦い顔をしつつも責めぬ本心をそれなりに見せている。

 

「ギンガ団は終わった。君達の願いもだ。

 幼い頃に離れ離れになったニャルマーと再会したいという君の夢も。

 時を遡って人生をやり直したいという君の夢も。

 もはや、神の力を借りてそれを叶えることはもう出来ない」

 

 必要の無い言葉だったが、サターンは敢えて口にした。

 それは知れたことを聞かされるマーズ達にではなく、後ろでこの会話を聞いているシロナに聞かせる意図の方が強い。

 仲間達は、誰もが一度は願うような、だけど諦めざるを得ないようなことを本気で追い続けた、純然な想いがあってのことであったのだと。

 それがしてきたことの悪辣さに対する言い訳にならぬことも、同情など尚のこと買えぬことも、当然サターンはわかっていたけれど。

 誰にも知られざることのままにはしておきたくなかったほどには、サターンはマーズとジュピターに思い入れを持っているというだけの話だ。

 

「これからどうする?

 追われることに疲れたなら、自首することも選択肢だが」

 

「あたしはイヤよ。

 捕まっちゃったらあたしのポケモン達とも離れ離れじゃないの。

 指名手配犯のままでいいわよ、ずっと逃げ続けるから」

「目指すことも無くなったし、あたしは自首してもいいかなとも思ったけどね。

 でもどうせあたし、自分のやってきたことが間違いだったとは思えないし。

 捕まったところで反省もしないし、それで"罪を償います"なんて言うほどしおらしくはなれないわ。

 だから、お縄につく気は無いわね」

 

「はは、逞しいな君達は。

 いいぞいいぞ、そのまま逃げ続けろ。

 十年逃げ続けられたらたとえ捕まってもドラマ化されるかもな」

 

 犯罪行為に及んだポケモン使い、敢えてトレーナーとは呼ばれないそれは、警察に捕まった瞬間にポケモンとは引き離される。

 マーズは自分のポケモン達と離れたくない。絶対に、自分の意志で自首なんてしないだろう。

 ジュピターもひねた考え方だが、こちらも逃亡生活をこれからも選ぶようだ。

 夢を失った二人が抜け殻になり、未来に絶望してしまうことを心配していたサターンだが、それは杞憂だったようだ。

 自業自得とはいえ茨の道が約束されたこれからを、こんな確たる意志の目で歩んでいくことを宣言する姿は、身内だった者としてほっとする。

 

「あんたはどうするの?

 一緒に来る?」

「いや、僕は罪を償うよ。

 僕が出頭するまで、彼女が付添人って感じだからさ」

「…………そう」

 

 そんな二人の選ぶ道とは真逆、サターンはもう自首することを決めている。

 彼の実力ならば、捕まらずに逃げ続ける生活もマーズ達以上に選びやすかろう。

 だが、逃げて逃げての繰り返し、その果てに目指すものがサターンには無かった。

 自分のポケモン達と一緒にい続けるためのマーズや、捕まること自体が肌に合わぬジュピターと違い、彼には逃亡生活を選ぶ意義が無い。

 

 それに、何よりも。

 

「オーナーのあんたが稀代の犯罪者となれば、トバリのギンガ団も大変よ。

 あんたはそれでいいの?」

「申し訳ないとは思ってる。信じられないほどの苦労をかけるだろうな。

 だけど、してきたことの罪は償わなきゃいけないんだ。

 過ちはそれを正すことが遅れれば遅れるほど、傷は深くなり周囲の人に及ぼす余波も大きくなる一方だ。

 長い目で見れば、僕が早く自首することがベストだよ」

「まあ、そうだけどね……

 ごめんなさいは一秒でも早く、こんなの常識だしさ」

 

 サターンは、コウキはトバリシティの名士だ。

 アカギが率いたギンガ団とは別の、故郷を愛し、トバリシティの発展を純粋に目指した集団を導いてきた偉人。

 それこそあの街のみにおいてなら、チャンピオン以上に尊敬され、愛された偉大なギンガ団オーナーである。

 そんな彼が悪のギンガ団にも与し、いくつもの犯罪行為の糸を引いていたことが明るみになれば、社会的な失望は只ならぬものであろう。

 ましてトバリシティの人々にすれば、失望以上にショックが勝ることは間違いない。コウキはそれだけの人物なのだ。

 彼が導いてきたトバリのギンガ団達も、その善行や実績で築かれてきた信頼も一日で崩れ去り、後ろ指を差されることになるのは間違いない。

 

 それでも何の償いもせず、何食わぬ顔で彼がギンガ団オーナーの椅子に戻ることなどあり得ない。

 もう、一部とはいえその事実を知る人物が何人もいる。シロナやパールをはじめとした、何人もが。

 そんな彼女らに、黙っておいてくれよと頼むのか。それではまるで異国の腐った政治家だ。メリッサの故郷、治安の乱れた都市のお偉い様のように。

 サターンはもう、覚悟を決めたのだ。失うものの大きさと、自分についてきてくれた人々への裏切りと、それに対する誹りを知りながら。

 夢破れた今、もはや償うための日々を歩み出すことを一日でも早くスタートさせることが最善だと、彼は正しく知っている。

 したたかだと感じられるだろうか。大人はこれが出来なくてはいけないのだ。

 もう、大義を掲げて罪に背を向けるような、幼い夢からは覚めなくてはならない。

 

「シロナに見送られて、行ってくるよ。

 君達とは、もう会えないだろうな。

 本当の意味での今生の別れではないが……そう考えて正解だろう」

 

「……あいつ、ただ単にあんたを見張ってるってだけでもなさそうね」

「それも半分はあるんだろうけどさ」

「はは、わかるんだな。

 最後の最後まで甘い奴なんだよ。

 そのくせ、戦えばくそ強いって色々と反則だよな」

 

「余計なこと喋らなくてよろしいっ!」

 

 お喋りを聞いているシロナは、わざわざ遠くから大きな声で怒ってきた。

 悪の中枢を担ったサターンが自首すると主張した以上、逃がさないためにずっと見張っているのも事実。

 だけど、旧友であるコウキとの長い離別を心の底から望んでいるわけではないから、最後まで見送りたいという感情があるのもまた事実。

 徹底的な正義たるには、今のシロナにはサターンとの、もっと上手い接し方はいくらでもある。そうしない、出来ない理由は彼女自身にあるということだ。

 

「ああいう甘い奴に僕達は負けたんだ。

 手段を選ばない悪人たる僕達と違って、安易に勝利を手繰り寄せる手段をも選べない、そんな奴らさ。

 ジュピターもそろそろ、僕と一緒に子供を卒業する頃合いだよ」

「そんなこととっくにわかってるわよ。

 でもあたし、今さら品行方正な大人になんてなれないの。

 誰に何と言われようが、やりたいことをやるだけの大人でい続けるわ」

「マーズ、諦めるなよ。

 逃亡生活の中で唯一の夢を叶えるなんて、今まで以上の苦難だろう。

 それでも君なら、僕達のような頼るすべが無くたって、前に進んでいくことが出来るはずだ」

「当たり前でしょ。あんたなんかと一生会えなくてもあたしは孤独じゃないわ。

 あたしにはこの子達がいるんだから。一生、一緒よ」

 

 犯罪者達を、さらに罪深い逃亡者という道へと送り出す言葉を紡ぐこともまた、決して誇れることではない。

 それでもサターンは、膝をつかず歩いていくことを宣言する二人の姿が嬉しかった。

 罪を認めるにせよ、罪から目を背けて黒い道を進もうが、どんな道を選んだって人は生き続けていかなくてはいけない。

 長年、信を預け合った同胞が、絶望せずに未来を見据えて生きていこうとする姿は、どうしたって嬉しさが勝ってしまう。

 正しいか間違っているかなんて関係ない。感情とは、理念で以って定義される正義に対し、交わり合わぬねじれの位置によくあるものなのだから。

 

「じゃあな、二人とも。

 君達と目指した夢も、共に歩んだ日々も、今にして思えば楽しかった。

 僕が信じる道を突き進めたのは君達のおかげでもあった。ありがとう」

 

「………………ふん」

「……頑張んなさいよ。大変だろうけど」

 

 鼻を鳴らすジュピターも、惜別の感情をかすかに匂わせる目尻のマーズも、わかりやすい形でサターンを後押しはしない。

 それでもいい。誰に後押しされずとも、自分の決めた道は自分の足で歩く。

 そうだとはっきり心に決めていても、別れを惜しんでくれる同胞達の態度に、サターンは同じ想いの寂しい笑顔を見せると、二人に背を向けシロナの方へ歩く。

 

「さあ、行こうか。

 君にも感謝するよ。たくさん、我が儘を聞いて貰ってしまったな」

「本当よ、貸しいくつ作ったかわかんないわ。

 きりがないから一つのでっかいのに纏めたいぐらい」

「怖いねぇ。

 何度も何度も借りを返していくのとどっちがマシかな」

 

 テンガン山を降りていく道の中で、シロナとコウキの会話は弾んでいた。

 一枚越しの面会などという形でない、同じ空の下で話せるのもこれが当分最後になる。

 だからなのか、シロナの口数は自ずと多くなる。コウキは話すも黙るもシロナの望むがままに出来るよう、キャッチボールを途絶えさせない。

 

「……中途半端せず、しっかりしなさいよ。

 途中で諦めたりしたら絶対に許さないから」

「ああ、わかってる。

 弱音ひとつ吐かずに最後まで生き続けてみせるよ」

 

 稀代の犯罪者として重い刑を科せられ、当然の誹りを受け、社会的な信用も地位もどん底からのスタート。

 罪を償うということ、きっと一生をかけて貫き通さねばならぬであろう、その本質の険しさは言うに及ばない。

 償いきれずに終わってしまうことなど存分にあり得ることだ。シロナは、そうならないで欲しいと訴えている。

 コウキが彼女に借りたものの多くを返済するには、その想いに応えられれば充分だ。それだけの険しい人生が、彼の行く先には待っている。

 

 そんな道を自分で選んだのだ。それで格好つけて終わりでは締まるまい。

 今なお自らを案じてくれる親友の存在が、山を降りる中で下り坂を見下ろしもせず、天を仰いで彼の大きな救いとなっている。

 幼き頃からの親友は、何にも勝って掛け替え無い。そして、敵わない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………た、ただいま~」

 

 犯罪者でもないくせに、盗人のような忍び足で我が家に入っていく少女がいる。

 とても怖がっている。もの凄く悪いことをした自覚はあるようなので。

 めちゃくそに怒られる覚悟を決め、それでも帰ってきて、いざ玄関の扉を開けたら腰が引けているというメンタルの弱さ。

 正義感の強さから行動を起こせるタイプの少女ではあるが、この臆病さではそもそものところ、逆立ちしたって悪人なんかにはなれなさそうである。

 

「おかえりなさい」

「たっ、ただいま! ゆるしてください!」

「だめ」

「うぅぅ……なぐられる?」

 

 パールを迎えたお母さんは、わざわざ怒っていることがわかりやすい顔をしていなかったが、やはり機嫌は良くなさそう。

 幼い頃はダイヤと一緒になってのやんちゃがひどかったパールなので、案外このお母さんも平手で厳しくしつけたことはある。

 その甲斐あって、6歳を過ぎた辺りからダイヤよりは常識的な子に育ったわけなので、今でもお母さんを本気で怒らせるのがパールは怖い。メッされちゃう。

 

「ごはん、出来てるからとりあえず食べなさい。

 食べながら何してきたのか全部聞かせなさいよ?

 ウソとかついたらもっと怒るからね」

「は、はいぃ……さからいません……」

 

 もっと怖い悪人に挑んできた気骨のあるパールだが、それは自分のやってることが間違いじゃないはずだって信じてこられたから。

 100%自分が悪い時に、真っ当に叱ってくるお母さんには、ぐぅの音も手も足も出ないというものだ。

 それにしたって、そこまで荒っぽいお母さんでもないのに、屈服宣言が弱すぎてヒエラルキーが誇張され過ぎでもある。根本的にビビり過ぎ。

 子供はなかなか、大好きであればあるほど親には逆らえないのも確かなのだが。

 

 夕食の席、二人は向かい合ってではなく隣り合うように座った。

 そう座らされたとも言う。対面に誰もいないテーブルに。

 お母さんの癇に触れることを言えばすぐさま、つねられる位置で尋問スタート。パールの目の泳ぎっぷりは凄まじい。

 

「はい、どうぞ。

 ある程度、他の人からも話は聞いてるんだからね?」

「え、え~っと……何から話せばいい、かな……?」

 

 ごはんを食べながら自分のペースでゆっくりどうぞ。

 とはいえ、ご飯に逃げてだんまりの時間を続け過ぎると、お母さんの怒りのボルテージが溜まることもわかっているので。

 何とか頭を回して言葉を搾り出し、パールはこれまでのいきさつを話し始める。

 水がすごい勢いで減っていく。おかわり回数が凄い。明日、お腹を壊しそうである。

 

 逆らう気持ちゼロのパールは、何一つ包み隠さず全部お母さんに話した。

 いちいち話さず伏せておいてもいい話も多少はありそうだが、一つも隠さず話すぐらいには無抵抗というわけである。

 話が進むにつれてスケールの大きい話になってきて、最後には神様と対峙したという話まで飛び出してくるときたもんだ。

 流石にお母さんも、それ本当なの? と疑わしい目と声で問い返すことが幾度かあったが、パールはわたわたしながら本当であることを念押しするのみ。

 我が子のことはわかっているお母さんである。嘘をついていないことはわかる。そもそもこの子、嘘が上手なタイプでもないし。

 そして、言ってることが本当であるとわかればわかるほど、余計に信じられなくなるというパラドックスの出来上がり。

 

「あなた、信じられないぐらいの大冒険してきたのねぇ……」

「で、でへへ……?」

「褒めてない」

「いひゃい……」

 

 パールのほっぺたをつねるお母さんだが、呆れだとか怒りだとか、そんな感情はもう溶けてしまった。

 まさかこれほど、一歩間違えば命を落としていたであろう程の世界に身を投じていたとは、後から知る形であってまだよかったと思う。

 我が子がそんなことをしていたなんてあらかじめ知っていたら、最悪の結末になってしまったらどうしようと、毎夜泣かずにはいられなかっただろう。

 不安ではない、恐怖だ。それも特段の。

 心配かけてしまったことを気まずげに、申し訳なさげにしている愛娘が、今ここにいてくれる実状あってこそ聞ける話に過ぎない。

 

 生きて帰ってきてくれて本当によかったと思う。今すぐ抱きしめたい。

 そうして甘やかすと良くないとも思うので、やらない。パールのほっぺた片方をつねっていた状態から、体ごと彼女に向き直って両ほっぺをつねる。

 

「聞けば聞くほど悪い子ね。

 本当、痛い目見ないとわからないみたいだから覚悟なさい」

 

「ひゃえぇぇ~……ゆるひてぇぇ……」

 

 顔を横にびろーんと伸ばされ、しくしくした目になってるパールだが、その手でお母さんの手を止めにいくこともしない。

 とことん無抵抗である。怖くて手が出せないというよりも、何一つ弁解できないので気持ちが折れている。されるがまま。

 パールなりに覚悟は決めているらしい。何をされても耐える心持ち。

 何でもされますから許して=お母さん私のこと嫌いにならないで、の一心なので、それも感じるお母さんとしてはやっぱり可愛く感じるのだけど。

 容赦しないのも親の務めとして、厳しくいける芯の強いお母さんである。

 

 やっと勝ち取った当たり前の日常というやつも、時には痛くて苦しいものだ。

 それも含めて掛け替えのない素敵な日常、とは確かに言えるのだが、今のパールにとってはつらいつらい。

 こんな今のことを良い思い出に変えていくまでには、まだまだ時間がかかりそうである。

 それこそ、パールが大人になるまでだ。

 無鉄砲で、顧みずで、そうだと決めたら周りのことが見えなくなって、どこまでだって突き進んでしまう子供。

 そんなパールがしっかりした"大人"になるまでは、まだまだ長い時間を要するだろう。

 

 きっと、他の子供達よりも、ずっと。それも、過ちを繰り返しながら。

 大なり小なり、誰もが必ず通る道。パールは大の側だというだけだ。



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第144話   Home

 

「ただいま戻りました」

「ウム」

 

 パールがフタバタウンに里帰りしているその日、プラチナはマサゴタウンへ、ナナカマド博士の研究所へ帰っていた。

 事前に、しっかり連絡を入れてである。その際、ナナカマド博士に少々の問いかけもして。

 短いやり取りではあったものの、ナナカマド博士はその僅かな会話から、プラチナの心情の一端を理解して、夕過ぎに帰ってくるようにと告げた。

 その理由は語られなかったし、プラチナも訊かなかった。

 ただ、博士のことだから訳あってのことであろうとだけ信頼して。

 言いつけどおり、夕過ぎの時間帯まで我が家で妹と久しぶりに話したりして時間を潰し、西の空が赤らんだこの時間にここにいる。

 

「あの、父さんは……」

「ウム」

 

 ナナカマド博士はプラチナの問いかけに、奥の研究室を見やる形で回答した。

 多くを語らない博士だ。語らなすぎでもあるが。ポケモンのことについて語る時は、けっこう饒舌になることもある人なのに。

 その言葉少なさと顔立ちのせいで、少しおっかながられることもある博士だが、彼の優しい心根をよく知るプラチナは怖がったりなんてしない。

 静かな佇まいの中に大きく主張しない心遣い、それのみ感じて痛み入り、プラチナはナナカマド博士に頭を下げると、示された研究室へと入っていく。

 

 きっと、パールに感化されたんだろうとは自分でも感じている。

 ギンガ団との長い長い戦いを終えて、再び旅に出る前に、一度里帰りしてお母さんに会っておきたいと言ったパール。

 確実に叱られるであろうことをわかっていて、会いに行きたいという想いでいっぱいだったパールの姿を見て、きっと自分も。

 喧嘩別れする形で袂を分かち、自分から会いに行くことなんて絶対にするかと思っていた相手に、会いに行きたいと思ってしまった。

 

 少しだけだ。本当に少しだけ。そして、実行に移した。

 かすかにでも確かにある感情の揺らぎに対し、正直に、行動を。

 長くパールと一緒にいて、この辺りが一番感化されたんだろうなとはプラチナの所感である。

 

「父さん」

「…………プラチナ」

 

 プラチナも、そして彼の父もまた、ナナカマド博士の助手。

 学者を志したプラチナは、ナナカマド博士に師事を請い、許しを得て博士の助手となった。

 自然な形と相成るならば、プラチナと父はともにナナカマド博士のそばで、いわば同じ職場で日々を過ごすはずである。

 憧れのナナカマド博士を師と仰ぎ、先人である父に助手としての在り方を教え説かれていく。かつて、プラチナが夢見た淡い夢だった。

 

 そうはならなかったのだ。

 ナナカマド博士の助手となることは叶えられても、そんな彼のそばに父の姿は無かった。

 プラチナが博士のそばにつくようになった日を境に、父は研究遠征に赴いて、しばしばの通信と連絡を介して博士の研究を支える身となった。

 それは、プラチナには"あてつけ"として映った。

 その時だったのだ。プラチナが、父のことを顔も見たくない人だと初めて感じたのは。

 あれだけ大好きだった、博士の助手でありながらも学者として小さくない功績も積み上げてきた尊敬すべき父を、そこまで嫌うようになってしまったのだ。

 

「……………………えっと……」

 

「私は、今でもあの時お前に言った言葉が、変わっていない本心だよ」

 

 父との再会に赴いて、話すべきことがいくつもあったプラチナが、何から切り出そうかと迷っていた矢先。

 父が発した言葉は両者の確執の核心であり、プラチナの胸をじくりと嫌なもので突き刺すものだった。

 震える感情。蘇る父への憤り。

 だが、こうして迷える心の幼き我が子に、論じ合うべき課題の舞台へ真っ先に引き上げる姿は、ある意味人生の先輩たる大人の導きぶりとも言える。

 どれだけ憎まれても嫌われても父親だ。我が子のことは誰よりもよく知っている。

 

「……父さんは、今でも僕が学者になることに反対なんだね」

「私のエゴだ。わかっているさ。

 お前の類まれなる才能のことは、贔屓目を抜きにしてもよくわかっている。

 私がお前に、私がかつて失った夢を叶えて欲しいという身勝手を説いていることだってわかっているつもりだ」

 

 そして、プラチナもまた父のことはよく知っている。

 父が幼い頃、チャンピオンを目指す純真なトレーナーだったことも知っているとも。

 才に恵まれず、時のチャンピオンを破ってシンオウの頂点を極めることはおろか、バッジを5つ集めることが限界だった若者だったことも。

 プラチナがトレーナーも学者も志していない、幼い小さな子供だった頃に、自分の過去を楽しげに語ってくれた父の姿をプラチナは忘れてなどいない。

 当時一緒に旅をしたポケモン達との日々は、たとえ夢破れた今とあっても、忘れ難き金色の思い出に他ならないのだ。

 ポケットモンスター達を愛する父の想いは本物だ。だから彼は、夢破れし後もそれに関われるよう、学者の道を志した。

 幼少の夢を捨て、そのために歩んでいたわけではない新たなる道を切り開き、今は学者として大成した人物だ。

 今ならプラチナも、苦節の果てに今を築き上げた父が、どれだけ立派な大人で敬うべき先人かはよくわかっている。

 

 だが、プラチナには父には持ち得なかったものがあった。

 それは、バトルの才能だ。

 本気でポケモントレーナーの頂点を目指して一心に身を磨けば、一握りの者しか掴めないそれにさえ手が届きそうなほどの。

 事実プラチナは、バトルを本職としない研究者を志す身分でありながら、パールと共にギンガ団らとの戦いで、大人顔負けの強さで抗えている。

 百年に一度の才と言えば親の欲目だろう。だが、類まれなる才と評する限りでなら何ら的外れではない。

 そんな我が子の才を目の当たりにした父が、この子ならもしかして、と彼にトレーナーとしての道を推したのは自然な親心だ。

 

 そこには確かに、彼自身が言ったように、己がかつて掴めなかった夢を代わりに我が子が――というエゴがあったのかもしれない。

 だが、愛する我が子に栄光を、大いなる成功というものを手にして欲しいと願う気持ちの、どこに偽りやお為ごかしがあろう。

 自身に向き合い、プラチナの進路を定めたがった己の身勝手を否定しない彼の言い分は、正しくもあり、過ぎている。

 

「今からでも、トレーナーの道を極めようとは思わないか。

 遅くはないと私は思っている」

「思わないよ。

 僕は、立派な学者になりたいんだ。

 ポケモン博士の権威と言われるオーキド博士のような、そんな人にさえ尊敬されるナナカマド博士のような、立派で、凄い学者を目指してる」

「……そうか」

 

「……………………父さんよりも、凄い学者になるんだ。

 つらいことがあったって、諦めずにポケモン達と関わる道を探し求めて、それを叶えた凄い大人よりも、ずっと凄い大人にだよ」

 

 想像だにしなかった息子の言葉に、父が次の言葉を詰まらせた。

 プラチナは、自分の夢を否定した父に対し、悪い感情を募らせてきた。どうしようもない事実だ。

 トレーナーとしての道を歩んでほしい想いに反し、学者になりたいと瞳を輝かせて語った我が子の夢を咎めた。

 大好きなお父さんに、自分の夢を語って否定された息子がどれほど傷ついただろう。

 引くことも出来ず、親子喧嘩に発展し、仕舞いにはその日以来家で話をすることも無くなって、最後はプラチナが自分だけでナナカマド博士に師事を請い。

 同じ空間で息子の夢路を見届けることもしづらくなり、研究遠征を博士に願い出た己の弱さを自覚する父にとって、プラチナの言葉は本当に予想外だったのだ。

 

「あ、でもね。

 父さんに対しては今でも怒ってるからね。

 学者になりたいって言った僕に、ダメ、ダメ、って何回も言ってくるんだから。

 そりゃ僕だって怒るよ。あの子(妹)にお父さんは最低だって何回も言ってるから。今日も言ってきた」

「むぅ……勘弁して欲しいな、それは」

「僕に嫌われるのは耐えられても娘に嫌われるのは耐えられない感じ?

 そういうとこだぞ、父さん」

「ぬぐぐ」

 

 胸を張ってふんと怒りっ鼻を鳴らすプラチナに、父は観念の溜め息を吐く。

 反抗期っていうものがあることは知識として知っていたけど、うちの子もそうなのかなぁと思っちゃう。それとはまた違うけど。

 けっこう本気で言い負かしにくる。仮にも一定の敬意は払ってくれている風の語り口のすぐ後にこれだもの。

 父さん父さんとなついてくれた5歳児だったあの日のことが、最近のようにも感じられてかつ遠き日のことだと痛感する。

 大人になって忙しい中で生きていると、5年10年なんてあっという間なんだから。

 

「僕やめないよ。いくら父さんに反対されたって。

 僕、父さんの代わりなんかじゃないからね」

「わかってる、わかってるよ。

 最後に確認しただけで、もうそういうものだと割り切っているんだ。

 私はお前じゃないし、お前は私じゃないもんな」

「よーし、言質取ったよ。

 もう僕にトレーナー転向しろなんて二度と言うなよ。

 それと割り切ったなら、これからは全力で応援してよね。お父さん?」

「…………ふふっ。

 わかった。そうするよ」

「なに笑ってんの、気持ち悪い」

 

 愛憎混じり過ぎてプラチナの要求もめちゃめちゃである。

 自分の夢を全力否定してきた父に対してはまだおかんむり、でも本心では応援してくれればそれが一番嬉しい、そうとも取れるしそれが本心。

 言葉の端々が皮肉と尖りに満ちているのも、そう簡単に父を許したくないという意地が表れているのだろう。

 それでも父には、学者としての自らの半生が我が子に評価されていたという事実。

 そして、行間に秘められた息子の想いを正しく感じ取れるから、内心で感極まる想いを顔に出さぬことに苦心するほどだ。

 

 重ね重ねだが、赤ん坊の頃からプラチナのことをずっと見てきた、世界に二人しかいないプラチナの親。我が子のことは誰よりもよくわかっている。

 それに否定する理論があるとするなら、学者を目指した我が子の想いが本物で、決して揺らぎようもないものであったことと。

 そして、自分がはっきりと決めた道を、誰に何と言われようと決して曲げない強い心の持ち主に育っていたこと。

 それをわかっていなかったことを根拠にすることは出来るだろう。何でもわかっているつもりの我が子さえ、いつかは必ずそうでなくなるということだ。

 

「……パールといったな、あの子は。

 あの子との旅は、有意義だったか?」

「あーあーもうその尋ね方が嫌い。

 有意義であったかどうかとかそういう考え方しか出来ないの?」

「あ、ああ、すまないな。だったら言い換えようか。

 楽しかったか?」

「楽しかったよ、でなきゃこんなに長いこと続けてないでしょ。

 少なくとも父さんと離れただけでもウキウキだったし」

「そんなに嫌ってたのか」

「自分が何言ったか覚えてるでしょ」

 

 びしっ、とプラチナは中指を立てて舌を出した。親の前でしか見せないお行儀の悪い姿。

 こんなのパールの前では絶対にやらない行為だ。そんな子供っぽい彼の姿を見れるのも親の特権か。

 

「女の子との二人旅なんて、父さんも若い頃にやってみたかったもんだよ。

 さぞかし楽しかっただろうなぁ」

「あ、母さんに言いつけてやる」

「やめろ、あの人お前が思うより怖いんだぞ」

「知ってるよ、僕が風邪引いた時に父さん帰ってくるの遅れたでしょ。

 ものっすごい剣幕で怒ってた母さんのことも見てたんだから」

 

 あの日喧嘩別れして以来、こんな冗談交じりの会話も果たしてこられなかった親子なのだ。

 我が子への罪悪感の残る父、好きと嫌いが混ざった感情を複雑に父へ抱く息子。

 幼子と父の関係であった時のような、純真な語らいが出来る今ではないけれど、それもまた成長した少年と老いを進める男親の現在。

 不変のものはそうそう無い。そして、形を変えても変わらない何かもまた実在する。

 

「パールっていう子とどうなんだ?

 長い間一緒にいるんだ、思うところはあったりしないのか?」

「えー、あー……まぁ……」

 

 下世話なことを聞けるのも、隔たりを経て、それが過去になった証だろう。

 憎くもあったけど、機を得てこうして自ら再会に赴いたプラチナが、雪解けを実感できるのも、きっと感化させてくれた彼女のおかげ。

 ここへ帰ってくる時間を指定し、父をここへ呼び戻してくれたのであろう博士への感謝を胸に抱きつつ、プラチナの心の中心にあるのは博士ではない。

 長い旅の中、自分一人では見られなかったものを見せてくれた最愛の親友の姿が、目を閉じずして瞼の裏に蘇らせずにはいられない。

 それだけ、彼女が自分の心をいっぱいにしてくれる人物であることを、プラチナははっきりと自覚済だ。

 

「…………そのうち、父さんと母さんにちゃんと紹介したいと思ってる。

 今はまだそんなじゃないけど……そうなりたいって強く思ってるからさ」

 

 あらびっくり。想像以上に。

 お父さん、別の意味で言葉に詰まっていらっしゃる。頬を赤く染めて目を逸らす息子、これもまた初めて見る我が子の姿。

 冗談半分で尋ねてみたらうちの息子、完全に心を射抜かれているじゃないの。

 

「そ、そうかそうか……そうかぁ、そうなのか……

 それは、楽しみだな……研究に手がつかなくなりそうだ……」

「あっ、念の為言っておくけど余計なことしないでよ!?

 僕これもしも父さんが余計な茶々入れて上手くいかなかったら、マジで親でも顔面ぶん殴るからね!!

 父さん案外目的のためなら妙にアグレッシブなとこあるんだから!」

「わ、わかってるわかってる……

 ううぅむ……これは面白いな……」

「なに笑ってんだよっ!

 言っとくけど母さんとかにも絶対言うなよ!」

 

 秘密が出来てしまった。男親と息子の、門外不出の特大秘。

 あれだけいがみ合っていたのに、ちょっと心を許しかけたら、つい言わずともいいことが口をついて出てしまったことを、プラチナは早々に悔いている。

 もしかしたら、もしかすればだが、男同士だからこそ話せた内容であるのかもしれない。

 こんなこと、関係が何ら悪化していない母にさえ明かしていないのに、ここでは父にうっかり明かしてしまったのだから。

 

 親子というものはやはり特別だ。

 美しい親子愛、なんて世の中で綺麗な言葉で語られるものとは異なる、べたついたものが両者間に生じることもあろう。

 それでも赤の他人同士ではそうそうあり得ないようなことが起こるのも、特別な絆の為せる業。

 長年連れ添った親友との間にのみ生じるようなものが、少なくとも長年共にしていた過去があるからこそ、はじめからあるという点でもやはり特別なのだ。

 

 きっとこれから、プラチナと父は今とは違う形の関係を、共に年を重ねるに連れて繰り返していくのだろう。

 それもまた、親子だけの為せる業だ。単に血が繋がっているからではない。

 幼少の頃確かに父の生き様に敬意を抱いた少年と、成長した我が子に感慨を抱く父であるからこそ、一人と一人の縁が続いていく。

 ただの、普通の人間関係のように。特別なようで普遍。

 親子というのはそうなり得る要素が少しばかり多い、というだけだ。ゆえに特別と言うなら、それもまた見方の一つである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫? ニャムちー。

 我慢してね?」

「~~~~……」

 

 テンガン山の南部脇、ヨスガシティの南かつ212番道路の西にあたる森の中。

 人目につかぬ自然界の中を潜り抜け、マーズは今も指名手配犯を追う手の届きにくい、鬱蒼とした森の中に隠遁していた。

 ギンガ団が解散となり、目指すべきものが一度無くなり、重い罪科だけが残る今。

 ギンガ団としての正装を脱ぎ捨て、パールとリッシ湖畔で出会った時のような、黒のレザージャケットを着こなすカジュアルな出で立ちである。

 

 ギンガ団に与することで叶えたかった夢は、とうとう果たせぬまま終わってしまったが、マーズは決して心を折ってはいなかった。

 自分が何を叶えたかったか、その初心は今も胸の中にある。

 街を歩くことも出来なくなり、たとえかつてよりもそれが叶え難くなった今でも、やはりそれは諦められないのだ。

 最愛のパートナーであるブニャットの頬に、昨日も、一昨日もしたように、選び抜いた野草から作った、ポケモンの傷に効く薬めいたものを塗っている。

 

「まだ撫でちゃ駄目かな……

 腫れてるもんね……」

「~~~~、~~~~~~♪」

「……いいの?」

「~~~~~~♪」

 

 犯罪者となってしまったマーズはもう、ポケモンセンターのお世話になることも出来ない。

 テンガン山にてダイヤのゴウカザルと、顔の形がひしゃげるほどの死闘を繰り広げたブニャットの傷は、今も完治していない。

 ポケモンセンターに一日預ければ、綺麗になるはずの身体なのに。

 それが出来ないマーズはこうして、山々を抜ける中で得たものを活用し、相棒の傷を独力で癒してあげることしか出来ないのだ。

 

 元々マーズはギンガ団幹部の責を任せられた時から、いつかはこんな日が来ることは想定していた。サターンにもそう言われてきた。

 だから彼女は、発電所の一件の後からもそうであったように、ポケモンセンターを頼らぬ形で自分のポケモン達を癒してきている。

 シンオウ各地のオレンの実やオボンの実が生る木は殆ど正確に把握しているし、いま頬に塗っている野草から作った軟膏もお手製だ。

 元々ポケモン達は、多くは元を辿れば野生の身。穏やかな日々を送る限りでは高い自己治癒能力がある。

 いかに負傷しようが余程重篤な怪我、たとえば肉体の一部の欠損でもしない限り、ポケモンセンターの利用が不可欠な肉体ではないのだ。

 それでも頬骨が砕け、顔の形が変わるほど打ちのめされたブニャットは、あれから何日か経った今でもその顔に痛々しさが残っている。

 触られれば痛いはずだ。なのに座り込んだ自分の太腿に頬を擦り寄せ、撫でて撫でてとアピールする姿はいじらしい。

 あなたにだったら、撫でられて多少痛くたって嬉しい気持ちの方が勝っちゃうよ、という姿にマーズも胸がじくじくする。

 

「……ゆっくり、撫でるからね」

「っ、っ――――

 ~~~~~~……♪」

 

 やはり、どんなにそっと触れたって、ブニャットはまぶたを震わせて、隠しきれなかった痛みが表情に垣間見えてしまう。

 それを隠すようにマーズを見上げ、平気な顔を作って、もっと撫でてと訴える姿は痛々しくもあり愛おしい。

 敵対する者達には荒っぽい声を投げ付けてきたマーズだが、ブニャットを壊さないよう撫でるその表情は、穏やかかつ慈しみに溢れていた。

 

 わざわざもう、口にはしないけれど。

 たくさん、たくさん無茶をさせてきたことを、敢えて謝ることはしないけれど。

 自分の積み重ねてきた業が、傷跡に痛む相棒を一日でも早く救うことが出来ないことに、言いようもない胸の痛みを覚えるけれど。

 言葉にすることはもう出来ない。謝るぐらいなら最初からしてはいけない、そう誹られるに値することをやってきたのだから。

 

「ニャムちー、行こっか」

「――――♪」

 

 鬱蒼とした暗い森を、マーズはブニャットと共に歩き始める。

 傷跡の残るブニャットだが、それでもそんじょそこらの野生ポケモンに後れを取るような実力ではない。

 むしろ高い実力とその風格が、縄張りに入ってきた人間を追い返そうとする野生ポケモンにすら、恐れを抱かせ退けるほどのものでさえある。

 

 元々マーズは指名手配されてからがやや長く、シンオウ各地の人里離れを渡り歩き、隠遁してきた身分である。

 この辺りに来たのは初めてではないし、かつてここで自分達を襲撃してきた野生ポケモンも、ブニャットとともに撃退してきた実績がある。

 いわばこのブニャットは、シンオウ各地の野生ポケモン達に対してある程度、顔を利かせられるだけのものがあるということだ。

 彼女がそばにいる限り、野生ポケモン達も易々とはマーズを襲えない。

 マーズがブニャットを外に出して歩くのは、何かあったらすぐ戦えるようにではなく、周囲への牽制の意図が強いのだ。

 はっきり言って、ゴールドスプレーなんかよりも余程効果が高い。

 

「……あのね、ニャムちー」

「――――?」

 

「もし……もしもよ?

 あたしが、昔別れたニャルマーと出会えても……

 そりゃあ、上手く仲直り出来たら、もう一度抱きしめて、あたしと一緒に暮らして欲しいなって思うけど……」

 

 マーズは歩きながら、ブニャットの方を向かず、まるで独り言のように語りかけていた。

 はっきりとブニャットに向けての言葉でありながら、その気まずさめいたものから、相手の顔を見ることが出来ぬまま発する言。

 何度か、このブニャットには言ってきたことでもある。

 だけど、いま改めて強く念に押しておきたい、そんな気持ちが彼女にはある。

 

「……あなたや、ブルーや、バットンよりも、その子の方が好きだなんてことには、もう絶対にならない。

 みんな、あたしの大切な子。ずっと、あたしのこと支えて続けてくれた。

 だから、その……あたしのこと、薄情な奴だなんて、思わないでね……?」

 

 マーズがギンガ団に入り、神の力を得んとした首領の夢に与してきたのは、空間を操る神の力により、叶えたいことがあったからだ。

 幼い頃、初めてのポケモンであったニャルマーと、些細なことで喧嘩して。今にして思えば、本当に些細なことで。

 言葉と鳴き声をぶつけ合い、反抗するニャルマーに引っかかれ、幼かったマーズは涙ながらにニャルマーのボールを、掴んだ石で何度も殴って壊してしまい。

 あんたなんか嫌い、どこかに行ってと吐き捨てるように言って、ニャルマーは本当にどこかへ去ってしまい。

 それ以来会えなくなったあの子に、もう一度会って謝りたいというのがマーズの大願だったのだ。

 空間を操るパルキアの力でなら、世界のどことでも繋がれる。広い広い世界のどこにいるかもわからぬ彼女を探すには、それしか手段が無かったのだ。

 

 大人になった今なら――いや、我が儘だった幼心でも、喧嘩した翌日には嫌というほどわかる。

 自分があのニャルマーのボールを壊して訣別を表明した時の、あの子が見せた悲しそうな顔。

 喧嘩の内容は本当に些細なものだったのだ。それが、あんなにエスカレートして、自分もすっかり引けなくなって。

 あの子を失い、パパやママよりも大好きかもしれなかった親友がそばにいなくい翌朝、どんなに悔いたことだろう。

 己の未熟さが生んだ人生最大の後悔の傷跡は、ギンガ団という夢を果たしてくれるかもしれない組織を前にした時、己の道を踏み誤るほど深く。

 大人になっても尚、その幼さは残っている遠因と言っても過言ではない。

 ギンガ団が解散した今、もうかつて目指した手段であのニャルマーを探すことは出来ないのに、未だ頼るすべも無いままにして夢を追うのを諦めぬほどに。

 

「~~~~♪」

 

「…………ありがとう、ニャムちー。

 あなたのこと、信じてあげられないあたしでごめんね。

 それでもあたし、あなた達に離れられたらもう、生きていけないからさ……」

 

 マーズはきっと、他の誰より、あるいはパール以上にさえ、失うことに臆病だ。

 ニャルマーと再会できたとて、思い出のそれとの絆を重んじて、ずっとそばにいてくれた三匹への愛情が薄まるような。

 そんな人物だと誤解され、失望されることさえ耐えられない。

 あのニャルマーへの未練を捨てられないのは事実だ。再会が果たせるなら、それは人生最大の目標を達成できた究極的な幸福だろう。

 だけど、仮にそれが果たされたって、ヘルガーやゴルバット、ブニャットとの縁だけは絶対に手放したくない。

 あの日、大切だったはずのニャルマーと離れ離れになり、もう会えなくなってしまった悲しみにはもう耐え難いのだ。想像するだけで泣きそうになる。

 見放されることだけは絶対にしないで、あたしから離れていかないでと切望するその弱さは、きっとパールのそれ以上のものに相違ない。

 

「あなたが、あなた達があたしの一番だよ。

 これからも、絶対、ずっと……」

 

「…………!

 ――――――――z!!」

「え?」

 

 重ね重ね伝えるマーズに、ブニャットは微笑みの顔を向けるのみで、わかってるよとその愛情に応えるばかりだった。

 だが、マーズの言葉半ばの中で、ブニャットが前方を睨みつけて荒っぽい声を発した。

 これは、敵対者がそこにいると感じ取ったブニャットの態度だ。

 

 野生のポケモンが迫っているのだろうか。

 ブニャットの態度を見て、マーズはすぐにヘルガーのボールをその手に持つ。

 周囲への牽制にブニャットを出しているだけであって、未だ重い傷が残るブニャットにバトルをさせることをマーズは選ばない。

 ポケモンバトルじゃあるまいし、対野生ポケモンでは二匹以上のポケモンを出すこともマーズは厭わないのだ。

 

『大丈夫だよ。

 ちょっとは怒ってるけど、もう怒ってないから』

「エムリット……!

 あんた、どうしてここに……!?」

 

 テンガン山に神が顕現したあの日、神々が再び自らの世界へと還っていくと、三湖の精らも姿を消していた。

 論ずるまでもなく、故郷である各々の湖に帰っていったのだろうと、誰とて容易に想像できたはずだ。

 現に、誰も確かめていないことではあるが、既にユクシーはエイチ湖に、アグノムはリッシ湖に帰り着いており、大変だった数日間の疲れを癒している。

 エムリットだけが誰しもの予想に反し、未だ故郷のシンジ湖に帰ることをせず、こうしてシンオウ地方を飛び回っている。

 そしてマーズは今、あの日以降でエムリットを目にした最初の人物となっている。

 

『あなたの感情、伝わってくるよ。

 離れ離れになることが怖い、嫌われることが怖いんだね。

 それだけ、あなたに寄り添ってくれるみんなのことが大好きなんだね』

「…………」

『良くないよ、誰かを同じように追い詰めるのは。

 あなた達の行いは、大切な誰かと離れ離れになってしまう恐ろしさを、今のあなた以上に誰かにもたらしていたよ。

 大切なひとと離れ離れになる恐ろしさを知っているなら、そんなことはしちゃいけなかったんだよ』

 

 ぞく、とマーズの背筋が凍り付く。

 わかっていたけど、意識して向き合うことが出来なかった罪だ。

 マーズがパールの性格を利用し、サターンという彼女を葬らんとする悪魔の棲むアジトへ誘い込んだ策謀は、彼女をどれほどの恐怖に陥れたか。

 恐るべき大願を果たさんとするギンガ団を止めるため、立ち向かって来たダイヤとの死闘の中、相手はどんな顔をして戦っていただろう。

 パールはパッチの命が喪われる寸前を目の当たりにして一度は絶望し、ダイヤもまたゴウカザルが命を賭して戦う姿に震えていたではないか。

 見放される恐怖どころか、二度と生きた瞳と向き合うことすら叶わなくなる、恐怖と呼ぶでは足らぬほどの悲壮と絶望感。

 今の自分が恐れているもの以上のものを、年端もいかぬ子供達に強いた己の罪深さは、今のマーズが思い返せば一瞬で冷や汗が溢れ出るほど重い。

 

「…………私の、大切なものを奪っていくつもりなの?」

 

『そんなことしない。

 あなたを悲しませても、誰も喜ばない。

 あなたの寝返るためだけに、心魂を懸けて戦った無辜の純粋な勇士たちを苦しめることで、あなたの罪を贖うなんて間違ってる』

 

 大人は聡い。良くも悪くも。

 罪に連想するものは罰。己の罪とは、誰かの大切なものを踏みにじってでも、自らの叶えんとしたものを身勝手に追い続けてきたこと。

 それに対する最も厳正な罰とは、奪わんとしてきたものの重みとその痛みを知らしめるため、己の大事なものを奪われることだと発想してやまない。

 もっともそれは、いま最も自分にとって恐ろしき罰になるものが何なのか、迷わず答えられる心境ゆえのバイアスがかかった閃きでもあろう。

 

 マーズはシンジ湖でジュピターとともに、エムリットへ直接手を下し、苦しみの牢獄たるギンガボールに捕らえた張本人だ。

 偏に純粋な私怨による報復があったとて、何ら不思議ではない相手が目の前にいる。少なくとも、マーズにとってはそう見えた。

 ブニャットを、ヘルガーを、ゴルバットを奪われる恐怖から逃れられないマーズは、エムリットが首を振っても身構えたまま力を抜くことが出来ない。

 

『あなたの大切な友達、本当に美しい心をしてるんだ。

 あなたの力になりたい、そのためだったら何だってする。

 感情も、意志も、戦うための知識も、すべてを懸けてそれを叶えようとする姿は何よりも美しい。

 傷だらけの姿で、痛々しい身体を引きずっているなんて可哀想だよ』

 

「っ…………!?

 ニャムちー、離れて! そいつに近付かせないで!」

 

 ゆっくりとブニャットに近付いていくエムリットの行動が、最愛の友の命を刈り取らんとする死神に見えるほど、今のマーズは動転している。

 だが、そんなマーズの意図とは裏腹、ブニャットは威嚇する眼さえエムリットに向けず、ふんと鼻を鳴らして"当たり前だ"と主張を返すのみ。

 動かないブニャット。そして、ヘルガーのボールのスイッチを押したマーズの行動に反し、ヘルガーさえもボールから出てこない。

 エムリットがブニャットに近付くにつれ、焦燥感に駆られるマーズはゴルバットのボールを掴み、そのスイッチを押すも結果は同じである。

 

『私、神様によく言われるんだ。お前は人間みたいだなって。

 感情が強いからなのかな。同胞らしくないかもな、なんて冗談半分で言われちゃったりもするよ。

 確かに私は、あなたの友達とはちょっと違うかもしれないね』

 

「やめて……っ!」

 

『あなたの友達は純真だ。

 本当に、大切な誰かのためなら、命さえ惜しまないほど。

 ……あなたが、その子達の道を誤らせちゃいけないよ』

 

 両手でエムリットがブニャットの額に触れるのと、たまらず駆け寄ったマーズがエムリットに手を伸ばしたのはほぼ同時だった。

 だが、エムリットの力がマーズに自らへ触れさせず、薄皮一枚のところでエムリットに触れていない感覚をマーズにもわからせる。

 数々の悪行の報いとして今、大切なブニャットを奪われるのではないかと戦慄するマーズの表情は、これまでの生涯でも最もとさえ言えるほど迫真だった。

 

『………………もう、間違えちゃ駄目だよ。

 あなたの幸せを願っているこの子達の想いに、これからは応えていってあげてね。

 誰かを幸せにすることでしか贖えない罪というものは、必ずあるはずなんだから』

 

 エムリットの身体が優しい光を発し、ブニャットの全身も同じ色の光に包まれる。

 恐怖に胸を掴まれていたマーズでさえ、その光に敵意や殺意が無いことは感じ取れて、それこそに動揺し。

 間もなくして光が消えたその後に、エムリットはよれよれと疲れ気味の浮遊とともにブニャットから離れる。

 

「~~~~~~~~♪」

「にゃ、ニャムちー……?」

 

『幸せにね。そして、健やかに。

 どれだけあなたが積み深くたって、あなたのことを一途に愛したみんなには、幸せにならなきゃいけない命運が待っている。

 苦難に対し、痛みを伴い戦うことで立ち向かう日があったって構わない。

 だけど――』

 

 そこには、エムリットの"いやしのねがい"により、まるまると可愛らしい形の顔に戻ったブニャットの姿があり、もう痛くないと喜ぶ表情があった。

 対するエムリットは、己の力の多くを注ぎ込んだことによる疲労で、ただでさえ瞼の重い目がいっそうに細くなり、両手と尾もだらりと下げている。

 復讐心さえ抱いてもおかしくない相手に対し、只ならぬものを与えて微笑むエムリットの姿には、マーズも信じられないものを見た表情だ。

 

『今度こそ、大切にしてあげるんだよ。

 あなたの幸せが、この子達の幸せだ』

 

「――――、――――――♪」

 

 そう言い残すかのように、空高くへと昇っていくエムリットに、ブニャットは感謝なのか惜別なのか、友好的な声を発して見送るのみ。

 エムリットに敵意が無いことを理解し、マーズに呼ばれても出てこなかったヘルガーやゴルバットも同様だ。

 何一つ危害を加えられなかったどころか、癒されたことに言葉もないマーズだけが、ただ茫然とその姿を見送るのみだった。

 

 静かな森の中。

 戦い抜いたあの日の傷から言え、綺麗で愛くるしい顔に戻ったブニャットを再び前にして、マーズは喪わずに済んだ実感がようやく沸いてきた。

 それだけで、ちょっと目が潤みそうになったほどだ。それだけ、エムリットを前にしただけで追い詰められた。パニック状態に近い。

 友達の前で涙を見せたくなくて、目をしぱしぱさせて耐えるその挙動は、幼い頃より大人になってからの方が多くなるそれそのものか。

 

「ニャムち……」

 

『ヒカリ』

 

 語りかけようとした言葉を遮られるかのように、マーズの脳裏に響いた声。

 発しようとしていた続き、大丈夫なの? という言葉は、その入り口に達する前に封じられる。

 今、はっきりと聞こえた声の主が、誰のものであるのかが直感的にわかってしまうからだ。

 パールが幾度か経験したものと同じ体験。初めて聞く誰かの声、だけどその声から溢れる想いにより、何者の感情の賜物であるかが知れる事象。

 そして目の前のブニャットが、マーズという今はもう捨てたコードネームではなく、親から貰った無二の名を呼んだことがいっそう言葉を失わせる。

 

『もう一度、ニャルちーって呼んでよ。

 ずっとニャムちーって呼んで貰って、今は愛着もこっちの方が強いけど……

 たまには、そう呼んで欲しいなって思うこともあるんだ』

 

 そしてその次に続いた、照れ臭い表情で感情を伝えるブニャットの心からの言葉が、今度こそ真の意味でマーズを絶句させた。

 去り際にエムリットが残していった、己の力で為せる最大のギフト。

 感情を司る神として、その感情を種族の垣根も超えて伝え合わせられる、本来ならば人に関わり過ぎて濫用すべきではないと戒めてすらいる力だ。

 意図せぬ残滓を残してしまい、同様の現象を起こしたテンガン山の事象や、切実な助けを求めてパールに頭痛を伴わせてでも声を届けた時とは違う。

 自分を傷つけたマーズ達にさえ、その力が何らかの救いを与えられるならと律すべき力をもたらすほどには、確かにエムリットは人間的なのだろうか。

 

 こんなに、近くに。

 空間を隔てた遥か彼方を求めるまでもなく、すぐそばに。

 人とポケモンは、どうやったって共通の言語では語り合えない。

 そうでなければ避けられた悲運は、きっとこの世にいくつだってある。

 

『謝ってくれなくていい。

 私はもう、あなたに、いっぱい、いっぱい大事にして貰ってきたよ。

 初めて会った時から離れ離れになる時まで、ずっと。

 もう一度出会えた後から、今まで、ずっと、ずっと』

 

「う…………うそ、だぁ…………

 そんなこと……そんな、こと……あたしに、起こるわけ……」

 

『私はあなたに、二回も長く大切にして貰えてきたんだよ。

 あなたのこと、大好き。小さかった時よりも、ずっと好き。

 あなたに触れてもらえることが、私の幸せでずっと変わらないよ』

 

 もう駄目だ。大人になっても耐えられないものは必ずある。

 溢れ出るものを抑えられない中、マーズはこのブニャットと出会ったあの日のことを思い出す。

 

 今度はあのニャルマーのように冷たく突き放すことは絶対にしないと心に誓い、新たなパートナーとしてズバットを捕まえて。

 まだまだ未熟だった頃のあの子と共に旅をしていた中、野生のブニャットに遭遇して。

 勝てない相手だと感じて逃げて。何よりも、悲しき記憶が蘇るニャルマーの進化した姿を、目にすることさえ忌避するように。

 そのブニャットは追って来た。マーズがどこまで逃げても、ずっと、ずっと。

 しつこく獰猛なブニャットのようだとしか思わなかった。街に逃げ込んでも追いかけてきた。

 当時は罪一つ犯していない若きトレーナーだった彼女の窮地を、街の人々がブニャットを追い払ってくれて。

 だけど翌日、街を出ればしつこく自分を見つけて追いかけてくるブニャットの姿は、当時のマーズにとってたまらなく厄介な存在だった。

 

 ボールを壊され野生化し、ブニャットに進化した強き姿で。

 かつての友達と再会し、もう離れ離れになってたまるかと、ずっと必死で追いかけてくれていただなんて想像もしないじゃないか。

 あまりにもしつこくて、とうとう腹を括ってズバットで抗戦した時、まだまだ未熟なはずのズバットでいい勝負が出来たことが確かに不思議ではあったけど。

 どれだけ傷ついて毒に侵されても逃げず、しつこく食らいつく姿はただの執念深い狩猟者にしか見えなかったのだもの。

 根負けして、無力化するために、ボールで捕らえて手持ちにしたけれど。

 思い返せば、初めて仲間にしたあの日から、普通の野生のポケモンよりはずっと懐っこい子だった理由に気付くべきだった。

 そんな奇跡が起こるはずがないと、決めつけてしまったのが運の尽きだったのだろう。自然な発想が生み出した、ごくごくありふれたすれ違い。

 

『ブルーだって、バットンだって、あなたのこと大好きだよ。

 でも、あいつらにだって絶対負けないし、譲らない。

 私が一番、世界で一番、ヒカリのことが大好きなんだからね』

 

「にゃ……………………ニャル、ちー…………?」

 

『……んふふっ。

 なんだか、子供扱いされるみたいでちょっと恥ずかしいね。

 やっぱり、これからもニャムちーでいいかも』

 

 にゃぁぁ、と鳴くブニャットの嬉しそうな声が、今はあの頃何度も聞いたあの声と同じように聞こえる。

 進化して、鳴き声も変わったのに。

 それはまるで、かつての旧友と再会すれば、互いに年老いた顔でありながらかつての顔に戻ってくる不思議な感覚のように。

 今すぐに抱きしめたい衝動さえ、両膝をついてその両手で目を覆うヒカリはもう、最愛の親友に手を伸ばすことさえ叶わない。

 

「あっ…………あ、ぅ………………

 あああ、っ…………うあ、ぁぁ……っ……」

 

 なんて、馬鹿だったんだろう。

 あの日の私も。これまでの私も。今の私も。

 ずっと追い求めていた夢は既に手の中にあったのに、過ちだらけの人生を歩んできた愚かしさはもはや、言葉で表せる領域を超えている。

 だから、エムリットは伝えたのだ。

 純真で無辜たる、最も大切な誰かを幸せにすることが、あなたが果たせる最大の贖罪。

 簡単なようでいて、今の彼女にはあまりにも重い。

 一生ぶんのその悔いと、犯してきた社会的な罪が彼女を追い続ける今後を含め、それこそがきっと間違いなく、罪深き彼女には最大の十字架だ。

 

『ヒカリ、大丈夫だよ。

 私達が、あなたがまた心から笑えるぐらい幸せにしてみせる。

 それを叶えることが私達にとっても、一番の幸せなんだからね』

 

「あああぁ~~~~っ…………!

 あぅっ、えぐっ……ああぅぅぅ……っ……!

 うああぁぁぁ~~~~~っ……あ~っ、あぁ~~~っ……!」

 

 犯してきた罪はあまりにも重く、いま彼女が感じている以上の報いもまた、その身に降りかかる日が必ず訪れるのだろう。

 それだけのことをしてきたのだ。そんなことを、積み重ねてきたのだ。

 どんな者とて罪を犯すことはある。それでも救いはあって良いという一般論は確かに存在し、決してそれは単なる甘さと切り捨てられたものではない。

 たとえかすかな救いがもたらされたとて、贖い果たされていない罪に対する報いがやがて身を焼くという不文律もまた、真理であり覆らない。

 幼き彼女が一度の過ちで親友と離れ離れになり、この日まで真の再会を果たせなかったように。

 過去は絶対に無きものには出来ず、それに連なる形で今と未来が作られていくのだから。

 

 罪深き者への救いとは、顧みぬことすら出来ぬようになった愚者に、この美しき世界を穢したという真なる業を顧みらせるための残酷な優しさであるべきだ。

 心からの愛を説いてくれる親友の想いは、きっとそれに値するもので、己の罪から逃げ続けるだけであったマーズをゼロに引き戻している。

 ヒカリは間違いなく幸せなのだ。きっと、世界中の誰にも劣らぬほど。

 彼女をこの美しき世界に真の意味で引き戻してくれたのが、十数年も愛し続けた、二人であると同時に一人の親友であったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――それじゃあ、いってきます!」

「ええ、いってらっしゃい。

 今度はもう、あんな危ないことはしちゃ駄目だからね!」

 

 朝を迎えたフタバタウン。

 誇張無く世界を救った少女は今、決してそうとは見えぬような、ただの女の子の姿で元気いっぱいに我が家を出発していた。

 釘を刺され、ちょっと気まずそうにへへへと笑って、逃げるように小走りで家から離れていき。

 そんな愛娘を見送る母もまた、確約しきれぬ我が子のやんちゃぶりに苦笑いを浮かべるばかり。

 私も悪いんだろうなぁと。育て方を間違えたんだろうなと。親の心子知らずとはこのことなり。

 

 パールは再び、チャンピオンとなるために旅をすることを選んだ。

 元は顔も知らぬ命の恩人に、自分を見つけて貰うために、シンオウ地方一番の有名人になることを目的に始めた旅。

 その人とはもう出会えた。決してかつて夢描いた形とは異なったものだったけれど、叶え果たすことは出来たと言えよう。

 それでチャンピオンを目指す旅の目的が失われてしまったのかと言えば、それもまた違う。

 もちろん、せっかくバッジを7つも集めてきたんだし、ここでやめたら勿体ないだとか、そういう安直な考えでもない。無いこともないかもしれないが。

 

 パールだって、自分の気持ちには気付いているのだ。

 とっくの昔に、命の恩人に会うことを目指した旅そのものより、出会えたみんなと歩んだ日々の方が、自分にとってはずっと大切であったことを。

 ピョコのことが、パッチのことが、ニルルのことが、ミーナのことが、ララのことが、プーカのことが、出会えたあの頃よりもずっとずっと好き。

 そして、自分の目指す夢のために、みんなが心と体を尽くして戦い抜いてくれた、あの尊ぶべき姿は一生忘れられやしないのだ。

 今なら信じられる。傲慢なようで口にすること自体は憚られるけれど、それが真実だと迷いなく信じられること。

 自分が喜べば、みんなも喜んでくれる。そう信じさせてくれるのも、掛け替えのない6人だ。

 昔からそうだったけど、パールはもうかつて以上に、6匹のポケモン達のことを"匹"という数詞で数えることなんて絶対に出来ない。

 みんなは大切な友達だ。悪いけど、幼馴染で親友のダイヤより、幾度も助けられた恩人かつ親友のプラチナよりも好きだって言えちゃう。

 人とポケモン、変えようのない隔たりは確実にある。関係ない。

 

 みんなと一生一緒にいたい気持ちは、今もこれからもずっと変わるまい。

 それだけだったら、別に旅を続けなくたって叶え続けていけるだろう。

 だけど、みんなと一緒に何かを叶えて、喜びを分かち合うことの悦びを知ってしまったパールはもう、それを追いかけ続けずにはいられない。

 ポケモントレーナーというものを目指すことを、そうあり続けることをやめられない最大の一因であろう。

 パールのように、勝利を絶対視するならば他の選択肢があろうに、一生この6人を改めず勝負し続けていくタイプのトレーナーも。

 勝敗にシビアな考え方を揺るがさず、状況に応じて自分が繰り出すポケモンに愛着というものを持ち込まず、手持ちを総替えすることを厭わぬトレーナーも。

 すなわち勝利のためならば、何十匹のポケモンを、時間と労力を惜しまず丹念に育てる忍耐強い人物も。

 ポケモン達とともに大きな成功を勝ち取ることは、それが大好きな人達にとって、何度経験したって忘れられず、慣れない。

 大人も、子供も、一度好きになってしまったら最後、みんなポケットモンスター達のことが大好きであることは変えられまい。

 パールもまた、そんな虫に刺された一人であるというだけの話である。

 

「ピョコ」

 

 フタバタウンを出てすぐの所で足を止めたパールは、前に進むはずの脚を数秒に渡って滞らせ、空と、周囲を見渡していた。

 左には、幾度となく訪れたシンジ湖。右には旅路の行く先であるマサゴタウン。

 そして晴れた空を見上げても雲一つ無く、見つめても何も得るものの無きものをまるで感慨深く眺めた後、パールはピョコを声で呼んだのだ。

 ボールに指をかけず、スイッチも押さぬ、出てきてと言われずとも求められる行動を理解し、彼女のそばに姿を表すピョコは流石ベストパートナーであろう。

 

 地に降り立ったピョコのそば、自分の姿を見向きもせず、空を見上げるパールの姿がある。

 彼女が何を思っているのかなんて、流石にピョコでもわからない。

 だけど、彼女が何かを感じている空を、無言で見上げて同じ行動を共にする。

 今すぐにはわからなくたって、彼女と同じものを共有したくて手探りで見つけようとするようにだ。

 これだけパールに対して理解の深いピョコですら、もっともっと今よりパールのことを知ろうと努めるのだから、きっと誰も彼には敵わない。

 お前の特別なひとにはなれないけど、なんてパールに伝えたピョコではあるが、とっくに彼は彼女にとって唯一無二の、世界で一番の特別だ。

 

「……………………」

「……………………」

 

「……なんだか、世界が変わっちゃったような気がするね。

 きっと、元に戻っただけなのに」

 

 パールの抽象的な言葉に、ピョコは明確な共感を以って頷いた。

 分かり合え過ぎる二人である。世のポケモン博士がこの辺りのエピソードを聞けば、人とポケモンがそこまで理解し合えるものなのかと研究課題にさえしそう。

 出会って一年にも満たぬ関係だというのに、二人とも無自覚でそうなんだからたいしたものである。きっと、ポケモン達が凄いのだ。

 

「でも……ピョコやみんなと私の関係は、ずっとずっと変わらないよね?

 私、わからないこと沢山あるけど、これだけは何故か信じられるんだ」

「――――♪」

「えへへ……嬉しいな。

 一緒にいられるだけで幸せって、ほんとに幸せだよね」

 

 世界は一度、神の顕現とその力の猛威により、崩壊への道筋を辿りかけた。

 あの日、テンガン山で戦い抜いた少女と、彼女を守らんと戦い抜いた6つの光が、壊れかけた世界が元の形へと戻る新たな未来を導いた。

 その日まだパールのボールに収まっていなかったフワンテだって例外ではない。彼もまた、山の半ばでパールの命を救っている。

 そうした経緯を経て、今のあるべき形を取り戻した世界は、決して作り変えられた新世界ではなく、あくまで元の形に戻っただけに過ぎない。確かにそう。

 

 変わったものがあるとすれば、それはパールの心情の方だ。

 失いかけた世界の貴さを、あの世界的な危機の中で誰よりも痛感した彼女だからこそ、変わらぬはずの美しきこの世界がいっそう輝かしく映る。

 世界は決して変わっていない。どう捉えるか、その者の目次第でしかない。

 この世界が美しいと思う者には煌めいて見えるであろうし、穢れたこの世界に変わって欲しいと望む者には、失望と共にいっそう淀んで見えよう。

 一度壊れたものは、どんなに手を加えて完璧に元の形に戻しても、完全に元と同じものに戻ったとは決して言い難いものだ。

 世界は再生されたのではなく再誕したのだと、理屈ではなく感覚で感じ取るパールとピョコの所感はきっと、時が経つにつれ深まっていくことだろう。

 

 憧れの人を追うための旅から、そんなことよりもずっと大切になっていた、掛け替えのない友達と歩む旅そのものを望む前進。

 数奇な縁がテンガン山で収束した、パールの心境の変化の契機とも言えよう出来事が、世界が滅びるかどうかの転機で訪れたことによる影響は否定できない。

 幼い少女が哲学じみた、世界再誕という真理を感じ取らずにはいられない今に至るまでに、それだけのものがあったのは確かだろう。

 縁や出会いがもたらすものの大きさは、元より語るべくもないことだ。

 パールとアカギの、パールとプラチナの、そしてパールとピョコ達6人との出会いと繋がりを、引き合いに出すまでもないことである。

 

「――行こう、ピョコ。

 これからも、ずっと一緒だよ」

「――――♪

 ……………………?」

「はわっ?」

 

 歩み出すためのきっかけの言葉を発し、パールがマサゴタウンへの歩みを始めた矢先。

 ピョコがパールのスカートをくわえて引っ張り、パールの足を止めてしまう。

 低い位置からそれをされると、スカートが下に引っ張られて脱げそうな感覚に襲われる。パールが思わずお尻を押さえる手の動きは非常に速かった。

 誰も周りにいないし誰も見てないとて、それは流石にパールも御免である。

 

「ど、どしたの?

 今のは結構やめて欲しい系なんだけど」

「――――――、――――」

「え、なに…………へあ!?」

 

「ゔっ……!

 くそっ、つくづく邪魔だわあの子……!」

 

 あっちあっち、とピョコが首を動かして、自分が見つけてしまったものをパールに教えた。

 パールがそちらを見て目を凝らすと、木陰に隠れた紫色の髪の女性を見つけてしまった。変な声も出た。

 そりゃそうだ。ギンガ団幹部のコスチュームを脱ぎ捨てた私服姿とはいえ、あの顔だけは流石に忘れようもない。

 指名手配犯のジュピターさんは、パールに見つかるや否や、舌打ちして木々の奥まで隠れてそのまま逃げ去っていった。

 

「あいつぅ~……!

 今度は何を企んでるんだっ……!」

「――――、――――――」

「まあ、確かにそんな悪意のありそうな顔はしてなかったけど……

 ちくしょう見つかった的な顔はしてたけど、どちらかといえば気まずそうな感じな顔だったし……」

 

 流石に怨敵を目にすればパールも番犬の目になるが、ピョコが冷静に首をかしげて発する声に、確かにそうだねとばかりに冷静さを取り戻す。

 言語もわからないのに普通に会話している風である。どこまでこの二人は。

 お母さんもいる故郷フタバタウンのそばに、あの極悪人が出没したことにもっと色々熱くなってもいい場面なのに、ピョコとのやり取り一つでこうなのだから。

 ポケッチに指をかけ、警察に連絡すべきだという行動を当然に叶えかけながら、その指が止まる程度にはジュピターの態度を冷静に見極めている。

 

「……あれ、たぶん悪いことを考えてる顔じゃなかったよね?」

「――――」

「じゃあ、まあ気にしなくていっか」

 

 あれほどぶつかり合った悪人を、こんな場所で見かけて尚、このクールな対応はなかなかのもの。

 ピョコと一緒に、何事もなかったかのように、マサゴタウンに向けて前進だ。

 良くも悪くも、修羅場をいくつもくぐり抜けて、11歳とは思えないほど肝が太くなってしまっているようである。

 幼くて、感情的になるところや子供っぽさは、ごく普通の等身大の子供として残るパールだが、この一点に関してのみは、同い年の誰よりも卓越していそう。

 彼女自身、いつ思い返してもあの頃のような日々はもう懲り懲りと言うであろうが、その経験が彼女をここまで大きくしたのは皮肉としか。

 

 世界は変わっていない。元の形を取り戻した。

 それでもやはり、あの日以前の全く同じ形ではないのだろう。

 なぜなら根本的にパールとて、この世界を彩る一人であり世界の一部なのだから。

 一皮も二皮も剥けてしまった今の幼き少女の、大世界の一部での小さな挙動ですら、世界が変わったことへの

 故郷は不変ではない。時と共に必ず形を変え、それでいてかつ、なお変わらぬものであり続けるかのように人々の心に残り続ける。

 変わっていくのは人の方だ。世界は常に、生まれ変わり続ける。

 それが連綿と連なるこの世界が、当たり前のように在り続けていてくれるからこそ、人々は、我々は、思い馳せるという特権を無条件に授けられる。

 それだけで、この世界の尊さは語れるというものだ。

 

「……やっぱ通報はしとこ。

 あの人、指名手配犯だし」

 

 しばしマサゴタウンへの道を歩みながら、パールはふとしてポケッチを操作して、フタバタウンの警察へお電話する。

 ま、そうだよな、とくつくつ笑うピョコは、何にも追い詰められず、普通のことを普通にやるだけの親友に寄り添い歩けること自体が、何よりも幸せだった。



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第145話  ナギサシティ

 

 

「ついに来たっ!

 チャンピオンを目指す旅、最後の街っ!」

「やっとだね。本当に、やっとだよ。

 色々あり過ぎたもんなぁ」

 

 シンオウ地方のポケモンリーグ本部へと続く道の玄関口、ナギサシティ。

 地方最東部に位置し、南と東に隣する大海に寄り添う、"太陽の街"と呼ばれて長い都である。

 街の構造はシンオウ地方全体で見てもかなり異質であり、海の上に橋をかけて、複数の島々を繋ぐ形で一つの街を形成させるというものだ。

 近代的なインフラを整備するにあたって、当時の苦労が他の街よりも大きかったであろうと容易に想像される構造である。

 

「で、どうするの? 早速ジム?」

「そんなまさか!

 街をじっくり見て回りながら最後にジムに辿り着くのですよ!

 プラッチには旅の情緒というものが無いのかね!」

「へー、意外。

 まずジム行って、挨拶と試験を済ませてから街を見回るものかと。

 っていうか今までだってだいたいそうだったじゃん」

「もうね、今の私はかつてのような、早く早くのせっかちさんじゃないのですよ。

 苦しい戦いを経て大人になったのだ!」

「すごいね~」

「1ミリも信じて貰えないのはわかってたけどリアクションが冷たすぎる」

「わかりやすくていいでしょ」

 

 苦しい戦いを経て云々は微塵も関係ないであろうが、確かに今のパールはかつてと比べれば、旅に対しての意識が変わったと見える。

 パールは確かに、早くチャンピオンになりたかった。旅足も速かった。

 有名になって、命の恩人に呼びかけることを、憧れの人との再会を早く果たしたかったからだ。

 だけど今のパールはもう、チャンピオンになった後の目的がもう失われている。

 今の彼女に残っているのは、ただチャンピオンになってみんなと喜びを分かち合いたい、それだけだ。何も、急ぐ理由なんてない。

 今日中にナギサシティの玄関を叩くことは決まっているとて、今までのように街に着いてさっそく、ではなくなった精神的な根拠とはその辺りだろう。

 見方によってはギンガ団との戦いの果て、会いたかった人に会えたことが一因でもあるので、彼女曰くの一皮剝けた理由とやらも的外れではないかもしれない。

 

「まあ、せっかく昼前に着けたんだしね。

 僕もナギサシティに来るのは初めてだし、ここは他の街と比べてもだいぶ趣も違うから見て回るのは楽しみだよ。

 先に堪能できるなら僕もその方がいいな、せっかちパールに振り回されずにのんびり出来るし」

「ジム行こ」

「ゆっくり街を見て回るんでしょ」

「私のことをせっかちとか言うヤツの思い通りにはさせない」

「地雷だったのか」

「それはアホな私の幼馴染の専売特許ってやつだっ!

 それを私に言うなっ! 屈辱的だっ!」

 

 ふしゃーと全身の毛を逆立てる勢いと剣幕でわやわや言ってくるパールに、わかったわかったとプラチナもお手上げポーズで退いてあげることに。

 本気で怒っていないのはもう流石にわかる。こんな気心知れたやり取りが出来ることを楽しめばよい。

 この晩、二人とも寝る前に気付くことだが、本当に何日もこの程度のやり取りすら出来ない毎日が続いていたのだから。

 今日は楽しかったなぁと、一か月前の何倍も感じることは間違いなし。

 

「さぁー行くぞプラッチ!

 私のペースで行くのだ! 異論は認めないぞ~!」

「わっ、とと。

 前よりもパワフルになってるなぁ……」

 

 パールがプラチナの手を握り、ぐいぐい引っ張ってナギサシティを歩きだす。

 手なんか繋ぐ形になって少し驚いたプラチナだけど、温かくて柔らかい感触に頬まで緩まされ、パールの早足についていく足も弾む。

 今が楽しい。そんなパールを見るのも久しぶりな気がしてならない。

 そんな彼女の顔を見るのが何よりの眼福であり、そうしてパールの顔に目を向ければ、なんだかパールの頬も耳もちょっと赤らんでいる。

 

 ああ、わかった。これは絶対に傲慢や思い上がりじゃない。

 ジムに挑むのも大事だけど、まずは初めて訪れた地での、プラッチとのデートだと彼女は決めてくれている。

 脅威は強引だなとは思った。思い切ってくれているのだ。

 自然な風に見せかけても、自分の方から意を決して手を繋いで。そして気付けば、すぐには離さないからねとばかりにちょっと手の力が強いのもわかる。

 彼女の鼓動を指先から伝えられたような気がすれば、プラチナの胸も、苦しくもあり心地良くもある脈が強くなり始める。

 

「えへへへ、プラッチ、今日はほんとに私のペースでいくぞ?

 ちゃんとついてくるんだぞ?」

「……うん。

 置いて行かれるようなことなんて絶対にならないから」

 

 彼女を喜ばせる百点満点の回答だ。

 今日はずっと一緒だという遠回しな言い口に、僕もそのつもりだと遠回しな返答。

 この日一番に嬉しそうな表情で笑うパールの姿に、プラチナは利き手を握られてさえいなければ、ガッツポーズでもしたかったぐらいだろう。

 

 本当に何気ないことだが、未だプラッチと呼んでくれることが本当に嬉しい。

 一緒に旅してきた長い長い時間で培ってきた二人の絆が、名前を明かした今になっても何一つ変わらず、今これほどの繋がりとして結実している一つの象徴。

 きっとこれからプラチナは、恋した側が告白することを恐れる根拠というものを、これからいよいよ切実に思い知っていくことになるのだろう。

 今の関係が本当に幸せなのだから。

 なるほど今の関係を壊したくないから告白が怖いという、何も知らない幼き頃には理解できなかった恐怖も確かに切実だなと。

 

 

 

 

 

「太陽の街、ってどういう意味なんだろうね。

 どこの街でも、お日さまは照らしてくれるし別にこの街が特別ってわけじゃないでしょ?」

「それはやっぱり、この街が太陽光発電に力を入れてるからでしょ。

 ナギサジムのジムリーダー、デンジさんは電気タイプのポケモン使いだからね。

 街にエネルギーをもたらす有力手段として、あの人がその技術を積極的に推して、それで近年のナギサシティがあるのは確かだよ」

 

 太陽光から電力エネルギーを獲得する技術とは、確立されたその時は画期的だと賞賛されたものだ。

 実際、そのための装置を置いておくだけで、誰のものでもない空からの恵みで小さくないエネルギーが産出される。本当に革新的である。

 とはいえ実用して初めて明るみになる、想定を上回る欠点というものが浮き彫りになっていくというのも科学の永久命題。

 天候に期待値が左右されることもそうだし、メンテナンスや維持も案外大変だとか、その割に設置に必要な面積や地価が後々重くのしかかってきたり。

 特にシンオウ地方は寒冷なので、冬になると雹が降りやすいというのも痛い。

 人の手では回避できない自然災害による損傷が設備に発生するというリスクも、他の地方と比較して大きいのだ。

 

 この街に太陽光発電による特色を求めたデンジは、概ねのところの課題をクリアしてくれた立役者である。

 天候変化による日ごとの日照差はどうしようもないが、土地はジムリーダーとして所有を許された土地を最大限活用して設備を多く投入している。

 メンテナンスは自分の知識で完璧に果たすし、雹ないし自然災害で傷みやすい点も、特別な設備を作ることである程度解消している。

 特筆すべきは、彼がそれを私財で果たしている点だ。そして、街に点在するそれらにも、同じ手ほどきをしている。

 おかげでナギサシティは、財政を圧迫されることもなく、太陽光発電の恩恵を受け、それを活かして街に特色を得ることに成功しているのだ。

 街からすればデンジ様々というところだろう。もちろん、ジムやデンジ個人にも快く何らかの還元は果たしていよう。

 決してムラのある太陽光発電のおかげだけで街が極端に潤っているわけではなくとも、こんな特色さえあれば観光客が来ることもある。

 ナギサシティを構成する島々の一つが、照り返しの強い太陽光電池いっぱいで輝く姿は、自然的絶景ではなくとも見応えはあろう。

 この街の話ではないが、発電大風車が並ぶ都市はそれだけでも、客足を呼ぶ実績があるのだ。やはり個性的な街の見所というものは人を惹き付ける。

 後述するが、ナギサシティは他にも見所が沢山あるので、こうした個性を一つ新たに得られた昨今、その強みというものは相乗効果で只ならない。

 

「でも、太陽光発電の街っていう風になったのって最近でしょ?

 昔から太陽の街って言われてる理由にはなってなくない?」

「あ~、パール君いいところに気付きましたねぇ。

 そうなんだよ、ナギサシティは数百年前から太陽の街なんですよ」

「あっ、なんだか先生っぽいカンジになってる。

 学者のタマゴ魂がはたらいているのか」

「パールも事前にこの街について勉強してきたんだね。

 でも、僕はさらにその上をいくぞ? 何せ学者のタマゴなんだから」

「その辺につけヒゲ売ってないかな?

 今のエラそうなプラッチにはきっと似合う」

「マジック持ってない?

 今ならチョビひげ自分で書くよ」

「うわっ、かつてないほどプラッチがテンション高い!

 これだから学者のタマゴは!」

 

 勉強家というやつは、学んだ知識を人に語りたくなってしまうものだから時々めんどくさい。

 プラチナもそれが自分の悪癖になり得ることは案外わかっている。この年でわかっているぐらいには彼ってばお利口さん。

 だけど抑えられない。馬鹿らしいやり取りの口ぶりでパールを笑わせているが、語りたい本心に蓋をしてなどいられない。

 だってパールがあらかじめこの街のことを勉強してきてくれたのだって、デートの舞台になる街についてあらかじめ、知識を貯えてきてくれたということだ。

 そりゃあ普段は冷静な彼とて、パールの仰るとおりハイテンションでいずにはいられないというものであろう。

 

「よーしパール、ヒントをあげよう。

 ナギサシティはシンオウ地方で一番東に位置する街なんだ。

 これでわかるかな? 一番、東、だよ?」

「東、ひがし、東…………

 はいっ、わかりましたプラッチ先生!

 一番東ということは、太陽が昇る東に一番近いということですね!」

「ん~、半分正解!

 確かにそうなんだけど、その解答じゃ半分なんだ!」

「おおぉ、プラッチが楽しそうだ。かつてないほどに。

 いいよいいよ、そういうプラッチをどんどん出していこう」

「あ、今度はパールが先生みたいになった」

 

 歩きながらこの会話である。

 繋いでいた手はもう離しているが、そのぶん二人とも空いた両手で、聞くにも語るにも挙動を混ぜてのお喋りだ。

 はいっ、と手を挙げるパールにせよ、ん~、と顎に拳を当てて惜しいねという仕草を見せるプラチナにせよ、会話に言葉だけじゃなく体を使うのだ。

 それって世間的には、はしゃいでいるとさえ言える。特にプラチナがここまで子供っぽくはしゃぐなど、余程に楽しい証拠としか。

 

「ナギサシティの東って言えばあっちの方かな。

 何が見える?」

「何がって……なんにも?」

「あるよ、何かが。何がある?」

「……………………うみ?」

 

 プラチナが指し示したナギサシティの東には何も無い。

 海が広がり、水平線があるのみだ。大洋を隔てた遥か彼方の異国など、その水平線には影すら映りようもない大海。

 何も無いと一度は解答したパールの言うとおりでありながら、街の東には海しかないことに、ナギサシティが太陽の街と呼ばれる最大の根拠がある。

 

「日が昇る街の東には、山も森も無く、海しかないんだよ?

 水平線があるだけなんだ。どう思う?」

 

「……………………あーっ! わかった!

 もしかして――――――――」

 

「―――――――そう、正解!

 ナギサシティはずっと、昔からそうだったからね。

 シンオウ地方の"太陽の街"って言われた理由がわかったかな?」

「昔の人ってそういうことに大きな意味を感じていたんだねぇ」

「ね、知ることって面白いでしょ。

 僕が学者を目指してる気持ち、結構わかってもらえない?

 僕もこれ知った時、へ~って思ったもん」

「ポケモン学者志望なのにポケモンと関係ないことに?」

「関係無いよ、知ることは楽しいからさ。

 お勉強って響きだとすっごくつまらないけど、知らなかったことを知るのは楽しいよ」

 

 たくさんヒントを貰ってながら、この街が古くからの二つ名を持つ理由に自分の思考で辿り着いたパールは楽しめている。

 確かにお勉強なんてつまらない。退屈だもの。

 でも、自分で何かに気付けた瞬間は、やったと思える。わざわざ意識しないだけで誰にでも経験のあることであろう。

 それをさせてくれる先生がいると、今よりちょっとはお勉強も楽しくなれたりするのだろうか。

 

 まあ、そんなことはどうでもいい。今が楽しければそれでいいのだ。

 お勉強に抵抗のないプラチナ、小難しい話が苦手なパール、本来それだけ真逆な二人がこの内容で楽しく語らえるのも、考えようによってはなかなかに特異。

 知識というものは決して単に崇高なものではないのだ。子供同士の会話を、これだけ弾ませるきっかけにもなり得るもの。人々に歓楽をもたらし得る。

 知識の神というものが信仰されるのも納得だ。

 

 

 

 

 

「それにしてもポケモン岩、すごかったねぇ。

 帰りももう一回じっくり見ていい? あれすごい好き」

「今日はパールのペースでいくんでしょ?

 よっぽど楽しかったみたいだし、あれ見ちゃったらダメとは言えない」

「私そんなに楽しそうだった?」

「目ぇキラッキラしてたよ。

 ついでに自覚ないかもしれないけど、小声で『かわいぃぃぃ~』とまで」

「なんだそのモノマネわっ!

 バカにしているのかっ!」

「いやいや、マジでそんなんだったから。

 僕しばらくパールに話しかけなかったでしょ。

 邪魔しちゃ悪いぐらい夢中だったんだよ、パール」

「うえぇ、なんか後から聞かされると恥ずかしいな……」

 

 プラチナのひけらかした知識に感動したりもするぐらいには感受性の強いパールだが、やはりパールは、目で見てわかりやすい感動にこそ心を揺らされる。

 近年は太陽光発電が一押しのナギサシティだが、この街の売りとなるものはそれだけではない。

 シンオウ地方の最も東の街かつ、そのさらに東には海しか無く、最低標高の朝日を拝めることから、シンオウ地方で最速の朝日が拝める街。

 ゆえに太陽の街と称されてきたこともまた売りではあるが、それさえこの街の最大の売りかと言われればわからない。

 ナギサシティには、海面から顔を出す岩島の一つが、まるでポケモンの形をしているようだと評判の"ポケモン岩"が、観光対象としては最も有名だ。

 

 これが驚くほど、カビゴンのシルエットにそっくりなのだ。

 何が凄いかって、人の手を一切加えられておらず、雨風や波に削られた岩の形が、自然とその形になっていること。

 さらにはそれが、その形になってから何年も、何十年も、それ以上は削れずにその形状を保っていることだ。

 もちろん、ナギサシティの側もその形を維持するために、手入れをしているわけでもないにも関わらずである。

 少し考えれば風雨や海に形に数年で変えられて当然のそれが、何年にも渡って同じ形のままでいられることは神秘的でさえあろう。

 

「カビゴンかわいい?」

「かわいいよぉ~、おっきくて強そうだけど可愛いよぉ。

 テレビで見るたび、目が離せなくなっちゃう」

「まるっこいのが好きなんだね。

 みんなの中ではフワンテが見た目的には一番好み?」

「あっ、ダメだぞプラッチ。

 私がそういうこと軽々しく喋ると他のみんなに悪いのだ」

「そういうとこパールは気を遣うよね。

 ごめんごめん」

「そういう話をすると、最終的にはミーナが出てきて私をいじめるのだ」

「なるほど、よくわかる」

 

 鞄に手を突っ込んでもぞもぞしているパール、恐らくミーナのボールをなでなでしている。

 あなたが一番だよ、以外の言葉では満足してくれない子だ。それがまた可愛いのだが。

 ミーナの気難しさにはパールも何度も頭を悩ませてきたが、相思相愛を信じられる今では嫉妬さえ愛らしい。

 そして、そんな顔を見せてくれれば嬉しささえある今でも、わざわざ彼女を妬かせる言葉を使いたがらず、むしゃくしゃさせない辺りがパールである。

 親しき仲にも礼儀ありとはこういうことなのかもしれない。厳密には少し違えどだ。

 

「そろそろジムだね。

 ナギサシティ回り、楽しかった?」

「聞くに及ばず!

 うへへへ、ちょっと難しい言葉を使ってみました」

「そんな拳を天高く突き上げて言うような言葉でもないけどね」

 

 何より、重畳。

 私のペースでという主張で始まった二人のデートは、言うなればパールが自らエスコートを買って出たということ。

 男としてリードされるのもどうかなとプラチナもはじめは感じたが、パールが楽しければそれでいい。

 プライド云々より、パールのやりたいようにさせてあげるのが一番だと、意図的に一歩引けたプラチナの判断は正解だったということだろう。

 今までの旅では、パールの無茶を幾度も咎めてきた過去さえ、今となっては懐かしいものである。

 

「……それにしても、ナギサシティは穏やかだね」

「ん~……いや、これが普通だよ。

 パールが今まで、進んで非日常に首突っ込んできてたってだけじゃない?」

「うっ、それは……いやいや、騙されないぞ!

 プラッチ、今のはついでの皮肉というやつだな!?

 ちょっと考える時間あったのがその証拠だっ!

 イジワルな感じで話を逸らすのはカンジ悪いぞっ!」

「あっ、バレた?

 大丈夫大丈夫、パールの言いたいことはちゃんと伝わってるよ」

 

 せっかくなので、パールが切り出した新しい話題を種に、ちょっくら過去に苦労した思い出に対する恨み言めいたものを投げておく。

 さんざんプラチナを引きずり回した自覚もあるパールなので、反撃の態度もばつの悪さから少し弱い。

 最近、当たり前のような日常のありがたみというものを痛感している二人だが、それはそもそも二人が歩んだ環境が極めて特殊だったからである。

 槍の柱での死闘などに関わっていない、何も知らぬ人々にとっての今日なんて、一か月前の日常から何一つ変わってなどいまい。

 結果的に世界を救ったとはいえ、良くも悪くもパールは自分から死地に飛び込んだ側で自己責任。プラチナだけがいじり倒せるパールの弱みである。

 

「実際、ここに来るまでに寄った街でもポケモンセンターでも、嫌でも山ほど噂話聞こえてきたもんね。

 あのサターンが自首したっていう話がきっかけだろうけど」

「あの空気がこの街には無いんだなぁ、ってやっぱ際立って感じるよね。

 そもそもこの街、ギンガ団とは関わりが本当に無かったみたいだけど」

 

 トバリシティのギンガ団――アカギが率いていたギンガ団とは別の、根を張る街の誇りとして多くの人に敬われていた方のギンガ団の話だ。

 アカギの腹心であるサターン、表向きにはトバリのギンガ団のオーナーすなわち、取締役にも相当する人物の過去の所業は、既に白日の下に晒されている。

 パールもそれを初めて知った時には驚いたものだ。

 一度帰郷したフタバタウンから、再び旅に出ようとした朝、あのサターンが自首したというニュースがテレビに流れた時は。

 おかげで朝一番に出発する予定だったのに、ニュースが気になってしまい張り付いて、結局出発したのは昼前にまでなってしまったほどである。

 

 その後、彼がどうなったのかは続報に乏しく、現在シンオウ地方全土はゴシップに溢れている。

 報道されている確かなことといえば、トバリの罪無きギンガ団が、オーナーたる彼が悪の組織の副官であったことを知りながら、弁護士を寄越したことや。

 それを受けた世論の声が、ギンガ団そのものの存続を疑問視するものに偏っているという事実ぐらいのものであろう。

 サターンが今後どんな罪科に問われるかなど、はっきりしていないことも含めて公共向けの報せは限られており、今は最もゴシップが賑わう時期。

 実際のところ、ここへ至る前いパール達も、クロガネ、ヨスガ、ノモセと街を通過してきたが、それらにおいて本件についてどよつく人々の声は多かった。

 とりわけ旅半ばでの宿泊地に選んだノモセシティのポケモンセンターでは、この話題で持ち切りの人達の声を、何度聞いたかわからないほどだ。

 

「そもそもこの街、アカギさんが率いるギンガ団の活動範囲外だったっぽいんだよね。

 報道されてる感じでも、何の被害もなかったみたいだしさ」

「……パール、今でもアカギ"さん"って言うんだ?

 相当ひどい目に遭わされた相手だったはずなんだけど」

「あっ、いや~、まぁ……

 なんだか複雑なんだよ~、命の恩人だったのはホントだし、長いこと憧れの人だったのは本当みたいだしさ。

 今でもどうしても嫌いになれないっていうか……」

「まあ、パールが嫌な気分せずそう呼ぶならいいけどさ」

 

 アカギやサターンの率いるギンガ団は、広範囲に渡ってその悪行を繰り広げていた。

 谷間の発電所、ハクタイシティ、トバリシティ、そして三湖とそれに近しい街での準備を整えるための暗躍など。

 マサゴタウンやミオシティなど、神話の地から距離のある街はギンガ団も関わらなかったが、その理屈で言えばナギサシティは事情が違う。

 近年の改革によってエネルギーの生産施設に恵まれた街であり、谷間の発電所やハクタイシティでギンガ団が求めたものを、より高水準で持っている。

 ましてやリッシ湖にも近い。手段を選ばぬギンガ団が、こんな一等地を拠点に用いないのは理屈に合わないのだ。

 名高きシンオウ地方最強のジムリーダーとも称される、デンジがいることなどギンガ団が二の足を踏む理由にはなるまい。

 複数人のジムリーダーを平気で敵に回してきたギンガ団が、そんなことを根拠に日和るまい。

 にも関わらず、この街は一連のギンガ団の活動とは全くもって無関係であり、意図的にこの街をその活動範囲に含めるのを避けられた気配すらある。

 

 ギンガ団の首魁であったアカギが、ナギサシティの出身であったこと自体は元より有名な話だ。彼は表社会でも名士だったのだから。

 さしもの悪の首領とて、故郷にだけは魔の手を伸ばすことを躊躇ったのでは、というのが今のところ有力説である。

 反論要素も少ないだけあり、そんなまさかという意見もありながら、現時点ではかの鉄面皮にさえ、やはり人の心はあったのだろうと推察されている。

 

「…………やっぱりさ、私ね。

 アカギさんのこと、どうしても真っ黒な悪人には見えないんだ」

「…………」

「槍の柱で戦った時、あの人が言ってたんだ。

 幼少の頃大切なものを取られた者の気持ちがわかるか、って。

 ……私達の知らないあの人のことだって、あると思うんだ」

「だからって、何してもいいって話にはならないでしょ」

「うっ……そ、そ、そうなんだけど……

 ちちち、違うよ違うよ? だからアカギさんがやってたことを、仕方ないよねとかそういう話じゃないんだよ?

 でも、そのぅ……なんていうか……本当に、切実で……」

 

 その声を、感情渦巻くその場で聞いたパールにしかわからないこともある。

 アカギの叫びの迫真、自身を歪めた根拠であると信じるには充分すぎるほどの、想像を超えた悲哀に満ちし過去の気配。

 人に話しても伝えにくい話なのは、パールだってわかっているのだろう。話を聞いてくれるプラッチだから、甘えて話してしまうけど。

 ご当人も、悪人を庇うなんてしちゃいけないのはわかっていて、それをする自分がプラッチに嫌われたら嫌で、あたふたしているぐらいである。

 プラッチ、何故か機嫌が悪そうだし。すごく焦るパール。

 

「あ、アカギさんのポケモン達も……嫌々じゃなくアカギさんのことを本当に信頼してる感じで……

 それだけアカギさんって、身内にはきっと……ね?

 私どうしても、アカギさんのこと嫌いにはなれなくって……」

「わかったよ」

 

 上手く表現できないパールに対し、プラチナが話を打ち切らせたのは慈悲である。

 喋っても喋ってもどうせ上手くいかないので、ここらで終わらせた方がよい。

 そういう意図はプラチナにも確かにあったのだが、どうにもその声がつっけんどんなのはまた別の理由。

 

「あの人の導く世界の破滅を阻むために、何人もの人や仲間達が大怪我しながら頑張ったんだけどな。

 それでもパールは、今でもあの人のことが大事なんだなって」

「えー!? ま、待って待ってぇ!

 全然違うこともないけどそうじゃないんだよー!

 もうちょっとソフトめに解釈してよー!」

 

 横並びの状態から足を速め、すたすた前を歩いていってしまうプラチナに、慌ててパールも急ぎ足で彼の横に並ぶ。

 彼の進みに歩を合わせ、体はプラチナの方に向けての横歩き、大慌ての表情とあわあわした手振りで弁解に励む。

 確かに自分が、彼が言うに匹敵する内容を話していたのはわかるけど。

 単に悪人を弁解し、その悪行を阻むために戦い抜いた人達の気持ちまで踏みにじりたいわけじゃないと、必死こいて誤解を解きたがる。

 

「お願いプラッチわかってよー!

 私にとっては特別な人なんだよー!

 そうじゃなかったらこんなこと言ってないってー!」

「はいはい、わかったから」

「絶対わかってないよぉ~!

 私がヘンなこと言ってるのはわかってるから、そんな意地悪しないでよ~!」

 

 絶交されたくない相手を怒らせてしまった気配に、パールの必死さは過去一番。

 でも、実はプラチナもちょっとつらい。

 意地悪してるのは自覚している。だってむかつくんだもの。

 むかつく理由は、彼が意地悪して練り上げた、戦い抜いた人達の気持ちを踏みにじるんだねとか、そういうものではなかったりする。

 自分はシロナさんでもスモモさんでもないし、ピョコでもパッチでもない。人の気持ちを代弁して腹を立てる筋合いなんて無い。

 彼自身も戦い抜いた一人だけど、パールの主張がそんな自分の気持ちを踏みにじったものだとも、感じてるわけではないのである。

 だったらどうしてこんなにむかつくのか、プラチナ自身が一番よくわかっていて、そんな自分も何だかちょっと嫌。

 

 デートの最中に昔好きだった男の話なんてするなっていう話。聞かされて面白いわけがない。

 パールがかつての恩人に対し、どれほど強い思い入れを持っているかは知っているだけに、これだけは許してあげるのが男の器だとプラチナは思うのだけど。

 どうしてもむしゃくしゃする。意地悪しちゃう。やきもちめらめら。

 こんな意地悪するなんて、自分が小さいように感じられてプラチナも胸がちくちくするのだけど、抑えられないんだからしょうがない。

 こればっかりは仕方ない。大人の男だって彼女にされたら嫌がる話題であり、プラチナ自身が思うほど、パールのヘマは小さくない。

 

 恋し、恋され、されどまだまだ未熟な二人。

 今まで耳年増に知っていただけでは本質を理解しきれなかった、自分達の初めての感情に振り回されつつ、これからの日々を歩んでいくのだろう。

 お互い初めて、デートだと意識し合っての一日が、いい思い出のみで染めきれなかったのは少し惜しいのだが、大人になれば笑い話に出来ていけるはずだ。

 嫌われたくないパールの焦燥と、意地悪な自分を今すでに悔いているプラチナの、幼く、未熟な若かりしこの日に描かれし姿。

 年相応の青春の日々は、時が経てば経つほどその輝きを増す、今だけの掛け替えなき金色の一枚絵だ。



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第146話  ナギサジム

 

 

「久しぶりの~っ……!

 たのもーーーーーっ!!!!!」

 

 まあ大きな声。夕時にこれって近所迷惑レベル。

 その気合の入りようが明白な声ときたら、ここが最後のジムであることまで物語るかのよう。

 もっとも、ナギサシティは北上すればポケモンリーグという地理的特徴もあり、ナギザジムはバッジを集めるトレーナー達が最後に選びがちな場所でもある。

 ああ多分今回の挑戦者もそうなんだろうな、というのを察しやすいのは、ナギサジムの面々であれば尚更のことでもあったり。

 

「プラッチ! 応援してよ!

 男に二言は無いはずだっ!」

「わかってるってば。

 もう機嫌直してるから、気兼ねなく全力で戦っておいで」

「よーしやる気出た!

 たーーのーーもぉーーーーーっ!!」

 

 ナギサジムの扉を開けてすぐの第一声、さらに続けてもう一度この大声。

 なんか今回の挑戦者はすげぇなと、ジム生達も苦笑する。

 うるさいだとか感じるより早く、でかくてよく通るこの声と、それに込められた決意の強さっぷりへの感嘆の方が勝ってしまう。

 

 パールはとても気合充分だった。

 先程、へそを曲げてしまったプラチナと一緒にナギサジムに着いたのだが、さあ入ろうかというところでプラチナの手を握ってでも足を止めて。

 怒ってないで応援してよと切実な目で懇願。甘えるだとかそういう次元ではなく、応援してくれなきゃ絶対やだと、少しむくれて眼力で訴えかけるものである。

 しばらく歩いていれば先の不機嫌もクールダウンしたプラチナ、自分に応援して貰えなきゃ面白くない彼女の顔には、根負けするのも早くって。

 わかったよ、もう怒ってない、ほんとだよ、と表情を柔らかくして応え、しっかり応援する言質を取らせてあげる。

 まあその後、ほんとのほんとに? とか、絶対だよ、とか、ぶすぶすに釘を刺されまくったのは正直面倒だったけど。

 厄介な親友だが、あなたに応援して貰えなきゃやだやだと心から請うてくる相手はやっぱり愛おしいものだし、結局すべてひっくるめて許してしまう。

 ああ嫌だ嫌だ。こんなちょろくさい自分が。本当、先に惚れた側は損である。

 

「待っていたよ。

 さては、君がパールだな」

「はわっ!?

 そ、そうですけど……デンジさんですよね?」

「知って貰えているとは光栄だな。

 オレがナギサジムのジムリーダー、"デンジ"だ。

 君にとっては、乗り越えるべき最後のジムリーダーってわけだな」

 

 パールにはじめに声をかけてきたのは、受付の人でもなく、ジム生でもなく、その大声を聞いてジムの奥から姿を表した人物だった。

 デンジの顔は、パールもここに来る前ポケモンセンターに寄った時、プラチナと一緒に暇潰しで読んでいた街のパンフレットを介して一度見ている。

 エネルギーに満ちた今のナギサシティの立役者として、昨今デンジの扱いは、街単位で例年より少し大きくなっているのだ。

 ナギサシティの魅力を伝えるパンフレットに、デンジの特集なんてのも組まれたりしていたため、目に触れやすかったということである。

 

「えっ、私がバッジを7つ持ってることを既に知られてる風」

「よく知ってるぞ。

 ハクタイビルで、トバリシティで、リッシ湖でギンガ団に挑んだだとか、一度敗れたトウガン氏に一匹で3タテしたとか。

 手持ちはドダイトス、レントラー、トリトドン、ミミロル、ニューラ、フワンテだろう?」

「知られ過ぎてる!?

 どこにスパイが!?

 ……はっ!? まさかプラッチ!?」

「なんでだよ」

 

 色々有名になってしまうことはしてきたが、手持ちにフワンテがいることまで知られていることにパールは一番びっくり。

 それってつい最近のことだもの。情報が最新すぎる。

 冗談なのは勿論としながら、そこまでの情報を握ってるのはプラッチぐらいしかいないのでは、というパールの主張はだいたい正しい。

 

「無鉄砲で、向こう見ずで、恐れ知らずの怖いもの知らずらしいな。

 そばで面倒見る人も大変だ、って聞いてるよ」

「プラッチー!

 いつの間にデンジさんと連絡先交換して愚痴ってるんだー!」

「ナタネさんでしょこれ」

「私もそんな気がしてる!」

「ははは、ご名答だ」

 

 パールの性格のそういう所を、やたらと強調して人に伝える人といえば、パールもプラチナもピンときた。プラッチに一度絡むのはやはりジョークの一貫。

 確かにナタネなら、パールがフワンテを手持ちに持っていることも知っていよう。ハクタイシティで6人の仲間達にもみくちゃにされたパールを見ている。

 どうやらデンジには、だいたいパールの情報は入っているらしい。何しろ情報源が、パールのことを本当によく知っている。

 

「並外れた情熱と、人一倍のポケモン達への愛情、そしてその年とは思えないほどの実力者とも聞いている。

 必ず近いうちにここに来るから、覚悟しておきなさいよとまで言われたよ。

 君はあのナタネに、相当買われてるみたいだな」

「ええぇぇ、嬉しい……!

 ナタネさん、私のことそんな風に……」

「ははは、その反応も聞いたとおりだな。

 私が褒めてること教えてあげたら、顔を真っ赤にして喜んでくれそうだってね。

 そういうところが可愛いんだとも言ってたぞ。君達ラブラブだな」

「お、おおぅ……

 なんかどういうリアクションすればいいのかわかんなくなった……」

 

 ここにいもしない人の発言で翻弄されまくるパール。

 本当にパールにとってのナタネさんは特別だなぁとプラチナもしみじみ。

 これは嫉妬しない。ナタネさんは女性だし。

 

「一昨日、いきなりナタネから着信が入った時はけっこう驚いたんだぞ。

 ジムリーダーは全員連絡先を交換してはいるが、男性陣と女性陣のあまり繋がりはそこまで強くないからな。

 女子同士だけのグループチャットに俺達が入っていくわけもないし、逆も然りでジムリーダーとしての業務以外で連絡を取り合うことは少ないんだ。

 それがいきなりナタネから電話だから、こっちも少しドキッとしたもんだ」

「あー、それすっごいわかります!

 期待しちゃいますよね! なにせナタネさんって美人ですし!」

「まあまあ、冷静に考えてそんなわけはないんだけどな」

 

 デンジもそんなことはあり得ないとわかっているし、冗談として語りながらパールを楽しませる。

 ナタネから聞いた話を聞く限り、パールも彼女に相当なついている気配がぷんぷんしたし、ナタネの話をしたら喜びそうなので。

 本当、たいしたことない内容だというのに、ナタネのそんな話を聞いただけで勝手にナタネの可愛さを褒め、きゃっきゃ喜ぶパールなのでどんぴしゃりだ。

 好きな相手にはとことんこうなのだろう。

 そしてデンジはそんなパールを見て、大好きなポケモン達にとってもそうなんだろうなと、容易に推察できる結論に確信を得る。

 

「実はここ最近、オレはジムリーダーとしての業務に今一つ身が入らなくてね。

 いざオレに挑戦してくる者がいても、どうにもみんな手応えが無いんだ。

 熱くなれないポケモンバトル続きで、情熱が薄れてきている自覚もあるんだよ」

「うっ……そういえばデンジさん、シンオウ最強のジムリーダーだってウワサですもんね……

 で、でもでも、がっかりなんかさせませんよっ!

 絶対みんなが、あなたを打ち負かしてくれますから!」

「ああ、そうかもな。

 ナタネははっきりとオレに言ってくれたよ。

 凄い挑戦者が来る、あんたは負けるしバトルの熱さを思い出す、ってね」

 

 凄い挑戦者とな。

 文脈上、自分のことを言われているのはわかるのだが、そういう言われ方をされるのが寝耳に水なので、パールは思わずプラチナの方を見る。

 君でしょ、と無言で両手の人差し指でパールを指すプラチナ。

 自己評価が高くないのは知ってるけど、いちいち話の腰を折らないで頂きたいのでプラチナも投げやりになっている。

 

「それからというものの、楽しみでね。

 ジム生達とのバトルはもう結構だ。

 手の内を見て知ってしまっても興が削げてしまうしな」

「わ、わ、いきなりですか?

 ちょ、ちょっと心の準備が流石に出来てないんですけど」

「いや、今日はもう遅いし明日でいいだろう。

 ギャラリーも少し多めに集めてみる。明日の昼、思いっきりやろう。

 ジムリーダーにそこまで言わしめた君の実力、見せて貰おうじゃないか」

 

 デンジがパールを見据える目は、既に今からわくわくしている想いに溢れている。

 一方、そんな眼差しを向けられてしまうとパールったら、そんな期待に応えられるんだろうかと表情が硬くなってくる。

 自分が強いんじゃなくみんなが強いだけ、が根本的な信条にある子はこういう時に、任せて下さいなんて胸を張って言えやしないのである。

 

「え、えぇと……お手柔らかに……」

「…………ふむ、そうか。

 なあ、パール。一つだけ聞かせてくれ」

「は、はい? なんでしょ?」

 

 緊張し始めたパール。こうなるとあんまり強そうな挑戦者には見えない。

 だが、ナタネから聞いた彼女の性格を鑑みると、こんな時のパールの本質をどうすれば炙り出せるか、デンジには何となくわかる。

 シンオウ最強のジムリーダー、洞察力とて一級品だ。バトルにおける駆け引きの強さは、根本的なそうした素養に由来するものではる。

 

「ポケモン達のことは好きか?」

 

「あっ……はいっ!

 死ぬほど好きです! 世界で一番、誰よりも大好きですっ!」

 

 この問いかけにだけは、どんなに硬くなっていたとしても、すぐに我に返って大きな声で即答できる。

 それも、特上の強い言葉を使ってだ。使わずにはいられないほど。

 概ねわかっていたことながら、こうして改めて人並はずれたポケモン達への愛情を証明してみせる姿は、やはり本物だとデンジには嬉しくなる姿。

 

「そう、その調子だ。

 君が愛情を注いできた、そしてその愛情に応えて強くなってきた仲間達の強さを、オレの前に見せてくれ。

 物怖じする必要は無いさ、君にはそれが出来る力がある。

 君のポケモン達には、それが出来る力が既にあるはずだ」

「……えへへっ、そうですね!

 私のみんな、ほんとに凄いんですから!

 世界一誇らしい、自慢の、大好きな、かっこいいみんなですから!」

 

 不安は消えた。

 パールの引けた腰も、弱気な少女が実力を発揮できず不完全燃焼に終わるというデンジの懸念も。

 明日のジムバトルは決して期待を裏切るまい。デンジの高揚感は静かに燃え上がっている。

 

「明日はよろしく。

 忘れられない一戦にしよう」

「はいっ、絶対に!

 ……最後のジムバッジを獲得した、忘れられない記念日にしてみせますからね!」

 

 パールとデンジが、ぎゅっと握手を交わす。

 デンジは小さくて柔らかい女の子の手に、子供ながらに侮れぬその実力の片鱗を感じていた。

 幼いなりに、力が入っていたからだ。無自覚なれど決意の表れ。女の子が、これから挑む相手の手を、こんな力で握る根拠はそれしかない。

 己ではなく自分のポケモン達の強さばかり誇るパールだが、それに支えられどここまで至った彼女もまた、精神的にも成熟したトレーナーに決まっている。

 わかっているはずのことでも、やはり実感すれば違うというものだ。

 

 誰しもが夢見る、最後のジムバッジの獲得。

 そしてその先に広がる、チャンピオンロード。

 長き夢路の最果てを目の前にしたパールの瞳は、デンジを見上げて燦然と輝いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ~、疲れた……眠いなぁ……」

 

 ナギサシティのポケモンセンターで一夜を越すパールとプラチナ。

 夜更かしもほどほどに、明日に向けて早寝した方がよさそうなものだが、プラチナはポケッチをいじりながらなかなか寝ようとしない。

 今日は楽しかった。表面上は落ち着いていたプラチナだが、内心では結構はしゃいでいたものである。

 シャワーを浴びてベッドに横たわれば、程よく体力を使い果たした体は強い眠気を訴えてくるのだが、どうにか暇を潰しながらプラチナは目を開けている。

 

 絶対、パールから声がかかると確信しているからだ。

 明日は最後のジム戦だ。チャンピオンを目指す旅の最終関門。

 それを翌日に控えたパールが、今頃そわそわしていることなんてプラチナからしてみれば目に浮かぶというもの。

 ずっと一緒に旅してきたのだ。とりわけ単純な子だし、これだけ長く一緒にいればわからないはずがない。

 

「――――あっ、やっと来た」

 

 ポケッチが鳴る。パールからの着信音だ。

 だいたい何を言われるのかも予想済みのプラチナは、眠い目をこすって頭をしゃんとすると、通話状態に切り替える。

 

『プラッチ~……』

「はいはい、緊張して眠れないんだね」

『そっち行っていい~?

 相談に乗って~』

 

 もしもし、という一言を発さず待っていたら、向こうの弱った第一声。何もかも予想通り過ぎてちょっと笑っちゃう。

 しかし、そっち行っていいかと言われるとプラチナも少し言葉に詰まった。

 いやいや、待って? それはあんまり良くないでしょと。

 

「……だめ」

『えーなんで!? いつもそうやってきたじゃんー!

 明日はすっごく大事は日なんだよ~! ほぐして~!』

「だめなものはだめ」

『なんでそんな突っぱねなの~?

 たすけてプラッチ~! 緊張して眠れないよ~!』

 

 今日は早く寝なきゃいけないとわかっていて、それでもこんな夜遅くまで起きてる時点で、寝ようとしても寝れないのだろう。

 パールはとても焦っていらっしゃる。この緊張をほぐすことを、友達との会話に縋るぐらいに。

 でもプラチナはパールを部屋に入れたくない。

 夜長にパールをちょっと部屋に招くぐらいのこと、今までもやってきたことなのに、最近はなんだかしづらくなっているらしい。

 

「……もうパールだって、チャンピオン一歩手前のトップトレーナーでしょ。

 自分のメンタルコントロールぐらい自分で出来るようにならなきゃ。

 電話ぐらいだったら聞いてあげるけどさ」

『えー、おかしいおかしい!

 電話がいいなら別に直接話してもいいじゃん~!』

「一緒じゃないから来たいんでしょ。

 なんだったら電話切るよ」

『いじわる~!

 言ってることはわかるけど急に突き放されると寂しいじゃん~!』

 

 駄々をこねるパールの大声が電話越しに聞こえてきて参る。

 緊張するからプラッチに会いに来たい。直接会ってお喋り出来れば、硬くなった心もほぐれるかも、とパールは言ってくれている。

 嬉しいんだけど。そう言ってくれること、思ってくれること、彼女の中で自分がそれだけ大きいことが嬉しいのだけど。

 お互いそうだと自覚した上でデートした経過があると、寝室に女の子を招くことにプラチナはひどく緊張してしまうらしい。

 

 だって僕、男の子だよと。で、君は女の子だよと。

 別に一緒に寝るわけじゃないけど、異性の寝室に夜遅くに来るなんて心配になるよ、と。

 何をしょうもないことを考えているんだと客観目線ではぼろかすに突っ込める悩みを、糞真面目に抱えてプラチナはパールを部屋に招きたがらない。

 これを15歳過ぎが思うならまだしも、11歳で何をそんな先のことまで勝手に想像して、己と相手に自粛を強いようとしているのかと。

 プラチナは紳士である。でも耳年増である。そしてちょっぴりスケベである。

 お利口さんで色々知識を持ち過ぎているのも考えものというところ。

 

「…………あのさ、パール。

 これだけは言っておくよ」

『なになに、そんなかしこまって言うこと何かある?』

 

「パール、アカギさんに勝ったんでしょ?

 それも、完全に手加減なしのアカギさんでしょ?」

 

 埒が明かないので、プラチナは元々用意していた言葉を早々に紡いだ。

 パールの緊張をほぐすには、彼女に自信を持たせるには、これが必ず一番効く。

 現にあれだけ騒がしかったパールが、プラチナのその言葉を聞いた途端に、ぴたりとおとなしくなるんだから効果覿面だ。

 

『……………………うん』

「本気のナタネさんだとか、下手したら本気のシロナさんだとか、そういう人達に匹敵するほどの相手だったはずだよ。

 それに勝ったパールが、手加減してくれるジムリーダーさんに負けるの?

 ぶっちゃけ僕、それだけは絶対あり得ないと思ってるんだけど」

『そ……そう、かな……?』

「パール、強いから。

 パールの育ててきた子、みんなみんな強いから。

 何にも心配になることないから、今日は安心してゆっくり寝て、明日は万全の状態で挑めばそれだけでいいよ」

 

 理屈の通った発破を最も信頼する親友にかけて貰ったことで、電話の向こうでおとなしくなったパールが、それを反芻する姿が目に浮かぶかのようだ。

 効いてる効いてる。手応え充分。もう大丈夫だろうな、と、こんな短い会話だけで確信できる辺り、プラチナはパールの扱い方をわかり過ぎ。

 

「怖がらなくたっていいから、いつも通りでいなよ。

 それだけで、必ず結果はついてくるからさ」

『………………あ、ありがと……

 なんか、そう言って貰えると安心する……』

 

「負けたらパールが勝ったアカギさんにも、泥を塗る結果になるかもね。

 パール憧れのアカギさんが、手加減ジムリーダーより弱いみたいなことになるかもしれないし」

『えっ、ちょっ……』

「じゃあね、おやすみ。

 明日は頑張ろうね」

 

 せっかく緊張が解けかけていたパールだったのに、プラチナは最後にちょろっとプレッシャーを促す言葉を添え、動揺したパールの声を向こうに通話を切る。

 なんでこんな意地悪を最後に言いたくなってしまったのか、プラチナにもよくわからない。

 好きな女の子に意地悪したくなる、男の子の悪いところがこんな所で出るとは、まして自分がそんなことするなんて、プラチナ自身も意外な心地。

 でも、最後に慌てたパールの声は可愛かったとも思っちゃう。好き過ぎて変なものに目覚め始めている。健全かつよろしくない。

 

 やってしまったことはどうしようもないのだが、まさかこれで嫌いになられたりはしないよな~……なんて少々の不安を抱きもしつつ。

 そうしてベッドに潜り込んだら、ポケッチに短い着信音。

 電話ではなくメッセージの着信音だ。

 さて、イジワルされたパールからの反応たるや如何に。

 

 プラッチのあほー! と短く吠える一文を見て、プラチナは寝る前に心地よく笑えた。

 明日は大丈夫そうである。いつものパールだ。

 プラチナは、露ほどもパールが負けるとは思っていない。デンジは強いのだろう。だけど、バッジを賭けたバトルでなど、決して本気を出してこない。

 本気でパールを滅そうとしてきた数々の悪、それらを打ち破ってきたパールが、今さら本気じゃない相手に負けるはずがないと信じている。

 勝負の世界は何が起こるかわからないし、負ける可能性があるとすれば、パールの精神状態がよほど緊張でかちこちだった場合ぐらいしか考えられないのだ。

 

 そんな懸念も、概ね消えたと信頼できる。

 明日はきっと、いや、間違いなく、パールが体いっぱいのガッツポーズをする姿が見られるはずだ。

 明日が楽しみだ。プラチナは、確定した未来を夢に見ながら、今宵は枕を高くして幸せな眠りについていくのだった。

 

 そうした彼の想いなど知る由もなく、くそープラッチめ~、とふくれっ面でベッドに潜り込んだパールもまた、若干不機嫌ながら眠りにつくに至りゆく。

 よく寝て、元気な頭と体と心でジム戦を迎えられるだろう。

 抜かり無き前夜。明日のコンディションはきっと完璧。

 パールの親友にして、もはや彼女の敏腕マネージャーめいているプラチナ、なかなかたいしたものである。



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第147話  VSデンジ

 

 

「ひええええ~! なんじゃこりゃ~!」

 

 気合充分にナギサジムを訪れたパール。

 まずは玄関口でデンジと改めて熱い握手を交わし、いい勝負をしましょうと熱意を表し合って。

 そしてバトルフィールドへと続く扉が開き、その先の光景を目にしたパールの第一声がこれである。

 

 どこのジムでもそうなのだが、バトルフィールドは多数の観客が入って観戦できる構成になっている。

 この観客席が埋まるのは、ジムリーダーが"本気のバトル"をする時ぐらいのものなので、ジムバッジを賭けた勝負で観客いっぱいになることは滅多に無い。

 ところがどっこい、なんてこったい、今日は客入り超満員。

 デンジとパールがバトルフィールドに姿を見せるや否や、超満員の観客の大歓声が二人を迎え入れる始末。

 さあパールが硬くなる。こんな大観衆の前でバトルなんて。

 

「いやー、ここまで集まるとは……

 確かにオレも、今日は最後のジムバッジ獲得を目指す挑戦者とのバトルがあるって宣伝はしたけどさ」

「なんてことするんですかっ!

 こ、こ、こんな沢山のお客さんの前で試合なんて、ききき緊張して……

 はっ!? これも心理戦というやつ!? こすい!」

「いやいや、どうせ君もしオレに勝てば、ポケモンリーグでチャンピオンに挑むんだろ?

 その日はどうしたって、大観衆の前での試合になるんだからな。

 だからオレも、最後のジムバッジ獲得を目指すトレーナーの相手をする時には、ある程度の宣伝を意図的に利かせもするんだけどさ」

 

 実はこの辺りの配慮は、どこのジムでもやっていることである。

 最後のジムバッジを獲得すれば、次に控えるのは大観衆の前での大一番。

 それに事前に多少は慣れさせるために、最終戦とあれば客を呼ぶという暗黙のノリは、ジムリーダー全員に共有されているらしい。

 客前試合の好きなマキシなんかは、そんなの関係無しに客を入れたがる傾向にあるが、自分が挑戦者にとっての8人目となれば、みんなこんな舞台を作るのだ。

 極論、最もストイックなスモモでさえ、自分が挑戦者にとっての8人目のジムリーダーであった日には、ビラを配り歩いてでも客を入れに走るそうである。

 地元の英雄であるジムリーダーというのは、そうして地元のポケモンバトルが好きな人に、熱戦をお届けするのも大事な仕事というわけだ。

 

「やっぱり今日の挑戦者が、フタバタウンのパールだって宣伝したのが効いたかなぁ……

 本来の収容人数以上に観戦希望者がいて、ちょっと詰めて座って貰ってるぐらいだし」

「!?

 な、なぜ私がフタバタウン出身なのをっ!?

 ジムリーダーのリサーチ能力こわい!」

「いやいや、お前さん今やかなりの有名人だぞ。

 ギンガ団相手に何度も立ち向かった少女の正体ってパールだろ」

「……………………ちがうっ!

 わたしではないっ!」

「否認してもダメだ。

 もうみんな知ってるから」

 

 今さら隠せることだとでも思ってるんだろうか。

 リッシ湖でもエイチ湖でも、上空からの撮影カメラにばっちり撮られ、生放送でお茶の間にその姿は放映されていたというのに。

 ギンガ団の野望を阻むため、テンガン山の決戦に挑んだシロナにも、協力者がいたという話ぐらいは鼻の利く記者達にも勘付かれているし。

 ナタネがアカギのマニューラで瀕死の傷を負った際にも、彼女の傷が治ってからとはいえ、多少の取材陣がナタネに話を聞きに行ったりもしているわけで。

 そしたらあのジムリーダーナタネが、最近ごひいきにしている将来有望なトレーナーの存在も、足で稼ぐ取材陣にはいつか必ずわかる話で。

 ゴシップこそがメシの種という人々の情報収集能力を以ってすれば、これだけギンガ団絡みの事件が続いた以上、パールのことなど浮き彫りにされて当然だ。

 彼女らの名誉のために付け加えるなら、ナタネもシロナも、スモモとてパールのことは取材されるにあたって口になどしていないのだが。

 とはいえ三人とも内心では、時間の問題だとは思っていただろう。情報で稼ぐ人達の執念ったら凄まじいんだから。

 

「ギンガ団の野望を食い止めたヒロインの一人が、最後のジムバッジ獲得を目指して表舞台に帰ってきた!

 ま、バズるよな」

「わっ、私は別にそんなっ……

 あわわわわわ、ももももしかして、ちゃんと凄いバトルしないとこの大観衆がガッカリするパターン……?」

「かもな。

 君の鮮烈な戦いぶりを期待して集まってくれてる観客だからな」

「そんなばかな~!?

 私なんてただの初心者トレーナーなのにぃ~!?」

 

 バッジ7つ集めて今さら自称初心者なんて呆れたものだが、パールは自己評価がくそ低だからしょうがない。

 未だ勝ってきたのはみんなのおかげ。ポケモン達が強いだけ。

 偏った価値観に聞こえるかもしれないが、それは彼女の特殊な経緯にも由来するので、ある意味では仕方ないのかもしれない。

 ギンガ団アジトでサターンに命すら奪われかねないところを、頑張れ頑張れ叫ぶばかりのだけで、パッチやミーナに救って貰ったのなんかもいい例だ。

 着実にトレーナーとしての力量をつけている一方で、それと並列し、ポケットモンスター達の底力に救われてきた経験が多すぎるのである。

 そりゃあいつまで経ったって、自己評価を高めるよりも、みんなのおかげでここまで来たという想いが強まる一方に傾向が偏るというものだ。

 

「さあ、泣き言はここまでだ」

「あいたぁっ!?」

「オレも君とのバトルは楽しみにしていたんだ。

 ましてどうやら今日の客は、君が華々しく勝つところを、言い換えればオレが負ける姿を期待して集まっている。

 ジムリーダーとして不本意とは言わないが、やはりどこか釈然としないものはあるからな」

 

 ばしんとパールの肩を叩き、活を入れてくるデンジの目は、観客の本意に対して不快を感じているような眼ではなかった。

 とはいえ、自分が負ける姿をはなから期待されているという実状に、まあ仕方ないかと甘い納得をするほど萎えた表情でもない。

 最高の挑戦者を迎えているはずだという現実と、それが自らの期待に応えてくれることを心から願う、ポケモントレーナーの本質を表した熱い眼差しがある。

 弱い挑戦者が一番つまらない。強き者とのバトルが一番燃える。それに勝つからこそ万感の想いで拳を握りしめられる。

 高みを目指して闘う者達ならば、誰しも共感できる感情のはず。

 

「ナギサジムはチャンピオンロードの玄関口ということもあって、最後のジムに回されることも多いんだ。

 7つのジムバッジを集めてきた挑戦者、腕に覚えのある連中が、意気揚々と挑んでくることが最も多いのがナギサジムだ。

 だが、いざの力量に期待して迎え撃ってみれば、期待外れの寒いバトルしか出来ない奴の多いこと。

 ここまで来られたんだからここも楽勝だろう、なんて気の緩みが、彼ら彼女らをそうさせてしまうのかもしれないけどな」

「うぐ……」

「甘く見てくれるなよ?

 チャンピオンに挑む資質があるのかどうか、それを問うのが最後のジムリーダーの使命だ。

 今までよりも少し強い程度、なんて考えなら、容赦なく叩き潰させて貰うからな」

 

 男前な笑顔を浮かべ、攻撃的ではない態度ながら、その言葉使いはかなり強い。

 ジムリーダーの仕事は負けること、有望なる若者を送り出すことが使命とはいえ、軽んじられて面白い練達者などそうそういまい。

 パールの心に一抹でも緩みがあるなら、それを締め直すため、強い釘を刺すのもまたデンジの本意。

 そこには、驕りや慢心など一つも混じらぬ、後腐れ無き全力のバトルをしたいという純然たる想いがある。

 

「もう一度言うぞ。何度だって言いたいぐらいだ。

 最高のバトルをしよう。二度目は無い」

「……………………はいっ。

 約束、します」

「ふふ、声が小さいぞ?

 ナタネから聞いている、声のでかい子というのは嘘だったのか?」

 

 ナタネさんったら余計なことまでべらべらと。

 恥ずかしいところを指摘されてかあっと顔を赤くするパールだが、それはそれで彼女にとっては良い傾向。

 がちんごちんに緊張で固まっていた時よりも、普段の彼女に戻りつつある。

 

「っ、っ~~~~……!

 はいっ! がんばりますっ!

 ぜったい、いい勝負にしますねっ!

 そんで、私達が勝ってみせますっ!!」

「よーし、それでいい!

 よろしくな! 胸を貸すし、胸を貸して貰うからな!」

 

 今一度、ぐっと握手を交わす二人は、その眼差しをもう一度ぶつけ合う。

 若き挑戦者の熱き魂に期待するデンジの瞳と、しゃにむに緊張を振り払ったパールの猫のような眼光。ふしゃー、ってな声がパールの背後から聞こえる。

 気合充分、それこそ何より。

 二人は大会場へと足を踏み入れ、互いの立ち位置へと歩を進めていく。

 

 いやはやしかし、役者が舞台に立って激戦の開幕を予示する中、観客が熱を帯びてくるこの空気、やはりパールも痺れてくる。

 いくら気合を振り絞ったって、いよいよこの空気を全身で受ければ緊張も蘇る。

 前方離れには対戦相手、それ以上にその後方にも、右も左も観客席いっぱいの人々。

 バトルフィールドのトレーナーポジションに就けば、否応なしに目に入るその光景が、パールの喉奥に生唾を湧き出させる。

 

「パーーーーーーーーーールーーーーーーーーーー!!」

 

「あ……」

 

 とうに汗が滲んでいる手を、結んで開いてしているパールの耳に、大観衆の声を劈いて届く声があった。

 声のした方を向けば、長い旅を共にしてきた親友が、特等席で見守ってくれている姿が目に入る。

 おおよそ彼らしくない大声、それは幼馴染の騒がしいあいつにさえ勝るとも劣らない声ではあったけど。

 それが、この大観衆が発する声に呑まれぬよう、確実にパールにその声が届くよう発した、無理した大声だと理解するには充分であるはず。

 

「プラッチ……」

 

「っ、けほっ……!

 頑張るんだよ、パール……!」

 

 どこもかしこもぎし詰めの観客席、そんな中にあって最前列、隣に一席ずつ空けたプラチナの座る場所はまさしく特等席。

 パールにとって特別な観客である彼を、これだけ余裕の無い席の中でも、そう配慮するジム側の心配りもまた心憎い。

 そして、パールにとって一番いいところを見せたい彼の姿が、はっきり見えたその光景は、ジム側が想像だにしないほど劇的に彼女の心を燃え立たせる。

 

 大一番だと思えば思うほど、パールが今までしてきたように、両手で自分の頬をばっちーんと叩く音は過去最も大きかった。

 音が大きかったのには種があるのだが、それを差し引いてもかなり強くいったのだろう。パールの両頬は腫れたようにすぐ真っ赤。

 その大きな音に驚いた観客がどよめきを発するほどには、彼女の気合は部外者さえ圧倒するものがある。

 

「パール! 聞こえるか!」

「あっ……はいっ、聞こえます!」

「うちのジムは足元の収音装置がマイク代わりになってるからな!

 お互い、声は筒抜けだ! どんなにぼそっと指示したって、こっちには聞こえるぞ!」

 

 電気に溢れるナギサシティ、その中心地たるナギサジムも豊富なエネルギーを活用してハイテク仕様。

 マイクも無しに、パールとデンジの声は拡声されて、会場のお客さんにもよく聞こえる。

 バトルフィールド自体は平坦で特徴の無いナギサジムだが、これは観客向けにはかなり大きな個性である。

 熟練のジムリーダーと、それに挑むトレーナーの指示を、お客さんも決して聞き逃さずに臨場感を味わえる。他のジムには無い特徴だろう。

 これもまた、"最後のジム"となりやすく、レベルの高いトレーナー同士の衝突が多くなる、ナギサジムゆえに発展した個性というものだ。

 

「わかっているな!? 4対4だ!

 最初のポケモンは決めてきているな!?」

「はいっ! この子しかいません!」

「いい声だ! 期待を裏切ってくれるなよ!

 お前がチャンピオンに挑むに値する器だってこと、この目ではっきり見極められる歓びをこのオレに示してみろ!」

「……私の友達は最強です! デンジさんの子達にだって負けません!

 みんなが最高の舞台に立てる資格のある子達だって、必ず見せつけてみせますから!」

 

 さあ、舞台は整った。

 ナタネに聞いていた、己よりもポケモン達の実力を推してやまぬ、彼女の本性を目の当たりにしてデンジの目に火が宿る。

 面と向かって話していた時の、おどおどした少し頼りなさげな少女の姿はもう消えた。

 あどけなさの残る、子供っぽさを絵に描いたようなあの少女が、ジムリーダーの一人にあそこまで言わせる器であることを、この目で確かめられるその歓び。

 ふつふつと沸き上がっていたバトルに対する情熱は、もはやデンジの胸に大いなる炎として蘇っている。

 

 ボールを一つ握りしめたパールの姿を前に、デンジも最初のボールを握り前に出す。

 目を合わせる二人の間に、言葉無く交わされる意志は観客にも明白。

 熱戦を。誰もがそう望んでいる。他ならぬ、バトルフィールドの二人が最もだ。

 

「いくぞ! ライチュウ!」

 

「頼りにしてるからね! ピョコ!」

 

 力強くボールを投げたデンジと、両手で上方へボールを放り投げたパール、二人の声に応えて先鋒がバトルフィールドに降り立つ。

 激しい地響きを起こして着地したドダイトスの姿は、会場に歓声を沸かせるには充分なものだった。

 対するライチュウはそれに比較すれば小柄であり、まして苦手な地面タイプとの衝突とあって、勝負は見えたと感じた目もあっただろう。

 だがライチュウは怯む素振りも見せない。それどころか両拳を胸の前でぶつけ合わせて気合充分である。

 相性不利な相手だろうが何だろうが、任せられた以上はやってやるというその姿、パールも身内のミーナを思い出す。

 ああいう子が頼もしいのだ。ゆえに、敵に回せば警戒したくなる。

 

「まずは派手にいこうか!

 見せてやれ、ライチュウ!」

「――――――――z!!」

 

「はえっ!? うそんっ!?」

「!?!?!?」

 

 デンジの声、ライチュウの初手技、パール仰天、ピョコもびっくり。

 両手を振り上げたライチュウの動きに続いて、その足元から大量の水が湧き出て、あっという間にライチュウがその横広がりな水柱もとい水壁に乗る。

 いくぜー! とばかりに水壁の上でピョコを指差したライチュウの動きに伴って、水の壁は波と化してピョコに迫るのだ。

 ライチュウの"なみのり"だ。ポケモンの技はごく一部、本当に、どういう理屈で成し遂げているのかわからないものがある。

 

 面食らいこそすれ波が自らに直撃する寸前、ピョコは頭を下げて足に力を入れることで、巨体も押し流し得る強い水圧の波撃を受け切った。

 草タイプのピョコは水に一定の耐性を持つが、同時に地面タイプであるため弱みもあり、プラスマイナス差し引いて受けるダメージも小さくない。

 電気タイプの天敵は地面タイプだ。ライチュウが水タイプの波乗りを習得していることは、観客がその派手さに喝采を送る以上の意味を持っている。

 

「ッ――――!」

 

「ライチュウ! 来るぞ!」

 

「あっ、えとっ、ピョコっ、ウッドハン……」

 

 浴びせた波の上、ピョコの背中の樹さえ越えその後方へとまで進んでいたライチュウ。

 水圧に痛みながらも両足を振り上げて二本足立ちになったピョコ、振り返るライチュウ、ピョコのその挙動より早く敵の次の技を予見していたデンジの声。

 背中の樹を急成長させてウッドハンマーで後方の敵を打ち抜かんとするピョコ、波の上から跳躍してそれを回避するライチュウ。

 要するに、ウッドハンマーの発動の瞬間までにその技の名を言えなかったパールが、一番この場で展開についていくのが遅れている。

 想定だにしていなかったライチュウの波乗りだとか、意表を突かれると脆い面はもう、デンジの目にも割れただろう。

 

「――――――――z!」

 

「ええっと……!

 ピョコ、じし……ん、っ……!」

 

 ここでもピョコの行動の方がパールより早い。

 地に降り立つ瞬間のライチュウに間に合うよう、伸ばした背中の樹を崩壊させるや否や、首を引いて両前足で地面を叩き。

 腰を落とした充分に対策した着地でもライチュウが足を取られ、尻餅つくのを耐えるのが精一杯の"じしん"を引き起こす。

 ここでもピョコの行動に指示が追い付けず、自分のポケモンが起こした地震で膝崩れに両手で床をつく、頼りないパールの姿はデンジの目を引く。

 予見できていた地震に先んじて片膝立ちの姿勢を作っていたデンジはこの展開を、自己判断できるドダイトスの賢さを脅威的だと認識するのみ。

 

「ライチュウ、怯むな! 打て!」

 

「ッ、ッ~~~~~~!

 ――――――――z!!」

 

 足元を崩されて身動きが取れず、踏ん張りも利かない状態のライチュウへ突っ込むピョコの体当たりは、地震で無防備化した相手に痛烈な一撃を与えるもの。

 とりわけ持ち前の電気が通用しない地の揺れに一切の抵抗を持てず、まして体重が軽い傾向にあり揺れに弱い電気ポケモンにはいっそう痛烈だ。

 ライチュウもわかっている。わかっていながら尚退かない。

 真正面から凄まじい勢いで迫る、恐ろしささえ孕む巨体の突撃に対してその手を握りしめ、直撃の瞬間に頭を引っ込めたピョコの甲羅に振り下ろす。

 頑丈な甲羅を激走のままぶつける交通事故めいた地震上体当たりに、ライチュウは殴り飛ばされながらも"かわらわり"の一撃を返しているのだ。

 

「っ、えとっ、はっぱカッターっ!」

「ッ、ッ……!

 ――――z!!」

 

「頑張れライチュウ! 撃ち返せ!」

 

 甲羅越しとはいえ鍛えられたライチュウの剛拳で殴られたピョコも一瞬怯んだが、その怯みがパールの指示を間に合わせたと言っていい。

 パールが葉っぱカッターの指示を言い切れたのと、ピョコが撃ったのはほぼ同時。元々撃つつもりだったようにも見える。指示を待たず最速最善を尽くす彼だ。

 突き飛ばされて倒れながらも、辛うじてすぐ立ち上がったライチュウに迫るのは、躱す暇も与えられず飛来する刃の数々。

 頭を抱え込むようにして耐えきりながら無数の傷を負うライチュウだが、歯を食いしばって敵を見据えると、両手を突き出し反撃に打って出る。

 軋む体で両手から放つ、赤白青に輝く目と脳に悪そうな光を発する光線が、思ったよりも早い反撃にすぐさま顎を引き、耐える姿勢のピョコに直撃する。

 

「ピョコ……!?」

 

 電気タイプを絵に描いたようなライチュウが発するその光線に、地面タイプであるはずのピョコがかなり苦しそうな目をしたことにはパールも動揺する。

 電気技はピョコには通用しないはずなのだから。それはその光線が電気タイプではないという証左。

 "シグナルビーム"と呼ばれるそれは、ライチュウにとっては電気の通じぬ相手へのサブウェポンであり、奇しくも草タイプのピョコには痛烈だ。

 受けた相手の体内まで浸食し、虫食いのようにその身を蝕まんとするその光線は、いかに外見がどうとて体内の繊細な草タイプには抜群に効く。

 

「っ、頑張ってぇーーーっ!

 じしんっ! ピョコっ、巻き返すよ!」

 

「~~~~~~~~っ……!

 ――――z!!」

 

 根性に秀でるピョコとて、抜群技の直撃を受けてすぐに行動に移れるほど無敵じゃない。

 無敵にさせてくれるのが、勝たせてあげたいあの子の必死な声。

 冷静さも凛々しさもかっこよさも要らない、いつものお前の勝ちたいんだっていう強い声が何よりも効く。

 身体を内から蝕まれる苦しみさえ振り払い、四本足すべてで地を踏み切り、全体重で地を揺らすピョコの地震は先のそれより倍ほど大きい。

 シグナルビームを発していたライチュウが前のめりに転ばされ、両手を地に着けた瞬間にビームが途絶え、苦痛から逃れたピョコの行動はもはや一つしかない。

 駆けだすと同時に発した吠え声は、立ち上がることにさえ手こずるライチュウを絶対に逃さない表明であり、もはや狙われる側は免れるすべを持たない。

 

「ライチュウ!」

 

「~~~~……!」

 

 大きく強い声でライチュウを呼ぶデンジの声は、詰み一歩手前の相棒にそれでも抗えと命じる過酷なものではなかった。

 その真意を100パーセント理解したライチュウは、反撃を放棄して頭を抱えて丸くなり、迎撃の代わりに淡い光を全身から放っている。

 もう駄目だ、ああ結構、それでも出来ることは確実にある。

 敗れるならば敗れるなりに、自分を打ち破った相手を後続の盟友が、より確実に仇を討ってくれるよう促すのもまた先鋒の使命。

 まして私達の天敵である、地震起こしの怪物を追い込めるなら、撃破されるなりに願ったりだと思える精神性もまたこのライチュウの強さ。

 

 発動した最後の技はピョコにかすかなダメージすら与えず、破壊的な一撃が再び無防備なライチュウをぶっ飛ばし。

 仰向けに倒れた後も後方へ二回転ほど転がって、腹這いに力尽きたライチュウはもう、継戦不可能なのが誰の目にも明らかだった。

 よく鍛えられたジムリーダーのポケモンですら、電気タイプである以上、地震含みの一撃を複数回受けてはもたないということだ。

 静かにうなずき、その仕草に己が先鋒が立派に仕事を果たしてくれたことへの感謝を含みつつ、ライチュウをボールに戻すデンジの行動が初戦を締め括る。

 

「本当に凄いポケモンを育て上げてきてるんだな……!

 熱くなれるぞ! そして、だからこそ負けられない!」

 

 対戦相手への賞賛と言うよりも、ピョコに対する賛辞を強く表す言葉を発しながらデンジが次鋒のボールを握る。

 決してパールを軽んじているわけではない。指示も追い付かない、身内の地震に転ばされて膝を痛そうにする姿は、トップトレーナーらしからぬとは感じつつ。

 そんなパールを自己判断で引っ張って、恐らく想定を上回る攻撃を浴びながらも、前向きな結果を当然のように勝ち取ったドダイトスへの敬意が最優先。

 そしてそんなドダイトスを育て上げたパールという、無視できない実績から決して目を逸らさないからこそ、デンジの心には一抹の油断すら無い。

 

 観客の一部はきっと今頃、あんな頼りない少女が本当にジムバッジを7つも集めてきたのだろうかとでも思っているだろう。

 それだけ、現時点でのパールの姿から強さは見て取り難い。

 だからこそデンジにしてみれば、あれほどの個体を育て上げてきた実績に比例しないパールの姿に、容易には露呈せぬ底知れなさを感じるのだ。

 経験豊富なジムリーダーはよく知っている。ここまで来られたような奴が、今の見た目どおりの単なる未熟な子供であるはずがない。筈が無いのだ。

 あれが相手を油断させるために演じているわけでもないだろうと目に見えてわかるだけに、余計にまだ見ぬ彼女の強さの本質が恐るべきものとして映る。

 だから熱くなれるのだ。ここからが楽しみでならない。

 

「いこうか、オクタン!

 討ち取るぞ!」

「ふえっ!?」

 

「――ッ、――――z!!」

 

 電気タイプのマイスタであるはずのデンジが繰り出した次鋒の姿には、パールも驚きを隠せない。観客もどよめいている。

 水ポケモンであり専門外に見え、ましてや草タイプのドダイトスには不利とさえ見える選択。

 それでいて、特徴的な鳴き声を高々と発するオクタンの姿たるや、衆目や対戦相手の驚きなど無視した気合の入った咆哮に近いもの。

 やってやるぜ、以上の感情がオクタンの声にはある。さながら俺を、デンジを舐めるなよとさえ訳せそうなほど。

 不得手なはずの相手と対峙して尚、てめえを始末するのが俺の役目だとばかりに眼を見開いたオクタンの姿はまさに、ジムリーダーが選んだ尖兵のそれ。

 そこに捨て鉢ややけくそではない、勝利への青写真が確かに存在することなど、パールに見せつけ生唾を呑ませるほどには明らかなのだ。

 

 4対3の一時優勢に持ち込めた初戦を終え、良い流れを実感したいパールにもそうはさせぬ、不穏な空気がここにある。

 やはり最後のジムバッジを得るための試練、一筋縄でいくはずもない。



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第148話  私が主役

 

 

「えとっ、ピョコ、はっぱカッ……」

 

「撃て! オクタン!」

 

「!?!?

 ほゎーーーーーーーーーーっ!?!?!?」

 

 水タイプのオクタンが相手となれば、ドダイトスが撃つべきは迷わず草技。

 当たり前といえば当たり前なのだが、ピョコ相手に水タイプを出してきたデンジの行動に戸惑い、僅かに指示が遅れたのがたいそう痛い。

 速攻でオクタンにこれしかない技を放てと指示するデンジの方が早く、そしてオクタンがピョコ目がけて発射した技は、ドダイトスに特効の"オーロラビーム"。

 それを目にしたパールが発する、驚愕感情まっしぐらの叫びっぷりたるやどえらいものだ。そんなにびっくりしなくても。

 

 流石はピョコも賢いもので、パールに指示される前から撃つ構えだった葉っぱカッターを撃ち、オクタンに大きなダメージを与えている。

 どっこい撃ち返される氷技は、草タイプであり地面タイプであるピョコに甚大なダメージを与える技である。

 いかにタフなピョコとはいえ、倍の威力で通る技を相手に撃ちまくろうとも、倍々のダメージを受ける技を食らい続けての根性比べでは分が悪い。

 それだけドダイトスというポケモンに氷タイプの技は痛過ぎる。

 

「あわわわわわっ、ピョコ戻ってぇ~~~!?」

 

 大慌てでピョコをボールに戻すパールだが、オーロラビームを浴びたピョコのダメージはボールに戻っても深く残っているだろう。

 この慌てっぷりの声も、足元の拡声装置によって観客席まで響いており、一部の客の失笑を買っている。

 レベルの高いポケモンバトルを見てきた、目の肥えた客にしてみれば、この程度の展開で大慌てのパールは呆れを誘うというものだ。

 

「草タイプが水タイプに必ずしも優勢とは限らないんだよなぁ……

 パールって案外、そういうとこは身に付いてないのかも……」

 

 頭を抱えて独りごちるプラチナは、呆れよりも軽い嘆きを感じている。

 水タイプのポケモンは確かに草タイプに弱い。が、同時に水タイプのポケモンは、トレーナーの仕込み次第では氷タイプの技を習得しやすい。

 あくまで飛行タイプやドラゴンタイプへの対策としての習得が主な目的とされるが、結果的に草タイプ相手に五分の勝負を持ち掛ける強襲手段にもなる。

 デンジは電気タイプの使い手だから、その天敵たる地面タイプへの対策で、オクタンに氷技を覚えさせているという側面も強いのだろうけど。

 どのみち、トップトレーナー同士の勝負ともなれば、水タイプのポケモンが氷技を覚えていることも珍しくなく、それに対する草タイプの一方性は薄まるのだ。

 とりわけ今回は特別嵌まったとはいえ、ピョコ相手に氷技は痛烈極まりない。

 

 ハイレベルなトレーナー同士のバトルでは、こんなことむしろ日常茶飯事である。

 いよいよチャンピオン挑戦も視野に入るほどの舞台で勝敗を競うパールが、この程度のことで狼狽えているのは、目の肥えた客にレベルを疑われて当然だ。

 プラチナが考えることは別方向であり、こういうことももっと教えてあげていればよかったなぁという老婆心の一色である。

 

「さてオクタン、準備はいいな?

 狙い撃つぞ」

 

「うぐぐぐ……私のせいだこれ……

 頑張ってねぇ、お願いしますぅ……」

 

 たった一回出鼻を挫かれただけで、たいそう弱気になっている辺りもプラチナをはらはらさせるパールである。

 まあ、彼女がどれだけ弱気になろうが関係ないのがパールのバトルなので、プラチナは応援する対象をちょっとだけ変えるだけでいいのだが。

 頑張れ、次に出てくる子。パールを勝たせてあげて。

 パールのポケモン達は、未熟なパールを引っ張ることに秀でている。今はパールのメンタルが傾いているが、それさえどうにか出来るのが彼女のポケモン達。

 良くも悪くも自分のポケモン達に身も心も委ねるパールだから、彼女の精神が追い詰められていようが気にしなくていいのは若干の救いである。

 次の子のボールを両手で握りしめ、何とかいい流れを引っ張ってきてと祈らんばかりのパールの姿の頼りなさなんて、彼女の身内はどうせ想定内なのだから。

 

「パッチ! 頑張って!」

 

「撃て!」

 

 バトルにおいてのポケモン交代は、常にリスクを孕むものだ。

 敗れたポケモンに続いて次のポケモンを出す時には、相手もその出てきた瞬間を狙い撃ちせずフェアなバトルを遂行する暗黙が常にあるけれど。

 継戦能力のあるポケモンを引っ込め、新しいポケモンを出す時はその限りではないのだ。

 バトルフィールドに姿を見せた瞬間のパッチ目がけて放たれた、オクタンが撃つ墨の塊のような"オクタンほう"が顔面に直撃する。

 この時点で、首を振って黒塗りにされた頭に付着したものを払うパッチは、ワンダメージ受けた上で始まる開戦だ。

 

「ッ、ッ~~~~!

 ――――――――――z!!」

 

「"いかく"したところでオレのオクタンは怯まないぞ!

 さあオクタン! 恐れるなよ! このまま行くぞ!」

「――――――――z!!」

 

「っ、パッチーーーーー! 頼りにしてるから!

 私も頑張る! 絶対勝とうね!」

 

 オクタン砲で真っ黒になった顔の真ん中で光る眼光を携えたレントラーの咆哮は気合に溢れている。

 それこそオクタンも近寄り難さを覚えるほどで、しかし近寄らずとも戦えるオクタンには大きな効力が無い。

 むしろその咆哮は、やってやるぞという感情をパールに伝えるためだけのものであり、それが僅かにでも彼女を立ち直らせている。

 つくづく今も昔もきっとこれからも、パールをリードすることにかけては敵わないなと、プラチナがちょっと妬けるぐらいあの子達は強い。

 ……なんで僕はポケモンに妬いてるんだろう、とすぐ気付いて急に己が恥ずかしくなる辺り、気付きの早いプラチナのお利口さは当人にとってもたまに損。

 

「狙っていけ!!」

 

「突っ込めえっ、パッチいっ!」

 

 何を撃つのか指定しないデンジの声が大きくて強いのは、パッチに活を貰ったパールの姿を見たからだ。ここからが本番。

 威力を抑えて命中力を重視した、"タネマシンガン"を撃つオクタンの自己判断も秀でている。それを信頼しているからこそデンジも自分の口で技を明かさない。

 現にオクタンへと駆け迫るパッチの速さ、散弾銃のように放たれる攻撃を躱す機敏さは、威力重視の一本光線を放っていては躱されていただろうと思わせる。

 流石に広範囲の攻撃かつ迫るパッチに合わせて砲台の口を動かすオクタンの攻撃は、びすびすとパッチに傷を与えているけれど。

 迂闊な技の選択をしていれば、無傷で距離を詰められていたはずだ。

 それが出来るパッチだと信じているから、迷わず突っ込めと指示したパールを見れば、彼女の信じるあのレントラーのポテンシャルがもうわかる。

 

「ぶつかって!」

「――――――――z!」

 

 観客の肌さえびりびりさせるような咆哮と共に、電気を纏ってオクタンに突進するパッチの"スパーク"が炸裂だ。

 言わずもがな効果は抜群、"きゅうばん"で踏ん張ろうとしてなお突き飛ばされてしまうオクタン。

 だが踏ん張りが利いたおかげで突き飛ばされた距離は小さく、相手を見据えたままのオクタンは既に狙いを定めている。

 相手との距離が離れていない狙撃手は、そう簡単に次の一撃をはずさない。

 

「ジャンプーっ!」

 

「!!

 オクタン、狙い澄ませ!」

 

 パールがパッチに跳躍を指示したのは、オクタンが反撃砲を撃つより僅かに早い。

 わかっていたように跳び、オクタンの後方へと着地する大きな弧を描くパッチの動きに、オクタンもデンジの声に応えて対応する。

 撃っても跳んで躱されていただろう。そしてその隙を背後から狙われて詰み。

 空振りの砲撃を未然に防ぎ、パッチの動きを目で追い、そしてその着地より早く着地予想点に狙いを定めて。

 経験不足な未熟な個体であれば、負けに一直線であったはずの悪手を回避し、一転痛烈なカウンターを直撃させる図式を作り上げるのがこのオクタンだ。

 

「当てろ!」

「パッチいける! 任せるよ!」

 

 当てられるとデンジも踏んだのだ。

 そしてパールは、躱せると踏んでいる。しかもどう躱すかはパッチ任せ。

 しかし、"いける"という一言に攻め気で向かえという言外を含んでいること、それが意図してかせずかわからぬ辺りが、その指示の真意を相手に悟らせない。

 もしも殆ど言葉無くポケモンと疎通が出来るトレーナーがいれば、きっとそいつは最強だ。デンジはそんな逸話さえ一瞬脳裏に過る。

 

 威力と命中率、それを両立した"オーロラビーム"の発射を指示したものだとはオクタンにも伝わったし、現にそれは叶えられた。

 だが着地と同時に寸分の間もおかず地を蹴ったパッチは、既に空中で身を回してオクタンに向けていた我が身を、敵に向けて飛びかからせる。

 それも低くも高い跳躍、砲弾のような放物線を描く飛びかかりで、自らの着地点めがけて撃たれたビームを、足を縮めればすれすれで躱せる絶妙な高さ。

 自らへ迫るレントラーに対し、掠ったように見えたオーロラビームは決して相手を完全なる無傷にはさせなかったはず。

 それでも足先を急激に冷やされ、痛くはあるが継戦能力に響かぬ程度に抑えるほどには半回避したパッチは、オクタンを飛び越えかけた中で首を引く。

 ぐいと頭を伸ばし、宙でオクタンの頭に力強く噛みつくや否や、溜め込んでいた電気を一気に放出し痛烈な電撃を流し込む。

 

「思いっきり、いっけえっ!!」

 

 "かみなりのキバ"を受けたオクタンが"きゅうばん"で踏ん張る力を僅かに欠かした中、かぶりついたオクタンを軸に身体を回して着地したパッチ。

 両腕と握り拳を振り上げたパールが、いっけえと発しながらそれを力強く振り下ろす姿を目にしていなくたって、声だけでどうして欲しいかなんてすぐわかる。

 そのまま首を振り上げて、吸盤でフィールドに張り付いていたオクタンをべりっと地面から剥がして振り上げて。

 電撃を流されて意識が遠のくのを耐えていたオクタンを、全力で地面に叩きつけ、いっそう目の前に星を飛ばさせて、さらに放り投げる。

 打ち捨てられたオクタンが体勢を整えるより早く、駆けだすパッチが迫ればもう勝敗は確定だ。 

 電気を纏ったパッチの突撃"スパーク"が、既に意識朦朧だったオクタン殴り飛ばし、もう戦えない姿にして地面を転がす姿を導くのみである。

 

「強過ぎるだろ……!」

 

 オクタンをボールに戻すデンジは、次鋒を労う言葉を第一に紡ぐことが出来なかった。

 よくやった、相手が強かっただけだ、という想いは勿論あった。それ以上に。

 電気ポケモンのマイスターとして、バッジ7つのトレーナーがこれほどのレントラーを連れて自らに挑んできた、その驚きが勝ってしまう。

 ギンガ団の野望を食い止めた勇敢なる少女。センセーショナルなその響きに嘘偽り無し。

 彼女が戦ってきたとされるギンガ団幹部の一人に、シロナにも匹敵する彼女の幼馴染も含まれることが知れた今、デンジの胸は高鳴る一方だ。

 

「いくぞ、エテボース!

 オレ達の本気を見せてやろう!」

 

 パールが4匹のポケモンを残す中、既に2匹を撃破されたデンジが副将をバトルフィールドに繰り出す。

 エイパムの進化系であるその個体が発見されたのは、比較的最近の出来事だ。

 既に自分なりのスタイルを確立したトップトレーナーが、わざわざ新たにそれを育てるケースは少なく、大舞台での活躍がまだ現時点では少ない。

 若干のざわつきを見せる観衆の反応は、これからエテボースがどんな動きを見せるのか、殆ど予想がつかないことに由来する期待によるものだ。

 プラチナでさえ、ここからの展開は読めない。勉強家の彼ですら、エテボースというポケモンがどのような戦い方を得意とするのかを知らないのだ。

 果たして単に、エイパムと似た戦い方をするのだろうか? 進化一つ挟んだだけで、戦い方ががらりと変わるポケモンなどごまんといる。

 

「……いつもどおり行こ! 必ず見えてくるよ!

 パッチ、いっけえっ!」

「――――――――z!」

 

 未知の相手への初手は飛び道具か接近戦か。

 何をしてくるのかわからない相手の手の内を暴いていくための最初の一手を、パールはパッチの最も得意とする戦い方に委ねた。

 まずは様子見という選択肢より、積極果敢なお手並み拝見、それがパールとパッチの性格に合致している。

 よくわからない敵を前にした時、人によっては慎重になり過ぎてしまうこともあり得るが、パールに関してはその弱みが概ね無いようだ。

 

 襲いかかるパッチに身構えたエテボースだが、デンジは何の指示も出さなかった。

 最初から決まっているからだ。牙の光る口を開いて目前まで迫ったパッチの顔前、二本の尾先の掌めいたものを叩き、大きな炸裂音と共に跳躍して回避。

 渾身の力と計算された拍子手の形で鳴らす音は風船の爆発の如く大きく、これは技術を要する"ねこだまし"と呼ばれる技だ。

 さしものパッチも眼前の炸裂音に宙で身が跳ねそうだったほどで、目の前から消えたエテボースを追えず、着地した瞬間にももつれた足を軽く捻る。

 小さなダメージではあるが後には響き得る、そして相手への攻撃を無効化された事実が、エテボースの優秀な初手を物語っていよう。

 

「さあ、振り切るぞ!

 アクセル全開だ!」

「――――z!」

 

「あっ、やっぱりもしかして……!」

 

 気合を入れた声を発したエテボースが、地団駄のようでいて整然とした足踏みを繰り返し、今より速く駆ける脚を導く活を自らの身に入れる。

 誰の目にもわかる"こうそくいどう"の予備動作。若干痛む足を堪え、振り返ってエテボースを睨むパッチに対し、追撃する機会を捨ててでも。

 元よりエイパム自体が機敏であり、進化してそれ以上の速度を得ているであろうエテボースが、過剰なほどの俊足を得ようとする挙動。

 プラチナ含む、観衆の一部ポケモンバトルの戦術論を知る者達は、このエテボースが何を目指しているのかに予想が立つ始め。

 それは、エイパムにも取れる戦術だから。

 

「パッチしっかり! 逃がさず捕まえようね!」

「――――z!」

 

「んっ!? その指示でそれなのか!?」

 

 パールの声に応えてパッチが放ったのは、フィールドいっぱいに放つ"10まんボルト"である。

 些細なことだがデンジには、これがかなり革新的な一幕に映った。

 逃がさず捕まえよう、という指示とはまず、駆けて追えということを連想するものであるが、実際の行動はその予想を裏切る遠距離攻撃だ。

 理には叶っている。ダメージを与えて足を弱らせて最後は捕まえようと。

 だが、あの指示が言葉に迷彩をかけて虚を突くためのものではなく、パールが純粋に発した短い指示に、パッチが理解及んで意のままに応えただけ。

 こんな指示とあの行動で、両者の疎通が完璧に取れていることが、ポーカーフェイスの才能ゼロのパールが表情一つ動かしていない時点で"普通のこと"なのだ。

 とんだ食わせ物だとデンジも感じただろう。パールの言葉はパッチの次の行動を読むための指針にはもうならない。しかも天然である。

 相手の指示が耳に入ると余計な混乱を招きそうで、デンジは耳栓でもあった方がましだと本気で思ったほどだ。

 

「エテボース、怯むなよ! ここからだ!」

「ッ――――!」

 

 全方位に放たれた電撃は、いかにエテボースが機敏に動けるとて躱し切れるものではない。

 電撃を浴びつつも、やはりジムリーダーの副将らしく堪えきれば、その俊足の脚で以ってパッチへの急接近だ。

 二本の尾が持つ掌のようなものを握り拳のような形に変え、パッチ目がけて二連続のパンチめいた攻撃を放ってくる。

 フックのような一撃が下がったパッチの鼻先を掠め、続くストレートの一撃が鼻っ柱を捉える"ダブルアタック"だ。

 怯みかけこそしながらも、目の前のエテボースへと飛びかかるように牙を開くパッチの反撃を、エテボースは冷静なバックステップで回避する。

 距離さえ作れば、速さの増した足で接近戦を拒みやすいのも、"こうそくいどう"の大きな利点である。

 

「もっともっと! 撃って!

 捕まえられるよパッチなら!」

「踏ん張るんだぞ!

 振り切り続けろ! 今よりもっとだ!」

 

 離れられれば10万ボルトを撃つ。

 痛みに表情を歪めるエテボースの足が鈍った瞬間めがけて、こちらもまた抜群の瞬発力で襲いかかるパッチ。

 噛みつき捕らえることに拘らず、帯電した身体での突進たる"スパーク"を打つパッチを、どうにかエテボースは大きな横っ跳びで凌いでいる。

 掠りかけすれすれで我が身のそばを通り過ぎていったパッチの放つ火花の痛みは、二度の10万ボルトを受けた身には存外きつい。

 

 どんなに速度に秀でようとも、決してそれが回避力とイコールとはならないのが高次のポケモンバトルだ。

 野生のポケットモンスター達は、自分よりも速い存在を捕える攻撃のすべを、厳しい野生の世界で何かしら身に付けている。

 生まれた時からトレーナーと共に在る者達でさえ、その血には太古より伝わる戦い方の勘というものが脈々と受け継がれているのである。

 

「よし、ここだ! エテボース!!」

「パッチ、逃がさないで! 絶対チャンス!!」

 

 だからこそ、歯を食いしばって痛みに耐えたエテボースが、なおも反撃より高速移動のステップを踏み、己の機敏さを増す仕草は本来実戦的ではない。

 無限に速くなれば無傷で勝ちやすくなる、などという理屈は通用しないのだから。反撃の機会を捨て、過剰な能力を得ることに拘る無駄さえ見える。

 しかし、傷を深めて相手へのダメージを積めずとも、こうした行動が決して無駄にならず活きる戦法というのも存在するのだ。

 二度目の"こうそくいどう"を敢えて積むエテボースの行動に、やがて辿り着く境地が何なのか、今や確信に至った観衆もいただろう。プラチナもそうだ。

 

 機は熟したというデンジの指示を受け、エテボースは尾先の二つを胸の前でぐっと組み、迫るパッチのスパークに対して盾を作るような形を取る。

 だが、それは防御のためのものではない。パッチの電撃体当たりをそれで受けるも、強い衝撃に突き飛ばされてごろごろとフィールドを転がる始末。

 決してダメージを小さく出来たわけではない。だが、ここからが真骨頂。

 握り合わせた両手のような尾先の中に作り上げた、バトンのような形をした特殊なエネルギーを、仰向けに倒れたままにして天井に向けて放り投げる。

 その瞬間、デンジが"2つの"ボールの操作をせぬままにして、エテボースは自らの意志で自分のボールに帰っていく。

 

 そして、デンジが触らなかったもう一つのボールから、さながらパールのミーナが何度も見せたあの行為の如く、一匹のポケモンが飛び出してきた。

 それは高所まで放り投げられたエテボースの"バトンタッチ"のエネルギーをがぷりと咥え、その瞬間に噛み砕く。

 輝くエネルギーはその一噛みによりあっさりと崩壊したが、同時にそのポケモンの全身に纏わりつくようにして、その全身へ沁み込んでいく。

 エテボースから引き継がれたものを受け取ったデンジの4匹目のポケモンは、そうしした過程を経てフィールドに降り立った。

 

「こいつが、オレの切り札だ!」

 

「パッチ……!

 わかるよね!? 絶対、ぜ~ったい強いよあいつ!」

 

 それはパッチにとって、初めての経験だ。

 デンジが切り札と称した大将格は、パッチと同じ個体であるレントラー。

 かつてコリンクだった彼女が、レントラーとなってから、相対する位置に自らと同じ姿の相手と睨み合ったことは一度も無い。

 しかもそいつは、ざりざりと足で地面を掻く仕草に一目でわかるほどの凄まじい力を秘めており、一筋縄でいかぬことを容易に想像させてくる強敵だ。

 

 エテボースの"バトンタッチ"は、高めた自らの能力を後続の味方に与える、一本独鈷の野生のポケモンには使い道を見出せぬバトル専用技とさえ言える。

 パールとて、幼い頃からテレビでポケモンバトルは見てきたから、実戦では初めて見たとはいえバトンタッチの怖さは知っている。

 あのレントラーは、エテボースが自らの俊足性を高めたそれを、そのまま引き継ぎいっそう高い能力を擁しているということだ。

 まして、電気ポケモンのエキスパートであるデンジがいよいよ最後に晒した切り札の存在感は、パールに戦慄を覚えさせるほどには凄まじい。

 なぜならパールは、レントラーというポケモンの強さを、最もよく知る一人と言っても過言ではないからだ。一番、身近で見てきたのだから。

 

「レントラ……」

 

「それでも、あなたが最強だよ!! 世界一強いレントラーだあっ!!

 負けないで! かっこいいとこ、見せてよね!!」

 

 レントラーへの第一指示を発しようとしたデンジの声をも遮って、パールが発したものは指示でも何でもない。

 だが、パッチに対しては間違いなく、どんな指示や掛け声よりも力が漲る最高の鼓舞だった。

 いかにパッチとて、相手が名うてのトレーナーであり、その手で育てられた個体が能力を高めて対峙した瞬間は顔をしかめたのだ。

 自分を信じれば信じるだけ、レントラーである自らの強さを意識すればするほどに、この状況は楽観視とは極めてかけ離れた所にある。

 

 苦戦は必至、勝ち至れるかどうかにも心が揺らぎかけたところに、レントラーというポケモンではなくパッチを信じる声を耳にしてしまったら。

 どうするべきかなど迷うべくもない。己を疑うことは確実に誤りだ。

 私を最強だと信じて疑わない、あなたを世間知らずにしないために為すべきこととは、この難敵を打ち破ること以外に何一つ無い。

 ずっと信じ貫いてきたことだ。私は強い。だけど、まだまだ強くなれる。

 あなたが私を強くしてくれるんだ。私は、あなただけのパッチなんだ。一生、誇らしく思う。

 

「――――――――――z!!」

 

 今までで一番大きな声だ。サターンに立ち向かったあの日発した、己の命さえ燃やし尽くさん覚悟で発した咆哮よりも確実に。

 観衆が身を竦ませ、デンジが身震いし、対峙するレントラーがぎっと眼光を鋭くする中で。

 パールとプラチナだけが、ただその決意の表明を目にしただけで、勝利さえ確信し拳を握っている。

 デンジだけがはっきりと見える。実戦世界に身を置いて、目だけ肥えた観衆には決して見えぬ世界で、シンオウ有数の実力者の彼だけが感じる現実。

 トレーナーがポケモンの、ポケモンがトレーナーの成長を常に促し、高め合う理想的な関係を築いた、理想とされながらその境地に至るものは一握りの世界。

 それをあの、どこにでもいるような幼さの目立つ少女が既に辿り着いている。それもきっと、無自覚にだ。

 やがて彼女が時のチャンピオンに勝利し、シンオウ地方の頂点に立つ未来が見えた気さえしたデンジは、鳥肌さえ立つ想いで口の端を上げずにはいられない。

 

 心躍る、熱いバトルをずっと求めてきたのだ。

 幼き頃に、先達のトップトレーナー達が繰り広げた激戦をテレビ越しに見て、自分もあんな風になりたいと初めてモンスターボールを手にしたあの日から。

 誰もが通る道、かつては子供だった今の大人が忘れ得ぬ初心。最高のバトル、その末に勝ち取る勝利。

 熱に欠ける挑戦者との戦いを幾度か繰り返しただけで、情熱を失いかけていた自らを今のデンジは恥じすらしよう。

 そしてそれ以上に沸き上がるのは、忘れかけていたものをたった一戦の半ばで蘇らせてくれた挑戦者への感謝に他ならない。

 報いるために為すべきことは何か。全身全霊を今再びだ。

 

「吹いてくれたな、パール!

 見くびってくれるなよ、オレのレントラーを!

 ここから一気に巻き返すぞ!」

 

「負けません! 私にはパッチがいるんです!

 この子がいる限り、私は絶対に勝てることを疑いません!」

 

 戦いは熟した。真の意味でだ。

 勝ちたいという感情は誰しも常にある。その想いの強さというものは、一戦の中において常に一様ではない。

 今だけは、ここだけは、たった一つの勝負の中で一生ぶんの願いを込めるほどの強い想いを胸に抱いた時、デンジの望んだものは最高の形でこの世に顕れる。

 一生のお願い、なんて人生で何度願ってもいい。それを冗談でも軽い気持ちでもなく、何度も願える人生の密度は必ずその者を高めさせる。

 パールも、デンジも、一戦一戦に心血を注いできた者達が、そうした果て無き道の末に辿り着いたのが、いま大観衆が歓声をあげるほどのこの舞台。

 それに相応しきトレーナーになったのだ。ずっとパールと共に歩き続けてきたプラチナが、今の彼女を見て得る感慨たるや言葉でなど言い表せまい。

 

 チャンピオンという果てしなき大願を目指す少女と、ジムリーダーとしてではなく一人のトレーナーとして、ただ勝ちたいと拳を握るデンジ。

 勝者は常に一人だ。互いの強き願いを賭けた戦いが尊き最大の所以である。



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第149話  VSレントラー

 

 

「レントラー! わかってるな!?」

「さぁいくよ! パッチ!」

 

 具体性の無い両者の指示。多くは要らぬ相棒同士なのだから。

 接近戦に持ち来んでこそ本領を発揮するパッチだ。パールの声にも待ち切れなかった勢いで敵へと駆け迫っていく。

 一方でレントラーは、速度で勝れどいっそう確実性を増すため、地に足着けて身を震わせ"でんじは"を放っている。

 敵へと迫る中で強い電磁波を浴びたパッチが、痺れを感じた足と走りに支障を得かけるが、その脚の勢いが止まることは無い。

 迎え撃つ側のレントラーも、身動きとらずに電磁波を放つことを選んだ決断に伴う、真っ正面からこの難敵が迫る現実には緊張感が増す。

 

「よし……!」

「パッチ後ろ! 逃がさないで!」

 

 "かみくだく"牙を迫らせたパッチの第一撃を、レントラーは寸前の跳躍で躱してみせた。"しびれてうごけない"一瞬があったのは小さくなかった。

 着地点はパッチの後方離れた場所、振り返ったパッチが迫ろうとしても、俊足のレントラーは素早いバックステップでまずは距離を稼ぐ。

 "バトンタッチ"を経てエテボースから引き継いだ、"こうそくいどう"の足遣いがここで活きる。容易に接近戦を許さぬ下地と共に、無傷で開戦を迎えている。

 まずはレントラーがアドバンテージ面で一歩リードだ。2対4の現実があるデンジとしては、それを取れただけでもかなり大きい。

 

「レントラー、わかるな!?

 お前のスマートさを見せろ!」

「――――z!」

 

「!!

 パッチ、こっちも撃って! 捕まえるのは最後でいいから!」

 

 ここからデンジが選ぶのは安定策。何せ残りポケモン数でビハインドだ。

 何としてもエースのレントラーで挑戦者のレントラーを打ち破り、それも余力を残し、次なる刺客も撃破していくだけの必要がある。

 流石にこの年若き挑戦者とて、そうしたデンジの狙いを指示とレントラーの行動から察せる程度には、ここまで来られた精鋭だ。

 速い自らと麻痺した相手の速度差を活かし、"チャージビーム"による遠距離攻撃を主軸としたレントラーの戦い方に、パールもパッチへの指示を一新する。

 そう簡単には捕まえさせてくれない相手だとはっきりわかっている以上、まずは一撃当てて元気な脚を奪うことから始めていかねばどうにもならない。

 

 レントラーが鼻先に電気エネルギーの塊を作り、そこから発せられるチャージビームを撃つに対し、パッチは真っ向から躱しもせず突っ込んでいく。

 効果は今一つの電気技だ。ノーダメージとはいかないけれど。

 それを受けつつも駆けながら放つ"10まんボルト"は、大差こそ無くともレントラーにこちらより大きなダメージを与えられるはず。

 サイドステップでそれを躱そうとするレントラーだが、放射状に放たれた地を這う10万ボルトは相手に無傷を許さない。

 麻痺させられることこそ免れたレントラーも、足先を焼かれてステップが鈍る兆候を感じている。そして今なお自らへの直進を止めぬ敵の姿が厄介だ。

 

「捕まるなよ!」

「パッチ焦らないで! 撃てばいいんだあっ!」

 

 とにかく今一つでない強撃、噛み砕く牙を突き立ててこそ勝機の始まりとするパッチの攻撃はやや直線的だ。

 プレッシャーを与えられてはいる。だが、噛まれてはまずいと感じている切実さはレントラーこそ最もだ。

 ぎりぎりまで引き付けて跳ぶ、がちんと牙を鳴らすパッチの決死の一撃を躱す、距離を稼ぐことは難しくても構わない。

 すぐさまチャージビームを撃つ構えを取るレントラーは、触れられることを極力避けた戦い方を徹底している。

 

「構うな! 撃て!」

 

 だがパッチの放つ10万ボルトがレントラーのチャージビームより早いのは、躱されることも視野に入れたパールの声が引き出した最速の追撃だ。

 溜まった電気エネルギーを放つより早く、我が身をパッチの雷撃で焼かれるレントラーも歯を食いしばる。

 チャージビームを撃つべきか、それともせっかく溜めた電気エネルギーを捨ててでも、すぐに迫ってくるであろう敵の回避に徹するべきか。

 デンジの声が、レントラーの迷いを吹き飛ばす。駆け迫り始めたパッチの鼻っ柱めがけて撃ったレントラーのチャージビームは直撃だ。

 

「行けレントラー! お前の方が強いぞ!!」

「――――z!!」

 

 安定策を捨てた時点で、チャージビームの直撃にも怯まなかった敵の迫撃を躱せるかどうかなど大博打だ。

 ならば裏切れ、敵の予想するであろうこちらの動きを。

 レントラーは向かい来るパッチへと、真っ向からぶつからん勢いで前進する。

 そうした自分の行動に対し、来るなら来いよ私が勝つと、いっそう眼光を鋭くするパッチの表情が、レントラーの闘争心を掻き立てる。

 

「パッチいけるよぉっ!」

 

 まるで刀を持つ者同士の交錯の如く、牙を開いた二匹のレントラー達は微かな接点を経てすれ違う。

 血飛沫が飛んだ。パッチの牙が空を切って音を鳴らすのと対極、すれ違いざまにパッチの耳の根元を牙で抉ったレントラーの舞わせた血。

 傷を負ったのはパッチだけだったのだろう。関係あるものか、こんな逆境何度目だ。

 噛みはずしたことにもめげず次にいけぇ、と叫ぶパールの声が、相手を捕らえられられなかったあの瞬間より早かったからこそ、パッチの助けになっている。

 

 振り返るより早く打つ10万ボルトの電撃は、コンマ1秒その発射が遅ければ躱せていたはずのレントラーを逃がさない。

 決して大ダメージではない。だが足にくる痺れと焼きだ。

 それに一瞬でも足が鈍れば、振り返りざまに飛びかかってくるパッチから後退するように跳ぶレントラーも、相手の勢いに勝れない。

 喉元めがけて牙を突き立てにくる相手に対し、顎を引いて額を突き出し、その鼻先に頭突きめいた迎撃をするので精一杯だ。

 

「パッチいけえっ! 決めにいっちゃええぇっ!!」

 

「いいぞ、パッチ……! それでいいんだ……!」

 

 硬い相手の額に鼻先をぶつけても、その眼に宿る闘志を微塵も衰えさせず、かっと口を開くパッチが前脚で相手の顔を掴みかかる。

 ぐいと力任せに相手の顔をどけ、首元に深々と"かみくだく"牙を突き立てる一撃が入る。

 それがパッチの必勝の型だと信じて突き進ませたパールも、それが果たされた一幕に劣勢の覆りを想起するプラチナも、握り拳に力が入らずにいられない。

 噛みついた勢いそのままに、相手のレントラーを押し倒したパッチが敵を組み伏せ、速度による逃亡を叶えさせない状況を形成する。

 

「舐めるな!!

 レントラー! お前はそんなものじゃない!!」

「ッ、ッ――――――――z!!」

 

 毛皮の下まで貫通する牙と溢れる血の激痛を耐えきって、レントラーは強引に身体を捻る。突き立てられた牙による傷が広げられようともだ。

 そうしてレントラーが開いた口は、パッチの右足の付け根に深々と"かみくだく"牙を突き立てる行動へと繋がる。

 どんな相手も牙で捕らえれば離さぬパッチ、きっと彼女は同じことをされても怯まず戦い抜くほど強い。

 それが出来るのがお前のレントラーだけだと思うな、というデンジの叫びに呼応して、彼のレントラーも痛苦に怯まぬ強さを見せ示す。

 

「パッチ……!」

「~~~~~~ッ、ッ――――!」

「い……いけるよおっ! あなたの方が絶対強いんだあっ!

 ジムリーダーさんのレントラーにだって、絶対、ぜったい負けないいっ!!」

 

 ああわかってる、あなたより私の方がずっと。

 こいつ強いよ、わかってるよ。でも、もっともっと強い奴を私は知ってる。

 こんな所で躓いてられるか、私が最強、あなたにとってのマジの切り札になり得る唯一の"もう一匹"だ……!

 ニルルやミーナやララやプーカにだって、絶対譲れないものが私にはある。もしかしたらあなたは知らないかもしれないけど! わからせてみせる!

 

「なに……!?」

「いっけえーーーっ!! パッチぃーーーーーっ!!」

 

 牙を突き立て返されて尚、パッチは相手に食らい付いた牙を抜かず、相手を振り回すように頭と体を振り回す。

 横倒れになっても構わない。体全部を使って引きずり回す。

 パッチが突き立てた牙の端、レントラーの首元から吹き出す血は抉る牙が相手への傷を深めている証左。

 同時に、食らい付いて離さないレントラーの牙の端からも、パッチの血が噴き出して止まらない。

 互いに相手の肉を貫いたまま離さぬ獣が、組み合ったままフィールド上を激しく転がる中、血痕だけが痛々しく地面に刻み付けられていく。

 親に連れられてこのバトルを観ている観客の女の子が目を覆い、震える男の子の目を母親が覆う姿さえ観客席には散見される地獄の様相。

 開けぬ口から呻き声めいた闘志の声を漏らす二匹の眼光と失われぬ闘志を、パールとデンジだけが目を逸らさずはっきり見逃さない。

 

「まだだ! レントラー!!」

「パッチぃっ! 思いっきりやれえっ!!」

 

 痛苦に喘がん口を塞いで意地をぶつけ合い転がる両者に、これ以上を求めるのは残酷だろうか。いいや、信じろ。

 デンジの声に、パールの声に、くわっと目を見開いたレントラーとパッチが、相手の皮膚下まで食い込んだ牙先から力を流し込む追撃を果たす。

 パッチの"かみなりのキバ"。そしてレントラーの"ほのおのキバ"。

 身体の内側から神経まで焼き切る電撃にレントラーも両目をぎゅっと閉じたが、体内に炎を流し込まれるパッチのダメージはそれを上回る。

 たまらず顎から力が抜けた、絶叫めいた口を開いたパッチの牙を抜かれたレントラーは、ここしか無いとばかりに両前脚に力を込める。

 そのままぐっと押し込むように踏み込んで、牙を抜かぬままパッチの背中を下にして組み伏せる形へ押し込んでいく。

 

「あぁ、っ……」

「ッ~~~~、――――――z!!」

「!?」

 

 ちくしょう不覚、だけどだけど、負けてたまるか。

 牙を抜いて組み伏せられてしまった、パールにあんな不安そうな声を、こんな私でいいはずがない!

 なりふり構わず構わず両足をレントラーの顔面に突き出すパッチは、相手の両眼をその足で殴る反則級の一撃に打って出ている。

 あわやで目を閉じ目を潰されずに済んだレントラーも、パッチの爪でまぶたの上をざくりと抉られ、たまらず牙を抜いて後方に飛ばざるを得ない。

 やっと追い詰めかけと思ったら一寸の間も置かずにこれだ。パッチと呼ばれる俺の同種、マジでおっかないほど勝利への執念が只ならない。

 

「っ、っ……! パッチ……!」

「レントラー!! 来……」

 血走った眼で襲いかかるパッチの姿を真っ正面に目の当たりにしたレントラーの戦慄は、きっとこの戦いを観る者達には一抹も真に理解できまい。

 避けることも出来たか。いや間に合わない。

 それを本能的に一瞬で判断したレントラーは、牙を突き立てに迫る相手へ自ら頭を突き出して跳びかかり、額をぶつけ合う対抗策に打って出る。

 双方後ずさりかけた足を一歩も退かせない。閉じそうになる目を見開いたまま。

 霞む瞳に映る相手の姿をはっきりと目の当たりにすることだけに、この一瞬は全身全霊を投じる。映れば、闘志は蘇る。

 

「「―――――――――z!!」」

 

 目の前の敵を屠るため、威嚇と闘志と勝利への決意を表明する獣の顎を引いた雄叫びの直後、退路を捨てたレントラー二頭が食らいつき合う。

 示し合わせたように逆の首側、逆の前脚付け根、牙を突き立て合う両者が新たな傷を作り合い、その痛みに喘ぐ神経も今だけは捨て去って。

 ジムリーダーとトップトレーナーのハイレベルな攻防を期待して集まった集客の前で再び始まるのは、新たな血を尚も流してのたうち合う原始的な攻防。

 そこにはもう、戦略的なスマートな立ち回りなど微塵も無い。逃げ場も無かった。いかに仮初めの速度の上昇があったとて。

 事あるごとに上がっていた歓声は今や静まり返り、血みどろの獅子二頭が血肉を抉り合うけだものの攻防を、誰しも絶句して見届けることしか出来ない。

 

「く……っ!

 負けるな! レントラー!!」

「頑張って、がんばって、パッチ……!

 お願い、あと少し、あと少し……っ!」

 

「っ……!

 頑張れえええっ!! パッチいっ!!」

 

「――――――――ッ!!」

「ガ…………!?」

 

 広大にして静まり返りつつある会場で、デンジもパールも祈るような声しか発せられなかった中、割って入った一つの迸る声。

 柄にもなく一番の大声でエールを送ってくれたプラチナの声が耳に入った瞬間、パッチの眼光が覚醒する。

 絶えず流し込んでいた"かみなりのキバ"の電流、返される"ほのおのキバ"に蝕まれる尋常ではない苦しみ。

 負けてたまるか、せめて刺し違えてでも、という決意で牙を離さなかったパッチの目を覚ましてくれたのは、パールの声ではなかったのだ。

 他ならぬパールが、今までに聞いたことのないプラチナの大声に、はっとして彼の方を見てしまったほど。

 

 どうかしてる、何が刺し違えてもだ、私の強さはそんなものか。

 勝つんだ、私の力で……! 中継ぎの一勝二勝をもぎ取る程度の活躍で満足してて、パールの切り札に私の名を挙げられるものか!

 こいつ、どうせ"こおりのキバ"だって使えるんだろ。マジで強いトレーナーの切り札はそんな隠し技だって持ってるさ。

 それでもピョコは、トリデプスやドーミラーを破った果てに、ハガネールまで打ち破ってみせたじゃないか!

 あいつの二番手で満足してたまるものか……! 私だって、強いんだ!

 

「レントラー!?」

 

「~~~~~~~~……ッ!!

 

 心と身体を蘇らせたパッチの牙が、めりめりぶちぶちとレントラーの首筋の肉をいっそうの力で食い千切る音に、観客席からは悲鳴すら上がった。

 意識さえ飛びそうなそれに、牙を抜くどころか口ごと開いて、目を白黒させたレントラーの隙。

 パッチは食らい付いて離さないまま、首に力を入れてレントラーの身体を振り上げると、地面に叩きつけるように振り下ろす。

 決して高さのある所からではないとて、生命の危機さえ感じたその瞬間に我が身を叩きつけられたレントラーは、立ち上がりが少し遅れてしまう。

 わずかなバックステップで距離を作ったパッチが、その短時間で溜め込んだ電気エネルギーを纏い、突き進むその姿にレントラーは対応することが出来ない。

 

 パッチの"スパーク"、電撃体当たりが力尽きかけていたレントラーを突き飛ばし、大きく吹っ飛ばしたその瞬間が決着の時そのものだったと言えよう。

 なおも腹這いで立ち上がろうとしていたレントラーも、足に力が入らず、腹を地面から浮かせることさえ叶わない。

 己の切り札が、ここまで周到な形で繰り出せたにも関わらず打ち破られたことに、デンジがショックを隠せない表情でレントラーをボールに戻していく。

 荒い息を吐くパッチは、その一幕を目の前にしてなお、最後の一匹を待つようにして膝を曲げることをしない。

 

「パッチ……!」

 

「っ、っ…………――――z!」

 

 脚が震えるほどのダメージと疲労、そんな中でもパッチは掠れ気味の咆哮を発して振り返り、パールに継戦の意志を突きつけた。

 わかってる、あなたがそういう心配そうな顔をすることぐらい。

 別に私が引っ込んだって、後続のみんなが上手くやるだろうとも信頼してる。

 無茶をせず、そろそろ休むべきなんだろうっていうのだって、パッチも頭では理解できているはずなのだ。

 

 ボールのスイッチに指までかけていたパールが、ぐっと堪えてその意志に応えてくれたことが、パッチには何よりも嬉しかった。

 やらせてくれるんだ、優しいあなたが。

 だったら、必ず結果を持って帰ってみせる。それが、今の私の為すべきこと。

 

「続けるんだな……!?

 いいだろう、迎え撃とう! いくぞ、エテボース!」

 

 満身創痍のパッチの前、先ほど一度引っ込んだエテボースが降臨する。

 相手にもダメージはある。一方的に不利ではない。

 それでもパッチの方が、追い詰められているのは確かなはず。

 

「か……っ、勝とうね、パッチ……!

 あなたが強いこと、信じてるから、っ……!」

「――――!」

 

「このままいいようにやられて引き下がれるかよ……!

 オレだって、オレのポケモン達だって、負けてなんていられないんだ……!」

 

 いよいよ訪れてしまった1対4の図式。敗色濃厚もいいところだ。

 勝敗はもはや、観客も見えているはず。それでも、このまま終わってたまるか。

 ジムリーダーとは負けることが仕事だ。加減したバトルとはいえ、自分達に勝って翼を広げ、チャンピオンロードへ羽ばたく若き志を見送ることこそ本懐。

 だからといって、相手の一匹も仕留められぬまま負けることなんて易々と受け入れられるものか。意地というものはある。

 それが、ジムリーダーとしてではなく、トレーナーとしてのものだと既に自覚するデンジはもう、求めたものが既に得られた実感を掴んでいる。

 今だけは、一人のトレーナーとして。かつて今ほど強くなかった自分が、格上に決死の想いで挑んだあの頃のように。

 追い詰められても逆転を信じ、疑わず、戦い抜くことを迷わず立ち向かえたあの日の情熱に近いものが、今の自らに蘇っている。

 それを形にしてくれるこの強き挑戦者に感ずる想いなど、一度は情熱を失いかけていた男には一つしかあるまい。語るべくもなし。

 

「来い、パール! パッチと呼ばれるレントラー!

 そう簡単に格好つけさせて貰えると見くびってくれるなよ!

 

「っ、いくよ、パッチ!

 あなたなら出来る! 私の、頼もしい、最高のあなたなんだから!」

 

 勝敗よりも大切なものは確かにある。

 一つ一つの勝利は、果て無き夢を追う旅路の中では通過点だ。

 ただ勝つだけでは満足せず、よりよい最高の形を目指すのはもう一つ高きレベルの意識。

 一流と超一流、そこに辿り着いた者達に何の差があったのかと問われれば、もしかすればそうした所に答えがあるのかもしれない。

 

 希望も、理想も、勝ち取ることでしか身を結ばない。結果が全てだ。

 傷ついてなお、考え得る限りの最高の勝利を獲得せんとした獅子の志が、実現世界における真か虚か問われる舞台がここにある。

 戦い抜け。そして勝て。それが何よりも重要なこと。

 真の意味でそれを理解している相棒の後ろ姿が、今のパールには、今だけはピョコにも勝るほど頼もしい。

 

 パールにとっての二番手と自称し、ダブルエースの一角であると自らを信じられないパッチは、ある意味己に自信の持てないパールに似たのかもしれない。

 だから、きっと、ここまで強くなれたのだ。パールがそうであったように。

 高みを目指して頂点を見上げ、ひたむきに戦い抜き続けてきたものの尽力は、決して志す者を裏切らず応える。

 培ってきた力はこの華舞台に間に合ったかどうか。いま問われているのは只それだ。



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第150話  私が最強!

 

 もはや消化試合。100分の97がそう思っている。

 だってそうだろう。デンジはもはや残り1匹、対する挑戦者は4匹残し。

 その4匹のうち1匹は手負いとはいえ地面タイプのドダイトスで、デンジのエテボースが習得している電気技がそもそも通じない。

 仮にエテボースが奮闘し、レントラーとドダイトスを連続撃破することが出来たとしても、挑戦者側には無傷の2匹が残っている。

 ここにエテボースに有利なタイプのポケモンが1匹でも残っていれば、連戦のエテボースはもはや耐えようがない。

 現時点では非公開の情報ながら、現にパールの手持ちには"とびひざげり"を使えるミーナがいるのだ。仮想ではなく実際のところでもある。

 挑戦者であるパールの勝利、そして地元のヒーローであるデンジの敗北、それが透けて見える戦況に、超満員の観客が盛り上がりを欠くのも無理は無い。

 レントラーを破られたデンジが傷ついたエテボースを出したその瞬間から、観衆の大半から熱が抜けているのもやむを得ない話である。

 

 デンジは当然、それにも気付いていた。

 ナギサシティの代表的トレーナーたる自らが、もはや悪あがきを続けるにも等しいこの戦況に、地元の観客が冷めていることも。

 それにわざわざ申し訳なさを感じることはない。あくまでこれはジム戦であり、加減のあるメンバーを選出しているのだから。

 仮に全力を許されたバトルで同様の展開になれば、地元の観衆をがっかりさせたことにも、少なからぬ申し訳なさを感じもしよう。

 とはいえ、一方的な優勢を許した自分が、目の肥えた客を白けさせている自覚はデンジにもあったのは確かである。

 結果の見えた戦いほど、傍目から見てつまらないものはない。

 トレーナーとして腕が立ち過ぎて、自らの優勢で客を白けさせた経験のあるデンジをして、観客の動向は知れたものである。

 

「よぉしっ……!

 パッチっ、絶対放さないで!」

「エテボース! 打ち返せ!

 お前なら出来る! まだ終わりじゃない!」

 

 それでもデンジは、今の彼は、観客に対して決着を静かに待てとは思わない。

 見所はある。必ずだ。額縁に嵌まった熱戦を望む観客の希望に収まる戦いに纏めてたまるものか。

 "こうそくいどう"を経ての加速を得たエテボースに攻撃を躱され、"10まんボルト"を浴びせられたパッチが敵を牙で捕らえたこの局面。

 ああ、これで終わりだなと嘆息をつく観客の反応など関係ない。聞こえていたって、気付いてしまってたって、心の底から無視したくなる。

 馬鹿にするな、オレの育てた仲間がたった牙一本で屈するか。

 

 鎖骨にあたる場所に噛みつかれて押し倒されたエテボースが、背中を地につけたまま闘志を失わぬ眼で返すのは、両尾の先を駆使した反撃だ。

 掌の形に開いたそれで自らに食らい付いたパッチの両頬を叩く、変則的な"ねこだまし"で僅かにでも怯ませて。

 "かみなりのキバ"を介して自らに流される電流を歯を食いしばって耐え、ぎゅっと握った尾先の拳でパッチの頭を両側からぶん殴る。

 前戦からのダメージ著しきパッチが、その時間差の無い"ダブルアタック"を受けて顎の力を失いかけた瞬間に、エテボースはパッチの腹を蹴り上げる。

 一度相手を捕らえれば容易には離さない強敵を振り払い、跳ね起きて尾のパンチで敵の鼻っ柱を続けざまに殴りつけるエテボース。

 ぐあ、と確かなダメージと後ずさりを見せるパッチがすぐに顎を引いて敵を見据える中、エテボースは既に体勢を整えて立っている。

 

「パッチ……!」

「退くんじゃないぞ! 意地を見せろ!」

 

「頑張れパッチ……!

 かっこいいところをパールに見せたいんだろ……!?」

 

 もう一歩たりとも引けないエテボースだ。

 ほんの一秒でも相手に立て直す暇を与えて攻勢に移らせれば、そのまま落とされる展開へと直結しかねない。エテボースとて受けたダメージは既に大きいのだ。

 一瞬でパッチの眼前まで迫り、両手を相手の目の前に突き出して視界を防いだ瞬間に、握り拳とした二本の尾で敵を殴りつける。

 回避が遅れたパッチの右前足の付け根に、左側頭部に突き刺さるダブルアタックは痛烈だ。

 

「ッ、ッ……!

 ――――――――z!!」

「~~~~っ……!」

 

「そうだエテボース! 恐れるな! お前なら勝てる!」

 

 遠のきかけた意識を一瞬で取り戻し、ぎらついた目で目前の敵を噛み砕こうとかかるパッチを、エテボースはあわやの跳躍で躱す。

 宙で身を回して狙い澄ましたようにパッチの背中にお尻で着地、背中に感触を得たパッチが放電する一瞬前。

 エテボースも拳にした両尾でパッチの両脇腹を殴りつけ、それによって自らの身体を上方へ押し出して、げはと息を吐いたパッチの身体からぎりぎり逃れる。

 目がやられるほどの発光を間近、直接電気を流し込まれる致命撃こそ避けつつも、火花と迸る電流に身を焼かれる痛みは相当なはずだ。

 

「パッチーっ、真後ろ!!

 捕まえられる! 頑張ってえっ!」

「ッ――――!!」

 

「諦めるなよ、エテボース……っ!」

 

 宙に浮いたエテボースが着地するまでの極めて短い時間の中、パッチは振り向きもせず後方に跳ぶようにして敵へと迫った。

 後ろにいるってパールが言ってる。確かめる必要なんかない、いるんだろ。

 帯電の残る体で着地寸前の逃げ場無きエテボースに、尻尾から近付きつつ体を回したパッチは、その側頭部でエテボースを殴りつけるような自らのぶつけ方だ。

 機敏で身のこなしが軽いエテボースへの直撃を、弱った身体で見事的中させられたことは例えようもなく大きい。

 電気を流し込まれながら殴り飛ばされたエテボースが背中からフィールドに叩きつけられ、二か三度跳ねて地面にうつ伏せに倒れた姿は戦闘不能か。

 

「――――――――z!!」

 

「やるぞ! エテボース!!」

 

「パッチぃっ! ジャンプーっ!

 勝ってえっ、お願いぃっ!!」

 

 そこに、観客にとっての予想通りの展開は一つも無かった。

 とどめを刺されたと思われたエテボースが、最後の力を振り絞って尾の力も使わず跳ね起きた姿も。

 それを目にする前から、こいつは絶対まだ終わっていないとばかりに吠えて跳びかかったパッチも。

 これほどまでに敗北目前であったデンジが、未だ目の前の一勝のためにこれほど大きな声での指示を発したことも。

 そして何よりも、エテボースが両の尾を掌の形にして前に出すその一瞬前に、直感的に大きな反撃が来ることを悟ったパールの一手早い指示があったこともだ。

 

 パッチは跳躍してみせた。大きく、大きくだ。

 パールはおろかデンジのような大人の背丈でも悠々と跳び越えられるような、2メートル越えのジャンプである。

 それほどのジャンプでも躱し切れなかったとも、ぼろぼろの身体でもそれだけ跳んだから致命傷を避けられたとも言えるだろう。

 一瞬の溜めも無く、エテボースが両手型にした尾の先から発した"はかいこうせん"をも彷彿とさせる光線は、それだけ高く跳んだパッチの足を尚も焼いた。

 この日見られたどんな大技にも勝る、徐々にデンジの奮闘する姿に再び目を奪われていた観客が、驚愕の歓声をあげるほどの大迫力。

 まさしくエテボースの、デンジがこのレントラーを討ち取るためだけに放った、最後の最後の"とっておき"である。

 

「がんばっ、れええぇっ!!」

「――――――――z!!」

 

「く……!」

 

 最後の切り札を凌がれたデンジとエテボースに、もう打つ手は残されていなかった。

 苦々しく吐かれたデンジの短い声、エテボースの疲弊した表情と、それでも着地し自らへ迫る敵を睨みつける炎を絶やさぬ眼。

 咆哮とともに襲いかかる、眩しいほどの輝く電流を纏ったパッチのスパークは、なすすべなく受けざるを得ないエテボースの胸元に直撃だ。

 先のヒット以上に突き飛ばされ、仰向けに地面に叩きつけられる寸前、目を剥いていたその表情を、デンジも苦々しいながら見逃してはいないかった。

 

「よくやったぞ、エテボース……!

 誇ってくれ!」

 

 込み上げる悔しさを噛み砕き、デンジは大将戦を務めたエテボースをボールに戻した。

 先の大技に息をも呑んだ観客が静まり返る中、ただ一人観客席で、握り拳を二つとも振り上げて全力で振り下ろす少年の姿がある。

 パッチがやってみせてくれたのだ。心震えるプラチナの心情たるや。

 最強のジムリーダーと呼ばれる相手のポケモン達を、たった一人で三匹も打ち破った勝利は、彼女にとってどれほど誇らしいものだろう。

 パッチの性格や信念を身近によく知るプラチナだからこそ、それを想像するだけで我が事のように、あるいはそれ以上に嬉しくてたまらなかった。

 

「~~~~っ、パッチ!」

 

 観客席のプラチナがそれほどなのだから、いてもたってもいられずバトルフィールド上にまで踏み入って、パッチに駆け寄るパールはもっとだろう。

 もう涙ぐんでる彼女の顔がよく見える。最後のジムバッジを獲得した嬉し泣き? きっとそんなこと、今のパールは一抹も考えていまい。

 勝利の雄叫びを発する余力も無く、頭を下げてはっはっと短い呼吸を発する、精も根も尽きたようなパッチの勝利が掴み取ったもの。

 その感無量を、当のパッチと同じぐらい我が事のように感じ取れるのは、世界に只一人パールしかいないのだ。

 

「っ、っ…………!

 ――――――――z!!」

 

「わひゃあっ!?!?」

 

 吠える余力も無いパッチを、横からぎゅっと抱きしめるつもりだったパールだが、パールがそばまで迫ってきたらパッチはもう意地を見せる。

 掠れる声を発してでも、パールに勝利の喜びを喉の奥から伝え、半ば襲いかかるようにパールへと飛びついていく。

 そんなこと出来そうにも見えなかったパッチに驚いて足を止めたはいいが、パールはそのままパッチに押し倒されて背中から倒れる始末。

 背中もお尻も打ってしまって痛い痛い、息も詰まる。逆に言えばパッチとて、パールに安全なじゃれつきが出来ないほど余力が無いということでもある。

 

「~~~~……♪」

 

「いたたた……

 へへ、えへへっ……パッチぃっ……!

 かっこ、よかったようっ……!」

 

 殆ど馬乗り同然で自らとお腹を合わせるパッチは重い。ぎゅーと押し潰される。息苦しさは増すばかり。

 それでも痛みも苦しさも、パールの胸いっぱいの嬉しさを邪魔できるほど大きくない。相手が悪すぎる。

 やってみせた誇らしさと、果たせたことをほっとする想いが混じるような、本当に、本当に嬉しそうなパッチの顔を前にしたら、自分の痛みなど二の次三の次。

 ぎゅうっとパッチの首周りに腕を回し、体いっぱいの力で喜びを分かち合うことしかパールには考えられなかった。

 

「祝福してくれ!

 最後のジムバッジを獲得し、チャンピオンへの挑戦権を勝ち取った若きヒロインを!

 負けて尚、最高のバトルだったと断言する! 誰に、何と言われてもだ!」

 

 声高に唱えたデンジの声に、圧倒されていた観客は目が覚めたように大歓声で応えた。

 勝敗が既に決したと見えた大将戦も、終わってみれば誰一人、思ったとおりの消化試合だと感じていた者はいなかったはずだ。

 負けず、最後まで戦い抜いて勝つことに拘り、自らの実力を証明したかったパッチ。

 四連勝なんて不可能だとわかっていても、せめて一矢報いて、自分をここまで育ててくれたデンジを少しでも喜ばせたかったエテボース。

 そんな両者の強い願いを、叶えるために、そしてそう願ってくれていることに胸を打たれ、全力の声で以って導かんとしたパールとデンジ。

 そこにはバッジの取り合いではなく、誰もが6対6の中でのたった一勝のために、全力を尽くすトレーナーとポケモンの姿は単体では輝けぬのか。

 公式戦に限らない、草バトルの中ですら誰しも経験したことのあるものを、パッチとエテボースは間違いなく体現したはずだ。

 

 消化試合だと感じるのは、パールとデンジの勝敗のことだけを考えるから。

 当事者でもない部外者が、大局だけを見るようになってしまうのは損なのだ。面白いはずのものさえつまらなくなる。

 パールとデンジのバトルに最も心揺さぶられた観戦者は、ただの一対一に全身全霊を懸けた想いを理解できたプラチナに間違いない。

 

「……参ったな。

 じっとしていられなくなりそうだ」

 

 パールに喝采を送る大観衆と、そんなもの聞こえもせずパッチと二人だけの世界に入って、涙ぐんでぎゅ~せずにいられないパールの寝姿。

 負けたことへの悔しさはある。いかに手加減込みとはいっても、流石に一匹も撃破出来ずに終わりではちょっと。もっと上手くやれたのではないかとは思う。

 やはり、勝ちたいものだ。そしてそれは、強くなくては叶わない。

 今の挑戦者達がそうであるように、かつて自分も一流のトレーナーを目指し、強さを求めてシンオウ地方やその他の地方を旅した記憶が蘇る。

 ジムリーダーをやっていて、唯一損だと感じるのはそれが出来ないこと。

 手痛く負ければ負けるほど、強くなるために手を尽くしたくなる。そんな彼だからこそ、シンオウ一のジムリーダーと呼ばれる今の強さがある。

 

 失いかけていたバトルへの情熱は、熱きバトルで以ってしか取り戻せない。

 パールはそれを求めたかったデンジの期待に応えたはずだ。

 最愛の仲間と身体を重ねるパールを見つめ、ふっと目を閉じたデンジはその挙動に合わせ、ひとまずの感謝の意を胸中に唱えるのだった。

 

「自慢しようね、パッチ……!

 ピョコにも、ニルルにも、ミーナにもララにもプーカにも、プラッチにも……!

 今日だけは、あなたが、世界で一番最強だよ……っ!」

「~~~~……!」

 

 ああもう、だからあなたのことが大好き。

 いつだって、私のことを大切にしてくれて、私が一番嬉しい言葉を紡いでくれるから。

 命を賭けてでもドクロッグと戦い抜いたあの日、あなたを泣かせた自分の馬鹿さを呪ったことは確かにあったけど。

 でも、だけど、いつかあなたがまた同じほどの危機に追い込まれたら……きっと私は、あなたのためにまた全てを懸けてしまうと思う。

 ずっと思ってる。あなたと出会えてよかった、って。

 

 私が最強。

 パールのベストパートナーはピョコに譲ってる。でも、今日だけは私が最強だったんだ。

 パールに、一番頼りになるのは私だって思わせられる私になれたんだ。

 そんな想いで胸がいっぱいのパッチは、パールに頬ずりすることで、感涙の溢れた目をパールに見られないよう努めるばかりだった。

 

 だって私、最強なんだもの。泣いてなんかないよ。

 そのとき観客席のプラチナとばちりと目が合い、見られたくないものを見られて目を閉じるパッチの姿には、ただただプラチナも微笑ましかったものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて! 改めておめでとう、挑戦者パール!

 少し慌ただしくなってしまったが、このビーコンバッジを贈呈しよう!」

 

 バトルを終えたパールは、バッジ進呈よりもまず、とデンジに勧められ、パッチをポケモンセンターに担ぎ込んだ。

 過去のギンガ団の大物らとの戦いほどではないにせよ、今回のパッチも大概な傷だらけである。

 ポケモン達の自己治癒能力は非常に高いが、早く治療してあげないと、体の見た目が悪くなる後遺症ぐらい残ってしまうかもしれない。

 そんなわけで、かしこまってのバッジを受け渡す場の前に、一度ポケモンセンターへ駆ける時間が設けられたということだ。

 ピョコとパッチをポケモンセンターに預けてナギサジムに戻ってきたパールは、いま改めて勝利の証を受け取っている。

 

「これで君も、8つのバッジを揃えたトップトレーナーだ。

 いよいよシロナに勝てば、名実共に君がチャンピオンってわけだな。

 感慨深くはないか?」

「えぇと……なんでしょ、あんまり実感沸いてないというか……

 ここまで来られたんだなぁっていうのはあるけど、私がもうすぐチャンピオンになれるかも、なんて実感までは……」

「謙虚だな。

 だいたいのトレーナーは、ここに至るまでに自信を得ているものだぞ。

 最後のバッジを手に入れたら、いよいよあと一勝でチャンピオンだ、って意気込むトレーナーが殆どなんだがな」

「そうなんですか?

 私はそんな感じじゃないなぁ……」

 

 口ぶりはそうでも、てれてれとした目の泳ぎぶりや、右足つま先の動きで床をくりくりする仕草であったり、満更でもない気持ちは多少表れている。

 とはいえ、言っていることも嘘や遠慮ではなさそう。

 プラチナ辺りはよく知っていることだが、私は強いんだぞという自信を強く持てるタイプの子ではないので。

 ここまで来られた自分や大事な仲間達を誇りこそすれ、だからってそろそろチャンピオンだ、と浮き足立つには自信不足の性分が勝つということだろう。

 

「シロナに挑戦するための手続きや手順は知っているな?

 ここナギサシティから北上し、チャンピオンロードを超え、シンオウリーグ本部でバッジを見せて手続きするんだ。

 シロナへの挑戦までは日が開くが、それまではチャンピオンロードで修行するトレーナー達と腕を磨いてもいい」

「はいっ、それは流石にわかってます。

 準備期間が必要なんですよね」

「大事な一戦だぞ? 負けたら再挑戦までが大変だからな。

 精一杯、勝つために全力を尽くすんだ」

「あわわ、やめて下さいやめて下さい。

 大事な一戦なんて強く念押しされちゃうと今から緊張しちゃいます」

 

 昔はチャンピオンに挑むまでには、バッジを手に入れてからも試練があった。

 バッジを全て集めることで、四天王と呼ばれるトレーナー達への挑戦権を勝ち取り、それを四連戦を打ち破って、初めてチャンピオンに挑めるようになる。

 しかしながら、近年はそれでは様々な事情から難があるということで、バッジを集めれば次はチャンピオンとの戦いとすぐに繋がるようになっている。

 四天王の皆々様はどうなったのかといえば、それはそれで今もそれなりに重要な仕事が預かっているのだが。

 ともかくパールは、これからシンオウリーグに向かい、手続きすればシロナに挑戦できるということになっている。

 

「ははは……どうも、覇気の無い子なんだな。

 それがバトルになれば、あれだけ底力を見せるんだから凄いものだ」

「わ、私はそうでも……

 底力っていえば、バトルしてるみんなのそれが殆どなので……」

「ふふ、なるほど。

 君にとっては、そうなんだな」

 

 言っても簡単にはわかってくれそうにないので、デンジは苦笑い気味にこれ以上この話をするのはやめにした。

 まだ見ぬはずの"とっておき"を発射寸前に察し取り、パッチに回避を指示したあの姿、なかなかの逸材だとデンジは思っているのだが。

 それを抜きしても、あんなに無茶してでも勝ちたがるポケモン達、そんな彼ら彼女らの姿があるのは、それだけパールが愛されているからだ。

 そうした人格を持つというのも、ある意味では、ポケモン達の力を最大限まで引き出すトレーナーの素質と言って差し支えあるまい。

 はっきり言って、あそこまでポケモン達が自分の意志で尽くせるという点では、パールのその素質はずば抜けているぐらいである。

 

「改めて言わせてくれ。

 最高のバトルだった。忘れかけていたポケモンバトルの熱さ、それに対する情熱を、君とのバトルで思い出すことが出来たよ。

 オレは今日のバトルを忘れない。感謝しているよ」

「え、あ……その……」

「挑んでくれてありがとう。

 君と、君のポケモン達は最高の挑戦者だった」

 

 握手を求めるデンジの眼差しは、パールへの敬意じみたものさえ含んでいる。

 言葉だけでも褒められたら照れてしまうパールなのに、ここまで熱く讃えられると戸惑いが勝つ。

 だいたい相手は年上なのだ。今日だってジムバトルなりに手加減してくれた人であり、本気のこの人に勝てるかと言われればパールも嘯けはしまい。

 どぎまぎ、おずおず。恐縮な想いで腰が曲がり、パールは差し出された片手に両手を返して顔を真っ赤にする。

 

 ちょっとだけプラチナがぴりぴりする。デンジさん男前だもん。

 この人との握手でパールが顔を真っ赤にしている姿を見ると、女の子としてどきどきしているんじゃないかと少し気がかりになる。

 違うと思う、違うと思うけど。恋する相手の大好きが自分以外の男に向く可能性を少しでも感じると、怖くなってしまうのも恋心ってやつ。

 じわ、とその気配を感じた大人のデンジも、ああなるほどこの少年は……と、パールとの握手も短めに済ませた。

 そうじゃなければ、感謝の想いを強く伝えるために、ぐっと力を入れてもう少し長く握手していたかったのだが。大人なデンジさんである。

 

「頑張るんだぞ、パール。

 公式戦で無類の強さを誇るシロナが、君のようなずっと年下の相手に敗れることがあれば、それは歴史的な快挙だ。

 オレはそれが見てみたい。その勝者が君ならば、心の底から讃えられる」

「……はいっ」

「行ってこい、チャンピオンズリーグに!

 オレ達の前に見せてくれた挑戦者としての姿を、シロナの前にも見せてやれ!」

 

 最後の発破だ。

 聞き得た数々の話から知れる、数少ないけれど確かな情報。

 シロナを敬愛し、見上げ、目標としているであろうパールに対し、どんな言葉が効くだろう。

 枕詞のように述べた、シロナに勝てば快挙だというのは即題に過ぎず、デンジがパールを囃し立てる核心はその次にある。

 

 尊敬するシロナさんに、培ってきたものを見せろ。

 そんな言葉がきっとパールには一番の刺激になるだろうと見たデンジの見立ては大正解だ。

 もじもじしていたパールの背筋が伸び、少しの沈黙を挟む彼女の眼に、徐々に光が戻ってくる。

 そう、これが大願に向けて駆け上がる若き者達の発する輝きそのものであり、後進の成長を何よりも望むジムリーダー達が最も見たがるものである。

 

「…………はいっ! がんばります!

 きっと、みんなのかっこいいところを、シロナさんにも見せつけます!」

 

 ほんの一年前には、トレーナーですらなかった少女。

 多くの人が、そんな彼女の経歴を聞けば驚くはずだ。

 余りある才に溢れていると言う人もいれば、運が良過ぎたのではないかと言う人もいるだろう。

 どちらもきっと、正しくて、正しくない。

 他の人には誰一人経験しようもない、数奇な縁や巡り合わせ、そして茨と栄光に満ちた長い道のりを経てきた彼女は、それによって成長を遂げてきた。

 決して順風満帆な旅路ではなかったし、流した血や涙の数も、彼女に勝れる者はそうそう多くあるまい。

 それでもそれによって成長し、ここまで至れたことを幸運と言うことは出来るし、不幸だってあったと形容することも出来よう。

 才の有無など尚のこと、どうせ成功者は才ありとされ、至れぬ者は才及ばずと評されるだけなので、正しいも正しくないも無い話である。

 

 ここまで、辿り着いたのだ。

 かつて望んだ形とは、チャンピオンを目指していた動機は変わってしまったけれど、今なお確たる意志を以って、彼女はその夢を追っている。

 自慢の仲間達だ。誇らしくてたまらない子達。

 私の友達はこんなに凄いんだ、そう声高に唱えられる舞台はもう目前。

 そう意識してしまったが最後、パールの心は昂る一方だ。

 

 歴史を遡れば、何千何万のトレーナーが辿り着くことすら出来ず夢破れたチャンピオンロード。

 星の数ほど実在したトレーナー達の頂点であるチャンピオン、その一等星はもう手の届く場所にある。

 パールはデンジを真っ直ぐ見つめる向こうに、確かにその光を見据えていた。



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第151話  チャンピオンロード

 

 

「ぶわはーっ!

 うちの子達はやっぱりすごいね!

 ぶっつけ本番で一発成功だよ!」

「びしょびしょになっちゃったけどね……

 まあ、そこまで要求するのは流石に欲張りすぎかな」

 

 デンジに勝利したパール達は、翌朝さっそくナギサシティを出発して北上だ。

 シンオウ地方のポケモンリーグはナギサシティの北、海を隔てて行く先の島にある。

 海路は大洋と分け隔てるように上手く近海に人工物が設置されているのだが、海を越えてその島まで辿り着かねばならない。

 リーグ挑戦を果たすトレーナーなら、海を越える"なみのり"を使えるポケモンを育てる技量ぐらいは見せろ、とでも言わんばかりである。

 それに、やがてパール達も実感することになるのだが、チャンピオンロードの奥地に踏み込めば、求められるものももう少し増えてくるのだ。

 シンオウ地方の最高峰を目指すのならば、最低限の相応しさというものを挑戦前から軽く証明してみせよ、ということなのだろう。

 どのみち、バッジを8つも集められるトレーナーには低いハードルである。

 

 とはいえ海を越えてチャンピオンロードに迫る中で、一つ少々の難関があった。

 それはチャンピオンロードに踏み入る前、"たきのぼり"でも使わぬ限り登れない、高所からの海流があったこと。

 別に"そらをとぶ"ことで越えてもいいのだが、波乗りで以ってここまで来たトレーナーには、越えて見せよと問いかけるかのような自然産物である。

 パール達はその試練をノリノリで受け入れ、ニルルやエンペルトに今まで一度もやったことのない滝登りへのチャレンジを頼んでみたところ。

 結果は成功。粗削りの滝登りで、水しぶきが凄かったのだが。

 その背に捕まっていたパールやプラチナが、今やびちょ濡れで苦笑し合う中、どうだ僕ら凄いだろと得意気に鼻を鳴らすニルルとエンペルトである。

 

「とりあえずシャワー浴びるよ! これ風邪ひくから!」

「うんうん、体調管理はしっかりしようね。いいことだ。

 近いうちにチャンピオンに挑む大事な身体なんだから」

「カラダとかなんだか卑猥! プラッチのすけべー!」

「無理矢理にでもいじろうとしてくるのはやめましょうね」

 

 しっとり濡れた全身で、服がぺっとりしているパールは、お尻の形が浮かないようスカートをつまんでおり、プラチナに身体の前面を絶対に見せない体の向き。

 プラチナだってわかってる。あんまりパールの方を見ないよう紳士的に努めている。

 だっていじられたくないし。それでもいじられるんだから遺憾。

 二人の会話は意識しちゃう者同士で噛み合っているが、まあそれぐらいに意識してくれるぐらいには、パールもプラチナを異性として見ている証左。

 自分がパールに異性として見て貰えているのか、果たしてそこからまずわからず臆病で告白なんて遥か先のプラチナだが、そこまで悲観しなくてよさそうだ。

 

「ニルル~、流石だね!

 シロナさんとのバトルでも、頼りにさせて貰うからね!」

「~~~~♪」

 

 まあ、プラチナがそう感じてしまうのは、パールのこういう所のせいである。

 ちょっとはプラチナとそういう話をしたとて、すぐに自分のポケモン達に目が向いてしまう。そういう子だからしょうがないけど。

 ぶっつけ本番で滝登りを成功させたニルルが本当にかっこよく見えて、頭をなでなで、首の後ろに胸を預けて腕を回してぎゅ~。

 粘液の多いニルルの身体に濡らされることを、街や人前では致し方なく避けがちのパールだが、どうせ濡れてる今なら関係無い。

 抱きしめて好きをいっぱいに表してくれるパールに、ニルルは普段なかなか出来ない嬉しさに声を出して喜ぶ。

 それが嬉しくて、顔をふにゃふにゃにさせているパールの表情が、ニルルの首筋に頬ずりするその後ろ姿からさえ見えてならない。

 あの子は本当、大事な大事な6人のことしか頭にないんだなぁ……と、プラチナはいつも感じるのである。

 

 もっとも、別にパールとて流石にそこまでではないのだけど。

 パールにしてみればプラチナだって、大好きな6人と同じくらい大切で、絶対に離れたくない人なんだから。どれだけ助けられてきたか。

 そんな当たり前のこともわかってないプラチナ君は、パールの自己評価低い病が伝染っちゃったのではないかと揶揄されて然るべきレベルである。

 

 

 

 

 

「さあチャンピオンロードだっ!

 がんばるぞー! 色んな人とバトルしながらっ!」

「洞窟だよ? ズバットいるかもしれないよ?」

「もう怖くない! それはもう克服したのだっ!」

 

 さて、島に着いたパール達は、チャンピオンロードの玄関口にあるポケモンセンターでひと休みしてから、いよいよその門をくぐっていく。

 ひと休みと言っても、ポケモン達は別に何も疲れてないので、濡れた身体を温めるためにシャワーを借りただけだが。服を乾燥機でぐわぐわ回しながら。

 さっばりした二人が踏み込んだのが、ポケモンリーグ本部へと続く長いトンネル、島の大半を占める大洞窟。

 これが所謂、チャンピオンに挑む資格を得た者達が、その肩慣らしとばかりに腕を鳴らす長い道のり、"チャンピオンロード"と呼ばれるものだ。

 道中は険しく、ポケモン達の怪力、岩砕き、果てはロッククライムといった技の力も借りねば、到底乗り越えることの出来ない道。

 それぐらいはやってみせよ、と示されるその試練に対し、パールは気合充分で鼻をふんすと鳴らしている。

 

「あんなに怖がってたのに、ホントにもう大丈夫なの?

 確かに最近は、前ほどパニクらなくなってたようにも見えたけど」

「まあその、色々あってね……

 今ではなんか、クロバットとかは好きな部類かもってぐらい」

「へぇ……?

 なんか極端な方向に克服してるね。どういう風の吹き回し?」

「色々あったんだってば。

 まっ、プラッチは今までとは違う私の勇姿をよく見ててくれればいいのです!」

 

 語るの長くなってしまうのでパールも省いたが、ギンガ団との死闘の数々は、この話と無関係ではなさそうだ。

 そもそもパールのコウモリに対するトラウマは、幼い頃にアカギのズバットを怖がって湖に落ち、死にかけたことが原因であって。

 そうだとわかった今、アカギのクロバットへの恐怖なんて特に凄かったけど。

 ギンガ団のアジトでスモモのカイリキーやルカリオが憤怒に任せて大暴れした時、負傷したゴルバットの泣く姿に怖さなんて感じるわけがなかったし。

 あれだけ怖かったコウモリポケモン達だって、他のポケモン達と一緒で、つらければ涙だって流す普遍的な生き物だと見てわかったのだし。

 アカギのために、羽二枚ちぎれても命を懸けて戦う姿には、怖さにも勝る別の感情が沸いたし。

 

 それだけ色々経験すれば、見方だって変わるというものだ。

 ズバットだって、ゴルバットだって、クロバットだって、人と親しき歴史を紡いできたポケットモンスター達の一人に過ぎないのである。

 ヘドロの集合体であるベトベトンは忌避されるべき存在か? いや、それと共に戦い頼もしさを感じてきたトレーナーは、それに反論することさえ厭うまい。

 進化してでっぷりしてしまったブニャットはもう可愛くないか? いや、触れ合えば可愛くてたまらない想いは姿が変わっても忘れられない。

 怖い顔のドラピオンは恐れるべきだけの存在か? いや、勝ちたいトレーナーのために大きな背中で戦い抜き、勝利を掴む姿に何人が魅せられてきただろう。

 ポケットモンスターはみんな可愛い。誰も彼もが底無しに魅力的だ。人が勝手に決めているだけ。ズバット達だって必ずそう。

 そんな言葉でポケモン達の魅力を語るほどは語彙力の無いパールとて、今なら同じことを思えるはずである。

 

「気合入ってるぞ私わー!

 さあ誰でもかかってこーい! チャンピオンロードで修行する大人達どもー!」

 

「聞こえたぞ! 活きのいいニューカマーだな!

 さっそく相手して貰おうか!」

「わっ、さっそく来たぁ!

 よろしくお願いします! お手柔らかによろしくです!」

「おおっ、向こう見ずなこと言ってる子がいるなと思ったら意外に腰が低いな!

 こちらこそ胸を借りるぞ! 僕もまだまだ高みを目指していきたいからな!」

 

 さて、このチャンピオンロード。

 洞窟内は腕利きのトレーナー揃いである。それも、ここまで来られるぐらいの力量を持つ、エリートトレーナーと呼ぶに値する者達ばかり。

 道中、そんな人達とのポケモンバトルを経て進むのもまた、ここを訪れ抜けんとする挑戦者の嗜みというものだ。

 

「でもバトルは遠慮しませんよ! うちの子達が最強です!

 ぜぇったいに負けないつもりでいきますから!」

「はははっ、元気があっていいな! だが、こちらも同感だ!

 うちの子達が一番強い! 負けないぞ!」

「いーや、うちの子達が一番強いですっ!

 いくよー、ニルルっ! かっこいいとこ見せてね!」

「よーし、見せてみろ!

 フーディン、頼んだぞ!」

 

 相手方も、ややテンションの高いパールの勢いについてこられるほどには昂っている。

 チャンピオンロードは、野生のポケモン達との遭遇より、トレーナー同士のバトルが最も熱い場所。

 それこそ他では味わえない、本気でチャンピオンを目指してここまで至ったトレーナー達同士のバトルが叶う場所として最右翼なのだから。

 

 強いポケモンとして有名なフーディンを初手から出してくるトレーナーとのバトルなんて、パールにしてみれば初めての経験。

 チャンピオンロードの洗礼は、幼い少女には新鮮なことばかりである。

 

 

 

 

 

 さて、ポケモンリーグ本部には、"四天王"と呼ばれる、地方のリーグ御用達の凄腕トレーナーが四人いる。

 一説には、地方のジムリーダー達が本気を出してバトルしたとて、それ以上の実力者と言われることが殆どだ。

 エキシビジョンマッチなどでジムリーダーと四天王が本気のバトルをすれば、結果がどうなるかはまったくわからないそうだが。

 それでも勝率を数えてみれば四天王の側に軍配が上がるので、概ねそう評価される達人集団と言って差し支えないだろう。

 

 『バッジを集めて、ポケモンリーグ本部へ赴き、"四天王"と呼ばれる者達を連続撃破すれば、チャンピオンへの挑戦権が与えられる』

 古くはこれが、チャンピオンへの挑戦権を獲得する唯一の道であり、他の地方もこの形式を取ることが非常に多い。

 シンオウ地方もかつてはそうだった。しかし数十年前から、長き歴史の中での新しき試みとして、かなり形式を変えている。

 以前の形式には大きな利点もあったが、無視しづらい悩みもあったのだ。

 

 現在、シンオウ地方でチャンピオンに挑む権利を獲得する手段は4つある。

 1つは『バッジを8つ集めた時に、チャンピオンへの第一挑戦権を一度だけ獲得することが出来る』というもの。

 1つは『四天王全員に勝つことで第一挑戦権を獲得することが出来る』というもの。四連戦でなくても構わない。

 1つは『各地の本気のジムリーダー達に改めて挑み、全員に再び勝つことで第一挑戦権を獲得することが出来る』というもの。

 つまり、バッジを集めた時点でチャンピオンに一度だけ挑戦することが出来るが、負けると再挑戦の権利を得るのが少し大変。

 本気のジムリーダーを全員倒してくるか、四天王全員を打ち破るか、それをしないと再戦権は与えられないのだ。

 とはいえ、昔と比べればチャンピオンへの挑戦権を勝ち取る敷居は低くなった方である。

 

 一回目の挑戦がかつてよりも遥かにしやすくなったし、二度目も険しい道のりではあるものの、四連勝を求められたかつてよりは易しいはず。

 おかげで現在のシンオウ地方では、チャンピオンの公式防衛線が繰り広げられる頻度が、過去と比べてかなり高まっている。

 批判もある。快挙を成し遂げて夢の目前に立つ挑戦者と、それを迎え撃つ王者による最高峰の戦いは、頻度が低ければ低いほど価値も重くなるからだ。

 四天王ほどの凄腕を連戦で撃破するほどの挑戦者が、かつてそれを成し遂げた王者へ挑む。まさに、両者の力量に説明不要の頂上決戦だ。

 数年に一度、そんな歴史的な戦いが繰り広げられ、王座を争うことにこそ、この上ない価値があるのだと唱える人々の主張ももっともである。

 

 しかしながら、誰もが見たい最高峰のポケモンバトルなるそれが、数年に一度あるかないかというのもまた寂しく感じられていた。

 そもそもの話、ジムリーダーは強いのだ。バッジを8つ集められるほどのトレーナー自体、そう高い頻度で出てきてくれるものではない。

 ましてその先、四天王に四連戦して勝ってくれるようなトレーナーの輩出など、ただでさえ少ないそこからさらに減る。

 チャンピオンの栄光を手にした者の、初防衛戦が数年後なんてザラにある話で、ひどい時には十数年後なんてことも何ら珍しくない。

 バッジ8つ集めて四天王をも連続撃破してくれる、そんな傑出した存在はそうそうどの時代にも現れてくれるものではないのだ。

 遥か昔カントー地方と呼ばれる所では、一人の少年が四天王とチャンピオンを破って新王者になったが、間もなくして同い年のライバルに敗れて陥落している。

 そんな短期間に二人もの"達成者"が出るなんて、数百年に一度の奇跡ものであり、未だに当時のその二人は全世界で語り草になっているほどである。

 それだけチャンピオンに挑むのが困難であればあるゆえに、こんな伝説が生まれたのも確かなので、敷居の高いのも悪くない話には違いないのだが。

 

 だが、人々は最高峰の戦いというものをやはり見たいのだ。

 チャンピオンと挑戦者との戦いが実現してから、次のその日が訪れるまで十数年かかるとしよう。珍しい話でもなんでもない。

 年上のオールドファンが、かつて見た伝説的なチャンピオンバトルをうっとりとした目で語る中、年下はその話を聞いて想像を膨らませることしか出来ない。

 例えば50年生きていれば流石に一度は見られるだろう。でも、数年に一度しか訪れぬ、いつ観られるかわからないものを何年待てばいい?

 あの試合凄かったんだぞ~、と、自分より早く生まれた者に自慢されるばかりで、自分は待つしか出来ないというのも焦れて当然である。

 ましてテレビ放送の無い時代であれば、数年に一度のその日が訪れたとて、収容可能観客数に限界のある会場のチケットが取れなければ見逃しだ。

 頻度が低いからこそ価値のある伝説的試合も、観たいのに巡り会えないのではもどかしさが募るばかりというものであろう。

 

 テレビ放送が普及した現在でもこのもどかしさはよく言われたもので、自分が生まれる一年前に伝説的試合、初めてチャンピオンの戦いを観たのが十五歳。

 こんなことは何にも珍しいことではない。観たいなぁ、観たいなぁ、ともどかしい純真無垢な長い子供時代は些かつらい。

 そんな声にとうとう応え、シンオウ地方は現在の、チャンピオンが挑戦者を迎え撃つ機会が増える形式に切り替えたのだ。

 これでも流石に高頻度でチャンピオンの公式戦が見られるわけではないが、年に一度ぐらいはまずまず保証される。

 一度一度の防衛戦がたまらなく楽しみだったあの頃の方が良かったな、という声も根強いが、やはりそれは大人の意見というやつだ。

 確かにそれを経験すればその価値と重みを感じられるのも確かだが、まず何よりも観たいんだよという子供達は、そんなことは知ったこっちゃあるまい。

 一戦一戦の価値を重んじたかつての伝統を、それもまた思い返せば良い思い出だとしながら、若き願いに応えたシンオウリーグの大人達は優しい人達である。

 

 失われてしまった価値というものは確かにあったが、チャンピオンの公式戦の機会が増えたこと自体は、良いものも生み出した。

 時のチャンピオンが如何に凄いトレーナーであるかというのは、やはりその実戦を目にすることによって衆目が認識する。

 五年前にチャンピオンになって、一度も防衛戦をしていない者というのは、極論"あんまりよく知らないけど凄い人らしい"なんて世間に思われることもある。

 チャンピオンになった日の歴史的なバトルを見た人であってすら、年月が経てばどうしたって人は忘れていくものだ。

 逆にいっそう美化されて思い返されることもあるので、その辺りは魔法がかかっている場合もあるのだが。

 録画媒体で何度も見られるが、現チャンピオンのかつての戦いを何度も再放送で見せられてもそれはそれで何だか。その時凄かったのはわかるけど。

 一方で、現在の形式は当代王者の防衛線がまあまあの頻度で新しく見られるので、幾度も防衛を果たせばいっそうの箔がつく。

 有り体に言えばファンが増える。シロナなんかは、現在の形式で何度も挑戦者を退け、防衛回数が十回二十回で利かない長期王者だから尚更である。

 別に芸能的な利点ではなく、やっぱりチャンピオンって凄いんだ、とわかりやすく衆目に映れば、僕も私もあんな風になれれば、と大志を抱く子供達も増える。

 どんな世界でもそうだが、若き世代が次々と参入してくるようでなければ、やがては緩やかに終わりへと近付いていくだけだ。

 長く続いた伝統を改めたシンオウ地方は、かつてよりも遥かに、確かに、チャンピオンを目指してトレーナーへの道へと進む者が増えた。

 ポケモン達との関わりを断つことなど決して出来ない世界、社会的に見てもこの傾向は例えようもなく大きなことであろう。

 夢を叶えられなかったとしても、その夢を追う日々で積極的にポケモン達のことを知ろうとした日々は、かけがえのない財産を胸に宿しているはずなのだから。

 

 紆余曲折あり今の形式を取るようになったシンオウ地方は、しばしば行われるようになったチャンピオン戦で、毎度のように高視聴率を叩き出す。

 まあ、営利目的だと思われるのを嫌ってか、それで生まれる利益みたいなものはだいたいチャリティーに宛てられるのだが。

 何にせよ、それだけ界隈は賑わうのだ。

 ブリーダーやコーディネーターといった、バトルに携わらぬ中でポケモン達と関わる分野が認知された昨今でも、トレーナーという分野は未だ最も根強い。

 偉大な王者の凄さが衆目に映る機会を高めた現在のシンオウ地方は、その傾向が最も高いと言われる。

 現にパールを見ればわかるだろう。彼女の性格を考えれば、本来ポケモンに関わるにせよ、コーディネーター辺りの道に進みそうなもの。

 パールがチャンピオンを目指した動機ときっかけは特殊だが、心を掴まれるポケモンバトルに、テレビを介して幼少の頃から触れられたことは小さくないはず。

 そして今、彼女は本来の性格を思えば不思議な進路を進んだ果てに、バッジを8つも集めるトップトレーナーとしてチャンピオンロードを歩んでいる。

 もしもシロナという人を、子供心にも凄い人だと視聴経験から率直に感じ、その背を真っ直ぐに追えた現代でなければ、この逸材は発掘されただろうか。

 歴史の流れに"もしも"は無いが、チャンピオンという人物の凄さがわかりやすく周知された今の時代だからこそ、という見解も決して的外れではあるまい。

 

 ポケモンバトルの歴史は長い。本当に長い。

 そして、一種のポケモンの新たな可能性に誰かが気付くたび、それが対戦環境をがらりと変えてしまうことも少なくない。

 たった一年の間で、昨年まで無敵だったポケモンが辛酸を舐める立ち位置に映ったり、軽視されていた存在がニューヒーローになることも珍しくないのだ。

 そんなことが何年も、何十年も、何百年も繰り返されてきている。この奥深さを一口に語る言葉など到底見つけられるものではあるまい。

 隣人であるポケモン達に関わる人間社会のルールが、しばしば大きな変化を迎えることさえも、これだけ永くして目まぐるしい世界ではいっそ些事である。

 

 

 

 

 

「――よくやった、ゲンガー! 戻れ!」

 

「か、勝ったぁ……!

 強かったぁ……!」

 

 チャンピオンロードで出会ったトレーナーとのバトルを終えたパールは、はぁ~っと息をついて肩の力を抜く。

 この人すっごい強かった。フーディン、ゴースト、ゲンガー、三匹のポケモンを繰り出してきたが、体感デンジよりも強い相手のような気さえした。

 しかもパールとてわかっていることだが、この人、公式戦でやるほどガチな戦い方をしていない。

 パールも相手に合わせてそうしたが、戦闘不能直前でしっかりポケモンを引っ込めて、一戦一戦の敗北の見極めが非常に潔い。

 あくまで修行でここを訪れている身分ゆえか、過度にポケモン達に頑張らせ過ぎないよう線を引いているのだろう。

 仮にチャンピオンや四天王に挑む時のように、負けられないバトルであればもっと粘り強い戦いぶりだったはずだ。

 相手がそうである上でかなり苦戦したのだから、パールもチャンピオンロードで修行する先人の強さを痛感したはずである。

 

「まだまだだな、オレも……!

 いいバトルだった! きっとこれからチャンピオンに挑むんだよな。

 頑張るんだぞ、君がチャンピオンになってくれれば、オレもその前哨戦で君と戦った一人としてなんだか鼻が高くなる」

「はいっ、頑張ります……!

 私もすごく勉強になりました! ありがとうございました!」

「ははっ、こちらこそだ」

 

 そう言ってパールと握手を交わしたトレーナーは、ポケモンセンターの方へと向かっていく。

 強い相手にはらはらする一戦だった。見送ってなお、パールは胸の高鳴りが収まらない。

 自分がそうであったように、彼もまたバッジを8つ集めた経緯を持つエリートトレーナーなのだ。

 そんなトレーナー達の頂点に立つシロナへこれから挑まんとすることが、どれほどの挑戦であるかを思い知るばかりである。

 

 チャンピオンロードに常駐しているトレーナーとは、多くが一度チャンピオンに敗北し、再挑戦権を獲得するため腕を磨く者達である。

 本気のジムリーダー達に挑むにせよ、四天王に挑むにせよ、チャンピオンに敗れたあの日以上の実力を手にするため、過酷なこの世界に自ら身を置く。

 ここは野生のポケモン達も強い。レベルの高いハガネールやチャーレムが生息し、野生ポケモンの強さもかの鋼鉄島を遥かに凌ぐのだ。

 チャンピオンロードはポケモンリーグへの玄関口であると同時に、この島の北にある"バトルフロンティア"と並び、最高峰の梁山泊というわけだ。

 

「~~~~♪」

「プーカっ、かっこよかったよ!

 強い子だとは思ってたけど、ここまで凄いとは思ってなかったよ~!」

 

 ゲンガー相手に奮戦し、パールの胸が落ち着くまで待っていたフワンテのプーカが、もう待ち切れないとばかりにパールに寄ってきた。

 傷だらけでぼろぼろである。だが、あのゲンガーを退けた。ここまで辿り着く実力者が従える、強い強いゲンガーをだ。

 パールの胸に飛び込んで、ぎゅーっと抱きしめられることで傷付いた身体がちくちく痛むが、それでも抱いて貰える嬉しさの方が勝つのだろう。

 

「いやほんと……まさかここまで強いなんてなぁ。

 僕ちょっと申し訳ないな、正直パールがゲンガー相手にプーカを出した時、さすがに無茶なんじゃないのって思ったもん」

「えへへ、実は私も選んでおきながらどきどきしてた……

 でもプーカならやってくれるかなって……ああもうっ、ほんとにやってくれるなんて!

 ごめんねプーカぁ、これからはもう二度と、あなたの強さ疑わないからねっ!」

「~~~~♪」

 

 プーカの活躍がよほど嬉しいのか、パールは両手でプーカを高く掲げ、見上げるようにして想いの限りを伝えてから引き寄せて頬ずりする。

 無邪気に嬉しそうなプーカだが、実はこの子、かなりの実力を持っている。

 パールは彼が仲間になってから、ナギサシティに向かう中での野生のポケモン達を相手にプーカを出したりもしたのだが、苦戦の気配は一切なかった。

 流石に負けられないナギサジムでの起用は元々見送られていたのだが、強い相手にどこまで通用するかと思い切って今回出したら、想像以上に遜色ない。

 相手が引き際を重んじていたとはいえ、ニルルもフーディンとゴーストを撃破した後、これ以上は厳しいと見てパールが引っ込めるほどの激闘だったのだ。

 そんな相手の、互いにほぼ無傷で始まった切り札との一戦を、プーカ一人で勝利に纏めきったのだからたいしたものだ。

 フワライドにも進化していないのだからレベルが低いものかと思ったら、それは大きな間違いというやつである。

 

「パールのこと追いかけて色んなとこ飛んできた中で、けっこう野生のポケモン達ともやり合ってきたのかな」

「シンオウ地方を巡る中で強くなってきた、的な?

 えへへっ、プーカ、あなたも私達と一緒だね!」

 

 照れ臭く小さな手で頭の後ろをかきかきするプーカだが、実際そうなのだろう。

 発電所でパールに助けられて以来、彼女のことが気に入って追いかける旅の中で、思った以上に強くなってきたらしい。

 これだけ強くなっていればフワライドに進化していそうなものだが、恐らくポケモンも自分のレベルが高くなろうが、進化するか否かは自分で選べるのだろう。

 そうでなければ、下手なムクバードより強い野生のムックルがいるという事象に説明がつかないのだし。

 

「でも、どうしてプーカは進化してないんだろ?

 あなたは進化したいと思わなかったの?」

「~~~~~~~~」

「ひゃわ、っ……!?」

 

 答えを表すように、プーカは再びパールの胸元に飛び込んできた。

 言葉は無かったが、パールには充分伝わっただろう。

 だからパールは、顔をへにゃへにゃにしてプーカのことを抱きしめる。大きなフワライドになってしまうと、これが今よりやりづらくなる。

 甘えん坊のプーカは、自分の身体を大きくしたくなかったのだ。

 

「ああぁぁ~……!

 どうしようプラッチ~、プーカが可愛すぎて死ぬ! 私ゴーストになる!」

「……っていうかこれが理由で進化してなかったとしたら、元々パールのポケモンになりたいと思ってたってことだよねぇ?

 ねえプーカ、そこんとこどうなの」

 

 ぎくっ、と図星を突かれたようにパールの胸元のプーカが強張った。まあなんてわかりやすい。

 いつだったか、パールが旅先でプーカにラブコールを送るも、悩む仕草こそ見せつつ去っていったこともあった。

 つれない態度ではあったが今にして思えば、今はまだ、でもいつか、という態度だったようにも感じる。

 もしかして、もっと強くなってパールの力になれるようになってから仲間になりたい、とでも考えていたのかな? なんてプラチナは推測したりもするのだが。

 もしも本当にそうだとしたら、可愛い見た目で結構熱い子である。

 

「~~~~っ、ありがとうプーカ! 私のこと選んでくれて!

 これからもずっと一緒にいようね! ずっと、ずーーーーーっと!」

 

 幸せいっぱいの顔でプーカを抱きしめるパールに、プーカもまた喜びいっぱいの笑顔になって身体を震わせる。

 元々、パールにしてみれば命の恩人だ。テンガン山でギンガ団に断崖から叩き落とされた時、我が身を呈して命を守ってくれたプーカ。

 そんなひとが自分を選んで、今も一緒にいてくれること、それを幸せに感じてくれていることって、どんなに堪らないことだろうか。

 パールはもう、チャンピオンロードを抜けるまでプーカをボールに引っ込めることは出来なさそうだ。

 今日はもう、バトルに参加させるさせないは度外視で、今まで以上に大好きになっちゃったプーカと一緒に歩きたい。

 もっと早くから一緒にいたかった想いが膨らむばかりで、その時間を取り返そうとするかの如くである。

 

 やがて訪れるであろうシロナとのバトル、6対6のフルバトルが予想される中、最も遅れて仲間になったプーカもまた、充分にパールの力になるはずだ。

 ゲンガーとのバトルでそれを証明されたこともまた、本来パールの立場からすれば朗報には違いないのだけど。

 今のパールにとっては、そんなことは全くもってどうでもよさそうである。

 彼女にとって一番大切なこととは、やはり自分がバトルに強いかどうかではないということだ。

 つくづく、トレーナーであるよるもブリーダーかコーディネーター向きの性格であろうと言われそうなところである。

 だけど今の現実のパールは、バッジを集めきってチャンピオンに挑まんとする、紛れもなくシンオウ地方有数のトップトレーナー。

 本当に世の中、誰がどんな風に、どのような大人になっていくのかわからないものである。子供達には無限の未来がある、とよく言われるわけだ。



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第152話  ポケモンリーグ

 

 

「ふへー! やっと抜けたぁ~!」

「寄り道し過ぎ。

 けっこう僕たち頑張ったよ」

「ごめん~、プラッチぃ……

 調子に乗ってしまいましたぁ……」

 

 島の南部の入り口から、北部のポケモンリーグ本部へと繋がる大洞窟、チャンピオンロード。

 ただでさえそれなりに道長の大洞窟であり、野生のポケモンも強い、バッジを集めてきたトップトレーナーの資質を改めて試すようなダンジョンなのに。

 パールときたら、道中で対面してしまったトレーナーの皆様方みんなと、いちいち毎回断らずにバトルしてしまう始末。

 ここで修行するトレーナー達が繰り出してくるポケモン達なんて、野生のポケモン達よりもさらに強いので、対戦すれば良い修行になるのは確かなのだが。

 

 ただ、ペース配分というものをもう少し考えて欲しかったというのがプラチナの私見でもあったり。

 強い相手とばんばんバトルするので、パールのポケモン達もまあまあへとへと。

 洞窟半ば辺りでパールがそれに気付いた頃には、先は長いというのに後の祭りである。

 普通に歩いているだけでも絡んでくる野生のポケモン達、それもそれなりに強い個体を前に、お疲れなのに撃退するパールのポケモン達も大変大変。

 誰か怪我されても困るし、見かねたプラチナが、その後は野生のポケモン達の撃退を引き受けてくれたのである。

 まったく、一人だっただらどうするつもりだったのと、プラチナに言われたパールのへこみようは中々のものであった。

 

「まずはポケモンセンターだよ。

 わかってるよね?」

「わかってま~す……」

「わ、か、っ、て、る、よ、ね?」

「は、はいっ、わかってまふっ……!

 すいませんでひたっ……!」

 

 しょぼくれた態度の返答でもプラッチ君は許してくれなかったようで、きつめの釘を刺されたパールは縮こまってのごめんなさい。

 何と言うかプラチナも、別に苦労させられたからではなく、いよいよ大舞台というこの頃になって、へまを打つパールを見せられると心配になるのだ。

 なんだか今日はプラッチも厳しいなぁ……とびくびくしているパール、しっかりするよう促したい彼の心情を察するには余裕不足のようである。

 

 ポケモンリーグ本部は、入り口がポケモンセンターと同じ設備になっており、奥へ進めばリーグの受付となっている。

 この地で修行するトレーナー達も多いので、他の街のポケモンセンターと比べても遜色なく、忙しい。

 あのチャンピオンロード内で日夜修行する何人もが、必ず一日に二回か三回、あるいはそれ以上、ここにポケモン達の傷を癒しに来るからである。

 受付の女性がなんだかカウンターの向こう側、忙しそうにしているなぁと思いながらも、パールはおずおず近付いていく。

 

「すいませ~ん、お忙しいところごめんなさいなんですけど~……」

「ああっ、はい、大丈夫ですよ~。

 お預かりしますね、お気になさらないで」

 

 さぞかし人手が欲しそうに見そうなほどの横顔だったが、新たな客が来たと思えば、ポケモンセンターのお姉さんらしい笑顔に早変わり。

 流石はポケモンリーグ本部たる、トップトレーナー達を主に受け入れるポケモンセンター勤務のお姉さんである。素人目にもわかるプロ意識。

 ポケモンセンターのお姉さん達って、どの人だって仕事の出来る凄い人達だが、とりわけここは選ばれた人が任せられていそうである。

 

「あなた、初めて?

 もしかして、新しくバッジを集めきった人?」

「あ、はいっ、今から受付に行こうと思ってて……

 その前に、みんなを元気にして貰いたくて」

「ふふっ、すごく若いのに凄いのね。

 頑張ってね、あなたみたいな子が新たなチャンピオンになったりしたら、きっとシンオウじゅう大騒ぎになるわよ?」

 

 ここはバッジを集めきったトレーナーが来ることが殆どで、そうでないトレーナーがいたとしても少数だ。

 各地のポケモンセンターのように老若男女問わずあらゆる人が訪れるわけでなく、だいたい"常連"が固定されている。

 よって"新顔"はすぐわかるし、それが特別なトレーナーであることも明白だ。

 顔見知りの世話に日々を費やし、しばしば訪れるニューフェイスを激励する、ここでの受付仕事は他のポケモンセンターと比較して異質であろう。

 性に合うなら、ここで働ければ本当に楽しいという通説は非常に根強い。歴代、このポケモンセンターで働いてきた人は、口を揃えてそう言うそうなので。

 

 6つのモンスターボールを預けたパールは、お姉さんに指し示された施設の奥、ポケモンリーグ本部の受付へと歩いていく。

 なんだかどきどきする。別に、間もなく公式戦というわけでもないのだけど。

 資格を得た者だけが目的を持って進めるその通路は、その性質上誰ともすれ違わず、ゆえにこそ特別さを自ずと感じられる一本道。

 これもまた、島の玄関口であったチャンピオンロードとは違った意味で、同じ名を飾れそうな王者への道の一つであろう。

 

「――――んっ?

 来た来た! 新たな挑戦者だな!」

 

「あれ……受付の人、かな?」

「うわっ……!」

 

 さほど長くない一本道だったが、その最奥で待っていたのは、大きな扉の前に立っている若者だ。

 横には受付らしいカウンターもあるのに、そこには誰もおらず扉の前に立っていて。

 まるで番人のよう。決して本人もそんなつもりは無いのであろうが、見た目はそんな風に見える立ち姿である。

 

「ようこそ、ポケモンリーグへ!

 君が新たにバッジを8つ集め、シロナに挑戦しようとする新星かな?」

「あっ、えぇと、はい、そうですっ。

 う、受付の人……ですよ、ね?」

「勿論だよ。

 だからここにいるんじゃないか」

 

 握手を求めてくるその若者に、パールは両手で応えつつ、プラチナのことをちらちら見ている。

 その若者の顔もちらちら見ながらだ。怪訝な表情、その真意はプラチナにもわかっている。

 わかっていてプラチナは、敢えてパールにすぐには答えを教えず待ってみる。

 

「ねえプラッチ、この人どこかで見たような気がするんだけど……

 げ、げーのーじん……?」

「違う違う、確かに有名人ではあるけれど。

 パールのその反応、ここまで来られるトレーナーにしてはかなりの変わり種だと思うよ。

 この人のこと知らないトップトレーナー、まずいないんだから」

「そ、そうなの?

 んむむむむ……」

 

 目を細めて、目の前の男性をじ~っと見つめるパール。睨みつけているような目つきでもある。初対面を相手にまあまあ失敬な。

 確実にどこかで見たことのある顔だとはパールも感じているのだが。なかなか思い出せない。

 理由はプラチナもわかってる。パールはテレビは見るけれど、ポケモン関係の雑誌を昔からよく読んできたタイプじゃない。

 だって普通の女の子だもの。トレーナーになる前なんて、ポケモンコーディネーターのお母さんが買ってくる、お洒落な雑誌を好んで読んでいた子供である。

 ポケモンバトル界隈の有名人、それもテレビ露出が控えめな人のことはあまりよく知らないのだ。

 

「…………だれ?」

「四天王のリョウさん」

「してんのう!?!?!?」

 

「四天王のこと知ってんの? なんて尋ねてみたくなるねぇ」

 

 実はシンオウ地方の四天王、チャンピオンやジムリーダーに比べてメディアへの露出は少ないのだ。

 彼らが四天王としての仕事をするのは、一度チャンピオンに敗れた者達が、再び挑戦権を得るために四天王に挑む時ぐらいである。

 だから大抵、彼ら彼女らは普段のびのびと各地を巡って好きに過ごしており、腕利きトレーナーを追いたいメディアも案外会えないのである。

 そりゃあ業界の取材陣が本気を出せば探せないこともないが、それはそれで個人のプライベートに踏み込むので遠慮もする。

 

 四天王がメディアに露出する時というのは、定期的に行われるジムリーダーVS四天王のエキシビションマッチをテレビ放送する時だとか。

 それに際してリーグ本部に帰ってきた彼らをインタビューし、ポケモンバトルを重視する専門誌に特集を組む時ぐらいである。

 挑戦者を迎え撃つ公式戦が毎回テレビ放送されるチャンピオンと比べれば、露出の頻度は非常に低いのだ。

 それでもよく売れるその専門誌を購読していれば四天王の顔ぐらい誰でも知ってるが、パールはそこで勉強していないから知らないというわけ。

 テレビで見たことは一度か二度ぐらいはあるから、見たことある人だなぁという印象は抱けたのだが、それ止まりというわけである。

 

「おっと、急に委縮するようなことはしなくていいんだよ?

 確かに僕は四天王だけど、それだけだから。

 別に偉い人でもなんでもないんだからさ」

「え~、え~、でもでもでも、凄い人じゃないですか……!

 ジムリーダーの皆さんよりも強いって言われる……!」

「よしてくれよ、僕だって毎回皆様に勝てるわけじゃないんだから。

 こういう地位に抜擢されたのは誉れだけど、だからってシンオウ最強の一人だって驕るほど身の程知らずじゃないよ」

 

 四天王とジムリーダーの力関係は、基本的に四天王の方が上と言われる。

 実際、しばしば行われるエキシビションにおいて、四天王側の方が本気のジムリーダー相手に勝つ率の方が高いのは確かである。

 しかし決して珍しくない程度に逆もあり、四天王の側も我々はジムリーダーを凌駕するという認識は持っていない。

 リョウは単なる謙虚ではなく、きちんと正しい認識で返答しているのみだ。

 

「あ、まあでも僕はナタネよりは絶対に強いな。

 彼女とは何度もバトルしてるけど一回も負けたことないからねぇ。

 次回の勝負でも僕が楽勝だろうな、彼女弱いもん」

「むぐっ……!」

 

「リョウさんリョウさん、シロナさんから何か聞いてます?」

「あははははは、ごめんごめん、100%冗談だから。

 僕は虫タイプのポケモン使いだから、草ポケモン使いのナタネ相手だと相性面ですごく有利なんだよ。

 勝率コンプは確かだけど、それは相性差によるものだから。

 それでもなおこちらが追い込まれることも多々あるんだから、ナタネが弱いなんてのは絶対ウソだよ。ごめんねホント冗談だから」

 

「ということは……

 私はからかわれたんですねっ! ゆるさんっ!」

「ごめんって、ごめんって。

 パール君がナタネのこと大大大好きっていうのはシロナから聞いてたから、つい」

「がるるる~!」

 

 四天王とチャンピオンは立場が近く、シロナとも繋がりのあるリョウなので、彼女から得られる情報もいくつか持っているようだ。

 彼女の人間性や人となりを語る上で一番の特徴は、ナタネにべったり好き好きの少女という点。

 リョウもそれを聞いていて、いたずらでパールの反応を見てみたというところである。

 あれだけ四天王を前にして固くなっていたパールが、ナタネの悪口みたいなものを聞いた瞬間ケモノ化したのだから、なるほど聞いてたとおりだなぁと。

 

「パールのこと、知ってたんですね」

「ああ、シロナと共にギンガ団に立ち向かい、その時点で既にバッジを7つ持ってたみたいだしね。

 すぐにデンジを破ってリーグに乗り込んでくるだろう、って聞いてたんだ。

 僕は折良く本部にいたから、どんな子だろうって一度見たくなってね。

 デンジから、昨日パールっていう子が最後のバッジを獲得したっていう話を聞いたから、ここで受付の人と代わって貰ってたってわけ」

 

「パールよかったね、なんだか光栄だよ。

 四天王が直々に、パールの顔を一度見てみたかったんだってさ」

「ごまかされないぞ~!

 リョウさんもう一度謝りなさいっ!

 ナタネさんをダシにからかうなんて許されないのだっ!」

「ダメかー」

 

「ごめんよ、ごめんってば。

 本当に、ナタネのことが大好きなんだな」

「当たり前ですよっ!

 凄い人って本当に凄いんだって私に教えてくれた、今でも私の最大の目標であって一番尊敬する人なんですからっ!」

 

 やっぱり子供心、一番最初に心から尊敬した相手というのは、後からそれ以上に凄い人が現れたとて一番を更新されにくいものなのだろう。

 まして今でも夜ごとに電話して楽しくお喋りできる、親しくて、可愛がってくれる先輩。

 敬意よりも感情的な好きが強くて、それが尊敬心にまで混じってくるのだから、これ以上に好きな先輩は今後もそうそう現れまい。

 自分にとっての最初のポケモンがどうしようもなく特別なように、初めて尊敬した相手というのもまた、どうしようもなく特別であり続けるものだ。

 そんな想い高じて、四天王に謝罪を求める迫力も満点に、現に謝らせるパールのナタネ好きエネルギーもたいしたものである。

 

「仕事に戻っていい?」

「はい。ちょっと落ち着きます」

 

「パール、情緒のコントロールが上手になったね」

「私も感情に任せて突っ走っちゃったかも感はある」

 

 結果的に、パールが初見の四天王相手に固くなり過ぎていた様は溶けている。

 話はしやすくなった。リョウも本職の受付ではないので、過度に緊張されずに話が出来る方が楽だ。

 もしかしてこの空気のためにわざとあんなことを? なんてプラチナも考えたりするのだが、果たして真相はリョウのみぞ知るところである。

 

「チャンピオン対挑戦者のバトルは、最大月に一度だと決まっている。

 挑戦権を持つ者が現れれば、月末のリーグフィールドにおける公式戦にて、チャンピオンとの一騎打ちだ。

 今は月も半ば過ぎだけど、君は月末までシロナとの勝負を待って貰うことになる。

 それはわかって貰えているかな?」

「はいっ、それはわかってます。

 今から一週間とちょっと、じっくり準備して待ってます!」

 

 シンオウ地方においてチャンピオンの防衛戦は、各月の最終日だと定められて長く、その試合はテレビでも大々的に放送される。

 これが定着してからというものの、毎月晦日のテレビ視聴率はえげつないらしい。

 お昼の3時から今晩の試合に向けて、チャンピオン側と挑戦者側への取材から得たもので作る特集番組が続き、チャンピオンバトルへの展望が放送され。

 ゴールデンタイムの7時から、チャンピオンVS挑戦者の公式戦が放送され。

 その後は9時までその試合を振り返る放送が続くという番組構成。

 この7時から7時半にかけての視聴率は毎回30%付近を前後するのが常。その日が平日でなく日曜か祝日なら、50%を記録することもある。

 まして年末であれば、70%越えを果たすことさえ過去にはあったほどだ。

 毎月末はチャンピオンズデイ。そんな謳い文句がシンオウ地方に根付くほど、現在の形式が定着してからの界隈への影響度は昔以上に高い。

 遥か昔と比べてチャンピオン戦の頻度が高まったことについて、批判も少なくなかった時期はあったものの、今のやり方が肯定される最大の所以である。

 決して放送屋が数字を自慢する意図ではなく、月に一度、誰もがこれだけポケモンバトルで熱くなれる日があるのは、幸せな時代に違いあるまい。

 

「ただし、今から5日以内に新たに挑戦権を獲得する者が現れれば、君とその相手が第一挑戦権を賭けての真剣勝負だ。

 君は現在、登録を済ませたとして第一挑戦者だが、今はそれも決して確定事項ではない。

 それはわかって貰えるかな?」

 

「……えーと、プラッチ、どうなってるんだっけ。

 負けなければ挑戦者なのはわかってるんだけど」

「ややこしいところを簡略化したそういう結論、僕は嫌いじゃないけどね……

 一応、当事者なんだからしっかり理解しておこうよ」

 

 連れの少年に詳しい解説を求めるパールの姿に、リョウもぷっと吹き出してしまった。

 なんだか、ある意味大物にも見える。負けなければいいんでしょ、を地で行くこの思考回路。大雑把だけど豪快でよろしい。

 

「チャンピオンに挑戦する権利を得る方法3つは知ってる?」

「バッジを集める、四天王全員に勝つ、本気のジムリーダー全員に勝ってくる、だよね?」

「でも、チャンピオンがその座を賭けて公式戦を行うのは月に一回だけ。

 ある月にもし、そうやって挑戦権を得た人が複数人いた場合はどうする?」

「あ、わかった。

 公式戦日程の一週間前に"プレーオフ"だよね?」

「なんだ、知ってるんじゃん」

「だからわかってるってば。

 負けなければ挑戦者、っていうのはわかってるんだよ」

「まあ、わかりやすくていいけどさ、その考え方」

 

 チャンピオンが挑戦者を迎え撃つのは月に一度と定められている以上、ある月に複数の挑戦者がいると、その中から一人を絞る必要がある。

 いくらなんでもチャンピオンとて、その座を賭けて月末での試合が、複数回に渡って行われてはきつい。

 よってその月、複数人の挑戦権獲得者がいた場合、それらは晦日の一週間前に、"第一挑戦権"を賭けて争うことになる。

 この試合を"プレーオフ"と呼ぶのである。第一挑戦者決定戦、と言い換えてもいい。

 

 このプレーオフ、ほんの少しだけ複雑な制度である。

 まず、"初めてバッジを8つ集めて挑戦権を得た者"は甲級とされる。

 そして、"四天王全員に勝ってきた者"と"本気のジムリーダー達全員に勝ってきた者"は乙級とされる。

 甲級が二人以上いた月は、それらのみで第一挑戦者決定戦だ。乙級はこのプレーオフに参加すら出来ない。

 甲級が一人のみだった時は、その者が無条件で第一挑戦権獲得である。

 そして甲級が一人もいなかった場合のみ、乙級らで第一挑戦者決定戦をするのである。

 要するに、"初めてバッジを8つ集めてきた者"が手にしたチャンピオンへの挑戦権を優先する、という制度である。

 これはシンオウリーグの方針であり、苦難を乗り越えてきた若武者に、最大の挑戦を一度は優先的に認めようという配慮である。

 どんな業界でもそうだが、新星の活躍が界隈を盛り上げる。若き者達にチャンスの間口を広げるのを、シンオウ地方は好むということだ。

 

 逆に言えば、その挑戦でチャンピオンになれず、残る2つの手段でチャンピオンへの挑戦権を追う者は、優先順位で下になるということでもある。

 実状、バッジを8つ集めたことで得られた一度の挑戦で以って、チャンピオンに勝てなければ再挑戦への道のりはかなり長くなるということだ。

 四天王や、本気のジムリーダーに勝つこと自体が難関なのに、新規にバッジを集めてきた者がいれば、無条件に来月以降に待たなければならない。

 そして、甲級がいない月であっても、挑戦権を先送りにされた乙級の複数人が溜まった月であれば、プレーオフが多人数による激しい一等争いとなる。

 バッジを8つ集めてきた者が毎月生まれるものではないので、決して乙級組は一年も二年も再挑戦の日を見送らせることもないのは確かなのだが。

 いざ甲級がいなくなった月、乙級の数が多ければ、プレーオフ当日に連戦もあり得るのだ。

 

「パールは今月の甲級だから、他にもう一人以上の甲級が出てこない限り、シロナさんへの第一挑戦者だよ。

 でも、これから3日間の間にもう一人甲級が――ジムバッジ8つ集めてきた人がいたら、パールはその人とプレーオフってわけ。

 いたら、だけどね。負けなければ、っていうのも間違いではないしさ」

「もう一人出てきたら一対一だよね?

 二人以上出てきたらややこしい?」

「プレーオフは人数に応じてリーグ戦だったりトーナメント形式だったりするけど……」

 

「確約は出来ないけど、甲級同士の挑戦者決定戦はあって一対一だよ。

 月に三人も四人も、バッジ8つ集めてきましたよって人が集まること自体、極めて稀だからさ。絶対に無いとは言えないけどね」

 

 チャンピオンへの挑戦権を決めるプレーオフは、月の最終日の一週間前に行われる。

 その日一日でそれを済ませるため、複数人の挑戦者候補がいる時は、決定戦も形式を変える。

 3人か5人以上なら総当たり戦で、勝率の高い者のうちで残したポケモンの数が多い方が第一挑戦権獲得だとか、それでも決めかねるなら決勝戦をやったり。

 2人か4人ならトーナメント制、きりのよくない人数であった時でも、参加者の実績を鑑みてシードありのトーナメント形式を採用したり。

 そうしてどうにか、月末にチャンピオンへと挑む第一挑戦権獲得者を一人に絞るのだ。

 基本はトーナメント形式が好まれる模様。総当たり戦は基本的にしない方針である。試合数が増えすぎると、挑戦者達の負担が大きいから。

 

 もっとも、甲級のみ挑戦権獲得者が4人を上回る月はそうそう無いため、一日で総当たり戦の総数が膨れ上がることなんて滅多に無いのだが。

 なんとかして月末のチャンピオン戦、それに向けたプレーオフを一日放送に収め切らんために、放送局との折り合いをつけたスケジュールは大抵整っている。

 プレーオフとて注目度の高さは折り紙付きである。翌週の本番と比較すれば劣るものの、ムラはあれど視聴率とりあえず20%前後は固い。

 それによって生じた利益の多くが公共事業に寄付されるのだから、社会への貢献性もまた高い。

 返す返すもポケモンバトルというものが、この世界において常に社会現象であり続けているという証左であろう。

 

「ひとまず君は、十日後に行われるシロナとの公式戦に向けて、準備していればいいよ。

 初めてジムバッジを集めてきた君は、第一挑戦権を獲得したも同然だからね。

 とはいえ、例外があるとすれば――」

「挑戦する前に、バッジを8つ集めてきた人が出てきた場合?」

「そういうことだね。

 今日は月末の試合の十日前、プレーオフがあるとしたらその一週間前。

 受付はその前日までだから、明日か明後日までにそんな人が来れば、君はプレーオフで挑戦権を争うってわけだ。

 まあ、そうそう無い話だと思うけど」

 

 プレーオフ想定日の前日までが、甲級にせよ乙級にせよ挑戦権獲得への手続き締め切り日。

 たとえば月末日のちょうど一週間前に、バッジを集めてきましたよと本部に手続きをしたとしても、挑戦者候補に名を連ねられるのは来月である。

 近年は通話機器や通信技術の発達により、その手続きも証明が出来るならリーグ現地に赴かなくても出来るようにすれば、という声もあったりするのだが。

 この辺りは伝統あってなのか、リーグ本部で現地登録しなくてはならない制度を一貫している。

 チャンピオンロードという洗礼を越えてくるのが重要らしい。一理はある。

 大昔とは制度を変えて、チャンピオン戦の頻度を高くしたシンオウ地方だが、古きものもそう易々とすべて捨て去るようなことはしない。

 パールの大好きなナタネの故郷、ハクタイシティの街が掲げる一文とよく似て、シンオウ地方全体もまた、今と歴史が共にある地であることを重要視している。

 

 明日か明後日、新たにもう一人、バッジを8つ集めてきましたよと本部に滑り込んでくる人でも現れない限り、パールは月末にシロナとの公式戦を迎える。

 リョウの言うとおり、そんな出来過ぎた話はそうそう無かろうなので、パールも今からシロナとの公式戦に向けて気持ちが昂る一方だ。

 

「あ、ちなみに負けてくれてもいいよ?

 再挑戦の権利を獲得するために、君が四天王に挑む展開なんてのも僕には望ましい。

 シロナ達から聞く、君の実力ってやつに直接触れてもみたいからさ」

「えっ、なんかひどい。

 頑張れよって言われるどころか、負けてしまえって言われている」

「シロナは強いぞ~?

 草バトルでは結構負けることもあるくせに、エキシビション含む公式戦でだけはチャンピオンに就いて以来マジの無敗だからね。

 君が、シロナを公式戦で負かす初めてのトレーナーになれるのかい?」

「うぐぐ、そう言われると……

 でもでもっ、バトルするのは私じゃないですから! 私のポケモン達ですから!

 みんなは誰にも負けないぐらい強いんですよっ! 絶対、勝たせてくれるはずですからっ!」

 

「あははは、聞いてたとおりだなぁ。

 自信が揺らいだら自分の能力じゃなく、ポケモン達への信頼で押し切る」

「こういう子なんですよ。ず~っとこうです。

 これ一週間後にチャンピオンに挑む第一挑戦者らしく見えます?」

「見えないねぇ。勝ったらびっくりするよ」

「こら~! なんでプラッチが私をけなすの~!

 ここは嘘でも私を立てて応援してくれるとこじゃないの~!」

 

 獣と化してプラチナに食って掛かるパールと、どうどうどうと彼女をなだめるプラチナの姿に、リョウは朗らかに笑いつつ内心では感心する。

 なるほど、今までにあまりいなかったタイプの新挑戦者だ。

 普通、ここまで辿り着けるほどの実力者なら、程度の差はあれ自負や自信というものが養われているはず。実績があるんだから。

 自信の無い方である者がいたとして、緊張しつつもやってやりますと言ってのけるだけのものは持っているものである。

 

 この子は違う。未だに自分自身の能力に自負など持っていない。謙虚ではなく本当にそうなのだろう。

 ここまで来られたのは全部、全部、ぜ~んぶポケモン達のおかげ。そのくせ実態は、彼女が無能で何一つしてこなかったわけでもあるはずがない。

 旅の途中までであれば、そんな感じである気弱なトレーナーはいるだろう。彼女はそんな捨ててくるべき姿を未だ捨てず、本当にここまで辿り着いてしまった。

 トレーナーとしての能力は確実にあるはずなのだ。それでいて、絶対に驕らないし驕りようが無い。

 さらに実戦となれば、その自信の無さゆえに躓くことがあるかといえば、きっとポケモン達への信頼感で以って奮い立ち、今さら足を引っ張ることもあるまい。

 精神的な脆さを仲間達の信頼で以って無自覚に補い、実績を残してきた確かな自身の力量がありながら、慢心とは無縁。なんたる無敵か。

 何年も公式戦での無敗を貫いてきたシロナの牙城を崩す者がいつか現れるとすれば、それはきっと、何人もいた挑戦者達と同型の者達では能わない。

 全く新しいタイプの挑戦者だからこそ、もしかすると、という予感をリョウも感じずにはいられない。

 歴史的瞬間というものを見てみたい気持ちは、リョウに限らず誰しもあるものだ。図らずして期待してしまう。出来てしまうのだ。

 

 機が合ったからということで、リーグの人に我が儘を言ってみて、シロナへの挑戦者と対面してみたいと訴えたリョウは、させて貰えて本当によかったと思う。

 トレーナーとして頂点を極めたにも近い地位と言われる四天王を以ってしても、まだまだ見果てぬ世界はいくつもある。

 新時代の幕開けの予感。肌でそれを感じられる嬉しさは、そうそう感じられるものではない。



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第153話  ブリリアントステージ

 

 

「はぁ~、さっぱりした♪

 今日もいい一日になるといいなぁ」

 

 ポケモンリーグ本部のポケモンセンターで一夜を過ごしたパールは、朝からシャワーを浴びて最高に気持ちのいい一日の始まりを迎えていた。

 昨日が早めに寝たせいか、今日は日が昇る前という随分早い時間に起きてしまい、やることが無さすぎてお風呂に入ったらしい。

 別に朝風呂の常連さんでも無いのだが、暇と施設が揃ってしまえば綺麗になりたい辺りはやはり女の子である。

 つやつやに乾かした髪も、普段よりも入念にセット。本人にしかわからない細かいところまで、鏡をよく見て緻密にだ。

 恐らく後でプラチナが見ても、普段とどう違うのかなんてわからないのだが。時間があると、自己満足を尽くす辺りもまた彼女らしい。

 

「…………んむ?

 えっ、珍しい……なんだろ?」

 

 ちょうど満足いくほど丁寧に髪を結い上げた折、パールのポケッチの着信音が鳴る。

 相手はナタネである。昨夜も含めて毎晩お喋りしているだけに、朝からかかってくるのは相当に珍しい。

 世間話目的ではなく、何か話があるのかなと思うほどには珍しい出来事である。

 

「もしもし?」

 

『パール、パール!

 もう聞いてる!? すごいことになっちゃったわよ!』

 

「な、なんですか? すごいことって何でしょう?」

 

 開口一番からナタネの声が弾んでいる。なんだか面白い話ではありそう。

 とはいえ朝っぱらからこのテンション、なかなか聞けないナタネの声色であることもあって、今のパールは戸惑いが買っている。

 

『さっき四天王のキクノさんから電話がかかってきたの!

 実は昨日の夜にね――』

 

 この反応だとパールはまだ何も知らされていないのだろう。

 そうだとわかったナタネがいっそう声を弾ませる。

 昨夜も電話でお話したから、パールがリーグ挑戦の登録を果たし、今はここにいることだってナタネは知っているのだ。

 その上で、この大ニュースをパールへ一番に伝えるのが自分、というのがナタネには何だか嬉しい。絶対、パールを驚かせられる。

 

「ええぇーーーーーっ!!

 うそぉ!? そんなことあります!?」

『マジよ、マジなのよ~!

 私も思ったもん、そんなことある!? って!

 でも起っちゃってるんだなぁ~、こんなことが本当に!』

 

 このまま何事も起きなければ、来週晦日にシロナに挑戦することが決まっていたパール。

 それが覆ることがあるとすれば、昨日か今日か明日のうちに、バッジを8つ集めてきた誰かがリーグへ参じて登録するケースしかない。

 そうなればパールは、明後日その相手とプレーオフを行って、勝てばシロナへの挑戦が決定、負ければ挑戦権は来月に先送りとなるのである。

 

 それが、本当に現実になってしまったのだ。

 まさかこんな短い期間のうちに、バッジを8つ集めて滑り込んでくる者が丁度いるなんて、リョウも言っていたぐらいだが余程のレアケース。

 ナタネが教えてくれた話というのがまさにそれで、言わば昨晩パールとナタネが就寝前の電話をしていた頃に、ニューカマーはリーグに推参していたという。

 昨晩寝る前にそれを聞かされた四天王のキクノという人物が、パールに縁ありしと知るナタネに、ほんのつい先ほど朝一番で知らせてくれたそうだ。

 ナタネとパールの繋がりは、シロナと親しい者なら誰でも知っていることなので。シロナってば触れ回り過ぎ。

 目をかけている新星のことを誰かに話す時、やっぱり彼女の特徴を語る中で、ジムリーダーと懇ろという特殊なエピソードははずしにくいのだろう。

 

『で、その人って誰だと思う?

 実はパールも知ってる人なんだけど』

「私がですか?

 私とおんなじタイミングでバッジ集めてて、私の知ってる人?」

『それがね~……』

 

 突拍子のないことを言われてパールが首をかしげているのが声からわかる。

 ナタネはパールに考えさせる時間を与えずに答えを告げた。

 ちょっと考える時間を与えてしまったら、まさかとすぐに濃厚な仮説を思い付いてしまうだろう。彼女自身が口にしたとおり、推測要素はもう充分揃っている。

 それより先に答えを突きつけたい。想像つかないうちに聞かされた方が、パールは確実にびっくりする。それも、さっき以上にだ。絶対に。

 

「なっ、なぁにぃっ!?!?!?」

 

『あはははは、びっくりしたでしょ!

 これホントだからね? 明後日、シロナへの挑戦権を賭けてその子と公式試合よ!』

 

 ああ満足。パールから聞きたい反応が全部聞けた。ナタネさん上機嫌。

 一方でパールは、個室ゆえ誰の迷惑にもならなかったとはいえ、外で発すれば近場迷惑なほどの大声を出して仰天させられるばかりだった。

 通話越しに聞く、久しぶりのパールの最大声。耳がきぃんとしながらも、そうであればあるほどに、ナタネはとっても楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "彼"はパールがデンジを破ったその翌朝、ナギサジムに飛び込んでいった。

 ジム生達とのバトルを早々に片付け、超急ぎでポケモンセンターに駆け込んで、万全の状態で真昼時にデンジへ挑戦。

 リーグ挑戦の登録をする、今期の期日が近かっただけに、バッジを7つ集めて夢目前の彼を鑑みて、ジム生相手の試験バトルは手短に済まされたそうで。

 デンジも柔軟に挑戦者の事情を汲んでくれる人物である。どのみち、これだけバッジを集めてきた相手の実力など概ね証明済のようなものなのだし。

 

 バトル前にデンジが"彼"に、昨日パールという女の子に負けたということを口にしたら最後、もうこの彼は燃え上がった。

 デンジはあくまで、昨日も負けたんだから二日連続で負けてやるわけにはいかないぞ、と気迫を出した文脈に過ぎなかったのだが。

 そんなの彼には微塵も伝わっていない。それだけ"この少年"にとって、パールという人物がバッジを集めきった事実は大きかったのだ。

 バトルが始まると気合が凄い。ポケモン達に指示する声は、子供ながらにど迫力だった。単に声が大きいからではない。

 この戦いだけは絶対負けてたまるか、という決意に満ちたその姿に、ポケモン達が応えて振り絞る力もまた凄まじい。

 結果デンジは、この少年のポケモンを一匹倒すことこそ出来たが、倒せたのはそこまで。終わってみれば0対3残しの圧巻の結末。

 一匹も倒されなかったパールには劣るように見えるかもしれないが、この少年は電気タイプ相手に最も有利な地面ポケモンを繰り出していないのだ。

 数字が語るような上っ面の事実とは異なる、間違いなくパールと同等かそれ以上すらあり得る、本当に強い挑戦者だったとデンジも感服しきり。

 昨日のパールとのバトルが、向こうしばらくは流石にあれほど熱い勝負は出来ないだろうなとさえ思っていたのに、今日もそうだったかと脱帽である。

 感極まったとさえ言っていい。本当に、凄い二日間だった。

 本来悔しがるべき二連敗へ当然の感情も、この感銘には塗り潰されるのみというものだ。

 ちなみにその頃、パールは海を越えてチャンピオンロードを進んでいる頃である。

 

 8つ目のバッジを手にした彼は、もはや今日か明日のうちにリーグに登録しないと、今月のプレーオフまで間に合わない状況。

 デンジとのご挨拶こそちゃんと澄ましたものの、終始落ち着かない素振りで、話が終われば速攻でポケモンセンターへ駆け込んで。

 その日のうちにナギサシティを出発、北上、チャンピオンロードを突っ走って抜け、夜にようやくリーグ本部へ到着。

 まさかこの日、パールに続いて二人目の甲級挑戦者が来ると思っていなかったリョウは、リーグ受付を本職の方に返上して既におやすみ中。

 勿体ないことをしたものである。一日に二人もバッジを集めきった者を迎えるなんて経験、本職の人達ですら無いスーパーレアケースなのに。

 予想だにできるはずもないのでしょうがないのだが。

 

 つまりそんな彼は、今日はこのポケモンセンターに泊まっているわけだ。

 プラチナと一緒に朝食を取ったパールは、ポケモンセンターの玄関前ホールで、件の人物が通るのを待っていた。

 勿論、プラチナにも食事の最中に事情は話している。

 いきなり聞かされたプラチナは、口に含んだ飲み物を噴きそうになっていた。

 耐えて、一滴も漏れないように逆に飲み込んで、急にたくさん飲み込んだからえづいて、咳して、涙目になって。

 比較的冷静な彼ですら、急に聞かされるとそこまで動揺するほど、昨晩リーグ登録したという少年の名は衝撃的だったのだ。

 

「あっ」

「出た……っ!」

 

 彼は昨日、夜遅くにリーグに辿り着いた身。

 パールが寝る寸前ぐらいにリーグ登録を終え、ポケモンセンターにボールを預けるなり色々したので、昨晩寝るのは遅めになったのだろう。

 早起きだったパール達とは反面、ややお寝坊さんな時間に起きてきて、朝食を食べる前にこの玄関前ホールに姿を現した。

 きょろきょろと誰かを探す仕草は、探される側の方が見つけやすいほど目立ち、パール達が彼を見つける方が少し早かった。

 

「――――――――あっ!!

 パール……」

「だまれーーーーーーーーーー!!!!!」

 

 ウルトラでかい声。人も沢山いるポケモンセンターのど真ん中、誰もがびっくりしてパールの方を振り返る咆哮である。

 一番近くにいたプラチナは心臓が止まるかとさえ思った。まさかこんな所でやるとは思わないじゃないか。

 それこそでかい声常連のダイヤですら、予想外すぎるパールの爆音には驚いて言葉が止まったものである。

 

 相手に駆け寄るパール。自分がやったことはわかっている、わかっていてやった。

 今、相当に恥ずかしい。顔は真っ赤っ赤である。

 

「ダイヤっ、こんな所で大きな声出すのやめてよ……!

 呼ばれた私が恥ずかしくなるんだからっ……!」

「お前の方がすんげぇ声出してんじゃん」

「あんたが恥かかないように私だけひっかぶってあげてんのよっ!

 あんた絶対、こうでもしなきゃすんごい声で呼ぶんだからっ!」

 

 まあなんて尊い自己犠牲。お為ごかしでもあるのだが。

 パールがああしなければ、でかい声でパールの名を呼び、駆け寄ってきた彼と一緒に衆目を集め、どのみちパールも恥ずかしい想いをしたはずだ。

 幼馴染だもの。考えるまでもなくわかる、絶対に当たる予想である。

 どうせそうなるんだったら、いっそ恥かいてでも先に大声を出して、ペースとイニシアチブを握ってしまった方がいい。

 周りを驚かせて迷惑なのはわかっているが、どうせ自分がそうしなくたってダイヤが同じことをやるだけなのだから。

 現に怯んだ今のダイヤは騒がしくない。パールがダイヤの腕を引いて、ぐいぐい外に連れ出そうとする動きにも従ってくれる。

 自らものすごい恥を振り撒いて、顔を上げられなくなっているパールだが、これでも彼女なりの計算を元に、望んだ成果も出してはいるのである。

 

 とはいえ、案外こうして策を練れる彼女でありながらも、普段は向こう見ずで突発的な行動を起こすことも多い身。

 そして悲しいことに、プラチナなんかは彼女のそうした一面を多々見てきたので、今回の行動もそうとしか見えないのだ。

 ダイヤを引き連れて外へ行くパールを追うプラチナだが、若干引いている。パールにだって、見なくてもわかるぐらい引いてる。

 少なからずの好意を抱いている男の子に、顰蹙を買っていることがわかってしょうがないパールにとっては、それが一番きつかった。

 全部ダイヤのせい。そうとでも考えなきゃやってられない。

 

 

 

 

 

「……ほんとにダイヤも、バッジを8つ集めてきたんだ」

「パールの方がちょっとだけ、一日だけ集めきるのが早かったみたいだけどな~!

 どっちが先に全部集めるかっていう勝負は負けか~! 悔しいな!」

「でもダイヤ、そんなに悔しそうな顔はしてないよね」

「あははは、まあな!

 やっぱり、二人とも叶えられたっていうのが一番嬉しいよ!

 俺だけでも、お前だけでも、そうなっちゃったらなんだか嫌じゃんか!」

 

 ポケモンセンター前を離れ、チャンピオンロードの北入口の前まで来て、パールとダイヤとプラチナは三人揃っての立ち話だ。

 ここでなら好きな声量で話しても、誰にも迷惑がかからないのでダイヤの声も大きい。

 結局パールが、人目を気にせず、かつダイヤも気兼ねなく話せるようにしようとすると、周りに人のいないか少ない環境であった方がいいのだ。

 

「最後、すげぇ急いだんだぞ!

 デンジさんに勝つのがあと二日遅かったら、パールとおんなじ舞台で戦えなかったんだからな!」

「も~、寝ててよあと二日ぐらい。

 そしたら私が挑戦権獲得決定だったのに」

「や~だね! それでもしパールがシロナさんに勝っちゃったら、俺が来月パールに"挑戦者"だろ!

 お前と上と下で戦うなんてぜ~ったい面白くないもん! 幼馴染だろ!」

「……あはは。そうかもね」

 

 冗談含みで返しているパールだが、ダイヤが今月パールと大舞台でぶつかる機会を逃すまいと急いだ、という主張を聞くや否や見るからに嬉しそうである。

 どっちが先にバッジを集めきるか、転ずればどっちが先にチャンピオンになれるか、あるいは凄いトレーナーってやつになれるか。

 顔も合わせずして心のどこかで競い合ってきた二人は、すなわち互いを上とも下とも認識せず、好敵手のように意識してここまで来た。

 誕生日も近い同い年、対等なライバルなのだ。

 常に勝ちたい相手には違いないけど、はっきりどこかで自分が上だと確定した瞬間が訪れても、嬉しさこそあれ寂しさもまた生じよう。

 ライバルというのはそういうものである。そしてパールは、意地でも急いで対等であり続けてくれようとしたダイヤの姿に、無意識の嬉しさを感じている。

 プラチナは、挟む口を思い付いても敢えて黙っているのだ。二人だけの世界に割って入りたくないほど、横から見ててもいい関係だなと思うから。

 

「それでも明後日、俺とお前がバトルしたら、引き分けなんてないけどな!

 これまで旅してきた俺とお前、どっちが凄い奴になったのかはっきり決まるんだぜ!

 わくわくするけど、ちょっと名残惜しいカンジもする!」

「別に明後日の試合で終わりじゃないんだよ?

 勝ったら勝ったで、一週間後はもっと大きな試合が……」

「俺にとっては今チャンピオンへの挑戦なんてど~でもいいんだよ!

 お前と、完全に対等な条件で白黒はっきりつけられるんだぜ!

 今までのどんなバトルよりも、楽しみでしょうがないよ!」

 

 パールも流石に面食らった。

 チャンピオンになるかどうか、そんな一世一代の舞台よりも、自分とのバトルが楽しみだなんて。

 確かにパールも楽しみではあった。負けられない舞台でダイヤとの一騎打ち、勝敗は重要だがぶつかり合えること自体に胸も躍る。

 だけど、チャンピオンとの勝負よりも楽しみだって、はっきり口に出して言われると心が震える。

 それは、ダイヤが来なければシロナへの挑戦権が決まっていた時間が短いながらもあり、来週に気持ちを向けていたパールの気持ちを今週に引き戻してくれる。

 ダイヤの主張に一瞬戸惑えど、両手で口を押さえて背中を丸めて笑い始めるパールの胸は、ダイヤの言葉に胸を撃ち抜かれた心境そのものの表れだ。

 

「くふっ、ふふっ……!

 あはははっ、そっか……そうだね……!

 一週間後のことなんて考えてる場合じゃないよね!」

「当たり前だろ! 言っとくけど、明後日のバトルは来週の本番よりすっげえものになる予定なんだからな!

 俺が勝っても、お前が勝っても、来週のチャンピオン戦が『先週の方が凄かったな~』なんて言われるものになるんだ!」

「シロナさん凄い人だよ?

 あの人の試合より凄い試合、私達で出来る?」

「あったりまえだろ! はっきり言ってお前、俺に言わせればシロナさんより凄いんだからな!

 みんなは知らないかもしれないけど、俺は見てきてるんだから!

 な、プラッチ! 見てたよな!? こいつのすっげぇとこ!」

 

「…………色々ね」

「ちょっとプラッチ!? なんかヘンなこと思い出してない!?

 いま褒める感じのとこ思い出してないでしょ!」

「僕はダイヤが見てきたパール以外にも、色々見てきてるからさ。

 苦労したんだから、ほんとに色々と」

「え、なになに!? プラッチ教えてくれよ!

 俺わかるぞ! 旅の中できっとパール、プラッチのこと振り回しまくってきただろ!」

「あぁ~、理解者がぁ~。

 ダイヤ、これからもずっと友達でいてね。いっぱい聞いて欲しいことあるんだ」

「おう! 親友!」

「こらぁ~! なんだその熱い握手わ~!

 話せおまえらっ、絶交しろっ!」

 

 ダイヤもパールのじゃじゃ馬っぷりはよく知っているので、旅の中でプラチナが苦労してきたことなんて想像に難くないらしい。

 共感を得合う男の子達が友情を深め合う姿に、パールは握手する二人の手首を握って引き離そうとする。流石ギャラドス娘、いざ困ったら力技。

 しかしながら所詮は女の子、や~だねとばかりにぐっと手を握り合う男子の握力を引き離すことなど出来ず、がるると二人を睨むだけで負け犬吠えである。

 

「へへっ、お前に勝てたら俺、シロナさんにだって負ける気しねーんだ!

 全力でかかってこいよ! 俺が未来のチャンピオンなんだからな!」

「なにお~! 勝つのは私だっ!

 今から勝利宣言なんて、うちの子達を甘く見るんじゃないぞ~!」

「ねぇダイヤ、ぶっちゃけ勝てそうなら勝っちゃってね。

 僕このギャラドスガールがチャンピオンになったりしたら、シンオウリーグの未来はどうなるんだって思えてきちゃった」

「おっ、プラッチは俺の味方か!

 残念だったなパール! お前のファン一人いだたき!」

「プラッチぃ~! また裏切ったな~!

 おまえ何回裏切るんだぁ~!」

「あはははは」

 

 怒っちゃったらもう歯止めの利かない暴れん坊、確かにこれがシンオウトレーナーの頂点になってしまうと、果たしてみんなの目標として相応しいものか。

 ほんとのことを言われちゃった時の方が頭に血が上るというのは真理であり、完全にプラチナにターゲットを移したパールの襲いかかりようはポケモンみたい。

 ダイヤとの握手の手を解いて、掴みかかろうとしてくるパールの手首を捕まえたプラチナは、ぐぐっと男の子の力で寄せ付けない。

 パールも足掻いて押し切ろうとするけど、やっぱりどうしても力で勝てない。そして流石に根は暴力的でないから、蹴れるはずの足も出ない。

 んぐぐぅと呻きながら、力で勝てずにプラチナに制されてすっごい悔しそうな目で睨んでくる姿が、プラチナにとっては可笑しい可笑しい。

 本当、いじり甲斐があって仕方ない。付き合いが短かった頃には出来なかった、気兼ねの無い接し方。

 最近プラチナ優位でパールを翻弄する機会が増えてきているが、旅中で幾度も頭を痛めてきた負債がようやく返されて始めているだけ。彼は苦労人なのだ。

 

「ダイヤぁ~! ぜぇ~ったいに負けないからな~!

 プラッチを賭けて勝負だっ! プラッチは私のファンなんだぞ!

 ず~~~~~っと私のこと応援してくれてたやつなんだからな~!」

「や~だね! 明後日勝つのは絶対俺だからな!

 そしたらプラッチも、来週は俺のこと応援してくれるもんな!」

「そりゃまあ、そうなったら普通に応援するよ」

「プラッチ~!

 うちの子達が負けるとでも思ってるのか~!

 ピョコもパッチもニルルもミーナもララもプーカも最強なんだぞ~!」

「凄いねそれ、噛まずに早口で全員の名前言えるの」

 

 わめく女の子と、騒がしい男の子と、一生大切にしたい親友二人との時間が楽しくて笑みがこぼれる男の子。

 息切れしないパールを中心に、わやくちゃとした語らいが長々と続き、落ち着きを取り戻すまで随分とかかる。

 ずっと吠えてるパールを、少し大人な二人の少年がけらけら笑っていなして可愛がる、そんな図式がずっと続くのである。

 きっとこの三人は、これからもずっとそうなのだろう。

 大人になってパールが今より落ち着いたとしても、ダイヤの言動がパールを刺激し、熱くなった彼女をプラチナが諫めて、コントロールして。

 

 それは恐らく、パールも、ダイヤも、プラチナも、この三人で語らう時にしか出せない顔。

 己の感情に真っ直ぐなパールも、人前ではちゃんと良識を意識して、この年でしっかりと敬語を使って年上に接するし、誰に対しても攻撃的にならず優しい。

 固めた意志を何が何でも成し遂げんとするダイヤは、その勢いと奔放さで大人さえ翻弄する。

 単なるお勉強知識だけでなく、他人の心の機微に敏感なプラチナは、人を不快にさせないよういつも気を付ける良識人。

 それがこの三人に対する、世間の評価であろう。誰だってこの三人に接してみて、彼ら彼女らの個性を語るならそんな所に落ち付くはず。

 荒っぽい言葉で攻撃的になるパールも、最も子供っぽいと思われがちなはずのダイヤがパールを温かい目で見守る姿も、意地悪を進んで言うプラチナも。

 相手が目の前の二人でない限り、出さない、出せない顔がここに出る。

 大人になって、そんな幼き日々の自分達の姿がそうであったと自覚する頃には、今以上にこの関係が特別であることを感慨深く思い返せるはずだ。

 幸せというものはいつだってそう。後から思い出して本当に痛感する。今が幸せだと自覚があったとて、思い返す頃にはそれ以上だ。

 

 掛け替えのない親友と、一つしかないものを争う舞台が二日後に控えている。

 争奪は卑しいことだろうか。敗者に得るものが無いのは残酷だろうか。

 きっとこの二人の戦いは、勝っても負けても、一生忘れ難き、そして一生の財産となるものが約束されているはず。

 勝負の世界に貴賤などあるものか。栄光を目指してきた若者が、目指す頂が一つしかないことを自覚し、真っ直ぐに努力してきた末に辿り着いた最後の八合目。

 野望のために手段を選ばぬ、血生臭い闘争と比較するのも煩わしい、清純な魂二つが放つ光の強さは、決してチャンピオンシップの輝きにも劣るまい。

 パールやダイヤ以上に、プラチナが一番二日後を楽しみにしているのだ。

 大好きな二人が、最高の舞台でぶつかり合えるその姿が間近に迫っている、その事実だけで胸がいっぱいになるほどに。

 

 思い返せばシンオウ地方の長い歴史の中で、こんなことが一度でもあっただろうか。

 同郷の、歳を同じくする幼き少年と少女が、チャンピオンへの挑戦権を賭けてポケモンリーグの大舞台で衝突することが。

 それはまるで、遥か遠きマサラタウンの天才二人が、チャンピオンの座を賭けて歴史的な戦いを繰り広げた、伝説的なあの日によく似て。

 そして今の制度において現実的には、王者と挑戦者の戦いでそれが叶うより、同時にバッジを集めきった第一挑戦者決定戦で叶うことの方が遥かに叶い難い。

 後日シンオウ地方に訪れると約束されたその日とは、きっと十年に一度では起こり得まい。

 歴史の目撃者となることを望む大衆の希望は、もはや半ば果たされていると言っても過言ではないのだ。

 

 やがてシンオウ地方に長く語り継がれるであろう、神話とははっきりと異なり人の手によって紡がれた、世界にも誇れる伝説の一戦は目前だ。

 二人の少年少女がその手が叶えた、シンオウ史の中で燦然と輝く舞台である。



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第154話  シャイニングヒーローズ

 

 

 現代におけるシンオウ地方の月末最終日は、月に一度のポケモンバトルのチャンピオンズデイと定着してもう長い。

 チャンピオン対挑戦者の試合が行われるならこの日であり、仮に挑戦者が現れぬ月であっても、四天王やジムリーダーによるエキシビジョンマッチが行われる。

 3試合ほど組まれるエキシビジョンの中でも観衆の興味を惹くのが、1試合は必ずタッグマッチが組まれることであろう。

 普段は並んで戦う姿を拝むことも数少ない、ジムリーダー同士のコンビネーションであったり、そこに四天王という逸材まで絡んでくるともう大変。

 ジムリーダーと四天王が一日限りで手を結び、相対する相手にその実力を遺憾なく発揮する姿は見応え抜群である。

 元が仲の良いナタネとスズナ、デンジと四天王"オーバ"のタッグや、親子であるヒョウタとトウガンの親子タッグなど、固定ファンの多い組み合わせも。

 逆に普段はまったく接点が無いながら、スモモとリョウがタッグを組んだりと、目新しいコンビを目の当たりにする機会も多い。

 それでも誰しもがトップクラスのトレーナーなのだから、しっかり息を合わせて好勝負にしてしまうので、熱戦が常に保証されているというわけだ。

 挑戦者がいようがいまいが、月末は多くの人がポケモンリーグ本部での現地観戦を望むか、ゴールデンタイムにテレビに張り付く。

 それがシンオウ地方、毎月晦日の定例である。

 

 さて、その日と比べれば相手が悪く、多少は格落ちするものの、やはり多くの人々の注目を集める日が、そうした晦日のちょうど一週間前。

 チャンピオンへの挑戦権を得た者が二人以上いる日はプレーオフが行われる、通称チャレンジャーズデイと呼ばれる日だ。

 こちらも第一挑戦者決定戦が組めない月は、ジムリーダーや四天王がシングルマッチを2試合ほど都合するので、現地観戦希望者や視聴者もやはり多い。

 休日や祝日であれば視聴率がより高まる傾向があるのだが、それを念頭に置くと興味深いデータも取れている。

 休日ないし祝日のチャレンジャーズデイの方が、平日のチャンピオンズデイよりも若干だが視聴率が高いのである。

 事情一つで前夜祭めいたチャンピオンズデイが、本番の月末以上の数字を取れてしまう程には、根本的な注目度の高さが示されているということだ。

 

 今月は、バッジを集めてきた挑戦者が二人。

 パールとダイヤ、その二人が王座挑戦権を賭けて争う、本来のコンセプトどおりのチャレンジャーズデイ。

 ジムリーダーや四天王がエキシビジョンを繰り広げるこの日も魅力的ではあるが、やはり新風が立つこの形を望む観衆の方が多い。

 ファンの多い一流トレーナーの試合は確かに受けが良い。だが、大衆は新しいものを常に求めている。

 職業柄かつ当人の意趣で、使用ポケモンのタイプが固定化された一流陣の試合も、いざ見れば鳥肌が立つほどのものであるとはほぼ保証されているけれど。

 いったいどんなポケモンを出すのか、それによってどんな戦術を取るのか、未知たる挑戦者達の試合がどのようなものになるのかは予測がつかない。

 それがいいのだ。まして、仮にジムリーダーや四天王には劣れども、挑戦権を獲得するほどには腕の立つ者達なのだ。

 パールとダイヤが集める注目は、シンオウ地方の名高き者達が繰り広げたかもしれない名試合にも、決して劣らず高くある。

 この日も観客席は超満員。そして試合開始前のこの時間帯から、ポケモンリーグにチャンネルを合わせている各世帯の数は計り知れまい。

 パールとダイヤが控室にて、試合開始の時間を目前にする今、既にシンオウ地方全体はふつふつと興味を沸騰させ始めている頃合いだ。

 

「よう、デンジ!

 やっぱり来たか! 流石に欠席はしないよな!」

「はは、相変わらず暑苦しい声だな。

 振り向かなくても誰だかわかる」

「振り向けよ」

「必要ないね」

 

 そして、この試合に注目するのは一般大衆だけではない。

 第一挑戦者決定戦が行われるとなれば、この日はポケモンリーグの試合が無いジムリーダーや四天王は、なかなかにこの試合が見逃し難い。

 何せジムリーダーにしてみれば、手加減含みとはいえ自分達を打ち破ってバッジを手にした新星の、辿り着いた夢舞台。

 そして四天王達にしてみれば、やがて自分達に挑戦してくるかもしれない若武者のバトルを、初めて目にする好機会。

 プレーオフが行われるとなれば、最もその試合に注目するのは、他ならぬジムリーダーと四天王というわけだ。

 

「どうも、四天王の"オーバ"どの。

 やはりお前さんもこの試合は見逃せんよな」

「ご無沙汰だよ、トウガンの旦那。

 ヒョウタもマキシの兄さんも久しぶりだな」

 

「お久しぶりです、オーバさん」

「ガハハハ! オーバ、残念だよ!

 プレーオフが無ければお前さんのリベンジを受けるつもりだったんだがな!」

「ははっ、まったく残念だ!

 まあそれ以上にいいものが見れそうだから、損した気分にはならないけどな!」

「ガハハハハハ! まったくだ!」

 

 ポケモンリーグ本部の試合会場は広く観客収容人数も地方一に多いが、その観客席には四角、特等席と呼べる場所がある。

 試合するトレーナーの立ち位置の左翼位置と右翼位置の最前箇所、それが対称形なので四か所だ。

 そして周囲の観客席よりも一段高い位置にあり、前に遮るものが無くバトルフィールドを最も近くで見られるまさに特等席。

 ここに集えるのは一般客ではない。VIP客でも不可能だ。現役のジムリーダーと四天王のみである。

 

 試合開始の15分前、そこでは既に、ジムリーダーのヒョウタとマキシ、トウガンとデンジが試合開始を心待ちにしながら語らっていたところだ。

 そこに参じたのが四天王の"オーバ"であり、熱血漢であり声も大きい彼の登場には、ジムリーダー四名いつもの彼だなぁと笑いがこぼれる。

 とりわけオーバはデンジと昔から親しい友人同士であり、両者間の語らいは特に気兼ねない。

 豪快な性格のマキシのみ、オーバと早くも冗談を交わし合っているが、性格が噛み合っているのだろう。

 エキシビションマッチでぶつかり合うと、どうしてもマキシがオーバに有利になりがちなので、オーバもマキシに対しては微笑ましい皮肉も垂れやすい。

 

「しかし珍しいな、ジムリーダー全員が現地に大集合ってのは。

 特にトウガンの旦那なんかは、本業を疎かにするわけにはいかないってミオで録画観戦が殆どだったはずだが」

「今日は特別だよ。

 うちの息子が手塩にかけて育てた若武者の晴れ舞台だそうだからな」

「別に僕が育てたってわけではないけどなぁ」

 

「へえ! ヒョウタもいつの間にか師匠になったのか!」

「別にそういうわけじゃないんですけどね。

 ただ、なんか懐かれてまして……」

「ガハハハ、ダイヤのことだな!

 俺もたまに電話で相談を受けるよ!

 聞いてもいないのに、ヒョウタさんならああするかもこうするかもって話をしてくるぐらいにはお前さんを慕ってるようだがな!」

「あ、そうなんです? それ初耳ですよ。

 なんかこっ恥ずかしいなぁ」

 

「ほぉ、デンジもダイヤとは電話番号を交換したって言ってたな。

 まさかトウガンの旦那もだったりするのか?」

「おお、せがまれたよ」

「シンオウ男子ジムリーダーは、全員ダイヤ君と連絡先を交換済ってわけだ」

「たは~、なんつーかフタバの二人は似たモン同士だねぇ。

 知ってるだろ、もう片方が電話魔なこと」

「噂に名高い長電話らしいな。シロナから何回聞かされたか」

「ダイヤ君もまあまあ電話すると長いですよ?」

「いや、恐らく対ナタネのパールの方がすげぇ。

 毎晩一時間は平均余裕らしいからな」

「あ~、そりゃ凄いですねぇ」

 

 ジム戦で勝つたび、女性ジムリーダー陣の電話番号を片っ端からせがんでいたパール。

 どうやらダイヤも似たようなものらしい。同じ屋根の下で育った兄妹でもあるまいに、どうしてここまで似るのやら。

 ダイヤと一緒にされると渋い顔をしそうなパールであるが、わざわざ探さなくても似ている点の方が多そうである。

 

「僕も基本的に父さんと同じ考えで、あまり地元を離れることはしないようにしてるんですけどね。

 流石にダイヤの晴れ舞台となれば、テレビ観戦じゃ済ませたくないですよ」

「可愛がってんなぁ。

 そんな因果もあって、あの親子が二人とも実地観戦するってんだからすげぇもんだ」

「基本的に、リーグまで現地観戦に来ることが多いのは、ナタネやスズナや俺ぐらいのものだもんな」

「マキシのおっさんは地元のジムほったらかして来すぎっすよ。

 ノモセの子供達もわかってんのか、ほら、あの辺おっさんのファンでしょ」

「おー! あの子達、来てくれてんのか!」

 

 ジムリーダーとしての本業を重んじて、個人的な都合で地元を離れることを好まないヒョウタとトウガン、そしてメリッサとスモモもそう。

 デンジは観戦よりも自分がバトルすることで、バトルの熱さを感じたがる性分なので、遠征してまでの観戦というものをあまりしない。

 こうした大きなイベントに、きゃぴきゃぴ友達同士で積極的に赴いてしまう、ナタネやスズナの方が少数派なのだ。

 マキシはエンターテイナーの性分として、この手の大きな大会の観戦率率が高い。たまには客側になりたいのであろう。

 地元の皆さんもそういうマキシの性格は把握しており、ここで繰り広げられる試合だけでなく、子供のように観戦席ではしゃぐマキシを眺めるのが楽しみだ。

 

「盛り上がっていますね。

 男性ジムリーダー揃い踏みとは、改めて見ると壮観だ」

「おっ、"ゴヨウ"もこっち来たのか!

 こんな男臭い場所じゃなくて、花形揃いのあっちじゃなくていいのか?」

「いやぁ、無理ですよ。

 あちらはあちらで特殊な空間すぎますから。

 男の私達が入っていける場所ではない」

「だははは、言われてみりゃあそりゃそうか!」

 

 マキシが地元の子達に手を振っている中、特等席にもう一人の男性が訪れた。

 四天王のゴヨウ、特に四天王最強と呼ばれる彼は、チャンピオンを除けばシンオウ地方の頂点に立つ人物と言われる。

 物腰の落ち着いた、冷静沈着で礼儀正しい言葉遣いの好青年だが、オーバのジョークに微笑み混じりで返せるほどには冗談の口も利く。

 

「いよいよ凄いな、"キクノ"の婆さんもあっち側で観戦予定なんだろ?

 これでリョウも揃ったら、四天王まで全員観戦ってことに……」

「はいはーい、僕もいますよ!

 いや~よかったよかった、間に合った!」

「おっと、マジで来ちまった。揃ったなぁ」

 

 四天王のリョウも、ここに参じた。

 彼は先日、リーグの受付係を代わって貰った礼として、今大会の事務の手伝いをしてきたらしい。

 若いが四天王になってからが長く、リーグに籍を置いてきた期間もあって、ある程度の事務はこなせるようになっているらしい。

 四天王で、そういうお仕事に全く手をつけたがらないのは、自由を好むオーバぐらいのものである。他の四人ほどオトナしていたくないらしいそうな。

 

「お前ら二人とも帰れよ、ついでにオーバも。

 お客さんがざわついてんじゃねえか四天王ども」

「いいじゃん、僕が観客なら嬉しいよ。

 僕も子供の頃、客としてこの会場に来てた時にこんな光景見てみたかったなぁ」

「サイン禁止のルールがありがたいですねぇ」

「オメーが言うなゴヨウ。

 普段はお前が一番サイン配りまくってんだろが」

「いや、断りづらいでしょ……」

「モテる男はつらいねぇ」

 

 マキシが指摘するとおり、四天王のうち三人もが揃い踏み、しかもジムリーダー四名の特等席は、衆目を惹き過ぎている。

 ポケモンリーグでは、会場内で四天王やジムリーダーにサインを求めることが禁止されている。そういうルールなのだ。

 でないとこのような状況になった時、この特等席にどれだけ人が群がってくることか。試合そっちのけにさえなりかねない。

 四天王の中でも一番の男前の部類と言われ、ファンの多いゴヨウなんて、このルールが無ければ観戦すら気軽に出来ないのだ。

 まあ人のいい彼だから、余所でサインを求められたりしたら一度も断らないのだが。リーグの心遣いに一番助けられているのは彼である。

 

「これでシロナまで観戦に現れたら完全に全員集合なんだけどなぁ」

「半々ってとこだろ。

 普段のあいつは、次期挑戦者の試合は絶対に見ないからな。フェアじゃないからってよ」

「でも、今回は個人的にも思い入れのある子達の真っ向勝負。

 もしかしたら、ってのはあるんですよね」

 

 基本的にシロナはチャンピオンになってからというものの、来週自分と王座を競う相手の試合を見ることをしない。

 現地観戦はおろか、テレビ観戦でも絶対に見ないようにしているらしい。

 事前に相手の戦術や手持ちなどを、先に知ってしまうのは王者としての矜持に反するからだという。

 自分の手持ちや試合は挑戦者側に概ね割れているので、対戦相手の情報の先取りはさほど不公平でもないのだが、彼女なりの拘りがあるのだろう。

 まあ、放送された試合はきちんと録画しているので、チャンピオンシップが終わった後ならいくらでも見るそうだが。

 

「ちっと向こうに電話してみるわ。

 キクノの婆さんも向こうにいるだろうからよ」

 

 オーバがポケッチをタッチして、相手方の電話を鳴らす。

 オーバ含む男性陣がいるのは、試合においてダイヤが立つ側の左翼位置。

 こちらは、パールよりもダイヤの挙動を見やすい側の特等席である。

 そして女性陣、ジムリーダーや四天王キクノが集まっているのは、パールが立つ位置の左翼側だともわかっている。

 会場の対角線上の特等席に向けて電話するオーバに、来るだろうなと思っていた相手が着信ボタンを押すのも早い。

 

『はいはい、もしもし』

 

「どうも、キクノさん。

 こっちはジムリーダーも四天王も男性陣全員集合だぜ。

 そっちはどうっすかね」

『ふふふ、みんな揃ってるよ。

 メリッサに代わろうか』

 

 顔を見ずとも声だけで伝わる好々爺。造語をあてるなら好々婆。

 月に一度のお祭り騒ぎ、弾む会話は若者に任せようとメリッサに電話を代わったキクノは、一礼するメリッサを微笑ましく見守る。

 

「ハーイ、オーバさんですね!

 お久しぶりデース、試合が終わったらご挨拶に伺いますねー!」

『だははは、ご無沙汰だな!

 やっぱ女性陣は声の張りが違うわー!』

 

 シンオウ地方のジムリーダーや四天王、その男性陣は皆さん概ねおとなしい。内に熱いものを秘めていても、表面上はみんなクールだ。

 表向きの明るさや活気の強さといえば、女性陣の方が圧倒的に勝る。

 男性陣の中でもマキシは豪快だったり、女性陣の中でもスモモが礼儀深くおとなしかったりもするが、それを含めても女性陣が強過ぎる。

 華々しきトップアクトレスのメリッサ、情熱の塊であるスズナ、活気の一等星であるナタネ。

 もうこの三人だけで、声の大きさや口数の多さで男性陣7人に勝ってしまうのである。

 

『シロナ来てますかねぇ?

 今日ばかりは来るか来ないか半々だって話をしてたんだが』

「まだ現れていませんねぇ。

 こちらでも、今日だけは来るんじゃないかって話になってるんですが」

『ほほう、シロナのことをよく知る女性陣がそう仰るなら期待できそうだな。

 それはともかく、他の誰かにも代わって貰えませんかね?

 久々に他のみんなとも話がしたいんだが』

「ノンノン、若い子達は若い子同士で話を弾ませていますので。

 邪魔してはいけませんよ」

 

 あまりこうして同じ空間にジムリーダーと四天王が揃う機会は多くないので、オーバはナタネやスズナとも話がしたい。

 快活な者同士なので、いざ話せばたいそう噛み合うのだ。

 しかし今のナタネとスズナは、スモモを挟んでマシンガン気味にめちゃくちゃ喋っている。

 ジムリーダーとしてのキャリアも年齢もスモモより若干ながら上、久しぶりに顔を合わせるとナタネもスズナもめちゃくちゃスモモを可愛がる。

 矢継ぎ早に話しかけてくる二人に挟まれ、たまにいじられて戸惑い、照れ、微笑むスモモが可愛くてしょうがないらしい。

 

「それとも、年増はお呼びでないとでも仰いますか?」

『怖っ。さようなら』

 

「おやおや、ジョークが通じないようです」

「ふふふ、まあまあの迫力があったよ」

 

 にこにこ笑いながら、低い声で地雷を踏まれた大人の雰囲気を演出するメリッサ。流石は役者である。

 電話する彼女を眺めるキクノからすれば楽しんでいるようにしか見えないが、声しか聞こえない向こうには恐怖しか与えまい。

 電話を切られて、上手にやれたことを嬉しそうに笑うメリッサである。

 シンオウ地方の女性ジムリーダーの中では最も大人びた彼女であるが、いくつになっても遊び心は無くせないらしい。

 

「――あっ! 電気消えたよ!」

「さあさ、始まるわよ!

 スモモっ、しっかり目に焼き付けるわよ~!

 あたし達イチ推しの、スーパーヒロインの晴れ舞台!」

「はいっ!」

 

 丁度、そんな折のことだった。

 会場全体を照らしていた、スタジアムの照明とでも呼べるほどの光が一度消え、真っ暗になった会場がざわめきに満ち溢れる。

 停電に対する動揺ではないと断言できるのは、いよいよ選手入場、そしてメインイベントの前触れだと、この消灯が定着しているからだ。

 どよめきは短く、たちまち静寂に包まれた会場の空気に促されるかの如く、天井からの広い光によりバトルフィールドが照らされる。

 最前列の観客席すら光を浴びられぬ中、再びざわつく観客席全体は、もうこの直後に何が続くかをはっきり予感しているのだ。

 

「ご来場の皆様――」

 

「あ~もうどうでもいいどうでもいい……!」

「パールを出せぇ~……! 早く早くぅ~……!」

「せっかちだねぇ」

 

 テンションの上がり過ぎているナタネとスズナが暴走している。

 集まってくれた観客への謝意に次ぎ、今回バトルするパールとダイヤ、二人の選手紹介へと繋がる、アナウンサーの少し長めの語り。

 観客や視聴者に対しては受けが良いものであるが、二人にとってはどうでもいい。だってパールのこともダイヤのことも知ってるんだから。

 そんなのいいから早く始まってくれと揃って地団駄踏む姿は、気の合う二人の親しさを表し過ぎ。

 静かになった会場で、他の客に対してノイズにならないよう小声で唸る辺り、最低限のマナーのようなものは守っているが。

 それでも、この特等席の比較的近くの客には二人の小声が聞こえており、くすくす笑いを誘っている。スモモが恥ずかしい想いをさせられる。

 

「それでは迎えましょう!

 破竹の勢いでこの舞台へと駆け上がったチャンピオンの原石!

 燃える恒星、ダイヤモンドだぁっ!!」

 

 珍しく本名で呼ばれるダイヤ。誰に対しても自己紹介すらダイヤだから。

 へぇ、あの子ほんとはそういう本名だったんだ、とスズナとシロナが顔を合わせている。案外知らないこともあるじゃないか。

 大歓声に包まれる会場の熱気に背を押されるかの如く、バトルフィールドの片側にダイヤが歩を進めてくる。

 

 駆け足でその場に現れた、せっかちな性分を表すかのような挙動に続いたのは、トレーナーが立つ場で足を止め、深呼吸して天井を見上げる姿。

 溢れ立つ高揚感を抑え、冷静さを取り戻さんとするその姿は、気が早いだけの少年だったあの頃から一皮剝けたことを体現している。

 観客には伝わるまい。きっと、最も幼かった頃のダイヤを見たヒョウタこそ、成長した彼の姿に感慨を抱いているはずだ。

 

 観客席を見渡したダイヤは、自分を一番近くで見られる場所にいてくれるヒョウタを見つけると、彼をまっすぐに見据えて拳を突き出した。

 言葉無く、絶対勝つぞと訴える姿だ。背筋を伸ばして堂々とした勇姿には、ヒョウタも拳を突き出して応えるのみ。

 騒がしくて、大声が得意で、気持ちをそれに乗せて表現することばかりだったダイヤが、そんなコミュニケーションを取るようになったのも成長の証だろう。

 

「むうぅぅ~……!

 こうしてはいられないっ!」

「えっ、ナタネさん?」

 

「続いて迎えましょう!

 そんな彼に先んじてバッジを集めてこの舞台に参じた、僅か一日なれど先輩挑戦者!

 そのポテンシャルは可愛らしい見た目からは想像もつかない!

 美しく輝くこのステージの一等星、パールだあっ!!」

 

 こちらにも会場いっぱいの歓声を受け、少し緊張気味の足取りでありながら、ダイヤと対面する位置へと入場してくるパールの姿がある。

 その姿から目こそ切らぬものの、ポケッチを操作するナタネがどこかに電話をかけている。

 このタイミングで? と驚かされるスモモのみならず、電話の相手もびっくりして着信ボタンを押したはず。

 

「ヒョウター! 勝つのはうちの妹なんだからね!

 あんたの弟子も凄い子なのは知ってるけど、この勝負だけは譲らないわ! 絶対に!」

『……ははっ!

 いーや、勝つのは僕の弟だ!

 君しか知らないパールの姿があるように、僕しか知らないダイヤの姿がある!

 必ずこの舞台でも、勝って挑戦権を得てくれるさ!』

「言ったわね~!

 後で吠え面かくんじゃないわよ~!」

『そっちこそな!

 ダイヤの強さに度肝抜かれないよう気を付けるんだぞ!』

 

 はい、プチッ。言いたい言って、向こうの啖呵を聞き受けたらもう通話終了。

 ジムリーダーは有事に連絡し合い得る都合もあるため、全員連絡先は交換済み。プライベートで利用するのは男子同士、女子同士が殆どだが。

 それでもナタネとヒョウタは年が近いこともあって、普段の繋がりが薄い割にはたまに話しても波長が合うようである。

 可愛い後輩を妹に例えるナタネに対し、同種の言葉ですぐに切り返せるぐらいにはである。

 

 緊張で汗ばむ両手を、胸の前でぎゅっぎゅっとしたパールは、ダイヤがしたのと同じように周りを見渡している。

 誰を探しているのだろう。そんなの女性ジムリーダー陣全員がわかってる。

 当の本人は、早く見つけて欲しくて手を振っているぐらいだ。

 

「パール~~~~~!!

 がんばれぇ~~~~~~~~~~っ!!」

 

「っ……!

 ぜったいっ、勝ちまぁ~~~~~す!!

 ナタネさーーーーーんっ!!」

 

 目が合った瞬間に、離れ離れだった家族と出会えたかのほど目を輝かせたパールに、すかさずナタネは全身全霊の声援を向けた。

 返ってきたのは、ヘッドマイクもはずさずに、この会場にいる誰よりも大きく発せる声。

 トレーナーの指示が観客や視聴者にも伝わるようにするためのそれが、パールの声量でとんでもない音波をぶちまける。

 こういう彼女だとわかっているダイヤとナタネだけが動じず、その二人を除く会場全員が――いや、テレビの向こう側の視聴者さえ。

 至近距離で雷音を聞いたかのように身を竦ませるほどなんだから本当に凄まじい大声量だった。マイクはずさなかったのがひどい。

 

「す、すんごぉい……

 ナタネから聞いてたけど、ほんとすっごい声出すのね……」

「ナタネさん、注目されてますよ……」

「あ、あははは……

 嬉しさと恥ずかしさでどんな顔すればいいのかわかんないわ」

 

 ダイヤが特等席に向けて拳を突き出した所作から、彼がジムリーダーの誰かと深い親しみを持っていることはある程度示唆されていたけれど。

 こちらは名指しである。へぇ、あの子ハクタイシティのジムリーダーさんと親しいんだ、って。

 とっくに観客には有名人ナタネの居所なんて割れてるわけで、会場全体の注目は一度ナタネのいる特等席に注がれることになる。

 はしゃぎ過ぎた罰なのか、気恥ずかしい視線に晒されるナタネは顔を赤くして、縮こまってしまう始末であった。

 

「パール!」

「…………ダイヤ!

 本当に、こんなとこまで来ちゃったね!」

「ああ、それもフタバタウンの俺達二人でだ!

 プラチナも見てるぞ! ほら、あそこ!!」

「わかってる! 見えてるよ!」

 

「げっ、晒し者にされる」

 

 想定外だった。だが、心のどこか奥深くでは、こうして欲しかった想いのようなものもあった。

 ダイヤが指差した方向を向くパール、その目線の先を追うように、会場の目も、そして生放送のカメラもそちらを向く。

 大観衆の好奇の目、さらには何故かお茶の間にまで自分の姿が映されていることには、プラチナも背を丸めて勘弁してよの気持ちでいっぱいになるのだが。

 それでも、顔は伏せなかった。手を振ってくれる、パールとダイヤから顔を逸らせるものか。逸らしたくなんかない。

 注目されても困るだけの少年は、バトルフィールド中央線の延長線上最前列席で、右手を大きく伸ばして何度も振り、僕はここで見ているよと訴える。

 

「っ……!

 どっちも、頑張れーーーーーっ!!

 人生で、一回しかない舞台だよーーーーーっ!!

 悔いなく、最高の、二人だけのバトルを見せてよねーーーーーっ!!」

 

「おう! 見てろ!

 俺が勝つとこ、お前に見せてやる!!」

「プラッチ、一秒も目を離さないでね!

 私が勝つとこ、絶対に見逃さないでよ!!」

 

 バトルは二人だけのものだ。

 観客は歓声を送って評価するだろう。視聴者は胸を躍らせているだろう。

 二人の成長に深く関わってきたジムリーダー達にとっては、その結実を見届ける感慨深い舞台に違いあるまい。

 パールやダイヤの家族、お父さんもお母さんも、この大舞台で我が子が夢を掴み取れるか、只ならぬ想いで見届けているはず。

 それでも一対一の勝負の世界には、誰一人として割って入ることなど出来ない。

 舞台に立つ者同士でしか共有し得ない世界において、傍観者達はすべて部外者に過ぎぬと、プラチナのような聡明な子は既に理解してきたはず。

 

 だけど、二人とも特別だから。僕にとってはどっちだって、一生友達でいたい大切な親友。

 その二人が夢を懸けてぶつかり合うこの舞台に、あなたは部外者なんかじゃないよと訴えてくれる友情は、込み上げてくるものがあるほど心揺さぶられる。

 誰に対しても胸を張って堂々と、その魅力を朝まで語れる大好きな二人。

 敬意さえ含む友情を抱いてやまない二人が、俺達私達は二人じゃなくて三人なんだとはっきりと訴えてくれる姿に、プラチナは目尻を拭わずにいられなかった。

 

「さあ! やるぞ、パール!

 お前の知らない俺達の強さ、しっかり受け取ってくれよ!」

「うん! 見ててよ、ダイヤ!

 私達が培ってきたもの、全部、全部ここで見せるからね!」

 

 先鋒のボールを手にしたその瞬間、二人が口にした俺達私達の一人称は、先程までのそれとは大きく意味を変えた。

 仲間達はもう、その一言で充分だ。並々ならぬ想いでここに立つ、パールとダイヤが、恩人や友人に意識を向けていた数秒前。

 今、彼らはポケモントレーナーの顔になったことなど、ボールの中で目を瞑っていてもわかる。

 観客からすっぱりと意識を切り、目の前の相手と、この舞台で戦う仲間だけに完全に意識を向けた、今その時。

 彼ら彼女らの夢をその手に託されたポケットモンスター達は、もはや沸き上がる大歓声など耳にも入らなくなった最愛の人のため、すべてを賭ける覚悟がある。

 

 夢のステージ。輝ける聖域。

 フタバタウン出身の幼馴染が、このような舞台で雌雄を決するこのシチュエーションは、歴史的な一幕であろうと誰しも戦前から唱えている。

 二人にとっては、そんなことさえ今はどうでもいいことなのだ。

 幼心には、そうなればどんなに凄いだろうと夢想したそれさえも、いざ実現してしまえばもう関係無い。

 目の前の、最高のライバルと、最高のバトルの果てに夢を掴み取る、その一念しか無いのだ。

 きっと、幼馴染同士でチャンピオンの座を懸けて勝負した、遠き地方の伝説的一戦の立役者二人とて、その日はそうだったに違いない。

 

「やるぞ、ムクホーク!

 お前に任せるからな!」

「ミーナ、頼んだよ!

 あなたの強さ、信じてるから!」

 

「「――――――――z!!」」 

 

 そしてきっと、一生、忘れられない勝負になる。

 観客にとってだろうか。視聴者にとってだろうか。二人の関係者にとってだろうか。

 いや、他の誰よりパールとダイヤにとって。

 楽しい時も、苦しい時も、ずっと、ずっとそれらを分かち合ってきた、6人の仲間達と共に夢に挑むこの舞台。

 長き旅路の終着点、そして勝者と敗者にとっての新たなる日々への繋がる始まりの時でもある。

 終わりと始まり、その繰り返しが連綿と紡がれた果てに、歴史という名の比肩するもの無き壮大なものを形作っていく。

 

 燦然と輝くこの舞台もまた、その長き歴史の中でのほんの一幕に過ぎない。

 そこに、その時代に生きた者達だけが知る、その舞台に立っていた者だけが知る、後世に振り返る者達には知り得ない掛け替え無きものがある。

 "いま"はいつでも歴史的だ。特別にして特別でない、常に輝かしきのが現在である。



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第155話  パールVSダイヤ

 

 

「いいわよっ、そうそう!

 頑張れパールっ、ミーナちゃん!」

「逆転あるある、ワンチャンいけるいけるっ!

 ムクホークだって厳しくなってきてるんだから!」

 

 会場の熱気は既に、先鋒戦からして白熱の模様を呈していた。

 パールとダイヤの強い声、指示、応えるミーナとムクホーク、両者の繰り広げる激闘は、機敏な双方の目まぐるしい動きもあり衆目に落ち着きを与えない。

 特に、制空権を持つことで大きなアドバンテージを持つはずのムクホークに、小さなミミロルがほぼ対等に渡り合えているこの図式が客受けが良い。

 勝つために戦っているんだという、傷だらけになりながらも眼光を光らせる姿には、小さく可愛らしい兎の風体でも色褪せぬ闘志がある。

 手負いとなったムクホークもまた、大事な緒戦を落としてたまるかと鋭い目つきであり、小兎を侮る捕食者のそれなどでは決してない。

 最高峰のバトルを見たくて集まってきた超満員の観客の前で繰り広げられる一騎打ちは、そんな大きな期待を一切裏切らぬハイレベルな攻防だ。

 

「いけるでしょうか……?

 あと一発"インファイト"が決まってしまったらもう……」

「大丈夫よ、可能性なんていくらでもあるわ!

 あの子とあの子のポケモン達の、底力って本当すごいんだから!」

「何か狙ってる目をしてるわね、パールも、ミーナちゃんも……!

 こんな逆境、慣れっこだろうしね!」

 

「ダイヤ、油断するんじゃないぞ……!

 こんなものは優勢なんかじゃない、一手で簡単にひっくり返される……!」

「先走るんじゃねえぞ小僧!

 アドバンテージを捨てるなよ! 正しい戦い方を見失うな!」

 

 女性ジムリーダーと四天王の集う特等席では、その中心でナタネとスズナがパールの逆転劇を期待してやまない。

 一度ムクホークの痛烈な"インファイト"を受けてしまってからというものの、大き過ぎるダメージに伴ってミーナの動きは落ちている。

 それでも踏ん張り、後続のとどめとなり得るムクホークの技の数々を、持ち前の俊足と"とびはねる"ことで凌ぎ、高所のムクホークにダメージを与え続け。

 しばしは余裕のあったムクホークも、跳躍して蹴りをぶちかましてくるミーナの攻撃により翼を痛めたか、今や決して万全の動きではない。

 スモモがミーナの劣勢を意識する中、それでもナタネとスズナがパールの勝利を望む声は、衰え知らずで大好きな後輩への声援として途絶えない。

 

 そして、真逆に白熱しているのが男性ジムリーダーと四天王の集う特等席。

 ダイヤの勝利を心から応援するヒョウタを始め、マキシもまた彼の勝利を願うにも等しい声を発している。

 黙って戦況を見守るトウガンも同様だろう。どちらかに肩入れすることが望ましくないことは理解しつつも、我が子が心から勝って欲しいと願う少年。

 無言の中でもその目はダイヤと、彼の相棒であるムクホークに向きがちだ。勝って欲しいと人情が騒ぐのはやはりこちらである。

 

「――ごめんなさい、お隣いいかしら?」

「え?

 はいどうぞ……って、えええっ!?」

「おや……!」

 

 そんな折、女性陣の集う特等席に姿を見せた人物には、隣に座っていいかと問われたスモモが驚愕の声をあげる。

 四天王のキクノもまた、静かなリアクションでありながら、内心ではなかなかに驚いたものだ。

 "彼女"は本来、この席には現れぬはずの人物として、その価値観を知るものなら周知のところであったはずなのだから。

 

「あははっ、来た来た! やっぱりね!

 ほらほらちゃんと見て! 今サイコーにいいとこよ!」

「きたあっ! ミーナちゃん、ガッツ見せてみろー!」

 

 一週間後に自分と対戦する挑戦者の手の内をあらかじめ見ることをアンフェアとし、この手の試合は決して観戦しないことで有名だったはずのシロナ。

 だが、そんな彼女の登場に、ナタネもスズナも微塵も驚きはしない。余程に異例の、過去に一度も例外の無かったことだと理解しつつだ。

 必ず来るはずだと、わかっていたからだ。ここには必ず、シロナがずっと求めてやまなかったものがあるのだから。

 

「ミーナっ、がんばれええぇぇっ!!

 ここが勝負所だからあっ!!」

「ッ――――z!」

 

 とどめのインファイトを仕掛けてきたムクホークに対し、ミーナは一切の回避行動を取らなかった。

 両手で耳を掴み、胸の前まで引っ張って背を丸め、"まるくなる"ことで耐えきらんとするかの如き体勢。

 直後、ムクホークの鷹爪とくちばしと翼、その全てで以って至近距離にてミーナを滅多打ちにする猛攻が繰り広げられる。

 防御を捨て、反撃を恐れず、これをとどめとせんばかりのムクホークの十連打めいた連続攻撃は、既に傷だらけだったミーナへ致命的な一撃のはず。

 勝負ありだと誰もが思うべき光景だ。これだけわかりやすい一幕ですら、必ずしもそうはならぬというのだから、ポケモンバトルはわからない。

 

「…………ッ!」

「いっけえええっ!

 メガトンキック、何連発でもいけえっ!」

 

 瀕死一歩手前になりながらも"こらえて"みせたミーナが、最後の力を振り絞って顔を上げ、ムクホークに勢いよく組み付いていく。

 その胸元に接触にするに際し、膝を突き立てさながら"とびひざげり"にも似た一撃を浴びせて息を詰まらせて。

 耳でムクホークの頭を捕まえると、ぐるんと身体を回して足先のムクホークの顎元に差し向ける。

 捕まえられたムクホークへの顎に、左足の、右足の蹴りを一発ずつショートレンジで打ち込んで意識を飛ばしかけて。

 最後にぐっと引いた両足を勢いよく突き出し、ムクホークの胸元を全力で蹴飛ばすとともに耳を離すのだ。

 

「ちっくしょー、焦ったか!

 ありがとな、ムクホーク! よく頑張ってくれたな!」

 

 宙返りして、なんとか片膝つきながらも立ってみせたミーナに対し、フィールドを転がされて倒れたムクホーク。

 勝負を決めにかかったインファイトの指示を"こらえる"ことですかされてしまい、敗因となったことを悔しがりながらもダイヤがムクホークをボールに戻す。

 へろへろになっているミーナだが、大事な一勝を飾れた事実はやはり嬉しく、まぶたの下がった片目でも誇らしげにパールを振り返っていた。

 やったぞ、すごいだろ、頼もしいだろあたし。

 どんなに傷ついても変わらない、いつものかっこいいミーナの姿だ。ガッツポーズで静かに応えるパールも、浮かれないよう耐えるのが大変である。

 

「よーし、次いくぞパール!

 二連勝なんて出来ると思うなよ!」

「ミーナ、まだいけるよね!

 最後まで頑張ろうね!」

 

 あと一撃受けたらどう足掻いてもアウトの満身創痍、そんなミーナをパールは引っ込めない。

 ミーナの性格はわかっているのだ。心配の想いで中途半端なところで引っ込められたら、ミーナは必ず不完全燃焼を不満とする。

 もう引っ込めてもいい局面でありながら、相手の元気な次鋒に一矢だけでも、それがミーナの望みだとパールが誰よりも知っている。

 

「ヘラクロスか……

 "とびはねる"ことが出来るミミロル相手にこの選択、なかなか強気よね」

 

「シロナさん、今日はどうし……」

「何言ってんのよスモモ、来るに決まってるじゃない!

 パールの晴れ舞台なのよ! パールの!」

「見ずに寝れるわけないでしょ、ね、シロナ?」

 

「……ふふ、そうね。本当にそう。

 迷ってはいたんだけど……やっぱり、来ちゃったわ」

 

 バトルフィールドでは、ミーナが気力を振り絞ってヘラクロスへと駆けていった。

 確かに頭上からの攻撃に対して弱いヘラクロスに、真上からの一撃を加える"とびはねる"攻撃は格別に効く。

 ただ、元より狙いが見え見えである上、はなから最も警戒すべき技だと意識されている中、それで攻めるのは分の悪い博打というもの。

 高確率で躱されて相手が無傷、ワンチャン大ダメージ、そこで堅実な手を選んだパールはもう、自分が思っているほどの未熟者じゃない。

 何よりも、闘い続けることを望んでくれたミーナが、より確実に爪痕を残せる道。パールはそれを叶えたかった。

 

 俊足ミーナの最も確実に当てられる技、ピヨピヨパンチをヘラクロスにぶち当てて、そこでミーナの使命は果たされたと言っていい。

 勿論すぐに離れて二の矢に繋ぐことも目論んでいたものの、ここまで来られたダイヤの育てた、流石に屈強なヘラクロスだ。

 受けたダメージに怯むこともなく、相手に離れられるより早く角を振るい、角先でミーナの胸部を打ち据える。

 これで動きの止まったミーナを、けさ斬りのように振り下ろした角で殴り据えてとどめである。

 何と呼ぶべき技なのか、観戦者にもパールにもわかりにくかったが、元より一撃受ければ終わりの余力だった対ミーナにおいては大きな問題ではなかった。

 

「よく頑張ってくれたね、ミーナ!

 あなたはいつでも、ずっとこれからも頼もしい友達だよ!」

 

 ミーナを引っ込めるに際し、きっと彼女にとって一番の労いになるであろう言葉を、しっかり探して伝えたパール。

 そして、パールが次のボールを手にするのも早い。

 長く保つとは思えなかったミーナ、そうだとわかっていればヘラクロスに対して繰り出す、次のポケモンのことなんて既に考えてあって当然だ。

 もう、目の前の勝負に頭がいっぱいになって、あらかじめ次の手を考える余裕も無かったあの頃とはもう違う。

 

「いこう! プーカ!

 今のあなたなら、きっとやれるはずだよ!」

 

「わぁ……っ! 楽しみ!」

 

 フワンテを繰り出したパールの姿に、会場と、ナタネらの集う特等席が別の意味でざわつく。

 ミミロルもそうだったが、進化した方が強いのに進化前だ。可愛いポケモンが好きなのか、でもそれって真剣勝負で不利では? という困惑が大衆の反応。

 ナタネとスズナは、パールの他の五匹のポケモン達を既に知っている。フワンテが知らない唯一だ。どんな戦い方を見せてくれるのか、その想いでいっぱい。

 バトルフィールドに立つ二人のポケモンが、大衆に周知される前であるこの第一挑戦者決定戦。先の読めなさはチャンピオンバトル以上のものがあろう。

 

「飛べれば勝てるなんて簡単に考えるなよ!

 ヘラクロス、やってやれ!」

「プーカ、びっくりさせちゃえ!」

 

 プーカとヘラクロスが初手の技を打ったのはほぼ同時。

 だが、先に相手を捉えたのはプーカの技であり、それがヘラクロスにとってはかなりの痛手となる。

 

「"おにび"だっ!

 やるじゃない、パールもフワンテちゃんも!」

「怖い技ですよ……!

 格闘使いのあたしなんか、いつも警戒してる技ですもん……!」

「うわぁ、でもヘラクロスも流石ね!

 飛行ポケモン相手の対策もバッチリじゃない!」

 

 プーカが目を光らせると同時、ヘラクロスのそばに無数に生じた青い炎が獲物にまとわりつく。

 致命的なダメージを与えるものではないが、本能的に感じるおぞましさに訴え、疑似的に焼け爛れさせられるような感覚を与える恐怖の技。

 プーカの"おにび"により、全身"やけど"の痛みを覚えたヘラクロスの動きが僅かに鈍り、角を地面に突き刺して振り上げたことで撃つ技が精彩を欠く。

 突き上げた地面から生じ、高所まで届く岩石の上昇列を生み出すヘラクロスの"いわなだれ"を、プーカは巧みに宙にて身を揺らし、回り、回避する。

 ファーストコンタクトの技の交錯は、火傷の痛みをここから背負い続けるヘラクロスと無傷のプーカ、まずはパール側が一歩リードというところ。

 

「徹底的にいくよ! プーカ!

 ガッツ見せてね!」

「いくぞヘラクロス!

 空の相手にも立ち向かえる、お前の強さを見せてやれ!」

 

 二本の手を振り上げるようにしたプーカが、フィールドいっぱいに嵐のような風を巻き起こす。

 その激しさたるや、ただの"かぜおこし"でありながらプーカのレベルの高さを証明するものであり、どよめく観客も今さらながらにその力量を理解しただろう。

 対するヘラクロスも羽を広げ、風に乗って宙を舞うプーカへと突き進んでいく。地上戦を得意とするヘラクロスだが飛翔能力はあるのだ。

 飛行タイプが苦手である以上、空の相手が出てきたら終わり? それで終わらぬ辺りが流石ここまで来たダイヤの育てた優秀なヘラクロス。

 楽に終わるはずがないバトルだを示唆する掛け声を発していたパールの姿も、そうだろうと見越していた表れだ。この舞台で低レベルな油断なんてあり得ない。

 

「凄いわ、あのヘラクロス……!

 飛ぶのは決して得意じゃないはずの個体が、あんな乱気流の中でしっかり相手を追えてる……!」

「ちょっとスズナ、誰のこと応援してるの!

 フワンテちゃんだって凄いわよ! きちんと大振りな攻撃は冷静に躱してる!」

「相手の強さを認めることだって大事よ?

 それに勝てれば、フワンテちゃんがいっそう凄いっていうことに」

「そういうことなら認めるわ!

 フワンテちゃん頑張れ~! 敵は強いわよ! かっこいいとこ見せて!」

 

 流石にジムリーダー、観客が夢中で歓声を送らずにいられない激しい空中戦を見上げながらも、冗談交じりに楽しく掛け合いをしながら楽しんでいる。

 いいバトルだ。だが、見る目に余裕があるのは練達者のそれ。

 シロナやメリッサやキクノの微笑ましく見守られ、スモモに苦笑されながら楽しむ二人は、根底で言えばやはりパールに勝って欲しいのだけど。

 それ以上に、こんなにも観客が熱狂するほどのバトルをあの子達が出来るようになった、その事実だけで今は胸がいっぱいで仕方ないのだ。

 

「落ち付いて当てろ! まずはそれからだぞ!

 一度捕まえてしまえばお前なら絶対勝てる!」

「プーカしっかり! こっちこっち!

 大丈夫! つらいのは相手の方だよ! あなたの方が絶対に有利!」

 

 飛び交うパールとダイヤの声は、もはや技の名を示さずして己がポケモン達を導く、トップトレーナーのそれとして完成されている。

 激しい風の渦中、その風に乗って見た目以上の速さで動くプーカを、なかなか捉えられぬと見ればヘラクロスも攻め方を柔軟に変える。

 命中率を重視した"つばめがえし"で一撃を掠めさせ、痛みに喘ぐプーカをさらに追い、角を振り下ろす一撃で決定打を与えにかかるのだ。

 意志や感情に敏感な幽体に対し、一撃にて仕留める想いを色濃く露わにしたその"つじぎり"は、フワンテに対してとりわけ強い威力を持つ。

 火傷を思わせる痛みに力を振り絞りきれないヘラクロスでありながら、掠められたその一瞬だけでもプーカにとっては痛打。

 苦しそうに身を震わせて目を閉じるプーカ、それを導かんとするパールの言葉の選び方もまた的確だ。

 強い痛みを受けた直後は、誰しも劣勢を意識して気持ちが弱るもの。そこに、決して劣勢じゃないと事実を伝えて貰えることで得られる活力もまた大きい。

 

 激しい乱気流の中において、決して飛翔を得意とはしないヘラクロスの羽は、軋んで悲鳴をあげている。

 時が経つにつれてヘラクロスに蓄積するダメージは大きく、その速さも尋常ではない。やはり"かぜおこし"はヘラクロスに極めて痛烈なのだ。

 そしてプーカもまた、滅茶苦茶な風でヘラクロスの羽を痛めつけるだけでなく、意図して作る一部の風の流れに乗って我が身を敵の攻撃から逃がす。

 こっち、とパールが言ってくれれば、迷いなく素早く行くべき方向を定め、ヘラクロスから逃げる動きも早く、速くなる。

 距離さえ一度作れれば落ち着く心を取り戻せる。闘志に満ちた眼差しながら、火傷と風に苦しむヘラクロスの本心をその瞳の奥に確かめられる。

 有利なのは私だ。必ず勝てる!

 

「ぷーーーーーーーーーーっ!!」

 

 可愛らしい声ではあるものの、突き進んでくるヘラクロスを急上昇して躱すプーカの気合を、少なくともパールは胸に強く感じられたはず。

 大きな舞台で、パールに勝利を望まれているのだ。何も果たせないまま負けてたまるものか。

 身を翻して追ってくるヘラクロスを、つぶらな瞳で、しかし強く見据え降ろして。

 ここだと信じられた勝負所。両手を振り上げたプーカの挙動と、パールが次の指示を発するのは殆ど同時のことだった。

 

「いっけえっ! とっておき!」

「ぷーーーーーっ!!」

 

 わかってくれるはず。信じたパールにプーカもまた応えた。

 上昇飛行でプーカを追ったヘラクロスが、宙でびたっと急激に動きを止め、羽ばたく羽の動きに反して敵に近付けない。

 強い念力で敵の動きさえも制する"サイコキネシス"は、いかに相手が超能力を苦手としようが、プーカの不慣れなそれでは動きを止めきれないはず。

 それを、激しい向かい風と念力の合わせ技を、下方に向けて放つことで、重力さえも味方につけてヘラクロスの羽の推進力を制しきる。

 まずい、墜とされる。そう感じたヘラクロスの必死さも、ここま悪条件が重なってしまえば勝ち目が無い。

 止まったヘラクロスが、じわりと後方に、地面に向けて後退したが最後、加速を得て地上へと真っ逆さまの落下を辿るのみ。

 抗う力も念力と風のみに対して相殺未満、ほぼ自由落下の速度でフィールドの真ん中へ叩きつけられる結末へと繋がっていく。

 

 痛烈な勢いで背中から地面に叩きつけられながらも、決してヘラクロスは目に光を失っていなかった。

 かえってそれが、プーカを刺激してしまったかもしれない。

 続けざまに両手をぶんっと振ったプーカの挙動、サイコキネシスの追撃。

 それによって、すぐには立てぬほど弱っていたヘラクロスが、一気にフィールド端の壁までぶん投げられるかのように飛んでいく。

 硬い壁面に叩きつけられたヘラクロスが地面に倒れ、それでも立ち上がろうとはするものの、もはやその余力が無いことは誰の目にも明白。

 苦い表情でボールを手にしたダイヤが、ヘラクロスをボールに戻すのは早かった。

 

「気にするなよ、ヘラクロス。相性が悪かったんだ。

 それでも、しっかりやること果たしてくれたんだよな。ありがとな」

 

 プーカに通ったダメージは決して小さくない。これが、次の戦いにおける大きな布石になる。

 そう信じているからこそ、ダイヤがヘラクロスに向ける感謝の言葉は本心だ。

 可愛らしい姿でありながら侮れないあのフワンテを、確実に撃破する構想はもうダイヤの中で完成している。

 

「さあ、ここからだぜ!

 一気に巻き返すぞ!」

 

「ん……!」

 

 ダイヤの投げたボールから飛び出してきた三匹目のポケモンは、パールの肌をざわつかせた。

 自分にとってのピョコと同じ、ダイヤにとっての最初のポケモンであったヒコザルの最終進化形。

 ゴウカザルのバトルフィールドへの降臨は、今やパトル環境下においてその高い実力が広く知られるが故、観衆の盛り上がりも自ずとまた高まる。

 

「プーカ、怯まないで! いくよ!」

「ゴウカザル! 一撃で決めてみせろ!」

 

「――――――――z!!」

 

 頭上の炎を一気に大きくしたゴウカザルが、耳をつんざくほどの気合と共にプーカへと飛びかかった。

 跳躍と一言で表現できる。特筆すべきはその速さ。

 プーカが初撃のサイコキネシスで相手を捉えるよりも、ずっと速く。

 あっという間にプーカとの距離をゼロにしたゴウカザルが、その爪の一振りでプーカをざっくりと斬りつけた結末が直後に続く。

 

「ゴウカザルに"おにび"は効かな……えっ、速っ!?」

「すごっ!? なにあのおサルさん!?」

「しゃ、"シャドークロー"じゃないですか? あれ……」

 

 まさに瞬殺としか言いようのない決着劇だった。

 それも、ゴウカザルが自身の苦手とする、エスパータイプやゴーストタイプに対する、明確な対策法を得ていることをも示す一幕。

 単にその鮮烈な決定力に感嘆の声が観客席をいっぱいにする中、有識者ほどさらにその技に驚嘆をも得るというものだ。

 

 流石に面食らったパールだったが、力を失い地面に向けて落ち始めていたプーカをボールに戻す行動に移るのも遅くない。

 動揺から立ち直るのも、過去に比べてずっと早い。想定外のことを前にすればうろたえるばかりだった頃など、今や遠い昔の話である。

 

「いいんだよ、プーカ。悔しがらなくたっていい。自慢できる勝ちだったよ

 あなたが果たしてくれたこと、必ずダイヤに勝つ結果まで繋げてみせるからね」

 

 手持ちに受け入れてから日は浅くたって、ここでもっと頑張りたかったプーカの性格ぐらい、短い期間でパールはわかっている。

 きっとプーカは、どうしてもパールの手持ちの中では一番強くない。

 それでもヘラクロスを撃破してみせてくれたのだ。充分という言葉で足りようものか。

 勝利という結末へ至る道、その6分の1を進ませてくれたことの大きさが例えようもなく大きいことは、ポケモンバトル経験者なら誰でもわかるはず。

 

「――いこっか、ニルル!

 相手はすごく強いよ! でもあなたならやってくれるって信じてる!」

 

 ミーナの時より次のポケモンを考える時間が短かったぶん、先程よりは少し間が空いたが、パールが選んだのは定石に沿ったもの。

 炎ポケモン相手にはやはり水だ。残る他の手持ちを鑑みても、やはりそれしかあり得ない。

 フィールドに降り立ったニルルが、トリトドン特有の鳴き声を気合混じりに上げる中、バトルは中盤戦へと移行していく。

 まだまだ始まったばかりとも言え、先はまだ長く、小さな失敗が後に少なからず響き得る局面が続いていく難しいとも言える繊細さも併せ持つ。

 そんな時点でダイヤが切り札を繰り出している事実もまた、それがダイヤにとってそうだとわかっているパールには、先が読みづらい流れであろう。

 

 開戦以降、一度も静かにならぬポケモンリーグの聖戦域。

 こんな時間がいつまでも、永遠に続いたって構わない。それほどまでに観衆も酔いしれる、そんなバトルをパールとダイヤは繰り広げられている。

 一年前にはポケモントレーナーですらなかった二人。間違いなく、この時点でも偉大なことを成し遂げていよう。

 そんな自分達であることを、今の二人は微塵も理解していない。

 目の前の相手に、親友であり幼馴染であり、二度と無いこの舞台で勝つことで頭がいっぱいなのだから。

 目の前の勝利のための全身全霊。見る者を魅了する真剣勝負、それに最も必要なものに相違ない。



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第156話  ポケモンバトル

 

 

「よーし、一旦戻れ! ゴウカザル!」

 

「だよね……!」

 

 相手はトリトドン、水タイプかつ耐久力の高い難敵。

 ダイヤにとっての切り札級であるゴウカザルが、真っ向立ち向かっても損しか無い相手だ。

 交代を選んだダイヤと、頷くパールは目を合わせ、互いの成長を認め合うかのように嬉しそうに笑い合った。

 俺こういうことも迷わずに出来るようになったぜ、そういうあんたと勝負して勝ちたい、そんな二人の心の声は、きっと音に出さずとも胸に響き合っている。

 

「さあ勝負だ! 何を出すか当ててみろっ!」

 

「ニルル撃てえっ! 必殺技!」

 

 交代は隙を晒すリスクがある。新しく出てくるポケモンは、出所めがけての攻撃によって狙い撃ちにされてしまうからだ。

 それがわかっているから出てくる方も、すぐに動いて回避をしようとするものだが、跳躍して着地の瞬間を狙われたのと同じようにやはり難しい。

 ダイヤのボールから飛び出してきた個体に対し、ニルルはパールの言葉から瞬時に解答を得て、今ここで撃つべき技をしっかり選び抜く。

 

「んなぁ!?」

 

「きゃーーーーーっ!! すごいすごいすごい!

 パールもニルルも最高! その読み冴えてるわ!」

「あれってちゃんと技の指定してたわよね?

 ニルル君任せとかじゃないわよね?」

「さあ、どうだろ!? でもきっとちゃんと選んでるわ!

 ほらほらパール見て見て! あのガッツポーズ!」

 

 だから迎えて撃つ側も、新しく出てくる相手を見る前に技を選ばなくてはならない。

 そんな中でニルルが放った技が"れいとうビーム"であり、ダイヤが出してきたのが草タイプのロズレイドだというのだからどんぴしゃり。

 推しが絶好策を成功させたことに手を叩くナタネだが、一番嬉しいのはパールに決まっている。

 握りしめた両手で、小さいけれど打ち震えんばかりのガッツポーズ、あれは賢いニルルに任せて上手くいっただけの喜びようではない。

 自分なりに読みを利かせ、それが嵌まった時の喜びぶりだと傍目にもわかるはずだ。

 "必殺技"でニルルに連想させたのは、過去最もニルルが強い相手と勝負した相手、アカギのドンカラスを撃破したあの最新技であり、明確な指示である。

 

「ニルル戻るよ! 流石にきっついから!」

 

「ロズレイド、わかってるな!?

 ここで撃つ技アレしかないぞ! ちゃんと狙えよ!」

 

 そして、パールもニルルを引っ込める。草技はニルルの唯一にして最大級の弱点。 

 駆け引き勝負で後れを取り、手痛い一撃を浴びせられたダイヤとロズレイドだが、その上で逃げられてしまったことを悲観などしていない。

 氷技を受けて怯んだ体も立て直した。その時間が与えられたことは好材料だし、新たに出てくる相手を狙い撃つチャンスを見過ごしはしない。

 

「いくよ! 今日も頼りにしてるから!」

 

「撃てえっ!!」

 

 パールのボールから飛び出してきたポケモンを、ロズレイドの"ヘドロばくだん"が直撃する。

 出てきてすぐの跳躍で躱そうとしたふしはあったが、やはり登場の瞬間を狙い撃たれては躱し切れない。

 あまりタフネスに秀でないララが、ロズレイドの強烈な毒素を含む毒液の塊の直撃を受け、頭をのけ反らせるほど後方によろめく。

 

「誰が出てきても効くからな!

 いいチョイスだろ!」

「ギャンブルしないんだね、ちょっと意外……!」

「勝つためだかんな! 今日だけは絶対に負けたくない!」

「へへっ、私も!

 ずっと続けてたい気持ちもあるけど、やっぱり終わる時は勝って終わりたい!」

「わかるぜ……! ほんと、そんな感じだよ!」

 

 パールがここで、草タイプに弱いポケモンを新たに出してくるはずがない。

 一方で毒タイプの技は、効きの弱い相手こそ少なくないものの、パールの手持ちの中にそういうポケモンがもう残っていないのだ。

 それに、ロズレイドに対して有利なタイプに限って、毒に対する耐性は併せ持っていない傾向もまた強い。地面タイプなら草技で後からでも迎え撃てる。

 唯一パールの手持ちで、草に強い飛行で毒にも強いゴーストタイプのプーカが撃破済み、というのも強気でこの選択ができる根拠であろう。

 

「頑張ろうね! ララ!

 ぜったい油断しちゃ駄目だよ! 相手は強いんだから!」

「押し切るぞ! ロズレイド!

 何人も何匹もぶっ倒してきたお前のパワー、見せつけてやれっ!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 有利なはずの氷タイプ、だがそれだけで押し切れる相手じゃないと、楽観回避ではなくしっかり理解した上でそれを伝えるパール。

 不利なはずの草タイプ、それは決して悲観するばかりになるほどのものじゃないと、気休めではなく心から信じて訴えるダイヤ。

 大多数の観客は、冷凍ビームを受けたダメージの残るロズレイドの方が分が悪いのでは? と感じているだろう。

 まったくそうは認識していないララとロズレイドが、必勝を志す気合を発して力強い技を繰り出す激戦の舞台へと身を投じていく。

 

「さて、ニューラの方が有利だって言い切れるのかしら。

 決してニューラは、その高い攻撃力を活かせる氷技を得意とする方じゃないわよ」

「あたしの必殺技の"ゆきなだれ"でもあれば話は大きく変わるだろうけど……

 流石にあれは我流で覚えられる技じゃないと思うなぁ。

 あたしだって、それだけの技を編み出した自信はあるしさ」

「んむむ~、"こごえるかぜ"の一点張りじゃロズレイドは倒しにくいわよぉ。

 あたしもロズレイドが切り札だからわかってるけど、ロズレイドに勝ちたいなら物理技の方がいいんだから」 

 

 草タイプに氷技がよく効くとはいえ、"こごえるかぜ"は元々威力の低い技で、ましてララはそれを高威力に引き上げる才を持つ個体ではない。

 撃てば確かに効いているし、ロズレイドの動きが鈍っているのも事実だが、それで執拗に攻め続けても決定打まではやや遠い。

 ロズレイドの撃ち返してくる、命中性の高い"マジカルリーフ"による着実なダメージの方が重そうだ。

 さらにダイヤとロズレイドは、追うも狙うも億劫だと感じるや否や、"ギガドレイン"で攻撃と回復を両立する戦法に切り替えてくる。

 こうなってくるといかにタイプ有利の組み合わせとて、ダメージレースでララは不利な流れでさえあろう。

 

 パールだってわかっている。凍える風の威力が高くないことなんて、ララのトレーナーならわかっていなきゃおかしい。

 ある程度それを浴びせ、体力と速度を削ぎ落とした頃合いを見て、パールが元気いっぱいの声で指示を出す。

 それを聞けばララも、待ってましたとばかりにロズレイドへ飛びかかるのだ。

 あとは弱らせた相手を自慢の爪で撃破する接近戦。振るう技は"つじぎり"のみ。

 迎え撃つロズレイドも、ブーケ状の手先から毒針を露出させ、さながら二刀流の剣士の如く凶刃に抗ってみせる。

 近接戦闘もこなせる優秀なロズレイドだ。だが、ここでの毒針はあくまでもあいての爪を凌ぐための防衛手段に過ぎない。

 その防御を縫い、鋭い辻斬りの一撃を重ねてくるララに傷を負わされながら、後ろ跳びに距離を取れば苦しい表情ながらも両手を前に。

 そして撃ち出す"ヘドロばくだん"は、ロズレイドの高い攻撃力を最も活かせる技の一つであり、両手を交差させてガードしたララに尚甚大なダメージを与える。 

 

「頑張れぇ~! フクザツだけど、パール頑張れ~!

 あたしのロズレイドを破った時みたいにかっこいいとこ見せろ~!」

「……楽しそうね」

「ロズレイドが負けるところもなんだか見たくないけど、パールが負けちゃうのはもっとイヤ!

 熱だって入るわよ! 一秒も目を離せないわ!」

「ふふ、そうじゃなくて。

 あの二人が、ね」

 

 推しの一世一代の舞台でナタネが熱くならずにいられないことぐらい、シロナにしてみれば聞かなくてもわかる話。

 シロナが楽しそうだと言っているのはナタネのことじゃない。パールとダイヤだ。

 ヘドロ爆弾を受け、腕が軋み、毒液を浴びた全身がびりびり痛むであろうにも関わらず、決死の想いで前に出るララ。

 怯まぬ闘志を前に追い詰められながらも、負けてたまるかと決して得意でない毒針による防御で食い下がるロズレイド。

 激しい近接戦闘が繰り広げられる中、絶えず指示の声を叫び続けるパールとダイヤの声は、耳でのみ聞けば必死さしか感じ取れまい。

 

 あの二人が今、どんな顔をしているかを見ることが出来るのは、テレビ観戦ではなくこの現地へ足を運んだ観衆の特権だ。

 ポケモン同士の鍔迫り合いを一秒たりとも見逃さぬ生放送に、二人の顔などわざわざ映されない。

 勝って欲しい想いで必死な指示を発する二人の目が、ぞくぞくするほどの高揚感で煌めき、口の端を上げずにいられぬ姿を見逃してはあまりに勿体ない。

 重ね重ね、必死なのだ。それ以上に、楽しいのだ。

 時を同じくして故郷を旅立ち、顔を合わせぬ長い間でも、心のどこかであいつは今どうしてるんだろうと意識し続けてきたライバル。

 ようやく叶った、どちらの旅路が私を、俺を、一番勝ちたい相手を超える力を培わせてくれたものなのかを問う決戦の舞台。

 心震えずいられようものか。観客以上に、二人の鳥肌はずっと立ちっぱなしだ。

 

「いけぇーーーっ!!

 ララっ、とどめだあっ!!」

「――――z!!」

 

 ララが両爪でロズレイドの毒針二本を叩き上げ、がら空きになった相手の胸元を目の前にしたその瞬間、そうなることをわかっていたかのように。

 届いたパールの声援に背を押され、迷い一つ無く一歩踏み出したララの辻斬りは、ロズレイドのボディに×の字の深き傷を負わせることに成功する。

 激しい鍔迫り合いの中で幾度も斬りつけられていたロズレイドが、この一撃で後ろに倒れ、立ち上がろうとするも両手がもう動かない。

 苦虫を嚙み潰したような表情のダイヤが、ロズレイドをボールに戻したことで決着が確定する。

 

「悔しいよな、ロズレイド……!

 でもお前があいつを追い詰めてくれたこと、絶対無駄にはしないからな!」

 

 労いの言葉をロズレイドに向け、しかしすぐに気持ちを切り替えたダイヤが次のボールに手をかける。

 残り三匹。パールより早く折り返し地点に入った。

 だが、それはすぐに巻き返せる僅差だ。パールとて同じ認識だろう。

 

「いくぞパール! まだまだここからだぜ!

 あっという間に逆転してみせるからな!」

「さぁー、来い来い!

 負けないよ、ダイヤ!」

 

 ダイヤが繰り出したのはフローゼルだ。

 開戦間もなく、両者が繰り出す技は、凍える風と"アクアジェット"。

 余力の少ない自分に出来るのは、威力は小さくとも相手の速度を落とすこと。それがララの戦い方。次に繋げることを絶対に忘れない。

 弱った相手は速攻で叩き潰せ。早く倒してしまえば傷もそれ以上負わない。それがフローゼルとダイヤの好む戦い方。

 水を纏った速攻技でララに激突するフローゼルの攻撃は、ララに致命傷寸前の重いダメージを与えるも、ぎりぎり仕留められていない。

 

 吹っ飛ばされるようにしながらも二本の足で着地し、踏ん張り、撃っていた凍える風の射出を止めないララ。

 ダメージは少ない。だが足が鈍る。早期決着を迷わぬフローゼルの、二発目のアクアジェットの発動もまた早い。

 瞬く間に距離をゼロにされたララが、撥ね飛ばされる交通事故のように宙を舞い、胸を下にして地面に叩きつけられる光景は、決着の様相を呈している。

 

「ありがとう、ララ……!

 あなたのおかげで、まだまだイーブンだよ!」

 

 ララをボールに戻したパールもこれで残り三匹。

 フローゼルに与えた僅かなダメージ、そして後出してポケモンを選べるアドバンテージ、この二つをリードしている根拠とするのはあまりに楽観的だ。

 ララを労う言葉にイーブンというものを選んだパールもまた、そう強く認識している証拠である。

 まだ優勢、という言葉を使わなかったのだから。勝負の天秤が小さなきっかけで簡単に傾く、そんな状況を未だ逸していない。

 

「行こっか、パッチ!

 うずうずしてたの、わかってたよ!」

「来たな……!」

 

 いよいよパールが、エース格を繰り出してきた。パッチがそうだというのはダイヤだってわかっている。

 パールの声を聞けばわかるのだ。見てきていなくても、あれが何度もパールの勝ちたい勝負を勝たせてきた、最強格の一角であることは。

 強敵なのだろう。だが、今や未熟なトレーナーではないダイヤは、これがある意味での好機であるとも知っている。

 相手のエース格が出てきたということは、それを打ち倒した時に相手に与える、精神的なダメージも大きいのだから。

 モウカザルが、ゴウカザルが敗れるたび、ダイヤも幾度となく経験してきたことである。

 

「戻れ、フローゼル……!

 勝負したいからな!」

「パッチ狙って! 全力で当たれるよ!」

 

 ダイヤもレントラー相手にフローゼルを突っ張る愚は犯さない。パールも織り込み済みの展開だ。

 そして次のボールに手をかけるのが早いダイヤの動きを見て、向こうも切り札めいたものを出してくるんだと直感する。

 一息入れる暇さえ許されない戦いだ。目で、耳で、肌ででも、勝つために何もかもを見逃すまいとするほどに、二人の集中力は研ぎ澄まされている。

 

「頼んだぜ! カビゴン!

 ここが勝負所だ!!」

「パッチいけえっ!!」

 

 バトルフィールドにずしんと大きな音を立てて現れた巨大な影に、パッチは物怖じ一つせず電気を纏って突っ込んでいく。

 相手が地面タイプだった時のことなど考えていない。出してくるなら出してきてよろしい。

 一番の得意技で一番の威力を。ここにきて駆け引きを度外視し、それを選べるのも度胸の賜物だ。

 

「強そう……!

 ダイヤ、凄いポケモン育ててきたんだね……!」

「お前もな!

 そのレントラー、デンジさんのレントラーより強そうだぜ!」

 

「言ってくれるねぇ……

 まあ、確かに俺が本気で出す時のレントラーでも、そう簡単には勝てそうにない相手だけどな」

 

 バッジを賭けたバトルの範疇では、真の切り札たる最強のレントラーを出せないデンジ、少々苦笑い気味にダイヤの放言を許容する。

 実際、あのレントラーは凄いと思う。三匹抜きしたあの強さは尋常じゃない。

 だが、デンジはダイヤのカビゴンの強さも知っている。先日、バッジを賭けたダイヤとの勝負でも、あれの強さは目の当たりにしているのだから。

 

「へえ。

 デンジ君、珍しくそわそわしてるな」

「うちのエースを破った者同士の勝負だからな……!

 どっちが上なのか、ここで見て確かめられるなんてたまらないさ!」

 

 多くのバトルを冷静に眺めることの多いデンジが、僅かに前に身を乗り出したことをゴヨウは見逃さない。

 しかし、無理からぬことだろうとも思う。ほんの数日前に、自分を打ち破ったトレーナーとポケモン、そのぶつかり合い。

 どちらが上なのか、それを確かめる真剣勝負。男の子なら誰もが手に汗握る、最高のシチュエーションだ。

 ゴヨウとて、それに強い共感を得ながら再びバトルフィールドに目を戻すのみ。

 

「パッチいくよ!

 おっきい相手にだって、あなたは絶対負けないんだから!!」

「カビゴン、今までで一番強い相手だと思えよ!

 それでも勝つのは、強いのはお前の方だあっ!」

 

 電気を纏い、再び突き進むパッチ。

 余りある巨体で躱すのは難しく、敢えて受け、痺れる全身の痛みに耐えて拳を返すカビゴン。

 どちらも痛烈な一撃を受けながら、怯みもせずに次の攻撃へ。

 パッチが迸る"10まんボルト"の電撃でカビゴンの全身を焼けば、カビゴンもぐるんと全身を回して放つ蹴りでパッチをぶっ飛ばす。

 意識が飛びそうなほどの一撃を受けながら、四本足でしっかり着地するパッチも、ぶはあと息を吐くカビゴンも身体は前のめりだ。

 一歩も退く気などない。既にクリティカル級の痛打を受けた直後であっても、尚。

 自分の方が先に倒れる、それだけは絶対にあってはならない。そんな信念が両者の喉奥から溢れる唸り声に表れている。

 

「シロナ……」

「駄目ね、あたし……

 もう、見えないわ……」

 

 両目を手で覆い、うずくまるシロナの心境はスズナにもわかった。

 涙でいっぱいになった顔を上げられない彼女をそうさせたのは、バトルフィールドで勝利のために死力を尽くすポケモン達の姿。

 そして彼らが、彼女がそこまでしてでも勝たせたいと思う、大好きな、大好きなパールとダイヤがそこにいるという事実。

 そうだ、これがポケモンバトルなんだ。

 血生臭い闘争の日々が続く中、世界ともども失われかねなかったこの概念は、今ここに実現しなかった可能性を思えば思うほど尊くてたまらない。

 

 傷つくことも厭わずに、大好きなご主人を勝負に勝たせて、喜びを分かち合いたい一心で戦うポケモン達。

 そんな彼ら彼女らの献身を、きっとあの二人は誰よりもわかっている。

 ポケモンバトルとは、人間がポケモン達に喧嘩の役目を押し付けて、勝利の優越感を得るだけのエゴの象徴なのだろうか。

 真のポケモントレーナーであればあるほど、自分はそうなのかもしれないと悩むことあれど、他者のそれを同じものとして蔑むまい。

 極めて純真な想いで、戦い、傷つき、勝利し、喜んでくれるポケモン達を抱きしめ、感謝する気持ちをどうして忘れられようか。

 それがポケモンバトルなのだ。利益や目的の達成のため、ポケットモンスター達を使役する闘争となど、決して一緒くたにされてたまるものか。

 命を奪うためでなどなく、争う相手の尊厳を傷つけるためでなどなく、ただただ勝利とそれを分かち合う喜びのための無辜なる真剣勝負。

 この世界からそれが喪われぬ今を勝ち取り、その輝きを誰よりも実感して目にするシロナの胸にあるものを、感無量と言わずして何と言えようか。

 

「しっかりしなさいよ! 一つも見逃しちゃ駄目!

 これがあなたやパールが守り抜いた"今"で、これからのシンオウ地方のトレーナー達を導いていく"未来"そのものなのよ!

 ちゃんと顔上げて涙拭って見届けなさい! チャンピオン!」

「いた、っ……!

 そうね……そうよね、っ……!」

 

 シロナに目もくれず、しかし彼女の背中をばっしーんと叩くナタネもまた、個人の感情を超えた想いでこのバトルから目を離せない。

 可愛い可愛い後輩の夢舞台、ほんの僅かも見逃したくない想いもあろう。

 それ以上に、かすかに残る己自身の幼心を呼び起こせば生じるものが、羨望にも近い想いを胸の奥に生じさせてくる。

 こんな舞台に立ってみたかった。きっと、幼い頃の自分はこんなドリームステージを夢見ていたはずだ。

 だからこそ確信できる。このバトルを、ここで、あるいはテレビを通して観た若きトレーナー達は、いつか僕も私もこんな舞台にと必ず夢見る。

 互いに勝つための全力で頭がいっぱいの二人が、今まさにシンオウ地方のすべての人々に夢を与える主役そのものだ。

 感無量と言うならナタネだってそうだ。あの子が、今はもう、こんな。ぐしっと目を拭う所作を何度も挟んで、ナタネはこのバトルから目を逸らさない。

 

 熾烈を極める激闘からは、もはや観客もまばたきを忘れていただろう。

 小さな跳躍で"じしん"を起こしたカビゴンに対し、その挙動前の僅かな動きから咄嗟に、跳躍を指示したパールがパッチを高所に導いている。

 ベストパートナーが地震の使い手なのだ。今日初見の技に対し、揺れに足を取られるパッチという展開を回避させる、その指示の的確さは目を瞠るものがある。

 そのままカビゴンの胸元に襲いかかり、"かみなりのキバ"を突き立てるパッチがカビゴンの柔らかい肉を抉りにかかる。

 溢れる血と流し込まれる電流、細く開かぬとされる目さえ開きそうな苦悶の中、カビゴンはその両手でパッチを捕まえて。

 突き立てられた牙を無理矢理引き抜き、それによって胸の肉がぶちりと千切れようがお構いなし。

 観客の一部から悲鳴めいた声さえ上がる中、振り上げた両手でパッチを地面に投げつけて叩きつけるのだ。

 

 剛腕のカビゴンに力任せに叩きつけられ、さしものパッチも息が詰まってすぐには立ち上がれない。

 すかさず踏み切ったカビゴンが、その巨体とお腹でボディプレスしにかかる"のしかかり"は、一撃必殺をも思わせる大技だ。

 逃げきれなかったパッチを460kgのカビゴンが押し潰す光景は、勝負ありと見て誰しもが疑わぬほどの一幕。

 パールでさえもが、指示も忘れてパッチの名を呼ぶだけの大声を出すほどには、この一撃は圧巻であったと言える。

 

 それでも折れない不屈の心が、パッチをここまで強くしてきたのだ。

 死んだとさえ思われるような巨体の下敷きにされたパッチが放つ放電は、触れているカビゴンが全身を痙攣させるほど凄まじい。

 カビゴンも耐えていた。自身の体重でぐっとパッチを圧し潰し続け、歯を食いしばって相手が力尽きるまで逃がさない。

 それでも、その巨体でも覆い切れぬほどの放電の迸りは途絶えず、カビゴンの胸の傷口から身体の内側までも焼き切りにかかる。

 先に折れたのはカビゴンの方だ。だが、ただで転ぶものか。

 置き上がったカビゴンはすぐさまパッチを両手で捕まえて持ち上げると、手を介して流される電流にも耐え、パッチの眉間を打ち抜く"ずつき"をぶちかます。

 

 駄目だ、駄目だこれは、意識が飛ぶ。

 いや、屈してたまるか、飛んでないんだ、耐えて耐えて耐え抜け。

 一瞬限り、失神したかのように目を剥いたパッチだったが、すぐにぎらりと眼光を取り戻し、至近距離のカビゴンをその眼光で戦慄させる。

 首を突き出し、カビゴンの鼻っ面にがずりと牙を突き立てるその執念は、意識ある限り絶対に折れぬパッチの真骨頂。

 頭部に刺された"かみなりのキバ"から流し込まれる電流は、さしものカビゴンも頭の中まで焼かれるような感覚で、こちらも意識が飛びかける。

 

 そんなカビゴンの名を呼んでくれるダイヤの声が、ぎりぎりのところでカビゴンに膝を着かせない。

 ぎら、と目を光らせたカビゴンが、両手で力強くパッチの両側頭部を挟む一撃が、げはっと顎の力を失うパッチを実現させる。

 そうして再びパッチの頭を両手で掴み、再び頭突きをぶちかますと、カビゴンは上空に向けてパッチを放り投げる。

 あとは落ちてくるだけのパッチを、握りしめた拳で殴り飛ばすのみだ。

 今のパッチにだけはなりたくない、そう誰もが思うほどのオーバーキルのとどめを、カビゴンもダイヤもそうは感じていない。

 そこまでしなければ勝利が確定しない相手だと、そう思わしめるものがパッチにはあったのだから。

 

「……パッチ。

 私、負けないからね」

 

 完全に気を失っているパッチをボールに戻し、語りかけたその言葉はきっと、パッチの耳には届いていない。

 だが、ダイヤの望んだ展開にはならなかっただろう。エース格を撃破して、パールの気持ちを後ずさらせたかったのだけど。

 不屈のレントラーが見せつけた、勝利のためには一歩も退かぬその姿は、むしろパールにその精神性を分け与えてすらいる。

 一勝もせずして敗れてなお、その敗北は味方への危機感を煽るのではなく、勝つために最も必要なものを鮮烈に伝えるのみ。

 次のボールを手にして、何ら折れていない目をダイヤに向けるパールの表情に、ダイヤの方こそマジかよと動揺しそうになる。

 

 普通、切り札級の誰かが一勝も出来ずに負けたら、精神的に少しでも追い詰められるものじゃないのか。少なくとも俺はそうだったのに。

 強くてエース、切り札の一枚、それでいて破られてもパールを怯ませるどころか奮い立たせるだけだなんて、そんな奴今まで見たことも聞いたこともない。

 それが、パールとあのレントラーの特別な関係なのだ。信じられないほど、互いを高め合うことしかしない。

 わかっていたつもりだったけど、だけどわかっていなかったこと。

 ダイヤは今初めて、パールが今までバトルしてきたどんなトレーナーより、どんなジムリーダーにも勝る強敵だと強く認識する。

 

「――ピョコ!!

 絶対、勝つよ!!」

 

「――――――――z!!」

 

 そして、パールが繰り出してきたそのポケモンが、疑い無き最大の切り札だとダイヤにはわかる。

 自分にとってのゴウカザルと同じ、パールにとっての初めてのポケモン。

 最も長く、苦楽を共にしてきた、そして育て上げてきたパールのベストパートナーがとうとう姿を見せたのだ。

 それも、描いた思惑は全く叶わず、怯むどころかいっそうの勝利への執念を燃やした、精神的にも最も怖い様相となったパールと共にだ。

 残りポケモンの数では逆転しているはず。だが、そこには確かに数字だけでは語れない、精神的に後ずさりかけたダイヤの姿があった。 

 

「っ……!」

 

 両手で自分の頬を、ばっちーんと凄い音を立てて叩くダイヤ。

 今まで、一度もやったことのないことだ。パールは時々やるけれど。

 目の前の幼馴染が、自分に気合を入れ直す時にやっていることを真似るダイヤは、その一瞬だけパールに劣っていることを認めていた。

 ライバルの気合の入れ方に倣うなんて本当はしたくないけれど。それでも、勝利だけは譲れないのだ。

 

「くぅ~~~……!

 これ効くなぁ、パール! 一気に目が覚めた!」

「へへっ、そうでしょ……!

 女の子の私が顔を痛くしてでもやるんだから、よっぽど気合入るんだもん!」

 

 パールは嬉しかった。自分の真似をしてでも勝ちたい、それだけダイヤが自分との勝負に必死になっている。

 負けん気の強いダイヤなんだから、自分の真似をするなんて本意じゃないことぐらいわかるのだ。

 精神的に立ち直った表情のダイヤは、対戦相手として見るなら厄介な展開だと認識すべきなのだろう。

 そんなこと以上に、二度とないこの勝負に、何かをかなぐり捨ててでも全身全霊を賭してくれる、それに対する嬉しさの方がずっと勝つ。

 決着は少しずつ近付いているのだ。その残された時間を、ダイヤがいっそう濃くしてくれる事実がパールにはたまらない。

 

「ありがとう、ダイヤ。

 私、あなたのことライバルだって思ってきて間違ってなかったよ。

 今日、ここであなたと勝負できて本当に嬉しい」

「あははっ、今さらだろ!

 俺はずーっと、お前と決着つけたかったんだ!

 絶対、最高のバトルになるって信じてたからな!

 それに恥じない実力をつけてこられたこと、心の底から誇れるよ!」

 

「……ずっと、ライバルだよ。

 今日は、私達が勝つけどね!」

「うるせー! 勝つのは俺と俺のポケモン達だ!

 お前に勝つためだけに、今日はここに来たんだからな!」

 

 ピョコも、カビゴンも、目を離せぬほどの強敵を前にしながら、ちらっと後ろのご主人を一瞥し、小さく笑わずにいられなかった。

 そして再び相手に目をやり、目を合わせ、お互い何も示し合うわけでもなく小さく頷き合う。

 そこには鳴き声も疎通も無く、同じ想いを共有する者同士の、静かな共感のみがあった。

 うちの自慢のご主人だぞ、と。でも、お前のご主人も良い奴だよな、と。

 これから最愛のご主人の勝利を賭け、熾烈な戦いに身を投じようとする者同士ながら、そうせずにはいられないほど両者ともご主人が大好きなのだ。

 

 それも、短い時間。さあ、始めようかとばかりに。

 ピョコがずしりと前脚を踏み出し、カビゴンは傷ついた胸をどんと叩き、双方かかってこいという闘志を露わにする。

 その臨戦態勢は、パールとダイヤの意識を戦場に引き戻し、幼馴染同士の目をポケモントレーナーのそれに変えてくれる。

 いつだってパールは思う。ダイヤだって今まさに実感している。

 そんなあなた達が、お前達がいてくれたからこそここまで来られたんだって。

 

「ピョコ! 勝とうね!」

「カビゴン! 絶対負けねえぞ!」

 

「「――――――――z!!」」

 

 大会場の最後部席まで揺るがすほどの咆哮は、まさにこの長き戦いの決着が近付いていることを表すかのような最後の鬨。

 身が竦むようなほどの咆哮に息を呑んだ観客も、すぐに目を覚ましたかのように大歓声を上げる。

 誰もが観たかった真剣勝負、最高峰の戦い、そしてその結末。

 それが近付くにつれて、この一戦を見届ける者の胸を震わせる熱狂は、その熱さを次々に更新して最高潮へと達していく。

 ポケモンリーグの舞台で繰り広げられる試合には、常にそれだけのものが求められている。パールとダイヤの勝負は既に、はっきりとその境地に達していた。



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第157話  ポケットモンスター

 

 

 歓声の少ないバトルだった。観客席はずっと大騒ぎだったが。

 ピョコとカビゴンの巨体と重みが幾度となく生じさせる複合大地震が、観客席をずっと悲鳴とざわめきに満たしていたというだけである。

 大きく地を揺らす力を持つポケモンが揃うことも多いポケモンバトル、会場となるような場所の耐震性は確実に保証されているのだけれども。

 それにしたって幾度となく繰り返される、激しい縦揺れ横揺れを長時間味わえば、リーグ会場とはいえホントに大丈夫なのと客さえ怖くなってくる。

 怯える我が子をぎゅっと抱きしめ、背中を丸めて客席に縮こまる観客でいっぱいであった。

 これもまた、最高峰のバトルを期待して集まってきた現地の観客が味わう臨場感であり、恐怖心が生じるなら税金みたいなものであろう。

 立っていられないバトルフィールド上、はなからぺたんと座り込んだパールやしゃがむダイヤが、地面に打たれる足や膝を痛めているのよりはマシなはず。

 

「くっそー! ありがとな、カビゴン!

 あんな奴相手によくここまで頑張ってくれたよ!」

 

 根性自慢のピョコとカビゴンの対決は、辛くもピョコに軍配が上がった。

 両者の地震によりお互いの足元が定まらぬ中、ピョコの突撃やウッドハンマー、カビゴンの頭突きやメガトンパンチがぶつかり合う、壮絶な殴り合い削り合い。

 ピョコの額にその拳をぶつけた直後、力任せに押し返され、よろめいた所をウッドハンマーで顔面を打ち抜かれたカビゴンが。

 ふらついた末に巨体による体当たりを受けたことで、背中を下にずしぃんと倒れた姿が、彼の限界を表していたと言える。

 自分よりも大きな相手をこうして撃破してくれたピョコに、立ち上がってガッツポーズするパールに反し、ダイヤはこの敗北に若干のショックすらあった。

 しかしながら、カビゴンをボールに戻した際に発したその言葉は、決して恥じるべき敗北でなかったと現実を受け止め、たじろいだ精神を正している。

 あのドダイトスはパールの切り札に違いないのだ。充分戦い抜いて、弱らせてくれただけでも殊勲ものであるはず。

 食い下がったレントラーに受けたダメージがあって尚、ここまでやってくれたカビゴンのはたらきは、例えようもないほど大きいはずだ。

 

「……………………」

 

「ふふ、あの子も大きくなったわね」

「当然でしょ、あたしが認めた最高の後輩よ。

 ……あたしが思ってたよりも、ずっとずっと凄い子なんだから」

 

 激闘の末にカビゴンを打ち破ったピョコだが、受けたダメージもまた見るからに大きい。

 きっとパールが素直に口を動かせば、大丈夫? まだいける? とでも呼びかけているだろう。

 それにピョコが空元気ででも頷いて応え、じゃあ行こうという流れがパール達本来のものであったはず。これまでならば。

 それは、パールの口がピョコの消耗を相手にみすみす教えてしまい、余分な希望を相手に与えかねぬ愚策でもある。

 感情を隠すことを不得意とするあの子が、今こうして自らを制し、勝利の為に尽くしている姿たるや、スズナもナタネも感慨深くてたまらない。

 

 勝負の世界は自らの弱みを一抹も相手に見せぬことが肝要。

 戦意を失わぬピョコの後ろ姿だけ見て信じ、口にしかけたことを呑み込んで、案じるほどでもないピョコであることをしっかり演じているのだ。

 図式の上では残りポケモンの数は2対2。ドダイトスにダメージが残るパールの方が、戦況的には間違いなく劣勢。

 そんな中でも、案じられもしない程にピョコが堂々と立ちそびえている姿が、少なくとも観客には、まだまだ勝負の結末はわからないと信じさせている。

 この強気が、対戦相手のダイヤの精神をも揺るがせているなら儲けものであろう。

 

「…………よしっ」

 

 現に、ダイヤが次のポケモンを出すまでには少々の時間を要した。

 パールやパールに勝って欲しい特等席の女性陣にとって、楽観的に考えるなら、パールの姿勢がダイヤに次を悩ませるほど揺さぶりをかけたと見られる。

 もっとも、ダイヤが悩みを利かせたのは別の要因だが。

 ピョコに余力が残っていることもダイヤの計算に入っていたが、それはあくまでパールの態度でそうだと見たわけではない。

 彼とて決して負けられないこの勝負、現実視は極めてシビアである。

 ダイヤを最も応援するヒョウタは、よく悩んで次の一匹を決めたダイヤの思索を、そうあるべき場面だと肯定している。

 

「いくぞ、フローゼル!

 絶対に勝ってくれよ!」

 

「そう来たか……!

 僕ならそうはしないけど、妙手なのか……?」

「ガハハ、いい選択だぜ!

 フローゼルが相棒の俺様にはよくわかる!」

 

 観客席はざわついており、パールも少なからず驚いている。

 草ポケモンのピョコに対し、水ポケモンのフローゼルを出すことは、一般的にはいかにもボーンヘッドと見えるからだ。

 ダイヤを応援するヒョウタは、大丈夫なんだろうかという表情を隠せないが、彼の隣に座るマキシはダイヤの選択を肯定している。

 すべては勝つために、短い時間で考え抜いた結論。パールとて、マジなのと一度は驚いたチョイスに、策あってのことのはずだと気を引き締め直す。

 

 お互い、手持ちは晒し明かした後なのだ。

 パールはバトルフィールドにピョコを立たせ、控えにはトリトドンのニルル。

 ダイヤの残る手持ちはフローゼルとゴウカザルだ。

 そしてダイヤが勝利を前提とするなら、ここから紡ぐ現実的な展開は一つしかない。

 この5匹目でピョコを倒し、現実的にはパール最後の一匹であるニルルにそれを倒され、残った最後の一匹でニルルを打ち破る。

 二連勝は最初から期待するべきようなものではないのだから。

 

「ダイヤ、わかってるよね……!?

 すっごく、すっごく大事な局面だったよ! それで、いいんだよね!?」

「当たり前だろ! 勝つためにここまで来たんだ!

 さあ、勝負だパール! 負けねえぞ!」

 

 フローゼルでピョコを倒し、そのフローゼルがニルルに破られても、最後のゴウカザルでニルルを撃破する。

 逆の順番では出来ないことだとダイヤは判断したのだ。だから、ここでフローゼルを選んだ。

 果たしてその選択が正しかったのかは、勝負の結末のみが語れること。

 ほんの一つのミスで大きな夢を逃しかねない、非常に重要な一戦でライバルが下した決断、下してくれたその決断。

 一見危なっかしくさえ見えるその選択を、思惑と算段あっての作戦であるとパールは一抹も疑わなかった。

 ならば、その大胆さを怖がるべきなのだろうか。いや、心震えるのみ。

 何を考えているのか察し至れぬ怖い相手、それほどのライバルとこの舞台で争えることに、鳥肌が立つほどの喜びを感じるほどにはパールもトレーナーだ。

 勝ちたいとも。ただ、最高の相手との勝負で勝てるならばそれ以上だ。

 

 両者の戦いは、大方の予想どおり長くは続かなかった。

 草技に弱いフローゼル、満身創痍のドダイトス、どちらにしたって長持ちするバトルであろうと予想は立てられない。

 それでも、体力自慢のピョコが概ねの想定を上回ったゆえに、衆目の予想よりは倍ほど長く続く戦いになった。

 

 フローゼルがメインウェポンとして選んだ技は、草タイプであり地面タイプでもあるドダイトスに、致命的なほどよく効く"こおりのキバ"だったのだ。

 当然、ピョコが撃つ葉っぱカッターやウッドハンマーもまた、掠っただけでもフローゼルに大きなダメージを与えるものには違いなかった。

 だが、機敏なフローゼルはかつてピョコがハガネール相手に上手く凌いだほどには、その牙を凌ぎ続けることなど許さなかった。

 食らい付いてしまえば一気に相手の体温を奪い、体の内側から体力を急激に削ぎ落とす大技となろう。

 凌ぎきることが出来ねばピョコにはあまりにも痛烈であり、ピョコもよく粘ったが、削り合いのダメージレースで優位には立てない。

 むしろカビゴンから受けたダメージが残る中で、食らいつかれた中で相手を地面に叩きつけたり、突き放した相手を葉っぱカッターで切り付けたり。

 ダイヤの想定すら超えた粘りで、フローゼルに深い傷を与えたことは特筆すべき奮戦だったと言えるだろう。

 

 それでも、ドダイトスである彼が氷技をいつまでも耐え続けるのは無理があるのだ。

 執拗に、繰り返し、技の名前も隠すことなく氷の牙を指示するダイヤと、それに固執するかのように同じ技で攻め立てるフローゼル。

 幾度もその超抜群技に晒され、凌ぐことも叶わなかったピョコが、四本の脚に力を失って腹這いになるのは時間の問題だった。

 お腹を地面に着け、もう立ち上がれなくなり、それでも立ち上がろうとするピョコの姿に、限界を感じ取ったパールがボールのスイッチを押す。

 

「――ありがとう、ピョコ。

 あなたのおかげで、必ず勝てると私は思ってるから」

 

 表向きの相性上は有利なフローゼルを倒しきるに至れなかったピョコに、パールはむしろその奮戦を讃えすらした。

 カビゴン相手にあれだけ傷を負いながら、耐えきれぬほどの氷の苦痛を堪え、今や肩を上下させるほどまでフローゼルを疲弊させてくれたのだ。

 切り札、エースの活躍としては、一匹撃破した程度では不充分だろうか。

 いいや、カビゴンを撃破した上でもう一匹まであれほど弱らせてくれただけで、1.5人ぶんの活躍をしてくれたのだとパールは感じている。

 贔屓目はあるだろうか。きっと、それだけではないはずだ。

 

「さあ、パール! もう小細工無しだぜ!

 最後の一匹を出せぃ!」

「うるさーーーーーいっ!!

 言われなくてもそうするよっ!!」

 

 相も変わらず大きな声だ。ダイヤの張る声も大したものだが、パールのそれは上回る。

 ただ、普段ダイヤの奔放さにむかついて、怒った時の大声とははっきりと色が違った。

 大声出して、自らに活を入れ、ふうっと息を吐いた表情は晴れ晴れとしたものだ。

 心の底からライバルとのバトルを楽しんでいる、怒り一つない心弾む少女の顔をしたパールの姿が、ダイヤをもいっそう奮い立たせてくれる。

 

「いくよ! あなたが最後の一人!

 でも、勝たせてくれるって絶対信じてる!」

 

 かつて、勝ちたい想いが最も高じるたびにしてきた仕草と同じ、両手でモンスターボールを握りしめ、両の親指でスイッチを押すパール。

 祈るような仕草によく似て、この日の本質はそうに非ず。

 はっきりとダイヤを、バトルフィールドを、飛び出してきた自分の最後のポケモンを見据える眼は、追い詰められた少女のそれではない。

 信じている。確信していると言い換えてもいい。私の頼もしい最後の一人は、必ずやってくれると疑い一つ持っていないのだ。

 あと一敗で完全敗北が確定する崖っぷちにあって、この気の持ちようは余程であろう。

 

「ニルル! あなたの強さ、私が一番よく知ってるつもりだよ!

 勝とうね、絶対!!」

「――――――――z!!」

 

 ニルルとフローゼルの戦いが始まった。

 それは、かつてパールがノモセのジムで繰り広げた、トリトドンVSフローゼルと同じ顔ぶれでありながら。

 その舞台に立つ二匹の能力は、かつてのそれとは次元の違うものであったと言っても過言ではない。

 ジムバッジを8つ獲得するための長旅の苦楽を、最愛のトレーナーと共に歩んできた両者は、目まぐるしいほどの攻防を以ってして観客を大いに沸かせた。

 特に、パールとマキシのバトルを現地で見ていた客のうち、今日もこの会場に足を運んだ者にとっては、記憶の底からそれを掘り返されて感慨すら得よう。

 そんな中でもとりわけマキシは、あの頃は未熟だった二人がここまでの大物となったことに、目頭さえ熱くなったものである。

 目の前で進化して見せたトリトドンに歓喜していたパール。マキシのフローゼルに意地を張ってフローゼルをぶつけてきたダイヤ。

 大成していく若き恒星を見届けるたび、ジムリーダーとしてそれを追えてよかったと感じるのは、すべてのジムリーダーの共感であり特権だ。

 

 両者は最も得意とする水技を、大きなダメージを与える技としては使っていなかった。

 フローゼルに水技が効きづらいことなどわかっているニルルは、混乱させる"みずのはどう"を牽制として使うことはあれど、メインウェポンは"どろばくだん"。

 フローゼルもまた、相手を攪乱するために"アクアジェット"を使うことはあれど、威力の低いそれを使うよりは"かみくだく"攻撃を積極的に狙った。

 どちらも、決定打として適した技を持っていないバトルだ。

 この図式において優勢だったのは、粘り強さに秀でるニルルの方。

 元より耐えきるバトルには慣れたもので、かと言って決して攻撃力も低くない、パールの手持ちの中でも周りに引けを取らない優等生なのだ。

 一方で、ピョコの強い技を受けて体力に陰りの強いフローゼルに、そんなニルルの重い地面技は痛烈である。

 ダイヤを負けさせないために、次に繋ぐため少しでも多くのダメージを、と意地を見せたフローゼルは、体力の割にはよくもった方だが限界も遠くない。

 三発目のニルルの泥爆弾を受け、吹っ飛ばされて仰向けに倒れた姿を見て、冷静に身内の限界を察したダイヤがフローゼルをボールに戻していく。

 

「結局ここまでいくんだよな……!

 俺わかってたぜ! 二匹以上残しての快勝、圧勝、なんてどっちにも絶対無かったことぐらい!」

「わかってるよ、私だって!

 あんた強いもん! ここまで来たんだもんね、私と一緒で!」

 

 同じ日にフタバタウンを旅立ち、道は違えど殆ど同じようなタイミングでバッジを集めきり、この場で相対した幼馴染。

 ここまで来られた自分に自信はある。そうであればあるほどに、相手の強さに疑いなどない。

 だから、勝ちたい。さながら今までの自分自身に打ち勝って、新たな境地へと足を踏み入れる自らを渇望するかのように。

 負けたくない相手、乗り越えたい相手として、ライバルと称する存在が如何に特別であるかなど、もはや語るべくもないことだ。

 

「プラッチ!!」 「プラチナ!!」

 

 一度も顔を下げることなく、二人のバトルを黙って見守り続けていた少年に、親友二人は殆ど同時に大声で呼びかけていた。

 本当に、目の前の相手のことしか見えていなかったんだろうなと思う。

 これだけの大観衆の中、心の師とも呼ぶであろうジムリーダー達まで見守ってくれている中、雑音一つ意識に留めず。

 それだけ互いを特別視して、二人だけの世界でのバトルに没入していた二人が、今ここに来てその世界へ引き入れようとしてくれている。

 見届けられるだけでも、大成した二人の晴れ舞台をここまで見届けられただけでも、本当に、本当に胸いっぱいでこれ以上何も望まなかったのに。

 こんなに嬉しいことなんて、今までの人生であっただろうか。胸が締め付けられるこの痛みを、きっとプラチナは一生忘れない。

 

「私とニルルが絶対に勝つよ!

 でも、応援しててよ! 絶対後悔はさせないから!!」

「俺とゴウカザルが絶対に勝ってみせるぜ!

 だけど応援してくれよな! お前の声、聞きてえよ!!」

 

「っ、っ~~~~……!

 頑張れえええええぇぇぇっ!! 二人とも!!

 パールも、ダイヤも、ニルルも、ゴウカザルも、絶対後悔しないぐらい全力で頑張れえっ!!」

 

 声が掠れるほど、今までに出したことのないほど、大きく息を吸い込んだプラチナの声が、静まっていた会場に響き渡った。

 この舞台に集った観衆の前で繰り広げられるバトルが語るのは、実力を身に培ってきた選手達の努力の結実、その強さのみ。本来そのはずだ。

 だが、どんな"凄いバトルをするだけ"のトップトレーナーにも、それまでの月日と歳月の中で積み重ねてきた、決して明るみに出ぬ人生がある。

 どんな風にポケモン達を育ててきたか。

 どんな風にポケモン達と触れ合い信頼を築いてきたか。

 そして、どんな風に人々と触れ合い、彼ら彼女らだけの人生を歩んできたか。

 当たり前にして誰もわざわざ意識しないそれを、二人の選手が観客席の親友に声を張った姿は、それを観衆に思い出させるには充分だ。

 

 大人達から見れば幼く、子供達から見ればこの大舞台に立つかっこいいお兄さんとお姉さん。

 ポケモン達こそ主役である檜舞台において、ともすれば開戦前と決着後を除き、主役たり得ぬ二人のトレーナーの人生と道のりという行間。

 決着寸前のこの局面において、苦楽の果てにこの舞台に上り詰めたという事実を垣間見た観客の反応たるや如何に。

 このたった一戦のために連綿と続いてきた長い日々が、結実に及ぶか、一度潰えて再スタートを余儀なくされるのか。

 プラチナの声のすぐ後に続いた、天井を吹き飛ばすかと思えるほどの観衆の大歓声は、大きなものが懸かった勝負だと改めて教えられた観客の敬意の返答だ。

 

「いくぞ! ゴウカザル!

 俺をパールに、絶対負けたくない相手に勝たせてくれよな!!」

 

「――――――――z!!」

 

 タイプの上では間違いなく不利なゴウカザルを繰り出しながら、ダイヤは決してゴウカザルの勝利を疑ってなどいない。

 相手にまだ二匹残っている上で、ニルルの連勝を信じて疑わなかったパールと同じようにだ。

 きちんと意図して組み立てたのだ。カビゴンを破られ、ドダイトスを相手に何を出すか迷ったあの瞬間から。

 しっかり、ダイヤの思い描いたとおりになっている。フローゼルを破られはすれど、信頼する彼がトリトドンに少なからぬダメージを与えてくれたことも含め。

 苦手な水タイプが相手でも、押し切れるだけの見立ては充分にある。あり過ぎるほどにだ。

 それだけダイヤは、ゴウカザルのパワーというものを信頼しているのだから。決して過信ではない。

 

「ちゃんと見とくのよ、シロナ!

 一秒でも見逃したら絶交だからね!」

「わかってる、わかってるわよっ……!」

 

 大人になって、嫌なものだって見てきて、だからこそ美しきものの価値を、幼き頃よりよく知るのが大人だ。

 今はもう、手を繋ぐことの出来なくなった親友と、自身が幼かった頃に無邪気に何度もバトルしたあの日々を思い出さずにはいられないような。

 あなたに勝つんだ、絶対負けない、そんな想いで熱くぶつかり合うパールとダイヤの姿を、何度も視界が潤むたびに拭って見届けようとするシロナ。

 私が、私達が、全ての純真なポケモントレーナー達が夢見たバトルが、これ以上なく象徴的なほどのものとして眼前で繰り広げられる光景。

 愛着さえ抱いてこの真剣勝負を見届ける幸福を噛み締めながら、シロナも、ナタネも、ジムリーダー達も、ただただ二人のバトルに没頭する。

 

 トリトドンとゴウカザルの激闘。

 得意の水技、"みずのはどう"や"なみのり"を駆使し、接近戦を迫る相手からの退避を兼ねながらクレバーに戦うニルル。

 炎と同じだけ得意とする、"かわらわり"や"マッハパンチ"といった格闘技で以って、決して相手を逃がさず打ち据え、速攻戦を仕掛けるゴウカザル。

 どちらの眼差しも決死のそれそのものだ。最愛の相棒の、必勝を渇望するそれを映したかのように。

 パールの声が、ダイヤの声が、指示であり声援であり切望でもある声が、途切れぬ大歓声にも呑まれぬほどのものとしてずっと続いている。

 応えたい、結果を以って報いたいニルルとゴウカザルが、技一つ放つたびに一生分をも厭わぬほどの咆哮を上げている。

 

 肉体と技が、精神と魂が、心身の凝縮体がぶつかり合うバトルフィールドの激闘は、観るものすべてを二人だけの世界だった所へ巻き込んでいく。

 観客席の人々も、テレビの向こう側でこの熱戦を見届ける人々をも。

 ポケモンリーグで行われる最高峰の公式試合は、かくあるべしと有識者からは言われる。果たしてそこまでを本当に達成した夢の一戦は今まで何度あったか。

 ジムリーダーでも、四天王でも、チャンピオンでも、彼らが己に厳しい達人だからとはいえ、そこまで至れた試合だったかと問われて頷くことは少ないのだ。

 それを、地位も公式戦での実績も無い、あんなに若く幼くすらある二人が、シンオウ地方の幾万人もの人々の心を捕まえている。

 リアルタイムでこの勝敗の結末を知らず見届けた人が、そうでなかった人に対し、内心では歴史の目撃者であれたことを誇れることになるこの一戦。

 

 先輩も師もあるものか。ナタネも、ヒョウタも、スズナもマキシも、いけ、そこだ、頑張れ、いけるぞという歓声を夢中で贈り続ける。

 大人であるメリッサとトウガンが無言で見守りながらも、胸の奥が熱くてたまらないことを表情に隠せない。

 この勝負から何かを学び取りたいというストイックな意識も失ったスモモは、ただただ拳を握りしめ、この勝負の結末を見届けたい幼心で胸がいっぱいだ。

 こんなにも熱いバトルがまだまだあるんだと、遥か年下の二人に改めて教えられるデンジは、我慢できずに立ち上がっている。

 どれだけ、何度も、瞳に浮かぶものに視界を邪魔されてもそれを拭うシロナの目元が真っ赤なのは、一抹たりとてこの勝負を見逃したくない表れそのもの。

 そんな彼ら、彼女らの姿を見て、四天王達は思うのだ。今だけは、ジムリーダーである彼ら彼女らが、二人と繋がりのあるシロナが羨ましいと。

 見届けてきたのだろう、二人の成長を。だから、こんなにも夢中になれる。大人になってから、こんなに夢中になれることなんてどれだけあるだろう。

 四天王に名を連ねるにも値するだけの実力者たる8人が、自らの意志でジムリーダーとなることを選んだ真意が、今になって改めて本当によくわかる。

 輝かしい未来を築くのは若き者達だ。通説にして真理。

 そんな当たり前のことを思い返させてくれるこの一戦を、四天王達は年下を相手にした深い感謝の念を以って、大人らしく見守るのみ。

 今はもう無垢になれないことを、惜しまずにはいられずにだ。

 

 いつかは、必ず、終わってしまう、やがてシンオウ地方の未来を担っていくであろう、二人の少年少女が相対する二度と無き夢舞台。

 ずっと、こんな心躍る時間が続けばいいのに。そう思った観衆も決して少なくない。

 粘り強くも傷を負ったトリトドンと、苦手な水を相手に消耗しながら強い力を振り絞るゴウカザル。

 結末を知らぬ者達にとっては長く、時にしては短い両者の決着は、やがて間もなくして訪れた。

 チャンピオンであるシロナへの、一週間後の挑戦権を賭けた一戦の決着。

 その瞬間を、夢の時間から覚めた観客は、短い沈黙を挟んだ束の間の果て、万雷の拍手と歓声で以って勝者を讃えた。

 

 勝者にだけ与えられる栄光。

 そして、それを受けられなかった敗者には、身を焼くほどに悔しいノイズ。

 勝者は一人しか存在し得ないのだ。ゆえらこそ、それを賭けて戦う真剣勝負というものは貴いのだから。

 

 

 

 ダイヤがピョコに対し、繰り出したのがフローゼルでなくゴウカザルであれば、逆の結末もあったのだろうか。

 後にダイヤは、何度もこの日のバトルを思い出している。

 だけど、そのたびあの日の決断は間違っていなかったと結論付けている。

 ダイヤは間違いなく、勝利のために最善の選択をしたのだと信じているのだ。

 それが正しかったのかどうかなんて、今となってはもう誰にもわからないけれど。

 その上でダイヤは、良い方の選択をした上でこの結果になったのだから、この日はパールの方が上だったと後腐れなくしっかり認めている。

 プラチナが二人に望んだ、後悔しないよう頑張って欲しいという願いは、裏切られることなくしっかり叶えられていたのだ。

 

 ゴウカザルが先に出て、ピョコを相手に圧倒し、余力を残してニルルを充分に弱らせ、フローゼルに最後を任せるという選択も確かにあった。

 だが、削り合いになってしまえばゴウカザルにも余力は残らないのだ。

 "じしん"は地に足を着けた戦いを得意とするゴウカザルにとって、足を止められあの巨体にぶつかられれば激甚なダメージを免れない大技である。

 ピョコを破ること自体は出来ただろう。だが、甚大なダメージを受けたゴウカザルはニルルを相手に長くもたない。

 その上で、耐久力に秀でるニルルに対して、決定打を持たないフローゼルに最後の勝負を預けて、勝てるビジョンはダイヤには描けなかった。

 フローゼルがニルルの体力を削り、ゴウカザルの高い攻撃力で以って押し切る。炎の技ではなく、格闘技によって。

 決して、一番思い入れのあるゴウカザルを最後に出したかったであるとか、そんな想いでの選択ではなかったのだ。

 

 その目論見は、彼を確かに勝利目前まで導いてくれていたのだ。

 弱ったニルルに対するゴウカザルの強烈な格闘技、そんなゴウカザルの弱点を愚直かつ最適に突くニルルの水技。

 そうして急速に両者の限界が近付くにつれ、逆境の中で"もうか"の炎を燃やしたゴウカザルに、ダイヤが指示した最大の切り札。

 撃てば後の続かないほど、全身全霊の炎を放つ"オーバーヒート"は、いかに炎に強いニルルとて痛烈なダメージを受け、反撃の水が続かなかったほど。

 すぐに撃ち返すべき水さえ、急速に全身の水分まで蒸発させられそうになったニルルを見るに、もはや勝負はついたと言える局面だった。

 そんなニルルへゴウカザルが続くのは、とどめの一撃となる"インファイト"の他に何一つ無かったからだ。

 

 だから、守りを捨てたゴウカザルの一撃が、ニルルに"こらえ"られた時にすべてが覆った。

 自分とほぼ同じ時期にパールの手持ちとなった、ピョコにとってのパッチのように、ニルルにとってはなんだか特別親近感の強かった友達。

 ちょっとワガママな所はあるけれど、いよいよとなれば一生懸命に、勝利のためならどんな苦痛も耐えきってみせてきたあの姿は、何度見ても眩しかった。

 彼女が無自覚に切り札にしていた執念と根性、この日だけは僕だって、そう歯を食いしばってインファイトを耐えきった時、勝利はもう目前にあった。

 体内に残った最後の水を、全部、すべて、それも"しおみず"に変えて、さながらハイドロポンプのような勢いで発射したニルルには、パールだって驚かされた。

 その一撃は満身創痍のゴウカザルを、間近で、真正面で捉え、バトルフィールド彼方の壁面まで吹っ飛ばしたのだ。

 

 はっきりと決着がついた光景を目の当たりにしても、流石にダイヤもすぐにはゴウカザルをボールには戻せなかった。

 だが、立ってくれ、頑張れ、という無茶を声に願うこと一つせず、潔くゴウカザルをボールに戻したことで、はっきりと会場に結末が語られた。

 本来、負けてもよく頑張ってくれた相棒に対し、ねぎらいの一言は必ずかけるダイヤが、それを発せずにいる中で。

 勝者に対する歓声が沸き上がる中、彼はゴウカザルのボールをそっと撫でるに留まっていた。

 悔しい想いを噛み締めて、顔を上げてパールの方を見れば、勝ったことが信じられない顔のままして、両の拳を振り上げたパールの姿があった。

 絶え間ない声の果て、汗だくで、はっはっと息を切らしている彼女の姿がなんだか可笑しくて、悔しさも毒気も抜かれたことはダイヤの一生の思い出だ。

 負けたのにちょっと笑えちゃったんだもの。あいつ、やっぱり俺より常識人のふりしてるけど、ちょっとヘンなとこ多々あると思う。

 

 やった、と大声で叫ぶよりも真っ先に、ニルルの名を呼ぶパールの姿がそこにあった。

 あまりの嬉しさに涙ぐんで、自分のことを今や顧みもしないパールの姿が、ちょっとダイヤには寂しくもあったけれど。

 両膝をついて、息も絶え絶えの身体で自分へと駆け這ってくるトリトドンを、万感の想いで胸を広げるパールを見れば、そんな寂しさも無くなった。

 わかる、わかるんだ。俺だって、勝ってたら絶対そうしてた。俺がみんなを好きなぐらい、お前だって自分のみんなが大好きだよな、って。

 悔しさよりも、羨ましさがあった。俺も、勝ってお前のようにしたかった、って。

 

 

 

 パールは、勝っても泣かないようにするんだって、前夜のうちに考えていた。

 だってそんなところダイヤやプラッチに見られたら、後でからかわれる気がするんだもの。そういう意味で涙を見せたがらない辺りはやはり子供である。

 だけど、本当に勝ってしまったらもう、目の奥が熱くなって溢れ出そうなものを、何度もまばたきして流れ落ちないよう耐えるので精一杯だった。

 さらに、勝ったニルルが嬉しそうに近付いてくる姿を見れば、もう決壊しそうでしょうがない。

 勝って嬉しいだけじゃない。勝たせてくれた、大好きな、大好きなみんなへの感謝で胸がいっぱいになってしまうんだから。

 感情だけはどうしようもない。そもそも彼女は、それを抑えることが一番苦手なタイプなのだから。

 

 それでも、それでもパールは涙を落とさず、ぎりぎりのところで耐えきれていたのだ。

 しぱしぱしぱしぱ、しつこいぐらいにまばたきしまくって、表面張力ぎりぎりのところで踏ん張らせるような、無理くりの耐えには違いなかったけれど。

 だけど、それでも、自分の目の前まで辿り着いたニルルの顔を見たら。

 せめてそれが、いつものように、勝って嬉しく笑うだけの可愛らしいニルルの顔だったら。

 もしかしたら、もしかしたら最後まで耐えきれていたかもしれないけれど。なのに、そんな顔を見せられたら。

 

 ニルルの目にも、はっきりと涙が溜まっていたのだ。

 パールを目の前にして、それは溢れ、ぼろぼろと感極まったように泣くニルルを前にしたら、すべてがわかってしまったから。

 この子は、ずっと縁の下の力持ちでいてくれたのだ。

 多くのバトルで、戦闘で、相手の出方がわからない時には、安定した戦いが出来る先鋒として選ばれてきたのだ。

 そう選んできたのがパールなのだから、彼女にだって自覚はあっただろう。

 ノモセのジムで、水のフィールドにおける切り札として選んだ、あれほどわかりやすい日を除き、ニルルがパールの切り札だったことはあっただろうか。

 パールの切り札はピョコかパッチだ。ニルルはずっと前から、それでいいと思ってきた。譲歩なんてしていない。

 ピョコのこともパッチのこともニルルは大好きだ。強くて、頼もしくて、僕の大好きなパールを一番力強く支えてくれる、尊敬さえする大切な友達。

 僕が一生懸命戦い抜いて、誰かに繋いでパールが最後に勝てればそれでいい。僕の大好きな仲間達は必ずそうしてくれる。

 ニルルはずっと、その一心で戦い抜いてきたのだ。大事な勝負で先鋒や繋ぎを、信頼して任せて貰えるだけで嬉しかったのだ。

 

 最後の一人として大将を担い、自分が負ければ一生に一度のパールの舞台で、彼女の夢を途絶えさせてしまうこの一戦。

 一番槍でもなく、勝負を左右する中堅でもなく、真の意味での"主役"として勝負に臨んだニルルの決意を、果たしてパールはわかっていただろうか。

 わかっていなかったからこそ、あなたの夢を叶えられてよかったと、涙を流してうつむいて、喉を鳴らすニルルの姿にパールは言葉を失うのだ。

 信頼していたとも。みんな、本当に全身全霊を尽くして戦い抜いてくれる友達だ。

 だけど、これだけのものを背負い、戦い抜いて、勝利をものにしてくれた姿を前にしたらもう駄目。

 まばたきを繰り返していたまぶたに力がもう入らず、パールは衆目も忘れ、ニルルに抱きつくことしか出来なかった。

 

 奮える彼女の両腕と頬、そんなパールが今どんな目をしているかなんて、嗚咽を間近に聞くニルルには考えるまでもないことだ。

 だけど、こんなに嬉しい涙は無い。今まで何度、見たくないパールの涙を見てきたことか。

 ギンガ団との戦いの日々の中、引き裂かれた彼女の心が流す涙を目の当たりにしてきたニルルが、ようやく自分の手で掴み取った彼女の感涙だ。

 感無量の笑顔を浮かべ、彼女に頬を擦り寄せる中、ニルルは溢れる涙を耐えることなどしなかった。

 僕も一緒なんだから。パールと同じぐらい嬉しいんだ。自分のことが、誇らしいんだ。

 パールにそれを知って貰えたとわかるこの涙は、同じ言葉で語り合えない僕とあなたを繋いでくれた、感情を司る神様に授けられた贈り物。

 あの時、世界を壊されなくて本当によかった。ずっと、これからも、あなたと一緒にいられる。

 これからも、僕達を大事にしてくれたあなたを幸せにするため、ずっと、ずっと頑張っていける日々が続いていく。

 この世界は間違っている、穢れていると言い放った人の言葉なんて、これからも一生、絶対に信じない。

 

 ライバルに勝つことに、この日ばかりは意図して意識を集め、そのことで一心となっていたパール。

 それでも、やはり、彼女にとっての一番は、勝つことよりも、栄光を掴むことより、大好きなみんなそのものに他ならない。

 バトルフィールドの一角、小さくなってトリトドンを抱きしめる少女に向けられる声と拍手は、ポケモントレーナーとしての彼女を讃えるもの。

 他者にはそれしか贈れない。彼女にとっての一番大切は、彼女だけのものだから。

 出会えた縁と、紡ぎ続けてきた絆。それは、誰もが羨むこの舞台とその一勝さえをも上回る、パールだけの掛け替えのない宝物だ。

 誰しも初めは一度は感じ得て、時が経つにつれて忘れ去っていき得る大切なこと。

 常に人間社会の隣人であり、盟友であり、特別に手を繋いでしまえば一生涯の親友。それが、ポケットモンスターだ。



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第158話  途絶え無き今の中で

 

 

「もしもし~、スズナ~?」

 

『はいはい、もしもし~。

 お疲れ様、待ってたわよ。どうだった?』

「へへっ、楽勝!

 ジムリーダーを舐めんなよ~!」

『あたしもジムリーダーなんですけど』

 

 ある日の夕時、自宅に帰った若きジムリーダーが、一山向こうの街に住まう親友に電話をかけている。

 毎晩パールから電話を貰っていたナタネだが、彼女もけっこう電話をかける方である。

 本当、そういう所があの子と似てるなぁとスズナには可笑しい。

 

『最近あなたのジム、挑戦者多くない? たまたま?』

「そうね~、しかも結構年下の子が多いわ。

 パールとダイヤがポケモンリーグで凄い試合したから、僕も私もあんな風に、って気合の入った子が多いのかもね」

『関係あるかなぁ』

「ふふっ、まさかとも思うけどね。

 でも、たまたまじゃない理由を探そうとしたら、そんなことも考えちゃうわ」

 

 果たして、その因果の有無などは計り知れたものではない。

 それでもナタネは、そういうことにしてみたい。後輩贔屓がきつい自覚はある。

 一方で確かに、百戦錬磨のジムリーダー目線から見ても、先日のリーグ戦における激闘はレベルの高いものであったと贔屓目抜きでも思っている。

 当日の大観衆の反応、喝采、翌日のメディアによるパール達の試合への高い評価、何より地元で何度も聞いた、昨日の試合は凄かったねという視聴者の声。

 一つの名試合が、老いも若きもの同業者をこれ以上なく刺激することなど、どこの業界でもよくあることだ。

 それこそ、強いチャンピオンの公式戦を目の当たりにした子供達が、自分達もあんな風になりたい、と気持ちを奮わせるのと同じように。

 あの子もそうして、知らず知らずのうちに自分のバトルが、多くの人の心を動かし得る器になったんだなと、つくづくナタネも感慨深くある。

 

『今日はもうジム終わり?

 時間的にはちょっと早い気がするけど』

「挑戦者もいないし、今日は早く上がっちゃった。

 今お風呂よ。あなたとの電話が終わったらパールからの電話待ち」

『上がるの早すぎでしょ。

 最近ちょっとゆる過ぎじゃないの』

「来月から本気出すから」

『も~、弟子の華舞台まではだらけるつもりね。

 普段のあなたが後進の育成に熱入れ過ぎだとは思ってたから、今が普通といえば普通かもしれないけど』

 

 ジムリーダー業は何時から何時までジムにいなければいけない、という決まりが無いようなものなので、ジムリーダーはジムの滞在時間を自由に決められる。

 元々ジムリーダーは、メディアへの出演依頼や、しばしばのリーグ遠征からのエキシビションマッチ要請など、案外仕事は多いのだ。

 挑戦者との試合をほぼ常に受けられるよう、プライベートで地元を離れることもやや控え気味にしなくてはなかったりと、生活面でも縛りも少なくない。

 ゆえに本業、挑戦者との試合さえきっちり果たせる限りであれば、ジムへ足を運ぶ頻度や日付や時間など、自営業よろしく己の裁量で決めていいのである。

 一時期情熱を失っていたデンジが放蕩的な生活をしながら、若干リーグに渋い顔と声を向けられながらも、許されていたのはそうした事情もある。

 

 あまりにも酷いと罷免されることもあるそうだが、熱が取り戻せないならもう辞めても構わないと思っていたデンジに対し、リーグ本部は寛容に接していた。

 彼も、根っこは熱い人間だとわかっていたからだ。そして気骨のある挑戦者がいざ現れれば、デンジが目を覚ますというのもリーグ側の見立てどおり。

 元々ジムリーダーに任命される者達というのは、人格的にもそれにふさわしいと根本的に認めらているからなのだ。

 業務外の仕事をリーグやメディアが求めることもあるぶん、信頼して本業においての自由を認める、というのがリーグ側のスタンスである。

 ナタネも最近は"早め"に上がっているが、元々彼女は朝早くからジムに赴いて、ジム生の育成に熱心で、夜遅くまでジムで過ごすことも多い。

 毎日12時間以上も職場で過ごしてきた人が、最近9時間程度で早上がりしていて、それに文句を言う人はまずいまい。

 

「一生に一度しかないことじゃない。

 可愛い後輩がチャンピオンに挑むまでの一週間よ。

 今だけはあたしだって、本業を忘れてあの子のことだけ考えていたいわ」

『ナタネって、入れ込むと本当に熱烈よね。

 そんな風に思われてること、パールにちくったらどんな顔するかしら』

「ちょっとやめてよ~。

 恥ずかしいじゃない、そんなの」

 

『あ~あ~、お風呂に入ってるって聞いたらよく響いて聞こえるわ。

 リラックスしてるわねぇ、だらしない声して』

「寝そうだわ。最近あたし、ほんと締まりのない生活してる。

 今お腹つまんでる。たるんでる気がする。こわい」

『寝たら死ぬわよ! 雪国育ちのあたしが言うんだから間違いない!』

「凍死じゃなくてのぼせ死だけどね~、この場合わ」

『駄目だわ、ほんとダメな時のナタネだわ。

 へそ出しのあんたがお腹ぷよぷよになったら終わりなのに』

「もしそんなことになったらジムリーダー引退する~」

『そんな理由でジムリーダー引退したらシンオウリーグ史に最悪な意味で名を残しそうよねぇ』

 

 最近のナタネは、自覚もあるほど本当に心ここにあらず、数日後のパールの試合に向けて頭がいっぱいらしい。

 それでもジムリーダーとしての、挑戦者との試合だけはきっちり快勝続きなんだから、本業におけるオンとオフの切り替えは万全に出来ているようだが。

 今でも世間的なナタネへの評価は、普段と同じハクタイの名士としてのものから一抹も陰りを見せてはいまい。

 こんな彼女の一面を知れるのは、親友ゆえに何でも明かされるスズナと、彼女をそばで見ているジム生ぐらいのものだろう。

 

『後でパールと電話する時は、ボロ出さないよう気を付けなさいよ?

 まあ隠すつもりが無いならそれでもいいけど』

「いいわけないでしょ、電話の時だけはちゃんと大人のお姉さんするわよ。

 可愛い後輩に幻滅されたくはないもん」

『慕われてる先輩ってのも大変ねぇ』

「ホントそうよ、ほんとに心の底から。

 あの子、本当にそのうちあたしより強くなっちゃいそうだしさ」

『でも、それがあたし達の望んだことじゃない』

「そうよね。

 本当にそういう日が来ちゃったら、少し寂しいし悔しいだろうけど……きっと、嬉しい気持ちの方が勝ってくれる気がするな」

 

 電話の向こうからでもわかる、いつか後輩に追い抜かれる日を想像し、それをむしろ夢のようにさえ語るナタネの声色だ。

 ジムリーダーは負けることが仕事。未来を担う若きトレーナー達を見送り、その大成を望む者達。

 共通の意識を持つスズナは、ナタネの言葉に微笑みうなずくのみ。

 この時だけだらけていなかったナタネの声だと感ずるがままに、やっぱりこの人はあたしの無二の親友だと思うばかりである。

 

『楽しみよね、三日後のチャンピオンバトル。

 パール、シロナ相手にどこまでやれるかしら』

「あたし、勝つまであるって信じてるよ。

 あの子なら、歴史的瞬間を作ってくれるって」

『いくらなんでもちょ~っと入れ込み過ぎなんじゃないの?』

「ううん、全然。本気で信じてる。

 きっとそう思われるのって、あたししかあの子の凄さをまだ知ってないからだと思う。

 スズナもあの子のこと見てきたと思うけど、まだまだわかってないな~って感じする♪」

『なんでちょっと嬉しそうなのよ。

 そんなに自分だけ知ってるのが誇らしいほどあの子のこと好き?』

 

「あたし、パールがシロナに勝ったら心の内でもの凄く自慢するわ。

 あたしだけが、、シロナという歴代でも最高レベルのチャンピオンに対し、この日の挑戦者が勝つことを心から信じていた数少ない一人だって」

『教えてよ、どうしてそこまで信じられるの?

 あなたがそこまで言うんだったら、あたしも乗っかって信じてみたくなるじゃんか』

「ふふっ、内緒!

 あたしや、プラチナ君や、ダイヤ君だけが今知ってるだけでいいの!

 パールが勝った後でなら、いくらでも教えてあげる!」

『よ~し、楽しみにしてるわよ。

 あたしもパールが勝つって信じるからね?

 あの子のことも、あの子のことを信じるあなたのことも』

「へへっ、裏切ったりなんかしないからね!

 これでも長いことジムリーダーやってるんだし、人を見る目には自信があるんだから!」

 

 毎晩のように電話してくる可愛い後輩が、本当に歴史的瞬間を作るかもしれない。

 浮かれずにいられようものか。センセーショナルな挑戦者の登場に、シンオウ地方全体が今沸いている中、ナタネはこの地の誰よりもわくわくしている。

 幼馴染とチャンピオンへの挑戦権を争うという、ただそれだけでエモーショナルな一試合を演じ、勝利を収めたパール。

 それがもしもシロナまで破ったとなれば、シンオウ地方最年少のチャンピオンの誕生という結末までついてくるのだ。

 結果次第では伝説の一週間ともなり得る流れには、メディアも一般層も、まさしく歴史的瞬間を期待してやまない。

 ナタネはそれ以上なのだ。ずっと自分を慕ってくれたあの子が、前例無く、今後も二度と訪れるかわからぬ快挙を果たすやもしれぬという数日前。

 今までの人生で、これほど月末が楽しみだったことなんて無い。きっと、向こう何十年生きたって、これ以上のわくわくした数日間は無いかもしれない。

 それをもたらしてくれているのが後輩なのだ。先人に恵まれるより、後輩に恵まれた幸せの方がずっと上、そうとまで言うと果たして言い過ぎなのだろうか。。

 

「…………ねぇ、スズナ」

『なに?』

「あたし、本当に、ジムリーダーをやってきてよかったって思ってる。

 こんなに幸せで、わくわくして、明日が楽しみな一週間って無いよ」

『そうよね。

 しかも、そんな今をこの世界に残してくれたのがあの子達だっていうんだから……あなたにとっては、本当にたまらないわよね』

「あたし、あの子のこと本当に大好き。

 年下だけど、後輩だけど、心の底から尊敬するわ」

 

 こうして、当たり前の日常を過ごす日々さえ、槍の柱で悪しき悲願を叶えられれば世界ごと失われていたかもしれないのだ。

 ナタネもスズナも、その最悪が回避されたのは、そのために命を懸けてでも挑んだのが誰なのかを知っている。

 そうして未来を勝ち取ったあの子が、今は自らの手で自らの道を拓き、かつては想像もしなかった夢の舞台を期待させすらしてくれるのだ。

 そんな彼女が未だに尚、ナタネさんナタネさんとべったり甘えてくることが、ナタネにとっては気後れしそうなほど幸せなこと。

 自慢の後輩だ、なんて絶対に言わない。あの子といつでも手を繋げる、そんな関係であることが、ただただ自分にとって嬉しくてたまらない。

 敬意というのはそういうものだ。我が物のように自慢めいて彼女の魅力を語るより、理想を語るかのように敬うその人の魅力を伝えたい。

 そんな人物と出会えた幸運を、自覚できることそのものが最大の幸福だ。

 

『あたし達も、まだまだ精進していかなきゃね。

 あの子だって、もっともっと高みを目指していきたいって思うかもしれないし。

 そんな時、あたし達があの子の好敵手になれなきゃ名折れだもの』

「ふふっ、そうよね、そうよね。

 まだまだ若い者には負けないぞー、っていう気概があたし達にも必要よね!」

『あははっ、あたし達まだ若いのに。

 あたし達をもう年寄り側にしちゃう辺り、あの子ってば罪作りだわ』

「いいじゃん、頑張っていこ!

 あたし達だって、まだまだ強くなっていけるはずよ!

 頑張ろうね、スズナ!」

 

 ゆるい会話をしていた割に、ポケモントレーナーとして話していた末には、結局ナタネもこんな声に戻るのだ。

 年下からの突き上げは、年上にとってのこの上ない刺激だ。

 これが、ナタネやスズナがパールのみならず、数多くの挑戦者達に淡くも期待していたもの。

 そしてその多くの者達は叶えてくれなかったし、ナタネもスズナもその期待が叶えられやすいものだとは想定していない。

 だからこそ、いざその淡き期待が叶えられた今や、語らずとも知り合えている親友同士の想いは、顔を合わせずして声だけで心まで繋がる。

 

 ジムリーダーを続けていてよかったと思うことなんて、今まで何度だってあったことだ。

 それにしたって、今は望外。冥利に尽きる、そんな言葉でも足りない。

 スズナとの電話を終え、温かい湯に身を蕩けさせるナタネは、つくづく感慨深い目で浴室の天井を見上げていた。

 あの子に出会えてよかった。心からそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「また来たのか」

「来てくれたのか、でしょ?」

 

 トバリシティの刑務所で過ごすコウキ――ギンガ団幹部であったサターンの元へ、シンオウ一の有名人が面会に訪れていた。

 刑期のコウキであるが、手続きを踏めば面会はある程度許されている。

 諸事情あるもので、誰でも彼でも彼への面会が認められるというものでもないのだが。例えば、今もトバリで活動を継続しているギンガ団の団員達。

 アカギの率いた悪のギンガ団との関わりが疑われているうちは、やはり共謀者の可能性ありとして、その頭であったコウキとの面会は認められないらしい。

 塀の内側からかつての共謀者に悪知恵を与え、外の世界へ悪影響を及ぼす可能性があっては、と厳しく判断されざるを得ないのだ。

 正味の所、活動中のギンガ団が悪しき組織と共謀していた可能性は低そうだという見解も生まれてきているが、やはり甘い判断はしづらいところである。

 

 その点、たとえコウキが悪意を胸に抱えていようと、それに与しないと信頼されているシロナの面会は認められるのだ。

 彼が逮捕された後も、何度かシロナは暇を作ってこうして面会に訪れている。

 決まりなので面会に見張りはつくが、二人の会話は幼馴染同士のそれであり、やや温かい空気が漂うと看守達が口を揃えて言う。

 今日も、何度も来てくれるシロナにコウキが呆れ気味の顔をしながら、内心嬉しそうであるのは傍から見ても明らかであった。

 

「マーズの目撃情報があったわよ。本名ヒカリだっけ?

 似てるだけかもしれないけど、っていう前置きはあるけど」

「要領悪いな~、あいつ。

 指名手配犯だろ? そんな簡単に目撃されるなよ」

「いや~、そうでもないわよ。

 目撃された場所イッシュ地方だもん」

「えっ、マジか。あいつ思った以上にフットワーク軽いな。

 もうそんな遠くまで逃亡してるのか」

「髪の毛の色も変えてるみたいだしね。

 目撃情報によると、ちょっと紺に近い黒だったとか」

「真っ黒に染めろよ、いっそ。

 逃亡生活で目立つ赤髪を隠すために染める割に、多少の色はつけたいんだな」

「女の子っていうのはそういうものなのよ。いくつになってもね」

 

 シロナはここシンオウ地方から遠く離れた、イッシュ地方と呼ばれる場所にも親しい友人がいる。

 もっとも、その友人は諸事情あってこのシンオウ地方に訪れていることもあり、そんな彼女とシロナが直接話す機会も少なくはない。

 故郷でのトピックスはその友人の耳にも入りやすいため、恐らくそこが情報源なのだろうとコウキもわかっている。

 当の友人にはコウキも会ったことがあるし、イッシュ生まれのあいつから聞いたんだろうなとは概ね予想がつくのだ。

 

「イッシュのポケモンセンターで放送されてた、こないだのシンオウリーグでの試合を眺めてたらしいわよ。

 顔が似てたかも、っていう通報が後から入っただけだから、当人を捕まえることは出来なかったみたいだけどね」

「あの試合、そんな遠くでも放送されてたのか。

 まあ、あまりにも話題性のある顔合わせではあったからなぁ」

「凄い試合だったのよ? 白状するけど、あたし感動して泣いちゃったもん。

 あなたもそんな悪いことせず、外で過ごせていれば見逃さずに済んだのに」

「……はいはい、わかったわかった。

 悪かったよ。それは本当に反省してるんだ」

 

 同郷の幼馴染同士による、ポケモンリーグでの華舞台。

 やはりカントー地方でかつて一度だけあった、同郷の少年二人によるチャンピオンバトルという、伝説の一幕を想起させる顔合わせはメディアの興味を惹く。

 世界中どこでもとはいかないが、うちの地方でもその試合を放送したいという申し出は、いくつかシンオウ地方にも入っていたらしい。

 パールとダイヤの試合が決まったのは試合前々日だというのに、テレビ屋さんは耳と行動の早さが流石である。

 シンオウリーグもシンオウリーグで、ぜひよろしくうちの名試合間違いなしのカードを、と放映権をあっさり認めるのだから屈託ない。

 うちの地方の自慢のトレーナーを胸を張って世界に知らしめたい、というのはどこの地方にもある想いだ。ポケモンバトルの界隈は大人達も本質無邪気である。

 

 服役中のコウキにその試合を刑務所内で見ることなど許されなかったが、カードと内容を後日の新聞を介して知ることぐらいは許されている。

 さぞ良い試合だったのだろうとは思う。パールと彼女のポケモンの強さなんて、サターンは一般人よりも遥かによく知っているのだから。

 だけど、シロナがその試合を見て泣いてしまったという言葉には、単に内容に感銘を受けてのものではないとわかるのが、やはり幼馴染というところ。

 血で血を争い世界の命運を勝ち取らんとする、そんな戦いの日々の果て、ようやく叶ったクリーンファイトの名試合、それにだろうとはわかるのだ。

 非常にばつの悪そうな顔を逸らして謝るサターンの態度は、彼女にそんな戦いの日々を強いた側としてのせめてもの詫びというのが真意である。

 シロナも苦笑いながら、謝罪を受け取りうなずくのみ。少ない言葉で理解してくれる親友の姿に、言葉にするのが難しい感情を抱きつつだ。

 

「それにしても、紺に近い黒の髪の毛、ねぇ」

「パールの色に近い気がするな。

 あいつ、影響受けやすい性格してるから」

「あっ、あなたもそう思うんだ?

 どうせ髪の色を変えるなら、どこか思うとこのある色にしたいわよね」

「だって真っ黒じゃなくそんな色を選んでるんだろ?

 意図なくやってるわけがないだろ、当人に自覚あってかは知らないが」

 

 何年も組織として活動する中で、コウキはサターンとして、幹部の一角であるマーズと接する機会をそれなりに作っていた。

 仮にも彼女に指示する側として、マーズの性格は把握しておかねばならなかったし、それは充分に達成してきたつもりだ。

 コウキから見ても、マーズは大人に近い年齢になってもどこか子供っぽく、純粋さを捨てきれていなかった印象である。

 そもそもギンガ団に入った理由が、幼い頃に喧嘩別れしたニャルマーとの再会であり、初志をずっと忘れていなかった時点でそうなのだが。

 そして幼さが残るということは、憧れや羨望、それを嫉妬といった負の感情で塗らず、良いと思ったものの模倣を潔しと出来るということでもある。

 そういった彼女の"模倣"を惜しまない性分が、あれほど強力な"ねこのて"を使えるブニャットにも反映されているのかもしれない。

 

 何度かパールと接触する機会のあったマーズだが、リッシ湖のほとりで顔を合わせた時も、まあまあパールとは普通に話せていたらしい。

 トバリのアジトにパールをおびき寄せるため、パールと接触して姦言を撒かせた時も、終始罪悪感から逃れられないようだった。

 対立する立場だったからパールにも相応の接し方をしていたが、内心ではマーズも、個人としてはパールのことを悪からず思っていたのだろう。

 ギンガ団幹部としてではなく、普通のトレーナーとして出会っていたら、そんなに悪くない関係になっていたのではとコウキもずっと感じている。

 そんなマーズが、あんなに幼いのにギンガ団の野望を阻み果たしたパールを意識して、同じ髪色にしたというならコウキも得心のいく話なのだ。

 マーズの心に今でもパールの存在が強く残っているのは、逃亡中の身でありながらリスクを侵し、パールの華舞台を視聴していた姿からも想像できることだ。

 

「それにしてもそれが本当にマーズだとしたら、よくこんな短期間でそんな遠くまで行けたわよねぇ。

 ツテでも残ってたのかしら?」

「イッシュ地方といえば昔ジュピターが、トレーナーとして修行していた頃に訪れていた地方だからな。

 ツテと言えるほどではないが、行き方ぐらいはその辺りから聞いていてもおかしくはないよ。

 よく言い争う二人だったが、実力を認め合ってることもあってあの二人は悪くない関係だったからな」

「へえ、そうなんだ?」

「ジュピターのスカタンクは、シンオウ地方のスカタンクが使わないような技を使ってただろ。

 "ベノムショック"とか言ってたかな?

 もしかしたらシロナは直接見てないかもしれないが」

「あ~、見てないかも。

 でもベノムショックね、なるほど、確かにね。

 イッシュ地方でならそこまでマイナーでもない技だわ」

 

「さ、そろそろ帰れ。

 こうやってポケモンバトルの話してると、三日後のチャンピオンシップに向けて胸が熱くなってくるだろ。

 こんな所で油売ってる暇なんてないだろ」

「もう~、どうしてそうつっけんどんな言い方しか出来ないかな。

 "僕に構ってる暇があったら修練に励め"みたいな言い方は出来ないの?」

「その言い方もまあまあつっけんどんじゃないか?」

「あなた風に言えばそれが一番優しい言い方じゃない」

 

 親友に面会に来て貰えて嬉しいくせに、近々大事な試合があるんだから、無駄な時間を使うなとコウキは言ってくれる。

 犯罪者になっても、口は今でも悪いけど、やっぱり今でも幼馴染で親友だ。

 道を違えたことを寂しくなることもあるけれど、それだけは今でも変わらない。

 旧知ゆえの会話を笑いながら繰り返すシロナの胸中に、服役中のコウキも身に余る安らぎを享受している自覚がある。

 

「僕は、お前に勝って欲しいけどね。

 一応、僕はお前に負け越しているからな。

 あいつがお前に勝ってしまったら、あいつが僕よりも強い感じになってしまう」

「どのみちあたしが負けたらあの子がチャンピオンで、シンオウ地方最強の肩書きになるんだから関係ないじゃん。

 まあ負けるつもりもないけど。

 だいたいあんた、あの子に負けてるんでしょ?」

「お前とのバトルでユンゲラーもドーミラーも戦えない状態にされて、ドクロッグだけで戦ったんだぞ。

 フルメンバーで負けたわけじゃない」

「あのドクロッグ出して負けたんなら実質負けみたいなもんでしょうが」

「いーや、それさえ余計な横槍があって中断せざるを得なかったんだ。

 あんなもの無効試合だよ」

 

 コウキがこんな負けず嫌いの子供のような口を利くのは、シロナを前にした時だけだ。

 ギンガ団オーナーとしても、悪のギンガ団幹部としても、指導者として表には出しづらい内面というものがどうしてもある。大人ってそうなのだ。

 元から知っている彼の性分とはいえ、今なおそんな彼の顔を見られるのも、きっと幼馴染の特権というものに違いあるまい。

 単なる負け惜しみじゃなく、本気でそう仰っている辺りがまた、シロナをいっそう微笑ましくさせてくれる。

 

 出来ることならシロナにしてみれば、クリーンファイトの世界で、コウキとパールのフルバトルによる再戦を見てみたい気持ちもあるのだ。

 厳選されたたったの3匹の精鋭を以って、現チャンピオンのシロナの6匹相手のフルバトルでも、押しも押されずの拮抗戦が可能なコウキである。

 それがもう、恐らく生涯叶わないであろうこともまた寂しい。返す返すも、彼がこんな道に進んでしまったことが残念だ。

 真っ当な道に進めば、歴史の片隅にでも名を残していたであろう者が、そうあってはならぬ道を自ら選んだことの悲哀は、どこの時代でもつきものである。

 言い換えれば、日の当たる場所で栄光を手にした者達が、誘惑や悪意に呑まれず正しき道を歩み続けてきたことは、それそのものも尊いのだ。

 サターンも、ジュピターも、マーズも。

 彼らが悪しき道を歩むことなくば、きっと一度はチャンピオンに挑む栄誉を賜り、シンオウ地方を沸かせたこともあっただろうとシロナは信じている。

 アカギなんて、もしもシロナがチャンピオンの座を懸けて公式戦で争えば、勝てなかったかもしれない可能性が一番高いと今なお思っている一人である。

 

「しっかり罪を償ってから出てきなさい。

 あたし、待ってるから。

 テレビ越しじゃなく、胸を張って現地で、あたしがかっこよく勝つ姿を見に来てよ」

「ははっ、いつまでチャンピオンでいるつもりなんだ。

 長く無敗の奴だって、いつかは、必ず負けるんだぞ。

 一生無敗なんてあり得ないんだからな」

「いつか負けても、あたしは必ずまたチャンピオンに返り咲いてみせるわ。

 あんたに、その雄姿を見せるためにもね」

 

「……その頃はお前も、とっくに熟女だな」

「いくつになっても出来るのが、何歳になっても強くあれるのがポケモンバトルよ。

 あたし、一生ベストトレーナーでい続けるつもりだから。

 チャンピオンだなんて肩書きに満足してないから。

 まだまだあたしも、修行中の身よ」

「まったく、強いくせに未だにストイックなチャンピオンだ。

 お前の背中を追いかける挑戦者達も大変だな。

 お前に今でも勝ち得る一人であるのは、ちょっと誇らしくもあるけどな」

 

「……出所したら、またバトルしようね。

 その時にはもう、あたしもあんたも全盛期じゃないかもしれないけど……」

「ああ、やろう。

 早く実現したいから、これ以上服役を伸ばされることのないよう、模範囚としてしっかり罪を償うよ」

「……あははっ」

 

 十年以上の懲役を課されたコウキが、再び外の世界でシロナと相見えるのは遥か先の話だ。

 それでも二人は、そんな先のことを、ずっとずっと先のことを約束できる。

 一生、友達。あれだけのことがあっても、今なおシロナはコウキを見限れない。

 幼い頃から共に育ち、笑い合い、喧嘩して、仲直りもし、大人になった今でも心のどこかで相手のことを忘れずにいられる関係は、それだけ特別なのだ。

 

 二人とも、わかっている。

 そうして十年以上先のことを語り合えるのも、今日の次には明日が訪れる、破滅しなかった世界が当たり前のようにここにあるからだ。

 貴ぶべきほど温かい、塀の中でも親友と語り合えるこの今を実感するたび、この世界を破壊する一翼を担った罪深さはコウキの胸を焼く。

 わかっていたつもりでも、痛い。罪を償うとは、それと向き合う長き歳月が無くては決して果たされない。

 長く定められた懲役期間というのは本来、それを正しい意味で思い返すための時間として定められたもの。

 罪人は死を以って償うべき。それに対する反論は決して、浅き人情めいたもののみによるものではないということだ。

 

 罪深さ。自己完結した思考のみで、真の意味で悟れるものではないものだ。

 間接的にであれど、それを突きつけてくれるのが旧知の親友であるなど、なんと恵まれた話であろう。

 かつては少年であったギンガ団幹部のサターンは、それを痛感するとともに、本当の意味で罪を償う日々を歩み始められている。

 誰しも、過ちを犯すことはある。人は、一人では生きていけない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今のとこもう一回見ましょ」

「やめてよお母さん~! 恥ずかしいんだからぁ~!」

 

 先日のダイヤとの試合を終え、今はフタバタウンに帰ってきたパール。

 数日後にシロナとのチャンピオンシップを控える身ながら、今は静かな日々を過ごしている。

 一昨日辺りは、パールも比較的近場であるクロガネシティのジムに赴いて、ちょっと手合わせさせて貰ったりと、数日後を意識した行動もしているのだが。

 いよいよ三日後に大試合となれば、パールも自分のポケモンに疲れを残すことを嫌い、故郷でみんなと仲良く穏やかな時間を過ごしているようだ。

 根を詰めても良くないこともあるため、これはこれで正しい選択の一つだろう。

 

 さて、久しぶりの自宅でゆったりとしている時間であるが、これがまあお母さんのお茶目さに振り回され気味。

 先日のダイヤとの試合を録画していたお母さんにより、その試合を一緒に見るという微妙な苦行を強いられて。

 確かに誇れるほどの試合ではあったし、勝ったことも胸を張って報告したのではあるものの。

 試合内容はともかくとして、勝った後にニルルをぎゅっと抱きしめて泣いたりした場面もあるので、今になって再生されると少々きつい。

 映像にパールの涙は映っていないが、彼女がこの時どんな顔をしているかなんてお母さんには丸わかりなので、一緒に鑑賞会されると恥ずかしい。

 

 もっと恥ずかしいのは、今お母さんが再生している勝利者インタビューである。

 11歳の女の子が、勝負の後である程度落ち着いた頭で、上手い受け答えが出来るものではないのだ。

 マイクを向けられ、頭が真っ白になって、いまいち纏まっていないことを次々に口走る自分の姿を見せられるこれって何の罰ゲーム?

 まだ見ぬ命の恩人に向けて呼びかけたいという初志があった頃ならまた違ったかもしれないが、この時のパールときたら何も言葉を用意できていないのだもの。

 目を泳がせて、照れて真っ赤な顔で、たどたどしく話す自分の姿が映るテレビの前で、お母さんとリモコンの取り合い。

 お母さんのお茶目心がテレビの音量を大きくさせて、リモコン争奪戦のパールに自分のかっこ悪い声を聞かせて、いっそうパールを辱める。

 これはきつい。大騒ぎのパールは火がついたような顔色で、穴があったら顔面を突っ込みたい気分である。

 

「チャンピオンになれたら、ちゃんとしっかりインタビュー受けるのよ。

 こんなキョロキョロせずに。

 私なんてコンテストで初優勝した時には、ちょっと頭が回ってなくてもちゃんと受け答えしてみせたんだから」

「うぐるぅぅぅ……

 そんなのお母さん、その時今の私よりもずっと年上でしょぉ……」

 

 リモコンを奪い取れず、恥ずかしい自分のインタビュー姿を二度目垂れ流しきられ、頭から煙を出したパールは母の前で跪いている。

 顔を上げられないぐらい恥辱にまみれている。なんだあの時の私。

 別に芸能人のようにかっこよく受け答え出来る自分を想像してはいなかったけど、あんなにひどいなんて思わなかった。

 喋ってる時点でまあまあヤバそうだとは思っていたけど、その時点でそう思えている時点で、後から客観的に見たら余計にヤバい。

 せっかくダイヤに勝って栄光を掴んだのに、試合後のすべてが黒歴史になってしまうなんて大層勿体ない話である。

 

「この試合、多分後で映像化されるのよ? 大丈夫?

 勿論、特典映像としてインタビュー映像も収録されるはず」

「いやーーーーー!! お母さんたすけてーーー!!」

「私に頼られてもどうにもならないんだけど」

 

 視聴率も抜群だったプレーオフ、何ヶ月後かには円盤に刷られることも間違いない話である。まあ、大抵のリーグ戦はそうなるのだが。

 受けがよかった顔合わせかつ試合内容であることもあって、発売されればまあまあな売れ行きになることも間違いなし。それが余計につらい。

 パールの拙い受け答えは、当日放送を見逃した人にも、後年その試合を見る未来の人々にもばっちり晒されていくというわけである。

 シチュエーション的に歴史上でも指折り、という意味で語り継がれる名試合も、ちょっと滑ると当人にとってはえらいこっちゃ。

 

「あなたがチャンピオンになっちゃったりしたら、母親の私にもインタビューが来たりして。

 そしたらもう言うことは決まってるんだけどなぁ」

「お母さんっ! 絶対ろくなこと言わないつもりでしょっ!」

「もちろん。

 本当に手がかかる子でして~、あんなことこんなことする子でして~、それが今やチャンピオンなんて~……イメトレばっちり」

「大事な一人娘に恥をかかせる気マンマンじゃないのっ!

 おにっ! あくまっ! ひとでなしっ! やまんばっ!」

「あははははは」

「面白くなーいっ!」

 

「パーーーーールーーーーーーーーーー!!」

「うるせーーーーー!!!!!」

 

 お母さんとすったもんだしていると、インターホンを押すより声で呼ぶ幼馴染の声が外から聞こえてきた。

 気が立っているパール、言葉遣いも悪い。そして声もでかい。

 耳が痛いし我が子が口も悪いしで、お母さんが頭をぺちっと叩いてちょっと落ち着かせる。

 プラチナと旅していた時もそうだが、パールは常にそばに頭の上がらない誰かがいて、手綱を握っているぐらいで丁度いいのだろう。

 

「いってらっしゃい」

「ぶっとばしてくる!」

 

 うるさい幼馴染を迎え撃つべく、むかーっとした顔色に変わったパールが、ずいずい玄関に向かっていく。

 それでも人に会う前なので、ぱぱっと髪を整えて、帽子をちゃんとかぶっていく辺りが女の子。

 ここまで発狂気味でも身だしなみは忘れない。そこだけは偉い。

 

「パール! 調整試合するぞ!」

「それよりもうるさーーーーーい!!

 近所迷惑になるからでかい声で呼ばないでっていつも言ってるでしょ!」

「パールの今の声の方がよっぽど大きい気がするけど……」

「プラッチー!!

 こいつの肩を持つのかー!!」

 

 がるるモードになったパールは、ダイヤと共に訪れたプラチナの正論にも全力で噛みつく。

 一時ギャラドス娘なんて呼ばれ方をして反抗していたパールだが、不名誉なあだ名はいくらでもつけられそうである。

 狂暴そうなポケモンの名前の後に娘の一文字をつければ全部成立しそうだもの。

 

「わかったわかった、悪かったって。

 それよりパール、三日後はシロナさん相手にチャンピオン戦だろ!

 じっとしててもしょうがないだろ、調整試合しようぜー!」

「バトルしたいだけのくせに……」

「リベンジだなんて言うつもりはないけどな!

 こーなったらお前が三日後勝てるよう協力するしかないだろ!

 ほら、シンジ湖の方に行こうぜ!」

 

「協力的なダイヤもいいなとは思うけど、その心は?」

「パールがシロナさんに勝ったらチャンピオンだろ!

 そしたら俺は来月パール相手に挑戦だ!

 公式戦でリベンジだっ!」

「結局自分のためかー!

 あんたのそういうとこ嫌いじゃない! でもゆるさん!」

「あははは、なんでだよー!」

 

 裏も表も無いダイヤなので、プラチナが横から問いかけた言葉にも素直に答えちゃう。

 何が協力だ、調整試合だ、私をもっと強くしてシロナさんに勝てるようにして、来月のリベンジを実現させようとしてるだけじゃないかと。

 先日負けた悔しさも脇にどけ、強力してくれる幼馴染の割り切りの良さは本当に好きだけど、打算もあるとわかると素直に受け止めづらくもなるというもの。

 掴みかかろうとするパールの手を抑え、攻撃させてくれず笑うダイヤが憎らしいパール。こういう時、男の子に腕力でどうしても勝てないのが本当に悔しい。

 

「ほらパール、人が見てるから。

 こんなところでケモノ姿晒してると余計に恥ずかしいよ」

「なんだその言い草はプラッチっ!

 私を怒らせた方もちょっとは咎めろー!」

「後で後で。

 さあさあシンジ湖の方に行こう?

 そのむかつきはバトルで発散しよう」

 

「むぐっ、ぐううっ……!

 ダイヤー! 覚悟しろっ!

 私の子達があんたのことなんてコテンパンにするんだから!」

「おう! かかってこい!

 一回勝てたからって何度も勝てると思うなよ!」

「言ったなー! 逃げるなよっ! さっさとついてこいっ!」

 

 駆け足で一人でシンジ湖の方に駆けていき、すぐに振り返ってぶんぶん手招きするパールに、ダイヤも元気よく駆けていく。

 まったく、あの二人は。いや、パールときたら。

 呆れ気味の表情でひとまず見送るプラチナは、パールのポケモン達もボールの中で今のやり取りを聞いて、同じ顔をしていそうだと思っている。

 

「すいませんね、騒がしくて。

 僕ではあの子をおとなしくさせることは出来ないようです」

「いいえ~、お気になさらず。

 恥ずかしいわ~、あんな子で」

 

 玄関から顔を出したパールのお母さんとプラチナが、彼女に対する強い共感を込めたやり取りを交わす。

 プラチナも散々パールに手を焼いてきた立場だ。お母さんなんてもっとだろうと感じている。

 一方お母さんは、大人びたふりしてやんちゃなパールの理解者でいてくれる少年に、よく出来た子だなぁと感じるばかり。

 

「大事な日の少し前ですからね。

 変な間違いが起こらないようしっかり見張っておきますので」

「ええ、お願いね」

 

 子供と大人の会話とは思えない、大人同士のやり取りのようなものを交わして、プラチナもパール達を追ってシンジ湖の方へ向かっていく。

 追い付いた頃にはもうバトルが始まっていそうだな、なんて思いながらだ。

 そんな背中を見送るパールのお母さんは、子供を見送る微笑ましい目ではなく、尊きものを眺める恭しきものにやや近い。

 

「……あの子も、きっと一生の間柄になっていける友達にまた出会えたのね。

 それも、二人目なんて……」

 

 幼馴染のダイヤだけじゃなく、プラチナという新しい親友。

 パールの母、アヤコが思い返すのは、今でも忘れ得ぬ旧友のこと。

 ポケモンコーディネーターとしての道を歩む中、ずっとライバルであった同い年の友人のことだ。

 彼女は全く異なる道に進み、今ではもう顔を合わせることもないけれど、少なくともアヤコは、今でも彼女のことを忘れられずにいる。

 

 かつての親友は今や指名手配の身になってしまったが、そうなってしまった後に、一度だけ電話をかけてきた。

 決して、シロナとコウキが今でも面会して話すような、昔ながらの会話でもなかったけれど。

 今どうしてる、元気にやってるか、そんな上っ面めいた言葉だけのやり取りだけでも、アヤコにとっては嬉しかった。

 電話一つで逆探知され、捕まることさえ充分にある中、リスクを得てでも自分との繋がりを忘れずにいてくれた、ただそれだけで。

 きっと彼女はもうシンオウ地方にはいないし、今後も帰ってくることはないだろう。何十年経っても再会は望めない。

 それでも、忘れられないのだ。子供であった頃の自分の時間、その多くを占めた親友との思い出は、何年経っても忘れることなど出来ない。

 どうしてそんな道に進んだの、となじりたくなることはあったって、憎み切れない自分がいることをわかっていながらだ。

 

「……………………ジュンちゃん。

 あの子にとって、あの子達が大事な友達であるように……

 今でもあなたは、私にとっての大切な人だからね……」

 

 過ぎ去った時は永遠に戻らない。

 過去は絶対に変えられないし、無かったことには出来ない。

 絶対に、無くならないのだ。

 たとえいつでも望むままに手を繋ぐことが出来た親友が、ジュピターと名乗り巨悪に属していたとしても。

 向こうっ気が強いながらも親友である自分に辛い助言をしてくれた、かつて親友と重ね続けた日々は決して消えない。

 時の流れは残酷で、金色の思い出を大人になるにつれて流れの果てに追いやるも、それを忘れぬ人々の心は、大切なものを永遠に見失うことはない。

 行く川の流れは絶えずして、流れる中で確かにもたらしたものもまた、確かに歴史の中に刻まれている。その事実は消えないのだ。

 

 今も、昔も、未来もまた一繋がりだ。

 人は、そんな中で生きている。

 隔絶されてなどいない。過去があるから今がある。そして、未来に繋がっている。



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最終話    誰も想像できなかったその先へ

 

 

 ついに、その日は訪れた。

 あるいは、誰も、当人ですら、本当にこんな日が訪れるだなんて、心の底では信じられないような日。

 幼くしてフタバタウンを旅立った少女が、一年も経たずして並み居る強豪を打ち破ってきた末、シンオウ地方の最高峰に挑まんとするその時だ。

 間もなく運命の試合が始まるというまさに今、彼女がどのような心境であるかなど、きっと彼女自身にしか計り知れぬものであろう。

 

「緊張してる?」

「流石に、ちょっと……

 でも、自分が思ってたよりは緊張してない気がする」

「うん、なんだかそう見えるよ。

 パールのことだから、もっとガチガチになってないかって心配だったんだけど」

「うるさいぞー」

 

 数分後のチャンピオンとの試合を控える、挑戦者の控室。

 本日の主役の一人であるパールと、その関係者だけが入れる部屋だ。

 もっとも、関係者とは何ぞやと言えば、パールが事前に名を挙げておいた人であればいいというだけ。

 だから、プラチナは今この部屋にいる。パールと二人きりだ。

 小さな丸椅子に座り、膝の上に鞄を乗せたパールの前に、しゃがむようにしたプラチナが彼女を見上げる形を作っている。

 

「試合前にお母さんと少し話したりしなくていいの?

 なんだったら、まだ時間はあるし呼んでくるよ?」

「ううん、大丈夫。

 それにお母さん、もうとっくに観客席にいるみたいだし。

 私の晴れ姿を観るんだから、一番いい席から一歩も動きたくないって言ってくれたしさ」

「……そっか。

 いいお母さんだね」

「うん、ずっとそう思ってる」

 

 大舞台を控えた愛娘に、直前で触れ合い、かけたい言葉があってもいいものだ。

 だけど、パールの舞台はパールのもの。すべて、彼女が勝ち取ってきたものの果てにある聖域だ。

 一度里帰りしてくれたパールと、話したいことは既に沢山話してきている。

 身内として普通のことのようでありながら、人によっては案外難しいことのはずだ。

 今やほんの僅かも邪魔にならないよう、きちんとそれを選んでくれている母の心遣いを、パールはしっかり理解できているようだ。

 

「プラッチ、応援してくれるよね」

「おかしなこと聞くねぇ。

 当たり前だよ、って答えるに決まってるじゃんか」

「どれぐらい応援してくれる?」

「え? うーん、そうだな……

 今までで一番、なのは間違いないんだけど……」

「もっともっと!

 それよりもっと、凄く応援するよって言葉ちょうだい」

「難しいこと聞いてくるなぁ……

 んん~……」

 

 面倒なことを強いてくる親友だが、考え得る限りの最高のエールを、というのが求められている自分、という状況だから全然悪い気はしない。

 むしろ、やはり隠せない緊張感で強張りを含む表情の中、ぜひぜひとプラチナに勇気を求めるパールの眼差しが、少年を頑張らせてくれる。

 格好つけてあげたくなるじゃないか。大好きな親友のために。

 

「……今までで一番、じゃないな。

 これからの人生もずっと含めて、僕の人生の中で、一番、誰かを応援する気持ちを全部今日振り絞るよ。

 勝ってくれなきゃ嫌だよ?」

「プレッシャーかけてきた!

 それって私が求めるものじゃない! ひどいっ!」

「負けても別に何かを失うわけじゃないんだよ?

 たとえ負けたって、また挑めばいいんだ。

 パールだったら、必ず二度目のチャンスだって掴めるはずだよ」

「むぅ~、それはそうだけどさ~……」

 

「でも、今日が一番勝ちたい日でしょ?

 次があったとしても、その次の時に必ず勝てるとしても。

 ダイヤから勝ち取った挑戦権で、あのシロナさんに勝って、フタバタウンの私達はこんなに凄いんだってパールはみんなに見せつけたいはずだよ」

「……あれ、ちょっとびっくりした。

 私がこっそり思ってたこと、なんでプラッチわかるかな」

「自分が負けたら、ダイヤまでシロナさんに負けたような気がして嫌なんでしょ?

 わかるよ、パールはダイヤのことも、よく喧嘩するけど結構尊敬してるよね。

 自分が勝つことで、ダイヤだって凄かったんだぞって証明したがってる。でしょ?」

「絶対ダイヤには内緒だよ。

 あいつ調子乗るから」

「わかってるよ、そんなことになったらまたパールが怪獣になっちゃうし」

「誰がまたギャラドスかっ!」

 

 気付けば、いつものような気兼ねない会話に。

 チャンピオンに初めて挑むという、人生一度の大舞台を前にして、それには似つかわしくないほどの普通の時間。

 それが急に可笑しくなって、パールは丸めた手で口元を隠してくすくす笑わずにいられなかった。

 不思議、あんなに内心ではかちこちだったのに、プラッチとお話ししているだけで、堅くなっていた身体も心も融けていくようで。

 何度も、何度も助けてくれた親友が、今もまだこうして支えでいてくれることに、パールの胸はじんわりと熱くなるばかりだ。

 

「信じてみなよ、パールのそばで、一番近くで、ずっとずっと寄り添い続けてくれたみんなのこと。

 僕、本気でピョコのこと、パッチのこと、ニルルやミーナやララやプーカのこと、世界で一番強い6ぴ……6人だと思ってるよ」

「……プラッチは、いつだって私にとって、一番嬉しい言葉をくれるよね」

「だって、僕は一番近くで見てきたよ。

 そばで見ることが出来なかったことも含めたらもっとだ。

 パールが望んだ勝利を、本当に叶えることが困難な成功を、何度も、何度だってもたらしきてくれたはずだよ。

 それを、パールが一番よく知ってるはずなんだから」

 

 大人達とのポケモンバトルに何度も勝ってきた。

 加減があったとはいえ、強い強いジムリーダーにも八度も勝ってきた。

 そして何より、プラチナの目の前ではない所でこそ、本当にパールのポケモン達は一番強かった。

 大好きなパールの命が、あるいはこの世界すら危ぶまれるそんな境地の中で、その血と魂を懸けて戦い抜いてくれた親友達。

 みんながそばにいてくれたからこそ、パールは今ここにいる。使い古されたその言い回しが、誇張無く、過言無く、迫真だ。

 

「ジムリーダーにも負けない。ギンガ団にも負けない。

 きっと、チャンピオンにだって負けないさ。

 ポケモンバトルの主役は、トレーナーじゃなくてポケモン達だ。

 パールは勝てるよ、みんながいるんだから。

 世界中の人がチャンピオンの方が強そうだって言っても、僕だけパールが、みんなが勝つって心から信じられるよ」

「…………あはっ、あはははっ……!

 そうだね……! 私の友達は、世界最強だもんね!」

「負けないさ。

 たとえ、シロナさんやそのポケモン達が相手でもね」

 

 みんなの入ったボールが眠る、鞄をぎゅっと両腕で抱きしめるパールは、プラチナの言葉をするりと信じた。

 パールのポケモン達は世界最強。たとえそれが事実でなくたって、今のパールにはそれを信じるに値する根拠が、記憶が、思い出がいくつもある。

 もう駄目だって何度思っただろう。心の底から死を覚悟したことだってある。

 その暗雲を、何度も打ち破ってくれたみんなのことを、ここに来て信じられない私だなんてそんなの絶対に嫌。

 

 いったい誰が、あんなに強いギンガ団幹部との、命を懸けた戦いで勝利を掴み取れる?

 いったい誰が、エムリットが奇跡を起こしてくれなかったら本当に命を落としていたほど、死さえ覚悟し誰かを守るためだけに戦い抜ける?

 いったい誰が、悲願のために本気を出したアカギに勝利することが出来る?

 いったい誰が、神の力にさえも抗う赤い鎖を手にしたアカギに、傷だらけの体でなお立ち向かうことが出来る?

 成し遂げてきた多くのことを、パールは自らの果たした快挙だと誇ったことなど一度も無い。

 果たしてくれたのは仲間達だ。出会えたことそのものが、私の人生で最大の幸福であったと、時が経つにつれてより強く想う一方となるであろう最高の友達。

 勝ちたいけれど、勝てるだろうか。当然誰もが大舞台の前で襲われるその不安はもう、仲間達の勇姿を回想したパールの心から晴らされている。

 

「見届けさせてよ、シンオウ地方史上最年少のチャンピオンの姿。

 間もなくそれが叶うんだ。僕、楽しみでしょうがないんだからさ」

「うん……!

 みんなとだもの、絶対に叶えてみせるからね!」

 

 立ち上がり、鞄の紐を肩にかけたパールが、共に立ち上がったプラチナの前に両手を差し出す。

 プラチナも両手を差し出して、彼女の二つの手を握るようにする。

 柔らかい、女の子の繊細な手。思春期の少年が、同い年の異性の手を握ることで感じる胸の鼓動も、今はこの場で全くの無縁。

 ぎゅっと手を握り返すようにしてくれるパールの手は、単なる女の子のそれではなく、ここまで辿り着いたポケモントレーナーの手だ。

 勝利を決意し、込めた手の力から伝わってくるものは、その柔らかさを意識させぬほど強い。

 勇気をもたらしてくれたプラチナに、感謝の感情が溢れ出んばかりの笑顔を向けてくるその表情にすら、ときめくよりも照れ臭さが勝つ。

 

 まったく別の意味で胸が高鳴るじゃないか。

 僕は、こんなにも強くって、これからもっと偉大な地位へと上り詰めていくであろう人と、今もう親友でいられるのだ。

 プラチナもまたこんな彼女と親友でいられる幸せを、今はただただ噛み締める。

 パールはピョコ達と友達でいられることが幸せだといつだって言うだろうけど、僕だって君に対してはそうなんだよっていつか伝えたいぐらいだ。

 大舞台を前にした親友に、自分の都合であるその言葉をぐっと呑み、プラチナは心から彼女の勝利を願う笑顔をただ浮かべるのみに努めていた。

 

「もしもし、ちょっといいかな」

 

「あれ? もうそんな時間……ちょっと、プラッチ何それ」

「いや別に」

 

 不意に控室の扉がノックされる。

 その瞬間、しゅばっとやたら素早くパールの手を放して一歩退がるプラチナ。

 誰か来た。具体的には四天王ゴヨウさんの声。

 想い人の手を握っていたプラチナは、この大事な戦前にイチャついていると、まかり間違っても誤解されたくなくて慌てたようである。

 そんな男の子の内心を知らぬパールは、やたら離れられてむっとするのだが。

 鈍感というより、流石にそこまで友人の垣根を越えた情念を抱かれているとは、今の彼女のメンタルコンディションで驕れないということなのだろう。

 

「少し早いが、そろそろ舞台に向かってみてくれないかな。

 準備が出来ていれば、でいいんだが」

「まだ時間がありそうですけど……何か、変わったことありました?」

「いや、まあ、ちょっとね。

 ゆっくりさせてあげるのが本来の筋だが、きっと後悔はしないと思うよ」

 

 基本的に、大舞台を前にした選手なんて、規定された時間以外に縛られるべきものなど何もない。

 それを踏まえた上で、ゴヨウはパールにお節介を焼いてくれているのが、なんとなくパールにもプラチナにも伝わった。

 真意はわからなくたって、人格者と信頼される大人の言うことには、二人はけっこう素直である。

 

「じゃあ、行こっかプラッチ。

 私はもう準備万端だよ。プラッチのおかげ!」

「そっか。じゃあ、行こう!」

 

 何かはわからずとも気を利かせてくれた気がするゴヨウに軽く会釈して、二人は控室から出発する。

 見送ったゴヨウは、やることも無いので控室の御片付けで暇を潰す。

 まあ、別に片付けるほどのこともないが。椅子を元の場所に戻したり、パールが食べていたお菓子の袋をゴミ箱に捨てる程度。

 僕も昔、当時のチャンピオンに挑む直前は、緊張で殆ど何もしなかったから控室が散らかるはずもなかったな、ということを思い出す。

 

「熱いね、あの二人。

 ……これは、本当にひょっとするかもしれないな」

 

 どうとでも解釈できる"熱い"だが、ゴヨウはその言葉を、予想だにしない何かが起こる直前の熱さという意図で発した。

 挑戦者となるほどの実力者であるパール。そして、きっと彼がいたからこそ、今はあれほど硬さの抜けた姿でいることも含めて。

 二人の関係をよく知らぬゴヨウでさえ、なんとなくわかる。

 あの二人は、二人で一つだ。子供は未熟、どうしても洗練された大人のトレーナーと比較して、何かが勝っても何かで劣りやすい。

 だが、今のパールの胸を張った後ろ姿は、まるでそのキャリアとは似ても似つかぬほど、堂々とした歴戦のトレーナーと見紛うほどのものがあった。

 幼いゆえにその精神は、仮に追い詰められてはその未熟さが際立つこともあろう。大舞台を前にした緊張、なんてのもその窮地を招くきっかけの一つ。

 彼女をそうさせたのがあの少年なのだとしたら、さながらパールは二人で一緒にバトルフィールドに立つかのような、並々ならぬアドバンテージが既にある。

 ゴヨウが感じる劇的瞬間の予感は、まさにそれが所以であると言っていい。

 

 もしもパールがシロナに勝てば、シンオウ史上最年少のチャンピオンの誕生だ。

 リアルタイムで、目の前で、そんな歴史的瞬間を見届けられることを、はじめから期待できる人は決してそう多くない。希望は出来てもだ。

 それが、期待できてしまう。シロナの強さを最もよく知る四天王であるからこそ、こんな想いを自分が抱くなんて、それこそ予想だにしなかったこと。

 本当に、世の中いつ、何が起こるものだかわからないものだ。

 試合の結末など無関係に、ゴヨウはそれを既に痛感するばかりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パール!」

「えっ、スズナさん……!? ナタネさん……!」

「えへへ、来ちゃった!

 今日はジムもお休み! 観に来ないなんてあり得ないから!」

 

 敬礼するような手つきで冗談じみた仕草を見せつつ、参じた想いを発するナタネに、パールはいてもたってもいられず駆け寄って抱きついた。

 半ば飛び込む体当たり、それでもナタネは一歩もたじろがず、胸で受け止めて抱きしめ返す。

 この人草ポケモン好きでフィールドワークも結構してそうだし、何気に結構足腰強いなぁとプラチナは感じている。どうでもいいことだとわかりつつ。

 

「控室に来てくれてもよかったのに~。

 私、ナタネさんとスズナさんなら来てくれてもいいようちゃんと伝えてたんですよ~?」

「わざわざそんなとこまで行って、長々と伝えることなんてないわ。

 どうしても一回、顔だけは合わせたかったから待ってたけどね」

「まあ、簡単に言えば"がんばれ~"ってだけだけど」

 

 ナタネとスズナを前にして、パールはすっかり後輩の顔になっている。

 今だけチャンピオンシップ前であることさえ忘れてそう。大好きな人を急に目の前にしたらすぐこれだから。

 熱戦前の最後の安らぎと見え、プラチナも口を挟まない。

 ちらっちらっとプラチナの方を見てくるナタネとスズナ、あなた達二人きりの時間を邪魔する気はなかったのよ~、という目線にはわざわざ返事しない。

 あの二人、本当に尊敬できる人達なのはわかってるけど、あのいたずらっぽさだけはちょっとあしらうのが面倒というのがプラチナの私見である。

 

「え~っと……………………

 そうね! がんばれ! パール、勝っておいで!」

「ちょっとナタネ、もうちょっといい言葉用意してきてたんじゃないの?

 あたし、あなたの名演説聞きたかったんだけど」

「パールを目の前にしたら全部忘れちゃった!

 いいよね、パール! ここまで来たら多くはいらないもんね!」

「……はいっ!

 精一杯、頑張ってきます!」

 

「あたしも応援してるわよ!

 あたし達、シロナのことも好きだから、最初は複雑なとこもあったんだけどさ!

 それでも、やっぱりパールのこと応援するから!

 シロナには悪いけど、あなたの方が好きだもんね!」

「えへへっ、ありがとうごさいます、スズナさん!

 いいとこ見せられるよう頑張りますからね!」

 

 右手を差し出したスズナ、その手を両手でぎゅっと握るパール。

 三秒近く、ぐっと力を入れた握手を続けた後、離せばパールはナタネに体ごと向き直る。

 もう一言を欲しがる可愛い後輩の姿に、ナタネは表情をくしゃっとさせながら。

 

「勝っても、負けても、あなたはあたしの大切な、可愛くって素敵な友達。

 悔いなく、全力で戦い抜いてきなさい。一生に一度の大舞台よ」

「はい、っ……!」

 

 差し出した右手をパールの両手に握られた矢先、ナタネはぐっとパールを引き寄せ、左手でぽんぽんとパールの背中を撫でた。

 身を預けるパールは、ナタネの手を両手で離さぬまま、胸いっぱいの想いをぎゅうっと握る力で以っていっぱいに伝えんとする。

 パールの恵まれた縁とは、プラチナや、ピョコをはじめとする生涯の友となる6人のポケモン達のみには限るまい。

 たくさんの素敵な出会いに、尊ぶべき人々に満ち溢れたシンオウ地方の出会いの数々が、彼女をここまで押し上げてくれたのだ。

 後ろの親友に、鞄の中の友達に、胸を重ね合わせる尊敬する先人に、そして彼女が今はそこまで想い至れぬ、この温かきシンオウの地に。

 感謝すべきものは、この世界に溢れている。

 

 観客席へと向かって行ったナタネやスズナと別れ、パールはチャンピオンシップの舞台への道を進んでいく。

 長い長い旅路の果て、その百分の一にも満たぬ長さにして、今ここを歩む者には長く長く感じる、真の意味でのチャンピオンロード。

 ごく限られた何人ものトレーナー達が、この道を歩む中、いずれもどれほど己の旅程に想いを馳せたことだろう。

 パールもまたその例に漏れず、振り返らず、前を向いて歩いていく中、その内心ではいくつものことを思い出している。

 

 すべてが、勇気をもたらしてくれる思い出だ。

 私の友達は、本当に強い。あれほど尽くしてくれたみんなに、今ここで応えたい。

 あなた達は、チャンピオンにだって勝てる凄いみんななんだって、世界中の人に結果を以ってして伝えたい。

 自慢の友達なのだ。私には勿体ないぐらい、なんて言ったら怒られるだろうか。

 かつて、命の恩人である誰かにその想いを伝えるために、シンオウいちの有名人となることを目指して夢見た、チャンピオン。

 その夢はもう、形を残していない。そして今、新たにある新しき夢。

 それはかつて幼心に抱いた夢への渇望よりも、ずっとずっと強い想いで以って追いかけられる、親愛なる友を自慢したいという純心だ。

 

 そんな道を行く中で、パールの前には一人の少年が待っていた。

 それを目の前にした時、一度パールの足が止まったけれど。

 いつでも元気いっぱいで、パールの姿を見たら大声でその名を呼び、駆け寄ってくることが常だったもう一人の親友であり幼馴染。

 そんな彼が、じっとその場で立って待っていた姿を前にすれば、パールの一度止まった足が再び前に進み始めるのも早い。

 

 騒がしい彼が、目の前でパールが立ち止まっても、何の声も発さなかった。

 ただ、握り拳を前に突き出して。それが、何を求めているのかは本来すぐには察しにくい。

 だけど、パールもなんとなく拳を突き出して、こつんとそれに合わせることが出来た。

 自分よりも少しだけ背の高い幼馴染の顔を、やわに見上げて、互いに拳を降ろして。

 笑顔を浮かべ、言葉無く心で通じ合えていることをはにかむようにする彼を前に、パールもまた気恥ずかしげに笑うのみ。

 

「……頑張れよ、パール!

 負けたら、罰金100万円な!」

「へへっ、言われなくたって!

 勝ったら、あんたが罰金100万円だからね!」

 

 最後に一度、ハイタッチのように互いの掌を鳴らした二人。

 ダイヤの目線がプラチナの方を向けば、言葉はいらないとばかりにプラチナもまた頷いて。

 二人は観客席の方へと向かっていく。その中で、二人の名を呼んだパールに、振り返れば。

 ぐっと握りしめた無言で拳を振り上げて、絶対に勝つよと笑顔で訴えるパールの姿がそこにあった。

 ダイヤは、握り拳で自分の胸を二度叩き、その拳をパールに向けて突き出すことでエールを贈り。

 プラチナもまた、帽子を脱いでパールに拳を突き出す形で、偉大なる道を征く友に敬意と無言の声援を贈るのだ。

 

 言葉はいらぬ間柄? いや、言いたいことが多すぎるからこそ、子供達には紡げない言葉もある。

 人生で何度、こんなに胸いっぱいの瞬間があるだろうか。それも、11歳の未熟な心でだ。

 きっと三人は、向こう何十年生きたって、この瞬間の感無量を表す言葉は導き出せまい。

 再びバトルフィールドに向かって歩み出すパールは、自ずと溢れたものを拭うように、ぐしっと目尻を指先で撫でずにはいられなかった。

 

 そして、ついにその時は訪れた。

 長きバトルフィールドへの道のりの果て、丁字路のように道が左右に分かれた突き当たり。

 そこに、パールがこの日栄光を賭けて争う相手が待っている。

 

「お待たせ、パール」

「え……いや、待たせたのは私の方……」

「いいえ、お待たせしたのは私の方よ」

 

 ポケモンリーグのバトルフィールド、東は下座、西は上座。

 遥かなる大海が広がるシンオウ西部になぞらえ、チャンピオンが挑戦者を迎え撃つべく立つのはバトルフィールドの西側だ。

 左に進めば上座へ向かい、右に進めば下座に向かう、そんな分かれ道でパールを迎えたシロナは、決戦を前にした最後の対話に臨んでいる。

 思わぬシロナの第一声にパールが戸惑うも、シロナは想いの丈を伝えるに徹するのみだ。

 

「あなたの試合、感動したわ。あたし、泣いちゃった。

 素晴らしいバトルだったけど、それ以上に、数々の認められべからざる戦いを経て、あれほどの"試合"が繰り広げられたこと、そのものに。

 あたし、あなたに本当に感謝してる。

 悪しき野望に立ち向かい、闇を晴らし、この世界を喪わせずにいさせてくれた、あなたのこと。

 ありがとう、パール。……そして、本当にごめんなさい。

 人々の心を震わせる、純真なるポケモンバトルというものが存在する、この世界を守り切れなかった大人として。

 そして、血生臭い戦いをあなたに強いざるを得なかった大人として、本当にあなたには申し訳なく思ってる」

 

 恭しい眼差しと表情で語るシロナに、パールは呑まれたように何も言葉を発せない。

 同時に、自分が待たせた側だと言うシロナの真意は、パールにもうっすらと感じ取ることが出来た。

 そんなこと、と謝罪を控えて貰うための言葉をパールが紡げないのは、それほどまでにシロナの眼差しが真剣だからだ。

 

「あたしは今まで、何人もの挑戦者と対峙して、初対面である彼ら彼女らには常に敬意を抱いてきた。

 たとえこれまでの道のりを見ていなくたって、その人はそれだけの努力をしてきたから、ここまで辿り着いてきた。

 あたしとは違う、あたしには想像もつかない別の形で、強さを手にしてきた人生がどんな挑戦者にもある。

 だから、どんな挑戦者にも敬意は抱けたし、それは形だけじゃなく心から感じられたこと。

 ……だけど、あなたは特別よ。

 あなたは、あたしの愛するもの全てを守り抜いてくれた。

 大事な女の子の体で、何度も何度も傷ついて、あたしだけじゃない、この世界に生きるすべての人々の、大切なものをこの世に残してくれた。

 あたしには、あなたと同じ歳の時に同じことは絶対に出来なかった。

 そんなあなたと、これほどの舞台でポケモンバトルが出来ることを、心から幸せに、嬉しく思う。

 始める前から、胸がいっぱいで泣きそうなの。

 ……チャンピオンとして、このシンオウ地方を代表する第一人者として、あなたに心から伝えたいことがあるの。

 本当に、ありがとう。そして、ごめんなさい。

 あなたがここに辿り着くまでの光あるこの世界を、守り抜くことが出来なかった大人として、本当に申し訳なく思う」

 

 誰も命を賭けなくていい、純真な想いで勝敗を競い合う、それが大衆と数々のトレーナーを魅了してきたポケモンバトル。

 それとはかけ離れた、命運と生命を賭けて未来を奪い合う闘争の世界へ、パールが身を投じねばならなかったこと。

 彼女がそうしてくれなかったら、本当に今のこの瞬間は、いや、平穏に明日を待つ世界中の人々の毎日は存在すらしなかったのだ。

 シロナがパールを待たせたというのは、パールが純真な想いでポケモンバトルに臨める、そんな日々を取り返せなかった大人の懺悔。

 先に述べたことを、真意を語った後にもう一度同じ事を言うほどには、それだけシロナにとってこの想いが大きいということだ。

 深々と頭を下げるシロナに対し、パールも言葉が見つからない。

 

「シロナさん……」

 

「……………………ここまでが、チャンピオンとしての私の言葉。

 ここからあたし、シロナとしての個人的な言葉よ」

 

 大人だからわかっている。こんなこと言われても、パールは困ってしまうだろう。

 だからシロナは、深々と長く下げていた頭を上げ、涙目を拭って新たな言葉を紡ぐ。

 伝えるべき言葉を伝えれば、屈託のない普段の表情でパールに向き合い、これから訪れる最高の時へ向けて幕を上げていく。

 

「ねえパール。

 あたし、あなたのこと好きよ。尊敬だってしてる。

 でも、あなたには今日どうしても負けたくないの。

 だって、まだまだチャンピオンでいたいんだもの」

 

 なんだか急に子供っぽいことを言い出すのでパールも面食らったが、別に演じて空気を砕こうとしたのではなく、シロナは普通に喋ると案外こうである。

 大人同士の会話であれば、きちんと言葉を選べるので凛々しいし、公の場での発言が世間には周知されやすいので、クールビューティなイメージも持たれがち。

 かといって、プライベートでも世間が抱くイメージと同じように喋っているかといえば別問題。

 彼女の友人は、テレビでのあなたは本当に別人よねぇと口を揃えて言うそうな。プライベートを知れば知るほどそう思わざるを得ないらしい。

 

「初対面の人のことを理解しようと思えば、あなたはどうする?

 まずはお話ししてみて、なんて考えるのが普通じゃない?」

「えぇと……まあ、そうですよ、ね?」

「トレーナー同士には、そんな対話も必要ないのよ。

 バトルしてみれば、なんだってわかるわ。わからずにはいられない。

 どんな風に戦うのか、どんな技を覚えさせているのか、どんな道具を持たせているのか。

 どんな風にポケモン達を育ててきたか、どんな風にポケモン達と接してきたのか。

 その時に言葉はいらない、見ればそれだけで全てが雄弁に語られるのよ。

 ここまで辿り着くまでにどれほど努力を積み重ねてきたか、対峙し、その声とポケモン達の戦う姿を見るだけで、ひしひしと伝わってくる。

 チャンピオンに挑むその姿に、誰一人にして、はじめ抱いた敬意を裏切られることは無かったわ」

 

 熟練のトレーナーであればあるほど、赤裸々にポケモン達の戦い方を解析すれば、過程までもが全て見えてくる。

 友人のポケモンがどんな技を覚えているのか、教えて貰えれば、ははぁなるほどとその意図がわかって面白い、という経験は珍しくもあるまい。

 バトルすれば尚更だ。勝ちたいからこそ、相手のポケモンの挙動や技、如何に育成されたのかに敏感になるから尚更、とも例えられよう。

 実戦以上に、対峙する相手が如何なる育成をここまで積み重ねてきたかを、思索を巡らせ真に迫ろうと出来る機会などあるはずもない。

 

「あたしは昔、チャンピオンという当時の凄い人に憧れ、この地位を目指して今ここにいる。

 そして、一度でも公式戦で敗れればこの地位から降りなくてはならない、そんなプレッシャーに身を重く感じたこともあった。

 それは、やめたくないからなの。

 長い旅路を経て、実力を培ってきた、敬意を払わずにはいられない挑戦者達が、その全力をぶつけてくれる特等席。

 昔と違って、月に一度の防衛戦を基本的な方針とする今、ディフェンディングチャンピオンであり続けるのは大変じゃないか、って何度も聞かれるわ。

 あたしはそれを、苦難だと感じたことは一度も無い。

 月に一度も、敬える相手と、ポケモンバトルという形で最高の対話が出来る今が、あたしにとってはたまらないほど嬉しい。

 あなたのことは大好きだけど、そんなあなたにさえ、この幸せな場所を譲りたくないのはわかって欲しいな~って思っちゃう」

 

 いくつだって、パールには感じ取れるものがあった。

 この人は、地位が惜しいわけじゃないんだ。チャンピオンだからこそ約束された、特別なポケモンバトルの権利をずっと抱きしめたいだけなのだ。

 そしてシロナの言葉は、チャンピオンになることだけを目指していたパールに、新たな世界を示唆するもの。

 チャンピオンになれば、色んな人に賞賛される。それもまた栄光だろう。

 シロナはきっと、チャンピオンになった初めての瞬間よりも、今がそれ以上に幸せなのだ。

 その座を防衛し続けるために、たゆまぬ苦労があることも当然わかる。子供にだってわかることだ。

 

 夢見がちな子供の想像力における最終到達点、チャンピオンになるということ、さらにその先の話。

 シロナの自慢めいた語り口には、パールの勝ちたいという想いを、さらに、その先の世界に触れたいという想いを大きくさせてくれる。

 それは挑戦者を焚きつけるという、防衛したいだけの王者にとってであれば、愚策とさえも断言できる行為。

 勝ちたい想いでいっそうの全力となる、そんなパールとのバトルを望むシロナだからこそ、自分のためにもこうしてパールを囃し立てるのだ。

 

「あなたには、返しきれないほどの恩があると今でも思ってる。

 それでも、この勝負だけは絶対に譲らないからね?

 あたしは、まだまだチャンピオンとして、たくさんのトレーナー達とのバトルに臨みたいんだから」

 

 ナタネと何度も電話で話したパールだから、いっそう痛切にわかるものがある。

 何度、ナタネの口から、ジムリーダーはやめられないという言葉を口にしたことか。

 沢山の責務を担い、名声に比例し苦労もありそうな地位に立つ大人達が、それでもやめられないと口を揃えるその地位とは。

 ジムリーダーも、チャンピオンも、ただその地位にあるだけで多くの人に賞賛される。ナタネが、シロナが、求めているものはそんなものじゃない。

 その地位に立たねばわからない、敬われるよりもずっとずっと貴い何かがそこにあることを、パールは先人から知っているのだ。

 チャンピオンになることが出来れば――知りたいものが、増えていく。

 初めてのポケモンと共に、まだ見ぬ多くのものが待つ世界に、たまらないほどわくわくしながら歩きだしたあの日と同じ、胸が高鳴る高揚感がここにある。

 

「手加減しないわ。勝っても負けても恨みっこなしよ。

 あなたの培ってきたその全身全霊、見せて頂戴ね?」

 

「っ……! はいっ!

 シロナさん、絶対負けませんよ!

 どれだけシロナさんが強くたって、私の大好きなみんなは、それに負けないほど強いんですから!」

「ええ、期待してる。そして、裏切られないことも確信してる。

 最高の一日にしましょう! お互い、一生忘れられないバトルにしましょうね!」

 

 右手を差し出したシロナに、年上相手に腰の低くなりがちなパールが、右手だけで握手を返した。

 普段の癖で左手も動きそうになったが、それを耐えて、年上相手の片手だけの力強い握手だ。

 シロナのことは尊敬している。最も尊敬する一人ですらある。

 それでも、今は対等に。王者と挑戦者、暫定的な格の差があろうと関係ない。

 それが、最高のポケモンバトルを求めるチャンピオンに対する、挑戦者としての敬意の払い方だと本能的に行動できるのだから、案外パールも大物だ。

 あるいはシロナが、それを子供にも自ずとさせるほど、大きな器の傑物であるという証であるのかもしれない。

 

 ぐっと握り合った手を離し、二人は分かれし道をそれぞれに歩んでいく。

 シロナと握手を交わした手が熱い。腫れたかと思うほどに。

 その手を見下ろし、ぎゅっぎゅっと握るパールは、チャンピオンに挑む事実そのものより、あの人とそんな舞台でぶつかり合えることを本当に嬉しく思う。

 そして、シロナもだ。

 離れて背中を合わせる彼女の、力強い手の力を思い返せば思い返すほど、今日を一生忘れられなくなる予感がしてならない。

 始まる前から、またちょっと涙が溢れそう。これだから、チャンピオンであることはまだまだやめたくない。 

 

 長くて、短い、若く幼く迸るような旅の末に、パールがバトルフィールドに足を踏み入れる。

 超満員の観客、照らされた舞台、誰もが憧れる栄光のステージ。

 右も左もわからなかった頃の彼女が立てば、その雰囲気だけで呑まれ何も出来なくなるほどの磁場がここにはある。

 今のパールは、そんなものには気圧されない。

 彼女の心に今あるのは、対峙する場所に立つあの人に、決して恥ずかしくないバトルの末に、勝利することを目指す一心。

 そして、過去最強の対戦相手を前にしても、それを恐れるべくもないほど、頼もしい6人の友達がそばにいてくれるという事実。ただそれだけだ。

 夢の舞台に立った者は後々、あの時はどんな気分だったかと聞かれがち。

 多くの人が、良く覚えていないと応えたり、語彙力乏しく最高だったとしか言えないことも、その舞台に立たねばわからぬこと。

 

「パール! 始めましょう!

 勝つのはあたしよ! 覆せるなら覆してみせなさい!!」

「いきます! シロナさん!

 絶対、何があっても、勝つのは私の大好きなみんなです!!」

 

 二人の手を離れ、高々と上がるボール。沸き上がる歓声。

 さあ、シンオウ史に深く刻まれ、この先も末永く語り継がれる、歴史的一戦の始まりだ。

 

 

 

 

 

 先のことは誰にもわからない。

 

 数年後に自分がどうなっているかなんて誰もわからないし、明日自分がどんな体調かもわからないし、一時間後に何が起こるかさえ誰にもわからない。

 晴れていると思っていたって、30分後に雨が降ったりもする。

 宝くじを買ったはいいものの、そんな都合のいいこと自分に起こるわけが無いだろうなぁと内心で思っていても、まさかが起こってくれたりもする。

 何もかもが順風満帆に進んでいたと思っていたら、事故に遭ったりもする。

 他人の良き出会いを羨んでいたら、思わぬ形で運命の人に出会えたりもする。

 内心で疎んでいた悪友が、数年経って大人になっても、何だかんだで未だに気心知れて何でも語れる無二の友であってくれたりもする。

 幼い頃に夢見ていた、立派な大人というものになることが、いざその時になれば微塵も叶えられてなどいないことなどざらにある。

 そんな中で、かつて思い描いていた華々しい自分でないにも関わらず、こんな今も案外幸せだと逃げではなく心から思える現在に辿り着くこともある。

 

 未来とは、夢でもなく理想でもなく現実だ。

 無限の可能性という言葉で語られがちな未来とは、その実辿り着けば実在する世知辛い今の延長線上でしかなく、決してそこに栄光は約束されていない。

 苦心に満ちた今と変わらず、明日に待つのも、来年に待つのも、数十年後に待つのもまた、現在が形を変えたものに過ぎないのだ。

 夢を見るのは誰しもの勝手、叶わぬことあろうともそれもまた現実。

 大人も、子供も、自らの進む道の先に何が待ち受けるのか、それが良きものか苦きものかもわからぬまま、長い人生を歩み続けていく。

 ある日の僥倖。あるいは、一寸先は闇。

 誰もが、先の見えぬ迷々とした生涯の旅路を歩み続けることを余儀なくされ、脱落することさえ許されず前に進んでいくしかない。

 生きていくしかないのだ。それぞ何という苦境かと形容する言葉に、反論するに値する言葉など容易に紡げはしまい。

 

 命の恩人との再会を望み、旅に出た少女は果たして、本当にそれを簡単に叶えられると楽観的に考えていただろうか。

 彼女にとって、その望み焦がれた再会とは、彼女が望んだ劇的なものだっただろうか。

 よもや自らが、世界の存続を賭けた決死の死闘に、それも自らの意志で傷付くことも厭わず挑むと、旅立ったその日にかすかでも想像できただろうか。

 そんな数奇で過酷な命運に愛されてしまった少女が、幼馴染との一戦で、チャンピオンへの挑戦権を賭けて争うドラマを実現すると、誰が予測できただろうか。

 まさかこの年、史上最年少のチャンピオンが誕生するかもしれないという一戦を、この目で見られると思っていた人がどれだけいただろうか。

 そんなありふれた日常の中に降って沸いた劇的さえも、彼女が勝ち取った世界の存続によるものだと、誰が少しでも予見できるだろうか。

 

 いま、この時のことを、一年前に予測していた者など、きっと世界中を探しても誰一人いはしまい。

 未来は永遠に霧の中だ。時を操る神でさえ、その力で以ってして未来を視なければ識ることすらも能わぬもの。

 そしてそうして観測した一時の未来でさえ、覆さんと駆けた者達さえいれば、良い方向にも悪しき方向にも変わり得る儚きもの。

 誰もがそうだと知りながら、前に進んでいくことしか出来ず、しかし神が創らずとも自ずと築かれていくもの。

 不定とは不安だ。そして、希望だ。

 だからこそ人は、未来に夢を見ることを忘れることが出来ず、それがまた、真の意味で人の手で切り拓かれた未来を紡いでいく。

 それが連綿と繰り返されてきた末に今があり、そしてこの瞬間もまた、運命に翻弄され、あるいは愛されし者達が、まだ見ぬ未来を築いていく。

 

 夢見がちな者に都合のいい未来などそうそう叶わない。

 まったく予想だにしなかった望外の幸せに恵まれることもまたある。

 何が起こるか人生はまったくわからない。その知れなさが良いのだという、達観した思想に共感できるものなど決して多い方ではない。

 どんなにそれを論じても意味はない。未来は誰にもわからない。きっと、永遠にその真理は変わらない。

 そうだと嫌でも理解した上で、人は前を向いて歩み続けていくしかない。

 そうして立ち止まらずに生き続けた者達にもたらされる報いが、決して良きものとも悪しきものとも知れずとも。

 それらすべてを受け止めて育った者達が、今ある自らの半生を恥じずして、胸を張る姿にこそ幸福へのヒントが現れているはず。

 抗うことの出来ようはずもないものに、不平を述べるばかりで何もせぬことは、果たして本当に賢明であろうか。

 嘆くことそのものは変えられない。最も変えたいはずであろう、変えるべきであろうはずの己をだ。

 

 誰しも、どんなことがあろうとも、生きていくしかないのだ。

 

 かつての人々にとっての現在が"過去"であり、今の日々とはかつての人々にとっての"未来"。

 私達が幸に喜び、不幸に嘆くこの"今"は、かつての人々が望んだ"未来"であっただろうか。

 満足していない過去の妄念も、想像していなかった幸福に満たされた魂も、常に私達のそばにある。

 そして、やがての人々が経験する"今"の日、現在の自分にとっての"未来"は果たして自らにとって満たされる現在となり得るか。

 何一つ保証されていないその未来を、決して恐れてはならない。厭おうが、逃げたがろうが、必ず訪れ、自らを迎えるもの。

 それに胸を張り、自らの半生と"過去"にもたらされた誇りを持って立ち向かっていくことに、結末がどうあろうとも堂とした自らという一つの幸福がある。

 未来は不定だ。そして、無限だ。誰にも知れず、そして自らの手で紡げる。

 どんなに予想だにしない結末が待っていても、それに立ち向かえる自らがそこにあるなら、怖いものなど何一つ無い。

 

 未来は無限だ。過去の自分にとって、今を含む未来はそうだったはず。歳月を重ねるにつれ、誰しもが重く知る真理。

 そうだと真の意味で知らぬ若き志が、知らぬままにして、純真に、歩み続ける人生の上半期とは、どれほど貴く眩しいものか。

 知らぬままでも構わない。生きれば結果は必ずついてくる。それだけは、今の延長線上たる未来が約束してくれる唯一のもの。

 未来は心ある者をいじめるためだけに存在する残酷なものではない。私達がそこへ辿り着くことを、今か今かと待ち続けてくれるいつかの友。

 辿り着くその時まで、必死に、懸命に、足掻き生き続けてきた者を、両腕を広げて抱きしめてくれる待ち人だ。

 諦観なんて必要ない。必ず、そこにいてくれる。

 

 子供達は、必ず大人になる。そして、その後ろには新しい子供達がいる。

 素敵な大人とは何だろう。立派な大人とは何だろう。本当の意味で胸を張れる自分ってなんだろう。

 それはきっと、先を知ることも叶わぬ未来へ向け、懸命に生きてきた末に大人になった者達だけが知ることが出来るもの。

 

 生きていくしかない。生きていくだけでいい。

 未来を恐れる必要なんてない。人は、いつか必ず大人になる。

 そこに、必ず答えがある。誰にも穢される謂れの無い、誇るべき人生が。



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 エピローグ

 

 

「それじゃあ、いってきます!

 何かあったら、今度は必ず電話するようにするからね!」

「ふふ。

 気を付けて、落ち着いて、いってらっしゃい」

 

 ポケモンリーグで、王者シロナが自分の半分の歳さえ下回る少女と、最高のバトルを繰り広げたあの日から一週間が過ぎた。

 その日、チャンピオンに挑んだもう一人の主役は今、故郷であるフタバタウンを出発し、再び旅路に足を向けている。

 お母さんに見送られ、快く見送るだけじゃなくそそっかしい所をちくりと刺されながら、わかってるよと苦笑いを浮かべて旅立ちだ。

 かつて初めて旅に出たあの日と同じように、町の北へと向かっていくその足取りは、かつてと比べればずっと軽い。

 

 初めての旅の時にあった二度と経験出来ない程のわくわくと、そんな中にさえ潜んでいたかすかな不安は、今はもうない。

 代わりにあるのは、どんな時でも一緒にいてくれる、6人の友達。

 何も怖くない。一度は見知った世界へ、だけど時が経つにつれて変わりゆくこの世界へ、一度訪れた地にさえもまだ生まれるわくわくを求めて。

 初めての時の何にも代えがたい感動はもう無くたって、この世界にはまだまだ沢山の感動があるのだと、心が期待してやまないのだ。

 

 経験と知識。

 旅に出た目的を必ず果たすのだという、かつてよりも強くなった心に誓う意志。

 すべての人が生まれ持つ、見知らぬ世界を拓くことで、新たな感動を追い求めたくなる、潜在的かつ失えない感情。

 今でも子供で、かつてよりも大人に近付いたパールが、幼き自らのあの日よりも、新たな世界への足取りが弾むのは当然のことなのだろう。

 

「パール!」

「おまたせ、プラッチ!

 私も結構早く出たつもりだけど、やっぱりプラッチの方が早かったね」

「僕達は女の子よりも遠出に準備がいらないからね。

 僕の方が遅刻してきたらダメな気がする」

「わかってるね~、プラッチ。

 そういうとこ、女の子に好かれるかもしんないよ」

「あはは、僕もしかしたらモテるかな?」

「んふふふ、私は昔っからずっと、プラッチはもっとモテていいぐらいの人だって思ってるよ」

 

 フタバタウンを出るその場所で、パールを待ってくれていたのは唯二無三の親友だ。

 マサゴタウンから朝早くに出て、待ち合わせであるこの場所に遅れず来てくれるぐらいには、やはりプラチナはしっかり者。

 彼が言うように、確かに女の子は朝の身だしなみに時間をかけるし、男の子である彼とは違って、大事な旅立ちの日に朝風呂に入ったりもする。

 それだけ朝の準備に時間のかかる女の子に合わせ、隣町からここまで来る時間で帳尻を合わせるのだから、本当に気の配れる少年だ。

 確かにパールの言うとおり、もっとモテてもいい子だろう。流石にこんなに賢くて優しい人は、そこまで世の中に多くはないはずである。

 

「どこ目指す? まずはさっそくハクタイシティ?」

「そうだけど、ちょっと先にシンジ湖に行こ。

 やっぱりしばらく帰ってこれないかもしれないし、一目見てからじゃないとなんだか寂しい」

「うん、そうだね。

 それじゃ、まずはそうしようか」

 

 パールにとっては、他のどこよりも思い出深い地だ。

 一度は溺れて命さえ失いかけた場所で、そんな彼女を救ってくれた誰かがいて、その恩人に会うために旅立ちを志したあの日の幼心。

 事情は、真実は確かに複雑だった。だけどやっぱり、あの日の出来事が無かったら、今のパールはきっと無い。

 シンジ湖がフタバタウンのそばに存在していなければ、出会えた数々の素敵な縁さえ無かったかもしれないのだ。

 プラッチに、ピョコ達に出会えたその幸せを、パールはシンジ湖が無関係なものだとは絶対に思えない。心の、第二の故郷だ。

 

「エムリット、元気にしてるかな」

「えへへ、一昨日シンジ湖にいったら湖の奥から出てきてくれたよ。

 元気いっぱいで、プーカと空で追いかけ合いっこしてたんだ」

「あははは、そっかぁ。

 元気にしててくれてるみたいで何よりだよ」

 

 苦境はあった。パール自身のみならず、沢山の命が深い傷を負った。

 そんな痛みも時がやがて癒し、今この世界は穏やかな風と安らぎに満ち、あんな壮絶な日々は夢か何かの間違いだったのかと思えるほど、平穏。

 だけど、それが夢でも幻でも無い現実という名の過去であることを知るパール達だから、今ここにある安寧に心が温かくなる。

 

 特別なことなど何もない、普通の、当たり前の、人によっては退屈なほどの日常。

 それこそが、何よりも貴い。それを知識としてではなく、実感によって感じられるようになれるなら、きっとその人は素敵な大人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっついわぁ~……

 これだから南国遠征は大変なのよ~……」

「どこが南国なのよ、山一つ挟んで隣町みたいなもんでしょ。

 あなたアローラ地方なんかに行ったりしたら死ぬんじゃない?」

 

 ハクタイジムでは、この日地元のジムをお休みにして、親友の所へ遊びに来た傑女がだらけきっていた。

 短いスカートで服も薄地、袖もまくって肘まで露出したむしろ涼そうな着こなしであるというのに、汗だくで手うちわぱたぱたしながら参った表情だ。

 

 雪さえよく降る寒冷地でも同じ格好で、これでちょうどいいとさえ言うスズナは寒さにやたら強いのだが、反面暑がりっぷりも逆方面にやたらである。

 暑くもなく寒くもなく、どちらかと言えばシンオウ北部に位置するため涼しい方だと言われるハクタイシティでも、彼女にとっては暑いらしい。

 ポケモンリーグで檜舞台のパールを応援していた時も汗だくだったが、それは白熱していたからだけでないと、いま彼女と話しているナタネもよく知っている。

 

「アローラなら一緒に行ったじゃん、二人一緒にジムリーダーになれた時の記念旅行で。

 南国旅行、ほんと楽しかったよね。あたしがミイラになりかけてた以外は」

「あははは、舌へっへっしてもうダメたまんないの顔してたよね~。

 人も見てるのにだらしない顔して、あたしが恥ずかしかったぐらいなんだから」

「あたしのその顔撮ってけらけら笑ってたくせに何言ってんの。

 あの写真ちゃんと消してる? 人に見せたりしてない?」

「してないしてない、地元の人に見せたらジム凍らせて営業停止に追い込むって脅されてて出来るわけないじゃん。

 どこのユキメノコよ、それも性格凶悪バージョンの」

 

 周りからは新婚旅行か何かかとさえ揶揄されるほど、遊ぶ時はいつでも一緒のナタネとスズナは、大人になった今でもよく顔を合わせている。

 電話の頻度は、親しさと鑑みれば案外少ない。お互い忙しいのがわかっているから、お喋りしたくなってもどこか遠慮してしまうこともあるようで。

 顔を合わせなくたって、声を聞かなくたって、心のどこかで相手のことをいつも想っている、そんな親友同士の間柄。

 大人になっても、一緒にいられる時間が多かった幼き頃と付き合い方が変わっても、ずっと変わらないものもあるものだ。

 

「あれから一週間だから、今日ぐらいがパールがフタバタウンを出発する日なんだっけ?

 あの子、いの一番にあなたとの真剣勝負に来るつもりなんでしょ?」

「うん、まずは本気のナタネさんと一度勝負したいって言ってくれた。

 ほんとに可愛いの。でも、手加減なんてちっともしないからね?

 それが挑んでくれるあの子に対する礼儀、だとか何とか言う気もないわ」

「あなた、楽しみにしてたもんね。

 バッジを賭けた手加減勝負じゃなく、本気でパールとぶつかり合えること」

「待ち遠しいのよ~。

 あたしのロズレイドも、早く来ないかって毎日うずうずしてるわ」

 

 今でもパールは毎晩のようにナタネと電話しているから、近々パールがハクタイジムを訪れることは、ナタネ達とて当然わかっている。

 ナタネの今言うロズレイドとは、本気を出した時の彼女の切り札であり、正真正銘彼女のポケモンの中では最強の個体。

 ジムバトルの時に繰り出す、育成中の別個体とは異なり、ギンガハクタイビルでジュピターとの戦いでも活躍したナタネのベストパートナーだ。

 だから、あの時から既にパールのことは知っているし、ポケモンリーグでのパールの試合を観ていたナタネのそばでも、ボール越しに成長したパールを見た。

 かつてはあれほど未熟でありながら、悪しきギンガ団を許せないとナタネに同行することを望んだ、正義感の強い女の子だと好意すら抱いていた少女。

 見違えるほど、まさにかつての彼女とは比較にもならぬほど強くなったパールと、真剣勝負が出来る日をロズレイドもまた待ち焦がれているようだ。

 

「わかってる?

 ジムリーダーは負けることが本懐って言うけど、本気出したら負けちゃいけないのよ?」

「わかってるってば。

 チャンピオンに一度負けた人が再挑戦するには、あたし達8人に勝つか、四天王全員に勝たなきゃいけないんだもの。

 それを困難なものにして、チャンピオンへの再挑戦権の価値を高めるのが、あたし達がリーグに任せられた大事な仕事だもんね」

 

 未成熟のトレーナーには、具体的にはバッジの獲得数が少ないトレーナーには、相応に定めた加減で以って迎えるのがジムリーダーだ。

 そうして、バッジを一つ手に入れるたび、次のジムでは前の一戦より強いジムリーダーとの勝負になり、腕を高めていくのがバッジを集めていく者達。

 段階的な成功を積み重ねていくことを挑戦者達に促し、自分達が負けることで若き芽の達成を見送るジムリーダーは、負けることが本懐と言い得て妙だろう。

 まあ、バッジを4つ集めて以降が本番と言われるほど、バッジ集めも後半戦になるとジムリーダー側の加減された本気が挑戦する側には大きな壁になるのだが。

 パールも6つ目のバッジを賭けたジムバトルで、かなりショックな負け方で初めてのジムバトル敗戦を経験している。

 ナタネとて、仮に自分が6つ目7つ目のバッジを賭けて挑まれる立場となれば、相当な数の挑戦者を追い返すだけの加減本気を出してきたものだ。

 それでも、真の意味での彼女の本気とは程遠いのである。

 

 ジムバッジを集めきったことにより、一度だけ"比較的簡単な"道のりでチャンピオンに挑めるのは、チャンピオン戦を増やしたいリーグの方針によるものだ。

 その比較的簡単が許されるのも、流石に一度だけということである。

 チャンピオンに敗れて、もう一度挑戦権を獲得しようと思えば、シンオウ名うての凄腕選手が本気を出したバトルに複数回勝たねばならない。

 そうして、チャンピオン戦の数が昔より増えた一方で、その挑戦権が安くなり過ぎないよう価値のバランスが取られているわけだ。

 本気を出したら、もうジムリーダーは負けることが本懐とは言えない。

 むしろ簡単に負けるようなことなんてあろうものなら、リーグに渋い顔されて苦言を呈されるほどである。

 お仕事の世界は基本的に結果主義。ジムリーダーも、案外そんじょそこらの社会人と一緒で、大事な局面での能力不足は許されぬシビアな立場である。

 

「ちゃんと勝てる?

 草タイプ対策ぐらい、直情的でポケモン任せのあの子だって、きちんと組み立ててくるわよ? もう素人じゃないんだから」

「わかってるってば。

 そんなの何百回も経験してきたじゃない、あなたもあたしも。

 好みでタイプを偏らせてることを言い訳に、負けてもそのせいだってあなた言う? やだなぁ、そんなあなたは」

「あはは、そんな人ジムリーダーやっちゃダメでしょ」

 

 ジムリーダーは何らかのタイプの愛好家かつ、公の試合でもそれに染めた手持ちであることを好む者が大半だ。

 決して、そうでなければいけないわけではないが。現に遠きイッシュ地方のサンヨウジムでは、挑戦者次第でジムリーダーの選ぶタイプまで変わる。

 しかしその傾向が強いのは確かであり、それは挑戦する側にとって、対策を固めやすく突きやすい隙がよくあるということ。

 それでも容易な負けを許されない、そして大抵は勝ってしまうのが本気のジムリーダーというやつなのだが。

 

「スズナ、わかってる?

 あたし、エキシビションマッチでシロナに勝ったこともあるんだからね?

 一回だけだけど、あの時はチャンピオンになれたんじゃないかってぐらい嬉しかったなぁ」

「違うでしょ、うちの子達すごい、どうどう見て見て凄いでしょってだけでしょ。

 あの時、あんたの目に涙溜まりまくってたのあたし見逃してないし」

「うるさいだまれ」

「そういうとこだけは、あなたパールにほんとそっくりな気がするのよね。

 出会った順番が違ってても、きっとあなたの方がパールにとっては、一番身近で大好きな先輩になってたんだろうなって気がするわ」

 

 防衛回数が百にも届かんほど、長くチャンピオンであり続けたシロナだが、決して全戦無敗の最強チャンピオンだったわけではない。

 挑戦者がいない月のチャンピオンズデー、エキシビションマッチでジムリーダーや四天王と勝負する時、負けることだってあったのだ。勝率の方が高いが。

 それだけ、決して"完全無欠のシンオウ最強"ではなかったのが確かであったにも関わらず、防衛戦では一度も負けていないのがシロナの勝負強さなのだろう。

 エキシビションマッチでは無敗だったチャンピオンもかつてはいた。それでも、シロナが歴代最多の防衛回数を持つチャンピオン。

 十年無敗の傑物など非現実的だ。そう断言できるほど、ポケモンバトルは繊細。何が起こるかなんてわからない。

 だからこそ、シロナほどの長期在位の王者が長く君臨し続けても、片方の顔ぶれが変わらぬチャンピオンシップが人々の興味を離さなかった。

 何年も王者が変わらないという、閉塞感や退屈感さえ漂いかねない現実が、一般層をうんざりさせぬほどにはポケモンバトルは奥が深いということである。

 

「でも、シロナに勝ったことがあるからって、今のパールにも勝てるだなんて軽く考えちゃ駄目よ?

 あの子、確かにシロナよりは未熟かもしれないけど、見方次第じゃシロナ以上の傑物には違いないんだから」

「何言ってんの、そんなのあの子こそがギンガ団の野望を打ち砕いた真の英雄であることを引き合いに出すまでもないことでしょ。

 あたし、今はパールの方がシロナよりも強いって本気で思ってるからね。

 ジムリーダーとしてこれ言っていいかわかんないけど、あたしあの子に勝つのはあるべきことじゃなく、勝つことで次のステップに進めるとさえ思ってる。

 どっちが挑戦者かわかんないけど、今のあの子にならそう思っても別にいいでしょ」

 

「冷徹にものを言っちゃうと、10回やれば9回は……いや、流石に勝った子にその言い方は失礼かな。

 でも、10回やっても……7回は負けそうなぐらいには、やっぱり色々含めたらシロナの方が優れたトレーナーなのは間違いなかっただろうにね。

 ……それでも、本当に叶え果たせてみせたんだもんね」

「あたし、今まで一度だって、今の自分の実力に満足したことはないつもり。

 もっと上を、もっと高みを、今以上の自分を目指してきた日を、一日たりとも怠ったことが無い自負はある。

 それでも、あの子がやり遂げたあの日、あたしは全然まだまだなんだなって思い知らされたのを今でも忘れない。

 あたしが10回やって5回勝つのは無理だと思ってる相手を、パールが打ち破ってみせたのよ?

 あたしはきっと、自分でも気付かないうちに、自分やあたしのポケモン達の限界を、賢しく勝手に決めつけていたんだって恥ずかしくなったわ」

 

「あなた、泣きじゃくってたわねぇ……あれ見て笑えなかったもん。

 思うところ、本当にいっぱいあったでしょ」

「言葉に出来ないわよ、あの時の気持ちは、今でも。

 あの子に慕われるに値する先輩でい続けることの方が、今からゼロからポケモンを育て始めてチャンピオンになることよりも、ずっとずっと難しいと思うわ」

 

 先人に学ぶことは誰しも経験することで、多い。

 後輩に学ぶこともある。確かにある。それでも前者よりは少なかろう。

 ナタネは、百人の先人に学ばせて貰ったすべてとも異なる、そしてともすればそれ以上に価値のあるものを、パールに教えて貰ったと思っている。

 年上だからって、先輩だからって偉ぶれるものか。きっと、一生パールに対してそれは出来ない。

 あの子に出会えたこと、あの子に愛して貰えたことが、ナタネにとっては一生の宝物であり幸運だ。

 きっとこれからも間違いなく、一生の友であろう、スズナと出会った幼少の縁は、今でも人生最大の幸福だったんだろうと思ってはいるけれど。

 それに匹敵する出会いが、パールという後輩とのそれだったというのだから、人生というものは本当にわからない。

 大人だからって偉くなんてない。そう実感を以って識ることが出来ることなんて、確かに稀有にして僥倖にして本当に恵まれたことである。

 

 

 

 パールとシロナの試合が決着した時、その日の現地の観客席だけでなく、シンオウ地方全体は沸きに沸いた。

 歴代最長の在位期間を持つシロナが敗れ、難攻不落の牙城がついに崩れたこと。

 そして、史上最年少のチャンピオンが現実に誕生したこと。

 生観戦していた観客の歓声は、もはや歴史的瞬間を目の当たりにした熱狂の渦に満ち。

 テレビで観戦していた人々が、決着の瞬間に現地へ届きもしない拍手と歓声を贈ったその熱も含めれば、まさにシンオウ地方が人の手で揺れた日だ。

 恐らく、あれほど、シンオウ地方のポケモンに関わる人々が魂を震わせられた瞬間など、向こう百年あろうともう一度あるかなど本当に疑わしいほどである。

 

 勝利が確定したその瞬間、無我夢中でバトルに精魂を投じていたパールは、言葉一つ発することも出来ず、半ば茫然としたように立ち尽くしていた。

 そんな彼女が、シロナの切り札であるガブリアスを撃破したドダイトスの、天を仰いで咆哮を発する姿に目を覚まし。

 何度も何度も呼び慣れた、ピョコの名を一度大きく叫び、彼の起こした地震で幾度も転んで痛めた膝で、たどたどしいほどの足取りで駆け寄って。

 飛びつくように最愛のパートナーに抱きついたその瞬間は、昨日も、一昨日も、シンオウリーグの名場面として放映されている。

 あの試合から一週間も経つというのに、未だにだ。

 それだけパールの勝利は、長き長き歴史上でも比較に値するものが容易に見つからぬほどの快挙であり、その結末と彼女の人柄を象徴する一幕と言えた。

 鳴りやまぬ歓声と拍手、そんな誰もが羨む栄光の舞台の真ん中で、主役がそれを一つも顧みなかったことが誰の目にも明らかだったのだ。

 ポケモン達は断じて、決して、トレーナー達にとって己の栄誉のための代理戦を担うだけの道具などではない。

 夢を追うことに傾倒し、敢え無くとも、その初心を忘れがちになる者も多い中、新チャンピオンの姿はそれを体現していたと多くの者が語っている。

 

 歴史的一戦を終えたパールは、歓声に見送られてリーグの最奥、新王者のみが足を踏み入れることが許される場所へ、シロナに導かれて至った。

 快挙を成し遂げた、チャンピオンシップを制したパールのポケモン達を、殿堂入りという形で未来永劫記録するための場所。

 きっと、パールにとっては自分が褒めてもらえるよりも、ずっとずっと嬉しい報いだったに違いあるまい。

 その場でパールがどのような想いでいたか、どんな表情でその喜びをかみしめていたかは、生憎ともにそこに伴ったシロナにしか知れぬこと。

 そして、そんな重要な儀式を終えたパールを迎えたのは、彼女の勝利を願っていた縁ある人々が待つセレモニー会場である。

 

 パールは、その姿を見て拍手を送ってくれる友人、先輩、身内の面々を前にするや否や、ぶわっとその目に涙を溜め、いの一番に駆け寄った。

 そこにはナタネもいた。スズナもいた。ダイヤもいたし、何よりお母さんさえもいた。

 そんな中で、パールがその姿を見るや否や、真っ先に駆け寄って我慢できぬ想いと共に抱きしめたのがプラチナだ。

 ずっと、ずっと、本当にずっと、一番近くで支えてくれた、私が嬉しい勝利を飾るたび、我が事のように喜んでくれた人。

 想い人にぎゅうっと抱きつかれ、その勢いに押されて二歩たじろぎ、驚き一気に顔が真っ赤になったプラチナだったけど。

 搾り出すような声で、ぼそぼそと、今の想いを口にするパールの言葉を耳にすれば、プラチナまでもが目に涙を浮かべずにはいられなかったほど。

 それこそ、恋した女の子に抱きしめられるその事実に、胸が高鳴る想いさえも消え失せるほど、感無量たる彼女の想いは触れ合う胸を介して伝わったからだ。

 

 やったよ、って。

 みんなが勝ったよ、って。

 すごいよ、って。

 ありがとう、って。

 

 脈絡の繋がり切らない言葉を、周りの誰にも聞こえない声、その大きさで出せない声を絞り出すパールを、プラチナもまた優しく抱きしめ背を撫でた。

 うん、すごかったよ、って。

 みんな、本当にすごいね、って。

 一生、大事にしてあげるんだよ、って。

 みんな、パールのことが大好きだからあんなに凄いんだよ、って。

 プラチナもまた、胸いっぱいの想いを、それもパールの言葉に応える形で発したゆえに、纏まりのない言葉を紡ぐばかりになったことは否めない。

 周りは、ダイヤは、お母さんは、ナタネは、スズナは、そんな二人に近寄ることもせず、ただただ慎ましやかな拍手でパールを讃えた。

 幸せに満ちた、今のパールをそこへ導いた、6匹などとは呼ぶも憚られるほどの6人の勇者に、心からの賛辞をその内心から訴えながらだ。

 

 プラチナの言葉で、戦い抜いた、戦い抜いてくれた、やり遂げてくれた6人のことで心がいっぱいになったパールが、声をあげて泣いた姿を世は知らない。

 後々になれば、いつかパールも幼子のように声をあげて泣いたその時の自分のことを、懐かしくも照れ臭く想うことがあるかもしれない。

 だが、あの日の特別な感情から時をおいた今を以ってなお、パールはその日の涙を恥ずかしく回想することは決してない。

 たとえ誰にからかわれたって、だってあの時は仕方ないよって、胸を張って言えるだろう。

 誰にも穢せぬ、彼女の純真な感情が溢れ出たに過ぎない姿だったのだから。

 

 長くもあり短くもあった、限られた者達により新チャンピオンが祝福されていた時間、観客席の人々は誰一人として帰ってなどいなかった。

 白熱のバトルを終え、熱狂していた観客は未だ燃え尽きも冷めもせず、共にこの地に赴いた身内と、言葉にし難いほどの激戦に紡ぎきれぬ言葉で感想を交わし。

 長い興奮の時間を終え、まだ早い時間なのに疲れて眠りについてしまった我が子を抱き揺らし。

 身内抜きで単身この試合を見届けに来たお客さんですら、初対面の隣席の人と、本当に凄いバトルだったなと感動を共有し合い。

 トイレに一度立つ時間すら見当たらなかった激戦の後、人々は各々にざわめきながら、新チャンピオンの再登場をずっと心待ちにし続けていたのだ。

 歴史的勝利に巡り会えたこの日、幼く可愛らしくも感嘆に値する少女が表彰される最後の一幕を見ずして、誰が帰れるかという話である。

 

 さっきまでバトルフィールドであった場所に、シロナに導かれて再びパールが姿を現した時の歓声は、彼女が勝った瞬間よりも大きかったかもしれない。

 激戦を前にしてずっと騒がしくしていた観客が、試合の最後に枯れた喉で発した、最後の力を振り絞っての歓声よりも、きっと。

 数十分のお休みを経て、喉を潤して、元気になった観客の大合唱は、会場裏や外のリーグスタッフですら、地鳴りのようなそれに驚いたほどだ。

 前王者シロナによる、新王者パールへの、賞賛と敬意に満ちた勝利者インタビューの時間。

 前チャンピオンの意向次第で、プロのアナウンサーがその役目を代わることも少なくない中、自分を破り王座から引きずり下ろした相手にだ。

 悔しさを、新たな成功者への敬意が上回るのも、シロナの器ゆえなのだろう。

 パールにおめでとうと言い、観客席からもう一度の歓声を引き出した後、くるんくるんとマイクを手元で回したりと、心から楽しんでいる姿が大物である。

 

 この日の一週間前、ダイヤに勝った時にもアナウンサーに勝利者インタビューを受け、上手く喋れずそれが放送されるたび恥ずかしくて死にそうだったパール。

 この日、パールはシロナの問いに、決して器用ではなかったけど、後から見ても恥ずかしくない程度にはしっかり受け答えが出来ていた。

 初対面の大人を前にしてのインタビューより、見知り親しいシロナさん相手だから緊張し過ぎず済んだのか、それとも二度目で単に少しは慣れたか。

 シロナはこの日のバトルを振り返り、あの場面はどうだった、あの時どうしてあんな反撃に出れたの、と、客が聞けて面白い内容をしっかり聞いてくれる。

 長いチャンピオン生活の中で、この手の話を聞かれることが非常に多かったシロナ、逆の立場になっても上手くやってくれるものだ。

 パールも気心知れた相手なのが幸いしてか、無我夢中すぎて思い出せない場面については、覚えてませんと格好つけずに返事することも出来た。

 そしたらシロナも悪乗りし始めて、パールが覚えていなさそうな場面を連続で尋ねて、三回連続で覚えてないという返答を引き出して。

 しっかりしてよ新チャンピオンー! なんていじって観客の笑いを誘い、パールが気恥ずかしげにふにゃりと笑うことも誘ってくれる。

 この日の自分のインタビューを、きっとパールは好んで見返すことはしないだろうけれど、一生の思い出になるほどの語らいであったことは間違いあるまい。

 

 最後に、お客さんにでも"誰にでも"いいから、あなたの言葉で今の気持ちを聞かせて、とシロナがマイクを渡してくれた。

 両手でそれを受け取ったパールは、会場を見渡して、すぐには言葉が紡げずに少しの沈黙が流れたけど。

 彼女はそこで、一度マイクを地面に置き、鞄を開け、それを頭上に掲げると、大きな地声で今最もそばにいて欲しいひとたちに呼びかけた。

 みんな、出ておいで。彼女が自分の言葉で今の気持ちを語れと言われたパールの第一声である。

 パールの最後の切り札として勝ったピョコまでも含めて、みんなけちょんけちょんに傷だらけの姿であり、お疲れなのは目に見えて明らかだったけど。

 少し休んで、バトルじゃなくて遊ぶぐらいには出来る程度まで持ち直したみんなは、パールのそばに降り立ってすぐに彼女を囲い込む。

 マイクを拾って両手で握るパールを見受けるや否や、ピョコが後ろからパールのお尻をひょいっと突き上げ、彼女を放り上げるようにして自分の甲羅上に導く。

 お尻をちょっと痛めつつも、スカートを正してぺたんとピョコの背上に乗ったパールに、みんなは甲羅を駆け上がってくる。

 

 パールの両膝を枕代わりにするように、その特等席を真っ先に確保しつつ、頭を上げず今のパールの顔を観客の目から隠さない配慮をするミミロルのミーナ。

 ピョコの背中の樹の上まで登り、全身を光らせてさながらパールをスポットライトのように照らしてくれるレントラーのパッチ。

 パールの後ろで彼女に背中を合わせるように座り、触れ合いたい想いと今のパールの華舞台を邪魔しない位置取りの折衷を取るニューラのララ。

 三匹の女性陣に特等席を譲り、ピョコのお尻の方の甲羅の上で、賞賛に満ちた眼差しでパールを眺める人々の姿を本当に嬉しそうに見渡すトリトドンのニルル。

 パールの頭の上で身を浮かせ、何度も何度も両手を振り上げ、もっともっとパールを褒めてと無邪気に観客を囃し立てるフワンテのプーカ。

 ぐるる、と短い声を発して頭を上げ、さあ聞かせてくれよとパールを促してくれるドダイトスのピョコ。

 彼女が自分自身の成功なんかよりも、ずっと、ずっと、自慢したいものが何なのかは、言葉一つ無くすべての衆目に伝わっただろう。

 6人のポケモン達。チャンピオンバトルにて体現したその強さ。そして、自分をこんなにも強くしてくれた、大切な人が大好きで仕方ないというその姿。

 観客やメディアが何度もシャッターとショットを撮るこの光景はきっと、儀式的なリーグ殿堂入りの厳かなものより遥かに尊い。

 

 今の喜びを伝えたい人が、パールには何人もいたはずだ。

 だけど、息を吸って声をマイクに向けて発し始めたパールの言葉に、登場人物は6人しかいない。

 幼馴染の姿も、尊敬する先輩の姿も、大好きなお母さんの姿も、紡がれる彼女の言葉に中には影も形も無い。

 出会った瞬間から可愛くて、愛らしくて、好きで好きでたまらなかったみんなのことが、一緒にいるうちにもっともっと好きになっていったこと。

 大変なことも沢山あったけど、そのたびみんなが助けてくれたこと。

 みんなと一緒に何かを成し遂げられた時が、何よりも嬉しくて幸せな瞬間だったこと。

 そして、そんなみんなとこれからも一緒にいられるだけで、他にはもう何もいらないと思えるほど胸がいっぱいであること。

 観客を見渡しもせず、目線だけは真正面のスタンドアリーナを向いていながら、彼女の心がどこを向いているのか、どんなに鈍感な客にもわかるはず。

 

 オーロラビジョンに映される、栄光の瞬間にある少女の真っ赤な目は、とっくに裏で泣き腫らしてきたものだと誰もが早くからわかっていた。

 それでも、みんなへの想いを言葉にするたび、何日もの、何週間もの、何ヶ月もの思い出が脳裏をよぎれば、まだもう一度彼女自身の心を揺さぶる。

 両手でぎゅっとマイクを握る手が塞がっているパールは、流れ落ちるものを拭いもせず、想いに任せて伝えたいことをすべて紡ぎ通した。

 鼻をすすって、彼女が最後に、声を大にして発した言葉は、きっと彼女の今の想いを最も明確に体現している。

 みんなのことを、最後に、もう一度、いっぱいいっぱい褒めて下さい。私の、大切な、大好きな友達です。

 その言葉によりパールの言葉が締め括られた瞬間、大きくも温かい歓声が再び会場を満たしたことが、恐らくこの日一番のハイライト。

 人々の敬意を最も集めるのはチャンピオンその人だ。その人物をその地位に押し上げたポケモン達は、きっと人にとってはその次に讃えられる。

 6人の友達をこの日の主役として認めて欲しいと訴える少女の言葉は、当たり前のことを忘れかけていた大人に、掛け替えのない童心を思い出させてくれる。

 

 ピョコの背中の上のパールへ手を伸ばしたシロナに、マイクを渡してぐしっと涙を拭ったパールは、その時ようやく大観衆を改めて見渡せた。

 その歓声が、間違いなく、大好きなみんなに向けられていることが、何よりも嬉しかった。

 本当の意味で、彼女が叶えたかったこと。

 幸せの六等分。一かけらも私にはいらない。私は、みんながそばにいてくれるそれだけで、とっくに六倍以上に幸せ。

 照れ臭く、あるいは嬉しそうに笑うみんなを改めて見渡すパールにとっては、きっと、その瞬間こそがこの日一番嬉しかった瞬間だ。

 泣き腫らした後の目で、太陽のように幸せな笑顔を身内に振り撒く少女の無垢な表情は、きっとそれを見届けた人達にとってさえ一生の思い出となろう。

 

 

 

「あたし、あの子に出会えてよかった。

 あの子が、ポケモントレーナーとして生きていく道を選んでくれて、本当によかった。

 いくつも、あの子は、あたしにとっても忘れ難いほどのものを、たくさん、たくさんもたらしてくれたわ」

「ふふ、あたしもちょっと羨ましいのよ?

 あの子にとって、あなたがあの子にとって一番の先輩であることが。

 あたしも慕ってもらえてはいるけど、あなたぐらいもっと好かれてみたいもん。

 大好きな人にはつい、もっともっと自分のことも好きなって欲しいって思っちゃうよね」

「あはは……あたし、やっぱり一番の果報者なんだろうな」

 

 本当に、本当に、本当に幸せそうな、感無量の人の姿は、いかに赤の他人であっても堪らない。

 ましてそれが、親しくて可愛くて大好きな、身内だったら、もう。

 愛することで人は幸せになれるし、愛されることで人は誰かを幸せにすることが出来る。

 心ある者達に許された、最も貴き権利であると同時に、最も尊き魅力である。

 

 温かき人々に、魅力に溢れたポケットモンスター達が過ごすこの世界は、シンオウ地方は滅びを免れた。

 そして、そんな美しき世界は、これからも永く永く私達の前に在り続け、きっとその地を離れても心の片隅にずっと残り続ける。

 楽園はまだ、喪われるには惜し過ぎる。

 人類史という記録にも、その日を生きた人々の思い出という記憶にも残る、そんなものに溢れた理想郷。シンオウ地方は夢の楽園だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日はエムリットは寝てるのかな?」

「会える時間が結構わかんないんだよね。

 夕方に来ても会いに来てくれることもあれば、真昼に来ても寝てそうなこともあるから」

「もしかして毎日来てる? 時間だけ違う感じで」

「ついついね」

 

 プラチナと共に湖畔に腰を下ろし、美しく清純なシンジ湖の水面を眺めるパールとプラチナ。

 いつ来ても絶景だ。地元だからと毎日のように訪れ、その美しさを見慣れたような気がしても、ある日ふいにその美しさをきっかけも無く再認識できるほどに。

 パールほどシンジ湖を何度も見ていないプラチナなんて、こうして穏やかな気持ちで訪れる限り、何度だって感動できると感じるばかりである。

 

「パールと出会ったのもここだったんだよねぇ……

 初対面のインパクト、だいぶ強かったなぁ」

「ん~、確かに今になって思えばびっくりさせるよねぇ……

 迷わず飛び込んでったもんね、私」

「あの日、ムックル相手におたおたしてたあの子が、今はもうチャンピオンなんだもんなぁ。

 なんか信じられないよ。パール自身ですらそんな気してるでしょ」

「そうだねぇ……私、チャンピオンなんだよねぇ。

 だからって、あんまり変化ない毎日だからあんまり実感もないしなぁ」

 

「旅に出て他の街に行ったら、ちょっと非日常化するかもしれないけどね」

「そうなったら逃げる。

 私はチャンピオンづらするの向いてない。ひたすら向いてない。

 恥ずかしい思い出が増えてくだけ、わかりきってる」

「想像つくなぁ、囲まれてちやほやされたら目を泳がせるパール。

 そして何とかかっこいいこと言おうとして激すべりする」

「う~る~さ~い~だまれ~」

 

 これまでのパールの旅は、チャンピオンになった瞬間で、彼女の中では殆ど完結してしまったと言っていい。

 みんなをあれだけ自慢できたのだ。褒めて貰えたのだ。あれ以上の経験が、今後もう一度できるような気もしない。

 チャンピオンになった翌日、里帰りしたパールに、さっそく史上最年少の新チャンピオンへ、あれこれメディアのオファーは飛んできたけれど。

 パールが全然乗り気じゃなかったので、お母さんが丁重にすべてお断りしてくれた。

 本来新チャンピオンとなれば向こう一週間など、その人が望むなら幸せなてんてこまいなのだが、パールはその例に沿ってない。

 そんなわけで、パールの日常の暮らしはチャンピオンになる前と、殆ど何も変わっちゃいないのである。

 まあ、流石に有名人になってしまったので、道行く人々に二度見されたり、声をかけられたりするようにはなったが。

 子供だからなのかサインを求められるような、そこまでのことはそうそう求められないのが救いであろうか。

 ただ、お母さんと一緒にコトブキシティに、プラチナやダイヤも一緒にご飯を食べに行った時は、都会ゆえに寄ってくる人がまあまあいて大変だったりも。

 旅に再出発するまでに一週間空けたのは、ちょっとでも世間の熱があの日から冷めるのを待つのも狙いだったというわけだ。

 

 チャンピオンとなったパールが、ポケモンリーグに求められるのは、毎月末に挑戦者が現れれば迎え撃つこと。のみ。

 流石に子供、大人が仕事を求められる程に束縛しては少しあんまりなので、この歳ゆえにパールが求められることも最小限だ。

 そもそも大人のシロナでさえ、チャンピオンとしてこれだけはやってね、と求められることなんかは少なかったのだが。

 月末のチャンピオンシップ、その日挑戦者がいなかったり、その前週もプレーオフが無ければエキシビションマッチをやる、この程度である。

 出来れば平時もインタビューにも対応してね、とチャンピオンとしてのメディアへの顔出しを任意に求められる程度で、チャンピオンって案外自由なのだ。

 

 月に一度の防衛戦がスタンダードに行われるようになった昨今、下手に仕事をチャンピオンに強い過ぎるとブラックになってしまうのである。

 チャンピオンになれれば嬉しいけど、それで毎日が自由じゃなくなるんだったら、目指すのもなんだかなぁと思われかねない。けっこう現実的にあり得る話。

 パールは毎月末のチャンピオンズデーに、シンオウリーグで試合をすることだけ義務付けられているが、逆に言えばそれだけということだ。

 流石にすっぽかしたらチャンピオンを降ろされる程度には厳しさもあるが、こればかりは当然の範疇であろう。

 大きな怪我や病気にかかっての欠席なら、温情やその後の流れの裁量想定あるので、基本的にシンオウ地方のリーグはチャンピオンに優しくて寛容である。

 

「だいぶ先だけど月末にはちゃんとシンオウリーグに行くようにしなきゃね。

 何回か防衛して、それが習慣付いてきたらきっと、そのうち自分がチャンピオンっていう自負や自覚も湧いてくるんじゃない?」

「スケジュール調整よろしく、マネージャーさん」

「マネジメントいらないでしょ。

 三日前にはシンオウ西部にいれば一日でリーグに行けるじゃん。

 だいたいそのうち行く予定のバトルフロンティアだって、そこで修行しとけばリーグへの直行便あるし」

「でも風邪ひいたりしないかとか不安にもなるよ。

 一日、必ず、その日だけは義務、ってなんかプレッシャーない? 別に大丈夫だろうなってわかってても」

 

「風邪なんか引かないでしょパール、雨の中でミーナ探しに行った時もへっちゃらだったじゃんか」

「いま絶対、バカは風邪ひかない理論ぶつけられた」

「そこまで言ってないでしょ」

「どこまで言ったのさ」

「パールは超人だと思ってる」

「誰がポケモンかー!」

 

 パールを怒らせてふざけて笑うプラチナだが、内心ではパールのことを、超人に結構近いと思っている。

 やってきたことがやってきたことだけに。対ギンガ団の戦いの日々が本当にそう。

 身体はそりゃあ、健脚で元気だけどあくまで普通の女の子だが、メンタルがやばい。そうだと決めたらあり得ないぐらい無茶する。

 で、やり遂げてしまう。我が身を尋常じゃない危険に晒しながらもだ。

 普通の女の子に過ぎないことは重々承知の上で、それでもプラチナはパールのことを、脅威的な強さの持ち主だという認識を覆そうにない。

 

「最初の防衛戦はダイヤが相手の予定でしょ。

 すっぽかすわけないけど、遅刻でも絶対に駄目だよ。

 一滴も水差さず100%いい舞台にしてよ、チャンピオン」

「まあ、それはね……

 私も流石に、一回も防衛できず、しかもあいつに負けるのは悔し過ぎるしなぁ。

 きちんと万全で、後腐れもないよう、きちんと勝ちたいな」

 

 パールに敗れたシロナは、すぐにパールに再挑戦するつもりは無いらしい。

 彼女の実力があれば、一ヶ月の間に四天王相手になんとか勝ち切って、今月末にさっそくパールに再挑戦というのも不可能ではないだろう。かなり強行軍だが。

 実際、それを望む声は世間にも多いのだ。それだけ、パールとシロナの頂上決戦は内容が良かった。

 本来短期間での同じ顔合わせなんていうのは、新鮮味に欠けるので望まれぬこともあるが、この二人においては再戦さえ世論に歓迎されている。

 それでもシロナは、時間をかけてもっと腕を磨いてから、パールに再挑戦するという道を選んだようだ。

 具体的には一年ほど。その日、パールがチャンピオンでなくなっていたとしても、もう一度やりましょうねと熱い約束を交わして。

 そして、その一年後までパールがチャンピオンでい続けてくれるなら、それはそれで非常に熱い話。

 だからパールも、本来の彼女の性分とは異なるながらも、来年まで11回の王座防衛を果たしてみたいという意気込みは案外強い。

 そして、だからこそ毎月のチャンピオンとしてリーグに訪れる程度のことにさえ、何が何でも失敗できないと少しナーバスになったりもするのである。

 

「さっ、それじゃあしっかり今より強くならないとね。

 ダイヤだって、一ヶ月みっちり、今より強くなってパールの前に現れるよ。

 きっと新たな挑戦者が現れても、プレーオフで絶対勝てるほどにね。

 まだ確定してないのはわかってるけど、僕は今月末のチャンピオンシップは、パール対ダイヤだって信じてるから」

「……そうだね、多分ダイヤはそうなんだろうな。

 あいつ、そうだと決めたら絶対やり遂げちゃう奴だしな」

「どの口が……」

「だまれ。だまれだまれ」

 

 睨まれたので、立ち上がることでこの空気から逃げる。

 むすっとした顔で立ち上がるパールを、まあまあとなだめてひとまず機嫌を取っておく。

 むっとさせても、ちょっと間をおいてから、適切な接し方をすれば宥めることが出来る、そんなプラチナはパールの扱い方が本当に上手い。殆ど常に掌の上。

 最近パールもそうされてることに自覚が芽生え始めているが、まあプラッチだったら別に……ぐらいに内心では思っている。

 ナタネ先輩にべったり甘えん坊な彼女の姿にもよく現れているが、パールは心から信頼する相手には、概ね殆ど身も心も預け切れてしまう性分。

 ポケモン達に指示する立場より、みんなに好きなだけ甘える立場を遥かに好むように、パールはリードされてるぐらいの方が当人も幸せなタイプということだ。

 面倒見のいいプラチナとはよく噛み合うわけである。

 

「よーっし、出発しよっか。

 まずはハクタイシティでナタネさんと全力バトルだな~。

 出来れば今日のうちに、ハクタイシティに着いちゃって、しっかり準備して明日やりたいな」

「一日で行くにはちょっと遠い気もするけど……あっ」

 

「――――♪」

 

 ピョコがボールから飛び出してきた。

 パールを背中に乗せて、ガンガン飛ばして今日中にハクタイシティに着かせてみせる、という意図など考えなくても二人には伝わる。

 つくづく、自分の意志でパールのことを、何でも助けてくれようとするこの子のことが、パールにしてみればたまらないほど愛おしい。

 

「えへへ、ピョコありがと。

 それじゃ……」

 

 さっそくその背中に乗ろうと、横から甲羅に手をかけようとするパール。

 ほんと仲良しだなぁ、と微笑ましく眺めていたプラチナだが、足を上げようとしたところでパールが止まった。

 あれ、どうしたの、と問いかけたプラチナだが、パールは何かを考えているかのように、ピョコの甲羅に手をかけたまま一旦止まっている。

 

「……………………え~っと。

 そう、だな……うん……やっぱり、今日のうちにちゃんとやっておくね」

 

「え……」

 

 プラチナの方を向いて、しかし彼の方を真っ直ぐには見ず、どこかはにかむように目線を逃がしたパールが、もごもごと口にした言葉の真意など読みにくい。

 すぐにわかる。パールは、新たな旅立ちのこの日、果たしておきたかったことがある。

 私の、私達の、新しい日々が始まっていく一つの記念日。それが今日。

 言葉にすることも昨夜のうちから考えていたが、どうしても上手い言葉に纏まらず、今この瞬間までもこっそり悩んでいたのだけど。

 だったらもう、これしかないかな……と、最もプラチナには想像だにせず、最も大胆な行動でパールはその意をプラチナに伝えんとする。

 

 近付いてきたパールに、何を言われるんだと少し緊張したその矢先。

 すいっと顔を近付けてきたパールが、プラチナが何を問うよりも、何をするよりも早く、殆ど完全な不意打ちで。

 プラチナの頬に、触れたか触れてなかったかもわかりにく、しかし確かに、ほんの少し唇が触れたことがわかる程度には、その強い好意を行動で以って現した。

 あまりの衝撃に、プラチナは完全に時間が一度止まった。どうやら神様じゃなくたって、時間というものは操れてしまうらしい。この一度きりとはいえ。

 

「ちょ…………ぇ…………ぁ、っ…………」

 

「…………ばーーーーーか!!

 もっと嬉しそうな顔して欲しかったなっ!!」

 

 一歩下がって、プラチナをはっきりと真正面に見据えながら、顔を真っ赤にしたパールは恥ずかしさに負けて、その口元を手の甲で隠していた。

 やっと時間が動き出したプラチナが、声と呼べるものを発するまでそもそも三秒。

 その発された言葉も、言語としての体を為してない。プラチナの顔の赤さはパールとどっこいどっこいだが、一気に紅潮する速さはパールの倍以上。

 

 照れ臭さに我慢できなくなったパールは、苦し紛れに得意の大声を出して、しかし拒絶はされていないことだけがプラチナの反応からは理解できて。

 満面の笑顔を浮かべて舌を出したのち、ぱたぱたピョコの方に駆けていって、飛び乗るようにして甲羅の指定席に跨る。

 少し高い位置からプラチナの方を見下ろすパールの下では、地震を起こさない程度にピョコが前足で地面を叩いて笑っている。

 凄い凄い、すごくいいもの見れちゃった、と、手を叩いて大喜びする姿は、大きくなった今でも無邪気なピョコの姿として実に象徴的だ。

 

「プラッチ、ほら!

 一緒に行こ!」

 

「…………パー、ル……」

 

「これからも、いつまでも、ずっと一緒! 大好き!

 ずっとそばにいてくれなきゃ嫌だからね!

 私もう、プラッチのこと選んでるから!」

 

 プラチナの方に手を伸ばし、ピョコの背中に共に跨ろうと呼び込もうとするパールの表情は、その赤さも霞むほど眩しい笑顔に満ち溢れていた。

 吹っ切れてしまえば溢れ出る。気持ちが、想いが、感情が。

 そんな彼女に、少年は恋をしたのだ。強くなっても、どこか前より大人に近付いたように見えても、そんな彼女は今もまったく変わっていない。

 いつか自分が伝えるべきだと思っていた想いとまったく同じもの、それを相手から向けられる衝撃は、きっとプラチナの今までの人生で最大のサプライズ。

 それも、これから先を何年生きたとしても、これほど嬉しいサプライズは二度と無いだろうと、後から、今でも、思えるほどの。

 

「っ……うん……!

 ありがとう、パール……!

 僕は、君に会えて本当によかった! 一番、誰よりも大好きだよ!」

「っ、っ…………っ~~~~~!!

 いいから早く乗れぇ~!」

 

 表情のせいで隠しきれていない照れ隠し、呼び込むパールに応えるように、プラチナは胸いっぱいの想いでピョコの背中に飛び乗った。

 パールの後ろに座り、彼女の腰を持ち、ピョコの背中に二人乗りするいつもの形だ。

 女の子の身体にその手で触れるなんて、毎回いつも緊張して、その手に力が入りきらなかったのももう昔。

 この上ない幸せに満ちた少年の手は、遠慮なく、最愛の人の腰元をぐっと持ち、傷付けない程度の力加減で以って今の嬉しさを表現する。

 本当ならば、今すぐ抱きしめたいほど愛おしい、今日から恋人になった元親友に、それで収める程度にはプラチナもしっかり者である。

 

「ピョコ、よろしくね!

 ハクタイシティまで超特急!!」

 

「――――――――z!!」

 

 どかどかと駆け始めたピョコが、シンジ湖のほとりを出発し、101番道路を駆け抜けていく。

 早くて、揺れる、少しお尻に刺さるけど、風が気持ち良くて心躍るライド。

 それも目の前に、あるいはすぐ後ろに、大好きな人がいての旅立ちだ。

 きっと二人はこの日のことを、一生忘れることなど出来ないはず。

 新たなる旅立ちの記念日とは、まさしく今の特別さを言い表すに相応しい表現だ。

 

「………………ピョコ、負けないよ。

 パールにとっての一番は、いつか必ず僕のものにするからな」

 

「――――z♪」

 

 少年にとっての最大のライバルはここにいる。それも、めちゃくちゃ強いライバルだ。

 プラチナは、大好きな親友であり想い人でもあるパールに、何度だって尽くしてきた。

 それでも、今でも、ピョコのパールに対する献身の深さには、どうやっても勝てている気などしていない。パールのためなら本当に命すら賭けるんだから。

 パールに一番愛されるべきは、それほどまでに彼女に尽くしてきた彼の方であると、道理を意識すればどうしたってそう思えてしまう。

 今の自分じゃ敵わないのだ。今こうして、パールに選ばれたことが幸せであると同時に、そうなったことで新たな悔しさが溢れてくるほどに。

 

 それでも負けたくないんだから、もっと強くて、パールに相応しい男になっていくしかない。

 これほど今では勝てる気がしないライバルを前にして、意地だけで、らしからぬ語尾で強い気持ちを伝えるほどには、プラチナも腹が決まったのだろう。

 挑むことで、人は強くなれる。強さは待っていても舞い込んでこない。

 それこそ、挑み続けてこれほどまでに強くなったパールの、今と過程を知るプラチナだからこそ、他の誰よりもよくわかること。

 そんなプラチナの決意を背上から感じ取り、いいぜ、かかってこいと余裕混じりの声を放つピョコもまた純真だ。

 現時点での敗北宣言すら含む挑戦表明、迎え撃つ側の自信に満ちた返答。そして、二人はこれまで以上に強い繋がりを意識する。

 真剣勝負の時こそ最も、互いを分かり合えることが多い。それが男の子。

 

「――――――――へへっ、えへへへっ♪」

 

 大好きな人に愛されている。大事にして貰えている。

 パールの幸せな想いは、人に聞かれるとだらしなくて、ちょっと恥ずかしいぐらいの小さな笑い声に、堪えきれずに溢れていた。

 腰元に伝わる恋人のぬくもり。ぎゅっと掴んだ甲羅の揺れから伝わる、自分を乗せて走るだけで楽しいという親友の喜び。

 私はきっと今、世界で一番の幸せ者。絶対に間違いじゃない。

 

 向かい風が、今までで一番心地良い。

 吹き抜けていくその風が、心を透き通り、先に待つであろう数々のものに対する不安を洗い流し、新たな世界が広がっている高揚感で胸を満たしてくれる。

 独りで地面を踏みしめて歩き続ける、そんな旅では絶対に味わえない爽快感と恍惚感。

 大好きな誰かと共にゆく旅、その楽しさと喜びを一度経験してしまえば、もうその縁を手放すことなんて一生考えられなくなる。

 

 プラッチも。

 パッチも、ニルルも、ミーナも、ララも、プーカも。

 そして、ピョコも。

 みんな、パールにとっては唯一無二で、一生、変わらず、掛け替えのない存在だ。

 

 ずっと、そばにいてくれる。それが、ポケットモンスター。

 大切なひとと、いつだって一緒。夢のような友人であり隣人だ。

 大人も、子供も、ポケモン達が大好き。

 きっと私達も、いつまでも。



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