転生悪役令嬢は、自分をハーレムもののツンデレお嬢様チョロインだと信じて疑わない (負け狐)
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第一話

ちょっとした実験作的な感じ


 目が覚めた時、彼女の思考はやけにはっきりとしていた。グルグルと見たことも聞いたこともない景色や単語が渦巻いているにも拘らず、それを当たり前のように受け止めていた。

 

「お嬢様……。どうなさいましたか?」

「……大丈夫です。気にしないで」

「え?」

 

 傍らのメイドが声をかけてきたが、彼女はそれを流すように言葉を返す。が、当のメイドはそれを聞いて動きを止めた。そして、何故かオロオロとし始めた。

 そこで彼女は気付く。あ、そういえばついこないだまで自分傍若無人だったわ、と。

 

「倒れて、気付いたんです。わたしが今までどれだけ迷惑をかけていたか」

「……え?」

「何言ってんだこいつみたいな目で見るのやめてくれません?」

 

 失礼だなこのメイド。そんなことを思いはしたが、正直そのくらい図々しくないと自分のメイドなどやってられなかったのだろう。入れ代わり立ち代わり、日替わりかってくらいの頻度で入れ替わる周りのお世話係のことを思い出すと、さもありなんと一人頷く。

 

「それで、エル」

「はい?」

 

 失礼なメイドの名を呼ぶ。流石に名前すら知らないレベルの傍若無人さは発揮してなかっただろうと思ったが、何故か疑問形で返されたのでちょっと自信がなくなった。おかしいな、変な知識が刻まれはしたが、これまでの自分の記憶はハッキリしているはずなのだが。

 

「わたしは今、どういう状態なんです?」

「原因不明、とまではいきませんが、非常に珍しい症状の魔力障を患って三日ほど寝込んでおりました」

「非常に珍しい、ですか」

「具体的には、膨大な知識を無理矢理刻み込まれた際に起こる拒絶反応と似通っていたらしいです」

「……そうですか」

 

 似通っていたというかそのものずばりだ。犯罪者や狂人が他人を無理矢理実験として、あるいは精霊などの存在の力の奔流によって。元々持っていたものではない何かを刻み込まれることはままある。だから対処法自体は存在していたし、彼女もこうして回復した。

 問題はそれそのものの原因は不明ということだ。何故そのような症例を患ったのか、は分からぬまま。

 

「倒れる直前に精霊なり悪魔なり、あるいは神獣なりがいたのでしょうか」

「いたら多分この付近大騒ぎになっていると思います」

「それもそうですね」

 

 となると『これ』はもっと上位の存在の力の奔流なのだろうか。エルの口振りからすると、自身に刻み込まれた知識は、同様の症例を参考にした医者が調べたはずなのに見付けられていない。精霊などから流れ込んだものですら分かるこの時代においても、だ。

 あるいはただ、突然の衝撃で自身が正気を失っただけなのかもしれない。

 

「考えていても仕方ありませんね」

「どうしました? リリアお嬢様」

「原因を考えていても仕方ない、と言ったんです。とりあえず目も覚めたので、何か軽く口にしたいんですが」

「かしこまりました」

 

 一礼して部屋を出るエルを見ながら、彼女は――リリア・ノシュテッドは改めてこの知識について思考を巡らせた。ここに刻まれているのは知識であり、記憶はない。だから彼女の精神が何かに塗り潰されるようなこともない。

 だが、齢七歳にして性格以外はアホみたいに高いスペックを持て余していた彼女には、その正体を察することが出来た。幸いというべきか、答えとなる丁度いい単語が知識の中に転がっていたことも拍車をかける。

 

「異世界転生」

 

 生まれてこの方世界はこの自分の世界一つだけなので異世界というものにピンとこないが、ともあれそういうことなのだろう。この知識は前世の、こことは異なる世界にまつわるものだ。大半が娯楽やムダ知識なのはご愛嬌だが、それはきっと今の自分になる前の存在がそういう遊び人だったからなのだろう。

 だが、そんな知識でも有用なものはある。それは、それら娯楽の中にあった、この世界のような場所を、剣と魔法のファンタジー世界を舞台にした小説やゲームという嗜好品の存在だ。全く同じでなくとも、それらはある意味先人の知恵となってこれからの自分の助けになってくれる可能性がある。

 

「一週間前のわたしでは絶対に出さない答えですね」

 

 思わず笑ってしまう。何も知らない無邪気な子供だったからこそ傍若無人に振る舞えた。が、無駄に無駄を重ねた壮大なムダ知識を頭に刻み込まれた今、彼女はその振る舞いをする気が急激に失せていた。そういう意味では影響が大きいが、恐らく放っておいても知識を増やす過程でどの道なっていたであろう状態だ。早いか遅いかの違いしかない。

 それよりも問題は。

 

「この知識によると、わたしのこの立ち位置は」

 

 ノシュテッドはこの王国で四大貴族と呼ばれる地位だ。その娘であるリリアは、思い切り恩恵を受けることが出来る。身も蓋もないことを言うならば、何やっても割と許される存在だ。

 だからこそ、今までの彼女は傍若無人に振る舞っていたし、だからこそ、この知識を手に入れた彼女はその気が失せた。

 

「あのまま育った場合、間違いなくワガママ令嬢になってました」

 

 そうして、ムダに高いプライドを守るために権力を振りかざし、見た目だけはいい嫌味なキャラの出来上がりだ。物語ならば無様に退場する役目を与えられるのが関の山。

 奇しくも、彼女のその予想は半ば当たっていた。あのまま成長をしていたならば、リリアは間違いなくそういう存在となり、王子と知り合った一人の少女を気に入らないからといじめ抜いて、最終的には婚約者から婚約破棄を突きつけられた挙げ句に家からも見捨てられるという結末が待っていた。俗に言う悪役令嬢という立場が約束されていた。

 だが、彼女は手に入れた。本来ならば存在しないその知識を刻み込まれたことによって、そういう物語を、悪役令嬢ものを知ることで別の道を。

 

「つまり……この知識によると、わたしは俗に言うチョロイン」

 

 盛大に脱線したらしい。本来の道とも別の道とも違う、山の急斜面を滑り落ちるような進路の変え方をし始めた。

 

「刻み込まれた知識を総合し、かつ真実だと仮定した場合。わたしの立ち位置は沢山いるヒロインの一人で、主人公を最初は見下しているものの、彼の魅力にあっさりと陥落し、それでも中々素直になれないタイプのツンデレお嬢様」

 

 思考の汚染が甚だしい。あくまで仮定の話だとしても、自分を評するのがそれでいいのかと心配になるほどである。そもそも、その場合間違いなく彼女は当て馬タイプの負けヒロインなのだがそれでいいのだろうか。

 

「うん、うん。どうしましょう、何か楽しくなってきました」

 

 いいらしい。ワクワクを隠せない表情で、ベッドから降りると部屋にある机に向かう。手近にあった紙に先程口にしていた自身の立ち位置(仮)をガリガリと記入し始めた。

 そうしながら、ふと手を止め考える。刻み込まれた知識ではなく、己自身のこれまでの知識を、だ。

 

「……勉強、しないといけませんね」

 

 極々当たり前の知識や一般教養は当然持っていたが、己の才能だけでゴリ押してきた彼女は土台となる勉強が足りていない。剣と魔法、武術と魔術、魔物や精霊、悪魔や神獣。あるいは世界の、国家の情勢。それらについての認識が圧倒的に足りていないのだ。

 刻まれた知識を元にするのならば、彼女の立ち位置(仮)はバトルありラブコメありの所謂ハーレムもののヒロインの一人だ。もし仮定が現実に近付いた場合、間違いなく戦闘を伴う事件が起きる。その時にわめくだけの能無しお嬢様で満足できるのか。

 

「どうせなら、戦力として好位置にいたいですからね」

 

 知識の中にある、最初は主人公のライバルキャラとして勝負を挑んで圧倒するが、覚醒した主人公によって追い詰められ、その強さにキュンと来ちゃうタイプのやつだ。あるいはそこで暫く認めないとツンツンして、敵との戦闘で一緒に戦ったり助けられたりしてドキドキしちゃうやつ。

 これだ、とリリアは拳を握った。何がこれなのかさっぱりである。

 

「そうと決まれば」

 

 立ち上がる。丁度よかったと言うべきか、エルが軽食を持ってきたので、それをもらいながら彼女に自分の考えを告げた。当たり前だが、これからツンデレお嬢様チョロインになるなどという頭の沸いた宣言をしたわけではない。

 全力で勉強し、全力で能力を向上させること、である。

 

「……頭でも打って、あ、病気になったんでしたね」

「わたしとしてはあなたのその変わり身の方が気になりますけど」

「いや、今のお嬢さまならこっちでも許されるかな、と」

「まあ、以前と比べれば怒りませんが……給料は減らすようお父さまに言いますよ」

「何でですか!?」

「むしろ何でならないと思ったんです?」

 

 ご無体なぁ、と崩れ落ちるエルを見ながら、とりあえず言われたことをこなせば見逃すと告げた。瞬時に復活した彼女は、お任せあれと一礼する。

 調子のいい人ですね。そんなことを思いながら、しかし彼女のその軽さが今の自分にはどこか心地いいのに気付き、リリアは少しだけ不満げに唇を尖らせた。

 

 

 

 

 

 

 生贄だ、とノーラは思った。ノシュテッド公爵令嬢の教育係に抜擢された時に最初に彼女が抱いた感想である。リリア・ノシュテッドの傍若無人は既に有名で、今まで何度も教育係が公爵家に雇われ、そして散っていったのは割と周知の事実だ。公爵自身はきちんとした人物なので、彼ら彼女らには手厚いアフターケアを行っていたが、こと娘にはダダ甘だったので被害が改善することはなかった。散っていった教育係も、正直才能だけで何とかなりそうなのが逆に怖いと遠い目で語っていたのもリリアの恐怖を伝染させるのに一役買っていた。

 そんなリリアの教育係にノーラは選ばれた。ここのところは飽きたのか新たな犠牲者も出ずに平和を過ごしていた魔導学院所属の研究員は、生贄となった彼女をどこか気の毒そうな顔で見送っている。代わる気はさらさらない。

 

「金が、足りないのだろう?」

「うぐぅ……」

 

 痛いところを突かれた。そもそも彼女がこの魔導学院を卒業してからもどこかに所属することなく研究員を続けているのは、単純にお金がなかったからだ。新たな道を進むにはどうしたって金がいる。だが、伯爵家とはいえど田舎貴族の三女であるノーラは最低限の仕送り以上の支援を受けられず、魔道士としての昇格試験を受ける資金すら捻出できない有様。そんな下位ランクの魔道士に碌な仕事などあるはずもなく。

 そんなわけで、お情けでここに置いてもらって細々と生活をしてる彼女にとって、公爵令嬢の教育係という仕事は非常に魅力的ではあるのだ。お金の面だけで言えば。

 

「で、でも……私みたいな下級魔道士で大丈夫でしょうか」

「誰が行っても結果は同じだからな」

「やっぱり生贄じゃないですか!」

 

 叫ぶ。が、この空間にいる全員が神妙に頷いたのでノーラは涙目になった。覚えてろ、絶対に化けて出てやるからな。そんな捨て台詞を吐きながら、彼女は沈んだ表情のまま準備を初めた。たとえ初日で心折られて散っていくとしても、教育係として選ばれたのだからそこの道理は通さねばならない。

 そうして訪れた公爵家。そして対面する公爵令嬢。ガッチガチに緊張していたノーラがそこで見たのは。

 

「よろしくおねがいします」

「え? あ、はい! こちらこそ!」

 

 極々普通にこちらを教育係として扱う少女の姿であった。美しい金色の髪を左右リボンで結んだその髪型は、つり目気味のリリアには非常に似合っている。素敵な髪型ですね、と多少のおべっかも込めてノーラが述べると、彼女はありがとうございますと笑顔を見せた。

 あれ? 思ってたのと違う。ノーラはそんなことを考え、しかしいやいやと頭を振った。きっとここからが問題なのだ。自分に言い聞かせながら、覚悟を決めて出来るだけダメージを減らすように身構え。

 

「ところでノーラ先生は、魔道士のランクはどのくらいなのですか」

「うぐっ!」

 

 致命傷をボディに叩き込まれた。ほらやっぱり下級魔道士じゃ駄目じゃん。自身を生贄にした同僚と教授へ心中で呪詛を吐きながら、ノーラは諦めて素直に述べた。下級です、と。ランクで言うならばDですと。

 

「理由を聞いても?」

「え? り、理由?」

 

 こちらをじっと見ながらそう問うリリアに、ノーラは思い切りテンパった。何か気に入らない部分でもあったのか。そう自問自答しても結論など出てこない。というか下級の理由なんか弱いからに決まってんじゃん。そうは思ったのだが、しかし。

 

「……昇給試験を受けるための、資金がないので」

 

 なけなしのプライドが、弱いからと述べるのを嫌がった。お金ないからのどっちがプライド捨ててんのかと言われれば割とどっちもどっちなのだが、それでも彼女は真実を口にすることを選んだのだ。勿論彼女基準である。試験を受ければ多分中級くらいはいけるはずだという、そういう見栄である。

 

「つまり。……試験を受けていないからランクが低い、と」

「そ、そう、なります」

 

 一方のリリアである。その答えを聞いて、彼女の中の刻まれた知識がグルグル回っていた。思えば最初からこの人怪しかったのだ。オドオドしている割には準備はきちんとしてあるし、こちらを真っ直ぐ見て怯んでもいない。これまでの自分の噂を聞いていてもその態度を取る彼女が気になって問い掛けたら答えがこれだ。

 間違いない。この人は、『試験を受けていないから低ランクなだけで実は最高ランク』のサブヒロインだ。まさかその立ち位置をここで見られるとは。ちょっぴりワクワクしながら、リリアは笑顔でノーラの手を取った。ではこれからご指導ご鞭撻のほどよろしくおねがいします。改めてそう述べ、早速今日の授業をと促す。

 この手のタイプは今の実力では敵わない系の強敵との戦闘で助けてくれるゲスト枠だ。まさか、あの人がこんなに強かったなんて、となるやつだ。そんな人からの指導ならば、きっと自分は強キャラになれるに違いない。

 

「は、はい。では……基礎の基礎からでも、いいでしょうか」

「――っ!」

「あ、いえ。勿論当然、リリア様ならば身に付けているとは思っていますが」

「是非!」

「え?」

 

 この立ち位置のキャラが基礎から始めさせるということは、これは間違いなく強くなれるようにする前フリ。半ば確信を持ちながら、リリアは全力で基礎から取り組み始めた。そこに手を抜く気配は一切ない。

 そしてそんな彼女を見てノーラは目をパチクリとさせていた。え? どういうこと? 何でこの人こんなに真面目で勉強熱心なの? 噂になってた才能だけでゴリ押す傍若無人な悪魔の令嬢どこいったの? そんな頭にハテナマークを飛ばし続ける始末である。

 

「先生」

「は、はい?」

「わたし、頑張ります。先生の期待に添えるように」

「……はい」

 

 どうしよう、向けられる眼差しが重い。そうは思ったが、しかし。

 これまで頼られる経験が皆無だったノーラにとって、この状況は非常に心地よかった。絶対にこの子を一人前にしてみせる。そう決意を固めてしまうほどに。

 

 



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第二話

ネタの勢いのまま書いてる感じ


 そういえば、主人公って誰だ? ノーラを教師として勉強を行っていたリリアは、大体三ヶ月後辺りでその疑問にぶちあたった。遅すぎやしないだろうかと思わないでもないが、そこら辺は大体ノーラのせいである。

 何が問題かといえば巡り合わせが悪かったのだが。傍若無人で噂の公爵令嬢リリアが何をトチ狂ったのか下級魔道士であるノーラの言うことをメチャクチャ素直に聞くのだ。そりゃもう調子に乗ってもおかしくない。しかも教えたら教えた分だけグングン成長するというおまけ付き。

 ここでもう一つの問題が浮上してきた。一般的に、年端も行かない少女の教育係を任されたら自分が苦労して身に付けた知識や技術をあっという間にその少女に習得されてしまった、などという状況に陥ると、自信を無くすなり何なりという何かしら後ろ向きな感情が芽生えてくるものである。

 彼女は意外とアレだった。自分の持っている知識が物凄い勢いで吸収されていくのを見て楽しくなるタイプの変人であった。自分が苦労して身に付けた知識や技術があっという間に習得されてはしゃぐ奴であった。

 

「あの、先生」

「どうしました?」

「これは明らかに子供に教えるものではないですよね?」

「……嫌でしたか?」

「大歓迎です!」

 

 変人が二人である。片方は実力を隠すタイプのお助けキャラに教えてもらっているというテンションダダ上がり状態で、もう片方はこの子もう何教えても身に付けるんじゃねと片っ端から自分でも実践してない理論や知識をぶち込んでいる状態だ。傍らで見ているエルは何やってんだろこの人達と最近ドン引きしている。

 ともあれ。そんな日常を過ごしていたリリアは、少しだけ落ち着いたことで原点に立ち返ったのである。そもそもの原点が既に間違っているのだが、修正はもう不可能だ。

 今日の授業も終わり、ノーラがホクホク顔をしているそんなタイミングで。リリアは先生と彼女に声を掛けた。授業とは関係ない話になるのですけれどと続けた。

 

「はいはい。何かありました?」

「いえ、ほんのちょっとした雑談程度に聞いてくれればいいんですけれど」

 

 この世界で主人公になりそうな人に心当たりはないか。はっきりとそれだけを述べると確実に頭を疑われるので、リリアは少しぼかすように言葉を紡いだ。物語の主人公のモデルになりそうな方に心当たりはありませんか、と。

 

「物語の主人公、ですか」

「出来れば、わたしと同年代ぐらいが望ましいんですけど」

「リリアさんと同年代……ううむ」

 

 ちなみに、この数ヶ月のアレな授業の結果、呼び方も大分砕けていた。リリアも当然実力隠しのゲストキャラから好かれるのは望ましいので是非もなく了承している。

 

「やっぱり、王族の方々でしょうか」

 

 この国、この大陸。もっと言えばこの世界。そこに存在する大国のほぼ全てが、かつての英雄の血筋を持っていると言われている。遠い昔の、まだ種族間の確執が大きかった、大きすぎた時代の英雄の血を。

 

「英雄……勇者と魔王、ですか」

「人族の英雄と、魔族の英雄ですね」

 

 お互いの種族は互いに譲らず、ついに戦争となった。人族と呼ばれる武芸に優れる種族、魔族と呼ばれる魔法に優れる種族。そのどちらも、相手を滅ぼさん勢いで戦いを続けていった。

 そんな中、お互いの種族の象徴ともいえる存在が、ついに激突した。その戦いは有象無象とは比べ物にならぬほどで、どちらもが戦争を忘れその姿を見ていることしか出来ないほどで。

 そうして五日間戦い続けたお互いの頂点は、それがあまりにも不毛であったことに気が付いた。見ていた者達も、そこでようやく冷静になった。互いの頂点はそこで相手の顔をようやく見たという。そして、自分達と変わらないのだと自覚した。

 それからはあっという間であった。人族も魔族も互いに尊重しあうべきだと、融和に舵をとったのだ。かくして現在の世界の礎は築かれ、それぞれが混ざり合って生活している今がある。

 

「一週間の成り立ちですよね」

「それくらい有名で世間に浸透している話ということですよ」

 

 そして、だからこそ王族はそれだけでも十分の尊敬を受けることが出来るのだ。今も続く歴史の生きた体現者としての存在が大きいのだ。

 

「存在そのものが物語の延長線上みたいな方々ですからね」

「成程。……ということは、この国でいうならば」

 

 リリアと同年代の王族は第二王子のカイルだ。直接会ったことはないが、聞くところによると良く言えば優しく物静か、悪く言えば弱気で情けないというタイプらしい。ノーラも同じような情報網らしく、七つ年上の第一王子のスヴェンが次期国王であることは揺らがないだろうと言われていることも口にした。

 

「そう考えると、カイル様はそういう物語の主人公のモデルにはならないかもしれませんね」

「え?」

「え?」

 

 ノーラの言葉にリリアは思わず顔を上げた。こいつ何言ってんのみたいな目を一瞬してしまった。

 そういうタイプが覚醒するから主人公なんじゃないか。リリアの思考はおおよそこれである。情けない落ちこぼれの第二王子は、実は他の誰よりも強く英雄の力を受け継いでいた。心優しい彼だからこそ、その力を間違えることなく振るうことが出来るのだ。だからこそ、彼の周りには沢山のヒロインが集まるのだ。勿論妄想である。

 だが、余分に過分な前世知識とやらが刻まれているリリアにとって、これは真実に近い仮定なのだ。実際に会ってみたらあっさりと仮定がひっくり返される可能性は無きにしもあらずなのだが、現状暫定の主人公枠は彼に決まったのだ。

 つまりはリリアが倒されたり助けられたり庇われたりしてチョロっと惚れてしまう相手というわけである。

 

「人となりが知りたいところですね」

「……直接会って確かめればいいのでは?」

 

 暫定とはいえ自分がチョロインする相手だ。もう少ししっかり知っておきたい。そんなことを思いながら呟いた彼女のそれに、ノーラが不思議そうに首を傾げて言葉を返す。どういうことだとリリアも同じように首を傾げたが、対面の彼女がだってそうでしょうと顎に手を当て前を見た。

 

「リリアさん、カイル様の婚約者候補ですよ?」

「……え?」

 

 いくら単純なお嬢さまでもそれ忘れますか? と後ろで話を聞いていたエルが盛大に溜息を吐いていたので、彼女の夕食のおかずを一品減らすよう料理長に言ってやるとリリアは決めた。

 

 

 

 

 

 

 カイル第二王子との面会を取り付けて欲しいと父親に頼んだところ、えらくあっさりと許可が出た。ノシュテッド公爵が娘にダダ甘だということも勿論あるのだが、ノーラの言ったように元々リリアは婚約者候補である。他の令嬢も同じように何度か面会もしているので、今更少しお茶する程度で渋られるような理由もない。

 そんなわけで。リリアは現在の王宮の中庭を歩いていた。こういう時は流石のエルも静かにしている。素を出してからのエルは言動以外は別段問題なく、むしろ色々出来るメイドなので彼女は重宝しているのだが、それでも時々以前みたいになってくれないかなと思う時もあったりする。こんな風に静かな時は特に。

 

「エル」

「何でしょうかお嬢さま」

「帰ってからも暫くそうやっていてくれます?」

「別料金です」

「……ということは、今のエルは以前よりもお給料を減らしておかないといけませんね」

「お嬢さまって、頭やられる前と比べると落ち着いて酷いこと言うようになりましたよね」

「夕飯抜きで」

 

 げぇ、と顔を顰めるエルを尻目に、リリアは目的の東屋へと足を進めていく。既に第二王子はそこにいるらしく、こちらが後から到着した形だ。とはいっても、時間に間に合わなかったわけではなく、ただ単にこちらが招待されたからというだけだろう。

 東屋に辿り着く。名を名乗り、挨拶を交わし、こちらにどうぞと促されたことで彼女は席についた。その対面には、自身と同い年の少年が同じように座っている。

 

「カイル様。お会いできて光栄ですわ」

「こちらこそ」

 

 リリアの笑みに、カイルも微笑を浮かべながら返す。そんな彼を見て、彼女はふむふむと脳内の知識を広げ始めた。薄い茶髪のまだ幼さの残る少年は、成程確かに噂されるような雰囲気を纏ってはいた。だが、噂などそれほど当てにならないのは他でもない自分がやらかしているのでよく知っている。加えて言うならば、刻み込まれた知識が囁いているのだ。こいつは覚醒するタイプだ、と。

 勿論口には出すことなく、そのまま暫し談笑に興じる。そうしている中で、カイルはほんの少しだけ安堵したように眉尻を下げた。

 

「よかった」

「どうかされましたか?」

「あ、いや、ごめん。実は、その、聞いていた君の噂が、あまり良くないものだったから」

 

 こうして出会って、会話をして。所詮噂だったのだと結論付けたのだろう。彼はそんなことを言って、疑ってごめんと謝罪の言葉を口にした。

 

「そういうカイル様は、噂通りの方なんですね」

「え?」

 

 カイルの動きが止まる。後ろでまた何かやらかすぞこの人とこっそり距離を取るエルなど気にせずに、そんな彼に向かってリリアは言葉を続けた。第二王子の評判を、市井でも噂されるそれを思い切り口にした。

 

「先程から、どこかわたしの顔色を窺うような行動を取ってらっしゃいますね。確かにわたしは公爵令嬢ですが、カイル様は王族でしょう?」

「あ、それは。噂通りの人だったら、って思ったらつい」

「それで気分を害して第二王子に喧嘩を売るようなアホでしたら、遠慮なく処罰すればいいではないですか」

「え、でも」

 

 今まさに第二王子に喧嘩を売るようなアホがいるわけなのですが。そのことにツッコミを入れられるような勇気のある者はおらず、そして咎めることができるのも現状オロオロとしているカイルのみ。

 

「はぁ……やれやれ。こんな方が、この国の第二王子だなんて」

「……」

「評判通りの、気弱で情けない男ですこと」

 

 カイルは何も言えない。ただ俯いて、目の前の紅茶の水面を見るのみだ。そして周囲も何も言えない。

 皆どこかで、心の底では、彼女の言っていたことを肯定してしまったからだ。

 

「……ふぅ」

 

 尚リリアはどうしようこの空気と一人内心テンパっていた。いい感じにツンデレお嬢様チョロインの前フリが出来ると意気込んでみたものの、思った以上にやらかしてしまったらしい。それに気付いたのがついさっきである。

 ちらりと後ろを見る。ブンブンブンと全力で拒否るエルが視界に映ったので、仕方ないと覚悟を決めた。

 何の覚悟を決めたかと言えば勿論、ツンデレの覚悟である。ちょっと何言っているか分からない。

 

「怒らないのですか?」

「え?」

「ここまで言われたんですから、ふざけるなって怒っていいんですよ?」

「いや……本当の、ことだから」

「何か本当のことがありましたか?」

 

 え、とカイルが顔を上げる。勝ち気そうなツリ目の赤い瞳が真っ直ぐに見詰めているのを見て、思わずビクリと肩を震わせた。

 リリアはカイルを見詰めたまま。自分の言葉を待っているのだと気付いた彼は、それに答えようと口を開いた。開いて、しかし自信なさげにそれを飲み込む。飲み込んで、ゆっくりと吐き出した。

 

「気弱で、情けない男なのは、本当だから」

「そうですか。でも別に本当のことを言われていようが怒ればいいでしょう?」

「はい?」

「気にしている部分をわざわざ言ってくるような無礼な輩には、遠慮なく怒っていいんですよ?」

「でも」

「わたしはやります。たとえ本当のことでも、自分が気に入らなければ怒ります」

 

 そうですね、おかげで私は今日夕飯抜きですよ。ジト目でこちらを見ているエルに一瞬振り向いたリリアは、ひぃ、という悲鳴を聞かなかったことにしてカイルを再度見た。そうしながら、さあどうぞと促した。

 

「え?」

「怒ってください」

「な、何で?」

「わたしの話聞いてました?」

「聞いていたからこそなんだけど」

 

 先程とは違う、どこか毒気の抜けたような顔。そんな表情で、カイルはポリポリと頬を掻いた。これで怒りの対象がどこかの第三者だったのならば、そういう流れだということもあり、恐らく彼は言われるままに動いただろう。あるいは、今のやり取りが別の場所で、別の人物としていたのならば、彼はリリアの態度に気分を害したような反応をしていたかもしれない。ちなみにその場合リリアは望んでいたシチュエーションだとワクワクしたであろうからあまり意味がないが。

 ともあれ、リリアに言われてリリアに怒れと促されたところで、カイルとしてはどうしようもない。それでも、しいて言うのならば。

 

「訂正する。君は噂通りの人だ」

「馬鹿にしてるんですか!?」

 

 即座に有言実行である。そんな彼女を見て、カイルは思わず笑ってしまった。そうしながら、うんそうだよ、と迷うことなく言葉を返す。背後にいた従者は、彼のその言動に思わず目を見開いた。人の顔色を窺って、出来るだけ不快にさせないようにと幼いながらに立ち回っていたカイル第二王子が、思い切り相手を挑発したのだ。喧嘩を売ったのだ。

 

「言っておきますが、わたしは相手が第二王子であろうと遠慮しません」

「言われなくても分かってるよ」

「……さっきからわたしをイライラさせるようにわざと言ってますよね?」

「勿論」

 

 笑顔でそうのたまった。そしてそんな彼を見たリリアはといえば。勿論キレた。前世の知識とやらを刻み込まれたところで、結局根っこはそうそう変わるはずもない。リリア・ノシュテッドは短気で脳筋なのだ。高スペックを台無しにする性格なのだ。

 

「絶対に違う! 気弱で情けない性格が覚醒したら嫌味で腹黒になるとか、そんなの主人公じゃない!」

「何を言っているか分からないけど、こっちは言われた通りにしただけだよ」

「わたしが言ったのはそういうのじゃないです! あーもう嫌い! カイル様嫌い!」

「僕は、リリア嬢のこと割と好きだよ」

「ちっとも響きません! 決めました、わたしはあなたなんかに絶対チョロインしませんから!」

 

 がぁ、と叫ぶリリアを見て楽しそうに笑うカイル。その光景はまさに、主人公とツンデレお嬢様ヒロインそのものなのだが、当の本人が認めていないので今回の彼女のチョロインムーブは大失敗らしい。

 

 



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第三話

ファンタジーでヒロイン沢山となればバトルは付きもの(偏見)


 カイル・レオ・アルムグヴィストは王国の第二王子として生を受け、国王である父、王妃である母、七つ歳の離れた兄に愛されて育った。そこに偽りは何もない。

 だが、幼い頃に自覚した自身の中身は『嫌な奴』であった。あれだけ愛されているにもかかわらず、自分の本質は捻くれていた。ただ、自覚したことで、素の自分を出してしまえば嫌がられるということも同時に学んだ。思うがままに発言を、行動をしてしまうと相手を不快にさせてしまうのだろうということを幼いながらに覚った。

 だから彼は、そのことを知っている父と母、そして兄など極一部の、その人達がいる時以外は自分を抑え込むようになった。相手を出来るだけ不快にさせないようにと気を付けて生活するようになった。

 そのおかげで、今度は人の顔色ばかり伺う気弱で情けない人物だと噂されるようになったが、素の自分を見せてさらなる悪評を受けるよりは余程良かった。

 

「……やってしまった」

 

 だというのに。リリア・ノシュテッドとの小さなお茶会で、彼は思い切り素の状態で彼女に接してしまった。彼女の言葉に感銘を受けたのかといえば別にそういうわけでもなく、初めて言われたというほどでもなく。思い付きで喋っているのがバレバレの、何ともお粗末な説得とも説教とも言えないものではあったのだが。

 

「いや、でも。あれは仕方ない」

「何が仕方ないんだ?」

「うわ、兄上」

 

 ううむと唸りながら王城の廊下を歩いていたカイルの背後から声。振り向くと、彼の兄であるスヴェンが従者を伴って立っていた。いつもの癖で取り繕おうとしたカイルは、しかし先程のことを思い出しもう無駄かと諦めたように力を抜く。

 それを見たスヴェンが目をパチクリとさせた。周囲を見渡し、誰もいないなどというわけでもないことを確認し。

 

「何かあったのか?」

「……まあ、ちょっと」

 

 あはは、と苦笑する弟を見て、ふぅんと口角を上げた。確か今日の彼のスケジュールは、婚約者候補である公爵令嬢とのちょっとしたお茶会。成程成程、と下世話な予想を立てたスヴェンは、面白そうにカイルの肩を叩いた。

 

「気に入ったのか?」

「まあ、そうといえば、そうなのかな」

 

 歯切れの悪い返事が来る。これはもう少し詳しく聞いたほうが面白そうだと判断した彼は、即座に場所のセッティングを手配した。

 そうして座ってお茶を飲みながら続きをと相成ったのだが。カイルが開口一番に言った言葉がこれである。

 

「ケンカを売られた」

「は?」

 

 飲もうとしていた紅茶を零しかける。どういうことなの、と怪訝な表情を浮かべたスヴェンは、もう少し詳しく頼むと弟に述べた。もとよりそのつもりだったので、彼は今日の、あの場所での出来事を覚えている限り詳細に語って聞かせる。

 その結果、兄が頭を抱えた。

 

「いやまあ、子供のやることではあると思うけれど」

「公爵令嬢だけどね」

 

 そこだ、とスヴェンが苦い顔を浮かべる。確かにノシュテッド公爵が娘にダダ甘なのは有名だが、それとこれとは話が別。そう思いたいが、のびのび育てましたと自信満々に言いそうだと以前会話した公爵の顔を思い出し彼は再度溜息を吐いた。

 

「しかし、まさかそんな噂通りだとは」

「あ、それはちょっと違うな」

「ん?」

「確かに考えなしだったし、思い付きで行動している感じではあったし、傍若無人という意味ではそうなんだけど」

 

 ボロクソに言いながら、カイルはリリアの姿を思い出す。あれは噂になっていたそれとは方向性が違った。我儘というよりは、お転婆。

 

「少なくとも、僕は好きだな」

「……へぇ」

「見てて面白いからね」

「…………へー」

 

 一瞬でも恋の波動を感じ取ったのが間違いだった。そんなことを思いつつ、スヴェンはほんの少しだけ口角を上げる。まあ、似た者同士は案外相性が良かったりするからな。口には出さずに、とりあえずは弟が取り繕いにくくなった原因を作った公爵令嬢を褒めておこうと彼は思った。

 

 

 

 

 

 

「あれは駄目ですね」

「とうとう王子を駄目扱いし始めたよこのお嬢さま」

 

 はぁ、と溜息を吐きながらリリアはエルの淹れてくれた美味しい紅茶を飲む。本当に何でこんな無駄に万能なのだろう。そんなことを一瞬思ったが、今までの自分の行いのせいだということに気付いたので考えなかったことにした。他に担当の従者が居着かないんだからそりゃ全部の担当回ってくるよね。

 

「ねえ、エル」

「どうしました?」

「今更だけれど。どうしてわたしのメイドを続けているんですか?」

「お給料いいからです」

「……そうですか」

 

 聞いた自分が馬鹿だった。そう結論付けかけたリリアは、いやちょっと待てと思い留まる。そんな理由だけで自分みたいな傍若無人のメイドを続けるのだろうか。事実、他の自分付きの使用人はポンポン辞めていったのに。

 彼女に刻まれた、前世由来とかいう胡散臭いムダ知識がグルグルと回りだす。そういえば失念していた。お嬢様のお付きの万能メイドとか、結構いい感じにサブヒロインの条件を満たしているのではないか。唯一のネックは歳であるが、はてさて。

 

「エル」

「はいはい」

「あなた、今いくつなんです?」

「十三ですよ」

「成程、十三ということはわたしと同年代が主人公だとしても十分範囲な――十三!?」

 

 二度見した。失礼だなこのお嬢、という目で見ているエルを無視して、彼女をまじまじと見やる。あまり気にしていなかったが、改めて見ると確かに若い。艷やかな黒髪と、整った顔立ち。ハリのある肌はそれを裏付ける。

 だが、喜怒哀楽でコロコロと表情を変えるくせに、肝心の中身を見せないようにしているその在り方や、大抵のことは一人でやれてしまう万能ぶりなど、とても十代前半がやれるようなものではないものを身に付けているのも事実だ。

 万能メイドという字面に騙されたのかもしれない。ひょっとしてメイドをしているだけの、何か全く別の存在の可能性が浮上してきた。

 考えられるのは、人外の存在だ。魔物と呼ばれる存在は野生動物に近いレベルなので論外としても、中・上位の幻創種である精霊、最上位の悪魔や神獣などは人に紛れ込んでいてもおかしくはない。刻み込まれたムダ知識がそう訴えかけている。

 あるいは、幼い頃に様々な技能を叩き込まれ、目的遂行のために闇夜に紛れるような存在かもしれない。その場合暗殺のターゲットは恐らく自分だ。

 どちらに転んでも現状の自分では持て余すこと請け合いである。

 

「ねえ、エル」

「さっきからそればっかりですね。何です?」

「これからも、わたしのメイドでいてくれますか?」

「お給料くれるなら」

 

 それでも手放すことはしない。この盛り方だと場合によっては敵の可能性があるので、目の届かないところにいられると危険だからだ。あるいはそんな適当な建前を取っ払って、いないと不便だし最近はこの軽口がないとちょっと寂しいと思っているからとぶっちゃけてもいい。兎にも角にも、リリアにはエルが必要なのだ。

 

「よし、じゃあ話を戻しましょう」

「話題ぶっ飛ばしたのもお嬢さまですけどね」

 

 エルの言葉を無視し、リリアはこの間の小さなお茶会のことを思い出し不機嫌そうに唇を尖らせた。何が気弱だ、何が情けないだ。口は悪いし思い切り煽ってくるしで全然違う。

 

「私思うんですけど。あれがカイル王子の素なんじゃないですかね」

「だとしたら相当捻くれてますね」

「……そっすねー」

「なんですかその目は」

 

 それは勿論お嬢さまと似ているからですよ。とかそんなことを言った暁には夕食どころか三食抜かれかねない。なんでもありませんよ、とエルはひたすらとぼけた。

 それで、カイル王子の分析をしてどうするんですか。そんな言葉を続けた彼女に向かい、リリアはそこですと指を立てた。性格はとりあえずどうしようもない奴だという判定を下しておくとしても、それ以外の部分が未だ未知数。噂通りだと考えるのは早計に過ぎる。

 

「まあ実際が実際でしたしね。噂なんか当てにならないってなっても不思議じゃないですけど」

「ええ。……その手の主人公がいないこともないのだけれど、王道かといわれるとちょっと」

「何一人でブツブツ言っちゃってんですか」

「こっちの話です」

 

 覚醒タイプではなく、実力を隠していた系だ。既にそのポジションはノーラがいるのでキャラ被りが甚だしいのだが、物語のようにきっちりと全員別タイプというようにはならないのだろう。そんなことを結論付け、リリアは一旦その辺りを置いておく。

 今問題なのはカイルが本当にそうかどうかだ。実際は口だけのへっぽこの可能性だって勿論あるし、その場合キャラ被りもないの一安心だ。ついでにいえば彼が主人公である確率もぐっと減る。その場合、彼女の知識による立ち位置通りならばまだ見も知らぬ主人公(仮)にチョロインすることになるのだが、本人はその辺深く考えていないのかもしれない。

 

「どうやったらその辺りの確認出来るんでしょうか」

「まあ、いっそこないだみたいに直接会って確かめたら、なんて」

「成程。その手がありましたか」

「え……? 本気で言ってます?」

 

 

 

 

 

 

 王城の一角には練兵場が併設されている。近衛騎士の鍛錬や、王族の勉強にも使用されるその空間で、一人の少女が仁王立ちをしていた。言わずもがな、リリア・ノシュテッドである。その傍らにはもはや野次馬に徹することを決めたエルと、そして何故か呼び出されたノーラがいた。

 

「エルさん」

「どうしました、先生」

「何故に私はここにいるんでせう」

「何でもお嬢さまの記念すべきデビュー戦なので、先生にはぜひ観戦して欲しいとかそういう理由らしいです」

「場所的に王城関係者ですよね!? デビュー戦はもっと軽い人からにしましょうよ、その辺のごろつきとか」

「……この人も大概だなぁ」

 

 公爵令嬢がゴロツキとやりあう場面は大分異質である。わざわざ相手にするために捕まえて来たら間違いなく危険人物であるし、町中で遭遇して戦う羽目になっていたら公爵令嬢ってなんだっけとなるからだ。

 尚、エルの感想はこの人『も』、である。リリアがノーラの影響を受けていないかと言えば嘘になるが、彼女がアレなのは紛れもない本人の気質だ。

 ともあれ。前回のお茶会とは違い、今度はリリアが待っている立場で、やってくる側なのがカイルだ。待たせちゃったかな、と軽い調子でやってきた彼を見て、彼女はふんと鼻を鳴らした。

 

「ははっ。随分と嫌われたなぁ」

「自覚あるなら気を付けてください」

「君が言うのかい?」

 

 やれやれ、と肩を竦めたカイルを見て、リリアはやっぱりこいつ嫌いと顔を顰めた。そしてそんな二人を眺めていたエルは、似た者同士って反発する時はとことん反発するんだよなぁ、と呑気なことを考えている。ノーラは緊張でガチガチだ。

 

「り、りりりりりりりリリアさん!? え? デビュー戦ってまさかカイル様と戦う気ですか!?」

「そのまさかですけど」

 

 ノーラの意識が一瞬飛んだ。が、すぐさま持ち直し、いやいやいやと物凄い勢いで手をぶんぶん振っている。リリアはそんな彼女を見て心配いりませんと笑みを浮かべ、カイルは逆に怪訝そうな顔を浮かべた。

 

「彼女は?」

「わたしの先生です」

「……有名な人?」

「いいえ。そういうのを嫌がる人なので」

「リリアさんからの評価が重い!? 私ただの貧乏下級魔道士ですよ!?」

「……思い切り恐縮しているけど」

「真の強者は実力を隠すものですよ、カイル様」

 

 ドヤ顔でノーラの説明をするリリアを見ていると、本当にそうなのかと思ってしまう。が、カイルの目にはそこまでの実力者には見えない。魔道士としてのランクを示すブレスレットは下級であるDだが、見た感じ中級程度は問題なく突破できる実力は持ち合わせているだろう。そう評価は出来るが、それだけである。リリアの口振りだと大魔道士もかくやといったレベルに感じてしまうのだが、本人自体も否定しているので間違いないだろう。

 まあいいや。そんな風に割り切ったカイルは、じゃあ早速手合わせしようかとリリアに述べた。当然と拳を打ち鳴らした彼女は、合法的にぶっ飛ばせるとワクワクしている。彼女の中では既にカイルは主人公ではない。だから別にチョロインすることにもならないだろうから好きにやっていい。そういう結論である。

 

「本当に変な人だね、君」

「カイル様ほどではないと思いますけど」

 

 唇を尖らせながらそう述べるリリアを見て笑みを強くさせたカイルは、しかしそこで動きを止めた。そういえば、と後ろを振り返った。

 彼と同年代らしき一人の少年が、不機嫌さを隠そうともせずに立っている。何で自分がこんなことを、と言わんばかりのそれを見て、カイルは先程とは別の笑みを浮かべた。

 

「ねえ、リリア嬢」

「なんですか」

「ここまで来ておいて何なのだけれど。君は本当に戦えるのかい?」

「失礼な」

 

 またバカにした、とリリアの表情が険しくなる。それを見て満足そうに頷いたカイルは、ごめんごめんと明らかに謝っていない謝罪をした。当然彼女の十字マークが増える。

 

「今からカイル様をぶっ飛ばして証明してあげますから、安心してくださいね」

「ははは。それはちょっと困るな。僕がぶっ飛ばされちゃったら確認出来ないからね」

 

 そう言って彼は少年の隣に立つ。何を、と怪訝な表情を浮かべる少年の肩を叩くと、そういうわけだからと背中を押した。

 

「カイル王子?」

「グレイ。ちょっと彼女の相手をしてあげてくれないかな?」

 

 は、と声を上げたのはリリアだ。こちとら目の前のいけ好かない王子をぶっ飛ばしに来ただけなのだから、関係のない相手を叩きのめしても面白くも何ともない。大体そんなような感じの言葉を、オブラートに包むことなく言ってのけた。間違いなくケンカを売っている。

 当然グレイと呼ばれた少年は明らかに怒りの視線を向けた。騎士として、公爵家として実績を上げている我が家を愚弄するのか、と彼女に食って掛かった。

 

「騎士? あなたアルデン公爵の?」

「グレイ・アルデン。騎士の鍛錬を受けているアルデン公爵家の人間が、ノシュテッド公爵家の我儘令嬢などに遅れを取るはずがないだろう」

「確かにそうですね」

「ふん。分かったなら――」

「つまり、あなたがただ弱いんでしょう?」

「なん、だと?」

 

 横でカイルが爆笑している。リリアとしては単純に思ったままのことを口にしただけなので、そのリアクションをされるのは面白くない。

 そもそも、登場から言動まで何から何までやられキャラなのだ。刻まれたムダ知識によると、大抵この手のキャラは初登場はボコされる役割である。その後は多数に分岐するので一概には言えないが、出発点は大体同じ。

 

「出来ればここで敗北した後に成長してくれるのが望ましいんですけど」

「机の上で勉強しただけで一人前になった気でいる箱入り娘が、偉そうに……!」

 

 リリアの呟きは当然のようにグレイへのさらなる挑発になった。もう許さん、と一歩前に出ると、数々の暴言をなかったことには出来んぞと彼女を睨みつけた。

 よし決まりだ。そう言ってカイルはもう少し下がる。ちゃんと言うだけの強さを見せてよね、と二人に刺さる挑発をするのも忘れない。

 

「とりあえず、この人を叩きのめしたら次はカイル様ですからね!」

「はいはい」

「どこまで人を馬鹿にして……!」

 

 グレイが射殺さんばかりにリリアを見る。カイルから視線を戻した彼女は、そんな彼を真っ直ぐに見た。心配しなくても、始まったら余所見はしませんよ、口角を上げた。

 

「なにせわたしは、共に立って進む系チョロインですから」

「訳の分からないことを抜かすなっ!」

 

 あーあ、というエルの横では、まあ王子よりはデビュー戦としては多少マシかな、とノーラが一人唸っていた。恐らくこの場で一番変人なのは彼女である。

 

 



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第四話

バトル回。

……バトル回?


「それで」

 

 エルがノーラへと問い掛ける。ぶっちゃけお嬢さまの強さってどうなんです、と。

 それを聞いたノーラは少し考えたあと、きっぱりはっきりとこう言った。

 

「分かりません」

「……旦那様に言ってクビにしようかなぁ」

「いや実際分からないんですよ。リリアさんの素質は高いです、ものすっごく。でもそれはあくまで机上の空論。知識も実践も適当に資料集めた無茶な理論だろうと教えれば教えるだけ身に付けてくれるからこっちとしては毎日が楽しいんですけど」

「どさくさ紛れで凄いこと言ったぞこの人」

 

 エルのツッコミを聞くことなく、彼女はそれでもと眉尻を下げた。最初に言ったように、所詮は机上の空論で、ただの練習でしかない。本当に相手がいる状態で、模擬戦とはいえ戦闘を行った場合にどうなるかは未知数なのだ。

 

「んー。それって、持っている実力としては問題ないってことです?」

「まあ実際、それらが発揮された場合今の私だったら秒殺されますね」

 

 あっはっは、と笑うノーラをジト目で見やる。リリアではないが、どうにも信用できなかったのだ。本当にガチバトルになったらこいつ何かやらかすぞ、という意味でである。

 そんなエルの思考をよそに、彼女はどちらにせよ見守るしかないですと視線を向こうに戻した。グレイがリリアに向かって何かを宣言し、そして右手に魔力を集めている場面を見た。

 

「アルデンを嘗めるなよ。まだ未熟だが、このくらいなら」

 

 まるで空間から武器を取り出したように、何もない場所から剣を生み出したグレイは、その切っ先をリリアに向けながらふんと鼻で笑った。実力の差を思い知ったかとばかりに口角を上げた。

 

「魔装術。魔術の中では一般にも知られているものですね」

「ふん。認知が広かろうが、誰にでも扱えるような技術ではない。それだけの鍛錬をしているという証拠でもある」

 

 それは確かにそうだろう、とリリアも頷く。知識として、ただ知るだけでもある程度発動する魔法とは違い、魔術はそれ相応の理解と技術を要する。習得難易度はピンキリとはいえ、言い方は悪いが、センスが無ければたとえ知識を持っていても使えないのが魔術なのだ。

 勿論、ノーラがその辺を教えないはずがない。魔術の中には一子相伝・門外不出の技術もあり、失われてしまったものも数多くあるが、広く出回っているものも当然数多くある。そして出回っているものの半分くらいは既に彼女はリリアに教えていた。その中にはグレイが使用している魔装術もあった。だからこそリリアは魔術の何たるかも知っていた。

 そんなわけで、センスが無ければ魔術は扱えないとされているわけなのだが。前世系ムダ知識を刻まれた結果ベクトルがねじ曲がって残念さに磨きがかかったこのご令嬢は、そうなる前から性格以外は才能の塊と評されたほどの高スペックである。

 

「言っておきますけど。わたしだってしっかりと鍛錬したんですからね」

 

 ふん、と右手を一回転させる。それに合わせるように、魔力で生み出された彼女の背丈ほどもある両刃の戦斧が顕現した。ズドン、と地面を抉るような音を立て、リリアの真横にそれが突き立てられる。ビジュアル的にとてつもなくアンバランスであった。

 どう考えてもパワー系。そしてテンプレ的に考えるとパワー系斧使いは紛うことなきカマセ。前世のムダ知識の判定はそれであり割と渋い感じではあったが、リリア本人は割とこれを気に入っていた。ツンデレお嬢様チョロインという立ち位置を考えると、このくらいはむしろプラスだ。大体そんな感じである。

 そんな彼女の内心など知る由もない。グレイは目の前の公爵令嬢が自身と同じように魔術を扱ったことに目を見開いて固まっていた。騎士としての訓練を行っていた自分と同等かそれ以上のものを見せられ、驚愕で動きを止めてしまった。

 カイルですらそれは予想外だったのか、目をパチクリとさせてリリアの戦斧を見詰めている。冷静さを取り戻すと、成程成程と頷き視線を向こうにいるノーラに向けた。案外彼女の言っていたことも嘘ではないのかもしれない。そんなことを少しだけ思った。

 

「さて、と。じゃあ、戦いましょうか」

「え? はっ、そ、そうだ。少しくらい魔術を扱えるからといって、騎士の訓練を受けているこの俺が負けるはずが」

「何だかもうわざとやっているのかっていうくらいグレイが小物だなぁ」

 

 カイルの辛辣な感想は、幸いにして二人には聞こえていないようである。

 

 

 

 

 

 

 さてどうしようか。リリアは力任せにぶん殴ったグレイを見下ろしながらそんなことを思った。一応動いてはいるから死んではいないだろう。そう判断した矢先にこちらを射殺さんばかりに睨んできたので、それどころかまだやる気満々であるらしい。

 

「ま、まだだっ!」

 

 立ち上がり剣を構える。魔術で作り上げた武器は使用者の意志で強さが決まる。未だ顕現しているということは、彼はまだ折れておらず、それが強がりでもないということだ。

 上等、とリリアは一歩踏み出す。両手で握った戦斧を思い切り振り上げると、そのまま勢いに任せて振り下ろした。練兵場の地面が盛大に吹き飛ぶ。その衝撃でたたらを踏んだグレイに向かい、彼女はそのまま追撃を叩き込んだ。お嬢様らしからぬヤクザキックを土手っ腹に食らったグレイはゴロゴロと転がり、しかしすぐさま起き上がると今度はこちらの番だと剣を。

 

「せー、の!」

「ぐ、うぅ……!」

 

 反撃だとか、仕切り直しだとか。そういうタイミングなど知らんとばかりに、リリアは更に攻撃を繰り出してくる。初撃こそクリーンヒットしたものの、それからの攻撃はグレイも防御が間に合い決定打にはなっていないが、しかし。

 このままでは間違いなく押し切られる。彼の出した結論はこれであった。チャンスを待っていたら、永遠に待ち続けることになる。そう判断したグレイは即座に剣を引き、横に飛んだ。急に対象を失ったリリアが体勢を崩したのを確認するよりも早く、彼はそこに向かって剣を薙ぐ。

 

「危ないっ!」

「なんっ!?」

 

 ギャリギャリと音を立てながら地面に刺さったままの戦斧を動かし、剣を防ぐ。当然ながら抉れた地面からは土や砂が舞い上がりグレイの視界の邪魔をした。が、問題は別段そこではない。

 そのままリリアは振り抜いた。独楽のように回転した彼女はグレイを跳ね飛ばしそこで止まる。あら、と少し揺れる視界を戻すように頭を振ったリリアは、戦斧を構えると相手に視線を向けた。やったか、は間違いなくやってないのできちんと確認しましょう。前世系ムダ知識からのアドバイスである。

 

「……」

「あれ?」

 

 どうやらいい感じに先程の回転が顎を捉えたらしい。脳を揺らされたグレイが仰向けに倒れたまま目を回していた。勝負ありだね、とカイルが楽しそうに笑っているが、当の本人であるリリアはどうにも納得できていないようであった。なんだかたまたま勝っただけな気がする。大体そんな気持ちである。

 

「まあ確かに実戦慣れしていないリリア嬢では、現状グレイを叩きのめすことは難しかったかもしれないけれど」

 

 恐らくあのまま続いていても問題なくリリアが勝っただろう。カイルは半ばそう確信を持っていた。だからこそ、このタイミングで勝負が決まったことは彼にとっては喜ばしかった。

 もしこのまま勝負が長引いていた場合、彼女が実戦に適応した可能性がある。この後勝負をするという約束になっている以上、出来ることなら自身の勝率は下げたくなかった。

 

「さて、どうだいグレイ? 気分は」

「……最悪です」

 

 フラフラ状態から復帰したものの倒れたままであるグレイを覗き込む。正直泣きそうな顔をしているが、何とか我慢しているのは同い年の少女がそこにいるからなのだろう。別に七歳の子供なんだから泣けばいいのに。自分のことは棚に上げてそんなことを思いはしたが、子供なりに男の意地というものがあるのも当然彼は分かっている。

 

「よし、じゃあ僕が君の雪辱を晴らそうかな」

「そうやって言ってられるのも今のうちですからね! 今ので何となく空気も掴めましたし、カイル様をぶっ飛ばす準備は万端です」

「威勢だけは立派だね」

 

 そう言ってヘラリと笑ったカイルは、グレイを練兵場の野次馬のいる位置まで従者に命じて下がらせると、わざとらしく思い出したように声を上げた。そういえば、魔術が使えるのは今のそれで分かったけれど、と指を立てクルクルと回した。

 

「魔法は、どうなのかな?」

「身に付けているに決まってるじゃないですか」

「へぇ。どのくらい?」

「勝負が始まったらいくらでも見せてあげますよ」

「そんなことを言いながら、さっきみたいに力押しだったりしてね。ああ、勿論僕は咎めないよ。そういうブラフも勝負の駆け引きだからね」

 

 なんだと、とリリアの額に十字が浮かぶ。自分の理解力が間違っていなければ、今こいつはあからさまに挑発してきた。どうせ魔法使えないんだろう、と抜かしてきた。

 そんな安い挑発になど乗るはずがない。と、言い切れないのがリリア・ノシュテッドという少女である。前世系ムダ知識は彼女の人格を前世のものと置き換えたり書き加えたりなどはしていないので、本質は数ヶ月前までの傍若無人なクソガキのままなのだ。

 

「だったら見せてあげますよ。わたしが万能お嬢様キャラだって」

 

 というわけであっさり乗ったリリアは初級魔法を一つずつ唱えた。基本四属性である火・水・風・土。そして応用属性と呼ばれる雷・氷・空・木の計八つ。わざわざ全部を見せた彼女は、どうだと言わんばかりにカイルを見た。

 成程、本当に全部覚えているんだね。そう言って口角を上げた彼は、これはひょっとしたら負けるかもしれないと視線を落とす。演技か本気か、それを判断することはリリアには出来なかったが、どちらでも構わないと思っているのでそこまで気にしない。

 

「よし、じゃあ勝負を始めようか」

「はい。カイル様をぶっ飛ばします!」

「女の子に面と向かってそこまではっきり宣言されたのは生まれて初めてだ」

 

 そりゃそうだろう、と顎をさすりながらグレイは思う。普通、第二王子に向かってそう言い切るのは色々なしがらみの関係上無理だ。そもそもしがらみがなくとも、貴族令嬢の大半はそんなこと言わない。

 では、とカイルの従者の一人が戦闘開始の宣言をする。それに合わせカイルは後方に下がり、リリアは逃さんとばかりに一気に踏み込んだ。

 確かに先程の会話は彼の挑発だったのだろう。が、彼女の行動が思い切りその通りだったと裏付けていた。こいつ魔法使わずにそのままぶん殴るぞ、と。

 

「あ、リリアさん!?」

「あっちゃー……」

 

 だからこそ、完全なる野次馬になっていたノーラとエルは頭を押さえた。片方は驚きで、もう片方はやっぱりかぁ、と。

 お互いの距離をゼロにしようと駆け出したリリアの、初期位置から数歩先で踏みしめた地面が淡く光る。へ、と彼女が気付いた時にはもう遅い。光は輪となり、彼女の足首に絡みついた。

 

「え!? な、何ですかこれ!?」

「本当に気付いていなかったんだね。単純というか、真っ直ぐというか」

 

 やれやれ、と肩を竦めるカイルがリリアの目の前で反転する。否、カイルが上下逆になったのではなく、彼女自身がひっくり返されたのだ。獣でも捕らえるかのごとく、両足首を縛られたリリアはそのまま逆さ宙吊りにされた。ぶらんぶらんと揺れる姿は何とも間抜けである。

 

「罠の魔術っ!?」

「御名答。それにしてもまさか引っかかるとは」

「ど、どういうことですか!?」

「君が魔法を使っている間に堂々と設置したんだよ、それ」

「…………え!?」

 

 ぶらんぶらんと揺れたまま視線を動かす。ノーラが気まずそうに視線を逸らすのを見て本当なのだと確信した。エルはなんというか表情が死んだままこっちを見ていたので、むしろ彼女の方から視線を逸らした。

 

「安い挑発に乗った上に周囲が見えなくなるほどとはね。実力は評価するけれど、もう少し冷静さを身に着けたほうがいいのでは?」

「……う、うるさいうるさいうるさぁぁぁい!」

 

 振り子のように揺れながらリリアが叫ぶ。普段の彼女らしからぬ癇癪の起こし方に、カイルは少しだけ目を見開き、次いでニコリと笑顔を浮かべた。

 

「そうやって叫んだところで君が僕に負けたことは変わらないよ」

「うるさいって言ってるじゃないですか! ああもう、これ解いてよ! 解け!」

「あはは。今解除したら殴り飛ばされそうだからね、もう少し後で」

「あぁぁぁぁもう! バカ! バカ王子! バカイル! 解きなさいよ!」

「嫌だ」

 

 満面の笑みでそう返したカイルは、じゃあ帰ろうかと従者に告げる。え、と一瞬面食らったが、分かりましたと彼らはそれに従った。グレイもそれは同様で、何故か途中からリリアの方を一切見なくなったまま、ぎこちない動きで練兵場を後にした。

 そうして最後に去ろうとしていたカイルがふと立ち止まる。ゆっくりと彼女の方を振り向きながら、ああそうそう、と笑顔を浮かべていた。

 

「その薄いピンクの下着、可愛いね」

「…………え」

 

 それだけ言ってひらひら手を振りながら去っていったカイルの背中を見たまま固まっていたリリアは、ゆっくりと視線を上に向けた。現在逆さになっているので、自分の足元へと動かした。

 ベロン、といった擬音が相応しいくらい、思い切りスカートが捲れてパンツ丸出しであった。そのことに気付いたリリアは、たっぷりしっかりその事実を確認し、噛み締め。

 その辺りでカイルの罠が解除され、べしゃりと彼女は地面に落ちる。こてんと仰向けになったまま、小さく小刻みに震えていた。

 戦う美少女がスカートなのはお約束である。前世系ムダ知識の熱い思いを汲み取ってこの装いにしていたが、それはつまり同時にラッキースケベを誘発させるための下準備でもあるわけで。ナイスパンモロ、というムダ知識由来の高評価は底に沈めた。

 

「……うぅ……許さない……カイル様、絶対に許さない……!」

「いや割と自業自得ですからねお嬢さま」

 

 勝負挑んだのお前やん。というエルのツッコミは虚空へと消えた。勿論届いていてもリリアは聞き入れなかったが。

 

「あの、そういえば。リリアさんの確認したかったことは達成できたんですか? 確かカイル王子の性格以外を調べる、でしたっけ」

「嫌な奴!」

「お、おう……」

 

 そしてノーラの質問に即答した彼女を見て、エルはだめだこりゃと肩を竦めた。結局かよ、と内心で呟いた。

 

 



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第五話

順調に絆を深めていく(大嘘)


 グレイ・アルデンは今日も今日とて訓練を行っていた。あの屈辱的な敗北から、彼は前以上に自分を鍛えようとがむしゃらになった。父であるアルデン公爵はそんな息子をどことなく微笑ましく見ていたが、しかし無茶を続けるようならば止めようとも思っていた。

 実際、ここのところはオーバーワーク気味である。あれでは能力を伸ばすどころか、怪我を誘発し成長の妨げになりかねない。

 

「で、ですが」

 

 そんなこともあり彼は息子に忠告したのだが、グレイは素直に聞き入れなかった。どうしても、あれに勝ちたいのだと拳を握った。

 あれ、というのが誰なのかは聞いている。ノシュテッド公爵令嬢リリア。ついこの間まで碌な噂がなかった、評判もアレな少女である。彼女の父親であるノシュテッド公爵は同じ四大公爵家、当然交流もあるし、別に仲も悪くはない。だからこそ彼の親バカぶりは知っていたし、あれは将来苦労するなと考えてもいた。

 そんな彼女が、いつのまにやら更生し、しかもグレイを倒すほどの実力を身に付けていたとなれば流石のアルデン公爵も驚きを隠せないわけで。

 

「しかし、何でまた戦闘術を」

「その辺りは分かりませんが、あの性格からして碌な理由ではないでしょう」

 

 ううむと首を捻っていた公爵に、グレイが溜息混じりで返す。が、それを聞いた公爵は更に怪訝な表情を浮かべた。何か認識に齟齬があるぞ、と。

 リリア嬢はこれまでの噂を払拭したのだろう。そう尋ねると、グレイは心底嫌そうな顔をした。確かにこれまでの噂とは違いました。そう前置きして、視線を落とす。

 

「前の噂より酷かったです」

「……そうか」

 

 短いその一言に色々詰まっていて、公爵はそう頷くしかなかった。一回ノシュテッド公爵と話をしたほうがいいかもしれない、と割と本気で考え始めた。

 が、ああでも、とグレイが思い出したように付け加えるのを聞いて彼は思考を戻す。一応、一応ですけれどと彼が言葉を紡ぐのを見ていた。何で俺がフォローみたいなことを、とぼやいているのを聞きながら、息子の顔を眺めていた。

 

「悪い評判のように、理不尽に誰かを傷付けるような感じではなかった、と思います」

「……ほう」

「いや性格は酷かったですし、カイル王子に喧嘩を売りに行っていたくらいの考えなしの馬鹿でしたし、頭にすぐ血が上る単純なやつでしたけれど」

 

 どうしよう、息子が知り合いの娘をボロクソ言い始めた。そんなことを一瞬思ったが、いやこれは違うかと公爵の表情が生暖かいものに変わる。これはあれだ、自身が若かった頃に経験したやつだ。そんなことを内心で思う。

 

「……悪人では、ないはずです」

「成程」

 

 気に入ったのか、彼女を。事の次第を聞く限りきっかけがよく分からないのが難点ではあるが、ともあれ我が息子は彼女のことをある程度好意的に思っているらしい。そう公爵は結論付けた。案外いい友人になれるのかもしれないな、と一人頷いた。

 ただ、叩きのめされたから気に入ったとかそういう理由ではありませんように。それだけは心の底から願った。

 

 

 

 

 

 

 リリアにとって屈辱的であったカイルに敗北した挙げ句パンツ見られた事件から、早いもので半年以上が経った。あれからグレイとは何かの集まりで顔を合わせると軽く話をする程度の仲にはなったし、何度か手合わせもした。

 ノーラからの無茶振りというか実験というか、そういう授業も前世系ムダ知識による無駄に余分なサブカル経験のおかげで、別段疑問に思うこと無く次々吸収し続けている。最近は古書店で怪しい書物を笑いながら買い漁る女性が街の噂になっているが、リリアは預かり知らぬことであろう。

 そうしてカイルとの関係であるが。これがすこぶる悪い。一方的にリリアがそう思っているだけである。カイル自身は別に何とも思っていないし、むしろ好意的ですらあるくらいだ。ただ単に彼女が毛嫌いしているだけだ。お前なんか主人公が現れたらあっという間に倒されて出番が無くなるんだからな。何かあるたびにリリアは壁の柱に向かってこっそりとそんな呪詛を振りまいているほどだ。

 

「気付けばあっという間でした」

「何がです?」

「わたしが倒れてから、もうすぐ一年です」

「あー。お嬢さまが変になってからもう一年ですかぁ」

「エルが失礼な性格になってからもう一年ですよ」

 

 あははは、と笑いながらいつものように紅茶を淹れる。それをいつものように飲みながら、まあもう慣れたからいいんですけど、と諦めたようにリリアは述べた。

 それよりも、と彼女は顔を上げる。あ、また変なこと考えてるこの人、というエルの表情を無視しながら、リリアは拳を握りしめた。

 

「わたしも八歳です。平民の子供ならば多少は働き始める時期でしょう」

「本格的にはやりませんよ。手習いの塾に通う方が多いんじゃないですか?」

「エルはどうだったんです?」

 

 コトリとカップを置きながら問い掛ける。以前歳を聞いた時、彼女は十三だと抜かしたのだ。そういう例に則っていたら、彼女のようにはとてもじゃないがならない。

 そう思ってつい尋ねてしまったが、あれこれ地雷じゃないの、とムダ知識からの警告が浮かんできた。この手の過去って決別フラグとかになりかねない、デンジャー・デンジャーとヤバげなメッセージが頭をよぎる。意味分からん、と彼女はそれをとりあえず蹴っ飛ばした。懇切丁寧に単語の解説を染み込ませるムダ知識に、違うそうじゃないと思わず脳内でツッコミを入れる。

 そうしながら、確かに軽率だったかもしれないと思い直した。

 

「……えっと、ごめんなさい。言いたくないなら無理には」

「あ、そうですか? じゃあ言いません」

「えぇ……」

 

 凄い軽い感じで拒否られた。そうしながら、まあどうしてもと言うなら、と手で丸を作る。金よこせ、である。別料金を払えば話すらしい。

 その態度でどっと疲れた。はぁ、と溜息を吐きながら、もういい聞かないとリリアは首を振る。はいはいと軽い感じで頷いたエルは、話戻しますかと問い掛けた。

 

「話を戻す?」

「お嬢さま、何かやりたいことあるんでしょ?」

「……ああ!」

「何でこの人頭良いのに馬鹿なのかなぁ……」

 

 ぽん、と手を叩いたリリアを見ながらエルがこっそりと呟いていたが、幸いにして彼女には聞こえなかったらしい。給料も食事も減らされることなく、そのまま話は続けられた。

 

「外に出ようと思うんです」

「はぁ!? なにいってんですかお嬢さま!?」

「そこまでの反応します?」

「いやしない理由ないでしょ。そもそも外に出て何やる気です?」

「冒険者」

「はぁ!? なにいってんですかお嬢さま!?」

「二回目!?」

 

 ツッコミを入れながら、リリアは何かおかしいだろうかと首を傾げた。一人前とはいかずとも、子供から半人前に変わる時期。そのタイミングで冒険者という名のなんでも屋に所属するのはファンタジー系の物語では定番だ。自分の身分を考慮しろ、という観点からしても、ツンデレお嬢様チョロインとしてはここで街に出ることで主人公(未定)との接点を作るというターニングポイントになるはずなのだ。ムダ知識からの判定は審議待ちだが、元々これらのアイデアは前世系ムダ知識由来なので文句を言われる筋合いはない。

 そういうわけで、自分は街に行くのだ。そう宣言した結果、エルに盛大な溜息を吐かれた。

 

「旦那様が許しませんよ」

「お父さまなら大抵のことは許してくれますよ?」

「だからその大抵のことに入ってないんですってば」

「……そうなんですか?」

「何でそういうところはお嬢様なんですかお嬢さま」

 

 ああもうちくしょう、とエルがガリガリと頭を掻く。その拍子に彼女のトレードマークでもある肩口辺りで二つに縛った髪がゆらゆらと揺れた。

 いいですか、と彼女は指を突きつける。普段と比べて明らかに真剣なエルの表情を見て、リリアも思わずコクコクと頷いた。

 

「旦那様が駄目と言ったら、駄目です」

「いいと言ったら?」

「万が一にもありませんけれど、もしそうなったら……」

 

 仕方ないから、お供します。まあ絶対にありませんけど。そんな言葉を付け加えながら、分かったらもっと他のことを考えてくださいとエルはリリアを促した。

 ムダ知識は言っている。これってフラグってやつだよ、と。

 

 

 

 

 

 

「うっそだぁ……」

「ほら、諦めて行きますよエル」

 

 王都の城下町を二人は歩く。エルもメイド服から着替え、どちらかといえば動きやすい服装に変えていた。一方のリリアは変わらずお嬢様然としたスカートである。ある程度目立たないようにはしているものの、その辺の人々と比べれば明らかに浮いているのが一目瞭然であった。

 

「というか、冒険者のギルドに行くのにその格好は絶対冷やかしですよ」

「そうですか? 案外これ動きやすいんですけど」

 

 ぴら、とスカートを少しつまむ。社交界で纏うようなものと比べると、体の動きを制限しないように誂えられた特注品だ。グレイやカイルとの最初の模擬戦以降、改良を重ねた彼女自慢の戦闘服である。ちなみに以前の失態を考慮し、あの時から彼女はタイツを穿いている。

 尚、グレイが何でそこまでスカートに拘ると問い掛けた際は、だって可愛いでしょうと即答して彼を閉口させた。それ以降は諦めて彼も何も言っていない。

 

「まあ、案外それだから旦那様も許可を出したのかもしれないし……」

「何か言いましたか?」

「冒険者ギルドに行っても多分門前払いされますよって言ったんですよ」

「どうして?」

 

 だから服装だよ服装。今の会話覚えてないのか。そんなことをオブラートに包みながらリリアに解説したが、当の本人はそんなことはないでしょうと鼻で笑う。そもそも、そんな風に見た目や年齢で判断するような冒険者ギルドなど三流だ。この街にはそんなくだらないものなどあるはずがない。

 そう言って冒険者ギルドの扉を開けたリリアは。

 

「お父さまに言って冒険者ギルド潰してもらいましょう」

「だから言ったでしょうが」

 

 見事に門前払いされた。あなたのような身なりのお嬢様が来るような場所ではないので、こんな危険な仕事もあるなんでも屋などに関わるのはやめたほうがいい。わざわざそれなりの立場の人がやって来て、彼女を馬鹿にするでもなく、そう言って諭されたのだ。顔の割にいい人だったなぁ、というのがエルの感想だったのだが、リリアはそうではないらしく、憤懣やるかたない表情で冒険者ギルドの入り口を睨んでいる。

 

「というかお嬢さま。間違いなく向こうの言い分が正しいですよ。見た目もともかく、まだお嬢さま小さいんですから」

「見た目しか言ってないじゃないの!」

 

 がぁ、とエルに食って掛かったリリアは、小さく溜息を吐くと近くのベンチに腰を下ろした。やる気が一気に無くなったらしい。ぶらぶらと足を揺らしながら、空を見上げどうしようかと呟く。言葉の割には、何もする気がないようだ。

 そんな彼女を見て、エルはやれやれと肩を竦めた。それも含めて旦那様の思惑通りだったりするのだろうか。などと邪推しつつ、予定がなくなったのならばと隣のリリアに言葉を掛ける。

 

「魔導学院、行きません?」

「え?」

「先生さんの働いている場所ですし、案外新しい発見とかあるかもしれませんよ」

「魔導学院……」

 

 エルの言葉にハッとした表情になる。そうだ、そうじゃないかと思い立つ。この手のお約束はもう一つあるじゃないかと目を見開く。

 剣と魔法のファンタジー、そして多数のヒロイン。それを叶える舞台こそ、学園モノだ。そうだ何故失念していた、と彼女は勢いよく立ち上がった。どっちかというと自分のポジション的に居場所はここだろうと拳を握った。

 年齢の問題だよ、とムダ知識のツッコミが入ったが、彼女は意図的に無視した。どうせそのうち入学するのだから、今行く意味はそこまでない。だから冒険者ギルドを選んだのだ。そこに至るまでの仮定をまるっと綺麗サッパリ頭から消し去って、その通りじゃないかとエルの手を握った。

 

「……わーいうちのお嬢さまチョローい」

 

 自分で提案しておいてなんだが、変わり身早すぎないだろうか。あははと苦笑しながらそんなことを思いはしたが、よくよく考えれば目の前の少女はまだ子供。普段が普段なので割と忘れがちではあるが、まだまだ身も心も幼いのだ。

 

「ま、私も年齢はそう変わらないんだけど。なんてね」

 

 行きますよ、と勢いよくベンチから立ち上がって歩き出すリリアを見ながら、エルはやれやれと腰を上げる。そう急がなくても学院は逃げませんよ。そんなことを言いながら、彼女は自身の主を追いかけて。

 

「あれ?」

 

 腰のポケットに手を添えた。ポンポン、と軽く叩いてみると、そこがスカスカなのが感じ取れる。

 間違いなく財布が入っていたにも拘らず、である。

 

「エル? どうしまし――」

「財布スられた!?」

「え?」

 

 振り向いたリリアに短く簡潔に状況を説明すると、彼女は即座に周囲を見渡した。あれは違う、あいつも違う、こいつじゃない、あそこでもない。

 そうしてぐるりと一周すると、一人の人物で動きを止めた。小柄で、どうやら見た目通りの年齢。つまりは子供。

 

「あのクソガキ! 私の大事なお金を、返せぇ!」

「エル!? って、嘘、速い!?」

 

 即座にトップスピードになったエルが、人混みをすり抜けながら逃げていく子供を追いかけ走る。本当に万能なんですねあの人、とどこか斜め上の感想を抱きながら、我に返ったリリアも彼女を追いかけて走り出す。

 

「くっ、あー、もう! 走り辛い!」

 

 急ぎたくとも、人が多くて中々加速できない。一体どうやったらエルのように動けるのだろうか。そんなことを思いはしたが、今はそれよりも思い通りに進めないこのイライラをどうにかするのが先であった。

 

「鬱陶しい!」

 

 跳んだ。近くにあった家の壁を蹴り飛ばし、その勢いで跳躍した。そうして屋根に掴まるとそのまま乗り上がる。これで動きやすい、とリリアは満足そうに笑みを浮かべ、エルを追いかけるべく屋根を駆けていく。

 空を飛ぶタイツ越しのパンツが暫く噂になった。

 

 



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第六話

タッグマッチ前フリ


 逃さん、とエルは犯人を追いかける。相手はこの街での動きに慣れているらしく、器用に人混みを抜け、入り組んだ路地に入り込み、逃げ切ろうと駆けていく。

 だが、エルはそのたびに小さく舌打ちをするだけで、引き離されることなく追跡を続けていた。時折振り返り確認していた犯人は、変わらず彼女がそこにいるのを見て表情が強ばる。

 

「嘗めんなクソガキぃ! 私のお金、返せぇ!」

「何だあいつ!?」

 

 犯人が思わず叫ぶ。やはりというか子供のようで、声の調子からすると少年なのだろう。勿論エルにとってはだからどうした、である。財布を盗んだ憎き相手である。

 悪態をついた少年は、足に力を込めると跳び上がり窓の出っ張りを掴んだ。そこから壁を登り、別の路地へと移動していく。

 この、とエルも同じように窓を伝って壁を登ったが、流石に土地勘のある向こうがこの辺りは優勢なようだ。確認してからの彼女と当たり前のように進む少年とで、徐々に差が開いていく。

 

「ふぅ、危なかった」

 

 屋根まで上がった少年は、そこで一旦息を吐く。モタモタしていると登ってくるだろうから、このまま屋根伝いに移動し一気に引き離す。そういう算段だ。怨嗟のような声が下から聞こえてくるので、猶予もあまりないようだ。

 と、その瞬間に猛烈な悪寒がした。無意識に飛び退り、その場を離れる。

 

「あ、外しましたか」

 

 それと同時に、空から少女が降ってきた。屋根を踏み抜かん勢いで落下してきた少女は、そこで素早くターンすると、よく手入れされた美しい金髪を左右で纏めた、俗に言うツインテールであるそれを翻しながら少年を見た。つり目気味ではあるがパチリとした可愛らしい瞳を彼に向け、そして何かを探るように全身を眺める。

 

「お財布はどこです?」

「は?」

「エルの財布を、返してください」

 

 エルというのが誰かは少年は知らない。が、恐らく先程追いかけてきた少女だろうと判断し、嫌だねと返した。

 そうですか、と少年の返事に頷いた彼女は、そのままノータイムで彼を捕まえに掛かる。

 

「うぉぉ!?」

「避けられた!?」

「避けるに決まってるだろ!? 何なんだよお前!」

「しがないお嬢様です」

「空から降ってきて人をぶち殺す勢いで財布取り返そうとするお嬢様がどこにいるんだよ!」

「? ここにいるじゃないですか」

「お前以外だ!」

 

 ちくしょう、と少年は踵を返し逃げ出す。待ちなさい、と彼を追いかけようと足を踏み出した彼女は、同じタイミングで横を走る人影を確認して目を瞬かせた。

 

「あれ、エルじゃないですか」

「今気付いたみたいなわざとらしいリアクションやめてくれます? というかお嬢さまどっから湧いて出たんですか」

「人を害虫みたいに」

「割と性質近くありません?」

「三日ぐらい食事抜きとかいいですよね」

「お嬢さま、偉い、お嬢さま、可愛い」

 

 片言であった。はぁ、と溜息を吐いたリリアは、足を止めないまま横の彼女に問い掛ける。さっきまでのアホなやり取りではなく、現状の話をだ。

 

「追い付けますか?」

「向こうのほうが街を知り尽くしてる感じしますから、結構難しいですね」

「……となると」

「お嬢さま、流石に街中で魔法ぶっ放すのはやめてくださいね」

「あなたはわたしのことを何だと思ってるんですか」

「勢いで王子に喧嘩も売れる考えなしご令嬢様ですが何か?」

 

 うぐ、と口を噤んだリリアは、大きく息を吐くと足に力を込めた。あ、逃げた、というエルの呟きは聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 

 ちくしょうと、と少年は毒づく。自分の想定していたより数倍面倒な状況になっていることに顔を顰めながら、同時にそうさせた相手の顔も思い出し小さく舌打ちをした。

 そうしながら、聞こえてないよな、と周囲を探る。

 

「待ちなさい!」

「追い付いてきた!?」

 

 後ろから声。こちらが地形を利用しているからこそ捕まっていないのだということを否が応でも自覚させられるそれは、彼にとって屈辱であった。普通に逃げるだけでも相手を撒けると思っていたそのプライドをへし折るものであった。

 

「どうする……っつっても、このまま捕まるわけにはいかないしな」

 

 ひょい、と屋根から地面に飛び降りると、周囲に落ちていたた石ころを適当に掴み取る。集中し、同じように飛び降りて追ってきているであろう方向に向かって、それを投擲した。

 飛び降りた際の衝撃を壁を蹴ることによって緩和し、勢いを削ぐこと無く走り続けるリリアであったが、急に襟首を掴まれたことでぐえ、と変な声が出た。それを行った犯人であるエルは、何を言うでもなくそのまま彼女を引き寄せる。

 

「エル! 何を――」

 

 ドゴン、と壁に穴が開く。無駄に頑丈なので死ぬことはないだろうが、あのまま進んでいたら結構なダメージを受けていただろう。そのことを確認すると、ドヤ顔のエルへと視線を向けた。

 

「――助かりました」

「でしょう?」

 

 ふふん、と勝ち誇った彼女は再度加速する。それに続く形でリリアも再び駆け出した。

 今のは向こうの少年の仕業なのか。走りながらエルへと問い掛けたが、まあそうでしょうねという返事しかこない。だって直接見てないですもん、という追加の言葉が投げられた。

 

「でもまあ、どっちにしろあれは普通に投げたわけじゃないでしょうね」

「普通じゃない? 魔術とか?」

「どっちかというと武術じゃないですかね」

 

 原理的には似たようなものだが、こちらは字の如く荒事に強いものがほとんどで、魔道士よりは剣士や騎士、冒険者などが好んで学ぶ術技だ。ピンキリなのも同様だが、こちらのほうが魔法の知識を必要としない分より広く浸透している。その代わり、ものによっては老人の健康体操レベルだったりもするのだが。

 

「結構使い込んでますね、あれ」

「見たところ、わたしより一つか二つ上なだけだった気がしますけど」

「実戦で鍛えたか、あるいはきちんとした師匠がいるか。ひょっとしたら両方かもしれないですね」

 

 意外と厄介かもしれない。そんなことをぼやきながら、さてどうしましょうとエルはリリアを見る。勿論財布を諦める気はないので、あの少年をどうやってシバくかの相談なのは確定だ。

 

「……相手が武術を使ってきたのならば、もうこちらも色々やっていいのでは?」

「街、壊さないって約束できます?」

「だからあなたはわたしを何だと思ってるんですか」

「そのやり取りさっきやりましたよ。で、どうなんです?」

「するわけないでしょう!」

 

 言うが早いか、リリアは呪文の詠唱を始めた。は? と横でエルが目を見開く中、彼女は確定させたそれをぶっ放す。

 雷光が飛んだ。視線の先にいるその背中めがけ、三本の雷が襲い掛かる。

 

「ぐあぁぁぁぁ!」

「何しちゃってんですかお嬢さま!?」

「何って、相手の足を止めただけですよ」

「息の根まで止めてません!?」

 

 ゆっくりと崩折れる少年を見ながら、エルはこいつ遂に殺りやがったと溜息を吐く。対するリリアは失敬なと頬を膨らませていた。一体何が気に入らないのか彼女は分からず、表情は不満そうである。

 

「ひょっとしてお嬢さま、その辺の街の人はいくら殺しても問題ないとか思ってる人だったりします?」

「エル。流石のわたしもそんな考えは昔でも持ってませんでしたよ」

「今は?」

「だから」

 

 疑いの眼差しを向けているエルに向かい、あれを見ろあれを、と少年を指差す。倒れたままではあるが、呻き声を上げて小さく痙攣しているのが視界に映った。

 あれ、と思わずエルは素っ頓狂な声を上げる。

 

「生きてる?」

「ノーラ先生からちゃんと学んでます。殺傷能力を限り無く低くしつつ従来の呪文と同じ性質を持つ暴徒鎮圧用を。……エルが知らないということは、これは珍しい魔法ということですよね。流石は先生」

 

 面白くなって何でもかんでも片っ端から教え込んだノーラの結果オーライというやつであるが、リリアはその辺りのことを知らないので、『低ランクに見せかけた最高ランク』の魔道士の教えだと信じて疑っていない。現状ノーラの立場以外に実害はないので何の問題もないのだ。

 ともあれ。電撃により動けなくなった少年へと駆け寄った二人は、やっと捕まえたと彼を見下ろした。体が痺れたままなので碌な抵抗も出来ず、奪い取った財布が取り返されるのを大人しく見ていることしか出来ない。

 

「――やれやれ。情けないわね」

 

 どこからか蔦が伸びてきた。少年のポケットをまさぐると、今まさに取り返そうとしていた財布を抜き取り、持っていってしまう。突然のそれに反応できず、目で追うことしか出来なかった二人は、そこに一人の少女が立っているのを見た。

 

「キース。油断のし過ぎではないの? それとも、私が失望してしまうほど弱いのかしら」

「む、ちゃ言うなよお嬢……。こいつら、普通じゃない……」

「それをどうにかするのが貴方の役目でしょう? まったく」

 

 呆れたように溜息を吐いたその少女は、そこで視線を二人に向けた。キースと呼んだ少年から抜き取ったエルの財布を手に、不敵な笑みを浮かべ。

 

「ごきげんよう。リリア・ノシュテッド公爵令嬢。お会い出来て光栄ですわ」

 

 スカートを摘み、綺麗なカーテシーを行った。

 

 

 

 

 

 

 リリアは目をパチクリとさせる。知り合いではないはずだ。見覚えはあるような気もするし、無いような気もするレベル。美しい銀色の髪はツーサイドアップにされており、ツリ目気味のその瞳は、リリアとは違い鋭さを感じさせる。年齢は彼女とそう変わりがなく、そして美少女度合いも負けてはいない。

 何より、こんな街の路地裏に現れたのに格好がゴスロリだ。インパクトはかなりのものである。

 

「エル、どうしましょう」

「はい?」

「わたしとキャラ被ってますよ」

「……そうですね。女の子って部分が被ってますね」

 

 少なくとも目の前のこの相手は横に立っている主人のようにポンコツではないだろう。そんなことを思いながら、エルは適当にリリアの言葉を流した。そうしながら、彼女は出しゃばらず一歩下がる。先程の挨拶を見る限り、恐らくだが、向こうも高位の貴族令嬢だ。ならば相手をするのは自分ではない。そう判断した。

 

「優秀な従者がついているのね」

「あまりそこは頷きたくないですけど。……それで、あなたは一体」

「あら、これは失礼。わたくし、ラケル・カルネウスと申しますわ。以後、お見知りおきを」

「カルネウス……カルネウス辺境伯?」

「父のことをご存じのようね」

 

 勉強の成果だ、などと言っている場合ではない。この一年で学んだ知識の内、自国関係ではまず王族と四大公爵は必須。そして同様に知っていて然るべき名前の一つがカルネウス辺境伯だ。

 その理由は至極単純で、カルネウス辺境伯こそこの国の。

 

「冒険者ギルドの元締めの、カルネウス辺境伯?」

「ええ。その認識でよくってよ」

 

 そう言って微笑むラケル。何だかよく分からないので頭にハテナマークが浮かんでいるリリア。

 その横で、何となく事態を察したエルがあっちゃー、と頭を抱えていた。

 

「お嬢さま、お嬢さま」

「どうしました?」

「向こうのラケル様は、冒険者ギルドの元締め、辺境伯様のご令嬢なんです」

「そうですね」

「……さっきギルドの入り口でなんて言ったか覚えてます?」

「あ」

 

 ギギギ、と錆びた蝶番のような動きで視線を再度ラケルに戻す。彼女は変わらず笑みを浮かべたままだ。それがかえって不気味で、何とも言えない威圧感を醸し出していた。

 えっと、とリリアは恐る恐る尋ねる。ひょっとしてなんですけど、と問い掛ける。

 

「わたしの、このギルド潰しましょうっていう発言、聞いてました?」

「勿論」

 

 ラケルの笑みは変わらない。表情を変えずに、流石は公爵令嬢ですわねと口元に手を当てた。火を見るよりも明らかな結果を受けたからといって、八つ当たり気味にそんな言葉が出るということは、それだけ立派な生き方をしているのですね。そう言ってクスクスと笑った。

 

「流石は噂の公爵令嬢。随分と傲慢なことで」

「……確かにわたしは悪かったと思いますけど、そこまで言います?」

「あら、悪いかしら? 冒険者ギルドは父が心血を注いでいる、この国の冒険者の拠り所。それを脅かそうとする者に、何の遠慮が?」

「別に本気で言ったわけじゃ」

「それを本気に受け取る人物が一人もいない? それを実行してしまうような人物は、ゼロ? 貴女の立場をもう少し考えたら如何かしら」

 

 はん、と鼻で笑ったラケルは、持っていた財布を投げ渡す。おっとっと、とそれを受け取ったエルは、即座に中身を見て何も変わっていないのを確認し安堵の溜息を吐いた。

 そうしながら、横で泣きそうになっているリリアを見る。まあ確かにこの人あまり自分の立場がどういうものか分かってないところあるよな、と苦笑した。

 

「でも、それでこっちに嫌がらせをしちゃう辺り、子供なのはそっちも同じですよね」

「……何ですって?」

「エル?」

「ていうかお嬢さま、何で黙ってんですか。いつもならもっとキレ散らかすでしょ?」

「今それやったらわたしが完全に悪者じゃないですか」

「成程成程。お嬢さまの方がきちんと分かってるんですねぇ。どこかのこまっしゃくれたガキンチョと違って」

「……下手な挑発ね」

 

 やれやれ、と溜息を一つ。そうしながら、ラケルはキースの名を呼んだ。回復し動けるようになっていた彼は、マジかよ、という表情で彼女の横に立つ。そんな彼を見て、ラケルは心配いらないと口角を上げた。

 

「元より彼女達の実力は計りたかったのよ。ここは挑発に乗ってあげましょう?」

「へーへー。いいけど、オババ来る前に終わらせてくれよ」

「当然、そのつもりよ」

 

 やる気を感じ取ったのだろう。リリアも表情を戻し、二人を真っ直ぐに睨んでいる。エルはそうこなくては、と拳をコキコキ鳴らしていた。

 

「リリアさん」

「なんですか?」

「……良い従者を持ったわね」

「え?」

 

 そこは素直に頷きましょうよ、とエルがジト目でリリアを見た

 

 



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第七話

お嬢様とは所詮、拳と拳でしか分かりあえない不器用なもの


 さて、とエルは対面の二人を見る。片方は先程リリアの非殺傷の雷呪文とやらで感電していた赤毛の少年だが、派手に倒れた割にはピンピンしているのが気になった。彼女が配慮をしていたのは確かなのだろうが、そうでなくとも彼自身の能力の高さによるものの可能性がある。まあどちらにせよ自分が相手をするのはこちらだろうとエルは当たりを付けた。

 

「お嬢さま」

「なんですか?」

「そっちは任せていいです?」

「そっちってどっちですか」

「向こうのお嬢様」

「……別に、いいですけど。あの人戦えるんですか?」

 

 キースを一歩前に出させ、自身は様子を窺うように立っている彼女を、ラケル・カルネウスを見る。明らかに戦いに向かないであろうゴスロリドレスの彼女を見て、リリアは思わずそんなことを呟いた。

 が、即座にじゃあオメーのその恰好なんだよというエルのツッコミが飛んでくる。

 

「戦いやすいように誂えた特注バトルドレス試作品その二、知ってるでしょう?」

「知ってるから聞いたんですよ。向こうはギルドの元締めの令嬢、その辺織り込み済みに決まってんでしょうが」

「じゃあやっぱりキャラ被ってるじゃないですか」

「それこだわる必要あります?」

 

 はぁ、と溜息を吐いたエルは、もういいと会話を打ち切ってキースに視線を向けた。その眼光に思わず反応した彼へと、彼女は一気に駆ける。

 

「武器も持たずに何が出来る!」

「そっくりそのままそのセリフ返しますよ!」

 

 ちょいやー、と拳を繰り出したエルのそれをあっさりと受け流したキースは、決まってんだろと笑みを浮かべた。彼女へと一歩踏み出し、そのまま腹部に掌底を叩き込む。あいたー、という間抜けな声とともに、エルは後方へと吹き飛んでいった。

 

「こういう状況でも対処できるように、武術はしっかりと学んでるんでな」

「エル!?」

「余所見をしていて良いのかしら?」

 

 思わず目で追ってしまったリリアへ声。え、と視線を戻した時には、既に蔦が鞭のように襲い掛かるところであった。回避は間に合わない。

 

「わわわぁ!」

 

 無意識に魔装術で生み出した斧を振るう。盛大な音を立てて斧が回転し、蔦はズタズタに切り裂かれた。そのまま勢い余って斧は地面に突き刺さる。再度盛大な音を立て、地面が揺れるような錯覚を起こした。

 

「……うう、バカイル様のせいで不意打ちに耐性が出来ている自分が嫌……」

「言うほどカイル王子不意打ちしてませんけどね」

 

 起き上がったエルが彼女のボヤキを訂正し、再度その隣に立つ。思い切り殴りやがって、と腹を擦ってはいるものの、どうやら大したダメージは受けていないようであった。そのことでキースは思わず目を見開いていたが、ラケルは寧ろ当然といった表情を崩さない。先程の攻撃を防がれても、である。

 

「お嬢、やっぱりこいつら普通じゃないぞ」

「ええ、そうね。それが?」

「……勝てないだろ?」

「何を言っているのよ。冗談は休み休み言いなさい」

 

 勿論と言うべきか、キースの言葉にもまるで動じない。そんなことでは一人前には程遠いなどとダメ出ししつつ、彼女は視線を二人に固定させている。

 一方、そんな二人の方はというと。

 

「それにしても、エル」

「なんです?」

「どうして無事なの?」

「何か無事じゃないほうが良かったみたいな聞き方された」

「いや、無事に越したことはないですよ? やっぱり普通じゃなかったんだなぁって再確認するだけで」

「お嬢さま私のこと普通じゃないって思ってたんですね」

 

 やれやれ、と肩を竦めるエルをジト目で見ながら、それはそうだろうとリリアがぼやく。自分の専属メイドという立場で、大抵のことはやれてしまう万能ぶりの時点で割とその傾向はあった。あったのだが、今回のように人混みをすり抜けながら人を追いかけ、戦闘行為もむしろノリノリで始めてしまうところまでいくともうどうしようもない。

 彼女の中のムダ知識も、やっぱりこいつ人間じゃないんじゃないかな、という疑問を投げかけてくる始末だ。流石にそれは飛躍し過ぎだろうとリリアは脳内のそれを却下していたが。

 

「まあでも。そのくらいの方がわたしには丁度いいんですけど」

「わーい無茶振りさせる気満々だぁ」

「ちゃんとその時はお父さまに言ってお給金上げてもらいますから、そこは安心してください」

「お嬢さまだいすきー」

 

 というわけで、とエルはキースを睨む。何だこいつ、という表情を変えないまま、しかし彼は半身に構え拳を握った。ラケルはほんの僅かに目を細め、視線を彼女ではなくその横にいるリリアへと向けている。あのやり取りで一体何をやろうとしているのか。それとも、特に打ち合わせもなにもしていないのか。そこが不明瞭ではあったが、どちらのパターンでも構わないと口角を上げた。どのみちやることは変わらない。

 

「エル」

「はいはい」

「先手はもらいます!」

 

 地面に突き刺さっていた斧を引き抜く。それを横薙ぎに振るうかのように構えると、その先端に何やら光を収束し始めた。そしてそのまま、それを放り投げるように思い切り斧を振り回す。

 瞬間、七つの稲妻が撒き散らされた。

 

「なっ!?」

 

 距離を詰めようとしていたキースは急停止、即座にバックステップし、稲妻の着弾点から退避する。が、まるで生き物のように縦横無尽に動き回るそれは、どこが着弾点なのかがまるで分からない。

 

「キース。こっちに来なさい」

「お、おう!」

 

 ラケルに言われるがまま彼女の横に向かう。いつの間にか右手に持っていた短剣を眼前に掲げると、それを上空へと投擲した。三本の短剣は空中で三角形の頂点を形作り、それに合わせるように柱のようなものが生み出される。

 それが避雷針となり、稲妻はそこに吸い込まれた。が、抑えきれなかったのか、避雷針は弾き飛ぶ。

 

「ふざけた威力ね」

「防ぎきってから言われても嫌味にしか聞こえませんよ」

「あら、ごめんなさい。でも驚いたのは本当よ」

 

 今のは雷龍の魔術ね。そうラケルが尋ねると、リリアはそれがどうしたと思い切り不満げに頬を膨らませる。分かりきったことを聞くんじゃないと言わんばかりの態度だ。

 

「書物か映像でしか見たことがなかったものだから、少し驚いたわ。何故そんなものを?」

「何故も何も、先生に教えてもらった魔術の一つでしかないですよ。先生も別に何も言ってませんでしたし」

 

 リリアさんリリアさん、これ覚えません? そんな軽さで古書店を漁って見付け出した魔術を書かれているままに教えたのは先生ことノーラであり、リリアが使ってみせた時はこれでいつでも生で見れますねと笑っていたのもノーラである。この変人ぶりのおかげで、彼女のイメージはリリアの中で未だに覆されていない。

 

「……何者なの、その先生とやらは」

「私の自慢の、最高の魔道士です」

 

 ドヤ顔でのたまう。ラケルがちらりと視線をドヤ顔令嬢からエルに動かすと、物凄く苦い顔を浮かべているのが目に入った。微妙に判断が付かないが、しかし実際に物珍しい魔術を当たり前のように教えられ習得しているのは紛れもない事実。こうして無駄話に付き合ってくれているから余裕はあるものの、問答無用で構わず攻撃を続けられていたら少々危なかったかもしれない。

 そんなことを思いながら、ラケルは溜息とともにキースの尻を蹴飛ばした。

 

「いってぇ!」

「呆けていないで、ほら、向こうのメイドを止めなさい」

「え? まだやんのかお嬢」

「当然よ。まあ、心配しなくてもそろそろ来るわ」

 

 だから、と彼女が続けたので、キースは諦めたように視線を前に向けた。ラケルの指示に従い、エルが邪魔をしないように足止めを行う。合流されたり連携されたりしないように、出来るだけ引き離す。

 

「鬱陶しいクソガキだこと」

「そこまで歳変わんねぇだろうが!」

「え? そう?」

 

 声色が本気だったので、キースは思わず表情が固まる。彼の現在の年齢は十一、言うほど同年代と身体的な成長差があるわけではないので、目の前のメイドのその反応は本来ならば挑発でしかないはずなのだが。

 

「だったらお前はいくつなんだよ」

「もうすぐ十四になりますよー」

「そこまで変わんねぇじゃねぇか!」

 

 やっぱりただの挑発だったのか。そんなことを思いながらキースはラケルの邪魔にならないように距離を取る。それに合わせるようにエルもリリアから離れていく。

 

「……あれは、貴女の指示かしら」

「え? あ、あー、はい。そうですよ」

「ブラフを張りたかったら、もう少し自然に受け答えをすることね」

 

 そう言いながら、ラケルは短剣を数本取り出した。どこかに仕舞っていた、というふうには見えないので、リリアのように魔装術で生み出したのだろう。それを投擲し、数歩下がる。

 勿論リリアに避けるという選択肢は存在しないので、斧で短剣を弾き飛ばしながら間合いを詰めんと足を踏み出した。

 

「あ、れ?」

 

 踏み出し、そのまま思い切り倒れる。べしゃり、と轢き潰れたカエルのような状態になったリリアは、立ち上がろうと足に力を込め、そして再び倒れた。

 視線の先にはこちらを見下ろすラケルの姿が。表情に驚きはなく、予想と何もずれていないと言わんばかり。

 

「……あなたの、仕業ですか」

「他に誰がやるというのよ」

 

 呆れたような物言いに、リリアの額に十字が浮かぶ。今回は真っ先にエルがキレていたので控えめになっていたが、元々リリアの沸点は恐ろしいほどに低い。こんちくしょうと半ば気合で痺れている体を立ち上がらせた。

 

「何をどうやったか知りませんが、そう簡単に倒されると思わないでください!」

「そうね。あまりにも簡単に引っかかったから拍子抜けしていたけれど……そうこなくては」

 

 右手を一振り。そうして再び短剣を生み出したラケルは、それを再度投擲する。先程と同じであれば、これは弾くのではなく避けるほうが望ましい。そう判断したリリアは横に躱そうと足に力を込め。

 唐突にムダ知識からヒントが引き出された。このパターンは武器そのものがトラップか何かだ、と。

 

「このぉ!」

「へぇ」

 

 風の魔法を、斧を起点にして唱えた。投擲された短剣はそれにより吹き飛ばされ、ラケルの方へと戻されていく。それが何かにぶつかる前に、彼女は魔術を解除し短剣を消し去った。

 

「即座に対策を変えたわね。その機転は称賛に値するわ」

「…………そうでしょうとも!」

「何よ今の間は」

 

 ムダ知識由来のヒントが無かったら普通に避けて普通にもう一度痺れていたなんて言えない。言えないのでリリアは思い切り虚勢を張った。ラケルにはほぼバレバレだったのだが、しかしそうなると対処できた理由が分からず彼女は眉を顰める。

 

「まあいいわ。ある程度のことは分かったし」

 

 今度はこっちの番だ、と踏み出そうとするリリアに向かって短剣を投擲。地面を抉りながら急ブレーキをかけたリリアは、そのまま斧を地面に突き立てると思い切りバックステップをした。カンカンと音を立てて短剣が斧に弾かれ、しかし何も起きずに身構えていた彼女はあれ、と首を傾げる。

 

「時間よ」

「は?」

 

 ラケルは視線を自身の後ろに向ける。思わずそれを目で追ったリリアは、一人の老婆が呆れたような顔でやって来ているのを見た。誰ですか、と思わず口にして、老婆はガリガリと頭を掻きながら彼女へと頭を下げる。

 

「無駄に歳を重ねた冒険者ですよ、お貴族様。一応、そこのクソガキの教育係でもありますが」

「げ、オババ」

 

 その声に気付いたキースが振り向き顔を顰める。どうやら騒ぎは終わりのようだと判断したエルは、そこで動きを一旦止め、リリアの方へと足を向けた。

 

「お嬢。街で騒ぎを起こすんじゃない」

「あら、私は起こしてないわ」

「キースに命じた時点で同罪だよ。ったく、お館様がまた悲しむぞ」

「父様には根回し済み。規模も約束した基準に収めてあるわ」

 

 はぁ、とオババと呼ばれた女性は溜息を吐く。もういい、と話を打ち切ると、やってきたキースにげんこつを落とした。何でオレだけ、と嘆く彼に、オババはハンと鼻で笑う。

 

「お嬢を止めんかい」

「無理に決まってんだろ」

 

 追加のげんこつが炸裂した。沈黙したキースの首根っこを掴むと、オババはそのまま踵を返す。お騒がせしました、と振り返ると再度頭を下げた。

 そうして残されたのはリリアとエル、その目の前に立つラケルのみ。

 

「では、私も帰りましょうかね」

「え?」

「元々貴女の言葉一つで本当にギルドがどうにかなるなんて思っていないわ。噂の公爵令嬢がどんな反応するか見てみたかっただけ」

「え?」

「昔の噂と、最近聞いた話。それらを統合して、後は自分の目で判断したかったのよ」

「え?」

 

 わけが分からない。頭にハテナマークが浮いているリリアに向かい、エルがこっそりと耳打ちをする。何かお嬢さまがどんな人か知りたかっただけらしいですよ、と。

 それを聞いて再起動したリリアは、何でそんな回りくどいことをと眉尻を下げた。聞けば素直にいくらでも教えるのにとぼやいた。

 

「ごめんなさい。性分なの。……そこの従者の彼女の言う通り、こまっしゃくれた、可愛げのない子供だから」

 

 そう言って頭を下げ謝罪したラケルは苦笑する。それは先程までとは違い、どこか彼女の本音に思えて。

 だからリリアは思わず口にしていた。別にそんなことはない、と。

 

「それはそれで。何かこう、余裕を持った大人って感じでわたしはカッコいいと思いましたよ」

「カイル王子は?」

「あれはただ性格が悪い!」

 

 エルの呟きに全力で返した。こういう風に素直に説明するような性格じゃないし、そもそもあれは謀略とかそういうのじゃなくただの嫌がらせだ。ボロクソに貶しながら、だから目の前の彼女とは違うと力説した。

 

「そもそも冒険者ギルドの元締めのご令嬢ですよ。かっこいいじゃないですか!」

 

 ムダ知識が語りかける。これは間違いなくヒロインのポジションだ。あるいは主人公。後者だった場合チョロインポジである自分はどうなるのか若干不安だが、まあそこら辺は後に回そうとリリアは流した。

 ともあれ、そういうわけだからまあ気にしないで欲しいと彼女は笑った。あっけらかんと言い放つそんなリリアを見て、ラケルは思わず目を丸くさせる。

 

「……ふ、ふふふっ。ありがとう。ねえ、もしよかったらだけれど」

 

 リリア・ノシュテッド公爵令嬢の今日の成果。

 お友達が増えました。

 

 



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第八話

学園編? プロローグ


 リリアが前世の知識だとかいう眉唾もののムダ知識を刻み込まれてからはや数年。これまでの傍若無人さが広まっていた時間と同じくらい今の彼女が定着し始めた頃。

 

「……入学、ですねぇ」

「どうしたんですかお嬢さま。いつも以上の間抜け面で」

「エル。いくらわたしでも怒る時は怒りますよ」

「いやお嬢さま割と年中怒ってますよ?」

 

 なんだとこら、とリリアが立ち上がる。ほらそれ、とエルが彼女を指差したので、怒りのボルテージが更に上がった。エルの今日の食事のメインディッシュは抜かれるらしい。

 それで気持ちを落ち着かせたリリアは、ぐへぇと項垂れているエルに向かって話を続ける。少し魔導学院について思うところがあるだけだ、と。

 

「一瞬で怒って一瞬で冷めるのやめません? いや冷めるなってことじゃなくて、怒るなって意味で」

「余計なことを言うからでしょう?」

「他の人に、ですよ。歳だって十二も越えてもうすぐ学院生なんですし、その調子だと無駄に敵を作りますよ」

「分かってますよ。今悩んでいたのがそれなんですから」

 

 そう言ってリリアは眉尻を下げる。自身はツンデレお嬢様チョロインではあるが、そのデレとチョロの部分は誰にでも発揮されるわけではない。あくまで主人公、あるいはそれよりは劣るが同じメインキャラやヒロイン達。そういった主要人物以外には大抵ツンが勝るのがお約束だ。

 わざわざお約束を世襲する必要あるのかというツッコミを入れる存在が生憎とどこにもおらず、ムダ知識はそれがお約束だからと後押しする始末。一応フォローするならば、彼女自身もしょうがないと諦めているがこれが良いことだとは思っていない。直せないだけだ。

 そもそもリリアの本来の性格が悪役令嬢なのだから至極当然とも言えるが、そんなことなど知る由もない彼女にとっては、熱しやすく冷めやすい己のこれは学院生活を送る上で目下の問題となり得るものであった。

 

「何だかんだお嬢さまの周りはその辺織り込み済みの人達ばっかりでしたしね」

「そうなんですよね。改めて思うと、物好きだなぁって思います」

 

 はぁ、とリリアが溜息を吐く。そんな彼女を見ながら、エルは柔らかい笑みを浮かべた。一回ラインを超えてしまえばただの面白い女の子だからだよなぁ。などと若干失礼なことを思いつつ、後は向こうも割と変人だからだろうと追加で失礼なことを考えた。

 

「とりあえず、学院で新たな変人を集めましょうよお嬢さま」

「そうで――今なんて?」

「後はそんなに不安なら、その物好きな面々に尋ねてみては?」

「ですからエル、今なんて言いました? 変人? 変人を集めろって言いませんでした?」

「やだなぁお嬢さま、頭の次は耳まで悪くなりました?」

 

 そう言ってケラケラ笑うエルにピキリと来たリリアは、エルの食事から飲み物を抜こうと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

「というわけなんですけど」

「無理だな」

 

 即答であった。学院に入る際の不安を話してついでに何かいいアイデアは無いかと聞いた結果がこれである。どういう意味だこらと詰め寄るのも至極当然であった。リリア基準である。

 

「それだよそれ! 公爵令嬢ってもっとこう、あるだろ?」

「失礼な」

 

 胸ぐらを掴みながら言っても説得力がまるで無い。この数年でそこそこ成長したおかげでツインテールのボリュームも増え、身長はそこそこ、体のメリハリは随分増したのだが、性格のアレさは微塵も変わっていないのが現状だ。だからこその相談なのだから当然なのだが、間違いなくこれでは無理であろう。眼前にいる赤毛の少年の言い分はもっともである。

 

「そもそもだな。こんな場所で聞くのが間違って――ぐぇ、締まってる締まってる!」

「あ、ごめんなさい」

 

 手を離す。ゲホゲホと咳き込みながら、問われていた相手は、キースはジト目でリリアを見た。そうしながら、先程言いかけた言葉を再度述べる。

 場所考えろよ、と。

 

「? 冒険者ギルドが何か?」

「公爵令嬢が! 学院に入る際の不安を! 相談する場所じゃねぇよ!」

「でも冒険者ギルドはなんでも屋ですよね?」

「言葉の意味自体は合ってるけど、そうじゃねぇよ……」

 

 盛大に溜息を吐きながらキースが項垂れた。彼も既に十五、ギルドの冒険者としてしっかりと活躍している年齢だ。危険な討伐依頼にも参加したことがある彼だが、それでも一番面倒な依頼はなにかと問われるとこれだと即答するくらい、彼女達関係には毎回げんなりしている。

 それでも拒否していない辺り、何だかんだ友情なり何なりがあるのだろう。

 

「あら、別に私はそのままで良いと思うけれど」

「ラケル!」

 

 横合いから声。視線をそこに向けると、リリアの友人であり冒険者ギルドの元締め補佐見習い、ラケル・カルネウス辺境伯令嬢が微笑みながら立っていた。肩口を少し越えた程度の長さの銀髪は変わらず美しく、ツーサイドアップの髪型もよく似合っている。ツリ目気味の鋭い瞳は、友人相手だからなのかどこか優しく見えた。

 

「こんにちはリリア。また今回は可愛らしい相談に来たのね」

「お嬢、さっきの見てたか? どこが可愛らしい相談だった?」

「可愛らしいでしょう? 学院での生活で、周囲のことを気にかけるなんて」

 

 優しいのね、とラケルは笑う。そうですかね、とリリアは照れる。

 あれ今のおかしくなかったか、と眉を顰めるのがキースだ。

 

「な、なあお嬢。お嬢も学院に行くんだよな?」

「ええ、そうよ。キースも従者登録はしておいたから、適当な用事で時々呼び出すつもりだけれど」

「いやまあそれは予想通りだからいいんだけど。……お嬢はその辺どうなんだ?」

「どう、とは?」

「だから周囲との関係とか」

 

 恐る恐る尋ねたキースに、ラケルは馬鹿ねと鼻で笑う。こちとらやがてギルドの元締めを継ぐつもりでいるのだ、その程度出来なくてどうする。そう述べてから、ああ勿論と言葉を続けた。

 

「気に入らない相手は弾くわ」

「やってること変わんねーだろ……」

「ええ、そうね。だから言ったのよ、可愛らしい相談だって」

 

 ほえ、と首を傾げるリリアに向かい、まあつまり誰でも似たようなことは考えるのよとラケルは語る。どのみち全ての人間と仲良くなんて出来はしないのだ、自分を知ってもらえた相手と、あるいは自分が望んだ相手と仲良くなれればそれで十分。

 

「その相手が少なくなりそうだから悩んでるんですけど」

「きっかけなんてどこにでも転がっているものよ。学院に入ってみたら杞憂だったで済んでしまったり、とかもね」

「……うーむ」

「ふふっ。そうね、まだ不安なら」

 

 もう少し違う相手に聞いてみたらいかが。そう述べて、ラケルは視線を動かした。ここからでは見えないが、その方向は間違いなく。

 

 

 

 

 

 

「無理だな」

「くぅ……」

「あ、耐えた」

 

 王城の練兵場。そこの片隅でグレイ・アルデンが先程聞いた言葉と同じフレーズを口にした。思わずキース相手と同じように掴みかかろうとし、彼との会話を思い出し踏み止まる。いやオレん時にもやれよ、いう尊い犠牲の存在しないボヤキは風に消えた。

 

「そもそも。お前は公爵令嬢なんだから、取り入ろうとする輩はいても排除しようとする者はそうそういないと思うが」

「そう、です? けど?」

「お嬢さま、不安なら頷くのやめましょうよ」

 

 ギルドの時はついていかなかったエルが呆れたように述べる。そんな二人を見て苦笑したグレイは、しかし言いたいことは分からないでもないと言葉を紡いだ。

 表立って排除しようとする者は確かに少ないであろう。だが、全くいないわけでもない。そして、えてしてそういう輩は、表立って行動せずに裏から段々とリリアの敵を増やしていく。

 

「お前はそのような手段には滅法弱そうだからな」

「どうしてでしょうか。遠回しに馬鹿だって言われている気がするのは」

「毎回最終結論を力押しに持っていこうとしているからじゃないですかね」

 

 エルのツッコミをあえて流しつつ、リリアはううむと考える。そう言われても、その辺りは性分なので仕方ない。ムダ知識を刻み込まれる前からの、自身のスペックでゴリ押ししていた頃から変わらないものだ。最近はムダ知識からのヒントが流れてくることでほんの少しだけ改善されたが。

 現に今も。まあツンデレお嬢様ってあんまり頭脳タイプなイメージないし、そもそも武器が斧な時点でパワー型カマセだし、チョロインポジとか役満だし。というムダ知識からのヒントがポンポンと浮かんでは消えている。数秒迷ったが、これヒントじゃないということに辿り着いたリリアは今のそれをヒントの棚からどかした。

 

「それで、お前はどうしたいんだ?」

「え? どうしたい、というと?」

「ただ敵を作らないようにすればいいのか? それとも、そこから先があるのか?」

 

 目をパチクリとさせた。それは盲点だったと手を叩いた。そんな彼女を見て、グレイは呆れたように溜息を吐き、エルはいつものことだと笑って流す。

 とは言うものの。その先とはなんぞやという疑問にぶちあたったリリアはううむと唸りながらひたすら首を傾げていた。そんな彼女を見て、これで自分より模擬試験は上なのが納得いかんとグレイがジト目で睨んでいる。

 

「リリア嬢を見ていると、勉強が出来ることと頭がいいことは全く別だと再認識させてくれるよね」

 

 ひょい、と乱入者が現れた。奇しくもシチュエーションはギルドでのラケルと同じような状態となったのだが。その乱入者、カイルを見たリリアのリアクションは天と地ほども違いがあった。薄い茶髪の、幼い顔立ちが少しずつ凛々しくなり始めたその少年を見た彼女は。

 

「げ」

「仮にも自国の王子を見た第一声がそれ」

 

 いつものことなんですけど、とエルは諦めたようにぼやく。グレイも慣れたのか、リリアがカイルを見て思い切り嫌そうな顔をするのを眺めながら、何事もなかったかのようにどうされましたかカイル王子と述べている。

 

「いや、偶然通りかかったら面白そうな話をしていたからね」

「偶然? 絶対に知ってて来たでしょうに。白々しいにもほどがあります」

「その方が良かった?」

「どっちも嫌ですけど、そっちの方が予想通りの行動なのでまだマシです」

「成程。でも残念、僕はそこまでして君の行動を把握しようとは思っていないよ」

「わたしが自意識過剰だって方向に持っていきたいんですね」

「だから誤解だよ。王城にある程度の身分の人間がやってくればこちらに情報が来るからね。僕の意思とは無関係に知ってしまうんだ」

「やっぱり知ってたんじゃないですか! このバカイル!」

 

 はははは、と笑うカイルと地団駄を踏むリリア。結局この二人の関係はいつまで経ってもこんな感じだ。最初は婚約者候補であったはずなのに、気付けばその辺りの話は有耶無耶になっている。その割にはカイルに婚約者はまだ確定していないのだが、まあこの性格だからしょうがないかとグレイが思ってしまうほどには、彼は自分を隠さなくなっていた。

 そういう意味ではリリアよりも彼の方が学院で敵を作るであろう。だが、それが問題にならないであろうこともまた事実。

 

「リリア嬢は僕のように取り繕うということが出来ないからね」

「わたしカイル様が取り繕うところ見たこと無いんですけど!」

「どうして君の前で取り繕う必要が?」

「だから! ……言われてみればそうですね」

「お前はもう少し考えて喋ったらどうだ?」

「何も考えてない奴扱いするのやめてくれます!?」

「実際考えてないよね」

「うるさいうるさいうるさーい!」

 

 ジタバタしながら叫ぶリリアはただ駄々をこねるクソガキである。が、いかんせん昔と違ってそろそろきちんと成長してくる身であるため、思春期に突入し始めている男子にはそこそこ目の毒な光景になるわけで。

 

「とりあえず落ち着け。……見えそうだ」

 

 タイツだから恥ずかしくないもんを割りと地でやってそうなリリアを宥め、おとなしくさせる。模擬戦でも最近捲れ上がるスカートに気を取られ吹っ飛ぶことがあるのに、会話中で同じことが起きたらこちらが持たない。少なくともグレイはそういう感じである。

 

「それで。リリア嬢は敵が欲しくないの? 味方が欲しいの? どっち?」

「……え?」

 

 カイルの言葉に顔を上げる。グレイを見ると、まあそういうことだと言わんばかりに頬を掻いていたので、彼女は目をパチクリさせると暫しその言葉を浸透させた。流石にその二つが同じじゃないかと言うほど回転は鈍くない。

 そして、その二つのどちらだと問われた場合、彼女が出す答えは一つだ。まあヒロインの一人として考えてもそうだろうというムダ知識の評価の後押しもある。

 

「味方が欲しいです」

「そう。じゃあ簡単だ」

 

 そう言ってカイルは笑う。ねえ、と横のグレイを見ると、そうですねと苦笑しているのが見えた。どうやら二人共に同じ答えに辿り着いたらしい。

 え、とリリアは首を傾げ、そして傍らのエルを見る。まあ結局そうなるんですよね、と肩を竦めているのが視界に映り。彼女の頭にハテナマークが増えた。

 

「え、っと? わたしの問題、解決できるんですか?」

「うん。簡単だよ」

「その結論なら、簡単だな」

「そうですよねぇ」

 

 三人が揃って頷いた。そうしながら、多分向こうの二人も同じことを言っただろうと彼女に述べる。

 別にそのままで問題ない。口を揃えてそう言うのを聞いて、リリアはポカンと間抜けな表情を浮かべるのであった。

 

 



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第九話

乙女ゲーでいうならヒロイン

ヒロイン?


「聖女?」

 

 いよいよ魔導学院へ入学する日が来た。期待と不安を綯い交ぜにした状態のまま、リリアは準備をし、馬車に乗り込む。下ろしたての制服はまだ着られている感を醸し出していたが、これからすぐに彼女に馴染んでいくのだろう。

 そんな道中で聞かされたワードがこれである。

 

「聖女というと、あの聖女?」

「どの聖女なのか分かりませんが多分そうですね」

 

 落ち着いた(本人談)ことによって御者を自分でやらなくてもよくなったエルは、リリアとともに馬車の中。改めてと学院でのことをおさらいしていた際に、彼女がそういえばと話題に出したのだ。何でも、教国の聖女がここ王国の魔導学院に留学してくるらしい、と。

 

「どうしてまた」

「そこら辺はよく分かんないですけど。まあでもあんまりいい噂は聞かないですねぇ」

 

 この大陸、この世界に存在する国の英雄の血をもっとも濃く継いでいると言われる大国は四つ。それぞれ簡潔に、王国、帝国、教国、皇国と呼ばれており、現状国同士の結びつきも仲も悪くない。もっとも、それは戦争をしていない、する気がないという意味であり、良くはないという間柄の国も当然存在する。

 その一つが王国と教国。人族の英雄をルーツの祖とする国同士ではあるが、いかんせん教国が自身の方が上だとマウントを取りたがる国家であることが災いしていた。実際教国発祥の地が勇者の故郷であるという言い伝えが残っているので向こうの主張は間違ってはいないのだが。

 

「教国ってどーも魔族軽視しがちというか、人族優遇というか」

「どちらの血も持ち合わせている人が大半の今の世の中で、人族の血が濃い人達でトップが纏められてるんでしたっけ」

「細かいなぁって思いません?」

「まあ、こだわりを持つのはいいんじゃないですか?」

 

 えぇー、とエルが顔を顰める中、リリアは表情を変えずに思考を巡らせる。ムダ知識がギュンギュン騒いでいるのだ。そういやぶっちゃけこれどうなん? バトルものだと敵側か? それとも味方側か? どっちでも美味しい展開だけど。

 うるさいと途中で思考を打ち切って、彼女はエルに向かって言葉を紡ぐ。それで不幸が広がっているわけではないなら、無闇に否定することもない、と。

 

「お嬢さま、どうしたんです? ここんとこの勉強のやり過ぎで頭変になりました?」

「失礼な」

「だって何かお嬢様っぽいこと言い出したから」

「失礼な」

 

 そもそも正真正銘のお嬢様だ。ジロリとジト目で彼女を睨むと、話題を戻すように咳払いをした。それでその聖女がどうしたんだ、と。

 

「いや、お嬢さまなら何かやらかすかなぁって」

「失礼な」

 

 こいつ自分が学院に入学したら自由時間増えるからって調子乗ってるな。寮生活ではメイドの夕食も抜けないので、リリアとしてはいつもの手が使えない。だからこそのエルのこの態度で、だからこそリリアもどこまでシメようかの塩梅を迷っていた。だって給料減らすと普通に裏切りそうだもの。そういう偏見である。

 

「はぁ。まあいいです。エルの処分はまたそのうち考えましょう」

「さらっとエライこと言いましたね」

「それで、その聖女はどんな人なんですか?」

 

 え、とエルが素っ頓狂な声を上げた。それを聞いて、彼女の顔を見て。リリアも何となく察する。こいつほんとにただ噂を聞いて話題に出しただけだ、と。

 溜息を吐いた。学院に着いたらラケルにでも聞いてみよう。そんなことを思いつつ、彼女は馬車に揺られながら視線を外の景色へと向けた。

 

 

 

 

 

 

 入学式はつつがなく終わった。リリアにとっては横にエルがいないので余計なツッコミも入らない楽な時間だ。最近扱い酷くないです? と抗議をしているイメージエルを無視りつつ、彼女は教室へと足を進める。幸か不幸かカイルとグレイは別クラス。残念なことにラケルも別であった。つまりリリアは一人ぼっちである。

 

「……」

 

 入学早々恐れていた事態になってしまった。席に付きながら何とも言えない表情を浮かべているリリアは、まず状況を動かさねばならないと結論付けた。良い方向にしろ悪い方向にしろ、現状から動かねば無が続くのみだからだ。

 ではどうするか。ううむと考えた彼女は、ムダ知識を探ることにした。あの偏った情報量で果たしてどうにかなるのかという不安はあるが、無いよりはマシだ。そういう判断である。

 自己紹介で思い切りぶちかますとツンデレお嬢様チョロインだよな。発見したそれはボツでゴミ箱に捨てた。何だその「この学院はレベルが低いですわね。わたくしが稽古をつけて差し上げてもよろしくてよ」とかいう沸いたセリフは。多分ムダ知識がなかったら近いものを言っていたであろうことは放り投げ、よし次と知識をページを捲るように探していく。

 隣の席の美少女が実はヒロイン。多分これ該当者自分じゃなくて主人公だろうと思わないでもなかったが、しかし使えないわけでもないのでとりあえずはこれで行こうとリリアは拳を握った。そういうわけで隣を見た。

 美少女であった。ピンクブロンドが鮮やかな、翠の瞳の何とも可愛らしい少女である。思わずリリアも固まってしまい、いかんいかんと頭を振る。その拍子に立派になったツインテールがぶんぶん揺れた。

 

「こんにちは」

 

 笑顔で話しかける。リリアの声に反応した少女はこちらを向いて、一瞬のタイムラグの後こんにちはと笑みを浮かべる。果たして時間的にこんにちはでよかったのか、初対面だしまずは初めましての方が良かったのではないか。そんなことを考えてはいたが、とりあえず普通に反応をもらったのでよし。そういうことにした。

 では次だ、とリリアは今度こそ初めましてと挨拶をする。クラスメイトとしてよろしく。そんな感じのことを笑顔で、当たり障りなく述べた彼女は、どうだエルわたしだってやれば出来るんだと謎のドヤ顔を心で浮かべた。何言ってんですかお嬢さまと脳内エルが辛辣である。

 さて、肝心の相手はというと。肩口辺りまで伸ばしているピンクブロンドを揺らしながら、彼女は今リリアが言った言葉を反芻するようにコクコクと頷いている。その動作が何とも不思議で、しかしどこか天真爛漫な空気を持つ少女には似合っているように思えた。

 

「えと? 初めまして」

 

 それを終えた後、少女も口を開く。先程も聞いたが、彼女の声も見た目に違わず可愛らしい。先程のムダ知識ではないが、ひょっとしてこの娘本当にヒロインなのではなかろうかとリリアが思ってしまうほどだ。もっとも、その場合自分も同じ立ち位置なので同等なのだが。負けず嫌いが出たのか、彼女は一人言い訳をしていた。

 

「あたし、ルシア、っていうです」

「ルシアさんですか。よろしくおねがいしますね」

「はいっ。よろしくお願いしやがれです!」

「は?」

 

 今なんつった。可愛らしい声から何か凄いワードが飛び出したので、リリアは思わず動きが止まる。聞き違いかな、と目をパチクリしながら耳をトントンと叩き、そしてもう一度彼女を見た。

 笑顔である。うんそうですよね、やっぱり聞き間違いですよね。そう結論付けた。

 

「リリアさん?」

「あ、ごめんなさい。入学初日だからちょっと緊張しているみたいで」

「そうなんですか? えへへ、実はあたしもなのです。お揃いになってやがりますね」

「んん?」

「? どうかしやがったのですか?」

 

 どうかしてるのはお前の口調だよ。そんなムダ知識のツッコミが脳内を通り越して口からはみ出そうになったのを必死で抑え、リリアはゆっくりと深呼吸をした。そうしながら、ルシアさん、と彼女に声を掛ける。

 

「はい?」

「えっと……その……」

「……?」

「あなたの、喋り方は……独特? ですね?」

「あ」

 

 多分顔がひきつっていたのだろう。ルシアはリリアの顔を見て、一瞬にして顔色を変えた。しゅん、と眉尻を下げると、ごめんなさいと頭を下げる。

 面食らったのはリリアである。入学早々隣の少女に因縁つけて謝らせたみたいな構図になったからだ。

 

「ど、どうしたんですか?」

「……すっかり忘れてたですよ。あたしの喋り方はよくねーやつだって」

「いやまあ確かに良くはないかもしれませんけど。そこまで気にすることでは」

「うぅぅ……。大司教さまとか神殿騎士さまとかが散々抜かしやがったから、気を付けようと思ってたですけど……」

「そんな落ち込まなくても……え? 大司教? 神殿騎士?」

 

 明らかに嘗めた態度を取っているような口調で聞き捨てならないワードが飛び出た。王国にはそれに相当する人物はいない。司教はいるが大司教はおらず、騎士はいれども神殿騎士はいない。それらに該当する者がいる場所は王国ではなく、ここから離れた別の国、教国で。

 

「やっぱりあたしが聖女とかぜってー無理ですよ……」

「聖女!?」

 

 言ってから思わず口を手で塞いだ。今の状況にその余計な要素を付け足すととんでもないことになるからだ。

 入学早々に聖女をいじめた公爵令嬢一丁上がり、である。

 

「る、ルシアさん!」

「……はい」

「落ち込まないでください。わたしはそういうの全然気にしません」

「めっちゃ気にしてやがったです」

「口調よりその態度のほうがわたしは気になりますけど!?」

 

 シュン、と落ち込んでいる割には余計なことを言う辺り、どうやら思ったことは踏みとどまらずそのまま口にするタイプらしい。だからこそ最初の挨拶の時点でぶちかましたのだろうし、今の状況もそうだ。

 

「というかですね。なんでそんな話し方に?」

「う。めんでーし聞いてもつまんねーやつですよ?」

「そういうのはうちのメイドで慣れてるので大丈夫です」

「そ、そうなんです?」

 

 迷いなくそう言い切ったリリアを見て、ルシアも少しだけ落ち着いたらしい。あはは、と頬をポリポリ掻きながら、実は自分は教国で聖女とかいうのに突然選ばれたのだと口にする。

 ど田舎で暮らしていたのに、急に教国の首都に連れてこられ聖女としてのマナーを学ばされることになり。口調も教国共通語へ矯正されることになったのだ。

 

「うちの田舎の方言と共通語だと全然ちげー感じで、もう普通に喋るのでも大変で」

「な、成程」

「ようやく出来るようになったら、今度は王国に留学しろとか抜かしやがって」

 

 教国共通語もイッパイイッパイなのに、今度は王国共通語も身に付けろと来た。その結果、無理やり詰め込んだおかげでしっちゃかめっちゃかな口調の出来上がり、というわけである。

 

「四大国の共通語はどれも割と似通っているから、ある程度は習得出来るんでしょうけど……無理矢理矯正されてねじ曲がっちゃったんですね」

「です。もう王国共通語は自分でも直しようがねー状態で、だから無理だって言ったのに大丈夫だって押し通しやがったです……」

 

 しょんぼりしながらそう話すルシアは、どこか小動物染みていた。だからだろうか、リリアは思わず彼女の頭を撫でてしまう。お前それは主人公がヒロインにやるやつだろという評価だの、撫でポだのという単語がムダ知識発信で駆け巡るがリリアは気にしない。むしろこれこそツンデレお嬢様の本領発揮だと言わんばかりだ。何がツンで何がデレなのか一切合切不明である。

 

「向こうと同じようなこと言っちゃうのが癪ですけど。大丈夫ですよ」

「ふぇ?」

「少なくとも、わたしがルシアさんの横にいますから」

「リリアさんが、あたしの横に?」

「はい。席も隣ですし、入学初日に出来た初めてのお友達ですから」

「リリアさん、友達?」

「……あれ? ひょっとしてわたし間違えました?」

 

 ぶんぶんと勢いよく首を横に振る。違う違うとルシアが述べる。

 こんな状態だから、聖女とかいう無駄な肩書があるから。だからこんな初っ端に距離を詰めてくれる人がいるとは思わなかったから。だから。

 

「いきなりそんなこと言い出しやがる人がいるなんて、ちょーうれしいです!」

「それならよかった」

 

 リリアは笑顔でそう返す。そういうものだと分かってしまえば、彼女にとってルシアの口調は何の問題もないらしい。最初にドン引いていたとは思えない掌返しだが、まあこれが彼女なので仕方ない。実際、そんなリリアの態度で救われた少女がここにいるのだから、むしろ結果オーライだろう。

 

「それじゃあ改めて。よろしくおねがいしますね、ルシアさん」

「はいっ! リリアさん、よろしくお願いしやがれです」

 

 がっちりと握手。そのままブンブンと手を振り合う二人を見て、いつの間にやら注目していた野次馬達はどうやら問題ないようだと散っていく。リリアもルシアもタイプは違えど美少女、教室内では大分目立っていたのだ。

 

「そうだ。後でわたしのお友達も紹介しますね」

「リリアさんの友達? あたしがいても問題ねーです?」

「勿論です。頭が良くて頼りになる人ですから」

 

 そう言いながら、ラケルを紹介する算段を立て始める。そういえば結局聖女のことを聞くの忘れていた、とそこで思い出したが、既に終わってしまったことなので彼女は気にしない。

 そのまま、気にしないついでに、と彼女はラケルから連鎖的に思い浮かんだ面子のことも口にした。

 

「わたしの喧嘩仲間と、まあどうでもいいんですけど一応嫌な奴も紹介しておきますね」

「嫌な奴?」

「嫌な奴です」

「なんでそんなヤロー紹介するんですか?」

「……何だかんだ、付き合い長いから、ですかね」

「何かよくわかんねーです……」

 

 多分これから分かるようになる。そうアドバイスしてくれるような奇特な人物は今現在この場におらず、若干頭にハテナマークを浮かべたまま、しかしルシアは新しい友達が出来るかもしれないとワクワクした。あの説明でそう思える時点で既に同類である。

 ほーらやっぱり新しい変人集めた。エルがいたならば勝ち誇ったようにそう笑ったであろうが、あいにく彼女は不在。ついでに言えばリリア自身はそんなこと微塵も考えていないので、残念ながら想像ですら登場しなかった。

 

 



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第十話

ちょろっと謎小出し


 というわけで。入学式もクラスの顔見せも終わり、放課後。生徒達が思い思いの行動を行う中、リリアは早速ルシアを連れてラケルのもとへと向かっていた。ラケル一人だといいんですけど、とリリアがぼやいているのを聞いて、ルシアは少しだけ首を傾げる。

 

「よけーなやつでもいやがるですか?」

「余計というか、グレイくんとカイル様も一緒だとわたしが笑顔で紹介できないというか」

「よくわかんねーですけど、そいつらがいなければいいってことですか」

「グレイくんだけならまあ」

 

 ううむ、と難しい顔をしているリリアを見て、ルシアは何となく合点がいった。教室で話していた時に言っていた人物、恐らくそれが今話題に出た二人なのだろう。そして効く限りグレイ、というのは喧嘩仲間の方だろうと推測できるので。

 

「嫌な奴ってのがそいつなのです?」

「そうですよ」

 

 迷いなく即答する。王国の貴族や他国でもある程度の知識を持っている者ならば、件の人物が王国第二王子であることに気付いたのかもしれないが、いかんせん彼女の横にいるのは世間知らずの聖女だ。それも、箱入りだからという方向ではなく田舎暮らしだという意味で、である。急ピッチで詰め込んだ情報などすぐに結びつくわけがない。

 

「そんなに嫌なら会わなければいいじゃねーですか」

「あー、うー……わたしも、出来るのならそうしたいんですけど」

 

 歯切れが悪い。何があったのだろうと首を傾げ、考えても仕方ないので即尋ねる。そんなルシアの迷いなきバカ正直に、リリアも少し苦笑気味だ。まあある意味聖女らしいといえばそうかもしれないと思いながら、彼女はルシアに答える。基本的に向こうがちょっかいをかけてくる、と。

 

「おかげで何だかんだ一緒に行動することも増えて」

「嫌じゃねーのですか」

「嫌といえば嫌なんですけど、嫌なのにも慣れてきたというか。いや、相変わらず嫌なんですけどね」

「聞いててこんがらがってきたですよ」

 

 こめかみに指を当ててゆらゆらと揺れるルシアに、リリアはごめんなさいと謝罪する。ぶっちゃけ自分でもよく分かってないので、だいぶ支離滅裂な説明になってしまったのだ。

 まあ腐れ縁ということでとりあえず済ませておこう。そう結論付け、リリアはラケルのクラスの教室を覗き込む。既に生徒はまばらで、彼女の探している人物の姿も見当たらない。

 

「……ラケル、帰っちゃったんでしょうか」

「私がどうかしたのかしら?」

「うぉあ!?」

 

 背後から声。それに思い切り反応したのはルシアだ。見た目美少女らしからぬ叫び声とともに、思い切りバックステップし身構える。リリアは割と慣れたものなのか、よかった帰っていなかったと安堵の溜息を零していた。

 

「リリアの教室に行こうかとも考えたのだけれど、あなたのことだからこちらに来るかも、と思って」

「あはは、大正解ですね」

「後ろから声かけてくるのと今の説明関係ねーですよ……」

 

 驚きでゼーハー息をしているルシアが思わずツッコミを入れる。その声で彼女に視線を向けたラケルは、驚かせてごめんなさい、と頭を下げた。そうしながら、これは自分の性分なのでと付け加える。

 

「驚かすのが趣味なのです?」

「当たらずとも遠からず、かしら」

 

 そう言ってクスクスと笑ったラケルは、では改めてとルシアに向き直る。自身の名前と、所属を名乗る。

 

「ラケル・カルネウスと申しますわ。カルネウス辺境伯が娘にして、王国のギルド管理局局長……を、後々目指すつもりよ」

「ギルドのえれー人の娘さんなのですか。……あたしなんかがお話してやがるとまずいのでは?」

 

 げぇ、と視線をキョロキョロさせながらリリアに隠れるような位置へと移動する。リリアはリリアでそんな気にしなくても大丈ですよと彼女に声を掛け、ラケルもラケルでええその通りと頷いた。

 そしてそのまま、だって、と彼女は続けた。

 

「立場で言うのならば貴女の方が現状私より上ではなくて? 教国の聖女様?」

「うぇ!?」

「あれ? ラケル、知ってたんですか?」

「勿論。情報は何より重要な武器になるもの」

 

 そう言ってラケルは口角を上げる。彼女の口振りからすると、ルシアが聖女であるということを認識している生徒はまだそれほど多くはいなさそうであった。

 実際、聖女が学院に入学したということは大半の生徒が知っていても、顔と一致するかといえば話が別だ。同じクラスでかつ公爵令嬢であるリリアですらそうだったのだ、他のクラスの生徒の認知はもっと低い。だからこそ、それを知ることは現状武器になり得る、というわけである。

 

「ぶっちゃけあたしとしては知られてねーほうが気楽でいいです」

「……なら、聖女として扱わなくてもいいのかしら?」

「です。てゆーかあたし聖女向いてねーですし」

「それは何となく察せられるわ」

「バッサリいきましたねラケル」

 

 聖女というからには、当然それ相応のイメージが求められる。必然的にそういう振る舞いを強要されると言い換えてもいい。

 が。ルシアは間違いなくそれが出来ない。聖女というブランドイメージをまったくもって維持していないのだ。普通なら他国に留学などしてはいけないレベルだ。そしてそのことは本人が一番分かっている。

 

「ということは、噂は本当なのかしら」

「噂?」

 

 リリアが思わず問い掛け、しかし何やらきな臭いものを感じ取ったので眉を顰め会話を打ち切った。懸命ね、とラケルは微笑み、ルシアへと視線を向ける。彼女はよく分かっていないようで、頭にハテナマークを飛ばしていた。

 

「そうね。とりあえずは」

 

 場所を変えましょう。そう言ってラケルは踵を返した。リリアもルシアも、そんな彼女に大人しくついていく。

 そうしながら、リリアは何となくその場所に行くとどうなるかに予想がついてげんなりした。

 

 

 

 

 

 

「ほらやっぱり」

「どうしやがったです?」

 

 向かった場所にいた人物を見てリリアが思い切り顔を顰める。そんな彼女を見て、ルシアはコテンと首を傾げた。が、すぐに合点がいく。ああつまり、ここにいるのが例の嫌な奴なのだ、と。

 成程成程、とそこにいる三人を見た。一人は青みがかったような黒髪の少年。真面目そうな雰囲気、というか苦労人のオーラを感じる人物である。一人は綺麗な黒髪のメイド。自分達よりかは幾分年上だが、それでもまだ少女と呼んでも差し支えない年齢であろう。そして薄い茶髪の美少年。穏やかな雰囲気を醸し出しており、まるで王子様のようにも思えた。

 

「……いや、まるでっつーか、ほんもんの王子様じゃねーですか」

「こんにちは聖女ルシアーネ様。来訪の挨拶の時以来かな?」

「え? ルシアさんカイル様のこと知ってるんですか?」

「曲がりなりにも聖女が王国に留学するんだ。最初に王城で顔合わせくらいはするよ」

「めっちゃ緊張したです」

 

 その時のことを思い出して目が死んでいく。それを頭を振って散らしながら、ルシアはリリアへと向き直った。それで結局嫌な奴ってどいつですか。やはり思い切り直球で尋ねたので、傍らで会話を聞いていたグレイが紅茶を吹いた。

 

「そこのカイル様ですよ」

「……リリア嬢、お前というやつは」

 

 ゲホゲホと咳き込みながらツッコミを入れたグレイに対し、別に本当のことじゃないですかとリリアは気にしない。ラケルもまあそうでしょうねと流しているので、彼は諦めたように溜息を吐くとルシアへと向き直った。どうやら完全な初対面は自分くらいかと彼女へ名を名乗った。

 

「私もいるんですけどねぇ」

「……ああ、そうか。学院だから別行動だったか」

「ここで待機してたのにお嬢さまとセット扱いとか、私の扱い軽くないですかね」

「ルシアさん、ちなみにあれがエルです」

「扱い軽くないですかね!」

「後今ここにはいないけれど、ギルドの冒険者でラケルのお供のキースくんが混ざる感じですね」

「扱い、軽く、ないですかね!」

 

 そんな感じでいつものメンバーの自己紹介が終わり、先程ラケルが口にした噂の件へと話が進む。覚えてろよ、とエルは三下のような捨てゼリフを吐いていた。

 噂、という言葉を聞いて心当たりがあったのはカイルである。その話をしてもいいけれど、と言葉にしつつ、彼はリリアへと視線を向けた。何見てんだとばかりに目を細めた彼女を見て、まあいいかと彼は向き直る。

 

「俺はその噂とやらについてはさっぱりだが。まあ良いものではないんだろうな」

「あと多分聞いたらお嬢さまの機嫌悪くなるやつですね、カイル王子の反応的に」

「ははは。僕が悪いんじゃないんだけどね」

 

 微塵も自分が悪いと思っていない笑みを浮かべるが、まあ実際悪くないのでそこは仕方ない。仕方ないのだが、リリアにとってはなんかムカつく笑顔でしかないわけで。

 結局話す前に機嫌が悪くなったので、じゃあもういいかということとなった。

 

「それで、噂についてだけれど。……まあ、簡単な話よ。教国は新しい聖女が気に入らないから、何か不始末をしでかすよう願って王国に留学させた、という」

「不始末」

 

 ルシアが思わず呟く。視線を左右に向けると、何かもう手遅れじゃないだろうかと何かを悟った顔になった。

 

「現状その口調では何も問題は起きていないから、大丈夫じゃないかな」

「そ、そうです? リリアさんとのお話でいきなりやっちまったような気がしたですけど」

「た、多分大丈夫です。きっと」

 

 エルが思い切り疑惑の目を向けているが、リリアはそちらを見ないことでやり過ごした。やり過ごしたことにした。

 そうしながら、じゃあどういうのが不始末になるんでしょうかと皆に尋ねる。グレイはその問い掛けに、口調で誤解を受ける以外に何かあるのかと難しい顔をしていた。

 

「そうだね。口調のせいで誤解されやすいけれど、ルシアーネ嬢の地頭は悪くない。成績という点では問題ないだろう」

「となると、生活のトラブルが最有力かしら」

「王国のしきたりとか、そーゆーやつです? 確かにあたしその辺さっぱりわかんねーですね」

 

 たはは、と頭を掻きながら苦笑するルシアを見て、ラケルは大丈夫そうねと口角を上げた。駄目そうだと言ったら大丈夫認定されたことで、ルシアも思わず動きを止め目をパチクリとさせる。

 それに対し、分からないことをきちんと分かっているのならば十分リカバリーが効くと返した。

 

「自分の習慣ではこうだ、で押し通す方が余計な問題になるもの。……成程、確かに地頭は悪くないし、性格も素直である程度の柔軟性がある。トラブルがあっても最小限で済みそうね」

「そんな言うほどあたし大丈夫じゃねーですよ?」

「まあ、いざとなったらわたしもフォローしますし」

「一気に不安になりましたね」

「失礼な」

 

 エルの余計な一言を聞いて思い切り睨みつけたリリアは、ふんと鼻を鳴らしながら現状問題ないだろうと結論付けた。結論付けたのだが、何故かムダ知識が警告を促してくる。

 この手の話は導入部だ。ここから案外事件が広がっていくから注意しろ。大体警告をまとめるとこうなる。何言ってんだと思わないでもなかったが、さりとて無視していいほど軽くはない。彼女は渋々ではあるが結論を取り消し、注意を忘れないようにしようと思い直した。

 

「でも、なんでそんな教国はルシアさんを排除しようとしてるんですか?」

「ルシアーネ嬢が魔族の血が濃いからだろうね」

 

 カイルの言葉に、え、とリリアはルシアを見る。こくりと頷いたルシアは、髪を掻き上げ少しだけ尖った耳を顕にした。ついでに、と口を指で広げる。人族の犬歯よりも鋭い牙がそこに生えていた。

 

「ぶっちゃけ言葉がしっちゃかめっちゃかにしやがったのもその辺じゃねーかなって思うですし」

「……エル」

「はい?」

「訂正します。教国は碌でもない」

「不幸広げましたもんね」

 

 当事者以外にはなんのこっちゃとなるようなやり取りをした後、エルは視線をリリアからルシアへと動かした。まあだとしても、と呟きつつ、ちょっとした疑問を投げかけるように言葉を紡ぐ。

 

「火の神獣はそこら辺ノータッチなんですか?」

 

 神獣。精霊などの上位の幻創種より更に上の、最上級の存在。魔法で用いられる八属性の頂点に君臨する存在。その中でも、何かしらに所属しているものを指す呼称だ。ちなみに無所属は悪魔と呼ばれるが、呼び方の問題なだけで善悪で分類されていない。

 ともあれ。神獣の一体、火属性は教国所属だ。教国は勇者の血筋に重きをおいているので絶対者としては君臨していないが、それでもある程度の権威は持ち合わせている。

 

「ルシフェリアさまなら、確かあたしの名前が似てるっつー理由で割と気に入られてたです」

「……まあ、気に入ったからって何かやるような奴じゃないかぁ」

 

 考えてみればそうだ、とエルは一人納得したように頷くと、変なこと聞いてごめんなさいと頭を下げた。そんな彼女を見て、ルシアはブンブンと首を横に振る。

 

「気にしねーでください。というか、それで思い出したですよ。ルシフェリアさまがなんか言ってやがったです」

「何か、というと?」

「えっと、どうせなら派手に暴れてきやがれみたいなこと言ってやがったはずです」

「……気にせず好きにすればいい、ということでしょうか」

「だったらいいんですけどねぇ」

 

 溜息混じりのエルのその言葉に、カイルとラケルが同意するように頷いた。そうしながら、自分達ならともかく、彼女が神獣に見識が深そうなのが若干不可解で。

 

「まあ、リリア嬢のメイドだからなぁ」

「リリアのメイドだものね」

 

 何故か斜め上の納得をしてしまった。

 

 



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第十一話

バトルとコメディは両立するよね、きっと。


「依頼を受けたいんですけど」

「帰れ」

 

 冒険者ギルドにズカズカとやって来た少女を一瞥し、キースは短くそう返した。勿論少女は諦めない。というか、何だとコラとばかりに彼を締め上げた。

 

「大体、なんでキースくんが決めるんですか? 別に管理者でもないでしょう?」

「お前が来た時の対処係にされてんだよオレは! てか離せ! 絞まってるっつの!」

 

 むぅ、と最後に一際キュっとやってから開放する。鶏を絞めたような声を上げて、キースはそのままドサリと倒れた。

 コノヤロー、と即座に復活した彼は、恨みがましげな目を向けながら改めてリリアに問い掛ける。それで一体何の用だ、と。

 

「だから依頼を受けに」

「その理由を聞いてんだよ。お前の冒険者証は保証人がお嬢だろ? だからやたらめったら冒険者としての活動はしないようにしてる」

 

 親友であるラケルに迷惑を掛けないように、である。それを指摘されたリリアはうぐぅと呻き、それは分かってますよと唇を尖らせた。そうしながら、視線をちらりと後ろに向ける。

 キースもそんな彼女の視線を追った。そして、見たことのない美少女が立っているのを見て動きを止めた。

 

「え? あ? え、っと?」

「キースくん?」

 

 突如ギシギシと立て付けの悪いドアのような動きをし始めたキースに視線を戻し、リリアが怪訝な表情を浮かべる。何かあっただろうか、ともう一度視線を後ろに向けても、ほえー、とこちらの様子を見守っているルシアがいるのみ。

 一目惚れか。ムダ知識が答えを弾き出した。リリアはそのムダ知識由来の結論を暫し宙に浮かせ、そしてゆっくりと染み込ませる。

 

「え?」

 

 ちょっと理解の範疇外であった。そして彼女は思った。

 わたしもヒロインなんですけど、と。彼女の個人的意見であり、この世界における正しい立ち位置がそうとは限らない。

 

「キースくん」

「な、なんだ?」

「わたしの時と反応違いすぎませんか?」

「お前の初対面空から降ってきてオレ殺そうとしてたじゃねぇか!」

「失礼な。命を奪う予定はありませんでしたよ」

 

 嘘をつけ、とキースは叫ぶ。そうしながらも息を整え、大体だなと指を立てた。そっちの可憐な美少女と、暴走イノシシを同列に扱う方が無理だ。彼はハッキリ言い切った。

 

「……わたしだって、可愛くないわけじゃないもん……」

「見た目はそりゃそうだろうけど……というかマジ凹みはやめろ。オレ悪者じゃねぇかよ」

「どっからどー見やがってもてめーが悪者です」

「ぐ、確かにちょっと言い過ぎたかもしれねぇな、悪かった。って、ん?」

 

 今言ったの誰だ。リリアに謝りながら視線を動かすが、近くには先程の美少女が立っているのみ。腰に手を当てて、憤懣やるかたない表情をしているところを見ると、恐らく友人であろうリリアの様子を見て怒ったのだろう。

 というわけで、今のセリフは目の前の彼女ということになる。

 

「えっと、そこの彼女」

「なんですか。リリアさんのこと悪く言いやがるヤローと話すことなんかねーですよ」

「……あ、はい」

 

 合ってた。何かすげぇ言葉遣いだった、とキースはルシアを見て思う。こういう時に説明してくれるリリアは自分自身で凹ましてしまったし、ラケルがいたらここぞとばかりに煽られる。詰みだ。

 

「あーもう! リリア、オレが悪かったから機嫌直せ」

「依頼、受けたい……」

「分かったから。だから――は?」

「約束しましたからね!」

「お前嘘泣きか!?」

「凹んだのは本当ですけど」

 

 ぐ、とキースが唸る。嘘をついているわけではないので、彼としてはそうなるともうどうしようもない。

 まあやっぱり詰みであったのだ。諦めるのが吉である。

 

 

 

 

 

 

 分かったと言ってしまった以上、断ることも出来ない。ああもうとガリガリ頭を掻きながら、キースはルシアへと視線を動かした。当然この娘も参加するんだよな。そう問い掛けると、当たり前じゃないですかとリリアの言葉が返ってくる。

 

「依頼を受ける許可は?」

「え?」

「それならラケルさんから貰ってるですよ。これを見せやがれって言われたです」

「……というわけです!」

「はいはい」

 

 リリアを流しながらルシアから手紙を受け取る。これ職権乱用だろと思わないでもなかったが、元々ギルドでの許可は出す人間の判断で決めていいことになっているので別段間違ってもいない。責任は出した人間も取ることと厳格に定められている以上、ホイホイと出しては自分の首を絞めるだけだ。

 

「お嬢が許可を出すってことは、問題はない、でいいのか……?」

 

 それでも、言葉遣いはともかくどう見ても可憐な美少女が冒険者ギルドで依頼を受けるのはかなり無理があるのではなかろうか。そんなことを考えつつ、彼は視線をリリアへと動かした。少なくともこいつなら知っているだろうという判断である。

 

「大丈夫ですよ」

「本当か?」

「……大丈夫ですよね?」

「なんで今本人に確認取ってんだよ」

 

 ダメかもしれない。ジト目で自身を見ているキースのそんな気配を察したリリアは、いやでもだってと口を開く。開いて、そして閉じた。聖女なんだから、それを言いかけて飲み込んだ。これ自分が言っちゃアカンやつだと踏み止まったのだ。

 ちなみにムダ知識由来だと、聖女の肩書持ってるやつが役立たずだったとしたら多分そいつヒロインじゃない、である。逆説的に、ルシアはヒロイン(リリア独自調べ)なので何の問題もないと言えるわけだ。

 勿論言えるわけがない。結論的な意味でも、キースへの説明としてもである。

 

「田舎の村で暮らしてた頃なら、飯の調達に狩りとかもしてたんで問題ねーですよ」

 

 そんなわけで本人に確認取ったところ、返ってきた言葉がこれである。キースも一瞬脳が理解を拒んだらしく、え? と間抜けな顔を晒していた。

 

「あれ? じゃあひょっとしてルシアさんヒーラーじゃないんですか?」

「応急処置で初級回復術は村でも使ってたですけど、本格的なやつは大神殿連れてこられてから奴らが叩き込みやがったですね」

「そうなんですね」

「なあ、そういうすり合わせは事前にやっといてくんない?」

 

 これ本当に大丈夫なのか、と頭痛がしてきたキースは思わず頭を押さえたが、ラケルが許可を出している以上依頼を受けることに問題ないのは確かなはずなのだ。それ以外が大問題であったり、キースの胃にダイレクトアタックをかましてきたりするのだろうが。

 

「あ、てかお嬢は何でいねぇんだ?」

「ラケルなら何か調べ物があるとか言ってましたよ」

「調べ物? また悪巧みでもしてんじゃないだろうな……」

「あたしが見た感じ、そーゆー感じは全然しなかったですよ」

 

 ルシアがそんなことを述べる。その辺を隠して行動するのがラケルという少女なので、彼としてはそこまで付き合いが長くないであろう彼女の言葉は信用出来ない。はずなのだが、何故か妙な説得力があった。否定し辛い何かがあった。

 まあそれならいいや、と彼は話を戻す。とりあえず大丈夫そうだということは分かったので、仮登録の用紙に記入をしてから適当に依頼を決めればいい。そんな説明をしながら、キースはルシアに用紙を渡した。

 

「ここに名前を書くですね。……これで、いいですか?」

「えっと……ルシアーネさん、でいいんだよな?」

「父ちゃんも母ちゃんも村の人も基本ルシアって呼んでやがったですけどね」

「わたしもルシアさんって呼んでますよ」

「……えーっと?」

 

 これどういう流れ? とキースは怪訝な表情を浮かべる。とりあえず自分も彼女のことはルシア呼びでいいんだろうか。そうは思ったが、自分からそれを尋ねるのは色々とまずいわけで。否定されたら大ダメージだし、聞かずに呼んで引かれたら致命傷だ。

 

「リリアさんとラケルさんの友達なら、あたしも友達ってことでいいです?」

「え? ま、まあ、そっちがいいのなら」

「じゃあ、よろしくお願いしやがれですよ」

「……よろしく、ルシア、ちゃん?」

 

 若干疑問形だったが、ルシアは気にしなかったらしい。笑顔でキースの手を掴んでブンブンと振っていた。柔らかくていい匂いがする。そんな感想が頭に浮かび、変態じゃねぇかと彼はそれを慌てて打ち消した。

 

「そ、それで? 何受けるんだ?」

「グリズリーベアーとか討伐しません?」

 

 吹いた。誤魔化すように口にしたその問い掛けの答えが魔獣討伐である。ランクこそそこまで高くはないが、それは決して弱いという意味ではなく、むしろシンプルに強い。搦め手や特殊能力などを持ち合わせていないタイプで、バニラなどと呼ばれるカテゴリーでも知名度の高い魔獣だ。

 勿論その辺の令嬢が物見遊山で討伐する相手ではない。ないのだが。

 

「……いけるのか?」

「キースくんもいますし、問題ないと思いますけど」

「一応聞いとくけど、戦闘はオレ任せって意味じゃないよな?」

「そこをキースくんに任せるんだったらわたし達行く意味ないじゃないですか」

 

 迷いない返答であった。一応念の為、とルシアに視線を向けたが、怖がる様子も心配そうな様子もなく、むしろ楽しんでそうにすら見えるほどだ。

 はぁ、と溜息を一つ。該当の依頼を依頼掲示板から取ると、受付に提出しに向かった。我儘お嬢様のお守りは大変だな、と受付の職員が笑うが、彼はその言葉に曖昧な笑顔を浮かべるのみだ。

 実は案外自分でもこの関係を気に入っているのかもしれない。そんなことを思いはするのだが、口にはしたくないし認めたくない。そういうわけである。

 

「ほれ、依頼受けたぞ」

「はい。じゃあ早速行きましょう」

「腕が鳴るですよ」

 

 依頼書を収めた腕輪をリリアに渡し、キースはそのままギルドを出る。準備は出来てるか、と追いかけてくる二人に尋ねると、日帰りならば問題ないという答えが来た。一応野営の準備だけするかと荷物を用意し、三人は揃って街を出る。依頼の場所はここから馬車で二時間ほど。季節柄人里付近まで魔獣が降りてくることがあるので、追い払うなり退治するなりが今回の依頼である。

 

「ほえー、結構年上だったですか」

「まあな」

 

 ガタゴトと進む馬車の上で、暇潰しも兼ねての雑談。ルシアはキースの年齢を聞き、そうなると呼び方を考えた方がいいかと一人悩んでいた。リリアはキースくん呼びで、ラケルはキース呼び。二人のどちらかに続くか、あるいは。

 

「んー。キースさんにしとくのがいいですかね」

「オレは別に何でも。冒険者は基本年齢より実力で上下決まるしな」

 

 何だか仲よさげな雰囲気、とリリアはそんな二人を見て思う。そういえば主人公探しはいつのまにか頓挫していたのですっかり忘れていたが、今こうして新たなるヒロインが現れた以上、やっぱり主人公は身近な誰かなのかもしれない。前世系ムダ知識から発せられる情報を都合のいいものだけ拾い上げて好きなように解釈しているお嬢様は、うんうんと一人そんな結論を出した。さしあたってキース主人公説を再浮上させるべきかもしれない、と結論付けた。

 

「キースくん」

「ん?」

「最近何か事件に巻き込まれたりとかしてませんか?」

「はぁ? ……お嬢の無茶振りはあるが、まあいつものことだしなぁ」

 

 これは、どうだ? 判定をムダ知識に委ねようかと一人唸っていたリリアは、そこで気が付いた。違う、そうじゃない。今までじゃない、これからだ、と。

 メインヒロイン(リリアの個人的意見)であるルシアとこうして関わったのだから、きっとこれから何か事件が始まるのだ。ムダ知識判定も彼女の結論にそれある、と肯定を示している。

 

「リリア」

「どうしました?」

「お前今、じゃあこれから事件に巻き込みますよって顔してたぞ」

「失礼な。わたしは何もしませんよ」

 

 そう言って彼女が頬を膨らませるのと同時。突如馬車が盛大に揺れた。何だ何だ、と外を覗き込むと、そこには人型をした、しかし明らかに人ではない何かがこちらへと近付いてくるところで。

 

「ゴブリン!? 何でこんな場所に」

 

 舌打ちを一つ。馬車から飛び降りたキースは、馬車を襲撃しようとしているゴブリン達へとすぐさま距離を詰めた。

 そんな彼を見て、リリアも同じように飛び降りる。ルシアもそれに続いて、見た目とは正反対な動きで豪快に馬車を降りた。

 

「キースくん! 敵は目の前のこいつらだけですか!?」

「分からんが、多分どっかに潜んでんじゃねぇか?」

「それなら、あたしがやってやるです」

 

 よ、と腰に下げていた杖を取り出したルシアは、それで地面を軽く叩く。波紋のような何かが、周囲を探るように広がっていった。

 馬車の側面と、背後。木々に遮られ見えなかったゴブリンが、その波紋によって位置を曝される。

 

「今んとこ近くにいやがるのはこいつらだけみてーです」

「了解。じゃあ、とりあえず」

 

 側面に隠れていたゴブリンは弓を構えている。馬車を破壊されたら一大事なので、処理をするならばこいつらからだ。即座に斧を生み出すと、その刃に雷を纏わせ、振り上げた。障害物を躱しながら、雷の龍はゴブリンへと襲い掛かる。

 

「おー! すげーです!」

「それほどでもないですよ。ふふふふ」

「滅茶苦茶ドヤ顔じゃねぇか」

 

 道を塞いでいたゴブリンを一体踏み潰しながらキースがぼやく。うるさい、と短く返したリリアは、返す刀で反対方向の弓ゴブリンを雷龍の餌食にした。攻撃を振り抜いたポーズのまま、ちらりとルシアを見る。パチパチパチと拍手をされ、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 

「純粋に褒められるって、こんなに嬉しいことだったんですね」

「いやいやいや。……あー、でもそうか。お前の周りそういうタイプいねぇのか……」

 

 強いて言えばノーラなのだが、リリアの中で彼女は実力を隠した最上級クラスの魔道士なので、褒められて嬉しいのは微妙にベクトルが違う。

 そんなわけで、目をキラキラさせて褒めてくれるルシアは彼女にとって非常に貴重であった。

 

「せー、のっ!」

 

 残った背後のゴブリンを杖で叩き潰しながら、ルシアは先程の雷龍の魔術を思い出しすげーすげーと褒め称えていた。あんな魔術見たこと無い、と純粋な子供のようにリリアへと述べている。

 

「そ、そうですか? わたしには結構馴染みあるものなんですけど」

「ほえぇー……やっぱ王国の公爵令嬢ってすげーんですね」

「一応言っとくけど、こいつが特別アレなだけだからな」

「失礼な」

 

 そうして倒し終わったゴブリンを片付けつつ会話は弾み。そんなやり取りでむくれるリリアとは違い、ルシアは特別という言葉に別の反応を見せた。普通の王国貴族とは違う、特別。そういう判断をした。

 

「王国って神獣さまは風ですよね? てーことは、リリアさんは違う加護とか持ってやがるです?」

「へ? ど、どうなんでしょうか?」

「持ってなさそうだな」

「んー? ……でも、何かあるような。雷といい感じの相性してやがるですし」

「雷、ですか……?」

 

 思い当たるのは前世系ムダ知識。これを刻んだ相手のことを言っているのだろうか。そんなことを一瞬考えたが、それとは違う気がすると振って散らす。何より、これが悪魔なり神獣なりが原因なら流石に分からないはずがないのだ。

 

「雷の悪魔さまと出会ったりとかしてねーです?」

「雷の悪魔って、バエルゼブですか? あの悪魔ってここ十数年目撃されてないって話ですけど」

 

 ひょっとして、と先程の意見がもう一度頭をよぎる。だから違うだろうと再度打ち消した。目撃情報もない、騒ぎにもなっていない。何より、こんなことをする意味がない。

 

「……こいつにそんな加護与えるとか、もしそうだったら雷の悪魔も相当な変人だな」

「基本神獣さまも悪魔さまも変人ですよ? ルシフェリアさまとか自分大好きですぐ調子乗りやがりますし」

 

 ルシアがさらりと述べたそれを聞き、普段その手のことに無縁のキースは非常にげんなりした表情を浮かべていた。まあ悪い人ではないですけど、という彼女の謎フォローで更に何ともいえない顔になった。

 そんなやり取りを聞きながら、リリアは少しだけ安堵の溜息を零す。悪意はない。現状、彼女が今の彼女になった原因ではあるが、それに悪意は感じられない。だから、誰が起こしたことであろうとも、それを悲しむ必要はないのだ。

 

「変人、ですか……」

 

 それはそれとして、何か本当に変人ばかり集まっている気がする。リリアは先程とは違う溜息を吐いた

 

 



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第十二話

お約束のやつ


 依頼で向かった先のグリズリーベアーをさくっと討伐し、ついでとばかりにさりげなくルシアのアピールを行った帰り道。キースは彼女の正体が教国の聖女だと知って目を見開いていた。そうしながら、だからか、と何となく今回のアレコレを納得した。ラケルが問題なしと判断した理由を、終わってから知ったのだ。

 ともあれ、何だかんだでリリアがよくつるむ相手との顔見せはほぼ終わった。改めて考えてみると意外と交友関係狭いなと思わないでもなかったが、そこはまあこれまでの行いが原因なので仕方ない。もしムダ知識を刻まれず悪役令嬢街道を邁進した場合、媚びを売る取り巻きだけ増えて友人など皆無であっただろうことを考えると、むしろ恵まれすぎているほどだ。当の本人はそのことを知る由もないのだが。

 

「んー」

「どうしたですか?」

「いや、その。わたしひょっとして友達少ないんでしょうか、って」

 

 だから結局、そうは思っても割り切れずにこんなことを口にしてしまうわけで。ルシアはそんな彼女の言葉を聞いて、暫し考え込む仕草を取った。そうしながら、別に問題ないのではという結論をはじき出す。

 

「別に多けりゃいいってもんじゃねーですし」

「それはそうですけど。少なすぎてもなぁって」

「あたしこの学院での友達リリアさん繋がりしかいねーですよ?」

 

 しれっとそんなことをぶっちゃける。え、とリリアが彼女を見たが、別段その事を気にしている様子もない。笑顔でリリアを見つめると、そういうわけだから、と指を立てた。

 

「気にしやがらなくてもいいんじゃねーです?」

「そうですかね……」

 

 ううむ、と首を捻る。そういえば入学前にも似たようなやり取りを皆としたんだったと思い出し、あれから何も変わっていないことに軽く凹んだ。凹んだが、しかしそのついでにその時の彼ら彼女らの言葉も思い出した。

 

「ルシアさんも、みんなと同じこと言うんですね」

「そりゃそうですよ」

 

 迷いなく返す。そうですか、と呟いたリリアは、ならば気にしないでおこうととりあえずその悩みを棚に上げた。

 そうした辺りで教師がやってくる。視線をそちらに向けた彼女はそこで動きを止めた、え、と素っ頓狂な声を上げた。

 

「今日からみなさんの魔導学を担当させていただくノーラです。よろしくおねがいしますね」

「ノーラ先生!?」

 

 思い切り見覚えのある人物が教壇に立っているので、思わず叫んでしまう。その声に反応したノーラは、リリアを見付けると笑顔でヒラヒラと手を振った。

 では、とノーラは教科書の指定のページを指し示し、講義を始める。大半の生徒は既に家庭教師などから習っていた範囲なのでそこまで集中することもなく、彼女の言葉を右から左へ聞き流しているようであった。

 その一方でリリアは久々のノーラの授業でテンションが上がりまくっている。改めて、来た道を振り返るがごとく、彼女のその説明を余すこと無く染み込ませていった。

 そうして初日の講義が終わる。授業終了と共に、リリアは立ち上がるとノーラへと駆けていった。教室の生徒達は何事だと彼女を目で追っていく。ルシアは物理的に追いかけた。

 

「先生!」

「こんにちはリリアさん。お久しぶりですね」

「はい! 学院の講師になったんですね」

「おかげさまで。昇格試験も受けられるようになりましたから」

 

 魔導学院の講師になるには最低でも中級魔道士の資格がいる。金欠で初級を続けていたノーラは入り口にすら立てなかったが、ノシュテッド公爵令嬢の家庭教師を行うことによって色々と蓄えが増えたので、思い切って応募してみたのだ。

 などという、彼女のかいつまんだ説明を聞きながら、リリアは内心高揚していた。大した実力の無いように見える教師は実は最強の魔道士。これだ。なにがこれなのかさっぱりだが、ムダ知識由来のいつものアレで、ノーラの肩書が更新されたらしい。毎回毎回この人はそういうポジションにつかないと気が済まないんですね。うんうんと一人納得しながら、ノーラに向かって彼女はおめでとうございますと祝いの言葉を述べた。

 

「ありがとうございます。でも、リリアさんの家庭教師が出来なくなるのは少しだけ寂しいですね」

「……っ! わたしも、わたしもノーラ先生にもっと最強への道を」

 

 ガシリと彼女の手を掴み、リリアはそんなことを述べようとした。が、ここ教室だったと思い出し言葉を止める。深呼吸をし、すいませんでしたと頭を下げた。

 

「あはは。えっと、ところで、そっちの人は新しいお友達ですか?」

「え? あ。はい、そうです」

 

 毎回毎回リリアの繋がりを最初は眺めるポジになるルシアを、彼女は自身の隣に移動させ紹介する。ルシアーネという名前を聞いて、ああ貴女が、とノーラは一人納得したように頷いた。

 

「なんというか、流石はリリアさんですね」

「よく分からないですけど、ありがとうございます」

 

 そんなこんなで休み時間も残りわずか。ノーラが教室を出ていくのを見送ったリリアは、そのままの勢いでグリンとルシアに向き直った。そうして、彼女が自分の家庭教師を務めていた女性で、凄い実力者なのだと捲し立てる。

 

「へー。まあ確かに、何というか変わった人だったですけど」

「わたしの説明聞いた人みんなそう言うんですよね」

 

 どうしてだろう、と彼女は首を傾げる。そりゃこんなんの家庭教師をずっと続けてた人とか変人扱いされても仕方ないでしょうに。イマジナリーエルが呆れたように述べていたが、リリアのイマジナリーではないので彼女に伝わるはずもない。

 そんなリリアの姿を見て、ルシアは思わず笑ってしまう。つい先程の会話を思い出し、彼女の悩みを思い出し。

 

「リリアさん」

「はい?」

「やっぱ、気にする必要なんざねーじゃねーですか」

「え?」

「リリアさんの繋がり、すっげー貴重ですよ」

 

 なんて贅沢な悩みだ、などと軽口を叩きたくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 だが時として、そんな贅沢品から外れたものが必要になる状況も当然ながら存在するわけで。

 

「……はい?」

 

 入学してから一ヶ月も過ぎた頃。新入生もそこそこ学園に慣れてきたタイミングであろうそこで、リリアは一人の生徒に呼び止められた。見覚えのない顔だが、制服のタグを見る限り上級生。一体何の用だろうかと首を傾げていると、少し時間をもらいたいと言付けをされる。別段断る理由もなかったので、分かりましたと彼女は頷いた。

 

「リリアさん? どーしたです?」

「いえ、何だかよく分からないんですけど、呼び出しをもらいました」

「……告白的なやつです? それとも決闘?」

「え? どっちも違うんじゃないですかね……」

 

 んん? と訝しげな表情を浮かべるルシアに、リリアは少しだけ考え込みながら返答する。彼女が考えているような雰囲気ではなく、極々普通に連絡事項を伝えられただけのような感じであったからだ。だが、それがかえってよく分からなさを増していた。

 

「一応、ラケルに相談しておいたほうがいいんでしょうか」

「そーしやがったほうが絶対いいです」

 

 善は急げ、とばかりにラケルのクラスへ向かう。教室を覗き込むと、それに気付いたのか美しい銀髪の美少女がこちらを見て微笑んだ。そうしながら、教室内で話すのは得策ではないと判断したらしく席を立ちこちらへとやってくる。

 

「どうしたの?」

「あはは。いえ、ちょっと」

 

 先程の呼び出しのことを告げる。ふむ、と短く頷いたラケルは、視線をルシアに向け、そしてリリアへと戻した。間違っていたらごめんなさい、と前置きをする。

 

「この一ヶ月、貴女がクラスで一番仲が良かったのはルシアさん?」

「勿論」

「ルシアさん。貴女はどう?」

「リリアさん以外とはぶっちゃけ大して話してねーです」

「そうよね」

 

 確認事項、といったふうのその返しに、二人は揃って首を傾げた。そんな二人に、正確にはリリアに、その言付けを言いに来た生徒の特徴を尋ねる。そこまで印象に残ってないんですけど、と頬を掻きながら、彼女はそういえば制服のタイの色が違ったと言葉にした。

 

「成程。……概ね予想通りね」

「分かったですか?」

「それを話す前に。ルシアさん、貴女とリリアが普段やっていることをもう一度教えて頂戴」

「普段やってること? ラケルさんも別に知ってやがるやつですよ?」

 

 指折り数えながら、学院の広場でこっそり模擬戦をしていることとか、街に出てギルドの依頼を受けていることとか、噴水で騒いで揃ってビッシャビシャになったことなどを語る。そうよね、そうなのよね。彼女のをそれを聞きながら、ラケルは苦笑しつつ顎に手を当てた。美少女の考える仕草は非常に様になっており、ルシアがやってもここまでしっくりはこないだろう。リリアは論外である。

 

「秘密ということにしましょう」

「え?」

「教えたとしてもリリアでは対処は無理よ」

「……え?」

「こちらで動いて、リリアは自然体でいてもらった方が幾分か風通しも良くなると思うわ」

「…………えぇ」

 

 何かすっげぇ馬鹿にされている気がする。そんなことを思ったリリアであったが、ラケルがルシアにも同様の説明をしているのを聞いてああ何だ自分だけじゃなかったと安堵した。

 そこ安心する場所じゃない。ムダ知識によるクレームが飛ぶ。それを認識して我に返った彼女は、そのままムダ知識の無駄にサブカル寄りの宝庫を漁ることにした。ひょっとしなくてもこれ物語の展開によくあるやつなのでは、と。

 とりあえず該当一件。タイの色が違う上級生は、何らかの特別な所属の可能性がある。具体例としては生徒会。そしてそれが正解だった場合自分は生徒会から呼び出し食らったということになる。

 

「わ、わたし問題児扱いされた!?」

「あら、気付いたのね」

「そこ秘密にする必要なくないですか!?」

「仕方ないでしょう? 恐らく貴女の想像しているものと私の予想とは少し毛色が違うもの」

「ラケルさんの考える問題児はリリアさんの予想とちげーんですか? ……あ。え? マジです?」

「……ルシアさん。私貴女のこと誤解していたわ。聡明なのね、凄く」

「間接的にわたし思い切り馬鹿にされてません?」

 

 まあ脳筋ツンデレお嬢様とかそういうポジションだししょうがなくね。ムダ知識による判定を蹴り飛ばしながら、リリアは彼女に食って掛かる。グレイやカイル、キースに続き、親友たるラケルも最近自分に容赦なくなってきてないだろうか。そんなことをちょっぴり考えた。エルは最初からなので論外である。

 

「リリア。貴女はその場のひらめきで対処する方が成功率が高いわ。あれこれ余計な考えは雑念になるもの」

「単純ってことですよね」

「ネガティブに捉えないの。地頭の優秀さと、咄嗟の判断力が飛び抜けているからこそよ。長所を使わない理由はないわ」

「むー……。うまく言いくるめられている気がします」

 

 とはいえ、評価されているのは間違いない。多少不満げながら引き下がったリリアは、じゃあその辺の話は聞かせてもらえないんですねと問い掛けた。首を縦に振られ、はぁ、と小さく溜息を零す。

 だが、生徒会に目を付けられているというのはとりあえず確定事項でいいのだろう。現状それさえわかっていれば、向かう先での驚きは多少軽減される。そのことを理解し、彼女はまあいいやと結論付けた。

 

「リリア。貴女一人で大丈夫よね?」

「元々わたしが呼び出されてますし、そのつもりでしたよ」

「そう。じゃあ、ルシアさんは借りてもいいわね」

「そっち担当するですか? ついてくだけついてったほうがよくないです?」

「言わされている、に変換される可能性があるわ。懸念事項は潰しておきたいの」

「…………っ!? これひょっとしてあたし側です!?」

「流石に穿ち過ぎ、だとは思うわ。調べたけれど、向こうは積極的にそこまでの活動はしていない」

 

 蚊帳の外である。なんのこっちゃと首を傾げたリリアは、半ば投げやりにムダ知識を探し始めた。とりあえず何かしらが起こっているのは間違いない。そんな自分でも分かっている一文が掘り出され、思わずそれを引き千切りたくなる。

 

「だからこそ妙なの。そもそもルシアさん、貴女の認知は――あ」

 

 ラケルが弾けるようにリリアに振り向く。彼女の名前を呼び、一応聞いておくけれどと問い掛けた。

 ルシアが聖女である、ということを吹聴しているか、と。

 

「え? してないですよ。だってルシアさん嫌がるし」

「……ふぅ。そうよね、貴女はそういう人よね。だとすると、ふむ」

「生徒会です?」

「流石にそこまで愚かではないと思いたいけれど」

「……あ、ひょっとして生徒会長か副会長が何か企んでるって話になってますか?」

 

 ば、とラケルとルシアがリリアを見た。しまった話し過ぎた。思わず頭を押さえながら、ラケルは苦い表情を浮かべる。そうだ、彼女は単純で脳筋だが頭は悪くない。情報を与えられればこちらの考えを予想することだって容易だ。だから単純にこれは自分のミス。打てば響いてくれるルシアという存在に、つい口が軽くなってしまった。

 

「……知らないほうがいいってそこの部分だったんですね」

「正確には少し違うけれど、まあいいわ。これ以上は聞かないで頂戴」

「分かりました」

 

 学園のストーリーで対立する存在としてお約束。それが生徒会だ。それさえ分かってしまえば、リリアとしてはこれからの展開にそこまで驚きはない。少なくとも本人はそう思っている。そういうものだと身構えれば問題ないのだ。個人の感想である。

 ともあれ。随分と話し込んでしまったが、これからのやることは分かった。授業が終わった放課後に、生徒会室で悪の生徒会(リリア視点)と対峙するのだ。

 そう決意して、リリアは一人で生徒会室へと向かう。指定された場所はそこではないが、どうせ目的地はそこだろう、と高を括っていたのだ。実際カフェテリアで待っていた生徒会であろうその上級生は、こっちだと彼女を件の場所まで案内していく。生徒会室に呼び出された、という状況を作りたくなかったのだろうとリリアは思っていたが、いざ実際彼について歩いていると余計に目立つ。どうやら目的はその逆、生徒会に連れられ生徒会室へと向かう公爵令嬢をイメージ付けたいのかもしれない、と彼女はそんなことを思った。

 そうなると、ますます生徒会長か副会長が悪者である可能性が増してくる。実際は一年生が生徒会室に一人で向かうのは難しいだろうという配慮だったりもするのだが、知らぬは本人ばかりだ。

 

「失礼します」

 

 そうして辿り着いた生徒会室。中に入ると、一斉に視線がこちらを向く。まあ予想通りだったので別段動揺はしなかったが、それが向こうには疑念を植え付ける原因になったらしい。一部の生徒会が彼女を見て怪訝な表情を浮かべた。

 

「……成程。つまり君は、理由を知っていてここに来た、というわけだね」

「いえ、さっぱり」

 

 本音である。が、この状況ではそらっとぼけているようにしか見えない。生徒会の面子の表情がますます険しくなった。

 ふう、と生徒会長が息を吐く。かけていたメガネを外し、布でレンズを拭くと、改めてリリアへと向き直った。それならば話は早いな、と呟いた。

 

「リリア・ノシュテッド一年生」

「はい」

「君にはクラスメイトのルシアーネ一年生を虐めている、という疑惑が立っている。そのことについて、話を――」

「はぁ!?」

 

 なんじゃそら、と言わんばかりに目を見開いたリリアを見て、生徒会長もまた困惑した表情を浮かべた。ちらりと横の副会長を見ると、演技の可能性も捨て切れないと難しい顔を浮かべたままだ。ノシュテッド公爵令嬢は幼少期傍若無人の限りを尽くし、ある時をきっっかけに人が変わったように様々なことをやり始めたという噂がある。どちらかが演技、あるいはその過程でそういう腹芸を見に付けたのならばこの程度は造作も無いだろう。そう判断した副会長の意見を小声で聞いて、成程そうかと生徒会長も頷く。

 掠ってもいないほどの大間違いであった。

 

 



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第十三話

断罪されない令嬢


 リリアは激怒した。いつものことである。そして勢いのまま目の前のこんちくしょうをぶん殴ろうと胸ぐらを掴み拳を振り抜こうとした。いつものことである。

 が、その直前でああそうだこれいつもと違ったと思いとどまった。ギリギリであった。

 

「ど、どうした!?」

「…………いえ、大丈夫です」

 

 令嬢らしからぬ勢いで距離を詰めようと一歩踏み出し突然止まったので、生徒会全員が何だこいつという目で彼女を見ている。そんな視線を無視しつつ思い切り深呼吸をすると、リリアは改めて生徒会長を見た。ついでに副会長も見た。

 普段はツリ目気味であるもののパチリと可愛らしい雰囲気を醸し出す瞳が細められている。そのおかげで、今の彼女はぶっちゃけ人相が相当悪かった。齢十三にして、五つ近く上の生徒会連中に怖いと思われるほどに。

 

「説明を、聞かせてもらえますか?」

「え? あ、ああ。……いや待て。それはつまり疑惑を否定するということでいいのか?」

「何で肯定しなきゃいけないんですか」

「いや、それは、事実だったのならば」

「事実じゃないから言ってるんですよ! いいから説明! してください!」

「うお!? わ、分かった」

 

 何この娘怖い。生徒会のほぼ全員がそう思った。生徒会長は真正面から見ていたのでビビった。副会長のみ驚きはしたが踏み止まった。

 会長が咳払いを一つ。そうして、机の上に置いてあった報告書を手に取った。リリア・ノシュテッド公爵令嬢が、どうやらクラスメイトである教国の留学生ルシアーネを虐めているらしい。そういう匿名の投書が生徒会へと多数送られたのだとか。

 

「デマじゃないですか」

「それを確認するためにここに来てもらった。投書によると、君はルシアーネ一年生を人目につかない場所で殴り飛ばしていた、と。……殴り飛ばす?」

 

 改めて見てみるとこの文章なんかおかしくない? 生徒会長はもう一度それを見たが、間違いなく殴り飛ばしていたという一文が記されている。そこは令嬢なのだから普通は叩くとかビンタとか、精々暴力を振るっていたとかそういうのじゃないのか。

 

「ま、まあいい。ノシュテッド一年生、これは事実か?」

「人目につかない場所って、ひょっとして中庭の端っことかですか?」

「ん? そこまで具体的には書かれていないが、心当たりが?」

「……ルシアさんとそこで模擬戦してました」

 

 は、と生徒会全員が素っ頓狂な声を上げる。公爵令嬢が何をどうすると中庭で模擬戦するのだ。大体そんな視線をリリアへと向けた。

 そうしながら、そんな名目で彼女に暴力を奮っていたのではという疑惑が生まれる。

 

「模擬戦、模擬戦ね……。君は公爵令嬢だ、他国の留学生とはいえ、身分の差はある。それをいいことに反撃を出来なくさせて一方的に攻撃をしていたということは?」

「それは模擬戦じゃなくてただの虐めじゃないですか」

「だから虐めの疑惑が立ってるって話なんだよ!」

「会長、落ち着いて」

 

 思わずツッコミを入れてしまった生徒会長を副会長が宥める。どうどう、と抑えながら、この人見た目ほど冷静じゃないのであまり挑発しないでくださいと彼女はリリアに言葉を紡ぐ。そのつもりはなかったのだが、結果的にそうなったらしいのでリリアは素直に謝罪した。

 ちなみにムダ知識はああつまりこの生徒会長メガネで誤魔化してる俺様タイプだな、と評した。間違いなく主人公のかませなのだろうと辛辣である。尚、現在主人公は不在だ。

 

「それで、どうなんだ?」

「どうって言われても。普通に模擬戦ですよ。わたしがルシアさんにアッパーカット叩き込んだら、空中で体勢立て直されて踵落としされたりとか」

「普通……?」

「一応聞いておきますけれど、貴女もルシアーネさんも女の子ですよね?」

「失礼な」

 

 割と順当に育っている、とリリアは思い切り胸を張る。しっかりとボリューミーな膨らみが強調され、十三歳にしちゃかなりでかいなと思わず呟いた会長が副会長にしばかれた。

 咳払いを一つ。副会長が彼女を見ながら、それを証言してくれる人はいますかと問い掛ける。

 

「……ルシアさん本人、だと駄目ってことですよね?」

「そうなりますね」

「わたしのメイド、も身内判定で駄目ですよね?」

「そうですね」

「…………」

「いないのですか?」

 

 す、と副会長の視線が鋭くなる。話していて彼女がそういうことをするような性格ではないと何となく分かりはしたが、自覚なく行っている可能性もなきにしもあらず。彼女の言い分が本当かどうかはきちんと裏付けを取る必要がある。そういう判断での発言であったが、リリアはぐぬぬと何とも言えない表情を浮かべるのみ。

 

「え、えっと。ラケル・カルネウス辺境伯令嬢なら」

「カルネウス、というと。ギルド管理局局長のご令嬢? ……それは」

「え? 駄目なんですか!?」

 

 この流れだと多分あれの名前出さないとマズい。ムダ知識がそんなアドバイスを貼り付けてきたので思い切り突っぱね、リリアは親友であるラケルの名前を出したのだが。どうやら考えたくはないがムダ知識が割と正解を出していたらしい。生徒会長が副会長に言われ、ああこれかと別の投書が書かれた報告書を手に取った。

 

「ノシュテッド一年生は、ギルドに強引に働きかけ、ルシアーネ一年生を危険な依頼へと参加させた。そういう話が出ている」

「それわたしも参加しているんですけどぉ!」

「だからこそ、です。自分は安全な護衛を付け、彼女だけが危険な状況を作り出していたのでは、と」

 

 なまじっかリリアがラケルの名前を出してしまったことで、こちらの投書の方向にも飛び火をしてしまったらしい。こういうことかぁ、と彼女は心中で肩を落とし、ムダ知識のそれを渋々ヒントの棚に押し上げた。

 

「ギルドのことを誇りに思っているラケルが、そんな信用と信頼を地に落とすようなことするはずないじゃないですか……」

「彼女の人となりをこちらは知らないからな」

「じゃあ今知ってください。ラケルはそんなことしません!」

 

 会話の記録をしている書紀以外の、半ば観客になっている生徒会面子はこう思った。この娘容疑者の自覚あるのかな、と。

 あるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 勢いで捲し立てたリリアは、そのまま勢いで自分の潔白を主張する。思わず頷きかけた副会長は、いや違うと頭を振った。

 

「と、とにかく。今の貴女の主張だけではこちらとしても無罪放免に出来ません。いえ、まあ、貴女がそういうことをしそうにないというのは何となく分かりましたが」

「だったら」

「だとしても。こちらも学院の擬似的なものとはいえ生徒側の管理者に相当しますから、もう少し生徒への納得が必要になります」

 

 そういうわけなので、と隣の会長に目配せする。これだな、と三つ目の投書が書かれた書類を手に取り、眺め。

 何だか急にお粗末になったなと眉を顰めた。

 

「えー。ノシュテッド一年生はルシアーネ一年生を噴水に落とした」

「あ、はい」

「認めるのかよ!?」

 

 ざわ、と生徒会がざわめく。これまでの流れなんだったんだと言わんばかりに突然自白した公爵令嬢を、何だか得体の知れないものを見る目で眺めた。当の本人は平然としており、何か変なことを言っただろうかと首を傾げている。

 

「つ、つまりだ。おま、君は虐めの事実を認めるわけだな?」

「え?」

「噴水に落としたんだろう?」

「この間二人揃って走り回ってて、その時に二人で落ちました」

「……んん?」

「最初にわたしがバランスを崩して落ちて、ビッショビショになりやがってやがりますね、ってルシアさんがこっちを見てたんで、そのまま手を引っ張って一緒に」

 

 嘘を言っているようには見えない。見えないが、それは魔導学院に入学した子女の行う行動ではないのではなかろうか。むしろ就学前の幼子がはしゃぎまわってやるような。

 幼い、には見えないな。改めて視線をリリアの顔より下の部分に向けた生徒会長は、再び副会長にしばかれた。

 

「入学したばかりの少女になんて目を向けているんですか」

「いやまあ……そうだな、すまん」

 

 五つ年下というだけならば、十三と十八というだけならばそこまでではあったが、彼は生徒会長である。公爵令嬢をそういう目で見ていい立場ではない。ついでいうと彼もきちんと貴族令息であり婚約者もいる。アウトである。

 ともあれ。そのことについても証人を用意できるのならばしたほうがいいと副会長が述べると、リリアは何とも言えない顔をした。これまでのことを踏まえると、ルシアは駄目でエルも駄目、ラケルは二軒目の嫌疑がかかりかねないので迷惑がかかりそう。となると彼女の出せる選択肢で残っているのは。

 

「グレイくんは毎回いるわけじゃないからその辺の証人にはなりにくいし。……うぅ……」

 

 何でいつも一緒にいないんだ、と理不尽な怒りをグレイに向ける。口にしたらだいぶ誤解されそうなそれだが、勿論リリアなので深い意味は欠片もない。ついでにグレイがちょくちょく集まらない理由は彼女に勝つための訓練をしているからである。徹頭徹尾自業自得であった。

 

「……証人、います」

「だったら最初から言えば――」

「カイル・レオ・アルムグヴィスト第二王子なら、その辺見てたと思います」

 

 むせた。いきなり飛び出た名前が名前なので、生徒会長が思わずゲホゲホと咳き込んでしまう。マジかよ、と彼女の顔を見たが、非常に不服で嫌そうな顔をしているだけで、嘘をついているようには見えなかった。むしろ真偽より表情のほうが気になる。

 どちらにせよ、王国の第二王子の名前を出したからには、冗談でしたでは済まされない。逆に言えば証人としてはこれ以上無いほどの保証だ。出来ることならば今すぐ確認を行いたいが、ぶしつけに呼び出すわけにも。

 

「呼んできます?」

「は?」

 

 そう思っていた生徒会に、リリアがそんな提案をする。今なんつったお前という目で彼女を見たが、変わらず疑うなら呼んでこようかという述べるのみだ。顔は変わらず非常に嫌そうなままであったが。

 

「い、いや、それは不要だ。第二王子が証人だというのならば、後でこちらから確認を取る」

「それだとわたし容疑者のままじゃないですか」

「いや、さっきも言ったが話していて君がそういうことをする人間じゃないのは分かった。これは副会長が言ったように生徒へ説得力を持たせるためだ」

「それならいいんですけど」

 

 いまいち納得しきれていないリリアを見て、生徒会長は溜息を吐く。こういう言い方はしたくないが、と前置きすると、彼女を真っ直ぐに見た。

 そもそも、誤解されるような行動を君が取ってしまったことが原因とも言える。そう述べて、いやそれもちょっと理不尽かなと自分で反省した。

 

「そこですよね……」

「あれ?」

 

 てっきり何か反論が来ると思っていた生徒会長は、思った以上に素直に受け止めて項垂れるリリアを見てちょっと焦った。言い返されたほうが、まあそうだよな、で終わらせられたのでこの展開はむしろまずい。

 

「こればっかりは直せなくて……はぁ、ルシアさんの言葉遣いとかよりよっぽど深刻ですよぉ……」

「……会長、どうするんですか」

「俺ぇ!? いや、まさかこんなマジ凹みされるとは」

 

 副会長に脇腹を殴られる。意外に痛かったそこを擦りながら、あー、だの、うー、だの唸りながら彼は頭をガリガリと掻いた。そうしながら、さっきのは言い過ぎだし実際はそこまでではないから心配するなと謎フォローを開始する。

 

「でも実際投書来てるんですよね?」

「それは、まあ。実際目撃者がそれなりにいたってことだからな」

「そうですよね――って、え?」

 

 ちょい待ち、とリリアが顔を上げる。目撃者が結構いたとはどういうことだ。そう問い掛けると、生徒会長は言葉の通りだと返した。似たような投書が複数存在したからこそ、今回の調査になったのだと続けた。

 

「中庭の端っこと噴水はまあ、百歩譲って分からないこともないんですけど……ギルドで危険な依頼受けてるって情報は何でそんな?」

「ん? ……言われてみればそうだな。副会長」

「件数自体はこれが一番少ないですが、複数の投書があります、そのどれもが、街で偶然目撃した、ということですけど」

 

 よくよく考えれば、街で偶然目撃しただけで何故危険な依頼だと分かったのか。最初と最後に挟まれていたおかげで何となく流してしまっていた。非常に苦い顔を浮かべた副会長は、浅慮でしたとリリアに頭を下げる。

 

「しかしそうなると、一体これはどういうことになるんだ?」

「悪戯、というには随分とたちの悪いものですし」

 

 ターゲットが公爵令嬢、しかもかつて悪評が大きかった人物だ。どうしても何かしらの意図を勘ぐってしまう。観客の生徒会も、何だか厄介ごとの匂いを感じ取り眉を顰めていた。

 一方のリリアであるが。どうやら生徒会長も副会長もそのまま自分の敵になるような感じではないので若干拍子抜けしていた。お約束にきっちりとピースがはまるのはやはりムダ知識のソースの大半であるサブカル系物語くらいなのだろう。あっという間に前世系由来のそれの信頼度を地面に叩きつけ、その状態から投書の方は凄くいい感じに物語の陰謀くさいけどなという反論を食らい慌てて持ち上げる。そうだ忘れてた、というか今の話題の中心それだった。

 順当に考えればターゲットはリリア。そしてその名を汚すのが目的ではないかと推測はできる。出来るのだが、しかし。

 

「……わたしの評判、とっくの昔に酷いことになってますし」

 

 ムダ知識を得てからの生活で別の評判は立ったが、悪評を打ち消したわけではないのだ。だから、今更一つ二つ増えたところでそう大した違いはない。だからそれそのものが目的ではなく、それによって生まれる結果が何かしらに関係してくるはずだ。そこまでを考え、リリアは思い出した。

 ラケルとルシアが、知らないほうがいいと言っていた話を。

 

「ルシアさんのほうが目的? ……でも、ラケルはそっちじゃないって言ってたし」

 

 教国が聖女に不祥事を起こさせようとしている。それの仕込みではないかと一瞬考えたのだが、あの時の二人の会話がこれだったのだと気付き、ラケルが否定していたのも思い出したのだ。

 

「待って。逆なら」

 

 王国の最上位貴族が聖女に無体を働いた。それを大々的に宣伝して教国が王国に決定的なマウントを取ろうとしているのならば。

 これだ、とリリアは手を叩く。ムダ知識も、いい感じに敵が浮かんできたとご満悦の評価だ。初っ端からスケールデカすぎやしないかと思わないでもなかったが、まあ自分のようなツンデレお嬢様チョロインにはそれくらいの規模でないと張り合えないのだろう。そんな無駄な自信を抱きつつ、結論付けたそれを彼女はしっかりと抱え込む。

 

「あの、すいません。わたし、そろそろ戻ってもいいですか?」

「え? ああ、すまなかった。今回の件は生徒会が責任を持って誤解を解いておこう」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 

 ぺこりと頭を下げ、リリアは生徒会室を出る。扉を閉めると、彼女はそのまま出来るだけ早足で目的の場所へと向かった。秘密の場所、というほど隠れてはいないが、あまり人の来ない学院内のカフェテラスの一角。そこへと足を踏み入れると、彼女を出迎えてくれたのはいつものフルメンバーではなく二人のみ。やっと来たんですねお嬢さまと軽い調子で喋るエルと。

 

「……何でよりによって」

「ははは、ごめんね。ラケル嬢とルシア嬢は来ていないよ」

「…………」

「そこまで露骨に嫌そうな顔をされると傷付くな」

「嘘つき。絶対そんなこと思ってないくせに」

 

 先程証人として渋々、本当に渋々名前を出してしまった第二王子、カイルであった。

 

 



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第十四話

どっちかというとこっちが悪役令嬢


「それで、どうしたの?」

「知ってるくせに」

 

 笑顔のカイルを見ながら、リリアは物凄く嫌そうな顔で答える。そんな彼女を見てはははと笑った彼は、結果は知らないからと抜かした。まあつまりどういう状況なのかは承知の上であるということだ。

 

「ラケル嬢やルシア嬢から、君が呼び出しを受けた話は聞いたからね」

「じゃあ別にいいでしょう」

「理由は二人の推測だったし、君がどうなったのかは分からないからね。一応言っておくけれど、これでも心配しているんだよ?」

「どうだか」

「信用ないなぁ」

 

 そう言ってもう一度はははと笑ったカイルは、まあ自分に言いたくないのならばと話を打ち切った。どうせ彼女には話すだろうから。そういう腹積もりらしいその表情を見て、こいつ追い出してから話そうかなとリリアは割と真面目に思い始める。

 

「お嬢さま、顔、ひっどい顔」

「失礼な」

「いやでもしょうがないじゃないですか。公爵令嬢としてアウトな顔してましたよ。いやまあ割と頻繁に令嬢としてアウトなことやってますけど」

「失礼な」

 

 ジロリとエルを睨むと、リリアは小さく溜息を一つ。先程の生徒会とのやり取りもあり、彼女は珍しく一旦気持ちを落ち着けるという方法をとった。

 どのみち、自分ひとりで考えても進めるかは分からないのだから、話しても構わないだろう。そう結論付け、彼女は先程までのやり取りを二人へと語る。自分がルシアを虐めているらしいという噂があり、その真偽を確かめるために呼び出されたのだ、と。

 

「二人の予想の通りだったみたいだね」

「原因とかその他諸々は違うかもしれないですけど。お嬢さま、その辺どうなんです?」

「その辺、とは?」

「それ仕組んだ犯人、誰だったのか」

「……それを相談するために来たんですけど」

「ということは、向こうの話ではその辺りはさっぱりだったのかな?」

「さっぱりというか。一応その噂の出処が怪しいっていう話にはなりましたけど」

 

 中庭や噴水の出来事は傍から見たらそうかもしれない、とならないこともないだろう。だが、ギルドで危険な目に遭わせている、という部分は明らかにこちらを陥れようとしなければ出ないものだ。

 わざわざ依頼を受けたリリアとルシアを追い掛けて、魔物と戦っている姿を確認した上で、リリアだけを器用に視界から外してルシアだけが危険な目に遭っているという認識を持ち、魔物や二人(追加でキース)に気付かれないようにその場を立ち去り生徒会に投書を送る。そんな人物が学院に多数いた場合は話が別ではあるが。

 

「お嬢さまじゃあるまいし」

「失礼な。というかですね、いくらわたしでも流石にそれはないですよ」

「実力と中身が合致しない、という意味ではまあ、リリア嬢はそうだろうけど。でも、リリア嬢は馬鹿だけれど愚者ではないからね」

「そうですね。申し訳ありませんお嬢さま」

「こき下ろすか持ち上げるかどっちかにしてくれません!? あ、いや違う。持ち上げるだけにしてくださいよ!」

 

 そういうところだよな、と二人はどこかほっこりした顔でリリアを見る。こいつら、と彼女の額に十字が浮かんだが、いかんいかんと頭を振った。ぶん殴るのはもう少し話が進んでからだ。

 

「まあどっちにしろ、噂を捏造したのがいるってことですよね」

「恐らくは、そうだろうね。確認出来たとしても、ギルドへと二人が通ったことと依頼を受けたことまでだろうし」

 

 今更だけど、メイドと第二王子が気安く喋っている時点でこいつらも大概だよな。ムダ知識が余計な茶々を入れてきたが、リリアにとっては本当に今更なので軽く脳内で流していく。二人の話を聞きながら、とりあえずその発生源を締め上げれば大丈夫だろうかと一人考えた。

 

「お嬢さま。多分それをやった大元締めないと余計な噂が追加されるだけだと思いますよ」

「え?」

「自分にとって不利な噂を流した、と君が誰かを処罰したら、ああやっぱりノシュテッド公爵令嬢はそういう人物だったのかとなるだろうからね」

「でも、ちゃんと犯人ですよ?」

「本当かどうかなんて関係ないのさ。重要なのは、傍若無人で知られている公爵令嬢が、自分勝手な理由で誰かを踏みにじったという事実だ」

 

 全然事実じゃない、とリリアは反論するが、カイルはどこ吹く風だ。紅茶を飲みながら、言っただろう、と彼は彼女をゆっくりと見る。

 本当かどうかは、関係ない。

 

「本当じゃなかったら事実じゃないじゃないですか」

「そういうのはラケル嬢が詳しい、というか専門だから僕からはあまり話せないけれど。事実と真実は、案外違うんだよ」

「意味が分かりません。事実だったら本当だし、真実でしょう? 嘘だったら違うじゃないですか」

「お嬢さまは素直な人ですからね」

「また馬鹿にして」

「今回のはそういうんじゃないです」

 

 割とガチトーンで返されたので、リリアも思わず黙る。はぁ、と溜息を吐いたエルは、前も言ったような気がしますけどと指を一本立てた。

 基本的にお嬢さまは腹芸に向いていない。はっきりきっぱりそう言うと、同意を求めるようにカイルを見た。うんうん、と頷いた彼は、どこか優しげな笑みを浮かべる。普段の人をからかうことだけの微笑みとは性質が違う、自然な笑みを浮かべる。

 

「僕は、リリア嬢のそういう真っ直ぐで素直なところは結構好きだよ」

「……褒めてます?」

「流石にこれに皮肉やからかいは混じってないさ」

「……じゃあ、ありがとうございます」

 

 若干納得いってないようであったが、リリアは素直にそう返す。そして当然、カイルもエルもそういうところだと笑みを強くさせた。

 ともあれ。彼女はそういう性格なので、先程の会話がどういうものかピンと来なくとも仕方ない。二人はそうリリアに述べて、とりあえず短絡的に犯人を捕まえるのは悪手だと続けた。

 

「じゃあ、どうすればいいんですか? 暫く放置?」

「それも一つの手だけれど。その場合、君の悪い噂が無闇矢鱈に広がる可能性がある」

「別に……今更ですし。わたしは気にしませんけど」

「僕達が気に入らないのさ」

「ですねぇ」

「え?」

 

 ここにはいない面子だってそうだ。ラケルもルシアも、グレイやキースでさえ、そうやって根も葉もない悪評でリリアが悪く言われるのは望まない。二人揃ってそんなことを告げると、彼女を真っ直ぐに見た。あれ、何だかいつもと雰囲気が違う。そんなことを思わずリリアが考えてしまうほどで。

 ひょっとしてメイン回来てるんじゃない? ムダ知識が弾き出した答えを聞いて、成程そういうことなのかと彼女は謎の納得をした。

 

 

 

 

 

 

 所変わって。ご協力ありがとうございましたと頭を下げたラケルは、隣にいるルシアと共にその場を去った。そうして今話していた人物に会話が聞こえない距離まで進むと、何かを考え込むような仕草を取りながら隣の少女へと言葉を紡ぐ。

 

「思ったよりこちらに協力的だったわね」

「です。あたしもぶっちゃけビックリです」

 

 教国の聖女が流石に身一つで来るということはないので、随伴の神官と聖騎士も当然いる。が、基本的に本人の自主性に任せているため、役割としては護衛ではなく手続き上必要な保護者のようなものだ。そういうわけなので、噂通りならば疎まれている聖女のことなど完全放置だと考えていたわけなのだが。

 今回のリリアの冤罪というか誤解というか、それの調査のために話を聞きに行くと、別段嫌がる素振りもなく普通に対応してくれたのだ。親しい、というほどではなかったが、それでも普通である。

 

「あの様子だと、教国側は関与していなさそうね」

「ですねぇ。あたしのこと嫌ってやがったわけじゃねーっぽいでしたし」

「まあ、教国の聖女という肩書の相手を『嫌っていない』レベルの時点で、随分と冷遇されているのは確かでしょうけど」

 

 それでも、積極的に害しはしないだろう。とりあえずはそれだけでも収穫は大きい。ラケルが調べた周囲の状況や噂の答え合わせも出来たので、こちらとしては大分前進出来たはずだ。

 

「とりあえず、教国が王国より優位に立つために公爵令嬢と聖女を利用とした、という線も外してよさそうね」

「教国は関係ねー、でいいんじゃねーですかね」

 

 ルシアの言葉に頷きながら、だとすると、とラケルは顎に手を当てる。今回のそれは聖女だからルシアが被害者枠にされたのではなく、リリアの近くにいた王国の高位貴族ではない人物、ということで選ばれただけに過ぎない。そう過程出来るわけで。

 

「……つまり、犯人はルシアさんを聖女だと認識していない」

「リリアさんに聞きやがってたやつですね」

「ええ。リリアは聖女のことを広めて回っていないし、ルシアさん本人も同じ。そして教国側も積極的に聖女を表に出していない」

 

 先程尋ねたことでそれは証明済み。なので、現状この王国で聖女ルシアーネを知っている人物は限られる。

 

「逆だったら分かりやすかったのだけれど」

「あたしのこと知らねーやつめっちゃいやがりますからね」

 

 前進したのはいいが、思い切り急ブレーキをかけられた気分である。ここはひとまず撤収して、向こうの状況の確認もしてみるべきだろう。そう結論付け、二人はそのまま普段集まっている人気のないカフェテラスの隅のテーブルを目指し歩みを進めた。

 進めながら、ラケルはふと足を止める。どうしやがりましたか、とルシアが尋ねたが、彼女は答えず、進行方向を切り替えた。何故かあまり人が来ないような校舎裏の道を選んで歩いていく。

 

「ラケルさん?」

「この方が近道だと思ったのよ」

「近道?」

 

 何言ってんだ、とルシアは彼女を見やる。どう考えても遠回りで、真っ直ぐ行くのより倍の時間は掛かるであろう距離だ。ひょっとして王国共通語と教国共通語、あるいは自身の田舎の方言で意味合いが違うのだろうか。そんなことを考えつつ、ラケルの後をついていく。

 そうして暫し歩みを進めると、目の前にあまり真面目ではなさそうな顔ぶれの生徒達が立ち塞がっていた。おや、と首を傾げ隣を見たが、ラケルは笑みを崩さず、目の前の連中を眺めている。

 

「ごきげんよう先輩方。よろしければ、通らせていただいても?」

 

 ペコリとラケルが頭を下げる。そんな彼女を見ていた不良達は、暫しの沈黙の後笑い出した。素直に通すと思っているのか、と嘲るように彼女に告げる。

 

「ええ、勿論」

「は?」

「私はリリア・ノシュテッド公爵令嬢の親友を自負しておりますの。――貴方達に命令をした自称彼女の取り巻きとは違って、ね」

 

 不良達は怪訝な表情を浮かべたが、しかしすぐに鼻で笑う。そんな口だけではなんとでも言えるものに騙されるわけがない、と。

 

「ぶっちゃけ向こうのほうが口だけって感じしやがりますけど」

「何か適当な証拠でも出したのでしょうね。学院で落ちこぼれてしまった愚者は、そんなものでも簡単に信じてしまうのよ」

「ほえー」

「馬鹿にしてんのか!?」

「ええ、勿論。尋ねなければ分からないなんて、自ら証明してしまったわね」

 

 気分を害した不良が叫ぶが、ラケルはしれっとそう返す。ド直球の挑発だ。こっちが大人しくしていれば調子に乗りやがって、とまあ至極当然のように不良共は更に怒りが増していく。

 

「ラケルさんラケルさん」

「どうしたの?」

「ここでこいつらぶちのめして犯人辿るですか?」

「それも一つの手だけれど。向こうの出方によってはリリアが罪を着せられる可能性があるわ」

「え? じゃあどうするです?」

 

 ルシアの疑問に、ラケルはクスリと微笑むだけで返答に代える。そうしながら、制服の胸ポケットから折りたたまれた紙を取り出す。それをひらひらと掲げ、書かれている名前を口にした。

 瞬間、不良の一人の動きが止まる。え、と目を丸くさせ、そして彼女の持っている紙を見て顔を青くさせた。

 

「ええ。これは貴方の冒険者証の保証書。……最近、素行不良者の処罰をどうするかとこちらに話が来ていたの。保証人としても、何か大きな問題を起こす前にと考えたのでしょうね」

「……な、何が目的だ?」

「人聞きが悪いわね。私は何も頼まないわ。そちらが自主的に動いてくれるのならば、ありがたく受け取るだけよ」

「やべーくらい悪役やってやがるです……」

 

 クスクスと笑うラケルを見てルシアが思わず呟く。それが聞こえていたのか、ラケルは彼女の方を見て笑顔を強めた。

 そうしながら、追加でもう一枚、紙を取り出す。書かれている名前は違うが、書類自体は同じものだ。別の不良がげぇ、と叫んだ。

 

「私も、辺境伯の誇りである冒険者ギルドに泥を塗りたくはないわ。だからその辺りはきちんとしておきたいの」

 

 どうぞ、と不良二人が道を開ける。残っていた不良も仲間の進退が掛かっているのを覚ったのか、渋々道を開けていた。ありがとうございます、とラケルはそこを悠々と通り過ぎる。ルシアも若干引きながら彼女の後を追いかけた。

 

「ら、ラケルさん?」

「どうしたの?」

「あれ、よかったです?」

「ええ、勿論。彼らの顔を覚えるのが目的だったもの。これで新しい調査対象が増えたわ」

「……お、おう?」

「ちなみに、この書類なら魔術で作った偽物よ。言ったでしょう? 適当な証拠でも信じてしまうような愚者だって。……そもそも、私がこんな脅しのような要求でギルドの保証書をどうこうするわけがないのに」

「脅しって言いやがったですよ……」

「あら、ごめんあそばせ」

 

 クスクスと笑うラケルを見ながら、ルシアは思う。リリアと正反対だけれど、だからこそ親友をやっているのだろうな、と。

 なお。後日、やけにビクビクとしている不良が生徒達に目撃されるのだが、あまり関係ない話だろう。

 

 



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第十五話

ラブ、コメ……?


「そういうわけなので、情報源は増えましたわ」

「成程。それは幸先が良いね」

「当たり前のように流してやがるですよコイツ……」

 

 合流したラケルはカイルに事の次第を説明していたのだが、当然というかなんというか、彼は驚くこと無く流した。というか、ジト目でツッコミを入れるのがルシアだけな時点で既に手遅れ感がある。

 

「いや、それは誤解だよルシアーネ嬢。僕だって驚いていないわけじゃない。でも、それよりも彼女の手腕を称賛しただけだよ。僕は性格は悪いけれど、彼女のように裏の根回しや悪巧みには長けていないからね」

「ふふっ。褒め言葉として受け取っておきますわ、一応」

「いや思い切り罵倒でしたよ」

 

 流すラケルとそこにはツッコミを入れるリリア。そんな面子を見ながら、そういうものなんですねと流すようにしたルシアもある意味大概である。勿論、そのやり取りを見て笑いを堪えているエルも相当に大概であるが。

 ともあれ。こちらの話は終わったと述べたラケルは、そちらの状況はどうなのかと問い掛けた。カイルは彼女のその言葉を聞いて暫し考え込み、どうしようかと視線を横のリリアに向ける。こちらで説明してもいいのだけれどと続けたが、リリアは当然のように拒否をした。こいつに任せたら有る事無い事増やされる。そういう考えである。

 

「そう。じゃあリリア。申し訳ないけれど、私達にも説明してもらえるかしら」

「勿論です。でも、まあ大体ラケルの言った通りになったんですけれど」

 

 そう前置きして、リリアは語る。生徒会にて自身がルシアを虐めているという噂が立っているので真偽を確かめるために呼ばれたのだと述べる。

 それをふむふむと聞いていたラケルは、ちらりとルシアを見た。難しい顔をして何かを考え込んでいるが、それ自体に憤っているようには見えない。予想の範囲内ではあったからだろうか。そんなことを思いはしたが、しかし彼女の性格上それでも心外だと言いそうであったのだがと続けて思う。

 

「とりあえず、リリアさんの言い分を向こうは聞きやがったのです?」

「そうですね。生徒会も所詮は噂で本当じゃないって考えてくれたみたいですけど」

「なら、いいですけど」

「……ルシアさん。一応言っておくけれど、生徒会に乗り込むのは無しよ」

「流石に乗り込むことはしねーですよ」

 

 状況が変わっていないのならば抗議ぐらいはしたかもしれないが。そんなことを続けながら、ルシアは頬を掻く。ここは流石に勢いだけで行動するとマズいと分かっているのだろう。感情を表に出すし思ったことはすぐ口にするが、その実根底はしっかりとしている辺り、成程教国が好みでなくとも聖女として置いているだけはあるとカイルも小さく口角を上げる。

 

「そういう部分はリリア嬢も見習って欲しいところだね」

「どういう意味ですか」

「そのままの意味だよ」

「喧嘩を売ってますよね?」

「ほら、そういうところ」

「このクソ王子っ……!」

「そういうところですよお嬢さま」

「失礼な」

 

 ギロリとカイルとエルを睨み付けながら、しかしリリアはふうと息を吐く。ここでこれ以上逆上したら思う壺だ。それを差っ引いても、ついさっき生徒会で見出した反省点をやっぱりそうだと再確認しかねない行動だ。吐いたそれを盛大な溜息に変化させながら、彼女はとりあえず話の続きを促すことにした。

 

「でもそうなると、あたしの出番はねー感じですかね」

「そうね。現状、ルシアさんが表立って行動する必要はないかしら」

「まあ、生徒会の最初の雰囲気からして、そういうの逆効果になりそうでしたしね」

 

 向かう前に二人が言っていたやつだろう。そんなことを思いながら呟いたリリアのそれに、ラケルはいいえと首を横に振る。あの時はまだはっきりと分かっていない状態の話であったが、確認をとった今は少し毛色が違う。そう続けると、彼女は指を一本立てる。

 

「少なくとも、今回の件は教国は関与していない」

「ああ、ルシアーネ嬢の随伴者達から聞いたんだったね」

「ええ。まあ、あわよくばという算段を持っていないとは言えないでしょうけれど、それはあくまでこの件を利用しようとしているだけ」

「あ、だからわたしの名前を出して評判落とそうとしている人達が出てきてるんですね」

 

 先程の不良をそそのかした連中のことだ。合流する前にカイル達が言っていたことがそのまま実行されていたことに若干の驚きを持ったが、まあそういうものだろうと辺に納得している自分もいる。ムダ知識でいうところの、お約束だ。メイン回だしまあ当然だろうという謎の自信もあった。

 

「まずは大元まで辿りましょう。追求するのはそれからね」

「でもそれだと、時間掛かったらマズいじゃねーです?」

「ええ、勿論。だから、並行してルシアさんにも動いてもらうわ」

「え? ラケルはさっきルシアさんが行動する必要はないって」

「表立っては、よ。つまり」

 

 ほんのちょっぴり、暗躍してもらおうかしら。そう言って笑うラケルは何とも可愛らしかったが、しかしどうしようもなく黒いように思えて。

 

「ああいう腹芸は敵わないなぁ」

 

 どこか面白そうに、カイルはそんな彼女を見てクツクツと笑った。

 

 

 

 

 

 

 それからのことである。学院での授業も一段落、昼休みとなったそのタイミングで、リリアは隣の席のルシアとお昼を食べようと声を掛けた。が、彼女はその誘いに困ったように微笑むとごめんなさいと謝罪をする。

 

「……そうですか」

「はい」

 

 言葉少なくそんなやり取りをすると、ルシアは一人で講義室を後にする。そんな彼女の背中を眺め、リリアは小さく溜息を吐いた。

 これで彼女はぼっちである。一人寂しく昼食が確定した瞬間である。ちなみにこれで三日目だ。

 

「購買で何か買ってこようかな……」

 

 ゆっくりと立ち上がると、リリアも講義室から出ようとする。その途中に、何やらヒソヒソと交わされている会話が耳に入った。避けられている、というよりも、逃げられている。公爵令嬢から、留学生で平民の少女が逃げている。はっきりと形になっていないそれではあるが、しかし確実に、ジワジワと広がっているようにも思えた。

 やはり噂は本当だったのか、と囁かれるようになるのも時間の問題。そんなことを考えてしまう程度には、着実に進んでいるようで。

 

「……本当に進んでいるんでしょうか」

 

 購買で買ったパンを食べながら、リリアはひとり考える。先程はそういう風潮になっていると考えたものの、実際入学から同じクラスにいた生徒達は「喧嘩でもしたのだろうか」程度に考えているきらいがある。講義によって違うクラスの生徒が混ざるので、そういう場合は想定通りだが。

 

「一段落したら、もう少しクラスメイトと交流したほうがいいかもしれないですね」

 

 あむ、と残ったパンを口に突っ込む。ついでに買った簡易水筒の飲み物をそのままがぶ飲みし、ぷはぁと息を吐いた。間違いなく公爵令嬢ではない。

 

「……お前はもう少し慎みをだな」

「あ、グレイくん」

 

 そんな彼女の眼前に影。ん、と顔を上げると、どこか呆れたようにグレイが立っていた。口振りからすると、先程のリリアの食事風景を見ていたらしい。

 

「別にいいじゃないですか。こんな場所で御飯食べる貴族子女はそうそういませんし」

 

 中庭の端っこである。以前リリアがルシアと組手を行った場所でもあり、人が来ることは殆どない。きちんと人の目がある場所では、流石のリリアももう少しきちんと貴族令嬢の振る舞いをするのだ。

 問題は気を許している相手だけの場ではあまりやらないことだが。そういうわけでグレイは貴族令嬢らしくしているリリアを見ることが最近は殆どない。

 やれやれ、と肩を竦めたグレイは、そのまま彼女の座っているベンチに腰掛ける。同じように購買で買ったらしいパンを袋から取り出すと、同じようにかぶりついた。

 

「あれ? グレイくんもここでお昼ですか?」

「……ああ。少し気になることがあったからな」

 

 口のパンを飲み込んでから彼は言葉を紡ぐ。視線を隣のリリアに向けると、それでどうなのだと問い掛けた。なんのこっちゃ、と首を傾げる。などということはせず、リリアは彼のその質問に、どうなんでしょうと苦笑で返す。大して変わらない気がしないでもない。

 

「正直なところ。釣り上げる前にわたしが干からびそうです」

「……そうか」

 

 どことなくシオシオしているリリアを見て、グレイは何とも言えない顔をする。こいつこの見た目で案外寂しがりやだからな。微妙に失礼なことを思いながら、彼女のツインテールとそれを結んだリボンを眺め。

 

「いや、見た目通りか」

「なんですか?」

「こちらの話だ」

 

 ウサギ、と呟きそうになったのを飲み込んだ。そうしながら、彼はこの中庭の端を改めて見渡す。先程も彼女自身が言っていたように、昼食どころかここにやってくる物好きもそうそういない。

 

「そもそもだ。釣り上げられないのは、こんな場所にいるからではないのか?」

「一人で食堂とか寂しいじゃないですか」

「……作戦失敗だな」

 

 はぁ、とグレイが溜息を吐く。そんな彼を見て、リリアは馬鹿にしやがったなと立ち上がった。が、彼は彼女に視線を向けると、仕方ないだろうと再度溜息を吐く始末。

 それを見て、リリアも勢いが削がれた。分かってますよ、とどこかふてくされたようにベンチに座り直す。

 

「大体ですね。わたし、そういう演技とか向いてないんですよ」

「だろうな」

「はっきり肯定されるとそれはそれでカチンと来ますけど。でもまあ、そうなんですよね」

 

 ううむ、と腕組みをして首を捻る。ルシアが避けている、逃げている。噂が真実であると補強するようなその出来事が広がれば、次の一歩だと件の犯人はノシュテッド公爵令嬢を本当に悪役の代表に仕立て上げんと接触してくるだろう。そういう算段で立てられた一連の流れであるが、それを成功させるには接触される人物がその手の腹芸を身に着けていることが大前提となる。つまり、適正がないリリアではそもそも土台無理なのだ。

 当然そんなことはラケルもカイルも、エルやルシアですら分かっているはずなのだが。しかしこの作戦に意義を申し立てられることはなかった。リリアなら大丈夫、と言われたのだ。

 

「わたしは案外そういう才能があって、これを機に開花する、ということも考えたんですけど」

「あまり言いたくないが……お前にはないぞ、その才能」

「分かってますよ! だからその憐れむような顔やめてくれません!?」

 

 こんちくしょう、と地団駄を踏んだリリアは、その拍子にヒラヒラしたスカートとちょっとたゆんとした胸部を見て慌てて目を逸らしたグレイを気にすることなく、先程よりも更にふてくされた表情で前を見た。だから、と言葉を続けた。

 

「多分わたしには教えていない何かがあって、それから遠ざけるためにさせられているんじゃないか。そう思うんです」

「当事者じゃないから、拗ねているのか」

「違いますよ! 何なんですかさっきから! グレイくんわたしのこと子供だと思ってません!?」

「え? いや、そんなことはないぞ」

 

 少なくとも見た目は。続けようとした言葉を全力で飲み込んだ。同い年の貴族令嬢と比べても平均以上に成長している割に中身がそこまで変わっていないので、彼としては時々非常に反応に困ることがある。が、それを馬鹿正直に言うと間違いなく拳が飛んでくるので自重するのだ。ついでにムッツリスケベの称号を得てしまうことも懸念している。

 ちなみにラケルもカイルも知っていて黙っている。エルも察している。

 

「それよりも、だ。だったら何なんだ?」

「え?」

「拗ねているわけではないなら、何なのか」

「……拗ねてませんよ」

「……そうか」

 

 拗ねているんだな。うんうん、と頷いたグレイに、だから違うんですってばとリリアは再度食って掛かる。ぐいぐい詰め寄ってくる彼女を押し戻しながら、だったら何なんだと彼は再度問い掛けた。だから拗ねてないんですってば、と叫ぶリリアを見て、ああこれ意固地になってるなとグレイはどこか諦めた目を向ける。何だかんだ七年ほどの付き合いになるのだ、そういうところは何となく分かる。

 

「拗ねてないもん……」

「そうだな。……その様子だと、自分でも分からないといったところか」

「むう……」

 

 図星だったのか、ふてくされたまま唇を尖らせたリリアはそっぽを向く。そんな彼女を見ながら、グレイはつい可笑しくて笑ってしまった。これは自分の勝ちだな、と心中で呟いた。直接口にすると今度は物理的に戦う羽目になるので言わない。流石に昼休みの時間でぶっ倒れるまで勝負する気はないのだ。

 

「ところで、リリア嬢」

「なんですか?」

「ここで俺も何も知らされていないと言ったら、どうする?」

「へ?」

 

 ば、と振り向いたリリアは、どこかしてやったりとなっている彼の表情を見て、ぽかんと間抜けな顔をする。そのまま目をパチクリとさせると、次の瞬間気の毒な人を見るような表情へと変化した。

 

「そうなんですか。グレイくんも、なんですね」

「待て待て待て。勝手に一人で結論を出すな。同類を憐れむようなその顔をやめろ」

「でも、何も知らないんですよね?」

「俺の出番は現状ないからな。詳細は聞いていない」

「じゃあ……あれ? 詳細は?」

 

 ぱぁ、と明るくなったリリアの表情がそこで固まる。何も聞いていない、という問い掛けの答えが、詳細は知らない。これは肯定というよりも、むしろ。

 

「……何を知っているんですか?」

「胸ぐらを掴むのやめろ。ちかい」

 

 再度詰め寄るリリアを押し戻し、グレイは疲れたように息を吐く。だからそういうところが反応に困るのだ。そんなことを思いながら、別に大したことは知らないと述べた。精々、先程の呟きを肯定してやることくらいしか出来ない、と続けた。

 

「さっきの呟き?」

「お前が拗ねていた原因だ」

「だから拗ねてなんか――はえ?」

 

 再度目をパチクリとさせたリリアが自身の言葉を思い出そうとするその仕草を見ながら、グレイはやれやれと息を吐く。こういう役割を自分一人に押し付けるのは正直どうかと思う。決して口には出さずに、彼は某辺境伯令嬢と某王国第二王子、ついでに某公爵令嬢専属メイドに向かって文句をぶちまけた。

 だって好きでしょ、リリアのこと。三人が凄くいい笑顔でサムズアップしている幻影が浮かんだので、違うそうじゃないとグレイは全力で否定をした。

 

 



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第十六話

思いつくまま勢いで書くため間が空きました。


「……はぁ」

 

 グレイから聞いた話でリリアの気持ちが軽くなるかと言えば、勿論そんなことはないわけで。お前は何かから遠ざけられているのだと判明して納得するのならばそもそも彼女はこんな立ち位置になっていない。

 

「そもそも。これわたしストーリーに関係ない人になってませんか……?」

 

 ストーリーってなんじゃい、と言ってくれる人もいないので、現在の彼女はムダ知識をベースにぼやきまくりである。ほんの少し前まで今回は自分がメイン回なのだとか抜かしていた前世系ムダ知識は、あっさりと手のひらを返してお前はモブなんだよと結論付けてきた。これが己の脳内ではなく周囲を飛び交うタイプであったり、あるいは自分とは異なる意識を持っていたりするタイプだったのならば遠慮なくシバいたのだが、いかんせんリリアの知識でしかない。その知識によると前世の記憶に塗り潰される系の物語も多々あるらしいので、そういう意味では彼女は助かったともいえるのだが。

 リリア・ノシュテッドがそんな殊勝なことを考えるはずもなし。

 

「どうやったらこの脳内知識ぶん殴れるんでしょうか……」

 

 結局こうなる。そのうち記憶が飛ぶまで己の頭を殴りかねない物騒な思考をし始めたリリアであったが、廊下を歩き人も増えてきたのでそれを引っ込めた。いけないけない、と気合を入れるように頭を振った彼女は、表面上は何もなかったかのように振る舞う。

 本人基準で、である。すれ違う生徒達は、何だかあの子落ち込んでるな、とか、何か思いつめていそう、とか。そういう感想を抱いていた。

 

「ん?」

 

 そんな悩んでいるのバレバレ令嬢は、しかし向こうが騒がしいと立ち止まった。己の進行方向だ、このまま行けばその騒がしさとぶつかるだろう。厄介事に巻き込まれる可能性もあるので、出来れば避けて通るのが賢い。

 当然リリアは賢くないので、構わず進んだ。様子を見るだけ、とかそういうレベルではなく、遠慮なく突っ込んでいった。誤解のなきように言うが、賢くないというのは知識が足りないとか頭の回転が遅いとかそういう意味ではない。むしろ彼女は知識は豊富であるし頭の回転は早い方だ。

 それでもその評価なのは察して欲しい。

 

「何があったんですか?」

 

 ノータイムで突っ込んだ。躊躇という単語を知らないのかというレベルで彼女はその騒ぎへと足を踏み入れる。

 その声を聞いた騒ぎの中心部にいた人物は、視線をその場にいた別の相手からリリアに向けた。そうして、見覚えのない顔なので怪訝な表情を浮かべる。何か用だろうか。そう、彼女に尋ねた。

 

「いえ、何か騒がしかったので」

「はあ、そうですか。まあ、そちらには関係ないので」

 

 リリアが声を掛けた相手は、どうやら見る限りそこそこの貴族なのだろう。彼女を一瞥すると、そんなことを告げた。そりゃそうだとムダ知識も同意していたが、当然のことながらリリアがそれで引き下がるわけもない。一応、そうですね、と頷いてはいたが、変わらずその場に立ったままだ。

 

「でも、ここで騒いでいると邪魔なんですよ。どいてくれませんか?」

 

 もう少し歯に衣着せた方が。周囲の野次馬は皆一斉にそう思った。確かにそうなんだけど、と内心頷きながらそう思った。

 言われた相手、男子生徒はその言葉に少し気分を害したようで、顔を顰めながら溜息を吐く。ガリガリと頭を掻きながら、そうは言っても仕方がないだろうと彼女を睨んだ。普通の貴族子女はそんな攻撃的な視線を受けると気が強くとも多少は怯むものなのだが。

 やんのかコラ、とばかりにリリアは睨み返した。不良漫画のメンチ切り合いみたいになってる、というムダ知識の評価に彼女は内心首を傾げつつ、じゃあ理由を教えてもらおうと一歩踏み出す。男子生徒の方が怯んだ。

 

「そ、そこの平民がこちらを馬鹿にしたんだ」

「平民?」

 

 指差した方に視線を向ける。床に座り込んだままの男子生徒と、それに寄り添う女子生徒。向こうと比べるとあまりこの手の服を着慣れていないその様子から、彼の言葉が間違っていないのだろうと推測できた。出来たが、リリアにはその辺りがよく分からず首を傾げる。平民って言う意味あったっけ、と。

 

「まあ、学生なんですからそういうこともあるんじゃないですか?」

「は? 平民が貴族である俺を馬鹿にしたんだぞ」

「ですから、別に喧嘩はよくあることですよ?」

 

 ねぇよ。野次馬が思わずツッコミを入れかけたが、踏み止まった。この魔導学院は一応由緒ある学び舎だ。今でこそある程度門戸を広げているため貴族平民問わず入学しているし、昔ほど厳しくなくなったので素行不良な人物もそこそこ在籍しているものの、本来は貴族子女が通う場所である。流石にそんな場所で喧嘩がよくあることのはずがない。

 

「何を言うかと思えば。これはそんなものじゃない。貴族を侮辱したことに対する罰だ」

 

 そう、貴族と平民の格差を述べる男子生徒を見て、リリアは首を傾げていた。この学院は元々貴族子女の学び舎、旧態依然のそういう考えを持った人物がいても不思議ではない。野次馬もまあそういう類の人ならよくあることだよな、と半ば納得しているところもある。

 だが、リリアはそれがむしろ分からなかった。割と日常的にキースやエルにボロクソ言われているからというのも勿論そうなのだが。

 

「どういうことですか? 気に入らなかったら別に身分とか関係なくぶっ飛ばすでしょう?」

「は?」

 

 そもそもリリアはムカつくと言う理由で第二王子に喧嘩を売る少女である。平民とか貴族とか、そんなものは彼女の中には関係ないのだ。皆等しく気に入らなかったらぶん殴る相手である。

 

「だから、それ喧嘩ですよねってわたしは言ったのですけど」

 

 そして、それで向こうが反撃してくるのも当然織り込み済みなのだ。何がどうなるとこんなのに育つのか。エルに聞いても、ノーラに聞いても、そこは皆一様に口を噤んで視線を逸らす。そうしながら、自分じゃない、と主張するのだ。

 

「それで、この人何をしたんですか? そちらに付き纏いながらしつこく挑発でもしました? 一時間くらい」

「するかっ! そんなことしたら殴られるに決まってるだろ」

 

 座り込んだままの生徒が立ち上がり思わずツッコミを入れた。視線をそこに動かしながら、だから言ったんですけどとリリアは平然と返す。何だこいつ、と平民の男子生徒は若干引いた。

 一方のリリア、おかしいなと首を傾げた。自分がエルにキレた経験から導き出した答えだったのに、何が間違っていたのだろうか。そんなことを思いながらううむと彼女は腕組みをし悩みだす。

 イマジナリーエルが、いやそこまで頭おかしいことやってませんからね、と必死で抗議していたが黙殺された。

 

 

 

 

 

 

「成程」

 

 そういうわけで平民の方の男子生徒から話を聞いたのだが、どうやら余所見をしていてぶつかってしまったらしい。自分からぶつかりにいったわけでもなく、勿論向こうが悪いと思いもしなかったので極々普通に謝罪をしたのだが、どうやらそれが向こうの貴族の男子生徒には気に食わなかったようで。

 

「そんなに腹の立つ謝罪だったんですか?」

「そうだ」

「……それは仕方ないですね」

「待って、ちょっと待って。多分あんたの想像してるのとはぜんぜん違うから!」

 

 ヘラヘラと笑いながら謝っているのにこちらを挑発してくるエルを想像し、自分なら晩飯抜きにするしなぁと納得しかけたリリアへと声が掛かる。ついでにイマジナリーエルも首を横に振っていたが、勿論彼女は知ったことではない。

 ともあれ、男子生徒は彼女に述べた。余所見をしていた、申し訳ない。そんな感じの言葉を告げたのだと説明した。念の為に貴族の生徒の方に向き直ると、特に否定することなくフンと鼻を鳴らしている。

 

「それが失礼だというのだ。平民が貴族とぶつかっておいて、その態度はふざけているとしか言えないだろう?」

「え?」

「ん?」

 

 堂々とそう言いきった貴族生徒に向かって素っ頓狂な声を上げたのは勿論リリアである。そうなの、と言わんばかりに首を傾げ、周囲を見渡し。

 ああそういえば昔の自分はそんなこと思っていたな、と懐かしい気持ちになった。

 

「ごめんなさい。わたしはそこを既に通り過ぎたので共感できません」

「は?」

「貴族だから、平民だからって考えるのもいいんですけど、そういうのをあからさまに態度に出すのもみっともないって思うようになったんです」

「……馬鹿にしているのか?」

「どうしてですか?」

 

 思い切りお前はみっともないよって言ったよ! 野次馬の気持ちはほぼそれであったが、口にはしない。巻き込まれるのは嫌だという感情と、何だか面白いことになってきたかもしれないという紛れもない野次馬根性の混ざりものだ。

 ちなみに皆失念しているが、先程の発言とこれを組み合わせると、彼女は貴族だからとか平民だからとか関係なく気に入らなければ態度に出すしぶっ飛ばす、である。余計にたちが悪い。

 

「そもそもだ! どこの令嬢か知らないが、わざわざこの俺に口出しをすること自体が失礼だとは思わないのか?」

「どうしてですか?」

「ふざけているのか? 俺はこれでも伯爵家の血筋を持っている。それ相応の家柄なのだ」

「はあ」

 

 それがどうした、と言わんばかりのリリアを見て、伯爵家だという貴族の生徒は更に機嫌を悪くさせた。王国での伯爵家は確かにそこそこの爵位であるが、ぶっちゃけピンキリ。あの金欠で昇級試験を受けられなかったノーラですら伯爵家である。なのでただ単に伯爵家というだけではそこまでの威光にならず、彼女の反応はある意味当然ではあるのだ。

 だが問題はそこではなく。

 

「……あれ?」

 

 彼の言葉を思い返し、気付いた。これひょっとして自分の顔知られていないのでは。目を見開いたリリアは、キョロキョロと視線を彷徨わせた後、平民の男子生徒で視線を止めた。ちょっといいですか、と声を掛けた。

 

「わたしのこと知ってます?」

「え? い、いや、知らないけど」

「ごめんなさい、私も」

 

 男子生徒と、その隣にいた女生徒が述べる。その答えに暫し動きを止めていたリリアは、ああそううことかと肩を落とした。そして同時に、どうりでこちらに話が回ってこないわけだと理解した。

 自身がツンデレお嬢様チョロインとしてメインを張るための土台が出来ていなかったのだ、と結論付けたのだ。だからこそラケル達の動きが把握できず、向こうに参加出来ていなかったのだと納得した。

 

「そういうことだったんですね」

「な、何が?」

「おい、一体何の話を」

「あ、ごめんなさい。名乗るのを忘れていたのを思い出したんです」

 

 そう言って伯爵家の生徒に向き直る。何を言っているんだという表情の彼に向かい、リリアはスカートを軽く摘みカーテシーを行った。

 そうしながら、自身の名前と、そして家名を口にする。

 

「リリア・ノシュテッドと申しますわ」

「――は?」

 

 ざわ、と一瞬でその名前が周囲にも広がった。ノシュテッド、それはつまり王国の四大公爵家の一つであり、単純な立場だけでいうならば、この学院では第二王子カイルの次に偉い貴族の子女の一人だ。

 そして同時に、かつての噂で非常に評判の悪い令嬢でもある。我儘を才能と家柄でゴリ押しする傍若無人な悪逆令嬢。成長して多少控えるようにはなったが、傍若無人は変わらないまま。直接交流していない者達の評価は大体そんなもの。

 

「え? あ、え?」

「……よくよく考えたら、これでどうにかなるんですかね?」

 

 ムダ知識が若干の後押しをしたのでやってみたが、彼女としては自分の名前と顔が一致してもらえれば事件に巻き込まれるだろう程度の浅い上に沸いた考えしか持っていない。この先の話であり、今この瞬間どうなるのかは完全に頭から抜け落ちていた。

 そんなタイミングで予鈴がなる。昼休みもそろそろ終わりだと告げるその鐘の音を聞いて、ちょうどいいやとリリアは伯爵家の生徒を見た。先程までの態度を一変させ、彼はビクリと怯えたように肩を跳ね上げる。

 

「もう時間ですから、終わりにしません?」

「は、はい! そうですね」

「……?」

 

 一体どうした、と彼女は首を傾げたが、生徒はそのまま逃げるようにその場を後にしてしまったので疑問は晴れないままである。そりゃあこっちの方が滅茶苦茶偉いが、それでもそこまでか、と思ったのだ。

 まあいいや、と彼女は振り返った。視線の先には、どこか怯えたような平民の男子生徒と女生徒が。

 

「そういうわけなので。喧嘩はこれで終わりということで」

「え? あ、は、はい……」

「何だかさっきと反応違いすぎません?」

「い、いえ……その、公爵家の方ですし」

 

 おっかなびっくりそう述べる男子生徒に、リリアは少々不満げな表情を浮かべた。自分がそういう態度をされるのは別にいい。ついでにいうならば最初の態度のままでも別にいい。彼女はそういうタイプだ。そういうタイプになってしまったから、問題はない。

 

「そう思うのなら、向こうの人にもやったらよかったじゃないですか」

「え?」

 

 彼女がされるのは、問題ないのだ。ただ、そことは違う部分で、リリアは気に入らないように目を細めた。

 

「伯爵家のあの人には普通の態度で、公爵家のわたしにはペコペコする。そんな風なら、それは向こうだって馬鹿にされたって思いますよ。……んー、まあ、あの人の態度はわたしとしては微妙でしたが、それを踏まえてもどっちもどっちですね」

 

 軽い調子でそう言いながら、リリアは細めた目を二人に向ける。忘れてはいけないのは、彼女の目は通常時ならツリ目気味ではあるもののパチリと可愛らしいものだが、細められると途端に人相が悪くなることだ。ましてやそんな状態で見られでもしたら間違いなく睨んでいると判断されるということだ。

 当然平民の生徒二人もそう思った。公爵令嬢が、不機嫌そうにこちらを睨んだと思ってしまった。

 

「も、申し訳ありません!」

「何でわたしに謝るんですか?」

「え、それは、公爵令嬢様を不快にさせてしまったから……」

「いやだからそれやるのなら最初から向こうにもやってくださいよ。余計な時間使っちゃったじゃないですか、もー」

 

 他意はない。リリアにとっては普段の会話である。というかぶっちゃけ何も考えていない。彼女の中では本当に口にした言葉以上の意味もなく、また不快さもない。加えるならば、普段はエルがいるし、そうでなければラケルなりグレイなりカイルなり、そしてルシアなりがいるのでその辺を汲み取って話を続ける。

 だが、今回はリリア一人。そして彼女のことを分かっている人物もここにはいない。

 

「――ひっ」

 

 だから、そのまま踵を返して去っていくリリアを見ても、生徒達は恐怖しか覚えなかった。ザザザ、と野次馬が割れるように彼女の進路を開いていく。

 

「んー。顔を知られるというのは結構重要かもしれませんね」

 

 一人呟きながら教室へと戻るリリアは知らない。呑気に自分のメイン回への展望を考えながら歩いている彼女は知る由もない。

 リリア・ノシュテッドは昔の噂通り、人を人と思わぬ傍若無人の悪逆令嬢である。今回の騒ぎが噂となって広まり、そんな土台が出来かけていることなど、これっぽっちも。

 

 



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第十七話

こいつ、おチートヒロインですわ


「あははははは!」

「笑い事では……いや、まあ、あるかもしれませんが」

 

 楽しそうに笑うカイルを、グレイは少しだけ呆れたように見やる。立場こそ第二王子と公爵令息ではあるが、とある人物関係で付き合いも長い。公的な場以外では口調はともかく態度は大分くだけている。

 だからそんな彼の態度をカイルは咎めることもせず、だってしょうがないじゃないかと笑いながら言葉を返した。

 

「リリア嬢が悪逆令嬢か……うん、丁度いい具合に纏まってくれたね」

「生憎と、俺は詳細を知らされていないので同意できません」

「ああ、そうだったね。ふむ……どうしようか」

 

 ちらりと二人の背後で佇むメイドを見る。長い髪を首辺りで二つにまとめているそのメイドは、まあ別にいいんじゃないですかと軽い調子でカイルに述べた。じゃあ遠慮なく、と彼はグレイにぼかしていた部分を、ラケルやルシアと共有していた話を伝える。当然というかなんというか、彼の返事は溜息であった。

 

「それは上手くいくんですか?」

「上手く行かせるのさ。そのためにリリア嬢には伏せてあるし、グレイにも最初は話さなかった」

「……彼女と同レベル扱いは少々思うところがありますけど」

「あはは。流石に彼女と同じとは思っていないよ。ただ、君は分かりやすくてお人好しだからね。リリア嬢に絆されてうっかり口にしかねなかった」

 

 ぐ、とグレイは押し黙る。カイルの言葉に反論をしたいところであるが、実際この内容を聞いていた状態でしょんぼりとしているリリアと出会ったら、ポロッと言ってしまった可能性は否めない。というか既に自分の持っていた部分は言った後だ。それ込みで与えられた情報なので行動としては正しいのかもしれないが、手の平で踊らされているのを改めて説明されても面白いわけがない。

 

「リリア嬢、完全に遠ざけられていると思っていますよ」

「それは良かった。その状態でこの噂なら狙い通りだよ」

 

 グレイのおかげだね、とカイルに笑顔で言われる。当然追い打ちである。口にはしないが、こいつ本当に性格悪いな、と彼は思った。リリアではないので、決して口にはしないが。

 それで、とカイルは会話の相手をグレイからメイドへと切り替える。何ですかね、とやはり軽い調子で返す彼女に向かい、彼は表情を変えずに言葉を紡いだ。

 

「今回の心当たり、見付かったのかい?」

「そりゃ、まあ。それっぽいのがうろついてるのは発見しましたけどさ」

 

 それっぽい、だけで排除は無理だ。メイド――エルはそう言って肩を竦めた。それはそうだ、と彼女の言葉にカイルも同意する。

 

「ベルフェルスはそこら辺くっそめんどくさがりですからね。後から余計な調査や手続きをするのは絶対無理です」

「そうだね。ベルフェルス様の性格上、もっと大規模に国を揺るがすものでなければ、事が起きるか決定的な証拠を握るかしない限りこちらの行動には異を唱えるだろう」

「そそ。ってわけで、あの野郎が乗り気にならない現状では、そっちに手は出せませんねー」

 

 ならばやはりこの噂が浸透するのを待ってからか。そう続けるカイルを見ながら、グレイは怪訝な表情を浮かべた。というか、なにか不思議なものを見るような顔をした。この二人は一体何の会話をしているのか。それがどうにも理解できなかったのだ。

 ベルフェルス。それはここ王国所属の神獣、風属性の最高峰の名前だ。当然王族も彼を敬うし、彼は王族を対等の友人として接する、王国にとってはもう一つの長とも言える存在。

 だから、本来ならば王族や高位貴族の前で、風の神獣をそんな扱いにするのは決して許されないことのはずなのだが。

 

「……グレイ。残念だけど、君の疑問の答えはまだ教えられないよ」

「それは、いえ、承知しています」

「いや、てかカイル王子。わざと気になるようにここで話しましたよね。分かって乗った私も私ですけど」

「そうだけど?」

 

 この野郎。そう思ったけれどもグレイは勿論口には出さない。が、表情には少し出たらしい。そういうところ似ているよね、とカイルに笑われた。誰に似ているかは言わずもがなである。

 

「大体、そこら辺の話お嬢さまにもしてないんですけどねー、私」

「だ、そうだよ。よかったね、グレイ」

「理解しかねます」

「ははは。まあ、エル嬢。こればかりはベルフェルス様と接する機会が多い王族のアドバンテージだと思って欲しい。ラケル嬢に勝てる数少ない部分だからね」

「へーへー。つっても、ラケルさまもそこら辺察してません?」

「気にはなっているし考察もしているだろうけれど、僕のように答えには辿り着いていないさ」

 

 カイルの言葉に、まあ暫くお嬢さまに黙っといてくれるならどっちでもいいんですけどね、とエルは軽い調子で告げた。ついでに、グレイにも一応念のため、と釘を差した。

 勿論彼は分かっていないが、もし分かってもこれは絶対に言えないなと深く頷いた。それだけ、彼女の目は本気だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 隣の、留学してから初めて出来た友人と距離を取ってから一週間。理由は聞いているし、納得もしてはいるものの、時折死んだ目になるリリアを見ていると正直ものすごく心が痛む。出来ることならば全部ぶっちゃけて作戦を変更させたい。ルシアはそんなことまで考えていた。

 だが、実行には移さない、移せない。それをした場合、状況が厄介になるだろうというのはラケルやカイルの説明で分かっている。それも、厄介になるのは自分ではなく、大事な大事な隣の席の友人だ。多分何だかんだ最終的には何とかしそうではあるが、余計な労力や、ましてや怪我など好き好んでさせたくはない。

 それをするくらいならば、自分がひっかぶるぐらいはなんてことないのだ。

 

「あー……やらかしてきやがったですね」

 

 取り出した教科書はボロボロである。この一週間で学校に広まってきた噂、その結果ともいえるものであった。曰く、留学生の平民ルシアは、第二王子カイルや公爵令息グレイに色目を使っている。学院内では身分の差が緩くなること利用し、見目麗しい高位貴族の男子生徒に取り入っている。

 そして、公爵令嬢リリアはそれが気に入らず、彼女を嫌っている。

 

「ルシアさ――」

 

 立ち上がりかけたリリアが、ルシアの目を見て踏みとどまる。傍から見るとこの光景はどう映っただろう。嫌がらせをしようとした悪逆令嬢を、健気な平民が撃退した姿だろうか。それとも、めげていないその姿を見て、もっと嫌がらせを苛烈にしようと顔を顰める悪役令嬢の姿だろうか。

 

「別にどっちでもいいですけど。解決さえしてくれれば」

 

 ぶへー、とやる気のない溜息を吐いたルシアは、先程のリリアに目で返答したように、心配ないから大丈夫だと笑みを浮かべた。これは向こうの想定通りなのだから、と。

 教科書を持ったまま、そこに魔法陣を浮かび上がらせる。は? とリリアが思わずこちらを見ていたが、だから大丈夫だっつってるですよと言わんばかりに彼女は口角を上げた。

 

「よし」

 

 ボロボロの教科書がピカピカに戻った。隣で目を丸くしているリリアを他所に、ルシアは残りのボロボロにされた教科書や勉強道具も同じ要領で修復していく。嫌がらせの証拠であったそれらは、あっという間に何もなかったことにされた。

 

「ルシアさん」

「どうしやがったですか? 別にこの程度なんてこと」

「何今の?」

「何って、修復呪文じゃねーです?」

 

 距離を取っているように見せていたのをあっさり捨てて、リリアはルシアへと詰め寄った。周りからすれば噂の影響もあり平民留学生に難癖つける公爵令嬢に見えるかもしれない。

 ともあれ、彼女の質問にさらりとルシアが答えたので、聞きたいことはそうじゃないと眉を顰めた。傍から見ると完全にガン飛ばしている状態だ。

 

「……後から叩き込まれたって言ってませんでした?」

「ですよ。でもその辺のは難しいしめんでーしで結局昔から使ってる方法で誤魔化してるですけど」

 

 何かおかしかっただろうかと首を傾げるルシア。そしてリリアはそんな彼女を見て、こいつ何言ってんだという目になった。回復呪文というのは通常は生物のダメージを癒すものであり、魔法で傷を塞いだり欠損部分を補ったりするのが主だ。そうして肉体と馴染ませ完治に至る。だから魔法で補ったところで自然治癒しない物質にそれを施すのは基本的に無駄であり、物資の補給ができない際の一時的な応急処置としてでしか使われない。

 だというのに、目の前の聖女は完全修復しやがったのだ。物質がこれならば、恐らく生物相手は馴染ませるとかそういうレベルじゃなく瞬間全回復になる。ひょっとしたら死にたてホヤホヤならば復活するかもしれない。

 

「これが……メインヒロイン……」

「いきなり何言ってるです?」

 

 脳内のムダ知識がやべーよこいつチートだよとやかましい。やかましいが、しかしほんの少しだけ耳を傾ければ、これは間違いなくメインヒロインの器だという単語が拾えた。成程言い得て妙だ。これほどまでの力を持っているのならば、主人公の横に立っているポジションとしては合格点だろう。調子に乗って主人公に敗れた後コロッと靡くようなチョロインとは格が違う。しかもルシアはいわゆる守ってあげたくなる系の小動物ヒロインだ。見た目だけは。いかにもなツインテールにいかにもなツリ目のツンデレお嬢様チョロインとは比べるべくもない。

 リリアは一人でそんな結論を出しているが、再度述べよう。ルシアが守ってあげたくなる小動物系なのは見た目だけである。中身もそうならばそもそも教科書を鼻歌交じりに修復しないし、この事態を織り込み済みで生活もしない。

 

「負けませんからね!」

「だから何言ってるです?」

 

 傍から見ていると一方的に喧嘩ふっかけて負けた小物令嬢だ。というかルシアから見ても捨て台詞がそれとしか思えなかった。何なら言った本人もちょっと思った。

 状況としては、噂を補強するのに使えなくもないので結果オーライではある。リリアはそんなことを知る由もない。カイルが後でその報告を聞いて嬉しそうにするだけだ。

 

 

 

 

 

 

 事態が急変した。ようで実はしていないかもしれないが、それからリリアがルシアの様子をこっそりと窺うようになった。ある程度二人を見ていたクラスメイトならともかく、それ以外の生徒や噂を鵜呑みにしていた者達は、悪役令嬢が平民留学生に絡んで嫌がらせの隙を狙っているように見えたかもしれない。それくらいリリアの動きは怪しかった。

 そしてそのタイミングを狙ったかのように、ルシアの身に何かしらの嫌がらせが舞い込むのだ。

 トイレに入ったルシアを確認したリリアが、入り口近くの柱の陰に隠れていると、びしょ濡れになった彼女が出てくる。慌てて飛び出したリリアは、あ、でもこれ拭くものがないと動きを止めた。廊下を歩いている他の生徒は、びしょ濡れのルシアとその前で立つリリアを見て何となく事情を察する。どこからかやってきた別の生徒が、それを補強するようにルシアをみっともないだのみじめだのと嘲笑しリリアに媚びるので余計に、だ。

 

「やべーですねこれ」

 

 そんな中、びしょ濡れのまま一人冷静であったルシアは目の前のリリアの目が凶暴さを増していくのを見て思わず呟いた。これ間違いなく周りの連中全員ボコしに行く流れだ。そう判断した彼女は、即座に足元に魔法陣を描く。

 ぶわ、とまるで風が吹き抜けるように足元から頭に光が流れ、彼女の体は元に戻った。制服も髪も肌も全く濡れていない。

 

「は?」

 

 嘲笑っていた生徒が固まる。目をゴシゴシと擦り、視線を彼女からトイレの入り口に戻し。濡れたまま歩いてきた跡が残っているのを確認し、もう一度間抜けな声を上げた。

 ちなみに、リリアも目をパチクリとさせた後、ルシアが濡れたまま歩いてきた跡を確認して間抜けな声を上げた。傍から見ていると取り巻きと同じリアクションをする親玉である。

 

「さ、教室に戻るですよ」

「え、あ、はい」

 

 コクコクと頷くことしか出来ない。そのまま何事もなかったかのように歩いて行くルシアを、ただただ呆然と見送るのだ。リリアだけは我に返ると彼女を追いかけて行ったが。

 

「ルシアさん」

「どうしたです?」

「今のは」

「修復魔法ですよ」

 

 修復魔法ですよって言っとけば何でも流せると思うなよ。そんなツッコミを込めた視線をルシアに向けたが、彼女は素知らぬ顔である。正確には、よく分かっていないので首を傾げている。

 リリアは預かり知らぬことだが、教国の聖女ルシアーネは田舎の村出身の平民でかつ魔族の血の濃さが多く表れていることもあって重宝されていないため、己の凄さがどの程度なのかを正確に伝えられていない。火の神獣ルシフェリアもわざわざ教える気がなかったし、彼女の村はド田舎だったので聖女の凄さが伝わっておらず、その片鱗は村一番の頑張り屋くらいの認識にされていた。

 そのため教国にとっては、魔族だからさっさと失脚させたいけどくそやべー力持ってるので囲い込まないとマズい、状態だったりするわけで。今回の留学の真の目的は、そういう人族至上派の連中の胃がそろそろ限界だったからであり、口調のあれこれは突貫工事だったからという滅茶苦茶情けない理由である。ルシフェリアは承知の上だ。だからこその好きに暴れろ、である。

 

「無自覚系チート……ってメインヒロインとしてはありなんでしょうか……」

「リリアさんって、たまによく分からねーこと呟いてやがりますよね」

 

 ルシアの態度を見て、あ、こいつ分かってないぞと瞬時に察したリリアであったが、いかんせんじゃあどうするかといえばどうも出来ないわけで。前世系ムダ知識のボキャブラリーでカテゴリ分けしたところで、現状何も変わらない。ただただリリアが変な人に見られるだけだし、彼女自身もぶっちゃけよく分かっていない。

 ただ、現状分かることは。このままでは自分は負けヒロインであるということだけだ。絶対認めないが。というかそもそも主人公が不明のままだが。

 

「――うぇ?」

「ルシアさん!?」

 

 そんなことを考えていた矢先。ドン、と何かに押されるようにルシアが階段から落ちていく。隣に立っていたリリアは突然のことに目を見開き、そして次に助けないとと足を踏み出す。鍛えられたその脚部は一足飛びに階段を降りきり、そのまま降ってくる彼女を受け止めるべく手を広げ。

 

「お前が助けたら意味ないだろ……」

「え? グレイくん?」

 

 その途中でグレイがキャッチし着地した。突き飛ばされたルシアを見た生徒達の悲鳴が、華麗に助けた公爵令息への黄色い悲鳴に変わる。ふう、とお姫様抱っこをしたグレイの横で、手を広げたままポツンと佇むリリアは非常にシュールであった。

 

「……やはりこれは、失敗じゃないのか?」

「何ですかその可哀想なものを見る目は」

 

 



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第十八話

お嬢様と脳筋バカを反復横飛びするタイプ


 そういうわけで。そろそろ噂も浸透しただろうと判断したカイルとラケルは、リリアに情報開示を行った。正確には許可を出した。

 

「……何ですかそれ」

「え? まさかお嬢さま本気で察してなかったんですか?」

「エルはわたしのこと何だと思ってるんですか」

 

 ジト目で傍らのメイドを見る。言っても給料減らしませんか? などと非常になめ腐ったことを尋ねてきたので、もういいと彼女は打ち切った。勿論給料は減らす。

 それで、とリリアはエルに述べる。今回の目的が教国のチート聖女型主人公ルシアではなく、自称ツンデレ美少女公爵令嬢リリアであるということは承知した。というかこれまでの流れでそれを承知していないはずがない。その辺をダメイドに語って聞かせながら、彼女は小さく溜息を吐く。

 

「わたしが気になっているのは、目的と犯人の候補のことです」

「多分公爵家に汚名被せて地位を落とそうとしてるってことと、犯人の一味は精霊だってことですか?」

「そこですよ、特に後半」

「まあ前半は予想の範囲内ですしね」

 

 元が傍若無人の我儘令嬢、しかも父親であるノシュテッド公爵が娘を溺愛し容認をしているというその噂は、四大貴族の座を新たに狙うかあるいは三大貴族となって更に力を蓄えるかと野心を抱くには丁度いいきっかけだ。教国が関与していないのならば、王国内の事件ならば。まず間違いなく真っ先に予想してしかるべきもの。

 

「……ねえ、エル」

「どうしました?」

「後半が問題と今言ったけれど。前半部分も少し引っ掛かるんです」

「へー」

 

 エルは気のない返事をする。が、それを聞いたリリアは怒るでも気分を害して話を打ち切るでもなく、そのまま言葉を紡いだ。

 黒幕の目的がそれだとしても、学院での犯人は違う理由でやってはいないか、と。

 

「何でそう思ったんですか?」

「狙いがわたしだったもの。公爵家を落とすのなら、わたし自身は目的じゃなくきっかけにしなければいけない。けど、この騒ぎは最終的にわたしが悪者になるだけで、公爵家はそれほどなんですよ。お父さまがわたしを切り捨てれば被害は少なくなりますし」

「旦那様がお嬢さま切り捨てるわけないじゃないですか」

 

 娘にダダ甘のノシュテッド公爵がリリアを切り捨てる場面があるとしたら、それはもはや公爵が公爵でなくなった時だ。爵位の話ではなく、人格的な意味で。

 そんなエルの反論に、リリアは首を横に振る。子供の頃ならいざしらず、今の状態ならばもし本当に何かやらかしたらきちんと罰する。そう述べて、まあ確かに切り捨てはしないかもしれませんけどと苦笑した。

 

「でも、きちんと罪を罰するということさえ示せば、公爵家そのものには大して傷は付きませんよ。今までだってやらかす大貴族のバカ息子が掃いて捨てるほどいたことも知ってますから」

「……やっぽりなぁ。お嬢さまに言ったら駄目なんですよねぇ。普段何にも考えてないくせにこういう時は普通に頭回るんだもの」

「流れるようにわたしを馬鹿にするのやめてくれません?」

 

 あーあ、とお手上げのポーズをするエルに向かってリリアは再度ジト目を向ける。向けられた方はごめんなさいと素直に謝り、少し困ったように頭を掻いた。というかこれでいいなら最初から伏せとく意味ないじゃん、とぼやいた。

 

「で? お嬢さま、そこら辺全部聞きます?」

「いや、聞きませんけど。その辺わたしが知っていても特にやることなさそうですし」

「ほんと、お嬢さまって、頭の回転をちゃんと有効活用すればあの二人にも負けないと思うんですよね。まあ出来ないでしょうけど」

「ラケルみたいに色々考えるのはわたしには無理ですよ。あとカイル様ほど性格ひねくれるのも無理です」

 

 自分は確かに才能でゴリ押し出来るし、秀才優等生キャラとか天才キャラとかそういうタイプに分類されるとムダ知識も太鼓判を押しているが、しかしそれは周囲の人間より突出して優れているという意味ではないのだ。そうリリアは確信を持って言える。決して勝てない部分が間違いなく一つはある。

 

「だからわたしはわたしでやれることをやります。余計なことをやって皆の足を引っ張るとか絶対やったら駄目なやつですし」

 

 ヒロインの一人がそういうことをやると、よくて賛否両論、最悪大バッシングでそのままフェードアウトだ。ムダ知識による忠告を胸に刻みながら、リリアははっきりとそう述べた。

 そしてそんな彼女をエルは見やる。まあ多分余計なことを考えてはいるだろうけど。そう心中で前置きをしたが、しかしその姿勢は好ましいもので。

 

「だからお嬢さまを気に入ってるんですよねー、私」

「いまいち信用できません」

「ですよねー」

 

 はっはっは、とエルは疑いの目で自身を見るリリアを見ながら、楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 ある意味吹っ切れたというべきだろうか。こうしてそれなりに道筋を確認したリリアは、以前までのモヤモヤを振り払っていた。隣の席のルシアにも無駄に突っかかっていく素振りを見せる。わざとらしさがやべーです、と被害者の方の少女は少々呆れ気味だったが。

 そうしているうちに入学して一ヶ月も過ぎた。授業も座学一辺倒から実践が混じる頃である。魔導学院の名の通り、魔法の知識は基本的なものはほぼ全て叩き込まれ、それらを使用できるように指導される。本来ならば試験を受けなければならない魔道士としてのランクを、下級とはいえ卒業時には必ず手に入れているというのがここで学ぶ強みとも言えるだろう。

 

「では、実践魔法の授業を行います」

 

 ノーラはそう言って演習場に集まっている生徒を眺める。学院は六年制、まだ具体的な道筋が出来ていないであろう一年生のうちは、数クラス合同で実践授業は行われる。

 もちろん最初なので基本の基本から始めていくのだが。いかんせん生徒の大半は入学前の家庭教師などで既に履修済み、真剣に聞いているのはごく一部だ。

 そのごく一部であるリリアは、ノーラの説明と注意をしっかりと聞きながら、今日の授業で行う内容を筋道立てた。座学で学んだ基本属性の魔法を使用すること、それが今日の授業での目的だ。

 

「では、まずは」

 

 ノーラは緊張感のない生徒達を見ながら、あははと頬を掻き苦笑した。まあそうだろうな、と心中で頷いていた。でもしょうがないんです、授業だから。そんなことを思いながら、お手本でも見せてもらおうかと自分の中で一番声の掛けやすい相手の名前を呼ぶ。

 

「リリアさん」

「はい。どうしました?」

 

 え、と生徒達がざわついた。公爵令嬢で、最近の評判は悪逆令嬢とも呼ばれるリリア・ノシュテッドの名前を実に気安く呼んだのだ。何という命知らずだ、と新任の頼りなさげな眼鏡の女性に注目し。そして、再び表情を変えた。ノーラの顔は、何も知らない哀れな新任教師などではなく。

 

「ちょっとお手本見せてもらえますか?」

「分かりました」

 

 あの公爵令嬢を完全に生徒として御している、紛れもない教師の顔だったからだ。文句一つ言わずに、こんなくだらない今更の授業のお手本を素直にやろうとするリリアの姿がそれに拍車をかけていた。

 勿論ノーラはこれまでの関係でいつものノリで話し掛けたに過ぎないし、リリアもそれに応えたに過ぎない。その辺の事情を知らない生徒達の勘違いである。が、一概に勘違いと言ってしまうのも少し違うかもしれない。実際あのリリアと師弟関係を築けているだけでも割と頭がおかしい部類になるからだ。

 

「先生」

「はいはい」

「どのくらいやればいいんですか?」

「え? いつも通りでいいですよ」

 

 それはともあれ。ノーラはリリアの質問に、いつものノリが残っていたのでそう答えてしまった。最初の授業で、ちょっとしたお手本をやってもらって、あとは何となく決められた授業で進める。そういう流れの一環としてやってもらっていることをサクッと忘れていたのだ。

 

「では遠慮なく」

 

 演習場に設置された的に向かい、リリアは呪文を唱える。魔法は魔術と違って知識さえあれば発動が出来る。だが、その魔法の威力自体は術者によっていくらでも変化する。本を見ながら、ただその呪文を文字の羅列としてしか認識していない術者と、理解し噛み砕き、自分の知識の一つとして解釈・吸収している術者では天と地ほども差が出てくるのだ。

 まあつまり何が言いたいかといえば。

 

「相変わらず凄いですねぇ」

「先生の教えの賜物ですよ」

 

 そう言って軽い調子でノーラが褒め、リリアも笑みを浮かべながらそれを受け取る。

 などというやり取りを聞いていた人物が数えるほどしかいないくらい、的にぶつけられた火の呪文に驚愕していた。上級魔法かと見紛うほどの威力の炎が、ごくごく軽い調子の初級の詠唱で放たれたのだ。まだ自身の世界が狭い一年生の生徒達が理解できるはずもなし。ここにラケルなりカイルなりがいれば別だろうが、いかんせん授業での合同クラスに彼ら彼女らのクラスは含まれていなかった。グレイは理解を諦めた側なので除外である。

 

「はい。では皆さん、まずは一通り――あれ?」

 

 生徒達の顔色が悪い。こんな基本の授業で一体何を躊躇しているのだろうかと首を傾げたノーラは、あ、と間抜けな声を上げた。しまった、リリアがいつも通りぶっ放したら駄目だった、とそこでようやく気が付いた。

 そしてリリアはリリアで、ムダ知識が無自覚系だのカマセの前フリだのと煩いので現在の状況をある程度理解した。理解し、まあそれはそれでいいのではないかと結論付けた。

 

「ふっふっふ、凄いでしょうわたし!」

 

 ドヤ顔である。ムダ知識がないわー、とダメ出し判定しているのを脳内の奥に押し込みながら、驚愕している生徒達に向かって思い切り胸を張ったのだ。ちなみに、そのおかげで彼女の年齢にそぐわない豊満な部分が思い切り強調されて一部の生徒は赤面しながら顔を逸らしていた。

 

「リリアさん?」

「え? 駄目でした? 先生の指導で高められた成果を自慢するなら今、って思ってたんですけど」

 

 ざわ、と生徒達がどよめく。どういうことだ、と彼女の言葉が疑問として残り、そして目の前の新任教師が育てたのだという答えに変わり。

 ノーラは突如として急激に上がったハードルに涙目になった。

 

「待って!? 待ってください! リリアさんの才能が九割ですからね! 私の指導とかあの威力の指先の爪くらいの割合でしか貢献してませんからね!?」

「先生、あまり謙遜しすぎると嫌味ですよ」

「リリアさんも煽らないで!? 授業であそこまでにはなりませんから! だから期待の眼差しはやめて!? 普通の! 普通の授業しますから!」

 

 希望という名の砂糖に群がるアリが如く。生徒達はノーラの授業を一字一句逃さず聞くようになった。教師としては嬉しい限りであろうが、その天元突破した期待はまったくもって叶えられないので彼女の胃はキリキリと痛むばかりである。

 ちなみにリリアはムダ知識によるお約束のパターン、力を隠していた伝説級の魔道士が弟子によってその一端をバラされあっという間に好感度爆上がり、を体験できたのでご満悦である。本人が無自覚で困るという追加要素もあったので、成程そっちだったかと彼女は師匠の新たなる一面を知って自身も好感度を上げていた。

 

「えっと、呪文の詠唱が少し遅いですね。その一節はもう少しテンポよくすると弾速が上がりますよ。その部分はよりはっきりと口にしてください。そっちは――」

 

 ちなみに。リリアというスペックお化けの家庭教師をし続けていたせいか、ノーラの基本の指導力は実際とんでもなく高くなっている。教え切った完成形が彼女の中に刻み込まれているので、比較検討がしやすいのだ。

 

「割とリリアさんの言いやがったことも間違っちゃいねーっぽいですね」

「でしょう?」

 

 ルシアのぼやきにリリアが嬉しそうに返す。そんな力を隠した伝説級魔道士の一番弟子の自分も勿論凄い。お約束のようなやられ役のテンプレートをなぞるような思考をしながら、学院の実践授業初日は終わっていく。

 

 

 

 

 

 

「ノシュテッド公爵令嬢。あなたは一体どう思っているのですか?」

「はい?」

 

 勿論そのまま平和に学園生活が進むわけがない。唐突に掛けられた声にリリアが顔を上げると、数人の少年少女がこちらを真っ直ぐに見詰めていた。否、見詰めているというよりは睨んでいるという方が正しいだろう。そんな視線を受けながら、リリアはしかしその視線の意味が分からず首を傾げた。

 その態度が向こうにはこちらを見下しているとでも思ったのか、中心にいた少年はその表情を歪める。やはりそうなのですね、と分かったようなことまで言い出した。

 

「それだから彼女があんな」

「さっきから具体的な部分がないんですけど、何の話をしてるんですか?」

 

 ああもう面倒くさい。そんなことを内心思いながら、リリアは少年の言葉を遮った。別段強い口調で言ったつもりはなかったが、しかし彼はその一言で口を噤んでしまう。いやだから何の話なのか言えよ。そう言えるほど彼女は口も育ちも悪くない。暫しそのまま、相手が何を言ってくれるのかを待った。

 

「……」

「……」

 

 周囲で見ている野次馬は公爵令嬢の圧に負けて喋れないようにしか見えない。なんなら本人もそう思っている。リリアだけが、気にせず次の言葉を待っていた。

 ルシアはそれを横目で見ながら、これどーすりゃいいやつですかね、と一人悩む。リリアに向かってそのつもりはなくても圧掛かってるからと言うのは簡単だが、この状況でそれ言ってもいいものかと考えたのだ。思ったことはすぐに口に出す性格でも、それくらいの空気は読める。

 

「リリアさん」

「何ですか?」

 

 でも行くのがルシアである。このあたりがリリアとウマの合う理由なのだろうが、ともあれ彼女はさっき思ったことをそのまま口に出そうとした。向こうはリリアに怯えている、と。

 

「違う、彼女は関係ない」

「は?」

「これは僕が勝手にやったことで、彼女は関係ないんです」

「はぁ……」

 

 何がですか? とやってきた彼女を見る。さっぱり分かんねーですよ、とルシアは首を横に振った。

 少年は決意の表情でこちらを睨んでいる。一緒にいた数人は、少年ほどではなかったのか今では完全に及び腰であった。勿論話の内容から何からまるで分からないままだ。

 

「ああもう。いいから、何の話をしているのか言ってください。わたし、今の状況を全く理解出来てませんから」

「だからそれは」

「それは?」

「彼女を、ルシアーネさんをこれ以上傷付けるのは、止めてください」

「……あぁ、成程。そういうことですか」

 

 最初の会話の入りと随分捻くれているが、まああの後色々こちらに文句を言いながらそういう結論に持っていくつもりだったのだろう。だったら言い淀んでいないではっきり話を続ければよかったのに。そんなことをついでに思ったリリアは、少しだけ目を細めて眼の前の相手を見る。勝ち気なツリ目が、それによって鋭い眼光へと早変わりした。

 ひっ、と少年の後ろにいた連中が後ずさった。公爵令嬢の、悪逆令嬢リリア・ノシュテッドの怒りを買った。その視線を受けたことでそんな判断をしたのだ。一時の正義感で早まったことをしたものだと己の行動を後悔した。

 その一方で、少年はそれでも逃げ出すことはせず、彼女から視線を逸らさなかった。たとえ自分がどうなろうと、ルシアのために引くわけにはいかない。そんな決意が瞳から見て取れた。

 

「えーっと…………あなたは、彼女が平民なのを知っているんですよね?」

「平民だからという理由で、虐げたのですか? 仮にも公爵令嬢でしょう?」

「仮でもなんでもなく公爵令嬢ですし、虐げたつもりはありません。そっちこそ、仮にも侯爵子息が何なんですか?」

 

 身分を気にしない性格なのだろうということは見て取れるので、まあ悪い人間ではあるまい。そう判断はするものの、いかんせんどうにも思い込みの激しいタイプに見える。ひょっとしたら自分の世界に酔いしれるタイプなのかもしれない。勿論、お嬢さまもその辺大概ですよ、というイマジナリーエルのツッコミは黙殺した。

 それはさておき。大体にしてリリアが直接ルシアに何かする時は普通に宣言して普通に勝負する時だ。悪逆令嬢に媚びを売ろうとする輩がやらかすちょっかいは見逃せとルシアを含んだ皆に言われているので、傍から見ていれば取り巻きに命じて嫌がらせをしているように見えるかもしれないが。

 

「カイル様やラケルに会わせても碌なことにならなさそうですよねぇ……」

 

 多分いいように扱われて捨てられる。結末が容易に想像できたので、リリアは味方にすることを断念した。かませでモブだから多分名前も出ないタイプだ。そうムダ知識がばっさり切り捨てていたのも拍車をかける。

 そう決めれば、後はこの流れをどうするかだ。この手のモブは口で言っても諦めないし何なら余計な場面で余計なことをする可能性もある。そういうあるあるのアドバイスをムダ知識から受け取ったリリアは、ならばやることは一つだと頷いた。

 

「分かりました」

「それは、どういう」

「あなたの言い分を通したいのなら、わたしと勝負して勝ってください」

「え?」

 

 席から立ち上がる。腕組みし、仁王立ちしたリリアは、それによってむにゅりと胸部を強調させながらキメ顔でそんなことをのたまった。間違いない解法であると確信しているかのようなドヤ顔でそう言い切った。

 

「リリアさんって、何で肝心な部分ですっげーバカになりやがるんです……?」

 

 不正解でもないのがまた。そんなことを思いながら、当事者のはずが完全に野次馬ポジションのルシアがぼやく。

 とりあえず他の人に報告はしておこう。とそのまま即座に次の行動を開始した。

 

 



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第十九話

シリアスとは無縁系


 一人の少年が頭を抱えている。その横では、銀髪の少女がクスクスと微笑み、薄い茶髪の少年が突っ伏して肩を震わせていた。

 そんな三人を見ながら、その状況を作った張本人であるリリアは不機嫌そうに頬を膨らませていた。誠に遺憾であるとその表情が述べているが、横のルシアは妥当ですよと苦笑している。

 

「なあ、リリア嬢」

「なんですか」

「お前は馬鹿なのか?」

「なんでですか!?」

「いやこの状況でその反応できるお嬢様こそなんでなんですか」

 

 グレイの問い掛けに何だとコラと返したリリアは、エルの呆れたような声でぐぐぬと唸る。言ってはみたものの、一応薄々と感じてはいたらしい。耐えきれなくなったのか、突っ伏していたカイルが吹いた。

 

「バカイル様、笑いすぎです」

「ぷっふふふふ、いや、だって、はははは、しょうがない、ふふふ、じゃないか」

「ぶん殴ろうかなぁ……」

「お嬢さま、ステイ」

 

 普段は一緒になって煽る立場のエルが止める。どうやらリリアの表情がマジものだったので、これ以上はマズいと判断したようだ。カイルはその辺りブレーキが若干壊れているきらいがあるので、こういう時は役に立たない。

 

「ふふ。それでリリア、その侯爵令息はどうなったの?」

「どうもこうも。ぶっ飛ばしたらそれで終わりですよ。突っかかっても来なくなって、わたしを見たら逃げるようになりました」

「あらあら。御大層な信念を持っていたはずなのに、結局折れてしまったの? 最初の眼光で怯んだ人達と大差ない、いえ、それ以下ね」

 

 カップの紅茶に口を付け、ラケルはリリアにボコされた少年をそう評する。そもそもがリリアの提案はあの流れからすれば実に唐突で言ってしまえば馬鹿らしいものだ。いくら公爵令嬢が述べたものだとしても、素直に頷く道理はない。無理矢理その土俵に上げたのだとしたら、非難されるべきはリリアだ。

 が、侯爵令息の少年はその提案に乗った。自分の力を過大評価していたのか、あるいは取り巻きを使って嫌がらせをするような公爵令嬢だと思い込んでいたものが、タイマンで真正面からぶん殴ってくる脳筋だったなどと考えもしなかったのか。どちらにせよ、ラケルにとっては評価に値しない。使える駒ですらないレベルだ。

 

「ん? いや待った」

「どうしたんですか? グレイくん」

「その生徒はクラスメイトだったのか?」

「え? 違いますよ。クラスメイトはわたしとルシアさんのやり取りのこと、そこまで深く考えていないですし」

「それはそれでいいのか? これまでの作戦に支障とか」

「ラケルが大丈夫って思っているなら大丈夫です」

 

 あっけらかんと言い放つ。彼はそんな彼女の言葉を聞き、はぁ、と小さく溜息を吐いた。傍から聞けば何も考えていない発言であるし、グレイも少しはそう思う。が、それ以上にラケルに、親友に対する信頼から出た言葉だということも理解したので、そこはもう何も言うまいと諦めた。

 それはそれとして、である。彼の本来の質問はそれではない。

 

「全く関係のない生徒、でいいのか? 魔法学の実技の合同にも重なっていない」

「……どうなんでしょう。流石にそこまではわたしは分かりませんね」

 

 ならば、とルシアを見るが、知らねーですと即答された。そんな彼を見て、ラケルが問う。何か気になることがあったのか、と。

 わざわざ聞かずとも分かっているだろうに。そんな表情を浮かべたグレイは、彼女へと向き直ると口を開いた。その相手は、リリアの実力を知らなかったのだろうか。回りくどいことを言わず、簡潔にそのことだけを問い掛けた。

 

「勿論、知らないからリリアの提案を受けたんでしょう? 逆に聞きたいのだけれど、貴方は何を気にしているのかしら?」

「……実技の授業でリリア嬢がやらかしたのは俺の耳にも入ってきた。知らないはずがないと思うのだが」

「ええ。『リリアのことを知っている』私達はそう判断するでしょうね」

「は?」

 

 クスクスと笑うラケルを見ながら、グレイが怪訝な表情を浮かべる。リリアを知っているかいないかで、魔法の実技で初級呪文をとんでもない威力でぶっ放した事実がどう変わるのだ。理解できないと首を傾げる彼の横で、グレイは素直な性格だからね、とカイルが笑っていた。

 

「どういうことですか?」

「どうも何も、君が最初にリリア嬢と戦った時の反応と同じだよ。彼女のことを知らない人達は、その一件だけでは実力者と判断しないのさ。何より伝聞の、噂だからね。話半分に聞いている者も多い」

「その後、ノーラ先生の指導が的確であったことも合わせて、『公爵令嬢が強力な魔法を放った』というよりも、『素晴らしい実力を持った指導者が現れた』という話の方を大抵の生徒達は重視していたわ」

 

 なので、実際に見ていない侯爵令息などは、リリアの実力を完全に誤解していたというわけだ。彼女の噂で大きいのは取り巻きを使って平民の留学生を虐めているという方だ。魔法の実力も、他人の手柄を自分の手柄のように宣伝していると思われても不思議ではないのだろう。ある意味、彼ら彼女らの作戦が成功した結果とも言える。

 

「だから、私としてはむしろ好都合なの」

「え? じゃあ何でカイル様は笑っているんですか?」

「いやまさか本当にそんなことをやらかすとは思ってなくて」

「……バカイル……」

 

 心底楽しそうに微笑むカイルを見て、リリアはぐぬぬと非常に悔しそうな顔をしながら、しかし何も言えずに唸るのみであった。

 

 

 

 

 

 

 若干不機嫌そうにノシノシと廊下を歩くその姿は、間違いなく公爵令嬢としてどうなのだとツッコミが入ること受け合いなのだが、いかんせんそれが出来るのは学院でも限られた者のみだ。

 

「いくらなんでもその歩き方はないでしょ」

「うぐ」

 

 勿論隣を歩くエルはその限られた者に該当するので遠慮なく言い放った。リリアもリリアで言われて気付いたのか、ピタリと動きを止めるとそそくさと歩き方をおしとやかなものに変えた。まあ今更何やろうと手遅れですけどね、というエルの追撃には睨みを返していたが。

 

「それにしても、エル」

「なんです?」

「あの話、やっぱり細かいところは内緒にしていますよね?」

「ん? 内緒っていうか、わざわざ言わなかったとかそういう感じだと思いますけどね」

 

 別に信用されていないとか、伝えないほうが進行がスムーズになるとか、そういう考えがあるわけではない。そんなようなことを隣で述べながら人差し指を立てたエルは、それをくるくる回しながら口角を上げた。回した指をリリアに向けると、だから気にすることはないですよと笑った。

 

「どっちみちお嬢さま、確かこないだそういう詳しいことは聞く必要がないって言ってたじゃないですか」

「あの時はそうでしたけれど。これで状況に変化なし、は流石に気になるんですよ」

 

 ラケルとカイルによって作られた噂は、留学生の平民の少女をとある公爵令嬢が敵視しているというものだ。それを骨子にして、やれ公爵令嬢は取り巻きを使って虐めているだの、令嬢の想い人が少女を好いているから八つ当たりをしているだの、令嬢は取り巻きを使って自分の手柄も捏造しているだの、癇癪持ちの我儘で侍従もすぐに辞めていくかボロボロになるかの二択であるだの、悪役令嬢の評判はボロクソである。

 そんな中、噂の該当者とされているリリアが、腕にある程度自信があったであろう侯爵令息をタイマンでボコしてしまったことは、少なからず影響を及ぼしてもおかしくはないと思われるのだが。先程の二人の口ぶりだとそんなことはなく、むしろいい方向に進んでいるかのようで。

 

「噂の悪役? 令嬢だとかいうのにわたし該当しなくなりません?」

 

 まあそもそも自分はツンデレヒロインなので該当しなくて当たり前なのだが。口には出さず頭の沸いたことを考えながら、リリアはそう言ってエルの答えを待った。何だかんだこのメイドは、自分が学院生活をしている間、今回の悪巧みの仕掛けを色々と担当しているはずなのだ。

 知らないはずがないだろうといわんばかりの彼女の表情に、エルはやれやれと肩を竦めた。いやまあそりゃ知ってますけどね。そう呟くと、何から話したもんかと顎に手を当てる。以前のリリアの言によれば、彼女が知りたいのは真相や答えではなく、知っておいた方がいい情報だ。だからここでエルが追加情報は必要ないと言ってしまえば、多少は訝しんでも最終的には頷いてくれる。

 

「まあ、それが狙いだと思いますよ」

 

 だからエルは考えて、必要ない情報――今回の真相を放り投げて現状を伝える。結果がまだ未確定の真相や答えは不要と捨てる。

 

「ルシアさんを虐めてるのがお嬢さま、っていうのが噂の中心だったんですけど、今回のでそれにくっついてたあれやこれの噂に信憑性なくなってきたんですよね。それらが嘘だった場合、中心の噂はどうなるか」

「それも嘘なのか、と思うってこと? それよりは噂の中に嘘が混じっていると思うほうが多いんじゃ」

 

 足を止める。自身の目的地は学生寮、自室へと戻る途中だ。話が長くなっていたので学舎からもいつの間にか出ていたリリアは、彼女達から離れたベンチで何やら話をしている二人組みを見付けたのだ。ただそれだけならば別段気にすることではなかったのだが、そこにいた相手が問題である。

 片方が、今も先程も話題に出ていた、噂を大して調査もせず真に受け正義感でリリアに口を出した挙げ句ボコされた侯爵令息だ。

 

「どうしたんですかお嬢さま? ……んん?」

 

 向こうに気付かれないように視界から隠れたリリアに、エルが怪訝な表情を浮かべる。が、ちょいちょいとリリアが向こうを指差したことで彼女も察した。同じように隠れると、何か気になることありましたかと隣に尋ねる。

 

「え、いや、別にそういうわけじゃなかったんですけど」

「じゃあ何で隠れたんですか? 馬鹿なんですか?」

「違います。……違うもん」

 

 ムダ知識由来のピンとくるやつだったのだ。割とはっきりと浮かんできたのだが、いかんせんそれを口にすると間違いなく頭のおかしいやつだと思われるので言えないのだ。

 とはいえ、エルとしては既にリリアのこれには慣れっこなので、はいはい分かりましたと流しながら向こうに再び視線を向けた。

 

「というかよくあれ見えましたね……。ぶっちゃけ隠れなくても向こう気付かないと思いますよ」

「エルだって見えてるじゃないですか」

「私はいいんですよ。一応分類的には普通の人間のはずのお嬢さまが見えるのが問題なんであって」

「だってわたし天才ですから」

「へー」

 

 めちゃくちゃ流された。そんなエルの態度に思い切り頬を膨らませたリリアであったが、ムダ知識のちょっと待ったコールで我に返る。今こいつ自分は普通の人間の分類から除外してたぞ、と。

 あ、と思わずエルを見たが、しかしリリアはすぐに向こうへと意識を戻した。一瞬驚きかけたが、その発想もうやったんだったと思い出したのだ。ついでに言えば、もう二回やっているのでこれで三回目、いい加減このネタ引っ張らなくてもいいだろうと流したわけである。頭がおかしいが、彼女の中では別段普通なのでどうしようもない。

 

「ちなみにお嬢さま。会話聞こえます?」

「流石にここからでは魔法を使わないと聞こえませんよ」

「視力の方は使ってないみたいな言い方」

 

 ちょちょいと呪文を構成し、向こうの会話を風に乗せてこちらに届ける。聞き覚えのある少年の声が流れてきて、よしよしとリリアは頷いた。

 

『それで、本当に彼女の実力は不正なのか?』

『ああ、彼女の話によると、どうやら精霊を使役しているらしい』

『精霊を!? それは本当なのか……?』

『そうでなければ、あんな人間離れした動きを一介の公爵令嬢が出来るはずがない』

「言われてますねお嬢さま」

「そこまで酷くないもん……。というか、これ、わたしのことなんですか?」

 

 具体的に名前は出ていない。出てはいないが、件の侯爵令息が話していてこの内容なのだから、まず間違いなくリリアのことだろう。そりゃそうでしょう、というエルの言葉に、彼女も反論することなく小さく溜息を吐いた。

 そうしながら、向こうがリリアの実力は本人由来ではなく精霊を介したドーピングであるということを話していくのを聞いて考え込む。精霊は幻創種でも魔物のように知性が低いものとは違う、上位の存在だ。場合によっては協力し、力を共有することも不可能ではない。ないが、それは協力関係を結べるだけの実力ないし才能を持っていることが前提となる。人と人だって立場なり利益なり信頼なりもなしに関係を結ぶことは普通ありえないのだから、精霊も同じだ。

 逆に言えば、精霊を使って能力を高く見せているのならば、それは不正でもなんでもなく。

 

「それはただの実力者なのでは?」

「精霊に命令できるだけの何かを持ってるってことですもんね」

 

 そういうわけで。リリアとエルは二人の会話を、何か頭悪い話してるなぁ、で結論付けた。やはり他者の力を使って自分を強く見せているだけのハリボテか、じゃねぇよ馬鹿だろ。ムダ知識が大分汚い言葉でツッコミを入れていたが、リリアは完全に同意するわけでもなく一応擁護らしきものを頭には浮かべていた。

 

「何かしらの道具を使った、という方向ならまあ」

「わざわざ向こうの肩持つんですね」

『――それで公爵家の力を使い、精霊を使役する道具を入手したらしい』

『ノシュテッド公爵様は娘に甘いともっぱらの噂だ、やらないとは言い切れない』

「言い切れないんですって」

「言い切れないですか……」

 

 我が父ながらその評価は、分かってはいたけれど他人に言われるとちょっと。と微妙にショックを受けたリリアは、ぶんぶんと頭を振って散らした。昔と比べればダダ甘加減もマシになっている。少なくとも今言ったように己を強く見せるための偽りに、そのような道具を渡すようなことはしない。

 

「結局お嬢さまのさっきの擁護も、あの話の公爵令嬢がお嬢さまじゃなければ、って話なんですよね」

「まあ、そもそもわたし精霊使役してませんしね。するとしても、道具は使いませんし」

「ですよね。お嬢さまなら適当に会話すれば十分ですから」

「それ褒めてます?」

「割と本気で褒めましたよ?」

 

 いつもがいつもなのでそう聞こえない。そんなことを思いながら視線を向こうに戻した。あちらでは、間違った結論のまま、それを事実だという前提でどうにかしてそれを覆そうと二人の少年が相談をしている。否、前提ではなく、既に彼らにとっては事実なのだろう。

 ふと、カイルの言葉が頭をよぎった。事実と真実は案外違う。事実は、本当かどうかは関係ない。

 

『だから、これを使えば。あの公爵令嬢の化けの皮を剥がせるはずだ』

『成程、精霊を使えなくさせれば――』

「別にわたし変わりませんけどね。……でも、あの人たちにとってはそれが事実なんですよね」

「なんか前にもそんな話しましたね。ま、そういうことですよ。さっきの話に戻りますけど、噂のあれそれが事実な人は、お嬢さまの方を嘘にするわけです。中心の噂は事実でないといけないから。くっついていた噂を、全部嘘には出来ないから」

 

 視線を遠くの二人に向ける。恐らくもう一度、今度こそと挑みかかってくるのだろう。そして再びリリアにボッコボコにされるのだ。

 

「どっちにしろ、丁度いいんじゃないですか? あの二人の言ってる道具、それこそ不正に入手してない限り調べれば出処分かるやつですから」

「どういうことですか?」

 

 ふふん、と自慢気に指を立てたエルは、この間の話で言ってたやつですよ、と続けた。リリアが結局流していた部分を述べた。

 

「犯人の一味に、近付くかもしれませんよ?」

 

 



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第二十話

脳筋キャラと腹黒キャラが親友なの好き。


「ぐわぁぁぁぁぁ!」

 

 少年が天高く吹き飛ばされる。拳を振り上げたままポーズを決めているリリアを余所に、少年はそのまま錐揉して地面に落下した。多分効果音はドシャァ、である。

 

「ど、どうして……」

 

 傍らでは、何かの装置を持っている別の少年が顔を青くして震えている。眼の前で起きたことが信じられないと言わんばかりで、目の焦点も合っていない。倒れたまま動かない侯爵令息に駆け寄ることもせず、ただただ何故どうしてと呟くのみだ。

 見学に来たラケルは、その一連の流れを笑顔で見守っている。横のエルは滅茶苦茶冷めた目であった。

 

「多分説明しても分かんないんだろうなぁ……」

「そうね。リリアは卑怯な手段で強者に見せかけている、というのが彼等にとっての事実なのだから、それにそぐわない意見は本当ではないもの」

 

 実力である、という答えには永遠に辿り着かない。動揺している彼か、あるいは別の誰かが、今度は別の事実を持ち出して正当性を訴えるのだろう。

 それに付き合うのもまた一興。そう思える人物が、それを口に出してしまえる人物がリリアの周りには若干一名いるのだが、今回はラケルの方に追従するらしく笑みを浮かべたまま黙っている。性格の悪さという一点では恐らく彼女の周囲の人物の中では頂点なのだが、厄介なことにそれを自覚して抑えるので中々本性に辿り着かない。現状幸いなのが第二王子なので彼が玉座につかないことであろうか。

 

「楽しそうですね、カイル王子」

「あれ? そう見える? いや、ほら、これから僕の友人であるリリア嬢の悪評が翻っていくと思うと嬉しくてね」

「お嬢さまの悪評流したのカイル王子たちですけどね」

「君も手伝っただろう? それに、そもそもの根源は僕達じゃない」

 

 笑みを浮かべたまま、カイルはその目付きだけを鋭くさせた。ねえ、と横のラケルに同意を求めると、彼女は静かに頷く。そうしながら、少しだけ考え込む仕草を取った。

 彼の言う通り、リリアに悪者のレッテルが貼られた原因はこちらではない。犯人を探るために自分達で意図的に噂を大きくしたのでエルの言い分も間違ってはいないが。そういう意味ではどちらも正しいので、彼女としては同意せざるを得ない。

 

「カイル王子は、これでリリアの悪評が覆るとお思いですか?」

「これだけじゃまだ弱いよね。何か大勢の前で、もっと派手に、塗り替えるようなものが欲しい」

「完全に同意は出来ませんが、概ね私も同様です。では、犯人については?」

 

 それはそれとして、だ。彼女にとって重要なのは親友であるリリアをどう助けるかだ。エルとは同じ方向へ歩けるだろうが、いかんせんこの王子は絶妙に逸れた位置を歩く可能性が否定できない。その事も踏まえ、ラケルはカイルへとそんなことを尋ねた。

 やれやれ、とカイルは肩を竦める。信用がないなぁ、と軽い調子で口にしながら、彼は視線を向こうで勝ち誇っているリリアへと向けた。

 

「そもそも、リリア嬢はこちらで助けずとも勝手に何とかするよ。そういう意味では、僕は最初から彼女にちょっかいを掛けているだけのつもり。勿論お節介な手助けの自覚はあるからね」

「質問の答えになっていませんが」

「言わなくても分かってるくせに。僕は知っているよ、君よりも、少しだけ」

「エルさんの正体のことを言っているのでしょうか?」

「うぇ!?」

 

 ぐりん、とラケルを見た。その反応で確信を持ったのか、彼女は少しだけ微笑むとパチリとウィンクをした。それによって、エルはカマをかけられたのだと察する。

 

「ご心配なく。私は貴女の口から聞くまで確定はさせませんわ」

「それもう答え知ってるって言ってるようなもんじゃないですかぁ~。ま、いいや。お嬢さまには絶対内緒ですからね」

「別に構わないけれど。何か不都合があるの? そういう契約をノシュテッド公爵様と?」

「カイル王子にもそれ聞かれましたけど、別にそういうんじゃないですよ。ただ何となくです」

 

 理由がないと同義であるかのようなその答えを聞いても、ラケルは別段驚かない。そう、と頷くのみだ。そうしながら、彼女はカイルへと向き直る。先程の質問の答えはこれで合っているのか、と。

 彼女のそれに、カイルはちょっと違うかな、と口角を上げた。

 

「精霊の協力者、あるいは契約者。その人物の話ならば、既にお互い周知の事実でしょう? 風の神獣の許可でも頂けましたか?」

「ベルフェルス様は相変わらず。だから、今回の精霊使役関連の道具の出処を調べれば少しは、ってところかな」

「ええ、概ね私の持ち得ている情報と変わりませんわね。それで? 少し違う、そちらが少しだけ知っている情報とは?」

「はいはい、お手上げだよ。ラケル嬢は冗談が通じないなぁ」

「その手の冗談は最初から持ち合わせておりますわ」

 

 そう言って微笑むラケルと、それを見て笑みを浮かべるカイル。そんな二人を見ながら、何考えてんだろうなこの二人、とエルは若干ジト目で眺めていたりする。

 

 

 

 

 

 

 街を歩く。別段警戒したふうもなく、少女はお供の少年を伴って迷うことなく目的地へと進んでいく。少年はそれに文句を言うこともなく、しかし表情だけは不満ありありなのが伝わってきた。

 

「キース」

「わーってるっつの。いや、お嬢の本当にやりたいことが何かは知らねぇけど」

「別に気にすることはないわ。貴方は黙ってついてくればいいの」

「へいへい、っと」

 

 そうしてラケルは大通りから外れた道を選ぶ。かつてキースに命じてエルの財布を奪わせ城下町を走り回らせたことからも分かる通り、彼女は街の地形を把握している。何の道を通ればどこに辿り着くかなど、目を瞑っていても分かる。

 そして同様に、何の道を歩けば人目につかずに悪事を働けるかというも、欠伸をしながら答えられる。

 

「お嬢」

 

 キースが一歩前に出て、ラケルを止める。眼の前にいるガラの悪そうな男達を見ながら、彼は小さく溜息を吐いた。そんな彼を一瞥し、ラケルは後ろを振り返る。退路を塞ぐように、同じくガラの悪そうな男がそこに立っていた。

 ふむ、と彼女は男達の顔を眺める。冒険者ギルドには所属していない顔ぶれだ。そんなことを思いながら、まあ当然だろうと彼女は肩を竦めた。

 

「何かご用かしら?」

「そちらの持っている道具を渡してもらおう」

 

 無駄に脅すことはせず、簡潔に用件を述べる。慣れているのか、それともこちらのことを承知なのか。後者だとしたら、承知で依頼を受けたことになるので、よほど腕に自信があるか背後が強力かになる。

 

「前者かしらね」

「あまり無駄話をしない方がいい。こちらも暇じゃないんだ」

「前者ね」

 

 眼の前の男が目を細める。睨み付けるようなそれを見て、ラケルはそう断言した。まずは静かに、そして表情と語気を強め重圧を掛ける。その次は武器でもちらつかせるのだろうか。

 

「奇遇ね、私もあまり暇はしていないの。それで、何の道具を欲しがっているの?」

「とぼけても無駄だ」

「聞かされていないのかしら? それとも知らないの? 私は奪い取られるような道具の心当たりはごまんとあるの。はっきり言ってくれないと分からないわ」

 

 クスクスと笑いながらそう返すラケルを見て、男達の表情が更に険しいものに変わる。人が下手に出ていれば、と一人が対話を止め行動に出ようとしていたが、別の男が待てと止めていた。

 

「言えば渡すのか?」

「この状況で、手荒な真似はしたくない、とでも言うつもり? 交渉がしたいのならばもう少し状況を鑑みてはいかがかしら」

「ふざけ――」

 

 先程止められた男が、再度の挑発で我慢できなくなったらしい。止めていた男を押しのけ、ラケルに向かって拳を振り上げた。そこに割り込んだキースが男の手首を掴み、ぐいと引っ張ると掌底で顎を揺らす。糸の切れた人形のように、男はだらりと四肢を投げ出した。

 

「交渉決裂、ということでいいの?」

「……何が望みだ?」

 

 恐らくリーダー格なのだろう、少し背の高い男が少しだけ苦い表情を浮かべながらそう述べる。対するラケルは、彼の物言いに小さく微笑みを返すのみ。

 望みも何も。話を持ちかけたのはそちらで、こちらは一体何を欲しているのかすら分かっていないのに。そう告げると、彼女は男の言葉を待つかのように口を閉じた。

 

「精霊の使役に関する道具を渡してもらいたい」

「それは、何故?」

「……知らん」

「そう」

 

 男の言葉に嘘はない。そう判断したのか、あるいはどうでもいいと考えたのか。ラケルはキースに目配せすると、溜息を吐いた彼を煽るように、自身のカバンから片手で掴める大きさの四角い塊を取り出した。

 

「これでいいのかしら?」

「形は知らされていたものだが……」

「あら、用心深いのね」

 

 クスクスと笑う。そんなラケルに更に表情を苦くした男は、そういうわけじゃないと零した。ただ単に、詳しく聞かされていないだけだ、と。

 

「あら、そう。重要そうな仕事なのに、その部分を疎かにしたのね。あるいは、成功しても失敗してもどちらでもいいのか……。貴方はどう思うかしら?」

「……」

 

 問い掛けたが、男は答えを返さない。彼女の質問は、そのどちらにせよ、雇い主からの信頼度は高くないと肯定することに他ならないからだ。それを承知の上で、ラケルは笑みを浮かべながら持っていたものを投げ渡す。

 

「雇い主から言われた通りの仕事はこなしたでしょう? これで不満を言われるようなら、そんな雇い主は切った方が身のためよ」

「……なら、代わりにあんたが雇ってくれるのか?」

「残念ながら、貴方達は私の希望にそぐわないわね」

 

 さらりとそんなことを述べたラケルを見て、男はやれやれと肩を竦めた。仲間の一人に伸びた男を担がせ、邪魔したな、と去っていく。そんな背中に向かい、彼女はもし足を洗うなら、真っ当にギルドに所属した方がいいと言葉をかけた。

 

「合格するかどうかは別でしょうけど」

「お嬢はさぁ……」

 

 

 

 

 

 

 街を歩く。警戒はしておらず、ラケルはキースを伴ったまま目的地へと歩みを進める。もはや文句を言う気力もないのか、彼は疲れた顔でその横を歩いていた。

 

「キース」

「わーってるっつの。……さっきのは囮で、こっちが本命か?」

「違うわね。恐らく、複数用意していたんでしょう。そしてこちらは、向こうよりは少し頭が回る」

 

 立ち塞がる男達の向こうには、彼女の目的地である魔道具店がある。手っ取り早く出処を探るには直接現地へと赴くのが良い。そういう判断でやってきた場所だ。少し奥まった場所にあるものの、違法な品物を扱ってはいない、きちんとした認可店なので、ある程度知っている人々はここに立ち寄ることも珍しくない。

 そう、知る人ぞ知る店ではあるが、調べれば案外すぐに出てくる程度の場所なのだ。この場所に待ち伏せをしていることなど、意外でもなんでもない。

 

「まあ、本当に少しだけれど。後は、そうね……頭は回っても、頭がいいとは限らない、かしら」

 

 先程の男達とは違い、目の前の連中は交渉などという手段を取る気はないらしい。暴力で、無理矢理奪い取ればいいという短絡的な思考であることが表情からありありと伺えた。

 そして同時に、男達の目の前の人物が何者かを認知していないことも分かった。ギルドの所属を認められなかった連中の集まりを、黒幕が金でいいように使っている。その黒幕の身分を鑑みても、賢い手段とは言えないだろう。

 

「個人で使っている可能性も考慮するべきかしら」

「お嬢お嬢。何言ってんのかオレ分かんねぇんだけど」

「随分とみすぼらしい駒を使うのね、と言ったのよ」

「うん、分からん」

 

 うげぇ、とキースは表情を変えつつ、しかし多少の理解はした。まあつまりは目の前の連中は大したことのない奴らだ、と。ラケルがその辺りを見誤ることはまずないだろうから、男達は障害足り得ない。そこまで判断はしたものの、そうなるとあらかじめ聞かされていた、黒幕への繋がりを探ることが難しくなるのではないのかと、彼は隣の彼女の表情を見やる。

 変わらずクスクスと微笑んでいるので、別に心配いらないかと思い直した。

 

「さて。大した情報も得られない貴方達には正直何の価値もないわ。精々が雇い主の名前を吐いてしまうことくらいかしら。それも真偽がはっきりしない、僅かばかりの価値だけれど」

「はぁ?」

「聞こえなかったのかしら? それとも理解出来ない? なら、そうね。……ああ、そうそう、先程出会った貴方達の同僚から言われた言葉を使わせてもらおうかしら。――こちらも暇じゃないの」

 

 しっし、とラケルが手で追い払うような仕草をしたことをきっかけに、男達は顔を顰めると前に出た。貴族のガキが嘗めやがって。そんなことを言いながら、一人は彼女を組み伏せようと手を伸ばす。先程囲んできた男と同じ状況に、キースは呆れながらその土手っ腹を蹴り飛ばした。ぐえ、と地面に倒れた一人を、男達は目で追ってしまう。コキリと首を鳴らしたキースは、溜息を吐きながらまだやるのかと述べた。

 

「ふざけやがって!」

 

 一瞬止まっていた状況がまた動く。向こうの赤毛は多少腕が立つようで、あの貴族のガキの護衛か何かだろう。そう判断し、しかし数で押せばどうとでもなると男達は一斉に襲い掛かる。

 

「お嬢!」

「そんなに叫ばなくても、分かっているわ」

 

 くるりとスカートを翻し、ラケルは踵を返す。男達がいた方向とは逆へ、この場から逃げるように足を踏み出す。

 当然それを見逃すわけもなし。背後に回っていた男達が、そんな簡単に逃げられるわけないだろうと下卑た笑みを浮かべながら彼女へと迫り。

 

「ええ。勿論、そう簡単に逃がす道理はなくってよ」

 

 足元から体全体に電撃のような痺れが走り、そのまま崩れ落ちるように倒れた。意識は残っているが、体はピクリとも動かない。唯一何とか動く視界を動かすと、そこには逃げる素振りも見せず、何なら一歩しか動かしていなかった足を戻したラケルが頬に手を当てながら立っている姿が見えた。

 

「ご心配なく。動かないのは体だけですわ。意識も飛ばないし、思考もはっきりしているでしょう? もし説明して欲しいのならば、貴方達が罠に掛かった経緯も説明してあげられるけれど」

 

 必要ないわよね、と微笑んだラケルは、男達から視線を外すと再度振り向いた。近寄った仲間が痺れて倒れたのを目撃したことで、こちらに近寄るのを止めた男達を見た。

 

「キース」

「おらよっ!」

 

 囲んでいる男の一人を掌底で突き飛ばす。バランスを崩された男はよろけ、そのまま後ろに二・三歩下がった。そして突如体全体を震わせると倒れて動かなくなる。ぎゃぁ、と短い悲鳴が上がったことで、男達の動きが再度止まった。

 まさか。そんな考えが頭をもたげる。この周囲にはそんな仕掛けが張り巡らせているのでは。一度それが頭に浮かぶと、もう迂闊に動けない。

 

「お、おい! ビビるな! そんなはずぐぁぁ!」

「ひっ!」

 

 動いた男が倒れた。キースはそんな男を見下ろしながら、あーあ、と呆れたように肩を竦めているし、ラケルは変わらず微笑んだままだ。

 ゆっくりとラケルが足を動かす。トン、と地面を踏む音がやけに大きく響いた気がした。

 

「残念ね。先程も言ったけれど、私はもう貴方達に価値を見出していないの。向こうよりも先に出会っていたのならば、また違ったでしょうけれど」

「な、何が、望みだ……?」

「私の話を聞いていたのかしら? 貴方達に価値はないの。何もせずに去ってくれればただの通行人で済んだのだけれど、こちらに余計な時間を取らせたでしょう?」

 

 とん、と男の胸を指で突く。ニコリと口角を上げると、彼女は男を視界から外した。

 

「私の大事な冒険者の仕事を増やすような真似は、次からしないで欲しいわね」

 

 一斉に、糸の切れた操り人形のように、男達は皆揃って地面に倒れた。意識は残っているらしく、その目は恐怖に怯えている。

 ラケルはそんな男達を見もしない。行くわよ、とキースに声を掛け、そのまま魔道具店へと進んでいった。扉を開け、いらっしゃいと言う声を聞き、そして。

 手筈通りに頼むわね、と店員に声を掛けると、店内にいた警邏隊がお任せくださいと外へ出ていった。

 

「お嬢?」

「どうしたの?」

「何あれ?」

「外の連中を捕らえてもらうよう手配した警邏隊よ」

「……魔道具の出処は?」

「今頃調べてもらっているんじゃないかしら」

 

 しれっとそんなことを述べたので、キースの目が丸くなる。つまり自分達は最初からただの囮だったのだ。彼ですら今ここで真相を知ったのだから、関係のない他者など分かるはずもなし。

 

「人聞きが悪いわね。きちんとあの偽物を黒幕に届けるという仕事があったのよ」

「だからそれを囮っつーんだろうがよ!」

「だから、人聞きが悪いわよ。私がしたのは囮じゃなくて」

 

 クスクスと笑いながら、ラケルは店の外を見る。意識は残ったまま、動けない状態でしょっぴかれていく男達を見て、その表情を見て、楽しそうに笑う。

 大して信用していなかったばかりに、片や見分ける方法がないまま偽物を掴まされ、片や全員が無力化され逮捕される。知らせを受けた黒幕は、果たしてどのような顔をしているのか。この程度で揺るがないならばそれでもよし、そうでないのならば。

 

「ただの、挑発よ」

「尚悪いんだよなぁ!」

 

 うがぁ、と頭を抱えるキースを横目に、ラケルは笑みを絶やさない。アイデアの大元はカイルだ、文句は彼に言えばいい。そう述べると、キースは物凄く苦い顔で押し黙った。それがまた可笑しくて、彼女はクスクスと笑い続ける。

 

「性格悪ぃよな、お嬢」

「ふふっ。違うわよ、キース。性格が悪いのはカイル王子で、私は」

 

 あの時親友が自分をそう評してくれたから。だから、ラケルは自信を持ってそれを口にする。口にすると非常に頭の悪い感じのするそれを、迷わず言葉にする。

 

「余裕を持った格好いい大人、よ」

「余裕持ってるしカッコいいっちゃそうなんだろうけど、大人の括りは違ぇだろ……」

 

 その謳い文句に合致する善良な大人に謝れ。そうは思ったが、ラケルが怖いのでキースはそれ以上口にするのを諦めた。

 

 



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第二十一話

当初と大分キャラが変わった。


 王国の中心部とも言える王城。そこのすぐ近くにある建物は、よく知らない者にとっては何とも奇妙なものである。一見すると教会に近いが、礼拝堂らしき部分以外は普通の屋敷だ。放置された教会を居住に建て替えたのだろうか、そんなことを思わせるその入口の前に、一人の少年が二人の少女を伴ってやってきていた。

 

「そういえば、中に入るのは初めてですね」

「そうなんですか?」

「はい。まあ、そもそも用事がないですしね」

「王国の貴族様って神獣さまと関わりねーんです?」

 

 ルシアの言葉に、扉を開けようとしていたカイルが振り返る。表情は変わらず笑顔で、そういうわけじゃないよ、と口にする。

 風の神獣が、ただ単に面倒くさがりなだけなんだ。続けてそう述べると、彼は再び前を向き扉に手をかけた。

 

「……んん?」

「どうしたんですか? ルシアさん」

「めんでーから会わねーって、やっぱりここの神獣さまも変人なんだなーって思っただけですよ」

「わたしは他の神獣や悪魔を知らないから何とも言えませんけど。……でも、そうなるとまた変人と関わることになるんですね」

「あはは。リリア嬢も特別な変人だから大丈夫だよ」

「そんな慰めいりま――いや違う、慰めてない! 貶してる!」

 

 振り向かずそんなことを抜かしていたカイルは、リリアの罵倒を気にすることなく開いた扉から中に入る。入り口は外観が教会の礼拝堂に近い部分なこともあり、規模は小さいものの内部もそれに準じているようであった。設置されている椅子はよくある木製ではなく、何故か座り心地の良さそうなソファーであったが。

 そしてそんなソファーに寝転がっている人影が一つ。扉の音と足音で気が付いたのか、体を起こすとこちらへと振り向いた。

 

「ん~? 何ですかいきなり」

「こんにちはベルフェルス様。今日は少し用事があって来ました」

「えぇ~。カイル君の用事って絶対面倒くさいやつでしょぉ~?」

 

 胡散臭いカイルの笑みを見ながら、ベルフェルスと呼ばれた男はあからさまに顔を顰める。そうしながら、ゆっくりと寝転んでいたソファーから立ち上がった。ガリガリと深い海のような色をした髪を掻きながら、カイルとは別ベクトルで胡散臭い視線をこちらに向ける。

 見た目は二十代だろうか、場所に合わせたようなカソックらしきロングコートを羽織っているものの、白い色やそのまま寝ていてヨレヨレになっていることもあり、どちらかというと怪しい研究員の白衣にも見える。首に巻いている、というより掛けている金の刺繍の入った緑のマフラーが、より一層アンバランスさと怪しさを増していた。

 

「それで? 私に何をしろって?」

 

 カイルより背の高いベルフェルスは、そのまま皆を見下ろす体勢になる。声も、表情も、そして先程の発言も。それら全てが、そちらの用事など面倒であると伝えていた。

 が、カイルは気にしない。調査をお願いしたいのです、とカバンに入れていた魔道具を取り出し彼へと見せた。勿論ベルフェルスは顔を顰める。

 

「カイル君、聞いてました? 私はねぇ、嫌だって言ったんですよ?」

「嫌だとは言っていませんでしたよ」

「ああ言えばこう言う。あぁ~、嫌だ嫌だ。可愛げのない子供はこれだから」

 

 大げさに肩を竦め頭を振ったベルフェルスは、そこで視線を彼から後ろの二人へと向けた。それで、そちらの二人は何の用事なんですか。そう尋ね、どかりとソファーに座る。

 

「あ、いえ。わたし達はそちらにいるバカ王子の付き添いです」

「何かいきなり凄いこと言い出したぞこの娘」

 

 おぉ、と目を見開いたベルフェルスは、思わずカイルへと視線を移す。相変わらず笑みを消していないのを見て、ああそういうことかと頷いた。

 

「あれ? じゃあそっちの娘は? カイル君とどういう関係?」

「あたしですか? ……えっと、そういえばあたしとカイル王子ってどういう関係です? 友達じゃねーですよね?」

「いや、そこは友達で大丈夫だよ。嫌ならば無理にとは言わないけれど」

「分かりました。じゃあ今んとこは友達じゃねーです」

 

 ベルフェルスが吹いた。そのまま大声で笑い出し、思わずソファーから転げ落ちる。ヒーヒーと若干呼吸困難になりながら、どうやら自分の予想とは違ったようだと子供のような笑みを浮かべた。

 

「でも一応答え合わせしておきますかぁ。二人共、カイル君の婚約者ではないですよね?」

「絶対に嫌です」

「全然ちげーですよ」

 

 再度大笑い。再び床で笑い転げてから、ああ面白かった、と彼は体を起こした。そうしながら、彼はカイルへと少し悔しそうな視線を送る。

 

「まったく。ずるいですねぇ~。こんな面白いものを見せられたら、断ると私悪者になるじゃないですか」

「あはは。では、ベルフェルス様、こちらの用事を受けてもらえますか?」

「まったく。ちょっとだけですよ」

 

 渋々ではあるが、そう言うとベルフェルスはカイルから魔道具を受け取った。それで一体何を調査すればいいんですか。そう尋ねると、カイルは調べられるものを片っ端に、と返す。当然彼は物凄く嫌そうな顔をした。

 

「カイル君。私はこれでも風の神獣なんですよ? そういうのは王城でその辺の魔道士にやらせておいてください」

「王城を巻き込むと面倒なことになるので」

「神獣巻き込む方がもっと面倒になると思うんですけどね。まったく、カイル君といいバエルゼブといい、どうして面倒事が嫌いな私に頼み事するかなぁ」

 

 はぁ、と溜息を吐いたベルフェルスであったが、その言葉にカイル以外の二人が反応した。ルシアは薄々感じていた雷の悪魔の気配の正体はこれか、という意味合いで。そしてリリアは、唐突に出てきた最強クラスキャラの名前にムダ知識が反応したからだ。あれこれ伏線? それとも今回の黒幕の名前がポロッと出た系? サブカル系のあるあるパターンがぐるぐると彼女の頭を回り続ける。

 鬱陶しい、と無理矢理思考の回転を止めた。

 

「バエルゼブさまもここにいるですか?」

「今ここにはいませんよ。あいつに何か用事ですか?」

「あ、いえ。そーゆーわけじゃねーですけど、ルシフェリアさまが時々名前を出しやがってましたから」

「んん? あれ、ルシアーネ君あの天上天下自分大好き女と知り合いなんですか?」

 

 そんな彼女の前に、ルシアがとりあえず言葉を紡ぐ。教国の聖女である、という話を聞いて、ああそういえばそのイベント面倒だからサボってたんでした、とベルフェルスが笑っていた。

 

「それで、そっちのリリア君はどうかしたんですか?」

「え? あ、いえ、別にそう大した理由もないというか」

 

 ムダ知識が湧いて出たから反応しただけです。などと言ってしまえば即狂人の仲間入りである。とっくの昔に狂人カテゴリなのだが、本人はその辺認めていないのでノーカンである。

 そんなわけで、当たり障りのない言葉を紡いだ。こちらで調べている事件の手がかりを探しているタイミングで、ここ十数年姿を現していないとされる雷の悪魔の名前が出てきたのだから、反応しても仕方がない。事件に何かしら関係しているのではないかと疑っても当然だ、と。正直、当たり障りがありまくる。

 

「成程。つまり、バエルゼブを疑っているわけですねぇ」

「そこまでではないですけど」

「成程成程。リリア君、あなたは思ったよりも聡明なんですね。ビックリしました」

「あれ? わたし今ケンカ売られました?」

「沸点低っ!? ちょっとカイル君、何なんですかこの娘、ノシュテッド公爵は火薬庫の精霊でも呼び出したんですか?」

「正真正銘、公爵の溺愛している愛娘ですよ」

 

 笑顔のままそう述べるカイルを見て、ベルフェルスは溜息を吐いた。私これでも神獣なんですけどねぇ、と零すと、もう一度リリアに視線を向ける。

 

「ん?」

「どうしました?」

「いやどうしたもこうしたも。……あー、はいはい。――いや、それだと私の扱いがぞんざいな理由が」

「どうしたんですか?」

「――ああごめんなさい。リリア君、ひょっとしなくても何か特別な力を持っていますよね?」

 

 ビクリと震える。特別な力、神獣がそう自分に告げるということは、つまりそういうことなのだろう。ムダ知識も言っている。あ、これ転生バレのイベントだ、と。

 ベルフェルスは彼女のその態度でどうやら納得がいったらしい。自覚しているからこその態度というわけか、と一人納得したようにうんうんと頷いた。

 

「だから、バエルゼブを探しているんですね」

「え?」

「え?」

 

 キメ顔でそう述べたベルフェルスが素っ頓狂な声を上げる。あれ違うの? そんなことを頭に浮かべながら、特別な力持っているんですよね、と彼女に問い掛ける。リリアはリリアで、転生ツンデレお嬢様チョロインだという自覚を持っているので、彼の言葉にはいと答えた。

 

「へ? リリアさん、特別な力って何持ってやがるです?」

 

 横合いから声。二人の会話を聞いていたルシアが、目をパチクリとさせながらこちらに一歩近付いていた。最初は驚き、だが、徐々にその表情は真剣さを増していき、リリアの目を真っ直ぐに見詰めている。誤魔化すことは出来ない、と確信させるものであった。

 だからリリアは言葉を紡ぐ。転生ツンデレお嬢様チョロインであると告白する。

 

「実は、幼い頃に知識を無理矢理刻み込まれる事件と似通った症状に陥ったことがあるんです。結局、非常に似ている症状だというだけで本当の原因は分かりませんでしたが」

 

 などということは勿論しないので、極々普通に説明する。嘘は言っていない、事実を伝えていないだけだ。リリア的にはこうだ。事実が真実かは別として。

 そうだったんですね、と素直にルシアは頷く。彼女もその手の事件は知識として知っているし、回復した事例も知っている。その後の状況はあまり知らないが、その刻み込まれた知識が使えるのならば、確かに特別な力を手に入れたと言ってもいいだろう。

 そして一方のベルフェルスは、その答えを聞いて怪訝な表情を浮かべていた。視線をカイルに向けるが、ほんの少しだけ笑顔を潜めていただけで変わらず様子を見守っている。

 

「あのぉ~。リリア君、申し訳ないんですけど」

「はい?」

「ノシュテッド公爵令嬢が幼い頃倒れた話は、私もう知ってますよ?」

「え?」

「当時の公爵が今にも死にそうでしたし、公爵夫人と二人で医者の手配やら何やらでてんやわんやしていたのも見てますから」

「え? え?」

「症状が多量知識の刻み込みに酷似していることも、勿論知ってますし。面倒くさがりの私が知ってるくらいですから、王城の主だった人は全員知ってるんじゃないですか?」

 

 リリアは視線をカイルに向ける。こくりと頷いた彼は、グレイはどうか知らないけれど、ラケル嬢は間違いなく知っていると思うよと言葉を続ける。

 というわけで、彼女は皆の知っていることを隠していた特別な力を告白するみたいなテンションで口にした奴となった。

 

「まあ、ルシアーネ嬢にとっての説明だったし、大丈夫じゃないかな」

「うるさい、うるさい、うるさい! ばーか! ばーか!」

 

 

 

 

 

 

 じゃあ面倒だけれど調べますか。そう言ってベルフェルスは魔道具を部屋の隅においてあった机に置くと、手をかざし集中し始めた。これまでとは一変したその雰囲気に、リリアは思わず息を呑む。ああ、あんなんだけれどやっぱり最強クラスのキャラの一人なんだ。ムダ知識の感想に同意しつつ、彼女は彼のその作業を眺める。

 

「気になるのかい?」

「別に」

 

 カイルの問い掛けには思い切り不機嫌そうな顔で答える。あはは、とそんな彼女を見て笑っていた彼は、そのまま近くのソファーに座るように彼女を促した。ルシアも同様にそこに座らせて、カイルはさて、と少しだけ目を真剣なものに変える。

 

「その様子だと、これ以上からかうとここを破壊しかねないからね。ちゃんとした話でもしようか」

「最初からしてくださいよ」

「さっきのは君の自爆だからね、僕のせいにされるのも困るな」

「うぐぐぐぐ」

「どうどう。それで、王子は何の話をしやがるんです?」

「勿論、事件の話さ」

 

 そう言ってカイルは指を一本立てる。証拠の一つは今ああやって調査してもらっているから。そう前置きすると、彼はその立てた指を二人に向かって倒した。

 

「この間言った話は覚えているかい? 公爵家に汚名を被せようとしている話と、精霊が関わっているというやつさ」

「覚えてますよ。それがどうかしたんですか?」

「あの時は聞かないことを選択したけれど、今もそれは変わっていない?」

 

 カイルは真っ直ぐにリリアを見る。以前の返答も別にふざけていたわけではない。だから、今回は真剣に答える、などと考えが変わるわけでもない。考えは変わっていない。

 

「聞きます」

 

 変わらず、真剣に考えて。以前とは違う答えを出した。もう、聞いてもやることがないだろうとは言わない。余計なことをして足を引っ張ることはしない、したくない。何も知らない、知ろうとしないことは、それだけで足を引っ張りかねない。

 カイルは笑みを強くさせる。分かった、と頷くと視線を彼女からルシアに向けた。

 

「ルシアーネ嬢には聞いたこともある話になるけれど、いいかな?」

「ぶっちゃけあたしもそこら辺正確に把握してるわけじゃねーんで、どんときやがれですよ」

 

 もう一度分かったと頷いたカイルは、少しだけ考える素振りをする。では、まず誤解を解こうと言葉を紡いだ。

 

「公爵家を落とそうとしている人物と、学院での実行犯は別さ」

「は!?」

「正確には少し違うか。恐らく黒幕の大元は精霊達の方だ。そして、その関係者の一部が、リリア嬢を悪役令嬢に仕立て上げようとした」

「……単独行動、あるいは暴走。そういうことですか?」

「黒幕側は丁度いい目眩まし程度に考えているんじゃないかな」

 

 今の説明で、どういうことなのかと聞き返さず自身の考えを述べるリリアを、カイルはどこか嬉しそうに見やる。ルシアはある程度説明されていた部分ではあるので、もう一度それを復習しつつ考えをまとめていた。

 

「結局、上手くいきやがったら儲けもの程度に考えてる感じです?」

「だろうね。そして実際上手く行きかけていたから、黒幕側はもう一歩動き出した」

「それがあの魔道具ですか」

「いや、あれは目眩まし側のものだろうね」

 

 リリアの言葉にカイルがそう返す。ただ、と彼はそのまま言葉を続けた。

 目眩ましから実行犯に変化する可能性はあるだろう、と。

 

「精霊が黒幕の本命に絡んでいるのは把握しているからね。それが目眩ましの相手に接触したのさ」

「そこまで分かってるなら、もう捕まえればよくねーですか?」

「明確な証拠がない。怪しい止まりなんだよ。実害も結局目眩まし側の起こした学院内のいざこざだけだしね」

「ああ、黒幕に切り捨てられるんですね」

 

 いつぞやに自分が言ったことを思い出す。学院の生徒であろうその目眩まし側の誰かを断罪したところで、その家が件の人物を罰してしまえばそれで終わりだ。ダメージを受けないわけではないだろうが、本丸に切り込めはしないだろう。

 

「かといって、強引に黒幕である精霊とそれに繋がっている家をどうにかすると」

「私がひっっじょぉ~に面倒なことになるんで、許可しませんよ」

 

 解析を終えたのか、魔道具を片手で弄びながら、ベルフェルスがこちらに振り返って目を細めていた。神獣として余計な仕事をしなければいけない状況を作られるのは、彼には我慢できないらしい。

 

「まあ、国の一大事なら話は別ですけど、その程度なら私に仕事作らないで欲しいものですねぇ」

「場合によっては四大公爵家の一つが危ないんですけど」

「だから、その程度なんですってば。四大公爵家が三大公爵家になったところで、あるいはノシュテッドの代わりに別の家が公爵になったところで。私にとっての国の一大事にはならないんですよ。自分の身は自分で守ってください」

 

 やれやれ、と肩を竦めたベルフェルスは、そこでニヤリと口角を上げた。別に問題なく出来るでしょう、と言葉を続けた。

 

「そもそもリリア君。あなたバエルゼブから加護もらってるんですし、その上で私にも協力要請とか、ちょっと贅沢すぎますよぉ」

「それは――――は?」

 

 今なんつった。一瞬圧されかけたリリアは、彼の言葉に聞き流せないものがあったことで勢いよく顔を上げた。その反応をされた方はされた方で、何でそんな反応なのかと驚いている。

 

「わたしに、雷の悪魔の加護が?」

「そりゃもう、なんというか契約してますとばかりにビンビンですよ。まあ基礎能力が高すぎるせいでおまけ程度にしか役立ってなさそうですけど」

 

 さっき言っていた特別な力というのがそれだ。そう締めたベルフェルスの表情に嘘はない。カイルを見ても何か企んでいる様子はなく、普段通りの胡散臭い顔だ。ルシアはああやっぱりと納得しているように頷いているので、分かる人には分かるのだろう。

 隠された力の覚醒フラグ! ムダ知識がテンション高めにそう主張しているが、当の本人であるリリアにはいまいちピンとこない。いつのまにそんなことになったのだろう、と心当たりを探っても、可能性があるのは一つで。

 

「あの時倒れた原因が……?」

「そこまでは私には分からないので、後で本人に聞いておいてください」

「本人に聞けと言われても……」

 

 会ったこともない雷の悪魔とどう話せばいいのやら。難しい顔でううむと唸るリリアを見て、ベルフェルスはやっぱりそうかと納得したように腕組みをし頷いた。そうしながら、カイルにジト目で視線を向ける。

 

「これ私が口滑らせたらどうするつもりだったんですか?」

「あれ? バエルゼブ様からは何も言われてなかったんですか?」

「言われてないですよぉ。そもそもあいつ飯抜きにされたから奢れってたかってきたんですし」

 

 事件の話をする以前のことであり、最近はあまり来ていない。カイルにそう告げると、彼は何がおかしいのか胡散臭い笑みから少年らしく楽しそうな笑顔へと変わった。成程成程、と何かに納得したように頷いた。

 

「ベルフェルス様」

「何ですか?」

「解析も終わったみたいですし、その結果を理由に、少し動かさせてもらいますよ」

「私に面倒事は増やさないでくださいよ。あとバエルゼブには今度そっちが飯奢れって言っておいてください」

「ははは。了解しました」

 

 



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第二十二話

そろそろバトルフェイズ


 幼い頃から物語が好きだった。両親にはあまりいい顔をされなかったけれども、恋愛ものが特に好きだった。

 そんな自分に、侯爵家にたびたびやってきた妖精は君が好きそうだからと物語を聞かせてくれた。家では読むことが出来ない、様々な恋物語を教えてくれた。

 その中でも特にお気に入りだったのが、王子様と身分の低い少女の恋物語。妖精は様々な設定で、王子と少女の話を語ってくれた。国や舞台は違えども、大好きなそこだけは変わらない。王子様は少女と恋をする。

 そして、それらに毎回といっていいほど出てくるのが、王子の婚約者。時には婚約者ですらなく、身分が釣り合うからそうに決まっていると自称するだけの令嬢もいた。どちらにせよ、結局は王子とは結ばれないし、彼が恋した少女に嫉妬し、様々な嫌がらせをしたことで断罪されるのだけれど。

 何度も何度も。何十通りの物語を聞かされたことで、自分もいつかこんな物語が起きればいいのに、と思うようになった。主役でなくともいい、王子と少女の恋物語を、近くで見ることが出来るだけでいい。そんな風に考えていた。

 だから、魔導学院で彼女を見た時は、夢かと思った。他国から来た、平民の留学生。とても可愛らしくて、誰もが恋に落ちそうな少女。そしてその横には、王国の王子と、公爵令息である騎士の少年。何度も何度も聞いた、あの物語と重なる光景がそこにあった。

 その時の自分の心は、まさに歓喜に打ち震えていただろう。ああ、これから本当の恋物語が見られるのだ。そう信じて疑わなかった。だってそうだろう、王子と平民の少女がそこにいて、交流をしているのだから。

 でも、物語通りだということは、当然そこには悪役もいる。あの留学生の少女と王子の間には、いつも邪魔な公爵令嬢がいた。物語と同じ、王子の婚約者でもないくせに、身分が近しいという理由だけで彼の近くにいる女。そしてきっとこれから、あの少女を虐める女。

 案の定というべきか、物語の通りと言うべきか。公爵令嬢を調べてみると、少女に酷いことをしているのが分かった。あんな可愛らしくか弱い少女を、あの公爵令嬢は人目のつかないところで思い切り殴り飛ばしたのだ。それだけでは飽き足らず、冒険者ギルドなどという少女に似つかわしくない場所へと連れて行き、あまつさえ魔物の討伐依頼まで請けさせて、疲れている彼女を噴水へと突き落としていた。物語の悪役令嬢と同じようなその行動に、自分は思わず歯噛みした。

 思えばあの公爵令嬢は昔から評判が悪かった。父親である公爵に溺愛されたからなのか、我儘で癇癪持ち、自分の気に入らないことが大嫌い。おおよそ淑女としては失格で、物語のヒロインの器ではない。最近は少し大人しくなったと言われていたが、何のことはない、ただ表立って行動しないことを覚えただけなのだ。

 だから決めた。自分はヒロインを助けようと。あの悪辣な公爵令嬢を断罪し、王子と少女の恋物語を成就させてあげようと。物語が紡がれるのを、目の前で堪能しようと。

 侯爵家にやってきた妖精にそのことを話すと、彼は笑顔を見せてくれた。それはとても素晴らしいことだ、と言ってくれた。彼はずっと自分に物語を聞かせてくれた善良な妖精だ。そんな彼がこう言ってくれたのだから、もう自分は迷うことはない。同じように少女を心配し、あの悪辣な令嬢を嫌っている生徒たちを集め、少女の味方を作ろうと奮起した。

 その過程で、わざと取り入って公爵令嬢の立場を引きずり下ろしてやろうと画策する連中の存在を知ったけれど、丁度いいと放置した。公爵令嬢のおこぼれをもらおうと考える連中との区別もつかなかったし、元より助けてやる義理もない。ある日の廊下でのやり取り――権力を笠に着る伯爵令息には大した注意をせず、令息が責め立てていた平民には不快感を表し罵倒した、という場面を見る限りでも、公爵令嬢本人も本質は変わらないようだし、お似合いだろう。

 こちらは違う、淑女として、貴族として。きちんと正しい信念を持っている。だから、あんな悪辣な悪役に、悪役令嬢などに負けるはずがない。

 だって。妖精も、応援してくれているのだから。

 

 

 

 

 

 

「あれがそいつです?」

 

 ひょこ、と隠れた場所から顔を出しながらルシアが問い掛ける。問われた方は同じくこっそりと覗き込みながらそうらしいですねと返答した。ちなみにその情報を用意した張本人であるカイルはこの場におらず、証拠品を解析したベルフェルスも当然同行していないし加護などの協力もしていない。

 

「ヒルデ・アードラー。アードラー侯爵家の長女で、兄が二人。貴族の威光を振りかざさないタイプで、評判は悪くないですね」

「めっちゃ受け売りですね」

 

 手元のメモを見ながらそう述べるリリアに、ルシアはあははと苦笑する。まあその手の調査は向こうの連中の専売特許、こちらがそれを気にする必要はない。そんなことを思いながら、じゃあリリアさんとしてはどういう感想持ちやがりますかと問い掛けた。

 聞かれたリリアは、向こうにいる少女を、程よく手入れされた金髪や可愛らしく整えられたかんばせを眺める。少なくとも性格が捻くれた形跡は見当たらない。場合によってはヒロインも務められるビジュアルだろう。

 あれ? ひょっとしてあの娘がヒロインじゃない? 突如浮かび上がったムダ知識由来のそれに、リリアは目を見開いた。

 

「いや、でもハーレムものならば複数いてもおかしくないんですよね……」

「いきなりどうしやがったです?」

「あ、ごめんなさいルシアさん。こっちの話なので気にしないでください」

 

 自分の考えが正しければ、これでヒロインは自分、ラケル、ルシア、そして向こうのヒルデで四人。場合によってはヒロインが二桁いるのも普通らしいので、この程度ならば全然許容範囲である。まあその分一人一人の描写が減る可能性が高いから、彼女としてはこのくらいで留めておいて欲しいのが本音であるが。

 そんな脱線した、と本人は微塵も思っていない余計な思考をしつつ、先程のルシアの問い掛けに答えを出す。悪い人ではなさそうですよね。そんな誰でも言えるような答えを口にして、ムダ知識が語彙力ゼロかよと脳内でツッコミを入れていた。

 

「でも、リリアさん悪役にしやがったやろーですよ?」

「その辺はちゃんとぶっ飛ばすんで大丈夫です」

 

 バシン、と掌に向かって拳を打ち付ける。確かに調査を見る限り、自分で観察した限り悪人ではなさそうだという結論は出した。が、それはそれとしてムカつくのでぶん殴る、というのは彼女の中では何ら矛盾していない。自分が気に入らなければ王族に喧嘩を売る少女である、葛藤とか迷いとかそういう王国に住まう人としての常識はこれっぽっちも持ち合わせていないのだ。

 そんなリリアの発言を聞いたルシアは、なら問題ないとばかりに笑みを浮かべた。大有りである。これでゴーサインを出したら最後、じゃあ遠慮なくとリリアは喜々として向こうの令嬢に喧嘩を売ってぶん殴る。予想ではなく、確定だ。

 

「はいはーい。ストップストップ」

「あ、エル」

 

 後ろから声。振り向くと、呆れたような顔でこちらを見ているエルの姿があった。ハイ撤収撤収、とリリアの襟首を掴むとずるずると引きずっていく。ルシアはそんな二人を見て、そしてもう一度後ろを振り向いた。アードラー侯爵令嬢ヒルデ。どうやら自分を守ってくれようとしているらしい少女。それだけならば、この学院で出来た友人と同じともいえる存在。

 

「なら直接来やがれって思っちまいます」

 

 それならば、友達になれただろうに。そんなことを思いながら、ルシアは拘束から抜け出したリリアがエルとギャーギャー言い争っている方向に視線を戻した。可憐な少女らしからぬ、わははと思いきり口を開けて笑いながら、彼女はそちらへと駆けていく。

 

「あ、来た。ルシアさんはお嬢さまみたいに何にも考えずに飛び出そうとしちゃダメですからね」

「そういうわたしが常に何も考えてなさそうな言い方はやめてくれませんか?」

「別に常にとは言ってませんよ、カイル王子じゃあるまいし」

 

 言外にカイルならばお前のことを常に何も考えてない扱いしてるぞと抜かしつつ、エルは追いついてきたルシアに向き直る。確認は終わりましたか? そう尋ねると、彼女はコクリと頷いた。

 

「わたしには聞かないんですか?」

「聞く必要あります?」

「わたしは! 公爵令嬢! 会ったことくらいあります!」

 

 嘗めんな、と吠える。ふーん、とそれを流したエルは、まあそんなことは置いておいてとジェスチャーをした。リリアが一歩踏み出し握り込んだ拳を振り上げる。

 

「じゃあ聞きますけど、そんな事前情報を持っていたお嬢さまの出した感想は悪い人じゃなさそう以外だったんですよね?」

「…………」

「完全に読まれてやがりますね」

 

 ほら聞く必要なかった、と握り込んだ拳を下ろしてプルプルしているリリアに追い打ちをかけたエルは、もう一度同じ問い掛けをルシアに述べる。

 それ自体は先程自身がリリアに向かって言ったことをほぼ同じ。そして、自分としてもパッと思いつく感想はそんな彼女と同じものだ。この国で出来た自身の大切な友人を悪人だと思い込んでいなければ、であるが。

 

「ん~……。あ、何か騙されやすそうって感じはしたですね」

「お嬢さまみたいな?」

「ぶん殴りますよ」

「リリアさんとはちげーやつです。なんてゆーか、純粋っていうか」

「……あれ? 今わたし純粋じゃないって言われた?」

「お嬢さまは単純に頭のいいバカですしね。そりゃ純粋培養のお花畑とは格が違いますよ」

「フォローになってない! ……じゃない、これそもそも普通に馬鹿にしてる!?」

「半々じゃねーです?」

「それはそれで酷いんですよ!?」

 

 一ヶ月半くらいなのに、既にルシアが自分に容赦ない。そんなことを思いながら、リリアは気を取り直すように咳払いをした。話を元に戻しましょうよ、と二人に述べた。

 エルはそんな彼女の言葉を聞いても、元に戻すとはどこに戻すのだと首を傾げている。思い切り自分を馬鹿にする方向に舵を切っておいて何を抜かすのかと睨みつけたが、勿論そんなことで怯むメイドではないわけで。

 

「騙されやすそうって話ですよね? なら別に話ズレてませんよ? お嬢さまの場合は考えるのは苦手じゃないのに面倒くさがるから騙されたり言いくるめられる時があるタイプで、こっちの令嬢とは違う」

「あっちの人はそうじゃねーです。この間の侯爵令息の人にちけー感じですね」

「成程。言われてみればそうかもしれませんね」

 

 ふむふむ、と二人の言葉を聞いて頷く。そういうところですよ、とエルが口角を上げ、うんうんとルシアが苦笑していた。

 そんなことを言っているうちに、学院内のカフェテラスの片隅にある人のあまり来ない場所、皆で集まるそこまで秘密じゃない基地へと辿り着く。最近は第二王子と悪逆令嬢が訪れる空間ということで本気で人がいなくなりつつあるが、ともあれそこにあるテーブル席へとついた二人は、先にやってきて紅茶を飲んでいる三人に目を向けた。二人は澄まし顔、一人はなんとも言えない苦い顔だ。

 

「グレイくんだけコーヒーですか?」

「違う」

 

 リリアの言葉に簡潔にツッコミを入れたグレイは、ちょっと目を離した隙にどんどん進んでいったからだと言葉を続けた。そうしながら、このままだと自分が一番知らない立場になってしまうとぼやく。

 

「へぇ、そうなんですね」

「リリア嬢、何だその嬉しそうな顔は」

「わたしが仲間外れになってないって素敵だなって」

「仲間はずれにした覚えはないんだけどね」

 

 はは、とカイルが笑う。そんな彼にギロリと睨みを向けたリリアは、表情を戻すとグレイに向かって身を乗り出した。そういうことならば、わたしが教えてあげます、と彼に顔を近付けた。

 

「近い」

「あ、ごめんなさい。説明できるのが嬉しくてつい」

 

 ちなみに、ずずいと乗り出したので彼女の年齢に似つかわしくないたわわなそれがゆさりとしていたが、グレイは必死にそれを見ないようにしていた。カイルはそんなグレイを見て笑っていた。

 

「ふふっ。じゃあ、リリア、彼に少し説明してあげて頂戴」

「分かりました」

 

 ラケルも笑顔でそう述べるので、リリアはますます上機嫌で口を開く。まずはグレイの知っている部分を聞き、自分の情報と照らし合わせる。そして彼の見落としを確認し、それから彼の知らない情報を紐づけて口にした。それは分かりやすく、カイルとラケルが時折補足を挟むがその程度で、むしろ自体の纏めとしては非常に優秀だったりするわけで。

 

「エルさんが言いやがるリリアさんの感想ってすげー的確ですよね」

「これでもあの人が変になる前からお世話係してますしね」

 

 聞き役になっていたルシアが、同じく口を出さないようにしているエルに向かってそんなことを述べる。エルはエルで、どこか自慢気にそんな言葉を返していた。変になる前、彼女がまだ悪役令嬢街道を驀進していた頃からの付き合いだ。我儘で、癇癪持ちで、自分が気に入らないことは大嫌いで。そのくせ才能だけはとんでもなくて。

 まあ今も同じですけど、とエルは笑う。変になっても我儘のままだし、沸点低過ぎてすぐ癇癪を起こすし、自分が気に入らないことは大嫌いなのも変わらない。そして才能だけはとんでもなさに磨きがかかって。

 

「知ってますか? 昔のお嬢さま、割と他人を人と思わない感じだったんですよ」

「そうなんです? 全然イメージちげーですけど」

「いかにも身分を傘にきた嫌味な貴族感バリバリだったんですよねぇ。それがあんな、身分とか関係なく嫌いなやつはぶっ潰すタイプになっちゃって……」

 

 少なくとも、人を人として見るようになった。身分で判断しなくなった。良いことか悪いことかで言うと半々。でも、少なくともエルにとっては、とても良いこと。

 

「だからあのアードラー侯爵令嬢が、目眩ましの犯人だと思います。けど、なんだか少しおかしいような」

「いや、その答えは合っているよ。ただ、君を悪役令嬢に仕立て上げた根底部分は恐らく彼女じゃない」

「そちらは黒幕側が起点でしょうね。そこに私達が介入して膨らませた結果、黒幕に目眩まし役にされたあの侯爵令嬢がリリアを断罪する側として台頭した。その理由が正義感を拗らせたのか、もしくは別の要因か、はまあ些細な事だけれど」

「な、成程……」

「グレイくん、分からないなら分からないって素直に言っていいんですよ?」

「お前に言われると何だか物凄く負けた気になる……」

「何でですか」

 

 視線を動かすと、説明の結論に入りかけた状態で、突如議論を打ち切ってグレイの胸ぐらを掴むリリアの姿が見えた。うんうん、とそんな姿を見ながら満足そうに頷いたエルは、まあそういうわけですから、とルシアに述べる。今も昔も知っている自分が言えることとしては、と笑みを浮かべる。

 

「もうちょっとしたら、大舞台でお嬢さまが暴れるんだろうなぁって思うとワクワクしますね」

「何かやべーこと言ってやがるですこの人」

 

 



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第二十三話

宴スタート


 この世界では主に物事が八つの属性に分けられている。基本属性、表属性と言われる火・水・風・土。応用属性、裏属性と呼ばれる雷・氷・空・木。火と雷、水と氷、風と空、土と木がそれぞれ対になるとされ、大まかに分ける際にはそれらを纏め四つにされる。

 季節はその最たるもので、土と木が司る春、火と雷が司る夏、風と空が司る秋、水と氷が司る冬の四季に分類される。

 そんな春の季節、学院では一年生最初の定期テストが行われた。貴族の子女は家庭教師に習っていたこともあり苦戦することは少ないし、平民でもこの魔導学院に入学できるだけの実力を持っているのならば躓くこともそうそうない。序盤のテストはそういうものだ。

 

「うぐぐぐぐ」

「なんというか、これはしょうがないんじゃないでしょうか……」

 

 が、ルシアは戻ってきた赤点ギリギリの答案を見て項垂れている。そんな彼女を見てリリアは苦笑していた。溜息を吐いているルシアの地頭は決して悪くなく、普段の授業態度も問題ない。当然というべきか、授業を理解していないということもない。

 ならばなぜ赤点ギリギリか、といえば。

 

「文章の言い回しや答え方にどうしてもズレが出てるんですよね」

「最初にみんなから言われたことが別の形で出てきやがったですよ……。とゆーか、普通にこれ成績で文句つけられるやつです」

 

 シオシオと萎れたような表情で再度盛大な溜息を吐いたルシアは、そこで力尽きたのか机に突っ伏した。ううう、と地の底から響くようなうめき声を上げているその姿は、見た目の可憐で華奢なビジュアルとの差で脳がバグる。ムダ知識由来のその言い回しを思い浮かべながら、リリアはでも、と声を掛けた。

 

「その辺りは先生たちも分かってるでしょうし、実際の成績はそこまで酷いものにはならないと思いますよ」

「……ほんとーです?」

「多分」

 

 断言は出来ないけれど、きっと。そんな風に続けると、まあその可能性があるだけでも儲けものだとルシアは顔を上げた。落ち込んではいるものの、予想していなかったわけでもない。問題そのものが分からなかったわけでもないので、次の定期テストまでにこちらの文章を手早く読み解けるようになればいいのだ。

 よし、と頬を叩くと、ルシアはそのまま立ち上がる。答案用紙をカバンに放り込むと、じゃあ行きましょうとリリアに笑顔を見せた。

 

「んで。定期テスト終わったあとのイベントってこれ、なんなんです?」

 

 教室を出る。そしていつものように隠れていない秘密の場所へと向かう途中に、ルシアは気になっていたことをリリアに尋ねた。が、問われた方のリリアも、彼女のその質問にはしっかりと答えられない。

 定期テストの後、学院ではちょっとしたパーティーが行われる。知識と実践、それは何も一般教養や魔法だけに留まらないわけで。

 これもその一環。定期テストの打ち上げも兼ねて、学院はそれなりの身分による社交の模擬体験をさせようという腹積もりだ。

 

「平民の特待生やそれほど裕福ではない貴族は、あまりそういう場に馴染みがないですからね。その辺りを狙ってこういうイベントを計画している、んだと思います」

「リリアさんもはっきりわからねーですか」

「わたしはその辺調べたりとかしませんしね」

 

 あはは、と頬を掻きながらリリアは笑う。正確にはエルがその手の話をしていてもまあ別に問題ないだろうでスルーしていた、が正しい。実際彼女のスペック自体はとても高く、公爵家の娘というだけはあってその手の実践は既に経験済み。身分の高さも相まって、多少のミスで蹴落とされるようなこともなく悠々と学んで今に至っている。

 

「流石は公爵令嬢さまってやつですね」

「そうですね。……あれ? ルシアさんだって教国でそういうの経験しているんじゃ?」

「あたしがそーゆーのやれるわけねーですよ」

 

 こちとらちょっと前までド田舎の村娘だぞ。そんなことを言いながら、ルシアは社交めんどくせーというオーラを隠そうともしない。それでも逃げ出したりサボったりという選択肢を出すことがないのは、彼女の根が真面目な人物だからか、あるいは何だかんだ聖女という立場の責任を感じているからなのか。

 

「……あー、でもよくよく考えればあたし以外みんな身分たけーんですよね」

「あはは。まあ確かに、カイル様は第二王子だから当然として、グレイくんはわたしと同じ公爵家ですし、ラケルも辺境伯令嬢でギルド元締めの跡取りだから苦手なわけないでしょうし」

「気が滅入ってきたですよ……」

「まあまあ。入学して最初なんですから、失敗してもむしろ当然くらいの感じでいいんじゃないですか?」

「だといいんですけど」

 

 はぁ、と溜息を一つ。さっきまで定期テストの成績とはまた別の悩みで、なんだか今日は悩みっぱなしになりそうだとルシアは思う。今からこの調子では、はたしてパーティー本番ではどうなってしまうのやら。そんな悩みまで浮かんできた。

 

 

 

 

 

 

 ちなみにその悩みはカイル達と合流した時点で吹き飛んだ。解消したわけではない。別の悩みをぶっ込んできたから、である。

 

「……なんて?」

 

 ルシアの横ではリリアも同じように目を瞬かせている。そんな彼女を見ながら、ルシアはこの間エルが言っていたことを思い出していた。そろそろお嬢さまが暴れると思うとワクワクする。確かそんなようなことを言っていたはずだ。

 

「こういうことですか」

 

 眼前ではカイルに文句をぶつけるリリアが見える。当然というべきか、彼は彼女のその文句をさらりと躱し丸め込もうとしていた。実行するならば早いほうがいい。手間取ればそれだけ、助けられない人も増える。そんな王子らしい、そしてカイルらしくない発言までのたまっていた。

 

「カイル様が他人の心配するとか怪しすぎませんか?」

「信用ないなぁ」

「信用はしてますよ。違う意味で」

「確かにそうだね」

 

 リリアの言葉にカイルは楽しそうに笑う。じゃあどう攻めるべきか。顎に手を当て考える素振りを見せながら、彼はラケルへと視線を移動させた。

 

「そうね……。まあ実際問題、リリアやルシアさんの学院生活のためにも、出来るだけ早く解決した方がいいのは確かね」

「ん~。だとしても、ちょっと急ぎ過ぎじゃないですか?」

「そうでもないわ。むしろこれ以上時間を掛けると、相手に有利な盤面を作られる可能性があるもの」

 

 机の上に広げてある資料をこつんと叩く。精霊が黒幕側なのは共通認識、この間リリアとルシアで確認した侯爵令嬢が目眩ましにされている実行犯だということも同様。

 そして、黒幕側はこちらが調査を進めているということを知っている、ということも前提の知識だ。

 

「えっと。ラケルが囮になってわたし達がベルフェルス様に魔道具を調べさせたことでしたっけ?」

「ええ。どこまで抜かれているかは推測だけれど、少なくともこちらが向こうに近付いているというのは確実に知られているでしょうね」

「…………それって、ひょっとして向こうもこのパーティーで何か仕掛けてくるかもしれないってことですか?」

 

 その場合、こちらが後手に回る。準備を怠ったまま罠に飛び込んでいくことになるし、掴んだそれを別のものにすり替えられるかもしれない。何より、分かっていて何もしないで進むのは無謀を通り越して馬鹿だ。

 

「確かに言われてみると、丁度いいタイミングって感じがしやがりますね、これ」

「そうだな。リリア嬢の評判を落とすにはうってつけだ」

「ねえグレイくん、それ何だか意味違いません?」

 

 お前ああいう場所だとやらかすよなぁ。黒幕とは関係ない部分の心配をされたような気がして、リリアは思わずグレイを睨んだ。気のせいだ、と彼は目を逸らしたが、ぶっちゃけその行動をした時点でアウトである。

 

「ははは。そんなに心配なら、グレイ、君がリリア嬢をエスコートしてあげればいいじゃないか」

「は?」

「え?」

 

 二人が同時に素っ頓狂な声を上げた。グレイは何を言っているんだと慌てたような様子で。そしてリリアはこれってそういうのがいるやつなのという驚きで、だ。

 それをこの場の面々も理解したのだろう。グレイの心配が急に現実味を帯びてきたような気がした。

 

「お嬢さま……いくらなんでもそれはちょっと」

「いやいやいや! でもだってそこまで形式ぶったものじゃないですよね!? 平民の特待生の人とか、普段社交をしていない貴族の人とかだっていますし、そんな急にエスコートの相手なんか用意できないですよ」

「そうだね。そういう人達は勿論そんな縛りはない」

 

 カイルは笑みを浮かべたままだ。それで、と言葉を続けながら、短い一言で何となく察し始めたリリアに向かって問い掛けた。

 

「君は、そういう人達かい?」

「ち、違いますけど……。ルシアさんにもまあ慣れてますけどねって言っちゃいましたけど……!」

「さっき彼が言ったこともあながち間違ってはいないわ。恐らく向こうは貴女の評判を落とそうと画策してくる。目眩まし側が、だけれど」

「それを使って、黒幕が公爵家を貶める足がかりにするつもりってことですか」

 

 家を勘当なり追放なりされて、ヒロインレースに脱落するどころか場合によっては物語から退場するやつだ。ヒロインかと思った? 残念、この話限りの使い捨てでした! とか洒落にならない。

 ムダ知識が無駄に不安を煽ってくるが、リリアはそれを聞いてむしろストンと何か納得する音を聞いた気がした。自分がヒロインの一人なのは間違いない事実なのだから、つまりこれから起こるのは、主人公の活躍に他ならない。ムダ知識の警告ガン無視の結論である。

 

「分かりました。そういうことなら、お願いします」

「え?」

「何ですかグレイくんその顔」

「い、いや。まさか了承するとは思っていなかったから」

「わたしのこと何だと思っているんですか。エスコート役がグレイくんなら別に嫌がりませんよ」

「え?」

「だから何ですかその顔」

 

 二人のやり取りを聞いたカイルが笑いを堪えすぎて痙攣している。その横では、ラケルが笑みを浮かべたまま紅茶に口を付けていた。勿論止めないし説明もしない。

 

「エルさん」

「どうしました?」

「これって、そーゆーことです?」

「どうなんでしょうかね。少なくともお嬢さまはさっぱりでしょうけど」

 

 

 

 

 

 

 パーティー当日。生徒達は制服と共に学院指定で用意されていた礼装に身を包み会場へとやってきていた。ドレスなどを自前で用意できない生徒への配慮であるとともに、威光を振りかざすような過度な装飾を控えさせる意味合いもある。

 などという理由は大半の生徒にとっては特に意味のあるものではなく、用意が楽でラッキーくらいだろう。後は一部の貴族が平民と同じで不満だと内心思っているくらいだろうか。

 

「リリアさんはそのままなんですね」

「はい?」

「ちらっと見てると、アクセサリーとかつけてる人達がいやがりますから」

 

 会場でルシアがそんなことを述べる。ああ成程と頷いたリリアは、別に用意しても良かったんですけど、と彼女に返した。

 

「多分ここで暴れるじゃないですか。壊すともったいないと思って」

「発想がやべーやつです」

 

 言わんとしていることは分からんでもないが、それでいいのか。ついこの間までド田舎の平民であったルシアですらそう思うのだ。他の面々は一体どんな反応をしたのだろうか。

 そこまで考えて、いや驚くのは一人くらいかと思い直した。ひょっとしたらエルは呆れていたかもしれないが、残り二人は間違いなく笑っている。ベクトルは多分違うが。

 

「って、あれ? リリアさん何で一人です?」

「はい?」

「エスコートされてやがったんですよね?」

「グレイくんなら来てそうそうカイル王子に引っ張れていきましたよ」

「……ちょっとグレイさんに同情するですね」

 

 張り切ってたんだろうなぁ、とルシアはほんの少しだけ遠い目をする。とはいえ、恐らくただ単に嫌がらせではなくこれからの仕込みのためだろう。そう考え、彼女はならばと残りの面子の姿を探した。

 視線を暫しさまよわせれると、そこにはすっかり見慣れた銀髪の少女と、学院ではあまり顔を合わせない赤毛の少年が。

 

「あれ?」

「どうしました?」

「キースさんがいやがりますよ」

「それはそうですよ。一応あの人ラケルの付き人扱いにされてますし」

 

 エルのように学院にいることは殆どないが、書類上は似たような立場となっている。なので、今回のような場では彼女の従者として出席することも可能なのだ。勿論服装は学院指定の礼装ではなく、執事服であったが。

 へー、と頷いているルシアに気付いたのだろう、ラケルがこちらを振り向き笑みを浮かべた。そうしながら、キースを伴ってこちらへと歩いてくる。

 

「やっと合流できたわね、リリア、ルシアさん。一緒に入場できなくてごめんなさい」

「あはは。みんなバラバラだったし、しょうがないですよ」

 

 ラケルの言葉にリリアはそう返し、笑う。が、当の彼女は少しだけ不満そうに二人を見た。でも、貴女達二人はすぐに合流できていたでしょう、と。

 

「何だお嬢、拗ねてんのか?」

「別にそういうわけではないわ。自分の手際に少し不満を持っただけよ」

「そこはしょうがねぇだろ。そこのと違ってお嬢は色々手回ししてたんだしよ」

「誰がそこのですか誰が」

 

 ああん? とリリアがガン飛ばす。この場でやることじゃないだろと若干引いたキースは、視線をそのまま横のルシアへと向けた。礼装を着ているおかげで普段よりも少しだけ凛とした佇まいになっている彼女を見て、彼は思わずゴクリと喉を鳴らす。いつもはそのままにしている肩口までのピンクブロンドを今日はアップにしており、顕になっている少し尖った耳や項が色気を醸し出していた。

 

「る、ルシアちゃん」

「はい?」

「似合ってるぞ」

「へ? あ、服です?」

「そっちもだけど、いやほら、その、髪型とか」

「ほんとです?」

 

 ぱぁ、と彼女の表情が明るくなる。教国の教会では魔族寄りの尖った耳は歓迎されず、視線が気になった彼女は出来るだけ耳を隠す髪型にしていた。だから、今回、王国に来たことで少しだけ挑戦してみようと思い立ったのだ。リリアやラケルは似合っていると言ってくれていたし、グレイとカイルも大丈夫だとは言っていたものの、いざ他の人の反応がどうなのかは多少なりとも気になっていたわけで。

 ちなみにそういうわけなので、ルシアにとってキースはまだそこまで親しい範疇に入りきっていない。哀れ。

 

「まあ、何だかんだ慣れちまったんでパーティー終わったら元に戻すですけど」

「そうなのか。ま、まあ、ルシアちゃんはどっちの髪型でも似合ってるし、可愛いからいいんじゃないか?」

「……キース」

 

 お前それはただのナンパ男だ。そうは思ったし少しだけ溜息を吐いたが、ラケルは別に止めない。面白がっていないわけでもないが、わざわざ口を出すのも野暮だろうと思っているからだ。自分の恋愛は自分でやればいい。

 それはそれとして、と彼女はリリアに声を掛ける。準備は大丈夫、と問い掛ける。

 

「準備らしい準備はしてないですけど、まあ覚悟は決まってますよ」

「ええ、それで充分よ。私もある程度工作はしたし、カイル王子も根回しをしているでしょうから」

 

 リリアがやるのは、ただ真っ直ぐ犯人とぶつかるだけでいい。そんなことを言いながら、パーティー開始の挨拶を静かに聞く。学年主任や他の教師が壇上で話をし終えると、後は各々好きに楽しむ時間だ。きちんと用意されたダンスホールで、エスコートしていた男子生徒が令嬢を踊りに誘っていく。

 そのタイミングで、急いで戻ってきたらしいグレイがリリアの前に立った。間に合った、と大きく息を吐いた。

 

「あれ? グレイくん。ひょっとして、ダンスのお誘いだったりします?」

「出来ることならば俺もそれをしたいさ」

 

 社交辞令、のように聞こえるそれを耳にして。ピコーン、と脳内のムダ知識がフラグ立ってるフラグ立ってる、とうるさく騒ぐ。なんのこっちゃとそれを押しのけようとしたリリアだが、フラグの意味は既に脳内ムダ知識から教わっているので、完全に分からないということもないわけで。

 

「どうした? リリア嬢」

「あ、いや。グレイくんってわたしのこと好きだったりするのかなって」

 

 ピシリとグレイの動きが止まった。横ではギョッとした目でルシアが彼女を見ている。学院内でのやりとりを直接見ているわけではないキースは完全に野次馬だ。

 そしてラケルは。

 

「リリア、そういう話は後にしましょう。……いたわよ、あのご令嬢が」

「あ、そうでしたそうでした」

 

 パンパンと手を叩いて、彼女はリリアの意識を件の侯爵令嬢に向ける。そうだったそうだったと即座にムダ知識の無駄話をゴミ箱に放り投げたリリアは、言われた通りに令嬢を見て、そして眉を顰めた。

 服装は同じ礼装。そして各々独自のアクセサリーという普通の出で立ちだ。あくまで一般人からすると、である。見るものが見ればそのアクセサリーが普通ではないのは一目瞭然。

 

「あのアクセサリー。変じゃないですか?」

 

 高スペックを面白がられて何でもかんでもノーラに叩き込まれた結果である。普通ではまず身に付けないであろう知識により、あれが精霊由来であることを彼女は見抜いた。

 

「変、ですか? ……んん? あれって何か淀んでやがりますね」

「今回のパーティーのために実家から用意されたものだそうよ。恐らく、黒幕が何かしらを仕込んでいるのでしょう」

 

 チート聖女はリリアの言葉でそれを認識して肯定し、暗躍令嬢は既に掴んでいた情報で補足する。承知の上のグレイは頷き、またしてもほとんど分からないキースはマジかよと驚いた。

 

「どっちにしろ、あれは付けてて良いものじゃないですよ」

「……どうする気なの?」

「遅かれ早かれですし、直接行きましょう」

 

 リリアの言葉にラケルは微笑む。分かったわ、と頷くと、残りの面々にも了解を取った。いきなり暴れないように、と男性陣は彼女に釘を差したが、まあ守られないだろうことも承知である。

 そんなわけで、彼女達はカイルの合流を待つことなく、目眩まし役になったのであろう大元の令嬢へと歩みを進めていくのであった。

 

「さて。貸し、一つですわよ」

「……分かっている」

 

 ちなみに、リリアの背後でそんな会話が繰り広げられていたことを、彼女は知らない。

 

 



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第二十四話

口撃フェイズ


「ごきげんよう、アードラーさん」

「え? ご、ごきげんよう」

 

 唐突に話しかけられたことで、ヒルデ・アードラーは一瞬反応が遅れた。どうして彼女が、という驚きによるものだ。なにせ目の前にいるのはリリア・ノシュテッド、ヒルデが内心嫌っている『悪役令嬢』その人なのだから。

 一体何がどうなっているのか。そんなことを思いながら、ヒルデは目の前の公爵令嬢を見る。人に威圧感を与えるようなつり上がった目は、こちらを真っ直ぐに見詰めていた。臆病な令嬢は、否、男女関係なく、初めから逆らおうと思っている人間でもない限りそれだけで竦み上がってしまうような力を持ち合わせているその瞳を、ヒルデは臆すことなく見詰め返す。王子様とヒロインの少女の恋物語を邪魔するような悪役に、決して負けてなるものか。そんな覚悟も決めていた。

 それに対し、彼女の周囲にいた生徒達は明らかに及び腰になった。リリアが近付いてくるにつれて身構え、ここで止まったことで波が引くように距離を取る。結果としてヒルデだけが取り残される形になった。が、彼女はそれを責めない。それならば仕方ないと思うのみだ。

 

「何だか他の人達離れていっちゃいましたけれど、いいんですか?」

 

 一方そう思わないのはリリアである。自分が避けられているのはまあこれまでのカイル達の暗躍の結果なので重々承知だが、しかし目の前の連中はそれでも逆らう奴らじゃなかったのか。そんなことを思いながら、ムダ知識のざぁこざぁこという謎の煽りを払い除けつつ思ったことを口にする。ちなみにその煽りはそれはそれで良さそうなのでどこかで使おうと彼女は思った。アホである。

 

「……私の友人を侮辱するのですか?」

「え?」

 

 ともあれ。リリアのその言葉は当然ながら向こうに対する悪意の言葉だと認識された。お前の周りは臆病者だらけで、情けない奴しかいないのか。そう言ったように聞こえたのだ。

 勿論言った。誤解でもなんでもない。

 

「別に侮辱はしていませんよ? 弱虫だなぁとは思いましたけど」

「侮辱しているではないですか」

 

 その通りである。リリアの後方、少し離れた場所ではラケルが楽しそうにクスクス笑っていた。キースとルシアは面白いと呆れが半々、グレイは呆れ百パーセントだ。

 

「そういう貴女はどうなのですかノシュテッドさん。見たところお一人で、ご友人の姿が見えないようですが」

「わたしのお友達のみんなは向こうで待ってもらっています。一人で話したかったので」

 

 そう言いながら視線を後ろへ動かした。取り繕うことなく先程の状態のままの四人が見えて若干気にはなかったが、まあいいやと流しながらほらあそこに、とヒルデに向き直る。

 そんなリリアの視線を目で追ったヒルデは、彼女のいう『お友達』の中にルシアが含まれていることを確認して目を見開いた。自分が虐めを行っている相手を友人だと抜かしたのを聞いて、そのまま見開いた目を即座に睨みつけるものへと変えた。

 

「無理矢理近くに置いている、の間違いでは?」

「…………言われてみれば、そうかもしれませんね」

 

 認めるの!? と思わずヒルデはたじろぐ。ここは普通反論するなり何なりする場面ではないのか。そんなことを思いながら、しかし表情は変わらずリリアを睨みつける。

 別段睨まれていることを気にしていないリリアは、そのまま少し悩むように首を回した。あの面々が友人なのは間違いないが、こと今回の状況でついてきてもらうのは確かに無理矢理だったのではないか、と。勿論そんな発言をした場合、何やらかすか分からないから無理矢理でもついてきたと返すのが少なくとも三人いる。残り一人の、言わない方の親友は好きだから同行したと迷うことなく言うので、結果的に何も変わらないのだが。

 

「まあ、それはそれとして。少し聞きたいことがあるんですけど」

「……何でしょうか」

 

 とりあえず流すことにしたリリアは、脱線した会話を元に戻すべく咳払いを一つ。そうしながら、ヒルデに向かって言葉を紡いだ。その態度に相手を見下すものや傲慢なものは見受けられなかったので、彼女もリリアのその問いを聞く素振りは見せる。

 そうして断られなかったのならば遠慮なく。とリリアは彼女の首元を指差した。ヒルデの身に着けているペンダントを指し示した。

 

「何でそんなもの付けているんですか?」

「なんですって……!」

 

 喧嘩を売っている、そう取られかねない発言であった。というか誤解でもなんでもなく、普通に、間違いなく、喧嘩を売った。

 

 

 

 

 

 

 リリアの面倒はラケルに任せ、周囲の根回しを行っていたカイルは、会場で一際注目されているそこを見ながら笑みを浮かべていた。会場の面々が興味より恐れの割合が多いのに対し、彼は純粋に興味が十割。それはそうだろう、なにせそうなるように仕向けている張本人の一人なのだから。

 とはいえ、もし想定外だったとしても彼は笑っていそうなのだが。

 

「ん? ああ、大丈夫、気にしなくてもいいよ」

 

 部下達にそう述べていから、カイルは再び指示を行う。既にほぼ終わってはいるが、詰めを甘くする訳にはいかない。彼のその声に皆が我に返り動きを再開したことを確認すると、視線を再びリリアの方へと戻した。

 

「いくら公爵令嬢とはいえ、言って良いことと悪いことがあります」

「そうですね」

「そうやって見下すことで、ご自身の権力が高いことを誇りたかったのですか? それしかないのだと露呈するだけなのに」

「ちゃんと権力以外もありますよ」

「どうでしょうか? 事実こうやって、家格が上だからと私の装飾を辱め、私の友人達を馬鹿にして、大して繋がりもない高位貴族を連れて仲が良いとでたらめを言っているではないですか。一体どこにそんなものが?」

 

 キッと睨みつけたヒルデを見て、リリアは口を噤む。勿論言い返せないとか気迫に圧されたとか、そういうのではまったくなく。

 口より先に手が出るだけだ。一歩踏み出し、何だとコラと思わず胸ぐらを掴みそうになったリリアは、その直前で我に返った。いや別にやっても何も問題はないのだが、一応段取りが合ったような気がしないでもなかったので踏み止まったのだ。お前の中ではそうなんだろう、とムダ知識による脳内ツッコミが入っていたが、具体的な部分を指し示していなかったので彼女は無視をした。

 

「……次は暴力ですか? 何をしても許される立場というものは何とも身勝手なのですね」

「はい」

 

 ダメだった。スナップを効かせたビンタをヒルデに叩き込んだリリアは、背後でキースとグレイが吹いているのを気にすることなく、よろけた彼女の胸ぐらを今度こそ掴む。

 

「わたしは身勝手ですよ。好きな人には優しくするし、嫌いな人は冷たくします。正しいとか正しくないかより、好きか嫌いかで判断します。だから、お友達が悪巧みをしていたら協力しますし、全然知らない人が正義でも邪魔するならぶっ飛ばします」

「あ、ぐ……」

 

 ぐい、と胸ぐらを掴む手に力が籠もる。それでもヒルデは睨むことをやめないし、謝らない。自分が正しいのだから、こんな悪役には負けてなるものかと前を見る。

 

「だからあなたはぶっ飛ばしますし、それを悪いことだと反省もしません」

「こ……のっ」

 

 どうしてこんな女が、王子とヒロインの近くにいるのだ。こんな、身勝手で傍若無人な、悪意の塊のような女が、何故。悪役だから、といってしまえばその通りなのだろう。最後に打倒されるべき相手だからなのだろう。そうは思っても、納得はできない。こんな不快な存在は、いくら物語を盛り上げるものだとしても見逃せない。

 

「大体あなたは、ちっともわたしのお友達のこと見てないじゃないですか。わたしが言えたことじゃないんですけど、大事にしたいならせめてもうちょっと――聞いてます?」

 

 自分はただ、物語のような仲睦まじい二人が見たかっただけなのに。どうして邪魔をするのか。どうして想い合っている二人の仲を引き裂くような真似をするのか。こんなものがいなくとも、二人は結ばれ幸せになるはずなのに。

 ザワリ、と何か力が湧き上がっていく感覚がした。妖精さんから貰ったペンダントが、光り輝くような気がした。自分を守るために、自分を貫くために。力を貸してくれるような気がした。

 

「リリア!」

「リリアさん!」

「へ? あ、これですか? えい!」

 

 胸ぐらを掴んだ手が緩められ、即座にペンダントに持ち替えられる。そのまま力任せにヒルデから引き千切られたそれは、リリアの手の中で光り輝いていた。

 光が収まらない。そう判断したリリアの行動は素早かった。事前に確認していた通り、即座にペンダントを窓に向かって全力で投擲したのだ。ガシャン、と盛大な音を立て、窓ガラスを粉砕したペンダントは中庭へと落ちていく。光輝いているそれは、数回跳ねるとそのまま茂みへと消えていった。

 

「あ、あ……」

「ふう。間一髪でした」

「何を!」

 

 一瞬のことで呆然としていたヒルデは、そこで我に返る。先程とは逆に、リリアへと掴みかかるように詰め寄った。激高し、どこか泣きそうになりながら、叫んだ。

 

「あれは、私の大切な! 大事な存在からの贈り物で! どうして、あんな……!」

「いや、しょうがないじゃないですか」

「何がしょうがないのですか! どうして!? 何で私がこんな」

「だから、しょうがないんですって、ほら」

 

 尚も詰め寄ろうとするヒルデの頭をガシリと掴む。そのまま無理矢理窓の外へと顔を向けさせたリリアは、ちょっぴりゴキリと音が鳴ったことなど気にしていないかのように言葉を続けた。

 

「あのまま付けてたら、踏み潰されてましたよ」

 

 中庭に出現した、巨大な魔物を見ながら、そう述べた。

 

 

 

 

 

 

「あれ、は……?」

 

 ヒルデは中庭に佇む魔物を見て言葉を失う。何故、どうして突然あんなものが。そう考えるのと同時に、これが自分のペンダントが引き起こしたことだという思いも湧いてくる。

 

「ええ、貴女の想像通りよ、アードラー侯爵令嬢」

 

 横合いから声。急な乱入者によりパニックになった生徒達はどういうわけかスタンバっていた兵士たちにより避難誘導されていたが、その流れに逆らうようにこの場に留まっている者達もいる。その一人が彼女、ラケル・カルネウス。彼女はヒルデが別段口にしていないのに、その思考を読んだように答えを口にした。あれはお前が身に着けていたものから生まれたものだとのたまった。

 

「何を――」

「見たところ、貴女の感情に起因して発動するタイプのものだったようね。ついさっき、思ったのでしょう? どうしてこんなやつが王子とヒロインの間にいるのか、って」

 

 ギクリとした。心の内を見透かされているようなそれに、ヒルデは思わず後ずさる。そんな彼女から中庭の魔物に視線を動かしたラケルは、まだ大丈夫そうねと再度視線をヒルデに戻した。

 

「許せなかったのよね? 王子様と、留学生の平民の身分違いのラブロマンスを邪魔する公爵令嬢が。恋物語に出てくるような悪役令嬢の存在が、我慢ならなかったのよね?」

「なに、を」

「知っているもの。貴女がやったことは全部。悪役を成敗しようと、ヒロインから遠ざけようと、随分と頑張っていたものね」

 

 クスクスと笑いながら、ラケルはヒルデを見る。その瞳はどこか彼女を値踏みするようで、少なくとも現状では『人』として認識していないようにも見えた。

 

「正義感が強いのは結構なことよ。平民を身分だけで見下すような貴族をよく思わないのは好感が持てるわ。でも、今はそれだけね」

「……さっきから聞いていれば、何を」

「評価よ、貴女の。そうね、ギリギリ落第は免れた、といったところかしら」

「ふざけないで! 貴女もあの悪役令嬢の仲間でしょう!?」

「ええ、そうよ。貴女が悪役令嬢と呼んだリリア・ノシュテッドは私の親友。言うなれば、さしずめ『腹黒令嬢』とでもしておこうかしら」

 

 悪びれることなど何もなく。むしろ誇らしげにそう返す。そうしながら、ラケルはだからどうしたとばかりに言葉を返した。それで、とヒルデに告げた。

 

「え?」

「だからどうしたの? イメージと噂で作られた『悪役令嬢』を、精霊の持たせたペンダントから呼び出した魔物で踏み潰せば満足するのかしら? 貴女がそれほどまでに強く怒りを感じたから、この惨状は仕方ないと言い切るの?」

 

 パーティー会場として用意されていた学院のホールとそこに繋がる中庭は酷い有様だ。生徒達にとっては掛け替えの無いイベントであったパーティーも台無し。そしてそれらを引き起こしたのは自分の持っていた精霊のペンダント。

 

「あ、あなた達がそれを言うの!? この状態が私のお守りが起動したからだったとして、元はといえばあなた達がこちらに嫌がらせをしたからでしょう? 問題にならないように耐えておけばよかったとでも言うつもり?」

「この状況を見て後悔するのならば、そうでしょうね。こんなことを望んでいなかった、というのならば、そうならないように手を尽くせばよかったのよ。知らなかったで済ませるのならば構わないわ。貴女にとっての責任は、所詮その程度」

「そんなこと、言えるわけが……!」

 

 ヒルデはラケルを睨む。リリア相手のものとはまた別の、じっとりとした憤りが己の中を巡っていく。こいつもそうなのだ。悪役令嬢の仲間など、結局は。

 

「あらあら。そうやって負の感情を高めるものではないわよ」

 

 静かに佇んでいた魔物に目に光が灯る。息をしていないかのように大人しかったそれは、低い唸り声を上げながら己の体を震わせた。幸いにして避難は完了していたので、今この場にいるのは当事者のみ。物好きの野次馬がもしいたとしても、こちらは認識していないので知ったことではない。

 

「怖いわね。まるで娘を守ろうとする守護獣みたい」

「……っ!? やっぱり、妖精さんが……」

 

 ラケルの言葉にヒルデは目を見開く。そうして、自分のために精霊がこんな力を用意してくれていたなんてと顔を綻ばせた。自分のことをこんなに想ってくれて、守ってくれようとしたのだと嬉しくなった。

 

「だとすると、貴女のことを随分と軽んじているのね」

「――は?」

 

 だというのに、目の前の腹黒女は笑顔でそんなことをのたまう。大切にしてくれている証を前にして、ぞれを踏みにじるようなことを言い放つ。

 

「だってそうでしょう? 貴女はこんな惨状を起こしたくなかったのに、ペンダントの送り主のせいでこんな騒ぎになってしまったわ。貴女のことを良く知っているのなら、そんなことはしないはずよ」

「それは」

「守るべき人のこと見もせずに、ただ己の力を誇示しておけば守ることが出来るのだと思っているようでは、軽んじているのと同義でしょう?」

「っ!?」

 

 それは今の惨状に向けて言っているのではない。否、それだけについて述べているわけではないのだ。ヒルデはその事に気付き、よろめいた。それに当てはまる存在を、彼女は知っていたからだ。王子様とヒロインの恋物語が見たいから。ルシアのことをきちんと見もせずに、可愛らしくか弱い存在だと決めつけて。

 ただ、自分の正しいと信じたことを示しさえあればそれでいいと思っていたのは他でもない。

 

「……私は、迷惑、だったのですか?」

「ぶっちゃけそーです」

 

 ば、と振り向く。話を聞いていたらしいルシアが、あははと苦笑しながらそこに立っていた。確かに嫌がらせを受けることはあったが、それで誰かに守られないと泣いてしまうほど彼女はか弱くも可愛らしくもない。ましてや、全然関係ない人が嫌がらせと全く関係ない人に突っかかっていったのならば言わずもがな。

 

「心配してくれるのは嬉しいですけど、だったらちゃんとあたしの話聞きやがれって思いますよね」

「う…………ん?」

「そうすりゃちったぁあたしだって信用しやがったですよ。相談できやがる人が増えたり、友達増えたりとかは歓迎するですし」

「え? ……あれ?」

「そういうことよ、アードラー侯爵令嬢。貴女がまずすることは、彼女に、ルシアさんに話しかけることだったの」

「……ラケルさん、今あたしのことバカにしやがったです?」

「違うわよ。リリアみたいなこと言わないで」

 

 ジト目でラケルを見るルシア。そんな彼女を見て笑うラケル。そして、思い描いていた恋物語のヒロイン像が音を立てて崩れていくヒルデ。

 そんな三者三様を見ながら、グレイはやれやれと溜息を。

 

「ちょっとちょっと! 話が終わったならこっちに来てくれませんか!? わたし一人でこれを押し留めるのはいい加減キツいんですけど!」

『あ』

 

 魔物の腕を受け止めたまま踏ん張っているリリアが叫んだのが、丁度そのタイミングである。

 

 



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第二十五話

ハイパーフルボッコタイム


 まずそもそも大前提として、中庭に出現した魔物は巨大で強大である。大きさも放つ威圧感も、見る限りではその辺で見るような十把一絡げの魔物とは違う。それが本当かどうはともかく、精霊がヒルデを守るために喚び出したというだけはある。

 それを齢十三歳の公爵令嬢が一人で足止めしていた。おかしい。

 

「キース」

「いや手助けいるか? あいつ一人でなんとかなってんじゃねぇか」

「何とかなっている、は事を済ませられるとは違うのよ」

 

 まあ出来ないことはないでしょうけれど。そんなことを付け加えながら、ラケルはキースへ手助けを命じた。へいへい、と彼は着ていた執事服のネクタイを緩めると中庭へと駆けていく。

 

「あ~もう! 重いんですよ!」

 

 その最中、リリアはこちらを押し潰そうとしている魔物にキレた。腕を受け止めている大斧に力を込め、足を踏ん張り、地面がその勢いで陥没し。

 そのまま魔物の巨体を押し返した。常識に真っ向からケンカを売っている。

 

「……やっぱオレいらねぇじゃん」

「あ、キースくん遅いですよ! 大変だったんですからね」

「ああそうかい。んで? オレ何すりゃいい?」

「あれをぶっ飛ばす手伝いに来てくれたんじゃないんですか?」

「具体的な手助けを言えっつってんだよ」

「…………?」

「好きにやるからな! 文句言うんじゃねぇぞ!」

 

 こてん、と首を傾げたリリアに向かって叫びながら指を突きつけたキースは、押し返されたことで倒れていた体を起こした魔物に向かい突進した。傍から見ていると少女一人にふっ飛ばされる程度にしか見えないそれが、一体全体どのくらいのものなのか。それを確認するためだ。

 

「っだぁ! やっぱりじゃねぇか!」

 

 手を抜く気はないので武術を使って腕、というより前足に近いその部分へと蹴りを叩き込んだキースは、そこで悪態をついた。太いそれを蹴り飛ばしたところで、魔物はびくともしない。ノーダメージではないだろうが、少なくとも先程のリリアのように相手が驚異に思うことはないだろう。

 

「あんの馬鹿力、どんだけだよ……」

「どういう意味ですか」

「そのままの意味だそのままの。体の構造どうなってんだよお前」

「身体強化の魔法と魔術と武術を重ねがけしてるからです。そうじゃなければか弱い美少女令嬢ですよ」

「その三つの重ねがけに平然と耐える時点でか弱くねぇよ。あと自分で美少女言うな」

「何でですか!? わたし可愛いですよ!」

「うるせぇ!」

 

 バフをマシマシマシ状態のままキースを締め上げようとしたリリアに、当の本人はツッコミを入れつつ距離を取る。そんなことしてる場合じゃねぇだろ、と追加で彼女に文句を述べた。

 

「その通りだリリア嬢。喧嘩はあの魔物を倒してからやってくれ」

「グレイくんも来たんですね。いけます?」

「無論だ。俺はお前の好敵手を務めているのだぞ」

 

 剣と盾を生み出し、構える。一足飛びで魔物へと接近すると、先程キースが蹴りを叩き込んだ場所に剣を振るった。ギャリギャリとおおよそ生物と剣がぶつかったのとは思えない音が鳴り響き、しかし弾かれることなく振り抜かれる。断ち切ることこそ出来なかったが、その斬撃はしっかりと魔物の腕を切り裂いた。

 

「こちらは通用する。ということは、打撃より斬撃の方が有効ということか」

「マジかよ。んじゃオレはサポートに回っとくか」

「そういうわけでも、ないみたいですよ」

 

 あれ、とリリアが指差した先には、切り裂かれた傷が音を立てて繋がっていく光景が。どうやら、どちらにせよ細かくダメージを蓄積させていく方法では倒せないらしい。少なくとも、決定打となる強烈な一撃が必要となる。

 

「ということは」

「だな」

「はい?」

 

 グレイも、キースも。そう結論付けたのならばもうやることは一つとばかりに彼女を見た。強烈な一撃担当になるであろう少女を見た。

 

「……グレイくん、さっきあんなこと言ったのに即わたしに担当させるのはかっこ悪いですよ、もー。あ、そうだ、ざぁこざぁこ」

「ぐはぁ!」

「お前言い方加減しろよバカぁ!」

 

 

 

 

 

 

 前衛組が騒いでいるのを横目に、ラケルは魔物をゆっくりと眺める。獅子のような姿をしたそれは、しかしその足は鱗のような硬い皮膚で覆われ、巨体を飛行させるであろう狂人な翼が生えている。尾はまるで牙を持つ蛇のような形をしており、その反対側、獅子の体躯の先端には、イメージに合った獅子の頭部と、ねじ曲がった角が生えた山羊のような頭部がそれぞれ備わっていた。

 

「あれはキマイラ……この辺りでは見ない魔物ね」

「キマイラってことは、本気で魔物じゃねーですか」

 

 俗称、通称。そういう意味合いで精霊に達していないモンスターを魔物呼びすることが多いのだが、本当に『魔物』扱いとなるのは上澄みだ。そして今目の前にいる魔物は、正しく『魔物』である。ラケルの出した結論が正しいのならば、そういうことになる。

 ヒルデはそんなラケルとルシアの会話を聞いて短く悲鳴を上げた。貴族とはいえ、正しくあろうと鍛錬をしているとはいえ、自分の実力はまだまだひよっ子に毛が生えた程度。魔獣と分類される中でも、野生動物が強化されたくらいのレベルのモンスター相手に人を守りながら戦う、それくらいが精一杯だ。こんな上澄みの魔物に太刀打ちは出来ない。

 

「どうして貴女が怯えるの?」

「え?」

「あれは貴女の感情に反応して喚び出されたのでしょう? お守りが本当に『お守り』ならば、貴女にとって嫌なものを排除すればどこかに消えていくのではなくて?」

「……だって、知らないもの。お守りの効果のことも、あれが本当にお守りだったのかも」

 

 チャリ、と自身の耳に触れる。ペンダントと同じデザインのイヤリングが、彼女の手の中に感じられた。

 これは、どうなのだろう。あのペンダントのように魔物を喚び出す効果を持ったお守りなのか、それとも。

 

「そっちは別に淀んでねーですよ」

「そ、そうなの?」

「です。んんー……これ多分向こうだけ後から何かしやがった感じですね。乗せられて調子こきやがった、みたいな」

「の、のせ? 調子こ、き?」

 

 ヒルデの思考にルシアの言葉が交じる。多分本来はあんな惨状を起こすようなものではなかったのだろう。彼女の口調があまりにもなので何だかんだ普通の淑女として生活してきたヒルデは反応が若干怪しかったが、一応言っていることは理解が出来た。

 妖精さんの意思か、はたまた別の誰かの介入か。いずれにせよ、あのペンダントは真っ当なお守りではなくなっていたということだ。

 

「あれほど酷くはなくとも、ひょっとしたら騒ぎを起こす程度には何かが発動した可能性もあるけれど」

 

 好かれているのね、とラケルが微笑む。その微笑みがどういう意味合いなのか分からず、ヒルデは苦い顔を浮かべた。

 そんな彼女の表情を見て笑みを強くさせたラケルは、ふう、と小さく息を吐く。この様子だと、黒幕側は予想していた悪意とは違う理由で動いている可能性もある。そこから即座に別の結論を導き出すと、踵を返し避難誘導を行っていた兵士の一人を呼び止めた。伝言とメモをそれぞれ兵士に渡すと、どこか気の抜けたように溜息を吐いた。

 

「ラケルさん? どうしやがったですか?」

「いえ、少し。……ここまでやっておいたのに黒幕の規模が小さい可能性に行き着いて、少しがっかりしているところよ」

「そこがっかりするの違くねーです?」

 

 国が乱れるの望んでいるんだろうかこの人。そんなことを一瞬だけ考えて、そんなわけはないかと頭を振った。何だかんだ多分、ルシアの周りの面々の中で一番平和のことを考えているのは彼女だ。ギルド管理局局長、辺境伯である父を誇りに思っている彼女が、迷惑を掛けるようなことをするはずがない。こともないが、極力しない。

 そういう意味ではただただ性格が悪いカイルの方がたちが悪いとも言える。

 

「ま、そこら辺は置いとくです。あたしも向こうの援護に行くですよ」

「あら、なら私も参加しようかしら」

「え!? ちょ、ちょっと貴女たち!? あんな魔物に近付くなんて正気なの!?」

 

 よーし、と腕をぐるぐるさせながら歩みを進めようとするルシアと、笑みを浮かべながらそれに続こうとするラケル。そんな二人を見ながら、ヒルデは思わず叫んでしまった。つい先程まで散々に自分を凹ませた相手だというのに、心配の声を掛けてしまった。

 

「……なんというか、貴女リリアとは別の意味で馬鹿なのね」

「どういう意味よ」

「普通、敵対していた相手の、それも自分をやり込めた相手の心配などしないものよ」

「たとえ嫌な人間でも、眼の前で危険に遭いそうならば止めるでしょう」

「ふふっ。うん、そうね。貴女はきっとリリアとは仲良くなれないわ」

「ここふつー仲良くなれるって抜かしやがる場面じゃねーです?」

 

 若干呆れたような表情のルシアであったが、しかし否定はしない。リリアは多分、そういう正しさを基準にするヒルデとはウマが合わない、と彼女も思ったからだ。

 

「まあでも、あたしは嫌いじゃねーですよ」

「ルシアさんがそう言うならば、私も、及第点に基準を変更しておこうかしら」

「何を言って……って、だから危ない――」

 

 ヒルデの声を遮るように、ラケルは左手に生み出した短剣を三本投擲する。キマイラの足元に着弾したそれは、トラバサミのようにその巨体を縫い止めた。

 

「――え?」

「ご心配なく。私、これでも少々腕には覚えがあるの」

 

 その光景にポカンとするヒルデに向き直ったラケルは、立てた指を口元に添えると、そう言って微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 咆哮と共に片足の拘束を引き千切る。その隙に前衛組へと合流した二人は、調子はどうかと三人に尋ねた。

 

「正直、芳しくないな。元々そういう特性なのか、あるいは特別な強化がされているのか。どちらかは分からないが、細かい攻撃では致命打にならない」

「成程。……ところで、貴方は何故そんなに顔色が悪いの?」

「お嬢、聞いてやらんどいてくれ……」

 

 ラケルの疑問にキースがそう返す。神妙な顔で首を横に振っているが、状況からして大したことはなさそうだと彼女はその解明の優先順位を下げた。そうしながら、道理で、と先程の拘束を引き千切ったキマイラを見やる。

 

「となると、私の攻撃では牽制にしかならないかしら」

 

 グレイやキースの近接攻撃が有効打にならないのならば、自身の攻撃手段は弾かれる可能性が高い。そんな算段を弾き出し、先程のように支援と牽制に回ろうと彼女は己の立ち位置を決めた。

 

「……あ」

 

 そのタイミングでリリアが素っ頓狂な声を上げる。自分の本能で戦っている状況に陥っていたため、思考の大半をムダ知識が回りまくっていた彼女は、そこで導き出されたアイデアで脳天が光ったイメージを幻視したのだ。ムダ知識的には電球が頭上でピコーン、と光るらしい。なお同形状の電球はこの世界に存在しない。

 

「ルシアさん、修復魔法って対象が何でもいけます?」

「は? リリア嬢、お前は何を言って」

「今んとこ時間は試してねーんでわかんねーです」

「発想が物騒!? じゃなくて、さっきのラケルの足止めの魔術なら?」

「え?」

 

 ルシアの修復魔法が普通ではないことは調査で知っている。本人がその辺り無頓着なことも承知の上だ。その上で、ラケルはリリアと同じ発想が出せなかった。というかそれを超える発想をルシアが即答した時点で、恐らくほぼ何でも可能なのだろうとこの場で即結論付けた。

 それもこれもひっくるめて、つまりこいつらは何をしようとしているのか。なまじ予想が出来てしまったので彼女の表情が珍しく苦いものになる。

 

「やれるですけど、リリアさん大分やべーこと考えやがりますね」

「あれ? そうでした?」

 

 無自覚系主人公ムーブ的セリフだこれ。ムダ知識が平常運転に戻ったところからして、リリアも自分の思考が明後日の方向から戻ってきたのを自覚する。こほん、と咳払いをしつつも、とりあえずやっておきましょうとラケルに声を掛けた。

 

「ラケル、いけます?」

「勿論よ」

 

 両手に短剣を複数生み出し、先程と同じようにキマイラの足元に投擲する。それらが生み出した牙が魔物の足に食い込み、その場に縫い留める。ここまでは同じ、そして程なくしてそれが引き千切られるのも同じ。

 

「ルシアさん」

「がってんですよ!」

 

 右手と左手で同時に魔法陣を展開させる。浮かび上がった文様がぐるぐると回ると、引き千切られたはずの罠が瞬く間に元の拘束を取り戻し、キマイラの足に食い込んだ。

 拘束される、引き千切る。拘束される、引き千切る。拘束される、引き千切る。同じ行動を、ただひたすら繰り返す。ほい、と浮かべていた魔法陣から手を離したルシアは、これで問題ねーですねと笑みを浮かべた。

 

「……ルシア嬢、これは何故展開し続けているのだ?」

「呪文の構築を修復したです」

「いとも簡単に永久機関を作ったわねこの娘……」

 

 流石のラケルもちょっぴり引く。リリアの脳内でも、ムダ知識がこいつチートにも程があるだろとドン引きしていた。グレイは考えることをやめている。キースだけは手放しで称賛していたが、これは彼の理解力がないというわけではなく、ただ単に惚れた弱みである。

 

「と、とにかく。これでもう後はひたすら攻撃するだけですね」

「それはそれで倒し方としてどうなんだ……?」

「いやまあ、楽でいいけどよ……」

「この状態ならば、私の攻撃も少しは通りそうね」

 

 リリアが大斧を、グレイが剣と盾を構え。キースは拳を握り込み、ラケルは短剣を指で挟み込むように持つ。

 行きますよー、というリリアの合図に合わせ、そのまま四人は動けなくなったキマイラをひたすらタコ殴りにした。行動を阻害したことで失った防御と、大したことのない単調な反撃しかできなくなった魔物を、ほぼ一方的にボコボコにした。

 これ主人公サイドの戦い方じゃない……。アイデアを出したくせにムダ知識がそんな風に絶句していたが、当の本人は知ったこっちゃない。

 

 



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第二十六話

後片付け


「よ、っと」

 

 ズモモモ、とボロボロになった中庭と滅茶苦茶になった学院のホールが修復されていく。まるで時間が戻っていくかのような光景に、一行はなんだこれと言葉をなくした。特にヒルデは現実逃避レベルまで驚愕している。

 

「修復、終わったですよ」

「え、ええ。ありがとう」

 

 先程の罠修復永久機関を見た時点で分かってはいたことだが、やった張本人であるルシアがあまりにもケロッとしているのでラケルですら勘違いしてしまいそうになる。確かに話は聞いていたし、今回の作戦を練る際に頼んでもいた。大丈夫ですよと言っていたので、信じてはいた。

 まさかこんな鼻歌交じりで、ちょっと掃除でもするかのように完全修復するとは。

 

「……随分と簡単にとんでもないことをするのね」

「簡単ってわけじゃねーですよ。何も考えずにこれだけの範囲修復やらかすと、さっきぶっ倒したキマイラも一緒に修復されちまう可能性がありやがりましたし」

「教国が貴女を積極的に排除しようとしない理由が良く分かったわ……」

 

 これを魔族の血が強いという理由で聖女の座からどうにかしようとすると、ほぼ間違いなく国が揺らぐレベルの失態になる。共感することは恐らく永遠にないだろうが、向こうの心情を理解することは出来た。以前話を聞きに行った随伴の神官と聖騎士には、今度少し優しくしても良いかもしれない。そんなことをラケルは思う。

 

「あ、そうだ。えっと」

 

 そんな彼女を尻目に、ルシアは修復が終わった中庭の茂みをガサガサと漁る。あったったと見付けた何かを掲げながら、未だ呆然としているヒルデの方へと歩みを進めた。

 

「アードラーさん、はい」

「……はっ!? って、え?」

「ペンダントの部分だけ修復したんで、もうつけても問題ねーですよ」

「……あ、ありがとう」

 

 何の気なしにやっているところを見るに、恐らく前々からこういうことをしていたのだろう。顎に手を当てながらその光景を眺めていたラケルは、あの随伴の神官と聖騎士には差し入れを送ろうと決めた。胃に優しいやつ。

 

「それでラケル。彼女はどうするんですか?」

 

 そのタイミングで、ひょこりと隣に立ったリリアがそう問い掛ける。彼女、とはルシアに修復されたペンダントを渡され、感動していいのか驚愕すればいいのか分からなくなっているヒルデ・アードラー侯爵令嬢のことだ。あそこまで話についていけないと逆に楽だろうな、とラケルはほんの少しだけ思いながら、その問い掛けの答えを口にする。当初のままならば目眩ましにされた被害者ということも考慮しつつ、リリアを貶めようとした罪を償ってもらうつもりではあったが、しかし。

 どうやら彼女は目眩ましですらない、というのが現在の認識だ。目眩ましであったのはむしろ。

 

「そうね。精霊に騙された哀れな被害者ですもの、罪を問うのは酷でしょう」

 

 向こうに届くように口にした。まるでそれが決定だと言わんばかりに、はっきりと告げた。

 だから。そんな言葉を続けるよりも早く、思考が若干宇宙に向かっていたヒルデが我に返った。状況を確認するよりも、これまでの自分の立ち回りで悪くなった立場を鑑みるよりも。

 

「違うわ! 妖精さんは悪くないの!」

 

 何よりも早く、それだけを訴えた。

 

 

 

 

 

 

「それで、どうするんですかカイル王子」

「そうだね。どうしようか」

 

 騒動の最中に用意したラケルのメモと伝言を受け取ったカイルは、暫し考えてから一人で結論を出さずに相談することにした。そんな相談相手に選ばれた公爵令嬢のメイドは、揃って悩む方向に舵取りしている。カイルとしてもそれを望んでいたので、別段問題ないのだが。

 

「流石に予定を大幅に変更は出来ないから、この後の予定はそのままなんだけれど」

「話聞く限り、微妙っぽいですもんねぇ」

 

 ひらひらとメモをさせながら、メイド――いわずもがなのエルが肩を竦める。これから会う相手をどうにかしたところで、はたして解決めでたしめでたしとなるであろうか。その辺りが若干怪しい。

 だとしても、まずは会って話を聞いてみないことには仕方がないのだ。状況からすると黒幕側で、それも裏で糸を引いていた感じの精霊が大分見当違いだったとしても。

 

「でも、エル嬢。貴女ならその辺り分かったんじゃないのかな?」

「それは買い被り過ぎですって。私はその手の調査は最底辺ですよ。下にはレーヴァくらいしかいませんし」

「帝国の氷の神獣が? 何だか意外だな」

「まあ、あれはその手のが低いというか自己評価が低すぎるというか。ほんと何であの娘神獣やってんでしょうかねぇ」

 

 戸棚にぶつかるだけでも謝り倒していた姿を思い出し、エルはやれやれと肩を竦める。それでも野良の悪魔ではなく国所属の神獣であり続けているのだから、本人なりの理由があるのだろう。そう思い別にとやかくは言わないけれどと心中で締めつつ、彼女はまあそれはいいとして、とカイルを見た。

 

「私がそれっぽいの見付けたって話をしてから調査はしてたんですし、このメモに当てはまる情報の一つや二つ持ってんじゃないんですか?」

「そりゃあ、あるからこそラケル嬢もこのメモを送ってきたんだろうしね」

 

 情報共有はしているので、二人のスタート位置は同じ。騒動の最中ではあるが当事者から話を聞いたラケルに対し、後追いではあるが時間と場所に余裕があるカイル。それを踏まえても状況は同等だろう。

 すなわち、ここで答えを出せなければ彼の負けである。そしてこの男、性格が悪いだけでなくそこそこ負けず嫌いであった。

 

「やっぱりアードラー侯爵が問題になるかな」

「何故に?」

「侯爵は元々立場や身分を気にしない人で、侯爵夫人や子供達も同様に、まあいわゆる良い貴族としての評判が強い」

 

 実際、跡継ぎになるであろう長男はカイルの兄である王太子スヴェンが気に入っている人物の一人だ。このままいけば次期国王との繋がりも出来、侯爵家は安泰となる。

 

「なんだけど。ここ最近の侯爵の様子が少しおかしいんだ」

「隠居が決まってはっちゃけましたか?」

「そうやって軽く言える方向ならばよかったんだけどね」

 

 どうも、これまでの侯爵を演じているような行動が見受けられるようになったらしい。彼が直接確認こそしていないが、調査の結果としてそう出てくるところからほぼ間違いなくこれまでの侯爵とは違うのだろう。

 とはいえ。演じているように見えるとしても、それそのものはこれまでの侯爵と変わらないので、わざわざ指摘する必要もないと流されてきたのだが。

 

「そこへ来て今回の騒動、ですか」

「うん。表面上は良い貴族を続けながら、裏では悪事を行っている。なんて、物語にはありふれているからね。勿論、物語がそうだからといって、実際そうだとは限らない。王子の僕は留学生の平民の女の子と恋に落ちていないし、二人の邪魔をする悪役の公爵令嬢もいないしね」

「……何かそう考えると親子揃って物語脳だったってオチになるんですかこれ?」

「そうだね。『だった』んだと思うよ」

 

 どこか含みのある言い方をする。カイルのそれを聞いたエルは、少しだけ怪訝な表情を浮かべた。そうしながら、まあこれから分かるかと疑問を流す。

 対するカイルは、流しちゃうんだ、と少しだけ残念そうな顔をした。

 

「説明長くなりそうだったから、直接見ながら聞こうかなぁって」

「あはは。まあ確かに少し長くなるかもしれないけれど。でも、これだけは聞いておいた方がいいかな」

「ん?」

「侯爵は幼少時に知識の強制刻印症状を受けている。リリア嬢と同じようにね」

 

 精霊が侯爵家と繋がりを持っているのもそのせいだ。直接的な原因ではないとされたが、可能性の一端だと考えた精霊本人が、その家を見守ることにしたらしい。

 そして侯爵は既にある程度確立されていた治療によって回復し、その年齢にそぐわぬ知識を身に付けたことで人柄も見違えるほど落ち着いた。彼の良い貴族のイメージはここで形作られたと思っていいだろう。

 

「それまでの侯爵は、言ってはなんだけどあまり褒められた人格をしていなかったらしい。状況としては似ていると思わないかい?」

「お嬢さまは言うほど変わってませんよ。ぶっちゃけあれがなくても二・三年経ったら同じような感じになってたと思いますし」

「へぇ。普通なら聞き流すところだけど、エル嬢がそう言うなら、リリア嬢はまた少し違うのかもね」

 

 そう言いながらカイルは歩みを少し緩める。そろそろ目的地。当初の予定では、ここで侯爵と黒幕を――精霊か何かであろうものを捕縛し事情を聞き出すつもりであったが、しかし。

 

「やあ、待たせて申し訳ないね、アードラー侯爵」

 

 一見しただけでは、現在のカイルはメイドをお供にこの場にやってきたようにしか見えない。護衛の騎士もおらず、彼を守るような存在は見当たらない。

 

「学院のパーティー会場に野良猫が乱入してしまってね。捕まえるよう護衛に頼んでいたら遅れてしまったよ」

 

 表情を変えることなくそう述べるカイルに、アードラー侯爵はお気になさらずと返す。初老に差し掛かる頃であろうその顔には、いかにもな人の良さというべきか、そういうものが外から滲み出ていて。

 これまでは本当にそうであった、と感じさせるものであった。

 

 

 

 

 

 

「妖精さんは私の望みを叶えようとしてくれただけ。今回の責任は私にあります」

 

 真っ直ぐ、迷うことなくそう述べたヒルデを見て、ラケルはあらそうなのと軽く返事をした。頬に手を当てながら、何も予想外な事柄が起こっていないかのように、平然と答えた。

 

「それは、リリアを――ノシュテッド公爵令嬢を陥れようとしたことを認める、ということでいいのね?」

「ええ。それでかまわないわ」

 

 下手な言い訳をしても意味がない。今必要なのは、妖精さんが元凶ではないということを伝えるだけ。そう覚悟を決めたヒルデにとって、余計な罪などおまけでしかない。だから彼女はラケルのそれに頷いた。どちらにせよ間違ってはいないのだ、何の問題もない。そう判断した。

 

「気に入らないですね」

「え?」

 

 そんな彼女に駄目出しをしたのはリリアである。何だかカッコつけてるぞこいつ、というムダ知識の判定に彼女自身も否定することなく、そのまま一歩踏み出しヒルデを睨んだ。

 

「あらリリア、貴女は今の返答に不満があるの?」

「もちろん。だってこの人本気で言ってませんもん」

「何を言うの? 私は本気で言ってるわ、今回の騒動の犯人は」

「アードラーさんだけじゃないですよね? なのに何だか全部の罪を被って気持ちよくなってる感じがするんですよ。だから気に入らない」

「だからさぁ、お前もう少し言い方をさぁ……」

 

 野次馬していたキースが溜息を吐く。彼のそれを知るかと無視ったリリアは、視線をヒルデからラケルに向けた。ラケルも同じ意見じゃないんですか、とその視線が物語っている。

 彼女の視線を受けたラケルは、同じ意見ではないわねと首を横に振った。そうしながら、キマイラと接敵する前にルシアとした会話を思い出して思わず笑みが溢れる。

 

「でも、貴女の言いたいことは分かるわ。彼女は確かに貴女を陥れようとしたけれど、それはあくまで『悪役令嬢』の撃退の部分だけだものね」

「……便乗したのは確かだもの。広がるってことは、そうなるだけの理由があるって、そう思っていたし」

 

 リリアが悪者である、という大前提を作り出したのはひょっとしたら彼女の行動かもしれない。だが、そこから学院に広めていったのはまた別の存在。目眩ましが目眩ましに使っていた、地位にこだわって媚びへつらうか引きずり下ろすかを考えている連中だ。少なくともヒルデはそう思っているし、だからそんなことを言われても意見が変わることはない。

 問題はそこに彼女の知らない思惑が混じることである。

 

「あれは私達が広めたのよ」

「は?」

「ああ、勘違いしないで頂戴。貴女が予想している連中はそれに踊らされた働きアリよ。巣穴に辿り着いた以上、後できっちり駆除もしておくわ、安心して」

 

 話を理解するのに時間が掛かってしまう。先程よりは浅めの宇宙に飛びながら、ヒルデはラケルの言ったことを染み込ませていった。つまりは、発端は自身の勘違いで、それを聞きつけた誰かが――この流れだと自分と共にいた友人の一人だろう――が噂を作る。そしてそれを風で吹くような噂からしっかりとした土台付きに変えたのが、撒き餌として使ったラケル達。巡り巡って撒き餌に引っ掛かったのが本人を遠巻きに見ていて噂だけを鵜呑みにした自分達だ、とそういうわけだ。

 

「……結局私が悪い、で問題ないじゃないの……」

「貴女は悪くない、なんて一言も言っていないわよ。余計な部分まで背負う必要がない、と言っているだけよ、リリアはね。私はどちらでもかまわないわ」

 

 これから問題にするのはここではないのだから。そう言ってラケルは腕組みをする。この騒ぎはあくまで予想の範囲内で、疑問になっていくのはそれ以外。ヒルデが話題にしたくない部分、あるいは、予想もしていない箇所だ。

 

「貴女の言う妖精さんというのは、どういう精霊なのかしら」

「どういうって……別に何か特別なものはないわ。アードラー侯爵家と昔から繋がりがあって、私にたくさんの物語を聞かせてくれた、もう一人の兄みたいな存在よ」

「貴女の勘違いのルーツはそこなのね」

 

 成程、と頷いたラケルは、彼女に続きを促す。が、そう言われてもとヒルデは眉を顰めた。妖精さんは彼女にとってそういう存在なので、今回のお守りだって少し過保護にしすぎた結果かもしれないと思ってしまうほどだ。眼の前の腹黒令嬢が求めているような、自分を使って何か悪事を企んでいるなどという考えが湧いてくるはずもない。

 

「昔はそうでも、今は違う、ということはないのか?」

 

 野次馬になっていたグレイが会話に割り込む。少なくとも、人は案外変わるものだ。精霊だってそうでないとは言い切れない。何より、ヒルデは思い込みで立ち止まらなかった結果今回の騒動を引き起こした人物だ。見落としがあってしかるべき。

 そこまで言われたわけではないが、彼のその言葉に苦い顔を浮かべたヒルデは、深呼吸をすると改めて深く考え込んだ。先入観を捨て去ることは出来ないが、何一つ疑わないなどということはないように。それは本当なのか、と自分に問い掛けるように。

 

「何か実感こもってやがりましたね」

「……俺が最初はそうだったのでな」

「ああ、出会った時のグレイくんって、物凄い噛ませ役っぽかったですからね」

「そこは変わってなくねーです?」

「…………」

「ルシアちゃん、あのさ、ちょっとそいつさっきので凹んでっから、もうちょい手加減してやって……」

 

 周囲がうるさい。余計な雑念が混ざるのに若干集中を乱されながらも、ヒルデは気付いたことを、思考の中で引っ掛かったことを口にする。正確には妖精さんのことではないが、それでも。

 

「そういえば……妖精さんが言っていたわ。お父様の調子が悪そうだって」

 

 あの言い方は、病気というよりもまた違う何かで。具体的な名称が出てこないそれは、これまで通りが出来なくなっているかのような、同じ車でも乗り手が変わってしまったかのような。

 

「だから妖精さんは、お父様と一緒に行動することが増えて。この間も、何かに悩んでいるようだったわ……」

 

 パーティー用のアクセサリーをくれた時もそうだ。いつもならば物語が現実になるように、と笑って話してくれるはずの彼は、少しだけ不安げな表情であった。あの時はこれからの作戦が上手くいくかどうか心配なのだろうと思っていたが、ひょっとしたら本当は。

 

「このお守りは、無理矢理作らされたのかも……」

「だとすると、指示をしたのはアードラー侯爵でしょうね」

「あ、やっぱり黒幕は侯爵なんですね」

「そうね、それ自体は変わらないわ」

 

 問題は、どういう立ち位置か、だ。精霊も、侯爵も。

 今の話を聞いてカイルに渡した修正案に間違いがないのも確認出来た。ならば、こちらでやることはもう殆どないと言っていいだろう。これ以上中止になった会場に留まっていても意味はない。

 

「さて。聞きたいことも聞き終わったし、帰りましょうか」

 

 パンパンと手を叩く。はぁ? と目を見開いたヒルデを見て、心配せずとも、と彼女は笑う。

 

「後始末には、もう担当者が向かっているのよ」

 

 



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第二十七話

暗躍フェイズ


 待たせてしまった謝罪を行ったカイルであったが、そのまま話を進めることなく少々雑談と言い訳の混じったようなものを並べ始めた。わざわざ学院に来てもらったのにとか、悪いことが重なってしまったとか、野良猫の乱入でパーティーの会場が少々汚れてしまったから片付けも頼んでいてだとか。そんな話を引き伸ばすようなことをしながら、彼はそういえばと指を立てる。

 

「野良猫がいた場所に、侯爵のご息女もいたんだった」

 

 ぴくりとアードラー侯爵が反応する。横のエルはそんな彼を見ることなく、それよりも少し後ろ、本来ならば護衛の一人でもいそうな空間を見詰めていた。

 

「まあ所詮野良猫だからね。特に彼女にも被害はなかったそうだよ」

 

 言葉を続けながら、カイルはアードラー侯爵を見て、エルと同じように視線をずらす。侯爵はそれならよかったと安堵したように述べていたが、彼からすれば本心にはまるで見えない態度で。口ではそう言っているが、どうでもいいと言わんばかりに感じられた。

 カイルの横で控えているエルがへぇ、と小さく声を上げる。そちらに向き直ると、彼女がどこか楽しそうに口角を上げているのが見えた。

 

「さて、と。まあ世間話はこのくらいにして」

 

 再度対面の侯爵を見る。相変わらず笑みを浮かべたまま、胡散臭い表情とリリアが称するそれを貼り付けたまま、カイルは本題に入ろうかと言葉を紡ぐ。この部屋は学院で用意された応接室の一つだが、少々特別な話をする時に使われる。外部に音が漏れないように設計されているのだ。情報漏洩を警戒した仕様であり、そのためここを使うには特別な許可がいる。逆に言えば、情報自体は分からずとも、何かがあるということそのものは筒抜けというわけだ。

 結局有名無実化しているその仕様をわざわざ説明したカイルは、何かあっても外に助けは呼べないのが難点だよねと軽い調子で述べていた。

 

「カイル殿下、何故そのようなお話を?」

「いや、ひょっとしたら侯爵が知らないかもしれないな、と思ってね」

「……冗談がお好きですな。そのようなこと、知らぬはずがありません」

「そう? それは失礼した」

 

 そう言ってカイルはテーブルの紅茶を口にする。少し貴方のことを見くびっていたかもしれないと謝罪の言葉を述べた。

 

「最近成り代わったのだから、その辺りに疎いと思っていたよ」

「は?」

「ああごめん。いきなりそんなことを言っても分からないよね」

 

 涼しい顔のまま、彼は不審な表情を浮かべる侯爵を見る。紅茶を飲み、喉を湿らせ、貼り付けたままの胡散臭い笑みを更に強くさせて。

 これまでのアードラー侯爵と違うよね。さらっと、なんてことのない様子で、カイルは目の前の男にそう言ってのけた。

 

「おっと、これだとさっきと同じか。まあ何を言ってもしらばっくれるところから入るだろうし、別に何でもいいんだろうけれど」

「カイル殿下、先程から何を」

「とりあえず、目の前の貴方が僕の知っているアードラー侯爵ではないことは間違いない。そう、断言しておくよ」

 

 

 

 

 

 

 何をおかしなことを。そう言ってアードラー侯爵は笑う。そんな彼の笑みを見ながら、冗談に聞こえたかなとカイルも返した。

 

「ははは、冗談でないとすれば、一体何が」

「本気の話さ。ああ、もしかして誤解があったかな? 今のアードラー侯爵を知っている人は殆どいない、の方が正しいよね」

「やれやれ……先程からどうされたのですか?」

「あれ? 違ったかい? ……ああ、そうか。今のアードラー侯爵だと語弊があるんだね。――本来のアードラ侯爵、が正解か」

「だから、何を」

 

 怪訝な表情でアードラー侯爵はカイルに述べる。が、その眉がピクリと動いたのをカイルもエルも気が付いた。そんな侯爵の反応を見ながら、思い付くパターンを適当に口にしただけなのにね、と彼は心中でほくそ笑む。どうやらそこそこの考えなしであるようだ。とカイルは結論付けていた。

 では次だ。再度紅茶を口にして、カップを音もなく置く。椅子の背もたれに体を預けながら、交差させるように足を組んだ。

 

「最近、僕の友人が虐めにあっているようなんだ」

「……はあ」

 

 唐突な話題転換。そう感じた侯爵は怪訝な表情を浮かべたまま、曖昧な相槌を打つ。そうしながらも、そんな話をするためにここに呼んだのかと眼の前の第二王子に対して不信感を顕にしていた。

 

「困った話だよね。でも、その友人はそれをものともしない。彼女には心強い味方もいたしね」

「それは、よかったですな」

「そうだね。まあ、侯爵には既知の話だったかな。アードラー侯爵令嬢もこの話は知っていただろうし、彼女は正義感の強い人だしね」

「そうでしょう、我が自慢の娘ですから」

 

 エルが侯爵の背後を見ながら目を細める。こりゃぁ、黒じゃなさそうだ。そんなことを思いながら、彼女はカイルの肩をトントンと軽く叩いた。それにあえて反応を示さなかったカイルは、視線を侯爵に向けたまま会話を続けた。そうだね、と言いながら、彼に向かって言葉を紡ぐ。

 

「ということは、勿論侯爵はその虐められていた僕の友人のことも知っているわけだ」

「はあ、まあ。話は聞いていますので」

「ああやっぱり。……でもまさか、あんな地位の人間に嫌がらせをするなんて、知らないってことは恐ろしいよね」

「いやまったく。その通りですな」

 

 ははは、と愛想笑いなのか侯爵はそう言うと紅茶に口を付けた。本当にね、とカイルも同じように笑うと紅茶のおかわりを注いだ。

 

「ところで、そちらは一体誰の話をしているんだい?」

「は?」

「あれ? ひょっとして碌に話を聞かずに頷いたの?」

「まさか。殿下が急に奇妙な問い掛けをするものですから」

「ああそうか、それは申し訳ない。それで、貴方は誰のことだと思って聞いていたの?」

「誰も何も……聖女様のことでしょう?」

「へぇ、おかしいな。僕はノシュテッド公爵令嬢のつもりだったんだけど」

「は? ご冗談を。彼女は聖女様に嫌がらせをしていた犯人ではないですか、だから娘も――ん?」

 

 侯爵の背後が揺らめく。それに反応した侯爵が、何だ一体と眉を顰めた。そうした後、何かに気付いたように目を見開く。

 カイルは笑顔のままだ。エルはそんなカイルを気にせずに、侯爵の背後で揺らめいた存在を眺めている。

 

「さて、と。エル嬢、そろそろ説明を始めようか?」

「んー。そうですね。っていっても、まあもうなんとなく察しましたけど」

「だろうね」

 

 注いだ紅茶を一口。そうしながら、カイルは侯爵に告げた。ヒルデ・アードラー侯爵令嬢は、ルシアーネのことを平民の留学生としか認識していなかった、と。

 

「知っていたのに、娘にはそれを伝えなかったの? 侯爵ともあろう人が、まるで娘が粗相をするのを望んでいるような行動を?」

「何を仰ることやら。聖女様はその地位をひけらかすことを良しとしないお淑やかで奥ゆかしい人物でしょう。なので娘には先入観を持たせずに味方になってもらおうと、聖女という地位は伏せておいたのです」

「その情報が既に先入観持たせまくってるんだよなぁ……」

「ははは。まあまあエル嬢、そこは仕方ないよ。多分、『アードラー侯爵の知識』だろうからね」

 

 実際問題、ルシアの口調と性格が想像上のヒロイン像とかけ離れていたのでヒルデの何かがぷっつりと切れていたりするのだが、この場には特に関係がない。

 ともあれ。これで確定だとカイルは口角を上げる。実際と異なる知識を元に行動をした、それそのものが、目の前の彼がこれまでの侯爵ではない何よりの証拠となる。

 

「侯爵。確か侯爵は以前、刻まれた知識と実際の出来事に差異があったために失敗をした、という話をしていたね」

「それが何か?」

「その時に侯爵は、同じ間違いを犯さぬよう知識の裏付けをきちんと取るようにした、とも言っていた」

「そう、でしたか?」

「うん。だから、些細な事ならともかく、他国の聖女についてなんか間違えるはずがないんだ」

 

 話を戻そう。そう言ってカイルはアードラー侯爵を見た。これまでの侯爵とは違うよね。もう一度、彼はそう言い放った。

 

「まあ元から割と物語脳なところはあったけれど、そういう部分では慎重だった侯爵がいきなりここまでやらかせば、疑うなっていう方がおかしい」

「あー。だから最初は精霊が侯爵を操ってる方向で考えてたんですね」

「そうだね」

 

 侯爵の背後が揺らめく。姿を隠している理由も無くなったとばかりに、ローブを纏った緑の髪の青年が現れた。苦い顔を浮かべている彼は、しかし何も言わずにただそこに佇む。

 動けないのか、動かないのか。どちらでも構わないし、結果は同じ。エルはカイルに軽口を叩きながらそんなことを思う。

 

「さて。アードラー侯爵。いい加減返事をもらいたいんだけれど」

「……だとしたら、どうだというのです?」

「別に何も。同じだろうが、違っていようが、処罰をするのには変わらないし」

 

 処罰、という言葉でアードラー侯爵の表情が歪んだ。何を処罰するというのか。そんなことをカイルに問い掛け、彼を真っ直ぐに睨む。こちらは処罰されるような罪など犯してはいない、そう言い切った。

 

「娘が学院の行事を滅茶苦茶にしたのはいいんだ?」

「それは娘が責任を取るべきでしょう」

「貴様っ、何をぬけぬけと――」

 

 後ろの精霊が思わず叫びかけたが、ギシリときしむような音がして彼の動きが止まる。歯ぎしりをしながらも、精霊はその憤怒の表情を隠すことなく動きを止めた。

 ああこりゃ決定だ。ふむふむと頷きながら、エルは精霊を眺め、どこか意地の悪そうな笑みを浮かべた。王子王子、と彼の肩を叩き、持ってますねこれと耳打ちする。

 

「この間、学院に精霊を操るための魔道具が持ち込まれた。使用目的は同系統の魔道具の邪魔をして使役を無効化させるためだったみたいだけれど。これ、侯爵家で用意したものらしいね」

 

 エルの持っていたカバンからそれを取り出し、置く。ここにあるのは一つだけだけれども、どうやら複数入手した記録もあった。そこまでを説明した後、カイルは一枚の紙を机に置いた魔道具の横に添える。

 

「アードラー侯爵が改造した形跡もちゃんと残っていたよ。風の神獣のお墨付きだ」

「……」

「一連の手助けをしていたのは事実。ならば、責任を娘だけに押し付けるのはいささか薄情じゃあないかな?」

 

 カイルは笑う。事態を大きくした責任は取ってもらう、と微笑む。

 そして、そんな彼を見た侯爵もまた、口角を上げた。責任を取る、と大層なことを言っているが、結局のところ被害などたかがしれている。認めたからといって死ぬわけでもない。そう結論付け、どうすればよろしいのですかと問い掛けた。問い掛けてしまった。

 

「大したことはないよ。貴方を元のアードラー侯爵に戻すだけだ」

「は?」

 

 カイルは笑う。当然だろう、と微笑む。アードラー侯爵が普段のアードラー侯爵だったのならば起きなかった騒動なのだから、当たり前だと述べる。今この場にいるアードラー侯爵にはいなくなってもらう、と告げる。

 

「何を」

「何が原因かはよく分からないけれど、これまでのアードラー侯爵に戻す方法は分かるから、何も心配いらないよ」

「何、を」

「一連の騒動はそのせいで起きたことになるから、勿論アードラー侯爵の評判も下がりすぎることはない。ちょっとした病気だった、で終わりかな?」

「何を!」

「アードラー侯爵の家族にもちゃんと説明するよ、安心して」

「ふざけるなっ!」

 

 バン、と机を叩き、アードラー侯爵は立ち上がる。今の自分に消えろと言われて、はいそうですかと納得するはずもない。たとえ相手が王族であろうとも、首を縦に振れるはずもない。

 何より。

 

「私が、私が本物のアードラーだ! これまでのあれは人を乗っ取った偽物で、ようやくこうして体を取り返したというのに」

「ああ、ごめん、僕の言い方が悪かったね。本物とか偽物とか関係なく、今のアードラー侯爵がいらないんだよ。ただ単に変な騒動を起こすだけならまだしも、それを取っ掛かりにノシュテッド公爵家を落としてのし上がろうとしたでしょ? アードラー侯爵家にそういうの望んでいないから、困るんだよね」

「滅茶苦茶自分勝手な理由ですね王子」

「ダメかな? リリア嬢を辱めようとしたから、とかの方が良かった?」

「お嬢さま滅茶苦茶嫌がりそうだなぁ……」

 

 でしょ、と笑うカイルにはいはいと返したエルは、さて向こうの次の一手はどうするのかと視線を前に向けた。アードラー侯爵はその意見を聞いて一瞬呆けている。精霊はそんな彼を冷めた目で見ていて動かない。

 

「……殿下。その判断は誰が?」

「ん? 僕の独断だけれど」

「ならば、ここで殿下の口を封じてしまえば――!」

「この場所でそんなことをしたら一発で侯爵が犯人だってバレるけれど、いいの?」

 

 ふん、と侯爵は鼻で笑う。命を奪うわけではないと口を歪める。隠し持っていたのだろう、精霊を操る魔道具を使い、控えていた精霊に命令を飛ばす。

 

「カイル殿下を拘束し、記憶を改編しろ!」

「貴様、正気か!?」

「出来るだろう、私にやったように!」

 

 ギリ、と精霊は歯噛みする。そうしながら、改造された魔道具に逆らえないのか侯爵の前に出た。殺さないように手加減はするだろうが、精霊の攻撃を食らって平気でいられるとは限らない。さてどうするか、とそんな状況で思考を巡らせているカイルの前に、呆れたようにエルが立つ。

 

「いや同行させたんですから、使いましょうよ私を」

「リリア嬢が怒らないかな?」

「流石にこの場面では怒らないんじゃないですか? 知らないですけど」

 

 そんな無責任なメイドの言葉に、カイルは楽しそうに笑い、じゃあお願いと返した。エルはエルで、任されましたとカイルを後ろに下がらせる。

 そうして立ち塞がった彼女を見て動きを止めた精霊に向かい、アードラー侯爵は声を張り上げた。そんなメイドの一人や二人気にすることはない、と。いいからさっさとやってしまえ、と。

 

「いやだからここで被害あったらバレバレなんだってば。あの人馬鹿なの?」

「馬鹿なんだろうな……」

 

 半ば諦めたように、精霊はそう呟くと両手に魔力を込める。出来るだけ死なないように努力はする、と彼は続け、エルへとその拳を突き出した。

 その一撃を、エルはひょい、と難なく躱す。アードラー侯爵は呆気にとられ、精霊自身も一瞬状況が飲み込めずに動きを止めた。

 

「心配しなくても、私は別に封印されてたりとかそういう事情があるわけじゃないんで」

「――っ!? は!? お前、いや、貴女は!」

「手加減しないといけないのは私の方なんですよねぇ」

 

 背中に手を回す。背負っている何かを掴むような仕草を取ったエルは、そのままそれを振り抜いた。雷光が迸り、咄嗟に防御した精霊はそのもろとも吹き飛ばされる。完全防音仕様になっている部屋の壁が、その衝撃でひび割れた。

 

「あ、やっべ」

「エル嬢。いや、バエルゼブ様。だから聞いたんだよ僕は、リリア嬢が怒らないかって」

「これのことなんですか!? ……あー、そっかこれお嬢さまが弁償するんだ……」

 

 うげぇ、と項垂れるメイド服の少女エル――雷の悪魔バエルゼブは、まあいいやと手に持っていた先端が砕けた大剣をくるりと回し、呆然としているアードラー侯爵へと突き付けた。

 

「そんなわけで。諦めてもらいましょうかね」

 

 




バレバレ


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